Illusional Space (ジベた)
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【福音事件 - Illuminated Sacrifice - 】
01 果たせない約束


 透き通る氷のように澄んだ空の下、俺は独り立っていた。

 

 周囲にそびえる杉の群れや石だらけの参道には雪化粧が施されており、無数の凍てつく切っ先がジャンパーの上からチクチクと俺をいじめる。雪が降っていないだけマシであるが、雲一つ無い青空で迎える朝は一際冷え込むものだ。曙光が差し始めた程度の熱量では気温は上昇していない。俺は悴む両手を擦り合わせ、白く可視化された吐息を当てて暖をとることで耐える。

 今すぐにでも帰ってコタツにもぐり、ミカンでも食べながら一時の幸せを感じていたいものだが、生憎と俺は目的があってここにいる。

 

「来てくれたのだな……一夏」

 

 俺の名前を呼ぶ声がする。早朝の凍える空気の中、神社にまで来た理由は彼女に呼ばれたからだ。急に呼び出された上に5分以上も放置され、少々頭に血が昇っていた俺はイライラする頭を掻きながら声のした方に向かって反射的に「来てやったんだ」と言い放った。

 ところが直後に俺は目を丸くすることになった。続く言葉である『感謝しろよ』がボソボソと尻すぼみ、自分の耳でも何と言ったのか聞き取れなかったくらいに動転していた。

 

「……何か一言があってもいいのではないか?」

 

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 そこに俺の知る彼女はいなかった。彼女の和服姿くらい見慣れているつもりだったのだが、俺が何もわかっていないことが証明された。

 神社の傍にある建物から現れた彼女。

 赤色を基調とした鮮やかな着物には、彼女が普段身につけている胴着と袴には無い“女性らしさ”があったのだ。普段と同じように束ねられた黒髪には金色の簪が刺してあり、素直に『きれいだな』と思った。

 突然に“親しい友人”から“親しい異性”になった気がして、なぜか気を張ってしまう。

 

「ま、馬子にも衣装」

「…………」

 

 空気が急に2、3℃下がった。所詮は体感温度。これくらい簡単に上がり下がりする。

 こういうとき何と言えばいいのか、と思案した挙げ句に出てきた言葉はどこかのマンガで出てきたようなやりとりの一部。意味もわからずに口走ったのであるが、彼女の冷たい目線のおかげで俺が間違えたことだけは本能で理解した。

 しばし何も言えず互いに固まる。この膠着は俺から崩せるはずもなく、止まっていた時間は彼女が吹き出すように笑ってから動き出した。

 

「お前に気の利いたことを言えという方が間違っていたな」

「ちくしょうっ! 俺を『頭が残念でかわいそうです』みたいな目で見るのをやめろ!」

 

 叫びながらも俺は落ち着きを取り戻していた。やはり軽く言葉を吐ける間柄の方が気楽だ。俺は頭が悪いから、俺の口から出る一言の意味をいちいち考えてはいられない。

 ドラマなどで耳にするかっこいいセリフを、誰かに用意されずに言えるなんてことは少なくとも俺にはありえない。

 これが俺らしさだ。それでいい。

 

「で? 何の用だよ。俺は今日は一日中コタツにもぐって、TVをダラダラと見続ける予定だったんだぞ」

「典型的なダメ人間だな」

「正月くらい別にいいだろうが! 世の中の人でも少数派じゃないだろ!?」

「ほほう。一夏が“少数派”などという言葉を知っているとは……私は驚きを隠せないぞ」

「たまたま知ってただけだよ! 悪かったな!」

「そうだな、一夏は多数派だったな。……新年だというのに一緒に過ごす人もいない寂しい男なのだ」

「ん? どういうことだ?」

 

 俺は彼女の言いたいことが掴めずに聞き返す。しかし彼女は「お前には早い話だった」と首を横に振るだけで教えてはくれなかった。

 

「せっかく来たのだ。お参りしていけ」

「しょうがねえな」

 

 あくびを隠さずに俺は浅い雪道を歩き始める。後ろを振り返りはしなかったが、彼女が後を追ってきているかどうか耳を澄ませていた。

 だがどうにもテンポが悪い。無駄に良い姿勢できびきびと歩くはずの彼女がどうやらいつもどおりではないとすぐに悟る。

 どうしたのだろう、と振り返ればほぼ真下をのぞき込むように見ながら、バランスを取るために両手を広げてフラフラと危なっかしく歩いていた。慣れない履き物でいきなり雪道だから仕方がない。当然、俺は彼女の元に駆け寄る。

 

「ったく、慣れない格好をするからだよ」

「……言い返してやりたいが、私もそう思う」

 

 俺は左手を彼女の前に出す。彼女の両手は触れるか触れないかのところでしばらく宙をさまよっていたが、首を横に振って二度ほど頷いた後に飛びつくように俺の腕を抱え込んだ。

 

「不覚……こうしてお前に頼らなければ歩けぬとは」

「ハッハッハ! らしくないことをしたからだと諦めな」

 

 うまく軽口を叩けているだろうか。少なくとも笑い声は裏返ってしまっていた。

 腕にしがみつく彼女の胸から伝わる鼓動に共鳴して俺の鼓動も高鳴っていく。それが彼女に伝わって欲しいようで伝わって欲しくなかった。きっと言葉にはできない。

 2人並んで誰もいない新雪の参道を歩いていく。元日ではない上に早朝、さらには小さな神社であるから人が居なくても不思議ではない。

 彼女のペースに合わせて俺はゆっくりと歩を進める。少し速めると普段の彼女からは聞けない「きゃっ」という短い悲鳴が聞こえたのだが、調子に乗って繰り返したら殴られたので自重する。

 

「さてと、賽銭でも投げるとするか」

「ああ、そうしよう」

 

 雪道が終わり、賽銭箱の前にまで来ると彼女は俺の手から離れて横に並ぶ。彼女の温もりが離れて若干寂しい気がしていたが、悟られたら負けだと思い、なんでもないフリをする。

 適当に5円玉を選んで投げ、手を合わせて黙祷。

 今年もいい年でありますように、と誰もが最初にパッと思いつくであろう願いを頭に浮かべていた。

 

「一夏は何を感謝したのだ?」

 

 彼女の言葉で俺は閉じていた目を開ける。

 すぐに答えようとしたが、彼女との食い違いにすぐに気づく。

 

「感謝? 願いじゃなくてか?」

 

 俺の疑問は尤もなことだったようで、彼女はしきりに何度も頷いて納得していた。ちなみにこれは俺をバカにしてるわけじゃなくて、彼女が自分を納得させるときの癖だったりする。

 

「一般的にはそうだと父上も言っていたな。私は神主の娘だから違う話も聞いてしまう。お賽銭は昨年にあったことへの感謝なのだと父上に教わったのだ」

「へぇ。じゃあ、お前が何を感謝したのかを聞かせてくれよ。そしたら俺の願いも言ってやる」

 

 いじわるを言ったつもりだった。

 でも予想に反して俺の聞いたことが嬉しかったようで顔を明るくさせる。

 

「よし、教えてやろう! 私はな、一夏に出会わせてくれてありがとう、と伝えたのだ!」

 

 不意打ちだった。満面の笑みがとても眩しい。

 嘘偽りのない彼女の心が表に出ていると見ただけで伝わってくる。

 初めて会った頃の彼女には無かった輝きが今ここにある。

 当然、素直になれない俺は言葉に詰まった。

 

「え、と……」

「べ、別に変な意味じゃないぞ!? か、勘違いするな!」

 

 訂正。彼女も素直じゃない。

 わからないことが多い俺でも彼女から溢れ出る好意に気づかないわけがなかった。

 

「ところで、一夏は何を願ったのだ?」

「言うけど笑うなよ」

 

 墓穴を掘るとはこのことだ。

 『彼女が言えば自分も言う』と俺は確かに約束した。

 だから言わなくてはいけない。

 

「今年も良い年でありますように……だ」

「なるほど、良いことだ。それは私も願おう。今年も一夏にとって素晴らしい年でありますように」

 

 彼女は再び本殿の方を向いて黙祷を捧げる。このまま一方的に俺のことばかり祈られてもむず痒かったため、俺もお返しとばかりに祈った。

 ……彼女にとって素晴らしい1年でありますように、と。

 

「どうしたのだ、一夏?」

「俺もお前の1年が良くなるよう、神様にお願いしたんだ」

「そうか。贅沢だな、一夏は」

 

 てっきり今日の彼女からはお礼の言葉でも聞けるのかと思っていたのだが、世の中そんなに思い通りにはいかない。内心の期待があったからか、俺は肩を落とし参道へと戻り始める。

 

「……私には無理なのだ」

「ん? どうしたんだ?」

 

 すぐに付いてくると思っていたのだが彼女は賽銭箱の前からなかなか動こうとはしていなかった。

 呟いた言葉の真意など俺にはわかるはずもない。彼女に「なんでもない」と言われればそれで引き下がるしかなかった。

 

「今日はありがとう。こんな朝早くに来てくれるとは、正直思っていなかった」

「暇だったからな。それに家は俺が早起きしないと家事が成り立たないんだよ。で、これからどうする?」

「実は用事はもう済んだのだ。本当に感謝している。帰って千冬さんの朝ご飯を作る必要があるだろう? これで解散としよう」

 

 ただ自宅でもある神社に初詣をするために俺を呼び出したらしい。顔を伏せる彼女の本心がどこにあるのか計れない俺は彼女の言葉に従って家に帰ることにするしかなかった。

 それでもこのまま帰るのがしっくりこなかった俺は帰る前に一言だけ残しておきたかった。

 

「次の初詣も2人でやろうぜ! 約束だ!」

「い、一夏!? それは――」

「え? 嫌、なのか?」

「い、嫌なものか!」

「よし、決まりだ。じゃあ、またな!」

 

 俺は彼女の顔もまともに見られなくなり、片手を上げて別れを告げた後でその場を走り去る。

 次に会うときにどんな顔をすればいいのかと悩む。同時にワクワクもしていた。

 

 ――“次に会うとき”がやってこないことなど考えもしなかったんだ。

 

 

 2人だけで交わした次の“約束”。それはまだ幼かった俺には気恥ずかしいものであった。恋というものを知らなかった俺だから、今では当時の感情が何であったのかは推測することしかできない。

 今考えると彼女は全て知っていたのかもしれない。

 自らが転校していくことはもちろん、俺が抱いていた感情も……

 きっとあの時だけ俺が名前を呼べていないことにも気づかれている。

 あの日、あの時間に俺を呼び出したのは最後のチャンスだったからなのかもしれないのに。

 俺と共に居られる、最後の……

 

 あれから7年弱。俺たちはまだ約束を果たせていない――

 

 

***

 

「いってーっ!」

 

 頭にガツンと衝撃がやってくる。いったい何事かと辺りを見回すと、まずここが教室であることに気づいた。

 クラスメイトたちの視線を一身に受けていることがわかる。すぐ傍に唯一起立している凶悪な気配があることもだ。

 

「織斑、オレの授業中に寝るとはいい度胸だな」

「す、すみません! しかしながら宍戸先生。箱に入ったままの辞書の角で叩くのは流石に体罰に当たる気がすると愚考する次第であります!」

「それはオレのせいじゃない。他ならぬお前の辞書だからな。どうして箱に入ったままなのかは自分の胸に聞くがいい」

 

 もう一発、俺の脳天に辞書が振り下ろされた。

 反論できない。俺が授業を受ける意思が希薄だったのだから因果応報だ。少なくとも千冬姉に泣きついたところで『お前が悪い』で済ませられることは間違いない。

 

「織斑! 聞いているのか!」

「は、はい!? な、なんでしょう?」

「……聞いているのならさっさと答えろ」

 

 鬼教師と評判の宍戸先生に目を付けられた今日の授業は平和に終わりそうになかった。まだ30代だろうに、まるでどこかの傭兵部隊にいたかのような鋭い目で生徒を震え上がらせている。いや、実際の傭兵がどんなものかは知らないがそれだけ怖いってことだ。

 

「一夏、俺に任せろ」

「弾か!? 助かるぜ」

 

 すぐ後ろの席である弾が小声で助け船を出してくれる。

 中学時代からの付き合いであるこの男の名は五反田弾という。赤っぽい髪は地毛であるが長く伸ばした髪がチャラさを演出しているため、コイツも教師にはよく思われていないことは確実だ。

 とは言っても普通に成績はいい奴なので、素直に助けられることにする。

 

「で、俺は何を聞かれているんだ?」

「お前でも答えられる簡単な問題だ。“I'm stupid. を和訳しなさい”だ。いけるか?」

「流石にそれはできる。サンキュ」

 

 弾の助力を得た俺は宍戸をまっすぐに見返した。

 俺がいつもお前の眼力に負けるわけじゃないってことを見せてやる。言ってやろう、俺の答えは――

 

「俺はバカです!」

「誰が自己紹介をしろなどと言った! もういい。御手洗、代わりに答えろ」

 

 何でもなかったかのように教室では授業が再開される。

 宍戸の質問は全く別のものだった。

 

「弾、テメェ!」

「何ですか、織斑くん。授業はちゃんと前を向いて受けましょうね」

「何なの、その言葉遣い!? お前が優等生ぶってもきもいだけだからな!」

「織斑ァ! やる気が無いなら出てけェ!」

「す、すみません! 大人しくしますんで欠席扱いだけはご勘弁を!」

 

 着席する前に必死で頭を下げた。後ろでは笑いを必死にこらえている悪友が居る。後で覚えてろよ。

 

 

***

 

 

 無事に授業が終わる。果たして無事だったと言えるのだろうか。

 考えていても埒が明かないので早速報復の時間に移ることにする。

 

「ついにやってきたぜ、弾……お前に復讐するこの時が!」

 

 勢いをつけて仰々しく振り返る。

 すると、目が合ったのは弾ではなくツインテールの女子だった。クラスの女子の中でも小柄な方で猫を思わせるパッチリとした目がチャームポイントだ、と弾は言う。

 彼女は凰鈴音。俺にとっては弾よりも古くからの付き合いである友人だ。

 

「何が復讐よ。アンタにはこっちの復習がお似合いだわ」

 

 ほらこれ、と彼女はノートを俺に差し出してくる。見たところ英語のノートのようだ。

 

「貸してくれるのか、鈴?」

「どうせ全く耳に入ってないんでしょ? このままじゃアンタ、本気で進級が危ないわよ」

「サンキュ。弾と違って鈴は優しいなぁ」

「べ、別にアンタのためってわけじゃないんだからね!」

 

 褒められて素直に喜べない鈴のことだ。つまりは俺のためなんだろう。俺はいい友を持ったよ。

 

「そうだな。鈴は一夏のためじゃなくて、自分のためにノートを貸すわけだ。いいじゃないか自分本位。そうして点数かせ――ぎぃっ!」

「いい加減黙れ、アホ弾!」

 

 鈴の回し蹴りが弾の後頭部を直撃する。これも見慣れた光景になったものだ。

 クラスが変わる度に周りの新鮮な反応が見れていたのだが、半年も過ぎれば日常風景に溶け込めてしまえる。

 人によっては拍手してたり、羨ましがってるのもいる。

 うむ……後者については触れないでおこう。

 

「口は災いの元だと何度も言ってるじゃんか、弾」

「わかってるさ、数馬」

 

 ズレたメガネを直しながら俺の隣の席の男が後頭部を押さえている弾を心配そうに眺めている。

 この大人しそうな男、御手洗数馬は見た目に反して俺や弾よりも肉体派である。体育の時間に見た筋肉美は今でも忘れられない。それでいて俺よりも勉強ができるなんて世の中は不公平だ。決して底辺争いだなどと気づいてはいけない。

 

「それで、今日は弾と鈴はどうするん?」

「あーと……あたしは今日は一夏と帰ろっかなーと思ってたところなんだけど」

「よし、一夏! 一緒にゲーセンいくぞ!」

 

 数馬が弾と鈴に今日これからの予定を確認する。俺に確認しない理由は決して俺を仲間外れにしようとした意図があったわけではない。

 ……俺の方から仲間に入っていないだけだ。

 鈴が俺と帰ろうと発言したところで弾がすぐさま行動を開始する。帰り支度を済ませた俺の首根っこは掴まれ、逃げることは難しそうだった。

 こうなったらテキトーに付き合うのが手っ取り早い。

 

「じゃあ、行くか」

「いいの、一夏?」

「別にいいよ。鈴も遊びたいだろ? 俺は見てるだけでいいから」

「流石は一夏! 話が分かる奴だぜ! 今日の相手は鈴が欠けると厳しいんだって」

「弾、また妙な対戦相手じゃないでしょうねぇ。アンタが前もって取り付けた対戦には、ろくなのがないのよ」

「大丈夫、大丈夫。任せとけって」

 

 前に何があったのかは知らないが、弾の『任せとけ』に不安を覚えることだけは共感できた。

 とりあえずは教室に残っていても仕方がないので俺たち4人は駅前のゲーセンへと向かうことにする。教室を出てからも弾が今日の相手とやらを鈴と数馬に話していたが、俺には良くわからなかった。

 校門から出て数馬に声をかけられるまで俺は話を聞こうとも思っていなかった。

 

「なあ、一夏も俺たちと“ISVS(アイエス・ヴァーサス)”やろうぜ? それで解決じゃん?」

「い、いや俺は――」

「ちょっと数馬。一夏に無理強いする気ならあたしは帰るわよ」

「俺も鈴に賛成だ。遊びってのは義務になったらダメだ。一夏に遊びたいという欲求があるのならトコトンまで付き合うが、俺らの都合でやらせるのは違うだろ?」

 

 弾、たぶん今日のこれまでの流れが無かったら『良いこと言った』と思えるんだけど、今日のテメェじゃダメだ。

 弾に対して思うことはさておき、やはり今日もはっきりと俺から言っておこう。数馬も好意から誘ってくれてるわけだし。

 

「悪いけど、どうも俺はそのゲームを楽しめそうにないんだ」

「うーん、やらず嫌いはもったいないと思うぜ? 試しに1回やってみるってのは?」

「考えとくよ。少なくとも今日じゃないけどな」

 

 いつもと同じ断りを入れておく。数馬の言うとおりやらず嫌いなのは理解しているが無理なものは無理だ。

 題材が“IS”であるかぎり、俺が心から楽しめるはずなどない。

 鈴は俺のIS嫌いを知っているから彼女が俺を誘ってくることは無い。

 ……そういえば鈴もISにはいい感情を持ってなかった気がするのだがどうしてやってるんだろう? 今まで疑問にも思ってなかった。

 

「なあ、鈴。鈴はどうしてISVSをやってるんだ?」

「え? どうしてそんなこと聞くの?」

「なんとなくだよ。で、どうなんだ?」

「……初めは変わったゲームが入ったなぁ程度だったんだけどね。やっぱり完成された体感型ゲームってのが大きいのかも。他のゲームがグラフィックがどうのこうの言ってる中、これだけは“別の世界に入り込む”みたいだったから」

 

 俺にも少しだけ知識にあることだった。鈴たちがハマっているこのゲームはディスプレイを必要としていない。ゲーセンに置いてあるディスプレイは観客用だ。プレイヤーにとってカメラはアバターの目でありコントローラーはアバターの手足である。つまりは自分自身が仮想空間の中でISを動かせる一種のシミュレータのようなものだ。

 

 ISとはインフィニット・ストラトスの略称で、ゲームに登場するマルチフォームスーツ、言い換えれば人が“着る”兵器である。これは実在する兵器であり、その力は世界の軍事バランスを崩壊させたとメディアが騒いでいた。

 さらに言えば、バランスが崩れたのは国家間の軍事力だけでなくて、世界中の男女の力関係にまで影響を及ぼした。ISを扱うことができるのは女性だけであったためだ。

 

 そんな色々な世界情勢が変わりつつある中で、誰が開発したのかは知らないが男でもISを操縦できるゲームが発表された。

 それが“IS/VS(インフィニット・ストラトス/ヴァースト・スカイ)”。

 当初は男が遊ぶためのものだと思われていたが、『絶対数が少ない』というISの抱える問題のために各国のIS操縦者が練習用として使用を始めた。現役の操縦者が「本物と同じだ」とコメントしたことで男女問わずプレイされるようになり、今では正式な操縦者すら現物を滅多に使わないとのことだ。どうしてそうなったのかは知らないが各国の代表者が争うIS世界大会“モンドグロッソ”もこのISVS上で行われているらしい。

 ゲームバランスをどう調整しているんだろう? そんなことは俺にはどうでもいいことか。

 

「鈴はIS操縦者を目指してるってわけじゃないのか?」

「何言ってんのよ。そんなのはこっちから願い下げだわ。ゲームはゲーム。それであたしは満足よ」

「ま、一夏が気にするのもわかるけどな。ISVSの女性プレイヤーは現役国家代表から候補生、果ては候補生になりたがっている女子で溢れかえってる。鈴みたいに将来のためじゃなくやってる女子の方が珍しいぜ」

 

 俺は明らかにホッとしている。別に鈴がどんな思惑でこのゲームをやっていようが関係ないはずなのだが、気になってしまったのだ。

 などと雑談をしている内に目的地に到着。音と光が激しく飛び交う店内へと俺たちは足を踏み入れる。

 

「お? 我らが“バレット”ご一行の到着か。まだ予定の時間まで少しあるぜ」

「今回ばかりは遅刻はマズいっすからね、“ディーン”さん」

 

 店内に入ると弾は勝手知ったる我が家といった様子で奥へと入っていき、店員らしき人と話を始めていた。

 

「じゃあ、俺は調整に入るとするよ。鈴は?」

「あたしはすぐに始められるから1人でやってて」

 

 数馬は財布からカードを取り出してマッサージチェアのような筐体へと向かっていく。あれに座って備え付けのヘルメットみたいなものを被るとプレイできるようだ。さっそくディスプレイには数馬と思われるキャラが現れている。

 

「ねえ、一夏。もう無理しなくていいよ。あたしはコイツらに付き合うけど、つまんなかったら帰ればいいからさ」

「最初からそのつもりだから安心しろ――っと弾が戻ってきたぞ」

 

 少し慌て気味の弾がこちらに走ってくる。何かトラブったか?

 

「先方がもう入ってるらしい。鈴、俺たちも早く入るぞ」

「へ? まだ時間があるはずじゃないの?」

「そのはずだけど待たせてるのはマズい。急いでくれ」

「もう、何なのよぅ……たぶん先に帰っちゃうだろうから言っておくね。また明日、一夏」

「ああ、また明日」

 

 鈴に挨拶を返すと彼女は弾たちと同じようにイス型の筐体に腰掛けてメットを被る。もう鈴もあちら側に入った。俺が帰っても彼女たちが気づくことはない。

 

「少しだけ見ていくか……全然わかんねえけどな」

 

 いつもならここで帰ってしまうのだが、今日はなんとなく少しだけ見ていくことにした。

 画面には10VS10のチーム戦と書かれている。どれが誰なのかさっぱりわからない。

 ただ、素人から見ても1人だけ明らかに動きが違う人が居た。ジグザグと高速で動き回っては相手を殴りつけて沈黙させていく。

 

「うっへぇ……あの“バレット”たちが押されてるぜ」

「マジかよ。ってちょっと待て! 相手に“ファング・クエイク”が居るじゃねえか! そりゃ無理だろ……」

「アメリカ代表だもんなぁ。アメリカと言えば不穏な噂があるよな。アメリカの機体と戦った奴が意識不明になるっての」

「今そんな都市伝説を持ってくるなよ。素直に国家代表の試合を見ようぜ」

 

 近くから聞こえてきたやりとり。ファング・クエイクとはどうやら俺が注目していた人のことのようだ。ここにいない人のことのようで、その人に弾たちが負けている。既に一人相手に5人がやられているし素人目でも勝ち目は薄そうである。

 

「もういいか。この様子じゃ弾たちは負けっぽいし」

 

 興味のないゲームのこと。知り合いの負け試合をいつまでも眺めているような理由は何もなかった。

 俺は踵を返し、ゲーセンを出る。騒々しい店の音が自動ドアによってシャットアウトされたところで腕時計を確認する。

「まだ時間はある……か」

 

 せっかく駅前まで来たのだから、と俺は帰る前の寄り道を一つ追加する。本当は帰ってから改めて行く予定だったがこの際は仕方がない。

 駅の中にまで入っていくとすぐさま改札をくぐり、たまたまタイミングのあった電車に滑り込む。そのまま3駅ほど移動したところで下車し、駅を出て徒歩10分の場所にある病院へと俺は入った。

 もう慣れた場所だ。受付に向かい、俺は用件を伝える。

 

「見舞いにきたのですが――」

 

 病室の番号を言い、自分の名前を記入する。そうして病棟へ行く許可をもらい、歩みを進める。

 初めてここに訪れたときはなぜ病院なのかということを考えもせず、俺はただ純粋に嬉しかったことを覚えている。そして、帰り道は深い悲しみを抱えていた。

 今だってそうだ。こうして病室へと向かう間は少なくても希望を持っている。それも到着と共に消えさり、絶望を持ち帰ることになる。ただこの繰り返しでも、俺の日課として続いていた。他にできることなんて無かったから。

 

 目的の病室を開ける。個室というだけでなく、面会に手続きを要する辺り“彼女”は特別なのだろう。

 なにせ原因不明の昏睡状態だ。医者も治療はお手上げだと言っている。“彼女”の体はどこも傷ついていなく、横たわる姿は眠っているだけにしか見えない。事実、“彼女”は眠っているだけなのかもしれない。

 

 頭側に備えてあった丸イスに腰掛けた俺は眠っている“彼女”の頬をそっと撫でた。もし起きていたら“彼女”のことだ。『何をする!』と顔を赤くしてビンタの一つでも浴びせてくるに違いない。

 ……そうに違いない。

 

「俺はバカだからさ、ダメだって言わないとエスカレートしちまうぞ?」

 

 返事はない。

 声より先に出ていた“彼女”の手も動かない。

 だから俺の知る“彼女”はここにいない。

 

「どうすればまたお前に会えるんだ、“箒”」

 

 あの日。約束を交わした日に呼べなかった“彼女”の名前を呼ぶ。この俺の声も彼女には届いていない。そう思うとただひたすらに悔しかった。

 1年前に彼女の居場所を知れたときは諸手を挙げて喜んだ。しかし再会した彼女はその目を開けてくれない。抜け殻のような彼女に対して俺は何もできない。

 時間が解決してくれるのならいくらでも待つ。だが保証などどこにもない。

 

 俺は神を呪いたくなっている。感謝することなど一つもなく、願いを叶えてくれないことなどとっくに理解した。彼女も願ってくれた“俺にとっての良い年”は7年前のあの日より一度としてやってきていない。

 

「なあ、箒。俺はどうすればいいんだよ……」

 

 何が俺たちを分け隔てているのだろうか。

 これが人為的なものなら俺は鬼にでもなって原因を排除しに行きかねない。

 これが運命だというのならば悪魔に魂を売ってでも運命を定めた神を討とう。

 そう考えることすらもただの現実逃避だ。いずれを実行しても箒が目を覚ますのでなければ意味がない。

 

「ごめんな、弱気なことばかり言って。……また、来るよ」

 

 病室に居れば居るほど自分のことを嫌いになりそうだった。何もできない自分に対しての憤りだけでなく、病室にいることに意味を見出してしまいそうだったからだ。

 そうなると俺が彼女のためではなく自己満足のために訪れたと認めたようなもので、俺にとって彼女が何者かを見失ってしまう。

 だから、いつも決まって俺は逃げるように立ち去るのだ。

 

 扉だけは静かに閉め、廊下をできる限りの速さで歩き出した。目から零れ落ちそうな何かを必死に留めて帰り道を急ぐ。堰が切れて流れ出せばもう抑えるものはなく、彼女が目覚めない現状を認めてしまう気がしたんだ。

 下を向いて歩いていた。当然、前方が見えているはずもなく――

 

「いたっ!」

「んぐぅ――っ!」

 

 柔らかい何かにぶつかり、反動で俺は尻餅をついた。普通に考えれば人にぶつかったのだろう。妙な声を上げたのは声音から女性だと推測できた。

 

「すみません、良く前を見ていなかったもので」

「ふぃをふへはまえひょ」

「あのう……何を言っているのかわかんないので、くわえてるものを取ってはどうでしょう?」

 

 ぶつかった人の口からは3本の白い棒が伸びていた。最初はタバコかと思ったのだが、やけに細い。見覚えのあるそれは十中八九チュッ○チャプスだった。

 女性の年齢は千冬姉と同じくらいといったところか。肩にかかるくらいの黒髪を後ろで束ねているが、束ねた箇所で爆発したように広がっている。それにしてもこの人の服装は何なんだろう。黒いTシャツにジーパンまでならいいのだが、その上に白衣とは……。女医さんにしてはラフな気がするし、そうでないのならなぜ病院で白衣なのかわからない。

 

「気をつけたまえと言ったのだ、少年」

 

 女性は3本の飴を口から引き抜いて改めて『気をつけろ』と言ってくる。しかし俺は申し訳なく思うより先に困惑を表情に出していた。俺の視線は全部色が違う飴に注がれている。

 

「なんだ? 欲しいのか?」

「い、要りませんよ」

 

 違う種類を3つ同時に舐めて美味しいのか疑問に思っただけだ。人が舐めた後の飴なんて欲しがるような趣味は持ち合わせていない。

 俺が引きながら『いらない』と言うと女性は少し残念そうな顔をしていた。もらって欲しかったのだろうか……良くわからない。

 

「おっと、急がなくては。ではな、少年。せっかくの青春時代、前を向いて歩かないと損だぞ?」

「は、はあ」

 

 再び飴を口に戻した女性はスタスタと早足で歩き去った。

 女性が角を曲がって姿が消えるまで俺は呆然と見つめていた。

 

「何だったんだろう……束さんほどじゃないけど、良くわからん人だったなぁ。まぁ、いいや。さっさと帰ろう。千冬姉も心配するだろうし」

 

 今日は無駄に疲れた気がすると思いながら出口へと向かう。

 すると、足下に白い名刺サイズのものが落ちているのが目に入る。先ほど女性がいた辺りだ。

 

「何かのカード? 倉持技研って書いてあるけど会社の名前かな。カードキーか何かだったら無くしたらマズいだろ」

 

 とりあえず拾い上げて落とし主と思われる女性を追った。しかし、角を曲がったところで女性の姿は既になく、見つけるのは難しそうだ。面倒だから受付に落とし物として届けよう――と思ったのだが、

 

「あれ? 誰もいない」

 

 時間を見れば既に受付が閉まる時間だった。一応、探せば看護士さんは見つかるだろうがそれも面倒な気がする。

 

「どうせ明日も来るし、明日届ければいいよな」

 

 カードを制服のポケットにしまいこみ、帰ることにした。

 

 

***

 

「ただいまー」

 

 家に帰ると千冬姉は先に帰ってきていた。普段は帰ってこれない日があるくらい忙しい千冬姉だが、帰ってこれてるということはこの街が平和な証拠なのだろう。

 玄関を上がり、制服の上着を脱いだところで千冬姉からの『おかえり』が無いことに気づく。このパターンは前にもあったことだ。千冬姉は台所に立たないし、リビングにもいない。ならば残るは――

 

「千冬姉? 入るよ」

 

 ノックをして千冬姉の部屋の戸を開ける。3日前に俺が掃除をしたばかりなのだが、もう床に色々なものが散らばっていた。その多くが書類なのだが、これで管理できているのだろうか。

 千冬姉本人は案の定、机に伏せて眠りこけていた。このまま朝まで起きないだろうから、風邪をひかないように俺が千冬姉をベッドまで運んでやる。世話の焼ける姉だが、俺の学費も千冬姉が出してくれているのだからこれくらいはお安いご用だ。

 

「あーあ、机の上まで散らかってる。これで刑事が務まるのが不思議で仕方がないぜ」

 

 とりあえず書類を整頓しておくことにした。内容はおそらく仕事関係だろう、部分的に読んでも何のことだかさっぱりわからない。

 

 だからこそ、書かれていたある単語に目が止まってしまった。

 

 ――“篠ノ之箒”と。

 

 『見てはいけない』とかそんなことが頭を過ぎることなく、そこに書かれている文章を食い入るように読み始めた。千冬姉の仕事に関わるような事柄に箒の名前が出てくる。その理由を確かめなくてはいけないとしか俺の頭にはない。

 内容は、世界各地で発生している原因不明の昏睡事件についてだった。被害者に共通する項目は、外傷もなく体機能的にはむしろ健康である10代から20代の男女が突如昏睡状態に陥り意識が回復しないということ。俺から見ても今の箒の状態が書かれてるとしか思えず、千冬姉も箒はこの件に関わりがあると見ているようだ。

 『手がかりはほとんど見つかっておらず、事件とする確証は何もないが、最近になってとある噂が流れるようになった』という記述の後に噂の内容が書かれていた。

 

 ISVSで“銀の福音”と会ったものは現実に帰ってこない。

 

 メモは本人に会って確認するとしたところで終わっている。これ以上千冬姉のメモからわかることは無さそうだった。

 

「ISVS……? なんでここでゲームの名前が出てくるんだ?」

 

 そもそも今日も弾たちが楽しく遊んでいたばかりじゃないか。そんな危険なゲームだったらあいつらがやるはずない。

 

『不穏な噂があるよな。アメリカの機体と戦った奴が意識不明になるっての』

『今そんな都市伝説を持ってくるなよ』

 

 そういえば今日、ゲーセンに居る人がそんなことを言っているのを聞いた。確かに噂としては広まっているのか。だけど、都市伝説という認識が強いのはどうしてなんだ? ゲーセンみたいな人目のつく場所で意識不明になる人が現れたら、一昔前のゲーム脳の時みたいにゲームを扱き下ろす自称知識人が出てくるくらいには騒ぐはずだろ。

 

 考える材料が足りない。まずはすぐに手に入る情報だけでも仕入れないとわからないことだらけだ。

 急ぎ自分の部屋に戻るとPCを立ち上げ、ISVSについて調べることにした。そして一つ、俺が勘違いしていたことに気づく。

 

「ISVSはゲーセンの筐体だけでなく、専用端末を購入することで自宅でもプレイ可能……?」

 

 ゲーセンと比べてかなり値が張るが個人でも手に入り、従来のネット回線に繋ぐことなく快適な通信を実現している。にわかには信じられないがおそらくは事実。

 そして、同じシステムを用いたゲームが登場しないのにもきっと理由がある。この『技術は不明だが現物が確かにそこにある』というものを世界は一度経験していた。

 

「これは束さんが作ったゲームだってのか……」

 

 ISの開発者、篠ノ之束。箒の実の姉であり、千冬姉の数少ない友人でもある。箒と共に7年前に俺たちの前から姿を消しており、今もなおその居場所は不明。

 目を覚まさない箒の元に一度として現れない束さんがこのゲームに関わっている?

 

「また俺たちはあの人に振り回されているのかっ!」

 

 7年前はIS開発者の身内だからという理由で俺と箒は引き離された。束さんのせいじゃないことは頭ではわかっている。

 しかしまた“IS”が俺から箒を遠ざけようとしていると思うと恨み言の一つでも言いたくなったのだ。

 

「……冷静になれ。今は束さんのことは後だ。事件について考えないといけない」

 

 額を右手で押さえて考える。久しく集中して物事を考えることをしてこなかった俺だが、このときばかりは何故か頭が異様にスッキリしていた。

 

 まず、昏睡状態から回復しない人がいることは確実だ。それは千冬姉のメモからもわかる。

 次に、ISVSが関わっているかという点だが、黒に近いグレーだ。火のないところに煙は立たない。被害者の中にISVSのプレイヤーがそれなりにいるはず。被害者が10代から20代の男女という辺りからも否定はされない。正しくプレイヤーの年齢層と一致している。

 なぜ騒ぎにならないのか、ということだが個人でゲームに入れることで疑問は氷解した。おそらく標的になったのはゲーセンではなく自宅から入った人に限られている。母数の多いゲームだ。全体から見れば霞むくらい極小数の人間が昏睡状態になっても、ゲーム内の付き合いで察するには難しい。ゲーム外で騒がれない理由は、騒ぎにしたくない権力者が情報を止めていると見ていいだろう。ISVSが無くなって困る人間などいくらでも考えられる。

 最後に、この事件を束さんが裏で糸を引いている可能性。結論だけ言えば、あり得ない。身内から見た希望的観測かもしれないが、俺の中では確信していることだ。束さんはわからないことが多い変人だったけど、箒への好意だけは本物だった。その束さんが箒を苦しめているとは考えられない。

 

 今言えることはこれだけだ。あとは、やはり情報が足りない。これ以上、情報を集めようと思ったら道は1つだ。

 

「俺もISVSをやればいい」

 

 素直に千冬姉に聞いたところで『お前には関係のないことだ』の一言で済ませられるのは目に見えている。だから俺がこの件にアプローチする手段は、ISVSで“銀の福音”を探すことしか思いつかない。幸いなことに身近に詳しい友人がいる。俺がやりたいと言えば手取り足取り教えてくれるはずだ。

 とは言っても少しは予習をしておこう。ISVSをするためには何が必要か検索してみる。すると画像付きのページに飛んだ。

 

「基本的にはISVSの専用ネットワークに繋ぐ本体と、プレイヤーを識別するIDカード“イスカ”のみでプレイが可能である、と……ってどっちも見たことあるぞ!?」

 

 本体にはゲーセンで見たマッサージチェア型の筐体ともう一つ、自宅用の球体のオブジェのようなものがあるらしい。そして、俺が見覚えがあると言ったのはマッサージチェアの方でなく、球体の方。場所は――

 

「千冬姉もプレイヤー……?」

 

 千冬姉の部屋だった。割と最近になって見つけたもので、千冬姉がインテリアとは珍しいなと思ったものだ。もしかしたら捜査のために用意したものかもしれない。

 そして話はこれで終わらない。もう一つの必需品であるイスカも俺は見たことがあるどころか、制服のポケットの中に入っているものと大体同じだ。慌てて取り出してカードに書かれている文字を読んでみる。

 

「……堂々と“ISVS”って書いてあるじゃないか。英語に苦手意識があってもこれくらい見ておこうぜ、俺」

 

 自分の情けなさにツッコミを入れざるを得なかった。

 さておき、ISVSをプレイするために必要なものは揃っている。自宅用のスペックをみる限りでは俺の部屋からでも隣の千冬姉の部屋にあるものに接続できそうだ。今だけは神様とやらに感謝してもいいかもしれない。いや、感謝するのは箒が目を覚ましてからだな。

 

「えーと、ネット上のマニュアルによると『仰向けに寝た状態で、イスカを胸の上に置き、5秒ほど目を閉じてください』とある。……それだけでゲームになるあたり、束さんっぽさがあるよな、やっぱ」

 

 今、俺が手にしているイスカの元の持ち主のことも気になったがこの際、運が悪かったと思って諦めてもらおう。明日には返すから大丈夫。問題があるなら後でいくらでも謝ろう。俺には明日まで待つことなどできない。

 マニュアル通りにベッドに横になり、イスカを胸の上に置いて目を閉じる。一応部屋の明かりは消したので、寝る直前の暗闇となっていた。そして5秒後――

 

『今の世界は、楽しい?』

 

 優しい女性の声がした後、暗闇の中に鮮明な景色が映った。いつの間にか俺の目は開かれている。辺りは薄暗く、どこかの工場を思わせる屋内だった。

 

「これが……ゲームだってのか……!?」

 

 現実っぽい(リアリティ)なんてものじゃない。現実(リアル)だ。目で映している景色だけでなく、肌寒さや機械油の臭いまで感じ取れる。一瞬のうちに俺は自分の部屋から見たこともないどこかの工場へとワープしていた。

 

「それに俺の体……これがIS?」

 

 自分の体と同じように動かせる俺の腕は機械の装甲で覆われているにもかかわらず重さを感じない。グー、チョキ、パー。指の一本一本まで正確に思った通りに動く。

 これで何ができるんだろう、と考えたところで、視界にアルファベットの文字列が出現した。英語は読めん、と思うだけで全て日本語に置き換えられる。

 

「プレイヤー:倉持技研 テスト用。機体名:白式」

 

 自分で読み上げる。芸のないプレイヤー名だ。つまりは個人のものでないということなのだろう。少しは気楽になった。

 しかしながら一つ問題が発生。初心者用にチュートリアルがあるとマニュアルには書いてあったのだが、他人のイスカで入ったからそんな親切はない。

 

「なんとかするしかない、か」

 

 ISは飛べる。背中にどでかい翼がついているからできるはずだ。正確には俺の体にくっついておらず宙に浮いているが関係ないと思う。束さんが開発したものだし。俺は飛び上がるという意思とともに地を蹴った。

 

 ――天井に頭から突っ込んだ。

 

 今のは俺が向かいたい方向に合う推進機が一斉に全力稼働したためらしい。とりあえず飛び方はなんとなく理解した。頭の中で指示すれば機械部分は勝手に動いてくれる。それを知れた代償は、と……ダメージはほぼゼロ。流石は最強と言われた兵器だ。操縦者が多少は下手でも余裕で耐えてくれる。

 そのようにダメージをチェックしていた時だ。付近に敵影ありと警告が出ていた。すぐに該当する方向を見る。

 俺にライフルっぽい銃を向ける人型が3機ほどいた。とりあえずお友達じゃなさそうだ。なんとなく両手を上に挙げる。しかし、

 

 銃弾が3つほど俺の体を掠めていった。

 

 話し合いが通じない。そう思うまでは一瞬だった。選択肢は逃げるか戦うかだけ。『よし、とりあえず逃げよう』と即決する。飛び方だけはさっき理解した上に、天井には穴が開いている。俺は全速力で空へと飛び出した。

 

「へぇ、これがISVSの世界か」

 

 人工物を突き破った先は、飲み込まれていきそうなほど先まで暗い夜の空だった。星明かりが照らす山の風景は都会に住んでいてはなかなか見られない代物である。ISによる効果なのかはわからないが、そよ風で揺れる木々のか細い唄まで聞こえ、現実よりも自然を体感できている気がした。

 遠くを見やれば地上にも星空のように明かりが点々としている。この世界には都市まであるらしい。

 そこまで行けば何か情報が得られるかもしれない。追っ手が来る前に、と慌てて俺は移動を始めた。

 すると、どうやら手遅れのようで後方から銃声が聞こえてきた。

 

「うおっ、危ね! ――って俺、銃弾を避けれてる?」

 

 不思議な感覚だ。撃たれたと思ってから体を動かして避けている。もしかしたらこれがISの強さなのか。

 だったら俺でも戦えるはずだ。早速、武器を確認する。

 

 装備:雪片弐型。大出力のエネルギーブレード。使用の際はシールドバリアの減衰に注意。

 

 一つだけだった。他には何もない。説明を見る限りは剣なんだろう。見た目は刀のようだ。

 刀で銃を相手にしろっていうの?

 文句を言っている暇は無かった。相手の攻撃は俺の動きを読み始めて、いつまでも避けられるとは限らない。刀一振りで乗り切るしかない。

 

「行くぜーっ! どこぞの誰かさんっ!」

 

 相手は徐々に近づいてきていた。近い方が俺に当てられるからに決まっているだろう。

 ならば好都合。俺の方からも接近して叩き斬るだけだ。7年以上も前のことだが、俺には真剣を扱った経験もある。

 工場を飛び出した時のように瞬間的な加速で相手に接近。刀を抜き放ち、すれ違いざまに斬りつけた。

 横に一閃。相手は真っ二つに割れ、爆発とともに消える。

 ちなみに宙に浮いている状態での刀の振り方を知らないからあまり経験は関係なかった。なぜ振り切れているのかは疑問である。

 

「よし。って死んでねえよな?」

 

 ゲームとはいえ、中に人が居ると思うとあまりいい気分ではない。そう思いながら静止していると周りにいた2体から撃たれてしまった。

 

「うあっ! 見た目と違って結構強いんじゃないか、相手の射撃。というよりも天井に頭突っ込んだときよりひどいじゃないか」

 

 自分の装甲も重く感じないのに、相手の銃弾が当たると衝撃を感じる。理屈なんてないのかもしれない。相手の攻撃は確かにISにとって脅威なのだ。

 ダメージをチェックするとシールドエネルギーが半分を切っていた。相手の銃弾を受ける度に衝撃で体が流れ、うまく動かせない。

 相手の攻撃は途絶えない。避けられず、近づけずのままダメージだけが溜まっていった。このままでは負ける。

 

 ……そういえばこれってゲームじゃないか。負けたからって死ぬわけじゃない。だったら負けてやり直せばいい。

 状況的に分が悪いことだけは明白だ。とりあえずビギナーズラックで1体は倒したが、そうそう上手くいくはずなどないのだ。初心者らしく敗北を認めてしまおう。

 

 次でいいや。

 

 ……次がある? 本当に?

 当たり前と思っているのはただの思いこみではないのか?

 “あの日”にも同じように思っていて、現実はどうだった?

 取り返しがつかなくなっただろうが。

 俺は何をしにISVS(ここ)に来た?

 箒のためだ。彼女が目を覚ます手がかりを探しに来たんだ。

 危険性は理解している。

 敗北が何を意味するか、ゲームという先入観で考えていいわけがない!

 

「……負けられるかよ」

 

 ゲームと思うな。ここは俺が箒を取り戻すために存在する戦場だ。

 戦闘の敗北で命を落とさなかったとしても、道半ばで諦めることは俺の存在の死に等しい。

 たとえ関係のない戦いだろうとも、終わってみなければ関係ないという確証はない。

 全力で立ち向かってやる。

 

「うわあああああ!」

 

 もう撃たれることは構わない。狙いをただ一つに絞る。それは右の機体が撃つ瞬間。

 撃たれると衝撃で接近するまでの軌道が変わって斬ることができなくなる。だから銃弾をどうにかしないといけない。

 敵の引き金を注視する。

 幸いなことに現実と同じでトリガーを引かねば銃から弾は出ないため、発射までの前動作が存在する。今の俺ならそれが手に取るようにわかる。

 ゆっくりと引き金が絞られる。

 同時に俺は刀を大上段に振りかぶる。

 

 そして――発射と同時に刀を振り下ろした。

 

 狙いは銃弾そのもの。タイミングは何度も撃たれたからわかっていた。思い描いたとおり、銃弾は光の刃の元に消え去って道が開かれる。

 4度目となる推進機の全力稼働。自分の後ろで爆発が発生したかのような推力を得て銃口を向けてくる相手の懐に辿りついた。

 突き。

 勢いだけを利用して、腕を振るうこともなく、相手を串刺しにする。バチバチと火が走ったかと思うと、1体目と同じように爆発して消えた。

 

「あと1つ!」

 

 最後の1体に向かう。

 そんなタイミングで機体からシールドエネルギーの大幅低下が伝えられた。直前に倒した敵の爆発に巻き込まれて限界が来ていたのか。

 刃を形作っていた光は消えていき、飛行する速度も明らかに落ちている。もう攻撃をかいくぐって斬りつけるだけの力が残されていない。

 

「くそっ!」

 

 既に出来ることは残されていない。

 もし相手が件の“銀の福音”だとしたら、俺も犠牲者の仲間入りじゃないか!

 前準備もなく飛び出してきたツケだ。それを今知れただけ良しとするべきなのかもしれない。

 

 残った1機の銃が俺を向く。あと1発撃たれれば敗北だ。

 このゲームって負けるとどうなるんだっけ? 初期位置からリスタート?

 細かいところだから弾からも聞いたことがない。あまりにもリアルすぎてこのまま死んでしまいそうな幻想すら持ってしまう。

 叫ぶ言葉はやはり罵詈雑言。神様とやらを呪う恨み言だ。

 

「くそおおおっ!」

 

 叫びと共に引き金が引かれる。そのはずだった。

 しかし敵のライフルが火を噴くことはなく――

 

 上空から幾筋もの光が降りてきて、敵を貫いていった。

 

 光が飛んできた方を見上げる。そこには星明かりの下でもわかるくらいに赤い武者のようなISが佇んでいた。右手に持つ刀の切っ先は無数の光が飛んでいった方を向いている。

 助けてくれたのだろうか。礼を言おうとしたが、赤い武者は俺を見ることもなくどこかへと飛び去ってしまう。良くは見えなかったけど女の子だった。ピンク色の髪だなんて現実には居そうもないよな、などとどうでもいいことを考えながら俺は見送った。

 

 周りに誰もいなくなって初めて次にどうするか考え始める。

 

「今日はやめるか。出直さないと進まない」

 

 いまいちこのゲームの目的がわからないし、何よりまともにプレイできているのかもわからない。この状態ではここにいてもやれることはなく、危険に身をさらすだけになりかねない。やはり弾たちを頼ることにしよう。

 

 このゲームの中で箒を救えるものが見つかるかはわからない。

 ただ、箒のために何もできない日々に終わりを告げたことは確かだった。



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02 前を向いた刃

 日が射す頃には起きて活動を始めた。夜更かしをしていたにもかかわらず、すっきりとした目覚めだ。体がきびきびと動く分、家事をこなすのも普段より一段と楽である。

 

「おはよう……一夏」

「おはよう、千冬姉。顔くらい洗ってから来てくれ」

 

 死んだ魚のような目をした我が姉が、のっそりと姿を見せる。俺が起こさなくてもちゃんと起きる千冬姉だが、覚醒するまで少しだけ時間がかかるのだ。朝食の卵焼きを焼き終えて皿に移したところで、千冬姉は反転し洗面所へと向かっていく。

 

「さてと、千冬姉の朝飯はこれくらいでいいか。俺は俺の準備をしよう」

 

 フライパンをさっと洗い終え、俺は自分の部屋へと戻る。普段は千冬姉と一緒に朝食を摂るのだが、今日はもう先に食べてしまった。学校に行く前に寄りたい場所があるからである。学校の鞄を手に取り、借り物である“イスカ”を胸ポケットにしまって準備完了。

 

「千冬姉ーっ! 俺、今日は先に行くからー!」

 

 洗面所からバシャバシャと音が聞こえる。水音に負けないように声を張って千冬姉に呼びかけた。これでよし、と玄関で靴に履き替える。すると、後ろからトトトトと足音が近づいてきた。

 

「どうした? お前は部活をやってなかったはずだろう?」

「いや、ちょっと病院に寄っていきたくて――」

 

 と言ったところで後悔したが遅い。千冬姉は見る見るうちに沈んでいった。体勢的にも、おそらくは精神的にも。今の織斑家で病院といえば箒のこと以外考えられない。一度だけ千冬姉は、俺が毎日箒のところに通うのをやめろ、と言ってきたことがある。

『この子は私がなんとかする。だから……頼むから、お前は自分を苦しめるのをやめてくれ……』

 命令でなく懇願だったのだと思う。しかし箒の顔を見に行かなかったところで、どこにいようが俺が考えることは変わらないからと今まで続けてきていた。暗黙の了解だった。こうして面と向かって病院の話になったのは久しぶりのことである。

 

「あ、千冬姉っ!? 別に箒に会いに行くわけじゃなくて、落とし物を届けるだけだから。ね?」

「…………」

 

 千冬姉は額を押さえて黙り込む。初めて病院の箒に会いに行った日の俺の取り乱し様を考えれば心配してくれるのもわかるため、逆に俺が気を使わないといけない。

 しかし、ここまではっきりと病院に向かうと宣言しているため、今日は千冬姉をこのままにしてさっさと出て行ってしまった方がいいのかもしれない。

 

「えと……今日は弾たちと遊ぶ予定で、いつもより遅くなるから!」

「何っ!? それは本当か!?」

 

 行ってきます、と逃げようとした。しかし、千冬姉の様子が変わったため、俺は玄関の戸を半開きにした状態で足を止める。落ち込んだ様子とは打って変わってやけに嬉しそうだ。逆に俺は困惑せざるを得ない。千冬姉が何を考えているのかがさっぱりだ。

 

「ほ、本当だけど……どうしたんだ、千冬姉?」

 

 少々ビクつきながら肯定する。俺は一体どうなるんだろうか。千冬姉は怒ると宍戸先生以上に怖いからな。

 事態は心配する方向とは逆に動き始める。あろうことか千冬姉の目の端に涙が浮かんでいた。

 

「そうか、行ってこい。しっかりと楽しんでくるんだぞ?」

「あ、ああ。もちろんだよ。じゃ、行ってきます!」

 

 もしかしたら千冬姉はまだ寝ぼけているのかもしれない。そう思えるくらいにいつもの千冬姉とはかけ離れた姿だった。

 

 

 俺は学校へ向かう道から外れ、駅へと急ぐ。今の時間は通勤ラッシュが始まる少し前だから、多少は楽に移動が出来る。……あくまで多少だ。

 満席ではあるが満員ではない電車に揺られて駅を降り、歩き慣れた10分の道のりを人の流れの隙間を縫って進む。そうしてたどり着いたのはいつもの病院。まだ表が開くには早い時間だが、病棟の方は開いているためそちらに向かう。そこで俺は偶然にも目的の人物に会うことができた。

 

「おはようございます。ここのお医者さんだったんですか?」

 

 今日も朝から3本の飴をくわえている白衣の女性。今日の白衣の下はスーツだった。まだ昨日よりは医者っぽいと思ったのだが、女性は後ろを振り返って人を探し始めたので外れだと悟った。女性が医者だろうがそうでなかろうがどうでもいいので、さっさとここでの用件を済ませることにしよう。

 

「あ、違うのなら別にいいです。今日はあなたにこれを届けにきました」

「……ふぁ!? 私か! 言っておくが私は医者じゃないぞ」

 

 俺が胸ポケットからイスカを取り出す間に、やっと女性は俺が話している相手が自分だと気づいた。あなたが医者じゃないのはもうわかっている。

 女性はイスカを受け取ると表面と裏面をそれぞれ確認し始めた。そうすることで何がわかるのかは俺は知らないが、勝手に使った手前、怒られないか少し心配になってきていた。

 

「良く見れば、君は昨日、私とぶつかった少年じゃないか。なるほど。そのときに私がコレを落として君が拾っていた、と」

「そういうことです。無事渡せて良かったです。それでは!」

 

 今朝は逃げようとしてばかりだ。そしてまた――

 

「待ちたまえ、少年。まだ急ぐような時間ではないだろう? お姉さんの話を聞いてくれてもいいのではないかな?」

 

 引き留められた。走って逃げるのも選択肢にあったが、さすがにそれは女性に対して失礼すぎるのでやめておく。それに俺は叱られても当然だと思ってイスカを使ったのだし、逃げるのは変だ。観念して俺は女性の前にまで戻った。

 

「一応、今日も普通に学校あるんで、手短にお願いできますか?」

「わかっている。時間など取らせないさ。私が聞きたいことは一つだ」

 

 聞きたいこと。やはり俺が勝手に使ったことがバレてるのだろうか。軽い罰でありますように、と願いながら女性の言葉を待った。

 

 

「今、君は前を向いている。そう思えるか?」

 

 

 予想外の質問に俺は頭の中が白くなる。反射的に「はい?」と間抜けな声で聞き返していた。だが女性はまっすぐに俺を見たまま何も言わない。答えるまで待ち続ける、と態度がそう告げている。前を向いているか。俺にとっての前が箒との約束を果たすことだとすれば、確かに俺は前を向き始めた。どこかには進めているはずなんだとそう思える。

 

「はい。俺はようやく、俺の進みたい“前”のてがかりを掴めたと思います」

「……ふむ、そうか。ならば、これは君にこそ相応しいな」

 

 俺の回答を聞いた女性は手に持っていたイスカを俺に突っ返してきた。

 

「え? どういうことですか?」

「なあに、少年の青春を応援するお姉さんからの餞別だ。君にとってこれは邪魔にはならないだろう?」

「いや、確かにISVSを始めたいなと思ってるところですけど、俺がこれもらっていいんですか?」

「いいよ。元々うちの試験機を適当なプレイヤーに試させるためだけに用意したイスカだ。私個人のものではないから安心して受け取ってくれ」

「いや、でも名前がちょっと――」

「変更くらいすぐにできる。ならば、この場で私が変えておこう」

 

 倉持技研テスト用ではイヤだなと思っていたら、この場で名前を変えてくれるらしい。女性が携帯端末を取り出して操作をし始めたので俺は早速自分の名前を伝える。

 

「俺の名前は一夏です」

「それは本名か?」

「ええ、そうですが何か問題でも?」

「問題があるかどうかは本人次第だ。たとえば君がISVSをプレイしていると知られたくない人がISVS内にいるとすれば、鉢合わせたときに名前だけで一発でバレることになる。他にもISVS内での揉め事をこちら側に持ち込みやすいなどのデメリットが挙げられるな。と言っても現実の容姿をそのまま使っているプレイヤーは多く、名前の変更は防犯よりも趣味の意味合いが強いとは思う」

 

 揉め事を現実に持ち込む可能性、の方はそこまで心配していない。元々知り合いのいる中に飛び込んでいくのだからな。問題は前者の方。ISVSの中には間違いなく千冬姉がいる。それも事件の捜査でだ。その中に俺がいると知られては力尽くで止められる。流石に俺が箒と同じ状態になるかもしれないリスクを千冬姉が許すはずもない。

 

「わかりました。じゃあ本名はやめておきます」

 

 こういうとき、みんなは名前をどうやって決めているんだろうか。ハンドルネームでもあればそれを使うのだが、ネットを検索にしか使ってない俺にはそんなものはない。

 弾たちはどうだっけ? 確か……ゲーセンで弾は“バレット”と呼ばれていたな。弾だからバレット。安直だった。俺に適用すると……“ワンサマー”? これだけは絶対に嫌だ。

 

「どうする? 思いつかないのなら後で自分で設定すればいいぞ」

 

 女性の言うことは尤もだ。しかしながらちゃんと俺名義にしてから受け取りたいと思ってる。理屈じゃない。ただ、俺のものになったという実感が欲しかった。名前をどうするか。もうこの際だから凝った名前にする必要はない。弾がバレットなら、俺は何にする?

 そういえば昨日、俺は刀で戦っていた。銃は持たず、近寄って斬るしかできない機体だった。今思えば、銃を撃つよりも性に合っている。よし、名前を決めた!

 

「“ヤイバ”でお願いします」

「なるほど、いい名前だ。アレを気に入ってくれたようで何より。カタカナでいいか?」

「はい、それで」

 

 女性がタタタッと端末のタッチパネルを高速で操作する。1秒経つか経たないかの内に終わり、女性はイスカを改めて差し出してきたので俺は遠慮なく受け取った。倉持技研・testと書かれていた箇所には“ヤイバ”と書かれている。

 

「ありがとうございます! えーと……?」

倉持(くらもち)彩華(あやか)だ。ついでに名刺も渡しておこう」

「ありがとうございます、倉持さん!」

「彩華でいいぞ、少年」

「あ、はい、彩華さん。それでは失礼します!」

 

 彩華さんからイスカと名刺を受け取る。イスカを返しにきて、そのままそれを受け取れるとは予想外だった。俺の財布事情的に嬉しい誤算だ。あとは今日の放課後、弾たちとゲーセンに向かうだけ。早く銀の福音を見つけるためにも、俺は強くならないといけない。練習あるのみだ。

 

 

***

 

 本日最後の授業の先生が教卓の上の書物をトントンとまとめて終了を宣告する。この時より待ちに待った放課後の始まりだ。固まっていた肩を伸ばす。やりたいことができるようになるというのは素晴らしい開放感が得られるものだ。長い間、この気持ちを忘れていたような気がする。

 

「一夏。後ろから見てたが、今日は珍しくひと眠りもしてなかったな。昨日のアレで懲りて真面目に勉強する気にでもなったか?」

「いや、全然っ!」

「そうかそうか……マジで? 自信を持って言うことじゃないだろ……」

 

 弾よ。寝ないことと授業を真面目に受けていることは同一ではない。仕方がないのさ。俺は複数のことを同時に考えられるほど頭が良くない。気持ちはISVSにしか向いていないのだ。だから授業中は調べものしかしていない。宍戸の授業がないと自由でいい。

 

「じゃあね、一夏! あたし、今日は先に帰るから!」

「今日は店の手伝いする日だっけ? また明日な」

 

 入り口から手を振る鈴に挨拶を返し見送る。鈴とは良く一緒に帰るのだが、偶にこうして家の中華料理屋の手伝いをしている。昔は毎日だった気がするが、今はバイトを雇う余裕が出てきたとおじさんが言っていた。

 しかし、そうか……今日、鈴は一緒じゃないのか。ちょっと残念だが仕方ない。

 

「相変わらず仲が良さそうだねぇ、一夏と鈴は」

「何言ってんだよ、数馬。俺だけじゃないだろ」

「……あれ? まだ鈴と付き合ってなかったん?」

「ちょっ!? 何でそんな話になるんだよ!」

 

 ただ鈴と挨拶を交わしただけなのに数馬はそういう方向に話を持っていきたがる傾向にある。鈴とはこのクラスの中で一番付き合いが長いからクラスの他の連中にも特別に見えるのかもしれない。あまりそういう目で見てほしくないんだけどな。

 

「……ま、鈴の話は置いとこうぜ、数馬。それより今日はどうするかが肝心だ。鈴がいないとガチ勢とやり合うには戦力が心許ない」

「そうだねぇ。とは言ってもさぁ、昨日は結局のところファング・クエイク一人に全員やられちゃってたから鈴がいるかどうかはあまり関係なかったりして」

「言うな。流石に個人ランキング6位は目標が高すぎた。もう少し強くなってから再戦といこう」

 

 昨日はやはり弾たちの完敗だったらしい。しかしあれだけの力の差でもめげない弾はすごいなと思う。俺だったら遊びであれだけボコボコにされたら立ち直れない。

 

「そんな遙か先の話はどうでもいいじゃん? 今日どうするかだけさっさと決めてくれよ、弾」

「そうだな。今日はうちのクラスの連中も何人か来るそうだし、軽くミッションでもやるか、マッチングで適当な相手と戦うとするか」

 

 弾が鞄を肩にかつぎ、数馬もそれに続く。そうして教室から出ていく姿の後ろに俺も並んだ。

 

「そういや、弾。ミッションって何なんだ?」

「ああ、ミッションってのは与えられた課題を攻略するモードだ。目標物の破壊とか、輸送の護衛みたいなヤツ。敵のAIは同じ動きなんてしないし、他プレイヤーと競い合う場合もあるから単なる作業になりにくい。十分にやりごたえがあるぞ」

 

 ミッションね。今のところ俺には関係なさそうだが、ISVSの遊び方の一つというわけだ。銀の福音を見つけたい俺としてはやはり対人戦が要になる。

 

「マッチングってのは対人戦のことだよな? それって指定した相手となら遠くにいる奴とでもやれるの?」

「ISVS内部で本人同士が了承していればいけるな。俺たちは普段ISVS内部で日本に該当する場所に居るという設定だが、対戦時やミッション時は該当場所に転送される。そうして指定のアリーナに集まることで遠く離れた相手とも戦えるんだ」

「なるほどね。サンキュ」

 

 つまり、銀の福音に会えるかどうかは運次第。向こうが次の犠牲者を狙っているのなら、マッチングに現れないってことはないはずだ。可能性にかけて繰り返すしかなさそうだな。

 

 と、考えていたら前の背中にぶつかった。

 

「いてっ。急に止まるなよ、弾」

「一夏……お前、どうしてついてきてるんだ?」

「ああ、今日から俺もISVSを始めようかなと思――」

「なぜそれを早く言わないっ!!」

 

 おっと? これは弾の中のスイッチが入ったようだ。こうなると普段なら面倒くさいことだが、勝手に色々としゃべってくれるので今の状況だと大助かりである。

 

「よし、歩きながら説明できることはしておこう。まず、ゲーセンについたらイスカを買ってもらう。イスカってのは――」

「大丈夫だ。もう持ってる」

「おいおい本当にどうした!? 一夏くんにやる気があって弾お兄さん嬉しいぜ」

 

 コイツの妙なテンションはなんとかならないだろうか。話を聞く気が削がれる。数馬も頭を抱えてしまった。小声で「悪い」と謝っておくと、数馬は「一夏と遊ぶためだからこの程度へっちゃらさ」と返してくれた。普段から空気は読めないがいい奴だ。

 弾はなおも熱く語る。その中でも必要な要素だけを抜き出しておくことにしよう。

 

 まずゲーム開始後に名前を登録する。これについては彩華さんが設定済みなので必要はない。この名前がISVSの世界における自らを示す記号となる。

 次にアバターの設定。俺は特殊な始め方をしていたため、自分の顔とは似ても似つかない顔をしていたらしいことが調べていてわかった。リセットすれば今の自分の顔をモデルにして直してくれるとのことだが、このまま利用させてもらうことにする。元の顔を少しイジった程度じゃ千冬姉は誤魔化せない。

 最後に機体の設定。ISの構成は簡単に説明すると、コアと基本外装(フレーム)と装備に分けられる。コアについては操縦者が性能を選べないらしいが、他は選択肢の中から自由に選ぶことができる。さらに装甲の形状を自分でイジったりすることで自分だけの専用機となるということだ。

 

 細かいところはその時に説明すると締めくくられたところで、いつも弾たちが集まるゲーセンにたどり着く。店名は“パトリオット藍越店”。“愛国者”とはまた深い名前だなと思う。意味はもちろん弾が教えてくれた。

 

「お? 今日は凹んで顔を出さないと思ったぜ、バレット」

「確かに今日はあまり乗り気じゃなかったんですがね。そうもいかなくなりました。紹介します、クラスメイトの……ってそういや一夏? お前ってプレイヤーネームは決まってる?」

 

 店内に入ると弾は早速店の奥にいる店員の元へ俺を連れてきた。昨日は気づかなかったがこの人はここの店長らしい。弾は俺を紹介してくれようとしていたが、どうやらここでは本名でなくプレイヤーネームで呼び合うのが通例のようで紹介するのに詰まっていた。

 

「初めまして。“ヤイバ”で登録しています、織斑一夏です」

 

 早速、今朝決めたばかりの名前を伝える。一応本名も添えておいた。

 

「ヤイバ、ね。バレットが連れてきた男がその名前ってことは……さては合わせたな?」

「ええ、まあ」

「俺のことはディーンとだけ知っておいてくれればいい。ここの店長だ。たまに俺もお前たちに混ざってプレイするからそのときはよろしくな」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 最後に握手だけ交わしたところで店長さんは奥に引っ込んでいった。

 

「おいおい、一夏。俺に合わせて名前付けるんならお前は――」

「絶対にそんな名前にしねえ! そもそも安直すぎたら千冬姉にバレちまう」

「ん? 一夏は千冬さんにISVSプレイするの反対されてるの?」

「ああ。そして、千冬姉はISVS内にいる可能性がある。だから2人とも、ゲーム中ではプレイヤーネームで呼んでくれ」

「それはこっちから伝えようとしてた俺らのローカルルールと同じだから安心しろ。しかし千冬さんが反対……?」

「弾、早いとこ始めたいからさっさと教えてくれ」

「あ、ああ。じゃあ筐体に座って、イスカをヘルメットの差し込み口にだな……」

 

 弾の指示に従いゲームの準備を始める。自宅用と違ってここでの起動手順はまだ機械的だった。俺の推測ではこのヘルメットとかは飾りだが、きっと馴染みやすいように配慮したのだと思う。プレイ中の顔を隠す目的もあるのかもしれない。まあ、ゲーセンでプレイする女子なんて限られてるし、男子で気にするような奴は希少だろうけどな。

 

「さて、後はそいつを被って目を閉じれば開始する。だが中に入る前に設定をイジレるからそこでアバターを変えてこい。初期のままだと一夏だと丸わかりだからな」

「あいよー。他には何かある?」

「初期機体の選択について話すつもりだが、それは中に入ってからでも説明できる。それじゃ中で会おうぜ」

 

 弾が離れていき、別の筐体でメットを被る。それにしてもこのゲーセン、ISVSだけでどれだけ筐体を用意してるんだ? 最早ゲーセンじゃなくてネットカフェにしか見えなくなってきた。回数ではなくプレイ時間で金を取られる辺りもネットカフェに近い。無駄に金を取られないようにさっさと起動するとしよう。俺は目を閉じた。

 

 白い空間に出る。以前に来た時とは勝手が違うようで、名前の設定、アバターの設定、ISVSに入るの3種類の文字列が視界に現れた。“名前の設定”の文字に触れる。『“ヤイバ”から変更しますか?』と表示されたのを確認して、「いいや、変えないよ」と答えた。

 早速“アバターの設定”に移る。ISVSにおける分身だ。そういえば前回は自分の容姿がどんなものかを全く気にしていなかった。今もそのアバターのままなのでようやくご対面だ。設定のオブジェクトとして鏡が俺の前に現れた。

 

「うわあああああっ!!」

 

 俺は頭を抱えて叫んだ。俺の持っているイスカは彩華さんの持っていたtest用であり、俺より前に使ったことがある人がいるのはわかっていたはずだったのだ。そして試験用のISなんて使う人は限られてる。そう、前使っていた人は――

 

 女だったのだ。

 

 つまり俺は知らず知らずの内に、昨夜、ネカマになっていた。正確にはネカマと言うより女装だろう。おまけに誰かにそれを見られている。外見は女性らしくても、声変わりを終えた俺の声はとても女性には聞こえない。『くそおおおっ!』と本気で叫んでいたのだ。この格好で……。

 なんで無駄にスタイルがいいんだよ! ISスーツもいろいろとギリギリ狙ってやがるし! なんで髪が銀色なんだよ!? なんで片目が赤いんだよ!? 誰の趣味だよ、これ! どう考えても厨二病患者じゃねーか!

 

 長いため息を吐く。胸の内の不満を吐き出さないとやってられない。

 

 ……直そう。とりあえず、性別からだ。身長と体重の設定も入力できるから俺のデータを入力する。これで多少はマシになった。腰より長い髪とか邪魔にしかならないのでカット。髪の色は……下手に黒に戻すと元の姿に近づきそうだからそのままでいいや。瞳は明らかに変なので黒で統一。よし、これで完成。顔立ちも俺とは違うから、まず俺とは気づかれないだろう。アバターの完成を告げ、“ISVSに入る”を選択する。

 

 

 気がつくと建物の中に居た。前のような人気のない廃工場ではなく、人が多いイベント会場のような場所だった。キョロキョロとしていると肩にポンと手が置かれる。

 

「ようこそ、俺たちの放課後の遊び場へ。お前を歓迎しよう」

 

 どことなく顔が細くなったような弾がいた。大きくはイジってなくても少し顔を変えているようだ。名前を確認すると“バレット”と表示されており、オンラインゲームという感じがした。

 

「これがヤイバのアバターだね……髪を銀色にするなら片目の色を変えるとかすれば良かったのに」

 

 ああ、元の姿は片目の色が違ってたさ、数馬。声で数馬とわかったが名前が“ライル”で金髪にサングラス。正直、見ただけじゃ数馬とはわからなかった。

 

「よし、じゃあ早速ヤイバの初期機体を決めるか!」

 

 ここでバレット先輩の講義が始まった。数馬が言うには公式のチュートリアルよりも突っ込んだ説明をしてくれるらしい。

 

 ISは基本的にコアとフレームと装備で成り立つ。

 

 コアの性能に関しては個体差が存在するらしいが、プレイヤーから選択することはできない。運次第というわけでもなく、人によって異なるとのこと。一般的に“IS適性”と呼ばれているものはコアの性能をどれだけ引き出すのかを指すものらしい。弾曰く『ISVSに平等は存在しない』。不平等を受け入れることから始めろということだ。

 大雑把に言うと、コアにはIS全体のエネルギーの供給するジェネレータとしての役割とハイパーセンサーで取得したデータを取り扱うCPUとしての役割がある。それだけで勝負が決まることは無いので、他の要素でいかに逆転するかが楽しいのだと弾は語る。

 

 そして初期選択の主役である基本外装(フレーム)。ISの方向性を決める上で最も重視される要素である。シールドバリアの強度、実弾に対する装甲の強度、PIC維持コスト、重量と機体推力など挙げたらキリがない。これらは中々絶妙なバランスで成り立っていて、どこかが尖れば他がおろそかになる。絶対的に性能が高いというものは“とある条件を除いて”ありえないのだ。

 

 最初に選べるのは倉持技研製の“打鉄”、デュノア社製の“ラファール・リヴァイヴ”、クラウス社製の“ボーンイーター”の3種類。いずれも“容量クラス”が“メゾ”のものとなっている。

 容量クラスとは、後述する装備をどれだけ装備できるかを区分けしたもので、“フォス”、“メゾ”、“ヴァリス”の3種類がある。ヴァリスが一番フレームの搭載容量が大きいのだが、“サプライエネルギー”と呼ばれる行動に必要なエネルギーの回復量が小さいため運用に難がある。逆にフォスはサプライエネルギーの回復量が大きいため、シールドバリアの維持が楽だったり、推進機を噴かし続けられるが、フレームの搭載容量が小さい。要するに使いやすさなら中間が一番だということだ。

 フレームの搭載容量とはISが積める武器の量だとなんとなく察しがついたが、サプライエネルギーって何だ? そう聞いてみたが『後で説明する』と流された。

 

 3つの機体の特徴は、簡単に言えば打鉄がシールドバリア強度、リヴァイヴが総火力、ボーンイーターがスピードに秀でている。俺の性格的にはスピードがいいのだが、彩華さんの縁もあって倉持技研製である打鉄も捨てがたい。と、悩んでて思い出した。

 

「悪い、バレット。そういえば俺、機体はもうあるんだ」

「は? なぜ?」

 

 歩く取扱説明書がわからないと言っている。なぜと問う語尾が不自然に上がっていた。初心者ですと言っていたのに既に機体があるのはやはり普通ではないよな。

 

「実は俺のイスカはもらったものなんだ。だから機体もある」

 

 ほれ、と弾にデータを見せた。弾が真剣な眼差しで俺の提示したデータを見つめること3秒――

 

「なんじゃこりゃ?」

 

 またもや歩く取説が解説の匙を投げ出しそうになっていた。

 

「なんか変なのか?」

「いや、全く見たこともないフレームだったから驚いただけだ。まさか倉持の試作とは……クラスはフォスで、装備は……」

 

 弾は装備を見て固まる。良かった、ここは俺と同じだ。剣一本とかふざけるなって言いたいよな。

 

「雪片弐型……だと……!?」

「マジ!? 雪片がまさかのシリーズ化!? 誰が使うん、そんなの?」

 

 しかし俺の想定とは違い、弾と数馬は装備の名前に注目していた。

 

「えーと、状況が読めないんだけど、剣一本でどうしろってことだよね?」

「近いがちょっと違う。それを説明するにはある種の伝説となっている“雪片”について説明しなきゃならん」

 

 弾の説明はこう始まった。

 雪片とは、倉持技研が製作したネタ武器である、と。

 

「ネタ武器? どういうこと?」

「攻撃力がないわけじゃない。むしろ高い方だ。ただ近接武器の宿命の通り、ISに当てることは難しい」

「それはわかるけど、それだったら近接武器全部がネタ武器になっちまうぞ?」

「もちろん圧倒的なPICC(PICキャンセラー)性能に加えてアーマーブレイクのし易さもあるから、ISに対して近接武器が有効であることは周知の事実。問題はな、雪片の容量のでかさなんだ。IS同士の戦闘で近距離武器しか使えないことはハンデにしかならない」

 

 まだ良く分からない専門用語が飛び出しているが、説明を簡単にまとめるとこうだ。

 近接武器自体は敵ISの防御を突破しやすいから攻撃手段として優秀であるが、さすがに剣だけで銃を相手にするのは分が悪い状況が多い。で、雪片はとっても重いから他の装備は持てない。容量クラス:ミドルのチューン無しで他に軽いマシンガンも持てなかったことは今も語り継がれているらしい。

 

「へぇ……」

「他人事のように聞いてるがな、ヤイバ。見たところ、雪片弐型も容量の面では同じ条件だ」

「つまり?」

「この機体は他の装備を積めない。雪片弐型を装備している限りはな」

 

 剣一本しかないのは仕方がなかったからなのかー。納得。

 

「さらに問題点を挙げると、フォスでは到底持てないはずの武装を持つためにギリギリまで装甲が削ってあるみたいだ。装甲による防御は望みが薄いから弾幕とか張られると相当きつい目に遭う」

「そこはシールドバリアがあるからいいんじゃないのか?」

「そしてとどめだ。雪片弐型は今までにない出力のエネルギーブレードなんだ。エネルギー武器は対象の装甲を無視した攻撃ができる分強力なのだがもちろんデメリットもある。それは――」

 

 エネルギー武器を使ったら、出力に見合った分だけシールドバリアが減衰する。彩華さんからもらったデータの機体“白式”は、攻撃を行うととても柔らかくなることがわかった。昨日あっという間にやられた理由もわかるというものだ。絶句せざるを得ない。

 

「…………」

「機体、組み直すか?」

 

 普通に考えれば弾の提案に乗るべきだろう。だが、俺はまだデメリットを把握した上で白式を動かしていなかった。昨日はやらず嫌いだった俺だが、今は昨日共に戦った白式を動かしてみたい気持ちが表に出てきている。

 

「いや、いいよ。まずはこれでやってみる」

「いち……ヤイバ、悪いことは言わないから考え直した方がいいって」

「俺は数馬(ライル)とは反対の意見だな。お前がやってみたいんだったら、それでいい。高い可能性を秘めていることは間違いないからな」

 

 そういって弾は俺の前にリストを表示させた。名前が縦に並んでいるリストであり、最上部には個人ランキングと書かれている。

 

「こいつはISVSの世界ランキングだ。個人の対戦成績を元に順位付けされている。これにはもちろんモンドグロッソの国家代表も入っている」

 

 突然に始まった雲の上の話。なぜこんな話をしだしたのかと思ったが、考えられる内容は一つだけだった。

 

「ISVSで個人ランキングが発表されて以来、1位は変わっていない。んでもってその1位、日本代表でもある“ブリュンヒルデ”は雪片のみしか使わないことで有名だ。それでいて1対1の勝率は100%。つまり雪片のみでモンドグロッソを全て制している」

 

 弾が言いたいことは、諦めるなってことだ。険しい道だろうが、途切れてるわけじゃない。対策を立てられたら終わりそうな尖った機体でも結果を残している人は確かにいるのだ。ランキングトップの“ブリュンヒルデ”さんのように。

 

 決して世界一になりたいわけじゃない。それでも俺ができる範囲で強くなっておかないと、銀の福音を見つけても何もできず、箒を助けられない。手探りでもいいから俺に合うスタイルを見つけていこう。それが箒と再会できる最短の道だと思うから。

 

 

「じゃあ、機体は今の状態のままにして早速やってみるか。いきなりミッションは俺が不安だから、そうだなぁ……」

 

 弾が辺りを見回す。一人一人顔を見ていることから考えるに、俺の対戦相手を探してくれているようだ。そして一人の男で弾の視線が固定される。

 

「“サベージ”! ちょっとヤイバと対戦してくれないか?」

「はぁ? 今日の俺のテンションが最低なのをわかってて言ってんの?」

 

 弾が呼んだ相手は少々不機嫌そうだった。相手にやる気がないと俺としてもやりにくい。弾に「大丈夫なのかよ?」と小声で問う。

 

「安心しろ、サベージはクラスメイトだ。ヤイバが一夏だと知れば快く相手をしてくれるさ」

 

 弾はサベージの元に行き、一言二言話すだけでサベージが俺に指を突きつけてきた。

 

「面白い……ヤイバっ! “藍越エンジョイ勢、最速の男”が相手をしてやる!」

「あ、ああ。よろしく頼む」

 

 クラスメイトだからとは言ってもこの変わり様は不可思議だった。まぁ、結果的には文句は無いのでスルーしておく。正体が誰かってのも後で聞けばいい。ここに俺の初対戦のカードが決まった。弾の指示に従ってアリーナへの転送口へと移動する。『“サベージ”と対戦しますか?』と表示され、了承の意を伝えると即座に景色が変わった。

 陸上競技場を何倍にもデカくしたような場所だった。端から端まで走れば、中高生の運動部のランニングとしてもハードすぎる距離だろう。もちろん地面にトラックの線が引かれていないから陸上競技をする場所ではない。俺はその会場の中に立っていた。何もない会場内にある姿は、俺とあと一人だけ。200mほど離れた位置に立っている男は対戦相手であるサベージのはずだ。手にしている武器は銃身が異様に長いライフルが一つ。あと、特徴的なのは俺のISと違って頭と胴体も装甲で覆われていることだろう。

 

「ヤイバ。ISVSは初めてか?」

「あ、ああ」

「よし、じゃあ軽く説明をしておいてやる。視界の右上を意識してみな」

 

 言われたとおりに右上を見ようと意識する。すると2本の横に伸びたゲージと輪に囲まれた人型のようなものが見えた。サベージの説明によると、これがISVSにおけるプレイヤーの状態を表す。

 一番太い緑のものが“ストックエネルギー”と呼ばれるISのHPで、これが無くなるとIS戦闘の敗北となる。ピンチには色が赤くなっていくらしい。エネルギーと呼ばれるがISの機動やEN武器の発射には“原則的には”使えない。

 その下の段には青色で細いゲージがあり、こちらは“サプライエネルギー”と呼ばれるものでISコアが常時供給するエネルギーのことである。ISが推進機を動かしたりEN武器を使用するためのコストはこちらから消費され、使用されなかった余剰分のENはシールドバリアの補修やストックエネルギーの(微量)回復に回される。

 最後に人型と輪。人型は体を覆っている装甲の状態を色で示している。白い部分は損傷なしであり、黒くなるにつれて装甲が破損していることになる。人型を覆っている輪はシールドバリアの状態だ。これも白い場合は万全の体勢であることを示すが、黒くなるにつれて耐久力が減っている。

 

「ま、一度に言い過ぎても覚えられんだろ。まずはテキトーにやってみようぜ?」

「そうだな。お手柔らかに頼む」

「言っておくが俺は相手が初心者だからって手を抜くつもりはないぜ。ブザーが鳴った後で、実力の違いに絶望するがいい」

 

 本当に誰だろう、コイツ。どうも中途半端に俺に対する親切心と敵意が混ざってて、誰なのかが全然わからない。

 

 カウントダウンが始まる。3秒からスタートだ。俺が初心者だってのは仕方がない事実。ここでやるべきことは勝つことではなく慣れること。とりあえず安全だと思われる状況(ゲーセン)でなら無茶も許容できる。俺がやることは後先考えずに近づいて斬ることだけだ。

 カウント0。同時にブザーが鳴り戦闘の開始を許される。さあ、飛ぼう。飛んでこそのISだ。白式には翼がある。羽を広げて全身全霊を前に進むことに費やす。背後で爆発したような感覚と共に俺の体は空へと駆け出した。対象との距離は200。サベージはブザー開始直後に後方へと飛び始めたが、スタートダッシュが遅い。俺と奴の距離が0になるまで1秒を切った。ライフルは俺に照準されていなく、反撃はされない。雪片弐型を振りかぶり、距離が0になる瞬間に合わせて一気に――振り抜くっ!

 

「あ、れ? 絶望するのは俺の方……?」

 

 手応えはあり。サベージの不意をつくこともできたようで、声から奴の困惑も伝わってくる。勢いを殺すまでにサベージの居た場所からさらに100mほど過ぎてしまっていたが戦闘に支障はない。もう一度同じように近づいて斬るだけだ。

 

「あれ?」

 

 今度は俺が困惑する番だった。俺の視界には『勝利!』という派手な文字が現れていた。5秒後にアリーナから撤退しますとも表示されていて、カウントが進んでいく。それが0になったところで、俺は最初のイベント会場に戻ってきていた。すぐに弾と数馬の姿を見つけ、駆け寄る。

 

「なあ、バレット。なんか突然アリーナから放り出されたんだけど?」

「…………」

 

 弾は無言で俺を見据える。俺は何かをしでかしてしまったんだろうか。そう思っていると弾は力強く俺の両肩を掴む。

 

「おいおい、なんだよ今の! お前のような初心者がいるか、と素で言わなきゃいかん時がくるとは思ってもみなかったぜ!」

 

 また予想と外れて、弾のテンションがこれまでにないほど上がっていた。

 

「まさかうちの“最速の逃げ足”を誇るサベージが開始数秒で負けるなんて。余裕で最速タイムがでちゃったなぁ」

「ああ! 開始距離200mはサベージに多少不利程度だったし、障害物無しはサベージ有利の条件だったからグダグダな泥仕合になると思ってたんだが、ひっくり返しやがった!」

「え、と……とりあえず俺の勝ちでいいの?」

「文句なしだ! ってかあんなイグニッションブーストが使えるなら普通に剣一本(ブレオン)でやっていけるぜ!」

「イグニッションブースト? ブレオン?」

「おい、ライル! ヤイバが慣れればいけるんじゃねえか? 念願のガチ勢崩しっ!」

「うーん、少なくともアメリカ代表にリベンジするつもりなら、ヤイバがファング・クエイクとやり合えないといけない気がするけど――」

「おーい、俺の話を聞いてくれー」

 

 弾と数馬は俺を差し置いて話しこみ始めてしまった。まだわからない単語が多くてついていけない。そんな雲の上の人との対戦はどうでもいいから、早いところ俺はいろいろと経験を積みたいんだよ。

 

「悪い悪い、勝手に盛り上がっちまったな。たださ、ディーンさんが言うには、近い内にもう一度ファング・クエイクとやれるかもしれなくてさ。またメンバーを集め直そうと思ってたところだったんだ」

「ははは、そうか。どうでもいいけど、あまりアテにはするなよ」

「いやいや。やっぱり上位陣に切り込むには接近戦のエキスパートが欲しかったし、期待してるぜ」

 

 その期待は重すぎる。昨日見た限りでは“ファング・クエイク”は強い。さっきの俺と違って、ただ速いだけでなく、正確に止まって小刻みに移動していた。今の俺にはない技量があの機体にはあったはず。このままの状態で戦ったところで昨日の再現だ。

 そんなあるかどうかわからない対戦も、とりあえず強くなるための練習と割り切ろうと思っていた。続く弾たちから、とある単語を聞くまでは……。

 

「でもさぁ、バレット。昨日は向こうも最強メンバーじゃなかったんでしょ? トップランカーがもう一人追加されたらとても勝てない気が――」

「そっちは俺やリンでなんとかするしかないな。ファング・クエイクと違って“銀の福音”は射撃型だから俺としてはそっちの方が戦いやすそうだし」

 

 銀の……福音……!?

 

「弾! それは本当か!?」

「おい、ここではバレットと呼べ。で、何の話だったか?」

「銀の福音の話だよね? ランキング9位“セラフィム”の機体のことだけど……もしかしてヤイバは例の都市伝説を聞いたことがあるのかな?」

「都市、伝説……」

 

 少し、過剰に反応しすぎた。明らかに今の俺は“ゲームをしている少年”ではない。落ち着け。弾と数馬に悟られても面倒なだけだ。俺は自分から事件に首を突っ込もうとしていることを忘れてはいけない。そのために弾たちを巻き込んでもいけないのだ。あくまで弾たちとはゲームをしていないとダメだ。

 

「ああ、たぶんそれ。なんか昨日調べてたら名前だけ出てきてて、知ってた名前だからビックリしたんだ」

「大丈夫だよ、ヤイバ。やっぱりトップランカーになると嫉妬から変な噂を流されるもんじゃん?」

「実際、銀の福音と戦ったプレイヤーをそれなりに知っているが、意識不明になっている奴などいない。少しは安心したか、ヤイバ? もしそれが事実だったらリンにもライルにももちろんお前にもこのゲームをやろうなんて言うはずねえさ」

 

 今ので弾と数馬のスタンスは大体わかった。やはり都市伝説という認識でしかない。

 俺は戦った全てのプレイヤーが意識不明になっているわけではないのだと思っている。弾の知っているプレイヤーとはおそらくゲーセンのみ。俺の想定したケースではないため、弾の証言は否定の根拠にはなり得ない。

 

「さてと……結局今日はプレイしてねえや。時間も中途半端だし。どうする、お前ら? まだやってくか?」

「俺はそろそろ帰るよ。ちょっと疲れたし」

「ヤイバが戻るなら、俺も。そろそろ帰らないと親がうるさいんだよね」

 

 3人一斉にISVSから出てくる。被っていたメットを外し、イスカを取り出してから会計に向かった。プレイ料金を支払ったところでゲーセンの出口をくぐる。数馬は「やばいやばい」と言いながら「お先にー!」と走り去ったため弾と2人残された。

 

「また明日な、一夏。明日は俺と一緒にミッションでもやろうぜ」

「ああ。よろしく頼むよ」

 

 俺たちも軽く別れを告げて解散となる。

 今日のISVSは終わり。俺以外にとってはそうだった。

 

 

***

 

 帰る道中、俺は聞きそびれたことを弾に電話して聞いていた。弾たちのテンションの高さや銀の福音の話ですっかり自分の機体のことについて知るという目的を忘れてしまっていたのである。

 

「つまり、俺の機体は近づいて斬ることに関して特化しているわけだな?」

『ああ。対IS戦闘に特化していて、エネルギー消費を考えない機動力で問答無用に接敵し、ただ一振りで相手を沈黙させる。一撃当てれば勝ち、そうでなければ負けという一発屋だな』

 

 俺の機体“白式”は倉持技研の試作型フレーム“神風”を使用した機体である。ISVS内では試作のフレームや装備が山ほど存在しているが、敢えて手を出すプレイヤーはほとんどいない。弱点がハッキリしすぎていたり、明らかな上位互換が他にあったりすることがその主な理由だ。なぜ使われることの無いようなデータが数多く存在しているのかは一切不明とのこと。結局、プレイヤーに使われる装備は一部に限られることとなる。

 実のところ、俺の機体は特別でも何でもなく、弾たちも同じ構成のISを用意することはやろうと思えばできるらしい。やらないだけだ。

 

 試作型フレーム“神風”はクラス:フォス、言い換えれば軽量機体である。質実剛健なはずの倉持技研の社風には合わないフォスフレームである上に、白式は装甲を削ることで雪片弐型を載せる容量を稼いでいた。

 雪片弐型にしても、刀身のサイズは平均的なエネルギーブレードと変わらないくせに消費するエネルギーが大きいらしい。失うエネルギーがどこから来るかと言えばそれはシールドバリアであり、失ったエネルギーがどこに使われるかと言えばそれは攻撃力である。防御を捨てて攻撃、という考え方が倉持技研らしくないと弾は言っていた。きっと冒険に出たからこその試作なんだろう、と俺は勝手に納得している。

 あとの特徴はフレームと一体化しているイグニッションブースターだ。イグニッションブースターは読んで字の如くイグニッションブーストをする装置である。イグニッションブーストは瞬時加速ともいい、短距離全力ダッシュのようなもの。イグニッションブースターは基本的には後付け装備であり、通常の推進機とは使い方が異なるものである。求められる性能は瞬発力だけ。一時的にでも超高速で動きたいときに使用される装備なのだ。ISVSでは装備の操作は思考に頼るものであり、ボタンを押すだけで使用できる他のゲームとは事情が違う。イグニッションブースターを搭載したからといって誰でもイグニッションブーストが使用できるとは限らない。この辺りも『ISVSは平等ではない』と思わせるところだ。なにせイグニッションブーストのコツを教えろと言われても俺には教えることができない。だからプレイヤーは自分のできることを模索していく。平等でなくとも勝てる道を探しているんだ。

 俺はイグニッションブーストを使用でき、専用ブースターがフレームと一体化しているため、今日のような試合ができた。装備が一体化しているフレームは防御性能が落ちるらしいが、もう白式の防御性能については気にしない。直線移動の速さと持続時間に優れている白式のイグニッションブースターを使って、やるかやられるか紙一重の勝負に持ち込むことこそが白式の基本となる。

 

「ただいまー……って今日は俺が鍵開けたんだから千冬姉は帰ってきてないよな」

 

 弾から情報を引き出せたところで家に到着。今日は千冬姉は残業だろうか。もし帰らないといたら連絡がくるはずだが、たぶん俺がそれを受けることはない。

 夕食を適当にすませ、部屋へと戻る。帰ってきてやるべきことはやはりISVSだった。千冬姉には俺が寝ていると思ってもらわなければならないから部屋の明かりを消し、イスカを片手にベッドに入る。胸の前にイスカを置き5秒間、目を閉じた。

 

 

『今の世界は、楽しい?』

 

 

 また聞こえてきた。優しい声音。どこか懐かしさを感じる女性の声だ。

 今の世界が楽しいかって? 愚問だ。

 楽しかったとしたら俺はISVS(ここ)に来てはいないさ。

 俺は俺にとっての楽しい世界を取り戻すために来たんだよ。

 

 暗闇が一瞬ホワイトアウトし、白が落ち着くと俺は別の場所に立っていた。放課後にゲーセンから入ったロビーではない。そして昨日の廃工場でもなかった。一言で表すなら山の中。むしろそれ以外の言葉が見つからない。ゲーセンと自宅用の違いなのだろうか。だとしたら自宅用はゲームとして不親切な設計であるといえる。

 

「今回は夜じゃないみたいだが、どこ行けばいいのかさっぱりだ」

 

 とりあえず山の中では方角もわからないため、さっさと飛び上がることにする。周囲の木々よりも高く飛んだところで周りが見えてきたのであるが、景色はほぼ緑だった。

 

「とりあえずロビーに行かないと何もできないよな。それっぽいのはどこにあるんだ、これ?」

 

 アテは何もないが動かないことには始まらない。昨日見つけた都市でなくても、人工物があれば何かわかるはず。山を越えれば違う景色も見えるはずだと真っ直ぐに飛ぶ。

 だが、山を越える前に俺の耳を劈く爆発音が聞こえてきた。音のした方向を見やれば木々の一部が倒れていき、煙も上がり始めている。どう考えても何者かが戦闘していることは確実だった。

 

「もしかしてこれは、ミッションって奴か?」

 

 クリア条件も何もわかっちゃいないが、状況的に試合形式のIS戦闘をしているようには見えなかった。俺は特にミッションをする意思表示をしていないから、バグか何かで紛れ込んでしまったのだろう。だとしたら近づいては迷惑だろうな、とそちらを避けていくことにする。

 

 ――誰かが叫ぶ声を聞くまでは、そう思っていた。

 

 俺は反射的に振り返った。聞こえてきた声は確かに言っていた。“死ぬわけにはいかないのだ”と。負けるではなく、死ぬと言っていた。ゲームにおいて負けることを死ぬと表現したりすることはあるにはある。だが、比喩ではなく死に物狂いになっていることが俺には伝わってきた。気づいたときには俺は爆発のあった方へと飛び出していた。

 

 倒れた木々の隙間から複数の姿が見える。5機ほどのISが、ただ1機のISを包囲していた。多勢に無勢。状況的に完全に詰んでいる。その追いつめられているISに俺は見覚えがあった。

 

「あれは……昨日の赤いISか!?」

 

 昨日は暗かったためにハッキリ見れたわけではないが、かろうじてわかっている武者の形状とピンクのポニーテールが一致していた。俺の中では既に確信になっている。俺を助けてくれたISが今ピンチなのだと。そして、叫んでいたのはこのISの操縦者なのだとなんとなく感じていた。

 彼我の距離は500を切った。1対5の状況でもあちらはにらみ合っていて俺の存在は気づかれていない。今日の試合の経験上、十分に一息で接近できる距離である。そして俺は自分の得物の強さも把握していた。

 

 翼型のイグニッションブースターにエネルギーを溜める。防御のエネルギーなど考慮する必要はない。奇襲で先手を打ち、相手に気づかれることなく終わらせる。白式はそれができる機体なのだ。

 エネルギーの解放と共に翼の中で爆発が生じる。視界に移る木々を緑色の線に変えて、拡大されていく敵ISに狙いを定めた。雪片弐型の刀身を形成する。これでさらにシールドバリアが減衰するが、知ったことではない。敵ISに接触する。同時に雪片弐型を横薙ぎに払った。直後に見えるは、地面。

 

「――ぐっ!」

 

 刀を振り抜いた後、止まりきれなかった俺は両足で地面に着地する。減衰しきっていたバリアではダメージを抑えきれず、ストックエネルギーの減少が発生していた。つまりはISの絶対防御機構が働いた。この辺り、まだまだ操縦技術が足りないなと思わせられる。

 

「な、なんだこいつ!?」

 

 今の特攻で2体を撃破。白式と雪片弐型は色々と犠牲にしてるだけあって威力だけは本物だ。俺の乱入で固まっている敵に対し飛びかかり雪片弐型を振り下ろす。近接武器の無い敵はろくな抵抗もできずに両断され、消えていった。

 

「きっさまァ!」

「バカっ! 背を向けるな!」

 

 3体を倒した俺を無視できるはずもなく、残った内の1人が俺に銃を向ける。しかし、そこまであからさまな隙を赤い武者の子が見逃すはずもない。俺に向いた敵に背後から8本の光が浴びせられていた。

 俺はもう1人の方へと向かう。弾と違って見ただけで性能がわかるわけじゃないが、それぞれの手に取り回ししやすそうな銃を持っているため、中距離タイプと推察される。このまま距離を詰めれば俺の間合いであり、勝敗はそれで片づく。当然敵は距離を取ろうと後方へと飛ぶ。しかし、俺は最速の逃げ足と言われていた男を逃がさなかったのだ。いける、という自信があった。それは現実となる。

 

 4体のISを雪片弐型で倒した。当たりさえすれば勝てるというものは実に奇襲向きだなと思う。残りの1体も赤い女武者が倒していた。これで戦闘は終了だ。俺は早速赤い女武者の元へと移動する。昨日助けてもらった礼も言いたいところだ。

 

「危なかったみたいだな」

「……るな」

「ん? 何か言ったか?」

「私に、近寄るなああ!」

「ぎゃああああっ!」

 

 握手しようと差し出していた俺の手に対する返事は、刀の突きから放たれる8つの光だった。雪片弐型の刀身を出したままなのも相まって手痛いダメージを受けた。俺に攻撃を加えた赤い女武者は即座にこの場を飛び立っていってしまう。

 

「は、はは……」

 

 昨日は助けられ、今日は助けてから攻撃された。一体、俺はどう扱われてるんだろう? 皆目見当もつかなかった。助けてもらった恩はチャラだ。もうこんな奴には関わりたくない。

 ダメージをチェックすると、一戦闘するのも心許ないストックエネルギー残量であることがわかる。戦闘終了しても自動で回復しないことを考えるに、一度仕切り直さないとISVS内での行動は難しそうだ。この辺もゲーセンで入ったときと違う仕様なのだろうか。それとも、これはミッションを受けてる扱いでミッションが終了しないと回復しないのだろうか。いずれにせよ、今日はこれまでにするしかなさそうだった。これもあの女が攻撃してこなければ良かったのに、と過ぎたことでイライラを募らせることしかできない。そんな内面を自覚して、格好悪いなぁ、とも思うのだった。



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03 見えない砲弾

 いつも通りの朝。遅刻でも早すぎるわけでもない始業の20分前。

 教室のドアを気怠く開けて、中にいる5・6人にアクビ混じりに「おはよう」と挨拶をし、そのまま俺の席である窓際の一番後ろから2番目の席に向かおうと歩く。

 しかしその道は仁王立ちをするツインテール少女によって塞がれていた。

 

「おはよう、一夏」

「あ、ああ、おはよう……鈴」

 

 はて、何か俺は鈴を怒らせるようなことをしたのだろうか。鈴が不自然なくらいの笑顔を見せているということは、彼女を怒らせているに違いないと俺の経験が告げている。案の定、鈴を避けて奥にいこうとするも回り込まれてしまう。

 

「アンタ、あたしに何か言うことはない?」

 

 鈴に言わなければいけないこと。俺が鈴にそれを言わないから鈴は不機嫌となった。

 つまり、今必要な言葉は……!

 鈴の目を真摯に見つめながら、胸の内のわだかまりを吐き出すように言い切る。

 

「今日のキミは一段と美しい。荒んだ心が洗われるようだ。ああ、神よ! 私はこの巡り合わせに感謝いたします!」

「ちっがーうっ! ふざけるのもいいかげんにしなさい!」

「何も違わないさ。キミが笑っているそれだけで世界が救われる」

「ア、アンタまでバカどもと同じようなこと言ってんじゃないわよ!」

「男ってのはさ……女性の前だとバカになるんだよ」

「アンタに女子扱いされたこと自体、超絶珍しいんだけどっ!? というかバカってところを否定しないの!?」

「俺はおとといに不本意ながらも宣言しただろ? 『俺はバカです』ってさ」

「アンタが自分で認めてどうすんのよ!? 弾にハメられたって言ってたじゃない!」

「あ、そうそう。はいコレ」

 

 俺は鞄から1冊のノートを取り出す。一昨日に借りた英語の授業のノートだ。俺が寝ていた分の範囲は既に写し終えているので、もう返しても問題はない。

 

「次からは真面目にやりなさいよ」

「へいへい」

 

 鈴がぶっきらぼうに俺からノートを奪い取った。説教を軽い返事で受け流した俺は鈴の脇を通り過ぎることにする。だが、肩をがっしりと掴まれてしまった。

 

「何も話は終わってないわよ?」

 

 くっ! 勢いと話題転換で押し切れなかったか!?

 きっとこれがマンガならば頭に血管が浮き出ているくらいに怒り心頭であろう鈴は笑顔が崩れていない。だから余計に怖い。俺一人では誤魔化しきれない。ってかここまで怒られるなんて、俺は鈴に何かしたっけ?

 いっそのこと鈴から言ってくれればいいのだが、鈴は俺から言ってほしいようだ。話は終わってないという彼女だったが、何も言わずに俺を見つめ続けるだけ。朝からどうしてこんなにらめっこを始めなければならないんだ?

 その硬直状態は次に教室に現れた男たちによって解かれることとなった。

 

「お? 朝っぱらから見つめ合ってどうしたんだ、お二人さん?」

「なーんだ。否定してたけどやっぱり――」

『違う!』

 

 俺と鈴の声が重なった。同時に入り口の方へ振り向くと手提げの鞄を肩に担いだ弾が戸に寄りかかっていた。隣には俺たちを見てニヤニヤしている数馬もいる。いつも行動の早い鈴は俺のことを放っておいて弾に詰め寄った。

 

「弾? アンタも部外者ってわけじゃないんだけどさぁ」

「マジか……悪い、一夏。俺はノーマルなんでお前の気持ちには応えられない」

 

 どうしてそうなった!?

 

「いや、勝手に妙な想像働かせてんじゃねえよ!」

「え? だって俺と鈴と一夏で三角関係にしようとしたら、そうならないとおかしいと思うんだが」

「まず前提が狂ってるからな?」

 

 さて、今この教室内には俺たち4人の他に5人ほどか。頼むから変な噂を広めないでくれよ。もし千冬姉の耳にでも入ったら、たとえ誤解でも家族会議が始まりそうだ。ああ、頭が痛い。

 

「とりあえず話をまとめると、鈴は昨日の放課後に仲間外れにされたことが気に入らないってことでOK?」

 

 方向性を見失っていた俺たちに数馬がフォローを入れる。数馬がどうやってその結論に至ったのか見当もつかないが、鈴が急に大人しくなって頷いているため的を射ている内容なのは明白だった。

 

「いや、仲間外れも何も鈴は昨日家の手伝い――」

「知ってたらアンタたちについていったわよ! ああ、もう! どうしてあたしに黙って男連中だけで行っちゃうのかしら!」

 

 昨日は仕方がない事情があっただろ、と諭そうとしたのだがきっぱりと否定された。

 少し俺の認識が間違っていたのかもしれない。弾たちの誘いを家の手伝いを理由に断っていたこともあったから、てっきり鈴はISVSよりも手伝いをとるのだと思っていた。しかし、やる気なさげに見えて隠れた熱意があるのやもしれん。これもゲーマーのひとつの形なのか。

 ともあれ、結果的に鈴をハブったのは俺なのだろう。素直に謝っておくしかない。

 

 鈴は頬を膨らませて『不機嫌です』と主張している。こういう少し子供っぽい怒り方は、俺に“彼女”を思い出させた。7年前には当たり前にあった光景だ。俺は頭が悪かったし、相手への気遣いなどが言動から欠けていたから彼女を怒らせることなんて日常茶飯事だった。初対面から喧嘩腰で睨み合って、互いの不満をぶつけ合った。不満なところを全部吐き出すと、段々と相手のことが見えてきて……傍に居て当たり前の存在となった。そうなってもなお、思いの行き違いで何度も彼女を怒らせた。あまりにも俺がわからないものだから、彼女はわざとらしいくらいに感情をハッキリと表に出すようになったんだよな。

 

「俺が悪かったよ、鈴。でもさ、それならそうと言ってくれればいいじゃないか」

「ふん! 誤魔化して逃げようとしてたアンタに正直に言ってもはぐらかすでしょうが」

 

 ご尤も。しかし、なんで怒ってるのかわからなかったんだからしょうがないとも思う。普段は物事をハッキリと言うタイプのくせに、稀に言葉に出さずに理解しろと要求するところが面倒くさいんだよ。

 ……そういうところが“彼女”に似てるんだよな。だからどれだけ面倒くさく感じても、俺は鈴を見捨てるようなことはしない。ただ、俺が鈴に感じているのは友情と呼べるものなのだろうか……?

 

「それにしても鈴の情報網ってどうなってるん?? 昨日の今日で一夏がISVSを始めたことを知ってるなんてさ」

「メールが来たからよ、数馬」

 

 鈴の返答を聞いた数馬が弾の方を向くも、弾は首を横に振った。

 

「鈴の情報源なんてどうでもいいだろ。うちの姫様のお怒りを鎮めるには今日の予定を考える方が建設的だ」

「今日の予定? 今日も俺の練習に付き合ってくれるんじゃないの?」

「もちろんそのつもりだが、内容をどうするかってこと。一夏はまだISVSの戦闘を理解し切れているわけじゃない。昨日のサベージ戦だけじゃ把握できないところを知ってもらう必要がある」

 

 昨日の戦闘。サベージという男のISは狙撃をメインにした逃げ足特化の機体で、攻撃を当てさえすればすぐに倒せる相手だったらしい。一応サベージ本人のレクチャーでエネルギーに関する簡単な説明は受けたが、その戦闘では理解できないことというと……わかんねえ。

 

「手っ取り早く一夏に基礎をたたき込むために、今日は一夏と鈴の1対1で試合をするとしようか」

「弾!? 一夏が鈴と試合って無謀すぎない!?」

「あたしが言うのもなんだけど、初心者相手に手加減するなんて器用なことはできないわよ」

 

 鈴の実力は未知数だが、数馬と鈴の反応でサベージとは比べものにならないことだけはわかる。弾は俺に敗北を教えようとでも言うのだろうか。弾は知らなくて当然だが、俺は既にボッコボコにされた経験があるから、あまり為にならないんだけどな。

 ところが弾の想定は皆と食い違っているようだ。人差し指を立ててチッチッチと左右に振る。

 

「手加減なんていらない。むしろしたらダメだな。俺は一夏が勝ってもおかしくないと思ってるくらいだ」

「おい、弾。買い被りすぎじゃないか?」

「そうでもねえよ。何かに特化した機体ってのは、うまくハマればジャイアント・キリングだってできるもんさ」

 

 ジャイアント・キリングとは要するに番狂わせのこと。弾がわざわざその言葉を使った真意はなんとなく察することができた。この場合の上位ランクの相手は鈴のことではなく、この間戦っていた“ファング・クエイク”のことなのだろう。……やっぱり買い被りすぎだと思う。

 

「弾がそこまで言うなら期待して良さそうね。放課後が楽しみ」

 

 鈴が右足を軸にクルッと1回転してスキップをしながら自分の席へと向かっていった。とりあえず機嫌が直って良かったということにしておこう。

 

 

***

 

 昼休み。今朝に弁当を作るのをサボっていた俺は昼食を確保するために売店へと足を運ぶ。ちなみに俺一人でだ。鈴も数馬も、あの弾ですら毎日弁当である。

 

「しっかし、ついでにパシらされる羽目になるとはな」

 

 どうせ売店に行くからと3人分のジュースが注文された。遅刻しなかったとはいえ、寝坊したことが悔やまれる。これも夜更かしを続けている罰だと割り切れば安いものだ。

 

「お? 織斑は今日、パンか? 珍しいこともあるもんだな」

 

 売店の行列を目にして憂鬱な気分になりながらも最後尾に並ぶと、ちょうど俺の前に並んでいた男子が振り返って話しかけてきた。確かコイツは俺のクラスの、

 

幸村(こうむら)か。ちょっと朝寝坊して、弁当作る時間がなかったんだよ」

 

 幸村亮介(りょうすけ)はクラスの男子の中で一番背が低い。俺よりも10cmほど低い場所から見上げてくる目は、背の高さなど引け目に感じてないようで堂々としている。同じクラスだが今まで関わったことがないため、どんな奴かはよく知らない。こうやって何でもないときに話しかけてくること自体が初めてであった。

 

「えーと……鈴ちゃんは近くにいないよな?」

「あ、ああ。俺1人パシらされてきたからな」

 

 幸村はキョロキョロと俺の後方を見回す。鈴ちゃんという呼び名にかなり戸惑いを覚えたが、まず間違いなく鈴のことだろう。……もし鈴本人が聞いてたら発狂していたことは想像に難くない。自らの目と俺の証言が一致した幸村は「じゃ、ひとつ聞きたいんだが」と前置きしてから俺に話を切りだした。

 

「織斑がISVSを始めたのって鈴ちゃんに話を合わせるためか?」

「……違う」

 

 コイツが何を聞きたいのかがわからない。俺が弾たちと一緒にいる割にはISVSをやっていないことはクラス内では知られていることだから、俺が昨日からISVSを始めたことがクラス中に広まっていても違和感はない。頑なに拒んできていた俺が今更手を着けた理由が気になるのは不可思議なことではないんだ。だが、なぜそこで鈴が出てくる?

 

「なあ……幸村も俺と鈴が付き合ってるとか勘違いしてたりするのか?」

「そんなわけないだろ!」

 

 強い否定。からかう様子は微塵も感じられない。幸村は自らの胸に右手を当てて主張する。

 

「鈴ちゃんが織斑と付き合うのか付き合わないのかという瀬戸際で悩んでる姿を遠くから見守るのが俺の毎日の清涼剤なんだよ!」

 

 ……コイツは何を言ってるんだ?

 

「いいか、織斑! もし万が一鈴ちゃんがお前と付き合い始めてみろ! 学園中にイチャラブ光線をまき散らすに決まってる! そのとき、藍越学園の壁という壁は、我が同志たちの拳によって次々と破壊され校舎が倒壊することになるであろう!」

 

 胸に当てていた右手を今度は顔の前に持っていき、力強く拳を作っていた。何やら熱い主張がしたいようであるが意味不明である。

 

「とりあえず俺は何からツッコめばいいんだ?」

「俺のことはどうでもいい! お前がISVSを始めた理由を早く言えよ! 鈴ちゃんと付き合い始めたとかじゃないにしても確証がいるんだ!」

「悪いがお前には言いたくねえわ」

「なんだと!? ……そうだな、俺のことを話さずに一方的に聞こうというのはマナー違反だったな」

「いや、マナー以前にお前が身につけるべきものが他にあると思うぞ」

「よし、俺がISVSを始めた理由を話してやろう」

「別に聞きたくないです」

 

 ダメだ。既に聞く耳を持っていない。目をキラキラとさせた幸村は自らの過去を語り始めていた。もうすぐ列が消化されるのだが、長話をしている時間はあるのだろうか。

 

「あれは3ヶ月前のことだった……」

「おい、幸村。あと3人でお前の番だぞ」

「色々あって俺はゲーセンで鈴ちゃんの試合を見ることになったんだ。画面越しに鈴ちゃんの姿を見て、俺はピーンと来た」

「あと1人だ。そろそろ話し終えろよ」

「鈴ちゃんと一緒にISVSをプレイした後で、現実の鈴ちゃんの姿を見るなり、つい寂しくなってしまった鈴ちゃんの胸を凝視してしまい、『バカーっ!』と泣いて叫びながら走って逃げる鈴ちゃんを見送りたい。そう思った俺は、気づいたらイスカを購入していたのだ」

「はい、次の人ーっ!」

「はいはい! えーと焼きそばパンはまだあります?」

 

 俺が『あと1人』と忠告してから超絶的な早口で内容を言い終えた幸村は売店のおばちゃんに注文を始めた。相も変わらずコイツのことは理解不能だが、ISVSに関するモチベーションは全て鈴一人に向けられているとみていいだろう。

 ……俺は何を焦ったんだか。銀の福音が起こしていると思われる集団昏睡事件を追うためにISVSを始めたなどと幸村が疑うはずないのに。

 幸村に続いて俺も目的の品を買い終えると先に会計を済ませた奴は俺を待ち伏せていた。

 

「俺は誠意を示した! さあ、お前の答えを教えてもらおうか!」

「一昨日に弾たちがアメリカ代表と戦ってるのを見てな。俺も混ざりたいと思ったんだよ」

 

 テキトーなでっち上げ。あの試合を最後まで見る気もなかったくせに、事実を混ぜた嘘を言うために利用する。タイミング的に間違ってはいないから俺の心でも見透かせない限り嘘だとは言い切れまい。俺の思惑通りに幸村は納得したようだった。

 

「ファング・クエイクの試合か。俺以外は鈴ちゃんも弾もアイツ一人にやられちまったんだよな」

「あれ? 幸村もあの試合に出てたの?」

「ちょっ!? お前見てたんじゃねえのかよ! 最後ひとりだけ残された俺が、ファング・クエイク以外の9人を相手に立ち回ってた勇姿をよォ!」

「いや、弾たちがやられた時点で用事が入ってな。にしても9人相手にして立ち回れるとか幸村はすげえなぁ」

 

 素直な感想を吐露した。だが俺の物言いが気にくわなかったのか、幸村はジト目で俺を見る。

 

「……それは嫌みか、織斑」

「へ?」

「俺に対しても天然を発揮しているのか、はたまた本当に知らないのか。俺のプレイヤーネームが“サベージ”だと言えばわかるか?」

 

 サベージ。俺の知ってるサベージは弾の仲間内で“最速の逃げ足”を持っているという狙撃手のことだ。そして、俺が昨日一撃で倒した相手でもある。

 

「お前がサベージかよっ!?」

「やっぱ知らなかったか。これじゃ俺は、あまり関わりのなかったクラスメイトに突然馴れ馴れしく話しかける変な人じゃん!」

 

 たしかに半年間もあまり関わりのなかった人が急に馴れ馴れしく話しかけてきたら対応に困る。だが、幸村の変人度合いはそういった部分では計れなくて、発言内容の方だと思うぞ。

 

「まあ、なんだかんだでこれからよろしくな、幸村」

「ふん! 言っておくが俺が本気を出せばお前なんかにあっさりやられることはないんだぜ?」

「あ、ああ。わかった。次に戦うことがあればお互いに全力でやろうぜ」

 

 幸村の奴……『勝てる』とは言わないんだな。

 再戦をしようと言って幸村と別れた。俺とは反対側へと歩いていく奴の顔は心なしか晴れやかに見える。ただ、俺はどうしても気になることがあるんだ。

 

「幸村の奴、どこに行く気だ?」

 

 俺と同じクラスなのに、なぜ反対方向に歩いていくのだろう……と。

 教室で改めて聞いてみたら、「あの流れで織斑の隣を歩くのは何かがおかしい気がした」のだそうだ。やっぱり奴のことはよくわからん。

 

 

***

 

 放課後になり、近年では稀であろう早さで身支度を整えた俺たち4人は学校を後にして駅前のゲーセンにまでダッシュを始めていた。高校生になっても遊ぶために全力な俺たちは傍から見るとまるで子供だ。いや、事実子供なのだろう。そう見えなくては困る。

 

「うっし! 到着っ!」

 

 日が傾くのが早くなった10月の空であるが、まだ夕焼け空にもなっていなかった。今日はたまたま授業が1限分だけ少なかったことが幸いした。初期設定する時間も考えると、昨日よりも俺が練習する時間が長く取れそうである。俺は意気揚々と入店した。平日夕方の早い時間帯。自動ドアをくぐった先には高校生の姿がいつもより少なく、やたらとガタイがいい店長が暇そうにうろうろとしていた。

 

「こんにちは」

「ん? ああ、ヤイバだったか? 今日は1人か」

「いや、今日は4人――」

 

 後ろを振り返ると自動ドアが虚しく閉まるところだった。あれ?

 

「一緒に来たはずなんだけど」

「いねえな」

「いないっすね」

 

 学校を出る段階では一緒だったから俺だけ授業をサボったってことはないはずだ。もしかしなくても置いてきてしまったのか。たしかに一言もしゃべらずに一心不乱に走っていたのは事実であるが、運動神経は鈴や数馬の方が上だから俺が先に着くのはおかしい。何かトラブったか、と携帯を取り出して弾にかけてみるがつながらない。

 

「そういえば昨日は話す時間がなかったな。ヤイバ、お前さんはISVSをやってみてどう思った?」

 

 俺が首を傾げていると店長が暇つぶしに話を振ってきてくれていた。どこか可哀想な子を見る目を向けられている気がするのは俺の被害妄想だ。とりあえずゲームの感想を聞かれているから、“ゲームとしての”ISVSについて語るとしよう。

 

「一言でいうと“飛んでる”って感じですかね。ジャンルはアクションなんだけど、シミュレーションっていうのは本来こういう意味のような気がします」

「そりゃそうだろ。主要国家の軍にまで採用されているシミュレータでもあるからな。ってか俺が聞きたいのはそういうことじゃなかったんだが」

「当然、楽しいですよ?」

「ならいいんだが。おっと、お友達の到着だな」

 

 世間話もそこそこに遅れてやってきた弾たちを出迎える。自動ドアが開いて入ってきた3人は鈴を先頭にささっと走ってきた。

 

「3人とも何かあったのか?」

「いや、むしろアンタが気づかないで走って行っちゃった方が不思議で仕方がないわ」

 

 俺が気づかなかった? 一体途中で何があったんだろう?

 混乱していると数馬が説明してくれる。

 

「さっき千冬さんに声をかけられてさ、ちょっと話をしてたんよ」

「マジで……? 千冬姉、なんか言ってた?」

 

 ここで千冬姉の名前が出てくるとは思ってなかった。ということは俺は千冬姉をシカトしてここまで走ってきたってことになる。今日の帰宅は憂鬱気分だな。

 

「『やはり君たちか』ってのと、『これからも一夏をよろしく頼む』の二言だけだ。まるで母親だな。もっとも、一般的な親なら『ゲームばっかりしてるんじゃない!』と諫める方だが」

「おいおい、弾。千冬姉が普通じゃないみたいじゃないか」

「普通が良いものとは限らないぞ。妹のいる俺にしてみれば、羨ましいくらいの姉弟仲だし」

「千冬姉、怒ってなかった?」

「怒ってない怒ってない。どうも俺たちに話をしたかっただけみたいだからな」

 

 とりあえず今日のところは心配いらなそうだ。弾の口振りからも千冬姉にはISVSのことが伝わってないと思われる。一応、弾たちには昨日のうちに千冬姉には知られないように言っておいてあるから今後も心配ないだろう。

 

「一夏ーっ! 早くしなさいよ!」

「悪い、すぐに行く」

 

 これ以上千冬姉について話してても時間の無駄だな。さっさと今日の課題を始めるとしよう。早速隣にいる弾先生にご教示願う。

 

「で、今日は何をするんだ?」

「まずは朝にも言ったとおり、鈴と1対1の試合をしてもらう。当然、昨日のサベージとは違ってリンも攻撃してくるからそのつもりで身構えておけ」

 

 弾の中では幸村は攻撃してこないことが前提としてあったのか……。

 一応、幸村戦の他に戦闘した経験があるから相手から攻撃がくることに戸惑いはない。ISの防御能力があってもISの攻撃は痛いってことくらいはわかってる。そして、この“雪片弐型”の一撃はISにとって致命的だということも。

 

「えと、なんかアドバイスとかは無いのか?」

「お前がやれることは昨日に話したとおりだ。今回は相手の装備がわからない状態も想定してるから、とりあえず思った通りにやってみろ」

 

 昨日話した、思った通りに。要約すると、なんとか近づいて斬れってことだ。昨日話していた感じだと近接特化した機体がチームにいないようだったから鈴は間違いなく射撃武器を持っている。射撃武器には種類があると思うのだが、今の俺には違いなどわからない。感覚としてあるのは、剣よりも早く相手を攻撃できるということくらいだ。

 既に鈴は別の筐体からISVSにログインしている。数馬と弾は今回は外からの見物をするらしい。アドバイスは何もないようだからさっさと始めることにしよう。イスカを差し込んだヘルメットを頭に被り椅子に身を預ける。意識が現実から離れていくのにももう慣れてきた。

 

 世界が変わる。俺の身体的感覚をそのままに目に映る全てが書き換わった。場所は昨日と同じイベント会場(ロビー)。俺は鈴の姿を探す。俺と違って顔をイジってないため、すぐに鈴を発見することができた。

 

「おーい、鈴! こっちこっち!」

 

 銀髪の別人と化している俺が呼ぶと彼女はこっちにやってきた。

 ……ん? なんだろう? 何か普段の鈴とは違う雰囲気を感じる。

 向き合って何か違和感を覚えたが、ピンとは来なかった。

 

「何よ、その髪の色! アンタって意外と――」

「いや、これにはちょっと理由があってだな……」

 

 アバターの髪を弄くりながらなんと言い訳をしたものかと考える。が、特に思いつかなかった。

 

「ところでアンタは名前も変えてるんだっけ?」

「ああ。“ヤイバ”にしてる。鈴は?」

「あたしはそのまま“リン”よ。本名と違うの面倒くさいし、わかりやすさって大事でしょ?」

 

 たしかにリンの言うとおりだ。だが俺個人のちょっとした事情で本名は避けなければいけない。そういえばリンには一切説明してなかったっけ。

 

「ま、面倒くさいけどここではヤイバって呼べばいいのね?」

「そうしてくれ。ってかそれがここのルールなんだろ?」

「全くもう。誰がこんなルール作ったんだか。『郷に入っては郷に従え』ってことで納得しとくけど」

 

 特に説明しなくても問題なさそうだ。正直なところリンに説明すると何かを悟られそうで怖いというのもあったりする。下手にリスクを背負う必要はない。

 

「じゃ、早速手合わせといきましょうか。あのバレットが認めた剣士さんの実力を見せてもらおうじゃない」

「オッケー。ま、お手柔らかに頼むよ」

 

 リンから試合の申し込みが送られてきて、俺はYESで返事する。試合の条件は全部リン任せだ。俺は条件を選ぶだけの知識がないし、俺が圧倒的不利な条件にはしないだろうという信頼も含めている。

 ……ん? 剣士さん、だって? ちょっと待って! リンに俺の戦闘スタイルがバレバレじゃん!? 俺はリンの情報を何も持ってないのに、奇襲もできないのかよ!

 

 既にアリーナへの転送が秒読みに入っていた。今から『待った』をかけても間に合わず、俺は今の状態で戦闘に臨むしかない。

 

 光と共に瞬時に場所が移り変わる。現実じゃありえない光景だがもう慣れた。こういうところだけは福音を追っている俺からしてみても『ゲームだし』の一言で納得できてしまう。

 ステージはサベージの時と全く同じ、障害物なしのアリーナ。開始距離は200mの一騎打ち。今の位置から確認できるリンのISの装備は両手にそれぞれ握られている幅広な太刀だ。手に持っている武器だけ考えればリンも近接格闘型の機体を扱ってることになるのだが、きっと見えているだけが全てじゃない。そういえばリンはサベージと違って顔が出てるんだな。てっきり顔まで装甲で覆うのがセオリーなのかと思ってた。

 

「それがアンタのISね。……見た目、すごく柔そうなんだけど、本当に大丈夫なの?」

「安心しろ。見た目通りだ」

 

 攻撃を当てられればすぐに敗北が見えている。一応、ライフル数発は耐えた経験はあるが、シールドの修復にエネルギーが回ってしまうと攻撃に回すエネルギーが少なくなるため必殺の一撃が出せなくなる。だから俺が勝つには相手の攻撃を全て避ける必要があるのだ。

 

 戦闘前のおしゃべりはこの辺でおしまい。カウントダウンが始まって、俺はイグニッションブーストの準備を始める。リンの初手は予想がつかない。所持している武器と彼女の性格から考えるとリンの方も突っ込んできそうだが、裏をかいて下がるというのも彼女らしいと思ってしまう。

 

 カウントゼロ。戦闘開始と同時に俺は迷わず突っ込んだ。リンは、動かない……? 肩の辺りに浮いている装置が変形してみせたくらいしか変化がなかった。直後――

 

「ぐあっ!」

 

 俺の顔面に何かが衝突する。障害物の何もないステージで何にぶつかるというのだろうか。少なくとも壁ではない。下手な操縦で天井に突き刺さった経験があるが、そのときはダメージを受けた“感覚”が無かった。目を凝らしても周囲に透明な壁は見受けられない。

 ダメージチェック。シールドがやや灰色を示し、ストックエネルギーが微量減少。ISにダメージが通ってるということはISの攻撃が当たったことを示す。

 

「今のはジャブだからね」

「そうかい」

 

 ご満悦なリンが「あたしの攻撃よ」とわざわざ教えてくれた。リンは射撃武器を手に持っていない。つまり、ISは手以外にも武器を所持できるということになる。さしずめ先ほど変形した肩のユニットが大砲みたいなものなのだろう。

 リンに射撃武器があることがハッキリした。どれだけ小回りが利く武器かは不明だが、照準が合った状態で真っ直ぐ飛び込むのは愚の骨頂。とりあえず旋回して様子を見る。

 

「どうしたの? そんなんじゃいつまで経っても近寄れないわよ!」

 

 俺とて距離を詰めたいさ。だが、リンの奴の隙がまるでわからない。そもそも俺がリンの周りを飛び回っているために当たっていないのか、リンの奴が射撃していないのかがさっぱり掴めない。傍から見れば何もせず飛び回ってるようにしか見えないんだろうな。

 やりにくい。その正体はハッキリとしている。最初の一撃で俺が全く反応できなかった理由は単純明快で、弾丸そのものが見えなかったからだ。ライフルの弾を見てから対処できるISの眼をもってしても見えないのなら、それは速さが原因とは考えづらい。不可視の弾丸。逃げ回っている俺に対して今もなお撃たれているのかもわからず、判断ができない。さらに厄介なことに、射出していると思われる球状の浮遊ユニットに砲身らしきものが存在していない。タイミングを掴む指標は何もなかった。

 

 ――俺以外の対象があればいいんだろ?

 

 リンは地面から20m地点に浮遊している。俺も同じ高度を維持していたのだが、別にこだわる必要はない。俺は飛行する角度を下に傾ける。急速に迫る地面。もし衝突してもIS本体にダメージは通らないが、足が止まってしまうことが問題だ。

 ――ここだ!

 衝突するタイミングはなんとなく掴めていた。俺は地面を掠るくらいのギリギリの高度を維持して旋回する。そんな俺の軌跡を弾け飛ぶ地面が追ってきていた。

 

 ……やはり見えない弾丸が撃たれている。弾痕のサイズ的には砲弾と言った方が正しいのかもしれない。発射間隔は約1秒。リンの肩には右と左に同じものがついているため、全力で交互に連射しているとすれば2秒に1発撃てる計算か。

 頭の中でリズムを刻む。たとえ見えない砲弾が相手でも、発射のタイミングさえわかれば俺が接近する道も見えてくる。行動は次の着弾の音が合図。俺の後方で砂埃が舞いあがる瞬間に急旋回してリンへと向かう。

 リンは動かない。その場にとどまって両手の刀の柄同士を連結させていた。肩の武器以外にも何かを仕掛けてくることは明白であるが、とりあえずは1秒後に錐揉み回転しながら横移動してリンの攻撃を躱す。躱せていたのかはわからないが、少なくとも俺へのダメージはない。もう直線を遮るモノはないはずだ。あとはイグニッションブーストで接近さえすれば俺のターンの開始だ。

 

「いっくぜーっ!!」

「甘いっ!」

 

 PICのマニュアル操作を開始したところでリンの行動が目に留まる。リンは手にしている柄が繋がれた刀をブンブンと回転させ振りかぶっていた。直感が“投げてくる”と告げたため、慌ててイグニッションブーストをキャンセルし高度を上げる。案の定、リンから高速回転する刀が投擲され、俺の居た位置を通過していく。

 ……こんなの当たったら大惨事な気がする。少なくとも俺の機体が保つとは思えないな。

 リンのとっておきは回避した。まさか近接武器を投げてくるとは思っていなかったが、これで後は……見えない砲弾だけ。マズい! さっきの回避でタイミングが狂った。もう真っ直ぐ突っ込んでも迎撃される。

 提示される選択肢は至極単純。行くか退くか。最初の想定から外れた今、無理をすべきではない。俺はリンを見据えて背中の翼を駆動させる。

 

 イグニッションブースト。俺は前へと飛び出した。

 

「いくら速くても的でしかないわよ!」

 

 リンの後方に浮かぶユニットの開かれた球体部分が不気味な目玉のようにこちらを見つめている。このまま、直線的に向かっていたのではリンの言うとおりいい的だ。イグニッションブースト中のISは通常状態よりも防御力が低下しているため、白式にとっては1発の攻撃でも致命傷になりかねない。

 だから、俺はリンの真下へ向けて移動している。リンから見れば点ではなく直線だ。点ほど楽ではないが、さっきまでのように適当に動いていたときと違って十分に未来位置を予測して撃てる。俺の移動する先へ見えない砲弾を撃ち込もうとしているはず。

 

「もらった!」

 

 リンがはっきりと発射を宣言した。ありがたいことに、俺の予想と同じタイミングでの発射だ。きっと俺がこのまま移動した先に着弾するのだろう。しかしながら、俺はその予測地点に物理的にたどり着けない。

 

 俺は地面に激突した。

 

 白式に衝撃が襲ってくる。激突といっても足からだ。PICのエラーが吐き出され、両足の装甲へのダメージとストックエネルギーの減少が伝えられる。同タイミングで俺の遙か前方にリンの砲弾が着弾していた。

 

「はぁ? 何やって――」

 

 俺の奇行にリンの動きが固まる。本当はイグニッションブーストを2回使うために無理矢理ブレーキをかけたかったからだったのだが、思わぬところで奇襲となったようだ。サプライエネルギーの回復のためのコンマ5秒を開けた後、再度イグニッションブーストを試みる。自滅によるシールドバリアへのダメージが影響して、思ったよりもサプライエネルギーが足りていない。

 しかし足を止めていたら意味がない。やれるときに突っ込むしかないのだ。まだ目を丸くしているリンに向かって全力で飛ぶ。剣も盾も持っていないリンが雪片弐型を防ぐ術はない。みるみる拡大されていくリンに対して、必殺の剣を振りかぶった。

 

「はあああ!」

「くっ――!」

 

 リンの回避動作は間に合っていない。雪片弐型は確実にリンの左肩を捉え、俺は一気に振り切った。速度を維持したまま、リンの右側を駆け抜ける。当てた。これで俺の――

 

「うわっ!」

 

 勝ちだと思った瞬間に背中に何かが当たる。

 

「やってくれるじゃない。あんまり痛くなかったけど」

 

 後ろに意識を向けるとリンがニッコリと笑みを浮かべていた。さらに後方から先ほどリンが投げた刀がリンの元へと返ってきている。

 

「近寄らせないように戦ってみたけど、やっぱりあたし程度の射撃じゃ難しいわね。だからここからは、いつものあたしの戦いを見せてあげる」

 

 リンは後方からやってきた刀を後ろ手にキャッチし、連結を解除して両手に持つ。リンの砲撃を受けていた俺はイグニッションブーストで得ていた速度を失っていた。距離は30m程。ISにおいては近距離と呼べる間合いでリンは自分から飛び込んできた。

 ――ダメだ。回復が追いついてない!

 リンが自分から距離を詰めてくる。俺にとってそれほど悪くない相手のはずであるが、今の白式には決定的にサプライエネルギーが足りていなかった。イグニッションブーストが使用不可能であるばかりでなく、雪片弐型の刀身を維持することもできない。通常の推進機移動にも支障が出ていて、回復までの時間を開けることもできなかった。

 まず、見えない砲弾が再び当てられる。腹に直撃したそれによって、シールドバリアの状況を知らせるリングが黒ずんだ。時間経過で回復するシールドバリアであるが、今の俺にそんな時間はない。逃げられるだけの機動力もない俺はリンの刀を避けられるはずもなく、ただ受け入れるしかなかった。

 

「ブレイクっ! もういっちょー!」

 

 リンの右の刀を左手で受ける。左手の装甲へのダメージだけにとどまらず、シールドバリアが消失したことを白式が警告してきた。続くリンの左の刀を刀身のない雪片弐型で防ごうと試みる。雪片弐型は呆気なく砕け、リンの攻撃はそのまま俺の胴体にまで達する。

 

「とどめっ!」

 

 信じられないくらい大幅なストックエネルギーの減少のあとに、リンの背中の目玉が俺を向いた。

 

 

***

 

「ま、初心者にしちゃ上出来でしょ。このあたしにブレードで一撃加えたんだから胸を張りなさい」

「はい……」

 

 俺はリンに負けた。やる前からこうなるだろうことはわかっていたけど、やっぱり勝負事で負けるのは悔しいな。とんでもない実力差がある相手でも、なんとかして勝ってやろうとしてた昔が懐かしい。

 

「よぉ。見てたぜ、ヤイバ。リンが接近戦をしてくれなかったのは想定外だったが、とりあえずやって欲しかったことはやってくれたから良しとしよう」

 

 試合後に俺とリンがロビーで話していると、バレットとライルがやってくる。

 

「やって欲しかったことって?」

 

 バレットの思惑が気になる。今の試合をした意味って何だろうか。

 

「お前の機体が長時間の戦闘に向いていないってことを実感して欲しかった。今のも十分に短い戦闘時間だったんだが、それでもお前の機体は息切れをしていただろ?」

「あ、ああ」

 

 確かに最後の瞬間はやれることが何もなかった。俺の戦術に大きく関わってくるイグニッションブーストも雪片弐型もサプライエネルギーがなくては話にならない。普段は割と気にしなくても回復が速いために使い放題なのだが、今回は足りなかった。

 

「俺の機体ってフォスフレームだからエネルギーを割と気にせずとも戦えるんじゃないのか?」

「万全の状態ならそうなんだが、サプライエネルギーの供給には優先順位が存在する。操縦者の意志である程度は変更ができるが、絶対的じゃない」

「優先順位?」

「そうだ。ISはエネルギーを消費する武器の使用や推進機関連よりもPICやシールドバリアの維持を優先するようにできている。これは現実のISが操縦者保護を最優先としているから、その再現をしてるんだろうな」

「じゃあ、シールドバリアがダメージを受けていると」

「シールドバリアの修復にエネルギーを持っていかれて、他で使えるサプライエネルギーが制限されていくことになる」

 

 つまり、俺の無茶な操縦がガス欠を招いていたってことになるのか。わかっていたつもりだが、実際は想定よりもシビアである。イグニッションブースト中だけは壁や地面に衝突するだけでダメージを受けるみたいだし。

 バレットの話をまとめると、ISの活動に必要なサプライエネルギーはPICやシールドバリアと密接な関係がある。白式の場合はシールドバリアのダメージが直接行動不能につながる可能性が高い。

 

「なあ、俺の機体って必ず先に攻撃できないとダメってことじゃね?」

「だから言っただろ? やるかやられるかってな。言い方を変えると、やれなきゃやられる機体だ」

 

 頭を抱えざるを得ない。確かに一般的に考えると、好んで使う気は起きない機体だった。

 

「でも俺、リンに攻撃を当てたよな?」

「当たってたんだが、雪片弐型の出力が不足してて中型のエネルギーブレードと同じくらいにまで下がってた。あれだとサベージですら一撃で落とせないから、“ディバイド”スタイルのヴァリスフレームである甲龍には対してダメージを与えられてないだろうな」

 

 出力不足、か。しかしバレットの補足を聞く限り、万全の雪片弐型でもリンを一撃で落とすことは不可能っぽい気がした。

 

「ヴァリスってのは白式のフォスと違って重量型というか防御重視のフレームのことなのはわかる。だけど、“ディバイド”スタイルってなんだ?」

「それも説明してやるのが今回の目的だ。だが物事には順序がある。まずは、ISの防御機構について説明してやろう」

 

 ふと、俺とバレットの周りから人が離れていく気配に気がついた。リンとライルが揃って「さーて、勝負する?」とか「いいよん」と俺たちを放っておいて遊ぶ気満々である。彼女らの行動から導かれる結論は……バレットの話が長いってことだ。

 

「ISに勝てる兵器が存在しないと言われる由縁にもつながることなんだが――」

 

 前置きから長かったので、耳に残らないところは覚えていない。俺が理解できた内容をまとめてみる。

 

 ISは大まかに分けて4段階の防御機能が存在している。

 第1の防御機構は“PIC”だ。主にISの飛行機能として知られているPICであるが、銃弾や爆風などのほぼ全ての衝撃からISを守る防壁として機能しているらしい。慣性質量だとかベクトル操作だとか言われたが良くはわからん。重要な結論は『PICによって物理的なダメージを全てカットできる』ということだ。

 第2の防御機構は“シールドバリア”。実はISの防御機能としてはメインとしてではなくサブとしての存在らしい。役割としては『PICでは防げない、人体に悪影響のあるものをカットする』というもの。毒ガスとか放射線とかそういう辺りなんだろうと勝手に納得しておいた。『ISのEN武器のダメージを軽減する』のもシールドバリアの役割であるが、EN武器に関しては100%カットできるわけではない。ちなみに銃弾などのダメージも軽減することができるが、『シールドバリアは物理的な衝撃に弱い』とのこと。シールドバリア自体へのダメージが重なると機能不全に陥り、“アーマーブレイク”と呼ばれる無防備な状態となる。

 第3の防御機構は“装甲”。バレットの話を聞くまで俺は装甲の役割を誤解していた。装甲はもちろん操縦者を守るためにも存在しているのだが、ISにおいての役割は『シールドバリアを物理的な衝撃から保護する』ことだという。しかし、ただ装甲をつければ良いということもなく『シールドバリアの対EN武器性能が下がる』というデメリットも存在する。

 最後の砦となる第4の防御機構が“絶対防御”。ストックエネルギーを消費して『操縦者に加えられる障害を無かったことにする』機能だ。現実における操縦者保護の重要な機能であるが、ISVSにおいてはダメージをストックエネルギーが肩代わりするHP的な存在のためのシステムと思っていればいい。

 

「絶対防御を現実で見るときっと魔法みたいなんだろうなぁ……」

「あの、バレット先生。うっとりしているところ大変恐縮ですが、次の話に進みましょう」

「おう、悪いねヤイバくん」

 

 バレットの話は続く。頭が痛くなってきてるが、今後俺が勝つために必要な情報だから聞いておかないといけない。ますはPICについてもう少し聞いておく必要があった。

 

「さっきPICは『PICによって物理的なダメージを全てカットできる』って言ってたけど、それじゃあどうしてISのライフルが通じたりしてるんだ?」

「そこが『ISはISでしか倒せない』と篠ノ之博士が言っていた理由なんだ」

 

 俺の質問にもさくっと答え始めるバレット。すでにゲーム外の話にまで発展している気がしないでもないが、目の前のやりこみゲーマーは元となったものにまで興味が向いていても不思議ではない。

 

「ISにはPICが積まれているため、多くの兵器をそれだけで無効化できた。だがPICはその性質上、同兵器による干渉が可能だった」

「PICはPICで無効化できるってことか?」

「正しくは軽減できる、だな。ISのPIC機能を相手のPIC干渉に使用することを便宜上“PICC(PICキャンセラーの略)”と呼んでいる。でもって武器によってPICCの性能が異なるため、それがIS戦闘における攻撃力に関わってくることになる」

 

 武器ごとにPICC性能が違う。ISにおいて不便なはずの近接武器が使われている理由はここにあるのだ。ミサイルなどの使いやすいはずの兵器よりもライフルなどの銃が好まれる理由もここにあり、PIC関連の影響のせいでミサイル数発よりもライフル1発の方がISに対しては効果的だとバレットは言う。好きな奴はミサイルを大量に積み込んでくるらしいが趣味の領域であり一般的ではない。

 ここまでで他に質問はあるかと問われたが、今は思いつかないので先を促すことにした。

 

「よし、じゃ話を戻す。今説明したとおりISVSの物理ダメージと呼べるモノにはPICが大きく絡んでいる。んでもってPICだけでは防げないことも説明したつもりだ。PICを突破した攻撃を何が防ぐかと言えば――」

「装甲とシールドバリア」

 

 答えを先に述べる。バレットは出来の良い教え子(自画自賛)に対して親指を立てながら笑みを向けてくれた。

 

「正解。だからISには装甲が取り付けられるわけだ。しかし装甲が多ければ良いというわけではない。それは――」

「エネルギー兵器に対する耐久力が減ってしまうから?」

「そう。他にも拡張領域の容量が減ったりとかの弊害もある。何かの性能を伸ばせば、何かの性能が犠牲になる。完全なものが存在しないとき、何が生まれると思う?」

 

 珍しくバレットから質問を寄越してきた。だが同じようなことは既にフレームの時に学んでいる。

 

「いくつかのパターンに分かれるってことか」

「そう。それがさっき話したスタイル。言い換えると、装甲の配置方式だ」

 

 装甲の配置。これもISが何をしたいのかで決まってくるものであり、大きく分けると3種類存在する。

 1つ目は先ほどにも出てきた“四肢装甲(ディバイド)”。頭と胴体には装甲を付けずに、四肢に分割して取り付けられたように見えることから名付けられた。ISの防御事情を知らなければ『なぜ肝心の胴体が無防備なんだ?』と疑問に思うかもしれないが、必要だからそうしているというのが答えである。ディバイドスタイルは『EN武器に対する耐久力』に特化している。ストックエネルギーを直接刈り取るEN武器に対して、PICも装甲も何も意味を成さない。シールドバリアの軽減能力を生かしつつ最低限の装甲も配置して最適化されたスタイルだ。俺の白式やリンの甲龍はこれに分類される。

 2つ目は“全身装甲(フルスキン)”。呼んで字のごとく、頭と胴体にも装甲が取り付けられている。実は最も多くのプレイヤーに使用されているスタイルである。その理由はバランスが良いからだ。装甲が増えるとサプライエネルギーの回復が多少遅くなるらしいが、シールドバリアが破壊されにくくなるため、ディバイドと比べるとサプライエネルギー周りに安定感がある。必然的に物理ダメージも抑え気味となるので打たれ強くもなる。ただし、EN武器への耐性はディバイドよりも低くなることが欠点。今までの相手だとサベージの機体がこれに分類される。

 3つ目は“拡張装甲(ユニオン)”。ISの容量限界を越えて装甲を取り付けるやり方である。無茶な運用が前提であり、シールドバリア機能はほぼゼロ。代わりに装甲や装備を大量に装備するという割り切った運用方法だ。IS戦闘、特に1対1においてこのスタイルで戦えるものなどそうはいない。しかし集団戦において圧倒的な物量による火力や有り余った装甲による盾などで活躍しているらしい。

 

「以上、一気に説明したが理解できたか?」

「悪い……たぶん半分くらいしかわかってない」

「ま、そのうち慣れるだろ。わからない話はその都度説明してやるから、今は聞き流しとけ」

 

 俺とバレットは互いに「ふぅー」と長い息を吐く。長い戦いだった。よく眠らずに最後まで戦い抜いたと自分を褒めてやりたい。やっぱり必要なことだと自覚していると学ぶことにも身が入るのかもしれないな。

 ちょうどこのタイミングで勝負していたリンとライルが戻ってきた。ライルのわかりやすい凹み具合を見るにリンの圧勝だったらしい。

 

「さて、戻ってきたな。ヤイバへの説明も終わったから早速4人でミッションでもやるか」

 

 バレットの提案に対し、俺はすかさず口を挟む。

 

「俺は対人戦の方がいいんだけど――」

「練習と割り切れって。さっきまでで説明できたと思うが、今のお前じゃ1対1で勝ち続けるなんて不可能だと断言できる。まずはチーム戦で慣れるべきだし、そのチーム戦の練習としてミッションをしようってだけの話だ。それにISVSの醍醐味はチーム戦にあるしな」

 

 確かにリンを相手にしただけで恐ろしくやりづらかった。バレットの知識を信じて、今は素直に従った方が強くなる近道……でいいよな?



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04 予期せぬ闖入者

 バレットの指示に従ってミッションの参加を受諾すると、アリーナの時と同じようにどこかへと転送が開始された。場所が移り変わる前の暗闇の中で、事務的なお姉さんの声が聞こえてくる。

 

『こちらはミューレイの広報です。ミッションの概要を説明します』

「あ、お願いします」

 

 つい返事をしてしまった直後に相手が録音だと気づく。周りにバレットたちがいなくてホッとする。

 

『今から3時間前にミューレイのIS開発工場がテロリストに占拠されました。テロリストの正体と目的は不明ですが、おそらく武装の補給が目的でしょう。我々は連中の補給基地になるつもりなど毛頭ありません。連中のような社会不適合者にはさっさとこの世から退場していただきたいものです』

 

 なかなか過激な発言だなぁ……。

 

『テロリストには2機のISの存在が確認されています。あなたがたには2機のISの排除、ならびに工場の制圧をお願いします。なお、工場には警備用リミテッド等の防衛システムが存在しており、テロリストに掌握されているようです。障害となるようでしたら、建物を破壊しない程度ならば壊してしまってもかまいません。なお、工場として機能しなくなった場合、報酬は渡しませんのでご注意を』

 

 わからない単語があるなと思っていると、説明が表示される。

 ミューレイはIS関連企業の名前。

 リミテッドはISコアとリンクしてPIC性能を持った自動ロボット。

 ……あれ? IS以外でもISに攻撃が通せるってこと?

 

『――説明は以上です。成果に期待します』

 

 マップが与えられる。周囲を山に囲まれた僻地にある施設が舞台だ。建物自体は複雑な構造ではないが、随所に砲台が設置されている。ISなら効かないはずだと思いたいが、さっきのリミテッドの解説を見たばかりだとそうも言えない気がする。

 

 転送が終了する。暗闇が晴れた先は木々が茂っている山の中。一面の緑の中にただひとつだけ存在する灰色の巨大な建物こそが今回の舞台だ。自然が感じられる場所のはずであるが、鳥や虫の鳴き声はひとつとして聞こえてこない。これはゲームだからなのか、それともここが戦場だからなのだろうか。

 

『ヤイバ、聞こえるか?』

 

 頭の中でバレットの声がする。これがISによる通信方法なのだが、まだあまり慣れない。これって思ったことが全部相手に筒抜けになるのか?

 

『聞こえてるのか? 返事をしろ』

「聞こえてる聞こえてる」

 

 ふぅ。しゃべる意志が無ければ相手に伝わらないらしい。その境界をどこで設けているのか知らないが、幸村あたりの妄想が鈴にたれ流されたりしないようで安心だ。

 

『ミッション内容は既に聞いたと思う。俺たちの任務は工場を占拠しているテロリストの内、IS2機を撃破することにある』

「で、敵は建物の中なのか? 敵はどんな奴?」

『建物内にいることは確実だ。しかしどんなタイプが待ち受けているのかは会ってみるまでわからない』

 

 あれ? 歩く攻略本がどうして攻略情報を持ってないんだ?

 

「どうし――」

『ランダム要素だ。戦場も前に受けたときとは全然違う』

 

 これはまた……作ってる人は一体どんな苦労を背負い込んでるんだか。

 

『言っておくが、ミッションは俺たちでも楽勝とは限らない。気を引き締めろよ』

「わかってる。で、俺はどう動けばいい?」

『今、俺たちは工場の東西南北に散っている状況だ。相手が迎撃してくるタイプかそうでないかで対応を変える必要はあるが、とりあえずは時間差で突撃する』

「時間差? 一斉じゃなくてか?」

『迎撃させる対象を絞るためだ。だから、まずは俺とリンが突入を試みる。お前はライルの指示の後に行動を開始してくれ。で、ISと戦闘していない奴が工場の防衛システムを抑えにいく』

「そういえばそんなのがあるって言ってたな」

『敵ISを支援されるとめんどうだからな。ISのPICを突破する防衛システムには必ずISコアが使用されている。工場内に隠されているISコアを破壊することが防衛システムを止める条件だ』

 

 結局のところ、リミテッドとかいうロボットも固定砲台もISにダメージを与えられるものはISコアの影響下にあるものに限られるわけだ。ISコアにそんな用途があるのかと感心しつつも、ISとして使ってた方が工場を守れたんじゃないだろうかとも思ってしまう。

 

『じゃあ作戦を開始する。あとはライルの指示に従ってくれ』

「了解だ」

 

 遠くで2機のISが工場へと向かっていくのが見えた。バレットの作戦が始まった。早速数馬(ライル)に通信をつなぐ。

 

「それで、俺はどのタイミングで行けばいいんだ?」

『焦るなって。この工場の防衛システムは外に向けたものだから、おそらく敵はバレットとリンを工場の外で相手をしようとする。2人が戦闘を初めてから動き出しても遅くはないよん』

「それっていつなのかわかるのか?」

『ヤイバはわからないと思うけど、俺の機体“ユニークホーン”の索敵能力なら建物から出てきた敵の位置くらいはわかる。余裕があるようならバレットたちから直接通信があると思うし、気楽に構えてていいんだ』

 

 索敵能力まで違うのか。本当に俺の機体は近づいて斬ることしかできないんだなぁ。そういえば俺はみんなの機体について知らない。気楽に構えてていいのなら時間つぶしも兼ねて聞いてみるとしよう。

 

「ライル。お前も含めて俺以外の機体ってどんなのだ?」

『そういえば言ってなかったっけ。時間がないから手短に言うよ。リンは近~中距離格闘型だけど衝撃砲を使ったトリッキーな機体で、うちでは基本的に前衛をしてる。バレットは手数重視の近~中距離射撃型で敵ISのアーマーブレイクを狙うことが担当。でもって俺は索敵能力と遠距離武器を持った司令塔兼狙撃手ってところ』

 

 それでバレットとリンの2人が前に出てるわけか。

 

『よし、2人がそれぞれ敵ISと接触した。俺たちも行動開始だね』

「建物の中にあるISコアを破壊するんだっけ?」

『そ。それが終わったら戦闘中の2人の援護に向かうって流れ。あとは自由にやってくれ。わかんないことがあったら俺に聞いてくれればいいよ』

 

 サンキューと返した後で前を見据える。見える範囲でも既に砲台がスタンバイしているのがわかる。当てられると痛いのだろうな。だけど、

 

「ま、当たらんだろ」

 

 遠慮なく前進を始める。イグニッションブーストを使うまでもなく、俺は軽く推進機を噴かして工場の窓へと急降下を始めた。屋上や壁に配置されている砲身が一斉に俺を向く。その数、4。全ての砲身を同時に睨みつけること2秒。砲弾が放たれた瞬間を知覚した。

 タイミングがわかりさえすれば避けることは造作もない。ただ機動ルートを傾けるだけで、全ての砲弾は明後日の方向へと飛んでいった。単調な射撃だけで当てられてしまうのなら、ISは世界最強を名乗れない。この防衛システムとやらも対IS戦を想定していないのだろう。俺は砲台から次弾が放たれるまでの隙を逃さず窓を突き破って内部へと突入する。

 

『ヤイバ、もう中に入ったの!?』

「ああ。リンと比べたら楽勝だった。早速防衛システムのコアを探す」

『うん、頼んだ。俺は安全に砲台を落としてから入るとするよ。防衛システムのコアは多分地下にあるだろうから、地下への通路を探せばいいと思う』

「地下ね。了解」

『一応言っておくけど、今回は建物を大きく破壊すると結果的にマイナスだから、床を片っ端から壊すようなマネはやめてくれよな?』

「俺の機体だとそっちの方が面倒くさいから心配するな」

 

 そういえば一応はこの建物を取り返すミッションだったっけ。確かに放棄する建物だったら中にいるテロリストごと『ドッカーン!』で済ませそうだよな。

 内部の探索を開始する。俺が入った場所は組立のラインだったようで、巨大なベルトコンベア上には同じ形をした金属の固まりが等間隔で並んでいる。

 

「うーん……普通はこんなところからは地下にはいかないよな」

 

 製造ラインは全自動化されているようだから機械が故障しない限り人を入れたくないはず。だから俺が向かう先は人の出入り口。扉を見つけて近寄り開けようとするが、取っ手も何もありゃしなかった。仕方なくパンチでぶち破る。ベコッと変形しながら吹き飛ぶ扉を目の当たりにして『ほほう、コレはなかなか楽しいな』と思ったのはナイショだ。

 扉は人が通れるだけの設計でしかない。いくらフォスフレームである白式と言っても入るサイズではなく、壊しながら扉をくぐることとなった。もちろんIS側にダメージなどない。

 扉をくぐった先は広めの廊下だった。身近にあってもおかしくない屋内でふわふわ浮いていると、まるで人の家に土足で上がり込んでしまったかのような不謹慎さを感じてしまう。などと考えながらテキトーに移動をしていると、俺の行く手を塞ぐ“人型”が3つ現れた。

 

 あれ? こいつらどこかで見たような……?

 

 人型は全身が機械で覆われていて、その手には大きめのライフルが握られている。全機が同じ装備をしていて、動きまで全機揃っていた。訓練を受けているのでなければ、ただゲームをしているだけの人間がこうなるわけがない。つまりはコイツらがミッション説明にあった“リミテッド”という自動人形なのだ。

 3機のリミテッドが一斉に銃口を向ける。迷いのないその動きでようやく俺は思いだした。

 

「あの時の奴らか!」

 

 一昨日の夜に俺が初めてISVSの世界を訪れた先で荒い歓迎をしてくれた奴らのことだ。そういえばあのときも似たような工場が舞台だった。あのときはプレイヤーだと思っていたけれど、実はISですらなかったなんて……。

 一昨日はしてやられたが、今の俺は操作方法のわからない初心者ではない。ボタンの配置を理解したくらいのレベルにはなってるんだぜ?

 

 銃弾が放たれる。通路の幅にISが避けられる隙間を作られないようにというつもりなのか一斉射撃だった。通路上での戦闘のため横に避けることはできないし、天井も低い。だから俺は床に伏せてやりすごした。銃弾を避けるために高速で伏せた結果、俺の体は床にめり込む。

 ……大丈夫だ。イグニッションブーストを使ってるわけじゃないから痛くない。

 体勢を変えることなく推進機を噴かせ、床をベリベリめくりながらリミテッドたちへと近づいていく。10mも離れていない近距離のことだ。すぐに俺の剣が届く距離となる。俺は中央のリミテッドの正面に陣取り、雪片弐型で横に一閃する。一切の抵抗もなく振り抜いた後、3機のリミテッドの上半身と下半身がお別れを告げていた。無力となった人形の脇を抜けて奥に進む。後方の爆発を置いて進んだ先にはわかりやすいくらいに地下へとつながってると思しき穴があった。普段は隠されているのだろうが、システムを掌握したテロリストたちによってこうなっているという設定なのだろう。

 

「ライル。地下への入り口を見つけた。早速行ってくる」

『了解。じゃあそっちは任せて俺はバレットの援護でもするよ』

 

 報告だけしておいてから穴を下へと降りていく。マンホールの中のように梯子で下に降りるらしいが、ISなら何も関係ない。すぐに最深部に降り立つ。明かりが点いてないようだが、ハイパーセンサーが状況を認識して暗視をしてくれていた。これが現実でも同じなのだとすると、さすがは束さんと言わざるを得ないのかもしれない。……いくら便利でも代償があったから俺は好きになれないけどな。

 暗闇の狭い通路を進む。しばらくすると前方にぼんやりとした明かりが見えてきた。明かりに近づいていくと通路が切れ少し広い空間にでる。コンピュータらしきものが大量に置いてある中、中央に鎮座する発光した球体に目がいった。

 

「これがISコアか」

 

 正確にはコアの周りにいろいろと取り付けられているのだろう。何せ1mくらいの球体だ。これがまるまる他のISにもついてるなどとは考えられない。

 俺の感想はさておき、今はコイツを破壊しなければならない。現実ならば467個しか存在しないコアを破壊するなどやってはいけないことだが、ここはゲームの中だ。さして貴重品でもない。雪片弐型を振り上げて刀身を形成し、一気に振り下ろす。その一撃でコアは粉々に砕け散った。任務完了だ。

 

「さてと、あとは地上のみんなと合流してISを倒せばいいんだな」

 

 とりあえず全員に向けて「防衛システムのコアは破壊した」と報告する。たぶん今は戦闘中だろうから返事は期待していないし、案の定誰からも返事はこない。

 来た道を戻る。外からの明かりを目印に上へ上へと昇っていくところで、通信が入ってきた。送り主はバレットでもライルでもリンでもなく、

 

『ミッション内容を変更します』

 

 ミッションを説明してくれたお姉さんだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「敵はヘルハウンドのフルスキン。武装はレッドバレットとエインヘリヤルの2種類で左手には盾を所持している、と」

 

 木の陰に隠れつつバレットは相手の戦力を冷静に分析する。

 ヘルハウンドはクラウス社製の速度重視ヴァリスフレームである。ヴァリスフレームとは言っても装甲やシールドバリアの性能はメゾの打鉄と同等くらいと柔いのであるが、移動速度はヴァリスフレーム中最速クラスだ。ただし燃費は最悪なのでヤイバの白式のように長距離イグニッションブーストを行うことはできない。だから隠し持ったブレードによる奇襲の線はそれほど警戒する必要はない。

 装備のほうも見る。レッドバレットはIS戦闘において最もスタンダードな武器と言ってもいいライフルだ。ライフルという武器自体がISの射撃武器の全ての基準ともいえる性能を持っている。射撃武器の中では高めのPICC性能に加え、連射性能も平均的。相手のストックエネルギー・装甲・シールドバリアに満遍なくダメージを与えられる使いやすい武器なのだ。この武器はバレット自身も愛用しているが、敵に回して厄介な要素はあまりない。

 エインヘリヤルは超小型誘導ミサイル64発を一斉にバラ撒く面制圧型のミサイルである。弾幕で壁を作ることで敵の接近を阻止することが主な目的で攻撃力はあまりない上に飛行距離もあまりない。ライフルで打ち落とすことが困難なサイズである上に誘爆がしづらいため、撃たれたら距離を離すくらいしか対処法はない。主な使われ方は防御型ヴァリスに大型狙撃銃を持たせたうえでの補助武器である。

 

「アンバランスな組み合わせだな。決定打が何もないじゃねえか。ヴァリスなのに武器が貧弱すぎる。簡単だからいいけどよ」

 

 バレットから見るとありえない組み合わせの敵だった。といってもミッションでこういう相手に遭遇することは珍しくはない。誰がセッティングしているのかは知らないが難易度調整なのだろうとバレットは納得している。

 

「さてと……ライルたちが防衛システムを抑える前にケリをつけちまうかな」

 

 状況が動くのを待つまでもない。バレットのこれまでの経験が楽勝だと告げていた。右肩付近に浮いている非固定浮遊部位(アンロックユニット)の上を向いた発射口を開く。バレットが発射を念じると共に高速で飛び出したのはミサイルだった。枝を貫いてみるみる空へと上がっていくミサイルを目で追うことなくバレットは敵ISの前に飛び出す。敵はミサイルに釣られて右手のライフルを空に向けているところだ。バレットは自分のレッドバレットを敵に向けて躊躇いなくトリガーを引く。狙いは本体ではなく敵の所持しているライフル。

 

(命中! あと2、3発で壊せるが……)

 

 続けざまに発射するも左手の盾に防がれてしまう。実はバレットにとって一番厄介なのが、名前もわからない盾だった。正体不明だというわけでなく、おそらくは単純な装甲の板である。問題はこの装甲にはシールドバリアが関係ないことと、銃と違って多少の変形で使用不能になることもないこと。いくら盾に攻撃を当てたところでアーマーブレイクにはほど遠いため、バレットの主力武器の天敵であったりする。金属製の板という原始的な盾は、IS対ISにおいてはそれなりに有効な防御手段であるのだ。

 バレットは少しだけ距離を詰める。近寄りすぎるとエインヘリヤルを撃たれて面倒であるため、距離調整は重要だ。狙いの甘い敵のライフル弾が命中したりしたがかまわず接近し、左手のマシンガンを敵の盾に向けて引き金を絞る。マシンガンから放たれた無数の銃弾は虚しく盾を叩くだけだった。

 

(やっぱコイツじゃ盾を破れねえな。こういうときEN武器があると楽なんだが、俺の機体には積んでねえ)

 

 バレットの機体“クロスブリード”はマシンガンとライフルを主軸にした敵機のアーマーブレイクを狙う戦法をとっている。特にマシンガンがメイン武器であり、クロスブリードが装備しているマシンガンはハヅキ社製の“ハンドレッドラム”という。片手で扱えるマシンガンの中で最高の弾速と連射速度を持っているハンドレッドラムであるが、撃つ度にものすごくブレるという欠点がある。集弾率が著しく低いため通常のマシンガンよりも近づかないと効率は出せない上に、1点を打ち続けることができないことから装甲を貫くことも難しい。ISのシールドバリアはどこに当てても同じようにダメージを蓄積できるという点を利用したアーマーブレイク専用武器なのだ。だから運用の仕方にはコツがいる。

 

(3、2、1……よし、GOだ!)

 

 タイミングを図って前に出る。ハンドレッドラムをバラ撒きながらの突撃に対して相手は盾で防ぎながら背中に浮いているエインヘリヤルの発射口を開いた。ハンドレッドラムの弾数をもってしても迎撃困難な小型ミサイル群。しかしそれらをまとめて一掃できる武器とタイミングが存在する。

 エインヘリヤルの蜂の巣のような発射口からミサイルが顔を出すと同時に上空から5発のミサイルが落ちてきた。先ほど囮で打ち上げたミサイルだ。全弾が敵ISに殺到し、発射直後のエインヘリヤルも巻き込んで爆発を引き起こす。

 

 爆煙に包まれている中をバレットはさらに距離を詰める。ブレードで斬るわけではないため、近距離と中距離の中間のような距離についた。両手のマシンガンとライフルを一斉に敵ISに向けて掃射する。

 ミサイルの爆発の威力はPICでほとんど削られてしまう。だが盾も同様というわけではない。IS本体と比較して装備品はPICの影響が小さいため、装備品の破壊には元々の武器の破壊力の方が重要なのである。これでバレットのメイン武器がその真価を発揮できる。煙の中、盾を失った敵ISに無数の銃弾が命中する音が響いた。そして、ガラスが割れるような音も響く。

 

(ブレイク完了。これでとどめ、と)

 

 アーマーブレイクした敵に対して一切攻撃の手を緩めず銃弾を撃ち込み続けつつも、右肩後方に浮遊している大砲の砲口を正面に向けた。アーマーブレイクした機体は防御能力が著しく低下している。爆風の衝撃はPICで軽減できても、熱を完全に防いでいたシールドバリアの恩恵は得られていない。バレットはとどめの砲撃を加えた。大砲から放たれたのは1発の炸裂弾。命中と同時に敵ISは再び大きな爆発に巻き込まれた。

 

「ありゃ? もう終わってんの?」

 

 敵ISが沈黙した直後にライルがその姿を見せた。バレットは右腕をグルグル回しながら気怠そうに答える。

 

「骨のない相手だ。装備の構成もさることながら戦い方も下手だし。まあ、低難易度らしい相手ではあったな」

「いや、でも俺だとこんな早く倒せないと思うけど」

「それはアーマーブレイクの強みだって。ハマれば楽勝、そうでなければ長期戦と両極端だ。お前のほうはEN銃で堅実に攻めるタイプだから仕方ねえ。ところでヤイバはどうした?」

「俺よりも先に防衛システムのコアを見つけられそうだったから全部任せてきた。バレットの戦いぶりを見る限り、ヤイバの仕事は意味なさそうだけどさ」

 

 そういえば、とバレットは思い出す。今回はヤイバの練習のためにミッションを受けたはずだというのに、ついいつもの癖で効率重視のバラバラ攻略を始めてしまっていた。

 

「ちょっと出しゃばりすぎちまったかな?」

「別にいいんじゃね? リンとあれだけ戦えてたなら、このミッションの敵くらい戦っても戦わなくてもそう大した経験にはならないと思うよ」

「だな。……おっとヤイバの方は目的達成したようだ」

 

 今回受けたミッションはヤイバがいるとはいえ楽すぎた。ミッションの内容は常に変動しているため、うまく狙った難易度にできないのは仕方がない。次は負けてもいいから難易度を上げようか、と考え始めていた。そこへ――

 

『ミッション内容を変更します』

 

 ミッション変更の通知が届いた。バレットは慌ててインフォメーションを表示する。地図上には北側15km地点に1機のISが確認できた。

 

『ミッションポイントより北から所属不明のISの接近が確認されました。約20秒後にそちらと接触します。テロリストの仲間、あるいは戦闘の混乱を狙った第3者の介入と思われます。速やかに対象を撃墜してください』

 

 勝利条件が『未確認ISの撃墜』に書き換わる。バレットも今までに出会ったことがないケースだった。とりあえず現状の把握が大切だと思ったところでヤイバとリンに連絡をとる。

 

「今のは聞いてたか?」

『ああ』

『あたしも聞いてたわ。とりあえず今こっちの敵を倒したところだけど、そっちは終わってる?』

 

 リンの戦闘も終わっているのは都合が良かった。これで未確認IS1機を相手にするだけで良いことになるため、戦闘が格段に楽になる。

 

「時間がないから手短に言っておく。新たに出現した敵は十中八九、高機動型だ。予想では爆撃を想定したユニオンスタイルだろう。予想進路には俺とライルがいるから、このまま迎撃に当たる。お前たち2人は俺たちと合流できるように動いてくれ」

 

 了解という2人の返事を聞いたところで、向かってくる機体の影が見えてきた。早速射程に優れた武器を持つライルが敵に向けて狙撃を試みる。鮮やかな光を帯びたビームが空の先へと飛んでいくが、ヒラリと軽く避けられた。

 

「バレット、避けられたよ」

「あの速度域で回避行動が取れるってことは軽く化け物だな。とりあえずミサイルで牽制して……ん?」

 

 化け物と言いながらも冷静でいたバレットであったが、敵の姿がハッキリしてくるにつれて顔を険しくさせる。いや、姿はもっと早くから見えていた。流線型に近い、戦闘機を模したような典型的なユニオンだと思っていた。しかし近づいてくる敵は途中からその形を変え……今はディバイドの姿を見せている。

 隣のライルはバレットの内心の動揺を気にすることなく、肩に備えていた直進性の高速ミサイルを発射した。ある程度散るように放った牽制のミサイルだったが、敵ISの“一突き”によって全て撃ち落とされてしまう。

 

「へ? 何なん、あの武器!?」

 

 ライルが驚くのも無理はない。今まで攻略wikiの管理人として様々な情報を集めてきていたバレットですら見たことがない武器だった。白式のように試作の段階と片づけるべきことだろうが、近接ブレードから8発のビームが放たれる武器などという強力な武器が話題に上らないわけがない。

 そして武器だけではない。マッハ2以上でも戦闘機動が行える機動性に加え、即座にスタイルを変えるフレーム。何もかもが新しく、バレットの中で構築されていた常識を崩しかねない存在だった。

 

 バレットは右肩のミサイルを上空に放ちながら、右腕のライフルを敵に向ける。まっすぐに突っ込んできていた敵に反射的に撃った弾丸は、敵の左手の刀によって斬り落とされた。そう認識したときには――

 

(何っ――!? イグニッションブーストだと!?)

 

 懐に入られていた。左手のマシンガンを向ける暇もなく、敵の右の刀がバレットの腹部を突く。同時に放たれる8本の光条が駄目押しとばかりに襲う。

 

(ぐっ! 突きでアーマーブレイクはしなかったから無事なものの、おかしいだろ、この火力!? 射撃武器じゃないのかよ!?)

 

 ストックエネルギーの4割強は持って行かれた。メゾの中でも防御面の弱いボーンイーターフレームではあるが、4割も減らされるということは中型ENブレードを食らったのと同じということになる。もしアーマーブレイクしたならば一撃でやられたに違いない。

 敵の攻撃はあくまで物理ブレード+ビーム×8である。ひとつひとつは大したことが無くても一度に食らえばひとたまりもない。近接武器として優秀であることは身をもって実感し、射撃武器としては8本のビームがそれぞれ任意の角度で放てる模様。万能すぎるこの武器はバレットの知るISVSらしくないものであった。

 

 一度目の攻撃は耐えた。だが敵の攻撃はまだ終わっていない。既に左手の刀がバレットに追撃をいれようと動き出していた。

 

「危ないっ、バレット!」

 

 間一髪ライルのビーム射撃によって敵はバレットから離れた。しかし回避行動をしながら振られた敵の左の刀より、光の刃が出現してライルのENライフルを真っ二つにする。ついでとばかりに振り上げられた右腕から放たれた8本のビームによって、バレットのミサイルも撃墜された。

 

「くそっ! これでも食らえ!」

 

 ここまで一方的にやられていたが偶然にも今の距離はマシンガンの有効射程だった。バレットは己の主力をぶっ放す。だが弾丸は全て、敵が返す刀より発生した光の斬撃によってかき消され、逆にバレットが攻撃される結果となる。

 

(なんだよこれ? 確かにライフルはEN射撃とかち合うと一方的に負けるけど、狙ってできるもんじゃないし、あの武器の範囲は広すぎるだろ!)

 

 相手の装備のスペックの高さに憤りすら覚える。だが、バレットはその状況を楽しくも思っていた。

 

「……OKだ。その不公平、ひっくり返してやる!」

 

 状況を確認する。

 バレットはストックエネルギーが半分を切っている。ハンドレッドラムは先ほどの飛ぶ斬撃に巻き込まれて破壊されたため使用できず、レッドバレットとミサイル、グレネードランチャーが残っている。

 ライルはストックエネルギーが8割ある。しかし大型ENライフル“スターダストシューター”を失っているため、残された武器は肩のミサイルだけ。戦力としては心許なかった。

 

 ……結論、ヤイバとリンを待とう。

 

 既に戦術は崩壊していた。普段ならばなんとしてでもハンドレッドラムを守るのだが、今回は不意打ちだったのだ。このまま2人で戦っても勝敗は決している。だから援軍を待つしかない。時間を稼ぐくらいなら今の状態でも可能だ。

 そんなバレットの思惑を余所に、目の前の赤いISの翼が2つ分離。独立して浮遊したかと思えば変形して銃を形どった。IS本体から離れて飛ぶ射撃兵器というとバレットには思い当たるものがある。

 

(マジか……ここに来てBT兵器まで積んであるとか。チートだろコレ?)

 

 この勝負には勝てない。そう判断したバレットは次こそ勝ってやるとリベンジを誓い、相手の顔を凝視した。ピンクというマンガチックな髪色に似合わないキリッとした目の凛々しい女子だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「バレット! ライル!」

 

 ようやく工場の外に出られたところで戦闘中の2人に呼びかける。しかし『後は任せた』を最後に2人からの返答はない。

 

『ヤイバ。もう2人ともやられちゃったみたいよ』

「そうか……」

 

 俺がいない間に2人がやられた。リンに言われずともわかっているつもりだが、あまりにも呆気なくて実感がわかない。

 

『どうする? バレットがこんなに早くやられるってことは相手は相当強いと思うんだけど』

「どうするも何も、降参する理由がない。負けてもペナルティがあるわけじゃないだろ?」

『まあ、アンタはそうでしょうね。あたしも気にしないし、やるだけやってやろうじゃないの』

 

 リンが含みのある返答をしていたが、とりあえず俺たちがやることは変わらない。バレットたちを倒した相手を倒すだけだ。

 上空へと飛び立つ。障害物のない空の方が戦いやすいし、敵にも見つけられやすい。周囲をグルリと見回すとバレットたちが戦ったという敵を見つけた。

 

 …………敵?

 

「ボサッと突っ立ってんじゃないわよ!」

「うおっ!」

 

 唐突にリンに肩を掴まれ、一緒に急降下させられる。『何するんだ!』と言おうとしたところで、複数のビームが目の前を過ぎていった。以前にも食らったことがある攻撃だ。刀による突きに連動した8本の光。だから、俺たちの前に立ちはだかる敵は……

 

「あの赤武者か!」

 

 ピンクのポニーテールを揺らすISは、夜に2度遭遇している機体に間違いない。1度目は危ないところを助けられた。2度目は助けたところで攻撃された。単なる気まぐれなのか、何かしら理由があるのかはわからない。だが今のコイツが俺たちと敵対していることは事実だ。

 

「あれが何か、知ってるの?」

「ちょっと、な」

 

 リンの問いは少しばかり答えづらく、曖昧な返答だけしておく。問いつめられるとボロがでるのですぐさま話題を逸らしにかかる。

 

「そんなことよりもアイツをどう倒すかが肝心だ。どうす――」

「あたしが真っ正面からやりあうから、アンタは隙をついて一撃を当てに行きなさい!」

 

 リンの方も問いつめる気はなかったようでホッとする。それもそのはずで、赤武者は俺たちに作戦会議をさせる時間などくれない。だから戦いなれているリンが前にでることにしたのだろう。

 俺にとって初めての2対1の状況だ。こちらが数で勝っているときの俺の役割は、ここ一番に強力な一撃をたたき込むことにある。リンの行動は間違ってない。

 

「ちっ! こっちの攻撃が見えてる? なんでピンポイントで避けられるのよ!」

 

 リンの舌打ちが聞こえる。俺の目には赤武者がフラフラと飛んでいるようにしか見えなかったのだが、回避行動だったらしい。俺が苦しんだ見えない砲弾がいとも簡単にクリアされている。俺たちより1枚も2枚も上手な相手とみて良さそうだった。

 リンと赤武者は互いに二刀流だ。射撃を突破した赤武者はスピードを緩めずにリンに接近し、リンも両手の太刀で応戦する。赤武者が横薙ぎに振る左の刀をリンは右の太刀で受け止めた。ここでもう片方の腕でもやりあうと思っていたのだが、リンは攻撃を受けたまま後退を始めてしまった。隙を逃さない赤武者が突きを放ち、発生した8つの光がリンに殺到する。

 

「きゃあああ!」

「リン!」

 

 赤武者は両手の攻撃をした直後だ。リンが完全に押されている今、これ以上の隙はもう来ないだろう。PIC制御を部分的にマニュアルにし、イグニッションブースターに火を入れる。

 

「くらえええ!」

 

 今までで最高の出だしといえるイグニッションブースト。リン戦のときと違ってサプライエネルギーは万全であるため、雪片弐型の威力もフルスペックだ。完全に赤武者の横腹につけた。俺は光の迸る雪片弐型を赤武者に向けて叩きつける。

 

「何だって!?」

 

 俺の攻撃は――届かなかった。

 

「背中から剣が……生えた」

 

 生えたというのは正確ではないのかもしれない。赤武者の背中にあった翼がその形を変え、刀身を形成。赤い光を帯びた剣によって雪片弐型の攻撃はIS本体に届かない。

 攻撃を止められた俺に向けて赤武者の右の刀が薙ぎ払われる。隙を晒していた俺は右肩に直撃してしまいバランスを崩して数メートル落下する。

 

「くそっ! 失敗した!」

 

 体勢を持ち直して赤武者を見上げる。剣となっていた翼は再び元の形に戻っていた。もう一度同じ状況となれば、再びあの剣で受けられてしまうだろう。射程圏内に捉えた白式が初めて攻撃を止められてしまった。今までの俺の勝ちパターンは近づけるかどうかの1点であったが、今度ばかりはそれだけじゃ解決しない。

 

「ヤイバ! まだいける?」

「ああ。シールドバリアへのダメージもそこまで深刻じゃない」

 

 俺が赤武者とやりあってる間にリンも体勢を立て直していた。しかし万全ではないようで、最初に攻撃を受けた右手の太刀が変形してしまっている。このまま繰り返せば俺たちの負けが見えている。

 

「リン。ダメ元でひとつ賭けをしないか?」

「よし、乗った!」

「早いね。じゃ、手短に――」

 

 赤武者に聞こえないように声に出さずに通信をとばす。そして、バラバラに位置していた俺とリンは再び合流を果たす。

 

「ひとつだけ言わせて。アンタ、人として最低よ」

「やっぱイヤだよな。じゃあやめ――」

「さっさと始めるわよ。言っとくけど、やると決めたからには躊躇したら許さないんだからね」

 

 リンが俺の前に陣取る。賭けというか、リンに無茶なことをさせる作戦ともいえない作戦だが、リンは割と乗り気だった。言い出しっぺの俺が言うのもなんだが、頭おかしいと思う。

 俺の前にリンがいる陣形のまま、俺たちは赤武者へとまっすぐに向かう。リンが見えない砲弾を撃ちつつの接近であり先ほどと同じように見えるが、後ろに俺がいることで変化が生じてしまっていた。

 

「くっ! さすがに全部当たると痛いわね」

 

 後ろに俺がいるために回避行動をとれないのだ。赤武者の突きから出るビームを体で受け止めるリン。機体の属性的にビームに対して強いのが幸いだった。

 ごり押し気味に接敵するリンは赤武者に先に斬りつける。まずは右の太刀から。それは赤武者の左の刀で流され、そのまま滑るようにリンの胴体めがけて振るわれる。

 ――割って入っちゃダメだ! リンを信じろ!

 動きたい衝動に駆られたが、ここで俺が仕掛けては意味がない。赤武者の刀をリンは紙一重で避けた。腹くらいはスレてしまっているのかもしれない。すれ違うようにして交差する2人。互いの左が取れた状況で、左腕が使えるのはリンの方だった。

 

「くらええ!」

 

 リンの右の太刀が振り下ろされる。ブレードの一撃はどんなISでも手痛いダメージとなるはずで、できうる限りの手を使って止めるはずだ。想定通り、赤武者の左の翼が変形し、リンの斬撃を受け止める。……この瞬間を待っていた。

 赤武者はリンの後ろにいる俺の存在も踏まえて行動を起こしている。すでに俺対策として右の翼も剣に変えていた。右の刀もある。俺がリンの後ろから飛び出したところでさっきの二の舞だ。だから、こんな手しか思いつかなかったんだ。

 

「ごめんな、リン」

 

 俺は雪片弐型でリンの背中を貫いた。

 

「ここまでやったからには勝ちなさいよ、人でなし」

 

 笑みさえ浮かべてリンは受け入れる。さっきまでのダメージも合わせて余裕でストックエネルギーが尽きる一撃だった。敗北が確定したリンはバレットたちの待つロビーへと強制送還される。ここに道は開いた。リンが消えた先に見える赤武者が目を見開いていることが確認できた。俺は真っ直ぐ赤武者の胴体に雪片弐型を突き入れる。

 

「う、あ」

「このまま押し切る!」

 

 体当たりする格好のまま、俺と赤武者は軌道を変えて地面へと激突した。赤武者は大の字に横たわっているが転送はされていない。まだストックエネルギーは尽きていないということになる。だが抵抗されるよりも俺の2撃目の方が早い。

 

「俺たちの勝ちだ」

 

 間違いなく強い相手だった。人としてどうかと思う卑怯な手を使ってようやくこの形となった。誇るつもりはないが、バレットたちと喜ぶことくらいはしてもいいだろうと思える。この勝利も俺の成長の糧となると、ただそれだけ考えていたんだ。

 

「……死に、たくない」

 

 目の前の少女の……震えているか細い声を聞くまでは。

 

「泣い……てるのか?」

 

 振り上げた手は行きどころを失っていた。この子の言葉が『負けたくない』だったり、消え入りそうな声音でなければ、俺はとどめをさして勝利に酔ったと思う。でも、こんな女の子の弱さを前にして攻撃することは俺にはできなかった。ゲームだからとリンを犠牲にするような作戦を実行しておきながら、この対戦相手を倒せない。そんな矛盾を抱えたまま、俺は雪片弐型の刀身を解除して、力なく腕を下ろした。

 ……また束さんに文句を言う必要が出てきたな。なんでこのゲームのアバターは、涙が流せるんだよ。

 

 俺が戦意を失ったことに気づいたのかそうでないのかは知らないが、赤武者の女の子は立ち上がった。鬼気迫る雄叫びを上げながら、相手を殺すための剣を振るってくる。幼い頃に剣を習っていた身から見れば、なんとも危なっかしい剣だった。

 

 

***

 

 

「ごめん、負けちまった」

 

 ロビーに戻ってきた俺はバレットたちに軽いノリで結果を告げる。俺の思いがどうであれ、結果的にリンの期待を裏切ったのだから謝ることだけは忘れない。

 

「別に気にするなって。相手が規格外で運が悪かったと思うしかない」

「そうそう。絶対に倒せないってわけじゃないとは思うけど、今回は分が悪すぎたとは思うね」

 

 バレットとライルは仕方がないと言ってくれる。

 

「今日は何を奢ってもらおうかしらね」

 

 リンは不機嫌さ全快だった。即座に土下座するも一向に態度は軟化しない。

 

「おい、リン。ヤイバは何かやらかしたのか?」

「説明するのも面倒くさいから勝手に想像しといて」

 

 何を想像されるのかわからないから後で俺の方から2人に補足しておくことにしよう。それにしても、ミッションで退場した後にあったことは知らないみたいだ。ってことは俺が赤武者を見逃したことも知られてないってことになる。

 

「今日のところは終わりにしとくか」

「そうだな。俺も疲れちまってるし」

 

 今日はお開きにしようというバレットに賛同しておく。赤武者との戦闘について詮索されても面倒だし。他の皆も同意したため、俺たちはISVSからログアウトした。

 

 

「ふー。今日は疲れた」

 

 ヘルメット状の装置を外し、イスカをスロットから取り出して深く息を吐く。この疲れの源は主に弾の説明によるものだ。

 

「お疲れさん。今日の感想は?」

 

 早速俺の元にやってきたのは弾だった。弾の口振りだとまるで俺がお客さんだが、初心者はそんなもんかと勝手に納得しておく。

 

「勝ちたかったな」

「そうだな。俺も含め、これから努力しなきゃならん。リベンジしたいし」

 

 弾の奴が燃えてやがるところ悪いが、正直なところ、俺の感想はもっと別のものだった。リンとの試合やミッションで得た経験などよりも、赤武者の女の子のことが頭から離れない。昨日はもう関わりたくないと思ったし、それは今でもそうなんだが忘れてしまうことは無理そうだ。弾はリベンジしたがっているが、俺としては二度と立ち会いたくない相手である。

 

「やべっ! お先に失礼するよ!」

「おう、数馬。また明日」

 

 数馬は腕時計を見て青い顔をしてから会計へと走っていった。家の門限が厳しい家はこういうとき辛いのだなと思う。……俺の家みたいに縛る親がいない家もあるけどな。

 

「数馬は相変わらずみたいね」

「鈴は大丈夫なのか? 生物学上、一応は女子だろ?」

「ご心配どーも!!」

 

 うわぁ。跳び蹴りがアゴに炸裂してるけど、弾の奴大丈夫か……?

 そしてこの騒動でも周りが全く騒がない。つまり、このゲーセンの連中もうちのクラスメイトたちと同様、見慣れてしまっているのか。弾がすぐにむくりと起きあがるのも人を慣れさせる要因のひとつなのだろう。

 

「このまま今日の反省会といきたかったんだが、ちょっと今日は俺の方でいろいろと調べ物がしたい。だからもう解散としよう」

「弾は一緒に帰らないのか?」

「ディーンさんたちと話しておきたくてな。鈴と2人で帰っててくれ」

「そか。じゃまた明日な。行こうぜ、鈴」

「う、うん」

 

 弾と別れて鈴と共にゲーセンを出る。先に自動ドアをくぐり、後ろから鈴がついてくる気配も感じていた。鈴が隣に並びやすいように歩くペースを落とす。しかし10mほど歩いても鈴が隣に現れない。振り向いてみれば鈴は俯いて考え事をしているようだった。俺が立ち止まると鈴のおでこが背中にぶつかる。

 

「きゃわっ!」

「おいおい鈴、前方不注意だぜ」

「ごめん……ってアンタわざとやったでしょ」

「似合わない考え事なんかしてるからだ。で、どうしたんだ? 何かあったのか?」

 

 鈴が目に見えて悩んでいるのも珍しいことだった。しかしこういうときに素直にしゃべる奴じゃなかった。黙り込んでしまった鈴の背中を軽く押しながらとりあえず歩くよう促す。

 

「ねえ……一夏」

「ん?」

 

 しばらく無言で歩いていたが、鈴が遠慮がちに口を開く。

 

「結局、アンタはどうしてISVSをやる気になったの?」

 

 そのことか。幸村にも聞かれたが、正直に言うつもりはない。同じように適当に誤魔化すとする。

 

「一昨日の試合を見て――」

「嘘ね」

 

 言い終えないうちに嘘だと断言されていた。鈴の迫力に気圧されて俺は二の句を継げなくなり立ち止まる。顔を伏せる俺の正面に鈴が回り込んだ。

 

「バカね。それじゃアンタは最初から嘘つこうとしてたってバレバレじゃないの」

「ごめん……」

 

 鈴は呆れて小さく笑う。ただそれだけで深くは聞いてこなかった。もし聞かれていたら正直に話さないと鈴を納得させることはできないのだと思う。……鈴だけは、俺がISを嫌いになった経緯を知っているのだから。

 しかし本当のことは言わない。鈴は“彼女”が病院に眠っていることは知らない。そして、これからも知られるわけにはいかなかった。彼女が目を覚ますそのときまで、俺ひとりで抱えるべき問題なんだ。

 

「ひとつだけ聞かせて。アンタはさ、今日遊んでて楽しかった?」

「ああ。それだけは間違いない」

「そ。良かった」

 

 思えば中学時代のいつものメンツで思いっきり遊ぶこと自体久しぶりだった。俺の目的とは関係なく、楽しかった事実は否定できない。今度は鈴も嘘だと指摘することはなく、満足げに胸を張って力強く頷いた。

 

 ……そういえば、と鈴を見てて思う。向かい合って話しててどこか違和感を覚えていた。ISVS内でも同じように感じていた違和感。今度はその正体を知ろうと目を凝らす。

 

「一夏? アンタ、何をジロジロ見て――っ!?」

 

 何かに気づいた鈴が慌ててその場から飛び退く。何故か胸元を左手で隠しつつ顔を真っ赤にして睨みつけてきた。

 

「ち、違うからね! あたしは何もイジってないから!」

「イジる? 何を言ってるんだ?」

「え、えと――それは、その……一夏のバカっ! 鈍感っ! 朴念仁ーっ!」

「は? おい、鈴!?」

 

 鈴の中で何かが自己完結して、涙目になった彼女は話題的にも物理的にも俺を置き去りにしていった。街の中だというのに「バカーっ!」と大声で叫んでいる。周囲の俺を見る視線が痛い。鈴は振り返ることもなく走っていったから戻ってくることも無さそうだ。

 

「追いかけるのは……やめとこう。弾みたいな目には遭いたくない」

 

 とりあえず鈴の機嫌を損ねてしまったことだけはわかる。今度は自分から謝ることにしよう。何が悪いのかわかってないけど。

 

 

***

 

 鈴と別れた後、特に寄り道をすることもなく家にまで帰ってきた。弾たちと話していたことを千冬姉に聞いてみようかと思っていたのだが、生憎まだ帰ってきていない。忙しいのだろうかと思うと同時に、今もなお眠り続けている箒の顔が脳裏に浮かぶ。2日経って、千冬姉の方の捜査は進んでいるのだろうか……?

 

「考えてても埒があかないのはわかりきってるだろうが。千冬姉が解決してくれるならそれに越したことはないけど、今は俺ができることをやっておこう」

 

 冷蔵庫の中の余り物で軽く夕食を作って食べ、自分の部屋に入る。今日は弾たちと共にISVSをやっていたが、あれはあくまで練習。本番はこれから1人で乗り込んでからだ。疲れたなんて言ってられない。そろそろ何かしらの成果が欲しいところ。

 ベッドに仰向けに寝転がり、イスカを胸の前に置く。3度目ともなると慣れたものだ。眠るよりも早く俺の意識は現実から離れていった。

 

 

『今の世界は楽しい?』

 

 

 聞き慣れた3度目の声。聞かれる度につい「楽しくない」と答えてしまう。きっとこの声の主は俺の言葉なんて聞いてないだろうに。同じ質問を繰り返されることで意志を確認されているみたいで、俺が本来の目的を忘れることは無さそうだ。

 

 今日は一体どこに出現するのだろうか。そう思って目を開けると――

 

「どなた、ですか?」

 

 目の前に中学生くらいの少女がいた。腰まである長い銀髪を太い三つ編みにしているのが目を引く。周囲は殺風景なコンクリートの壁しか見えないから余計に少女が場違いに見えた。どんな場所か辺りを見回すと、大型の工業用ロボットとベルトコンベアがあることから、昼のゲーセンのときのミッションと同じような工場だろう。

 

「え、あ、いや、うん。俺はヤイバ。君は?」

 

 突然話しかけられて動転しつつも、とりあえず名乗った。そんな俺に対して少女の方はかなり落ち着いている。これではどちらが年上なのかわかったものじゃない。少し冷静になって考えてみると、この少女は目の前に俺がいきなり現れても動じなかったということになるのか。俺が子供なんじゃない、この子が大人すぎるのだと、勝手にショックを受けている自分に言い聞かせる。

 

「わたしは……皆さんにはクーと呼ばれています」

 

 クーと名乗る少女は表情を変えずに答えてきた。閉じられた目も変わっていない。最初は細目なのかと思ったが、ISを通して見ても完全に閉じていることがわかる。

 

「えーと、皆さんってことは君には仲間がいるの?」

「はい。ここにはシズさんと2人でナナさまを追ってきました」

「そっか。じゃあシズさんは今どこにいるの?」

「それはですね――」

 

 クーには少なくとも2人の仲間がいるらしい。その内、シズという人と共に来たということはすぐ近くにいるはずだと思った。そうでなければクーが迷子になっているということになる。さりげなくクーが迷子かどうかを確認するための問いかけだった。

 しかし、俺の質問にはクーの口からよりも先に、壁の外から聞こえる爆発音が答えてきた。

 

「戦闘!?」

「はい。シズさんはナナさまと合流後の現在、敵対勢力と戦闘中です。わたしは足手まといのためこちらで待機しています」

 

 足手まといと自分で言うクー。これは決して自虐なのではなく事実。初っぱなから動転していて気がつかなかったのだが、クーはISを装着していなかった。

 

「どうして君はISを着けてないんだ!?」

「わたしはミッションオペレーター用のAIですから戦闘能力を持ちません。ただ情報でサポートすることしかできないのです」

 

 AI……? ってことは、

 

「人間じゃないのか?」

「そうなります。ただ、バックアップはありませんので消されれば戻らないです。わたしとしては消えてもいいのですが、ナナさまもシズさんもお優しい方ですからわたしを守ってくださっているのです」

 

 いや、この子を前にして見捨てられる人間の方が少数派だと思うから、それだけで優しい人かはわからないぞ。少なくとも鬼畜な人間ではないことは確かだけれども。

 しかしAIと行動を共にするとか、弾からは聞かなかったなぁ。俺の知らないことがまだまだたくさんあるということなのだろう。

 さて、そろそろ俺もどうするか決めないといけない。外ではクーの仲間が何者かと戦っているらしいから、加勢すべきなのだろうか。俺がISVSに入った目的を考えると、昨日のことも踏まえて『関わらない』という選択をするのも視野に入っていた。

 

 数秒の間悩んでいた俺だったが、幸か不幸か、窓が破られて侵入者が現れたことで選択の自由を失う。

 

「クー……お友達じゃ、ないよな?」

「はい。敵対勢力の兵士です」

 

 現れたのは黒いISだった。弾と違って知識がないから詳しい情報は得られないが、おそらくはヴァリスフレームのフルスキン。装甲の付き方は派手なデザインでなく質実剛健といった印象を受ける中、頭部のみウサギの耳を思わせる尖ったアンテナのようなものが目立った。武器らしい武器は淡い橙色に光る両手くらい。

 俺はクーの前に出る。こうして姿を見られたのならば、逃げても追われてしまうから戦うしかない。

 

「お兄ちゃん……?」

「すぐに終わらせるから、ちょっと下がっててくれ」

「はい、わかりました」

 

 クーは近くにあった扉に駆け込んでいった。これで流れ弾に当たる心配も薄れるだろう。俺は全力で相手を打ち倒すことに専念すればいい。雪片弐型を呼び出して、刀身のないまま切っ先を敵に向ける。

 

「どういう状況かは良くわかってないけど、やるからには全力で行くぜ!」

 

 我ながら後先考えずに感情で動いてるなとは思う。しかし指標のない調査なのだ。わからないなりにがむしゃらに行動するしかないのだから、今の俺の行動は間違ってない……はず。

 俺の戦闘の意志が伝わったのか、元々俺ごと攻撃する気満々だったのかは知らないが、黒いISが突っ込んでくる。俺がENブレードを見せているのに近づいてくるということは接近戦型と見ていい。敵は熱を帯びたような手刀で飛びかかってくる。俺は雪片弐型の刀身を形成して、敵の手刀を狙って斬りつけた。

 

 ――相殺してる?

 

 昼の赤武者の剣の時のように雪片弐型で振り抜けなかった。装甲があってもスパスパ斬れるのがENブレードなのだが、何かしらの条件を満たしたもので受け止めることができる模様。現在の推測では、相手も同じENブレードもしくはそれに準じる何かならば互いが干渉して止まってしまうのかもしれないと思っている。

 雪片弐型が止められ、相手は左手が塞がっている。当然、敵は右腕がフリーだった。さらに前に敵が乗り出してきて、手刀をたたき込まんとしてくる。

 ……つまり、手数で押し切るつもりでの接近戦だったわけだ。

 確かに敵の手刀がENブレードと仮定すると、1対2で俺が圧倒的に不利だ。1を犠牲にして1を通すだけの技量と自信があれば躊躇いなく飛び込んでくるのも頷ける。しかし敵さんの頭にはなかったものか。

 

「武器だけで勝負が決まるかよっ!」

 

 格闘だったら足があるということを。敵の手刀が迫ってくるタイミングを見極め、左足で敵の右肘を蹴り上げる。俺の蹴りの勢いを殺せずにクルリと回って敵は俺に背中を見せた。その際に雪片弐型は敵の左手から離れて自由となっている。そのまま隙だらけの背中を斬りつけた。

 手応えあり。リンや赤武者などディバイドと違ってフルスキンだとダメージが違うはず。フルスキンで覆っていたはずの背中の装甲にスッパリと斬り口ができていて、内部のスーツが見えている。しかしサベージと違ってまだまだ敵は動ける。攻撃力で不利を悟ったのか迷わず逃げようとしていた。

 

「逃がさねえよ!」

 

 逃げる敵を追うのは得意中の得意だ。背中の翼をフル稼働させて、PIC制御を開始。飛行ルートを算出し、イグニッションブーストを使用する。窓から飛び出した敵に追いすがり、もう1太刀を浴びせると敵は失速して反転し、俺を迎撃する用意をしていた。だが俺は既にそこにいない。

 

「やっぱり急に止まれないな。まあ、ヒット&アウェイが成立してるから逆に好都合とも言えるかもしれんけど」

 

 本当ならば連続で斬りつけて終わらせたいのだが、今の俺の技術ではイグニッションブーストからの斬りつけをする場合、1回の交差で1振りしかできない。

 今回は敵の挙動が俺みたいな相手に慣れていないようだから良かったものの、課題として念頭に置いておく必要がありそうだった。

 

「じゃあ、とどめといくか」

 

 距離は離れている。敵は俺を見失っていた。この状況で攻撃を外すはずもなく、イグニッションブーストを使用して高速で接近する。敵が俺の接近に気づいたときにはもう遅い。手刀によるガードは空振り、雪片弐型の刃で敵の胴体を横に薙ぎ払った。

 

「くっ! つえぇ」

 

 最後に気の強そうな女性の声が聞こえた後、黒いISは消えていった。

 

「今のはプレイヤーみたいだな。ってことはこれはミッションなのかもしれん。俺がどういう立ち位置なのかは知らんけど」

 

 ゲーム内での俺の立場は考えるべきことじゃない。目の前の危機は去ったのだからクーのところに戻らないといけない。他に敵がいてクーが襲われているとマズいからと地面を蹴った。そうして飛び上がった直後である。白式の貧弱なレーダーが高速で接近してくるISがいることを告げてきた。

 

「また敵か――ってコイツは!?」

 

 本当に……俺は何度コイツと出くわすのだろうか。ピンクのポニーテールを揺らす二刀流の剣士。赤い武者が俺めがけて突っ込んできた。ビームによる牽制もない刀による真っ向勝負。赤武者の振るう左手の刀に対して俺は雪片弐型で応戦した。赤武者の刀もENブレード属性のようで、雪片弐型と衝突し、鍔迫り合いのような状態となる。

 

「また貴様かっ!」

「それはこっちのセリフだっての! 俺の行くところ全部に現れやがって!」

 

 今日でプレイ3日目となるが、赤武者に会うのは4回目。今日まで赤武者に合わない日はなかった。そういえば、今の戦場は見覚えがあると思っていたら、ゲーセンで赤武者と戦った場所と同じなんだな。今回ばっかりは俺の方からまたやってきた構図なのかもしれない。

 至近距離で互いの顔を睨みつけあう。赤武者が俺を見る目は険しい。最初の日に俺を救ってくれた人と同一人物とは思えなかった。

 ……戦いたくねえな。

 もう最初の日の恩は昨日返した。俺の中ではそういうことになっているから、俺が赤武者と戦いたくない理由は今日のミッションの最後の表情にある。どう考えても、俺が勝ったら後味が悪い。誰が好き好んでそんな勝負をするというのか。

 

「なぁ、ひとつ聞いていいか?」

 

 俺に今できること。それは話しかけることだった。

 

「なぜ私が貴様の言葉に耳を傾ける必要がある?」

「そう言うと思ったよ。だから勝手に言わせてもらうぞ」

 

 聞く姿勢なんて気にすることはない。これは俺の中で納得できるかどうかの問題だ。あの子をだしにすることになるが、許して欲しい。

 

「お前はクーを……ISを持たない小さな子をどうする気だ?」

 

 瞬間、赤武者の左手から俺を押さえつける力が失われた。俺の方も合わせて力を緩める。しばし手が震えていたかと思えば、再び赤武者の目に力が戻り、左手に力が込められる。

 

「それは、私の台詞だ! 貴様はクーをどうする気だ!」

 

 俺の質問に意味はあった。赤武者は黒いIS側ではなく、クーの仲間であるナナ、もしくはシズだと思われる。

 

「成り行きで守ることになった。別にどうもしない」

「信用できるかっ! さっきは敵だったくせに!」

 

 さっきというのはミッションで遭遇したときのことだろう。確かに敵対してたのは事実だ。しかし、信念があって戦ってたわけじゃないんだよ。だから、

 

「俺は別にお前と戦いたくなんかないさ。今だって戦う理由がない」

 

 俺がこのまま赤武者と戦うと高確率で負ける。勝てたとしても、どうせとどめなんてさせずに自分から負けを選ぶだろう。もし赤武者がクーを狙う敵ならば理由が生まれたのだが、その点に関しては赤武者は同じ目的を持っていた。

 

「ならば、黙って私に討たれろっ!」

 

 先ほどの『信用できるか!』という言葉が物語っている通り、赤武者は俺と手を組むよりもこの場からいなくなることの方が重要らしい。それもひとつの手だったかもしれないが、俺には従うわけにいかないわけがある。俺は雪片弐型で力強く押し返した。これは否定の意志を赤武者に伝えるため。

 

「そういうわけにいくかよ。この後、お前がやられそうになったらまた――」

 

 自分の目的、クーという少女などの事柄は二の次だ。それよりも脳裏にちらつく映像が今の俺を動かす。

 

「お前、泣くだろ?」

 

 『死にたくない』と告げる、か細い声を聞きたくない。

 赤武者の頬を伝った涙も見たくない。

 たとえ俺の前でなくても、たまらなく嫌だったのだ。

 たかがゲーム、という一言で気持ちの整理をつけられなかったんだ。

 

 赤武者は目の焦点が定まっていないかのように呆けていた。仕方なく俺は刀を合わせた状態で赤武者の回復を待つ。するとこの場に第3者の声が割って入ってきた。

 

『ナナちゃん、今はその人と戦ってる場合じゃないですよ。早く撤退しましょう』

「シズネ、皆は無事か?」

『ええ。クーちゃんも私と一緒にいます』

 

 オープンチャネルによる通信だった。相手の顔は見えていないが、今の会話で赤武者の方が“ナナ”で、通信相手が“シズネ”であることがわかる。クーの言うシズさんはシズネのことだろう。なぜオープンで話しているのかと疑問に思っていたら、シズネの話には続きがあった。

 

『そちらはヤイバくんですよね? クーちゃんから聞きました。私たちに協力をお願いしてもよろしいでしょうか?』

「シズネ! コイツは――」

『ナナちゃんは黙ってなさい』

「ぐっ!」

 

 シズネという子は丁寧な言葉の中にも迫力があった。あの赤武者が黙らされてしまっている。会話を聞く限り、赤武者の方が立場が上に聞こえていたのだが、実際は上下関係でないのだろう。

 彼女らの人間関係の推察など、今はどうでもいいか。赤武者と違い、話のわかりそうなシズネの要請に返事をする。

 

「乗りかかった船だ。手伝わせてもらうよ」

『ありがとうございます。それでは指定した座標まで来てください』

 

 シズネとの通信が切れる。俺と赤武者は同時に刀を離して、改めて向き合った。

 

「言っておくが私はお前を信用などしていない。シズネの依頼が終わったそのとき、私の剣で貴様の首をはねてやる」

「嫌われたもんだな。別にそれでいいから、早いところ行こうぜ」

 

 ふん、とそっぽを向いて赤武者は先に移動を始めていた。俺も後に続く。厄介ごとに巻き込まれてしまったが、今は流れに身を任せるとしよう。今は福音探しよりも、このゲームを理解することの方が重要だ。



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05 秘められた胸懐

 小高い丘。木々が生い茂る山間の中、切り開かれている一帯は一際目立つ場所だ。この土地における時刻は午後の3時頃。最高高度を過ぎたお天道様が西へと向かって降りていく真っ只中である。太陽という確かな光源の下であるのに、警戒の素振りを全く見せない漆黒のISが辺りを見下ろすように仁王立ちしていた。

 

「ふむ……目算を誤ったか」

 

 腕を組んだまま独り言を呟く。眼下には木々の他にはコンクリートの建物しか存在しない。先ほどまではあちこちから銃声や爆発音が聞こえてきていたが、今は大人しくなってしまっている。

 

「隊長、ご報告が」

 

 仁王立ちしていたISは隊長と呼ばれて振り返る。腰まで届く長い銀髪がサラリと流れて、人形のような美しくも感情の乏しい顔が森から現れた部下へと向けられた。隊長と呼ばれた少女と部下の女性はどちらとも左目に黒い眼帯を着けていた。

 

「一応、聞いておく。直接通信が繋げない時点でわかりきってはいるがな」

「はっ」

 

 隊長である少女が報告の先を促す。隊長に対して高校生と新米教師くらい歳の離れた部下である女性が事務的に状況を説明する。

 

「先行して敵ISを引きつけていたミーネ隊の4名は3分ほどで全滅。単独で保護対象を追っていたヘルガも敵ISと遭遇し撃墜されました」

 

 明らかに悪い報せ。だが銀髪の隊長は顔色を崩さず淡々と聞いていた。部下の失態よりも、その先にある新たな情報の方が重要である。

 

「『全滅した』の一言でいい。帰ったら説教だな。と言いたいところだったが少々不可解だ」

「敵ISの数……ですね?」

「そうだ。敵ISは2機。ミーネ隊がその存在を確認している。よもや4対2で負けるとは思っていなかったが、敵戦力はそこに集中していたはずだった。いくらヘルガが隠密活動用に装備の大半を外していたといっても、IS以外に敗れるとは考えづらい」

「敵の援軍と考えるのが妥当かと」

「それ以外の回答は存在しない。問題はターゲットが保有している戦力なのか、それとも他勢力の介入かだったのだが――」

「前者でしょう。後者ならば今頃潰し合いでもしてるはずです」

 

 部下の返答を聞き、無表情だった隊長がフッと笑みを見せた。部下の推測を否定せず、悪い状況を受け入れての顔である。

 

「上等な獲物だ。隊員の教育目的で前線を任せていたが、存外骨のある相手らしい。久しぶりに私たちも全力を出せそうだ。そうは思わないか、クラリッサ?」

「…………」

「クラリッサ?」

 

 隊長が笑顔を見せた。ただそれだけで副隊長であるクラリッサ・ハルフォーフの時間は一時的に停止した。常に的確な返事をする優秀な副官の突然の沈黙に隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒは若干の焦りを見せる。

 

「どうした、クラリッサ!」

「慌てる隊長もかわいい……」

 

 また例の発作か、とラウラはため息混じりにクラリッサとは反対側を向く。クラリッサを含めた全隊員は同じ病気を発症しているとラウラは確信しているのだが、軍医に相談しても『彼女らは異常ですけど正常です』という答えしか返ってこなかった。もう諦めている。

 クラリッサのペースに合わせていると既に逃亡を図っているであろうターゲットを見過ごしかねないため、ラウラはひとりでもターゲットを追うために浮き上がる。

 

「呆けてないで行くぞ、クラリッサ」

「は、はいっ! お供します!」

 

 我に返ったクラリッサが後ろについたところで、ラウラは速度を上げて飛ぶ。視界内に敵影はない。おそらくは森に隠れて移動している。索敵要員はさきほどの戦闘で撃墜されているため、手探りで進むしかなかった。

 

「焦って向こうから飛び出してくれれば良いのだがな」

 

 既にラウラは任務失敗の可能性が高いとわかっている。全ては敵戦力を侮ったラウラ自身の責任だった。カメ(ターゲット)のゴールは近い。ラウラたち、黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)が勝つにはハンデが開きすぎていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 森の中を低空で飛行する。木々の隙間を縫っているためスピードは出せない。もちろん上空を飛んでいけば速いのだが、今は見つかりにくいことが重要だということでシズネさんの指示通りに移動している。

 

「指定ポイントにシズネさんとクーがいるのか?」

 

 前を行くピンクポニーテールに声をかけてみる。別に質問した内容に深い意味はなく、ただ話をしてみたかった。

 

「いない。そもそも私とお前は囮なのだ」

 

 少々意外な反応で面食らう。まさか質問に答えが返ってくるとは思っていなかったのだ。ならば好都合、と話を膨らませにかかる。

 

「囮、ね。まだ敵が残ってるってこと?」

「ああ。シズネが確認しただけでも6機いた。撃墜できたのはお前が倒したのも含めて4機。わかるか?」

「いや、そこまでバカじゃないんで少なく見積もっても2機はいるってことはわかるよ。でもお前の強さを知って、たった2機で向かってくるか?」

「来るさ。お前たちも似た状況で向かってきただろう?」

 

 言われてみればそうか。不利を感じていても『とりあえずやってみる』だろうから撤退は考えにくい。今も敵は俺たちを探し回っていることが想像に難くない。

 

「じゃあ、俺たちがこそこそ動いてる理由は? 返り討ちにしてしまおうとは考えないのか?」

「クーをできる限り引き離すためだ。下手を打てば先ほどの二の舞となる。だからこそ暴れ始めるのにも場所を選ぶ必要がある」

 

 そんなところだろうな。囮の意味もその方がわかるというもの。個人的にはなぜクーを連れているのかが気になってたりするが、聞くだけ無駄だろうなぁ。とりあえず聞いてみよう。

 

「お前はさ、最初ひとりで俺たちがいるところに飛び込んできたよな? そんな戦場にどうしてクーみたいな戦えないAIを連れてくることになったんだ?」

「お前に話す理由がない」

「ですよねー」

 

 別に赤武者が心を開いてくれたわけじゃなくて、必要な情報だけ俺に与えてくれているんだろう。距離感としてはこれが普通なのかもしれないな。お互いに本当の顔を知らない、ここだけの関係だし。

 赤武者が速度を落とす。マップを確認すると、シズネさんが指定した場所の近くまで来ていた。

 

「そろそろシズネが指定したポイントだ。戦闘の用意をしておけ」

「了解、と。ところで信用してない俺と共闘するなんて本当にできるのか?」

 

 頑なに俺を倒そうとしていたはずの赤武者が態度を翻していることがずっと気になっている。移動中に斬りかかられることも考慮していたのだが、それほど単純ではないようだ。シズネという人の方が立場が上だったりするのだろうか。そもそもこの2人ってどんなプレイヤーなんだろう……?

 俺の思考が明後日の方向に向かう中、赤武者は振り返らずに単刀直入に答えてくれる。

 

「共闘などと考えてはいない。私は私で、お前はお前だ。せいぜい的として長く残っていてくれ。どうせなら敵と相討ちでもして退場してくれると喜ばしいのだがな」

 

 ……左様でございますか。

 しかし、今の発言は気にかかる。『信用しない』と言ったはずの赤武者の頭の中にその可能性は存在していないのだろうか? 俺は問わずにはいられなかった。

 

「俺がお前を斬るとは考えないのか?」

 

 赤武者は反射的に俺へと振り返った。急にあたふたとし始めたところから察するに、本当にその可能性を考えていなかったのだろう。厳しそうに見えて実はかなり甘い奴なのかもしれない。

 

「お、お前のような偽善者が卑怯な手段を取るものか!」

「あれ? 俺って信用されてる?」

「仲間の背中から攻撃する卑怯者など信用できるか!」

「言ってることが支離滅裂だな」

「黙れ! 私はお前の手など借りる必要はない! そもそもお前のように取るに足らない輩が何をしようが私には関係ないのだ」

 

 赤武者、いやもう、ナナと呼ぼう。彼女は段々と自分の中で答えを確立させてきたのか、ハッキリとした声に戻ってきた。

 

「でも、俺に負けそうだったよね?」

「負けてない! 私はお前に勝った! あと……泣いてなどいないからな」

 

 ナナの発言はダウトの塊すぎて逆に俺は何も言い返せない。俺にできることはただ微笑ましくナナを見守ることだけ。

 

「何をニヤニヤしている!?」

「ん? 別に笑ってないよ? それとも何か心当たりでもあ――」

 

 言い切る前に無言で頭を叩かれた。戦闘準備を終えているナナの両手は当然刀で塞がっている。

 

「ちょ!? 俺、友軍! 戦えなくなったらどうする気だ!?」

「要らないことを言うからだ、愚か者。落ち着いて状況を確認しろ」

 

 言われるまでもなくダメージチェックを行なう。ストックエネルギー、シールドバリア共にダメージなし。PICCを完全にカットしてやがったな。

 

「敵影を補足した。さっきまでのバカ騒ぎをちゃんと聞きつけてくれていたようだ。もう戦闘準備はできているな?」

 

 ナナの表情は先ほどまでとは打って変わり、ケロッとした顔で南の空を指さした。からかっていたのは俺のはずではなかったか? 刀でどつかれた俺だけが動揺してるじゃないか。

 ――ええい、そうはさせるか!

 負けじと俺は切り返す。

 

「今度は泣くなよ?」

「泣いてない!」

 

 俺から逃げるようにナナは身を隠していた森から上空へと飛び立つ。俺も並行して飛び上がった。もうナナと無駄話をする気はない。ここから先は戦いである。白式の視界にもようやく空を飛んでくる2機の黒い影が映っていた。

 追う側の余裕だとでも言うのだろうか。隠す場所のない空を黒の機体は悠然と飛ぶ。こちらが撃っても関係ないとでも言わんばかりの行動だった。舐められてる。

 

『ナナちゃん、ヤイバくん。敵機の情報を取得できましたので送ります』

 

 戦闘開始、というところでシズネさんから通信がくる。

 

『口頭でも説明します。敵はドイツのトップスフィアのひとつ“シュヴァルツェ・ハーゼ”所属のランカー2人です』

「スフィア? ランカー?」

 

 聞き慣れない単語を問い返すとシズネさんがわざとらしいため息を吐いた。

 

『失礼しました。ヤイバくんはルーキーのようですね。スフィアというのはISVSのプレイヤー同士が組むチームのようなものです。ランカーは世界ランキング上位100に名を連ねる人物のことを指します』

 

 言葉遣いは丁寧だけど、シズネさんの言葉はとても毒々しく感じる。ナナと中身反対だったりしないか、これ?

 それはともかく、今の説明を踏まえると敵さんは“ドイツでトップクラスの団体に所属する世界最強100人のうちの2人”だということか。……え?

 

「それってめっちゃ強いってことじゃね?」

『はい。残念ながらヤイバくん程度の実力では返り討ちになるだけです』

 

 それはそうだろうけど、今から戦う人間に対して言うことじゃないと思う。正直凹んだが、シズネさんの話には続きがあった。オープンチャネルではなく、プライベートチャネルで――

 

『でも、今はあなたに頼らざるを得ません。ナナちゃんはバカ正直なところがありますから、1人だけで実力者に立ち向かわせることなどしたくないんです』

 

 森の中の会話だけでもナナの不器用そうなところや単純そうなところは伝わってる。1人だけで戦って、今日の俺との戦いの時みたいな攻め方をされると容易く負けそうだ。

 

「了解。俺への依頼は“ナナを勝たせろ”でいいかい?」

 

 シズネさんからは『はい』と静かなトーンの声だけ返ってきた。俺への話が終わる頃にはナナはもう敵へと向かって飛んでいった後。俺は慌ててナナを追う。

 俺たちが姿を見せると敵2人は進行をやめ、その場に停止していた。ナナも真っ向から飛びかかることはせず相手の出方を窺っている。俺は硬直状態となっている間にナナの隣にまで追いついた。

 

「ナナにしては慎重だな」

「当たり前だ。彼女らはお前のように遊びでここに来ているわけではないからな」

「いや俺だって――」

 

 つい言い返しそうになってから俺が口走りそうだった内容に気づき慌てて口を噤む。俺だって遊びのつもりはない、だなどと言ってはダメだ。俺は表向きはひとりのプレイヤーである必要がある。ナナの物言いは俺にとって都合がいいはずなのだ、と頭に血が上りかけていた自分に言い聞かせた。

 

「強がる必要はない。お前は一般人で、あれらは軍人だ。同じ場所に立つ必要などないのだ」

「そりゃそうか。って、あいつら軍人なの?」

「気になるなら直接聞いてみたらどうだ? そろそろ仕掛けてくるぞ」

 

 ナナの声を合図にしたかのように、黒のISの内銀髪の方が右肩の大砲のようなものを動かし始める。バレットの機体の左肩についてたものよりも大型だ。人目でヤバい武器だと直感できた。本能で俺はナナとは逆方向に飛び出す。直後、俺は目を丸くすることになった。

 

「速ぇ……何なんだよ、今のは!?」

 

 ISの目を以てしても撃たれたと認識してから回避することは不可能に近かった。今まで相手にしてきたライフルなどとは次元が違う。戸惑う俺にシズネさんが情報をフォローしてくれる。

 

『レールガンですね。レールガン自体は元々研究が進んでいた兵器でして、ISの登場によって実戦投入が増えてきたとは聞いています』

「ああ、名前くらいは聞いたことがある。で、ライフルとはどう違うの?」

 

 シズネさんに聞きながらも次弾を警戒して俺は銀髪の方の動きを注視する。もうひとりの敵は大砲を装備していなく、ナナに向かっていったことから近接型と思われた。

 

『主な違いは弾速です。サプライエネルギーを使って弾丸を加速させているはずですので、桁違いと思ってください』

「EN武器なのか?」

『いいえ。カテゴリとしてはライフルと同じ系統です』

 

 サプライエネルギーを消費して撃つという点はEN武器と同じで、属性は物理的ダメージの兵器というわけか。デメリットの代わりに得られたものが弾速だとすると、射程や威力も半端なさそうだ。

 敵に他に射撃武器と思われる装備は見当たらない。ならばあと必要な情報は射撃間隔だ。

 

「連射はできないよね?」

『原理的に連射が利く兵器ですが、ISに有効な攻撃とするにはPICCを機能させる必要があります。私の知る限りではレールガンにPICC性能を持たせるにはライフルなどよりも多くの時間を要するため、結果的に連射性能は低くなるはずです』

「OK。それだけわかればいい」

 

 基本的には砲塔の前からすぐ離れることを心がければいい。そこはリンの衝撃砲のように見えないわけじゃないから対応がしやすいところだ。接近は容易そうだという印象を受ける。雪片弐型を右手に握ったまま前を見据え、翼を広げる。俺がやることはいつもと同じだ。

 

「イグニッションブースト」

 

 声に出して突っ込む意志を表に出す。敵の大型レールガンの右側を掠めるルートに狙いを絞って一気に駆けだした。見たところ敵の射撃武器はレールガンのみ。まずは飛び道具から落とす。

 

「あれ?」

 

 飛ぶ勢いのまま撫でるように雪片弐型を走らせたが空を切った。理由は至極単純で避けられただけである。ただ、これまでの経験ではあの赤武者も含めて俺の接近に対して“避ける”相手はいなかったから戸惑いを覚えた。

 相手の脇を通り抜けた俺は回避行動直後の敵の様子をすぐに確認する。回避から次の攻撃へと移る動作に無駄を感じさせない敵は既に砲身を俺に向けていた。避けられたことを自覚してつい足を止めそうなところだったが、慌ててスラスターを噴かして勢いを殺さずに移動を継続。狙いを絞らせにくくする。かろうじて敵の射撃に当たらずにすんだ。

 

「ほう、2度も避けたか。ヘルガに格闘戦で勝ったのは偶然ではないようで安心した」

 

 戦闘開始時と同じ距離が開いたところで敵から通信が来た。戦闘中の相手に話しかけるなど相手を舐め腐っているとしか思えない。なんとなくだが、相手は俺と戦闘をしているつもりがないのだと感じていた。

 

「柔い機体を使ってるからな。当たらないことに必死なんだよ」

 

 通信に答える。相手が余裕をぶっこいているとはいえ、俺に対して隙を晒しているわけではないから攻撃チャンスではなかった。飛び込むタイミングを図りつつも言葉で牽制をする。相手側も乗ってきてくれていた。

 

「格闘型フォスだなどと更識(さらしき)の忍びくらいしか見たことがなかったが、何度見ても正気の沙汰とは思えないな」

「俺のアイデンティティみたいなものだと思ってたんだけど、他にもいることにびっくりだよ。まあ、軍人さんには理解できない構成だろうけどさ」

「ふっ。確かに身の安全を蔑ろにする戦法は実戦ではまずしない。だからこそ、この場では素人の愚かでいて独特な戦いと対することができる。貴重な経験だな」

 

 ナナに言われたとおり本人に確認してみたけど、彼女は本当に軍人らしい。彼女、でいいんだよな? 声色はイジレないと信じておこう。

 

「どうした? もう飛び込んでは来ないのか?」

「そっちこそ遠くから撃つことしかできないのか? 世界ランキング100位以内が聞いて呆れるぜ」

 

 敵さんの挑発に対する俺の返答を要約すると『すみません。俺から攻めるのは難しいんでそっちから近づいてもらえますか?』ってところだ。もう少し相手の余裕を削れないと、攻撃を当てられる気がしない。

 

「なるほど。私の機体は遠距離型というわけでもない。敢えて貴様の戦えるレンジでやってやるのも、たまには悪くない」

 

 銀髪の少女がレールガンから手を離したかと思うと、レールガンは粒子状になって消えていった。挑発したのはこちらだが、まさかレールガンを手放すとは思っていなかった。ほぼ同時に両手が赤く染まっていく。先ほど戦った機体と同じ武器とみていいだろう。射撃武器を手放した敵は眼帯で隠れていない目でキッと俺を睨むと、予備動作もそこそこに突っ込んできた。

 

「うわっ!」

 

 咄嗟に雪片弐型で手刀を受け止める。やはりEN武器の類であるらしく互いが干渉しあってせめぎ合う。ただし今回の相手は片手で受け流すような動きは見せず両手で雪片弐型を抑えていた。

 

「ぬっ。想定よりも出力が高いな。何なんだ、その機体は?」

 

 てっきり先ほどの格闘機体よりも技量が無いのかとも思ったが、この物言いは俺の機体の性能を確かめるような戦いをしてきていると見た方がいいのかもしれない。

 俺にはひとつ確信したことがある。相手は間違いなく実力者であり、マジな軍人かもしれないが、軍人としてここに立っていない。ナナたちの必死さとは正反対の態度がある以上、この戦闘に利用ができるはず。

 

「倉持技研の最新装備さ。なんならこのまま押し合って力比べするってのはどうだ?」

「フォスでヴァリスと力でやり合う気か!?」

「どうした? 自信がないのか? ドイツの装備の弱さを自分から認める気か?」

 

 両手を合わせると敵の出力は雪片弐型を抑えられるくらいはある。ほぼ手と一体化しているコンパクトな装備だが油断ならない出力だ。だからこそ手を抜いている装備ではないとみて、この状況を続けるよう挑発する。雪片弐型ひとつでこの敵を確実に“止める”にはこれが最善だ。

 ――流石にそこまでバカじゃないか。

 銀髪の少女は両手で雪片弐型を抑えながらも肩の装甲を動かし始めた。

 

「そうだな。フォスでも1点に絞ればヴァリスの火力と並ぶ装備は持たせられる。素直に不利を認めよう」

 

 レールガンを捨てたことから俺の方が油断していたと認めるしかない。敵はひどく冷静だ。俺の挑発になど最初から乗っていなく、相手は相手の思惑で動けている。

 ――やったことはないが、やるしかない。

 敵は何かしらの攻撃に移ろうとしている。しかし俺は攻撃の手段を封じられている。退かなければならない。いつもは前に出るためにしか使っていないイグニッションブーストを、下がるために使用する。

 

 普段と違う操作で戸惑うがなんとか白式は後ろに飛んでくれた。雪片弐型と敵の手刀が離れ、グングンと距離が開く。離れゆく俺に対して黒いISの肩から生えてきたワイヤー付きの“矢尻”が向かってきていた。後少し遅ければ俺は八つ裂きにされていた。

 

「ぐっ!」

 

 前に出るときと違い、全身のあちこちに妙な圧力がかかっている。俺の認識が追いついていないからだろうか。不完全なイグニッションブーストによって絶対防御が発動し、ストックエネルギーが削られる。

 ――くっ! シールドバリアも少し削れてる! リンと戦ったときの自滅よりはマシだけど、同じことは続けられない。

 

 俺から離れた。その結果、敵がとった行動は射撃。再びレールガンが姿を現していた。銀髪の少女は俺への興味を失ったようで、一言も発することなく砲口を俺に向ける。

 避けなければならない。しかし不完全なイグニッションブーストの直後にイグニッションブーストを使用してもいいのだろうか。躊躇した俺に対して、白式は不可能だと返してくる。

 

 ――ならば、やれることはひとつ。

 ライフルに対してやった時とは弾速が違うが、雪片弐型の出力を信じる。

 目で追えぬことは体感して理解している。だがそれは不可能を指すわけではない。そもそも見えてから対応できることこそが不自然だったのだ。

 感覚を研ぎ澄ませる。久しく感じていなかった緊張感。遠い日のことだったが、当時の俺が蘇るのに支障はなかった。

 対象を凝視する。読みとるべきは弾丸の軌道でなく相手の呼吸。師範や千冬姉の剣とやりあうよりも楽なはずだ。

 

 撃つ。そう感じる瞬間に俺は雪片弐型を振っていた。

 

「なっ――!? 斬り落とした、だと!?」

 

 ダメージなし。放たれた弾丸は雪片弐型で完全に消滅した。その間に白式の機能は復帰を果たす。驚愕に染まった顔をする敵に向けて再びイグニッションブーストで飛び込む。接近を阻止されることも、回避されることもなく、俺の攻撃はレールガンの砲身を両断した。そのまま敵の脇をすり抜けて再び距離を置く。

 

「貴様……何者だ?」

 

 銀髪の少女が右目だけで俺を睨んでくる。最初にあった余裕も、俺が離れたときの失望もなく、俺を障害と認識したようだった。

 

 ……そろそろ限界だな。

 

「俺の名前はヤイバだ。それ以外に言うことはない」

 

 名乗っておく。これ以上は会話でも引き延ばせそうにない。まだかと思っているところに都合よく通信が入ってくる。

 

『ありがとうございました、ヤイバくん。私たちは無事離脱を完了。後はナナちゃんが離脱すればOKです』

「了解」

 

 どうやらミッションコンプリートといったところだ。後はロビーに戻るだけ……だったらいいなぁ。最初から確信しているが、シズネさんの依頼をこなしたからといって俺には何も得はない。システム上の保護すらなく、俺にはこの状況が継続される。

 

「わかりきっていたことだが、我々の負けのようだな。だが解せん。貴様はなぜ残っている?」

「そりゃあ俺はただの囮だからだよ。最初っから俺の目的はお前の足止めだしさ」

 

 その後は何も想定されていない。相手を撃墜できればこの後も活動できるだろうが、今夜はここまでのようだと諦めるしかない。周囲を確認すると、ナナが相手をしていた機体まで俺へと向かってきているのが見えた。

 

「ヤイバだったな。私の名はラウラ・ボーデヴィッヒ。貴様は……面白いな」

 

 銀髪の眼帯少女、ラウラはここで初めて笑顔を見せた。俺もつられてヘラッと笑ってみる。瞬間、俺は背後から延びてきたワイヤーで縛り上げられた。

 

「貴様、隊長に何をした……?」

 

 背後からものすごい殺気を感じる。怖くて顔をまともに見れないが、年上の女性のようだ。しかし、ラウラの方が隊長……? 縛り上げられたままの俺にラウラが近づいてくる。

 

「今日のところは我々の負けだ。貴様たちの実力を過小評価していたとはいえ、言い訳にしかなるまい。まだまだIS戦闘技術が軍に浸透できていないところがあることも認めよう」

「はあ」

「いずれ貴様とはわかりやすい決着をつけよう。今回のようなターゲットの奪い合いなどではなく、純粋な決闘でな」

「ははは……そうだな」

 

 既に俺は捕虜扱いなのだろう。思ったよりも優しい対応だ。このまま解放されてくれないかなと期待さえする。まあ、その期待は裏切られるだろうけど。

 

「今日のところはこれでお別れだ。クラリッサ、八つ裂きにしろ」

「はっ!」

 

 背後の女性は喜色満面といった顔で肩から延びた矢尻の群を俺に向けた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 戦闘は終了した。ターゲットは愚か、敵ISにも完全に逃げられてしまっていた。部下の訓練の一環として受けた民間のミッションであるが、シュヴァルツェ・ハーゼの汚点として残るだろう。だがラウラにとって個人的な収穫はあった。

 

「どう思う、クラリッサ?」

「彼は一般プレイヤーですね。手加減して撃墜寸前まで追い込むつもりでしたが、ログアウトしたようです」

 

 クラリッサにとどめをさせと命令した。それはヤイバと名乗る男の正体を見極めるため。結果はここではないどこかへと転送されるということで示された。

 

「ミューレイと敵対する組織の依頼で動いていたとみるべきでしょうか?」

「その組織とやらはどこだというんだ? バックに国連IS委員会が絡んでる企業だ。国同士の諍いはない上に敵対して得なことなど考えづらいぞ」

「では一体……?」

 

 今度ばかりは優秀な副官から答えは出てこない。だがラウラにはひとつの答えが見えてきていた。それはヤイバと言葉を交わしたからこそ見えたもの。

 

「あの男はターゲット、もしくは敵ISから依頼を受けたとみていいだろうな」

「AIから受けた依頼……ですか?」

 

 クラリッサが目を見開くのも無理はない。ミッションで相手をするのは造られた存在だ。自立していて思考する存在であるが、役割を与えられているが故にプレイヤーを頼るなど通常は考えられない。

 だがここでラウラにはひとつの可能性が思い浮かんでいた。かねてからの疑問でもあったそれは、

 

「そのAIとやらは誰が造ったんだ?」

 

 この世界におけるAIの起源だ。答えを持っていないクラリッサは言い淀む。

 

「それは……」

「答えなくていい。ただ、与えられた情報だけでなく、既に常識と思っていることも疑う必要があるやもしれん」

 

 部下に無茶なことを言っていることはわかっている。ラウラの疑問に答えられるのは、この世界を造った者くらいだ。他にもいるかもしれないが、それはおそらくラウラの権限でも知ってはいけない類の情報。

 

「クラリッサ。今の話は他の隊員には伏せておけ」

「はっ。ではそろそろ帰還しますか?」

「ああ」

 

 まだ確信はしていないことだが、クラリッサにだけ伝えるべきことは伝えた。この世界にはプレイヤー以外の存在が確かに居る。AIと片づけられている彼らが何者か。それは己の出生にも関わることかもしれない。

 

「ヤイバ。貴様は何を知っている……?」

 

 矛を交えた男のことを思い起こす。AIのために囮と割り切っていたことなど気になる点は多々あった。何かしらラウラの知らない情報を握っている可能性がある。問いただそうと思っていたが、現実と同じ手法で尋問や拷問をしても成果は得られないだろうことは想定していた。案の定、彼は目の前から消え去るだけ。話を聞くならば、もっと他の方法を試みる必要があった。

 

「その前に、あの男のことを知る必要があるな」

 

 他にもラウラが気になった点がある。最後に彼が見せた弾丸斬りはラウラが敬愛する最強のプレイヤー、“ブリュンヒルデ”の技を連想させる。同じ流派とは思えない太刀筋であったものの、対面した印象はかなり近いものがあった。

 ブリュンヒルデは素顔を見せぬまま、存在意義を見失っていた頃のラウラに道を示したことがある。ブリュンヒルデに近づくことがラウラの目的の一つでもある。ヤイバはブリュンヒルデと近しい存在かもしれない。これからの自分を想像し、ラウラは「くっくっく」と静かに笑った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 高速機動形態で飛ぶこと20分。既に周囲の景色は一変し、海に出てきていた。戦闘していた黒いISは追ってきていない。それも当然で、この“紅椿”についてくるには相応の装備を用意する必要があった。元より紅椿単独ならば逃げることは容易なのである。

 

「着いたぞ」

 

 高速機動形態を解除し、通常形態に戻って通信を飛ばす。すると、海中から巨大な影が浮かび上がってきた。影はそのまま海面を突き破り、船が姿を現す。

 

「お疲れさま、ナナちゃん。早いところ中に入っちゃってください」

 

 船の中から高校生くらいの女子が顔を出してナナに手招きをする。肩にかかるくらいの髪をヘアピンで2カ所留めているこの少女こそが鷹月(たかつき)静寐(しずね)だ。彼女の無事な姿を確認できたナナはホッと一息をつきつつ降りていく。

 

「皆はどうしている?」

「クーちゃんは部屋で眠っています。他の皆はナナちゃんの顔を見るまで安心できないとブリッジに集まっています」

「やれやれ。休む前に顔を出しておかねばならないな」

 

 面倒だなどと口では言っていてもナナの顔は綻んでいる。自分たちの“今”を共有している仲間がいると思うと、押しつぶされそうな心もまだ持ち直すことができた。

 ISを解除して船内に入ったナナはシズネの後に続いてブリッジにまで移動する。その間に船は海中へと沈んでいった。これで追手に見つかることはまずない。この潜水艇にはそういう特殊性があるのだ。

 

「皆さん、ナナちゃんが戻ってきました」

 

 シズネ、ナナの順でブリッジに入る。船内で最も広い空間であるここは船の制御系統が全て集まっているばかりでなく、中心部に3つのISコアが輝いていた。

 

「おっかえりーっ!」

「今度ばかりはダメなんじゃないかって心配したんだから!」

「無茶はやめて」

「私ならば大丈夫だ。要らぬ心配をする必要はないぞ」

 

 3つある座席に座っていた少女たちが席を立って、ナナの元に集まってきた。それぞれがナナの安否を気にかけていたことがわかる言葉を投げかけ、ナナは気を張ってそれに答えていた。

 

「すまねぇ、文月(ふみづき)。オイラたちが不甲斐ないばっかりに、アンタに迷惑をかけちまった」

「皆が無事だったのですから自分を責めるのはやめましょう。ダイゴさんたちのおかげで“仲間”を助け出すことができたのですから」

 

 続いてガタイが良い癖に肩を小さくしている大男がナナに頭を下げていた。隣にいる線の細い男も同様だ。彼らが頭を下げる理由は戦闘に敗北し、危機に陥ったからだ。それもナナが救援に駆けつけたことで危機を脱せたのだから、結果論としては問題ない。ちなみに大男の言った文月とはナナの名字のことである。

 

「何はともあれ、結果オーライってやつだよね! いつも冷静沈着なシズネがスッゴい取り乱してたときはどうなるか心配だったけどさ」

「そ、そうなのか? シズネ」

「……気のせいです。私はナナちゃんを信じていましたから」

 

 明らかに嘘である。この船の砲撃手であるメガネ少女、リコが語ったシズネの様子は事実だろう。ナナ自身、今回の作戦は過去最大の危機に陥ったと自覚しているから無理もない。

 

『お前、泣くだろ?』

 

 思い出したら腹が立ってきた。皆が見ている前だというのに、つい壁を殴りつけてしまう。

 

「うわーお……ナナの姉御はシズネっちの強がりに大変お怒りだぁ」

 

 リコだけでなく、船の操作のために席に戻っていたレミ、カグラの2人も手を止めて振り返り、男性陣もナナらしくない突然の暴力に驚きを隠せていなかった。

 この場でただひとり、理由を把握している少女はあえてこの場では話題にせず、手をパンパンと打ち鳴らして話を終わらせにかかる。

 

「さ、皆さん。無事を確認しあえたことですし、持ち場に戻りましょう。ナナちゃんも今日は疲れたと思いますし、ゆっくり休んでください」

 

 シズネがナナに『同意してください』と目で訴える。疲れているという点を否定できなかったナナは素直に応じることにした。

 

「では甘えさせてもらう。何か問題があったら遠慮なく起こしてくれ」

 

 お疲れさま、と仲間たちに見送られ、ナナは自分の部屋への道を行く。その後ろには当然のようにシズネがついてきていた。通路を歩いているのは2人だけ。他の皆の前では話せないことなのだろうと黙っていたがナナはブリッジでの話を蒸し返した。

 

「心配をかけてしまったみたいだな、シズネ」

「当然ですよ、ナナちゃん。ここにいる皆は仲間と言っても運命共同体でしかないんです。私にとって親友はあなただけ」

 

 皆の前では言わないシズネの本音。実のところナナにとっても親友はシズネしかいない。ナナは慕われているが、それがどこまでが真実かわからない。“仲間”の皆にとってナナは生きるための希望でしかないのかもしれなかった。彼らが無事を喜んでくれたのは果たしてナナの無事だったのだろうか。もしかしたらナナが無事なことで自らの生に安堵しただけかもしれない。そう思うと、心のどこかで気を許しきれない。この船は拠点であるが、家にはなりえなかった。

 

「それで、ナナちゃん。何か言いたいことはありませんか?」

 

 シズネはナナの個室にまでついてきた。今までにないパターンである理由はやはり今日の戦いに原因があるとナナはすぐに察する。シズネを部屋に通し、彼女をイスに座らせたところで自分はベッドに腰掛けた。ナナに言われるままにイスに座ったシズネは感情を悟らせない表情のまま真っ直ぐにナナの目を見つめる。

 

「わ、私が言いたいこと? 特には思いつかないが」

「用件という意味合いでなく、愚痴はないかと訊いています」

 

 表情を変えないままシズネはずいっと身を乗り出してきた。反射的にナナは上体を反らして手で壁を作る。

 

「愚痴……? 何のことで?」

「そうですね。わからないフリをするのならこちらから責めてみましょう」

 

 責めるという言葉にナナはビクンと体を震わせる。久しく感じていなかった戦慄だった。これまでの経験上、実戦よりもシズネの言葉責めの方が恐ろしかったと記憶している。

 

「お、お手柔らかに頼む」

「怖がることは何もないですよ。ただヤイバくんについてお話を聞かせてくださればいいんです」

 

 それはスイッチだった。ヤイバという名前は今日の出来事の象徴である。あの銀髪の男性プレイヤーを思い出すだけでナナの脳はヒートアップする。仰け反っていた体が瞬時に前に傾き、両手は力強く目の前のシズネの肩を掴んでいた。

 

「話すことなどあるかっ! あのプレイヤー特有のヘラヘラした態度までならいつものことですませてやるところだが、あの銀髪はどうみても厨二病というやつだろう!? いつもシズネが『関わってはいけない人種です』と言っていたのをよーく理解した。決して強いプレイヤーではないのだが、勝つためなら手段を選ばない残忍な戦いをする奴で、味方ごと私に攻撃してきたのだ! 思い出すだけでもゾッとする! そこまでしておいて私を追いつめておきながら、最後は自分から攻撃をやめる始末。あれは何か!? 勝とうと思えば勝てるが今回は勝ちを譲ってやろうとでも言うつもりなのか!? ふざけるな! アイツらにとってこれは遊びかもしれないが、私たちはここで“戦っている”んだ! だから――」

 

 シズネの肩を掴むナナの手が震える。

 

「怖くて、当たり前だろうが……」

 

 涙腺が高まり、ナナは俯く。シズネの顔を見られなくなった。肩を掴んでいた手はシズネによって払われ、行き場のなくなった両手はだらりと下がる。ナナには見えていないがシズネはイスからゆっくりと立ち上がった。なおもナナは独白を続ける。もう理性で取り繕っていた堰が切れてしまったのだ。

 

「泣いても仕方ないじゃないか。本当に死ぬかと思った。今“ここ”に存在している私たちは帰ることができるなんて保証されていない」

「はい。だからナナちゃんと私は帰る道を探しているんです」

 

 シズネに頭を抱かれてナナは少しずつ落ち着きを取り戻す。

 

「何が『お前、泣くだろ?』だ……私たちのことなど何も知らないくせに。この世界のことなど何も知らないくせに」

「知らない方が自然ですから仕方がありません」

「わかっている。わかってはいるんだ。私たちのことを無闇にプレイヤーに話すことが危険だということもわかっている。ただ……やるせないだけだ」

「やるせない、ですか?」

「ああ。初めて“プレイヤー”と会話できたことが良いことだったのかどうか。境遇の違うアイツは私たちのために戦ってくれたというのに、何も話せないことがもどかしい」

 

 初めて負けそうになった。何故か見逃され、次に現れたときは共に戦ってくれた。本当に信用していなかったのだが、ヤイバはナナたちのために最後まで戦ってくれていたのだ。ただのプレイヤーであるはずのヤイバが何を目的にしているのか、その意図が掴めない。ついでに言うと、憎いやら嬉しいやらナナの中では感情がぐちゃぐちゃだ。

 心を許してもいいのか。自分たちと同じ境遇にしてしまうかもしれない危険に巻き込んでしまっていいのか。自らの願いや理想と現実の非情さが絡まって結論が出ない。できることは現状の維持だけ。

 

「話してみませんか? 私たちの真実を」

「冗談が過ぎるぞ、シズネ。そもそも私たちも全てを知っているわけではない。断片的な話だけしても、当事者でなければ耳を傾けるはずのない荒唐無稽な話でしかない。今回、共に戦ってくれたのも奴にとってはゲームの一環でしかないだろうな」

「そう……ですよね」

 

 提案したシズネだったがナナの否定に反論できない。ナナの頭を抱いていた腕を離してイスへと戻る。明らかに伏し目となっている今のシズネはナナもあまり見ないくらいにわかりやすく凹んでいた。

 

「ナナちゃんの王子様だったら、話を聞いてくれていたかもしれないのにとは思います」

 

 凹んだはずのシズネからの不意打ちにナナはノックアウトされたように後ろに倒れ込む。2秒ほど動かなかった後、急速に上半身を起こしてシズネに詰め寄る。

 

「お、王子様ぁ!? だ、誰のことを言っている!?」

「ナナちゃんの王子様はひとりだけでしょう。『私はいつか必ず彼の元に帰るんだ』っていつも言ってたじゃないですか」

「違う! ち、違わないが違う!」

「大丈夫です。私たちの活動も無駄ではありません。今日の作戦でも5人の“仲間”を救えましたし、いずれ“あちら”で問題が浮き彫りになるでしょう。帰ることができるのも時間の問題です。そのときは私にもその王子様を紹介してください」

「だから、違うと言っている!」

「ではそろそろお暇しましょう。おやすみなさい、ナナちゃん」

「そこまで頑なに私の否定を無視するか。良くわかったぞ、シズネ。お前とはいずれ決着をつけねばならん。おやすみ」

 

 シズネは言うだけ言って速やかに退室した。実は“王子様”の話は今日いきなり出てきたわけではない。船の皆にとっての希望がナナであるように、ナナにとっての希望が“王子様”なのだとシズネだけは知っていた。これはシズネなりの激励のようなものであるとナナも理解している。

 シズネが部屋を出ていってすぐに部屋の明かりを落とす。“ここ”では食事やトイレは必要ないが、睡眠だけは必要だった。ベッドに横たわり、目蓋を閉じる。寝る前には必ず思い出される“彼”の顔。だが、その彼の顔はもうぼんやりとしか浮かんできていなかった。

 

(会いたいのは私だけだったりしないだろうか)

 

 もう7年も前の話だ。自分も彼もすっかり顔も体つきも変わってしまっていることだろう。おそらくは“感情”も……。そう思うと、帰った自分を待ってくれている人など世界のどこにもいないのではないかと考えてしまう。

 ナナはいつも途中で彼について考えることをやめる。自分が苦しんでいるのに彼が助けに来てくれない事実を認めてしまうと、彼に対して不条理な怒りを抱いてしまうことになる。思考がそこに向かうのを本能で阻止しているのかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 翌朝、寝ぼけ眼こすりつつ目を覚ます。今日は弁当を作っていく余裕があるな、とさっそく朝の準備を始める。

 

「ちくしょう……眠い」

 

 ラウラというドイツ軍人に敗北した後、俺は気がついたら自室のベッドだった。時刻は丁度0時を回ったところだったのでもう一度ISVSに入ろうとしたが、何故か二度目のログインはできなかった。エラーメッセージとして『エネルギー回復中です』と出たので時間さえ開けば再度入ることができるだろう。

 今回の収穫は『負けてもちゃんと帰ってこれる』ということがわかったことだ。通常のミッションとは外れた今回のような状況での敗北によるバグで意識不明となった可能性は薄くなったといえる。そもそもプレイしていくうちにその可能性が低いことはわかっていたので初日ほど深刻には考えていなかった。やはり噂どおり“銀の福音”を調べないと真実にはたどり着けないと思われる。

 

「それにしても本当にこのゲームが危険なのか、自信が無くなってきたなぁ。段々とただゲームをしてるだけに感じてきてる」

 

 ゲーセンで練習をしていても負けることは割と良くある。負けても大したペナルティはなく(報酬や実績関連でマイナスがあるらしいが俺には関係ない)やられることに抵抗を感じなくなってきていた。今回出会った軍人の態度もそう思うのに拍車をかけている。彼女ら戦闘のプロですら“戦い”をしていなかった。

 

「あの子、ナナって言ったよな」

 

 俺から見て“戦っていた”のは彼女たちだけだった。鬼気迫るとは彼女のためにあるような言葉だったろう。彼女が表に出す感情は俺の手を止めるのに十分だった。

 無事逃げ切れただろうか。結果的には再びナナによって夜の探索ができなくなってしまったのだが、彼女たちが無事ならば今回の俺の行動は徒労などではないと言い切れる。

 

「一体、ナナたちは何なんだろうな――っと、電話だ」

 

 考え事をしながら食事の支度をしていると携帯が鳴ったのですかさず手に取る。表示されている名前は凰鈴音。朝から電話など珍しいと思いつつ通話を押す。

 

「おう、鈴か。どうした?」

『お、おはよう、一夏。チッ、今日はちゃんと起きてたか』

 

 モーニングコールなのだろうか。昨日は起きるのが遅くて弁当を作れなかった。それを鈴は知ってるから特に不自然でもない。しかし、何故舌打ちをする?

 

「わざわざサンキューな。今日はいつも通りいけそうだぜ」

『そ、そう? 今日は弁当を作るのが億劫だとかそういうことはない?』

「ハハハ! 俺は買い食いの方が抵抗あるからそんなことはないぜ。じゃ、また学校でな!」

『う、うん……それじゃね』

 

 通話を切る。俺の昼飯が買い食いにならないように電話してくれるとか鈴は優しいなぁ。俺の財布事情的にとても助かる。さっさと朝の支度を終えて千冬姉を起こして学校に行くとしよう。

 

 

 本日は金曜日。平日最後の日ということは明日からは休日である。我らが藍越学園は週休二日制を完全に実施しているのだ。それを嬉しく感じるのは入学して以来初めてかもしれない。義務がある方が気楽であった今までとは違い、俺にはやりたいことがある。休日の自由な時間が待ち遠しかった。退屈な授業を受ける気力はなく、グラウンドを眺めながら考え事をして時間をつぶす。

 ……これからどういう方針でいこうか。

 昨日まででISVSの基本はそれなりにこなせたと思っている。昨日の夜に負けてからはネットで情報を漁ったりもした。昏睡事件のことでなく、ISVSについてだ。ある程度の装備の知識もつけたし、よく使われている戦術も調べた。確実に戦う力は付いてきたと思う。

 あとはどう目的にアプローチしていくか。おそらくはゲーセンでは事件に迫る何かには近づけない。メインは夜、自宅から入ったときになると考えられる。そちらでもどう情報を得ていくか段取りは何も思い浮かばない。

 ……やはり“銀の福音”に会うしかないか。

 実を言えば、毎日千冬姉の部屋に行って情報が落ちてないか調べていたりするのだが、最近はメモ書きひとつ見つからない。あの日、箒に関する記述を見つけられたのは千冬姉が油断していたからでしかないのだろう。できれば福音関係の続報を知りたかったのだが、千冬姉から情報を得られる可能性は低い。

 今、考えられる最も早い手段は――弾の伝手を利用して戦うことだろうな。

 

 俺の中で方針が定まったその時だった。

 俺の机が突然揺れる。何かがぶつかった衝撃によるものだ。

 甲高い破砕音と共に、俺の周囲には砕かれた白い石灰が飛び散る。

 何が起きたかを把握しないまま、視線を窓の外から前に移すと教壇に立っている“鬼”がこちらを見つめていた。

 

「織斑……外に行きたいか?」

「あ、あの、その、えと――」

 

 我がクラスの担任でもある英語を教える鬼教師が俺に笑いかけてくれていた。鬼が微笑んだところで仏にはならないのだと思い知る。俺は自らの犯した失態を後悔していた。

 

「確かにつまらん授業をするオレが悪いのかもしれないな。眠ってしまうだけで飽きたらず、自らの意志で無視をするとは。ある意味で自己主張してくれてオレは嬉しいぞ、織斑」

「い、いえ! 決して無視していたわけでは――」

「織斑。グラウンドを10周してこい」

「す、すみませんでした! 欠席扱いだけはご勘弁を!」

「安心しろ。授業が終わる時に席に着いていれば出席にしといてやる」

 

 教室に設置してある時計を確認すると、授業の残り時間は10分。それまでにグラウンドに出て10周を走り、なおかつ戻ってこいだと!? 無茶にも程がある。

 

「行けばいいんだろ! 行けば!」

 

 俺は席を立ち、教室を出ていく。誰か止めてくれるかとも思ったが皆明るい顔で俺を送り出してくれた。ちくしょうめ。

 

 

 当然、10分で終わるはずはなかった。廊下で帰宅や部活に向かう生徒たちとすれ違いながらとぼとぼと教室へと戻る道を歩く。

 

「今度こそ訴えたら勝てないかな勝てないな」

 

 またも千冬姉に泣きついたところで『お前が悪い』の一言で終了だろう。ああ、俺は良い教育者に恵まれているよ、うん。

 週の最後の授業が終わったことで校舎全体が騒々しくなっている。俺も早くこの中に入りたいものだと教室の扉を開けた。

 

「遅かったな。もう少し気合いを入れて走らんと罰にならんだろうが」

「え? どうして?」

 

 どうして宍戸先生がまだ教壇に立っているんだ? それに鈴と弾と数馬、他にも数人が席に着いている。

 

「今回は出席にしといてやる。質問をして授業を延ばしていた五反田たちに礼を言っておくこと。授業の内容が知りたければ後でオレのところに補習を受けに来い。以上」

 

 そう言い残して宍戸は教室を出ていった。呆気にとられている俺の元へ弾たちがやってくる。

 

「お疲れさん。ったく、宍戸の時だけは注意しとけっていつも言ってるだろ?」

「悪い。ちょっと考え事してたんだ」

「ISVSのこと?」

 

 鈴に訊かれて正直に頷いておく。別に嘘はついてない。

 

「じゃあそれだけISVSで頭がいっぱいな一夏くんのためにお話がある。というより、この場にいる“藍越エンジョイ勢”に関わることだな」

 

 俺の周りにできていた輪から弾が離れ、教壇に立つ。チョークを取り出して板書を始めていた。書き出しは『アメリカ代表へのリベンジについて』。

 

「さて、まだ3日ほど前の話だが俺たちはアメリカ代表“イーリス・コーリング”が率いるスフィア“セレスティアルクラウン”に敗北したばかりだ。知っての通り、このセレスティアルクラウンは訓練として一般人との試合を行うことが多いガチ勢の中でも珍しいスフィアだ。俺たちもその相手として選ばれたってわけだったな」

 

 俺がISVSを始めた日の話だ。弾たちも弱くはないことを今の俺は知っているが、そんな弾たちでも“イーリス・コーリング”を相手にすると簡単に蹴散らされていた。リベンジするも何も、まだまだ実力が足りないのは弾もわかりきってるはず。

 

「で、あの惨敗だとまず相手にしてもらえないと思っていたんだが、やる気があるならもう一度戦ってもいいと提案されてな。俺たちも最強メンバーではなかったし、相手さんもランカーがひとり抜けてた状況だった。まだ戦う意味があると俺は思っている」

 

 ここにいるメンツでわかるだけでも弾、鈴、数馬、幸村があの時参加していた。この場には他に3人居るが実力は未知数。しかし、弾や鈴よりも強いという雰囲気は感じない。最強メンバーとやらは藍越学園の生徒でない外部の人間かもしれない。

 こちらのメンツよりは相手のランカーの方が重要か。以前聞いた話から十中八九“銀の福音”である。やはり、近道はここにあった。

 

「弾。俺としては反対しないつもりだ。で、いつ戦うんだ?」

 

 最初の頃と違って俺から積極的に戦う方向に誘導しようとする。しかし弾の顔は曇った。

 

「実は、まだ決定じゃない。今日のところはそれを知らせようと思った」

 

 全員の顔に疑問符が浮かんだことだろう。数馬が皆の代弁をする。

 

「じゃ、誰が決定するん?」

「スケジュールの問題なんだが、セレスティアルクラウンがフルメンバーで一般との試合をできる機会が近いうちには一度しかないらしい。当然それを希望するスフィアは俺たち以外にもいる」

「ははーん。つまり試合をする権利をかけてどっかと戦う必要があるってことだね?」

「ご名答。それで、週明けの月曜日に10対10の試合を行うこととなった」

「あら、珍しいじゃない? 弾が3日も前に試合の告知をしてくれるなんて」

 

 鈴の発言に弾以外の全員が一斉に頷いた。

 

「俺だって気がついたときにはちゃんと連絡してるぞ。それに今回はいつもよりも負けたくない相手なんだ」

 

 弾が右手を強く握る。力を入れすぎて震えていた。武者震いに近いものだろうか。それだけ強く意識する相手が敵となる。俺以外のメンツはすでに心当たりがあるようだった。数馬が早速その名前を出す。

 

「もしかして“蒼天騎士団”?」

「そう、そのまさかだ」

「マジかよ……俺、あいつらのテンションを見てると胃が痛くなるんだけど」

 

 幸村が腹を押さえてうずくまる。一体、どんな集団が相手だと幸村みたいな状態になってしまうのだろうか。純粋に興味が湧いてきた。

 

「一夏は知らないだろうが、蒼天騎士団はうちのスフィアの天敵みたいなものだ。これまでの団体戦の対戦成績は全敗」

「マジで?」

「ああ。一夏はまだ相手にしたことがないから知らないだろうが、蒼天騎士団のリーダーは男のくせにBT兵器の使い手でな。BT適性が高いプレイヤーらしく索敵能力や情報処理能力がハンパなく高い」

 

 BT兵器。独立PICを搭載した遠隔操作できる兵器の総称だったか。ひとつ動かすのに“もうひとりの自分を操る感覚”が必要らしく、イグニッションブースト以上に使用できるプレイヤーが限られているものらしい。

 

「で、今度こそ負けられないってことだな」

「その通りだ。ある程度作戦は立てていくつもりだが、あちら側も前と同じではないだろう。頼りにしてるぜ、一夏」

 

 勝てるかどうかは俺次第らしい。しかし、いつも思うが弾たちで勝てないのなら俺がいくら頑張っても無理じゃないだろうか。

 と、いつまでも無理だなどと言ってられない。せっかくの近道をこんなところで閉ざされてたまるものか。俺が勝利の鍵だと言うのなら、全力でそれに応えなければならない。

 

「善処する。で、今日の放課後とか週末は何をするんだ?」

「今日明日のところは俺は情報収集と作戦の立案をしておく。日曜にいつものゲーセンでメンバーの選定と練習をするつもりだ。だからそれまでは各自で適当に準備しといてくれ」

 

 弾は勝ちにこだわっている割にはテキトーな感じだった。

 これも弾が“遊んでいる”からこそなのだろう。誰にも強制はしない。弾にとって遊びとはそういうものだった。俺もそれでいいと思ってる。俺が勝たなければいけない理由は皆には関係ないのだから。だから死力を尽くすのは俺一人で良い。

 

「じゃあ、俺は今日のところは帰るか」

「え? そうなの、一夏?」

「たまには早く帰らないと千冬姉も心配するだろうしな」

「そっか。じゃ、あたしも!」

「ってことは今日のところはこのまま解散だな」

 

 弾の言葉を最後に各々が鞄をとって教室を出る。俺がすべきことは日曜日までに実力を磨いておくことだ。ゲーセンだと無駄に金がかかるだけだろうから自宅から入ることにしよう。



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06 麗しき道化

 目を開いた先は空の上だった。白式が勝手にPICを起動してその場に浮遊をする。高度はそれほど高くなく、眼下には道路やビルなどが見えている。時刻は昼くらいだろうか。ちょっとした都会といった風景だが、だからこその違和感がある。

 

「人のいない街……か」

 

 道路を走る車は1台もない。交差点を歩く人もいなく、ただ虚しく信号機だけが切り替わっていた。今までは人が居なくても不思議じゃないシチュエーションにしか来たことがないから気づかなかった。この世界は現実に限りなく近い世界であるが、生物の気配がしない。

 ……どうする? ここで何を調べよう?

 金曜日の放課後。俺はゲーセンに寄ることもなく帰宅し、すぐにISVSを始めた。こうして調査をしにくるのも4回目。相も変わらず何の前触れもなく知らない場所に現れてしまう。家庭用が不親切なのだと思っていたが、昨夜調べてみたところでは俺と同じことが起きている事例はなかった。原因も探ってみたが、良くわからずじまいである。

 

「ん? ハイパーセンサーが音源を捉えてる?」

 

 耳には直接聞こえていなかった音が遠くから聞こえてきているらしい。別に可聴域外というわけでなく、音量の問題だった。増幅して聞いてみると人の声であることがわかる。それもやたらと騒々しい雰囲気だ。これはもしかすると――

 

「ロビー、かな」

 

 昼、ゲーセンから入ったときは必ず顔を出す場所であるが、夜ではまだ入ったことがない。早速音源の方へと向かう。街の中心部から遠く離れた郊外に、ドーム状の建物を発見。音源も確かにここである。早速着陸して入り口へと向かう。

 入り口には2機のリミテッドが待機していた。昨日の工場を攻めたときに会ったものと同型であるから警備用であると予想できる。問題ないと思って間を通ろうとした。

 

「止マレ!」

 

 何故かここで止められた。一体どういうことなのだろうか。俺は大人しくライフルを向けてくる警備人形の指示に従う。

 

「“いすか”ヲ提示シロ」

 

 イスカを提示? こちら側で持ってるわけないだろと思ったその時、右手に粒子が集まりカードが構成されていた。とりあえずそれをリミテッドに対して掲げてみる。すると、リミテッドはライフルを下ろして定位置へと戻っていった。

 ……何だったんだ? ま、いいか。

 とりあえず問題がなさそうだったので俺はロビーへと入っていくことにした。

 

 ロビーは内部構造がいつもとは違っていた。いつも使うロビーとは違うのだろう。周りにいる人の雰囲気はゲーセンの時と一緒だからロビーの機能は変わらないと思う。受付っぽいカウンターのある広場で、人が溢れかえっていた。

 

「これで自宅から入ったISVSもゲーセンから入ったISVSと同じモノであることは確定して良さそうだ」

 

 ロビーに来てみようと思ったのはひとつの疑いがあったからだ。ゲーセンで入ったISVSと自宅から入ったISVSが別物である可能性。ナナの存在が否定の材料として既にあったのだが、これで確信した。まだ納得してない事柄はあるが、現状では確認する術がないので保留する。

 

「おっ! 試合してるな。普段目にする奴らとは違うから少し見てくかな」

 

 ロビーの空中ディスプレイが映し出している試合に注目する。画面の隅にある情報では……1対3のハンディマッチだった。ロビーにいる人の多くがこの試合に見入っているから注目の試合らしいことは雰囲気で察した。近くにいた人に聞いてみることにする。

 

「すみません、この試合してる人たちって有名なんですか?」

「ん? ああ。“クラージュ”の3人はこの辺じゃ有名なプレイヤーだ。だけどそれよりも“夕暮れの風”がまたパフォーマンスしてるってのが注目されてる理由だね」

「夕暮れの風? 何ですかそれ?」

「知らないのか? 最近になって欧州のサーバーのあちこちに現れるようになった凄腕プレイヤーのことさ。確かランカー入りも近いという噂だったな」

 

 へー、と相槌を打ちつつ試合を観戦する。“夕暮れの風”は1機の方でオレンジ色のラファール・リヴァイヴを使っている。一方、“クラージュ”というチームの3機は、ブレードとマシンガンを装備した格闘型メゾ、アサルトライフルとミサイルを装備した中距離射撃型メゾ、ガトリングとグレネードで固めた重装甲ヴァリスという構成。それぞれが練度の高い動きをしていて厄介そうだ。少なくとも俺がこのチームとひとりでやれと言われたら逃げ出すレベルである。

 試合は追う“クラージュ”と逃げる“夕暮れの風”という構図が続いていた。そもそもこのハンディキャップで勝てる方がおかしい。

 

「逃げて当たり前だな。しかし無謀すぎるだろ」

 

 と口に出してしまいながら見ていた。

 

 

「あら? それは“風”を見ての発言でしょうか。それとも“クラージュ”に対する苦言でしょうか?」

 

 

 俺が口走った内容を聞いていた人がいたらしく、後ろから突然声をかけられた。少々喧嘩腰といった声音に俺はビクッと振り返る。

 

 ……綺麗な人だな。

 

 貴族とか富豪の令嬢といった印象の金髪縦ロールさんは普段なら近寄ろうとも思わない人種のはずだが、俺は目を奪われてしまった。ここは仮想世界。姿すらも仮初めの可能性が高いこの場所で初めての経験だった。ただ美麗な外見というだけならばいくらでも存在するはずなのに……。

 

「君は、誰……?」

「これは失礼致しましたわ。わたくしは“ラピスラズリ”と名乗らせてもらっております。以後お見知り置きを」

「はぁ」

 

 つい生返事をしてしまう。俺は初対面であるこの女性に圧倒されていた。丁寧に話されるとなんと返せばいいのかがわからなくなり、対応に困る。目の前のお嬢様はキッと青い眼で俺を真っ直ぐ見据えてきた。

 

「仮の名前とはいえこちらから名乗ったのですから、あなたの名前も教えていただけません?」

「あ、はい! 俺、僕、いや、私はおりむ――ヤイバと申しますです!」

「落ち着いてくださいませ。あなたが話しやすい言葉で結構です。相手に真摯に応えようとする姿勢は評価したいところですが、言葉の体裁よりも先に相手の目を見て話すことの方が大切でしょう」

 

 あまりにもテンパった答え方をしてしまったため、失礼を通り越して呆れられたようだ。無性に恥ずかしい。仲間たちの前でなくて本当に良かったと心の底から思う。彼女の言うとおり、言葉を飾ろうとせず目を見て話すことにする。彼女の目を見ていると、どこか高揚した気分となり、同時に何か大切なモノを失ってしまうような危うさを感じた。

 

「ごめん。改めて名乗らせてもらうけど、ヤイバといいます」

 

 お嬢様“ラピスラズリ”、長いからラピスと略すが、彼女は「よろしいですわ」と告げるとキツイ目で見てくることをやめてくれた。きっと彼女の中では『頭が残念な子』で片づいたことだろう。今日のことは黒歴史にしたい。

 

「それで、あなたの返答をお聞かせくださるかしら?」

「返答?」

 

 何か聞かれていたことはなんとか思い出したが何を聞かれていたのかを記憶できていなかった。罰の悪い顔で乾いた笑いを返すことしかできない。ラピスはひどく呆れた様子で右手を額に当てて頭を振っていた。

 

「かなりの“おたんちん”のようですわね。いいでしょう、もう一度最初からお話ししますわ」

「お、おう」

 

 どうしよう。侮蔑されてるはずなのに、今の俺は悔しいよりも彼女の“おたんちん”の一言で笑いをこらえるのに必死だった。語源は良く知らないけど、ちょっとお嬢様には相応しくない内容だった気がする。しかし笑ってはいけない。おそらくだがここは日本国外のプレイヤーが集まる場所で、俺が聞いている言葉は翻訳された言葉だろう。必死に笑いをこらえる俺の状態を知ってか知らずかラピスは説明を始める。

 

「あなたは先ほど『逃げるのが当たり前』だと言いました。あなたにはあの試合がどのように映っているのかを聞いてみたかったのです」

「あ、そういえば試合!」

 

 ラピスの登場ですっかり目を離してしまっていた。慌てて空間ディスプレイを見上げると試合はまだ大きく動いていなくてホッとする。今も変わらず“風”が逃げ回る展開が続いていた。

 

「それで、どうなのですか? あなたの発言は“風”に向けたものなのか、“クラージュ”に向けたものなのかハッキリと言ってくださいな」

 

 何故かラピスは俺の回答を聞きたがっている。別に捻った考え方はしていないはずなのだし、誰もが見たまんまのことだろう。ラピスが満足する回答かはわからないが答えるだけ答えてみる。

 

「“風”の方に言ったんだよ」

「そう……ですか」

 

 俺の答えにラピスは目に見えて肩を落とした。俺は何かを期待されていたらしい。こうした問答で相手をガッカリさせるのは日常茶飯事なのだが、今だけはなぜか食い下がりたくなった。理由はきっとISVS関連だからなのだろう。

 

「いや、だって普通に考えて1対3だぜ? 同じ3倍差でも3対9とは話が違う。単機ってのはどう取り繕っても不利だ。どうしても手が足りなくなる」

「だから“風”が無謀だと?」

「そうだ。手が足りない分、逃げ回ることで同時に襲われない位置取りを意識する必要がある。やれることが限られ、やらなければいけないことで飽和してしまうんだ。それでいて反撃しようとするならば、どう考えても罠を仕掛けるしか考えられない。罠を張ってると相手にバレバレなのに戦うとか無謀以外の何物でもないだろ?」

 

 ここでラピスが目を見開いた。俺の話に興味を持ってくれたらしい。

 

「罠、ですか?」

「ああ。逃げ回りながら設置する装置的な意味での罠が一番考えやすいかもしれないけど、おそらく“風”は狙っていない。途中見逃してたけど何かを設置するような真似はしていないはず」

「では、何が狙いだと考えていますの?」

「状況的な意味での罠だろうな。“風”は逃げながらも常に射撃型メゾのミサイル発射の瞬間にそれらをライフルで撃ち落としてる。誘導弾の手数で押されることを危惧しての牽制に見えるが、真の狙いは『ミサイルを一番警戒していると思わせる』ことにある」

 

 戦況は大きく動かないまま、“風”が逃げ回っている。逃げられている時点で“風”がかなりの実力者であることは明白なのだが、この時点でダメージレースは互角であった。次々と武器を持ち替えて牽制する“風”によって“クラージュ”の3人はマシンガン、ライフル、ガトリングの3種に攻撃の手を絞られてしまい、うまく攻撃できないでいるのがその要因だ。“風”は戦術のコントロールがおそろしく上手い。やりたいことができない“クラージュ”はそろそろ痺れを切らすはず。

 

「警戒していると思わせてどうすると?」

「たぶん射撃型メゾがミサイルを発射すると同時に、格闘型メゾが突撃するという状況に持って行きたがってる。“クラージュ”側の立場で考えるとミサイルに対して“風”が反応したところを不意打ち気味に格闘戦に持ち込みたい。ただ、“クラージュ”の構成だとブレードで斬りかかるときだけは1対1になるから、これは“風”が持って行きたい展開なんだ。“クラージュ”がここまで状況を引っ張ったのは“風”にブレードは使わないと思わせるためだろうけど、思う壺だろうぜ。きっと手痛いカウンターが待ってる」

 

 丁度“クラージュ”が動きを見せていた。射撃型メゾがミサイルを発射すると同時に格闘型メゾがブレードで斬りかかりにいく。ここで俺の予想から外れた動きを“風”が見せていた。ミサイルの方を向くことなく、右手に持ったライフルで的確に次々と撃ち落としながら、飛び込んできた格闘型メゾにいつの間にか左手に持っていたブレードで対峙していた。格闘型メゾは片手の“風”相手に怯むことなく特攻する。互いのブレードが打ち合わさった瞬間、格闘型メゾは左手のマシンガンを“風”に向けた。だが“風”はブレードを手放して、前に進む。咄嗟のことに対応できない格闘型メゾの腹に左の拳があてがわれた。続く3発の破裂音の後、格闘型メゾは戦闘不能となる。

 

「ヤイバさんの言ったとおりになりましたわね!」

「い、いや! 正直、俺が思った以上だぞ、あれは! なんでミサイル撃ち落とせてんだよ! 俺の予想だとミサイルはガン無視だったんだぞ!? 化け物かよ!?」

 

 ラピスは声を弾ませて俺の右腕に抱きついてきた。突然のことに驚きつつも平静を装って“風”の強さを話すことで自分を落ち着かせる。

 試合の方は“クラージュ”が1機を失ってからは一方的な展開だった。そもそも“クラージュ”のうち1機は重装甲ヴァリスで足が遅い。逃げる相手に数の利を活かすには足の遅いヴァリスに合わせるしかないのだが、

 

「流石は噂となっているだけはありますわね。接近戦もこなせるのに、狙撃までできています」

 

 “風”はスナイパーライフルによる狙撃までする始末。追いかけなければ狩られるだけ。もう詰みだった。これ以上は見てても意味がない。

 俺の内心の動揺が悟られていないだろう内にラピスは俺の右腕を解放してくれた。仮想世界であるのに、とある部位の感触までリアルだった気がする。……これって悪用されかねないよな。

 ラピスの拘束から解放された俺は今の試合から感じたことを簡潔に口にする。

 

「世界は広いな。“風”はこんなにも強いのにランカーじゃないなんて」

「世界の広さを実感することは良いのですが、ランキングの数字をあまりアテにしてはいけませんわ。対戦成績よりも優先される事柄があるようですし」

「あれ? そうなの?」

「ええ。ですから相手がランカーでも勝てないことはないですわ」

 

 ラピスお嬢様は大変な自信家のようだ。今の“風”の試合を見てもまるで動じることはない。今も空間ディスプレイを見上げているラピスの横顔を見ていて、俺はふと我に返った。

 ……そういえばいつの間にか普通に話してるけど、この人は一体どんな人なんだろ?

 ジロジロと見ていたら、ラピスは俺の視線に気づいたようで真っ直ぐに俺を見返してくる。

 

「どうかなさいました?」

「いや、気になってたんだけど、俺に何か用があったんじゃないの?」

「用、ですか? そうですわね。では、あなたと一緒に“風”を倒してみたい、というのはどうでしょう?」

 

 どこがどうなってそうなるのか皆目見当がつかない。しかも『では』ってことは今思いついたってことじゃん! ラピスお嬢様の考えることがさっぱりわからない。動揺しつつもなんとか意図を知ろうと話しかける。

 

「えと……それってお互いどんなメリットがあるの?」

「あの“夕暮れの風”を倒したとなれば、あなたも一躍有名になれますわよ?」

「ごめん、それ俺にとってメリットじゃない」

 

 普通なら名誉なことだと誇るのだろうが、俺にとっては枷でしかない。実力は欲しいが名声は目的の邪魔にしかならないのだ。だから有名人を倒すにしても他の見返りがいる。

 

「そうですか。ではあなたにとってのメリットとは何なのでしょうか。あなたにとってISVSとはどんな立ち位置にあるのでしょうか?」

 

 マズい、と感じるには手遅れな気がした。明らかにプレイヤーらしくない回答だった。これではラピスがおかしいと感じても不思議ではない。ここで答え方を間違えると俺は……どうなるんだ? 弾たちに知られることと比べてリスクはない気がする。まあ、誤魔化すに越したことはないとは思うけれど。

 

「なんか哲学っぽいね。人にはなぜ娯楽がいるのか、みたいな。とりあえず俺は静かに遊べればそれでいいと思ってるよ。騒々しいのは苦手なんだ」

「あら。ということはここから離れた方が良さそうですわね」

「へ?」

 

 俺が間抜けな声を上げるとラピスは空間ディスプレイを指さした。ちょうど試合が終わったところらしく、“風”のアップが映し出されている。画面上の“風”が愛想良く手を振ったかと思うと粒子状になって消えていった。どうやらここのロビーに戻ってくるらしい。ラピスの予言通り、辺りがざわつき始めていた。“風”がロビーに戻ってきたらしい。

 

「みんなーっ! 応援、ありがと――――っ!!」

 

 なんとどこから取り出したのか“風”はマイクを取り出して喋り始めていた。“風”が笑顔で手を大きく振るとロビー中が歓声で溢れかえる。俺は耳を塞ぎながら隣のラピスに話しかけた。

 

「何なのこれ? “風”ってアイドルか何かか?」

 

 大声を張ってようやくラピスに届いた。彼女は俺の耳に手を当てながら内緒話をするように答えてくれる。息が耳にかかって……考えるな!

 

「確かにそんなものかもしれませんわね。現在、ランカーの男性比率は5%(100人中5人)。6人目が入るかもしれないとなると注目はされます。加えてアバターとはいえ中性的な容姿ですから、女性ファンも多くついてしまっているようですわ」

「へぇ、詳しいね。君も“風”のファンなの?」

「まさか。わたくしから見れば、あれはピエロですわ」

「ピエロ?」

「ええ。“風”の装備構成のほとんどはデュノア社製のもので構成されています。その理由は――」

 

 とラピスが言い掛けて止まり、彼女の目は“風”に向く。

 

「これからもデュノア社をよろしくお願いしまーすっ!」

 

 “風”は唐突にデュノア社の宣伝を始めていた。ロビー全体が引いた雰囲気になるかと思えば真逆の反応を示しており、「デュノア!」コールで埋め尽くされる。

 

「なんじゃこりゃ?」

「ですからピエロなのです。自分自身の魅力よりも被った皮が認められればよいのです。先ほどの試合もただのパフォーマンス。本人の実力で勝っているのでしかないのですが、デュノア社の装備で勝てるという印象操作は成功でしょう。ラファール・リヴァイヴフレーム以外はパッとしないという評価のデュノア社ですが、“風”の登場以降見直されている傾向にあります」

「ふーん。デュノア社の広報とかそんな感じか」

「ええ。まだまだ騒々しくなりそうです」

 

 そう言ってラピスは俺から離れたかと思うと、いつの間にか俺の左手は彼女に掴まれていた。

 

「静かな場所がお好きなのでしょう? 外でお話ししませんか?」

 

 うわー。リアル外国でこの手の誘いだったら間違いなく危険信号だろうな。俺、ラピスと会ったのついさっきだぜ? そんな誘いに俺が乗るわけ――

 

「よし、行こう!」

 

 あった。リアルじゃないから問題ない! べ、別にお前のことを忘れてるわけじゃないからな、箒! そう、これは調査なんだ!

 俺は彼女に引かれるままに歩いていく。彼女の行き先は俺の入ってきたロビー入り口。彼女はイスカを具現化して警備兵に見せたので俺も真似して続いた。

 

 外に出たところでラピスがISを展開する。青色で統一された機体は彼女をお嬢様から騎士に変えていた。右手に持っているのは剣ではなく青いライフル。銃身の長さから見て射程重視のタイプだろう。他の装備は非固定浮遊部位で同じものが2つ。形状から……性能がわからない。少なくとも俺が調べた中にあった基本的な装備の類からは外れた存在であることはわかる。

 俺も彼女に続いて白式を展開した。彼女は俺のように人の装備をジロジロ見ようとせず先に空へと舞い上がる。少々自己嫌悪っぽい感情に襲われている俺に対して、彼女はライフルを持っていない左手を差し伸べてきた。

 

「ヤイバさん。わたくしと飛びましょう」

 

 俺はラピスの手を取りながら微笑みかける。

 

「ダンスの誘いみたいだな。男女逆だけど」

「ふふふ。このご時世では、あながち逆でもないですわ」

 

 2人で急速に上昇する。ロビーのあるドームの高さを悠々とすぎ、無人の街全体を眺められる高さにまで来たところでラピスが手を離した。俺は若干寂しくなった右手を渋々と引き下げる。

 

「次があれば、あなたがエスコートしてくださるかしら?」

「そうだな。次があれば少しは男を見せてやる。いろいろと、な」

「ではそのときを楽しみにしておきます。今日のところはわたくしについてきていただけますか?」

「喜んで」

 

 次第に心に余裕ができてきたのか、茶化し半分の返答もできるようになってきた。この安心感みたいなのは何だろう? 俺の言うこと、やること全てが受け入れられるような不思議な感覚だった。

 

 ……だけどそろそろ真面目に動こう。

 

 ここまでホイホイついてきた俺だが別に考えなしってわけではない。肝心のラピスの正体に関しては、どこぞのご令嬢が戯れに庶民の男性を連れ歩きたがってるとか、俺の内なる才能に目を付けたどこぞの企業のエージェントだとか、候補がいくつも挙がって見当もついていない。ただ、彼女が俺に興味を持っていることは事実で、彼女が『ランカーを倒すことができる』と自信満々に告げたことが重要だった。

 ……俺をどこかに連れてってくれるらしいが、きっと無駄にはならない。いずれ俺は福音に勝負を挑む。彼女の自信の源を知りたい。あわよくば自分のモノにしてやる。ランカーに勝つ策のヒントだけでもいいんだ。

 

 ラピスに手を引かれて空の散歩が始まる。戦闘時ではないためイグニッションブーストを使ったときのようなスピードは出ていないのんびりとした飛行だが、眼下にあった街は既に遙か後方にあった。これがISの速度かと今更ながら実感する。それは兵器としてでなく、交通用として普及したら便利だろうなという感想だった。

 

「どうしました? 下に何か気になるものでも?」

 

 落ち着いて空を飛ぶことは今日が初めてだった俺は民家の転々とした田舎という雰囲気の地上を見下ろして『ここもひとつの世界なんだな』と観光気分になっていた。そんな俺の様子を見て前を飛ぶラピスの興味も地上に向く。

 

「なんとなく見てただけだ。普段はISVSに入ってても風景なんて見る機会はないからな」

「そうですわね。ロビーから始まり、試合会場やミッションに転送されるだけの環境では、このような風景が存在することも知る術はないでしょうから」

 

 ラピスの発言に「そうだな」と頷いて肯定を示す。すると彼女は何故か左の人差し指を下唇に当てながら首を傾げた。

 

「ではなぜそうでない環境にわたくしたちはいるのでしょうね」

「えっ――?」

「なんでもありませんわ。お気になさらず」

 

 唐突な彼女の問いかけのような独り言。俺が目を丸くすると彼女はフフフと軽く笑ってなんでもないと濁らせる。奇妙な感覚だった。俺は何も答えていないのに、俺の全てを掴まれたかのように思えてしまう。なぜそう訊いたのか、と問い返すことは彼女の思う壺な気がして何も言えない。結局、俺は彼女の言うとおりに『なんでもない』として流すことしかできなかった。

 

「少しスピードを速めてもよろしいですか?」

「別に構わない」

 

 イマイチ彼女との距離感が掴めない。近寄ろうとしても唐突な彼女の一言があるかもしれないと思うと、俺の対応はぎこちなくならざるを得なかった。本音を言えばもう少しゆったりと空の散歩に興じていたい気持ちもあったのだが、ラピスの言うことに逆らわずについていく。

 スピードを上げたISは戦闘機ほどの速さは出していないが、車などでは出せない領域の速度で移動する。専用の装備を用意すれば戦闘機よりも速いらしいが今の装備では音速を越えることはできていない。イグニッションブーストでもすれば別だが、あれは長距離移動できる代物ではない。

 ロビードームのあった場所は都市といった印象だったが、次第に民家が立ち並ぶ程度となり緑の多い景色が続く。ついには民家自体が珍しいものになり、四角く整理された畑が延々と続いていた。あまりにも同じ景色が続くため、結果的にラピスの提案は俺も同意するところとなった。

 

 ……しかし、速度を上げるということは目的地があるってことでいいよな。

 ラピスの誘い文句は『静かな場所へ行きましょう』ということだったが、それは空に出た時点で解決していた。そこから散歩をしようというのも別に悪くはないと感じさせる提案である。だがもう散歩と呼べる飛行ではなかった。流石に訊いても不自然ではないはずだ。

 

「どこへ行くつもりなんだ?」

 

 ラピスは器用にも速度を落とさずに体ごと振り向いた。前方への移動と後方への移動の意識を転換させる必要があるが、俺は彼女ほどスムーズな移行はできない。困難なことをしていると感じさせない、変わらぬ笑みを浮かべるラピスはなんでもない顔をして予想外の言葉を口に出す。

 

「ミッションをしましょう」

「ミッション? じゃあロビーに戻らないと――」

「その必要はありませんわ。もう目的地は目の前なのですから」

 

 後ろ向きに飛行するラピスが後方を指さす。進行方向であるそちらは東西に山が広がっていた。一目に山脈だろうことはわかる規模。ちなみに俺は現実ではまだ見たことがない。俺たちの飛行ルートが山脈に差し掛かってもしばらくは盆地が続き、人のいない街がちらほらと見られた。

 

「ここが目的地? それにミッションって内容は――」

「せっかちな人ですわね。紳士でしたらもう少し落ち着いた物腰を身につけてくださいませ」

 

 ここに来て初めてラピスの言葉から不機嫌さを感じた。確かに質問責めにしすぎたかもしれない。俺は何も言い返さず黙ってついていくことにした。

 ……やっぱりどこぞのお嬢様が一般人を遊びに連れ出しただけなのかも。ラピスに実力があるのはさっきの飛行でわかったから学ぶことはあるだろうけど、今回も空振りかな。

 

「着きましたわ。降りましょう」

「え? 周りに何もないけど」

「当然ですわ。気づかれない位置でなければ落ち着いて説明する時間もありませんもの」

 

 ラピスが指示した地点はゴツゴツした岩場が広がっている山の中腹だった。植物すら見られない寂しい景色。もう少し山頂の方までいけば雪があるかもしれないが、どちらにせよ何もないことには変わらないだろう。

 

「気づかれないって誰にだよ?」

「もちろん“敵”にですわ。それではミッションの概要を説明するとしましょうか」

 

 敵。ラピスの口にしたその言葉が何故か俺たちが普段喋っている同じ単語とは違う気がした。きっと彼女の眼差しがそう思わせているのだろう。ラピスの青い目は、昨日のナナと同じように一切の妥協のない“戦い”に向いている。そんな気がした。

 ミッションの概要を説明すると言ったラピスは背中に浮いているユニットの1つを3つに分離させる。鳥の頭を模したようなユニットが1つに、2振りの片刃剣を峰同士向かい合わせたようなユニットが2つだ。その内、鳥の頭のユニットだけが上空へと飛んでいく。そこでラピスの説明が開始される。

 

「まず今回の目標ですが、とある組織の研究施設に隠されている情報を奪取することにあります」

 

 思ったよりもミッションっぽい内容で驚いた。本当に用意されているミッションなのだろうと一息をつく。とりあえず彼女に話を合わせておくことにしよう。どれも“ゲームだから細かいことを気にするな”という返答が返ってくるようなものだけどな。

 

「とある組織? 名前は無いのかよ」

「名前、ですか。もしかしたら存在するのかもしれませんが重要ではありませんわね。共通認識のための記号は必要でなければ生まれませんから仮の名前もつけてはおりません」

 

 なんだよ、それ。ゲームでももう少し設定は作ってるはずだろ? というわけで多少の悪戯心をもって話を続ける。ラピスから感じた“本気さ”はナナとは違う種類なのだろう。

 

「じゃあなんで存在してるかもわからない組織の研究施設から情報を奪う必要があるんだ? ってか研究施設がある時点で全く組織が不明とかありえないだろ」

 

 これもテキトーに言い返されると思っていた。しかしラピスは淡々と言葉を紡いでいく。今、考えているわけではなく、事実を告げるだけという簡単さだと主張しているようであった。

 

「名前をわたくしが知らないだけで組織が存在していることはわかっています。そしてその組織はIS委員会を始めとする多くのIS関連団体に多大な影響力を持っていることも。今からあなたに向かってもらう研究施設もミューレイという企業の施設ということになっています」

「まるで陰謀論だな」

 

 ゲームっぽくなってきたとある意味で納得したのだが、なぜかラピスは俺をあからさまに睨みつけてきた。ついでにボソボソと呟いているようだったが、ハイパーセンサーで増幅しようと思ったときには終わってしまっていた。一体何を言われていたのか気になるところだったが、ラピスが説明を再開したので改めて耳を傾ける。彼女は口頭だけでなく映像も送ってきた。映像にはどこかの軍事施設と思われるほどあちこちに武器やリミテッドが見られる建物が映っていた。

 

「今お見せしているのはそこの山を越えたところにあるミューレイの研究施設ですわ」

「ちょっと待てぃ! これは軍事基地だろ!?」

「何を言っているのやら。IS関連企業の研究施設の警備としてはむしろ普通でしょう?」

 

 俺の感覚が狂っているのだろうか。少なくとも俺はあれを研究所だとか呼びたくはない。

 

「OK。百歩譲ってあれが研究施設だとしよう」

「ですから普通は――」

「わかったよ。あれは間違いなく研究施設だ。それでいい。問題はそんなところじゃないからな」

 

 ラピスとの無駄な言い争いはやめておこう。何度も言うが問題はそんなところじゃない。

 

「で、ミッション内容は何だっけ?」

「ですからこの研究施設に隠された情報を奪取することですわ。頭の回転が足りないようですからモーターでもぶちこんでさしあげましょうか」

 

 ハァ、とため息を隠さないラピス。俺を外に連れだしたときのような優しげな雰囲気は微塵もなかった。ただ本気で俺に呆れている。ってか何だよ、モーターをぶちこむって。確かに今日の俺は色々と頭が残念だと思われても仕方がないことをしてきているが、今彼女に問い直したのは現実逃避と糾弾の意味合いであった。

 

「流石に今回は覚えてないわけじゃない。本気か、って聞き直しただけだ」

「そうですか。では話を続け――」

「待てって言ってるだろ? ここには俺とお前だけしかいない。2人だけであの警備が厳重な場所に攻め込むってのか? 潜入は無理そうだぞ?」

「ええ。ですから制圧する必要が出てくるでしょう」

「制圧ぅ!?」

「では話を続けますわ」

 

 俺のISVSの経験は1週間にも満たない。そんな俺でも無謀だということだけはわかる。ここにバレットたちがいればまだなんとかなる気がするが、どうしろというのだろう。俺が八方塞がりだと感じている中、ラピスはやはり淡々とした口調で説明をする。

 

「今、上空からの光学情報でわかるだけでもリミテッドが50機以上確認できます。これは施設内にISコアが5個以上は存在すると見ていいでしょう。またこの規模の施設ならば間違いなく防衛用のISも存在しますわね」

「敵戦力はハッキリしないわけか。やっぱ無理じゃないか?」

「不可能ではありませんわ。このわたくしの実力に加え、あなたがいてくだされば、ですが」

 

 コロコロと態度を変える奴だった。ラピスは俺を頼ると断言している。これまでの彼女の態度はどれが本当の彼女かわからないが、俺がいなければ彼女はこのミッションができないということだけは伝わってきた。

 

「俺への期待値が高すぎないか?」

「そういうことにしておきましょうか。頼りにしてますわ、ヤイバさん」

 

 女という生き物は勝手だなと思うと同時に、抗えないのは男の性かと思った時点で俺の負けだった。本当にどうして俺は、初対面の女とこうして一緒に戦うことになってるんだろう。……思い直した。今に始まったことじゃなかった。ナナとシズネさんっていう前例があるじゃん。

 

「じゃあやるとするか。ってミッションだったら他のプレイヤーを呼べば成功率が上がるんじゃないか?」

 

 これはシズネさんから受けたミッションとは違う。そう思っての提案だったのだがラピスはいい顔をしない。そればかりか、彼女は俺の思い違いを指摘する重大発言をぶっぱなした。

 

「このミッションは企業が出したものではありませんから他プレイヤーが参加することはありませんわ。むしろわたくしたちを討伐するミッションがミューレイから出されることになります」

「は……? 俺たちが討伐対象?」

 

 このミッションは企業が出したものではない。それはなんとなく可能性のひとつとして考えられていた。そんなことよりも俺たちが討伐されるミッションが出されるということの方が気になった。だって、ミッションは運営側が作ったプログラムに沿って行われるゲームだろ? なんで俺がそこに入る?

 

「明確に企業に喧嘩を売る行為になりますから仕方がありません。攻めるだけならば機体がバレてもわたくしたちだと特定されることはまずありませんが、大々的に人を募るとわたくしたちの存在を敵に知らしめていることと変わりませんわ」

「そうじゃなくて、なんで俺たちがミッションの敵扱いに?」

「それはそうでしょう。ミッションなどというシステムは企業側が効率よく戦力を集めるために作ったものなのです。企業間の技術的な抗争のために陣地取りゲームをしていたり、新装備を試すために相手を募ることが主な使い道のようですが、わたくしたちのような不穏分子を消すために出てきても不思議ではありません」

 

 つまり、あれか。ネット上で晒し者にされる感じになる。討伐されてのデメリットはきっとそんなところだろう。それは確かに避けるべき。

 しかしミッションはプログラマーに作られたものではないらしい。戦力を集めるためとか言うが、結局どういうことなんだろう?

 

「不穏分子って言うけど、企業さんが俺たちをそんな危険人物扱いする必要ってあるの?」

「十分危険でしょう。今、IS関連の開発はISVS上で開発することから始めるのが普通ですから、情報の流出の危険性は企業規模での生き残りがかかっていると言えますわ」

 

 さっきから俺の知らないことばかりラピスは教えてくれる。彼女本人は俺に教えている気はないのだろうけど。

 

「へ? 装備の開発をISVS上で行うってどういうこと?」

「そのままの意味ですわ。ISVS稼動初期は現実に存在する装備をISコアが模倣したものが使われていましたが、現実の開発費を削減するために現在はISVSで装備を作って実用性の実証されたモノを現実で開発するという流れになっているはずです」

「どうしてそんなことができるんだ!? ISVSはゲームじゃないのかよ!」

 

 誰かの創り出したゲームの世界に俺たちは足を踏み入れた。俺はずっとそんな認識だった。この場合で言う“ゲーム”とは当然、0と1で構成されたプログラムのことを指す。だが、ラピスはそんな俺の持っていた常識を――

 

「ゲームですわ。現実とほぼ同じ。人が容易く数値をいじれないところまで同じ。もうひとつの世界ともいえる場所を舞台としたあらゆる出来事をゲームと称しているのです」

 

 思い違いとして斬り捨てたのだった。

 

 思えば不可思議だった。

 なぜかこのゲームには使い道のない武器が多数存在している。それは実際に作られた失敗作も混ざっていてISVSが同じモノを作り上げただけ。

 ミッションも作られたものはごく一部なのかもしれない。バレットからはランダムで変わると聞かされているが、ミッションを提供している企業側は“ISVSで発生した事態をプレイヤーに対処させているだけ”であるとすれば、同じ依頼タイトルでも毎回違う内容なのが頷ける。

 ISVSは不平等を受け入れることから始まるとバレットは言っていた。それはそのまま現実を再現したからと言う話ではなくISVSが現実と同じ、少なくとも常人が干渉できる領域では現実と変わらないからだということだ。数値をいじって調整の効くデジタルな世界なんかじゃなく、むしろアナログな世界である。

 モンドグロッソを行えるはずだ。誰も武器の性能などに干渉できず、性能は各国の技術力がそのまま反映される。ならば現実で武器を消費する必要はない。ISVSは弾薬など、消費されるものばかりは際限なく手に入れられるなど都合がいいのも理由のひとつか。

 

 ヴァーチャルな側面ばかりに目がいっていたが、おそろしいくらいに現実と同じ側面を持っている。現実の物理エンジンが不自然に思えてしまうくらいにISVSは自然なのだ。逆に『現実でできないことはISVSでもできない』という特徴がある。

 

 ……やっぱり束さんの作った世界なんだろうな。

 当初はなんとなくそう思っていたが、ラピスから話を聞いた今ではそれとしか考えられなかった。

 

「そうか。“ここ”は現実とリンクしてるところが多いんだな?」

「ええ、そうですわ」

「じゃあ、企業が隠している情報ってのは?」

「何かは不明ですし、今から攻める場所にある確証はありませんが、間違いなくわたくしたちプレイヤーに知られてはいけないものがあるはずですわ」

 

 ここまでの説明で、俺はすっかりやる気に満ちていた。むしろなぜ今まで考えてこなかったんだろうか。“銀の福音”の存在が今まで公になっていないのはISVSを守るためではなく、もみ消している権力側が首謀者である可能性をどうして考えなかった? 心のどこかでゲームの運営に関わる人が被害者であると思いこんでいたのかもしれない。

 ……今だけは恨みます、束さん。あなたは“銀の福音”に関わっていないと思いますけど、あなたの印象のせいで運営側を犯人から除外してました。……これってやっぱり八つ当たり、かな?

 

「さて、雑談をしている間に施設内の索敵は終わりましたわ。リミテッドが64機、ISが11機ですわね。リミテッドはISと直接つながっているタイプのようですから、全ISを沈黙させれば制圧は完了しますわね」

「そんなことまでわかるのか?」

「言いましたでしょう? わたくしの実力とあなたが合わされば攻略は可能です、と」

 

 ラピスが索敵を終えたと称して敵の数を言ってくる。簡単に攻略できると言ってくれるが2人で11機を相手にするってのは“風”くらいの実力者を連れてきても難しい気がする。

 

「やるのはいいけどさ、俺の戦法は知ってるのか? そんな数を相手にできるとは思えないんだが」

「フォスの特殊フレーム。内蔵されたイグニッションブースターは最大8段。しかし多段起動(リボルバー)の経験はなさそうですわね。装備は高出力のENブレードが1本のみ。それならば問題はありませんわ」

 

 目を瞑った状態で答えるラピス。イグニッションブースターの段数とか俺自身も知らないことまで把握してるとは思わなかった。もしかすると彼女は俺よりも白式のスペックを理解してるかもしれない。

 

「それでは作戦を開始いたします。よろしいですか?」

「ああ……って具体的にどうするのか全然聞いてないけど?」

「簡単なことです。わたくしはここで待っておりますので、ヤイバさんは適当に飛び込んで敵ISを全滅させてきてください」

「できるかぁ!! ってか言い出しっぺがどうして待機してんだよ!?」

「大丈夫ですわ。あなたはわたくしが見込んだ人ですから。全く戦いぶりを見てませんけど」

「自分で根拠がないって認めてるよな!? 無策なら無策って言え! 今なら引き返せる!」

「下手な小細工など無用ですわ。敵は数が多いですけれど、ランカークラスは1人としていません。正面からGOですわ!」

「俺ひとりがだよね!?」

「はいな!」

 

 うわぁ……頭が痛くなってきた。この子は本当に強いのか弱いのかわからん。口だけなんだろうか。いや、でも俺たちの知らないことも知ってるし……いや、ただの陰謀論に振り回された厨二病患者の可能性も……。頼むから騙すにしても最後まで騙しきってくれ!

 我慢しきれずに頭を抱えだした俺にラピスは雰囲気の一転した静かなトーンで語りかけてきた。暴走していた俺の頭の中にも不思議と染み込んでくる声音。言うことを聞かないやんちゃな子供を優しく諭すこともできそうだった。

 

「本当に心配は無用ですわ。例えあなたがどれだけ弱くとも、このわたくしが見ています。ですから、今このときだけはあなたは無敵なのです」

 

 見てるだけ。それで一体どうなるんだ、と問い返すこともできた。だけど俺は何も言い返さない。後先考えないとはバカだなと自分で感じつつも、このままラピスに食い下がるのは“男らしくない”気がしたんだ。

 

「よし。じゃ、逝ってくる」

「行ってらっしゃいませ」

 

 ラピスに見送られて、俺は晒し者覚悟で飛び出した。目の前の山を越えたところで反対側に巨大な建物がすぐに確認できる。ラピスから送られてきた映像と同じモノだった。

 

『ボーっとしている暇はありませんわ。既に敵に気づかれています。早く施設内に入ってくださいな』

 

 ラピスから通信がくる。なるほど、こうして通信で俺をサポートするのが彼女の役割ってわけか。そういえばチーム戦の役割で“索敵役(サーチャー)”というものがあったが彼女の機体はそれに特化しているのだろう。そりゃあひとりじゃ戦えないわ。

 ラピスの指示通り、すぐに機体を急加速させ接近を試みる。見えるだけでライフル持ちリミテッドが4機、備え付けの砲台が6台、俺を照準している。

 

『敵機からの予測弾道、発射タイミングの算出を終了。送りますわ』

「はい?」

 

 ラピスからの謎の内容の通信の後、俺の視界に敵機から俺へと伸びる線が表示され、それぞれ細かい数字でカウントダウンされる。おまけに回避ルートまで視界に図示されていた。突然のことに驚きつつも指示通りの機動を行うと、俺を狙っていた弾丸は全て外れていた。いつもは勘で決めてる回避ルートを誰かに指示されるなんて初めての経験だった。

 

『6時、8時方向よりミサイルの発射を確認。気にせずイグニッションブーストを使用し、正面のリミテッドにENブレード』

 

 俺が気づく前にミサイルの存在を知らされ、俺が判断する前に行動を指示される。多分俺がしたであろう選択肢だったので、俺はミサイルを目視する前に正面のリミテッドに向かって突撃する。ライフルを撃った直後のリミテッドは為す術もなく両断された。今回は足場をズザザと滑りながらもノーダメージで着陸に成功する。

 

「どうやって進入するんだ? 壁をぶった斬るか?」

『それでお願いしますわ』

 

 目の前の外壁に雪片弐型を叩きつける。高出力のため、壁には切断ではなく穴があいた。その先は建物の内部。そこには――1機のISがいた。

 

『2カウント後に急上昇』

 

 敵ISは俺の存在に気づいている。というよりも待ちかまえていた感じだった。重装備の防衛型ヴァリスだろう。両手には大型のガトリングガンが付いていて、撃たれたら白式など一歩も動けずに機能停止まで追い込まれる。

 撃たれてはマズい、と普段の俺なら考えて突撃したはずだ。だが今回はラピスの指示がある。さっきまでラピスの指示に従っていれば問題なく戦えていた。今は彼女を信用する。

 指定されたタイミングで俺は上に飛び上がった。同じタイミングで敵はガトリングを発砲し始める。回避はできたが、どう倒せばいいんだろうか。そう思っている俺の真下を複数のミサイルが通過していった。ガトリングの弾に当たって爆発するものもあったが、穴の内部にまで飛び込んでいったものもあり、建物内部で爆発が巻き起こる。ガトリングの雨も止んでいた。

 

『反転して内部に飛び込み――』

「敵ISをぶった斬る!」

 

 再び外壁前に降りた俺はミサイルを食らってよろめいている敵ヴァリスに向かっていき雪片弐型を振るう。まずは左腕のガトリングガンごと胴を斬り抜ける。イグニッションブーストでないから近距離は維持でき、敵よりも俺の方が反転は速い。すかさず二の太刀を脳天にかましておいた。敵はディバイドでないため、この2撃で戦闘不能となり消えていった。

 ラピスの指示は俺に対して撃たれたミサイルを利用するというものだった。俺が全く考えていないものまで彼女の戦術には入ってきている。どう考えてもただの索敵要員の仕事ではなかった。

 

「まずは1機!」

『続いて右の通路よりフルスキンの打鉄。ブレードとマシンガンを装備した典型的な格闘型ですわ』

 

 マシンガン装備は面倒くさい。しかし、今は試合でないから俺には雪片弐型以外に用意できるものがある。俺はミサイルの爆発でできた瓦礫のひとつを拾い上げた。生身ならば両手で抱えても持てないだろうコンクリートの塊もISならば軽々と持てる。

 通路の角から飛び出してきた敵打鉄は左手のマシンガンを即座に放ってきた。その行動は読めているし、タイミングもラピスが教えてくれていた。既に敵打鉄の銃口の前には俺の投げたコンクリートの塊が向かっている。当然、敵の銃弾はコンクリートを削ることしかできない。その間に俺は接近を果たし、雪片弐型で斬りつける。敵打鉄はブレードで応戦してきたが、物理ブレードはENブレードにとても弱い。相手の剣を真っ二つにしながら本体にも刃を届かせる。こいつも一撃では終わらない。しかしレンジはブレードの範囲。向けられようとしていたマシンガンには俺の投げたコンクリートが命中しているため、俺が2撃目を斬る方が速かった。

 

「無傷で2機。このまま1対1を続ければ勝てるかもしれない」

『残念ながら敵の動きが変わりましたわ。3機編成のチームが3つという体制でこちらに向かってきております』

 

 希望が見え始めたところでラピスから悲報が届く。今日見た“風”でも苦労していた1対3を3セットやれと? 無茶にも程がある。

 

「勝てるイメージが湧かないんだけど……」

『わたくしは、あなたを信じますわ』

「はいはい。信じるって便利な言葉だよね。女の信頼に応えなきゃ男として失格とでも言うんだろ?」

『ご安心ください。既にその物言いが紳士失格ですから』

「それって何を安心しろっての!? 下手なプライドは持たなくていいですよ的な!? 少なくとも今は俺を戦う気にさせることを言おうよ!?」

『息抜きの雑談はここまでですわ。行きますわよ!』

 

 続いての状況は施設の中の方に入った場所。ラピスは迎撃場所として選んだのは2つの通路が交差する十字の通路であり、俺はその交差点に待機した。

 

「なんだってこんな場所を選んだんだ?」

『気分ですわ』

「少しは理屈を言って欲しい……」

 

 ここまでくると少しはラピスのこともわかってきた。気分だなどと言っているが、彼女の中では確かな理由が存在している。それを話さないのは話している時間がないのだ。

 

『敵は3方から同時に仕掛けてくるつもりですわね。ヤイバさんの向いている方向から見て、正面からフルスキンのラファールリヴァイヴで装備はショットガンのダブルトリガー。右からはブレードとマシンガンを持ったフルスキンの打鉄。後方からはENショットガンを装備したフルスキンのコールドブラッドという構成ですわ』

 

 そんな状況でこの狭い通路。雪片弐型一振りでどう斬り抜けろと言うんだ?

 

『ヤイバさんは前方と後方は無視して右の機体をただちに無力化してください。行動開始はわたくしの送る5カウントの後でお願いします』

「了解。その後はそのとき考えるってことだな」

 

 ラピスのカウントが始まる。残りカウントが2を切ったところで敵が一斉に姿を現し銃口を向けてきた。俺はラピスを信じてまだ動かない。すると突然敵の武器が全て吹き飛んだ。

 俺自身、何が起こっているのか理解していない。だが、カウントはこのタイミングで0となる。俺がマシンガンを失ってもたつく打鉄を一方的に斬りつけること2回。先ほどの機体と同じように打鉄は消えていった。

 

『通路を戻り、逃走を図っているコールドブラッドを倒してください』

 

 言われたとおりに通路が交差する点にまで戻って左を見ると、武器を失ったコールドブラッドが撤退を始めていた。今回の目的は敵ISを全て撃破することにある。1機でも残っていればリミテッドなどの防衛機構は止まらない。どうして武器を失ったのかは知らないが補充される前に倒しておくべきである。イグニッションブーストを使用。逃げようとするコールドブラッドに軽々と追いつき、一閃すると敵は一撃で消えていった。

 

『即座に反転。正面のラファールリヴァイヴに攻撃』

「了解」

 

 と俺が考えもせずラピスの指示通りにイグニッションブーストしたときだった。コールドブラッドと同じく武器を失っていると思った敵が武器を呼び出し(コール)する。それはライフルにしては銃口が大きすぎる代物。お手軽簡単火力で知られているアサルトカノンだった。狭い通路な上にイグニッションブースト中は方向の修正ができない。このままだと俺は一撃でやられる。

 撃たれる。

 そう思った時、俺の背後から複数の青い閃光が走っていった。

 

「なんだ、アレは……?」

 

 青の閃光の群れは敵ラファールの目前でカクカクと不規則に曲がりはじめ、最終的にアサルトカノンに殺到。またもや武器が吹き飛んで敵ラファールは丸腰になっている。そこへ俺が到着する。俺の攻撃を遮るモノは何もなく、一方的な展開でラファールは消えた。

 

「ラピス。ついてきてるのならそう言ってくれればいいじゃないか」

『何をおっしゃっていますの? わたくしは一歩も動いておりませんわ』

 

 どういうことだ? まさかラピスとは別に俺たちと共に戦ってくれている仲間がいるのだろうか。しかし彼女は最初から“2人”であると言っている。そんなところで嘘をつくようには思えない。

 

『種明かしは後ほどさせていただきますわ。とりあえず今はわたくしがここからでもあなたを援護することができることだけ覚えていただければ結構です』

 

 にわかには信じ難いことだが、俺を守った青い閃光はラピスの援護射撃らしい。俺がチェックしていない武器なのだろう。しかし遠方から指示を出して射撃までこなせるとは。なるほど。一緒に来ない理由がよくわかった。彼女は後ろにいた方が強いんだな。

 

 続く2連戦も俺は一撃も攻撃を受けることなく敵を全滅させた。当然、俺だけの力じゃなくて、主に彼女のバックアップによるものである。気づけば2対11の戦力差で始まった戦いは俺たちの圧勝で終わっていた。

 

「おいおい。ある程度は各個撃破に持ち込んだとは言え、この戦果はおかしくねえか?」

「当然の結果ですわ。と言いたいところでしたが、被弾0はあなたの力によるものです。十分誇ってくださいな」

 

 通信ではなく肉声でラピスが返してきた。戦闘の終わりが近づいた頃からこっちに向かってきていたのだ。本当にこのサーチャーは何でもお見通しらしい。

 

「誇る、ねぇ……どう考えてもお前のおかげだよ」

「謙虚ですわね。このわたくしが褒めて差し上げているのですから胸を張ればよろしいのに……」

「無理だろ。それより早いとこ探すもん探そうぜ?」

「あ、そうでしたわ! 敵が増援をミッションで募る前に退散しないと面倒ですからね」

 

 俺たちは2手に分かれて捜索を開始する。尤も、ラピスがある程度場所を絞ってくれていたので、捜索時間自体はそれほどかからなかった。だからこそ俺は諦めがつきにくかったのかもしれない。何も……見つからなかったのだ。

 

「本当に申し訳ありませんでした。何も得られるものがありませんでしたわ」

「まだ探してないところがあるだろ? だから――」

「いいえ。もう立ち去らなければ危険ですわ。今回は失敗を認めて立ち去りましょう。ミューレイにも迷惑をかけただけでしたわね」

 

 ここを怪しいと踏んだのはラピスだ。その彼女が無いと判断するのなら俺が食い下がったところで意味がないだろう。俺には根拠が無いのだし、リスクを背負うのは馬鹿げてる。

 

 俺たちは研究施設を出てすぐに飛び立った。とりあえずは山脈から離れなければいけない。相手の悪事を見つけられなかった時点で、俺たちはただの犯罪者だ。……この仮想世界での出来事にどのような法が適用されるんだろう? もしかしたら犯罪じゃないのかもしれん。企業の研究施設に乗り込むなんて、どう考えても許される行為ではないけどな。後で調べておこう。

 

 俺もラピスも互いに口を開くことなく空を飛ぶ。宛もなくただ真っ直ぐに飛び続ける。戦闘中には次々と指示を飛ばしていたラピスだったが、今は行き先もハッキリさせられず途方に暮れていた。とても見てられず俺は声をかける。

 

「元気を出してくれ、ラピス」

「わたくしなら大丈夫ですわ。ただ、何も得られないことにあなたを巻き込んでしまったことが心苦しいのです」

 

 始める前は巻き込んで当然みたいな尊大な態度を見せていたラピスだったが、今はすっかり萎縮してしまっていた。彼女の中では確信があっての行動だったのに無駄足だったという結果がショックだったのだろう。

 それにしても『何も得られない』か。それは言い過ぎだろう。確かにラピスは何も得られなかったかもしれないが、俺は違う。少なくとも俺は巻き込まれてよかったと思っている。だからラピスが俺のことでしょんぼりしているのは違う気がした。

 

「気にしないでくれ。俺にとって今日の経験はいい勉強になったよ。ありがとな」

 

 俺の言葉で少しでも彼女の心が軽くなればと素直な気持ちを言ってみた。しかしやっぱり俺は俺だった。肝心なときの言葉のやりとりで相手が思ったとおりの反応をしてくれた試しがない。ラピスは顔を伏せて、握り拳をわなわなと震わせていた。

 

「心にもないことを言わないでくださいっ!! 気休めなど要りませんわ!」

 

 素直に言った言葉だが彼女には届かなかった。しかし今日の俺は食い下がる。なぜならば、怒られる筋合いはないからだ。

 

「そんなことを言うなよ! 俺は口から出任せなんて言ってない!」

「いいえ! あなたは嘘はついていなくても本当のことを話してはいませんわ!」

「本当のこと? お前が俺の何を知ってるんだ?」

「……ではもう一度問いかけさせていただきますわ」

 

 ここまで言い争いを始めると俺たちは飛行を止めて浮遊状態で向き合う。ラピスは突然怒りを治めて、喜怒哀楽をどこかに置き忘れたような虚ろな瞳で俺を見つめながら質問をしてくる。

 

「あなたにとってISVSとはどんな立ち位置にあるのでしょうか?」

 

 ラピスの質問は興味の類によるものではない。

 俺は言葉に詰まる。俺にとってISVSは――遊びではない。

 彼女は本当に俺のことを何か掴んでいるのか?

 何も話せないまま、ただ時間が過ぎるだけ。

 次に言葉を発したのはラピス。

 彼女には一体何が見えているのだろうか。

 俺がこれまで避けてきたことを彼女は的確に訊いてきたのだった。

 

 

「あなたは“銀の福音”を追っていますか?」

 



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07 早すぎる訪問

 土曜日。俺がISVSを始めてから初めての週末がやってきた。朝から調査のためにISVSをするということもできたのだろうが、特に予定も入れていない休日の朝に、最近疎かになっていた日課を行うことに決めた。電車に2駅分揺られて毎日のように通っていた病院へ。目的は当然、“彼女”に会うためである。

 

「箒。ごめんな、最近あまり来られなくて」

 

 病室までやってくると、もはや見慣れた光景となってしまった箒の横たわる姿が見える。以前までならこの時点で俺の心は折れて、大した言葉もかけることができずに帰っていくだけだった。

 今の俺はそうじゃない。今の俺には目的がある。箒が目覚めるという希望がある。だから俺は前に進めているということを箒に報告しに来たのだ。いつもどおりに箒の頭側に備えられた椅子に腰掛け、彼女の横顔を見ながら話をする。古すぎる過去の話や俺の後悔や嘆きばかりでない、最近の俺のことを。

 

 ISVSを始めたこと。束さんのすごさを改めて思い知った。

 師範の教えが役にたったこと。剣の技術はさっぱり活かせないが、戦いの心構えは十分に役に立っている。

 そしてISVSで出会った人の話。主にナナとラピスのことだ。どちらもひたむきに戦っている目が印象的で、目的のために手段を選ばないように見えるが本質はかなり甘い人。箒にこんな話をするのは間違っているかもしれないけれど、俺は2人とも箒と同じくらいに放っておけないと思っている。

 

「そうそう、そのラピスなんだけどな」

 

 俺は福音に関するところだけボカしながらも箒に近況として伝えるためにラピスに問われた質問の後のことを思い返した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「あなたは“銀の福音”を追っていますか?」

 

 

 ――この女は誰だ?

 金髪縦ロールのお嬢様、ラピスラズリ。宝石の名前は取って付けたものだと本人が自白している。そもそも名前などただの記号であって、俺が知りたいこととは塵ほども関係しない要素だ。

 ――なぜ“銀の福音”の名前が出てくる? なぜ『追っているか』などと訊いてきた!?

 今日までの調べでは“銀の福音”の一般的認識は『世界ランキング9位の機体である』ことがわかっている。実力としての目標を意味して『追いかける』のならばえらく中途半端な立ち位置だと言わざるを得ない。ならば噂の方である確率が高い。

 

 冷静になれ。この女は俺を試している。そもそもこの問いかけは()()()()()()。彼女の意図を読みとれなければ、悪くて俺も被害者の仲間入りだぞ、織斑一夏!

 

「ヤイバさん。わたくしの声は届いていますか?」

 

 吸い込まれそうなくらいに澄んだ青い目で見つめられ、俺はたじろいでしまう。その青が海でも空でも、底が知れないことには変わりない。俺が彼女の目に危うさを感じたのは、俺の知られてはいけない箇所をも見通されてしまっているからだったのだろうか。

 そろそろ何かしら言葉を返さなくてはならない。ラピスの言う“銀の福音”の意味が果たして“あの噂”を指すものかどうかでするべきことが変わる。

 

「ランキング9位を目標にするくらいなら1位の“ブリュンヒルデ”を目指すよ。ほら、俺って近接戦闘しかできないからさ」

 

 こんなところか。ラピスが何を思って“銀の福音”の名前を出したのか知らないが、俺は今まで得た知識で一般的なプレイヤーを演じられる。この女が何を知りたいのか知らないが、俺が集団昏睡事件を追っているとはなるべく知られない方がいいはず。

 ラピスは相も変わらず虚ろな目を俺に向け続ける。だが今は彼女の顎が若干上を向き、少し俺を見下しているような印象があった。

 

「お詳しいのですね」

「男の子だからな。強いってのには憧れがある」

「9位を知っているのですから、当然8位もご存じですわよね?」

 

 墓穴だった。俺は「あっ」と口を開いて間抜け面を晒すことしかできない。いや、まだ逃げ道はある!

 

「いや、実はさ! 今度アメリカ代表のいるスフィアと試合をする予定があってそれで調べて――」

「もう、おやめなさい。話し出した途端にわたくしの目を見なくなったあなたの言葉には真摯さの欠片もありませんわ」

 

 言われて気づいた。確かに俺はラピスの目を怖く感じている。だから誤魔化そうとしたとき、本能的に向かい合うことを避けた。最初に『目を見て話せ』と言われてからそうしてきていたのに、ここぞというところでできていない。俺が話す内容など意味はなく、俺は演技が下手だった。

 ……遠回しにしても時間の無駄だな。

 俺には選択肢が2つある。このままラピスから逃げるか、ラピスに本当のことを話すかだ。そもそも俺が誰かに福音のことを話せない理由は危険に巻き込まないためであることもあったのだが、それよりも千冬姉に知られて俺自身の動きを封じられることを危惧してのことだ。

 話そう。ラピスから千冬姉に情報が渡ることはまずありえない。ヤイバ=織斑一夏であることも知らない相手だしな。巻き込んでもいいのかって? ラピスは自分から福音の名前を出した。ならば彼女は追う側か追われる側のどちらかだろう。もし彼女が福音側だったとしても、それはそれで事件の真相に迫る好機となる。俺自身を餌として……。

 

 俺から話を切り出そうとしたのだが、ラピスは無表情を崩した。本人の楽しさや嬉しさよりも、相手のことで喜んでいる笑み。優しいときの千冬姉が見せる笑い方に似ている。俺は母親の顔を知らないが、慈愛とか母性という奴なんだろうか。

 

「良い面もちになりましたわ。あなたを最初にお見かけしたときと同じ……」

「俺、こんな顔で“風”の試合を見てたのか?」

「いいえ。あなたが外から入ってきたときから見ておりましたわ」

「ロビーに入ったときから? どうしてだ?」

「当たり前ですわ。通常はロビーホールの外に出る権限をプレイヤーは持ち合わせていませんもの」

 

 またもや衝撃の事実発覚。俺が毎日好き勝手暴れてきた外の世界は一般プレイヤーが足を踏み入れない領域らしい。そういえばラピスはそれと臭わせることを俺に言ってくれていた。

 ……最初から俺が普通のプレイヤーでないと知ってて近づいてきたわけだ。全く、とんだ食わせ物だよ。

 

「もう何もかもわかってるんだろうけど一応俺から言っておく。俺は“銀の福音”を追っている。出会えば現実に帰れないという怪物をな」

「あのような根も葉もない噂を信じますの?」

「信じるだけの理由が俺にはあるんだよ!」

 

 今も目覚めない箒の顔が目に浮かぶ。すると俺はラピスに大声で詰め寄ってしまっていた。行動してから後悔するが、彼女は怯えることなくただ俺を観察している。

 

「やはりあなたにも、帰ってきて欲しい人がいるということですわね」

 

 ラピスによる俺の見極めが終わった。俺がハッキリと言わずとも俺の苦しみをわかってくれた。それもそうか。彼女は『あなたに()』と言った。だから俺と彼女は“同じ”なんだ。

 ラピスは福音を追う側の人間なんだ。彼女が探していた施設に隠された秘密こそ福音に関すること。俺も福音を追っていると感じた彼女は、そのことに触れることなく一時的な協力関係を築こうとしていた。利益を与えるから利用してやろうという考え方なんだろう。だから俺を利用するだけしてポイとはいかず、見返りを用意できなかったことを悔いてしまったのか。

 ……中途半端に甘い奴だ。そんなことで逆ギレするなんて理解できない。けど、嫌いじゃない。

 

 誰を信用すればいいのかわからず、ただひとりで突っ走ってきた。それは俺もラピスも同じだろう。本気で向き合ってくれる人は少なく、向き合ってくれるような大事な人を危険には巻き込みたくない。だから自然と孤立する。

 そんな俺たちはここで出会った。いいじゃないか、巻き込んでも。それはお互い様なんだ。だから俺はラピスのことを知ろう。

 

「ラピスも噂を聞いて調べ始めたのか?」

「いいえ。わたくしにとってあの噂は旗印のようなものですわ」

 

 旗印。戦場での目印とか行動の目標を形として示すもの。掲げられた旗に書かれたキーワードは“銀の福音”と“現実に帰ってこない”の2点だが、これは“集団昏睡事件を解決しよう”という主張を掲げているということになる。

 俺がISVSを始めるきっかけとなった噂。それを旗印と言った彼女の真意は俺にも伝わった。そういうことか。都市伝説扱いされるような噂にも必ず発生源が存在するはずだった。あの噂はつまり――

 

「“銀の福音”に出会った者は現実に帰ってこない。この噂はわたくしが流したものなのです」

 

 ラピスが世界に発信したSOSだということなのだ。

 彼女には驚かされてばかりだ。彼女から伝えられたISVSの真実ばかりでなく、彼女自身の行動力にである。でも、そんな彼女に俺は言っておかないといけないことがある。自分のことを棚上げしている気がするが、それは些細なことだ。

 

「君はずっと待っていたのか? 同じ目的を持った仲間を」

「仲間? そんな綺麗なものではありませんわ。わたくしが欲していたのは都合のいい手駒だけです」

「またそうやって突き放そうとするんだな。気持ちはわからないこともないけど、もうどうでも良くないか? 俺みたいな奴は自分から巻き込まれたがってるんだぜ?」

「何をおっしゃりたいの?」

「君はたぶん俺よりも福音を追うことの危険性を理解してる。だからこんな話をしてても俺を遠ざけておきたいんだろ。“もしも”があっても自分の目の前で起きて欲しくないだろうから」

 

 ラピスがビクッと震えて後ずさる。口に手を当てて下を向き、みるみる顔が青くなっていった。マズいことを言った。もしかしたら彼女のトラウマを抉ったかもしれん。でも必要なことだ。俺はこれだけは言わなければいけない。

 

「俺は大丈夫だと信じている。そんな“もしも”は起きない」

「……えらく自信がありますのね」

 

 震えながらもラピスは声を絞り出す。不安に彩られた言葉を聞いた俺は『立場が逆転してるよな』と思いつつ話を続けた。

 

「それはそうさ。君が見てくれていれば俺は無敵だから」

 

 彼女の震えが、止まった。彼女自身の受け売りな言葉だが、初めて俺から彼女に届いた気がする。

 無い力で足掻いてるのは俺も同じだ。ラピスの場合は俺と違って失ったという結果だけ与えられたのではなく、惨状を目の当たりにしているのかもしれない。だから彼女は歪な協力関係を求めた。だけどその必要はないんだ。1人だと今日倒したISの半分も倒せなかっただろうけど2人いれば全て倒せたように、力を合わせればできないこともできる。

 

「どうせ今回だけのつもりだったんだろうけど、中途半端な配慮はいらん! 利用するなら最後まで徹底的に利用しろ。自分で言うのもなんだけど、君と組んだときの俺はかなり頼れるぞ?」

 

 ひとりだけの行動力ではたどり着けないのなら、協力すればいい。こんな単純な答えすら、難しく考えすぎると出せない。誰を信用すればいいのかわからない状況。それでも俺とラピスを結びつけた噂は、互いの胸の内を少しだけ理解させるのに十分な役割だった。もうこんな協力者は滅多に見つからないと、そう断言できた。

 ラピスは顔を俯かせたままクスクスと笑い出した。先ほどまでの暗い顔はどこかに捨ててきたらしい。状況は依然良くないが気落ちしていては前に進めないからこれでいい。

 

「あなたを生かすも殺すも、わたくし次第ですわね」

「え、と。そう言われると何か違う気が――」

「トカゲのしっぽ切りと言うのでしたか? ヤイバさんは本当に頼りになります」

「それ違う! 囮ならまだしも生け贄だけは絶対に違う!」

「ヤイバさんがわたくしの計画通りに手駒になってくれたということで、お礼に極上の笑顔をあなたにプレゼントいたします」

「ここまでの全部演技っ!? 俺最初からラピスの手のひらの上で踊ってたの!? くそっ、そんな笑顔で騙されるか!」

「あら、残念ですわ。わたくしがひとりの殿方に微笑みかけるなど滅多にないことですのに」

 

 作戦で目標を達成できなかったときからラピスの計画が始まっていた……? そんな馬鹿げたことは信じない。そもそも彼女はそこまで策士ではない。彼女が得意としているのは状況に対してリアルタイムで対応することだ。これもきっと彼女なりに気落ちした状態から立ち直るための儀式みたいなものだろうと納得しておく。

 

「じゃ、改めて。俺はヤイバだ。銀の福音を追うためにISVSを始めた。これからよろしく」

「わたくしはラピスラズリ。いろいろ肩書きがありますが今はあなたと同じく銀の福音を追っている者とだけ言っておきます。これからもよろしくお願いいたしますわ」

 

 今度は俺から手を差しだし、ラピスと握手を交わす。ずっと孤独に続くであろうと思っていた戦いに、初めて戦友が誕生した瞬間であった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ISVSを始めてから今日までにあったことを大雑把にだが眠っている箒に話した。彼女の耳に届いているはずもないことは承知しているけど、こうすることで俺は少しでも前に進んでいることを実感したかったのだと思う。俺は彼女の左手を両手で握りしめて改めて誓いを立てる。

 

「絶対に俺が助け出す。だから、来年は2人で初詣に行こう。篠ノ之神社へ」

 

 未だ果たされない約束。もう寒空の下ひとりで待ち続ける新年は嫌なんだ。次こそは箒と共にあの参道を歩きたい。そのために俺は、あの仮想世界に戦いにいくのだ。

 

 俺が誓いを立てたちょうどそのとき、病室の扉がカラカラと開けられた。看護師さんの来る時間だったのか。自分の今の体勢に気づいて慌てて箒の手を離して入り口に向き直ると、そこに立っているのは初老の男性だった。医者らしさとは縁のない和装に身を包んでいる彼は俺の姿を見つけて穏やかな笑みを向けてくれる。

 

「来てくれていたのか、一夏くん」

「お久しぶりです。柳韻先生」

 

 この人の名前は篠ノ之柳韻。名字からわかるとおり、箒と束さんの父親だ。俺と千冬姉の剣の師匠でもある。1年前までは箒と同じようにどこにいるのかわからない状態だったが、今はこうして顔を合わせることができている。

 

「私以外にも見舞いに来てくれる人がいて、箒も喜んでくれているだろう」

「俺なんかで箒が喜んでくれますかね?」

「当然だろう。少なくとも父親失格な私よりはな」

 

 俺は席を立ち柳韻先生と位置を入れ替わる。俺の座っていた椅子に腰掛けた柳韻先生は箒の額を優しく撫でていた。娘を心配する親の姿を見せながらも、柳韻先生は自分のことを父親失格であると非難する。

 

 ……師範はすっかり変わってしまった。

 

 昔は自分にも他人にも厳しい人だった。まだ小学生、それも低学年だった俺にさえ一切の容赦なく指導してくれていた地獄の日々は今でも鮮明に思い出すことができる。でも俺は嫌じゃなかった。真剣に向き合ってくれることが嬉しかった。父親の顔も知らない俺にとって、柳韻先生は父親みたいなものだったから。

 7年前に箒と一緒にいなくなるまで柳韻先生は厳格な人という印象が抜けなかった。だが6年間で何かがあったのだろう。再会した柳韻先生は白髪が増え、髭も長くなった。目の下の隈が無いときは無く、声にも覇気がない。かつて見上げていた頼もしい背中は、今は寂しいほどに小さく見えた。

 

「箒は私に似て人付き合いが苦手だった。私の見ていない間、一夏くんが傍にいない間、孤独な思いをしていたのかもしれない。こうして見舞いに来てくれる子がいないのは、悲しいことだ」

 

 否定はできない。7年前の段階で俺は箒と親しい人なんて心当たりがない。そして、千冬姉と柳韻先生以外でこの病室に見舞いに来る人を俺は知らない。

 

「でも、柳韻先生は来てるじゃないですか。それで十分箒は嬉しいはずです。父親失格なわけがありません」

「娘を守れず、助けることができない。剣を振るうしか能のない私が、娘に剣を振ることしか教えてこなかった私が、父親として失格でないと君は言うのか?」

 

 娘のことで頭を悩ませているあなたは十分に父親ですよ、と言いたかった。同時に父親失格だと自分で断定するところは父親としてダメだとも思った。俺が感じたことを柳韻先生に言うことは簡単だ。しかし俺の言葉で柳韻先生が納得するはずがないし、俺の言葉で納得してしまうような柳韻先生は見たくない。だから何も言わない。俺が世界最強だと信じている人の背中をもう一度追いかけたいから。

 

「すみません。先に失礼します」

「そうか。また来てくれ。箒も喜ぶ」

「はい」

 

 箒の顔を静かに見つめ続ける柳韻先生を残して俺は病室を出ていった。俺ができることは言葉をかけることよりも事件を解決すること。柳韻先生の状態も箒が目覚めることで元に戻るはずだ。

 

「さて、ゲーセンにでもいくか」

 

 言葉にしてみると自分がすごい不真面目に聞こえるが大真面目である。家に戻って自宅から入るという選択肢は当然あったのだが、折角遠出してきているので他の皆の状況も知っておきたかった。福音と戦うために必要な大事な一戦が月曜日に待っている。弾はいないだろうけど、他の誰かはいるかもしれない。

 俺たちが銀の福音と戦うチャンスがあることはラピスにも伝えてあったりする。彼女から得られた情報では世界ランキング9位の“セラフィム”は国籍こそアメリカだが代表候補生ではないらしい。モンドグロッソには縁のないプレイヤーであるようだ。6位に国家代表がいるとはいえ、国がお抱えにしないとは珍しいことだ。ラピスは『政府側がプレイヤーの素性を世間に知られたくない可能性』を指摘している。後ろめたい何かがあるのだろうか? 今のところ、俺たちの中で“セラフィム”はグレーな存在ということになっている。

 ――だからまずは直に会ってみるってわけだ。

 ラピスと話し合った結果、俺はアメリカ代表のチームとの試合に集中することとなった。調査よりも自分の実力を磨くことが最優先である。情報収集能力は俺よりもラピスの方が圧倒的に高いから調査はしばらく彼女任せだ。

 今日は週末だから普段はいないプレイヤーとも会えるかもしれない。今は自宅よりもゲーセンの方が都合がいい。

 

 正面玄関の見える1階廊下をやや早歩きで病院の出口へと向かう。病院を出たら駅へ行き、2駅先で降りればすぐにいつものゲーセンだ。頭の中では俺の今日の行動がシミュレートされていたが、俺はふと目に留まった白衣の女性によって足を止めてしまう。

 

「また、いるのか……?」

 

 受付で話をしている白衣の女性には見覚えがある。花火が爆発したような髪型は寸分も変わっていないように見えることから女性のお気に入りなのだろう。左手に持っているのは3本の棒付きキャンディー……俺にイスカをくれた倉持彩華さんだった。少しジロジロと見過ぎたせいか、彼女は俺の方を向き右手を挙げる。

 

「やあ、少年。元気そうだね」

「おかげさまで。そういえば彩華さんはいつも病院にいるイメージがありますけどどこか具合が悪いのでしょうか?」

「ん? 私は見たとおりピンピンしてるぞ? それは君にも言えることだ。快調な人間でも病院に来る理由はある」

 

 察しが付いた。おそらく彩華さんも誰かの見舞いに来ているのだろう。俺と同じように。

 

「なに、命に別状はないらしいから暗い顔をするな」

「はい……」

 

 命に別状はないらしい、か。箒はそうとも言えない状況……っとダメだ。俺が信じなくては箒は帰ってこないだろう!

 

「そうそう。ちょうど良かった。今、仕事を手伝ってくれる人を探しているところなんだが」

「仕事ですか? いったいどんな?」

「お! 興味があるのか! お姉さんは嬉しいよ」

 

 彩華さんは受付から離れて俺の方へとやってくる。俺自身が暗い考えから脱却するために彩華さんの話を拾った。……彩華さんのにししっと笑う姿を見ると、拾ってしまったと後悔したくなる。

 

「うちの製品の試験をしたくてね」

「製品? そういえば、彩華さんってどこに勤めてるんですか?」

 

 もしかしてと俺の目は輝いた。彩華さんが持っていたイスカは倉持技研の試験用だった。つまり、製品って言うのは、

 

「倉持技研っていうIS関連の会社だ。君もISVSをやっているなら名前くらいは知っているだろう?」

 

 IS……なのか?

 製品の試験っていうのがISVS上でのことを指すのなら、新装備が期待できるってことになる。これは僥倖だ!

 

「俺でよければ手伝いをさせてください」

「そうか。君ならそういってくれると思っていたよ。では、ついてきてくれ」

「はい!」

 

 そうして俺は彩華さんについていった。彩華さんは病院の出口ではなく奥へと向かい、エレベーターで上へといく。向かった先は屋上。丸の中にHと書かれた場所に待機しているヘリコプターに乗り込んだ。

 ……ヘリコプター?

 

「ちょっと待ってください! どこに行くんですか!?」

「ふぇ? ふぉひろんふらほひひへんら」

「飴をくわえてたら何言ってるのか、わかんないって! あ、もう離陸してる!?」

 

 ヘリが飛び立つ。俺はなんだかよくわからない内にどこかへ連れて行かれることになった。

 

 

***

 

 

 空を飛んでいる間、それほど時間は経たなかったと思う。つまり遠くまで連れて行かれたわけではなかった。ただし、外を見ていた俺は眼下に海が広がっていたことを確認しているため、着陸したこの場所は陸続きでないと思われる。

 

「いったいどこに連れてきたんですか。倉持技研の研究所かなんかですか?」

「そのとおりだ。ここは海上に造られた倉持技研の研究所のひとつ。特に名前は付いてないが私専用のラボみたいなものだ。入り口は空にしか設けていないから一般人が入ることはほぼ不可能な場所だよ。貴重な体験だな、少年」

 

 呆れ気味に問いかける俺の頭を彩華さんは子供にするようにポンポンと軽く撫でた。なぜか俺が駄々をこねるガキみたいな扱いを受けている気がするが、一応は拉致してるのを理解してるのだろうか。

 ……そういえば俺は拉致られたも同然なのか? これって実はマズい状況? いや、大丈夫だろ。彩華さんが悪人なわけがない。

 

「さて、早速だが君の体を使った実験を――」

「帰して! お家に帰して!」

「どうしたのだい? ああ、そうか。君にはまだ飴をあげてなか――」

「飴で誤魔化されると思うなよ! バイトって、人体実験の被験者のことかよ!」

「人体実験なんて言い方はやめてくれないか、人聞きの悪い。これから行われるのは、この倉持彩華の偉大なる研究のための儀式なのだから。君はその礎となる」

「余計に怖くなったよ!?」

 

 などというやりとりをしていたが、彩華さんはひとりで前を歩き俺は後ろをついて行く。本当に何かされそうだったら全力で暴れる気だったが、今は興味の方が勝っていたのだ。束さんから始まったISという存在。束さんの手を離れて今どうなっているのかをこの目で確かめることができる機会などそうそうない。彩華さんのいうとおり貴重な体験ができるチャンスだった。

 

「着いたぞ。なぁに、怖がることはない。別に君を改造人間にしようという意図などないからな」

「やっぱりさっきの言い方はわざとだったんですね……」

 

 彩華さんは人の不安を煽って楽しんでいただけ。俺が通された部屋には、複数のコンピュータとケーブルの類があり、中央にはメカメカしい手と足の形をしたモノが鎮座している。スーツにしては胴体にあたるものは無く、四肢だけの装甲といった感じだった。かといって未完成には見えない。つまりこれはISなのだろう。俺はゆっくりとISに近づいていく。

 

「これが本物のIS……」

「違うぞ」

「え? 違うの!?」

 

 それなりに感激していたのに台無しである。

 

「こいつはな……“リミテッド”と呼ばれているものだ」

 

 静かに語られた名前は聞き覚えのあるものだった。

 リミテッド。ISVS上ではISコアの補助を受けて稼動する無人機のことだった。しかし目の前にあるこれは明らかに人が装着することを前提としている。

 

「無人機じゃないんですか……?」

「お? まだ初心者だと思ったのだが、まさかリミテッドのことを知ってるとは驚いた。しかし、プレイヤーらしい勘違いもしている」

「勘違い、ですか? それもプレイヤーらしいって……」

「ISVSをプレイしている上では君の認識は間違っていない。現実に実用化されているリミテッドはISコアから一定距離以内で活動可能な無人タイプのものしかない。だがそもそもリミテッドとは能力が制限されてでもISを量産化しようとする計画の産物だ。当然、有人機の構想も存在する」

 

 確かに俺の勘違いだ。リミテッドってのはもっと広義なものであって俺が目にした無人機たちは一例でしかないということを彩華さんは言いたいのだろう。

 

「実用化されている無人リミテッドは1つのISコアで複数機動かせることは実現できたのだがメリットばかりではなかった。ISコアを移動させられなければ活動可能範囲がコア周辺に限られることがデメリットとしてすぐに挙げられる。ISコア自体を移動させればいいという発想で、ISにリミテッドへの能力供給をさせてはみているものの、数を増やした時点でコアが自機をユニオン扱いしてしまいIS本体の能力が下がってしまったりとデメリットは確実に存在する。コアを持っているだけの動力源としてのISと割り切ってしまうことが考えられていたりもするが、IS本体が万全に戦えた方が戦力として上である現状では――」

「あのー、そろそろ手伝いの方の話を進めてもらえませんか?」

「おっと、すまない。つまらない話を聞かせてしまったようだ。では早速本題に移ろう」

 

 彩華さんから弾と似た空気を感じとった俺は急いで話を切り替えた。俺に長話を聞く気がないと察してくれた彩華さんは中央に鎮座している手足がメインのリミテッドに近寄り、コンと軽く叩いた。

 

「話は簡単だ。君にはこのリミテッド……“白式”を動かしてもらいたい」

 

 俺は目を丸くせざるをえなかった。今までの話の内容から、この部屋に置いてあるものが有人リミテッドであることは察しが付いていた。何が俺を驚かせたかというと、機体の名前である。白式はISVSの俺の機体の名前。彩華さんがイスカに入れていた機体の名前だった。

 

「これが、白式……?」

「君がISVSで使ってきた白式との違いはISコアの有無だけだ。性能の面では劣ってしまっているが、現状では仕方がない」

「え? コアなしでPICが使えるんですか!? それってすごいことじゃ――」

「とりあえず装着してみてくれないか? おい! 少年に白式を付けてやってくれ」

 

 部屋の中で作業をしていた白衣の人たちが集まってきて、俺は私服のまま乗せられる。専用のスーツは無いのか確認したけれど、今日の実験では大きな動作はしないから要らないそうだ。

 足が取り付けられる。付いたというよりも俺の足の方が拘束されたような感覚だ。同じように腕にも取り付けられる。機械腕はロボットアームで持ち抱えられたままで、やはり俺の腕の方が拘束されたような気がしている。つまり、俺は手も足も動かせない状態にある。胸の辺りに軽く装甲が取り付けられ、頭にサークル状のものを被せられたところで準備は完了したらしい。研究員らしい人たちは俺と一言も口を利かないままそれぞれの持ち場に戻っていった。

 

「あの……これって本当に大丈夫なんですか?」

 

 ISVSで感じていた軽さが欠片も存在していない。前までならゲームと現実の違いと思えたのだが、ラピスの話を聞いてしまった今ではISとリミテッドの違いとハッキリ思えてしまう。

 

「大丈夫だ。篠ノ之博士のようなスペックは無くとも私は優秀だと自負している。君に怪我をさせるようなヘマはしない」

 

 俺の不安を感じ取ってくれたのか、彩華さんがフォローを入れてくれた。研究員たちが慌ただしくキーボードを叩く音が聞こえ、実験が進行していく。そして彩華さんから起動の命令が下された。

 

 何も起きなかった。

 

 てっきりPICが起動して浮き上がると思っていたが俺は依然拘束されたままである。手足を動かしてみてくれ、と言われて実行して見るもすごく重い。重いながらも少しは動いてくれた。だがそれだけだ。

 

「……ふむ。パワーアシストは働いているが、やはりPICは起動しないか」

「えと、彩華さん? これって失敗なんですか? というか何ができれば成功なんですか?」

「そうだな。こうなれば成功だったかな」

 

 彩華さんが何かをした。そうとしか思えないくらい突然に何もかもが軽くなった。地に足が着いていないのに俺の体は安定している。動かすのがつらかった両腕も動かせる。機械腕に自分の腕を突っ込んでいる感覚だったのが、機械腕自体が自分の腕になったようだった。ISVSの操作感覚にとても似ていた。

 

「今は無人リミテッドと同じ技術でISコアとリンクさせてPICを起動させている。これを独立させて実現したいのだが、まだまだダメらしい」

 

 これまた唐突に浮遊感が消え去り、ゆっくりと地上に降ろされた後、俺は再び機械の手足に拘束された状態となった。

 

「協力ありがとう。これで実験は終了だ」

 

 結局俺が役に立てたのかわからなかったが、上手く進まないのも研究なのだろうと思っておく。とりあえず俺の成果としては、倉持技研関係者とのコネを強くしたことだろうか。役に立つかはわからないけど、いざというときに頼れるかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 実験終了後、織斑一夏を別室に連れて行かせた後で倉持彩華は実験室に残って今回のデータに目を通していた。ディスプレイに表示された数字の羅列を高速でスクロールしていき、頭にたたき込む。

 

「主任。やはりこの実験には意味が無かったのでは?」

 

 部下の研究員が今回の実験の妥当性について疑念を抱いている。有人リミテッドの研究の着地点は、量産できることと男性が操縦できることの2つだ。現在はISコアを解析して出た仮説をひとつひとつ検証していく段階なのである。これまでも研究員たちは自分が被験者となって実験を行なってきた。だからこそ倉持彩華が織斑一夏(いっぱんじん)を連れてきた理由がわからない。男性研究員が既に同様の実験をしているため、今回の失敗は想定された出来事だったはずなのだ。

 問われた彩華はさして気にする風もなくデータとにらめっこを続ける。思考中は答えないいつもの癖だ。質問した研究員は返答を得るのを諦めて自らの作業に戻ろうとデスクに向かった。

 

「ダメだな。どこをどう見ても結果は変わっていない」

「だから言ったじゃないですか! むしろ被験者を変えるだけで上手くいくなら、今頃男性のIS操縦者のひとりやふたり発見されてますよ!」

「これは驚きだな。男の操縦者がいないことは証明されているのか?」

「いることも証明されてません!」

「尤もだ」

 

 今日は早く返事が来たかと思えば、彩華から返ってきた回答は自明のもの。呆れて返す言葉も無くなった部下の研究員は、次の仮説のための作業に取りかかる。こうなれば作業が一段落するまで会話は発生しない。部下の仕事を邪魔する気はない彩華は黙って退室する。これもいつものこと。もし彩華が『先に上がる』などと言おうものなら室内の研究員全員が手を止めて信じられないものを見る目を向けることになる。

 

 静かに退室した彩華は織斑一夏を待たせている部屋へと向かう。連れてきた身として本土に送り届けるまでキッチリと自分の手で行なうつもりだった。

 一人廊下を歩く彩華だったが、反対側から一人の女の子が歩いてきた。女性、ではなく女の子である。歳は10代の中頃、中学生から高校生辺りだろうか。学校の制服と思われる服装の上から彩華たちと同じような白衣を羽織っているが、袖が長すぎて手が完全に隠れてしまっている。よく見れば白衣の袖から制服の袖も見えていた。服装として問題しかない格好の少女は長い袖をだらりと下げて、とぼとぼと前も見ずに歩いている。彩華はすかさず進路を変えて少女の前に立ちはだかった。当然、そのまま歩けば、

 

「いたた……」

「…………」

 

 衝突する。互いにこけて尻餅をつくが声を上げたのは彩華だけだった。何も言わぬ少女に彩華は文句ありげに声をかける。

 

「気をつけたまえよ」

「……わざと……ぶつかったくせに」

 

 こうして少女にぶつかるのは3度目。否応なしに話をするにはもってこいだったが流石に頻度が多すぎた。尤も、気づかれていても彩華には何も関係がないのだが。

 

「ほら、前を向いて歩け。でないと――」

「青春時代が……もったいない……ですね……」

 

 言いたいことを先に言われてしまった。こうなると彩華から少女に言えることはない。意味まで伝わっているかはさておき、文字として少女の頭に届いていれば、彩華にできることは終わりだった。あとは本人次第である。

 

「後ろ向きな行動だけはやめておくこと。頼りないお姉さんの言うことですまないが、独りでは解決できないこともある」

「わかってます……それでも……」

 

 少女は立ち上がるとぶつかる前と同じ足取りで歩き出した。彩華は少女の後ろ姿を見送ってから再び織斑一夏の待つ部屋へと足を向ける。

 

(同じ言葉でも人によって受け止め方が違う。あの少年は1日で別人のように変わった。私はそんな彼に可能性を感じたのだろう)

 

 織斑一夏の存在が自分の研究を先に進めてくれると根拠もない期待を抱いていた。研究者失格だと彩華は自らを嘲笑った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 時刻は昼過ぎ。彩華さんに病院にまで送ってもらった後、『後で必ず礼をする』とだけ言われて解放された俺は病院からすぐにいつものゲーセンのある駅まで戻った。駅前の牛丼屋で腹を満たしてから早速店内へと突入する。週末にやってくるのは初めてだったから知らなかった。

 

「人、多っ!?」

 

 ISVSの人気をすっかり失念していた。ゲーセンは平日には来られない人たちで溢れかえっている。それも仕方がない。ISVSを知ってしまえば他のゲームは物足りなくなるだろう。そして家庭用ISVSはおそろしい金額がかかる。必然的に安価なゲーセンに人が集中することになるわけだ。などと分析したところで、俺が中に入っていけるわけじゃないけどな。

 

「誰か中にいないか? 着信音が聞こえるかはわからないがメールを出してみよう」

 

【送信先】五反田弾、凰鈴音、御手洗数馬、幸村亮介

【件名】無題

【本文】今いつものゲーセンに来たんだけど、誰か来てたりする?

 

 簡単な内容で送信、と。この中からいつものメンバーを探すのは苦行だから文明の利器に頼らせてもらった。早速、俺の携帯がメールの受信を知らせてきたのでチェックする。

 

【送信元】幸村亮介

【件名】Re:無題

【本文】鈴ちゃんなう!

 

 ……それだけだった。

 

「わけわかんねえよっ! この内容で俺に何を理解してほしかったの!? 何なんだよ、『鈴ちゃんなう!』って!? 俺へのメールはツ○ッターじゃねえ! ツ○ッターだとしても意味がわからねえ!」

 

 そういえば幸村へのメールは初めてだっけ。普段から理解不能だがそれはメールにも表れているのか。

 周囲の目も気にせず声を上げていると画面が切り替わる。他の奴から返信が来た。表示された名前は御手洗数馬。

 

【送信元】御手洗数馬

【件名】鈴ちゃんなう!

【本文】Re:無題

 

 ……何かが、おかしい。

 

「お前もかよっ! 何で本文の方にRe:無題なんてわざわざ書いたんだよ!? ってか幸村と示し合わせてるだろ! 俺を除け者にしやがって!」

 

 数馬なら大丈夫だと思った俺が甘かった。真面目なフリして悪ノリする奴で、読まなくていい空気なら読める厄介なところがあったんだった。しかし、これは数馬と幸村は一緒にいるってことなんだろうな。そして次のメールが届く。

 

【送信元】五反田弾

【件名】鈴ちゃん鈴ちゃん

【本文】鈴ちゃんなう!

 

 ……もうやだ。

 言葉にならなかった。たったメール3通で俺はこんなにも疲れ果てることができたんだな、とどうでもいいことばかり理解させられた。とりあえず今届いた3通は鈴に転送しておこう。どうにでもなれ。

 転送を終えたところで俺は諦めて中へと入っていく。案の定、今のところすぐに使える筐体はない。知ってる顔を探してみたが誰も見あたらなかった。筋骨隆々な店長を除いては、だが。

 

「ヤイバだったな。今日はひとりか?」

「あ、店長さん。バレット来てません?」

「あいつは土曜日は来ないんだよ。……って知らねえのか?」

 

 知らなかった。毎週そうだというのなら、今日は明日の準備のために何かしてるとかそういうわけじゃないのかもしれない。

 知り合いが誰もいない上に混雑しているゲーセンにいる理由は無いため、俺はゲーセンを出た。もう今日はすることを思いつかなくなり、少しばかり早いが家に帰ろうと歩き始めた。するとタイミング良く携帯がメロディを奏でる。メールの着信だ。唯一返信が来ていない鈴だろうと思って携帯を覗くと、

 

「ん? 誰だコレ?」

 

 登録されていないアドレスだった。迷惑メールだろうか?

 件名は【あなたを見ています】。

 

「怖ぇよっ!」

 

 これが迷惑メールの手法なのか。件名だけで興味を抱かせようと必死なのだろう。とりあえず初めての経験だったため開いてみることにした。

 

【件名】あなたを見ています

【本文】3分前にパトリオット藍越店から出てきたそこのあなた! 直ちに藍越駅前の広場にひとりで来るように。広場に着いたら挙動不審に周囲をキョロキョロと見回していなさい。言いつけを守れない場合、あなたの命は保障できません。

 

 ……見なければ良かった。

 

「マジで怖ぇよっ! 何なんだコレ! 俺なんか悪いことした!?」

 

 迷惑メールだったらもっと曖昧な内容だと思うし、何よりこのメールには飛ばしたいリンク先が存在しない。件名も性的興味を抱かせる類のものではなく、文字通りとしか思えない。当然、俺は辺りを確認するが、俺が騒ぎすぎたせいで道行く人の多くが俺を見ている状況だ。もし誰かが俺を見ているとしても俺自身のせいで確認不可能となっている。とりあえず俺は駅の方へと走り出した。まずは周囲の注目から逃げたかったのだ。

 

 ……誰かのいたずら? それとも千冬姉(けいさつ)の身内だから狙われてる?

 前者なら弾や数馬が犯人であるはずだが、その場合そろそろネタばらしをしてくるはずなので違う。後者は千冬姉の仕事の詳細を知らないから何とも言えないが、俺を使って何かをするのなら回りくどい気がする。

 ……つまりこれは、“福音”を追ってることが犯人にバレた?

 俺自身が命を狙われるような後ろめたい心当たりはそれくらいしか考えられない。昨日のラピスとのミッションのこともある。福音でなくとも、ミューレイという企業が何かしらのアクションを起こしてても不思議ではないのかもしれない。

 

 考えながら俺はメールの指示通りに駅前の広場に来た。完全な不意打ちを食らった俺としては下手に逆らうことは危険だと判断せざるを得ない。特に困る要求がされているわけでもない。週末の真っ昼間の駅前は人で溢れかえっているため、俺のような男子高校生を拉致することは難しいはず。メールの送り主には俺をさらうような意図はないはずだ。

 早速、駅前広場にいる人の顔を見て回る。メールの指示と同じ行動だから問題ない。忙しなく歩いている人は除外してベンチに座っている人や端の方に立っている人を重点的に見た。そして時計の下に立っている1人の女の子と目が合った。

 ……どこかで見たような。

 地元民としてハッキリと言わせてもらえば、こんな女子は今まで絶対に見たことがない。フリフリの服装はいいとしよう。だけど、この見事な金髪だけは染めただけじゃ難しい。さらに追い打ちとして髪が縦ロール。そんなお嬢様イメージが先行する髪型が似合う女子など、この辺に住んでいるはずがなかった。

 金髪の彼女は何かに気づいたようにこちらに向かって駆け出す。どことなく嬉しそうな表情は誰に向けられているのだろうと、俺は後ろを振り向いた。特に誰もいない。すると背中に柔らかい衝撃が加えられた。俺の腰には白い手が回っている。

 

「会いたかったですわ。“一夏さん”」

 

 やはり勘違いではない。彼女は俺に向かってきていた。

 他人のそら似? いやいや、名前まで一致する他人が都合良く存在する確率は低いだろ。金髪の外国人に知り合いはいないと言いたかったが、彼女の姿には心当たりしかなかった。彼女の腕を引きはがして、俺は彼女に向き直る。

 

「えーと……ラピス?」

「まだゲームの中のおつもりですか。一夏さんは何度言ってもわたくしの名前をちゃんと呼んでくださらないのですね」

 

 何度言っても? 流石にそこまでの心当たりはなかった。そもそも俺は、ラピスの本名を知らない。

 話がかみ合わないなと感じているとラピス(仮)は首筋辺りに顔を寄せてきていた。金縛りにあったように俺は動きを止めて彼女の行動を待つことしかできない。息が耳にかかるほどの距離で、甘さとは無縁の事務的な声で彼女は囁いてきた。

 

「……わたくしはセシリア・オルコットと申します。今はわたくしに話を合わせてください」

「え……?」

 

 困惑する俺を置き去りにするように、セシリアと名乗った彼女は俺から再び離れた。

 

「一夏さん、会いたかったですわ」

「ああ、俺も会いたかったよ。セシリア」

 

 俺は一体、何をしているのだろうか? 話を合わせろというセシリアと共に知人を演じている。

 そう、演じているのだ。ということは“観客”がどこかにいる?

 

「折角会えたのですから、わたくしだけを見てくださいな」

「当然、そのつもりだ」

 

 周りを見ようとしたら釘を刺された。“観客”を探す行為はNGということになる。一体、この演技は何を隠すために行われているんだ!? メールに事情を書いてくれれば良かったんじゃないか?

 

「それでは一夏さんが普段通われているゲーセンというところに行きましょう」

「りょーかい」

 

 案内をするのは俺であるが、先導しているのは後ろにいるセシリアという妙な状態だった。演技ということで腹をくくった俺は昨日のお返しとばかりに彼女に手を差し出す。彼女は自然な動作で手を取り、俺の隣を歩き始めた。もしこれが鈴だったらビンタが飛ぶかぎこちなくなるかのどちらかだろうな。

 走ってきた道を歩いて戻る。行きは1人で帰りは2人。また周囲の視線を集めてしまっているが、今度は俺でなくセシリアの方だろう。どう見ても立っているだけで別世界を思わせる存在だ。俺はそんな彼女とどういう関係に思われているのだろうか。

 

「賑やかなところですわね」

「ああ。駅も近いから余計に、かな」

「もう少し静かな街を想像していました。一夏さんは騒々しいことがお嫌いのようでしたし」

「好き嫌いで言えばというだけの話だ。どうしてもダメというほどじゃない」

 

 あれは目立ちたくない理由を話したくなかっただけだ。今はセシリアになら話しても問題ないし、彼女ならそのくらい察してくれているとも思う。

 大した雑談をする時間もなく俺たちはゲーセンに着いた。自動ドアをくぐって爆音が支配する空間に足を踏み入れる。すると、セシリアの足が入り口で止まってしまっていた。

 

「な、なんですの、これは!?」

「ちょっと騒々しかった?」

「ええ。音量ということなら問題はないのですが、いくつもの音が入り乱れていると、少々不快に感じますわ」

「じゃあ、やめよっか」

「いえ! 中に入りましょう!」

 

 目に見えてやせ我慢してる癖にセシリアは俺の背を押してきた。後ろでドアが閉まり、俺はセシリアの手を引いて奥へと入っていく。人が多くて動きにくい中、ISVSの場所まで来るも、やはりどの筐体も空いていない。

 

「日本ではこのような場所でISVSをしているのですね」

「そっちでは違うの?」

「はい。大衆用でも個室を借りて使用する場合がほとんどですわね。このように開けた場所に何台も置いてあるのは不思議です」

 

 その辺りは国の違いということだろうか。

 

「悪いけど、今日は混んでるからプレイはできそうにないぞ?」

「お構いなく。見ておきたかっただけですので」

「あ、そうなのか。じゃあ――」

 

 じゃあ早く出ていこう。今は演技のために2人で行動しているが、この場を知り合いに見られたくなかった。このゲーセンは俺のことを知っている人間がいる確率が高い。今日は事前にいつものメンツがいないことを確認できているが、俺のことを一方的に知っている奴から弾たちに話がいく可能性はある。『織斑の奴が金髪美人を連れて歩いてた』なんて話が奴らの耳に入れば、面倒くさいことになることこの上ない。

 

「お、ヤイバ。戻ってきたかと思えば、かわいい彼女を連れてきやがって」

 

 はい、アウト。この店長からだったら間違いなく弾に話が伝わる。

 さて、『彼女じゃない』と弁解していいのか。セシリアの中の設定を把握し切れていないため、対応は彼女に任せるしかない。

 

「初めまして。わたくしはラピスラズリと申します。ヤイバさんとお付き合いさせていただいていますわ」

 

 やっぱり恋人設定なのね。この面倒を背負ってまで演技に付き合う価値があってくれよ。

 それにしても店長が俺をヤイバと呼んだだけで、ここではプレイヤーネームで会話をするということに素早く順応するとは流石である。

 

「冗談じゃ……なかったのか」

 

 しかし、店長の茶化し半分冗談半分の発言に対して真面目に返答する辺りはセシリアらしいというべきか。逆に呆気にとられてしまっているじゃないか。

 

「店長。あの……このことはバレットにはナイショにしといてくれませんか?」

「それは構わないが、あまり友達に隠し事なんてするもんじゃないぞ?」

「ええ。それはもちろん。では、今日は空いてなさそうなので帰ります」

 

 セシリアの手を引き、俺は人混みの中を外へと向かう。途中何人かの目がセシリアに向いていたから明日以降が不安で仕方がない。

 

「それで、次はどこにいく?」

「そうですわね……少しお待ちくださいませ」

 

 外に出たところで次に向かう先を聞こうとした。ちょうどそのときにセシリアが携帯を取り出して耳に当てていた。電話がかかってきていたようだ。

 

「ジョージ、監視の目は? ……そう。一夏さんとわたくしが知り合いであると確信したところで帰られましたのね。意外と手抜きで助かりましたわ。ではまた動きがあれば知らせるように。頼みますわ」

 

 通話が終了したらしい。しかし、日本語でやりとりするとは思ってなかった。おかげで大体の事情は察しが付いたけれども。

 

「今の電話は?」

「オルコット家の執事ですわ。わたくしが“織斑一夏”とその周辺環境を調べていたことまで連中にバレている可能性も考えると、わたくしが色恋沙汰に夢中になっているとした方が都合が良さそうでしたので、監視の目がいつまで続くかを逆に監視させていましたの」

「連中ってのは?」

「FMSという企業。オルコット家からも資本を提供しているイギリスのIS関連企業で、わたくしは専用機を与えられた操縦者なのです。彼らにはわたくしが日本に来る理由を確認する必要があったわけですわね」

 

 聞けば聞くほど話についていけてない気がする。とりあえずここまでの話をまとめると、セシリアはFMSという企業に監視されてる。日本に来た真の目的を悟られたくないセシリアは恋仲である俺に会いに来たと設定した。監視に来ていたFMSの人間を執事に監視させていて、監視の目が無くなったというとこまではOKだ。

 

「専用機って?」

「本物のISのことです。今展開してお見せすることは、この国に対する軍事行動と見なされるためできませんわ」

「オルコット家って?」

「わたくしの実家ですわ」

「執事がいるみたいだし、企業に資本どうのこうのって――」

「何かおかしいでしょうか?」

 

 小首を傾げるセシリア。そんな彼女のことはさておき、俺が聞きたいことは大体聞けた。

 ……この子、かなりのVIPだ。

 金持ちのお嬢様というだけならなんとなく感じていたことだからいいとしても、ISの専用機を持っているとなると話は大きく違ってくる。ISVSと違って世界に467個しか存在しないISコア。そのひとつを持っている人間のひとりが目の前にいる。FMSという企業にとって、イギリスという国にとって、彼女にはそれだけの価値があるということになる。恋人に会いに日本に行くことを許すとは思えないが、そこはオルコット家とやらの発言力なのかもしれない。裏事情は違うかもしれないけどな。

 

「最後に確認。もう俺が聞きたいことを聞いてもいい?」

「ええ、もう大丈夫ですわ。無理にわたくしに話を合わせる必要もありません」

「じゃ、遠慮なく」

 

 友達以上恋人未満ごっこはおしまい。ここからは昨日の続き。ヤイバとラピスの会話となる。

 

「どうしてヤイバが俺だとわかった?」

「ヤイバというプレイヤーの履歴を追うことはわたくしにとっては造作もないことでしたわ。ヤイバさんが活動する場所さえわかれば後は人から聞くだけである程度は情報が整います。メールアドレスに関しましては少々口では言えない方法を使っています」

 

 昨日の今日の話である。信じられない情報収集能力が彼女にはあった。ヤイバというプレイヤーネームのみで俺が特定されるとは思っていなかった。

 

「なぜ日本に来た? どうしてそこまでして俺を見つける必要があった?」

 

 彼女の行動力は異常だ。監視がつくような面倒を抱えてまで俺に会いに来る必要性が俺にはわからない。恋人のフリまでして日本に来ることは、福音を追うために必要なことだったのか?

 そんな俺の疑問はセシリアの一言で片づいてしまった。

 

「わたくしが見ていなければ、あなたは無敵ではありませんから」

 

 ISVSのヤイバだけでなく、現実の俺にもそれは適用されるらしい。彼女は現実の俺にも“もしも”を起こさないために日本に来た。あらゆる可能性を想定して対処できる位置にいようとしてくれている。事実、彼女がISの所持者ならば、俺が軍隊を敵に回しても戦えてしまう。

 

「俺にそこまでの価値があるかな?」

「期待していますわ、一夏さん」

 

 まただ。昨日の今日だというのに俺とセシリアは同じやりとりを繰り返す。だからこそ、大丈夫だと思えた。2対11で圧勝できたように、“福音”を見つけだすことができるはずだと、そう信じられた。

 

 

***

 

 セシリアから連絡先を貰って解散となった。彼女はホテルへ、俺は自宅へと戻る。ちなみに俺は自宅からもISVSができることを伝えておいた。彼女になら話しておいてもいいと判断してのことだ。セシリアと夕方6時に同時に入ることを約束して今に至る。

 6時まであと10分。千冬姉はと言うと、俺が朝出て行った後に書き置きが残してあり、今夜は帰れそうにないということだった。千冬姉の夕食を気にすることなくISVSを始めることができる。

 

 いつもと同じようにベッドに横たわり、いつもと同じようにイスカを胸に置く。

 あとはいつも通り、例の声を聞いてISVSに入るはずだった。

 

 

『助けて……』

 

 

 いつもとは違っていた。



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08 雪色の彗星

【ミッション】“未確認ISを撃破せよ”

【依頼主】国連・IS委員会

【フィールド】山岳、および森林

【同時出撃可能数】制限なし

【概要】各国企業に対してテロ行為を行なっている所属不明のISを誘き出して撃墜する作戦を実行する。撃墜対象は未知の技術が使われている非常に強力なISのため、出撃枠の制限は撤廃した。参加希望者は随時参加してもらって構わない。なお、報酬は対象を撃墜した1名のみとする。

【報酬】未確認ISの装備

 

 

 土曜日。日本国内のとあるゲームセンター。2日後に迫った大きな対戦に向けての調整のためにゲーセンに訪れていた男たちはISVSに入っていた。10人のメンバーの選出は終わっている。今日明日はメンバー同士の連携の確認のために練習試合をする予定であったのだ。

 

「我が右腕、ハーゲンよ。我らは運が良いらしい」

 

 10人のリーダーと思しき、マントをつけた少年が傍にいる大男に声をかける。試合の相手を探す傍ら、適当に今あるミッションを漁っていて見つけたひとつのミッション。そこに書いてある“未確認IS”に興味を惹かれていた。頭巾状の装甲がついているハーゲンと呼ばれた大男が無言で頷くのを見てリーダーは話を続ける。

 

「コイツはwikiにバレットが報告を上げていた赤い可変ISのことだろう。あの男が手も足もでなかったという強力な装備だったらしいが、よもやそれが手に入る機会がこのタイミングで訪れるとはな」

 

 リーダーの少年はクククと静かに笑う。その様子を他のメンバーは黙って見守っていた。

 

「今宵の獲物は決まった! 我ら“蒼天騎士団”が真紅の鳥を墜とす!」

 

 蒼天騎士団リーダーの少年マシューはマントを翻して転送ゲートへと向かう。頭巾の大男ハーゲン含む、他の9人も後に続いていった。ミッション追加プレイヤーが10人。それも全体としては微々たる数であった。既に戦場は多数のプレイヤーで溢れている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 銃弾が追ってくる。狙われた少年はISによって鋭敏となった感覚で冷静に見据えると左のスラスターを噴かせて滑るように回避する。木の陰に入ったところで敵の視界から外れ、攻撃が止んだ落ち着いた状態で反撃の道を探り始める。

 戦場は広大な森林。逃げることが目的である身としては空よりも森の中の方が都合が良かった。索敵に長けたIS相手ならば空にいようが森にいようが容易く見つけられてしまうのだが、大多数のISは目視や簡単なセンサーに頼っている。センサーさえ騙せれば敵にこちらの位置を把握されにくいというわけだ。

 

「シズネ。俺の近くにいる敵は1機だけか?」

 

 少年は小声で呟く。彼の周りには誰一人としていなかったが、彼に対して返事はあった。

 

『いいえ、2機います。ただ、連携は取れていないようですので別勢力でしょう。各個撃破は容易と判断します』

 

 指揮を執っている少女から2機いるという情報がもたらされたが、連携さえ取られなければ関係はなかった。通信に答える間もなく、少年は弾痕の残る道を戻る。当然、その先にはマシンガンを構えて追ってきているISの姿があった。飛び出した少年に対してすぐさま銃口を向けてくる。しかし、遅い。銃口が向く頃には少年の次の位置取りが終わっていた。

 低空飛行。木々の最高点よりも低い枝の隙間を縫うように飛び、左手に所持するアサルトライフル“焔備(ほむらび)”のトリガーを絞る。足を止めていた追っ手は避けられるはずもなく銃弾を2発3発と受け入れざるを得なかった。

 ガサガサと音を立てて移動する少年の位置は枝と葉で隠れていてもわかる。追っ手は撃たれているにもかかわらずマシンガンで撃ち返した。互いにエネルギーを削りあう根比べ。単位時間当たりのダメージ効率はアーマーブレイクを狙いやすいマシンガンの方が圧倒的に上であるため、追っ手は当てられれば良いと考えていたのだ。全く関係のない場所から矢尻が飛んでくるまでは。

 矢尻はマシンガンを貫通していた。ワイヤーが繋がれている矢尻がそのまま引っ張られ、追っ手のISはバランスを崩す。壊された武器をいつまでも持っているべきではなかったのだ。ワイヤーの先には、刀を持って飛びかかる少年の姿があった。追っ手のISもブレードを持っていたが、振れる体勢ではない。不意打ちに成功した少年の刀が一方的に叩きつけられる。アーマーブレイクが発生。追っ手のISは打鉄フレームであり耐久性は高いのだが、ライフルを連続で受けてきていて疲弊していたシールドバリアは刀の一撃を耐えきることはできなかった。シールド回復まで機動性も制限される追っ手のISには時間を稼ぐ術すらなく、少年の2撃目3撃目を連続で受けてストックエネルギーが底を尽きた。

 

「群れなきゃこんなもんだな。どこかで見たような装備の奴ってのは戦法までどこかで見たものになるしかないし」

 

 粒子状になって還っていく追っ手のISを尻目に投げ捨てたアサルトライフルを回収に向かう。ついでに指揮官に撃墜の報告も入れておく。

 

「1機撃墜。近場のもう1機を倒しに向かう」

『了解しました。こちらは救出した“仲間”がISを持っていないため、もう少し時間がかかります』

「わかってる。ナナには空を全部任せてるんだ。下は俺たちが時間を稼いでみせるさ」

『お願いします、トモキくん』

 

 簡単な敵の位置情報をシズネに送ってもらい、トモキは次の標的を狙いに向かった。

 

 戦い始めて既に1時間が経過していた。トモキが倒したISは今ので6体目。それでもトモキの戦果だけでは敵の戦力をほとんど削れていない。1人で敵を倒せる戦力がナナとトモキしかおらず、あとは牽制しながら逃げることしかできない心許ない戦力で、10倍は軽く居る相手と戦っている。

 

 事の発端はいつもの【“仲間”の救出】だった。新たにこの世界に来た“仲間”の情報を得たナナたちは自分たちの目的のために救出作戦を実行する。前回、メンバーのダイゴとキクオの2名が窮地に陥ったため、戦力を多めにして救出に向かったのだ。結果は拍子抜けなくらい簡単に2名の“仲間”を救出できている。

 問題はその後だった。救出した“仲間”を連れて敵の拠点から出たときには周囲がプレイヤーに囲まれていたのだ。今までもプレイヤーが襲ってきたことはあったが、今回は数が異常だったのである。ナナの即決により彼女が囮となって、トモキを先頭に逃走を開始したのだった。

 

(ストックエネルギーは残り84%。武器の耐久はどれも削られていない。一応、まだ俺は戦えるが……)

 

 戦況は芳しくない。敵の大多数はナナが引き受けているが、全てを抑え込むことは不可能だ。ナナが抑えられなかった敵をこうして撃退するのもトモキ1人ではとても手が足りない。ジリジリと敵を牽制しながらのゆっくりとした後退しかできなかった。つまり、敵を引き離し切れていない。母艦に戻るためには、撤退する部隊が完全にフリーとなる必要があった。今はそれまでの道筋が見えない。

 

 敵のISを発見する。今度は全身を盾で固めたような重装備のISだった。防御重視ユニオン。装甲でガチガチに固められた戦闘タイプであるため、実弾への耐性は凄まじく高い。勝てない相手ではないが、面倒な相手であった。

 

「ああ、もう! 相手してやるよっ!」

 

 今すべき事はわかっていても、結果をたぐり寄せられないことがトモキを苛立たせる。終わりは見えない。それでも戦うしかない。

 

 ――“仲間”と共に帰るために!

 

 右手には近接ブレード“葵”。

 左手にはアサルトライフル“焔備”。

 どちらも初期フレームに打鉄を選択したときに付いてくる初期装備だ。弱いわけではないが使いやすさ重視のためクセのある敵と戦う際に使いにくいこともある。今回がその状況だった。しかしトモキには関係ない。装甲で固めた金属ダルマに向かってトモキは飛び出した。相手は戦闘態勢に入っていない。トモキはライフルで先制攻撃を加える。金属同士が干渉して甲高い音を次々と奏でていた。

 

「よし、気づいたな。そのまま来い。お前の相手は俺だ!」

 

 誰が見ても効き目はないと感じるだろう。そんな状況を目の当たりにしてもトモキはそれが当然として流す。

 次の展開は敵の装備の披露だ。装甲ばかりでゴツい体が所持している武器は本体に負けず劣らずのゴテゴテした射撃武器だった。バズーカ砲を円形に束ねたようなそれはIS用武器としても規格外の代物である。射撃の際には浮遊や防御に使われているPICの全てをPICCと反動制御に回さなければならない超大型ガトリング、名を“ヘカトンケイル”という。

 単発でもアサルトライフルの威力を上回る驚異の兵装の破壊力を直感で読みとったトモキは急速反転して木の陰に隠れた。敵の視界から隠れても尚、トモキは逃げる足を止めない。それもそのはずだ。彼の背後にあった木々は次々となぎ倒されていった。

 

「ちぃっ! いくらなんでもこれはやりづれえ!」

 

 同じISでも歩兵で戦車に挑むような状況である。使いやすい武器はデメリットがほぼ無いが、戦況を劇的に変える効果も無い。戦車をぶち破れるような携行火器ではないのだ。

 背後の木々を見やる。弾丸はトモキの元いた場所を当然のように通過しており、関係のない奥の木まで貫いていた。トモキの両肩には物理シールドがあるが、盾として機能するのか疑問である。まともに撃ち合えば一瞬で敗北することは間違いない。

 

 敵の攻撃が止んだ。武器の特性上、敵は攻撃しながら移動ができない。見失ったトモキを探すためには移動しなければならず、この瞬間は攻撃ができない。だから、その隙を突けばいい。

 

「おらーっ!」

 

 ここにいるぞと宣言するかのような雄叫びを上げてトモキはライフルを乱射する。細かく狙ったところでどうせダメージにはならないと諦めていた。弾丸は全て装甲の前に弾かれる。ストックエネルギーが削れているかもわからない。だが無理はせず、敵が足を止めた頃には再び森の中に姿を隠した。

 

(ここからは根比べだ。俺のテキトーな射撃でも数を撃てば装甲の隙間に当たるはず。そうなればあれだけガチガチに装甲で固めたISだ。数発でシールドバリアは容易く砕ける。それを理解していない相手ならばブレイクしてから楽に刈り取ればいい。理解している相手だと2通りに分かれるが――)

 

 瞬間、トモキは空気の変化を感じ取った。木々がなぎ倒されている音が聞こえるが、ガトリングによるものではない。残る可能性は敵の移動。

 

「我慢弱い愚者の方だったか。俺的には非常に助かるぜ」

 

 一方的に攻撃され続けることを嫌った敵は強引に近距離戦に持ち込もうとしてきた。だがこれこそトモキの狙った状況である。

 用済みのライフルを量子変換して片づけ、代わりの装備を取り出した。機械的な外見の大砲だ。これこそがトモキの切り札。初期装備とワイヤーブレードの他に自機に積んでいた荷電粒子砲“春雷”である。

 2機のISが接触する。一方は大型ガトリング、もう一方は荷電粒子砲。同時に撃ち合えば勝つのは前者だ。だが状況次第では逆となる。移動している状態でのIS用ガトリングはただの筒でしかない。

 

「自分の装備の特性を学んで出直せ、マヌケ」

 

 至近距離で荷電粒子砲が火を噴いた。胴体を包んでいた装甲のど真ん中に大穴が空き、プレイヤー本体も露出する。トモキは攻撃の手を緩めない。まだ決着は着いておらず、装甲は拡張領域の予備装甲で修復が可能なはずだった。その前に空いた土手っ腹に刀を突き立てる。脆いシールドは簡単にブレイクされた。敵がガトリングをトモキに照準し、発射するもトモキは冷静に肩の盾で防ぐ。とどめとばかりにブレイクした腹にもう1回刀を突き刺した。

 

 敵が消失する。これでトモキは7人目のプレイヤーを狩ったことになる。これまでの疲れが出たトモキは全身の力を抜いてその場に浮遊した。

 

「シズネ。2機目も倒した」

 

 報告を入れるもまだ周りを気遣うだけの気力が戻らない。相手が弱かったのもあってトモキの考え得るスマートなやり方に持っていけたのではあるが、最後のやりとりでは下手したら自分の方がやられていた。

 自分の損害を確認する。ストックエネルギーは72%。最後に2発本体にまで届いていたのだ。左肩の盾は貫通している。修理自体は自動で今も行われているため盾の被害は実質ない。問題は武器の方だった。

 

「ちっくしょー。やっぱり接近戦で荷電粒子砲なんて振り回すんじゃなかった」

 

 最後のやりとりでガトリングの弾が見事に命中していた。対防御ユニオン用の武器である荷電粒子砲が使い物にならないくらい損傷してしまっている。自動修復完了まで12時間。もう一度同じタイプの相手が現れたら、同じ戦法はできない。

 残された武器は近接ブレード“葵”、アサルトライフル“焔備”、ワイヤーブレード“シュベルト・ツヴァイク”の3つだけ。

 

『お疲れさまです。悪い報せともっと悪い報せがありますがどっちから聞きますか?』

 

 シズネからの通信。先が思いやられている中での悪い報せにトモキはため息をつくことしかできなかった。

 

「もっと悪い方から頼む」

 

 トモキは疲れを隠さずに答える。対するシズネは淡々と事務的に伝えてきた。

 

『ナナちゃんはトモキくんのことが嫌いだそうです』

 

 ――瞬間、トモキの顔が絶望に染まった。

 

「そんなバカなっ!? ありえないいいい!」

『ナナちゃんは不良が嫌いですので仕方ありません』

「それは昔の話! 今の俺は品行方正! 仲間のために命を張って戦える頼れる男だろ!」

『自己評価ご苦労様です。私の評価もそんなところですし、ナナちゃんもトモキくんを認めているところです』

「自他共に認めてる事実じゃねーか! 俺の何が悪いってんだ!?」

『……本当に、言ってよろしいのでしょうか?』

「ごめん、やめて! 今言われたら立ち直れないかもしれない!」

 

 相性的に不利なIS戦を前にしても泣き言を言わなかったトモキだったが、シズネとの会話で涙目になっていた。

 

『では、悪い報せの方ですが――』

「え!? 俺へのフォロー無いの? ってか、さっきのは嘘なんだろ?」

『嫌いというのは嘘ですが、ナナちゃんがトモキくんを恋愛対象として見ることがあり得ないとだけは言えます』

「まさか既に男がいるとか?」

『ええ、そうです』

 

 本当に、悪い報せだった。それを何故このタイミングで言ってきたのか、トモキはシズネの意図を掴めない。ただ、満身創痍な体にとどめを刺された気分だった。だがシズネの話には続きがある。

 

『そんなことでトモキくんは諦めるような男でしたか? ナナちゃんへの片思いはその程度で潰えるような薄っぺらいものですか?』

「んなわけがねえだろ!」

『ナナちゃんの王子様はこの窮地を助けてくれません。今なら王子様よりも頼れるところを見せつけられますよ?』

 

 シズネの言うとおりだった。ナナの危機に対してナナの想い人は何もできていない。今助けられる男は自分をおいて他にいない。トモキの体には気力が満ちあふれていった。やってやると胸の内で呟き、刀を握る手に力を込める。

 

「悪い報せを言え。敵の増援か?」

『はい。問題は、ナナちゃんに向かわずに森の中だけを移動してくる部隊がいるようです』

「つまり、連携の取れた相手が来るってわけか。手厳しいがやってやれんことはない。今の俺はできる男だからな。で、ナナの方は大丈夫なのか?」

『現在撃墜数が47体。尚も戦闘中ですが、損害はほぼ皆無です』

「流石だ。それでこそナナだぜ」

 

 しれっと伝えられたのはナナの異常性。機体性能がずば抜けているのは把握しているが、担い手としてのレベルも非常に高いものだった。そこらのISに負けるつもりはないトモキだったが、ナナと同じ機体を使ってもナナと同じ戦果を上げられる自信はなかった。

 慢心せず、ただ目的のために真っ直ぐ戦う女リーダー。その背中を見ていたトモキが惹かれたのが女としての彼女だったかは今となっては本人もわからない。ただ、彼女のために戦う想いが本物であることだけは言えた。トモキは次の仕事のために移動を開始する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 周囲に拡散させたナノマシンが情報をかき集めてくる。独立したPICによって空気中を漂っているナノマシン群は本体との特殊なネットワークにより使用者へ観測したデータを送るセンサーとして機能している。ハイパーセンサーを以てしても一般的なISでは存在を認識することが困難なナノマシンの操作には特殊な才能が必要だった。

 

「当初の推測どおり、ターゲット以外の敵ISは逃げに徹している……か」

 

 赤い未確認ISの撃墜こそがこのミッションの達成目標である。ならば逃げる他の存在など放置すれば良いというのが一般的な考え方であろう。しかし、スフィア“蒼天騎士団”のリーダーであるマシューこと真島慎二はそうではなかった。目立つ場所で戦闘を繰り広げているターゲット“紅椿”に向かうことなく、まるで関係のない森の中を逃げるISを追っている。正確には追わせているというべきか。マシューの役割は戦場の把握と全体への指示が主だからである。

 

『マシュー団長。我々も空の敵を攻撃するべきでは? イマイチ逃げる敵を追う意味を理解できないです』

「普通ならそうだ。だが、あのターゲットは普通ではない。素直に攻撃しにいったところで返り討ちなのがわかりきっている。ハッキリ言ってしまえば無理ゲーだ。しかし、何故かこのミッションには不必要な敵戦力がいてひたすら逃げている。あくまで推論だが、ひとつの答えが導き出されるとは思えないか?」

 

 メンバーの疑問は尤もなところだが、紅椿の戦闘を観察していたマシューにしてみれば、今飛び込んだところでいたずらに戦力を消耗するだけなのが目に見えていた。

 このミッションは多数のスフィアが参加している。そして、報酬を手にすることができる者は1人だけ。つまりはプレイヤー同士の争奪戦になる。協力などあり得ず、あからさまな妨害によって出発地点から現在の戦場にまでたどり着けていないスフィアもあるくらいだった。紅椿に向かっていくということは周囲のプレイヤーからの攻撃にも晒されることを意味する。プレイヤー軍対紅椿ではなく、バトルロイヤルにしかなっていなかった。

 こうなると『どう漁夫の利を得るか?』が問題となってくるのだが、プレイヤー同士を争わせるミッションにしては構成が妙だとマシューは感じていた。いらないキャストが存在している。ならば逃げるISが存在しているのは必要だからなのではないか? ミッション内容の方が単純なボス争奪戦でなく、隠された設定があるのではないか? マシューが導き出した結論にメンバーも思い至る。

 

『何かイベントが発生するかもしれない……』

「その通りだ。同じ事を考えた輩もいるようだったが、返り討ちにあってるところを見ると、倒すのに骨が折れそうな相手だ。だから倒してみることにしよう」

 

 森の中の情報をかき集める。敵がスラスターを使っていればマシューでなくとも探査は容易であるが、敵に隠密行動を取られた場合、今回のように視界が制限される場所での索敵は相応の装備が必要であった。

 

 その情報源となる装備が索敵用ナノマシンである。ISを見つけることが目的ならば、ナノマシンが発生させているPICと敵ISのPICが干渉すれば良いため、戦場に広く撒くことでISの位置が手に取るようにわかるというわけだ。内部の熱などの情報を隠せるISのステルス性を以てしてもPICだけは隠せないため、対ISの索敵装備としては最上級の代物だった。しかしその索敵用のナノマシンを扱うためには“BT適性”が必要であった。周囲に高速で拡散させ、それらの情報を拾うことは誰にでもできることではなかったのである。

 BTとは blue tears の略称であり、世界で最初に造られた独立PICとローカルコアネットワークを用いたIS用独立機動兵装の名前から取っている。最初は射撃武装の遠隔操作から始まったBTであるが、現在では上記のようなナノマシンまで造られている。

 今回のような森林地帯の戦闘や市街戦などの障害物の多い戦場ではBTを使いこなせるプレイヤーの有無がチームの勝敗を分ける要素になり得る。蒼天騎士団がバレットたち藍越エンジョイ勢を圧倒してきたのもそうした利点を最大限に活かしてきた結果であった。

 

 状況の分析が完了する。森林地帯を移動する敵ISは20機ほど。その中で明らかに逃げていないISが1機存在していた。

 

「あからさまな囮……いや、殿か。数だけならそれなりの規模であるのに何故単機で……? まあ、いい。万全の体制で狩らせてもらうとするか」

 

 マシューは単機のISを強敵だと想定し、メンバー9機のうち6機を向かわせることにした。蒼天騎士団のエースであるハーゲンは余った3機の方に組み込まれている。本来ならば役割を逆にするところであるが、今回は強敵は時間を稼いでやりすごすことに決めた。

 

『団長。敵ISを捕捉しました。映像を転送します』

 

 6機のチームの方から遭遇したISの映像が送られてくる。フレームは打鉄。手にある装備は物理ブレードとアサルトライフル。容量的にはまだ隠し玉がある可能性が考えられるが、基本的にはブレードが主力武器の近接格闘型と見て良い。どれだけ上手い相手だろうと6機で囲んで射撃をすればこちら側がやられる心配はなさそうだった。

 

「基本は包囲陣形。ライフルでチクチクといたぶってやれ。突っ込んでくるようなら狙われた者は徹底的に逃げること。他の者は射撃を繰り返せ。とにかく距離を保って撃ち続ければ負けはない。ブレードを使わせるようなヘマはするなよ?」

『了解!』

 

 細かい指示はいらない。相手がブリュンヒルデやイーリス・コーリングのような化け物でない限りは時間を稼げるはずだ。

 

 続いて、奥に向かわせた3機のチーム。やたら動きの遅いISに追いつく頃合いだった。

 

『敵機を捕捉。数は1……2、3。3機です』

「何? 見間違いじゃないのか?」

『間違いありません。映像を送ります』

 

 送られてきたデータには確かに影が3つあった。足の遅さから重装甲ヴァリスだと思っていたマシューであったが、ひとつの可能性を思い出すに至る。

 

「隠密行動か。それもBTでも見つけられないようにPICまでカットするとは」

 

 PICもカット。つまりは生身に等しい速度での移動が余儀なくされる。BT使いから隠れるのならば有効な手段のひとつかもしれないが、一人だけISを着けていては意味がない。今の状況でのメリットがマシューには思いつかなかった。

 

『どうします? 攻撃しますか?』

「牽制も兼ねてミサイルで攻撃しろ。こちらの場所がバレてもかまわない。ファイアボール(直進性高速タイプのミサイル)を一度に撃てるだけ撃ってしまえ」

『了解』

 

 攻撃の指示を下して数秒後。自らの機体“アズール・ロウ”がキャッチしている情報が一部断絶された。それも一瞬のうちですぐに情報が再構成される。この反応はミサイルの爆発を指す。復帰した情報には相も変わらず1機のISが居ることを示していた。

 

『敵ISは1機健在。他は撃墜成功のようです。姿を確認できません』

 

 報告を聞いたマシューは拍子抜けしていた。何かしらアクションしてくるだろうと警戒していたのだが、ISを装着しない隠密行動で不意打ちを受けたという結果しか残らなかった。

 

(考えすぎだったかぁ……未確認ISが強すぎるからちょっと相手を過大評価してたかもねぇ。ま、ボクたちがザコ相手に苦戦するわけがないけどさ)

 

 マシューは内心で胸をなで下ろし、戦闘の続行を指示する。既に戦闘というよりは狩りになり始めていたが、それはそれで必要になると考えていた。

 再び敵の配置を確認する。先ほどのミサイル攻撃で頑なに動かなかった敵ISがハーゲンたち3機へと向かい始めていた。

 

「ハーゲン。9時の方向から敵機が向かっている。その場は他2人に任せて迎撃しろ」

 

 寡黙なエースからの返答はない。彼の返事は行動によって示される。指示通りに真っ直ぐと向かうISの情報を得たことでマシューの指示が伝わったことが確認できた。そもそも、ハーゲンが指示に反することなどマシューは考えていないのであるが。

 

 ハーゲンからマシューへ敵機の映像が送られてくる。フレームは打鉄で背中には見慣れない大型のリング状の装置を背負っている。所持している武器はスナイパーライフルが一つだけであるが、これまた見覚えのない装備だった。

 

「ビンゴだ、ハーゲン! そいつも“未確認のIS装備”を持っている。刈り取れ」

 

 やはり喋らないが荒い鼻息だけマシューに届いた。エースのやる気を感じ取ったマシューは勝利を確信して、最後の標的である紅椿をどう落とすか作戦を練り始めることにした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 キリがない。自らが貫いたISが消滅していく姿を何度見ただろうか。2桁を越えた辺りから数えることは止めている。向かってくる敵の攻撃を躱しては逆に攻撃することの繰り返し。もはや作業じみてきている。今も斬りかかってくる敵の攻撃をいなして、右手の刀“雨月”で計9発の突きを命中させる。

 

(いつまで続ければ終わるんだ……?)

 

 無数のISが空を埋める。その中心を高速で飛び回る赤い機体の操縦者はナナである。かれこれ1時間戦い続けている彼女だったが、今もなお危なげなく戦闘を続けていた。だが戦闘の安定感とは裏腹に内心は焦りで満たされている。

 

「シズネ! 撤退状況を教えてくれ!」

 

 敵の数が多すぎるため、ナナは戦場全体を把握し切れていない。大多数の敵が自分に向かってきているため、囮として機能していると感じていたが、全ての敵が自分に向かってきている保証はどこにもなかった。

 

「くそっ! 邪魔だァ!」

 

 敵はナナを休めてくれない。向かってくる敵を斬り捨てる。戦闘を継続しながらもナナはシズネの返答を待っていた。やはり返ってこない。

 

(どうなってる? 皆は無事なのか?)

 

 森の中で爆発があったことをナナは知っている。最後にシズネから通信があったのは爆発直後の『様子を見に行きます』の一言だけ。5分近く経過するも続報が何もないばかりか、こちらから通信を送っても返事がなかった。

 

「トモキ! 状況を教えろっ!」

 

 ナナの通信は悲鳴に近かった。下の最前線で戦っているはずの少年も既にやられている可能性があったのだ。

 

『ナナ……か』

「トモキっ! 無事なのか!」

 

 返事があった。ナナの声は一気に明るいものとなり、中距離から射撃してくる敵部隊を空裂で薙ぎ払う。まだ仲間が持ちこたえているとわかれば戦う気力も湧いてくる。だが、ナナは異変に気が付いてしまった。

 

「トモキ……?」

 

 普段ならば鬱陶しいと思うくらいに馴れ馴れしく話しかけてくるはずの元不良がほとんど喋らない。

 

『大丈夫だ。俺が抑えてやる。皆で生きて帰るんだァ!』

「どうした!? トモキっ!」

 

 全然大丈夫には聞こえなかった。トモキの通信は雄叫びのような声を最後にナナの元には届かなくなる。通信の余裕がないくらいの激戦をしているだろうことは容易に想像できた。

 

『文月、すまねぇ……』

「ダイゴさん!? 大丈夫ですか?」

 

 誰からも連絡がない中、救出した“仲間”を護衛していたダイゴからの通信が来た。仲間内で最年長のくせに普段から気弱な男である彼だったが、涙混じりの声をナナは初めて聞いた。

 

『オイラに力が無いばっかりに……助けられなかった』

 

 ナナは何も答えられない。先ほどの爆発がダイゴの元で起きていたのなら、ISを持たない“仲間”が助かるはずもなかった。ナナが顔を合わせていない“仲間”。同じ境遇の彼らが逝った道を自分たちも辿ってしまうことになるかもしれないと思うと気が狂いそうになる。

 

「くっ……!」

 

 この戦闘で初めての被弾。完全に気を逸らしてしまっていた。好機とばかりに飛び込んできた敵ISを空裂で無理矢理斬り捨てることで周囲を威嚇する。

 

『文月……アンタだけでも逃げてくれ』

「な、に……?」

 

 続くダイゴの通信にナナは戸惑いを隠せない。

 

「何をバカなことを言っている!? まだ皆、戦っているだろう!?」

『知ってる。だけど、もうアンタ以外は逃げきれないんだ。少なくともオイラはもう無理だ』

「諦めるな! 私がすぐに救援に――」

『それだけはダメだ。それでは誰も助からない。オイラも最後まで戦うからアンタはアンタのすべきことをやり遂げてくれ』

 

 通信はそこで終了する。ダイゴの現在位置も特定できないナナでは彼を助けに向かうことは難しかった。そもそも、空の戦況は戦闘開始直後から何も変わってなどいない。ナナが誰かを助けに向かうと言うことは、敵の大勢力をそのまま連れて行くことに他ならない。

 

「シズネっ! 聞こえるか! 返事をしろっ!」

 

 希望などどこにも見えない。そんな状況だからこそナナは今の自分を支える親友の声が聞きたかった。もはや縋っているも同然だ。彼女なしではナナはこれまで戦ってくることなどできていない。

 

『すみません、ナナちゃん……』

 

 待ち望んだはずの声が来た。

 しかし、第一声は謝る言葉……。

 

「シズネ! 今、どうなっている?」

 

 もう状況はわかっている。それを親友の口から言わせようとするのは少しでも希望が欲しかったからだ。大丈夫です、と。あとはナナちゃんに逃げてもらえれば作戦は完了だと言って欲しかったのだ。

 

『今すぐ、逃げてください』

 

 だが無情にも、シズネから聞かされた言葉はダイゴのものと同じだった。

 

「何を言っている? 私は皆の撤退状況を聞いているのだ! 私のことなど最後でいい!」

 

 ナナは必死に現状を否定する。自分だけ逃げる選択肢など最初から存在していない。少なくとも、シズネを犠牲にしてしまった後のナナでは、この先を生き残ることはできないと断言できた。

 

『ナナちゃんには困ったものです。無愛想に見えてもお人好しなところは、こんな状況でも変わらないんですよね。そんなナナちゃんのこと、私は大好きです』

「シズネ……?」

 

 ブレードで斬りかかってくる敵を雨月で受け止める。攻撃を仕返すことなく、ナナはシズネとの通信に意識を傾けざるを得なかった。

 

「どうして今、そんなことを言うんだ……?」

『私だけではないですよね。きっとナナちゃんの王子様も、そんな不器用なナナちゃんのことを今でも想っているはずです。早く会えるといいですね』

 

 鍔迫り合いをしている相手を突き飛ばして空裂で斬り裂く。包囲している敵の一斉射撃を上空へと一気に移動することで回避した。紅椿の軌跡には水滴が糸を引く。

 

「何を言っているんだ! シズネも会うはずじゃないか!」

『正直なところ、胸やけしそうなので遠慮したいです。どうせなら私は私の王子様に会いたかったですね』

 

 高度を上げて地上を見回す。森の中での戦闘がどこで行われているのかが知りたかった。しかし、爆発が起きたり木が倒れたりするほど派手でなければどこで戦闘が起きているのかを把握することは困難を極めた。おまけに敵ISは飛び上がった紅椿を追撃する手を緩めない。

 

「これから見つければいい! だから――」

『武器も壊されました。シールドバリアはもう限界です。ストックエネルギーも3割を切っちゃいました』

 

 言葉だけだがシズネの現状が把握できた。満身創痍といえる状況。ただやられるのを待つだけだ。

 すぐにでもシズネの元に駆けつけなければならない。しかしナナには彼女の居場所すら特定できなかった。コアネットワークの通信で知ることは可能なのだが、ナナには短時間で調べるだけの技量がない。

 

「シズネ! シズネーっ!」

『がんばれ……ナナちゃん』

 

 それは決別の言葉。

 共にがんばろうではなく、ナナ一人にがんばれという声援だった。

 

「あぁ……」

 

 無理だった。この世界に来てからも心折れることなく立ち続けられたのはシズネがいたからに他ならない。シズネがいないとナナは戦えない。王子様などという希望はただの幻想。今のナナを支えているのはいつも隣にいてくれた親友なのだから。

 

「たす……けて……」

 

 ナナひとりに戦う力があったところでできないことがある。それはナナ自身もわかっていたことだが、今ほど無力さを感じることはない。

 自らに群がる敵ISを薙ぎ払う。しかし、全てを撃墜することは不可能で、包囲は簡単には突破できない。

 

 ナナの手は届かない。

 

「助けて……」

 

 意識することなく言葉が出ていた。最後に同じ言葉を発したのは7年以上も昔の話となる。味方がいないナナに手を差し伸べたことで周囲から孤立したバカな男の話だ。薄れていたはずの記憶である。しかし、この状況になって急に鮮明になってきた。

 

 姉の影響で周りに敵しかいないと思っていた小学校。

 ヒソヒソと囁かれる言葉の檻の重圧。

 心を開こうにも拒絶の視線に耐えられなかった。

 陰鬱にもなる。牙を向けたくなって当然だ。毒を吐きたくなって当然だ。

 

 くだらねえ。

 

 しかし彼女の耳に異質な内容の言葉が聞こえた。

 それは誰に向けたものだったのか。気づけば幼いナナの牙も毒も全て受け止めた少年の手が目の前にあった。

 

 ナナは過去の幻想だろうが構わず手を伸ばす。

 

「誰でもいいから助けてくれっ!」

 

 

 ――瞬間、空に光が走った。

 

 

 天から一直線に落ちる白い光は、稲妻と呼ぶには真っ直ぐな軌跡。

 

 迷いのない光の道筋は真っ直ぐに森の中へと飛び込んでいった。

 

 ナナはその光から目を離せない。周囲の敵ISも動きを止めてしまっていた。

 

 ……ああ、大丈夫だ。

 根拠もなくナナは安心を覚えていた。理由はわからなくても今の光が助けてくれる存在だという確信があった。

 伸ばした手はただ刀を握っているだけ。手と手は繋がらなかったが、ナナは誰かとの繋がりを感じていた。

 

「私は……戦う!」

 

 両手の刀を強く握りしめ、ナナは戦闘を再開する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 近づかれた時点で逃げることしかできないシズネが遭遇した相手の格闘型ヴァリスは凄腕だった。ナナからの通信に応える余裕もないほどに逃げに徹していても引き離すことなどできず一方的に斬りつけられていっただけ。悪足掻きの攻撃も避けられ、武器を壊されてしまった。

 逃げられないと腹をくくったシズネはナナに通信をつなぐ。倒されるまでの短時間ではとても言いたいことを言い切れない。それでも、何も言えないことだけは嫌だった。

 

 逃げてと言った。シズネが一番伝えたかったことだ。ナナひとりならば生き残れる。これまでの人生でただひとりの親友には生き延びて欲しかった。

 大好きだと伝えた。いつも言っていることだ。表情には出さないがいつも恥ずかしいと思いつつも、ナナの困ったような嬉しいような表情が見たくて言っている。類は友を呼ぶという言葉が似合う間柄だったが、ナナと過ごした時間が一番楽しかった。たとえナナが原因で今のような状況に陥っているのだとしても、ナナとの出会いを否定したりはしない。

 『私の王子様に会いたかった』など、ただナナを自分から引き離すための言葉でしかない。シズネにとって理想の王子様など必要ないくらい、ナナがかっこいい存在だった。

 最後にがんばれと言った。最後の最後でシズネは嘘をついた。本心はいつも『一緒にがんばろう』としか思っていない。どうしてナナひとりをがんばらせないといけないのか。

 

 ――私だって一緒にいたいに決まってる。

 

 通信を終えてシズネはひどいことを言ったと後悔した。しかしシズネは本心を喋ってもナナのためにはならないと自分に言い聞かせる。何を言ったところで自分がこの場を生き延びなければナナを苦しめることには変わらない。

 

 眼前の敵が薙刀を向けてくる。

 あと、数度打たれればシズネの(からだ)は霧散することだろう。

 

(やっぱり嫌だ!)

 

 振るわれた薙刀を不格好に飛んで回避する。飛んだ先のことなど見えておらずシズネの体は木に激突した。ISによって守られているためダメージは無い。なおも追ってくる敵からシズネは必死に逃げる。何度も木にぶつかった。それでも足掻いた。

 

「うあ……」

 

 非効率的な逃走で逃げられるはずもなく、敵の薙刀が体を捉える。装甲はもうボロボロでシールドバリアは砕け散った。木に叩きつけられ、ずるりと力なく倒れ込む。

 目の前にまでやってきた敵が薙刀の切っ先を向ける。

 自らを害さんとする凶刃をシズネは見ていることしかできない。

 

(ごめん、ナナちゃん。私は私なりにがんばったよ)

 

 シズネは全ての情報を遮断する。目を閉じてもISが伝えてくる視覚情報など恐怖しか与えてくれない。静かに終わりを迎える準備は整っていた。あと残された希望は、この世界での死で現実に帰還できる可能性だけ。既に否定されつつある可能性だったが、そうだったらいいなと切に願った。

 

 ……何も感じない。ただし、時間だけは数えられた。ISの格闘戦ならば1秒というのはとても大きな時間だった。いくつ数えてもシズネの意識は消えない。疑問に思ったシズネは外の情報を欲した。

 

(誰……?)

 

 光が射す。目を開けると、背中が見えた。向かってくる敵ではなく、敵に対して立ちはだかる壁となってくれている“誰か”がそこにいた。

 白い翼は天の使いを彷彿とさせた。機械で造られた翼であったが、スラスター口から漏れ出る雪のような白い粒子がシズネの目には羽に見えていた。

 

 初めて目にする“銀髪の男”。知っていることなどほとんど何もないはずなのに、シズネは名前を呼んだ。

 

「ヤイバ……くん……?」

 

 ただ一度だけ自分たちを助けてくれたプレイヤーの名前だった。ただそこに居合わせただけで、見返りも何もなく協力してくれた。進んで捨て駒になってくれた。そんな彼がまた“偶然”自分たちの危機に現れてくれたのだとシズネは漠然と理解した。

 

「あ、やっぱり君がシズネさん? ちょっと待っててくれ。さっさとコイツらを片づけるから」

 

 やはりヤイバだった。シズネの心境とは裏腹な軽い態度で安請け合いをするところは前回の焼き直しである。

 ヤイバの姿が瞬時に離れる。向かった先には先ほどまでシズネを追いつめていた格闘型ヴァリスの姿がある。メイン武器と思われる薙刀は既に両断されていて、ENブレードに持ち替えてヤイバと剣を交えていた。敵は固有領域内に6本のブレードを浮遊させることで手数を増やした特殊な格闘型である。まともに斬り合えばヤイバが劣勢となるのは目に見えている。しかし、ヤイバは敵の複数の剣戟を全て避けていた。

 

『シズネさん、と言いましたか? いくつか聞きたいことがあるのですがよろしくて?』

 

 ヤイバの戦いに見とれていたシズネに今まで聞いたことのない声で通信が入ってくる。

 

「どちらさまですか?」

『わたくしはラピスラズリと申します。手短に自己紹介をさせていただくと、ヤイバさんの仲間ですわ』

 

 ヤイバの仲間と聞くとシズネが思い出せるのはナナの愚痴である。ナナに攻撃を当てるために後ろからヤイバに刺されたとかなんとか。

 

「おかわいそうに……」

『何ですの!? どうしてわたくしを憐れんでいますの!?』

「彼といることが辛くなったら、ちゃんと他の誰かに相談してください。頼る人がいなかったら私で良ければ話を聞きますので」

『あなたとは初対面ですわよね!? 親身に聞こえますけど、バカにされてる気がしてなりませんわ!』

 

 少し話をしただけだが、悪い人じゃないとシズネは判断した。

 ラピスラズリと名乗る彼女も加わって戦況がどのように変わるかはわからなかったがシズネは可能性に賭けることにする。

 

「聞きたいこととは?」

『あなた方について……と言いたいところですが、今はそれよりも先にすべきことがあります。現状を脱するためにあなた方が立てた作戦を教えていただけますか?』

 

 本題に入る。普通ならば初対面の相手に作戦の内容を話すことなど御法度であるが、既に成功の見通しのないものに未練はなかった。

 

「まず私たちの勝利条件は戦場から全員が離脱することにあります。敵は無尽蔵に現れてくるため、方策としては超音速を以て強引に振り切ることを基本としています」

『そのための移動手段があるというわけですわね?』

「はい。現在地より北に20km地点に私たちの母艦“明動(アカルギ)”が待機しています。ナナちゃんを除いたメンバーは単独で超音速飛行ができませんので、アカルギに撤収後、先に離脱という形をとります」

『今、空で孤軍奮闘している赤いISがナナという方?』

「はい」

『他の方の座標と名前も教えていただけますか?』

 

 ラピスラズリは次々とシズネに情報の提供を求めてくる。シズネはその全てに応えていった。自分たちの命運を託す勢いで……。

 

『なるほど。では今から誰一人として欠けることなく、あなた方を逃がして差し上げます』

 

 これにはシズネも目を見開かざるを得なかった。少しでも誰かが助かればと縋ったのであるが、ラピスラズリは全員を助けると断言する。できるはずがないと反論することは簡単だ。だがシズネは内心の疑念を抑えて、ただ一言を発する。

 

「ありがとうございます」

『そのためにはみなさんの協力が必要不可欠です。細かい作戦の指示はわたくしが直接行ないたいので、仲間の皆さんにはわたくしの指示に従うよう言っていただけますか?』

 

 シズネは全員に指示を送る。

 

「皆さん、シズネです。今からラピスラズリという方から通信が来ると思いますので、彼女の指示に従ってください」

 

 当然、反対する声もある。大きな声はやはりトモキ。

 

『シズネ! 一体、どういうことだ!? 説明しろ!』

「説明する時間もありません! 皆で生きて帰るために必要なことなんです!」

 

 皆で生きて帰る。その言葉で反論は無くなった。

 

『私はお前を信じるぞ、シズネ』

「ナナちゃん……」

『帰ったら説教だ。覚悟しておけ』

「はい!」

 

 ナナとまた話ができている。それが何よりも嬉しかった。

 シズネはまだナナの隣で戦える。危機の前に彗星の如く現れた白の少年は今もシズネたちのために戦ってくれていた。その後ろ姿を遠めに見やり、シズネは自分たちは助かるのだと胸をなで下ろした。未だ落ち着かない動悸を感じながら……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『一体何が起こっているんだ、マシュー!』

『狙撃されている! いや、敵に包囲されている!』

『どういうことだ!? 敵は1人じゃなかったのか! 話が違う!』

 

 次々と飛び込んでくるメンバーのパニック混じりの通信にマシューは頭を抱えていた。騎士団長と部下の騎士という設定も忘れて送られてくる通信によってマシュー自身もパニックに陥っていた。

 

「おかしいだろ! ボクには見えてない! そんなところに敵がいるはずがないんだ!」

 

 マシューにとって初めての経験だった。どんな戦場でも敵の位置を把握できないことはなく、奇襲の類は一度として受けたことがない。それがマシューの誇りでありISVSにおける強みであった。だが、今は謎の敵の襲撃を許している。最高戦力であるハーゲンも白い光が落下して1分も経たない内に退場していた。

 マシューが得られる情報は、逃げていた敵が一斉に攻撃に出てきたことと、次々と消えていく仲間のことだけ。

 

「そうだ! EN武器を使ってるならそれで位置が掴めるはず!」

 

 メンバーからの報告で不可解だったのは狙撃と包囲を同時に言ってきたことである。狙撃は姿が見えないことを指し、包囲は周囲から一斉に射撃されていることを指すと見て良い。その条件を満たせる武器として該当する装備がひとつだけあった。それはマシュー自身も装備しているBTビット。IS本体のPIC範囲から独立して操作できる浮遊砲台は実弾でなくEN武器であることは確実だった。ハイパーセンサーをEN反応だけに集中して可動させる。

 

 マシューは、見なければ良かったと後悔した。ある意味では見て正解だったのだがそれは別の話である。

 

「あ、あああ……何だよ、これ……」

 

 森の中を無数の線が走っていた。網のように、蜘蛛の巣のように張り巡らされた青色のそれらは全て射撃の軌跡である。森の中は既に青い光のネットワークで支配されていた。数えるだけ無駄な数の光弾が木に衝突しない軌道を描いていつまでも走り続けている。内、数本の光が軌道を変えて森から飛び出した。上空を漂って観測しているISめがけての攻撃である。つまりはマシュー狙いの攻撃。

 狙われていると反応したマシューは咄嗟に射線から退避を試みる。しかし、森の中を駆けめぐっていた光弾は容易く進路を変え、全てがマシューの未来位置に殺到した。全弾が命中しマシューのストックエネルギーが削られる。

 

「ありえない……ここまでの精度の偏向射撃(フレキシブル)はボクですらできない。いや、人間業じゃない」

 

 戦場を支配していたはずのマシューがあっさりと逆転されていた。自分のことで手一杯となった彼は森から飛び出して自分へと向かってくる白い機体への反応も遅れている。かろうじて自らの周囲にあるBTビットに指示を下して射撃を行なうも、最小限の動きで回避されていた。まるでマシューの攻撃がどこを通るのかを正確に把握しているようであった。

 

「やっぱり最後の敵はプレイヤーか」

 

 格闘型に接近を許した。マシューの機体はフォスフレーム“ルーラー”のユニオンスタイルである。手足の自由度はなく、BTビットと索敵に特化した機体では格闘戦などできるはずもない。連続して受けていたビームに加えてENブレードで斬られれば当然のように敗北する。

 

 負けた。それも極短時間で、ただひとりの存在によってであるとマシューは理解した。マシューを敗北に導いた森の中を駆けめぐるビーム群と敵IS全体の動きが変わったことは全て同一人物の仕業であると確信していた。

 

 BT適性しか能のないイギリス代表候補生の存在は有名な話だった。見目麗しくモデルとして活動もしているためメディアに良く顔を出していた彼女は、IS戦闘の腕前は素人以下とされておりISVSの関係各所で『ちょろい』とか『代表候補生(笑)』と言われていた。

 だがある日突然、彼女の名前は表舞台から消える。消えるべくして消えたとマシュー含む大多数の者が思ったのだが、同時期にある噂も広まっていた。

 イギリスには蒼の指揮者がいる、と。

 彼女がひとり加わればどんな弱小スフィアでも強豪スフィアに勝つことができてしまうのだと。

 

 所詮は噂と流していたマシューだったが、認めざるを得ない。

 この噂は事実で、メディアから姿を消した代表候補生こそがその正体である。

 

「セシリア・オルコット。世界最高のBT使い。実はあなたのファンなんです」

 

 マシューの顔は負けたとは思えないくらいに満たされたものだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 やられ際だというのにニヤニヤしている不気味なプレイヤーを倒したところで俺はラピスに通信をつなぐ。

 

「目標撃墜完了。で、全体の状況は丸投げしてるわけだけど、順調そう?」

 

 協力関係になってからまだ1日しか経過していないが、俺とラピスの役割分担は既に決まっている。昨日2人で戦ったときは俺の負担の方が大きいと思っていたが、戦闘の規模が膨れ上がるとラピスの負担はとても大きくなる。

 

『アカルギの収容状況は残り1人というところまで来ていますわ。アカルギの周囲3km圏内に敵は居ませんし、問題なく脱出は可能そうです』

「あれ? 結構敵が残ってたと聞いてた気がするけど?」

『思ったよりも戦力が残っていましたので皆さんに総出で返り討ちしてもらいましたわ』

 

 きっと今頃、ラピスに戦わされた連中は自信に満ちあふれているかラピスの力を恐れているかしてることだろう。絶対勝てない状況のはずでも、自分たちの手で簡単にひっくり返ってしまったのだから。

 

「ラピスはまるで戦女神だな」

『ISVSにおいて、その言葉は世界最強の5人の女性に与えられる称号ですから、別の例えをお願いいたします』

 

 言われて思い出した。ランキング5位以内のプレイヤーはランカーの中でも特別にヴァルキリーと呼ばれる存在だということを。

 

「えーと、じゃあ名監督?」

『相手を喜ばせられないくらいなら、無理にお世辞を言わないでくださいな』

 

 しまった。顔を直接見られないが頬辺りがひきつってるのが簡単に想像できるぞ。

 

「ごめんなさい」

『わかればよろしい。ではヤイバさんはナナという方の支援に向かってください』

「了解」

 

 イグニッションブーストでスタートダッシュを切り全速力でナナの戦う空へと向かった。普段ならばこういう場所でも節約をするところだが、今は自重しない。いや、自重する必要がない。サプライエネルギーの表示を見れば、ピカピカ光っていて全く減らない状況だからだ。

 

「これってバグ? でもバグなんてあるわけないよな……」

 

 雪片弐型を常に全力展開し、イグニッションブーストを繰り返しても全く息切れを起こす気配がない。常に絶好調という不思議な状態。無敵アイテムを取得したアクションゲームに類似している。

 

 一切の容赦をする必要もなく、俺はナナを包囲している一団に飛び込んだ。もう既に満身創痍だったのか、雪片弐型に触れる度に敵ISは消滅していく。

 

「また貴様か!?」

「待て待て! 俺は敵じゃない!」

 

 到着早々ナナに刀を向けられる。今回の場合は事前にラピスから連絡がいっているはずなのだが、俺に刀を向けなくては気が済まない質なのだろうか。なんなんだよ、その性格。迷惑極まりないだろ。

 

『収容完了ですわ。アカルギは先に出発させます』

 

 ラピスからの通信で作戦が順調に進んでいることが告げられた。あとはナナが離脱すればミッションコンプリートといったところだ。ちょうどそのタイミングでナナは俺に向ける刀を下ろす。

 

「本当になんなんだ、お前たちは。絶対にダメだと思った状況でもこうしてひっくり返してみせるなど」

「ああ、ラピスは凄いよな」

「実力など関係ない!」

 

 第何波かはわからないプレイヤーの襲撃が来る。俺とナナは喋りながらも背中合わせに敵の中に飛び込んでいった。

 

「お前たちもプレイヤーだろう? ならば何故狩る側に回らず私たちを守る側に立つのだ? そもそもプレイヤーならば守る側という選択肢などあるはずがないではないか!」

 

 ナナが左手の刀を敵に向けて一閃させる。相も変わらず飛ぶENブレードは強力な武装だった。

 敵への攻撃と共に俺にぶつけられたナナの疑問。彼女自身がプレイヤーでない物言いだったが、今はその詮索よりも先に応えることにする。いつだったか似たようなことを聞かれた気もしていたが、きっとその時も同じようなことを言ったと思う。

 

「俺は俺だからな。周りはこうだから合わせろなんてくだらないことに従うつもりはない」

 

 雪片弐型を振るう。流石に無傷の相手では一撃で落とせず、無防備な俺に向けてブレードが迫っていた。しかし、それは赤い翼が防いでくれる。

 

「そうか……お前もバカなのだな」

「バカで結構。俺自身はこんな俺でいいと思ってる」

 

 それが、“彼女”が受け入れてくれた俺だから。

 

「よし、コイツらが片づいたところでナナが撤退すれば終わりだな。むしろもう撤退を始めてもいいんだぜ?」

「また自ら進んで捨て石となるか。仲間を犠牲にして不意打ちをしたりと、これが本当の戦争ならば誉められた行為ではないな」

「必要なことだし、リスクがないなら問題はないだろ? 事情は良く知らんが、ナナたちには何か問題がある。だったら俺が殿をするのが妥当だ」

「一応、考えてはいるのだな」

「あのな、お前は俺を何だと思ってるんだ?」

「いや、何でもない。気を悪くしたなら謝ろう」

 

 最後の方のやりとりでナナが何を言いたかったのか良くわからなかった。俺が考えている間にも、彼女は俺を残して後ろに下がりISを変形させ始める。後はナナが飛び立つまで俺が彼女を守りきればいい。

 

 だがそう簡単には終わらせてくれなかった。

 

『ヤイバさん、ナナさん! とてつもない速さでこちらに向かってくるISがいます!』

 

 悪い報せだ。ナナが単独で逃げられる条件には、超音速飛行対応のユニオンが敵に存在しないことが挙げられる。IS戦闘重視のミッションではまず顔を見せないタイプであったが、この土壇場で登場するとは思っていなかった。今からナナだけ逃げても追撃されてしまう。

 

「倒せばいいのだろう? そういう輩は以前にもいたが、ISというよりも戦闘機のような奴だ。この紅椿の敵ではない」

 

 確かにナナの言うとおりだった。超音速飛行をするISはナナの機体を除けばユニオンとなるのが現状だ。ならば豊富なEN武器のあるナナの敵ではないはず。おまけに超音速飛行ユニオンの装備は速度の関係上レールガンかミサイル系に限られるため、格闘戦に持ち込めばそれで終わりであった。

 だがナナの言動に納得すると同時に嫌な感じが拭えない。ラピスが警告を出したことがその主な理由だった。敵が向かってくる方向はわかっている。俺は咄嗟にナナと敵の間に割って入り、雪片弐型を縦に構えた。

 

 敵ISが迫る。点みたいな影が急速に膨れ上がり、見えたと思う頃にはもう接近戦の間合いだった。無意識で構えていた雪片弐型が何かとぶつかる。互いに干渉して反発する現象はENブレード同士で発生するものだった。現状を認識する頃には向かってきていたISは遙か後方へと飛び去った後である。

 

「なんだよ……今のは!」

 

 予備知識として蓄えていた速度重視ユニオンの一般的構成にENブレードのあるものはない。そもそもユニオンは接近戦が苦手なスタイルだ。鈍重だったり小回りが利かないユニオンが接近戦をする場合、弱点であるENブレードのカモでしかない。近い距離でもガトリングで一方的に制圧できる距離までが望ましいはずである。今、向かってきている敵はそのセオリーを完全に無視している存在だった。

 

『敵の情報を取得できましたわ。落ち着いて聞いてください、ヤイバさん』

 

 警告を発していたラピスが敵の正体を突き止めたようだ。いや、これほど特徴的な相手は、俺も事前に調べていればすぐに思い当たっただろう。

 

『アレはランキング5位“エアハルト”。世界最強の男性プレイヤーであり、ランカー唯一の速度重視ユニオンの使い手ですわ』

 

 トップランカー。あのイーリス・コーリングよりも上位の男。今この場で居て欲しくない条件を全て満たしたようなプレイヤーだった。

 

「凄腕なのか?」

「そうだろうよ! 雪片弐型で受けなかったら俺は瞬殺されてたさ!」

 

 俺ならばわかる。衝突の際、雪片弐型と敵のENブレードはほぼ互角だった。そんなものをあの速度域で的確に振り回せる相手が弱いわけがない。

 ラピスから敵の位置情報が送られてくる。機体の特性上、次の攻撃に移るには大きく旋回が必要なようだが、常時イグニッションブーストをしているような速度で移動している相手にとっては苦ではないだろうし、デメリットにはならない。

 

 ナナはまだ敵の力量を把握し切れていない。ナナの腕を軽んじているわけではないが、目算を誤れば一瞬で勝負を持って行かれる。ナナを戦わせるのは危険すぎた。

 

「ナナはすぐに撤退準備! ラピスはナナの進路の指示と他ISへの牽制射撃!」

 

 俺が奴を止めなければならない。敵のENブレードとやり合えるのは俺だけだ。

 

『了解しましたわ。タイミングはヤイバさんが飛び出した瞬間でよろしいですわね?』

「その通り。わかってくれてて助かる」

 

 ラピスには俺のやろうとしていることが伝わっているようだ。

 

「お前ひとりで大丈夫か? 敵は強力なのだろう?」

「めっちゃ強いから俺だけで立ち向かわなきゃいけないんだ。それくらいわかってくれ」

「しかし……いや、何も言うまい。私から言えることはひとつだけだ。勝ってくれ」

「任せろ」

 

 チャンスは一度きりだが、勝算はあった。これがIS同士の試合でないからこその勝算。勝利条件が何か、ということこそが鍵である。

 

 ナナが飛び立つ準備が完了した。あとはラピスの合図によって全速力で戦場を離脱するはずである。他のISは森から伸びるラピスの射撃に惑わされてこちらにまで気が向いていない。あとは俺とトップランカーの一騎打ちを残すのみ。

 

 ラピスから送られてくる敵の情報が旋回の終了を指した。音速の壁を突破している速度で真っ直ぐにナナめがけて突っ込んできているはず。

 マップの位置情報を凝視しながら、空気の流れを感じ取る。

 タイミングを外せば何もかもが終わり。

 俺の攻撃は空振って、ナナが斬られてしまう。

 こういうときこそ落ち着くべきだ。

 相手が世界最強の男性プレイヤーだか知らないが、俺は世界最強の剣士の元で稽古を受けたことがある男だ。何事もあわてず、ただ受け入れる。そうして初めて見えてくるものもある。

 

 俺は、音速を超える相手に向かってイグニッションブーストで飛び出した。後先考えない全力稼動。エネルギー問題は今の白式ならば何も問題が無く、あとは俺が雪片弐型を当てられるかどうかだけ。

 敵が迫る。さっきはよく見えなかったが、敵は4対のコウモリのような翼とトカゲや蛇を思わせるデザインの尻尾がついた独特のフォルムをしていた。頭部を覆うヘルムもトカゲを連想させるデザインとなっている。以上、現実にいる動物で例えたが、一言でいえば竜を思わせるISだった。

 

 敵のENブレードは右手に握られている長大なもの。翼を広げた白式と同じかそれ以上の長さの大剣と呼べる代物だった。見た目だけなら雪片弐型を超える出力がありそうだった。

 

 互いに音速を超えたぶつかり合い。敵は俺の接近に気づいているようですぐさま俺への攻撃へと行動を移していた。この一瞬の交差で、俺は――敵の攻撃を無視する。

 

 ストックエネルギーが半分以下になる。左の翼もついでに真っ二つである。ナナのおかげもあって、ここまでほぼ被弾なしで来た俺だったが一撃でこの有様だった。後で弾にこの強力すぎる敵の武装について聞いてみることにしよう。

 俺へのダメージはでかい。しかし、いつもと違い、行動不能ではない。この一瞬だけは俺の雪片弐型がフリーとなる。既に敵の胴体を狙うにはタイミングが外れているが、俺の狙いは最初からひとつだった。

 

「その背中、もらったァ!」

 

 速度重視ユニオンの宿命として、追加ブースターを背中に配置することが必須である。コウモリの翼状のものと背中のトゲトゲした部位のどちらがメインブースターになるかはわからなかったが、両方とも完全破壊せずとも損傷を与えられれば問題ない。俺の攻撃は竜の左翼を背中の付け根からもぎ取った。

 

 攻撃の成功を確信して、俺は墜落を始めていた。別に浮き上がることはできるのだが、既に戦意もないため、死んだフリをする。

 

「ラピス。状況は?」

『ナナさんは無事戦場から離脱しましたわ。ランカー“エアハルト”も追撃を諦めたようです』

 

 そう。俺はナナが逃げることさえできれば勝ちだった。相手が強大でも足止めさえできれば良かったのである。実際、俺が加えた程度の損傷ならば装甲の自己修復機能で直ってしまう。ただ修復時間さえ稼げばナナを追撃できないというわけだったのだ。

 

『それにしても通信のアドレスをすぐに書き換えるなんて彼女たちは少し薄情じゃありませんこと?』

「無事ならそれでいいよ。ナナに事情を聞くのは落ち着いたときでいいさ」

『やはりあの方たちは福音と関係があるのでしょうか?』

「わからない。ただ、何もつながりがないとは思えないかな」

 

 今回のことで俺はほぼ確信した。ナナたちはISVSのプレイヤーではない。かといってミッション用のAIなどでもない。

 俺の立てた仮説が正しければ、福音に出会った被害者はこのゲーム内に囚われている。彼女らこそ被害者なのではないだろうか? もしかしたら、彼女らの向かった先に……箒がいるかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 プレイヤー全体にミッションの失敗が告げられる。イグニッションブースターを含むパーツの修復をしていたエアハルトは、己がミッションに失敗したことを悔いることなく、ただ思考にふけっていた。

 

(今回は初撃を受け止められた時点で油断があったか。いや、そもそも“リンドブルム”を受け止められるほどの出力を持った装備など今まで無かった。こんなふざけた装備を造ってくるのはハヅキ社か倉持の爆発女だろう。私の存在を意識した装備なのかもしれないな)

 

 エアハルトは今回の失敗をただの実力不足や運などで片づけるつもりはなかった。あの場にエアハルトの攻撃を止められる装備があり、エアハルトの動きについてこられる機体があったのは必然であったと考えていた。

 

(とはいえ、外的要因だけではあるまい。私自身の技量があれば最後の攻撃を食らうこともなかったはずだ。まだ()()では通用しないと考えるべきだろう)

 

 思考終了。誰もいない戦場にひとり残っていたエアハルトはようやく離脱を始める。まだ、今日出会った少年のことは気にかけていない。



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09 許せない過去

 日が暮れた暗闇の海上。満天の星空が見え、波は穏やか。耳障りな音の存在しない静かな海の上空に紅のISがやってきていた。

 

「予定ではここで落ち合うはずなのだが」

 

 過去最大の激戦から逃れることができたナナは追っ手に追跡されることを警戒して2時間後にアカルギと合流することに決めていた。間もなく予定時刻となる。すると、ピンポイントに真下の海から潜水艦が飛び出してきた。

 

「全く……もう少し静かに出てこれないものか」

 

 待ち人の派手な登場に呆れつつもナナの頬は緩む。もう会えないかもしれないと思った人たちに会うまであと数秒だった。心なしかナナの下降速度は普段より速い。

 甲板に降り立ち、ISを解除する。長時間戦闘後のIS解除は開放感とは真逆の重さを感じさせていた。自分で自分の肩を揉みつつ入り口へと向かうと、ナナが到達する前に勝手に扉が開いた。親友が真っ先に駆けつけてくれたのだとナナは顔をパーッと明るくさせる。

 

「ナナーっ! 無事で良かったぜーっ!」

 

 出てきたのは茶髪でツンツンした頭の男、トモキだった。期待を裏切られて固まるナナに向かってトモキは走り寄る。ナナに笑顔で応えられた彼は両手を広げてナナへとダイブした。

 そこでナナはようやく我に返った。すかさず右手を伸ばし、飛来するトモキの頭を鷲掴みにする。飛んでいるトモキの勢いを殺さずに頭を後方にまで引っ張り上げ、左手でトモキの腹を掌打。そのまま海へと投げ捨てた。

 

「うわああああぁぁぁ……」

 

 海に落ちていったトモキの悲鳴は水しぶきと共にブツリと消える。ナナは一仕事終えたと額に浮かぶ汗を拭った。

 

「おかえりなさい、ナナちゃん」

「ただいま……シズネ」

 

 改めて入り口に振り返れば、そこには親友の姿があった。

 いつも通りにナナを迎えるシズネ。

 一度はこの瞬間がやってこないという恐怖に震えた。

 ナナは早足でシズネの元に駆け寄ると――

 

「この、馬鹿者がっ!」

 

 頬を叩いた。シズネに戸惑いは無く、彼女は黙って受け入れている。ポタポタと下に落ちる滴の主はシズネでなくナナの方。

 

「何が『がんばれ』だ……一緒じゃないとダメなんだ……」

「はい。ナナちゃんの言うとおりです」

 

 ナナは叩いたばかりのシズネを抱き寄せる。

 シズネがナナのためを思って逃げろと言ったことは理解していた。しかし、ナナにとってシズネの言葉は見捨てられたも同然だった。こうしてシズネの存在を確認することで、まだ大丈夫だとやっと安心できる。

 

「無事で良かった。シズネ」

「はい。皆、無事で良かったです」

 

 シズネは叩いた頬こそ赤くなっているが、涙を見せず笑いもしていない。しかし彼女の無表情は表面上のことだ。ナナと同じように泣いて笑ってくれているとナナだけは知っていた。

 

「無事といえば約1名ほど現在進行形で大ピンチなのですが、このままでいいのですか?」

「あ……」

 

 シズネに言われてナナは甲板の端に寄り、海を見下ろす。海面にはプカーと力なく浮かぶトモキの姿があった。

 

「トモキーッ!」

 

 

***

 

 ブリッジに集合する。集まっているメンバーはナナ、シズネ、トモキにアカルギの操縦を担当する女子3人の計6名である。ナナの帰還を出迎える人数としてはいつもよりも少なかった。

 

「ダイゴさんや他のメンバーは?」

「ダイゴの旦那は戻ってきてからずっと自分を責めてたからな。ついさっきようやく眠ったところだ。他も力尽きてて今も寝てる」

 

 ほとんどが寝ている状況だった。それも無理もない。救出した“仲間”を守りきれず、自分たちもずっと命の危機に晒されていた。今日ほど精神のすり減る戦いを今まで誰も経験していない。だからこそナナは気になった。

 

「シズネとトモキは平気なのか?」

「へっ! 俺を他のやつと一緒にするんじゃ――」

「トモキくんは撤退が完了した直後にバタリと倒れたのでもう十分に休息が取れているのでしょう。私も同じです」

 

 2時間強の休息が十分とは思わなかったが、今にも倒れそうというわけでもなかった。これ以上はナナから言うべきことはない。このまま今日の話を続けると暗い話にしかならないと思ったナナはこれからの話を振る。

 

「ではまた情報収集からだな。次は今日みたいにならないよう、慎重に計画を立てる必要がある」

 

 ナナの発言にシズネ以外からの注目が集まった。驚愕、不安といった各々違った反応だが、全体として概ね否定的である。

 

「次? まだ続けるの?」

「今日みたいなのはもう嫌だよ……」

「悪ぃ、ナナ。こればっかりはコイツらに同意したい。いくら俺とナナが戦えても限界がある。情報を集めたところでどこを攻め込んでも罠が待ってるだろうし」

 

 ナナ信者ともいえるトモキですら今後も同じ活動を続けることには反対を示した。つまりここにいないメンバーに言っても同じ反応が返ってくることは間違いない。

 

「だから慎重にだな――」

「具体的には!? ナナは気づいてないかもしれないけど、この船にずっといるあたしたちでもわかるよ! もう同じ方法は通じないって!」

 

 今日の失敗が皆を不安にさせている。ナナもわかっているからこそ何も言い返せない。自分が全世界の“プレイヤー”の標的、言い換えれば賞金首にされている。自分が皆を守るから大丈夫だなどと言える状況ではないのだ。言葉に詰まったナナは頼りにしている親友に目を向ける。一度目が合っただけでシズネはゆっくり頷いた。

 

「やはりやり方を改めましょう」

 

 シズネもナナとは反対の立場を取った。ナナは動揺を隠せなかったが、考えなしにシズネが裏切るとは思えなかったため大人しく続きに耳を傾ける。

 

「まず私たちの目的を見失ってはいけません。私とナナちゃん2人のときからずっと“この世界に囚われた仲間”を集めてきました。それは傷を舐めあうためなんかじゃありません。この世界で戦うための戦力は目的の副産物でしかありません。本当の目的は、外の世界に私たちの存在を知ってもらうことにあったはずです」

 

 ナナも思い返す。最初はナナとシズネの2人だけ。人どころか他の生物が見当たらない世界で同じ境遇の人たちと出会った。次第に“敵”に囚われてる人が目立つようになり、次々と助け出した。ナナにとっては助けなければならない対象でしかなかったが、シズネはいつも自分たちが助かるための行いなのだと言っていた。

 

「俺たちが仲間を助け出す度に敵が外で行動を起こすはず……ってことだったな? 実際のところ、外で何か動きがあるのか?」

「ええ。それも皆さんの前でハッキリと影響が出ていたじゃないですか」

 

 トモキの疑問にシズネは即答する。相変わらず表情を読みにくいシズネだったが、声がどことなく弾んでいた。シズネが言わんとしていることをナナはすぐに察する。

 

「あの2人のことか?」

「はい。ヤイバくんとラピスラズリさんです」

 

 何故か味方となってくれる謎のプレイヤーだ。ヤイバは2度目、ラピスラズリは今回が最初である。確かに助けられた事実はある。しかしナナにとってはこの世界で初めて殺されそうになった相手でもある。シズネがどういうつもりかまで理解したナナだったが納得したくなかった。

 

「あの2人が私たちの素性を知っていて協力したとでも?」

「その可能性も考えていいと思います。ただのお人好しの可能性もありますけど」

「それは無いだろう。シズネは実際に見ていないからわからないだろうが、アイツは残忍な奴だぞ?」

「私の見解とは違いますね。ヤイバくんはナナちゃんと似ていると思いますよ」

「似てない! それはそれとして、アイツらに全てを任せるなど――」

「おい……」

 

 ナナとシズネの言い争いが激しくなる前にトモキが割って入る。

 

「話についていけないんだが」

「今日の王子様度数はトモキくんよりヤイバくんの方が圧倒的に上だという話です」

「何だって!? 俺だって頑張ったのに……どこのどいつだ! ヤイバって野郎は!」

「いや、トモキ? シズネのいつもの冗談だからな?」

「もちろん1番はナナちゃんですよ?」

「それを聞いて私が喜ぶとでも思ったか! 私は女だ!」

「よし、直に確認してみ――」

 

 ナナの豊満な胸元に視線がいっていたトモキはIS無しに宙を舞う。次に地に着いた時にはトモキの意識はなかった。

 

「ナナの動きが段々と洗練されてくわねぇ」

「トモキくん、最後まで言い切ってなかったのに」

「何を言わんとしていたのか、何をしようとしていたのかは想像できるから問題ない」

 

 倒れ伏したトモキには後で説明をするとして、シズネがアカルギ操縦担当の3人にこれまでの経緯を軽く説明する。

 

「あのときのラピスラズリさんってプレイヤーだったんだ。プレイヤーの人と話したのは初めてだよね」

「そうそう。今までは話しかけても言葉が通じなかったんでしょ?」

「何が違うのかはわからないけれど、話ができるのなら色々と変わりそうです」

 

 ナナがヤイバと言葉を交わす以前にもプレイヤーに関わろうと試みたことがあった。しかし、3人が言うように全ては失敗に終わっている。通信を繋ぐことは愚か、肉声すら届かなかったのだ。

 シズネの言うやり方を改めるとはヤイバ、ラピスラズリ両名との関わりを強くして、外の世界から現状打破のアプローチをしてもらおうということである。確かに意志疎通が可能なのは前回と今回でわかっている事柄だった。問題は、1歩間違えれば敵に情報が筒抜けとなり、ナナたちが一気に追いつめられる危険性があること。

 シズネ以外の3人もヤイバたちに協力を仰ぐことに乗り気となっていたが、ナナの顔だけは浮かない。

 

「まだナナちゃんはヤイバくんを信用できませんか?」

「だから何度も言っているだろう! アイツは必要とあれば味方を後ろから刺す男だぞ?」

「必要であれば自らを捨て石にする人でもありますね。確かに危険人物です」

「そうなのだ。いくら死なないとはいっても自己犠牲は誉められたものではない。私たちとは違うと頭ではわかっているのだが、気分は良くないものだ」

「ナナちゃんはヤイバくんですら危険に巻き込みたくないんですよね」

「バカだよ、アイツは。私たちと同じ境遇に陥る可能性をアイツは少しでも考えているのか。私たちとて、こうなってしまっている元凶を突き止められていないというのに」

「わかっていてもわかっていなくても、どちらにしても、あの人は私たちを助けることを選ぶでしょうね」

「だろうな。だからこそわからん。なぜそんなことができる? 何か裏があると勘ぐりたくもなるだろう?」

 

 これまでプレイヤーと交渉する機会があったのはナナだけだ。言葉が通じず、一方的に刃を向けられることを繰り返してきた。この世界がゲームで彼らがプレイヤーであることを聞かされていたナナは思い知ってしまった。プレイヤーにとって自分たちは助けるべきヒロインではなく、狩るべきモンスターなのだと。

 ナナは敵意に晒されすぎた。ヤイバも最初は他のプレイヤーと同じことをしてきたことも災いし、信用する道への最後の1歩が踏み出せないでいる。

 

「裏があってもいいじゃないですか」

 

 そんなナナの心を動かせる人間はただひとりだけ。

 

「ヤイバくんが私たちを助けてくれようとしているのは事実です。それ以外の何が必要なのですか?」

「しかし――」

「私はヤイバくんを信じます。あの人が私の前で戦ってくれた事実だけは揺るぎません」

 

 シズネはナナの反論を無理矢理押さえつける。一度はナナの意志を尊重して引き下がっていたシズネだったが、今は自分の考えを曲げない。

 

「ナナちゃんはヤイバくんを信じきれないかもしれない。では私ならどうですか? ナナちゃんは私を信用してはくれないのですか? ヤイバくんなら大丈夫だと確信している私を信じてはもらえないのですか?」

「ぐっ……」

 

 袋小路だった。ナナの進もうとしていた道に進むにはシズネへの信頼を捨てる必要がある。それが正しいはずがない。ナナの方から折れるしかなかった。

 

「……参ったよ、シズネ。これからはプレイヤーの協力を得る方向で動こう」

「わかってもらえて何よりです」

 

 渋々ながらナナは承諾した。シズネの頬が自然と緩む。ナナはどこか違和感を感じていたが、いまいちピンとこなかった。

 

「さて、まずはアカルギ以外のメンバーにも方針を伝える必要があるな。あと肝心なところだが、もう一度ヤイバたちと接触する必要がある」

「そういえば何から位置を特定されるかわからないということで、作戦後はISのデータをリセットしてるのでしたね。通信をつなぐ手段がないんでした……」

 

 結局のところ、今決まったことは無理に動かないということだけだった。

 

「とりあえずは“ツムギ”に戻るとしようか。報告することも相談することもあるし、クーの顔を見ておきたい」

 

 プレイヤーとの接触は後回しとしてアカルギは自分たちの拠点へと針路を向ける。ちょうどそのときであった。索敵担当の大人しめの口調であるカグラが声を張り上げる。

 

「海中にISの反応あり!」

「方角は?」

「正面です」

 

 他の者に後は任せて、ナナが休息につこうとした直後の出来事である。正面に陣取られた時点で無理矢理引き離すことは無理だった。

 

「そもそも今のアカルギを捕捉する手段はないはずだ。本当にISなのか?」

「EN反応、PIC反応、共にISと断定。真っ直ぐにこちらへと向かってきています」

 

 ナナは頭を抱える。隠密体勢のアカルギは偏光による光学迷彩によって視界に映らず、各種センサーにも引っかからないステルス性を備えているはずだった。しかし、現実にはここにアカルギがあることを確信して接近する機影が存在する。

 

「偶然……ではないな」

「今ならアカルギの主砲をぶっ放せるけどどうする?」

「やめておけ。接近するISの数は?」

「1機のみです」

「ならば私が出よう。もし偶然に迷い込んでいるのなら、わざわざアカルギの存在をバラす必要もない」

 

 ナナが外に出るためにブリッジの出口へと向かおうとする。海中での戦闘は一切経験が無かったが、何もせず接近を許すのは危険だった。

 

「待って! 通信が入った」

 

 外に出る寸前にナナは呼び止められる。止まらざるを得ない。同じタイミングで紅椿にもプライベートチャネルの通信が入ってきていたのだ。ナナは耳を傾ける。

 

『こちらはラピスラズリですわ。そちらはアカルギの方々で間違いなくて?』

 

 ラピスラズリ。ヤイバの仲間を名乗るプレイヤーで、今日の戦いで全員を生還させた指揮官である。その彼女が1人で目の前にやってきているということだった。正体がわかり、ブリッジにいる全員がホッと息をつく。

 

「今、目の前に来ているISはあなたなのか?」

『はい。一応わかりやすい近づき方をしたつもりでしたが、要らぬ警戒をさせたでしょうか?』

「心臓に悪いぞ。こっちは見つからないこと前提だったのでな。どうやって見つけた?」

『穴があるかということを気にされているのでしたら心配は無用ですわ。わたくし以外にこの船を見つけることは不可能でしょうから』

「どう安心しろというのだ?」

『ISにはオンリーワンの能力が備わることがある。あなたも知っているでしょう?』

 

 そこまで言われればナナも納得できた。ラピスラズリが自分だけだと明言する理由としては十分である。もっとも、似たような能力を持つ者が現れる可能性でもあったのだが、そう簡単に現れるようなものでもなかった。

 

 単一仕様能力(ワンオフアビリティ)。稀にISに発現する特殊能力のことである。全ては偶然の産物とされ、自分が望んだ能力が得られるわけではないが、能力さえ得られれば既存の常識が通用しない強力なISとなる。ISVSが不平等であるといわれる最大の要因であった。

 ナナのIS、紅椿は確かに装備が強力だ。しかし、それらの装備は全て燃費が悪く、ひとつの装備を使うだけでサプライエネルギーが飽和するほどの代物である。もし他のISが同じ装備を付けたところでまともに運用することは難しい。問題をクリアするためにはナナだけのワンオフアビリティが必要なのだった。

 ナナの強さの秘密でもあるワンオフアビリティ。別系統のものをラピスラズリも持っている。飛び抜けた力を得ることもありえるワンオフアビリティならば、隠密体勢のアカルギを見つけることができたとしても不思議ではなかった。

 

「まあいい。今はあなたに会えたことを喜ぶべきだ」

『あら? てっきり二度と会いたくないのかと思っていましたが』

「こちらとしては少しでも尻尾を捕まれるわけにはいかなかったのだ。許してくれ」

『ではそちらに直接伺ってもよろしくて?』

「頼む。ラピスラズリを入り口まで誘導してやってくれ」

 

 ナナはレミに指示を出し、自分はシズネを連れて出迎えに向かう。

 

 

***

 

 

 武装を一通り解除したISがアカルギの船内へと入ってきた。青色で統一されたディバイドスタイルの機体に包まれている操縦者はどう見ても日本人の外見ではない。金髪縦ロールに青い瞳のお嬢様を前にしてナナはある意味で納得していた。

 

「さすがはヤイバの仲間だな。そこまで自分を飾りたいか」

 

 ナナは自分の髪の色を棚に上げて揶揄する。当然その点を言い返されるに決まっていた。

 

「ナナちゃんが言える事じゃありませんよ。ピンクですよピンク。どう見てもアニメキャラじゃないですか」

 

 よもやそれが自分の後ろから来るとは思っていなかったが。

 

「黙っていろ、シズネ。今のは私なりのユーモアという奴でな」

「解説するなんてみっともないですよ、ナナちゃん」

「ぶち壊しにしたのは誰だと思っている!?」

「なるほど。あまり悲観的でもないようですわね」

 

 ISを解除したラピスラズリがクスクスと笑う。意図した流れではなかったが、結果的に殺伐とした空気が消え失せている。

 

「私の部屋に案内しよう。生憎この船には客をもてなすような場所はないのだ」

「お構いなく。わたくしももてなされるために来たわけではありませんので」

 

 

 場所をナナの部屋に移す。小さいベッドと机があるだけの簡潔な部屋だ。大人数が入れないため、部屋の中にいるのはナナとシズネとラピスラズリの3人だけとなる。

 話すべき事は多々ある。ナナは様子見として自己紹介をすることにした。

 

「まずは自己紹介をさせてもらおう。私の名は文月奈々。皆のリーダーのようなものを務めている」

「鷹月静寐です。ナナちゃんを人形とするなら、私は人形師のような立ち位置にいます」

「シズネ。いつからお前が黒幕になったんだ?」

「ナナちゃんと初めて会ったときからに決まってるじゃないですか」

「ええい! ラピスラズリさんが混乱するではないか!」

「あ、大丈夫ですわ。大体あなた方の関係がわかりましたから」

 

 またもラピスラズリが笑い、ナナは軽く凹んでいた。そんなナナを見てシズネは表情を変えることなく力強く親指を立てる。より脱力せざるを得なかった。

 

「ではわたくしも自己紹介をさせていただきますわ」

 

 次はラピスラズリの番。ナナたちのやりとりにより生まれた笑みは瞬時に消え失せ、ナナの目を青い瞳がじっくりとのぞき込んでいた。品定めをするような目つきは決して友好を結んでいる相手に向けるものではない。

 

「わたくしはISVSにおいてはラピスラズリと名乗っていますが、本名をセシリア・オルコットと申します。ISVSで所属するスフィアはありません。しかしFMSという企業から専用機を与えられているイギリス代表候補生という立場にいます」

 

 じっくりと観察されているナナはいきなり出てきた情報を整理していた。

 ISVSという単語は初めて聞いたが、文脈からこの世界、あるいはゲームの名前を指すものだと推察する。本名に関しては特に気にするところはない。FMSという企業名を耳にしてはいたが、EN武器とミサイルが売りである企業という認識だけだった。専用機を与えられている代表候補生ということから、ナナから見てもラピスが外の世界での重要人物であることが窺えた。

 

「なるほど。とりあえずFMSが直接的にあなた方の敵ではないようで安心しましたわ」

 

 ラピスラズリの目が穏やかなものに戻る。今の自己紹介はナナがFMSをどう思っているのかを判別するためのものであった。

 

「人が悪い。そのようなことをせずとも話せることは全て話すつもりだぞ?」

「つもりとは言っても何もかもを話すことは実は大変難しいものです。わかりやすいように説明をしたつもりでも、加工した言葉からは感情が読みとれない場合もありますし」

「いいですよ、ラピスラズリさん。ナナちゃんはすぐに顔に出るので鎌かけでもなんでもしてやってください」

「シズネ、お前は誰の味方なんだ……?」

「もちろんナナちゃんの味方です。そういえばラピスラズリさんはイギリスの方だそうですが、髪とか目とかどこもイジってないのでしょうか?」

「ええ。わたくしは自分の体に誇りを持っていますから」

「だそうですよ、ナナちゃん。アニメキャラはナナちゃんだけですね」

「シズネ。お前は私が嫌いなのか? 嫌いなのだな?」

「もちろん大好きですよ。世界中がナナちゃんの敵となっても、ナナちゃんの味方をするくらいには大好きです」

 

 ちなみにここまでの会話で、シズネはずっと無表情を貫き通している。ややオーバーすぎるシズネの大好き発言だったが、表情とセットでなくともナナを赤面させるのには十分であった。

 

「お二人は大変仲がよろしいのですね」

「ああ。かけがえのない親友だからな」

「……少し、うらやましいですわ」

「ラピスラズリさん……?」

 

 ナナとシズネのやりとりを見ていて微笑んでいたラピスラズリであったが、聞き取りにくいくらい小さい声で2人を妬んでいた。ナナが理由を尋ねる間もなく、ラピスラズリは自らの本題を始める。

 

「どうしてもあなた方に聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「私たちの正体か? それなら聞かれなくてもこちらから聞いてほしいくらいなのだが――」

「それは後でお願いします。わたくしが聞きたいのは“チェルシー・ブランケット”という名前に聞き覚えはないかということです」

 

 チェルシー・ブランケット。明らかに日本人ではない名前だった。ここでラピスラズリが特定の人物を探しているとなると、自分たちの仲間に該当する人物がいるかどうかということになる。

 アカルギには日本人しか乗っていない。理由は単純で、プレイヤーたちの持つ翻訳機能がないからだった。最高戦力であるナナが日本人のため、実働メンバーは日本語が通じるメンバーで固めざるを得なくなる。

 

「シズネ。本部の方に居ただろうか?」

 

 ナナはシズネに訊く。ナナは戦闘が仕事であり、人員の管理などは全てシズネに任せていた。シズネは自らのISのデータベースに入れているリストを立ち上げて検索を開始する。シズネが把握していないメンバーは誰一人としていない。

 

「いません。少なくともチェルシー・ブランケットと名乗ったことはないでしょう。偽名を使われている可能性は否めませんが、他の情報はありますか?」

「いいえ、もう結構ですわ。やはりあなた方のようにこうして話ができる状態と考える方がおかしかったのです」

 

 ラピスラズリの聞きたかった情報は入手できていないことは明らかだった。しかし、ナナとシズネにはこれ以上どうすることもできない。

 

「すまない。もしかしたら今日の戦いで死なせてしまった2人のうちにいたのかも――」

「その可能性は低いですわ。そもそもあなた方の中にいる可能性も低いはずでしたので」

 

 少し残念でしたけど、とラピスラズリは笑ってみせるも無理に整えていることは誰の目にも明らかだった。ナナは気が進まなかったが、話を切り替える意味も兼ねて自分たちの本題に入ることにする。

 

「辛いところすまないが、こちらの話を聞いてもらえるか?」

「もちろんですわ。わたくしはそのために来たのですから」

 

 嘘だ。ラピスラズリがナナたちを追ってきたのはチェルシー・ブランケットの情報を求めてでしかない。ここから先はその代価でしかないはずだった。欲しい情報が得られなくともナナたちを助けようとする姿勢は、やはりヤイバの仲間なのだとナナに思わせるのに十分なものだった。

 

 ナナは語り始める。自分たちの境遇。自分たちの……敵のこと。

 

「私たちはこの世界“ISVS”に閉じこめられた人間なのだ。それもゲームなど関係ない。外の世界で、とあるISの仕業によってだ」

 

 前半は既に想定していたラピスラズリであったが、この話には目を見開かざるを得なかった。

 

「まさか……そんなことが……!?」

「間違いない。私もシズネも共に、黒い霧のようなISに襲われた。その後、気づいたらこの世界にいたのだ。これが原因でなく何だという?」

「その霧のISというものについて他に何か情報は?」

「あるわけがない。外の世界では私もただの一般人だ。そもそもアレがISだと知ったのもこの世界に来てからだ」

「どうやって知ったのですか?」

「憶測のようなものだ。この世界でISについて知っていく内にそのようなこともあり得ると思い至ったまでだ」

 

 ラピスラズリは顎に手を当てて考え込んでしまう。ナナはしばらく待っていたが、先の話を促されて続きを語る。

 

「そうしてこの世界にやってきた人数は100人に満たない。少なくとも私たちが知る限りではだがな。世界各国からこの世界に来ているが、どういうわけか日本人が20人近くと一番多い」

「続けてください」

「当然帰る手段を探していた。来た原因はわかっていても来た方法がわからないため逆を辿ることは不可能だった。できることは帰る方法を知っている人間を頼ること。最初はプレイヤーを頼ろうとしたが……いきなり攻撃された」

「言葉が通じなかったのでしょうね」

「ほう? どうしてわかる?」

「推測ですわ。ヤイバさんがどうしてあなた方と話せたのかはわかりませんが、わたくしの場合はISVSの翻訳機能を完全に外しているため、会話できるのだと考えています」

 

 ラピスラズリの推測は原因に心当たりがあってのものだった。もはや推測でなく確信に近い。

 

「翻訳機能を外した? それがなぜ?」

「翻訳機能が逆に働いて、理解できない言語に変換されていたということになるのでしょうか?」

「そうですわ。わたくしと他のプレイヤーとの差異はそこにしかありません。最悪の場合、変換された言葉が言語ですらない可能性もあります」

 

 ラピスラズリは多言語を習得しているため、翻訳機能が邪魔となると判断してのオミットだった。通常は複数の言語を習得していても翻訳機能を切るような真似をする必要がない。それほどISに備わっていた翻訳機能は優秀な代物だった。苦労してわざわざ外そうとするプレイヤーなど他に存在しないと言ってよかった。なぜならばプレイヤー同士の交流においては何も不都合がないからである。撃墜対象と会話できなくてクレームを出すようなプレイヤーは皆無だ。

 

「だがピンポイントで私たちの言葉だけ聞けなくするなどという真似ができるのか?」

「できるはずですわ。ナナさんが敵と考えている連中ならば簡単なことでしょう」

 

 翻訳機能に関するラピスラズリの推測には先があり、ナナの答えに帰結すると告げた。ナナは自分たちの敵の予想を話すことにする。

 

「ミューレイがこのゲームの運営者なのか?」

「ミューレイは手足でしかないと思われますわ。ISVSの筐体とイスカは彼らの技術です。もっとも、特許を申請せず他企業が簡単に参入できる異常な事態でしたので、詳しく調べていない人間ではどこの企業が始めたのかわからない状態になっていますけど。少なくともISVSにおける機能である翻訳に関してはミューレイが関わっていればあなた方の声が届かない仕掛けを施すことは不可能ではないでしょう」

「特許を申請しない……? 営利目的じゃないということか?」

「ISVSの運営に関して、一企業の利益とならないように動いた組織があるのです」

「組織? ラピスラズリさんはもう心当たりがあるのか?」

 

 ラピスラズリは「ラピスと呼んでいただいて結構です。ヤイバさんもそう呼んでいますので」と断っておいてから、組織の名を告げる。しかし、どこか半信半疑で自信はなさげだった。

 

「国連のIS委員会ですわ。当然わたくしも疑ったのですが、今の国際情勢で一企業の権力が強くなることを発言力の大きな国々が猛抗議したようでして……特に何者かの意志が介在してるようには見られませんでした」

「そうか」

「しかし、仲間の方たちはミューレイの関係施設に囚われていたということで間違いないでしょうか?」

「ああ。もっとも、襲撃していく内にわかったことなのだが」

 

 ナナから言いたいことは言えたはず。しかし、進展してるのか実感は湧かなかった。そもそもナナたちも状況に振り回されてる側なのだから無理もない。話すことも無くなり、この場はひとまず解散することに決まった。

 

「大変有意義な時間でしたわ。今日のところはこれでお暇させていただきます」

「私たちは今後どうするべきだと思う?」

「下手に動かない方が賢明ですわ。ただ、仲間が囚われてると知って黙っては居られないでしょう?」

「ああ。たとえ罠でも、私ひとりででも助けに向かいたい」

「だと思いましたので、少し準備をさせていただきましたわ」

 

 そう言ってラピスは携帯電話を2つ差し出した。

 

「何だこれは?」

「携帯電話ですが、ご存じなくて?」

「いや、そういうことでなくてだな! こんな場所でどうして携帯が使える!? もし使えたとしても敵に筒抜けじゃないのか?」

 

 ナナの疑問はもっともであるが、愚問である。ことコア・ネットワークにおいてラピスのISを超える存在はない。

 

「形こそ携帯電話ですが、それはわたくしの専用機の装備ですわ。わたくし専用のローカルコアネットワークを介して外のわたくしの専用機に届き、後はわたくしの携帯を通じて繋がる仕組みになっています」

 

 つまり外から見ればラピスの携帯のやりとりしか映らない。少なくともナナたちの居場所を特定できるのはラピスひとりだけだった。

 

「連絡先はわたくしとヤイバさんのメールアドレスを登録してあります。何かあれば、行動するより先に必ず相談してください。緊急時はわたくしにのみですが通話できますのでそちらをどうぞ」

 

 ナナは戸惑っていた。ラピスの準備は手際が良すぎる。話してみて敵でないと納得したにもかかわらず、すぐには手が出ない。

 

「ではありがたく使わせてもらいます」

 

 そんなナナを差し置いてシズネが2つの携帯を受け取っていた。

 

「はい、ナナちゃん。もうひとつは私が持ってていいですよね?」

「あ、ああ。頼む」

 

 シズネの手からラピスの携帯を渡される。この世界にくる前には慣れ親しんでいたものだが、今のナナが持つには違和感しかなかった。ISだけが身近になってしまっている証拠だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 10月中旬は1年の中でも過ごしやすい気候だった。残暑の厳しかった9月が過ぎ、冷え込み始める12月までの間の短い秋だ。遅くなり始めた日の出の時間と共に、清々しい朝の空気を吸いながらの目覚めはスッキリする。

 

「よしっ! 今日も1日頑張るか!」

 

 気分良く目覚めた俺は軽く肩を伸ばしながらベッドから起きあがる。思い起こされるのは昨夜のISVSであったこと。ナナたちがただのゲームではありえない存在であることがほぼ確定した。

 都市伝説扱いである福音の噂。

 ゲームの中で“生きている”人たち。

 全くつながりがないはずがない。ナナたちを探せば事件の真相に近づけるはずだ。……箒に会えるはずなんだ。

 

 今日の予定は朝からナナたちの捜索かなと思いながらとりあえず着替えを終えると、ベッド脇に置いてある携帯が点滅して着信があったことを伝えてくるのが目に入った。朝っぱらから誰だと思って見てみるとメールの着信が複数入っている。新着を古い順に見ていく。

 まずは鈴。時間は昨日の夜で、俺の出したメールに対する返信だった。昨日は昼からずっと親父さんの店を手伝っていたらしく、夜までほとんど休みがなかったらしい。内容のほとんどが愚痴である。どんな中華料理屋だと言いたくもなるが、あの店は鈴目当てで来る人がいるくらい鈴は看板娘をやれている。確かに鈴のチャイナドレスは一見の価値ありだとは俺でも思う。

 次は深夜に出されていたメールだった。セシリアからである。内容は――

 

「はぁ? ナナたちの捜索をせず、銀の福音との戦闘の準備に集中しろって!?」

 

 今日の俺の行動を先読みしたものだった。俺が探し回ったところで徒労に終わるから生産的な活動をしろとまで書いてある。じゃあどうしろというんだ。福音よりも大きな手がかりなのはセシリアもわかってるはずなのに。

 冷静になって最後まで読むと、ナナたちの件は任せて欲しいと書いてあった。ヤイバという名前だけで織斑一夏(おれ)を特定できるセシリアのことだ。ISVS内でナナたちを見つけることも彼女ならできるだろう。確かに俺の力はそこには必要ないのかもしれない。

 最後のメールは俺の起床とほぼ同時刻。もしかしたら知らないうちに目覚まし代わりになっていたのかもしれない。送り主は五反田弾。内容は今日の予定について。

 

「あ、忘れてた。今日はゲーセンに来いって言われてたっけ」

 

 金曜日の放課後。2日前の話なのにもうかなり昔の話のように感じていた。あれからラピスに会ったり、ISVSの認識を改めたりと俺の中で進展がありすぎたのだ。まだISVSを始めてから1週間も経っていない。よく考えてみると、順調すぎる気がしないでもない。

 弾の話では日曜日の今日は翌日月曜日に控えている蒼天騎士団戦のメンバーの選出を行う予定らしい。福音と戦うためにはまずこの戦いに勝つ必要がある。

 ……しかし、ランキング9位セラフィムと戦う必要ってあるのか?

 ランカーであるセラフィムが俺たちの探している福音と同じかどうかは未だにわかっていない。ただ正直なところ、セシリアがナナたちを見つけてくれるのを待てばいいような気がしていた。

 いや、待てよ。もし箒が見つかったとしてそれで彼女が帰ってくる保証がない。そのために福音を倒す必要が出てくるかもしれない。昨日の戦闘で俺はランキング5位であるエアハルトと戦った。手傷を負わせることくらいはできたが、ハッキリといえば相性が良かったからでしかない。まともな勝負としては、俺はエアハルトに負けている。俺には実力が……経験が足りない。

 

 両頬をバシンとたたいて気合いを入れ直す。セシリアが優秀なのはわかっているが他力本願になってはダメだ。役割分担はできている。彼女が見つけ、俺が倒す。そのチームワークを俺が乱してはいけない。

 

「一夏! 起きているか!」

「ああ、起きてるよー……ん?」

 

 リビングの方から千冬姉が俺を呼ぶ声がする。反射的に起きてると返したが、何かがおかしい。俺は時計を見る。まだ朝の6時……。俺は慌ててリビングに向かう。

 

「なんで千冬姉が起きてんだ!」

「あのな、一夏。私をダメな大人扱いするんじゃない」

 

 軽く脳天に手刀が入れられる。軽くのはずなのに足の指先までジーンとした。全身が軽く痺れているが、構うことなく訊いてみる。俺が起きる時間に千冬姉がスーツ姿なのだから。

 

「で、どうしたの、千冬姉? 何か用事でもあるの?」

「お前は……いや、まあ、確かに人と会う用事があってな」

 

 なおも俺に手刀を入れようとした千冬姉だったが、普段の自分を思い出したのか俺の言い分を認めた。1日だけ早起きしたからと言って偉そうな顔はさせない。

 

「へぇ、日曜日だってのに忙しいんだな」

「仕事上、安定した休日が得られないのは仕方ない。ちなみに唐突で悪いが今日からしばらく海外出張だ」

「はぁ? なんだよ、それ? 聞いてないぞ!」

「当たり前だ。今言ったのだからな。私がいなくて寂しいか?」

「2人でも広めな家だぜ? 1人なら寂しいに決まってる」

 

 都市圏から少し離れてるとはいえ、織斑家は20代の姉と10代の弟が暮らす家としては立派なものだった。少なくとも趣味が掃除と言えるくらいは手間がかかる。

 

「それに俺のいないところで千冬姉が真っ当な生活を送れるか心配で心配で――」

「それ以上は許容できんぞ?」

「千冬姉は俺の自慢の姉さんだ! 俺のことは心配せずにいってらっしゃい!」

 

 危ない危ない。いくら本当のことでも言っていいことと悪いことがあるよな。……うん、俺の身の安全にとっていいことと悪いことがあるよな。

 時には自分を抑える必要があると頷いていると、呼び鈴が鳴る。まだ早朝であり、俺を訪ねる客に心当たりはない。

 

「む。私の迎えのようだな」

「仕事関係の人?」

「そんなところだ。このまま出かけるが、帰らずに出張することになる」

「りょーかい」

 

 千冬姉を見送るために玄関にまでついていく。千冬姉の手荷物は小さな鞄だけ。本当に海外出張するのか疑問になってしまうが、千冬姉ならなんとでもしてみせるだろう。

 鍵を開け、扉が開かれると呼び鈴を鳴らした人の顔が見えた。

 どうも最近の俺は金髪の女性に縁があるらしい。千冬姉と違い、カジュアルな雰囲気の胸元が大きく開いたスーツを着ている女性は外に出た千冬姉を無視して俺を見てきた。

 

「君が織斑一夏くん?」

「え、はい。そうですけど」

「ふーん」

 

 そういえば今まで気にしてなかったけど、セシリアもこの人も日本語が上手だな。俺の名前を知ってるということは千冬姉が何かを話したのか。一体、俺の何に興味を持たれているのだろうか。……恥ずかしい話じゃないといいな。

 

「いくぞ、ナタル」

「あれ? 弟さんに行ってきますのキスはしないんですか?」

「バカなことを言うな。ではな、一夏」

「ああ。いってらっしゃい」

 

 まさか千冬姉の手刀を避ける人が居るとは思ってなかった。俺は乾いた笑いを浮かべながら千冬姉と金髪お姉さんの2人を見送る。相変わらず千冬姉関係の人は良くわからない人が多い。下手に関わると痛い目に遭いそうだった。

 

「さてと。俺は俺でやることしないとな」

 

 俺がすべきこと。それはランキング9位のセラフィムと接触することだ。

 

 

***

 

 指定された時間である10時半ちょうどにいつものゲーセンに到着した。入り口に弾たちが待っているということはなく、もう中に入ってしまっているだろうと扉をくぐる。すると、俺を待っていたのは――

 

「な……!? 何が起きてるんだ!?」

 

 床に倒れ伏す弾と数馬、幸村の3人の姿だった。周りの客は3mほど距離を開けて円形に囲っている。誰も倒れている3人に近寄ろうとしないという異常事態。俺は一番近くの幸村に駆け寄った。

 

「どうした! 何があった!」

 

 うつ伏せに倒れている幸村の肩を揺すると、幸村は残った力を振り絞って顔を上げた。

 ……何かをやりとげた男の顔をしていた。

 

「鈴ちゃん……俺の心は君の健康的な色した脚に刈り取られてしまった。ガクッ」

 

 幸村は再び倒れてしまう。ちなみに最後の『ガクッ』は口で喋っている。やはりこの男と意志疎通をすることは難しいのかもしれない。

 

 幸村から事情を聞くのは不可能と思ったところで周囲からの声が耳に届く。

 

「3タテ(勝ち抜き戦において1人が3人に連続で勝利すること)とはたまげたぜ」

「リンは間違いなく強キャラ」

 

 この状況で格闘ゲームの話だろうか。3という数字に不吉なものを感じつつ、鈴の名前が出たところで彼女がどこにいるのか探してみることにした。

 ……お探しの人物は目の前にいますと、目が訴えてきた。

 倒れ伏す弾の背中に脚を乗せて勝ち誇っている鈴の姿が見える。彼女はオーディエンスの反応で俺が入ってきたことを知ったのか、腕を組んだ姿勢のまま顔だけこちらに向けた。

 

「Here comes a new challenger!」

「ふざけんなっ! 俺はこの勝負を下りるぞ!」

 

 何なんだよこのゲーセン!? リアルファイトを推奨でもしてんのかよ!?

 

「冗談はさておき、ヤイバが来たからさっさと起きなさい、バレット」

 

 鈴の一言で倒れていた3人がむくりと起きあがる。相変わらず何事も無かったかのようにピンピンとしている弾は以前に『俺、スタントマン目指してもいいかな?』と割とまじめに相談してきてたっけ。どちらかと言えばリアクション芸人だろうと答えたことは今でも覚えてる。

 

「じゃあ早速明日の試合のメンバーの選出を始めるぞー」

 

 起きあがった弾はポケットに入れていた紙を取り出して内容を読み上げ始める。今ここに集まっている人数は20人ほど。弾を中心に集まっている“藍越エンジョイ勢”は総勢50人近くの大所帯だが、スケジュール的に明日参加可能なメンバーである今いるメンバーから明日のメンバーを決めることになるようだ。

 とまあ、今日の内容はひとまず置いといて、隣にいる数馬に訊いておきたいことがあった。

 

「なあ、ライル。どうして俺が来たとき、3人ともリンに倒されてたんだ?」

「最終的にヤイバのせいだけど、まあ悪ノリした俺にも非があるよ。全ての始まりはサベージのようで、実はリンの親父さんが原因なのかも」

 

 さっぱりわからない。こういうときは鈴に訊いてみよう。

 

「リン。さっきのは何だったんだ?」

「ああ。アイツらがいつもどおりあたしをからかったのが悪いだけ。教えてくれたのはアンタでしょ」

 

 ああ、あのメールか。しかし、だとすると、

 

「リンの親父さんが原因って何なんだ?」

「メールに書いたでしょ? たまには手伝ってもいいよってこっちから言ったのが運の尽き。あの親父、あっちこっちに宣伝した挙げ句、営業時間も昼から夜までフルにしたのよ。店が繁盛したのはいいけど、客層の7割がバカどもだし」

 

 鈴が『バカども』と言いながら親指でくいっと指したのは幸村だった。俺はやっと幸村のメールの意味を理解した気がする。

 

「昨日はサベージの奴、リンの店に行ってたんだ」

「昨日は本当に災難だったわぁ……店の方もあれでいいのか激しく疑問ね」

 

 確かに。店のあちこちから鈴ちゃんコールが溢れている中華料理屋になんて俺だったら入ろうとは思えない。

 

「チャイナ服コスプレで災難とは言いつつもヤイバが来てくれるかもしれないという淡い期待を抱いていたリンちゃんは、俺たちの『かわいい!』コールに『え、そうかな?』と照れながら入り口をチラチラ気にしていた。そういうところがかわい――」

「ぎゃーっ! ぎゃーっ!」

「ぐはあっ!」

 

 俺と鈴の会話に幸村が入ってきたかと思うと、一瞬のうちに鈴に叩き伏せられていた。どうしよう、今回は起きあがってくる気配がない。

 

「そ、そんなことはないからね! わかってる、ヤイバ?」

「は、はい! 俺は何も聞いてません!」

 

 いつになく危険な鈴の眼差しに圧倒され、俺はイエスマンとなるしかない。

 

「……少しはわかってよ」

「ごめん」

 

 きっと俺にしか聞こえていない鈴の呟きに対して俺も同じくらい小さな声で謝った。

 

 などと明日の試合に関係ないことを話している内に弾たちの話し合いが終わったようだった。メンバーの選出が終わり、今から発表するのだという。

 

「ではまずはリーダーから……」

 

 今度の試合は10対10の対抗戦であるが、勝利条件が敵リーダーの撃墜になっている。他9人がやられていようが、相手のリーダーさえ倒せれば勝利となるため、リーダーの選出は最重要であった。

 単純な実力で言えば鈴か弾だろうなと思う。しかし、リーダーが攻撃されるリスクを考えると、前線で戦うべきメンバーを選ぶのは得策ではない。鈴も弾も前線で活躍すべきプレイヤーであるから、ここで選ばれるのは後衛のプレイヤーが妥当。

 

「ライル。頼むぞ」

「りょーかい、ボス」

 

 選ばれたのは数馬。確かに馬鹿でかい索敵用の角を装備している数馬の機体ならば後ろにいても全体にプラスとなる行動がとれる。と、なんとなく思っていたのだが、反対の声が上がった。いや、反対というより疑問というべきか。

 

「相手は蒼天騎士団と聞いている。戦場が廃墟都市なのもあり、あのマシューとライル殿がやりあえるとは思えぬが……?」

「ジョーメイの言いたいこともわかる。しかしうちのメンバーで野郎に対抗できるBT使いはいない。勝てないところで無理に勝負する気はないとだけ言えば、お前なら俺の作戦を理解してくれると思うが?」

「ふむ。元よりリーダーを司令塔として配置する気などないということでござるな」

 

 少々会話が異次元だが弾とジョーメイ(本名は朝岡丈明)の間では作戦まで伝わっているらしい。俺は後で弾に直接確認させてもらおう。

 

 次々とメンバーが発表されていく。

 

「リン。お前が前線の要だ。相手を釘付けにしつつも、甘い行動をしてきたら徹底的に叩き潰してやれ」

「はいはい。要はいつもどおりってことよね」

 

 リン。藍越エンジョイ勢の紅一点。物理ブレードと衝撃砲による近中距離の手数重視の機体であるが、攻撃から攻撃までの流れがコンボといえるものになっているため爆発力が侮れない。

 

「アゴ。お前がリンと双璧だ。仕事はわかってるな?」

「仕事はわかってるが、俺はアギトだ!」

 

 アギト。人より角張った顎が特徴的なためアゴとしか呼ばれない男。ヘルハウンドフレームを使った安定した戦いが売り。

 

「テツ。アゴのフォローについてくれ」

「え? 僕でいいんですか!?」

「アギトだって言ってんだろ!」

 

 テツ。俺の次にプレイ歴が浅いルーキー。基本的に長く楽しむことを目的としているため、防御重視の機体を扱っている。

 

「ライター。敵の壁を薙ぎ払ってもらうぞ」

「はっはーっ! 装甲の固まりほど、やりがいがあるってもんだぜ!」

 

 ライター。集束型ENブラスター“イクリプス”を2門束ねてぶっ放すという一発芸的な機体を操る。全力発射後は行動不能なことが欠点であるが、本人の理解が追いついていないことが一番の欠点。

 

「ジョーメイ。いざというときは頼む」

「任されよ。拙者の全ての知恵を以て勝利に導いてみせよう」

 

 ジョーメイ。着物姿が似合いそうな言動をしているが、この喋りになったのはつい最近のことである。曰く、今のブームは忍者なのだとか。仲間内でステルス軍師などと呼ばれているのは、このゲーセンへの出現率かららしい。

 

「サベージ。今回はお前のルアーとしての役割に全てがかかってる」

「言っておくが俺は好き勝手に逃げ回ることとリンちゃんの勇姿を拝むことしか能がない男だ。ついでに言うとリンちゃんのことしか脳にない。存分に頼りにしてくれ」

「どこをよ!」

 

 サベージ。口を開くたびに鈴のことしか喋らないが、自他共に認める最速の逃げ足は伊達ではないらしい。さっき気絶したと思っていたが弾並かそれ以上の復帰速度の持ち主だ。ちなみにまた鈴によって気絶させられている。その顔は幸せそうなのでこれ以上彼に関わるのはやめておこう。

 

「ディーンさん。お願いできますか?」

「俺か? その時間は空けておくつもりだったから構わん」

 

 ディーン店長。俺はこの人のプレイスタイルは知らない。

 

「ヤイバ。お前には敵リーダーであるマシューを倒してもらう。戦闘中は俺とコンビで動くことになるだろう」

「りょーかい」

 

 そして俺と弾。以上10名でアメリカ代表との試合の権利をかけて蒼天騎士団と戦うことになる。俺はセシリアと違って多人数の戦闘をどうすればいいのかなんて全くわからない。尖ったメンバーが多すぎてまとまりに欠ける気はしているが……大丈夫なのだろうか。

 

 

***

 

 一通りの練習を終える頃には日が傾き始めていた。昼に休憩を挟んだとはいえ、ゲームとしては長時間プレイしすぎである。しかし、視力への影響というわかりやすい害が無いため、疲労以外に何が問題なのかは俺は知らない。

 弾、数馬、鈴との帰り道。思えば全員が揃って帰るのは久しぶりである。話題はISVSばかりなのは仕方がないか。今は俺も話についていけるし。

 

「明日はうまくハマってくれるかねぇ」

「数馬としてはハマってくれないとやれることがないからな」

「そうなんだよ。一夏がマシューを瞬殺したら俺の出番がない」

「俺をあまり持ち上げすぎるな。奇襲が通じない相手なんだったら俺が単独で勝てる相手なわけがない」

 

 明日の作戦。俺の役割は仕上げであって、数馬が主役と言ってもいいものだった。幸村に全てがかかってるとはよく言ったもんだ。アイツの働き次第で作戦の効果は大きく変わる。

 

「それで一夏。俺はしばらくノータッチだったが、少しは腕を上げたか?」

「一応、イグニッションブーストの強弱程度のコントロールは身についてきた感じだな。今までは常に全開だったから使いづらかったけど」

「そうか。やっぱりお前は俺と同じでハマったらとことんやりこむタイプだったな」

「買い被りすぎだ。誰でも始めたばっかはこんな感じだって」

 

 弾は俺を天才か何かだと思ってるのかもしれないが、俺は今日までひたすら負けが続いている。足りないものばかりだ。それは戦えば戦うほど露出する。今はできないことを知るだけでも成果になる。

 他愛もない話をする帰り道。数馬、弾と一人ずつ別れて行き、最終的には俺と鈴だけになる。鈴が前を歩いて俺は後ろについていく。弾たちと歩いているときからずっと鈴は俺に話しかけてきていなかった。

 

「鈴、何か怒ってる?」

 

 2人きりとなり沈黙に耐えきれなくなった俺は鈴に訊く。また無自覚に怒らせているのではないかとしか思えなかったからだ。

 

「怒ってない。考え事してるだけよ」

「何か悩み事?」

 

 怒ってないと知ってホッとしつつも今度は鈴らしくない考え事の中身が気になった。鈴だったら本当に考え事をしている場合はそのことを隠すはず。俺にそう言ったということは多分相談したいことなのだと勝手に思った。

 

「一夏……あたしに何か隠してない?」

 

 案の定、鈴は俺に言いたいことがあったのだ。しかしこれが藪蛇だった。隠し事には明らかに心当たりがある上に、俺には鈴を騙しきるだけの演技力はない。

 

「な、無い」

「嘘ね」

「何を根拠に!」

「あたしの目を見ても同じことが言える?」

 

 言われてから俺は初めて鈴の目を見つめる。

 ああ、またやっちまった。これじゃセシリアの時と同じじゃないか。

 俺は鈴の目を見て固まってしまう。ただ『無い』とだけ言えばいいのに、言葉にはならなかった。

 

 ちょうどそのとき、携帯が着信を告げる。メールの方だ。気まずい空気をぶったぎる助け船に乗っかる形で、鈴に『ちょっとすまん』と断りを入れて携帯を開く。

 

【送信元】セシリア・オルコット

【件名】このメールの半分は優しさで出来ています

【本文】昨日は大変助かりました。ヤイバくんのおかげで私たちは無事です。次の機会があれば是非ともヤイバくんとお話がしたいと思います。ヤイバくんのお話を聞かせてください。絶対ですよ?

 ……えーと、久しぶりのメールなので作法等よくわかりませんがこれでいいのでしょうか? 失礼をしたとしても大目に見てください。次に会える時を心より楽しみにしています。

 

 ……とりあえずセシリアじゃないな。俺をヤイバ“くん”と呼ぶ人物に心当たりは1人しかいないとはいえ、名乗りましょうよ、シズネさん。

 しかしなぜセシリアの携帯からシズネさんがメールを送ってくるんだ? もしかしてセシリアは彼女たちと接触することに成功したのか? ならばなぜ俺に連絡を寄越さない?

 

「一夏」

「悪い。今、割と真面目に考え事してるから邪魔しないでくれ」

「そうはいかないわよ!」

 

 鈴の大声で俺は今の事態に気がつく。鈴が俺の後ろから携帯をのぞき込んでいたのだ。

 

「プ、プライバシーの侵害」

「それは悪いと思うけど! アンタが妙な顔をするから何事かと思えば、誰からなのよ、そのメール! 日本人じゃないでしょ、その名前!」

「えーと……まあ、直接会ったことはない人かな」

「まさか変なサイトでひっかけられてるんじゃ……」

「いや、それは無いから。ISVSでも出会い厨にはなってないから」

「ISVSで……? あたしの知らない間に何があったのよ! もしかして昨日!?」

 

 どうしよう。隠し事の本題からは微妙に逸れてるようで逸れてない。それでいて着地点を俺ですら見失っている。鈴が何を勘違いしてるのかは大体の想像はついているが、決して俺は騙されてるわけじゃない。でもそれを説明する自信がない。

 

 こういう面倒くさい事態には面倒くさいことが重なるもので――

 

「あら? 一夏さんではありませんか」

 

 後ろから俺に声をかけてくる金髪縦ロールのお嬢様がいらっしゃるわけで。

 

「“一夏さん”? ちょっと、一夏! 誰よこの女!」

 

 途端に牙を向ける我が女友達なわけで。正直なところ、俺はこの2人を引き合わせることだけは避けたかった。

 

「一夏さんのご学友の方ですか? わたくしはセシリア・オルコットと申します」

「さっきのメールの人じゃない! 一夏! 会ったことないんじゃなかったの!」

 

 いや、現実で会ったことないのはシズネさんであって、メールの送り主となってるセシリアのことじゃない。うん、俺もよくわかってない。

 

「少し一夏さんとお話をと思い、家の方へ伺おうと思っていたのですが、今はそれどころではなさそうですわね」

 

 それを察していただけるのなら声をかけてほしくなどなかった。もしかしてわざとだったりしないだろうか、と疑いたくもなってくる。

 

「ちょっとアンタ! 一夏の何なのよ?」

「申し訳ありませんが、わたくしは名乗らない方とは話したくはありませんの」

「凰鈴音よ。一夏のクラスメイト。これで文句ない?」

 

 すっかりセシリアペースで話が進んでいる。俺が割り込む余地はなく、鈴が名乗ったことでセシリアは俺にウィンクを飛ばしてきた。嫌な予感がする。具体的には、あの演技をさせられそうだ。

 

「わたくしは一夏さんのプレイヤー仲間、ということにしておきましょうか」

 

 良かった。セシリアの監視がついてなくて本当に良かった。しかし鈴の顔だけは晴れない。

 

「家に行こうとしてたって、どんな関係? 日本語うまいから騙されそうだけど、アンタ外国人でしょ?」

「家くらいは友人でも知っているものですわ。あなたも一夏さんの家の場所くらいは知ってるはずです」

「そりゃあ、中にも入ったことあるけど……」

「そういうことですわ。わたくしと一夏さんはISVSを通じて知り合った良き友人です。一夏さんがどう思っていらっしゃるかは知りませんが」

「そこを含み持たせなくていいから!」

「あら、そうですか。残念ですわね。ではごきげんよう」

 

 なんというか、ひっかき回すだけひっかき回してセシリアは去っていった。後に残されたのは脱力した俺と、振り上げた拳の行き先を見失っている鈴だった。

 

「何か、変な人ね」

「だろ? 悪い人じゃないのは間違いないけどな」

「とりあえずアンタの隠し事はあの人のことだったわけね。納得」

 

 結果オーライという奴だった。鈴が勝手に納得してくれるなら俺から話を蒸し返さなければ大丈夫。一番話したくないところは伏せられた。

 

「あたしに隠したってことは、あの人との友達付き合いですらも負い目を感じてるの?」

 

 しかし、やはりいつまでも鈴に対して隠し通せないかもしれない。

 鈴だけは知ってるから。

 

「そうなのかもな」

 

 かもしれないなどという話ではない。本当はわかってる。箒が一人で苦しんでるのに、俺ばかりが幸せになっていいとは思わない。

 

「いつまでも7年前に引き離された子を想ってるって話自体はあたしは嫌いじゃない。でも、正直に言うと嫉妬してる。どうしてあたしがその位置にいないのかって」

 

 鈴の告白。一度は応えたそれを俺は不意にした。7年前の……箒を忘れられないという言い訳で別れたんだ。今も箒が病院で目を覚まさないことについては話していない。

 

「未練がましいのはわかってるけど、今もアンタから離れたくないのは、あたしが一番アンタの理解者だっていう自負があるから。アンタだけがあたしを苦しみから解放してくれたって事実があるから」

「あのときは弾も数馬も大活躍だったぜ?」

「協力者と首謀者の違いは大きいわよ、わからず屋」

 

 一度は歩もうとした。箒のいない人生を。

 もう幼い頃の話であって箒も忘れていると思いこむことで自分を抑えた。

 でも、俺は気づかされた。

 それは妥協だったのだと。

 軽々しい想いでは先が無いのだと。

 

 中学3年の1月3日。俺は初めて篠ノ之神社に行かなかった。

 鈴と一緒に遊んでいたんだ。

 その翌日、俺の元にひとつの報せが届く。

 箒が入院している。

 居場所を知らせるものだが、同時に決別を知らせるものだった。

 俺は彼女に会えない。

 病院に運ばれる前、箒が倒れていた場所は――

 

 

 篠ノ之神社だった。

 

 

 約束を裏切ったのは、俺だけだった。

 俺から交わした約束だったのに。

 箒が無茶をして来てくれたことは間違いないのに。

 2人の大切な約束を俺がぶち壊しにしたんだ。

 

「一夏、泣いてるの?」

「ごめん、箒。ごめん、鈴」

「まったく……男が簡単に涙を見せるんじゃないわよ」

 

 そう言いながらも鈴はうずくまる俺の頭を撫でてくれる。これに甘えた結果が今の箒の状態を招いた気がしていた。まるで俺を罰するようなタイミングで箒を俺から奪っていった。俺への罰だというのは勘違いだってのはわかっている。それでも、約束の地に現れてくれた箒に応えたいと思ったのは勘違いなんかじゃない。

 

「もう大丈夫だよ、鈴。早く帰ろうか」

 

 鈴の手を払って立ち上がる。知らないなりに俺を心配してくれる鈴を危険に巻き込むわけにはいかない。

 足を止めるにはまだ早い。俺とセシリアの2人だけの戦いだが、彼女とならやれるはず。必ず箒を取り戻してやると改めて誓った。



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10 身勝手な弱さ

 気づいたら月曜日の朝だった。家に帰ったらセシリアに聞きたいことがたくさんあったし、ISVSでナナたちに会ってみたかった。シズネさんからと思われるメールのことも聞きたかった。なのに俺は鈴と別れた後すぐに寝てしまったようだ。自分の部屋まで帰る気力も湧かずにリビングのソファで寝てしまっている。

 

「……やらかしてしまったことは仕方がない。とりあえずシャワーでも浴びるとするか」

 

 切り替えが大事だと思い、体にかかっていた毛布を床に投げ捨てて朝の準備を始めようとする。そこで強烈な違和感を覚えた。

 

 ……今、千冬姉はいない。

 

 この家は俺と千冬姉の2人暮らしだ。千冬姉が出張で留守にしてるこの家には俺しかいないはず。なのになぜ寝落ちした俺の体に毛布がかけられているんだ? そして……なぜ台所から炒め物をしている音が聞こえてきているんだ? 俺は慌てて台所に駆けていく。

 

「あ、一夏。おはよう。勝手に使わせてもらってるわよ」

 

 そこにはエプロン姿の鈴がいた。鼻歌交じりにフライパンを振るっている。

 

「昨日はお風呂に入ってないんでしょ? とりあえずシャワーでも浴びてきたら? 朝ご飯はあたしが適当に作っておくから」

「どうして鈴がいるんだ?」

「細かい話はあと、あと! さっさといきなさい」

 

 納得はしなかったが、別に悪いことをされてるわけでもないと思い直して俺はシャワーを浴びて制服に着替えて出直す。

 台所に戻ると既に鈴の料理は完成していた。なるほど鈴らしい料理だった。だけど、

 

「朝から酢豚か……」

 

 重い。対面に座る鈴が両手で頬杖をついてニコニコと俺が食べるのを待っている。その期待も重い。だがここまでしてくれたのだから平気な顔をして食うのが男だろう。

 

「あれ? 意外といける?」

「アンタねぇ……あたしを何だと思ってるのよ」

「いや、旨いのは知ってるつもりだけど、寝起きの胃で耐えられるものだとは思ってなかった」

「特に変わったことしてないはずよ? 強いて言えば、愛情がこもってるくらい?」

「自分で言うな。愛情の質が落ちる」

「そうよね。そもそもあたしのキャラじゃないし」

 

 酢豚を完食。ついでに余ったという体裁で作られた酢豚弁当を持たされた。うん、俺って幸せ者だな。……薄情者でもあるけど。

 と、落ち着いたところで状況を整理したかった。

 

「何で鈴が俺の家にいるんだ?」

「別に難しい話じゃないわよ。昨日別れたときもどことなくおかしかったから心配してただけ。千冬さんが出張でいないって聞いたからもう一度顔ぐらい見とこうと思って夜のうちにここに来たの。そしたら明かりはついてないし、玄関は鍵が開けっ放しだしでいつもと様子が違ったから勝手に入らせてもらったの。文句ある?」

「無いよ。そうか、それはだいぶ助かった、鈴」

 

 どこの誰とも知れない人が入ってくるよりは助かるに決まってる。非があるのは俺だけだろう。しかし、気になる点がひとつだけ。

 

「千冬姉の出張をどこで知ったんだ?」

「あたしもよく知らない。ただメールが来ただけだから」

「誰から?」

「昨日会ったセシリアって女からよ」

 

 ……アイツは本当に何者なんだ? 情報収集力が高いってレベルをとうに超えている気がする。まさか俺に盗聴器でも仕掛けてないだろうな? 今度徹底的に問いつめる必要があるのかもしれない。

 

「いつの間にアドレス交換してたんだ?」

「え? 一夏から聞いたって書いてあったけど」

 

 ……もうセシリアのそういうところにツッコミを入れるのは野暮な気がしてきた。俺たちに残されたプライバシーはあとどれだけあるんだろう……?

 

「一夏? 顔色悪いけどどうしたの?」

「なんでもない。……なんでもないんだ」

 

 そうこうしている内に時間が迫ってくる。鈴と2人で後かたづけをして俺たちは家を出た。ちなみに鈴は俺の家に泊まったわけではなく、夜と朝の2回来てくれているということだった。別に何かしでかしたかもしれないと不安になったわけではないが一安心した。

 

 

***

 

「もげろ」

 

 登校して教室に来るまでに同じ言葉を7回はかけられただろうか。まるでおはようの感覚で俺にかけられた言葉だが、彼らの真意を俺は理解していない。

 

「なぁ、鈴。俺は何を言われてるんだ? 明らかに敵意を持たれてるんだけど」

 

 鈴に耳打ちをすると、教室が揺れた。見ればクラスメイトのひとりが壁を全力で殴りつけている。誰も彼の奇行を止めようともしていない。

 

「あたしに聞かないでよ! わかるわけないじゃん!」

「それもそうか。おっ、幸村! いいところに!」

「……もげろ」

「お前もか!」

 

 もげる。くっついていたものがちぎれて落ちること。何となくわかったようなわかりたくないような気がする言葉だ。

 

「うーっす、一夏」

「弾! お前だけは普通だと信じてたぜ!」

 

 俺の後ろの席に弾がやってくる。いつもどおりの挨拶に俺は安心を覚えていた。それぐらい今日は朝から別世界に足を踏み入れたような感覚に陥っている。

 

「なぁ、弾。この学校で一体何が起きているんだ? それとも何かが起きているのは俺の方なのか?」

 

 頼もしい我が親友はケラケラと笑いながらも答えを示してくれた。

 

「この学校は鈴のファンが多いからな。幸村みたいな鈴の恋を応援する穏健派もいれば、打倒一夏を掲げる過激派もいる。一夏と鈴が朝から並んで登校してたもんだから騒いで当然ってわけだ」

「へぇ、幸村が穏健派なのか。あいつにももげろって言われたんだけどどこが穏健なんだよ。というか、もげろってなんだよ?」

 

 俺の次の疑問にはいつのまにか来ていた数馬が答えてくれる。

 

「『あ、一夏さん。おはようございます。昨夜はさぞお楽しみでしたでしょうね。いえいえ、悪いことなどとは申しません。ただ、わたくしどもが壁を殴るだけのことです。ですから壁には気をつけてください。もしかしたら壁と間違えてあなた様を殴りつけてしまうかもしれません』という意味を込めて彼らは『もげろ』と言っているみたいだよ」

「長いよ!? 俺はそんな風に受け取れねえよ!」

「で、実際のところどうなの? なんでも今朝は鈴と一緒に家から出てきてたみたいじゃん?」

「そんなところから見られてたのか……。別に何もねえよ。な、鈴?」

「え……あ、うん」

 

 そこでしょんぼりとしないでいただきたい。いや、まあ否定してくれたことには変わらないのだけども。

 

「校舎中の壁の振動が止まった……?」

「見ろ、幸村が鈴ちゃんの新しい顔を見れてご満悦だ。この学園の壁は守られたんだ」

「一時はどうなるかと思ったぜ」

 

 ところどころから聞こえて来ている言葉に誰も疑問を感じないのか。おかしいのは俺なのか? とりあえず壁を叩く音が消えたのは事実だけど、どこか納得できない。あと、幸村はMにみせかけて実はドSだ。間違いない。

 

 嵐は過ぎ去ったようで、担任(宍戸先生)が来る時間が迫っているのもあり全員が素直に自分の席に着いて駄弁っている。俺は今から放課後の予定について考えていた。最初にゲーセンに行って試合をするのは確定だが、その後をどうするべきか。やはりセシリアに話を聞いてナナたちに会いに行きたいと考えている。

 

「なあ、一夏」

 

 ちょいちょいと弾に背中をつつかれて思考が中断される。今日の試合の話だろうかと振り向いたが、弾は難しい表情をしていた。明らかに乗り気でないときの顔だ。

 

「真面目な話、鈴と何かあったのか?」

「特に何もないけど?」

「……そうか。だとすると、だからと言うべきなのか」

 

 弾の言うことが掴めないでいると、弾は耳を貸せとジェスチャーしてきた。周りに徹底的に聞かれたくない何かを話そうとしている弾に俺は素直に応じる。

 

「数馬がいつも言ってるが、俺はあえて触れてこなかった。だがそろそろ聞かせろ。なぜお前と鈴は付き合ってない?」

 

 そういえば弾はたまに軽くからかう程度はあったが俺と鈴の付き合いについて深く突っ込んできたことはなかった。しかし、俺からも聞きたい。なぜ俺と鈴が付き合うことがまるで自然であるかのように聞いてくるのかと。

 

「あのな、そういうことは部外者が口を出すことじゃな――」

「中学2年の冬。俺と数馬を巻き込んで起こした“あの事件”を忘れたとは言わせねえ」

「巻き込むも何も、お前らめっちゃ協力的だったろ?」

「俺も数馬も別に面白そうだと思って協力したわけじゃねえよ。むしろ俺たちは止めようとしてた。でもお前の言葉が俺たちの意志を変えたんだ」

 

 中学2年の冬に起きた事件。千冬姉にも迷惑をかけた俺たちの中だけの事件だ。主犯は俺だが、正直なところ俺は当時のことを細かく覚えてない。時間がなくて、ただ必死だったことしか覚えてないんだ。

 

「あれからもうすぐ2年経つ。それまでずっと鈴が近くにいて、付き合ってない方がおかしいと思うのは普通だろ? 鈴がお前のことをどう思ってるのかを知らない奴はこの学園にいない。お前も含めてな」

 

 ここまでハッキリと言われたら否定しにくかった。俺が何も言えないでいると弾の方から話を終わらせてくれる。

 

「これ以上の口出しは野暮だと思うから止めとく。俺としては今日の試合で2人ともちゃんと働いてくれればそれでいいからよ」

「おい、そこまで言っといて言いたいことはそこかよ!」

「はっはっは! 俺は俺が良ければそれでいいからな! せいぜい適当に悩んでろ、青少年!」

「同い年の奴に少年呼ばわりされたくない!」

 

 弾の奴も相変わらずだった。真面目な話が長く続かない。そんな弾だからこそ、俺の友人になってくれたような気がする。今だからこそ言えることだけどな。

 

 

***

 

 昼休みになって俺は教室を出ていった。とりあえずひとりになりたかったからだ。場所は誰に告白するわけでもないが体育館裏を選んだ。目的はセシリアに電話をかけること。昨日のうちに話せなかったことを聞いておきたかった。この時間に出てくれるかは不安だったが、心配は杞憂だったようですぐに出てくれる。

 

『お待ちしておりましたわ、一夏さん』

「こっちからかけておいてなんだけど……セシリア、学校は? というかまだ日本にいるんだよね?」

 

 セシリアが来日して早々、恋人のフリをさせられて色々と聞けていないことが多い。彼女が日本に来た目的は俺を守るためだとか言ってたと思うが、いつまでも日本にいれるわけがないだろう。

 

『わたくしは既に大学を卒業しておりますし、仕事はこちらでも出来ることですので問題はありませんわ』

「失礼ですが、おいくつでしょうか?」

『本当に失礼ですわね。それも無理がないと納得しておきましょう。わたくしはあなたとお似合いの15歳。誕生日は12月24日ですわ』

 

 同学年だった。飛び級で大卒って天才の部類だろ。日本語の習得もわけないってことか。

 

「いや、俺の方が釣り合わな――」

『お世辞は結構ですわ。聞きたいこともあるでしょう。あなたが聞きたい順に質問してくださいな』

「じゃ、お言葉に甘えて」

 

 本題を早く言えということで俺としては助かる。俺が聞きたいことはナナたちのこと。

 

「セシリアはナナたちと話ができたのか?」

『はい。本当は直接一夏さんにお話ししようと思っていたのです。急いで連絡するほどのことでもないと思いましたので』

「そっか。ナナたちと話せても進展はなかったってことでいい?」

『そういうことですわね。彼女たちは福音と関わりがありませんでした』

 

 シズネさんからメールが来てからある程度は予想していたことだった。しかし、だとすると他に気になることができる。

 

「じゃあナナたちは何者なんだ? 福音と関係なくても、普通じゃないよな?」

『現実から謎のISによってISVSに送られた人たち……だそうですわ』

「ん? ごめん、何を言ってるのかわからない」

『彼女たちはゲームをプレイしていない。方法は不明ですが、ISVSのシステム以外の方法であの世界に囚われてしまっているようです』

「それって福音は本当に関係ないの?」

『外見の特徴が一致しませんわ。彼女たちが会ったISは黒い霧のようなものだったそうです』

 

 黒い霧のIS、か。セシリアから聞いた限りでは、福音は背中から翼を生やした天使という外見をしているらしい。俺の方でわかっている限りのセラフィムの機体のスペックを集めたところ、背中の翼はブレイスフォード社製のエンブレイスフレームに拡散型ENブラスター“シルバーベル”を付けているということであった。実用性重視のプレイヤーならば非固定浮遊部位(アンロックユニット)に設定するであろう装備を敢えて固定しているのだから、なにかしらのこだわりがあるのかもしれない。とりあえず言えることは、ENブラスターが放つものは光であって、黒い霧などという表現は不適切であることは間違いない。

 

「とりあえずナナたちが福音と関係ないってことはわかったけど、昏睡事件の犯人が福音以外にいるってことにならないか?」

『そう……かもしれませんわね』

 

 俺の疑問に対するセシリアの返答はハッキリとしない。セシリアのことはよく知らないはずだが、彼女らしくないと思った。

 

「福音以外にもいるとしたら、親玉を潰さないといけないんじゃないか?」

『それはそうですが……』

「まあ、いいや。今話してもわからないことだらけだし」

 

 見えないところばかり追っていても仕方ない。今見えている敵は福音だけ。

 

「で、次の質問。昨日シズネさんっぽい文面のメールが来たんだけど、これってセシリアの仕業だよね?」

『仕業とは人聞きが悪いですわね。あの方々との連絡手段はあったほうがいいでしょう?』

「ごめん、悪いというつもりはなかった。でも突然セシリア名義でメールが来ても困ったんだよ。俺の方から直接返信できるのこれ?」

『通常と同じ操作で返信をしてくだされば、わたくしの方で転送しておきますわ』

 

 なるほど。セシリアに内容が筒抜けになるわけだ。こうしてセシリアにまた俺の個人情報が抜き取られ……考えるのはよそう。彼女はそんな子じゃない。

 

 聞きたいことはこれくらいか。そろそろ教室に戻らないと鈴あたりが探しにきそうだった。

 

「ありがとう。また何かあったら連絡をくれ」

『了解しましたわ。一夏さんは今日はアメリカ代表と戦う権利をかけての試合でしたわね』

「そうだな」

『あくまで可能性のひとつですが、もし先ほど話していた親玉がどこかの国である場合、福音の正体がそのままトップランカーであるセラフィムである可能性が出てきますわ』

「だからセラフィムに接触しておきたいってことだったな。倒せば解決って単純な話じゃない気がしてるけど」

『欲しいのは確証ですわね。敵と見なせば、オルコット家の本気を見せて差し上げます』

「こわいこわい。まあ、こっちは任せてくれ」

『わたくしもお手伝いできれば良いのですが……』

 

 確かにセシリアがいれば百人力だ。マシューとやらがどれだけの使い手かは知らないが、セシリアの指示さえあれば負ける気がしない。しかし、これは藍越エンジョイ勢と蒼天騎士団の試合だ。部外者であるセシリアが入ってくるのは相手はもちろんのこと、こちら側のプレイヤーもいい顔をしないのはわかりきっている。弾の奴もただ勝利することじゃなくて“俺たち”が勝つことに意味を見出しているのだろうからな。

 

「その言葉だけ受け取っておく。俺は俺、セシリアはセシリアでやれることをやっていこうぜ」

『了解しましたわ。頑張ってくださいな』

 

 通話を切った。俺の仕事はセラフィムと試合をすることで相手を見極めることにある。あまりISVSに現れないプレイヤーらしく、こういったイベントでしか狙って会うことは難しい相手だ。俺はこのチャンスをモノにしないといけない。

 

「そこで何をしている?」

 

 携帯をポケットにしまったところで俺に向けられている声が聞こえた。やたらと渋いこの声は明らかに高校生のものではない。声を聞くだけで頭を下げなければいけない気がしてくるこの感覚。正体は姿を見ずともわかっていた。

 

「し、宍戸先生! なぜこんなところに!?」

 

 俺のクラスの担任でもある英語教師の宍戸だった。全面的に俺が悪いと千冬姉も言っているのだが、どうもこの先生には苦手意識しかない。

 

「なんだ、織斑か。下駄箱にラブレターでも入ってたか? それとも果たし状の方か」

「いや、どっちもありませんでしたけど」

「ちっ、つまんねえな。折角暇つぶしを見つけたと思ったのによ」

 

 生徒の前で遠慮なく舌打ちする宍戸。人目に付かない場所にどんな暇つぶしに来てるんだ、この人?

 

「ま、お前でいいか。この場で生徒指導を始めるぞ」

「何で!? 俺が何やったの!? ……ですか?」

 

 つい敬語も忘れて口答えをしてしまった。お前でいいか、で生徒指導されてたまるかという思いが強かったということにしておこう。それにしても、今日の宍戸は服装も含めて生真面目さの欠片もない。俺と話している顔もまるで遊んでいる子供みたいだ。

 

「朝から学園中で男子生徒複数人が壁を叩き続けるという奇行をしていたんだが、そいつらが口を揃えて『織斑が凰を拐かした』と供述していてな。ちょいとその辺りを詳しく聞かせてもらおうか」

「俺は無実です!」

「ん? 凰に確認したら否定しなかったぞ?」

「なにそれ!? ちくしょう、俺をハメやがったな! ってちょっと待ってください! 鈴の奴になんて聞きました?」

「『織斑にさらわれたのは本当か?』と聞いたが何か問題でもあるのか?」

 

 俺は頭を抱えざるを得ない。そうか……こうして誤解は生まれ、冤罪というものが成立してしまうのか。

 俺がウンウン唸っていると宍戸は頭にポンと手を乗せてくる。

 

「若気の至りって奴か。今回は凰が嬉しそうにしてたからオレから言うことは何もない。ただ、ハメを外しすぎて後悔だけはするなよ」

 

 そう言って宍戸は去っていった。宍戸と話して罰を与えられなかったのは初めての経験だった。それはそれで驚いたのだが、俺が気になったところはむしろ宍戸の言い残した内容の方だ。

 

「鈴が嬉しそうだった……ね」

 

 

***

 

 放課後。俺たちはゲーセンに集まっていた。昨日発表されたメンバーも揃い踏み。あとはISVSに突入するだけ。

 

「全体の作戦はあえて一部プレイヤーにしか伝えていない。それはあのマシューを罠にかけるためだ。戦況の見た目が悪くとも各々の役割を的確に果たしてもらいたい」

「りょーかーい」

 

 気の抜けた返事でまとまりに欠けていた。だからこそ、弾は真っ向勝負を避けているのかもしれない。俺も弾から作戦の詳細は教えてもらっていないが、もうなんとなく策は見えていた。具体的な方法は置いといて、弾が狙っているのは特定の場所におびき寄せての殲滅だろう。

 

 ロビーに移る。既に相手側は手続きを終了しているようで、こちらもすぐに準備に入った。受付の手続き後、転送用のゲートに全員で移動する。

 

【試合形式】10VS10チーム戦

【フィールド】廃墟都市

【勝利条件】敵リーダーの撃墜

【リーダー】“藍越エンジョイ勢”ライル、“蒼天騎士団”マシュー

 

 試合形式を教えてくれる文字の羅列が目の前に並ぶ。その間に周囲の景色が真っ白になり、やがて瓦礫だらけの屋内に移り変わった。床、壁、天井に穴が空いており、既に建物として機能していないことは明白である。

 

「さて、始まった。全員行動に移ってくれ」

 

 バレットの指示によってリンが真っ先に建物から飛び出していく。両チームの初期位置だけは指定されているので、先行するチームはまっすぐにそちらへと向かうこととしていた。

 リン、アギト、テツ、ライター、サベージの5名が飛び出した後で次は俺たちの番。

 

「いくぞ、ヤイバ」

「りょーかい」

 

 俺とバレットがやや遅れて出撃する。残ったのはリーダーであるライルとディーン店長のみ。どちらもISというにはとてもゴツイ外見をしていた。ライルの装備は明らかにいつもとは違う。これが今回の策なのだった。ライルはここから動かない。いや、動けない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ステージに転送されてすぐに戦闘開始である。ミッションとは違い、余裕を持って始めることは稀であり、マシューは即座に索敵を開始する。味方への指示を出すためにも素早く相手の出方を窺うことにした。

 

「5、2、3と分かれてきたか。バレットにしては珍しく戦力をまとめてきたみたいだがさて、リーダーはどこにいるかな?」

 

 開始早々にまっすぐ蒼天騎士団へと向かってくる5人。遅れてくる2人。初期位置から動かない3人。リスクを嫌う傾向にあったバレットの癖から考えてマシューは初期位置にリーダーがいると判断する。

 

「初期位置に籠もって何ができる? こちらは6、3、1で分かれて、前に出てきた奴らから潰してやるとしよう」

「無視して初期位置の3人を叩くのではないのですか?」

「それこそ奴らの思う壷だ。こちらの動きを追えない奴らはリーダーを囮にすることで我々の位置を固定しようとしてる。引き返した連中と挟み撃ちされて勝てるというのならそうするけど?」

「すみません、浅はかでした」

 

 マシューは蒼天騎士団を3班に分ける。

 1班は5人を迎撃させる主力部隊。防御重視ユニオン2名、中距離射撃メゾ2名、エースであるハーゲンにBT使い1名である。

 2班は敵遊撃部隊を迎撃する部隊。防御重視ユニオン2名、マシンガンフォス1名。

 3班は初期位置に残り、全体の指揮を執る。

 

「今回は真っ向勝負をしてやるよ、バレット。お前たちくらい正面から倒せなければ、セレスティアルクラウンに挑むなど夢のまた夢だ。……それに、あの方に仕えるにはこれくらいこなせなければ」

 

 マシューの目はギラギラと光っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 リンを先頭にアギト、テツ、ライター、サベージの順で廃墟となっている都市を突き進む。人が住まなくなって数年経過しているというだけにしては建物の壊れ方が激しかった。まるで戦闘があった街であるようにみえる。

 

「ジョーメイの予測だとそろそろ敵が仕掛けてくるはずだ――って見えたし」

 

 アギトが敵を発見する。それはもちろんサベージを除く全員も把握していた。先頭に見えるのは中世の騎士をモチーフにしたような甲冑姿のユニオン。当然、こちらから先制攻撃を仕掛ける。

 

「カモがネギしょってー、やってきたぜ!」

 

 建物の間を低空飛行で移動していたリンたちだったが、ここでライターが上空へと飛び上がる。彼の装備は集束型ENブラスター“イクリプス”。一発撃つだけでサプライエネルギーの多くを持っていかれる燃費の悪い高火力武器だ。それを2発同時に発射する彼の機体は、誰から見ても頭の悪い構成だった。だからこそバレットは彼を選んだ。

 

「ひゃっはー!」

 

 2筋の閃光が平行に飛んでいく。その先には蒼の甲冑があった。見た目通りに鈍重な蒼い騎士は回避は愚か、防御行動も間に合っていない。2発の直撃を受けて、鎧が弾け飛ぶ。

 

「ネタ要員もたまには役に立つんだな」

 

 攻撃の成功を確認するや否やアギトが全力移動を開始する。同じヴァリスクラスでもリンの甲龍よりアギトのヘルハウンドフレームの方が速い。大穴の空いた騎士を射程に捉えたアギトはショットガンとアサルトカノンを連続で叩き込む。いとも簡単にアーマーブレイクを達成し、とどめに左肩のENブラスター“ブラックアイ”も撃ち込んだ。

 

「まずは1機」

 

 ユニオンは装甲特化にしている分、シールドバリアに直接実弾を撃ち込まれると脆い。装甲はライターのイクリプス2門によって消し飛んでいたため、シールドバリアを守る鎧は存在していなかった。ついでにストックエネルギーも大幅に削れている。実弾に対しては強力な防御能力を誇っていても弱点が明確すぎる。それがユニオンスタイルがランキング上位に入りにくい理由である。

 

「くっ! 突出しすぎたか」

 

 敵機にとどめを刺したアギトを待っていたのは敵IS3機による集中砲火である。アサルトカノンと重ライフルによる一斉射撃を浴びながらもアギトは慌てて後退する。尚も敵のミサイルが追ってくる。正面から襲ってきたミサイルはショットガンで迎撃したものの、上空から襲ってくるミサイルを防げない。しかし後方から飛んできた弾が空中で炸裂し、ミサイルを全て破壊する。

 

「アギトさん、速いっすよ」

「フォローサンキュ、テツ」

 

 後続のテツが追いつき、アギトはひとまずの危機を脱する。

 

「リンは?」

「ハーゲンとガチでやりあってるっす。あれはお互いに横槍を入れられないっすね」

 

 

 リンはアギトに向かおうとしていたハーゲンに斬りかかっていた。以前にも戦ったことのある相手。メイン武器は薙刀“夢現”であるが、周囲に浮かせている物理ブレード“葵”を6振りも操り、格闘戦の手数は圧倒的に多い厄介な相手だった。浮かせていると言ってもBT兵器のように本体から離れられるわけでなく、射程はせいぜい3mと言ったところ。しかし、7つのブレードが一斉に襲ってくるだけで十分な脅威といえる。

 対するリンは両手に持っている双天牙月、両肩の龍咆に加え、籠手に仕込んである衝撃砲“崩拳”により手数だけならハーゲンに迫るものがあった。

 

「また会ったわね。今日は引き分けなんかじゃ終わらせないわよ」

「……うむ」

 

 リンは刀を打ち合わせている相手に話しかけると返答があった。うむ、の一言だけ。しかし、前は全く話さなかった男であり、少々リンは困惑する。

 

「アンタ、喋れたんだ」

「いかにも。マシューが変わった。我も変わろう」

「あー、はいはい。実はあんまり興味ないわ」

 

 長話になっても困るため、さっさと切り上げて攻撃を再開する。

 終始、ハーゲン側が優勢である。それは単純に手数の差と言えた。ハーゲンの攻撃をリンが双天牙月で受け止めたり、衝撃砲で撃ち落としたりすることを繰り返している。徐々に下がりながらもリンは直接的な被弾はゼロで抑えていた。

 膠着状態に陥るのは仕方がないとリンは割り切る。元々倒すのには

骨が折れる相手だ。倒せずとも時間さえ稼げればリンの役割は果たせたと言える。この試合の勝敗はリーダーを倒せるか否かでしかないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「おい、バレット。こっちにも敵が来てるぞ。しかも3人」

「心配すんな。これも想定内だ」

 

 本当かよと思いつつも俺は雪片弐型を構える。見たところ相手は防御重視ユニオンが2体にマシンガンを両手に装備したフォスが1体。

 ……マシンガンか。嫌な相手だなぁ。

 少しも攻撃に当たりたくない俺としては弾幕を張られることだけは苦手だった。ガトリングみたいな小回りの利かない隙がハッキリする武器ならばやりようがあるのだが、マシンガン相手だけは無傷とはいかない。おまけにそれが2丁あるし、機体の方もシルフィードフレーム(サベージと同じ)だった。バレットのwikiにも載ってる定番機体だが、それが何より厄介。

 

「わかってたことだが、装甲でガッチガチだ。一応今回はEN武器を持ってきてるが、ライターみたいな高出力じゃねえから時間がかかりそうだ」

「俺の方はあのマシンガンとはやりたくない。ってことは?」

 

 バレットと顔を合わせる。結論は既に出ていた。俺たちは同時に突っ込む。

 相手はまず甲冑2体が左手のライフルを向けてきた。イングリッド製の重ライフル。アサルトライフルとアサルトカノンの間の子といえる性能を持っており、俺に当たると大惨事だ。それだけならば避けられるのだが、同時に背中のミサイルも発射される。高速タイプであるが、ある程度の誘導性能はもちろんある。それらを数撃ちゃ当たると言わんばかりにばらまいて来やがった。

 

「バレット、全部撃ち落として!」

「無理!」

 

 仕方なく俺は上空へと待避する。その先にはマシンガンを両手に構えた敵が待っていた。

 

「やべっ!」

 

 イグニッションブーストを使ってでも急いで距離を置き、なんとか攻撃を回避した。尚も敵フォスはマシンガンで俺を追い立ててくる。バレットはと言えば、地上でユニオン2機に囲まれていた。

 

「やっぱそうくるか……でもこれって、俺の戦術がバレてるってこと?」

 

 今回の試合、俺の存在はバレットにとって隠し玉のひとつだったはずだ。いくら相手の位置がわかろうと、装備までは把握できないとバレットも言っていたはず。

 

「なんて考えてても仕方がないか。今は目の前の敵を倒さないと」

 

 無傷で倒せずともこれくらいの一騎打ちに勝てなければ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 壊れたコンクリートを弾除けとして使いながら、敵ISと撃ち合う。相対している蒼天騎士団3機の主装備はアサルトカノンと重ライフルであり、1発1発が重い。アギトの主力武器もアサルトカノンであるが、まともに撃ち合っていたら数の差で火力負けする。

 

「ライター! 充填はまだか!」

 

 ISコアからは常にエネルギーが供給されると言ってもライターの使用したイクリプス2門は通常のISでは扱いきれないエネルギー消費量であるため供給が追いつかなくなる。

 初撃を盛大にぶっ放したためにサプライエネルギーが枯渇。アーマーブレイクとPICダウンを同時に引き起こしていた火力バカに復帰が可能かどうかアギトは通信をとばす。

 

「ダメっす、アギトさん。ライターはやられました」

 

 返答はすぐ側で共に戦っているテツから来た。

 

「マジか!? ミサイルの流れ弾でも当たったか?」

「いえ、どうも狙撃機体がいるみたいっす」

「はぁ? こんな遮蔽物の多いステージで隠れたライターを狙えるはずが……そういえば、蒼天騎士団にはマシュー以外にもBT使いがいたな」

 

 ライターが攻撃後に無防備になることはわかりきっていた。そのため、最初の1発は遠距離から撃たせ、後は回復まで敵の射程外で待機させる手筈だった。幸いなことに今回の戦場は隠れる場所には事欠かない。遠距離攻撃から身を守ることは難しくない、はずだったのだ。

 ここでアギトは気づく。ライターを襲った攻撃は決して対岸の火事ではない。慌てて周囲を確認すると、自分たちを狙う蒼色の銃身が浮いていた。

 

「離れるぞ!」

 

 BTビットで狙われた時点で、正面の敵とは対等にやり合えない。一応といった様子でアギトはショットガンをBTビットに放つも機敏な動きでBTビットは射撃を回避する。ひとつを狙う間に他のビットがビームを放ち、アギトのストックエネルギーが次々と削られていく。

 

「ちっ! 鬱陶しいんだよ!」

 

 アギトは右肩に搭載していたミサイルをBTビットに向けて放つ。ミサイルに反応したBTビットは回避行動を取るが、アギトの放ったミサイルは速度が遅めの誘導性重視のものである。回避に専念し始めたBTビットは自然とアギトから離れることとなった。

 

「テツ、無事か?」

「ガトリングを捨てたり、ENブラスターが壊れたりしてるんで、火力が半減してる感じっすね」

 

 テツは拡張領域に装備を入れていない。アギトから見えるだけでもテツの左側の装備はボロボロであり、残された武器はグレネードランチャーとミサイルのみ。防御型だけあって簡単には落ちなかったものの、もう長く耐えられそうにない。

 アギトは自らの状態も確認する。被弾こそしているモノの使用不能にまで追い込まれた装備はゼロ。しかし、ストックエネルギーはもう40%を切っている。

 

(潮時か。やっぱ普通に強いな、コイツら)

 

 アギトは大きめの顎に手を添えて考える。人にからかわれる部位であったが、彼は自らのアバターをイジったりはしていない。なんだかんだで本人は気に入っていたりする。

 思考を終える。敵4機の攻撃を自分たちに向けさせていられる時間はもう僅かである。ならば、作戦は今実行するしかない。

 

「ディーンさん、出撃どうぞ」

『了解だ。盛大に吹っ飛ばしてやる』

 

 タイミングはアギトに任されていた。初期位置から動かなかった“爆撃機”が戦場へと飛び立つ。

 

「テツ! 隠れるぞ!」

 

 アギトは追ってきている敵に向けてミサイルを発射すると、近場の建物へと飛び込んだ。辺りに空気が震える音が響いたかと思うと、外が光と炎に包まれる。身を隠した建物もガラガラと崩れ、アギトとテツは瓦礫に埋もれた。

 

 煙に包まれた戦場。朦々と舞い上がる塵を穿つ光が幾筋も通過する。複数の光はアギトとテツが埋もれている瓦礫めがけて、殺到した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 空でずっと追いかけっこをしている。ひとつひとつは大したことのない豆鉄砲を撃ち続ける相手に3度ほど強引に接近したものの、雪片弐型は全て空振りに終わった。無駄に被弾してはシールドバリアの回復の間避け続けることの繰り返し。結果的に俺のストックエネルギーだけが減り続けるという事態に陥っている。

 

「ああ、もう! 当たらねえ!」

 

 思えば今まで素早い相手とはサベージとしか戦ったことがない。そのサベージも不意打ちで一撃だったため、経験としてカウントしていいものか疑問であった。

 ……少しぬるま湯に浸かりすぎたのかもな。

 ここ最近の戦闘はほぼ全てラピスの支援があった。敵と遭遇する前から敵の装備を教えてくれたり、敵の射撃コースを視覚に表示してくれたり、敵の回避方向まで予測してくれることすらあった。きっとラピスがいてくれたら、目の前のマシンガンの敵もあっさりと倒す段取りを整えてくれるに違いない。

 

「いない奴に頼ってどうする!」

 

 俺は頭を横に振る。突破口を考える。しかしマシンガンの牽制によって最短距離をイグニッションブーストで近付けない状況で、シルフィードに接近することは難しい。雪片弐型で弾を斬ろうにも2丁分のマシンガンが相手のため射線を全てカバーすることはできない。雪片弐型を展開した状態で、片方の射撃を受け続ければ行動不能に追い込まれる。バレットが白式は欠陥機体と言っていたことを今更思い出した。

 

 相性的に分が悪すぎると膠着状態を受け入れようとしていたそのときだった。近くを大型の爆撃機が通り過ぎていった。

 

「今のって、店長?」

 

 ユニオンスタイル・ファイタータイプ。ランキング5位エアハルトと同じく速度重視ユニオンというもので最高速度は音速を突破する。俺が昨日まで知らなかったディーン店長のISは、高速移動して大量のミサイルをばらまく爆撃機であった。

 俺の側を通過していく置きみやげといった感じで5発ほどのミサイルが俺の相手のISに向かっていた。しかしそこは流石のフォスクラス。素早く距離を置いて、片方のマシンガンのみでミサイルを撃ち落としていく。もちろんもう片方は俺に向けたままだ。接近するなら今だ。だがいざとなればミサイルを無視してでも俺を攻撃してくるだろう。

 俺が迂闊に近付けないのは変わらなかった。でも、そこはもうどうでも良かった。俺はマシンガンを無視して、今も店長が残した爆煙の残る地上へと向かう。その先ではバレットと敵IS2機が戦闘中のはずであった。

 

「交代っ!」

 

 煙からISが飛び出してきた。敵ではなくバレットだ。店長のミサイルが敵に命中したとはいえ、まだ地上の騎士2体は落ちていない。それでも俺達にとっては交代するだけの隙があればそれで良い。

 煙の中の敵の位置を確認する。通常の視界では見えなかったため、ハイパーセンサーを使用して見える情報に切り替える。これも普段ならラピスが勝手に補ってくれていたところだが、今は自分だけでやらなければならない。見えた敵は大型ライフルこそ向けていたものの直進性ミサイルの発射口はこちらを向いていない。

 ……いける。まだ敵は俺の速さを理解していない。

 慣性制御を自分で操作。自動でかかっている安全装置を外す感覚だ。ISが保障している安全領域外の加速を以て俺の体を前へと運ぶ。それがイグニッションブースト。専用補助スラスターの力も借りて、一時的に速度重視ユニオンと並ぶ速度域に到達する。

 スピードに乗ってしまえばあとは雪片弐型を振るうだけ。一瞬のうちにライフルの射線から体を外した俺はENブレードを展開して左側の騎士に斬りつける。堅い装甲だったが、雪片弐型にとっては紙も同然である。装甲を中身ごと斬り裂いた俺の一撃を受けた敵はまだ立っている。

 

「バレットめ……全然ダメージを与えられてないじゃないか」

 

 自分のことは棚に上げてバレットに悪態をつく。しかしながら実際は倒れてくれなくてラッキーと思っていたりする。まだ足を止められない。俺を狙う敵はまだ近くにいるのだから。

 俺はまだ倒れない敵の肩を空いている左手で掴み、飛び越えるようにして背中に回り込んだ。続くミサイルの発射音。

 

「てめっ! 俺を盾に――」

 

 最後に敵プレイヤーの声が聞こえた気がしたが、爆音の後、雪片弐型で背中から刺したので何を言おうとしていたのかは知らない。

 残るはミサイル発射直後の騎士。俺が接近するまでに敵が使える装備は右手のライフルと左手の盾だけだった。右回りに移動しながら距離を縮めると、敵のライフルは俺が避けるまでもなく外れる。俺がイグニッションブーストを躊躇う理由はなかった。あとは作業でしかない。近づいて盾を葬り、装甲ごと敵を斬り裂くこと2回で勝負は決まった。

 

「そっちも終わったようだな」

 

 バレットが降りてくる。俺が苦戦したマシンガンフォスは、バレットにとってはカモでしかなかったらしい。やはり相性は戦闘に大きく影響するものだ。

 

「うまく噛み合えば1対2でも楽なのに、さっきはマジで苦戦してた。店長様々だよ」

「同感だ。戦場をひっかき回すことにかけては、あの人を超える人を見たことがない」

 

 店長のISにはミサイルしか積まれていない。本人曰く『ライフルや剣がミサイルに勝てるはずがない』だそうだ。PICを理解してないことによる勘違いなのかは俺にはわからない。ただ、追加ブースターに大型ミサイルをそのまま使用しているらしいからこだわりなんだろう。

 

「ライル! こっちのメンバーの状況は?」

 

 初期位置で待機しているライルにバレットが通信で味方の戦況を確認する。この戦闘ではリーダーのみ、仲間の状態を把握できる仕様になっているそうだ。

 

『ライターとアギトとテツが撃墜されてる。ディーンさんも“星火燎原”を撃って速度が落ちたところにBTビットの集中砲火を受けて戦闘不能。他は今のところ大丈夫』

 

 もう4人倒されていた。こちらは敵を少なくとも3体は落としているため、アギトたちが1機でも落としてくれていれば数の上では五分以上といったところ。

 

「いよいよ大詰めだ。リンとハーゲンの一騎打ちは継続中。敵主力部隊は1人残ったサベージが引きつける手筈。無視されてもそれはこちらの手の内だ」

「俺たちはマシューって奴を倒しに行けばいいんだな?」

「ああ。別働隊がここまであっさりとやられるとはマシューも思ってないだろう。今ならマシューを守る敵は1人もいないはずだ」

 

 現在の戦況はどちらに傾いたとも言えない。しかし、互いにリーダーを直接狙える状況となった。あとはどちらが早く倒せるかという勝負。索敵に特化したプレイヤーのいる相手側の方が有利に見えるが……俺たちは建物に隠れた敵を探す必要がない。既に敵の初期位置近辺は吹き飛んでしまっているのだから。店長のミサイルはISに与える被害は見た目ほど大きくないものの、ただの建物に与える損害は見た目通りである。

 探す手間はそれほどない。速さならば俺の見せ場だ。俺とバレットは敵の初期位置へと飛び立った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ディーン店長がかっ飛んでいく姿を見送り、彼が通過していった地上の爆発を他人事のように見下ろしている男が空にいた。作戦開始時は主力部隊に編成されていたはずのサベージである。

 

「うっへぇ……相変わらず派手にやってくれるぜ。店長はステージを破壊するためにこのゲームやってるとしか思えねー」

 

 アギトたちが隠れながら戦っていたビル群は倒壊していた。ISVSでステージが壊れるのは普通のことだが、限度というものがあると言いたくなっても仕方がない状態となっていた。地上の部隊は瓦礫に埋まってしまったらしく、サベージの位置からは確認できない。

 

「アゴ、テツ。どっちでもいいから返事してくれー」

 

 瓦礫に埋もれたとはいっても、PICに干渉してこない衝撃はISにとって無害である。瓦礫の下のアギトたちは平然としてるはずであった。しかし――

 

「アゴ? おい、アゴ! アギトだって訂正しないと定着するぞ?」

 

 返事がこない。たとえ戦闘中でも『アギトだ!』と訂正する男が沈黙しているとなると答えはひとつ。

 

「ただの屍のようだ、ってか? 残るは俺だけか」

 

 アギトもテツもやられた。瓦礫でやられるはずがないため、敵の攻撃によってやられたとみるべきである。敵も店長のミサイル攻撃で瓦礫に埋まっているはずであるが、サベージと同じように遠くから状況を見守っていたプレイヤーがいることは推測できた。

 

「どこまでがバレットの作戦かは知らないけど、ここからは俺の出番だな」

 

 サベージは大型スナイパーライフルを構えてスコープ型のハイパーセンサーを覗く。映し出される対象を凝視した。

 

「戦ってるリンちゃんは勇ましいなぁ」

 

 ミサイルの攻撃範囲外だったリンとハーゲンの戦いを遠くから見守る。もちろんサベージに与えられた仕事はそんなことじゃない。サベージはスコープから頭を離し、急速に後方へのスラスターを噴かせる。彼の下方には戦闘に復帰してきた3機のISが迫ってきていた。

 

「おいおい、俺の楽しみを奪うんじゃないよ、まったく」

 

 上空にいるサベージに向けてアサルトカノン2門と重ライフル1丁が火を噴いた。サベージは上下左右にフラフラとハエのように動き全弾を回避する。攻撃を避けた彼はスナイパーライフルを構えてスコープを覗きこんだ。

 

「うーん、ちょっとリンちゃんが押され気味かな。でもピンチで歯を食いしばってるリンちゃんを見られるってのは貴重だ」

 

 スナイパーライフルは一向に目の前の敵に向けられることはない。アサルトカノンの射程に入られた時点でスナイパーライフルでは勝ち目がないのであるが、サベージからは抵抗の意志がほとんど見られなかった。当然、蒼天騎士団側にしてみれば舐められているようにしか映らない。実態はサベージがただの変態というだけなのだとしても、彼らがそれを知る術はない。3機が共に肩のミサイルも発射し始め、サベージを覆い尽くすような弾幕が形作られた。

 

「そうそう。やっと避け甲斐のある攻撃になってきたじゃないか」

 

 サベージを狙う攻撃の内訳は直進するだけのアサルトカノン2発と重ライフル1発、高速ミサイル“ファイアボール”が6発連続発射され、高い誘導性を持つミサイル“ネビュラ”が12発同時発射されている。面で襲ってくる攻撃に対してサベージは迷わず後ろへと下がっていく。

 

「ああっ! リンちゃん、まともに食らっちゃったなぁ。でもめげないところが素敵だ!」

 

 “ファイアボール”の信管作動範囲ギリギリをフラフラと避けるサベージはリンの戦いを見守ることをまだ諦めていなかった。サベージの傍を通過したファイアボールは航行距離が限界に達して地上へ落ちていく。速度の遅い誘導ミサイルである“ネビュラ”はサベージを追い続けるが、サベージを直接狙うアサルトカノンやライフルの弾道に誘導されることによって撃ち落とされた。サベージはただリンの戦いを観戦しているだけで、敵3機の攻撃をいなしていく。

 藍越エンジョイ勢で“最速の逃げ足”を誇るサベージであるが、彼の取り柄は機体の速さだけではない。同じ戦場でリンの姿を見続けたいという彼の欲望によって確立された回避スタイルこそが彼のプレイの特徴である。ISには全方向の視界が存在する。その機能を使いこなせているプレイヤーは数少ないが、サベージという男はただリンの姿を見続けたいというだけで高度な技能を会得するまでに至った。

 サベージは1対1で勝てるプレイヤーではない。しかし藍越エンジョイ勢の中ではトップクラスの技量を誇っているのは事実である。

 

「よっしゃあああ! リンちゃんの崩拳が決まった! でもまだまだ倒れないよなぁ、ハーゲンも金剛フレームだし」

 

 サベージはスナイパーライフルと外付けハイパーセンサーを双眼鏡感覚で使っていた。蒼天騎士団の3機が躍起になって攻撃を加えるが、全ての攻撃は掠りそうで掠らない。当たりそうという状況にならない。隙だらけのようであるが、サベージは攻撃行動を行わないために明確な隙が生まれないのも攻撃が当てられない原因の一つである。さらに包囲しようにもサベージは常に離れていくため、足の遅い蒼天騎士団側は一方向からの攻撃しかできない。

 

「この試合のリンちゃんはもう見納めかー。残念だけど、自分の役割くらいはこなさないと本当にリンちゃんに嫌われそうだし」

 

 サベージは自分が普通でないことくらいは自覚している。昔は自分の本音を隠していたこともあったが、つまらなかった。いつからか彼は本音で生きるようになる。あちこちで陰口を叩かれるようになった後でも彼の顔が陰ることはなかった。バカな自分の存在を呆れながらも認めてくれる仲間がいるから、今がとても楽しいのだ。

 目的地についたサベージは急降下してビルの窓に飛び込む。ここまでのサベージの行動で頭が茹であがった蒼天騎士団の3機は追いつめるチャンスとばかりにサベージを追って次々と飛び込んだ。その先にはサベージが立っている。その後方にはISにしては巨大すぎるものが鎮座していた。

 

 ひとつの時点で破格のサイズである超大型ガトリング。あろうことかそれが4門も突き出ていた。PICを防御と浮遊に使えないほど発射時の反動が大きい巨体は、通常の足以外にも機械足で本体を支えているというISらしくない設計をしている。ユニオンスタイル・フォートレスタイプの代名詞でもあるこの装備の名は“クアッド・ファランクス”という。

 

 サベージは追ってきた3機に告げる。

 

「鬼ごっこはここまでだ」

 

 3機のISは屋内に飛び込んだ時点でクアッド・ファランクスの射程内にある。クアッド・ファランクスの使用者であるライルの後方に回ったサベージの一言を合図にして、ライルは最強クラスの攻撃力のトリガーを引いた。

 ガトリングガンから飛び出しているのは最早銃弾でなく砲弾。ミューレイ製大型ガトリングのヘカトンケイルとは物量と攻撃範囲に雲泥の差があった。マズイと思ってももう遅い。ひとたび砲弾の雨に触れれば動くこともできず、逃げる間もなく装甲もシールドバリアも破壊され、ストックエネルギーが溶けるように無くなってしまう。時間にして数秒、サベージとライルのいる部屋は、無数の弾痕と薬莢で溢れかえっていた。当然、敵の姿はない。

 

「この日のためにこの装備を用意したと言っても過言じゃなかった。俺が敵3機を一瞬で倒すなんて初めてだよ」

「いい気になるなよ、ライル。この俺あっての成果だからな!」

 

 サベージとライルは拳を合わせる。これで数の上では藍越エンジョイ勢が優位となった。あとはヤイバとバレットがマシューを倒して藍越側の勝利となるのだと確信していた。

 だがサベージもライルも把握していない。アギトとテツが相手をしていたISは4機だったこと。アギトとテツを倒した相手はBTビットを使っていたこと。そして、今いるビルを囲む6機のBTビットと青いISの存在を。

 

 残りプレイヤーは藍越エンジョイ勢が6人、蒼天騎士団が3人。勝負はまだ決まっていない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 バレットと2人で敵のリーダーであるマシューを捜索する。崩壊しているビル群から1機のISを探す作業は思ったよりも難航していた。自然と焦りが口に出る。

 

「ライル、大丈夫かな」

「ピンチなら連絡を入れるように言ってあるから、問題ないだろ」

 

 そう言っていた矢先に通信がきた。相手はライル。

 

『みんな! クアッド・ファランクスって決まると最高だな!』

「何機倒せた?」

『3機だね』

 

 これで敵の戦力は多くて4機。もしかするとリンと戦っているハーゲンと俺たちが追っているマシューしか残っていないかもしれない。

 

「こっちの損害は?」

『さっきと変わらない』

 

 こっちは6人のまま。ライルとサベージ、リン、俺とバレット、そしてジョーメイ……

 

「なあ、バレット? ジョーメイは何してるんだ?」

「あいつにはマシューの居所を探す役割を与えた。今は通信待ちだったりする」

 

 最初から俺とバレットだけで探すつもりじゃなかったわけか。それにしてもマシューをひとり倒すのに3人体制とはそれなりに大がかりだなと思う。

 

「マシューってそんなに強いのか?」

「実は知らん。昔は1対1の手合わせもしたが、いつからか『BTの可能性を見つける』とか言って索敵専門になってた。最近は直接戦闘に向いてない支援型のISしか使ってるのを見たことがない」

「戦える装備じゃないのか。でも逃げるのは得意そうじゃね?」

「そう。鬼ごっこでも相手の位置を一方的に知れるのならば逃げやすいからな」

「それを数でどうにかしようってことか?」

「いや、単純にジョーメイの隠密技能にかけてみた。奴はBT使いにも見つからない移動が可能だからな」

 

 BT使いにも見つからない移動方法か。なんのことかさっぱりだが、ジョーメイが俺たちよりもマシューを追いかけやすいということは理解した。

 

 そんな話をしているときである。噂のジョーメイから通信がきた。マシューの発見を告げるものだと疑っていなかった俺とバレットであったが、ジョーメイの声は焦りを帯びたものであった。

 

『謀られた! バレット殿たちは急ぎライル殿の元へと向かわれよ!』

「どうしたジョーメイ? マシューはいなかったのか?」

『その通りでござる。敵の初期位置にいたISは影武者。装備構成だけマシューのものを使用した別プレイヤーでござった』

 

 俺とバレットは同時に見合わせる。バレットには身内読みといえる先入観があり、俺はその先入観を鵜呑みにしていた。マシューは一番後方で全軍の指揮を執っているはずだと。

 しかし違っていた。ならば、本物のマシューはどこにいる?

 答えは、アナウンスが教えてくれた。

 

『試合終了。勝者、蒼天騎士団』

 

 俺たちの敗北とともに……。

 

 

***

 

 試合が終わり、ロビーへと帰ってきた。今度は相手側も姿を見せている。先頭を歩く少し偉そうな男がリーダーであるマシューなのだろう。マシューは俺たちの元へとやってくるとバレットと向かい合う。

 

「僕たちの勝ちだ、バレット」

「すっかり騙されたぜ。まさかお前が前線に出てくるなんてな。あと、お前ってそんな喋りだったっけ?」

「形から入ろうと躍起になっていたけど、そんな必要がないと悟っただけさ。あの方の騎士となるのに必要なのは実力だけ。そうだろう、そこの銀髪の男?」

 

 突然マシューの目が俺を向いた。何か同意を求められているようだが良くわからない。俺としてはマシューのことなどどうでもよく、福音と会う機会を奪われてイライラしていた。自然と対応もぶっきらぼうになる。

 

「知るかよ」

「しらを切るつもりかい? 一昨日、僕たちを攻撃してきたタイミングから考えて、君があの方と関係があることは疑いようがないのだが――」

「関係ない! ……悪い、バレット。先に帰る」

「あ、おい! ヤイバ!」

 

 俺はISVSからログアウトした。意識がゲーセンに戻ってきたところで、店員さんに金を払ってすぐに出ていく。

 

 一昨日と言われてマシューが言っていることはすぐに理解した。一昨日はセシリアと一緒にナナたちを助け出した戦いをした日。俺はあの日に蒼天騎士団と戦っていたんだ。マシューの言う“あの方”とはセシリアのことと見て間違いない。だから俺はマシューと話していたくなかった。

 

 マシューはセシリアの騎士となるのに必要なのは実力だけと言った。俺に彼女と並べるだけの実力はあるのか?

 マシューはセシリアと関係があることは疑いようがないと言った。裏を返せばセシリアがいなければ俺はナナたちを助けられなかったんじゃないか?

 

 今日は俺の関与しないところで決着がついた。きっとみんなは俺のせいじゃないと言ってくれる。バレットは自分のせいだと言うだろう。

 しかし、俺が福音を追うための役割を果たせていないことに変わりない。セシリアに合わせる顔がなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「あたしが行く」

 

 ヤイバが去った後、リンも続けてログアウトしていった。残されたプレイヤーは普段温厚なヤイバのただならぬ様相に戸惑うばかりである。それはバレットといえど例外ではない。

 

「わ、悪いな、マシュー。ヤイバも普段はこんな奴じゃないんだ」

「ヤイバというのか。器が小さそうな奴だな。なぜあの方はあんな奴と……」

 

 一向に話の方向が今日の試合に戻らない。何を話したところで結果は覆らないのでバレットはそのまま別の話題を続けてみることにした。

 

「あの方って誰だ? お前は“ちょろい”さん一筋じゃなかったのか?」

 

 バレットはマシューとは昔から付き合いがある。尊敬するプレイヤーの話題もしたことがあった。バレットが挙げたのは“サウザンドガンズ”の異名を持つランキング4位のランカー。対してマシューが挙げたのは最弱の代表候補生とまで言われたイギリス代表候補生だった。

 

「今も昔も僕はセシリア・オルコットファンだよ。あの方の名前を聞かなくなってから、僕は自分でBT使いの限界に挑戦しようとしてた。でも、あの方はあっさりと僕の上に行ってしまったんだ」

 

 マシューは天井を羨望の眼差しで見つめている。バレットは彼の発言を聞かなかったことにして、話を本題に戻した。

 

「お前に何があったのかは知らんが負けは負けだ。俺たちに勝ったからにはセレスティアルクラウンに一泡吹かせてやれよ」

「当然、勝つつもりでいくさ。僕たちがアメリカ代表を倒せればあの方が国家代表を相手取れることの証明につながるしね」

「お前はそれでいいのかもしれねえが、蒼天騎士団のモチベーションは大丈夫か?」

「問題ない。そもそも蒼天騎士団の蒼天とはあの方を指す言葉だ。僕たちはあの方を守る騎士であろうとするスフィアなんだよ」

 

 要約すると『蒼天騎士団はセシリア・オルコットのファンクラブである』ということだ。念のため、バレットはハーゲンに聞いてみた。

 

「そうなのか?」

「……うむ」

 

 ハーゲンの口数は少なかったが、わかりやすいくらいに顔が赤くなっていた。

 バレットは自分のスフィアのメンバーを見やる。ISVSでやたらと妙な技能を持っている奴らはこんな奴ばっかりか、とサベージを見ながら思った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 自分の部屋に帰ってきて、まずしたことは壁を殴りつけることだった。悔しいというだけなら俺は健全なプレイヤーでいられた。だが今の俺には負けて悔しいと思うよりも先に、責任を果たせない自分に腹が立っている。

 

「くそっ! 俺は何をやってるんだよ!」

 

 本当に勝ちたいのなら、日曜日の段階で弾にセシリアを紹介するべきだった。

 何が『弾は“自分たち”で勝ちたいだろう』だ?

 本当はセシリアがいなくても俺自身の力で戦えてることを証明したかったんだろ!

 頭の中では手段を選ばないつもりでも、最終的に俺自身の力で箒を助けださないとダメなんだ。

 じゃないと、俺は俺を許せない。

 

 俺はイスカを手にベッドに横になった。今ISVSに入ったところで何が解決できるのかは疑問だ。でも、俺はじっとしていられない。たとえ箒につながるものが見つからなくても、形だけでも箒のために行動していなければ落ち着けなかった。

 

 

『世界が平等であったことなど一度もないよ』

 

 

 またいつもとは違う。いつもの『今の世界は楽しい?』と同じ声音の言葉は以前に別の場所で聞いた言葉に似ている。ISVSは不平等を受け入れることから始まる、という弾が言っていた言葉と。

 まるで俺に力がないことを許容する言葉のような気がした。仕方がないと現実を受け止めればいいのだという囁き。これに身を預ければとても楽なのだろう。

 

「違うんだよ……俺には助けなきゃいけない人がいるんだ! 仕方がないで終わってたまるか!」

 

 悪魔の囁きを振り払うために大声で叫んだ。その途中で俺はどうやらISVSに入っていたらしい。景色は一変して……どこか狭い部屋にいた。およそ6畳の個室のような空間である。今までのことから考えれば異質すぎる場所に現れた俺の目の前には人がいた。長い銀髪を三つ編みにしている少女は両目を閉じたまま俺の方を向いている。

 

「ヤイバお兄ちゃん?」

 

 この子には会ったことがある。クーと名乗っていたAIでナナたちが保護していると聞いていた。しかし、今の俺はそれどころではない。

 

「ご、ごめん! ビックリしたよね!? すぐに出てく!」

 

 クーは着替え中だった。装備していたISを解除すると、慌てて自分の後ろにあったドアを開いて部屋の外に出る。廊下らしき場所に出たところでドアを締めてふーっと息をつく。

 

「いったい、何だったんだ? どうしていきなり着替えしてるクーと鉢合わせることに……」

「その話、じっくりと聞かせてもらえますか?」

 

 独り言を呟く俺の背中に硬いものが押し当てられる。円形の金属製の何かだった。ここはISVSだからおそらくは銃である。普通ならば即座にISを展開するシチュエーションだったが、敵対意志がないことを示すことを優先する。

 

「えーと、誰かは想像がついてるけど一応聞いとく。どちら様ですか?」

「『あなたのハートを射抜いちゃうぞ?』でお馴染みのシズネです」

「物理的に撃ち抜く気だよ!?」

「大丈夫よ、シズネ。ヤイバくんなら笑って受け止めてくれる」

「何を淡々と自分に言い聞かせてんの!? 無理だよ! 全然大丈夫じゃないよ! いくら俺でも生身で銃弾は受け止められないって!」

「ショットガン・マリッジって素敵な言葉ですよね」

「意味違うし全然素敵じゃないから!」

「冗談です。これはスナイパーライフルですから」

「どこからどこまでが冗談なんですかねぇ!」

 

 ようやく俺の背中からスナイパーライフルが離れる。俺が振り向くとシズネさんはISを解除するところだった。とりあえず挨拶を試みる。

 

「やぁ、シズネさん。こんなところで会うなんて奇遇だね?」

「はい、すごい偶然ですね。ここは私たち“ツムギ”の隠れ家なのですが、プレイヤーの方とここで会うのは初めてです。相手がヤイバくんでもナナちゃんですら問答無用で斬りかかる場所でヤイバくんがここまで来ている偶然とは一体どんなものか、私にはわかりかねます。誰にも遭遇せず着替え中のクーちゃんの部屋にまっすぐにやって来れる偶然がありえる可能性についてぜひ語ってほしいですね」

 

 表情は読めないけど、お怒りなのが伝わってくる。しかし、俺にだってわからない。本当のことを言って通じるはずもないが、とりあえず弁解しておくか。

 

「いや、ISVSに入ったらいきなりクーがいる部屋だったんだよ。で、慌てて飛び出して今に至るわけ」

「なるほど。それならば仕方ありませんね」

「納得された!? いいの!? 本当にそれでいいの!?」

「嘘……なのですか? ヤイバくんは最低です。おまけにロリコンです」

「いや、事実だよ! 俺も突然のことでビックリしてるんだって! あと、断じてロリコンじゃない!」

「冗談です。ヤイバくんが誰かを騙せるはずがありませんから」

 

 シズネさんは何を言っているときでも同じ顔をしているため、彼女の真意はとても掴みにくい。しかしポーカーフェイスでも声だけは変化がある気がした。俺が誰かを騙せるはずがないと語る彼女の声は若干柔らかい印象を受けた。

 しかし、それは信頼なのか? だとすると俺はその信頼を常に裏切っているような存在だと思う。俺は自分の目的を親友にすら隠しているのだから。

 

「少しショックですね」

 

 変わらない表情のまま、シズネさんはそんなことを言う。やっぱり彼女の意図は掴めない。彼女はクーの部屋の隣のドアを指さす。

 

「立ち話もなんですから、そちらでお話ししませんか?」

「あ、ああ。そういえばメールにも書いてあったな。俺の話が聞きたいって」

 

 言われるままにシズネさんに連れられて入った部屋はクーの部屋とほぼ同じ個室だった。個人の趣味が窺えない支給品っぽい内装であるが、几帳面なくらいに整頓されている。

 

「私の残り香が溢れる部屋ですがどうぞ」

「そんな風に部屋に案内されたのは初めてだよ!? シズネさんの部屋なの、ここ?」

「ただの寝室です。ヤイバくんには刺激が強すぎるかもしれませんが些細なことです」

 

 シズネさんはベッドに飛び込んでいった。きっと表情は変わってないのだろうが、どことなくテンションが高そうである。

 

「えーと、俺はどこに座ればいいの?」

「あ、お構いなく」

「それをホスト側が言うなよ。客には構ってやれよ」

「ヤイバくんは責められる方が好みですか。おぬしもMよのう」

「ああ、もういい! 勝手にその椅子に座ってやる」

 

 流石にからかわれてるだけだとわかった。部屋にひとつだけの椅子に腰掛けてベッドの上に横たわるシズネさんと向き合う。

 

「やっぱりショックですね」

 

 シズネさんはこの部屋に入る直前と同じ呟きを発して上半身を起こした。一瞬だけスカートからのぞく内股に目がいってしまったが、いくらなんでも失礼だろと頭を振る。

 

「何がショックなんだ?」

 

 他に聞きたいことはあったのだが、どうしてもこれだけは気になった。もしかするとこの時点で俺はシズネさんの術中にハマっていたのかもしれない。

 

「私の言葉では悩みを抱えたヤイバくんの気持ちを軽くすることもできなかったことです」

 

 俺の悩み。それは今日の蒼天騎士団戦の敗北で形になった劣等感のようなものだった。そんな直近の変化を、まだ会ったばかりのシズネさんに見極められるということは、つくづく俺はわかりやすい人間らしい。隠すだけ無駄だ。セシリアにも言い辛かったことだから、今ここでシズネさんに聞いてもらう方がいい。

 

「シズネさん。俺の話、聞いてくれる?」

「ぜひ聞かせてください」

 

 どうしてだろう。俺はこの人たちも助けるつもりだったのに、今の俺は助けてもらいたがっている。何から助けてほしいのか自分でもわからないまま、俺は自分の目的を話すことにした。

 

「俺はさ、ISVSを遊んでるわけじゃないんだ」

「ラピスさんもそう言っていました。あの人は大切な人を助け出すために戦っているそうです」

「俺もそうなんだよ。俺は今も目を覚まさない大切な子を助けたくてISVSを始めた」

「その大切な子というのは女の子ですか?」

「そうだよ」

「そう……ですか」

 

 シズネさんの声量が小さくなった気がしたが、今は自分の話を続ける。

 

「でもさ、俺はちゃんと前に進めてるのか心配になってきた」

「前、というのは?」

「俺に“彼女”を助けるだけの力があるのかってこと。強くなった気がしてたけど、実は気のせいでさ。ずっとセシリアの力を借りてただけだったんだ」

「そうなのでしょうか?」

「間違いないよ。俺ひとりでは一昨日にナナたちを助けられなかった。俺はただ存在してただけ。俺が助けられる人なんていないんだってそう思ってる。俺は弱いから」

 

 俺の悩みを打ち明けた。すると、シズネさんはその場ですっくと立ち上がる。ベッドマットが沈む不安定な中で仁王立ちした彼女は右足を振り上げ――俺の脳天に踵を落としてきた。

 

「のおおおお!」

「ナナちゃん直伝の踵落とし、です」

 

 俺は頭を押さえて唸るしかない。ちなみにシズネさんは踵が命中した際の反動でバランスを崩し、後ろの壁に頭をぶつけていた。彼女も俺と同じように頭を押さえている。

 

「えーと、これはどういうつもりかな? シズネさん」

「うじうじ悩むな、とナナちゃんは良くツッコミを入れていたので真似してみました」

「全ての元凶はあの女か……」

「貴重な経験です。これが『叩く私も痛いのよ』ということですね」

「いや、今のは二次災害みたいなものじゃないか?」

 

 しばらく互いに頭突きをした後のように同じ体勢で痛みがひくのを待っていった。仮想世界でも痛いものは痛いらしい。それはプレイヤーである俺も、プレイヤーでないシズネさんも同じだった。

 

「ヤイバくんは自分を過小評価しすぎです」

 

 俺がまだ頭を押さえている間に復帰したシズネさんがさっきの話の続きを始める。

 

「俺は現実を見てるだけだ」

「本当にそうだと思っているのなら、先ほどの私の言葉は訂正します。ヤイバくんは最低な人です」

 

 俺ひとりじゃ何もできないのは事実だ。諦めたくはないと口では言えても、俺がどうにかできると本気で信じることはできていない。それが現実ってものじゃないのか? 何も言わないでいるとシズネさんは俺が思ってもいなかったことを口にする。

 

「ヤイバくんが助けられる人はいない? それがヤイバくんの現実? ではここにいる私は何なんですか? あなたに助けられた私が現実でないというのなら、私はただのゲームのキャラクターですか? 今もあなたと同じように痛みを感じているのに! 私が今ここに生きていることを、あなたが否定しないでください!」

「シズネさん……?」

 

 シズネさんの早口に圧倒される。その顔には涙が浮かんでいる。鉄壁だった彼女の表情が崩れた瞬間だった。

 

「ラピスさんでは助けることができなかった私はここにいます。私を殺そうとしていた敵から守ってくれた人はヤイバくん以外の誰だと言うんですか。私たち全員が生還できたのは誰かひとりだけの力によるものじゃないんですよ」

 

 やっぱり俺はどうかしている。セシリアに聞いてシズネさんたちの状況は把握していたはずだったのに、本当のところはわかってなかった。疲れたら現実に帰っている俺たちと違って、彼女たちはずっとここにいる。疲れたら、この殺風景な部屋で休むことしかできない。そんな彼女たちに俺が助けを求めるなんて……俺が彼女たちの支えになるべきなのに、身勝手な弱さで追いつめた。俺は本当にバカだよ。

 

「ごめん……俺がシズネさんを助けたんだ」

「そうです。でもまだそれは一時的なことです。ちゃんと責任もって最後まで助けてください。私もナナちゃんも一番頼りにしてるのはヤイバくんなのですから」

 

 わかったよ、シズネさん。俺は直接的な力では他の人に劣るかもしれない。でも、シズネさんたちを助けたいという思いだけは誰にも負けてなんかやらない!

 ただ話をしただけでこれほどスッキリするとは思っていなかった。蒼天騎士団との戦いに負けたからなんだと言うのだ。それだけで俺の価値がなくなるわけじゃない。俺には俺ができることがある。

 

 俺が落ち着きを取り戻すと、シズネさんもベッドの端に腰掛ける。まだシズネさんは俺の話を聞きたがっていた。

 

「そういえばヤイバくんが助けたい人のこと教えてもらえますか?」

「どうしてそこを聞きたがるんだ?」

「名前だけでもいいです。もしかしたら私たちの中にヤイバくんが探している人がいるかもしれません。私ならば“ツムギ”の全メンバーを把握していますので」

 

 言われてみればその可能性はあった。セシリアに福音とは関係ないと言われて失念していた。早速聞いてみることにする。

 

「篠ノ之箒って言うんだ。歳は俺と同じ」

 

 内心は期待が3割、残りはいなくて当然という心構えで返答を待つ。

 

「ごめんなさい。聞いたことがない名前でした」

「気にしなくていいって。ここに“彼女”がいなくても俺がシズネさんたちを助けたいのは変わらないからさ」

 

 セシリアの探している人がいない時点で箒がいない可能性は十分にあり得た。謝られても困る。別にシズネさんたちの中に箒がいなくても、シズネさんたちを見捨てる気は更々ない。全員を助けないと、箒は俺を許してくれないだろうし。

 

「そんな打算で謝ったわけじゃありません!」

「じゃあ、俺の役に立てなくてってことか? それはさっきまでの俺と同じだよ」

「そ、そうですね。すみません」

「だから、謝らなくていいって」

 

 むしろ俺は感謝している。一昨日に会ったばかりの俺の悩みを吹き飛ばしてくれたシズネさんに。

 

 

***

 

 

 俺とシズネさんは軽くであるがお互いのことを話した。俺は自分が今やろうとしていることを、シズネさんは自分たちの境遇のことと“ツムギ”のことを。

 ツムギとはナナたちの集団の名前のことであり、今いる隠れ家のこともそう呼んでいるとのことだった。名付けたのはナナらしい。名前を付けようとしたのも突然のことだったらしく、シズネさんもナナがどういう意図で付けた名前かは聞いていないそうだ。

 

「ありがとう、シズネさん。おかげで色々と助かったよ」

「私もヤイバくんのお話が聞けて良かったです。まさかこんなに早く会えるとは思っていませんでしたし」

 

 今日の俺の収穫としては十分すぎるものをもらったと思う。そろそろここから立ち去ることにしよう。そんなときにドアがノックされる。少々荒々しい音だった。

 

「どうぞ」

 

 部屋の主であるシズネさんは動じることなく客を招き入れる。そこで俺は気づいた。シズネさんと寝室で2人きりというこの状況は第三者に見られると誤解を招くのではないだろうか?

 ドアが開かれる。その先にはちゃんと白いワンピースを来ているクーと、鬼の形相をしているピンク髪の夜叉がいた。

 

「貴様……シズネの部屋で何をしている……?」

「え、と、ナナさん……? 決してあなたが思っているような不埒な行いは致しておりません!」

 

 ナナは俺とシズネさんを交互に見る。うう……シズネさんから聞く限りだと2人は大の仲良しっぽいから下手すると抜刀して襲いかかってくる気がするぜ。

 

「シズネ? 泣いた、のか……?」

「はい。ヤイバくんがひどいことを……」

「待って! 事実かもしれないけど、言い方を間違えてる! くそっ! そのポーカーフェイスの裏ではほくそ笑んでいるに違いない!」

 

 直ちに現実に帰らなければいけないくらい、頭の中ではアラートが鳴っている。しかし、どうも俺が思っていることとは状況が違う方向に動いたらしい。

 

 ナナが笑い出したのだ。

 

「これは驚いた! まさかシズネが男に泣かされるとは!」

「ちょっと、ナナちゃん!?」

「しかもシズネが笑ってることまで理解している! このような出会いがあるものなのだな!」

 

 今までのイメージだと『シズネを泣かせるゲスは斬る』と言われても不思議ではなかったのだが、ナナは目の端に涙を浮かべるくらいに笑っていた。

 

「失礼をした。それと今までの無礼も詫びよう、ヤイバ。今日までの諍いを水に流して私たちに協力してほしい」

「あ、ああ。それは約束する。しかし、なんかお前との距離感はちょっと違う気がする」

「ほう、それはどういう意味だ? 私が素直に協力を求めることが滑稽か? 言っておくが、いざとなれば私はいつでも貴様の後背を突く気でいるぞ?」

「あ、そう。その方がナナらしくてしっくりくるよ。後ろから刺されないように気をつけるさ」

 

 思ったよりもナナの俺に対する見方が変わっていた。ナナも自分たちだけの力に限界を感じてきているのかもしれない。きっとナナの中では葛藤もあったはず。しかし、自分らしさを見失っていないのなら間違った方向に進んでいるわけじゃないだろう。そう思いたい。

 

「じゃ、今日は帰るよ」

「ふん。精々私たちの役に立ってくれ」

「素直じゃないですね、ナナちゃんは。ありがとうの一言でいいじゃないですか」

「シズネさん、やめてくれ。ナナにそんなこと言われたら偽物かどうか疑う必要がある」

「今度、プライベートで刀の錆にしてやる」

 

 などと軽い言葉も交わせる間柄になったのはいい傾向だった。最後に口数の少ないクーにも別れを告げる。

 

「それじゃまたな、クー」

「はい……ヤイバお兄ちゃんはくれぐれも自分を過信しないでください」

 

 クーからはシズネさんと真逆のことを注意された。いまいちピンと来なかった俺は「ああ、そうするよ」とだけ返してその場を去った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「全く。今日も玄関の鍵をかけずに寝ちゃってるみたいね」

 

 ゲーセンから一夏を追ってきた鈴は一夏の家を訪ねた。何かを焦っている一夏はこれまでの付き合いで見たことがない。昨日よりも不安だった鈴は一夏の状態を心配して家の中へと入っていく。リビングのソファを見てみるが一夏の姿はなく、床に寝ているということもない。素直に自分の部屋に戻ったのだろうと様子を見に向かう。

 

「なんだ、今日は部屋にまで戻ってるじゃない」

 

 家事こそ全て放ってあったが、部屋に戻っている分昨日よりもまともな状態だと鈴は納得して帰ろうとした。しかし、その前に一夏の胸元に目がいってしまう。仰向けに寝ている一夏の胸にはイスカが置いてあった。

 

「え? これってもしかして……」

 

 鈴はすぐに答えを導き出す。それでいて敢えて今日のところは帰ることにした。明日もこの家に来ることを思い描きながら。



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11 途絶えた音

 ツムギの拠点はプレイヤーたちの集まるドームと同じくらいの大きさをしている。構造もとても似ていて、個室の並ぶ廊下を抜けた先にはロビーと同じくらいの空間が用意されていた。中央にはこれまた同じように転送ゲートが設置されている。ただし現在は稼働していない。いや、稼働させてはいけないものである。

 

「確かに作動していないのだな、クー?」

 

 起動していない転送ゲートを前にして、ナナは隣に連れてきていたクーに尋ねた。共に来ているシズネもクーの言葉を待っている。クーは相も変わらずその目を閉じたまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「アクセスしてみましたが転送ゲートを起動した形跡はありません。アカルギのゲートを含め、この基地近辺にあるゲートは全て使用不能の状態です」

「そうか。ならば良い」

 

 ナナがクーにゲートの状況を確認させたのは、敵がやってくる道がどこかにある可能性を危惧してのことだ。今日、ツムギの本拠地にヤイバが現れた。ラピスがアカルギにやってきたときとは話が違う。たどり着いたのではなく出現したのだから。

 ナナは念を入れて可能性を潰すためにクーに確認する。

 

「ラピスからもらったこの携帯がゲートの出口となる可能性は?」

「ゲートとしての機能はありません。そもそもゲートは指定した座標に物体を送るものであり、特別な出口を必要としていません。また、人の転送はゲーム内限定機能であり現実のISであるラピスラズリの専用機の装備で同様の機能を持たせることは不可能と判断します。ゲーム内においてもプレイヤーまたは非生命体専用といえるものであり、このゲートをナナさまやシズさんが使用すれば、転送先で精神を再構成できる確率は1%未満という危険な代物です」

「ラピスの携帯を持っていることで考えられる問題は?」

「位置情報を知られている可能性が97%です。もっとも、ツムギ内部に直接ゲートの転送先を開くことは無理ですのでヤイバお兄ちゃんのケースは当てはまりません」

 

 クー曰く、確率の具体的な数字に根拠はない。気分次第で上下するとのことだ。言い換えるとまず間違いなくナナの現在位置を知られているということになる。しかしそれは折り込み済みであり、問題視するのはやめにしている。

 

「では訊き方を変えよう。ヤイバがツムギ内部に直接やって来た方法は何だ?」

 

 ナナは厳しい顔を崩さない。今の自分たちにこの世界の基本的な知識を与えたAIならば、システム面の問題は答えてくれるはずだった。しかし、クーは顔を伏せる。その期待には応えられないと仕草が物語っていた。

 

「不明です。考えられる可能性はログイン時におけるバグの発生によるスタート地点座標のズレです。しかしながら、これまでに同じ現象は一切確認されていません。また、ヤイバお兄ちゃんは過去数度にわたり、同じバグを経験しているものと思われます」

「バグ……か。それが他のプレイヤーに起きる可能性は?」

「原因が特定できない限りは断言できませんが、現状ではヤイバお兄ちゃんがイレギュラー的存在である可能性の方が高いです。ナナさまが心配されているような、敵の奇襲につながる可能性は今のところ考えなくても良いかと考えます」

 

 またもやわからないことが増え、ナナは頭を抱えた。思い返せばヤイバと遭遇してから周りの状況が次々と変わっている。停滞していた頃と比べれば良い傾向であるが、まだ先行きが不透明なことには変わらないため気が休まることはなかった。

 とりあえずナナがクーに確認することは終わった。そこへシズネが無言で挙手をする。ナナもクーもシズネの発言に静かに耳を傾けた。

 

「クーちゃんがヤイバくんのことを“ヤイバお兄ちゃん”と呼んでいるのはヤイバくんの趣味ですか?」

 

 ナナは盛大にすっ転んだ。

 

「ふざけてる場合かっ!」

「ナナちゃん、私は至って真面目です。場合によってはヤイバくんの前では妹キャラを演じる必要が出てきますので」

「ないから! そんな必要はないから!」

「嫉妬はいりません。心配しなくても私はナナちゃん第一です。……ナナお姉ちゃん第一です」

「どうして言い直した!? やめてくれ! 同級生にお姉ちゃんなんて呼ばれたくない!」

「すみませんでした、ナナお姉さま」

「それはもっと違う何かだーっ!」

 

 ナナが叫び倒したところで、クーがくいくいとシズネの裾を引っ張る。

 

「私が勝手に呼んでいるだけです。シズさんは今まで通りでいいと思われます」

「わかってますよ、クーちゃん。もともとナナちゃんの愉快な反応が見たいだけでしたからこれでいいんです」

「シズネェ……そろそろ私は怒っていいか?」

 

 肩で息をしていたナナがゆらりとシズネに詰め寄る。シズネは特に表情を変えることなくナナと向き合った。

 

「ナナちゃんはひとりで気を張りすぎです。今のナナちゃんの想定くらい私も確認していましたし、ツムギのメンバーも警戒してくれていますから。もっと皆を頼ってください。戦闘以外ではもっと気を抜けってことですね」

「む……そのとおりだ」

 

 唐突にシズネは真面目になる。不思議とこのタイミングでのシズネの言葉はナナの心に深く入ってくるのだった。こうしてナナはいつもシズネに振り回されている。それがナナにとっては心地よかった。

 しかし今日のナナはいつも通りで終わらない。今日得た手札の効果を今のうちに知っておくべきだと判断したナナは不意打ち目的でシズネにカードを切る。

 

「ところでシズネ。ヤイバのことで訊きたいことがある」

「ヤイバくんのことですか? 私よりも本人に直接聞いた方が――」

「お前はヤイバのことが好きなのか?」

「好きですよ。それがどうかしましたか?」

 

 シズネを赤面させてやろうというナナの試みは呆気なく空振ってしまう。だからこそナナはこう考えた。シズネは好きの意味を勘違いしてるのではないかと。単刀直入に聞くにはどのような言葉を使えばいいか考えた末にナナはこう切り出した。

 

「ではヤイバがシズネの王子様なのだな」

 

 決まり手だとナナは内心でガッツポーズを取る。シズネが顎に手を当てて考え込み始めた。普段の仕返しをするために畳みかけようと次の言葉を用意するナナ。しかしその準備は無駄に終わる。

 

「そうだったんですね! やっとしっくり来ました! ありがとうございます、ナナちゃん!」

「え? ええ?」

 

 シズネはナナとクーの手を握って上下にブンブンと振り始めた。あーうーとシズネの動きについていけないクーが呻く中、ナナはシズネの意外な反応に困惑するばかりである。

 

「この温かさがナナちゃんの希望なのですか。これで私もナナちゃんとお揃いですね?」

「……そうか。シズネは嬉しいのだな」

「はい、もちろんです」

 

 表情が変わらないながらも楽しげなシズネをナナは複雑な面もちで見つめていた。シズネが言う“ナナの希望”にどれだけの価値があるのか、ナナは見失っている。シズネの言うようにお揃いだとは思えなかったのだ。なぜならば“シズネの希望”はナナの幻想と違い、自分たちに光をもたらすであろうことが実感できる存在だからである。

 

 浮かない顔のナナ。ポーカーフェイスのまま拳でガッツポーズをとるシズネ。2人の顔を見回して首を傾げているクー。第三者が見たら状況が全く掴めないであろう場所へと近づく男がいた。茶髪のツンツン頭、トモキである。

 

「ナナーっ! ってどうした? 何かあったのか?」

 

 トモキの登場にナナは慌てて笑みを作る。駆け寄ってくるトモキに体を向けながらも横目でシズネに自分の不安を悟られていないかチラチラと気にしていた。そのシズネはトモキに注意を向けている。

 

「トモキくんがナナちゃんに『トモキお兄ちゃん』と呼ばれたらどんな反応をするのだろうかと3人で話していました」

「マジで!? なんでそんな話になったのか見当が付かねえよ!」

「呼んで欲しいのか、トモキ?」

「う、あ、いや……俺はお前の兄貴になりたいわけじゃない!」

 

 しどろもどろになりつつもトモキは何かを振り払うように首を振りながら拒絶した。

 

「作戦は失敗ですね。兄という存在でいいなどと言ってもらえれば、ナナちゃんの王子様の座を自分から諦めたことになったのですが……残念です」

「なんで罠張ってんだよ、仲間だろォ! 精神的に俺を追い込んで楽しいわけ?」

「はい。精神的に弱い人ならばナナちゃんの母性溢れるおっぱいを舐めるような視線で見たりはしないはずですから遠慮は要りませんよね」

「舐めるようにってどんなだよ!? ただ俺はデケェなぁと」

「トモキくんにとってナナちゃんのおっぱいはその程度の価値しかないのですかっ!」

「いや、そんなことはない! 俺の手に収まるかなぁとか顔を埋めたら気持ちよさそうだなぁとか会う度に妄想して――あだっ!?」

 

 とりあえずナナは2人の頭を殴りつけることで黙らせる。いつも通りにトモキがシズネに振り回されているがトモキに弁解の余地はなかった。

 頭を押さえている2人を横目にナナは黙り込んでいるクーに近寄っていた。今のクーは両手を額に当てるポーズをとっている。これは頭痛でも額からビームを出すわけでもなく、彼女が何かの情報を拾っている時の仕草だった。クーはプレイヤーでも、ましてやナナたちとも違う存在であった。

 

「クー、何かあったか?」

 

 ナナの質問にはクーでなくシズネと話していたはずのトモキが答える。

 

「そうだった。カグラからの伝言。アカルギが“仲間”の情報をキャッチしたそうだ」

「そんな大事なことは早く言ってください、トモキくん」

「言えなかったのは誰のせいだと思ってやがるんだ!?」

 

 “仲間”。顔も知らない同じ境遇の人間のことだ。すでにシズネの掲げた目標は達成できていても、ナナには見捨てる理由がない。

 

「クー。詳細を」

「もう少しお待ちください。現在、コア・ネットワークに接続して検索中です」

 

 ナナたち3人はクーのもたらす情報を待つ。場合によってはすぐにでもメールを送ることになるはずだった。自分たちの希望に……。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 火曜日。俺がISVSを始めてから1週間が経過したことになる。たった1週間であったが、もうISVSについて何も知らなかった俺ではない。弾たちの話についていけるだけの知識はついたし、技術も身についてきた。なにより俺の行動は箒を取り戻すための道に続いているという確信がある。

 もう何もできない俺じゃない。箒を助け出す。()()助け出すんだっ!

 

「うーっす、一夏。今日は1人か?」

 

 登校中、俺は弾に出くわした。相も変わらず赤っぽいロン毛のこの男はいつになったら宍戸に目を付けられるのだろうか。見た目だけなら弾の方が問題児だろうに。やはり中身が優等生だからか。

 

「1人だと変なのかよ。別に鈴と一緒に住んでるわけじゃないんだし、待ち合わせてもない」

「そりゃそうだが、なんとなく今日も鈴が一緒のような気がしてたんだよ。昨日がアレだったからな」

 

 昨日……そういえば俺は昨日の蒼天騎士団との試合の直後にゲーセンを飛び出していったんだっけ。あの後、シズネさんたちと話してどうでもよくなってたから忘れていた。

 

「あ、あのさ、弾……昨日は悪かった」

「別に気にしてる奴なんて1人もいやしないぜ? 負けて悔しいのは当然だし、悔しいと思えるからこそ本気になれてるわけだ。でもって本気になれるからこそ面白い。何も悪くなんかねえよ。お前が自分から潰れたりしなけりゃそれでいいんだ」

 

 やばい、涙が出そう。テキトーさが目立つ弾だけど、だからこそ失敗したときにも寛容であれるんだろうな。振り返ってみれば、中学時代からずっとこのテキトーさに救われてる気がする。

 

「そんなことより、一夏。大事な話がある」

「改まってどうした?」

 

 テキトーな男、五反田弾がここまで真面目な顔つきになるのは珍しいことだ。熱の入ったISVSの説明のときともまた違う。先ほどの弾の言葉に感動を覚えたため、自然と俺は次の言葉を待つ体勢ができていた。

 

「お前に金髪美女の知り合いがいるってのは本当か!?」

 

 なんと言うか、いろいろと台無しである。弾が無駄にテンションを上げているのが癪に障った。そういえば弾は鈴に反応を示さないだけで基本的に女好きだった。そして弾の言う金髪美女には心当たりしかない。

 

「まあ、いるけど」

 

 それがどうしたという体裁で答えてみた。しかしどうやら逆効果であったらしい。弾は俺の肩を掴んで揺さぶってくる。

 

「何を平然と答えてやがる! この日本の、地元に根を張るが売りの私立高校に通う俺たちのような平凡な高校生がどうしてそんな金髪美女とお知り合いになれるってんだ!」

「そういえばグローバル化とは真逆の思想だったっけ。英語が苦手な俺としてはその方が都合がいい」

「それだよそれ! 英語ができないのになぜお前のような奴が!」

「いや、俺ができなくても向こうが日本語上手だし」

「なんて都合のいい! 今日ばかりは俺も幸村たちの気持ちが理解できる! 羨ましすぎるだろ!」

 

 弾が壊れるのも珍しかった。それだけ金髪美女に憧れが大きかったんだろうか。気持ちは俺もわからんでもないかな。ただ、セシリアと関わるのはそれなりに覚悟がいると思うぞ。

 

 俺と弾は取っ組み合いつつ藍越学園までの道を歩いていた。前も見ずに歩いていると俺は前にいた誰かにぶつかってしまう。幸いなことにどちらも倒れはしなかった。俺は相手の顔を良く見る前に謝罪する。

 

「すみません、悪ふざけが過ぎました。ほら、弾も謝れって」

 

 いつもなら(妹で慣れているために)俺よりも早く謝ってそうな弾だがなぜか固まってしまっていた。そういえば相手の人も一言も声を発していない。俺は相手の人を確認する。メガネをかけた知的そうな女性が立っていた。服装から高校生だとわかるが藍越学園のものではない。女性はぶつかった本人である俺のことなど気にもせず、弾ばかりを注視している。否、蔑視している。

 

「金髪でも美女でもなくて申し訳ありませんね」

「い、いや、これはですね!? 男がロマンを語っただけであって、現実に金髪美女が一番良いと言っているわけでなく――」

「今日まで本当に楽しかった。でもロマンを感じられない私のような存在が弾さんの側にいるのはおかしかったみたいです。どうかお元気で」

「ま、待ってくれっ! (うつほ)さーんっ! あなた以上の美女はいませーんっ!」

 

 俺の知らない弾がそこにいた。弾が虚と呼んだ女性は走り去っていき、弾が慌てて追いかけていく。走ってる弾が引き離されていくくらい女性の足は速かった。これは弾は遅刻だろうな。1限は……ちっ、英語じゃない!

 後に残されたのは俺1人だけ。弾のことは自分でなんとかするだろうと置いといて俺は俺で学校への道に戻った。話し相手がいなく、考え事をせざるを得ない。今後のISVSについて考えたいところだったが、今日は雑念が混ざってしまっていた。

 

 弾の奴……彼女いたんだ。

 

 

***

 

「よっ、一夏! 今日は平和な登校でなにより」

「むしろ殺伐とした登校ってなんだよ……」

 

 教室につくと早速数馬に声をかけられた。俺は昨日の惨状を思い出しては深く考えないようにしようと逃避を繰り返す。席に着いてからも昨日の『もげろ』と言ってくるクラスメイトの顔が脳裏を過ぎり、その度に首を振ってかき消していると俺の席にまで数馬がやってきた。何か話したいことがあるらしく、それには心当たりがある。

 

「一夏っていつの間に金髪美女と知り合ったん?」

「さっき弾にも聞かれたよ……」

 

 そういえばさっきは誰から聞いたかは確認しなかったな。知り合いレベルの認識なら店長が漏らしたわけじゃない。じゃあ、鈴か? 理由がないか。

 

「ちなみにどこ情報だ?」

「ゲーセン連中が土曜日に一夏が金髪美女を連れ歩いてたって言ってた。蒼天騎士団のマシューが言うにはその金髪美女はあのセシリア・オルコットらしいけど、それって本当なん?」

 

 やはり目立ってたか。しかしそこまでバレてても暴露しない店長の口の堅さは尊敬に値する。既に弾にも認めちまってるし、はぐらかす必要はないかな。

 

「本当だ。土曜日に駅で会って、道案内をしてるうちに親しくなった」

「なるほど。やはり運とイケメンの2つを兼ね備えている一夏ならではってことか」

「ははは。そういうことにしとくよ」

「俺以外にそんなこと言うなよ。幸村辺りが聞いたら容赦ない拳が飛んでくるぜ」

 

 幸村が殴ってくるだと!? ISVSでは逃げることしかしない男がリアルファイトを仕掛けてくるなんて想像できない。

 

「でさ、一夏。セシリア・オルコットといえばモデルとしての評価は高かったけどIS操縦者としては残念な子扱いされてたことで有名なんだ。ついたあだ名が“ちょろいさん”。それってどこまでが本当?」

 

 数馬がメガネの位置を直しながら聞いてきたことは初耳だった。そういえばセシリアは専用機を持ってるとか言ってたっけ。当然、IS業界では有名人だってことになる。だが、俺の知ってるセシリアとは全く違うな。

 

「セシリアが残念? 冗談は止してくれ。昨日の試合の相手がマシューって奴じゃなくてセシリアだったら、俺たちは0対10のパーフェクトゲームで全滅コースだぞ。“ちょろいさん”だと? むしろ『ちょろいですわ!』とか言われてボッコボコにされそうだ」

「一夏もそう言うんだねぇ。マシューがセシリア・オルコットを神聖視してたからちょっと気になってたんだ」

 

 そういえば蒼天騎士団はツムギと戦う際にセシリアの相手をしているんだったな。一体、どんな心地がしていたのやら。あの6本の浮いた刀を振り回してくる奴も、俺に一太刀も浴びせられなくて困惑していたことだろう。軽く自信喪失しててもおかしくない。

 

「それにしても一夏はいつセシリア・オルコットとISVSやったん?」

「あ……」

 

 土曜日に知り合った設定にした。日曜日は一日みんなとゲーセン。月曜日は学校+蒼天騎士団との試合。俺はセシリアと知り合ってすぐにゲーセンで遊んだことになる。

 

「まあ、その、なんだ。セシリアがゲーセンに行きたがってたからそのときにな――」

「ふーん、やっぱ一夏は行動力あると思うよ。俺だったらきっと案内だけしてそれで終わっちゃうだろうし」

「変か?」

「いいや。美点だね」

 

 深く突っ込まれなかった。場合によっては俺が家からもISVSやってることがバレてただろうに。そう思うと助かった。高校生が用意するには高額な代物が我が家にはあるわけで、十中八九溜まり場にされる。俺の家に来てプレイするとなったら、福音捜索に支障がでるだろうからな。それだけは避けなければならない。

 

 

***

 

 弾の奴が2限目の途中で教室に入ってきたこと以外はいつもと同じ平日だった。まだ火曜日だというのに疲労困憊で今にも倒れそうだった弾を遅刻で咎めたり笑う者はなく、放課後となった今も俺の後ろの席で机に突っ伏している。

 

「おい、弾。結局保健室にも行かずにいたけど大丈夫なのか?」

「そうよ。病気ってわけじゃないにしても今日のアンタは変よ? 家まで送っていこっか? 数馬が」

「俺なん? 別に構わないけど、勝手に使わないでくれない?」

 

 俺が弾に声をかけると鈴と数馬も寄ってきた。すると弾はようやく重い動作で顔を上げる。眉間に皺が寄っていて顔色は青く苦しんでいるように見える。この場で聞いてしまうのは良くないのかもしれないが、最悪のケースを想像してしまった俺は真実を確認せざるを得ない。

 

「もしかして弾……フラれたのか?」

「そんなわけがないだろうっ!」

 

 唐突に弾が席から飛び上がった。青い顔は消え失せ、ISVSについて語るときのように熱くなっている。

 

「いいか! 朝のは虚さんが純粋な人だから冗談を冗談として受け取ってくれなかっただけだ! ちゃんと話せば俺たちは相思相愛なんだよ! 結局追いつけなかった俺はあの後、虚さんの通う高校にまで走って校庭から校舎に向かって愛を叫ぶ羽目になったけどな!」

 

 しまったな。俺も追いかけて見なければいけなかった。そんな面白い弾はこの先見られるかどうかわかったもんじゃない。しかし、俺は朝のやりとりを見てるからいいとして、鈴と数馬は話についていけているのか?

 

「あー、はいはい。徹夜でゲームしてたのねー。でもそろそろ現実に帰ってきなさーい」

「冗談はディスプレイの中だけにしてくれよ。脳内彼女乙」

 

 2人は揃って怪訝そうな顔をしている。まあ、実物を見てないとそうなるわな。俺だってそうだし。

 

「ちげえよ! 俺はゲームはISVS一筋だっての!」

「という建前にしておかないと法的にアウトだってことだよな、16歳」

「一夏、お前まで……」

 

 弾が膝をついてしまった。流石にからかい過ぎたのでフォローする側に回ろう。虚さんという人が弾の彼女である前提で話を進めることにする。

 

「冗談は置いといてだ。いつから付き合ってるんだ?」

「もうすぐ1ヶ月ってところだ。思えば出会ってからすぐのことだったな」

 

 弾は気を取り直すのが早く、すっくと立ち上がって話してくれる。もともと隠す気は無かったようだが、言い出しにくかったんだろう。

 

「へー、弾がねぇ。どこで出会ったの?」

 

 鈴の質問は当然出てくるもの。鈴が聞かなければ俺が聞いていただろう。だが、まさか――

 

「いつものゲーセンだ」

 

 そんな場所だとは思ってなかった。いや、考えてみればISVSバカと言える弾の出会いの場所なんてそこ以外は無いのかもな。そうなると弾の彼女はISVSプレイヤーなのか。

 

「ってことは弾のことだからISVSを手取り足取り教えたん?」

「いいや。人を捜してただけだったからISVSを一緒にやったわけじゃない。でもって俺も捜すのを手伝ってたんだけど、流れで連絡先を交換したりしてな」

「意外ね。弾のことだから誘ったりしたんじゃないかと思ってた」

「あのな……俺は一夏すら強引に誘ったことは無いっての」

「で、進展は聞いていいの?」

「言わねえよ。細かいことまでお前らに言う必要なんてない」

 

 確かにそうだ。

 

 弾の彼女についての追求はとりあえずお開きとなった。弾が土曜日だけゲーセンに姿を見せない謎はほぼ解けたと言っても過言ではないだろう。俺たちは鞄をかついで教室を出て、玄関へと向かう。

 

「今日はどうするん? 昨日の憂さ晴らしに何かやる?」

 

 階段を下りていると数馬が全員に聞いてくる。弾と鈴の反応を窺ってみるが、2人とも考えているため俺から答えることにする。

 

「悪いけど今日はパス。まっすぐ帰るつもりだ」

「あたしもパス」

「俺もやめとくか。虚さんのフォローしといた方が良さそうだし」

 

 俺が答えた直後に鈴も行かないと告げる。2人続けて行かないと来たら、やはり弾も行かない方向で決めたようだ。こうなると数馬も行かないのだと思っていたが、今日の数馬は一味違っていた。

 

「そっか。残念だけど仕方ないや。俺だけででも練習するよ。みんなの足を引っ張りたくないからさ」

 

 玄関について最初に靴を履き替えた数馬は俺たちが靴を替える時間を待つことなく扉をくぐっていく。俺はその後ろ姿に手を伸ばした。

 

「待て、数馬!」

「ん? どしたん、一夏?」

 

 呼び止めたのは反射的な行動だった。当然その後に言葉は続かない。左手に靴を持ったまま、俺は固まってしまう。

 言いたいことはある。でも何て言えばいい? 昨日負けたのは数馬だけのせいじゃない。言うのは簡単だけど、敗北のトリガーとなったのは数馬の撃墜だ。俺よりも責任を感じる立場にいる数馬に俺がどう声をかける? どうでもいいことでくよくよしていた俺がかけるべき言葉が見つからない。数馬は先を見据えて、これからも楽しむために上達しようとしているのだから、俺が言えることなんてないのではないだろうか。

 

「一夏は『昨日のことは気にするな』って言いたいのよ」

 

 何も言えないでいる俺の代わりに答えたのは鈴だった。ため息混じりの呆れ顔だったが、不思議と嫌な感じはしない。鈴が代弁した内容は大体合ってるので俺は頷いた。すると数馬は不服そうな顔を返してくる。

 

「それはこっちのセリフだっての。気にしてたのは一夏の方だと思ってたんだけど?」

「いや、まあ……俺の中で色々とあって決着はついたんだよ」

「ならいいけど。別に俺は昨日のことで凹んでるわけじゃないよ。ただ先週始めたばっかの初心者にでかい顔されてばかりなのも先輩プレイヤーとして面目立たないじゃん? そういうわけで、お前らがサボってる間に俺は急成長してみせるぜ!」

 

 そう言い残して数馬は走り去っていった。俺は手に持っていた靴を床に投げ、足を入れてトントンとつま先で床を叩く。弾も鈴も俺が準備ができるまで待ってくれている中――

 

「おい、一夏!」

 

 数馬が戻ってきた。早すぎる。まだ校門すらくぐっていないだろうに数馬は何をしに戻ってきたのだろうか。よほど驚愕の事態が発生したのか、慌てて走ってきて息を切らしている。

 

「どうしたんだ、数馬?」

「どうしたも、こうしたも、あるかよ! あそこにいるのって、セシリア・オルコットだろ!?」

「何っ!」

 

 俺よりも先に弾が反応して数馬が指さした校門が見える場所まで行く。俺も後に続いていくと、校門の柱に背を預ける金髪縦ロールの美少女が見えた。どう見てもセシリアで、どう見ても誰かを待っている。俺は携帯を確認するが着信はない。

 なるほど、俺以外の誰かに用事があるんだな。……んなわけないな。

 しかし緊急の用件にしてはやり方が妙だ。互いの連絡先を知っているのだから昨日の昼に話したように通話ですむし、そうでなくてもメールでいい。直接会うにしてもこんな目立つ必要がない。それくらい彼女もわかってるはず――

 

 そういうことかっ!

 

「ねぇ、一夏。あの人って確かISVSで一夏が知り合った人でしょ?」

「あ、ああ。そうだけど」

 

 鈴が俺の制服の袖を引っ張って訊いてくる。目を細めて俺を見据える鈴が握っている俺の袖はギリギリと音を立てそうなくらいにピンと張るまで掴まれていた。

 俺はこのまま校門に向かってしまっていいのか? 俺の推測通りなら、俺は鈴の前で土曜日の続きをしなければならないことになる。箒の次に知られたくない相手だ。

 できれば逃げたい。そこで、逃げ出す選択肢のその後をシミュレートしてみよう。逃げること自体は難しいことではないはず。正門以外の抜け道くらい俺でも知ってるさ。問題はセシリアの方。彼女も望んでいるわけではなく、全ては日本に滞在する理由のためだったはずだ。もし俺が愛想を尽かしたと伝わればセシリアがイギリスに帰ってしまう。それを引き金にしてセシリアとの協力関係がなくなってしまうことだけは避けなければならない。

 箒を取り戻すためにセシリアの力は必要だ。ならば俺がすべきことはひとつしかないじゃないか。

 

「やっべー。待たせちまったみたいだ」

 

 棒読みになってしまった。弾も鈴も数馬も動かないので俺が先頭になって校門へと近寄っていく。セシリアは俺が来たことに気づくと、顔の前で手を合わせてウィンクをしてきた。これはもしかして謝ってるのだろうか。

 

「ごめんなさい。つい来てしまいました」

「いや、別にダメなんてことはない」

 

 早速鈴たちの前でのセリフの辻褄が合ってない俺だが、今回は無事に終わるのだろうか。後ろに来ている3人が妙に静かなのがとても怖い。

 

「今からご帰宅ですか?」

「うん、そうだけど」

「ではわたくしもお供しますわ」

 

 俺の隣にまでやってきたセシリアはさも当然であるかのように俺の右腕に手を回してきた。そこでようやく俺たち2人以外が割って入る。

 

「ア、アンタねぇ! 何やってんの!」

 

 鈴がセシリアを指さして怒鳴る。その指先はわなわなと震えていた。

 

「見たとおりですが、わたくしは何と答えれば良いのでしょう?」

「あたしが言いたいのは、アンタはただの友達じゃなかったのかってことよ!」

「では訂正いたします。わたくしと一夏さんは特別な友達ですわ」

 

 セシリアとしてはただの友達であると認めてしまうとダメなんだよな。かといってこのままだと鈴に嘘を付いてることになるから胸が痛い。そして、弾と数馬の視線も痛い。と、思いきや弾の奴は楽しげだ。さっきまでとは立場が逆転したからか。

 

「一夏、俺はゲーセンにいくよ……」

「お、おう。また明日な」

 

 先ほどと比べて目に見えて活力を失った数馬が先に行ってしまった。俺はセシリアに腕をとられてて動けない。

 

「セシリア、そろそろ歩かないか?」

「はいな!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 俺とセシリアが歩き出すと今度は鈴が俺の左腕を絡めとってきた。

 

「ふふふ。両手に花ですわね、一夏さん」

「花の片方が言うことか、それ?」

 

 非常に歩きづらい。両腕をそれぞれ掴まれているし、とある部位と右腕の接触を意識していると下手に腕を動かせず身動きがとりづらい。さらには周りの視線も気になる。放課後になってから少し時間が経ってのことだから人が少な目かと思っていたのだが、校門に現れた金髪美少女が気になっていた輩はそれなりにいるようで、遠巻きにこちらを見ている連中が確かに存在する。鈴のファンクラブだと後々面倒なことになりそうだ。

 

「なあ、鈴。恥ずかしいからやめろって」

「はぁ? なんであたしだけなのよ? そこの女ならいいわけ?」

「え、と……それは――」

 

 小声で鈴を諭してみようとするが失敗に終わる。力ない俺はこの状況を継続する以外に道は残されていなかった。明日のクラスメイトの第一声が想像できて辛い。ダメ元で弾に助けを乞う視線を投げかけてみる。

 

「じゃ、俺は寄るところあるから! また明日な」

 

 やはりか。こうなると知っていたら、さっきは弾をからかわずに味方につけておいたものを。ぐぬぬと言いたいがここは目だけで弾を非難しておく。

 

「そんな目で見るな。俺は俺でけっこう一杯一杯なんだからよ」

 

 そうだったな。親友(?)の俺よりも彼女の方が大事だよな。ニヤけているのも俺を見て楽しんでるわけじゃなくて、これから彼女に会うからなんだよなぁ!?

 我が親友は非情にもそのまま立ち去ってしまった。俺の側に残されたのは両腕を縛る花たちだけ。

 

「へぇ、セシリアはイギリス人なんだ。同い年らしいけど学校は?」

「大学卒業扱いになっていますわ。今はちゃんと仕事をしていますのよ?」

「仕事で日本に?」

「そのようなものですわ。一夏さんに会いに来たというのが一番の理由ですけれど」

「やっぱり好きなんじゃない!」

「そこは鈴さんのご想像にお任せしますわ」

 

 あれ? 俺が弾と話してる間に何があったんだ? なんか打ち解け始めてる気がする。

 

「なあ、お前らって実は仲が良いんじゃね?」

「どこをどう見たらそう見えるのよ!」

「一夏さんの目は節穴ですから、大変難しいのでしょうね」

 

 そこまで言われるほど俺はおかしなことを言ったのか……。今だって2人揃ってるしさ。いつの間にか名前で呼び合ってるしさ。

 

「では参りましょうか、一夏さんの家へ」

「アンタは来んな!」

「あら? まるで鈴さんは一夏さんの家に上がりこむ気のように聞こえますけど」

「そのつもりよ。文句ある?」

「そうですわね……一夏さん次第といったところでしょうか」

「はっ? 俺?」

 

 俺次第とは言っても、結局のところはセシリアの都合次第なのだが……。俺としては別に鈴が家にくることくらいはいつものことなので問題ない。だが、セシリアを監視してる人にはどう映るのかがわからないから答えようがないじゃないか。

 なぜ俺はこんなことで冷や汗をかいているのだろう? 俺は箒を助ける手がかりを求めて福音を追わなきゃいけないってのに。その福音を追うために必要なことだから仕方ないのか。

 

 答えないまま数歩歩いたところでセシリアの携帯が鳴る。確か前の演技からの解放はセシリアに執事さんから連絡が来てからだった。ということはこれはもしかすると監視の目が無くなる連絡ではないだろうか。

 セシリアは携帯の画面を一瞥すると俺の腕から手を離した。反対側の鈴は腕を組んだままである。

 

「急用が入りました。もう少し一夏さんと居たかったのですけれど残念ですわ」

「帰るのか?」

「ええ。ではごきげんよう、一夏さん、鈴さん」

 

 本当に急用だったのかセシリアはあっさりと立ち去る。焦りを感じさせる後ろ姿は演技の類ではないだろう。ところで俺の方の演技は継続していた方がいいのだろうか? よくわからない。

 

「セシリア、結局途中でいなくなったわね。何しにきたのかしら、あの子」

「俺に会いに来たんだろ」

「だったら急用ってのは何? 仕事関係?」

「そう考えるのが自然だろ」

 

 セシリアの仕事。俺も内容は知らないが、専用機持ちの仕事だとIS関連に決まっている。だが、今慌てるような用事というと福音関連の可能性が高い気がする。何か進展があったのだろうか。

 セシリアについて考えていたら上着のポケットに入れていた携帯が振動していた。開いてみるとメールの着信が1件。送り主はセシリアだ。

 

【件名】お元気そうでなによりです

【本文】

 昨日は負けてしまったと聞き、気にされていないか心配しておりましたが杞憂で良かったですわ。確かに直接対峙できる機会は滅多に訪れないのですが、別に手段はひとつだけではありませんもの。まだわたくしたちは取り逃がしたわけではありませんわ。

 セラフィムに関しては後はわたくしに任せて、一夏さんはナナさんたちの動向を見守っていてください。今のわたくしたちが追える情報は2点ですから分担していきましょう。お願いいたしますわ。

 本日はこれから連絡を断つ必要がでてきます。すぐに応対できるとは思えませんが、わたくしへの連絡がある場合はメールでお願いします。

 

 メールを読み終えると俺は携帯を静かに畳んだ。

 ……そっか。セシリアには昨日の俺の状態がお見通しだったのか。それともシズネさんに聞いたのだろうか。今日現れたのも俺の様子を直接見に来てくれたのか。いかんな。これでは俺は甘えてばっかりだ。

 

「鈴、ちょっと腕を離してくれないか?」

「あ……そ、そうね! いつまでも腕を組んでる理由はないもんね!」

 

 突き飛ばすように鈴は俺を解放した。けれど鈴の口は尖っており、不服そうであった。いや、腕くらい後でいくらでも組んでやるから膨れないでくれ。

 鈴が離れると俺は両手で頬をパチンと挟んだ。

 

「一夏!? どうしたの?」

「気つけだよ。ちょっと最近不甲斐ないからな」

 

 気を取り直したところで俺は再び帰り道に足を戻す。だが2歩目で上着がひっかかり前に進めない。振り返れば、鈴が上着の裾を握っていた。

 

「やっぱりおかしいわよ、アンタ」

「またか。俺は俺。いつもどおりだぞ?」

 

 今日で何度目になるだろうか。今の俺は鈴からみると違和感があるらしい。俺自身はいつもどおりでいる気だから何に気をつければいいのか見当が付かない。

 

「一夏はさ、ISは好き?」

 

 ああ、そういうことか。確かに違和感があるはずだ。俺自身、鈴がISは嫌いと言いながらもISVSをやっていることがおかしいと感じていたわけだしな。しかも俺は鈴と違って明確に嫌う理由があったはずだから余計に変だ。

 

「今でも嫌いだよ。でもISVSは違う。それは鈴も同じだろ?」

 

 嘘は付いていない。ISのことは箒が帰ってくるまで憎んでいるだろうと思う。ISVSは箒を取り戻すための手段となっているから話が違う。それだけだ。

 鈴の質問はまだあった。1つ目は俺が何と答えようが関係なく、本命は次の問いかけだったのだ。

 

「じゃあさ、一夏はどうしてISVSで遊べるようになったの?」

「え……?」

 

 なぜ遊べるようになったのかだって? 質問の意図を俺は理解できなかった。

 

「自分を痛めつけるためにあたしをフったアンタが、素直に遊べるわけないでしょ?」

 

 俺が蒔いた種じゃないか。箒が眠り続けることになった1月3日からずっと俺は、遊んだことなんてなかった。気が乗らないと言い続けて、でも心配させないように弾たちのノリには合わせてきて……自分のことをしてこなかった。

 

「始めてから1週間しか経ってないアンタが、子供じゃ買えない高額の家庭用ISVSを持ってるのはどうしてなの?」

 

 しまった。鈴だけは家に上がってるからバレてしまっていたのか。千冬姉の部屋に鈴が入らないだろうと思っていたから油断してた。そこまで揃ってたら確かに異常だ。気の迷いにしては本気すぎる準備としか思えないだろう。たとえそれが偶然あっただけのものでも、俺がそれを利用してる時点で今までの俺ではない……か。

 

「わかったよ。やっぱりお前に隠し事するのは無理だったんだ。全部話す。ちょっと長くなるから、このまま俺の家に行こうか」

 

 もう認めた方がいい。鈴が見ていてはセシリアとのやりとりもうまくいかない可能性が少なからずある。だったら俺たちのことを知ってもらった方が互いに動きやすいはず。大丈夫。鈴には深く関わらせなければいい。それに、いざとなったら俺が守れば何も問題はない。俺でも助けられる人はいるんだから大丈夫だ。

 

 

***

 

 

「というわけなんだ」

 

 鈴を連れての帰宅後、茶を沸かしてからリビングで鈴と向かい合った俺は先週からの出来事を大雑把にだが説明した。

 7年前に生き別れた幼なじみである箒の居場所を既に知っているということ。

 箒が原因不明の昏睡状態でかれこれ10ヶ月は目を覚まさないということ。

 福音の噂と警察の動き。

 噂を流した張本人であるセシリアとの出会い。

 ISVSで出会ったナナたちの存在。

 話し終えて、密度の濃い1週間だったと自分でも感じる。今、話を聞かされただけの鈴がどれだけ理解してくれるだろうか。俺が話している間は静かに耳を傾けているだけだった。俺が説明を終えたことを告げ、ようやく鈴は重かった口を開く。

 

「とりあえず、アンタが相当面倒な事に巻き込まれてるのはわかったわ」

 

 これだけの話を作り話だと疑わないのは助かる。ただ訂正しよう。

 

「俺は巻き込まれたわけじゃなくて、自分から飛び込んだんだ」

「そんなことないわよ。元を辿れば箒って子が変な事件に巻き込まれたのが発端でしょ? その時点でアンタも巻き込まれただけなのよ」

「いや、俺はその理屈を認めるわけにはいかない。俺は自分から関わろうとしてる。流れに身を任せたわけじゃない」

 

 俺がこう言う理由はひとつ。だけど、目の前のツインテール娘は俺の言いたいことをわかった上で逆のことを言ってくる。

 

「じゃあ、あたしも自分から飛び込むわ。別にアンタに巻き込まれたわけじゃなくてね」

「なんでそうなるんだよ。理由がないだろ?」

「あるわよ。箒って子が目を覚まさないと一夏だけじゃなくてあたしも前に進めないんだから」

「どういうことだ?」

「白黒つけたいのよ。アンタの中の思い出の存在とじゃ勝負にならないけど、目の前にさえ居れば張り合えるじゃない?」

 

 どうして面倒事に巻き込まれるとわかってて、鈴は笑えるのだろうか。だがもしかすると1週間前の俺も似たようなものだったのかもしれない。霧がかかっていた道が唐突に晴れていったような感覚だ。進む方向が見えれば、歩いていける。そんな自分に安心するのだ。

 

「わかったよ、鈴。もう俺からはやめろとは言わない。ただ、危険性は理解してくれ。俺が危険と判断したら指示に従ってくれよ?」

「もちろんよ」

 

 鈴と握手を交わす。セシリアに続いて2人目の仲間ができた。実力が確かなのは身を以て知っているから頼もしいのは間違いない。

 

「じゃあ、早速だけどISVSに入ろうか。イスカは持ってきてる?」

「最初っからここでプレイする気だったわ」

 

 鈴がひらひらと自分のイスカを見せつけてくる。準備はこれだけでいい。鈴はソファで横になり、俺はカーペットの上で寝そべる。

 

「向こうに着いたらすぐにミッションをする感じでいいのね?」

「それは着いてみるまで何とも言えない。どうも出現位置がランダムっぽいから」

「ISVSに囚われた人、か。ミッションに乱入してきた赤武者がAIじゃなくて生きてる人だとは思いもしなかったわ」

「ナナに会えるかはわかんないけど、もし会ってもいきなり攻撃しないでくれよ」

「あたしを何だと思ってんの? アンタみたいに味方を攻撃したりしないわよ」

 

 ナナだけじゃなくて鈴も根に持ってるなぁ。仕方ないけどさ。

 

 俺たちはこれからISVSに入る。今回の目的は“ナナたちの仲間の救出”だ。さきほど鈴に説明している途中でシズネさんから要請が来たため、それに応える形となる。

 改めてメールを見てみる。

 

【件名】このメールの半分は私が書いています

【本文】

 先日はたくさんお話ができて大変嬉しかったです。ヤイバくんのヘタレなところもわかりましたから、今後が楽しみですね。

 前置きはここまでとして本題です。こちらで囚われている仲間の情報を入手しました。当然、救出するつもりです。ナナちゃんが出撃用意をしていますが、また罠かもしれません。できることならヤイバくんの手を借りたいと思っています。すぐに来ていただけないでしょうか? 詳細は現地で。

 

 現地ってどこだよ? それに俺はツムギの場所も知らない。このままISVSを始めて無事に合流できる保証はないけど、やれることなんてないからバカの一つ覚えみたいにログインするしかない。頼みの綱のセシリアは音信不通状態だしな。

 

「じゃ、鈴。イスカを胸に置いて目を瞑ってくれ」

「それだけなんだ。ゲーセンのより不思議ね」

 

 瞼が閉じて暗闇ができる。やがて女性の声と共に閉じた視界が明るくなってきた。

 

『今の世界は楽しい?』

 

 まだまだ足りないものばかりだよ。

 

 

***

 

 ISVSにやってきた俺は海の上にいた。人が住んでなさそうな小さい島がちらほらと見える程度の海域であり、現在位置すら定かではない。相変わらず自宅から入ったときは出てくる位置が安定しないようだ。

 

「ちょっと、ヤイバ! ここどこよ!?」

「俺に聞かれても困る。どこに出るかわからんって言っただろ?」

 

 すぐ近くに現れたリンが訊いてくるがそれは俺が聞きたいくらいだ。しかし、わかったこともある。リンもスタート地点がロビーじゃないってことは問題があるのはイスカではなく本体の方ってことになる。他にもリンが同じ場所に出たことから完全にランダムなわけではないと考えられ、単なる故障と片づけるのも変な気がする。

 さて、ここからどうしようか。普段は明確な目的がないままうろついていたからテキトーに動くしかなかったのだが、今回はナナたちの救援としてやってきたのだ。早いところ合流しないと何もできない。

 

『――聞こえますか? ヤイバお兄ちゃん』

 

 どこへ向かえばいいかわからずに浮いていると、都合良く通信が入ってくる。俺をヤイバお兄ちゃんと呼ぶのはひとりしかいない。だがISなしにどうやって通信をしてるんだろ? ってそういえばオペレート用AIとか言ってたから何か特殊なんだろうな。

 

「聞こえるよ、クー。ナナたちは?」

『ナナさまは今、アカルギの船内で待機中です。ヤイバお兄ちゃんの位置をこちらで確認しました。間もなく到着しますので、高度を下げてお待ちください』

「りょーかい」

 

 クーとの通信を終えたところで俺は下を指さしながらリンの方を向く。

 

「案内できる人が下まで来るってさ」

「下……って海しかないじゃない! いつまで待つつもりよ!」

 

 リンの視線が眼下を向く。波が穏やかな広い青が広がっていて、どこにも待ち人の影は見当たらない。だが海面に徐々に黒い楕円が浮かび上がってきた。波が高くウネり始め、次第に角張った輪郭が現れ始める。そして、海面の青を突き破って船が姿を見せた。

 

「潜水艦? そういえばISVSって海の中とか基本的にいかないわよね」

「ただの潜水艦じゃないと思うぜ。あんな角張ったフォルムじゃ抵抗が大きいはずだろ。それにあれって音速以上で飛べるんだってさ」

 

 アカルギという戦艦(?)の説明をリンにしながら甲板らしき平たい部分へと降りていく。無事着地したところで近くに扉が開いた。当然そこにいるのはピンクポニーテールのリーダー、ナナだった。後ろには当たり前のようにシズネさんがついてきている。

 

「良く来てくれた、ヤイバ」

「出たとこ勝負でしたが無事合流できて良かったです。そちらの方は?」

 

 出迎えてくれたのは2人だけのようだ。まあ、たくさんいるという仲間がぞろぞろと出てきても対応に困るから俺としては助かるけどな。

 互いに顔を合わせたところで、ナナたちの視線は俺の後ろに注がれていた。それも当然か。俺と一緒に来たのがラピスでないのだから。早速紹介をしなければいけない。

 

「俺のプレイヤー仲間のリンだ。今回は一緒に戦ってくれることになってる。一応、ナナたちの事情も軽く説明してあるよ」

「リンよ。よろしく、赤武者さん」

 

 俺の前に進み出たリンは俺が教えるまでもなくナナを赤武者と呼んで右手を差し出した。ナナはそれに応えて手を取る。

 

「赤武者などと呼ばれていたのか。私はナナ。我々ツムギのリーダーを務めている」

 

 続けてリンはシズネさんと握手を交わす。

 

「私はシズネ。ナナお姉さまの忠実なるしもべです」

「待てぃ! 前回の反省は無いのか!? 初対面の人にいらぬ誤解を招くような発言は止せ! というかお姉さまネタをまだ引きずってたのか!? あと、私とシズネに上下関係などないだろう!」

「ナナちゃんのツッコミスキルが上がっていて、素直に嬉しいですね」

「シズネ、ふざけるにしても時と場所と場合を選んでだな――」

「わかりました。これからはTPOを弁えて積極的にナナちゃんの新しい顔を発見していきます」

「いやいや、全然わかってないからな? 私の意図はお前の理解と逆だからな?」

 

 2人が自分たちの世界に入ってしまったためリンはポカーンと口を開けてしまっていた。点になっている目の前で手を振ってやると、我に返ったリンが俺の耳に顔を寄せてくる。

 

「ねえ、本当にこの人たちが“ゲームに閉じこめられた人たち”なの?」

「気持ちはわからんでもないけど本当だ。それに、見た目だけで中身がどうかなんてわからないだろ?」

 

 本当にナナとシズネさんがリンの印象通りに過ごせていたなら良かった。でも、俺は聞いてしまっている。

 ナナは悲痛な顔で言った。『……死に、たくない』と。無敵に思えるほどの力を持っていても、いつも死の恐怖と戦っている。ただISVSを遊んでいるプレイヤーではそうはならない。

 シズネさんは泣きながら問いかけてきた。『私はただのゲームのキャラクターですか?』と。聞かれるまでは想像もしていなかったことだった。現実に帰ることなくISVSに居続けることで、自分が人間なのかどうかも自信が持てなくなる。その感覚は俺ではとても理解できず、死よりも怖いのかもしれない。

 

「失礼をした。リンといったな。確か前に会ったときは……ヤイバに後ろから攻撃されていたのではないか?」

「そんなことまで覚えてるんだ。その通りよ。ナナだっけ? アンタが強すぎるからこのバカがバカなことを言い出すハメになったのよ」

 

 ナナとリンによる軽蔑の視線が同時に俺に突き刺さる。やめろ! そんな目で見ないで! あのときはそれが最善だって思ったんだからしょうがないだろ! ……口に出しては言えないけど。

 

「それでもヤイバと一緒にいるのだから、リンは我慢強い人なのだな」

「そこに関しては誰にも負けないつもりよ。コイツと付き合ってくには我慢強いか同レベルのバカでないとやっていけないから」

「ヤイバはひどい言われようだな。ただな、リン。この男がバカなのは同意するが、意外とものを考えているのだぞ? 戦うべきところで戦える点も好感が持てる」

 

 へぇ……ナナの奴はそんなこと思ってたんだ。これって俺が聞いてていい内容なのかな? そう思っているとシズネさんがコソコソと俺の耳に口を寄せてきた。

 

「ナナちゃんは普段こそヤイバくんを悪党にしようとしてますが、あれって照れ隠しなんですよ。自分以外がヤイバくんを否定すると、フォローしたくなっちゃうくらいにはヤイバくんのことを認めているんです」

「え? そうなの?」

「最初は全力で嫌ってましたけど、前回の戦いからナナちゃんは変わりました。だからこそ今はヤイバくんたちに協力を得ようとしているのです」

 

 俺の行動がナナを変えたのか。だとしたら、変わって良かったという結果に結びつけてやりたいものだ。

 こそこそ話すのをやめてナナとリンの方に顔を戻す。

 

「あたし以外にそう思ってる人が居るなんてねぇ。アンタとは気が合いそう」

「そうか。ヤイバは良き仲間に恵まれている。それで、リンも私たちに力を貸してくれるのだな?」

「ええ。じゃなきゃヤイバについてこないっての」

「協力に感謝する」

 

 ナナとリンの自己紹介が一段落ついたようだ。俺の側に来ていたシズネさんは再びナナの後ろにまで歩いていく。

 

「ナナちゃん語を通訳させていただくと、『協力してくれなんて言った覚えはない! でも、べ、別に感謝してやらんこともないんだからねっ!』となります」

「なるかっ! ナナちゃん語って何だ!? 初めから日本語だろう!? 訳した結果が感謝の意を伝えようとしているにしては相手の神経を逆撫でしていないか!?」

「ナナちゃん、世界は広くてですね。今の言い方を喜ぶ方々もいるらしいです。今度トモキくんを労うときがあったら、使ってみてはどうでしょう?」

「そ、そうなのか!? くぅ……どうせ私は古い時代の人間だ」

 

 なぜかナナは悔しそうだった。別にシズネさんの言ったことを理解できなくてもいいと思うのだが。

 どうしよう。今の2人は俺よりも緊張感が薄い。気がするだけ、だよな? 放っておくといつまでも話が進まないと思われるので、俺から話を切り出すことにする。

 

「紹介もその辺にしておいて、そろそろ本題に入ろうぜ? 新しく仲間が見つかったんだろ?」

「はい。それでは説明しますので船内へどうぞ。ナナちゃん、どうでもいいことで凹んでいないで早く中に戻りましょう」

「シズネ、お前がそれを言うのかっ!? ……だが一理ある」

 

 ナナ、シズネさんの順番で扉をくぐっていき、俺とリンも後に続く。

 

「色々と変な人たちね。うちのバカどもよりは遙かにマシだけど」

 

 リンがぼそっと呟く。バカども=サベージたちである。理解不能という点ではリンに全面的に同意しておこう。彼ら以上の逸材とはこの先出会いたくないものだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 自由な空とは無縁の屋内。使われなくなった雑居ビルという様相の建物の中でラピスは息を潜めていた。ISを纏っていても空を飛ぶわけにはいかない理由がある。ラピスの意識は今いる場所ではなく、遠く離れたBTビットに集中していた。

 

(まさかこのタイミングで見つけられるとは思ってもみませんでした)

 

 BTビットから送られてくる映像には1機のISが映っている。全身が銀色のフルスキン。手足には目立った特徴が無く、非固定浮遊部位もないシンプルな外見であるが、背中に設置されている翼だけは普通のISとは大きく違っていた。この翼は飾りでなく拡散型ENブラスターと分類される武器だ。

 

 この機体こそが銀の福音である。根拠としては、この装備構成は決して使いやすいものでも強いものでもなかったからだ。つまりは模倣されにくいということである。

 主力武装である拡散型ENブラスター“シルバーベル”は単発火力はラピスの装備であるスターライトmkⅢより少し弱い程度であるが、一度に16発を発射するという代物だ。一度の斉射でENを大幅に消費するのでメイン武装の位置に据えることになる。だが面を覆う弾幕を形成できる一方で、EN消費に対して相手のISに与えられるダメージ量が小さい。それを2つも積んでいるのだから他に装備できる射撃武器と言えば軽量のアサルトライフルとなり、瞬間火力が低めの機体となる。その上、フレーム“エンブレイス”もフォスフレームであるため、相手の攻撃を避けなければならない。長時間戦闘を強いられて、真っ当な撃ち合いをしていると火力負けする機体。よほどの上級者でないと使おうと思えず、上級者でも他の装備を使うことだろう。

 よってラピスはエンブレイスフレームにシルバーベルを2つ搭載した機体は銀の福音、ランキング9位のセラフィムとみなしている。

 

(セラフィムで間違いなさそうですが、ここで何をするつもりでしょうか? ここで行われるミッションも試合も無いということは、わたくしたちと同じように自分から外に出ているプレイヤーのはず)

 

 ラピスは福音の監視を続けている。福音はただビルの屋上でずっと立ち尽くしていた。何もすることがないのか。それとも“誰かと待ち合わせている”のか。

 

 やがて変化が訪れる。遠方から福音へと向かってくる機影が見えたのだ。ラピスはすぐに情報を取得する。装備構成は打鉄フレームにイグニッションブースターを搭載した格闘型フルスキン。しかしテンプレのものと違い、マシンガンなどの補助武器は一切ない。物理ブレード一本だけというIS戦闘を舐めたような格闘機体だが、装備の名前を確認したとき、ラピスはその意味を知る。

 

「雪……片?」

 

 つい声を漏らしてしまった。慌てて口を噤むラピスだったが、念を入れて距離を十分に取ってある。この程度はミスのうちに入らなかった。

 落ち着きを取り戻したラピスは状況を整理する。福音の元に現れた機体は雪片のみを装備したISだった。刀以外の装備は“必要ない”と割り切った装備構成である。モンドグロッソなど特別な試合にしか姿を見せないという世界最強のIS“暮桜”。その担い手であるランキング1位“ブリュンヒルデ”以外がこの装備を使うわけがない。

 

(福音とブリュンヒルデが繋がっている? ではバックにはミューレイだけでなく倉持技研もいる可能性があるということになりますの?)

 

 福音とブリュンヒルデは戦いを始める素振りを見せないどころか、親しげに会話をしているように見える。これがプライベートチャネルを含めたISコア同士の通信ならば、ラピスの力を持ってすれば盗み聞けるのだが生憎とそうではない。BTビットを接近させるのも気づかれる危険性が増すだけである。

 

(今はここまでを収穫としましょう。たとえこの程度の情報でも進展があれば、一夏さんも少しは気が楽になるでしょうし)

 

 ラピスは危険を冒す選択はせずに引き返すことにした。今後、追いかける対象にブリュンヒルデが加わる。相手の存在が大きなものになったと感じながらも、ひとりだけで無理はしないと決めていたラピスは潔くその場を後にした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『今回の目標は海岸沿いに造られているミューレイの研究所です』

 

 俺たちは今、海面スレスレを低空飛行して目標に向かっている。西に日が落ちかけており徐々に空が赤み始めていた。空の色を移す海面も朱色を映し出して俺の顔を照らす。

 人員の構成は俺とリン、ナナの3人だけ。戦力的にナナが欠けるのは厳しいことと、何か問題があってもすぐに撤退できることを考慮しての少数精鋭だった。

 

『アカルギが傍受した通信の内容とクーちゃんの情報検索の結果。以上2点より施設内に仲間が1人いると考えられます。救助した仲間を運ぶ人員は1人で十分と考えられ、ヤイバくんとリンさんには仲間をアカルギに収容するまでの時間を稼いでもらうことになります』

 

 アカルギで聞かされた内容を改めてシズネさんが説明してくれる。作戦の流れは至ってシンプルで、俺とリンが派手に突入して敵の目を引きつけている間にナナが仲間を救出して撤退するというものだ。俺とリンならばやられてもリスクはないためにできる作戦である。ナナは強いが、万が一やられた場合、現実でどうなるかわかったものじゃない。

 

「やっぱり敵の構成は不明なのよね?」

 

 リンがアカルギでも聞いていたことを問い直す。いつものミッションでは敵の数がわかっていることが多いために気になってしまっているようだ。

 

『追加の情報はありません。申し訳ありませんが現場で判断していただくほか無いようです』

「了解よ。とりあえず目に付いた奴に片っ端から喧嘩売ればいいのよね?」

『そうなります』

 

 リンの言うとおり、俺たちは暴れることが仕事だ。あとのことはナナに任せることにしよう。

 

「ナナ。そろそろ別行動にしよう」

「わかっている。ただ、普段は私が囮になるばかりだったためか、目立たずに動くのは苦手でな」

「なるほど。ナナの行動だけ見ると言葉遣いとは裏腹にがさつだよな」

「なぜだ? 自覚していることなのに、お前に言われると腹が立つ」

 

 気を使わない言葉のやりとり。内容は割とどうでもいい。併走して飛んでいた俺とナナが拳を打ち合わせた後、ナナはひとりだけ軌道を逸らしていった。残された俺とリンはこのまま真っ直ぐに目標へと向かう。

 

「ちなみにリンは何もかもががさつだけどな」

「もしかしなくても喧嘩売ってる? ちょっと高すぎてあたしは何発アンタを殴ればいいのか見当もつかないわ」

「えー? そこまで怒ることかよ」

「女の子はね、どんな皮を被ってても繊細な生き物なのよ」

()()()ならそうだろうな」

「アンタにとってあたしは何なの!?」

「俺にとってリンはリンだ。性別も含めて」

「何それっ!? あたしはそんな中性的じゃない!」

「弱酸性だっけ?」

「お肌の話!? もうどうでもいいわ……」

 

 リンと軽く無駄話をしている間に目的地に到着した。海岸と言っても砂浜は近くになく、崖となっている場所が多い立地だった。港にも観光地にもなりえない、人が近寄りにくい場所だからこそIS関連施設ができたのだろうか。

 

「目に見える範囲には敵の姿がないな。リンはどうだ?」

 

 俺が簡単に見た限りではISどころかリミテッドの姿も見えない。防衛システムらしき砲台は見受けられるが、砲塔も動きを見せていなかった。

 以前にラピスと山脈にあった施設を攻めたときは俺が姿を見せた途端に攻撃してきた。たしか今回と同じミューレイとかいう企業の施設だったはず。ラピスは『IS関連施設ならば警備が厳重で当然』と言っていたが、この差はどうして生まれた?

 

「今のところは静かなものね……とか言ってたらお出迎えみたいよ!」

 

 リンの返事が来るのとほぼ同時にアサルトライフルを持った人型兵器がぞろぞろと現れた。蜂の巣をつついた時に似てる。しかしスズメバチの巣ではないようだ。

 出てきたのは全身が金属で覆われた人型である。その全てがフルスキンのISではなくリミテッドだ。ISVSでは的扱いされるくらいのザコである。いくら数を揃えても慣れたプレイヤー相手では優越感に浸らせるくらいにしか役に立たない。

 

 俺から指示を出すまでもなくリンがリミテッドの群れの中に飛び込んでいった。ライフルを撃つまでの速さもISに劣っているため、接近したリンに対応しきれず、振り回された双天牙月によって次々とスクラップにされていく。リンの攻撃はブレードによるものだけでなく、衝撃砲も織り交ぜることで中距離の敵の攻撃も許していない。今もリンを狙っている離れたリミテッドが唐突に弾け飛んだところだ。

 

「ちょっと、ヤイバ! アンタは高みの見物?」

「悪ぃ。すぐに加勢する」

 

 正直なところリンひとりでいいやと思っていたのだが、ツッコまれては参戦せざるを得ない。だが俺は敵を雪片弐型で斬り裂きつつも周囲の観察を怠らない。戦闘に余裕があるため、シズネさんに通信をつなぐ。

 

「シズネさん。俺たちは今、リミテッドの防衛部隊と戦闘中。敵にISは確認できない」

『了解しました。ナナちゃんは30秒後に上空から施設内部へと突入します。救出完了まで引き続き時間を稼いでください』

「りょーかい! と言いたいところだけど、俺も中に突っ込む」

『ではそのようにナナちゃんにも伝えます。ヤイバくん、ナナちゃんを頼みました』

 

 通信を切ってからすぐにリンに声をかける。

 

「リン、予定を変更! 俺も中に行くからリミテッドの相手を任せる!」

「わかったわ。全部片づいたらあたしも行く」

 

 リミテッドの部隊はまだ増援が出てきていたが、俺は構わず駆け抜ける。道中にいたリミテッドはついでに斬り捨てておき、壁に到達したところで雪片弐型を振り下ろす。入り口を探して入る必要はなく、壊した壁から内部へと進入する。

 

「待ち伏せもない。本当にここはISの研究施設なのか? 警備がザルすぎるぞ?」

 

 建物内は暗く、ハイパーセンサーで補正することでようやく見えるくらいの明度だった。今もなお稼働している施設にしては妙だ。暗室のようなところに入ったのかと思って見回してみたが、細長く広がる空間は通路としか思えない。電力が切られているようだった。

 放棄された施設なのだろうか。しかしリミテッドによる防衛機構は動いている。ここにISコアがあるということは何かしらの意味があるはず。もしかすると……これは罠なのか?

 手近な扉を適当に開ける。通路と同じく真っ暗で何も動いていない。おまけに空っぽの部屋だった。ここで何を研究していたのかという痕跡すら見つけられそうにない。

 罠の可能性が高まってきたそのとき――轟音と共に建物全体が大きく揺れ始めた。

 

「何だ!? まさか施設ごと爆破する気か!?」

 

 だがそれでも腑に落ちない。いくらリミテッド稼働用にISコアがあるといっても爆発にPICCを付加するのは困難であったはずだ。施設規模で崩壊したところで引き込んだISに致命傷を与えられるとは思えない。

 

『ヤイバくん。今、ナナちゃんが施設内に突入しました』

「あの女……もうちょっと静かにできないのか」

 

 真面目に考えてた俺がバカみたいだ。施設全体を襲った衝撃はナナの突入によるものらしい。大雑把な性格を作戦前に自覚してたのに、直す気は全くなかったのだ。

 つまり、敵は絶対にナナに気づいている。そうなると敵は新しい動きを見せるはずだった。だが、ナナ突入の衝撃以降、戦闘音すらしてこない。

 

『仲間を見つけた。軽く事情を説明してから脱出に移る』

 

 しばらくしてナナからの通信が来る。実に呆気なく作戦の目標を発見して確保に至った。未だ敵ISは姿を見せず、施設内にはリミテッドすら襲ってこない。俺は暗い施設内を彷徨いていたが、何にも遭遇していないのだ。

 

『ザコの掃除は終わったわ。ナナは脱出ルートを送って。援護する』

『わかった。直ちに脱出する。ヤイバも頼むぞ?』

「OK」

 

 順調だった。作戦開始前の想定とは違って簡単すぎる。山脈にあった施設への攻撃や、エアハルトと戦った時と比べるとどうしても不気味に思えてくる。だが、ナナもリンも違和感を感じているようには見えない。俺の感覚がおかしいだけだろうか。

 何もない施設に居座る理由がないため、俺もすぐに脱出した。まだ日は落ちていなく、西の空は完全に赤く染まっていた。夜の暗闇が迫る短時間の間に目標を達成したのだということを空までが伝えてくれていた。

 

『もうここには用はない。急いでアカルギに戻る。護衛を頼むぞ、2人とも』

『なんか拍子抜けするくらい簡単だったわね』

 

 並んで飛ぶ2人に合流する。ナナが女の子をひとり抱えているのを確認した。女の子はナナに必死にしがみついている。本当に仲間だったのだろうかと疑っていたが、彼女にも罠が仕掛けられていそうにない。もしツムギに行ってから本性を表すにしても、シズネさんが疑うだろうから俺が必要以上に気にしなくてもなんとかなるだろう。

 

「すまなかったな。結果的にお前たちの手を借りるまでもなかった」

「そんなことで謝るなよ。どうなるかわからないところに飛び込むのに無駄にリスクを増やすことない。俺たちならリスクなんて無いからな」

 

 ナナもリンもやはり『簡単だった』という感想で済ませている。2人とも俺に関しては疑ってばかりなのに、他のことにはやけに素直な反応が多いんだよな。だからこそ、俺やシズネさんがしっかりしなきゃと思い詰めすぎてるのかもしれん。

 

 夕焼けを背景に3機で飛んでいく。アカルギまでの距離はあと半分というところにさしかかり、このまま無事に終わりそうだった。このまま何もないと俺ですらそう思っていたんだ。シズネさんからの唐突な通信が入るまでは――。

 

『敵IS出現! まっすぐにそちらに向かっています!』

「どこからだ!?」

 

 これ以上は通信を待つまでもなかった。後方を見れば、俺たちが襲撃した施設から飛び出した白い光の軌跡がこちらへと向かってきている。

 

「ナナは今のままアカルギに急げ! 俺とリンで迎撃する!」

 

 俺とリンはその場で停止し、ナナだけがアカルギへと向かう。今のナナはISの無い人を連れているため、どう考えても逃げきれない。ここで足止めをする必要があった。

 

「リン、敵は1機だけか?」

「あたしに索敵を求めないでよ! でも、これだけ見晴らしがいいと他にいないって言っても良さそうね」

 

 陸地から離れた現在地点は小さな島こそ点在しているが障害物になりそうなものは近くにはない。島に潜んでいるISがいない限りは俺たちの相手は向かってきているIS1機のみと考えて良さそうだった。

 

「隊形は俺が前でリンが後ろ。他に何かあるか?」

「それでいいわよ。あとは相手を見てから考えましょ?」

 

 俺が前に出てリンが後に続く。相手の速度は思ったよりも速い。フォスフレームかユニオン・ファイタータイプかのどちらかだろう。後者ならば、俺がイグニッションブーストで斬りかかればそれで終わる。前者の場合でもリンが居ればマシンガンフォスだろうと怖くはない。

 間もなく俺が敵の姿を認識できる距離に到達する。即座に陣形を入れ替える可能性も考慮して敵の姿を注視した。

 

 ――瞬間、俺の思考は停止した。

 

「ヤイバ! どうしたの!?」

 

 リンの声で我に返る。既に射撃攻撃の範囲になっており、敵が“翼”を大きく広げると光の玉が無数に展開された。一度は静止した光の玉の群れは一斉に動き始め、俺たちへと殺到する。俺とリンはそれぞれ別方向へと大きく動いて弾幕を避けた。

 

「拡散型ENブラスターかぁ。ここまでの出力のはあんまり相手にしたことないけど、集束型ほど痛くないらしいから大丈夫よね」

 

 攻撃を避けることができた。俺は間違いなくホッとしている。少なくとも1手だけで終わらせられるような圧倒的な実力差ではないからだ。

 俺たちの前に現れた敵ISはフォスフレーム“エンブレイス”に拡散型ENブラスター“シルバーベル”を2つ翼のように取り付けた機体だ。ラピスが言うには、理に適っていない装備の仕方らしく真似するものはほとんどいないらしい。

 

 コイツが“銀の福音”なんだ。

 

 一撃目を回避できた俺は自分を落ち着ける。倒す必要はないと言い聞かせ、時間を稼ぐことに集中する。幸いなことにリンも冷静でいてくれている。もっとも、リンには福音のことを話してあるが、福音の装備などに関しては話していない。単純に相手が福音だと気づいていないのだろう。

 

「リン! 無理に近づく必要はない! 距離を保ちつつ、相手がENブラスターをバラマく時を狙って衝撃砲で牽制してくれ!」

「ヤイバはどうするの?」

「俺は様子見だ。至近距離であれを食らうのは流石にマズイからリンの攻撃の後に飛び込む」

 

 第一次攻撃の後、福音は俺たちから距離を置いていた。発射からEN弾が飛んでくるまでに時間差があるシルバーベルで弾幕を張られると俺が近づく隙はほとんどない。フォスらしい機敏な動きで飛び回る福音はリンが衝撃砲で狙ったところで捉えられる気はしなかった。

 

「ああ、もう! すばしっこい! これだからフォスの相手は面倒なのよ!」

 

 リンの攻撃は俺には見えていない。しかしリンの苛立ちを見るに既にけっこうな数の衝撃砲が撃たれていそうだった。福音はと言えば、悠々と空を駆けながら、光の玉をバラマくだけ。厄介なことにバラマかれた光の玉は正面以外にも飛ばせるようで、福音は俺たちの周囲を旋回しながら足を止めることなく攻撃することができている。最初に見せた攻撃時の隙はやってきていない。頭に血が上り始めたリンはシルバーベルの範囲から逃げきれずに何発か被弾してしまう。

 

「リン! ダメージは!?」

「1発あたり3%弱ってとこ。あたしの甲龍はEN武器への耐性が高めだからそう簡単にはやられないわ」

 

 シルバーベルの威力の確認。リンの機体はディバイドスタイルのヴァリスである上に、サプライエネルギーを大きく消費するような武器は積んでいないためシールドバリア性能が高めだ。それでいて1発で3%削られるってのは弾数から見れば高威力だといえる。ただし、一度に命中する数など高が知れている。この辺りは前もって調べた情報通りだ。

 

「ところでさ……あたしが思うに、いつものアンタならそろそろ突っ込んでそうだと思うんだけど、何かマズイことでも起きてる?」

「ちょっと慎重になってるだけだ。リンは気づいてないかもしれないけど、コイツは“銀の福音”だよ」

「え!? コレが? 嘘でしょ?」

 

 やっぱり気づいてなかった。だけどそれにはちゃんと理由があった。俺が気づいてなかったところでもある。

 

「だってセラフィムって『目の前が真っ白になった』とか言われるくらいの弾幕を張るらしいわよ? どう見てもコイツのはスッカスカじゃない」

 

 そう。今対峙している福音はハイレベルではあるが、決して手の届かない存在ではない。俺の中で膨れ上がったイメージのせいで強敵と認識していたが、ここまでの戦闘で俺は全てのシルバーベルを回避できている。至近距離だと当てられそうだが、幸いなことにシルバーベルはEN武器だ。白式はフォスでもディバイドスタイルだからEN武器のダメージは軽減される。攻撃を当てられてもシールドバリアが削られない分、雪片弐型にサプライエネルギーが回らなくなる事態にはなりにくい。そして福音はフォスのフルスキンスタイルであるから雪片弐型の一撃で倒せる可能性がある。

 

 俺は“この福音になら”勝てるのかもしれない。

 

『ヤイバ、リン。こちらはアカルギに帰還した。直ちにこの海域より離脱する。お前たちも撤退をしてくれ。礼を含めて、話は後で落ち着いてからしよう』

 

 ナナから作戦完了の連絡が来た。一方的な通告のみであるから、既にアカルギは遠く離れていることだろう。これで残るは俺たちと福音だけとなる。

 今もなおリンが福音と撃ち合っている状況だ。俺に飛び道具が無いことは相手側にもバレているようで、俺から近づかない限りはあまり手出しをしてこない。福音が翼を広げる度に現れる光の玉のほとんどがリンに向けて発射されている。リンはその攻撃を避け切れておらず、双天牙月を盾代わりにして防いでいた。もう双天牙月はブレードの原形を留めていない。

 

「ヤイバ、どうするの? もうナナたちは大丈夫みたいだけど」

 

 今、俺にある選択肢はISVSからの離脱か福音との戦闘の続行である。リンが受けているダメージは大きいが致命傷には遠い。戦闘の継続に関しては問題が無さそうだった。

 そしてこの場でこの福音を見逃すことのデメリットが大きい気がした。実力がランカーとは思えなくても、この場に単機で現れたことが気にかかっている。他にプレイヤーが現れないということはミッションでも対戦でもない。ならばなぜこのような場所に現れた? それもナナたちが現れることが予想される場所にだ。ランカー“セラフィム”と同じ機体構成で普通のプレイヤーが近づかない場所に現れているコイツの正体とは?

 

「リン。まだ戦えるか?」

「残りストックは73%。双天牙月は盾にしかならなくなっちゃったけど、衝撃砲は4つとも健在よ」

 

 リンもまだまだ戦える。俺の方はリンのおかげで無傷。福音も無傷であるが、戦闘タイプの相性的に俺たちの方が有利だ。いけるはずだ。俺が雪片弐型を当てるだけの道筋さえあればいいのだから。

 

「このまま奴を倒すぞ、リン。俺が前に出るからリンは援護を頼む」

「わかったわ。後方支援は専門外だけどやってみる」

 

 俺はまずリンから大きく離れる。無理に福音に近寄ろうとはせず、リンと挟む位置につけるように福音の周りを回る。だが完全な挟み撃ちは無理だ。リンよりも圧倒的に速く動くためだ。駄目押しとばかりに翼を開いては光弾を俺とリン、それぞれに放ってくる。大きく回避せざるを得ないので俺はうまい位置を確保できない。

 

「全然ダメ! 撃っても撃っても行動を抑えられない! ねえ、ヤイバ! あたしが突っ込むから、アンタは時間差で仕掛けなさい!」

「は? 突っ込めたら苦労しないってのに」

 

 中距離で射撃を繰り返すことに嫌気がさしたのか、リンは福音への接近を試みた。当然、シルバーベルによる弾幕がその行く手を阻む。だがリンはそれを意に介さず、突撃を止めなかった。

 

「特攻!? でもそれじゃ撃ち落とされるだけ――」

 

 迫り来る光弾を前にしてリンは両手の双天牙月を投げつけた。双天牙月を破壊した光弾は貫通していくことなく霧散し、リンの通り道ができる。すでにリンは両手の“崩拳”の発射態勢に入っていた。当然、龍咆の方も同時に発射できる。だがリンは前に出れただけで福音の隙を突けたわけではない。リンの両手突きから繰り出された衝撃砲は高速で飛行する福音には当たらなかった。だが、今までのように当てられないのではなく、避けさせることくらいはできていた。

 

「とらえたっ!」

 

 俺はイグニッションブーストを使用する。リンから逃げるようにして離れた福音は若干俺の方に寄ってくれていた。その僅かな差が欲しかった。おまけにシルバーベルを発射してから時間も経っていなく、連続使用はされないであろうタイミング。俺が近づけることは確定していた。福音の巨大な翼が目の前にくる。振りかぶっている雪片弐型を叩きつければ勝てる!

 

 一閃。白式の必殺の一撃は確かに福音に命中した。だが、倒せなかった。

 

「くそっ! 紙一重でクリーンヒットしなかった!」

「でもやったわよ! 翼が片方斬り落とせてるから、手数が半分以下になるわ!」

 

 リンの言うとおり、俺の攻撃は福音の左の翼をもぎ取っていた。発射される弾の数が少なければ、先ほどまでよりも楽に接近することができる。もうこの勝負は見えた。リンの特攻のおかげだ。

 

 あとはもう一撃を当てさえすれば、終わる。

 そして、コイツがラピスの言う福音であるならば、箒が帰ってくるんだ!

 ゴールが近い。可能性だけとは言っても俺には十分すぎるくらい魅力的なものだった。

 リンの手は借りたけれど、ちゃんと俺の手で終わらせられることに喜びしか感じない。

 俺は無我夢中で手負いの福音へと迫っていった。

 大した障害もなく接近に成功した。

 雪片弐型の届く範囲で俺が負ける理由などあるわけがない!

 

 

 ――そのはずだったんだ。

 

 

「あ、れ……?」

 

 雪片弐型が止まった。正確には止められた。ENブレード同士の干渉によるものだ。この期に及んで福音はENブレードを隠し持っていた……ということならばどれほど楽だっただろうか。

 

「な、何よこれ……? ISが変身してる……?」

 

 

 福音の背中から半壊したシルバーベルが剥がれ、眼下の海面へと墜落していく。福音が壊れたわけでなく、自ら望んで捨てていた。まるで今まで使っていた武装が拘束具だったみたいだ。左手の掌からはENブレードが“生えて”きており俺の雪片弐型を受け止めていた。右手も同様に掌からENブレードが生えてきており刀身は俺の腹部に当たっている。

 

「くっ! やられた!」

 

 今のでストックエネルギーが33%減少。腹部は絶対防御の発動コストが大きい部位である。ENブレードの威力としては雪片弐型より小さいが、十分に高威力な代物だ。完全に不意を突かれた俺は慌てて距離を置く。不意打ちで動転していたのを落ち着かせて、再び福音と向き直るとそこには――

 

 紛れもない天使の姿があった。

 

 4対の光の翼が花弁のように広がっている。翼のひとつひとつはISという機械の装備にしては鳥の翼に近い形状をしていた。機械より生物、生物よりは神秘の産物といった方がしっくりとくる。故に天使だと思ったのだ。

 

 だが、天使が人に優しい存在であるとは限らない。

 ましてや、俺が持っている天使のイメージ通りで終わらなかった。

 

 辺りに耳鳴りを思わせる咆哮が響きわたる。

 機械音ではなく咆哮だ。

 なぜならば――福音がその口を開いていたのだ。

 ギザギザな牙を思わせる邪悪な口は怪物のものでしかない。

 

 リンは変身したと言った。確かにそうだ。目の前の存在は既にISでなく、ただの化け物でしかない。

 

「リン! 今すぐにISVSからログアウトしろ!」

 

 変身を遂げた福音の目は俺に向いていた。フルスキンらしいバイザーは弾け飛んでおり、奥に見える瞳が俺を真っ直ぐ見つめている。ぞくりと寒気が走る。福音の両の眼はおよそ人のそれではない。金色の瞳はまだ許容できる。だが人ならば白であるはずの眼球が真っ黒に染まっていたのだ。

 嫌な予感で冷や汗が止まらないが、とりあえずリンが逃げるだけの時間はありそうだと判断する。今の俺が優先すべきことはリンの離脱だ。

 福音が動く。俺よりも始動が速い瞬間移動のようなイグニッションブーストにより、いつの間にか正面にまで来ていた。リンの返答もリンの行動もわからないまま、俺は戦闘を再開することになる。福音のENブレードを雪片弐型で受け止める。しかし、同時に振られていたもう片方を防ぐものは何もなく、右の翼を持っていかれた。

 

 ――距離を置くか? いや、イグニッションブースターの片方を失った俺ではどう頑張っても逃げきれない。むしろ至近距離を維持してカウンターを浴びせた方が勝てる可能性がある!

 

 次の福音の攻撃は受け入れる。同時に雪片弐型を突き立てれば、火力差で俺が勝てる。でもそれは甘えであり、福音も同じ行動を取ってくるとは限らなかった。福音の方からイグニッションブーストで距離を取ってくると思ったら、直角に近い角度で方向を転換。カクカクと雷鳴の通り道のように白い軌跡を残す福音の姿を俺は完全に見失っていた。信じられない。福音の機動は全てイグニッションブーストによるものだった。

 気づいたときには福音は俺の背後にいた。福音の8つの翼が巨大化して俺の周囲を覆ってくる。夕焼け空が白い光で埋め尽くされて、俺が見えるのは福音だけとなった。そして翼の表面にはシルバーベルの光弾が生成される。その数はスペック上の32発を超えていた。

 マズイと思ったときには遅かった。脱出するためにも俺は背面に振り返って福音に雪片弐型で斬りかかる。だがその刃は虚しく受け止められ、俺を覆う翼が縮小して俺を包み込んだ。

 

 眩すぎる発光の後、俺は重力に引かれて落下を始めていた。PICが完全に機能していない。要するにISの機能停止である。ストックエネルギーの残量は見事にゼロであった。

 

 俺はストックエネルギーがゼロを指しているのを初めて見た。それは初めての敗北を意味しているのではなかった。そのことに俺が気づいたのは、落下している俺をリンがキャッチしてくれた時である。

 

「リン? なんで逃げてないんだ!」

 

 勝手ながら『アンタを置いていくわけないでしょ』と言われると思っていた。だけど俺の予想とは違う方向で返答がくる。

 

「帰れないの……」

 

 ようやく気づいた。今の俺がISVSにおいて異常な状態であることにだ。今までも普通ではない状況があったが、やられたときだけは無事に帰ることができていた。それはラウラ・ボーデヴィッヒのときに証明されている。敗北時は任意でなく自動で送還される。今の俺の状況が意味するものはつまり、俺も帰ることができない状況にある。

 リンは俺を近くの島に降ろした。装備している白式が拘束具みたいになっていて動けず、俺はリンにされるがまま砂浜に寝かせられる。

 

「ねぇ、ヤイバ……これってナナたちと同じなの?」

 

 俺には答えられない。頭の中では限りなく近いのだとわかっていても、それを言葉に出すことは憚られた。言ってしまえば、それが事実になりそうだったんだ。

 頭上を見上げれば福音はまだ俺たちを追ってきている。急ぐこともないという余裕の表れなのか、天から遣わされた使いそのままのイメージで悠然と降りてくる。

 

「アイツ、まだヤイバを狙ってるわね」

 

 リンが俺から離れて空へと戻る。向かう先は福音だった。

 

「待て、リン! そいつには向かうな! 逃げてナナたちに助けを乞え!」

 

 声だけは出るが手はまるで動かない。倉持技研にあった出来損ないの白式と同じだった。ただのガラクタに包まれた俺は、身動きがとれずに見ていることしかできない。

 

「あのね、ヤイバ。あたしが逃げたらアンタはどうなるのよ? その状態でやられたら、現実でも死んじゃうかもしれないんでしょ?」

「そうと決まったわけじゃない!」

「でもそうかもしれないのよね? だからアンタはあたしだけでも逃がそうと必死になってる。そうでしょ?」

 

 否定などできなかった。正しく俺が思っているとおりのことをリンは言い当てている。

 

「こうなったらあたしが戦うしかないわよね」

「バカなことを言うな! 俺が危険と判断したら指示に従えって言っただろうが!」

「あたしがアンタの言うことを聞いてるだけの女だと思うな」

「こういうときばっかりひねくれやがって……お前がそこまでする理由なんてないだろ!」

 

 その瞬間に俺の傍の砂浜が弾け飛ぶ。リンの崩拳によるものだ。

 

「あのねぇ……って口で言ってもアンタにはわかんないか。そんなアンタには一言だけ伝えておく方がかえって良いかもね」

 

 リンが俺に背を向ける。もう福音はすぐそこにまで迫ってきていた。

 夕焼け空を背景に、リンはツインテールを靡かせながら上昇していく。

 俺の位置からはリンの顔は一切見えない。

 どんな心境で福音に向かっているのか、わかりたくなかった。

 

「ありがとう、一夏。あたしはアンタに会えて本当に良かった」

 

 こんな場面で聞く感謝の言葉なんて要らなかった。

 判断を誤ったことを罵倒してくれた方がマシだった。

 生きるために、逃げて欲しかった。

 

 リンと福音の戦いが始まった。リンの衝撃砲は避けられなかった。光の翼でいとも簡単に弾かれてしまったのだ。この時点でリンには一切の勝ち目がない。逃げろと念じるが無駄だった。リンは位置を変えながら翼に当たらないポイントを探してる。だが、そんな隙がある相手ではなかった。変貌を遂げた福音は俺たちでは全く手が届かない存在だ。不用意に近づいたリンに対して福音も接近戦を挑み、ENブレードがリンの両腕と龍咆に叩きつけられた。もう無事な装備は残ってない。戦闘不能に陥ったリンを福音の翼が包んでいく。

 

「動けよ、白式! ここで戦えなきゃ、俺は何のためにISVSを始めたのかわかんねえだろうがっ!」

 

 白式は応えない。そもそも仮想世界で機械に八つ当たりしている時点でおかしいんだ。でもそうせざるを得ないくらいに俺はこの状況を看過できない。俺自身が招いた危機で鈴が失われたら、俺は……。

 

 福音の翼は無情にも眩い発光をし、リンが墜落していく。俺と違って意識も完全になくなってしまっているようだった。力なく落ちてくるリンをなぜか福音が追いかけて捕まえていた。

 

「おい、何をする気だ……?」

 

 福音はリンの頭を掴んで顔の近くにまで運ぶ。するとリンの姿は光に包まれ、発光する小さな球体になってしまった。リンだった光は福音の右手に掴まれたまま、福音は右手を口元に近づけて牙だらけの不気味な口を開いた。

 

「やめろ……やめろやめろやめろ!」

 

 

 光は福音の口の中へと吸い込まれていった。この場のどこにもリンの姿はない。

 

 

「あ、ァ……」

 

 俺の慟哭は声にならなかった。

 

 リンがいなくなった後、福音は俺の姿を一瞥すると日の沈む空の向こうへと消えていった。

 

 ……どうしてだよ。どうして俺を見逃した! 福音を追ってるのは俺だけだったのに、どうしてリンだけ……。罰を受けるなら俺じゃないのかよ……。

 

 福音がいなくなったことにより、ISVSが正常化する。敗北による自動転送が始まり、俺は現実へと帰される。

 

 ……俺、だけ。

 

 現実に帰った俺を待っていたのは、ソファに横たわって目覚めない鈴だった。



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12 交差する追憶 【前編】

 しとしとと雨が降っていた。傘を差さずに歩くには若干雨量が多く、冬の割にはどんよりとした重苦しい空気となっている。そんな灰色の空の帰り道を俺はひとり歩いていた。弾の家に遊びに行っていた帰りである。翌日からまた学校に行かねばならないと思うと低気圧なのも相俟って気分が沈みそうだった。

 ガードレールのある歩道を傘を差して歩く。弾の家である五反田食堂あたりは車も人も多いのだが、大通りを外れて俺の家へと向かうにつれて交通量が激減していく。こんな雨の日では人とすれ違うのも稀で、偶に通りかかる車が水たまりを弾き飛ばすのに注意して歩くだけだった。

 

 そんな帰り道だからこそ俺は気づけたのだと思う。

 

 反対側の歩道を俺とは逆方向に歩く人影があった。傘も差さずに出歩く場合は駆け足になるのが自然だが、その少女は濡れることを気にすることなく重い足取りで歩いている。冬にしては暖かい日であるが、上着もなしに出歩けるような気温ではない。にもかかわらず少女は部屋着を思わせる薄着であった。俺は車が来ないことを確認するとガードレールを越えて対面の歩道へと移動する。俺がそんな行動を取ったのは、少女が見知った顔だったからだ。

 

「鈴……だよな? 傘も差さずにどうしたんだ?」

 

 声をかけてから自分に自信がなくなった。鈴はいつもクラスの中心にいる太陽のような存在だ。だが今、俺の前にいる少女はいつもと様子が違い、自慢のツインテールが解け、雨水に濡れた髪は力なく背中のラインに張り付いている。鈴の象徴ともいうべきものが何も見られないため、別人のようにしか見えなかった。

 少女がゆっくりと振り向く。虚ろな眼差しはやはり俺の知ってる鈴とは違う。……いや、最近の鈴とは違うというべきだろうか。まるで初めて会ったときのような、暗い目つきをしていた。

 鈴と目が合う。ピントが合っていなかったように生気のない目で俺を見ていた鈴だが、少しだけ光を取り戻した。ようやく俺だとわかってくれたようで、俺は傘を持っていない左手を挙げて「よう」と話しかける。すると、鈴の顔がひきつった。そして――

 

 全速力で俺から逃げ出した。

 

 状況についていけていない俺だったが、考えるより先に走り始めていた。理由はただひとつ。鈴の様子が普通ではないというだけで、俺が彼女を放っておけるわけがない。鈴の逃げ足は思ったよりも速い。俺は邪魔な傘を投げ捨てて、未だ降り続ける冷たい雨の中を走った。距離が徐々に近づき、逃げる鈴に手を伸ばす。ここで掴めなければ二度と鈴に会えない気がしていた。俺の右手は鈴の左手を掴み取る。雨の中の鬼ごっこは俺が勝利したが、俺の気分は当然曇ったままだ。

 

「なんで逃げるんだ?」

 

 俺が追いつくことで鈴は逃げる足を止めた。俺の方を見ようとはせずにただ背中を向けているだけ。それでも言葉だけは返してくれた。

 

「……なんで、追ってきたの?」

 

 質問に質問で返された。普段の俺なら先に答えろと言うところだが、今はそんな場合ではないので俺から答える。と言っても、俺が言えることなど大したことではない。

 

「お前が、逃げるからだろうが」

 

 全力疾走で少し息が上がってしまっていたが、言いたいことは発音できた。俺の右手の中で鈴の左手は落ち着いている。でも俺の方を向いてはくれない。

 

「少しは察しなさいよ……」

「生憎だが俺は自他共に認めるバカだからな。物事の裏側を知らなくても突っ走る傾向がある」

 

 いつもなら『そうだったわね』と呆れ混じりの相槌を打ってくれる鈴だが、何も言ってくれなかった。俺が握る彼女の左手は、落ち着いているのではなく力が入っていないのだと思い直す。

 

「それでだ。このバカな俺に事情を教えてはくれないのか?」

 

 すると突然、鈴の左手に力が入り、俺の右手からするりと抜け出られてしまった。解放された鈴だったがすぐに走り去るような真似はせず、やはり俺とは反対側を向いたままで話を続ける。

 

「アンタに言うことなんて何も無いわ。正直に言って、今のアンタは迷惑よ」

 

 何も知らずに深入りしようとしている俺を(たしな)めてくる。ただ、事情を話さないにしても、今の鈴には少し活力が戻った気がした。それだけでも俺が追いかけてきた価値があったというものだ。最後に俺から確認しておく。

 

「大丈夫……なんだな?」

「うん……明日にはいつも通りのあたしに戻ってるから。だからアンタは何も心配しないでいいの」

 

 なんてことだ。鈴がいつも通りじゃないと自分で認めるくらいに参ってしまっている。でも、今の俺がこれ以上口出しできることはなかった。俺は自分が来ている防水のジャンバーを脱いで、鈴の肩にかける。

 

「じゃ、俺は帰る。鈴も風邪ひく前にさっさと帰れよ」

「ちょっと、一夏! これ――」

「明日、学校で返してくれればいい」

 

 鈴が突っ返してくる前に俺は雨を理由にして走って帰ることにした。少なくとも、これで明日は鈴に会えるはずだ。嫌な予感は消えなかったが、俺はとりあえずの安心を得て、この場は鈴と別れた。

 

 

***

 

 翌日。憂鬱な月曜日だ。しつこかった雨はすっかり止んでいて空気がスッキリしていたのだが、今度は冬らしい寒さが俺たち生徒を苦しめている。空は晴れ渡っていても寒さでテンションが上がらない。外に出ることなくコタツで寝ていたいと言えば、“彼女”は笑いながら『ダメ人間の象徴的な存在だな』と侮蔑してくれることだろう。今年も会えなかった“彼女”のことを思い出すくらいには、今の俺の気分は天気ほど晴れていない。

 

「おはよう」

 

 始業のベルにはまだまだ時間に余裕がある時間に俺は教室にやってきた。運動部の朝練もなしに朝早くから学校に来ているメンツなど知れている。要するに弾はまだ来ていない。

 

「おはよう、一夏。今日は珍しく早いんだね?」

「数馬は相変わらずだな。運動部でもやっていけるんじゃね?」

「俺は体を動かすのは好きだけど、体育会系の人間関係はどうも合わないから無理だよ」

 

 数馬は朝早くジョギングをしてから学校へと来ている。学校へも走ってきているとか。健全すぎる生活スタイルの数馬は眩しく感じられた。俺も師範に鍛えられてた頃は似たような生活してたんだけどなぁ。

 数馬との会話を続けながらも俺は自分の席に鞄を置きにいく。すると、俺の机の上には見慣れたジャンバーが置いてあった。それは昨日、鈴に貸したものである。だが教室には鈴の姿が見られない。

 

「なあ、数馬。鈴って来てる?」

「そりゃ来てるよ。一夏と違って鈴もいつも早い方だし」

「今どこにいるんだ?」

「さあ? そのうち戻って来るんじゃないの?」

 

 結局、鈴は始業ギリギリまで教室に現れず、朝のうちに話す機会は無かった。遠目からだと鈴はいつもどおり過ごせているように見えた。

 

 

 放課後。そう、放課後まで俺は鈴と話せていない。鈴と話せない日くらい前々からあったのだから別に不思議なことなど何もないはずだ。だが今日は特に話そうと思っていない日というわけでなく、俺から近寄ろうとしても鈴と話せていないのだ。もしかしなくても避けられている。

 

「鈴!」

 

 女子の輪の中にいる鈴を呼ぶ。いつもは気づいたら近くにいる鈴に話しかけるだけだったから、鈴を呼び出すのは新鮮だった。鈴はさして面倒そうでもなく俺の方へと来てくれる。

 

「どうしたの? 何か用?」

「風邪ひいてないか心配してたんだけど、大丈夫そうだな」

「アンタはあたしの親かっての。親でも過保護すぎるわよ、それ」

 

 昨日のことはクラスの皆の前では無かったことにしているようだ。いつもの鈴に戻るためには、雨に打たれていた鈴の存在を消さなければいけないということになる。

 

「本当に大丈夫なのか?」

「ちょっと、待ちなさい。それ以上は皆に変な目で見られるけど、自覚して言ってる?」

 

 鈴に言われてようやく周囲の声が耳に入る。『織斑くんって鈴のこと……』とか『織斑、抜け駆けは許さねえ』とか聞こえてくる。だがそんなことは関係ない。周りが勘違いするのなら、それは俺よりもバカなだけだろう。

 

「大丈夫なんだな?」

「う……うん。何も心配はいらないわ」

 

 俺の執拗な問いかけに鈴は笑って答えてくれた。下手くそだ。鈴は役者には向いていない。そんな作り笑顔で安心できる男など一握りしかいないだろう。例えば、5年前の俺みたいな奴だ。今ならばわかる。“彼女”と約束を交わした1月3日。“彼女”は今の鈴と同じ顔をしていた。こんなわかりやすいサインを見逃していたのかと思うと、世間知らずで鈍感な昔の俺を殴りたくなってくる。

 

「そっか。悪かったな、変なこと聞いて」

 

 俺は鈴から離れる。結論は出ていた。鈴は隠し事をしているのだ。それも、近い内に俺たちの傍からいなくなるようなこと。ただひとつの経験から出た推測でしかないが、俺は半ば確信していた。

 

「おい、一夏! もう帰るのか!?」

「ああ。ちょっと今日はやることがあるんだ。また明日な!」

 

 俺は荷物をまとめ、弾と数馬を置いてさっさと教室を出る。まずは家に戻ろう。夜になったら行動開始。向かう先は――鈴の親父さんの店だ。

 

 

 千冬姉には友達の家で食べて帰ると連絡を入れておいた。普通の家庭ならば『夕飯はいらないから作らなくていいよ』という連絡になるのだが、うちの場合は『夕飯を作らないから外で食べてきて』になる。いつかは千冬姉も結婚して旦那さんに料理を振る舞うべきなのだが、千冬姉は何故か家事だけはダメだ。いや、能力が全く無いわけではないと思う。ただ、自分のためにする家事(特に部屋の掃除)だけは途端にずぼらになるのだ。俺が小さい頃は、まだ家事をしっかりやっていた。でも幼い俺から見ても無理をしてたのがわかったから代わりにやるようになった。その結果が現状だと思うと、俺は間違ったことをしたのかもしれないと思ってしまう。

 千冬姉への連絡を済ませた俺は早速鈴の親父さんの店へと入っていった。店内の活気は前に来たときと変わらない。常連の客がカウンターにいて、たまに来る家族連れや学生のグループがテーブル席の半分を占めている。個人経営にしては広めの店内を、俺はカウンター席へ向かっていった。

 

「おや? 一夏くんじゃないか。ひとりかい?」

「ええ、千冬姉が忙しいみたいなので、外で食べることになったんです。というわけで、回鍋肉定食をお願いします」

 

 鈴の親父さんもいつも通りだった。中学生ひとりだけで店に来ても、いつものことだから怒られない。だけど最近は来てなかったから、周りの客にとっては珍しい存在のはずだ。だからこそ、常連っぽいサラリーマン風の人の隣を狙ってカウンター席についた。

 

「君は高校生? それとも中学生?」

 

 釣れた。お酒も入っているとは都合がいい。あとはこのおじさんが鈴の親父さんとどれだけ親しいかが問題だ。これがダメなら親父さんに直接聞くしかなくなるが、できることならそれは避けたい。

 

「中学2年生です」

「鈴音ちゃんと同じじゃないか。あの子の友達なのかい?」

 

 当たりだな。この人は“中華料理屋”に来ているのではなく、“凰さんの店”に来ている人だ。でないと鈴の年齢まで把握しているわけがない。常連の中でも鈴の親父さんと良く話をしているのは間違いない。

 

「鈴はクラスメイトです。もう3年くらい一緒の腐れ縁って奴ですね。ここにも3年前から偶に来てます」

「そうかぁ。あの子に腐れ縁と言えるほどの友達がいるなんて知らなかったなぁ」

「え……? 鈴は友達100人いて当たり前みたいな性格してると思うんですけど」

「そうなのかい? 大人と子供では見えてるものが違うのかねぇ」

 

 俺が常連のおじさんと話している間にバイトの人が料理を持ってきてくれた。鈴の親父さんは奥で鍋を振るっていて今は忙しくなってきたようだ。親父さんに話を聞かれない内に聞けることは聞いておこう。回鍋肉を口に運びながらも隣のおじさんとの話を続ける。

 

「おじさんから見て鈴はどんな子ですか?」

「いや、私はあまりあの子を見たことはないよ。偶に店の方を手伝ってるのを見たくらいだし、そのときは物静かな子だなとしか思わなかったな」

「ハハハ。人見知りするような奴じゃないんで単なる猫かぶりですよ」

「それならばいいんだけどねぇ。凰さんが言うには家でもあんな感じらしいけど、学校では違うということか」

 

 鈴が家では物静か……? そうかもしれない。出会った頃の鈴は、今の明るさの欠片もなかった。仲良くなってからの鈴は太陽みたいに周りも巻き込んで明るくさせるような奴だった。どちらが本当の鈴かと聞かれれば、俺は後者だと思っている。てっきり昔は学校でだけ自分を押し殺していたと思っていたのだが、もしかしたら鈴は学校でだけ素の自分を出せているのか?

 

「鈴が家ではいい子ぶってるとか、話のネタになりそうです。もうちょっと聞かせてもらえますか?」

「私も凰さんから聞いてるだけだからね。ただ、いい子ぶってるわけじゃないと思うんだ。あまり大きな声では言えないけどね」

 

 俺は食事のペースを上げる。このおじさんは鈴の親父さんの前では言いにくいことを知っているんだ。ならば同時に外に出て、帰り道で聞くべきだろう。

 

「お? もう食べ終わったのかい? 若いっていいねぇ」

「いやぁ、料理が美味しいと箸が進むってもんですよ」

「よし。これも何かの縁だ。君の分は私が奢ろう」

「あ、ありがとうございます!」

 

 おじさんが俺の分の伝票も持ってレジへと向かう。俺はその後に付いていき、店も同時に出て行った。

 

「ん? まだ何かあるのかい?」

「はい。ちょっと聞きたいことがありまして……」

「まさか探偵ごっこか何かかな。面白そうだ、付き合おう」

 

 探偵……か。確かにやっていることは同じだ。俺は本人に知られずに、本人のことを調べているのだからな。おじさんが“ごっこ”として乗ってくれているうちに聞きたいことを聞いてしまおう。

 

「凰さんの家で、今何か問題があったりするんじゃないですか?」

 

 途端におじさんの目が丸くなった。それだけで今の鈴の問題が家庭にあることがわかる。さて、こんなプライベートな話をおじさんが漏らしてくれるだろうか?

 

「鈴音ちゃんから何か聞いたのかい?」

「いいえ。ただ、鈴の様子が最近変な気がするんです。気がする程度ですけど」

 

 本当はおかしいと確信しているのだが、勘で動いているだけなので気がするレベルとしておいた。おじさんは歩きながら話そうと歩道を指さす。俺はおじさんの隣を歩いた。

 

「君のような子供にまで悟られているようでは、本当に凰さんは参ってしまっているのかもしれない」

「何か、鈴の親父さんが困っていることでもあるんですか?」

「ああ。どうも奥さんと上手くいってないらしくてね。偶に私に愚痴を言ってくるんだ。愚痴だけで晴れるならと思って聞いていたけれど、悪い方にしか向かってないのかもしれないね」

 

 これが鈴の抱えている問題か。両親の不仲とは……確かに誰にも言えないわな。俺はただの部外者で、口出しする権利なんて一切ない。

 

「いつからなんですか?」

「私が知る限りだと、もう4、5年前になるんじゃないかな。何がきっかけなのかは私も聞いてない。もしかしたら凰さん自身も覚えてないのかも。それより前は仲が良くて、奥さんも店の方に来てたんだけどねぇ」

「もう戻らないのですか」

「それは当事者の問題だから、私たちが口出しできることではないよ。個人的にはあの店にはまだまだ通いたいから、離婚はして欲しくないけどね」

 

 離婚。行き着く先として当然考えられるものだ。もしそうなれば、鈴が今のままいられる保証などどこにもない。たしか鈴の母親は中国人だ。今は世界的に女性の権利が強いから、離婚して母親が中国に戻れば鈴は――俺の前からいなくなる?

 

「ありがとうございました。なんか、俺が聞いちゃいけない話だったような」

「それを言うなら私もだよ。君のような子供に話すようなことではなかったね。くれぐれも鈴音ちゃんにも凰さんにも余計なことは言わない方がいい。部外者が何を言っても話はこじれるだけだ。これは忠告だよ」

「はい、わかりました」

 

 おじさんを見送りながら、俺は今後についての考えを巡らせる。おじさんの言うとおり、俺が口出しできる問題じゃない。俺がすべきことは鈴との別れの時が来ても、明るく送り出す心構えをしておくことくらいだ。

 わかっている。わかってはいるんだ。でも、なんとかしてやりたいという自分も俺の中には居た。ただの中学生に何ができる? 今知ったばかりの俺が何を言ったところで鈴の親父さんの問題を解決できるはずがない。ましてや、鈴のお母さんのことを話でしか知らない俺では、上っ面の言葉しか出てこない。鈴に居て欲しいだけの俺なんかが何を言っても、何も解決なんてしないんだ。

 

 家に帰る。すると千冬姉も帰ってきていた。俺と千冬姉。それが俺の知ってる家庭の範囲。俺には親の記憶なんて全くない。そんな俺が親に持っているイメージなんて無いに等しかった。居間でくつろぎながら熱燗を口にする千冬姉におっさん臭さを感じつつ、俺は対面に座る。

 

「千冬姉。ちょっと聞きたいんだけどさ」

「どうした、一夏? 先に言っておくが、今飲んでる酒は1本目だからな。決して、外で飲んできて追加で飲んでるわけじゃないからな」

 

 別に飲み過ぎだと注意しようとしたわけじゃない。もし語るに落ちてるのだとしても今日のところはどうでも良かった。

 

「父さんと母さんってどんな感じだったのかなと思ってさ」

 

 親の話をすると千冬姉はいい顔をしない。それでも俺は知らないのだから聞かないとわからないんだ。今は千冬姉に嫌がられてでも聞きたい理由がある。その意志を千冬姉は察してくれたようで、普段なら話さない両親のことを教えてくれる。

 

「正義感だけ人一倍強い、良い意味で人間離れしてた人たちだったよ。客観的に見れば愚かだった」

 

 千冬姉が過去形で話すとおり、父さんも母さんもこの世にはいない。俺は今まで親は既に亡くなっているということだけ聞かされてきた。今まではどんな人たちだったのかも聞いてこなかったんだ。

 両親は愚かだったと口にする千冬姉だったが、俺の目から見れば誇らしげに見える。客観的に見ればと補足しているように、千冬姉の主観で見れば立派な人たちなのだろう。なぜ俺に隠そうとしているのかはわからないけれど。

 

「父さんと母さんはさ……仲が良かったのかな?」

「死ぬときまで一緒だった。少しでも仲が悪ければ、今頃どっちかは親としてこの家に居ただろうな」

 

 両親は事故で死んだと聞いている。いつも一緒だったからこそ、2人同時に死んでしまった。鈴の親とは全然違う人たちだったということになるのか。

 

「なあ、千冬姉。人はどうして結婚をするんだろう?」

「私に聞かれても大したことは言えないが、そうだな……結婚は人間社会に適合させたひとつの手段であって、本当に欲しいものは別にあるのかもしれない」

「欲しいものって?」

「それは愛だったり子供だったり金だったり色々あるだろう。私の最も身近な例では愛だったか。もっとも、当人同士が通じ合っていれば役所に届ける必要性を感じないとか言ってたが」

 

 そっか。好きだからってだけとは限らないのか。何か得だと思ったからこその結婚の可能性もあったり、最初の頃と今の自分が違っている可能性は十分にある。もう少し聞き込みを続けて、鈴の両親の状況となぜ険悪になったのかを知らないといけないな。

 それはそうと、千冬姉の身近な例って一体……? 確か千冬姉って恋愛話ができるほどの仲の人って数えるほどしかいないような。ぱっと出てくる人物は……束さん? いや、それは無いか。今は連絡も取れてないだろうし。

 

「どうしたんだ、一夏? 生意気な男子中学生らしく、結婚に興味がでてきたか?」

「そんなところ」

「気になる奴でもいるのか?」

 

 今は鈴と鈴の家族の問題が気になってしょうがない。

 

「おう」

「そうか…………」

 

 千冬姉が酒を呷った体勢で固まった。

 

「千冬姉、一気に飲むと体に悪いぞ。ってか熱燗なのに一気飲みとか大丈夫か?」

 

 俺が声をかけることで千冬姉はぶはっと息を吐きつつ熱燗をテーブルに置く。深呼吸を3回してからキリッとした目つきで俺を見てきた。

 

「よし、今度私にその娘を紹介しろ。場所は篠ノ之道場でどうだ?」

「紹介はいいとして、なんで道場なんだ!?」

「柳韻先生がいない今、あの道場は私が管理している。道場として門を開いていないが、仕合をするには打って付けだろう」

「鈴に何させる気だよ!?」

「ほう、鈴というのか。で、一夏はどこを気に入ったんだ?」

「い、言えるかっ!」

 

 人様の家庭の事情に首を突っ込もうとしてるとは言えない。そろそろ追求から逃げるために俺はさっさと自分の部屋にいくことにする。そんな俺の背中に千冬姉はまだ話しかけてくる。

 

「まだお前は中学生だ。無理に大人ぶろうとする必要はない。小学生、中学生の恋で後々まで引きずるような責任を感じる必要はないんだ」

 

 子供が気負うなと千冬姉は言う。これは今日に始まったことじゃなく、毎年の正月にも言われていることだ。千冬姉にはあの約束のことを言ってなかったが、気づかれているのだろう。大丈夫だ。“彼女”のことも鈴のことも責任感なんかで動いてるわけじゃない。ただ俺がそうしたいからやっている。それだけだ。

 

 

 次の日からも俺は弾たちと遊ぶことなく色々な人に話を聞いて回った。お店の常連を中心にして集まった情報では、離婚は秒読み段階であることと、3月にはお店自体が閉まる可能性が高いことなどがわかった。鈴が中国に帰るということも噂レベルであるが聞けた。

 このまま放置すれば鈴も転校する。本人が納得しているのならいい。だけど、雨の日に出会った鈴は泣いていた。だから俺は足を止めなかった。

 鈴の親父さんたちは最初から仲が悪かったわけではないらしい。最初に聞いたおじさんも言っていたとおり、あの中華料理屋も夫婦で営んでいたということだった。何かをきっかけにして夫婦の仲が壊れたのだ。それが4、5年前くらいの話だという。俺が鈴と出会う前の話だった。

 

 俺はある日の放課後。別のクラスの男子生徒を捕まえて話を聞くことにした。既に素性は調べてある。俺と出会う前の鈴のクラスメイトだった奴で……鈴をいじめていたことのある奴だった。

 

「ひぃっ!? 織斑が俺に何の用だよ!」

「別に喧嘩をしにきたわけじゃない。話を聞かせて欲しいんだ」

「話……?」

 

 俺とは根本的に気が合わない奴だが、今はコイツを頼らないといけなかった。出会った頃の鈴になるまでの過程を知りたかったのだ。

 小学生時代のトラブルのためか、俺の質問に素直に答えてくれて助かった。俺としても、鈴のいじめ現場に飛び込んだときのような大立ち回りは二度としたくない。最悪脅すしかないところまで俺は時間的に追いつめられていたのだが、互いに良い選択をしてくれた。

 彼の話は聞いていて気持ちの良いものではなかった。だがそれを彼も自覚しており、後悔も伝わってきていた。そこだけは良かったと思えることだった。

 

 情報は不十分であるが、これ以上は当人でないとわからない。俺は少ない情報を元にある推論にたどり着いた。もしかしたらこの問題は、すれ違いなのかもしれない。

 もう1月が終わる。鈴にとって最悪の決断となるまえに、俺は劇薬を投下することに決めた。準備は着々と整っていく。弾が以前にイタズラで使用したボイスチェンジャーを借りる。凰家と千冬姉の予定を把握してタイムスケジュールを構築する。計画の実行は2月3日に決めた。ぜひとも凰家に福を招きたいものだ。失敗すれば、俺が鬼として社会の外に叩き出されるだろうけどな。

 

 

***

 

 勝負の2月3日。平日だったその日をいつものように過ごす。期末試験が近いだとかで周りは割と騒いでいたが、俺にはそんなことは心の底からどうでも良かった。

 

「おやおや、一夏くんにとってはテストは余裕そうで」

「当たり前だろ。どう足掻いても俺のバカは直らないっての」

「そこを開き直ると学校の意義を見失うぜ」

 

 放課後以降のことばかり考えつつ俺は弾といつも通りに話していた。少なくとも俺はそのつもりだった。だが弾にとっては違ったようで――

 

「何か別のことで余裕がなさそうだな。悩みなら話くらい聞くぜ?」

「ん? 一夏、元気無さそうじゃん。どしたん?」

 

 数馬もやってきて俺が変だと指摘する。まあ、この2人にはそう思われるだろう。俺は緊張している。この選択は文字通りのバカがすることであり、千冬姉にも多大な迷惑をかけることになるからだ。

 普通ならこんなことしない。仮にすべてが上手くいったとしても、俺には何のメリットもない。ハイリスクノーリターン。それでも俺が“この計画”を実行するのは、理想の俺で居続けたいからなのだろう。

 

『一夏はバカだ。だが私はそんな一夏を尊敬している』

 

 “彼女”が認めてくれた俺で居続けないと“彼女”と再会できないかもしれないと心のどこかで感じている。だから俺がすることはただの偽善。否定はしない。これが俺なのだ。

 

 俺は弾と数馬の肩を掴んで教室の外に引っ張り出す。コイツらには隠そうとしたところでずっと怪しまれる。それが鈴にまで伝わってしまうと計画が丸潰れだ。だからある程度は話して鈴に悟られないよう協力を得る必要がある。

 2人を屋上に連れ出した。うちの中学では屋上への立ち入りは禁止されているため、この時点でバレたら厳しい罰が待っている。逆に言えば、滅多に人が来ないと言える場所である。俺の行動から2人には俺の本気さが伝わってくれることだろう。2人は茶化すことなく俺の話に耳を傾けてくれたので、簡潔に鈴のことと俺がこれからやろうとしていることを説明する。

 

「――というわけなんだ。だから俺が変だとか鈴の前では言わないでくれよ?」

 

 説明を終える。ただ今日の間だけ俺が妙な態度を取ってしまってもフォローをいれてくれるだけでいい。それくらいなら付き合ってくれるのだと思っていたのだが、どうやら俺は思い違いをしていた。弾が近くの壁に拳を叩きつける。

 

「一夏。それは犯罪だぞ? それを俺に見過ごせだと?」

 

 弾の豹変に俺と数馬は驚きを隠せなかった。気のいいテキトー男の面影はなく、今にも殴りかかってきそうな危うさが見え隠れしている。

 

「おまけに人の噂ばかり集めた情報が根拠になってるじゃねえか。人の話ってのには尾ひれが付くもんなんだよ。真実とは限らない。てめぇはバカか?」

 

 ナイフのような鋭さを以て弾が俺に詰め寄ってくる。言いたいことはわかるし、俺もそう思っていたから反論はない。だから肯定する。

 

「そうだよ。俺はバカだよ。でもやるって決めた!」

「今まではお前のバカさを気に入ってたが、今日ばかりはそうはいかねえな。てめえの勘違いで問題だけ起こして、勝手にいなくなられてたまるかよ!」

 

 このまま言葉だけ交わしても互いに納得はしない。だから俺も弾も拳を作った。こうなってしまっては、俺が先へ行くには止める弾を倒さないといけない。しかし、一触即発の状況で待ったをかける声が入る。

 

「2人ともストップ。ここで2人が喧嘩しても意味がないよ」

「数馬。お前は一夏が何をしようとしてるのかわかってるのか?」

「わからないね。だからこそ、まだ一夏には話してもらわないと」

 

 数馬によって弾の好戦的だった姿勢が緩和し、俺も構えをといた。だが数馬は俺とも弾とも違う立ち位置にいるようだ。

 

「俺が言えることは言ったぞ? これ以上何を言えばいいんだ?」

 

 さっぱりわからない。そもそも理解されようというつもりはなかったのだが、まさか数馬の考えてることを俺もわからないとは思っていなかった。数馬の問いがくる。それは余りにも単純なもので、俺が話し損ねていたこと。

 

「鈴の家の状況とか鈴が雨の日に家を飛び出してたとかは聞いた。でも、一夏はどうして鈴をなんとかしたいって思ったん?」

 

 鈴が問題を抱えている。だから俺がなんとかしなくてはならない。この流れは何も論理的じゃない。俺の話だけではお人好しが無駄に首を突っ込もうとしているようにしか映らないのだということにやっと思い至る。

 ここで俺は思い悩む。“彼女”が望む俺であるために俺は鈴を助けたいと思っている。そうだと思ったのだが、果たしてそうだろうか。鈴以外だったら俺はそう思えたのだろうか。試しに適当なクラスメイトを当てはめてみたのだが、そもそもその場合は雨の日に追いかけるような真似もしていない。

 結局、うまく言葉にできない。ただひとつだけ言えることで答えるしかできなかった。

 

「鈴に傍に居て欲しいからだ! 文句あっか!」

 

 言葉にできないイライラもあってか弾と数馬に怒鳴りつけた。すると、2人とも腹を抱えて笑い出した。弾もすっかり睨む目つきが引っ込み、いつものテキトー男に戻っている。

 

「お前がそこまで言うなら止めねえよ。むしろ盛大に後押ししてやる」

「弾? どういうことだ?」

「お前を止めようとしたのも、お前を後押ししようとしているのも、俺がお前の友達だからってことさ。わかんねえなら気にするな。説明してわかるもんじゃねえ」

 

 こうして、俺は共犯を得た。正直なところ、ひとりでは心細かったので頼もしかった。弾は俺に今日までの準備を全て教えろといい、数馬もできることは手伝うと言ってくれた。失敗するかもという不安を、できるはずだという希望が塗りつぶしていく。そうして、放課後を迎えた。

 

 

***

 

 

「鈴、今日はひとりか?」

「ええ、そうよ。ちょっと思うところがあってね……」

 

 放課後、教室にひとりで残っていた鈴に声をかける。ここ1ヶ月ほどは俺たちと遊ぶことなくクラスの女子とつるんでいた鈴だったが、今日はたまたまひとりで帰るらしい。元々無理にでも鈴と2人きりの状況を作るつもりだったのだが、幸運なことに自然な形で鈴を誘えそうだった。

 

「久しぶりに一緒に帰らないか?」

「何よそれ。気を遣ってるつもり? あたしはもうアンタと会った頃とは違うの。今日はひとりで帰りたい気分なのよ」

「俺が気を遣う? ハハハ、何をバカなことを。弾も数馬も気づいたら帰ってて、ひとりポツンと残された俺が仲間を見つけただけじゃないか!」

「勝手に仲間にすんな! というかアンタって他に友達いないの?」

 

 ちょっとだけ鈴の言葉が胸に刺さった。小学生の頃から避けられてきてるんだよな。理由はなんとなくわかってるし、仕方がないと受け入れてることでもある。そんな俺に友人がいるのは、きっと鈴のおかげなんだろう。

 出会いを思い返せば、俺が鈴をいじめから助けに入って、その場で鈴を挑発して、いじめっ子の前で鈴に俺を殴らせたっけ。まさか顔面に来るとは思ってなかったし、わざとやられるつもりだったけど本当にぶっ倒された。あの衝撃は“彼女”のとき以来だった。

 それからしばらく経つと、なぜか俺の周りに鈴がいるようになった。わざと殴らせたのに殴られ損だった。いや、俺の思惑が外れただけで、損ではない。きっと拳で鈴との友情が芽生えたのだ。そうに違いない。

 

 誰かと話すようになれば、自然と他の誰かとも話すようになる。そうして、中学で最初に会ったのが弾だった。奴とは特に何かあったわけじゃないのだが、気づけば一緒にいることが多くなった。数馬もいつの間にか友達になっていたんだ。

 

 元を辿れば鈴のおかげだと思う。他の人から見て少ないかもしれないけど、俺はいい友人を持ったと思っているからそれでいいんだよ。

 

「認めよう。俺は友達が少ない。だから鈴、一緒に帰ろうぜ!」

「あー、はいはい。あまりにも一夏が不憫だから付き合ってあげるわ」

 

 俺には下手なプライドより大事な物がある。ひとりになりたがってた鈴を連れ出すために必要ならば、いくらでも自分を卑下してやろうじゃないか。

 

 

 2人だけの帰り道。まだまだ日は短く、既に太陽は沈みかけて西の空が朱色に染まっている。隣にならんで歩く鈴は、歩道がガードレールから縁石に変わったところで、小学生のように縁石に飛び乗って歩いていた。

 

「車が来たら危ないぞ」

「ガキじゃないんだから、そのときはちゃんと降りるわよ」

 

 形だけの警告を鈴はなんでもないこととして受け流した。俺としても別に本当に危ないだなんて思って言ったわけじゃない。ただ、話すことを思いつかないだけだ。言いたいことはあるけれど、今は話すときではない。だからいつも話しているようにはいかなかった。

 一緒に歩くだけの帰り道が続く。口数が少ないため、少し気まずかった。このまま真っ直ぐ帰れば暗くなる前に鈴は帰宅するだろう。できれば自然な流れに持って行きたかったが、今日の俺ではそんなことは無理だった。だから唐突に提案するしかなくなる。

 

「鈴。どっか寄り道していかないか?」

「はぁ? それならそうと早く言いなさいよ」

 

 鈴の言うことは尤もである。もう帰り道は半分以上を過ぎていて、寄り道するためには道を引き返さなくてはならないからだ。これは流石に断られるかと思っていたが、意外なことに鈴は乗り気だった。

 

「で、どこ行くの?」

「鈴を連れて行きたい場所があるんだ。少し遠いけど、大丈夫か?」

「どれくらいかかるの?」

「行って帰ってくると8時くらいになるかな」

「それくらいならいいわよ。多分」

 

 帰りが遅くなることを鈴は了承してくれる。語尾に付いた“多分”の一言が推論だった俺の結論を確信へと近づけていた。鈴から隠していた“弾の携帯”を操作してコールする。合図は送った。しばらくは弾に任せることになる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 五反田弾と御手洗数馬は電柱の陰から中華料理屋の様子を窺っていた。鈴の父親が営む店だ。時刻は午後6時を回り、これから客を入れたい時間だろう。しかし、明かりは点いているが入り口には『本日休業』とかかっている。

 

「一夏の情報通りだな。アイツ、どれだけの人に聞いて回ればこんなことがわかるんだ!?」

「でも、そこから先の鈴の親さん2人がそこで話し合うっていうのは推測でしかないんじゃないの?」

 

 だが入り口を監視していると閉まっているはずの店に平然と入っていく女性がいた。仲にいる店の主人に追い返されないところから、一夏の推測どおりに物事が進んでいるように感じられた。

 

「今のって鈴の母さん?」

「そう考えたくなっちまうな。一夏に植え付けられた先入観じゃなきゃいいが」

 

 そこへ弾のポケットに入れていた携帯が震える。一夏からの連絡だった。鈴を家から離す作戦を開始した合図である。一夏に指定された時間が迫り、弾は“一夏の携帯”を操作し始める。口にはボイスチェンジャーが取り付けられていた。番号を入力し終えた弾は数馬を置いて鈴の家から離れる。場所を見計らって通話ボタンを押した。3回ほどのコール音。そして、

 

『はい。凰ですが――』

「あー、もしもし。ワタクシ、名乗るほどの者ではないのですが、お宅の鈴音ちゃんに関することでお話があります」

 

 受話器の向こう側では鈴の父親が応対している。機械的な声に変えて名乗らない不気味な電話に戸惑っていることが話している弾にも伝わってきていた。だが鈴の名前を出したことでイタズラ電話と切られる前にこちらの意図を知ろうと思うはずである。弾は単刀直入に要件を伝えた。

 

「鈴音ちゃんの身柄はワタクシどもが預かりました。返して欲しければ、ワタクシどもの要求に応えていただきたい。あ、警察に連絡したら……って言わなくてもわかりますよね?」

『おい! 貴様どういう――』

「5分後にかけ直します。その間に気分でも落ち着けてください。それでは」

 

 通話を切った弾はその場に座り込んだ。ぐったりしている弾の肩を数馬がポンと叩く。

 

「お疲れ。これぞ弾という感じだった」

「止せ。慣れないことの上に色々と心苦しいことしてんだから、冗談でもそういうこと言うな」

 

 5分後に弾は鈴の父親に要求をすることになる。その内容は『答えを示せ』の一言だけ。なんて愉快犯だ。答えなんて弾にすらない。一夏の作戦を手伝っているものの、ここから先の展開は一夏の頭の中にしかなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 時計を確認する。予定通りならば弾が1回目の電話を終えている頃だろう。2回目までの5分の間は、鈴の両親はまともに動けないはずだ。

 

「ねえ、一夏。ここなの? アンタが連れてきたかった場所って」

 

 俺が鈴を連れてきた場所は、何の変哲もない少し小高い丘だった。まだ開発の手が伸びていない郊外にあり、街灯も疎らで夜の光源は月明かりが主だった。

 

「駅周辺とかは割と行ってたけど、逆の方面には来たこと無いだろ? たまには静かなのもどうかなと思ってな」

「静か……か。さっき携帯の電源を切らせたのもそういうことなのね」

 

 身につけている光源すらも切って、俺は暗くなっていく空を見上げていた。そうしていると鈴も同じように上を見上げている。

 

「この街にも少しは星が見える場所があったのねぇ」

「だろ? いつもの行動範囲だと他の明かりが邪魔をして見られやしない。明かりだけの問題じゃなくて、冬だからこそスッキリした空が見えてるんだぜ?」

 

 望遠鏡も何も用意していない天体観測。いや、ただの星空の観察だな。この場所は篠ノ之神社の次に気に入っている場所だった。俺もこんな空があることを知らなかったのだが、教えてくれた人がいるからこうして鈴を連れてくることができている。

 

「ねぇ、一夏。あたしは星の名前って知らないんだけど、教えてくれないの?」

「生憎だが俺もよく知らない。この辺りでもハッキリ見えるのは大体1等星で見えても3等星までだ。オリオン座は知ってるか?」

「名前だけ」

「あそこに3つ並んだ星があるだろ? で、そこを中心に砂時計みたいに配置されているのがオリオン座だ。1等星と2等星ばかりだからこの変でもまともに見える星座だな」

 

 指をさしながら鈴ににわか知識を披露する。そんな中身の薄い語りでも鈴は目を輝かせていた。今まで夜空を見上げたことがなかったということなのか……。

 次々と「あれは? あれは?」と聞いてくる鈴ににわか知識の極みのような答えを返していく。とりあえず合ってる自信があるのが北斗七星とカシオペヤ、星ではシリウスくらいしかなかった。

 一通り聞いて満足したのか、鈴は満面の笑みだった。テキトーな内容ばかり話していたのだが、鈴が満足したのならそれは良かったことだと思う。

 

 時間を確認する。弾の方は既に要求を伝えたことだろう。そして、鈴の両親は警察に連絡を入れていないことは間違いない。何故ならば、警察の人間が“たまたま”あの店を訪れているはずだからだ。そう、千冬姉に鈴を紹介すると言ってあの店を指定してあったりする。

 千冬姉には俺も誘拐されている可能性が伝わるように仕組んである。もっとも、千冬姉を騙せるわけがないから、割とすぐにバレてるような気もしていた。それならそれでいい。千冬姉なら俺のやろうとしていることに気づいてくれるはずだと信じている。始まる前なら止められるだろうが、中途半端なところで止めたりはしないはずだ。

 

「一夏――」

「どうした、鈴? まだ何か話してほしいのか?」

 

 計画の進行を頭の中で考えていると、先ほどまで楽しげだった鈴が沈んだ声で話しかけてきた。

 

「あたしはさ。色々と見えてなかった。身近にこんな星空が見えてたことも、あたしがここに居たいって気持ちも」

「鈴……」

「どうせアンタのことだから、わかってて今日あたしを連れ出したんでしょ? だってタイミングが良すぎるじゃない。今日は家族全員でこれからのことを決定する日だった。あたしが中国に帰ることを決定する日だったの」

 

 集めた情報の中で、定休でない水曜日の夜に店が閉まるというものがあった。もうすぐ閉店するタイミングでやってきた臨時休業の日を、関係ないと思う方が難しかった俺は何かがあると予測した。鈴が放課後にひとりになっていたのも必然だったわけだ。

 

「ここからいなくなることは何でもないことだって言い聞かせようとしてきた。でも、あたしはやっぱりここに居たい! せっかくできた友達と離れたくない! アンタが広げてくれた世界をまだまだ見ていきたいの!」

 

 鈴がここに居たいと思ってくれている。それだけで今日の俺の行動には意味があった。俺の余計なお世話だけじゃなくて、鈴の願いに沿っていると信じている。

 

「俺も鈴に居てほしいと思うよ」

「でもあたしは中国に帰るしかない。お父さんとお母さんはもう上手く行かないって言ってる。お母さんはあたしを中国に連れて行かないとダメだの一点張りでお父さんとずっと喧嘩してるの。あたしももう見てられないの……」

 

 鈴の両親の現在の状況は遠回しには聞いていた。最早何が原因かもわからない罵倒のぶつかり合いにしかなっていないらしい。だけど、今の鈴の一言で俺の中の推論が確実なものに切り替わった。

 

「お父さんとお母さんが喧嘩してるのか。それで、鈴は何か言ったの?」

「え? あたし?」

「俺の知ってる鈴なら、両親の喧嘩に割って入って2人に『バカやってないで仲良くしろ』とでも言うと思うんだが」

「あたしを何だと思ってるわけ?」

「鈴だと思ってる。だからこそ鈴がそんな家庭環境に置かれてるのがわからない。まさかとは思うけど、家では猫かぶってたりするのか?」

「誰がそんなことするか!」

 

 しおらしかった鈴が急変して俺に掴みかかってくる。俺は襟首を捕まれながらも抵抗せずに受け入れて、ただ言葉をつなげていった。

 

「聞き方を変える。お父さんでもお母さんでもどっちでもいい。鈴はちゃんと学校でのことを話しているのか? 今、俺の知ってる鈴が学校でどんな生活をしてるのか、ちゃんと伝わってるのか?」

 

 鈴の手が俺の襟から離れて力なく下がっていく。

 

「両親の不仲が始まったのは、鈴にあったいじめ――」

「言わないで!」

 

 俺の言葉は大声で遮られる。言わなくても鈴自身にはわかっていたことだ。だが放っておくことはしない。耳をふさぐ鈴の手を俺は強引に引き剥がす。

 

「やめてよっ! 離して!」

「いいや、やめない! これは鈴が目をつむってはいけない問題なんだ!」

「勝手に決めないで! 人の家のことに口を出さないでよ!」

「決めたのは鈴だ! さっき自分でも言っただろ! 『ここに居たい』と! まだその気持ちを鈴は伝えてないじゃないか! 家のことが関わってるのは間違いないけど、俺が口出ししてるのは鈴のことだけだ!」

 

 声の大きさで相手を抑えようとして俺たちは叫び合う。次第に叫ぶ声も俺だけになっていった。

 

「鈴を理由にした離婚に対して鈴が黙ってたらダメだ! 鈴は昔と違って楽しく生活してる! 俺なんかよりもずっと充実してる! そのことを鈴が言わないでどうして鈴のためになる!」

 

 これもただの推論だったもの。希望的観測の類だったものだが、鈴と話しているうちにこれ以外には考えられないようになっていた。

 俺が叫び始めてから鈴は次第に俯いていった。でもそれは決して悪いことじゃないと思いたい。ポジティブなフリして足を止めていた今までよりもずっといいに決まってる。

 

「まだ間に合うのかな……?」

「当然だ。素直な気持ちをぶつけるんだ。その結果がどうなっても俺は支持する」

 

 弾に持たせた俺の携帯に2回目のコールをする。『今から鈴の声を聞かせてやる』とだけ親さんたちに伝えてもらって、鈴の携帯から直接かけさせるという流れだ。

 

「鈴、今すぐに電話をするんだ」

「う、うん! でも何て言えばいいの?」

「俺にはわからないよ。思うように言ってごらん」

 

 鈴が携帯を操作して耳に当てる。そして――

 

「あ、お父さん? あのね……」

 

 

***

 

 

「うちのバカな弟が大変なご迷惑をおかけしました。ほら、一夏! 頭を下げろ! 角度は90度を意識しろ!」

「すみませんでしたあああ!」

 

 俺は鈴の家の前にまで来ている。現在は店の前で千冬姉に頭を掴まれて強引に頭を下げさせられていた。後頭部に食い込むような指がものすごく痛い。

 

「い、いや、織斑さん。私どもは一夏くんを責めたりはしていないので、勘弁してやってください」

「いいえ、これは既に織斑家の問題です。結果はどうであれ、混乱を招くことをしでかしたことは事実ですので、織斑家なりに罰する必要があるのです」

「は、はあ……」

 

 わかってたさ。組織としての警察を巻き込まないために千冬姉個人を利用した時点でこうなることくらい。むしろ結果としては上々だとも言えた。ちなみに弾と数馬にはさっさと逃げるように伝えてあり、一応は単独犯ということにしている。携帯は既に受け渡し済みだ。

 千冬姉と鈴の親さん方が話している傍らで鈴が俺のところへとやってくる。ちゃんと鈴の意志は伝わり、鈴のお母さんも今の鈴を見て安心を覚えたよう。ついでに今までのことも振り返って考え直すことにしたらしい。離婚かどうかの決定は延長ということで、ひとまずは落ち着いたようだ。鈴の顔には学校でも見せないような無邪気な笑顔がこぼれている。

 

「ありがとう、一夏」

「俺は何もしてない。いや、違った。怒られるようなことしかしてないから礼なんて言うなよ」

「でもあたしが嬉しかったんだからそれでいいじゃない。ひねくれたこと言ってないで素直に感謝くらい受け取りなさい」

「ひねくれるなとか素直になれとか、鈴に言われても『お前が言うな』としか思えないんだが」

「はぁ……こういうときは『どういたしまして』とだけ言っておけばいいのよ。本当に変なところで察しが悪いんだから」

「悪かったな。色々とバカでよ」

 

 俺は自分のことをバカの一言で済ませる。大事なときに動けないような賢さは当の昔に捨てている。空気が読めない時があるのはその代償なのだと開き直ってやるさ。

 

 保護者同士の話が終わったようで鈴も親の元へと帰っていく。最後に俺に方へ振り返った鈴は手でメガホンを作って叫んだ。

 

「ありがとーっ!」

 

 俺も何か返そうと思ったが、手を振るだけにしておいた。しかししっくりと来なかったので小声で「どういたしまして」と呟いた。

 

 

 鈴が中国に帰らない。これからも俺たちと一緒に学校に通う。これがとても嬉しかった。“彼女”のときのように全く気づかないこともなかった。そうした自分の成長が一番嬉しかったのかもしれない。

 

『バイバイ……』

 

 ふと耳に聞こえてきた別れの言葉。鈴の声だが、このときの鈴は『バイバイ』などと言ってはいない。

 

 

 ――このときの鈴? じゃあ、今の鈴は?

 

 

『ありがとう、一夏。あたしはアンタに会えて本当に良かった』

 

 耳に残っていた。聞きたくない感謝の言葉。目に焼き写っていたのは牙の並んだ口に消えていく鈴だった光……

 

 俺は叫んだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「うわああああああ!」

 

 自分の叫びで意識が覚醒した。自分のベッドではなくリビングの床で眠っていたようだ。俺にかけられていた毛布をどかす。冬も近いというのに汗で濡れてしまっていた。ひどく気分が悪い。これは季節はずれの汗が原因ではなかった。

 

「そうだ、鈴は!?」

 

 昨日の記憶を必死にかき集める。昨日は鈴とISVSに入ってナナの手伝いをしていた。そのとき、鈴はリビングのソファを使っている。福音の口に消えていった光の映像が頭から離れない俺はすぐにソファを確認した。

 

「良かった……夢だったんだ」

 

 へなへなと力が抜けて床に座り込む。ソファには誰もいなかった。ついでと言ってはなんだが、台所から物音がしている。千冬姉はまだ出張から帰ってないだろうから、いつかの朝のように鈴が朝食でも作ってくれているのかもしれない。俺はすぐさま立ち上がり、台所に通じる扉を開けた。

 

「鈴、次からは勝手にやらないで、まずは俺を起こしてだな――」

「一夏さんっ!?」

 

 気怠く扉を開けた俺を待っていたのは、私服であろうフリフリな服のままエプロンも着けずに右往左往している金髪お嬢様だった。

 

「どうしてセシリアがここにいるんだ?」

「だ、大丈夫なのですか……?」

 

 質問に質問で返された。台所で何かをしようとしていたセシリアだったが、俺の姿を見てからは手を完全に止めて俺の方に向き直っている。彼女は俺の質問をはぐらかそうとしているようには見られず、俺の様子を見て何かに驚いている。なぜそのような見開いた目で見られねばならないのか。

 

「大丈夫って何のこと? ああ、蒼天騎士団に負けたことなら大丈夫だって。確かにセラフィムが遠のいたのは痛いけど、セシリアの言うとおりまだまだ終わってないから」

「そんなことはどうでも良いのです。……その後のことは覚えていますか?」

「後? そんな心配されるようなことは……そういえばセシリアには言ってなかったけど、鈴にも協力してもらうことになったんだ。勝手に決めちゃって悪いな」

 

 するとセシリアは額に手を当ててふらふらと後ろに下がっていく。壁にもたれ掛かり、何かに縋るような目で俺を見てきた。

 

「鈴さんと協力……ですか。その後のことは覚えていますか?」

「ナナたちの手伝いをして……そうそう、福音っぽいのに会ったよ。一度は倒せそうだったんだけど、急に変身して強くなってさ。正直ヤバイと思ったんだけど、とりあえず無事みたいだ。アイツは関係ないのかな」

 

 本当にもうダメだと思った。明らかに普通ではなかったから、現実に帰ってきて眠ったままの鈴を見て……俺は鈴まで失ってしまったのかと責めた。でも、今見てみればソファには誰もいない。鈴が被害者となったのなら()()()()()()()()()()()鈴は今もソファで寝ていないとおかしい。

 

 セシリアの顔がひきつる。

 口が震えながらゆっくりと開いて、何かを必死に俺に伝えようとしてくれている。

 セシリアの様子は明らかに普通ではない。

 心当たりは……あった。

 

「無事ではありません」

 

 やっとのことで紡がれた言葉は、俺の希望的観測の否定だった。

 そう、自分でもどこかおかしいと感じ始めていた。

 その答えは考えればすぐにわかるものなのに、自分から答えを出そうとしなかった。

 

「鈴さんは……一夏さんが気を失っている間に、わたくしが内密に病院へと運ばせていただきました。意識はありません。ただの睡眠でないことは明らかで、症状はチェルシーと全く同じでした」

「え? それって……?」

 

 鈴も箒と同じ状態になってしまった。

 また、俺のせいで。

 今度は俺の目の前で。

 今になって、福音の不気味な双眸を思い出した。

 

「鈴が……巻き込まれた……? いや、俺が巻き込んだ……」

 

 危険とわかっていた。それなのに、俺は鈴が関わることを止めなかった。福音を前にして、万全でもないにもかかわらず戦うことを選んで敗北した。結果的に鈴だけを犠牲にして俺はここにいる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 状況を把握した俺をセシリアが心配してくれている。でも、俺が言えることなんてひとつだ。

 

「……鈴まで奪われた。それでもヘラヘラしてたら正気じゃないだろ」

 

 つまりはさっきの自分だ。現実を見ていなかったとはいえ、セシリアが見ていたのは狂った俺だったことだろう。

 

 しばらくの間、沈黙が場を支配する。秋にしては肌寒い朝の空気と共に無音が俺を責めてくる。俺の頭の中では、鈴がやられるところと、何もできなかった俺のことがフラッシュバックされ続けていた。

 

「一夏さん。ひとつ聞かせてくださいませ」

 

 沈黙を破ったのはセシリアの重い口調の問いかけだった。俺は何も言えずにただ頷くしかできない。

 

「どうして福音と戦ったのですか? どうしてわたくしを待ってくださらなかったのですか?」

 

 その通りだよ。セシリアが聞かなくても俺が一番自分に聞きたい。どうして俺は本当にやばくなる前に逃げなかったんだ? どうして俺と鈴だけで勝てるなんて結論を、良く知りもしない敵が相手で下せたんだ? 全部、俺の理由のない自信と、効率を考えた焦りが招いたことじゃないか。

 

「何か言ってください」

 

 俺に何を言えって言うんだ? 失敗した弁明か? 次からは気をつけるなんて言ったところで鈴が取り戻せるのか? 口にでることなんて悲観しかない。

 

「無理だ……」

 

 これを言えば全てが終わる。そうわかっていても俺は自分を抑えられなかった。

 

「アレはISなんかじゃない! ただの化け物だ! 俺たちがいくら足掻いても、一息で蹂躙される! ……最初から無謀だったんだよ」

 

 相対してわかった。今回のような不意打ちをされなくとも、俺では到底適わない相手だ。雪片弐型は受け止められ、イグニッションブーストすらも俺を遙かに上回っている。今までに俺はランカーの戦いも見てきたが、福音は別次元の強さを持っていて、勝てるイメージが全く湧かない。

 

「それは本心ですか?」

「今更嘘をつく必要がどこにある!?」

「では鈴さんはどうなります? シズネさんは? ナナさんは? あなたの助けたい人は?」

「助けたいさ! ……でも、いくら戦っても、助けたい人が増えていくだけじゃないか。もう、無理なんだよ……」

 

 福音には俺ではどう頑張っても勝てない。だからといって誰かに助けを求めれば鈴のように被害者の仲間入りとなる。もう雁字搦めだ。八方塞がりだ。俺はもうどこにも踏み出せそうにない。折れるということを思い出してしまったんだ。

 

「わかりましたわ。もうわたくしから言えることはありません」

 

 セシリアが尖った口調に変わった。それも無理もない。こんな俺では協力関係にある理由など皆無だ。もとより、彼女ならばひとりでも福音を追っていける。彼女は俺と違って強いから。

 

「わたくしの目は曇っていたようですわね。あなたのようなヘタレで無能な方は何もかも忘れて生きていきなさい。もう二度と会うこともないでしょう」

 

 セシリアが苛立っているのはわかる。でもそれ以上に俺自身が俺に対して苛立っていた。ここでセシリアに待ってくれと呼び止める手を出せない自分が腹立たしい。それでも、何もしないことを選ぶ自分の尻を叩くことはできなかった。

 俺の家を立ち去る前にセシリアは最後に1回だけ振り返った。その瞬間の目元の変化を何故か敏感に感じ取れた。最後に残された希望を俺自身が失望に切り替えた瞬間だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 照明の行き届いた会議室でスーツを着た男女数名が顔をつき合わせていた。老人といえるような歳の厳かな雰囲気を持つ男性も居れば、胸元の開けた見目麗しい女性までいる。年齢も性別もまちまちな全員の視線は、ただひとり起立している20代前半と思われる男性に注がれていた。最も高齢である白髭の老人が口を開く。

 

「ではヴェーグマン博士。ILL(イル)計画の進捗を聞かせてもらおうか」

「ああ、そうさせてもらう」

 

 ヴェーグマン博士と呼ばれた若い男性は自らの頭上に映像を表示した。ISが現れる前の技術レベルでは暗い部屋でプロジェクターを使用したものだが、技術の進化はここ10年以内で加速し、空中に映像を映し出す技術が一般に普及するレベルに達していた。

 

「亡きプランナーが提唱したILL計画は人類の更なる発展を願い、活動の場を地球から宇宙へと移していくものだということは皆さんもご存じかと思う。ただし現状のままでは宇宙に進出する過程で再び人類は大きく争うであろうことをプランナーは予見した」

 

 ヴェーグマンの頭上のディスプレイに2項目の文字列が表示される。

 

「プランナーはいずれ宇宙に進出することを余儀なくされる人類に必要なものとして2つの事柄を定義した。人類自身の質の向上と支配体制の確立。前者は言わずもがな、宇宙という地球とは異なる環境にも対応できるだけの肉体的強度を生物として確保することが必要になってくるということ。後者は宇宙への進出後に人々の生活基盤が宇宙で安定するまでの期間、戦争を起こさせないための措置となる」

 

 未だ前置きと言える話をヴェーグマンは続ける。突拍子もない話が続くがこの場に集まっている人間は誰も怪訝な顔をしなかった。ディスプレイの内容が切り替わり、緑色の液体の中で体を丸めている裸の少女の写真と数値データが表示される。

 

「まずは新人類創生の方から話そうか。30年前からILL計画の一部として行われてきた遺伝子操作実験は15年前に数名の日本人によって世間に公表されることで壊滅的な打撃を受けた。ILL計画や我々のことにまで及ばなかったのは不幸中の幸いだったが、非人道的とされる実験を進めることが困難になったのは痛手だ。実験は6年前に“ISVS”というゲームが世に出るまで凍結せざるを得なかった」

「君の長い前置きはもういい。早く結果を話したまえ」

 

 この場の誰もが知っている話しかしないヴェーグマンに対して、痺れを切らすものが出始めた。ヴェーグマンはやれやれと肩をすくめて、話を飛ばすことにする。

 

「仮想世界で実験を開始して6年が経つ。2年前より仮想世界上での人類を生み出すことに成功し、現在に至るまで遺伝子操作を繰り返してきた。優秀な個体となる遺伝子配列を複数発見し、現在はそれら“遺伝子強化素体”を使って常人との戦闘データを集めている段階だ」

「遺伝子強化素体の“支配”のための兵隊としての価値はどうだ? 君の所見を述べてくれ」

「個体差が生まれているため、兵隊としてはまだ不安定といったところか。しかしながら、3体ほどヴァルキリーを凌駕するほどの性能を有しており、平均的に見てもISを手にしただけの常人では太刀打ちできないことは確実だろう」

 

 映像が切り替えられる。それはISVSでの戦闘の動画。弾丸やミサイル、光線が飛び交う戦場で一方的にISを打ち倒していく銀色の機体が映っていた。

 

「続いて“支配”のための力となるIll(イル)について話そう。IllとはISでもリミテッドでもないパワードスーツとでも思っておけばいい。篠ノ之束が開発したISコアを必要とせず、代わりに人の寿命を喰らう」

「それだけ聞くとISと比べて欠陥が目立つ代物に感じますね」

 

 Illのことを知らない男が口を挟むが、ヴェーグマンは表情を崩さずに淡々と答える。

 

「このコストは操縦者が払う必要はない。殺した者から奪えば良い。その様は人を捕食する怪物であり、抵抗する者の戦意を削ぐことにも繋がると考えている」

「なるほど。他に利点は量産の目処が立てられるということか?」

「そうだ。単機でもISを上回り、数でも圧倒する。そうして限られた数のISが支配するこの壊れた世界はようやく元の姿を思い出すことだろう」

 

 ヴェーグマンは全員の顔を見回して「話を続けても?」と問いかける。誰からも質問はこなかった。

 

「今映している映像は遺伝子強化素体“アドルフィーネ”が操縦するIll“Illuminant(イルミナント)”だ。Illの基本構造はISとは異なるが、装備など外装に関してはISの物を流用できるようになっている。イルミナントはISVSのトップランカーにもなっているFBI捜査官が使用する機体を模している」

「アメリカの2位の操縦者だな。なぜそのような装備に? あと、映像を見る限り、本物に遠く及ばないようだが」

 

 想定通りの質問にヴェーグマンは即答する。

 

「実験のため、と言いたいところだが、結局のところはただの嫌がらせだ。先ほど説明したようにIllは人の寿命、言い換えれば魂を喰らう。その結果、対象となったものは死に至るのだが、ISVS上でプレイヤーに対して行うと対象は死亡せず、魂だけ捕縛した状態となる。表向きは原因不明の昏睡状態となるわけだ。このことから実験を重ねる内に実験のことを嗅ぎつける輩が現れる可能性がある」

「つまりは囮にしたわけか。追っている者が大国の陰謀を疑うように仕向け、FBI捜査官本人の足止めも兼ねた、と」

「何度も言うが、ただの嫌がらせだ。効果はそれほどないだろう。ただ、少しでも時間が稼げれば、その間にIllの力はより強大となっていく」

「それで戦闘能力の方は?」

 

 2つの質問のもう片方の回答が急かされる。本物に遠く及ばないという指摘はヴェーグマンも理解していることだった。なぜならば、今見せている映像はイルミナントの本当の姿ではない。

 

「今見せている映像では私の目から見ても弱い。だが、イルミナントにとってISの装備は拘束具なのだ。その真の力はこんなものではない。もっとも、全力稼働の後は再びプレイヤーの魂を喰らう必要が出てくるため、現在は使用を控えさせている。現実での目処が立たないうちはリスクを抑えておきたいのは皆さんも同意できることだろう。映像の方は近い内にお見せできるかと思う」

 

 今はまだ見せない。Illの戦闘能力についてはヴェーグマンの口頭だけで報告が終了する。

 

 会議が終了。集まっていた者たちは次々と退席し、最後にヴェーグマンとスーツを扇情的に着こなしている女性だけが残される。女性が残っていた理由は個人的に聞きたいことがあったからだった。

 

「ぶっちゃけた話、現実で適用できるのはいつのことなのかしら?」

「15年前までの実験の成果として遺伝子強化素体にはもう世に出ている個体もある。設備はすぐに用意でき、既に人間生活に溶け込んでいるであろう個体よりも優秀な個体は1年もあれば量産に移れる。Illに関しては魂の調達が仮想世界と比べて容易となる。ただし、行動に移れば目立つことは間違いないため、量産から魂の収集、全世界の制圧を一息で行う必要がある。これで満足か? ミス・ミューゼル」

「ええ。正直者で嬉しい限りだわ」

 

 実直なヴェーグマンの回答に満足したスコール・ミューゼルはヒールを鳴らしながら会議室を後にした。ヴェーグマンは一人残される。既に彼の思考は計画をどう進めるかに絞られており、ぶつぶつと独り言を漏らしていた。すると、唐突にヴェーグマンのポケットから声が発された。

 

『博士ーっ! ちょっと聞いてよ!』

「どうした、アドルフィーネ?」

 

 携帯端末を取り出すと、ディスプレイには長い銀髪の美女が映し出されていた。服装はビキニの水着と変わらない布面積であったが、ヴェーグマンは少しも動揺しない。アドルフィーネと呼ばれた端末の中の女性はセクシーな外見とは裏腹に言葉遣いはどこか幼かった。

 

『なんかね、テキトーに遊ぼうとしてたら、ムカつく奴がいてさー。人間の分際でフィーの翼を切り取っちゃったんだよ!』

「それは驚いた。まさかとは思うがランカーと戦ったのか?」

『違うよー。フィーはそこまでバカじゃないもん。でもイラっとして、つい本気を出しちゃった。博士にダメって言われてたのに、お腹減ったから食べちゃった』

 

 画面の中で落ち込む銀髪の女性、アドルフィーネにヴェーグマンは優しく語りかける。

 

「元気を出すんだ、アドルフィーネ。ダメだなどと叱るはずもない。お前が無事であることの方が大切だ」

『博士……うん! ありがとう、博士! フィーね、これからも頑張るから!』

「そうか。ならば、アドルフィーネに頼みたいことがある」

 

 パーっと顔を明るくする画面上の女性はまるで少女だった。そんな彼女にヴェーグマンは次なる指示を下す。



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13 交差する追憶 【後編】

 一人残されてからどれだけの時間が経過していたのか意識していなかった。何もする気が起きずに呆然と床を見つめていただけ。それでも一人前に空腹だけは感じるようで、壁に掛かっている時計を見れば12時前だった。

 ……そういえば今日は水曜日で平日だ。初めて学校をサボった。

 無気力ながらも体を動かし始める。何をすればいいのか見当も付かない。学校には……行きたくなかった。どう考えても鈴がいない現実を突きつけられるだけだ。それに、鈴のことが好きな連中に合わせる顔がなかった。合わせる顔と言えば、鈴の家に話は伝わっているのだろうか。

 ……セシリアが手を回してくれただろうな。俺が気にすることでもない。

 

「なんだこれ? 飯でも作ってくれてたのか?」

 

 セシリアも鈴と同じことをしてくれていたのだろうか。フライパンに卵焼きのようなものができたまま放置されている。腹が減っていた俺は箸だけ出してきて一口だけいただく。

 

「なんだよ、これ……すげぇ、不味い……」

 

 見た目こそ綺麗な卵焼きだが暴力的な味の嵐が舌を襲ってきた。甘いとか辛いとか苦いとか、一言で説明できる領域からはみ出た未知の味だ。長い間自炊をしてきた俺だったが、初期の頃でもこんな味で作ったことはない。やろうと思ってもできない。

 

「不味いよ、セシリア……でも胸に沁みる」

 

 涙が出てきた。食えたものじゃない料理なのに俺の箸は次々と進む。きっとセシリアは料理なんてする環境にいなかったんだろう。それなのに俺のために作ってくれたのだと思うと嬉しさと申し訳なさがこみ上げてくる。

 

 時刻は12時を回る。するとテーブルの上に置いた携帯が鳴り出した。取らなきゃと思いトボトボと歩いていると、手を伸ばす頃には鳴り止んでしまった。

 間に合わなかったが手にとって画面を見る。今の電話は弾からだった。それに、メールの受信件数が10件以上も溜まっている。誰とも電話をする気にはなれなかったが、メールだけでも見てみようと思った。

 

「鈴は風邪で休みって扱いなのか。いつまでもそれで通じるわけないだろうに」

 

 ほとんどがクラスの連中からだった。普段はあまり関わらない奴まで送ってきている。俺は学校をサボって鈴の看病をしているという設定になっているようだ。看病の辺りはいつもの勘違いだろうけど。

 

「本当にそうだったら、良かったのにな」

 

 メールの中の皆は普段と何も変わらない。でも鈴の真実を知れば途端に俺に牙をむくだろう。きっと弾の奴も2年前のように拳を握って俺の前に立つ。今の俺はそんな弾の拳を素直に受け入れることしかできない。

 読み進めていくと一つだけ知らないアドレスがあった。件名は【このメールの半分だけでも読んでください】とあった。これはシズネさんからだ。セシリアが気を利かせて別のアドレスを用意してくれたんだろう。

 

 

【本文】

 まずは本題を。前回の救出作戦ですが、やはり敵の罠でした。救出した仲間には発信器が取り付けられていて、発見が遅れたためにツムギの本拠地が敵にバレました。近いうちにプレイヤーがツムギを襲うミッションが発生すると思われます。ツムギ結成以来の一大事です。

 リンさんのことはラピスさんから聞きました。全て私たちがヤイバくんを巻き込んだことが原因です、などと言ったところでヤイバくんのことですから自分を責めていることでしょう。

 今こんなことを言うのは間違っているのかもしれませんが私たちにはヤイバくんの力が必要です。この危機は私たちだけでは乗り越えられません。私たちに希望を、そして私に勇気をください。

 

 

 メールはそこで終わっていた。一度はシズネさんの言葉で奮い立った俺だが、今回ばかりは無理だった。俺の力があったところで福音が再び現れれば関係ない。俺なんかに希望を持った時点で望みは叶わないんだ。シズネさんが得られるのは勇気でなく無謀なんだよ。

 メールも全て見終えた俺は外出用の私服に着替えた。学校へは行かない。向かう先はいつも通っていた病院のつもりだ。どの面下げて箒に顔を合わせるのかとも思ったが、どうせ箒は俺のことを見ていないなどという考えに行き着いた。柳韻先生の言うように箒を見舞う人間が少ないから、俺だけでも続けなくてはいけない。そんな義務感だけで動いていた。

 

 雲がそれなりに広がっている微妙な空だった。晴れとも曇りともどっちつかずな天気だが、雨の心配は無さそうだ。傘を持たずに財布と携帯だけ持って家を出た。平日昼間の街並みにはあまり縁がなかったことに気づかされながらフラフラと歩く。何かを考えようとすると頭が痛くなったから、俺は何も考えずに駅方面へと向かっていた。

 平日には帰り道にしか来ない駅前にまでやってくる。あとは駅から3駅移動すれば箒のいる病院にまで行ける。そういえば鈴はどこに入院してるのだろうか。セシリアが手配したらしいから普通の病院ではないのかもしれない。

 

「一夏!」

 

 駅まではあと徒歩で3分といったところだ。しかしいつもよりもペースが遅いから5分はかかるだろう。

 

「おいってば! 聞いてんのか、一夏!」

 

 俺の歩みが無理矢理何者かに止められた。気づけば右肩ががっちりと掴まれている。呼び止められていたのだと気づいて後ろを振り返れば、そこには制服姿の弾がいた。

 

「……なんでここに弾がいるんだ?」

「それはこっちの台詞だ! 学校には来ないわ、携帯に出やしねえわ、なんか事件とか事故にでも巻き込まれたのかと心配したぞ!」

 

 鬼気迫る弾の顔を見て、俺は笑いがこみ上げてきた。俺なんかより本当に心配しなきゃいけないのは鈴とかナナたちみたいな人だろうに。

 

「何を笑ってる? お前、どこかおかしいぞ?」

「弾が言うなら俺はおかしいんだろうな」

「鈴のことは聞いてるか?」

「風邪引いたって? 幸村たちからメールが来た。ちなみに看病には行ってないぞ」

「じゃ、聞き方を変える。一夏は鈴の状態を知っているな?」

 

 俺はここでハッとする。よく考えれば優等生の弾が平日の真っ昼間に駅前に現れるはずがない。あるとすれば昨日の彼女の件などのように重大な何かがあるときだけ。つまりは、今もそうすべきだと弾が判断したことになる。

 おそらくは鈴の風邪が嘘だと気づいてる。だったら今更隠す必要もない。巻き込むかもしれない危険に俺はもう飛び込めないのだから弾が危険な目に遭うこともないだろう。

 

「知ってる。鈴が昨日の夕方から目を覚まさないのも、そうなった場所が俺の家だってこともな」

「な、に……?」

「ついでだ。俺のバカさ加減がわかる話をしてやるよ」

 

 そうして、俺は弾にも全てを話す。きっと俺は弾に罰してほしかったんだと思う。俺の一番の親友に、俺を否定してほしかったんだ。

 事実を淡々と告げただけのつもりだったが、ところどころ俺が悪くなるように脚色したかもしれない。話し終えた今、当然のことながら弾の目は厳しいものだった。それを見て俺は罰を期待した。

 

「最初から……俺たちと遊んでたわけじゃなかったのか」

「そうだ。俺は銀の福音にまつわる噂にしか興味がなかった。弾の教えを受けたのも強くなる必要があったからだ。最初から弾たちは俺が福音に近づくための道具でしかなかったんだよ」

 

 弾が拳を作った。それでいい。あとは怒りを込めて俺にぶつけてくれればいい。それで俺は少しはスッキリする。

 ――だが弾の腕は動かない。

 

「鈴も利用したのか? お前のことが好きだったアイツも」

「そう。鈴のせいでセシリアと連絡が取りづらくなってたから事情を知ってもらって仲間にした。そしたら一緒に行くって聞かないんだ。アイツも俺と同じくらいバカだよ」

 

 俺は困惑していた。まだ弾が俺に殴りかかってこない。ここまで言われて何故?

 

「鈴は自分から選んだだけで、お前が強要したわけじゃないわけだ」

「いや、巻き込んだのは俺だ。少し考えれば、鈴がそう行動するのは想定できたことだ」

「何を言ってやがる。一夏がそんなことにまで頭が回るかよ。お前自身、鈴の行動に驚かされていたに決まってる」

「いや、俺が――」

「やめとけやめとけ。今更嫌われようと努力したところで無駄だからやめとけ。それによ……殴られたがってる奴を殴るような拳を俺は持ち合わせちゃいねえ」

 

 俺の意図は全部バレバレだった。敵わないな、弾には。

 俺は降参の意を表して肩をすくめる。

 すると、その途端に俺は弾に殴り飛ばされた。

 わけもわからず俺は左頬を押さえて弾を見る。

 

「今の1発は今日まで俺に何も話さなかったことに対するものだ。この点に関してはいくら擁護しても無理だった。俺は一夏を殴らざるを得ない」

「鈴のことじゃないのかよ」

「そうだったな。鈴のことでも1発いっとく必要がある」

 

 倒れていた俺の襟を掴みあげた弾が今度は右頬を左で殴りつけてくる。命中と同時に襟が離され、俺は再び地面に尻をつく。

 

「いいか? 俺は一夏を大切な友人……親友だと思ってる。昨日まで虚さんのことを黙ってた俺が言うのも変なんだが、一夏に7年前に別れた大切な幼なじみがいるなんて話は初めて聞いた。それもここ1年近く意識不明だと? そんな大切な話をなぜしなかった? 何故一人で抱え込んで、一人で解決しようとした? たった一人でできることじゃないだろ!」

「わかってる! でも、これは本来は俺と“彼女”の問題で――」

「じゃあ俺たちはテメェの何なんだよっ! さっき言ったような“彼女”とやらを助けるための道具だってのか! ……違うだろ、一夏。本当に道具だったんなら、危険に巻き込まないようになんて考えるはずがねえ! お前は一人で何もかも守ろうとしてただけだろうが! お前は“彼女”のためだけに戦ってなんかいない!」

「そんなのは所詮、俺の独り善がりだ。“彼女”が認めてくれた俺でいたかっただけ。いつだって俺は“彼女”のことしか考えてない」

「違えよ! じゃあ、何か? 中二の時に鈴を助けたのはアイツを“彼女”とやらの代わりにしてたってことかっ?」

 

 俺が“彼女”のことだけを考えて生きてきたのなら、“彼女”が昏睡状態となる前の出来事である鈴の誘拐事件も俺は“彼女”のために行動を起こしたことになる。実はそれを否定する材料を俺は持ち合わせていない。7年前から俺の行動の裏には“彼女”の影がチラツいていたはずだから。

 そうかもしれないと黙り込む俺を弾はまた襟を掴みあげて無理矢理立たせてくる。

 

「お前は今、鈴とつき合っていない。その理由がよくわかった。そして、それこそが鈴を“彼女”の代わりにしていない何よりの証拠だと、俺はそう思う」

 

 言われて思い出す。

 ……そうだった。鈴を“彼女”の代わりにしてしまいそうな自分に気が付いたから俺は鈴と別れると決めたんだ。凰鈴音という女の子と向き合うために必要だった。

 今の俺では鈴の気持ちに応えられないのはわかってる。でもそれは今が非常時だからだ。もし仮に今の状態で“彼女”が目覚めても、俺は日常には帰らない。鈴を助けるために行動する。それが俺の素直な気持ちだ。

 

「俺、やっぱり鈴を助けたい。箒と同じくらい、鈴にも帰ってきてほしいんだ」

 

 実はその思いはずっと変わっていないんだ。俺を足踏みさせていたのは強大な敵の存在に原因がある。その点は何も解決できていない。助けたい思いと同じくらいに、戦いたくないとも思っている。

 

「でも俺じゃ福音を倒せない。また、あの怪物に立ち向かえる自信がない」

「だから言ったろ? なぜ俺に話さなかったか、と。俺はISVS攻略wikiの管理人だ。腕の立つ知り合いには結構な数の心当たりがある。巻き込むかもしれねえだ? やるからには徹底的にやれ。数は力だ。IS戦闘においては1機のエースに返り討ちにされるような不条理なときもあるが、やられるときは派手な方がいい。現実に被害がでるなら規模をどでかくしてやれば多くの人間の目に留まる。一人でコソコソと動くことこそが相手の思うつぼだろうが」

「言ってることが滅茶苦茶だぞ、弾」

「元より滅茶苦茶な敵だからこういったことをする必要もあるだろ?」

「やられ損になるかもしれないぞ?」

「やらない損よりはマシだ。そう考える連中がいることも忘れるな。幸村だって鈴の危機を知れば逃げずに戦うさ」

 

 どうしよう。また俺は誰かの手を借りようとしてしまっている。ここでその決断を下すことで今度は弾がやられるかもしれないのに。それなのに、俺は弾の手を取ってしまいそうだった。

 

「何よりも一夏が命を賭けた戦いに出るんだ。それだけで俺には戦いに出る理由がある」

「どうしてそんなことが言えるんだ?」

「一夏が鈴と同じ状況になったら、間違いなく俺は今の一夏と同じように戦う道を選ぶ。俺を取り巻く世界をよくわからん奴に壊されてたまるかってんだ。それにもう鈴が被害に遭ってるんだろ? 俺が戦うのには十分な理由だ」

 

 ああ……俺だけじゃない。理不尽に自由を奪われた大切な人を助けたいと願うことはどこもおかしいことじゃないんだ。俺が皆を戦わせてるわけじゃなく、皆がそれぞれの思いで戦いに赴く。それに俺だけが責任を感じることはないんだ。

 鈴もそうだったのか。あえて責任を挙げるとすれば、倒れた仲間の分まで戦うこと。それを俺は放棄しようとしていた。

 弾が手を差し伸べてくる。俺はがっちりとその手を掴み取った。まだ福音に立ち向かえるだけの力はないけれど、とりあえずもう一度立つことだけはできた。

 

「弾。俺はもう一度立ち向かってみる。お前はどうする?」

「俺も乗るぜ。そうと決まれば早速ゲーセンで仲間集めだな」

 

 こうなれば事情はそのまま話す。

 銀の福音の噂は真実であり、ISVSを危険な物にしている。

 俺たちプレイヤーで福音を倒してやろうと。

 そうして、ISVSを遊び場として確かなものにしようと。

 まだ戦う術を見つけてはいないが、共に戦う仲間がいると思うととても心強かった。

 きっと今の俺なら、臆さずに戦える。勝てるかどうかは置いといて。

 

「でも数だけ集めてなんとかなるのか?」

「そればっかりは何とも言えねえ。でも他に何か策はあるか?」

 

 一応弾に聞いてみたがやはり根拠のない自信だった。俺たちには何かが足りていない。そんな気がしているのだが、それを俺たちだけで見つけられるとは思えなかった。気力だけ立ち直ってもまだ何も解決していない。弾も頭をかきむしって考えてくれているが、良い案は浮かばなかった。

 

 

 

「ほう……高校生が平日の昼間にゲーセンとは、中々な問題行動を起こしてくれてるじゃねえか。だが、どうせなら楽しそうにしてろ」

 

 

 

 2人で頭を抱えて歩いていたが、不意に声をかけられて立ち止まる。聞き慣れた声であったが、できれば聞きたくない声でもあった。

 俺と弾がゲーセンへと向かおうとしたところで、バッタリと出会ってしまった。この状況で最も会いたくないであろう人物に。学校では普段きっちりしているスーツ姿だが、今はネクタイを外してかなりラフな格好となっている。

 この人物は俺たちの担任である鬼教師、宍戸恭平だ。

 

「し、宍戸先生っ! こんなときにっ!」

「おいおい、織斑。まるでオレがタイミング悪くここに来たみたいに聞こえるぞ」

「事実そうですよ! 説教なら後でいくらでも受けます! なので今は俺たちを見逃してください! 時間がないんです!」

 

 弾にはまだ話せていないが、ナナたちに危機が迫っている。具体的にあとどれだけの時間が残されているのかはわからないけれど、宍戸に学校まで連れて行かれている時間はない。ここで宍戸を殴り倒してでも俺はISVSに行かなくてはならない。

 そんな俺の思惑は宍戸の発言によって覆されることになる。

 

「別にどうもこうもしねえよ。どうせゲーセンにいくならオレに付き合えってだけだ」

「は?」

 

 宍戸の予想外の発言に俺と弾は固まらざるを得なかった。

 

「意外そうな顔をしてるな。教師がゲームをしちゃいかんなどというルールなどないだろ?」

「たしかにそうですけど……」

「何だ、その腑抜けた面は? まさか勉学だけじゃなくゲームでも思い通りにならないとか思ってんじゃねえだろうな?」

 

 少しニュアンスが違う気もするが、俺には返す言葉がなかった。宍戸はそれを無言の肯定と受け取ってしまう。

 

「暇つぶしのついでだ。先達としてお前らを鍛えてやる」

「は、はぁ……」

「一夏だけじゃなくて俺もっすか!?」

 

 俺はともかく弾相手に熟練者を気取った宍戸は俺たちを半ば強引にゲーセンへと連れて行った。

 

 

 平日の昼間に担任教師に連れられてゲーセンの自動ドアをくぐった。唐突すぎる宍戸の登場と行動に俺と弾は何も言えずについてくるしかなかった。

 慣れた様子で宍戸はISVSの筐体のある奥へと入っていく。時間帯のためか客はかなり少ない。ISVS周りには順番待ちの人はいなく、立っているのも店長ひとりだけだった。店長は俺たちに気づくと「おう」と声をかけてきた。……そう思ったのだが、店長の目は俺たちではなく宍戸に向いている。

 

「おいおい、不良教師。平日の昼間に高校生を連れてゲーセンに来るんじゃねえよ。それにお前も仕事はどうした?」

「オレほどの教師の鑑はそこらの学校を探しても見つからねえよ。今日はだな……こういう日も必要ってだけだ」

 

 気安く言葉を交わす店長と宍戸。どうやらかなり親しい知り合いのようだ。宍戸は先に金を取り出して一言二言付け加えながら店長に渡した後、ISVSの筐体へと向かっていく。宍戸もISVSプレイヤーだったと知り、俺の中の宍戸像が変わった気がした。親近感を覚えながら呆然と見ていたら、筐体に座った宍戸がギロリと睨みつけてくる。

 

「何をしてる? 急いでるんだったら早く入れ」

「は、はいっ!」

 

 宍戸の思惑はさっぱりわからないが、逆らうことはできなかった。ただ俺たちと遊びたいだけ? それは流石に考えづらい。本当に俺を強くしてくれるというのなら喜んでつき合うところだが、今から始めて間に合うのか? といっても今は付け焼き刃でもいいから欲しいのも事実。

 俺と弾は慌てて筐体に座ってメットにイスカを挿入。ISVSへと意識を移す。

 

 

***

 

 ISVSに移動した後、ロビーで手続きを勝手に済ませていた宍戸に連れられて転送ゲートをくぐった。試合をするのか、それともミッションにでも行くのか。宍戸に直接聞いても答えてはくれなかった。果たして次のミッションまでに俺に何ができるのか。制限時間付きで落ち着かない。不幸中の幸いというべきか、ロビーでミッションを確認した限りではまだツムギを襲撃するミッションは発生していないのが救いだった。

 

「ようし、ここならいいだろう」

 

 宍戸が俺たちを連れてきたのはIS戦闘用アリーナだった。俺がサベージと戦ったときのような障害物なしではなく、ところどころに空まで伸びる柱が立っている。柱の太さは直径10mといったところか。現実では難しそうな建造物だ。

 

 宍戸のアバターを見てみる。表向きは生真面目な日本人男性といった外見の本人とは縁のない、赤くて長いボサボサの髪をしただらしなさそうな男の姿だった。両の瞳は黒でなく、あまり見てて気持ちの良いものではない怪しく光る金色。これは宍戸の趣味なのだろうか。戦闘には直接関係ないだろうけど。

 

「アリーナってことは試合するんですか?」

 

 ここで俺は宍戸の装備を確認する。

 紫色に統一されているフレームはラファール・リヴァイヴ。胴体と顔に装甲はないためディバイドスタイルである。メゾの中で一番拡張領域が大きいリヴァイヴでディバイドスタイルを選ぶ理由としては、ただでさえ大きい拡張領域を少しでも広げるためだと考えられる。以前に見た“夕暮れの風”がそうだった。

 装備は今のところ何も手にしていない。腕の装甲内部に隠し武器があるかもしれないが、流石にそれだけのわけがない。非固定浮遊部位もなく、まるで丸腰であった。

 宍戸は戦える状態には見えない。だから俺は試合をするのか疑問にならざるをえなかった。ナナたちのためにできることは他にあるはずという思いが強かった。

 

「言いにくいんですけど、俺はこんなことをしてる場合じゃないんです」

「ほほう。なら何をすべきなんだ? ()()織斑の力で何ができる?」

 

 不敵な笑みを見せる宍戸。からかい混じりの投げかけに俺は答える言葉を持ち合わせていなかった。俺のことなんて何も知らないはずなのに宍戸の指摘は的を射ている。仲間が必要なのは事実だったが、仲間を集めただけで本当に何とかなるとは信じきれていない。

 

「試合をするつもりじゃなかったが、どうやら今のオレには説得力が足りない……ならば、一度相手をしてやった方が良さそうだな」

「じゃあ、俺はその辺で観戦してますよ」

 

 一緒に来ていたバレットだったが、俺と宍戸が試合をするということで離れていく。さり気なく俺に押しつけやがった。

 しかしバレットの思惑どおりにはならない。この場の主導権は宍戸が握っている。

 

「いや、五反田。お前は織斑と組んでかかってこい。まとめて相手をしてやる」

 

 まさかのハンデキャップ戦の提案だった。俺とバレットは同時に互いの顔を見る。アイコンタクトで『宍戸は何を言ってるんだ!?』と通じ合った。

 というのもバレットは俺の前でこそ負けている姿が多いが、それらはナナとかアメリカ代表など、相手が悪いだけであって実力はかなりのものだ。そんなバレットに俺という前衛をつけた上で1機で挑むなど“夕暮れの風”でも連れてこいというレベルの話になる。

 そんな俺たちの内心を読みとったのか、宍戸は鼻で笑う。

 

「エネルギー0で退場するのは面倒だからルールを設けよう。お前らはストックエネルギーが半減したら負け。そして、お前らのどちらかが俺のストックエネルギーを少しでも減らせば勝ちだ」

 

 ルールを設定し、全員のストックエネルギー残量の情報が共有される。

 1対2だけにとどまらず、1発でも当てられたら勝ちにしてやるだなんて明らかに舐められている。宍戸は俺たちの実力を知らないのか。それとも、知っていてもなおコレなのか? 流石のバレットもISVSでコケにされては相手が担任教師だとしても優等生ではいられない。

 

「俺たちも半分削ったらでいいですよ」

「わかった。1発でも当てたら考えてやる」

 

 宍戸の挑発にバレットは本気になっていた。主武装がマシンガンであるバレットにとって、1発を当てれば勝ちなど簡単(ぬるゲー)過ぎる。しかし、今もバレットは宍戸の前で“ハンドレッドラム”を見せているのに宍戸の余裕は崩れない。宍戸がバレットの武器が何かを理解していないのか、それともマシンガンにすら当たらない自信があるのか。後者だとすれば尊敬に値する。

 

 試合の開始位置は互いが視認できる200m。宍戸はまだ装備を展開していない。どんな戦法かをギリギリまで隠す気のようだ。

 

『バレット、作戦は?』

『何もねえ。宍戸の出方がさっぱりだ。あの自信がどこから来るのかもな。とりあえずヤイバには様子見も兼ねて先制攻撃の奇襲を頼む』

 

 バレットとプライベートチャネルで作戦会議をしたが、結論は『やられる前にやれ』。俺としても開始と同時に斬りかかった方がやりやすいとは思っていたので了承する。

 戦闘開始までのカウントが進む。俺はPICの制御に意識を集中させ、白式のイグニッションブースターを点火する準備を整えた。カウント0と同時に俺は宍戸までかっ飛んでいくことができる。

 

 カウント0。

 

 俺は風よりも速くアリーナを駆けた。急速に迫る宍戸の姿が見える。接近速度は普段のイグニッションブーストよりも速い。いい感じのスタートダッシュを切れた。

 ――嘘だろ!? 無手で突っ込んで来やがった!

 宍戸も開始と同時に迫ってきていた。それもイグニッションブーストでだ。イグニッションブースターらしき装備が見あたらないのにもかかわらず、高速で移動する宍戸。俺の想定から外れたタイミングでの接触となり、雪片弐型を振るのが間に合わない。

 

 しかし、相手も攻撃の手段がないのでは?

 そんな俺の疑問は宍戸の左拳が答えてくれた。

 

「ぐっ!」

 

 イグニッションブーストで交差する際、俺は軌道を変えられなかったが宍戸は接触の直前に微妙に方向を変え、俺の顎を打ち抜いていった。白式がシールドバリアの貫通を伝えてくる。PICもイグニッションブースト中に攻撃されたことで不安定な状態に陥り、俺は錐揉み回転して落下。墜落の衝撃も消せなかったために追加でダメージが入っていた。一撃必殺のカウンターを受けてしまい、ストックエネルギーは半分どころか虫の息である。ここまで綺麗にカウンターを決められるといっそ清々しい。

 

 俺を撃墜した後、そのまま宍戸はバレットに向かう。バレットがマシンガンを乱射して迎撃するが、宍戸は上下左右にめまぐるしくイグニッションブーストでカクカクと飛び回るために照準が定まっていなかった。バレットがマシンガンを取り回す速さよりも宍戸が動く方が速いように見える。あっという間にミサイルやグレネードランチャーでは間に合わない距離にまで接近され、ライフルとマシンガンを撃ち続けるバレットだったが銃口の先に宍戸がいることはなかった。接近を許し、徒手による格闘でボコボコにされていく。俺は宍戸のストックエネルギーを注視していたが、手で殴りつけてもなぜか宍戸の方だけは減らなかった。

 

 

 あっさりと結果が出た。俺とバレットの完敗である。なんと言えばいいのか、これまで俺たちがプレイしてきたゲームとは違うものを見せつけられた気分だった。

 俺もバレットも何も言わずに地面に転がっている。俺は宍戸のレベルの違う戦闘に見とれていたからだが、バレットは拳を地面に叩きつけていた。あのイーリス・コーリングとの試合でも同じようにやられていたバレットだったが、今回の相手はプロではない。いずれはプロも倒してやると粋がっていたバレットだが、それは一般プレイヤーのトップクラスの自負があったからだ。武装していない一般プレイヤーに圧倒されてショックじゃないわけがない。

 試合が終了して宍戸が俺たちの傍に降りてくる。

 

「現実のIS戦闘で評価するなら、織斑はB判定。思い切りのいい飛び込みだったが、その後がまるでダメだ。イグニッションブースターの性能に頼っただけのストレートな機動では相手に『撃ち落としてください』と言っているようなものだぞ」

「それはわかってます!」

 

 でも俺はイグニッションブーストの問題点を知っていても、どうすれば解決できるのかを知らない。でも何かがあるということが今の戦闘でハッキリとわかった。俺には無くて、福音やイーリス・コーリング、宍戸にはある“技術”が。

 

「五反田はA判定だな。じゃじゃ馬で知られるハンドレッドラムは素人が使っても明後日の方向に飛んでいくのが相場なんだが、使いどころとなる間合いをしっかり弁えてるのは賞賛に値する。だが、本体機動が織斑よりも下手なために得意な間合いを維持できていない。IS戦闘において足を止めて撃っていいのは隠れてるスナイパーくらいだぞ?」

「俺は動いてた! アンタが速すぎるからそう見えただけだっての!」

「わかってるじゃないか。さっきの戦闘だが、オレにとっては五反田は止まってる的と変わりなかったということだ」

 

 宍戸相手に“アンタ”と言ってしまうくらいにバレットは冷静でない。バレットのこんな姿は初めて見る。熱くなりすぎて飛び出した反論が宍戸にそのまま拾われてしまい、バレットは言葉に詰まった。

 

 俺とバレットの評価を言い終えたところで宍戸が俺たちに映像データを寄越してきた。IS同士の1対1の試合だった。片方は物理ブレード1本だけの打鉄。もう片方は全身から炎のようなENブレードが溢れている装甲の無いIS。炎のISがステージを覆ってしまうような弾幕で攻撃し続ける展開が続いている。

 

「もう見てるかもしれないがこれはISVSで行われた第3回モンドグロッソの準決勝、日本代表VSドイツ代表の試合だ。日本代表は純粋な格闘機体でドイツ代表は単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)による豊富なEN武器を使ったオールマイティな機体だな。この試合では格闘戦を不利と悟ったドイツ側が開始直後から近寄らせない戦法をとっている」

 

 そういえば俺はトップレベル同士の試合をまともに見ていない。まず俺がこの試合を見始めて持った感想はひとつ。

 

「まるで超能力バトルですね」

「ISの単一仕様能力ってのは大体そんなもんだ。勝手にISコアが生み出して、そのプレイヤーのみが使えるという不平等の極みといえるバランスブレイカーな能力だ。モンドグロッソに出てくる国家代表なんてのは皆そんな化け物の集まりだ」

 

 バレットが『ISVSは不平等である』と口を酸っぱくして言っていた。見せられた映像と俺たちの差をそのまま表している言葉だと思う。才能なのか運なのかはわからないが、俺たちはトッププレイヤーと同じ位置に立てていないのだ。

 

「今、こんなものを見せてどうする気ですか? ISVSが平等じゃないってことくらいはちゃんと理解してますよ」

 

 バレットが不貞腐れながら宍戸に問う。普段の優等生な態度の欠片もなく、不機嫌さを直接ぶつけている姿はやはりいつもとは違っていた。対する宍戸はそんなバレットを見て愉悦の笑みを浮かべる。生徒を怒らせて喜ぶなんて、この人は本当に教師なのだろうか?

 

「いいや。十中八九、五反田は理解できていない。少し違うか。お前が理解したのは妥協だ」

「何だとっ!?」

「先生。それは聞き捨てならないです」

 

 バレットが宍戸に掴みかかろうとしたところに俺は割って入り、宍戸に雪片弐型を向けながら問いただす。

 

「不平等を受け入れてもなお、仲間と共に勝とうとしているバレットの努力を踏みにじるつもりなら、俺はあなたを軽蔑します」

 

 今まで学校で俺がどんな扱いを受けても、宍戸は筋が通っている良い先生だと思っていた。だけど、バレットの努力を侮辱する気なら俺は二度とコイツを先生とは呼ばない。

 宍戸は笑みを崩さない。その態度が癪に障る。だけど宍戸は決して俺たちをバカにしてるわけじゃなかったんだ。

 

「仲間と共に強敵に打ち勝つ。学校では中々教えられないことだし、生徒が自主的に育んでいるということならばそれは喜ばしいことだ。だがな、織斑。個人の実力の向上なくしてチームの実力は上がらない。ましてや五反田はこの辺りの高校生を引っ張っている立場だ。ただの勘違いで成長を止めたリーダーが率いる組織では何にも打ち勝てやしない」

 

 俺はバレットを見る。不機嫌を露わにしていたはずのバレットはいつの間にか宍戸の話に聞き入っていた。俺も静かに聞くことにする。

 

「オレが言ったISVSの不平等というものは単一仕様能力の有無と性能差くらいだ。BT適性もプレイヤーで差異はあるが、あれに関しては銃が得意とか剣が得意とかそういった個性レベルの話であって、劇的な差を生み出すものではない」

 

 たしか俺にBT適性は皆無だった。代わりに俺はイグニッションブーストを使える。これは不平等でなく個性の問題だと宍戸は言う。でもたしか――

 

「イグニッションブーストもできる人とできない人がいるんですよね?」

 

 俺の質問に宍戸は大きく反応する。ズバリ宍戸が言いたいことを言い当てられたらしい。

 

「織斑の言うことは概ね正しいし、間違っている。イグニッションブーストというものは誰にだって使える基本技能だとオレは定義してる。できなくなるプレイヤーがいる理由はISの本能とも言える操縦者保護機能のせいだ。だがそれを解明しているプレイヤーはほとんどいない。結果、イグニッションブーストも才能が要ることになってしまっている」

 

 ここで宍戸は右手の指をパチンと鳴らした。ISの装甲の指でなぜパチンと音が鳴るのかは知らない。宍戸の鳴らした音を合図にしたように、宍戸の背後に深い緑色の板が出現していた。ISVSでは初めて見るが俺たちが日常的に見ているものだった。黒板である。宍戸は後ろを向き、器用に持った白いチョークで板書を始めた。

 

「まず、イグニッションブーストというものはある基本技術の応用であることを言っておこう。織斑は自然とできているようだが、その基本技術とは何だと思う?」

「えーと、スラスターにエネルギーをため込む、ですか?」

「ハズレだ。それは仕上げにすぎん」

 

 ハズレと言われた瞬間に本能が宍戸のチョーク投げを警戒していた。しかし、学校では当たり前のように飛んでくるチョークも今は飛んでこない。

 宍戸が慈悲をくれている間にもう一度考えてみる。俺がイグニッションブーストをする際のプロセスには何があった? まず、エネルギーをスラスタに集中させてから――

 

「PICのマニュアル制御だ!」

「一応、正解にしておいてやる。PICというものは passive inertial canceller(パッシヴ・イナーシャル・キャンセラー) の略で直訳すると受動的慣性無効化装置となる。これだけだとわけがわからんだろうから説明を加えておくと、常に重力の影響を無視して、周囲からの衝撃に対しても自動で反応して衝撃自体を無効化する装置ということになる」

 

 宍戸がカリカリと板書する姿はいつもの学校と変わらないが、教師も生徒も互いにISを装着しているという妙な空間ができつつあった。しかしダメとは言えない。なぜか今だけは宍戸の話が頭に入ってくる。

 

「今言った中で重要なことは、PICはコアが自動で演算して浮遊と防御を行ってくれている点だ。プレイヤーが直接働きかけるまでもなく作用することからパッシヴと名付けられている。これは織斑の言ったマニュアル制御とはかけ離れていることはわかるな?」

「はい」

「マニュアル制御。つまりはプレイヤーの意志によって慣性制御を行おうとしていることになる。コアの演算に助けられてはいるが、プレイヤーの思考が大きく作用する時点で既にパッシヴとは呼べない。よって織斑の言うPICのマニュアル制御とは正確には active inertial control(アクティヴ・イナーシャル・コントロール) と言われる操縦技術のことでありAICと呼ぶ」

 

 AIC。初めて耳にする単語だった。俺の情報源は基本的にバレットである。つまり俺が知らないということはバレットが聞かせてくれなかったかもしくはバレットも知らないことになる。

 

「宍戸先生。今適当に名付けたんじゃ」

「バカを言うな、五反田。これはオレが名付けたのではなく……とそこから先はどうでもいい話だな」

 

 宍戸が咳払いをする。何かを誤魔化した気がするがそこを追求する気は無かった。

 

「それでAICという基本技術が俺たちに足りていないって話になるんですか?」

「そういうことだ。ここでさっきの試合の話をさせてもらうが、見ての通りオレは何も武装を使っていない。オレがやったことは全てこのAICだったというわけだ」

 

 宍戸がやったこと。開幕と同時にイグニッションブーストを使用して俺を一方的に撃破し、なおもバレットに接近してこれまた一方的に殴りつけていた。拳だけでISを倒していたのだ。

 

「ISの武装はISにしか使えないが、代わりにPICCという機能がある。これは名前が違うだけでやっていることはAICだ。対象ISの防御機構であるPICに干渉してその効力を弱める働きがある。オレはそれをIS本体の慣性制御によりマニュアルで実行しただけにすぎない」

 

 つまり宍戸の拳は物理ブレードと同じ状態になっていたわけだ。でもそれって攻撃面だからそう見えるだけで防御に回したらヤバイんじゃないか?

 

「五反田のマシンガンも全てが当たらなかったわけじゃない。ただ単にオレに当たる弾丸のみを的確に無力化しただけだ。AICは突き詰めればPICCも無力化できるからな。一応言っておくが、こればっかりは誰にでも出来ることじゃないから真似するなよ」

 

 ここに来て才能が必要だと言わないでもらいたい。でも俺とバレットのテンションは下がっていない。バレットの目には普段とは違う火が灯っていた。

 

「逆を言えば、俺にもできることがあるわけですね?」

「そうだ。五反田に必要なのはイグニッションブーストだな。射撃機体だから要らないなんてことはない。さきほどの日本代表VSドイツ代表の試合でもドイツ代表は接近させないためにイグニッションブーストを頻繁に行っていただろう? 上を目指すなら、そして勝ちたい相手が要るのなら初歩的なものだけでもやれるようにしろ」

「イグニッションブーストの必要性はわかってます。俺だって最初はやろうとしました。でも、できなかったんです!」

「だから言っただろう。それは操縦者保護機能のせいだと。コアが操縦者の失敗のイメージを受け取ってしまうと強制的にAICをカットしてしまい、ただスラスターを噴かせただけとなる。織斑ができる理由は簡単だ。コイツは後先考えてないバカだからな」

「ちょ!? その言い方はひどくないですか!」

 

 いきなり俺に矛先が向いたかと思えばバカ呼ばわり。いつも自分でバカでいいと言っているけど、先生に言われるとダメージがでかい気がする。

 ともかく、俺とバレットが思っていたイグニッションブーストを使用できる才能とは“失敗を恐れない”ことと見て良さそうだった。つまり、それさえわかれば誰にでもイグニッションブーストが使えることになる。もっとも、練習はいるだろうけれど。

 

「五反田はまずイメージトレーニングからだ。ISの操縦はイメージが必要となる。さっきのオレの動きを自分がしているように想像しておけ」

「わかりました」

「でもって織斑。お前には逆に止まり方を教えてやる」

「止まり方ですか?」

「ああ。イグニッションブーストからの任意の停止はまたAICを使う必要がある。コアによるパッシヴ制御を待っていては相手の傍を通り過ぎてしまったりするからな。機敏に相手を追うには純粋な速度よりも敏捷性の方が鍵となる」

 

 宍戸が座学は終わりだと黒板を量子化させて片づけ、俺の後ろに回ってきた。そして俺の後頭部が掴まれて、俺の体は意図しない急加速に見舞われた。宍戸が俺を掴んだままイグニッションブーストをしたようだ。

 

「うわあああ!」

 

 アリーナに設置された柱がグングンと迫る。もうぶつかるというところで、ピタリと俺は静止していた。目の前10cmのところにはアリーナの一部である柱がある。

 

「これがAICによる急ブレーキだ。イグニッションブースト中のブレーキでしか出番はないがお前の必須技能だと断言できる。止まることさえできれば、あとは加速と停止の組み合わせで相手に的を絞らせない機動が取れることだろう。どうした、その目は? 何か文句でもあるのか?」

「殺す気ですか!」

「お前は死なねえよ。だから安心して柱に向かってイグニッションブーストをする特訓を続けていろ」

「マジですか……」

 

 現実ならばもう体罰で訴えても千冬姉を説得できるレベルのことをしてると思う。しかし、これは仮想世界の話。福音が絡まなければ身の危険など存在しない。

 普段なら文句しか出てこないところだが今の俺は違っていた。宍戸が言うAICをものにすれば、わけがわからなかった福音の高速機動にもついていける可能性が出てくる。それはそのまま勝てる可能性につながるはずだ。

 

「これで俺は強くなれるんですよね?」

「マスターすればな。じゃ、あとはひとりでやってろ」

 

 言うことは言った、と宍戸はバレットの方へと向かっていった。

 道は示された。あとは俺の努力次第。時間もあるわけじゃないから、短時間で停止だけでも修得しなければならない。ナナたちが襲われるミッションまでには間に合わせなければ!

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 大通りの喧噪から離れた薄暗い路地裏。駅の周辺という賑わった場所でも、日の届かないような暗い場所はあったりするものだった。何の店かもわからないような看板が並んでいるが日中はどこも開いている気配はない。そんな道を歩いている姿はほとんどなく、今はひとりだけしかいなかった。

 

「くそっ……たったあれだけで意識が持ってかれそうになるとは、つくづくオレの体は呪われてやがる」

 

 人目を避けてフラフラと歩いている男の名は宍戸恭平。一夏たちの担任教師であり、つい先ほどまでゲーセンで学校とは関係のない指導を行ったばかりである。その指導は伝えることだけ伝えて残りは自習とした。そうせざるを得なかった。

 

「全く……アイツらの前で豹変したらどうする気かとこっちはビクビクしながら見てたぜ?」

虎鉄(こてつ)か。店番をしてなくていいのか?」

 

 宍戸ひとりだけの路地裏に彼を追いかけてきた男が現れる。宍戸に虎鉄と呼ばれた男は一夏たちも良く知る人物。パトリオット藍越店の店長だった。

 

「バイトに任せとけばいい。今はお前の方が心配だ」

「余計なお世話だ。自分の限界は自分が一番良く知っている」

 

 宍戸は手近な壁に身を預けてフーッと大きく息を吐く。彼の言う限界とは彼自身の出自に関係するものであり、彼が一夏と弾の2人を指導するしかなかった理由でもある。しかし、宍戸の出自を良く知っている店長でも、今日の宍戸の行動については納得できていなかった。

 

「なぜISVSに入った? 今年の1月3日以降、お前にとってあの世界は毒でしかない」

「それでも行くしかなかった。生徒どもが道を見失っていたら、オレが道を示すべきだろうが」

「“銀獅子”と恐れられた傭兵が随分と丸くなったもんだな。生徒のためとか、すっかりここの生活に馴染んでるじゃねえか」

 

 宍戸の身を案じて怒っていた店長だったが、予想もしなかった返答に呆れを隠せない。対して宍戸はクックックと静かに笑う。

 

「虎鉄よう。オレは藍越学園の名前をえらく気に入ってるんだが、藍越ってどういう意味だか知ってるか?」

「知らねえよ」

「こう言えばわかるだろ? “青は藍より出でて藍より青し”」

「あの2人がお前を越えるってか?」

「少なくともオレはそう望んでいる。オレたちにできなかったことを、オレたちの次の奴らに託す。そうしてオレたちの意志を紡いでいくことが、奴らへの反撃となる」

 

 宍戸は壁から背中を離し再び歩き始めた。足取りこそ覚束ないが、彼の目は一夏たちの成長を一寸たりとも疑ってはいなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 プレイヤーならばロビーと呼ぶであろう空間の中央に人が密集している。誰もが皆同じ方向を見上げており、視線の先にある壇上にはピンクのポニーテールが揺れている。この場にいる人間は彼女の一声によって集められていた。

 

「既に情報は行き渡っていると思うが、私たちツムギの拠点である“ここ”が敵に特定された。これは紛れもない事実であり、クーの情報によれば近くに転送設定を行っている転送ゲートが複数存在することもわかっている。プレイヤーがこちらに攻め込むための準備に他ならない。ゲートの設定が終われば無数のプレイヤーどもがここを襲撃する」

 

 壇上で淡々とナナは事実を告げていく。今までにプレイヤーにやられた仲間もいたため、集まっているメンバーのほぼ全員がプレイヤーの脅威を知っている。誰も声を上げない。重苦しい沈黙の中、ナナは話を続ける。

 

「以前にも罠にかけられたことはあった。だがそれはまだ私たちにも逃げる場所があったために勝利を得た。生きていれば勝ちなのだ」

 

 生きていれば勝ち。この場にいる誰もが思っていることだ。ISの戦闘の勝敗などどうでもいい。ただ、現実に帰りたいだけ。プレイヤーが当たり前のように帰って行く場所に戻りたいだけだった。

 

「今回は違う。ツムギの名前をそのまま付けたここは最後の砦だ。ここから逃げたとしても、休息を得られない状況に陥るだけとなる。ここを放棄しては、私たちは生き残れない」

 

 戦闘を回避するだけならアカルギに乗って逃げてしまえばいい。しかしアカルギに乗れる人数には限界がある。この場にいる人間を全員収容できないため、全員が生き残るためにはツムギ自体を防衛しなければならない。

 

「結論を言おう。私は足掻こうと思う。それしか道が無いのならば私が先陣を切り、プレイヤーどもを一掃する。たとえ終わりなど見えなくとも戦うしかないのならば戦おう」

 

 ナナが目指している現実の帰還はもうナナひとりだけの願いではない。少なくともナナにとっては。もしナナが自分本位に動いていれば、今の危機は訪れなかったかもしれない。また、ナナひとりならば危機とも呼べず、ひとりだけで逃げおおせるだろう。自分ひとり生きていれば勝ちならばナナが負ける要素はどこにもない。

 しかしナナはこの場にいる全員で現実に帰ることを望んでいる。中には心を許せていない人間もいるが、そんなことはナナには関係なかった。自分が生きるために誰かを見捨てれば、ナナは自分のことを軽蔑する。そんな自分が現実に帰ったところで、“彼”に胸を張って会いに行けないのだ。

 戦うとメンバーの前で話すナナの両手は拳が作られ、必要以上に力が入っていた。プルプルと震えている拳は逃げたいと思う弱さを強引にねじ伏せている。ナナは自分の心境を理解している。だからこそ、メンバーに強要することなどできず、逃げ道を用意しておく。

 

「皆には選んで欲しい。ツムギを守るために戦う道を選ぶのならばここに残ってくれ。戦いたくない者はアカルギに乗り込むんだ。私はどちらを選んでも皆の選択を尊重する」

 

 ナナが全て話し終えても、誰も口を開くことはなかった。

 

 重い足取りでナナは壇上から降りていった。メンバーの反応を窺うこともなくロビーホールから通路へと移動して自分の部屋に戻った。誰も見ていない場所にまで来ることで唐突に足から力が抜けて床に倒れ込む。

 

「父上……私は未熟者です。誰よりも戦える力を与えられながら、体の震えが止まりません」

 

 ナナは上半身だけ起こすと床にペタンと座り込む体勢となる。室温は高くもなければ低くもないはずであるが、ナナは寒さから身を守るように自分の体を抱きしめた。……震えは、止まらない。

 

「私は父上のように強くない。今だって『皆は私が守る』と言えなかった。死に方を選ばせるようなことしか言えなかった!」

 

 次第に声が大きくなっていく。戦うと言いながら、死ぬことしかイメージできていなかった。いくらナナが強くとも、ナナが死ぬまでプレイヤーが次々と現れることだろう。仮想世界といえど無限に戦えるわけではないことをナナは経験からよく知っている。

 どうしようもない。生き残るためにどうすればいいのか見当がつかない。この状況を招いたのはナナのミスだ。助けた仲間が敵の用意した罠であることを見破れなかったために起きた危機だ。もう十分に後悔した。自分を責めた。だがそれでは何も解決などしない。

 

「助けて……」

 

 ナナの頬を涙が伝う。この世界における居場所まで奪われようとしている絶体絶命の危機に、とうとう心が耐えられなくなった。

 

「助けて……一夏」

 

 ナナは“彼”の名前を呼ぶ。幼い頃、壊れそうだった自分に手を差し伸べてくれた少年の名前だ。周囲の何もかもを拒絶した狭い世界に土足で踏み込んできた彼の手の温かさを今でも覚えている。ナナはずっと彼の隣に相応しい自分になろうと努めてきた。助けられるだけじゃなく、自分も彼の力になりたかった。その彼に助けを求めるほど、今のナナは参っている。そして、呼んでも彼が来ない現実を思い知るだけとなる。

 

「助けて……ヤイバ」

 

 もうひとり。追いつめられたナナを助けてくれた男の名前を呼ぶ。今の自分を支えてくれている親友を、敵の凶刃から守った男だ。何を考えているのかわからないプレイヤーで狂気を感じさせる行動もする男だったが、ナナは彼の存在に助けられている。ヤイバは既にナナにとって大きな存在だった。

 

 ――“彼”の影を塗りつぶしてしまうくらいに。

 

 だからナナは表向きにはヤイバを突き放す。近づいてしまっては“彼”を裏切ってしまうと心が拒絶していた。ピンチの時だけ助けて欲しいというのは図々しいと思いながらもナナは今の状況を変えて欲しいと“誰か”を頼るしかなかった。

 

 ピロンと軽い電子音がなる。何の音かわからないが音源は部屋の中にあった。心当たりもないまま立ち上がったナナは部屋の中を探す。目に止まったのは机の上にある携帯電話だった。そもそも自分の物ではないから着信音も知らなかった。メールのやりとりは全てシズネに任せていたために、ナナにメールが届くのは初めてのことである。

 ナナは携帯を手にした。折りたたみ式の携帯を開く。シズネから聞かされていた情報では、ヤイバは前回の戦闘でリンを失って戦える状態ではないらしい。だから今届いたメールはラピスからであると思っていた。

 

 

【送信元】ヤイバ

【件名】まだ無事か!?

【本文】悪い! 連絡は確認したんだけど、そっちに行くまでにまだ時間がかかる。状況は最悪だってことも理解してる。だからこそ、俺がこっちでやっておくべきことがあるんだ。大丈夫だ。ナナもシズネさんも他の皆も助かる道はある。だから、ナナ。俺が行くまでなんとか耐えてくれ!

 

 

 ナナの涙腺は再び崩壊した。

 

「バカだよ……お前だって苦しいはずだろうに、私たちのことばかり気にして……」

 

 袖で涙を拭う。いつまでも泣いていられない。何をする気なのかはわからなかったがヤイバは大丈夫だと断言した。何も希望がないまま戦場に向かおうとしていたナナにとって、それがどれだけ大きな支えになることか。もう、体の震えは止まっていた。

 扉をノックする音が聞こえてくる。

 

「ナナちゃん、ラピスさんが来ました」

「すぐに行く」

 

 シズネが部屋を訪ねてきたがタイミングが良かった。部屋を出たところで顔を合わせた親友はいつもと変わらず隣に並ぶ。ナナの内心を的確に言い当てくるシズネに弱い自分をさらけ出さずにすみそうだった。

 

「ナナちゃんが思ったよりも元気そうで安心しました」

「そういうシズネもだな。わかっているのか? 私たちは敵に駆逐されるかもしれないんだぞ?」

「大丈夫ですよ。ヤイバくんが助けてくれます。それに……ナナちゃんがいい顔をしてるから負けるわけがありません」

 

 ヤイバのメールに続き、親友の信頼を受けてナナの頭からは負けるイメージが消え去った。必ず生き残ってやると誓い、ラピスとの打ち合わせに向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラピスがクーという少女に案内された場所はプレイヤーが使用するロビーと同じ構造の空間だった。ここに来たときから既にいた十数人の男女の注目を浴びつつラピスはナナが来るのを待つ。

 ラピスの内心は焦りで満たされていた。この状況を打開するための一手に失敗していたのである。ここに来たのも義理を果たすためでしかなかった。

 今のツムギの状況は悪い。前回、ラピスが参戦した戦いでは逃げれば良かったためにどうにかなった。しかし逃げ道無き今、圧倒的な物量に対して対抗するためには同じ物量をぶつけるしかなかったのだ。それも叶わぬため、ツムギは全滅するまで戦い続けるしかない。または逃げ続けるしかない。どちらにせよ長くは保たない。

 

 ラピスはもうツムギの最後を見届けるしかできることがないと考えていた。

 

「ラピス。お前だけなのか?」

 

 待ち人来る。ツムギの代表者であるナナとシズネの2人だ。第三者に改めて『お前だけ』と言われて脳裏にヤイバの姿が浮かぶ。しかし彼はここには来られない。来るだけの理由を自ら否定してしまっていた彼が現れるはずなど無かった。

 

「ええ、足手まといが来ても無駄ですので。刃の欠けた剣では未来を斬り拓けませんわ」

 

 足手まとい。目的のために走れなくなった駒では役に立たない。ラピスにとってチェルシーを取り戻すために役に立たない男のことなどどうでもいい存在だ。……そのはずだった。

 

「お前とヤイバには、私とシズネと同じかそれより強い絆があると思っていたのだがな」

 

 心が折れたヤイバにひどいことを言っているとラピスは自覚していた。それはさっさとヤイバの話を忘れて今の話をしようという誘導のつもりであった。本当はラピス自身がヤイバから目を逸らしたかった。しかしなぜかナナはヤイバの話題を続けようとするため、ラピスは頑なにヤイバの存在を小さいものにしようとする。

 

「ただ目的が一致しただけの関係ですわ。ヤイバさんの目的が潰えたのなら、最早わたくしたちを繋ぐものはありませんもの」

「利害の一致か……これは愚弄されたものだ」

 

 いよいよ以てラピスにはナナの考えがわからなくなった。そもそもラピスはナナたちが自分に縋ってくると思っていたのだ。しかし、今のナナからは悲観的な感情が一切感じ取れない。絶体絶命の危機が迫っているのに、ナナが気にしているのはヤイバのことだ。ラピスの知るナナはヤイバを毛嫌いしていたはずなのにである。

 

「何かお気に障りましたか? あなたはヤイバさんを嫌っていたと思うのですが」

「お前が愚弄したのはヤイバではなくこの私だ。利害が一致した程度の関係を“絆”などと言うような軽い人間、もしくは目の曇った人間と思われたことが癪に障る。同時に私とシズネの絆まで否定されては、私はお前にこの剣を向けねばならん」

「何を、おっしゃりたいの?」

 

 ラピスはナナの真意を図りかねていた。ナナたちを侮辱するようなことを言った覚えはない。ナナにヤイバのことを聞かれなければ力になれなかったことを謝ろうと思っていたのに、ラピスはナナを怒らせてしまったらしい。問い返すラピスの声はところどころ掠れていた。

 対するナナは愚弄されたと言う割には落ち着いていた。声も怒声とはほど遠い。

 

「くだらぬ嘘はよせ、ということだ。お前にとってヤイバは特別な存在だったのだろう?」

「そ……そんなことはありませんわ!」

 

 口では否定していてもラピスは動揺を隠せない。確かに嘘をついていたのだが、ラピスには過去に騙しきれなかった者は存在しない。初めての経験だった。

 

「どの口が物を言う? 今のお前は我々を全員救出して見せた名指揮官とはほど遠い。何だその腑抜けた面構えは? おまけに腰まで引けている。欠けてしまったのはヤイバのことでなく、お前の勇気ではないのか?」

「…………」

 

 見破られたのはなぜか。ナナの慧眼によるものだろうか? 否。今のラピスはオルコット家の現当主として立てないくらいに弱っている。

 ナナの言ったことは何一つ否定できない。ここで全員を救出してみせるというだけの自信はラピスにはない。そのための策は失敗に終わっていた。

 腑抜けた面構え。腰も引けている。それも当たり前だ。ラピスはナナたちに負けると宣告しに来たようなものだ。申し訳ない気持ちのまま堂々としていられるほど今のラピスは強くも図々しくもない。

 立ち向かえる根拠など何一つない。相手を倒せば終わりなどという簡単な問題じゃない。逃げれば良いということもない。必死に手に入れた力も今の状況をひっくり返せるものではなかった。

 

「では私は敵を迎撃しに向かう。ひとつ言っておくことがあるとするならば『足手まといが来ても戦いの邪魔だ』ということか」

 

 ナナは状況を理解して言っている。彼女の自信がどこから来ているのかラピスにはわからない。ただ、ナナはラピスのことを“足手まとい”扱いした。

 

「いいえ! わたくしも戦います!」

 

 反射的にラピスは食い下がる。もうチェルシーがやられるのを黙って見ていた自分とは違うのだと、自分に言い聞かせるために。

 しかしラピスの言葉はナナには届かなかった。ナナは小さい子供を相手にするようにラピスの頭を撫でながら優しく諭す。

 

「無理に怖い思いをする必要はない。お前の探している人も大人を呼んで解決してもらえばそれでいいだろう?」

 

 プレイヤーであるラピスは相手が福音でない限り危険はない。だというのにナナは戦うなと言ってきた。子供扱いしてきた。でも怖いのは事実だった。リンが巻き込まれたことがショックだったのは何もヤイバひとりだけの話ではない。目の前でチェルシーが喰われていった光景が蘇ってしまった。もしラピスがひとりで福音と遭遇したらと思うと、とても戦場には出られない。

 できることなら二度と関わりたくはない。家族のような存在であるチェルシーのことも誰かに助けてもらいたかった。オルコット家の当主にして代表候補生であるラピスは世間に対しての発言力は低くない。

 

 でも、助けを求める声は届かなかったのだ……

 ラピスは自分を抑えられなくなり、感情を爆発させる。

 

「誰がこんな荒唐無稽な話を信じるというのですかっ! 代表候補生アイドルの戯言としか思われませんでしたわ!」

 

 思い出せるのは自分を嘲る大人たちの汚い笑い声。誰もまともに取り合わず、世間は話題づくりとしてしか認識しない。どれだけ名前を知られていても、親身に協力してくれる人のひとりすら存在していなかった。

 

「ですからわたくしは、自分の手で解決しなければいけなかったのです! そのために、できることは何でもしました! 思えば本気だと思っていたことも“必死”ではなかったのです」

 

 長らく代表候補生としての力が不足しているとバカにされてきた。それでもBTを最も上手く扱えるプレイヤーは自分だという自負があった。井の中の蛙だ。BT適性という役に立つかもわからない領域の頂点で満足していた。その慢心の結果、チェルシーを失うことになった。以降、ISVS以外の何もかもを切り捨てて研究を重ねてきた。

 

「そうして手に入れた力もひとりでは役に立ちませんでした! 誰も頼れずに、ただ見ているだけの無力な日々でした!」

 

 練習を兼ねて一般プレイヤーの試合に混ざったりもした。弱小スフィアでランカーのいる強豪スフィアに勝ったこともあった。参加した試合は全勝。それらはラピスの手柄といっても間違いない。

 しかし、BTを誰よりも上手く扱えるようになってもなお、ラピスは戦闘に向いていなかった。誰かをサポートすることで真価を発揮するラピスの戦い方では協力者が必要不可欠だった。だが、ラピスが頼れる人間は限られている。ラピスのことを理解してくれるためには、同じ目的を持った人間が必要だった。

 

「そんなときに現れたのがあの人だったのです! 最初はもしかしてと思っただけでした! 近づいてみて、どのような人なのかを観察して、利用……しました」

 

 ヤイバ。初めて会ったときは意外と出来る男という印象しかなかった。うまく連れ出せたことで調子に乗り、調査できずにいた場所へ攻め込ませた。一方的に利用しただけだ。普通ならば愛想を尽かして去っていくくらいのことをラピスは意識して行っていた。なのに――

 

 

『君が見てくれていれば俺は無敵だから』

 

 

 などとヤイバは言った。彼をやる気にさせるためにラピスが言ったことをそのまま返された。彼はラピスがオルコット家当主とも代表候補生とも知らない。にもかかわらず、彼はラピスの目を信頼してくれたのだ。ラピスの胸の内に知らない感情が沸き起こった。

 

「そんなわたくしにあの人は頼れと言ってくださいました。わたくしがこの事件を追う上で唯一の頼れる人。あの人が――ヤイバさんが居てくだされば、わたくしは無敵になれます。ヤイバさんはわたくしにとって希望なのです! 今もその思いは変わっておりません!」

 

 ヤイバがラピスを頼もしく思っている以上に、ラピスもヤイバの存在を頼もしく思っていた。目的意識が合致しただけでない信頼関係があった。

 

「ですが……だからこそ今のあの人を見たくないのです。わたくしの一方的な期待であの人が傷つくのも、わたくしには耐えられません。わたくしは、今のあの人と同じ痛みを知っていますから……」

 

 今はその信頼関係のためにヤイバをまっすぐ見ることが出来ていない。ヤイバの家を逃げるように去ってから、ラピスは空回りしっぱなしだった。ひとりだけの力の無さを改めて実感した。

 

 ラピスの独白をナナたちは黙って聞いていた。そう、ナナ()()である。遠巻きにラピスの様子を窺っていた人たちもいつの間にか近くに集まってきていた。ラピスの困惑を余所にナナが手を叩いて聴衆の気を引く。

 

「さてと。シズネに強力なライバルが現れて楽しくなってきたところで恐縮だがそろそろ時間だ。ここに残った者は共に戦ってくれるということでいいな?」

 

 残った人数は104名中16名。これはナナが想定していた人数を上回っていた。全員がナナに対して「おおーっ!」と返事をする中、シズネだけは「ライバルってどういうことですか?」と首を傾げていた。

 ツムギの外はもうすぐ戦場となる。そこはツムギのメンバーにとって死地だ。だが、ラピスから見て彼らの顔には絶望が感じられない。

 

「また頼むぜ、指揮官さん?」

「君は君のために、オイラたちはオイラたちのために全力を尽くそう!」

「いやー、ラピスさんのファンになっちゃいました。頑張るのでよろしくっす!」

「俺はアンタを応援してるぜ! ……頼むから勝ってくれよ。じゃないとシズネさんが……」

「ここにいないヤイバとかいう奴なんてどうでもいい! この戦いが終わったら付き合ってください! え? それは死亡フラグだって? ですよねー」

 

 トモキを初めとするツムギのメンバーたちは次々とラピスに声をかけてから外へと飛び出していく。皆一様にラピスを認めてくれていた。オルコット家に生まれてこの方、純粋な利益とは無縁の信頼を初めて受け取ったラピスは戸惑いを隠せない。そんなラピスの肩にナナの手がポンと置かれる。

 

「もう私たちにとってお前は正体不明のプレイヤーではなく、誰かを助けるために必死なラピス個人だ。皆、お前という人間を知って、お前に命を預けることを良しとした。背負えとは言わん。だが、これだけは言わせてくれ」

 

 ナナは1回深呼吸を入れて落ち着いてから告げる。

 

「任せた」

 

 たった一言だった。その一言が嬉しかった。ナナとシズネも外へと飛び出していき、後にはラピスが残される。状況は何も好転していないが、ラピスはナナたちの期待に応えたかった。

 

単一仕様能力(ワンオフアビリティ)星霜真理(せいそうしんり)”を起動(ブート)。ブルー・ティアーズ、わたくしに情報を回しなさい」

 

 ラピスはISを展開するとすぐに単一仕様能力を起動する。コアネットワークを高速で検索して周囲にいる全てのISの情報を取得する能力だった。既に30機ほどのプレイヤーを確認でき、その数はまだ増えている。

 BTビットを展開。すぐさま連射する。それらはまだ狙いがあって放ったものではなく、敵とは関係のない方へと向かった。そして、戦場から離れる前に軌道を変える。次々と送り込まれるBTビットからのビームは消えることなくその数を増していき、戦場を駆けめぐる。

 

「どのようなプレイヤーが来るかは存じませんが、全てわたくしが叩き伏せて差し上げますわ!」

 

 ラピスにとって、いや、ISVSにおいて過去最大の長期戦が始まろうとしていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 宍戸に与えられた自習をこなした後、気づいたら宍戸はゲーセンからいなくなっていた。お礼を言うこともできず、協力を求めることもできなかった。宍戸ほどの実力者が味方してくれれば心強かったのだが、今は探している時間も惜しいということで俺はすぐに行動に移ったのだった。

 

 両膝に手を置いて肩で息をする。それもそのはずで俺は駅前のゲーセンから自宅まで全力で走って戻ってきていた。呼吸を整えて玄関にまで歩き、鍵を開ける。

 ……急がねえと。

 俺が家にまで戻ってきていた理由は、とある情報が欲しかったからだった。そうでなければゲーセンにいながら“策”を実行できたはずなのである。疲労困憊といった体に鞭打って自分の部屋へと急いだ。そして机の引き出しに入れてある1枚のカード状の紙を取り出す。そのカードは倉持技研と役職名、そして倉持彩華という名前が書かれた名刺である。俺が家にまで戻ってきた理由は、ここに書かれた連絡先を知ることにあった。早速番号を打ち込んで電話をかける。

 

『はいはい、こちらは彩華さんの携帯ですよっと。なるほど、コイツに連絡を入れてきたってことは君は“少年”か?』

 

 幸いなことにすぐに出てくれた。おまけに俺だと言うこともわかっていて出てくれたような気がする。

 

「えーと、その少年ってのが俺のことなのかわかりませんが、俺は織斑一夏です」

『君のことで合っているよ。なぜならば私が言葉を交わすような少年は君ひとりなのだからね。いやー、最近は年上の男としか話せないから新鮮なんだよ』

「あれ? けっこう上の役職だと思っていたんですが、部下の人も皆年上なんですか?」

『部署が部署だから、新入りもアラサーが普通だ。まだ私はにじゅ――と私の年齢などどうでもいいな。何か用があるのだろう? 言ってみてくれ』

 

 世間話もそこそこに電話越しの彩華さんは俺の話に耳を傾けてくれる。倉持技研の研究所の責任者だったはずなのだが、俺みたいな高校生の話を聞いてくれるのはなぜなんだろうか。いや、それこそ今はどうでもいいか。俺はこのコネを有効に利用しなければならないだけ。失敗は許されない。

 

「では――」

 

 俺はこれまでの経緯を全て話した。銀の福音が絡む集団昏睡事件のことも含めてだ。その解決のために力を貸して欲しいとお願いした。

 俺は考え得る限りの最善策を実行している。そんな俺が彩華さんに――倉持技研に要求しているのは企業、ひいては日本の国際的立場にまで影響を与えかねないことだった。世間には理解されにくいがISVSの本質はゲームなどではない。セシリアから聞いた情報どおりだとすると、ISVSは人類が手にするはずの無かった大規模なシミュレータだ。プレイヤーは知る由もないが、俺の推測では企業間で場所を取り合い、互いに監視していることだろう。現実ではできない危険な実験も行えてしまうのだから。

 

『ふむ……君が言っていることはただのゲームじゃない。一企業がISVSに介入することの意味を知っていて、我々に動けと言うのだな?』

「はい。俺には、いいえ、俺たちにはあなた方のバックアップが必要です」

『現実を舐めてはいけないよ、高校生。企業というものは営利組織だ。君のような子供の振りかざす正義では決して動きはしない』

 

 ダメ、だったか。でも俺にはどうすれば説得できるのか見当もつかない。彩華さんの言うとおり、俺は社会を知らない高校生だから、利益にならないから動けないと言われればそれで終わり。

 でもナナに大丈夫だとメールを送ったからには絶対に譲れない。

 

「子供だってのはわかってます! でも、俺は……誰かの危機を見過ごすような大人になんか絶対になってやらない!」

『少年、私を見くびってくれるな。誰もその“誰かの危機”に見て見ぬ振りをするなどとは言っていない』

「え?」

 

 てっきりダメだと思っていた。でももしかしたら最初から彩華さんは俺の言葉に乗ってくれる気だったのかもしれない。

 

『我々には我々の正義が存在する。君の言ったこととは少々違うが、君が悪と定義している存在は人間社会を脅かすものとして十分だ。大義名分も立つ。この倉持彩華がお爺様を脅しつけてでも協力すると約束しよう』

「彩華さん……」

『利益とは何も金銭だけの話ではない。最終的にはそうなるのだが、信頼こそが将来的に大きな利益となる。ここから先は大人の話だな。君は君なりの誠意を見せればいい。では準備があるので切らせてもらう』

「あ、ありがとうございます!」

 

 電話が切れた。直後に俺はガッツポーズを取る。全ての準備はこれで整ったことになる。

 あとは俺自身もナナたちの援護にかけつければいい。

 イスカを胸に俺は横になった。

 

 

***

 

 

 目の前が真っ白になった。

 しかしいつもの声が聞こえず、次第に見えてくる景色はまるでテレビのように他人事だった。ISを動かしている感覚は何もないのに空を飛んでいる。傍らには知らない女性が並んで飛んでいた。

 

『チェルシー、このようなことをしなくてもFMSはわたくしの有用性に理解を示していますわ』

『いいえ、お嬢様。それは慢心です。今でこそFMSはBTの開発に熱心ですが、いつまでも続く保証はありません』

 

 俺からラピスの声が出ている? いや、これは俺がラピスの意識を共有していると言った方がいいのかもしれない。これはラピスの記憶を覗いているのだと、漠然と理解した。

 ラピスの焦りのような感覚が伝わってくるが、必死にそれを隠そうともしている。チェルシーと呼んでいる女性の忠告を理解しながらも納得したくないようだ。

 

『今日は私も狙撃ではなく中距離用のライフルでお相手いたします。ですから一日でも早く戦闘の立ち回りを覚えましょう』

『戦闘など必要ないでしょう! BTは通信機器のさらなる発展のためのもので――』

『お嬢様。それはBTの価値であってお嬢様の価値ではございません。代表候補生という立場であるからにはモンドグロッソ出場を目指して精進しませんと』

『それはわかってますわ! いちいちうるさいですわね』

 

 ここに俺の知らないラピスがいた。嫌なことから目を背けている彼女は、俺の知る聡明な彼女とは違っている。一体、何があれば今の彼女が出来上がってしまうのだろうか。そう思っていると、視界の端にISがチラリと見えた。俺は気づいたのだがラピスは気づいていない。まっすぐにこちらに迫ってくる機体には――銀色の翼がついていた。今ならばわかる。銀の福音だ。

 

『お嬢様!』

 

 唐突に放たれたEN弾の群。ラピスが気づかないままに迫ってくる敵の攻撃に対してチェルシーという人は自分の体でラピスを守る。

 ラピスは何もできない。考えていない。混乱して、突然襲われた事実も飲み込めないまま、チェルシーさんが福音に立ち向かっていく。しかし明らかに慣れていない動きだったチェルシーさんは連続してシルバーベルを当てられて、ついには墜落していってしまう。そこでようやくラピスは理解が追いついていた。

 

『あなた、いきなり何をしますの!?』

 

 ラピスは福音に問いかけるが当然返答はない。福音はラピスを無視して、戦闘不能となったチェルシーさんを追い始めていた。慌ててラピスも追いかける。

 ……俺はこの先を見たくなかった。

 

『え……? チェルシー……?』

 

 福音に捕まえられたチェルシーさんはリンと同じ末路を辿っていた。

 

 

 そこで映像が途切れるように俺の視界は真っ白になる。そして、始まったのはいつもの問いかけ。

 

『今の世界は楽しい?』

「そんなわけがない! リンやチェルシーさんがこうなったまま放っておけるかよ!」

 

 即答する。福音の恐ろしさに目を背けたくなったが、もう立ち止まらない。俺にはやるべきことがある。きっとそれは俺だからこそできるんだ。ただの自信過剰じゃない。偶然にその位置にいるだけの話とはいえ、俺ほど福音に立ち向かうだけの理由がある男はいない。その理由こそが俺の武器だ。

 決意を改めて表明したところで、いつもの台詞に追加があった。

 

『欲しいんだよね? 君だけのオンリーワン』

 

 これは悪魔の囁きだろうか。ISVSにおいてオンリーワンと言われたら、俺が想像できるのは単一仕様能力しかない。

 

「欲しいさ。リンたちを助けられるなら何だって受け入れてやる!」

 

 返答なんてない。これはただ俺が独り言に勝手に反応してるだけ。そのはずだった。なのに、今回だけは違っていたんだ。

 

『ごめん、実は私が与えるまでもなく君はそれを手にしているんだ。“何だって受け入れてやる”。それこそが単一仕様能力(きみのちから)だよ』

 

 声の意味を考えている間に移り変わった視界には空と海が広がっていた。綺麗なものじゃない。大量のISが飛び交っている戦場だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『こちらトモキ。悪い、ちょっとドジって囲まれた。指示を求む』

「左後方の敵機はもう瀕死ですので強引に斬り抜けてください。その後、残った敵に追いかけられますが5カウントほど攻撃の回避をお願いします」

『了解』

 

 ラピスはトモキに指示を飛ばすと同時に他メンバーに通信をつなぐ。トモキに送った5カウント後、一斉に狙撃をさせるつもりだった。前線で暴れられるメンバーはトモキを含めて一握りしかいないが、他のメンバーも十分に活躍できる。活躍させることこそがラピスの役割とも言えた。

 

(戦闘開始から30分。やはり多勢に無勢ですわね。まだランカークラスの相手が来ていないためにナナさんやトモキさんといった強力なカードで抑えられていますが、これもいつまで保つかはわかりませんわ)

 

 ナナの戦闘の様子を確認する。やはり彼女は圧倒的な強さを見せつけていた。今度のプレイヤーたちの目的はツムギの制圧であるようで、ナナに群がっていることはない。しかし、プレイヤーの大多数は彼女の相手をせざるを得なかった。逃げても超スピードで追っかけてくるのだ。味方であれば頼もしい存在だが、もし敵に回せば鬼にしか見えないだろう。

 ラピスはナナに関してはノータッチだ。せいぜいが全体の戦況を伝える程度で戦術にまで口出しをしていない。というよりも必要がなかった。逆にラピスが戦術を与えると彼女の勢いが衰えてしまう可能性の方が高かった。

 

(誰も死なせてない。でも……)

 

 誰一人欠けることなく戦闘は進んでいく。しかし順調に事が運んでいてもラピスは時と共に不安が大きくなっていた。

 終わりが見えないのだ。いくら敵を倒しても、後から後からプレイヤーが入ってくる。この戦いには明確な勝利条件がない。戦闘終了条件は“ツムギが制圧されること”の1点であり、プレイヤーにとってミッションの敗北が存在していない。もはやゲームの体裁すら保てていなかった。

 

(ミューレイ、いえ、敵と言った方がいいでしょう。敵は手段を選んでいない。やはりツムギとナナさんは敵にとって無視できない何かがありますわね。ナナさん本人には自覚がないのでしょうが)

 

 ツムギは福音と無関係と一度は判断したが、現状を考えるとツムギは問題のど真ん中にあるとしか思えなかった。ミューレイから出された敗北条件のないミッションがラピスを問題の核心に近づけていく。

 

『ラピス! “奴”が現れた! どうして教えてくれない!』

 

 唐突にナナから通信が来て思考が遮られる。考えている間、ラピスは索敵を怠っていたわけではなかったため、ラピスにはナナが何を言っているのかすぐには理解できなかった。

 

「どうされました? 強敵でも現れましたか?」

 

 聞きながらナナの周囲にいるプレイヤーをチェックするが、ランカーに該当する装備のプレイヤーは見受けられない。“夕暮れの風”のような有名プレイヤーでもない。ナナが苦戦する理由はないはずだ。

 

『“奴”だと言っているだろう! “奴”がリンを襲った敵のはずだ!』

 

 リンを襲った敵。つまり、ラピスが追っている福音と同じもの。だがブルー・ティアーズが伝えてくる情報の中に、福音と同じ装備の存在はない。

 ここでラピスはナナの視界を借りる。ナナの目を通して見た機体は紛れもなく銀の福音だった。銀の翼を広げて光の球をばらまき、ナナを襲ってきている。

 

(なぜ? まさかこの福音は――ISではない!?)

 

 なぜブルー・ティアーズの眼に映らないのか。ISはコアネットワークに繋がっていなければ起動しない。そしてどんなプロテクトがあろうともブルー・ティアーズの単一仕様能力は情報を覗き見ることができる。もっとも、視覚や聴覚といった機能への進入は相手にもバレるため諜報には向いていないのだが今はそんなことは関係ない。ISがこの眼から逃れられることは絶対にあり得ないということが重要である。

 ナナの視界に映る福音の位置に存在するISはないとブルー・ティアーズは言っている。完全に位置を隠せる単一仕様能力である可能性もあったが、ラピスの考えは福音がISでない可能性でまとまりつつあった。

 

「ナナさん! それは間違いなく強敵です! 決して他の方と戦わせてはなりません!」

『わかっている。雨月の避け方が素人じゃない。私はこれとの戦闘に集中しなくてはならないようだな。皆のことは任せたぞ』

「はい。お気をつけて」

 

 福音の登場でバランスは一気に崩壊した。ナナと福音の一騎打ちが始まり、プレイヤーの多くがツムギに向けて移動を始めている。残された戦力で抑えられる時間は微々たるものだろうことはやる前からわかっていた。

 ラピスの指示を以てしても戦況は覆らない。戦闘の補助でツムギのメンバーに実力以上の戦果を挙げさせるラピスだったが、元々の実力に上乗せしてるだけであって、全員がヴァルキリーになるわけでもない。加えて誰も死なせないための慎重策を取るしかなく、戦線は後退して本拠地の目と鼻の先にまでプレイヤーが迫ってきていた。

 

 悪い状況には悪いことが重なるもので。

 

『ラピスさん! ナナちゃんが!』

 

 シズネから伝えられるのはナナが押されているという情報だった。慌ててナナの視界を借りると、光の異形と化していた福音の姿が目の前にある。ラピスの目で追っていけない速度で斬り合う両者だったが、ナナは斬り結ぶ度に一方的に翼からの射撃を受けてしまっていた。このままではナナも危うい。かといって今ナナの方へと割ける戦力など――

 

 自分しかいない。

 

「わたくしがナナさんの支援に向かいます」

 

 やれるかどうか確証がないまま、ラピスはスターライトmkⅢを片手に飛び出していた。BTビットからの射撃のみでは支援にすらならない。ISが近くにいることで福音の注意を少しでも分散させるしか方法が思いつかなかった。

 レベルが違うことくらいはわかっている。いくら練習しても一流にはなれなかった経験が行くだけ無駄だと、後方で指示を出すことが一番貢献できるのだと訴えてきていた。でもラピスはその足を止めなかった。

 

「福音! 今日こそ、チェルシーを返していただきますわ!」

 

 ナナと福音が戦っている場所へと駆けつける。スターライトmkⅢの銃口を福音に向けて、大声でラピスは叫んでいた。お前の敵はここだとわざわざ伝えるように。ラピスの向ける銃口はどこを狙っているのかわからないくらいに揺れていた。震えていた。PICで補正されるはずのものが機能していないくらいに恐怖が前面に出てきてしまっている。

 

「バカ! なぜやってきた!? くっ――!」

 

 失敗だったのは福音よりもナナの気を引いてしまったこと。気を取られたナナは福音の蹴りを受けて突き飛ばされてしまう。そして福音はナナに追撃を加えることはなく、ラピスの方へ顔を向けていた。

 

「ひっ!?」

 

 ひきつった声を出してトリガーを引いた。スターライトmkⅢから放たれたビームは福音に向かって飛ばなかったがラピスにとってそれは関係のないこと。ただちに軌道を修正して福音に直撃させる。だが、ビームは福音の光の翼によって阻まれてしまった。いくら避けられても当たるまで追わせることはできるが、かき消されてしまってはどうしようもない。

 反射的に後ろに飛ぶ。ラピスの最後の抵抗とも言える行動だったが福音にとっては誤差の範囲でしかない移動距離。イグニッションブーストの1回で福音はラピスの目の前にまで来ていた。すかさず両手のENブレードが振られてスターライトmkⅢが破壊され、本体にも一撃を加えられてしまう。

 

「あああ……」

 

 絶対防御の発動。ストックエネルギーの減少が発生。この数値がゼロになれば、ラピスもチェルシーやリンと同じ道を辿る。現実に帰れない時点で、ましてや意識が存在できるのかわからない時点で、死の宣告が近づいているも同然だった。

 福音が口を開いていた。不気味に並ぶ牙は全て金属でできているのだが、猛獣のものと何も変わらないように見えた。もうこの中に入ってしまうのも時間の問題だった。この至近距離ではラピスはどう足掻いても生き残れない。

 

 

 ――走馬燈とでも言うのだろうか。この極限状態でラピスは不思議な光景を目にしていた。普通ならば走馬燈は本人の過去を映すもの。だというのにラピスは自分が知らない光景を目にしていた。

 

 知らない学校。統一されている服装の生徒たち。

 多くの生徒たちがそれぞれ楽しそうに笑っているのを眺めている自分。

 そんな自分に声をかけてくるのはラピスも知っている人物だった。

 

 鈴だ。

 

 雨の降りしきる中、鈴を追いかけていた。

 知らない人に聞いて回り、必死に情報を集めていた。

 ただ、鈴と離れたくないという思いを糧にして。

 そうして“あの人”は今を勝ち取ったのだ。

 

 だからこそ、福音を放置できない。

 “あの人”の思いがラピスにもよく伝わった。ラピスも同じ思いだ。

 人の名前こそ違えど、この戦いに赴いた目的は同じなのだ。

 

『鈴を――』

「チェルシーを――」

 

 “あの人”の声と重なった。

 

 

『返せ!!』

 

 

 その瞬間、ラピスの中に暖かいものが入ってきた。正体はわからない。

 だが不思議と力が沸いてきていた。

 

 目を開く。目の前には相変わらず光の化け物がいる。手の平から生えているENブレードを振りかざして今にもラピスを攻撃しようとしている。

 怖くない。今のラピスには“福音が腕を振り上げる動作”が見えている。めまぐるしく変わるISの近接戦闘についていけていないはずのラピスの目は、今だけは違っていた。振り下ろされるENブレードに対して、ラピスは今まで一度も拡張領域から出したことのない装備を展開させて迎撃を試みる。ENショートブレード“インターセプター”。念のためにとチェルシーが載せていた構成をそのまま使っていたために拡張領域に存在した本来ラピスに必要でないものだ。

 ラピスは近接武器を呼べない。扱うのが下手以前になぜか呼び出せない。極度の苦手意識が拒絶していたのだ。でも今は自分の手であるかのように扱えている。福音の高速の剣戟を軽くいなしてみせ、ラピスは福音から距離を取った。

 

 自分の体が自分のものではないように動く。剣の扱い方など全くわからないのに何年も振るってきたように扱えている。自分の目ではないように福音の動きを追えていた。そして――福音からイグニッションブーストで逃げた。ただの一度もイグニッションブーストは使ったことがなかったのに、当たり前のように使えた。

 

 なぜかというのはおかしかったかもしれない。ラピスは理解している。

 今、ラピスを生かした“経験”と“技術”はラピスのものではない。

 

「遅くなってゴメン! って、福音がいるじゃないか! よく耐えたな、ラピス」

「本当に……遅刻も度が過ぎると嫌われますわよ、ヤイバさん」

 

 上空から降りてくるのはヤイバだった。彼の中で何か整理がついたのか、織斑家で別れたときとは目つきから違っている。

 ラピスが行ったものは全てヤイバの技術。なぜ自分がそんなことを行えるのか。ラピスは噂でしか聞いていないある事柄が起きたのだと解釈した。でもそんな分析は後回しだ。今は福音を倒すことが重要である。

 

「あれ? 俺ってもう嫌われてると思ったんだけど?」

「本気でそう仰っているのでしたら、頭をかち割ってハンドミキサーでシェイクして差し上げますわ」

「わー、こわいこわい。……不甲斐ない俺でごめんな」

 

 唐突にヤイバは声のトーンを落とす。ラピスに謝る姿は、今のラピスが見たい姿ではない。また叱りつけるべきかと思ったラピスだったが、今は逆方向からアプローチすることにした。

 

「では頼もしいヤイバさんを見せてくださいな?」

 

 これは心の底から思っていることだ。自分でヤイバの戦闘を体感してみてヤイバの力は理解している。技術もそうだが、福音の恐ろしさを知ってもなお立ち向かうという気力こそが頼もしい。ヤイバならば最後まで隣で戦ってくれると確信できた。

 ラピスの言葉で顔を引き締めたヤイバは雪片弐型を構えてラピスの前に立つ。

 

「わかった。俺の頼もしい背中を見せてやる。だから、ラピス。君の力で俺を“無敵の刃”にしてくれ」

「もちろんですわ。期待してましてよ」

 

 福音が動く。同時にヤイバは駆けだした。ナナをも圧倒した福音にヤイバひとりが立ち向かう。

 いや、ひとりではない。他ならぬラピスが見ているのだ。ヤイバひとりでは負ける相手でも、ふたりならば勝てる。

 

 無敵の刃の一刀は福音の胴体に届いた。



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14 蒼き翼の勇者

 閃光と爆炎が海上で激しく明滅する。銃声が鳴り止むことはなく、空を無数の人型が駆けめぐっていた。俺が今いる場所もその一部でしかない。だが目の前にいる“敵”だけは、一部として片づけるには強大すぎる存在だった。

 銀の福音。正確には違う名前だろう。ラピスから伝わってきた情報によれば、コイツはISではない。だから世界ランキング9位であるセラフィムとは完全に別物なのは確定である。もっとも、今の俺にはコイツは福音としか呼べないが。

 

 福音が身丈よりも大きな光の翼を広げる。鳥のような生物的な翼は1対だけでなく4対だ。八方に翼を生やし、光の剣を携える人型は神話に出てくるような天使を思わせる。敵対している今、その存在は悪魔でしかない。

 敵の状況を分析。光弾の生成がないということは接近してくるはず。前に対峙したときには一切わからなかったことが今は手に取るようにわかる。前との違いなんてAICの概念を理解したくらいでしかないはずなのにだ。

 

(ヤイバさん、わたくしを忘れておりません?)

(あ、そうだった。ラピスが見てくれてるのも違う点――って、俺通信つなげてた?)

(そうではありませんわ。これはおそらく相互意識干渉(クロッシング・アクセス)による感覚共有です)

 

 初めて聞く単語だったが俺には理解できた。クロッシング・アクセスは操縦者同士の波長のようなものが一致したときに発生すると言われている現象で、ISコアが操縦者の意識をつなぐものだという知識があった。その知識すらも俺はラピスと共有しているらしい。福音が光弾を出さないと判断できたのもラピスの観測があってのことだった。

 

 迫り来る福音は両腕のENブレードを縦に同時に振り下ろしてくる。二刀流の厄介なところを押しつけてくるものだ。まともに受けるわけにはいかず、俺は向かって左のブレードを雪片弐型で受け流しつつ、そのまま左に抜ける。

 油断はするな。まだ福音の攻撃は終わってない。警戒していたとおりに福音が翼から光の弾を生成して一斉に放ってきた。俺にはまだまだ余裕がある。AICを使用して道を切り開き、イグニッションブーストを使用する。

 福音のばらまいた弾は全て外れた。至近距離のショットガンと同じくらいやばい代物だったが、イグニッションブーストならば避けられる。何にも当たらなかった福音の攻撃は遙か後方の海に着弾して、凄まじい水柱を上げていた。それを観測していたラピスの思考が俺にも伝わってくる。

 

(ナナさんの戦闘データから計算はできていましたが、シルバーベルと比べて単発の威力が段違いですわね。ヤイバさんの白式だと10発程度で落とされてしまうでしょう)

(具体的な数字にされると恐ろしいな。ちなみにそれは胴体直撃でだよね?)

(はい。もっとも、ヤイバさんなら1発も当たらないでしょうから心配はしておりませんわ)

 

 ラピスは本気で当たらないと思ってくれているのも俺にはわかってしまう。ならばそれには応えないと。

 

 再度福音と向き合う。至近距離からの射撃が避けられることも想定済みであったのか福音はENブレードを掲げて飛び込んできた。イグニッションブースト後の隙をついた追撃となり、俺は避けることができない。

 

 ――昨日までの俺だったなら。

 

 AIC。周囲からの衝撃など気にせず、自らの速度をゼロにすることに終始させる。イグニッションブーストからの急停止。ISコアが自動で耐G制御を行っている間に次の道をイメージしておく。

 急停止により、福音が俺に追いつくのは一瞬だった。タイミングをずらしたにもかからわず福音は的確に俺へと両手のENブレードを同時に叩きつけてくる。俺がそのまま足を止めていればこの攻撃を受けなければならない。

 

 ――今の俺はまだ踏み出せる。

 

 俺ができることは終わっていない。もう福音は攻撃のタイミングをずらせない。俺は実戦で初めてイグニッションブースターの2段目を使用する。これが多段瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)と呼ばれる高等技能の応用技。慣性制御によって瞬間的な180°ターンも可能である。

 俺は福音の想定には無い動きをした。人間離れした福音でも知識や経験というものはある。だが中途半端な知識と経験は、思いこみという油断を招くものだ。おそらくは相手が俺でなくランカーだったならしなかったであろう飛び込み。俺と戦ったことがある経験がそうさせた。だからこそ、俺の反撃が奴に届く。

 

 ENブレードを振り上げた福音の胴はガラ空き。俺は雪片弐型で斬り抜けた。

 

(ヤイバさん! 離れてください!)

(わかってる!)

 

 相手が普通のISならばここで一気に倒しきるところだが、倒しきれる保証もないまま攻撃するわけにはいかない。攻撃し終えた俺はそのままの速度を維持して福音から遠ざかる。案の定、俺を包み込もうと光の翼が動いていた。危機一髪である。

 問題はここからだった。今、俺が一撃を加えられたのは福音の油断によるもの。実際のところ、福音は俺に接近戦を仕掛ける必要など無く、リンの衝撃砲も効かなかった翼で守りながら射撃を繰り返されるだけで俺には手も足もでない。

 福音は翼のうち4枚で体を覆い、残りの4枚から光弾を生成して次々と俺に向けて発射してくる。回避に専念すれば避けられるが、攻め込めない。

 

(ラピス。福音の翼はENブレードと同じものと見ていいんだな?)

(はい。あの翼で守られては雪片弐型で斬りつけても効果がないと思われます)

(敵は安全策で来たか)

(妥当と言えば妥当ですわね。福音があの状態でも攻撃できる時点で、こちらは一方的に逃げ回るしかありません。くれぐれも不用意に接近はしないでくださいませ)

(ああ。あの翼に捕まえられたら終わりだからな)

 

 光の弾幕が張られる。常に射角を変えてくる福音の攻撃は、足を止めてしまえば周囲からの集中砲火となんら変わりない。視界が無数の光の群で埋められていき、まるで目の前が真っ白になったようにも感じられる。

 その中を福音は縦横無尽に動き回っている。奴は射撃のみではなく、守りを固めたまま、突っ込んできた。攻撃用の翼がまるで手のように俺に向かって伸びてくる。雪片弐型を当てると一瞬だけ動きを止めたため、その間にイグニッションブーストを使って逃げ出す。

 

(やっぱり斬れない。正攻法は無理そうだな。何か策はある?)

(無いことは無いのですが、すぐには用意できません。それにプレイヤーに攻め込まれている現状では難しいですわ)

(なるほど……ラピスにしちゃごり押しっぽい作戦だな。それでいこう)

(ですから現状では無理だと……そういうことですか。ヤイバさんは何者ですの?)

(俺はただの高校生だ。変わった知り合いがいるだけのな)

 

 ラピスとの脳内会議を終える。

 俺はここで拡張領域にある武装のリストを確認した。

 雪片弐型しか登録されていないはずの拡張領域だが、なぜか今は複数の武装が存在している。

 BTビットBTミサイル複合兵装“シグニ”。

 破損しているENライフル“スターライトmkⅢ”。

 そして、ENショートブレード“インターセプター”。

 わかる。これらは全てラピスのISの装備だ。それがなぜか白式の武装として登録されている。

 

(ラピス。インターセプターを借りるぞ)

(知識や経験だけでなく、拡張領域とストックエネルギーとサプライエネルギーも共有しているみたいですわね。わたくしは後方に下がりますので、インターセプターだけと言わず、シグニもお持ちくださいな)

 

 空いた左手に武器を呼び出す。雪片弐型と比べたら小刀といった大きさのENブレード。これで俺の手数が増えた。そして、ラピスによって具現化されたBTビットとBTミサイルが白式のウィングスラスタの周りに配置される。それらがひとつの大きな翼であるように……

 

 今の俺がすべきことは時間を稼ぐこと。

 やれるはずだ。勝てるはずだ。

 俺ひとりが戦ってるわけじゃないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 パラパラとばらまかれた金属が右肩の盾を叩く。ひとつひとつは大したことが無くても徐々に盾が変形し、そのうち破られてしまうことだろう。ベコベコになりつつある盾が壊れる前にと、無茶な突撃をしている男がいた。ツムギの実力者であるトモキだ。彼は接敵に成功すると物理ブレード“葵”でマシンガンを撃ってきていた敵を斬りつけた。ちょうど限界に来ていた敵はその一撃で消滅し、トモキはフーっと一息つく。

 

『トモキー、そっちが終わったんならこっちに来てくれー』

『トモキ。左翼が破られそうだ。至急援護を』

『トモキくん、正面側中央に接近してくる高速機体があります。至急迎撃を』

「だーっ! うっせーよ! 俺はひとりしかいないのっ! 忙しいのはわかったからつべこべ言わずにラピスの指示に従ってろ!」

 

 休憩する暇も無くトモキは次の相手と戦わなければならない。それはトモキだけの話ではなくツムギのメンバー全員に言えることである。まだハッキリと口には出さないが、精神的に追いつめられてきたメンバーもいることだろう。安全マージンを十分にとらなくてはならないのに退くところもない防衛戦をしていては無理もない。

 頼みの綱のラピスから指示は来ている。だが戦力差は決定的であり、劇的な勝利を掴めるような作戦があるわけでもない。ここまで誰もやられていないだけでも十分だとトモキは納得しているのだが、全員が耐えられるとは思っていなかった。

 

『トモキさん。次は正面に接近してきているユニオンの相手をお願いします』

「あいよ、了解」

『お気をつけください。相手はブライト兄弟という有名プレイヤーです。ひとりがヘルハウンドフレームを使った輸送機となっていて、もうひとりがその上にガトリングを装備したフォートレス型で乗ったまま攻撃をするという戦術を取ってきます』

「へー……移動するガトリングとかマジで相手にしたくねえな」

 

 愚痴を言いながらもトモキは必要な武装を分析して装備変更を行う。相手はユニオン2機が連結した移動要塞である。トモキの打鉄は機動性重視のディバイドであるが最高速度では負けていると判断でき、ブレードによる攻撃チャンスはほとんどない。よってブレードを収納して荷電粒子砲を装備する。

 指定されたポイントはツムギの本拠地正面口側の中央。ここを突破されればツムギが落とされるというポイントだ。まだここに敵影が無いのは前線で辛うじて抑えられているということを指す。しかし今から来る相手はそれらのことごとくを無視して特攻を仕掛けてくる。トモキが敗れればそれはそのままツムギの敗北を導くことになるであろう。

 

「ま、こんなところでナナがたったふたりを相手にしているわけにもいかないしな。この俺がやるしかないっしょ」

 

 敵影が見えてきた。情報通り、ユニオン2機分のごつい戦闘機のようなものが向かってくる。速度は単体の戦闘機型(ユニオン・ファイター)と比べれば圧倒的に遅いが、要塞型(ユニオン・フォートレス)としては速すぎるくらいである。トモキは先制攻撃として荷電粒子砲を構えて狙いを絞る。狙撃の腕は全くといって無かったが、ラピスによるサポートによってある程度はマシとなる。トモキは躊躇いなくトリガーを引いた。

 思考制御による発射トリガーによって、大筒に光の粒子が収束していく。すでにため込まれた粒子を加速するプロセスを経て、砲口から極太の光線が放たれた。海上の空を雷のような轟音が割いていく。

 

「マジかよ? 避けやがった」

 

 敵機はなんでもないと言わんばかりに回避していた。進行方向に対して垂直な高速横移動である。戦闘機型を使うプレイヤーの多くができない挙動をブライト兄弟は要塞型を積んだ状態でやってのけていた。

 そもそもユニオンのいいとこ取りと思われるブライト兄弟の構成であるが、実際のところはデメリットが消せていないEN武器の的なのである。要塞型を移動させるアイデア自体は出てきても、下の戦闘機型、上の要塞型、ともに移動を制限された状態となってまともに操作ができない。単機の方がまだ回避できる可能性があるのだ。

 そんな制限をものともせず、ひとつの機体であるかのようにブライト兄弟は扱える。そんな彼らだからこその機体構成といえ、彼らの名前をISVS内に知れ渡らせているのだ。

 トモキは彼らのことを知らなくても、簡単に勝てる相手ではないことは察せていた。

 

 接近を許す。荷電粒子砲のチャージが間に合わず、トモキは左手のライフルで牽制射撃を行う。対するブライト兄弟は旋回しながら回避していた。だがただ回避するだけでは終わらない。上部の要塞型部分からガトリング“デザートフォックス”がトモキを狙っていた。“ヘカトンケイル”や“クアッドファランクス”と比較すると火力は劣るが、ガトリングの単位時間当たりの火力は侮れるものではない。トモキは両肩の盾を前面に押し出しつつ後退する。時間と共に修復されつつあった盾は再びベコベコになっていく。

 

「ああ、もう! これだからガトリングは大っ嫌いだっ!」

 

 攻撃が止む頃には既に敵機は遠く離れている。盾は片方に限界が来て粒子となって消えた。再び使用可能になるまでは30分といったところである。

 舌打ちしつつトモキは考えを巡らせる。中距離での撃ち合いは分が悪い。しかし遠距離で当てられることもない。接近するだけの速度も持っていない。次にガトリングに晒されれば耐えきれない。ないない尽くしだ。

 自分一人で対処することはお手上げだった。このまま続けても勝てないことをトモキは素直に認めて、ラピスに指示を仰ぐ。

 

「で、俺はどうすればいいんだ?」

『時間稼ぎは十分ですわ。そのまま後方に下がり、装備の修復を待ってください』

「はぁ?」

 

 まさかの撤退の指示にトモキは開いた口が塞がらなくなる。ここで強敵を討つための人選ではなかったのか。それともナナの手が空いたのか。ラピスの意図は不明だったが、トモキは指示に従うことにした。

 ブライト兄弟が旋回を終えて再び接近してくる。トモキは立ち向かう真似はせず後方へと下がり始めた。ツムギまではもう目と鼻の先。これはそのまま追いつめられたことを意味する。

 背水の陣を敷いた。そうも思ったトモキだったが、周囲の戦闘音が激しくなっていることに気づく。銃声にしろ爆発にしろ、その数自体が増えていた。そして――

 

 ツムギの建物の影から複数のISが飛び出してきた。

 

 トモキの見上げる空は次々と現れるISによって埋められていく。その数100機超。ツムギではない。数が多すぎる。つまり、このISの大軍はプレイヤーに他ならない。

 

「俺たちは……負けたのか……?」

 

 あまりにも突然の変化にトモキは武器を取り落としそうになった。そんなときである。割と頻繁に聞いているムカつく声が聞こえてきた。

 

『正確にはトモキくんひとりの負けですね。今日の王子様度数もヤイバくんの圧倒的勝利です。残念でした』

「おい、シズネ! 今はふざけてる場合じゃ――」

『察しが悪いのでさらに減点ですね。これはレポートにしてナナちゃんに提出しておきます』

「ちょ、おま――」

『今来た人たちは私たちの味方ってことです。そのまま見ていてください。私とナナちゃんの希望が引き寄せてくれた勝利というものを』

 

 トモキが何を言おうとシズネは一方的に話すだけ。

 口数の多さが憎たらしいと思いつつ、平常運転なシズネの声でトモキも理解できた。同時に安らぎを覚えている。

 今まででは考えられなかったプレイヤーの援軍がやってきたのだ。

 

 後方から現れたISのうち1機がどでかいENブラスターを構えていた。トモキはその装備に見覚えがある。集束型ENブラスターの代表格ともいえる“イクリプス”だ。件のISは燃費の悪いそれが2つ束ねてあるという狂気の装備構成である。

 当然、それだけならばブライト兄弟に当たるはずがない。しかし、既に前方には3機ほどのISがマシンガンやライフルで足止めを行っていた。

 

「ハッハーッ! 全部吹っ飛びやがれ!」

 

 周囲が暗く感じるほどの光が空を走った。トモキの扱う荷電粒子砲“春雷”もちっぽけに感じるほどの光はブライト兄弟のうち要塞型の方を貫いていく。直撃した要塞型は跡形もなく消し飛び、戦闘機型の方は余波で装甲が吹き飛んでいた。

 ちなみに撃った本人はPICに異常をきたした上にアーマーブレイク状態で海に墜落。何もアシストのないISでは泳ぐこともできず、沈んでいった。

 

 戦闘機型はまだ残っている。前に出た3機を突破して、そのままツムギにまで向かおうとしていた。そのまえに立ちはだかるのはトモキ。

 

「休んでろって言われたけど、お生憎様。俺は重要なことを人任せにしてられない性格なんだ」

 

 武器を荷電粒子砲から物理ブレードに持ち変える。トモキを避けて先に進もうとするブライト兄に向けて左手に仕込んであるワイヤーブレードを射出した。命中と同時にトモキはブライト兄に引っ張られていく。ワイヤーによって速度は同期された。あとはワイヤーを回収していくことで加速し距離を詰めていく。高速飛行物体の背を捉え、トモキは逆手に持った物理ブレードを突き立てた。

 

 敵機の消滅と共に状態を静止に以降。ブレードを鞘に納めて機体の修復に専念する。

 

 そんなトモキに近寄ってくる者がいた。先ほどまで前方でマシンガンを撃っていた男だ。フルスキンの頭部を外し、顔を見せて親しげに話してきているようだが、トモキには赤いロン毛のその男が何を言っているのかがわからない。

 

『「俺の名前はバレット。お前、中々の腕前だな。今度ブレードの使い方を教えてくれよ」だそうですわ』

「そっか。そういえば翻訳機能とやらで俺たちとは話せないんだっけ? 煩わしいな。通訳がないと話せないってのは」

 

 口からは文句しか出ないトモキ。しかし行動は違う。トモキは言葉を交わせないバレットに右手を差し出していた。バレットもその右手を掴み取る。

 

「トモキだ。援軍に感謝する。共に戦ってくれ」

 

 きっとこの言葉はラピスが相手に伝えるまで届かない。しかしラピスが伝えなくても、気持ちは伝わった。

 最後にトモキはラピスにも拾われないような小声で付け足す。

 

「……ナナたちが帰るためにな」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一転攻勢。ツムギの本部からスナイパーライフルで狙撃をしていたシズネはラピスほどではないが全体の戦況を把握できている。すでに戦線は押し返しており、シズネの仕事が無くなってしまったほどに優勢となっていた。

 きっかけは新たなプレイヤーの参戦である。出現位置がツムギよりだったプレイヤーたちの出現に対してシズネもトモキと同じように絶望した。しかし、直後にヤイバからの通信がきたのだ。彼らは全てヤイバの仲間であり、ツムギを守るために駆けつけたのだと。やはりヤイバが道を切り開いてくれる。それが嬉しいと同時に誇らしかった。

 

 味方として現れたプレイヤーたちは強かった。目に見えてひとりひとりが強いなどというわけでなく、複数の機体がある意味を教えてくれるような集団戦をしていた。今日これまで敵として現れたプレイヤーは、彼らと比べれば連携などのないソロプレイしかしていないようにも感じられる。シズネは知らないことだが、その原因はミッションの景品ともなっていたナナの装備を取り合っていた結果であったりする。

 

『それではシズネさん。今から“花火師”という方がそちらに見えると思いますので、ツムギのゲートにまで案内をお願いいたします』

「了解です。しかし、ツムギのゲートで何をされるのですか? 現状では封鎖しているのですが……」

『詳しいことはご本人からお聞きください。わたくしが手短に話せることは、これでこの戦いを終わらせることができるということですわ』

 

 具体的な説明もないまま、シズネはラピスに指示に従うことにした。今更ヤイバたちを疑う理由などシズネには欠片も存在していない。ツムギのロビーホールに降りたシズネは入り口に待っている女性に話しかける。女性はISを展開せずに立っていた。スーツに白衣を羽織って、棒付きキャンディーを3本くわえている。後頭部で束ねられた長い髪はそこで爆発するように広がっており、白衣とはミスマッチに見えた。

 

「あなたが花火師さんですか?」

「そ。とりあえずゲートまで案内を頼もうかな。たぶん構造は他と変わらないだろうからロビーの中央にあると思うけど」

 

 花火師と名乗る女性はくわえていた飴を取り出して話を進める。彼女の言うとおり、ツムギのゲートはロビーの中央にある。シズネは疑問に思う。

 

「私の案内などいらなかったのでは?」

「勝手に作業するわけにはいかなかったからねぇ。少年が君の前で作業するよう念を押したんだ。信用無いのかとがっかりもしたが、そこで『彼女たちが安心できないとダメなんです』ときたものだ。お姉さんとしては少年の思いやりは尊重してやらないと」

「少年とは?」

「えーと……君らにはヤイバって言えばわかるかな」

「あなたがヤイバくんのお姉さんですか。私は鷹月静寐と申します」

「嬢ちゃん? 私は実姉ではなく、ただの年上の女性というだけだぞ」

「え? そうなんですか?」

「君は天然だと誰かに言われたりしないか?」

「言われたことはないですけど、自然体ということならその通りですね」

「……よくわかった」

 

 道中の会話で花火師は呆れかえっていたが、シズネはそんな花火師を見て疲れが溜まってるのだと納得した。

 

「私が言うことでもない気がしますが、あまり悩み事を抱えないでくださいね」

「胸に刻んでおく……」

 

 などと話している間に目的地である転送ゲートにたどり着いた。今はクーによって封じられているゲートである。花火師は呆れ顔から仕事の顔に変わり、ISを展開させた。金剛フレームのフルスキンであるが、今は装備が一切見られない。

 

「今から何をするんですか?」

「ちょっと設備の増設を行うのさ。ちょちょいと終わらせるから黙って見ててくれ」

 

 花火師は右手を掲げると拡張領域に入れてあったものが具現化する。直径1メートル、長さ5メートルの赤紫色の円柱だった。それを花火師は軽々と持ち上げて、ゲートの脇に立てる。右手が円柱に触れたまま花火師は動かない。

 シズネは言われたとおりに黙って見守る。すると、円柱が発光を始めた。次第に発光が強くなり、一瞬だけ眩しく光ったかと思うと光が収まっていく。

 

「設置完了。起動にも問題ない。想定通り、ここは他の“レガシー”と変わらない機能を有しているようだ」

「“レガシー”とは何でしょう?」

「レガシーは正式名称ではなくて私が勝手に呼んでるだけだ。プレイヤーはロビーとしか呼んでない。要するにここと同じ構造の建造物であり、“ISVSを制作したものにしか作れないブラックボックス”のことだ。そして制作者が誰なのかもわからない。要するに制作者が我々に残した“遺産”というわけだな」

 

 聞いたところでシズネにはそれが意味することが何なのかを読み解くことはできなかった。代わりにシズネは別の質問をする。

 

「それで結局のところ何をしたのですか?」

「それはだね、“ゲートジャマー”の設置だよ。文字通り転送ゲートの機能を阻害する装置のことで、これの周囲100kmにはゲートの出口を作ることはできない。この私の発明品さ。といってもISVSでしか意味はない上に、基本骨子に転送ゲートのコピーを使ってるからレガシーの中でしか起動できなかったりするけどね」

 

 こちらに関してはシズネもすぐに理解する。ゲートジャマーが起動した今、周囲に新しい敵が出現することが無くなった。つまり――

 

「今いる敵を倒せばそれで終わり……ってことですか?」

「そうそう。今の段階で数の上では互角。残った相手プレイヤーは一筋縄ではいかないだろうから一方的にはならない。互いに援軍なしの真っ向勝負になるかな。でも大丈夫。あとは私たちに任せなさい。いいね?」

 

 まだ勝負はわからない。しかし、勝利の可能性が50%もあれば、十分すぎるほどだった。あとはシズネたちは彼らを信じて待てばいい。

 

「お願いします」

「ああ。それじゃ、私も久しぶりに参戦するとしようか。スカッと吹っ飛ばしたいし」

 

 花火師がその名に相応しいともいうべき筒を大量に具現化して装備する。ロビーの出口へと駆けていった彼女をシズネは手を振って見送った。

 

『シズネさん、ラピスですわ。ゲートジャマーの設置は完了したようですわね』

「はい。花火師さんは戦場へ向かわれました。これで終わりなんですね」

『いいえ、シズネさんにはまだやってもらうことがありますわ』

 

 首を傾げるシズネにラピスは“策”を伝えた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラピスに聞くまでもなく情報が頭に入ってくる。これがクロッシング・アクセスというものらしいのだが、改めてその情報量に驚いている。戦況がどのように動いているのかが手に取るようにわかる。まるで空から見下ろしているように把握できているのだ。

 手筈通りに作戦は進んでいる。

 まず、俺が彩華さんに電話で依頼したことは『ミューレイの出すミッションへのカウンターミッションを出してほしい』というもの。過去にも企業間の抗争があってプレイヤーを集めて競わせていたらしいが、今回は抗争で終わらず戦争となる可能性も秘めている。理由は俺が知らなかったレガシーと呼ばれるISVS内の施設だった。詳細は知らないがレガシーの存在がISVS内での開発に深く関わっているとのこと。つまり、俺が守りたいものとは別に、企業が争うだけの理由がツムギにはあったことになる。不本意ではあるが、ミューレイがレガシーを手にしようとしているのを倉持技研が横槍を入れた形となった。

 それでも彩華さんは俺の提案に乗ってくれた。参加者を無制限に集めるミューレイに対し、彩華さんが取った作戦はゲートジャマーの設置である。それによって強制的にプレイヤーが後から入れない状況を作り上げて敵を全滅させれば勝利するというもの。

 当然味方側プレイヤーにも注意を払っている。今回参加しているプレイヤーは弾がかき集めた知り合い連中のみで構成されている。よっぽどの偶然がない限り内通者が紛れることはない。少なくとも今回は、だが。

 

(ゲートジャマーの設置まで終了しましたわ)

(うん、知ってる。あとはバレットたちが相手プレイヤーに勝ってくれることを信じるのと――)

(わたくしたちがアレを倒すこと。ですわね?)

(そのとおり)

 

 バレットたちの登場、ゲートジャマーの設置。その間ずっと俺は福音の攻撃を凌ぐことに徹していた。試しに攻勢に出ようとする気も起きない。ラピスの予測が見えている状態ではリスクの大きさばかりが目に止まってしまう。

 BTビットからビームを見当違いな方向に発射する。この戦闘中、BTビットを休むことなく稼働させ続けていた。これらの攻撃は全て無駄弾などではなく“攻撃のストック”である。一定の距離を離したところでビームは軌道を曲げて俺と福音の周りを旋回していた。

 

 福音が回転しながら光弾をまき散らす。もう俺が避けることが前提で、狙いを絞る気も無さそうだった。だからこそ厄介であり、俺だけなら為す術がない。

 福音の攻撃が迫る。対する俺は回避行動ではなく、旋回させていたビームに指示を送る。

 

 福音を中心に広がる白の光弾と、周囲から押し寄せる蒼の光線が互いにぶつかり合った。それにより俺に向かってくる攻撃は全て相殺され、俺にはダメージが一切無い。

 

(迎撃成功。さすがはラピスだ)

(飛んでいる弾を撃ち落とすなどわたくしにはできませんわ。きっとヤイバさんのお力です)

 

 福音の広範囲攻撃を防いだがまだ安心するには早い。次の大規模攻撃までに弾数のストックを確保するためにBTビットにビームの発射を再開させる。

 

(これが偏向射撃(フレキシブル)か。これ全部を制御するとか頭が痛くならない?)

(ただ円運動をさせるだけなら初心者にもできますわ。普段は建物の内部を走らせたりなどの複雑な動きをさせていますので、この程度は苦になりません)

 

 感覚を共有しているからこそ俺にも伝わってくるのだが、正直なところ俺は頭が痛い。きっとラピスの言う初心者というのはかなりの上級者なのだろう。

 

 全方位攻撃の後、福音は静かになっている。おそらくはエネルギーの回復時間を待っているのだ。ISでないという推測は立っているが、その辺はISのサプライエネルギーと同じようなシステムになっていると思われる。普通ならばチャンスなのだが、福音を守る翼が健在では、俺たちの方から仕掛けるわけにはいかなかった。その間にビームのストックを用意しておくことが精一杯である。

 

 ……今はまだ待ちだ。俺たちに勝ちが見えるとすれば、福音の身を守っている翼が消えたとき。そのきっかけを生み出すのは俺たちじゃない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 その頃、花火師と別れた後のシズネはツムギが所有する戦艦“アカルギ”のブリッジに立っていた。中央に立ち、運用に関わる3人の女子に指示を出していく。

 

「レミさんは指定したルートを通り、指定したタイミングで高速浮上。カグラさんはラピスさんから常に位置情報を受け取りつつ弾道計算。リコさんは“主砲”の発射用意をお願いします」

 

 作戦開始前、アカルギに与えられた役割は非戦闘員を逃がすことだった。しかし、アカルギに乗り込んだはいいものの誰一人として戦闘海域から逃げだそうとするものはいなかったのだ。不利な状況が続く中でもアカルギはずっと海底で待機していたのである。当然、ラピスはアカルギの動きも把握していた。そして、アカルギに積まれているISにしては過剰すぎる攻撃力を持つものの存在も。

 

「指定ポイントに敵影なし。目標までの遮蔽物もなし。今ならいけます」

「アカルギ始動。えーと、浮上する角度は20°で良かった?」

「大体合ってます。あとはリコが微調整するから気にせず飛び出してくださいませ」

「え、待って! 主砲は先端にあるんだから、結構大事だよ!」

「りょーかい。最高速度で飛び出すよ」

「こんなアバウトでいいの!? シズネからもなんか言ってよ!」

「私は皆さんを信じています」

「便利な言葉だよね、信じるって!? でもこれって投げっぱなしジャーマンだよ!」

「リコは文句ばっかりでウザイなぁ」

「それはいくらなんでも理不尽過ぎるぅ!? でも悪い気はしなーい!」

 

 ブリッジの3人によりアカルギの機能が次々と呼び起こされる。アカルギは海中とは思えない軽快な動きを見せ、次第にその速度を上げていく。

 

「主砲のエネルギー状況はどうですか?」

「既に見たことのない数値だね。何人分のコアが使われてるのかよくわからないくらい。もういつでも撃てると思う」

 

 いいかげんな発言内容が目立つブリッジメンバーに対して先ほどまで喚き散らしていた活発メガネ女子のリコだったが、シズネに状況を聞かれると冷静に報告をする。

 今まで見たこともない数値で当たり前だ。今、アカルギに乗っている人数はこれまでの比ではない。ツムギ全体の8割も無理矢理乗り込んでいる状態になったからこそ、アカルギの主砲のポテンシャルが引き出されている。

 

「準備完了、いつでもいける」

「円錐障壁展開。変形開始します」

 

 アカルギの先端が海水を斬るように海中を高速移動する。実際に海水は斬れていたりするのかもしれない。何故ならば海水による圧力が今のアカルギには届いていなく、流線型にはほど遠いアカルギの先端が左右に分かれた。その中央からはひとつの砲身が現れる。それこそがアカルギの主砲。

 

「カウント開始。あと10カウント後に浮上が完了するよ」

「ラピスより通信。すべて予定通り。かまわず撃てとのことです」

「では皆さん。派手にいきましょう」

 

 カウントが進む中、砲撃手であるリコだけは黙り込んでいた。引き金を模したスイッチを引けばアカルギから膨大なエネルギーが発射されることになる。外れればこの戦闘が負けるかもしれないことは承知していた。だからこその集中。

 態勢は整っている。後は照準の中央に敵が見えた瞬間にトリガーを引けばいい。

 

 レミによるカウントダウンが進む。アカルギは次第に明るくなっていく海中を突き進む。そして――

 

 大きく口を開けた戦艦が海面から飛び出した。

 

 正面では2機のISが互いを撃ち合っている。リコの照準の中には光の翼に包まれた福音の姿があった。ちょうど良いタイミングで蒼いビームによる集中砲火を周囲から受けている福音は翼に引きこもって動けていない。リコは躊躇い無く引き金を引いた。

 

 戦闘音が響いていた戦場であったが、それまでの騒音がまるで沈黙であったといわんばかりの轟音が戦場を駆けめぐる。音はアカルギが放った光線が空気を割いていく音だった。海の青すら白に染めかねない光の奔流は照準どおりに光の化け物を飲み込んでいった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「いけっ!」

 

 シズネさんからの準備完了の報せを受けてから、それまで迎撃用に展開させていた偏向射撃の全てを攻撃に回した。当然のことながら全て福音の翼を突破できるようなものではない。ただ弾かれるだけであり、この行為自体は福音の攻撃から身を守るための術を捨てるだけの愚行ともいえる。でもそれは俺とラピスだけだったらの話だ。これはもう俺たちだけで福音の攻撃を耐える必要がないことを意味する。

 

 俺とラピスによる蒼い十字砲火は檻だ。獰猛な光の化け物を一時的にでも拘束するだけの縄だ。ただ“その瞬間”にじっとしてくれれば良い。俺たちの思惑通りに福音はご自慢の翼に閉じこもってくれた。そして、海からは巨大な砲口が姿を現す。

 

「撃てえええ!!」

 

 俺は思わず叫んでいた。指示を出してるわけじゃない。この言葉に込めた思いは、ただ勝つということだけ。福音を倒して、大切な人を取り返したい。その願いを叶えられるという確信だ。

 今まで見たことのない光の奔流が福音を呑み込んでいく。ライターの2倍イクリプスなんて比較にならない。ISならばどんな装備構成だろうと問答無用で戦闘不能に追い込むであろう一撃が福音を捉えていた。

 

 俺は雪片弐型とインターセプターを構える。

 もう油断しないと決めた。

 普通なら、などという推測はもう立てない。

 

 ここからは3通りを想定。

 1つ目は福音の撃破ができているということ。これならば俺の警戒は無駄に終わるがそれならそれでいい。俺たちの勝利だ。

 2つ目は福音がこの攻撃を受けても健在であるということ。もしあの翼がアカルギの主砲をも防ぎきったというのなら、今の俺たちに福音を倒す術はないと諦めるしかない。判明次第、逃げるべきだ。

 俺が退かない理由はただひとつ。それが3つ目の想定、福音が瀕死で生き残っている場合だ。倒しきれなくとも、翼さえもぎ取れば福音を倒す芽は出てくる。ただしISと似ているところがあるから時間を置けば回復される可能性が高い。もう一度はきっとない。アカルギの主砲をもう一度当てることは不可能だろう。とどめは速やかに刺さなければならない。

 

 光が薄れていく。後に残されたのは――

 

 翼のない、装甲もあちこちが剥がれ落ちている福音の姿だった。

 

 頭部を覆っていたバイザーも全て砕け散っており、敵の素顔が見える。やはり俺が前回に遭遇した奴と同じだ。長い銀髪が解放されて背中に垂れ下がる。奴はこちらを睨みつけてきた。あの、金の瞳と黒い眼球をした不気味な眼で。

 福音はまだ健在だ。ここで逃がせば、また鈴やチェルシーさんのような被害者が出てしまう。今、この場で()()倒すんだ!

 

 この一瞬に全てのリソースをつぎ込む。BTミサイルを左右に発射させて、AICでイグニッションブーストの道を拓く。敵からの攻撃を気にするよりも接近することが何よりも必要だ。初めての頃と変わらぬ、単純な直線軌道をイメージする。

 イグニッションブースト使用。音すらも置き去りにして福音へと突撃する。まだ奴の翼は生えない。代わりに両手の掌から光の刃が生えてきた。互いの二刀がそのまま激突する。出力の差に関わらず拮抗していて、俺と福音は互いの刃を押しつけ合っている。

 

「福音! てめえはここで倒す!」

 

 高ぶっていた俺は顔が近づいた福音に向かって宣言する。眼以外はまるで人形のような顔をしていた福音だが、俺の言葉に反応して怒りを見せた。

 

「調子に乗るな、人間! この子は“イルミナント”だし、フィーには“アドルフィーネ”っていう“博士”が付けてくれた名前があるの!」

 

 少しだけ戸惑った。まさか反応が返ってくるとは思ってなかったんだ。やけに幼い言動も俺の意志を鈍らせてくる。

 動きが止まっている俺と福音だったが、互いに攻撃できないわけではなかった。今の俺には蒼い翼があり、引き金を引く指は俺だけが持っているわけではない。4機のBTビットがその砲口を直接福音に向け、一斉に射撃を開始した。当然、福音が避けられるはずもなく全て直撃する。

 

(ヤイバさん、敵の正体を考えるのは後ですわ。今は倒すことに集中しないといけません)

(わかってる。俺は……やらなきゃいけないんだよな)

 

 ラピスの射撃を一方的に受けた福音は俺との鍔迫り合いをやめて後方に逃げた。当然俺も追いかける。現状では最高速度は俺の方が上。逃がすわけがない。ついでに言えば、福音の逃げ道は既に塞いでいるのだ。

 後方へのイグニッションブーストで移動する福音の背後には、接近する前に放っておいたBTミサイルがあるのだから。

 

 ミサイルが直撃する。イグニッションブースト中での衝撃がもたらすダメージのでかさは俺が身を以て知っている。ついでに足が止まってしまうことも経験から知っている。俺が追いつくのは一瞬だった。

 

 これでラストだ。それは俺だけでなく福音もわかっている。金と黒の眼は俺を障害と認識している。……随分と今更なことだ。窮鼠猫を噛むとは言うが、追いつめられたのは猫の方。猫を追いつめるだけの準備をしてきた鼠が今更油断をするわけがない。

 再び福音が二刀を振るってくる。刀1振りで受けることが困難な同時攻撃を多用する福音は、ここに来ても同じ攻撃をしてきた。

 俺は確信している。福音は駆け引きをしたことがない。攻撃手段に複数のパターンを用意しなくても、力で押し通せてきたのだろう。まるで力を持っただけの子供だった。

 受けるような真似はしない。

 俺は左手のインターセプターを福音めがけて投げつけた。

 

 福音の眼は驚きで見開かれた。しかし予想していなかった攻撃だというのに福音は持ち前の反射速度でインターセプターを斬り落とす。その腕が返ってくるまでにかかる時間など考慮したことがないのは見え見えだ。

 剣とは攻撃するものであると同時に、身を守るものともなる。今の行動が自らの守りを捨てることだと知れ。

 

「うおおおお!」

 

 雪片弐型を正面に突き出して向かってくる福音に飛び込む。もしかしたら返す刃が俺を襲うかもしれない。だが、その前に俺の刀は間違いなく奴の腹に届く。

 

 

 衝突。俺の右手は福音に届いていた。

 

 

「う、そだ……嘘だっ!!」

 

 福音の声が聞こえる。外見とは違って幼い言葉。

 福音の反撃は俺にも届いていた。俺の両肩にENブレードが当たっていたのは間違いない。しかし、途中で消滅した。それは福音が戦闘不可能な状態に陥ったことを意味する。

 福音の背中には雪片弐型の刀身が生えていた。操縦者を貫通したということは絶対防御が発動できなかったことを指す。

 終わりだ。ここに福音の敗北が決定した。福音自身はそれが認められないらしい。だから俺が言ってやる。

 

「お前の負けだ」

「あ、ああ……」

 

 すると、福音の様子がおかしいことに気づく。取り乱したと一言で言えてしまえるが、何よりも印象的だったのは眼の色が白になっていたことと、彼女の発言内容だった。

 

「フィー、死んじゃうの? 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 消え、たくない……」

 

 福音を倒せば何かがわかる。そう思ってここまで来た。

 箒や鈴が帰ってくる確証もなかった。普通のプレイヤーと同じで倒してもケロッとしている可能性もあった。

 確かに福音を倒してわかったことがある。福音は倒されればそれで終わりであるナナたちと似たような存在かもしれない。

 

 ……俺がしたことは正しかったのだろうか?

 

 福音……アドルフィーネと名乗っていた女性は光の粒子となって消えていく自分の姿を見ながら絶望している。このまま命が消えるのならば、俺が殺したも同然だろう。俺が正しいとは言えないのかもしれない。

 

 もう胸から上しか残っていないアドルフィーネと目が合った。泣き叫んでいたはずの彼女は急に静かになる。そして、

 

「後悔しろ、人間。絶対に博士がフィーの仇を討ってくれる。フィーよりも強いIll(イル)がお前を喰らう。ふっふっふ……あっはっはっは!」

 

 最後にアドルフィーネは狂気を感じさせる高笑いを残して完全に消滅した。

 

 

 まだ終わっていない。そう言い残したのだ。

 

 

「終わりましたわね、ヤイバさん」

「ああ。とりあえず、って付くけどな」

 

 戦闘が終了したためラピスが俺の元にやって来た。まだ終わっていないと思っているときに終わったと言ってくるなんてどういう了見だ、と思ったがここで異変に気づく。いつの間にかBTビットが消えてしまっている。そして広かった視界が狭くなったみたいに、全体の状況が掴めない。

 クロッシング・アクセスは解除されているようだ。元々何がきっかけでできたのかもわからないから、いつ解除されるのかもわからなくて当然か。福音戦の途中で切れていたのかもしれない。思い返すと結構綱渡りだったのではないだろうか。

 

「こちらは片づいたぞ……と援軍に来てみれば終わっていたか」

 

 続いてナナも姿を見せる。ナナにはプレイヤーたちの相手に回ってもらっていた。別にバレットたちが負けると考えていたわけではないが、わざわざ戦力が互角なままで戦わせる意味がない。ナナひとりが加入しただけで一方的な戦闘になっていたことは目に見えるようだ。

 

「お疲れさん。これでツムギは助かるな。今後のことは花火師って人と相談して決めていこうぜ」

「先ほど直接話してみたが、あの人は何者だ? シズネの話ではよくわからない装置をツムギに設置したようだが、信用していいのか?」

「身元を簡単に言っておくと、あの人は倉持技研の研究者だ。それも結構立場が上の方らしい」

「企業の人間だと!? ……大丈夫なのか?」

 

 ナナが疑いの目を向けるのも無理はない。でも花火師、倉持彩華さんは信用してもいいと思う。理由は俺の勘でしかないからうまく説明することは難しい。さて、どう説得したものか。

 

「いや、よそう。ヤイバが信用しているのだ。私が信用しなくては無駄な軋轢を生みかねない」

「いいのか?」

「元よりヤイバが動いてくれなければ、私たちはここにいない。……こんな話も二度目だったな。本当に感謝している」

「ナナが気にしないならいいや。あと、感謝は筋違いだ。俺は俺がすべきことをしているだけだし」

「いや、それこそ筋違いだ。たとえ私たちのためにしたことでなくとも、私たちがお前に感謝の意を表すことを否定することは許さぬ。素直に受け取っておけ」

「お、おう」

 

 なんか調子が狂う。説得するまでもなくナナは花火師さんを受け入れると言っている。前からナナの様子が違っているとは感じていたが、今回はあからさますぎた。

 

「今後は倉持技研とミューレイの争いが起きる可能性がありえます。もっとも、そのおかげでツムギが直接ミューレイと事を構える必要がなくなったとも言えます。ヤイバさんは倉持技研を使ってツムギを守ったわけですわね」

 

 ラピスの言うとおり、これで何もかもが終わったわけじゃない。ツムギはこれからも戦うことになる。そしてそれはもうツムギだけの問題じゃなくて、企業、果ては世界も巻き込んでいくかもしれない。

 しかし少しは訂正しておこう。

 

「人聞きの悪いことを言うなよ。あくまで助けを求めたってだけ。利用したみたいに聞き取れるぞ」

「あら? 目的のためならなんでも利用するとか言いそうでしたのでつい……」

「人のこと言えるかよ、ラピス。お前だってFMSに似たような要求をしてたじゃないか。……失敗したけど」

「な、なぜそれを!?」

「そりゃあ福音戦のときに流れてきたからな。しかし、あれを交渉と呼ぶとは、ラピス様はさぞかし世間というものを――」

「黙らないとヤイバさんの性癖を全世界に公表することになります」

「いやー、ラピスさんは立派なお方だ。FMSの連中は何を考えてんですかねぇ」

 

 主導権を握れると思ったが甘かったか。公表されて困るような性癖など心当たりはないが、真実を公表するとは言っていないところがポイントだ。つくづく敵に回したくない。

 

 などと戦闘の緊張を解きほぐしていると、ラピスになにやら連絡が入ったようだ。通話相手はラピスの言葉から推測するに例の執事さんだろう。

 話が終わると、ラピスは今にも跳ねて飛び回りそうな勢いで俺の手を握ってきた。

 

「やりましたわ! チェルシーが目を覚ましたそうです!」

「マジで!? よっしゃああ!」

 

 突然の吉報に俺とラピスは両手を繋いでグルグルと回り始めていた。ダンスと呼ぶには超スピードでひたすら回り続ける。それだけ舞い上がっていたんだ。物理的にも。

 チェルシーさんのことは俺にとって他人事じゃない。ラピスの記憶も垣間見たからこそだろうか。だからひたすらに嬉しかった。

 

「ラピス。はしゃぐのも無理はないと思うが、早く会いに行った方が良いのではないのか?」

 

 ナナの声を聞いて俺は急速に我に返る。それはラピスも同じようで――

 

「そ、そうでしたわ! すぐに帰国する準備をしなくては! えーとここから近い空港は――」

「落ち着け。とりあえずISVS(ここ)から出て行くことが先だろう?」

 

 ……同じようでいてまだまだテンパっていた。ナナに深呼吸を促されて指示通りに大きく息を吸っては吐いてをラピスは繰り返している。こういう姿を見ているとやはりISVS(ここ)は現実と変わらないように感じる。

 

「ご挨拶はまた後で。えーと、こういうときは……ヤイバさん、実家に帰らせていただきます!」

 

 結局ラピスは落ち着きを取り戻したのかよくわからないまま、この場を去っていった。まあ、こういう少し情けないところがあるのもラピスらしいと俺は温かく見守っていたりする。

 ラピスがいなくなったところで戦場であった空には俺とナナだけが残された。ここで俺はようやくあることに気づく。チェルシーさんが目を覚ましたのにナナが俺の隣にいる。それが意味することを。

 

「やっぱりナナは帰れなかったんだな」

「わかっていたことだ。しかしな、ヤイバ。私たちにも希望が生まれた。私たちを襲ったあの黒い霧のISを倒すことさえできれば、私たちも帰れるのかもしれない」

 

 俺は目標の敵を倒した。ナナにとっては直接的には関係のない敵が倒されただけ。ナナは帰ることが出来ないのに俺とラピスが飛び跳ねて喜んでいたのは、いくらなんでも自分本位すぎた。

 しかしナナは気を悪くしていない。なんて器の大きさだ。きっと特定部位の大きさに比例……などと冗談はさておき、彼女にもチェルシーさんが目を覚ました事実は喜ばしい理由があった。

 問題となっている敵を倒せば帰れる。その確証だけでも大きな一歩なのだ。何もわからなかった今までと比べれば、大きな収穫だったということだ。

 

「そうだな。約束するよ、ナナ。今日倒した福音のように、俺が必ず黒い霧のISを倒す。それでナナたちを現実に帰すんだ」

「なるほど、お前はシズネにもそう言ったのか。納得したよ」

「何の話だ?」

 

 ナナは何やら勝手に納得しているが俺には何のことだかわからない。唐突にシズネさんの名前を出されたから余計だ。問い返したがナナは「気にするな」とだけ言って答えてはくれなかった。

 

「そんなことより、ヤイバ。お前は帰らなくていいのか? ラピスの大切な人が戻ってきたのなら、リンとお前の大切な“彼女”とやらの2人も目覚めてるかもしれんぞ?」

「ああ、そうだった……って俺、ナナに言ったっけ?」

「シズネから聞かされただけだ。別に聞きたかったわけじゃないが、頼んでもいないのに話してくるので自然に頭に入った。それだけのこと」

 

 シズネさん経由か。なら納得。俺から改めて話すこともないかな。

 

「じゃ、お言葉に甘えて俺も迎えにいくとするか」

「そういえばお前の口から直接聞きたかったことがある」

 

 俺もラピスと同じように現実に帰ろうとしたところで、ナナがふと何かを思い出したように口を挟んできた。

 

「お前が救おうとしている“彼女”は、誰よりも大切な存在か?」

 

 どこかナナらしくない質問な気がした。俺が誰をどう思っているかにナナが興味を示したからだろう。これはナナと仲良くなれていると思っていいのかもしれない。だから俺は正直に答える。ナナの質問は以前に俺が自身に問いかけたことと同じ。

 

「俺はそれを知るためにも、“彼女”と目を合わせて話したいんだよ」

 

 そのために俺は戦っているのだ。

 俺の回答を聞いたナナはフフっと鼻で笑った。

 

「ハッキリしない奴だ。そんなことでは目覚めた“彼女”に愛想を尽かされるのも時間の問題だぞ?」

「……やっぱそうかなぁ」

「い、いや! まだ大丈夫だ! 自信を持て! というか唐突に卑屈になるんじゃない! 困難に立ち向かっていくいつものお前でいればいいんだ!」

 

 ナナが的確に俺の不安を言い当てて来るものだから凹んだ。そしたらなぜか彼女は慌ててフォローしてくれる。すると不思議と大丈夫な気がした。

 

「よーし! じゃ、今度こそ行ってくるぜ!」

「ああ、行ってこい」

 

 俺はナナに手を振りながらISVSを去る。まだこれで終わりじゃないけれど、俺の一番の目的が果たせたかもしれないと思うと胸が躍った。

 

 

***

 

 現実に戻った俺はすぐに箒の眠る病院へと急いだ。いつもは苦にならない3駅分の電車の乗車時間も今だけは鬱陶しいくらいに長く感じる。入り口付近で落ち着き無く立っていた俺は不審者だったことだろう。

 目的の駅に着くや否や電車を飛び出して駅構内を猛ダッシュ。慣れた道を迷うはずもなく、駅から出て病院へと駆けていく。

 到着して手を膝に置き呼吸を整える。トイレに行って鏡でも見ようかと思ったが、逸る気持ちを抑えられない。受付で手続きを済ませて病室に向かった。

 

 箒の眠る病室の扉の前まで来た。俺は息を飲む。ここを開けると箒が俺を出迎えてくれるかもしれない。7年ぶりの再会だ。待ちこがれた再会だ。緊張もするさ。

 取っ手に手をかける。今日はやたらと扉が重く感じた。きっとこの段階で不安が上回り始めたんだ。

 

 扉は完全に開いた。その先で動いている姿はどこにも見られない。

 

「箒……?」

 

 俺は呼びかけながら近づく。反応は何も返ってこなく、ベッドに横たわる彼女の姿が見えているだけ。いつもと変わらぬ彼女しかいなかった。

 

 こんな“いつも”はもう見たくなかったのに。

 でも、取り乱すことはなかった。

 この可能性を俺はわかっていたんだ。

 

 福音(アドルフィーネ)以外にも原因となった存在がいる。それを他ならぬ福音(アドルフィーネ)自身が言っていた。自分より強いIll(イル)が俺を喰らいに来ると。Illというものが何なのかは正確にはわからない。俺の推測だが、ラピスの言うISでない存在のことであり、箒を始めとする世界中で発生した昏睡事件を引き起こしたものの総称なのだろう。

 

「やってやる。箒が帰ってくるまで、倒し続ければいいんだろ!」

 

 福音(アドルフィーネ)を倒したとき、俺は罪悪感を覚えていた。それは敵に人間味があったことと、倒したら敵も死ぬからである。でも、俺はそんなことで立ち止まるわけには行かない。あれらが箒を理不尽な目に遭わせているのだ。俺は箒を救い出すと決めた。ならば迷う必要など無いではないか。

 

「……へー。その子がアンタの大切な幼なじみなのね」

 

 唐突に後ろから声が聞こえた。一度は失われたと思っていた当たり前に近くにあった声。

 ……どうしてここに? セシリアが連れて行った病院というのがたまたま箒と同じところだったのか。

 振り向くとそこには、やたらと元気そうな鈴の姿があった。彼女はオッスと言わんばかりに片手を挙げる。

 ……なんでそんな平然としてるんだよ。うまく声を出せない俺の方がおかしいみたいなじゃないか。

 

「いやー、ビックリしたわよ。起きたらいきなり病院だもん。時計を見たら丸々1日以上経ってるしさ。正直に言うとアンタの言うことを信じてたわけじゃないけど、これは信じなきゃいけないわね」

 

 箒は帰ってきていない。

 でも俺が福音(アドルフィーネ)を倒したことは何も無駄なんかじゃなくて。

 俺が救えるものは確かにあったわけで。

 福音(アドルフィーネ)にとどめを刺したことが正しいことかはわからないけど、間違っていたとは思わない。

 こうして、俺の前に鈴が帰ってきてくれたのだから。

 

 俺は鈴の頭に右手を乗せて撫で、ここに鈴が居ることを確認する。感激して出せなかった声もやっと出てきた。

 

「おいおい……俺と一緒にツムギに行っといて、何も信じてなかったのか?」

「何もじゃないわよ。もし何かあっても一夏が居るなら大丈夫だって確信してたし」

「随分と勝手だな。俺がどれだけ大変だったか知りもしないで」

「頼まなくても勝手に大変な目に遭うバカがそんなことを言ってもねー」

「はいはい。どうせ俺はただのお人好しのバカだよ」

「そんなアンタだから好きなんだけどさ」

 

 相変わらず鈴の一言はまっすぐ過ぎた。俺は反射的に鈴の頭から手を離す。

 

「むむ。抵抗しなかったらいつまで続けるのかと思ってたけど、やっぱりアンタはヘタレなままね。ああ、早いところこの子を目覚めさせないといけないわね」

「あくまで自分のことばっかなんだな」

「当たり前! あたしはボランティアで生きてるわけじゃないっての。あたしはあたしのためにその子を助ける。それはアンタも同じでしょ?」

「それは、そうなんだけどさ」

 

 鈴の言うとおり、俺は俺のために箒を助けたい。そしてそれが間違ってるとは思わない。

 

「それにしてもショックだなー。あたしのとこじゃなくてこの子のところに真っ先に来るなんて」

「ごめん……」

「バカね。責めてるんじゃないの。ただ悔しいってだけだから」

 

 俺は鈴の入院先を知らなかった。だから鈴の元に真っ先に駆けつけるなんてことはできないのだが、俺の頭に真っ先に浮かんでいたのは箒のことだった。俺のことを好きと言ってくれる鈴。その彼女を俺の都合で危険な目に遭わせておいて、どうして鈴のところに行こうと思わなかったのか。

 俺は最低な奴なのだろうか。でも鈴は俺を責めない。

 

「一夏、この後一緒に行きたいところがあるんだけど、いい?」

「いいぜ。どこに行くんだ?」

「すぐじゃなくてもいいけど、いいの?」

「構わないぞ。箒の顔は見たからこの後は時間が空いてる」

「よっし! じゃあいつものゲーセンね!」

「あ、おい! いいのかよ! 待て、廊下を走るな!」

 

 鈴が俺の手を引いて早足で歩く。俺はバランスを崩しつつその後に続いた。

 正直なところ、俺は鈴の様子に戸惑っている。でもそれは俺が鈴を被害者として見ているからなのかもしれない。鈴にとっては後遺症も何もなく、1日以上ずっと眠っていただけ。そう思えるくらい鈴はいつも通りで、俺は日常のひとつを取り戻せたのだと実感した。鈴がいつも通りなのだったら俺も当たり前のように振る舞うべきだよな。

 

「凰さん! 勝手に抜け出しちゃダメでしょう!」

「え!? あたしどこも悪くないよ!」

「それはこっちで判断します! さ、病室に戻りますよ!」

「そんなぁ……」

 

 結局、鈴は看護士さんに見つかって連れて行かれた。鈴と一緒にゲーセンに行くことはできなかったが、仕方がないと諦める。大丈夫だ。今日行けなくても次がある。それが日常ってものだろ?

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 武家屋敷を思わせる建物がある。建物自体も十分に大きなものであるが、一番目を引くのは広大な土地であろうか。灰色が目立つ都市圏において、草木や池の色は上空から見れば特異点となる。明らかに一般人が近寄れない雰囲気を持つ屋敷であるが、そこに制服姿の男子高校生が姿を見せていた。都市の中ではまるで異世界である屋敷の門前ではおよそ似つかわしくない格好の高校生であったが、彼はあっさりと見張りのいる門をくぐっていった。

 道案内をされるまでもなく彼は敷地内を歩く。その目的地は決まっているといわんばかりに迷い無く進んだ彼は、建物内を奥へと進んでいくと廊下で立ち止まり、木の壁の一部を押す。すると押された箇所が引っ込んで、ガラガラと地下へと続く階段が姿を見せた。慣れた様子で彼は地下へと潜っていく。

 入り口からは薄暗かった階段は下に行っても薄暗いままだ。目が慣れても常人には暗闇と変わらない道であるが、男子高校生は苦もなく歩いていく。そして、目的地に着くと扉を開いた。小部屋だった。ここだけは照明がついていて、部屋には一人の少女がいた。

 

「“たけちゃん”の顔を見るのも懐かしく感じるわね」

 

 少女は机に向かって何か書いていたが、少女がたけちゃんと呼ぶ少年が入ってきたことで手を休めて顔を上げる。彼女は机に置いてあった扇子を持つと勢いよく広げて口元を隠した。

 

「何か進展があったのかしら?」

「はっ。“奴ら”の尖兵と思しき敵と遭遇しました。情報にあった福音を模したIllと思われます」

 

 少年は片膝をついて報告を始める。少女と少年に主従関係があることは間違いない。

 

「良く生きて帰ってきたわね」

「それが実は……件のIllは打ち倒されました」

 

 瞬間、少女は扇子を閉じて立ち上がる。

 

「本当? 一体、誰がやったの?」

「拙者の良く知る男です。ヤイバというプレイヤーネームでISVSをしている高校生。名は織斑一夏」

「織斑……か。また、この名前ね」

「何か心当たりでも?」

「ちょっとね。でもたけちゃんには言えないことなの。ごめんね」

 

 少女は悪びれず再び腰掛ける。部下の少年に下がるように伝えると、扇子を広げて口元を隠して考え込み始めた。

 

「ヤイバ……か。刀には刃があるものだし、ちょっかいをかけてみようかしら。そろそろお爺さまも私の謹慎を解いてくれるはずだしね」

 

 少女、更識楯無は何かを思いつくと同時に扇子を畳んで机に置いた。そして再び机に向かい始めたのだった。その顔はいたずらを思いついた子供のように見えた。



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【ツムギ - Illegal Strife - 】
15 来てしまった転校生


「あの子……あの篠ノ之束の妹らしいわよ」

「え、そんな子がうちの子と同じ学校にいるの!? 怖いわ」

 

 たったひとりの登校。たまたますれ違った中年女性2人の会話が漏れ聞こえてくる。父親の遺伝か、常人よりも遙かに五感が鋭敏であった少女は奥様方のヒソヒソとした会話もしっかりと聞き取ることができていた。そして姉ほどではないが聡明であった少女は7歳という幼さでも女性たちの会話の内容を察することができていた。少女は立ち止まって彼女らを一瞥する。すると女性たちは揃ってそそくさと離れていった。

 今に始まったことじゃない。渇ききった少女の心はいくら言葉のナイフを突き立てても砂のように飲み込むだけで傷つくことはない。嫌われていることが当たり前になっていた。慣れたのだ。

 小学生がひとりで登校している光景を気にする者は誰もいない。この少女は特別だったからだ。この少女には関わらない方が身のためであるという暗黙の了解が付近の住民の間には存在している。明らかな異常。しかしそれも仕方がないと少女、篠ノ之箒は割り切っている。

 

 少女が5歳になった頃、世間を騒がせた大事件が発生した。後に“白騎士事件”と呼ばれるこの事件は世界がISを知るきっかけとなった事件である。

 その概要は荒唐無稽ともいえるもので、世界中のミサイル基地が謎の暴走を起こして日本めがけて合計2341発ものミサイルを一斉に発射したという。当時の迎撃システムでは半数も撃墜できないという試算がでていたばかりか、その迎撃システムすら()()()()機能不全に陥って頼りにならなかったらしい。日本という国が一瞬で廃墟となるのも時間の問題であった。

 荒唐無稽な状況をひっくり返せるのもまた荒唐無稽な代物である。それが後に“白騎士”と呼ばれることになる世界で最初のISだった。突如日本の上空に現れた白騎士は信じられない速度で大気圏を離脱。たまたま捉えていた望遠カメラの映像によれば、白騎士が剣を1回振るっただけで全てのミサイルが撃墜されたとのことだった。

 一般に知られている白騎士事件の概要はここまでだ。白騎士によって日本は守られ、世界にISの技術が提供された。メディアに顔を出したISの開発者の名前は篠ノ之束。当時13歳の少女にして、箒の姉だったのである。

 

 これだけならば白騎士事件で日本を守った英雄とも言える篠ノ之束。しかし彼女がISの全ての情報を開示しなかったことにより、世間が彼女を見る目は変わっていく。

 現物は提出するが製造法は教えない。

 ISは女性にしか動かせない仕様だが、男性にも動かせるようにするつもりはない。

 世界は彼女を危険と判断した。遠回しに篠ノ之束は世界の軍事を一個人が握ると言っているようなものである。篠ノ之束はいつの間にか表舞台から姿を消し、その頃には白騎士事件も篠ノ之束による自演であるという説が信憑性を帯びてきていた。

 篠ノ之束は英雄ではなくテロリストのように扱われることもある。明確な証拠があるわけではないが、テロリストかもしれない人物の身内にわざわざ近づくような人間がいるはずもない。故に篠ノ之箒は家から出れば常にひとり。姉も世界も恨むことなく、これがあるべき姿だと悟っていた。

 

「おはよう、箒!」

 

 そんな箒の毎日が、ある人物によって変わろうとしていた。数日前から実家の道場に顔を出し始めた同い年の少年がいちいち声をかけてくるのである。箒は少年の挨拶を無視して歩を進めた。

 

「おいおい、無視すんなって!」

 

 なおも追いすがる少年。箒は無視だけではダメだと判断して振り向いた。そして一切の手加減のない平手打ちを少年の頬に当てる。

 

「寄るな。次に近づいてきたらストーカー扱いしてやる」

「やっと口を聞いてくれた。で、ストーカーって何だ?」

 

 頬を赤く腫れ上がらせた少年はその態度を一切変えなかった。普通ならば突然の暴力に怒り、暴言を吐き捨てて立ち去るか殴りかかってくるものだと思っていた。箒は戸惑いを隠せない。そもそも少年は怒ってすらいない。どうすればいいのかわからない箒は逃げるように立ち去るしかできなかった。

 

 

 

「あ、箒! 俺はストーカーらしいって千冬姉に言ったら何故か説教されたんだけどどういうこと?」

 

「箒! ちょっとわかんないことがあるから教えてくれ!」

 

「箒! 道場まで競争しようぜ!」

 

 来る日も来る日も箒の傍には少年の姿があった。いくら言葉で突き放そうとしても少年は箒の意図を理解しない。いくら暴力で突き放そうとしても少年の笑みは消えなかった。初めは父が少年に「箒の友達になってやってくれ」とでも頼んだのだと思っていた箒だったが、段々と思い違いに気が付きはじめた。

 頼まれてのわけがない。少年はバカだった。打算で動くような知恵があるようには見えない。

 故に自分のことも見えていない。少年は箒の近くに居すぎた。既に少年の傍には友人と呼べそうな人物はいない。箒から見てやはり少年はバカだった。

 

 今日も「一緒に帰ろう」と差し伸べられる手を箒は力強くはねのけた。

 

「ふざけるな! なんなのだ、お前は!」

「あれ? まだ言ってなかったっけ? 俺は織斑――」

「違う! そうじゃない! どうして私なんかに関わるんだ!? 本当にお前はわかっていないのか? 私は篠ノ之束の妹なんだぞ?」

「それくらい知ってるって」

「いいや、わかってない! 周りがお前のことをどう思っているのか考えたことはないのか!」

 

 箒はもどかしく感じながらも必死に叫ぶ。言いたいことを全くわかってくれない少年は天然ながら柳に風と受け流してくる。少年がバカだから何も知らずに近寄ってきている。そう思っていた。

 

「周りって『箒に近寄るな』っていちいち突っかかってきてた奴らのことか? 良くわかんねえけど、気に入らないって言ったら喧嘩になっちまって千冬姉に叱られたっけ」

「ほら見ろ。叱られたのだろう? だったら――」

「喧嘩はダメだと言われたけど、それ以外は怒られてない。だから俺が箒と話してもいいじゃん」

 

 流れは変わらなかった。ここにきて初めて箒は少年の芯とも言える考えに触れることになる。

 

「誰も箒を見てくれなくても、俺が箒を見る。束さんの妹である前に箒なんだ」

 

 少年の一言は箒の常識(当たり前)を打ち崩す。だがそれに納得してしまったら、少年も箒と同じにしてしまう。箒は少年にも伝わるようにと、自分の知る限り最も単純な罵倒で少年を引き離そうとする。

 

「お前はバカだ!」

「知ってる。だから箒にはこれからも俺にいろいろと教えてほしいんだ」

 

 もう少年を突き放す術は箒には無かった。察しの悪い少年に懇願することしか思いつかない。

 

「わかってくれ……私がお前にどうして欲しいのかを」

「それはわからんから、俺がどうしたいのかを箒の方がわかってくれ」

 

 少年はいつもと変わらず手を伸ばす。ひとりで居ることが当たり前と思っていた箒はもういなかった。手を取りたいと思う箒しかここにはいない。

 

「皆の嫌われ者になるのに?」

「くだらねえ。その皆とやらよりも俺は箒と居たい」

 

 決定的だった。少年はただのバカではない。箒の傍にいることの意味を知ってて近づいてきたバカだった。全て知っていての行動では、箒が拒絶することすら少年の想定内だったのだろう。少年がそこまでする理由は何だろうか。

 

「どうしてお前は私と居たいんだ?」

「わかんね。これからわかるかもしれねえけどさ」

 

 箒は少年の手を取った。わからないと言いながらも少年はどこか楽しそうにしていた。これから楽しい毎日が待っている。そう思った箒は少年の顔をその目に焼き付けようとした。

 

 ノイズが走る。少年の顔が歪んで一時的に見えなくなる。

 後に現れた顔は、黒髪の子供ではなく、銀髪の男だった。

 

 

***

 

 

「……最悪だ」

 

 久方ぶりの長時間の睡眠から目覚めたナナの第一声はすさまじく不機嫌なものだった。

 

「あ、ナナちゃん。おはようございます」

「おはよう、シズネ……」

 

 挨拶を返しつつベッドから身を起こしてから気づく。

 

「なぜ私の部屋にシズネがいるんだ?」

「鍵をかけ忘れるナナちゃんが悪いんです。どこぞの誰かさんが天使な寝顔のナナちゃんにお子さまには言えないようなイタズラをするかもしれないので私が監視していたんです。えっへん」

「それはすまなかった。だが、後ろに隠したカメラを見逃す私ではないぞ?」

「バレてしまっては正直に言わざるを得ませんね。これは花火師さんに用意していただいたカメラで、現実のデジカメと同等の機能をもっています。これでいつでもナナちゃんの寝顔が見られるってわけです」

「……寄越せ」

「大丈夫です。撮った写真は私が責任を持って管理し――ナナちゃん? いつもより目が怖いです」

 

 シズネが渋々カメラをナナに渡すと一瞬のうちにカメラは粉々に砕かれた。シズネが珍しく頬を膨らませてふてくされる。

 

「別にいいです。さっき撮った寝顔は苦しそうでしたので保存するに値しないものでしたし」

「そんなに醜悪な顔をしていたのか……」

「いえ、そんなことはないです。あれはあれで需要がありますよ。トモキくんあたりになら高額で取引でき――」

「シズネ……そろそろ私たちは距離を置いた方がいいのかもしれない」

「冗談です。いくらお金を積まれても渡しませんよ。私がナナちゃんの寝顔を独り占めするに決まってるじゃないですか」

「そうだったな」

 

 会話が噛み合ってるようで合っていない。端から見るとナナが絶交というカードでシズネを脅しているようにしか見えないが、普段のナナを知る者ならナナの冗談のキレが悪いことに気づくだろう。当然、シズネが気づかぬはずもない。

 

「私にはナナちゃんが必要です。もしナナちゃんが私のことを疎ましく思ってるのなら別ですけど、そうでないのなら堂々としていてください」

「すまない。冗談でも言ってはいけないこともあるものだったな」

 

 距離を置いた方がいい。それが全てというわけではないがナナが考えていたことだった。

 自分がシズネの邪魔になるかもしれない。逆に自分がシズネを邪魔に思うかもしれない。現実に帰るという目標を差し置いて、今のナナには大きな悩みがある。夢の最後に現れたヤイバの顔が頭から離れないのだ。

 ヤイバの存在がこれまでのナナを壊してしまう。そんな悪い予感さえ抱いていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 11月になった。秋ももう半ばを過ぎたという印象で、これから次第に朝の布団から出ることが難しくなってくる。といってもまだ過ごしやすい気温だ。俺はすんなりと起きることができ、自室のカーテンを開けると日が昇り始めたばかりだった。

 

「さて、今日も一日張り切っていくとするか」

 

 洗濯カゴの中身を洗濯機にぶちまけてからスイッチを入れ、台所に移動して朝食の準備を始める。俺の朝の日課だ。熱したフライパンに卵を落とす頃になるとようやくもうひとりの住人が顔を見せる。

 

「おはよう、千冬姉」

「……おはよう、一夏」

「まず顔洗ってこいって。人様に見せられるような顔してないぞ」

 

 海外出張から帰ってきても千冬姉は相変わらずだった。洗面所に行くことを促すと「んー」と言葉になってない返事をして出て行く。寝起きだけはまるで威厳のない別人だった。

 

「朝飯準備完了。弁当もよし。あとは洗濯物を干してくだけだが、食ってからにしよう」

 

 席について食べ始める頃にはちゃんと覚醒した千冬姉が対面に座っていた。俺がサラダを食べ始めると千冬姉の方から話題を振ってくる。

 

「そういえば私が帰ってきてからゆっくりと話す時間がとれてないな。最近の調子はどうだ? 何も問題はないか?」

「大丈夫大丈夫。寝起きの千冬姉よりは頼りにしてくれていいぜ」

 

 正直に言えば色々と問題はあったのだが、解決している今となっては掘り返すことでもなかった。いつかは千冬姉(けいさつ)の力を借りるときが来ると思っているが、まだその時じゃない。ISVSの問題なら俺たちの方がやれることが多いはずだ。

 

「寝起きの私を比較に出す理由はわからんが、まあいいだろう。思春期らしい悩みのひとつでも抱えてるのかとでも思ったが、その顔を見るに順風満帆のようだな」

「そう見える?」

「ああ。姉としては少々複雑だが、一夏が良ければそれでいい」

 

 先に食事を平らげた千冬姉が席を立つ。結局のところ、ゆっくりと話す時間が朝にあるはずもなかった。

 このまま千冬姉は先に出て行くことになるのだが、千冬姉はその前に話しておきたいことがあるようで、まだ食事中の俺の前に立つ。

 

「一夏に言っておくことが2つある」

「改まってどうしたんだ? また出張か?」

「似たようなものだな。今夜も含めてなのだが、私が帰ってこられない日がしばらく続く可能性が高い。私の分の夕飯は作っておく必要はない」

 

 刑事が忙しいと聞くと良くないイメージしか湧かない。しかし仕方がない。千冬姉は必要な仕事をしているだけだ。

 

「今までも似たようなもんだったしな。それで、もうひとつは?」

「家主である私がいない状況が重なってすまないが、海外からのホームステイを受け入れることにした。なにせこの家は2人で住むには広い。住人が増える分には一夏も構わないだろう?」

 

 なかなか予想外の展開だった。千冬姉の留守が続くということはつまりホームステイに来るという留学生(?)と俺が2人でこの家に住むことになる。

 

「俺、英語とか出来ないんだけど……」

「あちら側の日本語が一夏よりも達者だから心配はいらない」

「それってホームステイの必要あるの?」

「それを決めるのは当人だけだ。とりあえず対応を任せたぞ」

「りょーかい。で、いつから来るの?」

「今夜からだ」

「またえらく急じゃねーか! いいかげんそういう大事な話はもっと前から言ってくれ!」

「む、時間だ。では一夏。行ってきます」

「逃げるな! 行ってらっしゃい!」

 

 海外出張のときといい、今回といい、千冬姉は直前になって俺に知らせてくる。振り回される身にもなってくれと思いつつも、行ってらっしゃいと送り出すことだけは忘れなかった。

 

 

 イルミナントとの激闘から1週間近くが過ぎようとしていた。その間は目立った進展はない。敵に新たな動きはなく、静かなままだ。だからといって俺たちが何もしてないわけじゃない。

 ツムギの方には彩華さんを中心にして防衛体制が敷かれていた。倉持技研との関わりが深いプレイヤーが4交代制で24時間守備に付いているという。これで敵の不意打ちからナナたちを守れると思う。彩華さんが一番警戒しているのはプレイヤーにミッションとして提示する大規模攻撃らしいが、それは奇襲となり得ないためこちらも相応の迎撃を用意できる。

 仕掛けられるのを待つだけでもない。その分野では俺は戦力外通告されているが、敵と思われる相手の調査は続けられている。対象が決まれば、こちらから打って出るつもりだった。

 俺がしている準備は戦闘訓練だ。いざ戦うとなると、ISVS内でIllと呼ばれる敵を倒す必要が出てくる。イルミナントを倒せなければ鈴は帰ってこなかった。だから確実に敵を倒すだけの力が要る。実際にイルミナントを倒した俺が期待されているところだった。

 

「強くはなった……とは思うけど、独学だけじゃ心配だな」

 

 ISVSを始めてから2週間。振り返ってみると、俺の技術が最も成長した瞬間にはとある男が関わっている。あれから学校で顔を合わせても、職場での奴は堅物野郎だ。ゲームの話題など出そうものなら、俺はすぐに補習行きである。既に1回やられた後だったりする。

 

「なんとかしてもう一度宍戸に教わりたい、って顔に出てるぜ」

 

 登校中、良く時間帯が被る弾が俺の考えていることを当てつつ話に入ってきた。

 弾の言うとおり、宍戸先生から学ぶことはまだあると思う。だが一度は教えてくれたのに、今はちっとも相手にされない。何かしら手段を講じないと難しかった。そのための手段として、弾と協力して“ある動き”を始めていたりする。

 

「人数の方はどうだ?」

「藍越エンジョイ勢のうち、うちの学園の奴をかき集めれば余裕だったな。後は生徒会や学園長の承認さえ得られればいい」

 

 宍戸がISVSを学校とは関係のないものとして扱っているならば、ISVSの方を学校と関係のあるものにしてしまえばいい。そうすれば堅物宍戸も俺たちの話を聞いてくれるはずだ。その計画とは――

 

「宍戸の協力を得るためとはいえ、お前も思い切ったことをするよな。まさか藍越学園に“ISVSの部活”を作ろうとするとは」

「ゲームの部活と言ってしまうと許可は下りないだろうけど、ISVSの場合は少しばかり事情が違う。俺たちの目的とは別に、あれのシミュレータとしての側面や、世界の最先端技術に触れられる点を押し出せば、研究対象として扱えると思ったんだ」

 

 宍戸をISVS研究会の顧問として招き入れるつもりだ。堅物で通っている宍戸が顧問をするとなれば学園側も遊びだけで終わるとは思わないだろう。俺たちとしても宍戸の指導が欲しい。宍戸はISVSに肯定的だったから外堀さえ埋めてしまえば乗ってくれると俺は信じている。

 

「まずは生徒会の説得か。納得してくれるといいけど」

「大丈夫だろ。生徒会長のことを調べてみたんだが、今の藍越学園の校則は現生徒会長によって2年前に改正されてものすごく緩くなっているらしい」

「それっていいことばかりじゃないと思うぞ」

「その辺は賛否両論だが関係ない。とりあえず俺たちに重要なところは、現生徒会長は新しい風を入れることに抵抗のない人ってことだな。あと、職員らを相手にして弁が立つ」

 

 味方にしやすい上に心強いってわけか。だったら生徒会長の理解さえ得られれば俺たちの目標は達成できることになる。

 

「じゃあ今日の放課後にでも生徒会に乗り込むか」

「俺と一夏の2人で良さそうだな。後の連中は連れてくと面倒そうだし」

 

 今日の予定を確認しつつ、俺たちは教室へと入っていった。

 

 

***

 

 朝のホームルーム。宍戸が教壇で細かい連絡事項を伝える中、俺と弾は宍戸が話し終えるのを今か今かと待ちかまえていた。終わり次第、俺たち2人は宍戸に質問をしに向かう。ISVSとは明言せずに自分たちが部活を立ち上げた際に顧問をやってくれないか聞いてみるのである。生徒会に向かう前に『確認した』と言えるだけの事実が欲しいのだから明確な拒否さえされなければ物は言い様というものだ。

 宍戸が連絡事項を言い終える。俺と弾は席を立とうと椅子の背もたれに手をかけた。

 だが宍戸の様子がおかしい。いつもならすぐに退散するはずの男が教壇から動かずに俺をジロリと睨む。俺は蛇に睨まれた蛙だ。固まってしまって動けない。

 

「先生、どうしたんですか?」

 

 不審に思ったクラスメイトが宍戸に尋ねてくれた。そこでようやく宍戸の視線は俺から外れてくれる。俺が安堵のため息を漏らすと、ほぼ同時に宍戸も深く息を吐き出していた。ひどく疲れを感じさせるもので、普段の宍戸からは考えられない態度だった。続く言葉も当然のように普段からは考えられない一言だった。

 

「突然だがお前たちに転校生を紹介する」

『はぁ!?』

 

 誰もが意表を突かれていた。まさかホームルームの最初ではなく最後にこんな重大な連絡をしてくるとは思っていなかった。相手が宍戸であることも忘れてクラスメイト全員が失礼な声を上げてしまっていたが今回ばかりはお咎めはなさそうである。

 

「待ってください! こんな時期にですか?」

「何か事情があることはわかるだろ? なんとなく察するように」

 

 質問をする生徒に紛れて小声でひそひそと話している生徒があちこちで見られた。宍戸が教壇に立っているときには滅多に見られない光景だが、当の宍戸は珍しく気にしていない模様。とりあえず幸村が「どんな美少女だか知らないが鈴ちゃんには適わないに決まってる」と転校生が美少女であること前提で独り言を言っているのがやたらと耳に残った。

 宍戸は教室内を静かにすることなく、教室のドアを開ける。自然と教室内は静寂に包まれ、クラス全員が新たな仲間を見ることに集中していた。

 

 まさか幸村の言うとおり、転校生が美少女だとは思っていなかった。

 ……たださ、俺の知人なんだけど。

 

 廊下で待機していた金髪の美少女はうちの高校の制服を着ていてもどこか気品を感じさせる存在だった。なんというか、場違いだった。我がクラスは男子はおろか女子さえも存在感に圧倒されて声を出せないでいる。

 

「初めまして。わたくしはセシリア・オルコットと申します」

 

 スカートの端を摘んで優雅に一礼。ただ美少女が来ただけならば、うちの男子どもはもう騒いでいるはずだが、彼女の作り出した空気を壊さないようにしているのか、静かに見守っている。どう考えても嵐の前の静けさだけどな。

 出身や経歴などを軽く説明したところで、ようやくうちのクラスの中心人物が声を張り上げた。

 

「な、なんでアンタがこんなところに来てんのよ!?」

 

 鈴だ。セシリアのことを快く思っていないと思われる彼女のことだ。予想通りセシリアに突っかかっている。宍戸のストップがかかるかと思っていたが、奴は黙って状況を見守っていた。

 

「学び舎に来る目的といえばひとつだけですわ。言わなくてはわかりませんか?」

「ええ、わかんないわよ! よく知らないけど、もう有名な大学を卒業してるんでしょ? ハッキリ言って無駄じゃないの?」

「無駄などあるはずもありませんわ。ここでしか学べないものもあると思っています」

「たとえば何かしら? あたしたちを見下すような内容じゃなきゃいいけど――」

「それは……」

 

 鈴とセシリアの1対1の問答はそこで止まってしまった。タイミングとしては最悪である。セシリアの経歴が普通ではないことは本人も自己紹介で言っていたために周知の事実であり、天才様が凡人の群に入ってきたとしか映らない。いい気がしない人がいても不思議ではない。セシリアの黙りはその追い打ちとなってしまっていた。

 大きく息を吐く。唐突にセシリアが転校してきたのに驚いたのは事実だが、俺は彼女のことが何もわからないわけではない。なぜ学校に来たのかと鈴に問われて彼女が答えられないのはきっと恥ずかしいからなんだろう。俺は肝心なところで残念なセシリアに助け船を出すことにした。ガタッと起立して全員の注目を集める。

 

「要するに大学卒業なんていう資格だけ先に取っちまったから普通に高校生活してみたいってことだろ? 何も悪くないって。この高校なのは鈴と友達になりたいからだろうぜ」

 

 それだけ言って俺は着席する。セシリアは小声で「はい……」と言いながら俯いた。問いつめてた鈴はと言うと「これじゃあたしが悪者みたいじゃない」と多少乱暴に椅子に座り直す。

 

 ここでようやく宍戸が動き出した。このタイミングの良さは誰か生徒に面倒事を押しつけたかったからなんだろうなと察した。教壇に立った宍戸は俺の隣の誰もいない席を指さす。そういえば隣にいるはずの数馬がいない。探してみたら、数馬は違う席に移動していたようで離れた席に座っている。

 

「オルコットの席だが……織斑の隣が空いてるから、そこでいいだろう」

「待って! なんで数馬の席が移動してんの!?」

 

 またもや鈴の素早い反応があった。俺の記憶でも昨日の放課後時点では数馬の席は俺の隣だったから言いたいことはわかる。数馬の返答は予想外なものであった。

 

「『心機一転、新しい席にしたい』って先生に言ったらお前だけ移ってもいいって言われたから速攻で変えたんだよ」

「何よ、それ! なんであたしにも言ってくれないのよ!」

「凰、そろそろ静かにしろ」

 

 宍戸に注意されれば流石の鈴も口を閉じるしかない。その間にセシリアが俺の隣に着席した。彼女がいるだけで教室の中が別世界になってしまったように錯覚してしまう。

 ISVSにおける相棒は俺の方を見て微笑みかけてきた。

 

「これからもよろしくお願いしますわ、一夏さん」

「あ、ああ」

 

 セシリアの青い瞳が俺を見てくる。イルミナントを倒して1週間、まともに顔を合わせていなかった俺たちの再会がこんな形でなされるとは夢にも思っていなかった。

 突然の来訪者により、宍戸を顧問にすることとかどうでも良くなってしまっていた。そのことに気づいたのも1限目が始まってからのことであった。

 

 

***

 

 

 昼休み。初めてのまとまった休み時間になってセシリアの周りには人だかりができていた。漏れ聞こえてくる質問の中には『織斑や凰とは知り合いなの?』というものがあったが彼女はそれを肯定していた。特に隠し事をする必要はなさそうだ。あとは恋人設定さえなければ俺の高校生活は安泰である。

 セシリアの隣の席である俺は集まってきた人に追いやられて、いつの間にか教室の外にいた。というよりも連れ出されたという方が正しいのかもしれない。俺の傍には幸村の姿がある。

 

「大変なことになったぞ、織斑」

「はいはい、そうだな。セシリアは有名人だし騒ぎにもなるだろうさ」

 

 俺は幸村の言う“大変なこと”というものを軽視していたのかもしれない。俺の中での幸村のイメージでは『このままでは鈴ちゃん人気が危うい』とでも言うのかと思っていたのだが、幸村は単純に俺の今後を危惧していたのだった。

 

「セシリア・オルコットの転入は既に学園内で知らないものはいないほど広まってしまっている。問題は『なぜ彼女が藍越学園にやってきたのか?』だ」

「問題……?」

「そう。ただでさえ鈴ちゃんファンクラブの過激派に目を付けられている一夏なんだが、今回の件は彼らだけでなくもっとワールドワイドな団体をも敵に回しているのかもしれん」

「色々と突っ込みたいところだけど、なんで俺が目の敵にされなきゃならないんだ?」

「わから……ないのか……?」

 

 幸村が信じられないものを見るような目で俺を見てくる。もしかしたらわからないのは俺だけで、世界は正常なのかもしれない。

 

「唐変木な織斑には単刀直入に言ってやろう。セシリア・オルコットは間違いなくお前に会いに来た」

「いや、それはないだろ。さっき自分で『鈴の友達になりにきた』なんて言っといてなんだけど、それだけのために来るとかおかしい」

「それが事実かどうかは関係ないということに気づかないのか? 今朝の話がとどめだ。『周囲がどう思うのか』という観点で考えてみろ」

 

 言われて俺は気がついた。俺にとっては『またセシリアが何かしてる』程度の印象でも、周りには俺に会うために国を渡り、学校まで変えて共にいる時間を増やそうとしているように見えるのかもしれない。それは思わぬ敵を生んでいても不思議ではない、と幸村は言っているのだ。

 

「このタイミングでそんな話をするってことは……何かマズい動きでもあるのか?」

「わからない、というのが現状だ。おそらくは過激派の連中が放課後に会合を開くだろうから俺はそっちを覗いてみる。言っておくが、下手に奴らを刺激するようなことはするなよ」

「りょ、りょーかい……」

 

 ありがたくない内容だが、ためになる忠告だったかもしれない。考えたくもないことだが、俺への嫉妬がきっかけで宍戸を顧問とする部活の計画が潰れるかもしれないのだ。俺はため息を吐かざるを得ない。こんなことで俺たちの歩みを止められてたまるかっての。

 とりあえず昼飯にでもしようと廊下をひとりで歩き出す。すると、

 

「一夏さん、どちらへ? お食事でしたらわたくしもお供しますわ」

 

 教室から出てきたセシリアが追ってきた。その後ろにはかなりぞろぞろと人が付いてきている。

 俺は一際大きなため息を吐いた。

 ……幸村。俺、ダメかもしれない。

 

 

***

 

 放課後になる。今日の俺の傍には基本的にセシリアがいた。にもかかわらず彼女は俺とほとんど喋らない。俺としても彼女と話す内容となるとISVS、特に敵に関する話題になるから学校では話しにくいところがあった。

 ここで幸村の言っていた『周囲の観点』を考えてみる。

 セシリアは転校初日から俺に微笑みかけてくるが、進んで話しかけようとする姿は見られない。

 俺が移動をするとついてくる。傍にいることが当たり前と言わんばかりである。

 穿った見方をしなかったら、これは男女の関係を疑われても仕方がない、のか……?

 

 俺はというと、セシリアは俺の護衛に来てくれたのだと思っている。俺はセシリアと共にイルミナントを倒した男だ。公には一般生徒のひとりでも、ISVSにおいて、それも敵から見れば要注意人物である。ISVSの外では何の力もない俺だから、襲われたらひとたまりもない。その点、セシリアならば相手にISが出てこない限りは絶対に負けない。それがISというものの強さだった。

 事情を知らないとそうとは思わないだろうな。もしこの誤解が邪魔になるときは、セシリアに頼んで一芝居をうつ必要がある。

 

 などとセシリアに関する件は帰り道ででもじっくり直接話し合うことにする。今は他にすべきことをすませよう、と弾に話しかける。

 

「そういえば放課後に生徒会に行く予定だったと思うんだけど、先に宍戸のとこ行くの忘れてたな」

「その件は俺と数馬で動くことにした。一夏は結果だけ待っててくれ」

 

 傍にいる数馬が「そういうこと」と相づちを打つ。

 唐突に俺の仕事が無くなった。

 

「あれ? 俺が顔出さなくていいの?」

「今朝までは一夏がいた方が都合が良かったんだが、今はちょっと怪しい。逆効果になる可能性も考えるといない方がマシだと俺は考える」

 

 弾は幸村と同じことを危惧していた。俺はしょうもないことで一体何人に恨まれているんだろう? 考えると悲しくなってくるが、事実として受け止めなければならない。生徒会の中には変な奴がいませんようにと祈ることしかできない。

 

「わかった……任せる。2人とも、悪いな。元々俺の都合なのに」

「何を今更言ってるんだ。校内で堂々とISVSができるかもしれないんだぜ? 俺は俺の都合でやってるんだっての」

「俺は弾みたいに図々しいことは言わないけど、俺も俺の都合……というよりも自分で決めた約束事があるから」

「約束事?」

 

 弾のことは置いといて数馬の言ったことが気になった俺は聞き返した。すると数馬は言いにくそうに頬を掻きながら答えてくれる。

 

「家訓……みたいなもんなんだけど、親父に言われてからずっと守ってきたんだ。友達とこそ困難を分かち合え。そして友達を裏切るな。主体性の無い俺でもこれだけは絶対に譲れないんよ」

「もう止せ、数馬! あまりにも綺麗な言葉を並べられると、俺がただの俗物に見える!」

「弾、それはもう手遅れだ」

「マジかよ! じゃあ、俺も……」

 

 弾が顔を精一杯キリッとさせる。

 

「友達のためだ、ならやってやるしかねえじゃん。……どうよ?」

「とってつけた感がハンパない」

「くっ! 俺の何が悪いってんだ!」

 

 弾をいじりながらも俺は2人の友人の想いを確かに感じていた。2人は俺を助けることも自分のためだと思ってくれている。それだけ2人の中に俺の存在が居てくれて純粋に嬉しかった。

 後のことは弾たちに任せていい。俺は帰ることにしよう。俺は俺でやるべきことがあり、ただ待っているだけなのは時間が勿体ない。

 生徒会室へと向かっていく2人を見送った後で、手提げ鞄を肩に掛けて歩き出す。開けっ放しの教室のドアをくぐって廊下を歩いていると、後ろから足音がついてきていた。

 

「一夏さん、もう帰られるのですか?」

 

 振り返らなくとも予想はできていたがセシリアだった。声を聞いて初めて振り返ると、昼休みと違って周囲にいた連中は遠巻きにこちらを見ているだけ。下校にまでセシリアについてくることは無さそうだったが、幸村に注意を受けた今、視線が怖い。

 

「どうされました? キョロキョロと見回しているようですが」

「わかってて言ってるんだろ? 俺が周りにどういう目で見られてるのか」

 

 できる限り小声でセシリアに問いかける。この行動自体が火に油を注いでいるのかもしれないが聞かずにはいられなかった。俺はセシリアと顔が近い状態で校内を歩いている。

 

「鈴さんだけで飽きたらず、有名な海外モデルにまで手を出した節操なしといったところでしょうか」

「合ってるよ! 俺よりも正確に理解してるよ! ちくしょう、わかっててやってるじゃねえか!」

「それはもう色々と質問されましたから」

「待て! 何を聞かれた? 何て答えた?」

 

 もう小声で話す余裕は無かった。誰に聞こえていてももうどうでもいい。セシリアを問いつめることしか頭にはない。

 

「一夏さんと付き合っているのか聞かれましたので、お慕いしていますとだけ答えておきましたわ」

「アウトーっ!」

 

 セシリアの返答を聞いた俺はショックで廊下を転がった。

 

「あら? 無難にお答えしたと思いましたのに、何か問題でもありましたか?」

「大ありだよ!」

 

 跳び起きつつ叫ぶ。幸村の心配していたことが現実になりそうだった。確実に俺はファンクラブを敵に回している。具体的には蒼天騎士団。イルミナント戦では弾たちとともにこちら側で戦ってくれていたのに……。他にもセシリアのファンがいてもおかしくはないし、それらも俺の敵となりうる。勘弁してくれ。俺にとっての敵はIllを使っている奴らだけだっての。

 セシリアは無難に返したと本気で思っているようだが、彼女はもしかしたら男の嫉妬を知らないのだろうか。……知らないんだろうな。同年代の男と関わる機会なんて無さそうだし。

 

 玄関までやってくる。そこにはさらに燃料を投下する存在が待ち受けていた。

 

「あ、一夏。今から帰り……なんでセシリアがセットなのよ」

 

 鈴だった。教室にいなかったと思えば、まさか玄関に居るとは。しかもこの様子だと俺を待っていたようだし。俺を置いて鈴とセシリアの会話が始められた。

 

「たまたま一緒なだけですわ。鈴さんも今からお帰りですか?」

「たまたま、ね。じゃああたしも一緒に帰ろうかしら」

「ええ、お願いいたしますわ」

 

 なんか前にもこんなことがあったような。この状況を俺がどうにかできることはなく、俺、セシリア、鈴の3人で下校することになる。空気が重いと感じているのは俺だけなのだろうか。鈴は多分セシリアに嫉妬してたりするんだろう。でもセシリアは俺を恋愛対象だなんて思ってるわけじゃない。彼女の演技であって鈴の勘違いなのだとどう説明すればいいものか。こういう誤解を解くのは非常に難しい。

 3人で並んで歩く。俺は端に寄ろうとしたのだが、2人に強引に中央に据えられてしまった。この状況で話せることはなく、俺を挟んで2人の言葉が飛び交っている。

 

「それにしてもまさかアンタが学校にまで潜り込んでくるとは思っていなかったわ。そうまでして学びたいことって本当に何なのよ」

「恥ずかしながら一夏さんがおっしゃっていた通りですわ。わたくしだって普通の高校生活に興味がありましてよ?」

「要するに“ぼっち”だったのね」

「否定はしませんわ。わたくしは長らく独りでした。あの事件までそのことに気づいてすらいなく、一夏さんと出会うまではずっと孤独だったのですわ」

「ぐぬぬ……やっぱりアンタと話してるとあたしが悪役になったみたいに感じるわ」

 

 やはり険悪な感じだと思って聞いていたら、朝と同じように鈴が一方的に罪悪感を覚えただけになっていた。握った右拳の震えに哀愁まで漂っている。

 

「ではわたくしとお友達になりませんか? これまた恥ずかしいことなのですが、本国でのわたくしの知り合いで同年代の方々はお友達と呼べる関係にはなれそうにないのです」

「ああ、なんとなくわかるわ。代表候補生って枠の奪い合いしてるんでしょ。表面上仲良くしてても本当はどう思っているのやら」

「そうなのですわ。困ったときに誰も耳を傾けてくれないばかりか、わたくしをあざ笑う始末。腸が煮えくり返りそうでしたわ。あのような連中を友と思っていた昔の自分をひっ叩いてやりたい」

「本当、やだよね、そんなの。あたしだったら一発殴って縁を切ってるわ。にしてもアンタ、意外と口悪いでしょ? 今少し漏れてたわよ」

「あ……」

 

 セシリアが慌てて口を手で押さえたが既に発した言葉は取り消せない。2人が同時に笑っていたので俺もつられて笑う。前にも思ったけどこの2人、実は仲良いだろ。空気が軽くなったため、俺も口を挟み始める。

 

「セシリアはたまに恐ろしいことも言うしな。俺のときは『頭をかち割ってハンドミキサーでシェイクして差し上げましょう』だっけ?」

「あ、あれは柔軟な思考をしてくださいという比喩表現で――」

「たまにあたしもそうしたいときがあるから、セシリアは悪くないわね」

「鈴っ!? なんか釈然としないけど、なんかごめん」

「そんな風に謝られてもイラっとするだけだから以後禁止」

「了解であります!」

 

 どこともしれない敬礼をしてみた。うん、別に意味はない。

 そこからは3人でおしゃべりをしながら帰るというただの高校生になっていた。きっとこれだけでもセシリアがうちの学園に来た価値はあったと思いたい。たとえ、彼女が俺の護衛に来ただけなのだとしても。

 楽しい時間はすぐに終わりがくる。俺と鈴の共通の帰り道が終わる分かれ道までやってきた。鈴は1人だけ違う道へと歩を進めてから振り返り、片手を挙げる。

 

「じゃ、あたしはここで」

「おう、またな、鈴」

「ごきげんよう、鈴さん」

 

 と、ここで違和感を覚えた。それは俺だけでなく鈴もだったようで俺の代わりに言ってくれる。

 

「セシリア。アンタ、どこに住んでんの?」

「こちらの道を行ったところにありますわ」

 

 セシリアが指さすのは俺の家のある方だった。鈴は少し悔しそうに「そう」とだけ言うとそれ以上聞くようなことはしなかった。鈴は「また明日」とだけ言って去っていく。

 俺が感じていた違和感はまだ拭えていない。それが何かもわかっていないから何も聞けないのだが……違和感というよりも嫌な予感がしていたんだ。

 

「この辺りにホテルなんて無かったと思うんだけど、どこか借家とかあったっけ? でもどっちにしろセシリアが住みそうなところに心当たりがない」

 

 わからないなりに話を続けてみた。俺の住んでいる辺りは住宅街だが、別に高級住宅街というわけではない。そして駅前などのようにホテルがあることもない。これこそが違和感なのだと思っている。

 

「わたくしが住みそうな場所ですか。確かにわたくしは住む場所に一定以上の質を求めます。しかし、それは既に質の高い場所を選ぶわけでなく、わたくしの居る場を改めることでも為せますわ」

 

 徐々に違和感が無くなり、嫌な予感ばかりが増していく。

 セシリアは『改める』と言った。言い換えると作り替えるということになる。元がボロでも金と権力でどうとでもなるんだろう。俺の理解が及ばない世界だ。

 セシリアの住居の話はそこそこに、いい加減俺から聞いておきたいことを聞くことにした。学校では聞きにくかったが、流石にここまで追ってきているような奴は見あたらないし大丈夫だろう。3歩後ろを歩くセシリアに「それで――」と前置きをして質問を投げかける。

 

「セシリアがわざわざ俺たちの学校に転校してきたのは、やっぱり俺のためか?」

「自惚れも大概にしてくださいな。わたくしはわたくしのためにここに来ました」

「そうなのか? てっきりセシリアのことだから『わたくしだけ目的を果たしてさようなら、なんてわたくしが許すわけがありませんわ』とか言いそうだったんだけど」

「当たってますわね。ですからわたくしの都合なのですわ。一夏さんのためだなどと的外れもいいところ。もう誰もチェルシーのような目に遭わせたくはありません。ですからわたくしは一夏さんを利用するのですわ」

 

 セシリアにしてはやや早口で捲し立ててきた。辛辣な内容かと思えば、なんてことはない。弾たちと同じことを言ってくれているだけ。俺の親しい交友関係の中では最も付き合いが短いというのに、まるで何年も一緒にいるような感覚まで覚えた。

 

「ありがとう、セシリア」

「礼はあなたの助けたい方を助けてからにしてくださいな」

 

 そのときはきっと言葉だけじゃなく、彼女の手を取ってアホみたいに空をクルクル回ってそうだ。この前のときみたいに。俺と同じようにセシリアもそのときのことを思い出したようで顔を赤くしていた。

 何はともあれ、箒を助け出すまでこの頼もしい相棒が力になってくれるのは喜ばしいことだった。

 

 俺は家に帰ってきた。後ろにはセシリアの姿もある。当然、俺は振り返ってこう言う。

 

「じゃあな、セシリア」

 

 しかしセシリアは首を傾げるだけ。俺は彼女に構わず家に入るために鍵を回そうとした。

 ……開いている。

 

「閉め忘れ!?」

 

 俺は慌てて扉を開いた。するとそこには、

 

 

「おかえりなさいませ、一夏様、お嬢様」

 

 

 メイドさんがお辞儀していた。俺から見えるのは主にフリフリのついたヘッドドレスだけなのだが、メイドさんと断言できるパワーがある。あまりにも綺麗なお辞儀に、俺は反射的に「どうも」と会釈し返す。頭を下げたところで我に返り、首をブンブンと振った。

 

「って、誰だよ!? ここ、俺ん家だよな!?」

 

 後ろに控えていたセシリアを押しのけて表札を確認すると確かに『織斑』と書いてある。近辺に他の織斑さんはいないはず。曖昧になった認識を確信に戻して改めて家に入るがやはりメイドさんはそこにいた。メイドさん以外にも目を向けてみると、朝出たときとは比べものにならないくらいにピカピカになった我が家があった。メイドさんの仕業とみるべきだろう。割と真面目に掃除をしているのだがやはり本職には適わないということか。

 

「さて、セシリア。俺に事情を説明してもらおうか」

 

 もう大体察していた。朝に千冬姉が言っていたことを思い出す。

『海外からのホームステイを受け入れることにした』

『今夜からだ』

 つまり、セシリアが俺の家にホームステイすることになったというわけだ。それも使用人のおまけ付きで。

 

「あら? 先ほどもおかしいと感じてはいましたが、まさか一夏さんは千冬さんから聞いておりませんか?」

「いや、聞いてた。セシリアとは知らなかっただけ」

「ではわたくしは何を説明すればよろしいのでしょうか?」

「千冬姉とどういう関係なんだ?」

「特に親しいということはありませんわ。今回の件は、ただお願いしただけです。千冬さんは気前よく了承してくださいましたわ」

 

 そういえば俺の知らないところで俺のメアドを手に入れるくらいだ。千冬姉のことを調べるくらい朝飯前だったんだろうな。しかし千冬姉を納得させるとは、俺はセシリアに対する認識を“交渉能力が残念なぼっちお嬢様”から改める必要があるかもしれん。

 

「では改めて挨拶をさせていただきますわ。今日からしばらくこの家に厄介になります、セシリア・オルコットです」

 

 セシリアはメイドさんの隣に並ぶと教室で見せたようにスカートの端を摘んで一礼した。セシリアに続きメイドさんが口を開く。

 

「私はセシリアお嬢様の世話係をしています、チェルシーと申します。一夏様も私を使用人と考えてもらって結構です。なんなりとお申し付けください」

 

 セシリアの優雅さとは違う、勤勉さを感じさせる人だった。この人がチェルシーさんか。俺はセシリアの記憶を覗いていて知っている。この人はセシリアにとってただの使用人ではないってことを。過去の記憶だけじゃないな。セシリアはこの人のために、あの化け物(イルミナント)に立ち向かってたんだから。

 

「オホンッ! では最後に私の番でよろしいですかな?」

 

 そして、唐突にしわがれた声が聞こえてきた。声のした方は俺の背後。ビクッと俺の顔は反射的に急反転する。そこには燕尾服を着た老人が立っていた。老人……だよな? 無駄にピンと張った背筋のためか、声音や見た目よりも年齢が若いように感じる。

 

「お目にかかるのは初めてでしたな、織斑一夏殿。私はジョージ・コウと申す」

「は、はぁ……」

 

 ジョージという名前を聞いて思い当たる節はあった。確かセシリアとの例の演技のときにかかってきた電話の相手の執事さんをセシリアがそう呼んでいたと思う。お目にかかるのは初めて、ね。つまり向こうは一方的に俺のことを見てたってわけか。

 老執事さんからは握手を求められたので俺は握ろうと左手を出す。

 ……ん? 左手? 普通は右手じゃ……国が違うからなのか?

 俺の左手は力強く掴まれると同時に引っ張られた。老執事さんにぶつかったが彼は微動だもしない。老執事さんの顔が俺の耳元に寄っていた。

 

「セシリア様に気に入られたからといって調子に乗るなよ、小僧。貴様ごとき社会的にも物理的にも抹殺することは容易いのだ」

 

 俺は言葉に殺意が込められるってことを思い知った。ドスの利いたその声音はヤーさんのそれと同じだと思う。聞いたことないけどさ。

 

「どうしたのですか、一夏さん?」

「一夏様はお疲れのようですな。チェルシー、食事の用意をして差し上げなさい」

「そ、そう。今日は疲れたんだ。悪いな、セシリア」

 

 今のやりとりに本当に気づいてなさそうに見えたので老執事に話を合わせる形で誤魔化しておいた。脅されこそしたが、老執事の言動は俺にとっては嬉しいことだったんだ。だって、今のはどう考えてもセシリアを心配してのことであり、独りだなんて言ってたセシリアにもこんな人が居てくれるのは歓迎すべきことだと俺は思うから。

 あとはセシリアの態度を勘違いしてなければ言うことなしなのだが、そこは仕方ないと割り切ることにしよう。本当に俺が抹殺されるような事態が起きるわけないし。

 

 セシリアと同じ屋根の下での生活か。一人暮らし同然の状態より毎日が楽しそうなのはいいんだが……学校連中に知られると今度こそ俺の身が危うい。念のため、弾にだけはメールで連絡しておくとしよう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 そこは薄暗い部屋だった。全体的に淡い青色で照らされている部屋には専門外の人間には用途のわからない機材が散乱している。部屋を青色に染めている光源は、その全てが旧式の液晶ディスプレイであり、部屋の主と思しき無精髭の男がにらめっこの最中だ。上下共に作業服を着用している男は部屋の扉が勝手に開いたにもかかわらずディスプレイから目を離そうとはしなかった。

 

「あいかわらず汚いところですねぇ。それに暗い暗い。常人には理解しがたい環境に吐き気がしますよぉ」

「何の用だ、ハバヤ。それに……ヴェーグマン」

 

 部屋に入ってきたのは細い印象を受けるメガネの男と、肩に掛かるか掛からないかといった長さの銀髪をした男だった。ハバヤと呼ばれたメガネの男はその場にしゃがみ込んで転がっている機材をちょいちょいとつつきながら話を続ける。

 

「ただの世間話……をするにはこの部屋では難しそうですねぇ。当然、特別なお話があるわけですよ。リミテッドの開発者であるあなたにね」

 

 瞬間、銃声が響く。銃を握っているのは作業服の男の方だった。目だけはディスプレイから離さずに、銃口をハバヤに向けている。

 

「一発目は空砲だが、二発目からは実弾が飛び出るからな。覚えておけ」

「あー、こわいですねぇ、本当にもう。大変失礼しました、ウォーロック博士。リミテッドではなくEOS(イオス)でしたね」

 

 ハバヤの訂正を聞いてウォーロックと呼ばれた作業服の男は銃を下ろす。男の怒りの矛先は“リミテッド”という単語の一点のみだったのである。

 

 リミテッドとは当然、開発者が名付けたわけではない。ジョナス・ウォーロックが世間に発表したときの名称はEOS(Extended Operation Seeker)。様々な運用を想定した最新式のパワードスーツであった。もっとも、最新と呼べたのは3ヶ月の間だけであったが……。

 EOSの発表から3ヶ月後に白騎士事件が発生した。世界はもうISにしか注目がいかなくなり、ISと比較されたEOSはリミテッドストラトスという蔑称を与えられることとなった。世界はEOSを劣化IS、もしくはISの付属品としてのみ、その存在を受け入れたのだった。

 

「わざわざこちらの神経を逆撫でせずとも話くらい聞いてやる」

「あ、そうですかぁ? それは良かった。では、さっさと本題を切り出すとしますか。この部屋にいると気が滅入ってくるんで」

 

 床に転がっている機材を漁る手を止めたハバヤは右手で自分の肩を揉みながら立ち上がるとわざとらしく顎を突き出し、ディスプレイを注視しているウォーロックを見下ろす。口元は笑っていても、その眼の奥には冷たさだけがあった。

 

「ISVS内で計画にない機体(イル)が活動しているのですがぁ……心当たりはありませんかねぇ?」

 

 ハバヤの問いによりウォーロックは作業の手を止める。頑なに目を離さなかったディスプレイからすら目を離し、初めてハバヤと正面から向き合った。焦りは見られない。彼はただ顔をしかめていた。

 

「報告がいってないのか? 遺伝子強化素体が俺のところからIllの新型の試作を持ち出していったきり行方不明になった」

「あれ? そうなんですか?」

 

 ハバヤは背後にいる銀髪の男、ヴェーグマンの方を振り返り問いかける。部屋に入ってから沈黙を保っていたヴェーグマンだったが、その口は重いわけでなく簡潔に答えを返す。

 

「報告はあったが関係のないことだ。C型とH型の遺伝子強化素体が1人ずつ、私の管理下を離れた。何者かによって連れ出された可能性が高く、私は貴様をその容疑者と見ている」

 

 静かに淡々とヴェーグマンは疑いの言葉を投げかける。視線の先にはウォーロック。

 

「俺が容疑者だぁ? 血迷ったか、ヴェーグマン! 大体、俺に何のメリットがあると言うつもりだ?」

 

 聞く者によってはただの言い逃れでしかないが、この場の2人にとってはそうではなかった。ヴェーグマンは右手で顎をさすりつつ思考を開始する。

 

「そうだ。動機という点でこの仮説には欠陥がある。消えたIllと遺伝子強化素体は共に直接的な損失としては軽微なものだ。情報源としても第三機関があれらを手にしたところで篠ノ之束でもないかぎり解析はできない。故に、公表されて困るような情報も出ない。計画の継続に支障はないと考えられる。もし貴様が本気で計画を阻害しようとしていたのなら他に足が着かない手段くらいある。解せないな」

 

 ヴェーグマンの自己完結によってあっさりとウォーロックの容疑が晴れていた。「焦らせるな、命がいくつあっても足りないぜ」とウォーロックの肩から力が抜ける。

 

「ならどうしてわざわざハバヤまで連れてこんなところにきた?」

「直接話せばわかることもあるというものだ。この男は嘘を見抜くことに関しては一流であるから連れてきただけのこと」

「ちょっ、ヴェーグマン!? それだけのために私を日本から呼んだのですか!? 私は嘘発見器か何かですか!?」

「全て肯定しよう。何か問題があるのか?」

「……もういいです」

 

 少しも悪びれた様子のないヴェーグマンを横目に見ながらハバヤは「私も暇人ではないのでほどほどにしてもらいたいものですが、理解されないんでしょうねぇ」と愚痴をこぼす。わざと聞こえるように言っているのだが当のヴェーグマンからは特に反応はなかった。

 自分の扱いの悪さに関して諦めたハバヤが部屋の隅に移動している間にもヴェーグマンたちの話は進んでいく。

 

「それで? 他にも俺に用があるんだろ?」

「当然だ。計画に大きな支障はなくとも不確定要素は排除しておきたい。貴様の主導でないのならば、行方不明となったIllの行き先を調べていると踏んでいるのだが、何か情報はあるか?」

「不遜な若造にしちゃあ、やけに信頼してくれてんな。察しの通り俺の方で足取りを追ってみたんだが、大した情報はない」

 

 消えたIllの行き先は不確か。大した情報はないと告げるウォーロックが提示するのはネット上に転がっているひとつの噂であった。それは銀の福音の噂と入れ替わるように表に出てきた。

 

 ――蜘蛛を見たら逃げろ、でないと食われるぞ。

 

 内容を見て状況を察したヴェーグマンは独り言をこぼす。

 

「これは……奪取されたのではなく暴走か。問題はその暴走が偶発的なものか人為的なものか……過去2年で例がないことから人為的な可能性の方が高い。いや、それよりもこのままではIllの存在を吹聴して回っているようなものだ。早急に処分すべきか」

「処分っ!?」

 

 ヴェーグマンが処分と発した途端に部屋の隅に控えていたハバヤが叫んだ。にやけた顔を隠そうともしないでハバヤはヴェーグマンにスキップで近寄っていく。

 

「ひとつ、提案があるのですが聞いていただけます?」

「言ってみろ」

「その暴走Illの処分……この私にやらせてもらえないですかねぇ? きっひっひ!」

 

 ハバヤの狂った笑いが薄暗い部屋に響く。ウォーロックが苦痛に耐えるように片耳を塞ぎながらディスプレイに向かう中、ヴェーグマンは無表情を崩さずにハバヤに指示として下す。

 

「以後、対象をIlliterate(イリタレート)Illogic(イロジック)と呼称することとしよう。2体の処分方法は任せる。貴様の表の顔の手柄にするといい。渡しても良い情報に関してはウォーロックの指示に従え」

「そうこなくてはやりがいがないですねぇ。あなたはやはり話のわかる御方だ。大いに利用させてもらうとしましょう。キャッハッハー!」

 

 言うや否やハバヤは高笑いをしながらウォーロックの研究室から退室していった。残されたヴェーグマンは携帯端末を取り出し、画面に語りかける。

 

「聞いていたな、ギド?」

『おうともよ! 暴れてる元仲間を見つけてぶっ飛ばせばいいんだろ?』

 

 画面の中にはヴェーグマンと同じ銀色の髪をした男が映っていた。違う点としては体格と髪の長さだろうか。およそ運動が得意そうに見えない細めの体躯のヴェーグマンと違い、ギドと呼ばれた画面内の男は筋肉質な体格をしている。その体躯を見せつけるかのように上半身は裸である。ただ無造作に伸ばしたという印象を受けるボサボサの髪は髪色の美しさとひどくギャップのあるものだった。

 ヴェーグマンの指示を了承したギドと呼ばれた男は画面から姿を消す。

 

「これでいい。では私たちは城攻めの準備に取りかかるとしようか、ウォーロック」

 

 イレギュラーの対処を2方面に任せたヴェーグマンは次なる問題に取りかかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 様々な種類の車が幾列にも並んでいる。地面に引かれた白線に従って整頓されたここは日常生活では縁がありそうな場所だ。身長の3倍ほどの高さに天井がある地下駐車場に、俺は白式を纏って立っていた。

 人の気配のない駐車場に動く影が見えた。ISだ。俺の対戦相手だ。相手も俺の存在に気づいているようで、車を壁にして滑るように低姿勢で移動する。対する俺も正確な位置を把握されないように、地面すれすれをスライドして位置を変える。まだ互いの装備を把握してないため、手の内のさぐり合いの段階だ。雪片弐型しかない俺としては、障害物だらけの閉鎖空間という戦場は一撃必殺を狙いやすい環境といえる。

 距離が開いた状態で鉢合わせるのだけは避けたい。この場で言うのならば車体の列同士の間にできている直線の空間がそれに当たる。ライフルやアサルトカノンのような単発射撃ならばまだ回避できる可能性はあるが、マシンガンやショットガンが来ると、俺は一方的に撃たれ続けて負ける。相手の位置が正確にわかればやりやすいのに、と無いものねだりをしそうになった。こういうときラピスが頼りになるからな。今は俺ひとりだから、独力でどうにかしないといけない。

 

 しかしどうする? 俺には牽制できる武装なんて何もない。

 

 相手から考えなしに攻撃が飛んできていれば、回避ルートを模索して一撃を狙いにいくのだが、そうではない現状だ。相手の武器がわからずに飛び込めば返り討ちに遭う危険性も高くなる。

 かといってこのまま膠着状態を続けようにも、相手が設置型の武装を積んでいれば次第に俺は追い込まれていく。

 下手に動けない。だったら答えはひとつだ。

 

 ――俺は、下手くそだ!

 

 割り切った。近場にあった軽自動車を左手で掴み上げると奥に見える車にテキトーにぶつける。俺はここにいる。さっさと仕掛けてこい。そう挑発する。

 車同士の衝突の音が聞こえないわけがなく、音が響いた瞬間には敵が行動を開始していた。白式が捉えた敵の姿はメイルシュトロームのフルスキンスタイル。俺に向けられた武器は見覚えがあり、ハンドタイプの拡散型ENブラスター“プレアデス”だ。手頃な車を盾にして強行突破を考えていたが、EN武器が相手では盾として機能しづらい。イグニッションブーストで即座に左に飛ぶと、俺のいた辺りが焼け焦げた蜂の巣となっている。

 敵の攻撃はまだ終わっていなかった。移動した先で白式が警告を発する。敵機に照準されている。プレアデスを撃ってきたプレイヤーは今死角にいる上に、全く別方向からのロックだった。それは車上に設置された砲塔。BT兵器と比べて使用できる場面が少ないが、使用に特別な技能を要求しない遠隔操作のトラップ型装備だ。イグニッションブーストを終えた俺に向けて、設置型のアサルトカノンが火を噴く。

 宍戸に感謝しておこう。

 まだサプライエネルギーには余裕がある。以前の俺なら隙だらけだったこのタイミングでも、今の俺ならば万全に動けるのだ。

 2度目のイグニッションブースト。移動先はさっきまで居た位置。180°ターンして舞い戻るというわけである。大した距離じゃないからエネルギー消費もそこまでじゃない。敵の設置型武器は空振り、俺は舞い戻った先で敵と相対した。まだサプライエネルギーは切れていない。

 

 3度目のイグニッションブースト。プレアデスはまだ発射できる状態でなく、設置型武器の使用で他に手が回っていない敵は隙だらけだった。イグニッションブーストも修得していない。接近を果たした俺は1度2度3度と連続で斬りつけた。

 

 

 

 戦闘が終了して俺はロビーに戻ってきた。対戦相手も同時に戻ってきており、早速俺の方へと走り寄ってきた。

 

「負けた負けたー! これがニンジャって奴か!」

「いやいや、俺なんか全然忍んでないから」

「謙遜か。にしても良くあんなイグニッションブーストできるよな。俺とかだと頑張っても1回やって隙だらけになるってのに」

「まあ、そこは才能ってことで」

「む……意外と自信家だったか」

 

 なんか自然と話し始めたけど、初対面の相手だ。結果的に俺が一方的に勝ったからいちゃもんでもつけられるかと身構えたんだけど、杞憂に終わって何より。純粋にISVSを楽しんでいるプレイヤーだということなのだろう。

 

 俺は今、ひとりで海外プレイヤーの集まるロビーに来ている。最近始めた武者修行のようなものだ。ゲーセンから入るとなんだかんだで見知った相手ばかりになるから、実戦を想定した相手の装備がわからない状況を作るには家の方からログインして普段行かない場所へと赴いた方が都合が良かった。

 今日はセシリアと一緒に来ることもできそうだと思っていたのだが、生憎と彼女は他にやることがあるらしく、チェルシーさんの用意した食事をすませた後、部屋に籠もってしまっていた。あの怖い執事の目もあるため、俺は渋々ひとりでISVSを始めて今に至る。

 

「で、サムライくん。まだやってくか?」

「次は対策立ててくるつもりだろ?」

「当然!」

 

 たまたま暇そうにしてたプレイヤーに声をかけて1対1の試合をしたわけだ。相手の名前はレナルド。スフィア“クラージュ”のメンバーらしい。クラージュと言えば“風”にボッコボコにされていたイメージしかないけど、弱いわけじゃないのは理解している。実際、今回の試合は俺が相手の想定外の機動をしたから勝てただけで、知っていれば十分に対処されると思う。

 これから先、俺が相手をするIllがイルミナントと同じように俺を格下と見ているとは限らない。もう警戒されている可能性もある。俺に対する対策を練った相手と戦っておくのも悪くはないのかもしれない。

 

「よし! じゃあや――」

「げぇ!? アイツは!」

 

 やるか、と答えようとしたらレナルドの叫び声にかき消された。視線の先は俺の後方である。今日は良く後ろに誰かがいるなと思いつつ振り返ると、今度は俺の方に見覚えのある初対面の人がいた。

 

「こんにちは」

 

 笑顔で挨拶をしてきた華奢な男は、まだ声も高く声変わりを迎えていない。肩に掛かる長さの金髪を後ろで束ねている彼は女子と言われたらそう信じてしまいそうだ。ISスーツはオレンジ色を基調としている。彼の機体の色と同じその色は、柑橘類の色ではなく別の表現で呼ばれていた。

 

「“夕暮れの風”……?」

「僕のことを知ってくれているのを嬉しく思います。日本でのデュノア社の評判はどうですか?」

 

 夕暮れの風とは目の前のプレイヤーを指す言葉だ。俺が見たことがある試合ではレナルドたちクラージュ3人をひとりで相手にして圧倒していた。セシリアが言うにはランカー入りが近いらしい。要するに大変な実力者である。

 他にもセシリア情報であるが、彼はデュノア社と関係が深いらしい。今もデュノア社の評判を気にしている辺り、間違いなさそうである。

 

「俺の場合は倉持技研製で固めてるから良くわからないな」

「そうですか……」

 

 なにやら弱々しい返事だった。ひとりで猛者たちを圧倒していた“風”とは思えない姿に俺は戸惑う。どうしようかとレナルドを頼ろうとしたら、奴はいつの間にか10m以上離れていた。短距離なのにプライベートチャネルで通信が来る。

 

『悪いけど、今日はもう落ちるわ』

『はぁ? まだ対戦するんじゃないのか?』

『急用を思い出した……ということにしといてくれ』

 

 それだけ言ってレナルドはロビーから消えていった。タイミング的に“風”と顔を合わせたくないということなのだろうか。その辺の事情は良くわからない。

 とにかく、俺は唐突に凹んでしまった“風”の話し相手になってやらなきゃいけない。そんな気がする。

 

「とりあえず、デュノア社を知らない奴はいないと思うからそんなに落ち込むなって」

「ただ有名なだけでは意味がないんです……他社に劣るというイメージがあったらダメなんですよ」

 

 挨拶してきたときのような笑顔はかけらも存在していなく、彼の眼には光が感じられない。

 こいつ、こんなネガティブな奴だったのか?

 言いたいことはわかるけども、結局のところIS関連企業の評価は一長一短だったと記憶している。

 

 例えば、倉持技研は装甲やブレードなどの強度や修復速度に秀でているが、装備の規模に対して要求される容量が大きいものが多い。雪片がその最たる例だ。神風を除けば最軽量のフレームが打鉄である時点で重量指向の企業であるといえる。対してデュノア社は装備の規模に対して容量が小さい装備が目立つ。ひとつの機体に多種類の武装を積んだり、予備武器として拡張領域に放り込んでおいたりと重宝する。確かに見た目の派手さはないが、弾からも特に悪い評判は聞いてない。

 

 結論。ただのマイナス思考だ。わかる人はわかってくれてるということでフォローしておくか。

 

「弱いとは聞いたことがないから安心しろって。フレーム以外はパッとしないかもしれんが、だからこそ隠されてると厄介だし」

「そうなんだ! 僕も実際に使ってるから言えるけど、小型でもシールドピアースの威力は舐めちゃいけない! 射撃主体の機体と思わせて接近してきた近接機体を返り討ちにしたりもできるよね! 射撃武器を複数持つことも意味があるんだ! 一芸特化の方が派手な戦果をあげられるけど、相手に存在がバレてるとそれだけで詰みになる可能性もある。複数の手段を持っていることはその対処の幅を広げる意味もあるし、敢えて相手に手の内を知らしめることで“持っていること”自体が牽制にもなる。所持できる装備の数においてデュノア社は――」

 

 金髪少年の顔が急に明るくなる。テンションも先ほどまでとは雲泥の差であり、饒舌に語り始めた。デュノア社の宣伝をしていると聞いているが、それは仕事ってだけじゃなくて本当に好きでやってるのだろう。そう思わせるくらいに装備について語る彼は熱かった。

 もしかしたらレナルドが逃げたのはこれを聞きたくなかったからなのか? 俺としては弾の講座で耐性ができてるから問題ない。……と言っても限度があるので話の方向を変えよう。

 

「いや、すごいのはわかったからさ……俺と勝負をしないか? 俺の一芸が“風”の多芸にどれだけ通用するのかを知っておきたい。どうせそのつもりで声をかけてきたんだろ?」

 

 御託はいいからさっさと試合をしようと提案した。以前に見た態度から考えて二つ返事で受けてくれると俺は思っていた。しかし“風”の顔は浮かない。

 

「お誘いは嬉しいのですが、僕の用件は別にあるんですよ。“ヤイバ”くん」

「そっか。じゃ、仕方ない……ってあれ?」

 

 俺、名乗ったっけ? 俺の場合はプレイヤーネームを開示に設定してないから言わないとわからないはずなんだが。それにISVS内で初対面の相手と対戦以外の用件というのも気にかかる。俺は一歩二歩と下がった。

 

「申し遅れました。僕の名前はシャルル。巷では“夕暮れの風”と呼ばれていますが、僕のことはシャルルと呼んでください」

 

 “夕暮れの風”ってプレイヤーネームだと思ってた。要するに通り名とか二つ名という位置づけというわけか。

 自己紹介には自己紹介で応じるのが普通だが、俺は何も返さずにシャルルの出方を窺う。こいつのデュノア社愛は本物だと思うが、そのデュノア社自体が敵側である可能性も考慮しないといけないのを忘れていた。俺をヤイバだと知って近づいてきたということは、イルミナントの件も知っていると見ていい。それ以外に俺が有名となりうる根拠がない。

 

「警戒……されてますね。何も取って食おうというわけではありません」

「そう言われて『はい、そうですか』なんて言えるか!」

「まあまあ、話だけでも聞いてください。話というのは最近の僕の悩みなんですけど――」

 

 唐突に始まったのは“風”の悩み相談だった。別に俺はカウンセラーというわけじゃないのだが、面倒くさがって逃げるのも後味が悪いので黙って耳を傾ける。

 要約すると、夕暮れの風がいくら試合に勝っても宣伝効果が薄くなってしまったということだった。『デュノア社の装備で勝てる』と訴えようにも、既に世間の目は『“風”が強いのであってデュノア社の装備が強いわけじゃない』としか見ない。シャルルは名を売りすぎてしまったのだ。シャルルが勝ってもそれはもう話題にならない。当たり前の光景となってしまったのである。

 さらに追い打ちとなったのが“蒼の指揮者”の存在である。公にはされていなくとも、都市伝説であった“怪物”がISVS内に実在していて、“蒼の指揮者”と仲間によって討たれたという話がネットを中心に少しずつ広まっているのだとか。

 まとめると、話題が作れなくて困っているということらしい。

 

「で、それがどうして俺のところに来る理由になるんだ?」

「それは君が“蒼の指揮者の仲間”だからです。君のことを知ったのは偶然な上に、直接話そうと思ったのも、たまたまここで君と会えたからなのですが」

「あー、結構派手にやったから全員の口を塞げないのは仕方ないか。それで俺が怪物殺しだとして、お前はどうする気だ?」

「簡単です。僕も怪物殺しになりたい」

 

 シャルルの目は本気だった。

 

「ISVSには正体が定かでない怪物がいる。銀の福音の偽物に始まり、最近では蜘蛛の化け物など様々な噂や憶測が飛び交っています。デマが大多数を占めるとは思いますが、いくつかは真実なのでは? そして、それを君は知っている。違いますか?」

 

 鋭い、といえばいいのだろうか。俺やセシリアみたいに身内が被害に遭ってるとかそういう事情もないのにこんな荒唐無稽な話を信じているなどとバカか天才のどちらかだ。

 以前の俺なら間違いなく『危険性を理解してない奴を巻き込むわけにはいかない』として話を濁しにかかっていたことだろう。でも、今の俺は誰かの手を借りるのを躊躇うつもりはない。人それぞれに理由があっていい。シャルルの場合がデュノア社の知名度を上げるためだとしても、俺は否定しない。

 

「知ってることもあるというのが正確だな。何もかもを知ってるわけじゃない。それでもいいなら話す……と言いたいところだが条件がある」

「それは?」

 

 シャルルがずいっと寄ってくる。多少のことなら受け入れると目が訴えていた。

 俺は自分のことを卑怯者だと思う。でも、少しでも戦力が欲しいというのが本音だった。だから言ってやる。

 

「俺たちのスフィアに入れ」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日が落ちてからかれこれ2時間以上は経過していた。帰宅のラッシュ時間をとっくに過ぎた駅前の通りは酔っぱらっているサラリーマンが歩いているような時間となりつつある。そんな中、腕時計を確認しながら走る男子高校生の姿があった。道行く人を避けて走る彼の顔は鬼気迫るものがあった。

 

「門限過ぎてるっ!」

 

 ごめんなさいと書いたメールを母親に送信したのが5分前。母親からは『お父さんが帰ってくるまでには帰りなさいね』と暖かい返事が返ってきていた。ルールにうるさいのは父親だけなのである。なんとしてでも父親よりも先に帰らなければ、と数馬は必死になっていた。

 遅くなった原因はISVSである。一夏や弾たちに追いつかなければとひとりでも熱心に練習している数馬だったが、今日は度が過ぎていた。一度ログアウトしなければ外の暗さなどわかるわけもなく、没頭してしまった結果、この有様だ。

 

「頼むよ、親父! 今日は残業でいつもより遅くなっててくれ!」

 

 人事は尽くしている。あとは天命を待つだけといったところだった。

 普段から走り込んでいるために得た持久力のため、大して疲労も見せないまま数馬は夜の街を走り抜ける。パトカーが傍を通って一瞬だけ身構えたりした。高校生の帰宅時間としては遅い方だが、辛うじて見逃してもらえる範疇だったと胸をなで下ろす。そんな一幕もあったが特に問題なく家にたどり着こうという時だった……。数馬の視界の端に妙な光が映った。

 

「ん? 何だろ?」

 

 不審に思った数馬がもう一度確認しようと辺りを見回すが妙な光は消えてしまっていた。気のせいだったのだろうか。とにかく今は早く家に帰るべきだと思い直し、再び駆け出そうと足に力を入れる。

 

「…………うぅ……」

 

 数馬は走り出さなかった。街灯の間が広く人通りの少ない薄暗い夜道で呻き声がしたのだ。ホラーが苦手な人間ならば尚更早く帰ろうと思うところだが、数馬はそうでない。誰かが苦しんでいると判断して、倒れている人がいないかもう一度探してみる。すると、暗闇の中でもぞもぞと動く影があった。数馬は迷わず走り寄る。

 

「大丈夫?」

 

 見つけたときは暗くてわからなかったが、倒れていたのは小さな女の子だった。数馬は中学生になったばかりくらいの年齢だろうと推測をたてる。ただし、近辺の中学校に通うような少女とは思えない。数馬の目は少女の腰まで伸びる長い銀髪に釘付けになっていた。

 

「誰? 彼は追求者です?」

 

 数馬が少女を抱き起こすと少女は目を開けた。金色の瞳は今まで見てきたどんな宝石よりも綺麗だと、そう思えるくらい美しいと数馬は感じた。少女が何を言っているのか完全には理解できない数馬だったが両手から伝わる少女の震えが怯えによるものであることは想像に難くない。

 

「俺は数馬。御手洗数馬っていうんだ。彼ってのが誰で、追求者ってのが何なのかわからないけど、俺は君に危害を加えないよん。安心して」

「カズ……マ……?」

「そうそう、数馬だよ」

「カズマは“マドカ”がどこに行ったか知りません」

「あ、うん。知りません」

 

 数馬は少女を外国人だと判断した。発音こそカタコトではなかったのだが、内容が日本語のようで日本語じゃない。不思議な感覚を覚えつつも次にやるべきことをする。自分の手には負えないため、警察に連絡を入れようと携帯を取り出した。だが突如動き出した少女の右手に打ち払われて携帯を落としてしまう。

 

「それはやです! 私はその仲間の場所へ戻りたくありま、せ……ん…………」

 

 急に動いたのが原因なのか、少女は何事かを訴えながら気を失ってしまった。

 数馬は落とした携帯を拾ってポケットに戻し、ずれた眼鏡を直して気を失った少女をどうするか考える。そして、彼のお人好しが発揮されるのだった。

 

「警察を嫌がってるっぽいし、とりあえず家に連れて帰るか。母さんならきっと力になってくれる。親父には……殴られるかもしれないなぁ」

 

 頭を抱えつつも、決めたからには実行する。それが数馬だった。

 少女を負ぶって数馬は家への道を走った。



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16 襲い来るもの

 木同士の擦れる音と共に襖が開かれる。床にワックスがかけられた焦げ茶色の廊下に畳の香りが広がった。廊下から見える襖の先には、畳には似つかわしくない無粋なスーツ姿の男たちが部屋の両側に正座をしてズラリと並んでいた。今この部屋に現れたメガネの男もその例に漏れることなくスーツを着用している。

 

「すみませーん。もしかして遅刻しちゃいましたかぁ?」

 

 遅刻という単語を発した割には、男には慌てた様子などない上に礼儀のかけらも感じられない。そんな男の態度に対して座敷にいた者たちは直接的に咎めることはせず、ギロリと睨みつけるだけであった。強面たちの視線を一身に浴びたメガネの男は「もう少し気楽にやりたいものですがねぇ」と愚痴をこぼしながらも自分に与えられている左側の末席へと座る。

 

「平石の当主も揃った。先に始めていた定期報告は一時中断としようかの」

 

 座敷の最奥。一段高く作られた上座の中央であぐらをかく白髭の老人が一声をかけると、末席の男に目を向けていた者たちは一斉に老人の方に視線を移す。同時にメガネの男、平石は肩の力を抜いてから周囲と同様に老人に目を向けた。老人は遠目には目を閉じているようにしか見えないくらいの細目であり、今どこを見ているのか、そもそも見えているのかすら傍目にはわからない。

 

「さて、中断させたのは他でもない。この国の裏側で活躍する諸君に、更識当主代行であるわしの決定を伝えようと思ったからじゃ」

 

 更識当主代行を名乗る老人の言葉が途切れた途端に座敷には沈黙が降りる。あちこちから生唾を飲み込む音が聞こえてくるくらいには、だ。それは座敷にいる者たちに動揺を与えていることを意味し、多くの者が老人の言わんとしていることを理解しているからに他ならない。

 

「更識の現当主、今代の楯無の話は聞いておろう。あやつは楯無の名を継ぐだけの実力があることはこのわしが保証するが、何分まだ小娘の域を出ないのでな。感情に任せて暴走する節があり、ここ一月ほど謹慎させていた。その謹慎を解くという話じゃ」

「つまるところ、この場でも更識翁の位置に楯無殿が取って代わるということですかな?」

 

 更識翁に最も近い位置に座っていた男が問うが、更識翁はゆっくりと首を横に振る。

 

「先にも言ったがあやつはまだ小娘に過ぎん。まだわしが隠居するには早いだろうて。よって、あやつをわしの補佐としてこの場に置くこととした」

 

 すると平石が遅刻してきた際に開けられた襖が再び開き、高校の制服姿の少女が膝を突いて頭を下げた。

 

「失礼いたします」

「畏まった挨拶はいらぬ。お前は楯無であり、この場にいる者たちはお前の部下となる者たちじゃ。こちらに来なさい」

「はい」

 

 更識翁に促されて立ち上がった少女、更識楯無は足音も立てずに更識翁の隣に正座する。この場に集まっている者たちの多くはこの状況に安堵していた。男たちの心配の種は、この会合をまとめている存在である更識翁が居るかどうかであり、楯無がいたところでどうでも良かったのだ。張り付けたような無表情をしている楯無の拳が固く握られ、怒りで震えているのを感じ取れた者は、楯無から最も遠い位置にいる平石だけだった。

 

 

 役者が揃ったところで中断していた報告が再開される。後からやってきた平石や楯無に対するフォローもされぬまま、調査報告が次々と重ねられた。報告内容は多岐に渡り、多くは今の楯無には興味のない内容である。全てを取りまとめる責任は祖父にあるのだからと楯無は聞き流していた。だが興味のある話がないわけではなかった。自らの立場など気にもせず、楯無は口を挟む。

 

「あの“亡国機業”がまだ活動している可能性があるということ?」

「ああ。先代楯無が15年前に壊滅寸前にまで追いやった上、しぶとく残っていた親玉も1年弱ほど前に死亡したはず。それでもなお連中は世界征服が諦められないんだろう」

 

 楯無が報告書のコピーを受け取る。内容は世界各地で原因不明の昏睡状態に陥っている者たちのリストだった。同じ内容の物を楯無は持っているが、この症状を過去の全く違う事件と結びつける視点は新しいものだった。楯無の希望に沿い、更識翁が報告者に続きを促す。

 

「世界各地で起きている昏睡事件の何が問題かというと、それは長時間目を覚まさないことにある。1件1件だけをクローズアップすれば事件性すら感じ取れない程度のものだ。だがそれが複数重なることで怪しく見える。そこに何者かの意志があるように見えるってわけだな」

「そんなことが聞きたいわけじゃないんだけど」

 

 楯無がぼそっと小声で呟く。報告している男とは別の男がそれを聞き取っており、代わりに解説を始める。

 

「亡国機業との関連を焦点とすべきでしたな。今までに表沙汰になっている亡国機業が関連していると思わしき事件は15年前の悪質な遺伝子操作実験が真っ先に思い浮かびますが、他にも先ほど出てきた“生き延びていた親玉”が起こしたとされる“連続殺人事件”があるのです」

「殺人事件?」

「死体には外傷がなく、検死の結果も特に異常が見られなかった。当時は心臓麻痺で片づけられていて、殺人事件である疑いが出たのもここ最近の調査の結果ですから楯無様のお耳に入っていないのも無理はないかと」

「それはいつの事件なの? どうして今更その話が出てきて、殺人事件だと言えるようになったの?」

 

 楯無の疑問には更識翁が答えた。

 

「事件とされておるのは昨年の12月から今年の年始にかけて。1月3日に篠ノ之束とイオニアス・ヴェーグマンが相討ちするまでの期間じゃよ」

 

 

***

 

 

 会合は定期報告が終了して解散となった。会場となった座敷を一番最後に後にした楯無は適当な空き部屋に入ると、自らの影を呼び出した。

 

「お呼びでしょうか、お嬢様」

 

 音もなく楯無の背後に現れて片膝をつくのはメガネをかけた女子高生であった。着ている制服は楯無のものと同じである。女子高生の唐突な登場を当然のように受け入れて、楯無は話を続ける。

 

「お爺様に無理を言って参加させてもらったけど、流石の情報網ね。虚ちゃん直属の部下にこそこそと探らせてたこととも一致してたし、思ってもない情報も得られた。でも、Illのことまでは掴んでないみたい」

「では、やはりISVSとの関連を証明して、更識の配下を総動員することは――」

「難しいわ。敵を亡国機業と見据えていても、奴らの手段がゲームだと考えが回らないのも無理はないし、謹慎されてた私じゃ説得力が欠けるしね」

 

 楯無は肩をすくめて「何も知らない小娘のフリをするのも疲れたわ」と愚痴をこぼす。

 

「実は私もまだ半信半疑なのよ。それで強く出られない。たけちゃんの報告を信頼はしているけど、実感とは別」

「しかし、お嬢様!」

「わかってるわ。実感はできなくとも現実は認める。でも、認めたくないことも増えた。連中は例の昏睡事件と同様の手法で殺人を犯してる可能性があるの」

「殺、人……ですか……?」

 

 メガネの女子高生、虚が跪いた体勢を崩して床に倒れ込みそうになる。楯無は咄嗟にかがみ込んで彼女の肩を支えた。

 

「私が絶対にさせない。だから虚ちゃんの力も私に貸して欲しいの」

「はい、お嬢様」

 

 楯無は虚が立ち上がるのに手を貸しながら思考を巡らせていた。これ以上は虚に話すとショックを与えると判断し、口には出さない。

 

 更識翁配下の諜報員が調べていた殺人事件が、今起きている昏睡事件と無関係であるとは楯無も思っていない。更識翁が提示した事件発生の期間は楯無を納得させるのに十分であった。駄目押しとばかりに事件発生日時と場所も示され、全ては1月3日の篠ノ之神社に帰結する。

 篠ノ之束と亡国機業の首領であるイオニアス・ヴェーグマンが共に消息を絶った時間と場所。そこに居合わせた少女2人の名前が楯無の持つ意識不明者リストにも載っていた。

 

 篠ノ之箒と鷹月静寐。

 

 この2人のみ、死亡ではなく意識不明の昏睡状態となっている。この2人の存在が殺人事件と昏睡事件をつないでしまっていた。

 自分たちを取り巻く状況に、1年前の殺人事件が無関係であるだなどと楯無は言えなかった。

 

 更識翁は楯無が感情を優先させて動いていると非難した。それを楯無は否定することができない。

 家族同然である虚の妹、布仏本音は今もなお病院で眠っている。

 そして楯無の妹、更識簪はふさぎ込んでしまった。元々共に過ごす時間の少なかった妹だが、本音が入院してからはまともに顔も合わせていない。

 何を利用してでも、どうにかしてやりたい。楯無には自らが受け継いだ名に相応しくなくなってでも、譲れないものがある。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 小鳥のさえずりと共に目が覚める。目覚ましの設定より少し早い時間だ。窓の外はお日様が顔を出したばかりといった明るさである。最近は睡眠時間が減ってきたなと思いつつ両手を上に挙げて背筋を伸ばした。

 

「まだ眠いけど二度寝する時間じゃないな。さっさと朝の支度でもするか」

 

 あくびを手で隠しつつ洗面所への道を行く。

 

「おはようございます、一夏さん」

「ああ、おはよう。セシリア」

 

 最早リフォーム並に改造された廊下の一角を占領して俺の身長くらいあるでかい鏡の前で髪のセットをしているセシリアに挨拶をしつつ、1階へと降りる。

 

「おはようございます、一夏様。まだお食事の用意ができるまで少々かかります」

「ありがとうございます、チェルシーさん」

 

 すれちがったメイドさんにお礼を言った後、洗面所にたどり着いた俺は顔を洗う。この冷たさが心地よい。肌の表面からスーっと奥に冷気が入っていき、俺は覚醒へと導かれた。水の滴る顔を事前に備えておいたタオルで拭き、目をクワッと見開く。

 

「ちょっと待て! どこからツッコめばいいんだ、これ!?」

 

 とりあえず叫んでおいた。だからどうということはないのだけど。

 俺の叫びを聞いて洗面所に現れる顔がひとつ。あの執事さんだった。

 

「一夏殿。ここはオルコット邸ではありませんので、あまり大声を出されると近所迷惑になりますぞ?」

「俺が寝る前まで、2階の廊下にあんな鏡は無かったよな!? それに心なしか廊下が広くなってるぞ!? この洗面所にしてもグレードがアップしてやがるし!」

「業者が一晩でやってくれましたのでな」

「どんな業者だよ!? まず不可能だろ!?」

「ほっほっほ。一夏殿はオルコット家御用達の“業者”の実力を甘く見ておられるようだ」

 

 思ったよりも俺の質問に答えてくれる執事さんだったがどこまで信用できるものなのだろうか。というより、受け入れてもいいのだろうか。最後に“業者”と強調されたのが若干怖い。証拠隠滅とかを生業にしてそうな影の集団と勝手にイメージしておいた。

 

「チェルシーが食事の用意を終えるまで、今しばらくの時間がありますので、一夏殿は着替えてはどうですかな?」

 

 着替えと言われて自分の格好を見下ろすと見事なまでにパジャマ姿である。いつもは千冬姉だけだから気にしなかったけど、おそらく朝食はセシリアも同席するだろうし、着替えておくに越したことはないか。というよりも着替えないと執事さんが「セシリア様に対して失礼だと思わんのか!」と何かを仕掛けてきそうで怖い。

 

 制服に着替えて台所にまでやってくると、食卓にはセシリアが着席して待っていた。傍らにはチェルシーさんが控えている。執事さんは同席していない。俺は入り口で足を止めていた。

 

「どうかなさいましたか、一夏さん?」

「……いや、なんでもない」

 

 あまりにもいつもの朝と違いすぎていて、混乱していただけだ。自分にそう言って聞かせて食事が用意されている席に腰掛ける。千冬姉の分が見当たらないから、俺が寝てからも帰ってきてはいないようだ。

 チェルシーさんの用意した朝食は思いの外、普通だった。味は当然のように俺が作るものより良いのだが、俺が言いたいことは知らない料理が出てきたわけでないことにある。白米、味噌汁、おひたし、焼き鮭など……つまりは和食だった。

 

「お口に合いませんでしたか?」

「いや、美味しいよ。ただ、鈴以外にこうして家で食事を用意してもらうのは初めてだったから」

「初めて、ですか? ……そうですか」

 

 セシリアが目に見えてシュンと凹んだので俺はようやく思い出す。二度と食べたくないとは思うが、俺が立ち直る起点のひとつとなった例のブツはセシリアが作ったものだった。

 

「ごめん、鈴とセシリア以外だったな」

「まあ! 食べてくださいましたのね!」「一夏様!? お気の毒に……」

 

 俺が訂正を入れるとセシリアは満面の笑みを見せていた。その背後では目を伏せて俺を哀れむメイドさんの姿があった。流石は身内。セシリアのアレは把握しているということか。早くなんとかしてやってください。

 

 食事に関する話題をそこそこに、折角落ち着いて話すことができる機会なので、セシリアと今後について話し合うことにする。まずは確認から。

 

「セシリア。今から大事な話するけど、チェルシーさんや執事さんは聞いてても問題ない?」

「当然ですわ。チェルシーは当事者ですからわたくしから説明もしておきましたし、ジョージには以前から全ての事情を話しています」

「よし。じゃあ……イルミナントを倒してから1週間以上経ったわけだけど、セシリアの方で何か追加でわかったことはある?」

 

 大事な話をすると言っておきながらセシリアへの質問から入った。彼女はさして嫌な顔をせずに答えてくれる。

 

「わたくしにできたことは銀の福音の噂と類似した噂の調査くらいですわね。愉快犯によるデマばかりですが、本物が紛れている可能性もありましたので細かく見ている最中です。まだどれも確証は得られていませんが、ある程度は絞れていますわ」

 

 ある程度絞れたという噂を口頭でいくつか聞かせてもらった。

 水を纏う槍使い。

 大型ENブレードを束ねて振り回す大男。

 地上からの大剣の一振りで飛んでいるISを落とす甲冑騎士。

 そして――機械仕掛けの化け蜘蛛。

 

 今度は俺の番。昨日得た情報と、その情報源について話すことにする。

 

「化け蜘蛛、ってのは俺も聞いた。一番、信憑性が高いと思うし、そいつがIllである可能性は高い」

「Ill……つまりはあのイルミナントの同類というわけですわね。もしや被害者に心当たりがあるのですか?」

「昨日、ちょっと知り合った奴が独自に調べてたらしくてね。ISVSでミッションをしていたら蜘蛛が乱入してきたって。新手のユニオンと思って相手をして全滅したらしいんだが、ロビーに戻ったプレイヤーがひとり足りなかったらしい」

「その先は……?」

 

 セシリアが食事の手を止めて俺を見つめてくる。もう俺はセシリアの不安の大きさが、彼女の細かい瞳の揺れでわかってしまうようになった。

 

「ISVS外でも付き合いのある人間がいたらしくて確認したところ、“入院”しているそうだ」

「そう……ですか。ではその蜘蛛とやらを討たなくてはなりませんわね」

 

 もう俺とセシリアがクロと認定するだけの材料は揃ったも同然だ。裏付けはセシリアに任せておけばいいだろう。

 この蜘蛛に関してはまだセシリアに言っておくべきことがあった。

 

「言っておきたいことが2つある。福音のときと違ってすぐに被害者にたどり着けたよな? これって少しおかしいと思わないか?」

「一夏さんも気づいておられましたか。福音はわたくし以外に目撃者はいませんでした。おそらくはわたくしとチェルシーのときはミスによるもので、基本的に敵は情報が漏れないようにプレイヤーを襲っていると思われます」

 

 俺がISVSの関わる昏睡事件を知ることができたのもセシリアの流した噂がきっかけだった。それまで、確実に被害者は存在していても原因不明としか片づけられなかった。千冬姉のメモにもISVSという単語は載らなかったことだろう。Illによるプレイヤーへの襲撃は計画的に周到に行われたものであると推察できる。

 その点、今回の蜘蛛に関しては雑と言わざるを得ない。他の類似の噂も福音の噂を真似ているだけにしては件数が多いような気もしている。もしかしたら、水面下だけだった敵の動きが表に出始めているのかもしれない。

 

「あのー、2つ目は何でしょうか? わたくしには心当たりがないのですが」

「ああ、そりゃあ予想できないことだろうし、悪い話じゃない。さっき言った“昨日知り合った奴”についても話しておこうかなってね」

「わたくしに、ですか?」

 

 セシリアが天井を見上げて頭に疑問符を浮かべていた。まあ、この流れで話す内容が、情報源についてだからな。だけど、これは言っておくべきことだと俺は思っている。

 

「シャルルって言うんだけど――」

「“夕暮れの風”ですか」

「うん。名前だけでパッと出てくる辺り流石だ」

「彼がなぜ一夏さん……いいえ、ヤイバさんに近づく必要があるのでしょうか。デュノア社の利益になる話とは思えないですし、欧州圏の企業はミューレイを敵に回したくはないはずです。ミューレイと倉持技研が敵対している状況でヤイバさんに近寄ることは……」

「はい、ストップ!」

 

 長考に入りそうになったセシリアの独り言を遮ってこちらの話に引き戻す。

 

「俺も色々疑ったけど、シャルルに関しては疑うだけ無駄だと俺は結論づけた。シャルルが俺に近づいてきたのはIllのことを知るため。でもってアイツはIllを自分の手で倒したがってるんだよ」

「動機……はなんとなくわかりましたわ。彼が考えそうなことです」

「あれ? 知り合いなの?」

「一夏さんに会う前に少々話をしたことがある程度ですわ。あのときは彼を利用できないかと企んでいたのですが、あまりにもデュノア社のことしか語らなかったので諦めたことがあります。と、そんなことはどうでもいいですわね」

 

 ああ、あの熱弁を聞かされたのか。多分シャルルは弾と似たタイプだと俺は思ってる。要するに火がついてしまったら少し距離を置きたいってことだ。

 

「夕暮れの風が情報提供してきたのはわかりましたわ。念のため蜘蛛に関する情報に絞って裏をとってみます」

「あ、うん。頼むよ。今夜もシャルルに会う予定だから、そのときに本人から話を聞けば特定もしやすくなるんじゃないか?」

「いえ、特に彼の助けは要りません。それはともかく、今夜も会えるのですか? 夕暮れの風は神出鬼没だったと思うのですが」

「そりゃあ蜘蛛を退治するまで俺たちの仲間になってくれるからさ」

「流石ですわね。……色々と吹っ切れたということですか?」

「そんなとこ。だからって犠牲にするつもりは全くない」

 

 俺とセシリアの共通の悩みだった“誰かを巻き込むこと”。でももう俺たちはそれを理由に足を止めることはしない。力を借りることを躊躇わない。それを再び確認し合ったところで朝食の時間は終わった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 その日、五反田弾は珍しく早起きした。特に何かがあるというわけではないのだが、起きてしまったのならその分だけ得したと気持ちよく目覚めたのだ。弾とは違って生活態度まで優等生な一つ年下の妹に怪訝な目を向けられながらも、弾は家族の中で一番最初に家を出る。

 早く学校に着いたところですることがないわけではない。昨日の生徒会との話し合いで結論を先延ばしされた件について会長に直接話をすることができるかもしれないと思っていた。

 

 変人と聞いていた生徒会長は、弾の想定と違い事務的な人間だった。悪い言い方をすればつまらない人という印象だ。弾が提出した“ISVS研究会”に関する書類を否定することも肯定することもなく、淡々と受け取ったのだ。思わず弾の方から『何も聞かないんすか?』と聞いてしまったくらいである。その返事は『明日、また来てくれ』だけだった。

 

「一夏は一夏で面倒くさいことを抱えてそうだし、俺がなんとかしてやるか」

 

 弾は携帯の画面を見ながら独り言を呟く。昨夜に一夏から送られてきたメールで、内容は『セシリアが俺の家に住むことになった』というもの。彼女持ちである弾ですらイラッとしたという事実が、同時に弾にヤバイという焦燥感を与えることにも繋がった。これが学校の連中に露見すれば一夏がただではすまない。

 フォローはするつもりであるが、基本的には一夏がどうにかするしかない案件だった。よって弾自身は他の部分で助けることに決めていた。

 

「ん? あれは……」

 

 登校中、幾人か知り合いの運動部と遭遇しても軽い挨拶だけしていた弾であったが、ふと目に入った人物が気になり足を止めた。毎週土曜日に会っている“彼女”である。連絡もせずに会えた幸運を、信じてもいない神様に感謝しながら声をかけようと手を挙げた。しかしすぐに声を出せなかった。

 メガネも三つ編みも制服も普段の彼女と同じで違和感はない。気になったのは彼女が歩いている方向である。彼女の家がどこにあるのか未だに聞けていない弾であるから、以前に登校中で会ったときは気にならなかった。

 

(虚さんはどこに向かってるんだ?)

 

 今の位置と歩いていく方向から考えて、虚は自らの通う高校へと向かっていない。『もしかしたら俺に会いに藍越学園に行こうとしているのでは?』とも考えたがそれも方角が違う。遊んでいそうな外見をしながらも実際はかなり奥手である弾はまだ彼女のことをよく知らなかった。と言っても何も聞かなかったわけではない。ただ、彼女自身のことを聞くとはぐらかされることが多々あったのだ。

 弾は虚に声をかけなかった。無視して藍越学園に向かうこともない。つまり、尾行を始めたのだ。こそこそとはせずに堂々と、そこを歩いているのが当然という態度で彼女と距離を離してついていく。知りたいという欲求のみで動いていた。

 

 出勤の時間のためか道路を絶え間なく車が走る。その脇の歩道のうち白いガードレールから離れた場所を虚は一度も振り返ることなく歩いている。弾は他の歩行者に紛れて後に続いた。必死に目を凝らす。朝の風景に溶け込んでいる彼女はどこまでも自然体で、弾にとっての特別な人でなければ視界に入ってもまるで背景のようであった。尾行している弾自身も気を抜けば見失ってしまう。そう思ってしまうくらいに。

 弾は徐々に藍越学園から遠のいていく。幸いなことに虚を追い始めてからは知り合いと遭遇しなかった。だがそれも長くは続かないと感じ始めている。虚の歩いている道を弾は知っているからだ。一夏と鈴の使う通学路である、と。直進すれば一夏の家、左に曲がれば鈴の家という分かれ道までやってきて、虚は直進していった。弾も続こうと分岐点にさしかかる。すると左から聞き覚えのある声が飛んできた。

 

「あれ? 弾がなんでこんなとこにいるの? しかもこんな時間に」

 

 杞憂であって欲しかった。名前を呼ばないで欲しかった。弾は声をかけてきた鈴に理不尽な憤りを隠さない。

 

「話しかけんなよ。空気が読めない奴だな、お前は」

「はぁ!? 何よそれ! むしろ難しい顔して歩いてるアンタを心配して声をかけてやったのよ!」

「余計なお世話だ――くそっ! 見失った!」

 

 鈴のハッキリとした高い声は喧噪の中でもよく通る。彼女の口から弾の名前が出てしまった時点で虚に気づかれるのも当たり前だ。

 同時に弾はショックを受けた。虚が弾から逃げたという事実に……

 認めたくない。認められない。何かを隠していると思われる虚は弾から逃げた。それは弾が思っているよりも虚が心を開いてくれていないことを意味している。毎週土曜日に顔を合わせている彼女は時折悲しげな顔を見せていた。人探しが上手くいっていないことが原因と思っていたが、それ以外にもあるのだと今の弾は感じている。彼女の頑なな拒絶に対して弾が取る行動はひとつ。

 

「鈴っ! 今日は俺、欠席する! 宍戸には病気って言っといてくれ!」

「ちょっとアンタ! ……もう、なんなのよぅ」

 

 弾は一夏の家方面の道を走って去っていった。残された鈴は豹変した弾が心配ではあったが既に自分の手には負えないと判断した。男の子のことは男の子に任せるべき。時間もあることだから、と鈴は一夏の家に向かう。

 

 

 鈴は『一夏が寝坊してたりしないかな』と思いながら鼻歌交じりに一夏の家にまでやってきた。途中で自分の鼻歌に気づいて我に返り、鼻ではなく口を押さえ、誰かに聞かれてないかと周囲を素早く見回す。近くに人影はなく、ホッと一息をついた。

 気を取り直して一夏の家に入ろうとする。なぜか一夏の家だという自信が持てなかった鈴は織斑と書かれた表札を見て間違ってないと確信し、呼び鈴も鳴らさずに扉を開けた。歴とした不法侵入であるが、鈴と一夏の間柄なら笑って許されるレベルである。驚かせてやろうと音を立てずに中に入った。ダイニングから声がする。一夏が朝食中にひとりごとを話すわけがない。相手は千冬しかありえないと思い至った鈴は呼び鈴を鳴らすために玄関にまで引き返そうとした。

 

 しかし、聞こえてきた声は千冬ではなかった。

 

 鈴は静かに玄関を出て外にまで来ると、全速力で駆け出した。目からは涙が糸を引いていた――

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 朝の藍越学園。俺はひとりで校門をくぐっていた。以前の鈴のときの教訓を活かし、セシリアと一緒に登校などという愚は犯さなかった。幸村の忠告にも感謝しておくべきだな。あれで俺の意識は変わった。セシリアが俺の家に住んでいるとバレないように考えていられる。ストーカー紛いの奴がいてセシリアの住居を調べ上げない限りはよっぽどバレないはず。

 すれ違う顔見知りとも普通に挨拶を交わす。おはようって気持ちがよい挨拶なんだなと心の底から思う。実は内心、鈴のときの二の舞になるんじゃないかって心配をしていた。何事もなく教室にまでたどり着き、「おはよう」と中にいる連中にまとめて挨拶をした後で、いつものメンバーと個別に話をしようと探す。

 

 ――珍しいな。数馬がいない。弾は……まだ来てないか。

 

 昨日の生徒会の件をメールで簡単には聞いていたが直接聞きたかった。だがいないものは仕方がない。俺が来る時間になっても数馬がいないということは今日は休みか。アイツが風邪をひいたとは考えづらいけどな。

 弾が来るまでの間は暇だった。とりあえず鈴とでも話をして時間を潰すことにしよう。俺は声をかける。

 

「鈴、おは――」

「もげろ」

 

 俺の体は硬直した。今日ここに至るまでに聞かなくて安心していた言葉が、よりによって鈴の口から飛び出してきた。(にくしみ)がこもっているドギツい物言いに俺の心は壊れかけである。冗談とは欠片も思えないくらいに睨まれていて、俺は涙目必至だ。そんな俺の首に誰かの腕が回されてくる。少し屈まされたので相手は背が低い。幸村だ。奴は耳元で小声で話してくる。

 

「おい、織斑。お前、何したんだよ? あんな鈴ちゃん今まで見たことがないぜ」

 

 俺だって見たことがない。ただ何をしたのかという点に関しては心当たりがないわけがなかった。

 しかしそれを幸村に言うのはマズイと思う。鈴以外に興味がなさそうな幸村ならば問題ないかもしれないが、どう転ぶか予想がつかないというのが本音だった。

 

「わからない。俺はどうすればいいんだ、幸村?」

「ちょっと待て、織斑。お前はどうにかしたいと思っているのか?」

「当然だろ。鈴とギスギスした状態での学校生活なんて考えたくねえよ」

「……くそっ! 俺はどうすればいいんだ! 元の鈴ちゃんに帰ってきて欲しいけど、織斑に協力したら必要以上に進展しちまうかもしれないし! わかんねえ!」

 

 思い切って相談してみたが、幸村は俺の耳元で叫んだ後、答えを返すことなく教室を出て行ってしまった。俺は耳を押さえながら見送る。やはり奴のことは俺にはわからない。

 誰にも相談できず、鈴にも話しかけにくい状況。そこへセシリアがやってきた。「ごきげんよう」と辺りに笑顔を振りまきながら教室に入ってきたセシリアは俺のことは置いといて鈴の元へと向かっていた。俺の制止は間に合わなかった。

 

「鈴さん、おはようございます」

「……おはよ」

 

 良かった。とりあえず挨拶を返すくらいはしてくれた。しかし鈴のわかりやすい不機嫌さをセシリアがどのように解釈するのかが不安で仕方ない。昨日はなんだかんだで仲良くなっていたと思うのだが、もし鈴の不機嫌さの原因が俺の予想通りならば、また一悶着ありそうである。セシリアが知らずに地雷を踏むとマズイ。鈴が大声で拡散する恐れまである。

 なるべく知られたくなかったがこの際、俺は腹をくくるべきだ。慌てて2人の間に割って入る。

 

「鈴、大事な話がある」

「あたしよりもセシリアにしたら?」

「いや、お前じゃなきゃダメなんだ!」

「え……あっ」

 

 俺は強引に鈴の右手を掴んで立ち上がらせると教室の外へと無理矢理連れ出す。鈴には話すがクラスの他の連中に聞かれるのはマズイ。誰も聞き耳を立てていないと確信できる場所を探して走り、結局体育館裏を選んだ。中途半端な時間だったが、都合良く運動部の朝練は終わっていた。

 教室からそれなりの距離を走ってきたのだが、鈴は文句も言わずについてきてくれていた。今は俺と向かい合っているが、最初に顔を合わせたときのような敵意は感じられない。

 

「なんなのよ……いきなりこんな場所に連れてきて」

「大事な話があるって言っただろ?」

 

 鈴は俺と目を合わせようとはしなかった。ツインテールの片方に手櫛をかけている落ち着きの無い鈴ではあるが、聞いてくれていると信じて俺は本題を告げる。

 

「実は昨日からセシリアが俺の家にホームステイに来ることになった。俺がそれを知ったのは、昨日鈴と別れてからだ」

「ふーん……そ、そうなんだ」

 

 推測通り、鈴はこのことを知っていた。もし知らなかったらこの瞬間に俺は襟首を掴み上げられて『どういうことよ!』と問いつめられているはずである。どのタイミングで知ったのかはわからないが、既に鈴に知られているのなら黙っているのは愚策だ。俺の行動は間違ってなかった。

 ただ、どこまで話すべきだろうか。セシリアがISの専用機を所有していることは鈴も知っていることだが、俺の護衛に来ているだなどとは言いたくはなかった。隠し事をするべきではないのはわかっていても、相手は鈴だ。俺が現実に命を狙われる可能性まで聞いてしまえば、無駄に心配をかけるだけなのはわかりきっている。だからやはりそれだけは言いたくない。

 

「セシリアの奴、『どうせだから日本の一般家庭での生活をしてみたいですわ』とか言って俺の家に転がり込んだんだぜ? 俺じゃなくて千冬姉に交渉してたみたいだし。でもメイドさんや執事さんまで連れてきてるからあんまり俺の家の生活じゃないってオチまでついてる」

「一般家庭……? 一夏のとこは特殊な部類だと思うんだけど」

「そこは細かいことなんだろ。で、俺が鈴に言っておきたいことは、俺は間違ったことはしてないってことだ」

「間違ったこと、って何?」

 

 顔を赤くして聞かないでいただきたい。

 

「鈴の想像に任せる。もう一度言っておくと、千冬姉がセシリアを受け入れたから一緒に生活することにはなっているけど、やましいことは何もないから騒がないでくれってことだな」

「やましいことは何もないって絶対に言い切れる?」

「今も目覚めない“彼女”に誓ってだ」

「そ。なら納得してあげるわ。もしアンタがあの“彼女”に誓ったことですら破るようなら、あたしにとってアンタはどうでもいい人間になるだけだし」

 

 最後に手厳しいことも言われたがいつもの鈴に戻ったようで何よりだった。やはり誤解は早めに解くに限る。人間関係はできるかぎり円滑にしたいし。

 

「でも、アンタさ……別にあたしと付き合ってるわけじゃないのに、どうしてそんな弁解みたいなことしようと思ったの?」

「事実じゃないから、ってだけだ。状況は確かに普通じゃないから憶測で色々言われるのはわかってる。けど、そうじゃないって言いたかった」

「それはあたしだから?」

 

 話し始めたときと違って鈴は俺の目を覗き込むように見つめてくる。対する俺は見つめ合うのに耐えられなくて視線を外した。いつのまにか立場が逆だ。

 

「わからない。でもこの誤解は放置したくない。そう思ったのは事実だ」

「そっか。じゃ、セシリアもあたしと同じってことか」

「何が同じなんだ?」

「教えてあげないわよ、ばーか!」

 

 最後に俺をバカ呼ばわりして鈴は先に教室へと走っていった。その足取りは軽く、俺も同じくらい軽い足取りで後を追いかけた。

 教室に戻った後、「わたくし、鈴さんに嫌われているのでしょうか」と涙目になっていたセシリアの誤解もちゃんと解いておいた。

 

 

***

 

 視線は針に例えられることが多々あるが、俺はそれを実感している。鈴とセシリアの問題が解決して、あとは弾に任せていた部活の件が片づけば良かったはずだったんだ。だが鈴の誤解を解いて教室に戻った後、空気は一変していた。道行く男子の多くが俺を睨みつけてくるのである。俺が目を合わせようとするとなんでもないフリをするのが質が悪い。

 こういう状況で頼りになる友がなぜか今日は居てくれない。数馬は家の事情で欠席らしいし、弾は病欠。鈴の話を聞く限りではまた彼女さんを怒らせたんだろうなと思えた。

 あと頼れる仲間は幸村くらいだが、今の奴はおそらく非協力的だ。目を見ればわかる。今すぐにでも『もげろ』と言ってきてもおかしくはなかった。

 

 結局、事態を正確に把握できないまま、放課後になるまで針の(むしろ)に座り続けていた。それでも鈴に睨まれ続けるよりは万倍マシだから別にいいかと思えてしまう俺はどこか変なのかもしれない。

 

 放課後になって俺はどう行動すべきか悩んでいた。弾に任せていた部活の件についてである。昨日、生徒会に行った2人は揃って欠席であり、俺は現状を正確に把握していない。弾も数馬も携帯の電源を落としているのか全く繋がらない。だが今日話を聞くとなっていたからには誰かは行かないとマズイ気もしていた。

 

「一夏さん、わたくしは先に帰りますわ。今朝のお話の件を確認して参ります」

「ああ、頼む」

 

 今日はセシリアと一緒に帰るような真似はしない。これは昨日の幸村の助言通りでもある。今もそれが意味を為しているのかは甚だ疑問ではあるが……。

 

「一夏は今日この後どうするの? 弾も数馬もいないけど」

「俺はまだ学校に残ってくよ。例の部活の件で生徒会の方に行こうかなってさ」

「あ、そういえば弾がいないってことは一夏が代わりをしなきゃいけなくなるわね。うーん……面倒そうだからあたしも先に帰るわ」

 

 そこで手伝うとは言ってくれない鈴だった。まあ“俺の都合”だから仕方がない。

 俺はひとり残される。思えばひとりになるのは久しぶりだった。俺がISVSをしていない頃でも、弾たちとはゲーセンまでは一緒に帰っていた。“彼女”が転校していった頃の俺はこんな感じだっただろうか。いや、一緒にはできないな。

 

 物思いに耽るのもそこそこに俺はひとり歩き出す。アポが取れているのかはわからないが、俺には生徒会室に向かうしか道がなかった。生徒会室は4階にあり、普段の俺ならまず立ち入らない領域にある。廊下ですれ違う人も見覚えのない先輩ばかりだった。だけど先輩方は俺のことを知っているのかもしれない。時折俺をジロリと一瞥する怖い雰囲気の人もいて、俺は早く立ち去りたいという一心で歩いた。

 そうしてやってきたのが生徒会室。扉は閉じられている上にガラスの窓部分が曇りガラスになっていて中の様子はほとんど見えない。だが別に防音がしっかりしてるわけではないため、中から話し声は聞こえていた。

 

 入る前に事前にある情報を頭の中で反芻しておく。

 昨日、弾と数馬の2人が部活設立の書類を提出した。生徒会長からの返答は『明日来い』というもので、それが今日に当たる。昨日来ていた2人が欠席のため、俺が代理でやってきたわけだ。

 現在3年生であり、まだ引退していない生徒会長は1年の頃から生徒会長をやっているらしい。多くの校則を改正して、今の藍越学園の雰囲気を作り上げた人物とも言える。そんな人だからきっと俺たちにも協力的だろうと思われた。この点に関しては希望的観測でしかないから、そうであってくれと祈るしかできることはない。

 

 俺は軽くノックをする。「どうぞ」と返答があったので俺はガラッと扉を開けた。

 

 部屋の中には4人の生徒がいた。男女の内訳は男3に女1。

 男のうち1人は入り口付近で他3人と対峙しているように見えたので生徒会のメンバーではなさそうだった。俺が見上げるくらいに背が高いため身長は180cm後半くらいはある。どこかの運動部の人なのだと思う。取り込み中だったら申し訳ないのでひとまずは下がることにしよう。

 

「あ、忙しそうなので出直します」

「待てい! お前が来るのを待っていた!」

 

 引き下がろうとした瞬間、生徒会ではなく隣にいた大男が俺を止めた。ゴツイ手に肩を掴まれて俺は動けない。

 それにしてもどういうことだ? 俺が来るのを待っていただって?

 

「五反田氏には織斑氏を呼んでもらうつもりでしたが、これは良い誤算ですね」

 

 壁に向かって配置されたデスクでパソコンのキーボードを叩き続けていた小柄な男がその手を休めてこちらを向く。俺のことを知っていて、わざわざ呼ぼうとしていた。それはわかったけれど意図が不明だった。

 

「え、と……どういうことなんでしょうか? そもそも俺はまだ用件も言ってないんですけど」

「言わなくてもわかるよ。僕にとって、この学園に所属する生徒の顔と名前くらい全て把握しているのは当然のことだからね。ましてや君は、僕以外の多くの生徒にも知られている有名人のようだ」

 

 俺の質問らしくない質問には一番奥で足を組んでいる男が答えてくれた。俺も一応は顔と名前を知っている人である。

 藍越学園の生徒会長、最上(もがみ)英臣(ひでおみ)

 様々な校則の改正に着手して規律を緩めた張本人であるにもかかわらず、彼の頭髪や服装は生徒の模範とも言える絵に描いたような優等生であった。

 

「さて、まずは確認をしようか、織斑くん。君は“ISVS研究会”の件でここを訪ねたんだと思ったんだけど合ってる?」

「はい、そうです。今日ここで発足が可能か聞かされると思ってきたんですけど……」

「ハハハ! 心配せずとも僕は基本的に生徒の自主性を重んじる。世間の常識という秤で生徒を縛るはずがないじゃないか」

 

 問答無用でダメと言われることも想定していたため、俺はかなり不安を表に出していたようだ。生徒会長はそんな俺を笑い飛ばしながら、俺の提案を肯定すると言ってくれた。

 

「じゃあ、許可してもらえるんですよね!」

「僕個人としてはね」

 

 もう解決したと思ったのだが、会長からは含みのある返答が来る。個人的には許可するつもり、ということは生徒会としては違うということになるのか? 事務仕事をしていた小柄な男が会長の発言に補足を加えてくる。

 

「全てのことを会長の意志で決めていたらモラルもルールもあったものではないですから、我々というストッパーも必要なのです。君たちの立ち上げようとしているISVS研究会ですが、君たちは高校を何だと思っているのか理解不能ですね。わざわざ学校にまでゲームを持ち込まないようにしてください」

 

 会長ではない人が予想されていた正論を言ってきた。これに対する反論は一応用意してある。通用するかは置いといてぶつけてみることにしよう。そう思っていたのだが、俺が口を開く前になぜか会長が動いた。

 

和巳(かずみ)。僕はISVSというゲームをやったことはないけど、世間的には女子校などで部活動として取り入れているケースもあるみたいだよ。専門学校まであるくらいだし、あながち的外れでもないんじゃないかい?」

「それは女子だからですよ。ISVSは高性能なシミュレータですから、優秀な操縦者を探し出す、もしくは優秀な操縦者を育てるのに一役買っています」

「流石は和巳。詳しいんだね」

 

 会長に和巳と呼ばれている男はISVSに詳しいということを指摘されて一瞬言葉に詰まる。彼は「ともかくっ!」と声を張り上げて話を強引に戻した。

 

「彼らは男子ばかりで部活を立ち上げようとしています。男子にとってのISVSはゲーム以外の何者でもありません」

「和巳の将来の夢って何だった?」

「関係ない話を振らないでください!」

「関係ない? まさかそんなはずはないよ。君はIS関連企業への就職を目指しているはず。そのためにアマチュアながらISVSで装備の開発もしたことがあるはずだ。これってただのゲームで片づけるものかな?」

「く……そんなはずがないでしょう!」

「そう、男子だからと卑下することはない。何が将来のためになるのかは先入観だけで語っていいことじゃないというのが僕の持論でね。織斑くんたちの部活も、君の夢と同じものだとしたら、君はそれを否定できるのかな?」

「会長……僕が間違ってました!」

 

 俺が何も言わずとも、俺が言いたいことにプラスαして会長が言ってくれていた。生徒会役員同士で決着がついた模様。もう帰っていいかな。俺が何も言わなくても生徒会だけで片づくんなら事前に終わらせておけよと思う。

 しかし話は終わってなかった。今のやりとりはただの前座だったのだ。

 

「さあ、和巳。建前に縛られることのない、君の本音を言ってくれ。君が織斑くんたちの活動を否定するのには他に理由があるのだろう?」

 

 会長たちのやりとりについていけていない俺だが、なんとなくこの場の空気が変わったことだけはわかった。和巳という男の発言に対して俺は身構える。

 

「セシリアさんといちゃいちゃして羨ましいんだよ、こんちくしょう! 今朝は1年の凰と愛を語らったらしいし! 僕や他の生徒に対する当てつけか!」

 

 俺は目が点にならざるを得ない。何を言われたのかを頭で理解するまでの間、生徒会室は沈黙に包まれていた。

 ここにきてそんな方面から敵意を向けられているとは思わなかった。幸村や弾が心配していた事態だが、まさか本当にセシリアのファンが生徒会の中にいるとは思わなかったんだ。

 しかしそれはただの逆恨みだ。会長が好意的である限り、ISVS研究会は認めてもらえるはず。

 

「俺とセシリアのこととかは今は関係ないじゃないっすか」

「関係ない? まさかそんなはずはないよ」

 

 簡単に論破できると思っていたら、今度は会長の矛先が俺に向いていた。俺は戸惑いを隠せない。

 

「なんでですかっ!?」

「僕の記憶によれば君は同じクラスの凰くんと特別に親しかったはずだ。それを妬む人はいたかもしれないけど、その程度の嫉妬は生じても仕方がない事象だと言える。故に僕が乗り出す案件でもないと思っていた」

 

 なぜ鈴の名前まで出てくるんだ!? それにこの会長は顔と名前だけじゃなくて交友関係まで記憶しているのか。むしろ調べているのか。何これ、怖い。

 

「ただどうも僕は勘違いしていたようでね。男女の交際は大いに推奨しているが、こういうことは中途半端なのはいけない。君は明確なひとりを決めないまま、多くの女性と関係を持とうとしているように映る。その不道徳は流石の僕でも見過ごすわけにはいかない」

「待ってください! 俺と鈴は別に付き合っていないし、セシリアとも仲が良い友人というだけです! それにISVS研究会に関係ないじゃないですか!」

「何度も言わせないでくれ。関係ないということはないよ。良くも悪くも今までになかった部活動を立ち上げる以上、多くの生徒の目に留まる。今の時点でさえ多くの生徒の心の闇を大きくしている君がこれまで以上に目立つんだ。この学園の壁を守るために僕が何とかしなくてはならない」

 

 壁の心配かよ……確かに校舎が揺れた過去があるけどさ。

 

「冗談はさておき。新しいことを始めるのならば皆が気分良く始めたいものだよね。でも、このままじゃ良い結果は生まれない。そこはわかってくれるかな?」

「会長の言いたいことはわかったということにしておきます。認めたくはないですけど」

「ついでに言うと、僕個人としてもさっきの君の発言は気に入らない。僕は嫉妬という感情が何なのかはわからないけど、相手に自分の気持ちが届かない辛さは理解しているつもりだ。それは心を束縛されているようなもの。君は無自覚に誰かを傷つけている」

 

 会長の言葉が胸にぐさっと突き刺さる。うん、自覚がないわけじゃない。俺は一度は受け入れた鈴を拒絶したんだ。傷つけたのは事実だ。でも、俺は間違ったことはしていないと思っている。

 

「それで会長は何が言いたいんですか?」

「現状の問題は、多くの生徒が吐き出せない不満を抱えていることにある。風紀の乱れは規則で縛るものじゃなく、心で律するべきものだ。よって僕は皆がストレスから解放されるイベントを用意しようと思ってる」

「イベント……?」

「そう、君たちにとっては部活動立ち上げのための試験となるかな。そして、他の参加者にとっては不満をぶつける機会が与えられるという形となる」

 

 イベントが試験である。ということはISVS研究会を立ち上げるために力を示せ、と会長はそう言っているのか。つまり、イベントの内容は、

 

「俺がISVSで試合をして不満を持っている奴らに勝てばいいってことですか」

「単純に言えばそうなるね」

「対戦相手は? 試合の形式は? そもそもどこでやるんですか?」

「受けて立ってくれるようで嬉しいよ。まず、対戦相手だがその数は多い。とりあえず今日のところは代表を紹介することにしようか」

 

 会長が人差し指だけでチョイチョイと手招きをすると俺の後ろにいた大男が俺の前にまで来る。彼は俺を親の仇でも見るかのように睨みつけてくる。

 

「彼は内野(うちの)剣菱(けんびし)。近頃、放課後に怪しい集会を開いていたのでここに呼び出したんだけど、どうも集会の理由が織斑くんにあるようだったんでね。僕としても織斑くんの現状は好ましいようには思えなかったから彼らの心の問題の解決に協力することにした」

 

 コイツ、例の過激派じゃねーかっ!!

 くっ、どう考えてもただの八つ当たりだが、どうも会長の決定に逆らえる気がしない。むしろ過激派連中に暴力に訴えられないだけマシと捉えるべきか。少なくとも試合に勝てば、会長が俺の味方をしてくれるということになるだろうし。

 

「織斑。鈴ちゃんの目を覚まさせるためにも、お前を徹底的に潰してやる」

 

 バリバリの体育会系の強面で『鈴ちゃん』と言わないでくれ。その呼び方は幸村みたいな“いかにも”な奴だけが使うことを許される呼称だと俺は思う。

 

「鈴が好きなら正面からぶつかれ、と言ってやりたいところだが勝負は受けてやる。負けたらいちいち俺に突っかかるのをやめろよ」

 

 もう試合は不可避と考える。俺の身の回りの問題を一括で解決する方法を提示してくれたと思えば、会長の提案は助かるものだった。勝てばいい。その単純さがわかりやすくていい。

 ただし、ひとつだけ心配だった。おそらくこの提案がされた時点で確定している問題点。それは、

 

「試合はいつですか?」

「今週末の土曜日。藍越学園に設備を用意して開催しよう」

 

 時間だった。出来るだけ早く宍戸の協力を得たいのだが、この試合が終わるまではお預けということになってしまう。

 

「俺はそんなに待てない! 明日じゃダメなのか!」

「ああ、もう! 黙って聞いてれば自分のことばっかだなテメェは!」

 

 唐突に生徒会室に女子の声が響く。さっきまでわざと視界から外していたのだが、彼女はおよそ生徒会という場所に似合わない格好だ。肩まで伸ばされている髪は人工的な色の金髪で染められ、制服は胸元がはだけていて目のやり場に困る。生徒会長とは対極の存在に見えた。俺は彼女の剣幕に押されて怯む。

 

「え、と……あなたは?」

「私のことなんてどうでもいいだろうがっ! テメェはわかってんのか!? 普通なら取り合う間もなく却下することを、最上はなんとかしてやろうと考えてくれてんだよ! テメェの我が儘でこれ以上、最上を困らせてんじゃねえ!」

 

 俺の我が儘と来たか。確かに俺の都合で動いているのだからそれは否定できない。だけどこれだけは言わないといけない。内野という大男を指さしながら言ってやる。

 

「ああ、俺の我が儘で結構だ! だけど俺はコイツらのしょうもない嫉妬なんかのために引き下がるだけの安い理由なんかで部活を立ち上げたいわけじゃない! 俺には少しでも時間がいるんだ!」

「本当に自分勝手な奴だな。嫉妬だろうと人の想いなのに、勝手に優劣を決めやがって。最上、本当にこんな奴のためにお前が骨を折る必要があるのか?」

 

 俺と口論している素行の悪そうな女子が会長に問いかけるが、饒舌なはずの会長はなぜか黙りこんでいた。

 

「おい、最上! 黙ってないでなんとか言え!」

 

 金髪女子が強引に会長を自分に向かい合わせると、会長はニッコリと微笑んだ。

 

「ルッキー。“最上”じゃなくて“ヒデくん”でしょ? じゃないと口聞かないからね」

「ちょっ! それは二人きりのときだけ――って、あ……」

 

 会長がルッキーと呼んだ彼女は俺含む3人の男子の視線に気づくと目には涙が浮かんで顔をみるみる紅潮させていく。そして、

 

「ヒデくんのバカ――――――っ!!」

 

 泣き叫んで生徒会室を飛び出していった。俺たちが呆気にとられている間にわざわざ部屋の奥にいる会長が生徒会室の入り口まで歩いていって扉を閉める。

 

「騒がせて悪かったね。ただ、彼女も言ってくれていたように僕にも事情というものがある。これ以上織斑くんの要望に応えるのは難しいと言わざるを得ない」

「あ、はい。俺の方こそ無茶を言ってすみません」

 

 急がなきゃと焦り、先ほどの口論で熱くなったのも忘れて俺は会長に謝った。なんだか色々と申し訳なく感じたのだ。

 そして冷静になったところでこれだけは聞いておきたかった。会長にではなく、鈴ファンクラブの過激派リーダーにである。

 

「今の会長と彼女のやりとりに対して一言お願いします」

「実に微笑ましいな……なぜお前の質問に答えねばならないんだ!」

 

 なんでターゲットは俺だけなんだよ……。そこまで鈴一筋なのかよ。

 俺は俺で理不尽な怒りを抱えそうであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 窓の外は夕日が落ちた直後であり、空は東から藍色が浸食していった。先ほどまで週末の試合について打ち合わせが行われていた生徒会室には、今は会長である最上のみ残っている。自らがわざわざ増やした仕事を片づけたところで、冷めたコーヒーを飲み下していた。

 最上が窓際の席で落ち着いているとノックも無しに入り口が開かれる。普段ならばノックも無しに生徒会室に入ってくる人間は生徒会役員か、最上の恋人である新庄(しんじょう)流姫(るき)くらいである。しかし今日は違う人物だろうと最上は当たりを付けていた。

 

「首尾の確認ですか、宍戸先生?」

 

 入ってきたのはスーツ姿の男。生徒ではなく教師。一夏たちの担任であり、一夏が部活を立ち上げようとしている真の目的に関わる男、宍戸恭平であった。宍戸は一生徒である最上に対して申し訳なさそうに眉をひそめる、強気な彼らしくない態度を見せる。

 

「悪かったな。本来ならオレがすべきことをお前に押しつけている」

「謝らないでくださいよ。先生は僕が尊敬している数少ない人のひとりなんですから、お手伝いできて光栄なくらいです」

 

 最上は今にも頭を下げそうな宍戸を慌てて止めて逆に自分が頭を下げた。宍戸が口を挟む前に急いで報告を始める。

 

「とりあえず色々と論理も何もない無茶苦茶なことを言いましたが、先生の思惑通り、織斑一夏と内野剣菱をISVSというゲームで試合をさせる状況には持って行きました。詳細も予定通りです」

「助かる。今の織斑に必要なのは技術指導ではなく経験だ。本人もそれはわかっているとは思うが、アイツが個人で組める試合の規模など高が知れてる。今後訪れるであろう戦いのために織斑に用意すべきは大規模な戦場。無ければ作ってやりゃいい」

「ふふふ……」

 

 宍戸の発言を聞いて最上は小さく笑う。

 

「何がおかしい?」

「色々とおかしいですよ。いい意味で。あの宍戸先生がゲームをゲームでないかのように真面目に語っていることも、織斑一夏を特別視していることも」

「どっちも否定しねえよ。オレにとってISVSはある因縁のあるものだし、“織斑”はただの生徒じゃないからな」

「後者において僕は先生に親近感を覚えます。先ほど言った僕の尊敬する数少ない人の中に“織斑”という人がいるんです。僕が物心つく頃に亡くなってしまった方なんですけど」

「へぇ……その人はどんな織斑なんだ?」

「伝え聞いただけの話ですが、とある犯罪組織に囚われていた多くの子供たちを命懸けで解放したんです。正しく僕の理想の体現者だったと思うんですよ」

「ま、そうだろうな」

 

 “織斑”についての話をそこそこに、最上は散らかっていた机を片づけて席を立った。鞄を持ち、宍戸が背を預けている入り口にまで歩いていく。

 

「先生。織斑一夏の相手が内野剣菱に務まりますか?」

「現状、織斑を殺す気で相手にしてくれるような気性の持ち主で実力のある者だとアイツが一番なのは事実なんだが、正直に言っちまうと物足りない。オレが言うのもなんだが、織斑の実力はオレの指導を受けて以降、飛躍的に伸びている。一騎打ちなどしようものなら織斑の圧勝で終わるのは目に見えてるな。だからこそ数で織斑を追いつめようというわけだ」

「わかりました。では僕が相手をします」

「お前が? 未経験者だろ?」

 

 宍戸はハッハッハと声に出して笑うがバカにしている雰囲気は微塵もなかった。ただ面白いという1点がそこにある。

 

「3日もあればマスターしてみせますよ。それくらいできなければ誰かを助けるなんて偉そうなことを言えなくなるんで。何よりも――」

 

 最上は生徒会室の明かりを消して不敵に笑む。

 

「僕は“織斑”と戦ってみたい。彼の土俵で」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 辺りはすっかり暗くなってしまっていた。弾は朝から街中を走り回っていたのだが、一度見失った虚をもう一度見つけることはできなかった。それでも諦めきれずに虚の通う高校にまで行って、知り合いに確認してもらったところ彼女は欠席しているという。何か問題が起きているという悪い予感ばかりが頭を過ぎった弾は無駄とわかっていても彼女を捜すことを諦めきれなかった。そうして弾は思い知らされる。

 

(俺は……虚さんのことを良く知らない……)

 

 週に一度会って、街の中を練り歩いた。一緒に食事をして、他愛無い話をして……楽しかったのは間違いない。でもそれは自分だけだったのでは、と弾は考えてしまう。

 虚と共に行った場所は隈無く探した。どれも印象に残るような場所でもないために総当たりだった。弾にすら特別という場所が無かった時点で彼女がいる可能性は限りなく0に近かったのだと後になって気づいた。

 

 何かヒントはないかと、虚と話したことを思い起こす。断片的にしか思い出せない話のほとんどは、弾の方から喋っていた。自分の趣味であるISVSについて虚が聞きたがっていたからだ。一緒にプレイしようと誘っても断られていたが、蘊蓄(うんちく)も含めて聞いてくれる虚は良き聞き手であったために弾の一方的な話は熱を帯びていた。弾は基本的に話し手側だったのだ。

 虚が弾に言ったことは何かないのか。初めに弾に近づいてきた虚は『人を捜している』と言っていた。その人物は弾の預かり知らぬところで見つかったようで、以後は人捜しに関係なく会っていた。彼女が捜していた人物の顔写真と名前は覚えている。布仏本音という、虚の妹だった。

 

「くそっ! 手詰まりか!」

 

 もう無茶して追いかけるだけの時間はなかった。これ以上は弾の家族に心配をかけてしまう。学校をサボっておきながらも譲れないものはあった。

 走り続けて乱れた息を整えて、弾は家への道を歩み始める。すると、頭に軽い物が当たった。弾の頭から歩道に落ちたその物体を見れば丸められた紙屑であることがわかる。誰かにぶつけられたのだと思い至って周りを確認すれど、犯人らしき知り合いを見つけることはできなかった。具体的には、このようないたずらをしそうな一夏や数馬が見あたらなかった。

 

 見知らぬ人間に紙屑をぶつけられる心当たりのない弾は、今日はついていないと己の不運を嘆きながら、拾った紙をなんとなく広げてみた。紙自体は無地で特徴がない。だが走り書きで何かが書かれていた。

 

「なんだこれ? 地図?」

 

 手書きにしては見やすい地図に弾の知っている駅名と周辺地図、道順が書かれている。道順を目で追った先には病院の地図記号があった。そして“布仏本音”というメモも添えられていた。

 弾は慌てて周囲を確認する。だがこの紙を誰が投げたのかはもうわからない。

 

「病院……行ってみるしかないか」

 

 ただのいたずらではない。弾がそう決定づけたのは虚の妹の名前が書かれていたからだ。メモ書きを弾に投げて寄越した人物の思惑は不明であったが、道標のない現状に差し込んだ光に思えた。

 

 

 弾にとっての本拠地であるゲーセンを過ぎて駅に向かい、電車で2駅ほど揺られて地図が示すとおりの病院へと向かう。地図は正確であり、弾は目的の病院にたどり着いた。かろうじて面会の許されている時間のうちにたどり着けた弾は入院している患者の中に布仏本音がいないか受付に確認してもらう。真っ先に入院患者を調べたのは、最近の弾の周りの出来事が影響していることは言うまでもない。一夏から聞かされた話では今弾がいる病院に鈴が入院していた。そして受付からの答えは『布仏本音が入院している』というものだった。3ヶ月前からずっと目が覚めないらしい。

 面会を許されなかった弾はとぼとぼと来た道を引き返す。もし許されても弾は病室へと向かわなかっただろう。弾を病院へと導いた紙は固く握りつぶされてしまっていた。行き場のない怒りは本当のことを話してくれなかった虚に対するものか。否、真実を隠していた彼女の傍で、ただ浮かれていた自分に対してだった。

 

 携帯を取り出す。切っていた電源を入れると、メールが一斉に届き始めた。それらのメールを無視し、弾はまず自宅に電話をかける。数コールの後、相手が出た。

 

『もしもし。五反田ですが――』

「俺だ、蘭。ちょっと今日は帰りが遅くなるって母さんたちに言っといてくれ」

『何だ、お兄か。一夏さんたちが心配してたけど、何かあったわけ?』

「……何でもない」

 

 出た相手は妹の蘭。ほぼ弾の前でだけ態度の悪い妹は、弾がどんな状態でも平常運転だった。弾は一方的に用件だけ伝え終えると、まともに対応せずに即座に通話を切る。

 

「やっとわかった。ポーズだけじゃなくて、本当の意味で俺の都合になりそうだぜ、一夏」

 

 断片的な情報を繋いだ結果、弾はISVSの問題が関係していると結論づけた。布仏虚がゲーセンに現れた理由、布仏本音の状態、全てに意味があるのならこれ以外にあり得ない。

 弾の次の行き先は決まった。最近はあまり顔を出していなかった本拠地としているゲーセン“パトリオット藍越店”だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 家に帰る頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。11月ともなればもう秋の涼しさから冬の寒さになっていく季節である。夏ではまだまだ明るい時間でも夜と言えた。

 俺は今、ニヤケてる。鏡がないから顔を直接見られないが頬が自然に上がってしまっているのが感覚でわかった。何故ならば、俺が帰る前から織斑家に明かりが点いている。千冬姉が俺よりも早く帰るようなときは滅多になかったし、早くても既に寝ていることも多かった。だから俺には普段、言えないことがある。玄関を開けて景気よく叫ぼう。

 

「ただいまー!」

「おかえりなさいませ、一夏様。荷物をお預かりしま――」

「いや、いいよ。このまま部屋に行くし、チェルシーさんにそんなことさせられないって」

 

 ただ『おかえり』と返してほしかっただけなのだが、出迎えてくれたチェルシーさんは俺の想定よりも行き過ぎた対応をしてくださった。俺は丁重に断ってから、彼女に尋ねる。

 

「ところで、セシリアはどうしてる?」

「お嬢様はご帰宅されてからお部屋に籠もられております。集中されていますので、一夏様はお部屋に近づかれぬようお願いいたします」

「わかった。あの執事さんに殺されたくないから大人しくしとくよ」

 

 セシリアは早速今朝の件で動いてくれているようだった。彼女が情報を集める手段に何を用いているかはわからないけれど、もしISVSにログインしているとなれば無防備に寝ているのと同じである。そんなところに俺が入っていこうとすれば……後は容易に想像がつく。

 

「一夏様……少々お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「大丈夫です」

「ではお言葉に甘えて」

 

 さっさとISVSにログインしようと自分の部屋に向かうと、チェルシーさんに呼び止められた。聞きたいことがある、とワンクッション置くということは何か重大な質問をしようとしていることはわかる。特に断るような理由も無かったので聞くことにした。何よりも俺がチェルシーさんのことを知りたい。なんだかんだで昨日会ってからろくに会話も出来てないからな。

 

「一夏様はお嬢様とどういったご関係で?」

 

 あれ? 何だろう? 一瞬だけ背筋がゾクッとしたよ……? 冬も近づいてきたから寒くなってきたんだろうなぁ。

 少々天井を見上げてから大丈夫だと自分に言い聞かせて再び正面を見る。

 うん、大丈夫。チェルシーさんはメイドさんらしいと俺が勝手に思っている極上スマイルを向けてくれているではないか。たしかセシリアの話では全てを話してあるということだったし、何も隠すことはない。

 

「共に戦う仲間です」

「他には?」

「いや、特に――」

 

 何もないと言おうとしたところで、俺は口を閉ざした。唐突にこの先を言ってはいけない気がしたからだ。そこへ丁度、あの執事さんがやってくる。

 

「おかえりなさいませ、一夏殿。これ、チェルシー。お前は早く食事の支度をせぬか」

「申し訳ありませんでした。直ちに取りかかります」

 

 チェルシーさんはペコッと頭を下げてから台所へと向かっていった。チラッと見えた台所は既に俺の知る場所ではないくらいに改造されている気がするが、今は捨て置く。

 

「すまぬな、小僧。アレも私も複雑なのだ。今の状況は、な」

 

 俺と老執事さんの2人だけとなったところで唐突に謝られた。俺を小僧と呼んでいる辺り、本音であるとは思う。それも仕方がないか。セシリアの我が儘に振り回されて、こんな日本の一般家庭で仕事させられてるんだから複雑な心境にもなるだろう。

 

「いや、アンタに謝られると調子が狂うんだけど」

「狂う、か。いっそのこと狂った貴様がセシリア様に対して間違いを起こそうとしてくれれば、私は容赦なく貴様の息の根を刈り取ることができるものを」

「セシリアのことが大切なんだな」

「当たり前だ。私は亡き旦那様に誓いを立てた。セシリア様が独り立ちするまで私の全てを以て支える、と。私が旦那様を守れなかったことへの贖罪でしかないが」

「それは違うだろ」

 

 俺は執事の発言を即座に否定する。テキトーに受け流しておくつもりだったのだが、言わずにはいられなかった。執事は怒りを隠さずに俺の襟首を掴み、持ち上げる。俺の足は床に着いていない。

 

「貴様に私の何がわかる?」

「アンタと旦那様って人との関係とかアンタの贖罪とかは俺の知ったことじゃない。でもさ、アンタが贖罪のためだけにセシリアの傍にいるんだったら、セシリアが悲しむと思うんだ」

 

 執事の手から力が抜けて、俺は床に着地する。

 

「セシリアはさ、今でこそマシになったけど、見た目と違って臆病なんだよ。強くあろうとして孤立して……結果的に弱くなっちまった。それでも壊れなかったのは、アンタが居たからだ。アンタはセシリアにとって居て当たり前で、大好きなんだよ。あとはアンタがセシリアの父親だけじゃなくてセシリア自身のことを大切に思ってくれていればいいんだと俺は思う」

「この私に説教だなどと何様のつもりだ、小僧。……だが、その言葉は受け取った。胸に刻んでおくとしよう」

 

 老執事は俺の襟を離してくれた。多くは語らないが、俺はこの執事さんと少しだけわかり合えた気がする。

 

 

***

 

 金属で造られた閉鎖空間の中であるが不思議と息苦しさは感じない。窓一つない密室といえば個人差はあれど窮屈に感じるのが人間だと思うのだが、“ここ”では普通とは違うということなのだろうか。それとも、ISが持っている可能性のひとつなのだろうか。

 

「ねえねえ、レミ。ズバリ、ナナの本命は誰だと思う?」

「私の普通な感性だと、噂の王子様しかない感じ。対抗馬はヤイバで、トモキだけはありえない。カグラはどう?」

「……その話のフリ方だと私が普通じゃないみたいに聞こえます。私が思うにヤイバさんかと」

 

 3人の女子の会話が聞こえてきている。彼女たちはたしかナナの仲間で、戦艦アカルギの操縦を担当していると聞いている。話し声に混ざってカタカタと入力デバイスを叩く音もしているため、俺がいる場所はおそらくアカルギのブリッジなのだろう。

 そう。“だろう”だなどと推測でしか言えないのにはわけがある。

 

 ……いい加減、スタート位置くらい安定させてくれ。

 

 いつものことではあるが、自宅からISVSに入ったときはどこに出るかはわからない。ゲーセンと違って時間とお金の制約がないのは利点なのだが、こればかりは使い勝手が悪いと言わざるを得なかった。

 クーの着替えに遭遇したときと比べればマシなものの出て行きにくい状況だ。話題の中心はナナのことのようだけど、俺まで関わってる。不本意とは言え盗み聞きしてしまっては、彼女たちの心証が悪くなることは目に見えている。さて、どう切り抜けたものか。

 

「カグラ……実はそうだったら楽しそうとか思ってない?」

「あくまで予想だから。想像して楽しむ分には誰も迷惑しません」

「アハハ、やっぱり楽しんでるんだ」

「当然です。娯楽は必要でしょう。それでリコこそどう思ってるのかしら?」

「あ、うん。私もカグラと同じかも。最近のナナって雰囲気変わってきたし、それってたしかヤイバくんたちが皆を助けてくれたときからくらいだったと思うの」

「リコが真面目だなんて槍でも降ってきそう」

「では私をリコリンと呼ぶことを義務付けてやろう。するとあら不思議!」

「はいはい、ウザイね」

 

 俺は今、彼女たちの死角となっている使われていない机の陰にいる。どう見られるのかを気にせずに飛び出していくか、一度帰ってもう一度入り直すかの2択で考えていたのだが、考え直すことにした。彼女たちには悪いが、もう少し話を聞いていくことにする。本当ならシャルルとの待ち合わせ場所へと向かうことを最優先にすべきなのに、俺は彼女たちから見たナナの人物像が気になったのだ。

 

「でも言われてみればナナって私たちとは必要なことしか喋らなかったし、シズネ以外を近づけようとしてなかった。男連中もトモキ以外は近寄りづらく感じてたみたいだし」

「そうそう。ナナが必死に戦ってくれてるのを知ってたから誰も言わなかったけど、いつこじれちゃうのか気になって仕方なかったよ。こんなの私のキャラじゃないから普段は言ってないけどさ」

「それが今じゃ……『すまないが時間はあるか? 相談したいことがある』っていつもの真顔で話しかけてきたかと思えば『2人の男のことが気になってしまう私は変なのだろうか?』とか聞くんだもん」

「レミ、ナナのマネ似てる! 私も同じこと聞かれたなぁ」

「女子メンバーに聞いて回ってるみたいです。私も聞かれました。人並みに恋を意識できるくらいナナの心に余裕ができたということかもしれません」

「青春ですなぁ……はぁ、私にも春が来ないかなぁ」

「リコ、男との出会いならいくらでもあるじゃない。ツムギの男たちも前と比べて目が死んでないし、プレイヤーと知り合ってキープしておいて現実に帰ってからゲットすればいいじゃん」

 

 聞いててどんどん気まずくなってきた。そろそろ退散しよう。ナナのことも少しは聞けたし。

 俺が会った頃のナナはやっぱり張りつめた糸みたいだったんだ。先行きが不透明な中、自分が道を示さなければならないという責任を勝手に抱え込んでいた。ちょっとした衝撃で切れてしまう状態で、ナナと俺は出会った。

 思い返すと俺はひとつ間違えばナナをこの手で殺していたかもしれなかったんだな。あの時は直感に従って攻撃をやめて良かった。

 

「あ、シズネから呼び出しが来た。なんか相談があるから3人そろって来てくれって」

「今度はシズネ? シズネまでナナみたいに恋愛相談……なわけないか」

「『ナナちゃんよりも格好いい男なんていません』としか言わなさそうですね。ともかく、シズネのことだから真面目な内容です。急いでいきましょう」

 

 そろそろ撤収しようとしていた矢先に女子3人がまとめてブリッジから去っていった。音がしなくなったのを確認して俺は身を潜めていた机から体を出す。もしあの3人が引き返してきても、堂々としていれば問題ないはず。ヤイバは(俺本人にとっても)神出鬼没な人間なのだ。

 

「さてと。アカルギはツムギから出ていないだろうし、ゲートを使わせてもらおうかな。外を飛んでく必要がないってのは楽でいい」

「わかりました。ではクーちゃんにゲートの起動を申請しておきます」

「うわああっ!」

 

 誰もいないブリッジでの独り言に返事があって、俺はその場で飛び上がった。女子3人が出て行ったフリをして待ち伏せていたというわけではない。何故ならば、声の主は――

 

「シズネさんっ!? どうしてここにっ!?」

「それはこちらのセリフでもあると思いますよ、ヤイバくん」

 

 女子3人を呼び出したはずのシズネさんだったのだ。

 なぜシズネさんがここにいるのかは置いといて、俺は堂々としていよう。それで何も問題はないはず。

 

「いや、俺はいつものように偶々ここがスタート地点だっただけで――」

「だとしても女の子の会話を隠れて盗み聞きする理由にはなりません」

「ちょっと待って! この際、隠せそうにないから素直に認めるけど、何でシズネさんが知ってるの!?」

「壁に耳あり、障子にメアリー、あなたの後ろにシズネです」

「それが答えになってるの!? 怖いよ! 俺、いつも後ろが気になって仕方がないよ!」

「ヤイバくんは私のことがいつも気になる……悪くない、ですね」

「主に恐怖だよ! いいの、それで!?」

「そういえばヤイバくん。どうして障子という和風なものに対してメアリーさんという外国人な方の名前がセットなんでしょうか?」

「わざと言ってるんじゃなかったの!? 正しくは障子に目ありだよ!」

「ああ、なるほど。ヤイバくんは物知りですね」

「いや、それほどでもないよ。謙遜じゃなくてさ」

 

 どっと疲れた。相変わらずの無表情なシズネさん。どこまでが本気でどこまでが冗談なのかさっぱり掴めない。

 

「で、シズネさんこそ隠れて何をしてたんだ?」

「寝ていたんです。起きたら何やらレミさんたちが興味深い話をしてましたのでつい……ではなく、ナナちゃんの人望の調査をしようと潜り込んでいました」

 

 なんだろう。訂正された内容の方がまともじゃないんだけど、本当にシズネさんはそれでいいのだろうか。

 

「じゃあ3人がいなくなったのは?」

「ヤイバくんが困ってるだろうと……いえ、もう調査が十分だと思いましたので撤収に入っただけです」

 

 何か妙な建前で隠そうとしているようだけど、要するにシズネさんはアカルギのブリッジで居眠りをしてて、女子3人は気づかずにナナに関する話を始めたから、シズネさんは起きてからもずっと聞いてた。でもって、シズネさんの位置からは俺が丸見えで俺はそのことに気づいてなかった。そんなとこだろう。

 

「ヤイバくん。転送ゲートを使うそうですが、何か急ぎの用事でもあるのですか?」

「あ、そうだった! ちょっと待ち合わせしてるプレイヤーがいてさ」

「そうですか。私とナナちゃんもついていっていいですか?」

「いや、転送ゲートはジャマーの影響で片道切符だから帰ってくるの大変だし、そもそもシズネさんたちは使えないってクーは言ってなかったか?」

「……忘れてました。忘れて下さい」

 

 断る理由があって良かった。俺が待ち合わせしているプレイヤー、シャルルはIll(化け物)を追っている。今日が危険であると断言はしないが、これから俺は敵と接触する可能性があった。できればナナもシズネさんも一切関わらせることなく片づけたいと思っている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ヤイバが転送ゲートをくぐっていくのを見送っていたシズネの元に近寄る人影があった。シズネはそれが誰かを振り返らずとも把握している。いついかなるときもシズネが見失うはずもない人物だった。

 

「遅い登場ですね、ナナちゃん。ヤイバくんはもう行ってしまいましたよ?」

「な、なんのことだ? そ、それにヤイバが来ていたのか。タイミングが悪かったな」

 

 先に声をかけられたナナはシズネに気づかれていると思っていなかったのか驚いて身動ぎする。声にまでわかりやすい動揺が表れているのだが、ナナはあくまで誤魔化せているつもりだった。流石のシズネもナナのこの態度には物申したくなってしまった。

 

「ナナちゃんにしてはつまらない嘘ですね」

「何? わ、私は嘘など――」

「嘘など言ってない、ですか? ナナちゃんがもう一度断言するのなら私は信じます。たとえそれが真実ではなくとも」

「ぐっ……」

 

 表情の変わらないシズネに詰め寄られ、ナナは言い返せなくなる。それもそのはずでナナはヤイバが来ていることを知っていた。そして、ヤイバに気づかれぬようにこっそりと後ろについてきていたのだった。ヤイバは最後まで気づかなかったが、シズネの目は誤魔化せなかった。

 

「……シズネは騙せないな。私の負けだ。しかしシズネはどうして嘘だとわかったのだ?」

「それはナナちゃんの匂――乙女の勘です」

「勘か。シズネはすごいな」

「……ナナちゃんのそういうところ、卑怯です」

 

 誤魔化せなかったのは目ではなく鼻であったようだがそれは細かいところだった。少なくともナナは特に気にしていない。シズネのわかりやすい嘘すらも全て受け入れてみせて、先ほどのシズネの詰問への反撃をしているあたりナナは本来の調子を戻していると思われた。シズネは聞きたいことを聞くことにする。

 

「ナナちゃんには何か悩み事がありますか?」

「ん? いきなりどうしたのだ?」

「なんとなく聞いてみたくなったんですよ。で、どうなんですか? あるのなら相談に乗りますよ?」

 

 はぐらかされないように注意を払いながらシズネは問う。シズネには無意識に話題を逸らす癖があるが、ナナのそれは意図的な物である。ナナのことを十分に把握しているシズネだからこそ、そうはさせまいと食らいつく必要があった。

 対するナナは一切考える素振りも見せないで即答する。

 

「シズネに相談することなど何もない。私のことを心配する必要などないぞ」

「そう、ですか」

 

 はぐらかされた方がまだマシであったのかもしれない。シズネはナナの返答をそのまま受け入れる。事前に言っておいた『ナナの言ったことを事実として受け入れる』はシズネの中で今もなお継続していた。それが嘘だとわかっていても……。

 シズネはまだヤイバについて質問責めするつもりだったのだが、何も言えなくなってしまった。ツムギと倉持技研の協力体制ができてからというもの、ヤイバとナナが会ったところをシズネは見ていない。今日のことでわかるとおり、ナナはヤイバを避けている。あの2人から始まった希望であるのに。当事者不在で話が進んでいるような感覚がシズネを襲っている。

 

 ヤイバとナナ。シズネが大好きな2人の距離感がそのままシズネの不安の大きさとなっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 転送ゲートをくぐった先はロビーであった。指定したポイントはシャルルとの待ち合わせ場所。俺が来た時点ですでにシャルルはひとりで待っていた。

 

「悪い、遅れた」

「気にしないで。僕も今来たところだから」

「お、おう……」

 

 内心でデートの待ち合わせかよとツッコミを入れておく。ちなみにシャルルは会ったときとは違う言葉遣いになっているが、これが素らしい。熱弁のときに漏れていたから、飾っていたのはすぐにわかった。無理しなくていいと言ったらシャルルはやたら嬉しそうにそうすると決めたのだった。

 合流した俺たちは早速移動を始めた。先導するのは俺ではなくシャルルである。俺とシャルルが協力関係となって実質的な初日である今日は、例の“蜘蛛”が現れたというポイントへと案内してもらうからだった。ロビーの出口へとたどり着いたシャルルは何かに気づいて振り返る。

 

「そういえばヤイバは探索許可付きのイスカ使ってる?」

「探索? なんだそれ?」

「あまり大っぴらにできない話なんだけど、この世界って実は運営者も知らない秘密があるらしいんだ。製作者と運営者が違うかららしい。それでイスカを配布している運営者はこの世界について知るために各企業に調査の協力を求めたんだよ」

「それが探索許可か。でもどうして一部にだけ許可って形にしたんだ?」

「この世界が現実を寸分の狂いもなく再現しているからさ。本物じゃなくても情報は手に入ってしまう。悪用されたらマズイよね」

「現実の秩序のために、一般プレイヤーには一部しか公開しないってわけか。まあ、ゲームするのに支障はないから問題ないし賢明な判断かもな」

 

 俺は今までロビーの外に好き勝手出て行ったりしていたけれど、それは普通じゃなかったということだ。プレイヤーにはロビーから転送ゲートでいける場所にしか移動できないという制約があり、運営者が違反が起きないよう取り締まっている。そういえば以前、ロビーに入ろうとしたときにリミテッドの警備兵にイスカの提示を求められたっけ。あれは下手すれば処罰の対象になっていた。ということは俺のイスカは探索許可とやらが下りている代物ということになる。彩華さんからもらったものだから特に不思議でもない。

 シャルルは俺の反応から探索許可なしと判断したのか、転送ゲート方面へと踵を返す。おそらくはデュノア社を頼って適当なミッションを作って飛ぶつもりだろうが手間取るだろうことは俺にもわかる。無駄に待つのも嫌だったから俺はシャルルを手で制す。

 

「シャルル、俺のもたぶん探索許可ついてるから出口から行こうぜ」

「本当に? 探索許可って企業にしか出てないんだよ?」

「俺のは一応倉持技研の奴だから。それに前にも外に出たことあるし」

 

 論より証拠だ、と俺は先に出口へと向かって警備のリミテッドにイスカを見せる。もちろん前と同じように普通に通過できた。

 

「な? 大丈夫だったろ?」

「ヤイバって色々と不思議だね。知らないくせに持ってるとか」

「不思議なのは俺じゃなくて、俺にこれを渡してくれた人の方だろ。とりあえず問題はクリアーしたからさっさと行くとしようぜ」

 

 自分で言っておきながら俺は自分の発言にひっかかりを感じた。今まで全く気にしてこなかったし、運がいいということだけで済ませてきたが、どうして彩華さんは俺にイスカを渡したんだ? シャルルの話したことが事実ならば彩華さんが知らないはずもない。なのに、どうして一般人の俺に譲るなどしたんだ?

 

「ヤイバ? 早く行こうよ」

「ああ、悪い!」

 

 考えるのは後回しだ。今、俺が向かうべき問題は次の敵を見つけだすこと。彩華さんの意図はわからないが、俺の助けになっているのだから有効に使う。それでいい。

 

 

***

 

 

 シャルルに連れられてやってきた場所は人里から離れた森林地帯であった。聞くところによれば、蜘蛛に遭遇したプレイヤーたちが試合をした森林ステージとして使われたところらしい。俺とシャルルはとりあえず適当な場所に降り立った。

 

「延々と木ばっかりの景色……とりあえず来てはみたけど、やっぱり蜘蛛はいないみたいだな」

「そうだね。静かすぎる森だから僕たち以外に何かがいればすぐにわかる。被害に遭ったプレイヤーたちは試合中だったから違和感も何もなかったと思うけど」

 

 ISによって増幅された感覚でも何かがいるという情報は拾えない。俺の場合は主に聴覚だが動く存在は感知できなかった。操縦者の中には特殊視界技能なる能力を持つ人間がいるらしいが、常人だと発狂するらしい光景を見ているとかなんとか。俺もシャルルもそんな化け物ではないので生身に毛の生えた程度の能力しかない。

 

「それで、ヤイバ。僕も一度はここを訪れて調べたって言ったよね? なのに君は連れてきて欲しいと言った。その理由を教えてもらえるかな?」

 

 俺は昨日、シャルルに今日の予定を一方的に伝えるだけで別れていた。細かいことは教えていない。一種の保険だったのだが、ここまで来てしまえば気にすることもないので、俺の意図を話すことにした。

 

「俺を囮にしたんだよ」

「囮? 蜘蛛が君を狙ってるってこと?」

「違う。シャルルが実は敵で、俺を消そうとしてるかもしれないと思ってな。こうして俺がひとりだけでノコノコついてくる状況を俺から作ったんだ」

 

 俺の発言を聞いてシャルルの顔が青くなる。相変わらず、この世界は人の顔色とか感情が現実と遜色ない。

 あからさまに疑われてはシャルルもいい気はしないだろう。それも俺の思惑のうち。目的が何であれ協力は受け入れるつもりだが、これがきっかけで俺といられない程度の思いであるのならシャルルに背を預けるようなことはできない。このままシャルルと別れてもいいとさえ俺は思っている。

 

「ヤイバは、僕の想像以上に大きな敵と戦っているんだ……大変、だったね」

 

 目を丸くするのは俺の方だった。シャルルの信頼を裏切った俺に対して、彼の口から飛び出した言葉は恨み言や罵倒の類でなく、どちらかと言えば同情のそれだった。

 

「大変だった? いいや、まだまだこれからなんだ」

「ふふふ、違いないね」

「怒らないのか? 俺を」

「どうして? どちらかと言えば僕の方が怪しさ満点だったのが悪いんだよ」

 

 昨日会ったとき既に俺はシャルルを信じたいと思っていた。今日のところはそれを確信にしたかったところが大きい。協力が得られなくなる可能性が高かったとは思うが、代わりに俺はシャルルを問題なく仲間として受け入れられる。同時にデュノア社もあまり警戒しなくて良さそうだと思えた。一応確認してみる。

 

「そういえばシャルルってデュノア社とどういう関係なんだ? いつもデュノア社の宣伝してたり、評判を気にしてたりするけど」

「ああ、それはね。僕のパパがデュノア社の社長だからだよ」

 

 パパが社長!? つまりシャルルは社長のご子息。IS関連企業の社長の息子がISVSのトッププレイヤーとは、つくづくISに縁が深い一族なんだな。

 

「お父さんのことは好きか?」

「うん、まあね。色々と問題ばかり抱えてる人だけど」

「そっか」

 

 シャルルに父親が好きか聞いてみると、ハッキリとは言わなかったが明らかに頬が緩んでいた。小言付きだが、その分だけ悪い関係でないとも思える。その親子関係を想像して俺の頬も自然と緩む。

 同時に踏み込みすぎたのかもしれなかった。だから俺は聞かずにはいられなくなる。

 

「もしお前に何かあったら、お父さんが悲しむんじゃないのか?」

 

 シャルルがIllに食われてしまったら。

 鈴のように俺のせいで目覚めなくなる光景を想像し、頭が痛くなった。

 子供の傍で自らの無力さに打ちひしがれる柳韻先生を思いだし、発狂しそうになる。

 

「そうかもしれない。でも、僕が何もしなくてもパパの元気はどんどんなくなっていく。だから僕は立ち止まらないし、絶対に負けたりはしない。それが僕が僕である理由だ」

 

 シャルルは誤魔化すようなことは言わなかった。今まで人の良い表情しかみせてこなかったのに、今だけは強い目つきで俺を見据えてくる。俺の不安など関係ないと吹き飛ばしてみせる覚悟がそこにはあった。

 

「……強いのは戦闘技術だけじゃないってことか」

「本当はどれだけ弱くても、強く見せないといけない。僕にとって負けられない戦いは今に始まったことじゃないんだ」

「そっか。頼もしいぜ」

 

 俺はシャルルを過小評価していたようだ。初めからコイツは命とは違う譲れない願いをかけて戦ってきてたんだ。夕暮れの風の強さの根底に根付く物を俺は垣間見た気がした。

 今日の俺の目的は達成できていた。まだ表面的なことかもしれないが、シャルルのことを知ることができた。本題である蜘蛛についてはセシリアの持ってくる情報を待つのが一番確実だろうということで、俺はシャルルに帰るように提案する。

 

「そろそろ戻るか」

「え? ここはもういいの?」

「ああ。さっきも言ったとおり、シャルルの胸の内を知ることが目的だったからな。こんなところにもう一度現れるなんてとても思えない」

 

 殺人を犯した犯人はもう一度現場に戻ると言うが、追っ手が待ち受けているとわかりきっている場所に戻る心理を俺は知らない。この場所でなくてはならない理由も、周りには木々しか見あたらないために思いつかない。

 転送で飛んできたわけではないため、ロビーに帰るためにはいちいち空を飛んで帰る必要があった。俺は先にフワリと浮き上がるとシャルルに問う。

 

「シャルルはどうする? 俺はロビーに戻って適当に試合でもしてくつもりなんだが」

「じゃあ、僕も付き合おうかな。でも、ヤイバ。一度ログアウトして入り直した方が早いと思うよ?」

 

 それはわかってるが、俺の場合は少々面倒くさい事情があるために敬遠しがちにもなる。しかし面倒でもそちらの方が早いのは事実だった。俺はシャルルに言われたとおりに一度ISVSから出ることに決めた。集合場所を確認して、俺たちは同時にこの世界から立ち去る手続きをする。しかし――

 

 戻れない。

 

「あれ? 不具合かな? 今までこんなこと起きたことなんてないのに」

「バカっ! 周りを警戒しろ! 何かがいる!」

 

 シャルルには説明しておいたのだが、今がそれだと気づくまでに時間がかかってしまっていた。何事も最初と言うものは戸惑うものである。俺はこれが初めてでない。この現象は俺が初めて福音(イルミナント)に遭遇したときと同じ。

 近くにIllが存在する。

 精神を研ぎ澄ませる。周囲の音を拾い続ける。動物が見あたらないこの世界でも植物と風は存在しているため、雑音が皆無というわけではなかった。風は幸いにも無風に近い。葉の擦れる音もほとんどないため、俺たちが音を出さなければ沈黙が場を支配する。

 

 何もいない。俺の耳と白式は異常がないと認識している。それはシャルルも同様だった。何もアクションを起こさずに周囲に意識を向けてくれている。

 近くにはいないということなのだろうか。あるいは身を潜めているか。どちらにせよこのままこの場に止まることの方が危険だった。

 

「シャルル、上に行こう。森の中よりは空の方が都合がいい」

「わかった」

 

 広く見渡せる分、不利とはなりにくいと判断してだ。もちろん敵に見つかる危険性が高い行動なのだが、もう見つかっていること前提に動いた方がよい。あとは逃げきれるかが問題だろう。

 高度を上げようと推進機を噴かしたときだった。

 

 

『右だよ!』

 

 

 ――声がした。

 

 俺は反射的に雪片弐型を抜き放つ。考えた行動ではなく、気づいたら攻撃していた。雪片弐型の刃は空を切ることなく途中で停止している。ENブレード同士の干渉で発生する特有の現象だった。

 その場にISがいることは間違いない。にもかかわらず俺には相手の姿が見えない。何よりも、白式も相手の存在を認識していなかった。

 しかしそれも一瞬のこと。すぐにその姿が浮かび上がってくる。

 

 襲撃者の正体は蜘蛛とはほど遠い。そしてISVSにおいてはかなりの数を見かけるものだった。

 シンボルとも言える両肩の盾は昔の鎧武者の具足を連想させる。

 右手にある得物は物理ブレード……おそらくは“葵”だろう。これも標準的な装備だった。

 打鉄。倉持技研が誇る世界シェア2位のIS用フレーム。それに身を包む中身は同い年くらいの少女であった。少女は雪片弐型を“左手”で受け止めつつ目を丸くしていた。

 

「完全に不意をついたはずだったのに……」

「ヤイバっ!」

 

 シャルルが敵の存在に気づいてアサルトライフルで援護射撃をしてくれる。襲いかかってきた少女は俺から素早く離れた。

 距離を開けて俺たちは少女と対峙する。俺は相手の装備の分析を開始した。

 今までに全く見たことのない型だった。ディバイドスタイルであるのに、左腕全体が無骨な装備となっていた。左腕だけ和風甲冑そのままの装甲となっているのだ。手の部分も通常のアームではなく一回り大きい。人と同じ5本指だが、その手は物を握ることを想定していない。指の先端からは爪のようにENブレードが生えていた。雪片弐型を受け止めたのもこの爪だった。

 背中には見覚えのある装備が浮いている。8連装高誘導ミサイル“山嵐”が4、チャージ速度重視の荷電粒子砲“春雷”が2。ひとつひとつはメゾならばよく使う装備だが、全体の装備の容量がヴァリス並となっていた。

 

「何も――くっ!」

 

 何者だと尋ねようとしたところで、春雷の砲口がこちらを向いた。即座に身を翻して回避に成功する。

 その間にシャルルが動いた。マシンガンを放ちつつ距離を詰めていく。マシンガンによる牽制を敵は回避することなく打鉄の盾で軽く止めていた。それもシャルルの想定内。シャルルは瞬時に両手の装備をアサルトカノンとショットガンに持ち替え、盾めがけて一斉に発射する。全てが着弾したところで盾が1枚砕け散った。

 

 本格的に戦闘開始となった。俺も情報を引き出すことは諦めて戦闘に集中する。Illがいる可能性の高い空間で問答無用で襲ってくる相手だ。部外者とは思えない。後手に回った現状ではなんとかして逃げなければならない。もしここで俺とシャルルが負ければ、十中八九、倉持技研とデュノア社が敵対する。

 ……俺が帰らなければデュノア社はクロだと彩華さんに言っておいたのが裏目に出てるな。

 

「シャルル!」

「わかってる!」

 

 相手の盾を打ち破ったシャルルは引き返した。敵が追撃のために放ったミサイルを全て打ち落としながらシャルルは俺の元にやってくる。

 

「無理をしないのはいいけど、この後はどうするの? 僕が残ってヤイバが逃げる?」

「それはあり得ないから黙ってくれ。今考えてるんだから」

 

 俺たちがIll相手に生き残る道は勝つか逃げるかだけ。やはり戦うしかないのか。だが2人だけで立ち向かうのは危険すぎる。隣にいるのがリンでなく夕暮れの風であっても、あの豹変したイルミナントが相手だったら結末は同じだろうことは目に見えていた。

 イルミナントより弱ければどうにかなるかもしれない。でも不確定だ。賭けに負けたとき、その代償は俺かシャルルが支払うことになる。

 

 どれだけ俺は考え込んでいただろうか。正確な時間はわからなかったが、シャルルが異変に気づいた。

 

「攻めてこないね」

 

 言われてみればその通りだった。初撃の奇襲以降、敵は迎撃はしていても積極的な攻撃に移ってこない。俺たちの一挙手一投足を注意深く観察している。

 

「……一筋縄ではいかないみたいね。でも、絶対に私があなたを倒してみせる」

 

 唐突に少女は口を開いた。俺を指さして倒すと言い捨てると森の中へと入っていってしまった。

 

「待てっ!」

 

 即座に後を追ったものの俺もシャルルも逃げた少女の姿を見失ってしまった。もしかしたら姿を隠す単一仕様能力を持っているのかもしれない。だとしたらセシリアの力を借りなくてはとても追える相手ではない。

 

「ヤイバ。今のは……」

「正体はわからない。だけど、Illと無関係とは思えないな」

 

 今の少女は敵の刺客か。明確に俺をターゲットにしていた。イルミナントを倒した俺はやはり敵にとって目の上のコブなのだろう。今後は俺を囮にして誘き出すことも視野に入れてもいいな。

 

 今の襲撃者を思い返す。一見するとアンバランスな構成に、見たことのない装備。それだけでも十分に印象深いものだったのだが、もうひとつ俺が見逃さなかったものがあった。

 ISVSではプレイヤーネームを相手に開示するか否かを設定できる。俺の場合は当然のように開示しないに設定しているため、他人には口頭で名前を伝える必要がある。今の襲撃者は逆。つまり、聞かなくともこちらには名前がわかる状態だった。

 

 表示されていたプレイヤーネームは“楯無”だった。聞いたことのない名前だが覚えておくとしよう。



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17 母なる大地

 その日、篠ノ之箒は一夏の背を見つめることが多かった。

 

 埃が舞う薄暗い廃屋の中、2人の小学生が物陰で息を潜めていた。ひび割れた灰色の壁を反響する複数の足音が聞こえて、小学生のうちの片割れであるポニーテールの少女、箒は恐怖で身を震わせていた。箒の震えを感じてか、彼女の右手を掴んでいる少年、一夏の握る手に力を込める。その手の力強さが箒にはとても温かく感じられた。

 

「ガキどもは居たかっ!?」

「いや、こっちにはいない! くそっ、こんな広い廃ビルを使うんじゃなかった!」

 

 今、箒たちは追われていた。追われる理由は箒に、正確には“篠ノ之”にあった。人気のない場所に箒がいるのも自分からやってきたわけでなく連れてこられたからであり、連れてきた連中こそが今もなお血走った目で箒たちを探し回っている男たちである。そう……箒は誘拐されたのだった。

 

「怖いか、箒?」

 

 小声で一夏が話しかけてくる。箒の右手を握っている少年は、周囲を警戒しているためか箒に背を向けたままだった。これが日常の中での出来事ならば箒は『目を見て話せ』と叱るところだが、今は逆にその背中が頼もしく見えた。

 

「怖いなどあるものか。私を誰だと思っている」

 

 精一杯の虚勢を張った。普段は同い年である一夏に年上気取りで物を教えている手前、怖いという事実を認めることは恥ずかしいものだったのだ。そのあからさまな強がりを一夏がどう思ったのかは箒にはわからない。ただ、一夏は今まで握っていた箒の手を離した。箒の右手はつい一夏の手を追いかけてしまう。

 

「ごめん。しばらくここにひとりで隠れててくれ。俺がなんとかするから」

「な、何をする気だ?」

 

 問いながらも箒は一夏の考えていることは理解していた。

 元々、箒は誘拐犯たちに拘束されていた。今、自由の身となっているのは一度助け出されたからに他ならない。誰が助けたか。それは一夏しかいない。

 箒たちを追っている男たちの数は3人。箒をさらった誘拐犯は全部で4人いたのだが、ひとりは完全に気を失っている状態だった。一夏が不意打ちで殴り倒したらしい。

 一夏は誘拐犯のアジトから脱出するために残りの3人とも戦うつもりなのだ。

 

「帰り道を作ってくるだけだって。箒は何も心配せずに俺が戻ってくるのを待ってろ」

「待て、それは――」

 

 箒の制止。しかし一夏は聞く耳を持たずに飛び出していった。箒は足が竦んでしまって一夏を追いかけられない。

 

「いたぞっ! 男の方だ!」

 

 一夏はすぐに見つかってしまう。相手は箒のことを“篠ノ之束の妹”として狙っている者たちである。一夏はともかくとして、箒は幼いながらもこの事実が意味することを正確に把握していた。相手はただの大人じゃなく、その筋のプロなのだと。世の一般男性でもとても対処できない事態だというのに、小学生である一夏がひとりで立ち向かっていた。

 一夏に言われたとおりに隠れていることしか箒にはできなかった。頭では一夏が危険であるとわかっていても足は動かない。できることは『バカだ』と罵ることだけ。それは危険を省みず箒の傍に居続けようとする一夏に対してと、親しき人を見捨てようとしている自分に対してであった。

 バカだという一言が頭の中を巡り続ける。自分の無力さを知っていて大人しく隠れている自分こそが普通なのだと、正当なのだと言い聞かせた。しかし箒の足は意志に反して徐々に前へと踏みだそうと動き始める。道場でも見せたことのない涙を浮かべながらも、箒は一夏の進んだ道を辿ろうとしていた。

 

 ……私はバカだ。

 

 一夏は自分から危険に飛び込んだだけ。箒は今まで散々警告をしてきた。それを聞かなかったのは一夏自身であるから自業自得である。一夏は箒のせいでなく、自らの行いのために死ぬ。箒の前から彼はいなくなり、また元の独りだけの学校が始まるだけ。

 それでいい……だなどと納得する渇いた心はもう無かった。たったひとりの友でも箒の心は潤ってしまっていた。満たされていた。もう元になど戻れるはずもなかったのだ。

 

 箒は走った。顔は涙やらなんやらでぐちゃぐちゃで幼いながらも凛々しくて聡明な彼女の面影はどこにもなかった。一夏の居場所はすぐにわかった。男たちの声や争いの音が聞こえてきているからだ。さほど時間をかけることなく箒は目的地にたどり着く。

 

「ぐぁっ――」

 

 箒がやってくると丁度男たちの1人が角材で殴り倒されるところだった。一夏の足下には大の男が3人倒れている。にわかには信じられないが、一夏は本当に誘拐犯たちをひとりで倒してしまったらしい。一夏は箒がやってきたのに気づいて振り返る。彼は大した怪我もなく得意げな笑みを箒に向けるだけの余裕も残っていた。

 箒は恐怖から解放されたためか、思い切って一夏に飛びつこうと駆け寄り始めた。第一声は罵倒にすると決めていた。感謝の言葉はその後で言えばいい。そう思っていた。

 ところが、箒はあるものを見て唐突に嫌な予感を覚えることになる。それは一夏の空いた左手の動き。意味もなく左手を閉じたり開いたりしている癖は、道場でも見たことがあるものだった。これは彼の慢心や油断の証で、この癖が出ると例外なく試合で負けるのである。

 

 今の一夏は周りを警戒していない。箒が慌てて周りを見回すと、5人目の男がいた。男の手には拳銃が握られている。銃口の先には一夏がいて、一夏は気づいていない。箒は飛びつこうとしていた勢いを殺さずに、一夏を突き飛ばした。

 

 銃声。

 

 箒は大きく目を瞑った後、耳の中に残る銃声の余韻が消えてから再び目を開いた。目の前には「いてて」と床に転がっている一夏の姿がある。一夏は無事だった。

 すぐさま一夏の元に駆け寄ると、箒は一夏の肩を掴んで大きく揺さぶる。

 

「お前はバカだ! 死ぬところだったのだぞ!」

「そうみたいだな。助かったぜ、箒」

 

 いつもの勉強を教えた後の感謝と同じ調子で言われて箒は頭に血が昇る。

 

「そんな軽い話じゃないだろ!」

「悪い、そう言われても良くわか――」

 

 またいつもの『良くわからない』と返されたら、箒は本気で一夏を殴りつけたことだろう。しかし一夏は言い切らなかった。そればかりか――

 

「箒、心配させて……ごめん」

「それがわかればいい……バカ」

 

 違う意味で謝った。思考も行動も常識から外れている少年に箒の当たり前の感情が届いた。そう思うと箒の涙腺はまた崩壊しそうになっていた。

 

 冷静になった箒は誘拐犯のことを忘れていたことに気づく。そして、なぜ一夏と話をしている時間があったのだろうかと疑問が浮かび上がった。疑問を晴らそうと銃を向けていた男に目を移すと、男は銃を取り落とし、右手を押さえてうずくまっていた。

 

 バタバタバタと大勢の足音がなだれ込んでくる。誘拐犯の仲間かと身構えた箒だったがすぐに違うのだと納得した。なぜならば、その中のひとりには見覚えがあったからだ。その女性は真っ先に倒れている一夏の元へと走っていき――強烈なビンタをお見舞いする。

 

「馬鹿者っ! ひとりで飛び出す奴があるか!」

「いって――――っ!! 千冬姉、今の一発が今日一番痛かったぞ!」

 

 一夏の姉である織斑千冬だ。高校生である彼女が連れてきた者たちは服装から見て警官ではなく、年齢からして高校生の集団というわけでもない。一夏への説教は千冬に任せて、箒は千冬が連れてきた集団の観察を始めた。彼らは一夏が殴り倒した男たちや銃を持っていた男を拘束して外へと連れ出していく。箒は純粋な興味から、集団の1人を掴まえて話を聞こうとした。その男は手入れをしてなさそうなボサボサの長い銀髪の男だった。箒が袖を掴んだことに気づいた銀髪の男は怪しく光る金色の瞳で箒を見下ろしてくる。

 

「オレに何か用か?」

「お! 流石は幼女に好かれる体質の持ち主だな、銀獅子さんよぉ。その才能を全世界のロリコンたちに分けてやれって」

「黙ってろ、虎鉄! その才能とやらをロリコンに分けられないってのはてめえで証明済みだろうが!」

 

 銀髪男が同僚と思しき男と馬鹿話をしたことで箒から肩の力が抜ける。見た目はとても怖い男だが、中身は優しいということが言葉だけでわかった。箒は彼らを集団の代表と思って感謝を告げる。

 

「ありがとうございます」

「オレは依頼をこなしただけだ」

「一夏を助けてくれて、ありがとうございます」

 

 二度目の礼。これは銀髪の男個人に対してだった。

 一夏を狙っていた銃は一夏を突き飛ばした箒にすら当たらなかった。タイミング的に箒に当たっていてもおかしくはなかったのにである。その理由は誘拐犯が銃を取り落としていたことと関係していて、箒が聞いた銃声が誘拐犯のものではなかったからだ。

 箒は銀髪男が拳銃を持っているのを見た。集団の中で銃を取り出している者は他にいなく、誘拐犯の銃を弾き飛ばすことができたのはこの男だけだったと結論づけた。

 

「……どういたしまして」

 

 銀髪男は口元を緩ませるとそのまま立ち去ろうとする。箒はそんな彼の袖をまだ掴んでいた。まだ聞きたいことがあった。

 

「おいおい、まだ何かあるのか?」

「あなたたちのことを教えてください」

 

 警察でもない者たちが何なのかを箒は知りたがった。銀髪男はさして気を悪くすることもなく答える。

 

「オレたちは“ツムギ”。世界をつなぎ、人々の思いを紡ぐ。そんな夢を持ったバカの集まりさ」

 

 箒の知りたいことを知ることができたわけではなかったが、銀髪男は急いでいるらしく、これ以上話してくれることはなかった。

 入れ替わるように警察がやってきて、箒たちは無事に保護される。そうしてこの一日は終わっていった。

 

 

***

 

 ナナは目を覚ました。最近になって昔の夢を見ることが多くなったが、今回の目覚めは良い方である。なぜならば夢にヤイバの顔が割り込むことがなかったからだ。しかしながら、やはり“彼”の顔は上手く思い出せない。

 

「今日はシズネは来てないな」

 

 居たら迷惑に感じることもあるが、いなかったらいなかったで寂しくも感じていた。自分のことを身勝手だと思いながら起床したナナは今日の予定を確認するためシズネの姿を探しに居室を出る。

 

「あ! おーっす、ナナ!」

 

 廊下を歩いていると声をかけられた。最近になってナナに自分から声をかける仲間が増えてきていたが、この男だけは最初から変わらぬ態度を見せている。トモキだ。

 

「おはよう、トモキ。暇なようだな」

「まあな。倉持技研の連中が来てからは俺たち戦闘要員はずっと待機してるだけだし。腕がなまってないか心配になってくるくらいだぜ」

 

 トモキの言うとおり、ヤイバがイルミナントを討伐した戦闘を最後にツムギのメンバーは戦闘に参加していない。ナナが受けている報告によれば小規模な戦闘は起きているとのことだが、ツムギのメンバーが命を懸けて参戦する必要性が皆無だったのだ。ナナはその現状をありがたく受け止めている。

 

「そう言うな。誰も犠牲にならないに越したことはない」

「そりゃそうだけどよ。ほら、いざって時に動けないとかカッコ悪いじゃん?」

「たとえ格好悪くとも生き延びてほしいと私は思うのだがな」

「ナナ……俺のことをそんなに大事に想ってくれてるのか」

「お前のような変態でも死なれると寝覚めが悪くなる」

「素直じゃねーんだから――ってちょい待ち! 俺って変態扱いされてんの!?」

「ん? 違うのか?」

「断固否定する! ナナはシズネの奴に騙されてるだけだ!」

「ならば消えた私の下着をトモキが所持していたというのは嘘か」

「何それ!? 身に覚えがないどころか、ナナの下着を盗んだうらやま――コホン。けしからん輩が居るってのも初耳だぞ!?」

「それはそうだろう。嘘だからな。だがトモキが以前に私が女であるか確認するとして行なった狼藉を、私は忘れていないからな」

「ぐはっ」

 

 トモキには返す言葉がない。まるでボディブローを食らったかのようによろめいて項垂れる。

 こうしたトモキとの会話も中身が変質していた。以前はトモキが一方的に声をかけてナナは軽く流す程度であったのに、今ではナナの方から冗談を言うこともあるくらいになった。

 ナナはそうした自分の変化を自覚している。それらは全て心に余裕ができたからだと分析していた。だからこそ悩みが生まれてしまったとも思っている。

 

「なあ、トモキ。私に何か用事があったんじゃないのか?」

 

 割と真面目に落ち込んでしまったトモキにナナから声をかける。見た目が軽薄そうであるのに中身が純情なトモキは持ち前のポジティブさですぐに元気を取り戻した。

 

「いや、シズネの奴がいないときにたまたま会えてラッキーと思ってさ」

「ラッキー……? そういうものか?」

「そういうこと。ナナの今日の予定はどんな感じだ?」

「今からシズネに確認をしに行くところだ。言っておくがお前と遊ぶような時間はないと思え」

「こりゃ手厳しいねぇ。別にいいけどよ。じゃ、俺らの手が必要だったら遠慮なく声をかけてくれ。揃いも揃って暇人だからな」

「ああ、そのときはよろしく頼む」

 

 トモキは「あいよー」と軽い返事だけ残して去っていった。そんな彼を見送るナナはトモキの態度に対して違和感を覚えていた。これもまた、余裕ができたことで見えてきたものである。

 

(トモキはセクハラ発言をしたかと思えば、私とただ話をするだけで幸運だとも言う。シズネが言うにはトモキは私に好意を抱いているようだが、私にはどうもそれがシズネの想像しているものとは違うように思える。まるで見返りを求めていないように感じるのだ)

 

 それは今のナナの悩みにもつながることだった。ナナは揺れている。ヤイバが現れてからというもの、“王子様”の存在が薄れてきていた。それは無意識のうちに見返りを求めていたからだと、ナナは考えている。

 

 “彼”のことを想えば、“彼”はナナを助けてくれる。

 誘拐されたときのように颯爽と現れて助けてくれる。

 ずっとナナを支えてきた想いの裏には、理想の“彼”がいた。

 でも、来てくれたのはヤイバ。

 そして、ヤイバのことが気になって仕方がなかった。

 

 トモキについて考えていたナナだったが、いつの間にか自分のことにシフトしていた。

 

(私はっ! そんな軽い女なのか! 助けてくれる都合の良い男を好きになるだけだなんて……自分の卑しさに腹が立つ! こんな私では一夏にもヤイバにも合わせる顔がない!)

 

 頭の中で自らを罵倒する。それで何が解決するわけでもなく、ただただ虚しかった。結論はいつも同じで、最後に考えることも同じ。

 

(一夏……お前は私を忘れてしまったのか? 約束を6年も果たせなかった私は、もうお前の隣には居られないのか?)

 

 やむを得ない事情という言い訳はあった。何一つ連絡を取ることもできなかったのだ。ナナは1月3日を迎える度に護衛という名の監視役を撒こうと必死だった。それでも約束を守れなかったことだけは事実であり、唯一篠ノ之神社にたどり着けた今年も一夏には会えなかった。一夏が来てくれていたのかもナナは把握していなかった。7年も経てば一夏に恋人の1人や2人出来ていてもおかしくはない。もしかしたら約束自体、忘れられているのかもしれなかった。そうだとしても、よくよく考えれば約束の“来年”はとっくの昔に過ぎ去ってしまっているのだから一夏は悪くない。

 ナナは涙を拭う。ここ数日で泣き虫になってしまったと情けない自分を嘲笑した。そうしてナナは考えることを放棄する。

 

「ナナちゃん!」

 

 不意に自分を呼ぶシズネの声が聞こえて、ナナは気を張る。切り替えの速いナナはすぐに涙を止めてみせ、素早く涙の痕を袖で拭き取った。

 

「ちょうどいい、シズネ。今からそっちに行こうと――」

「緊急事態です。花火師さんから“敵”の襲撃があると連絡がありました」

「そうか。すぐに詳細を確認する」

 

 問題が舞い込んできた。本来なら来てほしくなかった事態であるのに、ナナは渡りに船と思ってしまっていた。戦わなければならないときだけは無駄なことを考えなくてすむから、と。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 “楯無”という名の少女の襲撃から一夜明けた。あの後、セシリアにだけは報告しておいたのだが叱られてしまった。大丈夫だなどと言っておきながら、その実は危険を覚悟して飛び込んでいったのだから仕方がないといえば仕方がない。俺の想定と違う事態になったのではあるが、彼女にとっては関係ないようでもある。朝になっても彼女は拗ねたままだった。

 

「なあ、セシリア。俺が悪かったからいい加減機嫌を直してくれって」

「一夏さんは何も悪くはありませんわ。ええ、そうです。一夏さんの言ったことを鵜呑みにしていたわたくしが悪いだけですわ」

 

 セシリアの手を煩わせるまでもないと判断してのことだったのだが、結果的に鈴のときの再来になるかもしれなかった。またもやセシリアに黙って勝手に動いた俺が原因になってるため罰が悪い。早口でまくし立ててくるセシリアの嫌みが痛烈に効いていた。

 

「次からはセシリアを頼る。これで許して?」

「しょうがありませんわね。約束ですわよ?」

 

 朝の食卓。対面に座るお嬢様はようやく棘を引っ込めてくれた。いや、本当に怖かった。主に俺の後ろから放たれていた殺気が。

 

「反省はこの辺にして、昨日できなかった報告をしたいと思うんだけど」

「そうですわね。わたくしの方も少ないですが一応」

 

 そうして朝の恒例になるかもしれない報告会が行われた。

 俺からセシリアに伝えた内容は“楯無”という名の襲撃者についてである。

 見たことのない左手の装備のこと。

 フレームは打鉄であるのに防御を捨てた中距離火力重視の装備構成だったこと。

 そして、ISでさえ認識困難という高度なステルス機能を有していたこと。

 ステルスに関してはある程度の推定は出来ている。PICを使った機動によって静音性があったり、シールドバリアの設定を変えることで光学迷彩をしたりといったことは出来るが、目の前でEN武器を使用しているのにこちら側のISが敵ISを認識しないというのは明らかな異常だった。ただのステルス機能ではなく、何らかの単一仕様能力によるものだと俺は考えている。それに関してはセシリアの同意も得られた。

 

 セシリアの方の報告は蜘蛛の噂の信憑性についてだ。結論だけ言えば、間違いなく蜘蛛はIllであるという確証が得られた。他には特に新しい発見はなかったようで、それもさっきまでの不機嫌の要因のひとつになっていたのかもしれない。

 

「蜘蛛だけでなく“楯無”という名のプレイヤーもIllかもしれませんわね。念のため聞いておきたいのですが、どんな姿をしてましたか?」

「打鉄って言わなかったっけ?」

四肢装甲(ディバイド)でしたら顔も見えていたのではないですか?」

「ああ、そういうこと。見たには見たけどあまり言えることはないな。黒髪のショートヘアで、日本人女子だなとしか思わなかったし、それにアバターの顔なんて変えられるだろ? ちなみに声は若い女だったな」

「一夏さんから見て美人でしたか?」

「うん、綺麗だった……ってそれが何か関係あるの?」

 

 自分から聞いておいて頬を膨らませないでほしい。確かに敵の見た目を褒めたのは気を悪くすることだったかもしれんけどさ。

 

「少しだけですが関係ありますわね。わたくしはある仮説を立てていたのですが、一夏さんの仰ることが本当でしたら、その仮説が白紙に戻るというだけです」

「それってどんな?」

「内緒にしておきます。当たってないとわかっている仮説を得意げに披露する趣味はありませんので」

「そりゃそうか」

 

 セシリアが外れてると思ってるのなら多分関係ないだろう。俺は次の話を振ることにする。

 

「昨日の報告がすんだところで今日についての話がある」

「一夏さんも既に目を通していましたか。ええ、ミューレイがツムギを攻撃するミッションを提示しましたわね」

「ああ。時間は今日の夜7時。倉持技研側も参加プレイヤーの募集を始めてる状態だ」

 

 敵は正面から宣戦布告をしてきたわけだ。彩華さんが言うには企業間の争いにはルールが設けられているようであり、互いに万全の準備を整えてから戦闘を開始するのが通例とのこと。それは主に参加プレイヤーが楽しめるゲームとしての側面を推すためであるらしく、俺たちにとっては学校にいる間に奇襲を受けにくいので都合が良い。

 

「しかし互いに参加人数制限を設けないとかゲームバランスも何もあったもんじゃないだろ」

「正確には明確な上限を設けないだけであって制限はするようですわ。締め切りもあるようですから、前のような理不尽な内容ではないでしょう。尤も、その辺りはわたくしたちが心配する問題ではありませんわね。わたくしたちはナナさんたちを守れれば良いのですから」

「違いない。それに俺は正式な手続きで参加するつもりはないから、人数調整してくれた方が俺の分だけこっち側が有利になる」

「わたくしも一夏さんと同じくロビーのゲートを経由せずに参加するつもりですわ。というよりも立場上、そうせざるを得ないのですが」

「ああ、そっか。セシリアはFMS所属なんだっけ」

「そういうことですわ。FMSは倉持技研とミューレイの争いに関しては中立という立場をとっていますので、わたくしが堂々と参戦することはできません。ですから偏向射撃による支援も控える必要がありそうです」

「索敵と指揮だけでも十分助かるから気にするなって。セシリアが居てくれるだけで俺は安心できるんだ。いざというときは頼む」

 

 いざというとき。それはこのミッション中にIllが紛れ込んできたときということだ。もしそうなればセシリアはFMS所属の操縦者としての建前など捨てて全力で俺たちと戦ってくれることになる。

 

「セシリア、どうしたんだ? 唐突にボーッとして」

「いえ、別になんでもありませんわ!」

 

 急に黙ってしまったセシリアに話しかけてみたら、彼女はムキになって席を立ってしまった。まだ機嫌が直ってなかったのか。

 

 

***

 

 学校に着くなり俺は昨日のことを思い返していた。ナナたちとはまた別の問題、俺自身の実力向上の件である。宍戸を巻き込むための部活立ち上げはある程度は理想の流れに乗ってくれているが、生徒会長の提示した条件が曲者だった。

 条件とは人数参加無制限の試合を行なって勝利すること。生徒会の用意した対戦相手は鈴ファンクラブの過激派を中心としたグループだ。俺は正確にその規模を把握してないが、以前の校舎が揺れたときのことを考えるに結構な人数になっていそうである。

 そんなお祭り的な試合で全滅するまで戦えだなどと無茶なことは言われなかった。勝利条件は相手チームのリーダーの撃墜となっている。俺がリーダーとなることまで前提条件とされてしまったが、それは仕方がない。相手はおそらくあの大男がリーダーだ。名前は内野剣菱とか言ったか。ISVSで勝負を挑んでくるからには腕前に自信があるとみた。事前に調べておこう。

 

 週末の試合はとにかく大人数が一斉に戦い、大将を討ち取った方の勝ちというまとめてみればシンプルなもの。いかに相手を出し抜いて敵リーダーを倒せるかという点では戦術をしっかりと立てるべきだ。ただし、今の俺には別の問題が立ちはだかっていた。戦力が……足りない。

 俺の陣営に入ってくれる人員は俺自身が集めろと会長は言ってきた。幸いなことに藍越学園の生徒と限定はされなかったが、当日には藍越学園に直接来ることという参加条件がネックだ。ついでにセシリアだけ参加を禁止されてしまっているのも痛い。頼みの綱の藍越エンジョイ勢も相手側に回っている奴らもいるようだし、現状のまま試合に臨んでも圧倒的な戦力差で敗北は必至だ。

 

「おっす、一夏! 昨日は来れなくてごめんな!」

 

 残り2日でどうやって戦力を確保しようか悩んでいると、今日は来ていた数馬が声をかけてきた。

 

「家の用事だったんだろ? 謝ることじゃないって。それに、お前が居ても現状は変わらなかっただろうよ」

「なんか試合するってことになったみたいだね。俺も微力ながら力を貸すよ」

「助かる。当日もだが、まずは俺のチームの戦力をいかに増やすかという点で相談したい」

 

 弾と数馬には昨日のうちにメールで交渉の経緯と試合の内容を伝えてあった。弾から何も返事が来ていないのが珍しかったが、きっと作戦を練ってくれていることだろう。弾の方は来るまで待っておいて、今は数馬の意見を聞いておくことにする

 

「それは俺としてはお手上げなんだ。相手が内野ってのが地味に効いてる」

「内野って鈴ファンクラブの過激派リーダーだよな? 何がマズいんだ?」

「あいつはプレイヤーネーム“バンガード”って言って元藍越エンジョイ勢なんだ。それも弾とツートップ張ってたくらいの腕前と人望もあった。一夏が加入したときに抜けてったんだけど、今でもあいつを慕ってる連中がうちの学園には多いから、弾が一夏についてても藍越エンジョイ勢の半分くらいは向こうに付くだろね」

 

 あの大男にそんな人望があったとは……俺は驚きを隠せない。弾と張り合えるほどの腕前ってことは強敵ということになる。セシリアの援護もなく、戦力差がハッキリ出てしまえば勝つのは困難だと言わざるを得ない。

 

「数馬がそう言うってことは、もしかしなくてもヤバいよな?」

「そうだねぇ……一夏の味方をしてくれそうなのは俺と弾、鈴は当然として他には、アギトとライター、ジョーメイくらいか。あとは中学生だけどテツ? たしか藍越学園じゃなくても良かったよね?」

「ああ。だけど直接学園に足を運んでもらう必要があるから、遠方の知り合いじゃダメだな」

「店長の店に来てる大学生とか誘ってみるのは? 祭りみたいなもんだし、たぶん参加してくれると思うけど」

「それは昨日の帰りに手配しておいた。店長に頼りきりだけどな」

「お早いことで」

 

 どうやらこれ以上新しい案は出てきそうになかった。あとは店長がちゃんと宣伝をしてくれることに期待するとしよう。本当なら俺が直接ゲーセンにいくべきなんだが、今日はそんな暇はない。

 週末の試合に関しては進展がなさそうなのでここまでにしておいて、数馬には今日のことを伝えておこう。

 

「話は変わるけど、今日の夜は空いてるか?」

「放課後じゃなくて夜とは……これは深読みするべきですかな?」

「変な意味に捉えるな、この隠れ筋肉お化けメガネ」

「冗談だよ、冗談。だけど真面目な話、今日は放課後からずっと用事があってさ。夜なんかとてもじゃないが無理だよ」

「用事? それも家の用事なのか?」

「まあね。ちょっと親父と喧嘩してさ、最終的に俺が全責任を持つってことで手を打ってくれたんだ。だから投げ出せないんだよ」

 

 数馬は何も詳細を話してくれないが、親父さんと喧嘩という時点で数馬にとっては大きな事件ということがわかる。無理に俺の都合で引き止めるのも悪い気がした。

 

「そっか、ならいい」

「何か大事な用でもあったん?」

「大事と言えば大事だけど、数馬に無理してもらうほどでもないから大丈夫。自分のことを優先しろって」

「……ああ、そうするよ」

 

 数馬の家の事情は思っていたよりも深刻な問題なのかもしれない。いつもなら俺が『自分のことを優先しろ』と言ったところで手伝うことをやめない男が素直に引き下がっている。それほどの問題を抱えたまま危険かもしれないこちらに来てもらっても数馬が犠牲になる可能性が高いだけだ。だから俺も素直に引き下がることにした。

 

 

***

 

 放課後になって俺はすぐに帰り支度を始める。数馬はさっさと帰っており、弾は今日も学校に来ていない。電話はつながらないためメールを送っているがどうも様子がおかしかった。すぐに確認すべきなのだが今の俺には他にやるべきことがある。

 携帯を仕舞おうとしたところで着信があった。弾だろうかと思ったが違う番号である。あまりにも見慣れない番号であったが取ることにした。

 

『もしもし、ヤイバの携帯だよね?』

 

 聞き覚えのある声だ。そういえば昨日のうちに俺の連絡先を伝えておいたんだった。

 

「合ってる、というかシャルルって日本語しゃべれるのか!?」

『ああ、うん。ISを扱う上では日本とは縁が切れないってパパが言っててさ。僕もついでに覚えちゃったんだよ』

 

 シャルルはフランス人ということだがISVSの翻訳を通すことなく日本語で会話できている。またもや俺が関わる外国人は日本語が達者なようだ。英語とか無理と諦めてる俺としては心の底から尊敬したい。そう思うのも他人事だからか。

 

「それで今日はどうしたんだ? 今夜7時からのミッションについてはメールを送っといたろ?」

『当然、僕も手伝わせてもらうよ。実は特にこれといって用事は無いんだけど、ついついかけちゃった』

「おいおい……まあ、いいや。ちょっと聞きたいことがあったんだ」

 

 と、セシリアに話すのと同じ感覚で土曜日の試合のことを言おうとして気づく。シャルルはフランスにいるのではないか? それだと生徒会長の提示したルールにより参加は無理だ。

 

「わりい。やっぱなんでもない」

『えー! 言い掛けたんだったら最後まで言ってよ』

「わかったわかった。実は明後日土曜日の朝から俺の通う学校でISVSのイベントがあってシャルルを誘おうと思ったんだけど、学校に直接足を運ぶっていう参加制限があるのを忘れてたんだ」

『学校でISVSか。僕の力を借りたいくらいヤイバは困ってるの?』

「人が少なくて困ってるのはたしかにそうだけど、せっかくだから一緒に戦う仲間と親睦を深めるのもありかなってさ。怪物退治とは違って競技だから純粋に楽しめるかなと思ったんだけど、無理だよな」

『うーん、そうだね……』

 

 きっとシャルルにセシリアのような思いをさせてしまった。自分が参加できない祭りの話をされてもガッカリするだけだろう。罰が悪くなった俺は話を締めることにする。

 

「じゃあ、今夜のミッションで会おうぜ。頼りにしてる」

『うん。バイバイ、ヤイバ』

 

 通話を切った。俺の通話が終わるのを待っていたのか、帰り支度を整えた鈴がやってくる。彼女は俺のやるべきことを家にまで手伝いに来てくれることになっていた。

 

「今の電話、誰? 弾?」

「最近、ISVSで知り合ったフランス人のシャルルだ」

「また女の子捕まえたの?」

「ひどい言いぐさだな、おい。あと、シャルルは男だって」

「フーン。最近、アンタの交友関係が良くわかんないわ」

 

 シャルルが男だと言うと鈴は唐突に興味を失っていた。

 

「とにかく、早く帰りましょ。そういえばセシリアはどこいったの?」

「生徒会室。明後日の試合の概要を教えたら抗議しにいくってさ。すぐに言い負かされて帰ってくるだろうから先に校門で待ってようぜ」

「自分だけ参加禁止なんていじめくさいこと言われたら一言物申したくもなるってのは良くわかるわ。あたしだったら腕力で交渉しにいきそう」

 

 正直な話、明後日のことは今は置いてほしい。セシリアが無駄に話を長引かせるとは思えないが、あまりにも待たされるようなら強引に連れ帰ろうと俺は考えていた。

 

「そういえば一夏ってセシリアと一緒に帰って良かったんだっけ? 変に誤解されるのは御免だとか言ってなかった?」

「もう手遅れだから気にしないことにした。だからこそ明後日の試合が組まれてるわけだしな」

「それもそうね。聞いた私がバカだったわ」

 

 鈴と2人で校門へと向かう。こうした姿も誰かに見られると後で面倒なのだろうかと思ったが、幸いなことに誰にも見られなかった。運動部が部活動をしているはずのグラウンドにも誰も見られず、妙に静かな道のりを鈴と並んで歩む。

 今日は平和だな……なわけない! 俺は自分の両頬を同時に叩いた。

 

「ちょっ、いきなりどうしたのよ!?」

「鈴、何かおかしくないか? 下校する生徒どころか、いつもグラウンドにいる連中もいない」

「たまたま外に走りに行ってるだけじゃないの?」

「全部の部活が、か?」

「たまたま重なることもあるんじゃないの?」

 

 自分の頬は叩き損だったか。鈴の言うとおり偶然が重なれば今と同じ状況にもなるかもしれない。俺は少しばかり神経を張りつめすぎていたのだろう。

 落ち着いたところで校門を見れば、女生徒がひとりいた。校門の柱に背を預けていることから誰かを待っていることがわかる。誰もいないわけじゃない。当たり前の光景の中で稀にある現象が今起きているだけだったんだと思えた。俺と鈴は特に気にせず歩いていく。校門で誰かを待つという行為も別に不思議でも何でもなく、この女生徒も俺たちのように誰かを待っているのだろう。

 

「やっと来たね、織斑一夏くん」

 

 気を抜きそうになった頭を切り替えた。校門にいた女生徒はもたれていた柱から背中を離して俺たちの前に立ちはだかり、俺の名前を呼んだ。女生徒の待ち人は俺だ。しかし俺の方は全く知らない相手である。よく見れば女生徒の制服は藍越学園の物ではなく、弾の彼女と同じ高校のものだった。弾はともかく、俺にはその高校に知り合いはいない。

 

「ちょっと一夏……誰よ、この女」

 

 鈴が俺の背中をつねってきた。

 

「いてっ! 鈴! 何を想像したかは知らんが、俺はこんな女は知ら――」

 

 知らないと断言しようとして、改めて女生徒の顔を見た俺は固まってしまった。なんということだ。俺は彼女の顔を見たことがあった。それはこの世界でのことじゃない。そして、彼女の名前も俺は知っている。

 

「楯無……?」

 

 俺が彼女の……昨日の襲撃者の名前を言ったことで時が止まる。俺は現実まで追ってきた襲撃者の存在に、ただ恐怖を抱いていた。対する楯無は俺を見て目を丸くしている。

 

「それがこの女の名前ね! 何よ、知ってるじゃない! またあたしに嘘をつこうとして!」

「いや、待て! 後でちゃんと話すから、今は落ち着いてくれ!」

 

 鈴の空気を読まない発言に今は助けられた。俺は状況を再確認するだけの冷静さを取り戻す。もっとも、楯無の方がどう出るかわからないままだが。

 

「君は何者なの? あの“織斑”とはいえ、私のことまで知ってるなんて……」

「何を言ってるのかわからないな」

 

 楯無の話には耳を貸さずに、俺は脳内で逃げる道を模索する。校門に陣取られている時点で俺たちが学校の敷地外に出ることは難しい。ならば退く方が無難だろうか。校舎を見る。校門が見える位置にある職員室には、なぜか誰の姿も見受けられない。偶然で片づけた現状が楯無の罠であるのなら校舎内に逃げ帰っても袋の鼠なのかもしれない。

 

「気を悪くしたなら謝るわ。知ってるようだけど念のため名乗っておくわね。私は更識楯無。見ての通り高校生よ。今日は君に聞きたいことがあって来たの」

「それで素直に『はい、いいですよ』なんて言うわけないだろ」

 

 流石にISVSのときのように問答無用で襲いかかってくることはないようだ。ならば第三者の目には触れられたくないと考えているはずで、人のいない現状を作り上げた理由も同様だろう。これは突破口だ。俺がすべきことはひとつ。俺は鈴に小声で伝える。

 

「走れ」

 

 鈴の右手を掴んで猛ダッシュで来た道を引き返す。どうやって人払いをしているのかは不明だが、学園という特殊な空間でそれを成し遂げるのは難しいはず。俺が無茶な移動をすれば、どこかに綻びが生まれて抜け出す道があるはずだ。

 

「待ちなさい!」

 

 待ちなさいと言われて待つわけがない。楯無が俺たちを追ってきているということは、罠があるにしても追い込む必要があるってことだ。完全に包囲されてる可能性は否定しても良さそうである。

 

「ちょっと一夏! 靴履き替えないと!」

「今そんな暇無いから! あの女は昨日俺を襲ってきた敵なんだよ!」

 

 下駄箱前で悠長なことを言っている鈴を無理矢理引っ張って、校内に土足で進入する。鈴は敵という単語だけで察してくれたのか、素直に土足でついてきてくれた。当然のことながら追っ手の彼女も同じく履き替えるような真似はしていない。

 

「待ちなさいってば!」

 

 俺と鈴は足が速い方だと自負している。鈴も完全に割り切ってくれていて全力で走ってくれているのだが、それでも追っ手との距離は広げられそうにない。

 

「一夏、次の突き当たりで左右に分かれましょ? あたしは左、アンタは右ね」

「OKだ」

 

 1階廊下の端、T字になっているところで俺と鈴は左右に散った。これで相手は俺のみを追いかけるはず。自由になった鈴が誰かに助けを求めれば現状を脱することができる。……そのはずだった。

 

「でやああああ!」

 

 楯無が顔を出したであろうタイミングで鈴の雄叫びが聞こえてきた。俺は鈴を見誤っていた。彼女の提案は逃げるためのものなんかじゃなかった。もしかしなくても彼女は背を向けるであろう追っ手に跳び蹴りを放つために校舎の地形を利用したのだった。鈴相手ではセシリアのように以心伝心とはいかない。

 こうなってしまえば俺が逃げる理由はなくなってしまう。すぐさま反転して鈴の元へと向かう。跳び蹴りが成功しても失敗しても、俺はその場に居合わせなければならない。

 

「離しなさいよ!」

「あのねぇ……いきなり人に向かって跳び蹴りしてくる子を自由にさせると思う?」

 

 結果は失敗だった。細かいやりとりは見ていないが、鈴の攻撃は空振りに終わり、楯無に捕らえられてしまっている。右手をひねりあげられていて、鈴単独での脱出は難しいと思われた。

 

「鈴を離せ!」

「いや、同じことを二度言わせないでくれない? 離した瞬間に私は噛まれたりするんじゃないかしら」

 

 マズい状況になった。鈴を人質に取られてしまってはさっきのように逃げ出すこともできない。逃げた場合は鈴がどんな目に遭わされるか。鈴は何も言わずに俺を見てくるだけ。逃げろと言われている気がするが、そんなのは御免だ。もう鈴を置いていったりしない。

 

「要求を聞こう……」

「そうそう、最初からそういう殊勝な態度を取ってくれればいいのよ。ちゃんと答えてくれたらこの子は離してあげるわ。……あれ? もしかして私、いつの間にか悪役になってる?」

 

 ふざけた奴だった。だからこそ俺は下手を打てない。鈴の安全を確保するまでは大人しく従わないといけないのだ。黙って楯無の要求を待つことにした。

 だが一向に楯無は本題に入らない。目を閉じて耳を澄ませている。見た目は隙だらけなのだが、俺は動けなかった。そして、楯無は鈴を解放して俺たちから距離を置いた。

 突然の楯無の行動を不思議に思っていると、俺の耳が風切り音を捉える。耳のすぐ傍を高速で何かが通っていったようだ。その何かは白い棒状のもので、楯無のいた位置を通過後に壁に激突して砕け散る。白い石灰の粉と破片が廊下にバラバラと散らばった。

 

「ほう……まだこの学園に簡単な規則も守れない問題児が潜んでいたとは、生徒指導を担当するものとして嘆かわしい限りだ」

 

 第三者現る。その声は大変聞き覚えのあるものだ。彼は今の俺たちにとって救世主であり、同時に破滅をもたらす魔王かもしれなかった。

 

「宍戸先生……」

「神聖な校舎に土足で立ち入り、あろうことか廊下を全力疾走。織斑、何か申し開きはあるか?」

「いや、仰ることは事実なんですけど、これには事情がありまして……」

 

 どう言い訳をしたものか。あと、どう説明をしようか。そう考えながら弁明をしようとする俺の傍を宍戸は何も言わずに通り過ぎた。

 

「凰。お前は織斑とそこに立っていろ」

「は、はいっ!」

 

 続いて鈴のところへと行ったかと思えば、宍戸は鈴に俺の元へ行くよう伝えるとまたもや通過。どうやら宍戸のターゲットは楯無のようだ。宍戸は足を止めて、楯無と対峙する。

 

「他校の生徒だな。まさかとは思うが、さっき廊下でオレを足止めしようとしてきたバカどもはお前の身内か?」

「何なの、この学園……何なの、あなたは……?」

「答える気はないか。仕方ない。お前はうちの生徒じゃないし、生徒指導室ではなく警察の世話になってもらうとするか」

 

 宍戸が上着のポケットからチョークを取り出していた。いつも常備してるらしい。上着が汚れてしまうと思うのだが、特に気にならないのだろう。

 いつでもチョーク投げを披露できる体勢の宍戸を前にして、楯無はジリジリと下がり始めている。たかがチョークと侮ってはいけない。過去に被弾した俺の机にはめり込んでしまった石灰が今も残っているくらいの威力を持っている。一発でその脅威を理解するとは、やはり楯無という女は油断ならない相手だ。

 

「ひとつだけ言わせて。私には敵対する意志はないの。今日は秘密裏にそこの織斑一夏くんと話がしたかっただけ。なぜかこんなことになっちゃったけど本意じゃないの」

「そうか。悪いが何を言ってるのかわからん」

「今日は出直すことにするわ。あなたみたいな用心棒がいるようだと私1人じゃ荷が重いし」

 

 楯無がスカートのポケットから取り出したボールを床に叩きつけると廊下は瞬く間に煙に包まれた。一瞬で視界を奪われて、宍戸の姿すら見えない。俺は隣にいる鈴の手を握り続けた。この煙が晴れたときに、鈴がそこに居てくれるようにと。

 宍戸が窓を開けることで次第に見えるようになってきた。楯無の姿はもうない。またもや逃げられてしまった。もっとも、現実では俺が出来ることも限られているので、逃げてもらった方が嬉しい面もある。昔は怖い物知らずでどんな相手にも果敢に立ち向かっていた俺だが、もう無謀な真似はしないと“彼女”に誓った。そんな俺は昔よりも弱くなっているのだろうか。

 

「ねえ、一夏。いつまで握ってるの? あ、あたしは構わないけどさ……」

「あ、悪い」

 

 鈴に言われてから手を離す。すると鈴は不機嫌そうに頬を膨らませた。いったい俺にどうしろと言うんだ?

 俺たちの元へ宍戸がやってくる。さて、今日はどんな罰が与えられるんだ? 場合によっては全力で逃げることを視野に入れる必要がある。今日ばかりは無駄に遅くなるわけにはいかない。

 

「織斑、凰。お前たちはさっさと外に出て行け。廊下を無駄に汚すんじゃない!」

「す、すみません! 直ちに掃除をしま――」

「待て。お前たちが汚した廊下の清掃は、今、生徒指導室に放り込んでいる連中への罰とする。お前たちはさっさと帰れ」

「は? マジですか? 俺がやらなくていいんですか!?」

「仕方ない、織斑がそこまで言うなら――」

「滅相もございません! 不肖、織斑一夏! 全力で帰宅させていただきます! 行くぞ、鈴!」

「あ、待ちなさいって!」

 

 何だか良くわからないうちに楯無の襲撃はなんとかなっていた。今日は宍戸に助けられたということになる。気まぐれで罰の矛先が別の人間に割り当てられるというおまけ付きと来たもんだ。今夜は雪が降るのかもしれないな。

 

 

***

 

 帰り道。セシリアとも合流して俺たち3人は並んで歩く。

 

「学園ならば安全だと油断していましたわ。申し訳ありません、一夏さん」

「なんでセシリアが謝るんだ? 別に俺を守る義務があるわけじゃない」

 

 セシリアが頭を下げてくるため俺は即座に否定を入れる。たしかに『俺を見ていろ』的なことを言ったとは思うが、それは何が何でも俺を守れと言いたかったわけじゃない。セシリアの公的立場を利用こそしている現状だが、セシリアの責任となると話はまるで違う。

 

「きな臭くなってきてるわね。ゲームの中での不思議現象だけじゃないってこと?」

「ああ。いずれはあるかもと想定はしてたけど、思ったより敵の動きが早かった。黙っててごめんな、鈴」

「別に怒ってないわよ。あたしが考えの回らないバカだということを思い知らされてるだけだし」

「拗ねてるよな?」

「拗ねてない!」

 

 楯無の襲撃によって鈴ももうISVSと現実の間に作っていた境界を取り払ったことだろう。ISVSでの敵は現実の人間である。未だに目的もハッキリ見えてこない相手だが存在だけはわかっている。そして、敵側も俺の存在を認識している。現実で何が起きても不思議じゃない。セシリアに居てもらうだけじゃなく、彩華さんにも対策を相談したほうが良いかもしれない。

 

「でもさ、一夏。セシリアが代表候補生で専用機持ちだから敵が迂闊に襲ってこないってのはわかるんだけど、セシリアも24時間一夏を見ていられるわけじゃないでしょ? 家もバレてるだろうし、また襲われたりしない?」

「ご心配は無用ですわ。わたくし自身はどちらかと言えば保険やおまけでして、警備に関してはジョージを筆頭とするオルコット家の使用人たちが目を光らせていますわ」

「だそうだ、鈴」

「えー、そんなんで大丈夫なの?」

 

 鈴が心配してくれ、セシリアが大丈夫だと太鼓判を押す。セシリアの話では学校のみオルコット家使用人の目は届かないそうだが、登下校や家にいる間は心配無用とのこと。鈴は訝しげな目を俺たちに向けてくるが、俺は乾いた笑いを返すことしかできなかった。セシリアの使用人を信頼していないというわけじゃない。むしろその逆だったからこそ、ため息の一つでも吐きたくなる。

 

 

 下校の道中、主に俺の身の安全をどう守るかという議論がセシリアと鈴の間で繰り広げられていた。警察を頼れという鈴と警察の手が入ると逆に

守りづらいとするセシリアのぶつかり合いに当事者の俺はついていけなくなり、3mほど前をひとりで歩き始める。話し相手もいないので適当に景色を見て歩いていると、こちらに向かって手を挙げて走ってくる男がいた。

 

「ようやく見つけましたよ、名誉団長!」

 

 どこかで見たことのある男だと思ったら、蒼天騎士団のリーダーであるマシューだった。若干、背の高さがアバターよりも低いが外見は特にいじってない模様。この男はたしかセシリアのファンだったはず。俺は後ろを振り向いた。

 

「セシリア、お前に話があるってさ」

「わたくしですか? 一夏さん、その方はどちら様でしょう?」

 

 セシリアは鈴との論戦を中断してこちらに意識を向ける。そしてマシューはというとすぐにセシリアの元にいくことなく何故か俺に向かって頭を下げた。

 

「ありがたき幸せ! 名誉団長の懐の深さに不肖、この真島慎二、感謝の極みでございます!」

「おい……いきなり何なんだよ、お前は。というより、名誉団長って何? それは俺のことか?」

「はい! セシリア様より直々に騎士に任じられ、先の戦いでは敵の大将を討ち取り、チェルシー様を救った英雄であられる貴方を我々は尊敬しております!」

 

 俺は頭を抱えた。また変なのに捕まってしまったよ。

 

「マシュ……真島だっけ?」

「呼びやすい方でどうぞ、名誉団長」

「じゃあ、マシュー。お前の言ったことは大体合ってるかもしれんが、脚色しすぎだぞ」

「あら? そうでもありませんわよ」

 

 このタイミングでセシリアがマシューに同調し、俺は面食らう。ちなみに鈴は一歩引いたところで俺たちの様子を見守るだけで、顔には関わり合いになりたくないと書かれていた。

 

「一夏さんはわたくしが認めた人です。そしてチェルシーを助け出してくれた。世界中の皆さんが非難したとしても、一夏さんがわたくしの英雄であることは事実なのです!」

「そうですよね、セシリア様! くーっ! ボクらのような子供が武器を取って信じるもののために戦う。こんなシチュエーションにこの現代社会の中で巡り会えるなんて、ボクは今燃えている!」

「マシューさんといったかしら? 一夏さんに一定以上の理解を示していることは誉めて差し上げます。ですが、念のために言っておきましょう。遊びでわたくしたちに関わらないでくださいな」

「はっ! 承知しております! そして、だからこそボクは望んでここに来ました。自分でもわかっていたんです。ISVSでいくら勝ち続けてもそれは“ただのごっこ遊び”なのだと。歳と共に黒歴史となるだけのものなのだと。ですがもう過去の話です。戦うべき敵がいる。セシリア様が戦っている。よって、ボクたち蒼天騎士団は真にセシリア様をお慕いする騎士団として活動すると決めました。願わくばセシリア様の承認も得たいと考えています」

「いいでしょう。マシューさん。あなた方の力をわたくしに貸してください」

「ははっ!」

 

 まだ西の空が赤く染まる前のこと。歩道で金髪女子高生の前で跪く男子高校生の図はひどく間抜けなものに見えた。

 

「ねえ、一夏。他人のフリしてていいかな」

「気持ちは痛いほどわかるが俺がそれをやると後が怖い。主に執事が」

「頑張ってね、名誉団長さん」

「マシューに言って鈴にも称号をつけさせてやる」

「やめて。マジでやめて」

 

 鈴と共に俺は距離をとっていた。俺にとってマシューは幸村よりも理解し難い存在だった。できることなら関わりたくない。

 とりあえずもうそろそろ帰るべきだと思った俺はセシリアとマシューの間に割って入ることにした。

 

「悪い、マシュー。今日は早めに準備をしておきたいことがあるから、この辺で終わりにしてくれ」

「準備というのは今夜7時開始予定のミューレイと倉持技研の対決ミッションのことですね」

「知っていたのか?」

「もちろん。名誉団長はボクのことを過小評価してません? ボクは蒼天騎士団団長のマシューですよ? バレットから得られた情報だけでは不十分でしたが、先の戦いで我々が防衛していた対象が重要施設であることは推測できます。あとは同じ舞台のミッションが発せられるかどうかを監視しておけば、セシリア様の支援が行なえると判断した次第です」

 

 頭の痛くなる発言で忘れがちだが、このマシューは俺と弾を策で欺いて勝ったことのある男だった。

 マシューの言う先の戦いというのはイルミナントとの戦いのことであるが、あのとき蒼天騎士団は弾の誘いによって参戦してくれていた。俺から弾への説明は時間がなかったこともあって中途半端だったし、弾にはおそらく実感が伴っていない。そんな弾の話を聞いただけで、俺たちの考えを見通せるのは才能かそれとも……セシリアファンの意地というものか。

 

「そこまでわかってくれてるなら俺が言おうとしてることは言うだけ無駄かな」

「言われずともボクたちは倉持技研側で参戦する予定です」

「戦力はどれくらい?」

「今のところ20人ほど。ですが、セシリア様公認スフィアとなったので蒼天騎士団の規模は爆発的に大きくなります。今後は名誉団長も手が欲しいときはボクに声をかけてください。それでは失礼します」

 

 そういってマシューは連絡先を書いた紙を俺に手渡して去っていった。俺じゃなくてセシリアに渡すところじゃないのだろうかと思ったが、きっと彼はシャイなんだろう。

 

 

***

 

 

 帰宅後、俺たち3人はすぐにISVSへと入ってきた。初期位置が遠いと面倒だったところだが、その心配は杞憂に終わる。

 

「お? ラピスご一行の到着か。ようこそツムギへ」

 

 出現位置はツムギ内部のロビーにあたる広場だった。転送ゲート脇に突然現れたはずの俺たちを、たまたま近くにいたチャラそうな茶髪男が出迎えてくれる。

 

「えと、アンタは?」

「ちゃんと言葉が通じるようになって嬉しいぜ。俺の名前はトモキ。ナナの片腕といったところだ。そういうお前は?」

 

 ツムギには何度か来たことがあるが基本的にナナかシズネさんと話してばかりだったから初対面の相手だった。フレンドリーに握手を求めてくるので俺は握り返して自己紹介する。

 

「俺はヤイバ――ぎゃああああ!」

 

 俺が名乗った瞬間、トモキの右腕にISが部分展開されて俺の右手は全力で握りつぶされた。俺は右腕を押さえてのたうち回る。

 

「いち――ヤイバ、大丈夫っ!?」

「ヤイバさん、ISを展開してください! おそらくはそれで回復しますわ!」

 

 ラピスの言うとおりに白式を展開することで右腕の激痛は治まった。今まで知らなかったけど、Ill関係なしにこの世界には痛覚があるんだな。ゲームとして来る場合はISを展開しないことはないし、通常のロビーではISの展開は禁止されてるんだっけ。その理由が良くわかった。

 

「ちょっとアンタ! いきなりなんてことすんのよ!」

「やばいと思ったが、嫉妬を抑えきれなかった」

「そこを自制すんのが理性ある人間ってもんでしょ! ってあたしが言えた義理じゃないかもしれないけどさ……」

「喧嘩っ早い性格なのは認めるぜ。そして後悔も反省もしていない。良くやった、俺!」

 

 ここまで面と向かって喧嘩を売られたのは逆に新鮮だった。俺の代わりに抗議してくれているリンの肩を掴んで後ろに下がらせる。

 

「トモキだったな。俺、お前に何か悪いことした?」

「気にするな。悪いのは俺だ。だから遠慮なく俺に消されてしまえ!」

「どういう開き直りだよっ!? ナナの仲間なんだろ?」

「そうさ! だからこそ、ここでお前を討つ!」

 

 トモキがISで殴りかかってくる。白式を展開している俺はその拳を真っ向から受け止めた。俺の言葉はこの男には届かない。かといって攻撃するわけにもいかないので、ラピスに助けを乞う視線を向ける。ラピスは笑顔で応えてくれた。

 

「わたくしとリンさんはナナさんのところに行っていますわ。ごゆっくりどうぞ」

 

 普通に見捨てられた。ラピスがリンに耳打ちをするとリンまで俺に手を振って去っていく。何が起きているんだ? さっぱりわからない。

 

「さて、邪魔はなくなった。ここからは男同士で語り合う時間の始まりというわけだ」

「ISの拳でか!? というか俺にはお前を殴る理由なんてないんだけど!?」

 

 ラピスとリンがいなくなって、広いロビーには俺とトモキだけが残されている。その状態になって、トモキは周りに誰もいないことを確認すると俺に押しつけていた拳を引っ込めて、ISも解除した。トモキの武装解除に合わせて、俺も白式を解除する。

 

「いったい何なんだよ。いきなり攻撃してきたかと思えば、急にその手を引っ込めるし」

「悪いな。全部が全部、理屈を付けて説明できることじゃない。だけど全部が全部、俺の本音で、これから話すことも俺の本音だ」

 

 トモキはまだ俺を睨んでいる。また殴りかかってこないとも限らないので、今の距離感を保ちつつ俺はトモキの言葉を待った。今日のことについてナナたちと確認することもあったが、あちらにはラピスが向かっているので任せておく。

 

「俺に用があるんなら、なるべく手短に頼む。お前もツムギのメンバーなら知ってると思うが、あと1時間もすれば敵が攻めてくるはずだからな。ナナとも話をしておきたいし」

「……ナナと何を話すつもりだ?」

「別に変なことは何もないって。今日の戦闘のブリーフィングみたいなのをするだけで他に話すことなんてないからな」

 

 先ほどトモキは“嫉妬”と口にした。俺がツムギで仲のよい女子だとナナとシズネさんの2人に絞られる。トモキの言動から鑑みるに、トモキはナナのことが好きなのだろう。だから別に俺はライバルでもなんでもないのだと諭すつもりで話した。これで簡単に衝突は避けられる、と思っていたんだ。

 

「ふざけんなよ……本当にそれだけなのか?」

「あ、ああ。何か問題でもあるのか?」

 

 またしても俺の思惑は外れたらしい。俺に暴力を振るってきたときとは異質な静かな怒りが彼の中にあると俺は直感した。俺の発言の何かがまずかったことは察しているのだが、何が気に入らないのかがわからない。トモキは1回深呼吸を入れてから口を開く。

 

「お前という人間の人となりはシズネから聞いていたが、予想通りというべきか。こんなのがナナとシズネの希望で、そして“俺の希望”になれる唯一の男とはな」

 

 落ち着いたトモキから発せられた言葉は、怒りではなく呆れだった。失望ともいえるかもしれない。失望されるのは今に始まったことではないのだが、俺の何が期待されていたのかが気になった。

 

「ナナとシズネさんとお前の希望って、現実に帰ることだよな? 俺は全身全霊を以て手助けをするつもりだ。それがおかしいのか?」

「おかしくはない。だがひとつだけ訂正しとくと“ナナとシズネの希望”と“俺の希望”は別物だ」

「お前の希望が別物……?」

「本当なら今ここでそれを言いたかったんだが、やめにする。俺はお前を認めない。ナナを助けてくれるのは大歓迎だが、俺の希望を託すことは絶対にしない」

 

 言いたいことを言い終えたのかトモキは俺とは反対方向へと振り向いて歩き始める。俺は即座に呼び止めた。ただの嫉妬で絡まれただけにしては、この男は何かが違う。嫌な予感がまとわりついていたんだ。

 

「待てよ! 俺にわかるように言ってくれないか? お前は何かを知っているのか?」

「残念だが、俺はお前を認めない。だからこれ以上は何も言えない」

「そうか……わかった」

 

 “言わない”のではなく“言えない”。そう返された俺はこれ以上追求できなかった。俺の中の何かが問題で、言いたくても言えないのだということだ。無理に聞き出そうとしてもこの男が話してくれることはない。

 もう話すことがなくなった俺はラピスたちを追ってナナの元へ行こうとした。そのとき――

 

 建物中をけたたましく警報音が駆けめぐった。

 静かに去ろうとしていたトモキも足を止めたため、俺はすぐに確認をする。

 

「この音は何だ!」

「敵の攻撃だ。シズネの放送を待て」

 

 トモキの説明通り、シズネさんの声で連絡が入る。

 

『こちらに迫ってくる敵影を確認しました。ツムギの戦闘部隊も出撃準備をしてください』

 

 敵が来ている? 予告の時間までまだ1時間はあったはず。もしかすると別勢力なのだろうか。そう考えを巡らせている間にラピスから直接通信が来る。

 

『敵の奇襲ですわ。意図は不明ですが』

「奇襲? どういうことだ? ミッションはどうなってる?」

『ミューレイはミッションを取り下げました。同時に倉持技研のミッションも意味を成さなくなり、変更の手続きをしている最中です』

「取り下げた? じゃあここに向かってきている敵ってのは?」

『別勢力……と考えるのは難しいですわね。ただ、先ほども言ったとおり不可解です。せっかく集めたプレイヤーを捨ててまで、私兵だけで攻めてくるメリットがわかりません』

「でも攻められてるのは事実なんだろ? だったら打って出るしかない」

『そうなりますわ。現在は倉持技研のプレイヤーも少数ですので、ツムギの方々も出ることになります。ヤイバさんは敵を引きつけるためにも最前線をお任せします』

「了解」

 

 敵は大々的に宣伝していたミッションを取り消して1時間早い時間に攻めてきた。その意図をラピスはわからないと言う。俺も正確にはわからない。だが、なんとなく敵の狙いを察していた。おそらくは俺がこの場にいることこそが敵の狙い。それは俺だけでなく、ゲームとしてプレイする以外の思惑のある者たちだけを消すための作戦と思われる。

 白式を展開して俺は外に向かう。隣には打鉄に身を包むトモキが並んだ。

 

「さっきはああ言ったが、お前の働きには期待してるぜ」

「任せとけ。お前は無茶すんなよ」

 

 理解をしていないし、認めてなんていない。そんな相手でも利害は一致している。俺とトモキは共に戦う仲間として拳を合わせ、空へと飛び立った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 同時刻。五反田弾はバレットとしてISVSに入っていた。倉持技研のミッションのことは全く気にかけておらず、別のことで頭がいっぱいだった。ロビーでミッションリストを確認するバレットが見ているものはミツルギ社によるミッションである。

 

「遺跡ステージの調査……ただ最深部に潜るだけなんていうミッションを虚さんが受けたってのか」

「そのようでござる。理由は拙者もわかっておらぬが」

 

 バレットの隣には藍越エンジョイ勢の仲間であるジョーメイの姿があった。何を隠そう、バレットはジョーメイの情報を頼りにここまでやってきていたりする。しかしバレットは肝心なことを何も聞けていないため、このタイミングで切り出すことにした。

 

「お前が虚さんのことを知っている理由くらいは説明できるだろ?」

「話すと長くなるでござる。今は何も聞かずに彼女を追うべきと申し上げよう」

 

 バレットは今日も学校を休んでひとりで街の中を走り回っていた。虚も学校に行っていないことを確認してからは、道行く人に写真を見せてはどこかで見ていないか聞いて回った。そんな彼の元にジョーメイはやってきた。ただ一言、『布仏虚に会いたいならついてくるでござる』と言われてついてきた先はいつものゲーセン。そしてジョーメイに言われるがままにISVSにログインして今に至る。

 

「長くなるとマズいってことは……虚さんが危ないってことか?」

「そう受け取ってもらって結構。参ろうか」

「ああ」

 

 ジョーメイに促されるままバレットはミッションを受けて転送ゲートをくぐる。事態をまだ把握していないバレットだったが、ジョーメイのただならぬ様子を見て、聞き出すのではなく実際に自分の目で確認してやろうと思っていた。

 

 2人は途中参加という形で舞台となる遺跡へと乗り込む。転送先は遺跡の内部であった。現実には存在しない謎の遺跡は古代文明という印象そのものの内装をしていて、正確に切りそろえられた石材が積まれたような壁が延々と続く。ISでなければ暗闇で何も見えないほど光源がどこにも存在していない。屋内戦闘は過去にも経験していたバレットでも、自分が初心者になったかのような新鮮さと怖さを感じていた。未知な領域へと踏み込もうとしているという感覚だった。

 

「ISVS……なんだよな? なんつーか、ファンタジーなRPGの世界にでも迷い込んだ気分だ」

 

 ジョーメイに話しかけたわけではないバレットの独り言だったが返事はあった。

 

「同感でござる。虚様はなぜここに来たのであろうか。そしてこのミッションはどういう意図で出されたものなのか……」

「ジョーメイ。お前が虚さんを様付けで呼んでることとかはこの際無視しておく。だけどこれだけは教えてくれ。虚さんは何に巻き込まれてる?」

 

 重苦しい雰囲気が漂う石の通路を低空に浮遊して滑るように移動しながらバレットは話を進めた。ジョーメイは簡潔に答える。

 

「ヤイバ殿が追ってる件と同じ。そして虚様はいささか冷静さを失っているでござるな」

「やっぱりか。妹が巻き込まれちまってて、虚さんはずっと敵を追いかけてたってわけか。俺に話してくれても良かったのに」

「それは無理というものでござる。我らには事情というものがあるのでな。それにバレット殿も我らと変わらないでござろう?」

「何のことだ?」

「先日、バレット殿が本音様の入院している病院へと向かったときより、拙者はバレット殿を監視していた。その間、バレット殿は誰の手を借りることもなくひとりで走り回っていた。ヤイバ殿にすら一言も声をかけることなく、でござる」

「ずっと俺を見張ってたのか!? お前、本当に何者だよ。あと、ヤイバはヤイバでやることがある。俺が邪魔するわけにもいかないだろ」

「それは勘違いでござるな。とりあえず今回の件が片づいたらすぐにヤイバ殿と話すことを提案させていただく」

 

 話の時間は終わりだった。先行していたジョーメイが足を止めて左手でバレットに止まれと伝える。石の回廊が途切れて、広い空間につながるという場所だった。ジョーメイが少しずつ広間の入り口へと近づいていき、中の様子を窺い始める。バレットもジョーメイとは逆側の壁に張り付いて中を覗き見た。

 

 暗い空間だった。自由とはいかないまでもISが飛べる程度には高さも広さもある。障害物としては円柱状の柱が数本だけ天井まで伸びているくらいで、奥には地下につながるであろう階段が覗いている。

 

「何だ……あの光は……?」

 

 暗闇の中、一瞬だけ柱同士をつなぐ線のようなものが光って見えた。発光しているものが映ったわけではなく、ハイパーセンサーがかすかに捉えた振動を視覚化したものである。肉眼では見えないくらい細い糸状のものが揺れた。それは糸を揺らすものの存在を意味する。

 

「手遅れでござった。バレット殿、ログアウトができる場所まで逃げる準備を――行くな、バレットォっ!」

 

 バレットはジョーメイの言葉に全く耳を貸さなかった。そもそも言葉が届いていない。バレットの頭には無数の糸で雁字搦めになっているひとりの少女のことしかなかった。ISVSのアバターでも現実と変わらぬ容姿をしているためにすぐにわかった。ISVSをプレイしないと言っていたはずの“彼女”が張り付けとなってそこにいる。

 

「虚さんっ!」

 

 バレットは飛び出した。当然、周りに注意を払う余裕などなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日の傾き始めた空を朱色に映す海上。水平線上に黒い点が浮かび始めていた。その点の一つ一つが俺の後ろにある建造物“ツムギ”を襲おうとしている敵のISである。数だけ見れば前回のイルミナント戦と比べて半分もない。問題は敵の質だった。

 

『マズいですわね。皆さんの視覚から得られる情報とわたくしの“星霜真理”で得られる情報とで敵ISの数が食い違っていますわ』

 

 ラピスが分析した情報を伝えてくれる。

 

「敵はIllってことか? それも複数」

『現状ではそう判断するしかありませんわね。ただわたくしたちのログアウトが封じられていないことから、イルミナントとは別種と考えた方が良いかもしれません』

「ラピスの推測を聞かせてくれ。それは俺たちにとって良い報せか悪い報せかどっちだ?」

『Illが人を食らうのが食事のようなものであるとすれば、プレイヤーのログアウトを封じないメリットは考えにくいです。ヤイバさんが遭遇した楯無の件を考えますとイルミナントだけの特殊能力ではないようですから“したくてもできない”のだと思われますわ』

「俺も同感。まだ絶望しなくて良さそうだな」

「絶望なんてアンタには似合わないわよ」

 

 俺とラピスの会話にリンが混ざってくる。彼女は得物である双天牙月を連結させて振り回しながら前へと飛び出していった。俺も後に続く。既に敵はこちらのスナイパー陣の射程内に入ったため、俺たちの後方から次々と弾丸が通り過ぎていった。

 

『皆さんの視覚情報の統合によるものですので断言はできませんが、敵には射程の長い装備は見受けられません。というよりも大多数が同じ装備で統一されていますわ』

「ああ、俺も見えてきた。妙に丸っこいフルスキンっぽい奴が同じ顔を並べてやがる」

 

 見たことのないフレームだった。球体に近い黒いボディから手足と頭が生えているような形状をしている。鈍重そうな外見とは裏腹にこちらの狙撃を軽快によけている姿は動けるデブというに相応しいだろう。所持している武器はISの装備であり俺も見覚えがあった。単発高火力で比較的低容量の人気武器であるアサルトカノン“ガルム”と3連装グレネードランチャー“ケルベロス”、背中には高誘導ミサイル“ネビュラ”という構成は火力重視の中距離射撃型である。

 

「どうやらあの丸いのがIllみたいだな。油断をしてるつもりはないけど、イルミナントみたいなヤバいイメージが湧かない。突撃をかけていいか?」

『いいえ。こちらが射程で勝っているのですから無理に攻める必要はありませんわ。ヤイバさんは敵が近づいてきてからの迎撃に専念してください』

「リンはどうするんだ?」

『戻るように伝えましたわ』

 

 ラピスの言うとおり、一度は前に出ようとしていたリンが後ろに下がってきた。以前にIllの被害になっている手前、こうした指示に従ってくれるのは俺の精神的に助かる。

 戦闘は遠距離射撃による牽制が主体となって進む。実弾射撃しか届かない現状では1機も撃墜できていない。相手はIllと予想されるがISで言うならば防御型ユニオンがのんびりと迫ってきているようなものだ。実弾では落とし辛くともENブラスターの射程に入れば一気に殲滅できるはず。残った奴らを俺やリンの前衛が片づければ終わりだ。そのときまで待機すればいい。

 

 ……本当にそうだろうか。いくらなんでも手ぬるすぎる。俺はラピスに確認をする。

 

「ラピス! 敵ISの反応は!? あの丸い奴ら以外にいるんだろ!?」

『確かにいますが後方で待機したまま動きませんわね。おそらくはIllを前面に押し出して乱戦に持ち込んでから攻めてくるつもりかと――』

「そいつらの装備と座標、特に高度の情報を送ってくれ!」

 

 俺が敵の立場にいたとしたら、ラピスの言うような戦術は取らない。そもそも攻める側が長射程武装を用意していないことが気がかりだ。中距離用防御重視の機体ばかりを全面に並べ立てて的当てをさせた場合、俺ならその間に敵の位置を特定して特大の一発をお見舞いする。

 ラピスから図面と敵ISの座標データが送られてきた。50機ほどが密集して海中に潜んでいることが確認でき、急速に浮上を始めているとデータは告げている。これが敵の切り札であると直感した。

 

「リン! 突っ込むぞ! 敵の後方にヤバそうなのがいる!」

「え? でもラピスが下がれって――」

 

 ラピスからの指示が来ないまま“それ”は姿を現した。海を突き破って現れた異形はおよそISの大きさではなく、10倍でも足りない。正八面体の黒いクリスタルのような建造物には6本の巨大な機械腕が生えていた。

 

「何よ、あれ……?」

 

 リンが呆気にとられて動けずにいる。俺も想定以上の代物の登場に開いた口が塞がらなかった。

 正八面体の中心部が開く。そこから覗くものは巨大な砲身。まるでイルミナントの翼をもぎ取ったアカルギの主砲を思わせるものであった。

 

 俺は後方を振り返った。逃げろと叫んでいたかもしれない。でも無理だ。俺たちが避けれても、敵の射線上にはツムギがある。今の状況でアカルギクラスの砲撃を撃たれては範囲内から出られない連中もいる。その中にはツムギのメンバーもいた。

 油断するつもりはないと言いながらも、俺とラピスの頭の中にはISで戦うという前提条件が刷り込まれてしまっていた。イルミナントとの戦いで俺たちが使った手だというのに、敵が同じことをしてくる可能性を見いだせなかった。

 

 夕焼け空を引き裂くような光が放たれる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 異形の大物の出現に、後方で控えていたナナは目を見開いた。今まで見たことのない未知の敵というだけではなく、ナナにある知識が非常事態だと訴えてきている。

 ツムギの本拠地である遺産(レガシー)はISの攻撃力でも破壊することが困難であるということはクーから聞いてわかっている。だからこそナナはいざというときに籠城できると踏んで拠点とすることに決めた。だが同時にクーはこうも言っていた。

 

 ――アカルギならば破壊は可能である、と。

 

 アカルギはISコアを複数個使用した戦艦である。船としての機能だけならば3個で起動するのであるが、主砲“アケヨイ”を全力で発射するにはツムギの大多数の人員を乗せなくてはならない。それはつまりISコア50個以上ものEN供給があって初めて撃てる兵器であることを意味し、その破壊力はIS単機が扱えるものとは比べものにならない。

 

 菱形の中央部が開き、砲口が見えたことでナナは確信する。敵にも“アケヨイ”がある。このままではマズい。

 

「ラピスっ! アレの詳細を!」

『敵ISコアがバラバラに情報を持っていて統合には時間がかかりますわ!』

 

 いつもは瞬時に敵の装備を把握するオペレーターも不意の事態が重なって対応が遅れていた。ラピスの指示は間に合わない。そもそもアカルギの主砲クラスの攻撃を防ぐ手段など事前に用意しなければ出てこないはずだ。

 クリスタルの中心部に強大なエネルギーが集中する。観測に特化していないナナのISですら認識できる時点でその威力は悪い方向に保証されたようなものだ。この攻撃を通してしまえば、今もツムギの中で戦いの勝利を祈っている仲間たちは間違いなく死んでしまう。シズネもツムギから狙撃をしているため、巻き込まれる可能性が高かった。ナナはシズネに通信を開く。

 

「シズネ。アレは見えているか?」

『はい』

「怖いか?」

『さっきまでは。でもナナちゃんの声を聞いて安心しました』

「そうか」

 

 通信を切る。シズネはナナを信じ、ナナはシズネに勇気づけられる。シズネと出会ってからずっとしてきた生き方を確認して、ナナは覚悟を決めた。今度はラピスに通信をつなぐ。

 

「ラピス。この1射は私がなんとかしてみせる。だから2射目を撃たれる前にアレをなんとかしてくれ」

『何をするつもりですの!? 予想される威力はアカルギの主砲と同等ですわよ!?』

「承知の上だ」

『無茶ですわ!』

「私もそう思う。だが、私が使っているこの“紅椿”を信じてみる。現実には存在しない世界最高のISなのだから、この程度の苦境、乗り越えてくれるはずだ」

『ですが――』

 

 策もないのに食い下がるラピスの声を無視してナナはイメージを形成し始めた。クーは言っていた。紅椿はナナの姉が用意したものであると。ナナの思いを形にしてくれる機体なのだと。

 

 紅椿は仲間たちを守る武士であり続けた。

 だが今は人の形すら要らず。

 ナナが欲するは災いを防ぐ盾。

 仲間に降りかかる狂気の雨を弾く傘。

 

 背中のユニットのみならず、ナナの体に密着している装甲すらも分離してナナの前方に集まり始める。一度は散った紅の花弁たちが再び一つに収束し、文字通りの一輪の花を形成する。

 

 黒のクリスタルから光が放たれた。夕暮れの朱い空を白く染め、空気を引き裂く轟音がぶちまけられる。射線上にいた両軍は素早くその場を離れていき、光の暴力はただひとりだけ残されていたナナへと迫る。

 ――大丈夫だ。

 ナナは紅椿を信じた。そして仲間を、シズネを守りきるという意志を信じた。自分がなりたかった自分ならば、なんとかしてみせるはず。幼き日に『俺がなんとかする』と言ってのけた“彼”ならば、自分と同じことをしたはずだ。ナナが信頼している思い出の中の2人が背を押してくれていた。

 

 花と光が激突する。その余波で眼下の海には歪な大波が発生していた。花に当たった光は次々と拡散して薄れていくが、怒濤のごとく押し寄せる奔流はすぐには治まらない。

 盾となっている花にひびが入る。強力なENシールドを展開している本体に強大な負荷がかかっているためだ。ENシールドを発生させるためのエネルギーは紅椿の単一仕様能力“絢爛舞踏”によって無制限に使用できるが、大出力の反動による装備へのダメージは抑えられない。花弁が一片落ちては出力が落ち、徐々にナナが押され始めた。

 

「負けるかああああ!」

 

 ナナが叫ぶ。名前通りの花となっていた紅椿もナナの気合いに呼応するかのようにENシールドの出力を上げた。紅椿の自己崩壊が加速する代償にナナと紅椿は持ちこたえる。そして――

 

 ナナの視界に夕焼け空が帰ってきた。

 

『ナナさん! ご無事ですか!?』

「わかっていて聞くな、ラピス。私は生きている」

 

 見るも無惨な姿となった花は再びバラバラになってナナの体へと戻っていく。壊れた場所は壊れたままで、紅椿の戦闘能力は大幅に低下してしまっていた。ナナは戦えない。まだ敵のほとんどが健在だ。後は他の者に任せるしかなかった。

 

『ナナちゃん、大丈夫ですか!?』

「ナナ! 無事なんだな!?」

「お前たちは同じことしか言えんのか」

 

 シズネが通信で声をかけてきて、トモキがナナを守るように前に立つ。その後も続々と仲間たちからナナを心配する通信が届き、ナナは笑みをこぼした。

 どいつもこいつも自分より他人の心配ばかりだ。だからこそ守る価値があった。無茶をした代償は大きかったが、ナナは決して後悔はしない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 手だてのなかった俺は見ていることしかできなかった。俺とラピスが不意を突かれてしまった尻拭いをナナにさせてしまった。俺が助けるべき立場なのに、結果的に助けられたも同然だ。不甲斐ないことこの上ない。

 

「ヤイバ! 呆けてる暇はないわよ! ナナが作ってくれた時間を無駄にするつもり?」

 

 リンに蹴り飛ばされてようやく俺は気持ちを切り替える。ナナはツムギを守り通したが、次がないのは明らかである。俺たちにできることは次の砲撃をさせないこと。つまりは、あの巨大な敵を打ち倒すことだ。となるとまずは情報が欲しい。

 

「ラピス。何でもいいからアイツを倒すための情報をくれ」

 

 敵主砲の発射直前ではテンパっていたラピスだが今は冷静さを取り戻している。相手が今まで通りではないとはいっても、彼女なりの推論を交えて状況を分析してくれると俺は信じた。

 

『わたくしの得た情報と花火師さんの知識により、大まかな情報が揃いましたわ』

「花火師さんが来てるのか? ミッションの変更手続きが済んだってこと?」

『はいな! まだ時間がかかりますが、援軍が駆けつけられることは間違いありません』

「それで、あのデカブツは一体何なんだ?」

『ヤイバさんもISコアが50個分密集していることは確認したと思いますが、アレはユニオンスタイルISの集合体です』

「ユニオンの集合体?」

『ええ。通常、ISコアひとつで行なえている機能を敢えてひとつに特化して構成し、それらをパーツとして組み上げた兵器ですわ。中央のクリスタルや6本の腕を構築している装甲部分だけで30個ほど。残りの20個で主砲やその他武装を運用しているようです』

 

 要するにISを部品扱いして作り上げた巨大ロボットみたいなものか。外郭部分となっているISは防御特化ユニオンであるため、打ち破るにはEN武器かミサイルなどの爆発系武器を使用する必要がある。だがライターの2倍イクリプスを持ってきたところで一部分を削ることしかできそうもない。簡単に手数を用意できるものはミサイルだが、20個分のISコアもあれば迎撃用にガトリングくらい積んでいそうなものだ。俺のようなENブレード使いもミサイルと同様に接近が難しい相手と思われる。まるでISを使った要塞だった。

 

『そしてこの敵の存在が、相手の正体を知る手がかりともなりました。花火師さんによると、ある人物が関わっていることは間違いないとのことですわ』

「ある人物?」

『はい。ISコアを使いながらも操縦者の素質に左右されない兵器の開発を訴え、“インフィニットストラトス”に対して“マザーアース”と名付けた構想を掲げた男がいるのです。ミューレイの技術者にしてリミテッドの開発者、ジョナス=ウォーロック博士という人ですわ』

 

 やはり敵はミューレイだった。そしてウォーロックなる人物が敵の中枢にいる可能性がある。しかし今はそのあたりの情報よりも目の前の問題が肝心だ。マザーアースという怪物を倒さなくては折角情報を得ても助けたい人を助けられない。

 

「そのマザーアースへの対処法は?」

『現状では何も断言できません。おそらくは外装甲を担当しているISコアを停止させたところで意味はなく、内部の砲塔を担当しているISコアを停止させなければなりません。ですが、そこに至るまでの道を提示することは難しいと言わざるを得ませんわ』

「それだけで十分だ。あとは現場でどうにかする。多分間に合わないと思うけど、一応アカルギにも攻撃用意をさせてくれ。他に何か思いついたらフォローを頼む」

 

 これ以上は事前に考えていられる時間はない。アカルギの主砲の仕様から敵マザーアースの主砲も次の発射まで時間がかかることが予想できるが、具体的な時間まではわからなかった。

 

「リン! 俺たちが先陣を切る! 行くぞ!」

「任せなさい! あと、間違えてあたしを斬るんじゃないわよ!」

「誰がするか! 根に持ちすぎだろ! 本当にすみませんでしたっ!」

 

 俺はリンと共に黒団子の集団の中に飛び込んでいった。俺やリンの射程はとても短く、黒団子から生えた手が握っているアサルトカノンの砲口が一斉に俺たちを狙う。正確な狙い。だからこそ、避けやすい。発射のタイミングもロックが完了した瞬間であり、弾道とタイミングを把握できれば白式が当てられるはずもない。この敵はIllだと思うが、体感的にはリミテッドを相手にしているのと同じだ。ならばザコに構わず本丸を叩くべきだろう。

 

「ちょっとヤイバ! ひとりで先に行くつもり!?」

「んあ? ああ、そっか。軽量機(フォス)じゃないと無視して進むのは難しいよな」

 

 少し引き返して近場にいる黒団子を斬り捨てる。ENブレードの刃は容易く通り、内部がハッキリ見える切り傷が出来上がっていた。中に人はいない。所詮は一定のアルゴリズムで動くだけの人形というわけだ。2、3回斬りつけることで簡単に機能を停止する。

 一方のリンはというと思いの外、苦戦していた。単純に相性が悪く、敵は双天牙月にも衝撃砲にも耐性があるために時間がかかっている。他の倉持技研の操縦者たちが駆けつけてきてようやく戦線を押し上げ始められた。

 俺だけなら先にマザーアースへと向かうことはできる。しかし、まだマザーアースの戦闘能力が不明だった。ラピスから追加で送られたマザーアースの情報の中にはガトリングの存在があるため、下手を打てば一瞬で俺は退場させられる。

 幸い、まだ敵の主砲は発射準備に入っていない。今は急がば回れの精神でこちらの軍勢を押し通すことが必要だった。

 

 敵の準備完了が先か、こちらが敵の防衛網を突破するのが先か。時間だけの勝負となっている中、ラピスから俺に通信が届く。前線では俺が主力となっているというのに、その報せは俺を前線から離れさせるのには十分だった。

 

『高々度より高速でツムギに接近する機体があります! この機体は……エアハルトですわ!』

 

 エアハルト。ランキング5位である“世界最強の男”。竜を模した戦闘機型(ユニオン・ファイタースタイル)で大型のENブレードを振り回すプレイヤーだ。このタイミングで前線を無視してツムギに向かっていくということは敵と見ていい。そして、ナナが動けない今、奴とやりあえるとしたら俺だけだ。

 

「リン! 俺は防衛に戻る! デカブツは任せた!」

「オッケー! アンタがまた戻ってくる前に決着をつけてやるわよ!」

 

 俺は引き返し始めた。早く戻るためにイグニッションブーストを使おうとしたところで気づく。俺は以前にエアハルトと交戦して引き分けているが、あのときは白式のサプライエネルギーが無制限に使える状態だった。今はそんなバグのような状態にはなっていない。俺が戻ったところで奴に勝てるのか?

 

 上空から落下していくエアハルトが確認できた。迎撃に向かっているISの姿もいくつか見える。今、ツムギの防衛に残っているプレイヤーは誰もいないはずだった。つまり、迎撃に向かったISはツムギのメンバー……

 

「ラピス! あいつらを呼び戻せ!」

『やってます! ですが、エアハルトはナナさんに向かっているようで、誰もわたくしの言うことを聞いてくれませんわ!』

 

 エアハルトがナナに向かっている? それはもしかしなくても、敵マザーアースの主砲を防いだISを排除しようとしているのだ。今のナナでは一般プレイヤーですらまともに相手にできないというのに、エアハルトが相手では一瞬でやられる。

 迎撃に向かったISが次々にエアハルトと交差する。その度にツムギのISが力なく墜落していくだけで、エアハルトの進撃は止まらない。斬り払われたツムギメンバーはISの絶対防御が守りきってくれていると信じて俺はナナの元へと急いだ。

 最後の一人がエアハルトの迎撃に当たる。その瞬間だけエアハルトの動きが止まった。良くは見えなかったが、その男が何をしたのかは理解できた。あのときの俺と同じように、その体で受け止めたんだ。俺と違って、その行動が死につながる可能性があるというのに……。

 

 まだ間に合う。だが連続でイグニッションブーストをしなければ間に合わず、それをすれば雪片弐型が刃を形成できない。状況に振り回された結果がこれだ。敵はマザーアースとエアハルトという2枚のカードがあり、こちらの戦力では対応しきれていない。

 声が聞こえる。どこからともなく聞こえる謎の声ではなく、誰かの肉声を白式が拾っていた。ナナの声だった。

 

「私に力があれば……」

 

 消え入りそうな声だったが正確にその音だけを捉えていた。同時に俺もナナの言葉に共感する。俺にあのときのような力があればナナもトモキも助け出せるのに、と。

 

「俺に、力があれば!」

 

 叫んだ。その言葉がスイッチであるかのように……白式が輝きだした。以前にも感じたことのある感覚。サプライエネルギーの表示が最大のまま減っていない。

 この現象が何かはわからない。だが、できる! 宍戸から教わったAICを使用して俺が通る道をイメージする。白式の翼を一気に点火。空気の壁を突き破り、音さえも置き去りにして、藍色に染まり始めた空を駆け抜ける。装甲のほとんどが砕け散っているトモキにとどめを繰りだそうとしている竜のISに向けて俺は雪片弐型を全力で叩きつけた。俺の奇襲はいとも簡単に受け止められるも、トモキへの攻撃を防ぐことには成功する。

 

「ヤイバ……か。デカいのはどうしたんだよ」

「あっちはリンに任せたから大丈夫だ。だからここは俺に任せとけ」

 

 トモキが海へと落下していく。その先には味方のISが待っていて彼を受け止めていた。トモキはもう大丈夫だ。俺は目の前の男とやりあわなければならず、集中を高める。

 エアハルトは再び距離を取った。奴の機体は特殊であり、EN管理はデリケートである。白式のようにイグニッションブーストとENブレードの両立をすることはできず、攻撃と加速は別々に行わなければならない。離れて加速をし、その“慣性を維持したまま”ENブレードを振るってくるのが奴の基本的な戦法だった。わかっていても、受けることも避けることも困難な一撃を見舞うのが奴の強さである。だが少なくとも俺は受ける条件を満たした男だ。勝てないまでも、ナナを守ることはできる。

 迫り来るエアハルト。雪片弐型の倍以上に長い刀身が俺を刈り取るために振り下ろされる。超音速で向かってくる剣戟に対して俺は真っ向から雪片弐型を叩きつけた。ENブレード同士の干渉が発生し、俺とエアハルトは動きを止める。出力の天秤はどちらに傾くこともなく膠着を続けた。

 

「また、貴様か」

 

 ENブレード同士のぶつかり合いにより火花や電撃が生じている向こう側でエアハルトが口を開いていた。といっても顔はバイザーで見えない。とても落ち着いた声色から年上の男だと感じさせるが、宍戸よりも若い印象があった。

 前回は言葉を交わすことなく戦闘が終わっていたがエアハルトは俺のことを覚えていたらしい。これが日常であったならば有名人が自分を認識してくれていたことを喜ぶところだが、生憎そんな気分にはなれない。前回と違ってミューレイは正式なミッションを用意していないというのに、この場で敵として現れた。それが意味するところはひとつ。

 

「お前が“敵”かァ!」

「私を敵と断じるその姿勢。なるほど、貴様は倉持技研に従うだけの人形でなく、意志を持って私の前にたちはだかっているということか。アドルフィーネを殺したのも貴様なのか?」

 

 決定的な単語をエアハルトは言ってのけた。アドルフィーネ。福音を模したIllであるイルミナントの操縦者であった女性の名前。味方に事情を説明する際には伏せている情報であり、こちら側では俺とラピスしか知らない。

 

「お前が、Illを! 皆を!」

「彼女の名前を知っている。つまり、貴様が彼女を殺した……いや、殺せた男か。ブリュンヒルデ以上の障害だな」

 

 今ここでエアハルトを倒せば全てに片が付くかもしれない。だがこの膠着状態は下手に崩せなかった。前には出られないため、引くか受け流すしかできないのだが、どちらもエアハルトを自由にさせることにつながる。そうなれば、ナナが危ない。

 

「私はブリュンヒルデを誘き出す囮だったのだが、これは思わぬ収穫だった。あの女の手が加わっているであろうISに、アドルフィーネを殺した男。まだ我々には進化の余地がある」

 

 この男が囮? それもブリュンヒルデを誘き出すため? ランキング5位を囮にしてまでここに居ないランキング1位を足止めしたかったということは真の狙いはナナの他にある?

 

「少しばかり私の目的が増えた。今日のような無粋な真似は控えるべきだな。紅い花の娘を巻き添えに消してしまっては勿体ない」

「紅い花の娘……? ナナのことか!」

「ナナというのか。あの娘は興味深い。日を改めて迎えに来るとしよう」

「ナナをどうするつもりだ!」

「自分で想像したまえ。それを答えとするがいい」

 

 ナナも狙われている。殺さない意図は不明だが良い方向に傾いたとはとても思えなかった。

 

「今日はナナという娘に免じて退いてやろう。“ルドラ”は既に攻撃準備を終えているが、貴様の仲間はルドラの元にたどり着くことすらできていない。このまま続ければ貴様たちは全てを失うところだった。感謝をすることだな」

「誰がお前に感謝なんてっ!」

「おっと。ひとつ忘れていた。こちらが撤退する条件として“貴様が名乗ること”を加えておこう。貴様が名乗るだけで我々は全軍引き上げるのだ。さて、どうする?」

 

 エアハルトが一方的に条件を突きつけてくる。俺が名前を教えるだけで撤退するというふざけた提案だった。それだけでこの戦闘が終わる。まともに戦える体勢になっていない現状では俺たちに有利なだけのものだ。

 話を長引かせているというのにラピスたちから反応はない。俺とエアハルトが動きを止めているならば、狙撃なりBTなりでエアハルトを一方的に撃墜してくれるとも思っていたのだが何もなかった。それはこちらに手を出す余裕がないということと考えられる。俺が選ぶ道はひとつだった。

 

「ヤイバだ」

 

 俺が名乗るのと同時にエアハルトのENブレードは離れていった。即座に追撃すれば俺が勝てるくらいに隙だらけである。でも俺は手を出せない。ここでエアハルトを倒して全てが解決する保証があるわけでもなく、敵が撤退する機会を失ってツムギを破壊される危険性だけあった。

 

「私はエアハルト。ISによって狂ってしまったこの世界に元の秩序を戻さんとする者だ。また会おう、ヤイバ」

 

 そう言ってエアハルトは消えていった。それを合図にしたかのように攻めてきていた敵が全て消失した。奴がルドラと呼んでいたマザーアースも含めてだ。宣言通り、勝ち戦を捨てて撤退したのだった。

 

『ヤイバ! なんか敵が逃げてったわ!』

『ヤイバくん! 私たちの勝利ですね! ありがとうございます!』

 

 リンとシズネさんから喜びの報せが来る。だけど俺は何も答えることができなかった。手をダラリと力なく下げて、すっかり暗くなった星空を見上げる。点々としてるはずの光源が全てボヤケてしまっていた。

 

 ……俺は……敵に屈してしまった。

 今日の俺は、何も守れなかった……。

 

 誰とも言葉を交わさないまま、俺はISVSを去る。

 先に戻った家。チェルシーさんにも執事にも声をかけることなく眠りについた。

 今日のことを少しだけ忘れて、次を迎えるために。

 

 

***

 

 翌朝、夜明け前に目覚めてしまった俺は携帯を確認した。鈴かセシリアが昨日はどうなったのかメールを残しておいてくれたかもしれないと思ったためだ。しかし未読メールはない。特に問題はなかったのだと肯定的に受け取る。

 そこへ狙い澄ましたかのように着信があった。表示されている名前は五反田蘭。弾の妹であり、俺とは久しく関わりのなかった1つ年下の女の子だ。電話の相手が珍しいこともそうだったが、時間が早すぎることが異様である。すかさず俺は電話に出る。

 

『一夏さんですか? 朝早くにすみません……』

「大丈夫。ちょうど起きてたから起こされたわけじゃない。でもどうしたんだ? 突然電話なんてかけてきて」

 

 何の気なしに蘭の言葉を待った。そんな俺の気楽さを彼女の一言が切り裂くこととなる。

 

『お兄が帰ってきてないの。一夏さんの家に泊まってることになってるけど、本当なの?』

 

 悪いことには悪いことが重なるのかもしれない。

 昨日のことを忘れようとしたのに、もっと大きな問題が降りかかった。

 最近の弾が何をしているのか、俺は把握していない……

 俺は即座に部屋を取びだした。



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18 殺意の巣穴

 携帯を片手に部屋を飛び出した俺は電話帳から弾の番号を一度は呼び出してみるも実際にかけることはせずにポケットに戻す。外に日が昇るまではまだ時間があるが何も考えずに玄関にまで来た。

 

「……一夏殿。このような早い時間からどちらへ行くおつもりですかな?」

 

 靴を履こうとしたところでオルコット家の執事に見つかった。事情を知ってくれているはずの人だから素直に理由を告げる。

 

「弾が……俺の友達が例の事件に巻き込まれてるかもしれないんだ!」

「ふむ。では尚更、一夏殿を外出させるわけには参りますまい」

「はぁ? アンタ、何を言ってるのかわかってるのか!?」

 

 早いところ出て行きたいのに、執事は俺を送り出してはくれなかった。俺が怒りを隠さずに詰め寄っても執事は涼しい顔を崩さない。

 

「わからないことがあるとすれば、一夏殿が今何をすべきかという点ですな。今、外に出て行って何をする? 何ができる? 無駄な時間となるだけではないのか?」

「俺は……」

 

 答えられなかった。蘭からの電話で漠然となんとかしなければと思った。居てもたっても居られずに行動をしようと思った。その先はまだ考えていない。

 結局、俺の口から出てくる言葉は……逆ギレだった。

 

「俺がどうすべきか、アンタが教えてくれるのかよォ!」

「…………」

 

 執事は何も答えない。そもそも答える気がないようにも思えた。このまま問答を続けてもそれこそ時間の無駄だ。俺は執事に構わず外へと足を向ける。力尽くで止めてこようものなら殴り倒してやると思っていたが、執事は何も手出しをしてこなかった。ただ無言で俺を見送ってくる。俺はその目から逃げるように走り去った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏が出て行った2分後、階段を下りてくる姿があった。オルコット家に仕える老執事、ジョージは現れた主を出迎える。

 

「おはようございます、セシリア様」

「先ほど一夏さんの声が聞こえたと思いましたが……」

「一夏殿は珍しく早起きをされたため、散歩に出て行くそうです」

「ジョージ。あなた、いつの間にか一夏さんに甘くなりましたわね」

「これは手厳しい。セシリア様はもう状況を把握されているようですな」

 

 いかにも寝起きだったセシリアにジョージは嘘をついた。主を危険に巻き込まぬよう、もしくは主に心労をかけないようについた嘘とも取れるが、セシリアにはジョージが一夏の意志を尊重しようとしていたように映っていた。

 

「一夏さんには護衛をつけていますわね?」

「抜かりはありませぬ。しかし心配されずともすぐに戻ってくるでしょう」

「それはありませんわね」

 

 言いながらセシリアの右手は携帯にメールの文面を素早く入力する。送信を押すとジョージに向かってニッコリと微笑んだ。

 

「わたくしはセシリア・オルコット。物事を見る目を誰よりも鍛えてきた自負があります。ですから、今の一夏さんがしたいこともわかりますし、そのために道を示すこともできますわ」

「流石でございます、セシリア様」

「理解せずに褒めるのはお止しなさい」

「申し訳ありませぬ」

 

 セシリアは再び階段を昇っていく。セシリアの今日の予定は決まり、その準備をしなくてはならなかった。

 

「今日は日常とは無縁の1日となるかもしれませんわね。もっとも、一夏さんと会ってからの毎日はほぼ非日常的な刺激に溢れていますけど」

 

 非日常に振り回されてはいるもののセシリアの顔からは笑みが消えなかった。もしかすると今こそがセシリアにとって充実している毎日なのかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 どこに行く宛もなく、とりあえず弾の家の方へと走っていると携帯がメールの着信を告げた。今日に限って早朝から携帯が仕事をしているなと愚痴りそうになりながらも、弾関連の連絡かもしれないため確認を手早く行う。送り主はセシリアだった。

 

【件名】相談窓口はこちら↓

【本文】地図を添付しておきますわ。今の時間でしたらまだご自宅にみえるはずです。本当はわたくしがなんとかしたかったのですが……

 

「相談窓口? 俺が何か悩んでるって言いたいのか?」

 

 焦ってはいるが悩み事とは違うと思っている。セシリアがこのようなメールを寄越した意図は全くわからないが、とりあえず添付されていた地図の画像を開いた。今の俺の位置から徒歩で行ける場所だった。セシリアの紹介だからと俺は足を運ぶことにする。

 

 やってきた場所は家賃の安そうなアパートだった。地図に補足されていた住所通りの部屋番号のポストを調べてみる。そこに書かれていた名前は“宍戸”の2文字。

 名前を見た瞬間に俺の体は動いていた。気づけば宍戸の部屋と思われる扉の前。この先に教師としてではない宍戸がいるのならば、俺の話を聞いてくれるはず。躊躇いなくインターホンを押してしばらく待つと住人が姿を現した。

 

「織斑か。教師の自宅にまで押し掛けるとは、そこまでして補習を受けたいのか?」

 

 起きたばかりというわけではないが、宍戸は気怠そうに俺を出迎えた。学校ではあまり見せない態度にいつもなら親近感を覚えるところなのだが、今の俺の場合は癪に障ってしまう。言葉よりも先に手が出た俺は宍戸の襟を掴んで引き寄せた。

 

「弾がいなくなった! アンタのせいだ!」

 

 言ってから責任を誰かに押しつける自分の最低さに気がついたが止められなかった。だってそうだろう? 俺なんかよりもずっとできることが多いのに……ずっと強いのに、何もしてくれないんだ。代わりにやれとまでは言ってない。ただ手伝ってくれるだけで良かったのに、宍戸の堅さのせいで俺は回り道させられてる。土曜日の試合に勝てばいいなんて考えじゃ遅すぎたんだ。

 

「オレへの乱暴には目を瞑ってやるから、まずは落ち着いて話をしろ。でなければ何もわからないし、何も解決しない」

 

 宍戸は抵抗をせずに話をしろとだけ言ってきた。頭ごなしに否定されなかったことで俺の頭は幾分か冷えたため、宍戸の襟から手を離す。

 話をしようと思った。でもうまく頭が回らず、何から話せばいいのかがわからない。せっかくのチャンスに俺は固まってしまった。すると宍戸が口を開く。

 

「五反田がいなくなったらしいが、黙っていなくなったのか?」

「いや、家の人には俺の家に泊まると嘘をついてたみたいだ」

「なるほど。五反田が自分で申告をしていたのならば、自らの意志でどこかへと行ったことになる。となるとオレに心当たりがひとつあるな」

 

 言うや否や宍戸は携帯を取りだしてどこかにかけた。数コールの後、相手側が出たようで、俺は宍戸の会話に耳を傾ける。

 

「虎鉄、オレだ。少し聞きたいことがあるんだが…………やっぱりお前のとこにいたか…………わかった、そっちはオレの方で手配しておく。お前は店を閉めたままオレの使いを待て」

 

 内容は掴めなかったが宍戸が電話をかけた相手はいつものゲーセンの店長だろう。今の短いやりとりだけで何か良くないことがあったことが伝えられたらしく、宍戸は神妙な面もちを見せていた。

 

「弾に、何かあったんですか?」

「さあな。知りたければ虎鉄の店に行けばいい。五反田はそこにいる。あとは織斑次第だ」

 

 宍戸が俺の肩を優しくポンと叩く。

 

「今日の授業に関しては後日、特別に補習の時間を用意しておいてやる。五反田も一緒にな。だから迎えに行ってやれ」

「宍戸先生……」

 

 宍戸が部屋へと戻り、俺はひとり残された。まだまだ宍戸には言いたいことがあったはずなのに、何も言えなかった。とはいえ、何もなかったさっきまでとは違い、今の俺には道が示されている。宍戸に構わず、俺は向かうべきだった。いつものゲーセン、パトリオット藍越店へ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 暗闇の中でバレットは身を屈めていた。実際に温度を感じているわけではないが、石壁に囲まれた狭い空間の中で寒さを覚えている。石の隙間から流れている風のせいではなく、階上で今も動き回っている捕食者の存在があったためだ。

 

「駄目でござるな。奥は行き止まりで脱出するには元の道を引き返すしかない」

「悪いな、ジョーメイ。俺のせいでこんなことになっちまって」

 

 上へと続く階段の側で待つバレットの元に、奥へと進んでいたジョーメイが戻ってきた。しかし良い報せではなかった。自分たちは閉じこめられたも同然であることが判明しただけに終わる。

 バレットは自分を責めていた。無数の糸に囚われていた虚の姿を見て冷静さを失い、敵の存在に気づくことなく飛び出したのだ。ジョーメイが敵の攻撃を察知していなければバレットも虚と同じ状況に陥っていただろう。

 ただ一度の邂逅だったが、バレットとジョーメイは敵の姿をハッキリと確認していた。遺跡にやってきてバレットが最初に抱いた感想を襲撃者に対しても思っていた。まるでファンタジーなRPGの世界にでも迷い込んだのかと。2人が見た敵の姿はおよそ人型にはほど遠い巨大な蜘蛛の化け物だったのである。ISが自由に飛び回れない限定された空間の中を8本の足で軽快に跳び回る姿は最早魔物だった。

 異質な敵を前にして、バレットはジョーメイに連れられるまま、奥に見えていた階段へと逃げ込んだ。幸いなことに蜘蛛のサイズでは追ってこれないくらいに狭いものであり、蜘蛛が無理矢理追ってくることもなかったため、この場に潜んでいる限りは安全であった。そうして落ち着いたところでバレットは一度ISVSから出て作戦を練ろうと思っていたのだが、そこで誤算が生じる。帰るコマンドを実行しても帰れない。

 

「やはり誰かが来るのを待つしかなかろうな。拙者らでは勝てる相手ではござらぬ」

 

 ジョーメイは下手に動かずに待つべきだと判断していた。一度、考えなしに暴走した手前、バレットも従っていたのだが時間とともに不安ばかりが大きくなる。

 

「いくら魅力のなさそうなミッションとはいえ、ここまで誰も来ないってのは変だ。そもそも俺たちは最深部に到達したのにミッションクリアと見なされてない」

「それはおそらく、このミッション自体が罠だったからでござるな。虚様がここに来たのも、拙者が追ってきたのも、罠を仕掛けたものの思惑通りだったのでござろう」

「だったら、待ってても誰も来ないんじゃないか?」

「…………」

 

 ジョーメイから否定が返ってこなかった。待っていても誰も来ない。その不安が現実味を帯びてきていることを沈黙が肯定していた。ジョーメイにも策がない。そうとわかればバレットは行動に移ることにした。元より、待っていられる状況などではなかったのだ。

 

「俺だけでも行くぜ。虚さんが捕まってるんだ。勝算もなしにこれ以上待っていられるかっての」

 

 愛銃である“ハンドレッドラム”を手に、バレットは階上に広がっている暗闇の空間を見上げていた。幸いなことにそこからでも虚の姿を確認できた。まだ助けられる。虚を捕らえている糸を断ち切って入り口までいけばバレットの勝ちだ。待っていても行動しても、どちらにしても確かな勝算などない。勝利条件のわかりやすい道をバレットは選んだことになる。

 

「いずれにせよ、賭けをすることには変わらないでござるな。バレット殿がそう決めたのであるならば拙者も参ろう。必ずや道を切り開いてみせる」

 

 ジョーメイもその手に剣を取る。フォスの中でも搭載可能容量が最も小さいフレームである“シルフィード”。それに積むには容量の大きい物理ブレード“絶佳”。他の装備を持つ気がないと思わせる構成はバレットから見て普通ではない。どうやって勝つのかを想像はできないが、バレットの見ていないところで多くの戦果を挙げてきたチームメイトをバレットは信じる。

 

「行くぜ!」

 

 バレットを前衛にして飛び立った。階段を抜けた先の広間に帰った瞬間に、カサカサと耳障りな足音が室内を反響する。バレットは敵の位置を確認することなく、まずは蜘蛛の巣に囚われている虚の元へとたどり着いた。不快な足音が迫ってくる。バレットがすぐさま振り向くと床を這う蜘蛛の姿が見えた。虚を背にしたバレットは標的めがけてマシンガンを乱射する。射撃精度が最低クラスの代物であるが、的がでかいために大きなデメリットにはなっていない。有効な間合いではないが当たるはず。

 だがそれは固定標的、もしくは対象が鈍重な場合の話であった。蜘蛛はその見た目通りの挙動をして大きく跳躍をする。バレットの攻撃は空振りに終わり、次の照準を定める前に、天井に張り付いた蜘蛛が高速で脚を動かして迫ってくる。バレットが対応する術を持たない中、その蜘蛛の前に立ちはだかる影があった。

 

「切り捨て、御免」

 

 ジョーメイだ。バレットも気づかないうちに天井にまで移動していた彼は蜘蛛の移動先を見抜いて待ち伏せていた。近接ブレードの一撃が蜘蛛の足のひとつを捉えると蜘蛛は天井からぐらりとバランスを崩すように離れる。ジョーメイが蜘蛛の胴体に追撃の蹴りを加えることで蜘蛛は床まで一気に墜落した。

 

「今のうちに虚様を!」

「了解だ!」

 

 バレットはブレードの類を所持していない。弾丸で糸を断ち切ることは困難と判断し、グレネードランチャーとミサイルで糸が張り付いている壁を壊すことにする。糸が伸びている先を狙って引き金を引き、次々と発射される弾薬たちは柱や天井にぶつかっては暗闇に火を灯す。バレットの思惑を外れて爆発の衝撃に遺跡はビクともしなかったが、本来の狙いであった糸が外れて、蜘蛛の巣ごと虚が空中に投げ出される。バレットは落ちてくる虚をキャッチした。糸がバレットにも張り付いてしまったが、飛べるのならば問題はない。あとは入り口へと向かうだけ。

 

「ジョーメイ! 虚さんは助けた! 逃げるぞ!」

 

 入り口にまでたどり着いたバレットは振り返ったが、ハッと息を呑むことになる。そこにバレットの望んだジョーメイの姿はなかった。

 

「ジョーメイイイイ!」

 

 時間稼ぎをしてくれていたジョーメイは、既に蜘蛛の糸に囚われていた。虚と違いISはまだ機能しているが身動きがとれない状況にある。バレットはジョーメイを助けるために戻ろうとした。

 

「来るなっ!」

 

 ジョーメイの叫びによってバレットの足は止まる。いつもの取って付けた語尾がない叫びはとても力強いものだった。

 

「ここで全滅してしまっては本末転倒! 拙者に構わず、行けェ!」

 

 蜘蛛の巣に囚われたジョーメイの腹に蜘蛛の頭部が迫った。蜘蛛は口の部分を密着させると、パシュッと小さな発射音と共に牙を穿つ。シールドピアースだった。フォスフレームでこれを食らえば、ほぼ間違いなく戦闘不能となる。

 

「くそっ!」

 

 ジョーメイが戦闘不能となれば、もし助け出したとしてもバレットは2人を抱えて逃げなくてはならない。そもそもバレットの両手は虚に絡まった糸がくっついて自由を失っている。ジョーメイの救出が不可能だということだけは間違いなく、バレットは歯を食いしばって逃げ出した。

 

 今までISVSをプレイしてきてこれほど悔しいことはなかった。どんな不平等もひっくり返してやると息巻いて、国家代表クラスとも戦ってきた。負ける度に次こそはと奮起してきた。いつだって立ち向かってきた。なのに、今のバレットはまともに戦わずして負けを認めていた。仲間を見捨てて逃げ出すことしかできなかった。敵である蜘蛛が強大であるから仕方がない。だがそれはバレットが不平等に屈することと同義でもあった。

 

「弾さん……」

 

 腕の中で声がした。虚が目を覚ましたのだと気がつくまでに少しだけ時間がかかり、気がついたときにはバレットは悔しさのときに抑えていた涙をこぼしてしまう。

 

「虚さん。無事、なんですよね?」

「……ごめんなさい。あなたを巻き込みたくなかったのに、結局、巻き込んでしまいましたね」

 

 虚に謝られてバレットは何も言えなくなった。ジョーメイを犠牲にした自分こそが謝るべきだと、そう思っているから。そして虚が無事であることを素直に喜べていない自分を許せなかった。

 

「そんな顔をしないでください、弾さん。いつものように、楽しそうにISについて語る弾さんでいてください。本音と似ているあなたの子供っぽいところが私は好きなのですから」

 

 力のない微笑みを向ける虚の姿が粒子に分解され始める。突然の異変にバレットは虚を離さないようにしっかりと抱きしめようとした。しかし、力を込めた手は沈み込み、虚の体は霧散する。後には粘着性の強い糸だけが残された。

 

「……何だよ、これ」

 

 静かに声を発する。助けたはずの彼女が目の前で消え去った。友を犠牲にした結果が彼女の消滅だとするなら、今の自分は何のために存在しているのかわからなくなった。そして、抑えようとしていた感情が爆発した。

 

「ふざけんなあああああ!」

 

 ひとしきり叫んだ後、バレットは冷静さを取り戻す。否、それは冷静ではなく虚脱状態というものである。ただ作業をするようにログアウトの手続きを済ませてバレットは現実へと戻る。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日が昇り始めた頃、御手洗数馬はいつも通りの時間に起床する。起床のタイミングすら体に刷り込まれているため、彼は目覚まし時計の類を必要としていない。母親が朝食を作るまで時間があるので、彼はいつものようにジャージに着替えて朝のジョギングに出ようとしていた。

 

「カズマ……それはどこに行きますか?」

 

 自分の部屋を出たところで数馬は銀髪の少女とはち合わせる。3日前の夜に数馬が拾った少女であった。サイズの合わないブカブカなパジャマを着た少女は寝ぼけ眼をこすりつつ数馬についてこようとする。

 

「ちょっと外を走ってくるだけだって。ゼノヴィアは家で待ってて」

「やです。私も行きます。ゼノヴィアはカズマと一緒でありたい」

「いや、ダメだって! そんな格好のまま外に出したら、今度こそ俺は親父に殴り殺される」

 

 3日前の夜、ボロボロの布切れを纏っただけのような服装の少女、ゼノヴィアを連れ帰ったとき、数馬の父親は先に帰った後だった。玄関でバッタリ会ったときに数馬は自分の人生の終わりを感じていた。何があったのかを聞く前に数馬の父親は息子の頬を叩き、その後に自分を殴りつけた。泣き崩れた父親を前にして数馬は少しずつ話をしたものだが、理解を得るまでに翌日の一日を費やしたのは最早いい思い出である。

 

「カズマが殺されるでしょうか? オヤジは敵です?」

「ああ、違う違う! 例えだよ、た・と・え。ちょっとオーバーなだけで根はいい親父だから本当に殺したりはしないよ」

 

 今は普通に会話をしようとしてくれる少女、ゼノヴィアは最初に会ったときは何かに怯えていた。そのまま気を失っているうちに御手洗の家にまで運び込んだものであるから、目を覚ましたと同時に悲鳴を上げるかもしれないと数馬は内心ヒヤヒヤしていた。だが御手洗一家の前で目覚めたゼノヴィアは少しも騒ぎ立てることもなく、キョロキョロと周りを確認した後で『良かった』と安堵していた。数馬の父親が理解を示してくれたのもゼノヴィアの態度あってのものだったと数馬は確信している。結果として父親は2つの条件と共にゼノヴィアを預かることを了承した。

 一つ、ゼノヴィアの面倒は数馬自身がみること。

 一つ、ゼノヴィアの保護者を見つけて元の場所に帰らせること。

 数馬もその条件を受け入れた。数馬としてもゼノヴィアを助けようとしているだけであるから、父親の示した条件は別に条件と呼ぶほどでもない。唯一、学校に行っているときだけは母親が代わりに面倒を見てくれることになっている。

 ゼノヴィアからはもちろん知ってることを聞こうとした。しかしわかったことはゼノヴィアという名前だけ。どこから来たのかすら彼女は把握していなかった。記憶喪失の可能性も考えており、この問題は長丁場になる可能性があると数馬は考えている。

 

「すぐに戻ってくるから、大人しく待ってて。ね?」

「やです」

 

 見た目の年齢よりも幼いのか、数馬がどう言おうと納得してくれる様子がなかった。まだ学校へ行くわけではないから父親との約束に従うと母親に預けるわけにはいかない。かといって日課を疎かにしたくもなかった数馬はクローゼットの奥にしまわれていたものを取り出すことにした。

 

「わかった。でも、これを着ることが条件だ」

「私は得て理解する」

 

 数馬の小学生時代のジャージである。今はもう着れなくなってしまっているが、まだ残してあったものだ。ゼノヴィアは素早く数馬の手からジャージを奪い取ると、その場でパジャマを脱ごうとする。

 

「待て! 部屋に戻ってから着替えるんだ!」

「なぜ?」

 

 下着だけの半裸の状態でゼノヴィアが首を傾げる。ちなみに下着だけは母親が買ってきてくれたものである。ついでに服も買ってくれればいいのにと思ったが、数馬は親には文句を言えない立場にあった。数馬はゼノヴィアから視線を外したまま強く主張する。

 

「なぜって……女の子なんだから男の前では着替えちゃいけないの!」

「それは正しい? 私は理解します」

 

 するとゼノヴィアは数馬の部屋の扉を開けた。

 

「カズマは部屋へ返るべきである。衣服を変更し終えれば教えるでしょう」

「……りょーかい。まさか俺の方を廊下から追い出そうとするとはね」

 

 数馬は言われるままに自室へと戻った。相も変わらずゼノヴィアの日本語はわかりづらいが言葉が通じないわけではなく、既に数馬は彼女の言動に慣れてしまっていた。

 

 

***

 

 

 外に出て数馬はゼノヴィアと並んでいつものコースを走る。流石に走るペースまではいつも通りとはいかなかったが、ゼノヴィアは思いの外早かった。

 

「どれくらい遠くに行きますか?」

 

 走りながら話す余裕もあったようだ。しかしゼノヴィアは勘違いをしている。数馬は改めて趣旨を説明することにした。

 

「どこかに行くんじゃなくて、家の近くを回るだけだよ」

「それはどの意味を持っていますか?」

「体作りってとこかな。習慣にしとかないと体がすぐに衰えちゃうからね」

「ゼノヴィアは運動していません……」

 

 言われてみると不思議な気がした。数馬の目から見てゼノヴィアはかなり華奢な女の子だ。運動に慣れていないというのも納得できる。だからペースが遅めとはいえ数馬についてきて、かつ会話をする余裕があるのは不自然だ。

 

(ゼノヴィアはどう見ても日本人じゃないから基本的な身体能力が違うのかな?)

 

 数馬は人種の違いだろうと思うことにした。他に頼る人間がいない状況で自分たちとは違うのだと距離が開くようなことは言わない方が良い。数馬は話を逸らしにかかる。

 

「ゼノヴィアはさ、どうして俺についてきたんだ?」

 

 ついでだからと疑問に思ってたことを素直に聞いてみた。初対面のときからは考えられないくらいに数馬は懐かれてしまっている。きっかけは何かと考えたとき、数馬には全く心当たりがなかった。

 

「あなたが敵ではないので」

「敵? それは誰?」

「世界を変えるつもりの博士」

「確かに俺とは関係なさそうだね」

 

 突拍子もないゼノヴィアの敵のイメージを聞き、数馬はクスッと笑う。ゼノヴィアの主張は世界征服を企むマッドサイエンティストに狙われているという子供の空想だと数馬は受け取った。敵でないのなら信用するという点も含めて子供だなぁと和んでいた。

 すると唐突にゼノヴィアは足を止めてしまった。笑ってしまって拗ねたのかと数馬は彼女の元へと戻る。

 

「ごめん、怒っちゃった?」

「それは違います。あれは何ですか?」

 

 数馬が近寄るとゼノヴィアがしがみついてきた。怖いものがあるのか震えている。彼女が恐る恐る指さす先を見ると、近所のおばさんが犬を散歩させているという良くある朝の風景があるのみである。

 

「おはようございます」

「おはよう、数馬くん。見かけない子を連れてるわね?」

「ちょっと家で預かってる子なんですよ」

 

 朝のジョギングで見知った仲であるため、数馬は柴犬を連れたおばさんと挨拶を交わした。その間にリードに繋がれた犬が興味津々にゼノヴィアに近寄っていく。

 

「ヒャアア! 来ないでください!」

 

 ゼノヴィアは数馬を壁にして犬から逃げる。そもそも離れれば良いのだが彼女はそこまで頭が回っておらず、ギュッと数馬のジャージを握りしめていた。

 

「怖がらせちゃったみたいね。おばさんは行くわ」

「そうみたいですね。どうもすみません」

 

 おばさんと共に犬が去っていく。もう自分から興味がなくなったのだと確信できたことでようやくゼノヴィアは数馬のジャージから手を離した。

 

「犬は苦手だった?」

「それは“犬”と呼ばれるか。知られていないものは恐ろしい」

「いや、客観的に言おうとしてるけど、ゼノヴィアが知らないだけで一般常識だから」

「ゼノヴィアは人とそうでないものだけを知っています。人でないものは恐ろしい」

「大丈夫。怖い犬もいるけど危険なのには早々会わないって」

 

 数馬は無意識のうちにゼノヴィアの頭を撫でていた。ゼノヴィアも数馬の手を受け入れて次第に落ち着いていく。彼女は話すことは苦手そうであるが理解力はある。にもかかわらず犬すら知らないとはどこの箱入り娘なのだろうか。これもまた彼女の素性を知る手がかりになるかもしれないと数馬は考えていた。

 

「カズマ。頭はいつまで撫でられますか?」

「……はっ!?」

 

 ゼノヴィアに指摘されて、自分が彼女の頭をニヤニヤしながら撫でていた現状に気づく。いつの間にかただ愛でていた。

 

 

***

 

「行ってきまーす!」

「それは言い、らっしゃいである」

 

 昨日に続き二度目のゼノヴィアの見送りだったが数馬は2日連続でずっこける。

 

「ゼノヴィア。いってらっしゃい、だよ?」

「はい」

「…………」

「…………?」

 

 数馬は訂正した後も無言で見つめ続けるがゼノヴィアは首を傾げるだけだった。必死に訂正しようとしたところで長丁場になる可能性があったため、数馬は諦めて家を後にする。

 

 学校への道を数馬は走り始めた。走って登校するのも数馬の日課である。特に急がなければいけないような時間でもないのだが、数馬は走りたいから走るだけ。しかしその足は普段と比べて遅いものとなってしまっていた。その原因は考え事にある。

 ゼノヴィアを預かってからというもの、数馬は空いた時間を使ってゼノヴィアの素性を知ろうとしていた。白髪にはない輝きが宿っている銀髪に、琥珀のような金の瞳という身体的特徴から国だけでも絞れないかと調べていたのだが成果は全くといっていいほどない。普通ならば警察を頼るところだが、初対面でのゼノヴィアの反応から警察を頼ってはいけないと数馬は考えている。

 

(警察でも千冬さんなら大丈夫だと思うんだけど、一夏が言うには最近は家に帰れないくらいに忙しいらしいからなぁ……)

 

 今日の調査をどう進めようかと悩みながら走っていると、いつの間にか藍越学園前に来ていた。足を止めずに下駄箱まで走っていくまでが常であるのだが、今日の数馬は校門の前で足を止めざるを得なかった。明らかに見覚えのない少女が校門前に仁王立ちしていたからである。綺麗な女性がいれば数馬の目が奪われるのは日常茶飯事なのであるが、今日ばかりは事情が違っている。

 

「あの……うちの高校に用ですか?」

 

 校舎を眺めている少女に数馬はそっと声をかける。一見すると年下である彼女だが、どこかの軍服のような服装に黒い眼帯を付けているという外見のためか近寄りがたい雰囲気を纏っている。女性は好きだが話すのは苦手という数馬が、普段ならばそそくさと逃げるはずの相手に声をかけた理由は彼女の髪の色にあった。

 

「この建物に用があるわけではない。探している男がいるのだ」

 

 眼帯の少女が腰まで伸びる銀色の髪を靡かせながら振り向く。やはりゼノヴィアと同じ髪の色であった。数馬を見つめてくる彼女の瞳はゼノヴィアと違って金色ではないが、この少女がゼノヴィアと無関係とは数馬には思えなかった。すぐに本題に入ることはできず、とりあえず話をしてみることにする。

 

「日本語上手いね」

「私の部隊の公用語になっているからな。ISに関わるには必須技能とされている」

「ふーん。ISVSやってるんだ」

 

 数馬は眼帯の少女がISVSプレイヤーであるのだと理解した。そして、“ISVS”と“探している男”の2つのキーワードからあることが連想された。

 

「もしかして“ヤイバ”を探してるとか?」

「奴を知っているのか!?」

 

 ビンゴだった。一夏がISVSを始めてからというもの、彼の周りには女性の影が目立ってきている。この少女もその1人であると予想することは数馬にとっては自然なことだった。

 

「知ってるけど、その前に君のことを教えてくれないか? 俺としては誰かもわからないような人を友達のところに連れてくつもりはないんだけど」

 

 ゼノヴィアのことを話さずに眼帯少女から情報を得られるチャンスに乗っかった。数馬の本心は眼帯少女の正体を何が何でも知りたいのであるが、真っ正面から問いただすと警戒される可能性が高い。流れは自分に向いている、と数馬は頭の中でガッツポーズを取った。

 

「私はラウラ・ボーデヴィッヒ。ドイツ軍に籍を置くIS操縦者だ。IS運用を想定した部隊“黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)”の隊長であり、形だけとは言え階級は少佐相当となっている。他に質問はあるか?」

 

 思っていたよりもあっさりと情報が出されて数馬は拍子抜けしていた。どこかミステリアスな雰囲気であったのだが、本人はかなりさっぱりとした性格だった。

 情報を整理する。眼帯少女はドイツ人らしい。ISVSプレイヤーではなくIS操縦者と名乗っている。おまけに軍人だ。シュヴァルツェ・ハーゼは数馬も聞いたことがある名前であり、強豪スフィアの一角であったはず。そして、名前はラウラ。これも数馬が知っている名前だった。

 

「まさか……“ドイツの冷氷”!?」

「戦場で私のことをそう呼ぶ者もいたな。知っているのならば話は早い。さっさとヤイバの元へ案内しろ」

 

 いつの間にか数馬はラウラに命令されていた。目線の高さは圧倒的にラウラの方が下にあるのだが、数馬は何故か高みから見下ろされているような感覚を覚えていた。つまり、素直に従うということだ。校内に部外者を案内するのは宍戸が怖いためにできず、数馬は一夏の家へとラウラを連れて行くことにする。

 

「わかったよ。君みたいな有名人が来るのも別に初めてじゃないからヤイバも困らないと思うし」

「ほう。誰が来たのだ?」

「セシリア・オルコットだよ……ってラピスラズリって言った方がいいのかな?」

「英国の代表候補生“蒼の指揮者”か。奴には一度煮え湯を飲まされたことがあるが、まさかこのような場所でその名を聞くことになるとはな」

 

 くっくっく、とラウラは笑っているが眉間には皺が寄っていた。この話を続けるとマズいと本能で悟った数馬は話題を変えようとしたが思いつかずに黙って先を歩くことしかできない。その足は次第に早くなっていた。

 変なのに関わってしまった後悔を抱えながらも数馬は考えていた。ラウラの見た目はゼノヴィアと似ている。しかし、ラウラにはヤイバのことしか目に入っておらず、ゼノヴィアを探しているとはとても思えない。こうなってくると瞳の色の違いを大きなものに感じてしまい、ラウラとゼノヴィアは無関係であるとしか思えなくなってしまっていた。

 

「あ、メールだ」

 

 携帯がメールの着信を告げたため、数馬は足を止めて確認をする。後ろについてきていたラウラが『早くしろ』と睨んでいるのにも構わずに数馬は内容にじっくりと目を通していた。どうでもいいメールじゃない。メールの送り主は一夏。書かれていた内容は数馬をゲーセンへと走らせるのに十分な代物だった。

 

「ラウラさん。ヤイバはゲーセンにいる。俺は今から行かなきゃいけないけど、ついてくる?」

「当然だ。私はそのために日本に来たのだからな」

 

 金曜日の朝。始業前という時間に、メガネ少年と眼帯少女がゲーセン目指して走った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ゲーセンまでダッシュでやってきた俺だが、当然のように閉まっているシャッターを前にして立ち尽くす。

 

「開いてるわけないよな」

 

 開店時間までまだ2時間以上あった。しかし宍戸が言うには店長が俺を待ってくれているとのことである。物は試しにとシャッターを叩いてみると、シンバルの叩き損ねのような音が周囲に響く。

 

「おい、やめろ! 近所迷惑なうえに、お前が強盗だと誤解されるぞ!」

「あ、店長! 弾を迎えに来たんですけど」

 

 タイミングが良かったのか悪かったのか、俺がシャッターを叩き始めて数秒後に店長が脇道から顔を出していた。どうやら裏口から回り込んできたらしい。俺の行動を咎められている気はするが今はそんなことはどうでもいいので、早速弾に会わせてもらうように頼む。ところが店長の顔は浮かない。

 

「アイツからは何も聞いていないのか?」

「アイツって宍戸先生のことですか? 俺はここに来ればわかるとしか――」

 

 言い掛けて俺は気づいた。店長のこの反応から察するに……もう手遅れかもしれないということに。

 

「弾は……ここに居るんですか?」

「居ることは居る。そうか、お前は知ってる側の人間だったか。今、案内しよう」

 

 店長は俺のことを“知ってる側の人間”と言い表した。何を知っているか? これはIllのことしか考えられない。すぐに問いつめることもできるが、今は弾のことが気がかりだったため大人しく店長の後についていくことにした。

 裏口から店内へと入る。そして、関係者以外立ち入り禁止とされている奥へと店長は歩いていく。従業員用のスペースがあり、休息所として用意してあるのか簡易ベッドが2つほど並べられていた。今は2つとも埋まってしまっている。

 

「弾……それに、朝岡?」

 

 横たわっていたのは弾だけではなかった。朝岡丈明という名の同級生で、藍越エンジョイ勢の中ではジョーメイとして知られている。俺は2人の顔を交互に見ることしかできなかった。

 

「昨日、閉店時間になってもコイツらは戻ってこなかった。普通にプレイしていただけなら巻き込まれる可能性はほぼ無いはずだってのに……ISVSで何が起きてやがる?」

 

 店長の発言を頭の中で反芻させる。どう考えても店長は何かを知っているとしか思えない反応をしていた。ISVSの危険性を理解している人間が一般人に遊びとして提供している。その結果が今の弾と朝岡だというのならば、店長に責があるのではないか? そう思ったときには、俺は店長に殴りかかっていた。

 

「落ち着け。まだ死んだわけじゃない」

 

 俺の拳は簡単に受け止められた。そもそも体格から完全に負けている。まっとうな喧嘩で俺が店長に勝てるはずはなく、俺の右手は店長に掴まれて動かせない。手が動かない俺にできることは口を動かすことだけ。

 

「アンタも! 宍戸も! 知ってて何もしてねえのかよっ!!」

 

 左で店長のわき腹を殴りつける。利き手でない俺の左手では鍛えられた店長の腹筋を破ることができないどころか、殴ったこっちの方が痛かった。それでもがむしゃらに同じ箇所を殴り続ける。

 

「何が『落ち着け』だよ! 箒の入院を知ってから11ヶ月、俺はずっとわかんないことだらけだ! 何で箒なんだよ! 何で1月3日だったんだよ!」

 

 もうダメだった。目覚めない弾の姿を見せられて、鈴のときのことを思い出してしまった。そればかりか、ずっと抱えていた疑問や不安も抑えられなくなり、涙や鼻水とともにまき散らす。

 

「何で俺が戦わなきゃいけないんだよ……何で鈴や弾が巻き込まれなきゃいけないんだよ……何で、アンタらは知ってて何もしてくれなかったんだよォ!!」

 

 最後の拳が店長の腹に当たるともう殴る気力もなくなり、力を失った左手をだらりと下げた。そのまま膝をつくと、俺の肩にゴツゴツした手が優しく乗せられる。続いて聞こえてきた低い声はとても頼りなかった。

 

「俺だって……悔しいんだ。どうにかしてやりたいに決まってる。でもな、ISVSはどうしようもないくらいに不平等なんだよ……」

 

 俺の見つめる床に俺のものとは違う水滴がポツポツと落ちてきていた。見上げると大の男がひとり、悔し涙を流している。俺は何も言えなくなってしまった。店長の姿がまるでISVSを知る前の、己の無力さを嘆く俺のようだったから。

 従業員の休憩室に沈黙が降りる。俺は何も言わない店長を置いて弾の顔を見てみることにした。中学の修学旅行で弾の寝相の悪さを経験している身としては、今の弾の寝姿はひどく上品に映ってしまう。

 

「まさかただ寝てるだけとか言わないよな?」

 

 またしても希望的観測を口にしてしまった。寝てるだけなら起きるはずだろ、と弾の頬を軽くペシペシと叩いた。すると、

 

 

 唐突に弾の目が開かれ、ばっちりと目が合った。

 

 

「…………」

 

 俺は何も言わずに弾の頬をもう一度バチバチと叩く。

 弾はムスッとして俺を見てきた。

 ならば、と今度は往復ビンタをお見舞いする。

 4往復した後でも弾はしっかりと俺を睨んできた。

 なるほど。もしかしたら夢じゃないかもしれない。頬をつねって確認してみよう。もちろん弾の。

 

「何しやがる!」

 

 弾のパンチが俺の腹に命中する。体をくの字に曲げて俺は床に尻餅をついた。腹も尻も痛いから夢じゃない。でもって弾はベッドから身を起こしていた。店長も弾の目覚めに気づいて近くにやってくる。

 

「ちっ、焦らせやがって。おい、バレット。もう朝なんだが事情はちゃんと説明してもらえるんだろうな?」

 

 弾の目覚めを知った店長は先ほどまで弱音を吐いていたとは思えないほどいつも通りに弾に詰め寄っていた。傍目には時間外までゲームをしていたことを怒っているようにしか見えない。俺と違って弾は店長が事情を知っていそうなことを知らないから、きっと長時間プレイしていたことに対して弁明を始めるだろう。

 だが弾は俺の予想に反していた。何も言わずに目を伏せ、両手は自らの下半身にかかっている布団を握っていた。

 

「弾。店長も例のことは知ってる」

 

 弾の様子から、時間を忘れてISVSをしていたわけではないのだと確信した俺は弾と店長との間に入った。店長の前だから話せないなんてことはないと言ったつもりだったのだが、弾はそれでも口を開かない。俺はもう1つのベッドに目を向けながら、1つの可能性に思い至った。

 

「ジョーメイはどうしたんだ?」

 

 まだ目覚めていない朝岡について問うと弾はあからさまに顔を背け、布団を握る手にはさらに力が入っていた。力を込めすぎて震えている弾の手は、行き場のない感情を抑えているようだった。その感情はおそらく怒りや悔やみといったものだろう。たぶん、鈴を巻き込んでしまった直後の俺と同じだ。だからこそ、俺には弾にかけるべき言葉が見つからない。

 

「……俺、さ。一夏のこと、本当は何もわかってなかったんだな」

「え……?」

 

 俺が黙り込むと、弾が独り言を呟くようにして話し始めた。なぜか俺の名前を出している。

 

「前に『どうして話さなかった?』とか言って一夏を殴ったこともあったっけ。でもな、実際にこの立場になって初めて一夏のことがわかった。話せるわけねえよ。俺は知らなかった。自分勝手な事情で、友達を危険に巻き込むのは怖いんだ……」

「おいおい。だからって、ひとりで抱え込むのは間違ってるって言ったのは弾だろ? 話せ。お前の言う自分勝手な事情って奴をさ」

 

 ここ2日ばかりの弾の行動を俺は把握していない。弾から語られた内容は俺の知らない弾の行動が大多数を占めていた。

 弾の彼女である虚さんには妹がいる。彼女は物静かな姉とは違い無邪気で快活な少女であるとのことだが、ここ3ヶ月ほど意識不明の昏睡状態に陥っており、今もなお入院しているという。その事実を最近になって知った弾はがむしゃらに虚さんを追っていた。その過程でジョーメイが虚さんの行方を知っているということで2人でISVSに入り、そこで囚われの虚さんを見つける。ただし、あの“蜘蛛の化け物”というおまけ付きだった。しばらく閉じこめられていた弾たちは決死の作戦で虚さんを救出するも代わりにジョーメイが捕まってしまった。そして、助け出したはずの虚さんも弾の目の前で突然消滅してしまった。

 

「一夏……俺は自分が惨めでしょうがねえよ」

「お前だけじゃない。俺だって鈴を犠牲にしてる」

「でも、鈴は帰ってきた! 今度はそうじゃないかもしれねえだろ!」

「いいや、今回も同じだ! 俺たちで蜘蛛を倒せば、それで片づく!」

 

 解決方法は単純明快だ。イルミナントのときのように元凶であるIllを倒せば被害者は皆帰ってくる。だが弾の顔色は晴れない。

 

「アレを……倒す……? それができたら何も悩まねえよ」

 

 今、俺の目の前にいるのは以前の俺だった。圧倒的な力を見せつけられて、自分じゃどう足掻いても勝てないと思い知らされて……もう一度、立ち向かおうとする心すら砕かれている。

 ――でもさ、弾。俺に答えを示したのはお前だったはずだろ?

 

「俺だってそう思っていた。だけど実際はどうだ? 俺ひとりの力じゃなかったけど、イルミナントを倒して鈴を取り戻した。今回も同じだろ?」

「同じ……なのか?」

「ああ、同じだ。それも、弾が普段からやっているISVSというゲームと同じなんだ」

 

 俺は弾からの受け売りであることを、ただ返すだけ。

 

「敵はデタラメに強い。この明らかな不平等を、自分の手でひっくり返してやりたい。弾はいつだってそう言ってきてただろ?」

「……違うぜ、一夏。それはあくまで“ゲーム”の話だ」

「そっか。少なくとも俺は同じだと思ったんだけどな。そもそも最初っからISVSをゲームだと思ってないくらいだし」

「それはお前が命知らずのバカだからだ。もう二度と目が覚めないかもしれないのに立ち向かうなんて馬鹿げてる」

「知ってるか? そんなバカのために自分も戦うとか抜かすバカもいるらしいぜ?」

 

 弾が言葉に詰まる。弾が俺に言ってくれたことだ。そして、弾もそのことを覚えている。

 

「なんだ……俺が口だけの男ってだけじゃねえか」

「もうひとつおまけに豆知識だ。実際に事を成すまで、人は誰でも口だけの人間だ。でもって弾は()()口だけの男ということになる」

「まだ、間に合うのか……」

「もちろんだ。まだ何も終わっちゃいない。ジョーメイも虚さんも」

「俺、一夏の力を借りていいのか?」

「そもそも弾の話を聞く限りでは、お前だけの都合とは思えないぞ? 俺はきっかけこそ箒を助けるためだったけど、元凶を叩かないと何も終わらないことがハッキリしてる。どう考えてもお前を助けるのはその近道にしかならないって。だから気負うなよ」

 

 俺は全力で弾の背中を叩く。「いってーっ!」と叫ぶ弾は勢いよくベッドから転がり出た。何はともあれ、弾が立ち直って良かった。あとはこれを完全なものとするために“蜘蛛”を倒すだけ。

 俺の携帯が着信を告げる。表示された名前は御手洗数馬。ゲーセンに来る途中で数馬たちにはメールを送っておいたのだが、連絡がきたということはもうゲーセン前にまで来ているのだろう。

 

「もしもし」

『もしもし、一夏? とりあえず来たんだけど、どうすればいい?』

「迎えにいく。ちょっと待っててくれ」

 

 対Ill戦までを想定して声をかけておいたのだ。皆が居れば勝てる。俺はそう信じている。

 

 

***

 

 

 ……予想外デース。なぜにこの方がこの場にいらっしゃるのでしょうか?

 

「ほう。貴様がヤイバか。あの髪はもしやとも思ったが、クラリッサの言う厨二病というケースの方だったか。残念でならんよ」

 

 ゲーセン前で待っていたのは数馬だけではなかった。鈴ではない。セシリアでもない。今まで直接会ったことはないが見覚えはある少女だった。長い銀髪に黒い眼帯などという格好をしている知り合いには、ラウラ・ボーデヴィッヒくらいしか心当たりはない。ほぼ初対面の彼女にいきなり鼻で笑われる俺であった。

 

「数馬……この子、誰?」

「ヤイバ。私は貴様と違い、ISVSでも姿形を変えてはいない。にもかかわらず私を知らないと言うようであれば……体に直接思い出させるしかないようだな」

「俺が悪かったです、ラウラさん。覚えていますとも」

 

 知らないフリをしようと思ったがラウラの中では俺=ヤイバは疑いようもない事実になっているようだ。ISVSで最後に食らった折檻のような攻撃を現実で受けたいとは思わない。

 俺がラウラのことを覚えていると認めると、彼女は無い胸を張って俺を力強く指さしてくる。

 

「ここで会ったが百年目! 私と勝負しろ、ヤイバ!」

「悪い、今取り込み中だからパス」

「私が勝ったら…………何だと? この私がサシで相手をしてやろうというのに貴様は拒絶するというのか!?」

「ああ。今から数馬と大事な話があるから黙っててくれ。というか帰ってくれ」

 

 割とハッキリと邪魔だと言ってみたら、ラウラは暴れるようなことはせずにすごすごと歩道の隅へと移動した。妙に素直で少々驚いたが、いつまでも彼女に構ってられないので数馬に弾の現状について説明を始める。

 

「……私だ、クラリッサ。言われたとおりにしてみたがきっぱりと断られたぞ。どういうことだ?」

 

 数馬に説明している最中にもラウラの声が耳に入ってきた。チラッと見やれば誰かと通話をしているようである。

 

「熱血がダメならツンデレで押せだと? お前は何を言っているんだ?」

 

 相手さんが何を言っているのか把握してないけれど、なぜかラウラに同意できそうな気がした。

 

「一夏? ラウラさんが気になるん?」

「あ、わりぃ。とりあえず弾は無事で、中にいるから早いとこ行こうぜ?」

 

 簡単に説明を済ませた俺は数馬の背中を押して裏口の方へと向かう。数馬はラウラを置いていくことに戸惑いを覚えているようだが、今は彼女に関わっている暇はない。

 

「待て! 待ってくれ! 私はっ! 話がしたいだけなんだっ!」

 

 俺たちの移動に気づいたラウラは通話を中断して追ってきた。なぜか彼女は俺に執着している。その理由に全く心当たりはないのだが、俺に向けて手を伸ばす彼女の仕草に本気さが垣間見えた。俺は数馬を押す手を引っ込める。

 

「数馬は先に行って弾から詳しい話を聞いといてくれ」

「りょーかい。最近の一夏が占いにいけば間違いなく女難の相が出てるだろうね」

 

 一言余計だった数馬を見送って、俺はラウラに向き直った。彼女は伸ばしていた右手を慌てて引っ込めて背中に隠す。

 

「ふん、ようやく話を聞く気になったか」

「なんで偉そうなんだよ。言っておくが、お前の相手をしている時間が惜しいってのはマジだからな?」

 

 やれやれと言いたげなラウラに時間がないと釘を刺しておく。こうして相手をしようと思ったのも、セシリアと鈴の到着を待つ時間があるからというだけのこと。

 

「で? 話ってのは何なんだ?」

「いくつかあるが、時間がないという貴様の事情を考え、私の聞きたいことに関係する単語だけ並べ立ててやろう」

 

 質問する側であるはずの彼女は尊大な態度を崩さないが、もう気にすることはやめにした。彼女の聞きたいことという単語のひとつひとつに耳を傾ける。

 

「ブリュンヒルデ。遺伝子強化素体(アドヴァンスド)亡国機業(ファントムタスク)。アントラス――」

 

 馴染みのない、または聞き覚えのない単語をラウラは並べる。やはり互いに時間の無駄のようだった。俺から彼女に話すべきことはなく、俺が彼女から何かを得られるとは思えない。

 ――彼女の挙げる最後の単語を聞くまでは。

 

「ツムギ」

 

 俺は目を丸くせざるを得ない。ナナやシズネさんから聞く限りでは、シュヴァルツェ・ハーゼはただの雇われであって俺たちの敵ではないはず。にもかかわらず、ナナたちという集団の名前をなぜ知っている? 敵にすらその名を知られるような機会などなかったはずだ。

 

「拷問などせずとも貴様から情報を得ることは容易そうだな。だがしかし、貴様がツムギの名を知っているとは私も驚かされた」

「ラウラ……お前は一体……?」

「どうやら私の勘は全くの見当違いではなかったようだ。しつこく食い下がるクラリッサに無理を言って日本にまで来た甲斐があるというもの。だがヤイバ。貴様との話は後回しのようだな」

 

 ラウラが背後に振り返る。俺もつられて見やれば2人の女子がゲーセン横の脇道に入ってくるところだった。セシリアと鈴だ。

 

「見つけた、一夏! 緊急事態って言うから飛んできたわよ――って誰、その子?」

「鈴さん。彼女は一応、有名人ですわよ。まさか“ドイツの冷氷”がこのような場所に居るとは思いませんでしたが」

 

 鈴を庇うようにしてセシリアが進み出る。明らかにラウラを警戒しての行動であり、チラチラと俺を見てくるのは今のうちに逃げろというアイコンタクトと見た。

 

「いや、セシリア? ラウラはたぶん危険じゃないから――」

「はぁ!? ラウラってその子の名前? アンタ、グローバルに女の子ひっかけて何がしたいのよ!」

 

 なぜか鈴に噛みつかれた。そんな鈴と、警戒を解かないセシリアを見てラウラは「はっはっは!」と声に出して笑う。

 

「そう身構えるな。戦時下ならばともかく、平時下で民間人相手に手を出すわけがないだろう? そもそも私は日本(ここ)に軍人としてではなく、ラウラ・ボーデヴィッヒ個人として来ているのもあるしな」

「そういうことらしい。それに、さっきメールで送ったとおり、ちょっと急ぐ必要がある。今はラウラはいないものと思ってついてきてくれ」

「……わかりましたわ」

 

 おそらく納得がいっていないであろうセシリアは不貞腐れながらも俺の言うことに従ってくれた。鈴はセシリアほど気を悪くしていないようで黙ってついてきてくれる。

 

 俺たち4人が数馬に遅れて店内に入ると、弾と店長がスタッフルームから出てきていた。弾が数馬に俺に話した内容を説明しており、店長は筐体の点検をしている。早速、鈴が弾の方へと駆けていった。

 

「何事かと思ったけど、案外元気そうじゃない、弾?」

「生憎、空元気って奴だ。まあいい。数馬には悪いがもう一度最初から話す」

 

 弾が現状の説明を数馬と鈴にしている。てっきりセシリアも鈴についていくと思っていたのだが、彼女は俺の傍から離れなかった。その理由はおそらくラウラにある。ラウラもなんだかんだで店内にまでついてきていた。

 

「セシリアは弾の話を聞かなくていいの?」

「ある程度は推測できていますわ。必要な情報はIllのことくらいですが、それは一夏さんから聞いても変わらないのではなくて? そんなことよりもなぜ彼女までついてきているのかの方が気がかりですわ」

 

 セシリアが横目でラウラを見る。実際、俺も気になっていたところなのだが、ここまで来たら俺は彼女の力も借りたいと思うようになっていた。

 

「ラウラは暇なのか?」

「お前を頼りにして日本に来たのだ。他にすることはない」

「そっか。じゃあ、ちょっと手伝ってくれないか?」

「手伝う? 自慢じゃないが、私は戦闘以外で人に役立てることなどないぞ?」

「十分だ。手伝ってほしいのは、正しく戦闘だからな」

「いいだろう。話を続けろ」

 

 戦闘と聞いてラウラの目の色が変わった。セシリアへの説明も兼ねて、ラウラに今から俺たちが戦う相手について話すことにする。

 

「経緯については省かせてもらうが、俺たちは今からISVSに入り、蜘蛛の化け物を倒しに向かう」

「蜘蛛でしたか。わたくしの方でも事前に情報のある相手ですわね」

「化け物? ランカーの言い回しか何かか?」

「違うよ、ラウラ。文字通りの化け物だ。ISではないがISに拮抗、もしくは凌駕する性能を持っている相手なんだ」

「なるほど。どこかの国の新兵器……下手をすると亡国機業が絡んでいる可能性があるか」

「亡国機業ってのが何なのかは俺にはわからないけど、そんな認識でいい。問題はこの化け物と戦った場合の敗北は、現実に帰れないことを意味するってことだ」

 

 事前に説明が要る最大の理由はこれだ。何も知らない人をIllとの戦いに巻き込むことはできる限りしたくない。たとえそれが実力者であっても。これは俺の自己満足のようなものだ。俺だけの責任じゃないとするための、俺が一歩踏み出すための儀式のようなもの。

 

「敗北が死に直結する世界を私は知っている」

 

 ラウラは俺の方へ歩み寄ってくると拳を作って俺の胸を軽く小突く。

 

「貴様の言いたいことは理解した。相手はゲームとしてのISVSを根本から脅かすような存在で、最早ゲームではなく実戦と変わらないのだろう? それを聞いてこの私が怖じ気づくとでも思ったか? それとも私を騙したわけではないという免罪符が欲しかったか? 案ずるな。私は死なず、貴様は勝利を得る。私が味方をするとはそういうことだ」

 

 不思議な気分だった。今からIllと戦いにいく俺は不安に潰されそうで、気を張っていないとすぐに弱音が口から出てしまいそうになる。そんな俺が、今日初めて会ったラウラの絶対的な自信を前にして安心を覚えていた。

 急に耳を引っ張られる。

 

「いででっ」

「一夏さん? 呆けていないでくださいな。もう皆さんの準備は終わっていますわよ?」

 

 セシリアに引っ張られて半ば強制的に向かされた先には起動している6台の筐体があった。弾、数馬、鈴は既に座っており、ラウラも座ろうとしている。俺とセシリアもそれぞれの筐体に座ると、店長が全員に声をかけてきた。

 

「今日は臨時休業、お前たちの貸し切りだ。こっちのことは全部俺に任せて、お前たちは敵をぶっ飛ばしてこい。絶対に誰も負けるんじゃねえぞ?」

「はい!」

 

 メットの挿入口にイスカを入れ、全員が一斉に被る。そうして俺の意識はISVSへと移っていった。

 

 

***

 

 弾に言われるままにゲートを潜った先は、見ただけで古いとわかる石積みの壁で覆われた薄暗い場所だった。俺は実物を見たことがないから確証はないがピラミッドの内部イメージはこんなものかもしれない。一言“遺跡”と言われてなるほどと思えた。

 

「さてと。ラウラのせいでゴタゴタしてたけど、ここからは落ち着いて冷静にいこう。ラピス、マッピングと索敵を頼む」

 

 わざわざ俺が言わなくてもやってくれているであろう指示をラピスに出してから、俺は6人という戦力を把握するために全員の装備を目で確認する。

 俺は当然のようにいつもの白式だ。今から射撃を中途半端に始めても足手まといにしかならないから、俺には雪片弐型を主力としたこの構成以外に考えられない。リンとラピスも俺と同様で、装備を変更することは滅多にない。

 バレットは中距離というレンジこそは変えないし右手のマシンガンは同じ物を必ず持っているが、左手の銃はその時々で変わる。今回は相手がユニオンということがわかっているためENライフルにしていた。非固定浮遊部位のミサイルも屋内戦に合わせて、高々度に打ちあがってから追尾を開始する“ミルキーウェイ”でなく単発の高速ミサイルである“ヴェストファール”に切り替えている。

 ライルはフレームを打鉄、両腕にはENブレードを一振りずつという完全に接近戦に特化した装備構成になっていた。

 

「ライルはてっきりバレットと同じ中距離で戦うもんだと思ってた」

「どの距離でも俺には特別な強みはないからなぁ。バレットから聞く限り今回は速い敵らしいし、狭いステージらしいしで一番やりやすそうなのを選んだ」

 

 特別な強みがないと良く言えたものだ。ひとつのことしかできない俺から見れば、ライルの装備の自由度は十分に長所と言える。

 

「敵が単体であるならば、ヤイバとライルを前衛に配置して敵の攻撃を引きつけ、私とラピスラズリとバレットで集中砲火を浴びせるというのが理想の形となるな」

 

 そして、ラウラ。急ぎだからと、シャルルや彩華さんや蒼天騎士団の到着を待たずに少数で乗り込むことになった俺たちには嬉しい戦力だった。彼女が俺たちに手を貸してくれる真意は不明だが、彼女の実力は俺が身を以て知っている。何よりも戦闘に絶対の自信を持ってくれていることこそが心強い。

 

「待ちなさい! ラウラだっけ? あたしは頭数に入ってないの!?」

「敵はヴァリスユニオンなのだろう? “双天牙月”の威力で破れる装甲かは怪しく、衝撃砲も対フォスディバイドには驚異的な効果を発揮するが高耐久力によるごり押しには弱い。今回のケースでは貴様をどう役立てればいいのか見当もつかん」

「さっきアンタが言った陣形だと囮にはなれると思うんだけどダメなの!? ふん! 別にいいわ。あたしの華麗なコンボであっと言わせてやるんだから」

 

 俺が発破をかけるまでもなくリンはヒートアップしてやる気満々だった。強いな。イルミナント戦のことはまるでトラウマになっていないようだ。俺は今もまだ引きずってるというのに。

 

「ヤイバさん。遺跡内の探査を完了しましたわ。内部にわたくしたち以外のPIC反応は1つ。そして、それはISではありません」

「ありがとう。とりあえず逃げられたってことはないようだな」

 

 ラピスからの報告を聞いて俺はそんなコメントをしたが、バレットの顔が青くなったのを見逃さなかった。本当はジョーメイのISの反応もあって欲しかった。だが悔やむには早い。敵が居てくれるのならばまだ手遅れなどではないのだから。

 

「敵がいるのはこの遺跡内でも広めの空間みたいだ。さっきラウラが言った陣形で乗り込み、戦闘を開始する。敵の装備で判明しているものはISの動きを奪う粘着性の糸で、絡まりすぎると実質的に戦闘不能になるから注意するように。準備はいいか?」

 

 先頭に立って背後にいる全員に問いかける。全員が一斉に首肯した。作戦と言うほど何も練れてはいないが、臨機応変に立ち向かうしかない。そのことまで踏まえての同意である。皆と俺自身の力を信じる。

 

 6機のISが列を成して石造りの通路を飛行する。ディバイドが2機ギリギリ並んで飛べるくらいの通路幅だった。この狭さで戦闘となると、速さが命の俺の機体は圧倒的に不利だったことだろう。だが逃げ場がないのは敵も同様であるから、通路で襲われる心配は少ない。蜘蛛らしく糸が仕掛けられている可能性を危惧していたが、それもなかった。

 すぐに目的の部屋の前にまで到着する。俺はここで一度足を止める。この先にIllが待ち受けている。ザコではない、イルミナントと同レベルかもしれない相手がいる。俺は勝てるのか? そう自問すると、今にも雪片弐型を取り落としそうなくらい震えそうになる。

 

『ヤイバさん。わたくしが見ておりますわ』

 

 誰にも聞こえないようにプライベートチャネルでラピスの声が届いた。そうだ。あのときと違って、今回はラピスが居てくれる。彼女が見てくれるときの俺は無敵なんだ。雪片弐型をしっかりと握りしめる。

 

「まずは先制攻撃をしておきたい。敵は通路から狙える位置にいる?」

「部屋の内装の柱の陰にいます。ここから狙えるのはわたくしだけですわね」

「じゃあ、俺たちの突入と同時にラピスは偏向射撃で敵を攻撃してくれ。暗すぎて通常の視界じゃないから敵を見つけにくいから、それで敵の位置を把握する」

「わかりましたわ」

 

 覚悟を決める。そして、俺たちは蜘蛛の餌場という戦場に飛び込んだ。

 後背からいくつもの蒼い閃光が通過していく。蒼の流れ星たちは折れ曲がるような独特の軌道を描いてから全てが一カ所に集中。直後の爆発により、敵の影が浮かび上がる。

 どうしようもないくらいに蜘蛛だった。頭の中でISは人型という先入観があるため、現実離れした怪物であるというイメージが先行してしまう。

 

 頭部と思われる部分についた複数の眼が赤く光る。ラピスの先制攻撃が外れてしまったのか、見る限りは全くの無傷であった。蜘蛛はその場で跳び上がると空中で静止する。8本の機械脚を広げた姿は獲物を待ち受ける蜘蛛そのものであった。

 いつまでも見ているわけにはいかない。前衛の俺が前に出なくては他の皆が動きにくいはずだ。雪片弐型の刃を展開して突き進む。

 

「待てっ!」

 

 唐突にラウラの大声が聞こえ、俺は咄嗟に急制動をかける。何事かとラウラに意識を向けると、彼女は右肩の大砲で俺を狙っていた。ご丁寧にプライベートチャネルで『動くなよ』というメッセージ付きである。

 何の躊躇いもなくラウラから砲弾が放たれた。火薬で得た初速をレール内で電磁的に加速された一撃は俺の脇を掠めて飛んでいく。俺が飛び込もうとしていたルートを飛ぶ砲弾だったが、何もないところで弾速が急落して空中で停止する。

 

『申し訳ありません、ヤイバさん。わたくしでも例の糸の場所を全て把握することは困難です。今回はわたくしのナビゲートをアテにしないでくださいませ』

 

 バレットが言っていた糸による罠だった。ISによる暗視で部屋の物の配置がわかる程度の視界では、糸を視認することは難しい。何より厄介なのは、今のラウラの砲撃で証明されたように、レールカノンによる攻撃でも糸を切れない点である。迂闊に飛び込めばすぐに行動不能となってしまう。俺やライルのようなブレードしかない機体では機動性を殺されたも同然だった。蜘蛛に射撃攻撃でもされてしまえば、避けて糸に飛び込むか攻撃を受けるかしかない。

 

「うらあああ!」

 

 足を止めてしまった俺の隣に来たバレットが叫びながらマシンガンを乱射する。蜘蛛を狙ったものではなく、傍目には気が狂ったようにしか見えない。レールカノンと比べて小さい弾丸たちが糸に触れると当然と言わんばかりに止まってしまう。だが無駄ではなかった。

 

『皆さん、バレットさんのおかげで罠の位置を粗方特定できましたわ』

 

 バレットの乱射の直後にラピスから情報が送られてくる。それは張り巡らされた糸の配置図。白式の視界と同期して見えなかった糸が見えるようになっていた。ラピスは糸の振動を音として拾って、音源となる糸を弦と見立ててマッピングしたらしい。説明されても俺には良くわからなかった。

 

 蜘蛛に動きがあった。蜘蛛の尻に当たる最も巨大な部分が左右に開くと、そこには丸い砲口が見える。糸の情報を頼りに回避ルートを導いて現在位置から急速で離脱する。糸の隙間を通過してくる敵の攻撃は実体弾であった。俺のいた位置を通過した砲弾は石壁に当たり、壁に弾かれる。

 蜘蛛の勝ちパターンは敵が罠に飛び込むまで砲撃を繰り返し、罠にかかった敵を一方的に攻撃するといったところだろう。俺やリンだけでは間違いなくしてやられていた。やはりラピスがいるのといないのとではまるで違う。

 糸の位置はわかっている。俺、リン、ライルの3人で当初の予定通りに接近戦を仕掛けることにした。最初に到達したのはライル。ENブレードの代表とも言える武器“クレセント”の二刀流で斬りかかった。対する蜘蛛はその図体では考えられない俊敏な移動で簡単にライルから距離をとってしまう。

 

「あたしに任せなさーいっ!!」

 

 蜘蛛の移動先にはリンがいた。出撃前、ラウラに火力を期待できないと言われたためにムキになっていることが心配だったが、彼女は思いの外冷静だった。下手に近寄ることはせず、双天牙月を連結させて投擲。さらに追撃として衝撃砲も発射している。

 蜘蛛は脚で双天牙月を受け止めた。近接ブレードも手から離れてしまえば、その威力は減退する。蜘蛛の脚にはまるで傷がついていない。衝撃砲は問題なく命中して、金属を叩く音が聞こえた。だがそれだけである。蜘蛛の見た目はまるで変化がない。

 

「今だ。総攻撃をかけるぞ」

「言われなくても!」

 

 リンの攻撃によって蜘蛛の意識は後衛から逸れていた。ラウラとバレットがそれぞれ位置を確保すると、ラピスも交えて3人の一斉射撃が行われる。蒼い閃光群、レールカノン、マシンガンなどの様々な攻撃が一カ所に殺到した。俺が入っていくような隙間がない弾幕を前にして、蜘蛛が逃げおおせるとは思えなかった。事実、蜘蛛は動けていない。

 

「やったか!?」

 

 確かな手応えを感じたのか、バレットが呟く。バレットの経験上ではISを倒せるだけの攻撃を叩き込んだのは間違いない。でも、俺の経験上では違う。これで倒れていたらどんなに楽なことか。

 音や煙といった一斉砲火の余韻が消えていき、俺たちの視界が戻ってくると、やはり蜘蛛の姿があった。そして、やはりダメージはほとんどなかった。蜘蛛の周囲には灰色に光る障壁のようなものが存在していて、それで攻撃を防いでいたようだ。

 

「ちっ! わかってはいたが、チート臭い装備持ってんな!」

「ENシールドの類か。ヴァリスユニオンが使用できるような装備ではないはずだが、ISの常識を当てはめるのは良くないようだ」

 

 バレットが悪態をつき、ラウラが分析をする。ENシールドはシールドなどと呼んでいるが実質的にはENブレードと同種のものだ。ラウラの言うとおり敵の装備がENシールドだとしたら、俺の雪片弐型も防がれる可能性が高い。

 

『イルミナントの翼と違い、IS用装備と思われますわ。無制限に使える装備ではないはずですので、いずれ突破できます』

『そう願ってるよ……』

 

 敵のENシールドはバレットが知らないだけの新装備だとラピスは推測を立てる。おそらくはミューレイ製。ENブレードよりも燃費が悪いのがENシールドの特徴だから、連続使用は不可能であるはず。それらは全て的中していたようで、蜘蛛の周囲の障壁が消失する。

 

 蜘蛛の守りが消える。このチャンスを逃すつもりはなく、俺を含んだ前衛3人で一斉に飛びかかった。リンは囮だが、俺かライルのどちらかの攻撃がクリーンヒットすればかなりの損傷を与えることができる。3方からの同時攻撃。逃がすつもりはなく、全員を一斉に捌くことなど容易にできることではない。

 蜘蛛は俺を向いた。俺の攻撃は届かないかもしれないが、ライルの攻撃が届けばそれでいい。その後にも俺たちの攻撃は続く。イルミナントほどじゃない。俺たちならコイツを倒せる!

 

 蜘蛛の脚の一つからENブレードが生える。脚の長さの分だけ俺よりもリーチが長く、反応が早い敵のため、蜘蛛の先制攻撃を許してしまった。俺にできる防御手段は雪片弐型で受けることだけ。エアハルトの一撃と比べれば軽すぎるため、防ぐこと自体は全く問題なかった。雪片弐型の出力を頼りにして弾き飛ばし、蜘蛛の頭めがけて雪片弐型を振り下ろすと別の脚から生やしたENブレードで受け止められる。流石に手数だけは蜘蛛の方に分があった。俺一人では押し負ける。だから早くライルの攻撃が来てほしかった。

 

「うわっ! なんでこんなところに糸が!?」

 

 そんなときにライルの戸惑う声が届く。事情を把握し切れていないが、後方からライルが攻撃を加えていないことから何かのトラブルが発生したようだ。蜘蛛の攻撃を受け流しつつラピスからの報せを待つ。

 

『ヤイバさん! すぐに距離を取ってください!』

 

 ラピスが慌てて通信を送ってくるのと俺が後方にイグニッションブーストをしたのは同時だった。蜘蛛とは関係のない方向から射撃攻撃が来たからだ。誰かの流れ弾かと思ったが、そうではない。床に着弾したそれの射線には糸が張られていたのだ。

 

「蜘蛛の攻撃か!? でも奴は俺の前にいたはずじゃ……」

『……BTですわ』

 

 ほぼ直感で避けられた攻撃は蜘蛛から離れた場所から放たれたものである。それができた理由をラピスは一言で説明し終えた。ラピスの主武装であるBTビット。蜘蛛は糸以外にもそんな隠し玉を持っていた。おまけに蜘蛛のBTが発射するものはEN属性の弾ではなく例の糸だった。

 

「ヤイバ! ライルが捕まった!」

「何だって!? 助けないと――」

「きゃあああ!」

「リンっ!? おい、リン!」

「何よ、これ! 動けない!」

 

 ライルはBTからの糸をまともに受けてしまって行動不能。バレットからその状況を知らされている間にリンも捕まってしまった。一瞬で6人中2人がやられた。厳密にはまだISは機能停止していないが、動けないのでは一緒だ。俺の位置からライルは見えないが、リンに無数の糸が絡まって、壁に張り付けられているのが見える。

 

「今、助けに行くぞ、リン!」

 

 反射的にリンの方へと向かおうとした。だが黒いIS、ラウラが前に立ちはだかる。イグニッションブーストを使用した俺がラウラの前でピタリと停止した。いや、させられた。ラウラの右の掌が俺に向いているだけで、俺は影を縫われたように移動できなくなっている。

 

「落ち着け。今の貴様の行動は敵の思う壺だ」

「でもリンが!」

『ラウラさんの言うとおりですわ。リンさんを助けたいからこそ、落ち着く必要があります』

 

 白式にデータが送られてくる。蜘蛛のBTが現れてから変更されたラピスによる糸の予想配置図だった。視界に反映されると俺の突撃するはずだった先には網のように張り巡らされていることがわかる。

 

「くっ!」

「敵が一枚も二枚も上手だった。高レベルのBT使いとなれば、こちらの数の利などまるでない。こちらには有効な装備もなく、劣勢をひっくり返せそうにはない」

 

 ラウラに戦況分析されるまでもなく敗色が出てきたことは俺でもわかる。だからどうするべきかが知りたかった。不利な戦況でも冷静さを欠かさないラウラの考えを聞くために俺は黙って待つ。彼女ならなんとかしてくれるのではないかと思ったんだ。

 

「実質的な戦力は私とラピスラズリくらいだ。敵は国家代表と渡り合える実力と見ていい。この私と言えど勝率は高くない相手ということだな。こうなってしまえば一度退いて戦力を整えるのが得策だろう」

 

 俺のささやかな希望は容易く砕かれる。ラウラはリンとライルを置いていくべきだと言いやがったのだ。でもそれじゃ、無理を押して来ておいて犠牲を増やすだけにしかなってない。このまま撤退して蜘蛛を逃がすようなことになれば――

 

 俺はまたリンを見捨てるということになる。

 

「だったらお前だけ帰ってろ」「なら、てめぇだけ帰ってろ」

 

 ラウラの発言に俺とバレットが声を揃えて噛みついた。残った4人だけ撤退などという選択肢はありえない。退くにしても、リンとライルだけは取り戻す。友達を助ける。それが俺たちが戦う理由なんだ。

 

「この部隊のリーダーはヤイバ、貴様だ。貴様が戦闘の継続を指示するというのならば、私も従おう」

「戦う理由がない奴が無理して戦う必要なんてない」

「誰にものを言っている? 私の戦う意味など、存在意義の一言で片が付く」

 

 ラウラが右手を下ろすと白式が自由を取り戻した。何をされたのか理解し切れていないがおそらくはラウラの真打ともいえる装備なのだと思う。彼女はまだ底を見せていない。一度は撤退を進言したにもかかわらず、彼女はやる気満々といった様子だった。現実の彼女と同じ、左目を覆う黒い眼帯を取り去って、初めて両目を開いた状態を俺たちに見せる。塞がれていた左の瞳は……どこかで見たような金色をしていた。

 

「陣形を変更だ。私が単独で前衛として直接斬り合う。バレットはラピスが糸とBTの位置を把握するために実弾をばらまけ。下手な鉄砲、数打ちゃ当たると言うだろう? ラピスは全員に回避に使えるルートを絶えず知らせろ。ヤイバは距離を離して攻撃を回避しつつ待機。これでいいなら承認しろ、リーダー」

「あ、ああ。皆、それで頼む」

 

 同意を求められ、俺は了承する。それからのラウラの動きは素早かった。暗闇の部屋に潜む蜘蛛をあっさりと見つけ、両手の赤く光る手刀で飛かかっていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 久方ぶりの本気だった。ラウラは自らの不完全さの象徴である左目の封印を解き放ち、平常時よりも遅く流れる時間の世界に足を踏み入れる。

 ……敵ヴァリスユニオン、AICキャノンの発射体勢。

 蜘蛛は尻を上部に持ち上げ、砲口を開いた。AICキャノンは8本の脚で自機を固定しなければ発射できない代わりに、PICCの有効時間が長いことによる長射程と近接ブレードと同等のPICC性能を得た、対IS用実弾射撃の中で最高の単発火力を誇る武器だ。ヴァリスの標準といえるラウラの機体の防御力でも容易くシールドバリアをブレイクされるほどの代物。弾速はレールガンと同等以上で、直撃しなくとも掠めるだけでPICに影響が出て機動性が下がる危険性もあった。

 

「イナーシャルコントロールでこの私に勝負を仕掛けてくるとはな」

 

 ラウラは避けようとすらしない。ENブレードモードを解除した右手を前に出す。対策はたったそれだけだった。

 蜘蛛から砲弾が放たれる。槍型ブレードを持ったISが無謀な突撃をしてくるのと同等な一撃はもう避けられないタイミングとなっていた。だがラウラの顔には一切の焦りは存在しない。それどころか笑っていた。

 砲弾がラウラのIS“シュヴァルツェア・レーゲン”の固有領域(※PICの影響範囲のこと)を侵犯する。その一瞬にラウラは球状の固有領域と砲弾の接触するただ1点に意識を集中させた。

 

 AIC。アクティブイナーシャルコントロールと呼ばれるIS操縦技術は宍戸恭平が織斑一夏に教えたようにイグニッションブーストなどの高度なテクニックの基本となるものだ。主な使い方は移動時の安全装置を外したり、物理ブレードの攻撃力を高めたり、敵からの実弾攻撃に合わせてPICによる防御をピンポイントで強化したりである。今、ラウラが行っているのもAICの枠から外れたものではない。AICによるピンポイント防御。ただ彼女のそれは度が過ぎている。それだけの話だ。

 

 砲弾はラウラの右手の前で静止した。彼女が止まっている砲弾を横から叩くと屑鉄同然となって落下する。蜘蛛の最大の射撃も彼女の前では何の役にも立たない。

 ラウラに見られた実弾は全て時が止まったかのように静止する。まるで空気自体が氷漬けになったと言い表され、彼女と相対したプレイヤーたちは彼女のことをこう呼ぶようになった。

 ――“ドイツの冷氷”と。

 

 AICキャノンの無力化により蜘蛛は迎撃手段を変更する。ラウラを包囲するために罠を仕掛けていたBTの照準を直接ラウラに向けた。左目を解放したラウラにとって弾速は大した脅威とならないが、視認を難しくさせるステルス性を有した攻撃はAICで防げる可能性が小さくなる。だからそもそもAICで防ぐことなどラウラは考えていなかった。

 ラピスからの情報も合わせて自分を狙っているBTの位置は割れている。糸の発射は射程が短いのか、ラウラを狙っているBTは全てラウラのワイヤーブレードの射程内だった。肩部から射出される有線の矢尻がBTの発射口に飛び込んでそのまま貫通する。

 

 障害の排除を完了。残る抵抗は機械脚に付けられているENブレードのみ。全ての脚を斬り落としてしまえば勝利は見えた。懐に入ったラウラを取り押さえようと蜘蛛は前足の2本を振りかぶる。その動きもラウラの左目にはスローモーションに映っていた。向かって右側の脚に自分から飛び込んでいき、またもや右手をかざす。蜘蛛のENブレードは根本で静止させられ、隙だらけの脚をラウラは左手の手刀で斬りつける。ラウラの左手は蜘蛛の脚にめり込んだ状態で止まった。ENブレードが消失し、武器としての機能を停止した蜘蛛の脚だったが、駄目押しとしてラウラは推進機を噴かす。加速によって強引に力を加算された結果、ラウラの左手は蜘蛛の脚の1本をちぎり取ることに成功する。残りは7本。

 蜘蛛は接近戦の不利を悟って後方に大きく飛ぶ。逃がすまいと右手を蜘蛛に伸ばすラウラだったが、唐突に頭に針が刺さったような痛みが走り顔をしかめた。咄嗟に手で左目を隠すことで痛みは落ち着く。その間にAICで足を止めることに失敗して蜘蛛を取り逃がした。

 

『ラウラさん、どうされました?』

「しばらく左目を使っていなかったのが災いした。想定していたよりも戦闘に許された時間が短かったようだ」

 

 ラウラの左目は常人よりも遙かに多くの情報を脳に送りつける。それは必ずしも良い結果のみをもたらすわけではない。脳が悲鳴を上げるのだ。

 

 “越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)”と名付けられた悪魔の眼は人の進化を謳って行われた遺伝子レベルの改造によって生まれた。常人では認識できない速さを正確に見極めることができ、ISがなくてもハイパーセンサーに迫る能力を持っている。越界の瞳を持った者がISを使うことで相乗効果をもたらし、高難度であるピンポイント防御も可能とさせていた。

 だがラウラの越界の瞳は失敗作である。ラウラの意志に関係なく常に全開となってしまうため脳にかける負担が成功作の比ではない。右目は常人と変わらず、研究者はラウラを見捨てて脳に必要な処置も加えなかった。

 

 蜘蛛と距離が開いてしまった。ラウラは左目を押さえたまま右肩の“ブリッツ”を展開して蜘蛛を狙い撃つ。効果が薄くとも避けられることはないはず。少しでも損失を与えるために放たれた一撃。しかし無情にもラウラの攻撃は届かない。蜘蛛の眼前で砲弾が宙に静止していたのだ。

 やり返された。“ドイツの冷氷”の得意技を蜘蛛は平然と真似してのけた。ラウラでさえ“眼”の恩恵がなければ100%成功するわけではない技を蜘蛛が成し遂げた理由を推測するのは簡単だった。

 この蜘蛛の中身は――成功作だ。

 

「このような場所で私は足を止めるわけにはいかない。何より、なんとしてでも貴様に聞かなくてはならないことができた」

 

 冷氷の二つ名のとおり、どのような戦場でも冷静さを欠いたことのないラウラ。しかし今の彼女は熱くなっている。予てより疑問に思っていた自らの存在に対しての答えを持ち合わせているかもしれない相手が目の前にいるのだ。ブリュンヒルデの手がかりを追ってヤイバに接触したラウラだったが思ってもいないところで自らの最大の目的に近づけた。

 過去にラウラが感じたことのない高揚感がラウラの冷静さを奪う。頭痛を忘れて、自らに残された攻撃手段も忘れて、蜘蛛の狩り場を舞う。蜘蛛はBTから糸を射出してラウラの動きを封じようと試みる。ワイヤーブレードで先にBTを落とせば問題ないことは先ほど証明されたばかりだ。

 だがワイヤーブレードを出すことができなかった。

 

「さっきの糸か!?」

 

 先のBT破壊時にワイヤーブレードには糸が付着していた。その状態のまま収納されたワイヤーブレードは本体内部で接着されて動かなくなっている。ラウラはそれを承知で蜘蛛に接近戦を仕掛けていた。もう一度距離を取られた時点で別の戦術を取らなくてはいけなかったのだが、熱くなった頭では適切な判断を下せなかった。元よりラウラは自分のために戦うことが初めてである。欲ともいえる自らの衝動が戦闘の思考に与える影響を経験したことがなかった。

 辛うじてイグニッションブーストで後方に飛び、糸の直撃は免れる。再び接近するためにはヤイバたちを利用しなくてはならない。

 

「ヤイバ、バレット。もう一度私が奴に接近戦を挑む。貴様たちは周りのBTを引きつけ――」

『ラウラさん! 危ないですわ!』

 

 一度冷静さを失った思考では咄嗟の判断ができなかった。蜘蛛BTの糸はラウラには命中しなかったものの対面にあった別のBTに命中した。BT同士が糸でつながっている。これが何を意味するのかを把握しているのはラピスだけ。

 BTが移動する。ラウラは砲口さえ向いていなければ脅威としていなかったが、それは油断でしかなかった。BTの移動によってラウラに糸が張り付く。

 

「しまった!?」

 

 最初の糸が付着した時点で事態に気がついたラウラだったが時すでに遅し。蜘蛛のBTがラウラの周囲を旋回することでまずは左腕の自由を失う。糸を張らせたBTの(つが)いは1組ではなかった。ISのパワーでも引きちぎれない粘着性と強度を持った糸は次々とラウラに絡まっていく。ついに両腕を縛られ、ブリッツも体に括り付けられた。蜘蛛の巣というよりも繭のようになってしまったラウラは床に固定されてしまう。

 

(私の負け……か)

 

 手足を全く動かせず、攻撃手段をほぼ全て失った。両手のENブレードを展開しても糸は切れず、自分の体に密着しているために自分のストックエネルギーを消費する自滅にしかならなかった。

 わざとらしく獲物に聞かせるように蜘蛛が床を這う。図体からは考えられないカサカサという軽い音は虫に抵抗のないラウラでさえ嫌悪感を覚えるものだった。目の前にまでやってきた蜘蛛は口を開いた頭部を無防備なラウラの体に押しつける。頭部とは言っても操縦者の頭があるわけではない。口の中からは2つの杭が覗いていた。

 

(シールドピアースか。念入りに戦闘不能にしたいらしい)

 

 ラウラに杭が打ち込まれる。シールドバリアは呆気なくブレイクされ、次弾が蜘蛛の口に装填されていた。ヤイバたちの支援は間に合わず、2回目の杭も受けるしかなかった。アーマーブレイクしたISが耐えきれるものではなく、絶対防御の発動によりシュヴァルツェア・レーゲンのストックエネルギーは空となった。あとは知り合ったばかりの素人たちに任せることになる。

 ストックエネルギーが0になっても転送が始まらない。そのこと自体は事前のヤイバの簡単な説明でわかっていたことであるから、ラウラに焦りはない。今の自分の状態も現実でエネルギー切れを起こしたISと全く同じであって、戸惑いはなかった。

 

 だがひとつだけ予想から外れていたことがあった。

 

 蜘蛛がラウラから離れない。

 頭部を密着させたまま、次の杭が装填される音が聞こえてくる。

 次の獲物に向かうべきという考えは人の定石であって蜘蛛のそれは違う。

 ISの加護が無くなった操縦者にシールドピアースという牙を突き立てようとしているのだ。

 

 現実でならば間違いなく死ぬ。ラウラの中の常識に照らせば当然のことで、改めて覚悟をせずともラウラは受け入れることだろう。

 だがここはISVSという仮想空間に造られた世界であり、今の肉体はラウラ自身のものではない。肉体が損傷しても直接的な死に結びつかないことはゲームとしての側面の中でも証明されている。

 

 Illという存在が無ければ……だ。

 

 Illによってプレイヤーたちのログアウトは封じられている。ゲームにあった安全装置の範囲外の状況に陥っているということにラウラは思い至っていた。今の状況に限定して、ISが無いプレイヤーには痛覚が存在するということに。今から始まるのはラウラの精神を甚振るためだけの拷問。ラウラは目を閉じて歯を食いしばった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 俺は手出しができずにいた。眼帯を捨てたラウラは以前に俺が相手をしたときとはまるで違う鬼神のごとき迫力を伴って蜘蛛に突撃していった。俺が割って入る隙はまるでない。トップランカーの強さをただ呆然と見ていた。

 その間にもバレットとラピスは蜘蛛のBTを撃ち落とそうと必死に射撃を繰り返していたが、なかなか命中しなかったり、撃ち落としてもまた新しいBTが蜘蛛から射出されることを繰り返すだけだった。

 俺が何もできないうちに事態は悪化する。ラウラが糸に捕まった。すぐに助けようと思った。でも思っただけで動けなかった。これすらも蜘蛛の張った罠なのだと、誰かに言われた気がしたからだ。誰かとは多分、弱気な俺なのだと思う。BTを利用した動く蜘蛛の巣によって、俺は下手に動けない。

 

『ヤイバさん! ラウラさんが!』

「わかってる。ラピスは糸の位置を調べてくれ。俺が行く」

 

 口ではなんとでも言えた。今の俺は蜘蛛の元へ飛び込む危険性を理解してしまっている。さっきの俺なら迷わずに飛び込んでいたはずだというのに、足が竦んでいた。ラウラの敗北も俺を躊躇わせる要因のひとつだった。

 壁に張りつけられているリンの姿が見える。蜘蛛の注意がラウラに向いている今ならリンを助けられるかもしれない。ライルもバレットが助けにいける。ラウラを見捨てれば、なんとか他の皆は生還できる可能性があった。

 

 別にラウラは俺の仲間というわけじゃない。ラウラはナナたちを襲っていたこともあった。まだ信用していい相手だと断言できるわけじゃない。それに他ならぬ彼女が一時撤退を進言していた。それに従えばいいじゃないか。シャルルや彩華さんの手を借りてもう一度挑戦すればいいじゃないか。ラウラを犠牲にして、体勢を立て直せばいいじゃないか……。

 

『そんなことできるかああああ!』

 

 気がつくと俺は叫んでいた。いや、俺たちは叫んでいた。

 

「ラピス、全部を調べる必要はない。俺はラウラから蜘蛛を引き剥がすために全力で突っ込む。その障害となる全てのBTと糸を適宜俺とバレットに知らせてくれ」

『了解しましたわ。わたくしもそう進言しようとしていたところです』

 

 ラピスに指示を出してから俺はバレットと向き合った。さっきバレットは俺と全く同じ言葉を叫んでいた。俺と同じことを考えた後でそれを否定したのだ。なぜか今の俺にはバレットの心中が自分のことのようにわかる。いつも以上に力が溢れている。まるでイルミナントとの決戦のときのよう。

 

「バレット。お前の射撃をアテにしてる」

「偉そうに言っといてヘマすんなよ」

 

 互いに拳を形作って合わせる。その瞬間から俺とバレットは何か特別なものでつながったような気がした。

 同時に蜘蛛へと向かう。ラピスから送られた情報を元にバレットがマシンガンを乱射する。糸に接触した弾丸が停止して張り付き、移動する糸が弾丸によってわかりやすくなっていた。糸の位置に確信さえ持てれば避けられる。

 蜘蛛の上を取った。バレットに事前にマシンガンを撃ってもらい、直線上に糸が無いことは確認済み。雪片弐型を振り上げた。戦闘不能になっているラウラからまだ離れようとしていない蜘蛛めがけて急降下しながら振り下ろす。

 寸前で蜘蛛は俺に気づいた。7本の脚を曲げてからの跳躍であっという間に距離が開く。攻撃が空振った俺は地面にぶつかるようにして着地。そこへ蜘蛛のBT3機が砲口を俺に向けてきた。

 

 俺は反射的に武器の一覧を呼び出す。雪片弐型以外の装備が並んでいた。イルミナント戦以来、一度も再現ができなかった装備の共有化ができている状態。ラピスが言うクロッシングアクセス状態になっている。

 

(借りるぞ)

(おう。……って何がどうなってんだ、これ!?)

 

 雪片弐型をしまってから両手にマシンガンとENライフルを呼び出した。BTのうち2機を両手に持ったそれぞれの銃で撃ち落とし、残り1機はラピスの偏向射撃によって貫かれる。とりあえずの障害を排除し終えたので両手の武器をバレットに返却し、無手のまま蜘蛛への追撃に移行。バレットも俺と同様にイグニッションブーストで蜘蛛への接敵を試みる。

 

(宍戸の課題、こなせるようになったんだな)

(いや、まだできたことがなかったんだが、不思議と今は使えてる)

 

 ラピスのときと同じ。互いに持っていない技術をも共有して埋め合わせている。バレットの技能が無ければ、俺が銃を持ったところで正確に当てられるはずもなかった。

 俺たち2人が蜘蛛を挟み撃ちにしようと囲い込むと、蜘蛛はバレットに矛先を向けていた。俺の戦闘スタイルを把握しての判断だろうが、今の俺たちにはあまり関係なかった。バレットの武器を全て俺が展開する。マシンガン、ENライフル、ミサイル。俺に背を向けた蜘蛛に対して容赦なく一斉射撃を敢行する。

 蜘蛛は俺の射撃を全て避けてみせた。全力で跳躍して天井に張り付く。その動きには一切の余裕がみられず、対するこちらは蜘蛛の動きも読んだ上で追撃に入っていた。

 

(いけ、バレット)

(ああ。コイツを……倒す!)

 

 バレットのイグニッションブースト。蜘蛛はイグニッションブースト直後で動けず、バレットを遮るBTも糸も存在しない。バレットの右手に握られている武器は――雪片弐型だ。

 

「うらあああああ!!」

 

 バレットの絶叫とともに雪片弐型が蜘蛛に突き立てられる。脚の集まる胴体をえぐり、蜘蛛の頭部が離れて床へと落下していく。7本の脚は制御を失ってだらりと垂れ下がっており、蜘蛛に残された部位はAICキャノンの付いた尻の部分だけとなる。あとはバレットが雪片弐型で斬れば決着だ。

 

 勝った。それは俺たちの誰もが確信したことだろう。だが一息をつく暇なんて俺たちにはなかった。

 第六感ともいえる言葉にはできない感覚で俺は咄嗟に後ろを振り返ってENライフルを縦に構える。ENライフルに何かが命中して両断されたため、投げ捨てた。何かとは近接ブレードに決まってる。

 一撃目を凌いだが俺には敵の姿がすぐには見えなかった。白式も敵の存在を認識していない。この現象は以前にシャルルと一緒にいたときにも経験している。やがて敵の正体が見え始めた。

 

 左腕に無骨な甲冑。それ以外の外見は通常の打鉄と同じで、背中にミサイルが大量に積まれている。

 ディバイドスタイルのため、彼女の顔は見えている。昨日の放課後にみたあの女と同じ顔だ。あの女は俺が読んだ名前を肯定している。もう一度俺は名前を呼んだ。

 

「楯無ィ!」

「…………」

 

 俺に斬りかかってきた楯無は名前を呼んでも不気味なくらいに無反応だった。まるで俺の声など聞こえていないようである。そんなことなど問題ではなかった。このタイミングで襲ってくるということは楯無は間違いなく蜘蛛の仲間だ。

 俺が楯無と対峙している間にバレットの方でも問題が発生していた。バレットが蜘蛛の残った装甲をぶった斬るもその刃は中程で止められてしまったのだ。ENブレード同士の干渉だ。もう装甲としての機能を失った蜘蛛の尻はバラバラと崩れ去る。そして、内部からは――ISが出てきた。

 蝶のような翅を生やした青いISだった。ISというのは見た目の話であり、実質はIllのはず。蜘蛛はただの外殻に過ぎず、本体はまだ戦ってすらいないということになる。

 

「ラピス! いったいどうなってるんだ?」

『わ、わかりませんわ! 入り口にはわたくしがいたはずですのに、気が付きませんでした!』

 

 楯無の進入でラピスがやられたのかと思ったが、そうではないらしい。その事実はラピスがやられたよりも重いことなのだが、今はそれを論じてる場合ではない。楯無の援軍によって3対2になった。戦況は悪化するばかりで、緊張状態が長く続いていた俺たちの疲労は隠せないものとなっていた。

 このまま戦闘するのはマズいと思っていた矢先である。楯無は予想外の一言を発した。

 

「ここは私が引き受ける! 早く逃げて!」

 

 楯無は刀の切っ先を俺に向けたまま、俺の動きを丁寧に観察していた。楯無の発言から考えるに、コイツは蜘蛛の中のIllを逃がそうとしている?

 

「バレット、逃がすなよ!」

「くそ、無理だ! 逃げられちまう!」

 

 蝶のIllからは蜘蛛とはまた違う種類のBTビットが射出され、バレットを集中砲火していた。バレットはその攻撃を全て避けたのだが、その間に蝶は入り口へと向かう。

 

「逃がすかよ!」

「させない!」

 

 俺が向かおうとすると楯無が回り込んでくる。バレットから返してもらった雪片弐型で斬り払おうとしたが、前回と同じく左手の小手から伸びた爪状のENブレードによって阻まれた。

 入り口にいるラピスも蝶を抑えられずに突破を許す。格闘ができないラピスに止めろという方が無茶だった。もう俺たちでは追いつけない。

 

 蝶が離れてから割とすぐにラウラの姿が消えた。おそらくは俺の時と同じ。Illの影響がなくなったことでISVSのシステムが正常化し、自動での転送が始まったのだ。

 

「まだ準備不足ね。この次よ。次こそあなたを討つ!」

 

 俺と睨みあっていた楯無はまたもや俺に敵意を言葉にしてぶつけてきた。それだけ俺は敵にマークされているということなのだろう。しかし準備不足とは何だ? 今の状況では蝶と共に攻めてきていれば俺たちを倒せたはずなのに。楯無は捨て台詞を残して姿を消した。ゲームからの離脱と同様の転送によって……。

 戦闘が終了した。リン、ライル、ラウラの3人は戦闘不能になっていたため一足先に戻っているはずだ。俺たちは蜘蛛には勝利した。だがスッキリしない終わり方である。目的を果たせたとは言えなかったんだ。

 

「俺は間に合わなかったのか……虚さん、ジョーメイ」

 

 バレットが床に手を着く。バレットの悔しさは良くわかるつもりだった。だからこそこの場で自分を責めることに意味はないことも知っているつもりだ。俺はバレットを立ち上がらせる。

 

「帰ろう。今後のことは戻ってから考えようぜ」

 

 失意の中、俺たち3人は蜘蛛の狩り場となっていた遺跡から帰還した。

 

 

***

 

 

 現実に帰ってきた俺たちを先に戻った3人が出迎えてくれる。

 

「やったわね、弾!」

 

 弾の胸の内を知らないのか、鈴は目覚めた俺たちに向かってそんなことを言ってきた。いくら鈴でも許せない内容だ。弾に代わって俺がきつく言ってやる必要があると思って、筐体のイスから身を起こして振り向く。

 

 出迎えは3人じゃなかった。5人いた。店長のことは本当に忘れていたのだが、もうひとりは俺も弾も予想していなかった。

 

「いやはや、助かったでござる。これはヤイバ殿にもバレット殿にも、もちろんここにいる皆さんにも頭が上がりませぬ」

『ジョーメイ!?』

 

 ジョーメイも帰ってこれていたんだ。無理を押して蜘蛛を倒しにいったのは決して無駄なんかじゃなかった。それがたまらなく嬉しかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ISVSの空を青い蝶が舞う。逃亡の果てに見つけた遺跡(レガシー)に巣を作り、定期的にやってくるプレイヤーを餌として力を蓄えていた怪物は再び行き場を失っていた。共に逃亡をしていた仲間がひとりだけいたが、蝶は全く気にかけない。蝶の目的は何にも負けない力を身につけ、自らを生み出した者たちと自らのオリジナルを倒すこと。それを成し遂げなければ自分の価値がわからない。蝶は狂っていたのだ。

 

「やっと見つけましたよ、マドカちゃーん。と言っても実はもうちょっと前から見つけてはいたんですけどねぇ」

 

 単独で飛行する蝶のIll、マドカの隣に唐突に男が現れた。ISらしいISをつけていないサングラスの優男の名はハバヤという。不意を突かれたマドカが慌てて飛び退くと背中に何かがぶつかる。

 

「あらら。まだ何もしていないのに私に身を預けるんですかぁ? とんだビッチですねぇ」

 

 マドカは男から離れたはず。にもかかわらず、ハバヤはマドカの背後をとっていた。マドカの目線の先には背後のハバヤとは別に飛行しているハバヤがいる。しかし、そのハバヤは幻か何かであったかのように掻き消えた。状況の認識が追いつかないままにマドカはハバヤとの戦闘を開始する。ENブレード“クレセント”を取り出して、背後のハバヤを斬りつけた。マドカの攻撃は男に命中する。いや、命中したように見えただけでENブレードに手応えはなく、ハバヤをすり抜けていた。当然、ハバヤにはまるでダメージが入っていない。

 

「ついでにじゃじゃ馬のようです。いやー、本当はもうちょっとプレイヤーを食っていただきたかったのですが、私も欲を出し過ぎましたねぇ。今のあなたを私が退治してもリスクしかないんです。そこんところ、わかります?」

 

 マドカはハバヤの姿を見失っていた。ISを凌ぐIllとなった蝶の力を以てしてもハバヤの位置を知ることすらできていない。

 

「あれ? 私が見つからない? これは傑作ですねぇ! ウォーロックがティアーズフレームを参考に造り上げたIllだってのに、見えてねえのかよ!」

 

 声は聞こえどもまるで位置が掴めない。業を煮やしたマドカは全てのBTビットを周囲に向け、手持ちのENライフルと同時に周囲に乱射した。だがそんな滅茶苦茶な攻撃が当たるはずもない。

 

「愉快を通り越して不憫になってきました。そもそも私が大人げなかったのが悪いんです。すみませんね、お嬢ちゃん」

 

 マドカのIllがダメージを報告する。いつの間にかマドカの背中にナイフが突き立てられていて、絶対防御が発動していた。近くにハバヤがいる。マドカは闇雲にENブレードを振り回しはじめた。しかし、その行動を嘲笑うようにマドカに次々とナイフが突き立てられる。なのに攻撃を加えてくるハバヤの姿を認識できない。何もできないまま突き刺さるナイフが10本を越した辺りでIllがその機能を停止した。飛行することもできずに墜落を始めるマドカ。あと一撃、マドカ自身にナイフを突き立てられればマドカは消滅する。

 

 ハバヤの最後の一撃は膝蹴りだった。まともに腹に入ったためにマドカは気を失う。彼女を丁寧に抱き抱えたハバヤはため息をこぼした。

 

「捕獲完了っと。本当は殺したかったのですが、私の地位のために利用できない以上、ヴェーグマンに恩を売っておくべきですね。これも生き残るために必要だと割り切るとしましょう。趣味で始末するのはもう1体の方でも構わないですし。ヒッヒッヒ!」

 

 ターゲットはまだひとり残っている。

 ハバヤの笑い声がISVSの空に響いていた。



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19 創られたヒーロー

 蜘蛛を倒しにいき、倒すことこそ出来なかったものの俺たちの目的は達成できた。蜘蛛に捕まっていた朝岡(ジョーメイ)を取り返すことができた。それで良かったのだと思ったのだが、何故か弾の顔は暗い。さっきまで喜んでいたからその落差の分、見ているこちらの心配が大きくなる。

 

「弾? 急にどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもねーよ。結局、虚さんは……」

 

 そういえば虚さんも関わっていたんだった。弾の話によると、助け出したと思った矢先に自分の手の中で消えてしまったらしい。俺もこの話を聞いたときは動転していてマズいとしか思わなかったのだが、今回の鈴たちが帰ったタイミングを考えるとひとつの答えが出せた。

 

「虚さんって、もう戻ってるんじゃね?」

「…………は?」

「鈴たちは一度蜘蛛にやられたわけだけどさ、中身の奴がいなくなった途端に帰れただろ? 虚さんの場合はお前の手で蜘蛛の範囲みたいなものから外に出されて、その結果転送されただけに思えるんだよな」

「……電話してみる」

 

 まず一番最初にやってみるべきことを弾は今更実行した。コール時間は少し長かったが、

 

「虚さん!? 良かったぁ……」

 

 虚さんは電話に出た。助けたい人を全て救えた今回は俺たちの勝利といっていいだろう。

 弾は虚さんとの長電話を始めてしまったので、そっとしておこう。俺には弾をからかうことよりもしなければならないことがある。

 

「よし。じゃあ話を聞かせてもらおうか」

 

 俺はラウラと店長の2人を交互に見た。

 ツムギを知っているラウラ。彼女がなぜナナたちのことを知っているのか。エアハルトすらもナナの名前を知らなかったのだから、敵よりも知っていることが多い可能性がある。

 店長。この人は世界中で起きている昏睡事件を把握している可能性が高い。というより、ほぼ確定だ。ただのゲーセンの店長で片づけてしまっていいわけがなく、何者なのかを徹底的に問いつめる必要がある。

 店長からのつながりで宍戸も普通ではないことがわかった。そもそも俺をこのゲーセンへと導いたのは宍戸だった。弾のことも行けばわかると濁していたが奴は知っててそんな物言いをしていたんだろう。俺の欠席を許していたあたり、俺が学校に来れない可能性を見越していたんだ。

 

 誰から話を聞いていこうかというときだった。複数の携帯の着信音が聞こえてくる。

 

「え、親父っ!? やばっ!」

「お母さんからだ」

 

 数馬と鈴が電話に出ていた。そういえば宍戸の奴、俺と弾の扱いについてしか言及してなかったっけ。ついつい呼び集めてしまったけど、2人には悪いことをした。

 2人の通話が終わる。

 

「ごめん、一夏。今から家族会議……」

「そ、そうか。俺の方こそ悪かったな」

「いいや。俺だけハブられるよりも呼んでくれた方が嬉しいもんだって。友達だかんな」

 

 それだけ言って数馬は急いでゲーセンを出て行った。せめて親父さんに数馬の意図がうまく伝わることを祈っておこう。学校さぼってゲーセン行ってましたって事実だけなら、俺の方ですらも千冬姉にフルボッコにされかねんことだし。

 

「あたしもちょっと帰らないと。一応、学校を休むとは言ってあったんだけど、説明は後回しにしてたから」

「俺のことは気にせず、行ってこい」

 

 あれから2年近く経ったとはいえ、まだ家庭内にはぎこちなさが残っていると聞いている。また鈴が原因で……それも俺のために家庭が崩壊されてはかなわない。

 鈴が去っていった後で今度は弾が長い電話の末に戻ってきた。

 

「一夏。ちょっと俺――」

「わかってるって。虚さんに会いに行くんだろ?」

「すまぬが拙者も弾殿に同行するでござる」

「あ、そうなの? 理由は知らないけど野暮な真似はすんなよ」

「合点承知。もとより拙者は全力で支援していく所存!」

「それが野暮な真似だからな? じゃ、行ってこい」

 

 なんだかんだで人が居なくなり、残ったのは俺とセシリア、ラウラ、店長というメンツだった。弾たちとの情報共有に手間がかかるが、この機会を逃すつもりはない。

 

「まず、店長。俺はあなたの話を聞きたい。ラウラ、お前との話は後回しでいいな?」

「いいだろう。私としても、貴様たちが何に巻き込まれているのか興味がある。あの蜘蛛のこととかな」

 

 俺とラウラ、セシリアの視線が店長に集中すると、店長はくるりと背を向けた。

 

「俺は奴と違う。ここまで来て黙りを決め込むような真似をするつもりはねえよ」

 

 場所を変えて再び従業員の休憩所。長机と丸椅子という簡単なものしかなかったが俺たちは腰を下ろした。

 

「話すって言っても何から言っていいものか。俺は説明が苦手だし、何もかもを知ってるわけじゃない」

 

 という前置きを入れてから店長が隠していたことを語り始める。

 

「まず最初に、世界中で起きているある現象について知ってもらう必要がある」

「ISVSプレイヤーの一部が昏睡状態に陥り、ずっと目を覚まさない」

 

 この場でそれを知らないのはラウラだけだった。軍所属とはいっても裏で起きている事件を全て把握してるわけではない。ましてや、この件を事件と認識している人間の数は最近こそ増えてきたが少ないのだ。

 

「そうだ、ヤイバ。ネット上ではISVSに怪物がいてプレイヤーの魂を喰らうなんて噂まで流れているくらいだ。そして、それは事実でもある」

「わたくしの流布したものですわね」

「そうなのか? 正直あの噂には参っていた。世間に大きな誤解を招きかねなかったからな」

 

 店長は頭を抱えてみせる。

 

「まさかとは思うが嬢ちゃん、“アントラス”だったりしないだろうな?」

「ふざけないでくださいませ! わたくしがあのような男尊女卑を掲げる連中と志を同じくするとでも? わたくしは男なんて大っ嫌いで…………」

 

 セシリアが机をバンと強く叩いて店長に突っかかるも途中で勢いを失い、口をポカーンと開けて俺を見た。

 

「い、今は違いましてよ? 決して、決して一夏さんたちのことを悪く思っていたりは――」

「今更誤解するわけないだろ」

 

 いきなりのセシリアの剣幕に驚きこそしたものの、俺はセシリアの優しさを身を以て知っているんだ。不安がられると逆にショックかも。

 

「ところで、“アントラス”って何なんだ? ラウラも言ってたから俺以外皆知ってるんだと思うけど」

「簡単に言えば、反IS主義者のことだ。女性にしか使えないというISの存在自体が人々の間に亀裂を作り必要のない争いを生むのだと主張し、ISの使用を全面的に排除しようとする者たちがいたのだ」

「極端に行き過ぎて男尊女卑にまで考えがいっちまうわけか」

「結果的にエネルギー問題解決の可能性を指摘したIS擁護側の主張が通ったのが今の世界情勢だ。もっとも、ISコアのエネルギーがどこから来るかも不明なまま。現状ではISよりもISVSという世界規模のシミュレータが諸企業に与えた利益が一番大きい。IS業界に限らず、多くの研究機関のコスト削減につながっているからな。そこは今はどうでもいいところか」

 

 ラウラによる解説。余分なところを省くと、アントラスって連中は束さんが作ったISが気に入らないってことだ。ISは女性にしか使えないから女性が偉いとする論調に反発する気持ちはわかるが、逆に振り切れてしまうのもどうかと思う。

 

「店長がセシリアにアントラスかと尋ねたってことは、あの福音の噂はISにとって……そして、店長たちにとって都合が悪いってことなのか?」

「ISVSにとってという方が正確だな。俺としてはISVSは現状が最も好ましい。ISVSが危険なものとして広まってしまえば、子供が遊べなくなる」

「それってゲーセンの店長としてってことじゃないっすか」

 

 俺は呆れを隠せなかった。少し茶化すつもりで相づちを打ったのだが、店長の顔は険しいまま。

 

「ISVSは世界中の人間にオープンな状態でなければマズいんだ。今は子供から大人まで大多数の人間が利用しているが、この遊べる状態自体が監視の意味を持っている。もしISVSが一般から遠ざけられ、一部の人間が独占してしまったら――」

 

 店長は自販機から買ってきていた缶ジュースを一口飲む。

 俺たち3人は次の店長の言葉まで固唾を飲んで待っていた。

 

「世界が征服される」

 

 何を言い出すかと思えば、かなり途方もない冗談としか思えない話だった。

 ISVSを一部の人間が独占する。ここまではわかる。シミュレータとしての有用性は知っているつもりだ。でも、そこから世界征服? つながりがわからない。

 

「もしかしてですが――」

 

 わからなかったのは俺だけだったのだろうか。セシリアが手を挙げて店長に質問する。

 

「“篠ノ之論文”が実在するのですか? ISVSの中に」

 

 また新しいキーワードが出てきた。でも俺にとって身近な名前が入っているからなんとなく予想がつく。論文ってのは研究成果をまとめたもので、篠ノ之は箒の名字と同じ。ISに関わっていて論文といえば、束さんが書いたものとしか連想できない。

 セシリアの問いに店長が頷いた。

 

「事実だ。コア・ネットワーク上の仮想空間をISVSという世界とするために、篠ノ之束はISVS内部に自らの研究成果を記録する必要があった。今でも閲覧できる形であの世界のどこかに隠されているのは間違いない」

「ISVSを作り上げたプログラマーに相当する役柄は篠ノ之束本人ではないということですの?」

「そういうことだ。ちなみにプログラマー……俺らがクリエイターと呼んでる奴とはもう連絡がとれない」

 

 もうわかっていたこととはいえ、ISVSの開発には束さんが関わっている。今の話を聞く限りだと束さん以外にも関わっている人がいるらしい。

 だけど、そろそろ脱線した話を戻したいところだ。俺がまず知りたいのは店長の正体。ISについて詳しすぎるということしかまだわからない。

 

「で結局、店長は何者なんですか?」

「俺か? 俺は本当にゲーセンの店長でしかない。今はな」

「じゃあ、昔は? なんかISに詳しいみたいですけど」

「昔……か。俺個人の昔話は山ほどできるが、今お前らに話すべきなのは一つだけだな。俺は“ツムギ”という組織に身を置いていた」

 

 言葉を失う。きっと俺の目は点になっていた。

 

「“ツムギ”ってのはさっき言ったクリエイターが作った組織でな。正義の味方を気取って世界中を荒らし回ったよ。若気の至りって奴だな。はっはっは!」

 

 店長は当時のことを思い出したのか上機嫌に笑い飛ばす。

 

「でも楽しかったのは白騎士事件が起きるまでだった。日本に向けられた2341発のミサイルを篠ノ之束がたった1機のISで落とした。それからずっとツムギは篠ノ之束とISを守るために存在していた」

「していた……?」

「俺たちツムギとアントラスは水面下で争いを続けていた。バックが国である場合は篠ノ之束の知識を欲しているから対処は簡単だったが、アントラスの連中は手段を選ばずに篠ノ之束の命を狙ってきていた。たぶん世間にはテロとして何件か伝えられてるはず」

 

 日常とは程遠い世界の話。俺の知らない束さんだった。確かに白騎士事件以降、俺は箒の家で束さんを見る機会はほとんどなかった。会えても数分だけで、すぐにどこかへといなくなってしまっていた。

 ……千冬姉は知っていたのかな。

 

「ツムギが組織として終わった最大の要因は、アントラスとの抗争の中でクリエイターが命を落としたからだ」

「代わりに頭となる人物がいなかったのか?」

「消滅の最大の理由はクリエイターの死後、篠ノ之束が俺らの前からも姿を消したことにある。目的を失った俺たちは自然に瓦解しちまったよ」

 

 店長の語るツムギは俺が全く知らないものだった。ナナたちがツムギを名乗っているのは偶然一致しただけなのだろうか。シズネさんから聞いた限りでは、ナナがツムギと命名したという。

 

「ツムギに文月奈々という子はいませんでしたか!?」

 

 ラウラが店長と話しているのに割って入った。これで奈々の身元がわかったところで何かが進展するわけでもないはずなのに、俺は聞きたくて仕方なかった。

 

「知らない名前だ。まあ、俺は組織の下っ端だから全員把握してるなんてことはないんだけどよ。で、誰なんだ?」

「いえ、知らないのならいいんです……」

 

 この件に関しては、わからないことがひとつ追加されただけに終わった。

 話を先に進めることにする。今、必要なのは敵の情報。

 

「店長たちがアントラスって連中と戦っていたというのはわかりました。今、この話を俺たちにしたってことは、俺たちが戦っている相手とはアントラスなんですか?」

 

 この質問に店長は首を捻る。ハッキリしていないということか。

 

「ISではないISを使うということまではわかっている。意地でもISを使わないというやり口が連中らしいとは思うんだが、腑に落ちないことがあってな……」

「先ほどの噂の件ですわね。わたくしが広めなければ、事件のことは誰にも知られなかった可能性があります。しかしアントラスにしてみれば、ISは危険という方向に世論が向かう方が好ましいはず。目的が男尊女卑であれ篠ノ之論文であれ」

「その通りだ、嬢ちゃん。あの噂の出所がこっち側の人間だとわかって違和感がでかくなった。俺たちも敵の正体がまだハッキリと見えてないんだよ」

 

 結局のところ、店長たちも動くに動けないということらしい。明らかに怪しいミューレイはおそらく隠れ蓑であるし、アントラスというのは組織でなく思想。下手な鉄砲を数撃ちゃ当たるというものでない。主犯を抑えないと、この事件は収まらない。

 

「なるほど。私には見覚えのない男だが、貴様もツムギの一員だったか」

 

 店長からの情報が止まったところでラウラが机に右手を置いて起立する。自然と注目が集まるラウラに俺は問う。

 

「貴様“も”って? ラウラもそうなのか?」

「私ではない。私の身近な人間が所属していただけだ。と、そんな話は今はどうでもいい! 今度は私から店長とやらに聞かせてもらおう」

 

 そういえばラウラも店長の話を聞きたがっていた。俺が聞きたかった敵の情報では足りなかったということか。

 

「ISではないIS。ヤイバがIllと呼んでいる兵器について知っていることはないか?」

「知らねえ。知ってたら頭を抱えてたりしねえっての」

「では私から情報をひとつ追加しよう。今日私たちが戦闘を行った蜘蛛型兵器の操縦者に関する情報だ」

 

 ラウラは唐突に左目の眼帯を外した。ISVSで見たものと同じ金色の瞳はおよそ自然のものとは思えない輝きを帯びているように見える。

 

「銀髪にその瞳……お前は遺伝子強化素体(アドヴァンスド)か!?」

「ああ。そして、蜘蛛型兵器の操縦者も遺伝子強化素体であることはほぼ間違いない」

「くっ……まだ道具として使われてる遺伝子強化素体が残ってるってのか!」

「残ってるのは遺伝子強化素体だけではない。そうは考えられないか?」

「亡国機業がまた活動を始めた?」

「私はその可能性を疑って――」

「ストップ!」

 

 加速していく議論に待ったをかけたのは俺だ。

 

「俺とセシリアにもわかるように説明してくれ。蚊帳の外ってわけでもないんだろ?」

「いいだろう」

 

 ラウラの説明によればこうだ。

 遺伝子強化素体とはある組織による遺伝子操作実験によって生まれてきた人間のことであり、ラウラ本人も遺伝子強化素体である。遺伝子強化素体たちは皆一様に銀の髪であり、生後すぐに行われる手術によって瞳の色が金色に変わるとのこと。常人を遙かに凌ぐ身体能力を持っているらしい。

 亡国機業というのは遺伝子強化素体を生み出していた組織の名称。15年前に壊滅しており、ラウラを最後にして新しい遺伝子強化素体は生まれていない。

 ラウラによると蜘蛛の操縦者は遺伝子強化素体であるとのこと。イルミナントの操縦者であったアドルフィーネも銀髪と金の瞳という特徴を有していたことからも的外れとは思えなかった。Illの操縦者として遺伝子強化素体が使われている。このことから、Illの背後には亡国機業が絡んでいる可能性があることをラウラは指摘している。

 

「セシリアはどう思う?」

「わたくしもラウラさんに同意しますわ。今回遭遇した“楯無”の情報からも支持できます」

「そういえば“楯無”は銀髪でも金の瞳でもなかったよな。でもどうして肯定する材料になるんだ?」

「“楯無”が使用していたものはISだったからですわ。Illではありません」

 

 言われてみれば“楯無”がいる状況でラウラたちは帰還できた。“楯無”がIllを使用していたのならば“楯無”がいなくなるまで帰還できないはず。そして、セシリアが断言できているということは彼女の単一仕様能力“星霜真理”によってISと判断できたということだ。

 

「ということは敵はアントラスってのじゃなくて亡国機業ってことなのか?」

「今はまだなんとも言えん。亡国機業が絡んでいるとすれば、昏睡事件を秘密裏に起こしていたことも納得できるってことくらいか。どちらにせよ、まだ敵を追いつめる材料が足りない」

 

 

***

 

 俺とセシリアとラウラの3人はゲーセンの裏口から出てきた。

 店長に聞けることはあらかた聞き終わったと思う。店長たちは前々からアントラスという連中と戦ってきていた。しかし束さんの失踪により、アントラスと直接戦闘する機会もなくなり、今は表だって活動はしていない。そんな中でもISVSの異変には気づいていて、情報を集めているが成果は芳しくない。昏睡事件に限って言えば、俺の方が遙かに成果を出しているのだとか。当事者の俺も振り回されているとしか思えていないのに。

 店長たちもISVSで調査をしていないわけではない。だが店長はお世辞にも戦闘が上手いとは言えない。実際にIllと遭遇すれば被害者の仲間入りは確実だとわかっているから無理はできないとのこと。

 でも宍戸は? もちろんそう聞いたけど、店長が言うには宍戸は戦えない体だということだった。理由は本人に聞けと頑なに話そうとしなかった。

 

「一夏さん。宍戸先生に連絡がとれましたが代わりますか?」

「……相変わらず根回しが早いね」

 

 俺はセシリアから携帯を受け取った。俺の前で店長から連絡先を聞いているようには見えなかったけど、どうやって宍戸の番号を手に入れたんだ? 俺が担任の携帯番号を把握していないことの方がおかしいのか?

 

「もしもし、織斑です」

『その声色からすると、五反田は無事のようだな』

 

 宍戸は学校にいるはずだが、普段の威圧するような声ではなかった。堅物教員としてではなく、宍戸恭平として電話口に立っているのだということだ。

 

「無事は無事ですけど、こっちはいろいろ大変でしたよ。先生が代わりにやってもらえるととても助かるんですが」

『やれるならばやっている。お前のようなひよっこに任せなければならないこちらの精神が病んでしまいそうだ』

「なるほど。鬼教師、宍戸恭平を鬱病に追い込めるってわけですか」

『お前らがまとめて昏睡状態で目を覚まさない、などという結末にでもなればそうなるな』

 

 何も決定的なことを口にしなくても互いに状況は理解できていた。宍戸が店長の言うように戦えないということ。俺を戦わせようとしているということ。俺たちを心配してくれていること。

 

「なんで前の時に説明してくれなかったんですか?」

『前の時? ああ、特訓してやったときか。あれはまだ織斑が引き返せる道を残しておきたかったんだ』

「引き返すだなんて欠片も思ってなかった癖に」

『当たり前だ。織斑が前に進む道さえ用意できれば良かった。他のことは蛇足だろうと判断して敢えて何も言わなかった』

「俺はもうその蛇足とやらも店長から聞きました。知らないことは先生がISVSで戦えない理由だけですけど」

『悪いが話すつもりはない』

「ですよねー。だからひとつだけお願いを言っていいですかね?」

 

 お願い。それはここ最近の俺が学校でしていることに関してだ。

 

『あのふざけた部活の顧問になれって奴か』

「知ってたんですか?」

『当たり前だ。でなければ生徒会からのイベントの提案自体なかった』

 

 生徒会からのイベントというと明日に迫った試合のことだった。そういえばまだまともにメンバーを集めていない。

 

『あのイベントを考えたのは生徒会長(もがみ)じゃない。このオレだ』

「はい? 先生が?」

『織斑に経験を積ませるためにな。もうひとつ狙いがあるんだが……それはオレがこの場で言ってしまうと台無しになるか』

 

 実は堅物なんかじゃなくて融通が利く人だと思っていたけど、思ったよりも遊び心満載なのかもしれない。

 

「いや、でも十分台無しですよ? 俺が勝たないと先生が協力してくれないから俺は試合を受けたわけで、こうなったからには負けても関係ないじゃないですか」

『んなことはねえよ。言うなればこれはオレから織斑に課した試練だ。この試合に勝たないとオレは織斑に協力はしない』

「は? なんでそうなるんですか!」

『最上たち程度に勝てなければ、お前はいずれ敵に負ける。もし最上たちに負ければ、オレはお前からイスカを取り上げることまで考えている』

「ふざけんなよ!」

 

 何の権限があって俺からイスカを取り上げる? イスカを失えば、俺はISVSに入れなくなる。そうなってしまったら、俺は……

 

『ふざけてなどいない。織斑は十分に今のISVSの危険性を理解しているはずだ。オレが根拠もなくお前を放置するとでも思ったか? もうお前はオレに対して“ISVSは遊び”という言い訳はできない。オレに対して、事件に立ち向かうという意志と力を見せなきゃならねえ。オレを安心させてみろ。織斑なら大丈夫だと納得させてみせろ。その程度ができないのならば、これ以上は関わるな』

 

 ……俺は勝手に思いこんでいた。宍戸も店長もただ俺を利用しているだけなんだと。自分たちだけ安全な場所で高みの見物するつもりかと憤ったこともあった。実際は手出ししたくてもできない現実に苦しんでいる人たちだった。

 俺の思いこみはそれだけじゃなかった。宍戸たちは俺に戦わせようとしてるのだと思っていた。でも、そんなことはなかったんだ。

 ……初めて『戦うな』って言われた。

 

「先生……どうしても俺が戦わないといけない理由ってありますか?」

『ねえよ、そんなもん。お前が動かなくても、戦える人材は他にいる。オレの伝手をなめるな』

 

 宍戸からは俺が戦わなければならない理由など出てこない。宍戸はただ俺の選べる選択肢を増やしてくれただけで、俺を戦うように仕向けたわけじゃない。

 宍戸の伝手というのがどんな人かは知らないけど、宍戸が戦えると断言するくらいだ。きっとものすごく強いのだろう。俺が戦う必要なんて全くない。弾や鈴、他の皆を巻き込んでまで戦う意味なんてない。

 

 ……そんなわけあるかよ。

 初めから自分で言っていたことじゃないか。俺は自分から飛び込んだのだと。俺が戦う意味なんて俺が一番よく知ってる。

 

 ――お前が救おうとしている“彼女”は誰よりも大切な存在か?

 

 ナナに聞かれて答えた。俺は“彼女”と目を合わせて話したいと。

 俺自身が戦わないと俺は“彼女”に合わせる顔がない。そんなものは俺の勝手な都合。俺が戦ってる理由に、宍戸が戦わないことなんて全く関係なかったじゃないか。

 

『どうした? やめるのならやめると言えばいい。オレは止めないぞ』

 

 宍戸の問いかけを聞いて、俺の脳裏には病院のベッドで横たわる箒の寝顔と、死にたくないと必死なナナの泣き顔が浮かんでいた。

 

「やってやる! 絶対に勝って『お願いします、織斑様』とアンタに言わせてやる!」

『それは絶対にないが期待だけはしておこう。一応言っておくが……今のところ、俺の感覚では織斑の方が分が悪そうだ。ヒントをやるとすれば、お前ひとりで勝つ必要はないってことか。明日までにできることをやっておけよ』

 

 通話を終えてセシリアに携帯を返す。電話で得たかったものは当初のものとは違うが、俺は今、燃えていた。

 

「よし、こうなったら早速戦力集めだ!」

「そうなりますわね……わたくしも参加できるのでしたら少しは楽になりますのに」

「禁止されてるから仕方ないって。それにしてもセシリア参加禁止ってひどい縛りだよな」

 

 と、ここまで言って気づいた。代表候補生の参加を禁止されたわけじゃないじゃん。

 

「そういえば、ラウラ。俺に聞きたいこととかあったんじゃないのか?」

 

 まだ俺たちについてきているドイツの代表候補生に声をかける。彼女が俺に会うために来日したことを思い出した。つまり、暇ってことなんじゃないか?

 

「聞くだけ無駄だと思うぞ。……私をブリュンヒルデに会わせてもらえないか?」

「ブリュンヒルデってランキング1位のプレイヤーだよな? なんで俺がそんな人と知り合いなんだよ?」

「予想通りの回答だ。貴様に興味を持った根拠が私の直感であるから信頼性など無かったのだ。仕方がない」

 

 良くはわからないがラウラは俺とブリュンヒルデにつながりがあると踏んでいたのか。共通点といったら近接ブレードのみで戦うってことくらいだろうに。

 

「で、これからラウラはどうするんだ? ドイツに帰るのか?」

「まだ休暇の日数はあるし、やりたいこともできた。しばらくは滞在する予定だ」

「そっか。やることがあるんならしょうがない」

 

 俺が諦めたときだった。

 

「……言っておくが、明日なら時間はある」

「マジっすか! じゃあ、手を貸してほしいんだけど」

「いいだろう。私としては貴様の手助けをするのにやぶさかではない。ではな」

 

 ラウラはあっさりと明日の試合の参戦を承諾すると、片手を挙げて颯爽と立ち去っていった。残されたのは俺とセシリアだけとなる。

 

「ラウラさんは良くてわたくしはダメなんですのね」

「まあまあ。俺としてはセシリアが居てくれる方が心強いんだけど、ルールにされてしまったらどうしようもない」

「一夏さんがそう思ってくださるだけで、わたくしには十分ですわ」

「今日はこの後どうしよう? 俺は心当たりに片っ端から声をかけて回ってから家に帰るつもりだけど」

「わたくしは今日のことで調べたいことができました。ですのでわたくしもこれで失礼いたします」

「調べたいこと? なんかわかったら俺にも教えてくれよ」

「当然ですわ」

 

 結局、俺の単独行動となったとさ。少しだけ寂しい。

 

 

***

 

 お日様がてっぺんを通り過ぎた頃合い。平日のこの時間でコンタクトがとれる同年代が見つかるとは思えなかった俺は、

 

「いらっしゃい、少年」

 

 倉持技研に来ていた。彩華さんの部下の人に連れられてヘリでやってくると、彩華さんが出迎えてくれる。

 

「高校をさぼってうちに来るとは、君も将来ここに来るつもりだったりするのかな?」

「いや、俺の頭じゃ研究職は無理ですよ」

 

 世間話はそこそこに本題に入る。

 

「倉持技研にはISVSが強い人っていますよね?」

「もちろんだ。君たちと違ってそれで飯を食べているプロなのだから、彼女たちなりのプライドもある」

「それで……明日あたり暇な人とか紹介してもらえます?」

「無理だ」

「そこをなんとか!」

「いや、暇人がいない理由は少年にも関係があるんだが」

 

 ため息混じりに彩華さんに言われてようやく合点がいった。

 

「ツムギの防衛に回ってる人たちですか!」

「そうだよ。先日はミューレイに一杯食わされたからね。うちの操縦者たちもコケにされたってムキになってる。ゲートジャマーの影響で防衛につく者たちは移動時間も含めて長時間向こうに拘束されるため、少年の学校での試合に参加しようと言う者はいないと思われるな」

 

 俺の用件を正確に把握してらっしゃった。それでいて無理と断言するということは本当に期待できなさそうである。俺たちの代わりに備えてくれる人たちがいるからこそ、俺の心に余裕があるのだからこれ以上無理は言えないな。

 

「まあ、プロの手を借りなくても少年ならば勝てるさ」

「根拠なく言ってますよね?」

「私は仕事柄根拠のないことは言わない人間でね。少年の実力を信じているのさ」

「この間は敵に負けたも同然だったのにですか?」

「負けたのは少年ではなく私だ。装備や設備の段階で敗北が確定していた。だからこそ、次は負けるつもりはない。その次を与えてくれた少年の期待に応えてみせる」

 

 前回のエアハルトとマザーアースの襲撃で力不足を痛感していたのは俺だけじゃなかったみたいだ。彩華さんは血走った目で「次は負けない」と繰り返している。

 

「といっても装備だけで勝負が決まるわけではない。最後は人の力次第だから、君の手でなんとかしてみせてくれ、ヒーローくん?」

「やめてください。俺はヒーローなんかじゃないんで」

「勘違いか傲慢か知らないが、君の発言はヒーローを自称することの虚しさに似ているな。これは他者が決めることだから、素直に受け入れるべきなのだよ」

「暴論っすね。まあどう呼ばれようと俺がやることには変わらないですけど」

 

 結局、彩華さんとはツムギ防衛の話だけして終わった。量より質の精神で代表候補生や企業の試験操縦者を集めようという俺の浅はかな思惑は簡単に崩れ去ったことになる。

 

 

 彩華さんと別れて、俺はヘリポートへと歩いていた。何回か来ているためか道は覚えているし、名札も与えられて許可された場所ならひとりで歩けた。誰もいない通路を歩くとき、なんとなく足音をたてると迷惑かなと考えてしまって静かに歩くよう意識していた。だからなのか俺は通路の曲がり角で、

 

「いたっ!」

「あっ……」

 

 反対側から来ていた人とぶつかってしまった。軽い衝撃で俺はこけることもなかった。小柄な女性……というよりも女の子だろう。俺は尻餅をついてしまった女の子に手を差し伸べた。

 

「ごめん、良く前を見てなかった」

「……謝る必要なんてない」

 

 ずれていたメガネを直した女の子は俺の手を取らずに自分だけで起きあがる。彼女が床に手をついたとき、彼女の服装に妙な点があることに俺は気がついた。

 

「袖、長いね」

「……悪い?」

 

 ものすごく不機嫌そうな返答。もしかしなくても怒らせてしまっているのだと思う。常に俯いていて、前髪がだらりと下がっている彼女の表情は全く見えないけど。

 

「えーと……なんかごめん」

「…………」

 

 なんとなくで謝ってしまったのだが、彼女は何も言わずに歩き始めてしまった。左胸の名札をチラッと見たのだが、俺のものとは違っていたため、正式にここの職員なのかもしれない。名前の方はフルネームは確認できなかったけど、KANZASHI(かんざし)と書かれていたのはわかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏が去るのを見送った彩華は左のポケットから棒付きキャンディを3本取り出した。人差し指から小指までを使って器用に挟み込んで固定し、右手で流れるように包装を外していく。むき出しになった飴玉は皆違った色をしていた。彩華はその飴たちを人差し指側からまとめて口に入れていく。

 

「いつ見ても思うのだが、旨いのか?」

 

 そんな彩華に声をかける女性がいた。研究所に所属する者たちは彩華の趣味によって半ば強制的に白衣を着せられているのだが、この女性は白衣を着ていない。そもそも服と呼んでいい格好をしていなかった。男性を虜にする整った体のラインがくっきりと浮き出ているウェットスーツのようなものだけ着用している。

 

「この良さがわからないとは……君も案外普通の人間の側のようだね」

 

 彩華は口に含んだ飴を再び取り出した。でなければまともに会話ができないと少年に怒られて以降の習慣である。それまでは飴を舐めているときは人と会話をする機会もほとんどなかったから支障がなかった上に、誰も彩華に注意をしようとしなかったという。

 

「一夏を巻き込んだのはお前だったのか」

 

 ぴっちりとしたウェットスーツのようなものを着た女性は持ち前の鋭い目つきを崩さずに彩華を見つめる。女性が着ているのは正確にはウェットスーツではなくIS操縦者用に造られたISスーツである。行動を咎めることを意味する彼女の発言を聞いた彩華は内心穏やかではない。

 

「私は少年の前でイスカを落としただけだ。彼は自分からこの件に飛び込んだ。彼に聞いてもそう答えると思うぞ?」

 

 焦りを表に出さずに彩華が切り返す。指摘されたとおり、彩華は織斑一夏の前でわざとイスカを落としている。そして彼女の行動は織斑一夏を事件に巻き込むものともなった。だが彼女は道具を用意しただけに過ぎない。織斑一夏が事件に……ISVSに関わる最大のきっかけとなったのはある部屋に置かれていたメモだったことをこの場にいる2人は知らない。

 

「悪質な誘導もあったものだ。といっても結果だけ見れば私はお前に感謝するべきか。まるで抜け殻だった一夏が生気を取り戻したのだからな」

 

 ISスーツの女性、織斑千冬が口元だけ笑ってみせた。彩華は千冬に見せつけるように文字通りに胸を撫でおろす。

 

「無駄に脅さないでくれないか。君を怒らせては私は少年に合わせる顔がない」

「心配するな。一夏のことは少し前から聞いていた。だからこそ私自らがこうして防衛についている」

「“ブリュンヒルデ”が防衛に加わっても攻めてくるような敵が相手だけどねぇ。前回はバカなお偉いさんに呼び出されてていなかったけど」

「言うな。しかし国家代表という肩書きも邪魔になってきたな。いっそのこと捨てるか?」

「やめときなって。いざってときに専用機がないと全てが台無しになる可能性が高い」

 

 前回というのはエアハルトが指揮するマザーアースを主体としたツムギへの攻撃である。倉持技研の要であったブリュンヒルデが欠けていたことも苦戦の要因となっていたのだった。

 

「それで、私はいつまで守ればいい? 上は国家代表がいつまでも倉持技研の依頼に縛られていることを快く思ってはいない。あと数日が限界だぞ」

「わかってはいるが、確証もなく攻撃するわけにもいかない。今でこそ一企業同士の諍いで済んでいるが無理を通そうとすれば必ず反発が生まれる。失敗すれば我々が孤立するだけだ」

「結局、待ちしか手がないというのか」

「アメリカのお友達の方はどうだ?」

「成果なしだ。いざとなったらナタルにここに来てもらうつもりだが……」

「彼女も今、自由には動けないだろうから難しいな」

 

 世界最強のプレイヤー“ブリュンヒルデ”。1対1では負け知らずの彼女でも戦う相手が眼前にいなければ勝てはしない。未だ主導権は攻める側である敵の方にあるという現実を受け入れるしかなかった。

 

「ところで、少年にはブリュンヒルデの正体を教えてやらないのか?」

「言えないな。私なりに事件を追ってはいるが、立場というしがらみが邪魔をしている。こんな私を一夏には知ってほしくない。それに――」

「それに?」

「私に隠れて事件を追っていると一夏が思いこんでいる方が、一夏が無茶をしないだろうと思ってな。私が譲歩できる限界が今なんだ。お前から支援してやってくれ」

 

 織斑千冬は弟のことを知っていて何も言わない。危険だからと縛り付けては、心を閉ざしかねないと恐れていた。かといって公認すれば一夏は無茶をする。千冬にとって今が一番バランスがとれているのだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏と通路でぶつかった少女は自らに与えられた研究室へと戻ってきていた。元々は2人に与えられた部屋であり、自分が立てた理論を実践で開発していた相棒がいた。しかし、今はひとりだけ。相棒が着用していた無駄に長い袖の服に包まれて、少女は部屋の片隅で縮こまる。胸の辺りに余裕のある服はそのままぽっかりと空いた心を表しているようだった。

 

「失礼しますよ、と」

 

 研究室として機能していないにもかかわらず、人が訪ねてくることは稀にあった。ひとりは所長である倉持彩華。少女の相棒が入院してからもずっと少女を気にかけてくれている。少女はそれを理解しつつも前を向けなかった。自分の努力ごと親友を奪っていった圧倒的な暴力に心を砕かれて戻らない。

 今、訪ねてきたのは男だった。メガネをかけたスーツの男でぱっと見どこにでもいるようなサラリーマンである。この男は少女の幼少からの知り合いであった。

 

「……平石さん」

「元気を出してください、簪ちゃん。今日もとっておきの情報を持ってきましたから」

 

 平石がスティック形状の記憶媒体を差し出すと少女はあわててひったくる。

 

「大丈夫、落ち着いて。この情報は明日のことですから」

「明日……明日また……あいつと会える……」

「そう。そうです。大丈夫。あなたなら必ずややり遂げられます。それでは私はこれで失礼しますね」

 

 少女が記憶媒体を握りしめたまま独り言を呟く中、平石は静かに部屋を去った。自分以外の気配が消えたところで少女は受け取った情報を確認するためにパソコンを立ち上げる。手を動かしている間も独り言は止まらなかった。

 

「あいつを……銀髪の……を倒せば本音が帰ってくる。……私じゃ無理。お姉ちゃんは……動けない。……私が……お姉ちゃんになればいい」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 五反田弾は友人の朝岡丈明に連れられて、とある屋敷の前にまで来ていた。入り口を黒服が見張っているような場違いな場所を弾はおっかなびっくり朝岡の後ろをついていく。

 

「なあ、虚さんって偉いとこのお嬢様なのか? 俺、そんなことも知らなかったのか」

「心配無用。虚様は拙者の上司ではあるが主人ではござらぬ。この屋敷の持ち主に仕えている使用人でござる。詳しくは虚様からお聞き下され」

 

 使用人と聞いて弾の脳裏にはメイド服を来た虚の姿が浮かび上がった。すぐに「いかんいかん」と首を横に振る。純和風なこの屋敷にメイドさんは似合わない……というわけでなく、今はそんな妄想をしている場合ではない。

 今回の来訪は虚の無事を確認するだけでなく、虚について知ることが目的なのだから。

 

「さて、着いたでござるよ」

 

 朝岡に連れてこられたのは屋敷の一室。その扉を前にして朝岡は弾に前を譲った。ノックから先は弾自身にやれと言いたいらしい。弾はすかさずにノックすると中から女性の声がした。

 

「どちら様ですか?」

「五反田弾です、虚さん」

「中へどうぞ」

 

 虚が『どうぞ』と言い切る刹那、弾は引き戸を荒っぽく開ける。

 

「虚っさーーーんっ!!」

 

 屋敷から与えられる圧迫感によって抑えられていた感情を爆発させた弾は中にいる人物に飛びつく勢いで室内へと踏み入った。

 

「へぶっ!?」

 

 入室した弾を待っていたのは閉じた状態の扇子だった。吸い込まれるように弾の額に扇子の先端が命中し、弾は仰向けに倒される。額をさすりながら弾が見上げると、そこには虚ではなく別の少女が仁王立ちしていた。

 

「案内ご苦労様、たけちゃん。この子が五反田弾くんね」

 

 弾の知らない少女は意味ありげに扇子を広げて口元を隠す。『リア充爆発』と記された扇子の向こう側で少女は続ける。

 

「早速で悪いんだけど、私に協力してくれないかしら?」

「……というか、アンタ誰?」

 

 何もわからない弾はとりあえず問う。すると扇子の少女は首を傾げた。

 

「あれ? 織斑一夏くんは私のことを知っていたようだけど……まあ、いいわ。私は更識楯無。無駄に偉そうな高校2年生よ」

「お嬢様。無意味な自虐はお控えください」

「あ、虚さん」

 

 扇子の女子、楯無が自己紹介をすると後ろから生真面目そうな女子が口を出してきた。そこでようやく弾は虚の存在を認識するも、残念ながら入室したときのような勢いは失われていた。楯無という名前に聞き覚えがあったのにもかかわらず、既に弾の頭には虚しかいない。

 

「自虐も何も、今の私はそんなものでしかないわ。スパイを出し抜こうとして自滅したりね」

「お嬢様。それ以上一方的に話しても弾さんが混乱されます。説明は私の方からさせてもらってかまいませんか?」

「最初からそのつもりよ。役立たずな私はたけちゃんと一緒に隅っこで大人しくしてるわ」

 

 よよよ、と泣く真似をしながら楯無は本当に部屋の隅で丸くなっていた。

 主人の悪ふざけに一切付き合うことなく虚は弾の正面に立つ。

 

「まずは楯無お嬢様のことから話さないといけませんね」

「とりあえず先輩だってことと、付き合うのが面倒くさそうってことはわかりました」

「否定はしません」

「虚ちゃん!? そこはやんわりと否定しといてよ!」

「お嬢様はお静かに。話が進みません」

 

 虚は楯無の方を向き、唇の前で人差し指を立てた。楯無が大人しくなるのを見守った後で再び弾に向き直る。弾は思わず虚に聞きたくなった。

 

「いいんですか、そんなこと言って?」

「いいんです。私とお嬢様にとっては良くあることですから」

 

 虚は即答で断言した。弾の身近に主人と使用人という関係の者たちがいないため、そういうものかと弾は納得する。

 

「更識家について簡単にお話しすると、国内外の諜報を生業としてきた一族です。楯無という名前は代々の当主が引き継ぐ名前でお嬢様は今代の当主であられます」

「古くから続く裏の大物一族って感じですか。それって俺が知ってていいことなんですか?」

「一般的には荒唐無稽に思われるお話ですが、弾さんは疑わないんですね?」

「だって虚さんが言うことですから。もし騙されてるとしても俺は全力で信じます」

「弾さん……」

「虚さん……」

 

 弾と虚が見つめ合うと部屋の隅にいる楯無が「はいはい」と手を叩いて存在をアピールする。我に返った虚が説明を再開した。

 

「お嬢様がおおよそどんな立場の方かわかっていただいたところで、私の話に移ります。私の家、布仏の家は古来より更識の家に仕えてきた一族でして、実際に手足となって活動をしていたりします」

 

 弾の頭の中で連想ゲームが始まった。

 古来より続いている……諜報……実際に活動……。

 

「もしかして……忍者?」

「みたいなものです。当たり前ですが布仏は世間には知られていない名前ですね」

 

 虚は現代に生きる忍者だった。弾の中では即座に“くのいち”と言い換えられ、虚の忍び装束姿の妄想を膨らませる。何故か肌の露出が多い格好がイメージされ、自然とにやけてしまう。

 

「あだっ!?」

 

 いつの間にか接近していた楯無に小突かれて弾は正気を取り戻した。

 

「なんとなくわかってきた。虚さん……正確には更識って家の人たちが例の昏睡事件を追っているわけだな。人為的に引き起こされてる事件が国内で発生しているから解決しなければならない立場にいるってことか」

 

 更識の役割を弾は推定する。この昏睡事件は警察が表だって動きをとりづらい案件となっているから裏でコソコソと動く必要があるのだと。

 でも、それだけじゃないと弾は知っている。弾の発言に対して虚がハッキリとした態度を示さないのも無理はないと思えた。言葉にするのも辛いだろうと、弾は自分から言うことにする。虚を傷つけるかもしれないとわかっていてもハッキリしたかった。

 

「虚さんの目的は妹さんを目覚めさせること……ですよね」

 

 弾の語尾は上がっていない。虚からの返事はいらないという意思表示だった。虚は目を見張るばかりで何も答えられない。部屋の片隅でやさぐれていた楯無が動く。

 

「たけちゃんの仕業っぽい。そこまでわかってるのなら、もうこっちの事情で隠してることはなさそうね」

 

 楯無が横目で朝岡を見やると彼はそそくさと弾の背後に隠れた。

 

「じゃあ、本題に入ろっか。五反田くんが私たちの目的を知った上で、あなたに頼みたいことがあるの」

「いいっすよ。俺の一番の目的も虚さんの妹さんを助け出すことなんで」

「弾さん……」

 

 弾は敵の存在や強さを知っていながら臆したりはしなかった。その姿は数多くの争い事に関わってきた虚から見ても頼もしく映っていた。そんな弾と虚の2人を見て、楯無は小さく笑む。

 

「私の頼みというのは簡単なことよ。私を織斑一夏くんに引き合わせてほしいの。昏睡事件の被害者を助け出した彼と話がしたい。たけちゃんにも頼めそうだけど、あなたが間に入ってくれる方が良さそうだし」

 

 楯無の頼みを聞いて弾は目を丸くする。想定したよりも遙かに簡単なことだったからだ。だからこそ違和感を覚える。

 

「別に俺を通さなくても一夏なら普通に話にいけば問題ないはずっすよ? 今日だって初対面の女子とあっという間に仲良くなってますし」

「たけちゃんからも同じ事言われたわよ……だから少人数だけ動かして内密にコンタクトを取ろうとしたの。そしたら警戒を通り越して敵対されちゃってて、私の話に聞く耳持たない感じだったわ」

 

 一夏の対応にしては妙だと弾は思う。事件を取り巻く状況的に初対面の相手には警戒をするだろうが、話を聞かないというのは異常だった。何かがあるはずだと考える。そしてようやく思い出した。

 

「楯無さんは今日の午前中は何してました?」

 

 蜘蛛との戦闘の最終局面、敵に援軍が現れた。そのときに一夏が敵援軍に対して叫んだ名前が“楯無”だったはず。

 

「虚ちゃんから事情を聞いてたくらいね。他には何もしてないはずよ」

「それは本当ですか、虚さん?」

「はい。私が目覚めたのは早朝のことで、それからずっとお嬢様は私といました」

 

 虚の発言を以て弾は確信した。目の前にいる楯無は、一夏が敵と認識している“楯無”とは別人であると。

 弾は話をまとめにかかる。わかってしまえばやることは簡単だった。

 

「事情はわかりました。一夏は誤解してる。そして、敵には楯無さんに化けている奴がいるってことです」

 

 弾が得た結論を披露する。しかし楯無にも虚にも驚きは見られなかった。

 

「なんか噂にもなっちゃってるみたいだし……たしか“水を纏う槍使い”だっけ、虚ちゃん? 昔の私の機体そっくりな構成とか狙ってるとしか思えないわね」

「はい、お嬢様。裏の世界ではお嬢様も有名ですので、敵が更識の介入を想定し、お嬢様自身が疑われるよう仕向けた可能性があります。尤も、当主代行がISVSに関心を持たなかったこととお嬢様を謹慎処分にしたことで最悪は避けられていますが」

「ええ。お爺様には助けられてるわね。知っててとぼけてるところが腹立つけど」

 

 楯無と虚が弾にはわからない身内の話をする。とりあえず敵には楯無を真似ている敵がいて、一夏はその敵と楯無を勘違いをしているという事実だけわかれば問題はなかった。弾は明日のことで楯無に提案する。

 

「今の話を聞く限りだと、楯無さんもISVSプレイヤーっすよね? だったら一夏に近寄る良い機会があります」

 

 この提案は弾にとって一石二鳥。一夏の助けにも楯無の助けにもなる。

 

「明日の試合で、俺たちのチームに参加してください」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 その頃、藍越学園は放課後を迎えていた。特定の集団にとってはいつものことである怪しい集会が教室で行われている真っ最中だった。

 

「いよいよ聖戦は明日に迫った! 情報収集班、報告を!」

 

 教壇の上に立つ大柄な男、内野剣菱が叫ぶ。直後に宍戸先生が廊下を歩いていたため、以降は唐突に声のトーンを下げた。

 集まった男のうちのひとりが挙手をして進み出る。

 

「今日に至るまで、織斑一夏(ターゲット)が新たに接触した人間は蒼天騎士団のマシューくらいであります。セシリア・オルコットファンクラブとしての一面を考えるに、蒼天騎士団全体が織斑一夏に味方をするとは考えにくく、また蒼天騎士団自体が少人数のスフィアであるため、大した脅威とはならないと考えられます」

「織斑は今日、休んでいるようだが? ……しかも鈴ちゃんも一緒だ!」

「残念ながら織斑一夏の今日の動きは追えていません。ですがご安心を。午後の話ですが鈴ちゃんが自宅にひとりでいたという情報が入っています。織斑一夏と2人きりでいたとは考えにくいと思われます」

 

 内野剣菱は情報収集班の希望的観測に満ちあふれた報告を聞いて胸をなで下ろした。

 

「話を戻すぞ。明日の織斑軍の戦力は当初の目算どおり30人ほどということで良いんだな?」

「もっと少なくなる可能性もあります」

「対する我々は100人オーバー。更に生徒会長が仲間を引き連れてこちらに加わるとのことだ」

「そうなのですか!?」

「ああ。条件として敗北条件となるリーダーを生徒会長にしなくてはならなくなったが、元より俺は最前線で戦うつもりだった。生徒会長の申し出は単純に追い風といえる」

 

 剣菱の口元が歪む。戦う前から勝利を確信しての笑みだった。

 

「何よりも今回はあの“シュウマツのベルゼブブ”が重い腰を上げた」

「あの悪魔が!?」

「我々の仲間だったのか!?」

 

 男たちの間で戸惑いの声が広がる。男たちの中では伝説となっているプレイヤーの参戦に驚きを隠せない。剣菱は全員に落ち着けと手で制した。

 

「ここ最近の出来事は奴にも許せないものだったんだろう。今日の集会には顔を出せなかったようだが、明日には必ず我々の前に姿を見せるはずだ」

内野剣菱(バンガード)にベルゼブブ……」

「他にも全国区プレイヤーがこちら側に……負けっこねえ!」

 

 男たちの士気は最高潮となっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 内野剣菱たちの様子を廊下から見ていた男が2人いた。ひとりは藍越学園の生徒会長、最上英臣。もうひとりは生徒指導担当の教師、宍戸恭平だった。

 

「明日になりましたね、先生」

「アイツらはやる気満々ってところだな。で、お前の方はどうだ? ISVSには慣れたか?」

「和巳の指導が優秀でしたので、一通り基本は覚えました。先生の期待には応えられると思いますよ」

 

 明日の試合で最上生徒会長は剣菱の代わりにリーダーの役目を負っている。プレイ時間だけでいえば初心者の域を出ない最上が負ければ敗北となる役目を請け負ったのにはわけがある。

 

「僕は一夏くんに……“織斑”に勝つつもりでいきます。僕が勝ったら、僕をツムギに加えてもらえますか?」

「前にも言ったろ? ツムギは解散してる」

「先生が僕を同胞と認めてくれれば僕は満足です。では考えておいて下さい」

 

 最上が生徒会室へと戻っていくのを宍戸は見送った。

 翌日の試合、一夏の相手となるプレイヤーたちは準備万端といった様子である。最上英臣、内野剣菱以外にも宍戸が用意した腕利きのプレイヤーが混ざる。数が多いだけでなく質も高い相手に一夏はどこまで食らいつけるのか。

 

「勝てよ、織斑。お前は“あの人”の息子なんだからよ」

 

 自分で難易度を上げておきながら、宍戸は一番の教え子の勝利を願っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 街へと帰ってきた俺は携帯を片手に歩いている。いろいろと回ろうと思っていたけど、もう既に夕焼け空が見える時間となってしまっていた。

 

「――ありがとな。じゃあ、明日はよろしく頼む」

 

 通話を切る。今話していた相手は蒼天騎士団のマシュー。セシリアの口添えの効果があったのかマシュー以外のメンバーも俺たち側として参加してくれることになった。

 

「さて……もうそろそろネタ切れだな」

 

 俺が個人で集められそうなプレイヤーはもう打ち止めだった。俺がISVSを始めて間がないから無理もない。今のところの試算では20人ちょっと。相手が藍越学園の男子生徒の8割ほどだと考えると心許ない数字だ。

 この試合は主催である生徒会が俺のチームに対して“セシリア参加禁止”以外に干渉してきていない。生徒会の裏に宍戸の影があることから、この戦力を集めることこそが宍戸が俺に与えた試練なのだと思っている。無茶ぶりがすぎるが、エアハルトとの戦いの経験から宍戸の言わんとしていることはわかる。これからの戦いでは、俺とセシリアによる力押しだけでは乗り越えられないってことだ。

 頭ではわかっているが実際に集められるかは別。店長は俺に協力してくれているけど、どうも集まりは悪そうだと教えてくれた。これは相当頑張らないとキツい試合になりそうである。

 

「ん? 電話か?」

 

 着信があってすぐに取る。ディスプレイに表示されていた名前は五反田蘭。弾の無事は本人から連絡がいっているはず。俺に何の用だろうか。

 

「もしもし、一夏だけど」

『一夏さん……うちの馬鹿兄貴がご迷惑をおかけしました』

 

 そういえば弾には家に連絡を入れさせたけど、例の事件に関して話すわけにはいかなかったんだ。蘭の中で弾は“ゲーセン店長の家で徹夜で遊んでた”ことになってる。

 

「別に迷惑なんかじゃないって。むしろ普段は俺の方が弾に迷惑かけっぱなしだからさ」

『で、でも! 私があんな電話かけたから一夏さんに無駄な心配をおかけして――』

「いや、あの電話は助かったよ。だから気にするな」

 

 本当に蘭からの電話には助けられたんだ。あの電話がなければ俺が動くのが遅れた。ジョーメイを助けられなかったかもしれないし、弾の心が折れていたと思う。未然に防げたのは蘭のおかげだった。

 

『そういうところが一夏さんなんですよね……わかりました! ではお詫びも兼ねてひとつ提案があります!』

「いいよ、気にしなくて――」

『明日、私と学校の皆で一夏さんのチームに参加したいと思います!』

「ありがとう! マジで感謝!」

 

 自分でもビックリするぐらいにあっさりと態度を切り替えていた。

 

「で、何人くらい? ってか蘭もISVSやってたんだ」

『10人くらい、かな。私もお兄の影響でやってますし、腕前は保証します!』

「わかった。じゃあ、8時半頃には藍越学園に来ててくれ」

 

 通話を切る。急に10人ほど自軍が増えた。蘭の友達ということは中学生だが、弾の奴が関わっていそうだから腕前の方も大丈夫だろう。

 思わぬ援軍に緊張が和らぎ、帰り道をスキップし始めそうだった。それくらい軽い足取りで歩いていると、また携帯が着信を告げる。

 

「もーなんだよ、困っちゃうなあ」

 

 また助太刀の連絡かもしれないと浮かれたまま電話に出ようとした。そんな俺だったが、相手の名前を確認して目を覚ます。

 ――シャルル。

 フランスにいるプレイヤーであることに肩を落としてから、俺は気づいた。シャルル抜きで蜘蛛を倒しているということに。厳密には倒せていないのだが、俺がシャルルとの約束を破っていることは間違いない。

 コール音が鳴り続く。マナーモードでも留守電設定でもないため、シャルルの方から諦めるか俺が出るかするまで終わらない。意を決して俺は通話を押した。

 

「も、もしもし……」

『あ、良かったよぉ、ヤイバ。ヤイバからのメールを見たのがついさっきでさー。もしヤイバが負けてたらどうしようって本気で心配したんだからね!』

「悪い。シャルル無しで蜘蛛やっつけちまった」

『そんなこと気にしなくていいよ。僕の事情なんてヤイバの無事と比べたら小さいことだから』

 

 シャルルは怒っていなかった。Illを倒すために俺に近づいてきたはずだってのに、俺が無事であることを喜んでくれている。そんなシャルルの優しさを疑っていたことで俺は俺を責めたくなった。

 

「なんか本当に悪かった、色々と」

『謝らなくていいのに……そこまで言うんだったら、僕の我が儘を聞いてくれる?』

「ああ、なんでも聞いてやるよ」

 

 二つ返事の安請け合いをする。相手が弾や鈴だと何を要求されるかわからないがシャルルなら問題ないだろう。

 

『今、藍越駅にまで来てるんだけど迎えに来てくれるかな?』

 

 俺が……甘かった。

 

「シャルル……お前、日本に来てるのか?」

『うん、今日は基本的に飛行機の中だったね。だからメール見れたのも日本に着いてからだったんだよ』

「参考までに、何をしに日本へ来たか教えてくれないか?」

『明日、ヤイバはISVSで大切な試合があるんでしょ? それも人手が不足してて、現地にいないと参加できないっていうさ。僕の力を貸して欲しそうにしてたじゃん』

 

 そういえば前回の電話のときに試合のことは伝えたっけ。でも参加できないみたいなことを言ってたような気がする。……気がするだけ、か?

 

「どうして前の電話の時に言ってくれなかったんだ?」

『だってヤイバが聞かないんだもん』

 

 確かに日本に来てまで参加してくれるかどうかを確認した覚えはない。

 何はともあれシャルルまで参加してくれるのは心強い。当初の方針である“量より質”にピッタリの人材だった。

 

『それでさ、我が儘ってのはここからが本題でさ』

「俺のために日本に来てくれたんだろ? 遠慮なく言ってみろよ」

『今夜だけでもいいから僕をヤイバの家に泊めてくれないかな? 慌てて来たからまだ宿を取れてないんだ』

「なんだ、そんなことか。自慢じゃないが俺の家には部屋の数に余裕がある。今日だけなんて言わずに日本にいる間ずっと泊まってけよ」

『ほんとっ!? ありがとう、ヤイバ!』

 

 シャルルの頼みを俺は快く承諾した。

 正直な話、一つ屋根の下にセシリアがいるという状況は男として思うところがあったりして……嬉しいことは大変嬉しいのだが抑えるところを抑えないと執事に殺される。男の同居人が居てくれれば少しは俺の気が楽になるんだよ。

 

 

***

 

 

 駅前広場にたどり着いた。ここで人を探すのもセシリアのとき以来か。あの時は脅迫じみたメールで誘導されてきて、強制的に遠距離恋愛のフリをさせられたんだったな。そういえば最近は演技していないが監視の方はなくなったんだろうか。

 セシリアのことを考えながらも俺はシャルルの姿を探した。互いにアバターしか見ていないからシャルル側が俺を見つけることは困難なはずだった。しかし俺の方は金髪男子を探せばいいのだから見つけるのは容易いはず。だというのにどこにも該当する人物は見つけられなかった。珍しく金髪の女子はいるけども。

 

「あ、もしかしてヤイバ!? おーい!」

 

 シャルルの声が割と近くから聞こえてきた。キョロキョロしている姿から俺だとわかったのだろう。俺から見つけるつもりだったのに先に見つけられてしまった。無駄に悔しくなりつつも俺は返事をする。

 

「シャルルか! 待たせたな……って、うぇ!?」

 

 声のする方に右手を挙げて向かってみれば、金髪男子などどこにもいなかった。代わりといってはなんだが、先ほど俺がスルーした金髪女子がいる。鈴と違って出るところが出てて、やたらとスタイルがいい。

 

「ひっどいなぁ! 僕の顔を見るなり妙な声出して」

 

 両手を腰に当てて金髪女子はわざとらしく頬を膨らませている。大変聞き覚えのある声に俺はひとつの結論を出した。この女子こそ“夕暮れの風”と呼ばれている強豪プレイヤー、シャルルの正体なのだと。

 

「あの、シャルルさん?」

「なんでしょう?」

「女の子だったの?」

「はーい」

「どうして言ってくれなかったんだ?」

「聞かないんだもん」

 

 俺が戸惑ってみせるとシャルルは怒ったフリをやめて実に楽しそうである。この野郎……いや、この女、わかってて騙してやがった。

 どうすんだよ! もう泊めるって約束しちまったぞ!? セシリアになんて説明すればいいんだ!

 

「ヤイバ、すごい楽しそうだね」

「他人事だったらな。ったく、もう約束しちまったからシャルルはうちに泊めるぞ? それでお前は本当にいいんだな?」

「うん、もちろん!」

 

 よくもまあ、顔も知らなかった男の家に泊まろうだなんて思えたもんだ。シャルルは屈託ない笑顔のまま俺の右腕に飛びついてくる。

 

「早く行こうよ!」

「ああ。ってお前、荷物はどこだ?」

「さっき、パパが手配した人が持っていったよ。たぶん先にヤイバの家に着くんじゃないかな」

「俺、住所まで教えてないよな? あと、親公認なのかよ!?」

「そういえばパパからヤイバ宛の手紙を預かってたんだった。なんか僕が見ちゃいけないらしいんだけど」

 

 シャルルから渡された封筒を即座に開いて中身を読む。内容はたった一文だけ。

 ――娘に手を出したら殺す。

 じゃあ、手を出せるような環境に娘さんを送らないで下さいと思うのは俺だけか?

 俺が読み終わるタイミングで唐突に手紙に火がつき、俺が反射的に手を離すと綺麗に燃えてなくなった。なんて無駄で危険なギミックなんだ。親さんの本気具合がわかってしまう。

 

「パパのことだから変なこと書いてたでしょ? 気にしなくていいよ」

「そうさせてもらう。流石に頭痛い」

 

 もう色々と諦めた。受け入れた。これも明日の試合に勝つために必要と思えば俺はやっていける。既にセシリアが住んでるんだから今更ひとり増えたところで大差ない。

 セシリアやオルコット家の人たちへの説明は家に着いてから直接することにして俺はシャルルと帰ることにした。その帰り道になんとなく聞いてみたくなったことも聞いてみる。

 

「ところでシャルルはどうして男のフリしてISVSをやってたんだ? デュノア社の宣伝だったら別に性別を偽る必要なんてなかったろ?」

「もともとパパは僕がISVSをやるのに反対だったんだ。でも僕もパパの力になりたいって伝えたら、男としてプレイすることを条件に許可してくれたんだよ」

「その説明だけだと何も納得できないんだが?」

「パパはしみじみと僕にこう言った。『女性から見たISVSの世界というものはパパの女性関係と同じくらい殺伐としているからね。シャルロットは国家代表になりたいわけではないのだから要らぬトラブルを招かない方がいいだろう?』ってね。それを聞いた僕は『はい、男のフリをします!』と即答していたんだ」

 

 俺には良くわからないがシャルルの中では納得できることだったのだろう。

 

「シャルロットっていうのは本名?」

「うん、シャルルはシャルロットを男性名にしただけ。僕の名前はシャルロット・デュノアだよ」

「俺は織斑一夏だ。ヤイバってプレイヤーネームと本名は直接関係はない。よろしくな、シャル」

「シャル?」

「長いから勝手にそう呼ばせてもらったんだけど、ダメか?」

「ううん! 全然そんなことない! 愛称って奴だよね? 嬉しいなぁ!」

 

 俺が愛称で呼んだだけで、シャルは両手にグーを作ってハシャぎだした。やっぱり俺にはこの子のことは良くわからないのかもしれない。

 

 

***

 

 家に帰ってきた。すぐ後ろにはシャルがいる。先に荷物が届いているということは今更どう足掻いても意味がないので、遠慮なく玄関をくぐった。

 

「ただいまーっ! 実は言わなくちゃいけないことがあるんだけど――」

「おかえりー。どしたの、一夏?」

 

 なぜか俺を出迎えたのはセシリアでもチェルシーさんたちでもなく鈴だった。

 

「なんで鈴がここにいるんだ……?」

「あたしがアンタの家に遊びに来るのはいつものことでしょうが。それに今日はセシリアに誘われて来たのよ」

 

 なんてタイミングの悪い。おまけに、鈴と立ち話を続けていると俺の背中がチョンチョンとつつかれる。

 

「中に入らないの、一夏?」

「あ、そうだったな、シャル」

 

 シャルをいつまでも外に待たせてるのは悪いと思い、中に入れる。するとやはり、

 

「誰、この子?」

 

 鈴が俺を睨んでくる。わかってたさ。鈴とはち合わせた時点でこうなることくらい。箒、箒、と言い続けてるくせにまた違う女子を家に連れ込もうとしてるんだ。鈴は間違ってない。わかってるさ、それくらい。

 

「鈴、お前は誤解をしている」

「とりあえず名前から教えてもらおっか? あたしは凰鈴音。一夏とは古い仲よ」

 

 鈴は俺を無視してシャルに狙いを絞っていた。とりあえずセシリアのときみたいに険悪そうじゃないし、下手に俺が何か言わない方がいいのかもしれないな。

 

「僕はシャルルと申します。あなたのお母様には感謝をしなくてはなりませんね。こんなにも素敵な女性をこの世にもたらしてくれたのですから」

「シャル? 今のお前はシャルルくんアバターじゃないからね? シャルロットちゃんに戻ってね? あとフランスじゃなくてイタリアっぽいと思ったのは俺だけじゃないはず」

「この胸のときめき……もしかして恋!?」

「ちょろすぎるぞ、鈴! 俺、お前が変な男に騙されないか心配になってきたぜ」

 

 ついつい口出ししてしまった。

 

「冗談は置いといて、と。あたし、一夏の言うとおり誤解していたわ」

 

 珍しく今日の鈴は素直な反応だ。自分の非をもあっさりと認めるなんて鈴らしくないとも言える。本当にどこかおかしくなってたりしないか?

 鈴は力強く俺を指さして声を上げる。まるでとどめをさそうという気迫であった。

 

「シャルルは女よ! でも何故かあたしにはシャルル=男ってイメージがあるの! どうしてかしらねぇ?」

「そりゃあシャルルはあの“夕暮れの風”だから……」

「何それ?」

 

 鈴は夕暮れの風を知らない? じゃあシャルルとは完全に初対面のはずじゃ……あ、思い出した。

 

「そういえばシャルルと電話してたときに男だって断言したな」

「そう! あたしはハッキリと覚えてるわよ! アンタがこんなしょうもない嘘をつくなんて思ってなかったわよ!」

「いや、あのときは俺もシャルルが男だと思いこんでた」

「もう今更どうこう言うつもりはないけどね。……セシリアがいる時点であまり変わらないし。それでその子をここに連れてきたのはどうしてなの?」

「今日から家に泊めることになっ――」

「セシリアーっ! やっぱ泊まるから、あたしの部屋も用意しといてーっ!」

 

 シャルを泊めると言い切る前に鈴は後ろに向かって大声でお泊まり宣言をしていた。

 

「おい、何を勝手に言ってるんだ? お前は近くに家があるだろ!」

「友達の家でお泊まり会するのに家の距離とか関係あんの?」

「千冬姉が留守にしてる今、この家のことは俺が取り仕切って当然だ。俺がダメって言ったらダメ。この家が2人家族には広すぎる一軒家だからって限度ってもんがあるしな」

「まだ5人ほどは大丈夫でございます、一夏殿」

 

 人数を言い訳にしようとしたら、唐突に現れた執事に横やりを入れられた。ほくそ笑んでいるのがハッキリ伝わってきてやがる。ついでに2階からセシリアが降りてくる。

 

「お話は聞きましてよ、一夏さん。とりあえず内密にお伝えしたいことがありますのでこちらへ来てもらえますか?」

 

 セシリアに手招きされた。シャルと鈴をその場に置いて彼女の元に向かい、小声で会議を開始する。

 

「で、何? というか鈴を連れてきたのはどうしてだよ?」

「今日の蜘蛛の件がありましたので、わたくしの方から鈴さんにじっくりお話を、と思いましたの。一夏さんの方は明日の試合のために夕暮れの風をフランスから呼んでましたのね?」

「俺が呼んだわけじゃなくて、向こうから押し掛けてきたんだけどな」

「でも嬉しいのでしょう?」

「まあ、大変助かる。でもって礼代わりにうちに泊めることになったんだ」

「ではチェルシーに言って彼女の部屋も用意させますわ」

「頼む。鈴への説明も任せた」

「了解ですわ」

 

 会議終了。方針が決まれば後は行動するのみ。もうどうなってもいいや。

 

「よし、今日は皆泊まってけ! ただし、俺が健全な男子高校生だってことを忘れずに慎ましくしていること! それだけはお願いします!」

「ほう、面白そうだ。私もその輪の中に混ざってもいいか?」

 

 俺の口から許可を出したとき、開けっ放しの玄関の先に銀髪で黒眼帯のあの人が立っていた。俺はポカンと口を開けていることしかできない。

 

「あれ? 朝のドイツじゃん。どしたの?」

「路銀の節約ができるかもしれないと思い立ち、親切な知り合いがいないか探していたのだ。ヤイバは気前の良い男だな」

「もう、どうにでもなれ……」

 

 まさかのラウラまでやってくる始末。ラウラにも明日の試合を手伝ってもらうため断るのも気まずかった。今日は織斑家始まって以来最高に姦しい一日となることが約束されてしまっていた。……今日は疲れてるから早く寝よう。そうしよう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

【送信元】ヤイバ

【件名】新しい敵を確認したから注意

【本文】最近ナナと話す時間が取れてないな。本当は直接話したかったんだけどそうも言ってられないからメールで連絡する。今日、新しい敵と接触した。敵っていうのは前に福音って呼んでたのと同種の奴ってことだ。倒せる一歩手前まで追いつめたんだけど、逃がしちまった。もしかしたらナナたちを狙いに現れるかもしれない。花火師さんには報告してあるけど念のためナナにも伝えておく。蝶の姿をしたISには気をつけろ。じゃあ、また!

 

 自らの寝室で質素なベッドに転がり、ナナはラピスから受け取った携帯を眺めていた。ヤイバは滅多にメールを送らないため、ナナの携帯には数えるほどしか受信メールが存在しない。最近のナナの日課として寝る前にヤイバからのメールを読み返すという事柄が追加されているのだが、今日は新着メールがあっていつもより新鮮な気分になっていた。

 

「話す時間がない、か。流石に気づかれてしまっているな……」

 

 仰向けになったナナは左手を額の上に乗せる。意図的に避けていることがヤイバに知られてしまったらどう思われてしまうのか、と考えてしまう。ヤイバの知らせてきた新しい敵のことよりも、ナナはヤイバのことばかり気になってしまっていた。

 

「何を、誰に気づかれてしまうんですか?」

「シズネか。ノックくらいしろ」

「しましたよ。寝ているのかと思ったのですが、声が聞こえたので勝手に開けちゃいました」

 

 視線はメールに、思考はヤイバに集中していたため、ナナはノックに気づかなかっただけだった。父親に今のナナを知られてしまえば叱られるだろうと自らを嘲笑う。

 

「ヤイバくんに気づかれると困ることがあるんですか?」

「あるに決まっている。私とて思春期の女子なのだ。同年代の男子に知られたくないことくらいある」

「好きな人に好きって伝えることもですか?」

「そうだな…………」

 

 シズネに対して嘘をつかないことを信条としているナナは、聞かれるままに答えた自分の口を慌てて塞ぐ。しかしシズネの少しも動じない態度を見てナナは悟った。もう黙っていても知られている。

 

「いつから知ってた?」

「ナナちゃんはわかりやすいですから。ヤイバくんを見る目が変わったということから導かれる結論としてはとても簡単なものですよ」

 

 ナナとしてはシズネには知られたくなかった。7年前の約束の“彼”がいるのに、違う男に靡きそうになっている自分の浅ましさを。そして、親友の好きな男を好きになってしまったという事実を。

 

「大丈夫だ……今の私がおかしくなってるだけなんだ。私はシズネの邪魔をしない。私には他に好きな人がいる。何も心配することはないんだ」

 

 途中から言い聞かせる相手がシズネではなく自分となってしまっていることにもナナは気づかなかった。シズネはナナの右手をとって、自分の胸の前で抱き込む。

 

「おかしくなんてありません。ナナちゃんには自分の素直な気持ちと私を思う優しさの両方があるだけなんです」

 

 シズネは今のナナをも全肯定する。一方的に裏切った気持ちでいたナナの荒れた心にシズネの思いやりが染みていく。

 シズネと喧嘩にならなかったことに安堵したナナ。そんなナナを見たシズネは右手を離してナナの顔の前にもっていき、デコピンをかます。

 

「いたっ!」

「今のはお仕置きです。ナナちゃんは確かに魅力的な女の子ですけど、自惚れが過ぎると思うのです。そもそもヤイバくんには眠り姫さんがいるのですから、その間に割って入るのは簡単なことではありませんよ」

「そう、だったな。私の自惚れか」

「そういうことです。ヤイバくんの心に近づくには眠り姫さんも含めて私たちが現実に帰らないといけません。それまではいくら悩んでも無駄だと思います」

「シズネの言うとおりだ」

「ですからちゃんと眠ってください。自分だけでは答えの出ない悩みを抱えるのは辛いです。そんなナナちゃんを見ている私も辛くなってしまいます」

「悪かった。ちゃんと寝る」

 

 ナナが再びベッドに横たわるとシズネは寝室から出ていった。シズネに知られて気まずくなると思いこんでいたナナだったが思い違いと知ってひとつだけ肩の荷が下りた。

 ――そう。ひとつだけだ。

 

「ごめん、シズネ。それでも私はヤイバとまともに顔を合わせられないんだ」

 

 ヤイバの顔がナナの中にある“彼”に関する記憶を浸食していく限り、ナナはヤイバと向き合えない。シズネが何を言ったところで変えられるものではなかった。

 ヤイバは苦境に立たされている自分たちを助けてくれる都合の良い存在。ナナたちの希望という名のヒーローは自分のあずかり知らないところでも戦ってくれている。7年前の“彼”と違って……。現在と過去を比較してナナは自己嫌悪に陥るばかりであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ツムギの中枢。転送ゲートが設置してあるロビー部分の下方にある小さな空間に銀髪の少女がひとり佇んでいる。ナナやシズネたちと同様に睡眠もする彼女だが、起きている間はずっとこの場所にいてISVSの情報を閲覧していた。

 

「相変わらず何もないところでひとりぼっちか。AIって聞いてるけど、マジみたいだな。常人だったら発狂するぜ」

 

 人が入ってきたことを感知して少女が振り向く。しかしその眼は開かれておらず、どこを見ているのかは本人にしかわからない。

 

「倉持技研の人たちが来てくれてからクーはずっとここにいるよな。やっぱ安全になったからか?」

 

 銀髪盲目少女、クーの空間に入ってきたのはツンツンした茶髪頭の男、トモキである。クーの元を訪れるのはナナかシズネのどちらかであるのが普通であったため珍しいことだった。にもかかわらずクーは僅かにも動揺を見せない。

 

「逆です。安全を確認できていないからと言えます。現に倉持技研という組織にはこの聖域への侵入を許可していません。許可のない者に対しては問答無用で迎撃する用意があります」

「聖域ねぇ……自分のことに無頓着なクーがこの場所にだけは固執してるんだよな。この殺風景な場所が何か特別なのか?」

 

 トモキがクーの空間を見回すも、一面壁があるだけの場所で何も物が置かれていない。

 

「わかりません」

 

 クーはトモキの質問にわからないと答える。以前からクーは自分のことすら良くわかっていなかった。AIだと聞かされてから誰も深くは考えてこなかった問題だったが、トモキは初めて切り込んでいく。

 

「どうして“ナナさま”なんだ? ナナにもシズネにも聞いてみた。クーは最初からナナをさまづけで呼んでいたらしいが、ナナだけの理由がわからねえ」

「わかりません」

「誰も正確な答えなんて求めてねえよ。今のお前がナナをさまづけで呼んでる。これに意味があるのか?」

「わかりません。そう呼ぶのが当たり前であると認識しているだけです」

「それもひとつの答えか。わかんねえってことだけはわかったよ」

 

 トモキが立ち去る。彼が聞きたかったことは当然、ナナのことだ。ナナの悩みを解決するヒントがクーから聞き出せないかという試みであったが失敗に終わり、トモキは渋々自分の寝室へと帰って行った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「失礼します、セシリア様」

「待っていましたわ」

 

 夜、セシリアの寝室に入室するオルコット家執事のジョージをセシリアがテーブルについたまま出迎えた。チェルシーの淹れた紅茶を片手に彼女は本題前の軽い話題を振る。

 

「3名のお客様はどうされてます?」

「鈴様は先ほどお部屋に入られました。浮かないお顔でしたので、やはりセシリア様のお話に思うところがあるようです」

「鈴さんは一夏さんの現状を良く思っていませんから。それはわたくしたちも同様。わたくしとしても鈴さんを危険に巻き込むのは本意ではないのです」

「我々のような大人が何もかもを解決できれば良いのですが……」

「適材適所というものですわね。ジョージはあの店長さんと同じでISVSが不得意ですから。それにもしかしたら大人の方が融通が利かなくて動けないのかもしれません」

 

 セシリアから鈴への説明はもう終わっている。鈴には一夏と共有している情報を全て話した。セシリアが想定していたよりも一夏が鈴に話していたため新しく何かを伝えるということはなかったのであるが、セシリアからはハッキリと一夏の身が危険である可能性を指摘している。

 

「他の方は? “夕暮れの風”と“冷氷”のお二人です」

「どちらの方も鈴様とは違い、セシリア様のお話を聞かれても暗い顔はされていません。先ほどシャルロット様が嫌がるラウラ様を無理矢理浴室に連れていったところです」

「ラウラさんはともかくとして、あのシャルロットさんも一般人離れしているようですわね。Illの件を荒唐無稽に思っているか、あるいは真実と確信して平然としていられるか……。とりあえず絶対に一夏さんを浴室に近づけないでください。おそらく彼女たちの声は一夏さんには毒です」

「抜かりはございません。一夏殿は既にお休みになられています」

「妙に早いですわね。お疲れだったのでしょうか」

「おそらくそうでしょう。ですので、今からご報告することを一夏殿に聞かれる可能性はありませぬ」

 

 執事の返答内容からセシリアはあることを察した。

 

「廊下はチェルシーが見張っているというわけですわね?」

「はい」

「わかりました。では報告を始めなさい」

 

 ここからが本題である。昼に店長やラウラから話を聞き、セシリアはある事柄を使用人たちに調べさせていた。半日で結果が出る辺り、優秀な部下が揃っている。

 本来は一夏にも聞いてもらうべき内容。しかしジョージはそれを意図的に避けた。セシリアが一夏に話さないことを前提とした行動に、嫌な予感ばかりが募る。

 

「結論だけ申し上げましょう。セシリア様から渡された名簿に記された名前のうち、確認できた者は4名のみでした」

「今後確認される可能性はありますの?」

「日本国内の主な“病院”は調べました。病院以外の施設に収容されている可能性は低いと思われます。ここから先の調査では戸籍を確認していく作業となりますので少々手間がかかります」

「そう……ですか」

 

 やはり良くない報告だった。それも完全に想定外の類である。ここから先の調査で発覚することはさらに悪い方向でしかない。

 

「確認できた4名の名前を聞かせてください」

 

 セシリアは話を続けさせる。これ以上聞くべきでないと訴える本心を抑え込む。これは避けられない事実であるのだからと、動悸の激しくなる心臓を掴むように胸の前で服を握りしめた。

 

 国津玲美(レミ)岸原理子(リコ)四十院神楽(カグラ)。戦艦アカルギの操縦を担当している3名の名前が挙がる。

 そして、鷹月静寐(シズネ)。ポーカーフェイスなムードメイカーであるツムギの中心人物の名前が挙がる。

 セシリアがジョージに渡した名簿はシズネから渡されたツムギのメンバーを記したものだった。セシリアは現実でのツムギメンバーの足跡を辿ろうと、入院している同姓同名の人物を探させたのだ。

 

 4人しか見つからない。では他のメンバーは一体どのような存在なのか。仮説はいくつか出てくるが、どれもセシリアにとって好ましいものではない。

 

「ナナさんが……現実にいない……?」

 

 一夏の心が折れたとき、また孤立しようとしていた自分を立ち直らせてくれた戦友、文月奈々。

 彼女が現実に帰ってきた暁にはたくさん話がしたかった。鈴も交えて、本当の友達になれると思っていた。その彼女が……いない。

 

「ジョージ……他に報告は?」

「ありませぬ」

「そう。少し……ひとりにしてください」

「わかりました」

 

 ジョージがいなくなるまでセシリアは耐えていた。しかし、扉が閉まる音を聞いた途端に我慢ができなくなっていた。両目から溢れてくる涙の奔流が抑えられない。泣き虫な自分があることを自覚していたセシリアだが、今は抑えようとも思わない。

 

「こんなことって……」

 

 一夏にも鈴にも誰にも言えない。ツムギの誰にも言えるわけがなかった。

 ツムギのメンバーの大半は現実にいない。

 最初からいなかった。もしくは、既に死んでいる。

 一夏が知ってしまえば彼は壊れてしまう。セシリアにとってだけでなく、一夏にとってもナナが大きな存在であることはセシリアから見ても丸わかりだった。

 セシリアはこの事実を抱えて明日以降も平然としなければならない。



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20 容赦なき解放戦 【前編】

 さて、状況を整理しようか。

 

 時刻は朝6時を回ったところ。今日は予報通り快晴で、いつも通りにチュンチュンという鳥の鳴き声が窓の外から聞こえてくる。窓からの景色も、表の道路とか向かいの家が見えている。俺の頭上には見慣れた天井だ。だから、ここが俺の部屋であることは間違いないはずなんだ。

 

「う……ううん……」

 

 すぐ傍で俺のものではない声がする。俺の左腕をガッシリとホールドしているそれは大変温かい存在だった。11月の肌寒くなってきた季節にはちょうど良い湯たんぽだなぁ――だなどと言っていられる状況ではない。

 ……落ち着け。俺は何もしてない。だけど誰かに見られたらマズいのだけは確かだ。

 大声でツッコミを入れたい衝動に駆られたが、どうにかこうにか抑え込む。わざわざ火の中に自分から油を撒くことはない。誰にも気づかれないうちにここから抜け出して、俺は床で寝てたことにしよう。だが俺の左腕の拘束は簡単には外れなかった。

 ――くそっ! 流石は軍人ってことなのか!?

 俺の左腕を頑なに離そうとしない眼帯少女はまだ夢の世界にいる。なぜラウラが俺のベッドで寝ているのかさっぱりわからない。ここは彼女を起こすべきだろうか。いや、もし寝ぼけていただけならば俺の顔を見るなり暴れるかもしれない。なんで朝からこんなことで悩まなきゃいけないんだよ、ちくしょう!

 

「……置いていかないで」

 

 頭を抱えていたら急にラウラがしゃべった。起きたのかと思ったが彼女の目はきつく閉じられている。つらい夢を見ているのだろうか。苦痛に耐えるように寝苦しそうにしているラウラが俺の左袖を握る手の力を強める。遺伝子強化素体と呼ばれている彼女の事情など詳しく知らない俺だったが、置いていかないでという寝言を聞いてしまった今、邪険に扱うことができなくなった。

 

「俺はお前を置いていけるほど強くないよ。頼りにしてるぜ」

 

 寝言に返事をしてやる。ラウラの耳に届いたのかわからないが、少しだけ彼女の表情が穏やかになった気がした。

 俺の顔も自然と緩む。しばらく動けないけど起きるまではラウラの好きにさせておこうと思った。そんなときである。

 

 ――バァンっ!

 

「いっちかーっ! そろそろ起きなさ……」

 

 俺の部屋の扉が乱暴に開かれ、廊下にはエプロン姿の鈴が立ち尽くしていた。そんな鈴とまだ寝ているラウラを交互に見た俺はとりあえずの弁解を試みる。

 

「鈴、お前は誤解をしている!」

「へぇ……あたしがどんな誤解をしたのか明確に説明を願おうじゃない」

 

 まだ布団の中だというのに背筋が凍りそうになった。鈴の対応が俺の想定の外なのである。話を聞いてくれるようだが、果たして俺は今日の試合まで五体満足でいられるのだろうか。

 

「朝起きたらラウラが俺の布団の中にいただけで俺は無実なんだ!」

「うん、それで?」

「だから決してやましいことはしておりません!」

「じゃあ早くその子を起こせばいいじゃない」

「ま、まあそれはそうなんだが……」

 

 なんとなく起こしづらかったと正直に話していいものか……

 俺が言い淀んでいると鈴が意外そうな顔で俺を見る。

 

「アンタのトラブル体質のことだからラウラが寝ぼけて一夏の部屋に入っちゃっただけとかそういうオチだと思ってたんだけど、もしかして違うの?」

「え……?」

「あたしが誤解してるってそういうことなのね!? 何よ、それ! あたしやセシリアが居るのに、昨日会ったばかりの新しい子に手を出したってこと?」

「ちょっと待て! 『何それ』はこっちのセリフだっての! 全部察してくれてたのかよ! でもってそこからわざわざ俺が危惧してたとおりの誤解に直すんじゃない!」

 

 誤解してたのは俺の方だったか。俺は相変わらず弁解が下手だと思わせられる。鈴が特殊なだけのような気もするけど。

 

「……騒々しいぞ」

 

 ラウラが俺の左腕を解放して目をこすりながら上半身を起こす。軍人だと聞いていたが、朝は弱そうだった。

 俺と鈴が口論をやめてラウラの動向を見守っていると、彼女は部屋全体を見回した後で首を傾げる。

 

「ここはどこだ?」

「……俺の部屋」

「そういえばヤイバの家に泊めてもらったのだった。しかし私はシャルロットと同じ部屋を与えられていたはず……まあ、いい。些細なことだ」

 

 一度覚醒すれば千冬姉よりは復帰が早かった。ラウラはひょいと軽い身のこなしでベッドから飛び降りる。さっきまでは意識しなかったが、上下共に下着のみの姿でだ。彼女は男の俺の前だというのに恥じらう素振りを見せることなく、入り口でポカーンと口を開けて見ている鈴の隣をテクテクと歩き去っていった。

 残された俺たちはしばし反応に困っていたが、何かに気づいた鈴がツカツカと俺の元に歩み寄ることで時間が動き出す。そしてそのまま一発平手打ちをされた。痛い。

 

「え? 俺が悪いの?」

「ごめん。あたしのイライラの行き場がアンタしかなかったの」

 

 溜め息を吐かれながらひっぱたかれた俺のやるせなさはどうすればいいのかも教えて欲しい。

 

 

***

 

 朝食の場もまた様変わりしていた。新しく鈴、シャル、ラウラが加わっている他に、チェルシーさんと老執事の姿が見当たらない。朝食の内容の中に酢豚が入っていることで何となく察した。

 

「今日はチェルシーさんはお休みってことか?」

「そうですわ。ジョージの方はわたくしが仕事を回したのですが、チェルシーは今朝だけ休みが欲しいと」

 

 てっきり鈴が我が儘でも言ったのかと思っていたのだがセシリアが言うには本当に休暇らしい。しかし今朝だけとは中途半端だ。そんな短時間でやっておきたいこととは何だろうか。

 

「でも意外だな。てっきりチェルシーさんってセシリアの家族みたいなものだと思ってたから休みをとっていなくなるなんて思ってなかった」

「わたくしも同感ですわ。何か悪巧みをしてなければ良いのですけど……」

「そんなことは置いといてさっさと食べなさいよ、一夏。わざわざこのあたしが作ってあげたんだからね!」

「お、おう……」

 

 鈴の言うとおりだ。料理は美味しい内にいただくべきである。

 しかし鈴の料理が下手とは言わないがレパートリーが少ないことをそろそろ言ってあげるべきか。毎度毎度酢豚を出されている気がする。

 などと俺が思っている間にラウラが容器を空にしていた。

 

「鈴。おかわりはあるのか?」

「早っ!? まあ、美味しく食べてもらう分には嬉しいけどさ」

「安心しろ。私は食べられるものならば何だって一緒だ」

「この眼帯娘! それは喧嘩売ってると受け取っていいのね!」

「食べられないようなものでも無理に食べなければならない。そんな経験があれば、何でも美味しくいただけるものなんだ……」

「……はい、たくさん食べな」

 

 今朝の出来事を鈴が引きずっていないかと心配していたが杞憂だったようだ。ラウラが狙ってやっているのかは知らないが、彼女のたった一言が鈴の涙腺を崩したらしい。鈴は涙ぐんでラウラにおかわりを与えている。昨日のシャルの口説きも実は本当に通じていたんじゃないだろうか。もしそうだとすれば彼女の将来が心配である。

 

「ところで一夏。今日はどんな感じなの?」

 

 鈴の酢豚は『重いから』と全く手をつけず、自分で用意したであろうサンドイッチを食べていたシャルが聞いてくる。

 

「この後、すぐに藍越学園へ全員で向かう。あとは全部向こう任せって感じだな」

「スケジュールじゃなくて、試合の内容だよ。全体の参加人数とかよくわかってないみたいだけど、作戦とかは何か考えてる?」

「作戦といってもステージも相手の装備もわからないんだからその場その場で考えていくしかないだろ」

「そうでもありませんわ」

 

 ぶっつけ本番でいくしかないと言ったらセシリアに即座に否定された。

 

「こちらの戦力さえ把握できているのでしたら、まずはこちらの役割をハッキリさせるだけでもスムーズに動けるようになります」

「実はそれもハッキリしてないんだよ。広く参加者を集めてるから当日の飛び入りもあると思う。というより、あると信じたい」

「ではわかる人だけでもどのように動くか方針は定めておくべきですわね。一夏さんは敗北条件となるリーダーですが、一夏さん自身がどのように動くのかも全体に影響を与えますわ」

 

 俺がどのように動くのか、か。しかし俺ができることなんて――

 

「前に出て斬ることしかできないから最初っから突っ込んでいくしかないよな」

「だと思いました。では皆さんの意見を聞いてみましょうか」

 

 セシリアが鈴に発言どうぞと手を差し出した。鈴は食事の手を止めてから口を開く。

 

「まあ、後ろに下がってろって感じね」

「シャルロットさんは?」

「鈴と同じ」

 

 鈴、シャルと続いて最後にラウラ。

 

「指揮官が必要もないのに最前線に出るなど愚の骨頂だ」

「え? 俺、必要ない?」

「予想される戦力が最初から劣勢でも、それなりの人数がいるからね。僕とラウラが一夏の代わりに前に出るから大丈夫」

 

 自分がそれなりにやれる方だと自負しているが、この場における俺はそうではないのだった。鈴はともかくとして、イギリスとドイツの代表候補生に“夕暮れの風”。今更ながら強い連中に囲まれているのだと思い直す。

 

「でも俺、指揮官なんて柄じゃないぞ?」

「誰も貴様の指揮能力などに期待していない。セシリアが出場できないにしても他に人材はいるだろう?」

「まあ、いるな。じゃあその辺は丸投げするか」

 

 セシリアの代わりの人物に心当たりはあった。弾も認めている、以前にも俺たちの裏をかいて藍越エンジョイ勢に勝利した男が俺側についてくれることはわかっている。

 

「俺は基本的に後ろでふんぞり返ってて、敵が来たら迎撃ってスタンスになるのかな?」

「そうですわね。では一夏さんに自分の役割を把握していただいたところで、相手側の情報を軽くお伝えしておきましょうか」

 

 いつの間にか食事を終えていたセシリアがメモ帳を取り出して開いた。

 

「え? 相手のことわかるの?」

「もちろん一部だけですわね。直接お手伝いできませんので、こうした形でしかお役に立てません」

「いやいや。十分ありがたいって」

 

 そういえば内野剣菱って奴のこととか弾たちから聞こうと思えば聞けたはずなのに、全く聞いてなかったからちょうど良かった。セシリアはメモ帳をパラパラとめくる手を止めると内容を読み上げ始める。

 

「まず、この試合の原因となった“鈴ちゃんファンクラブ”過激派のリーダー、内野剣菱」

「言っとくけどそのファンクラブは非公認だからね」

「わかっていますから口を閉じてくださいな、鈴さん。で、内野さんですが一夏さんも知ってるとおり元藍越エンジョイ勢でプレイヤーネームはバンガード。好んで使用するフレームはサラマンダーで装甲と推進機で固めた突貫による近接戦闘を目的とした機体構成を使うことが多いです」

「一夏は知らないだろうけど、あたしは知ってるわよ。槍と盾を持ってぶつかっていくのよね」

「そうですわ。ユニオンスタイルのファイタータイプですが、装甲重視のため速度は遅め。しかしディバイドやフルスキンと比較すると最高速度は上です。弱点はEN武器ですので、一夏さんにとっては苦になる相手ではないと思われます」

 

 なるほど。内野剣菱のやってることはエアハルトに近いってことか。エアハルトとの違いは使用している格闘武器の属性と装甲の厚さ。エアハルトはユニオンスタイルのくせに防御用の装甲がフルスキンスタイルと変わらない量だが、内野剣菱の場合は重装甲でごり押しするタイプである。対エアハルト戦の練習相手にはならないな。

 

「他にわたくしが把握している相手は生徒会書記の白詰(しらつめ)和巳(かずみ)。彼は元蒼天騎士団でBT使い。アマチュアができる範囲で装備の開発をしていると聞いています」

「どういうこと?」

「開発といっても既にある装備を組み合わせているだけですわ。ただ、見た目だけで装備を判断できなくなるところが厄介ということになります」

 

 あの書記にそんな技能があったのか。というか元蒼天騎士団ってことはマシューの知り合いだな。対策はマシューに一任しよう。

 俺には今挙がった2人よりも他に気になる人物がいた。

 

「俺が個人的に気になってるのは生徒会長なんだけど」

「最上英臣ですわね。彼が相手のリーダーになるそうでわたくしも調べてみたのですが、過去にISVSをプレイしていたという経歴は全くありませんでした」

「あ、そうなの? 隠れてやってたとかは?」

「その可能性はありますが……とりあえず彼の情報がほとんどないことだけは事実です」

 

 なんとなくあの会長が一番厄介な気がしていたが俺の杞憂なのだろうか。セシリアでも情報が出てこないとなると俺には事前に会長について知る術がないと諦めるしかない。

 セシリアが話しているうちに他の皆は食事を終えていた。俺も残るはサンドイッチだけ。鈴にもラウラにも出ていなかったメニューだからきっとシャルが作りすぎたものを俺のところに置いといたんだろう。ありがたくいただくことにする。

 

 ……………………。

 

「一夏さん。ど、どうですか?」

「あれ? 一夏のとこに置いてあったサンドイッチってシャルロットの作ったやつじゃなかったの?」

「僕は自分の分しか作ってないよ。セシリアが途中から入ってきて作ってたけど、一夏に食べさせたかったんだね」

 

 ……………………。

 

「ところでさっきからヤイバの様子がおかしいのだが」

「まばたきひとつしないで固まってる……?」

「ちょっと一夏! そのサンドイッチ寄越しなさい!」

「あら、鈴さんも欲しかったのですか?」

「鈴、念のため手で扇ぐようにして嗅いで!」

「シャルロットさん! それではまるで劇物ではないですか! 鈴さんも悪ノリしないでくださいませ!」

「この独特のアーモンド臭。味の方は――ペロッ、これは青酸カリっ!?」

「何っ!? セシリアがヤイバを毒殺しようとしたのか?」

「あのね、ラウラ。鈴の冗談だから本気にしないように。臭いはともかくとして、味を知ってる上に口に入れても平気な鈴は何者なのさ……」

「皆さん、ひどい言い様ですわ。わたくしが何をしたというのですか……」

「ああ!? 一夏が倒れた!」

 

 次に俺が目を覚ましたのは、藍越学園に向かうタクシーの中だった。

 

 

***

 

 土曜日。休日の朝だというのに今日の藍越学園は平日よりも賑わっていた。参加者を案内する矢印付きの看板に従って俺たちは体育館にまでやってきた。俺が会場に入ると同時にいくつもの視線が突き刺さってくるのがわかる。敵が多い中、俺は頼れる味方の姿をひとり見つける。

 

「おはよう、一夏。待ってたよ」

「数馬か。おはよう。弾はまだ来てないのか?」

「弾なら俺よりも先に来てたんだけどね。さっき『迎えに行ってくる』って出てったとこ」

「迎え? 誰のだろ?」

「虚さんじゃない? 単なるISVS仲間ってだけなら、わざわざ迎えに行くとは思えないし。そんなことよりも――」

 

 数馬が俺の肩を引っ張ってどこかに連れて行こうとする。別にどこに行くというわけでもなく、鈴たちから引き離された形だ。数馬はヒソヒソと小声で話し始める。

 

「なんか金髪美少女が増えてんだけど、どゆこと?」

「ん? ああ、シャルのことか」

「『ん、ああ』じゃないよ! 今度はどういうルートで知り合ったわけ? セシリアさんの知り合い? 心なしか味方からの視線にも敵意が混ざってる気がするよ!?」

「気のせいじゃなかったか。しかし俺が勝つために彼女の力は欠かせないと思うんだ」

「俺はラウラさんのことは知ってるからダメージ半分で済んだけど、周りの連中にとっては『なんか2人増えてる。織斑、許すまじ』って感じだからな!?」

「マジな話、俺に構うよりも先にすることあるんじゃないか?」

「本当のことだけど今言っちゃダメだって! 誰にも聞かれてないよな?」

 

 きょろきょろと周囲を見回す数馬。心配性な奴……と言いたいところだが、今俺が陥ってる状況を考えるとあながち心配のし過ぎということはないのが悲しいことだ。

 

「内緒話は終わったか?」

「うわ、ラウラ!?」

 

 いつの間に近づいてきたのか、ラウラが俺と数馬の間にひょっこりと顔を出す。

 

「い、今の話聞いてた?」

「心配するな。私が聞いたところで貴様が損するわけでもあるまい」

「否定しないってことだな」

「むしろ何故困るのかが私にはわからない。今のヤイバの人間関係は部下から聞いた日本の男子高校生そのものでしかないのだが」

「誰だ、その間違った知識を広めているのは?」

「少なくとも多くの者に好かれること自体は悪いことではない。自信を持てばいい」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 蜘蛛との戦いのときも思ったけど、ラウラの姉御は頼もしいなぁ。朝の頼りない寝姿と同一人物とは思えない。この辺り、千冬姉に近いところがあると思う。

 

「あ、一夏! 弾が戻ってきたみたいだ」

「まだ始まらないみたいだし、弾の奴と話す時間はありそうだな」

 

 数馬の指さす先に弾がいる。俺は早速今日の試合について弾の見解を聞いてみようと思った。

 ……何か、妙なのがいるんだけど。

 

「おっす、一夏! 思ったよりも大人数だな。外にもまだ人が居るけど、人数が多すぎるから校舎の方の一部の教室を解放するらしい」

「マジか。生徒会長主催だからってやりたい放題しすぎじゃね? ってそんなことはどうでもいい! 後ろにいるのは何なんだ!?」

「何ってひどい言い草だな。俺が虚さんを連れてきて何か問題でもあるのか?」

「そっちじゃない! 虚さんの隣!」

 

 俺が指さす先は虚さんの3歩ほど前で仁王立ちしている女性だ。服装はこのままサーフィンにでも行きそうなピッチリとしたウェットスーツのようなもの。藍越学園の男子の大半が集まっているこの会場に体のラインがこれでもかと出ている格好で来て恥ずかしくないのだろうか。実は服装はまだいい。問題は顔である。

 

「あの仮装パーティにいけそうな仮面を被ったサーファー女は一体何者なんだ!?」

「ああ、虚さんの友達だってさ。喜べ、お前の味方だ」

「どう喜べばいいの!? いくら何でも変態が味方してることを喜べってのは無理があるっての!」

「一夏……俺はお前に失望した。まさかお前が人を見た目で判断するなんてな」

「ものには限度ってものがあるだろ! むしろ弾が平然としているのが不自然すぎる!」

「話してみればわかるって。たっちゃーん! 一夏が話をしたいってさ!」

「待てい! 勝手なことを言うんじゃない!」

 

 俺の制止は遅かったようで、仮面サーファー――たっちゃんさんは虚さんを引き連れて俺の元へとやってきた。きてしまった。

 こうなっては仕方がない。共に戦ってくれるのならば明るく話そう。まずは握手からだ。

 

「今日はよろしくお願いします」

 

 たっちゃんさんの表情は仮面のない口元でしか判別できない。とりあえず笑ってくれているようなので悪いイメージはないみたいだ。

 

「私としては今日だけのつもりじゃないんだけどね」

 

 俺は反射的に手を振り払った。

 即座に弾の肩を掴んで引っ張っていき彼女たちから距離をとる。

 

「おい、一夏。相手に失礼だろ」

「待て待て。俺が身の危険を感じたのが悪いってのか?」

「何をバカなことを。これを機に友達になりましょうってだけだろ」

「そ、そうか。確かに俺が悪かった」

 

 弾との密談を終えて、改めてたっちゃんさんと向き合う。

 

「ごめんなさい。ちょっと驚いたもんで」

「私も驚いたわ。握手に応じた途端に振り払われたのは初めての経験よ」

 

 話してみると普通な人かもしれない。

 

「私の初めては一夏くんのものなのよね……」

「その言い方はおかしい!」

「一夏、アンタって奴は!」

「鈴も変なところだけ聞き耳を立てるんじゃない! お前の耳は都合の悪いところだけを聞くようにできてんのかよ!?」

 

 前言撤回。たっちゃんさんはわざと妙な言い回しをして俺を困らせようとしている。仮面が覆ってない口元がにやついてるので丸わかりだ。いじられるための格好とは真逆で人をからかいたくなる体質の持ち主なんだろう。

 それにしても彼女の声……以前にどこかで聞いたような。

 

「おい、一夏! あっちにレスラーみたいな覆面してる奴が居るぞ!」

「マジか。今日のこのイベントは軽く祭りなんだろうな。他にもコスプレしてる奴がちらほら見えるし」

 

 覆面してる背の低い男を弾が指さし、俺は他にも妙な格好をしてる人たちを発見する。うちの会長が根回ししてるかは知らないが、あんまりハシャぎすぎるとPTAがうるさく言ってきそうである。

 

『織斑一夏くん。至急、舞台袖にまで来てください』

 

 話し声中心の喧騒の中、体育館に放送の声が響く。俺を呼び出す内容のものはおそらく生徒会長によるものだ。まだ話せていない連中がいるが、そろそろ試合についての話を始めるのだろう。早く行かねば。

 

「じゃ、俺行くから」

「おう」

「ちょっと待って」

 

 さっさと行こうとする俺をたっちゃんさんが呼び止める。なんとなく足を止めて、俺は彼女の用件を待った。彼女の用件はとても短い内容。

 

「私はあなたと共に戦うためにここに来た。それだけは胸に留めておいて」

 

 仮面の奥でどんな表情をしているのかわかりづらいが、俺をからかおうとしていたときと違って口元は笑っていなかった。俺は首を傾げつつも「はい」と短く返してその場を後にする。

 

 

 舞台袖にまで行くと最上生徒会長がひとりで待っていた。1対1で向き合うのは初めてである。

 

「なんか表で試合の説明とか始まってますけど、会長は出なくていいんですか?」

「和巳に任せているから大丈夫だよ。学校の公式行事というわけでもないから生徒会長の堅苦しい挨拶など無粋なだけだと思うしね」

「それはそうかもしれないです」

 

 形に拘らないという噂通りの人だなと相槌を打つ。

 

「ここに呼んだのは織斑くんと1対1で話をしたかったんだ。まずは参加人数から話しておこう。少しばかり想定よりも人数が上回ってしまって準備が多少遅れてしまったんだ」

「そういえば校門で受け付けしてましたね。でも俺、自分のチームの人数も把握できてませんよ?」

「君たちは94人。対する我々は144人。人数の上では我々が有利だが、勝負の前から決着が着くようなことにはなっていないと思うがどうだろう?」

「ぴったり50人オーバーで何を言っているんですか」

「勝てないということなら今の内に言ってくれればいいよ」

「いや、悪いけど俺たちが勝ちます」

 

 人数の集計結果は俺の予想よりも戦力差が縮まっていた。当初の予想では50対150。相手の人数は予想通りだがこちらの人数が想定の倍近くになっている。もし予想通りならあのラウラですら『難しい』と言っていたのだが嬉しい誤算だった。

 

「結構だ。君が勝つ気で来てくれなければ、僕はこのイベントに意味を見出せないところだった」

「どっちが勝っても会長には関係ないのでは?」

 

 会長は首を横に振る。

 

「関係ない? まさかそんなはずはないよ」

 

 しまった。この会長に『関係ない』は禁句だった。

 長いお小言が始まるのかと身構えた俺だったが、意外にも会長は短くまとめる。

 

「僕は本気の君に勝ちたい。それだけさ」

 

 この試合の発端は俺への嫉妬を爆発させた連中の息抜きだったはずだ。その場合、会長はイベントをすることにこそ意味があり、試合の勝敗は二の次であるはず。なのに、会長の目には火が宿っている。俺を倒さなければ前に進めないとでも言いかねない本気さが俺に伝わってきていた。

 

「会場の方はもう説明に入っているけど、織斑くんには僕の方から説明をしようか」

 

 ここに来て初めて試合の具体的な内容が提示されることになった。

 試合のステージは人工島。本土と100km超の巨大な橋で結ばれた人工島であり、両軍は人工島側と本土側にそれぞれ分かれた状態で戦闘を開始する。会長とのジャンケンの結果、俺たちは本土側。互いのスタート地点にはビルなどの障害物もあるが、基本的に見晴らしのいい海上の戦闘となることが予想される。

 

「人数の多いそっちが有利そうなステージですね」

「織斑くんには誤解して欲しくないから君だけここに連れてきての説明にしたんだ」

「誤解?」

「そう。当日になっての情報開示は明らかに主催者が有利に見えるんだけど、本当のところは僕もさっき知ったばかりなんだ」

 

 あくまで会長は公平であると言っている。その理由は俺にはわかった。

 

「宍戸の仕業か」

「このイベントが宍戸先生発案なのは知ってるようだね。話が早くて助かる。宍戸先生がひとりで決めて、今朝になって概要を僕たちに伝えた。だから情報を元にして事前に準備する時間は君たちとさして変わらない」

「俺の他の連中は……と考えるだけ無駄か。そもそもが俺の公開処刑的なノリだろうから公平性なんて関係ない」

「だと思うよ」

 

 ……わざと『関係ない』って言ったのに、素直に肯定されてしまった。そんなはずはないよって否定して欲しかったのに。

 

「さて、残るは僕たちだけだ。味方との作戦会議は向こうに着いてから1時間、ブリーフィングの時間を取ってある。詳しくはその都度アナウンスされるはずだからそれに従ってくれ」

 

 会長が家庭用ISVSを机の上に置く。物置みたいなこの場所からISVSに入るためにと、ご丁寧にマットが2つ敷いてある。俺はその片方に横たわった。

 

「そういえばひとつだけ忘れていた。せっかくのチーム戦なのだから、チーム名を決めておかないとしっくりこない。織斑くんのチーム名を言ってくれないかな」

 

 チーム名か。プレイヤーネームのときも思ったが、パッと名前を付けろと言われても難しい。

 

「参考までに聞きたいんですけど、会長の方は何てチーム名なんです?」

「内野くんの要望と僕の信条を合わせて“女神解放戦線”となったよ」

「鈴はとうとう女神様になってしまわれたか」

 

 汚物を見るような目つきをした鈴の顔を想像しながら天を仰いだ。

 

「それで、君たちのチーム名は? 念のため言っておくけど五反田くんが率いているスフィアの名前をそのまま使うのはやめてくれよ」

 

 藍越エンジョイ勢はやめろというわけか。そもそも藍越エンジョイ勢が敵味方に分かれてるらしいからこちらだけ名乗るのもおかしいから使うつもりはない。あと使えそうな名前というと……“あれ”しかない。

 

「では“ツムギ”でお願いします」

「……何だって?」

 

 これしかないと思って言ったのはナナたちの名前。俺がISVSで戦うのにこれ以上の名前は無いと思って言ったのだが、何故か会長の顔が険しくなる。よくわからない意地を見せることのある人だが基本的に温厚が服を着て歩いてる人なのだと俺は思っていた。しかし、今の会長が俺を見る目はきついもの。

 

「お、俺、何か悪いことでも言いました?」

「いや、まだ悪くない。だけど、またひとつ……君に勝たなくてはならない理由が増えた」

「もしかして会長はツムギのことを知って――」

「僕が勝ったら君は二度とツムギの名を口にしないでくれないかな?」

 

 間違いなく会長はツムギを知っている。おそらくはナナたちではない方の。何を知っているのかはわからないがもう避けられない戦いだ。便乗してこちらからも言わせてもらう。

 

「わかりました。じゃあ俺が勝ったら会長にはツムギについて知ってることを全部教えてもらいます」

「いいよ。君が勝てたら、ね」

 

 何故か会長には俺への対抗意識のようなものがある。対する俺は会長個人に対しては何も思うところがない。しかし、宍戸との約束があるため、絶対に負けられないのは会長と同じだ。ただの試合と侮るべきでないことだけは間違いなかった。

 

 

***

 

 俺がロビーを経由してゲートで飛んだ先は、偉い先生の講演会が開けるような広い会議室のような場所だった。座席には既に100人弱の人が着席していて、正面の壇上には見慣れたメンツが揃っている。

 

「主役らしい重役出勤だな、ヤイバ」

「まあ、会長から話があったからな」

 

 バレットに手招きされて俺も壇上に上がる。今までも注目されることはあったが、こうして人前に立つとやはり緊張してしまう。

 座っている人たちの顔を見回す。会長の話した内容によると、ここに集まっているのは俺と共に戦ってくれるメンバーということになる。

 プレイヤーネームはわからないが蘭の顔を見つけた。弾と同じくどこもイジってないようでわかりやすい。近くに居るのは蘭の友人の女の子だろうか。他にも女性の顔がちらほらと見られる。

 発端が発端だから野郎臭い試合になると思っていたのだが、割合的に半数近くが女性だった。……中の人までは保証されてないがな。

 

「それで? 地図を表示してるみたいだけど、もう作戦会議を始めてた感じ?」

「軽く状況説明だけです。名誉団長のためにもう一度初めからおさらいしましょう」

 

 俺たちと同じく壇上に上がっていたマシューが解説を始めてくれた。

 地図には北の本土側と南の人工島側が表示されていて、本土側の市街地の中心にマークが入れてある。ここが今、俺たちのいる場所とのことだ。相手側の詳しい位置は不明だが、人工島側の市街地のどこかと見ていい。

 2勢力を隔てる地形はほぼ海だ。陸地同士を結んでいるのはただひとつの橋のみ。ISは飛べるから橋はさほど重要なポイントではない。

 問題は100km以上の距離を、ほとんど障害物のない海上を移動することであり、隠れて敵陣に忍び寄るのは困難と言える。ここまでオープンスペースだと数の多い相手側の方が有利か。この辺りは宍戸から俺への嫌がらせなのだろう。

 

「ミッション以外でこんな広いステージは初めてだな。ユニオンの高速機体を使っても2分はかかりそうだ」

「それは本当に移動しかできない構成だろう? 戦闘も踏まえた機体で考えると3分以上かかる」

 

 バレットとマシューが極端な事例を持ち出し始めたので、俺から横やりを入れておくことにする。

 

「ディバイドやフルスキンだとどんな感じ?」

「イグニッションブーストの技量と装備構成によるサプライエネルギーの燃費次第ってとこだ。アメリカの機体だがサプライエネルギーが潤沢な構成のフルスキンスタイルでユニオン・ファイターと並ぶ速度を維持しつつ太平洋を横断したらしい」

「そんな化け物の話は置いとけって。相手にそんなのが居るって話じゃないんだろ?」

「そうですねぇ。そもそも敵からの狙撃があり得る戦場ですから、早くても10分以上はかかるのではないでしょうか」

 

 10分か。移動だけでそれだけかかるゲームなんて俺は他に知らない。ただ、100km以上という距離を考えると、高速道路を走る車の5~6倍の速度なのだから現実の感覚と照らし合わせると価値観がおかしくなりそうである。

 

「数とステージから考えると、しっかりと陣形を組んでじっくりと進軍といきたいところですが難しいところです」

「そうなのか?」

「セシリア様が指揮を執られるならまだしも、僕程度ではこの人数を扱いきれません。それに集まったばかりの烏合の衆に等しいので連携の恩恵は思いの外小さいと考えます」

「いくつか部隊を編成するもんじゃないのか? 普段からやってる人たちで組めば十分だろ」

「もちろんそうするつもりですし、各部隊に指示を出す役割は買って出るつもりです。しかしながら正攻法でしかなく、戦力差をひっくり返す何かが欲しい。相手にはバンガードを始めとする全国区の強豪が何人か確認されてますし」

「なるほどね。おーい、シャル、ラウラ! ちょっと来てくれ!」

 

 マシューは俺よりも考えてくれてそうだったが、だからこそ頭を悩ませている。少しばかり景気付けに彼女たちを紹介しておこう。皆の俺を見る目が変わることも信じつつ。

 

「この方々は?」

「こっちの金髪美少年で中身が女の子なのはシャルル。知ってる人もいるかもしれないけど、欧州の方では“夕暮れの風”として知られてるプレイヤーだ」

 

 シャルは「どーもー!」と愛想を振りまくが一部の人間だけが口をポカーンと開けていて他は無反応だった。まだ日本ではそれほど知名度がないらしい。

 

「おい、一夏。俺は聞いてないぞ!」

 

 ちなみにバレットは当然のように一部の人間の側だ。そういえば今回が初対面だったんだっけ。

 

「そりゃ、言ってないからな」

「夕暮れの風が……金髪美少女だったなんて!」

「あ、そっち? あと、公衆の面前で虚さんと痴話喧嘩しそうなネタを振らないように」

「違うんです、虚さ――アイさーん! 俺は素直に驚いただけで他意はありませーんっ!」

 

 バレットが壇上から消えたところで次に移る。

 

「でもってこっちの眼帯してるのがラウラ。えーと、何位だっけ?」

「28位だ。まだまだ誇れるものではないな」

「謙遜なんてすんなよ。で、マシュー。この2人が全国区プレイヤーと比べてどうなのかハッキリと言ってくれないか?」

「正直なところ、名誉団長の人脈の広さにはただただ驚愕するばかりです。突出した個人が複数居るということですので、それなりの作戦を立ててみましょう。ステージが広すぎていまいち勝手が掴みにくいのが難点ですが」

「それは誰でも一緒だ。頼んだぜ」

 

 そうしてマシューを中心として作戦の細部が練られていった。俺の立ち位置は今朝セシリアたちと話したとおり、後方で待機するだけ。作戦が上手くいけば俺がほとんど何もせずとも決着が着くことだろう。それだけで終わるとは微塵も思っていないが。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 開戦を告げるブザーが鳴り響く。ほぼ同時にそれぞれの都市の中心部から無数のISが姿を現した。まだ互いに肉眼では確認できない距離であるが、一部のプレイヤーには相手の姿を確認できている者もいる。

 

「本部。敵も部隊を展開させました。そのままこちらへと進軍してきます」

「こちらマシュー。了解した。君たちも前進してくれ」

 

 じりじりとした出だし。互いに手の内を探るようにして様子を伺いつつ歩を進める。開始後、2分以上経過してもユニオンスタイルの高速機体が飛んでくるようなことはなかった。ただし、天候は曇り。分厚い雲が空を覆い尽くしており、その上がどうなっているのか判別する術はない。また、海の中に潜んでいる可能性もないわけではない。

 

「まだ正面の敵は遠いが油断するな。上や下から攻撃が来ても不自然じゃない」

 

 バレットが仲間に声をかける。バレットの周りにいるのは普段から共に戦っている藍越エンジョイ勢の仲間だ。と言ってもフルメンバーにはほど遠い。ヤイバはリーダーとして後方待機している上に、リンとライル、サベージとライターの姿もない。

 

「下は海で、敵は見えているのにまだまだ遠い。もしライターの奴がいたらイクリプスをぶっ放して自滅してたよな」

「アギトさん、今はそんなこと言ってる場合じゃないっす。俺もそう思いますけど」

「お前ら、無駄口叩いてると足下を掬われるぞ」

「サベージの奴よりはマシだって。あいつ、普段から試合中でも鈴ちゃん鈴ちゃんしか言ってないだろ。……逆にすげえけど」

「たしかにそうっすね。でもなんで今回いないんで――」

 

 藍越エンジョイ勢所属のプレイヤー、テツが『いないんでしょう?』と言い切る前に発言が途絶える。バレットたちが目を向けるとテツの顔面には砲弾がくっついていた。フルフェイスのメットが砕けて錐揉み回転をしながら海へと落下していくテツを一同が呆然と見つめていると、剥き出しになったテツの頭にもう一発砲弾が命中して彼の体は粒子となって消えていった。

 意表を突かれた。バレットは警戒を怠っていないつもりであったが、全体の注意を上と下に向けさせてしまったのが裏目に出ている。

 

「バレットさんっ! 危ないっ!」

 

 すぐ傍にいた女性プレイヤーが盾を持ってバレットの正面に割って入ると彼女の盾が衝撃を受け止める音が鳴る。射線に対して斜めに構えられた盾はスライドレイヤーと呼ばれる打鉄と同じ構造の装甲を採用しており、高い威力の砲弾も表層を犠牲にすることで受け流すことが可能。3発目の敵の攻撃を防ぐことができたところでバレットは事態を理解する。

 

「狙撃。テツは重装甲のヴァリスだってのに実体弾で2発……AICキャノン、それも長射程の代物だ。おそらく“撃鉄”」

「狙撃ぃ? まだ敵とは40km近く離れてるぜ?」

「信じられないのは俺だって同じだ。だが、もっと信じられないことに敵さんは陸地からこちらを狙い撃ってる」

「おいおい、陸地からって――70kmとかふざけた数字になるんだが、実体弾のPICCが機能すんのか?」

「スペック上可能な武器がある。むしろ空を飛びつつ40km先のISに有効な実弾射撃の方が心当たりがない」

 

 遠方のISにも十分に通用する唯一の実弾兵器。それがAICキャノン。BTの独立PICをヒントに実弾武器のPICC有効時間を引き延ばそうとした結果生まれた長距離砲である。その最大の特徴は、放つ砲弾が疑似的にISコアになるというもの。本体のPICをそのまま反映した砲撃は格闘戦のPICC性能と変わらず、有効射程の向上だけでなく威力の向上にもつながっている。ただし、発射準備から攻撃の命中までIS本体のPICが一切働かないという欠点を抱えている。空を飛んで使用できないということだ。だからこそ40km先の飛んでいる敵ではなく、その後方の陸地から撃ってきているとバレットは結論づけた。

 

「盾を持っている者は前へ! 正面の敵と乱戦になれば狙撃される心配はほとんどないからそれまで持ちこたえてくれ!」

 

 盾を装備しているプレイヤーが前に出ることで実質的に狙撃を封じた。陣形が完成した頃には狙撃は止み、再び前に進めるようになる。だが隙を見せれば狩られるのは変わりない。

 

「ねえ、お兄。私はそんなにこのゲームやりこんでないから知らないんだけどさ、今の狙撃って普通はできるものなの?」

「普通じゃねえよ。俺の知り合いはおろか、国内の強豪でもそんなスナイパーに心当たりはねえ。もしかしたら本職なんかが紛れ込んでるかもな」

 

 共に来ていたカトレア(蘭のプレイヤーネーム)に聞かれて即答するバレット。その内心は焦りで埋められていた。試合開始前はランカーが味方するため大丈夫だと高を括っていたのであるが、相手にそれ以上かもしれない化け物がいる。スケールが大きいために混乱してしまうが、ISの補助があっても今回の狙撃を成功させるには現実の狙撃と同等かそれ以上の技量が求められるとバレットは推測を立てていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 名を与えられていない人工島。高層の建物が立ち並ぶ都会が広がっている島の中でも特に高い電波塔の上で海上のIS群をスコープ越しに覗く姿があった。

 

「やはりセシリアお嬢様の観測なしでは、奇襲でないと通じそうにありません」

 

 70km先の飛行しているISに2連続でヘッドショットを決めた狙撃手が外付けハイパーセンサーであるスコープから目を離して、深く息を吐く。

 試合開始後、最初に敵を落とした手柄を誇ることなく、淡々と元の作業に戻る彼女の姿は日本人のものではなく、容姿をいじったものでもない。

 

「まだ一夏様は出てこられないご様子。地道に数を減らして出てきてもらいましょうか」

 

 日本人でない彼女がこの試合に参加している理由は織斑一夏にある。

 長い間眠っていた彼女が目を覚ましたとき、彼女の主人はすっかり変わってしまっていた。オルコット家の当主として自覚を持ったことは大変喜ばしい。しかし、何をやっていても二言目には『一夏さん』。終いにはホームステイと称して家にまで上がり込む始末。主人と、そして他ならぬ自分自身を助けてもらった経緯を聞いていても、自分の目と力で確認したかった。

 

「私が守るこの地をどう攻略しますか、一夏様?」

 

 狙撃を嗜んでいる本職メイド、チェルシー・ブランケットは楽しげに微笑んでいた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 試合開始後、一番最初の報告は芳しくないものだった。最初の脱落者は俺たちの方から出たという。俺はマシューに確認する。

 

「どういうことだ? 予想よりも早い段階で仕掛けられたのか?」

「いえ、大がかりな作戦行動はされていません。単純にこちらの想定を上回る敵がいるようです。バレットの報告によれば、敵本陣からの狙撃とのこと。今は盾役を前に出して対処し、予定通り進めています」

 

 狙撃手。俺がまだ実際に会ったことのないタイプの相手だ。

 ISVSにおけるスナイパーライフルの定義はPICCの有効射程が長いライフルのことを指すが主な用途は狙撃でなく通常の射撃戦となる。ISに気づかれない距離での運用は威力の面から効率的でないからだ。よってISVSで狙撃を行う場合、もっと特殊な武装を使用することとなる。

 バレットから聞かされたことはあったが、よりによってセシリアがいないときにこんな相手と出くわそうとは。全く我ながらついていない。

 

「聞いてる限りだと相手はかなり強力なカードをいきなり切ってきたことになるな。お前はどう見る?」

「狙撃をただの牽制に使ってきたことですか? 確かに僕なら敵リーダーへの切り札として残しておくとは思います。そうしない事情として考えられるのは、狙撃以上の切り札を抱えているか、単純に統率が取れていないかではないでしょうか」

 

 狙撃以上の切り札か。相手の強気な行動の裏に数の有利だけでない強みがあるとしたら、それを知らない俺たちは不利だろう。こちらの切り札であるラウラとシャルで対抗できれば良いんだけど。

 

「敵に長距離狙撃が確認された今、こちらの進軍は相手よりも遅くなりますから、前線の戦闘空域はこちらの陣地寄りになると思われます。予定していた我々本陣の進軍も取りやめるべきかと」

 

 マシューが現在確認されている相手の位置情報を地図として表示してくれる。こちらが前線に送った部隊よりも相手の方が早く中間地点に到達しそうだった。バレットたち最前線の後方には奇襲に対して動くための部隊が続き、俺たちはそのさらに後ろに続く予定であったが、下手に前に進めば俺が狙撃される。いくらISの補助があるといえどもどこから来るかもわからない射撃を避けるのは俺には無理だ。必然的に俺はスタート地点近くから前に進むことはできなくなる。

 ふと気づいた。もしかすると――

 

「俺の動きを封じるための策だったりしないか?」

「確かに封じられていますけど、その後どうするんです? 戦闘空域がこちら寄りで、敵は全軍を出してきているわけではないようですから数的有利もこちら側になってしまいますし」

 

 おそらくは相手も奇襲を警戒してリーダーを守るための戦力を残して攻めてきている。だから見えている相手の数はこちらの全軍を下回る数だ。俺たちをまとめてしまうことで数の上で俺たちが有利な状況となるだけ。ISをまとめたところで一掃できるような兵器などツムギのアカルギかエアハルトのマザーアースしか思い当たらない。すると俺の思い過ごしということか。

 

「少し予定よりもこちらの陣地寄りですが、作戦を開始します」

「ああ、頼む」

 

 作戦とは言っても大したものではない。こちらの兵力をある程度集中して進軍させたこと自体が牽制であり、俺とマシューは相手の出方を窺っていただけ。

 

 相手側の対応で考えられるパターンは大まかに分けて3通り。

 1つ。全軍144人総出で迎え撃つ。

 2つ。こちらの前衛部隊約40人に対して上回る人数、50~70人の部隊で迎え撃つ。

 3つ。そもそも迎撃の部隊を派遣してこない。

 1つ目だったらこちらも兵を集中させて乱戦に持ち込み、シャルかラウラで最上会長を倒すというプランだった。どちらにとっても運任せな状況となるからおそらくこれはないと思ってた。

 3つ目の場合は主戦場が海上でなく相手の本拠地となる。数で上回っている相手に籠もられると困るところだったのだが、今回の試合の発端から考えるにそれは考えづらかった。俺を倒したくてウズウズしてる奴らばかりなのだから籠城戦はしない。

 

 相手の行動は俺たちの予想通り2つ目。こっちが伏兵を用意してるってわかりきってるのだから、予備戦力を残すのは妥当な判断。だけどその躊躇こそが俺の狙い。まずは相手の先遣部隊を倒して俺たちの数的不利を払拭させてもらうことにしよう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 最前線では銃撃戦が始まっていた。まだ敵と味方がそれぞれ固まった状態で一斉射撃の応酬という状況である。距離もあるためどちらも致命的な損害が出ないままじりじりとストックエネルギーが減っていく。このまま続けた場合、数で劣るバレットたちが敗れる。

 

「バレット! このままじゃじり貧だ!」

「焦るなって。じゃあそろそろ行っとくか」

 

 両軍の間は弾幕で満たされた空間が広がっている。下手に飛び出せば敵と味方の弾の両方を浴びて瞬時に戦闘不能になるであろう。普通はこの状況を続けるしかないのだが、それは()()()飛び出せばという前置きがあった。

 

「両先生、お願いしやす!」

「私は用心棒か何かか? と思ったが事実そうだったな」

「任せてよ!」

 

 バレットが先生と呼んだ2人はラウラとシャルル。それぞれ黒とオレンジ色に統一された2機のISはバレットの号令とともに前へと飛び出していった。

 一見無謀に思える彼女たちの突撃に敵軍は冷静に対処を始める。弾幕の一部を彼女たちに集中。実弾とビームの群が殺到する。

 

「昨日はヤイバの前で失態を見せてしまったからな。汚名返上をさせてもらおう」

 

 先ほどまでは部隊に混ざってレールカノンの砲撃を行っていたラウラ。どちらかと言えば遠距離よりも近距離戦を好む性格である彼女は、ここまでの戦闘で鬱憤が溜まっていたのだ。昨日の蜘蛛との戦闘もヤイバたちの前では何でもないように振る舞っていたが、実際は悔しかった。彼女の目に敵プレイヤーの群れはただの獲物としか映っていない。

 ラウラが邪悪な笑みを浮かべる。自分に向かってくる集中砲火など彼女にとっては脅威でも何でもなかった。眼帯を量子化して収納し、金色の瞳が開眼する。

 停止結界。ラウラがそう呼んでいるのはISコアのPICが有効な固有領域と呼ばれる空間だ。彼女は固有領域に進入する実弾攻撃の全てを瞬時に把握できる。あとは同時にAICを使用して実弾にかかっているPICCを打ち消す。弾の数だけ処理する事柄が増えるにもかかわらず、ラウラは命中する実弾を全て無力化した。それどころか強制的に停止させた後、非固定浮遊部位のように操作してAICでは止められないビームにぶつけて全ての攻撃を食い止めた。それらが瞬きすると見逃してしまうような一瞬で行われている。

 回避行動らしい回避行動も取らないまま、ラウラは敵軍の中に飛び込んだ。こうなれば敵プレイヤーはラウラに銃を向けざるを得ない。軽く5人に囲まれたラウラだったがその顔は――笑っていた。左目に再び眼帯を実体化しているのも余裕の表れである。

 

「遅い」

 

 ラウラの両肩から4方向にワイヤー付きのブレードが射出される。それらのターゲットは全てバラバラ。異なる4機の敵ISの所持している銃を的確にかつ同時に引き裂いた。ラウラを狙う機体はまだ1機残っているが、そちらは右肩のレールカノンで撃ち抜いている。

 

「これならどうだっ!」

「浅はかだ」

 

 武器を失った5機の代わりにENブラスター“イクリプス”をラウラに向けるプレイヤーがいた。AICで防ぐことができない武器だとわかっていながら、ラウラは全く動じない。回避行動に移ることすらせず、伸ばしていたワイヤーブレードで適当に2機の敵ISを絡め取って引っ張る。敵がENブラスターを発射する頃には、ラウラの前に2機の捕らわれたISが壁となっていた。強力なビーム攻撃は仲間にダメージを与えるだけとなった。

 

「うわああ!」

「てめえ! よくもやりやがったな!」

「何を言っている? 攻撃したのは貴様だろう」

 

 周囲が敵だけという状況でもラウラは涼しい顔を崩さない。対峙するプレイヤーたちは過去に相手をしたことがない強敵を前にして戸惑いを隠せなかった。

 重量級(ヴァリス)の中ではスタンダードな性能といえる彼女の機体、シュヴァルツェア・レーゲン。機動性よりも耐久性を重視したシュヴァルツフレームであるにもかかわらず、まだ攻撃に当たってすらいない。一部プレイヤーから「あ、これ無理だわ」という諦めの声まで漏れていた。

 

 そして、敵の中に飛び込んだのはラウラだけではない。ラウラのように派手さはなくとも、同じくノーダメージで弾幕を突破したオレンジ色のラファールリヴァイヴの姿があった。

 

「やっぱり国の名前を背負ってる代表候補生はすごいね。でも、僕だってデュノア社の名前を背負ってるんだよ」

 

 シャルルは正面の2機からマシンガンで狙われる。一般的なディバイドスタイルからさらに装甲を減らしているため、実弾系が当たると手痛いダメージとなる。だからといって彼女の機体はヤイバの白式のように避けなければならないわけではなかった。彼女が念じるだけでマシンガンの弾道を遮るように装甲板が盾として召喚され、本体には届かない。盾が壊れてもまた新しい盾が召喚されている。

 盾で防ぎつつシャルルは強引に敵ISに接近した。慌てて距離を取ろうと逃げる敵にイグニッションブーストで追いつくと左手の武器を押し当てる。連続して3発ほど発射音がなった後、敵ISはその姿を消した。

 

「気をつけろ! シールドピアースだ!」

「盾も有限のはず! 取り囲んで集中攻撃しろ!」

 

 4機がシャルルを取り囲んで各々の武器を向ける。アサルトカノン、ENブラスター、マシンガンにミサイル。シャルルは単発で威力の高いものだけを選んで避け、マシンガンは盾で防ぎ、ミサイルは発射された直後にライフルで撃ち落とした。3種の異なる行動を同時に淡々と作業のようにこなす彼女を見たプレイヤーたちは実力差を感じずにはいられなかった。一部を除いて――

 

「これは、BTソード!?」

 

 シャルルが咄嗟に盾を出現させることで防いだ攻撃は剣によるものだった。同タイミングで3発。ただし、その担い手であるISの姿は見られない。それでいて射撃武器にはないPICC性能を維持したままシャルルを襲っていたのだ。一度防がれた剣は失速して墜落することもなく、意志を持っているように距離を置いて浮き続けている。

 シャルルはこの武器を知っている。数種類の装備を巧みに使いこなす器用さを持つシャルルが唯一使えないジャンルであるBT装備。その中でも独立PICを利用した近~中距離格闘武器である剣タイプのBTビットだった。

 

「無謀な単機特攻による奇襲など想定の範囲内。そしてそれは歯応えのある獲物が来てくれたことを意味する。お前たちは引き続き正面の雑兵どもと撃ち合っていろ。夕暮れの風は私が片づける」

 

 3本の剣が主の元へと帰っていく。その先には周囲の機体に指示を飛ばす指揮官らしきISの姿があった。ラピスと同じティアーズフレームのディバイドスタイルであるが、装甲が四肢に申し訳程度にしかついていない非常にスリムなデザインとなっている。ほぼISスーツだけのような男の周囲にはシャルルを攻撃した剣と同じ形状の剣が5本浮いており、戻った剣を含めて合計で8本の剣が彼を守るように周囲を回り始めた。

 

『BTソードの使い手となると相手はおそらく“ソードダンサー”、アーヴィン。彼の機体“コランダムエイト”はディバイドスタイル相手に力を発揮します。気をつけて』

 

 シャルルがBTソードと口にしたのを聞いていたのか、本陣に控えているマシューからシャルルにアドバイスが送られてきた。戦闘中に通信を受け取るのはシャルルにとって慣れないことだったために目を丸くする。それも一瞬のことで次の瞬間には満面の笑みを見せた。

 

「忠告ありがとう。だけど本当に忠告が必要なのは向こうなんだよね」

 

 両手の銃を収納してブレードスライサーを呼び出す。二刀流となったところでシャルルは剣を両方とも宙に投げ出した。2本の剣は眼下の海へ落下することなくシャルルの両脇に浮く。空いた両手には再びブレードスライサーが呼び出され、合計4本の剣が用意された。

 

「デュノア社がFMS社に劣っていないところを見せてあげるよ」

 

 対面にいる敵プレイヤー、アーヴィンは強者だ。ディバイドスタイルで顔が見えているからよくわかる。彼がシャルルを見る目は、これまでに夕暮れの風に挑んできた者たちと寸分違わないのだと。久しく現れなかった挑戦者の出現にシャルルは胸が熱くなっていくのを感じていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 海上での戦闘が本格化した頃、厚い雲を突き破って青空の下に姿を見せるISの部隊があった。合計5機からなる部隊の先頭を進む臙脂(えんじ)色の大型ISを駆る大男がニヤリと笑む。

 

「予想したとおり、奴らにまともなユニオン・ファイターはいない。高々度ならば俺を遮る者はないってわけだ」

 

 雲海を見下ろせる高度にまで上がってきた男はバンガード。現実では内野剣菱という名前である女神解放戦線のリーダー格の男だ。彼は4機のユニオン・ファイターを引き連れて遠回りなルートである雲の上にまで来ていた。主戦場の遙か上空を通過しそのまま敵本陣に殴り込むつもりである。彼にとって織斑一夏以外を相手にするのはただ煩わしいだけだった。

 だが彼の思惑は外れる。無駄に上空にまで戦力を割いてこないと思っていたのであるが、バンガードたち以外にも雲を突き破って現れる機影があった。バンガードが知らない時点で敵陣営のISであることは間違いない。出現ポイントも敵本陣の真上である。確認できる戦力は同じく5機であった。

 

「読まれていたのはいいとしよう。しかし高速戦闘に慣れている俺たちと違って付け焼き刃に過ぎん戦力を出すなど、愚の骨頂! 一息に蹂躙してくれる!」

 

 バンガードは鼻息を荒くしてメンバーに突撃の号令を下す。

 ツムギ側もバンガード迎撃のための部隊らしく真っ直ぐに向かってきていた。

 瞬殺してやるという意気込みでバンガードは愛用のドリルランスを正面に構える。

 あとは射撃しようとしてきた敵に突っ込んでいくだけ。

 そのはずだった。――相手の顔を見るまでは。

 

「えっ!? 何でリンちゃんがここにっ!?」

 

 迎撃に現れた部隊の先頭には憧れている少女の姿があった。

 バンガードの槍の切っ先は大きくブレ、攻撃できないと判断して即座に軌道を変更。衝突を自分から回避していく。

 すれ違いざまにリンの機体周辺で圧力の変化を感知。自機に衝撃が与えられ、ストックエネルギーが減少した。

 完全に想定外だった。リンがヤイバの味方をすること自体は理解していたが、わざわざユニオンスタイルのファイタータイプに機体構成を変更してまで自分に立ち向かってくるとは夢にも思っていなかったのだ。衝撃砲も高速戦闘を意識した命中重視の拡散型を選んでいる。リン自身が徹底したバンガード対策をしてきている事実は思いの外バンガードに精神的ダメージを与えた。

 

「卑怯だぞ、織斑一夏ああああああっ!!」

 

 バンガードはヤイバに八つ当たりするしかなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「リンさんが率いる高々度戦闘部隊がバンガードと接触。戦闘を開始しました」

「いけそうか?」

「問題なさそうです」

「そっか」

 

 マシューの報告を聞いて俺は胸を撫でおろす。そんな俺にマシューは若干からかいを含んだような声音で続けてくる。

 

「名誉団長も中々鬼畜なことを思いつきますねぇ。バンガードが来るとわかっていて敢えてリンさんを仕向けるとは」

「効果覿面だろ? 奴はあちらさんの中でも突出した能力なのに、ラウラかシャルを割り当てるのは無理だったからな。他に蹴散らされない人員としてはこれ以上の適任はない」

 

 迎撃部隊の人選をしたのは俺だ。まず間違いなくバンガードが空から攻め込んでくるとは思っていた。バンガードの狙いは俺一人だというのはわかりきっている。藍越エンジョイ勢の皆から聞いていた情報によればバンガードは短気で短絡的な思考の持ち主。あからさまに大部隊を差し向ければ、煩わしく感じることだろう。回避する術があれば例え少数部隊になろうとそうしてくることは読めていた。

 もうひとつ奴が回避したかったものがある。それがリンの存在。リンはこれまでにヴァリスのディバイドスタイルしか使ってきていないため、普通に考えればバレットの部隊に混ざっているところだ。リンのことを知っているからこそ、バンガードはリンが大部隊の中に紛れていると思いこんでいたはずだ。だからこそリンには初めてとなるユニオンスタイルのファイタータイプを使ってもらうことにした。不慣れな操縦なのはこちらも承知の上だが、バンガードが最もやりにくいであろう相手なのは間違いない。

 

「もうすぐ俺の出番だな。軽く片づけてくる」

「頼みましたよ、名誉団長。あなたが負けるとは思っていませんが、油断だけはしないようお願いします」

 

 俺は単機で出撃する。最前線に出向くわけではないが、戦闘をしに行くのだ。負ければ即試合終了というリスクを抱えた俺をマシューは軽い態度で見送ってくる。

 

「以前に俺を負けさせたお前が言うか?」

「あなたに直接勝ったわけではありませんよ。それに、一番大切なところで僕はあなたに完敗していますから。だからあなたは僕よりも強いです」

「何だそりゃ? ま、いいや。ちょっとは自信がついたよ。こう言っちゃなんだけど、少しラピスっぽい送り出し方だな」

「そ、そうですか? 最高の誉め言葉です」

 

 マシューの声が上擦っている。別に誉めたつもりではなかったんだが嬉しいのなら無理に否定することもないか。本人が満足してるんだし。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 バンガードを空へと誘き寄せる役割を果たした最前線の部隊は敵味方が入り乱れた状態となっていた。ラウラとシャルル、2人のエースで攪乱し、陣形が乱れたところにバレットの号令の突撃を開始。そのまま一網打尽にするつもりであった。だが現状は理想通りにはいかない。ラウラもシャルルも敵エース級に阻害され、想定よりも敵は浮き足立っていない。

 

「本物を知らない者でもここまで戦えるとは……クラリッサの言うとおり、素人と侮れるものではないな」

 

 ラウラから独り言が漏れる。現在、ラウラの正面には巨大なバズーカを所持している大型のずんぐりとしたISが僚機を3機引き連れて立ちはだかっている。敵陣の中に突入した段階では好き勝手に暴れられたラウラだったが、デブ機体が現れてからは守勢に回っていた。

 敵の情報はマシューから送られてきている。断片的な情報だけで特定できたということは有名なプレイヤーであることを指す。名前はファズ。重度の火力マニアで実戦に不向きとされているものほど好んで使用する傾向にある男だ。

 彼が今回持ち出してきている武装はラウラも知っているもの。FMSの失敗作である集束型ENブラスター“バルジ”という。ENブラスターの限界を目指して開発されたのであるが、いざ完成してみれば馬鹿でかい容量のためにユニオンスタイルでなければ搭載できず、馬鹿でかいEN消費量のために大半のフレームのユニオンスタイルでは扱えない。省EN特性のコールドブラッドフレームを使ったユニオンスタイルで辛うじて運用できるのであるがコールドブラッドフレームは同時にEN武器威力減衰の特性もついている。そうまでして使うよりもイクリプスを2発撃った方が早いというのが開発者、プレイヤー双方の結論であった。

 

 ファズが失敗作をラウラに向ける。開発者すら投げ出した代物を喜んで使う男などラウラは今までに出会ったことがなかった。巨大なEN反応を察知し、ラウラは大きく迂回するように射線上から退避する。発射された光の暴力は光線と呼ぶには広かった。集束型を謳っておきながら、集まりきっていない。横から見れば扇のように拡散したビームは海に照射され、円形の大津波と莫大な水蒸気を発生させる。

 これほどの規模のENブラスターである。発射直後からサプライエネルギーの総量は一定時間低下し、次に発射できるまでラグが生じているはずだった。その間に接近して相手を戦闘不能にすることなどラウラにとっては朝飯前である。しかしラウラは前に出られない。

 

「他のISを電池のように扱い、ENブラスターの隙を消したか。サプライ低下状態の僚機も実弾ならば使えないことはなく、次弾の発射が間に合う。これも連携といえば連携。たしか日本で起きた戦いの中に似たような戦術の例があったか」

 

 ラウラはただ感心する。ファズはコールドブラッドフレームを使っていなく、むしろEN消費が大きくなる代わりに威力を上げるメイルシュトロームフレームを採用している。問題となるサプライエネルギーは自前でなく他機体から確保という単純かつ大胆な方法で解決。BTのように無線でENを渡せないため、ケーブルによる有線供給。一度発射した後はすぐに他の機体と交代してケーブルを繋ぎ直し、次の発射に備えているのだ。ラウラの接近が間に合わないほど、ファズの小隊はそれらを手早くこなしている。

 唯一届く武器はレールカノンだけ。デカい図体に加え僚機と有線でつながっているために全く回避はされないのだが、ユニオンと割り切って装甲が厚くしてあり実弾があまり通らない。決して勝つのが難しい相手ではないが問題は時間だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 まずは敵戦力を削ろうというヤイバの思惑は上手くいきそうにない。少なくともバレットはそう感じていた。ラウラとシャルルが強力なカードなのは間違いなかったが、物量の差ごとひっくり返すようなものではなかったのだ。2人とも日本のトッププレイヤーを相手にしていて他に手が回っていない。彼女たちが攻め切れていない理由として敵の狙撃の存在もあった。最初にテツを落としてから撃ってきていないが、今はその沈黙こそが恐ろしい。

 残された戦力は30強と50強。数が劣っているのに万全の体勢の敵に挑んでしまったというのが現状である。おまけに敵の中に厄介なプレイヤーがまだ残っていた。バレットだけでなく、ほぼ全員がそのプレイヤーの行動に釘付けとなる。

 

「そろそろ本気でいかせてもらうわ!」

 

 その女性プレイヤーが両手を広げると球体状の浮遊物体が周囲にばらまかれた。ひとつひとつが爆弾である。その数は100で留まるものではなく、彼女を中心とした広範囲が機雷原となった。プレイヤーたちの悲鳴が聞こえてくる。

 

「ちょ!? そこでばらまくなよ! 味方の足止めになってんじゃん!?」

「大丈夫だって。接触信管だから間を通ればいいよ」

「うん、だからね、俺たちの通れるルートを絞ってるだけになってるんだよ?」

「細かいことは気にしない気にしない!」

 

 悲鳴の8割は敵陣営のものだったりする。実際彼女が味方にいればバレットも同じように文句ばかり言っただろう。

 だが敵にいて良かったとも思えなかった。何故ならばバレットは彼女を知っている。今年の夏に現れた新人ながら、バレットを始めとするベテランプレイヤーを片っ端から倒して回った少女。誰が付けた名前かは誰も把握していないが、彼女に敗れた者たちは彼女のことを畏敬の念を込めてこう呼んだ。

 

 “7月のサマーデビル”と。

 

「お前ら! 流れてくる機雷を放置すんな! 奴が突っ込んでくるぞ!」

 

 機雷自体は大したものではない。PICCの関係から爆発による攻撃はISにあまり有効ではないためである。といってもライフルなどと比べてストックエネルギーへのダメージが少ないだけでありノーダメージというわけではなく、装甲へのダメージもある。当たったら当然足も止まる。必然的に移動が制限された状態となってしまうのだ。

 サマーデビルは機雷原の中を通常の空間と同じように飛び回る。彼女自身の得物は薙刀型の近接ブレード“夢現(ゆめうつつ)”。銃撃は回避し、刀剣型ブレードのリーチの外から斬ってくる彼女のペースに巻き込まれればあっと言う間に狩られる。バレットの警告も空しく、仲間が1人やられたところだった。

 

「くそっ!」

 

 ハンドレッドラムを撃ちまくることでバレットは機雷を除去しようと試みる。接触信管と言っていたのは本当のようで弾が当たりさえすれば破壊は可能だった。爆発した機雷は黒く着色された煙をまき散らす。自然な煙ではない。煙に包まれると通常の視界だけでなく、熱源の感知も正常に働かなくなった。

 

「しまった! 目眩ましか!?」

「そういうこと!」

 

 たった1種の装備で敵の足を止め、目を潰す。ほぼ無抵抗の相手を薙刀の間合いで一方的に斬り裂く。相手の戦術を知っているにもかかわらずバレットは術中に嵌まってしまっていた。闇雲にマシンガンを撃ったところで当たるはずもない。万事休す。

 しかしバレットにサマーデビルの薙刀は届かなかった。金属同士がぶつかる音とともにバレットを狙っていた刃は停止している。薙刀と干渉しているのは棒の先端についた装甲の塊のようなもの。

 

「……お兄も不甲斐ないわね。ここは私に任せて」

 

 薙刀を止めた武器はハンマー。その柄を握るプレイヤーはバレットの実妹であるカトレアであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シャルルの周囲5mの範囲を常に3本以上の剣が回っていた。これらは全てシャルルの持ち物ではなく、対戦相手であるアーヴィンのものである。剣のひとつひとつの軌道は一定のパターンのない複雑なものであり、射撃で撃ち落とすことは困難であった。今のところ、シャルルは向かってくるBTソードをブレードスライサーで弾き飛ばすことに終始している。

 

(わざわざ非固定浮遊部位でも2本扱えるところを見せたんだけど、僕の今の手数である4本を超えて攻撃はしてこないのか……意外と慎重な人なのかな?)

 

 シャルルは手に持っている2本の他に非固定浮遊部位として出したブレードスライサー2本を自在に操作することで合計4本のブレードを同時に扱っている。蒼天騎士団のハーゲンも使っている操作難易度が高い技能である。もっとも、BTソードの下位互換でしかないのだが。

 射程も手数も劣っている状態で防戦に徹しているのはシャルルの癖のようなものだった。今まで誰かと組むことはせず、たったひとりでデュノア社の宣伝のために観客を魅了する戦い方ばかりしてきた。不利な戦況を劇的に逆転させることばかりしてきたため、今も敵を分析しつつ油断を誘う罠を練る。

 

(たぶん僕の高速切替(ラピッドスイッチ)の早さを考慮してるのかな。手元の半分はいざというときに迎撃するためのBTソード。グレースケールも見せてるから接近戦を嫌がってるのもありそう。勝負を急ぐつもりもないってところだね。ちょっと時間をかけなきゃいけないかも)

 

 好戦的な発言とは裏腹に堅実な攻め手をする相手。長期戦も辞さない相手に対してシャルルは勝負を急ぐ必要がある。やってやれないことはないが華がない終わりとなりそうだった。そこでふと気づく。

 

(あれ? 僕は何を躊躇ってるんだ?)

 

 真後ろから迫っていたBTソードを浮遊させていたブレードスライサーで弾く。同時に左右から迫っていたBTソードも両手のブレードスライサーで同様に防ぐ。このあとBTソードを破壊しようとすると、敵は素早くBTソードをシャルルから離す。軌道にパターンはなくとも行動は既にパターン化されていた。

 ここで動く。BTソードが離れるその瞬間は最初から狙っていた。アーヴィンも警戒していたはずであるが、同じ攻防を繰り返すうちに慣れてしまっている。このタイミングでイグニッションブーストを使用するシャルルへの反応は僅かに遅れることとなる。

 慌てて3本のBTソードを引き戻そうとするアーヴィン。しかしそれよりもシャルルの接近の方が早い。シャルルは両手の装備をアサルトライフル“ヴェント”に持ち替えてアーヴィンを撃ちながら前に進む。

 アーヴィンの選択は回避でなく防御。ヴェントは容量の軽さに特化したアサルトライフルであり、他社の同種装備と比較すると威力が低い代物である。数発当ててもBTソードを撃ち破れないことはアーヴィンも把握しており、広めの刃を持つBTソードを盾にされて本体には届かない。

 しかし攻撃を防がれてしまったはずのシャルルの口元には笑みが浮かんでいた。

 アーヴィンの防御行動は無意識下で最適化された行動である。相手にEN武器がない場合、手数重視の実弾射撃は避けるよりもBTソードを前面に押し出して防ぎ、そのまま8本全てで敵を包囲した方が都合が良かったからだ。シャルルの背後からはBTソードが3本向かってきている。防御に回した2本の他の3本はシャルルの上と左右に配置していた。必勝パターンのひとつに持ち込んだアーヴィン。だが――

 

「何っ!? 私の剣が破壊されただと!?」

 

 盾としていたBTソード2本がビームによって撃ち抜かれていた。いつの間にかシャルルの右手にはヴェントではなくENライフル“ブルーピアス”が握られている。BTビットには基本的にシールドバリアが存在しないため、威力の低いEN武器でも簡単に撃墜されてしまう。

 アーヴィンもそのことを知らないわけではない。そして、夕暮れの風のラピッドスイッチも理解していた。にもかかわらず驚愕を見せたのにはわけがある。

 

 シャルルが接敵に成功する。既に両手にはブレードスライサーが握られていて左右同時に丸腰のアーヴィンに叩きつける。

 だが彼にも意地と隠し玉がある。シャルルのように入れ替えはできずとも、高速で特定の武器を展開することは可能だった。

 インターセプター。FMS社開発のENショートブレード。ENブレードで最軽量なこの武器は物理ブレードの破壊を目的として搭載することが多いことからソードブレイカーの異名を持つ。アーヴィンも不用意に飛び込んできたISへのカウンター用として常に拡張領域に入れてある奥の手だった。ブレードスライサー程度ならば容易く切り裂き、逆に相手本体にその刃を届かせることも可能だ。

 だが、アーヴィンのインターセプターは止まってしまった。

 

「ENブレード同士の干渉だと!? なんで……?」

 

 アーヴィンの顔に困惑の色が浮かぶ。攻撃を止められた原因は簡単なことでありアーヴィンのENブレードは瞬時に持ち替えられたENブレードで防がれたのだ。アーヴィンはそのことも十分に理解している。戸惑いの理由は別にある。

 

「なんでデュノア社以外の装備を……?」

 

 それは夕暮れの風のことを知っているからこその疑問。デュノア社には有用なEN武器が存在しない。デュノア社の装備で縛りを設けているはずの夕暮れの風から出てこないはずの武器だった。BTソードを破壊したブルーピアスはクラウス社、アーヴィンのインターセプターを防いだシャルルのENブレードは同じインターセプターでありFMS社の装備である。

 

「今日は僕のショーじゃないからね」

 

 シャルルの蹴り上げがアーヴィンの右手首を捉え、アーヴィンはインターセプターを取り落とす。これでアーヴィンは完全に無防備となった。シャルルは右手のブレードスライサーで逆袈裟に斬りつけた後に左手の杭打ち機の口をアーヴィンの胸に押し当てた。

 

「夕暮れの風が君に夜を告げよう。おやすみなさい」

 

 とどめのシールドピアースが放たれる。残ったBTソードがシャルルを襲うよりも早く決着がつき、アーヴィンは退場していった。

 

「君は強かったよ。僕に他社製品を使わせたことは十分に誇っていい」

 

 最後の挑発としか受け取れないような誉め言葉はアーヴィンには届いていなかった。

 一戦闘終えたシャルルは次の相手を探す。ラウラもちょうどファズの相手を追えたところであり、エースが2人ともフリーな状態となった。

 

『お二人は先行して敵本陣へと向かってください。前線の戦況は若干こちらが不利ですが、敵の防衛部隊が前に出てくるのを抑えてもらった方が良さそうです』

「了解した。私はシャルロットと共に敵本陣へ向かう」

「たぶん僕たちだけだと攻めきれないからなるべく早く援軍を寄越してね」

 

 マシューからの指示を受け取り、ラウラとシャルルの2人は激戦区を離れて敵の本陣へと向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラウラとシャルルの2人が敵陣へ向かい始めた頃、雲の上では合計10機のISが飛び交っていた。両軍ともに統率のとれていない飛行をしているため、互いに効率的な攻撃ができていない。

 

「もらったーっ!」

「くっ――動きにくいのよ、この装備!」

 

 リンが敵のレールガンの直撃を受ける。命中箇所は背中についている大型ブースターであったが、幸い装甲の厚い場所であり飛行には支障が出ていない。しかし慣れない機体を扱っているため、思ったように動けていないのが現状である。まだ被弾は多くなりそうだった。

 

「えーと……俺が教えようか、リンちゃん?」

「何言ってんの!? アンタはあたしの敵でしょ?」

「あ、う、うん。そうなんだが、見てられないというか……」

「馬鹿にすんなっ!」

 

 相手チームのリーダー格のひとりであるバンガードが試合の場でリンにユニオン・ファイターの機動についてレクチャーしようと試みる。リンに出鼻をくじかれてから一切の攻撃行動を取っていない彼の言葉をリンは挑発と受け取って激昂する。

 

『リン、熱くならないで。ヤイバの作戦はバンガードを怒らせることにあるから、今みたいなこと言ってると逆に冷めちゃうよ』

 

 リンを諭す通信を送ってきているのは彼女と共に空へと出撃してきた数馬(ライル)だ。彼はリンから少し離れた場所で敵プレイヤーと撃ち合っている。未だに被弾0で敵と対等以上に渡り合っていた。ヤイバにこの場を任されたリンとしてはライルの方が活躍しているのは面白くない。

 

「今だけはアンタの器用貧乏さに憧れるわ」

『俺としては自分にあったスタイルを確立したいんだけど』

「どんな装備でもある程度は使えますってスタイルでいいじゃない?」

『そうかもね』

 

 ライルとの通信でいささか落ち着きを取り戻したリンはたまたま正面に来たバンガードに突撃をかましていく。武器は普段とあまり変えておらず、両手には双天牙月。高速戦闘に慣れていないリンはまだ両手で同時に攻撃することができず、すれ違いざまに左手でバンガードに斬りつける。バンガードはそれを左手の盾で受け流した。双天牙月は盾の表層を斬り裂くに留まり、両断には至っていない。

 

「ちくしょうっ! 俺はどうすればいいんだっ!?」

 

 リンの攻撃は馬鹿正直なくらいに真っ直ぐなものでありお世辞にも上手い戦闘ではない。バンガードならば今の攻防でリンに大打撃を与えることもできていたのだが彼は一切の反撃をせず頭を抱えるのみ。

 

「これは試合よ。戦えばいいじゃない」

「しかし、これでは弱いものいじめだ」

「……アンタ、一夏よりもあたしを怒らせるのが上手いわ」

「リンちゃん、ごめんっ!」

 

 試合中に対戦相手に謝り始める始末。バンガードが藍越エンジョイ勢に所属していた頃はリンと本気の手合わせを何度もしており、バンガードが勝ち越していたくらいなのだがそれはリンも万全の体勢であったからに他ならない。彼は対等な状態でないリンを一方的に攻撃することができない男だった。この点はヤイバの想定を超えた事態だったりする。

 攻撃できないバンガードと攻撃が届かないリンの戦闘は鬼ごっことなってしまっている。この2人の戦闘は勝てないバンガードと負けないリンということだけは確定していた。この状態が続けば女神解放戦線の強豪の一角が封殺されるだけに終わる。

 

「あっ! また当てられた!」

 

 だがこの戦闘はリンとバンガードの一騎打ちではない。バンガード以外の機体がリンを狙うこともある。リンが攻撃された方を見れば、そこには奇妙なISが飛んでいた。

 

「何あれ? 戦闘機?」

 

 ユニオンスタイルのファイタータイプとは言ってもパワードスーツであるISの背中に大規模なブースターを無理矢理くっつけただけのものが普通である。シルエットではわかりづらくともどこかに人型は存在していなければおかしい。しかし、今リンをレールガンで攻撃してきた相手はリンがイメージする戦闘機の姿をしていた。

 戦闘機はバンガードに後ろから追いつくと並んでそのまま飛ぶ。バンガードよりも圧倒的に速いそれは、にわかには信じられない挙動をし始めた。

 まず、足が生えた。正確には足を伸ばしたのであるが、リンの目からはそうとしか見えない。

 次に装甲がガシャガシャと組み変わる。流線型であった装甲が分離していくことで中の人の姿が見えてきていた。

 最後にくの時に曲げていた体を起こして頭部を覆っていた先端部分が背中へと折れるように片づけられる。そうなることでようやくリンの知るISの形となった。

 相手の会話が漏れ聞こえる。

 

「何やってんだよ。見てらんねーのはオメーの方じゃねーか」

「返す言葉もない……」

「ここはオレっちに任せときな。オメーには倒すべき敵がいるんだろ?」

「頼んだぞ、カイト」

 

 バンガードが速度を上げる。なりふり構わず向かう先はヤイバのいるツムギの本陣。

 

「行かせないわよっ!」

 

 追撃に動こうとするリン。しかし目の前をレールガンの弾が通過したことで減速してしまう。

 

「そいつはこっちのセリフってやつさ。オレっちが相手をしてやんよ、初心者の嬢ちゃん?」

「あたしが……初心者……?」

 

 もうバンガードをくい止めることはできない。でもそんなことはどうでも良かった。バンガードとは違う本当の挑発を耳にして頭の中が沸騰する。抑えるつもりはない。

 

「絶対に泣かす」

 

 ブースターを全開にしたリンは戦闘機から変形したISに斬りかかっていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「ラウラ。なんか不気味じゃない?」

 

 間もなく敵軍の拠点である人工島フィールドに入ろうというところまで来てシャルルは隣を飛ぶラウラに問いかける。ラウラもシャルルと同様の疑問を抱いていた。

 

「全く迎撃をする素振りが見られない。例のスナイパーも私たちを撃ってくることはなかった。中途半端に兵力を割かず、障害物のある陸地で迎え撃とうとしていると私は見ているがシャルロットはどう思う?」

「そもそも最初の部隊を過ぎてからここまで全く誰もいないことに違和感を覚えてるんだ。敵の先見部隊の約50機は結果的に孤立してる。僕たちが抜けた後は後続の部隊がバレットたちに合流する手筈だから、残りの50機も落とせたも同然だよね。敵の数を減らしたいこちらとしては大歓迎な状況なんだけど、少し上手く行きすぎてるような気がする」

「そういうものなのか。私から見ればこのISVSは常識外れな輩で溢れているとしか思えないから良くわからないというのが本音だ。ヤイバ、更識の忍び、先ほど相手にしたプレイヤー。命がかかっていたらまず使わないようなリスクの高いものを平気で持ち出してくる」

 

 やれやれとラウラは肩をすくめる。「そうだね」とシャルルは笑って相槌を打つ。つい昨日、ヤイバを通じて知り合ったばかりだというのにすっかり立派な友人となっていた。ヤイバと出会ってからシャルルの人間関係は急激に変化している。そうなって初めて、シャルルはとあることに気がついていた。ラウラの発言に同調しながらも「でも――」と言葉を続ける。

 

「この試合の参加者にそれぞれの思惑があったとしても、やっぱりラウラの知ってる戦いとは縁遠いものだよ」

「実在する武器と寸分違わぬものを取り扱っていてもか?」

「等しくても同じにはならないよ。ISVSは現実じゃない。この試合は遊びなんだ」

「その遊びに軍人が本気で参加しているのは滑稽なのだろうか」

「滑稽なもんか。本気で遊ばないと誰も楽しくないからね」

「楽しい……?」

 

 首を傾げるラウラを見てシャルルは大きく頷いた。

 

「そう。ヤイバは言ってたよ。純粋に楽しもうってさ。実際、僕は今までで一番ISVSを楽しく感じてる。ラウラはどうなのかな?」

「私は……」

 

 ラウラは言い淀む。即答で楽しいと返してほしかったシャルルとしては残念でならなかったが、つまらないわけではないのだと受け取ることにした。シャルルは返事に困っているラウラに助け船を出すことにする。相手に動きがあったため、他のことを話している暇がないだけとも言う。

 

「来たよ、ラウラ。だけど、また予想が外れたよ」

 

 人工島の市街地からISが飛び出してきた。真っ直ぐにシャルルたちの元へと迎撃に向かってくる。その数、1。

 敵機の襲来にラウラは困り顔をキリッと引き締め直した。戦闘モードに入ったラウラが敵機の分析を始める。

 

「黒く塗装したシルフィード。両手には同じ装備……“ターマイト”か。他に装備を搭載する容量はない」

「小回りのきく高速機だから間合いの調節がしやすく、扱いやすいマシンガンを2つ同時に使って相手の足を止めつつアーマーブレイクにまで持っていくことでDPS(単位時間当たりのダメージ量)もそれなり。ダブマシシルフと言われてるテンプレ装備の1つだね」

「DPS? テンプレ?」

「ごめん。ダメージ効率とよく使われてる装備って意味だよ」

 

 IS用語を理解していることから誤解しがちだが、ラウラはあくまで専用機持ちであってISVSをゲームとしてプレイしているわけではない。ついつい一般のプレイヤーと話しているつもりになってしまっていたシャルルは軽く反省する。

 

「確かによく見かける装備ではあるな。だが私とシャルロットの2人を止められる気なのか?」

「とりあえず先制攻撃しておくよ」

 

 まだ距離が開いてるうちにシャルルはスナイパーライフルを取り出して手早く撃つ。狙いをつけるような素振りは見せなかったが弾丸は正確に黒いシルフィードに向かっていった。単調で単発な攻撃である。よっぽどのことがない限り避けるのは簡単であり、黒いシルフィードは易々と回避する。

 まだシャルルたちの先制攻撃は終わっていない。回避先を読んでいたラウラが右肩のレールカノンで追撃をしていた。単調な攻撃を単調に避けただけでは当たるタイミングであったが、黒いシルフィードは回避の軌道を途中で曲げることで避ける。その一連の動きだけで2人は確信した。

 

「こちらの動きが良く見えているようだ」

「ついでに本体操作の練度も高いね」

 

 1機だけで出迎えてきたのは腕に覚えがあるからなのだと。

 

 遠距離戦では倒せない相手と判断した。元よりラウラもシャルルも近~中距離を得意としている。黒いシルフィードも武器がマシンガンであるからある程度は接近する必要があった。互いの思惑が一致し、急速に距離が縮まっていく。

 

「シャルロット、挟み撃ちにするぞ。合わせてくれ」

「了解。勝負を急ぐに越したことはないからね」

 

 敵のマシンガンの射程に入ろうかというところで2人は左右に散る。一方向から撃ったところでシャルルの攻撃を避けながらラウラの行動を見ていた相手に当てられるとは思っていない。練習も打ち合わせもしていない2人だったが、即席の連携の方が効率が良いと判断した。

 敵を挟む配置についた。先に仕掛けるのはシャルル。威力よりも命中を重視して両手に“ヴェント”を装備。避けられることを前提に牽制の一発目を放つ。黒いシルフィードは、すすすっと滑るように小さい動きをしただけで回避した。

 続けざまにシャルルはもう片方のヴェントを放つ。それも同じように滑るように流れていくだけで黒いシルフィードは避けた。まるで隙を作れていない。

 反対側ではラウラがワイヤーブレードを4本同時に射出。イグニッションブーストで接近しつつ上下左右から取り囲むように攻撃を行う。有線のBTのような攻撃を前にして黒いシルフィードはラウラに背を向けたまま接近してきた。バックステップとでも呼べるような挙動。ラウラと黒いシルフィードを直接結ぶラインに何もないことを冷静に見破られている。

 しかしラウラとて敵のその行動を読めていないわけではない。そして、ワイヤーブレードは先端のブレードだけが武器ではない。有線は欠点などではなくそれ自体が武器。

 

「捕まえたぞ!」

 

 4本のブレードが攻撃先で空振るもそれで終わりではない。ブレード同士が合わさったところで泡立て器のように弧を描いている4本のワイヤーに、ラウラは自分とブレードを直線に結ぶよう指示を送る。上下左右に膨らんでいたワイヤー4本が一気に引っ張られ、直線となる中心に集まる。そこには黒いシルフィードがいる。上下左右から鞭のようにワイヤーが迫る。

 黒いシルフィードにはその攻撃も見えていた。ワイヤーのない斜め上方向に動く。完全に包囲していたわけではないから当たり前だった。だからラウラの攻撃にはまだ続きがある。

 ラウラはブレード先端部を回転させた。4本のワイヤーブレードが合わさった状態で捻ることにより、逃げようとした敵を叩き落とす鞭となる。ワイヤーの内側に捉えれば戻ってくるブレードで撃墜も見えた。

 だが当たらない。黒いシルフィードは走り高跳びをするかのように上体を逸らしつつ、ワイヤーをすり抜けた。飛び出した勢いを殺すことなく黒いシルフィードはラウラから離れていく。

 

「まだだよ!」

 

 シャルルの追撃。射撃がダメなら接近戦をするまで。イグニッションブーストからブレードスライサーの一撃を当てようと試みる。すると黒いシルフィードはようやく手にしていた武器を向けた。攻撃されようとも盾を召喚して強引に突破しようと思っていたシャルルだったが、相手の銃口を見てから急停止し慌てて右に飛ぶ。敵のマシンガンが当たることはなかったが、普段のシャルルらしからぬ回避行動だった。

 初めて攻撃をした相手に今度はラウラが飛び込んでいく。黒いシルフィードはシャルル相手に必要以上にマシンガンを撃っており、それがラウラに向けられるまでに確かなタイムラグがあると予想された。

 まずは頭部を狙ってレールカノンを放つ。正面のシャルルに集中していたはずの黒いシルフィードだったが首を大きく横に振ることで避けた。黒いシルフィードは大きく仰け反った無茶な体勢となっている。あとは手刀が届く距離にまで近づけばラウラの勝ちだった。

 だが飛び込めない。

 直感が働いたラウラは頭を守るために両腕を挙げて庇う。ボクサーのガードと同じポーズをしているラウラの左腕に強烈な衝撃が襲ってきた。もう少し早く気づいていればAICで無力化できたのだが、あまりにも沈黙が続いていて失念していたのだ。

 

「このタイミングで狙撃してくるか……」

 

 最初に長距離狙撃をしてきていたスナイパーが再び行動を開始した。もう高層ビル群までは距離は3kmも離れていないのだが、今の一撃があってもラウラはスナイパーの位置を特定できずにいる。砲弾の飛んできた方角の先にはスナイパーが潜めるような場所はなかった。

 理由はわかっている。AICキャノンはBT適性の高いものが使えば偏向射撃も可能であるからだ。曲がる狙撃を使ってくる相手に撃ち返す術は今のところ存在しない。

 ラウラの足が止まったところに黒いシルフィードがマシンガンを連射してくる。集弾の良いマシンガンであるターマイトであるのに、散弾と見間違うような範囲に弾丸がバラマかれていた。ラウラが仕方なく距離を置くと、相方から通信が来る。

 

『2対2だったみたいだね。あの狙撃は厄介だよ』

「あのシルフィードを落とすには全力で臨まねばならないというのに邪魔で仕方ない。かといって位置の掴めない狙撃手を先に落としに行くのは現実的ではない。何か妙案はないか?」

『ちょっと難しいね。僕の機体はラウラと違ってAICキャノンを受けたらひとたまりもないから無茶はできない。今回はミサイルを用意してきてないから手数が増やせないのも問題かも』

「詰めきれないか」

『そういうこと。相手は防戦の構えのようだから、僕たちの選択肢としては黒いシルフィードを無視して強引に突き進むか援軍を待つかのどっちかってところかな』

 

 元々ラウラとシャルルが先行しているのは人工島にいる敵軍を釘付けにするため。海上にいる敵部隊を殲滅するまでの時間稼ぎだ。2機の強力なISの目を引きつけているのならば十分に役割を果たせている。よってラウラの選択は後者。

 

「命令あるまで現状維持ってところか。当然倒すつもりで戦うが、私たちがここにいることこそが重要だ。無理はするなよ、シャルロット」

『そっくりそのまま返すよ』

 

 通信を終え、黒いシルフィードと向き合う。フルスキンスタイルのため顔を確認することはできないが、おそらくは男性。黒い体と妖精の羽をイメージしたデザインの推進機がミスマッチしていて、頭部に丸めのハイパーセンサーが2つ左右対称についているのがまるで目のよう。蠅を思わせるISであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラウラたちが待っている援軍は後方で苦戦を強いられていた。バレットは自軍の状況を把握できずにいて、敵の女性プレイヤーからの攻撃を受けていた。愛銃であるハンドレッドラムが効果の薄い距離にいる相手にアサルトライフル“レッドバレット”で狙い撃っていたが、女性プレイヤーは空に地面があるかのように軽快に飛び跳ねていて当たらない。体操選手の演技のように捻りを加えながら回る敵が手に持っている武器は球状の物体である。片手で掴んでいるボールの大きさはバスケットボールくらいであるが、ISの手が人間よりも大きいため操縦者にとってはハンドボールの感覚に近い。女性プレイヤーはそれを投擲した。

 

「ちっ!」

 

 投擲されたボールはアサルトライフル並の速度で飛び、バレットが左腕で構えていたレッドバレットに命中。バラバラに砕かれた。

 投げられたボールはどこかの企業が特別に開発した武器というわけではない。一般プレイヤーにとってはただの装甲の塊でしかない。それを武器に昇華しているのは操縦者のAICの技量なのだと今のバレットは理解できている。

 女性プレイヤーが使用している機体のフレームはテンペスタで装甲の配置はディバイドスタイル。テンペスタは軽量(フォス)の中でもシールドバリアによるEN武器の威力減衰が大きいものである。加えてディバイドスタイルだとEN武器によるダメージを8割カットしてしまうため、実弾で相手をしなければならない。

 機体がEN武器に強く、操縦者はラウラほどではないにせよAIC技能がある。防御面に隙が少なく、フォスだから機動性も高い。武器は装甲の塊でしかないため容量の少なさも問題になっていない。走攻守の三拍子が揃った相手であった。

 そして、バレットの顔見知りでもある。

 

「相川、何で一夏を嫉妬してる連中の中にお前が紛れてんだよ!? 女子だろ!? ただのハンドボール部員だろ!?」

「実は他の学校の友達に誘われてISVSにハマっちゃってさー。そしたらうちの学校で面白そうなことやってるじゃん? だからテキトーに参加したってわけなの」

「知ってたらこっち側に勧誘したっての!」

「これも巡り合わせってことで諦めてね! ちなみに私を誘った友達はあっちで機雷をバラマいてる子だから」

「サマーデビルのせいかああ!」

 

 今はカトレアによって引き離されている敵プレイヤーの方に向かってバレットは吠えた。

 数だけで押してくると思われた敵軍だったが思いの外強力なプレイヤーが紛れ込んでいる。既に一夏の女性関係のことなどどうでも良いプレイヤーで溢れているのはISVSという人気ゲームのイベントだからなのだ。

 バレットは一夏のためにと参加した。勝たなければならないと自分を追い込んでいるのは最近の蜘蛛との戦闘の影響が少なからずある。やらなければならないと半ば義務化していた部分があった。戦況の不利を悟る度に頭を抱える。楽しくない。だから、しがらみをバレットは投げ捨てた。

 

「やってやるよ、こんちくしょう! 言っておくが女子だからって手加減はしないからな!」

「女子の方がISを上手く扱えるってところを見せてあげるわ!」

 

 もう乱戦になっているのもあり、バレットは全体を見ることを止めた。ただ目の前のISに勝つことだけを考える。やることはいつもと変わらず、上空にミルキーウェイを放ちつつハンドレッドラムを乱射することで敵の動きを少しずつ抑えていく。

 

「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるとでも言いたげね」

「実際、当たってるだろ?」

「でも効果は薄い!」

 

 相川はマシンガンの弾を受けて顔をしかめるもわざと受け入れた。まだ全弾が当たるような射程でなく、彼女の言うとおり大したダメージになっていない。シールドバリア自体が強固であるテンペスタであるためアーマーブレイクもまだ遠かった。

 上空から時間差でミサイルが降ってくる。合計5発の誘導ミサイルが相川を襲うが彼女は隙間を難なく掻い潜った。既に右手には新しいボールが握られていて、ミサイルを避けた体勢そのままに投擲フォームに入っている。必中の射程圏内。分類としては中距離物理ブレードに該当する相川の投擲に対してバレットの取った行動は――

 

「これでも喰らいなっ!」

 

 非固定浮遊部位であるミルキーウェイの発射管を中身ごとぶん投げることだった。ボールとミサイルが正面から激突し、双方が爆散する。煙で互いが視認できなくなったとき、牽制の主力を切り捨てるだけのバレットの奇行に相川は動きを止めてしまう。

 欲しかったのはその一瞬。バレットは煙を突き破って前に出る。ついに使えるようになったイグニッションブーストだ。体ごとぶつかっていき、よろけた相川にハンドレッドラムとガルム(アサルトカノン)を同時に発射する。

 

「やってくれたわね!」

 

 ギリギリでアーマーブレイクには至らず、相川に蹴り飛ばされて逃がしてしまった。だが確認できた。負け癖のついているバレットであるが勝てないわけじゃない。『俺は強い』と自分に言って聞かせる。藍越エンジョイ勢のリーダーが本来の調子を取り戻しつつある。

 ここで問題が発生する。それはアギトからの通信だった。内容は新たな強敵の出現。

 

「マズい……伊勢怪人さんが敵にいる」

「何だって!? このフィールドでか!?」

 

 バレットは下を見た。何もなかったはずの海に赤色の機影が姿を見せている。海中に好んで潜る変わり種のプレイヤーとして有名な人物であることはその特徴的な機体だけですぐにわかった。

 空ではなく海の中を飛ぶ赤色のIS。ユニオンスタイルのフォートレスタイプで、背中に並ぶミサイルと魚雷の発射管はとある生物の殻をイメージして配置しているというこだわりがあった。両手の他に独立して稼動するハサミの腕があり、これもこだわりの一部。この機体の名はクルーエルデプス・シュリンプという。

 海に引きずり込まれて散ったプレイヤーが多数出ている。もうバレットの部隊は半数以下になってしまっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 雲の上。リンという最も相手にしたくないプレイヤーから逃げたバンガードであったが、ようやく予定していたポイントに到着していた。

 本土側陣地の上空。つまりはヤイバのいる場所の真上である。

 もうバンガードが来ることはヤイバ側にも知られているはずだがバンガードには関係なかった。多少の妨害は強引に突破できる自信が彼にはある。自らの手で織斑一夏に苦汁を舐めさせることができると思うだけで顔に愉悦の色が浮かんでいた。

 

 雲を突き破って急速に下降する。ちょうどその先に1機のISがいるのを見つけた。白いISを纏った銀髪の男。奴である。戦闘態勢に入ったバンガードは身の丈の2倍ほどある背中の大型ブースターのうち半分を切り離す。

 

「織斑一夏ああああ!!」

 

 元藍越エンジョイ勢最強の男が咆哮と共にヤイバに迫る。



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21 容赦なき解放戦 【後編】

 一面の灰色の空に一点の穴が開く。一瞬だけ青い空が覗いたかと思えば、気流によって雲がかき乱されて再び青空は見えなくなった。だが何もかも元通りということはなく、雲の下に臙脂色の物体が出現している。それが穴を開けたものの正体。急速に視界の中で拡大されていくそれは背中に大型ブースターを背負ったISだった。

 

「織斑一夏ああああ!」

 

 臙脂色のISが俺の名前を叫ぶ。ヤイバではなく一夏と呼んで立ち向かってくるあたり、ISVS由来のモチベーションでないことは間違いない。マシューからの連絡を待つことなくわかる。コイツがバンガードだ。用済みとなったためか、バンガードは背中の大型ブースターを途中から切り離す。長距離移動用に余分に増設していたのだろう。一部を切り離してもなおバンガードはユニオンスタイル足り得る量の装備に包まれている。

 バンガードは小細工も何もなしに、ただ一直線に俺へと向かって落ちてくる。右手には円錐に螺旋状の刃がついているような武器。ISVSではあまり見かけない代物だ。ドリルである。

 

「うおらああああ!」

 

 凄まじい気迫と共にドリルが突っ込んでくる。無茶ができない俺は正面から立ち向かうような真似はせず、右にイグニッションブーストで移動した。ある程度は俺を追って軌道を変えてきていたバンガードだったが、俺が逃げる方が速い。バンガードは勢いを殺さずに地面に激突。土が高々とぶちまけられた後にできたクレーターの中心部にはバンガードが平然と立っていた。

 

「会いたかったぞ、織斑一夏ァ!」

 

 バンガードの頭部はメット状の装甲に覆われていて素顔は見えない。だがしかしその下の顔は良い感じに茹であがっていそうだった。念のため、確認をしてみることにする。

 

「俺が手配した出迎えはどうだった? なかなかいい趣向だったろ?」

「きっさまああああ!」

 

 作戦――というほど立派なものではないけど上手くいったみたいだ。バンガードは奇襲を仕掛けてきたつもりで孤立している。これより先に搦め手を用意しているとは考えられず、この場に来ることができる敵戦力はない。

 激昂したバンガードがドリルを前面に押し出して突っ込んでくる。事前に聞いていたバンガードの武器は槍だったはずだが、俺に対して持ってきたということはドリルこそが本気の装備なのだろう。属性としては物理ブレードと同じだが、ISに何か特殊な影響が出る装備でもあったと思う。それが何だったのかは思い出せない。

 当初の予定では雪片弐型で真っ先に槍を破壊するつもりだった。でも武器が違うから下手な手は打ちたくない。ここは――

 

「ぬっ!?」

「隙あり!」

 

 こちらからも飛び込んですれ違いざまに斬る。奴のドリルは剣のように振り回せるような代物ではない。機体自体は速くともドリルを扱う腕まで速いわけではなかった。このまま左手の盾ごと雪片弐型でぶった斬る!

 

「あれ?」

「くっくっく、かかったな!」

 

 怒りで染まりきっていたバンガードの声に余裕が戻ってくる。

 雪片弐型の刃はバンガードの盾に確かに食い込んだ。だが振り抜いた感触は空振りに近い。ISのシールドバリアに触れたときの独特の反応が皆無だったのだ。

 

「その盾、“スライドレイヤー”か!?」

「ご明察! そこは褒めてやる!」

 

 耐貫通性装甲スライドレイヤーはアサルトカノンやENブラスターなど属性を問わずに単発高火力の武器に対して効果を発揮する装甲だ。ただしマシンガンなどの手数重視の武器に対しては並以下の防御力となってしまう。速さを重視するユニオン・ファイターが盾を使用する場合はマシンガンやミサイルを警戒して単純に硬いヘヴィーイグニス装甲を使用するのが定石だった。

 バンガードがスライドレイヤーを用意してきた理由はただひとつ。雪片弐型(おれ)対策だ。何度も耐えられるものではないが、ENブレードはENブラスターの亜種。受け流すことは不可能ではない。

 

「もらったあああ!」

 

 俺の右手は雪片弐型を振り抜いたまま。バンガードはもう役に立ちそうにない盾を捨てつつ上半身を左に捻りながら右手のドリルを俺に向かわせている。剣の方が取り回しやすいとは言っても一度振り抜いた剣を返すよりドリルが到達する方が速い。フォスのディバイドスタイルである白式が物理ブレードなんて喰らえば即敗北コース。絶体絶命だ。

 

 ――シャルに会う前の俺だったならだけどな。

 

 笑いが抑えられない。

 誰かとの出会いが俺の力となっていることが嬉しくてたまらない。

 俺が夕暮れの風に何も教わらなかったはずがない。

 もう俺の右手に雪片弐型はない。

 何も持っていない左手を縛る制限は最初から何もない。

 だから――俺は隙を見せてなんかいない!

 

 左手に雪片弐型を呼び出す。下方向にENブレードの刃を出現させた下段の構え。迫り来るドリルよりも俺が左手を振り上げる方が速い。

 

「ラピッドスイッチだとっ!?」

 

 狙いはドリルの根本。ENブレードが通過した後にバンガードの右手に残されたのは柄の部分だけとなった。高速回転していた刃は空しく落下する。

 流れのままに俺は右足で回し蹴りを放つ。宍戸から教わったAICで物理ブレードと化した俺の踵がバンガードのメットを打ち砕く。

 

「ぐぁっ!」

 

 俺が体勢を戻したときになってもバンガードは蹴られた勢いを殺せず、腹当たりを中心としてクルクルと回っている。まだアーマーブレイクはしていないが、元々EN武器に対して耐性の低いユニオンスタイルだ。この一撃で終わる。右手に持ち直した雪片弐型を上段に構えて一気に振り下ろす。

 

「バカな……この俺がワンコンボで落とされるなんて……」

 

 驚愕の言葉だけを残してバンガードは消えていった。やはりエアハルトと比較すると何もかもが物足りない相手だった。雪片弐型のブレード部分を消してからマシューに通信をつなぐ。

 

「こっちは片づいた」

『早かったですね』

「勝とうが負けようが長引かない勝負だったしな」

『名誉団長。やっぱり正式に蒼天騎士団に入ってくれませんか?』

「考えとく。事件が全部片づいてからの話だけどな」

 

 マシューの勧誘を軽く流しておいて俺は戻ることにした。俺の役割であるバンガードの撃退はこれで終わり。あとは他の皆に任せることとなっている。

 何もなければ……だけどな。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 投擲使いの相川からの攻撃をバレットは避けきれずに右手で受けた。BT使いでもない相川が使う曲がるボールの軌道を読み切れなかったのだ。装甲の厚い箇所で受けたと言っても物理ブレードと同等の一撃を喰らっているため内部への衝撃は抑え切れておらず、ストックエネルギーが半分を切った。

 

「余所見してる場合?」

 

 わざわざバレットに警告する相川の手には次のボールがあった。彼女の言うとおりボールに集中しなければ回避することは難しい。しかしバレットを狙える敵は他にもいる。むしろそちらの方が危険な相手。

 

「来るぞ、バレット!」

 

 すっかり味方の数も減り、バレットの近くには同じスフィア所属のアギトしかいない。アギトの声に反応したバレットは相川から視線を外して海へと移す。海面から上半身だけを出している赤い海老が胸元の球体を光らせていた。本当に光っているわけではなく、ハイパーセンサーに事前に設定しておいたおかげで圧力異常を視覚化しているのである。これはリンが愛用している衝撃砲で確認される現象と同じ。バレットはがむしゃらに動く。止まることだけはありえなかった。

 不可視の砲弾を避けたのかそもそも撃たれていないのか。海から空へと撃たれれば何にも着弾しないためバレットには砲弾の存在を確認する術が自分に命中する以外にない。確認できるのは衝撃砲の起動だけ。衝撃砲は相手を動かす為の牽制として非常に優秀である。動くことを強要し、余裕を失った相手に本命の一撃をぶつけるとわかっていながらも、またもや術中に嵌まるプレイヤーが1人。

 

「しまった!」

「アギトーっ!」

 

 海老を模したIS“クルーエルデプス・シュリンプ”から射出された捕獲用アンカークロー“ヒットパレード”がアギトの足を挟んで捕らえる。海へと引っ張られるアギトは反射的に逆方向へと飛ぼうとするも、足を引きちぎると言わんばかりに強く締められることでPICの機能が低下してしまう。ついには抗えずに着水。迫ってきていた海老型ISのハサミに両腕を押さえられて、アギトは深い海へと連行される。

 その先は一瞬のことだった。

 ハサミに仕込まれているシールドピアース“グレースケール”が両腕に打ち込まれてアーマーブレイクが発生。ダメ押しの追撃として胸部の指向性水中衝撃波砲“渦波(うずなみ)”が放たれた。アギトは声を上げる間もなく粒子状になって退場する。

 

 アギトの反応が消えた。それはバレットにもすぐにわかった。アギトが引きつけていた敵プレイヤーが自分に殺到することも簡単に予想できる。部隊はほぼ壊滅。残っているのはカトレアを含めた数人だけであり、敵にはサマーデビルも伊勢怪人も健在の上に10機は残っている。

 

「マシュー。悪い、俺らは全滅するわ」

 

 ここの戦況など知っているであろう指揮官にとりあえず報告する。後ろに控えてた部隊を前に出すという連絡は来ていたがそれまで持ちこたえられそうにはなかった。すると彼からは妙な返信がきた。

 

『あれ? もう援軍が到着する頃のはずだけど?』

「はぁ?」

 

 もう援軍が来ているとマシューは言う。しかし20機ほどで構成されているはずの部隊などまるで見えなかった。

 

「隙あり!」

「うわっ!」

 

 マシューにクレームをつける暇もない。相川の攻撃をなんとか紙一重で避けたバレットだったが既に3機のISに囲まれてしまっている。アサルトカノンにスナイパーライフル、拡散型ENブラスターにマシンガン。これら全てとハンドレッドラムひとつで渡り合うことはバレットには不可能だった。

 敵から一斉に射撃が放たれる。逃げ道もまるでない。

 そんなときである。

 

 バレットの視界が白く染まった。

 

「何だ……これ……?」

 

 一瞬でバレットの周囲は霧に覆われていた。敵の仕掛けてきた目くらましにしてはタイミングが間違っている。かといって自分の出したものではなく、周囲にはバレットを援護できるような味方はいないはず。

 

「――あとはお姉さんに任せておきなさい」

 

 霧の中で女性の声がした。バレットはこの声を知っている。自分がこの試合に連れてきた人の声だ。

 声のした後、複数の攻撃が何かに着弾する音だけが聞こえてくるも霧の中では何が起きているのか見ることはできなかった。熱やPICに絞ってハイパーセンサーを稼動させてもノイズがひどくて何もわからない。

 

 バレットが呆然としていると急速に霧が晴れた。

 するといつの間にか目の前には知らないISの背中がある。

 いや、ISの背中と呼ぶにはやたらと肌色が目立っている。

 バレットは自然と肩から腰にかけての艶めかしいラインを目で追ってしまった。

 

「お姉さんのカラダが魅力的なのはわかるけど誰かの彼氏としては良くないわね。虚ちゃんに言っちゃおっかなー?」

「やめてください、楯無さん!」

 

 そう、バレットの窮地に現れたのは更識楯無だった。わざわざ現実と同じ仮面を被って変装をしている。どう見ても仮装であるのだがそこに触れてはいけない。

 バレットはからかわれているとわかっていても必死に楯無に懇願する。そうでなければ本当に虚にあることないことを言われてしまいかねない。昨日出会ったばかりだがもう彼女の人となりの一部は理解できていたバレットだった。

 

「じゃ、早速だけどバレットくんには残った皆を引き連れて敵の本陣に向かってもらうわ。どうも厄介な相手がいるみたいでエースの2人が立ち往生してるみたいなの」

「え? いや、敵が俺を逃がしてくれるはずが――」

 

 楯無の言った内容をバレットは理解できなかった。まだ不利な戦況で逃げるのも難しいというのに、最前線に合流しろと言われても無理だと答えるのが普通だろう。

 しかし本当に理解できていなかったのは今の状況の方だった。バレットを包囲していたプレイヤーは4人いたのだが、何故か今は相川の姿しかない。遠くにいる他の味方プレイヤーを探してみると既にバレット以外が集まっていた。

 

「何度も言わせないで。ここはお姉さんに任せなさい」

 

 ようやくバレットは悟る。楯無のことをISVSではあくまで一般プレイヤーだと思っていたが全くそんなことはない。むしろヤイバが自軍の要と定義していた2人をも上回る戦力である可能性が高い。

 

「わかりました」

 

 バレットは指示に従ってカトレアたちと合流し、敵陣営に向かう。全体的にボロボロであるが、まだやれることが残っているのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 バレットたちが去っていく。予定では楯無が今いる戦場を迂回させた別働隊20機がバレットたちに合流してラウラとシャルルの元へと到着する。この試合は敵軍本陣の人工島が決戦の舞台となるはず。楯無がすべき仕事はこの場に残っている敵プレイヤーの排除で終わり。そもそもあまり目立つことをするつもりがなかったため、今の状況も不本意なものである。

 

「ひとりで残るなんて大した自信家じゃん? どんな手品で3機をいっぺんに落としたのか知らないけど、私は一筋縄にはいかないわ!」

 

 相川の全力投球。バレットを苦しめてきていたこの攻撃を、楯無は右手を一振りすることで対処する。彼女の右手に握られている装備は扇子。広げた扇で風を起こすように横に振るとボールに亀裂が入ってから爆発した。

 

「ちょ――手榴弾じゃないのにどうして?」

 

 相川は何をされたのかまるで理解できていない。ただ楯無は扇を振っただけ。楯無の両腕についている振り袖のような装甲が原因かと疑う相川だったが、結局ボールを爆発させた手段には思い至らない。

 

「球遊びはもうお終いかしら?」

「そっちこそ、その扇子で水芸でもしてみたら?」

「じゃあそうさせてもらうわ」

「え?」

 

 楯無の煽りを相川は煽り返したつもりだったが、最終的に翻弄されることとなった。楯無は開いていた扇子を閉じると相川に向けて真っ直ぐに突き出す。その先端には光っている粒子が集まっていく。

 扇子から水が出ることはなかったがビームが放たれた。一連の行動に目を奪われていた相川は直撃を受けてしまう。

 

「ちょっと! そんな武器、聞いたこともないわよ!」

 

 自らの知識から楯無の扇子をENライフルと判断したが、思い当たる装備はなかった。まだISVSを始めてから日は浅くとも勉強熱心な相川は色々と自分で調べている。しかし該当する装備はENライフルのカテゴリはおろか、他装備にも思い当たらない。

 ここで相川は気づいた。そもそもフレームからして知らないものが使われている。振り袖と形容した部分も装甲と呼ぶには柔らかく、布と何も変わらないように見える。非固定浮遊部位はなく、武器らしい武器は扇子だけ。

 

「それは仕方ないわ。これ全部ハヅキ社の試作だから、新作装備を片っ端から調べてるようなプレイヤーでないと知らないのが普通よ」

「ハヅキってネタ装備しか作ってない元ホビーメーカーじゃ――」

「よく知ってるわね。だからこれもネタ装備なのよ、きっと」

 

 ふふんと楯無はしたり顔を見せる。むっとする相川だが楯無の出方がまるでわからないため行動には移れない。そこへ相川の友人がやってくる。

 

「どうしてクシナダがここに来てるの?」

「私の機雷が突然全部爆発してカトレアちゃんを見失ってたら逃げられちゃった」

 

 てへっと自分のおでこを小突くサマーデビル。おどけた調子で話された内容には相川にとって聞き捨てならないことが混ざっていた。

 

「突然、全部爆発……?」

「そんなことより、今残ってる相手はそこの妖しいお姉さんだけなんだよね?」

「ふふふ。どうも、私が妖しいお姉さんです」

 

 サマーデビルの物言いに楯無は乗っかった。楯無としては彼女たちを無理に倒す必要もないため、会話を楽しむ余裕がある。そのことに気づいていない相川は戦闘の手を止めて楯無の機体について考えていた。

 

「あ、ちょっとごめん。戦う気がないならそこで大人しくしてて」

 

 楯無が断りを入れてから後方にふわりと浮き上がるように移動する。直後に赤いアンカークローが通過。遙か下方から伸びてきた武器の元を辿ると、赤い海老型のISの姿がある。

 

「海中用のIS。実際に造ってるところもあるけど、ISVSで見るのは初めてね。私に立ち向かってくるその意気もよし」

 

 バレットの部隊を壊滅に追いやった立役者であるプレイヤー。海の王者ともいえる相手に楯無がとった行動は急降下であった。海面すれすれで止まるのかと思えば、迷いなく海面を突破して海中へと潜っていく。

 

「さあ、来なさい」

 

 海中だというのに楯無は扇子を広げて暑そうに顔を扇いだ。近づかせようという魂胆が見え見えの挑発に対して海老型ISは遠距離からの攻撃を選択。胸の水中衝撃波砲で楯無を狙い撃つ。

 

「それじゃ届かないわ」

 

 楯無が扇子を前に突き出すと海面が割れて厚い空気の層が壁のように降りてくる。空気に阻まれて攻撃は失敗に終わった。

 海老型ISの次の攻撃は魚雷。背部の発射管から一斉に放たれる魚雷も空気の壁を突破できるとは限らなかったが、多方面から攻撃することで突破しようというゴリ押し戦法である。

 対する楯無は左手で指を鳴らすだけ。すると全ての魚雷が一斉に爆散する。発射している最中の魚雷までもが爆発し、海老型ISの背中の魚雷コンテナが完全に破壊された。捕獲用アンカークローも壊れてしまっている。

 

 残された武器はシールドピアースを内蔵しているハサミと胸の水中衝撃波砲のみ。実質的に接近戦を余儀なくされた海老型ISは高速で楯無に迫る。

 

「たぶん勘違いしてると思うんだけど、私の周囲にあるのは海水じゃないから」

 

 楯無は一歩も動かない。今度は扇子を振ったりもしない。テリトリーに入った敵ISの周囲に膨大な量の“ナノマシン”が漂うという状況は完成している。あとは指示を下すだけで終わり。

 

「さようなら。残り時間は上にいる子たちと遊ぶことにするわ」

 

 楯無のIS“霧纏(むてん)”からエネルギーを受け取ったBTナノマシンが一斉に爆発。一時的に海に大穴が開くほどの爆発の後、クルーエルデプス・シュリンプの姿はどこにもなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 バンガードが去った後の高空ではまだ戦闘が繰り広げられていた。数の上では5対4でリンたちが優位であるがユニオンスタイル初心者であるリンが混ざっているため実質的には五分。むしろ敵側の可変IS使いの技量が突出しているために押されている状況だった。

 

「なんか別ジャンルのゲームやってるみたい。戦闘機で撃ち合う感じの」

『リンってそういうのやったことあるの?』

「ないわよ。そんなイメージってだけ」

 

 戦況が不利だろうとリンはライルに愚痴をこぼす。各々が止まることなく、なんとか相手の背後をついて攻撃を加えることに終始している。ただしがむしゃらに撃ったところで当たるはずもないので、リンだけは攻撃すらできずに延々と飛び回っているだけだった。

 

「バンガードって凄いプレイヤーだったのね。こんなビュンビュン飛び回ってる中で格闘戦を仕掛けられる気がしないわ」

『高速戦闘でよく使われる武器がレールガンとか高速ミサイルのように弾速重視の射撃武器である理由はやってみると良くわかるでしょ?』

「うん、そうね……今まさにビシバシ当てられてる最中だから腹立つくらいに理解させられてるわ」

 

 通信をしているリンの背後に例の可変ISが執拗についてきている。戦闘機形態となっているその先端にはレールガン“レヴィアタン”が取り付けられていて、照準が合う度に少しずつリンのストックエネルギーが削られていた。

 

『リン、ひとつ提案があるんだけどいい?』

「何よ。言ってみなさい」

『作戦通りバンガードをヤイバが倒したみたいだし、ここにリンが残ってるメリットはもうない。今から俺がその可変ISを引きつけるから、その隙にリンは敵の本陣へ向かって』

 

 何もできずにいるリンへのライルからの提案は実質的に戦線からの離脱であった。役立たず宣告に近いものであるが、リンが足を引っ張っていることは事実であり自覚もしている。

 

「わかったわ。でも、アンタたちだけで大丈夫? あたしが言えたことじゃないけど」

『心配いらないよ。今回は俺が負けてもチームの負けじゃないし。それにいつまでも弱いままの俺じゃない』

 

 リンの了承を確認したライルが行動を開始する。リンを追っている可変ISの横に並ぶと機体ごと体当たりを仕掛けていく。もちろん避けられてしまうが、軌道が乱れればライルの思惑どおり。リンとの距離が開き、無理に追えばライルが後ろから狙い撃てる状況の完成だ。

 

 リンの離脱は成功。あとは戦うだけ。

 

「リンには言わなかったけど、相手はあの可変愛好家で有名な“カイト”さんだからなぁ。俺の腕でいつまで保つかわからないけどやるだけやるか」

 

 ヤイバの立てた作戦ではバンガードを倒すまで他の高空部隊をここで釘付けにしておく必要があるというだけだった。その役割は終えている。もう彼らを通してしまって問題はないのだが、いい機会だからとライルは日本のトッププレイヤーの1人に全力で挑むことにした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ベルゼブブ。元を辿れば気高き主という意味であるバアル・ゼブルの名で呼ばれていた神であるが、多くの日本人が持っているイメージは聖書に記されているハエの王という意味を持たされたバアル・ゼブブであろう。聖書から固有名詞を借りたロールプレイングゲームをしていれば、ハエという特徴的な見た目から特に印象に残る悪魔の名前と言えた。

 

「くそっ! 何故当たらないっ! この数で攻めきれないというのか!?」

 

 苛立ち混じりのラウラの愚痴が漏れた。バレットたちの援軍が駆けつけて5分は経過している。敵側にも援軍が現れているが数の上ではツムギ側が優勢となっているにもかかわらず状況は何も好転していない。

 原因はわかっている。たったひとりでラウラとシャルルの2人を出迎えた黒いシルフィードを操るプレイヤーの存在だ。ラウラの攻撃はおろか、援軍に駆けつけてきたプレイヤーが包囲して一斉射撃を加えてもわずかな隙間を突いて潜りぬけてくる。それどころか攻撃を巧みに誘導してきて同士討ちを誘われる始末。数を頼りにすれば攻めきれるというラウラの判断を嘲笑うかのようなプレイを見せつけてきていた。

 

「こいつが噂の“週末のベルゼブブ”か……」

「知っているのか、五反田?」

 

 もう後のことなど気にせず、眼帯を外して全力を出すしかないと思っていたラウラの耳にバレットの独り言が届く。ISVS内でも実名で呼ぶ彼女のことを気にすることなくバレットは反応を返す。

 

「名前だけは聞いてた。でも会ったことはない。最近の俺は土曜日だけゲーセンに顔を出してないんだが、奴は決まって土曜日に現れる。微妙な距離でマシンガンをばらまき、こちらの攻撃は当たらない。まるでハエのような鬱陶しさと週末にしか現れないってことから付いたあだ名が“週末のベルゼブブ”。本人も気に入ってるみたいでプレイヤーネームもベルゼブブになってるようだな」

「一部では有名なプレイヤーってことだよね?」

 

 ラウラとバレットの会話にシャルルも混ざる。シャルルの発言をバレットは頷いて肯定しつつ、話を続けた。この戦闘で気づいたことがあった。

 

「名前だけしか知らない。そのはずだったんだが……俺は一度だけ奴の戦いを見たことがある」

 

 まだそれほど古くない記憶だ。アメリカ代表イーリス・コーリングを擁する強豪スフィア“セレスティアルクラウン”との試合でのこと。いち早く退場させられ、モニターで眺めていた“チームメイト”の活躍。9人を同時に相手にして一度の被弾もなく、そして一度も攻撃することもなく同士討ちを誘って相手にダメージを与えていた男の姿が敵プレイヤーであるベルゼブブの姿と被った。

 

「テンプレ装備だからって油断ならねえ。俺はずっと思ってた。“奴”がセオリー通りに機体を組めば強いはずだって」

 

 バレットの言う“奴”の弱点は接近戦にあった。ヤイバにもイーリスにもマシューにも同じように接近戦で瞬殺されている。しかし両手にあるマシンガンのおかげで接近戦にもある程度の対応が可能となっていた。マシンガンを愛用するバレットから見ればベルゼブブのマシンガンの使い方は下手くそである。しかし、それ故にラウラやシャルルがベルゼブブの攻撃を見切れないのだから結果的には脅威となっていた。

 なぜ“奴”がマシンガンを持ち出してまで“彼女”の敵側についてしまったのか。

 なぜ真っ当にISVSをプレイしているのか。

 答えは出ない。だが悩んだところで本気の“奴”が強敵として立ちはだかっている事実だけは変わらない。バレットは決断する。

 

「ベルゼブブの攻撃能力は並以下だ。無視して他を倒そう」

「だがそれは――」

「奴が邪魔なのはわかる。でもムキになって奴を倒そうとすることこそが奴の狙いだ」

 

 味方にいるとその恩恵を実感しづらかったが“奴”は囮として優秀である。敵に回したときの厄介さを十分に理解した上で、一番されてほしくないであろう選択をバレットはした。ラウラとシャルルの集中が削がれたままとなって思うように戦闘ができないが、無視こそが最善策とバレットは言い切る。

 だがラウラとシャルルでも倒せない敵がいることとなり、自軍の士気は目に見えて落ちていた。無理なものは無理と割り切ることも必要だ。だが結局何も解決していない選択をしただけでは勝ちとは言えない。

 

 この状況を打ち破る何かが欲しい。

 そんなときに都合良くやってくるのがヒーローというものだ。

 性別こそ女であっても彼女はヒーローだった。

 

『あの黒いのを倒せばいいのよね?』

 

 分厚い雲を突き破り、日の光とともに落ちてきたリンの双天牙月が吸い込まれるようにベルゼブブの胴体に食い込んだ。リンとベルゼブブは共に人工島の地面に激突し、両者共に倒れたまま動かなくなる。

 一瞬の出来事だった。抱えていた問題点が瞬時にクリアされ、バレットは叫ぶ。

 

「今だ! 一気に殲滅するぞ!」

 

 敵軍の柱となっていたベルゼブブの敗退により流れは一気にバレットたちに傾いた。ラウラとシャルルも調子を取り戻し、敵本陣への進行が本格化する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 目を奪われた。ただそれだけのことだ。

 ランカーやそれに比肩する実力を持ったプレイヤーを前にしても致命打を喰らわず、多数のプレイヤーに囲まれてもなお君臨していたハエの王の名を持つプレイヤー。彼は空から落ちてきた少女の一撃を避けられなかった。何の工夫もない、真っ正直な攻撃であったにもかかわらずだ。

 地面に空けられたクレーターの中心でベルゼブブは大の字になって横たわる。まだストックエネルギーが尽きたわけではないから退場はしていない。しかしアーマーブレイク状態となっているためシルフィードフレームの持ち味である機動力が殺されている。回復するまでは動くだけ無駄であった。ついでにマシンガンが両方とも壊れており攻撃手段もない。

 彼が動かずにいるとすぐ傍で同じように倒れていた少女がむくりと起きあがる。ユニオンスタイルの弊害の1つであるのだが、彼女が装備していた大型ブースターなどの拡張領域(バス・スロット)に入っていない装備は墜落の衝撃で全壊していた。身軽になった少女はその場で伸びをした後で傍らに横たわるベルゼブブを見据える。

 

「よっしゃ! 当たったーっ!」

 

 続くガッツポーズ。無邪気に喜ぶ少女をベルゼブブはフルフェイスのメットの裏で微笑ましく見守っていた。

 

(鈴ちゃんの活躍を織斑が知っててくれれば、それでいい)

 

 ベルゼブブがこの試合に参加した目的はバンガードに同意したからというわけでも、他の強豪プレイヤーのように大規模な戦場で戦ってみたかったわけでもない。

 全てはこの一瞬のため。リンに倒されるためだけに参戦を決意した。それもただやられるだけでは何も意味がない。ヤイバに大きな壁として認識させてから倒される必要があった。

 ベルゼブブは周囲を見る眼に自信がある。虫の複眼のように周囲を同時に観察する特殊視界技能によって並の攻撃では掠りもしない。自慢の“逃げ足”を駆使して強敵を演出することができる。攻撃が下手な自覚はあったが手数でどうにかすることにした。

 余裕など何もなかった。ラウラとシャルルの2人の攻撃を避けられたのは紙一重のことであり、彼女たちがベルゼブブを強敵として警戒したことで下手なマシンガンも牽制として機能した。危ないところには都合良く味方の狙撃が援護してくれていた。打ち合わせも何もない支援と運に感謝してベルゼブブは戦い抜いた。

 

 そんな彼への褒美であったのだろう。

 集中力が限界に来ていた彼の頭上の空に穴が開く。

 雲を突き破り、陽光と共に現れた少女の顔を見て――脱力した。

 

 当初は衝撃砲による“わからん殺し”で倒されるつもりであった。それまでは彼女が相手でも全力で戦うと決めていた。

 しかし、いざ彼女の姿を目にして達成感を覚えてしまったのだ。俺はやり遂げたのだ、と。大好きな彼女の顔を見て癒されてしまっていた。

 

(ちょっと見た目には八百長に見えるかもしれないけど、俺は最初から最後まで本気だった。俺という見せかけだけの強敵にがむしゃらに飛び込んできた鈴ちゃんの強い意志があったからこそ、俺は敗れたんだ。だからさ、織斑。お前の周りにセシリア・オルコットみたいな優秀な女性がどんだけ来ようとも、鈴ちゃんがお前のために頑張ってるってことを絶対に忘れないで欲しい)

 

 所詮は独りよがり。それでも譲れないものが彼の中にはあった。カプ厨と笑われようとも、自分が美しいと思ったものを彼なりに守ろうとしていたのだ。

 もうベルゼブブにできることはなにもなく、あとは黙ってリンが去るのを見つめるだけ。そのはずだったのだがリンはまだ立ち去らない。それどころか歩いて近寄ってきていた。

 

(そっか。俺がまだ退場してないことに気づいてとどめを刺すんだな)

 

 別に死んだ振りをして生き延びようというわけでもない。むしろさっさと退場させてくれた方が外からリンの姿を追えると考えていた。

 だがリンの行動は予想から外れる。ベルゼブブの傍までやってきた彼女はその場に座り込んで彼の顔を覗きこむ。そうしたところでベルゼブブのアバターが見えるわけでもなく、もし見えても彼の正体がわからない顔をしたアバターであるはずだった。

 なのに――

 

「なんでサベージがそっち側にいるの?」

 

 彼女はベルゼブブが普段使っている方のイスカのプレイヤーネームで呼んだ。

 

「黒く塗ってあるのはイメチェン? それにマシンガンとか普段なら絶対に使わないじゃない。バレットがいつも言ってたわよ。サベージは真面目にやれば強いのにって」

 

 リンはベルゼブブをサベージだと断定して話しかけ続ける。声を出してしまえばそれが事実だと認めてしまうことになるため、ベルゼブブは黙って顔を背けた。今ここでベルゼブブの正体がサベージであるとリンに自白するのはダメな気がしたのだ。

 

「へぇ……あたしを無視しちゃうんだ。その調子で普段の態度も改めることね。スナイパーライフルを覗き見に使うために装備するなんてアンタくらいなのよ。本当に迷惑」

 

 気持ち悪がられていることは自覚している。しかしハッキリと言われてしまうのは精神的ダメージが入った。ベルゼブブは何も言い返せずに落ち込む。顔にも出ているがその変化はリンには伝わらない。

 しかし彼女はまるでベルゼブブの心が読めてるかのように話をこう締めくくった。

 

「一緒に遊ぶからには全力のアンタとがいいわ。次を楽しみにしてるわよ!」

 

 リンはベルゼブブにウィンクをしてから戦場へと戻っていった。一夏以外に対してもそんなことをしているからファンクラブなんてものができているのに彼女自身は気づいていない。だがベルゼブブはそんな彼女だからこそ好きになったのだから、この先も注意を促すようなことはしないだろう。

 リンがいなくなったところでようやくベルゼブブの口から言葉が漏れる。

 

「俺と一緒に……か」

 

 リンを見てるだけで良かった。サベージがISVSを始めた理由などその一点である。

 別イスカでベルゼブブとしてプレイしていたのは、たまたまリンがいないときに訪れたゲーセンで、ついでにイスカも忘れていたから新しく購入しただけ。リンがいなかったからいつもの覗き見装備をする必要がなく、バレットに頑なに薦められていた装備構成でやってみた。結果、誰にも負けなかった。それでもベルゼブブとしての彼はISVSを面白く感じていなかった。

 

「俺も一緒に楽しんでいいのかな、鈴ちゃん?」

 

 ベルゼブブ――サベージが次のISVSを楽しみにするのはこのときが初めてであった。好きな子に面と向かって誘われては悪い気はしない。

 諦めている恋を抱えたままでも、友達として楽しめるのだろうか。

 彼はそう自問したが、鈴ちゃんが可愛いければどうでもいいやと結論づけて考えることをやめた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ベルゼブブが落とされた場面は狙撃手からも見えていた。敵軍を足止めするための優秀な囮役が思わぬ相手に敗れたことで狙撃手、チェルシーの思惑通りの展開にならないことが確定した。ベルゼブブがいなければヤイバがここまでやってくる可能性はない。

 チェルシーは自分の唯一の得物であるAICスナイパーキャノン“撃鉄”を折りたたみ、すぐさま移動を開始する。これ以上この場に残っていてもヤイバの活躍を見ることはできそうになかった。今からヤイバの元へと向かって間に合うのか甚だ疑問ではあったが、行動しなくては何も変わらない。

 

 だがチェルシーがヤイバの元へ向かうことはない。

 

「そんな……」

 

 折りたたんだ撃鉄を背負ったところで、シールドバリアの減衰とストックエネルギーの減少が確認された。実弾などによる物理ダメージ、それも高PICCによる一撃を加えられたのだ。

 咄嗟に転がるようにしてその場を飛び退く。攻撃された箇所は首。左後方からブレードによって斬りつけられたものだと理解が追いつく。だが落ち着いて射撃戦ができる間合いにすることを襲撃者が許すことはなかった。

 襲撃者は既にチェルシーの背後を取っている。そこでようやくチェルシーは相手の姿を確認できた。闇に溶けるような濃い紫色のシルフィード。両手には物理ブレード“ブレードスライサー”とENブレード“インターセプター”がそれぞれ握られている。装甲が全くと言っていいほどついていないその姿は、PICが起動していなくても移動を可能にするためだとチェルシーは耳にしたことがあった。現にこの敵の接近にチェルシーはおろかBT使いが気づかなかったのはISVS特有の隠密機動を実践していたためである。

 チェルシーは噂でのみ聞いていた名前を口にする。

 

「更識の……忍び……」

 

 一部のプレイヤーに現代のニンジャとして恐れられているプレイヤー群の総称だ。

 人工島までの進入経路は橋の下。チェルシーの目では橋の下を移動するISの存在は認識できない。島にさえ到着すれば後はいくらでも障害物がある。ヤイバの作戦の初手であるあからさまな進軍は、女神解放戦線のプレイヤーの目を橋から逸らす効果をもたらしていた。

 もっとも、ヤイバは更識の忍びの行動どころか存在も把握していないのだがチェルシーにそれを知る術はない。

 

「お見事です、一夏様」

 

 流れるような剣捌きによる連続攻撃でチェルシーは勘違いしたまま退場することとなった。

 

「件の狙撃手は片づけました。このまま敵リーダーを討ちますか?」

 

 他に誰もいなくなった建物の屋上で更識の忍び――プレイヤーネーム“アイ”は自らの主に指示を仰ぐ。返信はすぐに来た。

 

『却下。たけちゃんが何者かに返り討ちにあっちゃってる。もう虚ちゃんの存在はバレちゃってるだろうから奇襲は無理そうね。五反田くんたちが敵リーダーを見つけるまで身を隠した方が賢明よ』

「了解しました」

 

 他に侵入していた更識の忍びの敗北を聞いたアイは主の指示に従い、コンクリートジャングルへと姿を消した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 試合も大詰めとなった。ベルゼブブを中心とした迎撃部隊を突破した後、マシューから例の狙撃手も倒したことを聞かされ、バレットたちはさらに勢いづく。バレット自身はストックエネルギー残量も使用可能な装備も少なくなってしまっているが、楯無が合流させた部隊はまだまだ戦える。ついでにバレットの妹もほとんど消耗していない。このまま敵リーダーである生徒会長を見つければ勝利は見えていた。

 

「結構、バラバラに散ってるみたいよね」

 

 唐突にカトレアがバレットに話しかける。現実でもISVSでもあまり積極的に話すわけではない兄妹仲なのだが、今日は少し違っていた。そのことを聞いてみようかとも思ったバレットであるが、今は試合中。普通に受け答えすることにする。

 

「そりゃそうだ。こっちはあの会長を捜索する必要もあるから広範囲を調べるしかない。そして、あっちは会長の居場所がわからないように迎え撃つ必要がある。こうして両軍が散逸するのは自然なことだぜ」

「本当にそうなのかな?」

 

 しかしバレットの返答は疑問で返された。

 

「あ? 何か気づいたのか?」

「よくわかんないんだけど、本当に何かを守ってるのかなって思ったの。私が相手側だとしたら居場所がバレてでも戦力を集中して徹底抗戦するんだけど」

「アホ。ラウラやシャルルがいるってわかってるのに真っ向勝負を仕掛けるかっての」

「じゃあ、会長さんはこの状況からどうやって勝つつもりなの? ううん、そうじゃない。どうしてベルゼブブがまだいる頃に行動を起こさなかったの? あのときならまだ挽回できたでしょ?」

 

 妹に聞かれてバレットは答えられなかった。次から次へと出てくる問題に対応するのに精一杯で、いつの間にか敵の視点に立って考えることを放棄していた。

 最初の作戦通りなら正攻法で徐々に敵の数を減らして、じわじわと敵を包囲していく手筈だった。だが実際は思ってもいなかった強力な敵によっってこちらの数も減らされ、今いる人工島へも強行軍でやってきたも同然となっていた。バレットたちが追いつめたわけでもないのに何故か敵は本陣で防衛戦の構え。リーダーが見つかれば即アウトなかくれんぼになってしまっている。

 

「なーんだ。アホはお兄じゃんか」

「何だとっ!」

「そんなだからいつも慎二(しんじ)に裏をかかれるのよ」

「ん? なぜお前がマシューの本名を知ってる!?」

「まあ、同い年だから色々あるの」

「お前、女子校だろ!? それにマシューの奴、年下だったのか!? ってかお前と奴はどういった仲だ!」

「あ、敵さん発見」

 

 色々と衝撃的な事実を聞かされて気になって仕方がないバレットであるが、カトレアの指さす方を見やれば確かに自軍ではないISの存在があった。誤魔化された感が強いがバレットは渋々ながら試合に意識を戻す。

 現れた敵はバレットの知識にある定番の装備構成にはない機体である。普通ならばISVSのノウハウを知らない素人が来たと思うところだったのだが、この試合ではそう簡単に考えていいものではないことが身に染みついていた。

 

 見てわかる情報を即座に分析する。

 フレームはティアーズ。装甲の量とバイザーからフルスキンスタイルと断定。全体にピンク系統のカラーリングが施され、アバターのボディラインからも女性であると推察される。

 装備は左手にハートマークの大型シールド。右手には籠手の部分に捕獲用アンカークロー“ヒットパレード”。あとは非固定浮遊部位として巨大な球体が浮いていた。その正体については該当する装備がないため、相川のボールのように装甲の塊だろうと推定。

 結論――

 

「何だこりゃ?」

 

 何がしたい装備構成なのかさっぱりわからない。

 

「お兄、どうする? 今なら2対1で戦えそうだけど」

「不気味な相手だが、やるしかないわな」

 

 接近戦主体であるカトレアを前衛にして、バレットは攻め込む。

 まず、相手は背後に浮かんでいた球体を動かしてきた。IS本体を軽く覆い隠せるくらいの大きさである球体をバレットは非固定浮遊部位としたがそれは違う。球体は固有領域を逸脱してカトレアへと放たれた。

 

「こんのっ!」

 

 カトレアがハンマーで球体を叩くが勢いを止めるだけで破壊には至らない。

 足の止まったカトレアの代わりにバレットが前へと出る。無事に残っている武器は愛銃であるマシンガン“ハンドレッドラム”とグレネードランチャー“赫灼”の2つ。まずはマシンガンでパラパラと牽制。当然、敵のティアーズが持つハート型の盾に阻まれる。

 

「その盾さえ剥がせば!」

 

 防御を固めた敵にバレットはグレネードランチャーをぶっ放した。アサルトカノンに爆発の追加ダメージがついたようなこの武器は連射性こそ悪いものの装甲にもシールドバリアにもそれなりの威力を発揮する。だがこの一撃はハートの盾に届く前で爆発してしまう。

 

「ちっ、シールドタイプのビットか」

 

 バレットのグレネードは目標とは別のものに命中した。いや、させられた。射線上に割り込んできたのは装甲板が取り付けられたBTビット。ようやくティアーズらしい装備が出てきて、敵のフレームの選択に合点がいった。

 だが腑に落ちない。盾を手に持っているのにBTビットまでが盾。防御特化ティアーズとでも言いたげな装備構成はバレットの理解を超えている。

 

「お兄、そっちに行った!」

「おわっと!」

 

 カトレアの声で慌てて飛び退くと独立して浮遊する鉄球がスレスレを通過していく。その際にバレット側のPICに干渉された。これにより本体から離れていても自在に操作できている鉄球の正体をバレットは掴んだ。

 

「装甲の塊でぶん殴るってのが女子の間で流行ってたりすんのか?」

 

 鉄球の正体はシールドビットの複合体。アーヴィンのBTソードのようにBTビットを射撃ではなく格闘に用いている。装甲の配置はプレイヤー側での自由度が高いため、相川や目の前のティアーズのようにオリジナル武器にできるということなのだろう。事前に得ていた情報にあった生徒会書記の得意分野だということにまでバレットは思い至った。

 

「カトレア、もう1回あの鉄球を止められるか?」

「それだけなら簡単よ」

「じゃ、頼む」

 

 相手の戦い方を把握したバレットは対処に移る。防御型ティアーズである理由も納得した。過剰な盾で身を守りつつ、同時に鉄球で攻撃を加えるという引きこもり戦法なのだ。ならば攻撃手段である鉄球さえ壊せば、盾で守るしか能のないISではじり貧となる。

 カトレアが鉄球にハンマーを打ちつける。狙い通りに止まったばかりか、シールドビットの一部が壊れて鉄球の中に攻撃ができそうである。

 思っていたよりも早く破壊できそうだ。バレットは隙間からグレネードランチャーを撃ち込もうと鉄球に突撃した。鉄球に急な方向転換をされたらカトレアがハンマーで壊せばいい。

 

 ――この勝負、もらった。

 しかし、そう思ったのはバレットの他にもう1人いたのであった。

 

 鉄球を形作っていたシールドビットが自ら分離する。

 元々くっついていたわけではなく、複数のシールドビットをあたかも1つの球体であるかのように動かしていただけ。

 球体の内部に金属は詰められていない。

 だが、何も入っていないわけではなかった。

 中にはISが潜んでいた。

 その手にあるのは――2つ並べた収束型ENブラスター“イクリプス”。

 

「地獄で会おうぜ、バレット!」

「ここでテメェか、ライタァアアアアア!」

 

 至近距離。砲口に自ら飛び込んでいくバレットが避けられるはずもなく、消耗した状態で耐えられるはずもない。

 敵に回っていた“藍越エンジョイ勢の一発屋”ライターの手により、バレットは光と共に消えた。

 

「よくもお兄を!」

 

 ENブラスター発射後、行動不能に陥って墜落するだけのライターにカトレアは容赦なくハンマーを振り下ろす。絶対防御以外の防御機構が何も働いていないライターは一撃で退場した。当てるときも去るときも一発屋の名に相応しい姿と言えよう。

 

「あ、足が……! きゃっ!」

 

 だがライターなど放っておくべきだった。カトレアの右足にティアーズが放ったヒットパレードが食いついている。ティアーズはカトレアを引っ張ると、自分を中心としてぶんぶんと振り回し始めた。抵抗できないまま振り回されるカトレア。アンカークローを外さなければと思う頃にはティアーズの仕上げが完了している。

 鉄球が元の状態に組み上がり、カトレアとは逆回転でティアーズの周囲を回っていた。徐々に2つの円軌道は近づいていく。

 

「やばっ――」

 

 ほぼ2倍の速度でカトレアに鉄球がぶつけられる。その衝撃はテンペスタのディバイドスタイルであるカトレアのISが耐えられるものではなく、カトレアもバレットの後を追うこととなった。

 

 一触即発の戦闘は防衛側のティアーズの勝利に終わった。

 ヒットパレードのワイヤーを回収する操縦者の女子高生は勝利に喜ぶことなく、ため息を吐く。

 

「ヒデくん……一緒にゲームしようって言ったのに私を放置するなんてひどい。……これも全部、あの織斑一夏のせいだ!」

 

 彼女の不満は最終的に一夏への怒りに発展していた。原因は彼女の恋人である生徒会長にあるのだが、この場にそのことを指摘してあげる人物は存在しない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「名誉団長。とうとうバレットがやられました」

「むしろよくここまで保ったと褒めるとこだな。いくら敗北条件だからって、後方で状況を聞いてるだけってのは若干心苦しくはある」

 

 マシューからの報告は朗報ではなかったが俺は明るく受け止めた。俺はチームメイトの誰も咎めるようなことはしない。今、俺が暇してるのは他の皆が頑張ってくれている証拠なのだから。

 

「それで、捜索状況は?」

「50%ほどですね。まあ、掃討戦みたいなものですから直に決着がつくでしょう」

 

 思いの外、思い通りに事が進んでいる。俺が攻め込まなくとも勝てる状況に持ち込めてしまっている。いくつかアクシデントはあったが、概ね筋書き通りだ。

 ……致命的なアクシデントもあったのにだ。

 気になった点を我が参謀に確認してみることにする。

 

「なあ、マシュー。お前が女神解放戦線側の指揮官だったとして、今の状況をどう打開する?」

「無理です。降参して早く終わらせた方がお互いのためでしょう」

 

 そう。俺も無理だと思う。だけど俺の立てた不完全な作戦は今の状況に持っていけるような大層なものじゃなかった。マシューも広すぎる戦場で勝手がわかってなかったようだし、ハッキリと言ってしまえば穴だらけ。それは相手にも言えるのだが、やはり人工島に攻め入ってからの敵の行動には違和感しかない。

 

「発想を逆転させてみよう。どんな要素さえあれば、敵は逆転できる?」

「今の状況からご都合主義的に考えてということですよね? こちらの主力は敵の陣地に攻め込んでいますし、予備戦力の大半も海上や高空に残っている敵プレイヤーの相手をしているので、がら空きとなっている“ここ”に奇襲をかけるプレイヤーさえ居れば逆転の芽はありますけど」

「やっぱそうだよな。お前もやってた手だし」

「もちろん警戒してますよ。ここに残していた10機には最初から陸地を隈無く偵察させてるので、気づかれずに近寄ることは無理です。僕も索敵重視の“アズール・ロウ”で来てるので、近づくISが居ればすぐにわかります」

 

 マシューの言うとおり、もしここに攻め込んでくるISが存在すれば俺たちの優位はたちまち消え失せる。俺がやられればそれまでだからだ。だからこそマシューはそれを警戒している。

 そういえば本来は俺たち自身も徐々に侵攻するつもりだったが、狙撃手の存在によって籠もることにしたんだっけ。だからバンガードを迎え撃つのも海の上ではなく、俺たちのいる本土側の陸地になった。でもって俺が居なくても勝てると見込めたため、俺は後方に下がったままの方が安全だと判断した。

 

 本当に俺たちの思惑通りなのか?

 本当にマシューは敵の接近を見落としていないのか?

 

 俺には……一つだけ思い当たる節があった。

 

「マシュー。俺とバンガードが戦ったポイントに誰かを向かわせてくれ。特にバンガードが切り離したブースター周辺を」

 

 マシューに頼む。

 だが彼の返答の前に、俺たちの耳に別の声が届くこととなった。

 

 

「その必要はないよ。僕はもう、ここまで来てしまったのだから」

 

 

 俺たちの前に現れたのは、女神解放戦線のリーダーである最上英臣(せいとかいちょう)その人だった。

 

「なっ!?」

 

 生徒会長がふわりと浮き上がる。突然現れた会長に俺もマシューも手が出ず、マシューへの接近を許してしまう。マシューの索敵特化型IS“アズール・ロウ”は滅多にないであろう軽量(フォス)フレームのユニオンであり、戦闘力はほとんどない上に防御力もない。

 会長の装備は見たことのないものだった。銃身が極端に短いアサルトライフルと言えば良いだろうか。言い換えればゴツい拳銃であり、両手にはそれぞれ同じもの。会長は射撃武器であるはずの拳銃でマシューに格闘戦を仕掛ける。鈍器のように殴りつけたかと思えば、銃口を密着させてトリガーを引いていた。

 アサルトライフルをゼロ距離射撃したとしてもまだマシューは落とされていないはず。しかし、この一撃でマシューがやられた。体は粒子となってこの世界から退場していく。

 

「くそっ! 最初っからこれが狙いか!」

「そうだよ。僕には僕の目的があったからね」

 

 ここまでの戦いは俺の筋書き通りなんかじゃない。バンガードの性格を利用して上手く誘き寄せたつもりだったが、単独で来たと偽装されただけ。実際は切り離されたブースターに会長が隠れていて、こちらに忍び込んでいた。ずっと会長の手の平の上だったんだ。ただ勝利するだけのシナリオではなく、俺を1対1で倒すためだけに仕組まれていた。

 

「俺がアンタの何だってんだよ?」

「君が勝てば教えてあげるよ。そういう約束だ」

 

 この戦闘は避けられない。会長は当然のように短期決着を望んでるからあからさまな時間稼ぎに乗ってくれることはない。ここまで皆を巻き込んできておいて、結局はリーダー同士の一騎打ちで勝敗が決まることとなる。

 会長の機体はフォスフレームのテンペスタ。ご丁寧にディバイドスタイルで来ているから雪片弐型のダメージは大幅に削られてしまう。機体カラーが白いのも含めて俺を意識した構成なのだろう。

 

 会長が拳銃を俺に向ける。プレイヤーによる改造装備と思われるそれには弾の飛び出す銃口の他に杭が覗く穴も1つ並んでいた。

 ……ハンドガンに“グレースケール”をくっつけてあるのか。

 ハンドガンは最軽量の射撃武器として造られた装備のジャンル。単純な攻撃力の低さと射程の短さといったデメリットがひどく、圧倒的な不人気武器であることは俺も知っている。会長はその威力の低さをカバーするためにシールドピアース“グレースケール”を併用しており、その破壊力は目の前で見せられたばかり。

 

 俺は一度距離を開ける。正直に言ってしまえば分が悪い勝負だ。ハンドガンは攻撃力こそ低いもののアサルトライフルよりも連射でき、さらにはPICC性能だけは高い。ハンドガンはダメージソースにはなり得ないが、相手の足を止めるなどの妨害はできる。俺にとっては足を止められるという特性が最も厄介だ。

 

「逃げてばかりなのか。それもひとつの道だということは認めるけど、宍戸先生が満足すると思っているのかい?」

「知るか! 俺は宍戸のために戦ってるわけじゃない!」

「ふむ、それもそうだね。では君自身は? このまま逃げて君の仲間が駆けつける。それで僕は敗北するだろう。その結果を抱えて、これから先を進んでいけるのかな?」

 

 俺を挑発しようとしていることは見え見えだ。でも堪える内容でもある。勝つために頼れる仲間を作れという主旨で宍戸はこの試合を企画した。だけどこの最終局面で仲間が来ることばかりを頼っていいのか?

 ハンドガンの弾が頬を掠める。ストックエネルギーにダメージはなくとも無駄に高いPICCによって機体制御が若干鈍ってしまう。

 

「ハッキリと言わせてもらう。ここで僕程度を打ち倒せないのなら、君の願いは叶わない」

「何だと! アンタが俺の何を知ってるって言うんだ!?」

「少なくとも君よりは君の両親を知ってる」

「だからどうした! 俺の願いに、俺が知らない親のことなんか関係な――」

「救いたいのだろう?」

 

 会長の一言で俺は動きを止めてしまった。俺を近づけまいとしていた会長の銃弾が2発当たり、白式の機体バランスが大きく崩れる。しかしこの明確な隙に会長は飛び込んでこない。

 

「アンタは……本当に藍越の生徒のことを全部把握してるのか……?」

「まさかそんなはずはないよ。僕はただ、君の父親が生前に口癖のように話していたとされる願いを口にしただけ。君の内面をも見通すような超能力者じゃない」

 

 俺の父さんの願いが『救いたい』?

 それだけだと何を救いたいのかわからないけど、俺の願いと一致している。

 千冬姉がまともに話してくれない父さんは一体どんな人なんだろう。

 もし会長の語る内容が事実なら、俺は顔も知らない父さんと似ているのかもしれない。

 

 俺と会長は攻撃の手を止めてその場に静止する。

 

「会長。アンタに勝てないと、俺は箒を救えないのか……?」

「箒というのか。もしかしなくても女の子の名前だろうね」

「そうだ」

「君という人間のことがわかった気がするよ。やはり僕の理想には遠い人間だ。まだ、だけどね」

 

 会長の理想? もしかすると会長が俺をやたらと気にしているのは、俺ではない誰かを見ているからなのか。その誰かとはおそらく俺の父さん。

 

「君の質問だが……僕に勝てないと君が箒さんを救えないというのは肯定しよう。そもそも僕が勝つようであれば、君でなく僕が彼女を救えばいい。それこそが僕が生きている意味でもある」

 

 この人は本気で言っている。

 俺がISVSで戦う意味である箒の救出を代わりにやってみせると。

 俺が戦う意味などないのだと。

 

「時間も残り少ない。僕が勝てば、僕の全てを懸けてでも箒という子を救うと約束する。君はもう何もしなくていいんだ。だから――」

 

 白式が機動制御を取り戻したタイミングで会長は両手の拳銃を一斉に俺に向けてきた。

 

「終わりにしよう」

 

 発砲。同時に会長はイグニッションブーストで前に飛び出してくる。どう転んでも、ここでこの試合を終わらせるつもりだ。

 

「……負けるかよ」

 

 俺は瞬時に高度を下げて銃弾をやり過ごし、すぐさまイグニッションブーストで会長へと向かう。

 会長の提案は優しいものだ。あのときの――イルミナントにリンが食われてしまった直後の俺だったら、俺は会長に甘えてしまったと思う。好きで戦ってるわけじゃない。怖いから逃げたい。代わってくれるなら代わってほしい。今でもそう思うときはある。だけど――

 

「俺が箒を助けるんだ」

 

 俺じゃないとダメだと何度も思い知らされてきた。

 ただ箒の無事を願っているわけじゃない。

 傍にいてほしい。

 独占欲と何ら変わりない。

 俺が『ごめん』と謝って、箒が俺だけに『ありがとう』と言ってくれる。

 そこから始まる未来がほしいんだ。

 

「アンタなんかに奪わせてたまるかあああ!」

 

 会長から2発目の銃弾が放たれる。イグニッションブースト下だというのに少しも照準に乱れを感じさせない正確な射撃だ。

 だからこそ俺にはそのコースが見える。ラピスの力を借りなくても見えた。宍戸の見よう見まねでイグニッションブースト中の軌道修正を行い、銃弾を紙一重で回避。シャルルから教わったラピッドスイッチで右手に雪片弐型を呼び出して斬りつける。

 会長は右手の拳銃で斬撃を受けた。ISVSの熟練プレイヤーならばテンペスタの本体で受ければいいと判断する攻撃をガードしたのだ。当然、拳銃は真っ二つとなり、雪片弐型の刃は本体にまで届く。

 だがEN武器への耐性が全フレーム中最高であるテンペスタだ。普段は相手のストックエネルギーの半分以上を削る雪片弐型でも大ダメージを与えることができていない。

 

「やってくれるね! でも――」

 

 会長は少しも怯んでいない。明らかな失策で片方の拳銃を失っていても動揺せず、すぐ次の行動に移っていた。

 白式の右手の甲が会長の左の拳銃に殴られる。握っていた雪片弐型を手放してしまい、下へと落としてしまう。拡張領域への回収は、俺の場合は手に持っていないと出来ない。

 白式本体と違って防御機構が一切働いていない雪片弐型に会長の拳銃が向けられ発砲。撃ち抜かれて使用不能となる。

 

「これで僕の勝ちだ」

 

 会長に残された武器は左手の拳銃のみ。対する俺は何もない。雪片弐型は破壊されづらい装備であるため、俺が主力武器を失ったのはこれが初めてだ。

 勝利を確信した会長の拳銃が迫る。狙いはグレースケールの1択。ここで最高火力を使わない理由がない。

 避けられるタイミングではない。

 ではこのまま終わるのか?

 答えは、否。

 俺は左手をグッと握りしめる。

 この拳こそが武器であるとイメージする。

 

「まだ終わってない!」

 

 俺は会長の拳銃に左の拳を全力で叩きつけた。

 止まる気がしない。

 俺の拳は会長の拳銃を粉砕し、そのまま左手を折る勢いで打ち抜く。

 

「これは――」

「うおおおお!」

 

 俺は吠えた。難しいことなんて知らない。気合いが俺を突き動かす。

 追撃の右ストレートを会長の顔面に放つ。

 だが会長は俺の渾身の一撃を右手で受け止めてみせる。

 

「なるほど。こういうのもあるのか」

 

 俺が宍戸から教わったAICを会長は見ただけで真似して見せた。そういうことなのだろう。

 こうなってしまってはIS戦闘はイナーシャルコントロールの主導権の奪い合いとなる。

 操縦者視点で見れば、意地のぶつけ合い。

 傍観者視点で見れば、純粋な殴り合い。

 

「もう君の意志を僕は認めた。その上で、僕にも譲れない在り方というものがある!」

 

 会長の左ミドルキックが俺の脇腹に刺さる。白式は持ちこたえてくれた。俺の反撃。

 

「在り方? アンタの生き方に俺は関係ないだろうが!」

 

 右拳を掴まれたまま、俺は右に体を回す。手を離さなかった会長は巻き込まれるようにして前のめりになった。突き出た後頭部に俺は右足の回し蹴りをぶつける。手応えは十分。

 

「関係ない? そんなはずはない! 僕の理想……人を苦しみから解放する救世主はひとり居ればいい! “織斑”の後継者には僕がなる!」

「そんなの勝手に目指してろ! 俺の理想は箒と一緒に過ごす高校生活だっ!!」

 

 これが本当に最後。

 俺と会長は同時に右ストレートを繰り出した。

 当たった箇所はお互いの顔面。タイミングも一致している。

 クロスカウンター。

 両者の腕が十字に交差して硬直する。

 それも長くは続かず、十字の片方は力なく崩れ落ちる。

 俺は落下していく会長を見下ろしていた。

 

 

『試合の終了をお知らせしますわ。女神解放戦線のリーダー“リベレーター”の敗退により、この試合の勝者はヤイバ率いるツムギです』

 

 

 ラピスの声で試合終了がアナウンスされる。藍越学園での長いお祭りもこれで終わり。俺にとっては、俺が戦う意味を再認識させられる、そんな結末となった。

 

 

***

 

 現実へと帰ってくる。俺が居る場所はログインしたときと同じ体育館の舞台袖。先に戻ってきていたであろう会長は生徒会の人と何やら話をしていた。

 

「――っと、織斑くんも戻ってきたみたいだね」

 

 会長は俺の起床に気づくと生徒会の人に簡単な指示を出して舞台に向かわせた。その後、俺の元へとやってくる。

 

「僕の負けだ。宍戸先生の言ったとおり、君には力があるのだと認めるしかない」

「アンタも俺を試してたってのか?」

「いや。本気で君を潰そうと思っていたよ。だが君は勝った。それが全てだ」

 

 本気で俺を潰そうとした? そうは思えない。

 

「集まった総合的な戦力はそっちの方が上だった。なのに戦力を小出しにして連携らしい連携もなかった。プレイヤー個人個人は本気でも、チーム戦としては手加減されていたように思える」

「手加減とはまた違うんだけど、そう見えて当然だろうね。何せ僕ら女神解放戦線は各人の配置だけ決めて、あとは個人の自由にさせていたんだ。内野くんに関しても僕は彼の手伝いをしていただけ」

「それ、だけ……?」

「もちろん利用はさせてもらったよ。彼らの意思を邪魔しない程度にね。皆、十分に楽しめたんじゃないかな」

 

 戦っているときも思ったが、会長は俺の求める勝利とは別のものを狙っていたように思う。俺を潰すという目的があったのだとしても、生徒の不満を解消するという名分は守ろうとしていたってことか。あの最後の局面まで俺に奇襲をかけなかったのも決着をギリギリまで引っ張りたかったってとこだろう。

 

「それで、俺を潰すってのは?」

「宍戸先生の様子がおかしかったから、織斑くんが危険なことに首を突っ込んでいるんだろうと思ってた。元ツムギの宍戸先生がISVSというゲームに本気で向き合っていることから、ISVSはただのゲームじゃないともね。そしてそれはアントラス、もしくはあの亡国機業が絡んでいる問題の可能性まで出てくる」

 

 俺も最近になって知った単語が会長の口から飛び出してくる。そして話は俺の知らないことにまで及ぶ。

 

「いずれにしても“織斑”にまつわる事件の可能性が高い。宍戸先生もそう匂わせていた。だから僕も仲間に加えてほしかったんだけど、断られてしまった」

「それで俺を倒せば宍戸先生が会長のことを認めるはずと思ったってことですか?」

「今思えば、これが嫉妬というものなんだね。でもそれだけじゃない。僕の知ってる君は決して超人の類じゃなかった。もしアントラスや亡国機業を敵に回しているのなら精神(こころ)が耐えられないのではないかと考えた」

 

 思い当たる節はある。というよりも図星だった。

 

「僕の信条は『全ての人に救いあれ』だ。不可能命題ではあるが、努力だけはしているつもりなんだよ。僕は君も苦しんでいるのなら解放してやりたいとそう思っている」

「だから戦うなってわけですか」

「でも、君にはちゃんと理由があった。僕の言葉だけで折れるようならば夢も希望もありはしない。あの戦いの中で君はどちらもあることを見せてくれた。僕の考えは要らぬお節介だったわけだ」

「無意味じゃなかったです。事実、俺は前に挫けました。それでも自分がやりたいことがあると思い直して戦いました。何のために戦うのか。ハッキリと見つめ直せたと思います」

「そうなのかい。お役に立てて何よりだ」

 

 始まりはただがむしゃらだっただけ。目の前に揺れる箒の手がかりに飛びついていた。その理由も曖昧なまま戦ってきた。でも、イルミナントの1件からの色々な出来事で俺の願いは次第に形になってきていると思う。

 

「そういえば、会長」

「ん? 何だい?」

 

 会長から聞くことはあまりないと思っていたけど、一つ聞きたいことがあったんだった。試合の前に約束もしたから答えてくれるはず。

 

「宍戸先生がいたツムギにどうして俺の父親が関わってくるんですか?」

 

 会長は当然のように俺の父親を引き合いに出してくるけど、俺にはその関連性がまるでわかっていない。なんとなく予想はしているが、会長の口から聞いておきたかった。

 

「そういえば君は父親についてほとんど聞いていないのだったね。簡単に言わせてもらうと君の父親は世界中を飛び回っていた“何でも屋”だ」

「何でも屋ぁ?」

「本人は私立探偵を名乗っていたらしいけど、頭脳労働だけでなく過激な実力行使もしていた人だったようだ。とある犯罪組織を社会的にも物理的にも壊滅させたという伝説まで残してたりするよ」

 

 俺は頭を抱えた。今まで千冬姉の断片的な話から勝手に思い浮かべていた普通の父親像は薄れ、どちらかと言えば全盛期の師匠(篠ノ之柳韻)のような超人の類としか思えない。

 

「父さんが自称探偵で世界のあちこちではっちゃけてたのはわかりました。それで、ツムギというのは?」

「ツムギは“織斑”の亡くなった後、彼の弟子たちが作った組織だ。活動内容は“織斑”の思想に沿ったものだった」

「宍戸先生は?」

「“織斑”の弟子の1人。本人は認めてくれないけど、まず間違いないよ」

 

 ……俺とツムギにはそんな繋がりがあったのかよ。ここまで来たら宍戸と千冬姉が知り合いでも俺は驚かないぞ。

 

「千冬姉もツムギに関わってたりするのか?」

「君のお姉さん? さあ、そこまでは僕も知らない」

 

 流石に考えすぎだったか。宍戸はともかく店長も何も言わなかったし。

 試合に勝った約束の話はここまで。会長は「そろそろ出番だ」と言ってステージに上がっていく。そういえばこのイベントの締めをやっているんだった。何やら会場は盛り上がっているが、俺がいなくても成り立ってるんだな。

 

「お見事でしたわ、一夏さん」

 

 俺一人が残された舞台袖にセシリアが入ってきた。こっそりとやってきたようで他には誰もいない。

 

「よう、セシリア。最後まで滅茶苦茶だったけど勝ちは勝ちだよな。この勝利で宍戸も俺を認めて協力してくれるはず」

「試合の勝利だけでなく、最後の告白も見事でしたわ」

「告白……?」

「『俺の理想は箒と一緒に過ごす高校生活だ』と生徒会長を圧倒したあの姿に、わたくしは惚れ直しました」

「あれ、聞かれてたの?」

「はいな。皆さんに誤解のないようにということでわざわざ叫ばれたのですよね? 敗退して悔しそうにしていたバンガードさんも『奴にも苦労があるのかもなぁ』とお怒りが薄まったようでしたわ」

「全部聞いてた?」

「『アンタなんかに奪わせてたまるか』と叫んでいた以外のことは聞き取れていませんわ。安心してくださいませ」

 

 それだけだったらまだいいか。別に知られて困るってほどではないにしても、なんとなく恥ずかしい。

 胸を撫で下ろしているとセシリアが顔を耳元に寄せてきた。香水だけではない良い匂いが鼻腔をくすぐってくる。

 

「え……と、セシリアさん?」

「敵に動きがありましたわ」

 

 セシリアの唐突な行動に鼓動が早くなっていた俺だったが、彼女に真面目なトーンで“敵”と言われたことでクールダウンする。

 

「敵って、エアハルト?」

「おそらくは。今から30分前、ツムギ――ナナさんたちの元へ宣戦布告のメッセージが届けられたそうです」

「宣戦布告? 前回、奇襲してきた奴らが?」

「ええ。ご丁寧に日本時間の午後2時に攻撃を仕掛けると予告しています。倉持技研は迎撃ミッションを発しましたが集まりは悪いようですわ」

「前のときは結果的に企業側のドタキャンになってたからな。ほぼ同じ内容のミッションだとまた同じ目に遭うかもと警戒するかも。まだ正午になる前だし、こんなに早くエントリーするような物好きがいないんだろ」

 

 とはいえ、前回と同じくこちらの戦力は心許ないのか。

 

「一夏さんは今回の敵の行動をどう見ますか?」

「俺の勘だと今回は宣言通りに攻めてくるだろうな」

「勘……ですか? それは以前にエアハルトと会話した上での答えでしょうか?」

「そう、なのかもな」

 

 本当になんとなくだ。俺にはエアハルトの狙いがナナを始めとするツムギの壊滅ではないと思える。ナナと俺を意識して“進化”と口にした。Illのこともある。戦うことで何かの実験をしているのかもしれない。だとすると、こちらが全力で迎え撃つのも奴の狙いである可能性がある。もっとも、無視できない上にマザーアースを出されたら全力で立ち向かってもどうにかできる保証がない。

 ここで問題となるのが戦力だ。倉持技研のミッションによる召集はあまり期待できない。このまま午後2時を迎えてしまえば、ナナに無茶をさせた前回の二の舞だ。

 

 戦力……?

 

 俺はステージを見た。まだ会長が喋っているということはこのイベントは閉会していない。早めにいなくなった人もいるかもしれないが、まだ人が多く残っている。

 

「行くのですね?」

「ああ、この機会を逃す手はないからな。悪いけど人数分の弁当か何か用意してくれないか?」

「もう手配済みですわ」

「流石だ。セシリアは本当に頼りになるよ」

 

 セシリアに見送られて、俺はステージへと上がる。

 会長の紹介もなく突然現れた俺は当然注目の的となる。

 

「おっと! 目立ちたくないと言って引きこもっていた本日の主役が迷い込んできました! ここに来たということはイジられることも覚悟の上とみた! 本当に大丈夫かい、織斑くん?」

 

 マイクを握っている会長が随分と勝手なことを言っている。セシリアとの話に集中していたからこの場の空気はまるでわからないが、俺は会長からマイクを奪い取った。

 

「織斑一夏だ! 目立ちたくないのは事実だが、引きこもっているわけじゃない!」

 

 おっと、そんなどうでもいいことは言わなくて良かった。

 

「今日は皆、集まってくれてありがとう。どっちのチームでも関係ない。今日ここで皆と遊べて楽しかったと俺は素直にそう思う。皆もそう思うだろ? 普段は顔を合わせないライバルが隣にいるのに、このままさようならってのは寂しいよな。もっと続けばいいのに」

 

 本音を言えばリーダーという立場でやりづらいところもあった。でも、ナナたちの命がかからないゲームは十分に楽しめるものだった。少々ステージが広すぎてグダグダしていたけど、それも楽しみのひとつと受け取っている。会場から返ってくる歓声は俺に同意してのものだろう。

 ここで俺はわざとらしく生徒会長をジト目で見る。

 

「会長、このイベントももう終わりなんですかね? せっかく藍越学園に設備を持ち込んだのに勿体ないと思いません?」

 

 俺の言わんとすることを会長も会場の皆も察してくれたようだ。

 

「残念ながら僕は何も用意してない。けど、藍越学園の施設と外部から運び込んだ設備は夕方まで借りているとは言っておくよ」

「よし、来た! 二次会といこうか、お前ら!」

 

 俺の提案に熱い歓声が返ってくる。聖徳太子じゃないから何を言ってるのかは聞き取れないが、ほぼ全て同意してくれてのものだ。そもそもやる気がない人はここで帰るだろう。

 

「というわけでここから先は俺の企画で進行させてもらう。もうお昼だから、とりあえずは昼休憩だ」

 

 舞台袖にチラリと目をやるとセシリアが親指を立ててくれる。

 

「昼食はこっちで用意したから遠慮なく食べてくれ。ついでに1時半まではISVSの筐体をフリー対戦用に解放しておく。でもって1時半になったら今度は全員で協力してミッションをやろう。とっておきなのを見つけておいたから楽しみにしててくれ。以上だ!」

 

 会長にマイクを返して俺は舞台袖に捌ける。会場の反応は上々だ。俺への嫉妬が発端となって開催されたイベントのはずだったが、もはやそんなことはどうでも良いと言わんばかり。皆、ゲームをしにきたってのが一番の理由なんだろう。

 ……俺は皆の純粋な思いを利用して、自分の願いを叶えようとしてる。とんだ悪人だな。

 

「わたくしはそんな一夏さんを許します」

「ありがとう、気休めでも嬉し――って俺、声に出してた?」

「いいえ。ですが顔に『俺は悪い奴だ』と書いてありましたわよ。鈴さんや弾さんにはそのような顔を見せないよう気をつけてくださいな」

「ああ」

 

 セシリアに言われて気合いを入れる。俺は決して誉められないことをしているが、今は必要なことだ。後で謝るとして、やるべきことをしよう。

 今度こそ、ナナたちを守りきる。皆の力を借りてでも……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 某国某所。照明が取り付けられているにもかかわらず意図的に点けられていない薄暗い部屋の光源は複数あるディスプレイの青い光だけ。部屋の主である作業服の男が無精髭をさすりつつ面倒くさそうにディスプレイと向き合っていた。

 入り口の自動ドアが開かれる。部屋の主が許可を出さない限り開かない扉であるのだが、主は許可をだしていない。それでも平然と入ってくる人物の心当たりはひとりしかいなかった。作業服の男、ジョナス・ウォーロックは苛立ちを隠さずに訪問者に出迎えの言葉を投げつける。

 

「来やがったか、ヴェーグマン」

「イリタレートの様子を見に来た」

 

 訪問者である銀の長髪の若い男、ヴェーグマンはウォーロックの態度を一切気にかけることなく淡々と進捗を確認する。嫌みを言ったところで通じないと理解しているウォーロックは呆れを隠さずに報告する。

 

「ハバヤが持ち帰ってきた機体は使い物にならないと判断させてもらった。別に修復不可能ってわけじゃねえ。中の遺伝子強化素体に合ってないってことだな」

「それで? 代わりの機体を与えて、どこまで伸びる?」

「ヴェーグマンの施術がどこまで影響を与えるか次第だが、あの個体には他の量産品にはない自意識が生まれてる。アドルフィーネやギドで単一仕様能力が確認されたときと似た状況だから化ける可能性は高い」

「なるほど。では彼女の機体を開発する方向で進めてくれ」

「趣味で造ってたのをそのままあてがうつもりだ。そう時間はかからん」

「部下が優秀で嬉しい限りだ」

 

 ヴェーグマンから“人”を褒める言葉が出てきてウォーロックは目を丸くした。

 

「お前、何かあったのか?」

「質問の意図が理解不能だ」

「今日のことにしてもそうだ。例の“遺跡”を攻撃するようだが、敵に予告するとはどう言った風の吹き回しだ?」

「必要だからだ」

「何にだ? あの遺跡を攻める目的は“篠ノ之論文”のはずだろ? わざわざゲームの体裁を保つ必要なんてない」

 

 ウォーロックは怖くなっていた。今まではヴェーグマンなりの論理で動いていたのに最近の彼はその論理に当てはまっていない。唐突に内通者だと疑われた過去があるが、次に同じ状況になったときに自分が助かる保証がなくなることになる。

 

「論文があるとすれば既に倉持技研に持ち出されているだろう。そちらは別の手を打ってある」

「じゃあ、何のために仕掛けるんだ? マザーアースはISと違ってコピーに手間がかかるから予備なんてない上に破壊されたらそれまでだ。お遊びで使ってんじゃねえ」

「遊び……か。そう思われても仕方ないが否定しておこう」

 

 常に淡々とした調子を崩していなかったヴェーグマンだが変化が現れる。気になったウォーロックがついヴェーグマンの方を向くと、彼の眼は大きく見開かれ、ウォーロックを見つめていた。

 

「私はあの男を真正面から叩き伏せなければならないらしい。私の本能がそう告げているのだ」

 

 背筋が震える。ヴェーグマンの言った“あの男”のことなどウォーロックは知る由もないが、彼は“あの男”に同情したくなった。自分の感じている恐怖を表に出さないように、平然を装って相槌を打つ。“あの男”の話題に触れないように気をつけて。

 

「遺伝子強化素体の本能……ねぇ。遺伝子強化素体たちは人の遺伝子を感じ取るとかオカルトな説も囁かれているが、そんな非論理的なものが存在してると認めざるを得ないのかもな」

「私自身も理論化できていなく、否定する材料もないことだ。一般人の間では“勘”と呼ぶのだったか?」

 

 ヴェーグマンの状態が元に戻りウォーロックはホッとした。すぐさま他へと話題を移して誤魔化しにかかる。

 

「そういえばハバヤの奴はどうした?」

「彼ならばイロジックの捜索に向かった……だが、今日の攻撃にも顔を出すことだろう」

「マネジメントについて素人な俺が言うことじゃないとは思うが、奴は信用していいのか?」

「彼は賢しい。決定的な力を得ぬ限り、私の敵になることはない」

「なるほど。信用ならないってわけか」

 

 ウォーロックは続けて気になっていた動きを確認する。

 

「奴が今のところは働いてるのに、ギドまでイロジック捜索に回してる必要があるのか?」

「ハバヤがイリタレートを回収した時点でギドには帰還命令を出してある。既に次の指令は送った。内容は貴様にも話すつもりはない」

「ちゃんと考えてんならいいんだ。俺は心配性なんでな」

 

 もう話は終わりだろうとウォーロックはディスプレイと向き合ってキーボードを叩き始める。だが意外にもまだ話は続く。

 

「遺伝子強化素体の脱走を手引きした者の足取りだが、日本のミツルギという会社が浮かび上がった。もっとも、企業はただの隠れ蓑で本人は雲隠れしているだろうが」

「そうか。俺には関係ない話だな」

「……そのようだな」

 

 ヴェーグマンが金の眼でウォーロックを観察した後、自分で納得して立ち去った。自動ドアが閉まったところでウォーロックは胸を撫で下ろしていた。



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22 背中合わせの二人 【前編】

 エアハルトの襲撃予告から2時間が経過。

 倉持彩華が“遺産(レガシー)”と呼んでいるドーム状の施設の内部はゴタゴタとしている。

 

「急げ! これは我が社とミューレイの技術競争でもあるのだぞ!」

 

 大半は彩華が連れてきた倉持技研のテストパイロットである。最早企業間の戦争となっていた。

 一部にはツムギの面々の姿も見える。

 大声で周囲に檄を飛ばす彩華――プレイヤーネーム“花火師”の傍らにはシズネがいた。彼女は忙しそうにしている彩華の背を指でチョンチョンと突く。

 

「ん、君か。すまないが見てのとおり私は暇ではないのだ」

 

 彩華は振り向きこそしたもののすぐに部下への指示へ戻ってしまう。冷たい人ではないだけに本当に忙しいことが窺える。

 さて、どうするかとシズネは頭を捻らせた。うーん、と唸ること3秒。結論はすぐに出る。

 

「では報告だけします。私はアカルギでヤイバくんたちを迎えに行くことになりました。ナナちゃんたちのことをよろしくお願いします」

 

 ペコリと頭を下げる。彩華に見られていなくとも礼は欠かさなかった。言うだけ言ったのでシズネは停泊しているアカルギへと向かい始める。

 

「あー、はいはい…………ん?」

 

 軽く聞き流そうとしていた彩華だったがシズネの発言の一部が気になった。

 アカルギでヤイバたちを迎えにいく。

 たしかにアカルギは速い移動手段ではある。しかしマザーアース“ルドラ”に対する切り札になるかもしれない“こちら側のマザーアース”をヤイバの迎えに割いてしまっていいものだろうか。

 

「待ちたまえ、シズネくん! 少年ならば一人で大丈夫だ!」

 

 慌てて呼び止める。アカルギなしで戦えるように準備をしてきた彩華だったが、いざというときの保険は欲しかった。今から出て行ってしまえば、戻ってくる頃には敵軍との戦闘が始まっている。防衛対象のひとつでもあるアカルギを戦場の真っ只中に放り込むのも問題だ。

 シズネは足を止めて振り返る。相変わらず無表情だが、声だけは弾んでいた。

 

「ヤイバくん一人じゃないんです」

 

 一言だけ答えたシズネは早足で立ち去っていった。

 今度は彩華も止めるような真似はしなかった。自分の思い違いに気づいたためだ。

 手元の端末をいじる。ディスプレイに表示させたのは自らがセッティングしたミッションの参加状況。ほとんど集まっていないのは変わらないが、まだヤイバを始めとする見慣れた名前が載っていない。

 

「やれやれ……ギリギリでまとめて来るつもりなのか。お姉さんにぐらいは話を通しておいて欲しいものだ」

 

 彩華は右手で眉間を揉みほぐす。

 疲れていそうな彼女にまたしても声をかける人物が現れた。

 

「そう言うな。一夏は成績こそ悪いが悪知恵は働く。敵を騙すならまずは味方からということだろう」

「なるほど。姉によく似たわけだ」

「自分で言うのもなんだが、私は一夏と違って正攻法の力押ししかできんよ」

 

 彩華の嫌味も正面から受け止めた女性操縦者は既にISを装着している。

 フレームは打鉄。機体カラーは薄紅色。機体名は暮桜という。

 

「では我が社のために、君ご自慢の力押しを見せてくれ」

「倉持技研のことなどどうでもいい。一夏のためというわけでもない。だが結果的にお前たちの益とはなるだろう」

 

 暮桜の操縦者、ブリュンヒルデ。

 世界最強と名高いIS操縦者が参戦を表明する。

 彼女を突き動かす根源は実の弟のためでなく――

 

「束の死の真相。必ず突き止めてみせるさ」

 

 親友の仇討ちであった。

 

 

***

 

 彩華に報告を終えたシズネは遺跡(レガシー)に停泊している戦艦型マザーアース“アカルギ”へとやってきた。レミたち3人の操縦者は既にブリッジで待機している。シズネが号令をかければすぐにでも発進できる状態だ。

 アカルギの入り口に一人の少女が立っている。ツムギのリーダーである文月ナナ。彼女はシズネの姿を見つけると駆け寄ってくる。

 

「頼んだぞ、シズネ」

 

 この一言を伝えるためにナナはここでシズネを待っていた。彼女はヤイバたちの迎えには同行しない。自分たちの帰る場所を守るのを他人任せにはしておけないからだという。

 だが、それは表向きな理由だとシズネは知っている。

 

「ナナちゃんも一緒に行きませんか?」

「私には私の役割というものがある」

 

 シズネが誘ってもナナは首を縦に振らない。残って守りに徹するのが自分の役割だと断言する。

 ならば見送りなどしている場合ではない。彩華たちの戦術を確認しているべきだ。

 シズネは理解している。

 ナナが心からヤイバをアテにしていて、戦闘前に会いたいということ。

 同時に、ヤイバと顔を合わせたくないということ。

 二律背反な感情が合わさった結果がシズネを見送るという行動となったのだとわかっていた。

 

「そうですね。ナナちゃんの役割は戦いに勝利した後にヤイバくんに抱きつくことでした」

「シズネっ!? お、お前はな、何を言っているのだっ!?」

「私はスタイルに自信がある方なのですが、ナナちゃんくらいの胸がないとヤイバくんを癒せそうにないです」

「いくらシズネでも怒るぞ? 大体、私の胸にどんな価値があるというのだ」

「トモキくんを呼んで聞いてみましょうか?」

「やめろ。無駄に戦力を減らすわけにはいかない」

 

 ナナが一人で笑う。

 シズネは相変わらずの無表情のまま。ナナの脇を通ってアカルギの入り口をくぐる。

 

「それでは行ってきますね、ナナちゃん」

「ああ。私たちの希望を連れてきてくれ」

 

 ナナはヤイバのことを“私たちの希望”と言う。

 シズネにそれを否定する気はない。

 だが同時に不安も感じていた。

 ナナを支えている希望が脆いガラス細工なのではないかと。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 全員に弁当を配り終えたところで俺とセシリアは鈴たちの待っている体育館内に戻ってきた。鈴、シャル、ラウラ。いつもの面々で円を作って床に座り込む。

 ちなみに弾は虚さんを探してどこかに行った。土曜日の弾はいつもそんな感じなんだろう。週に一度のことだろうし、俺が邪魔するわけにもいくまい。

 数馬は残念ながら家からの呼び出しでミッションにも参加できない。前々から御手洗家の変わったルールに縛られている数馬だったが、最近は昼にも帰らなくてはいけないことが多くなったように思う。何か家の方で問題を抱えているのだろうか。俺が力になれるとは思えないけど。

 

「お疲れさま、一夏、セシリア」

「思ってたよりも配った量が多かった。何人分だった?」

「ここにいる皆さんを含めて約260人ですわね」

「お、そうなのか」

 

 隣に行儀良く座るセシリアに弁当の数を確認するとすぐに教えてくれた。これが敵への迎撃に参加してくれるおおよその人数となる。

 260人。生徒会長からは午前中の試合に参加していたのがツムギ側が94人、女神解放戦線側が144人と聞いてる。238人中260人ということは11割のプレイヤーが参加してくれるということになる。

 

「って、増えてんじゃねーかっ! 弁当だけ食ってく人がいるとかそういうこと?」

「ご心配なく。試合に遅刻していた人がいただけですわ。皆さんが戦っている間に藍越学園(ここ)を訪れるお寝坊さんな大学生が結構な数いらっしゃいましたし」

「あ、そうなの? なら良かった」

 

 半数は残ってほしいと思っていたが、またもや嬉しい誤算だった。

 午後からのミッションは前回の二の舞にはならないと俺は確信する。

 一安心できた俺はようやく昼飯にありつけそうだった。セシリアが用意してくれた弁当の蓋を開ける。

 ――いや、開ける直前で固まる。

 

「なあ、セシリア」

「なんでしょう?」

「俺のだけお前のお手製とかふざけたことはしてないよな?」

「そうしたかったことは山々ですが、残念ながら時間がありませんでした」

「セシリア……アンタ、今朝ので懲りてないのね」

 

 鈴が食事の手を止めて俺の思いを代弁してくれる。

 言われてしまったセシリアはなぜか得意げだった。

 

「わかっていますわ、鈴さん。たしかに今朝のわたくしは失敗をしました」

 

 セシリアは過ちを認めている。だが反省の色が見られないばかりか、目に闘志が宿っていた。

 

「ですがわたくしは学んだのです! 今できないことがあろうとも、執念とも言える思いを伴った努力を以てすれば、叶わぬ望みなどないのだと! 継続は力なり、ですわ!」

 

 言いたいことはわかる。それはそのままセシリアとISの関係だ。チェルシーさんが被害者となる前のセシリアを知っている俺としては、彼女の考え方の変化は良い傾向なのだと断言できる。

 そうなんだけども……料理がまともになる頃まで俺が無事でいられる保証がない。今朝のを継続的にやられてしまうのはマジで勘弁。

 

「そういえばどうして俺が食わ――」

 

 ふと気になったことを聞こうとしたら、どこからともなくやってきた手によって俺の口が塞がれた。左隣にいた鈴の仕業だ。

 鈴は俺の耳元に口を寄せると小声で話してくる。

 

「アンタねぇ……流石にそれを聞くのは頭おかしいとしか思えないわよ」

 

 俺も小声で返す。

 

「なんでだ? 鈴は事情を知ってるだろうけど、セシリアは日本にいるために俺と仲がいいフリをしなきゃいけない。でも、だからって苦手な料理にまで手を出す必要なんてないだろ? 料理を上達させたいだけなら俺以外にも食ってもらうべきだし」

「そういうことね。あたし、わかっちゃった。アンタ、バカだわ。とりあえずさっきの質問はやめときなさい。いーい?」

「よくわからんがわかった」

 

 内緒話が終了。鈴は元の位置に戻って食事に戻る。俺も弁当の蓋を開けて食べるとしよう。

 鮎の甘露煮を口に運んだタイミングで、黙々と食べていたシャルが箸を休めた。

 

「一夏と鈴って親密な仲なんだね。一夏は二股かけてるの?」

 

 危うく口の中の物を吐き出しそうだった。急いで咀嚼して飲み下す。もっと味わって食べるつもりだったのに……

 

「人聞きの悪いことを言うな! 何を根拠にそんなことを」

「え? だってセシリアと同せ――」

 

 俺は慌てて身を乗り出してシャルの口を塞ぐ。

 周囲を見回す。幸いなことに俺たち以外の誰にも感づかれていないようだ。

 

「すまん、シャル。今のを聞かれると俺は殺されるかもしれない」

 

 きっと俺の最期の言葉は『マシュー、お前もか』だろう。

 

「ごめん、僕が無神経だった。一夏も男の子だもんね。複雑な女性関係を抱えてるんだよね。僕のパパみたいに」

「どうしてだろう? シャルの親父さんのことを全くと言っていいほど知らないけど一緒にされたくない気がする」

 

 原因不明なショックを受けて項垂れる俺。

 そんな俺のことなどどうでも良いであろう眼帯娘は自分の分の食事をすませてしまっていた。彼女は口元を布巾で拭いてから別の話題を入れてくれる。救いだった。

 

「次の相手はエアハルトか。厄介な相手だ」

 

 ラウラが出した名前は俺が勝たなくてはならない“敵”。

 今わかっているのは、世界5位の実力者がIllを操って集団昏睡事件の糸を引いているということ。

 まだ奴は実力の底を見せていない。

 

「エアハルトの国籍はドイツとなっていますが、ラウラさんは彼のことを知っていますの?」

 

 俺の知らない新情報をセシリアがなんでもないことのように話す。

 エアハルトはドイツ国籍らしい。ラウラもドイツ国籍だから何かしらの接点がある可能性がある。

 しかしラウラは首を横に振った。

 

「私が知っていることは皆と変わらない。少なくともエアハルトはドイツの軍人でないことだけは確かだ。そもそもランキングに表示されている国籍などアテにならない」

「そうですか。エアハルトの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)の情報が得られればと思いましたが仕方ありませんわ」

 

 セシリアが目に見えて落胆する。エアハルトはドイツ国籍という情報だけで追えるような相手じゃなかったってことだ。

 とりあえず俺はセシリアの思考についていけていない部分があるので聞いてみることにする。

 

「エアハルトはワンオフ・アビリティを持っているのか?」

「持っていなければ5位に入っていないと断言させていただきますわ。ランカーはワンオフ・アビリティ持ちプレイヤーの巣窟で、中でも10位以内は国家代表ばかりです。モンド・グロッソでも強力な能力を前面に押し出していました。エアハルトにもそれらに匹敵する能力があると考えるのが自然でしょう」

 

 たしかに。確証はなくてもワンオフ・アビリティが無いと考えて戦いに臨むよりはあることを想定しておくべきだ。

 一体、エアハルトはどんな能力を持っているのだろうか。

 ……そもそもワンオフ・アビリティってどんなのがあるんだ?

 

「一夏さん、説明を入れましょうか?」

「頼む……」

 

 俺が首を捻ると即座にセシリアが申し出てくる。まだ何も言っていないし、クロッシング・アクセスをしているわけでもないけど彼女に色々と見透かされているのは良くあることだ。

 俺だけでなく全員がセシリア先生の講義に耳を傾ける。

 

「基本からいきましょう。ワンオフ・アビリティとはISコアの自己進化機能によって生まれる特殊能力のことですわ。機体や装備の性能に変化をもたらすものが主ですが、稀にIS以外のことに作用する超能力のようなものも現れることがあるようです」

 

 超能力といえば以前に宍戸に見せてもらったモンド・グロッソの試合はISVSとは思えない映像だった。今思えば俺とイルミナントの戦いも似たようなものだった気もする。だからセシリアのいう超能力はまた別の定義だろう。

 

「勘違いされやすいことですが、ワンオフ・アビリティは機体に発現するものではなく操縦者に発現するものです。一夏さんがブリュンヒルデのイスカを手に入れたところで“零落白夜”が使えるというわけではありません」

「え、そうなの? てっきりワンオフ・アビリティが生まれたイスカを国家代表に与えてるんだと思ってた」

「ワンオフ・アビリティを手に入れたプレイヤーが国家代表になっているという認識に改めてください。一度でも能力が発現すれば、以降は機体を選ばずに同様の効果が得られます」

 

 なるほど。ワンオフ・アビリティは操縦者の才能の一部ってわけか。

 

「今、セシリアが言ったのはISVSにおけるワンオフ・アビリティの説明だ。実物のISの場合、同様の能力が現れることは確実だがすぐに使えるわけではない。ISコアが操縦者に慣れる時間が必要となる」

 

 ラウラによる補足が入る。しかしこれに関しては俺には関係なさそうだ。俺が現実のISを使うなんてことがあるわけない。

 セシリアが説明を再開する。今度はワンオフ・アビリティの区分について。

 

「ワンオフ・アビリティは3つに大別されます。1つはイレギュラーブート。操縦者の意志、または特定の条件を満たすことで発動するコマンド型の能力ですわ」

「必殺技ってことよね!」

「あながちハズレではありませんわね……」

 

 鈴の相槌にセシリアは呆れを隠さないが否定はしなかった。ちなみに俺も鈴と同じことを思っていたりする。

 

「イレギュラーブートに該当するワンオフ・アビリティは、わたくしの“星霜真理”が当てはまりますわね。発動条件はわたくしの任意。能力の内容は大雑把に言うとコア・ネットワーク上の全てのISの情報を取得するというものです。わからない情報もあるので万能というわけではありませんが」

 

 セシリアのワンオフ・アビリティはクロッシング・アクセスしたときに体験させてもらったから大体わかる。周囲のISの位置情報や装備情報が丸裸も同然だった。あれがセシリアの普段からみている景色なのだと思うと、つくづく敵に回したくない。

 

「他には日本代表の“零落白夜”、ドイツ代表の“天光翅翼(てんこうしよく)”などが挙げられますわね。どちらの国家代表も能力を主軸にした戦闘スタイルを確立しています」

 

 その2人の試合は見たことがある。ドイツ代表はイルミナント以上の密度で様々なEN属性攻撃を出現させていたし、日本代表であるブリュンヒルデは物理ブレード1振りでEN属性攻撃を打ち消していた。俺の知ってるISVSの常識が通用しない無茶苦茶な戦闘だった。

 

「次はパラノーマル。イレギュラーブートと違い、常に効果を発揮するワンオフ・アビリティですわ」

「純粋に機体能力を向上させるものが多いんだよね?」

「その通りですわ、シャルロットさん。一夏さんの身近な例を挙げると、ナナさんの“絢爛舞踏”が該当します」

 

 なんだかんだでセシリアが説明している間は箸を休めなかった俺だったが、食事の手を止める。

 

「ナナがワンオフ持ち!?」

「一夏さんは知らなかったみたいですわね。ナナさんの絢爛舞踏は『サプライエネルギーを無制限に使用できる』というもので判明している全てのワンオフ・アビリティの中でも破格の性能です」

「え? ちょっとそれは強すぎない?」

 

 シャルが目を丸くさせている。彼女のことだから今の一瞬で1対1で戦うシミュレーションでもしてみたんだろう。だがサプライエネルギーが無制限に使えるということは、ENブラスターをいくらでも撃てるなどの攻撃面の隙のなさはもちろんのこと、アーマーブレイクさせても通常通りに動くことができて回復も一瞬で終わる。ISVSの理想ともいえる戦い方をするシャルの戦術のことごとくがワンオフ・アビリティひとつで止められる。

 言われてみれば自然なことだ。俺と会うまでナナはほぼ一人でツムギを守ってきていた。それぐらいの裏付けがなければ無理に決まってる。

 

「弾さんのお言葉を借りると、ISVSは不平等です。ワンオフ・アビリティも含めてナナさんのお力と受け止めるべきでしょう」

「そっか……全ランカーを打倒してもまだ終わりじゃないんだね」

 

 先は長いな、とシャルがボソッと漏らしていた。コイツは一体どこを目指しているんだろうか。最強となる前にフランスの国家代表にでもなれよと心から思う。

 

「パラノーマルには絢爛舞踏の他にもアメリカ代表の“戦型一陣(せんけいいちじん)”や我らがイギリス国家代表の“銃殺書庫(じゅうさつしょこ)”などがあります」

「イギリスのやつ、物騒な名前だなっ!?」

「わかっていますわ……やはりイメージ回復のためにはわたくしが国家代表になるしか!」

「無理だ。アリーナの1対1形式だとセシリアはこの中で最も弱い」

 

 国家代表になるという夢を語ったセシリアをラウラがバッサリと斬り捨てる。セシリアは反論を一切せずにガクリと項垂れた。下を向いたままぶつぶつと独り言を始める。

 

「……どうせわたくしは一人では何もできなくて、一般の方に“ちょろいさん”なんて渾名を付けられるような女ですわ。顔と体型で世間に受け入れられていただけの勘違いな箱入り娘ですわ。チェルシーのことにしても一夏さんがいなければわたくしは何もできなかったですし、助けるはずだったツムギの皆さんに励まされるような誠に残念な代表候補生(笑)なのですわ。そもそも努力といっても――」

「ストーーーップ!」

 

 俺は慌てて大声を出す。ラウラの一言はセシリアのトラウマを刺激するものだったようだ。俺の知らないセシリアがそこにいる。俺だけでなく他の女子3人も急変したセシリアに動揺せざるを得ないようだ。

 

「――一人前と胸を張れる方がおかしいのです。誰かさんのように張る胸を増量こそしていませんが。他人を利用して立ち回っているわたくしはやはり代表候補生として相応しくないのでしょう。信じてくれているチェルシーやジョージには申し訳ない思いでいっぱいですわ。これではオルコット家の未来は――」

 

 まだセシリアの自虐が止まらない。

 聞いてて耐えられなくなった俺は実力行使に出る。

 セシリアがダメ人間だったら、俺は一体何なんだよ?

 俺はセシリアの肩を掴んで強引にこちらを向かせた。

 

「俺だってセシリアがいないとダメなんだよっ!」

 

 俺の声は体育館中に響いていた。

 体育館内はシーンと静まりかえっている。この沈黙が凄まじく恥ずかしかった。

 止まった時間を動かしたのはセシリア。彼女はふふふっと愉快そうに笑う。

 

「わかってますわ。一夏さんは寂しがり屋ですもの」

「ぐあっ! 俺に恥ずかしいセリフを言わせるためだけの罠か!」

 

 また俺はセシリアの演技に引っかけられたらしい。そういうことにしておこう。

 体育館内に正常な時間が戻り、再び喧騒に包まれる。鈴たちも通常運転に戻り、早速鈴が口を開く。

 

「ねえ、セシリア。なんかあたし、軽く喧嘩を売られた気がするんだけど?」

「気のせいですわ。それとも、鈴さんには何か心当たりでも?」

「うぐっ!」

 

 なんと俺だけでなく鈴にも何かを仕掛けていたらしい。セシリアの背後に『ウケケケ』と笑っている悪魔が見える気がする。

 脱線した話がようやく落ち着いた。

 なんだかんだで全員が食事を終える。そのタイミングで弾と虚さんがやってきた。あと、ついでに仮面サーファー……たっちゃんさんも一緒にいたが彼女だけ体育館の外へと出て行った。

 

「よう、一夏。向こうでバンガードたちがフリプ(※フリープレイの略)やってるから見に行かね?」

「いや、俺はここでセシリアの話を聞いてるから遠慮しとく」

「そのセシリアがいないのにか?」

「え?」

 

 ついさっきまでセシリアがいた場所を見れば、そこには誰もいない。周りを見回しても見あたらなかった。

 

「何も言わずに外に出てったわよ」

 

 鈴が言うには俺が弾に気を取られているうちにさっさといなくなったとのこと。

 まだ説明が途中だったのに……ワンオフ・アビリティの種類、最後の1つは何なんだ?

 気になるところだが、彼女が黙って動いたということは緊急性のある何かがあるからだろう。仕方がない。弾の誘いに乗ってフリー対戦の様子を見に行こう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 体育館の入り口から出てきたセシリアはすぐに人を探した。彼女の追う人物は人混みの中に紛れたところで見失うことはそうそうありえない。大した苦労もなくセシリアは目的の後ろ姿を発見し、声をかける。

 

「そこの仮面のお方。ちょっとよろしくて?」

 

 仮面の女性が振り返る。一夏が“たっちゃんさん”と呼んでいるプレイヤーだ。鼻より上は仮面によって隠れていてセシリアからは彼女がどんな表情をしているのか口元を見てしか判断できない。現状は無表情。返事もなかった。

 

「一夏さんに執着されていたようですので、先ほどはわたくしたちの話の輪に加わってくるものだと思っていました。しかし、あなたはそうしなかった。理由をお聞かせ願えますか?」

 

 セシリアの脈絡のない問いかけ。

 仮面の女性――更識楯無は無愛想に答える。

 

「どこで何をしようと私の勝手でしょ?」

 

 その返答は想定通りであったのか、セシリアは二の句を継ぐ。

 

「そういうわけにもいきませんわ。液体に擬態するBTナノマシン“アクア・クリスタル”を操る13位のランカー“カティーナ・サラスキー”。あなたは日本国籍プレイヤー2位の実力者であるにもかかわらず代表候補生となってはいません」

「その通りね。でもそれがどうしたの? ドイツやアメリカも2位は代表候補生じゃないわ」

「ドイツの2位は男性ですから無理もありません。そして、アメリカの2位が代表候補生でない理由は表に出したくない人物だからですわ」

 

 楯無の反論も即座に切り返す。セシリアの本題はここから先だった。

 

「あなたもアメリカ2位の人物と似た立場なのでしょう。いえ、もしかしたら逆の立場かもしれませんが。違いますか? 更識家の現当主、更識楯無さん?」

 

 セシリアは確信を持って彼女の名を呼ぶ。

 

「……どこから漏れたのか不思議で仕方がないわ。五反田くん? それとも、たけちゃんがまたポカやった?」

 

 楯無も誤魔化すことはなかった。

 彼女の一挙手一投足を注意深く観察するセシリアは後ろ手に隠している携帯端末の操作を開始する。

 

「どちらとも、というのが正解ですわね。昨日は念のため、一夏さんに近しい方々には秘密裏に護衛を付けていました。その結果、更識という家に辿りついたわけです」

「なるほどね。イギリスの諜報員相手だとたけちゃんじゃ太刀打ちできないのも無理ないわ」

 

 正体を知られた楯無の口元は笑っていた。

 セシリアにしてみればひたすら不気味だった。楯無の考えが読めないまま、強引な手段に出るべきか思考を巡らせる。

 

「どうするの? さっきからずっと監視してる黒服連中に私を取り押さえさせるの?」

 

 セシリアの手はバレていた。今回のイベントのみ、藍越学園の中はオルコット家が警備している。

 楯無にとって今日の藍越学園は最悪のアウェー。にもかかわらず彼女は涼しい顔をしている。仮面で上半分が隠れていてもわかるほどに。

 

「さっきの質問の答えを言ってあげる。私が虚ちゃんたちから離れた理由は、一夏くんとあなたが居たからよ。現にあなたは私が楯無だからって警戒してる。だから私の判断は間違ってなかったわ」

「その仮面はやはり一夏さんに顔を見られないためということですわね?」

「そうよ。ここで問題。私はなぜ一夏くんに顔を見られたくないのでしょう? そして、私はなぜ今日の試合に参加したのでしょう?」

 

 今度は楯無からの問いかけ。

 しかしセシリアは答えを持ち合わせていない。そもそもそれが聞きたくて追ってきたようなものだ。

 セシリアが答えあぐねていると楯無が解答を発表する。

 

「答えはね、私が一夏くんの敵なんかじゃないってことを思い知ってもらうためよ。もう今の一夏くんには口で言っても伝わらないって五反田くんが言ってた。回りくどいけどわかりやすい手段を取るしかない」

「弾さんはあなたが楯無だと知ってましたの?」

「うーん……ちょっとセシリアちゃんの頭が固いわねぇ。まず、言っておきたいんだけど、あなたと一夏くんの中で“楯無”は何人居るかしら?」

 

 楯無の解答発表の途中、セシリアの割り込みに楯無は質問を返した。

 “楯無”は何人いるか?

 セシリアはようやく簡単な答えを導き出す。

 

「あなたとは別に楯無を名乗るプレイヤーがいる?」

「そういうこと。といっても私が言っただけじゃまだ確証はないでしょ? 五反田くんが信じてくれているのは虚ちゃんのおかげでしかないし。一度、鈴音って子を人質みたいに扱っちゃったこともあって、一夏くんには口で言っても信用を得られそうにないのよ」

「わかりました。あなたの目的は女神解放戦線との試合でなく、この次なのですね?」

「わかってもらえて嬉しいわ。悪いけど、一夏くんには黙っててもらえないかしら? それまでは私のことをいくら監視しててもいいから」

「了解しましたわ。あなたが味方であることを祈っております」

 

 話は終わった。セシリアは頭を下げて一夏の元へと戻ることにする。

 道中、セシリアは楯無について考えていた。

 楯無に指摘されたとおり頭が固かった。

 ISVSでヤイバを襲った楯無と現実で一夏を襲った楯無。同じ顔と同じ名前であるように見えて、実際は違うプレイヤーネームの2人。

 サベージのように違うイスカを使っていた可能性がないことはない。しかし、午前中の試合での楯無の戦いぶりをみる限り、ヤイバ相手に苦戦するとは思えない。わざわざ本気ではない装備でヤイバと戦う必要などなかったはずである。

 今思えば別人と考える方が自然だった。そうでなかった理由はセシリアに植え付けられた先入観にある。

 セシリアは一夏のためにIllに関係する可能性が高い噂を調査していた。その結果出てきた“水を纏う槍使い”の情報が、“カティーナ・サラスキー”の過去の装備と被っていた。敵である可能性をイメージとして刷り込まれていた。

 “銀の福音”の時と同じ手口にひっかかっていたと気づき、セシリアは己の成長のなさに呆れるしかなかった。

 

「一夏さんには……落ち着いてから話すとしましょう。今は楯無さんの提案に従うのが吉ですわね」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミッションに向かう時間である午後1時半まではまだ時間がある。それまでは筐体をフリー対戦用に解放していて、藍越学園に集まったプレイヤーたちが好き勝手に対戦をしていた。鈴とシャルの2人はその中に混ざっていったが、残った俺たちは外のモニターで観戦するだけに徹している。

 弾と虚さんは2人でバンガードの試合を見ている。

 俺も同じ試合を見ようと思ったがその前にラウラと話しておきたかった。

 

「なあ、ラウラ。お前も昼からのミッションに参加していいのか?」

 

 ラウラはサベージとアーヴィンの試合を観戦したまま答えてくれる。

 

「ヤイバは私を必要としている。そうだろう?」

「それはそうだけど……ドイツ軍人が倉持技研とミューレイの諍いに加わって問題ないのか?」

「心配するな。私の上官からも『休暇中でも好きにISVSをプレイして良い』と許可が出ている。他に命令が出ない限り問題はない」

「割と自由なんだな。ラウラの上官ってどんな人?」

 

 ここまで目を合わせずに話していたラウラが初めて俺を見る。

 

「准将はシュヴァルツェ・ハーゼ創設の責任者だ。現状ではISの絶対数が少ないこともあり、軍内部にはIS操縦者で構成された大部隊など必要ないという考えの人が多い。だが准将は、いずれISが量産されて既存のシステムが悉く過去の物になると主張している」

「アントラスとは真逆の思想の持ち主ってこと?」

「たしかにあの人はIS推進派の筆頭だな。シュヴァルツェ・ハーゼ設立当時は軍内部にも敵が多かった。部下の私から見ても無茶ばかりする人だと思う。少しは自分の立場を考えろと言ってやりたい」

「ほほう。ラウラは上官さんのことが心配でたまらない、と」

「その通りだ。否定する気にもならん」

 

 ラウラは鼻で笑いつつも笑顔を見せる。

 俺がラウラと話をしたかった本当の理由は今朝の彼女の寝言が気になったからだった。

 俺の左腕に必死に掴まっていた彼女は『置いていかないで』と言った。それは過去に置いてけぼりにされたことのある奴だから言えることだと思う。

 今はどうなのか知りたかったのだが杞憂だった。上官との関係が悪いわけじゃないらしいし、以前に会った部下の人もラウラのために必死だったから俺が心配することなんて何もない。

 

「じゃあ、昼からも期待させてもらうぜ?」

「任せておけ」

 

 俺の方から話を打ち切るとラウラはサベージの試合の観戦に戻る。

 ちらっと見てみれば、あらゆる方位から迫る8本のBTソードをサベージが全て避けているところだった。サベージは『俺が本気を出せば簡単にはやられない』とか言っていたが十分に納得できる。

 今、ラウラがこの試合に見入っているのは倒しきれなかった悔しさ故にだろうか。

 

 ラウラのことはそのまま置いといて、次は弾たちに混ざってみる。特に目的はない暇つぶしだ。虚さんと2人きりになどという配慮なんてしてやらない。

 

「うっへぇ……うちの生徒会長ってあんなに強かったのか」

 

 弾が感嘆の声を漏らす。俺も試合を見てみるが同じ感想だ。

 リベレーターVSバンガードの一騎打ち。ステージを変えながら5連戦しているが、今のところの戦績は4対1とのこと。バンガードが先に1勝してからあとはずっと会長のターンらしい。

 

「ちらっと聞いた話だけど、会長は3日前に始めたばっからしいな」

「やめろ、一夏……聞いてて悲しくなってくる」

「悲観する必要はないです、弾さん。リベレーターの操縦技術はたしかに高度なものですが、バンガードを圧倒している理由はISVSの技能に関係ない駆け引きの上手さからでしょう。決して付け焼刃ではありません」

 

 しょげる弾の背中を虚さんが優しく撫でている。その姿を羨ましく思うと同時に世の不条理を嘆きたくなった。

 本当にどうして俺ばっかり標的にされるんだろうねぇ!

 さっきまで俺の隣にいたのがラウラでなく鈴だったらまた何か言われていたのだろうか。午前中の試合に勝ったところでアレが無くなるわけじゃないんだよなぁ。

 

「虚さんの言うとおりか。バンガードは強引に攻めるタイプのプレイヤーだから連続で対戦してれば読まれやすいに決まってる。ってか負け続けて熱くなり過ぎてるな」

 

 弾も落ち着いて見始めたようだ。

 会長が連勝してる理由は弾の言ったとおり、バンガードの弱点を突いているからである。俺が試合でやっていたことと同じだ。

 会長の本当の怖さは相手の人となりを一瞬で見極めるところなんだけど、わざわざ俺が弾に言うことでもないだろう。

 

「弾も会長に挑戦してきたらどうだ?」

「魅力的な提案だがパス」

「理由は?」

「土曜日だからだ」

 

 土曜日=虚さんとデート。なるほど。

 ちなみに傍で聞いてる虚さんは弾の言った意味を理解してないみたいだ。

 

 そんな感じでまったりと俺たち3人は過ごしていた。ラウラはいつの間にか離れてしまっていた。

 そこへ見覚えのない人たちが近づいてくるのに気がつく。

 人数にして3人……いや、2人の女子と一匹の巨大エビ(?)。

 たっちゃんさんで珍妙な格好に慣れたつもりだったが、あまりにも場違いなエビの着ぐるみには戸惑いを隠せない。

 

「弾。なんかこっちに来るんだけど、対応は任せた」

「待て、一夏。こういうときは大抵お前が目当てだ。あと、1人はうちの高校の同級生だぞ?」

「え? 誰?」

「女子ハンドボール部の相川だ。って言っても知らねえか。一夏は高校に入学してから最近までずっとコミュ障のフリしてたし」

「ひでえ。別にフリじゃねえし、理由は知ってるだろ?」

 

 言われて思い出す。

 俺は半年もの間、鈴、弾、数馬の3人としか付き合いがなかった。それはきっと鈴に指摘されたように自分自身への罰みたいなもの。箒がそんなこと望んでないってわかっていても、俺は周囲と一定以上の距離を置いていた。

 今の俺は違う。自分をいくら虐めたところで箒が帰ってくるわけじゃない。箒を救い出すために何をすべきかが見えている。

 だから俺がすべきことは力を貸してくれる人たちと握手を交わすことだ。

 

 向かって左側にいるショートヘアの子が相川さん、右側のおさげの子が推定“7月のサマーデビル”、エビの着ぐるみが“伊勢怪人”だと弾が教えてくれた。なるほど、あの着ぐるみは伊勢エビがモチーフなのか。

 そういえばマシューが言ってたけど伊勢怪人は86位のランカーらしい。そんなとんでもない相手がいるのに良く勝てたよな、俺たち。

 

 俺は意を決して彼女たちの行動を待った。

 だが彼女たちの興味は俺などではなかった。

 そして、弾でもない。

 

「お話があります、布仏先輩」

 

 彼女たちのリーダー格と思われるサマーデビルが虚さんの前に立った。試合の時に見せていた破天荒さなど微塵も感じさせない真剣な眼差しを虚さんに向ける。

 俺は彼女から嫌な空気を感じ取った。彼女自身を嫌うという意味でなく、嫌な予感の類である。俺と顔を見合わせた弾もきっと同じだったろう。

 虚さんだけは俺たちと違って彼女の目的を察しているようだった。

 

「お久しぶりです、谷本さん。まさかあなたと鏡さんがこの場に来るとは思っていませんでした」

「それはこちらのセリフです。私たちはいつまでも塞ぎ込んでちゃいけないと思って、今日という機会にいつもの私たちを取り戻そうとしたんです。じゃないと“本音”が帰ってきたときに、あの子が悲しむと思うから」

 

 俺は弾の肩を掴んで彼女たちから離れ、彼女たちに聞かれないようにこっそりと弾に確認する。

 もう嫌な予感が的中しているとしか思えなかった。

 

「本音っていうのは文字通りの意味じゃなくて、人の名前だろ? それも虚さん関係のだ」

「虚さんの妹の名前だ。今はお前の大切な彼女と同じ病院に入院してる」

「それが弾の戦う理由なんだな」

「ああ」

 

 ここまで情報が揃えば理解できた。

 虚さんが谷本さんと呼んでいた彼女は本音という子の友達で、他の2人も同じつながり。

 彼女たちはしばらくの間ISVSに顔を出していなかったらしいが当たり前だ。少し前の俺と同じようにゲームを楽しむ気になれなかったのだ。

 俺の場合はISVSに答えがあるとわかって前を向いた。彼女たちは進む方向もわからないまま、前を向こうとしたのだろう。俺よりも強い子たちだな。

 

「布仏先輩はどうしてここにいるんですか?」

「本音を探しているんです」

「本音は入院してます! こんなところにいませんよっ!」

 

 俺はこういうときどうすればいいんだろう?

 虚さんにしろ谷本さんにしろ、俺は彼女たちが求めている答えを知っている。

 本音という子はIllに囚われているのだ、と。

 だがそれを伝えてしまっていいのだろうか。

 知ったところで、探すアテもない。ISVSは広いため虱潰しに探したところで途方もない。俺と違って、より絶望するかもしれない。

 

 

「本音ちゃんはISVSのどこかにいる」

 

 

 俺が彼女たちのやりとりを見ているしかできずにいると、弾が前に進み出た。Illについて話すつもりなのか?

 

「信じられないかもしれないけど、彼女は3ヶ月もの間、ずっとISVSに閉じこめられている。だから彼女を閉じこめている奴をなんとかすれば入院している彼女は目を覚ますはずなんだ」

「五反田もあの噂を知ってるんだ……私は半信半疑だったんだけど、信憑性はどんくらい?」

 

 ここにきて相川さんが口を出してくる。あの噂とは集団昏睡事件に関するものに違いない。俺たちがイルミナントを倒してから目覚めた被害者によって、噂は大きく広がっていたはずだ。

 

「信憑性も何も俺たちは噂の化け物と戦ったことがある。な、一夏?」

「お、おう」

「なるほどねー。ってことは鈴音が病気で入院してたって話も実はそれ関係?」

 

 相川さんが鋭い指摘を挟んでくる。

 ここで弾が何かに気づいたようで八ッとする。

 

「そういうことか。お前は最初からそのつもりでサマーデビルと伊勢怪人さんの2人をISVSに引き戻したわけだな」

「確証はなかったけどね」

「清香。本音のことがわかったってこと?」

 

 弾と相川さんのやりとりについていけていない谷本さんが問いかけた。

 相川さんは谷本さんに向けて親指をぐっと立てる。

 

「私たちにも本音を助けるためにできることがあるってことよ!」

 

 それはISVSで化け物を倒すことである。わざわざそのことまで伝える必要はなかった。

 きっと谷本さんは自分にもできることがあるという事実だけで気が楽になっただろうから。

 

 弾が谷本さんたちに俺たちのこれまでの経緯の説明をし始める。

 俺が直接戦ったわけではないが、彼女たちの強さは試合で戦ってわかっている。Illと戦うための事情もある。きっと心強い味方となってくれることだろう。

 同い年の女子が危険な目に遭うかもしれないというのに、喜ばしいことだと感じている俺の心はどこか壊れてしまったのかもしれないな。

 

(かんざし)お嬢様にもお知らせするべきだったかもしれません」

 

 隣で谷本さんたちを見つめている虚さんが独り言を漏らす。

 何かがひっかかるが答えとしては出てこなかった。

 

 

***

 

 ミッション開始時刻となった。

 藍越学園に集まったプレイヤー総勢260人はISVS内の海岸に集結していた。ラピスが見せてくれた地図によれば、ツムギの本拠地に最も近い陸地なのだという。直接現地に転送できない理由は俺たちがゲートジャマーを設置したからだ。

 

「織斑くん。ミッションの概要によればここは戦場ではないようだけど、この後はどうするんだい?」

 

 生徒会長の質問に対して俺は指さすことで回答する。

 

「あれに乗っていきます」

 

 指さした先を会長が見たタイミングで、海中からアカルギが飛び出してきた。そのまま空を飛んでくると俺たちの頭上で停止し、ゆっくりと降りてくる。

 アカルギは無事に着陸。艦底の入り口が開かれた。

 

「よし! 順次、乗ってってくれ!」

 

 乗り込むように指示を出す。

 ブーイングの嵐だった。

 

「おい、織斑! これ1隻だけか!?」

「いくらなんでもこの人数は無理じゃね?」

「男女は分けられないんですか!」

「ちくしょうっ! 何で俺は鈴ちゃんの近くじゃないんだよォ!」

「よっしゃ! シャルロットちゃんと密着でき……アバターは男じゃん!? だが、それがい――ぎゃああ!」

 

 口々に文句を言いながらもなんだかんだで乗り込んでくれた。

 何人か妙なことを言っている気がするが気のせいということにしておこう。開始前から戦闘不能で離脱したプレイヤーなんて最初から居なかったんだ。

 

 プレイヤーたちが騒々しくアカルギに乗り込んでいくのを俺は見守る。

 隣にはブリッジから降りてきていたシズネさんがいる。

 

「賑やかですね」

「ごめんな。緊張感の欠片もなくて」

「いえ。皆さんのこうした姿は私たちの活力となります。可哀想って目で見られることの方が嫌です」

 

 シズネさんは相変わらず表情の変化が乏しい。

 俺はいつもそんなシズネさんに振り回されている。

 だからこそ感じた違和感というべきだろうか。

 

「シズネさん……何かあった?」

「何もありません。そのはずなんです」

 

 シズネさんはポーカーフェイスだが嘘が苦手な人だ。

 いつものシズネさんなら『ヤイバくんは緊張感が服を着て芸をしてるような人ですよね』とか『流石はヤイバくん。女の子の些細な変化も見逃しません』みたいな反応に困ることを言ってきそうなものだが今日は明らかに違う。

 何もないわけがない。そして『そのはず』だなどと自分に言い聞かせている。

 

「俺にも言えない?」

「何をでしょうか?」

 

 今までシズネさんは自分のことならば抵抗なく話してくれていた。

 彼女が隠そうとすることとなると、思い当たる事柄はひとつ。

 

「ナナに何かあったんだろ?」

「そうだとしても私にはわかりませんね」

 

 このまま平行線が続きそうだった。この場は諦めるとしよう。

 俺が会ってないうちにナナに何かあったんだとしても直接会って確かめればいい。

 

「プレイヤーの皆さんが乗り込み終えたようです。私たちも行きましょう」

「ああ」

 

 準備ができた。今は目の前の戦いに集中しなければ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 午後2時。

 ツムギ拠点の真上に浮かぶナナは南方の水平線上に黒い粒の群れを視認する。拡大してみれば、それらひとつひとつが黒い球体に手足を生やしたような形の機械であった。前回の襲撃者と同じだ。

 

「来たか。今は雑兵しか見えんが、あの巨大兵器が姿を見せるのも時間の問題だろうな」

 

 ナナの独り言の通りに敵が動く。進軍してくる黒い球体群の後方。海中から6本の腕を生やした巨大正八面体が現れた。正八面体が割れ、中心部から砲塔が伸びる。ISなしに直視すれば目を焼かれそうなほどの光量を持つエネルギーが砲内部に収束していく。

 

「デカいのが来るぞ!」

 

 ナナが叫ぶ。

 正八面体の正体は砲撃型マザーアース“ルドラ”。

 その砲撃は遺産(レガシー)であるツムギの基地も破壊することが可能と予想されるほどの威力を持っている。

 前回はナナが紅椿を盾にしてなんとか防いだ攻撃だ。今回も同じことができないことはないが、それをやってしまうと紅椿は戦闘不能となる。

 

「安心したまえ。来るとわかっている攻撃を防げぬなど、倉持技研にあってはならない」

 

 ナナに答える声があった。倉持技研の研究所の1つを任されている倉持彩華――プレイヤーネーム“花火師”である。

 花火師は部下の操縦者たちに号令を下す。

 

「総員、対長距離砲撃防御陣形! 前衛、“不動岩山”展開!」

 

 ツムギ拠点ドームの南方には打鉄の部隊が整然と並んでいる。等間隔に配置された全ての打鉄は皆一様に大型のシールドユニットを背負っており、花火師の号令によって一斉に展開される。

 登録容量を度外視したユニオンスタイル専用シールドユニット“不動岩山”。背中から伸びる機械腕に取り付けられている大型ENシールドは雪片弐型並のEN消費があり、使用中は移動も攻撃もできない。

 シールドの展開時間は出力によって決まる。防ぐことができるギリギリの攻撃を受けた場合、エネルギー配分を誤れば打ち破られることとなる。

 計25体の打鉄が不動岩山を起動。隙間無く広がった光の盾はドーム南方を覆い尽くしていた。

 

 ルドラの砲口が光の奔流を放つ。

 空気を裂く咆哮によって戦端が開かれることとなった。

 矛と盾が洋上で火花を散らす。海面が衝撃波によって激しく波打った。

 盾は一歩も退かず。矛が進めないまま、光の帯は細く小さくなっていく。打鉄は全機が健在とまではいかなかったが、耐えきっていた。

 開幕は倉持技研の意地が勝利した。

 

「動かざること、山の如し。花火師印の4文字装備を舐めてもらっては困る」

「次も防げるとは限らないがな」

 

 いい気になっている花火師にナナが水を差す。当然、花火師も承知の上のこと。

 

「防御要員はレガシーに着陸して回復に専念。攻撃要員は敵マザーアース“ルドラ”の攻略を開始せよ」

 

 花火師が部下に命令を下す。さらにこう付け加えられた。

 

「攻撃部隊の指揮はラピスラズリに委譲する」

 

 北方向より接近する巨大な機影がある。識別信号はアカルギ。ヤイバたちが駆けつけたのだ。

 ナナもツムギのメンバーに声をかける。

 

「我々は近づいてくる雑兵を片づけるのが仕事だ! 最前線でないとはいえ、決して油断はするな!」

「了解!」

 

 最後にナナは小さく呟く。

 

「任せたぞ。ヤイバ、ラピス」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アカルギからもルドラの攻撃は見えていた。事前に全プレイヤーにその威力は知らされていたのだが、倉持技研は耐えきってみせた。アカルギ内は歓声に包まれている。

 

「安心するのはまだ早い! 役割分担は最初に言った通りだ! 全軍出撃!」

 

 真っ先にヤイバが空へと体を投げ出し、空中で白式を展開。彼はナナたちのいるツムギ拠点へと飛んでいく。その後にリベレーターやカティーナが続く。

 

「ようし! あたしらも行くわよ!」

 

 リンは別方向へと飛び出した。向かおうとする先にはルドラ。リンにとってこれはリベンジである。

 前回は戦闘後も勝利したと勘違いしていたリン。しかし、昨夜にセシリアからは実質的な敗北であったと伝えられた。順調だと思っていたのは自分だけでヤイバは水面下で苦しんでいた。リンは自分を許せない。

 

「バンガード! あたしを乗せなさい!」

「ま、任せろ!」

 

 リンはバンガードの機体“ラセンオー”の背部大型ブースターに飛び乗る。

 

「バレット。あたしらは一足先に仕掛けるから後続の指揮は任せたわ」

「元々、お前は指揮官じゃないだろが……さっさと行ってこい」

「うん、行ってくる。ハイヨー、ラセンオー!」

「リンちゃん!? 俺って馬扱い!?」

「考え方を変えるんだ、バンガード。お前が馬なんじゃなくて、リンちゃんがお前に馬乗りになるんだよ」

「流石だな、ベルゼブブ! やばいくらいテンション上がってキタァア!」

「ぎゃあああああ! アンタら、いい加減にしなさーいっ!」

 

 鞭の代わりにPICCのない拳骨を入れられてバンガードは発進した。

 バレットは無駄に騒々しい彼女らを呆れながら見送る。

 

「人の生き死にがかかってるかもしれないってのに呑気な奴らだぜ」

「でも弾さんはこれがISVSのあるべき姿だと思っています」

「まあ、そうなんですけど……アイさん、俺のことは今はバレットでお願いします」

「わかりました。バレットさんの好きなロールプレイでいきましょう」

 

 クスクスと微笑むアイと共にバレットも出撃する。

 目標は敵軍の要であるルドラ。アレを破壊すれば敵側に決定力がなくなり、防衛側の勝利となる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 バンガードに乗ったリンが先陣を切る。

 全速力でルドラへと向かうバンガードの周囲にはスピードを抑えたユニオン・ファイター部隊が付く。約1名のみフルスキンで音速域の特攻に付いてきているプレイヤーも居たりするが彼は特殊なので他プレイヤーは真似できない。

 リンたちの動きに反応した敵軍は黒い球体の軍団の一部を差し向けてきていた。不格好で鈍重そうな敵だが思いの外俊敏であり、戦闘は避けられそうにない。

 ミッション前にラピスから伝えられた情報によれば、この手足の生えた黒い球体はミューレイの最新型リミテッドであり、“ベルグフォルク”という名前である。攻撃面では通常のISと大差ないところまで来ているという驚異的な性能のリミテッドであった。

 

「出来ればザコに接触せずにデカブツに近づきたかったんだけどこれは無理ね」

 

 リンがバンガードから降りて戦闘を開始しようとしたときであった。

 彼女の前を飛ぶ男が待ったをかける。

 

「リンちゃん。こういうときこそ、俺の出番だぜ?」

 

 サベージが武器も持たずに告げる。彼の拡張領域には武器が一切入っていない。

 

「アンタ、武器も無しで何言って……ってよく考えたらいつも通りだったわ」

 

 リンは呆れを隠さない。

 サベージが普段装備しているスナイパーライフルは攻撃用でなく観賞用だ。持っていても持っていなくてもどうでもよいのである。彼が武器らしい武器を持ったのはベルゼブブとして戦っているときのマシンガンくらいなものだ。

 彼が今回、武器を持っていないのには実は真面目な理由があった。エネルギー効率が決して良いとはいえないシルフィードフレームで先頭に付いていくためには、ギリギリまでサプライエネルギーの供給能力を高める必要があったからである。おかげで拡張領域に武器を積む余裕は一切ない。

 

「よし、任せたわ」

「おつかれー」

「リンちゃんのためだ。死んでも囮となり続けるがいい」

「心配するな。リンちゃんは俺たちが見守っている。安心して踊ってろ」

 

 仲間たちは口々にサベージを応援してはさっさと迂回ルートへと飛んでいく。

 最後にはポツーンと残されるサベージだけが残った。

 

「え? 俺ひとり? マジでか……」

 

 一緒に戦うと言われた矢先の仕打ちがこれである。

 だがサベージは少しもへこたれてはいない。

 むしろ、その瞳は燃えていた。

 

「リンちゃんが俺に任せるって言ってくれた。だったら俺はやられない……国家代表とかの相手は無理だけど」

 

 サベージは敵の真っ只中に飛び込んだ。

 一斉に向けられるベルグフォルクたちの銃口。サベージにはそれらひとつひとつが鮮明に見えている。

 ショットガンが多数。次点がアサルトカノン。EN属性武器はなく、誘導重視のミサイルも多数。

 普段は自分で行なっている武器分析。

 しかし、今回は自分の力ではないおまけが付いていた。

 ラピスによる攻撃予測。サベージの広すぎる視界には弾道予測とタイミングまで表示されていた。普段よりも圧倒的に数が多いが、遙かにイージーモードであった。

 

「あざっす。これなら生き残ることは簡単だ。だけど――」

 

 サベージはラピスの指示から外れる軌道を通る。被弾覚悟ともとれる危険なコースをわざわざ選んでいた。

 

「今日は逃げるだけじゃダメなんだ」

 

 サベージを取り囲んだ敵軍から一斉射撃が放たれる。面で制圧してくる射撃の嵐の中をひらりひらりと漂うようにサベージは存在した。

 敵の第2波。今度は敵が狙ったわけではなく、サベージが狙わせたもの。攻撃を見切って避けるのは当然であり、サベージの真の狙いは別にあった。

 外れた攻撃は悉く敵軍に命中していく。空間を飽和させるためのミサイルはサベージの現在位置を追ってしまうために誘導され、攻撃と防御の両方に利用される。

 

「ここまで同士討ちが上手くいくとか、相当頭の悪いAIを積んでるみたいだな」

 

 ベルグフォルクたちの中身はプレイヤーではない。統率のとれた部隊ではあるが、動きが一致しすぎていた。故に外乱もなく予測が簡単なため、サベージにとってはラピスの支援がなくとも最初からイージーモードだった。

 サベージは武器を持たずしてベルグフォルクの部隊を半壊させた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 サベージの活躍は後続のバレットたちにも伝わっている。彼らが追いついた頃には攻撃能力の大半を失った絞りカスのようなリミテッド部隊が残っているだけでサベージはリンを追いかけて先に向かった後である。

 

「おーい、これじゃつまんねーぞ、バレットー」

 

 残党の始末だけしかやることがなく、バレットに苦情が入る。

 

「気持ちはわかるが、この“ベルグフォルク”っていうリミテッドはまともに相手してられないくらいに堅いのが特徴なんだ。サベージに感謝しとくとこだぞ」

 

 言っている矢先に海中からベルグフォルクの部隊が浮上してきた。その数は100を越えている。バレットたちは60人ちょっとであるため、数の上で不利だった。

 

「変なこと言うから来ちまったじゃねえか」

 

 バレットはグレネードランチャーとミサイルで攻撃を開始する。直進するグレネード弾は避けられたが、上空からのミサイルは全弾が命中した。しかし、球体の装甲が若干ひしゃげた程度であまり効いていない。これまでのリミテッドならば間違いなく倒せていたのだが、ベルグフォルクはフルスキンのIS並に堅い。

 バレットが倒しきれなかった個体の傍にいつの間にかアイの姿があった。更識の忍びと恐れられる彼女。左手のインターセプターで表面の装甲を切り開き、右手のブレードスライサーを隙間に差し込んでこじ開ける。そのまま内部に切っ先を向けて、イグニッションブースト。ベルグフォルクは胴体に大穴を開けた後、バラバラに砕け散る。

 

「解体できましたが手間取りました」

「あ、アイさん……すごいっすね。俺もやってやる!」

 

 速さだけが取り柄で火力不足という評価を受けているシルフィードフレームの方が大きな戦果を挙げていた。負けてはいられない、とバレットは自分を奮い立たせる。

 ショットガンを向けてくる敵にマシンガンを乱射する。破壊できずとも銃口を逸らすことはでき、バレットは動かずして攻撃を回避した。その判断が下せたのはラピスの補助あってのことである。

 さらにバレットは敵の胴体にハンドレッドラムで定点射撃を行なう。集弾の悪いマシンガンの癖を長く使ってきて把握しているバレットだからこそできる芸当。装甲に穴が開いたところへグレネードランチャーをぶっ放す。

 距離が近い上にマシンガンを連続で当てた直後は機動性が低くなる。問題なく命中したグレネード弾によって、ベルグフォルクは貫通した穴を中心にして吹き飛んだ。

 

 ほかのプレイヤーたちも独自の戦闘でベルグフォルクたちを倒していく。

 防御性能が高いリミテッドの大量投入によって優位に立つ敵軍という構図は優秀なプレイヤーたちによって形勢が傾きつつある。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ユニオン・ファイターの装備で出撃しているシャルルがラウラを乗せて移動している。

 彼女たちの向かう先はルドラ。先陣を切ったリンたちを目立たせていたのはラウラという本命を横からぶつけるためである。BTが関わらなければなんでもこなせるシャルルは単独でルドラに接近する大役を自分から買って出ていた。

 

「目標まで残り5kmを切った。敵リミテッドの姿は見られない。予定通り内部に潜入して敵主砲の破壊を行なう」

「じゃあ、突っ込むよ、ラウラ」

 

 ヤイバの信頼するエース2人がルドラを射程圏内に捉えた。

 敵マザーアースに取り付くのも時間の問題である。

 もう勝利が見えた。

 セシリアからの通信が入ったのは、その矢先であった。

 

『ルドラ後方に複数のISコアの反応! これは――新たなマザーアースですわ!』

 

 通信は敵に新手が出現したことを全員に報せるもの。

 2機目はたしかに厄介だが、シャルルは軌道と速度を変更せずルドラへと向かう。まずは1機でも確実に減らさなくてはならないからこその判断だった。だが、

 

「シャルロット……すまない」

 

 唐突にラウラがシャルルを突き飛ばした。ラウラはシャルルから離れ、ルドラではなく2機目のマザーアースである“黒い戦艦”へと飛んでいく。

 

「ラウラ! どうしたの!?」

「すまない……」

 

 返答は謝罪のみ。声色からは不本意であることが十分に伝わってくる。これはつまり、ラウラの判断自体はシャルルと同じものだったことになる。

 ラウラが自分の意志を唐突に捨てた理由。デュノア社のために戦っているシャルルは自分と重ねることで理解した。

 

「わかった。あとは僕に任せて」

 

 シャルルは単独でルドラへと向かう。

 ルドラの左方から攻め込む。射程に入ったところで大型ミサイル“マックノート”を2発射出する。なお、マックノートはデュノア社製ではない。

 ルドラはシャルル迎撃のために旋回するような真似はせず、左側の腕を動かす。左側3本のうち、一番上の腕の指先がミサイルに向けられた。指先にはガトリングガン。弾丸の雨がミサイルを襲い、2発とも破壊される。

 迎撃は想定の範囲内。シャルルは既に次の行動に移っていた。回り込むようにしてガトリングのついた最上段の手首へと特攻する。両手には巨大な杭。

 

「はあああ!」

 

 声を張り上げながら両手を前に突き出す。接触の瞬間にトリガーを引くとシャルルの腕以上の太さの杭が2本、ルドラの手首に打ち込まれた。手首が粉砕され、ガトリングガンを内蔵した手が海へと落ちていく。

 大型シールドピアース“グランドスラム”。これもまたデュノア社製ではない。これが意味するところ。それはミッション開始前からシャルルは手段を選ぶつもりがないという決意の表れだ。

 

「ちょっとミスしちゃった。アメリカ代表みたいにジャストタイミングとはいかないかぁ」

 

 今の一撃で両腕のグランドスラムが故障する。ほんの一瞬の遅れにより、衝突時にダメージが入ってしまっていた。不調を抱えたまま起動した高火力武器はただ1度の使用で自壊する。

 シールドピアースを失った。まだシャルルの足は止まっていない。背中のブースターの出力を上げて、中心部の砲身へと突撃する。

 だがルドラの左腕は2本残っている。中段の手がシャルルと主砲の間に割って入り、手の平からENシールドを展開。下段の手は同様にENシールドを展開してシャルルの後方から迫る。ENシールド2枚でシャルルを潰す構えだ。

 シャルルは単純な方向転換をしない。背中のメインブースターを切り離して、自分だけ予定していたコースから離脱する。ルドラの腕は両方ともシャルルを潰そうと追いかけた。

 装備の大半を失った絶体絶命のピンチ。にもかかわらずシャルルに焦りはない。

 彼女の視線の先には切り離したメインブースター。装甲がパラパラとめくれていき、内部からは流線型のデカブツが出現する。

 

「盾で攻撃するのもいいけど、守りを疎かにしたら本末転倒だよ」

 

 メインブースターだった代物の名は“星火燎原”。

 倉持彩香が『ISが使うミサイルの最高火力をどこまで高められるか』というテーマで開発した風林火山装備のひとつ。万全な状態のISに対しては集束型ENブラスター“イクリプス”に火力で劣るという結論が出てしまっているが、攻撃範囲は他の追随を許さない。ユニオンスタイルの集合体であるマザーアースには効果覿面の兵器である。

 ルドラは自分からミサイルの迎撃を放棄した。マザーアースといえどISの集合体であるため人が操縦している。いかに強力な装備があったところで、使う者の判断を誤らせれば勝機は見える。相手の弱いところを突くシャルルの戦術が上手く嵌まっていた。

 

 空気が揺れる。ただ1発のミサイルとは思えない衝撃波がまき散らされ、光と炎と音が周囲の目と耳を封じる。

 侵略すること、火の如し。爆発にこだわりを持っている倉持彩香自慢の一品はISを戦場ごと焼き尽くす。

 自分の攻撃の余波でシャルルは吹き飛ばされる。それすらも計算の範囲内。ルドラの腕の攻撃範囲から離脱することに成功している。あとは主砲発射不可能となったルドラを確認してシャルルの目的は達成できたといえた。

 だが、爆煙が消えた後、シャルルは思っていなかった光景を目にすることとなる。

 

「届いてない……?」

 

 シャルルは目を見開いた。今の一撃でルドラの左腕は3本とも破壊できた。だが肝心の本体は全くの無傷。透明なヴェールがルドラ本体を覆っており、空気との屈折率の違いからルドラが歪んで見えていた。

 

「水。いや、アクア・クリスタルだ。これほど大規模な運用ができるプレイヤーはカティーナ・サラスキーしか知らないけど、ラピスの話だと彼女は今、ヤイバの近くにいるはず」

 

 ルドラを守ったものは水でできたカーテン。本物の水というわけでなく、水に擬態しているBTナノマシン“アクア・クリスタル”で組み上げた盾である。使用するにはBT適性とは別に相性というべき才能が必要であり、使用できるプレイヤーの数はBTビット使いよりも少ない。実戦で扱いこなせるプレイヤーは13位のランカー“カティーナ・サラスキー”しかいないとされている。

 水のカーテンが撤去される。排水溝に流れていくようにカーテンの中心へとアクア・クリスタルが回収されると、そこに存在する機体の姿がハッキリと確認できた。

 右手には“蒼流旋”というランスを持っている。回収したアクア・クリスタルの一部をドレスのように纏い、本体の装甲はディバイドの中でも少ない方だ。他に装備は見当たらない。この装備構成はシャルルの知るカティーナ・サラスキーのものと同じである。

 初めて見る相手のはずだった。しかし、シャルルは相手の顔を見たことがある。それはヤイバとともに蜘蛛の目撃現場にいったときのこと。

 

「それが本気装備ってことかな。てっきりヤイバの方に現れると思ってたけど、こっちに来るんだったら容赦はしないよ」

 

 グランドスラムも星火燎原も失って満身創痍であるはずのシャルルの顔にはまだ余裕の色が窺える。

 武器ならばまだある。圧倒的な武器の豊富さこそがシャルルの持ち味であり、どう努力しても他者には追いつけない領域にまで足を踏み入れていた。

 シャルルはコンソールを開く。どのISでも統一されているレイアウトのはずであるが、シャルルのそれには専用の項目が存在していた。

 装備の一覧の上部に『フォルダA』と書かれたタブがある。左にはデフォルト、右にはフォルダBとフォルダCという同様のタブがあり、シャルルはデフォルトを選択する。

 

「“転身装束(てんしんしょうぞく)”。起動(ブート)

 

 機体に指示を下す。発動条件を満たした“リヴァイヴ・テンペート”は単一仕様能力を起動する。

 ほぼ装備を失い、装甲の大部分が大破した機体はシャルル本人を残して消失する。傍目にはISを失ったプレイヤーという状態となるがその時間は1秒と続かない。

 光の粒子が手足に集まったかと思うと瞬時に装甲が形成される。それらはシャルルが普段装備しているラファールリヴァイヴ改Ⅱのものであった。次々とシャルルに装甲が装着されていく。非固定浮遊部位であるシールドウィングまでが具現化すると、ユニオン・ファイターではなくディバイドスタイルのラファールリヴァイヴが存在していた。

 これがシャルルのワンオフ・アビリティ。拡張領域系イレギュラーブート“転身装束”である。ISコアの拡張領域が4つ存在し、それぞれに装備を設定。それらを切り替えることで実質的に他ISの4倍の装備を持つことができる。ただし、それぞれ独立した拡張領域であるため、拡張領域間を越えて装備を組み合わせることはできない。

 あくまで切り替えの能力である。それぞれの拡張領域のことをフォルダとして分けているのだが、フォルダの切り替えには一定の時間がかかり、その間は無防備となることも欠点。また、切り替え時に消耗したストックエネルギーが回復することもない。

 単純に武装が増える転身装束だが、最大のメリットは戦闘継続能力ではない。フォルダ切り替えの際にスタイルも瞬時に切り替わるという点こそが最も大きな武器となる。

 通常、ユニオンスタイルが容量オーバー装備を全て切り離(パージ)してもフルスキンやディバイドスタイルに切り替わるには30分程度かかる。シャルルの転身装束にはその30分が存在せず、フォルダごとのスタイルで即時に戦えるという特徴がある。

 つまり、今のシャルルは強敵を前にして満身創痍になっているわけではない。むしろいつもどおりの装備に切り替えたことで全力で戦える状態となっていた。

 

「まだ風は吹く。夜になるには早いよ」

 

 夕暮れの風が空を駆ける。



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23 背中合わせの二人 【後編】

 ルドラ主砲のエネルギー充填率は70%と推察される。

 最もルドラに近づけたラウラ&シャルルコンビは直前でラウラが戦闘を放棄したため、シャルルが単独でルドラへ向かっている。しかし彼女ひとりでマザーアースを攻略することは困難を極める。

 リンの率いる戦闘機部隊はベルグフォルク部隊と交戦。1部隊が100機単位であるため、少数であるリンたちでは突破に多大な時間がかかる。サベージが追いつくまで足止めされることはほぼ確定。

 バレット率いる部隊もベルグフォルクに手を焼いている。ルドラまでの距離を考えるとバレットたちは次弾の発射までにルドラを無効化することは不可能。

 倉持技研の部隊と合流したリベレーター率いる部隊はベルグフォルクの大部隊と衝突している。この戦力はもはや囮としてしか機能しない。ベルグフォルクは強すぎることはないが、時間を稼ぐことに関しては優秀なリミテッドといえた。

 ベルグフォルクはただのリミテッドではなくIllであるとラピスは思っているのだが確証はない。それに今はそのようなことはどうでもよかった。ルドラを破壊することこそが重要なのである。

 

 今、手の空いている戦力はツムギの防衛に回っているヤイバと蒼天騎士団だけ。敵の狙いがツムギである以上、この戦力を動かすことは危険だった。同様の理由で“防衛部隊の最高戦力”もルドラへの攻撃に回せない。

 敵の新しいマザーアースへの対策も立たないまま、状況はさらに動く。

 

「ヤイバさん。エアハルトが現れましたわ」

『了解。すぐに向かう』

 

 予定通りヤイバにはエアハルトの相手をしてもらう。ヤイバ以外の選択肢はあったが敵の底が見えるまで使いたくはなかった。

 だが戦闘が常に自分たちの思い通りになるわけがない。

 

『ラピス! 楯無だ!』

 

 このタイミングで“敵の楯無”が現れた。予想できなかったわけではない。対策はある。

 問題はフリーになるエアハルトの方。ラピスは切り札の一つを切ることにする。

 

「お願いしますわ。“ブリュンヒルデ”さん」

『頼まれずとも私が迎え撃つつもりだった。敵の中枢に近い男ならば私の知りたいことも知っているだろう』

 

 通信越しに、それも自分に向けられていない殺気を感じてラピスは背筋が凍る。

 何はともあれ、どうにか形になった。不確定要素は沈黙を続ける2機目のマザーアース。間違いなく長距離砲を備えているため、ルドラと続けて連射されればツムギは落とされる。なんとか回復した倉持の防御部隊が防げるのもあと1発が限度と予想される。

 

 ラピスは全体を観察する。どこか膠着状態が解ければ手の打ちようがある。早く。早く。ラピスは祈る。

 状況は動いた。それも予想外なところで。

 

「エアハルトがフリーに……?」

 

 ブリュンヒルデがエアハルトでない機体に足止めを食らっていた。星霜真理が示す情報ではブリュンヒルデは単独で戦闘機動をしているように映る。

 状況を理解したが認めたくはなかった。ラピスは確認する。

 

「ブリュンヒルデさん! 何があったのですか!?」

 

 ラピスに対して返ってきたのは一言。

 

『黒い甲冑が現れた』

 

 黒い甲冑。ラピスの集めた情報の中にあったIllかもしれない噂のひとつ“大剣の一振りで遠く離れたISを打ち落とす甲冑騎士”のことだと思い至る。星霜真理のデータを踏まえてもブリュンヒルデの前に現れたのはIllに間違いない。

 ラピスの脳裏にはイルミナントの姿が蘇る。ワンオフ・アビリティに目覚めたヤイバであっても単独で倒すことは適わなかった。実力はあってもルーキーであったヤイバと世界最強のプレイヤーを比較するべきではないところだが、ブリュンヒルデといえどもIllを短時間で倒すとは考えられなかった。

 

「蒼天騎士団は全軍でエアハルトを撃退してください」

『はっ!』

 

 次々と現れる敵戦力。前回と比較して十分な戦力を揃えても、ほとんど余裕はない。

 間もなくルドラの第2射が放たれる。アカルギの主砲という手は残しているが、有効射程に入れるには制空権を握っていない領域までアカルギを単艦で出さざるを得ない。リスクが大きく、動かすわけにはいかなかった。

 第2射も防ぎきれる保証はない。あと1手が足りない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 エアハルトの相手は俺がしなければならない。だというのに俺の前に別の敵が立ちはだかっていた。

 楯無。過去3回、俺の前に敵として現れては逃げていく謎の敵。蜘蛛のときといい、今回といい、Illやエアハルトとつながりがあることは確実だった。

 捕まえて聞きたいことはある。だけど今は、

 

「お前の相手をしている暇はない!」

「私は……お前を、倒す!」

 

 雪片弐型で斬りつける。楯無は左手のENクローで受けてきた。

 面と向かい合ってわかるのは、彼女の鋭い視線だ。激しい憎悪が俺に向けられている。

 何故かは考えるまでもないだろう。俺は彼女の敵だからだ。

 

「ラピス! エアハルトはどうなってる?」

『現在、蒼天騎士団全員で迎撃に当たらせていますが……』

 

 目の前の楯無よりも俺が気にしているのはエアハルトの動き。

 今回の戦闘において、奴はルドラでツムギを破壊するつもりではない。俺の直感はそう告げている。最初の砲撃も防がれること前提で発射している上に、ルドラの防備を固めているのもこちらの戦力の大多数を釘付けにするためだ。

 マザーアースを囮にしてエアハルトが何をするのか。

 奴の狙いはナナしか考えられない。

 マシューに直接通信をつなぐ。

 

「聞こえるか、マシュー」

『用件は手短にお願いします! 今、忙しいので!』

 

 楯無の相手に蒼天騎士団を何人か回して欲しいと思ったのだが、後方にいるはずのマシューが忙しいという。おそらく既に蒼天騎士団はエアハルトにしてやられている。人数をこちらに割く余裕はないだろう。最初から俺に何人か付けておくべきだったか。こうなればマシューに頼むしかない。たとえ時間稼ぎだけであっても。

 

「奴の狙いはナナだ。彼女をラピスだと思って死守しろ」

『了解です! うわっ! 危ない……』

 

 一体、何分保たせることができるか……

 通信を終えたところでENブレード同士の鍔迫り合いを拒否する。距離が開き、楯無は背中に浮遊しているミサイルの発射口をフルオープンした。

 ミサイルが発射される。俺はとうに逃げ出していたが、ミサイルの方が速い。射撃で撃ち落とせない俺はこういうとき、誘導ミサイルの旋回の限界を見極めて回避するのだが、このミサイルは旋回でなく一時停止から急旋回して再加速してきた。

 不気味な挙動をするこのミサイルはFMS製ではなく、倉持技研製の“山嵐”。自動制御ではFMS製に劣るため、誘導ミサイルとしては“ネビュラ”に軍配が上がるとされている。しかし山嵐だけの特色がある。

 

「BTを織り交ぜたマニュアル操作か」

 

 精度はラピスの偏向射撃に遠く及ばないものの、通常のミサイルとは避け方が変わってくる。

 撃ち落とすか、燃料が切れるまで逃げ続けるしかない。残念ながら俺の場合は後者一択となる。

 ラピスに撃ち落として欲しいところだったが、彼女の偏向射撃支援は他に向けられている。おそらくは蒼天騎士団の支援。エアハルトが相手ではこちらも頼むと無理を言えない。

 

 俺がミサイルと戯れている間でも楯無は他の攻撃をする余裕があるようだ。両脇に備えている荷電粒子砲“春雷”が俺に狙いを定めてきている。

 放たれる閃光。春雷に注意を向けていたため、一応は避けることができた。だが、俺はサベージみたいに周囲の全てを把握する目を持っていない。

 

「ぐっ――」

 

 背中に山嵐が1発命中する。ISにとって一度の被弾が致命的になることがある。今のような状況では1発当たれば他も次々と当てられてしまう。事実、白式は俺の思った通りに動かない。

 ミサイルが俺に迫る。

 

「くそっ! こんな奴に手間取ってる暇なんてないのに!」

 

 自分に不満をぶつける。

 頭の中は『早くナナの元へ行かなくては』で埋められていた。

 

 そんなときである。

 

「ダメよ。熱血もいいけど、男の子はクールさも備えてなきゃね」

 

 女の人の声がしたと同時に、全てのミサイルが俺に届くことなく爆散した。

 援軍がきた。俺はそれが誰かを考えずに探し、振り袖のISを見つける。

 

「ありがとうございます! ここは任せていいで、す……」

 

 言い方は悪いが、俺は楯無の相手をその人に押しつけようとした。しかし、言い切る前に彼女の顔を見た俺は硬直する。

 俺が固まってしまった理由は2つある。

 1つは彼女が“たっちゃんさん”であること。仮面を付けたプレイヤーなんて1人しかいなかった。

 もう1つはたっちゃんさんが俺の目の前で仮面を取り外したこと。アバターとして設定していたわけでなく、ラウラの眼帯のように着脱可能なファッションだったらしい。別に彼女が仮面を外したこと自体はどうでもいいことだ。問題は彼女の顔である。

 

「楯無が……2人……?」

 

 たっちゃんさんの仮面の下には楯無と同じ顔があった。仮面を海に投げ捨てた彼女はいたずらに成功した悪ガキのようなしたり顔を見せる。

 

「一度挨拶をすませてるけど、改めて自己紹介させてもらうわ。私は更識楯無。君たちの追っている集団昏睡事件を調査している女子高生(仮)(かっこかり)よ」

 

 彼女、更識楯無は“敵の楯無”から守るように俺の前へと移動する。無防備な背中を俺に向け、右手の扇子を広げた彼女は簡潔に一言だけ俺に伝えてきた。

 

「偽物の相手は本物に任せなさい。あなたはあなたのすべきことをするの。いいわね?」

「わかりました!」

 

 俺は即答する。突然、たっちゃんさんが本物の更識楯無だとか言われたところでピンと来ていないこともある。しかし、彼女が敵ならば今の一瞬で俺を葬ることが出来たはずだ。

 ラピスからの警告もなかった。おそらく彼女は俺よりも楯無のことを理解している。俺に言わなかったのは理由があるんだろう。落ち着いたときにでも聞けばいい。

 俺の道を開いてくれるのなら誰でも良かった。あとは、エアハルトを倒しに向かうだけ。

 楯無2人を置いて、ナナの元へと向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 無数の閃光が飛ぶ戦場。光る軌跡の群れは2つの軍による撃ち合いによるものではない。弾幕を形成しているのは片方のみであり、そもそも戦力比は大きく偏っている。

 数にして22対1。22機のISがただ1機のIS相手に全力で攻撃を加えている。それがこの戦場における開始時の状況だ。

 1分後。8対1となっていた。残されたプレイヤーが広範囲に攻撃をバラまいてもただ1機のISに掠らせることもできていない。

 マシューは圧倒的な実力差を感じずにいられなかった。蒼天騎士団は日本国内でも比較的上位に位置するスフィアである。アメリカ国家代表を擁する“セレスティアルクラウン”との10VS10の試合において相手を半数まで撃墜した実績がある。にもかかわらず、敵のユニオン・ファイターはただ1機のみ、たった1分で蒼天騎士団の実力者たちを半数以上沈めていた。

 

『うわあああ!』

 

 通信をつないでいたメンバーがやられる。転送されることなく下方の海へと墜落していった。

 残り7機となったことにマシューが歯噛みしている間にももう1機落とされる。まるで敵だけがISであり、マシューたちはリミテッドであるかのようだった。

 空気を突き破り、衝撃波をまき散らしながら、竜を模したISがマシューへと向かってくる。右手には大型のENブレード“リンドブルム”。その出力はヤイバの使う“雪片弐型”をも上回る。

 

「姫様! 私が受け止めます! そこへ――」

 

 マシューがラピスに通信を送るが最後まで伝えられなかった。

 彼は両手に装備していたENブレード“クレセント”で受けようとした。出力で劣っていても2振りならば問題なく止められるはずだった。

 だがエアハルトの剣戟は決して単純なものではない。

 

「すみません……名誉団長」

 

 エアハルトの剣はマシューの構えた剣を無視し、すり抜ける際に横から胴体を一閃。絶対防御のコストが大きいポイントを突いている。シールドバリア性能の低いティアーズフレームでさらにフルスキンスタイルの機体では一撃で落ちる。所持していたENブレードから光が消え、マシューは海へと落下していった。

 

 

 マシューが落とされてから全滅までも早く、空にはエアハルトしかいない。ラピスの偏向射撃だけは飛んでいるが、エアハルトには正確に斬り払われるため一撃も当てられていなかった。

 誰もいなくなった空の戦場。ただひとり残されたエアハルトは眼下のドームを見下ろす。そこには彼の目的である紅の少女がいる。

 

「あの男はまだ来ないか。ならば先に娘をいただこう」

 

 エアハルトは背中のブースターを点火し、空へと舞い上がる。大きく旋回をしている間もエアハルトの目は少女、ナナを注視する。ここまでエアハルトが攻めてきていて彼女が何もしないわけがない。ナナは両手の刀を前に突き出すと非固定浮遊部位である可変ユニットも合体して巨大なクロスボウガンが完成する。

 天に向けて放たれた紅の光が空を二分する。紅の進む先にはエアハルト。直撃コースであったが、エアハルトはリンドブルムで光線を叩き斬る。ENブレードで高出力のENブラスターを消滅させることはできないが、軌道を逸らすことくらいはできていた。

 

「あの可変装備の種類はENブラスターでしかない。ルドラの荷電粒子砲を防いだ盾。今の砲撃。あと考えられる形態はENブレード。種さえ把握すれば対処は容易だ。強力な攻撃も当たらなければ問題はない」

 

 ナナしか持っていない装備の分析。エアハルトは“技術者”として紅椿がどのような機体なのか思考する。

 

「特異な点としては出力が高すぎる点が挙げられる。普通のISならば今の攻撃の後ではサプライエネルギーが不足してまともに飛べず墜落することだろう。現状の開発技術では再現が不可能な機体性能。なるほど。それがあの娘の力か」

 

 ワンオフ・アビリティ“絢爛舞踏”の存在にまで行き着いた。シャルロットでさえ攻略が困難としていたナナの機体スペックを把握したエアハルト。彼の感想はただ一言のみ。

 

「問題はない」

 

 己の実力による慢心などではなく、事実として口に出していた。

 急降下を始める。エアハルトの行動に反応した“プレイヤーではないIS”たちがエアハルトに立ち向かってくる。どれもエアハルトが警戒するような相手ではない。ただ飛び込んで斬り捨てていくだけ。

 1機、また1機と散っていく。エアハルトにとって彼らの生死などどうでもよく、戦闘不能にだけして目的へと接近する。

 

「貴様ーっ!」

 

 ここで状況がエアハルトにとって都合のよい方向に傾く。

 ナナが痺れを切らして飛び出したのだ。

 彼女の右手の刀から8本のビームが放たれるも、エアハルトは速度を落とさずに間をすり抜ける。

 接近戦の間合い。ナナの二刀とエアハルトの大剣が交差する。

 

「う……あ」

 

 リンドブルムは止まらなかった。ナナの右手の刀“雨月”の刀身を折り、そのまま右腕の装甲と右の翼を抉りとる。

 エアハルトはリンドブルムの刃を消し、慣性航行をPICの再起動で無効化。次の加速のため再び高空へ上がろうとブースターを噴かす。

 

 高速が取り柄の機体が静止した一瞬。エアハルトは自分を狩るハンターの存在に気がついた。守るために立ちはだかっていたISとは違う、エアハルトを落とすための存在だ。ドームの頂上。AICスナイパーキャノン“撃鉄”を構える狙撃手がそこにいる。

 同じタイミングでエアハルトを取り囲んでいた蒼の閃光の群も殺到する。

 BTの偏向射撃に対してはリンドブルムを使う必要がある。本体機動のみでの回避は困難。

 AICキャノンはリンドブルムでは消滅させられない。避ける必要がある。

 ナナを囮とした長距離狙撃による罠はリンドブルムとスラスターとPICを3つ同時に使えないというエアハルトの弱点を突いていた。

 

「大した人材を集めてくれたものだ。やはりあの男は……」

 

 エアハルトの機体“ドラグーンヴェイル”には1基の大型ブースターと6基の小型ブースターが付けられている。小型のうち2基にエネルギーを送り込んだ直後で切り離し(パージ)。他のブースターは停止させてリンドブルムに刃を出現させる。

 蒼の光が殺到する。これすらもエアハルトにENブレードを使わせるための囮。足を止めさせるための布石だった。エアハルトは理解した上でENブレードを振り回す。その場で乱回転して蒼いビームの全てを薙ぎ払った。

 エアハルトは直ちにリンドブルムの刃を消す。その場から飛び退く用意だ。罠を仕掛けた者の計算ではエアハルトの離脱は間に合わない。それはエアハルトの簡単な試算でも同様である。

 だが完璧なタイミングで弾が届かなければ意味がない。

 AICキャノンの砲弾はエアハルトが切り離した小型ブースターに命中。貫通はしたものの軌道が大きく逸れたため、命中することはなかった。

 絶体絶命に陥るはずの罠をも蹂躙してみせ、エアハルトは空へと舞い戻る。狙いは半壊した紅椿を纏ったナナ。

 

「いくら秀でていようと人間の範疇。我々人類を超越した者たち(アドヴァンスド)には及ばない」

 

 無慈悲な竜の牙がナナへと迫る。

 ナナの機体は右半身が大破しており、まともな迎撃はおろか逃走も不可能。

 上空からの初期加速を終えたエアハルトはPICを一時的に解除し、ブースターの推力と自由落下によってナナに迫る。

 存在がバレている狙撃手やBT偏向射撃ではエアハルトを捉えられず、身を呈したところで壁にもならない。エアハルトを止める者はなく、攻撃の最終工程であるブースターの停止が行われた。あとは慣性で飛んでいき、リンドブルムで斬り払うのみ。悪足掻きといえる偏向射撃が撃たれたが、リンドブルムによって全て薙ぎ払われた。

 ナナは強く目を閉じた。顎を引き体を震わせる。敗北の現実を受け入れられていない。怯える少女を目にしてもエアハルトの心は揺るがない。これで終わりだ、とリンドブルムが振り上げられる。

 躊躇いなどなかった。両機体の接触に合わせてエアハルトは大剣を振るう。

 

 いや。エアハルトのタイミングは若干早かった。それはナナをターゲットにした攻撃ではないことを意味する。

 

「エアハルトォ!」

 

 ギリギリのタイミングでヤイバが駆けつけた。これ以降にチャンスは存在しない。エアハルトのリンドブルムとヤイバの雪片弐型が互いを消してやろうとせめぎ合う。

 

「遅かったな。私は貴様を待っていた」

「だったら俺と正面から勝負しろ!」

「思い違いも甚だしい。私は貴様に勝ちたいのではない。徹底的に打ちのめす必要があるだけだ」

「違いがわかんねえよ!」

 

 再びぶつかる2人。合わせた剣を同時に引き、距離を置く。

 エアハルトは空へと舞い戻る。

 ヤイバはナナを守るようにして彼女の前に立つ。

 右手には雪片弐型。左手にはインターセプター。

 圧倒的な力を持つ竜に蒼き翼の勇者が立ち向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シャルルと別れたラウラはルドラの後方に控えている黒い戦艦へと向かっていた。ベルグフォルクではなく、黒いISの集団が守る戦艦にラウラは俯きながら近づいていく。迎撃は一切行われなかった。

 甲板に着陸し、ISを解除して戦艦の内部へと進入する。手探りで進むわけではなく、確信を持って彼女は戦艦内の通路を歩む。

 辿りついた先には閉じられた自動ドア。ラウラは慣れた所作でロックを解除する。扉が開いた瞬間には暗かった顔を引き締めなおしていた。

 

「クラリッサ! これはどういうことだ!」

 

 入った先は戦艦のブリッジに当たる場所。ラウラの所属する部隊、シュヴァルツェ・ハーゼが所有する最新型マザーアース“シュヴァルツェア・ゲビルゲ”の操作を担当する者たちが集まっている部屋だ。

 6人の操縦士の他に中央の椅子には副隊長のクラリッサ・ハルフォーフが居るはずだった。ラウラ以外にゲビルゲを出撃させるような人物は副隊長以外にあり得ないと思いこんでいたからである。

 だがクラリッサは指揮官席の脇に立っていた。7人居るはずのブリッジにはラウラの他に8人目が存在している。しかも男だ。

 ラウラはブリッジの入り口で立ち尽くす。シュバルツェ・ハーゼは女性のみで編成された部隊であり、本来ならば男がいるはずがない。しかし、1人だけ可能性はあった。

 

「どういうことか、だと? それは私の台詞だとは思わんかね? ボーデヴィッヒ少佐」

 

 椅子から立ち上がった男はISを展開していなく、アバターの軍服を着た状態である。一般男性の平均よりも背が高いのはISVSのアバターだからなどではなく現実と同じだとラウラは知っている。年齢は50を過ぎているが服の上からでも鍛えられた筋肉が衰えていないことがわかるほどの肉体。軍帽を被った偉丈夫の名前は、

 

「バルツェル准将……」

 

 ブルーノ・バルツェル。シュヴァルツェ・ハーゼを設立した総責任者であり、ドイツ軍内部のIS推進派の中心人物。ラウラをシュヴァルツェ・ハーゼに入隊させた張本人でもある。

 強面の上官を前にして萎縮するラウラ。

 バルツェルは彼女に問う。内容は先ほどの彼女と同じ。

 

「では改めて聞こう、少佐。君の現状について説明したまえ」

「はっ!」

 

 形だけでも模範的な敬礼をする。だが彼女の胸の内は模範的な兵士のものとはとても呼べるものではない。

 軸がブレている。何が正しいのかを全て他人任せにしてきたつもりなどなかったラウラだったが、過去に決断を迫られたときは全て軍の意向に従うことばかりだった。それはラウラが上官であるバルツェルを信頼していたからだと言えよう。

 

「ご存じの通り、私は休暇中の身で日本に滞在中です。日本で知り合った少年とともにISVSのミッションを受けました」

 

 ここまではいい。問題は今のシュヴァルツェ・ハーゼの立場だ。

 

「知らぬこととはいえ、本国と敵対する勢力に力を貸してしまいました。申し訳ありません」

 

 説明されずともラウラは理解している。

 ラウラが休暇を取っている間にシュヴァルツェ・ハーゼはミューレイの依頼を受けている。留守を任せたクラリッサが勝手に受けたものではなく、本国からの要請であることもバルツェルが同席していることから察していた。

 ドイツはミューレイに味方する立場を取る。そうなれば、ラウラがどう思っていようとシュヴァルツェ・ハーゼはヤイバの敵となる。ラウラは国を裏切っても行くアテがない。シュヴァルツェ・ハーゼは彼女にとって帰るべき場所だった。

 

「こちらの状況は把握したようだな。では、ゲビルゲと敵対する立場を取らず、ゲビルゲにまでやってきたのはミューレイ側に寝返るためというわけか?」

 

 バルツェルは言いにくいことをハッキリと言ってくる。ラウラは強く歯噛みした後で静かに答える。

 

「……その通りです」

「なるほど。少佐は休暇中に出会った男とゲームに興じていただけであり、その男には我々を裏切ってまで味方するだけの価値がないというわけだな?」

「はい……ヤイバは――」

 

 軍の決定に敵対する意志はない。バルツェルにそう告げるにはヤイバのことを否定しなければならなかった。

 ラウラから見てヤイバは一般人のカテゴリに入っていない。初対面からずっと本能といえる直感が彼のことを特別な人間だと訴えている。直接会って話をして、彼と居ればラウラの過去を知ることにつながるとも思えた。

 何よりヤイバには戦わねばならない理由があることをラウラは知っていた。

 

「ヤイバが? その男がどうしたのだ? 早く言いなさい」

 

 すぐに答えられないラウラは回答を急かされる。

 

「では、復唱したまえ。『ヤイバはISVSをゲームとして遊んでいるだけの一般人であり、軍の決定に逆らってまで彼の味方をするだけの価値がありません』とな。さあ」

 

 バルツェルによって回答のレールが敷かれた。ラウラが少佐となり、シュヴァルツェ・ハーゼの隊長となっているのもバルツェルの敷くレールの上を走ってきたからだ。今回も従えばいいという誘惑がラウラを襲う。

 ここでラウラは思い至った。この場でヤイバたちと敵対する。それはつまり、このまま彼らと戦闘するということになる。

 一番近いのはルドラに攻撃をしているシャルル。上官と部下という関係でない初めての友達。ラウラはそれを友達と呼ぶことすら知らないが、彼女と敵対すると思うと胸が締め付けられるようだった。

 ただ対戦するだけではない。つい先ほどまで背中を預けていた相手を騙し討ちするも同然のことで、その行為は彼女との決別が決定的なものとなる。そんな気がした。だから、

 

「嫌だっ!」

 

 ラウラは口答えをした。軍人としてでなく、友達を持った1人の少女として。

 バルツェルは整えられている顎鬚(あごひげ)を右手でさする。口元には笑みが浮かんでいた。

 

「私に逆らうのか、ボーデヴィッヒ。本国からの正式な要請によりシュヴァルツェ・ハーゼはミューレイ社を支援する必要がある」

「私は……裏切りたくない。シュヴァルツェ・ハーゼも、ヤイバたちのどちらとも」

「裏切るなどと重く考えすぎだ。たかがゲームで何を熱くなる必要がある? 休暇中でできたお友達と今戦ったところでただの対戦であり、実戦で殺し合うわけではない。命令に背く価値などないだろう?」

「違うっ! たしかにISVSはゲームだ。だがしかしっ! ゲームに紛れて悪事を働いている輩がいる!」

「それがミューレイだということか?」

「……そう確信しています。そして、ヤイバたちは奴らと戦っている戦士なのです。彼らにとって、ここは負ければ死が待っている戦場であります」

 

 勢いもあってラウラは己の真実を全て曝け出した。次第に冷静さを取り戻し始めていたが、もう撤回する気はない。目を強く閉じてバルツェルの返答を待つのみ。

 バルツェルはというと終始笑みを絶やさなかった。指揮官用の席に戻るのではなくブリッジの入り口の方へと歩いていき、ラウラの前に立つ。

 

「言い忘れていたが、今の私はラウラと同じ休暇中の身で、ゲームをするついでに職場の人間にちょっかいをかけに来た鬱陶しいだけのおっさんでしかない。たまたま同じくゲームをしていただけの休暇中の部下に会う可能性があったかもしれないが、そうだと気づかないことなど良くあることだ」

「准将……?」

「私は最初に『どういうことだ?』と問うた。それは、命令も無しに何故戻ってきたのか、という意味だったのだ」

 

 ラウラの頭が優しく撫でられる。ゴツゴツとしていて、それでいて柔らかい。ラウラの胸のわだかまりがストンと落ちたような気がした。

 

「ハルフォーフ大尉。いや、クラリッサくん。任務中におじさんの相手をさせて悪かった。指揮を執りたまえ」

 

 バルツェルがクラリッサに明確に指揮権を譲った。クラリッサは短く敬礼を返して、クルーに告げる。

 

「プランBに移行する。ラヴィーネ起動。照準、ドーム型レガシー」

 

 戦艦型マザーアース“シュヴァルツェア・ゲビルゲ”が動き出す。現在位置から移動はせず、艦中心に据えられた巨大な砲身の角度を調整する。

 IS10機分のコアにより発射されるゲビルゲの主砲の名はAICキャノン“ラヴィーネ”。その破壊力はルドラの大型荷電粒子砲に引けを取らない。

 今、ゲビルゲとツムギ、そしてルドラが一直線に並んでいた。

 砲撃管制の隊員が報告する。

 

「射線上に友軍のME(エムイー)(マザーアース)があります」

「こちらの射線にいる方が悪い。構わず撃て。始末書は准将が書いてくださる」

「りょーかいしましたー!」

 

 口ではツムギを狙うと言っているが、照準はルドラの中心部を狙っている。

 ブリッジの空気の変化にラウラはついていけていない。

 

「どういうことだ……?」

「説明はしない。私がラウラの上官として命令することがあるとすれば、君は君の休暇を楽しんできなさい、ということだけだ」

 

 バルツェルはラウラの両肩を掴むと強引に入り口の方を向かせ、軽く背中を押す。

 ラウラは目を閉じる。背中に触れる手の温かさは『お前の大切なものは全てお前と共にある』と言ってくれている気がした。

 もう迷いはない。

 

「行ってきます」

「いってらっしゃい、ラウラ」

 

 

 ラウラはブリッジから飛び出すと来た道を駆け戻り、戦場の空へと帰って行く。その様子をブリッジからバルツェルとクラリッサは見守っていた。

 

「ご自分が休暇中だと隊長相手にしか通じない嘘をついたばかりか、隊長の言葉だけで本国の決定に逆らうだなどと現実主義者なはずの貴方らしくない判断ですね、准将」

「ミューレイの件に関しては私を含めた軍上層部の意見などアテにならんよ。あの子の直感の方がよほど指針となる」

 

 クラリッサは笑う。

 

「親馬鹿を発揮されただけでしょう?」

「断固として否定する。私はラウラの判断が国益にかなうものとしてだな――」

「彼女はボーデヴィッヒ少佐です、バルツェル准将。お間違えなく」

「ぐぬ……」

 

 ラウラと呼んでしまっていることを指摘されてバルツェルは言い返せなくなる。独身を貫いてきていた堅物軍人でも、養子として迎えた子供は可愛い存在ということだった。

 

「ええい! とにかくだ! 私も少佐もこの場には居なかったということにしておけ! いいなっ!」

「はっ! 全隊員に徹底させます!」

 

 ムキになっての恫喝もただの照れ隠しにしか見えず、クラリッサを含めた全ての隊員は笑いを堪えられなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ルドラから見て左の空ではオレンジ色のISと水色の機体が戦闘を続けていた。遭遇してからずっと様子見の射撃を繰り返していたシャルルであるが明確な突破口はまだイメージできていない。ミッションの撃破対象であるルドラを見れば主砲に光が集まりつつある。

 発射まで時間がない。焦りが隠せなかった。

 敵はシャルルに近寄らず、水で形成した十数発の槍を射出する。倒すためでなく時間を稼ぐための牽制だ。シャルルは両手のショットガンで槍を撃ち落とす。やはり追撃は何もない。

 敵の意図は読める。ルドラさえ健在であれば一方的に攻撃を加えられる。シャルルたちが勝利するにはルドラを撃墜する以外にありえない。シャルルから攻めざるを得ない状況だった。アクア・クリスタルを使った罠を使えるのならば相手に攻めてきてもらう方が都合がよい。

 誘っているのは明らか。ルドラに攻撃を加えられる位置にいるのはシャルルだけ。罠があるとわかっていても行くしかない。

 

 装備を入れ替える。右手にはレイン・オブ・サタデイ(ショットガン)。左手にはヴェント(アサルトライフル)。非固定浮遊部位にはミルキーウェイを選択。上空へとミサイルを射出してシャルルは前に出る。

 攻めに転じたシャルル。対する敵もなぜか打って出てきた。ランスを正面に構えて突撃してくる。

 シャルルの想定から若干外れているが修正は容易。左手の装備をブレイドスライサーに持ち替える。変化した状況に即時対応することこそがシャルルの武器。ランスを横から叩いて軌道を逸らし、ショットガンを至近距離でぶっ放す。全弾が顔面にクリーンヒットしていた。

 攻撃が命中した。だというのにシャルルの顔は浮かない。直後、鬼気迫る表情に豹変して飛び退く。

 敵の顔は人の顔の原型をとどめていなかった。下手な粘土細工のように歪んでいるそれは表面だけ取り繕った水である。シャルルが離れると同時に水で出来た人形が爆発する。

 いつ入れ替わったのかは不明だが、アクア・クリスタルで構成した分身であった。

 敵本体を探すと水の分身が持っていたランスを海の上で回収している。目的の1つを達成したシャルルは通信をつなぐ。

 

「ちょこっとだけルドラから引き離せたけどどう?」

『星霜真理には映りませんわ。お気をつけて。それはIllです』

 

 ラピスから情報を得る。知りたかった情報は相手の正体。ルドラの近くでは他のISコアに紛れて確定はできなかったが、少しでも離せば確信にまで至れる。

 

「気をつけて、か。パパには『お前は何もするな』としか言われないから新鮮だなぁ」

 

 通信は切り、独り言を漏らす。

 ここで先ほど撃ったミルキーウェイが落ちてくるが槍のIllは散布していたアクア・クリスタルを爆発させることで誘爆させて迎撃する。

 

「小細工は通じそうにないか。だからといって足を止める気はないけどさ。僕にはアレを倒さなきゃいけない理由があるんだから」

 

 ルドラの第2射までの残り時間はわずか。だがシャルルの顔から焦りの色は消えている。それは目標が切り替わったからに他ならない。

 

「Illは全て排除する。僕だってパパが頼りにするような“ツムギ”になれるんだ!」

 

 ヤイバに語ったデュノア社の宣伝はついでのこと。シャルルの真の目的はIllを倒すことにこそある。

 背中にイグニッションブースターを展開。ブレードスライサー2本は非固定浮遊部位に設定。ショットガンとアサルトライフルを両手にそれぞれ持って準備完了。突撃する。

 敵の行動は先ほどと同じ。ランスを構えての突進だった。今度は接近戦で対処するつもりはなく、両手の銃を片づけてスナイパーライフルを構えたシャルルは早撃ちを披露する。銃弾は首を貫通した。やはり水の分身。

 銃で撃ち抜いたからといって爆破を誘発することはできない。スナイパーライフルをしまい、右手にアサルトライフルを呼び出す。空いた左手には非固定浮遊部位として使うはずのミルキーウェイのランチャー。

 

「ハンドグレネードを持ってくるべきだったね」

 

 ミサイルを発射管ごと投擲する。タイミングを見計らい、自分のライフルで撃ち抜いた。直進してきた水の分身はミサイルの爆発をもろに受けて四散する。

 水の分身は消した。シャルルは透かさずイグニッションブーストを使用する。方向は前方、水分身がいた位置。

 敵はまたランスを取りに来ていた。弱いプレイヤーであってもここまでの間抜けはいない。戸惑いすら覚えた状態でシャルルは接近戦を仕掛ける。

 敵の周囲に水の槍が形成されて放たれる。シャルルは拡張領域から装甲板を呼び出し、フリスビーのように投げて迎撃する。攻撃は相殺され、格闘の間合いに到達する。

 ランスによる迎撃がくる。これが敵の最後の足掻き。アクア・クリスタルも水分身2体分使用していては残量もほとんどないと踏んでいた。

 ランスは浮かせているブレード2本で受け止める。本体に固定していない装備であるため、シャルルはまだ前に進むことができる。フリーの左手にはグレースケール(シールドピアース)が仕込んである。あとは押しつけてトリガーを引けば終わり。

 水分身ではない手応えはある。炸裂音と共にシャルルの左手から敵の胸に杭が打ち込まれた。

 

「おかしい……」

 

 いつもどおりの強引な接近戦に持ち込んでシールドピアースで勝利をもぎ取った。まだ倒せていなくともグレースケールの連射性ならば逃がす前にとどめをさせる。そのはずである。しかしシャルルは喜ぶ気になれない。

 敵の顔を見る。ヤイバとともに遭遇した“楯無”と同じ顔。敗北を前にしているIllが少しも恐怖に歪んでいない。

 嫌な予感がする。

 シャルルが罠だと思うのは至極当然のことである。とどめを刺さずに距離を離す。

 その判断は正しかった。

 

「アッハッハッハ! いいよー、いいよいいよー、人間! シビルたちのことを知らないと怯えてくれないからさー、つまんなかったんだ。何も知らない人間を勝手に食べるのは禁止されてるしねー」

 

 敵の髪が銀色に染まる。瞼を一度閉じ、次に開かれたときには金の瞳となっていた。いや、瞳の色など些細な問題だった。白であるはずの眼球が黒に染まっている。武器として使っていたランスを投げ捨て、蛇腹剣が呼び出される。背中には4本の巨大なBTソード。消耗していたはずのアクア・クリスタルも戦闘開始時の倍以上存在している。

 転身装束を使う前のシャルルと同じだ。敵はまだ本気を出していなかった。

 

「シビルはねー、イリシットって言うんだよ。お兄さんは?」

 

 遺伝子強化素体の少女は唐突に名乗る。シャルルはそれが敵の名前だと理解するまで時間を要していた。

 痺れを切らしたシビルは頬を膨らませる。

 

「ぶぅ! 喋んないのもつまんなーい!」

 

 蛇腹剣を何もないところで振る。まるで猛獣使いが使う鞭のよう。蛇腹剣が鞭ならば、3mを越えるサイズのBTソードは猛獣である。鞭に呼応してBTソード4本がシャルルに狙いを定めた。

 

「ま、いっか! 顔は出てるから、それで楽しめるもん!」

 

 BTソードが迫る。

 シャルルが黙り込んでいたのは豹変した敵のペースについていけていなかったこともあるが、見た目からわかる敵の戦闘能力を計っていたからという点が大きい。

 シビルのBTソードは本数だけで見ればアーヴィンの半分しかない。問題となるのはやはりサイズか。単純に攻撃範囲と威力が増す。

 シャルルは手堅くENライフルで破壊を狙う。大きくても弱点は同じのはず。

 だが、ENライフルの攻撃はBTソードの表面で弾かれた。当たった箇所からBTソード全体に波紋が広がる。

 

「アクア・クリスタルのコーティング!?」

「そだよ」

 

 シビルが引き裂けそうなくらいに口を横に広げて笑む。

 アクア・クリスタルは本来は脆い装備である。しかし、高密度に集積させることでEN属性攻撃と同様の特性を発現させることができる。シビルのBTソードは表面を高密度のアクア・クリスタルが覆っていてEN武器に対する耐性を獲得している。

 破壊に失敗したシャルルはBTソードをインターセプターで弾こうとする。しかし、インターセプターの出力ではBTソードを抑えられず、軌道を変えることすらできなかった。急上昇して回避するも間に合わない。

 BTソードが右足に直撃する。装甲は粉砕され、ストックエネルギーも約10%減少した。続く右上、左、真下からの同時攻撃も避けられない。

 

「きゃあああ!」

「いい顔! それが見たかったんだー! 女の子みたいな悲鳴でおっかしー!」

 

 全身の装甲がボロボロにされ、ストックエネルギーも半分を切った。

 シャルルの持ち味である対応力も追いついていない。様々な状況に対応するシャルルの万能さは言い方を変えれば器用貧乏。突出したものがないために、定石が通じないほどの高性能な相手には一芸のみで完封される可能性が十分にある。

 夕暮れの風に敗北の文字はない。ISVSを始めてからずっと無敗記録を更新し続けている。まだランカーとの戦闘は経験していないが、負けるとは微塵も思っていなかった。その自信こそがシャルルをIll討伐に駆り立てていた。

 

「僕が……負ける?」

 

 今できることを頭の中でリスト化してシミュレートする。デフォルトフォルダの中には手立てがない。フォルダAは壊滅状態でフォルダBは限定空間用(クアッド・ファランクス)であるから役立たず。残ったフォルダCは防御特化(ガーデン・カーテン)であり、1対1の戦闘を想定していない。

 戦闘前準備の段階でシャルルはシビルに敗北していた。

 

「人間が遺伝子強化素体(シビルたち)に勝てるわけがないんだよーだ!」

 

 シビルがとどめのBTソードの切っ先をシャルルに向ける。

 慢心さえ感じられる表情のシビル。だがシャルルには反撃の術が思い当たらない。このまま攻撃されて終わり。それもただ負けるだけではなく、被害者の仲間入りを指す。

 ――もう無理だ。

 だが、シャルルは大切なことを忘れていた。

 

「その人間に造られたくせに何をほざくか。貴様は人間の底力も知らぬ子供なのだな」

 

 ひとりじゃない。まだ短い付き合いでも、共に戦っている仲間はいる。

 

「ラウラっ!」

「遅くなってすまない。前衛を代わろう」

 

 ラウラが帰ってきた。シャルルとラウラの位置が入れ替わり、シビルのBTソードはラウラに殺到する。既にラウラの眼帯は外れていた。

 

「停止結界っ!」

 

 四方からの同時攻撃。だがラウラにはそれらが全て見えている。固有領域外周の4つの点に接触するBTソードに向けてピンポイントでAICを適用する。

 アクア・クリスタルを纏っている攻撃に対して防御AICでは威力を減らせない。だがBTソード本体は実体を伴う。本体を静止させてしまえば剣である以上攻撃として成立しなくなる。ラウラならば止めることが出来た。

 

「その左目……仲間?」

「誰のことを言っている? 私は正真正銘、貴様たちの敵だ」

 

 ブリッツを放つ。まともに当たるなどとは誰も思っていない。

 シビルは蛇腹剣でブリッツの砲弾を簡単そうに斬り捨てる。だが行動とは裏腹に彼女の表情は冷めていた。

 

「意味わかんない。シビルたちが生きてくには博士が創る世界が必要なのに、どうして貴女は邪魔するの?」

「博士とやらなど知らん。私が生きていく上で必要なものはシュヴァルツェ・ハーゼとシャルルたちだけだ」

「あ、そっかー。貴女は仲間なんかじゃなくて出来損ないなんだー」

 

 出来損ない。そう言われたラウラの顔が歪むのをシャルルは見逃さなかった。

 それも一瞬のこと。ラウラは平静を装ってシビルに告げる。

 

「理解が遅いようだな。貴様らの仲間ではないという私の言葉に対してもそうだが、状況の把握も遅い」

「何のことー?」

「もうこの戦いは私たちの勝利だということだ」

 

 唐突なラウラの勝利宣言。

 シャルルも疑問に思ったが答えは結果によって示されることとなる。

 ルドラの主砲エネルギー充填率が100%になる直前、ルドラ後方の黒い戦艦(ゲビルゲ)が動き出した。巨大AICキャノン“ラヴィーネ”の砲口がルドラへと向けられる。

 

「あの黒いマザーアースはラウラの――」

「ああ。自慢の仲間たちだ」

 

 ラヴィーネが発射される。ルドラやアカルギの主砲とは違い、発射音がほとんどしない静かな砲撃であった。銃弾の飛び交う戦場においては最早無音に等しい。だが戦果は派手なものとなる。

 ゲビルゲから放たれた砲弾を遮るものは何もなく、ルドラの真後ろから中心部を正確に捉えていた。ユニオンスタイル・アーマータイプと同等の装甲で固められた外装を易々と貫き、ルドラの主砲“ヴァジュラ”をも貫いていく。ヴァジュラの口から飛び出してきたのは荷電粒子砲によるビームなどではなくAICキャノンの砲弾であった。風穴を開けられたヴァジュラは内部にため込んだエネルギーが暴走して自爆する。

 

「ラウラだ。敵マザーアース“ルドラ”の無力化を完了した。ゲビルゲは『誤射したことにより指揮が混乱している』という設定でこれ以上戦闘に介入しない」

 

 ラウラが通信をつないでいる相手はラピス以外にない。

 シャルルはシビルを倒すことに集中しすぎていて忘れていた。今はルドラを止めることこそが重要であった。にもかかわらず自らの目的を優先し、勝手に追いつめられた。

 しかしラウラは本来の目標を達成しつつ失敗したシャルルをも救って見せた。

 

「ラウラってすごいね」

「買い被りすぎだ。私はまだまだ小娘の域を出ない。それに――」

 

 ラウラは謙遜しつつも戦闘が完全に終わっていないことを理解している。正面に残る敵を指さした。

 

「そこのIllには教えてもらわねばならんことが山ほどある。私を褒めるのは奴を捕らえてからにしておけ」

 

 戦闘態勢に入るラウラ。しかし、シビルは乗り気でない様子である。蛇腹剣とBTソードを全て回収するとつまらなさそうにそっぽを向いた。

 

「ちぇっ。やられてもいいとは言われたけど本当にやられると腹が立つ」

「やられてもいい? どういうことだ?」

 

 シビルの負け惜しみにラウラが反応する。質問をしたのは高い確率で答えてくれるだろうと判断してのことか。実際にシビルは気前よく答えた。

 

「博士が言ってた。“るどら”は囮だから時間さえ稼げばいいってさー」

「ルドラが囮? ならばどうやってツムギを攻略する気だ?」

「知ーらないっ」

 

 シビルは答えない。ラウラもしつこく食い下がるつもりはないようだった。

 

「シビルの役目は終わりだから帰る。じゃーねー」

 

 言うだけ言ったシビルは北東の空へと飛び去っていった。シャルルもラウラも追撃には移らない。2人とも敵が退くのならば戦闘を継続するべきではないと判断してのことだった。

 シビル・イリシット。ラピスの調査に出てきていた水を纏う槍使い。

 シャルルにとって初めてのIllとの遭遇は苦い結果となった。今までのISVSとは別次元だということを理解させられた。同時に昔のシャルルにはなかった力を知ることにもなった。

 

「どうした、シャルロット? 私の顔に何かついているのか?」

「なんでもないよ。ただ見てただけ」

 

 隣にいる友達はとても頼もしい存在だということにようやく気がついたのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバが去った後、カティーナ・サラスキーこと更識楯無は自らと同じ顔をした相手と対峙している。偽物は本物に任せろと言ってはいたが楯無は自分から積極的に仕掛けようとはしていなかった。

 偽楯無はなぜか動かない。ヤイバを攻めて立てていた時と打って変わって微動だもしない。表情も目を見張ったまま固まってしまっている。

 

「あら? ここに私がいるのってそんなにおかしいかしら?」

 

 偽物が本物と遭遇したときの模範的な反応など楯無は知らない。いたずらのバレた子供と同じかと思いこんでいたが、偽楯無の反応は想定外だった。

 明らかに隙だらけ。既に偽楯無の周囲は水蒸気を模したアクア・クリスタルで覆っている。あとはピンポイントで凝縮すれば攻撃に転じることができる。

 仕止めるための万端な準備だけして楯無は偽楯無の観察を続ける。自分を嵌めようとしていた敵に楯無なりの仕返しをしてやろうと思っていた。

 そんな彼女の思惑は偽楯無のたった一言で打ち砕かれる。

 

「お姉ちゃん……?」

 

 楯無の顔から笑みが消える。今の楯無は仮面もしていなく、アバターの顔は現実と同じ。つまりは楯無本人のものだ。偽楯無は自分の顔を鏡に映したような楯無を見て“お姉ちゃん”だなどと呼ぶ。

 楯無の妹はたったひとりしか存在していないというのに。

 

「簪……ちゃん……?」

「私を知ってる……やっぱりお姉ちゃんなんだね」

 

 更識簪は布仏本音が昏睡状態となった後からずっと塞ぎ込んでいる。そう報告を受けていた。事実、彼女は学校に顔を出さず、家にも帰っていない。彼女が籠もった場所は倉持技研。

 

「どういうことなの? 倉持技研が何かしてるの?」

 

 楯無が知っている限り、倉持技研の動きは倉持彩華が織斑一夏を支援していることくらいだった。織斑一夏がIllの敵であることは間違いなく、彼に協力している倉持技研もシロであるはず。

 偽楯無の存在は把握していた。しかしその正体が実の妹だとは微塵も思っていなかった。混乱した楯無に簪が告げる言葉はさらに追い打ちをかけるものとなる。

 

「どうして、お姉ちゃんがアイツと一緒にいるのっ!? アイツは本音を奪っていった化け物なのにィ!」

 

 楯無は自分と同じ顔をした妹に睨みつけられる。楯無の質問に答えるつもりなどなく、彼女は楯無をも敵として認識した。右手の刀の切っ先を楯無に向けてくる。

 

「落ち着いて、簪ちゃん! 私はただ本音ちゃんを取り戻すのに必死で――」

「そんなはずないっ! お姉ちゃんは更識の当主! 本音ひとりを助けるために動く暇なんてない!」

 

 簪の強い主張を楯無は初めて受けていた。自分の知る妹とかけ離れていたことに戸惑いを覚え、彼女の言ったことは否定できないくらいに的を射ている。

 言い返せず黙ってしまう楯無に簪が畳みかける。

 

「だから私が本音を助けるっ! いくらお姉ちゃんでも、邪魔をするなら排除する!」

 

 山嵐の発射口が開く。合計48発の誘導ミサイルが楯無に向かってきた。

 楯無の仕掛けた水の罠を使えば発射した瞬間のミサイルを誘爆させることは簡単だった。だが楯無は簪への攻撃となる罠を起動できなかった。

 ミサイルが簪から十分に離れたところでアクア・クリスタルを起爆する。ミサイルを全て破壊する。

 まだ簪が敵であるのならば楯無は非情になれた。だが簪は『本音を助ける』ことが目的であると明言している。目的は変わらない。何も争う理由がないのだ。

 

「聞いて! 私は敵じゃない!」

 

 最近の楯無は同じことを繰り返し言っている気がしていた。自分の与り知らぬところで自分への敵意が育っている。更識の当主となった以上ありえることではあったが、これほどまでにあからさまな形となってくるとは思っていなかった。

 簪の返答は彼とほぼ同じ。

 

「そう言われてもわかんないっ!」

 

 楯無が更識の当主になると決まってからというもの、姉妹だけで過ごす時間は減っていた。楯無は祖父から出される課題をこなす毎日で、簪はISの技術者を目指すと言って倉持技研の門を叩いた。お互いのことは布仏姉妹を通じて知ることが多くなっていた。そこに姉妹の信頼関係などあるのであろうか。

 簪が春雷を放つ。これまた発射口を潰せたにもかかわらず楯無は手出しできなかった。大きく後退しながら回避する。

 

「ひとつだけ教えて! 簪ちゃんが見た化け物は本当に一夏くんだったの?」

「イチカ……? それがアレの名前……」

 

 明確な返答でなくとも簪が一夏に執着しているのは手に取るようにわかってしまう。

 午前中の試合を見て、楯無は一夏の人となりを知った。簪の言う化け物とは全く結びつかない。どこかで誤解があるに決まっていた。

 

「答えて、簪ちゃん!」

「私は……イチカを倒さないといけない……じゃないと、本音が帰ってこない……」

 

 聞く耳持たず。簪は呪文のように自らの目的を呟くだけ。

 もう実力行使するしかないのかと楯無が諦めかけたときだった。簪の様子がまた変化する。

 

「時間……切れ?」

 

 簪はあっさりと刀を引き下げる。もう楯無と戦闘する意志はないようだった。彼女は戦場から離れようと飛び立つ。

 戦闘は回避できた。だが何も解決していない。楯無は叫ぶ。

 

「待って! 私の話を聞いて!」

 

 最後に一度だけ簪は振り返った。楯無を姉ではなく敵として冷たい目で睨む。

 楯無は簪が去った後、その場で立ち尽くす。追いかけることもできなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 エアハルトが高空へと舞い上がる。俺が駆けつけてから3度目のことで俺は追撃に移れない。単純な速度の差も理由であるが、俺は遠くに離れるわけにはいかなかった。

 背後に意識を移す。ISは直接顔を向けなくても真後ろの様子を知ることができるのを利用した。俺の後ろには機体の右側が無惨に破壊されたナナがいる。

 

(やはりナナさんが気になるようですわね)

 

 頭の中でラピスの声がする。これはイルミナントとの戦いで経験しているクロッシング・アクセス状態だからできることだ。意図的にこの状態を作り出すことは俺にはできない。今こうしてあのときの再現が出来ているのは偶然の産物だった。

 本来、クロッシング・アクセスは互いの意識を共有して高度な連携が可能となるくらいのメリットしかない。しかし、俺たちのクロッシング・アクセスは装備とエネルギーをも共有し、より大きな戦闘能力を得ることができる。それが俺だけの力だとラピスは言う。

 

 俺だけの力。つまりはワンオフ・アビリティ。

 ひとりだけでは何も意味がない能力だ。

 名を“共鳴無極(きょうめいむきょく)”という。

 

 ナナが気になるかという問いに俺は答える。

 

(当たり前だ。相手がエアハルトとはいえ、あのナナがここまで一方的にやられるなんておかしいだろ)

(ハァ……それだけじゃないでしょう?)

 

 ラピスに呆れられている。何故だろうと考えたとき、不意に彼女の意図を感じ取った。

 俺がナナを特別な女性として見ている……?

 

(そ、そんなはずないだろ!?)

(そういうことにしておきますわ。間もなくエアハルトは旋回を終え、こちらに向かってきます。ご準備を)

(わかってる)

 

 エアハルトの攻撃ルートはまたもやナナ狙い。必然的に俺はその間に割って入る必要があり、エアハルトの攻撃を受け止めさせられる。

 落ちてくるエアハルト。横から飛び込む俺。

 奴の大剣に俺の雪片弐型をぶち当てる。互いが押し合い、その場で力比べが始まる。

 

「俺を倒したいんだろ! なのに何故ナナばかり狙う!」

「だから思い違いをしていると言った。私は貴様を打ちのめすためにあの娘を狙っている」

「この、ゲス野郎がっ!」

 

 確かに俺は思い違いをしていた。5位のランカーだからといって正々堂々と戦うとは限らない。俺に何か怨みがあるとして、俺を直接いたぶる必要などない。

 奴は俺の目の前でナナを連れ去る気だ。

 

(ラピス。ナナを安全に撤退させられるか?)

(護衛なしでは難しいですわ。ですが、ツムギの防衛部隊は奇襲してきたベルグフォルクと交戦中で動かせません。手が空いているのはチェルシーくらいですがエアハルト相手では壁にもなりません)

 

 やはり俺がナナを守りながらツムギにまで退くしかない。

 ENブレード同士で斬り結ぶ。奴の武器“リンドブルム”はIS単体が持てる最高威力のENブレード。対する俺の雪片弐型は威力がサプライエネルギー残量に依存する特殊なENブレード。拮抗するためには俺側に大量のサプライエネルギーが要求される。

 今の白式はラピスとのクロッシング・アクセスにより2機分のサプライエネルギーがある。しかし、エアハルトと打ち合うためにその大半を費やしている状態であった。左手のインターセプターも背中のBTビットもただの飾りとなってしまっている。

 共鳴無極によって武器の種類が増えても、今までのように雪片弐型でやりあう他に手段がない。

 十数合打ち合ったところでエアハルトは方向転換して離れていく。BTビットやスターライトmkⅢ(ENライフル)で追撃は可能であるが、それすらも隙につながるため下手を打てない。

 ともあれ、少しだけまた時間が得られた。背後で左手だけを構え続けるナナに声をかける。

 

「ナナ。少しずつツムギに戻っていくぞ」

「…………」

 

 移動を提案したがナナはうんともすんとも言わない。

 

「聞こえてるか、ナナ?」

 

 答えないばかりか、ナナはその場で静止したままだ。これではエアハルトの的にしかならない。俺は怒声を上げる。

 

「返事をしろ、ナナ!」

 

 叫んでようやくナナは反応をみせた。ビクっと顔を上げ、ようやく俺を見てくれる。

 

「な、何か言ったか、ヤイバ?」

「お前はエアハルトに狙われている。ここじゃ危険だから少しずつツムギに戻るぞ」

「そ、そうか。うむ、そうしよう」

 

 やはり様子がおかしい。しどろもどろになってるとまでは言わないが落ち着きが足りていない。

 そして、ナナには俺の意図が伝わっていなかった。

 彼女はツムギへ向けて急発進する。ただ向かえばいいというわけではなく俺に守られながらでなければならないというのに……半壊している機体であるにもかかわらず、もうイグニッションブーストを使わなければ追いつけない位置にまで移動してしまった。

 

(申し訳ありません! ナナさんを止められませんでした! エアハルトも向かってきます!)

 

 タイミングも悪い。エアハルトは次の攻撃のためにこちらへと加速を開始したところ。奴の速さならば今のナナに追いつくことは十分に可能だ。

 やはりエアハルトは俺でなくナナに向かっていく。奴は俺の目の前でナナを奪うことに固執している。嫌ならば立ち向かってこいと行動が示している。

 俺にやれることはひとつだけ。少なくとも他に思いつかなかった。

 

(ヤイバさん? 今はIllの支配領域の中ですわ! 無茶はいけませんっ!)

 

 ラピスが今からの俺の行動を諫めてくる。だけどここで躊躇する理由などなかった。それはラピスも同じだと思っていたけれど、彼女はなぜかナナの無事よりも俺の無事を優先しようとしている。具体的な理由はわからないけど彼女の強い思いが伝わってきた。

 どう考えても俺よりナナの方が大事だというのに。意識を共有していてもわからないことってあるんだな。

 止められようが俺のすることに変わりはない。

 エアハルトを止められる者に代わりはいない。

 イグニッションブーストを3回ほど連続使用してエアハルトの進路に割り込んでいく。

 

 リンドブルムが迫る。迎え撃つ俺の雪片弐型はひどく頼りない出力しか出なかった。

 このままでは止められない。リンドブルムは雪片弐型を押さえ込み、エアハルトの刃は俺にまで届くことだろう。この1撃で落とされるとは思っていないが、奴ならば一瞬で次の攻撃を入れてくるに違いない。

 

 このままだと俺の負けだ。

 負けたくないと願っていても力がなくては届かない。そんなことはわかっている。

 だけど今日の俺は諦めが悪い。

 そもそも俺がいなくて誰がナナを守ってくれる?

 あの生徒会長ならば義務としてやってくれるとは思う。でもそれじゃ足りない。あの人にはナナ個人に何も思い入れがない。それでエアハルトを止められるわけがない。

 俺がやるしかないんだ……

 だから俺はここでやられるわけにはいかないっ!

 

「貴様……それだけのエネルギーがどこから湧き出た?」

 

 願いだけで何かが変わるだなんて俺は信じていない。

 でも、今だけは違うかもしれない。

 ここでやられたくないと強く願った瞬間、サプライエネルギーの表示が光り、常に満タンを指していた。

 雪片弐型はフルパワーで使用できている。リンドブルムは問題なく止まり、エアハルトからは疑問の声が上がっていた。俺はフッと鼻で笑って答えてやる。

 

「束さんに聞いてくれ」

 

 人の心だ、と言ってやりたかったけどやめておいた。真実はきっと束さんしか知らない。

 状況は一気に好転した。さっきまでと同じなんかじゃない。ENブレードのみだった攻防は終わりを告げている。今の俺には装備を使用するための制限が存在していない。

 BTビットからビームを四方に射出する。それらは明後日の方向へと飛んでいくが向きを変えて俺たちの周囲を回り始める。俺は次々と弾を増やし、エアハルトを逃がさないための檻を形成する。当然、ナナには檻の外に出てもらった。檻の中には俺とエアハルトが残るのみ。

 

「俺を見ろ、エアハルト。世界最強の男だったら、俺くらいは軽く倒してみせろ」

 

 エアハルトのヒット&アウェイ戦法は封じた。今度は俺から仕掛ける番。

 大きな移動を制限されたユニオン・ファイターは小回りの利かない鈍重な機体に変貌する。大きな的であるエアハルトにまずは雪片弐型で斬りつける。当然、奴はリンドブルムで受け止めざるを得ない。

 

「右腕いただきっ!」

 

 動きの止まったエアハルトの右腕を俺は左手のインターセプターで突く。俺の攻撃は装甲を貫き、奴への初ダメージを与えることに成功した。

 エアハルトは俺の左腕を蹴り飛ばしてくる。まともに受けた俺だったが損害は軽微。エアハルトと若干の距離が開くにとどまる。

 俺は直ちにインターセプターをしまう。代わりに左手に呼び出すのはスターライトmkⅢ。有効射程よりも若干近い距離だが構わず発射する。

 流石はエアハルト。近距離の射撃をユニオンの巨体で難なく回避してくる。さらにはイグニッションブーストで接近戦まで仕掛けてくる始末。おそらくリンドブルムはギリギリで使用可能となるのだろう。エアハルトは近距離でも通常のブレード機体と同じように戦えることを示してきた。

 だがもう勝負は見えた。リンドブルムを雪片弐型で制限なく抑えられる限り、エアハルトに勝ちはない。何度目になるかわからないENブレードの衝突はまた同じように膠着状態を作る。ただ、さっきまでと違うのは動きが止まったのがエアハルト側だけということだ。

 

(ラピス、行くぞ)

(ええ)

 

 ここで俺は檻を形成するビーム全てに指示を下す。俺とエアハルトの周囲を衛星のように回っていたビームはほぼ直角に円運動の中心へと軌道を変える。その全てはリンドブルムを止められたエアハルトに殺到した。

 全方位から迫る蒼の流星群がエアハルトを貫いていく。背中のブースターは全て蜂の巣となり爆発。本体の装甲も撃ち砕いた。

 リンドブルムから光が失われ、エアハルトを守るものは何もなくなる。俺はとどめを刺すために雪片弐型を大上段から振り下ろした。

 雪片弐型は竜を模したメットを両断する。頭に直接届いたため、エアハルトの戦闘不能は確定した。それでも奴が転送されていかないのはIllが近くにいるためだろう。

 俺はエアハルトが墜落し始める寸前に奴の胸ぐらを掴み上げる。

 

「俺の――いや、俺たちの勝ちだ!」

 

 ちょうどルドラを破壊したという報告も入ってきていた。ツムギは守られ、ナナも守れた。完全勝利であることは間違いない。

 エアハルトは両手をだらりと下げている。顔は上を向いたまま目を閉じている。悪足掻きのひとつもしない。メットの下の顔は思ったよりも優男で、髪は腰くらいまでありそうなくらい長かった。その色は銀。

 

「……なるほど。たしかに私は負けたようだ」

 

 負けを認める発言をするエアハルト。だが気にくわない。奴の口は笑っていた。

 

「何がおかしい?」

「質問の意図が不明だ。世界は既に狂っている」

 

 わけのわからない返答がくるだけ。

 目を開いた奴の瞳は金色。今では見慣れた遺伝子強化素体の特徴である。つまり、エアハルトもラウラと同じ境遇の人間。もっとも、奴がラウラと同じ遺伝子強化素体だからと言って、俺が奴を理解できることはないだろう。

 だが意外にもエアハルトは俺にもわかる形で答えを補足してきた。

 

「貴様の疑問に答えてやる。仮想世界の私が貴様に敗北したからといって、現実の私は痛くも痒くもない」

 

 簡単なことだった。俺が負ければIllに喰われるリスクがあった。しかし、エアハルトにそのリスクはない。エアハルトを苦労して倒しても、徒労に終わる。

 だけど俺がすることは変わらない。

 

「だったら次も俺がお前を倒す」

「同じ手が通用するなどと思わないことだ。次があるとすれば、だが」

(ヤイバさん、離れてください!)

 

 エアハルトが含みを持たせた答えを返したとき、ラピスから警告がくる。俺も彼女から伝わる感覚を通じて気がついた。慌てて飛び退くと3mを超える大剣が俺のいた場所を通過する。

 

「ちぇっ、ハズれちゃったー。ごめんねー、博士」

「謝る必要などないよ、シビル。帰ろうか」

「うん!」

 

 星霜真理には映っていない機体。つまりIllがやってきた。エアハルトはいくら倒しても意味がないのだとしてもIllは別であることはイルミナントの件でわかっている。

 しかし、今は戦うわけにはいかない。もうサプライエネルギーが無制限ではなくなっていた。

 おそらくエアハルトは今の俺の状態に気づいていない。知ればシビルと呼んでいるIllに俺を倒させようとしてくるだろう。だからここは挑発してハッタリをかます。

 

「逃げるのか? てっきりお前は俺を殺したがってるのかと思ったんだが」

 

 シビルという少女に連れられて撤退を始めるエアハルトの背中に投げかける。すると、奴は目を見開いて俺を見てきた。あまりの形相に俺は背筋が寒くなった。

 

「言うまでもないことだろう?」

 

 殺してやるとでも言ってくれた方がまだ気が楽だったかもしれない。

 エアハルトは去っていく。無尽蔵かのように思えたベルグフォルクの大軍も撤退していき、俺たちのミッションは終わりを告げた。

 

 

***

 

 Illが去ったことにより、ログアウト不能状態はなくなった。撃墜されて海に沈んでいった連中も今は無事に現実に帰還していることだろう。生き残ったプレイヤーたちは一部の物好きを除いて同様に現実へと帰っていった。もうイベントは終わりだ。後のことは最上会長が上手くやっておいてくれる。

 俺はというとまだ帰るつもりはなかった。前回は逃げるようにして帰ってしまった分、今回はツムギの皆とちゃんと喜びを分かち合いたかったんだ。早速見知った後ろ姿を発見して声をかける。

 

「シズネさん!」

「ヤイバくん、良かったです」

 

 アカルギのブリッジクルーに囲まれていたシズネさんはすぐに振り向いてくれた。相変わらずの無表情でも、彼女の単刀直入な物言いは聞いてて心が温かくなる。

 しかし、いつもの調子は取り戻していないのだろうか。余計な一言がついてない。

 

「ヤイバくんの戦いは見ていて不安でした」

「危なっかしい戦いしかできなくてごめんな」

 

 やはり物足りない。それだけシズネさんは精神的に参っているのだろうか。

 ……そう思っていたのは杞憂だったようだ。

 

「リコリンさんがいつヤイバくんもろともアカルギの主砲(アケヨイ)で撃ち抜いてしまうのか気が気じゃありませんでした」

「ちょっ!? 確かに狙ってたけど、わざわざ言わなくてもいいでしょ!? あとリコリンにさんは付けないで!」

「注文が多い人ですね。ウザいです」

「そう、それが私! って流されるところだった! そもそもシズネが撃て撃てうるさかったのが問題でしょ!」

「リコさん、夢と現実の区別が付かないなんて……誠に嘆かわしいことです」

「え? 私を残念な人扱いして無かったことにしようとしてるの!? レミたちも何か言ってよ!」

「えー、やだよ、鬱陶しい」

「鬱陶しいだなんてひどい!」

「じゃあ、ウザい」

「ありがとう!」

「良くわかんないわね、これ……」

「結果的に残念な人です」

 

 シズネさんは前よりもアカルギ・ブリッジの3人と打ち解けているような気がする。

 ちなみにシズネさん。俺を援護しようと必死だったのはラピスを通じて知ってるんだ。でも今それを言ってしまうと何言われるかわからないから俺の胸の内に留めておこう。

 あとこの場で足りないのは彼女だけだろうか。

 

「そういえばナナは? その辺に見当たらないけど」

「ナナちゃんでしたら気分が優れないようでしたので寝室に行きました」

「そっか。残念だ」

 

 ナナは俺が来る前に部屋に引っ込んでしまったらしい。エアハルトにひどくやられていたし、休みたいんだろうな。戦闘中、どこかナナらしくなかったから気になっていた。

 俺は前回も今回もナナを危険に晒してしまった。ナナはシズネさんにすら弱さを見せようとしない。シズネさんもナナが話すまで待つような人だ。ナナはまた、ひとりで恐怖を抱え込んでいたりしないだろうか。心配にもなる。

 いや、心配なんてただの言い訳か。俺はただ、久しぶりに会って話をしたいだけなのかもしれない。だからこそ()()と思ったんだ。

 

「ではヤイバくんをナナちゃんの部屋にご案内しますね」

「ちょい待ち!」

 

 仕方がないと諦めようとしたとき、シズネさんが俺の手を引いて歩き出す。手を払おうとしたが妙に力強く握られていたため、無理矢理振り払うのに気が引けてしまった。仕方なく言葉で抗う。

 

「ナナは寝てるんだろ!? 流石にそれはマズいって!」

「え? ヤイバくん、ナナちゃんに何をする気なのですか!」

 

 しまった、墓穴を掘った!

 シズネさんが目を見開くところなんて初めて見た。彼女の頭から男女のそういうことは抜け落ちてたんだろう。普段はからかってくるくせにこういうときだけ抜けてるんだから本当に困った人である。

 とはいえ、誤解だ。やましいことは何もない。

 

「話がしたいだけだよ」

「し、知ってます。言ってみただけです」

 

 珍しい。声にまで動揺が表れてる。

 このままシズネさんをからかうのもいいかなと思ったが、今はナナを優先しよう。

 

「じゃあ、案内をお願いできる?」

「はい、もちろんです」

 

 シズネさんは快く承諾してくれた。他の人たちと別れて俺たちはナナの部屋へと進む。ナナ本人の許可も得ずに勝手なことをしているがシズネさんがやってることだから許してくれるだろう。

 ナナに会ったら何を話そうか。やはりまずはツムギの皆が無事だったことを喜び合おう。それから、一緒に戦ってくれる連中の話でもしてみようか。

 俺は全てが順調であると思っていた。この後のシズネさんの一言を聞くまでは……

 

「お願いするのは私の方なんですよ、ヤイバくん……」

 

 部屋の前に到着したらしい。シズネさんは扉から一歩分先に進んだところで立ち尽くす。俺の方に振り返ることなく、背中を向けたまま扉を指さした。

 

「ここがナナちゃんの部屋です。私にできるのはここまで。ナナちゃんを頼みます」

「え、どういうこと? シズネさん!」

 

 俺が聞き返してもシズネさんは答えてくれなかった。何も言わず、こちらを振り返ることもなく通路を走っていく。後には俺だけが残されていた。

 

「行くか……」

 

 結局のところ、シズネさんもいつもとは違っている。前回、俺がエアハルトに負けてからしばらく、俺はツムギに関わってこなかった。きっとその間に何かあったのだ。それが何かを知るにはナナに直接聞くしかない。

 俺はナナの部屋をノックする。

 すぐに中から足音がした。足音は部屋の前まできて立ち止まり、ドアノブに手がかけられる気配はない。

 

「シズネではないな。シズネならばこの時点で『ナナちゃん』と呼んでくる。何者だ?」

 

 部屋の中からナナの声がする。扉を隔てていて顔が見えないのに、声だけできつい目を向けられているイメージが湧いてくる。俺の知ってるナナで安心した。遠慮なく名乗ることにする。

 

「ヤイバだ。ちょっと話をしないか?」

「ヤイ……バ……」

 

 ナナは俺の登場を予期していなかったらしい。俺の名前すらまともに言えてなかった。俺の安心はどこかへと消え去る。

 

「とりあえず開けてくれよ」

「いや、無理だ」

 

 きっぱりと拒絶された。俺の名前を言うときと違ってハッキリしている。

 

「もしかして俺には見せられない格好をしているとか?」

「何を破廉恥な想像をしている? 生憎だが下着姿や裸で寝る習慣などない」

 

 考えられる可能性は他にはない。理由もなしに扉すら開けてくれないのは、何故かとても嫌だった。

 

「じゃあ開けてくれよ」

「すまないが私は疲れている」

 

 俺は自分のことをしつこい男だと思う。でも食い下がることにした。理由は具体的に言葉にできない。強いて言えば納得ができなかったからだ。

 もう話せなくても構わなかった。ただ、ナナの顔が見たかった。

 

「すぐに帰る。せめて顔だけ見せてくれ」

「駄目だっ!」

 

 ナナが声を張り上げる。扉1枚を挟んでいるのに俺の耳が痺れていた。それはきっと声の大きさによるものだけではない。

 

「どうしたんだよ、ナナ! お前、何かおかしいぞ! シズネさんも心配して――」

「私はおかしくなどないっ!」

「ここをこじ開けるぞ、ナナ!」

「来るなァ!」

 

 雪片弐型を使ってでも中に入ろうと思った。だけど、ナナの悲痛な叫びを無視してまで動くことはできなかった。

 俺が何もせずに扉の前で立ち尽くしていると、ナナが静かに喋りだす。

 

「被るんだ。お前の行動がアイツに……もうアイツの顔がわからなくなってしまった……私の中からアイツが消えていくんだ……」

 

 “アイツ”とは以前に聞いた“ナナの王子様”という男のことか。王子様だなんてナナの柄にあってないなと思った覚えがある。

 

「忘れそうなのか?」

「…………」

 

 返答はないがおそらくは肯定。ずっとISVSにいて現実の記憶が薄れてしまっているんだろう。シズネさんも現実でどう生きていたか忘れかけていると泣いていた。同じなんだ。

 

「俺のせい……なのか?」

「…………」

 

 やはり返答はない。俺のせいで好きな男のことを忘れるなんて悲しいにも程がある。

 俺に重ねてみると、俺が箒のことを忘れていくことのようなものだ。それは耐え難い苦痛であると断言できる。

 ナナが苦しんでいるというのに、王子様とやらはどこで何をしているんだ? 殴り飛ばしてでもここに連れてきてやりたいくらいだ。

 

「わかった。もう何も聞かない。俺はこのまま帰る」

 

 俺にはどうしようもない。ナナが苦しんでいるからといって俺が何かをすれば逆にナナが苦しむ。だったら、

 

「もう二度とナナの前には現れないよ」

 

 これでいい。そもそも俺の目的は箒が帰ってくること。ナナはおまけ程度の存在のはずだから、これが最善ということでいいじゃないか。これこそがお互いのためなんだ。

 だけどナナから思いもしなかった言葉が出てくる。

 

「嫌だ! もうヤイバと会えないなんて嫌だ!」

 

 自分に言い聞かせようとしていた矢先にナナから俺を求める言葉が出てくるなんて思ってなかった。もう俺にはどうしたらいいのかわからない。

 

「だったら俺は何をどうすればいいってんだよっ!」

 

 反射的に怒鳴りつける。扉の向こうは静かになってしまった。

 俺は助けると誓った人を怖がらせている。一体、俺は彼女の何を守れる気でいたんだろうか。自分の考えの浅さに反吐が出る。

 

「……心配するな。黒い霧のISは俺が倒す。じゃあな」

 

 俺はこれ以上、この場に残っていたくなかった。

 このままここに居たら、俺はナナに手を差し伸べてしまう。

 それが余計に彼女を傷つけることになると知ってしまっては、俺がいなくなる他に道はなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 扉を前にしてナナは膝を抱えて座り込んでいた。

 ヤイバに二度と会わないと言われた。

 ずっとヤイバに会いたくなかった理由だった。

 ナナは幼き日の一夏の顔を忘れていく。それをヤイバのせいにしてしまうということは自分でわかっていたのだ。ヤイバにしてみればとばっちりを食っただけである。

 

「嫌われて当然だな。最低だ、私……」

 

 戦闘中もずっと集中できていなかった。エアハルトの攻撃を喰らったときもいつの間にかという感覚である。

 一度危機に陥ってしまうと、誰かが助けてくれるのではと心のどこかで期待している自分がいた。ヤイバはちゃんと駆けつけてくれる。記憶の中の一夏でなくヤイバにしか期待していない自分に気がついてしまった。

 今でも一夏が好きだという気持ちは薄れていない。そう思っている。

 だがそれ以上にヤイバの存在が大きくなっていた。

 どちらかなど選べず。今の感情に正当性などまるで感じていない。

 自らの浅ましさに反吐が出る。自分のことが嫌いになるばかりだった。

 

 ヤイバたちはエアハルトに勝利した。

 だがヤイバとナナにとって喜ばしい結果になったとはとても言えない。

 戦場で出会った2人は戦いを通じて向き合った。

 だが度重なる戦いですれ違い、再び背中合わせとなる。



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24 認められないトリアージ

 文月奈々。それが8年間生きてきた彼女に与えられた新しい名前だった。

 前の名前を名乗ることは許されない。文月奈々とは新しい出発ではなく逃げるための名前である。しかしながら奈々はこの名前を嫌いにはなれなかった。

 

『ごめん……いつか絶対に――ちゃんの当たり前を取り戻すから』

 

 奈々には姉が1人いた。長らく会っていない彼女のことを思い出す。

 ウサ耳をつけていたりなど、いつもふざけた格好しかしていないはずの姉がその日だけは似合わない学生服を着ていた。

 彼女は奈々の耳元でしきりに謝っていた。奈々は離れようとしない姉の体を突き放して、言ってやった。

 

『早く行け。それがあなたの選んだ道だろう?』

 

 姉は涙を隠さなかった。しかし何も言わず、奈々に背を向けて去った。それ以降、姉と言葉を交わした記憶は奈々にない。

 

 奈々が名前を変えなくてはいけなかった理由は姉にあった。姉が理由で命を狙われることもあり、身を守るために別人として過ごすこととなった。

 元々、姉の影響で交友関係の狭かった奈々は、またしても姉のせいで仲の良かった唯一の男の子とも引き離された。

 しかし奈々は幼くとも賢かった。姉のことはよく知っている。姉は天才と呼べる頭脳を持ってはいたがバカと紙一重であったと姉と別れた当時8歳の奈々は断じる。

 姉は人間の内面に疎い。自らの能力を第三者が見たらどう思うのかを客観的に見ることなどまるでできていない。10年前には幼い子供のように自らが作り上げたものをただ見せびらかした。事実、当時の姉は幼い子供の範疇だった。

 彼女の発明品の名は“インフィニット・ストラトス”。通称、IS。

 世界がISを知ったとき、当時5歳だった奈々の生活は一変した。同時に奈々はその環境を受け入れた。強大な力を前にした人々は期待よりも不安が大きく、やがて疑心へと変わり、最後には迫害へとつながる。

 孤立した状況になっても、奈々は姉のことを怨まない。誰も悪くない。人とはそういうものだから姉を怨むのは筋違いだと奈々は悟っていた。

 もっとも、奈々は姉が大好きということもない。そもそも好きになるだけの期間を姉と過ごした記憶がなかった。天才でありながら愚かな姉は家族というよりも親戚のお姉さんのような存在だった。

 

 文月奈々とは姉が付けた名前だ。それだけならば何も思い入れなどない。しかし奈々は知っている。人の心に疎い姉が、奈々の名前に過去とのつながりを残そうとしていたのだと。

 ――いつか、昔の奈々を知る者が現れたときのために。

 偽名としては単純である。文月は7月。奈々は数字の7。旧暦のことなど考慮しない姉が知恵を絞って考えた名前は奈々の誕生日である7月7日のことを指す。

 何もかも奪われたわけじゃない。姉がそう言ってくれている名前を気に入らないなどと言えるわけがなかった。

 

 

***

 

 

 扉の前で座り込んでいたナナは目元の涙を袖で拭って足に力を入れる。いつまでも凹んでいる場合ではなかった。今の自分がすべきは消耗した体力を回復させるために少しでも多くの時間を休むこと。ふらつく足取りで質素なベッドへと歩き、身を投げる。

 

「私は……ヤイバに何をして欲しいのだ……?」

 

 本当に消耗したのは体力ではない。精神力とでも言うべきものである。自分からヤイバを拒絶しておいて、いざヤイバに『二度と会わない』と言われると頭の中が真っ白になった。どちらも本心だ。ナナはまるで自分が2人いるような錯覚に陥っている。

 うつ伏せから仰向けに寝返りを打つと放漫な胸が左右に揺れる。ナナは天井を静かに見つめていた。そうして、ナナとしての自分について振り返る。

 

 

***

 

 

 奈々は姉たちの手により父親とも引き離された。ひとりで生きる覚悟もしていた奈々は生活費だけは送って欲しいなとそれだけを考えていた。

 新生活最初の日。奈々に与えられた生活空間にはひとりの男がいた。歳は成人したばかりで身長は日本人の平均身長よりも高い。黒く短い髪には生え際だけ銀色の輝きが垣間見える。彼の瞳はカラーコンタクトを付け忘れていて立派な金色をしている。

 

『日本人には見えません』

『マジでか!? 変装しての潜入捜査には自信があったんだが……』

 

 男の軽い話し方は作られたものなのかはまだ奈々にはわからない。突然に知らないはずの男を兄として生活しろと言われても身の危険を感じるのが普通だ。事実、男の姿を見るまで奈々は精一杯の警戒をしていた。

 だがもう奈々の警戒は信頼に変わってしまっている。

 知らない人間ではなかった。名前は知らないけれど、知っていることがある。

 

『しばらくお世話になります。“ツムギ”のお兄さん』

『賢い子だとは聞いてたがオレのことを覚えてやがるか。オレの名前はメ――いや、違った。宍戸恭平だ。好きに呼べ』

『わかった、恭ちゃん』

『くっ……男に二言はねえ』

 

 そうして奈々はツムギのメンバーである宍戸恭平と1年近く共同生活をしていた。その期間、奈々は宍戸からツムギの話を聞いていた。自分よりも姉といる時間が長い男から姉のことを聞きたかったのだ。

 1年で次の土地へと引っ越した。名前は文月奈々のままであったが同居人は宍戸から他の者に代わる。

 

 以降、各地を転々とした生活が続く。友人など1人もいないままだった奈々だが、中学3年になったばかりのある日、1人の女子と出会うこととなった。その女子は笑わず、泣かず、怒らず。一切表情を変えない氷のような少女であった。奈々は彼女を見て、かつての自分と重ねる。だからか、つい声をかけてしまった。

 

『私は文月奈々だ。お前の名前は?』

『……鷹月静寐。これでいい?』

『ああ。では、静寐。早速聞きたいことがあるのだが――』

『知らない。どっか行って』

 

 最初は拒絶された。それでも奈々は何度も静寐に話しかけた。その行為は後になって思えば自己満足だったのだろう。引き離された少年を思うあまり、自らの行動に彼を重ねたのだ。

 重なったのは奈々と少年だけではない。静寐もかつての奈々と重なった。幾度となく言葉を交わすうちに、静寐は饒舌になっていく。表情は堅いままだったが奈々との心の距離は縮まっていた。

 

『奈々ちゃん。ついに計画の日がやってきました。奈々ちゃんの王子様を武力を以てかっさらってきましょう』

『いや、静寐……目的を見失っているからな?』

 

 静寐とはあの1月3日も共に過ごすくらいに仲良くなっていた。

 彼女は奈々としての自分の唯一の親友。

 これもまた文月奈々という名前を嫌いになれない大きな理由だった。

 

 

***

 

 

 ナナはいつの間にか眠りについていた。

 昔の楽しい記憶を夢に見る深い深い眠り。

 部屋のドアがノックされてもついに気づくことはなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ISVSから自らの研究所に帰ってきた彩華は所長室のイスに深々と腰掛けるとデスクの引き出しから飴玉を取り出す。珍しく3個同時ではなく1個だけ。ストレスが溜まっているのか、ガリガリと頭を掻いている姿は見るからに近寄りがたい。

 彩華が口の中で甘さの塊を転がしていると所長室に入ってくる女性がいた。ブリュンヒルデ、織斑千冬だ。

 

「私の戦闘記録は見たか?」

「ああ、拝見させてもらった。噂のIllはブリュンヒルデとブレードで互角に斬りあえていた。ここまではいいとしよう」

 

 彩華は壁にISVSの戦闘映像を映し出す。内容は先のツムギ防衛戦におけるブリュンヒルデの戦闘の様子。エアハルトを迎え撃つべく出撃した彼女だったが黒い甲冑の騎士に襲われて斬り結びはじめる。ブリュンヒルデの斬撃の悉くを打ち払う騎士は間違いなく実力者。だが明らかな違和感があった。

 

「問題は騎士の太刀筋がほぼ君と同じということか。剣術に関しては素人である私から見ても君を連想してしまうくらいには似ている。同じ流派ということかな?」

「いいや。私の剣は篠ノ之流剣術を基本としているが我流と言った方が良い。そして私はこの剣術を他人に指南したことなどない」

「おや? ドイツの黒ウサギに指導していたことがあるのではなかったか?」

「剣とは関係のないことだけだ」

「なるほど」

 

 千冬の話を聞いた彩華の中で推論が組み上がった。彩華が敵と見ている組織が何を狙っているのかも見当がつく。

 

「君の指導を必要とせずに君の剣術を模倣していることは確定というわけだ。いくらIllがあろうとも中身に恵まれていないのだろう。手っ取り早く優秀な兵を揃えるための奥の手といったところか。奴らは君のコピーを造ろうとしている」

「そんなことが可能なのか?」

「不可能ではないが実用的ではない。VT(ヴァルキリートレース)システムという、操縦者の精神に異常をきたすことがわかっていて禁忌とされている代物が既にあるのだ」

 

 千冬も彩華の言いたいことが理解できた。

 

「私が相手にしたIllは使い捨ての人形ということか?」

「そうだ。ISVS内ならばいくらでも代わりはいるのだろう。そして今の君と戦わせることでさらに情報を得て、よりブリュンヒルデに近くなっていくことも予想される」

「それでは永遠に私を超えることはないな」

「単独では。まだ量産されていないようだが数を揃えられるようになれば話は変わる」

 

 ブリュンヒルデは黒い騎士のIllを倒しきれなかった。同じものが2体あれば戦局は敵側に大きく傾いていたと断言できる。

 敵は世界最強のIS操縦者“ブリュンヒルデ”をも利用しようとしている。もしVTシステムと推測されている敵の研究が完成してしまえばその問題はISVSに留まるものではなくなる。

 

「私はこれ以上ブリュンヒルデを連中と戦わせるのは百害あって一利なしと考える」

「お前はブリュンヒルデという力を大事に飾っておくべきだとそう言いたいのだな?」

「行使するだけが力ではないさ。現段階での敵のVTシステムはおそらく時間制限付き。ブリュンヒルデのいない戦場に先んじて投入してくることはない」

「なるほど。私が出なくても敵のIllを1機抑えられるということか」

 

 千冬は頭を抱えた。

 

「逆を言えば、この私がたった1機の敵に封じ込められたというわけか。何が世界最強だ。とんだお笑い草だよ」

「君お得意のごり押しが必要になるのはまだ先ということだ。今は少年たちの力を信じてみようではないか。……あの子の異変に気づかなかった私よりは頼れるさ」

 

 一夏たちに任せようと彩華は提案する。千冬にとっては巻き込むつもりのなかった実の弟。彼の行動を黙認してきたのは彼が生き生きとし始めたというだけの理由であり、本当に戦いの前面に出すつもりは微塵もなかった。いざとなれば自分が代われると思っていた。

 しかし一夏は千冬が思っている以上に踏み込んでしまっている。力をつけてしまっている。千冬が相手をするはずだったエアハルトに打ち勝った一夏を戦力外だなどと言えるわけがない。

 

「そう、だな。一夏ならば束の残したものも見つけられるかもしれん」

 

 千冬は一夏を認め始めている。自分の目的のために弟を利用していると自覚しているが、弟への期待が罪の意識を上回っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミューレイの研究室のひとつ。わざと薄暗くしている部屋の中で作業服を着た男、ジョナス・ウォーロックがディスプレイと睨めっこをしているのは日常的なことだった。

 

「なるほど……コイツがイルミナントを倒したってのも十分に納得できる」

 

 ウォーロックは無精髭を撫でながらヤイバとエアハルトの戦闘映像を見ている。開始時はエアハルトが優勢であった。しかし、唐突にヤイバの動きが変わり、一瞬のうちにエアハルトを戦闘不能に追い込んでいく。

 

「お前がヤイバってプレイヤーを目の敵にしてるのも少しは理解できたぜ。まさか世界最強の男“エアハルト・ヴェーグマン”を一騎打ちで倒す男とはな」

 

 そう言ってウォーロックは背後にいる銀髪の男に投げかける。銀髪の男、エアハルトは気を悪くすることなく淡々と返す。

 

「今回の接触でヤイバは単一のISコアの限界を超えた装備を所持していることが判明した」

「拡張領域系の単一仕様能力ってわけか」

「いや、サプライエネルギーも通常機体から外れた領域となっていた。理論上、私のリンドブルムはIS単機が繰り出せるENブレードの最高威力である。奴はそれと並ぶENブレードを使用していたにもかかわらず、BTビットの偏向射撃(フレキシブル)を併用していた」

「お前とブレードで斬りあえて、追加であの規模の偏向射撃。BT適性の高い遺伝子強化素体(シビル・イリシット)でも難しいだろうに。ヤイバってのは軽く化け物だな」

 

 ヤイバが()()()で行なっていることはウォーロックが普段から化け物扱いしている遺伝子強化素体たちと比べても異常と言える。

 強力な単一仕様能力に加え、操縦者本人の技量も複数の分野で一流。ヤイバの存在は反IS主義者(アントラス)にとって脅威となると断言できる。

 

「“イラストリアス”のコピー対象をブリュンヒルデからヤイバに変えるか?」

「初期化はやめておこう。ヤイバの単一仕様能力のカラクリ次第ではVTシステムも無駄に終わる。確実に成果のでるブリュンヒルデで維持しておくべきだ」

「了解」

 

 世界最強の男(エアハルト)を倒した男、ヤイバ。彼の存在は確実にエアハルトたちの中に刻まれた。かつて亡国機業を壊滅寸前にまで追いやった“織斑”のように。

 

「そういや、ヴェーグマン。聞きたいことがあるんだが……」

 

 ヤイバに関する考察を終えたウォーロックはここで疑問を呈する。それは今回の侵攻の成果について。

 

「ブリュンヒルデを引っ張り出せたことでイラストリアスはさらに学習を重ねた。中身の遺伝子強化素体は使い物にならなくなったがイラストリアスは確実に強くなっている。だがそれ以外は? マザーアース(ルドラ)をぶっ壊しておいて成果がそれだけってのは無しだぜ?」

 

 ウォーロックは強気にエアハルトを咎める。だがエアハルトはどこ吹く風。自らに非などないと言わんばかりに淡々としている。

 

「結果はこれからだ。倉持技研を敵に回して力任せにナナという娘を連れ去ることができるだなどと思い上がってはいない」

「あのな、ヴェーグマン。まず、その娘がどう重要なのかが俺には分からねえんだが」

「彼女はIllの好む良き魂の持ち主なのだ」

「ISの適性ランクSか?」

「無粋な言い方だがその通りだ。国家代表を相手取るよりは楽な相手である上に、彼女は篠ノ之論文の在処を知っている可能性がある」

「で、これからってことは既に手を打ってあるってことだな?」

「ああ。そのためのギドだ」

 

 ギドという名前が出てウォーロックは鼻で笑う。

 

IllのNo.1(ギド・イリーガル)――“銀獅子”と呼ばれた遺伝子強化素体の遺伝子を元にした(クローン)型か。つまり、今回の襲撃は茶番だったわけだ」

「保険というものだ。打てる手は打っておく」

「だが俺にギドのことを言って良かったのか? 言う必要がないとか前に言ってただろ?」

 

 ウォーロックの何気ない疑問。またいつもどおりどうでも良さげに返してくると思われていた。

 しかしエアハルトは顎に手を当てて考え込む。

 

「貴様の言うことはもっともだ。なぜ私は貴様にギドのことを話した?」

「いや、わかんねえなら答えなくていい。そんなしょうもないことで口封じされても困るしよ」

 

 ウォーロックはやれやれと肩をすくめた。エアハルトの変化に戸惑っているのはウォーロックだけでなかったのだ。

 冗談で口封じと口にしたが本当にそうされても困るためさっさと別の話題に切り替えていく。

 

「そうそう。イロジックの件で続報があるんだが聞くか?」

「見つかった……というわけではないな」

「残念ながらその逆だ。わざとIllの情報を拡散して不特定多数のプレイヤーから目撃情報を噂として拾えないか監視していたが全く引っかからない。イリタレートの噂はすぐに現れたにもかかわらず、だ」

 

 エアハルトの元から去った2人の遺伝子強化素体。

 1人はハバヤによって捕獲されたマドカ・イリタレート。彼女のことは巨大蜘蛛の噂としてすぐにネット上に見受けられた。ハバヤが彼女の居場所を見つけるまでに時間はかかっていない。捕獲までのタイムラグはあるがそれはまた別の話である。

 問題のもう1人は全く噂に出てきていない。Illが人を襲えば目撃者が少なからず出るはずである。エアハルトらのフォローなしに長期間、目撃者を出さずに人を襲うことは不可能だといえた。

 エアハルトは1つの結論を導き出す。

 

「イロジックはISVS内にいない可能性がある」

「おいおい。俺はただ人を襲う本能がない特殊個体かもしれないって言いたいだけなんだが――」

「可能性と言っただけだ。そちらについては私が対処しよう。貴様は自らの仕事をこなしていればいい」

 

 早口になったエアハルトは踵を返してウォーロックの研究室を退出する。

 

 ミューレイ社の地下通路をエアハルトが慌ただしく歩く。彼が歩く先には女性が1人待ち受けていた。彼女はエアハルトを見つけるとペコリと会釈する。

 

「ヴェーグマン。ミス・ミューゼルより伝言がございます」

「話せ」

「ドイツがミューレイではなく倉持技研につくと表明したそうです。これによりイグニッションプラン加盟国でミューレイを支持する国はイタリアのみとなりました。イタリアが意見を翻すのも時間の問題と上層部は危機感を募らせているようです」

「……Illや遺伝子強化素体の存在が明るみに出たわけではない。心配するなと伝えておけ」

「上層部はヴェーグマンの話を欲しています」

 

 エアハルトは眉間に寄った皺を右手で軽く揉んだ。

 

「すぐに行くと伝えておけ」

「了解しました」

 

 スコール・ミューゼルの使いである女性が去っていく。

 エアハルトは携帯端末を取り出して画面に映る少女に声をかけた。

 

「しばらく私は指揮をとれない。ギドへの伝言を頼めるか?」

「シビル、りょーかいでーす!」

 

 エアハルトからシビルへと命令が伝えられる。これを最後にエアハルトはISVSから離れ、会議室に拘束されることになる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 俺は現実へと帰ってきた。もう夕方だからか体育館の外から見える空は赤く染まっている。胸の上のイスカをポケットにしまって立ち上がると傍には一緒に戦ってくれていた皆の姿があった。

 別に俺が起きるのを待っていてくれたわけではない。まだ時間があるからと昼のフリー対戦の続きをしている連中がいて、それを観戦しているだけである。今はラウラがバンガードをボッコボコにしてる最中だった。

 

「あ、一夏、やっと戻ってきた」

 

 一番早く俺に気づいたのは鈴だった。他の連中はラウラの暴れっぷりに見入っている。セシリアはこの場にいないようだ。

 

「そんなに俺、遅かったか?」

「アンタで最後ってわけじゃないけど。まだシャルロットもツムギから戻ってきてない」

「アイツ、まさかツムギの連中にまでデュノア社の宣伝してるんじゃ――」

「何かあったの? シャルロットじゃなくて一夏にさ」

 

 やっぱり鈴はいつも唐突だ。ナナとの間で起きたことなどなんでもないことだと言い聞かせてから帰ってきたのに、鈴はすぐに俺を現実に引き戻す。

 俺はナナをどうしたいのか。その答えが見つからないまま喧嘩別れをしてきた。今、頭が痛いのは……胸が苦しいのは後悔しているのだろうか。

 

「答えなくていい。とりあえず早く帰りましょ?」

 

 俺が答えられないことを察してくれたのか、鈴は俺の背中を押してくれる。たしかにこういうときは思いっきり寝るのが一番かもしれない。

 

「皆は?」

「セシリアは用事があるって先に帰ったわ。シャルロットはさっき言ったとおりまだ戻ってきてない。ラウラはシャルロットを待ちがてら男連中に手解きをしてやるそうよ。あと、弾はデート」

 

 用事といえば俺も宍戸と話がしたいんだった。なんだかんだで今日の試合は宍戸が仕組んだものだ。直接奴の口から俺はどうなのか聞いておきたい。

 だがその前に確認。

 

「シャルロットが戻ってくるまでとはいうけど、会場の片づけは?」

「全部会長さんがやってくれるってさ。シャルロットとラウラも手伝ってから帰ってくるでしょ」

 

 後始末は最上会長に丸投げこそしたがそこまで面倒をみてくれるとは思ってなかった。ありがたく俺は帰らせてもらおう。その前に宍戸のところに寄っていくつもりだが。

 

「鈴、ちょっと寄ってくところあるけどいいか?」

「どこに?」

「宍戸のとこ。たぶん職員室だろ?」

 

 宍戸の名前を出すと鈴はあからさまに嫌そうな顔をする。

 

「あたしはここで待ってるから終わったら連絡して」

「わかった」

 

 鈴を強制的に連れて行くだけの理由がないので俺はひとりで宍戸の元へと向かった。

 

 休日の職員室にはもう日が傾いているためか電気が点いていた。中で動く人影は1人分だけ。俺たちの担任教師であり、今日の仕掛け人である宍戸恭平だ。

 俺は「失礼します」と言ってから入室する。休日とはいえ校内での宍戸はルールに厳しいはずだ。少しばかり緊張している俺は自分の座席に腰掛けている宍戸に声をかける。

 

「あ、あの、宍戸先生」

「織斑。今日だけは何も咎めてやらないからリラックスしろ」

「ああ、助かるぜ、宍戸」

「……週明けに生徒指導室に来るように」

「すみません、つい! 出来心だったんです!」

「冗談だ。お前の発言も冗談だな?」

「は、はい」

 

 俺としてももう冗談はここまでにするつもりだった。宍戸が教師モードでないことだけ確認できればあとは本題に入るだけ。

 

「結局のところ、俺は宍戸先生の課題をクリアできたんですか?」

 

 前日に宍戸から出された課題は今日の試合で最上会長たちに勝つこと。俺たちは勝利した。だから大丈夫なはずだ。

 

「クリアだ。ついでにタイミングよく敵との戦闘に全員を連れていけたことも大きい。昨日の電話でオレが言ったことは覚えているか?」

「え、と……どれですか?」

「オレはこの試合を通してお前に経験を積ませようとした。さらにもうひとつ狙いがあると言った。その狙いはお前に味方してくれる仲間をできるだけ多く集めておけということだったわけだ」

 

 宍戸にはそんな狙いがあったのか。だとしたら俺は宍戸の思うように動いていたことになる。結果として260人を引き連れてエアハルトに立ち向かえたから、宍戸には感謝しておこう。

 

「おかげでエアハルトも倒せました。宍戸先生はこのまま皆で戦っていけば敵に勝てると教えてくれたんですね?」

 

 こういうとき、宍戸はAICを教えてくれたときのように尊大な態度をとるものだと思っていた。『オレの言うとおりにして正解だろ?』とでも言ってきそうだと。俺は思いこんでいた。

 

「勝つ方法ではある。だが――」

 

 宍戸は表情を曇らせている。俺にとってISVSの先生である宍戸にそのような顔をされては何かが足りていないのだと思わされてしまう。

 俺は食らいつく。

 

「まだ何か足りないんですか!」

 

 詰め寄ると宍戸は目を閉じた。眉間は微かに震え、何かを迷っている気がした。宍戸には秘密が多い。俺に言うべきかどうかで悩んでいる。

 

「隠してることがあるのなら、言ってください!」

 

 悩むくらいなら最初から言ってほしい。ゲーセンのときと違って、もう俺は宍戸に認められたはずなのだから。危険を伴う話でも俺は受け入れる。そのつもりだった。

 

「ダメだ」

 

 だけど宍戸は言ってくれない。目を開いて述べた答えは俺の望むものではなかった。

 

「俺を認めてくれたんじゃないんですかっ! 俺が勝つためにまだ何が必要なのか、教えてください!」

「認めたのは事実だ。勝つためにオレが指導できることなんてのはもう残ってない」

「じゃあ、どうして――」

「まだ不安要素が残ってるからだ。そしてそれはオレがお前に教えた時点で形となる」

 

 宍戸の言うことがわからない。

 俺にはまだ何か問題があって、それを宍戸は知っている。だがその内容を俺に教えるとその問題が表面化する。宍戸が不安というくらいだ。これからの戦いに支障が出るレベルの話なのだろう。

 だからこそ意味がわからない。

 

「やっぱりわかりませんよ……」

「すまない。だがオレの知ってる事実は必ずしもお前()()のためになるわけではない。自力で辿りつけ。でなければお前はお前を許せなくなる」

 

 俺が俺を許せなくなる……

 その言葉を聞いた途端、俺は宍戸の知る事実というものが怖くなった。

 宍戸が俺の何を知ってるのかはわからない。

 だけど、無理を押して聞くことは躊躇われた。

 もう聞こうとは思わない。

 最後にひとつだけ確認して帰ることにする。今日は疲れた。

 

「先生。俺、このままで大丈夫なんでしょうか?」

「その答えはお前だけしか知らねえよ、織斑」

 

 大丈夫とは、言ってくれなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一夏と鈴が帰っていくのを生徒会長、最上英臣は見送った。イベントの主役は去ってもまだ会場には何人もプレイヤーが残っている。

 最上は腕時計で時間を確認する。もうすぐ会場に設置してある筐体を撤去し、学園の戸締まりを終えなければならない。熱中したプレイヤーたちは時間を忘れている。その気持ちも今の最上は理解できているし常識に囚われるべきではないことを信条としているのだが、最低限守るべきルールというものはある。

 

「残念だけどもう楽しい時間はお終いだよ。撤収の用意をしてくれ」

 

 最上の一声でフリー対戦は今の試合が最後となる。プレイヤーたちも最上に逆らおうと思わないのか素直に従っていた。ISVSに入っている2人を除いた他のプレイヤーたちは生徒会の指示に従って片づけを始める。

 最上自身は監督者として状況を見守るだけ。その彼の元に銀髪を靡かせながら少女が歩み寄る。ラウラだ。

 

「ここの責任者は貴様か?」

「一応そうだね。正確には宍戸先生になるけど」

「この場にいない責任者になど用はない。まだシャルロットが戻っていないのだが、どうすればいい?」

 

 ラウラの指さす先にはひとりだけツムギに残ったシャルロットが横たわっている。何をしているのかラウラには見当もついていないが彼女が戻ってくるのを待つと決めていた。

 

「動かさなくていいよ。全員が帰るまで僕は残ってるからね。彼女が戻ってくるまで君もいるといい」

「わかった」

 

 最上への質問を終えたラウラはシャルロットの元へといく。彼女の後ろ姿を見送った最上は片づけの進み具合を見ていた。

 作業をしてくれているのは生徒会メンバーと最後まで残っていたプレイヤーたちである。最上はその一人一人の顔を観察し、記憶にある名前などの情報を引き出していく。

 生徒会メンバーである白詰和巳(人形遣いジャミ)たち。

 鈴ちゃんファンクラブである幸村亮介(サベージ)内野剣菱(バンガード)たち。

 全国区プレイヤーとして知られるカイトやアーヴィンたち。

 彼らの多くは織斑一夏の抱えている問題など気にもせずに試合に参加した者たちである。あくまでISVSをプレイしに来ただけであり、亡国機業やアントラスなどと戦う意志など持ち合わせていない。今日、織斑一夏と共闘したのはゲームプレイの延長線上である者が大半であった。

 最上は考える。今日は勝利した。だが次は? 同じように集まって戦える保証などどこにもない。彼らは知らないのだから……

 

「皆、作業を止めて聞いてくれ」

 

 最上が動く。今残っているプレイヤーたちは特別にISVSのモチベーションが高い連中だ。ならば与太話の可能性があろうと話を聞いてくれるはずだと、今の最上にはそう思えていた。

 片づけの途中で残っていたプレイヤーたちが最上の元に集まる。壇上に上がっていた最上は告げる。

 

「ISVS史上、最大のミッションについて知りたくはないかい?」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 俺は帰路に就いていた。隣には鈴だけ。セシリアは先に帰っているし、ラウラとシャルロットは学校に置いてきている。

 静かな帰り道だった。正確には車が走っていたり、すれ違う人の話し声はしている。音がないわけでなく会話がないのだ。俺は鈴と楽しく話そうという気が失せている。

 俺は考え事に没頭する。

 ナナは大切な人の記憶を俺のせいで失っていくと言っていた。悲しいことだがその事実を俺は受け止めた。彼女はずっとISVSにいるのだから俺たちの常識に当てはめていい問題じゃない。俺がどうしたいかは別にして彼女のために距離を置くべきだと思った。

 だがナナはそれすらも否定してきた。わけがわからない。そもそも彼女は俺を毛嫌いしていた。少しずつ認められてきたとはいえ、会えないのは嫌だなどと言われるとは思ってもみなかった。

 

 どうして俺はキレたんだろう?

 ナナの何が気に入らなかったんだ?

 

 俺は後悔してる。けど、何を後悔しているのか言葉にはできない。

 その答えは宍戸の言っていたことにも通じる気がする。

 きっと俺が自分の力で辿りつかなきゃいけないんだ。

 

「一夏っ!」

 

 思考が中断される。ずっと黙って隣を歩いてくれていた鈴が俺の肩を掴んでいた。ハッと我に返ると、俺たちの行く先にはあの“楯無”が待ちかまえていた。

 鈴は臨戦態勢だ。猫みたいな威嚇をしていて、すぐにでも飛びかかりそうである。

 俺は鈴の前に手を出して制した。今はもうこの楯無は敵ではないと俺は知っている。無駄に争う必要はない。

 

「お話ですか、楯無さん。でも今日はやめときません? 俺、疲れてるんで――」

 

 断りを言い切ることができなかった。

 俺の顔を見た楯無は何も言わずに俺の胸に飛び込んできた。頭の回転が鈍っていた今の俺はされるがままに楯無を受け入れる。

 

「ちょっ!? 何やってんの!」

 

 鈴は俺の手が邪魔をしてたから割って入れなかった。俺から楯無を引き離そうとする鈴だったが、俺は再び手で制する。もし楯無に攻撃されるのだとすれば既にアウト。まだ大丈夫ということは危険な事態にはならない。

 いや、そんな分析は関係ない。

 楯無は俺の服の襟を掴んでいる。その手は力みすぎて震えている。

 下を向いていて俺と目を合わせない楯無は叫ぶ。

 

「あなたは、あの子に何をしたのよ!」

 

 試合のときや防衛戦のときのような余裕を一切感じさせない彼女の様子は明らかにおかしかった。俺に怒りをぶつけている。狡猾さとは無縁な感情の爆発に、敵の脅威が潜んでいるとは思えなかったんだ。

 話をする気はなかった。でも、頼れる仲間だった“たっちゃんさん”が取り乱しているのは放っておけることじゃない。話だけでも聞くべきだ。

 

「落ち着いてください。あの子って誰ですか?」

「私の妹よ! 更識簪!」

 

 更識簪。聞いた覚えはある。たしか、昼に虚さんが簪お嬢様と言っていたからそれで知ってるんだろう。だが直接会った覚えはない。

 ……違う!

 俺は虚さんから聞く前に簪という名前を聞いたことがある。正確には目にしたことがある。昨日、倉持技研の廊下でぶつかった女の子のネームプレートに書かれていたのがKANZASHIだったはずだ。

 

「思い出した! 倉持技研にいた子だ!」

 

 ……だから何なんだ? 結局、俺の身には悪いことをした覚えがない。

 

「俺は廊下でぶつかっただけですよ? それが何か問題にでもなってるん――」

「あの子は……私の偽物の正体よ」

 

 偽物とはISVSで俺を襲ってきた楯無のことだ。エアハルトと同じように俺個人を目の敵にしていることは実際に敵意を向けられているからわかっている。

 廊下でぶつかった女の子を思い出してみる。たしかメガネをかけていてずっと下ばかり見ている子だった。前髪で隠れて顔はよく見ていなかったけど、楯無の妹だったらしい。きっと2人の顔は似ていることだろう。

 だけどやっぱりつながらない。

 

「嘘だろ? だって、俺……倉持技研で会ったときは何もされてない」

「でも、あの子はイチカを倒さないと本音ちゃんが帰ってこないって……」

 

 本音ちゃんってのは虚さんの妹のことか。弾の話だと彼女はIllの被害者だったはず。

 俺を倒さなければ本音という子が帰ってこない。これではまるで――

 

「俺がIllみたいじゃないか!」

 

 (たち)の悪い冗談だ。

 この俺がIll? 俺が箒を苦しめている?

 俺の襟を掴んでいる楯無の両手を逆に掴み返す。腕力は俺が勝っていたため、簡単に引きはがせた。

 楯無は俺の手を振り払おうとしない。しかし、視線は睨みつけるだけで俺を殺そうとしているくらい強い。

 互いに状況に振り回されていた。相手が何を考えているのかわからず、考えている余裕もない。

 

「はいはい。とりあえず落ち着け、と」

 

 そんな俺たちの脳天にチョップがそれぞれ振り下ろされた。痛い。犯人はわかっているからすぐに問いつめる。

 

「いきなり何をするんだ、鈴!」

「だから落ち着けって言ってんのよ。アンタらが何を言い争ってんのか、まずはあたしに説明なさい」

 

 ちっとも悪びれない鈴だった。

 怒る気にはなれず楯無に関わる話を最初から説明してやる。

 その間、楯無も俺の話を聞き入っていた。

 

「――以上だ。何か質問はあるか?」

「特にないわ。つまり、一夏が偽楯無に襲われたのはISVSでだけなんでしょ?」

「そうなるな」

「だったら偽楯無のターゲットは織斑一夏でなくヤイバってことじゃない」

「え? でもさっき、楯無さんは偽物が“イチカ”を狙ってるって……」

 

 楯無を見てみる。すると彼女は何かに気づいて口をあっと開け、右手で開いた口を隠した。目は泳いでいる。

 

「簪ちゃんに一夏くんの名前を教えたの私だ。簪ちゃんはヤイバって名前も知らなかったみたい」

 

 中身が一夏だからヤイバを狙うのではなく、狙っている相手の名前が一夏だと知っただけということだ。

 ということは偽楯無が本当に狙っていたのは……

 鈴が答えに辿りついた。

 

「ヤイバのアバターが銀髪だったのが原因かもしれないわね」

 

 今度は俺があっと大口を開けることとなる。

 ヤイバのアバターは一目で俺だとわからないよう、彩華さんからもらったイスカを元にして組み直しただけ。髪の色をイジらなかったことがここにきて裏目に出ていた。

 

「だとすると簪って子はIllの中身が遺伝子強化素体であることを知っていた?」

「違うわ。きっと本音ちゃんを襲った奴を直接見たのよ」

「それがヤイバそっくりだった……? 福音のときみたいに」

 

 だが何のために? 俺が敵にマークされたのは最近のことのはず。本音という子が被害にあったのは3ヶ月は前のことであり、俺がISVSを始めるより前の話。辻褄が合わない。

 答えは出ない。とりあえず今のところわかったことは3つある。

 本音という子が間違いなくIllにやられているということ。

 偽楯無である簪は俺をIllだと勘違いして次も襲ってくるということ。

 そして、楯無に問いつめられたところで俺が答えられることなんてないってことだ。

 

「ごめん、一夏くん。つい取り乱しちゃって」

 

 楯無が謝ってくる。別に謝られるほどのことではないんだけど受け取っておいた。鈴が不服そうな顔をしているがスルーしておく。

 

「すみません。俺にできることはないみたいです」

「それでいいのよ。一夏くんは悪いことをしてない。だったら簪ちゃんの勘違いを正すのはお姉さんである私の役目」

 

 徐々にだが楯無はたっちゃんさんらしくなってきた。苦手な部類だけど、彼女らしい方がいいに決まっている。

 

「そういえば、現実の妹さんはどうなってるんです? ISVSでなく現実で会えばそれで解決するのでは――」

「ダメ。倉持技研にいるんだけど、現実(こっち)に戻ってきてないの。強制排除も受け付けなくって、手出しのしようがないわ」

「それってIllにやられた被害者と同じじゃないですか!」

「わかってるわよ! だから焦ってるの!」

 

 現実からのアプローチはもう試した後だった。もう既にIllにやられているのか、もしくはIllの傍にいながらにして俺を討つために待ち続けているのか。そのどちらかだろう。

 

「結局のところ、Illを見つけて倒す以外の解決法はありませんね」

「そうなるわね。本音ちゃんを襲った奴は私がこの手で引導を渡してやる必要があるし」

「一人じゃ無理ですって」

「わかってる。だから一夏くんを存分に利用させてもらうわ」

「無茶しなくても俺が倒しますよ」

「そうはいかないわ。あの子に言われちゃったの。『お姉ちゃんは本音のために戦ってくれない』って。そんなことないって行動で示したいのよ」

「わかりました。全力で協力します」

 

 普段なら俺がやらなくてはいけないと思いそうなことだったが、俺は楯無に協力する気満々だった。少しだけ自分と重ねてしまったからだ。

 一夏は私のために戦ってくれない。箒にそう言われたのと同じだと思った俺は自分のことのように苦しかった。

 

 俺は楯無と連絡先を交換した。敵と戦うときは必ず呼んでほしいとだけ伝えて彼女は去っていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 他に誰もいないツムギの廊下に金髪の美少年が立っている。防衛ミッションの後に1人だけ残っていたシャルルだ。彼女が立つ場所はとある部屋の扉の前。近くに人がいないかキョロキョロと確認した後で控えめにノックを2回する。

 しばらく待つ。しかし中からの反応はなかった。

 

「寝てるのかな? レミさんに聞いた話だと戦闘後は部屋で休んでるらしいから、不思議でもないか」

 

 シャルルはもう一度ノックしてみる。

 

「ナナさん。ヤイバの友達のシャルルといいます。少しお話をしたいのですが」

 

 やはり反応はない。

 シャルルは「これでダメなら諦める」と呟くと強めにノックをする。

 

「篠ノ之箒さん! ツムギのシャルルです!」

 

 ツムギに所属していると嘘をつき、ナナを篠ノ之箒と呼んだ。

 待つこと10秒。20秒。30秒経っても何も反応がなかった。

 シャルルは肩をすくめる。出てこないナナにではなく、自分に呆れていた。

 

「もしかしてと思ったけど、これはハズレっぽいかな。そもそもヤイバが確認してないわけないし」

 

 収穫なしで引き返すことにする。

 ナナが篠ノ之箒ではないかと防衛ミッション終了後にシャルルは仮説を立てていた。いや、仮説というよりは願望。目に宿る悪魔だったかもしれない。

 シャルルの目的は『父に認められること』の1点である。彼女が父から盗み聞いた父の悩みは2つ。1つはISVS内にアントラスの新兵器が現れた可能性があるということ。もう1つは篠ノ之束、正確には篠ノ之論文の行方である。

 

「パパはIS適性が高いプレイヤーがIllに狙われてるって見当をつけてた。これが事実だとするとおかしい。僕やラウラはともかく、カティーナ・サラスキーみたいな国家代表クラスのプレイヤーまでいたのに、ナナさんだけに固執してたのには理由があるはず」

 

 廊下を歩きながら呟く。ナナが狙われる理由としてシャルルが一番しっくりくる答えは彼女が篠ノ之箒であること。しかしそれが真実とは限らないと思い直したシャルルであった。

 

「少し急ぎすぎてるかも。一度パパに相談した方がいいか。いや、その前に日を改めて直接ナナさんの話を聞くべきだよね」

 

 後日、単身ででもここを訪れようと決めた。

 あとは帰るだけである。ツムギのドームに来ることは手間だが帰るだけならばISVSからログアウトするだけなので一瞬でできることだった。しかしシャルルはまだ通路を歩いている。誰か適当な人に話を聞いてから帰ろうと思っての悪足掻きみたいなものだった。

 大きな戦闘の後でツムギのメンバーのほとんどは眠ってしまっている。シャルルは誰とも会うことなくどんどん下へと降りていった。同じような風景が続き、不毛に感じ始めたシャルルはそろそろ戻ろうかと考え始める。その矢先のことだった。

 

「あ、男の人だ」

 

 シャルルは反対側から歩いてくる男と遭遇する。2m近い巨漢のアバターだった。ツムギのメンバーも外見を調整できることはナナの髪の色から察しているため、その大男もツムギのメンバーなのだと漠然と感じていた。

 シャルルは声をかけることにした。まずは目に付くことから。

 

「海で泳いでいたんですか?」

 

 男は全身がずぶ濡れだった。上半身は裸であり、ボディビルダーのような雄々しい筋肉をこれでもかと見せつけている。手入れをしてなさそうな銀色の長い髪は水を吸って重そうだった。銀色の髪。これがラウラの髪だったらすぐにでも洗ってドライヤーで乾かしたくなるなと思ったところでシャルルは己の失態に気づいた。

 時すでに遅し。一瞬のうちに懐に飛び込んできた男の右腕がシャルルの腹部に突き立てられていた。シャルルは自らを構成している粒子が散っていくのを見ながら歯噛みする。

 遺伝子強化素体が侵入している。

 ISVSらしい機能を一切使用せず、陸地から泳いでやってきたことで倉持技研の警戒網をくぐってきたのだ。

 こんなところに敵がいるはずがないと油断していたシャルルはISで戦うことなく敗北する。

 ここで彼女の意識は途切れることとなった。

 

 

 大男が念じることでシャルルであった粒子は大男の手の平に集まった。ひとつの光の玉となったところで大男が握りつぶすと、光の玉は大男の中に取り込まれる。

 

「フッハッハ。中々良いものだった。エアハルトの注文の品をつまみ食いするわけにはいかぬからちょうど良い」

 

 大男、ギド・イリーガルは上機嫌に笑う。あくまで隠密行動をしているはずなのだが、敵に見つからないための配慮は一切なかった。

 

「腹ごしらえはすんだ。次は情報を得るとしよう」

 

 ギドはツムギのドーム内を悠然と歩く。シャルルが通った際は誰とも遭遇しなかった通路だが、ギドは割と早く1人の少女を発見した。

 少女もギドの存在に気づく。シャルルと違い、この少女はギドを不審人物として警戒していた。だからこそ話が早い。ギドは少女に問う。

 

「そこの小娘。“ナナ”という娘の居場所を教えろ」

 

 少女はギドの威圧を前にしても表情を崩さなかった。

 淡々とただ事実を告げるように嘘をつく。

 

「あなたの目の前にいるのですが、他に教えることはあるのでしょうか?」

 

 ギドは醜悪な笑みを浮かべて少女に接近する。少女がISを展開するだけの時間の余裕を与えず、手刀で意識だけを刈り取った。気を失った少女を抱えてギドは高笑いする。

 

「このオレを前にして臆せず嘘をつくとは面白い。いいだろう。その心意気に免じて貴様をナナとして連れ去ってやろうではないか。さすれば殺意を剥き出しにした本物と相まみえることもできよう」

 

 隠密行動は終了。ギドは自らのIll“イリーガル”を展開する。肘から先と膝から先の装甲、あとはジャケット形状のものを肩にマントのように引っかけているだけで機体とは呼びにくいIllであった。

 ギドが少女を抱えたまま通路の壁に向かって跳躍すると、壁は紙でできているかのようにたやすく貫かれた。そのまま失速することなく外壁をも突き破り、東の空へと消えていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 太平洋上に浮かぶドーム型レガシーがある。“トリガミ”と名付けられているドームの屋根にはシビルが立っていた。ショートカットの髪は銀色から黒に染め直し、眼の色も日本人に合わせている。

 シビルは西の空を仰ぐ。日が沈んだ直後のわずかに白んでいる空には1点だけ黒が存在する。黒は次第に大きくなり、人の形をなす。気絶した少女を抱えた銀髪の大男である。

 飛んでくる大男に向けてシビルは親しげに大きく手を振った。

 

「ギドーっ! おっかえりー!」

「シビルじゃねーか! エアハルトはどうした?」

「は・か・せ!」

「おう、奴はどうした?」

 

 大男、ギドが着地するとシビルはそっぽを向く。ぶぅと頬を膨らませるがギドが訂正を入れる様子はなかった。

 

「博士から伝言。しばらくこっちに来られないから捕らえた娘を逃がさないよう細心の注意を払えってさー。で、それが噂のナナ?」

 

 シビルはギドの抱えている少女を指さす。

 ギドはがっはっはと高笑いを返した。

 

「こいつは餌だ!」

「はあ? 敵の基地に侵入しておいて、目標を放置してきたってこと!?」

「結果としてナナという娘はここにやってくるのだから問題ないではないか」

「何を根拠に言ってるのか全然わかんなーい! それに敵に“とりがみ”の位置をばらすつもりってこと?」

「群がるザコどもをオレが一蹴すれば良いのだろう? こんな簡単なことで全てに決着がつくというのに、エアハルトが何を考えているのかオレにはわからん」

「やっぱギドってバカ」

「貴様とは見えているものが違うのだ、チビ」

「ギドと比べたら誰だってチビだよー。……っと、説教はしばらくお預けだね」

 

 シビルがギドから視線を外して会話を中断する。

 一瞬で子供らしかった顔つきを引き締める。

 その理由はこの場に現れた第三者にあった。シビルは口調を変えて第三者である少女に話しかける。

 

「あれ? こんなところで奇遇だね、簪ちゃん」

「お姉ちゃん!? くっ!」

 

 シビルとギドの前に現れたのは偽楯無、更識簪だった。シビルをお姉ちゃんと呼んだ簪は右手の刀をシビルに向けた。

 シビルは両手を上げて戦意がないことを示す。

 

「待って、簪ちゃん! 誤解よ! 私たちが戦う必要なんてないわ!」

「だったらそこにいるそいつは何? イチカじゃないの? 私の敵じゃないなら今すぐそいつを殺してよ!」

 

 簪はギドを指さして“イチカ”と呼んだ。ヤイバとは体格からして違うにもかかわらずだ。

 

「聞いて、簪ちゃん! この人は違うの!」

「何が違うの!? そいつが本音を奪っていったのにィ!」

 

 ここでシビルは背後で黙っているギドに振り向いて「そだっけ?」と首を傾げてみる。ギドは鼻で笑いながら「おそらくそうだ」と肯定した。

 シビルは改めて簪の方に振り向く。ギドに向けていたおどけた表情は欠片もない。

 

「落ち着いて! 簪ちゃんは今、混乱してるの!」

「私はおかしくなんてない! おかしくなったのはお姉ちゃんの方! 私がなんとかしなくちゃいけない!」

 

 簪が山嵐を発射口をフルオープンする。発射管にミサイルがチラッと見えたところでシビルは切羽詰まった表情を崩して笑った。

 

「仕方ないわ。ごめんね、簪ちゃん」

 

 簪が山嵐を発射すると同時にシビルが指を鳴らす。

 アクア・クリスタルの起爆。

 水蒸気に模した少量のナノマシンでもミサイルの誘爆を引き起こす熱量を発生させることは可能だった。簪は自らの装備でダメージを負う。

 

「言うこと聞かない悪い子にはお仕置きよ」

 

 次にシビルは簪の右肘にアクア・クリスタルを結集させ凝結させる。密度の高くなったナノマシンに一斉にエネルギーを供給し、高熱量と共に爆破する。

 

「きゃあああ!」

「へぇ、簪ちゃんって意外と声出せるのね。ゾクゾクしちゃうかも」

 

 簪は右腕を爆破されたがまだ武器を取り落としてはいない。しかし、戦闘前の口上の間にシビルは罠を張り終えている。このまま戦闘して簪に勝ち目はなかった。

 追い打ちとしてシビルが指を鳴らしてアクア・クリスタルを爆破しようとする。

 

 だがその動作を遮るように1本のナイフがシビルを襲った。

 シビルは新たに現れた敵の攻撃に気を取られて追撃の爆破に失敗する。

 簪とシビルの戦闘に割って入ったのは男だった。

 装甲と呼べるパーツを一切つけていないISらしくないISを纏っている男は両手にナイフだけ持っている。

 スーツ姿にメガネをかけたアバターのままの姿で宙に浮いている姿はISVSでもあまり見られない光景だった。

 スーツ姿の男は簪を背にして前に立つ。

 

「簪ちゃん。ここは私に任せて一度退いてください」

「で、でも……平石さんは?」

「大丈夫です。逃げ足には自信があります。近いうちにここへ私の部下たちが来てくれるので、そのときまで隠れていてください」

「わかりました……気をつけて」

 

 簪はスーツの男、平石と入れ替わるようにして撤退していく。このまま彼女はそう遠くない位置で待機し、この場を襲撃する部隊に合わせて攻め込むはずだ。

 

 シビルもギドも簪を追うことはしなかった。いや、追ってしまっては意味がなかったのだ。

 ギドは一連の流れをつまらなさそうに見ているだけ。

 シビルは戦闘の邪魔をした男が目の前にいるというのに戦闘体勢を解く。

 平石は簪がいなくなったことで持っていたナイフを拡張領域に回収した。こちらも戦闘解除だった。

 シビルが平石に確認する。

 

「ハーバヤー! これでいーのー?」

「ええ、十分ですよ。良くできました。あとでおやつをあげましょう」

「人間は嫌いだけど、ハバヤは好きー」

 

 シビルは敵対していたはずの男に抱きついた。楯無と同じ顔をした遺伝子強化素体の頭を撫でながら平石羽々矢(ハバヤ)は苦笑する。

 

「ハッハッハ、一ついいことを教えてあげましょう。親切な人間が優しい人間とは限りません」

「知ってるー。だってハバヤがそうだもん」

 

 苦言を苦言で返されてハバヤは「うっ」と呻く。

 

「言ってくれますねぇ……無邪気な分、グサッと刺さります」

「嬉しい癖にー」

「そういうことにしておくのがお互いのためでしょうね」

 

 シビルに頬ずりをされてもされるがまま、ハバヤはやれやれと肩をすくめた。

 ハバヤに懐いているシビルとは対照的にギドはハバヤを冷めた目で見つめる。

 

「また妙な小細工か。つまらん奴だ」

「生憎ですが私はあなたみたいな戦闘専門の脳筋ではないんですよ。そういえばヴェーグマンは留守のようですし、私が代わりに指揮を執りましょうか?」

「ダメー! 万が一にもハバヤが指揮を執ることになったら問答無用で喰えって博士から指示が出されてるもん」

「おおう……一応、善意からの提案なのですが全く信用されていないとは嘆かわしいことです」

「ハバヤって面白いこと言うよね。ハバヤに善意があるはずないじゃん」

「誠に嘆かわしいことです……」

 

 ハバヤはわかりやすくガックシと肩を落とす。シビルが「ごめーん」と慰めている間に、ハバヤに興味を示さないギドはドーム“トリガミ”の内部へと入っていく。

 少女を担いでいる後ろ姿にハバヤは声をかける。

 

「鷹月静寐が餌ですか。1日もせずに獲物がかかるでしょうね」

「そうでなくてはエアハルトに合わせる顔がなくなる」

「でも、注意してくださいね。かかる獲物は1匹ではありません。おそらく織斑一夏もかかることでしょう」

「織斑一夏? 何者だ?」

「イルミナントを倒した男ですよ」

 

 ハバヤからの情報を得たギドは笑う。

 

「全て喰らいつくすのみだ! それでこそやりがいがあるというもの!」

 

 敵対する者の脅威を知って、臆すのではなく楽しんでいた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 警報の音が聞こえてナナは飛び起きた。ヤイバがどれだけ必死に開けようとしても開かなかった扉は簡単に開放された。廊下に飛び出したナナはたまたま近くにいたカグラを捕まえる。

 

「何が起きた?」

「ツムギの外壁が突き破られたとのことで現在、侵入者の捜索中です」

「捜索中? 敵の襲撃ではないのか?」

「まだ敵の姿を確認できてません」

 

 ドーム自体に穴を空けられたが未だに誰も敵の姿を見ていないという。ナナはすぐに通信をつなぐ。ツムギの情報は彼女に聞けば大体把握できるはずだった。

 だが、

 

「シズネ! 返事をしろ!」

 

 シズネにつながらない。返事がこないのではなく、どこにいるのかわからないと紅椿は答える。ツムギの中にいてシズネの位置を見失うことなど今までにありえないことだった。

 

「カグラ! 全メンバーをゲート前に召集して点呼! 何か異変を察知している者がいれば私に直接知らせてくれ! 敵の捜索は倉持技研に任せればいい!」

「ナナさんは?」

「私は中枢に向かう。クーが何かを見ているかもしれない」

「わかりましたわ。直ちに全員を集めます」

 

 カグラに指示を伝えたナナは急いでドームの最下層にいるクーの元へと向かう。

 

 倉持技研の協力が得られて以降、クーは滅多にナナたちの前に顔を出さず、ドームの中枢部である空っぽの部屋にいることが多くなった。たまにナナの方から顔を出さなければあまり会えない。

 ナナは目的の部屋に到達する。正六角柱の殺風景な空間の中央には盲目の少女が立っているだけ。またISVS自体と通信のやりとりをしていると理解しつつもナナは自分の用事を優先させる。

 

「クー。聞きたいことがある」

「なんでしょうか、ナナさま」

「シズネは今、どこにいる?」

 

 質問に対してクーはナナの前に即座に地図を表示する。ツムギより東方、太平洋上の1点に印がつけてあった。

 

「シズさんはそのポイントにいる確率が99%です」

「ほぼ確定だと? なぜシズネがそのような場所にいる?」

 

 続くナナの問いには映像を映し出すことで答えが示される。

 ツムギ内部の通路に見覚えのない大男の姿がある。

 その男の視線の先にはシズネ。

 彼女が何かを言うと、大男に気絶させられた。大男はそのままシズネを連れて壁を突き破っていく。

 

 ナナは手近な壁を殴りつけた。視線はクーに固定され、その形相は鬼となっている。

 

「シズネがさらわれただと!? なぜそれを早く言わない!」

「言えばナナさまはどうされますか?」

「すぐに助けにいく! 今からでもだ!」

「私の分析によれば、あの大男にはナナさまでも敵いません。ヤイバお兄ちゃんたちの力を借りるべきです」

「ヤイバの力は借りられない……時間が惜しい」

 

 ナナは踵を返す。時間を言い訳にしてひとりで飛び出す決意をする。その背にクーは手を伸ばした。

 

「いけません、ナナさま」

 

 クーの手は届かない。ツムギの中にナナの姿はもうない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 これは夢だとすぐにわかった。

 理由は簡単。俺の目の前に箒がいるからだ。

 弾や鈴たち。いつものメンツの中に箒が混ざっている。

 彼女が俺を見て『一夏』と呼んでくれる。

 俺は病院で横たわる彼女しか見たことがないというのに、彼女の所作も表情も細かいところまで鮮明に見えていた。

 この箒はきっと俺の願望の中だけの存在なのだろう。

 

「一夏さん……」

 

 ふと夢の中の登場人物以外の声がしてきた。俺はこの声を知っている。俺の夢の中にいない彼女の名前はセシリア・オルコット。彼女が俺を呼んでいるということは何か良くない報せがある可能性が高い。

 俺は起きなければならない。どれだけ夢の居心地が良いといっても、いつまでも甘えてはいられない。俺が欲しいのはそんなものじゃなかったはずだから。

 

 

 目が覚める。部屋には明かりが点けられていた。壁に掛かっている時計を確認すると時刻は深夜の1時。だというのに俺の部屋の入り口にはセシリアが立っている。彼女はすぐにでも外出できるような服装だ。俺はベッドから立ち上がり彼女の元へいく。

 

「こんな時間にどうしたんだ、セシリア」

「ラウラさんの真似をしようかと思いまして」

「冗談は止してくれ。真面目な話があるんだろ?」

 

 セシリアといい、シズネさんといい、本題に入る前に冗談を言わなければいけないのだろうか。そして、2人ともキレが悪いときは決まって本題の内容は良くないものである。

 

「ツムギからシズネさんがさらわれました」

「……は?」

「敵は強力なIllを所持するアドヴァンスドであると思われます」

「待ってくれ!」

 

 嫌な予感はしていた。しかしセシリアの口から出てくる言葉はあまりにも突然で、俺の頭は追いつかない。

 

「俺たちはエアハルトに勝っただろ? なんでそんなことになってんだよ」

「迂闊でしたわ。倉持技研だけでなく蒼天騎士団にも警備にあたらせていたのですが、PICを使用せずに単身で泳いでやってくる敵には気づかなかったのです」

 

 たった1人に奇襲され、誰も気づかないままシズネさんだけがさらわれた?

 

「なんでシズネさんがさらわれたんだ?」

「敵の目的は不明です。わたくしの推論で良ければお話ししますが」

「頼む」

「おそらく襲撃者はナナさんと勘違いしてシズネさんを連れ去ったのでしょう」

 

 ナナと間違えてシズネさんをさらった。アドヴァンスドの知性が低いかもしれないことを考えるとあながち的外れな推測ではない。

 ここで俺は気づく。シズネさんがさらわれたなんてことになったら、ナナが黙っているはずがない。

 

「ナナは!? アイツはどうしてる!?」

「それを知って一夏さんはどうなさるおつもりですか?」

 

 セシリアの質問の意図がわからない。

 

「シズネさんを助けにいってるのなら俺たちも早くいかないと――」

「だと思いましたわ」

 

 俺が当たり前だと思っていることを口にする。セシリアも俺の答えは想定済みだったようだ。だったらこの先、俺がどうすべきかも彼女が導いてくれる。それが俺たちの関係。

 だけど今の俺にはセシリアが何を考えているのかわからない。彼女は右手に持っているものを俺に見せつけてくる。それは俺のイスカだった。

 俺はセシリアの持つイスカに手を伸ばす。しかし、彼女は俺から距離を取った。イスカを渡すつもりはないという意志があるとしか思えない。

 

「どういうつもりだ、セシリア!」

「まずはわたくしの話を聞いてくださいませ」

 

 理由を話してくれるらしい。セシリアの行動を不審に感じながらも、これまでの彼女と築いた信頼が俺に強硬手段を取らせないよう留まらせた。

 俺が落ち着くとセシリアは説明を始めてくれる。気が進まないことは彼女の物憂げな青い瞳が語っていたのだが、聞かないと何も始まらない。

 

「最初に質問をさせてください。今、一夏さんはどのタイミングでISVSに行かないといけないと思われましたか?」

 

 妙な質問だな。当たり前だと思うことを答えることにする。

 

「シズネさんがさらわれたから」

「本当に自覚されていないようですわね。一夏さんが焦りだしたのはナナさんの名前が出てからのことです」

「そんなのどっちだって同じだ!」

 

 まるで俺がナナとシズネさんに優先順位をつけているようなセシリアの物言いにムっとする。セシリアは俺の主張を無視して話を続けてくる。

 

「今日のエアハルトとの戦い。わたくしが止めたにもかかわらず一夏さんは無茶に飛び出した場面がありました」

「あれは俺がいかないとナナがやられてた」

「ええ。そして、サプライエネルギーの急激な上昇が無ければ一夏さんがエアハルトにやられ、イリシットというIllに喰われるという事態となっていたでしょう」

 

 それは俺も覚悟していたことだ。でも、もし俺がやられても弾を始めとする仲間がいる。俺が負けても詰みじゃない。

 だけどナナは違う。ナナは一度やられてしまえばそれで終わりなんだ。俺が倒したアドルフィーネのように……

 

「俺は間違ってない。セシリアは何が大切なのか見失っていないか?」

「見失ってるのは一夏さんではなくて? あなたがいなくて誰が箒という方を救えるのですか? 昼に最上生徒会長との戦いでおっしゃっていたことは嘘なのですか?」

 

 嘘なんかじゃない。他ならぬ俺の手で箒を助け出したいというのは間違いなく俺の望みだ。

 否定しない俺にセシリアが畳みかけてくる。

 

「ナナさんのために無茶をして、箒さんを自らの手で助けたいという願いを無にするかもしれなかった。どこか歪ではありませんか?」

 

 段々とセシリアの言いたいことがわかってきた。寝る直前まで俺が悩んでいたことにもつながることだ。

 ナナは俺にとって……ついでに助ける程度の存在であるはずだと。

 彼女のために自分を危険に晒すのはおかしいのではないかと言いたいのだろう。

 俺はナナに会わないと決めた。ナナのことは関係ないと言い聞かせて戻ってきた。そんな俺がナナのために命を懸けるなんて馬鹿げてる。箒のためを思うなら自分を大事にしないといけないんだ。

 ……だなどと納得できる頭は俺にはなかった。

 

「歪なもんか! 誰かを見捨てるような俺が箒を助けても、箒は絶対に喜んではくれない!」

 

 俺はセシリアに右手を出す。さっさとイスカを寄越せと迫る。強引に奪おうとしても、現実のISを所持している彼女からは奪えない。彼女の意志で返してもらわなければならない。

 セシリアは下を向いた。俺の位置からだと前髪で隠れて表情は窺えない。

 

「これだけは……話したくありませんでした。ですが、またナナさんのために一夏さんが無茶をなされないためにも、お伝えするべきでしょう」

 

 セシリアの声が一段と暗くなる。彼女には今まで俺に話していないことがあるらしい。俺は彼女の抱える秘密を受け止めるべく黙り込む。

 

「わたくしたちの住むこの現実世界に文月奈々という人間はいないのです」

 

 俺は何も言えずに固まった。

 

「念のために言っておきますが、シズネさん――鷹月静寐さんたち数名が入院していることは確認できています。しかし、ナナさんを始めとする多くのツムギの方々は各地の病院では見つかりませんでした」

「し、調べ方が悪いだけだろ?」

 

 ようやく出てきた言葉はセシリアの調査結果が間違っているというもの。しかし、自分で言っていてなんだがそんなはずはないとも思っている。

 

「混乱を避けるため、一夏さんにも名前は教えませんが病院以外で状態が確認できている人はいます」

「なんだ。だったらナナもそうかもしれないな」

 

 思いとは裏腹な言葉ばかり口から出てくる。もう俺はセシリアが言わんとしていることを理解しているというのに……否定したかったんだ。

 セシリアは「そうですわね」と俺の発言に頷く。最悪な返答と共に。

 

「もう亡くなられている方ですから」

 

 わかっていることでも実際に聞かされてしまえば胸が締め付けられるみたいに息苦しかった。そして、まだ俺は否定する材料を求める。胸の苦しみから逃れるために足掻くのだ。

 

「ISVSでも死んだ人?」

「いいえ、まだあちら側では健在でしたわ。今回もわたくしは言葉を交わしました」

「人違いとかじゃないのか?」

「遺族の方とも話してきました。よく似た双子がいるというわけでもありませんでしたので、勘違いということはないでしょう」

「でもナナじゃないんだよな?」

「そうですわね。しかしながら、昏睡状態で生きているのならばどこかで相応の処置をする必要があります。医療設備の整った場所で見つかっていないことが事実としてある以上、否定はできません」

 

 思いつく可能性は全て切り捨てられた。

 実際にツムギ内で現実には死んでいる人が確認されている。

 セシリアの持っている情報を統合するとナナは本人も気づかぬうちに死んでいるかもしれない。

 

「わたくしが一夏さんを起こしたのは、シズネさんを助けにいくこと自体には賛成だからですわ。ですが、ナナさんのために無茶をされるかもしれないことだけが気がかりなのです」

「だったら早く俺にイスカを返してくれ」

「約束してくださいますか? もう二度とナナさんのために無謀な真似はしないと」

 

 ここで頷けばセシリアはイスカを返してくれる。実際に俺がどうするかはさておき、口だけでも約束を交わしておけば俺はISVSに向かうことができる。

 俺の答えは決まっている。

 

「約束はできない」

「一夏さん……」

「セシリアが言いたいことはわかる。本当はわかりたくない。でも敵と戦う意志が一番強いのは俺だ。俺が欠けても皆がなんとかしてくれるっていうのは甘えなんだってのもわかってる」

 

 実際のところは俺が犠牲になるまでどうなるかわからないが、強く否定することは俺にはできない。

 セシリアの言うとおり、ナナのことはもう考えない方が俺のためにもナナのためにもなる。

 俺たちは今からシズネさんを助けにいく。ナナもシズネさんを助けるのに全力を尽くしている。俺たちが優先すべきはシズネさんの安全の確保であり、もう死んでいるかもしれないナナのために俺が犠牲になるような真似をしてはいけない。

 セシリアも言ってくれているから、俺は素直に従えばいい。

 それが最善につながるはず。

 

 ……反吐が出る。

 

 どう言ったところで俺という人間は変わらない。いざ本格的に見捨てようとしても、俺の本心を思い知らされるだけだ。

 俺は無茶をしていなくなるかもしれない。皆に迷惑をかけるかもしれない。それでも――

 

「それでも、俺は何度だってナナを助けにいく」

 

 ナナを助けてきたのは箒に認めてもらった俺であるためなんかじゃなかった。

 俺はあのちょっと乱暴で責任感の強い泣き虫なお人好しを放ってはおけないのだ。

 

「この世にいないかもしれない? 関係ないね。たとえナナがあの世界で造り出されたAIだろうと、消えるかもしれないとなれば俺は全力で助ける」

「箒さんを見捨ててでもですか?」

「勝手に片方だけを選ばせるなよ、セシリア。可能性ある限り、俺は両方を選ぶような強欲な男なんだぜ? 知らなかっただろ?」

「ええ。初めて知ったと思います」

「セシリアはどうなんだ? ナナが人間じゃなくてAIだとして、消えても良いなんて本気で思ってるのか?」

 

 もう自分の胸の内を把握した。次はセシリアにも向き合ってもらう。死んでいるツムギメンバーの話を始めてからずっと顔を伏せている彼女の心境を俺は言葉通りに受け取ってなどいない。

 

「答えてくれ。さっきからずっと俺に顔を見せてくれないけど、セシリアが言ってくれたんだろ? 真摯に応えようとするのなら、まずは相手の目を見て話せってさ」

 

 セシリアが顔を上げる。彼女の両目には涙があふれていて、今にも決壊しそうだった。

 

「わたくしだって……ナナさんに生きていて欲しいと思っていますわ」

 

 泣いている女の子は卑怯だ。強いと思っている子だとなおさら。俺は耐えきれずにセシリアを抱きしめる。

 

「ごめん。ずっとこの事実を一人で抱えてたんだって気づかなかった」

「隠していたのはわたくしですわ。わたくしこそ謝らねばいけません。この秘密を知れば一夏さんの心は壊れてしまうのだと思っていました」

「あながち外れじゃないな。正直、セシリアが泣いてくれなかったら、俺は今にも発狂しそうだ」

「抱え込んで良いのですか?」

「このモヤモヤは全部シズネさんをさらった奴に八つ当たりして解消する。だからイスカを返してくれ」

 

 今度は素直にイスカが手渡された。

 俺は受け取ったイスカを見つめながら、セシリアに決意表明する。

 最上会長に言ったことと合わせると心変わりしがちな軽い男となりそうだったが、これも俺の素直な気持ちだ。

 

「もう俺は箒のためだなんて言い訳はしない」

 

 最初は箒だけしか見てないはずだった。でも、色々な人がこの事件自体に関わってくるようになり、鈴を巻き込んだ。鈴を助けるのに必死だったのは決して箒のためじゃない。

 ナナとシズネさんに助けると言った。あのときは1人助けるのも2人助けるのも一緒だと思って安請け合いしたのだと思っていた。でも、なんてことはない。全ては、俺がナナを追いつめてしまったあのときに決まっていた。

 

「俺はずっとナナの力になってやりたいと思ってたんだ」

 

 死にたくないと消え入りそうな声で訴えていたナナの顔が蘇る。

 あのとき、俺が手を止められた本当の理由はきっと――

 

「嫌われても関係ない。現実にいなくても関係ない。俺は絶対にナナを見捨てないって決めた」

 

 胸の内では箒に謝る。

 これが原因で箒を救えなくなるかもしれない。そうわかっていても、俺は俺を止められそうにない。

 今はナナを助けたいんだ。ナナのためにシズネさんを助けたいんだ。

 ナナの王子様の記憶なんてもうどうでもいい。

 俺は俺のしたいようにする。そう決めた。

 

 イスカを受け取った俺はベッドへと戻る。やることが決まればISVSに入って敵の拠点に攻め入らなければならない。

 しかしセシリアに止められる。

 

「あ、一夏さん。今すぐお着替えになってください」

「へ? どこかに出かけるのか?」

「はいな。藍越学園にいきましょう。既に鈴さんは先に行ってます」

 

 この夜中になぜ藍越学園なのだろうか。

 セシリアからは詳しく説明されないまま、老執事が運転する車で俺たちは藍越学園に向かうこととなった。

 

 

***

 

 深夜の藍越学園。真っ暗なはずであるのに、なぜか体育館だけ明かりが点いている。校門も開けられていて、勝手に入ってもいいものかと考え込もうとしたところで俺たちを待ち受けていた人の姿が目に止まる。

 ……宍戸だった。

 

「遅いぞ、織斑」

「どうして宍戸先生が……」

「状況が色々と変わってな。詳細は歩きながら話す」

 

 宍戸を先頭にして俺とセシリアが続く。

 

「本来、全員が帰還したところで学園に設置したISVSの装置を全て回収する予定だったのだが誤算が生じた」

 

 まだイベントに使っていた設備を片づけていないということらしい。その理由は帰ってこなかった人がいるから。

 俺が帰ってきたのは最後から2番目。俺より後には一人しかいない。

 

「シャルが帰ってきていないんですか!?」

「ああ。オルコットの得た情報と統合するとデュノアはIllに襲われた可能性が高い」

 

 自然と俺の右手は拳を形作る。

 また犠牲者がでた。それも身近な人間でだ。

 俺だけの責任じゃないってのはわかってる。

 でも俺は油断していた。

 この失態はIllを倒すことでしか取り戻せない。

 

「また一つ。敵をぶっ飛ばす必要が出てきた」

「通常は被害にあったデュノアを事情を知っている病院に搬送するところなのだが、今回は少々特殊なケースだ」

「敵の位置がわかっているってことですか?」

「そういうことだ。故に今あるかぎりの戦力を以てIllの掃討にかかるべきだと判断した。すぐに帰ってくるのならば運ぶだけ無駄だろう?」

 

 宍戸は面倒くさい言い回しをしている。

 要は俺たちがIllを倒してくると信じてくれてるってことだろ?

 

 体育館に到着する。扉を開き、中から漏れる光に目が慣れた俺の目に映ったのは、昼にもいたプレイヤーたちであった。人数にしておよそ60人ほど。

 こんな夜中になぜ皆が集まっているんだろう。

 プレイヤーたちの中から鈴が出てくる。彼女は俺に人差し指を突きつけてきた。

 

「どーよ! あたしにかかればこの程度の数、すぐに集まるわ」

 

 鈴だけで集めたにしては数が多い。というよりも顔ぶれに違和感がある。最上会長だったり、藍越学園生ではない遠方から来ていたプレイヤーだったり、サマーデビルたち女子の姿もある。俺が疑問に思っていると最上会長が進み出る。

 

「僕個人の判断でIllのことや君の知るツムギのことを皆に話させてもらった」

 

 まだ俺は藍越エンジョイ勢の一部プレイヤーと蒼天騎士団にしかIllのことを話していない。今日の昼に新しく出会った仲間にはまだ話す決心がつかなかったのだ。まさか会長が話をしておいてくれるとは思わなかったし、会長の話を聞いてもなお協力してくれることには素直に驚いた。

 

「注目っ!」

 

 宍戸が声を張り上げる。俺たち藍越学園生は宍戸の声を聞けば瞬時に姿勢を正す程度には躾られていた。気をつけの姿勢で宍戸へと体を向ける。

 まさか学外の連中まで同じことをしているとは思わなかった。この場にいる全員が静粛にして宍戸の言葉を待つ。

 

「まさかこのイベントに夜の部があるとはオレも含めて想定外だったことだろう。もう既に聞いているとは思うが、正しく想定外の事態がISVSで起きている」

 

 俺にとっての想定外の事態とはシズネさんがさらわれたこと。

 皆にとってはIllという存在そのものといったところだ。

 

「今からお前たちにはオレのミッションを受けてもらうことになる。それは安全が確保された通常のゲームとは性質が異なるものだ。危険を承知でこのミッションを受ける者だけ残り、他はすぐに家に帰れ」

 

 誰一人として微動だにしない。危険があると言われているのに戸惑いすらしていない。頼もしかった。

 宍戸は鼻で笑う。人を小馬鹿にしてるわけじゃなくて、皆を誇っているのだと今の俺には理解できた。

 

「ミッションの詳細はログイン後にセシリア・オルコットから説明してもらう。作戦の立案も全てお前たちに任せた。総員……」

 

 宍戸が息を大きく吸う。そして叫んだ。

 

「出撃!」

 

 全員が一斉にイスカを手に簡易ベッドに横になる。胸にはイスカが置かれていた。

 俺は皆の行動力に見とれていて出遅れていた。

 そんな俺の右肩にポンと手が置かれる。宍戸だ。

 

「オレは手出しができない。またお前たちに全てを任せてしまうな……」

「任せてください。俺はナナの都合など気にせず、ナナを見捨てないと決めました」

「そうか。頼んだぞ、織斑」

「はいっ!」

 

 自分に与えられた簡易ベッドに横になり、イスカを胸に置く。

 ――絶対に助ける。ナナもシズネさんもシャルも何もかも!

 現実における俺の意識は薄れ、ISVSの世界に踏み込んだ。



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25 たったひとつの想い

 月明かりだけが照らす夜空を紅の機体が駆け抜ける。普段は非固定浮遊部位として背後に浮いている装備“囲衣”も背中に直結しており、大型のブースターとなっていた。

 速く。早く。

 燃費など一切考慮する必要のない機体は持てる力の全てを振り絞って目的地へと全力疾走する。操縦者であるナナも機体と一体となっているかのように死に物狂いな形相をしていた。

 

「見えた! あそこにシズネが……」

 

 ナナの視線の先には洋上に浮かぶドーム型の施設がある。ツムギやプレイヤーたちが利用するロビーと同じ遺産(レガシー)に分類される建造物であり、機能もほぼ同じである。“トリガミ”という固有の名前を持っているこのレガシーはプレイヤーに提供されてはおらず、表向きには存在しないことになっている代物だ。

 トリガミの上空に到達したナナは高速飛行形態から通常形態に移行する。ここから先は敵の本拠地である。誘い出されていることは百も承知だった。

 だがどのような罠があろうとナナにとっては足を止める理由にならない。さらわれたシズネがいるのならば、たとえ火の中、水の中。どのような過酷が待ち受けていようとも立ち向かう。

 ナナがナナであるために……

 急降下を開始する。気づかれていないということはありえない。いつでも雨月と空裂を振るう心構えはできていた。

 しかし、刀を向ける対象は現れなかった。ナナは何事もなくトリガミに接近を果たす。ツムギと同じ構造であるから入り口の位置もわかっている。ナナはこじ開けようと空裂を振り上げた。

 

「何……? 開いただと!?」

 

 ナナが空裂を振り下ろすことはなかった。トリガミの門はナナを迎え入れようとしている。門の先に敵兵が待ちかまえていることもなく、ナナは易々と侵入できた。

 そして、ナナが門をくぐり終えると当然のように扉は閉じる。敵はナナを招待しているが、帰すつもりはないということだろう。

 

「最初から狙いは私か!」

 

 顎に力が入り、噛み合わさった歯をギリギリと鳴らす。自分ひとりを誘き寄せるためにシズネをさらった敵への怒りを隠せなかった。

 しばらく進むと分かれ道に敵のリミテッド“ベルグフォルク”が1体いた。武器は所持せず、一方向を指さしているだけ。右に曲がれという案内であることは一目瞭然である。

 ……馬鹿にしている。

 ナナは雨月でベルグフォルクを突き刺す。合計9つの穴が空いたベルグフォルクはその場に崩れ落ち、ナナは右へと進んだ。

 数体のベルグフォルクを葬った先。ナナはトリガミの最深部に辿りついた。円形の広めの空間に障害物らしいものは何もない。灰一色で塗られた部屋の壁には模様すらなく、一点だけ装飾があるだけだった。ナナのいる入り口とは真逆の壁には十字架がある。そして、十字架の上には気を失っているシズネが縛り付けられていた。

 

「シズネっ!」

 

 ナナが飛び出す。一切の躊躇もなく一心不乱にシズネの元へと走る。だがこのままシズネの元にいけるはずもない。シズネの足下には銀髪の大男、ギドが立っていたのだから。

 部屋の中央でナナは足を止める。いや、止めざるを得なかった。一瞬で接近してきたギドが立ちはだかっていたのだ。ナナは雨月を突きつけ激昂する。

 

「貴様がシズネをさらったのかァ!」

「奴の言っていたとおり、この娘はシズネというのか。オレ様は最初から違うとわかっていたのだが、この娘が自らをナナと名乗っていたから連れてきただけのこと」

 

 シズネが自分をナナだと偽ったことでさらわれた。それはナナにとって重い事実である。シズネの目にはナナが負けると映っていたことを意味するからだ。

 

「違うとわかっていて、なぜシズネを!」

「オレ様は強すぎる。いつも獲物には逃げられてばかりで退屈していた。そこでオレ様は考えた。立ち向かってくる理由があれば良いのではないかとな」

 

 ギドが饒舌に語り出す。自分の知識をひけらかす子供のように得意げな笑みを向けてくる。

 

「自己犠牲。オレ様には必要ない概念だが理解はしている。人と人が絆で結ばれているとき、他者を生かそうと身を投げ出すのだろう? 残された者が何を思うかなど考えもしない。この娘のようにな」

「シズネを愚弄するか!」

「いや、オレ様はこの娘を気に入っている。よくやったと賞賛すらしている。この娘の自己犠牲が、オレ様に『ナナにとっての重要人物である』ことを教えてくれたのだ。現にお前は1人でのこのことこんなところにまでやってきた。オレ様と戦うためにな」

 

 ギドの両目の眼球が黒く染まる。同時に両手両足に機械装甲が出現。背中にはジャケット風のマントが張り付き、戦闘態勢に移行した。

 

「来い、紅の娘。大切な友人が造り上げたオレ様との決闘を台無しにするんじゃねえぞ?」

 

 電光石火。ギドが言い終わる前にナナは動いていた。イグニッションブーストでギドの右を取ったナナは雨月による8本のEN射撃を解き放つ。

 ギドは右手を水平に上げた。手の平をナナに向けると円形の赤黒い光が広がってギドを覆い隠す壁となる。雨月から放たれた光はギドの出した光に吸い込まれていった。

 異質なENシールド。たった一度の攻撃で普通の相手でないことがわかる。だがナナの戦意が鈍ることはない。

 

「殺すっ!」

「実に心地よい言霊だ。もっとぶつけてこい! お前の全生命を懸けた殺意を!」

 

 攻めに転じるギド。予備動作の全くないイグニッションブーストでナナの懐に踏み込む。左手の指からは爪を模した赤黒いENブレードが生えていて、計5本のENブレードを束ねたような爪をナナに全力で振り下ろした。

 

「くぅ!」

 

 ナナは二刀を交差させて辛うじて受け止めた。対ENブレード用として刀身にEN属性を付与できるナナの刀は壊れこそしないものの、ギドの攻撃のパワーに耐えきれず本体ごと吹き飛ばされる。

 一度目の攻撃を終えたギドは追撃に移らない。爪を片づけると、ナナを見据えて上機嫌に笑う。

 

「オレ様の一撃を受け止めたか。今ので終わりにならなくて嬉しい限り! もっとオレ様を楽しませてくれよっ!」

 

 ギドが両手を合わせると右の脇腹にまで持っていく。手の平には高密度のエネルギーが集中していき、赤黒い光の球体が形成され始めた。黒い稲光を漏らしながら球体は次第に大きくなっていき、それに合わせて手の平同士の距離も開いていく。

 一目でマズい事態だとわかる。予想される攻撃はEN属性の貫通性射撃。その規模は1機のISから繰り出されるレベルとは考えられなかった。

 ナナは最高の火力を以て迎撃を試みる。狭い屋内では回避できるとは考えられない。そして、無防備なシズネを守る必要もあった。シズネの前にやってきたナナは非固定浮遊部位“囲衣”と両手の刀を合体させて1つのクロスボウガンを造り上げる。

 互いに高エネルギーを集中させた。攻撃を繰り出すのはほぼ同時。

 

「闇に沈むがいい!」

穿千(うがち)ィ!」

 

 ギドが両手を前に突き出す。圧縮された赤黒い球体は両手の平を向けたことで解放され、帯状の光となってナナへと向かう。

 対して、クロスボウガン形状の先端から放たれた真紅のENブラスターもギドへ向かって直進した。

 ハイレベルなEN射撃の衝突に部屋全体が空気ごと大きく揺れる。互いに一歩も譲らず、押しては返されるを繰り返した。ナナの額にじわりと汗が滲む。間もなく放出の限界。このまま続ければENブラスター“穿千”が先に壊れてしまう。

 機体よりも先に限界が来たものがあった。指向性をもってぶつかり合った高エネルギー体は衝突によって行き場を失い留まっている。次々と送り込まれるエネルギーが次々と圧縮されていき、送り込まれる以上の威力を伴って周囲に弾け飛ぶこととなった。大爆発である。

 ナナは穿千を解除。椿の盾を展開する時間的余裕はないため、その場しのぎのENシールドで爆風をやり過ごす。後ろにいるシズネに被害が及ばないように。

 

 爆発の衝撃が過ぎ去る。床も壁も天井も、見るも無惨な惨状となっているが部屋としての原形は留めていた。ナナの背後の壁だけは無傷である。無事なシズネの姿を見てナナは胸を撫でおろした。

 

「フッハッハッハ! 楽しいぞ、ナナよ!」

 

 生理的に嫌悪する笑い声が聞こえた。死の瀬戸際の戦いを楽しむ下卑た笑いはナナには理解できない。

 ナナはギドの様子を観察する。そして、知ってしまった。

 

「今ので……無傷だと……!?」

 

 ナナの紅椿は穿千の使用や最後のENシールドの展開で悲鳴を上げている。自分自身の体を使って爆風を受け止めたのもあってストックエネルギーも30%削られていた。

 しかしギドには一切のダメージが見受けられない。四肢にしか存在しない装甲にひびすら入っていない。

 

「まだまだ楽しもうではないか!」

 

 ギドが両手にENブレードを展開する。各指に1本ずつ、合計10本のENブレード。片側だけでもナナが両手で押さえなければならない攻撃をギドは左右同時に繰り出せる。それが意味するものをナナが理解できないわけがなかった。

 イルミナントを相手にしても一応は戦えていたナナだったが今回だけは違う。

 勝てないだけでは終わらない。負けないことすら難しい。

 相手は正真正銘の化け物だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「それではミッションの概要を説明します」

 

 洋上に停泊するアカルギの船内。下層にある格納庫らしき空間に俺たちプレイヤーは集結していた。

 アカルギがあるのはシズネさんが連れ去られたと思われる敵の拠点“トリガミ”のゲートジャマー範囲ギリギリの海域である。俺たちはプレイヤーロビーからゲートを通過してアカルギへとやってきていた。

 今はブリーフィングの時間。ラピスが前に立ち、プレイヤー全員に情報を送信している。

 

「今回、宍戸先生から出されたミッションの目的は敵の拠点“トリガミ”の制圧、ならびにIllの撃破となります。救助対象が2名いますのでそちらも対応せねばなりません。時間すらも敵と言えます」

 

 俺にとっての最優先目標はナナとシズネの救出だ。他は誰かに任せたいところである。幸いなことにカティーナさんも駆けつけてくれた。このメンバー内で間違いなく最強である彼女ならIllの相手も可能だろう。

 

「トリガミの構造ですが、普段わたくしたちが利用しているロビーのあるドームとほぼ同じ構造となっているようです。ただし、外周部には見慣れないユニットがついてるため、接近は容易でないでしょう」

「見慣れないユニットとは何だ?」

 

 ラウラの質問が入り、ラピスは新しく映像を映した。

 遠方から撮影された写真。海に浮かぶドームの周囲には巨大な大砲が等間隔に設置してあった。そのサイズはルドラのものよりは小振りであるが単体のISが所持できるものよりは遙かに大きい。

 

「マザーアースと思われます。この大砲はおそらく荷電粒子砲であり、等間隔、八方位に設置してあります。また、当然ながらベルグフォルクなどのリミテッドが配備されているのも確認できます」

「敵の配置の詳細はまだ確認できずか。前回みたいに堅い敵に足止めされると敵ごと後ろから撃ってきそうだね」

 

 会長の相槌。話を聞いていたプレイヤーは皆、頷いている。

 

「ベルグフォルクとはそのためのリミテッドなのでしょう。数と装甲で敵の足を止め、犠牲にすることをも前提としているのです」

「攻撃できる分だけサベージの上位互換よね」

「リンちゃんひどい!?」

「それで? 敵の戦術に対してこちらが打つ手は何だ?」

 

 プレイヤーの1人である、名前はたしか……アーヴィンだったか? リンが逸らしかけた話を元に戻すことでラピスはプランを提示する。

 

「三次元的に攻めましょう。まずは四方からベルグフォルクを引きつけるための陽動部隊を出します。これにはバレット隊、リベレーター隊、マシュー隊、サベージさんにお願いします」

「え? 俺だけ単独? おかしくね?」

 

 既に部隊分けは済んでいた。

 西から攻めるバレット隊は藍越エンジョイ勢が中心となり、(アイ)さんとジョーメイを含めたバレット周辺のチーム。

 南から攻めるリベレーター隊は藍越学園生徒会にアーヴィンら国内トッププレイヤー勢が加わった少数チーム。

 東から攻めるマシュー隊は蒼天騎士団の主要メンバーで構成されているチーム。

 北から攻めるサベージさんはおひとり様となっている。

 誰もこれらの構成には異論を挟まなかった。

 

「陽動部隊の皆さんに敵マザーアースの砲撃が向けられることが予想されます。全力の回避をお願いします」

「一つ確認しときたいんだが、俺たちがマザーアースを潰してもいいんだな?」

「できるのならお任せいたします、アーヴィンさん。しかしながら単独で突出することだけはなきよう。たった一人でできることなど限られていますから」

 

 ラピスが冷めた目を向けるとアーヴィンは気まずげに目を逸らした。

 

「それならどうして俺だけ単独部隊なんですかねぇ……」

 

 サベージが何か言っているが何か問題でもあるのだろうか?

 ラピスの次の説明が始まる。

 

「陽動部隊に敵の砲撃が向けられたところで、ライル隊には高々度から爆撃をしてもらいます」

「了解――と言いたいとこなんだけど、本当に俺がリーダーでいいん?」

「安心しろって。オレっちとやり合えたオメーさんの実力は保証してやんよ」

「あ、あざっす」

 

 カイトというプレイヤーに励まされてライルが若干戸惑いつつも礼を言っている。

 今回は防衛戦には参加していなかった数馬(ライル)が参加している。彼の家の門限が過ぎてることが気がかりであったが、今回は事情を話して親父さんに納得してもらってから来ているそうだ。

 ライル隊はユニオン・ファイターによる高速飛行部隊で全員が爆撃仕様となっている。リーダーのライルはメイン装備でないため不慣れなのだが、構成メンバー全員が似たようなものだった。1人だけ爆撃を専門にしているプレイヤーであるゲーセン店長が紛れているが、ライルより腕が劣るとバンガードに断言されている。

 

「まずはこの爆撃で敵マザーアースに打撃を与えられたことを前提として話します。マザーアースさえ無力化すれば内部への侵攻も可能となるでしょう。救助対象は内部にいるものと思われますが、時間の猶予がどれほど残されているのかはわかりません。制圧前に少数の精鋭により先に救助対象の身柄を確保してもらうことになります」

「それが俺たちってわけだな?」

 

 俺は自分の胸に手を当てる。

 ヤイバ隊として割り振られたメンバーはカティーナ、バンガード、カイトの3名。後者2名は俺とカティーナさんを運ぶのが主な役割であり、実質的にナナたちを救いにいくメンバーは2人だけであった。

 

「はい。一度進入してしまえば敵の抵抗は少ないものと考えられます。もし敵軍が内部に多いとすれば、外部がそれだけ楽になるとも言えますので外周から敵を壊滅していけばいいだけの話です。くれぐれも無理はなさらぬよう」

「わかってる」

 

 最後にラピスは名前の挙がらなかったメンバーに顔を向ける。

 

「ラウラさんにはしばらく後方で待機してもらいます。今の作戦ではIllの存在を考慮しておりません。ラウラさんにはトリガミ内外を問わず、Illを確認した場所へと急行してもらいます」

「都合がいい。シャルロットを奴らから取り返すために必要なことだからな」

「他の皆さんには陽動部隊より後方で待機してもらいます。主に爆撃でマザーアースを破壊できなかった場合にマザーアースを攻略してもらうこととなりますわ。具体的な指示は適宜わたくしが下します」

 

 全員への指示は出し終えた。スムーズに行けばいいのだが、敵の戦力が不透明であるためどう考えても想定通りには事が運ばない。唯一ラピスの星霜真理で判明していることはマザーアース以外のISコアがほぼ確認できないということくらいだった。

 ラピスはアカルギに残って全軍の指揮を執る。アカルギはトリガミのゲートジャマーの範囲外である現在位置で待機する。これで全員の配置は決まった。

 順番にアカルギから飛び立つプレイヤーたち。陽動部隊であるメンバーから遠方の海へと消えていく。俺たちも移動しなければならない。

 アカルギの上空に浮かぶ俺の隣に臙脂色のISが並ぶ。ゴテゴテとした装甲をつけたユニオン・ファイターは朝の試合で俺と直接対決したバンガード。

 

「乗れ、ヤイバ。この俺がきっちりとお前を送り届けてやる」

「いいのか?」

 

 つい確認してしまう。俺が試合に勝ったことでリンとの付き合い方に文句は言わせないことになってはいるが、心まで変わるわけじゃない。

 バンガードはフンと鼻を鳴らす。やはり俺が気に入らないのだろう。

 

「これもリンちゃんのためだ。今はお前を手伝ってやる方が好印象だろう?」

「そ、そうだな」

 

 同意しておく。自分の目的に一直線なのは俺も一緒だから特にバンガードを非難することはない。

 俺を背に乗せたバンガードが飛び立ち、戦場へと向かう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 トリガミの四方に陽動部隊の配置が完了。未だに敵に動きがないため気づかれていないと推察される。しかし更識の忍びは地上があり、かつ障害物がなければ機能しないため、孤立した洋上拠点にラピスたちが敵に気取られず近寄る術は少ない。当初の作戦通り、敵と戦闘状態に持ち込むべきと判断した。

 

「それでは陽動部隊の皆さん。前進ですわ」

 

 ラピスの指示によって戦いの火蓋は切って落とされた。四方からほぼ同スピードでトリガミへと近づいていくプレイヤーたちをラピスは星霜真理が送ってくる位置情報を元にマッピングして状況を見守る。

 敵に動きがあった。一番最初に通信を送ってきたのはバレット。

 

『こっちに気づいたようだ。荷電粒子砲だって言ってた例のブツが動き出したぜ』

 

 ラピスはバレットの視界を覗き見る。トリガミの西部に取り付けられていた大型荷電粒子砲はたしかに動いた。ニョロニョロと巣穴から出てくる蛇のように。他3部隊からも同様の報告が上がる。

 

「射線の自由度はかなり高いですわね。しかしBTではなくトリガミと直接つながっていることを考えるに、荷電粒子砲を放つための莫大なエネルギーはトリガミから供給されているのでしょう。8機のマザーアースではなく1機のマザーアースから8つの砲塔が伸びていると考えた方が良さそうですわね」

『八つ首の蛇……ヤマタノオロチとでも言うつもりかな?』

 

 最上会長(リベレーター)の発言をラピスは否定しない。

 

「日本の神話に出てくる怪物でしたか。もしアレがミューレイ製だとすれば、本当にその名前かもしれませんわね。とりあえずわたくしたちはあのマザーアースを“オロチ”と呼称することとします」

 

 レガシー“トリガミ”と一体化しているマザーアース“ヤマタノオロチ”。首の一本だけでも落とさなければ進入チームであるヤイバ隊を前に出せない。

 まずは首を落とす第一歩から。オロチに陽動部隊を攻撃させることから始める。

 最初に動いたのは東の首だった。既にチャージを終えている荷電粒子砲が放たれる。強力な攻撃ではあるが直進するだけのもの。来るとわかっていれば何も恐れることはない。マシュー隊は散開することで被害はゼロであった。

 

『こちらマシュー。引き続き接近をしていきます』

 

 マシュー隊への第1射後、敵に次の動きがある。ツムギ防衛戦時に見飽きるくらいに倒していたリミテッド“ベルグフォルク”がわらわらとトリガミから湧いて出てきた。

 プレイヤーの視覚映像を元にベルグフォルクの配置をマップ上に適用する。トリガミを中心にして同心円上に広がり、陽動部隊に対して戦力を集中させたりはしていない。もっとも、数が多すぎるため交戦が面倒であることは変わらない。

 

「皆さん、乱戦は避けてください。いくらリミテッドといえど高性能な相手です。数で押し切られれば十中八九負けますし、動けなくなった時点でオロチの餌食となります」

 

 ラピスの瞳が蒼い輝きを放つ。星霜真理をフル稼働させ、陽動部隊の全メンバーの取得する情報を整理。乱戦にならないための軌道指示を行なう。

 いよいよ前線がベルグフォルク部隊と衝突した。ラピスが陽動部隊に課しているのは負けない戦闘である。連携を分断しようとするベルグフォルクの動きを制限する攻撃をさせることで、戦線を維持させる。

 ……しかし、戦線も何もない部隊がひとつだけあった。

 

『えーと、こちらサベージ。乱戦になるなとか無茶すぎるんですけど?』

 

 サベージは敵の真っ只中にいる。あっという間に包囲され、アサルトカノンやグレネードランチャーの集中砲火を浴びせられていた。もちろん被弾こそしていない上に数体は同士討ちさせて葬っている。

 

「あ、サベージさんはそのまま避け続けてくださいませ」

『え? そのままって言われても俺は絶対に敵を全滅させられないんだけど……』

「大丈夫ですわ。そろそろ来るはずですから」

 

 ラピスは主語を伏せて『来る』とだけ伝えた。それが何かサベージは即座に悟る。彼の視界の端に映るオロチの首がサベージの方を向いたからだ。北の首1本だけでなく北東と北西の首も合わせた合計3本が。

 サベージは悲鳴を上げながら海へと飛び込んだ。水柱が上った直後に極太のビームが3本、通過していく。光が過ぎ去った後に海上を飛んでいる機影はなかった。

 

『……せめてリンちゃんに俺の雄姿を伝えてくれ』

 

 サベージからの通信をラピスはスルーする。ラピスの予想通り、敵の砲撃はまずサベージを狙った。それは敵にとってサベージが脅威と映っていたからである。

 単独で接近するISは集団で来るISよりも恐ろしい。単独で十分となると必然的にランカークラスの化け物を連想する。早く倒さなければならないという心理が働いていた。ベルグフォルクはAI操作であるがマザーアースは人が操作していることを利用したのである。

 1つ目の道は開けた。

 

「ライル隊、出撃願います」

 

 あらかじめ北に集めておいたライル隊10機を発進させる。北側は荷電粒子砲を撃ったばかりで次の発射まで若干のラグがある。

 ベルグフォルクも敵が焼いたばかりで数が圧倒的に少ない。加えて高度が違う。ベルグフォルクは同心円上にこそ展開していたものの、同心球状には広がっていなかった。ライルたちを遮るものはほとんど何もない。オロチが遙か高空を飛翔する爆撃部隊を狙い撃つもライルはこれを軽く回避した。結果、全機がトリガミの上空を取ることに成功する。

 

『今だ! 全弾発射!』

 

 ライルの指示の元、ライル隊の全員が積んであるミサイルを全て撃ち下ろす。最後にはブースターとして使用していた星火燎原を切り離すことも忘れない。

 トリガミにミサイルの雨が降り注ぐ。レガシーであるトリガミ本体にはほとんど傷がつかないが、マザーアースは違う。1発着弾するごとに装甲がひしゃげ、形を歪ませていく。

 そして駄目押しの星火燎原の10連発。単体のISが持てる最高の爆発物が10発同時に炸裂する。ドームは赤い光に包まれ、広がった炎は夜空をも焼かんと赤く染める。海をも焼け野原にせんとする爆発には攻撃をしかけた本人たちも耐えきれず、戦闘不能に陥っていた。

 ライル隊の犠牲の上に行われた爆撃の余韻が消えていく。煙と炎は消え去り、現れたトリガミは健在。そして、オロチも残っていた。オロチには最初のミサイル攻撃の跡は残されてるが、星火燎原は届いていない。オロチの表面は空気と屈折率の異なる膜で覆われていた。

 

「シビル・イリシットもここにいましたか……」

 

 ラピスは星火燎原が効かなかった原因をすぐに特定する。シャルルの星火燎原からルドラを守ったアクア・クリスタルの使い手が敵にいた。今回も同じ方法で防がれてしまっている。名前はラピスも聞いており、シビル・イリシットというアドヴァンスドだ。

 突入前にヤイバがIllと遭遇することは避けたかった。結果的にヤイバ隊を突入させなかったのは正解だったことになる。

 

『私はいくぞ、セシリア』

「お願いします、ラウラさん」

 

 シビルはバレットの担当する西側に出現した。予定とは違う相手にラウラを向かわせることとなったが仕方がない。トリガミには少なくとも2機のIllが存在すると確定したのだから。

 

「バレット隊は二手に分かれてください。一方は引き続きベルグフォルク群を牽制。もう一方は至急前進しラウラさんと合流。イリシットとの戦闘を援護願います」

 

 イリシットとの戦闘に向かわせたのはバレット、アイ、ジョーメイの3人。他のメンバーではIllとの戦闘をこなせないとのラピスの判断だった。本当ならばIllにはカティーナか共鳴無極を発動させたヤイバを向かわせたいところであったが、ヤイバ隊には他にやるべきことがある。

 そのヤイバ隊を先に行かせるための次の手を打つ。

 サベージがこじ開けた北側は既に防衛網が再構築されているため突破は難しい。この場面でラピスが頼るのは忠誠で動く男。

 

「マシュー隊は戦線の維持を放棄。全てのベルグフォルクを無視し、オロチへと突撃してください」

『マシュー、了解』

 

 東から蒼天騎士団を強引に突っ込ませる。ラピスの指示は要約すると『捨て駒になれ』というもの。蒼天騎士団のメンバーは指示の意味を理解しながらも忠実に従う。

 東の首の砲口にエネルギーが集中する。散開させたマシュー隊ならば撃たれたところで被害は少ないはず。しかし、オロチの首はマシュー隊ではなく遙か左を向いていた。

 オロチの口から光が放たれる。マシューたちへの第2射となるこの攻撃はマシューたちの誰にも当たらないコースを通過した。巨大な光線が北と東を分かつように引かれている。光の放出は止まらず、オロチはそのまま首を右に振る。

 薙ぎ払い。長時間におよぶ荷電粒子砲の照射は発射中に射角を変えることで巨大な疑似ENブレードとなる。

 被害確認。報告を受けるまでもなく、マシュー隊の半数が今の一撃でやられていたことがラピスにはわかった。半数を失ってもなお、マシュー隊は前へと進む。ラピスが必要としているからと男たちは無謀な突撃をやめようとはしなかった。

 目を閉じてラピスは彼らに許しを乞う。仲間の犠牲を前提とした作戦を実行するのは今回が初めてである。罪悪感で押しつぶされそうになるところを持ち前の気丈さではねのけた。

 オロチはルドラと違って発射間隔は短い。既にマシューたちへの次の攻撃準備が終わりかけている。近づくほどに回避は困難となるというのに、まだ東の首だけで3発ほど迎撃されることは覚悟しなくてはならない。

 

「行ってください」

 

 ラピスの指示は変わらない。騎士を自称する少年たちはただ敵の的となるためにひた走る。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 海中を鮮やかな赤が突き進む。ハサミのある巨大なエビが後進ではなく前進によって泳いでいる。海中の戦闘を専門にしているIS“クルーエルデプス・シュリンプ”を駆るプレイヤー“伊勢怪人”の持ち場はここにしかありえない。

 ISコア由来の推進機関、単一仕様能力“海流脈動”により伊勢怪人は海中における驚異の静音性と速度を得ていた。障害物のない洋上ステージでも深い海さえ存在すれば伊勢怪人は隠れることができる。

 

「ラピスから指示が来た。首を釘付けにしたから今のうちにやってくれってさ」

 

 今、伊勢怪人の背中は魚雷コンテナの代わりにISを乗せている。そのうちの1人は現実の友人である7月のサマーデビルだ。彼女の声を聞き、伊勢怪人は首を縦に振る。エビを模したマスクが上下に揺れるだけで意思表示する。言葉には出さない。

 目標ポイントに到達。300mという深さは十分に深海と呼べるもので海上の月明かりなど届くはずもない。いくらISといえど特別な警戒をしていなければ発見は困難である。

 しかし直線距離300mと考えれば、ISにとってこれほどの近距離で気づかないことは致命的である。他に意識を割いているものさえなければあるいは気づいたかもしれないが、今は騎士を夢見る少年たちが敵の気を引いていた。

 ラピスのいう三次元的な攻撃には高空からの攻撃のみならず、海中――真下からの攻撃も含まれていた。

 伊勢怪人が急速上昇する。角度はほぼ垂直。300mという短距離を駆け上がった末に辿りついたのはオロチの首の右側である。

 

「もらった!」

 

 伊勢怪人の背中からサマーデビルが飛び出した。薙刀をオロチの首に突き立ててそのまま張り付く。装甲の塊ともいえるマザーアースには攻撃範囲の狭いブレードはあまり有効な武器ではない。サマーデビルは躊躇いなく持ち前の攻撃手段を使用する。

 

「爆ぜろ!」

 

 薙刀でこじ開けた隙間に左手を差し込んだサマーデビルはオロチの内部に大量の機雷を送り込んだ。拡張領域内の7割の機雷を送り込んだ時点でサマーデビルはオロチから飛び退く。同時に爆破。

 サマーデビルの一撃により東の首の右側が大きく削り取られた。しかしまだ中心部の荷電粒子砲は健在である。それは攻撃した側もわかっている。伊勢怪人に乗っていたのは1人だけではない。

 

「仕上げっ!」

 

 剥き出しになった荷電粒子砲に飛び込むのは甲龍。どの部隊にも加わっていなかったリンだ。いざというときに海中でも戦闘できるということでこのチームに加えられていた。

 今回は双天牙月のない、衝撃砲のみでの出撃である。両手の崩拳と背後に浮いている龍咆を至近距離で一斉に開いた。

 

「吹っ飛べっ!」

 

 不可視の咆哮が荷電粒子砲を襲う。装甲という防護服を失った精密機器はいとも簡単に砕け散った。

 東の首の無力化が完了した。これでヤイバの進む道が開けた。

 

 だがそうは問屋が卸さない。

 リンが首を落とした瞬間を狙いすましたかのように海面が盛り上がった。海水を突き破って出てきたのは巨大な鞭。大きくしなる巨大な尾は真下からリンを叩き落とす。

 

「きゃあああ!」

 

 リンは操縦不能となって海へと墜落する。

 オロチの尾は続けてサマーデビルを捉え、薙刀をへし折りながらサマーデビルを戦闘不能に追いこんだ。

 最後に伊勢怪人を狙ってオロチの尾が迫る。伊勢怪人の選択は1つ。海に飛び込むこと。オロチの尾は海面に当たった瞬間に減速し、伊勢怪人は攻撃の回避に成功する。

 伊勢怪人は背中のユニットを切り離す。敵マザーアース“ヤマタノオロチ”は荷電粒子砲8基のみではなかった。荷電粒子砲は八つ首にあたり、ヤマタノオロチには8本の尾もあったということ。分類としては物理ブレードに該当する巨大鞭は質量が通常のISとは段違いである。残しておくわけにはいかない危険な存在だった。

 もう伊勢怪人には勝利が見えている。鞭という武器は先端に近いほど速く、威力が高い。逆に根本側では武器として成立しない。敢えて尾に近づくことで鞭攻撃を防ぐ。そのまま尾にハサミを突き立てて取り付いた。

 装填されているグレースケールを全弾打ち込む。1発打ち込む度に尾が大きく揺れるが伊勢怪人が離されることはない。元々影響の小さいであろうシールドバリアは破壊できた。あとはとどめの指向性水中衝撃波砲“渦波”を発射するだけ。

 エビの胸部の球体を中心として海水が渦を作る。その渦はまるでドリルのように伸びていき、オロチの尾の根本を刺し貫いた。穴から大きく亀裂が入っていき、ついには尾が切断されるに至る。尾の完全破壊を伊勢怪人は成し遂げた。

 

 目標を達成した。これでヤイバ隊が突入する道が開けた。やりとげた伊勢怪人はほっと一息をついて肩の力を抜く。

 だがまだ終わっていない。

 気を入れ直した伊勢怪人の眼前には次の尾が迫ってきていた。尾は8本ある。他の尾の届く範囲だったために攻撃されることとなったのだ。

 直撃を受けた伊勢怪人。海中における彼女はリンやサマーデビルと違って吹き飛ばされたりなどしていない。咄嗟に前に出した独立可動腕のハサミも潰されてしまっているがオロチの尾は止まっている。

 

「舐めんじゃない――っての! 本音ともう一度会うまで、私は負けるわけにはいかないんだからァ!」

 

 伊勢怪人――鏡ナギが声を発する。その気合いに呼応してクルーエルデプス・シュリンプは単一仕様能力をフル稼働させた。海水で構築された巨大な手が尾を掴んでいた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『今ですわ! 発進してください!』

 

 遠方でオロチの首のひとつが爆発炎上しているときにはラピスからヤイバ隊への指示が下されていた。

 ライル隊のときとは違い、オロチを守るための増援は確認できない。少なくとも外に出てくる敵戦力はイリシットとベルグフォルクで打ち止めと見てよかった。真打ちを出すなら今しかない。

 もっとも、ラピスの考えをヤイバ隊のバンガードは把握できていない。彼の仕事は指示されたタイミングで発進し、背に乗せたヤイバを無傷でトリガミ内部へと送り届けること。ヤイバと本気で敵対していたときからまだ1日すら経っていないというのに、今では完全に仲間として戦う羽目になっていた。

 トリガミの東の空をバンガードのラセンオーが駆ける。隣にはカティーナを乗せたカイトが並ぶ。単機で飛ぶよりも機動性は落ちているが敵からの迎撃はまだなく、順調に進んでいた。

 

『オメーがヤイバの方を引き受けるとは思ってなかったぜ?』

 

 近距離であるのにカイトからの通信が送られる。彼は藍越エンジョイ勢を抜けてからのバンガードがよく一緒にプレイする友人だった。ヤイバに関する愚痴にも付き合ってもらったことが数回あるため、カイトはバンガードの事情を大体把握している。

 

『俺のラセンオーとお前のラインドサイトじゃ装甲の絶対量が違う。カティーナ・サラスキーは自分で防御できるだろうが、ヤイバは攻撃を防ぐ手段に乏しい。この配役は妥当だ』

『理屈はそうなんだがそれを受け入れるってのはまた話が違うってならねーんか?』

 

 通信している間にもトリガミが近づいてきた。マシュー隊がベルグフォルクと戦闘している領域へと飛び込んでいく。

 バンガードの進行方向にベルグフォルクが1機立ちはだかった。アサルトカノンが発射され、砲弾はバンガードへと直進する。避けられる距離とタイミングではない。バンガードは左手の盾で受け止めて突き進み、右手のドリルで敵を刺し貫いた。前進の勢いを殺すことなくベルグフォルクを貫通して先へと進む。

 

『俺はすぐに感情的になり、周りが見えなくなる。織斑に負けた後、生徒会長に俺の弱点だと言われた』

『珍しーな。オメーが素直に認めるなんてよ』

『俺は初心者である生徒会長にボロ負けしている。技量で負けていたとは思えん。ならばあの人の言う弱点とは事実なのだろう』

 

 トリガミが近づくにつれて空間におけるベルグフォルクの密度が増していく。オロチの首と尾が破壊された東側には明らかに他の倍以上の数が投入されていた。内部にはもう残っていないくらいの勢いである。

 攻撃の密度も増している。盾だけでは防ぎきれず、肩や足などの装甲にも被弾して徐々に剥がされていく。背中のブースターはまだ壊れていない。ならばまだラセンオーは前へと進める。

 

『そろそろオレっちも避けるのが難しくなってきた。そっちはどーよ?』

『ふん。この程度を突破できなければ俺はリンちゃんに合わせる顔がない』

『そのリンちゃんはヤイバにお熱なのになー』

『そんなことはわかっている!』

 

 バンガードのドリルがベルグフォルクを3機まとめて刺し貫いた。だが貫通はできず、3機目のベルグフォルクがドリルの柄の部分を掴んできた。バンガードは躊躇いなくドリルを手放し、敵を蹴り飛ばして進む。

 カイトにも余裕がなくなったのか通信はもう送られてこない。代わりに背中から声がした。

 

「大丈夫か!? こうなったら俺が――」

「お前は黙ってろ!」

 

 バンガードの不利を悟ったヤイバが援護を申し出てきた。当然、バンガードはヤイバを怒鳴りつけて黙らせる。ここでヤイバが矢面に立てば、ここまでの作戦の意味がなくなる。

 グレネードランチャーが盾に直撃する。この一撃で盾は限界を迎え、バンガードの両手の装備はなくなった。まだ終わりではない。まだ体がある。

 もう目と鼻の先となったトリガミの入り口であるが、まだ届いてはいなかった。

 あと少し。あと少しで自分にしかできないと任された仕事が片づく。

 しかし、最後の関門が立ちはだかることとなる。

 左方向の海面が不自然な盛り上がり方をした。その正体をバンガードは知らされている。ただし、存在を考慮してはいなかった。

 オロチの尾が海面から現れる。しなったままバンガードを叩き落とさんと迫り来る。直撃を受ければバンガードだけでなくヤイバも大打撃を受けることとなる。そうなれば作戦自体が失敗。悪足掻きする手段も咄嗟には思いつかない。

 これで終わりかとバンガードは目を閉じた。

 

「させるかァ!」

 

 女子の叫び声でバンガードは慌てて目を開く。声の主は顔を見なくてもわかる。バンガードが憧れを抱いているリンその人であった。一度は尾に叩きつけられて操縦不能に陥っていたが、このタイミングで戦線復帰し、バンガードに迫る尾に立ち向かう。

 非固定浮遊部位の龍咆は故障して発射不能となっていた。リンに残された武器は両手にある崩拳のみである。単純な火力でいえばオロチの尾の質量を打ち破れるほどの力はない。だがそんなことで止まるリンではなかった。

 しなる尾に双手突きをぶつける。どう見てもリンが吹き飛ばされるとしか思えない状況。リンの行動が無駄に終わる未来の方が想像に容易かったのは間違いない。

 だが、違っていた。いかなる力が働いたのか、リンの崩拳は規格外の力を発揮してみせる。腕に取り付けられた小さな衝撃砲が発した衝撃は振り回された尾をも上回っていた。尾は丸い打撃痕を残して逆方向に吹き飛ばされる。

 

「さっさと先にいきなさいよ!」

 

 リンが叱りつける。その言葉はバンガードに向けたものなのかヤイバに向けたものなのかはわからない。だがバンガードに活力を与えるには十分だった。

 これが最後だと背中のブースターに火を入れる。ぐんぐんと加速し、トリガミへ到着したと言える距離となった。背後から放たれたアサルトカノンが背中のブースターを貫く。爆発直前に切り離し、ヤイバを放り出すこととなった。

 

「バンガードっ!」

「俺が送れるのはここまでだ! さっさといけェ!」

 

 メインブースターを失ったバンガードはその場で浮遊する。ヤイバに向けてリンと同じ言葉を叩きつける。体の向きは今まで走り抜けてきていた戦場を向いた。

 まだヤイバは行こうとしない。後ろ目にヤイバの様子を見ていたバンガードは背中越しに言ってやることにする。

 

「行けよ。守りたい女がいるんだろ?」

 

 静かに、諭すように伝えた。

 バンガードが織斑一夏に嫉妬しているのは事実。しかし、一番気に入らなかったのは鈴に対する態度である。モテるくせに女子からの好意に対してハッキリしない態度をとり続けることがムカついていたのだ。

 だがそうした一夏が本気で1人の女の子を助けようとしていると知った。エゴとも言える思いを持って一途に突っ走る男を、羨ましかったり憧れたりこそするが非難する気など毛頭ない。

 ――ここで認めてやらなくて何が男か。

 

「ありがとう」

 

 ヤイバは感謝を告げてトリガミへと向かう。閉ざされていた扉は雪片弐型によって強引にこじ開けた。建物内部へと消えていくヤイバを見送ってバンガードは正面の敵を見据える。

 圧倒的多数のベルグフォルクが自分に銃口を向けてくる。前回の防衛戦の比ではない数だった。バンガードには攻撃を受ける盾も避けるための足も奪われている。敵の攻撃を何もできずに受け入れるのみ。

 

 ラセンオーが機能停止する。

 だがバンガードの戦いは決して無駄などではない。

 無傷のヤイバがトリガミへの進入を果たしたのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 トリガミ内部は外と打って変わって静かであった。

 全くの無音というわけではないが比較的静かとだけは言える。

 誰もいないどころか何もない通路をヤイバとカティーナの2人が進んでいた。ナナとは何故か通信がつながらない。Illとの戦闘が影響しているかもしれないとラピスは言っている。

 ナナのおおよその位置はラピスから送られた情報でわかっている。ヤイバたちは奥から聞こえてくる戦闘の音を頼りにしてナナの居所を探ろうと試みていた。

 

「ヤイバくんは奥から聞こえる爆発音をどう見る?」

「ナナがまだ戦っている音に決まってるじゃないですか」

「私もそう思う。外で派手にやって誘き出せたからか敵の迎撃は全くないわ。このまま行けば間に合いそうよね?」

 

 このタイミングでラピスからの通信が来る。

 

『トリガミ内部にISが侵入しましたわ。例の偽楯無です』

 

 何も敵のなかった内部に新手が入ってきた。更識簪。ヤイバをIllと思いこんで攻撃してくる更識楯無の妹である。

 カティーナ――更識楯無の目的はIllの撃破ではある。しかし、さらに優先される目的があった。簪に真実を伝えて、敵対を止めさせなければならない。

 

「私が行くわ」

「任せます!」

 

 力強く返事をしたヤイバは前だけを見据えてひとりで進んでいった。

 楯無はその場で静止し、ヤイバの後ろ姿を見送る。

 2人だけとなっていたヤイバ隊はここで二手に分かれることとなった。

 

「ラピスちゃん。簪ちゃんの位置情報をちょうだい」

『了解しましたわ。今から向かうとトリガミ内部のロビーホールに当たる部屋で鉢合わせますわね』

「じゃあ、すぐに行くわ」

 

 楯無も移動を開始する。ラピスの指示に従って通路を進んでいくとやがて広い空間に躍り出た。

 見覚えがあるようでない。

 天井の高い広々とした円形の空間の中心に巨大なリングが設置してあるのはプレイヤーの使用するロビーと同じ。よって巨大リングは転送ゲートである可能性は高い。しかしリング内部の独特の発光が見られないため使用不能になっていると思われる。使えるようにするには設定を変更する必要がある。

 また、転送ゲート以外にはほぼ何も置かれていない。これはプレイヤーの使用するロビーとは大きく異なる。ロビーはゲームを円滑に進めるために企業が手を加えているものだからだ。今、楯無が見ている光景こそが篠ノ之束の遺産と呼ばれているものの真の姿なのだろう。

 楯無がゲートの前に立つと別の入り口からISが現れた。左手に試作装備“雪羅”を装備した打鉄――更識簪である。彼女は楯無の姿を確認すると右手の刀の切っ先を向けた。言葉は何もない。

 

「聞いて、簪ちゃん」

 

 楯無が呼びかける。鏡に映したかのような自らと同じ顔に向かって妹の名前を呼ぶ。双子ではなくただの姉妹。似ているところもあるが瓜二つということはない。簪が意図的に楯無と同じ顔を選んでいることは間違いなかった。

 今は妹の真意を問いただすときではない。楯無が望むのは簪の武装解除、ならびにISVSからの帰還である。返事をしない簪に楯無はさらに説得を重ねる。

 

「簪ちゃんは何と戦うべきか見失ってる。簪ちゃんが敵と思いこんでいる人はあなたの味方なの」

「嘘だ……」

 

 すぐには信じてもらえないと楯無も理解している。とりあえず話に応じてくれたことを幸いとし、このまま話を続けるつもりだった。

 だがまたもや簪の言葉は楯無の想定と食い違う。

 

「また、そうやって……私を騙すんだ……」

「え? またってどういう――」

「もう騙されないっ!」

 

 簪が叫んだ。彼女のイグニッションブーストにより戦闘の火蓋が切って落とされる。刀を全面に押し出した強引な突きを楯無は扇子で右に弾くことでいなす。冷静な対処はトップランカーとして当然の反応。だが思考は混乱していた。

 また騙す。簪の中で楯無に騙された過去があることになっている。楯無には心当たりがなかった。真実を言わないことはあっても嘘だけはつかないように細心の注意を払っていたはず。

 攻撃を躱された簪は突き出した腕を戻すことなく、右脇の下に左手をくぐらせる。

 左腕の装備は簪による試作品である複合装備“雪羅”。ENブレードとENシールドと荷電粒子砲の3つを使い分けることを目的としており、装備する上での制約さえクリアすれば強力な装備である。

 至近距離ではあるが爪状のENブレードを振れる状況ではない。簪の選択肢は荷電粒子砲の1択である。手の平を楯無に向けると中心部に粒子が収束した。

 対する楯無は扇子を広げてアクア・クリスタルを集中させる。

 

「これで……」

 

 簪の左手から放たれたビームは楯無の水のヴェールに直撃する。水のヴェールは硬さで弾き飛ばすのではなく柔軟性を以て少しずつビームの軌道に修正を加えることで無理矢理偏向させた。曲げられたビームは楯無の右方へと飛ばされていき、壁を爆発させる。

 攻撃が失敗した簪は背中の山嵐の発射口を開きつつ楯無から飛び退く。楯無はミサイル迎撃のためにアクア・クリスタルを自分の周囲に漂わせた。だがミサイルが撃たれることはなく簪は距離を取るだけに留まる。

 追撃を加えなかった意図が読めない。不可解な点を感じながらも楯無は攻撃することなく言葉だけをぶつける。

 

「攻撃を止めて! 私たちが戦う意味なんてないの!」

「私を……バカにしてるの?」

 

 両肩の外側に配置されている春雷(荷電粒子砲)が火を噴く。単調な攻撃が楯無に当たるはずもない。左に飛び退くことで楯無は当たり前のように避けた。しかし行動と違ってその内心に余裕は欠片もない。

 

 あまり話さない姉妹であったことは事実だった。楯無は更識の当主として修行し、簪はISの技術者としての道を歩み始めた。今は互いの道のために距離が開いている。それも一人前となれば解消される程度のことだと思っていた。祖父を頼らずとも更識の当主として胸を張れるようになったら、姉としての時間を改めて作っていこうと夢見ていた。

 そもそも楯無の名を継ぐ決意をしたのは政略結婚に利用されそうだった簪を守るため。当時6歳であった幼い楯無の決断であった。

 楯無は一族の男子に継がれてきていた名である。先代楯無は男の子に恵まれないまま急死し、更識翁は他の一族の男を更識に迎えようとした。更識翁に気に入られた男は楯無とはそりが合わなかった。となれば妹の簪に白羽の矢が立つ。

 自分が我慢するつもりであっても更識翁がどう決定するかはわからない。幼い楯無は焦った。このままでは大切な妹が更識の犠牲になる。

 そんなときであった。白騎士事件が起きて世界は変わった。ISの登場により、国家のパワーバランスと性別の価値観が崩れた。ときに武力も求められる更識にとって、男性よりも女性の方が都合が良くなったのである。

 更識翁は楯無に問いかけた。楯無を継ぐ覚悟はあるか、と。

 楯無は答えた。私が楯無になるのは当然だ、と。

 その身を盾とし、妹を普通の子として過ごさせると誓った。

 

 なのになぜ妹と戦うことになっている?

 最愛の妹が敵として自分を睨んでくる。その目は他のどんな攻撃よりも辛く苦しい。

 楯無となったことに見返りがいらないなんてことはない。

 楯無にとっての見返りは簪が更識と関係のない場所で笑顔でいられること。

 今の簪の顔を見るために楯無になったわけではなかった。

 

「簪ちゃん、私……」

 

 妹に呼びかける声は徐々に小さくなっていく。

 楯無の様子に気づかない簪は山嵐を全弾発射した。

 ミサイルの群が楯無に迫る。彼女が開いていた扇子を音を立てながら閉じると、ミサイルは全て何もないところで爆発した。

 

「私……やっぱり、簪ちゃんを攻撃できない……」

 

 力尽くで簪を押さえつけるのが正しい判断であるとは理解している。

 武器だけでも破壊して戦闘不能にするべきだ。

 だが思ったように体が動かない。

 手を出せば、もう二度と妹と向き合えないかもしれないという不安ばかりが脳裏を過ぎる。

 

 爆発による煙と埃が広がっていく。

 楯無の望む戦闘の終結は訪れそうにない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ナナは耐えることしかできなかった。

 敵の剛腕から繰り出される赤黒い光の爪を雨月と空裂の二刀を盾としてギリギリで耐える。ENブレードを束ねたようなENクローは剣術で受け流すことは難しく受けねばならなかった。まともに受け止めた結果、ナナは衝撃を逃がすために吹き飛ばされることとなる。

 1発受けては後ろに下がり、体勢を整える頃にはギドが目の前にまで来ている。攻撃できる頃にはギドの腕が振りあがっていて、ナナは再び受けるしかない。

 するとナナは壁に行き当たる。当然ギドは同じタイミングで爪を振るう。ナナは決死の思いでギドの脇をすり抜けようとするも、非固定浮遊部位の1つを破壊される。

 ギドが両手にENクローを展開してからというもの、ずっと同じことを繰り返してきた。既にナナには非固定浮遊部位が残されておらず、紅椿の拡張領域には予備の装備を入れる容量が余っていない。

 残された武装は両手の雨月と空裂のみ。次に壁に追い込まれれば、今度は敵の攻撃が本体に届く。

 同時にナナは気づいていた。ギドは本気で戦ってなどいない。本気であるならば最初に壁に追い込んだ時点でナナに攻撃を当てられているはずである。いや、むしろ壁に追い込むという行程すら必要ないとも思われた。

 遊ばれている。これまでツムギの全メンバーのために孤軍奮闘もしてきたこともあるナナが手も足も出ていなかった。

 この事実に気づきながら、ナナは認めるわけにはいかない。

 ここで目の前の敵に屈することになれば、間違いなくシズネが殺されてしまう。

 

「どうした? オレ様を殺すのではなかったか?」

 

 攻撃の手を緩めないままギドが嘲笑う。ナナの方から手を出させようとする挑発だろうが、今のナナには悔しさで歯噛みすることしかできない。

 目だけはギドの首を取るつもりで睨みつける。それが精一杯の反撃だった。

 

「クックック……少しばかりハシャぎすぎたか」

 

 ギドは唐突に動きを止めた。ナナの眼力に屈したはずはない。口元から笑いが消えず、整っている白い歯すら覗かせている。

 低空に浮いていた体を降ろして床に足をつけた。両手からはENクローが消失しており、両手で自分を扇ぐようにして『来いよ』とナナを煽る。

 受け手に回ってやるという意思表示はナナを見下す行為であった。だがナナはまだ冷静さを保てている。元よりプライドなどのために戦っていない。隙を見せたわけではない相手に無闇に飛び込むような真似はせず、ギドの観察に終始する。

 ナナは攻めない。ギドの求める殴り合いは起きない。

 

「来ないのか? ならば、向かってくるだけの理由を作らねばならんな」

 

 理由を作る。ナナを誘き寄せるためだけにシズネをさらった男が、ナナに自分を攻撃させる理由を作ると発言した意味をナナは瞬時に悟る。

 ギドの視線がシズネを向くのとほぼ同時。ナナは思考するよりも先に飛び出していた。

 雨月と空裂で左右から同時に斬りかかる。挟み込むような剣撃を前にしたギドは待ってましたと目を輝かせた。

 

 ギドはナナの二刀をそれぞれ掴み取ってみせた。

 

「な……に……?」

 

 ナナの目は驚愕で見開かれる。雨月も空裂も敵を斬ることができていない。押しても引いてもビクともしない。ギドの眼前で完全に動きを止めてしまっていた。

 

「喰らえ」

 

 足の裏で押し出すような蹴りがナナの腹部を捉える。刀を拡張領域に回収することなど考える暇すらなかった。ナナは体をくの字に曲げて反対側の壁に激突する。

 ギドは掴んでいた刀を投げ捨てる。ナナの最後の武器はナナの手の届かない場所に転がった。拾えば使えるのだが、今の紅椿にはまともに浮遊することもできない。壁から離れようとしたところで重力に引かれ、床に落下する。

 ただの蹴りなどではなかった。この一撃でアーマーブレイクが発生している上に、絢爛舞踏によるシールドバリアの高速修復が何かに阻害されている。PICもサプライエネルギーを使い切ってしまったときのペナルティと同様な機能不全に陥っている。

 それでも膝を折るわけにはいかない。ここで倒れればシズネが助かる道がなくなる。ただその一心でナナは膝を振るわせながらよろよろと立ち上がった。

 床ばかり見つめていた顔を上げる。すると、黒と金の目でナナを見下ろす銀髪の大男が目の前に立っている。

 

「その状態で立ち上がる気概は素直に讃えよう。オレ様の遊び相手として実に優秀であった」

 

 ギドの右手がナナの左肩に伸びる。左手で払いのけようとするも、純粋な力でギドに適わない。ギドの右手はナナの肩を掴んだ。

 

「離せ!」

 

 ナナは身をよじるがギドの手は離れない。とどめを刺さないギドの行動を疑問に思う以前に嫌悪感が先行する。

 抵抗は意味を成していない。そして、ギドは肩を掴むこと以外には何もしない。

 ナナが敵の意図に気づいたのは紅椿のストックエネルギーの表示を見てからであった。

 

「エネルギーが……吸われている!?」

「それがオレ様の力だ。オレ様としては敵は殴り倒すものだが、お前はエアハルトへの献上品なのでな。万が一にも殺すわけにはいかん。こうしてエネルギーだけ吸い尽くさせてもらう」

 

 ストックエネルギーが減少していくだけでなく、PICもシールドバリアも復旧しない。絢爛舞踏があり、サプライエネルギーが有り余っていても有効な出力先が何もなかった。

 辛うじて腕のスラスターを駆使して右腕を突き出すことはできる。ナナにとって最後の望みをかけた一撃はギドの胸に当たるがPICCの機能していない攻撃はISには一切通用しない。それはIllも同様。虚しい悪足掻きでしかなかった。

 ストックエネルギーが底をつく。紅椿は全機能を停止し、ストックエネルギーの回復に専念し始める。装甲などはナナの体についたままだが、拘束具のようなものだった。

 ナナは無力化された。役割を終えたナナは床に放り捨てられる。

 

「ぐぅ――!」

 

 くぐもった悲鳴を上げるナナにもう興味はないのか、ギドはナナが入ってきた入り口とは別の入り口に歩を進め始めた。戦闘の終結により現れたベルグフォルク5体にギドは指示を下す。

 

「あとは面倒だから任せる。ナナの方はISコアを引き剥がしてから牢にでもぶちこんでおけ。それが終わったらもう餌の方は要らんから処分しろ」

 

 人の意志でなく機械的に思考するリミテッドは了解と返すことなく忠実に命令を実行するだけである。ギドはリミテッドの仕事ぶりを監督することなく、気怠そうに出口へと歩いた。

 

「シビルが外にも来てると言っていたな。オレ様も加わるとしよう」

 

 そう言い残してギドは去っていった。あとに残されたのは床に這い蹲って動けないナナと壁にくくりつけられたシズネ、命令を下された5機のベルグフォルクのみ。

 頭の無い手足の生えた黒い球体はナナへと体を向ける。表情どころか視線すらわからない5機の機械人形はうつ伏せになっているナナを取り囲んだ。武装は手にしておらず、通常のISと同じように造られている手をナナの体に伸ばす。

 

「私に触れるなっ!」

 

 まともに体を動かせないまま、ナナの四肢は機械人形に取り押さえられる。

 

「何をしている!? 離せェ!」

 

 手足に力を入れても動かせない。取り押さえられた手足からはバキバキと金属製のものを破壊していく音が聞こえてくる。まず最初にナナの右手が露出し、ヒヤリとした空気が肌を撫でた。

 紅椿がナナから剥がされている。唯一の武器である紅椿を失ってしまえば、ナナはただのか弱い少女でしかない。

 シズネを守れない。

 

「やめろ……やめてくれ……」

 

 いや、最初からナナはか弱い少女であった。クーから紅椿という力を受け取り、持ち前の責任感で皆の先頭に立っていただけの歳相応の少女なのだ。

 唯一の抵抗であった拒絶の言葉も次第に力を失って懇願になっていく。敵に負けることは死を意味すると覚悟していたナナであったが、殺されもせずに自分の無力さを延々と思い知らされるとは思っていなかった。

 ナナの懇願は心ない機械人形には届くはずもなく、ナナの手足はすっかりと軽くなった。4機のリミテッドは四肢の装甲を破壊し尽くした後もナナを押さえつけたままであり、ナナは自由を取り戻してはいない。もっとも、ナナにはもう抵抗するだけの気力がなく、悔し涙が床に流されていくだけであった。

 リミテッドの最後の1機がナナの背中に手を伸ばす。ナナに残された唯一の紅椿。ここには紅椿のコアも存在していて、これを剥がされれば終わりだった。

 ……何が終わる?

 気を失いたくなるくらいに現実を拒否したかったナナは考えた。

 紅椿を完全に奪われて終わるものとは何か。

 敗北した時点でシズネを取り返す可能性は費えているようなもの。

 ギドがリミテッドたちに下した命令を思い出す。

 ナナを生かしたまま紅椿を剥がせとしか指示されていないリミテッドはこれ以上ナナに危害を加えない。

 そのあとは――

 ナナは絶叫する。

 

「やめろおおおお!」

 

 手足に活力が戻る。拘束から逃れようと必死に暴れ出す。

 力の差は歴然。紅椿のないナナでは機械人形たちの力には抗えない。

 背中に敵の手が触れてもナナは足掻くことをやめなかった。

 それもそのはずだ。

 紅椿のコアが剥がされたときに終わるもの。

 ギドが処分しろと言っていたもの。

 それはシズネの命。

 

「あああああああ!」

 

 力の限り叫んだ。しかし声だけで敵が倒せるはずもない。

 ベルグフォルクの手が紅椿の外装を剥がす。

 背中が軽くなっていくのと対照的にナナの心にはシズネが殺されるという恐怖が重くのしかかっていく。

 

「が、はっ――」

 

 喉が限界を迎えた。苦しみで手足にももう力が入らない。

 ついに紅椿のコアが空気に触れる。

 タイムリミットはすぐそこまで来ていた。

 

 もうどうしようもない。

 

 追いつめられたナナは都合の良い未来を想像する。

 助けに来てくれる人がいる。

 雁字搦めになって何もできず、不幸な運命だと受け入れていた自分を変えた男のこと。

 7年分の月日――特に1年弱にわたるISVS内での生活によって彼の顔を思い出せなくなっていた。

 今は別の顔が鮮明に浮き上がってくる。

 

「ヤイバ……」

 

 掠れた声で彼の名前を呼ぶ。7年前の一夏の名前は出てこない。今のナナには篠ノ之箒ではなく“ナナ”を助けてくれる男のことしか頭にない。

 ヤイバならなんとかしてくれる。今までずっとそうだった。ナナだけではできなかったことでもヤイバがいればなんとかなる。ナナは絶対的な信頼を寄せていた。

 でも、来るわけがない。ナナはヤイバに会いたくないと拒絶した。嫌われて当然だった。そもそもヤイバが戦う目的は、彼にとって大切な少女を助けるためであり、ナナたちはついでのようなものである。

 わかっている。今の状況はヤイバに合わせる顔がないという自らの身勝手さが招いたことだ。ヤイバには何も責任がない。

 嫌いになった相手を、自分の身を危険に晒してまで助けるはずなどない。

 来ないなんてことはわかりきっている。

 それでもナナは言った。

 

「助けて……」

 

 嫌だ。奪われるだけの人生(さだめ)なんて。

 嫌だ。シズネのいない未来(これから)なんて。

 嫌だ。好きな人に『大好き』すら言えない自分(わたし)なんて。

 憎悪と後悔と懺悔が渦巻いて溺れてしまいそうだった。

 ナナはもがく。

 どこかに光がないか。差し伸べられる手を求めてがむしゃらに手を伸ばす。

 自分にとって都合がいいだけの図々しい願いを……言葉として吐き出した。

 

 

「私を助けてよ……ヤイバ」

 

 

 ――瞬間、世界が白く塗り変わった。

 

 喉が潰れそうなくらい泣き叫んでも何も変わらなかった絶望が、金属のひしゃげる音と共に崩れ去る。

 助けての一言に込められた言霊の力とでも言うべきか。

 手足が軽い。ナナに触れていた機械人形の手は消え去っていた。

 力は入る。うつ伏せであったナナは両手を床について顔だけを起こす。

 ナナを見下ろしていた機械人形の姿などない。

 顔を上げたナナの目に飛び込んできたのは白いISの背中だった。

 背中に浮いている大きな翼からは機体と同じくらい白い粒子が漏れ出ている。羽のように舞い降る粒子はナナの体を優しく包み込んだ。

 温かい。

 目の前の男はまだ何も話さない。しかしどうしようもないくらい、その背中は熱く語っている。

 

 

 ――お前を助けに来た、と。

 

 

 声と共に枯れたと思っていた涙がまた溢れ出してきた。

 両手がわなわなと震えているのは悲しさとは真逆の強い感情が胸にあるからだ。

 ヤイバが来た。その事実は絶望の淵に立たされたナナを軽く引き上げていく。

 彼が傍にいる。その安心感は他の何にも代え難いものだった。

 

「どうして……来たんだ……? 私はヤイバを拒絶したのに」

 

 ナナの口から真っ先に飛び出たのは純粋な疑問。ヤイバを咎めているような攻撃性は声色に一切混ざっていない。

 

「俺は自他共に認めるバカ野郎だ。でもな、アレを拒絶だと思うような奴はバカなんじゃなくて人でなしだろ」

 

 背中越しにヤイバは答える。彼はまだ戦闘の構えを崩さない。ナナを取り押さえていたベルグフォルクたちを吹き飛ばしたもののまだ撃墜には至っていない。

 

「ナナは俺が来たら迷惑だったか?」

「迷惑だなどと言えるわけがない。でも――」

 

 ここでナナは思い出す。ヤイバを拒絶してしまった理由である、7年前に別れた幼馴染みのことを。

 そのナナの思考を読んだかのようにヤイバはナナの言葉を己の言葉で遮った。

 

「忘れちまえ」

「え……?」

 

 一瞬、ナナにはヤイバが何を言ったのか理解が追いつかなかった。

 キョトンとするナナにヤイバが付け足す。自分が出した結論を――

 

「この大事なときに来ない奴のことなんて忘れろって言ってるんだ」

 

 ヤイバのストレートな物言いにナナは目を丸くした。

 彼は今までのナナを支えてきていた思い出を捨てろと言っている。

 長く会っていない大切な女の子を助けるために戦っている男の発言とはとても信じられない。

 彼に何があったのかナナに知る術はない。

 少なくとも、ナナは彼のように割り切ることは難しかった。

 

「だが私は――」

「“でも”とか“だが”とか余計なことを考えるのはやめろ。今のナナの素直な気持ちに従えばいい。俺がここに来てどう思ったのか、言ってみてくれ」

 

 ナナの口答えごとヤイバはその名の如く、バッサリと斬り捨てる。

 ヤイバは言う。7年前の幼馴染みのことは余計なことだと。今の自分たちには何も関わりのないことだと。

 素直な気持ちに従う。それが何かを考えようとしてナナはすぐに気づいた。

 考えなくていい。ヤイバが来る前と来た後でどう変わったのかが全て証明している。

 

「う、嬉しいに決まってる!」

 

 (たが)が外れた。感情を堰き止めるものが瓦解した今、ナナの口から溢れ出すものは精一杯の素直な気持ち。

 

「忘れるのは怖い! だけどそれ以上に、ヤイバと二度と会えない方が嫌だ! 私は浅ましい女だ。私は尻軽な女かもしれない。都合よく助けてくれるだけでヤイバにこんなことを言っているのだと思うと胸が苦しい。それでも……現実に帰っても、ヤイバに傍にいてほしいんだ!」

 

 ヤイバが望む以上の答えだった。

 すれ違っていた2人は離れてからも互いを意識し、今、再び向き合うこととなる。

 

「よくわかった。ナナはもう俺だけを見てろ。その気持ちを濁すような記憶は俺が全部書き換えてやる」

 

 雪片弐型が展開される。過去幾度となく逆境を斬り拓いてきたヤイバの愛刀。持ち主であるヤイバでなくとも、その光の刃は頼もしく映る。

 ここまでベルグフォルクからの攻撃はない。そもそも射撃武器を所持していない。ナナを守るために睨みあっていたヤイバは動き出す。まとまっていた5機の中心に飛び込んだヤイバは瞬く間に敵を斬り払った。ベルグフォルクは5機ともバラバラとなり、ただの粗大ゴミと成り果てる。

 敵を一掃したヤイバはナナに振り返った。顔には笑顔が浮かんでいる。

 

「俺は二度とナナを見捨ててなんかやらない。覚えとけよ?」

「あり……がとう」

 

 ナナはなんとか体を起こし、床にペタンと座り込む。

 ヤイバは照れくさそうに頬を掻いた。

 

「なんかナナに素直に礼を言われると調子が狂うんだよなぁ」

「ヤイバが『俺だけを見てろ』だなどと言うからだ。先に言っておくが私は尽くす女だからな。これまでと違う私を今のうちから覚悟しておくがいい。お前の大切な女とやらも私が忘れさせてやる」

「うっへぇ……おっかねえな」

 

 ナナは顔を真っ赤にしてヤイバに宣言した。おっかないと言いつつもヤイバは満面の笑みを浮かべている。胸のつかえがおりた。互いに相手の想いを確認し、また新しく1歩を踏み出していけることだろう。

 

 まだ戦闘は終わっていない。その事実を先に思い出したのはナナだった。まだ浮かれているヤイバに、ナナが戦った強敵について話さなければならない。水を差すようなことを言うのは気が引けたが、今は非常事態だということを忘れてはならなかった。

 だがヤイバを見た瞬間にナナは固まってしまった。

 先に冷静になったからだろうか。ナナの目はヤイバの左手が妙な挙動をしていることに気づいた。

 何も武器を握っていない手持ち無沙汰な左手は意味もなく閉じたり開いたりを繰り返している。

 続く嫌な予感。ナナは思わず叫ぶ。

 

「危ない!」

 

 紅椿が動いていない今、ハイパーセンサーの恩恵を受けていない。周囲の状況は人並みにしかわからない。にもかかわらずヤイバに危険が迫っている可能性を指摘した。

 ナナの声を聞いたヤイバは瞬時に顔を引き締める。ナナと違ってハイパーセンサーが正常に働いている彼は即座に敵の姿を確認した。入り口にベルグフォルクの6機目がやってきていたのだ。奇襲さえ受けなければ何ということはない軽い相手。あっという間に接近したヤイバの一撃でベルグフォルクはただの残骸となる。

 ナナは全身が震えた。声を出した後からずっと両手で口を押さえている。奇襲しようとしていた敵の存在などどうでもよくなるくらいの出来事が目の前で起きているのだ。

 一度は収まっていた涙が再び溢れ出す。泣き虫な自分を自覚しつつも否定したがっていたナナであったが、今はひたすらに泣きたかった。

 

「助かったぜ、ナナ。それにしても良く気づいたな」

 

 ヤイバがナナに礼を言う。癖というものは本人に限って気づかないものだった。

 ナナは言葉を選ぶ。記憶に残っているやりとりの一部をここに再現しようとした。

 

「お前はバカだ。死ぬところ……だったのだぞ」

 

 奇襲されそうだったとはいえ、全く死ぬ状況ではなかった。それを踏まえてナナは死ぬかもしれなかったと言う。以前にナナは“彼”に同じことを言ったからだった。

 ヤイバがナナを見て固まっている。彼が気づいたのか定かではなかったが、ナナは自分から答えを言うような真似はしなかった。我が儘なのはわかっている。それでも、彼には先に呼んでほしかった。

 

 ナナはもう確信している。

 ずっと一番近くで戦ってくれていたヤイバ。

 ナナのために敵地に飛び込んできた彼はナナがずっと待ちこがれていた少年本人だったのだ。

 織斑一夏。篠ノ之箒がずっと会いたいと願っていた少年。

 彼はヤイバとしてナナの前に現れ、ナナの心を揺さぶった。

 箒は一夏を想い、ナナはヤイバを想う。

 ずっと自分を苦しめてきた想いは二心などではない。

 胸の内に存在するのは、常にたったひとつの想いだけ。

 

 故に正当だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ナナのおかげで不意打ちをもらわずにすんだ。バンガードが決死の思いで俺を無傷で運んでくれたのに、ザコなんかの攻撃を受けては申し訳が立たない。本当に助かった。

 俺はナナに正直な気持ちを話した。俺だけを見てろと、ナナに例の王子様を忘れさせるようなひどいことを強いている。助けに来ても嫌われて当然だと思っていたのだが、ナナは俺を受け入れてくれた。

 だからきっと油断していたのだと思う。俺は正直、浮かれていた。普段なら絶対に気づくような敵の存在すら見落としていた。

 ナナは気づいた。見るからにISが機能していないにもかかわらず敵の存在を察知するとは化け物か、と彼女を褒めた。だけど、彼女は何かが気に食わなかったようだ。

 

「お前はバカだ。死ぬところ……だったのだぞ」

 

 その瞬間、俺は強烈な既視感に襲われた。

 涙を拭うことなく、俺に笑いかけるナナの顔に誰かがダブって見える。

 彼女の言っていることが理解できない。俺は今の状況ではどう考えても死なない。精々手痛いダメージをもらう程度の損害だ。そもそもプレイヤーはIllを相手にしても決定的な死亡をしたケースは存在しない。

 つまり、ナナはわざと理に適っていないことを言っている。

 

「本当にバカだ……お前も……私も……」

 

 あと少しで何かが見える。そう思った俺はナナをひたすら見続けた。

 彼女は小さな声で俺と自分自身をバカだと罵倒している。

 同時に、しきりに何度も頷いていた。

 

 ――ああ、彼女は俺たち2人をバカにしてるんじゃなくて、自分を納得させているんだ。

 

 いつの間にか俺はナナがバカと言っている意図を察していた。まるで何年も一緒に過ごして、お互いの変な癖すらも理解しているように。

 ……ように、なんてレベルじゃない!

 これは俺の知ってる“彼女”そのもの。

 何度も頷いているのは自分に言い聞かせているときの彼女の癖。

 一番最後に見た7年前の篠ノ之神社でしていた彼女の仕草とピタリと一致した。

 

「そう、だな」

 

 俺はナナに同意する。胸の奥から何かがこみ上げてきて、涙腺が刺激されるが、外に出さないように我慢する。

 

「俺って、バカだよ」

 

 本当に、どうして今まで気づかなかったのだろうか。

 いや、もしかしたら俺は気づいていたのかもしれない。

 ずっとナナが気がかりだったのもナナと“彼女”を重ねていたからだ。

 それでもピンと来なかったのは鈴のことがあったからだろう。

 結果的に鈴をひどい形で振ってしまった経験が、俺にナナをナナだと思わせた。

 シズネさんがナナの本名を知らなかったのも追い打ちだった。

 ……などというのは全て言い訳に過ぎないな。

 俺は長く会っていない女の子を探してISVSで戦っていた。

 ナナは昔に別れさせられた王子様が助けに来てくれると夢見ていた。

 そこまで互いに知っていて、どうして気づかない?

 我ながらバカの一言しか出てこない。

 

「ナナ。俺さ、今すぐにお前に言いたいことがあるんだ」

 

 これは俺から切り出すしかない。ナナは頷くのをやめて俺を待ってくれている。

 今からもう、彼女がどう返事をしてくれるのか期待している自分がいた。

 俺がナナに言いたいこと。それは名前。

 

 

「“箒”」

 

 

 それ以外に言葉は要らなかった。

 ナナは目を閉じてゆっくり1回だけ頷く。俺の一言を全身に澄み渡らせてでもいるかのようだった。

 目を開けると彼女はニッコリと微笑む。涙の跡がくっきりと残っているがもう泣いていない。満面の笑みを俺に向けて、彼女は期待通りに返してくれた。

 

 

「“一夏”」

 

 

 俺の名前。俺は一度としてナナに現実の名前を明かしていない。だから、彼女から俺の名前が出てくるということは、彼女が篠ノ之箒であるからに他ならない。

 ……もうそんな証明は必要ないくらいに互いに確信しているよな。

 しかしいざ俺の名前を(ナナ)から聞かされると、我慢してきた涙腺が決壊してしまった。

 一度はナナが死んでいることも覚悟した。その彼女が生きていると証明されたのだ。セシリアはナナと箒が同一人物だと知らないからこそ、いないと言っていただけ。俺は箒が入院している病院を知っているし、生きている姿を何度もこの目で見てきた。

 彼女が生きていて良かった。

 俺の頬を涙が伝ってしまう。男が涙を見せてしまって恥ずかしい。軽く拭った後で気合いを入れ直すも箒からの一言が入った。

 

「一夏は泣き虫なのだな」

「うるさい! これは目にゴミが入っただけだ!」

 

 俺は今、いつかの仕返しをされている。泣いていたナナをからかったことをまだ根に持っているらしい。

 ……別にあれはバカにしてたんじゃなくて、綺麗だなと思ったんだけど、それを言ってしまうのはこれまで以上に気恥ずかしいのでやめておこう。

 今は他に話したいことが沢山ある。今までのこと。これからのこと。眠っている箒に一方的にしか話せなかったこと。これからはそれに返事が来るんだ。

 

「箒。俺――」

「待て、一夏。積もる話は後だ」

 

 途中で遮られてしまう。頭の中に思い描いた箒に話したいこと百選が行き場を失って暴れ回っている。消化不良や欲求不満の状態となり、俺は『うがー!』と叫び出しそうだ。

 

「落ち着け。私もシズネもお前のおかげで助かった。だが、お前が倒したのはただのザコであって、私が敗北を喫した相手は他の場所へと向かった」

 

 箒に宥められることでようやく冷静さを取り戻した。俺の第一目標は達成したが、まだ戦いは終わっていない。箒とシズネさんの安全を確保しても、Illを倒さなければシャルは帰ってこないのだ。

 Illは倒さなければならない。宍戸も俺たちが勝つと信じてくれている。奪われた何もかもを取り戻して、全員で帰るんだ。

 

「ごめん、一人で舞い上がってた。早速教えてくれないか? 箒が戦ったIllのことを」

 

 箒はたった一人の敵と戦っていたらしい。

 赤黒いEN武器を扱うアドヴァンスドの大男。

 触れた相手のエネルギーを吸い取るという特殊な能力を持っている。

 紅椿が力負けするくらいのパワータイプで防御能力も高い。

 話を聞くだけでもイルミナントと同等、あるいはそれ以上の相手と思われた。

 

「だいたいわかった。あとは俺がそいつを倒せば終わりだな」

「簡単に言ってくれるな。いくら一夏が強くとも、今度の相手は一筋縄ではいかん」

「違うって、箒。こういうときはもっと他に言うことあるだろ?」

 

 手厳しいことを言うのはいつもの箒だ。箒らしいといえば箒らしいんだが、今の俺が言ってほしいことはそんなことじゃない。

 

「聞かせてくれよ。箒の“尽くす女”っぽいところ」

「バカなことを言わずにさっさといけ」

 

 俺が一夏だと知った途端にこれだよ。

 少々残念に感じながらトボトボと敵を追おうと出口へと進む。

 そんな俺の背中に箒はさらに付け加えてきた。

 

「全部終わらせてさっさと迎えに来てくれ。私だって一夏に話したいことの1つや2つや3つや4つ……ええい! 数えきれるかァ!」

「箒……」

 

 突然の叫びは俺の胸にジーンと響いた。まったく……嬉しいことを言ってくれる。

 箒も俺と同じなのだとわかったとき、白式に変化が生じる。

 サプライエネルギーの表示が常に最大を示し続けている。

 そして、変化があったのは俺だけではない。

 

「紅椿が急に動き出した!?」

 

 箒の紅椿が再起動したらしい。この短時間でストックエネルギーが規定量回復したということではなく、紅椿の起動には俺が関わっていた。

 セシリアから聞いた俺の単一仕様能力、共鳴無極の説明によるとストックエネルギーも共有されるらしい。今、起きている現象は俺の共鳴無極によって紅椿にストックエネルギーが供給されたような状態ということだろう。

 そしてサプライエネルギーが常に最大なのも共鳴無極の影響だ。サプライエネルギーの共有をするということは絢爛舞踏を持っている紅椿とクロッシング・アクセスすることで白式もサプライエネルギー無限の効果を得られるということになる。ワンオフ共有なんて効果もあったからその影響としても説明できる。

 これで心おきなく箒を置いて敵を追いかけられる。紅椿さえ動いていれば、ザコが来たところで箒が負けるはずがない。ヤバイのが来る前にシズネさんと逃げてくれるはず。

 

「箒。あのさ……」

 

 あとは箒に言ってやる必要がある。

 

「今の俺、相手が何であっても負ける気しないから!」

 

 だから何も心配するな。

 俺は必ずIllを倒して、お前を迎えに来る。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ギドを追うヤイバを見送る。姿が見えなくなっても今のナナにはまるで自分がヤイバであるかのように近くに感じていた。

 ――必ずIllを倒して、お前を迎えに来る。

 力強い彼の意志を受け取ったナナは胸に手を当てる。目を閉じれば今までの全てが鮮明に蘇る。

 

 ひとりぼっちだった小学生時代。友達というものを単語でしか認識していなかった。周囲の人は箒から一定以上の距離を置く。箒に、あるいは箒の背後にいる人物をまるで化け物であるかのように恐れていた。箒も自分を化け物として扱う人たちが怖かった。

 ――くだらねえ。

 彼はそう言って幼い箒の価値観を粉々に砕いた。世界が明るくなった。それは箒だけでなく彼もだったのだと今の箒には理解できる。彼は最初から箒の笑った顔を見たくて近づいてきた男だったのだ。

 

 七年前の篠ノ之神社。彼に会える最後の機会かもしれないと焦った。まだ子供であったが、精一杯に着飾った姿を彼に見せたくて待ち合わせた。

 ――きれいだな。

 言葉としては聞いていない。当時の彼がどう思ってくれたのか今までは想像しかできなかった。今の箒にはわかる。伝わってくる。彼が自分といる時間が楽しいと思っていてくれて、“約束”をしてくれたのだということもハッキリと伝わってきていた。

 

 毎年1月の篠ノ之神社。箒のいない場所に彼はひとりで待ちぼうけ。

 ――また来年に来てくれるはずだ。

 ごめんと謝りたい。仕方がないことではあったが、免罪符にするつもりなどない。約束を守れなかったのは事実だった。

 

 今年の1月3日。静寐とともに初めて辿りつけた篠ノ之神社。彼は来なかった。

 その日の記憶は定かではない。彼ではない“何か”がやってきたことしか覚えていない。

 ――もう俺なんてどうでもいい。そう思ってくれてるはず。

 彼は別の女の子と遊びに行っていた。胸が苦しい。

 逆だと言ってやりたい衝動に駆られる。彼と遊んでいた女の子に嫉妬した。

 

 明くる1月4日。横たわる箒を前にして彼は膝を突いた。無力さに打ちひしがれ、己の行為を恥じ、自分たちの運命を呪った。

 ――なんで今年なんだよ! なんで俺は行かなかったんだよォ!

 ひたすらに後悔を重ねて苦しんでいた彼を知り、胸が痛む。別の女の子でなく、箒を想っていると知って嬉しく思っている自分もいる。ひどい女だと自嘲するには十分だがそれでいいとも思えた。

 

 10月。ヤイバとナナは出会った。思えばこの出会いは仕組まれたものだったのかもしれない。偶然にもヤイバはナナと何度も出会い、互いを知るまで時には戦い、時には助け、和解した。ランダムと称して突然現れるヤイバの背後に、お節介なナナの姉の姿が目に見えるようだった。

 

 彼の聞いていた声。

 『今の世界は楽しい?』という問いかけ。

 今のナナならば『楽しい』と答える。

 ひとりじゃない。

 自分のことを大切に思っている人が居てくれる。

 姉が創り出した幻想世界の中でも、ナナは生きていると実感できたから。

 

 クロッシング・アクセスによる記憶の共有が終わる。深層に眠っている記憶は本来は覗けないものなのだが、ヤイバとナナはお互いに自らの過去を掘り起こし、交換していた。話をしたいという思いが強すぎる故に。

 

 ナナはギドと戦った部屋の中を見回す。ボロボロだった。転がっている雨月と空裂を拾って拡張領域にしまっておく。

 次に部屋の中で唯一綺麗な壁へと進む。十字架の装飾と、括り付けられたシズネがいる。敵のいない今ならば、満身創痍であるナナでも簡単に助け出すことができた。

 

 拘束から解放したシズネを床に下ろして寝かせようと思ったそのときである。

 ナナは異変に気がついた。

 シズネの目は完全に開いていた。

 

「シズネ?」

「ぐー」

 

 眠ったフリのつもりだろうか。完全に棒読みである。

 ナナは抱き抱えていたシズネの体を放り捨てた。そのままシズネは床を転がり、仰向けで止まったところで体を大の字に広げた。

 シズネの目は天井に向いている。

 

「ひどいです。ナナちゃん」

 

 彼女はナナを見ることなく淡々と口にした。呆れたナナは右手を額に当てて頭を振る。

 

「起きているのならばそう言え。無駄な心配をかけさせるんじゃない」

「その心配とはヤイバくんと話していたことを私が聞いていたかどうかですか?」

「どこから聞いてた? むしろいつから起きていた?」

 

 むくりと起き上ったシズネに問う。

 聞かれて困るということはない。

 むしろどこまで知ってくれているかが知りたかった。

 

「目が覚めたらナナちゃんが自分のことをバカバカと言い続けていたところでした。とうとう壊れてしまったのかと思い、私が涙ながらに斜め45°の角度でチョップを繰り返す未来を想像しちゃいましたね」

「いいや。私はきっと直ったのだ」

 

 シズネの冗談を流しつつも一部を拾う。壊れたのではなく直った。ナナと箒でバラバラになっていた心がひとつに繋ぎ合わさった。

 シズネはナナに嘘をつかない。彼女が目を覚ましたタイミングは宣言した通りだろう。だから細かい説明はいらない。ナナは一番の親友に言いたかった。親友の想いを知っていても、隠すような間柄ではいたくなかった。

 

「知ってるか、シズネ? 白馬の王子様は実在するのだ。馬ではなくISだったが」

「知っています。私もそうでした」

 

 お互いに同じ背中を思い浮かべている。ナナは以前にさんざんシズネに聞かされていた。翼の生えた騎士の背中の話を熱弁するシズネを当時のナナは話半分に聞いていたのだが、今のナナはシズネの話を全て理解できる。

 王子様。ナナとシズネの間でこの言葉はナナ――正確には箒の想い人を指す。ナナが口にした白馬の王子様の意味をシズネが理解できないはずはない。それでもシズネは平常運転の無表情を貫き通していた。

 ナナは話をやめない。自分が辿りついた結論がとても嬉しいものだったことを伝えなくてはならない。たとえ親友が苦しんでも、隠すことは絶対にしない。

 

「とんだお笑い草だった。私には最初からたったひとりの王子様しかいなかったんだ」

 

 たったひとりの王子様。そう言った途端に視界が滲んできた。

 自分の素直な気持ちは誰も裏切っていなかった。

 もし記憶を失ってもまた彼を好きになる。そう思うと自分が誇らしくなった。

 シズネの顔がよく見えなくなったまま、ナナは話し続ける。

 

「本当に……良かった。ずっと一夏を想っていて良かった。ずっと一夏が私を忘れないでいてくれて、ずっと私を助けようとしてくれていて……本当に嬉しかった」

 

 聞き手のことを考えない独り言の垂れ流しと化したナナの本音。

 涙で前がよく見えないため、親友が何を思っているのかナナには全く想像がつかない。

 たとえ無表情でも顔を見なければ始まらない。ナナは涙を指で拭う。

 

「良かったです、ナナちゃん。私も嬉しいです」

「シズネぇ」

 

 相も変わらずの無表情……などではなかった。

 シズネはこれ以上にない微笑みをナナに見せてくれている。

 作り笑顔などしたことがないはずのシズネが見せた優しい顔は、彼女の本心で間違いなかった。

 ナナはシズネの胸に飛び込む。

 

「私は……幸せ者だ」

 

 気丈に振る舞い続けた少女の嗚咽が響く。

 弱い部分を隠さなくなった彼女の背中を親友の少女はただ優しく撫でていた。



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26 紡がれた希望

 トリガミの外周では未だ激しい戦闘が続いていた。

 プレイヤーたちを苦しめていたヤマタノオロチ(マザーアース)は首が4本、尾が3本破壊されている。破壊されたベルグフォルクは数え切れない。

 対してプレイヤー軍の被害も5割を超えていた。北を担当していたサベージはリンが悲鳴を上げた瞬間に凶弾に倒れ、東を担当していたマシュー隊は無茶が祟って壊滅している。

 事実上、残された戦力は西と南。オロチの攻略は現在、南のリベレーター隊が中心となっている。東からトリガミに取り付いたリンと伊勢怪人も健在であるため、開始当初よりも攻略の難易度が大幅に下がっていた。

 

 問題は西だ。西の最大の脅威はオロチではない。

 シビル・イリシット。アクア・クリスタルを使う遺伝子強化素体。

 夕暮れの風をも圧倒した敵は、たとえ単機であっても油断のできない相手である。

 銀髪のショートカットの少女は楽しく遊ぶ子供のように無邪気に笑う。

 

「キャハハハ! 出来損ないのくせにやるじゃん!」

 

 3mほどもあるBTソードが4本。カクカクと複雑な軌道を描いて飛んでいく。その先にはシビルと同じ髪の色をしたラウラの姿があった。眼帯は既に外している。

 

「生まれ損ないに言われたくなどないな」

 

 眼帯を外したラウラの金の瞳はシビルのBTソードの動きを正確に捉える。コンマ以下2桁秒の一瞬のタイミングにピンポイントAICをかけることでBTソードの動きを完全に止める。

 ラウラが止めたBTソードにブリッツ(レールカノン)を撃ち込むと、シビルは表面のアクア・クリスタルを爆発させる。ラウラは爆風から逃れるために離れ、シビルはBTソードを手元に戻した。

 

「今……何か言った?」

 

 シビルの声色が変質する。幼さの感じられていた可愛らしい声は消え失せ、相手を威圧する低い声となっていた。

 ラウラは鼻で笑う。想定したとおりの反応で、またひとつ仮説が確信に変わった。

 シビルたちは現実に生きていない、ISVSのみでの存在だ。

 ヤイバはアドルフィーネを倒したことでなんとなく理解していることだが、ラウラにとっては進歩だった。

 ……忌まわしい研究が完全に復活しているわけではない。

 現実にいる最後の遺伝子強化素体であるラウラ・ボーデヴィッヒが危惧していた事態にはまだ到達していなかった。

 同時に、長年伏せられてきていた自らの出生も理解した。Illを使って皆を苦しめている者たちこそが、ラウラを遺伝子強化素体としてこの世に生み出したのだと。

 自分の存在自体が敵の研究成果そのもの。

 ……だからどうした。

 知ってしまえばなんてことのない事実。今までひた隠しにしてきた義父のあたふたした顔を想像してラウラはまた笑う。

 

「不愉快。シビルの方が強いのにどうして見下されなきゃいけないの?」

「これは愉快だ。見下されたと思った時点で貴様は自分で自分を卑下しているだろう?」

「言わせておけば!」

 

 挑発に乗ったシビルが飛び込んでくる。金と黒の目がラウラに殺意を飛ばす。

 その程度で怯むような神経などラウラは持ち合わせていない。両手の手刀にエネルギーを供給し、水を纏って鞭のようにしなる蛇腹剣を迎撃する。意思を持った蛇のように迫る水の凶刃を両手で押さえ込んだ。

 4本のBTソードの切っ先がラウラを向く。しかし今度はAICを使うまでもなく動かせない状態に陥っていた。BTソードの柄にはラウラのワイヤーブレードが巻き付いている。

 至近距離での硬直状態。ラウラは残る武器であるブリッツをシビルの頭に照準した。

 

「させないよ!」

 

 シビルの左手に蒼流旋(ランス)が握られた。液体を模したアクア・クリスタルを渦のように纏わらせ、躊躇いなく発射寸前のブリッツの砲口へと投擲する。

 ブリッツの発射と蒼流旋が砲口に飛び込むのはほぼ同時。ブリッツは内部からの衝撃を受けて爆発四散し、蒼流旋も砕け散った。

 ラウラはまだ攻撃をやめない。両手で掴んでいた蛇腹剣を右手だけで引き、シビルを引き寄せた上で左の手刀による攻撃を敢行する。狙いは首。

 シビルはラウラの腹を蹴りつけた。蛇腹剣を手放したことでシビルは解放され、蹴った勢いのままラウラから距離をとる。

 

「ムッカつくー! シビルの水が全部見えるなんて!」

「私は出来損ないではなかったのか? これではどちらが劣っているのかわかったものではない」

 

 今のラウラにはシビルのアクア・クリスタルが見えている。水蒸気に化けたナノマシンを全て認識し、自らの固有領域内への侵入をAICで拒んでいた。シビルの勝ちパターンを悉くへし折った上で煽ることも忘れない。

 左目を使いすぎているが、まだ落ち着いている。

 逃がすつもりも負けるつもりもない。

 今日ここで、目の前のIllを討つ。

 シャルロットを取り返すために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 更識簪がISVSに関わり始めたきっかけは布仏本音の誘いだった。

 何も不自由のないまま生活し、小学5年生になったばかりの簪はISに多大な興味を抱いていた。

 ISさえ知れば、姉の力になれるかもしれない。

 そんな想いが簪の心に根付いていたのである。

 

 10年前に世界がISを知った後、更識家の内部では女性の価値が見直された。

 ISは女性にしか使えない。

 これからの時代に更識家が対応していくにはISが必要。

 しきたりを放棄してでも新しい当主には女性こそが相応しいと判断された。

 簪が幼い頃、いつも傍にいてくれた姉が離れていった。簪は幼いながらも優しい姉の変わりぶりに理解を示した。更識とはそういう家なのだ。

 姉とは年に数回しか会えない。顔を合わせても軽い近況しか話せない。簪専用メイドを自称する本音の方が共に過ごす時間が長くなってしまった。姉とはそんな関係だった。

 それでも簪は姉のことが好きだった。年齢を重ねた簪は更識家を知っていき、姉がひとつの決断を下したことは容易に想像できた。簪には決して言わないが、姉は簪のためにその身を犠牲としたと悟った。そんなこと頼んでいないと正直に言ったところで、より姉を困らせることもわかっていた。

 だから簪はせめて姉の助けになりたいと望んだ。ISのために姉が“楯無”となったのならば、自分がISという分野でサポートしようと決めた。本音の誘いに乗るには十分すぎる動機があったのだ。

 

 5年前のISVSはゲームとして稼働してからまだ1年ほどしか経っていない黎明期だった。そもそも最初はあまりゲームとして受け入れられていなく、気軽にゲーセンでプレイできるような時代でもなかった。1年をかけてようやく軌道に乗り、古参の一般プレイヤーの多くがやっと始めた時期である。

 幸いにも簪には資金だけはあった。倉持技研に直接電話をして『ISVSを売ってください』と言ってのけた。たまたま電話に出たのが親のコネで研究室を手に入れていた倉持彩華であり、彼女に『面白い小学生だ。どうせだから研究室を覗いていくかい?』と言われるくらいに気に入られた。簪はゲームプレイをする前からISの開発に関わっていくこととなった。

 中学生になってから放課後はずっと本音と2人で倉持技研に籠もっていた。現在の倉持技研の装備の中にも簪が開発したものが含まれているくらいに活躍し、彼女は中学生ながらにして研究員として認められていた。

 

 確実に姉のためになる力が身についている。そう確信していた簪だったがある日、恩人ともいえる彩華から研究室の利用を禁止されてしまう。

 なぜかと簪は詰め寄った。対する彩華の返答は簡潔なもの。

 ――せっかくの青春時代だ。もっと色々なことを学んできなさい。

 週末にしか倉持技研に入ることは許可されず、平日の過ごし方に簪は悩んだ。元々人一倍勉強をしているため、改めて勉強時間を増やすような真似はしない。そもそも彩華のいう“色々なこと”の意図がわからないとどうすることが正解なのか答えが出ない。

 すかさず簪は相談する。相手はもちろん本音。ところがその本音に言われてしまった。

 ――他の人にも聞いてみよー?

 誰も思い当たらなかった。このとき初めて、簪は近くにいる人の少なさに気がついたのである。姉を追って、力を求めているうちに自分の足下が見えなくなっていたのだ。

 本音が簪に手を伸ばす。いないのなら探しに行けばいい。そうして2人は同じクラスの女子に声をかけた。

 一緒に遊ぼう、と。

 簪は本音を含めた友達と一緒にISVSをプレイした。初めは男の子向けだと敬遠していた友達もいつの間にか“7月のサマーデビル”という悪名を轟かせるくらいにのめり込んでいた。

 共に遊び、共に学ぶ。そうして共に成長し、やがて絆が育まれる。

 たしかに研究一辺倒では気づかないかもしれないことだった。

 以前よりも成長した自分。高校を卒業する頃には彩華も納得できる人材となっているだろう将来を頭に思い描く。

 全てが充実していた。

 あの日までは友も夢もその手にあったのだ。

 

 銀の髪をした悪魔が現れる、あの日までは――

 

 本音と2人でいたところにその男は真っ向から勝負を持ちかけてきた。知らない装備で身を包む男を見て、簪は開発研究の立場から興味を持つ。新装備である“雪羅”の試験も兼ねて受けて立った。

 勝負自体は公平に行われた。雪羅と似た装備を使う対戦相手に驚きはしたものの騙し討ちの類は一切なく、簪は2対1のハンディキャップマッチで敗北を喫しただけ。それで終われば良かった。

 だが終わらなかった。帰るはずの状況で帰れない。珍しいトラブルに巻き込まれたと本音と2人で話していると対戦相手だった男が近くで見下ろしてきていた。

 闇夜に浮かぶ月のような眼。人の恐怖心を煽る魔力を帯びた眼光が地に這い蹲る簪たちを照らす。単なるアバターの設定とも思えない異様な姿に、簪は仮想世界だというのに腰が抜けてしまっていた。何も言わずに男は簪に手を伸ばす。

 怖い。わけのわからない状況に陥ったこともあって、簪は強く目をつぶる。

 ――私はお嬢様の付き人だから。

 男の手は簪に届かなかった。代わりに届いたのは本音の声。間延びした言動が一切ない、1年に1度あるかないかという簪ですら聞き慣れないものだった。

 次に簪の目に飛び込んできた光景は体中から光の粒が溢れ出して少しずつ消えていく本音だった。隣にいたはずの本音が前に飛び出している。本音を構成していた光は次々と男の手の中に吸い込まれていく。

 事態の理解が追いつかない簪だったが取り返しのつかないことが起きていると直感した。しかし、戦闘不能となったばかりのISでは何もできない。本音の体が無くなっていくのを、ただ見ていることしかできなかった。

 本音が消えた。あとに残されたのは簪と目の前の男のみ。男は簪に手を伸ばすことなく背を向ける。

 ――今の娘を助けたければオレ様を倒しにくるがいい。その命を懸けてな。

 男は立ち去った。簪は男に何も言えなかった。真っ向から圧倒的な暴力でねじ伏せてきた男に立ち向かう意志が持てるはずなどなく、早くシステムトラブルが解決しないかなと考えていた。何かがおかしいと感じながらも……

 

 そうして簪は現実へと帰還した。

 本音が目覚めることのない現実へ。

 

 

***

 

 全力で振るう刀は扇子などという武器とはほど遠いものによって軽く受け流される。どちらも真剣そのものであるのだが、簪の目にそうは映っていない。

 馬鹿にされている。全力を出す必要などないことを目に見える形で見せつけてきている。お前に力はないと。本音が目覚めないのはお前のせいだと言ってきている。

 ――だったら、お姉ちゃんが本音を助けてくれればいいのに!

 直接話す時間は少なくても、姉の実力は知っていた。カティーナ・サラスキーというプレイヤーネームは姉、更識刀奈以外には考えられなかった。簪は日本代表候補生に選出されるほどの実力を手にしていたが、表向き一般プレイヤーである姉は国家代表と渡り合える位置にいる。

 同じ土俵に立てば追いつけない存在だ。昔はそんな姉が誇らしかった。しかし今は……目の前に立ちはだかる敵となっている今は憎くてたまらない。

 自分に姉ほどの力があれば本音を助けられるはずなのに。

 もし神という存在があるとすれば、なぜ自分でなく姉に力を与えた?

 簪の頭の中は他者への呪いで溢れていた。

 

 ――大丈夫ですよ、簪ちゃん。あなたはひとりじゃない。私もお手伝いします。

 

 頭の中で声が響く。男の声だ。簪はこの男に心当たりがある。

 本音が被害にあってからというもの、大丈夫という言葉を他の誰にも言われていなかった。だからあの人のはずだ。

 ……誰だっけ?

 

 “敵”に山嵐をばらまく。簪と“敵”のちょうど中間ほどで“敵”によって全弾爆破された。今回はそれも想定済みであり、溜めておいた荷電粒子砲3門を一斉に煙の中に撃ち込む。雪羅から放たれたビームに手応えがあった。

 

 ――その調子です。今のあなたならあの敵に勝つことができる。見せてあげましょう。あなたの力を。

 

 また声が聞こえる。男の声は簪の不安を拭い去り、心地よく背を押してくれていた。よくわからないまま優しい人だと感じる。

 ……そうだ。私なら勝てる。私はもうお姉ちゃんを超えるのだ。お姉ちゃんって誰だっけ? 別にいい。本音をタスケルコトガデキルナラ。

 ミサイルが作り出した煙が晴れると、装甲が一切破壊されていない“敵”の姿があった。EN属性の攻撃を装甲のない部位で受けた可能性もある中、簪は自分にある知識から答えを引っ張り出す。“敵”は特殊な装甲を採用していてEN武器を透過、偏向して逸らすことで本体のダメージを抑えることができる。ただし、弱点は装甲であるのに物理的衝撃に滅法弱いということ。ミサイルは届かない。有効な選択肢は刀。簪は右手の物理ブレードを強く握りしめる。

 

 ――さあ、その刀で斬り拓きましょう! 簪ちゃんと友達の輝かしい未来を! 私も応援しています。頑張れ、簪ちゃん。

 

 いける。今日は邪魔が入らない。前のときのように一方的に攻撃もされていない。今、攻撃に向かえば“敵”を倒せる。優しい人の応援ももらった簪は追撃のためにイグニッションブーストを使用した。

 接近は一瞬。“敵”はもう簪の刀の間合いに入っていた。だがまだ刀は振らない。簪は左手の平を“敵”に向ける。

 “敵”は扇子で左手を打ち払おうとしてきた。荷電粒子砲の向きを変えるための行動であり、簪はそれを予期している。この攻撃は荷電粒子砲ではなく、爪から伸びるENブレードが本命。親指から伸びたENブレードが“敵”の右手の甲に直撃した。

 今の奇襲でも“敵”にはほとんどダメージはない。しかし予想外の事態さえ起こせれば簪の勝ちである。“敵”の右手は咄嗟に反応できない。だから簪は左手で“敵”の右手首を掴んだ。これで物理ブレードから身を守るための扇子は封じた。

 残りは仕上げ。離れることも受け流すこともできない“敵”に刀を打ち下ろせばいい。右手を振り上げる。“敵”の対応はないか観察したが何もない。これで終わりだと叩きつけるのみ。

 左肩にまともに入った。元々装甲の少ない“敵”に物理ブレードは多大なダメージを与えることができる。辛うじてあった装甲もこの一撃でガラス細工のように粉々に砕け散る。

 “敵”に動きがあった。右手の扇子が拡張領域に回収される。自由な左手に持ち直せばまた簪の攻撃は届かない。そうはさせない。先手を打ち、簪は刀で“敵”の左手を強打した。左手を破壊し、素手が露出する。これで手を使うIS用装備は使えない。

 勝利は見えた。簪は最後の攻撃のために右手を振り上げる。今度の狙いは頭部。ISVSにおいても相手に大ダメージを与えられるポイントである。セオリーに則った一撃を見舞おうと簪は“敵”の頭部を睨みつけた。

 

「なんで……笑ってるの……?」

 

 振り上げた手は行き場を失っていた。急激に握力を失った手から刀がこぼれ落ち、金属音と共に床を叩く。

 “敵”は簪に微笑みかけている。戦っている相手がする顔ではない。

 普通ならば不気味に感じるところだった。

 だが簪が感じたものは全くの別物。嬉しさと悲しさだった。

 混乱する簪に“敵”はなおも微笑みかけたまま。まるでそれが当たり前だと言わんばかりに答えた。

 

「簪ちゃんが最後に私の手を取ってくれたのって、もう10年近く前のことなんだって思い出しちゃった。ごめんね……手を離しちゃって、ごめんね……」

 

 簪は左手を離す。頭が痛い。両手で押さえても痛みが治まらない。

 目の前にいるのは何者だ?

 10年前が最後とは何だ?

 手を離したのは誰だ?

 泣きながらごめんと謝るのは誰だ?

 

 ――“敵”の罠です。落ち着いてください、簪ちゃん。

 

 男の声が聞こえる。今、頭が痛いのは敵の罠だという。

 罠、はわかる。では“敵”とは何だ? 本音を襲った銀髪の男以外にない。

 銀髪の男がここにいる? いない。

 目の前にいる人は? お姉ちゃん。

 お姉ちゃんって誰だっけ?

 

 頭が破裂しそうなほどの疑念と回答が脳内で錯綜する。

 何が正しくて何が間違っているのか、正常な判断が下せない。

 天井も床もどちらにあるのか定かではない。

 ぐるぐる回る。目が回る。思考が空回る。

 確かなものが不安定。安定とは何かもわからない。何をすればいいのか見当もつかない。

 男の声はまだ聞こえてくる。でももうノイズでしかない。

 精神が限界を迎えるまで時間の問題だった。

 

「大丈夫。大丈夫だから」

 

 ふわりと柔らかい何かが簪を包み込んだ。

 

 発狂寸前にまでなっていた簪の心は急速に落ち着いていく。

 すり切れそうになった心ごと包み込むように楯無が簪を抱きしめていた。

 簪は心地よい温かさに埋没していく。

 “お姉ちゃん”を思い出す。

 もう何年もこうして触れ合っていなかったことを思い出す。

 自分が今してしまったことを思い出した。

 

「どうして……? お姉ちゃんが私なんかに負けるはずない」

「お姉ちゃんはね、妹を傷つける力なんて持ち合わせてないの」

 

 漠然と敵に立ち向かっただけの簪が楯無に勝てるわけがない。それは本人が一番理解している。それでも簪の刀が楯無に届いたのは、楯無が妹を溺愛しすぎているからに他ならなかった。

 更識の当主としては間の抜けた答え。だからこそ、簪は更識楯無ではなく更識刀奈の真実を垣間見た。

 大好きだった姉は幼い頃と何ひとつ変わっていないのだと。

 

「ごめんなさい、お姉ちゃん……ごめんなさい」

「私にはもう謝らなくていい。迷惑をかけちゃった他の人には一緒に謝りにいこうね?」

 

 泣きじゃくる簪の頭を楯無はそっと撫でる。

 

「本音ちゃんのことも簪ちゃんだけの問題じゃない。絶対に私がなんとかしてみせるから」

「うん、ありがとう……お姉ちゃん」

 

 簪は次第に落ち着きを取り戻していく。

 ずっと話せていなかった。だからもう簪の知っている姉はどこにもいないのだと思いこんでいた。

 でもそれはとてつもなく小さな不安が成長して巨大化したもの。

 簪の心には常に姉の背中があったはずなのに忘れていた。

 10年前から簪のために戦い続けてくれている姉。

 性別など関係なく、“お姉ちゃん”は簪だけのヒーローだった。

 簪を攻撃して笑っていた“姉の顔をした敵”は他にいるのだと確信した。

 

 もう戦う理由はない。そもそも最初から戦う理由などなかった。戦うべき相手は銀髪の男だけであり、不気味な双眸は記憶に焼き付いている。その男を倒せば本音が帰ってくる。

 ここで簪は気づく。

 自分が知らないはずのことを知っている。

 なぜ敵を倒せば本音が帰ってくると言い切れるのか?

 推理ではなく確信。実際に同じ例があったということになるのだが、簪の記憶にはその例の詳細が存在しない。

 

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 

 つながらない記憶に混乱している簪を楯無が心配するが正直に答えない。今の自分について上手く説明できる自信がなかった。

 今は知ることが肝心だと結論づける。これまでの人生で考えることだけは欠かさなかった簪としては自分自身で納得のいく答えを出したかった。

 早速、楯無に聞こうとした。久しぶりの会話に無粋な話しかできないことが残念だったが仕方がないと諦める。

 だが簪は質問できずに目を丸くする。楯無の顔が急変していた。鬼気迫る表情で楯無は簪の体を突き飛ばす。

 手を離してごめんと謝っていた楯無が簪を突き飛ばす。その理由に簪はすぐに思い至る。楯無にばかり気を取られていて、周囲に気を配っていなかったことに気がついた。

 

 赤黒い閃光が横切っていく。酸素を失った血のような奔流が簪の視界から楯無を奪い去る。空気は震え、全身を痺れさせる衝撃が吹き付けられると体は思うように動かない。

 

「お姉ちゃんっ!」

 

 口は動いた。右手も動く。楯無のいた場所へと手を伸ばす。

 レガシーの壁や床の一部をも削り取った赤黒い閃光が消えていく。左方から飛んできていたビーム攻撃であったことは理解していても、攻撃した相手よりもまずは自分を庇った姉のことが気になった。

 楯無は立っている。EN攻撃に強い特殊な装甲でも今の攻撃には耐えられず跡形もなくなっていた。ISと呼べる部分が何もなく、ISスーツのみ。体のあちこちは傷だらけで、傷口からは見覚えのある光の粒子が漏れ出ていた。

 簪は迷わず楯無に駆け寄る。

 今の楯無はISの戦闘不能を通り過ぎている。現実であったなら間違いなく死んでいる状態で本来は自動で帰還させられるはずであった。

 帰れない理由を簪は明確には把握していない。しかし経験から知っていることもある。これは本音のときと同じである、と。

 

「ごめん、お姉ちゃんはここまでだったみたい」

「やだよ、お姉ちゃん!」

 

 今、目の前で起きていることを受け入れられない。姉はヒーローそのものであって、負けるはずがない。本音と同じように、化け物にやられてしまうなんてことはあってはならないのだ。

 楯無の口元には笑みが浮かぶ。本音を自分自身の手で救い出すと意志を固めていた楯無だったが今の状況では適わない。このままでは簪に2度も辛い思いをさせてしまう。にもかかわらず、悲壮な顔は見せない。

 

「聞いて、簪ちゃん」

 

 楯無は消えゆく体を苦ともせずに見つめる。

 その眼差しに簪は泣くのを堪えて向き合った。

 楯無は伝える。まだ特大の希望が残されていることを。

 

「一夏くんを頼りなさい。彼は今の刀奈(わたし)に欠けている“ヤイバ”そのものだから」

 

 楯無が残した名前は以前にも聞いた名前だった。

 一夏。それが楯無になりきれていない刀奈に足りていないものを持っている存在だと楯無は言う。

 簪は全てを理解したわけではない。それでも、姉の残した希望を信じないわけにはいかなかった。

 

「わかった……一夏と一緒にお姉ちゃんを助ける」

 

 最後の声は楯無に届いたのだろうか。楯無の体は粒子に分解され、全てがある方向へと飛び去っていく。

 簪は目で追った。その先で粒子は光の玉を形作り、大男の右手に納まる。男が握りつぶすと光は男の中に取り込まれていった。

 簪は床に転がっている刀を拾い上げる。取り乱してはいない。恐怖に震えてもいない。やるべきことはハッキリとしている。まずは手にした刀の切っ先を男に突きつけることからだ。

 

「絶対に……許さない」

 

 殺気の塊をぶつける。これは宣戦布告。

 もう自分だけ逃げない。

 見逃してほしいだなどと思わない。

 戦わなければ良かったなどと後悔もしない。

 全身全霊を懸けて敵を討つ。

 でなければ自分を許せない。

 

「いい目をしている。奴の人形とは思えぬ良い魂だ。歓迎しようではないか!」

 

 銀髪の大男、ギドが両手を広げた。かかってこいという意思表示。

 簪は雪羅、春雷、山嵐の全砲門を開く。躊躇の一切ない全火器一斉射撃をギドにお見舞いする。

 まずは3本の荷電粒子砲がギドに迫る。ギドが右手を前に押し出すと前方に円形の赤黒い盾が出現した。簪の放ったEN射撃は全て表面で弾かれる。

 追撃のミサイルは正面以外からギドに襲いかかる。ギドは何もしない。マニュアル操作に切り替えて、どう敵の迎撃を避けるか思案していた簪の苦悩が無駄に終わり、呆気なく全弾がギドに命中した。

 

「……化け物」

 

 迎撃しなかったのではなく必要がなかった。ギドはミサイルの全てをその体で受けた。それでも簪の目にはダメージを与えられていると映っていない。

 

「小賢しい電子兵器がオレ様に通じるとでも思ったか? ISってのはそうじゃないだろう? わかりやすい力の世界だ。意志と意志のぶつかり合いが勝敗を分ける。オレ様を殺したいというお前の意志を存分にぶつけねば、このオレ様には届かない」

 

 ギドは右の脇腹付近で両手を合わせる。手の中には高エネルギーの球体が生まれて時間と共に膨れ上がっていく。

 簪はコンソールを呼び出した。回避できる規模の攻撃とは限らない。いざというときのサプライエネルギーを確保するために、不必要な装備をアンインストールする決断を下す。選択したのは春雷と山嵐の全て。非固定浮遊部位の全てを放棄し、全てを左手の雪羅に託す。

 赤黒い閃光が放たれる。ギドの両手から繰り出されたそれはマザーアースで到達できるレベルのENブラスター。並の攻撃では撃ち合ったところで一方的に負ける。

 簪は正面から受けるつもりなどなかった。正面に立たなければなんとでもなると思っていた。だが見通しが甘かった。回避先が読まれ、簪は自分から直撃コースに飛び込んでしまう。

 

「くっ!」

 

 単純な実力差により危機が迫る。簪に残された防御手段はただ1つ。雪羅のシールドモードで受け止める以外にはなかった。

 突き出した左手から光の円盤が広がる。雪羅の機能の1つであるENシールドは維持に必要なサプライエネルギーは莫大であるが強力な盾だ。

 盾にビームが衝突し、ストックエネルギーにもダメージが確認される。しかし元々は直撃すれば即死する規模の攻撃である。出力で負けていても全く耐えられないわけではないことが証明された。

 問題は敵の攻撃の持続時間。今はギリギリで耐えることができているが雪羅は限界を超えてのシールド展開に悲鳴を上げている。開発した簪は理解している。不動岩山と違い、防御専用として造られていない雪羅のシールドは現状のような使用は想定していない。

 抑え切れていない余波の一部が肩口を掠めていく。雪羅もところどころひびが入り始めた。シールドの全力展開をするにもサプライエネルギーの枯渇が近い。

 早く終われと祈る。簪はこの攻撃に屈するわけにはいかない。ここで目の前の敵を逃せば、本音どころか楯無も帰ってこない。

 だが無情にもサプライエネルギー切れが近づくだけ。敵の攻撃はまだ収まる気配がない。シールドの展開範囲が狭くなる。堰き止める壁がなくなった後、赤黒い荒波は簪の右手と両足に直撃する。急激なストックエネルギーの減少。もう耐えられない。万事休すだ。

 

「負けられない……」

 

 状況に反して簪の心は折れてなどいない。

 顔は前を向いている。

 その目は赤黒い光の奥にいる敵を睨み続けている。

 

「もう私のせいで大好きな人がいなくなるのは耐えられないのっ!」

 

 ずっと自分に力がないことが罪だと感じていた。

 しかし気づいた。本当に悪いのは無力さなどではない。

 前を向く意志。誰かを頼る勇気。それらを放棄して孤独に閉じこもったことこそが罪。

 もし本音がいればさっきまでの簪を許しはしないだろう。彼女ならばきっといつもののんびりした口調で叱ってくるに違いない。

 本音が目覚めなくなってから初めて本音が近くに居てくれる気がした。

 必ず取り戻してみせる。簪の心はその一心で埋まった。

 

「俺もだよ、簪さん」

 

 もうエネルギーが底をつく。そんな絶体絶命の状況下で簪の耳に男の声が届いた。頭の中に響いていた優しさを演じていたノイズとは違う。肉声で至近距離から聞こえてきていた。

 いつの間にか簪の左手には手が添えられている。白いISの手。自然と突然現れたISの顔に簪の視線が向けられる。

 また銀髪の男だった。見覚えはある。楯無が一夏と呼んでいた男。簪の朧気な記憶の中ではなぜか敵対していた。

 男は自分から死地に飛び込んできておいて簪に笑いかける。これまた姉と同じく敵に向ける顔ではない。この男もまた攻撃してきた簪ではなく、“敵”だけを睨み続けている。姉と同じ。

 簪は悟った。この男が楯無に欠けている刃そのもの――一夏なのだと。

 

「一緒にあいつを倒そう。何もかもを取り戻すために。君の力を貸してくれ」

 

 敵を倒せという点ではノイズと同じ。しかし、一夏の言葉にはノイズと決定的に違うところがある。

 一夏は『頑張れ』と簪をひとりで行かせるようなことはしない。簪の意志をも汲み取り、力を貸して欲しいと頼ってきた。

 楯無の残した言葉を思い出す。一夏を頼れと言っていた。今の簪は自分がやらなければという使命感に溢れていたが、一人だけでだなどとは微塵も思っていない。

 何を利用してでも生き残る。敵を倒す。そうして、自分の未来を掴もうと前進することこそが今の簪に必要なもの。

 

「ありがとう……私に力を貸して、一夏くん」

 

 簪は一夏を受け入れた。

 瞬間、サプライエネルギーが無限に供給され、雪羅の盾は最大出力に戻る。雪羅自身への負荷も極端に減っていた。自分の開発した装備とは思えないほどの性能を発揮し始め、逆に戸惑う。

 簪の左手に手を添えている一夏が呟く。

 

「大丈夫。今の俺たちは誰にも負けない。それが証明されているだけだよ」

 

 簪には勝利を確信している一夏の感情がダイレクトに伝わってきていた。簪自身も絶対に何とかなると感じている。もう負ける気はしなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 箒が戦っていた敵はまだトリガミの外には出ていなかった。そう判断した理由は単純。白式がトリガミ内部で大規模のエネルギーを感知したからだ。

 俺がこのゲートホールにまでやってきた理由はそれだけじゃない。敵を追っている途中で楯無さんからの通信が入ってきたからだった。

 ――一夏くんを頼りなさい。

 俺ではない誰かに伝えている内容。その相手の名前は簪だとも俺には聞こえてきた。簪とは楯無さんが言っていた妹の名前で、偽楯無の正体だったはず。良かった。無事、妹さんと仲直りできたんだ。

 だけど良いことづくめじゃない。直後に楯無さんの反応が消えたとラピスからの連絡が入った。高エネルギー反応と照らし合わせると楯無さんがIllと遭遇し、そのまま敗北した可能性が高い。

 再び高エネルギー反応。規模はさっきと同じ。楯無さんがいなくなった直後ということは、その対象はひとりしかいなかった。

 ゲートホールに到着する。入った途端に俺の視界は赤黒い閃光で埋められた。大規模なENブラスターが放たれており、その渦中に1機のISがいるのがわかる。左手の変わった装備を見やれば彼女が俺を襲ってきていた偽楯無であることは一目瞭然だった。

 偽楯無であった簪はIllの攻撃を受けている。俺にできることは何かを考えるまでもなく、体が自然と動く。

 

「一緒にあいつを倒そう。何もかもを取り戻すために。君の力を貸してくれ」

 

 簪の左手に俺の手も添える。俺の力も重なれと頭で思い描く。他のISにエネルギーを送ること自体は有線でコア同士をつなぐことで可能であるらしいが今はそんな技術も暇もない。そもそもそのような手順など無くとも、俺にはそのための力があった。

 Illを倒して大切な人を取り戻す。俺は箒を。簪は楯無さんを。その1点で俺たちは想いを共有できた。だから可能なはず。

 

 クロッシング・アクセス。

 今、俺と簪はつながった。共鳴無極によりサプライエネルギーを共有し、箒の絢爛舞踏によって無制限に使えるようになる。この恩恵は簪の機体にも表れた。

 簪の雪羅による防御は敵の攻撃を耐えきった。雪羅はあちこちが損傷しており、同じことができる状態ではない。それでも生き残ったことに意味がある。

 

「大丈夫、簪さん?」

「うん……」

 

 返事こそ肯定しているが、状況が良くないことは丸わかりだ。

 ストックエネルギーは残り30%。残っている装備も雪羅のみで、その雪羅も損傷しているためパフォーマンスは低下している。

 他にも気になるところがある。機体ではなく簪本人の方だ。今まで箒、ラピス、バレットとクロッシング・アクセスしてきた経験があるから言えることだが、簪の最近の記憶の中には虫食いみたいに黒く塗りつぶされている箇所があって普通じゃない。怪しいというわけではなく、心配するべき状態と俺は見ている。

 俺は簪よりも前に進み出る。簪に力は貸してもらうとは言ったが今の状況では俺が矢面に立つ方が良さそうだった。

 

「もう1匹いたのか。何者か知らぬがオレ様を楽しませてくれるのだろうな?」

 

 筋骨隆々とした大男が尊大な態度で俺を見下してくる。一目でわかった。こいつこそがシズネさんをさらい、箒を追いつめ、シャルと楯無さんを喰らったIllなのだと。

 俺は雪片弐型を大男に向ける。箒から聞いた奴の特徴ならば、応じるはず。

 

「俺の名前はヤイバ。イルミナントを倒した男だ」

 

 イルミナントの名前を出した途端に終始笑っていた大男の表情が真顔になった。それも一瞬のことで、また人を小馬鹿にしたようなにやけ面を見せつけてくる。

 

「ハッハッハッハ! つくづくオレ様はついてる。お前が織斑一夏か」

 

 敵からは俺にとって予想外の一言があった。昼の防衛戦でエアハルトはずっと俺をヤイバとしか呼んでなかった。なのに、もう俺の正体にまで辿り着いてるというのか?

 

「名乗られては仕方がない。オレ様はギド・イリーガル。真の強者との戦いを望むものだ」

 

 少し想定から外れた情報もあったが、予想通り敵は俺に名乗り返してきた。シズネさんをさらっていても人質として有効活用しようとしているとは俺には思えなかった。戦闘に形だけでも正々堂々を求めているのだと俺は推測を立てている。敵が向かってくるための寄せ餌が欲しかったという話は本当のことだろう。

 アドルフィーネのように命令されて動いてるようには見えず、目的は強敵と戦うことだと今も言ってのけた。アドルフィーネと違って戦闘経験は豊富そうであり、純粋な戦闘では分が悪いかもしれない。

 敵は戦闘狂の類ではある。しかし非情な手段を用いる割にはどこか正当性を持とうとしていて、力と力の衝突を好んでいる。突くのならばこの点だろう。

 

「俺が織斑一夏って誰に聞いたんだ?」

「そのようなことはどうでもよいだろう? これからオレ様と戦う上で必要なこととは思えん」

 

 情報を得られるかと思ったが難しいようだ。エアハルトの情報源になっているかもしれない敵のことを知りたかったのだが流石に虫が良すぎるということなのだろう。

 ギドは黒と金の目を俺に向けてくる。獲物を見る目だ。俺は狩られるのはお前の方だと睨み返す。もう言葉はいらない。

 

 イグニッションブースト。

 

 同時に加速し、ENブレードがぶつかり合う。

 雪片弐型の白い刀身とギドの赤黒い爪は拮抗していた。

 

「この反応。このパワー。お前は合格だ!」

「手加減はいらねえ。その右手は飾りじゃないんだろ?」

 

 この戦いを楽しんでいるギドに俺は指摘してやる。雪片弐型と拮抗しているのはギドの左手だけだ。右手も同じ装備をつけているのならば、動きの止まっている俺に攻撃すればいい。攻撃しないのは俺を舐めているからに他ならない。

 

「いいだろう。これで終わるんじゃないぞ!」

 

 ギドの右手にも左手と同等のENクローが展開される。無防備な俺に突き立てられれば確かにマズい。でも、俺にはちゃんと対策があった。

 

(簪さん、雪羅を借りるよ)

(うん……でもあちこち壊れてる)

(任せろ。紅椿ならば壊れた部品の代用ができる)

 

 今の俺の脳内会議相手は簪だけじゃない。箒も俺たちと一緒に戦ってくれている。

 武器選択、雪羅。俺の左手全体が光に包まれ、簪についていたゴツい左腕が俺へと移る。全く同じものではない。ところどころに紅のパーツが入り交じったつぎはぎの雪羅である。それでも、何も問題はない。

 ギドの爪が迫る。対する俺の行動は当然、雪羅のENクローでの迎撃。ENクロー同士で干渉し合い、互角なパワーによってまたもや拮抗する。

 

「オレ様の両手が押さえられたか。初めての経験だ」

「どうした? 井の中の蛙だったりしたのか?」

「そうならばオレ様は苦悩したりしない。お前という人間に会えたことに喜びを感じているだけだ」

「こっちとしては嬉しくないな」

「そのはずだ。オレ様がお前を楽しませる理由などない」

 

 来ると認識できた。ギドは塞がった両手の代わりに足を振り上げてくる。俺は即座に飛び退いて蹴りを交わしつつ、雪片弐型を雨月に持ち替えて射撃を放った。計8つの光の突きはギドの右手から出された盾によって無効化されて終わる。

 結果は距離が開いただけ。敵の盾は小規模なEN射撃は弾くのではなく呑み込んでしまっているように見える。おそらくは箒の言っていたエネルギー吸収能力によるもの。ENブレードで打ち合えているのは一定以上の出力は吸いきれないからだろう。

 

 今の俺に使える武器を確認する。

 雪片弐型、雨月、空裂、雪羅。他は使用不能になっているためこの4つしかない。全部が手を必要とする装備であるため、実質的に俺の手数は2つまで。簪に雨月で援護してもらおうかとも考えたが、どうやら箒の装備を簪に渡すことはできないらしい。あくまで俺が使えて、俺の装備を渡せるだけであるようだ。

 一番気になっているのはストックエネルギー。ギドとの戦いを始めた時点では俺にダメージはなかったはずだった。しかし、今の攻防だけでストックエネルギーが3%減ってしまっている。触れただけでエネルギーを奪うという能力はENブレード同士で鍔迫り合っても発生している。ならば長期戦は不利。

 

 俺から仕掛ける。牽制として雪羅の荷電粒子砲を放つ。ギドは避けようとはせずに右手から出した盾で防いだ。雨月のときとは違い、吸収されることはなかったが簡単に弾かれてしまう。

 続けて右手の雨月を空裂に持ち替えてEN属性の斬撃を飛ばす。これもギドは右手の盾で防ごうとするだけだった。俺の思惑通りに。

 

「遅いだと?」

 

 俺ができる芸当ではなかったが空裂という武器は飛ばす斬撃の速度を変えられる。箒の知識によるとラピスの偏向射撃と同じことをしているのだそうだ。おそらくラピスが空裂を使ったら曲がる斬撃とかができるのだろう。

 ギドは遅い斬撃に対して防御態勢に入っている。その間に俺はもう次の行動に移っていた。イグニッションブーストでギドの背中方面へと回り込み、左手に持った雨月で再び突きによる光弾を放つ。

 90°違う2方向からの同時攻撃。ラピスならば一瞬でできることだが今の俺にはこれが精一杯だった。ギドは向きを変えて右手で雨月を、左手で空裂を盾で防ごうとする。当然、それで俺の攻撃は全て受け止められることだろう。

 だがギドは背を向けた。俺ではなく、簪にな。

 

「これで……どう」

 

 俺の包囲攻撃の最後の1手は俺でなく簪。使用する武器は雪片弐型。

 正眼に構えた簪はギドの無防備な背中へと光の刃を突き立てる。ギドの胸から刀身が伸びてくることはない。流石にこの一撃で倒せることはないか。

 

(簪さん、下がって)

(わかってる……)

 

 反撃が怖いために簪は距離をとる。だが素直に逃げられると思ったのは甘かった。

 

「簪さん!」

 

 逃げようとした簪にギドの裏拳が叩き込まれた。簪は吹き飛ばされて床に何度も体を打ち付けながら転がっていく。

 即座にストックエネルギーを確認する。俺のストックエネルギーは残り50%を切っていた。これは共鳴無極の弊害と呼べるもの。俺自身が無傷でもクロッシング・アクセスをしている相手が攻撃をくらえばやられてしまう。

 幸いなことにギドは共鳴無極のカラクリには気づいていない。奴は倒れている簪には目もくれず俺に向き直った。ギドの性格を考えれば共鳴無極を知っていても同じことをしたような気もするがな。

 

「なるほど、油断をしていた。BT兵器を使わずに包囲攻撃をしてくるとはつくづくお前は面白い。オレ様にENブレードを当てるとは賞賛に値する」

 

 ギドは雪片弐型で貫かれてもピンピンしていた。IllもISと同じくストックエネルギーを使って絶対防御を発動しているはずだから当然といえば当然のこと。しかし妙だ。元気すぎる。

 俺がギドに訝しげな視線を送っているとギドは俺の考えていることを察したらしい。ピンポイントに俺に絶望を放り込んでくる。

 

「オレ様がどうして余裕でいられるのか疑問か? では教えてやろう。オレ様にはエネルギーを奪い取る力がある」

「それは知ってる」

「ナナにでも聞いたか。また捕らえなくてはな。しかし、お前は本当に理解しているのか? オレ様は“奪い取る”のだと言っている」

 

 そういうことか。

 イルミナントの光の翼のような固い盾は盾さえ壊せばどうにかなった。

 ギドはイルミナントと比べれば防御能力は低い。工夫を凝らせば攻撃を当てることはできるしダメージも与えられる。だが、ギドは攻撃をくらったとしても減少したストックエネルギーを瞬時に回復する術を持っている。簪を吹き飛ばした一撃でストックエネルギーを奪い取って全快したと言いたいのだろう。

 数で押せばどうにかなるということはない。的が多い場合、ギドに体力を与える餌にしかならない。かといって少数で挑む場合はギド本体のパワーで押し負ける。ギドに勝つにはただの一度も攻撃をもらわずに雪片弐型で一方的に斬り続けなければならない。そんなの無理に決まってる。

 

 どう勝てばいい? 共鳴無極で箒と簪の力を借りていてもまるで意味を成していない。装備とエネルギーがどれだけあっても純粋な強者であるギドには届きそうもなかった。

 今のような奇策はもう通じないとみていい。あとできることは被弾覚悟の特攻くらいしかないのだが、被弾を許した時点でギドには回復されてしまう。残されたストックエネルギーを削りきられればそれで終わりだった。

 勝てない。いや、負けないことすら難しい。こんな化け物相手にどう戦えって言うんだ!?

 

(落ち着け、一夏)

(わかってる!)

(わかっていないから落ち着けと言っている)

 

 箒の声が頭に聞こえてくる。ああ、早くゆっくり話したいという雑念が混じりそうになるが堪えた。俺がすべきことはギドを倒すこと。でないと箒は俺とまともに話してくれないのだと俺自身を追い込む。

 

(よし、落ち着いた。でもマジでどうしようもない。イルミナントのときは時間が上手く稼げたりアカルギが近くにあったりでなんとかなったけど、今回の俺たちは完全に孤立してる。何も手だてが思いつかないんだ)

(では諦めるのか? もし一夏がIllに負けるようなことがあれば、私もシズネも死ぬこととなる)

 

 そんなことはわかってる。俺はそれだけは絶対に避けたい。でも、逃げようと言ったところで誰も納得できない。俺だって納得できない。ここでギドに背を向けていたら、いつまで経っても奪われた人たちが帰ってこないことを認めてしまう。そんな気がした。

 

(一夏くん……私もまだ動ける)

 

 簪からも声が送られてくる。ストックエネルギーは俺のものを使ったため絶対防御しきれていたのだ。簪は動ける。だから何ができるのか、俺には思いつかない。

 

(一夏に思いつかないのならば本人に聞けば良いのではないか?)

(私にできること……? ISの技量は一夏くんに劣るけど、技術屋だから知識はあるよ)

(その知識はある程度共有できてるんだよ)

 

 簪に反論するが本当にある程度といったレベルだった。事実、簪に言われるまで簪が技術屋だということに思い至らなかった。

 技術屋ということは彩華さんと同程度のことはできると思って良さそうだ。本人も技術屋としては自分に自信を持っていることが伝わってくる。かといって技術屋がISVSの戦場でできることはほとんどない。唯一戦場で活躍したと言えるのはイルミナント戦のときに彩華さんがゲートジャマーを設置したことだけ。

 

 ……ゲートジャマーを設置? ゲート?

 あ! その手があった!

 

(何か見つかったようだな?)

(その通りだ、箒。そこで、簪さんに頼みがあるんだけど――)

 

 作戦の要を確認する。俺にはさっぱりわからない分野のことなので可能かどうかは簪次第である。

 

(問題ない……すぐに仕上げる)

(タイミングが鍵だからな。奴に気づかれたら失敗する)

(大丈夫。上手くやる)

 

 簪は問題ないと言った。ならばあとは信じるだけ。俺は簪の作業が終えるまでギドの攻撃に耐えなければならない。

 

「オレ様の言葉だけで戦意喪失するのではないかと冷や冷やしたが杞憂で何よりだ。オレ様の力を知りつつも抗おうとするその目、気に入ったぞ」

「俺としては1秒だってお前と対峙したくなんてないんだけどな」

「オレ様はお前の都合など知らん」

「そんなことはわかってるよ」

 

 戦闘が再開される。俺の装備は雪片弐型と雪羅。最初のやりとりのときのように両手を押さえにかかるつもりだ。ギドも両手にクローを展開している。奴は格闘戦をお望みらしい。俺は奴の思惑通りに動いてやることにする。

 ギドの両爪が襲いかかってくる。俺は正面から雪片弐型と雪羅で迎え撃つ。

 パワーは互角。絢爛舞踏のおかげで出力負けはしていない。

 

「良き力だ。オレ様の吸収を受けてもなお抗うだけの力が残っている」

「説明してくれなくてもわかってるよ。お前がパワー負けしないのも吸収能力とやらのおかげなんだろう?」

「それがわかっていてオレ様と鍔迫り合うか、織斑一夏! 中々の愚行だがオレ様は嫌いではないぞ」

 

 ギドの目にも俺の行動は愚かに映っているようだ。それもそのはずで鍔迫り合いを始めてからストックエネルギーが徐々に減っていく。こうして接触する時間が増えるほど、俺がギドに勝つ目がなくなっていくことになる。

 しかしこれは逆に言えば一撃でやられないということにつながる。逃げ回って時間を稼ぐよりも確実な選択肢だ。あとはこのまま簪の準備が終わるまで打ち合えばいい。

 

「何を狙っているのかは知らんが、その策ごとねじ伏せてやろう」

 

 ギドは嬉々として俺に加えてくる圧力を増してくる。奴は通常のIllの持っているポテンシャルに加えて、絢爛舞踏を発動しているこちらのエネルギーをも己の力としている。やはり力比べでは分が悪い。

 足癖の悪いギドは組み合ったままの体勢でも俺に蹴りを入れようとしてきた。無理な体勢からの蹴りであるためリーチはない。最初と同じく飛び退いて蹴りの範囲から抜け出る。だがこの後の展開まで先ほどと同じというわけにはいかなかった。

 追ってきた。よく考えなくても当たり前のことだ。俺と違ってギドには距離を置く意味がない。ギドは徐々に俺を攻撃する頻度が増えてきている。時間とともに手加減をしなくなってきているということだろう。

 右の爪が襲いかかってくる。スピードは若干ギドの方が上。避けきれるものではないため、仕方なく雪羅で迎え撃つ。爪同士が合わさると干渉して互いに動きが止まる。続く左手の攻撃も雪片弐型で受けるつもりだった。

 しかしギドの左手に爪はない。手の平の上には赤黒い光の球体があった。箒と簪の経験から奴が射撃をしようとしているのだと察する。雪片弐型ではENブレードよりも防ぎにくい。

 

(1基だけだが修復が終わった! 使え!)

 

 このタイミングで紅椿の非固定浮遊部位である囲衣が1つだけ使用可能まで回復した。俺は即座に右手の傍に呼び出し、囲衣のENシールドモードを起動する。

 ギドの左手からビームが放たれる。その規模は両手を使ったものに比べて小さく、1つだけの囲衣でどうにかなった。

 

「その装備、見覚えがある。それに左手の装備は人形が使っていたものと同じ。なるほど、お前の力が何か理解したぞ」

「ああ、俺の力は他のISと装備を共有することだ」

「ほう。自分から情報を開示するか」

「お前と一緒だ」

 

 何も一緒ではないが誤魔化しておく。気づかれたらマズいのはエネルギーを共有しているという点。それ以外の情報は知られても問題ない。

 だが別の問題がそろそろ差し迫っている。ストックエネルギーが残り20%ほど。もう攻撃を受けるのも限界だった。あまりにも減りすぎていると最後の詰めで失敗する可能性が出てくる。

 

(一夏くん……いつでもいける)

 

 簪から準備完了の報告が上がる。俺は雪片弐型でギドの右手を斬りつけることでギドの間合いから離脱し、今いるゲートホールの中心へと飛ぶ。

 ギドは俺を追ってくる。それでいい。ここで俺を追わなければ俺を逃がすかもしれない。戦いたいだけのお前は俺を追いかけてくるしか道はない。

 俺は巨大リングの正面に陣取った。ここがギドとの決着をつけるための最後の戦場。俺たちに唯一勝ち目の存在する場所だ。俺がここを選んだ理由を察しているのならば奴は近寄ってこないはず。だが奴は俺の正面にまでノコノコとやってきていた。

 

「どうした? 離れたのならば遠距離攻撃でも仕掛ければいいだろう? それとも準備が間に合わなかったか? まあ、いい。何をするつもりか、じっくり見させてもらおう」

 

 俺が攻撃を仕掛けるのを待つつもりか。もう時間を稼ぐ必要がないから待たれても逆に困る。最後はギドに自分から飛び込んでもらうつもりだ。

 雪片弐型のブレードを消す。雪羅もENクローも消す。その上で左手でこっちに来るよう手で煽る。俺は接近戦を所望しているのだと挑発する。

 

「来いよ、ギド。遊んでやる」

「オレ様に仕掛けてこいと言ったのはお前が初めてだ。いいだろう。オレ様の全身全霊をその身で受けるがいい!」

 

 ギドの全身が赤黒いオーラのようなものに包まれる。一目でヤバい攻撃が来ることはわかる。だが飛び道具でなければ何でも良かった。

 赤黒いオーラはギドの右手に集まっていく。手は拳を形作り、右手を後ろに引いていた。

 俺は左手を見つめる。紅のパーツが混ざった雪羅は今の俺たちにできることを合わせた象徴ともいえる。この最後の攻防に懸けるに惜しくない装備だ。

 俺はやり遂げてみせる。ここでこの男に勝つんだ。

 

「砕け散れ」

 

 ギドが動く。右手とともに下げていた右足から前に出る。イグニッションブーストも使用してぐんぐんと俺に近づいてきた。

 俺はただひたすらにギドを観察した。まだ決定的にはなっていない。奴にとって取り返しがつかなくなるまで、俺はギドの攻撃を受ける気でいなければならない。

 腰が回り始める。ギドの最高の一撃は拳による右ストレート。武器らしい武器ではないからと侮ってはいけない。推定だがエアハルトのリンドブルムが霞むレベルの威力があるだろう。

 ギドの右手が体よりも前に出た。俺に当たるまでもう1秒もない。俺は雪羅のENシールドを展開して、ここに当てろとギドを誘う。奴が力比べに応じないはずがない。

 

(今だ、簪さん!)

(ゲート起動!)

 

 合図を送った瞬間に俺の背後のリングの内部に光が灯った。俺たちプレイヤーがよく利用している転送ゲート。このトリガミもレガシーであるため転送ゲートはデフォルトで設置されている。機能停止させられていた転送ゲートを簪に頼んで復旧してもらっていたわけだ。

 ギドはゲートの変化を目にしても怯まない。赤黒いオーラの塊と化した右拳を雪羅のENシールドに叩きつけてきた。

 

 ……雪羅の中に俺の左腕が入っていないことに気づかずにな。

 

 ただの抜け殻と化した雪羅はギドの一撃を受けて粉々に吹き飛ぶ。そうした中でも俺は行動の自由を失っていない。

 俺は前に出た。俺たちがギドに勝てるのはこの一瞬だけ。全力で攻撃した直後のギドはすぐには止まれないと踏んでいた俺はギドの懐に入り込んで右腕を左手で掴み取る。勢いを殺さず、俺の力をさらに上乗せ。ギドの右腕を後ろに引きつつ、俺の右手はギドの腹に当てて体を上へと押し上げる。ギドは俺の頭上を飛び越える形で俺と位置が入れ替わった。

 

「オレ様を投げる? それに何の意味が――」

 

 IS戦闘において投げ技はほとんど意味がない。投げられるのならば攻撃した方が早いに決まっているからだ。だが通常の攻撃ではじり貧で、投げならば必殺である状況があれば話は別。

 それに俺には最後まで投げ飛ばすつもりなどない。左手はギドの右腕を掴んだまま。ギドの背後にゲートが見えたところで、俺はイグニッションブーストで前に突き進む。

 

「オレ様をゲートに押し込む気か!? そうはさせん!」

 

 ギドの左手が俺を切り裂こうとしてくる。だがもう遅い。先に俺の右手はギドの肘を掴める。これにより俺を倒すほどの一撃は加えられない。

 しきりにギドのAICが使用される。俺たちの移動を食い止めようとしている。だがここまで来て勝負を譲るわけにはいかない。イナーシャルコントロールという土俵の上において、ギドと俺に大差はない。ギドの止まろうとする意志を俺の進む意志でねじ伏せる。

 俺たちの手で勝利を掴む。箒、簪の2人の意思も同調して突き進む。

 そして、ついに俺とギドは転送ゲートへと飛び込んだ。

 

「く、ぐ、があああああああああ!」

「連れてってやるよ、ギド。俺が地獄への水先案内人になってやる」

 

 転送開始。俺にとっては慣れたものであり、ギドにとっては悲鳴を上げるほどの苦痛を伴うもの。

 クーは言っていた。プレイヤーでないものは転送ゲートを使用してはいけないと。もしプレイヤー以外が使用すれば精神が崩壊するのだと。元々はナナやシズネさんへの注意喚起である情報だった。そして、アドルフィーネの死亡から鑑みてギドもナナたちと同じ条件であると考えられた。

 推論は的中。転送が始まった途端にギドは苦しみだし、俺のことなど視界に入ってなさそうだ。吸収能力も作用していなく、俺のストックエネルギーは5%を切ったところで減少が止まっていた。

 

 俺とギドの体が消える。ギドの断末魔を思わせる叫びを聞きながら俺たちが飛ぶ先は海の上だ。トリガミから100km以上離れた海には小さな島すら見当たらない。まだ月と星が夜空に輝く中、俺たちは光に包まれながら現れることとなった。

 ギドはその太い腕に力が入っておらずだらりと下げている。浮遊することすらできていなく、今は俺の手がギドの体を支えているだけとなっていた。

 

「織……斑」

 

 なんて奴だ。クーは精神が崩壊すると言っていたが、ギドは俺を見据えて名前を呼んでくる。目にも声にも覇気がないとはいえ、俺を織斑一夏だとまだ認識できている。まだ終わってないことを暗に告げていた。

 俺としてもこれで終わりだなんて思っていない。転送ゲートでギド自身に深刻なダメージを与えられたがIll自体は全くの無傷。俺はIllを含めてギドを倒すためにここにやってきた。

 アカルギが待機している海域へ。

 

「ラピスっ!」

『準備はできておりますわ。いつでもどうぞ』

 

 俺は何も作戦を伝えていないラピスの名前を呼ぶ。彼女ならば俺の意図を察して俺たちの所有する最高威力の武器を準備してくれると踏んでいた。彼女は当然のように応えてくれる。もう準備を終えているのは早すぎるだろとも思うが、仕事の早さに感謝しておく。

 最後だ。俺はギドを突き放す。Illを操作できないギドは重力に捕まって暗い海へと落ちていくのみ。

 

「これがお前の欲しがっていた、お前に抗う者の力だ。存分に受け取ってくれ」

「織斑……一夏ァ!」

 

 手足が動かないまま、黒と金の眼光は俺を向いている。憎悪を込めて吼えてきた声には覇気が戻りつつあった。だが勝敗は決した。俺をどう脅したところで何も意味はない。

 ギドが落ちていく先にはアカルギの主砲(アケヨイ)の照準が向いている。シズネさんがトリガミにいる今、ラピスがアカルギの指揮を執っているはずだった。ほぼ固定標的と変わらないギドを外すことは万にひとつもあり得ない。

 闇夜を照らす極大の光が空へと昇る。俺が見守る中、過去最強の化け物は光の真っ只中で徐々にその体を崩壊させていく。ギドの顔はアドルフィーネと違って笑うことはなく、憎悪のみを浮かべて光に呑み込まれていった。

 空に闇が戻るとき、飛んでいる影は俺以外に存在していない。

 ギド・イリーガルの姿は欠片もなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 時は少しだけ遡る。トリガミ周辺に残っているプレイヤーはわずかとなっていたが敵の防衛用マザーアース“ヤマタノオロチ”は全ての首と尾を破壊されて完全に沈黙していた。オロチの破壊を確認したリベレーター隊はトリガミ内部への侵攻を開始。敵残存戦力であるベルグフォルグは彼らを追ってトリガミへと入っていく。

 戦闘は終結が近づいていた。トリガミの上空を飛んでいる機体はもう西の空にしかない。アクア・クリスタルを扱うIll、シビル・イリシットと彼女と戦っているラウラ。そして、援軍にかけつけたバレットとアイだけ。ジョーメイは既にシビルによって撃墜されていた。

 ラウラが接近戦を仕掛けるのも数えるのが面倒な回数になっている。遠距離戦を避けたいラウラと近距離戦を避けたいシビルの攻防は常に相手に有利な間合いにしないことが念頭に置かれていた。ラウラの手刀はシビルの蛇腹剣に受け流され、体が泳いだ隙に逃げられてしまう。

 即座に追いかけることができず、ラウラは左目を押さえた。自らが設けた限界時間はとっくに過ぎていて、脳が悲鳴を上げている。それでもラウラは左目の使用を続けなければならない。この左目を頼らなければ、シビルのアクア・クリスタルを完全に見切ることは不可能だった。

 

「その目……シビルたちよりもよく見えてるみたいだけど、負担が大きすぎるみたいじゃん。やっぱ失敗作なんだねー」

 

 ラウラの消耗は一目瞭然。シビルがこの弱点を突かないはずがなかった。シビルは積極的にアクア・クリスタルをラウラに張り付かせようとする。ラウラはそれら1つ1つにAICを適用して食い止めなければならない。

 

「いつまで保つかなー?」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべるシビル。倒せるまで同じ攻撃を繰り返せば相手が勝手に自滅するとわかれば倒れるまで踊ってもらえばいい。あとは遊びで終わる。

 だがそれは油断。シビルはラウラの他にも敵がいることを把握こそしていたがラウラ以外を強敵と見なしていなかった。ラウラさえ倒せれば残るのは有象無象だと見下していた。それこそが目立たないことを武器とする更識の忍びの思惑だとも知らず。

 

「へ……嘘でしょ!?」

 

 アイによってシビルの背中が十字に斬りつけられた。

 気を緩めたのは事実。しかし、シビルが気づくことなく接近している敵の存在を信じられなかった。BT使いであるシビルはナノマシンを散布することで周囲の敵の位置を常に把握している。その目をもかいくぐってくるブレード使いがいる。まるでテレポートしたきたようにも錯覚していた。

 

「ウザいっ!」

 

 奇襲を受けたことでシビルの声色から余裕が消える。背後を取られてもそこはシビルにとって死角ではない。むしろ4本のBTソードの中心であるため相手にとっての死地である。

 4本の大剣が賊を討とうと殺到する。離脱が間に合わなかったアイは1本の直撃を受けてしまう。

 

「これでとどめ!」

 

 残りの3本を一斉にアイへと向けた。しかしまたもや本体の守りが疎かになっている。アイを攻撃しているとき、ラウラにも注意を割いていたシビルだったが他にはやはり目がいっていない。

 バレットのマシンガンが高い精度でシビルの顔に当てられる。シビルから集中力を奪うには十分な攻撃であり、アイに向けられたBTソードは攻撃を中止してシビルの背中に戻った。バレットは引き際を誤らず、アイとともにシビルから距離を取る。

 

「大丈夫ですか、アイさん」

「ダメージが危険域です。これでは割に合いませんね」

「俺が時間を稼ぐんで、今は回復専念で頼みます」

 

 ラウラが混ざっているとはいえ、シビルはたった3機のISを落としきれずにいる。Illの第4位としては不甲斐ない戦闘だと言えた。敬愛するエアハルトに失望されたくないという焦燥から苛々が募っていく。

 だがその焦りは想定外の事態によって掻き消えた。

 ISとは別に存在している、Illを使用する遺伝子強化素体だけのネットワーク(つながり)ギド・イリーガル(最強のIll)の消滅を伝えてきた。

 

「嘘……でしょ……ギドが負けちゃった……?」

 

 シビルは自分に群がっているプレイヤーの全てがどうでもよくなった。

 この戦いでオロチが壊れようがベルグフォルグが殲滅されようが勝利は揺るがないと信じていた。エアハルトがいなくとも、負けはあり得ないとシビルは確信していた。それはギド・イリーガルの存在があったからに他ならない。

 自軍の柱が敗れた。ギドを倒すほどの者が敵にいる。“それ”がこの場にやってきてしまえば、シビルは無駄死にすることとなる。ISとの戦闘において、初めて恐怖を覚えた。

 

「待て!」

 

 ラウラが追い縋ろうと手を伸ばすが実際に追うことはできていない。バレットもアイもシビルを追える状態にない。そのような簡単な状況分析もすることなく、シビルはがむしゃらに戦場を離脱した。

 

 

***

 

 

 シビルが飛んでいった先には1機のISが確認された。装甲をつけていないスーツ姿のアバターそのままであるサングラスの男、平石ハバヤである。シビルが味方の姿を確認して近寄っていくとハバヤの苛立ち混じりの独り言が聞こえてきた。

 

「クソが! 人形を使ってまであのムカつく小娘を喰らわせてやったってのになんで負けてんだぁ? 全部無駄じゃねえか! 最強のIllが聞いて呆れる!」

 

 シビルにはハバヤの言っている内容の半分も理解できなかった。ひとつだけわかったことは彼がギドを侮辱しているということだけである。

 

「今のハバヤ、きらーい」

 

 シビルはそう言ってハバヤに近づいていった。ハバヤに抗議の目を向けてはいるものの、ギドがやられた瞬間のパニックから立ち直っているのはハバヤという信頼を寄せている男が傍にいるからである。もっとも、シビル本人はそのことに気づいていない。

 

「……これは少し取り乱しました。ギドの敗北は過ぎたこと。大切なのはこれから我々が何をするか。そうですよね?」

 

 シビルが声をかけるとハバヤは急激に冷静さを取り戻す。ギドが倒されたことは事実。それで終わりではないと告げるハバヤにシビルは同調する。

 

「うん! ギドが弱かった。ただそれだけのことだよね。ハバヤはハバヤの、シビルはシビルの強さを示せばいいんだよ!」

 

 ギドは弱かった。シビルがそう言ってしまっているのは心の安定のためだろうか。現実に体を持たぬ者のどこに心が存在するのかはわからないが、シビルが恐怖と安堵を感じていたことだけは事実である。

 

「少し面白そうなネタもありますし……シビルちゃん、博士にはナイショでお兄さんのお手伝いをする気はないかな?」

「えー、ハバヤを食べたくなーい」

 

 これからについてハバヤから誘いがあったがシビルは即座に断る。彼女にとってエアハルトからの命令が第一であった。

 

「残念、振られちゃいました。別にいいですけどね」

 

 ハバヤは誘いを断られてもさして気にする風でもなかった。ギドに怒りを向けていた人間とはまるで別人のように肩をすくめるに留める。

 

「では私は私なりにアプローチしていきましょう。ヴェーグマンに討伐を頼まれていたイロジックは想定以上に面白い存在のようですから」

 

 ハバヤはシビルの前でも構わず笑いを堪えない。

 今回の戦いにおける彼の思惑は失敗に終わった。

 だが、それはそれ。これはこれ。

 彼の鋭い目は既に次の標的を捉えている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ふとシャルロットは自分という存在があることに気づく。辺りは真っ暗で何も見えず、音もない。寒さ、暑さもなければ匂いもしない。何もない。それでも自分という意識だけはあった。

 ……僕は一体どうしたんだ?

 考えてすぐに結論を得る。最後の記憶は自らの油断からISを展開していない無防備なところを敵に攻撃されたところだ。自分が例の昏睡事件の被害者の仲間入りをしてしまったのだ。

 ずっとこのまま何もない場所で自分の意識だけ感じていなければならないのだろうか。そうだとしたら近いうちに発狂する自信がある。鈴を始めとする帰ってきた人たちは良く無事でいられたなぁと感心し始めていた。

 だが勘違いだった。シャルロットの現状は被害者の誰もが経験していることではあるが長時間などではない。

 徐々にザワザワとした喧噪が耳に届き始める。内容も聞き取れない雑音のようなものだが、シャルロットはつい最近にも同じものを聞いていた気がした。

 ヒヤリとした空気が肌を撫でる。ここで肌を通して自分の体を認識する。少し寒く感じるのは今の日本の気候と夜という時間によるものだった。背中に当たっている柔らかいものはクッションだったはず。

 最後に光が射してくる。太陽ではなく人工の灯り。高い天井につり下げられている照明は体育館のものだった。

 

「ここがどこだかわかるか?」

 

 耳元で声がする。シャルロットの目はすぐ近くで自分の顔を見下ろしてくる少女を捉えた。銀色の長い髪と黒い眼帯のセットはラウラ・ボーデヴィッヒ以外にありえない組み合わせだ。

 

「ラウラ……?」

「ここは藍越学園の体育館で、ラウラは私のことだ。本当に大丈夫か?」

 

 別に『ここがラウラだ』などと言ったわけではない。冗談で言っているのだろうか。そう思ったシャルロットにラウラは唐突に前髪を手で上げて顔を近づけてくる。至近距離でラウラと目が合った。

 ――え? どういうこと!?

 混乱するシャルロットは目を強く閉じた。するとシャルロットの額に固くも温かいものが当たる。

 

「平熱だな。風邪などの病ではなく一時的な混乱だろう。顔が赤いのは血色が良いということなのだろうな」

 

 熱を計っていただけ。ラウラに他意はないのだとホッとする。同時にラウラの行動に振り回されたシャルロットはむすっとしてジト目を向けた。

 

「混乱させたのはラウラじゃないか……」

「それは心外だ。私はシャルロットを助けようとはしたが、混乱させようだなどと考えたことは一度もない」

「あ、うん。ごめんね、ラウラ」

 

 シャルロットを助けようとした。そう聞かされたシャルロットの顔は下を向く。自分がIllを倒すと張り切っていたというのに結果的には助けられるだけだった。心配をかけた。必死に止めてくれていた父をも裏切るところだったと思うとぞっとする。

 改めてIllの怖さを感じた。そんなシャルロットの額をラウラは下から小突き上げる。

 

「これに懲りたら独断専行はやめることだ」

「……ラウラに言われたくないよ」

 

 額を押さえながらシャルロットは抗議の視線を投げかけた。

 だがラウラは気づいていない。

 

「何か言ったか?」

「ううん、なんでもないよ」

 

 不服はあったが、今のシャルロットでは強く言えない。ラウラの指摘は間違っておらず、シャルロットは1人で動いていたために犠牲となってしまった。その過ちは認めなければならない。

 やはり1人では限界がある。今回の件を通してシャルロットが学んだところだ。自分の身を案じてくれる友を頼る。今まで経験したことのないことだが、これからのシャルロットには必要なことだと感じられた。

 まずは真っ先に自分を心配してくれたであろうラウラから、お互いのことを知っていこう。そう思いながら、シャルロットは立ち上がった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 目が覚めると見慣れた天井だった。彩華に与えられた簪と本音の研究室である。高校に入ってからは土日にしか入室を許可されず、本音が昏睡状態になってから引きこもっていた簪の砦でもあった。

 体を起こす。ISVSに入れるようにと用意した簡易ベッドもあるのだが、今の簪はソファで横になっていたらしい。らしいというのも、最後にISVSに入ったときの記憶が定かではないからだった。

 狭い研究室内を見回しても思い出せることはない。本音がいない期間が長いからか、部屋が散らかってないという感想しか出てこなかった。そして大切なことに思い至る。

 

「そうだ……本音」

 

 一夏の力を借りて敵を倒した。簪の記憶にはいつの間にか『敵を倒せば被害者が帰ってくる』という知識がある。何者かに植え付けられた記憶だけでなく、一夏とのクロッシング・アクセスの影響でもあった。簪は本音が目覚めているという確信の元、慌てて研究室を出て行こうとする。外出用の靴を履きながら自動ドアのロックを外して出口を開いた。

 するとドアの向こう側には花火ともパイナップルとも言えそうな髪型をした白衣の女性が立っていた。倉持彩華だ。

 

「ちょうど良かった。病院までのヘリは手配しておいたから、すぐに行くといい」

「ありがとうございます!」

 

 簪は謝罪の言葉は出さなかった。彩華に謝るのはひとりでではない。楯無も本音も一緒にと決めていた。だから礼だけ言ってヘリポートへの道を急ぐ。最近の自分は運動をしていなかったらしく、走るだけでも息が苦しくなる。だが足を止めはしない。早く本音に会いたかった。

 ヘリポートにはヘリコプターがいつでも飛び立てるようスタンバイしている。操縦席に座っている男と目が合うと彼は簪を手招きした。彩華が手配してくれたヘリだ。簪は肩で息をしているだらしない自分に鞭打って走る。そして搭乗口に顔を出した。

 

「さあ、座って、簪ちゃん」

 

 ヘリの後部座席には先客がいた。いや、正確には客などではないのかもしれない。そもそもこのヘリは彩華ではなく、この人が用意したものの可能性が高かった。

 

「お姉ちゃん……」

「本音ちゃんのところに行きましょ」

 

 ヘリにいたのは楯無だった。簪はヘリに乗り込むと同時に抱きつく。両目にはうっすらと涙が滲んでいた。

 

「お姉ちゃん……私……」

「あの時も言ったでしょ? 私に謝るのはあれで最後。他の人に謝るのは本音ちゃんと会ってから。いい?」

「うん……」

 

 別に謝ろうとしていたわけではなかった。楯無は気にしていないようだが、楯無も本音と同じ目に遭っていた。実際に現実で再会できて感激しないわけがない。今、簪の前に現れたという意味を楯無は理解できているのだろうか。

 楯無に自覚がなくても関係はない。今、ここにいる。それだけで良かった。たとえ結果論でも、終わり良ければ全て良し。そう思えた。

 

 東の空が白み始めていた。街が目を覚まし始める朝の空の道中、簪は姉に本音と過ごしてきた今までのことを話した。お世辞にも友達が多いとは言えなかった生活でも充実していたのは本当である。やりたいことを見据え、周りに色々な人が増えてきた。本音が帰ってからのこれからを想像すると楽しい未来が広がっているのだと簪は大好きな姉に語る。

 楯無はずっと聞き役に回っていた。楽しそうに話す妹の姿を見ているだけで胸一杯だったのだろう。まだ楯無は自分のことを詳しく話せない。それは簪も承知の上であり、今はとにかく会話さえあればそれで良かった。

 

 病院に到着する。救急ヘリ用のヘリポートを使わせてもらって辿り着くや否や簪は飛び出した。楯無も後に続き、ヘリの操縦士は「いってらっしゃいませ、お嬢様」とだけ告げて見送った。

 病院の廊下を早歩きで進む。流石にここを走ることは楯無に止められた。簪は病室の場所すら把握していなかったが楯無の案内ですんなりと目的の病室に到着する。入り口には布仏本音のネームプレートがあった。中から話し声が聞こえてくる。自分は一番じゃなかったがどうでもいい。簪は我慢などできず、勢いよく引き戸を開けてしまった。

 

「本音っ!」

 

 病室の中には本音の姉である虚、見覚えのある友人たち、見覚えのない男子高校生がいた。早朝の病院だというのに騒々しくなっている原因は完徹した高校生たちが原因であったらしい。先に来ていた高校生のうち谷本癒子が自分たちのことを棚に上げて口の前で指を立てて簪に静かにするように促してきた。簪はこくりと頷いて中へと入っていく。

 ベッドの周りにいた友人たちは簪に道を開けてくれた。そして簪の目に飛び込んできたのは、上半身だけ起こしてこちらに笑いかけてくれている親友だ。すっかり痩せてしまっているが彼女のトレードマークといえる笑顔だけは健在。帰ってきてくれたのだと実感する。

 

「かんちゃん、おはよう」

「……本音の……寝坊助」

 

 ずっと聞けなかった脳天気で緊張感のない声。だからこそ嬉しかった。簪の知っている本音がそこにいる。簪は自分よりも細くなってしまった本音の体に腕を回した。

 

「もう二度と……付き人とか言わないで……本音は大切な友達なんだから」

「うん。ありがとう、かんちゃん」

 

 3ヶ月の隔たりを越えて、親友は再会を果たした。お互いの体温を確かめ合っている2人を見て安堵の溜め息を漏らした楯無は虚と弾の肩を掴んで病室を出ていく。今は友人たちだけでそっとしておこう。そう目で訴える楯無に虚と弾は揃って頷いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ギドを倒した。そう認識した瞬間にどっと疲れが押し寄せてきた。同時にクロッシング・アクセスも解除され、共鳴無極もその効力を失う。そんな俺に待っていたのはストックエネルギー切れによる強制転送だった。

 そういえばストックエネルギーは限界ギリギリだったっけ。全部箒の紅椿に残したってところだろう。箒の身に何かあるとマズいから白式が勝手にやってくれたことは歓迎すべきことだ。

 問題は……またISVSに入り直す必要があるってことか。

 

 ガバっと跳ね起きる。寝ていたわけじゃないから俺の意識はハッキリしていた。ここは藍越学園の体育館。Illの領域から解放されたため、戦闘不能になっていたプレイヤーたちが俺と同じタイミングで現実に帰ってきている。

 

「良くやってくれた、織斑」

「宍戸先生……」

 

 俺の傍らには宍戸がパイプ椅子に腰掛けていた。そこでずっと俺たちの帰還を待ってくれていたのだろう。まずはそんな俺たちの保護者に報告をしなくてはならない。

 

「勝ちました」

「わかっている。織斑の戦いの詳細はこちらで追えていなかったが、織斑が帰ってきたことが何よりの証拠だ。もし負けていたらお前が帰ってこれるはずなどない」

「ハッキリ言ってくれますね」

「事実だ。敵にマークされていることを自覚しろ。そして、これからはより一層、危険がつきまとうことになる」

 

 誉めるのはそこそこに宍戸は気を引き締めろと注意を促してくる。俺だってわかっている。あのギドという男はエアハルトよりも強い相手だった。俺が奴を倒したとなれば、下手をすればISVSの外で俺を狙ってくることも視野に入れる必要が出てくる。

 ゲームを舞台としていただけで、俺とエアハルトは本気で潰し合っている。俺の正体をギドが言い当てていたことから、エアハルトの手がヤイバではなく織斑一夏に伸びてくる可能性も十分に考えられた。この辺りはセシリアに投げっぱなしにしてきたが、俺自身も念頭に置いておかないといけないな。

 結局、エアハルトの望みは具体的にはわからない。だが奴と俺が相容れないことだけはわかっている。奴がIllの秘密を抱え、箒を取り戻す障害となるのならば、俺は奴を打ち倒さなければならない。

 

「そういえば織斑。少し顔つきが変わったか?」

 

 これからは普通に学校生活を送るのも誰かに守ってもらいながらになるのかと考えていたら、宍戸が唐突にそんなことを言い出した。

 俺の顔つきが変わったかと聞かれても俺本人では何とも言えない……と普段なら思うところだが今回は心当たりがちゃんとあった。

 

「“彼女”を見つけたんです。宍戸先生の言うとおり、俺自身が辿り着かないといけない真実でした」

「そうか。だったらオレが織斑に包み隠さず話せる日も近いだろうな」

 

 俺は箒とのクロッシング・アクセスを通じて知っている。宍戸は文月奈々と篠ノ之箒が同一人物であることを知っていたのだと。しかし俺がずっとナナと箒を分けて考えていたものだから、昔のツムギについて話してくれなかったんだ。全部、俺のためだったのだと思うのは俺の自惚れだろうか。もし宍戸からナナの正体を聞かされていたら、たしかに俺は俺が許せないし、取り返しはつかなかった。

 ま、『そうなんですよね?』と確認したところでとぼけるのは目に見えているので俺からは何も言わない。

 

「じゃあ、俺、帰ります。まだ戻ってきてない人もいますけど……」

「後始末はオレに任せておけ。今のオレにできることなんてそれくらいだしな」

「ありがとうございます」

「礼はいい。さっさといけ。すぐにでも会いたいんだろう?」

 

 やっぱりわかってて言ってやがった。宍戸の気遣いをありがたく受け取って俺は体育館の出口へと向かう。

 すると出口付近で大柄な体育会系の男に呼び止められた。

 

「おい、織斑。どうなったんだ?」

「お前のおかげで助かったぜ、内野剣菱(バンガード)。無事、助け出せたよ」

「そいつは良かった。それと、一つお前に言っておきたいことがあってな」

「何だ?」

「俺は3年生だ」

 

 正直、1年生だと思ってた。ずっとタメ口だったから申し訳なく感じる。

 

「そんだけだ。急いでんだろ? 早く行きな」

「あ、その……なんかすみませんでした」

「気にすんなって。俺は気にしてるけど」

 

 器が大きいのか小さいのかさっぱりわからない内野先輩(仮)に見送られて俺は家へと帰った。

 

 まだ夜が明ける前に帰ってきた。玄関で待ってくれていた老執事によるとまだ誰も帰ってきていないとのこと。とりあえず今回の件は俺たちの完全勝利で片づいたことだけ伝えておいて、俺は自分の部屋へと急いだ。すぐにベッドに横になり、イスカを胸において目を閉じる。

 

『今の世界は楽しい?』

 

 ちゃんと近づいていますよ、束さん。

 

 

***

 

 

 久しぶりに自室からやってきたISVSは相変わらずのランダムっぽい出現位置だった。しかしランダムっぽいだけであって、今の俺は作為的な何かがあると確信している。

 

「ヤイバが一夏……一夏がヤイバ……ふふふふ」

 

 さっきからずっと俺の耳に鼻歌交じりの楽しげな声が聞こえてきている。その声の主が誰なのかは丸わかりなのだが、問題は彼女が俺の存在に気づいていないことだった。

 いや、気づくわけがないか。石の中にいるというわけではないが、俺はクローゼットの中にいる。そう、初期位置がツムギ内のナナの寝室のクローゼットの中だったのだ。

 アバターはデータ管理しているはずだったが、気分的な観点からナナたちは普通に服を着ていると聞いている。つまり、現実の体ではないとはいえ箒が身につけていたものが俺の周りにあるという状況だ。

 というかタンスとかはないのか? 下着類までこんなとこに置いとくなっての!

 俺は決して邪な念を抱いていない。だがこんな状況に陥っている俺を箒が見たらどう思う? 考えるまでもないことだ。篠ノ之流古武術が披露されるだけだろう。

 時間とともに気まずさが増していく中、コンコンとノックの音が聞こえてきた。箒の独り言が途絶え、廊下側からシズネさんの声がする。

 

「ナナちゃん、開けてもいいですか?」

「いいぞ、シズネ」

 

 扉が開けられてシズネさんが入ってきたようだ。今は白式が展開できていないから状況は良く掴めていないがきっとそうだ。

 頼む、シズネさん! 一時的でいいから箒を部屋から連れ出してくれ!

 

「あれ? まだヤイバくんは来ていないのですか?」

「ラピスが言っていただろ? ヤイバは一度ISVSから出たため、また戻ってくるとなるとゲートジャマーの範囲外から飛んでくる必要があるのだと」

 

 うん、そうだよね! だから早いところヤイバを迎えるためにロビーホール辺りに行っとけばいいんじゃないかな? 部屋で待ってるよりも出迎えてもらった方がヤイバは喜ぶと思うよ!

 

「違いますよ、ナナちゃん。ヤイバくんは正規の道以外にも手段があるんです」

 

 シズネさん!? そいつは今言うべきことなんですかね?

 

「そういえばそうだったな」

「女性のこととなると目の色を変えるヤイバくんのことです。きっとランダムとか偶然と称して直接ナナちゃんの部屋にやってくるはずです。場所は前に教えていますし」

 

 シズネさんは俺がここにいるとわかっててやってるんじゃないだろうか。わざとなんかじゃないんだけど、実際にこんなところにいるんだから、見つかったら言い訳のしようがないな。あと、俺は色情狂なんかじゃない。

 

「では待っているとしようか」

 

 やめて! そんな嬉しそうに言わないで! 絶対にガッカリするから! 俺がこんなところから登場しても色々と台無しになるから!

 

「そういえば、ナナちゃん。その格好でいいんですか?」

 

 ちょっと待ってよ、シズネさん! 別に仮想世界のアバターなんだから気にしなくていいんだって! とにかく今は服関連だけはマズいんだって!

 

「変だろうか? 戦闘がないときに着ている普段着の1つなのだが私はその辺りの感覚に疎い。ここはシズネに任せるとしよう」

「では着替えるとしましょう」

 

 話がまとまった。俺にとって最悪の形で。2人の足音が俺のいるクローゼットに近づいてくるのがわかる。このままでは俺は見つかってしまい、箒に幻滅されてしまうんだろう。

 まだ逃げ道はあったな。一旦、ログアウトすればいい。それで入り直せばまた別のところに出てこられるはず。何もリスクが無いからそうするべきだ。

 でも俺にはできない。

 だってもうすぐそこに箒がいるんだぜ?

 なんで逃げなくちゃいけない?

 どう思われようが知ったことか。そう言っていたのは嘘じゃなかった。

 俺は無性に箒に会いたいのだ。

 

 クローゼットが開かれ、部屋の明かりが俺を照らす。

 正面には扉を開けたままの箒が固まっている。普段着とは胴着に袴の姿だった。ハンガーでかけられた服の隙間から覗く俺と目が合っている。俺は「よう!」と気軽に声をかけるに留めた。あとは箒の采配に任せるとしよう。

 

「一夏っ!」

 

 だけどまさかクローゼットの中に飛び込んでくるとは思ってなかった。箒の腕は俺の背中に回り、箒の胸が俺の胸に当たる。柔らか――いい匂いがするのはここがただの仮想世界じゃないからなんだろうな。

 俺は箒の背中に手を回そうとして……ちょっと躊躇う。箒が気にしていなくても俺は気になっていた。

 

「ごめん、箒。なんか変なところから出てきちゃって」

「何を謝る必要がある。できるだけ早く私に会いに来てくれたのだろう? どこから出てこようとかまわないに決まっている」

「マジで!? 箒のスカートの中からでもか?」

 

 見事なアッパーにより俺は強制的に上を向かされる。うん、流石に許容範囲を逸脱していたセクハラだったか。この容赦の無さは7年経っても変わってない。

 

「ナナちゃん。ヤイバくんは殴られて喜んでますね。今度、私もやってみます」

「大丈夫か、一夏! 打ち所が悪かったか? 返事をしてくれ!」

「いや、大丈夫だって。しかし手を出してから相手を心配するところまで変わってないな」

 

 変わってない。本当はそんなことなかったとしても、俺と箒は7年という月日を埋めていくために昔と今を重ねていく。

 箒が俺と離れてからの7年間は、クロッシング・アクセスで見てしまったところだけだがざっくりとは知っている。宍戸と知り合いだったことも、シズネさんと昔の自分を重ねたことも、ずっと俺と会おうと画策していたことも。その計画が成就する日に限って俺が神社に行かなかったなんて間が悪いよな。

 

「なあ、一夏。少し外に出て行かないか? その……二人きりで」

 

 クローゼットから出てきたところで箒は言いづらそうにそう提案してくる。俺としては例えばシズネさんがいなくなったりして狭い部屋に二人きりとかにされると色々とヤバい。外ってのは空の上だからきっと俺の理性は無事でいてくれるはず。返事は決まっていたも同然。

 

「よし、行こう」

 

 

***

 

 

 俺は箒の手を引いてツムギの外にまで出てきた。東の空が白み始めていて、頭上を見上げれば水色から藍色のグラデーションが映し出されている。箒から手を離して白式を展開して軽く床を蹴る。先に宙に浮いたのはやりたいことがあったからだ。

 

「箒。手を出してくれ」

 

 俺は地に足を着けている箒に向けて手を差し出す。いつだったかラピスが俺にしていたこと。いつか俺がエスコートすると言ったこと。

 

「ふふ……どこで覚えたのか知らないが、少しは女心を学んだようだな」

「俺だって少しは成長するっての」

 

 箒は紅椿を展開すると改めて俺の手を取ってくれた。俺は手をつないだまま上空へと舞い上がる。戦うためでなく、ただ空を飛ぶためだけにISを使う。きっと箒にとっては初めての経験だろう。束さんの創ったものの素晴らしさを箒と共有したかった。

 俺と箒は手をつないだままくるくると回りながら上昇を続ける。ツムギが小さく見える頃になると水平線もかなり遠くなって丸みを帯びていた。島も転々と見えてきて、今いる場所は世界のほんの一部なんだなと感じさせられる。

 

「静かな空だ」

「これが普通のはずなんだ。でも、プレイヤーは戦闘という遊びだけにしかこの世界を利用してないし、箒たちは隠れてなきゃいけなかったし外では戦いしかなかっただろうから、意外と皆知らない」

「では私と一夏だけの景色というわけか」

「いや、俺にこれを教えてくれたのはラピスだ」

「……前言撤回しよう。一夏は女心をわかっていない」

 

 あれ? 箒が急に拗ねちまった。俺、何かマズいこと言ったか?

 よくわからないけどこのままは嫌なので話題を変える。箒に言いたかったこと百選の出番だ。

 

「そういえば……ってあれ? 俺、何言おうとしてたんだっけ?」

 

 肝心なときに出てこなかった。あのときは聞きたいことが山ほどあったのに、クロッシング・アクセスの影響で大体知ってしまってる。

 俺がうーんと唸っていると箒がアッハッハと腹を抱えて笑い出していた。

 

「ちょっと笑い過ぎじゃないか?」

「すまんすまん。ただ私の中にあったヤイバのイメージが崩れるくらいの残念さを発揮してるのは間違いない」

「箒にとってのヤイバって、仲間を後ろから刺す卑怯者じゃなかったっけ?」

「目的のためなら自らをも犠牲とする危うい男。だが本質は他者の犠牲に心を痛めるお人好しで、どんな逆境でも私たちを助けに来てくれる。心が折れても立ち直ってくる。完全無欠でないからこそ、私は信頼できたのだ」

「そのイメージのどこが壊れたんだよ?」

「かっこいいところ全般だな」

「本当に残念だな、俺!」

 

 多少どころではないくらいショックを受ける。やっぱり箒に『かっこよくない』と言われるのはきついみたいだ。これが恋心なのかは、まだ結論が出てないけど。

 

「しかし変わらないこともある」

「何だよ、もう。これ以上の追い打ちは要らないって」

「現実に帰っても私の傍にいてほしい。その想いが途切れることはない」

 

 ああ……このたった一言で俺は救われた気がした。

 俺は今日まで戦ってきた。その頑張りの全てが報われる。

 つないでいた右手が箒に引っ張られる。俺の右手は箒の胸元に引き寄せられ、箒の両手に包まれた。箒は祈るように目を閉じる。

 

「たとえバカでも、自分が苦しもうとも、この手は私とつながろうとしてくれる。この手が今の私を形作ってくれた。これからも私が生きる力となってくれることを願う」

 

 それは正しく祈りだった。少しも恥ずかしがらずに言ってのける箒に対して俺は胸の鼓動が高速化しっぱなしである。俺だけ恥ずかしがってて負けた気がするが、きっと俺の負けなんだろう。

 

「だったら、次の1月3日、神様に感謝することは決まりだな?」

「一夏、それは――」

「あと1ヶ月はある。その間に箒を助け出す。誰にも文句は言わせない。箒が現実に帰ったら、俺と1月3日に篠ノ之神社へ行くんだ」

 

 俺が果たしたい約束。

 俺と箒をつないでくれていた約束。

 今度こそ俺たちの手で叶えるんだ。

 

 改めて俺は箒に誓いを立てた。箒がISVSに囚われている限り、俺の願いは叶わない。俺は箒を見つけられたがまだ何も終わってなどいないのだ。これまで通り、箒を現実に帰すために戦わねばならない。

 箒が俺の右手を解放する。今までずっと向き合っていた箒が急に俺とは逆方向を向いてしまった。背中を向けたまま箒はある提案をしてくる。

 

「私たちはこれからもヤイバとナナでいることにしないか?」

 

 それは俺が箒を箒と呼ぶのを否定することを意味する。

 俺が約束を持ち出してすぐにこの提案をしてくる箒。その理由を俺は察している。

 

「次に箒の名前を呼ぶのは現実に帰ってから、だな?」

「そういうことだ。仮想世界(ここ)にいる間はツムギの文月奈々でありたい」

「わかったよ、ナナ」

「私の我が儘に付き合わせてすまない」

「いや、そんなことはないぞ。逆にやる気になった。より箒のために頑張れるってもんだ」

 

 嘘はついてない。いずれにせよ箒を現実に帰すために尽力するが、ナナの提案は現状に満足するなという警告の意味があるから助かる。

 きっとナナが文月奈々でありたいと言ったのはシズネさんのことを考えてなんだろう。シズネさんにとって俺はヤイバでしかないし、箒もナナでしかない。突然に名前を変えたら距離を感じてしまうかもしれない。もっとも、シズネさんにそんな心配はいらないだろうから、これはナナの気分の問題といえる。

 

 箒を取り戻すための俺の戦いはまだまだ続く。今ある情報は黒い霧のISが篠ノ之神社で襲ってきたということだけ。楯無さんというコネが出来たことだし、今度は現実の方でも情報を集めていこう。

 

「いてっ!」

 

 今後のことを考えていたらいつの間にか俺の方に向き直っていたナナにデコピンされた。ちょっと痛い。

 

「難しいことを考えているな? だが今は落ち着いて話ができる良い機会だ。考え事は置いといて、聞かせてくれないか? ヤイバが私に言いたかったこと百選とやらを」

「ナナ……それもそうだな。じゃあ、まずは――」

 

 お言葉に甘えて、俺は事件とは関係ないことを話すことにした。まだ事件は終わってなくても、ひとつの区切りはつけられたと思う。だから今は小休憩してもいいよな?

 俺とナナは空の上で二人きり。東の水平線からは太陽がひょっこりと俺たちを覗き見ている。時とともに明るくなっていく空はこれからの俺たちを象徴するものだと、そう信じたい。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 御手洗数馬は日が昇る前に家に帰ってきた。厳粛な父親に『友達の助けになりたいんだ』と頭を下げてなんとか深夜の外出許可を得た数馬だったが、終わった後はすぐに帰ってくるという約束をしていた。学校に残っていたプレイヤーたちは深夜のテンションを存分に発揮して宍戸や最上を困らせていたが数馬はその輪の中に加わらなかった。

 

「ただいまー……」

 

 寝ているはずの両親を起こさないように小声で挨拶する。何も言わなければいいとわかっていても普段の習慣を大事にしている数馬には外せないことだった。

 靴を脱いで家に上がり、自分の靴を揃えようとしたところで違和感を覚える。

 

「あれ? ゼノヴィアの靴はどこいった?」

 

 御手洗家に居候しているゼノヴィアの靴が並んでいない。下駄箱に片づけてあるのかと探してみたがこちらも見当たらない。

 自分がいない間にゼノヴィアの親が見つかって引き取られたのだろうか。答えは否。数馬が家を出たのは午前0時を過ぎてからのこと。その時間にゼノヴィアの親が訪ねてくるとは考えにくい。少なくとも父親から何も連絡が入っていないため、ゼノヴィアの親が現れたという線はなかった。

 数馬は抜き足差し足をしながらも急いで2階へと向かう。数馬の部屋の隣の空き部屋にゼノヴィアの寝室が用意してある。中を覗いてみるが誰もいない。念のため、自分の部屋も確認したがやはりいなかった。

 父親を起こして聞いてみるべきか。だが数馬の予想では両親は共にゼノヴィアがいないことに気づいていない。夜中に勝手に外に出ていくことが父親にバレてしまうとゼノヴィアが追い出される可能性まであり得た。

 

「探しにいこう」

 

 数馬はまだ自分が帰ってきていないことにして、再び外に出る。靴がないということは自発的に外に出たと見るのが普通だ。ゼノヴィアの行動範囲が狭いことを祈りながら数馬は朝のジョギングコースを走りながらゼノヴィアの姿を探す。

 10分ほど走ったところで数馬は街灯の下で立ち尽くしているゼノヴィアの姿を見つけることが出来た。光を良く反射している銀髪はかなり目立つ。意外と呆気なく見つかったことと、暴漢に襲われていなかったことに安堵した数馬は彼女に近づいていく。

 

「やっと見つけた、ゼノヴィア」

 

 数馬が呼びかけるとゼノヴィアはビクッと大げさに飛び上がった後でおそるおそる振り向いた。

 

「カズマ……これはどこでありますか?」

「帰ろっか」

 

 自分からいなくなったはずなのに自分の今の場所を把握できていない。典型的な迷子だった。数馬が声をかけてビクビクしていたことから危険な状況だったことは理解しているのだろう。そう判断した数馬はゼノヴィアの手を取ると家に向けて歩き出す。一応、叱っておくのも忘れない。

 

「勝手にいなくなっちゃダメだぞ。最近、この辺りには通り魔が出るらしいから危ないんだ」

「私はだのように空腹であるもん」

「え? お腹がすいてたん? じゃあ帰ってから何か作ってあげるよ」

 

 夜明けが近づき始める深夜の道を数馬とゼノヴィアが手をつないで歩き去る。

 街灯に照らされないすぐ近くの路地裏に成人男性が倒れていることなど気づく由もなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 とある高級ホテルの1室に2人の女性がいた。胸元が大きく開いたドレスを着こなしている女性は足を組んで座りながら、優雅にワインを嗜んでいる。もう1人の女性は女性用のスーツを着崩してドレスの女性が座る椅子に寄りかかっていた。

 

「例の会議はどうだったよ、スコール?」

 

 スーツの女性、コードネーム“オータム”が建前上は上司であるスコール・ミューゼルに問う。

 

「そろそろ遺伝子強化素体の坊やにも限界が見えてきたわ。2体目のIllが倒されたことでIllの存在を確信する者が増えた。コケにされていたアメリカあたりはもう動き始めているでしょうね」

 

 状況は亡国機業(スコールたち)にとって良くない。スコールはボスの代役として用意されていた遺伝子強化素体の実力を疑問視し始めていた。オータムはすかさず告げる。

 

「じゃあ、私が動いていいか? 脱走させたイロジックを逃がしちまった失態を取り戻させてくれ」

「あれはあなたの失態ではないわ。イリタレートの暴走が元凶よ」

「どっちでもいい。とにかく私に見せ場を作らせてくれよ」

「坊やの話だと、どうもイロジックは普通のIllとは違うみたい。ぜひ先に確保しておきたいわ。あと、アメリカと直接、事を構えることも避けたいわねぇ」

 

 あれもこれもというスコールの無理難題。これをオータムは、

 

「安心してくれ、スコール。そのどっちもまとめて片づけてやる」

 

 自信たっぷりに請け負った。スコールの手前、過剰にやる気を見せているだけの可能性もあるが、スコールはオータムの言に頷きを返す。

 

「うふふ。頼んだわぁ」

 

 今また1人の刺客が日本へと送られる。

 ヤイバとエアハルト。彼ら2人以外の思惑が静かに動き始めていた。



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【白騎士 - Illogical Salvation - 】
27 白い嘘、黒い嘘


 宝石箱をぶちまけたような目映い星空が広がっている。人工の明かりに包まれている人里では決して見ることのできない自然のプラネタリウムを落ち着いて眺めていられるのは大きな戦いを終えた戦士たちにしばしの休息が与えられたからだ。

 海上にポツンと浮かぶ半球状の建造物がある。仮想世界に囚われの身となってしまった者たちが寄り添い集まった最後の砦であり、リーダーである少女、文月奈々はこの場所をツムギと名付けた。自分たちの集まりもツムギと名乗っている。その理由を知っている者は彼女本人だけだった。……昨日までは。

 

「帰ってきた!」

 

 ドームの屋根の上、たったひとりで苛々しながら座り込んでいた茶髪の少年は東の空からやってくる戦艦を見つけて指をさす。ツムギが所有する戦艦型マザーアース“アカルギ”である。

 ギド・イリーガルとの戦いを終えての帰還。中には少年の想い人が乗っているはず。居ても立っても居られなくなった少年は急いで通信をつないだ。

 

「無事か、ナナ!?」

『おい、トモキ……それは私にではなくシズネに言うべきだろう?』

 

 ツムギに所属する少年、トモキの通信にはすぐに返事が来た。我を忘れて敵地へと単身で突入していったリーダーが取り乱すことなく冷静に話せている。直接シズネに聞くことなく無事目的を果たせられたのだと察するのは容易であった。

 

「おいおい、1人で飛び出しといて心配するなってのはないんじゃねーの?」

『それは……すまなかった』

「あ、いや、謝られても困る。とりあえず戻ってきて無事な姿を皆に見せてやれって」

『そうだな。皆を集めておいてくれ』

 

 通信を終える。ツムギの皆を集めろと言われるまでもなく、既にトモキ以外のメンバーはロビーに集合していた。だから改めてトモキが何かをするまでもない。

 そろそろ自分も迎える準備をしようか。基地の内部へと戻ろうと立ち上がる。ISを展開して一歩踏み出したところで彼は足を止めることとなった。

 

『珍しいですね。トモキくんが大人しく留守番をしていたなんて』

 

 シズネからの通信が来た。ナナとの通信に割り込んでこなかったのはトモキの本心を聞き出したいからなのだとトモキは漠然と理解している。彼女の疑問は尤もなこと。ナナの窮地にトモキが動かないのはこれまでにあり得なかったことだ。

 

「ラピスを信頼してたからな。プレイヤーのみの方が下手に俺たちが行くよりも都合がいいから任せてた。いざとなれば捨て身の攻撃もできるだろうし」

『本当は別の人を頼りにしてたんですよね?』

「あ? 誰がヤイバなんかを――」

『私、ヤイバくんとは言ってませんよ?』

 

 うぐ、と言葉に詰まる。明らかにヤイバを意識していたことが露呈した。

 

『どういう風の吹き回しですか? ヤイバくんを許せないのではなかったのですか?』

 

 ナナを好く者としてヤイバとトモキは相容れない。一般的な感覚であればそう結論づけるのも無理はない。シズネには欠けている常識が多いのだが、一般的な恋敵がどういうものであるのかある程度は把握している。

 だからトモキの想いとは一般的な恋とは遠いものなのだろう。

 

「許せなかった。それは事実だが既に過去の話。野郎がナナとシズネのために敵地へと乗り込んだ今、俺にできるのは託すことだけだ」

『託す? 諦めるんですか?』

「……そういうことにしとけ。一つ言えるのは、俺のゴールが近づいてるってことだな」

 

 もう話すことはないとトモキの方から通信を切る。必要以上に話しすぎてしまった自分自身に対して苦笑する。

 誰にも理解される必要などないというのに。

 誰にも知られてはならないというのに。

 

「さて。もう大丈夫そうだから、俺は引きこもりのガキの様子でも見に行くとするかな」

 

 間もなくアカルギが帰還する。しかしトモキは迎えにいかず、ツムギの中枢に居座る少女の元へと足を向ける。倉持技研がやってきてからあまり顔を見せなくなった少女の元へ通っているのは彼に残された最後の趣味だった。

 トモキのゴールは確実に近づいている。いずれナナとシズネたちはISVSから解放される。その瞬間を待ちわびこそするが恐れなどありはしない。

 たとえ、自分が消えると知っていても……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 仮想世界にも現実と同じ時刻に朝が訪れた。東の空に上ったお日様が照らす海面の反射はキラキラしていて下手な宝石よりも美しく感じられる。煌びやかな海の上、青く澄み渡った果てのない空を白と紅のISが鳥の(つがい)のように縦横無尽に飛び回っていた。

 対照的に鬱屈とした空気が蔓延しているのが海上に浮かぶドームの入り口である。1人のツインテールの少女が頭上を見上げて嘆息していた。その目にはまるで光が感じられない。

 

「帰って早々に何しに来てるかと思えば、あの子と逢い引きしてたのね……」

「まあまあ、リンさん。今だけは邪魔をしてはいけませんわ」

「わかってるわよ。……でも、面白くない」

 

 2人で空を飛んでいるヤイバとナナ。その様子をリンとラピスが下から見上げていた。不機嫌さを露わにしているリンに対して、ラピスは何故かニコニコと笑みを絶やさない。それもリンにとって面白くない。棘を前面に押し出して投げかける。

 

「なんでアンタが嬉しそうなのよ?」

「わたくしの胸の支えがおりたからですわ。ナナさんが篠ノ之箒さんだった。ナナさんは生きている。嬉しくないはずがありません」

「やめて! アンタの話を聞いてるとあたしの器の小ささを思い知っちゃう!」

 

 またもや頭を抱えて勝手に自己嫌悪するリン。彼女とラピスの会話でよく見られる光景であり、もうラピスはリンを心配しないくらいには慣れている。

 そんないつもの2人に近づく人影があった。

 

「大丈夫です。手に収まるくらいに小振りでもヤイバくんなら愛してくれますよ」

「誰も胸の話なんてしてない!」

 

 喋ったのが誰かも確認せずにリンは反射的に振り向いた。そこに居たのはプレイヤーではなくシズネである。唐突に現れた彼女は2人に向かって会釈する。

 

「こんにちは。『口を開けば胸を撃つ』でお馴染みのシズネです」

「前にも自己紹介してたでしょ……って、えらい自信家ね。言葉だけで人を感動させるなんて難しいと思うわ」

「私の口癖は『あ、間違えちゃった』です。やはりこのライフルの引き金が軽いことが問題なのでしょうか」

 

 リンは今更になって気が付いた。戦闘中でもないのにシズネがスナイパーライフルを所持している。抱えているだけならばまだしも、なぜかグリップをしっかりと握っていてトリガーに指もかけていた。

 

「ちょっと待って! 『胸を打つ』んじゃなくて胸を『撃つ』なの!? 喋った人が撃たれちゃうって意味なの!?」

「冗談を解説するなんて物好きな人ですね」

「冗談は口だけにして! そのライフルを下ろしなさい!」

 

 リンがシズネから武器を取り上げようとする。しかしその弾みで――

 

 バン。

 

「あ、間違えちゃった」

 

 暴発した弾丸がリンの頬を掠めていった。当たってもISが防ぐ上に、プレイヤーだから死なないとはいえ、リンの堪忍袋の尾が切れるのには十分であった。

 

「ふざけんな! 冗談で人に銃を向けるんじゃない!」

「返す言葉もありません」

「ああ、もう! なんでそんなに冷静なの!? あたしはともかく、今のがアンタに当たってたら危ないでしょうが!」

 

 ただし、怒るポイントが違う。このゲームでは相手に銃を向けるななどと言う方が変だ。しかしリンにとってはゲームの中でもシズネにとっては現実と変わらない。リンはそれを踏まえたからこそ、シズネに怒りを示した。

 

「リンさんも優しい人ですね。だからヤイバくんが嫌いになるなんてことはないと断言できます。自信を持ってください」

「え、あ、う、うん。ありがと」

 

 なぜかシズネに励まされ、リンは戸惑いつつ受け取った。その成り行きを見守っていたラピスはクスクスと小さく笑う。すっかりリンは自分のペースを乱されて頭が痛くなる。

 

「で、あたしらに何か用?」

 

 改まってリンが問う。ナナのいない場でシズネの方からリンに話しかけてくるのは珍しいことだった。

 シズネは無表情のまま、さも当然であるかのように答える。

 

「皆さんにはお世話になっているのでお礼参りに来ました」

「合ってるのか間違ってるのか良くわかんないボケはやめて! ライフルなんて持ってたら変な意味にしかならないでしょうが! ってかいくらなんでもライフルは無いわよ!」

 

 ツッコミを入れざるを得ない。迷走する2人の会話の傍でセシリアはお腹を抱えて(うずくま)っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 あれから半日以上が経過した。『さっさと寝ろ』というナナによって俺は半ば強制的に帰らされた。部屋に戻った俺はそのままベッドに倒れ込んで眠りこけていたらしい。外を見ればもう暗くなっている。

 

「腹減った……」

 

 思えば朝から何も食べていない。時計を見ればそろそろ夕食の時間。チェルシーさんが何か作ってくれていることだろう。こういうとき、ひとりじゃないととても助かる。

 部屋を出ると階下から姦しい声が聞こえてきた。そういえばオルコット家の人たちだけでなく、まだシャルやラウラも居たんだった。ついでに鈴の声も聞こえてきているが細かいことは気にしないでおこう。

 

「皆、集まってるんなら俺も起こしてくれて良かったのに」

 

 とくに躊躇いもなくダイニングに入る。ここは俺の家だから俺が気を遣う方が変だし。

 中では既に夕食会が繰り広げられていた。メンバーも最近のいつも通りというべきか。もはや俺の家は女子寮か何かと化している気がするが、独りよりは楽しいから良しとしている。

 

「一夏さん。お目覚めのところ突然このような話をするのは大変恐縮なのですが……」

 

 しかしどうやら楽しいガールズトークが繰り広げられているわけではなかったようだ。難しい顔をしたセシリアが何やら言い淀んでいる。

 

「どうした、セシリア? 俺が寝起きだとかそんなことは関係ないから遠慮なく言ってくれ」

「あと1時間もしないうちに千冬さんが帰ってきます」

「…………」

 

 前言撤回しよう。俺の家が女子寮と化しているのは何もよろしくない。

 今の状況は俺1人だからこそ許されているようなものだ。いや、ハッキリ言って許されてない。許可がでているのはセシリアだけであって、鈴は遊びに来てるということで誤魔化せてもラウラとシャルは言い訳のしようがない。

 

「マジで? 千冬姉は何か言ってた?」

「特には。先ほど『帰る』と連絡があっただけですわ」

 

 つまり千冬姉は今の状況を知らないってことになる。

 俺に用意された選択肢は2つ。

 千冬姉に正直に話すか、適当に理由を付けて誤魔化すかだ。

 

「何を悩む必要がある。私とシャルロットを追い出せば済むのだろう?」

「え? どうして?」

「どうしてって……考えなかったの、一夏?」

 

 ラウラとシャルが意外そうに俺を見てくる。逆に俺の方が聞きたい。なぜそんな選択肢が存在する?

 

「2人には俺がここに居ていいって言ったんだ。なのに都合が悪くなったからって夜に女の子を外に放り出すような真似をすれば、それこそ千冬姉に叱られるっての」

「……一夏らしい理由ね」

 

 鈴がぼそっと呟く。なんだかんだで姉離れできてない俺だから鈴の言ってることは全く否定できないしする気もない。

 

「というわけで真面目に相談だ。千冬姉に何て言い訳をしよう? できればラウラもシャルもここに居たままの方が都合がいいんだが、このままだと千冬姉の許可が下りない」

「一夏も男の子だから皆を引き留めるのに必死なんだね。僕も含めてもらってるのは素直に嬉しい」

「ちょっと待て、シャル。それはどういう意味だ?」

「大丈夫。僕のパパですら色んな女性(ひと)と上手くやってるんだから心配ないよ」

「お前の父さんがどんな人か知らないけど一緒にされるのは心外だってことだけはわかった」

 

 シャルは基本的に優秀なんだけど、パパさんが絡むと途端に残念な子になってる気がする。とりあえずこうなったシャルは当てにならない。他を頼ろう。

 

「ラウラ。何か妙案はないか?」

「ISVSはワールドワイドなゲームなのだろう? ならばゲームを通じて知り合った友人が来日したため宿を提供していると正直に説明すればいいのではないか? お前の保護者をやれているほどの人なら無下に断ることもないと思うのだが」

「それなら嘘はついてないけど……本音を言わせてもらうと千冬姉にはISVSをやってることも内緒にしときたい。でもISVSを避けてラウラとシャルに自然と知り合うってのはちょっと無理があるんだよなぁ」

 

 そう。Illのことを説明する必要は全くないがISVSだけは説明せざるを得ない状況になっている。だがしかし千冬姉はISVSが危険だと思っているはずで、堂々とISVSをやっていると言っていいとは思えない。だから俺はこんなに悩んでいる。

 

「一夏。アンタって結構バカよね」

 

 頭を抱えている俺を小馬鹿にする鈴。情け容赦のない罵倒には呆れが見え隠れしている。

 

「バカなのは否定しないけどこのタイミングで言うことか?」

「ええ、そうよ。逆に質問させてもらうけど、一夏は本気で千冬さんが何も知らないと思ってる?」

「そりゃそうだろ。そもそも俺が例の昏睡事件を知ったのも千冬姉のメモがきっかけなんだ。千冬姉が危険だとわかってるゲームを俺にやらせたまま放置するわけがない」

「でも、千冬さんは一夏がISVSをやってるって知ってるわよ」

「は……嘘だろ?」

 

 大口を開けて唖然とせざるを得ない。

 俺がISVSをやってることを千冬姉が知ってる?

 そんなはずはない。俺がISVSを今も続けていることこそが証拠だ。俺の知ってる千冬姉なら絶対に俺を関わらせようとしない。

 だから鈴の言ってることは何かの間違いに決まってる。

 

「嘘じゃないわよ。アンタがISVSを初めてすぐの頃、千冬さんと道端で会ったときに『今から皆でISVSをやりにいく』ってあたしが言ったんだから」

「お前が言ったんかいっ!」

 

 そういえば鈴と弾、数馬は俺が気づかなかったところで千冬姉と話してたんだっけ。あの段階だと鈴だけは口止め出来てなかったな。

 だとするとどうして千冬姉は俺を放置したんだろう? 俺も箒と同じ状態になる可能性を千冬姉が考えないわけがないし、そもそも俺がISVSを始める動機も箒にあるのだと千冬姉なら真っ先に思い至るはず。

 

「……ではそろそろ茶番は終わりにしましょうか。後ろをご覧ください」

 

 話題が『千冬姉への言い訳をどうするか』から『千冬姉が俺の最近の行動をどこまで知っているか』に変わってきたところで、口数の少なかったセシリアが口を開いた。

 セシリアはここまでの会話を茶番と言い切る。その理由を俺がわざわざ問うまでもない。後ろを向けと彼女が示した先には、最近会っていなかった我が姉が仁王立ちしていたのだった。

 

「あれ? い、いつから居たの、千冬姉?」

 

 声にまで動揺が表れている。そう自覚できるくらい俺は浮き足立っている。

 千冬姉はというとそんな俺の様子を眺めてくっくっくと笑う。

 

「帰ってきたのは昼頃だ。もっとも、オルコット以外は知らなかっただろうがな」

 

 腕を組んだ偉そうなポーズだが、千冬姉はいたずらの成功した子供のような笑みを作っていた。この場にいる全員の顔を見回してみると、確かに千冬姉の言ったとおりセシリア以外は呆気にとられている。もちろん俺も含めてだ。

 

「あ、えーと、千冬姉。今まで言ってなかったけど俺――」

「落ち着け。とりあえずは夕食としよう」

 

 千冬姉が俺の真っ正面の席に着く。チェルシーさんが料理を運んできて、我が家における過去最大人数となった夕食が静かに始まったのだった。

 

 

  ***

 

 

 淡々とした夕食の時間。いつもならうるさいくらいに騒いでいる鈴も場の空気に押されてか黙り込んでいる。とりあえず食事と提案した千冬姉が少しも喋ろうとしていないからだろう。

 

「千冬姉、ごめん……俺、勝手にISVSやってた」

 

 普段よりも会話のない食事も終わりにさしかかってきたところで俺の方から切り出した。

 千冬姉は手を止めると怪訝な顔で俺を見る。

 

「何を謝る必要がある? 一夏も高校生だ。友達と遊んで悪いことなどない」

「千冬姉が調べてる昏睡事件のことを俺は知ってる。遊ぶためじゃなくて、俺が事件を解決するためにISVSに手を出した。危険だって知ってて始めたんだ」

「……きっかけは彩華ではなく私のミスか」

 

 千冬姉が食べ終えてチェルシーさんがお皿を下げた。これで話に集中できる。他のことに気を使うことなく、俺は一切の誤魔化しをしない覚悟を決めて千冬姉と向き合う。

 

「謝るのは私の方だ、一夏。本来はお前の知らぬ間に全てを終わらせるべきだった。お前にとってISVSはただの遊び場であるべきだったのだ」

「千冬姉がそこまで気負う必要こそない。箒が巻き込まれてる。だから俺は無関係なんかじゃないんだ」

「そう言うと思っていた。だからこそ急いでいた。結局、私だけでは手がかりすら掴めなかったがな」

 

 力ない声と共に千冬姉が項垂れる。こんな覇気のない千冬姉を見るのは二度目。一度目は箒の入院を知った俺に『この子は私が助ける』と言ってくれたときだった。どっちも俺と箒が絡んでいることであり、何でもそつなくこなしていた千冬姉が何も出来なかったときのこと。

 

「一夏……お前は私が到達できなかった場所に立っている。Illという敵の存在も、裏で糸を引いているエアハルトという男のこともお前だから辿りつけた真実なのだ」

「千冬姉は全部知ってるのか?」

「知っているさ。一夏たちのことは彩華から聞かせてもらっていた」

「そういえば千冬姉は彩華さんと知り合いなのか?」

 

 さっきも呟いてたけど千冬姉が他人を下の名前で呼ぶことは少ない。それなりに親しい相手であることは間違いなかった。だけど俺には2人の接点が良くわからない。警察と倉持技研のどこにつながりがあるんだ?

 

「千冬さん、そのお話はわたくしの方からさせてもらって良いですか?」

「任せる」

 

 ここでセシリアが割って入ってきた。つまり、彼女は俺の知らないことを知っている。それは今に始まったことじゃないから特に驚くようなことじゃない。

 セシリアによる事情の説明が始まる。でもそれは思いの外、単刀直入であり、たった一言で終わるものだった。

 

「一夏さんのお姉さん、織斑千冬さんは“ブリュンヒルデ”なのです」

 

 あまりにも簡潔な一言であり、しばらくこの場は静まりかえった。意味を理解するのに時間が必要だったんだ。

 最初に反応を示せたのは俺ではない。俺の2つ隣に座っているラウラだった。彼女は素早くイスから直立して敬礼をする。

 

「あなたが教官でしたか!? お、お会いできて光栄です!」

「たった1週間の指導をしただけで教官扱いは止せ。話なら後で時間をとるから今はこっちに集中させてくれ」

「はっ!」

 

 ラウラが着席する。彼女が代わりに大げさな反応をしてくれたおかげで冷静でいられたから騒がずにすんだ。

 

 ブリュンヒルデ。

 モンドグロッソの日本代表にして、誰もが認める世界最強のIS操縦者。

 ツムギ防衛の切り札としてこちら側に参加してくれていたことは伝え聞いている。

 まさかその正体が千冬姉だったなんて。

 そして、セシリアがそのことを知っていた?

 

「驚かれるのも無理はないと思いますが、今はわたくしの話を聞いていただけますか?」

「あ、ああ」

「まず、お話しすべきはわたくしが千冬さんと知り合ったきっかけですわね」

「セシリアが俺の家族構成を調べたとかだろ? ここにくる理由を作るために」

「違いますわ。そもそもわたくしのホームステイは千冬さんから提案されたお話なのです」

 

 この時点で俺の認識とは食い違っていた。

 俺はずっと、セシリアが俺の護衛のために千冬姉を籠絡していたのだと思っていた。

 しかしこの話を持って行ったのは千冬姉の方。

 なぜ千冬姉がそんなことをしたのか。

 それに、そもそも――

 

「どうして千冬姉がセシリアにそんな話を? 千冬姉が日本代表でセシリアがイギリスの代表候補生だとしても接点があるとは思えない」

「それは……わたくしがドジを踏んだからですわ」

 

 無念そうに頭を垂れた。俺の知らない内に何か失敗をやらかしたことは察した。

 

「実は福音を追っている上で、本物の福音とブリュンヒルデが密かに会っている現場を目撃しまして……そのときにわたくしの姿を見られていたのです。イルミナントを倒してから本国に戻っていたわたくしの元に警察手帳を携えてやってくるとは思ってもみませんでした」

 

 即座に千冬姉へと視線を移す。しかし目を閉じていて何か話してくれる素振りはない。まだセシリアの話を聞けということだろう。

 

「て、敵じゃなくて良かったな」

「全くですわ。いくらわたくしに専用機があるといってもブリュンヒルデ相手では歯が立ちませんし」

「同感ね。セシリア1人じゃISが相手ってだけで絶望的だし」

「専用機の無い鈴さんには言われたくありませんわ」

「では私から言おう。セシリア1人ではIS同士の戦闘というだけで荷が重いと思うぞ」

「ラウラさん、少しは容赦して下さい。こう見えてかなり気にしているのですから……」

「話を戻すと、千冬姉から見たら自分たちを尾行していた怪しいプレイヤーを捕まえたってことになる。それがどうして今の状況になるんだ?」

 

 今の状況とは千冬姉がセシリアを家に招いたことだ。その時点でセシリアは千冬姉にとって敵の可能性が高かったはず。

 

「わたくしのことをマークしていたのは事実でしょう。しかしわたくしを捕らえる前に事態が動き、倉持技研にイルミナントの情報がもたらされました。それは千冬さんにも伝わり、わたくしが一夏さんと行動を共にしていたことも伝わったようです」

 

 これも彩華さんから千冬姉に情報が伝わったからなのか。タイミングも俺が彩華さんに協力を要請したイルミナントとの決戦の直後だから納得できる。

 俺とセシリアが親しいことを知った千冬姉がわざわざイギリスにいるセシリアの家を訪ねた。昏睡事件の容疑者としてのわけがない。むしろその逆。

 

「わたくしは千冬さんの依頼を受けてここにホームステイという形でやってきました。全ては一夏さんに自由を与えると同時に安全を確保するという意図があってのことです」

 

 最初から俺の護衛としてセシリアを呼んだんだ。俺がISVSでエアハルトとの戦いを続けることを見越した上で、俺の身の安全を確保するために。

 セシリアが頭を下げる。

 

「今まで黙っていて申し訳ありませんでした」

「いや、俺は守ってもらってる立場だから何も文句は言えない。とりあえずセシリアは千冬姉から依頼されて俺の護衛に来てくれたわけだな?」

「あ、はい……渡りに船でしたし」

「だったら俺は感謝するだけだ。セシリアにも、千冬姉にも」

 

 これでセシリアの話は終わりだった。内容をまとめると千冬姉がブリュンヒルデであったことと、今まで知っていて意図的に隠してきたことの2つ。内緒にされてたのは少し寂しく感じるけど、俺のために黙っていてくれたんだってことくらいは俺にだってわかる。そんなセシリアを責められるはずもなく、千冬姉の無茶な頼みを聞いてくれた彼女に頭を下げるのはこちらの方だ。

 俺がうんうんと頷いていると左から肘で小突かれる。左隣に座っているのは鈴だ。彼女は小声で俺に言ってくる。

 

「アンタ、今の聞き逃したりしてないわよね?」

「もちろんだ。本当に俺は恵まれてると実感してるよ」

「ふーん……ま、あたしには関係ないか。でもそれをあたしにやったらたとえ天然でも全力でぶっ飛ばす」

 

 なぜ俺が脅されなきゃいけないんだ? 久しぶりに鈴に睨まれた。しかし俺には鈴に悪いことをした心当たりがない。

 鈴の機嫌については放っておこう。それよりも今は千冬姉の意図を確認するのが先だ。

 

「今日まで俺に隠してたのにわざわざ教えてくれたってことは、俺がISVSで戦うのを認めるってことでいいのか?」

 

 千冬姉は全てを知った上で何も言わなかった。言い換えれば俺が事件に関わるのを黙認していた。

 俺はそんなことを知る由もないからどこか後ろめたい気持ちがあった。千冬姉の前だと表立って動けなかった。それが枷になっていたのは否定できないところだと思う。きっと千冬姉が黙っていたのもそれが理由であって、千冬姉のいない日が多かったから上手くいっていただけだった。

 今日になって千冬姉は自分がブリュンヒルデであることも含めて俺に暴露した。つまり、千冬姉に隠れてISVSをやる必要がなくなるということになる。

 

「その通りだ。同時に、私が本格的に一夏に手を貸すということでもある」

「千冬姉……」

「もうお前はこの事件から切り離せない存在となった。敵……おそらくは亡国機業の残党だろう。奴らは2体のIllを討伐した一夏を最大の脅威と認識しているはずだ。この“ブリュンヒルデ”を差し置いてな」

 

 千冬姉がポケットから取り出したのはブリュンヒルデのプレイヤーネームが入っているイスカだった。セシリアの言うように、千冬姉がISVS最強のプレイヤーと謳われるブリュンヒルデなのは間違いないだろう。

 ……俺としてもしっくりくる。千冬姉がISVSをやってて中途半端で終わるわけがない。世界最強と言われても特に不思議ではなかった。

 しかし俺が千冬姉以上の脅威となる、か。もしエアハルトがそう思っているのなら逆に都合がいい。どう考えても俺より千冬姉の方が強いのだが、敵の目を俺が引きつけられる。今後、この点を上手く突けるかもしれない。

 

「千冬姉が一緒に戦ってくれるのは心強いよ」

「だが調子にだけは乗るなよ。一夏が無茶をしていると判断すれば問答無用でイスカを取り上げる。そのつもりでいろ」

「わかったよ」

 

 これまでの戦いを認めてもらって嬉しかったが最終的にはお小言のようでもあった。俺は口をとがらせて拗ねてみせるも千冬姉には伝わっていなく、席を立たれた。

 こうしてこの日の夕食は終わった。

 ISVSで箒を見つけ、千冬姉がブリュンヒルデとして一緒に戦ってくれることになった。

 一月前では考えられない進歩だ。俺は前に進めている。その確信を胸にしてその日は眠った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 コンコンと木製のドアがノックされる。久方ぶりの我が家でくつろいでいた千冬だったが、今は多くの若い客人を抱えていることを思いだして姿勢を正した。幸いなことに部屋の中はチェルシーが掃除をした後のため散らかっていない。

 千冬は客人に心当たりがあって自分から呼びかける。

 

「ボーデヴィッヒか?」

「いえ。シャルロット・デュノアです」

「入れ」

 

 夕食時に教官と慕ってきたドイツ軍人が来たものだと思いこんでいたが外れだった。来訪者は夕食の時に口数の少なかったシャルロットである。唯一の完全な初対面の相手だったが千冬は遠慮なく招き入れる。彼女が訪ねてきた理由は不明。ただし、名前を聞いてある程度は察することが出来ていた。

 

「デュノア社長の使いか」

「そんなところです、ツムギの特攻隊長さん」

「一夏の前では絶対に言うな。それで、用件は何だ?」

「宍戸恭平を始めとする旧ツムギのメンバーが一夏を支援しています。そして、あなたも一夏と共に戦うと僕の前で表明しました。これはツムギの意志が一夏と共にあると受け取っていいでしょうか?」

「ツムギは解散している。過去に所属していたメンバーの意志が一つにまとまっているとは限らない」

「そうではありません。聞きたいのは織斑千冬さん、あなたがどう思っているのかです。あなたは一夏が“織斑”の後継者にもなり得ると考えていますか?」

 

 初対面の、それも世界最強のIS操縦者を前にしてルーキーである夕暮れの風は少しも気後れしない。自然と千冬の対応も一夏と同い年の少女ではなく、デュノア社のエージェントに対してのものとなる。

 

「でなければ私が矢面に立つさ」

「わかりました。父にはそう伝えておきます。これでデュノア社として一夏を支援することも可能かもしれません。もちろん僕からも口添えをするつもりです」

「束のいないツムギの後援者(パトロン)になっても得があるとは思えないがな」

「昔も父は技術ではなく志に投資したんです。でなければ今頃はフランスもイグニッションプランを受け入れてミューレイの影響下に置かれていたことでしょう」

「イグニッションプラン……日米に対抗するための軍事同盟もどきを主導していたのはミューレイだと聞いていたがやはりクロか」

「父の見解ではほぼ間違いありません。加盟国はフランスを除いたEUほぼ全て。ですが、度重なるIllの敗北で綻びが生じるはず。いずれは内部から崩壊すると考えます」

「だといいがな」

 

 ここで再び入り口をノックする音が響く。ちょうど一区切りついたところだったためシャルロットは入れ替わりに外に出ようと入り口の脇に立つ。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒです。少し話をしてもよろしいでしょうか?」

「入れ」

「失礼します……やっと会えました」

 

 次の来訪者はラウラ。1年前に千冬がISVSの指導をしたこともあるドイツの軍人だ。

 当時はランカーどころか一般プレイヤーにも勝てなかったラウラ。そんな彼女を見かねて、養父が用意した臨時の講師がブリュンヒルデだった。期間にして1週間。短い期間でラウラは急成長を遂げ、今では“ドイツの冷氷”としてその名を知られている。

 訓練期間中ずっと顔を見せなかったというのに、なぜかラウラはブリュンヒルデに懐いてしまっていた。人嫌いの気がある千冬としては煩わしいことのはずなのであるが、子供のように目をキラキラさせているラウラを前にして何も言えなくなる。

 

「教官の指導のおかげで今の私があります! 今はまだ28位という順位ですが、いずれドイツ代表となり、教官とモンドグロッソで対峙したいと考えています!」

「そうか。夢を持つのはいいことだ」

「はい!」

 

 ちなみにまだシャルロットは退室していない。自分にとってかけがえのない親友が千冬と何を話すのか純粋に興味を持っていた。

 同じ部屋にいるというのにラウラはシャルロットの気配に気づいていない。視界の隅に移っていてもスルーした。他のことが目に入らないくらい、ラウラにとってブリュンヒルデという存在は大きいものだった。

 ……なんか面白くない。

 これから知っていこうとした友人の意外な一面をいきなり目の当たりにすることができた。しかし、無視されているも同然に思えたシャルロットは頬を膨らませる。

 なおも千冬に熱く語るラウラの背にこっそりと忍び寄ったシャルロットは「えい!」とラウラの背中をつねる。

 

「痛っ! 誰だっ!? ……シャルロットだと? どうしてお前がここに――ぐあっ!」

 

 シャルロットが無言でもうひと捻り加えるとラウラは再び仰け反った。

 その様子を見ていて千冬はニヤニヤとラウラに笑みを向ける。

 

「その程度の奇襲も察知できないようでは私に挑戦など夢のまた夢だ。精々、一夏の元で敵と戦い、経験を積むといい」

「くぅ……了解。失礼します!」

「あ、待ってよ、ラウラ!」

 

 痛みで涙目になったラウラはシャルロットに気づかなかった不甲斐なさに恥ずかしくなり千冬の部屋から勢いよく飛び出していく。謝らせてもらえなかったシャルロットも慌てて彼女を追っていった。

 2人の客人がいなくなって千冬の私室は静まりかえる。机の上にあった冷めたコーヒーを口にしてから千冬はベッドに腰掛けた。

 

「騒々しいのは苦手だ」

 

 雑音の少ないひとりの時間を千冬は好む。

 さっきまでのような騒がしさは基本的に避けている。

 嫌でも騒々しさの塊であった親友を思い出すからだ。

 しかし千冬は気づいていない。

 ラウラとシャルロットを見ていた自分が愛想笑いなどしていなかったという事実に……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 時間は日曜日の朝に遡る。

 数馬にとっては徹夜明けの日曜日だった。一夏たちと違って朝にはベッドに潜ったのだが、優秀な体内時計を持っている数馬は就寝には至れない。厳格な父が起床してからは寝て過ごすことも出来ず、ずっと起きていた。

 家に居てもすることがない。誰か友人を誘おうにも一緒に遊ぶような間柄の人間は皆が寝入っているため誰とも連絡が付かなかった。眠気を誤魔化すために外に出ることだけは決めていた数馬は、いい機会だからと居候している少女、ゼノヴィアを外に連れ出すことにした。

 ……とは言ってもどこに行こうか?

 隣を歩く銀髪の少女は明らかに年下であり高く見積もって小学校の高学年くらいだろう。どう見ても妹でも親戚の子とも言えない容姿である。もし知り合いに見られたら面倒なことになるのはわかりきっていた。

 

「通常、カズマはどこに遊んでいますか?」

 

 目的もなく歩いているとゼノヴィアが尋ねてくる。相変わらず不自由な日本語だが数馬はなんとなくで内容を察していた。

 

「いつもはゲーセンだけど、そこはマズいんだよなぁ」

 

 言ってから気づく。今日に限っては知り合いがゲーセンにいる確率は低いのではないだろうか。そもそもゼノヴィアを外に連れ出そうと思った理由でもあった。

 数馬は残念そうに俯いているゼノヴィアに提案する。

 

「やっぱり行ってみたい?」

 

 コクンと小さく頷いた。ならば数馬が言うことは1つ。

 

「よし、行こう!」

 

 瞬間、ゼノヴィアの顔がパーッと明るくなった。左手に体当たりする勢いで飛びつかれて数馬は狼狽する。

 ……まあ、いっか。誰も見てないだろうし。

 楽しげなゼノヴィアに水を差すのも気が引けたため、そのままにしていつものゲーセンに向かうことにした。

 

 

 日曜日のゲーセン。昨夜は店長も戦闘に参加していたのだが、店の方は普通に開いている。入り口が開くと喧騒が空気の塊のようにぶつかってきて慣れていないゼノヴィアは目を回した。彼女が持ち直すまで待ってから手を握って中へと入る。周囲を見回してみて店長の姿はなかったのでほっと一息を吐いた。

 やはり昨夜の疲れが出ているのだろう。予想通り、知り合いと鉢合わせる可能性は低そうで小さくガッツポーズをとる。

 

「ここで何を行いますか?」

 

 ぐっぐっと数馬の手が引かれた。そういえばまだ説明していなかったと思い至り、いつもの場所へとゼノヴィアを連れていく。

 

「あれだよ。ISVSって言って、仮想世界でISを使って戦うゲームで遊んでるんだ」

 

 指さした先にある筐体の周りには人だかりが出来ている。これは全て順番待ちやモニターでの観戦だった。休日だからか数馬の知らない客が多い。

 少し待つことになるが折角連れてきたのだからゼノヴィアも遊ばせるべきだろう。

 イスカは自分のもの1枚しかない。出費が嵩むが新しくゼノヴィア用のイスカを購入して一緒にプレイするのが最善だと数馬は頭の中で考えを巡らせた。

 ところが――

 

「それは恐ろしい……」

 

 興味津々だったはずのゼノヴィアが隠れるように数馬の背中に回り込んでしまった。数馬の服を掴む手が尋常ではないくらい震えている。

 犬のときのような未知への恐怖でなく、知っているからこその恐怖を抱えている。そう思わせるだけの真に迫る怯え方をしていた。

 数馬はそっとゼノヴィアの頭を優しく撫でる。

 

「ゼノヴィアには合わないのかもね。混んでるみたいだし、無理してやることもないか」

「……私は残念です」

「気にするなって。他のところに行こ?」

 

 この日はゼノヴィアのために時間を使うと決めていた。だから嫌がっている彼女にISVSをやらせる理由など数馬には存在しない。

 ゼノヴィアの手を引いてゲーセンを後にする。出たところは駅前の大通りとなっていて日曜日である今日は人通りが多い。明らかに日本人ではないゼノヴィアは目立ってしまっているのか道行く人たちの注目を集めてしまっている。

 

「カズマ。既に戻りたい」

 

 人目に晒されてすっかり辟易してしまっているゼノヴィアは数馬を不安げに見つめた。

 数馬の本来の目的はゼノヴィアのことを知っている人を捜すこと。そのためにはこうして人目に付く場所を歩かせるのも意味があるのだが、当の本人は嫌がっている。数馬が強行するはずもなく、

 

「じゃあ、帰ろっか」

 

 家に帰ることに決めた。結局、ゼノヴィアにとって楽しい休日にはできそうになかった。己の不甲斐なさに対して数馬が大きく溜め息をつくと、今度はゼノヴィアの方が背伸びをして数馬の頭を撫でる。

 

「カズマは構ってはなりません」

「気にするなって? ああ、うん。ありがとう」

 

 年下の女の子に道端で頭を撫でられているという恥ずかしい状況も忘れて数馬はゼノヴィアに笑顔を向けた。

 道行く人たちは数馬たちを見てヒソヒソと何やら話しているが数馬は気づいていない。不幸中の幸いと言うべきか数馬の直接的な知り合いは誰もいなかった。このまま数馬はゼノヴィアを連れて家に帰るだけで今日という日を終える。

 そのはずだった……

 

「すみません。少しお話を聞かせてもらってよろしいですかねぇ?」

 

 しかし、数馬とゼノヴィアの2人に声をかける男がいた。数馬は真っ先に知り合いの誰かなのではないかと焦ったが、どうにも聞き覚えがない声である。振り向いて顔を見ても、真面目そうな黒縁メガネをかけているサラリーマン風の男に見覚えはない。

 

「えーと、僕たちに用ですか?」

 

 一人称に僕を使う程度に身構えて応対する。その数馬以上に警戒を示しているのはゼノヴィア。彼女は犬のときと同じように数馬の背中に回って、話しかけてきた男から距離を置いていた。

 

「そんな緊張しないでくださいよ。(わたくし)、こういうものです」

 

 そういってスーツ姿の男が懐から黒い手帳を取り出した。手帳とは言っても横ではなく縦に開かれていて、顔写真や名前などが記載された中身が数馬に提示される。

 

「警察の人……ですか?」

「この辺りで少々物騒な事件がありましてね。今はその聞き込み中なんですよ」

 

 男が提示したものは警察手帳である。そう判断した数馬が問うと、男は事件の捜査中であることを明かす。物騒な事件と聞いて、数馬には心当たりがあった。

 

「例の通り魔事件――」

「ええ。昨日の深夜にも被害者が出ていましてね。こうしてお話を伺っているわけなんです」

 

 数馬の言う通り魔事件は1週間ほど前から起きている。通り魔とは言っても殺人事件ではなく、被害者となっている人たちが道端で気を失って倒れているというもの。被害者に外傷はないが、持病のない若い男性が次々と倒れるのは不自然であることから事件として捜査されている。現在は病院に搬送されているがその全員がいつ死んでもおかしくないという辛うじて生きている状態であり、原因は特定できていない。通り魔などと犯人がいるかのようであるが確証があるわけでなく、噂には尾ひれがついている。

 そこまでの詳細は知らなくとも、数馬は事件が実際にあることは知っている。昨夜のようにゼノヴィアが外を出歩いたとき、通り魔に出会ってしまったらと考えると気が気じゃない。

 

「それで、お話とは?」

 

 事件を解決してほしいという思いが数馬にはある。そのための協力を惜しむつもりはなかった。

 不気味な事件を追っているはずの男は笑みを絶やさない。市民を不安にさせないための配慮なのだとも考えられるが、どこか違和感を覚えるところでもあった。

 

「まずは簡単な質問から。君は高校生ですよね?」

「はい。藍越学園の1年生です」

「藍越、と。なるほど、都合がいい。次の質問。昨日の深夜、藍越学園に男子生徒が多数集まっていたらしいけど知ってる?」

 

 予想外の質問に数馬は目を見開いた。たしかに隠れてこそこそとしていたわけではないから知られていても不思議ではないのだが、どのような理由で警察がその件に触れる必要があるのか見当もつかない。

 深夜の学校に集まってゲームをしていた。社会的には褒められたことではなく、下手をすれば宍戸の責任問題になる。正直に言うべきかどうか、数馬には判断が出来ないところだった。

 

「あ、心配しなくていいよ。君たちの学校に告げ口とかしないから。こっちは事件さえ解決できればそれでいいからねぇ」

 

 何も言っていないのに男は数馬の心配事に先回りしていた。そもそもこの時点で数馬が昨夜の集まりに関わりがあるとバレているようなものである。今更、目の前の男に嘘をつくのは心証を悪くするだけ。正直に話した方がいい。

 

「……僕も参加してました。何をしてたかは言いにくいんですけど、言わないとダメですか?」

「いやいや、必要ないよ。こっちが知りたいのは、君たちが帰りの道中で何か見てないかって点だけ。何せ一番最近の被害者が襲われたのは真夜中のこと。目撃者なんてまずいないだろうって状況なんだけど、君たちが該当する時間に出歩いていた可能性が浮かび上がったんだ」

 

 これで数馬の中で合点がいった。駅前の大人数がいる中でわざわざ数馬に声をかけてきた理由は男子高校生だったから。通り魔事件を追っている男が欲しているのは事件につながる目撃情報。

 

「つまり、僕が何か目撃していないか知りたいってことですか?」

「そういうこと。賢い子は好きだよ」

 

 男に好きと言われて喜ぶ趣味を持ち合わせていない数馬は苦笑いを浮かべた。

 真面目に思い返してみる。昨日の戦いが終わった後、すぐに家に帰った数馬は何か変わったものを見ただろうか。いや、特に変わり映えのない帰り道だったはず。

 

「すみませんが、特に変わったことはなかったと思います」

「あー、そうですかー。折角、情報にあった高校生を見つけたのに残念」

 

 情報が得られずに男ががっくしと項垂れる。このまま何も収穫がないのは流石に可哀想だと思った数馬は少しでも足しになればと男に教えることにした。

 

「他の皆は徹夜明けで寝てると思うんで外を歩いてても見つからないと思いますよ」

「あー、そっか。徹夜明けで仕事するのに慣れててその可能性を考えてなかったわー」

「お、お疲れさまです」

 

 哀愁すら漂い始めた男に労いの言葉をかけたが、男の耳には届いていなかったようだ。

 

「じゃあ、聞き込みは違う時間にするよ。情報、ありがとう」

「いえいえ。事件解決、がんばってください」

 

 これで話すことは終わり。男が片手を挙げて立ち去っていこうとするのを数馬は右手を軽く振って見送る。

 ところが男は急に立ち止まって振り返った。聞き忘れたことでもあるのかと数馬の方から彼に近寄っていく。当然、ゼノヴィアも数馬の後ろについていく。

 

「どうかしたんですか?」

「いや、ちょっと気になってさ。後ろの子は君の妹……にしてはちょっと珍しい髪の色をしてるねぇ」

「この子はちょっと事情があって預かってる子で、妹ではないです。何か気になることでも?」

 

 男が興味を示したのはゼノヴィアだった。むしろここまで話題に上らなかったことの方が不思議と言えるくらいゼノヴィアは異質な外見をしている。

 数馬はゼノヴィアのことを話すべきか少しだけ悩んだ。ゼノヴィアが本来居るべき場所を知るには警察の手を借りるのが手っ取り早いのはわかりきっている。ここで相談に乗ってもらうのも1つの手だった。

 ……やっぱりやめておこう。

 ゼノヴィアと出会った日を思い出す。彼女は警察に通報しようとした数馬を止めた。本気で拒絶していた。その理由をまだ知らない数馬は下手に警察に相談すべきでないという結論しか出せない。

 よってこの場では目の前の男がゼノヴィアについて何か知っていないか探りを入れる程度で済ませる。

 

「そりゃー気になるよ。その子が君と一緒にいるのを嫌がってたら誘拐の現行犯で逮捕するくらいには怪しいし」

「ですよねー」

「でも本当の兄妹みたいに仲良さそうだから、倫理的に問題のあることをしてなければ別にいいでしょ」

「そう言ってもらえると助かります……」

 

 話のわかる人で良かったとホッと一息をつく。

 そして、男がゼノヴィアについて特に知っていることは無さそうであることもわかった。

 最後に男は再び手帳を手にして中から名刺を取り出す。

 

「あ、そうそう。もしかしたらまた君に話を聞きたいことができるかもしれないから名前を教えてくれる? ちなみにこれは私の名刺ね」

 

 数馬は先に名刺を受け取った。名前と役職、連絡先が書いてある。まだ高校生の数馬に名刺はないため、口頭で名前を告げることでしか返せない。

 

「僕は御手洗数馬です。連絡先は――」

「あー、大丈夫。何かあったら藍越学園の方に聞くから。じゃあ今日は本当にありがとう」

 

 今度こそ男は立ち去る。大した情報も得られていないだろうに歩いていく後ろ姿は軽快だった。

 男の姿が見えなくなった頃になってようやくゼノヴィアが口を開く。

 

「……私はあの人が嫌いです」

「そうなん? 俺は特にそう思わなかったけど」

「再び顔を見たくありません」

「ええ!? そこまで嫌いなん? うーん、そういうこともあるのか……」

 

 男の前で喋らなかったゼノヴィアだったが、ISVSのときのような怯えでなく嫌悪を露わにしていた。

 数馬にとっては話のわかる優しい刑事という印象だっただけにゼノヴィアとのギャップは少しばかりショックでもある。だが好き嫌いに関しては何が正しいということもないため、数馬の価値観をゼノヴィアに押しつけることだけは間違っている。ゼノヴィアと感性がずれているということで数馬は自分を納得させた。

 

 今度こそ家路につく2人を邪魔する者はなく、無事に家に辿りつく。

 ゼノヴィアを部屋に戻して、自分の部屋に戻った数馬は男から貰った名刺に目を通した。

 役職はそれっぽい名称であることしかわからない。

 連絡先はゼノヴィアの件でいずれ使うことになるかもしれないと考えられる。

 その名刺には“平石羽々矢”という名前が書かれていた。



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28 その名はモッピー

 高層ビルが立ち並ぶコンクリートのジャングルを地面すれすれで飛んでいる。ISが戦うためだけにあしらわれたような町並みには車が走っておらず、道路上を低空飛行していても交通事故は発生しない。

 赤信号など気にするはずもなく、また、道路に従って飛ぶ必要もない。俺は自分から進んでビル間の狭い空間へと入っていく。

 

「ああ、もう! こんな広いステージでやってられるかっ!」

 

 愚痴の1つも言いたくなる。俺の機体“白式”は軽量(フォス)フレームの近接格闘型である。余分な武器を持つ登録容量の余裕なんてあるはずもなく、使える武器は雪片弐型1つだけ。遠くから撃たれては俺は手も足もでない。

 今の戦場は都市ステージ。障害物がある方ではあるが範囲が広すぎるために敵と接近戦をすること自体が難しい。屋内ならばとも考えたが、相手はミサイルを所持している。屋内に引き込もうと俺が入っていったところで建物ごと攻撃されるため却下した。

 というわけで俺が立てた作戦は建物の影を飛び回り、近距離で鉢合わせるまで粘るという消極的なものだった。ハッキリ言って詰んでいる。

 

「見っけ! ほらよっと!」

「のわっ! あっぶね!」

 

 頭上から声がしたあとで射撃が飛んでくる。何も言われずに撃たれていたら多分避けられなかった。つまり、俺は手加減されている。

 対戦相手であるISは右手の長大な銃を俺に定めている。種別はレールガン。サプライエネルギーの消費がある代わりに驚異的な弾速を得た実弾装備であり、実弾に弱い俺の機体の天敵の1つである。

 なんだかんだで敵は俺を倒すチャンスを逃した。俺が勝負を決められるとすればこのタイミングしかない。イグニッションブーストを使用して真上へと爆発的に加速する。

 だけどこれで捕まえられるなら俺は苦労をしていない。

 敵は俺が見ている前で体操座りをするように膝を抱え込むと装甲が組み変わり、手にしていたレールガンが顔の正面に移動。背中の装甲と一体化すると見事な流線型が出来上がる。最後に翼状のブースターを展開すると一気に加速して遙か彼方に飛んでいった。その姿は戦闘機そのもの。

 

「くっそ、速ぇ……」

 

 瞬発力では白式も負けてはいない。しかし敵の戦闘機は移動できる距離が違う。相手は拡張装甲(ユニオンスタイル)ブースター特化型(ファイタータイプ)。広いステージではとても追いつけない。

 エアハルトとの戦いも逃げられたときは同じように追いつけなかった。奴の場合は攻撃方法が俺と同じ接近戦だったから迎撃で渡り合えていたのだが、この相手の場合は――

 

「うわっ! また狙撃された!」

 

 レールガンで遠くから狙ってくる。イグニッションブースト直後に肩に被弾したためストックエネルギーが大幅に削られてしまう。ついでに機動性まで低下していた。

 

「はい、おしまい」

 

 相手の勝利宣言の後、俺に向かって飛んできたのはミサイルの群。回避はとてもできず、雪片弐型しかない俺には撃ち落とすこともできない。次々と命中して、とどめのレールガンを喰らったところで試合終了となった。

 

 

 試合に敗北してISVSからログアウトする。イスカの挿入されたメットを外していつものゲーセンに戻ってきた。

 また負けた。

 情けない戦果に恥じてがっくしと俯いていると目の前に白い手が差し伸べられた。顔まで辿って見ればセシリアである。

 

「お疲れさまですわ。これで100戦目が終了ですわね」

「なんか凹む……」

「ここまでの勝率は33%。大きく負け越しています」

「やめて! 具体的な数字で言わないで!」

 

 セシリアに悪意がないのはわかってるけど、簡単にまとめられると軽くショックを受ける内容である。強いプレイヤーを選んだとはいえ勝率32%は非常に心許ない数字だった。

 

 始まりは千冬姉の一言だった。それは『一夏の腕前を教えてくれ』というもの。

 てっきりブリュンヒルデと試合をするものと思っていたんだが千冬姉的には意味がないらしく、代わりに提案されたのが身近な猛者たちとの10回勝負だった。今は俺が直接Illの調査をする必要もないから、俺自身の訓練と思えば無駄ではない。

 箒の居場所を知ってからの1週間、放課後と休日はプレイヤーとの対戦に明け暮れていた。俺としてもどの程度強くなったのか腕試しをしたいという欲があってノリノリだったのも付け加えておこう。

 

 ……それがこんな結果になるなんてな。

 

「わかりました。口には出しませんわ」

 

 そう言って金髪縦ドリルのお嬢様が満面の笑みで手渡してきたのは1枚の紙。

 俺は素直に受け取って目を通す。途端に悶絶しそうになった。

 

――――――――――――――――――――

【戦績】

VSリン() 5勝5敗

VSバレット() 3勝7敗

VSマシュー 6勝4敗

VSリベレーター(生徒会長) 6勝4敗

VSバンガード 8勝2敗

VSベルゼブブ(幸村) 0勝10敗

VSシャルル 0勝10敗

VSラウラ 0勝10敗

VSアーヴィン 4勝6敗

VSカイト 1勝9敗

――――――――――――――――――――

 

 書かれていたのはこの1週間の戦績だった。今日までに戦った10人との勝敗数が並べられている。

 こうして振り返ると最初の頃は良かったんだ。弾には負け越したけど鈴とはギリギリで五分だったしマシューや生徒会長には勝ち越した。バンガード先輩に至っては圧勝だったと言ってもいい。なのに――

 

「俺、幸村(ベルゼブブ)相手に1勝もできなかったんだよなぁ……」

 

 まさかの相手に全敗した。

 シャルやラウラに勝てないのは仕方がない。ラウラは文句なしのランカーだし、最近のランキングを覗いたらシャルもギリギリ100位にランクインしていた。

 だけど、一度は瞬殺したこともある相手に手も足もでないとは思わなかった。

 

「仕方ありませんわ。一夏さんの機体は雪片弐型の運用に特化した構成ですから相性次第ではこうなっても不自然ではありません」

「それはそうなんだけど、マシンガンが相手ってだけなら弾の奴に3勝できたんだぜ?」

「ベルゼブブ戦での最大の敗因は一夏さんが勝手に混乱して自分からマシンガンの前に飛び出したことによる自滅だった。そうハッキリ言っていいのでしょうか?」

「うん、俺に確認を取ろうとする時点で言っちゃってるから手遅れだよね」

 

 思い出すだけで憂鬱になる。適当に弾丸をばらまかれて道を制限され、飛び込もうとしても近づけずに徐々にエネルギーを削られていく一方的な展開。ついには一度も攻撃を当てられずに試合終了。10戦全てをパーフェクトでやられた。ラウラやシャルにはまだ一撃は当てられていたのに……

 昨日、土曜日に戦った3人には1勝もできなかった。心が折れそうだったけど、今日戦った2人からはなんとか5勝。負け越しではあるけど、少しだけ気が楽になった。負け越し……だけど。

 しかし全体で見ても勝率33%。3回に1回しか勝ってない。そんな俺が千冬姉以上に敵にマークされてる現状を考えると、今のセシリアみたいに笑うしかない。

 ……笑えねえよ。

 

「なあ、なんでセシリアはそんなに嬉しそうなんだ? 俺、負けてるのに……」

 

 もう限界だった。ずっと俺の戦いを見てくれていたセシリアが俺の敗戦を眺めて楽しげだと俺はとても不安だ。彼女が味方でないようなそんな錯覚すら感じてしまう。拗ねたくもなる。

 

「一夏さんが負け続けているように感じるのは1対1の試合だけに注目しているからですわ。安心してくださいな。実戦ではわたくしが見ています」

「あー、そう言われたらそうか。納得していいのかは疑問だけど」

 

 言われて思い出した。昨日、30連敗した後で2対2のタッグマッチも10戦したんだった。組み合わせは俺&セシリアVSシャル&ラウラ。その戦績は10勝0敗。

 セシリアと出会ったときに彼女は言っていた。自分が見ていれば俺は無敵なのだと。まさかランカーコンビを相手にしても圧倒できるだなんて俺だけじゃなくセシリア本人も思ってなかったんじゃないだろうか。

 セシリアが笑っているのは俺が敵に負けると微塵にも思っていないからだ。そうわかった途端に俺の心は安らぐ。

 

「これから、どうなさいますか? 昨日のようにタッグマッチで憂さ晴らしをしますか?」

「いや、今日はもう帰るよ。千冬姉が言いたいことはなんとなくわかったし」

 

 俺がどういうときに勝てるのか。これを見失ったとき、俺は誰にも勝てなくなる。ちゃんと自分の能力を把握しておけということだったんだろう。

 

 俺の単一仕様能力(ワンオフアビリティ)“共鳴無極”。

 クロッシングアクセスをしている対象とエネルギーや装備を共有する特殊な力。

 大事な局面ではずっとこの力に支えられてきた。

 過去に俺が倒してきた強敵は俺ひとりが倒したわけじゃない。

 この1週間の試合はそう見つめ直すのに十分な結果を残したと言える。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 人がぎりぎりすれ違える程度の狭い廊下に楽しげな鼻歌が響く。アカルギのブリッジから出た人影はピンク色のポニーテールを揺らしてスキップする。ツムギのリーダーであるナナだ。少し前までの彼女を知る人が今の彼女を見れば、変なものでも食べたのかと心配することだろう。

 

「なあ、シズネ。ナナの奴、大丈夫か?」

「もちろん。今は何もかもが順調ですよ」

 

 軽やかにアカルギの外へと飛び出していくナナの後ろをシズネとトモキの2人がついて歩く。トモキは素直に疑問を口にしたがシズネは問題ないと断言した。ならば大丈夫なのだろう。しかし、トモキは怪訝な顔を崩さない。

 

「いくらなんでもおかしい。何かあったとしか思えない。それともこれから何かあるのか?」

「知りたがりなトモキくんのためにちょこっとだけ教えてあげましょうか。他の人には内緒にしておいてくださいね」

 

 無表情のままシズネは口の前で人差し指を立てる。内緒の話と聞いたトモキは黙って頷いた。

 

「この世界はISVSというゲームです。現実にいるプレイヤーはイスカというカードとISコア、あるいはその劣化模造品を介してこちらの世界のアバターへと意識を移しています。しかし私たちにとってこの世界はゲームの枠に収まるものではありません。悲しいことですが、今の私たちはこの世界の住人なのです。いつか解放される日まで、私たちは現実と切り離された仮想世界でしか生きられません」

 

 シズネが視線をトモキから外して前を歩くナナに移す。アカルギの外に出たナナが1人の女性プレイヤーと握手を交わす。トモキには見覚えのないプレイヤーだった。

 

「もし逆があったら。もし私たちが一時的に、あるいは限定的に現実へと帰ることができたら。トモキくんはそう思ったことはありませんか?」

「まさか……」

 

 トモキはシズネの言わんとすることが何かを漠然と理解する。

 プレイヤーがISVSに入る。今の自分たちの状況を鑑みて、その逆とは1つしか考えられない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「ただいまー……ってあれ? なんか靴の数が多いぞ?」

 

 セシリアと一緒にゲーセンから帰ってきて玄関を開けると、見慣れない靴が並んでいる。2人分、それも女子のものだ。俺には心当たりがないから後ろにいるセシリアの方を振り返ってみる。

 

「わたくしも聞いていませんわ。千冬さんのお客様では?」

「そういや今日は千冬姉が普通に家にいるもんな」

 

 俺たちには関係のない人だろうと結論づけてとりあえず家に上がる。すると2階からドタバタと降りてくる足音が聞こえてきた。

 

「だ、抱きついてくるなっ! 私は愛玩動物などではない!」

「ダーメ。猫は猫らしく僕の膝の上で大人しくしないと」

「それを言うならお前も猫だろう!」

 

 最初に騒々しく1階に現れたのは黒いもふもふの人型だった。袋状の衣服に体がすっぽりと入り、露出しているのは顔だけ。頭には猫耳があしらわれたフードが覆い被さっている。フードの下には輝く銀髪と黒い眼帯があった。どう見てもラウラなのだが、なぜ軍人の彼女がこのような格好をしているのだろうか。

 続けて現れたのは白いもふもふ。ラウラの着ぐるみと対になっているような白猫だ。階段下で方向転換しようと失速した黒猫ラウラにタックルの要領で飛びついた白猫のフードの下にある顔はシャルである。

 

「つっかまえた! ふっふっふ。早速『にゃーん』と鳴いてみようか」

「な、なぜ私がそのような真似を――」

「可愛いからに決まってるじゃん!」

 

 俺の知ってる“夕暮れの風”の紳士っぽい面影が一切感じられない、理不尽な要求をラウラに迫っているシャルの姿は実に楽しそうである。

 2人とも俺たちに気づいていないけど、声をかけるべきだろうか。いや、邪魔しちゃ悪いしこのまま眺めていよう。

 

「じゃあ先に僕がやってみるから。にゃーん♪」

 

 シャルが右手だけ招き猫のようなポーズを取る。するとラウラも恐る恐るといった様子で右手を顔の横に持って行きシャルの真似をした。

 

「にゃ、にゃーん……」

「よーし、録音完了! 次は写真撮影しよう!」

「わ、私のこの醜態を記録に残すというのか!? いくらシャルロットといえど、宣戦布告も辞さない!」

「えーと、携帯のでいっか。もっと性能のいい奴があるといいけど……」

「俺のデジカメで良ければ部屋にあるぞ?」

 

 あ……つい口出ししてしまった。

 その瞬間にじゃれ合っていた猫たちは動きを止める。ギギギという音が聞こえてきそうな鈍い動きで揃って俺たちの方に顔を向けてきた。

 気づかれてしまっては仕方がない。俺たちも彼女たちの輪に入ることとしよう。

 

「面白い格好だな。どうしたんだ、それ?」

「似合うから着てみろとシャルロットが勧めてきたのだ。寝間着として使えるというのもあってな」

「う、うん。もう冬も本格化してくるからいつまでも下着姿で寝てるのは体に良くないって一夏も思うよね?」

「そりゃそうだ。ってか何度も言うように健全な男子高校生の住んでいる家だという自覚は持ってほしい」

「だからラウラがこのパジャマを着れば一夏の目に優しいし、癒されるはずだと僕は考えたわけなんだ。わかってくれた?」

「確かに癒されたかも。2人とも可愛いし」

 

 なんというか、こう……女子の色気抜きに愛でたくなる小動物的な可愛さというものがあった。恥ずかしがりながら猫の真似をするラウラというのもISVSの猛者という普段とギャップがあって良い感じである。まあ、それを口に出すとラウラが機嫌を悪くすると思うので黙っておく。

 シャルがいつの間にか涙目から復帰している。見られて恥ずかしかったのかと思ったけど彼女的にフォローが成功でもしたのだろうか。まあ、解決したなら俺が無駄に口を出すことでもないか。

 

「今日は2人で買い物に行ってたんだな」

「違うよ。このパジャマはさっき貰ったものなんだ」

 

 俺とセシリアがゲーセンに行ってる間に2人で買ってきたのだと思っていたが違うらしい。

 さっき貰った?

 見たところ2人が着ているパジャマは手が込んでいる。結構な値段がするだろうと見積もっていたのだがタダでプレゼントされたらしい。

 誰から?

 そう考えていると客間の戸が開く音がした。トタトタと軽めの足音とともにお客さんが顔を出す。

 ……誰だろう?

 千冬姉の客にしては若い。というかどう見ても俺たちと同世代の女子だった。膝下にまで届いているような長さの袖という目立つ服装をしている。全く見覚えのない顔だけど、どこかで見たような気がする。

 動きのひとつひとつがのんびりとしている。俺にこんな知り合いはいないはずだ、うん。

 

「あ! 推定おりむーが帰ってきたよ~、かんちゃん」

 

 おりむーって何だろう?

 客人と思しき少女……仮にのほほんさんと名付けよう。彼女は俺の顔を見ると後ろを振り返る。

 そういえば靴の数は2人分。俺の視線は自然ともうひとりの客人へと注がれる。のほほんさんが『かんちゃん』と呼んだメガネの少女の顔は俺の記憶にあった。

 

「簪さん……?」

「やっと会えたね、一夏くん」

 

 千冬姉の知り合いだと思いこんでたが俺の客だったようだ。千冬姉が客間の方に通しておいてくれたんだろう。

 彼女は更識簪。まともに話したのはギドとの決戦のときくらいで、あれからずっと会っていなかった。

 

「元気だったか? お姉さんとは仲良くやってる?」

「うん……あのとき、一夏くんとつながって勇気が持てるようになったの。今までずっと言えてなかったけど、本当にありがとう」

「そっか。で、その子は?」

「布仏本音。一夏くんが助けてくれた、私の大切な友達……」

「俺だけの力じゃない。簪さんが自分自身の手で助けたんだよ」

 

 この長い袖の服を着た子が布仏本音か。略したら本当にのほほんさんじゃないか。弾の彼女である虚さんの妹と同じ名前。更識家と布仏家は家族ぐるみの付き合いなんだろうな。

 今日の簪さんは袖の長い服を着ていない。きっとあの服はのほほんさんのもので、簪さんが勝手に着ていただけ。目が覚めない状態でも近くに感じていたかったその気持ちは痛いほどわかる。

 簪さんに紹介されたのほほんさんが俺の前に進み出てきて右手を出してくる。

 

「よろしくね~、おりむー」

「ああ、よろしく」

 

 握手に応じてから気づく。

 

「おりむーって俺のことかぁ!?」

「それでね~、なんとかんちゃんからおりむーにプレゼントがあるんだよ~」

「え……プレゼント……?」

 

 プレゼントと聞いて俺は猫耳パジャマ姿の2人を頭に思い浮かべる。タイミングから考えてあのパジャマは簪さんとのほほんさんのどちらかから貰ったものだろう。

 ……俺にも用意してるってことか? 見るのはいいけど着るのはちょっと勘弁。

 

「こっちに来て……」

 

 簪さんが手招きする。向かう先はさっき出てきた客間の方。プレゼントとやらもそっちにあるらしい。ちょっと見るのが怖くなってきたけど行くしかない。

 ほとんど使う機会のない客間へと足を踏み入れる。特に最近は掃除をしに入ることすらないからまるで自分の家とは感じられない目新しさすら感じている。少なくともセシリアが来るまでは高そうな壷なんて置いてなかったはずだ。

 中には既に座っている人がいる。俺の代わりに簪さんの応対をしてくれていた千冬姉だ。簪さんたちが玄関にまで来ている間、一人でずっと待っていたのだろう……と思っていたのだが、どうやら違うらしい。

 千冬姉は客間に入ってきた俺たちではなく、テーブルの上に乗った二頭身のぬいぐるみと向き合っていた。その目つきは真剣そのもの。

 

「――すまないな。彩華から聞いて知ってはいたのだが、会うわけにはいかなかった。こうして話ができるのもお前たちが自らの手で真実を知ったからだ」

 

 どうしよう。千冬姉が全長40cm弱のちんちくりんなぬいぐるみに話しかけている。まさか千冬姉にそんなファンシーな一面でもあったのか?

 しかし可愛くないぬいぐるみだ。二頭身ではあるが一応は女子を象っている。髪型がポニーテールであること以外に大して特徴もなく、ゆるキャラっぽく描かれた表情は俺の好みに当てはまらない。

 

「あれから7年、一夏はずっと私を探してくれていました。それがわかっただけでも私は満たされています」

 

 ぬ、ぬいぐるみが動いた上に喋った!? それにこの声は――

 

「箒か!?」

 

 電話以外ではISVSに入らないと聞けないはずの箒の声をテーブルの上のぬいぐるみが発している。あのぬいぐるみの中に携帯電話のような機材でも入っているのだろうか。

 俺はついナナではなく箒の名を呼んだ。するとちんちくりんは片足を軸にしてターンして俺の方を向く。そして、

 

「一夏ーっ!」

 

 膝のない足でテーブルを走り、端で踏み切ると俺の胸に飛び込んできた。ぬいぐるみだからかすごく軽い。俺は反射的にぬいぐるみを抱き抱える。

 

「これが本当の一夏の顔なのだな。私の思ったとおりの顔だ。ヤイバの顔も悪くなかったがやはり銀髪だけは好かん。日本男児なら黒髪でいいだろう」

 

 手の中にあるぬいぐるみが俺をまじまじと見つめてコメント。良くできたぬいぐるみだ。ゆるキャラっぽさが消えることはないが、目や口がちゃんと変化するようになっている。

 などとぬいぐるみ自体の観察はさておき。

 

「まだ何も説明されてないから良くわかんねえけど、今、箒と通信してるってことなのか?」

 

 ぬいぐるみにではなく簪さんに確認する。どう考えてもこのぬいぐるみに使われている技術はおもちゃの域を超えている。倉持技研が関わっているのは一目瞭然であり、この場で倉持技研と一番関わりが深そうなのは彩華さんの研究所にいた彼女だ。

 

「厳密には違うけど、一夏くんから見ると同じようなものかな。今、一夏くんに話しかけてきてるのは正真正銘、ISVSにいる箒本人だよ」

 

 何が違うのか説明してくれなかったけど箒と会話していることだけは事実と見て良さそうだ。

 俺が簪さんと話している間、ぬいぐるみはぺしぺしと俺の胸を叩いている。

 

「うむ。少し物足りないところもあるが、全く腑抜けていたわけではないようで安心した」

「何を確認してるんだよ……って見えたり動かせるだけじゃないのか?」

「うん。箒から見ると、まるでこの世界にいるかのように感じられてると思うよ。私たちにとってのISVSのように」

 

 このぬいぐるみがどういうものなのか良くわかった。本当におもちゃなんかじゃない。これは箒が現実に来るためのアバターのような存在だ。会話はもちろんのこと、ぬいぐるみを通して現実の俺の顔を見たり触ったりできる。俺にとってはそこまで大きなことじゃなくても、箒にとっては全然違うはず。

 もしかしてと思い、俺はぬいぐるみの頭を撫でてみた。するとぬいぐるみはちんちくりんな体を必死に捩る。

 

「こ、子供扱いはやめろ! それに、くすぐったいぞ!」

 

 ――くそっ! 急にこのぬいぐるみがとてつもなく可愛らしく見えてきた!

 少し、落ち着け、俺。さっきのシャルみたいな醜態をセシリアに見せるつもりか?

 後ろを振り向く。

 ……あれ? セシリアがいない。

 よく考えてみれば客間に呼ばれたのは俺だけだからセシリアはついてこなかったんだな。今日はずっと一緒に居たからここにもいるものだと思いこんでた。

 

「良かったねー、かんちゃん。おりむー、すっごく喜んでるよ~」

「……頑張った甲斐があった」

 

 腕の中で暴れる箒のぬいぐるみと戯れていると簪さんとのほほんさんが話しているのが耳に入ってきた。

 

「ん? これって簪さんが作ったの?」

「うん。遠隔操作ISの研究もしてて、そのうちの1つを応用してみた。実際に組み立てたのは本音だけど……」

「かんちゃんが理論で~、私が組み立て~」

「難しかっただろうにすごいな。ってそういえばさっき言ってたプレゼントっていうのは……」

 

 期待と嫌な予感が入り交じった目を簪さんたちに向ける。すると答えたのはのほほんさん。

 

「そうだよ~。おりむーにはその“モッピー2号”をあげちゃいまーす」

 

 信じられないことだが、このIS技術まで使われていそうな“モッピー2号”を俺にくれるらしい。少しだけ期待はしたけど、まさか本当に俺へのプレゼントだとは思わなかった。

 しかし俺の口から出てきたのは礼よりも先に疑問。

 

「これって2号なの!?」

「1号はモッピー2号の中の人だよ~」

 

 のほほんさんが言うにはモッピーとは箒のことらしい。きっと俺がそう呼んだら怒り心頭だろうことは容易に想像がつく。俺の中ではこのぬいぐるみだけをモッピーということにしておこう。

 

「本当に俺が貰っていいのか? 機密の塊のような気がするし、何より高いだろ?」

「大丈夫。お金の方は心配ないし、情報に関しても一夏くんが進んで外部機関に売り渡すなんて思ってない。彩華さんの許可も出てる」

 

 色々と心配事が多そうなプレゼントだけど彩華さんが許可してるのなら別にいいか。あの人は基本的に甘いとは思うけど、倉持技研の利益が最優先という言葉に嘘はないだろう。これが倉持技研にとって不利益にはならないって判断があったんだ。

 

「どうして俺にこんなプレゼントを?」

「お礼がしたかったの……一夏くんにも箒にも助けられたから……2人が喜んでくれることはないかって……考えたの」

 

 簪さんは両手の人差し指同士を突き合わせながら、ポツリポツリと理由を言ってくれた。別に気にしなくていいと思っているのは本心だけど、ここまで俺たちのことを考えてくれたのは素直に嬉しい。

 

「ありがとう、簪さん」

「ど……どういたしました」

 

 何故か簪さんは急に顔を俯かせてぼそぼそとした喋り方になってしまった。立て板に水のごとく流れるようにモッピーについて説明をしてくれていたのにどうしたんだろう?

 

「よ、用件はこれだけだから……ま、またね!」

「え、あ、ちょ――」

 

 挙げ句の果てに高速でペコリとお辞儀をして客間から退室。彼女を追って俺が廊下に出たときにはもう玄関から外に飛び出していた。

 

「かんちゃんは恥ずかしがり屋さんだから気にしないでね。お邪魔しました~」

 

 モッピーを抱えて立ち尽くしている俺の脇をのんびりとのほほんさんが玄関へと歩いていく。

 簪さんの後を追いかけるのほほんさんを玄関で見送った後で俺は客間に戻ってきた。中にはまだ千冬姉が残っている。

 

「千冬姉もありがとな。俺の代わりに応対してくれてたんだろ?」

「あながち代わりというわけでもない。あの娘には聞きたいことがあった」

「千冬姉が簪さんに? もしかして事件の関係?」

「この際、隠していても仕方がないから言っておこう。いずれオルコットからも同じ話が出るだろうしな」

 

 千冬姉も簪さんに用事があった。簪さんは偽楯無として俺の前に立ちはだかったことがある。蜘蛛のIllを逃がしていたのも彼女だった。まだ俺は簪さんにその辺りの経緯を確認してない。彩華さんから俺の状況を聞いていたらしい千冬姉が問いつめていても不思議じゃなかった。

 

「まず結論だけ言うと、更識簪は敵のことを何も知らない。更識の連中からも切り離されていたらしく、亡国機業の名前すら聞いたことがないという有様だった」

「俺も同感。何回か俺を襲ってきてたけど、ヤイバの髪が遺伝子強化素体を思わせる銀色をしていたからだったと考えてる。簪さんはそのことについて何か言ってた?」

「記憶に混乱が見られた。ただ敵を追っていた記憶があるだけで、気づいたときには一夏とともにIllと相対していたと証言している」

 

 俺が駆けつけた後からの記憶しかないのか。敵の情報どころか簪さんがIllを追っていた経緯もわからない。簪さんが千冬姉に嘘をつく理由はないから本当だと思う。

 だけど1つ、わかったことがある。

 

「簪さんは勘違いをしていたわけじゃなくて、何者かに洗脳されていたってことだよな?」

 

 千冬姉が頷く。簪さんが俺たちの敵に回ったのには確実に第三者の手が入っている。自らが表に立つことなく、自らの痕跡を残さずに簪さんを操っていた。彼女の中の友達を助けたいという思いを利用して……

 今すぐにその黒幕を殴りつけてやりたい衝動に駆られる。ギドを倒してもまだ奴らとの決着はついてない。俺の中に芽生えた全ての怒りをエアハルトにぶつけてやろう。

 ……ん? エアハルト?

 ここで違和感を覚える。簪さんを利用したのがエアハルトというのはどうもしっくり来ない。

 奴は何度も俺と真っ向勝負をしている。今更、姿を隠す必要なんてない。

 奴には俺と箒に執着している節も見られた。俺との勝負から逃げていると取れるようなことをするとは思えない。

 洗脳と言う手段を取るにしても、もっと俺に対して挑発的に仕掛けてきたはず。

 

「何か気になることでもあるのか、一夏?」

「ああ。簪さんの件だけど、エアハルトの仕業じゃない気がする。だから何だって話だけどさ」

 

 事件に進展のない程度の話だ。エアハルトと違う手口を使う人間が敵の中にいるってだけだろう。

 

「俺のすることは結局変わらない。昏睡事件を引き起こしている奴らを倒して箒を現実に連れ戻す。それだけだ」

「私だけじゃなく静寐や他の皆も忘れるな」

「お、おう……そうだな」

 

 腕の中にあるモッピーの付け足しに戸惑いつつ同意する。千冬姉と話していた間、大人しかったから失念してたけど、今の話も全部箒に伝わってるんだった。失言をしなくて良かった。

 

「いい機会だ。一夏も居ることだし、箒に聞いておきたいことがある」

 

 改まって千冬姉がモッピーに話しかける。またもや真面目な雰囲気だ。俺を交えての方が都合がいいってことは……行方不明になっている束さんに関係することだろうか。

 

「お前たちは付き合っているのか?」

 

 ……何を言っているんだ?

 俺は普段の3倍の速さで瞬きをした。真面目な顔をした千冬姉の言葉が頭に上手く入ってこない。

 問いかけられたのは俺ではなくモッピー、もとい箒だ。ぬいぐるみ姿の彼女はひどく慌てた様子で、

 

「そ、そんなわけありません!」

 

 否定した。たしかにそれは事実。だけど『違う』じゃなくて『そんなわけない』と言われて少し胸が痛くなる。こう感じるのは俺が箒に特別な好意を抱いているからなのだろうか。

 

「あら、何やら面白そうなお話をしていますわね。わたくしも混ぜてくださるかしら?」

 

 このタイミングでまさかの乱入者。声だけ聞けば姿を見ずにわかる。セシリアだ。

 

「いや、セシリア。頼むから今は放っておいてく――」

 

 客間の入り口にいるであろうセシリアの方を向いた俺は最後まで言い切ることができずに固まった。そんな俺を差し置いて彼女は俺の腕の中のモッピーに顔を寄せる。

 

「これがモッピー2号ですか。倉持技研の技術力には驚かされますわね。1号さん、聞こえますかー?」

「ラピス、貴様! 実はずっと話を聞いていただろ!」

「こちらでのわたくしはセシリア・オルコットですわ。お見知り置きを、モッピー1号さん」

「ええい、そのようなふざけた名で呼ぶな! 私は篠ノ之箒だ!」

「あらあら? たしか箒さんが現実に帰るまで、その名前は名乗らないというお話ではありませんでしたか?」

「なぜ貴様がそのことを知っている!? って私が話したのだった!」

 

 モッピーが手玉に取られている。ISVSの中でシズネさんに同じように振り回されていたから特に珍しくもない。

 

「そういうわけでISVSではナナさん、このぬいぐるみにはモッピーと呼ぶことにしますわ。わたくしはぬいぐるみを箒さんと呼びたくはありませんので」

「そうか……心遣い、感謝する」

 

 セシリアは頑なにぬいぐるみに箒と呼びかけない。その理由を俺も箒も察した。もっとちゃんとした形で会えたそのときに、その名前を呼ぶと決めているんだ。

 俺もそうあるべきだった。箒との新しいコミュニケーションの形を提示されて舞い上がっていたのかもしれない。まだ箒は現実に戻っていないことを胸に刻んでおかなければいけないと思わせられた。

 

 やっぱりセシリアはすごいよ。俺が腑抜けそうなところでちゃんと引き締めてくれる。

 だけどさ、そろそろ俺からも言わせてもらっていいか?

 

「ところでセシリアのその格好は何なんだ?」

 

 俺と一緒に帰ってきたときは普段着だった。なのに、ちょっと目を離した隙に、ラウラとシャルが着てた猫の着ぐるみパジャマ(青色バージョン)になってやがる。猫耳フードを被っていてもトレードマークの金髪縦ロールは健在だ。

 

「わたくしも布仏さんからいただきましたので着てみました」

 

 猫パジャマセシリアは右手を腰に当てた立ちポーズを決める。

 ……訂正。全然決まってない。絶望的に衣装と合ってない。

 セシリアが俺をじっと見つめる。何かコメントを欲しがってるのはわかる。けど、言ってしまっていいのだろうか。

 コメントに窮しているとセシリアの顔が笑顔のまま青くなっていく。彼女のパーソナルカラーだけど、顔色まで青くなるのは見てて辛い。なんでこんな真似をしたんだ、セシリア!

 

 俺が困っていると、モッピーが俺の腕から床に降りた。てけてけとセシリアの足下に歩いていったかと思うとセシリアの肩によじ登る。何か耳打ちをしているようだが俺には聞き取れない。

 言いたいことを伝え終えたモッピーがセシリアから飛び降りてまた俺のところに戻ってくる。その間、セシリアは1回だけ大きく深呼吸をした。何やら気合いが入っている。そして、

 

「にゃーん、ですわ!」

 

 さっきシャルとラウラがしていた猫っぽいポーズを取る。どうして彼女は涙目になってまでこんなことをしているんだろうか。罰ゲームなのかな。

 本当は笑ってやるところだろうけど、ちっともそんな気は起きなかった。俺には事情がよくわからないけど、彼女の必死な姿はただひたすらに――

 

「可愛いな」

 

 可愛かった。お世辞なんかじゃない。するとセシリアはくるりと向きを変えて何も言わずに出ていった。結局何だったんだろうか。

 そこへ千冬姉の一言。

 

「わからないな」

「千冬姉もか? 俺もそうなんだよ」

「違う。私がわからないと言ったのは一夏に対してだ」

 

 そう言い残して千冬姉は立ち上がり、さっさと自分の部屋へと戻っていってしまった。

 千冬姉がわからないのは俺の方? 俺も千冬姉の意図が掴めない。長い間、2人で生活してきたけど、以心伝心というわけにはいかないもんだ。

 残ったぬいぐるみに俺は話しかける。

 

「俺って変か?」

「今更な話だな。最初から一夏は変な男だぞ」

「そっか……」

 

 モッピーにまで言われて俺は凹んだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 古い日本の屋敷には似つかわしくない大がかりな地下。謹慎中の楯無に用意された部屋の中にまだ楯無は居た。書類と睨めっこを延々と続けていたがもう限界がきていた。持っていた書類を投げ出して机に顔がダイブする。

 

「もう嫌! なんで私がまたこんなところに閉じこめられてるのよ!」

「当主代行にお嬢様の敗北が伝わってしまったのが原因です。諦めましょう」

「虚ちゃんがわざわざ報告したからでしょ! 言わなきゃお爺様にバレなかったのにぃ!」

 

 ギドとの戦いから1週間が経過した。一夏と簪がギドを打ち破った直後に目覚めた楯無は簪とともに布仏本音が入院する病院へ見舞いにいった。楯無に与えられた自由時間はそれまでだった。

 その後、更識の屋敷に帰ってきた楯無を当主代行である祖父が待ち受けていた。代行とは言っても現当主であるはずの楯無よりも権力は上であり、楯無が逆らえない相手である。

 布仏本音を助けるという第一目標を達成した楯無に祖父がかけた言葉は短かった。

 ――1週間の謹慎を言い渡す。

 理由は言われなかったが祖父の怒りだけは感じ取れた。その場は口答えもせずに楯無は引き下がり、以降、学校以外では地下に籠もることを強制されている。

 

「ああ、もうダメ。虚ちゃんが裏切ったせいで私の心にはもやしが生えてきそうだわ」

「どういう例えなのか理解しかねます、お嬢様」

「お日様が恋しいってことよ」

 

 頬を膨らませて不満を露わにした楯無はむくりと机から顔を起こす。しかし側近の少女は主人の機嫌取りなどする気がない。

 ……駄々をこねても困ってくれないから面白くない。

 楯無は不服な現状の愚痴を垂れ流す演技をやめにして投げ捨てた書類を拾い上げた。ここに書かれているのは楯無が依頼した調査の報告である。

 

「それでさ、虚ちゃん。このリストに漏れは無いのよね?」

「はい。倉持技研、第二海上研究所に先週までの1ヶ月間に出入りした人物は全てそのリストに載っています」

「そう。この中で簪ちゃんと面識のある人間は……30人か。意外と多いわね」

「簪様は高校生でありながら多様な研究に関わりがありました。必然的に簪様を訪ねる者も多くなるかと。もっとも、全員が門前払いに近い扱いを受けたようですが」

 

 この1週間。まず楯無が行ったのは簪に近づいていた者の調査である。元から警備が厳重な研究所のため、どのような人物が出入りしているのかは記録を辿れば一目瞭然となっていた。倉持彩華が勝手に招き入れた織斑一夏ですら載っているため、漏れがあるようにはとても思えない。

 簪が研究室に籠もっている間に彼女を訪ねた人物の割り出しも終わっている。しかしその全員が簪に会うことすらできなかったことが判明した。

 何者かが簪に接触していなければ、簪の暴走に説明が付かない。本音のいない間、高校を休みがちだった簪に会うには倉持技研に入ることは必須。

 

「残っている可能性は倉持技研の研究員ですね。倉持会長は更識嫌いで知られていますが、あの織斑と懇意だったと聞いています。あの企業が亡国機業やアントラスと親しいとは考えられないので、スパイが紛れ込んでいると考えるのが妥当でしょう」

「そうなっちゃうわね……だからこそそれはハズレ。考えたくなかった可能性だけど、このリスト見たら納得しちゃった」

 

 報告書を提出した虚に見えなかったものが楯無には見えていた。虚の推論を否定する顔に迷いはない。

 

「あの男が動いてるのだとすれば、この程度の記録くらい簡単に改竄してみせるはず。でも消したことが裏目に出てるわ。私から見れば名前が載ってないこと自体が怪しい。こんなミスをしたってことは、私と情報戦にならない確証があったからとも言えそうね」

 

 まだ可能性の段階ではある。さらに言えば、今見えている敵が全てとは限らない。行動に移すときは殲滅する気でかからなければ、逆に手痛い目に遭う。

 

「しばらくの間、私と虚ちゃんだけで動きましょう。お爺様にも報告はするけど、私が健在である今、もうあの男は集会に顔を出さない。注意を払うべきは本人よりも手足の方。あの男が誰に手を回してるのかまるで見当が付かない。だからたけちゃんにすら迂闊に話をするわけにはいかないわ」

「お嬢様。それはつまり――」

 

 最悪を想定する。虚の部下である朝岡丈明をも疑う姿勢で臨む意味は1つ。

 

「スパイがいるのは倉持技研じゃなくて暗部の一族の方よ」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 月曜日の朝がやってきた。12月に入ったらもうすっかり冬の気温になってしまっている。布団から出るのにも根性がいるようになってきた。もう少しだけ布団の中で暖まってから出ようと体を丸める。

 

「起きろ、一夏!」

 

 バンと勢いよく俺の部屋のドアが開け放たれた。廊下の寒い空気が一気に部屋の中に押し寄せてきて尚更厳しくなる。

 

「あと5分ー」

「いつからそのような軟弱な物言いをするようになったのだ! さっさと起きろっ!」

 

 強引に掛け布団が剥がされてしまった。全身に冷やっとした空気が降りてきて俺はブルっと大きく体を震わせる。

 

「寒っ!」

「全く情けない。一夏のこのような姿、父上にはとても見せられん」

「たしかに。竹刀まで出てきてボコボコにされそうだ」

 

 ようやく寒さに慣れた。ついでに頭も一気に覚醒してきた。

 ……俺、誰と話してるんだ?

 キョロキョロと見回しても部屋の中に人影が見当たらない。

 

「どこを見ている? 私はここだ」

 

 声は下からした。目を向けるとそこにはやたらと偉そうな二頭身のぬいぐるみが仁王立ちしている。

 記憶を掘り起こすこと2秒。昨日起きた出来事を思い出した。

 

「ああ! モッピーか!」

「うぐ……まあ、その名で我慢するとしよう。私は廊下で待っているから早く着替えて出てこい」

 

 着替えを強要した後でモッピーはテケテケと廊下にまで移動するとドアを閉めた。

 ……どうやって閉めたんだ?

 気になったけど答えが出そうになかったので大人しく着替えることにした。

 今日は月曜日。普通に学校に行く日だから俺は制服に袖を通した。鞄の用意も済ませて廊下に出ると、宣言通りモッピーが廊下に立っている。

 

「どうしたのだ、その格好は?」

「え? 学校の制服だけど……」

「まだ登校には早いぞ。ランニングにはジャージの方が良いのではないか?」

 

 言われてから時計を確認する。朝の5時半。そういえばまだ外は暗かった。気付けよ、俺。

 

「ところでさ。なんで俺、朝に走ることになってんの?」

「え……走らないのか?」

 

 何故か俺の方が常識外れであるかのようにモッピーからは驚きの声が発された。

 運動が健康に良いとわかってはいるけど流石に冬の早朝はきついものがある。俺のクラスでこんな時間に好んで走っているような人間は数馬くらいだろう。小学生時代の俺なら走っていたかもしれないが、今の俺は多数派だった。

 

「そうか……起こしてすまなかったな」

 

 モッピーがしょぼくれる。弱々しい声量で俺に謝る背中はとても寂しそうだった。

 昔の俺の日課を覚えててくれて、一緒に走ろうとしてくれた。

 些細なことなのに楽しみにしてくれていた。

 俺はそんな彼女の思いを裏切ったのか……

 

「あ、なんか急に走りたくなってきた! ちょっと着替えてくるから待ってろ!」

 

 ここで面倒くさいとか疲れるから嫌だなんて言えるかァ!

 急いで部屋に戻った俺は制服を脱ぎ散らかしてジャージを引っ張り出しパパっと着替えを済ませてまた廊下に戻ってくる。

 

「行くぜ、モッピー!」

「仕方ない。付き合おう」

 

 口とは違ってノリノリなモッピーが俺の二の腕に張り付く。無理矢理テンションを上げた俺はそのままの勢いで家から飛び出した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 早朝のランニングは御手洗数馬の日課である。趣味がISVSである彼だが父親の教えに従って日々の運動は欠かしていない。なお、その父親がランニングしている姿を数馬は見たことがないのだが、今まで全く気にしたことはない。

 平日でも登校前に決まったコースを走る。冬になると日が昇るまでに時間がかかる。必然的に暗く肌寒い時間に外に出る。走っているうちに体が温まる上に日も出てくるから問題はない。数馬にとっては慣れたもので少しも苦にすることはなかった。

 

「寒い……」

 

 しかし最近は数馬ひとりだけではないことが多い。御手洗家に居候している銀髪の少女、ゼノヴィアが数馬の隣で丸まっていた。ジャージ姿に着替えている彼女は両手に吐息を当てて暖をとっている。

 

「家に残る?」

「さらに、私は走ります」

 

 首をブンブンと横に振る。相も変わらず日本語が変なゼノヴィアだったが、その心意気は数馬に十分伝わった。

 

「じゃあ行こっか。そのうち温まってくるし」

 

 2人揃って準備体操を開始。始めた頃は見様見真似だったゼノヴィアも今では数馬を見なくても何をすればいいのかわかっている。

 準備完了。数馬を先頭にして2人はまだ暗い街の中へと駆けだした。

 こうして数馬がゼノヴィアと朝のランニングをするのも1週間以上続いている。1回目こそローペースで走っていた数馬であったが、今はひとりのときと変わらぬ自分本来のペースで走れている。その理由は簡単で、ゼノヴィアが息も切らせずについてくるためだった。

 ……この子は凄いな。将来が楽しみだ。

 何年もかけて辿りついた自分の現状にわずか1週間強で並んでいる少女には才能を感じさせられていた。もしスポーツに打ち込んでいたらその才能に嫉妬したかもしれないが、他者と競おうとしていない数馬の目には単純に嬉しいことにしか映らない。

 走っている間に会話はしていない。数馬に喋る余裕がなく、ゼノヴィアも数馬が答えてくれないことを知っている。お日様の出ていない早朝では外に出ている人も少なく、道路には2人の走る足音だけが木霊する。

 いつもどおりの静かな朝。目覚める直前の街。

 だが、この日はいつもと少しだけ違っていた。

 

「鍛錬が足りておらんぞ! この程度で音を上げるとは情けない!」

 

 説教する女子の声がしてきた。同年代くらいだろうか。しかし数馬には全くと言っていいほど聞き覚えのない声色だった。朝に出会う人間はほぼ同じ顔ぶれである。近所のおばさん方や老人ばかりで、同年代には性別問わず会うことがないのが常だった。

 走りながらもどんな人だろうかと思い描く。数馬の中では自分にも他人にも厳しい道場の娘という和風美人の姿がイメージされた。このまま走っていれば顔を合わせることになる。興味が湧いた数馬は挨拶をするために少し走るペースを落とした。

 

「久しぶりなんだから仕方ないだろ! 腕に張り付いてるだけのお前に文句を言われたくない!」

 

 続いて聞こえてきたのは男の声。数馬の緩んでいた顔が急速に青くなる。それもそのはずで、男の方は馴染みの深い声だったからだ。

 

「な、なんで一夏が……?」

 

 過去に早朝のランニングで知り合いに出会った(ため)しはない。だからこそゼノヴィアと共に外に出歩けていた。もし見つかれば面倒なことになるのは間違いない。

 

 ……一夏なら知られても大丈夫か? いや、一夏は顔に出るから隠し通せるはずがない。

 

 このまま一夏と鉢合わせるのはマズい。そう判断した数馬は立ち止まって後ろを振り返る。急に立ち止まるのは体に良くないが今はそんなことを言っている場合ではない。同じく立ち止まったゼノヴィアに、

 

「ごめん! ちょっと隠れてて!」

 

 身を隠すように懇願した。ゼノヴィアは首を傾げつつも黙って頷いて近くの路地に入っていく。

 今立っている場所から彼女の姿は見えない。角度を変えながら何度も確認して大丈夫だと自分を安心させた。

 

「あれ? 数馬だ。こんなところで何やってるんだ?」

 

 一夏が来た。後ろから声をかけられる形となり一度だけビクっと大きく反応してしまったが、何もやましいことはないのだと自分に言い聞かせる。

 

「い、一夏こそ朝に走ってるとか珍しいじゃん」

「まあ、今日はそういう気分だったんだよ。てっきり数馬も朝のランニングかなと思ったんだが、こんなところで立ち止まってどうしたんだ?」

 

 こういう日に限って一夏の追求がしつこい。たしかに走り慣れている数馬が途中で足を止めているのは妙な話だった。色恋沙汰以外ならば勘が鋭い一夏である。数馬から運動とは違った嫌な汗が流れる。

 何でもいいから答えなければ。

 

「たまに空を見上げたくなるときがあるんよ」

「そうか。でも今日は昼から完全に曇るらしいし、今も微妙だな」

「ひ、日によって形が違う雲を眺めてるのも乙なもんだし」

「そういうもん? 数馬にそんな趣味があったのか」

 

 雲を眺める趣味などないのだが数馬は否定しない。何でもいいからこの場を凌げさえすれば良かった。幸いなことに一夏はそれ以上怪しんでは来ない。

 

「じゃ、俺はそろそろ帰る。数馬も学校に遅刻しないようにな」

「ん。また後で」

 

 数馬は走り去っていく一夏の背中を見送る。彼の左の二の腕に張り付いてるぬいぐるみのことにすら気づかないくらいに数馬はテンパっていたのだが、無事に危機を乗り越えた。一度は思い浮かべた和風美人のイメージも頭に残っていない。

 

「ゼノヴィア、もう出てきてもいいよ」

 

 隠れている連れの少女に出てくるように呼びかける。すると彼女は隠れていた路地から現れた。1人でいる数馬を見るや否や早足で駆け寄る。どこか不安げな顔で……

 

「どうしたん?」

「嫌な感情を抱きます。ここを早く去ろう」

「そうだね。もたもたしてたらまた誰かに見つかりそうだし」

 

 遅くなればなるほど知り合いに遭遇する確率は高くなる。既に東の空は白み始めており、藍越学園の運動部員が登校してもおかしくない時間になってくる。

 しかし、もう手遅れ。

 

「ん? 貴様は……御手洗だったか?」

 

 またもや声をかけられた。おそらくは知り合いだ。一夏と違って接近にすら気づかなかった。

 数馬の隣にはゼノヴィアがいる。今度ばかりはゼノヴィアを居なかったことにして誤魔化すことはできそうにない。

 意を決した数馬はゆっくりと顔を向ける。変な噂をばらまかない人だという淡い期待を込めた。

 その小さすぎる願いが天に届いたのだろうか。そこにいる人物は数馬の想定から大きく外れていた。

 

「ラウラさん……?」

「そういえば貴様には礼を言い忘れていたな。おかげで私は無事に探していた人に出会えた。感謝する」

「ああ、どういたしまして。こんな朝早くにどうしたん?」

「一夏の鍛錬に付き合おうと思ってな。こうして後を追いかけているわけだ」

 

 いつの間にかヤイバではなく一夏呼びに変わっている。そうしたラウラの変化に気づいた数馬だったが、今はそれを指摘している場合ではない。数馬は一夏の家の方を指さす。

 

「もう一夏は行っちゃったけど」

「なるほど、早く追いかけなくてはな。ところで――」

 

 追い払おうとしていた数馬の意図に反して、ラウラは一向に走り出さないばかりか視線を数馬の背後に移す。

 

「その娘は貴様の妹か?」

 

 やはりゼノヴィアの容姿は目立つ。もし彼女が一般的な日本人の外見をしていたら数馬の妹だと勝手に納得するだろうが、数馬とは見た目がかけ離れすぎていた。

 ここで『そうだ』だなどと言えるわけがない。ラウラの質問への肯定は嘘をついていると自白するようなもの。

 

「そんなわけないって。この子はゼノヴィアって名前で、事情があって家で預かっている子なんだ」

 

 嘘をつかない程度に答える。知られてしまったからにはゼノヴィアの情報をラウラから引き出すチャンスとも考えられた。一度は無関係だと諦めていたが、まだ知り合いの可能性は残っている。

 この流れでゼノヴィアに挨拶をさせようとも考えた数馬であったが、ジャージの裾を力強く握りしめて俯いている彼女を見て取りやめる。理由は不明だが明らかに怖がっていた。犬のときのようではなく、ISVSのときと同じように。

 

「英語圏の名前か。確かに妹ではなさそうだ」

 

 ゼノヴィアという名前を情報として与えてもラウラに変化は見られない。数馬としてはゼノヴィアがラウラの妹である可能性を考えていたが、当初の推測通り無関係そうだった。

 

「それくらい髪の色でわかってよ」

「趣味嗜好で髪の色を変える者もいると聞いている。見てくれで判断しないつもりだ。その金色の瞳も含めてな」

 

 ラウラの右目がゼノヴィアを見下ろす。背丈はゼノヴィアの方が若干低い程度の差しかないが、ラウラの尊大な態度によって10cm以上の差がついているようにも錯覚する。

 

「御手洗。この娘を貴様の家で預かっていると言ったな?」

「う、うん。それがどうしかしたん?」

「いつからだ?」

「先月末くらいだったかな。それよりも早かったかも」

「約2週間前といったところか……」

 

 質問を続けた後、数馬の回答を聞いたラウラは考え込む。そうしたラウラの意図を数馬は全く掴めない。わかっているのはゼノヴィアがラウラを怖れていることだけ。

 ……俺がついてるから大丈夫。

 そっとゼノヴィアの頭を撫でる。そうすることでゼノヴィアの手の震えが少しだけ治まった。

 

「おっと、今は考え事をしている場合ではない。早く一夏を追いかけねば」

 

 長考していたラウラが動き出す。このまま立ち去ってくれるのなら数馬にとって都合がよいが、数馬にはまだラウラに言っておかなくてはならないことがある。

 

「悪いけど、俺の家にゼノヴィアがいることを一夏たちには言わないでおいてくれない?」

 

 簡単な頼みのつもりだった。しかしラウラは眉を寄せた顔で振り返った。

 数馬は慌てて付け足す。

 

「や、やましいことがあるわけじゃなくて! 一夏たちに誤解をされたくないんだ!」

「ふっ……了解した。ただし条件がある」

 

 ラウラは鼻で笑った後に表情を緩める。ついでに楽しそうにもなっていた。

 条件。何か妙な要求でもされるのかと数馬は戦々恐々とする。以前に未知なものが怖いとゼノヴィアが言っていたことを身を以て実感することになっていた。

 ニヤリと笑ったラウラの要求。それは――

 

「これから毎日、私が御手洗の家に赴く。貴様はその応対をしろ」

 

 簡単なようで難しいものだった。数馬としては何も問題はない。しかしゼノヴィアのことを思うと、ラウラがやってくるのは厳しい。

 天秤の皿に用意されたのは“数馬ロリコン疑惑”と“ラウラが来ることでゼノヴィアが怖がる”。傾くのは一瞬のことだった。

 

「だったら断る。もう俺を何とでも呼ぶがいいさ!」

 

 投げやりだった。許されるならこの場で泣き出していたかもしれない。それでも数馬はゼノヴィアのために汚名を被る覚悟を決める。

 

「私は……大丈夫、です」

 

 くいくいと数馬の上着が引っ張られた。背中に隠れているゼノヴィアが小さな声で訴えている。自分のために数馬がひどい目に遭う必要などないのだと。

 

「ゼノヴィア、ありがとう!」

「……私が悪人扱いされてる気がするが、どうでもいいか。話はまとまった。明日の夕方から邪魔することとしよう」

「わかった。でもどうして俺の家に?」

「なんとなくだ」

 

 なんとなく。要するに答える気がない。問いつめても無駄だと諦めるしかなく、数馬としても特に知りたいことでもなかった。

 こうしてささやかな口約束が交わされた。

 ゼノヴィアの件を一夏たちに黙っている代わりにラウラが御手洗家を訪ねることとなった。

 あとは別れるだけだが、最後にラウラは数馬に付け加える。

 

「その娘を外に出すのは私がいるときに限定するのだな。その方が知り合いへの説明も簡単だろう?」

 

 渡りに船とはこのことだ。ゼノヴィアの件の根本的解決には至りそうにないが、数馬の悩みのひとつはこれで解決する。あとはゼノヴィアの帰るべき場所さえ見つければ良い。思わぬ収穫に数馬は胸の内でガッツポーズを取った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 またいつもの学校生活が始まった。本音を言えばISVSに集中していたいところなんだけど、俺の本分は学業にある。もし疎かになどすれば俺は世界最強の姉を敵に回すことになるから真面目に勉強もしないといけない。

 もちろん、いざとなれば学校をサボってでも戦いに出るつもりだ。今はそのときじゃないからこうして教室の自分の席についている。

 

「とは言っても、流石に動きが無さ過ぎだ。ちっとも進展がない」

 

 大きく溜息を漏らす。

 ギドを倒してから一週間が経過した。その間、ISVS内の捜査は千冬姉や彩華さんたちに任せていたのだが、全くと言っていいほど新しい情報がない。

 千冬姉は外国にいる知り合いを通じてミューレイ内部にいると思われるエアハルトを追ったが今のところ捕らえるのは不可能と判断した。そもそもプレイヤーネームしかわからない相手だ。完全に黒と特定できる根拠がなければ身柄を押さえることは難しい。大企業相手に強行するだけの材料がないため、簡単に匿われてしまう。

 彩華さんは倉持技研の所属するプロの操縦者たちを使って未確認のレガシーを捜索していた。ギドと戦った場所、敵の拠点であるトリガミはどこの企業にも所属していないレガシーだったからで、もし発見すればIllの勢力を壊滅させることもできるかもしれなかった。しかしISVSは現実とほぼ同じ世界。地球全体を少人数で1週間探したところで見つかる可能性は極めて低い。この試みは元々、宝くじに当たるようなものだった。

 こちらの動きはこんなところ。ギドという強敵を倒したと言っても敵組織やIllに関わる情報は大して得られなかったということになる。

 

 思ったよりも情報が入らないというのはいつものことだ。俺がもどかしさを感じているのは別に理由がある。

 それは敵の動きだ。ギドが倒されたというのに大人しすぎる。

 敵組織内におけるギドの具体的な立ち位置は不明だ。しかし奴の強さはISVSの常識を遙かに超えていた。エアハルトが持っている手札の中でも強力な1枚だったことは疑いようがない。

 こちらの戦力で例えるならブリュンヒルデが欠けたようなものだ。俺がエアハルトだったらギドを倒した相手を早く処分したいと考える。でなければ戦いを繰り返す度にじり貧となっていく不安がつきまとう。

 

 ここまで動きがないのは何故か。

 

 敵にはギドを超える戦力があるのか?

 ラウラが言うにはISVS内で造られた遺伝子強化素体というのは特殊な存在らしく、複数個体居ることはアドルフィーネやシビルが証明している。

 だが同じ強さの個体が揃っているのならば、次々に送り込んでくればいいに決まっている。ギドが2人もいればこの前の戦いは俺たちの完全敗北だったことは間違いない。そうしなかった理由は、ギドやアドルフィーネが特別だったからしか考えられない。

 

 残った可能性は次の攻撃の準備中ってところか。1週間も時間をかけていることから考えると、製作に時間がかかるというマザーアースか、もしくは現実で俺を直接狙ってくるかに絞られる。できれば前者であってほしいけど、ギドはヤイバの正体を知っていた。俺を狙う計画を練っている可能性は十分にあり得る。

 現実だと俺は無力だ。セシリアとラウラ、千冬姉たちに頼るしかなくなる。何もできない自分を想像するともどかしい。

 

「まあまあ、一夏さん。答えの出ない考え事などしていては体に毒ですわ。待つことも戦いと思って割り切ってくださいな」

「セシリアの言うとおりよ。ただでさえアンタは無駄に責任を抱え込んじゃうところがあるんだから、もっと気楽にしてなさい」

 

 セシリアと鈴の2人が言うこともわかるけど、自分のことを人任せにしているようで落ち着かないのはどうしようもない。

 

「一夏はヤイバとして戦い続けていたのだ。今くらいの休息があった方がいいに決まっている」

「たしかにエアハルトがナナたちを襲撃するよりは今の状況の方がいい。でもこのままじゃ間に合わないんだよなぁ……」

「それはただの欲だ。次の1月3日でなければ死ぬわけでもあるまい」

 

 俺の欲か。たしかにそうかも。元を辿れば、俺は箒との約束を叶えたいってだけで行動を起こしたわけだし。前に彩華さんに語ったような正義なんてものはどうでもいいことというのが本音だ。

 無理に急ぐ必要がないのはわかってる。でもやっぱり俺の戦う理由を考えると、次の1月3日は大切な日と言える。間に合わなくて実際に命を落とすわけじゃなくても凹むのは間違いない。

 ……ちょっと待て。今、俺は誰と話してるんだ?

 

「全く……今のように周りが見えなくなっているとまた足下を掬われることになる。7年前から少しも変わっておらんな」

 

 セシリアでも鈴でもなかった。さっきから俺に説教をしているのはセシリアが腕に抱えているちんちくりんなぬいぐるみだった。

 

「なんでモッピーが学校に!?」

「寂しそうでしたのでわたくしが持参しました。何か問題でも?」

「マズいって! 見た目はただのぬいぐるみなんだから、宍戸に見つかったら没収される!」

 

 俺も一度は学校に持ってこようか考えた。まだ高校を知らないであろうナナに俺がどんな高校に通ってるのか紹介したいと思ってた。お前もここに帰ってこいと言いたかった。

 でもそうしなかったのは宍戸の存在があったからだ。ISVSに関係のないところでは厳しい教師でしかない宍戸のこと。単なるおもちゃと見なされれば容赦なく取り上げられる。

 

「放課後になれば返ってくるでしょ?」

「それはそうなんだけど、ちょっとでも宍戸に取られるのは嫌なんだよ」

「アンタがそこまで言うなんて……この喋るぬいぐるみに固執する理由でもあるわけ? って、このぬいぐるみ、喋ってる!?」

「色々と気づくのが遅いですわ、鈴さん」

 

 セシリアがモッピーを俺の机の上に置いてから鈴にモッピーについて説明を始めた。

 2人のことは置いといて、俺は宍戸への対策を練らなければならない。一番簡単なのは宍戸が見ている間だけ隠れていてもらう方法。

 

「モッピーに頼みがある。HRと授業の間は鞄の中に隠れててくれ」

「折角一夏の通う高校に来たというのに寂しいことを言うものだな。授業参観くらいさせろ」

「お前は俺の保護者かっ!」

「似たようなものだ。という冗談はさておき、私の方で接続を切ればモッピーはただのぬいぐるみとなる。わざわざ隠れるなどせずとも、一夏が鞄にでもしまっておけばいい」

「じゃあそれで頼む」

 

 特に問題なく回避できそうだった。ナナの意識がある状態で鞄に詰め込むとなると凄まじく抵抗があるけど、ただのぬいぐるみなら問題ない。

 ……はずだった。

 

「ところで、一夏。後ろにいるのは先生ではないのか?」

 

 モッピーが右手で示した先。俺の背後には長身の男の姿があった。セシリアと鈴も接近に気づかなかったのか。三十路手前のこの男がクラスメイトのわけがなく、授業でもないときに顔を出すような教師は担任である可能性が高いに決まってる。

 宍戸だ……まだHRには早いのにどうして今日に限って居るんだよ。宍戸の顔には明確な失望が浮き出ている。

 

「織斑、オレは悲しいぞ。お前はオンとオフの切り替えができる奴になってくれたと信じていたが裏切られたようだ」

「いや、宍戸先生。これには理由が――」

「言い訳無用。放課後まで預かっておく」

 

 モッピーに宍戸の手が伸びる。こうなってしまうと手の打ちようがない。力尽くで阻止しようとしたところで返り討ちに遭うのもわかりきっている。

 

「くそぅ! 俺は……俺はぁ!」

 

 現実の俺は無力だ。強大な力を前にして抗う術を持たない。されるがままに蹂躙され、ただ打ちひしがれることしかできない。

 宍戸はモッピーの頭を鷲掴みにして持ち上げる。慈悲などない。自らが作り上げた堅物のイメージ通りに情け容赦なく教師の仕事を全うする。

 引き離されていくモッピーは短い両手を俺に向けて必死に伸ばしてきた。

 

「一夏ぁ……」

 

 机に伏せていた俺も息絶え絶えにモッピーに手を伸ばす。

 

「モッピー……」

 

 哀れ、伸ばした手が届くことはなく、俺たちは無理矢理引き裂かれたのであった。

 

 ……と思ったら俺の手はモッピーに届いてた。

 一度は離れたのだが、再びモッピーの方から近くに来た。つまり、宍戸が俺の手に返してくれたのだ。

 

「あれ? どうして?」

「いいか、織斑。オレは何も見ていない。わかったな?」

「い、イエス、サー!」

 

 有無を言わせぬ迫力で俺にモッピーを押しつけてきたかと思うとすぐさま宍戸は踵を返して廊下に足を向ける。上機嫌に鼻歌混じりなのが凄く不気味だ。

 ……一体、宍戸は教室に何しに来たんだ?

 困惑する俺の腕の中でモッピーが叫ぶ。

 

「ありがとう、恭ちゃん!」

 

 モッピーの言葉を歩き去っていく背中で受けた宍戸は振り返らずに右手を軽く挙げて手を振った。

 ここで鈴が一言。

 

「何よこれ……? わけわかんない。本当にアレ、宍戸先生だった?」

 

 当事者だけど俺もそう思うよ、鈴。



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29 奥底に眠る影

 昨日から教室の空気は一変した。そう実感しているのは自分だけではないとサベージこと幸村亮介は確信している。その原因が窓際の後ろから2番目の席に座る問題児にあることは間違いない。

 

「一夏……ちゃんと集中しているか?」

「あ、当たり前だろ」

 

 現在、藍越学園での授業中である。しかも鬼教師と評判の宍戸恭平が教壇に立っている。幸村も含めて不真面目な生徒ばかりのクラスであるが、このときばかりは私語の1つもしないで授業を受けざるを得ない。

 そんな中、(くだん)の問題児、織斑一夏の頭にはちんちくりんなぬいぐるみが乗っている。しかも喋る。自分勝手に動く。とどめに宍戸が完全にスルーするという異常事態を前にして、誰もが疑問に思いながらも指摘することができない。

 自分は幻覚でも見ているのだろうか。そう思わされてしまう。

 

「先ほどから板書を全く写していないがいいのか? もうすぐ消されてしまうぞ?」

「やべ。サンキュー、モッピー」

 

 ぬいぐるみが一夏を注意する。宍戸の授業に集中していない一夏というだけならばいつものことですむ。しかしどう考えても喋るぬいぐるみの存在だけはおかしい。何故宍戸が何も言わないのかも含めて気になって仕方がなかった。

 

「おい、一夏。お前、いい加減にしろよ」

 

 今度は窓際一番後ろの席に座る五反田弾が小声で一夏に話しかける。宍戸の授業中だというのに勇気ある行動をしてくれたと幸村を含めて多くのクラスメイトが内心で誉め称えた。

 いい加減にしろ。これもまた多くの者の気持ちを代弁してくれていた。

 しかし弾の言葉には続きがある。

 

「四六時中一緒とか羨ましいんだよ、こんちくしょう!」

 

 違う、そうじゃない。一夏がぬいぐるみを愛でていようとクラスメイトたちにとっては心の底からどうでもいい。そもそもあのぬいぐるみは何とか、宍戸が無視している異常について誰でもいいから常識的にツッコんで欲しかっただけだった。

 

「五反田。質問でもあるのか?」

 

 教壇の宍戸が板書をやめて弾を名指しする。遠回しに私語を咎めている常套句であるが、ますますクラスメイトたちの疑問が深まるだけだった。なぜ一夏じゃないんだ、と。

 ともあれチャンスが到来した。思惑はどうであれ宍戸の方から質問を受けると言っている。

 言ってやれ、五反田弾。

 クラス中の生徒の期待が弾に集まった。

 

「あ、いえ。なんでもないっす」

 

 期待は虚しく空を切る。藍越エンジョイ勢のリーダーであるだけでなく、クラスでもまとめ役を買って出ることが多い弾であるが、今回ばかりは空気が読めていない。

 

「よし、写し終えた!」

「スペルミスがあるぞ」

「え、どこ?」

「ここだ」

「あ、本当だ。サンキュ」

 

 宍戸と弾のやりとりの間も我関せずでノートに向かっていた一夏が教室の空気に気づくはずもない。ぬいぐるみと仲良く授業のノートを取っている。

 堂々と喋っているのに宍戸は動かない。今まである意味で一夏を特別扱いしてきた担任教師が今は逆方向に特別扱いしている。少なくとも幸村の目にはそう映った。

 

 変わったのは宍戸だけではない。

 

 10日前に行われたイベントを境にして藍越学園内の対一夏勢力も様変わりした。幸村の所属する“鈴ちゃんファンクラブ”でも織斑一夏を排除しようとする過激派が内野剣菱の心境の変化によって事実上消滅している。過激派だった連中も『鈴ちゃんが可愛ければあとはどうでもいい』ことに気がついて穏健派に鞍替えしたため残党は1人もいない。

 学内には別件で一夏を敵視する者たちがいることにはいる。しかしそれらの動きも昨日からの一夏の様子を見ていて毒気を抜かれたのか、かなり大人しくなってしまっていた。

 曰く、織斑一夏はぬいぐるみ趣味に目覚めたため現実の女子に興味がない。

 嫉妬するのもバカらしくなったということだろう。

 方法はともかくとして、プレイヤーが多くいる藍越学園生の中に一夏の敵はほぼいなくなった。鈴のためになると信じ、水面下で一夏の好感度調査、調整を行っていた幸村としては頭を悩ませる必要がなくなったと言える。

 

 ……だけど、大きな問題があるんだよなぁ。

 

 幸村は授業中であることに構わず後ろを向く。その視線の先には憧れの女子、鈴がいる。彼女も幸村と同じように前ではなく別方向に顔を向けていた。

 鈴の視線の先が幸村であるはずはなく、もちろん一夏である。授業中も休み時間もぬいぐるみと戯れている一夏を寂しそうな目で見つめている。まだ2日目。しかしこれから毎日こんな鈴の顔が続くかもしれないと考えると切なくなった。

 

 ……なんとかしたいんだけど。

 

 先のイベントではベルゼブブとして一夏チームの前に立ちはだかった。それも全て鈴のため。戦闘自体は幸村の思惑通りに運んだが、肝心の一夏の心に幸村の声なき訴えは届いていない。

 また策を練らないといけない。幸村の戦いはまだ終わっていない。

 とりあえず最初にやることは決まっていた。休み時間になったら一夏に聞くことにする。

 

 あのぬいぐるみ、何なんやねん。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 授業が終わって放課後になった後、一夏はゲーセンに寄ることもせず家に直帰した。プレイヤーと対戦する予定があるときは直接顔を合わせた方が都合が良いため、先週は欠かさずゲーセンに通っていた一夏だったが、そうでない場合は家で十分である。ゲーセンでも家でもISVSをやることに変わりはないのだが、その用途は大きく異なっている。

 

「……本当に勘弁して欲しいわ」

 

 織斑家のダイニングで菓子を頬張っている鈴が毒づく。一夏にひっついてきた形でやって来たのだが、鈴の周りに一夏の姿はない。

 鈴の対面ではセシリアが紅茶を飲んでいる。不機嫌さ全快で荒れ気味の鈴に対して、セシリアは年不相応なほどの落ち着きを見せる。そんな彼女の態度すら気にくわない鈴は頬杖をついて当てつけがましく不貞腐れていた。

 

「何か気に障ることでもありましたか?」

「わかってて聞いてる癖に……一夏のことよ」

 

 一夏のこと。正確には一夏とモッピーについてだ。2日前に更識簪が織斑家に持ち込んだモッピーを一夏は好き好んで連れ回す。ISVSを始めてからというもの、鈴を含めた周囲と距離を縮めてきていた一夏がここ2日はぬいぐるみの相手ばかりしている。

 その一夏が家に帰ってきた今、どうしているのか。もちろんISVSである。しかし今までと違って戦いや事件の調査に行くわけではなく、ナナに会うため。気に食わない。

 

「なるほど。一夏さんが相手をしてくれなくて寂しいということですわね」

「べ、別に寂しくなんてないわよ! あんな奴がどこで何をしていようとあたしには関係ないんだから!」

「では一夏さんにはそう伝えておきます」

「やめてっ! アイツ、絶対に勘違いするから!」

「勘違い? 一言一句そのまま伝えますのに?」

「ああ、もう! 認めればいいんでしょ! あたしは一夏が相手をしてくれなくて寂しいのっ! それで満足?」

「ええ。愚痴を吐き出すなら中途半端ではいけません。胸の内を洗いざらい吐いてしまった方がいいですわ」

「うぐっ――」

 

 愚痴と指摘された鈴は言葉に詰まった。これまた認めたくない事柄だったが事実だった。今、自分は一夏への不満をこぼしている。客観的に見て可愛くないという自覚が鈴を踏みとどまらせた。

 

「あ、あたしは大丈夫」

「とてもそうは見えませんわね。不満や不安を溜め込まないでくださいませ。ひとりで抱え込むことの辛さをわたくしは知っていますから」

 

 経験談として語るセシリアの言葉は重い。心が軽くなるかもしれないという誘惑を断ち切れず、鈴はセシリアの優しさに乗っかってしまう。

 

「あたしさ……本当に一夏が好きなんだ。今までに色々とありすぎて、いつからだとか何がきっかけだとか自分でもわかってないんだけど、絶対に勘違いなんかじゃない」

 

 鈴は胸の内を曝け出す。過去に一度だけ正直になって、今年の1月3日を最後に表に出せなくなった想いがある。

 

「一夏に出会ったのは小学校の5年生だったかな。あの頃はまだ転校したばかりで馴染んでなくて、バカな男子にからかわれてた。もう日本なんて嫌いとまで言っちゃってた。誰も味方なんていないって勝手に壁を作ってさ……今思えば、本当にバカだったのは男子連中じゃなくてあたし自身だったのよね。一夏は孤立したあたしを助け出してくれた。それが一夏との出会い」

「まるで正義の味方……流石は一夏さんですわ」

「生憎だけど、そんな綺麗なもんじゃないわ。そのときのあたしは一夏をカッコいいだなんて思わなかった。むしろ怖かった。何考えてるかわかんなかったし」

「鈴さんは意外と疑い深かったようですわね」

「意外は余計よ。あたしは今でも他人の顔を窺ってばかり。アンタほど自分に自信が持てないわ」

 

 鈴の何気ない一言で一瞬だけセシリアの顔に陰りができる。しかし鈴は気づかずに自らの話を続ける。

 

「実は出会ってからしばらくの間、一夏とはほとんど接点がなかったの。あたしには友達が増えてたし、男の子と付き合うのに抵抗があったから近寄ろうなんて考えもしなかったわ。アイツが独りぼっちなのに気づくまではね」

「独りぼっち……ですか? 一夏さんが?」

 

 セシリアが目を丸くする。独りぼっち。彼女の中にあった一夏のイメージとはかけ離れている一言だった。

 

「そう。今の一夏しか知らないアンタから見れば意外でしょうね。独りだったあたしを救ってくれたアイツこそがクラスの誰からも相手にされない奴だったなんて思いもしなかった。アイツに興味を持ったきっかけはそれで間違いないし、アイツと一緒にいるようになったのもそれからなのよ」

「鈴さんは一夏さんを放っておけなかったと?」

「否定はしないわ。中学に入って、一夏に弾と数馬って友達ができてからも、あたしは自分からその輪の中に入っていった。けど、それでもあたしは恋なんてできなかった」

 

 一夏の昔の話。小学生時代の話はセシリアも初耳であったが中学生時代の話の一部は一夏とのクロッシングアクセスを通じて知っている。

 

「ご両親の関係でですの?」

「一夏が話したの? まあ、別に隠してもしょうがないから言っちゃうけど、あたしの親って離婚寸前になるくらい仲が悪かったのよ。そんな親を見てたから男女関係に憧れなんて一切なかった。男子と(つる)むことが多くなったのも女子の恋愛話についていけなかったからだったわ」

「恋愛が信じられなかった鈴さんだからこそ一夏さんの近くに居ることになった。そういうわけですのね」

「中学のときの一夏は普通に良い奴だったわ。だから弾も数馬も知らない。昔の一夏はキレたら何をするかわからない乱暴者として知られてた。いじめの対象とかじゃなくて、腫れ物みたいな感じで……誰も関わりたがらなかった」

 

 当時の一夏を思い出してか、鈴の声から力が失われていく。両目にはうっすらと涙が浮かぶ。

 

「本当は優しい奴なのよ。沢山の人に嫌われるようなことをしたかもしれないけど、ちゃんと理由があるに決まってる。あたしはそんなアイツに何度も救われてきた。あたしの代わりにアイツが傷ついてるのにあたしは何もしてあげられない。気づいたらあたし……ずっとアイツのことばかり考えてるの」

「鈴さん……」

 

 もっと軽い話になるとセシリアは考えていた。しかし思いの外、鈴の語る想いは根が深い。

 慰めればいいのか、同感すればいいのか。

 聞き手としてどう対応すればいいのかわからず、名前を呼ぶことしかできない。

 

「これは恋なんだって確信したあたしは去年の大晦日、一夏に告白した。アイツを独りにしてやるもんかって意気込んでた。即答じゃなくても、その場でアイツは『いいよ』って答えてくれた。だけど、一夏は寂しそうだったの」

「箒さんのことがあるからですわね」

「一週間経たない内に一夏から別れ話を切り出された。まだ誰にも知られてないことを理由に付き合ってなかったことにしようとまで言われたわ。手すら繋いでなかったあたしたちは次の日から元の友達に戻った。変わったことは一夏が無理して笑うようになったことくらい」

「鈴さんは納得しましたの?」

「そのときは悔しいけど仕方ないって引き下がったわ。でも、日に日に暗く沈んだ顔になってく一夏を見てて、それで良いだなんて思えるわけないじゃない。付き合うわけじゃなくても一夏の力になりたくなった。だからずっと、友達として一夏と一緒にいたの」

 

 一夏の傍にいる鈴は傍から見てわかりやすいと誰もが思っていた。素直になれない鈴が可愛いという評判すら立っていた。しかしそれは素直になれないのではなく、素直になるわけにはいかなかったから。一夏との決め事を遵守していたからだった。

 セシリアも鈴の想いを見誤っていた。鈴の狂言誘拐をきっかけにして一夏に思いを寄せていると思いこんでいたが、鈴の話を聞いているとそれだけが全てでないことは明白である。

 

「一夏はあたしと別れてからずっと、楽しもうとしてこなかった。まるで自分を痛めつけることで許されようとしてる罪人だった」

 

 鈴もまるで共犯者であったかのように、自らの想いを封印する罰を自分に課していた。

 

「なのに――」

 

 ようやく長い前置きが終わる。セシリアも知らなかった年始の別れ話やこれまでの一夏と鈴の経緯を知らなければ、今の鈴の怒りを共感できるはずなどないからという鈴なりの配慮だった。

 しかし鈴の言いたいことは結局――

 

「なんで一夏はあの女と遊んでるのよォ!」

 

 一夏がナナ(モッピー)とばかり一緒にいるのが気に食わないという1点に収束する。

 最終的に想定内の話題になってセシリアに笑顔が戻った。

 

「まあ、良いではありませんか。鈴さんが一夏さんを想っているのは良くわかりましたが、一夏さんが箒さんを想っているのも事実として受け止めなくてはなりません」

「うぅ……一夏の幼馴染みとナナが同一人物ってのも出来過ぎなのよぅ……」

「そうですわね。7年前に離ればなれになった幼馴染みは両思いだった。7年の月日を経てもなお、その思いは消えず、互いが互いのことを知らずにまた恋をした。素敵なお話だと思いますわ」

 

 セシリアがうっとりとした目つきで天井を見上げる。鈴はテーブルにばたんと伏せてぶつぶつと呟く。

 

「それは否定しないけどさー……ぶっちゃけあたしに勝ち目ないわよね」

「そのようですわね。お疲れさまでした、鈴さん」

 

 すっかり落ち着きを取り戻したセシリアは鈴に労いの言葉をかけてから紅茶を口にする。

 肯定されると思ってなかった鈴はがばっと跳ね起きると、ムッと顔をしかめて食ってかかる。

 

「なんでセシリアは余裕なのよ! アンタも一夏が好きでわざわざ日本にまで来たんでしょうが!」

「関係ありませんから。わたくしにとって今の美談も一夏さんの美点でしかないですわ。お二人の関係も末永く続くとは限りませんし」

「『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス』とか本気で言ってるの!? 気が長いにも程があるわよ!」

「わたくしは最初から男性に期待しておりませんので……一夏さんが特別なだけですわ。ダメならダメで他の方などという考えは一切ありません」

 

 セシリアは本気で言っている。一夏とセットのセシリアしか見ていない鈴では知る由もないが、セシリアは元々男性を快く思っていない。オルコット家の前当主であった父親が娘のセシリアから見て情けない男だったからだ。

 もちろん今のセシリアは男に何も力がないなどと思ってはいない。チェルシーを救うまでの道程で一夏を筆頭とする多くの男たちに助けられたことを一生忘れることは無いだろう。毛嫌いしていた父親のことも幼い自分が誤解していただけだと結論づけている。尊敬している母が認めた男なのだから弱いはずがなかったと確信すらしている。

 とは言っても、男を恋愛対象として見るかとなるとまた話は別。一夏をオルコット家に迎え入れることは歓迎できても、それ以外は考えられずに独りでいいとまで断言する。

 セシリアの意思は鈴に負けじと固い。

 

「その一途さだと、どう考えても片思いを抱えたまま生涯独身コースね」

 

 鈴は自分を棚に上げて言ってみた。すると、

 

「いや、このままだと間違いなく愛人ルートにいくと思うよ。きっと隠し子も出来る」

 

 思わぬ方から答えが返ってくる。2人だけだったダイニングに新たにシャルロット・デュノアがやってきた。彼女は挨拶のひとつもせずに話に混ざってくる。

 

「いきなり話題に入ってきたと思ったら何なのよ一体。それに、アンタはいつフランスに帰るのよ?」

 

 盗み聞きされていたかもしれないと思う以前に、鈴は先ほどまでの愚痴感覚でそのまま思っていることを口に出した。しかし当のシャルロットは鈴のことが目に入っておらず、すたすたとセシリアの隣にまで移動する。そしてセシリアの両肩をがっしりと掴むと真摯な眼差しで見つめた。

 

「大丈夫。たとえ隠し子でも両親から愛されれば必ず幸せになれる。僕が保証する」

「いや、何を熱弁してんのよ……そもそも隠し子を作る前提で話すとか失礼すぎない?」

 

 あまりにも唐突な物言いに鈴は呆れを隠さない。セシリアやラウラと比べて常識人であるはずのシャルロットだが時折発言がズレている。それは決まって彼女の父親が関与する事柄だった。

 鈴の冷静な指摘を差し置いてセシリアはシャルロットと向き合った。

 

「わたくしもなれますでしょうか。お母様のような立派な母親に……」

「ちょっと! アンタもその気になってんじゃないわよ! 今のシャルロットの言うことに耳を傾けるといつか絶対に後悔するわよ!」

「なれるさ。セシリアは美しく聡明な子だからね」

「イケメンボイスを作って囁くな! あたしよりも胸が大きいんだから女として自覚を持ちなさい――って何言わせんのよ!」

 

 鈴がひとりで勝手にヒートアップしていく。セシリアもシャルロットもそんな鈴に構うことはない。

 シャルロットがセシリアから目線を外して俯く。男らしさどころか大人らしさすらない涙混じりの声で次の言葉を紡ぐ。

 

「でもセシリア。絶対に、長生きしてね」

「……そうありたいものですわ」

「あれ? なんか変ね……急にアンタたちの顔がボヤケて見えるわ」

 

 鈴はシャルロットの事情など一切知らないが貰い泣きをしていた。たとえ断片的な情報だけでも感傷に浸るには十分である。良くも悪くも感情的になりやすいのだった。

 

「そういえば、皆さんは喉が渇きませんか? わたくしの淹れた紅茶があるのですが……」

 

 少ししんみりとしてしまった空気を変えようとセシリアが提案する。お茶やお菓子などは話を濁すのに都合の良いもの。誰もが今の話を続けたいと思っていなかったのでちょうど良い。

 しかし、鈴は顔をしかめる……を通り越して顔を歪ませた。

 

「この紅茶飲めるもんなの?」

 

 理由は当然、セシリアが淹れた紅茶だからである。以前にセシリアの作ったサンドウィッチを食べた一夏が気を失う現場に立ち会っている鈴としては身の危険を感じざるを得ない事態だ。

 

「失礼ですわね。わたくしが淹れたのですから味は保証しますわ」

「むしろ心配にしかならないわよ! それに、失礼ってのはさっきのシャルロットじゃないの!?」

 

 鈴が騒いでいる間にもセシリアはあらかじめテーブルに置いてあったティーカップに紅茶を注いでいく。その数はセシリアのものも含めて4つ。セシリアがポットを置く前に素早くカップを取る手があった。

 

「実に美味だ」

 

 出かけていたラウラまでいつの間にか帰ってきていた。彼女はセシリアの紅茶に満足げな様子である。前の一夏の件を忘れているとしか思えない。

 鈴はまだ信用していない。以前に鈴の酢豚を味もわからずに食べたと発言しているのを忘れてはいない。

 

「アンタの味覚がおかしいのよ、きっと」

「いや、本当に美味しいよ。僕もこう上手くは淹れられない」

 

 ラウラの次はシャルロット。父親が絡まない場合、彼女は極めて常識的であるというのは鈴と一夏の共通的な認識となってしまっている。この毒味に関しては信頼性が高かった。

 

「どうですか、鈴さん!」

 

 セシリアのどや顔が鬱陶しい。だがそれも自らが蒔いた種。結果的に飲まず嫌いだった自分が全面的に悪いと認めざるを得なかった。

 安全が保障された紅茶を口に含む。普通に飲めるどころではない。カップを口に近づけただけで鼻腔をくすぐってくる香りは荒れている心をも癒してくれる優しさを内包している。香りごと紅茶を飲むと、鈴の抱えていた嫉妬心も猜疑心も洗い流されるようであった。

 

「悔しいけど本当に美味しい。紅茶だけはね」

「それでですね、鈴さん。お菓子も作ったのですがいかがですか?」

 

 鈴が認めたその瞬間、すかさずセシリアは隠してあった皿を取りだした。

 皿に乗っているものは八等分にされたホールサイズの黄色いケーキである。ところどころに見える焦げ目なども含めて写真で見れば素直に美味しそうと言えるチーズケーキだった。

 しかし……全くチーズの香りがしない。むしろ食べ物のはずであるのに匂いらしい匂いがしない。

 嫌な予感を覚えるには十分だった。

 

「絶対に要らないっ!」

「いいじゃありませんか。減るのはわたくしのケーキだけですし」

「減るわよ! 命がいくつあっても足りんわ!」

「鈴は要らないのか? では私が貰おう」

 

 ひょいとラウラが横から手を伸ばしてパクッと食べる。この無警戒さはセシリアへの信頼の表れだろうか。しかし、信頼が常に美しいものとは限らない。

 白目をむいたラウラは直立したままバタンと後ろに倒れて動かなくなった。シャルロットが慌てて抱き起こすも返事はない。

 惨状を目の当たりにした鈴は改めてセシリアに言ってやる。

 

「命がいくつあっても足りんわ!」

 

 大事なことなので2回言ったとさ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ――今の世界は、楽しい?

 

 家からISVSに入るとき、必ずと言っていいほど耳にする言葉だ。最初はゲームの起動アナウンスか何かだと思っていたけど、ほかの家庭用ISVSで同様の事例はない。では俺の家にある家庭用ISVS限定なのかというとそういうわけでもなかった。

 この声を聞いているのは俺だけだった。少なくとも本来の持ち主である千冬姉も聞いたことがないらしい。

 誰かが俺に語りかけてきてるということなのだろうか。

 その“誰か”とは束さんしか考えられない。じゃあどうして千冬姉でなく俺なんだ?

 答えはきっと束さんに直接聞かないとわからない。

 仮想世界に囚われている箒のことも束さんは知っているんだろうか……

 

「あいたっ!」

 

 唐突に俺の額に衝撃が走る。親指の拘束から解き放たれた人差し指による一撃、デコピンである。仮想世界の中とは言ってもISを展開していない状態における危険性のない痛みはダイレクトに伝わってくるというありがたくない仕様のために痛いものは痛い。

 痛がる俺の正面にはやたらと偉そうに胸を張るピンクポニーテールの幼馴染みがいる。

 

「何するんだよ、ナナ」

「また難しい顔をしているお前が悪い」

 

 ツムギのリーダー、文月ナナ。俺が初めてISVSに来たときに出会った女の子。その正体は今も病院で眠り続けている俺の幼馴染み、篠ノ之箒だ。

 ギドとの戦いで俺とナナは互いの正体を知った。しかしまだ何も終わっていない。箒は目覚めることはなく、ナナはここにいる。だから俺たちはまだヤイバとナナとして会っている。

 

「一人で考え事などするな。私で良ければ相談に乗ってやる」

「ごめんごめん。ぼけっとしてただけだから気にすんな」

 

 しれっと嘘をつく。今、俺は束さんについて考えていた。それをナナに知られたくはなかった。

 なぜならば嫌な推測も混ざってしまうからである。

 最初は知らなかったことだけど、セシリアや宍戸の話を聞いていくうちに束さんがISVSの中枢に大きく関わっていることがわかった。今のISVSの異常を知らないとは思えない。そもそも独自の情報網を築いていた束さんが箒の入院を把握していないわけがない。

 だから、今の状況になっているのには理由がある。俺が考えているものは2つ。

 1つは束さんがエアハルトの背後にいる可能性。

 もう1つは……束さんが何もできない状態にある可能性。

 どちらにせよ、ナナにとって気分の良い話にはならない。

 

「……そうだったな。ヤイバが一人前に考え事などするはずもなかったか」

「それは流石に聞き捨てならねえぞ! 俺だって悩み事の1つや2つあるっての!」

「では言ってみろ。さあさあ」

 

 パッと思いつく悩みはある。けど、それもナナにできる類の相談じゃなかった。

 言える訳ないだろ。俺は箒が好きかもしれない。そうじゃないかもしれない。よくわからないのが悩みです、なんてな。

 

「どうした? 顔が赤いが熱でもあるのか?」

「か、仮想世界で風邪をひくってどんなんだよ! 大丈夫だから離れろって!」

 

 ナナは全く意識していないのか、額で熱を計ろうとかなり顔を近づけてきた。俺は慌ててナナの肩を掴んで引き剥がす。ナナは「ん?」と首を傾げるだけ。俺だけ意識してると思うと自分がとても情けなくなってきた。

 このまま同じ話をし続けると俺の立つ瀬がない。話を変えるためにさっさと今日の予定に移ることとしよう。時間がずれると計画が失敗しかねないし。

 

「とりあえず、今日の予定だけど――」

「ご、誤解するな! た、他意などないからな!」

 

 ナナが急に叫び始めた。もしかしてさっきの大胆さに気づいての照れ隠しか?

 遅い。遅すぎて俺は何も返せない。ひとりで勝手に慌て始めたナナのあたふたとする仕草の1つ1つを脳に焼き付けるように凝視しつつも、構わず話を先に進める。

 

「今日は予定通り、久しぶりにクーの話を聞きたいと思ってるんだけど、今どこにいるかわかる?」

「あ、ああ。クーは最近、ここの最深部に籠もっていてな。だがヤイバが話をしたいということを伝えたら、こちらに来ると言っていた。もうすぐシズネが連れてきてくれると思うが――と言っていたら来たようだ」

 

 ナナが示すロビーの入り口にはシズネさんとクーの姿があった。シズネさんとはナナと同じ頻度で会ってるけど、クーを見るのは随分と久しぶりな気がしてくる。

 イルミナントを倒してから、俺はクーの顔を見る機会自体が減っていた。あの時期は学校のイベントの方で頭がいっぱいだったから特に違和感があるというほどじゃなかったけど、やっぱりおかしい気がしている。

 そもそもクーは最深部とやらに籠もって何をしてるんだろうか。今日はそれも知っておきたい。

 

「こんにちは、ヤイバくん」

「どうも、シズネさん。それに、クー」

「久しくご無沙汰しております、ヤイバお兄ちゃん」

 

 何やら重苦しい挨拶でこっちの息が詰まる。目を完全に閉じているクーの表情はシズネさん以上に読めない。見た目は年下の女の子だし俺をお兄ちゃんなんて呼んでくるのに、目上の人のように錯覚するときもある。まあ、AIに年齢なんて関係ないか。

 今日の目的はAIであるクーに話を聞くことである。ナナが箒であることを知った今、ナナのことを様付けで呼ぶクーが束さんと無関係とは思えない。

 

「ちょっとクーと2人だけで話したいことがあるんだけどいいか?」

「ヤイバくんはロリコンなのでダメです」

 

 まさかのシズネさんからNGが出された。しかも完全に濡れ衣である。

 おまけに誤解する奴がいるから面倒極まりない。

 案の定、ナナは拳をわなわなと震わせている。雷が落ちるまで猶予は少ない。

 

「ヤイバ……お前という奴は……」

「ストップだ、ナナ! お前はシズネさんに流されすぎてる!」

「何? シズネが私に嘘をついているとでも言う気か!」

「お前とシズネさんの仲は知ってる! でもシズネさんは頻繁に勘違いをする人なんだ! 嘘はついてなくても間違いを言うことはある!」

「言われてみればその通りだ。シズネの誤解だろう」

 

 良かった。俺が一夏だと知ってるからか、今のナナは俺の訴えをちゃんと聞いてくれてる。以前の俺だったら斬られて家から出直す羽目になっていた。

 シズネさんは時折、何を考えてるのかわからない発言をする。俺もナナもラピスも、挙げ句の果てに花火師(彩華)さんまで振り回されている。ナナにはその一部として納得してもらえた。

 

「しかし、ヤイバくんがクーちゃんの着替えを覗いていたのは事実ですし」

「シズネさんは俺に何か恨みでもあるの!? あれは不可抗力だって!」

「……何の話だ?」

 

 またナナの顔が険しくなっている。むしろ悪化して般若になっていた。不可抗力とは言え、幼い女子の裸を覗いたなんてことになったら怒って当然だろう。故にナナは正当だ。

 シズネさんの考えが読めた。俺を出しにしてナナの百面相でも見ようという算段なんだ。この人なら本気でそれだけのためにナナを怒らせても不思議じゃない。

 ただ遊びに来ただけならこのままシズネさんのペースに乗っててもいいんだけど、ちょっと今は優先したいことがある。こういうときは下手に誤魔化さない方が良さそうだ。俺が真面目であることをシズネさんにアピールして味方につけるべきだろう。

 

「前に俺がシズネさんを泣かせちゃったときがあっただろ? そのとき、転送されてきた場所がたまたまクーの部屋だったってだけだよ。決してわざとではございません」

「本当か、クー?」

「肯定です、ナナさま。ヤイバお兄ちゃんは嘘をついていません」

 

 クー本人からの口添えもあってナナの怒りは収まり、申し訳なさそうに頬を掻く。この数分でナナの表情はどれだけコロコロと変わったんだろうか。色んなナナを見られて楽しい気分になってきた。……シズネさんの趣味を理解できそうな気がした俺はきっと彼女に毒されているんだ。

 などと雑念が混じっていてはマズい。早いところシズネさんを遠回しに説得しないとクーと話す時間が減ってしまう。

 そう思っていたのだが――

 

「ではナナちゃん。ちょっと内密に話したいことがあるので来ていただけますか?」

「今でなくていいだろう? それにヤイバとクーを2人きりにするなと言ったのはシズネでは――」

「ナナちゃんはヤイバくんを信じられないのですか?」

「お前が言うな。私は最初から信じている」

 

 シズネさんに手を引かれてナナがロビーから出て行く。俺が誘導するまでもなく、シズネさんはナナをこの場から引き離してくれた。俺がクーとだけ話したいと言った真意を察してくれたんだろう。彼女は天然だけど鋭い人だから。

 鋭いのはナナも同じ。たぶん俺がナナに聞かれたくない話をしようとしてることくらいバレている。それでも素直に席を外してくれたのは、言葉通り俺を信頼してのことなんだ。そう俺は信じている。

 

「さて、クー。今から俺が聞くことには正直に答えて貰いたい。わからないときはわからないと素直に言ってくれ」

「承りました」

 

 広いロビーの中、俺とクーは1対1で向き合う。

 常に目を閉じている盲目の少女。薄幸の美少女と呼ぶに相応しいか弱さがにじみ出ている。本能的に守らなければと思わされる見た目の彼女を俺は今から問いつめることとなる。

 まずは、あの人のことから。

 

「篠ノ之束について教えてくれ」

「ISの開発者。10年前にISを世界に公表し、7年前に失踪。現在は行方不明であり、その生死すら定かではありません」

 

 当たり障りのないことしか返ってこない。人柄についての言及がないのは面識がないからなのだろうか。

 

「どんな人だったんだ?」

「わかりません」

 

 面識なし。意図的に隠しているのでなければ、だが。

 俺の予想だとクーは束さんがナナのために用意したAIだ。もしクーが敵の手に落ちても束さんの情報が敵の手に渡らないように手が加わっているのかもしれない。

 束さんについて単刀直入に聞いてもこれ以上の進展はなさそうである。次に移る。

 

「篠ノ之束には妹がいたはずだ。彼女はどうしている?」

「わかりません」

 

 ついさっきまで目の前にいたんだよ。

 ナナは必要以上に自分の正体を他人に明かしていない。ツムギの中で知っているのはシズネさんだけのはず。会う機会自体が少ないはずのクーにはまだナナ本人から情報は伝わっていない。

 ナナを様付けして呼んでいるのはそう設定されているからと見て良さそうだ。クーはナナを篠ノ之箒として見てない。

 ここまでの情報をまとめると、クーは篠ノ之の名前とは無関係にナナの傍にいるということになる。

 

「紅椿の開発者は誰?」

「篠ノ之束です」

「ナナに紅椿を渡したのは?」

「私です」

「クーにとってナナはどういう存在だ?」

「庇護、および監視対象です」

「誰に頼まれてやってる?」

「わかりません」

 

 篠ノ之箒でなくナナを特別扱いしている。これも束さんの手による設定とみて良さそうか。この仮想世界の中でも篠ノ之の名前を隠そうとしているのだと考えられる。

 しかし庇護ときたか……紅椿なんて強力な機体を渡したことといい、束さんはナナが危険な目に遭うことを想定していたとしか思えない。

 

「クーの使命は何だ?」

「ナナさまの安全を第一とし、ナナさまのサポートを行うことです」

「ナナはこれからどうするべきだと思う?」

「わかりません。私はナナさまに従うだけです」

 

 こうして質問しててもクーは束さんと無関係じゃないとしか思えない。だからこそ余計に今の状況が不可解になっている。

 どうして束さんが箒を助け出してやらない?

 もう俺の知ってる束さんじゃないのか?

 

 蜘蛛のIllを倒してからずっと俺には気になっていたことがある。

 それはクーの容姿について。

 髪が銀色なのも含めて、目を閉じたラウラと似通っている。

 

「クーは遺伝子強化素体(アドヴァンスド)なのか?」

 

 AIであるクーに俺はそう聞いてしまっていた。

 俺はたぶん、違うと言って欲しかったんだと思う。でも、

 

「肯定です。私はILL計画によって生み出された遺伝子強化素体。その失敗作で――」

 

 クーは明確に肯定してしまう。AIであると言っておきながら、遺伝子強化素体でもあるのだと。

 彼女の口からは“ILL計画”などという単語も飛び出している。俺たちの知らないことを知っているのは間違いない。考えたくなかったけど、敵と束さんにつながりがある線も考慮する必要が出てきた。

 だけど、事態は思わぬ方に向かった。

 クーは途中で口を閉じてしまう。頭を抱えて崩れ落ち、額には皺が寄って苦しそうにしている。

 そして――

 

「あ、あ、ああああああああ!」

 

 泣き叫んだ。救いを求めるように。あるいは、この世の全てを呪っているかのように。ただただ、拒絶を声として吐き出していた。

 

「何事だ!? 何があったのだ、ヤイバ!」

 

 クーのただならぬ悲鳴を聞いて、ナナとシズネさんが戻ってきた。説明を求められてるけど俺にだって詳細はわからない。

 

「クーちゃん、大丈夫だから。何も怖くないから」

 

 混乱している俺の代わりにシズネさんがクーを落ち着かせようと優しく抱き締めて背中をさする。しかし錯乱しているクーはまだ叫び続けている。簡単には収まりそうになかった。

 

「クーに何をしたのだ、ヤイバ!? このようなクーを初めて見たぞ!」

 

 俺はただ質問をしただけだった。

 でも確実に俺の質問がクーを発狂させるに足る何かを秘めていた。

 プログラムに従っているだけの存在にトラウマなどあるわけがない。

 

 ……くそったれ。

 

 俺たちは最初から騙されていたんだ。

 彼女の発狂が全てを物語っている。

 

 クーは……AIなんかじゃない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバがクーと話している頃、クーが普段籠もっているツムギの最深部に近づいていく2人組の姿があった。どちらも女子であり1人はメガネ、もう1人は長すぎる袖というファッションが特徴的だった。2人は揃ってこそこそと入り口に忍び寄っていき、中の様子を手鏡で窺う。

 

「中に誰もいない。ヤイバくんが上手くやってくれたみたい。入るよ、本音」

「あいあいさ~」

 

 門番の少女がいると聞いていたが、今はヤイバと会うために外に出ている。ツムギの中心部に行くチャンスは今しかない。簪は本音を連れて部屋の中へと入っていくと、迷わず部屋の中央の床に手を触れた。

 

「どう、かんちゃん?」

「……うん、つながった。やっぱりこの遺産(レガシー)は当たり。早速、“迷宮”を開いてみる」

 

 何もなかった床に入力用のコンソールディスプレイが表示される。ISVSで戦っているだけのプレイヤーではちんぷんかんぷんな代物であるが、ISの装備の開発に携わっている簪には慣れたものだった。必要な操作も他の遺産(レガシー)で解明しており、簪は自らの知識に従って情報を打ち込んでいく。そして、

 

「開いた……」

 

 奥の床が左右に開いて、地下へと続く階段が姿を現した。クーのいる殺風景な部屋は最深部などではなかったのだ。この事実はナナもシズネも知らない。

 簪は躊躇いなく階段に足を踏み入れる。この先に何がある見たことがないにもかかわらず、その足取りは力強いもの。その理由は、大きな見返りが期待できるからである。

 

 ISVSを含めて、ISにはまだ解明されていない技術が多々ある。ほぼひとりで完成させたとされる篠ノ之束は紙や電子媒体でデータをまとめるようなマメさが全くなく、全て頭の中で解決させていたと言われている。簪が束を知ったときは技術者の風上にもおけないとつい口に出してしまったほどだ。

 ところが近年になって、ISVSをゲームとして完成させた人物は篠ノ之束ではないことが発覚した。クリエイターと呼ばれている人物は篠ノ之束しか持っていないはずの知識を使ってISVSを完成させた。つまり、目に見える形でISに関する重大なデータが存在する可能性があった。それが“篠ノ之論文”と呼ばれるISVSに隠された宝なのである。

 

 過去にISは2度の大きな進化をしてきた。

 拡張領域への装備の出し入れが可能となった第2世代。

 イメージインターフェースにより非固定浮遊部位などの使用が可能となった第3世代。

 ISは篠ノ之束が白騎士事件で見せていた性能に少しずつ近づいてきてはいる。しかしその進化を支えたものは結局のところ、篠ノ之論文。人類は篠ノ之束の手の平の上で踊っているだけなのが現状なのである。

 だが世の研究者たちは受け入れざるを得ない。篠ノ之束が達成できていることを後追いで研究するよりも、篠ノ之束が残した遺産を見つける方が遙かに効率がいいのは事実。

 今、ISの技術競争で最も優先順位が高いのは篠ノ之論文を発見することにあった。

 

 簪がツムギを調査しようと思い立ったのも、過去に篠ノ之論文が発見されたのが遺産(レガシー)の内部だったからである。通称は“迷宮”。世界各地でロビーとして提供されているドーム型の施設は見た目が同じでも地下深くまで延びている構造のものがある。海上に置かれたツムギの本拠地は海底にまで延びているくらい長い建造物だった。怪しいのは火を見るよりも明らか。

 当然、簪は彩華が先に調べているものだと思っていた。しかし彩華は可愛い少年少女に目がなく、甘やかすという弱点がある。クーという可愛い門番に阻まれて断念したと聞いた簪が失望の眼差しを向けたのはつい最近の出来事だった。

 自分がやらないとダメだ。そんな使命感に突き動かされたのである。

 もちろん、私利私欲のために篠ノ之論文を求めているわけではない。今の簪には力になりたい人がいるからこそ、こうして独断で行動を起こしている。

 

 ――篠ノ之論文には箒が目覚めるためのヒントがあるかもしれないから……

 

「不気味な空気だよ~」

 

 後ろを歩く本音がビクビクしながら簪の背中を摘む。お化け屋敷でもあっけらかんとしている彼女が怖がっているのも珍しい。むしろお化け屋敷が大の苦手である簪の方が平然としていた。

 階段を下りきるとトンネルのような通路が奥へ続いている。薄暗いために肉眼では先がどうなっているのか確認できない。篠ノ之論文を防衛する門番がいる可能性も考慮して、簪は自らのISを展開した。

 迷宮と呼ばれている空間にしては一本道が続く。やがて通路の先が見えるようになった。50mほど進んだところで広い空間に出る。それ以外は進んでみないとわからない。

 

「本音はここで待ってて。ちょっと様子を見てくる」

 

 もし罠があれば、そこで調査終了となってしまう。限られたチャンスをものにしたい簪は2人でまとまって行動するのは危険と判断し、1人で先に出ていくことにした。

 返事も聞かないまま、通路を高速で通過して広間に躍り出た。その瞬間に広間全体が明るく照らされる。何もないドーム状の空間は屋内でもISが飛びやすい環境である。まるでISの戦闘を想定されたような場所の中央には金属でできた立像が異質な物体として存在を主張していた。

 否。ただの立像ではない。直立しても地に着くような長い腕を持ち上げるとともに、フワリと体を宙に浮かせた。つまりIS、もしくはリミテッドである。

 

「かんちゃん!」

 

 このタイミングで通路に控えさせていた本音が入ってくる。彼女も既に自分のISを展開させていて臨戦態勢にあった。

 2対1。篠ノ之論文を求める上で目の前の敵との戦闘は避けられないものとなる。ならば簪は戦いを選ぶのみ。非固定浮遊部位である山嵐の発射口を開いて、入力用コンソールを展開した。

 

「山嵐、1~24番。軌道入力完了……発射!」

 

 まだ相手は動いていない。相手を全方位から襲うよう細かく弾道を設定したミサイルを一斉に射出。これが開戦の合図となった。

 この最初の1手を敵がどう防いでも簪の第2手は大きく変わらない。追撃のために山嵐全てを春雷2門に変更すると、荷電粒子砲のエネルギーチャージを開始する。ミサイルが迎撃されたとしても、チャージの時間を稼ぎ、敵の隙を作れれば良かった。

 

 だが簪の思惑は一瞬で崩れ去る。

 

 敵は長い両腕を真横に伸ばして着地した。簪はここで初めて気づいたのだが、敵には頭と呼べるような部分が見当たらない。それでもまだ肩に巨大な装甲が取り付けられた拡張装甲(ユニオン)で説明できる範囲だったが、この敵は信じられない挙動をする。

 

「回った……?」

 

 両腕を広げた体勢で敵はコマのように回り始めた。問題は地に足を着けているという点である。フィギュアスケーターのように回っているのではなく、確実に足を地に踏みしめている。上半身だけが独立して回転していたのだ。

 当然、簪の思考は1つの結論に辿りつく。中に人が入っていてできることではない。だからこの敵は無人リミテッドなのだと。

 その答えは半分だけ当たっていた。

 

 敵は回転しながら、両腕の先からENブレードを展開する。出力は中型とされるFMS社製のクレセントを上回るもの。ただし、ブレードの長さはエアハルトの使うリンドブルムよりも長い。

 光の刃を取り付けたコマは全方位から迫るミサイル群を一瞬で切り落とした。上方から迫るミサイルもわずかに角度を変えるだけで対処している。

 当然、敵の奇行は防御のためだけに行っているものではない。上半身の高速回転を止めないまま地を蹴った。原始的な方法で初速を得たコマの怪物は攻撃をしてきた簪をはね飛ばさんと迫る。

 ふざけているとしか思えない敵の行動だったがその全ては早かった。簪の想定よりも早く接近されているため荷電粒子砲による迎撃は間に合わない。

 

「任せて~、かんちゃん」

 

 しかし簪はひとりではない。迎撃の準備ができていない簪の前に親友が気の抜けたような声を出しながら颯爽と駆けつける。全身装甲(フルスキン)で覆われた顔すらも緊張感の欠片も感じられないものだった。

 

 何せ、コアラである。実写ではなく、某有名チョコ菓子のパッケージに描かれているようなコアラである。細部にまでこだわった造りとなっているため、全身を覆う装甲は毛皮にしか見えず最早ただの着ぐるみだった。ただし、一応はISであるためアサルトカノンなどの武装や着ぐるみの上から金属っぽい装甲も付いている。

 これが布仏本音が長い時間をかけて作り上げた専用機“アーマードコアラ”だ。

 

 操縦者ののんびりさはコアラの動きには反映されておらず、右手の爪からENブレードを展開してコマと化している敵に叩きつけた。ENブレード同士の干渉によって敵機の回転は停止。その場を飛び退くようにしてコアラから離れていき、簪は事無きを得る。

 

「ありがとう、本音……油断してた」

「だいじょーぶ。私がいる限り、かんちゃんはやらせないもん!」

 

 コアラが器用にピースをする。ファンシーとシュールの間の子である存在感に簪は苦笑を隠せない。久しぶりの共闘とは言っても、いつまで経っても慣れないものだ。

 

 敵のベーゴマ攻撃と味方のコアラ。トンチンカンな両者に挟まれて自分のペースを乱されている簪であったが、首を大きく横に振って気持ちを切り替える。

 敵は攻撃を防がれてすぐに距離を置いた。簪の攻撃を嫌っての行動であるのはわかるが、問題は行動に移る速度である。判断が早すぎる。簪の知っている無人機でここまでの高性能な相手はいない。

 気になる点は他にもある。無人リミテッドはPICCこそ機能していてISにダメージを与えられるが、EN武器に関してはBT適性の高い操縦者がエネルギー供給ラインをつないで初めて最小限のEN射撃が可能となる。にもかかわらず敵は強力なEN武器を使用してきていた。

 無人リミテッドではない。敵は無人ISなのだと認識を改める。この敵には簪の知らない技術が使われているのは確定で、それはつまり、篠ノ之束が開発した代物であると予測される。

 

 これは勝てないかもしれない。

 

 初手を交えた段階では敵からナナの紅椿ほどの性能は感じられない。しかし、簪の体感で言うと無人機の技量はランカーと渡り合えるレベルである。本音と2人での勝率は50%を下回っていると考えられた。

 

「ダメ元でやってみるしか……」

 

 もしこれがIllとの戦闘ならば、簪は迷わず退却を選ぶ。危ない橋を渡る状況ではないからだ。

 そして今は真っ当なISVS。負けのリスクはこの機会を潰すだけであり、退却自体が負けと同じ。だから挑戦する選択肢しか残っていない。

 

 ――はずだった。

 

 負けも視野に入れて戦う。その直前にふと思い立った簪はコンソールを開いてISVSから離脱できるか確認した。ギドに敗北した経験から、確認しないと安心できなかった。

 

「嘘……」

 

 ログアウト不能。

 簪は動揺を隠せない。絶対に安全であるはずのツムギの中で、Illと相対したときと同じ現象が起きている。

 たまたまタイミング悪く、外に敵のIllが攻め込んできている?

 元々ツムギの内部に潜んでいるIllがいて、簪を追ってきた?

 目の前の敵が篠ノ之束が仕掛けたものでなく、敵のIllなのか?

 頭を過ぎる可能性はどれも信じがたい。何か別の要因があるはずだと考えるも答えなどでない。

 わかっているのは、この場から去るには来た道を戻るか、目の前の敵を倒すしかないということだけ。

 敗北は脱出不可能、悪くて昏睡状態に陥ることを意味する。

 

 自分が招いてしまった想定外の異常事態。

 簪は奥歯を強く噛みしめる。

 本音だけは絶対に守るという意志がその瞳に宿っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 クーは落ち着きを取り戻し、そのまま寝入ってしまった。シズネさんの膝枕で静かに寝息を立てている姿は現実の女の子と遜色ない。

 初めて会ったとき、クーは自らのことをミッションオペレーター用のAIであると名乗った。ゲームのために造られた存在であるという自覚が彼女にはあって、俺たちにはそれを否定する材料がなかった。そういうものであると漠然と納得していた。

 でもそれは違ったんだ。彼女にはゲーム進行に関係のない歴史が存在している。ナナの世話をさせるだけならわざわざ遺伝子強化素体として生み出す必要なんてないし、むしろ邪魔にしかならない。

 

「ヤイバ……私にもわかるように説明してくれないか?」

 

 まだ俺はナナたちに何も言えていない。あまりにも異常な状況だったからか、ナナは俺が悪いと責め立てるようなことはせずに困惑するばかりだった。

 言ってしまっていいのだろうか。

 クーはAIでなく、おそらくはナナたちと同じ立場に陥っている現実の人間だ。それもラウラと同じ遺伝子強化素体だろう。チラッと聞いただけの知識だけど、遺伝子強化素体は亡国機業の人型生体兵器研究の過程で生まれたらしい。だからクーも亡国機業と無関係じゃないってことになる。

 そしてクーは束さんとも関係があるはず。でないと紅椿を持っていたり、ISVSに囚われたナナの元に都合良く姿を現すことはできない。

 

 束さんは昔のツムギと関係が深い。そして、反IS主義者“アントラス”という連中は束さんの命を狙っていた。Illを使っている敵は亡国機業かアントラス、あるいはその両方という話だから束さんが敵とつながっているとは一見すると考えにくい。

 でも、ナナの元にクーが送られたタイミングや、クーが遺伝子強化素体であるという点が気になる。特にタイミングの方は見逃せない問題で、束さんはナナがこの世界に囚われた瞬間に立ち会っていたかのようだ。

 ナナとシズネさんは篠ノ之神社で黒い霧のISに襲われたと証言している。黒い霧のISはおそらくIllなんだと思う。でもって、そもそもIllなんて化け物を束さん以外の人間が造れるものなのだろうか。

 

 ダメだ。今の俺には束さんがナナをISVSに閉じこめたとしか考えられない。

 でも俺は知っている。たしかに束さんは奇天烈とか破天荒って言葉が似合う人だったし、柳韻先生とは馬が合わなくて喧嘩ばかり売ってたけど、箒だけは人並み以上に大切にしてた。だから束さんが箒を苦しめるような真似をするはずないんだ。

 まだ真実はわからない。だからナナには何も言わない。

 

「ごめん、ナナ。俺からはまだ何も言えない」

「……わかった。“まだ”という言葉を信じておく」

 

 ナナは何も話さない俺を許した。ただし『いずれ話せ』と念を押している。

 何が真実であれ、ナナは知らなくちゃいけない。それはわかってるけど、まだそのときじゃない。

 できることなら、誰も悲しまずにすむ真実だといいなと切に願う。

 

 

『でもね、いっくん……世界が平等だったことは一度もないんだよ?』

 

 

 ハッと目を見開く。素早く周囲を見回すがこの場には俺とナナ、シズネさん、眠っているクーしかいない。

 

「急にどうしたのだ、ヤイバ?」

「……なんでもない」

 

 ナナが不安げに俺に問いかけてきた。つまり、今聞こえてきた声は俺にしか届いていないってことだ。おそらくはプライベートチャネルの通信。

 声の主はいつもISVSに来るときに聞いていた声と同じ。そして、俺のことを“いっくん”だなどと呼んだ。間違いなく束さんだ。

 一体、束さんは俺に何を伝えたいんだ?

 どうしてこんな回りくどい方法で俺だけに話す必要がある?

 わからない。俺の単一仕様能力を教えてくれたときのような具体性は今の声にはなく、前にも聞いた内容だった。

 世界が平等だったことは一度もない。

 まるで世界から悲劇は無くならないと断言しているように思えた。

 

 ……やっぱり、俺は束さんのことを知らないといけない。

 

 もう俺と箒の問題だけじゃすまない領域に入っている。

 昔のツムギとアントラスの争いは、昔のツムギが解散してもなお終わってなくて、俺たちとエアハルトの戦いにつながっている。その発端を辿ると必ず束さんの存在がある。

 だから束さんのことを知らないまま真実に辿りつくことなどできはしない。

 

 まずはクーの守っていたものが何かを知る。不幸中の幸いか、クーに意識がない。先に向かってるはずの簪さんたちに合流しよう。

 

「ナナ。イルミナントを倒してからクーが籠もるようになったっていう場所に案内してくれるか?」

「随分と唐突な申し出だな。クーはツムギの人間以外が近寄ることを拒絶していたが……まあ、ヤイバならいいだろう」

 

 俺自身、客観的に見たら無茶苦茶なことを言い出したように思われても仕方ないと思ってる。でもまだナナには説明したくないし、ナナの協力がないと入りづらい場所だから仕方がない。

 クーが籠もっていた場所には何があるんだろうか。簪さんは具体的なことは知らないと言っていたし、今のナナの話だと彩華さんたちを近寄らせなかったってことになる。やっぱり言ってみないとわからないな。

 

「シズネ。クーのことは任せた。私とヤイバは奥の部屋に向かう」

「わかりました。あまりクーちゃんの機嫌を損ねるようなことはしないでくださいね、ヤイバくん?」

「わかってるよ、シズネさん」

 

 目を覚まさないクーのことはシズネさんに任せて、俺はナナの案内でツムギ本拠地の最深部へと向かう。

 

 

 そうしてやってきたのは何もない部屋と説明された場所。

 遺産(レガシー)“トリガミ”でナナとギドが戦っていた場所と雰囲気が酷似している六角柱状の広めの空間である。

 しかし、最深部と呼ばれているにしては不可解な変化が見受けられた。

 

「何だ、あれは? 階段か?」

 

 部屋の奥の床には地下へと降りていく階段があった。ナナは初めて見るもののようで、本来ここにあるはずのものじゃないってことになる。たぶん簪さんが何かをしたんだろう。

 あれこそ、クーが本能で守っていた場所か。

 階段を下っていった先はナナたちも知らない。だからこそ、束さんにつながるヒントがある可能性が高い。

 俺は階段へと歩を進める。ナナもついてくる。そこへ――

 

「待ちたまえ。お姉さんも同行しよう」

 

 後ろから声がかけられた。ナナと一緒に振り向くとそこには彩華さんが腕を組んで立っている。簪さんは彩華さんに内緒だと言ってたが……

 

「彩華さんが何でここに?」

「暇つぶしも兼ねてここに来ようとすると、あの子が追い返そうとしてくるから遊んでいたのだ。しかしながら今日は出迎えがない。肩を落として帰ろうとしていたところに少年たちの声がしたので追ってきた。これ以上の説明は要るかな?」

「いえ、いいです。じゃ、行きましょうか」

 

 彩華さんの言ってることが本当かはわからないけど、今は大した問題じゃないから放置しておく。これからこの施設の奥へ向かうに当たって彩華さんは邪魔になるどころか頼りになる存在だった。一緒に来てくれるというのだから歓迎すべきことである。内緒にしておきたいと言っていた簪さんには悪いけどここは俺の都合を優先させてもらう。

 ……彩華さんには聞きたいこともあるしな。

 

 下に向かうにつれて暗くなっていく階段を彩華さんを先頭にして下っていく。真っ暗になる前にISを展開することになるだろうが、まだ肉眼で見える程度であった。かなり深い階段である。

 せっかく時間があるから今の内に彩華さんに聞いてみることにする。ナナもいて迂闊なことを言えないのには注意しておこう。

 

「そういえば彩華さんは躊躇なくここまで来てますけど、今俺たちが向かっている先に何があるのか知ってるんですか?」

 

 束さんも遺伝子強化素体も関係ない疑問だ。最初に地下への階段を見つけたとき、ナナは驚いていたんだが、彩華さんはそうじゃなかった。さらに、俺が慎重に進もうと思っていたのに対して、彩華さんはスタスタと慣れているように階段を下り始めた。これで何も知らないなんて言わせない。

 

「少年が知っているはずもないことだったね。ここは我々が迷宮と呼んでいる場所。そして、この先にあるのは篠ノ之束が我々に残した遺産だ」

 

 束さんの名前が出てきちゃったけど、たぶんナナに聞かれても問題ない話だろう。待ったをかけずに彩華さんの話を静聴する。

 

「6年近く前、ISの研究に息詰まっていた私たちの前にISVSは突然現れた。ゲームと称していたがその実体はもう一つの地球とも呼べる規模のシミュレータ。現実では不可能な実験をも可能にする代物で、我々にとっては正に天の助けとなった」

 

 この辺は以前にセシリアから聞いた話と同じだ。

 

「ところがこの仮想世界には現実にはない施設が世界各地に点在していた。それがプレイヤーにロビーとして提供されている施設。我々には理解できない技術の塊であり、ISVSというゲームを運営する何もかもが詰め込まれていると言っても過言ではない」

 

 研究者たちの間ではシミュレータとしての側面が強いISVSなのにロビーだけはゲームとしての機能が充実している。これはロビー自体がゲームの製作者、おそらくは束さんの手によるものだから。ロビーは研究者たちにとって未知の塊になっている。

 つまり、ロビーと同じ機能を有しているツムギの本拠地の奥に隠されているものとは――

 

「この先にある遺産とは“篠ノ之論文”そのもの。ISVSどころかISの謎に迫るための情報の一部が眠っている可能性があるというわけだ」

 

 篠ノ之論文。これも以前に店長とセシリアが話していた。現在、ISでしか使えないとされているPICなどの技術もISコアなしで運用できるかもしれないというお宝だ。

 

「他のロビーでも同じような迷宮があったんですね?」

「その通りだ。当時はブリュンヒルデを筆頭にした探検隊を組織して内部を探索したよ。おかげさまで現在、ISは第3世代にまで発展している。篠ノ之束の後追いでしかないがな」

 

 言葉の端々に棘を感じるのは気のせいじゃない。俺は研究者だから漠然としかわからないけど、きっと束さんにバカにされてるように感じるんだろうな。俺や箒の場合はとっくの昔に束さんの人間性に慣れてるから、無駄に勿体ぶるとかしててもいつものことと思えてしまう。

 しかし……思ったよりも早く、ここに隠されてるものの正体がわかってしまった。簪さんは言ってくれなかったけど、彼女の目的も篠ノ之論文にあるんだと思う。どうも俺が知りたいこととは関係なさそうだ。

 後ろを歩くナナの隣に移動する。今から言うことが彩華さんに聞こえないよう耳元に顔を近づけた。

 

「ここまで来てなんだけど、この先に俺の用事はなさそうだ。引き返すのも面倒だからこのままログアウトしようと思ってるんだけど、ナナはどうする?」

「相変わらず自分勝手な奴だ。戻りたいなら勝手にすればいい。私は……姉さんが関わってることだから興味がある。それに今住んでいる家の地下にわけのわからないものがあるというのも不快だろう?」

「たしかに。じゃあ、俺はこのまま落ちるから後はよろしく」

 

 そろそろ夕飯の時間だし、というのもあって俺は帰ることにした。色々と考えるべきことが増えたけど、今の彩華さんの話を聞いて思い直した。

 やっぱり束さんのことを知るには千冬姉に話を聞くべきだろう。問題は千冬姉が何もかもを正直に話してくれそうにないことだけか。ま、そこは仕方ないから宍戸や店長を頼ってみるか。

 家に戻ってからの自分の予定を頭に思い描きながら、ログアウトの手続きを開始する。ところが、全く反応を示さない。

 

「2人ともストップ!」

 

 先を歩くナナと彩華さんを呼び止めると同時に、俺はISを展開する。自分で言うのもなんだが、もう既に反射の領域に入っている反応速度だった。

 

「どうした少年?」

「俺たちは今、ISVSから出られません! 近くにIllが居ます!」

 

 過去に俺はログアウト不能状態を2度経験している。1度目はイルミナントと初めて戦ったとき。2度目は簪さんが楯無さんに扮して襲ってきたとき。2度目は直接Illと遭遇していなかったけど、簪さんが敵の手に落ちていたことを考えるとあの場に居たことは居たのだろう。

 とにかく、異常が起きていることだけは確実だった。まずは今何が起きているのかを確認しないといけない。

 

「くっ……シズネにつながらん!」

「しまったね。シズネくんに限らず、地上の者と通話できない状態にあるようだ」

 

 ここに居るまま上の様子を知ることはできない。もしギドのときのようにIllが内部にまで侵入してきているのなら、今度はシズネさんがさらわれるだけじゃすまないかもしれない。

 俺は俺で簪さんと連絡を取ろうとするが通じない。まだこの迷宮の奥に居るのだろうか。

 

「引き返しましょう、彩華さん!」

「……いや、そうはいかない」

 

 簪さんのことは気になるけど、Illをどうにかするのが先決。

 しかし俺の提案に対し彩華さんは首を横に振る。

 

「何故ですか!?」

「よく考えたまえ、少年。君たちはこの地下にやってくる階段を見つけたが、これは最初からあったものかい?」

 

 慌てる素振りを見せない彩華さんから逆に質問を返された。

 なるほど。彩華さんは既に簪さんたちが迷宮に入ってることに感づいてる。入院していたのほほんさんの見舞いに通っていたほどの人だから、気になって仕方がないんだ。

 何故ならばIllがいるのは地上とは限らないから。もしかしたら、簪さんたちの後に、Illが侵入していった可能性もある。

 

「俺たちよりも先にIllが下に行ってるってことですか?」

「いや、流石に前のときのようなヘマはしていない。よほど強力な隠密性能を誇る単一仕様能力があるのならば別だが、もしそのような能力があるIllならば篠ノ之論文より先にナナくんを直接狙ってくるはず。連中はナナくんに固執していたからな」

 

 つまり簪さんたちがIllと遭遇してる可能性は低いのだと彩華さんは言っている。

 

「この迷宮を開けたのは簪くんだ。私に黙って篠ノ之論文を取りに向かったと思われる。だが彼女は篠ノ之束が残した防衛プログラムの存在を知らない。Illの“ワールドパージ”の中であれと戦えば、喰われずとも帰還不能で身動きが取れなくなってしまう」

 

 聞き慣れない単語があったけど今はスルーする。

 彩華さんが言いたいことはわかった。俺たちよりも先に迷宮に降りた簪さんはこの迷宮に潜んでいる篠ノ之論文の番人と戦っているはず。通常は負けてもゲームの敗北と同じように帰れるものでも、今の状況だと負ければ帰ってこられない。事実上、Illの被害にあったのと変わらない昏睡状態となる。

 問題の根本はIllにある。Illさえいなければ地下に向かった簪さんたちは放っておいても問題ないくらいだ。だから俺たちがすべきは地上に引き返して状況を確認し、Illがいるのならば撃退すること。

 だがそれらを踏まえても彩華さんは地上に戻ることに反対を示した。たぶん理屈じゃないんだと思う。部下に当たる彼女たちを不安にさせたくないという親心みたいなものなんだ。

 

「私は基本的に放任主義なのだがそろそろ管理職としての矜持も見せねばならん。独断専行した可愛い部下を連れ戻してくる。君たちは上に戻れ」

 

 彩華さんがISを展開する。体中に大筒を大量に搭載した砲撃型の全身装甲(フルスキン)はプレイヤーネーム“花火師”に相応しい機体だ。

 ここで2手に分かれるのに反対する理由はなかった。彩華さんの提案通り、俺とナナは戻るとしよう。

 だが、今度はナナが俺を手で制する。

 

「上は私1人でいい。ヤイバは簪の元に向かえ」

「どうしてだ?」

「……敵に倒されて無抵抗なままなのはとても怖いんだ。だから頼む。簪の力になってやってくれ」

 

 ……ギドとの戦いを思い出してしまったのか、ナナ。

 他ならぬナナの頼みとあっては断る理由もない。上にIllがいたとしても倉持技研所属のプロも居てくれる。ナナだけ行かせても大丈夫だ。

 

「任せとけ」

 

 ISを装着した俺と彩華さんは低空飛行で階段を降りる。

 

 

  ***

 

 

 一本道の迷宮を抜けると明るい広間に辿り着いた。ISでも十分に動き回れるアリーナほどの広さがあり、中からは砲撃の激しい戦闘音が聞こえてくる。

 戦闘――姿を見ずとも片側の陣営が誰なのかはわかっている。

 

「簪さん!」

 

 飛び込むと同時に叫んだ。俺の目に飛び込んできた光景は、両腕それぞれの巨大なENブレードを振り回す大柄なISの猛攻を雪羅のENシールドで懸命に防いでいる簪さん。彼女の足下には装甲が大破して倒れ伏しているのほほんさんの姿もある。

 簪さんは決して弱いプレイヤーなんかじゃない。のほほんさんの技量は未知数だが2人がかりで負けているということは敵はかなりの強敵だ。

 肝心の敵は全身装甲(フルスキン)……にしては人型から外れている輪郭をしている。肩と頭が一体化しているようなボディは拡張装甲(ユニオン)と言われた方がしっくりくる。だが俺の目測でも拡張装甲(ユニオン)が扱えるサプライエネルギーを越えたEN武器の使用を行っているようにしか見えない。

 

「アレは何なんだ……?」

「アレも篠ノ之束の遺産の1つ。まだ我々の技術が到達していない無人ISだ。篠ノ之論文を守るアレらを我々は“ゴーレム”と呼んでいる」

 

 彩華さんは見たことがあるらしい。他の迷宮で見かけたということらしく、ゴーレムと名付けていた。だったら相手はIllじゃない。最悪の事態にはならずに済みそうである。もっとも、Illが地上にいるということになってしまうが。

 

「少年。私がありったけの攻撃をゴーレムにぶつける。その隙に2人を連れてくるんだ」

 

 了解と答える間もなく彩華さんは体中についている全ての砲筒をゴーレムの巨体に照準していた。それだけ急いでいるのも、簪さんが耐えられる限界が近いため。俺は彩華さんの射線を避けるように回り込みながら簪さんたちの元へ向かう。

 数多の火器の発射音が不協和音を奏でる。耳を劈く爆発音はISが無ければ軽く鼓膜を破壊していたことだろう。センサが空気の激しい振動を感知している間に、鉄鋼弾と炸裂弾の群が頭のない巨人に殺到する。巨人は避けられず、銃撃の大多数をまともに浴びて爆煙に包まれた。

 

「2人とも、無事か!?」

「一夏くん……間に合ってくれたんだ」

「おりむ~、ひとりじゃ動けないよ~」

 

 2人ともとりあえず無事だった。といってものほほんさんの方はISが機能停止していて動けない状態。誰かが手を貸さないと移動もできない。

 のほほんさんがこの状態になってるってことはもう簪さんは現状を把握しているはず。まさか篠ノ之論文のために無茶をしようなんて考えてないよな?

 

「簪さんはのほほんさんを連れて入り口まで撤退してくれ。俺が殿(しんがり)を引き受ける」

「ごめん……お願い」

 

 これで最前線の入れ替えを完了。ほぼ戦闘不能になっている2人は入り口に控えている彩華さんの元へ真っ直ぐ向かっている。

 あとはゴーレムの行動。彩華さんのISの一斉射撃は俺の白式がまともに喰らえば一瞬でストックエネルギーが蒸発する規模だが、見るからに重量級なゴーレムを倒せているなどと楽観するつもりはない。

 煙が晴れるとそこには――ほぼ無傷のゴーレムの姿があった。

 

「硬そうなのは明らかだったけど、ダメージ無しかよ。まあ、装甲の塊だし。物理的な耐性が無茶苦茶高いってことはやっぱ弱点はEN武器ってとこだよな」

 

 彩華さんの一斉射撃は自分の弾を自分で消さないためにEN射撃を交えることはできない。全て実弾であるから装甲の硬い相手とは相性が良くない。

 逆に俺の武器は雪片弐型(ENブレード)のみ。ISはその特性上、物理属性かEN属性のどちらかには弱いはず。

 雪片弐型、展開(オープン)。ゴーレムの体は攻撃した彩華さんを向いている。今なら敵の迎撃の前に俺の攻撃を届かせることができる。

 イグニッション――

 

「待て、少年! 不用意に近づくな!」

 

 ブースト。

 厳密には人型ではないゴーレムだが、四肢の配置は人のそれに近い。真後ろを取れた俺を正確に迎撃するには体を反転させる必要がある。簪さんを攻撃していたときに見たゴーレムの腕の振り程度では俺の速さに間に合うはずもない。

 彩華さんの制止の声は飛び出した後で聞こえた。倉持技研の研究者である彩華さんだがIS戦闘に関してはプロフェッショナルではない。だから俺の腕を見誤ってるんだろう。

 

 ……だなんて考えた俺が甘かった。

 

 後少しで雪片弐型が届くという距離に迫ってもゴーレムは迎撃の素振りすら見せない。貰ったと確信して腕を大きく振り上げる。

 ところが俺の体はゴーレムから2m圏内より先に踏み込めない。まるで強烈な風が吹き付けてくるよう。俺をひたすらに押し続ける目に見えない力はPICでは無効化できず、俺は逆方向に弾き飛ばされた。

 

「うわっ! な、何だよ、今の!?」

 

 初めて受ける攻撃だ。ラウラのピンポイントAICのように動き自体を止めるものとは違う。ダメージはほぼ皆無だったけど、嘘みたいな斥力が俺をゴーレムから引き離していた。

 ゴーレムの右腕が俺に向く。ENブレードではなく、手の平には砲口と思しき穴。考えるよりも先に体が動いた俺がその場を飛び退くと、赤紫の太い光線が床を薙ぎ払う。

 ふわりと上に飛んだ俺にまだゴーレムは追撃を入れようと腕をこちらに向けてくる。今度は手の平ではなく指。それら全てには銃口と思しき穴が開いている。

 ……マシンガンだったらかなりやばい。

 

「一夏くんも急いで戻って!」

 

 万事休すのタイミングに荷電粒子砲による援護射撃が来てくれた。EN属性の射撃がゴーレムの左腕に命中。装甲の塊であるはずのゴーレムだったが一撃で破壊はできていない。しかしノーダメージというわけにはいかなかったようで左腕が凹み、錐揉み回転して地面に倒れた。

 もっとも、すぐに起きあがるのは目に見えている。追撃を入れるのはただの無謀だから俺は素直に入り口に引き返すことにした。ゴーレムとのスピード競争は明らかに俺が勝てる。後ろから撃たれることもなく、簪さんたちの元に戻ることができた。

 

「よく戻った、少年。急いで引き上げるぞ」

「アイツはこのままでいいんですか?」

「今までと同じならば、迷宮から逃げた相手を追うような真似はしないはずだ。もし追ってくるようならば上まで連れて行き、ENブラスターの集中砲火で瞬殺すればいい。1機ならばそこまで苦戦する相手でもないからね」

 

 十分に苦戦していた俺としては彩華さんの最後の一言には賛同しかねる。

 ……ん? 1機ならば?

 

「もしかして、あのゴーレムってたくさん居るんですか?」

「そのはずだ。アレは入り口に立つ門番でしかない。奥に行けばうじゃうじゃ出てくるものだと思ってくれ」

 

 ほんの十数秒の戦闘だけだったが、明らかに俺単独だと負けていた。今ここにいるメンバーで挑んだところで篠ノ之論文を手にするのは夢のまた夢。

 この迷宮を攻略するのがどれだけ困難(無理ゲー)か理解させられた。あと、攻略した経験のある千冬姉の凄さも。その千冬姉が一緒に戦ってくれるんだから、今後のIllとの戦いもかなり楽になるんだってことも今更になって実感した。

 

 俺たち4人は階段を上っていく。彩華さんの言うとおり、ゴーレムは上にまで追ってこなかった。負けてもリセットが効くゲームでないととても戦えたもんじゃない。ログアウト不能の状態では迷宮とやらには近寄らないのが無難だった。

 何にせよ、今の俺たちが挑むべきは迷宮ではなくIll。下にいなかったのだからナナの向かった地上にIllが攻めてきているはず。俺がいなくてもどうにかなっているとは思うけど、できるだけ急いで戻らないと。

 

「あれ~?」

 

 急にのほほんさんが疑問の声を上げる。急いでいるところだけど、彼女が何か異常を察知したかもしれないから無視はできない。先頭を飛んでいた俺は簪さんに担がれているのほほんさんの様子を見るために振り返る。

 のほほんさんは光に包まれていた。その輝きは見覚えがある。敗北したプレイヤーが現実に戻されるときの転送の光だと認識した頃にはのほほんさんの体はISVSから消えていた。

 俺はすぐに確認する。今、現在、ISVSからの離脱は――可能だった。

 

「良かった。Illは無事撃退されたみたいだな」

「うん……でも、私たちじゃゴーレムを倒せない。篠ノ之論文はしばらく諦めるしかないね」

「なあに。エアハルトの野郎をぶっ飛ばした後にでも、皆を連れてゆっくりやればいい」

 

 残念がっている簪さんには悪いけど俺には篠ノ之論文なんてどうでもいい。俺が知りたいのは束さんの技術じゃなくて、束さんの真意だ。どちらにせよエアハルトを倒すことには変わらないけど、もしかすると俺は束さんと戦わなきゃいけないかもしれない。できればそうなりたくないけど、今は何とも言えない状態だ。欲しいのは確信だけ。

 

「あれ? ところで、彩華さんは?」

「……知らない。もしかしたら戻ったのかも」

 

 のほほんさんがログアウトして、簪さんと話しているうちにいつの間にか彩華さんの姿がなかった。彩華さんのISは機能停止していなかったから強制転送はされない。自分の意思で離脱したのか、それとも迷宮へ戻ったのか。

 もし彩華さんが迷宮に戻ったのだとしても帰ってこれるなら何も心配する必要がない。どうせ俺たちが援軍に行ったところでゴーレムを突破できないんだから素直に地上に戻ればいい。

 

 そして何事もなく地上に帰ってきた。今まで最深部とされていた部屋に足を踏み入れると、ちょうど入り口側からナナが入ってきたところである。もうIllがいなくなった後だというのにナナは紅椿を装着したまま慌てた様子だった。階段から顔を出した俺たちと目が合うとイグニッションブーストで目の前にやってくる。

 

「無事だったか、ヤイバ!?」

「あ、ああ。ってそれはこっちのセリフ――」

 

 ナナには今にも迷宮へ飛び込んでいきかねないだけの勢いがあった。流石にオーバーアクションが過ぎる。普通のプレイヤーはIllが絡まなければ危険はないとナナも良く知っているはずなのに……

 つまり、今の彼女には迷宮側にIllがいるという認識があるということになる。

 なぜそうなっているのか。ナナの口から聞く前に俺は答えを得た。

 

「まさか地上にIllは現れていないのか?」

「ああ。シズネに確認したところ、Illどころか敵対するISの1機すらいなく、平和そのものだったらしい。まさかそっちもなのか!?」

 

 だからこそ謎は深まる。迷宮で俺たちが体験したログアウト不能現象はIllと相対したときのものと全く同じだった。なのに、どこにもIllはいなかった……?

 

「1つ補足しておこう、少年。先ほど私は本音くんの帰還を確認した後、迷宮の方へと戻った。そこでログアウトを試みたができなかったよ」

 

 やれやれと肩をすくめながら彩華さんが階段から姿を見せる。改めて迷宮に挑戦しに行ったのではなく、可能性を潰すために調べたかったんだ。

 彩華さんから(もたら)された情報は1つの結論を導き出すのに十分だった。そして、それは俺にとっては都合が悪い方向に事態が進んでいることにつながっている。

 

「ここの迷宮はIllと同じ、あるいは類似した力を持っている」

 

 ゲームをゲームでなくす悪魔のような力を持つIll。

 迷宮を作った束さん。

 この2つにつながりができてしまった瞬間だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 都会の夜景が見渡せる高級ホテルのスイートルーム。開放感のある大きな窓の脇に置かれたソファに腰掛けているバスローブ姿のスコール・ミューゼルは、煌びやかな金髪を指に絡ませながらもう片方の手で携帯端末を操作する。

 ディスプレイに表示されているのはメールの文面。仕事が順調であるという進捗報告が最初に一行だけあり、残る長文は全て日記のような私生活が赤裸々に書かれていた。スコールはその全てに目を通すとフッと小さく笑う。

 

「予定は滞りなく。邪魔者はまとめてオータムが片づけてくれる。私も私の仕事をしないといけないわぁ。そう思わない、ヴェーグマン?」

 

 用の済んだ携帯端末をテーブルに置くと、スコールは部屋の入り口に突っ立っている銀髪の男、エアハルト・ヴェーグマンを見やる。名前を呼ばれたエアハルトは不服そうに眉をひそめた。

 

「私は貴女と違って忙しい。ギドが敗れた今、ILL計画を遂行するためには新たな柱を示さねばならない」

「その柱はもう在るでしょう? ブリュンヒルデになれなかった(さなぎ)が蝶になったのは知ってるの」

「アレはまだギドには遠く及ばない」

「私も同じ見解よ。“まだ”あの子は頂点には立てない。経験を積まないとね。私だったら成長の場を用意できるのだけど――」

 

 何故自分が呼び出されたのかエアハルトは理解できていなかったがようやく納得する。

 同じ組織に属している人間が気の許せる仲間とは限らない。

 一方的な要求を通すために単身で呼び出しておいて、断れば脅迫に移行する。

 スコールの行動は理に適っているとエアハルトは他人事のように感心した。

 

「なるほど、理解した。彼女のことはミス・ミューゼルに一任するとしよう。ウォーロックから受け取るといい」

「そう。ついでだから例の新作量産機の試し撃ちもしてきてあげる」

「“ミルメコレオ”か。あれは今の私にはまだ必要ない。好きに使え」

 

 スコールの要求を飲む。元々エアハルトにとってダメージとならない事案だった。断る理由は何もなく、むしろ渡りに船といえる。

 これで用は終わりだとエアハルトは背中を向ける。ところがドアのロックが外れず、部屋から出ることができない。

 

「折角来たのにもう帰るつもり?」

「生憎だが私には貴女と談笑する余裕などない。失礼する」

 

 次の瞬間、部屋の主の意思に反してドアのロックが解除される。短時間でエアハルトがホテルのシステムに侵入して開けさせたのだった。

 足早に立ち去るエアハルトを止める術をスコールは持たない。目的は達したというのに不満げな顔を隠さず呟く。

 

「あの坊や、つまんないわぁ……」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 予定よりも長くISVSに居座ってしまった。

 結局、あの後はナナが居る前で話を続けられなかった。昔から頭が良かった彼女のことだからきっと俺が何を隠したがってるのか気づいてるんだろうけど、言わないでいてくれる。本当は俺が逃げてるだけかもしれないけど、まだ向き合う勇気が俺にはなかった。

 彩華さんとは改めて現実で話をしよう。できれば千冬姉や宍戸も交えて、昔のツムギが守っていたという束さんについての話も聞きたい。

 

 と意気込んでも明日以降にしか無理な話だから今日はもう休もう。

 腹が減ったけど、帰ってくるのが遅かったからもう俺の分の夕食は残ってない。台所から声はなく、セシリアたちは皆、自分の部屋に戻ってるようだ。

 わざわざチェルシーさんを呼んで食事を用意させるのも気が引ける。今日は久しぶりに自分で料理でもするかな。

 照明のスイッチを入れて台所に入る。最近はチェルシーさんが管理しているため、新品同様に綺麗なキッチンだ。

 

「ん? もしかして今日の残り物か?」

 

 綺麗だからこそ目立つのは、大皿に乗ったチーズケーキ。ラップすらかけられずに放置されているが美味しそうだ。八等分に切り分けられていたようだが食べられているのは1切れだけ。デザートを食べるだけの腹の容量が足りなかったんだろう。

 ぐーと腹が鳴る。何か作るにしても軽く腹を満たしておいた方がいい。どうせ残り物だから俺が食っても文句は言われないだろう。

 

 俺はチーズケーキを1切れ手に取ると即座にかぶりついた。

 

 …………。



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30 お父さんパニック

 なぜか昨日の夜の記憶が朧気で頭が痛いけど、重要なことは忘れてない。

 昨日、俺は簪さんと示し合わせてクーとツムギに隠された迷宮の調査を行なった。その結果、クーがAIとは思えない反応を示し、迷宮の奥には防衛システムの一部であるゴーレムが存在することが発覚した。

 一番の問題はツムギの迷宮ではIllと戦闘するときと同じログアウトできない現象が発生するということ。束さんが関与している場所にIllの影がチラツいているのは気になって仕方がない。

 千冬姉には朝にそれとなく束さんが敵の可能性があるか聞いてみたけど、寝言は寝て言えと返された。言った本人が寝起きで寝言みたいだったとはいえ、束さんが敵とつながっている可能性を無いと断言している辺り、信頼しているのは間違いない。俺の考えすぎなのかな。だったらいいけどさ。

 

 始業前の朝の教室にやってきた。今日は珍しく数馬や鈴の姿がなく、代わりに弾がいる。今日の放課後に雨が降るのは決定事項らしい。

 

「おっす、弾! 虚さんにフラれでもしたのか?」

「そんな状況だったら学校に来てねえよ!」

 

 学校に来られないくらいに精神的ダメージを負っているからなのか、虚さんに土下座しに行ってるからなのか……この男の場合は後者な気がする。

 

「なるほど。五反田は女々しい男なのだな」

「俺が男らしさを見せるのは虚さんの前だけだ。お前に惚れられると色々と困るし」

「万が一にもありえんから要らぬ心配をするな。鏡を見て出直せ」

「二頭身の奴に言われるほどひどいのか、俺の顔!?」

 

 今日も俺の肩にはモッピーが乗っている。弾には初日から紹介してあって、最初は遠慮がちだったモッピーも今では容赦ない言葉をぶつけている。これも弾の魅力ってとこだ。

 クラスの中でモッピーの正体を知ってるのは俺と弾、セシリアと鈴、あとは数馬だけ。他の連中には高性能なロボットだと言ってある。企業の試作のテストをしているとセシリアが説明したら全員が納得していた。金持ちのイメージってすごい。

 

「ところで、弾。聞きたいことがあるんだが――」

「ん? 俺に聞くってことはISVS関連だな。言ってみろ」

 

 流石は弾。凹んでても立ち直りが早い。鈴にノックアウトされたときも目を離した隙にピンピンしてたし。この回復力がISVSでワンオフ・アビリティとして発現したりすればいいのに。

 ともかく、歩く攻略本と言われてる弾なら昨日のゴーレムにされた現象が既存のものであるか確認できる。俺は携帯を取り出すと、簪さんが記録していた戦闘映像を表示して弾に見せた。

 弾はこの上なく映像に集中する。その様は仕事人。

 

「フレームは見覚えがない。装甲の総量は拡張装甲(ユニオン)だがミューレイ製ENブレードの“デュラハン”と同規模のEN武器を2つ同時に扱っている点から全身装甲(フルスキン)以上のサプライエネルギー量があると推測できる。というか中に人が入ってないのにリミテッドじゃない時点で色々と規格外な奴だな」

「変な無人機だってのは簪さんも言ってた。お前に見て欲しいのは最後に俺がされてたことなんだけど」

 

 それは俺がゴーレムを後ろから攻撃しようとしたときのこと。強烈な風圧のような物が感じられ、近寄ることができずに吹き飛ばされた。

 

「IB装甲のことか。ってか簪さんって倉持技研の研究者なんだろ? 教えて貰わなかったのか?」

「あ、そういやそうだな。まあ、今となっちゃ弾から聞いた方が早い。IB装甲って何?」

「IBってのはインパクトバウンスの略でISに使われる装甲の一種だ。原理までは俺も知らねえが、ISコアからエネルギーを供給すると周囲の物質に強力な斥力を与えることができ、その斥力は自機の管理下にあるものには働かない。衝撃砲の防御版みたいなもんで物理属性に滅法強くなるが、一方でサプライエネルギーを圧迫するためEN武器の運用はおろかシールドバリアの軽減能力や本体の機動性も大幅に下がる」

 

 装甲の一種ということは打鉄に使われるようなスライドレイヤーとかの類ということか。でもデメリットが明らかに大きくて好んで使うプレイヤーはいそうにないのが良くわかる。

 ただし、ユニオンなら採用の余地があるかもしれない。ENブラスターで狙い撃ちされると厳しいだろうけど、ENブレードに対して抵抗力が生まれるから俺みたいな相手には効果を発揮する。昨日はそれを実演された形になっていた。

 ましてやあのゴーレムはIB装甲のデメリットが薄そうだった。単純に強い機体であると考えた方がいいか。対策は彩華さんの言っていたようにENブラスターの数を揃えて集中砲火するのが手っ取り早い。

 俺が迷宮に挑戦するようなことはないだろうけど、もし敵にIB装甲持ちが現れたときにはENブラスターか荷電粒子砲持ちを頼ることにしよう。

 

「IB装甲は最近になって登場したもんだ。近距離機体の天敵で遠距離EN武器のカモとだけ理解しとけばいい代物だが、一夏にとっては厳しいな」

「心配は要らないぞ、五反田。もし敵がそのIB装甲とやらを使ってきても、私の紅椿には穿千(うがち)がある。一夏が無理に相手をするまでもない」

 

 モッピーがふんぞり返る。彼女の言うとおり、ナナの紅椿は多種多様な強力武器を瞬時に使い分けることができ、さらにエネルギー切れの問題すらない。

 ……どう考えても彼女ひとりでなんとかできることの方が多いだろうな。

 

 俺の疑問が一段落ついたところで教室にセシリアと鈴が入ってきた。最初の頃は険悪だった2人だけど今では良く一緒にいるのを見かける。昨日も一緒に帰ってたし、俺の家で何か話してたらしい。仲がいいのは良いことだ。

 

「ごきげんよう、一夏さん、弾さん」

「おはよう、セシリア、鈴。今日は2人揃っての登校か。珍しいな」

 

 セシリアと鈴に挨拶を返す。ところが、

 

「アンタねぇ! 昨日倒れたって聞いて飛んでったのになんで家にいないのよ!」

 

 鈴に怒られてしまった。よく理由がわからない。助けを求めてセシリアを見つめる。

 

()()()()()()()、一夏さんは昨日、台所で気を失われてしまったのです。それを今朝になってシャルロットさんが鈴さんに伝えてしまわれて、一夏さんが家を出た後に訪ねられたというわけです」

 

 前置きとして『原因不明ですが』をやたらと強調しているのは何故だろう? それに台所で気を失ったって何の話だ? 今朝、俺はちゃんと自分の部屋のベッドで目覚めたし……寝る直前の記憶は無いけど、思いだそうとすると頭が痛いからやめておこう。

 ともかく、俺は鈴に心配をかけたらしい。

 

「ありがとな、鈴」

「ふん、礼なんて要らないわよ」

 

 この程度は礼をされるまでもない当たり前のことってわけか。たぶん鈴のファンクラブは容姿じゃなくて人柄によって生まれたんだ。

 

「ところで、一夏さん? わたくしから大事なお話があるのですが……」

「ど、どうしたんだ、改まって……?」

 

 前に似たようなことを言ってたときは申し訳なさそうにしていたのに、今のセシリアは何故か満面の笑みを俺に向けている。この違いが何なのか具体的に言えないけど、俺は本能で危険を感じ取っていた。笑顔とは本来、威嚇の表情であると誰かから聞いた気がするがおそらくその類。そして例によって例のごとく、俺には彼女を怒らせた心当たりが全くない。

 俺はビクビクしながら彼女の“お話”を待つ。

 

「昨日、わたくしがいない状況にもかかわらず、また危険を冒したそうですわね? 大事には至らなかったそうですが偶々運が良かっただけとも言えます」

 

 まだ昨日のことは千冬姉にも話してないのにいつ知ったんだろ……?

 とりあえず俺が昨日ゴーレムと戦ったことを咎めてるのはわかった。負けたらそのまま帰ってこられていない可能性があったことまで把握してるっぽい。

 けど俺にも言い分はある。

 

「いや、危険だとは思わなくて」

「たしかに想定外のトラブルであったことは認めましょう。ですが、国家代表クラスですら困難な迷宮攻略をしようというのにわたくしに声をかけないとは何事ですか!」

 

 珍しく声を張り上げて俺に詰め寄ってくる。急な予定変更だったからセシリアに話を通していなかったのは事実。セシリアと組んだときの方が戦闘に勝てるのも事実。だけど今回ばっかりは予知能力者でもないとセシリアを無理に連れて行こうとは思わない。

 隣で弾と鈴が『迷宮って?』と首を傾げている。昨日聞いた限りだと篠ノ之論文が関わるものだ。よく考えなくても一般プレイヤーに企業がミッションとして丸投げするようなものじゃない。弾が知らないのだから一般的なISVSの話じゃないのは確定だ。

 

「そもそも俺は迷宮のことすら昨日が初耳だった。簪さんも難易度までは把握してなかったみたいだし……むしろ簪さんすら断片的にしか知らなかった迷宮のことをどうしてセシリアが知ってるんだ?」

「……この話はここまでにしておきましょう」

 

 セシリアが目を背けた。これは相当後ろめたいことをしたんだろう。俺たちが初めて会ったときに相手の目を見て話せないのは真摯でないからだとか言ってた彼女の脳天にブーメランが刺さっている。

 まあ、俺としてはセシリアの情報源という危ない話に踏み込むつもりなどない。けどそれはそれ、これはこれということで迷宮の話自体は続ける必要がある。

 

「打ち切る前に迷宮にも関係することで質問があるんだけどいいか?」

「この場で話せることでしたらどうぞ」

 

 始業前の教室にクラスメイトが半数ほどいる。幸村を始めとしてクラスの連中にも藍越エンジョイ勢が何人かいるし、そもそもISVSと関わりのない生徒には聞かれても問題ない。モッピーも絶賛稼働中であるが、束さんを疑う話をするわけでもないから大丈夫。

 

「迷宮が危険だったのはIllと戦うときだけに起きていたログアウト不能現象が迷宮の中でのみ発生したからだ。彩華さんの見解だと迷宮がIllのワールドパージを模倣してるってことなんだけど……」

「一夏さんたちが遭遇したゴーレムは他の迷宮で出現した個体と同じものだったようですから、ゴーレムがIllだったとは思えないという判断でしょう。わたくしも同様に考えます」

「それは俺もわかってるつもり。聞きたいのはもっと単純なことでさ……“ワールドパージ”って何?」

 

 昨日、ぽろっと彩華さんが口走った専門用語がわからなかった。後で聞こうと思ってたのに聞き忘れて今に至る。

 一応、俺の中ではなんとなくわかってる。簪さんに電話で確認せず、セシリアに聞こうと思ったのもそれが理由。

 

「前にお話しませんでしたか?」

 

 やっぱりそうか。セシリアは既に俺に話したつもりになってるけど、俺は3つ中、2つしか聞いてない。

 ワールドパージとはつまり、

 

「3種類に分類されるワンオフ・アビリティの内の1つってわけか。ちなみにセシリアからはイレギュラーブートとパラノーマルの2つしか聞いてないからな」

 

 セシリアが説明し損ねていたワンオフ・アビリティ最後の1種。

 イレギュラーブートが条件を満たして発動する必殺技的な能力。

 パラノーマルがISの基本性能を底上げしたりする常時発動する能力。

 これらに対してワールドパージとはどのような能力なのだろうか。

 

「わたくしとしたことが……中途半端なまま一夏さんを放置していたなんて。では説明させていただきますわ」

 

 1週間以上も間を空けてセシリア先生によるワンオフ・アビリティ講座が再開される。ISVS関連の話だがワンオフ・アビリティに関しては一般プレイヤーが情報を持っておらず、弾の管理するWikiにも情報は載っていない。だから聞き手は俺1人というわけでもなく、弾も興味津々である。

 

「まず言っておきたいのですが、ワールドパージは希少な能力です。というのも国家代表候補生以上の操縦者でワールドパージに該当するワンオフ・アビリティを発現している者が1人もいないのです。どうやら公に顔を見せていないランカーが持っているようですが、わたくしは把握しておりません」

 

 モンド・グロッソにも出ていないワンオフ・アビリティか。でもってIllが標準装備している能力もそのワールドパージであると彩華さんは見ているということになる。

 

「ワールドパージは他の2つと違い、ISではなく世界自体に働きかける力とされています。具体的には『コア周辺の一定距離以内の範囲を創り変える力』と定義してありますわね。Illの能力も『プレイヤーのログアウトを禁止する』というルールを一定の範囲内に課しているのだと解釈できます」

「世界を……創り変える……?」

「ルールから変えるとかチートにも程があるじゃねえか……」

 

 またまた規模のでかい話だ。必殺技とか能力アップとかが小さく思えてくる。弾は弾でシャルみたいに実際に対戦を想像して苦悩している。

 そんな俺たちとは対照的に鈴はあっけらかんとしていた。

 

「要するに結界を作る能力でしょ?」

 

 ゲームっぽい単語でまとめられると急に規模が小さく思えた。言葉の力ってすごい。

 セシリアも鈴と同じように悲観的ではなかった。だから俺と弾が勝手に超スゴい能力と早とちりしたってだけなんだろう。

 

「ワールドパージの効力は絶大でイレギュラーブートやパラノーマルよりも優先される上位の能力だそうですが、空間自体に働きかけるという特性上、能力の対象が自機も含めた全てとなります。極端な例を挙げますが、『EN武器の使用ができない』というワールドパージがあったとすると能力保有者自身もEN武器を使えないことになり、必ずしも一方的に有利な状態となるとは限りません」

「諸刃の剣ってわけか」

 

 敵味方両方に無差別に効果を発揮する。使い方を誤れば逆に窮地に陥ることも考えられる。こちら側に使い手がいない以上、もし戦闘で関わるとすれば敵側に出てくることになる。その場合、なんとかしてその能力を逆手に取れればいいんだけど……まあ、そう上手くはいかないだろう。

 肝心のIllに関してはIllにとってマイナスにならない能力だからワールドパージのデメリットを戦闘に活かせることもない。諦めよう。

 

 

  ***

 

 昼休みとは平日の小さなオアシスである。煩わしい授業から一時的に解放されて空腹も満たせる大切な時間である。これは一生徒に与えられた権利であると俺は主張したい。

 そう言うのも……俺が今、理事長室の前にまで来ているからだ。当然、俺の意思で出向いたわけじゃない。昼休みになった直後に校内放送で呼ばれてしまったからだ。……しかも宍戸に。あの先生に()()と強調されてしまっては昼飯を食べる時間も後に回さざるを得ない。

 ちなみに俺1人だけである。モッピーを肩に乗せたまま来ようとしたらセシリアに『流石に失礼に当たると思いますので、わたくしがお預かりしておきますわ』と取り上げられた。ご尤もな話なので特に文句はない。

 

「それにしても何で理事長室? たしかここって実質的に来客の対応をするだけの応接室になってるんじゃなかったっけ?」

 

 わからないのは俺を呼びだした場所だった。宍戸が俺に何かしらの用があるということ自体は別に変わったことじゃない。自分で言うのもなんだが誰の目から見ても『また織斑が何かやらかした』程度で軽く流すような話題だ。最近の場合はISVSについての可能性もありえる。しかし、いずれにしても理事長室なんて場所を使うだけの理由がない。

 となると考えられるのは来客という点。藍越学園外部の人間で、俺を訪ねてきて理事長室に通されそうな人というと彩華さんくらいしか思い当たらないけど、あの人が学校を通して俺に接触してくる理由が全く思いつかない。

 考えても埒があかないから理事長室に突入するしか道はなさそうだ。宍戸が絡んでるからエアハルトからの刺客ってことはなさそうだし。

 というわけでノックする。

 

「先生、織斑です」

「よし、来たな。入れ」

 

 入れの一言だけかと思ったが、宍戸がわざわざ扉を開けて俺を中に招き入れる。まるで俺が客であるかのような宍戸の行動は明らかにいつもとは違う。

 部屋の中に足を踏み入れる。理事長室だけあって絨毯に机、照明に至るまで高級感があふれつつも煌びやかとは言わない粋な品物ばかりだ。

 まるで藍越学園でないような別世界には宍戸の他に1人の男が居る。黒いソファに腰掛けている40~50代と思われる痩せ気味の男で、縁が朱色のメガネと金髪が目を引いた。顔立ちはどう考えても西洋系である。少なくとも地元密着を謳い文句にしている藍越学園の理事長という風貌ではない。

 俺に用があるというのは宍戸ではなくこの人なのだろうか。俺と話をしたいなら日本語でお願いしたい。割と切実に。

 

「君が一夏くんだな? 話は聞いている」

 

 西洋人男性が話しかけてきた。良かった、日本語だ。もし宍戸が通訳として間に入ってたらその方が精神的にきつかったので助かった。

 しかし、この人は俺の何を聞いているんだろうか。ヤイバの名前だったら外国人に知られていても不思議じゃないんだけど、一夏としての俺は世の中に知られるような活躍なんてしてない。

 

「たしかに俺は一夏ですけど……あなたは?」

「これは失礼した。私がアルベールだ。今日この藍越学園に来たのは他でもない。君の顔を見るためにやってきた」

「は、はぁ……」

 

 アルベールさんはニッコリとご機嫌な様子。顎に手を当てて俺の顔をじっくりと値踏みするように観察してきているが敵意は感じ取れない。対面のソファに腰掛けるように促してきたので素直に従う。

 

「土産も持ってきていたのだが、そこにいるエセ教師に持ち込みを拒否されてしまった。重ねて詫びよう」

「当たり前です。むしろこのような時間に訪ねてくる無神経さを謝罪すべきです」

 

 唐突に学園教師である宍戸をエセ扱いしだした。客として応対している宍戸の方もお茶を出したり語尾がですます調だったりしつつも発言内容は容赦がない。2人が見知った仲なのは明白である。

 なるほど。この人は旧ツムギのメンバーなのか。

 

「私は一夏くんと話をするために少ない時間を割いている。エセ教師は黙って隅に引っ込んでいなさい」

 

 驚くことに宍戸が俺のところにも茶を置くと本当に黙って引き下がった。単なる仲間ではなく上下関係があるようだ。

 旧ツムギで宍戸よりも偉い人。もしかして、この人がISVSを作ったというクリエイター?

 ……ってクリエイターは死んでるからそんなはずないじゃん。

 少ない時間を割いているとわざわざ言うってことは普段から忙しい人なんだろう。そんな人がなんで俺に会いに来たんだろ。こういうときセシリアが隣にいてくれると心強いんだけどなぁ。

 

「先ほども言ったがISVSにおける一夏くんの活躍は聞いている。亡国機業の生み出した忌まわしき生体兵器を2度も討伐した。流石は“織斑”の息子と言ったところか」

「父さんは俺が小さい頃に死んじゃったみたいなんでよく知らないんですけど、俺がIllを倒せたのは父さんの息子だからじゃなくて周りにいる皆のおかげです」

「見込みどおりの男で嬉しい限りだ。試すまでもなかった。君があの自己中(織斑)の息子であるはずがないと前言撤回しよう」

「え? 俺、父さんの息子じゃなかったの!?」

 

 ついていけてないけど俺はアルベールさんに試されていたらしい。結果は合格だったらしいけど、まさか俺が父さんの息子ではないと言われるとは思わなかった。いや、伝え聞いた話だけでも変な人だとは思ってたけど。

 

「奴の息子だと聞いて人間性の欠落を危惧していたがただの杞憂だったようだ。それがわかっただけでも今回の来日は有意義なものとなった」

「ア、アルベールさんから見て、俺の父さんはどんな人だったんですか?」

「口が回り、狡賢(ずるがしこ)く、手段を選ばずに目的を遂行する悪魔のような男だ。さらに、その目的が気まぐれで決まるものだから手に負えない」

 

 今までと違ってかなり低評価だ。少しだけこれ以上先の話を聞くのが怖くなる。

 

「ぐ、具体的には?」

「気に入らないからという理由で、当時、私が交際していた女性にあることないことを吹き込んだのだ。それが原因で私はフラれてしまった!」

 

 ……思ったよりもしょうもない話だった。そんな真似をした父さんも、未だに根に持っているアルベールさんも大人げない。年相応に落ち着いている人という第一印象は脆く崩れ去った。昔のことを思い出したアルベールさんは気が立っている。

 

「なんか……すみません」

「一夏くんが謝ることではない。全てはあの男が悪いのだ」

 

 これは相当仲が悪かったんだろうな。たしか旧ツムギは“織斑”を慕っていた人たちで創った組織だって聞いてたんだけど、この人は全く当てはまらない。本当に旧ツムギのメンバーか?

 熱くなっていた自分にハッと気がついたアルベールさんは「いかんいかん」と首を横に振る。

 

「これまた失礼した。奴の話など誰も得しない。今はこれからについて話すべきだろう」

「そうですね。俺もアルベールさんの見解を聞いてみたいです」

 

 やっと真面目な話に入る。旧ツムギの中でも宍戸や店長とは違った考えの人が、今後どうするべきだと考えているのかは純粋に興味がある。宍戸がこの人を俺に引き合わせたのも何か考えがあるはずだし。

 

「まずは現状が知りたい。君は何人の女性と交際している?」

 

 ……はい? いきなり何を言ってるんだこの人は!?

 

「部下に調べさせた情報によれば、君は現在複数の女性と同棲しているとなっている。それは事実かな?」

 

 話は聞いているって言ってたけどそこかよ!? 千冬姉にはスルーされてるけどツッコまれると倫理的に厳しいところ。これって俺は認めていいのか?

 チラっと宍戸を目で探す。セシリアのいない今、俺が頼りにできるのはあの教師しかいない。

 ――あの野郎。この状況を面白がってやがる。

 口元を押さえて笑いを堪える宍戸に無性に腹が立った。

 

「一緒の家に住んでるのは事実ですけど、ホームステイだったり、お金の節約で宿を貸しているだけです」

「とぼける必要はない。英雄、色を好む。その逆もまた然りで、女性も英雄に惹かれるものだ。何も恥ずべきことはなく、君はただ誇ればいい」

 

 本気で頭が痛くなってきた。この人は何を言ってるんだろう?

 そもそもこれからの話にどう関係しているのかさっぱりだ。幸村みたいに学校で敵を作らないよう注意を促してくれてるようにも思えない。

 

「君は節操がないと自責の念に駆られているのかもしれないが私は非難しない。人の想いにまで競争という枠を作ってしまっては必ず不幸が存在してしまう。私は枠に嵌まった狭い人間よりは、君のように多くの者を受け入れる人間の方が好ましく思う」

 

 ついには語り出しちゃったよ。

 要約すると、自分を慕ってくる女性を拒まず全て受け入れる方が悲しむ人間が少なくてすむというハーレム推進思想である。

 いや、それ悲しむ人間の方が多いんじゃないだろうか。

 

「俺は誠実な対応をした方がいいと思いますけど――」

「もちろんだ。一夏くんならば私の娘も悲しませないと信じている」

 

 …………へ? 今、なんて言った? 娘?

 聞き逃せなかった単語を頭の中で反芻させる。もう冬だというのに急に汗ばんできたのは冷や汗というものだろうか。

 

「電話口で娘がな……一夏くんの力になりたいと嬉しそうに話すのだ。あの子は今、事情があって休学している。すぐに戻る必要はないと後押ししたのだが、内心は不安で張り裂けそうだった。だが君を見て私は安心した」

 

 今更になって疑問に思った。

 俺の家には現在3人の同い年の女子が住んでいるのだが、かれこれもう1週間以上もいる。

 1人はホームステイと称して俺の護衛に来た代表候補生。

 1人は長期休暇を取って日本に来た軍人。

 あと1人は……長期滞在できる理由がなかった。今、聞いた休学というキーワードが当てはまるのは彼女だけ。

 俺は思い違いをしていたのかもしれない。この人は旧ツムギのメンバーでなくても、ISに深い関わりを持っている。宍戸が表向きは丁寧な応対をせざるを得ないのも当たり前だった。

 

「単刀直入に言わせてもらおう。私は一夏くんを我がデュノア社に迎える準備を進めるつもりだ。娘婿にポストを用意することくらい造作もない」

 

 この人……デュノア社の社長だ……

 

「え、いや、その――」

「もちろんすぐにとは言わない。高校、大学と好きなように過ごせばいいし、1つの選択肢として考えてもらって構わない。だが私としては娘が近くにいてくれる方が安心できるのでね」

 

 いつの間にか海外の大企業への就職の当てが出来ていた。何を言っているのか自分でもわからないがそんな事実があるらしい、と遠い世界の出来事のように思って聞いておく。

 しかしデュノア社長は俺の何を気に入ったんだ? たしかシャルが日本に来た直後の手紙には『娘に手を出したら殺す』って文面があったんだが……何かきっかけがないとここまで主張が逆になるとは思えない。でもって何があったか思い返してみると……シャルがIllの犠牲になったってことくらいで、むしろ俺はシャルを危険な目にしか遭わせてない。

 何よりシャル本人の気持ちを無視してるような気がする。デュノア社長はシャルが俺のことを好きなんだって勘違いしてて、娘思いの父親が暴走してるだけにしか思えない。悪い人じゃないのはわかるけど。

 

「ありがたいお話ですけど、シャルとも話をしてからにした方がいいのでは?」

「たしかに私たちで話を進めすぎるのも良くない。今日の目的は一夏くんがどのような人間か見定めに来ただけであり、その成果は上々。とても有意義な時間となったよ。これからも娘をよろしく頼む」

「あ、はい……」

 

 最後に握手を交わす。これで本当にデュノア社長との会談は終わりだった。

 社長の頭には娘のことしかなかった。こう言っちゃなんだけど、変な人に目を付けられたものである。今日はなんとかなったけど、勘違いしたまま暴走されるともしかしたら俺はフランスに拉致されるかもしれない。シャルにちゃんと話をしてもらわないと……と思ったけど、彼女も父親が関わると大概変人だった。

 面倒なことになったと思うべきか、デュノア社とのコネができて今後の戦いが楽になると思うべきか。

 少なくともシャルという戦力を失わずにすみそうだ……なんて考えてる俺が本当に誠実な男なのかな? デュノア社長は人を見る目がない。

 

 

  ***

 

 放課後とは抑圧からの解放である。そう言っていたのは歴代一の真面目な生徒と教員たちに評される藍越学園現生徒会長、最上英臣だった。どこが真面目なんだよとも思うところだがあの人は普通の感性じゃない。なんでも『放課後の生徒の顔は見ていて気持ちがよい』とのこと。他人の幸福に恍惚な表情を浮かべていた彼の心情を理解できないし理解する気もない。

 俺はといえば、生徒会長の言うように抑圧から解放されて今日もISVSに入ろうと考えている1人である。部活に所属していない生徒は友人と駄弁ることでもなければすぐに帰宅するものだ。ちなみにISVS研究会に関しては先日、正式に生徒会長から却下の言葉をいただいていたりするが、宍戸が協力してくれている今はもうどうでもいいことだ。

 

「しっかし、今度は生徒会長から呼び出しとはね……おまけになんでまた理事長室なんだよ」

 

 放課後になって帰り支度を整える前に校内放送がかかった。内容は俺を理事長室に呼び出すもので、生徒会長が直々に放送を使っていた。場所が理事長室というのもあって、念のためモッピーはセシリアに預けて俺1人でやってきている。

 面倒は早く解決しておこう。二度目なのでさほど緊張せずにノックする。

 

「織斑です」

「待っていたよ。さ、入ってくれ」

 

 扉が勝手に開くと、中からは生徒会長が出てきた。宍戸に置き直すと完全に昼休みの再現になっている。しかし宍戸のときも思ったけど、本当にこの学園の理事長室には理事長がいた試しがないらしいな。部屋の名前を変えていいだろ。

 高級家具が揃っている応接室に足を踏み入れる。中には予想通り、来客と思われる人物が1人いた。もしかしてデュノア社長がまた来たかと危惧していたのだが明らかに別人である。短めの白い髪に加えて口元には同じ色の髭がもっさりとしている。だが老人と呼ぶには体格ががっしりとしていて服の上からでも腕の太さが見て取れるほどの屈強な体だった。男は目を閉じたままソファに座っており、部屋に入ってきた俺の方を見向きもしない。

 俺は隣の会長に耳打ちする。誰かも知らずに話し始めて驚かされるのは昼休みで懲りていた。

 

「えと……どちら様なんですか?」

「そっか、織斑くんは知らないんだったね。この人は“織斑”の盟友であるブルーノ・バルツェル准将。君を訪ねてきたらしいけど具体的な用件は僕も聞かされてない」

 

 聞いたことがない名前だったけど、教師でなく生徒会長が来客の応対をしてる理由はわかった。生徒会長は俺の父さんのファンと呼べる人だから父さんの関係者には色々と聞きたい話があるんだろう。うちの教師陣もこの生徒会長になら任せてもいいと思ってるに違いない。

 とりあえずこの人も俺に会いに来たのは事実。タイミングから考えて俺が亡国機業と戦っていることを知ったから来てくれた父さんの友人といったところか。

 俺はバルツェルさんの対面のソファへと移動する。

 

「君は何か武術を学んでいたのか?」

 

 目を閉じたままのバルツェルさんの第一声は質問だった。見るからに外国人であるバルツェルさんが日本語が達者でももう俺は驚いたりしない。俺は答える前にとりあえず座る。

 

「7年前まで篠ノ之道場で剣を教わっていました」

「柳韻の教え子だったか。道理で織斑亡き後もこうして真っ直ぐに育ったものだ」

 

 1回頷いた後で閉じていた目が開かれる。力強さの中に優しさが混ざった視線は柳韻先生を思わせた。

 

「顔は父親に、だが目元は母親に似ている。千冬くんとは逆だが奴の息子らしい顔つきだ」

「父さんだけでなく母さんも知っているんですか?」

「そういえば千冬くんと違って君はまだ物心ついてない頃だった。私は生まれたばかりの君の顔も知っている。15年も経てば立派な男の顔になるものなのだな」

 

 全く記憶にないけど、俺はこの人に会ったことがあるらしい。赤ん坊の俺を見たことがあるということはデュノア社長よりも父さんと近かった人なんだろう。

 

「さて。先ほどそこの少年から聞いただろうが改めて名乗らせてもらおう。私の名はブルーノ・バルツェル。ドイツ軍に属しているが君にとっては父親の友人であるおじさんといった認識で構わない」

「俺は織斑一夏です。藍越学園の1年生で、今はISVSで活動中です」

 

 握手を交わす。俺よりも遙かに大きな手はそのまま俺の手を容易に握りつぶせそうなくらいの迫力があった。こんな知り合いがいただなんて俺の父さんは世界中で何をして回ってたんだか。

 しかしちょっと疑問がある。

 

「それで、バルツェルさんはどうしてここに? こう言っては失礼だとはわかってるんですけど、旧友の息子を訪ねるにしては今更という気がします」

「本当はだね……織斑の奴が死んで以来、私は君と関わるつもりはなかった。これは千冬くんの頼みでもあった。だがここ最近になってその事情が大きく変わったのだ」

 

 父さんが死んだから関わらなくなった。しかも千冬姉が頼んだというのだから、おそらくは危険がつきまとうことに絡んでいたんだろう。それが最近になって事情が変わったというのだから、バルツェルさんと父さんをつないでいた要素で考えられるのは1つ。亡国機業のみ。

 このタイミングでやってきたのも俺の行動が招いたこと。俺は既に亡国機業と思われる敵にマークされている。危険に巻き込むからと関わらないでいたのに俺の方から危険に飛び込んだ。だからこれからも会わないという話の方が今更というものだった。

 

「色々と気遣っていただいて、ありがとうございます」

「礼は止してくれ。私は何も解決が出来なかった無能でしかない。それに礼を言うならこちらの方だ。君には娘が世話になっているのだから」

 

 ……ん? 今、なんて言った? 娘?

 俺にはバルツェルという名字の女の子に知り合いはいない。だから勘違いじゃないだろうか。

 そもそもドイツ人の知り合い自体が……1人だけ居たよ。でも彼女は遺伝子強化素体っていう特殊な出自だったはずなんだけど。

 

「えーと……本当に娘さんなんですか?」

「娘とは言ってもラウラとは義理の関係だ。身寄りのないあの子を私が引き取ったに過ぎないし、あの子の前では私は親である前に上官である。あの子にもそれは徹底させているから、私を親だとは思っていないだろうがね」

 

 義理の親子と聞かされて納得した。遺伝子強化素体は亡国機業の研究の産物。俺が生まれた頃に一度壊滅したらしいからまだ赤ん坊だったラウラが身ひとつで投げ出されたことになる。バルツェルさんはそんなラウラを拾ったということか。

 

「君はラウラのことを煩わしいと思っていたりしないか?」

「そんなはずないですよ。ラウラにはかなり助けられてます。そろそろ帰らないといけないのでしょうけど、彼女が抜ける穴は大きいと思ってます」

 

 正直な思いだった。生徒会長たちとの戦いに始まり、エアハルトやギドとの戦いでもラウラの存在がなければ俺たちは負けていたと断言できる。そんな彼女を邪魔に思う訳なんてない。

 しかし彼女は本来、ドイツの軍に所属するもの。長期の休暇で遊びに来ているだけであり、今後も俺たちと戦ってくれる保証なんてないのはわかっている。

 

「君はラウラを必要としているのか?」

「ラウラに限らず、俺の味方をしてくれる皆を必要としています。でないと俺はエアハルトに勝てませんから」

「ではこれは君への朗報となるな」

 

 そう前置きをしてバルツェルさんが続けた言葉は本当に俺にとって都合のいいことだった。

 

「実は数日前よりラウラ・ボーデヴィッヒ少佐相当官の休暇を取り上げ、君の護衛任務に就かせていた」

 

 護衛任務。つまりはラウラもセシリアと同じように俺を助けてくれる。だけどセシリアと違って個人でなく組織がそう判断したことの意味が大きい。

 

「ドイツも味方してくれるってことですか?」

「生憎だが我が軍も一枚岩とは呼べないのだ。特定できてはいないが確実に内部にはアントラスの思想も入り込んでいる。だから君の味方ができるのはシュヴァルツェ・ハーゼのみと言っていい」

「十分です。ラウラが欠けないだけで助かりますから」

 

 後ろ盾がまた1つ増えた。ギドを倒した今、次にエアハルトと戦う場合は互いが死力を尽くすことになるはず。一般プレイヤーと倉持技研だけでは心許なかったけど、シュヴァルツェ・ハーゼが味方してくれることになったのはかなり大きい。

 

「ラウラは良い仲間に恵まれたようだ。本能で“織斑”を追っていたあの子が君と巡り会えた奇跡に私は感謝している」

「ラウラは俺よりもブリュンヒルデに会えたことを喜んでた気がしますけどね」

「どちらにせよ“織斑”の子供だ。私などが傍にいるよりもよほど安心を覚えるだろう。これからもあの子のことをお願いしたい」

「いえいえ。こちらからもお願いします」

 

 こうして俺はまた新たな味方を得た。ただ……このまま一生ラウラが家に居るかのような口振りだったのは気のせいだよな?

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 放課後の教室にセシリアと鈴が残っていた。一夏の席の周りで彼が理事長室から戻ってくるのを待っている。セシリアの膝の上ではモッピーがマジックで落書きされたかのような眉毛を額に寄せている。

 

「遅い。一夏は何をやっているのだ?」

「お客様と大事なお話ですわ。敵を追いつめるためにも今は多くの後ろ盾を得ることが必要なのです」

「その口振りだと呼び出された本人よりも詳しそうね。またアンタの差し金だったりするんじゃないの?」

「まさか。お昼の方も含めて、わたくしが声をかけて動くような方々ではありませんわ」

「へー、オルコット家とやらにもできないことがあるのね。でも、一夏が何を話してるのかは知ってるんでしょ?」

 

 興味津々といった様子で鈴は質問を続ける。誤魔化せそうにないと諦めたセシリアは渋々ながら一夏が誰と会っているのかを口にする。

 

「今、一夏さんが会ってらっしゃるのはドイツ軍の将校だそうです。ドイツは国としてはミューレイ寄りなのですが、ラウラさんの所属するシュヴァルツェ・ハーゼは国の方針に懐疑的だと聞いています。ですから一夏さんに接触してきた方はラウラさんの上官の方なのでしょう」

「ふーん。なんか思ったより面白くなさそうな話ね。ついて行かなくて正解だったわ」

 

 いざ話が聞けると鈴の顔から急速に興味の色が消え失せる。一夏の現状を把握はしていてISVS関連であることは重々承知しているが、他国のお偉いさんと政治的に握手している作り笑いの一夏を想像してしまってこれ以上の思考を拒絶した。

 そんな鈴を見てモッピーは短い両腕を器用に動かしてやれやれと肩をすくめる。

 

「鈴、人に聞いておいてその態度はどうかと思うぞ」

「……アンタには理解できないことでしょうから弁解も意味なさそうね」

「どういう意味だ?」

「文字通りよ。アンタには見えてないものがある。他ならぬ一夏のことでね」

「何だと!?」

 

 悪いところを素直に指摘したモッピーだったが鈴は認めないばかりか挑発を返す。一夏のことを理解していないと言われてしまってはモッピーのふざけた顔面にも怒りが浮かんだ。

 すかさず間にセシリアが割って入る。

 

「2人とも落ち着いてくださいませ。一夏さんが戻られたときに喧嘩をされていてはお気を悪くされるだけではありませんか?」

「また優等生ぶって! アンタは悔しくないの!? このままだと本当にアンタ、愛人ルート突入よ? 負け犬よ、負け犬!」

 

 最近の不満からか鈴は体裁を繕うことすらせずにまくし立てる。負け犬と罵倒しながら泣きそうなのは鈴の方だった。それもそのはずで鈴はこの1ヶ月ほどでセシリアのことを認めてきた。もし一夏が自分でなく彼女を選ぶのならば仕方がないと身を引ける程に。

 ところが今の一夏は自分でもセシリアでもなく7年前の幼馴染みである箒にばかり目が向いている。以前より最大のライバルだと鈴も感じていたことだが、ナナとして出会ったときからまだ鈴は箒を認めていない。

 どうして箒なのか。そう考えるたびに苛立ちが募る。

 

「一夏が振り向かなかったら生涯独身を貫くとかただの強がりでしょ!? だってアンタはあたしらと違って家名を背負ってる。オルコット家のためにもアンタは引いちゃいけないのよ!」

 

 放課後の教室でまだ他にも生徒が残っているというのに鈴はヒートアップして叫んでいた。

 シーンと静まりかえる教室。その中には遠くでニヤニヤと見守る幸村の姿もある。ふと我に返った鈴は自分が何を言っているのかに気づいた。

 

「ってあたしは何でセシリアの心配してんのよ! バカみたいじゃない!」

「ご心配ありがとうございます。ですが家のために妥協はしないつもりです。最悪わたくしの代で終わりも覚悟していますから大丈夫ですわ」

「それって全然大丈夫じゃないわよね!? あの執事さん辺りが黙ってなさそうだけど!?」

「それがですね、鈴さん。どうもその手の話ではシャルロットさんの方に怪しい動きがありまして――」

「へ? シャルロット? 何でアイツの名前がここで出てくるの?」

 

 当事者本人よりも周りが熱くなるのではという鈴の危惧に対してセシリアの口からは意外な名前が飛び出してきた。

 

「お昼に一夏さんが呼び出されていたのはフランスのデュノア社長が来られたからなのですわ。わたくしが盗み聞――推測するところによりますとデュノア社長は一夏さんとシャルロットさんを結ばせようとしています」

「何を言い掛けたのかは激しく気になるけど今は放置させてもらうわ。それってマジなの?」

「ええ。ですがそれほど危機感は持たなくていいでしょう。一夏さんにもシャルロットさんにもその気はないでしょうから」

「まあ、それはあたしも同感かな。シャルロットの目を見ればわかる。で、一夏のことだから社長さんの勘違いを利用する気でいて、それがアンタの言う後ろ盾につながるわけね」

「元々デュノア社長は旧ツムギのパトロンだったので味方で居てくれる公算はあったわけですが」

 

 一夏を取り巻く環境の変化についてセシリアと鈴が論じているのをモッピーは黙って見守っていた。一度は鈴の言い方に腹を立てたものの一歩引いた目線に立って考え直す。ヤイバの正体が一夏だと知ってから楽しい日々が続いているからこそ見落としているものがあるかもしれないのだと。

 そして、モッピーの目を通した鈴たちのやりとりからもナナに一夏の苦労が伝わってきた。自分ひとりではどうしようもなくて一度は挫折し、周りを巻き込んででも戦っている一夏の姿が目に浮かぶ。

 鈴の言いたいことを理解した。だからこそナナは異を唱えたい。一夏の無理した作り笑いを拒絶する鈴と違って、ナナは頑張っている一夏として肯定的に受け止めるからだ。

 

「デュノア社とシュヴァルツェ・ハーゼ。ISVSにおいてフランスとドイツの最大勢力と見ていい2つが味方してくれる。それが一夏の勝ち取った結果だと言うのなら歓迎すべきことではないか」

「そうよね。でもモッピーに良い感じにまとめられると腹が立つ。中の人に罪はないけど」

「私だって好きでこの姿をしているのではないのだ……簪には感謝しているが」

「あ、お二人とも。一夏さんが戻られましたわ。念のため言っておきますが、わたくしたちは一夏さんが誰と会っていたか知りません。いいですわね?」

 

 一夏が階段を上がってきたタイミングで見えていないはずのセシリアが他2人に注意を促す。

 

「ごめんね、セシリア。あたし、一夏に隠し事なんて出来ない」

「鈴さん!? 裏切るのですか!?」

「冗談よ。さっきのデュノア社長の話をあたしが知ってるなんて一夏が聞いたら、アイツのことだから無駄に気を張っちゃうだろうし。だからあたしは何も聞かなかった」

 

 教室のドアが開けられて待ち人が来る。鈴を先頭にしてモッピーを抱えたセシリアが彼の元へと寄っていく。

 

「遅いわよ、一夏」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越学園から徒歩500m地点の歩道を白い髪と髭の偉丈夫が1人で闊歩する。スーツ姿だというのに街中で異質さを放っている。見た目の年齢と体格がマッチしていない巨躯と明らかに日本人ではない風貌により、道行く通行人はそそくさと彼から距離を置いていた。

 1人歩いている男の傍に黒塗りの高級車が停車する。男が立ち止まって振り向くと後部座席の窓が開き、中にいる金髪で朱色のメガネをかけている男性と目が合った。

 

「これはこれは、ドイツの大佐殿ではないか。いや、失礼。今は将軍だった。護衛も付けずに街を歩くとは、日本の治安が良いからとはいえ油断しすぎなのでは?」

「ひ弱な商人とは鍛え方が違うのでな。私を殺したければISでも持ってこいという話だ」

「まるでミサイルを撃たれても平気という口振り……脳味噌まで鍛えて筋肉で埋まってしまったという噂は本当だったようだ」

「将軍などという立場になると青筋ばかりが浮かぶ。そのせいかもしれぬ」

 

 道ばたでバッタリと会った2人はハッハッハと笑いながらもこめかみには青筋が浮かんでいた。

 

「ところで日本にはどのような用件で? 将軍という立場の者が他国にまでやって来るとはよほどの事態とお見受けする」

「プライベートな旅行に決まっている。貴様の方こそデュノア社は次世代機の開発で苦労しているらしいではないか。このような日本の片田舎で遊んでいる時間があるのか?」

「私が本国を離れたからといって開発に支障が出るはずもない。私の役目は金を用意することだ。もっとも、ISVSが機能しだしてからは開発のコストも下がっている上に顧客が一般にまで広がった。順風満帆で私の出番がほとんどない」

「もしISVSがなければ会社が潰れていたということもありえそうだ」

「冗談を言うな。この私が居て倒産するなどありえない」

 

 何でもない立ち話だがもう腹の内の探り合いは始まっている。国が違う2人だが、互いが互いを“ある人物”を通じて知っているため、この時点で日本のこの場所にやってきている目的を察している。

 先に切り出したのは車内に座るデュノア社長の方だった。

 

「そういえば先ほどふと思い立ち、織斑の家に顔を出してきた。奴の子供には会えなかったが、そこで思わぬ出会いをすることになった」

「まさか自分の愛娘が居るとは思わなかったということか。父に愛想が尽きて家出した先が父の憎んだ男の家とは皮肉もいいところだ」

「この私がシャルロットの居場所を把握していないはずがないだろう! 愛想を尽かされてなどいないし、そもそも私が容認して織斑の家に行ったのだ!」

 

 しかし娘を引き合いに出されて最初にボロを出したのもデュノア社長だった。くっくっくと笑いを隠さないバルツェル准将を見て我に返ったデュノア社長は「ええい!」と強引に話を進めにかかる。

 

「とにかく! 私は織斑の家でシャルロットと共にいる遺伝子強化素体と会った。あの姿は兵隊用に造られたというクローン型遺伝子強化素体の1体に違いない。私だったから良かったものの見つけたのが中途半端に知識のある者ならばその場で処分していたのかもしれんのだぞ? なぜ野放しにしている?」

 

 バルツェルの顔から笑みが消える。独身を貫いてきた男は唯一の肉親である養子の過酷な人生を憂う。

 

「やはりあの子が生きにくい世の中なのだな……」

「当たり前だ。私としてはシャルロットが友達だと紹介した娘には生きていてほしい。だが、人間社会に害を為す可能性がまだ拭えていない現実を自覚しろ」

「そう、だな。まだ我々の共通の敵は消えていない。“織斑”が殺されて、ツムギが頭と心臓を失った代償に“生きた化石”を打ち倒したらしいが亡国機業は今も健在なのだ」

「だからこそ“織斑”の息子の顔を見に来たのだろう? 今も敵と戦う者がどのような男かを知るために」

「ああ。ラウラの未来を切り開いてくれるのはあのような若者なのだ」

 

 初めて2人の顔から青筋が消えて笑い合った。2人に共通しているのは敵だけでなく、期待をしている男も同じ。立場のこともあって普段からいがみ合う関係だが、強い仲間意識が根底に存在している。

 このままさようならと別れれば笑って終えることもできただろう。しかしそれだけで終わらないのがこの2人だった。

 

「シャルロットが認めただけに留まらず、シャルロットを窮地から救い出した男だ。彼にならば安心してシャルロットを任せることができる。将来はデュノア社を継いでもらうことになるだろう」

「待て。そのような道を私が許すと思ったか?」

「安心しろ。ラウラという娘も一夏くんの器ならば面倒を見てくれるはずだ。イギリスのオルコット家の娘も陥落しているようだから資金面も申し分ない。すぐに巨大勢力になる」

「貴様は彼に何をさせようとしている!? 人として道を踏み外させるつもりか!?」

「相変わらず頭が固い。だから嫁も貰えずにその歳になるのだ」

「それとこれとは関係ない!」

「最終的に決めるのは一夏くんだ。私としては彼が正直にさえ生きてくれればそれでいいと思っている。ではまた会おう、将軍」

「待てい! どうせ娘を選ばなかったら圧力をかける気だろう! そうはさせんからな!」

 

 窓を閉めてデュノア社長を乗せた車が颯爽と去っていく。見送るバルツェルは憤りを隠さない。この2人が仲良く肩を並べるような未来はあるのだろうか。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「ハックション!」

 

 病院にやってきた早々にクシャミが出た。近頃寒くなってきたとはいえ、風邪をひくような心当たりはない。誰かが俺の噂でもしていたりしてな。

 

「一夏が誰かに噂されてるわね」

「待て、鈴。その前に疑うものがあると思うんだが?」

「一夏――正確にはヤイバがISVSで有名になっているからな。無理もあるまい」

「あれ、モッピーも本気で言ってる?」

「申し訳ありませんがわたくしの力を以てしても噂をしている者が誰かまでは特定できませんわ」

「うん、できるできない以前に特定しようとすること自体がおかしいよね。あと、誰も俺の体を心配してないよね」

 

 まるで一夏(バカ)は風邪をひかないと言われているようだ。しかし俺だって人間だから風邪くらい……最後に風邪ひいたのっていつだっけ?

 

 ちょっと扱いの酷さに涙しつつ。俺たちがやってきたのは箒が入院している病院だ。本当は俺とモッピーだけで来るつもりだったんだけど珍しく鈴とセシリアもついてきたいと言ってきかなかった。

 平日の夕方と言っても病院のエントランスは騒がしかった。だが流石に病棟まで騒々しく入っていくのは好ましくない。俺相手に軽口を叩いていた3人だったが目的地が近づくにつれて口数が少なくなり、やがては完全に黙り込んでしまう。その場の雰囲気に合わせたとかではなく、その場の空気に呑まれたからなんだと思う。

 先頭を歩いていた俺は病室の前で足を止める。入り口の脇に付けられたネームプレートには見覚えのある名前。セシリアに抱えられたモッピーがそれを見てしょんぼりと項垂れる。重い空気の中での第一声もモッピーからだった。

 

「本当に……私が入院しているのだな」

 

 ISVSの中ではナナとして普通に活動しているために現実感がなかった話だろうと思う。でも俺はこの1年近くずっと通っていて、目を覚まさない彼女の姿を何度も見てきた。

 今日ここに来ようと思ったのは自分を戒めるため。そして、自分を焚きつけるため。原点に返ることで自分を引き締めようと思ったからだ。

 だがそれを言ったらナナも来たいと申し出てきた。見せていいものか判断がつかなかった俺は結局彼女のしたいようにさせることを選んだ。鈴とセシリアがついてきたのは偶々で元々の予定にはない。

 

「じゃあ入るぞ? 本当にいいんだな?」

 

 これが最後の確認。モッピーは少しの逡巡もなく頷いた。

 病室の扉に手をかける。小さい力で軽くスライドするドアを開くと、中には1台のベッドと複数の医療器材。ベッドの上には目を閉じたままの篠ノ之箒が横たわっていて、ベッドの脇には白髪交じりの着物姿の男が座っている。箒の父親である柳韻先生だ。毎日のように見舞いに来ているため、今日も会えると思っていた。

 

「一夏くんとお友達の方かな?」

 

 こちらを一瞥すらせずに柳韻先生が声をかけてくる。顔を見ずともわかってしまう辺り、昔の迫力が失われても腕前や感覚は衰えていない。

 

「はい。俺も含めて、皆、箒の友達です」

 

 柳韻先生が振り向いて目を見張る。きっと“俺の友達”として認識していたからこそ鈴やセシリアにあまり興味を持っていなかったんだ。そういう点では束さんと親子なんだなと感じる。

 まず最初に動いたのはセシリア。柳韻先生の前に進み出た彼女はスカートの裾を摘んで広げるとお辞儀をする。彼女が抱えていたモッピーは床に下りている。

 

「初めまして。わたくしはセシリア・オルコットと申します。一夏さんから箒さんの容態を聞いてイギリスから飛んできました」

「これは驚いた。まさかこの子に外国の友達がいたとは……束と違って“織斑”の影響は受けていないはずなのだと思っていたが。これは嬉しい誤算だ」

 

 柳韻先生の顔にほんの少しだけ笑顔が戻る。元より表情を作るのが苦手な人だ。俺以外に見舞いに来る同級生の存在が嬉しかったのは言葉通りなんだと思う。

 柳韻先生の穏やかな視線が鈴に移る。鈴はやや緊張した面持ちだ。

 

「あ、あたしは凰鈴音といいます。こんな名前ですけど、根は日本人みたいなもんです」

「わかるよ。君は長い間、日本にいる。そんな空気を纏っている」

「空気ですか?」

 

 焦り気味の鈴が自分の体を嗅ぎ始める。いや、別に臭うと言われてるわけじゃないんだが……

 

「箒には真面目な友達も、愉快な友達もいるのだね、一夏くん」

「そうです。もっといっぱい居ますよ」

 

 感慨に耽る柳韻先生に他にも箒の友達が沢山いるのだと伝える。今もISVSの中に閉じこめられている仲間は皆が彼女を慕ってくれている。たぶん今ではプレイヤー連中の間でも人気になっててもおかしくないし。

 鈴が『あたしが愉快でセシリアが真面目って納得できないんだけど!?』とショックを受けている傍らで、モッピーは呆然と立ち尽くしていた。彼女が見ている先はベッドに寝ている箒に笑みを向けている柳韻先生。7年前の厳格だった先生には考えられなかった、娘のことで頭がいっぱいになっている子煩悩な父親がそこにいる。

 俺は屈み込んでモッピーの耳元で囁く。

 

「俺から説明しようか?」

「いや、いい。父上が私を気にかけてくれている。それが知れただけで胸がいっぱいだ」

 

 本当は今すぐにでも飛び込んでいきたかったんだと思う。でもモッピーの姿では帰ってきたとは言えないし、柳韻先生にとってショックの方が大きいはず。だから自分が箒だと名乗り出ることなんてできない。そして、箒が望まなければ俺からできることは何もない。

 これ以上は箒が辛いに決まってる。俺はモッピーを抱え上げると、そのまま踵を返した。

 

「では柳韻先生。今日はこれで帰ります」

 

 まだまともに眠っている箒の顔も見ないまま俺は帰ろうとした。鈴とセシリアも先に病室の入り口にまで歩いていく。今日は柳韻先生に鈴とセシリアを紹介するだけに終わる。そう思っていた。

 

「待ちなさい、一夏くん。君が抱えてるものは何だ?」

 

 だが柳韻先生は俺を引き留めた。いつもなら魂が抜けたような声で返事がくるだけなのに、今の言葉には俺の足を止めるだけの確かな力があった。

 柳韻先生の目はモッピーに向いている。常人にはない超感覚でモッピーの正体に感づいているのだろうか。

 

「ぬ、ぬいぐるみです」

「貸してくれ!」

 

 半ば強奪するように俺の手からモッピーを持って行った。モッピーは動かずにただのぬいぐるみのフリをする。話すことも動くこともしていない。だというのに柳韻先生はモッピーをきつく抱きしめる。

 

「信じられないことだが信じるしかないようだ。箒……なのだな?」

 

 信じられないのはこっちの方だ。初めて見たときは俺ですら全くわからなかったのに柳韻先生はモッピーに箒の意識があるのだと見破ってみせた。

 俺たちから何も言わなくても柳韻先生は事実を把握した。もう我慢する理由なんてない。モッピーの短い手が柳韻先生の腰に回る。

 

「父上……私、私……」

「束の妙な発明のせいか……いや、あの子はよくわからない子だったが、ここまで悪質ないたずらをする子ではない。何に巻き込まれているのかは知らないが、よく頑張ったな、箒」

「う、う……うああああ!」

 

 ISVSのアバターと違って、モッピーから涙は流れない。しかしそのぬいぐるみは確かに泣いていた。幾度と知れない、死ぬかもしれない戦いをくぐり抜けてここまで来た。張りつめていた糸が緩み、俺の前でも見せなかった泣きじゃくる子供の姿がここにある。

 ……俺にはわからないけど、これが親子ってものなんだろうな。

 邪魔するのも悪いから俺は廊下で待ってることにした。すると先に廊下に出ていた鈴が鼻をすすっている。

 

「あたし……こういうのには本当に弱いのよ……」

 

 鈴らしかった。元から涙もろい鈴だけど、彼女は家族のことで一悶着があったから尚更思うところもあるんだろう。ポケットに入れてあるハンカチを渡してやると目元の涙を拭う。

 

「鈴が落ち着いてからもう一度中の様子を確認するか。な、セシリア?」

「お父様はわたくしのこと……どう思っていらしたの……? どうして何も言わずに逝ってしまわれたの……?」

 

 なんとセシリアもポロポロと貰い泣き……というより自分の親を思い出してしまったようだ。詳しいことは知らないけどセシリアのご両親は事故で他界していると聞いている。小さい頃に亡くした俺と違って3年ほど前のことらしいから思い出のひとつやふたつはあって当たり前なんだよな。

 

「2人とも、とりあえずそこに座ろっか。落ち着くまで俺が付いてるから」

 

 廊下に設置されたイスに連れて行って座らせる。エアハルトたちと戦っている俺たちだけど、まだ子供なんだよな。だからこうして足を止める日があってもいい。そう思った。

 



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31 不本意な依頼

 夕食後、俺は珍しく千冬姉に部屋にまで呼び出された。以前なら疲れたからマッサージをしろとでも言ってくるところだけど、今はセシリアを始めとする客が何人も泊まっている。千冬姉は割と体面を気にするところがあるから、弟の俺にマッサージをさせている姿を見られたくないと思っているはず。

 部屋に入ると案の定、千冬姉の姿はベッドになく机に向かっていた。さらに言えば先客の女子3人も居て、ベッドに並んで腰掛けている。

 

「全員揃ったな。一夏も適当に座れ」

 

 指を差された壁に立てかけられている折りたたみイスを取って広げて座る。わざわざ座らせるということは呼び出した用件が長くなるってことだった。

 千冬姉が全員の顔を見回して話を始める。

 

「まず初めに紹介しておきたい者がいる。私がISVSで調査を行う際の相棒のような者だ。今はアメリカに戻っているため、パソコンの画面越しだが容赦してくれ」

 

 そういえば机の上に見慣れないノーパソがある。ディスプレイ上部に付いているカメラらしき装置は千冬姉が触っていないのにまるで目のようにキョロキョロと部屋の中を見回している。

 

『ここが弟さんとの愛の巣なんですねー』

「バカなことを言ってないで自己紹介をしろ」

『流石はブリュンヒルデ。この程度の揺さぶりでは動じないのか……もしくは当たり前すぎる事実なのか』

「そこの眼帯娘が誤解しているから直ちにやめろ。でないとこの通信は切る」

 

 反応に困ることばかりを言う面倒そうな人と通話しているらしい。困惑気味のラウラが俺と千冬姉の顔を高速で見比べているがシャルからフォローが入っているので任せておく。

 俺は少しだけ腰を上げてパソコンの画面を覗き込んだ。向こうがこっちの様子をカメラで見ているのならこっちからも向こうの顔が見えるようにしてくれてるはず。

 相手の顔はノイズも少ない状態でハッキリと確認できる。流暢な日本語に似合わず、アメリカのイメージ通りに金髪の白人女性だったのだが、不思議なことに俺には見覚えがあった。

 

『仕方ないですね。私はナターシャ・ファイルス。気軽にナタルって呼んでくれて構わないわ、弟くん』

 

 イルミナントを追っていた頃、俺の家にやってきた千冬姉の同僚というお姉さんだった。画面越しだというのにウィンクまでして俺個人に向けて自己紹介してくる。セシリアたちも居るのになぁ。

 このタイミングでセシリアが俺の耳元に口を寄せて来た。ナタルさんについて補足があるらしい。

 

「この方が“セラフィム”ですわ」

「マジで? ってよく考えてみると千冬姉がブリュンヒルデなんだから、上位ランカーでつながりがあっても不思議じゃないよな」

 

 過去に俺とセシリアは銀の福音を追っていた。結果的に敵は偽物であるイルミナントであったのだが、一度は本物であるセラフィムと戦うために蒼天騎士団と争ったこともあったっけ。

 ……たしか俺がナタルさんと会ったのって蒼天騎士団との試合の前だったような。灯台もと暗しだったのか。いや、過ぎたことだけど。

 とりあえずナタルさんの自己紹介の時間はここまで。

 

「では本題に入る。今日、お前たちを呼んだ理由は私が現状を把握したかったからだ」

「現状って言っても事件について進展はないから千冬姉に伝えることなんてないはずなんだけど」

「敵に関してはな。だが今日、私のいない間にデュノア社長とバルツェル准将が来ていたと聞いた。この2人の動向次第ではミューレイの活動の幅を制限できる。だからデュノアとボーデヴィッヒの2人には2勢力がどのような動きを想定しているのか意見を述べて欲しいのだが――」

 

 さて。ギリギリで話についていけてない。どうしよう?

 

「あの、すみません」

「何だ、オルコット?」

「少し一夏さんに説明する時間をいただけますか?」

「……頼む」

 

 気を利かせてくれたセシリアが千冬姉の話を遮って、ISVSにおける勢力図を簡単に教えてくれることとなった。

 

 まず、エアハルトが居るとされているミューレイについて。ミューレイは企業の中でもかなり特殊な立ち位置であり、初めはIS関連の大企業を持たない欧州の国々のIS開発を担当していたのだという。小国相手の慈善事業のようだったビジネスも次第に活動の範囲を広げ、今ではフランス以外の全ての国と技術を提携している欧州の要といえる存在となった。国連のIS委員会にもミューレイの関係者が何人もいるという状況になったのも欧州圏における発言力が高いからなのだという。

 そして、俺が倉持技研を巻き込んでエアハルトに敵対したことにより、日本の倉持技研が欧州のミューレイと対立するという構造が出来上がる。日本企業は基本的に倉持技研に逆らうことはなく、欧州各国はイグニッションプランという軍事同盟もどきもあるためミューレイに真っ向から意見することはない。

 つまり、俺たちを味方する日本企業とエアハルトを味方する欧州企業が対立していて、アメリカや中国などが静観しているというのがISVSにおける国際情勢だった。

 もっとも、これは一般プレイヤーの対立を指すものではないため欧州のプレイヤーが日本のプレイヤーに敵意を持っているというわけではない。

 

 以上がセシリアの説明した内容だった。ずっとミューレイが敵だと認識して戦ってきてたけど、俺が思っていたよりも敵に回してた相手の規模が大きかったことに驚く。

 ――何より、今の説明だとセシリアもラウラも敵だということになってしまう。

 疑問が湧いてしまった俺は聞かずにはいられなかった。

 

「フランス以外のヨーロッパが敵なんだったら、セシリアとラウラはどうして……」

「イギリスのFMSは当初、ミューレイの味方でしたわ。しかしながら亡国機業がIllを使ってわたくしを排除しようと先に仕掛けてきました。当然わたくし個人の感情は反ミューレイとなります。初めはわたくしの証言を子供の戯れ言だとして聞かなかったFMSも、イルミナントの討伐によってIllが存在する事実が浮かび上がることでミューレイに対して懐疑的となり、現在は中立の態度を示しています」

「シュヴァルツェ・ハーゼは企業でなく軍隊だ。国が決めた方針に従うだけの手足でしかなく、一度は一夏たちとの敵対も覚悟した。だが准将が異を唱えてな。タイミングが良かったのか上にあっさり聞き入れられて拍子抜けだったそうだ」

 

 やはり最初から味方だったわけじゃないらしい。セシリアは個人の問題で国の意向を無視して行動していただけで、国が敵対しなかったのは後の結果とのこと。ラウラに至ってはバルツェル准将が国の方に働きかけてなんとかなったということか。

 

「一夏が理解したところでもう一度聞く。デュノア社長とバルツェル准将は何と言っていた?」

 

 デュノア社長が言ってたことはこの場で絶対に言いたくない。少なくとも俺の敵に回ろうとするはずがないことだけは間違いないから、味方って言って良さそうだ。

 バルツェル准将はラウラに俺の護衛任務を課していると言った。つまりラウラ個人ではなく軍として俺の支援をしていると見ていい。

 

「どっちとも俺の味方になってくれる。フランスは現状維持でドイツが敵戦力から消えたってことでいいんだよな?」

「そうなる。イギリスが現状を維持する姿勢は変わりそうにない。他は味方に付けられる当てがない。周りから力を削げるのはここまでのようだ」

 

 千冬姉はミューレイを敵として徹底的に叩くつもりでいる。最初から真っ向勝負を仕掛けずに敵の戦力を削るところから始めている。同時進行しているとすれば味方を増やすことだろう。その候補が千冬姉が相棒と言った通信相手ということになりそうだ。

 

「そっちの動向はどうだ、ナタル?」

『今更になっての反ミューレイの動きは欧州に限ったことでなく、私たちも同じなんですよ。福音の偽物なんて明らかにアメリカに喧嘩を売る行為をされて犯人がミューレイと確定すれば上も重い腰を上げることになりそうです。私としても……この手で八つ裂きにしたいですね』

 

 首筋がヒヤッとするような冷たい声にビクッと震えてしまったがそれもナタルさんの頼もしさの証。ランキング9位という楯無さんよりも上位のランカーは公には一般プレイヤーとなっているが国との結びつきが強いような口振りだった。でもってそのアメリカはIllを敵視している。

 

「アメリカも味方ってことでいいんですか?」

『現状だとそう考えていいわよ。私個人の意見を言わせてもらうと、ブリュンヒルデのかわいい弟くんの味方をする方が気分がいいし』

「ナタルの個人的な感情を無視しても、亡国機業がアメリカ企業の顔に泥を塗ったことは事実だ。裏にミューレイの存在があるとナタルから伝わっているアメリカが我々と敵対する理由などないだろう」

 

 千冬姉も言うならアメリカも敵ではないどころか味方となってくれる。

 ところがこの見解は満場一致というわけにはいかなかった。

 

「ファイルスさんがお気を悪くされるかもしれませんが、わたくしはアメリカを信用していません」

 

 異を唱えたのはセシリア。

 

「今でこそ共通の敵がある状況ですが、アメリカは自国の軍事的優位を奪ったISの存在を快く受け入れたわけではないはず。アントラスのテロ行為を支援していた政治家のスキャンダルも記憶に新しいですわね。ISVSでプレイヤーに最も使用されている米クラウス社のボーンイーターフレームも名前の由来が“従順な犬”だそうで、女性軽視のアントラスの思想に近いものを感じますわ」

 

 全部が全部『そんなことがあったんだ』と思うだけの俺だった。媒体は何でもいいからニュースは見ておけと千冬姉に言われてたけど、こういうときに何も知らないことが露呈するのだと身を以て痛感する。

 俺の無知はどうでもいいとして。ここまで悪し様に言われてしまったナタルさんの機嫌を損ねないだろうか。

 

『全部あなたの言うとおり。白騎士事件の与えた影響が一番大きかったのはアメリカ。もう10年も経つのに未練がましくIS登場以前の世界に戻そうと考えている輩もいる。そこまで極端でなくとも、アメリカの復権を国民の誰もが願っている。今はミューレイを放置できないとする考えで一致しているけど、何かの拍子に主張を翻すことは十分に考えられるわ』

 

 怒っていない。自国の話であるのにまるで他人事であるかのように淡々と話した内容は、信用しきってはいけないという戒めであった。

 

「もしアメリカがミューレイと結託する道を選ぶとしたら、ファイルスさん個人はどうするのですか?」

『もちろんストライキ。ミューレイと手を組んで国益につながるとは思えないし』

「そう……ですか」

 

 話は不穏な方向に転がったがナタルさん自身は俺たちの味方で居てくれるということらしい。でなきゃ千冬姉がこの場で俺たちと引き合わせようだなんて思わないだろうというのもある。

 でも少し引っかかる。敵に回らないとナタルさんが言っていたのを、セシリアが訝しげに見つめていたように思えた。俺の気にしすぎなんだろうか。

 

 

  ***

 

 千冬姉とISVSや昏睡事件に関して真面目に話す日が来るとは思ってなかった。他にもデュノア社長やバルツェル准将といった父さんの友達と話をしたりと、今日1日だけで少し前の俺には考えられないことが起きている。色々とあって疲れてしまった部屋にまで戻ってくるとベッドに身を投げる。

 

「モッピー……俺、疲れたよ」

 

 うつ伏せに寝たままくぐもった声で話しかける。だが聞こえなかったのだろうかモッピーから返事が来ない。体を起こしてモッピーの姿を探そうとしたところで思い出した。

 

「そういえば今夜はセシリアが持っていったんだっけ。俺のところじゃなくてもナナが楽しいのならそれでいいんだけどさ」

 

 簪さんからモッピーを受け取って以来、ナナはモッピーとして頻繁に現実側に顔を出している。きっと早く帰ってきたい思いを抑え切れていないんだろうし、非難されるようなことでもない。ただ、気になるのはシズネさんを始めとする現ツムギの人たちを放っておいていいのかだ。

 ……俺が気にするだけ野暮か。ISVSに囚われている間は篠ノ之箒でなく文月奈々でいると決めた彼女が現ツムギの皆のことを忘れていることなんてあり得ない。

 

 結局、今日は一度もISVSに入っていない。寝る前に軽くプレイするくらいはできそうだけど……やめておこう。なんというか、そんな気分じゃなかった。

 もう今日は休もう。いつもより少し早い時間に布団の中に入ろうと思い立ったのだが、ドアがノックされて手を止める。

 

「一夏、居る? 僕だけど」

 

 てっきりセシリアだと思っていたけど違った。シャルが俺の部屋を訪ねるなんて家に泊まりに来て以来初のことである。

 俺はドアを開けて出迎える。

 

「こんな時間にどうしたんだ、シャル?」

「ちょっと一夏と話があってさ……」

 

 暗い顔をしたシャルは俺と目を合わそうとしない。話があるとは言っても乗り気ではないという様子だった。

 深刻な用件だろうか。だがIllや昏睡事件に関係することならわざわざ俺が1人になったところに来る必要なんてない。さっき集まっていたところで皆に話せばそれで良かったはず。

 まさか……デュノア社長が何か言ったのか? 夜に俺の部屋に来たってのもそういう意味なのか!? でもこの顔だと嫌々にしか見えないじゃん!

 

「わかった。中で話そう」

 

 とにかく中に招き入れる。思い詰めたシャルを説得するにしても廊下で立ち話するようなことじゃない。

 部屋にある唯一のイスをシャルに譲り、俺はベッドに腰掛けて向き合う。言われるままにイスに腰掛けたシャルだったが、やはりその視線は俺ではなく床に向いている。

 

「親父さんの言うとおりにするのが最善だとは限らない。シャルにはシャルの思いがあるんだからそれに従えばいい」

 

 俺から先に逃げ道を作っておくことで機先を制する。正直に言わせてもらうと、シャルみたいな可愛い子に強引に迫られたら冷静でいられる自信がない。互いにとっての間違いを起こさないために慎重な立ち回りを要求されているが俺はこの危機を乗り越えて有効な関係を維持してみせる。

 

「うん、そうだよね……一夏の言うとおりだよ。パパに従ってるだけじゃ僕はいつまでもパパに認めてもらえない」

 

 うんうん。シャルはわかってくれたようだ。どこか後ろめたさを感じているような弱さはもう無くなり、真正面から俺の目を捉えてくる。体つきは女の子そのものなのに、この目つきの力強さは男顔負けなんだなと今更ながらに理解した。

 

「だから一夏。僕から君に頼みがある」

「へ?」

 

 逆に俺は間抜けな声を出してしまってちっとも男らしくない。

 

「親父さんに従わないって決めたんじゃないのか?」

「決めたよ。でも、僕の力だけじゃ足りない。一夏が必要なんだ」

「ちょっと待て! それは親父さんの思う壺だろ!」

「そうなの? だったら僕が躊躇う理由なんてない」

 

 部屋に入ったときとは打って変わって力強い返事をするようになった。目が据わってしまっている。もう彼女が要求を口に出すのを止める術はない。俺も覚悟を決めるしかないようだ。

 

「日本時間の明日の深夜にデュノア社から出されるミッションがあるんだ。僕と一緒に一夏も参加して欲しい」

「…………はい? ミッション?」

「今更とぼけないでよ。僕が明日のミッションに参加するのをパパが反対したのを知ってたから、従う必要がないって言ってくれたんでしょ?」

「え、あ、う、うん。そ、そうだぞ」

 

 俺の恥ずかしい勘違いが発覚して動揺が隠しきれない。

 ややこしいんだよ、チクショーめ! 俺ひとり勝手にそういう展開を妄想してただけじゃねーか!

 胸の内で叫ぶにとどめておいて、頭を切り替える。

 

「で、そのミッションってどんなのだ?」

「一夏は詳しくは聞いてないんだね」

 

 全く聞いてないんだな、これが。デュノア社長からはハーレム推進の危険思想を押しつけられて、娘を泣かしたらただじゃすまさないと脅されただけだし。

 

「一夏はタワーディフェンスってゲームを知ってる?」

「悪い。ゲームは詳しくないんだ」

「簡単に言うとタワーディフェンスっていうのはプレイヤーの拠点である塔を防衛するゲームのこと。塔を攻撃してくる無数の敵を撃退するのがプレイヤーの役目になる」

「俺たちがツムギを守る戦いが全部それに当てはまるな」

「明日のミッションはそれを競技にしたものだと思ってくれればいいよ。けど少し違うのは防衛側と攻撃側に分けられることはなくて、どちらの勢力にも守るべき塔があるんだ。先に相手の塔を破壊した勢力の勝ちってことだね」

 

 互いが防衛拠点を抱えて、相手の拠点を破壊すれば勝ち。前に生徒会長とやったときのようなリーダー撃破と違って攻撃対象が敵にハッキリ見えている点が異なる。要するに運動会定番の棒倒しをISVSでやれってことだな。割とゲームらしい内容に聞こえる。

 

「それでどうしてシャルの参加に反対されるんだ? 男装してればいいって話だったんだろ?」

「相手がミューレイだから。しかも実質的な宣戦布告をされた形でね」

「宣戦布告?」

「そう。つい最近の話――一夏たちが2体目のIllを倒した後のことなんだけど、ミューレイからフランス政府に『デュノア社を頼っていてはいずれ国防が行き詰まる』という感じの内容の警告文が送られたんだ。デュノア社はリヴァイヴという武器があるけど、フランス代表をモンド・グロッソで勝たせることはできてない。日本代表以外の3人のヴァルキリーがイグニッションプラン加盟国の代表というのもあって、結果を求める人たちはミューレイの技術者を国内に引き込むべきだと主張もしてる」

 

 フランスがミューレイと付き合わないという方針なのはデュノア社にIS開発企業としての実績があったからだ。国防に関わるものはできれば自国の企業で開発したいという思いもあっただろう。だがそれは最低でも他国に五分で対抗できていることが前提にある。

 ミューレイの主張はデュノア社でなく自分たちのISを使えというもの。たしかにこれはデュノア社への宣戦布告だ。フランス政府の中にはデュノア社の力を疑問視する者もいて、ミューレイを受け入れるという意見も出ている。黙らせるには力を示すのが手っ取り早い。

 

「デュノア社の面子にかけて、ミューレイと戦争をする気概でかかるってことだな。シャルを参加させたくないのはミューレイが手段を選ばない可能性を社長は想定してるからってことになる」

「さっきの千冬さんの話を聞く限りだとミューレイも焦ってる。だからたぶんフランス政府に対してだけじゃなくて、他の国への牽制も狙いなんだと思う」

 

 たしかにミューレイはどこの国の企業とも言えないあやふやな立場にある。支持する国が減るほど守りが薄くなり、千冬姉たちの手が入りやすい。

 エアハルトたちがその状況を放置するわけがない。その対抗策がデュノア社との決戦。もしこれでデュノア社が惨敗でもすればミューレイはフランスの支持を受けることになり、イギリスやドイツが再びミューレイ側につく可能性もできてしまう。

 誰だって身の安全が第一だ。守れない自国の戦力に固執するより、より安全を保証してくれる外部の戦力の方が頼れることもある。たとえ侵略者であっても、牙を剥く確証がなければ誘惑を断ち切れない可能性は常にある。

 

「大体は把握した。俺が参加を渋る理由はないし、シャルの参加を止めることもない。だって敵が表立ってIllを使っちまったらミューレイは国際的な信用を失ってフランスの支持どころか今までの味方全てを敵に回すだろ」

「僕もそう思う。パパはああ見えて心配性だから最悪中の最悪を想定しちゃってるんだ」

「そうと決まれば明日1日で戦力を集めるか。プレイヤーの参加ができるなら皆の力を借りれる」

「一般プレイヤーなら問題ないね。でもセシリアや千冬さんは無理だよ」

「どうしてだ?」

「名目がデュノア社の力を示すことだから、他の国や企業を代表する立場の人の力は借りられない。一般プレイヤーにミューレイが負ける時点でミューレイ側に問題があるってことになるから一般プレイヤーの参加はOK。ミューレイが一般参加も可能なゲームとして提案したからっていう理由もあるけど」

 

 難易度が急に上がったな。セシリア抜きの俺の戦績はひどく悪い。ラウラもドイツ代表候補生だから無理。日本代表の千冬姉は当たり前に参加不可。簪さんも倉持技研関係でNGだろう。

 

「ちょっと厳しいけど、条件はわかった。弾と相談してメンバーを集めてみる」

「うん……ありがとう、一夏」

「礼は勝ったときまでとっとけって」

 

 次の戦いは決まった。エアハルトにしては俺から遠い場所で仕掛けてきたものだと思うが、黙って放置することはできない。ミューレイの地盤を崩すためにも明日のミッションを絶対にクリアするんだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 葉の散った広葉樹林が群生している中、枝すら存在しない巨木が1本だけ天を突くように空に伸びている。周囲に溶けこめていないのは高さだけでなく材質もだった。植物と違って無機物で構成されている建造物は競技のために急造された塔である。

 

「このハリボテの鉄塔を守ることに企業の命運が懸かっている。惨めなものねぇ」

 

 自らが守るべき塔に触れながら、金色のISに身を包んでいるスコール・ミューゼルは遠く離れた山に配置されたデュノア社側の塔を見やる。競技のために建てられた塔は中身などないただの鉄の塊であり、壊されるためだけに存在しているといっても過言ではない。

 

「こちらの準備は整ってる?」

『“ミルメコレオ”を搭載した“アルゴス”は開始直後にそっちに送る手筈になってるぜ。アンタに頼まれたのはそれで最後のはずだ』

 

 通信の相手はミューレイの技術者であるウォーロック。投げやりな態度ではあるが仕事はきっちりこなしているためスコールがつける文句はない。

 

『アルゴスの対空射撃性能はマザーアースの中でも高いとはいえ、単体でフランス代表を擁するデュノア社の連中を抑えきることは不可能だ。ミルメコレオだけで押し切るつもりか?』

「どれもついでに使っているだけよ。私が直々に手を下すから時間さえ稼げれば問題ないわぁ」

『納得した。俺が心配するのはお門違いだわな』

 

 通信が切れる。エアハルトからの借り物の準備は完了。試験運用が終われば、最後はスコール自身の手で決着をつける。マザーアースは時間稼ぎさえできていればいいと割り切っていた。

 

「あの坊やが不甲斐ないのを理由にして我々の組織自体が衰退するのを黙って見てるわけないわ。少しはあの坊やに感謝してもらいたいものねぇ」

 

 エメラルドの瞳が破壊すべき山の上の塔を見据えた。

 間もなく戦いの火蓋が切って落とされることになる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 1日が経過して現在の時刻は深夜の3時。こんな時間からミッションがあるというのだが、フランスは現在午後7時だそうだから特におかしい時間というわけでもない。日本から参加しようとしている俺たちの方が普通じゃないだけだ。

 俺はいつもどおりに家からログインした。最近は出現する初期位置も安定していてツムギのロビーになっている上に、利便性から転送ゲートを復活させている。他のロビーと同様に通常のミッションも受けられるよう簪さんが設定してくれたから、今回のミッションフィールドにまでやってくるのにも苦労はなかった。

 

「なんか偏った配置ね。こっちが障害物がない山頂で、あっちは丸裸の森の中」

 

 一緒にISVSに入ってきたリンが隣で呟く。他にはシャルも一緒だったが彼女は今、デュノア社の人と打ち合わせに向かっていた。

 まだミッション開始時刻の前だが参加プレイヤーは自分たちの陣地の中で待機していることができる。始まる前に少しだけ情報を整理する時間が与えられてるってことだろう。リンの言うようにデュノア社側は木も生えていない岩だらけの山頂に塔があって、ミューレイ側の塔は葉っぱの散った灰色の森の中に建っている。高さが上のこちらは攻撃面で有利だが、罠を仕掛けることもできる向こうは守りやすい地形かもしれない。

 

「リンちゃん! 最後の方がよく聞こえなかったからもう一回言って!」

 

 サベージが合流してきた。他にもバンガード先輩たちが来るはずだけどとりあえずまだコイツだけ。鬼気迫るサベージの迫力に押されたリンは言われるままに同じ言葉を繰り返す。

 

「あっちは“丸裸”の森の中……?」

「よし、素材ゲット」

「素材って何!? アンタ、“あたしを”どうしたいわけ!?」

「むむむ、後一押しが欲しい……ヤイバ、質問があるんだけどいいか?」

「俺まで巻き込むなんて珍しいな」

「ぶっちゃけた話、リンちゃんって可愛い?」

「ああ、当たり前だ」

 

 何を急に聞かれるかと思えば、そんなことか。イエスかノーかで聞かれたらイエスに決まってるし、リンはそう言われて調子に乗る奴じゃないから遠慮なく言っても問題ない。

 

「い、いきなり何を言ってんのよ!」

「じゃ、次の質問。リンちゃんの男勝りな性格はどう思う?」

「リンが男勝り? そんなはずがないって。勝ち気ではあるけど空元気みたいなもんだから」

「そんなリンちゃんは守ってあげたいタイプ?」

「そりゃそうだろ。本質は打たれ弱いのも知ってるし」

「もう、いい加減“にしてっ!” 今はあたしのことなんてどうでもいいじゃない!」

 

 リンが顔を赤くして怒っている。両親の離婚騒動のときのリンを知ってるから俺の中ではリンに弱い一面があるってのは揺るがないけど、強くあろうとするリンを否定したら、そりゃ怒るよなぁ。

 どう謝ろうかと考えているとサベージがこそこそとリンの背後に回る。そして――

 

『“あたしを”“丸裸”“にしてっ!”』

 

 リンの声でツギハギの言葉が再生された。

 サベージの悪戯なのはすぐにわかったけど、目の前にリンがいるときにリンの声でリンの言わないような言葉を耳にすると不覚にもドキッとしてしまう。

 

「素材ってあたしの声のことかあああ!」

 

 怒り心頭のリンが吠えてサベージを追っていき、鬼ごっこが始まった。サベージの悪戯は男子小学生が好きな女の子をからかう心理と同じなんだろう。

 リンがいなくなり、俺が1人になったところへシャルが戻ってくる。

 

「何の騒ぎ?」

「気にすんな。こんなのは藍越エンジョイ勢の日常だから騒ぎの範疇にも入らない。ところで話は聞いてきたのか?」

「うん。パパの方針かはわからないけど、デュノア社はプレイヤーと連携をとるつもりはないみたいだった。僕に対しても『好き勝手にやれ』だってさ」

 

 渋い顔だ。これはどうやら冷たくあしらわれたと見える。父親の意思ではないと思わないとやっていけないくらいにはショックだったんだろう。

 

「それだけの自信があるってことだ。俺としてもデュノア社が勝てるんだったらいいし」

 

 フォローになるかはわからないけど、デュノア社の人間に他意がないという憶測を言っておく。どういうわけだか知らないけどシャルはあの父親を慕っている。もしその父親に悪し様に扱われでもしたら壊れてしまいそうな気がするんだ。

 俺の言葉だけで気が楽になればいいけど。

 

「そう……だよね。僕なんかいなくても大丈夫だよね」

 

 虚ろな瞳に一段と濃い影が差す。父親が絡むとシャルはいつも平静ではいられない。Illを倒そうとしてたのも本当はデュノア社のためなんかじゃなくて自分のため。父親に必要としてもらいたがっていた子供の思いだ。

 バカバカしい。気にしすぎだ。

 シャルの家庭の事情を俺は何も知らないけど、あの父親はどの角度から見ても娘を溺愛する親馬鹿だから。

 

「少なくともシャルがあの社長の前からいなくなったら、あの社長は発狂してそこら中に戦争をふっかけてもおかしくない」

「どうしてそうなるの? 意味がわからないよ」

「わからなくて当然だ。理屈じゃないんだよ」

 

 ポンと頭に手を置く。父親を知らない俺が父親面するのもおかしいことだが、こういうときは誰かに優しく触ってもらえると安心するのだと千冬姉が俺に教えてくれている。どうやらその効果があったようで、

 

「わからないけど、わかった」

 

 彼女の顔に少しだけ笑顔が戻った。

 これでいい。シャルがいつも通りに戦えないと俺たちがここに来た意味が失われてしまう。

 俺はデュノア社だけでどうにかなるだなんて楽観視していない。別にデュノア社を甘く見てるわけじゃなくて敵を危険視してる意味合いが強い。俺が危惧するとおりの展開になるのだとすれば、戦いの行方は俺たちプレイヤーの手にかかってる。

 でもただ勝つだけじゃダメなんだ。

 

「頼むぜ、シャル。少なくとも俺はお前を頼りにしてる」

 

 プレイヤーが最後の1手を担うにしてもシャルの方がいいに決まってる。

 デュノア社のためにも。

 彼女自身のためにも。

 

 

  ***

 

 ミッション開始が告げられた。敵の陣地方面の空へと複数のラファール・リヴァイヴが一斉に飛び上がる。統一された機体による統率の取れた動きは一般プレイヤーではほぼあり得ない光景。つまり、企業の専属操縦者たちであることは間違いない。

 

『攻撃部隊を最短距離で向かわせて正面からの攻撃を迎撃もしつつ敵の塔へ速攻を仕掛ける。フランス代表が率いているからか、デュノア社は強気に出たな』

 

 俺のいる位置から離れたバレットからの通信。俺たちのチームを大雑把に2つに分けて、塔の左翼と右翼にそれぞれ陣取っていて俺が左翼、バレットが右翼を率いる形をとっている。

 

「防衛部隊の方が多く残ってるけど肝心の代表は攻撃に回ったみたいだな。俺たちがすべきは塔の防衛ってことになる」

『企業のエリート様たちは一般プレイヤーなんてアテにしてないだろうがな。あちらさんにとって俺たちが烏合の衆なのは間違いねえし、身内以外のプレイヤーと連携が取れる自信は俺ですら無い』

「そこは皆の適応力に期待するしかないな。とりあえずの方針が塔の防衛であることには変わらない」

『違いねえ』

 

 話はまとまった。俺たちは塔の防衛に回る。だからといって全てのプレイヤーがそうするというわけでもない。

 このミッションに参加している日本のプレイヤーは全員が身内。割合的には全体の20%ほどで他は欧州圏の人たちだと思われる。プレイヤー全体への指示をデュノア社側が放棄しているため、全プレイヤーが好き勝手に行動しているというのが現状であり、フランス代表のチームに続いて攻撃に向かうプレイヤーたちの方が圧倒的に多かった。

 このミッションは途中参加が認められていない。敵も味方も援軍を送って寄越すことはできず、今ある戦力で勝たなくてはいけない。

 

 俺たちは今、待ちの状態。やれることは前線へと向かう味方を見守ることと、敵の動きを観察することくらい。敵側から攻撃に向かってくる部隊が全く見られないが明らかに浮いている巨大な物体が敵の塔の前に陣取っていることが遠目にもわかる。

 

「バレット。敵の作戦は何だと思う?」

『どう見ても敵にはマザーアースがあるからな。この距離から砲撃してくることも視野に入れて、不動岩山を装備したアギトたちを待機させてる。だが開始と同時に撃ってこないところを見るに作戦は別にありそうだ』

 

 デュノア社に対するミューレイのアドバンテージのひとつがマザーアースの存在だ。彩華さんが言うにはマザーアース自体は世間に公表もしている上に他企業も開発を進めている分野だという。既にラウラたちシュヴァルツェ・ハーゼが所有していることも確認できている。マザーアースが悪だというわけではないため、ミューレイは遠慮なく使うことができるわけだ。

 だが流石に複数体は用意しなかったようだ。マザーアースはその性質上、稼働させるためには使用したISコアと同じ数の操縦者を必要とする。加えて搭乗する操縦者の組み合わせ次第でISコア間の伝達系統が著しく変化するため、ISVSで1体配備するのにも骨が折れるのだそうだ。

 俺たちが見ている間にもこちら側の攻撃部隊が進軍していき、敵側は不気味なくらい沈黙を保っている。そしてとうとう最前線の部隊が敵の防衛部隊と交戦を開始した。

 何もせずに見ていることが耐えられないのか、シャルがそわそわしている。

 

「ヤイバ。僕たちはどうするの?」

「落ち着けって。シャルらしくないぞ。今戦ってるミューレイが俺たちの敵である奴らだったら、何も仕掛けてきてないはずがない。デュノア社がフランス代表を押し立てて速攻に出るのも想定の範囲内だとすれば、おそらくは誘い込んだ後で何らかの攻撃を開始するはず」

 

 だからこそ攻めるより守ることを優先した。敵のマザーアースが防御に特化したタイプで俺たちが攻撃に加わっても塔に到達できなかったとしたら、敵の攻撃が先にこちらの塔に届いて負けることもあり得る。

 まずは負けない立ち回り。エアハルトとの戦いで俺に欠けていた部分で、セシリアに怒られてた部分でもある。急がなくてもいい状況で焦る必要なんてない。

 

「だけど敵がどう攻めてくるのか見当もつかない。正面からの突撃を読んで別働隊を動かすなら左右に散らして迂回させるしかないけど、森の葉が全て枯れ落ちているから身を隠せる場所なんてない」

「遠距離からの狙撃の可能性は?」

『AICキャノンか荷電粒子砲が考えられるがIS単機に積めるようなのだと破壊対象の塔を一撃で破壊するのは到底不可能。マザーアースなら余裕で可能だが、敵が見えている以上、見てからの不動岩山で防ぐことができる』

 

 シャルの指摘にバレットが答える。もし敵の中にチェルシーさんクラスのスナイパーが紛れてても塔に奇襲できるのは1発が限度。それで勝負を持って行かれることはない。

 

「じゃあ、ミサイルじゃないかな?」

『ISが積めるミサイルはPICCの持続時間の影響から有効射程がライフル系統と比べて小さい。距離重視の高速ミサイルでもAICキャノンの射程とは雲泥の差だ。店長みたいに拡張装甲(ユニオン)で突撃して発射する方法もないことはないが、制空権を取れていないところへ爆撃機を送り込んだところで撃墜されて終わりだ』

 

 ここでちょっと違和感を覚えた。バレットの説明は間違っていないんだけど、どこかおかしい。そんな気がした。

 そもそもシャルはなぜミサイルを挙げた? シャルはバレット並かそれ以上にISVSに詳しいはず。今のバレットの回答をシャルも知っているはずなのに。

 防衛対象の鉄塔を見上げる。敵の陣地からも丸見えなくらいに巨大で、移動することもないただの的だ。ミサイルみたいな誘導兵器でなくても簡単に攻撃を当てられる鉄の塊でしかない。

 

 ん? 鉄の塊でしかない……? しまった!?

 

「バレット! 上だ! 上を確認することはできるか!」

『急に慌ててどうした? 上?』

「敵の攻撃は弾道ミサイルの可能性がある。だよね、ヤイバ」

『そんなPICCの使えない兵器でどうやって……げっ!?』

 

 バレットも気がついたようだ。

 たしかにPICCが上手く働かないという理由からIS戦闘におけるミサイルの攻撃力は低くなりがちである。

 だが今回の防衛対象はただの鉄の塊であってISではない。先に挙げたAICキャノンや荷電粒子砲よりもミサイルの方が有効な兵器であるくらい、普通ならば当たり前の選択肢である。

 

『索敵が大気圏外に熱源を捉えた。マジで来てやがる』

「いくつだ?」

『1発だ。今見つけたからどうにかできるが、大気圏への再突入まで気が付かなかったらその時点でアウトだったろうな』

「よし。俺が迎撃に向かう。左翼の指揮はリンに任せた」

「あたし? りょーかいよ」

 

 すっかり敵の術中に嵌まりかけていた。攻撃に対して消極的だった不気味さから俺たちはマザーアースに注意を向けさせられてた。まさかISが台頭する以前からある兵器で死角から攻めてくるとは思ってなかった。

 これが現実ならば発射の時点で観測されているだろうが、ISVSだと弾道ミサイルの発射を監視していることはないし、あったとしても俺たちに報せが来るとは思えない。

 ゲームの中だからこそ使えるゲームらしくない1手。敵の指揮官はエアハルトではなく、もっと狡猾な相手だ。

 

「オレっちに乗ってけ、ヤイバ」

「お願いします!」

 

 今回も手を貸してくれているカイトさんに連れられて、俺は空よりもさらに上を目指して急上昇する。

 地上が遠くなり、遠方を見やれば地球の丸さを感じられる高々度。宇宙にまで到達するかの瀬戸際までやってきたところで大気圏へと高度を下げ始める大型ミサイルを視認する。

 

「まだ加速前だが終末速度はマッハ20にもなるらしい。もし後ろに逃したら撃っても弾が追いつかねーな」

「このまま突撃してください。正面から衝突してもPICCがなければこちらにダメージはないんで」

「そういやISってのはそんなもんだったな。りょーかい。いくら速かろうと軌道上から撃てば動いてないも同然ってわけだ」

 

 当てにくい横から撃つ必要なんてない。軌道修正なんてできるものでもないから、ISで道を塞げば弾道ミサイルが衝突して一方的に自壊する。その意図がカイトさんにも伝わり、俺たちは弾道ミサイルの真っ正面に居座る。

 迎撃はこれで完了したも同然。だというのにまだ腑に落ちない。ISが弾道ミサイルをも落とせることは10年前の白騎士事件で実証されていることだし、2000発以上というふざけた数を1機のISで撃墜したという記録もある。奇襲とはいえ、たかが1発の弾道ミサイルが奥の手なのだろうか。

 

「カイトさんはこのままミサイルの迎撃を続行してください」

「お前さんはどーする気だ?」

「俺は前に出ます」

 

 言うや否や俺はミサイルへと向かっていく。既に迎撃ポイントをカイトさんが押さえているからこれ以上前に出るメリットはないはず。だけど、念には念を入れておきたかった。

 何か迎撃を阻むものがあったら。そのもしものために、いざとなれば俺が捨て石となる必要も出てくる。

 嫌な予感がしたというだけで取った行動だった。迫り来る弾道ミサイルを前にして、俺は自分の直感が正しかったことを知る。

 

「ISが張り付いてる……」

 

 弾道ミサイルには護衛のISがいた。弾道ミサイルの爆発ではISにダメージを与えられないことを逆手に取った方法。もし俺たちが迎撃に来ていなければミサイルと共に突っ込めばいいし、こうして迎撃のISが居れば軌道上から排除することも可能である。

 数は1。多すぎても弾道ミサイルの方に影響が出るからだろう。そして少数だからこそ、ここには精鋭を置くに決まっている。

 俺がミサイルに到達するまであと5秒。だが敵ISが黙っているはずもなく、ミサイルよりも速く俺へと向かって飛んでくる。黒い四肢装甲(ディバイド)スタイルのように見えるがフレームは不明。右手には実体剣をEN属性の刃が覆っている紅椿の空裂のような装備。素顔は見えず蝶をあしらった仮面がついている。IS自体も蝶を思わせるデザインの翼になっていた。

 激突。ENブレード同士で鍔迫り合い。敵の勢いに押された俺はミサイルの軌道上からどかされてしまう。やはり迎撃に来たISを押しのけるのが狙いだったわけだ。単機で来ていたら危なかった。

 

「……お前だったのか」

 

 蝶の仮面の女が声をかけてくる。俺のことを“お前”などと言う。

 誰だ、コイツは……?

 知り合いだから仮面で顔を隠しているのか。だが初めて見た機体だし、ISVS外でも心当たりがない。

 

「話すつもりはないか。それでいい。私とお前が交わすべきは言葉ではなく剣であるべきだ」

 

 強く押してきた後、蝶の女は距離を取った。

 この時点で弾道ミサイルは通り過ぎている。もう俺も目の前の敵も追いつけないからカイトさんが破壊してくれるのを待てばいい。

 俺の役目は当初の予定から変わっている。1合打ち合っただけだが蝶の女はランカーに匹敵する強敵と見える。この女を成層圏より上で孤立させられた状況をみすみす逃すのは勿体ない。俺がここで引きつけておくべきだ。

 

「俺のことを知ってるのか?」

「知っているとも。お前たちは“苦せずして価値を得ている私”。お前たちを倒すことで私はようやく価値ある自分になれる」

 

 何を言っているのか意味がわからない。だけど、女には俺に対する憎悪に似た執念があることだけは感じて取れた。

 蝶の羽の一部になっている黄色の円錐状のパーツ。左右それぞれにあるそれの先端が俺に向く。砲口と思しき穴は全くないが先端に赤紫色の光が集まり始めた時点で射撃攻撃だと直感する。

 俺の脇を赤紫色の光線が通過。回避は間に合った。敵の攻撃の種別はENブラスターと見られ、ENブレードを搭載している機体なのにサプライエネルギー消費量を考慮していない構成だ。

 今が隙であるはず。イグニッションブーストで飛び込む。使用できるエネルギーが減った状態で白式から距離をとることはまずできない上に、雪片弐型を防げるだけのENブレードの出力が得られるとは思えない。

 

「なんで……?」

 

 だが雪片弐型は最初と同じように敵のENブレードと打ち合わさるだけで貫通しない。こちらの出力まで落ちているのかと思ったがそうではない。相手の出力が変わっていないのだ。

 蝶のISの背中から黒い円錐が複数分離する。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)というわけでなく、固有領域から離れてもなお独立して浮遊するそれらはBT兵器(ビット)に違いない。尖った先端は全て俺を向いて包囲している。

 マズい。

 相手を蹴って鍔迫り合いをやめると同時にイグニッションブーストで距離を取る。敵からの追撃はなく、周囲に浮遊するビットは変わらず俺をロックしているだけ。

 

 ここまでにわかった敵の装備は出力が中型相当のENブレードを展開できる大剣、中型ENブラスター2門、BTビットが6機ほど。EN武器偏重で攻撃力も機動力も高い。そのためのディバイドスタイルとも言えるが、流石にENブラスターを積んでおきながらこの性能はおかしい。

 ワンオフ・アビリティの効果か。それとも……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 地上からも弾道ミサイルの撃墜成功を確認した。他2発の発射も確認し、迎撃部隊を送ったところで戦局は大きく動く。森林地帯の塔より後方に無数の熱源を確認。それらは全てミサイル発射によるものだった。乱戦状態となっている前線を迂回しての狙いはデュノア社の塔。

 

「今度は巡航ミサイルかよ……最初っから向こうの指揮官はISVSをやるつもりがねえのか」

 

 バレットが呟く。広範囲を数で攻めてくるミサイル群だが距離が開いているためISにダメージを与えるためのPICCは消えているも同然でISに対してほぼ無力な兵器と成り下がる。ISVSプレイヤーだけでなく、IS装備の開発に携わるものならばまず思いつかない戦術はバレットから見れば常識外れそのものだった。

 ISに対して無力とはいっても放置するわけにはいかない。防衛対象である塔にとってはミサイルの1発1発が重い一撃となる。防衛部隊の戦線を広げて対処せざるを得なくなる。

 

「大丈夫だな。いける」

 

 幸いなことにミサイルの数に対して守りのISの数は足りている。最前列だけでミサイルの8割を撃ち落とし、打ち損じは後続で全て破壊。敵からのミサイル発射は継続しているがISが落とされることもないため安定して迎撃に当たることができていた。

 まるでただの射撃訓練。いや、射撃に留まらない。バンガードのような格闘主体の機体が突撃してもダメージはない。

 弾道ミサイルを始めとする敵の攻撃はISVSプレイヤーの意表を突くものではあった。だがISを傷つけることはおろか、エネルギーを削ることすらできない兵器群である。白騎士事件以降、数多くの研究者たちが認めざるを得なかった事実をこの競技中に再現するだけとなっているのが現状。所詮は奇策であり、来るとわかってさえいれば初心者でも対処できる程度のものだった。

 防衛部隊を散らせて塔を囲うように展開している。敵陣地とは逆方向もカバーしたため、ミサイルの数で押そうとしたところで通す気はない。

 ……そろそろミサイル攻撃をやめてIS部隊でも送ってくるか?

 数だけを頼りにする効果のない攻撃を続ける意味はない。最前線のフランス代表が敵の防衛網を破ればその時点でデュノア社の勝利が確定する。

 勝ちペースなのは間違いない。しかしバレットの脳裏には違和感しかなかった。過去の戦いと比べて必要以上に(ぬる)すぎたのだ。

 

 バレットの不安はすぐに形となる。遠距離からのミサイル爆撃が続く中、敵が動く。丸めの巨大な金属の塊に100以上の穴が開いているマザーアース“アルゴス”の中で一際大きい穴から飛び出す影があった。ミサイル群に紛れてデュノア社の陣地へと飛ぶ物体はそれほど大きくはなく、一般的なディバイドスタイルのISよりも一回りほど小さい。

 バレットはマザーアースから放たれた異物を凝視する。手足があるためISだろうか。顔も含めて全身を光沢のあるワインレッドの丸い装甲が覆っており間接部だけが細い。まるで昆虫の甲殻を思わせる体。そして、頭に該当する部分にはライオンのたてがみのようなマリーゴールドの装甲も付いている。一見するとどうでもいいパーツが付いている敵の新手は逆にバレットの不安を煽ってくる。

 

「敵ISによる攻撃? だがなぜ単機だ?」

 

 自分ならば他の方法を取る。ミサイルの中にISを紛れさせるにしても複数機一斉に仕掛けた方がいいに決まっている。だからこそバレットは敵の狙いを察することができない。

 これもまた、ISVSの常識から外れた攻撃であるのだから。

 ミサイルの中に紛れる異物の存在には誰もが気づいている。異物が向かうのは塔の正面に配置された不動岩山を所持する防御部隊。ミサイルの群も持ち前の大盾で軽々と防いでいる鉄壁の装備はマザーアース“ルドラ”の砲撃すらも耐えきった実績がある。

 

「アギト、シールド最大展開!」

『わかった!』

 

 バレットの通信を受け取ったプレイヤー、アギトは不動岩山のENシールドを展開して敵ISの接近を阻む。ISでも正面からぶつかり合えば一方的に破壊されるだけである強固な盾を前にして、(あり)を模したワインレッドのISはあろうことか頭から飛び込んだ。

 

 次の瞬間――

 網膜を焼き付くさんとする激しい光が放たれた。

 

 ワインレッドの蟻を光源とする赤紫色の波動は周囲の不動岩山部隊を包み込んで膨れ上がる。直前まで通信をつないでいたバレットにはもうノイズしか聞こえて来ない。やがて通信の異常より遅れて空気を激しく揺らす轟音がバレットたちの耳にも届いた。

 爆発だと気づいたのは光が収まった後のこと。爆心地であった蟻のISはもちろん、光に巻き込まれていた防衛部隊が全て消滅したのを目の当たりにしたときだった。盾の無くなった正面をミサイルが通過していき、デュノア社の塔に着弾していく。

 

「マズい! 正面に部隊を回せ!」

 

 主にデュノア社の部隊で構成された正面を守る部隊は今の一撃で消失し、防衛網の穴となっている。主に左右を守っている部隊から人を出して埋めなければならず、それができるのはバレットたち日本のプレイヤーを中心とした部隊だけであった。バレットの指示に従って正面に駆けつけたプレイヤーたちの手によってミサイルの迎撃が行われ、なんとか塔の破壊は免れる。

 再び守りが安定し始めたそのとき、マザーアース“アルゴス”から再びたてがみを付けた蟻が飛び出す。数は2。今度は正面でなく左右を同時に狙って来ている。戦力の厚い場所をわざわざ狙ってきているのは間違いなかった。

 ミサイルの数は既に白騎士事件も真っ青な数に上っている。コスト度外視でそのような数を放てるのもISVSであるため。固定標的をミサイルから守らなければならない都合上、機動力のあるはずのISも塔の周囲に釘付けとなる。そこを新兵器で一掃しようというのが敵のとった戦術である。

 新兵器“ミルメコレオ”の狙いは密集せざるを得ないISにあった。攻撃範囲、威力ともに単体のISが持つものにしては異常。いや、それどころか不動岩山ですら防げなかった時点でマザーアースの砲撃をも上回っている。

 その正体についてバレットの中では既に仮説が立っている。

 

「自爆……おそらくは全てのストックエネルギーの攻撃転用。ミューレイはそんなものまで開発してんのかっ!」

 

 またもやバレットの中の常識を崩す攻撃。2機目と3機目が出てきた時点でワンオフ・アビリティではない。絶対防御のためにストックしてあるISVSにおけるHP的な存在を攻撃に使用する技術はこれまで確認されていなかったが、そうでもなければこの攻撃の規模を説明することなどできない。

 敵の術中に嵌まっている。防衛部隊をじわじわと潰していく敵に良いように扱われている。早急に対策を立てなければ早い段階で全滅する。

 

「あとはお任せします、バレットさん」

「え……? (アイ)さん?」

 

 指示が出ていない内に(アイ)が動いた。バレットが戸惑っている間にも彼女はミルメコレオに単身で立ち向かっていく。その意図を察した頃には彼女は斬りかかっているところだった。

 爆発の中に彼女の姿が消える。代わりにバレットたちは無傷で残った。

 

『バレット。こっちはバンガードがあの変なのに突っ込んでいったおかげで助かったわ……射撃で撃ち落とせなかったから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、悔しいわね』

 

 リンからの通信で反対側でも同じことが起きていたことを知るバレット。アイとバンガードの2人が独断でとった行動はチームを救うこととなった。結果的に被害は最小限ですんだ。本当に死んでしまうわけではないから勝つために彼女たちが正しい選択をしたことには違いない。

 だがリンの言うとおり悔しいのも事実。隣で戦ってくれていた想い人が自分を置いていくのを見ているだけだった自分を恥じた。

 これで負けたら彼女に合わせる顔がない。

 

『悪い報せだよ、バレット。フランス代表が負けた。攻撃は失敗で、逆に敵の部隊がこっちに向かってきてる』

 

 シャルルからはさらに状況が悪化していることが告げられた。淡々と報告しているように見えて、普段の彼女らしくない早口には誰もが違和感を覚えた。ここでバレットが何も指示を出さなくても彼女が1人で突っ走ることは目に見えていた。

 

「……ブレードに自信のある奴、マシンガンやミサイルなど手数に自信がある奴は引き続き防衛に残れ。どちらでもない奴は直ちに攻撃を開始」

 

 もう打って出るしか方法がない。フランス代表を中心とした攻撃部隊が負けた時点でこの勝負は負けたも同然だったが悪足掻きだけはしてやると意気込んだ。

 バレットは当然、防衛側に残る。ミサイルの撃墜数はプレイヤーの中でもトップである彼が抜けるのは防衛対象を危険に晒すだけでより負けに近くなるからだ。

 

「リンは攻撃に回れ」

『向かってくる部隊を倒すの?』

「そいつらは無視だ。リンには敵のマザーアースを倒してもらう。他の奴にはミサイルの発射台を潰してもらってくれ」

『簡単に言うけど無理難題ね。でも敵の守りが薄くなってるから今やるしかないのかぁ……』

 

 リンが部隊の一部を引き連れて移動を開始する。ミルメコレオの母艦となっているマザーアース“アルゴス”を倒さなければデュノア社側に勝機はない。

 敵はIS部隊が攻め込んできている。後方からのミサイルは継続して発射されているがミルメコレオの方は味方を巻き込むため撃てない。このような行動をとった背景にはミルメコレオの弾数に制限があるためだとバレットは踏んでいる。

 ――まだ勝てないわけじゃない。

 勝負の行方は日本の高校生を中心としたプレイヤーたちの悪足掻きに託された。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミサイル攻撃が続けられているデュノア社側の塔に金色のISが近づいていく。悠然と構えたまま移動する姿には一切の焦りが感じられず、銃弾やミサイルの飛び交っている戦場には似つかわしくない。

 必然的に金色のISは狙われることとなる。戦闘機動にはほど遠い、のんびりと近づいてくる敵を見逃す者などそうそう居るはずもない。同時に3機のラファール・リヴァイヴがアサルトライフルやマシンガン、ミサイルなどで集中砲火を浴びせる。

 

「さっきの戦闘データをフィードバックしてないなんて……冗談じゃなく本当にデュノア社には力が足りてないわぁ」

 

 金色のISの操縦者、スコール・ミューゼルが呆れを口からこぼす。自分に向かって飛んでくる弾丸やミサイルを前にして冷静さを崩さないばかりか動こうとすらしない。

 全弾命中し、スコールは爆煙に包まれる。攻撃が成功したリヴァイヴは煙の中にライフルを撃ち続けたまま煙が晴れるのを待つ。決して油断などしていない。だが、煙が晴れた直後、3機のISは一斉に武器を下ろさざるを得なかった。

 

「効いて……ない……?」

 

 金色の装甲に傷一つついていない。それだけならば何かの防御用兵器を使用した可能性を疑うところだ。だが3人が目の当たりにしたものは自分たちの攻撃が当たっているのに一方的に弾き返されているという事実だった。

 ISの装甲は絶対防御に守られていない。攻撃が当たればストックエネルギーよりも優先して削られていく場所である。装甲が無傷であるということは当然ストックエネルギーも減らせていないことになる。

 装甲が何かしているのか。しかしIB(インパクトバウンス)装甲で無傷にする場合、実弾攻撃が装甲にまで届いていないことが前提となる。そもそも装甲のない部分に当たってもスコールは涼しい顔を崩していないから特殊な装甲の可能性は否定できる。

 見るからに怪しいのは金色のISの周囲を覆っている薄い色の炎。しかしENシールドの類にしては銃弾を素通ししているようにしか映らない。

 理由を説明できないまま3機のうちの1機がブレードスライサーで飛びかかる。射撃が通じないならば格闘戦に持ち込むという発想はISVSでは割と良くあること。だがやはりスコールは微動だにせず斬撃を受け入れた。

 結果は――命中と同時にブレードスライサーが砕け散ったのみ。

 スコールの背中から蠍の尾を模した機械腕が伸びてくる。先端は2つに分かれてそれぞれに棘がついており、中央には射撃攻撃用の砲口が見受けられる。2つの棘が挟み込むようにしてリヴァイヴを捕らえるとギリギリと締め付け始めた。

 

「これが力のない者の末路。この仮想世界で経験できた貴女は幸せ者よ」

 

 蠍の尾から赤紫色の閃光が放たれる。既にアーマーブレイクしていた機体はこの一撃で消滅。あっさりと勝負が着いた。

 戦闘は全てスコールが後手に回っている。にもかかわらずスコールは無傷で圧倒する。数の優位があっても意味がないと悟り、2機のリヴァイヴは塔へと撤退していく。否、逃走していく。

 

「逃げても無駄。立ち向かっても無駄。救いがないわね」

 

 スコールの足は止まらない。全力で移動せずとも確実にデュノア社の陣地へと歩を進めている。彼女が塔に辿り着いたときに間違いなくデュノア社は敗北するというのに誰も彼女の進軍を妨げることはできない。フランス代表をも圧倒した彼女を止められる者など居るはずもない。他国の国家代表の参戦が禁じられている戦いに参加できる者でスコールに太刀打ちできる者などという都合の良い存在をデュノア社が用意できるはずもなかったのだ。

 だがスコールはその足を止めた。彼女の前に立ちはだかるプレイヤーをスコールは知っている。機体は違うが、過去に戦ったこともある相手。余裕を見せたままでは戦えないと断言するほどの相手がなぜかこの場に現れている。

 

「本当に企業間の諍いだったなら静観を決め込むつもりだったけど、無所属なはずのランカーが相手なら私が出ても問題ないわよね? 私も一応、企業には属してないし」

 

 対面に立つは水を纏った着物の女。装備らしい装備は右手に扇子を持っているだけというおおよそISVSには似つかわしくない姿は他にいない。

 更識楯無。プレイヤーネームはカティーナ・サラスキーであるがスコールには正体がバレている。公には国家代表どころか代表候補生でもない彼女ならばこのミッションに参加しても問題はなかった。

 

「あまりランキングに固執するつもりはないけど、ちょうど私の1つ上があなたっていうのは気に入らないのよね。本当は捕まえたいんだけど、今日は無理そうだから個人的な理由でボッコボコにするだけに留めてあげる」

「威勢だけはいいわね、更識楯無。でも無駄よ。貴女のISでは私の“黄金の夜明け(ゴールデン・ドーン)”には敵わない」

「やってみないとわからないわよ?」

 

 先に仕掛けたのは楯無。閉じた扇子の先に集まった水が青く輝き、球状を維持したまま高速でスコールに向けて飛ばされる。ただしIS戦闘においては決して速すぎる攻撃ではなく、加えて小細工もない単調な射撃だ。スコールが回避するのは容易かった。

 しかし笑っているのは避けられた側である楯無の方。口元の笑みはいたずらの成功した子供を思わせ、敵対する者の神経を逆撫でする。

 

「ほら、避けた。当たると困るわよね。あなたのISはEN属性に対しては普通のディバイドと変わらない防御性能しか持っていないもの」

「あら、良く知ってるわね。ちゃんと勉強して来て偉いわぁ」

「危険な戦場に滅多に顔を出さないあなたが国家代表の相手をしたのは2度目。シールドピアース使いのアメリカ代表と実弾しか使わないフランス代表。どちらもEN武器を使わないからこそあなたが出張ってきている」

 

 子供扱いして言い返すスコールに対して楯無は遠回しに腰抜けであると宣告し返す。どちらもただ敵を倒すだけでは満足しない。徹底的に自分が優位であることを相手に思い知らさなければ気が済まない。

 片や亡国機業の幹部。“織斑”と並んで組織を脅かしてきた日本の一族を優先的に潰したいと考えている。ISVS外における組織力という観点では最も警戒すべき相手。

 片や暗部の一族の現当主。先代楯無から続いている因縁ある組織を潰すことは刀奈が楯無であるために必要な通過儀礼である。一度は壊滅した組織であるため人員構成は少数であり幹部は貴重な存在。

 どちらにとっても負けられない相手である。こうして対面しているのは仮想世界のことで勝敗は現実に影響を及ぼさない。そうわかっていてもここで負けることはおろか逃げることも信条が許さない。

 

「逆に貴女は勇敢ね。私は負けたところで痛くも痒くもないのだけど貴女はそうじゃないのに」

「Illのことを言ってる? ハッタリはやめなさい。負けたプレイヤーが無事にゲームから離脱してる時点で近くにIllがいないことは自明。ついでに言っておくと無謀じゃなく勇敢と口にしたあなた自身が私の選択は間違いじゃないと認めているようなものだし」

「あら、失言だったかしら。そういうことにしておくわね」

 

 本人も手応えを感じた楯無の指摘だったが、スコールは攻撃を避けたときほど余裕を崩していない。含みを持たせた発言の真意がハッタリなのか隠し玉があるのか楯無には判断が付かなかった。

 口での攻防はここまで。Illの存在の有無がどちらにせよ、楯無がすべきことはスコールを倒すこと。もしIllが現れてもまとめて蹴散らしてやる気概である。

 喋っている時間で楯無の攻撃準備は終わった。スコールの周囲には目視できないBTナノマシンが漂っている。意識を集中し、ズームして見なければ存在を確認することはできないのだが対峙しているときにそのような対応は不可能。

 ――装甲の中に忍ばせて爆発させる。

 爆発は実弾兵器に分類されうるが楯無の使うアクア・クリスタルは事情が異なる。スコールのワンオフ・アビリティの効力として推測される『物理属性ダメージの完全無効』は突破できる。

 銃も剣も交わすことなく、楯無は決着をつけようとナノマシンに指令を送る。避ける素振りを見せないスコールを見て勝利を確信した。

 だが笑うことになったのはスコールの方だった。

 

「偉そうな口を叩く割には姑息な手を使うのね。でも貴女のアクア・クリスタルは私の“紅炎宝玉”の結界には入れない」

 

 スコールの体は薄い色の炎に覆われている。楯無の操作するアクア・クリスタルは全て、炎に触れると同時に地へと落ちていく。侵入を拒むだけでなく操作不能に追い込まれていた。

 

「BT兵器を使って至近距離から攻撃するのがあなたの得意技のようだけど、太陽に近づこうだなんて愚かだわぁ」

 

 楯無はスコールの能力を読み違えている。この時点で圧勝するプランは水の泡となっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 リンを先頭にして左を迂回するルートを通り、ミューレイ側の塔へと侵攻する。バレットに出された指示は敵マザーアースの破壊であったがリンの発想は向こうから来てもらえばいいというものだった。

 道中、ついでに森の中に潜んでいたミサイル発射専門の部隊を蹴散らし、塔が近づいてくると敵のIS部隊が飛び出してくる。少数精鋭のリンの部隊と比べて3倍の数だがリンには臆す理由などなかった。

 

「出番よ、サベージ。1機もあたしに攻撃させるんじゃないわよ」

「あいよー」

 

 リンの後方から黒いシルフィードが速度を上げて突出する。彼が両手にマシンガンを持っている姿は本気の表れ。下手な鉄砲を撃ちまくり、相手の陣形を乱せばそれで役割を果たしたも同然。必然的に攻撃を集中されるサベージを尻目にリンは敵の防衛部隊をスルーして先を急ぐ。

 

「さてと……思った通り、敵の本命が来たわ」

 

 強引に敵の陣地に入り込んだリンたちを敵が放置するはずもなかった。敵防衛部隊の切り札であろうマザーアース“アルゴス”が行動を開始。ずんぐりとした外見は戦艦というよりも要塞というべきもので、全体に開いている100以上の穴からはENライフルが覗いている。

 対ISの対空射撃。リンだけでなく他のプレイヤーも同じ判断をした。いくらマザーアースといっても100以上も同じ装備を搭載していてはISが使うENライフルと規模が変わらない。大して怖い攻撃は来ないと思わされた。

 先に攻撃を仕掛けたのはアルゴス。あろうことか対空ENライフルの全てを一斉に発射する。明らかにリンたちのいない方面のものも含めてだ。

 ウニや毬栗(いがぐり)のように全方位に光が伸びる。プレイヤーたちが直線を思い浮かべていたそれらは予想に反して大きく曲がり、明確な意思を伴ってプレイヤーたちに飛来する。

 

「これって偏向射撃(フレキシブル)!? こんな数を同時に操るなんてラピス並じゃない!」

 

 BT適性Aでなければ使えないとされている偏向射撃。ラピスはカーブするだけでなく鋭角に曲げることも可能という違いがあるのだがリンはそこまで詳しくはない。

 おまけにリンは思い違いもしている。マザーアースが巨大であるのは複数のISコアを組み合わせた建造物であるため。コアと同じ数の操縦者を必要としている意味を考えれば、同時に複数の偏向射撃を行えるカラクリも自ずと見えてくる。決してラピスと同レベルのBT使いを必要とはしていない。

 

「くっそ……わかってたことだけど、敵に回すと鬱陶しいことこの上ないわね、これ!」

 

 避けても避けても追ってくる。EN射撃も射程に限度があるとはいえ、射程限界まで避け続けるのは精神的にも時間的にも厳しい。ENシールドで防ぐのが最善の対処法であるがそのような燃費の悪い装備を都合良く持っているはずもなかった。

 

「くっ! 龍咆がやられた!」

 

 メインウェポンである非固定浮遊部位の衝撃砲が2つとも破壊される。ヤイバのような回避が生命線のプレイヤーと違って、リンには偏向射撃を避け続けるだけの技量はない。時間が経てば経つほど追い込まれていく。

 元より打って出る他ない。

 まだ敵マザーアースは手の内を晒しきっていない可能性はある。しかし既に敵の隠し玉を警戒する段階は過ぎている。玉砕覚悟で攻撃にいくしか勝つ方法は残されていないのだ。

 曲がるビームを双天牙月で斬る。当たり前のように双天牙月が壊れ、歪な形になってしまったそれは最早ブレードとは呼べない状態だ。盾になればいいと割り切ってリンはアルゴスへと立ち向かう。

 偏向射撃が突出したリンに集中する。敵から相対的に見れば最も脅威となりうると判断するのも無理はない。だがリンについてきたプレイヤーたちの性格までは知る由もなかった。

 

「ここは俺たちに任せて先に――ぷぎゃあ!」

「この程度の攻撃からリンちゃんを守れずして親衛隊を名乗れ――げはぁ!」

 

 自ら率先してアルゴスの対空射撃に当たりにいくプレイヤーたち。一度は散開した彼らはリンを前に進める盾となるために再び集まった。なお、リンは彼らが親衛隊を名乗ることなど断じて認めていない。とはいえリンの想定になかった援護はリンにとってプラスに働くことは間違いなかった。

 ISが1カ所に集まる。この状況になると偏向射撃の数で押したところで接敵を許すのは目に見えている。だからこそアルゴスは別の手を打つ必要があった。ENライフルが設置されていない唯一の穴。1つだけ大きさの違う穴は搭載されている機体の発進口となっている。

 リンは自分からその正面を狙っていた。そもそもバレットが最も嫌がっていたものは敵の新兵器である。マザーアース自体を落とせなくても、新兵器さえ使えない状態にすればそれで問題はなかった。

 ――敵は新兵器を使ってくる。

 密集したISを一撃で吹き飛ばす兵器をこの状況で惜しむはずがない。

 当初は腕の衝撃砲“崩拳”のみでの発進口の破壊を考えていたが、自称親衛隊のおかげでもっと効率の良い方法を使える。対Ill戦では使ってはいけない策だが今は問題ない。

 

「全員、次にあたしが叫んだら散らばりなさい」

 

 指示を伝達。リンを慕ってついてきている者たちが彼女の命令に逆らう理由はなかった。だがリンの思惑を知っていれば反対したかもしれないが。

 アルゴスからワインレッドの蟻、ミルメコレオが射出される。ミルメコレオは言わば“IS爆弾”。コアに蓄積されている全てのエネルギーを攻撃に転化することでISの防御機構の一切を無視し、ストックエネルギーが足りない規模の爆発を起こす代物。リンはその詳細を知らないがとにかく凄い威力だとだけは認識していた。

 迫り来る蟻型ミサイルにリンは自分から右手を伸ばす。その手は的確にミルメコレオの細い首を掴む。

 

「いっけーっ!」

 

 リンが叫びながら加速する。同時に自称親衛隊は指示通りにリンから離れ、リンは単独でミルメコレオをアルゴスへと押し戻していく。

 ――接触から爆発まで猶予はおよそ2秒。

 目の前でバンガードが犠牲となったとき、リンは冷静に時間を計っていた。2秒で爆発の範囲外に出ることは不可能。だが、近距離でミルメコレオを撃たれた今の状況ならば、敵を巻き込むことくらいはできる。

 とどめのイグニッションブースト。自爆準備に入ったミルメコレオには大した推進力が残っていなく、リンの思うように動ける。鈍重なマザーアースが逃げることなどできるはずもない。

 

 2秒。

 

 ISをも消滅させる爆弾が起動する。この時点でリンの体は消えてゲームから退場。爆心地に近かったアルゴスは完全消滅とまではいかなかったものの、ミルメコレオの発射口が潰れ、浮遊を続けることも困難となり静かに墜落していく。

 ここに敵の防衛線の主軸が陥落した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 リンが敵マザーアースを撃墜した。

 その報せをシャルロットは遙か上空で受け取る。背中に大型のブースターを積んだ“リヴァイヴ・テンペート”で高々度に上がり、敵の防衛網が崩れる瞬間を今か今かと待ちかまえていたのだ。

 気は熟した。シャルロットは眼下の塔めがけて急降下を始める。本来迎撃として飛んでくるはずのアルゴスの偏向射撃はリンの活躍によって排除された。他の残っている防衛のISはリンの率いていた攻撃部隊が引き受けている。シャルロットを止める敵はもういない。

 

「ありがとう、リン。ありがとう、皆」

 

 まだ終わっていない内からシャルロットの口から感謝の言葉がこぼれる。たとえ負けたとしてもシャルロットは同じ言葉を口にしたであろう。たとえ独り言でも、言わなければ自分の気が済まなかった。

 テンペートに搭載している全ての武装を一斉に発射する。上空から飛来するミサイル群は重力も乗ることでスペックよりも高速でミューレイの塔を襲う。着弾する度に少しずつ抉られていく塔だが、流石に1機のISが搭載する火力では簡単には倒壊しない。

 全弾を撃ちきった。再装填までは時間がかかる。それまでにシャルロットの攻撃に気づいた敵がやってくる危険性は高かった。

 

「“転身装束”、起動(ブート)

 

 だがシャルロットには通常の再装填時間を待つ必要などなかった。彼女にのみ許された力(ワンオフ・アビリティ)によってミサイル発射直後の装備を丸ごと全部取り替える。ラファール・リヴァイヴにありったけのミサイルを搭載した拠点攻撃に特化したフォルダに換装。ロスなく次の攻撃にとりかかる。

 

 ――こんなに簡単な戦いなんて、昔からじゃ考えられない。

 

 思い起こされるのは父親の反対を振り切って“夕暮れの風”としてISVSを戦っていた日々。シャルロットは常に1人だった。初めから勝利を義務として自分に課し、力を示すために不利な戦いにも臨んできた。

 

 ――力を示したかったのは誰に対して?

 

 今だからこそ言えることだが、いくら“夕暮れの風”が強くなろうともデュノア社長が求めている力にはなり得ない。個人の技量がどれほど優れていようと意味を為さない戦いもあるのだと、これまでのヤイバたちの戦いから学んでいた。

 

 ――パパに認めてもらうためなんて、ただの言い訳だった。僕はずっと僕を認めたかっただけなんだ。

 

 2年前に母親と死別するまで自分が妾の子だと知らなかった。たまにしか顔を見せない父親も、仕事が忙しいからなのだと納得していた。母親の死後、父親の家に引き取られて初めて事実を知り、少なからずショックを受けたことは記憶に新しいことなのである。

 デュノア社長は優しい父親だった。本妻だという女性にも実の娘のように可愛がってもらっている。文句など言えないはずの恵まれた環境には違いない。

 だがそれらが全て上っ面だけの愛情かもしれないという不安は常につきまとっていた。父親には自分たち以外の家族がいる。義理の母親となっている女性にとってはシャルロットの存在は疎ましいだけのはず。自分がいなくてもデュノア家は成り立っている。だからシャルロットは血のつながり以外でも自分を必要としてほしかった。

 

 デュノア家に必要な自分であるために。

 他ならぬ自分が安心するために。

 

 デュノア社長が陰で危機感を覚えていたことをシャルロットは知っていた。イメージインターフェースやEN武装といったIS装備の進展にデュノア社は乗り遅れ、ミューレイが技術を武器に欧州圏での権力を強めていく。フランス政府がデュノア社を見限ってミューレイを受け入れるのも時間の問題であった。

 

 シャルロットの手によってミューレイの塔が破壊される。デュノア社長の危機感を象徴する建造物が音を立てて崩れていく。勝利が確定した光景を見下ろしながらシャルロットは思う。

 1人の力だなどと言えるわけがない。日本で出会ったプレイヤーたちが手を貸してくれなければこの結果はなかった。

 もしヤイバと出会っていなければ、この戦いにシャルロットは1人で参加していたことだろう。だが敵のミサイル策、新兵器、フランス代表を倒した猛者の全てを相手にしてデュノア社の塔を守り切れたはずがないと確信している。

 

 ――僕、強くなったよ。

 

 “夕暮れの風”が目指した力はまだ手に入っていない。しかし“夕暮れの風”では手に入らなかった勝利が目の前にある。

 シャルロット・デュノアが手に入れた力はデュノア社長が喜ぶものに違いなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 成層圏の上で蝶の女と斬り結ぶ。とはいってもお世辞にも互角だなどとは言えず、俺の攻撃が受け止められては一方的にBTビットで狙い撃たれて逃げ回るしかできない。格闘とBTビットを織り交ぜる戦闘スタイルは俺とラピスがクロッシング・アクセスしているときと同じものであり、近接戦闘とBTの高い技能が要求される高度なもの。

 単純に強い相手だ。だが強さの秘密は技能だけじゃない。

 外見がすっかり違っているからすぐにピンと来なかったが俺は一度、蝶の姿をした敵と遭遇している。

 

 こいつは蜘蛛の中身だった奴――つまり、Illだ。

 

 そうとわかれば俺がすべきは時間稼ぎ。ラピスやナナとのクロッシング・アクセス抜きでIllに勝てるだなんて思い上がっちゃいない。あわよくばミューレイがIllを使っているという状況証拠を作ってやろうと、デュノア社が負けない範囲でIllを地上に引きずり下ろそうと試みている。

 意図的に落ちながら戦っている俺たちは熱を帯びた空気に晒されて赤く発色しているように見える。こんな状況でもアーマーブレイクしない限り戦闘に支障がないというのがISの怖いところ。

 

「……拍子抜けだな。“織斑”とはこんなものか」

 

 またか。俺を目の仇にしていたのも合点がいく。ギドと同じようにヤイバが織斑一夏だと知っているのだろう。

 

「生憎だがそれは俺の台詞だ。ギドやアドルフィーネと比べたらお前、弱いぞ?」

 

 ただの強がりだ。たしかにギドやアドルフィーネのように絶対的な強さみたいなものは見せつけられていないが現時点で俺の勝てる見込みがない相手なのは間違いない。

 ここで逃がしたくない気持ちはある。でもそれが不可能である事実も認めないといけない。ナナともラピスとも無理はしないと約束しているから。

 

 俺の思いが届いたのか、ミッションの終了が告げられる。デュノア社の勝利に終わり、俺と蝶の女の戦闘の行方はミッションに関係のないこととなった。

 即座にログアウトを試す。しかし反応はない。わかってはいたけど、コイツはIllだった。

 

「どうする? まだ続けてもいいけど、ミッションを終えた俺の仲間がここに駆けつけてくるぜ?」

「全て蹴散らせばいい」

 

 Illってのはどいつもこいつも自信過剰だ。今までの倒してきた相手を考えればそれも妥当なのだとわかってしまう。

 このまま戦闘となれば俺は死に物狂いで逃げなければならない。逃げきれる保証もないからできれば向こうから退いて欲しいのだが。

 

「私が怖いか、織斑一夏?」

 

 仮面の下の口が歪む。笑っているようにも怒っているようにも見える。こちらの心情を見抜かれているようで、俺は雪片弐型を握る手に余分な力を入れてしまう。

 怖くないわけなどない。だが俺の手が震えているのは武者震いだ。たとえ箒に直接関わりのないIllだとしても、全力で殲滅しなければならない。

 否定する意志を込めて睨みつける。こいつらは箒を助けるために倒すべき敵。戦力を揃えて確実に倒してみせる。それが俺の使命だ。

 

 動かない俺の前で蝶の女はおもむろに仮面を投げ捨てた。蝶をあしらっていた手の込んだ仮面はシールドバリアの保護から離れたため瞬時に燃え尽きる。

 消えた仮面の後に敵の素顔に目が向くのは自然なことだろう。どんな奴だろうとIllであるかぎり打ち倒さなければならないことには変わりないが見てしまうものは仕方ない。

 だけど……まさか知ってる顔だとは思いもしなかった。

 

「千冬……姉……?」

 

 蝶の女の素顔は千冬姉と瓜二つ。正確には中学生くらいのときの千冬姉とそっくりだった。

 違う点としては瞳の色が金色であることだけ。それはそのまま彼女が遺伝子強化素体であることを示している。

 

「私はマドカだ。この名をその胸に刻んでおけ、織斑一夏」

 

 最後に名乗るだけ名乗って蝶の女、マドカは去っていく。

 追撃をしようだなどと考える余裕もなく。

 今の顔がアバターとして造られたものだとも思えず。

 俺は重力に身を預けて地上へと落ちていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 隠れ家としている高級住宅の一室でスコールは目覚める。睡眠からの覚醒という意味ではなく、ISVSからの帰還。その眉間には皺が寄っていた。

 

「……ウォーロック博士の発明を過大評価していたわ。あの程度の時間を稼ぐこともできないなんて」

 

 自らが出向いての敗北。開始直後から戦況を思い通りにコントロールしていたスコールが最後の最後でデュノア社に逆転を許してしまった。

 その原因について思考する。

 たしかに更識楯無という想定外の存在はあった。しかし彼女はスコールの歩みを遅らせることしかできていない。結果的にスコールはデュノア社の塔にまで到達し、更識楯無と交戦しながらも塔への攻撃も開始していた。

 だが、あと一歩というところでミューレイの塔が先に落ちた。

 フランス代表のいないデュノア社の戦力ではマザーアース“アルゴス”を突破できるはずもない。“夕暮れの風”の姿を見ていないことは気がかりではあったが、1人であの戦況をひっくり返すほどの力は持っていないことは確実。

 マザーアースが想定以上に弱かったという結論をスコールが出すのも無理はなかった。

 

「亡国機業の中ではISに理解のある方だと思っていましたが、やはり認識が甘いところがありますねぇ」

 

 室内に男の声が響く。反射的に立ち上がったスコールは拳銃を手にして辺りを確認する。

 探すまでもなく男の姿は確認できた。窓際のソファに勝手に腰掛けている男は細目でにこやかな顔をしている。失敗した直後のためスコールは嘲笑われているとしか思えない。拳銃を向けるのに一切の抵抗はなかった。

 

「招かれてもいない女性の寝室に忍び込むなんて、紳士のすることではないわ」

「おや、この部屋に“女性”がいるのですか? 不思議ですねぇ。ミューゼルさんには一度、私に『何を以て女性と定義するのか』をお教え願いたいところです」

 

 男の発言はスコールを女性扱いしないというもの。スコールは強く歯噛みするだけで反論はしない。

 

「いつもの似合わないメガネはやめたのね」

「別に私は視力が悪いわけじゃありません。演出用の小道具ですよ。黒縁の大きいメガネをかけて服装をきっちり整えると真面目な雰囲気が出ます。サングラスをしてスーツを着崩すとアウトローな雰囲気が出ます。相手に合わせて形から入るのも大切なんですよ」

「じゃあ今の貴方は何者かしら、嘘吐きさん?」

「嫌だなぁ。いつだって私は私。今の世の中を憂う、平石羽々矢という1人の男です」

 

 ハバヤがソファから立ち上がるとおもむろに窓を開け放つ。

 

「今日は挨拶に来ただけです。そろそろ日本で起きるだろう“こと”に私も関わらせていただきますので」

「勝手なことを言うのね」

「もちろん邪魔をするつもりはありません。むしろあなた方のお手伝いになると思っています」

「嘘吐きの貴方にそう言われても困るわね」

 

 ここでスコールはハバヤに向けていた拳銃を下ろした。

 

「好きにすればいいわ。貴方が利口ならオータムを怒らせないでしょうし」

「ご理解に感謝を。では失礼いたします」

 

 窓の外へハバヤが消える。その背中を目で追うことすらせずにスコールは窓を閉じて鍵をかけると頭を抱えて近くのソファに座り込む。

 ――ISが登場して以来、亡国機業は弱体化の一途を辿っている

 組織外の人間に頼らなければならない現状を悔やむ。

 スコールはハバヤを微塵も信用していないが、亡国機業が劣勢である現状では彼のようなジョーカーでも使う価値がある。当然、裏切りの可能性は常について回るが殺すのは邪魔になってからでも遅くない。

 ハバヤは男である。専用機を所有しているスコールやオータムに彼が敵うわけなどないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ミッションを終えて自分の部屋に意識が戻ってきた。窓の外から見える外はまだまだ暗く、早朝と呼ぶには早い時間である。前回の経験からISVSのプレイ中は休息にならないとわかってはいたけど、やっぱり眠い。これでも仮眠は取ってたんだけどなぁ。

 コンコンと控えめなノックが聞こえてくる。ミッションが終わった直後ということもあり、来るのなら鈴かシャルのどちらかだと見当がついている。時間的に声を出して返事をするのは気が引けたから何も言わずに扉を開けて訪問者を出迎える。

 

「一夏。ちょっとだけ話があるんだ」

 

 シャルだった。昨日、ミッションの話を切り出したときと違って、彼女の目はまっすぐに俺を見てくる。

 

「じゃあ、中で――」

「ううん。一言だけだからここでいい」

 

 部屋に通そうとするが断りを入れられる。そもそも誰が訪ねてきたかは心当たりがあったが、何の用があるのかは俺にはさっぱりわからない。

 たった一言のためにわざわざやってきたシャルの真意は全く読めない。

 俺の頭上に疑問符が浮かんでいるのが見えているのだろうか。シャルはふふふと小さく笑う。

 

「今日はありがとう。これからも僕の力になってね!」

 

 たったそれだけ。シャルは足早に自分の部屋へと帰っていく。俺はポカンと口を開けたまま彼女の背中を見送ることしかできない。

 一体、何が言いたかったんだ?

 力になってくれだなんて今更な話だし、お互い様な話でもある。今日はたまたまシャルの都合が大きかっただけで、本質的にはシャルに味方でいて欲しい俺の都合なのにな。

 ……考えても良くわからん。とりあえず悪く思われてなさそうだから別にいいや。



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32 静かな寝起き

 今日も今日とて、シズネは1人で通路をぶらついている。

 

 ツムギ最大の危機となったギド・イリーガルの襲撃から2週間が経とうとしている。その間、ツムギは平和そのもので警報は一度として鳴っていない。倉持技研が守ってくれているためツムギのメンバーが気を張る場面は一切なく、シズネが暇を持て余すようになったのも無理はない。

 問題はシズネがひとりであるという点だ。

 元々彼女は他人との付き合いを避ける傾向にある。ISVSに囚われる前はナナ以外の人間とは必要最低限の言葉しか交わそうとしなかった。ナナがツムギを結成してからは必要最低限の言葉が多くなり、トモキやレミたちと話す機会が増え、いつの間にか必要以上に話せるように変化してきていた。

 それでもシズネはナナの傍にいるのが当たり前。交友関係が増えても、優先順位は今も変わらない。だというのに、あるときを境にしてナナといる時間が著しく減少している。

 

「シズネーっ! 何してんのー?」

 

 通路からロビーに出たところでシズネを呼ぶ大声が届く。ロビーの一角でアカルギのクルーであるレミたちがテーブルとイスを持ち込んで談笑しているところだった。

 平和な時間が増えたためにツムギのメンバーは常に持ち場についている必要がなくなり、自室以外の安らぎの場を求めていた。贅沢はしなくてもせめて談話室くらい欲しかったのだ。とはいえ良い場所もない。そこで利用するプレイヤーがほぼヤイバのみのロビーを使っているのである。

 

「散歩です。することもないので」

「え、あ、そ、そう……」

 

 いつものポーカーフェイスのままシズネはレミたちの元へと歩み寄った。ナナが絡まないときにシズネが他者と関わることは少ない。ダメ元で声をかけたレミの方がテンパってしまい言葉を窮する。

 シズネの目の前でアカルギクルーの3人娘が顔を寄せ合って作戦会議を開始。

 

「ちょっと、レミ!? 自分で呼んどいてその返事は普通に考えておかしいよ!」

「し、仕方ないでしょ! まさか答えてくれるなんて思ってなかったんだもん」

「ナナと一緒にいないのは喧嘩が原因だというリコの予想が外れた形となりましたわ」

「そ、そう! 元はといえばリコが妙な勘ぐりをしたのが悪い!」

「えー。絶対にそうだって断言したのも、私たちで元気づけようとか言ってたのもレミじゃん」

 

 もちろん全部シズネの耳に届いている。しかし彼女はレミたちをジーっと観察するだけで何も言わない。

 

「とにかく! 念のためナナには触れない方が良さそうよね」

「そうでしょうか……むしろ聞いてみる方が良いのでは?」

「じゃあ、あたしが聞いてみる! ねえ、シズ――」

「ナナちゃんでしたらお休み中なだけですよ。ご心配なく」

「先回りされた!? でもあたしは仕事した! 褒めて褒めて!」

 

 リコが意を決して聞こうとした質問は先に答えを返されることで不発に終わる。

 

「ねえ、褒めてよ、レミぃ」

「はいはい。頑張ったねー。えらいえらい」

「カグラもさー」

「いい加減ウザいです」

 

 構ってもらえてご満悦なリコ。

 いつも通りの彼女たちの様子を観察し終えたシズネは1度だけ大きく頷いた。

 

「皆さんも暇なようですね」

「まあね。良いことなんだってのはわかってるんだけど、何もしなくていいっていうのは逆に困ったりして」

「もしよろしければ私の相談に乗っていただけますか?」

 

 性格の大きく異なる3人娘が皆一様に目を見開いた。

 リコがおもむろに目薬をさした後で感動を口に出す。

 

「まさかナナに続いてシズネも恋バナ持ってくるなんて……」

「いや、リコ? 私としてはその目薬どっから出したのかとかどこで手に入れたのかとかそっちの方が気になっちゃってるんだけど」

「恋バナと断定するのは早計です。シズネならその期待を軽く裏切ってみせるはずですから」

 

 3人とも好き勝手なことばかり話しているがシズネは意に介さない。持ち前のマイペースさを維持したままシズネも自分勝手に質問をする。

 

「男の子はどのような女の子が好みなのでしょうか?」

 

 今度は3人娘の口があんぐりと開いた。

 彼女たちが固まっている理由を聞き逃したからだと解釈したシズネは繰り返す。

 

「ヤイバくんが理性を失って襲いかかってしまうような女の子とはどのようなタイプなのでしょうか?」

 

 否。発言内容がかなり変わっていた。

 まさかの恋愛話かと思えば、方向性が微妙に異なる。そう思ったのは1人だけではなく3人娘は満場一致で『この子は変な子だ』とアイコンタクトで通じ合った。

 

「え、えーと……シズネはヤイバに襲われたい……のかな?」

 

 恐る恐るリコが尋ねる。シズネがヤイバに恋をしているという話はツムギの中で知らないものがいない話だ。ただし本人に自覚が足りていないことも知れ渡っている。よもやそれが変な方向で目覚めたりしていないかという不安に襲われた。

 

「そんなはずないです」

 

 きっぱりと否定が入ってリコはズルッとこける。ついでに隣のレミも巻き込んでこんがらがった。

 ドタバタする2人を余所にカグラが問う。

 

「シズネはどうしたいの?」

「どう、とは?」

 

 首を傾げるシズネは煽りでも何でもなく本気で理解していない。カグラは額を右手で押さえて溜め息を吐く。説明するのが面倒くさい。

 このままシズネの意図を聞こうとしたところで平行線。床に転がっていたレミが起きあがってとりあえず違う質問を試みる。

 

「たぶん私たちよりシズネの方が知ってると思うんだけど、ヤイバって見境なく女の子を襲うような男に見えるの?」

「見えません。しかしヤイバくんも男の子のはずです。ラピスさんやリンさんたちを見ていると、その……」

 

 珍しくシズネが言い淀んだ。ハッキリ言わなくても彼女が言いたいことを3人は察する。わかってしまえば簡単なことだった。レミとリコがあからさまにニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「シズネの男のイメージってトモキみたいな奴のことかー。でもヤイバはあの見た目で草食系だから気にすることないよ」

「え、ヤイバくんってそうだったんですか!?」

「お! あたしでもわかるくらいに動揺してる! そんなにビックリすることだった?」

「はい。本当に見た目で人を判断してはいけませんね」

 

 一歩引いてシズネの様子を窺っていたカグラは他2人と違ってシズネが誤解している可能性に気づいていたが黙っていることにした。理由は――面白そうだったからだ。

 

「そういえばですけど、シズネは料理をしたことはあります?」

 

 唐突な話題転換。しかしシズネもレミもリコもその話題を自然なものとして受け入れる。

 

「ここに来るまで自分の分は自分で作っていたので経験はあります。野菜料理も問題ないですね」

「お、それかなりのプラス要素だよ! 色気で既成事実を作る方面よりも家庭的なところを見せる方がヤイバには効果的だと思う! でもなんで野菜……?」

「昔から『男を掴むなら胃袋を掴め』っていうし、いけるいける」

「胃袋を掴む……ヤイバくんのをですか?」

「そうそう。それでヤイバを虜にしちゃえばいい」

 

 全く示し合わせていないのにカグラの想定通りにレミとリコが話を持って行く。顎に手を当てて長考を始めたシズネを微笑ましく見守る。

 

「わかりました。早速ナナちゃんに弟子入りを志願しようと思います」

 

 考えた末の結論を聞いて反応は2つに分かれた。カグラ1人だけ笑いを堪えるのに必死である。他2人はキョトンとして返す。

 

「ナナって料理上手なの?」

「はい、そうです」

 

 ここでナナが料理下手であれば矛盾が生じただろうが、シズネとナナは一緒に料理をしたことがある仲。お世辞抜きに断言するシズネがナナに弟子入りするという宣言は一見すると不思議ではない。

 

「でもシズネにとってナナは最大の壁だと思うんだけど、それでいいの?」

「壁なんてとんでもないです。ナナちゃんは大きな山です」

「いや、どっちにしても越えなきゃいけないじゃん……」

 

 カグラだけが知っている。シズネがトモキから女性の胸について話を聞いていたことを。そのときにトモキが壁や山と表現していたことを。

 シズネだけが胸の話をしている。

 よってカグラはシズネの言動に疑問符を浮かべる2人の後ろで蹲り、床をドンドン叩いて笑わざるを得ない。

 

「何やら楽しそうだな」

 

 騒いでいたこともあってか、このタイミングで通路からナナが顔を出す。シズネの恋路を応援しようというつもりでいたレミとリコが気まずげに視線を逸らす中、シズネ本人は特に気にした素振りもなくナナの元へと駆け寄っていく。

 

「どうしたんですか? 向こうで何かトラブルでも?」

 

 3人娘に聞こえないようナナの耳元でそっと尋ねる。レミたちは知らないことだが最近のナナはモッピーを使って現実に逆ダイブしている。シズネがひとりだったのはナナを気遣ってのことだった。

 

「なに。まだ私にとっての現実はこちらだ。夢ばかり見ていてはいかんから今日のところはやめておこうと思ったのだ」

「そう、ですか」

 

 今日はナナが居てくれる。だというのにシズネは渋い表情に変わる。滅多に見せない感情を含んだ表情。そんな明確な変化を初めて目の当たりにした3人娘がわらわらと寄ってくる。

 

「なになに? やっぱり喧嘩してるの?」

「どうしてリコはそんな楽しそうに聞くのよ……」

「いえ、これはきっとナナに振られたショックがまだ続いているのでしょう」

「カグラ……お前の中ではシズネが私に告白したことになっているのか……」

 

 ナナは呆れを隠さない。シズネとこの3人が話した後、荒唐無稽な話が飛んでくることが稀にあるため今回もそれだろうということで自分を納得させていた。

 

「ひどいです、ナナちゃん。私は何回もナナちゃんが大好きだって言ってるじゃないですか」

「調子に乗って便乗するな」

「あう……痛いです」

 

 てい、と軽くチョップして制裁する。天然でトンデモ発言をするシズネだがナナやヤイバに対してはわざと冗談を言うことが多いため、どこまでが本気か他人にはわかりづらい。最近はその対象にリンも追加されていたりする。

 うっすらと涙を浮かべているシズネを放置してナナはレミたちと向き合う。

 

「さて、3人とも。少し時間をもらえるか?」

「いいよ。暇だし」

「仕事? また、ヤイバの手伝いでアカルギを使うのかな?」

「違う。軽く私の話し相手になって欲しいだけだ」

 

 了承を得たところでナナはシズネに振り返った。

 

「シズネにも頼みがあるのだがいいか?」

「もちろんです。何でしょう?」

「私の部屋に行ってくれ。やって欲しいことはメモに残してきた。あとはそれに従ってくれればいい」

「はい、わかりました。では行ってきます」

 

 言われるままにシズネはロビーを後にする。

 ナナの部屋へと向かう道中でふと自分とナナが入れ替わっただけと感じたが構わずナナの頼みを実行することにした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日曜日。Illの存在を知った後でも同級生たちがISVSに興じている週末だというのに御手洗数馬はゲーセンに行く予定を立てていなかった。

 

「きょ、今日は朝に来たんだ……」

 

 自宅の玄関を開けたところで数馬は固まる。呼び鈴に応じて出てみれば、待っていたのは銀髪黒眼帯の少女。

 

「約束してしまったからな。ゼノヴィアを外に連れ出す際は私も同行すると」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。一夏の家に居候を続けている彼女は数日前から御手洗家に訪問するようになった。ゼノヴィアとそっくりな外見である彼女を数馬の両親が『ゼノヴィアの姉が迎えに来た』と勘違いして喜んでいたのは数馬の記憶に新しい。ラウラとゼノヴィアは双方に面識がないことを伝えるとがっくしと項垂れていた。

 平日のラウラは夕方に顔を出す程度。家の中まで入ることはせず、玄関でゼノヴィアと立ち話をするだけ。土曜日もそうだったのだが、翌日にゼノヴィアを連れて出かける旨を伝えた結果、現在に至る。

 

「律儀なんだね」

「当たり前のことをしているまでだ。一度交わした約束を裏切るなど人として間違っている」

 

 実際は堅物だと感じていたのだが律儀であるとオブラートに包んでおく。数馬がそうして言動に気を使っているのも、ラウラが意外と日本語を知っているからだった。

 ――IS操縦者ってのは皆、こうなのだろうか。

 一夏の周りにいる外国籍の女性陣を思い浮かべる。全員が見事に日本語がペラペラであり日本人と遜色ない。だからこそ、

 

「ラウラ。それは再び来たか」

「そう怖い顔をするな。私は数馬の味方だ」

 

 ゼノヴィアの日本語の下手さが際だっているように思えた。初めは指導を試みたラウラも途中で折れ、1週間も経たないうちにゼノヴィアの方に合わせるようになっている。

 今でこそ会話が成り立っているが最初は一筋縄にはいかなかった。初日は2階に逃げていった。その次も数馬の背中から離れようとしなかった。まともに話ができるようになったのはラウラが数馬を名前で呼び始めてからのこと。ものは試しであったが、それでようやくゼノヴィアの警戒は緩くなった。

 しかしまだぎくしゃくしている。御手洗家の人たちとは比べるべくもないくらい遅い進展といえる。

 

「じゃあ、ゼノヴィア。ラウラと一緒に出かけようか」

「真実? 私は嫌である」

「わかった。じゃあ、俺はラウラと出るからゼノヴィアだけ留守番だね」

「……私に選択権はない。行く」

 

 この差である。似た外見の者同士、仲良くなってもらいたい数馬の思惑はまだまだ届きそうになかった。

 

 3人で街へ繰り出す。行く当てなどない。気ままに歩くことが主な目的であり、ゼノヴィアの情報を持っている人と出会えたらラッキー程度の認識。数馬にとっては慣れた街でも、ゼノヴィアにとってはまだまだ未知のもので溢れているようで周囲を見回しては指をさす。

 

「カズマ。あれは何か? 鈍器?」

「いやいや、どんな怪力で引っこ抜くんだよ。あれは電柱」

「今まで気にしてこなかったのか……」

 

「その後、あれは? 今回はハンマー?」

「その発想はどこから出てくるんだ……郵便ポストだよ」

「なるほど。数馬は発送とかけたわけだ。あとで座布団をやろう」

「ラウラは親父ギャグもいけるクチなの!?」

 

「大きなミサイルが飛んでる」

「いや、どう見ても飛行機なんだけど」

「一般的な旅客機だな」

 

 数馬とラウラの2人でゼノヴィアの疑問に答えていく。

 推定年齢12歳ほどのゼノヴィア。犬も知らなかった彼女が持つ疑問は幼い子供そのもので年相応とは言えない。数馬はゼノヴィアの記憶喪失も疑っていたため、この点を今更問題とはしない。

 だがモノを見て何かがわからなかった彼女が、数馬やラウラが答えた単語の意味を問い直すことは一切しなかった。まるで単語の意味だけを知っていて、実物だけを見たことがないかのよう。

 数馬の中で違和感がないことはない。しかしそれを口に出すことはなかった。

 

「使用法が分からないものだけであるが、これは今楽しい」

「そっか。ゼノヴィアが楽しいならそれでいいよ」

 

 散歩の距離も長くなってくる。結局誰からも声をかけられず、ゼノヴィアの情報は集まりそうもない。しかしゼノヴィアが怖がっていなければそれで良い。数馬はいつの間にかそう考えるようになっていた。

 

 やがて数馬が走り慣れた道にさしかかる。普段のジョギングコースではなく登校に使う道。そして、数馬の通う藍越学園が見えた。

 ――誰も知り合いが通りかかりませんように。

 よくよく考えてみればラウラがいるおかげでロリコン疑惑は避けられても、休日にラウラとデートしているように第三者からは見える。その事実に今更気がついた数馬は校舎の方角に祈りを捧げた。

 ゼノヴィアも数馬の真似をして祈りを捧げるポーズをとる。疑問を口にすることもセットで。

 

「あの場所は学校か?」

「そう。俺が通ってる藍越学園。地元での就職に有利だからって親を説得したけど、本当のところ、あいつらと同じ学校だから決めた進路だったんだよなぁ」

「あいつら?」

「友達のこと。そのうち紹介できるといいんだけどね」

 

 実を言えば、ラウラにバレた時点でロリコン疑惑どうのこうのはどうでもよくなっていた。そうでなくとも一夏と弾だけならば話した方が良いとも数馬は感じ始めている。

 問題はゼノヴィアの極度の人見知りにある。1人会わせるたびにラウラと同じ反応をしていては精神的負担が大きいのではないかと危惧している。

 

「一夏にゼノヴィアのことを話すのか?」

 

 ラウラが数馬に耳打ちをしてきた。わざわざ交わした約束を自分からふいにする数馬の言動に疑問を抱いてもおかしくはない。

 

「そのうちね。急ぐつもりはないけど」

「……そうだな。今すぐはやめておくべきだ」

 

 数馬の方針をラウラは肯定する。だが常に自信に溢れていたドイツ軍人にしてはやや消極的な態度だったことが数馬の中で違和感として残った。

 ……一夏とゼノヴィアを会わせたくない?

 ラウラの不可解な態度を上手く説明するならそれしかない。しかしその理由に数馬が思い至るはずもなかった。

 数馬は一夏たちの手にしている情報を全ては持っていない。

 

「ところでラウラ」

 

 話と考えに夢中になっていた数馬はふと気づく。目の前にいるラウラに改まって問いかける顔には冷や汗が浮かぶ。

 

「どうした、数馬?」

「ゼノヴィアがどこいったか……知らない?」

「…………何ィ!?」

 

 意識を逸らした数秒のうちにゼノヴィアが行方を眩ませていた。

 慌てた2人は手分けして探すが近くには見当たらない。

 ゼノヴィアの身体能力は数馬以上だ。本気で走られたら追いつけない。

 危険な通り魔がいるかもしれない街である。大変な事態になる前に、と数馬は必死な形相で走り出した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日曜日。弾たちがゲーセン行こうぜと誘ってきたけど今日は断っておいた。お金がかからないからという理由で家から入るというわけでもない。今日はISVSから離れてやっておきたいことがある。

 俺はモッピーを抱えて道を歩いている。ぬいぐるみを持って歩く男子高校生というのは格好のつかない絵面だが仕方がない。普段はセシリアが持ち歩いているから違和感がないんだけど、今日はなるべく少人数で動きたかった。つまりセシリアも鈴もいない俺一人だけなのだった。

 

「えーと、セシリアの書いた案内図によると……あと徒歩5分ほどか」

 

 モッピーなんて目立つものを持って目的もなくぶらついてるわけじゃない。ちゃんと目的地はあって、もう間もなく見えるところだ。

 そのとき、腕の中のモッピーがピクンと動く。俺は足を止めて跪くと歩道の上にモッピーを置いた。できるだけ目線を合わせて声をかける。

 

「シズネさん?」

「……あなたがヤイバくんなんですね」

 

 ナナは手筈通りやってくれたようだ。モッピーから聞こえてくる声はシズネさんのもの。彼女はモッピーを通して現実を知覚している。これで今日の準備は概ね完了だった。

 

「やはりヤイバくんは特殊な性癖の持ち主のようです。ナナちゃんをこのようなぬいぐるみに入れた上で、恥ずかしがるナナちゃんを鑑賞して興奮を覚えるだなどと正気の沙汰とは思えません」

 

 自らの体を見下ろすモッピー。中身のシズネさんは平常運転のようで、俺をとにかく変態扱いしようとしてくる。

 

「色々と飛躍しすぎだろ!? だいたい、このぬいぐるみは俺の趣味じゃない!」

「なるほど。もはや義務である、と」

「むしろ悪化してる!? シズネさんにとって俺って何なの!?」

「超絶かっこいいスーパーヒーローに決まってるじゃないですか」

「お世辞なのに言葉を飾りすぎて逆に残念になってる!? 前に宍戸大先生様って呼んで怒られたのを思い出すぜ!」

「ダメですよ、ヤイバくん。敬称を2つ重ねるのは逆に失礼なんです」

「ドヤ顔で説明されなくてもわかってるよ! ってか今気づいたけど、モッピーの方が表情豊か!」

 

 モッピーの皮を被っていてもシズネさんはシズネさんだった。変に気負ってないのも確認できたから先に進む。目的地は目と鼻の先で、俺の目線の高さからはもう見えている。

 

「今は移動中のようですね。どこへ向かっているのですか?」

「すぐにわかるよ」

「さては女の子のところと見ました。ナナちゃんに報告しておきます」

「あはは……バレちゃってたか」

 

 シズネさんの推測は何も間違ってない。けどたぶんバレてない。全部知ってたら違う反応が来ると思うから。

 到着したのは病院。だけど俺はここに初めて来た。

 

「病院、ですか。わかりました。ヤイバくんはお見舞いに来たわけですね」

「そういうこと。ここから先しばらくはぬいぐるみのフリをしててくれ」

 

 まずは受付で話を通す。通常の見舞いとは扱いが違うから名前を書いて許可をもらう。こうして身内以外が入れるのもセシリアが手を回してくれたおかげだった。

 知らない場所だと勝手が違うから案内板を追っていかないと迷いそうになる。紆余曲折の果て、俺は目的の病室に辿りついた。扉をあける前に尋ねておく。

 

「ねえ、シズネさん。ここに入っていいかな?」

「私に確認されても困ります。ヤイバくんのご自由にどうぞ」

 

 本人からの許可も出たので遠慮なく入ることにする。モッピーから見えないように気を使った病室のネームプレートには“鷹月静寐”と書かれていた。

 カラカラと軽い音とともに開けられた向こう側にはベッドがひとつ。点滴以外にはとくに医療設備があると感じられないが、ここで眠っている彼女はかれこれ1年近く目を覚ましていない。俺の肩の上でモッピーが現実の静寐さんを見下ろす。

 

「……やられました。ヤイバくんの狙いは無防備な私にあったのです」

「いや、人聞きの悪いこと言わないでくれよ。ってか第一声がそれ? もっと他に言うことないの?」

「ちゃんとヤイバくんは女の子に興味があるようで安心しました」

「まだ続ける? それにその言い方だとシズネさんが俺のことをホモって思ってたことに――」

「違うんですか?」

「断じて違う! まだロリコンの方がマシだ!」

「ホモ疑惑を解消するためならロリコンにだってなってやる。ヤイバくんの迷言として後世に残しておきましょう。メモメモ」

「そんなこと一言も言ってないからな!? 捏造は良くない!」

 

 もしかするとシズネさんは怒ってるのだろうか。それも仕方ないのかもしれない。現状だとISVSに囚われているという事実を思い知らせることしかできてない。

 俺がここにシズネさんを連れてきたのにはちゃんと狙いがあるんだけどなぁ。

 

「……ヤイバくんは悪趣味ですね」

「だからホモでもロリコンでもないし、かと言ってシズネさんを――」

「それらは全て冗談です。私が言ってるのはナナちゃんと共謀して私をここに連れてきたことに対してですよ」

「やっぱり怒ってる?」

「どこの世界に自分の見舞いに来て喜ぶ人がいるんですか?」

「そう……だよな。ごめん。俺が悪かった」

 

 素直に謝る。二頭身のモッピーに対して頭を下げると必然的に土下座をしなくてはならない。

 結果的に俺の思惑は外れた。前に箒の見舞いにいった時と同じようにいけばいいと思ってたんだけど、下準備もなしに何もかもが都合よく回るわけじゃない。このままだと余計なお世話でしかないよな。

 

「悪いのはヤイバくんじゃありませんよ。ここに居るはずの人がいないのが悪いんです」

 

 頭を下げている俺の頭上から寂しげな声が降ってきた。

 いつも変わらない無表情と同じくらい彼女の声は感情の起伏に乏しい。そうでない声を聞いたのは、前に涙ながらに俺を叱りつけたときであり、溜まっていた不安を爆発させたときだった。

 でも今の彼女は違う。前に進むための主張でなく、諦めた末の停滞。ISVSと出会う前の俺に近い。

 

「少しだけ昔話をしてもいいですか?」

 

 昔の俺とシズネさんに違いがあるとすれば、胸の内を吐き出せるかどうか。

 きっと彼女は相手が俺だからこそ話してくれる。そう思ってるのは自惚れだろうか。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 鷹月静寐は特別裕福でも特別貧乏でもない一般的な中流家庭の一人娘だった。

 幼い頃から不自由なく育てられ、両親からも愛されて育てられた。

 

『静寐は良い子だ。お前の笑顔は僕と母さんの誇りだ。そう育てた僕たちのことを学校で自慢してもいいんだぞ?』

『それだと私を褒めてないよ、お父さん』

 

 特別な優等生ではなくとも、静寐は笑顔を振りまく明るさと父親譲りの冗談の上手さで小学生時代は人気者だった。

 明るく優しい世界が静寐の周りに溢れていた。

 

 しかしそれらは遠い過去の話。

 

 終わりの始まりは父親の事故死だった。まだ静寐が小学校4年生の頃、母と2人で夕食を作っていたところに飛び込んできた電話。病院で再会した父は既に事切れていた。

 轢き逃げだったと知らされた。見つかった車は盗難車で、犯人は今も捕まっていない。凶悪な事件であったために家の外には報道陣が集まるほどの騒ぎにもなる。母は何度も鳴らされるインターホンを怒りに身を任せて壊してしまった。

 

『放っておいてよ……』

 

 精神的に参ってしまった母は家に籠もってしまう。生きる気力すら感じられず、寝室で床に伏していた。

 まともに食事も取っていない。

 たまたま食材が少なく、買い置きしていたインスタント食品も空となっていた。

 

 ――私がなんとかしなきゃ。

 

 幼い静寐は自らを奮い立たせた。

 元気になるにはまず食べないといけない。材料を買いに行こう。

 自分の全財産である小遣いを部屋中からかき集め、初めてひとりで買い物に出る。

 大丈夫。母に何度もついていったからスーパーの場所も買い物の仕方もわかっている。

 

 家を出たところで報道陣に捕まった。

 被害者の妻に話を聞けない記者は幼い娘の話を聞くより他なかったのだ。そういう仕事である。

 

『お母さんは今、元気がありません。放っておいてください』

 

 静寐は記者の質問を無視して笑顔でそう返した。

 何を聞かれようと。同じ人間から何度聞かれようと、同じ言葉を返し続けた。

 笑顔だけは忘れずに。

 恨むべきは目の前の記者でなく犯人だけなのだから、どれだけ煩わしくても睨んではいけない。

 もう父が見てくれていなくても、父が望んだ“良い子”であろうとした。暴言を吐くのは自分が父を侮辱するも同然だった。静寐は憤りを笑顔の奥に隠して記者の前を去っていく。

 

 スーパーでの買い物。母のお使いでなく自分で献立を考える。母を元気づけるために好物を作ろうと思っていたが手持ちが少なくて揃えられそうにない。仕方なく買えるものだけで精算を終える。小遣いはほとんど残らなかった。

 帰るときには報道陣は誰もいなかった。諦めて撤退したのか、離れて様子見をしているのか静寐にはわからない。少なくとも帰ってきた静寐に再びインタビューを試みる者はいなく、誰とも話さずに帰宅する。

 暗い家。父が生きていた頃、静寐が帰ってきたときは母が待っていてくれるのが当たり前だった。寝るとき以外で暗くなっている家を静寐は初めて目にした。

 自分で台所の明かりをつける。買ってきた食材を広げて、母から習った通りに調理をする。父が好きだった味付けをしていくと、フライパンに涙が落ちた。

 

『ちょっと塩っぽくなっちゃった』

 

 完成してからハンカチで涙を拭う。自分が泣いている姿を見せたら母がもっと悲しむ。父と母が誇りにしているはずの笑顔で大好きな母を元気づけたかった。だから静寐は笑顔で呼びにいく。

 

『お母さん! ご飯できたよ!』

 

 両親の寝室に顔を出す。父が死んでしまった事実と同じくらい、元気のない母を見ることが辛かった。父がいなくても母が居てくれれば静寐は笑顔でいられた。父と母の自慢の娘であることを誇りとしていたかった。

 

『笑わないでよ……』

『お母さん……?』

 

 静寐は母にすごいねと褒めてほしかった。しかし母の目に娘の心は映らない。そこにあるのは父を失ったばかりのはずなのに笑っている娘の姿だけ。

 

『笑うなっ!』

 

 怒鳴られた静寐は逃げるように自分の部屋に逃げ帰る。

 大好きな父の誇りは、大好きな母によって汚された。

 ――お母さんに嫌われた。笑っていた私が悪いんだ。

 静寐の中に残された父とのつながりは“良い子”であること。母は何も悪くなく、母を怒らせたのは自分自身。そう言い聞かせて静寐は自分の思いを胸の内に仕舞い込んだ。

 

 後日。ほとぼりが冷めた頃に引っ越しをする。

 目つきのきつくなった母に連れられる少女からは笑顔のみならず表情らしい表情が消えていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 シズネさんの話が終わる。俺には両親の記憶がないから共感しづらいけど、シズネさんがお母さんのことが大好きだったのはわかる。でもシズネさんの心配りは届かなくて、お父さんが亡くなって以来ずっとお母さんと喧嘩しているということらしい。

 

「ナナちゃんには話してあったんですけど、ヤイバくんに(たぶら)かされては仕方ありません。この件はお二人の好意として受け取っておきますから、気にしないでくださいね」

 

 一通り俺に話してスッキリしたんだろう。沈んでいた声も元に戻っている。

 ……元通り隠している、が正確かな。

 モッピーの背後に無表情のまま淡々として話すシズネさんの姿が見えた。でもその見た目通りに何も感じていないなんてことはないと俺は知っている。

 わかっていても俺は直接的には何もできそうにない。そもそもナナがシズネさんの親のことを知っていて何もできなかったのだ。他人の言葉なんかじゃ彼女に届かなくて当たり前。だからこそこの場をセッティングしたのに、生憎のことながら今日は空振ってしまった。

 

 ふと廊下から足音が聞こえてくるのに気づく。この病室は廊下の奥深くであり、通り過ぎることはありえない。つまり、この病室を訪ねようとしている誰かがいる。

 やっと来てくれたか。

 

「シズネさん。人が来るみたいだからちょっとぬいぐるみのフリをしててくれ」

 

 モッピーを抱え上げて訪問者を出迎える。ノックに対して俺が返事をすると、特に大きな反応もなく淡々と扉が開けられた。

 ……看護士さんだった。

 

「初めて見る顔だけど、鷹月さんのお友達?」

「はい。シズネさんの友達です」

 

 苦笑いを隠せない。たしかに病室で会う可能性が高いのは看護士さんの方だった。ついに親さんが来たという期待が大きかった分、落胆が大きい。

 

「ヤイバくんが期待するだけ無駄です。来るはずがないですから」

 

 腕の中でモッピーが小声で毒づく。見舞いに来ているお母さんと会わせようという俺の魂胆は看破されていたようだ。

 だけどシズネさんは知らない。俺が何の前情報もなくここにやってきたわけではないことを。シズネさんの親のことを知っているナナが俺の企みに協力してくれた真の意味を。

 俺は看護士さんに尋ねる。

 

「今日はお母さんは来てみえないですか?」

 

 セシリアからの情報によればシズネさんの見舞いに毎日欠かさず来ている女性がいる。それが誰かは言わずもがな。

 

「今日はもう来られましたよ。すれ違いみたいね」

 

 タイミングが悪かっただけで、シズネさんのお母さんは今日も見舞いに来ていた。

 そもそもの話、静寐さんは箒と同じ篠ノ之神社で倒れてるところを発見され、同じ病院に搬送された。なのにシズネさんだけが違う病院に移っているのは彼女のお母さんが近くの病院を希望したからである。

 俺は抱えているぬいぐるみに言ってやる。

 

「だってさ、シズネさん」

「そんなはずは……だって、私はずっと……」

 

 明らかに困惑している。それも仕方ないか。話を聞いた限りだと5年くらい会話の無かった親子なんだろうから。

 でもさ、親の記憶がない俺と違って楽しかった思い出があるはずだろ? シズネさんにも、お母さんにも。だから本当に心の底から嫌ってるわけなんてなくて、どう顔を合わせばいいのかわからなくなってただけなんだよ。

 鈴の両親みたいに、また仲直りできるはず。

 

「お母さんっ!」

「うわっ! ってシズネさん!?」

 

 突然、モッピーが動き出したと思ったら俺は弾き飛ばされた。尻餅をついている間に、腕の中から抜け出したモッピーは窓まで走っていくと誰も触っていないのに窓が開く。

 そして、モッピーが窓から飛び降りた。

 

「ちょっと待って!」

 

 慌てて窓に駆け寄り身を乗り出す。ここは6階だ。いくらぬいぐるみと言っても壊れてしまう。

 俺のそうした危惧は杞憂だった。眼下の地面をとことこと走る姿が見える。しかも思っていたよりもかなり速い足取りで。

 

「い、今のは一体……?」

「手品です! それでは失礼します!」

 

 目が点になっている看護士さんに言い訳になってない言い訳だけ残して病室を出る。

 シズネさんはきっとお母さんを探しにいったんだ。けど放っておいたら動き回るモッピーの姿が多くの人の目に晒されてしまう。簪さんたちとの約束を考えても捕まえないとマズい。

 病院を出た俺はセシリアに電話をかけながら走り出した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 知らない街に1人で飛び出してもどこへ行けばいいのかわかるはずもなかった。モッピーという体は思いの外走るのが速く、移動には困らなかったが人目をひく存在なのには違いない。冷静になってきたシズネは目立つとヤイバに迷惑がかかると思い至り、こそこそと隠れながら移動を始める。

 

「困りました。ここはどこなんですか? 戻りたくても道がわかりません」

 

 二頭身の体で首を傾げてうんうんと唸る。どこにいるのかもわからない母親を見つけることはおろか、病院に戻ることも不可能。人目につかないよう注意をしなければならないのに、ヤイバの方から見つけてもらわないといけない。ハッキリ言って非常に面倒な状況になってしまった。

 そして、人目につかないように注意を払うというのは手遅れ。立ち止まっていたモッピーの体が後ろから持ち上げられた。こうなってしまうと逃げ出すには無茶をしないといけなくなる。できれば暴れたくない。

 

「これは何であろう? 誰かのサインを感じる」

 

 モッピーを捕まえたのは銀色の髪の少女だった。銀色の髪に嫌な思い出があるシズネだが、ギドとは比べるべくもなく可愛らしい外見である。日本人ではなさそうなことが気がかりだったが子供に拾ってもらったのはシズネにとって幸運だった。

 ――このまま持ち歩いてもらえれば、ヤイバくんに見つけてもらいやすい。

 シズネは動くことも話すこともせず、少女にされるがままに身を預けることにした。

 

『もしもし。聞こえる?』

 

 少女はシズネに話しかけている。先ほどまで動いていたのだから喋るかもしれないと思われても仕方がない。

 しかし聞こえ方が違っていることにシズネは気づく。それもそのはずで、モッピーのマイクは少女の声を拾っていない。頭の中でだけ響くような音声はまるでIS同士のプライベートチャネルに酷似していた。

 

『あなたが私に話しかけているのですか?』

『うん、そうだよ』

 

 シズネはプライベートチャネルと同じ感覚で通信を試みる。すると目の前の少女が頷いた。

 

 ナナとシズネが現実にやってくるためのアバターとなっているモッピーの正体はISである。起動できている以上、ISと同じ機能が使えても不思議ではない。

 しかし現実側だと通信相手はIS操縦者に限られる。モッピーに使われているISコアを除けば、他には466個しか存在しない。具体的な数までは把握していないシズネだったが目の前の少女が専用機持ちであるとは思えなかった。

 原理は不明。何故か銀髪の少女はISと通信ができている。それだけが事実だった。

 

『あなたは私を追ってきたの?』

『いいえ、ただの迷子です』

『ふーん。数馬と同じなんだ』

『誰かとはぐれたんですか?』

『うん。楽しくなってきて走り回ってたらいつの間にか数馬がいなくなってた』

『いなくなったのはあなたの方ですね』

 

 言葉を口に出さずに意志疎通をする。傍目には少女がぬいぐるみを抱いているようにしか映らない。

 成り行きや方法はどうあれ、シズネにとってこの状況は追い風だった。

 

『では一緒に数馬さんを探しましょう。私もヤイバくんを探したいですし』

『本当? ちょっと心細かったの。ありがとう』

『私はシズネです。このぬいぐるみはモッピー。あなたのお名前は?』

『ゼノヴィア』

『ゼノヴィアちゃんですね。よーし。ではまずはテキトーに歩きましょう』

 

 お互いにひとりぼっちで途方に暮れていた2人は似た境遇の仲間を得て再び歩き出した。

 変わらず当てはない。しかしシズネにとってはリスクが最低限となり、ゼノヴィアにとっては話し相手がいる状況がプラスとなる。

 

『シズネはここには何をしにきたの?』

 

 歩き始めて早々の何気ない質問はシズネの胸に突き刺さるものだった。普段ならシズネはその内心を口に出さないが、相手が幼い少女であることもあって大雑把ではあるが話してしまう。

 

『会いたい人がいるから……です』

『私も数馬に早く会いたい。一緒だね。早くお話したいなー』

『そうですね。私も同じです』

 

 共通点を見つけたゼノヴィアの足取りは楽しげなものに変わり、スキップを始めてシズネの視界が大きく揺れる。嬉しかったことはシズネにも十分伝わった。

 ――楽しい気分に浸っているのは私の方かもしれない。

 言葉に出してみてハッキリと自覚する。忘れようとしていた母親に本当はずっと会いたかったのだ。何でもいいから話がしたかったのだ。

 今でも怖いのは変わらない。また突き放されたらと考えると頭が痛くなる。でもそうではないかもしれないと考えると希望が湧いてくる。またお母さんと笑い合えるのではないかと。

 

『シズネはどんなお話をするの?』

『最初は謝ると思います』

『シズネは悪いことをしたの?』

『正直なところ、よくわかりません。でも、あのときの私は悪い子になってたと思いますから――』

『変なの。謝るより聞いてみるのが先じゃないの?』

『え……』

 

 年下の少女の指摘でシズネは言葉に詰まった。

 

『わからないのに謝るなんて変。形だけ謝るのは話し合いの拒否と変わらないもん。何がダメなのかちゃんと確認して、お互いがどう思ってるのかわかり合うのが“お話”じゃないのかな』

『ゼノヴィアちゃん……』

『なんてね。全部、数馬のお父さんの受け売りなんだよ』

 

 てへ、と舌を出して無邪気に笑う。見た目よりも考え方がしっかりとしていて、シズネは自分の方が幼い子供であるかのような錯覚を覚えた。

 いや、錯覚でなく事実かもしれない。シズネの成長は父の死から止まっていて、ナナとの出会いから再び時間が動き出しただけなのだ。

 

 ゼノヴィアに抱えられての珍道中が続く。数馬並に走るのが速いゼノヴィアといっても歩く早さは歩幅の関係で遅くなる。スキップをやめた後ののんびりとした足取りだとシズネの視界も揺れることなく安定していて周囲に目を向けるのも簡単になっていた。

 

『あ、ゼノヴィアちゃん。ストップです』

『え、どうして?』

『前を見てください。赤信号ですから渡ってはいけません』

『そういえばそうだった。面倒くさいなぁ』

 

 時折、ゼノヴィアは子供でもしないようなミスをする。シズネを諭した大人びた一面があるかと思えば、赤信号は渡らない程度のルールすらわかっていない子供以下の未熟さも垣間見せる。そのチグハグな少女を見ていてツムギにも似た子がいることを思い出していた。

 ――そういえばゼノヴィアちゃんってクーちゃんと似てる。

 言葉遣いは大きく違っているが見た目と中身が違っている印象は同じ。外見の方も銀色の髪が同じ。クーがシズネ以上に表情を変えないために気づかなかったが顔もよく似ていた。ゼノヴィアが目を閉じて大人しくすると見分けが付かないかもしれない。

 

『どうしたの、シズネ? 私の顔に何か付いてる?』

『綺麗な顔だなと見惚れていました』

『そうなんだ。私は嫌いだけど、シズネにそう言われると嬉しい』

 

 ゼノヴィアは自分の顔を嫌いだと断言する。どういうことか気になるところだがシズネには理由を尋ねることができなかった。まだ出会ったばかりの少女を困らせるかもしれないと二の足を踏む。

 信号が青に変わる。目の前を横切る車がなくなり、ゼノヴィアは意気揚々と歩き出した。まだ日が高く、子供が出歩いていても不思議ではないといってもゼノヴィアは容姿が容姿である。すれ違う人たちの視線を集めるのは仕方がない。

 抱えられたモッピーの目を通して道行く人々の顔を確認していたシズネだったがゼノヴィアほど目立つ子ならば放っておいてもヤイバの方から気づくはずだと思い至る。これならばわざわざ注意を払う必要もない。

 そう思った矢先だった。

 

「お母さん……?」

 

 視界の端にちらっと見えたのは見間違いようのないシズネの母。ゼノヴィアという目立つ少女を一瞥することもなく、足早に反対側へと渡っていく。

 通信でなくモッピーから声として出てきた言葉は当然、モッピーを抱えている少女の耳にも届いている。彼女は横断歩道の途中で反転し、走って戻った。すれ違った誰よりも先に歩道に到着するともう一度反転して通行人たちの顔を見回す。

 

『シズネのお母さんはどの人?』

『ゼ、ゼノヴィアちゃん? 今私たちが探してるのはその人じゃなくて――』

『会いたいんでしょ!』

『は、はいっ!』

 

 強い言葉に押されてシズネは認めてしまう。モッピーの目の動きを注意深く観察していたゼノヴィアはシズネの母を突き止めて後を追い、正面に回った。

 シズネの母にしてみれば知らない子供が突然立ちはだかったことになる。夫を失ってから荒れていた母ならばゼノヴィアを冷たくあしらうはずだとシズネは思っていた。

 

「どうしたのかしら。私に何か用があるの?」

 

 1年前、最後に見た母とまるで違っていた。子供のゼノヴィアの目の高さに合わせて問いかける姿は、父が生きていた頃の優しい母と何も変わらない。

 

「私は行方不明の子供である」

「あら、難しい言葉で誤魔化しても無駄よ。迷子になったのね」

 

 ゼノヴィアの銀色の髪が優しく撫でられた。母の穏やかな笑みも含めてシズネにとって全てが懐かしい。その左手の薬指には今もなお銀に輝くリングがある。

 

『ねえ、シズネ。この人の手に硬いのがあるんだけど、どうしてこんなのを付けてるの?』

『結婚指輪です。あなたを愛しているという誓いを受け取った証を身につけているんですよ。まだゼノヴィアちゃんには早い話かもしれませんね』

『愛しているという誓い……かぁ』

 

 結婚指輪について説明を聞いたゼノヴィアは、初めは頭にチクチクして鬱陶しいものだったのが綺麗な宝物のように感じるようになった。

 頭を撫で終わった左手が離れていく。ゼノヴィアはついついその左手のリングに注目していた。シズネの母はゼノヴィアの目線には気が付かない。

 

「よーし! じゃあ、おばさんが一緒にあなたのお母さんを探してあげる!」

「私が探しているのは母親ではなくカズマである」

「カズマ? 男の子よね。お友達かしら……」

 

 シズネの母が考え込んでいる間にゼノヴィアは通信をつなぐ。

 

『どうしたの? シズネも早く話そうよ』

『わ、私はいいです』

『会って話がしたいって言ってたのに』

『それはそうですけど……やっぱりこの姿ではダメなんです。顔が見られただけで私はもう満足しましたから』

『ふーん。じゃあ、私が好き勝手にする』

 

 ゼノヴィアに言った言葉はシズネの本心に違いはない。モッピーの姿で娘の名前を名乗るのはより心配をかけることにつながる。それに……せっかく昔の優しい母に戻っているのに、シズネの前になった途端に豹変するかもしれないという最後の不安が残っている。

 そんなシズネの内心を知ってか知らずか、ゼノヴィアはまだ話を続けようとしていた。

 

「おばさんは誰かを探しているか?」

「え? どうしてそう思ったの?」

「孤独に見える。それは最初からではない。どうしても私と娘を重ねていないか?」

「…………」

 

 日本語としておかしなゼノヴィアの言葉でも届く思いがあった。

 顔を伏せる母親の姿をシズネはぬいぐるみの中から見守っている。

 やがて母は重々しく口を開いた。

 

「そんなことないわ。私とあの人の娘はあの子だけだもの」

 

 再び顔を上げた母の顔はシズネの好きだった母そのもの。

 

「今も顔を見てきたけど、ずっと喧嘩をしててね。私と口を聞いてくれないの」

「嫌いであるか?」

「大好きに決まってるじゃない。あの子は何も悪くない。悪いのは私だけ。弱かった私が強かったあの子を傷つけた。でもやっぱりあの子からは嫌われてるわよね」

 

 ……違うよ、お母さん。

 モッピーの中に潜んでいる意識は陰で涙を流す。

 

「あの子があんな状態になったのも私のせい。私はずっとあの子と向き合うのが怖かった。何があっても表情一つ変えないあの子の心が見えなくなった」

 

 シズネも同じ。シズネを支えた楽しかった日々の思い出をいつ砕かれるかわからず怯えていた。

 

「やっと気づいたのよ。私、あの日からずっとあの子が笑った顔を見てない。あの人が自慢にしてたあの子の笑顔をもう一度見たい。なのに、目を開けてくれないのよ!」

 

 昼の交差点付近の歩道で女性が慟哭する。言葉の端々に後悔が滲み出ていて、1年前に突きつけられた現状を嘆いている。

 

『私、少しは力になれた?』

『はい……ありがとう、ゼノヴィアちゃん』

 

 得意げなゼノヴィアにシズネは感謝する。モッピーの姿で会いたくないシズネの思いを壊さずに引き出された母の本音は、まだこれからISVSで生きていく希望とするには十分すぎるものだった。

 

「ごめんなさいね。あなたには関係のないことなのに」

「ない。話を聞くことができて嬉しかった」

「不思議な子ね。あ、いけない! 早くカズマという子を探しましょうか」

 

 話が逸れていたことに気が付いたシズネの母はゼノヴィアの手を取って歩きだそうとする。しかしゼノヴィアはついて行こうとせずに反対側の道の先を見つめた。

 

「大丈夫。歓迎は起こりました」

 

 ゼノヴィアの視線の先には手を振って近づいてくる若い男の子がいる。探し人である数馬だということは一目瞭然だった。

 

「負債があった。さようなら」

「はい、さようなら。もうはぐれちゃダメよ」

 

 ゼノヴィアは数馬の元へと駆けていく。

 手を振って見送る母の姿を、シズネは抱えられたモッピーの中から目に焼き付ける。

 

 ――ちゃんと会って話すから。今までのこと全部埋めるくらい沢山話すから。だから待ってて、お母さん。

 

 ナナと共に帰るという目的の他に帰らなければならない理由ができた。

 失った時間は取り戻せなくてもこれからのことはまだ決まっていない。

 必ず生きて帰ってくると誓う。

 父と母の誇りである笑顔で。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 今日の出来事を振り返る。ナナの協力を得て、静寐さんの入院している病院にシズネさんを連れて行き、お母さんが見舞いに来ている事実を知ってもらった。ここまでは当初の予定通りだった。

 誤算だったのはシズネさんが俺の手を振りきって街に飛び出して言ってしまったこと。モッピーが力強かったことも想定外だったが、シズネさんが我を忘れて窓から飛び出していったのも意外だった。もっとも、後者については良い方向での誤算だけど。

 

「さてと。シズネさんは部屋にいるのかな?」

 

 俺はISVSに入っている。病院でモッピーに逃げられてから、結局俺は見つけることができなかった。見つけたのは数馬で、たまたま近くにいたラウラが持ち帰ってくれた。

 家に戻ったモッピーの中身はナナに入れ替わっていた。事情を聞こうとしたらISVSに入ってこいという返事しかこない。そのナナを真っ先に訪ねたが部屋の前に張り紙があって俺はシズネさんの部屋に誘導された。

 つまり、直接聞けということだ。

 

「シズネさん。ヤイバだけど」

「どうぞ」

 

 問題なく部屋に入ることができた。もうすっかり落ち着いているようで、いつも通りのポーカーフェイスで俺を出迎えてくれる。あまりにもいつも通りでこっちの方が困惑してしまったくらいだ。

 

「とうとう堂々と来る段階ですか……お母さん、静寐の貞操がここに散ることを許してください」

「どうしてそういつもいつも俺を(けだもの)扱いするのかなぁ……って、ん?」

「どうしたんです……? まさか本気で自覚したんじゃ――」

「マジで引かないで! そうじゃないから!」

 

 相変わらず冗談か本気かその境界線がわかりづらい。だけどそんな俺にも確実にわかることがあった。

 ……お母さんのことを見直したんだな。

 たとえ冗談でも今までのシズネさんならお母さんを引き合いに出すことはしなかったと思う。冗談の中にお母さんがいるってことはシズネさんが帰るべき現実は確かなものになったはず。

 今日、俺がしたことは無駄じゃなかった。そうわかると嬉しくなってつい顔がニヤツいてしまう。

 

「今日のヤイバくん、変です。若干どころではない身の危険を感じます」

「わかった。じゃあ、今後一切シズネさんに近寄らないようにするよ」

「え……?」

 

 冗談に冗談で返したらシズネさんは目を見開いたまま固まってしまった。

 しまった。この類の冗談は本気にされると取り返しが付かない。

 

「嘘に決まってるから! 俺はシズネさんを見捨てたりなんかしないから!」

「……ふふ。知ってます」

 

 慌てて訂正すると軽く笑われてしまった。どこまでが本気なのかやっぱりわからない。でも無表情が崩れてる時点でいつもは隠れてる感情が表に出ているのには違いない。

 シズネさんは微かに笑みを浮かべたまま俺に歩み寄ってくる。いつもとは違う彼女に見惚れていたらいつのまにか密着するような距離にまで来ていた。顔が熱い。強引に引き離すこともできないまま俺の両手は宙を泳いでいる。完全にシズネさんの雰囲気に飲まれていた。

 シズネさんの右手が俺の腹にそっと触れる。位置は鳩尾の辺り。親指以外の4本の指を垂直に立ててチョンチョンと突いてくる。

 

「ここに入れるんですか。難しいけどできるように頑張ります」

 

 俺は首を傾げざるを得ない。先ほどまでの気恥ずかしさや胸の高鳴りはどこかへと消え去って、シズネさんの摩訶不思議な言動と行動に疑問を持つばかりだ。

 

「今の私には無理ですけど、ナナちゃんに弟子入りしていずれはやり遂げてみせます」

「な、何を?」

「レミさんたちに教えてもらったんです。男を掴むには胃袋を掴めって」

 

 ご機嫌なシズネさんは俺の腹から右手を離すと、全ての指をわきわきと屈伸させた。

 ……あなたはその手で何を掴もうというのかね?

 

「物理的に掴むの!? 例えだから! 本物の胃袋をその手に握りしめたら死んじゃうから!」

「ずっとヤイバくんと一緒に居るために必要なんです。頑張れ、シズネ!」

「違うから! 永遠の別れを勘違いしてるだけだから! 心の中にいるとか勝手に妄想して美化しないで!」

「大丈夫です。ヤイバくんが死ぬはずありません」

「もはや信頼じゃなくてただの危険思想だよ!? そもそも俺を何だと思ってるんだ!?」

「超絶かっこいいスーパーヒーローに決まってるじゃないですか」

「すごく残念に聞こえるのは俺だけじゃないよね!?」

 

 こうしてシズネさんの言動に振り回されるのも俺はいつの間にか楽しく感じている。たとえ冗談でも俺のことをかっこいいと言ってくれる彼女の言葉に元気づけられる。彼女は俺に助けられていると思っているんだろうけど、俺の方こそ彼女に助けられているよ。

 

「そういえば、ヤイバくん。モッピーの使い道についてなんですが、これからの予定はどうなっているんですか?」

 

 冗談はさておきと言わんばかりに唐突に話題転換するのもシズネさんらしいところ。

 モッピーの使い道?

 そう言われてもピンと来ない。

 

「これからもナナが使うだけじゃないかな」

「レミさんたちが使ったりはしないんですか?」

「いや、ナナとシズネさんだけだよ。これ以上はダメなんだ」

「でも私たちばかり卑怯な気がします」

 

 シズネさんの言いたいことはわかった。たしかに皆が同じように閉じこめられた境遇であるのにナナとシズネさんだけ現実を見てきているのは不公平に思える。シズネさんが心苦しく思っても仕方がない。

 だけど俺たちにも譲れない理由がある。闇雲にモッピーを使わせると……ある事実を宣告することになりかねない。

 

「我慢してくれ。ツムギの中だとモッピーのことはナナとシズネさんしか知らないんだから誰も気にしないよ」

「あ、ごめんなさい。トモキくんにも話しちゃいました」

「え……」

 

 俺は目を見開いた。シズネさんが言ったことをすぐには飲み込めないでいる。

 

「すると秘密を共有するにはトモキくんにもモッピーを使わせた方が良いことになります。モッピーの中に入ったトモキくんの反応がとても愉快だと思われますけど、私には確認する術がないことだけが心残りで――」

「トモキも知っているのか!」

 

 シズネさんの肩を掴んで大きく揺する。頼むから冗談であってほしかった。

 

「はい、私が伝えました。突然にナナちゃんの姿が見えなくなったらトモキくんが騒ぐと思ったので……」

 

 よりによってトモキか。アカルギクルーの3人だったらまだどうにかなったのに。

 

「とにかくモッピーを使うのはナナだけだ。ツムギの他のメンバーには存在も教えないように注意してくれ」

「ナナちゃんは何と言っていますか?」

「特に何とも。了解してくれたよ」

「わかりました。これ以上、他の人には何も喋りません」

 

 最後の最後で嫌な話になってしまった。本当は隠し事なんてない方がいいんだけど、こればっかりはナナにもシズネさんにも言うわけにはいかない。

 もう既に、助かる人の方が少ないだなんて言えるわけがないだろ……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ゼノヴィアの迷子騒動があって散々な目にあった数馬は疲れた様子で自宅への帰路に就いていた。隣には疲労の原因となった少女。数馬のいない時間に楽しいことがあったようではぐれる前よりも良い顔をしている。彼女が楽しければいいやと納得する辺りは数馬の甘いところであった。

 今日1日同行していたラウラとはもう既に別れている。彼女はモッピーを持って一夏の家へと帰っていった。つまり数馬とゼノヴィアの2人だけの帰り道となっていた。それもゼノヴィアの笑顔の理由なのかもしれない。

 しかし、2人きりの時間は1人の男の介入によって崩される。

 

「待っていたよ。御手洗数馬くん」

 

 塀にもたれ掛かっている黒縁メガネの男を数馬は知っている。通り魔事件の調査をしているという刑事、平石羽々矢である。彼は数馬がこの道を通ることを見越して待っていたらしい。

 

「えと……平石さん、ですよね?」

「はい。覚えてくれていたようで助かるねぇ」

「僕に何か用ですか?」

 

 数馬は平石という男を警戒していない。しかし平石が刑事であり、通り魔事件を追っていることから身構えてしまうのは無理もない。そんな数馬の言動も平石は十分に承知している。

 

「君の思っている通りあまり良い話じゃないかな。例の通り魔事件。あれからまた1人、被害者が出てる。しかも君の家からそう遠くない場所だった」

「また、ですか」

「君とは一度話を聞いた縁もあるから、改めて聞いてみようと思ってさ。御手洗くんは最近になって変わったことに心当たりはないかな?」

「変わったこと?」

「そう、例えば……最近になってよく見るようになった顔とか。ご近所の方とも交流がある御手洗くんなら見慣れない人がいたらすぐに気づいたりしないかい?」

 

 最近になってと聞かれて数馬は考え込む。どの程度からを最近と呼べばいいのだろうか。ジョギングや登下校で見かける顔は半年前から見覚えがある。最近になって良く見るようになった人間を強いて挙げればラウラくらいだった。

 

「心当たりはないです」

「そっか……今日も収穫はなさそうだよ」

「お疲れさまです」

 

 目に見えて平石はガッカリする。数馬の証言に期待しすぎているあたり、刑事としての実力は低そうに数馬の目に映った。

 平石がとぼとぼとした足取りで数馬の帰り道とは逆方向に歩き出す。彼はすれ違いざまにふと気が付いたように違う話題を切り出した。

 

「そうそう。近頃は通り魔だけじゃなくてテロリストなんてのも怖い存在だよ。有名どころの反IS主義者(アントラス)の一味をこの近辺で見かけたという情報もあるんだ」

「テ、テロリスト!?」

「ああ、でも過剰な心配は要らないよ。この近辺に反IS主義を掲げる過激派組織の連中が狙うような施設や人なんてないからねー。ま、怪しい人間がいたら私に連絡をくださいってことでよろしく。そちらの小さいお嬢さんもね」

 

 テロリストが近くに潜んでいるかもしれないという危ない情報だった。しかしIS関連企業の施設が近くにあるわけではない。平石の言うように遠い世界の話だと数馬は考える。

 数馬と平石の2回目の邂逅はこれで終わる。互いに背を向けて顔を見えなくなったところで平石羽々矢はほくそ笑んでいた。

 

 

 明くる日の月曜日。数馬がいつも通りに登校した後で、藍越学園に向かう小さな人影があった。

 

「カズマは危険なほどに関係する」

 

 勝手に家を抜け出したゼノヴィアが藍越学園の敷地内に忍び込む。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越学園の塀の外には黒服の強面の男たちが多く張り込んでいる。全てオルコット家のSPであり、任務は織斑一夏に近づく不審人物の排除、要するに一夏の護衛である。彼らは一夏とセシリアの登校時にはついて移動し、学園内に入ってからは侵入者への警戒を強める。学園内の警備は違う者の担当であり、学園の敷地の周りには黒服が潜んでいる。これがセシリアが転校してからの藍越学園の現状である。

 一般人の目に触れないことを厳命されている彼らは黒服という目立つ格好でありながら未だにその存在を一般生徒に知られていない。護衛されている一夏本人すらも認識していない。影に徹している彼らはこのまま表に出るはずではなかった。

 この日までは……

 

 週の始めの月曜日。始業の時間を過ぎてから校門の前に迷彩服の大男が現れた。顔はガスマスクで隠されており、誰がどう見ても不審者である。学園の職員が気づく前にオルコット家のSPが行動を開始した。相手1人を格闘のスペシャリスト3人で囲い込むと肩を掴んで迷彩服の男の歩みを止めようとする。

 だが止まらない。3人がかりで押さえつけても迷彩服の男は変わらぬスピードで学園の敷地内へと進む。引きずられながらもSPの1人がガスマスクに手をかけたところで、迷彩服の男はようやく違う動きを見せた。

 腕をがむしゃらに振り回した。たったそれだけで3人の黒服を10m以上吹き飛ばす。人の領域から外れているその力にSPたちは警戒を強める。まだなんとかなると誰もが考えていた。

 そんな彼らに絶望がその形を見せる。

 藍越学園の正面の道路から整然とした複数の足音が聞こえてきた。それは全て同じ格好をしている集団である。迷彩服とガスマスクという日本の高校に似つかわしくない姿で統一された者たちはどう考えても好意的ではない。

 1人に対して3人がかりでも歯が立たなかったばかりだというのに、その数はSPたちの全人数を上回ている。

 手に負えないと判断したSPによって雇い主に緊急事態が告げられた。ほぼ同時に迷彩服の襲撃者たちはSPたちを蹴散らして学園内へと雪崩れ込む。

 その混沌とした状況を遙か遠方から眺める女がいた。

 

「ゴキブリ退治は終わり。あとは獲物を罠にかけるだけだ」

 

 亡国機業に属するIS操縦者、オータム。

 過去にアントラスの一員として旧ツムギと渡り合っていたテロリストが牙を剥く。



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33 亡国を織りなす手

 モッピーを肩に乗せての登校も1週間が経つと慣れたものだった。右肩に彼女が乗っていないと落ち着かないくらいで、ツムギの皆を解放したら寂しくなるなと自分勝手なことを考えていたりする。

 すれ違う同級生や先輩と挨拶を交わしながら玄関をくぐり、下駄箱で履き物を変えるのもただのルーチンワーク。他に考え事をしていても体にしっかり身についている動きは実にスムーズ。

 だけど今日はその途中で手を止めた。下駄箱の中に違和感があったからだ。

 

「どうしたのだ、一夏?」

 

 右肩のモッピーも下駄箱を覗き込む。上履きに手を伸ばしたまま固まっている俺の指が触れているものは横書きの封筒だった。しかも赤いハートマークのシールで封をされている。

 

「こ、これはもしや……恋文!?」

 

 俺の心の声をモッピーが代弁してくれる。そんなバカなとは思いつつもちょっとは期待してしまうのが男心というものだ。過去に告白されたことはあるけど、気になるものは仕方がない。

 表面の宛先を確認する。『織斑くんへ』と書かれた後に手書きでハートマーク付き。ここまでハートばかりだと誰もがラブレターと思ってしまうだろうな。字の方も丸っこくて女の子の筆跡に見える。

 差出人の名前は封筒に書かれていない。中の便箋に書かれているか、逆に書かれていないこともありうる。

 周囲を確認する。幸いなことに近くには誰もいないようだ。もし居たらさっきのモッピーの声を聞きつけて野次馬になっているはずだからな。教室に持って行くまでもない。むしろこの場で開いた方が安全とみた。

 ハートのシールをめくり、封筒を開封する。中には便箋が1枚だけ入っていた。

 

――――――――――――――――――――――――――

 織斑くんへ

 

 ずっと前からあなたのことが気になっています。

 怖かったけど勇気を出すことに決めました。

 会って直接私の気持ちを伝えたい。

 1時限目後の休み時間に体育館の倉庫で待っています。

――――――――――――――――――――――――――

 

「マジかよ……」

 

 どう読んでもラブレター。てっきり中には俺の恥ずかしい写真とかが入ってるドッキリ企画だと思ってたのに拍子抜けだった。

 一体誰だ? まるで心当たりがない。

 自分で言うのもなんだが、俺の周りは最近を除くと女っ気どころか友達すら少なかった。鈴は今更こんな手紙なんて出す必要がないし、既に俺はひどい振り方をした。鈴以外で“ずっと”と言えるほど前から知ってる女子は箒くらいだが、その本人が中に入ってるぬいぐるみがラブレターを見て驚愕してたから彼女でもない。

 ……でもこれは俺から見ての話か。“ずっと”なんて言葉の具体的な長さなんてのは個人差があるし、そもそも俺が知っている女子という前提が間違ってる可能性もある。心当たりなんて関係ないな。

 

「どしたの、一夏?」

「うわああ! 鈴!?」

 

 ラブレターを前にして考え込む俺とモッピーの後ろから突然、鈴が話しかけてきた。咄嗟にラブレターを後ろ手に隠して振り返る。

 

「何よ、その反応は。あたしが居て何か不都合でもあるの?」

「そ、そんなことはない……ぞ?」

「なんで疑問系なのよ。まあ、いいわ。見なかったことにしてあげる」

 

 明らかに挙動不審であったろう俺に何も追求せず、鈴はさっさと教室に向かっていった。こういうとき徹底的に問いつめてくるのが鈴だったのに、ここ最近はそうでないときもある。何か心境の変化でもあったのだろうか。

 

「鈴に言わなくて良かったのか?」

「わざわざ言う必要ないからな。もし悪戯じゃなくて本気ならちゃんと断るつもりだし」

「そうか。ならば私がとやかく言うこともなかろう。それはともかくとして、1つ頼みがあるのだがいいか?」

 

 そう言うと、モッピーは人の神経を逆撫でするような(よこしま)な笑みを浮かべた。

 

 

  ***

 

 1時限目が終わってからこっそりと教室を出た。弾とかはトイレに行ったとでも思ってくれるはず。あとはこのまま急いで体育館に向かえばいいんだけど、1つだけ心配の種は残っていた。

 

「早く行かないと次の授業に間に合わないぞ」

「言われなくてもわかってるっての」

 

 俺の肩にはモッピーが乗っている。彼女はこのまま体育館倉庫にまでついてくる気である。先ほどの頼みが正にそれ。置いていきたかったのは山々だがどうしてもとお願いされると嫌だとは言えなかった。やっぱり俺はナナに弱い。

 トイレ休憩程度の短い時間だから体育館倉庫に居られる時間は少ない。呼び出した子がわざわざこの時間を選んだのは昼休みや放課後だと人目につくからだろうか。それ以外にこんな慌ただしいだけのセッティングをする理由を思いつかない。悪戯でなければだけど。

 

 誰もいない体育館に到着する。このタイミングで体育の授業が入っていたら迷わず引き返すところだが、ラブレターの差出人はちゃんと下調べ済みだったようだ。もし悪戯だったらわざと体育の授業に当てて俺の反応を見る方が面白いに決まってる。本気の可能性が高くなってきた。

 誰もいない体育館を俺の足音だけが反響する。奥行きも高さも広い空間にひとりでいると静かで落ち着くと同時に寂しさも覚える。式典などで静かな場でも人が溢れていることが多い場所だから余計にそのギャップは大きい。

 体育倉庫を開けてみる。手入れが十分でない鉄の引き戸は開けるのにそれなりの力が要る。開けるのでなく引きずるに近い行為は何度も開け閉めするのを面倒くさいと思わせるのに十分だ。

 

「人の気配は感じられないな」

 

 ナナはぬいぐるみの中からでも人の気配を探れるらしい。俺も彼女に同感で先に人が入っているとは思えなかった。俺の方が足が速いから先に来てしまったのか。でも今から教室に戻っても間に合うかどうか危ういのにまだ来ていないのはおかしい。

 あと2分くらいなら時間がある。体育館の入り口を見守る。とにかく今は待つだけ待とう。

 

「――わざわざ来てくれてありがとう、織斑くん」

「へ……?」

 

 唐突に女性の声がした。恥ずかしがる気の弱い印象はさらさらなく、俺をガキ扱いしてそうな高圧的な声だ。俺もモッピーも辺りをキョロキョロと見回すがどこにも人影がない。

 

「呼びつけてしまってごめんなさい。でも、どうしても君に伝えたい思いがあるの」

 

 不気味さすら感じさせる声は体育倉庫の中から聞こえてきている。しかしモッピーが言ったように人の気配がない。整頓された倉庫内には身を潜めるような場所も無いはず。

 状況を飲み込めない間にも事態は進む。無人の体育倉庫内に置かれていた剣道の面がカタカタと動いた。これだけでも十分にポルターガイストなのに、あろうことか面が宙に浮き上がる。

 

「何だよ、これ!? 幽霊!?」

「落ち着け、一夏!」

 

 落ち着けるわけがない。浮いているのは面だけでなく胴と小手も含めた防具一式。それらはまるで透明な人間が付けているかのように配置され、右の小手が竹刀を手に取った。

 

「私のために……死ねえ!」

 

 剣道の幽霊が竹刀の切っ先を向けてくる。予備動作などなく、一切の容赦もない突きが俺の喉元に迫る。理解が追いつかない展開に混乱している俺はその意味すらわからぬまま棒立ちしていた。

 

「一夏ァ!」

 

 右肩に軽い衝撃。俺の名を呼ぶ乱入者がこの場に現れた。視界の端に見慣れたツインテールが揺れる。

 鈴だ。なぜ彼女がここに?

 彼女のタックルは体重差のある俺を突き飛ばす。抱きつかれる形で俺たちは床を転がり、空を切った竹刀はそのままコンクリートの壁を刺し貫く。

 俺は一体、何を目にしているんだ!?

 剣道の防具が喋ったり浮いたりするばかりでなく、竹刀がコンクリートを貫通するという常識外れの出来事。人の体に当たればどうなるかは考えるまでもない。

 

「いっつつ……」

 

 俺の上で鈴が苦しげな声を上げる。さっきの竹刀が右肩を掠めたらしく、制服が裂けて血を滲ませていた。

 

「鈴! お前、怪我して――」

「あ、あたしのことはいいから……早く逃げなさい」

 

 逃げろと言われて俺はようやく“敵”を認識した。

 もしかしたらISVSでなく直接仕掛けてくるかもしれないと、いつも言っていたじゃないか。

 いざそのときになって何たる失態だ。その代償が今の鈴の怪我であり、このまま続けば誰かが死ぬかもしれない。

 床を転がっている竹刀を手に取る。

 

「逃げるなら一緒にだ、鈴」

 

 今の危機は全て俺の不注意に原因がある。ラブレターに偽装した罠にかかって、のこのこと誘き寄せられた時点で敵の策に嵌まっていた。俺の失態の皺寄せをまた鈴が受けることになるなんて許せるわけがない。他ならぬ俺自身がだ。

 剣道幽霊は壁から竹刀を引き抜く。普通なら竹刀の方が折れているはずなのに無傷のままだ。単純に力が強いだけじゃ説明できない現象が起きている。俺が竹刀を手にしたところでまともな剣道になるとは思えない。

 だがそれでも引くわけにはいかない。力がないことを理由に諦めない。俺はそう決めたのだから。

 

「立てるか?」

「うん、なんとか」

 

 苦痛に顔を歪めながら鈴は立つけど明らかに足下が覚束ない。なんとか立てると言っても俺を支えにしてやっとだ。ひとりで走って逃げるのはまず無理だろう。

 

「織斑千冬の弟にしては弱すぎて拍子抜けだ。女に守られるなんて恥ずかしくねーのか、おい」

 

 剣道幽霊がじりじりと間合いを詰めてくる。俺を警戒してのことじゃなくて単なる余裕の表れ。戦いではなく一方的な嬲り殺しだと態度で語っている。

 怪我人の鈴を抱えている俺は満足に逃げることもできない。雪片弐型と比べると天と地ほどの差がある得物でも、今は竹刀(こいつ)を頼るしかなかった。

 

「やる気になったのは褒めてやろう。だが――」

 

 見えなかった。俺が構えていた竹刀はその半ばで粉砕され、武器として使い物にならなくなる。立ち会いで剣を見切れなかったのは師匠と千冬姉以来のこと。

 

「無駄な足掻きなんだよ! この壊れちまった世の中、男は女に勝てねえ!」

「ぐあっ!」

「一夏っ!」

 

 左の小手がロケットパンチのように飛んできた。隙を晒した腹を抉る一撃で俺は膝を屈する。壁を貫いた竹刀と違って痛い程度で済んでいるのが幸いだった。

 鈴だけでなく俺も満足に動けなくなる。剣道幽霊は俺たちの前で竹刀を振り上げた。

 

「まずは死なない程度にその手足を砕いてやる。織斑千冬がどんな顔をするのか今から楽しみで仕方ない。精々、ショック死しないよう気を張ってくれよぉ?」

 

 やっぱりダメなのか。俺が戦えるのはISVSの中だけなのか。箒を助けるために戦わなきゃいけない相手なのに、現実での俺は戦力にならない。鈴を巻き込んで、無様に負けるしかないのか。

 ……ちくしょう。

 竹刀が迫る。避けることはできず防ぐものもない。もはや兵器と遜色ない暴力を前に俺は蹂躙されるのを待つばかりだった。

 

 だけど、ここに居るのは俺と鈴だけじゃなかったんだ。

 

 俺の眼前に飛び込んできたのはちんちくりんなぬいぐるみ。

 宙を浮くそれは剣道幽霊の竹刀を指一本で受け止める。

 

「待たせたな、一夏。リミッター解除に手間取った」

 

 初めから戦力外と思っていたモッピーだった。俺と鈴が目を丸くしている間に剣道幽霊の竹刀に短い足で蹴りを浴びせて粉砕する。さらに前進して懐に入ると胴防具に掌打を放ち、こちらもまた破裂するように吹き飛んだ。

 

「武器は……木刀だけか。まあいい。問題はない」

 

 光と共にモッピーの右手に木刀が出現する。この現象は見覚えがある。ISVSで何度も見てきた、拡張領域(バススロット)内の武器を呼び出す(コールする)際の光。

 木刀を得たモッピーは短い手で体ごと回転するように振り回し、剣道幽霊の小手を2つともズタズタに引き裂く。一瞬のうちに全身のパーツのことごとくを破壊された剣道幽霊は残された面だけモッピーから急速に離れた。

 

「チィッ! 何なんだテメーはよ!」

「それはこちらの台詞だ。卑劣な手段で一夏を罠にかけたばかりか、神聖な剣道具を使った悪行、捨ておけん!」

 

 男前な口上で木刀を剣道幽霊の面に突きつけるモッピー。その小さい背中に古い記憶の中の彼女が重なる。虚勢ではなく内から滲み出る確固たる自信。同じ道場で稽古に励んでいた頃の凛々しく頼もしい彼女の背中だ。

 

「箒……」

 

 宙を浮くモッピーが目にも止まらぬ速さでかっ飛んでいく。彼女が正面に構えていた木刀は吸い込まれるように剣道幽霊の面を貫いた。

 木刀の軌跡は線そのもの。ISVSで見慣れた銃撃と遜色ない。

 一連の無駄のない攻撃に見惚れてしまった。技の主が二頭身のぬいぐるみなのにカッコいいとさえ思わされた。

 モッピーが木刀を下ろす。斜めになった木刀を面防具が滑り落ちて床を転がった。ポルターガイストに等しい剣道幽霊は完全に沈黙。奇天烈な襲撃はモッピーの活躍のおかげでなんとか無事に退けた。

 

「助かったぜ。ありがとな、モッピー」

「礼には及ばぬ。私は与えられた役割を全うしただけだ」

「俺の感謝の気持ちを否定するのは許せないな。素直に受け取っておけ」

 

 以前にナナに言われたことをそのまま返してやる。お互い、素直に相手の礼を受け取れないのは似たもの同士だからかな。

 何はともあれ危険を免れた。剣道幽霊に殴られた腹はまだ痛むが動けないほどじゃない。それに、俺よりも鈴の方がひどい怪我をしたはず。

 

「大丈夫か?」

「……う、うん」

 

 返事に元気がないし、痛みに耐えているためか時折目蓋を強く閉じる。肩口からの出血が少ないのが不幸中の幸いか。

 とりあえず保健室に連れて行って、その後で病院だな。

 俺は鈴の前で背中を向けて屈む。

 

「な、何よ……あたしは歩ける……」

「無理すんな。背負われるのが嫌だったら抱いてやるから」

「んな!? いきなり何言って――痛っ!」

「ほら、いきなり大声出すからだぞ。大人しく俺の背中に乗ってけ」

 

 観念してくれたようで、鈴の腕が俺の首に回される。鈴の細い太股を掴み立ち上がるのは全く苦にならない。女子の中でもかなり軽い方だろうなと推察する。

 重さだけじゃない。手と背中で触れ合っているところから伝わる温かさ。ISVSと違って失ったらそれまでの熱。もしかしたら今さっきまでの一瞬で無くなってしまったかもしれないものに触れることで、助かって良かったと感じ入る。

 

「……少しは意識しなさいよ。あたし一人顔を赤くしてバカみたいじゃない」

「意識はしてるぞ。だからこそわかるが、背中に当たる感触が物足りない」

 

 後頭部に拳骨を入れられた。これだけ動ければ十分大丈夫だと俺はようやく安心できる。頭の痛みも嬉しさに変えて一歩ずつ慎重に歩く。

 薄暗い体育倉庫から出る。足音だけが反響していた静かな空間は変わっていないが、外がやたらと騒々しくなっていた。もう授業が始まっている時間のはず。グラウンドでの授業にしても妙だ。

 嫌な予感が拭えない。体育館倉庫から出たところで足を止めているとモッピーが木刀を携えたまま前に進み出る。

 

「そのまま下がっていろ。まだ終わっていないようだ」

 

 モッピーの警告を合図にしたかのように体育館の金属扉が鈍い音を立てて内側に凹んだ。外からガンガンと次々に攻撃が加えられ、最終的に重い金属扉が体育館内に吹き飛んでくる。

 扉の消えた入り口には数()の人影があった。それらは一様に迷彩服という学校に似つかわしくない格好で統一されている上に、顔はガスマスクを被っていて確認できない。

 俺には人だとは思えなかった。鍵が掛かっていない扉なのに力づくで押し通ろうとしたのは知性か手先の器用さが欠けているに違いなかったからだ。もし扉を壊して侵入するのが常識だとしたら、それは狂った世界なんだと思う。

 

「モッピーだけで大丈夫なのか?」

 

 敵の数は見えているだけで3。銃器の類は持っていなさそうだが、逆に言えば道具無しで分厚い金属扉を吹き飛ばしたことになる。どう考えても普通ではない。

 

「案ずるな。一夏も鈴もこの私が守ってみせる。篠ノ之の名にかけて」

 

 閉鎖空間に風が吹く。

 体育館への侵入者にモッピーが木刀で殴りかかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 どの教室の窓にも野次馬が溢れていた。それも仕方のないことだ。外を見やれば迷彩服にガスマスクの異様な集団が校門から真っ直ぐに校舎へと近づいてきているからである。

 不審者の集団の不法侵入により授業は中断。不審者集団が危険であることは学校職員も把握しているが、全生徒を校舎外に避難させることは厳しく逆に危険に晒すことになる。結果、生徒たちを教室に残して、不審者を校舎外で撃退するという方針で固まった。

 玄関から1人の男が出てきた。両腕と両足のみに西洋騎士の甲冑を装着した男。藍越の生徒の誰もが逆らえない鬼教師が金属でできたブーツを打ち鳴らしながら歩みを進める。

 

「銃や爆弾を使わないあたりは良心的だな。それよりある意味で(たち)が悪いのが難点だが」

 

 宍戸恭平。旧ツムギのメンバーであった高校教師がオルコット家が雇っていた護衛を蹂躙したガスマスク集団の前にたった1人で立ちはだかる。

 

『緊急時のため、ブルー・ティアーズを限定展開しました。リミテッドのPIC、ならびにPICCを使用できます』

 

 甲冑から音声が発される。これは屋上にいるセシリア・オルコットからの連絡。戦闘準備完了を意味する合図である。

 襲撃者たちも様子見の時間は終わりだった。宍戸1人を取り囲むようにして広がると5体が一斉に襲いかかる。

 

「遅い」

 

 金色の瞳が怪しく光る。5方向からの同時攻撃を紙一重で躱すと同時に銀色の拳がカウンターで迷彩服の腹にめり込んでいく。バタバタと倒れていく襲撃者のうちの1体のガスマスクを鷲掴みにすると力を入れて砕いた。ガスマスクの中身が空気に晒される。

 

「気を失っているが、これは最初からだろう」

 

 中から出てきたのは気絶した男性。今の攻防によって気を失ったのではないとする根拠は、中に人がいる意味を為してないと宍戸が理解しているからだ。

 事前に襲撃者の情報はセシリアに与えられていた。

 護衛たちが手も足も出なかったのは迷彩服の()()()によって無力化されてしまったため。

 宍戸の攻撃が通用したのはセシリアの専用機の支配下に置かれたリミテッドを使用したため。

 全て、過去に経験のあることだった。

 

「非生物や死体をBT装備やリミテッドのように使役するワンオフ・アビリティ“傀儡転生(かいらいてんせい)”。まさか“死人使い”が生きていたとはな」

 

 周囲を取り囲んでいるガスマスクの1体が前に進み出る。

 

「ハッ! それはこちらのセリフだ、“銀獅子”。クリエイターの死に殉じたと思っていたよ」

 

 発されたのは高圧的な女性の声。過去に直接顔を合わせたことは一度としてないが、宍戸の知っている女で間違いない。

 相手は旧ツムギが最も恐れていたテロリスト。操り人形にした死体を駆使して、自らが表に出ることなく破壊活動や要人の暗殺を行なってきた卑怯者。

 もし彼女が本気になれば、校舎に残る生徒は1人残らず殺される。たったひとりでそれだけの物量が生み出せる強敵だ。直接的な戦闘で圧倒してみせた宍戸だが、その涼しい顔の裏では焦っている。

 

「狙いは織斑一夏か?」

「もしそうだとしても言うわけねーだろ。無い知恵絞って考えるこった」

 

 言われずとも宍戸は考えを巡らせている。本当に織斑一夏を排除するつもりならば銃器や爆発物を用いて殺害するのが手っ取り早い。傀儡の兵隊を使うにしても銃を使用した方が制圧が容易であったはず。

 それをしないのには理由がある。狙いが織斑一夏であるかは定かではなかったが、誰かの命を狙う作戦にしては大人しい。相手の残忍な性格を知っているからこそ違和感となる。

 言葉を交わすのはこれまで。人形たちの活動が再開し、宍戸に群がる者と校舎へ向かうものの2つに分かれた。殴りかかってきた人形に右手でボディブローを入れた宍戸は空いている左の小手を自分の口に近づける。

 

「敵の本体は服とマスクだ。中の人間は無関係だから殺すなよ」

『了解しましたわ。こういった戦闘はわたくしの得意分野です』

 

 屋上から空に放たれた蒼い閃光がカクカクと曲がりながら地面へと降りていく。校舎へ迫る人形の群れに飛び込んでいった蒼き狩人は縦横無尽に駆け回る。その軌跡は人形の脇腹や肩口を掠め、ガスマスクを抉りとり、ただの1つも直撃しない。着弾すらせず、光は最後に空へと消えていく。結果、中の人間が致命傷を負うことなく、バタバタと人形が地面に倒れていった。

 

「鋭角な偏向射撃(フレキシブル)……それも複数同時だと!?」

「セシリア・オルコットを警戒して人形の中に生きた人質を入れていたようだが無駄だったな。ハッキリ言わせてもらうが、お前との相性の良さに限ればブリュンヒルデよりオルコットの方が上だ」

 

 襲撃者にとってセシリアの能力は想定の外。2人でどうにか校舎への侵入を防げている。

 しかし均衡が破られるのも時間の問題。

 状況はまだまだテロリスト側に分があった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「今のってビームだよな!? 俺、リアルで初めて見た!」

「アホか。CGの虚仮威(こけおど)しに決まってるだろ。空間投影ディスプレイを応用すればできる。オルコットさんなら財力的にやりかねないし」

「言われてみれば地面に穴1つ空いてないや」

「ってか、宍戸の方がやばくね? 動きが人間じゃねえんだけど」

 

 窓に張り付いている男子生徒たちが驚嘆の声を上げている。敷地内へ不審者が侵入したという校内放送に続き、授業まで中断になっている非常事態。野次馬になっている者は基本的に異常を楽しんでいる。

 逆に窓から離れた場所でビクビクと震えている者もいれば、入り口から誰もいない廊下をしきりに気にする者もいた。

 

「廊下の様子はどうだ、ジョーメイ」

「無人でござる」

「今のところは敵の侵攻を抑えられているってわけか。だが一夏と鈴もいない。どこ行ったんだ、あいつら……」

 

 弾は頭を掻いていた。事情を知らないクラスメイトと違い、ISVSでIllと戦ってきた者たちは今の状況が深刻であることを理解している。自分たちの手に負えないことも。

 だが教室でじっとしていられそうになかった。セシリアも宍戸も校舎を死守しようとしている。その庇護下に一夏と鈴がいない。携帯電話は圏外となっていて連絡もつかない。

 

「俺が見てくる」

 

 廊下に足を踏み出したのは幸村。鈴のいない現状を最も憂えている男だ。鈴の危機かもしれないとなれば飛び出していくのも無理はない。

 弾は幸村の肩を掴んで引き留める。

 

「よせ。ISVSじゃないんだ。現実(ここ)でのお前には“最速の逃げ足”がない」

「だからどうした。俺が足を止める理由にはならないだろ」

 

 幸村の決意は固く、弾には止められそうにはなかった。

 いや、そもそも本気で止める気はなかった。

 弾は幸村と肩を並べる。反対側には数馬とジョーメイの姿もある。

 

「1人で行くのはよせと言っただけだ」

「友達を助けに行くのを止めるわけないって」

「拙者たちは戦いにいくわけではない。皆、肝に銘じておくように」

 

 藍越エンジョイ勢の男4人が安全な教室を出て一夏たちの捜索を開始する。先頭をいくのはジョーメイ。弾たちの耳には届かないほどの微かな足音だけで素早く移動し、先の様子を確認していく。

 あまりにも手慣れた動きに数馬たちは動揺を隠しきれない。

 

「ござる口調にすると動きまでニンジャになるん?」

「マイブームってのは恐ろしいモチベーションになるんだよ。きっと陰で厳しい鍛錬を積んでいるに違いない」

 

 弾だけはジョーメイの正体を知っているがクラスメイトたちには内緒しておくと約束していた。笑い話にして誤魔化しておく。

 先を行くジョーメイが右手を挙げた。安全だというサインを見てから弾たちが後に続いていく。再びジョーメイが先行する先はトイレ。男子トイレの中に入っていく彼を見守っていた幸村が呟く。

 

「よし、女子トイレは任せろ」

「頼んだ」

「逝ってこーい」

「送り出すんかい! そこは止めるところだろ!」

 

 幸村の冗談ではあったが、実際、鈴がいるかどうか確認しておくのも弾の頭の中に選択肢としてあった。だが男子トイレから出てきたジョーメイが×印でサインを送ってきたことで考えを改める。

 一夏がトイレにもいない。ならば他の階、もしくは校舎の外にいる可能性がある。この時点で女子トイレに鈴がいるか否かは関係なくなった。

 4人は下の階へと降りていく。外や教室の騒々しさとは対照的に階段、1階の廊下は静かなものだった。玄関方面に向かうのは明らかに危険。宍戸が通った後のはずであるから一夏たちがいるとは考えにくかった。

 考えられるのは体育館のある逆方面。今の時間に授業はないのだが、一夏たちが校舎外にいるとすればそちらしか残っていない。

 

「そういえば不審者集団はどうしてあっちから入ってきてないんだろ?」

 

 違和感に最初に気づいたのは数馬だった。校舎へのわかりやすい入り口は玄関の他に体育館への連絡通路もあった。玄関前は宍戸が陣取っているため敵は校舎に侵入できないでいる。1階の窓は進入経路として無防備に等しかったが、それ以前に人が楽々侵入できる入り口が放置されているのは解せない。

 

「オルコット殿の働きによるものでござろう」

「だといいがな」

 

 もちろんセシリアの活躍も影響している。事実、敵が窓からの侵入すらできずにいるのは彼女によって守られているからだ。

 しかし敵の目的が何であれ生徒を人質にとるメリットは大きい。数で圧倒して侵入するにも入りやすい入り口を使わない手はない。

 最善と思われる手で来ない。その理由があるはず。先のデュノア社のミッションで痛い目に遭っていた弾は敵の行動の意図を推察する。

 

「最悪のケースだが、奴らは校舎に来れないんじゃなくて来る必要がないんじゃねえか?」

「織斑が体育館にいるってことだな?」

 

 幸村も同じ考えに行き着いていた。鈴が絡むと彼の頭の回転は凄まじく速くなる。

 方法は不明だが一夏は敵に誘い出されている。鈴もそれについていったと考えると不自然な点が見当たらない。

 セシリアがビームで攻撃している時点で敵がISであることは確定している。現実でISを使うような敵が藍越学園にやってくる目的は一夏しか考えられない。

 

「了解した。拙者が一夏殿と鈴殿を救出に参る」

「いや、ジョーメイ1人を行かせられないって」

「何度も言うが鈴ちゃんの危機に俺が黙ってられるわけがない」

 

 弾としてはジョーメイ1人で行かせるつもりだったが友人思いの数馬と鈴ちゃんバカの幸村を止められるだけの言葉を持っていない。たとえジョーメイの正体を明かしたところで同じだろう。それはジョーメイも同意見で、弾に無言でアイコンタクトをする。

 

「慎重に行くぞ。ジョーメイが先行するのはさっきまでと同じ。ヤバいと思ったら全力で引き返す。いいな?」

 

 全員で顔を合わせてから頷く。できることなど何もないかもしれない。それでも男たちは行動を開始する。

 

「正解だったようでござる」

 

 先を行くジョーメイが呟いた。後に続く3人が目にしたのはあるべきはずの金属扉がなくなっている体育館の入り口。誰もいないはずの体育館に敵が強引に押し入っている理由は1つしかない。

 迷彩服の不審者は近くにいない。まずは中の様子を確認するためにジョーメイが体育館に寄っていく。

 

 誰もが体育館の中ばかりに意識が向いていた。

 現実はISVSと違う。地上にしかいない敵を前にして頭上を気にするはずもなかった。

 そんな中、数馬がふと見上げたのは偶然である。弾と幸村の2人より後ろに居たからこそ、視野が広くなっていた。ただそれだけの違いだった。

 空に人影があった。日本の鎧を模した装甲を身に纏っている。見覚えのあるそれは打鉄のように見える。

 倉持技研から救援が来たのだろうか。

 しかしそれにしては明らかな異常がある。

 

 操縦者は男だった。

 

 数馬が声を上げる間もなく、打鉄は体育館の屋根を突き破っていく。乱暴な侵入は周辺に瓦礫を撒き散らす。その内の1つが前を歩く弾に向かっていた。まだ弾は屋根を突き破る轟音に気づいたばかり。

 考えるより先に体が動いていた。数馬の両手は前を歩く2人を突き飛ばす。そして――

 

 瓦礫が数馬の頭を殴りつけていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 迷彩服にガスマスクの妙な集団がモッピーの木刀に吹き飛ばされて折り重なる。死屍累々とはこのことだろうか。死んではいないと思うけど、剣道幽霊とは違って中に人が入っていた。

 

「も、モッピー……さっきから木刀で全力で殴りつけてるけどやりすぎじゃないか……?」

「安心しろ。峰打ちだ」

「木刀に刃も峰も無いだろ!?」

「冗談はさておき。一夏にはわからぬだろうがこいつらにはPICが働いている。これくらいやらねば私の攻撃も届かないのだ」

 

 どう見てもただの人間だったがその実は違っている。体育館に侵入してきた者たちはISを傷つけることも不可能ではなく、ISのない者に対して無敵であった。おそらくは有人リミテッド。さっきの剣道幽霊も同類なんだろう。

 モッピーはPICのある敵を打ち破ることができた。もしかしなくてもモッピーってISなんじゃないだろうか。だとすればモッピーさえ居ればなんとかなると思える。

 だが敵も単調な攻めで終わらない。

 けたたましい音と共に体育館全体が大きく揺れる。頭上を見上げれば天井には大きな穴。そして、宙を浮く“打鉄”が俺たちを見下ろしていた。これまでと違う明確な兵器の登場。倉持技研からの援軍とは思えない。打鉄はアサルトライフルを俺たちに向けている。

 

「させるかっ!」

 

 鈴を背負っている俺では動きが鈍い。モッピーが地上の迷彩服野郎どもを放置して宙にいる打鉄へとかっ飛んでいく。体育館内の空気が激しく動き、俺たちを強烈な風圧が襲う。なんとか踏みとどまっている間に1発の打撃音。続いて体育館の床を重いものがガシャガシャと転がる。

 再び見上げたときには宙にいた打鉄の姿はなく、木刀を振り終わったモッピーだけ。

 床に目を移すと転がっているのは操縦者を失った空の打鉄。機能停止と同時に投げ出されたのか操縦者と思われる“気絶した男性”も倒れていた。

 

「男……?」

「奴らが来てるわ! 余所見してないで!」

 

 背中から聞こえる鈴の焦った声の通り、迷彩服たちが俺たちの元へ近寄ってきていた。だけどまだ大丈夫。モッピーが居てくれる。高い天井近くから急降下してきたモッピーが最前列の迷彩服を吹き飛ばして壁となる。

 頼もしい。多勢に無勢でも彼女が負けるとは思えなかった。このまま俺たちは下手に動かず、セシリアや宍戸の救援を待つのが最善だろう。

 

 そう……俺たちだけだったなら。

 

「ねえ……声が聞こえない?」

 

 先に気づいたのは鈴だった。目に見えるものだけでいっぱいいっぱいだった俺には戦闘の騒音に紛れて外からの人の声が聞こえていなかった。

 意識を向けて耳を澄ませる。セシリアでも宍戸でもなく、弾の声……

 

「数馬っ! くそっ!」

 

 弾と数馬が近くに来ている? 他にも幸村とジョーメイの声もする。しかし数馬の声だけはしない。

 外で何が起きてる? ここからだと何も見えない。敵が入り口から攻めてきている現状だと様子を見ることも適わない。

 

「箒っ! 外に皆が――」

「わかっている! だが私はここを離れるわけにはいかん!」

 

 ほぼISであるモッピーといえどできることは敵の迎撃だけ。殲滅してこの状況を強引に打開するような真似はできない。

 手が足りない。ここで見ていることしかできないのか……

 何か手はないか。何でもいいから武器になりそうなものを探して辺りを見回す。

 そんな俺の目に、モッピーが撃墜した打鉄が映った。

 

「もしかして……あれって……」

 

 近くに倒れている操縦者と思しき人物は男である。ISVSならば何も不自然ではないが、現実のISは女性にしか使えないという制限があったはずだ。

 しかし床に転がっている打鉄は正常に動いていた。でなければ体育館の屋根を突き破って入ってくるような荒技は難しい。モッピーにやられはしたものの、男が操縦するISが確かに存在しているのだ。

 

 ――手が足りないなら俺がやればいい。

 

「鈴、ちょっと降りててくれ」

「う、うん。いいけど」

 

 背中から鈴を下ろして墜落した打鉄を見据える。

 動かないかもしれないけど、もしかしたらがあるかもしれない。

 考えてる時間もない。皆に危険が迫ってる。

 俺がやるしか……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一瞬の出来事だった。唐突に後ろから背中を押された弾と幸村の2人は何が起きたかもわからないまま前に転げる。咄嗟に床に伸びた手を強く打って痛むも弾は振り返った。容赦なく突き出された手の主が誰かは振り返る必要もなく誰かはわかっている。

 

「数馬!」

 

 自分の痛みなど忘れた。振り返った弾の目に飛び込んできた光景はにわかには信じられないものだったからだ。

 そこに立っていなければならない男が仰向けに倒れている。彼の頭には打撲痕があり、赤い血が広がっている。その原因と思われるコンクリート片も傍に落ちていた。

 

「おい、数馬! 返事をしろ!」

 

 慌てて駆け寄って必死に呼びかける。何が最善かなど考える余裕などなく、現実を否定するために叫ぶしかできずにいる。弾だけでなく幸村も同じ。鈴の危機すらも頭から吹き飛び、倒れている数馬を黙して見つめるだけ。

 ジョーメイ――朝岡丈明も引き返してきた。更識の忍びの一員として最も危険な位置を買って出ていた彼は自らの視野の狭さと油断、素人を連れてきた判断ミスをひたすらに悔やむ。たとえ誰の悪意もない事故であっても、防ぐことができた事態だった。

 

「マズい。連中がこちらに気づいた」

 

 唇を噛むばかりで終わっていられる状況ではないと切り替える。ジョーメイは高校生でありながらプロフェッショナル。趣味のござる口調は消えて、仕事の顔に変貌する。

 

「出血はひどくない。表層の皮を切った程度だ。だが頭を強く打っているから下手には動かせない」

 

 弾を押しのけて数馬の傷の状態を確認。鼻の前に指をやり、空気の流れを感じ取る。だが頭を強く打っていて危険な状態。治療が遅ければ最悪の場合、数馬が死ぬ可能性もある。急いで動かすのも危険だというのに状況は悪化するばかり。迷彩服とガスマスクのゾンビのような集団が着実に近づいてきていた。

 朝岡は前に立つ。元を辿れば自らの判断ミスが招いた危機。責任は自分が取らなければならない。

 

「弾は数馬を看ていて欲しい。亮介は生徒会長を呼んできてくれ」

「わかった。行ってくる」

 

 幸村が校舎へと走り去るのを見送り、朝岡は1人で襲撃者の群へと飛び込んでいく。宍戸恭平のように直接戦うだけの道具も技量もない。それでも、少しでも時間を稼ぐために朝岡は囮となる道を選んだ。

 殴っても蹴っても意味を為さない。朝岡はISVSにおけるサベージのように敵の攻撃を避けることのみに終始しなければならない。一方的に避け続けることがどれだけ困難なことか。少なくとも朝岡にその才はない。それが意味する結末は1つ。

 

「ジョーメイ!」

 

 迷彩服に殴りつけられて朝岡の体が壁に叩きつけられる。ずるりと崩れ落ちた彼はそのまま倒れ伏し動かなくなった。囮がいなくなった今、弾と数馬を守る者はいない。

 もう弾だけだ。不幸中の幸いか、迷彩服たちは気を失った朝岡を無視して弾へと足を向ける。つまり、弾が動ける限り、数馬も朝岡も狙われることはない。

 

「やるしか……ないか」

 

 幸村が助けを呼びに向かっているが、助けが来たところで状況は変わらない。いくら非凡な生徒会長であっても不可能なことはある。自分がやるしかないと思うには十分だった。

 弾の顔に笑いが浮かぶ。それは嘲笑。目は虚ろ。一夏を助けると勇んで来た自分たちの方が危機に陥っている。今更ながらに自分たちの浅はかさを後悔していた。

 今にも逃げ出したがっている足へと必死に指示を送る。敵の目を引きつけるために前へ踏み出せと。だが弾は朝岡のように訓練を受けているわけではない。ISVSでいくら戦いを経験していようと、現実では思うように体が動かない。

 結局、数馬から離れることもできないまま敵の接近を許すこととなった。

 万事休す。危機的状況を前にした弾は自らの無力さに歯噛みし項垂れた。傍目には敵に土下座しているような低姿勢。当然、弾の目には地面しか映らない。

 

 そんな弾の耳に風切り音が聞こえた。

 頭を下げている弾の後頭部スレスレを巨大な質量が通過して、攻撃的な風が肌を撫でる。自慢の長髪が靡く方向は弾から見て前方。つまり、風下は敵の方にある。

 続いて何かが衝突する音が耳に届く。硬いものがぶつかってひしゃげるときの音で、ガラスの割れる音でも混ざっていれば交通事故でも起きたのかと疑うような音であった。

 

「な、何で、郵便ポストがあるんだ……?」

 

 恐る恐る弾は顔を上げた。近くにまで迫っていた迷彩服はいない。今の一瞬で遠くにまで吹き飛ばされていた。地面に倒れ伏す迷彩服の上には変形してしまっている郵便ポストが乗っている。

 敵に対して郵便ポストが投げつけられた。投げた本人は背後にいる。

 弾は後ろを振り返る。するとそこには長い銀髪の女の子。

 

「それは、誰、カズマを傷つける男であるかどうか、で許されないか」

 

 初めはラウラが来たのだと思いこんだ。一夏の家に居候している彼女が異変に気づいて藍越学園にやってくる可能性は十分にある。だが彼女の特長である黒い眼帯がない。何よりも両目に怪しく光る金色の瞳が別人だと思わせるのに十分な威力があった。

 それだけではない。弾は一夏の近くで戦ってきていた。虚との関係からも“敵”の情報を多く知ることができる立場にいた。それとなく聞いていた遺伝子強化素体(アドヴァンスド)と呼ばれる造られた人間のことを思い出した。

 Illの操縦者かもしれない者たちのことを……

 

「嘘だろ……現実にIllが……」

 

 銀の髪の少女が近づいてくる。装備を展開していないが、たとえISVSであっても弾1人では荷が重い相手の可能性が高い。

 

「置き。煩わすならば許さない」

 

 少女が何を言いたいのかは理解できない。だが弾は本能で危険を感じ取り、無意識のうちに数馬から離れていた。数馬を見捨てるに等しい自らの行動を責める余裕すら残されていない。

 気を失っている数馬の傍で少女は屈み込む。出血している頭を左手で撫でる顔には喜怒哀楽の欠片もない。淡々と事実だけを確認した彼女は数馬の左手を握ると目蓋を閉じた。

 まだ幼いといえる外見の少女が瞑想する。あるいは祈りを捧げているのか。一度だけ苦しげに眉間に大きく皺が寄った後、少女は再び目を開く。

 

 弾は息を呑んだ。

 少女の眼が大きく変貌している。

 彼女の瞳は金のまま。だがしかし、その眼球は漆黒に染まっていた。

 

「大丈夫だから。絶対に数馬を死なせたりしない」

 

 黒き眼の少女が数馬の左手に口づけをする。

 少女の周りには金色の目映い粒子が舞い、それら全てが1つの意志に従って数馬の元へと群がっていく。頭部の裂傷は瞬時に塞がり、全身を覆った粒子は彼の体を軽々と持ち上げると徐々に“ある形”を象り始める。

 

「まさか……これって……」

 

 弾はその正体に気がつくが言葉には出せない。それほど常識外れの出来事が目の前で起きている。

 不可思議な現象を引き起こしている張本人、ゼノヴィアが誇らしげに見つめる中、御手洗数馬は目を覚ました。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 俺は体育館の床に寝転がっていた。左頬が赤く染まっているのは全力で叩かれたからである。

 敵の攻撃じゃない。モッピーが敵を抑えている今、俺に触れることができるのは鈴だけだった。

 

「アンタねぇ……今、何をしようとしたの?」

 

 鈴が肩の痛みで顔を引き攣らせながらも俺を睨みつけてくる。俺はなぜ彼女が怒っているのか理解できないまま困惑していた。

 

「答えなくていいわ。どうせアンタのことだからそこに落ちた敵のISを使おうとでも思ったんでしょ」

 

 どうやらお見通しだったようだ。でもそれじゃ俺を殴ってまで止める理由にはならない。結局、鈴の真意は読めぬまま。俺の考えを言い当ててもなお怒りを収めない彼女は捲し立ててくる。

 

「襲ってきたのは男みたいだし、男が使えるISかもね。でもね、一夏。そんな不確かなものに乗るのを許すわけにはいかないの。自分の身の安全は考えてる? 車とは訳が違うのよ? ましてや敵が用意したものだし、どうして罠かもしれないとか考えないわけ? そんな危険なものを使う一夏の姿を見せられるあたしの身にもなってみなさいよ!」

 

 困った。彼女は俺よりも冷静でいられてる。俺には何一つ言い返すことができない。

 そうだよな。敵が使えた事実があるからって、俺が万全に使えるわけじゃない。さらに言えば、操縦者が投げ出されているのも妙なんだ。ISVSでは見たことのない状況だ。お(あつら)え向きに俺の前に投げ出されたISなんて出来過ぎている。

 もしかすると俺を捕獲する罠かもしれない。そう考え始めるとそうとしか思えなくなった。

 俺は身を起こすと鈴の元へ戻る。

 

「わかったよ、鈴。俺が冷静じゃなかった。だけど外で数馬たちが――」

「何もかもをアンタがやろうと思うな。外に来てるってことはあたしらを助けに来てくれた連中でしょ? 少しは仲間を信じなさい」

 

 またまた返す言葉もない。何も問題を解決していないが、今は下手に動けないのは事実。俺が無茶をして状況を悪化させればそれこそ取り返しがつかない。

 今は我慢。皆を信じて待つ。これが最善だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『数馬。聞こえる?』

 

 頭の中で声がした。そう認識したとき、数馬は自分という存在を思い出す。今、自分は何をしているのか。自問した末に思い出したのは友人たちを突き飛ばした瞬間までの出来事。自分に向かって飛んでくる瓦礫の映像がフラッシュバックする。

 

 ――俺は死んだのか?

 

『違うよ。数馬は生きてる。私が数馬を死なせない』

 

 また声がする。聞き覚えのある声のようで、どこか違和感も覚えていた。身近だけど遠いような曖昧な感覚を数馬は上手く言葉にできない。

 

「君は誰?」

『私を忘れちゃったの? ゼノヴィアだよ』

 

 名乗られてもピンとは来ない。ゼノヴィアのことはよく覚えている。だからこそ記憶の中の彼女と一致しない。数馬の知るゼノヴィアは日本語を上手く話せないはずなのだ。

 

『やっと普通に話せるね……でも、できればこんな日は来て欲しくなかった』

「普通に話す日が来て欲しくなかったって、その言い草だと嫌ってことじゃないん?」

『嬉しいけど悲しい。それは二律背反じゃないよ』

 

 疑問を口にしながらも数馬は次第に話し相手があのゼノヴィアだと感じ始めていた。今聞こえてきている言葉こそが彼女の本当の言葉だとも。理屈ではなく直感がそう訴えている。

 近くにゼノヴィアがいるのか。数馬の意識は音だけの世界を脱し、光を求めて重い目蓋を開けた。

 昼の明るさが目に飛び込んでくる。見覚えのある場所。藍越学園の体育館入り口付近だ。問題は、数馬が真っ先に目にした光景が空や天井で無かったことだった。

 

「俺……浮いてる?」

 

 数馬は直立した状態で浮いていた。高さにして2m強。自分の身長よりも高い位置で静止している経験は学校生活の中で初めてのことであった。

 だが数馬は違う場所で同じ浮遊感を経験したことがある。現実ではなく仮想世界でのみ使うことが許されていた兵器の名前を口にする。

 

「これって、IS……?」

『そう。数馬の機体をそのまま呼び出したの』

 

 目覚めてもなお頭の中に声は響く。言われた通り、数馬の体に装着されているのは、最後に数馬が使用した打鉄と同じだった。愛用している機体を固定していない数馬であるから、打鉄が現れたのは偶然の産物である。

 数馬は地上を見回すと目的の少女を発見する。頭の中に響く声の正体である銀髪の少女は右手で両の目を覆っている姿で立っている。

 

「ゼノヴィア……君は一体……?」

『ちょっと疲れちゃった。私、もう帰るから、あとは数馬が頑張って』

 

 ゼノヴィアは数馬とは逆方向を向くと右手を下ろして歩いていく。校舎の裏手方面には襲撃者たちがいなく危険はないのだが数馬にはわからないことだ。一見すると無防備な彼女を追おうとする。しかしそんな数馬の思考は先回りされていた。

 

『大丈夫。私は心配ないよ。数馬はお友達を助けてあげて』

 

 振り向かず。歩みも止めず。しかし優しい声音で数馬を諭す。

 友達を助けろとゼノヴィアは言う。ようやく彼女以外が目に入るようになった数馬は気を失っている朝岡と、呆然と自分を見上げる弾の存在に気がついた。

 そして、宍戸が戦っている相手と同じ迷彩服の集団が弾へと向かっているのも確認する。

 

 ――今の俺には力がある。

 

 宍戸の人間離れした戦闘でようやく相手になる敵。普通ならば逃げなくてはならない。だがISを手にした数馬にとっては何の障害にも思えなかった。

 武器は呼び出さない。銃火器の使用は弾と朝岡を無駄に危険に晒す。宍戸が殴りつけてどうにかしているのならば、ISがある数馬では同じことがもっと楽にできる。

 迷彩服の先頭の前に舞い降りた数馬は装甲を纏っている右足で蹴り飛ばす。いとも簡単に10mほど吹き飛んだ敵は迷彩服もガスマスクもボロボロになり動かなくなった。

 

「弾! 俺がなんとかするからジョーメイを頼む!」

「お、おう!」

 

 宣言通り、数馬は迷彩服集団と戦闘を開始した。いや、戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的すぎた。迷彩服たちがいくら殴りつけても数馬は微動だにせず、逆に数馬のパンチ1発で迷彩服は戦闘不能になっていく。弾が朝岡を抱え起こしたときには半数以上の迷彩服が倒れ伏していた。

 

「すげぇ……」

 

 弾が見入っている間にも数馬は敵の数を減らしていく。武器を使った派手さはなくとも多数の敵をたった1人で蹴散らす。その様は頼もしくもあり、異様でもあった。

 

「よし、片づいた。じゃあ、俺は一夏たちを探すから、弾はジョーメイを連れて校舎に戻ってて」

「あ、ああ」

 

 数馬はすぐ傍の体育館へと入っていく。もしそこに敵が居ても今の数馬ならば問題なく倒せることだろう。あとは宍戸とセシリアが他の場所を片づければ終わり。もう傷も無さそうな数馬を除けば、負傷者は朝岡のみとなり上々の結果と言える。

 大規模な襲撃の割に大した被害が出ていない。敵の攻撃の意図はわからぬまま。弾はひとまず朝岡を保健室へと連れて行く。その胸には後悔と不安が渦巻いていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越学園を襲った非日常は終わりを告げた。

 迷彩服の襲撃者たちを1体残らず無力化できたのだ。

 俺たちを守っていたモッピー。

 校舎を守っていた宍戸とセシリア。

 そして――ISを使う御手洗数馬の活躍によって……

 

 体育館を出たところで俺、鈴、モッピーは数馬と合流していた。打鉄を纏った数馬は身長が倍くらいになったような存在感を出している。ISVSで見慣れた姿でも現実ではやはり違う印象を受ける。

 

「皆が無事で良かったよー」

 

 数馬の口から出てくるのは安堵の声。中学時代から俺は良く知っている。友人思いな数馬らしい一言だ。なのに今の俺にはそういったいつもの数馬の姿すら異常に映っていた。指をさして問いかける。

 

「数馬、それは一体……?」

「ん? ああ、このISのこと? 気づいたときにはあったから俺には良くわかんね」

 

 敵の装備を利用しようとしていた俺が言えることじゃないかもしれないが、数馬はあっけらかんとしていた。とんでもない手段を使ってる自覚があるんだろうか……ってやっぱり俺が何を言っても棚上げにしかなってない。

 

「そいつがどういうものかは置いといて。お前のおかげで助かったぜ、数馬」

「別にいいって。俺としてはやっと一夏の役に立ててむしろ安心したくらいだし」

「いやいや、今までだって数馬には十分に助けられてる」

「それは違うって。客観的に見て俺は戦力になってなかったしさ」

「だからさ。戦力にならなかった奴なんて誰もいな――」

「あー、鬱陶しいっ! ありがとう。どういたしまして。それで終わりっ!」

 

 数馬との終わらない謙遜合戦を鈴が強制的に打ち切った。俺も数馬も譲れないものがあったから、いつの間にか互いを立てようとして実質的に自分の主張を押しつけ合っていた。こんなことで言い合いになるような奴は数馬の他にいないと思うと俺は自然と頬を緩ませていた。

 

「ところで一夏」

 

 リミッターの付け直しが終わったのか、モッピーがとことこと足下にやってくる。しかもわざとらしい咳払いまでして俺の注目を得ようとしている。

 わかってるって。

 

「モッピーもありがとな。おかげで俺も鈴も助かった」

「そうね。色々と思うところはあるけどあたしからも礼を言わせてもらうわ。ありがと」

「どういたしましてだ、鈴」

 

 得意げなモッピーが胸を張る。まあ、上機嫌そうで何より。

 校舎の方は騒ぎが徐々に静まりつつある。さっきまで窓に張り付いていた野次馬の生徒たちがいなくなってるから、先生方が収拾をつけようと動き出してるんだろう。宍戸も校舎内に戻ったようだし、俺たちも鈴を保健室に連れて行った後で教室に戻るとしよう。

 

「待て、一夏。セシリアが来る」

 

 校舎に入ろうと足を向けた途端にモッピーが呼び止める。足を止めた俺はどこから来るのかと周囲を見回してから頭上を見上げた。

 セシリアが空から降りてきた。蒼い装甲を身に纏った戦闘態勢のまま。彼女の武器である4機のBTビットが数馬を囲うようにして配置される。

 

「へ?」

 

 数馬が間抜け面を晒しつつ両手を上に挙げる。それも仕方がない。セシリアの目つきはとても仲間を見るようなものではなく、むしろイルミナントと戦っていたときの彼女と重なる。

 

「数馬。ISを解除するんだ」

「あ、いっけね。確かにこのまま校舎に入るのはマズいよな」

 

 セシリアの敵対行動の意図を俺なりに解釈して数馬に提言する。数馬は即座にISを待機状態に戻した。数馬の趣味だろうか。待機状態のISはリング状になって左手の薬指で銀色に光っている。

 武装も解除した。なのにセシリアは臨戦態勢を解かない。俺が彼女の考えを読めないのは今に始まったことじゃないけど、今回ばかりは俺も黙っていられそうにない。

 

「おい、セシリア! お前も銃を下げろ!」

「……そうはいきませんわ」

 

 ようやく口を開いてくれた。しかしセシリアの険しい表情は変わらず、BTビットは数馬に狙いを定めたまま。

 俺は自分からBTビットの包囲の中へと入っていく。でないとセシリアは俺と話してくれそうにない。数馬を彼女から隠すようにして立つ。

 

「どういうつもりだ?」

「一夏さんは退いてください。場合によっては御手洗さんを撃たなくてはなりませんので」

 

 冗談じゃなかった。セシリアが俺をからかうときは決まって笑っている。俺ではなく数馬を睨みつけながら冗談を言うことはあり得ない。

 セシリアが数馬を撃つ?

 にわかには信じがたいことだけど認めないといけない。彼女は本気で数馬を敵視している。

 だからこそ俺は数馬の前から動くことはしなかった。

 

「説明してくれ。でないと俺は絶対に退かない。いくらセシリアの言うことでもだ!」

「わたくしだって好きでやってるわけじゃありませんわ! ですが、この場に468個目のISコアが突然出現したんです! わたくしの星霜真理がなくとも世界中のコアの数は確認できます。既に各国のIS操縦者が“あるはずのないIS”を認識してしまっているのです!」

 

 468個目のISコア? そういえば現実に存在するISコアは467個だけだと聞いた。数馬が持っているのは存在しないはずのISということになる。この点はいつの間にか持っていたという数馬の証言とも一致する。

 

「それがどうして銃を向けることになるんだ?」

「入手経路を尋問するからですわ。御手洗さんのISを確認する直前に、強力なPICの反応をわたくしの撒いたナノマシンが捉えました。リミテッドとは格が違うものだったにもかかわらず、星霜真理を以てしてもISの情報を得られなかった。一夏さんにはその意味がおわかりですか?」

 

 リミテッドやBT装備すらも星霜真理ではISコアとのつながりから発見できてしまう。PICは働いてるけど星霜真理では見えない。この条件を満たす存在は俺の知る限り、たった1つだけ。

 

「御手洗さんがISを手にする寸前まで、御手洗さんの傍にIllが居たのは間違いないのです」

「ちょっと待て!」

 

 俺の後ろで数馬が声を荒げる。いつも陽気な雰囲気を出していて、面倒事も笑って受け止めてみせる男はここにいない。

 

「Illって一夏が倒してきた化け物だろ……? 俺は一度気絶した。でも次に目を覚ましたときに化け物なんていなかった! 大体、現実にそんな敵がいるなんておかしいだろ!」

「数馬……」

 

 今まで数馬を庇うようにして立っていた。だけど、セシリアの話と数馬の態度で俺は立場を変えざるを得なくなった。

 俺は振り返る。背中を預けていた親友と正面から対峙して問いかける。

 

「銀髪、もしくは金色の瞳に心当たりはないか?」

 

 化け物という言葉で隠れてしまう敵の特徴。正確には遺伝子強化素体の特徴だ。ラウラも当てはまるけど彼女はバルツェルさんが亡国機業から救出したから例外なだけ。奴らは人と変わらぬ顔も持つ化け物だと身構えておく必要がある。

 Illの存在は噂として広まっていたのもあって藍越エンジョイ勢を初めとする味方してくれたプレイヤーのほぼ全員が知っている。だけどIllの操縦者である遺伝子強化素体の情報については俺やセシリアが率先して広めたことはない。理由は単純に味方にラウラが居たからだ。だから共に戦う機会が弾と比べて少なかった数馬には話していない。

 数馬は俺の質問に答えない。あるともないとも言わなかった。でもこれは無言の肯定だ。ないと嘘をつけず、あると言えないときだけしか沈黙を守る理由は存在しない。嘘をつけないところは数馬らしい。

 

 決まりだ。数馬は俺の知らない遺伝子強化素体を知っている。

 

「これ以上の尋問は必要ありませんわね。Illの件もありますが、いずれにせよ468個目のコアと男性操縦者を放置するわけにはいきません。御手洗さんの身柄を拘束させていただきます」

 

 セシリアの歩みを俺は引き留めなかった。もし本当にIllが絡んでいるのならば、今の数馬の状況も敵の罠である可能性が高い。前もって抑えておこうとするセシリアの判断は間違ってないし俺も同じ意見だった。数馬も指示に従ってくれる。そう漠然と思い込んでいた。

 

「……なあ、一夏。お前はさ、今まで戦ってきた化け物を最後はどうしてきた?」

 

 遠くを見つめて数馬が問いかけてくる。俺が倒してきたIllはアドルフィーネとギドの2体。どちらも倒さなければ帰ってこない人たちがいた。たとえ2体とも命があったとしても、俺は自分のしたことを間違いだなんて思ってない。

 もはやこれは奴らとの生存競争なのだから。

 

「倒してきた」

「そっか……わかったよ」

 

 瞬間、数馬の左手のリングが輝きを放つ。

 俺の返事が引き金だったのかどうかはわからない。

 1つだけ確かな事実は、数馬が再びISを展開したこと。

 数馬はアサルトライフル“焔備”でBTビットを撃墜すると空高くに舞い上がった。

 

「数馬!? 何を――」

 

 もう俺の言葉は数馬には届かない。聞こえてたかもしれないけど、あっという間に遠くまで飛び去ってしまった。

 

「くそっ……何がどうなってるんだよ……」

 

 苛立ちを隠せない。唐突に現れた新たなIllの影はあまりにも想定外な場所だった。数馬も俺の知ってる数馬と違っているように見える。変わり続ける状況に振り回されるばかりで、何をすべきなのか俺の中で確かな答えが確立できないでいた。

 

 このときの俺はまだ気づいていなかった。

 セシリアが本当に危惧していたこと。

 この日に数馬が引き起こした事態は俺たちにとって逆風だったことを。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日本国内。藍越学園から遠く離れたとある都市の高層ビルの屋上で難しい顔をして寝転がる女がいた。

 彼女の名前はオータム。この日、藍越学園を“単独”で襲撃したテロリストである。

 

「気に入らねえ。結果は予定通りだってのに過程が完全に想定外じゃねーか」

 

 藍越学園への攻撃は数を揃えて大掛かりだったにもかかわらず、殺害対象も破壊対象も存在していない。オータムの目的はただ1つ。藍越学園に“男性操縦者がいる”という確定に近い情報を作り出すことにあった。

 その生け贄として選んだのがライバル視している織斑千冬の弟。2体のIllを倒してきたプレイヤーはスコールにとって邪魔な存在である。織斑一夏を男性操縦者に仕立て上げて、もう1つの目の上のコブと潰しあわせることこそが狙いだった。

 

「いけませんねぇ、オータムさん。織斑一夏の性格は上手く掴めていたようでしたが、彼の周りにある外乱を考慮しておかないと思うように事を運べませんよ」

「出やがったか、キツネ野郎」

 

 屋上にはオータムの他にもう1人、ハバヤの姿がある。メガネをかけていないときは細目だからという理由でオータムは彼をキツネ野郎と呼んでいる。

 

「ハバヤです。いい加減、名前を覚えてくれませんかねぇ?」

「私はテメーを味方だなんて認めてない。スコールの命令さえなきゃ、この場で殺してるところだ」

「怖い怖い」

 

 おちょくるような言動にオータムの堪忍袋は今にも切れそうだった。だがハバヤは態度を改めることなくマイペースである。オータムを怒らせるなとスコールに念を押されていたにもかかわらず、ダメ出しを続けるという暴挙に出た。

 

「最初から銃でも爆弾でも盛大に使って、アントラスのテロだとしておけばあの学園からセシリア・オルコットを排除できたのですがねぇ。イギリスの代表候補生がいたために学校がテロに巻き込まれたとでもなれば、日本の世論が勝手に追いつめてくれるというのに勿体ない」

「イギリスの小娘がどこに居ようと大勢に影響はないだろーが。むしろ篠ノ之束のいない場所への過激な活動はスコールの支持者を減らすだけでリスクしかねーんだよ」

「ごもっとも。これは単純に私の趣味でした。エリートを社会的に抹殺するのって胸が高鳴りますよねぇ?」

「知らねーよ。お前の性格が悪いだけだろ、そんなの」

 

 ハバヤはわざと舌戦で負けてみせた。呆れたオータムからは怒りどころか警戒心すらも薄れている。

 要らぬ敵意がなくなったところでハバヤはさらにオータムを称える。

 

「襲撃に目立つ武器を使わなかったのは“男が扱うIS”を際立たせたかったという理由もあるでしょうか。罠にかける男が安易に立ち向かい易いという配慮でもあります。自分には力があると誤認して好き勝手暴れてくれれば御の字である、と。流石、死人使いの異名は伊達ではありません。味方よりも敵を利用するスタイルは素直に尊敬します」

「世辞は要らねえ。結果的に織斑一夏は私の罠に嵌まらなかった。もっと追いつめて選択肢を潰すつもりだったんだが都合良く他が現れた。テメーが何かしたんだろ?」

「ええ、まあ。どうせやるなら偽物の男性操縦者よりも本物の男性操縦者の方がインパクトあるんで。事実がある以上、真実を知らない者は情報に踊らされて疑心暗鬼を生じることでしょう。早速、御手洗数馬くんが現実でISを使っている映像をネット上に撒いておきました。一般にはCGによる自演として誤魔化せるため世論の誘導までは無理でしょうが、アメリカが水面下で動き出すには十分です」

「……本物だと? まさか本当に日本が篠ノ之論文を抱えてるんじゃないだろうな?」

 

 オータムは怒りとは無縁な睨みを効かせる。感情の伴わない殺意をぶつけられてもハバヤは涼しい顔を崩さない。

 

「いえいえ、そんな事実はないです。ただですね……あれは篠ノ之論文なんて目じゃないですよ。情報でなく、無限の資源が得られる宝の山そのものでして」

「何の話をしている?」

「あなた方が逃した獲物はとてつもなく大きかったという話です。ミツルギ社の巻紙礼子さん?」

 

 ハバヤはオータムを別の女性の名前で呼ぶ。それがトリガーとなり、オータムは懐の拳銃を取り出して突きつけた。

 

「テメーはどこまで知ってる!?」

「大雑把には把握してるつもりです。あ、でもご安心を。あなた方についてはヴェーグマンに何も報告してませんから。むしろ積極的に隠していますのであなた方に害はないはずですよ」

 

 裏を返せばいつでも密告できるということである。ハバヤはスコールが裏でヴェーグマンを出し抜こうとしていた事実を知っている。口封じをしなければスコールの立場が危うくなる危険性があったが、安易にハバヤの殺害という手段はとれない。完全にハバヤが優位な立ち位置を確保していた。

 

「チッ……私の負けだ。何が望みだ?」

「それが特に何もないんですよ。強いて言えば、イロジックから手を引いてくださいということだけです。あれは私が確保しますので」

「聞けないと言ったら?」

「構いませんよ。ただイロジックの件は既にヴェーグマンに報告してあります。あの人と敵対する気があるのならご自由にどうぞ」

「……やっぱテメーはいつか殺す」

「それはご勘弁を。では私はこれで失礼します。ご協力、ありがとうございました」

 

 (うやうや)しく頭を下げる姿はもはや慇懃無礼でしかない。旧ツムギに最凶のテロリストと評された“死人使い”をも手玉に取ったハバヤは高笑いをしてその場を去った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越学園から家とは逆方向に飛んだ数馬はISを解除して地上を走って帰宅した。わざわざ遠回りしたのはセシリアの能力を知っているからである。どれだけISが速くても彼女の星霜真理の目から逃れることは適わない。しかし展開していないISを捕捉することはできないため、待機状態に変更して地上を移動する数馬の位置を特定することは容易ではない。

 

 ……遅くなったけど、ゼノヴィアは無事だよな?

 

 家の周りに待ち伏せがあるかもしれないと警戒していたが誰にも捕まることなく家の前にまでやってきた。あまりにも楽すぎて不気味と感じるほどである。

 家の中に明かりはない。当たり前だ。まだ夕方にもなっていない。中には母親とゼノヴィアがいるはずだからと数馬は鍵を確認することなく扉に手をかける。

 何事もなく開いた。しかし玄関の様子は違っている。靴の数が明らかに多い。見慣れぬものは客人のものだろう。おそらくはセシリアの手の者。問題は見慣れたものの方で、本来はここにあるべきでないものだ。

 

「親父が帰ってきてる……?」

 

 月曜日の昼前に父親が家にいる。以前にも数馬が問題を起こしたときは仕事を休んで帰ってきたことがあった。もしかしなくても今回もそれと同じだろうと思われた。何と説明すべきか。数馬は頭を抱えて家の中へ上がる。

 

「ただいまー」

 

 帰ったときの挨拶。早退であるが緊急事態故に仕方がない。父親に叱られることも覚悟で声を上げる。

 だが、家のどこからも返事がない。

 

「母さん? 親父?」

 

 数馬は両親がいると思われる居間の戸に手をかける。

 隙間が空いた時点で中から静かな息づかいが聞こえた。

 寝ているのだろうか。少なくとも誰かがいるという確信の元に全開にする。

 

「え……」

 

 居間には人がいた。数馬の両親と2人の黒服の男の計4人。だが皆一様に床に横たわっている。

 真っ昼間に客人がいて、全員が一斉に眠りこけるだなどと普通は考えられなかった。

 数馬は一番近くにいた母親に駆け寄る。

 

「母さん! 起きて!」

 

 肩を揺する。しかし目を開かない。徐々に強く体を揺すっていっても何も反応がなかった。父親も黒服の男たちも同様である。

 廊下からひたひたと足音が近づいてくる。家の中で自分以外に動いている人がいる。それが誰かに心当たりがある数馬は躊躇いなく廊下に飛び出た。

 

「ゼノヴィア!」

 

 思った通り、ゼノヴィアがいた。彼女は廊下をゆらゆらと亡霊のように歩いてきている。目は虚ろで焦点が合っていない。

 

「何があったんだ!?」

 

 肩を掴んで問いただす。彼女ならば事情を知っているはず。家に起きている異変は何でもないことなのだと納得できる言葉を、たどたどしくても意味不明でもいいから言って欲しかった。

 数馬の必死な呼びかけにゼノヴィアは気がついた。倒れ込むようにしがみつくと数馬の顔を見上げる。その目にはハッキリと涙が溢れ出していた。

 

『ごめんなさい。私、抑えられなかった』

 

 ゼノヴィアの口は開かれない。代わりに頭の中に彼女の流暢な声が響いてくる。内容は難しい解釈の必要がない端的な謝罪。今までと違って聞き取りやすい日本語だというのに、数馬は彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 否。理解したくなかった。自分の服を掴む彼女の手が震えているのも、彼女が流している涙も、頭の中に声が響いている理由も、答えは出ているのに拒絶する。

 

「お腹は空いてない? 何か作るよ」

『……要らない』

「我慢しなくていいよ。元気がないときはとにかく食べないと力が出ない。これも親父の教えだけどさ」

『本当に要らないの……私は“人の魂”を食べる化け物……人間社会を蝕むIll()だから……』

 

 悲壮な顔のままゼノヴィアは体を離す。

 

『私がどう思ってても、餓えたイロジック(わたし)は見境なく人を襲っちゃうの。今日だけで6人。数馬のお母さんも親父も私が食べた』

 

 ゼノヴィアは自らの胸に右手を当てる。数馬に対して自分を見ろと主張する。

 最近になって現れた“通り魔”は自分なのだと告げた。

 隠していた何もかもを独白したゼノヴィアの行き着く先は1つ。

 

 

『親父とお母さんを助けるために……私を殺して、数馬』

 

 

 数馬を救うために自らの“力”を解放したゼノヴィア。副産物として数馬とまともに言葉を交わすこともできた。しかしその代償はあまりにも重く、償うためにできることは自らの死のみ。

 生きるために逃げていたゼノヴィアはここを終着点とした。元より長く生きることが無理な体。“現実に存在しない者”だという自覚もある。短い夢を自分の意思で終わらせる潮時だった。

 数馬がISを展開させる。右手には物理ブレード“葵”。無防備なゼノヴィアにその刃が振り下ろされれば容易くその命を刈り取ることができる。歩くような速さで近づく数馬をゼノヴィアは目を閉じて待った。抵抗はしない。数馬が終わらせるのならば納得して消えることができた。

 

 だが――

 ゼノヴィアに届いたのは冷たい刀でなく、温かい抱擁。

 

「ここも危険になる。一緒に逃げよう」

『どう……して……?』

「俺がそうしたいからだ」

『このままだと数馬の親父もお母さんも目を覚まさないんだよ?』

「親父は最後まで責任を持てと俺に教えた。だからわかってくれるに決まってる。むしろここで投げ出すなと俺を叱りつけるくらいでないとおかしいんだ」

『でも私……人間じゃないんだよ?』

「君はゼノヴィアだ。俺にはそれで十分。今はとりあえず親父たちの治し方を探す旅に出よう。いつかこの家に帰ってくるために」

『……うん』

 

 数馬はゼノヴィアを抱き上げると外へ飛び出した。

 世界のどこにも彼女を受け入れる場所がなくても、彼女を生かすために数馬は逃避行を始める。

 誰を敵に回そうとこの決意は揺るがない。

 これが御手洗数馬の信念である。

 

 

  ***

 

 

 藍越の地から離れた街の郊外に数馬たちは降り立った。ISを解除した数馬はゼノヴィアを降ろしてから今後について考える。追っ手から逃げることと両親を助けることを両立しなくてはならない。

 冷静になったところで数馬は一つだけやり損ねたことがあるのを思い出した。携帯をポケットから取り出そうとして自らの失策に気づく。

 

「しまった。さっき捨てたんだった」

 

 仕方なく公衆電話を探す。幸いなことに近くにあったのだが、今度はかけるべき番号が思い当たらない。できればある程度事情を知っている相手にしたかった数馬だが選択肢は110か119しか残っていない。

 いや、まだあった。財布の中に入れておいた名刺を取り出した数馬は記載されている連絡先に電話をかける。コール音は1回ですぐにつながった。

 

『はい、平石ですけど――』

「刑事さん。御手洗です」

『お、数馬くんじゃないか。どうしたの? 何か情報提供?』

「僕の家に通り魔が来ました。父も母も目が覚めないんです。助けに行ってください」

 

 もしかすると父も母も昏睡したまま放置されているかもしれない。そう心配した数馬は保険として刑事を使おうとした。用件がすんだ数馬は受話器を耳元から離そうとする。

 

『君は逃げてるのかい?』

 

 だが電話口から聞こえてきた平石の言葉で数馬は動きを止める。端的な一言は数馬の現状を的確に言い当てていたからだ。

 平石の言葉は続く。

 

『助けに来てくれじゃなくて、行ってくれ。つまり、君は家にいない。謎の通り魔はもしかして君を追ってるんじゃないか?』

 

 的確などではなかった。平石は数馬が通り魔から逃げているのだと勘違いしている。同時に千冬との関係は薄そうだとも見れる。

 利用できるかもしれない。

 数馬の口元にニヤリと笑みが浮かぶ。

 

「はい。助けてください」



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34 破られた誓い

 藍越学園がオータムに襲撃された事件から3日が経過した。セシリアや政府によって世間には変質者の集団が高校に乗り込む珍事として片づけられている。表向きにはISの関与も伏せられ、報道があったのも1日のみ。以後は藍越学園に元の日常が帰ってきていた。

 だが一夏たちにとっての日常とは程遠い。クラスの唯一の空席はこの3日間、常に埋まっていない。この席の主である御手洗数馬は事件の直後から失踪し、未だに仲間の誰とも連絡を取らずにいる。当然、一夏も弾も捜していたが、今までに見つかったのは数馬の携帯だけであった。

 

 木曜日の授業が終わる。放課後になってもクラスの中には重い空気が漂っている。それもそのはず。クラスの中心人物である弾や鈴が沈んでいては誰も明るい顔をできない。

 授業が終わると同時に教室を飛び出していく一夏を弾は何も言わずに見送った。今日も数馬を探しに行くのだろう。しかし千冬が捜索している今、一夏個人の力は微々たるもの。初めこそ一緒に捜し回っていた弾だったがもう諦めていた。

 

 平日に時間があればまずゲーセンに向かっていた弾だが数馬が失踪してからは一度も顔を出していない。弾にとってのISVSは友達と遊ぶ場である。友達の1人が欠けているのに遊ぶなどと考えられるはずもない。

 学校を出て向かう先は家。数馬を捜さず、ISVSもしない弾は何もする気力が起きていない。帰ってからも何も考えずに過ごすことになるだろうと漠然と思っていた。

 たった1人の帰り道。下を向いて歩く弾の足取りは重い。彼らしくない陰鬱な空気は知人が見れば目を疑うことだろう。容易に話しかけることなどとてもできそうにない。

 

「大丈夫ですか、弾さん?」

 

 しかしそんな弾に声をかける女子がいた。藍越学園とは違う制服は近くの女子校のもの。自分の名前に反応した弾が顔を上げると、歩道の真ん中に立つ“彼女”がいた。

 

「虚さん……?」

 

 彼女の頼みもあって土曜日以外は会わないようにしている恋人と呼ぶには微妙な間柄の2人。互いに想いも伝え合っているがまだ踏み込んだ関係にはなりきれていない。それもそのはずで布仏虚は一般人である弾とは違う。“更識の忍び”として暗躍する諜報員なのである。

 だからこそ弾は疑問を禁じ得ない。藍越学園が襲撃されてから千冬たちだけでなく、楯無たちも数馬を追っている。ただでさえ平日は仕事優先であった虚だというのに弾の前に現れる暇があるはずなどない。

 ではなぜここにいるのか。弾に答えを出せるはずもなかった。

 

「やはり疲れているようですね」

 

 いつの間にか虚が密着できる距離にまで歩み寄っていた。下から覗き込む彼女は上目遣い。眼鏡の奥にある瞳が映す感情を察することは困難を極める。

 

「疲れてない! 俺は何も……」

 

 反射的に虚の体を引き離す。彼女の指摘を否定する言葉は最後まで続かなかった。

 何も出来なかった。それは数馬を捜している今のことではなく事件のときの後悔……

 自責の念に駆られる弾の手を振り払い、虚はまた弾の懐に踏み込んでいく。

 

「全て否定します。弾さんは疲れていますし、何も出来てないなどあり得ません」

 

 頬を撫でてくる彼女の言葉は優しすぎた。思わず身を預けそうになるのを堪えた弾は虚の右手をとって独白する。

 

「俺が間違えたんだ。あのとき、ジョーメイ1人に任せていれば数馬を危険な目に遭わせずにすんだ。止めることが出来たはずなのに背中を押した。数馬がISを使うことになったのも俺が無駄にピンチを招いたからなんだ……」

 

 ゼノヴィアという遺伝子強化素体の存在は弾には関係のないこと。あの場で一夏たちを助けに行くと最終的な決断を下したのは弾であった。やろうと思えばできるという過信があったのは否めない。もし数馬にISが与えられなければ、代わりに数馬は死んでいたかもしれない。どちらに転んでも事態は重く、原因を辿ると自分にしかない。持ち前の責任感が弾自身を追いつめていた。

 虚の手が弾の背中に伸びる。後悔で胸が詰まる彼をまるで子供をあやすように撫でる。

 

「弾さんは失敗したかもしれません。でも、罪じゃありません。本当に罪があるとしたら笑えなくなること。今の弾さんに出来ることがなかったとしても、御手洗さんが戻ってきたときにいつもの弾さんで居ることが大切だと私は思います」

「何食わぬ顔で数馬と会えって言うんですか……?」

「少なくとも、自分勝手に落ち込んでいる友達を見て喜ぶ人は世界のどこにもいないですよ。弾さんと出会う前の私が本音と再会していたら、きっとあの子を悲しませたことでしょう」

「自分勝手……か」

 

 復唱した言葉が胸に刺さった。数馬の都合を考えず、自分が受けたショックに酔っているだけ。そう自分を見つめ直したら無性に恥ずかしくなっていた。

 

「俺に出来ることってまだあるんですね」

「はい。戻るべき場所で待っている人がいる。その代わりなんてどこにもいません」

 

 日常で待っているのも大切な役割であると虚は言う。弾は否定する言葉を持ち合わせていなかった。

 

「……ですね。よし! 俺、これからゲーセンに行きます!」

 

 このままでは陰鬱だったときの一夏と同じである。気づけば弾の決断は早い。携帯でメンバーを召集してゲーセンに向かうことにする。敵と戦う目的もない、遊びでしかない集合。だがそれでいい。

 空元気でも明るい顔を取り戻した弾の足取りは軽い。そんな彼の3歩後ろを虚がついてきていた。

 

「そういえば虚さん。平日にこんなところで会うなんて珍しいっすね。まさか俺に会いにきてくれたんですか?」

「……暇でしたので」

 

 からかい半分で弾が尋ねると虚は目を逸らす。弾に会いに来たことを否定はしていないがどうも様子がおかしい。そもそも楯無が数馬を追っているのに虚が暇なわけなかったのだが嘘を言っているようにも見えない。

 

「何かあったんすか?」

「……お嬢様に戦力外と通告されました。理由は察してください」

 

 返事はあったが弾は首を傾げるだけ。結局、その理由を察することは出来なかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 学校が終わってから街の中を走り回ったけど数馬の姿はどこにもなかった。

 わかっていたことだ。今もなお千冬姉や楯無さんたちが捜索しているのに見つかってない。ISを使っての移動もしていた数馬が俺の手の届く範囲にいるとは思えない。それでも俺はじっとなんてしてられなかったんだ。

 日が沈み、街灯だけが照らす帰り道を力なく歩いて帰った。体力がほぼ底をついての帰宅。玄関を開けるとそこにはモッピーの姿がある。

 

「やっと帰ってきたか。気持ちはわかるが自分の体も大事にしろ」

「セシリアは?」

 

 ナナの小言を無視してセシリアの居場所を尋ねる。俺が自分の足で捜し回っている間も効率よく情報を集めてくれているだろう彼女から何でもいいから手がかりを聞きたかった。

 モッピーに案内されたのはセシリアの自室。彼女が俺の家にやってきてからというもの、ただの一度として入れてもらったことのない部屋に足を踏み入れる。

 自分の家なのに別世界が広がっていた。どこぞの王族が使っていると言われた方が納得できそうなレースのカーテン付きの豪華なベッドがあるかと思えば、パソコンが複数台同時に稼働していて、まだ一般には普及していない複数の空間表示ディスプレイが壁と天井を埋めている。

 

「おかえりなさいませ、一夏さん」

 

 部屋の主は全てのディスプレイの中心で俺を待ち受けていた。そんなセシリアに聞きたいことは1つ。

 

「数馬は見つかったか?」

「いいえ。表立って指名手配するわけでもありませんから千冬さんも苦戦しているようです。楯無さんも追ってくれているようですが、割ける人手が限られているようで成果は芳しくありませんわ」

「そっか……そうだよな」

 

 床に膝を突く。何を期待していたんだか。もし数馬が見つかってたらセシリアが連絡してこないはずがないのに。帰ってくるまで報せが何もない時点で見つかってないのは間違いなかったんだ。

 

「数馬の奴……親まで放っておいてどこに行ったんだよ……」

 

 数馬が失踪した日、数馬の家で昏睡状態の人間が4人発見された。数馬の両親とセシリアの部下2人である。4人は病院に搬送され、未だに意識が回復していない。この症状は箒たちIllの被害者と全く同じだった。

 数馬の家にIllが居た。現実にIllが居たところで驚くはずもない。今更の話だ。むしろやっと見つけたと言いたかった。箒と静寐さんを襲った黒い霧のIllはISVSでなく現実にいるはずなのだから。

 問題は数馬の現状だ。数馬の失踪と両親が襲われたのは同じタイミング。親父さんと交わした約束を頑なに守っていた数馬が、親を襲ったIllを許すはずがない。ISを使って戦いを挑んだはずなんだ。でも御手洗家で昏睡状態の数馬は見つかっていない。Illが数馬を連れ回す理由が見えないことから、数馬は自分の意思で俺たちの前から姿を消したことになる。

 数馬が何を考えているのかわからない。現実に潜むIllの目的もだ。

 エアハルトの狙いは一体何なんだ? それとも奴は関与してないのか?

 

「一夏さんには別件でお知らせしておくことがあります」

「別件? エアハルトが攻めてきたとか?」

 

 これだけ現実がこんがらがってる状況でツムギに攻めて来られたらマズい。倉持技研が守ってくれているとはいえ、俺たちが戦える状態にないから同じだけの戦力を整えることは不可能だ。

 幸いにもセシリアは首を横に振る。

 

「本日、アメリカ政府から正式に日本政府に抗議がされました。内容は篠ノ之論文の独占に対するもので、倉持技研の保有する全ての情報の開示を求めています」

 

 だけど吉報でもなかった。

 

「はあ? それだともう抗議ってレベルじゃ――」

「ええ。おそらくは焦っています。先日の襲撃で468個目のISコアと男性操縦者の存在が世界中に知らされてしまいました。一般の方々には眉唾物として情報操作できましたがIS関係者の目までは誤魔化せません。日本の倉持技研にコアの生産と操縦者制限解除の両方の技術があると錯覚してもおかしくありませんわ」

 

 それが敵の狙いだったのか。ミューレイは徐々に孤立していく状況を打開するために、味方を増やすのではなく敵の敵を創り出すことにしたんだ。有りもしない篠ノ之論文を餌にしてアメリカを日本に敵対させることで三つ巴の状況に持ち込めることになる。

 見つかっていない篠ノ之論文があると思わせるために選ばれたのは俺だ。藍越学園の体育館で襲ってきた奴は明らかに俺を意識していた。俺の前に打鉄もどきのリミテッドを配置したのも、俺がISを使えているとアメリカに思わせるため。結果的に俺でなく数馬が本物のISを動かしたけど、俺が罠にかかっていてもアメリカの立ち位置はそれほど変わらないだろう。

 数日前にナタルさんと話していたときのことを思い出す。

 

「セシリアはわかってたんだな。こんな簡単にアメリカが敵に回るって」

「一夏さんは甘いですわ。下手をすればわたくしにも本国から御手洗さん捕獲の命令が下されていたかもしれませんのに」

「もしそんな命令があってもセシリアならなんとかしてくれてる」

「ではその信頼に応えましょうか」

 

 空間ディスプレイに指を這わせて操作するセシリア。メールでも打っているようだけど俺が見ててもさっぱりわからない。進展があるまで待っていることしかできない俺は退散するとしよう。

 

「アメリカが動き始めた。千冬さんたちのような身近な人が先に見つけないと御手洗が危険だ」

 

 廊下に出たところでモッピーの中からナナが声をかけてくる。言われずとも数馬が危険だってのは承知している。でも、彼女が危惧しているのはもっと踏み込んだことだった。

 

「倉持技研に隠された篠ノ之論文が存在しないことを証明する手段はない。男性操縦者の存在は事実であるから、日本側は御手洗数馬が特異点であると主張せざるを得なくなる。アメリカと事を構えたくない政府は下手をすれば御手洗を引き渡すことも検討するかもしれん」

「それって数馬をモルモットにするってことか? 無駄なのに」

「あちらさんが無駄と思ってくれる保証はない。今までは誰かが御手洗を見つければ良かったが、こうなってしまうと千冬さんのような我々に身近な人間が保護せねばならない」

 

 きっとこの辺りの話はセシリアが俺に言えなかったことなんだと思う。ナナは束さんの妹だけあって昔から頭が切れるから、セシリアの言葉の裏まで読めたんだろう。

 

「要するに、俺たちも数馬を捜すべきだってことが言いたいのか?」

「厳密には違う。シャルロットはどうしている?」

 

 シャルロット。つまり、デュノア社の協力を仰げってことか。

 でもそんなことはとっくに頼んでる。ラウラも3日前から一度も帰ってきてないし、数馬を捜すのに全力を傾けてくれていることだろう。

 

「シャルもラウラも独自に動いてくれてるよ。何かあれば連絡をしてくれるんじゃないか?」

「そうか。ならいいのだが……」

 

 最後に含みを持たせたナナだがこれ以上何も言わなかった。

 結局、次の活動は翌日に回すこととなる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 コンビニで適当に買ったサンドウィッチを頬張るゼノヴィアを数馬はじっくりと眺めていた。そんな数馬の視線に気づいたゼノヴィアはムッと顔をしかめて数馬にデコピンを加える。

 

『恥ずかしい』

「あ、ごめん」

 

 ヒリヒリする額を押さえる数馬の方が謝る。そんな彼らが座り込んでいるのは昼間でも薄暗いビルの隙間である狭い路地。人目を避けて徒歩での移動中である。

 失踪した日、数馬はISを使って目立ちながら遠方へと逃れた。ISを解除した地点は既にセシリアに割れている。数馬はそれを踏まえた上で行動していた。

 徒歩で移動する明確な目的地はまだ存在しない。だが向かう方面は決まっている。数馬は藍越の地へと戻ろうとしていた。

 

「食べ終わったらまた歩くことになるけど大丈夫?」

『問題ない』

 

 最後の一口を飲み込んだゼノヴィアはぶかぶかのコートに付いているフードを深く被った。長い銀髪を隠すには多少怪しくても服で誤魔化せばいい。12月という季節は数馬たちにとっては追い風といえる。

 手をつないで歩き出した2人には悲壮感がない。数馬もゼノヴィアも逃走中とは思えない明るい笑みをこぼす。ゼノヴィアには数馬への信頼。そして数馬には自らの信念に殉じる使命感がある。気の持ちようだけで前へ進んでいた。

 

「次に通るルートが送られてきた。川沿いを歩く道かー」

 

 歩きながら()()を確認する数馬。画面にはメールに添付されてきた地図が映っている。

 

「寒いかもしれないけど大丈夫?」

『うん』

 

 こくんと頷くゼノヴィアだが数馬がメールを見始めてから険しい顔を隠さない。その原因には心当たりがある。

 

「本当に平石さんが苦手なんだね」

 

 数馬の持っている携帯は自分の所有物ではない。電源を入れていれば居場所を察知されると警戒して捨てていた。今、持っている携帯は“協力者”から貰い受けたもの。

 

『だって……私に味方するのは変』

「その理屈だと俺も変人じゃん」

『数馬は変な人。あいつは変質者』

「変にも種類があるんだね……」

 

 相変わらず平石を毛嫌いしているゼノヴィアだが理由を尋ねると『なんとなく』としか返ってこなかった。好き嫌いなどそんなものかと数馬は納得している。さらに言ってしまえば平石を利用しているだけである数馬としては、平石の好感度などどうでもよかった。

 数馬は藍越に戻るという提案を平石に受け入れさせた。通り魔の犠牲者を出さないためという名目で人気の少ない道までナビゲートさせている。時間的に翌日である金曜日に藍越に戻る予定だった。平石も準備万端で“通り魔”を待ち受けていることだろう。

 

「“お腹”は空いてない?」

『まだ大丈夫。“イロジック”が休んでるときは省エネなの』

 

 食事を終えたばかりのゼノヴィアにする質問ではないが、数馬はふざけているわけではない。ゼノヴィアが抱えている時間制限を気にしてのことだ。そこに平石との協力関係も絡んでくる。

 平石が通り魔の危険度をどの程度で考えているのかは未知数。だが普通でないことだけは数馬の口から伝えてあった。通り魔を捕まえるために多くの人員を投入してくると考えられる。

 数馬はそれを利用する。

 たとえゼノヴィアの忌み嫌う行為であっても他の手立てを用意する時間がない。今回だけだと自分に言い聞かせた期間はもう終わっており、数馬にはもう迷いがない。

 

 川沿いを歩く。寒さのためか人通りが少なく、誰とも会わないまま川下へと進む。平石の設定したルートは正確に追っ手の目を掻い潜るものとなっていた。

 ところが3日目にして初めて数馬は見覚えのある顔と遭遇することとなった。知らないフリをしてすれ違うことは難しい。2人の前に立ちはだかった少女は黒い眼帯で覆っていない右目で数馬の顔を見据えている。

 

「ようやく見つけたぞ、愚か者」

「ラウラ……ボーデヴィッヒ……」

 

 ゼノヴィアを背中に隠した数馬はラウラを睨みつける。一夏とともにISVSを戦ってきた猛者である彼女が数馬たちの前に現れた理由など1つしか考えられない。

 できればISを展開したくなかった。だが見つかってしまった今ではそうも言っていられない。数馬は左手を前に突き出していつでもISを呼び出せるよう構えておく。

 

「まあ、待て。私はお前を捕まえに来たわけでも、ゼノヴィアを排除しに来たわけでもない」

 

 敵意剥き出しの数馬に対してラウラは両手を上に挙げて戦闘意志がないことを示す。だからといって数馬が警戒を緩める理由とはならない。

 

「だったら何をしに来た!」

「わかりやすく言うのならば守りに来たのだ。お前たちを、他の者全てからな」

 

 平然と一夏たちと敵対することも厭わないと口にするラウラ。当然、数馬は疑いの目を向ける。

 

「信用できるわけないだろ!」

「信じるのが無理な話なのは承知の上だ。それでも私はお前たちに手を差し伸べよう。このままだとお前たちは時を置かずして討たれることになる」

 

 説得とも言い難い強行的な歩み寄りは数馬にとって想定外のこと。ラウラのことを奸計の苦手な純粋な武人だと分析しているからだ。騙し討ちができる性分でないのはこれまでの付き合いから十分に察せられる。

 また、騙し討ちをする必要性もなかった。いくら数馬がISを持っていたところでラウラはドイツの代表候補生として現実でも専用機を所持している。自分から仕掛けることは不可能であるが、数馬が先に使用すれば緊急事態として展開が許される。ISVSの経験からも数馬が勝てる相手ではない。かといって数馬がISを使わずにラウラに勝てるかと言えば、純粋な体術でも彼女の方が圧倒的に上なのは明白だった。

 

「本気……なのか?」

「冗談でこのような真似をするはずがないだろう。私がお前たちを守る。ついてこい」

「ダメだ。お前はドイツの軍人なんだろ? 一夏たちのところじゃなくても、本国に連れて行く気に決まってる」

「……この件は私の独断で動いている。定時連絡にも嘘の情報を流している。それがどういう意味かわかるか?」

 

 一夏だけでなく自らの所属する組織をも裏切って数馬とゼノヴィアを守る。そう言っているとしか受け取れない。だからこそわからない。

 

「何でそんな平然とバカなことを言えるんだ? 逆に信用できないっての……」

「ダメか。ならば距離を取ってお前たちを見守るしかないな」

 

 ラウラが道を譲る。先に行くのならば邪魔をしない。だがその後はつけさせてもらうと片目で訴えてくる。

 

「もう勝手にしてくれ……」

 

 戦闘する意志がないのは間違いなかった。今の数馬にはラウラを追い払う術がないだけでなく、無理にISを展開しなければならない理由すら存在しない。だから放置するのが最善だ。

 こうしてゼノヴィアの手を引いて進む数馬の後方50mにピッタリとラウラが張り付くこととなった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 見上げれば暗闇、眼下が目映い摩天楼。

 メールを送り終えた携帯を手にほくそ笑むハバヤは自らを偽るための黒縁眼鏡もサングラスもかけていない。この屋上に騙すべき相手が存在しないからである。

 

「いよいよ秒読みですねぇ。流石の数馬くんでも私が藍越の地で罠を張っているとは予想していることでしょう。もっとも、その種類までは想定できていないでしょうが」

 

 独り言を漏らす。まるで誰かに説明しているようにハッキリと言葉にしている。

 準備が整うまで3日の時を要した。その時間を稼ぐために安全なルートを提示するという形で数馬の行動を誘導。捜索側である警察などには偽の情報を流して攪乱。そうして時間を稼ぐことができたのも通り魔を確実に捕まえるためだなどという稚拙な言い訳に数馬が乗ってきたからだった。

 

「人を騙すという行為において最も信頼していけないのは、騙す相手でなく騙している自分自身です。嘘をつくという自覚は信頼を賭けたギャンブルに等しい。自分が相手を騙せているという期待が目を眩まし、最後には搾取される側となる未来もあり得ます」

 

 ハバヤの指摘通り、数馬はラウラを疑いはしてもハバヤを軽視している。相手に自分の嘘を信じさせているという心理的優位が警戒を緩くさせている。その嘘の発端がハバヤから提示されたものであると気づかぬまま……

 

「もちろん、嘘に限らず隠し事も同じ。隠れているという過信は逆に相手に隙を晒すことにつながりますよ」

 

 独り言は話しかけるものへと変わる。その対象の名前をハバヤは呼ぶ。

 

「出てきたらどうですか? 刀奈お嬢ちゃん」

「……やっぱバレてた」

 

 素直に出てきたのは制服姿の女子高生、更識楯無。それを合図にして階下からぞろぞろと黒ずくめの集団が押し入ってきた。あまりの人数にハバヤは目を丸くする。

 

「わーお。これは中々な人数を揃えてきましたね。更識翁の説得にでも成功しましたか?」

「どちらかと言えばあなたが敵と認定されただけよ。進言したのは私だけど」

「簪嬢の件ですか。私も焼きが回ったものです。最強という言葉を過信した己の失態は認めましょう」

 

 ギドの件である。そもそもギドの敗北がなければハバヤは更識の実権を高確率で掌握していた。そうなれば数馬への対応も変わっていたはずであるし、立場も大きく違っているはずだった。

 今日このときを以て、平石羽々矢は所属していた組織と完全に縁を切ることとなる。家名を自らの代で終わらせることとなったというのにハバヤの細目は笑みを形作ったまま。

 元より、ギドの敗北からこの未来は見えていた。想定通りに事が運んでいて悔しがる者などそうはいない。

 

「ずっと気に入らなかったのよ、あなたの顔」

「では寒気を走らせてあげましょう。私は刀奈ちゃんが大好きですよ。その顔も、その体も」

 

 ハバヤの宣言通り、楯無は自分の体を抱きながら1歩退いた。本能で反射的に動いており、その顔は青い。彼女の反応すらハバヤは楽しげに眺める。

 

「叶うことなら今すぐにでも私の手で壊してしまいたい。誰だかわからなくなるまで顔を切り刻みたい。動けなくなるまで殴りつけたい。この愛を是非とも刀奈ちゃんに届けたいものです」

「……今ならハッキリと断言できる。10年前の私は間違ってなかった」

「10年前。白騎士事件の起きた年。私が生まれ変わった年とも言えますが、楯無の名を継いだ刀奈ちゃんにはわからないことでしょう」

「いちいちその名前で呼ばないでくれる?」

「これは失礼しました。お詫びに1つ、私の方から情報提供をさせていただきます」

 

 煽るだけ煽っておいて敵である楯無に情報を渡すというハバヤ。当然、その狙いは命乞いなどではなく自らの利益となるため。楯無が部下に命令を下すよりもハバヤが話す方が早かった。

 

「現在、日本に名も無き兵たち(アンネイムド)が入り込んでいます。彼らのターゲットは……言わなくてもわかりますよね?」

 

 衝撃が走る。ハバヤの発した情報は更識でも想定していることだったが既に入り込んでいるとまでは考えていない。更識は既に表向きには存在しないことになっているアメリカの特殊部隊に対して警戒を強めていた。しかし連中が網を(くぐ)ってしまっているとハバヤは言っている。

 嘘にしてはハバヤにメリットがない。さらにアンネイムドが侵入できた唯一の可能性が楯無の目の前で笑っている。この男ならば、更識の警戒網の穴をアンネイムドに横流ししていてもおかしくはない。

 ただハバヤが悦にいるだけの情報である。逆に信憑性が高い。

 

「何が狙いなの? あなたの背後にいるのはアントラス?」

「楯無を名乗る者が質問ばかりではいけません。少しはご自分でお考えください。まあ、特別サービスで答えてやるけどさ」

 

 ハバヤは歯を剥き出しにして笑う。

 

「壊したいんですよ。色々とね」

 

 狂っている。その判断を引き金にして楯無が動いた。手にしている扇子を突きつけて宣告する。

 

「平石羽々矢! お前を拘束する!」

「では私からも命令を。更識楯無を殺せ!」

 

 楯無からの捕縛命令に重ねるようにしてハバヤが楯無の殺害を命じた。この場には更識に従う者しかいないはずである。ハバヤの発言は世迷い言でしかない。

 だが、男たちは皆、楯無を守ろうと周囲を警戒した。誰かが裏切り者かもしれない、と。楯無すらもハバヤから意識を逸らして周りを確認してしまった。

 

「疑心は人の動きを止める。それでは失礼」

 

 誰も楯無を殺そうとなどしていない。だが誰もハバヤの捕縛に動けていなかった。ハバヤは唯一の逃げ道である屋上から身を投げる。直下へ落下はしない。隣のビルに結んであったワイヤーを使って振り子のように隣のビルへと向かう。長さも計算してあるようで、事前に開いてあった窓から屋内へと消えていった。

 

「すぐに追って!」

「はっ!」

 

 追いかけるように指示を出すが手遅れ。潜伏先を突き止めて完全に包囲したと油断していた。最後のやりとりで更識内部の裏切り者が炙り出せるかもしれないという淡い期待すら利用されていた。

 だがハバヤにばかり気を取られているわけにもいかない。楯無は即座に当主代行に連絡をとる。

 もし本当にアンネイムドが来ているのならば、一刻も早く居場所を突き止めなければならない。更識の名に懸けて。何よりも友人のために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 昼の明るいうちに体を休めていた数馬とゼノヴィアは真夜中であっても歩く速度に支障はない。どちらも明らかに未成年であるから警官に見つかれば即補導されるところだが、平石のナビに従っているだけで警官どころか人にも遭遇しない。上手いこと人払いをしてくれているのだと納得して先へと歩く。

 

『ねえ、数馬。何か、ついてきてるよ?』

 

 頭の中で響くような声はゼノヴィアのもの。数馬がISを手にしてからずっと彼女は口から声を出していない。

 時折、ゼノヴィアは後ろを振り返る。その視線の先にはゼノヴィアにそっくりな眼帯の少女がついてきている。バレているのだからと割り切っているため、堂々とした尾行だった。

 暗いからといって身体能力がゼノヴィアよりも上であるラウラが相手では走って振り切れる保証はない。さらに言えば、平石から走ってしまうと目立つため見つからない保証がないと忠告を受けていた。

 

「我慢するしかないよ。今はこのまま連れて行って、平石さんたちと潰し合ってもらうから」

『え、でも……』

「大丈夫。俺がなんとかするから」

 

 わしゃわしゃと少し乱暴にゼノヴィアの頭を撫でる。彼女は数馬の手を受け入れているものの不安げな顔を崩さない。

 

『そこまで待ってくれないと思う』

「どういうこと? ラウラが何か仕掛けて――」

『ラウラじゃない! 変なのがいるの!』

 

 頭の中でゼノヴィアの叫びが反響する。認識のすれ違いに気づいた数馬は足を止めて振り返った。後方のラウラも同じように立ち止まる。数馬が見る限りではラウラ1人しかいない。暗がりに隠れているのだろうか。

 

「何も見えないけど……」

『こっちに近づいてきてる!』

 

 周囲に人影はないはずである。数馬から見てもラウラから見ても同じ。にもかかわらずゼノヴィアは自分たち以外の何者かの存在を指摘する。

 期せずして3人とも足を止めた。つまり、この場で聞こえるべき音は数馬の話し声が主であり、あとは風くらいのもの。

 しかしその中に異音が混ざる。かすかに地面に擦れる音は砂利の音。常人では判別もしづらい小さな音で数馬が気づくはずもないが、この場には例外がいる。

 

「そこだっ!」

 

 静から動へ。棒立ちの姿勢からほぼ予備動作なしで横に飛んだラウラは何もない場所へ回し蹴りを放つ。すると何もないところから枯れ葉を全身に付けたような格好の男が出現した。

 

「逃げろ、数馬!」

 

 存在さえ認識すればラウラには見えていた。後方から迫ってきていた見えない集団を相手に素手で殴りかかっていく。

 ついに追っ手に見つかった。こうなっては平石の忠告など意味をなさない。数馬が取るべき行動はラウラの指示と合致する。

 

「行こう。前にはいないよね?」

『うん。ラウラが止めてくれてる6人だけだよ』

 

 走ることには慣れている。数馬とゼノヴィアは逃走を開始する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 最新式の光学迷彩を使用していた6人の兵にラウラはたった1人で立ち向かっていた。この時点で相手の正体をある程度は絞り込めている。

 まず第一に一定の水準以上の資金と技術のある軍、あるいはその代替組織でなければ用意できる装備ではない。

 一番の敵である亡国機業を始めとするアントラスならば容赦なくラウラに攻撃を仕掛けていたことだろう。専用機持ちを潰すのではなく避けるという思考は連中にはない。専用機持ちとの戦闘を避けようとするのにはISを使いたくない理由、あるいは使えない事情があると考えられる。

 残っている勢力は倉持技研の千冬派、倉持技研の政府派、アメリカの3つが主。倉持技研ならばどちらの勢力でも国内でこそこそと動く理由もない。

 

「米兵か。表向きには外交で圧力をかけておいて、裏では既に行動を起こしていたというわけだ」

「ドイツの黒ウサギか。生憎だがここは通してもらう」

 

 6人の内、唯一の女性が光学迷彩のスーツを脱ぎ去ってISを展開する。

 フレームはネイビーブルーカラーのボーンイーター。両手には単分子ナックル。小手には大型の杭が覗いており、背中には増設されているイグニッションブースター。色が違うだけで全く同じ構成のISをラウラは知っていた。

 

「ファング・クエイク。虎柄じゃないところを見るに、アメリカ代表のファンといったところか」

「実働部隊を舐めると痛い目を見るぞ、小娘」

 

 口数が多い。それはラウラを倒す意味がないからである。既に他の5人は光学迷彩を使って姿を消し、逃げていった数馬たちの追撃を始めていた。ラウラはそれらを見逃さざるを得なかった。

 

「男性操縦者対策は貴様だけなのだろう? ならば私は貴様だけを抑えていればいいわけだ」

 

 これはただの強がり。ISを相手にして一般兵も同時に抑えることは困難を極める。何より、正体不明の相手という建前とは言えラウラからISで先制攻撃をするわけにはいかない。

 

「我々には黒ウサギと敵対する意志はない。そこを通してもらう」

 

 ISを展開はしていても敵にはラウラを攻撃する意志がなかった。よってラウラが正当防衛のために専用機を展開することができない。相手がISを使っていても自分に直接危害を加えるものではないからだ。

 ラウラはおもむろに取り出した通信端末を耳に当てると、すぐに相手の声が聞こえてくる。

 

『私だ。ボーデヴィッヒ少佐、何かトラブルでもあったのか?』

「准将。所属不明のISと遭遇しました。ISの使用許可を求めます」

 

 通信の相手は直接の上司であるバルツェル准将。相手から仕掛けてこないのならば自分から仕掛ければいい。必要なのは上からの許しのみ。本来、バルツェルの一存で決められることではないが、ラウラへの信頼が彼を動かす。

 

『許可する。ただし所属不明機は必ず捕獲せよ。でなければ私のクビが危うい』

「了解。クビを洗って待っていてください」

『……ん? ラウラ、ちょっと待ちなさ――』

 

 通話を切った。話している暇などもうない。

 ラウラが光に包まれる。その一瞬の後、出てきた機体は“シュバルツェア・レーゲン”。夜闇にとけ込む漆黒の機体が所属不明機の前に立ちはだかる。

 

「待たせたな。ここは日本ということも踏まえて穏便に格闘戦に付き合ってやろう」

 

 手刀にISコアから発されるエネルギーを這わせて飛びかかっていく。ここに現実におけるIS戦闘の火蓋が切られた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 いくら数馬とゼノヴィアの足が速くても追っ手である特殊部隊“アンネイムド”から逃げられるほどではなかった。平石の手で人気のない道を選ばされている数馬たちは誰かに助けを求めることも出来ない。もっとも、誰かに助けを求めることなどできない上に、訓練された特殊部隊を相手に立ち回れる一般市民などいるはずもないのだが。

 

『もういい。私が戦う』

「それぐらいなら俺がやるよ」

『ダメだよ。数馬の機体は正真正銘のIS。使ったら他の人たちにもすぐに居場所がバレちゃう』

「だからってゼノヴィアを戦わせる事なんて」

『大丈夫。こう見えて、私って強いんだよ? でも――』

 

 2人は逃げる足を止めた。来た道へと振り返り、1歩2歩と前に出る彼女を止める術のない数馬は立ち尽くすだけ。光学迷彩で見えづらくなっている敵を前にしても臆さないゼノヴィアは唯一の不安を言葉にする。

 

『戦ってる私の顔は見ないで』

 

 数馬の死角では既に変貌が始まっていた。一度閉じた眼を再び開くと、眼球が真っ黒に染まってしまっている。唯一残されている金色の瞳はまるで夜闇に浮かぶ満月であった。犬歯を剥き出しにした笑みには狂気すら宿っていた。

 突如、何もない空間に青白く発光する球体が複数出現する。光は徐々に形を作りながら輝きを失っていく。人を象ったそれは無機質なロボットであった。

 

『捕らえなさい』

 

 リミテッド。呼び出された機械人形は忠実に命令に従う。光学迷彩など目眩ましにもならず、追っ手たちへと真っ直ぐに向かっていく。それらは皆、一様に浮いていた。

 人気が少ないとはいえ日本の街中である。いくらアンネイムドといえど、過剰な装備は所持していない。武器も精々サイレンサー付きの拳銃までだった。しかしその程度の射撃では機械人形たちを破壊することなど不可能。もっとも、どれだけ強力な兵器があったところで機械人形たちに傷一つつけられないのであるが。

 アンネイムドの選択は逃げの一手。対象が抵抗した際の対策は彼らの隊長のISのみである。数馬たちを追撃してきたのも後ろから追いかけてくる予定の隊長が来るまでの時間を稼げればよいというものだった。

 だが想定から外れていたのはゼノヴィアの能力。ISを展開することなく10機のリミテッドを召喚した物量を相手にして稼げる時間など微々たるものだった。

 あっという間に捕らえられた特殊部隊の男たちはゼノヴィアの前に跪かされる。彼女が男たちを見下ろす視線は冷たく、黒い。

 

「あ……ああ……」

 

 ゼノヴィアが額に手を触れる。すると男は気を失った。1人、また1人と繰り返され、追っ手は全て地に伏せることとなる。

 

『終わったよ』

「……ごめんな、ゼノヴィア」

『謝るのは私。数馬はもっと堂々としてて』

 

 目の前で何が起きていたのか数馬が理解していないわけがない。ある条件を満たさない限り男たちが目を覚まさないことも知っている。他の条件を探そうとしている数馬だがまだ手がかりは何もない。それでも数馬はゼノヴィアの現実から目を背けなかった。見逃すのではなく認めた。彼の謝罪は本当にゼノヴィアに向けたものだったのだろうか。

 ゼノヴィアの眼は白に戻っている。奥底に眠る黒を隠した少女に数馬は再びフードを被せた。

 まだ藍越に帰っていない。まだ歩かなくてはいけない。

 

 

「――少年少女の逃避行。行く当てもなければ、立ち止まる暇もなし。一寸先は闇。されど、逃げる彼らの顔には輝きが残っていた」

 

 

 だが出発には早かった。倒した特殊部隊以外にも数馬たちを追っていた者がいる。光学迷彩すらも見破っていたゼノヴィアが気づかなかったほどの相手。その声は女性のもの。

 女性は姿を隠そうとしていない。現れたのは数馬たちの正面だった。長い金髪の女性。着ている白いコートのところどころに“銀”の装飾が施されていた。

 日本語の達者な外国人女性は身近な人間を例に挙げるとセシリアが該当する。危険を感じるには十分だ。数馬はゼノヴィアをその背に隠すように立つ。

 

「少年は志を剣とし、少女の騎士となる。魔女と知ってもなお、彼女の盾であり続ける。いずれその心は闇に染まるというのに……」

 

 明らかに数馬たちの前に立ちはだかる女性は独り言を続けている。言葉を交わそうとしない理由はただ1つ。話しても無駄という認識があるからだ。

 女性がISを展開する。目映い光の後に現れた姿は銀の翼を広げる天使。

 

「我が名はセラフィム。哀れな子らに福音を(もたら)す者。我は執行する。少年に救済を。そして――」

 

 セラフィムの周囲に光弾が生成される。一度停滞させたEN属性の弾丸の群れを一斉に射出する拡散型ENブラスター“シルバーベル”。現実の日本だというのに一切の容赦のない攻撃が準備されていた。

 相手が何者なのかわからない数馬ではない。過去に一夏が追っていた銀の福音である。もうISの展開を渋る理由などなかった。幸いなことに数馬の機体は打鉄。誰かを守る盾としては優秀である。

 数馬がゼノヴィアを抱きしめるようにして庇うと同時にセラフィムが指令を下す。

 

「――魔女に断罪を」

 

 光が雨となって降り注いだ。真夜中だというのに、視界が白一色に染まるほどの光量が解き放たれる。背中に打ち付けられる光。打鉄の装備だけでなく数馬自身をも盾としてゼノヴィアの代わりに攻撃を浴びた。

 

『数馬!』

「まだ大丈夫。打鉄ならそう易々と落ちない」

 

 第1射を受けきったが決して余裕などではない。既に肩の大盾は大破していて、ストックエネルギーだけで持ちこたえている状況。痩せ我慢だった。

 

 

「ナタル。いくら近隣住民を強制退去させているからといって派手にやりすぎだ。あと、戦闘時だけのその妙な話し方もなんとかならんか?」

 

 

 さらにもう1人、この場に現れる。銀のIS側の人間として数馬の前に姿を見せた女性は、数馬も知っている顔。織斑一夏の実姉、織斑千冬その人である。

 既に一夏や弾から話は聞いていた。織斑千冬はただの警察官などではない。世界最強のIS操縦者として知られるブリュンヒルデ。ISを持っていようと正面から抵抗することができない絶対的な存在だった。

 ブリュンヒルデはゼノヴィアを魔女と断じた銀の福音の仲間である。親友の姉で数馬個人としても顔見知り程度にはなっている間柄でも、自分たちに友好的な存在とは限らない。

 

「御手洗。悪いことは言わん。大人しくその娘を引き渡せ」

「断る! 絶対にゼノヴィアは殺させない!」

 

 ここで千冬を信頼するくらいならば、一夏からも逃げ出したりはしていない。ゼノヴィアを引き渡すことは彼女の死を容認するも同然である。

 

「お前の両親は3日前から昏睡状態が続いている。その意味をわかっていないのか?」

「放っておくつもりなんてない。俺は親父たちを助ける方法を探してる」

「目の前にあるぞ?」

「それ以外でだ!」

 

 福音とは違い、千冬は言葉を挟む。だがお互いに主張を変えるつもりがない平行線。片や絵空事に過ぎない理想を並べ、片や現実を諭す。歩み寄りはありえない。

 

「一夏が何のために戦っているのか理解しているものと思っていたのだがな……」

「理解してるからこそ、俺は一夏から離れたんだ」

 

 一夏が幼馴染みを助けるためだけに戦っていることを数馬は知っている。そしてその障害となる敵を例外なく倒してきたことも。ゼノヴィアの正体を知ってしまった時点で共存は不可能だった。

 数馬は父親の教えに従った誓いがある。

 友を裏切らないこと。

 交わした約束を守ること。

 それらを両立できなくなったとき、父の教えでなく、初めて自らの想いで片方を選んだ。

 

 ――孤立している彼女に俺だけでも味方する。

 

 敵に回すものの強大さなど最初からわかりきっていた。孤独な戦いは予想できた。無謀を百も承知で数馬はゼノヴィアに手を差し伸べたのだ。今更世界最強が1人、敵に増えたところで動じようもない。

 

「ならば力で捩じ伏せるまでだ。殺しはしないが病院送りくらいは覚悟してもらおう」

 

 ブリュンヒルデが剣を抜く。専用機“暮桜”。物理ブレード“雪片”一振りで世界を制した最強のISが数馬に刃を向ける。

 銀の福音も未だに健在。片方を数馬1人が請け負えたとしてもゼノヴィアを逃がすことはできない。数馬のいない状況となればブリュンヒルデも福音もゼノヴィアに容赦のない攻撃を加えることになる。

 

「俺から離れないでくれ、ゼノヴィア」

『うん』

 

 力の差をゼノヴィアも悟っている。彼女はギドやアドルフィーネどころかシビルにも戦闘能力で劣っている遺伝子強化素体。トップランカー2人を相手にできるだけの技量はない。10機のリミテッドを呼び出すがISVSにおいては単なるザコ敵程度の存在であり、世界最強クラスの2人を相手にするには装備も物足りない。

 銀の福音は傍観に徹しているが追い風とは言えない。ブリュンヒルデの攻撃が始まる時点で数馬たちが抗う術はほぼなかった。

 ブリュンヒルデが動く。機械人形など意に介さず無人の野を駆ける如く直進する。立ちはだかったリミテッドは例外なく斬り捨てられて散った。速すぎる剣閃はハイパーセンサーの加護があっても数馬の目では捉えられない。迎撃用に右手に取り出した物理ブレード“葵”を振ることもできないままブリュンヒルデの雪片が迫る。

 

「どういうつもりだ……?」

 

 しかし雪片は数馬に届かなかった。間に割って入った黒の機体を前にしてブリュンヒルデの右腕は静止させられている。数馬もゼノヴィアも気づかぬ内にまたもや乱入者が駆けつけてきた。

 

「見ての通りです、教官。数馬とゼノヴィアに手出しはさせません」

「ラウラ!?」

 

 アンネイムドの隊長と戦っていたラウラが追いついた。行動原理が理解できずに疑いの目を向けていた数馬だったが、この状況下で千冬と敵対する彼女が少なくとも一夏たちと意志を共にしていないことだけは信じても良い。

 

「ブリュンヒルデは私が引き受ける。お前たちは逃げろ。人の多い場所ならば銀の福音は攻撃できなくなる」

「お願いします」

 

 ほぼ唯一の味方となっているラウラを頼ることにする。元より自分たちだけでなんとかなると数馬は楽観視していない。複数勢力の潰し合いという当初の思惑から少しズレているがそれは細かいことだった。

 数馬がゼノヴィアを連れて逃走を図り、銀の福音が追いかける。残されたラウラと千冬は互いの剣を向け合った。

 

「お前が刃向かうのは意外だった。バルツェル准将の指示とは思えん。まさかとは思うがあのIllに同族意識でもあるのか?」

「そうかもしれません。ですが、私は自分が間違っているとは思いません!」

「この私を敵に回してでもか?」

「私は憧れで戦意が鈍るような乙女じゃない!」

 

 ラウラのEN属性の手刀で飛びかかるも千冬は物理ブレードで受け流す。

 

「お前も御手洗数馬もある意味では一夏の影響を受けている。さて、どうしてくれようか」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シュヴァルツェ・ハーゼの本拠地でバルツェル准将が頭を抱えていた。ラウラにIS使用許可を求められたことは想定内のことであり、許可することまでは予定通りだったが彼女の行動はバルツェルの意に反している。

 ラウラは所属不明機体――アンネイムドの隊長を無傷で打ち倒した。所属不明としておきながらもバルツェルの中でもアメリカの者という推測は立っている。故に妨害は必須。しかしラウラはアンネイムドを捕縛せず、本来援護すべきブリュンヒルデに敵対する事態に発展していた。

 

「何をしているのだ、ラウラ……人類の敵と見なされてしまえば私はお前を守れぬというのに……」

「隊長を止めますか?」

「私が直接言おう。つないでくれ」

 

 戦闘中のラウラに通信をつなげる。表向きは軍の命令を装って――

 

「本部からの命令だ。ボーデヴィッヒ少佐は直ちに戦闘行為を停止しろ」

 

 停戦を命じる。しかし予想通りと言うべきか。返事は肯定ではなかった。

 

『従えません。私はあの娘を守りたいのです』

「バカなことを言うな。その専用機を使っている時点でお前個人の考えのみで動いていいわけではない」

 

 ラウラもIllの専用操縦者たちと同じく遺伝子強化素体。助けたい心情をバルツェルも理解しているが許すわけにはいかなかった。他ならぬラウラ自身の未来のために。

 

『たしかに私は独断で動いています。しかしそれは私情だけではありません』

「ほう。ならば言ってみろ。今のお前の行動が我らにとってどのような益となる?」

 

 低年齢の軍属というばかりでなく少佐という階級が確約されている代表候補生。ISを扱う上での技量は高くても軍人としての評価が高いわけではない。シュヴァルツェ・ハーゼの実質的な隊長は副隊長であるクラリッサ・ハルフォーフとも言える体制になっている。ラウラが日本に向かった理由を考えても、物心つく前に見た“織斑”の影を追いかけてのこと。自らの義理の娘であることも手伝ってバルツェルはまだラウラを子供扱いしていた。

 しかしそれはこのときまでの話。説明を求められたラウラは戦闘中にもかかわらず自らの考えを述べる。

 

『今回の件は御手洗数馬がISを所持し、使用できることが発覚したことに端を発します。米国を始めとする諸国は日本が篠ノ之論文を独占していると疑っていますがそうではありません』

「我らもそのように見ている。御手洗数馬がイレギュラーなのだとな」

『それも違います。御手洗数馬はただの一般人に過ぎません』

「では468個目のコアが特殊なのか? どちらにせよ、我らが独占するメリットより、敵が増えるデメリットばかりが目立つ」

『あのコアも何も特別ではありません。しかし他の467個との明確な違いはあります』

 

 アメリカの狙っている男性操縦者も468個目のコアも全く価値がないものだと断言する。バルツェルも無理に確保するだけの価値がないと判断していたがラウラの考えとは異なっている。

 468個目のコアの正体を多くの者が誤解している。

 数馬の持っているISのコアは正確には()()()468個目などではない。

 

『御手洗数馬の所有するISは、ゼノヴィアという遺伝子強化素体がISVSから実体化させたものです』

「なに……?」

『藍越学園襲撃の際の状況と御手洗数馬の言動から考えてほぼ間違いありません。アントラスや米国に奪われることはもちろん、日本に処分される前に我々が確保することこそ我々の益となるはずです』

 

 数馬の失踪から3日間、ラウラは1人で考えに考え抜いていた。原因追究のみならず、シュヴァルツェ・ハーゼを失わずにゼノヴィアを守る口実を。

 実を言えば数馬の機体がISVSから実体化されたなどという証拠は何もない。全てが推測の域で否定する材料がないだけである。それでも強行したのは(ひとえ)にゼノヴィアを殺させないため。

 ラウラはゼノヴィアが数馬と楽しそうに生活しているのを見ている。織斑家に居候している自分とも重なった姿だった。遺伝子強化素体であると発覚したことでゼノヴィアが殺されるのを他人事だとは思えなかったのだ。

 バルツェルはふっと微笑んだ。幼い頃からずっと見守ってきた上官は、ラウラが子供なりに理由を紡ぎ出したことに満足する。

 ――その理想に乗ってやろう。あながち外れでもあるまい。

 

「何と言っているのだ、ボーデヴィッヒ少佐! よく聞き取れぬ!」

『准将?』

 

 ラウラ側ではクリアな通信状況である。しかしバルツェルは聞こえぬ振りをした。

 

「聞いているのか、ボーデヴィッヒ! くそっ! どうもノイズがひどくて指示を伝えられぬようだ。かくなる上は私自らが日本に出向くとしよう。それまでは……ボーデヴィッヒ少佐の判断に任せるしかあるまい」

『感謝します、准将』

 

 ラウラからの礼を最後に通信を切った。バルツェルが大きく息を吐き出すと、傍に控えていた副官が声をかける。

 

「今回も親馬鹿ですか?」

「否定はせん。だが少佐の護衛する少女が篠ノ之論文より重大な情報を握っている可能性があるのは事実。他国に渡すわけにはいくまい」

 

 バルツェルが椅子から立ち上がると同時に、シュヴァルツェ・ハーゼの全隊員がバルツェルに敬礼する。ドイツの誇る最強のIS部隊。バルツェルは彼女たちに指令を下す。

 

「専用機を持たぬシュヴァルツェ・ハーゼ全隊員はコア仮想空間内にて待機。専用機持ちは私と共に日本へ赴く。急げ!」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 うっすらとした意識の中、携帯がメールの着信を告げていた。深く眠れなかった俺は今が真夜中であることをハッキリと認識できている。このような時間に来る連絡は緊急性の高いものだ。十中八九、数馬に関する情報。飛び起きた俺はすぐさまメール画面を開く。

 

 ――ISVSの藍越学園で待ってる。1人で来てくれ。

 

 内容はたったそれだけだった。知らないアドレスからであり差出人の名前もない。でも心当たりは1人いる。

 

「数馬なのか……?」

 

 アドレスのドメインはフリーメールのもの。携帯でなくパソコンから送られたと考えれば数馬が俺に連絡してくる可能性は0じゃない。1人で来てほしいというのも、おそらくはセシリアに来てほしくないということだろう。あのときのセシリアは問答無用という感じだった。

 まだ俺ひとりを狙った敵の罠の可能性の方が高いのはわかってる。それでも何も手がかりがない今、放っておけない。

 

「セシリアがいると話し合いにならないかもしれない。弾や鈴を今から家に呼ぶか? でもセシリアに悟られるよなぁ」

「では私がついていこう」

 

 部屋の中でモッピーが起動していた。話を聞いていたということは俺が寝ている間もこちら側に来ていたことになる。

 

「危険だ。罠かもしれない」

「だからこそ私が行くのだ。もし罠だとしても関係ない。そのような姑息な手段しか取れない者など私の敵ではないからな」

「エアハルトに負けてたのにか?」

「こう見えて私はメンタルが弱い。あのときは負けても仕方ないほど参っていたが、本来の私はエアハルトなど敵ではないぞ」

「胸を張って言うことじゃないだろ……あと、根拠もない」

 

 呆れつつもナナの言うこともあながち間違いではない。相手がアドルフィーネ並でもナナなら逃げきれるだろう。ギド並だったらマズいが、それならば敵は小細工してくる必要がない。言いたいことはわからないでもなかった。

 

 

 とりあえずISVSにやってくる。ツムギのロビーに現れた俺をナナとシズネさんが出迎えてくれた。ナナは既に紅椿を展開していて臨戦態勢である。

 

「私も行きたいのですが……」

「ダメだ。罠でもそうでなくてもどちらにせよIllとの戦闘になる可能性がある。足手まといだ」

 

 シズネさんが冗談の1つも言わずに同行を申し出るがナナはきっぱりと却下する。足手まといと突き放すような言い方をしてまでもシズネさんを連れて行かないという固い意志がある。こうなったナナをシズネさんは強引に説き伏せようとはしない。

 

「わかりました。2人とも、お気をつけて」

「行ってくるよ、シズネさん」

 

 俺も白式を展開して出口へと向かう。ナナに同行してもらう都合上、転送ゲートは利用できない。空路を使って直接向かうつもりだった。この仮想世界にある藍越学園へ。

 先にナナが外に出る。俺も後に続こうとしたところで、左手をシズネさんが掴んで引き留めてきた。

 

「帰って……来るんですよね?」

「当たり前だよ。なんか急にそう聞かれると怖くなってくるけどさ」

「すみません」

「謝ることじゃないって。でも明るく送り出してくれる方がいいな。シズネさんにとって俺は何?」

「超絶かっこいいスーパーヒーローに決まってるじゃないですか」

「なら大丈夫だ」

 

 ヒーローなんて柄じゃない。でもシズネさんにそう言ってもらえると勇気が湧いてくる。今までISVSで俺が成し遂げてきた実績を言葉にしてもらえている。数馬も助けられると、そう思えた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夜の明けていない街の上空をISが翔る。世界で唯一の現実の男性操縦者となった御手洗数馬は、守るべき少女を抱えてひたすら逃走を続けた。

 背後には銀の福音が迫っている。始めはシルバーベルで攻撃を加えていたが人のいる領域に入ったため迂闊な攻撃ができなくなっていた。数馬は街に住む人々を人質としてなんとか逃げおおせている。

 だがそれも時間の問題だった。追っ手である福音から距離を離せない以上、いずれは他のISに先回りされて捕まるのが目に見えている。

 

『もういいよ。私を置いて逃げて』

「そんなことできるわけがないだろ!」

『でも、このままじゃ数馬まで捕まっちゃう』

「ゼノヴィアが殺されていいわけない!」

 

 始めから損得で動いていたわけではない。共に過ごした期間は短いものであったが、数馬は彼女を失いたくないと願ったのは事実。ここで投げ出すようならば失踪する前にゼノヴィアを斬っている。

 

『でも私は……本当は存在しない者なのに』

「じゃあ、ここにいるゼノヴィアは嘘なのか? 俺が感じている重さも、温もりも全部幻だっていうのか? 俺の本当は俺が決める!」

 

 自己犠牲を孕んだゼノヴィアの説得を斬って捨てる。たとえ事実だとしても数馬の信念に狂いは生じない。他人から見れば無駄な意地でしかなくとも現実に抗い続ける。

 

「運命に抗う者を賞賛こそすれど貶めはしない」

 

 ふいに聞こえてきた肉声は福音からのもの。いつの間にか並んで飛ぶくらいの至近距離にまで接近されていた。

 イグニッションブースト。新手の待ち伏せなどなくとも、福音が数馬に追いつくことは造作もないことであった。

 背中を蹴りつけられる。PICに不調を来す格闘攻撃によって数馬とゼノヴィアは地面に落下した。蹴られた数馬がゼノヴィアの下に回り込んで庇う。土の地面だったこともあり、ゼノヴィアが大怪我をしていないことにホッとする。

 

「だが名誉だけで物事を成せはしない。力なき者の抵抗――人はそれを無謀と呼ぶ」

 

 星の見えない夜空を背にして銀の天使が翼を広げた。安心するのはまだ早かった。これはシルバーベルの攻撃準備。住民という制約があって使えなかった射撃兵器を放とうとしている。

 それもそのはず。数馬が墜落させられた場所は藍越学園のグラウンド中央。真夜中の学校のグラウンドに人がいるはずもなかった。

 蹴られた影響でまだすぐには高速機動が行えない。福音の攻撃範囲外に出ることはできず、今度こそISの機能停止に追い込まれる。そうなればゼノヴィアを守る者は誰もいない。

 だが数馬の顔にはまだ余裕があった。

 

「ここにいるぞォ!」

 

 声の限りを尽くして叫ぶ。その自己主張と同時に藍越学園のナイター設備である照明が一斉に点灯した。明かりの下には複数の人影が見える。

 

「この学園は包囲した! 抵抗はやめて大人しく投降しろ!」

 

 ぞろぞろと現れたのはスーツ姿の男数人と警官の制服を着た集団であった。リーダーらしき男がハンドスピーカー片手に投降を呼びかける相手は数馬ではなく銀の福音。相手がISであることはわかりきっているというのに臆した様子はない。

 

「なんでここに人が? それも警察!? まさか……」

 

 この場にISを持たない人が現れたことで銀の福音は武器の使用を封じられた。そればかりか下手に動けなくなっている。理由はどうあれ、日本のISを持たない警察官をISで攻撃などしてしまえば宣戦布告したも同然になる。そもそも関係者以外に見つかった時点でナターシャの立場は苦しい。

 この場に警察が現れたのは数馬にとって予定通りの出来事。平石と示し合わせて藍越学園で“通り魔”を捕らえることになっていた。この状況で誰が通り魔なのかは言わずとも知れている。

 とは言っても数馬の策の効果は時間を稼ぐ程度しかない。結局のところ、この場で福音に攻撃されない確約が得られているだけであり、藍越学園から逃げれば警察など無視して福音が追ってくる。少しだけ安全な檻の中に自ら飛び込んだだけなのである。

 

「ねえ、ゼノヴィア。君は自分のことを嘘の存在って言ってたよね?」

 

 この後に残された手立ては最終手段と呼べるもの。どう転ぶのかなど数馬が想定できるはずもないが使わざるを得ない。それだけ追い込まれてしまっている。

 

「嫌かもしれないけどさ。嘘の世界に逃げないか? 俺も一緒に行くから」

『いいの? 現実(ここ)よりもずっと辛いはずだよ?』

「大丈夫。俺は藍越エンジョイ勢でリーダーを努めたこともあるライルだぜ? 半分、ISVS(あっち)の住人みたいなもんだっての」

現実(ここ)よりも残酷な世界なんだよ?』

「だからこそゼノヴィアだけじゃなくて俺も行くんだ」

 

 もう逃げ場がない。それは現実での話。まだゼノヴィアには逃げる道があった。

 元々はこの現実へと逃げてきた。二度と戻りたくないとさえ思っていた場所へ逃げ帰る。逃げてばかりの宿命を背負っていると認めるようなもの。だが――

 

『数馬も行くなら私も行く』

 

 数馬が居るなら違う世界に思えた。きっとこの先に、自分が居てもいい場所があるのだと淡い期待さえ抱いて、ゼノヴィアは自らの力を解放する。

 

『“想像結晶”、反転起動』

 

 ゼノヴィアの体が粒子に分解されていずこかへと消えていく。

 存在の消滅ではない。あるべき場所へと還っていくだけ。

 

 単一仕様能力“想像結晶”。

 ただ一つの現実干渉系イレギュラーブートであり、その効果はISVSに存在する仮想の存在を現実に実体化するというもの。ゲームの域を超え、現実の物理法則すら歪める魔法と呼べる能力である。

 

 ゼノヴィアは自らの能力を使って現実へとやってきたISVSの住人であった。この能力を反転させて使用することでゼノヴィアはISVSへと逃げることが可能となる。現実にその体は残らない。

 数馬はイスカを取り出した。ゼノヴィアを1人だけで逃げさせたりなどしない。即座に追いかけるためにイスカを胸に当てる。

 近くにISVSの筐体はない。だがそもそもISVSの筐体とは、コアネットワーク上の仮想世界にアクセスする機能のみを備えた劣化ISコアだ。元々現実のものでないにしろ、今の数馬の手には本物のISコアが存在する。

 数馬はその場で気を失う。意識はISVSへと潜っていった。

 

 

  ***

 

 いつものゲームとは違っていた。装備を選択してからやってきた場所はプレイヤーの集まるロビーではなく、数馬が現れた場所は藍越学園と瓜二つの土地である。現実をそっくりそのまま投影した景色には銀の福音も警察官もいない。

 

「本当に来てくれた。嬉しい」

 

 ゼノヴィアはすぐ傍にいた。頭の中に響く声ではなく彼女の口から直接発せられている言葉は現実と違って普通に聞き取れる。

 彼女は数馬が数馬だとすぐに理解する。それもそのはずで数馬はアバターの外見を初期化し、現実の自分と全く同じ外見に直していた。プレイヤーネームも“数馬”にしている。

 

「やっと普通に話せるようになったな。そういえば、どうして今まで変な日本語だったん?」

「想像結晶による具現化が不完全だったの。翻訳機能が変な方向に働いてたみたい」

「翻訳機能って……機械じゃないんだから」

「私じゃなくてイロジックの方。伝えたいことが上手く伝えられなくてじれったかった」

「筆談すれば良かったんじゃ――」

「ごめん。文字はわからないの」

「そっか。じゃ、仕方ない」

 

 初めて声と声で会話する。もう出会ったときのようなチグハグでわかりづらい会話をすることはない。

 数馬の心に若干の寂しさが過ぎる。

 元の自分たちには戻れないのだと認めざるを得ないから。

 

「……やっぱり最後はお前が来るのか」

 

 ゼノヴィアと向き合っていた数馬は笑顔を絶やさなかった。しかし近づいてくる2機のISに気づいて顔を引き締める。南方の空からやってきている機影は白と紅。彼らの狙いはゼノヴィアに決まっている。

 

「俺、戦うよ」

 

 数馬がISを展開して飛翔する。現実で使っていた打鉄ではなく、フレームをメイルシュトロームに変更。装備も変えている。戦う用意はできていた。

 藍越学園の上空で数馬とゼノヴィアは白と紅に対峙する。白の機体の操縦者である銀髪の男は数馬にとって特別な相手。

 

「一夏。いや、ヤイバ……って、どっちでもいいよな」

「数馬……」

 

 数馬の目には闘志が、ヤイバの目には困惑が宿っている。

 迷いの有無が両者の間でハッキリと分かれていた。

 

「俺はさ……ずっと一夏に憧れていたんだ」

 

 独白を始める。これから戦うにしても、数馬にはどうしても言っておきたいことがある。

 

「親父に言われた通りに生きてきててさ。親父の言うとおりに“友達”を大切にしてきた。自分が生きるために周りに合わせなきゃいけない。代わりにいつか自分が良い目を見る。それが友情って奴なんだと思いこんでた」

 

 数馬の根底にあった父の教え。だが数馬には『なぜ?』と疑問に思うことはなかった。故に父の真意すらも知らぬまま、形だけ従っていた。空気を読むことに必死で、自分がしたいことなど考えたこともなかった。

 

「でもお前らは違った。一夏は他人と上手く付き合おうだなんてしなかったし、弾は自分に合わさせようとする奴だった。そんな奴らがいつの間にか仲良くなってて、いい顔をするようになった。俺もその中に混ざりたくなったんだ」

 

 変わったのは中学での出会い。周りと合わせようとせず我が道を貫く一夏や、他者を巻き込んで今を楽しもうとする弾の2人には自分にないものがあると感じられた。

 

「あれから今日まで色々あった。特に一夏は弾すら辟易するような厄介事を持ち込んできた。鈴の狂言誘拐とか正気の沙汰じゃなかった。でも、あのときの一夏は間違ってなかったと俺は思ってる」

 

 中でも一夏は特別だった。数馬には理解不能だった行動原理で動いている。弾と口を揃えてバカだと言っていたが本心は別。一見すると狂ったような行いで、一夏は最善の結果を導いてきた。

 

「一夏は昔から普通の奴にはできないようなことを平然とやってのける。鈴を日本に引き留めたことだけじゃない。ISVSだっていつの間にか学校連中の誰よりも強くなって……俺は才能って奴を見せつけられてきた。力だけじゃなくて、意志の強さって言うの? そういう点でも一夏はいい意味で俺たちからズレてた」

 

 一夏の知らない内面を暴露する。常に自分と比較して、適わないと思い続けてきたことを……

 

「別に嫉妬なんかしてない。俺は一夏を誇らしく思ってる。俺の親友は最高にかっこいい奴なんだって俺は知ってる」

 

 親友の目から見た一夏は英雄のような存在だった。凡人には理解できない存在という悪い意味にも捉えられるが、数馬は決して悪感情を持っていない。むしろ率先して自慢するくらい、一夏のことが好きだった。

 

「俺なんかじゃ一夏に勝てない! そんなことは俺が一番良くわかってるんだ! でも――」

 

 一夏の理解者であるという自負すら持っている。一夏の目的も、そのための手段も何もかもわかり切っている。

 だからこそ数馬はこの場で剣をとる。ENブレードをヤイバに向けるのは抗う意志。羨望を向けていた自慢の親友と相容れない現状を明確な形にする。

 戦いたいわけなどない。でも――

 

「俺は今、一夏に立ち向かわなきゃいけないんだよォ!」

 

 ゼノヴィアを守ると決めた。彼女は一夏にとっての敵。両方をとることができればと数馬は3日間の失踪のうちに何度も苦悩した。

 だが都合の良い解決策など出てこなかった。

 ヤイバの背後には一夏の救いたい人がいる。彼女を救うために一夏(ヤイバ)は戦ってきた。今更その想いを無くすことなどできようもない。

 ヤイバはナナのためにゼノヴィアを討たなければならない。

 数馬はゼノヴィアのためにヤイバを討たなければならない。

 

 数馬は初めて自分の我が儘を通そうとする。

 友達を何よりも大切にするという16年守られてきた誓いが破られた。



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35 牙を剥く卑怯者

 天と地ほどの実力差があった。

 ラウラはドイツの代表候補生、その中でも次期国家代表に最も近いとされているランキング28位のランカーだというのに攻め倦ねている。

 否、攻めた時点で敗北は必至。相手はその更に上をいく存在であった。

 

「思っていたより消極的な戦い方だな。捨て駒と割り切り、時間稼ぎをしているか」

 

 ラウラが言い返すことはない。全ての攻撃をブリュンヒルデは刀一振りで抑えている。ワイヤーブレードは全て叩き斬られ、レールカノンは砲弾をぶった斬られ、手刀は届かない。優れたAICでかろうじて避けているだけというのが現状だった。

 

「バルツェル准将も甘い人だ。義理の娘のみならず、他の遺伝子強化素体にまで情が湧いたとは」

「教官も十分に甘い。落ち目だった私を引き上げただけでなく、今も手加減してくれています」

「お前が自分を過小評価しているだけだ。私の剣を受けることができる者など世界に100人といない」

 

 ブリュンヒルデの雪片が振るわれる。ラウラはブリュンヒルデの右手をピンポイントで静止させることで攻撃を抑える。止められる時間は一瞬。その間に雪片の届く範囲から逃れることで回避を成立させている。

 

「剣一振りで世界の頂点に立った人にしては謙遜が過ぎます」

「なるほどな。お前は私を過大評価しているようだ」

 

 ブリュンヒルデが続けて攻撃を加えるもラウラは変わらずAICに集中して回避に専念する。物理ブレードである雪片にはEN属性を持たせた手刀で容易に勝てるはずなのだが、ブリュンヒルデに対してだけは通常の相性は成立していない。ブレードに直接触れることなく抑えなければならず、ラウラはその条件をギリギリで満たす対策があったおかげで生き永らえている。

 とはいえ、やはり勝ち目はない。こうして時間を稼ぐのも数馬たちが少しでも逃げられればという微かな可能性にかけてのことだ。銀の福音から無事に逃げられたのか確認することもできず、そろそろ引き際だろうかと考えを巡らせ始めた。そのときだった。

 

『ありがとう、ラウラ。私と数馬は“あっち”に行く。だからもう戦わなくていいんだよ』

 

 IS専用の通信が送られてきた。その声はゼノヴィアのものである。一度もラウラに心を開かなかったというのに、この土壇場で彼女はお礼を言い残した。ラウラの頬が僅かばかり緩む。

 事態は芳しくない。“あっち”とはISVSのことだとラウラは理解できている。既にゼノヴィアを現実の存在ではないと位置づけていたラウラは、彼女たちがISVSへと逃走したと受け取った。

 

 ――たしかに戦わなくていい。

 

 最善ではないが状況が動いた。ラウラが取るべき道も定まっている。元より、ラウラはブリュンヒルデと戦うことを目的としていない。

 

「教官。不躾ですが、この後のことをお任せします」

 

 返事も聞かずにラウラはISを解除した。右手に取り出したのはイスカ。彼女は数馬たちを追ってこの場でISVSに入ることを選択する。

 バタリとその場で倒れ伏すラウラを千冬は静かに見下ろしていた。ほぼ同時にナターシャからの通信を受け取る。

 

『魔女に逃げられた。藍越学園に警察が張り込んでるなんて聞いてない』

「御手洗はどうした?」

『ISVSに入ったみたい。Illの傍にいるだろうから強制的に戻すことは無理。これ以上、厄介なことになる前に撤退するけどいい?』

「御手洗も連れていけ」

『え? あとは日本の警察に任せればいいんじゃ――』

「そいつらはアントラスの変装だ。絶対に御手洗の身柄を渡すんじゃない」

『くっ……そういうこと。了解したわ』

 

 ラウラの突然の武装解除の理由を千冬は察する。これ以上、現実で千冬を足止めする必要がなくなったからだ。そして、自らもISVSへ向かうことで数馬たちの援軍となると同時に、現実で気を失っていることで千冬を現実に足止めすることをも狙っている。

 

「まだ小娘と思っていたが、存外小賢しい真似をしてくれた。これも一夏の影響か。全く……手の掛かる元教え子だな」

 

 後を任せると言い残した意味も察している。ラウラと戦闘している間も周囲に人影があった。最先端の光学迷彩装備を持ちながらその機能を使わずに戦闘の成り行きを見守っていた者たちは皆一様に首をもたげている。意識のない人間を無理矢理立たせているだけという光景を千冬は過去に幾度となく目にしてきた。

 

「まだ日本にいたのか、“死人使い”」

 

 ツムギのメンバーとして活動していた頃に苦しめられてきた経験で敵の正体はすぐに掴めていた。

 ワンオフ・アビリティ“傀儡転生”。非生物、もしくは死人を操る能力。建前上は所属不明である兵隊たちがテロリストであるオータムによって着用中の特殊スーツを操られている。ゼノヴィアに襲われた後のため本人たちの意識は無い。

 

「逃げる理由もねえし、どうせお前らに私は捕まえられねえ」

「相変わらず逃げ足にだけは自信があるようだ」

「正面からブリュンヒルデに挑むわけがないだろ。リスクしかないことはしねえ主義だ」

 

 兵隊の着ている特殊スーツから声が発される。決して表に出ないテロリストの顔を旧ツムギの誰も知らない。正面からかかってこない相手は千冬が苦手とする部類。

 

「さてと。久しぶりに会ったんだ。もちろん手合わせしてくれるよなぁ?」

 

 千冬はオータムの相手をせざるを得ない。この場には千冬だけでなく無防備なラウラもいる。自分だけ逃げれば間違いなくラウラが敵の手に落ちることだろう。

 ラウラを抱えて逃げるのも、ラウラを危険に晒す。残された選択肢は、戦うことのみ。だが全力で戦えば利用されているだけの兵隊を殺すことになる。加減して戦うことにはなるのだが、先日の襲撃時と違い操作する数の少ない人形たちは宍戸がやったように簡単に戦闘不能には追い込めないだけの技量が反映される。

 オータムの狙いはブリュンヒルデを釘付けにすること。ラウラの思惑と合致しているとはいえ協力関係にあるとは思えない。オータムのものとも思えない何者かの策が働いていると思われたが、千冬にできることは変わらない。ラウラを守るだけだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「2人は無事なのか……」

 

 ISVSへとやってきたラウラは真っ先に数馬との通信を試みた。しかし余裕がないようで全く返答がない。既に戦闘が始まっていると予想される。

 幸いなことに数馬たちのいる場所は見当がついている。現実で数馬の逃走していった方角には藍越学園があった。ISコアを使ってロビーを経由せずにやってきた場合、特別な設定をしていなければ現実と同じ場所に現れる。つまり、藍越学園にいる可能性が高い。

 現実とISVSでは装備の状態が共有されていないためシュヴァルツェア・レーゲンは万全の態勢である。ISを展開したラウラはまだ明けていない夜空へと飛翔する。

 

「あれは……」

 

 空に上がったところで早速ISの姿を見つけた。数馬でもゼノヴィアでもない。黄色主体のボーンイーターフレームに焦げ茶の縞模様が加えられたデザイン。両腕に最大級のシールドピアース“グランドスラム”が取り付けられている格闘型のISは知らぬ者の方が少ない。

 

「本物のファング・クエイク。アメリカ代表のイーリス・コーリングか!」

 

 現実において数馬を追っている者の中に銀の福音が紛れていた。ISVSならばともかく現実で偽物を用意できるとは考えにくい。アメリカが数馬を狙っていることはほぼ間違いなく、このタイミングでISVSに現れたファング・クエイクを偽物だなどと楽観視するわけがない。

 ブリッツを照準する。味方であるはずなどなく話し合いで解決する可能性もほぼ0であることから容赦なく先制攻撃を放つ。当然のように避けられるが、ファング・クエイクがラウラに気づいて進路を変えた。それで十分。

 多段イグニッション・ブーストにより雷のようにジグザグとイーリスが接近する。軌道が予測できず射撃を狙う暇はない。

 ラウラは眼帯を外す。現実でのブリュンヒルデ戦と違い、相手の手加減は期待できない。最初から全力でかからなければ即座に敗北すると言っていい。

 ファング・クエイクの拳に対して掌を向け、一点に意識を集中させて念じる。

 

「停止結界!」

 

 イーリス・コーリングは真っ当な格闘戦ではブリュンヒルデに次ぐ実力と言われている。一度でも攻撃を許せばあっという間に戦闘不能まで持っていかれる。

 固有領域に入ったイーリスの拳をAICで静止させる。押し込もうとするイーリスの意思を止める意思で捻じ伏せる。イナーシャルコントロールの干渉は刀剣の鍔迫り合いと同じ。

 

「これがドイツの冷氷か。ブリュンヒルデと渡り合えるだけのAIC。相手に不足なし!」

 

 拮抗していた状況は徐々にイーリス側に傾いていく。止まっている相手を攻撃する余裕がラウラにはなく、少しでも気を抜けばイーリスの拳が届く。シールドピアースまで決められれば立て直すことは不可能。このまま意地を張り合ってもラウラの分が悪い。

 ここで勝負をかける。

 AICを解除。イーリスの拳に真っ向から手刀で挑む。ブリュンヒルデと違い、イーリスの拳は装甲で殴りつけるだけの単純な打撃。ENブレードで搗ち合わせれば一方的に打ち勝つ。

 

「浅いんだよ!」

 

 だがイーリスはランキング6位の強敵。ただのごり押しのみでその地位にいるわけがない。あろうことかイーリスは零距離射撃武器ともいえるシールドピアースを発射した。

 

「バカなっ!?」

 

 ラウラの想定に無い攻撃。シールドピアースの強みである高PICCの有効距離は杭を出し切るよりも短い。右手同士が接触する直前の30cmという距離でもライフルより弱い威力となる。

 それでも十分な効果があった。杭はラウラの右手の甲に刺さり、逸らされる。右手ごと体が右に泳ぐラウラの懐に短距離のイグニッションブーストで入り込んだイーリスの左手が腹部に押し当てられる。

 

「しまっ――」

 

 殴打とほぼ同時に放たれるは最高威力のシールドピアース“グランドスラム”。PICCの高さは他のカテゴリを含めても頂点にあり、いかなるISのシールドバリアをも一撃で粉砕する。

 完璧なタイミングで入った。重量級(ヴァリス)四肢装甲(ディバイド)であるシュヴァルツェア・レーゲンであっても、この一撃を前にしてアーマーブレイクは避けられない。シールドの修復にエネルギーが回され、まともに飛行できずに墜落を始める。

 

「そのまま逝っとけ!」

 

 なおもイーリスは追撃する。両手のグランドスラムはリロード中で使えないがアーマーブレイク中のラウラを倒し切るにはその拳で殴るだけで十分である。

 対するラウラには手刀にエネルギーが供給できず、頼みの綱のAICも機能不全に陥っている。迫る敵を前にして抵抗する術がなかった。

 

 

「――去るのは貴様だ、イーリス・コーリング」

 

 

 ここに乱入者が現れる。黒のワイヤーにつながれた10を超えるブレードの群が殺到し、不利を悟ったイーリスは急速反転してラウラから距離をとった。

 地面へと落ちていくラウラは下に回り込んだ者にキャッチされる。抱えられた状態で見上げてみれば、ラウラと同じ黒い眼帯をした女性である。彼女は頼もしい援軍だった。

 

「クラリッサ……」

「遅くなりました。援護します」

 

 クラリッサはラウラを抱えたままイーリスと対峙する。両手が塞がっていても彼女には関係がない。肩や背中から延びる複数のワイヤーブレードさえあれば万全なのである。

 グランドスラムのリロードを終えたイーリスが仕掛ける。射撃の的を絞らせない鋭角な多段イグニッションブーストはランカーにも撃ち落とすことは困難だと言える。

 

「流石はアメリカ代表。射撃など当たらなければいいと割り切り、高威力の格闘武器のみで相手を圧倒するプレイスタイルはロマンに溢れている。その魅力は認めよう。だが――」

 

 くっくっくとクラリッサは笑う。彼女の操るワイヤーブレードは射撃武器と違い、発射する必要がない。イーリスの動きに合わせて直線上にブレードを置くことに徹する。イーリスがどう動いたところでクラリッサの刃の枝が本体を隠し続ける。

 クラリッサの実力ではヴァルキリーに匹敵する実力の相手に勝つことは難しい。しかし相手がイーリス・コーリングならば、防戦一方に限ればクラリッサは対等以上に戦える。事実、イーリスは攻め倦ねていた。

 時間さえ稼げばラウラも戦闘態勢に戻る。イーリス側には援軍の気配がない。

 クラリッサはワイヤーブレードしか使わない自らのプレイスタイルを棚に上げて嘲笑う。

 

「所詮はシールドピアースに頼った一発芸。色物の域を出ない!」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 なぜこうなってしまったのか。

 送られてきたメールの通りにISVS内の藍越学園にやってきた俺は無事に数馬と出会えた。俺たちと一緒に遊んでいたライルというプレイヤーではなく、現実の数馬と同じ姿格好で……

 1人で来いという呼び出しにナナを同行させたけど特に咎められてない。だけど数馬は最初から俺の話を聞く気がないみたいで、ENブレードをこちらに突きつけてきた。

 

「俺は今、一夏に立ち向かわなきゃいけないんだよォ!」

 

 こんな数馬を見るのは初めてだった。友達思いだと思っていた数馬が抱えてた劣等感も初めて知った。俺なんか、皆に支えられてるだけの我が儘な男でしかないのに。

 数馬と手合わせしたことはあったが今の数馬はゲームをする目つきではない。簪さん扮する偽楯無に似た雰囲気を俺は感じている。容赦なく俺を斬ろうとする者の目。

 

「待ってくれ! 俺はお前と戦いに来たんじゃない!」

 

 数馬と話すために来たんだ。だから立場に縛られそうなセシリアは置いてきた。だというのに数馬は聞く耳を持っていない。

 雪片弐型の1.5倍の長さはあるENブレード“デュラハン”を数馬が容赦なく振るってくる。俺の間合いの外からの斬撃を、ENブレード同士の干渉を発生させることで受け止める。

 

「俺とは、ね……だったら一夏はここに何をしに来たん?」

「お前を助けに来た」

「一夏らしい答えだよ。周りに合わせたこともないお前には他人の心が見えてない」

 

 頭が衝撃で大きく揺れる。言葉だけでなく弾丸も飛んできた。

 数馬の左手には拳銃型の武器。生徒会長も使っていたハンドガン“ドットファイア”がある。威力は小さいがPICCは射撃武器の中でも高く、速い相手の足を止めるのに有効だと弾が言っていた。

 その引き金は恐ろしく軽かった。鍔迫り合いをしていた俺の顔面にぶつけられたことでよろめく。

 

「俺を何から助けるつもりだ!」

 

 隙を見せた俺に容赦ない追撃。縦に振られたENブレードに対して、今度は受け止めず、受け流す。射撃を警戒して一定の距離を置いた。

 

「敵から――」

「ふざけるな!」

 

 がむしゃらに撃たれたハンドガンの乱射を俺は大きく飛び退いて躱す。

 数馬は冷静さを失うくらいに憤っている。他ならぬ俺に対して。

 

「お前の言う“敵”って何だよ?」

 

 乱射をやめて一時的に攻撃をやめた数馬が小声で呟く。俺に向けられた問いかけなのかはわからないが答えるしかない。

 

「箒を苦しめている奴らだ。彼女だけじゃない。数馬の親さんもIllの被害に遭ってる。皆を助けるために倒さなきゃいけないんだ!」

 

 数馬の背後にいる遺伝子強化素体を睨みつける。数馬はお人好しなところを利用されているだけなんだ。騙されているだけだってことを伝えなきゃいけない。

 でも数馬の表情に変化がない。知らないだろうと思っていた両親のことを伝えても全く動じていない。

 

「やっぱりだ。結局、一夏はここに俺と戦いに来てる」

 

 左手の拳銃を向けてくる数馬の動きに迷いはない。照準から発射までの躊躇なんてなかった。避けられなかった俺は左手の装甲で弾丸を受け止める。

 

「違う! 俺は数馬と戦いたくなんてない!」

「俺だってそうだよ! でも俺に武器を取らせてるのはお前なんだ、一夏!」

 

 再び斬り結ぶ。出力で勝るはずの雪片弐型とほぼ互角になっているのも、数馬の機体のフレームがメイルシュトロームだからだ。

 エネルギーの効率を度外視して出力を高めるEN武器の威力重視のセッティング。高速機体への牽制用にハンドガンを持っている点を考えてもENブレードのブレオン機体の相手を想定している専用装備である。

 

「助けるために一夏は敵を倒してきた。それが一夏の目的だってのは十分にわかってる」

「そうだ。数馬も親さんも助ける」

「そのためにお前はゼノヴィアを討つのか!」

 

 またハンドガンが撃たれる。今度は避けた。だけど何も良くない。数馬が本気で俺を倒そうとしていることに変わりはない。

 ゼノヴィア……それが数馬の後ろにいるIllの名前。

 数馬はゼノヴィアを守るために戦っている。正義感の強い数馬のことだから何も知らずにそうしていたのだと俺は思ってた。

 だけどそうじゃない。数馬は全部知ってて、Illを守っている。

 

「数馬こそ、“それ”がどういう存在かわかってるのか! お前の親を昏睡状態にしてる奴かもしれないんだぞ!」

「かもしれない? 違う。間違いなく“彼女”がやったことだ」

 

 親を昏睡状態にしたIllだと確信すらしていた。なのにその元凶を守ると言っている。

 何が数馬をそうさせているのか俺にはさっぱりわからない。

 

「だったらどうしてお前が守る必要があるんだ! 洗脳でもされてるんじゃないのか!」

「一夏にわかるはずがない!」

 

 数馬が連続してENブレードで斬りつけてくる。その全てを受け流して俺は耐えるのみ。

 

「いいか? ハッキリ言わせてもらうけど、俺は一度として一夏の戦いの目的に共感したことなんてない。俺は篠ノ之箒って子が昏睡状態のまま目が覚めなくてもどうだっていいんだよ」

 

 初めて俺の方から数馬に斬りかかった。反射的に体が動いてた。

 しかしリーチの差とハンドガンの牽制により、俺の接近は阻止される。

 

「やっぱ怒るよな。それも知ってる。一夏に限らず、大切なもんを軽んじられちゃ堪らないもんな」

「数馬にとっての大切なものがゼノヴィアなのか!」

「たぶんね。俺は親父たちのために彼女を殺すこともできた。でも出来なかった。それが答えだ」

 

 俺は数馬を助けようと思ってここに来た。数馬の守るIll(ゼノヴィア)を討ちに来た。それは俺がゼノヴィアを知らないからであり、数馬にとっての箒と変わらないと言う。

 既に数馬は両親と秤にかけてゼノヴィアを取っている。ゼノヴィアを守るためなら、箒が目覚めなくても構わないと本気で言っている。

 良くわかった。俺と数馬は相容れない。

 

「戦うしかないんだな……」

「一夏が俺を助けるために来たのなら、何もせずに帰れ。だけど助けたい彼女のためならしょうがない。俺は全力で立ち向かう」

 

 防戦一方だった剣戟はENブレードの打ち合いへと移り変わる。

 数馬は箒を救うための障害となった。俺の友人であることは最早関係ない。

 現実にいたIllだなどという最も箒に近いIllを俺は見逃すわけにはいかないんだ。

 

「これが洗脳だって言うんなら、俺の想いごと斬り捨てろ!」

「数馬ァ!」

 

 箒を助けるために立ちはだかるものは倒す。数馬の思いは二の次で、俺の思いを優先する。

 数馬との初めての喧嘩は、守りたい者を賭けて互いの思いを斬り捨てる心の殺し合いだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバに追従してきたナナも黙って見ていたわけではない。彼女はヤイバが数馬との戦いを渋っていること、数馬を無視できないことを重々承知している。幸いなことに2対2。ヤイバと数馬を除けば、ナナとゼノヴィアは1対1となる状況が出来上がっていた。

 この機会を逃す手はない。

 ヒートアップするヤイバたちを尻目にナナは右手の雨月を握る手に力を込める。ヤイバと数馬の間にどのようなトラブルがあろうが、ナナがゼノヴィアを討てば何もかもが解決する。

 

「覚悟っ!」

 

 黙って攻撃できないところはナナの甘さである。とは言ってもゼノヴィアには大した戦闘技能はない。雨月から放たれた8発のビームを避けることなどできるはずもなかった。

 だが異変があった。ナナの放ったビームはゼノヴィアに命中する直前でその軌道を大きく変え、明後日の方向へと飛んでいく。

 

「おやおや。知性あるもの同士だというのに口でなく武器で語るとは……野蛮極まりないですねぇ」

 

 この場に居たのは4人だけだったとナナは認識している。しかし、この一瞬で転送の形跡もなく1人の男が増えていた。ISの戦場に入ってきたのは着崩したスーツ姿の細目の男であり、およそ戦う格好には見えない。

 

「何者だ?」

「おっと。全く動じていないとは……流石は“現代の剣聖”篠ノ之柳韻の娘。肝の据わり方は親譲りといったところでしょうか」

「私を知っているだと!?」

「ええ、篠ノ之束の身辺などとうの昔に調べています。もっとも、私ばかりが知っているのも気分が悪いでしょうから自己紹介しときましょう。平石羽々矢と申します」

 

 気取った所作で頭を下げる姿は余裕の表れ。通常のゲームをしているプレイヤーの方が緊張感があると言えるほど、ハバヤには戦闘意志が見受けられない。

 

「さて、お話でもしませんか? 我々は知性も理性もある人間なのですからね」

「ならば問おう、平石とやら。貴様はその娘を守るために来たのか?」

「ええ、そうですとも! 私は御手洗くんの援護に来ました!」

 

 唐突にハバヤが声を張り上げる。この場に居る者の全てに届かせようとするように。

 ナナは何かの合図かと周囲を警戒する。だが異変はない。

 

「心配せずとも別にあなたを取って食おうだなどと思っていませんよ。私は御手洗くんの味方として、ゼノヴィアちゃんを助けに来ただけです。あなたがゼノヴィアちゃんを害そうとしない限り、手出しをするつもりはありません」

 

 ハバヤは数馬の味方であると主張する。数馬の戦闘目的と合わせて考えてもゼノヴィアを守れれば良いというスタンスに矛盾はない。

 だが信用できるかは全く別の話である。ナナはハバヤのことを名前しか知らない。わかっているのはハバヤが『篠ノ之束の身内を調査したことがある』ということだけ。

 

「わかった。その娘に手を出さない」

 

 ハバヤの言うとおりにすると口にする。

 決して嘘などではなく、ナナは自分の発言に責任を持つ。

 だが、この言葉には続きがあった。

 

「代わりに貴様を討つ!」

 

 左手の空裂を振るう。赤いEN属性の刃が刀身から離れ、ハバヤ目がけて放たれる。

 直感に従っての行動だった。御手洗数馬の味方であり、ナナを積極的には攻撃しないと宣言していても無害だなどとは考えられない。束の身辺を調査していたということは反IS主義者(アントラス)である可能性が高い。

 

「やれやれ。これだからガキの相手は疲れる」

 

 声色が変わる。同時にハバヤの姿が掻き消えて、空裂による攻撃は何もない空を通過した。

 現れたときと同じ様に、今度は一瞬で姿を消して見せた。光学迷彩の類ではなく、ナナの攻撃したポイントにハバヤの存在がない。辺りを見回してみれば、ハバヤの姿はナナの真後ろ方向にあった。

 

「信念を持った男と男が一騎打ちしてんだから、女は黙って見てろ」

 

 耳の穴を小指でほじりながら苛立ち混じりに吐き捨てた。形だけの丁寧さすら取り繕わないハバヤの態度はナナが嫌悪するには十分。言葉は要らず、雨月を放つ。

 

「無駄無駄。この仮想空間でオレに勝てるとでも?」

 

 ナナは本気で当てようとした。ハバヤは避けようとしない。にもかかわらず、雨月のビーム8本は全て外れた。まるでビームの方からハバヤを避けたかのように逸れていったのである。

 平石の名は“避来矢(ひらいし)”という鎧を指す。矢の方から逸れていくという意味通りの現象がナナの目の前で引き起こされていた。

 方法は不明。考えられるのは自らの制御下にないEN射撃に対して偏向射撃を行なえるワンオフ・アビリティ。仮定ではあるが、ものは試しと接近戦を仕掛ける。

 だが当たらない。ナナの刀が届く一瞬前にハバヤの姿が消えた。

 

「暴力はいけませんって小学生でも躾られるもんだろうに。頭の悪いガキにはお灸を据えてやらねえとな」

 

 気づいたときにはナナの脇腹にナイフが突き立てられていた。ISが停止していない限り絶対防御で操縦者は守られているとはいえ、ストックエネルギーが減らされる一撃である。

 

「そこかっ!」

 

 ナナがハバヤを斬りつける。内心の焦りを抑えて行なう即座の反撃は的確であり、ナイフを突き立てたばかりのハバヤが避けられようはずもない。しかし自らに迫る刀を見つめたままハバヤは何もしなかった。不気味な笑みは相も変わらず張り付いている。

 

「馬鹿な……」

 

 あろうことかナナの振るう刀は空を切った。

 避けられていない。今度は消えてすらいない。ハバヤの姿はそこにある。

 しかし刀はハバヤの体を素通りしていた。当然手応えなどあるはずもない。

 困惑を隠せなくなったナナは慌ててハバヤから離れる。完全に理解の外。そのままハバヤの近くにいるのは危険だと判断したのも無理はなかった。

 しかし飛び退いたナナの背中に何かがぶつかる。同時に後ろから両肩を掴まれた。

 

「戦ってる相手に身を預けるのはブームなんですかぁ? これがジェネレーションギャップって奴ぅ?」

 

 既にハバヤが後ろにいた。肩口にナイフを突き立てられたところでナナは気づくも、一撃だけ加えたハバヤは再び姿を消す。今度は敵の姿をすぐに見つけられない。

 

「どこにいった! 出てこい!」

「迷子みたいに騒ぐな。別にどこにも行ってねえって。テメェの真上だよ、ま・う・え!」

 

 上を意識していなかったわけではなく、声のした後でハバヤは何もなかった場所に唐突に姿を現した。

 頭上からナイフが落とされて頭に当たる。投擲されたものでなく、自由落下したナイフにはPICCなど働いておらずナナは無傷。

 ――バカにされている。

 攻撃になっていない攻撃を当ててくることでいつでもナナを討てると宣告している行為。これは単純にナナを格下扱いしているも同然。

 ギドに敗れたとはいえナナはツムギの最高戦力だ。ナナには意地がある。一騎打ちで簡単に敗北を認めるわけにはいかない。

 

「ならばっ!」

 

 敵の能力は全く掴めていない。姿を消していることだけは事実であり、紅椿のセンサーで捉えられない。だが身を隠していてもどこかに実体が存在しているはず。ならば見えなくても攻撃を加えることは可能。

 翼となっている背部ユニットを分離、変形させ砲塔を並べる。その数は片側18門の合計36門。広域への攻撃を目的とした拡散型ENブラスター“シルバーベル”を模倣した即席の兵器である。

 翼を広げてナナはその場で回転をする。羽を散らすように宙に舞った紅の光弾は対象を定めることなく乱射され、偽りの藍越学園や周囲の建物を廃墟にしていく。

 

「これでどうだ……」

 

 自らの攻撃が与えた影響を確認する余裕すらない。一心不乱だったナナは呼吸を整えてから改めて見回す。ところ構わず攻撃した結果、地上には至る所に破壊の爪痕が残っている。なのに――

 

「それが情報にあった可変ENブラスター……規模から考えてサプライエネルギー系統の単一仕様能力があるというのも間違いねえ。でもよォ! 当たらねえと意味がねえんだな、コレが!」

 

 肝心のハバヤには当たらなかった。楽観視すれば、偶然ハバヤのいた位置に飛ばなかったとなる。だが高密度の無差別攻撃を避ける技量となれば、正体不明の能力も含めてナナに勝てる要素が見当たらなくなる。ナナが考えるに後者。力で捻じ伏せてきたギドとは違うタイプの相手であるが、まるで勝てるイメージが湧いてこない。

 本能で足を一歩引く。そうしたナナの挙動を見逃していないハバヤは肩をすくめた。おもむろに溜め息も吐く。

 

「無駄と悟ればそれで結構。ハッキリ言わせてもらえば、私にとってあなたなどどうでもいいんです。戦闘はお互いに面倒なだけなんで大人しくしててください」

 

 元々ナナと戦闘する意志が薄かったこともあり、先に矛を引っ込めたのはハバヤ。

 対するナナは何も言い返せなかった。臆したのは事実。ギドに負けたときの記憶も蘇ってしまい、積極的に敵対行動に出ないハバヤの態度に安堵すら覚えてしまっていた。少なくとも手出しさえしなければ殺されることはないのだから。

 

 ハバヤが十中八九、敵の一味だという認識は変わっていない。

 だがナナには危険を冒してまでハバヤに挑む理由が薄かった。

 何よりも生きて戻ることが最優先である。

 攻めることができなくなったナナは臨戦態勢のままハバヤを睨みつけることしかできなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバと数馬が斬り結ぶ。出力を強化されている数馬のデュラハンはヤイバの雪片弐型に押されていない。剣の技量をリーチの差と左手の拳銃でカバーすることで、ただの一度もヤイバに攻撃を許していない。

 対するヤイバも戦うと決めてからは一度も拳銃に当たっていない。削られていたシールドバリアも回復し、通常の戦闘速度を取り戻している。

 互角の戦いである。だからこそ数馬には違和感があった。

 

 ――ヤイバの力はこんなものじゃない。

 

「ふざけてるのか!」

 

 数馬が激昂する。自分が本気なのにヤイバが手を抜いていると感じられた。ランカーたちでも適わなかったという化け物(Ill)を倒してきた男なら数馬など障害でも何でもないはずだと。

 しかし数馬は気づいていない。ヤイバの躊躇やラピスがこの場にいないだけでなく、他の要因があるということを。

 ヤイバがイグニッションブーストで離れる。即座に急停止。方向転換して再度イグニッションブースト。イーリス・コーリングやイルミナントの動きを見て覚えた多段イグニッションブーストを使い稲妻のように数馬に迫る。

 頭上から雪片弐型が振り下ろされた。イグニッションブーストのスピードも乗った一撃は受ける側の体感としては射撃よりも速い。にもかかわらず数馬の右手は的確にENブレードを合わせていく。

 数馬は自らの技量を軽んじている。

 足を引っ張っているという認識は大きな間違い。得意武器がないのは事実だが苦手武器もないのは長所。足りなかったのは同じ装備を使い続ける経験だけ。それも一夏への対抗心からのやりこみが変えていた。

 シャルロットのように即座に使い分けることはできなくとも、相手に応じた装備で同等以上に渡り合うことが可能になっていた。

 

「強い……」

 

 攻め倦ねているヤイバが呟く。戦うと決めてからも数馬の気迫に呑まれている。数馬は知る由もないが今の一夏にはアドルフィーネやギドと渡り合ったときのような必ず勝つという意志が欠けていた。

 強くなった数馬。彼は明確に守る者が見えている。

 迷いのある一夏。彼にとって倒すべき敵は目の前の者ではない。

 故に、戦いの決着は遠い話ではなく――

 

「ぐっ――」

 

 雪片弐型を握るヤイバの右手を数馬のドットファイアが射抜く。高PICC武器であるハンドガンで撃たれたヤイバは剣を落とした。その隙を数馬は逃さず、丸腰となったヤイバへとENブレードを叩きつける。肩口を捉えたが、一撃では終わらない。

 落ちていく雪片弐型を追い縋るヤイバ。気が高ぶっていた数馬は彼に追撃をかけながら叫ぶ。

 

「本当は例の彼女すらどうでもいいんだろ!」

 

 その挑発はまるでガソリンのようにヤイバの目の火を強くする。瞬間的に体のキレを増したヤイバは空中で雪片弐型をキャッチすると振り向き様に数馬と刃を合わせた。

 

「そんなわけない! 俺は最初から箒を取り戻すために――」

「だったらこの体たらくは何だっ! 俺なんかに負けててどうして助けられる!」

 

 数馬の回し蹴りがヤイバの左肩を強打する。衝撃に顔を歪ませるヤイバはよろめきつつも体勢だけは維持した。そこへ数馬のハンドガンが狙い撃つも外れる。

 

「一夏が助けたいのは本当に彼女本人なのか? 彼女を見つけてからの一夏には前のような必死さがないんだよ!」

「違う! 俺は今のままでいいだなんて思ってない!」

「違わないさ! 俺ごとゼノヴィアを討てないことが、その程度の想いだという証明だ! 今のお前は俺の憧れた織斑一夏なんかじゃない!」

 

 あと一撃、数馬のENブレードが当たれば終わる。射撃を外した数馬だったがヤイバの余裕を削ぐことはできている。

 これが最後。数馬は防御を捨ててがむしゃらに突撃する。雪片弐型の間合いも気にせず右手を上段に振り上げる。

 だが追いつめられて余裕を失ったことでヤイバの脳の領域から思考力が失われていた。五感から伝わる様々な情報の処理を全て反射に委ねる。感情に身を任せた数馬の攻撃を、思考に囚われないヤイバの目は冷淡に隙だらけだと判断する。

 逃げていたヤイバは一転して前に出た。幼い頃に師の元で鍛えられていた際に培った最善を導き出す本能が蘇り、考えることなく的確に数馬の胴を斬り抜いて背後に回る。

 

「くっ! まだまだァ!」

 

 唐突なヤイバの変貌にも数馬は動じない。振り向き様に左手のハンドガンを向ける。

 だが取り回しのしやすいハンドガンといえど、既に雪片弐型の間合いの中。数馬の攻撃よりもヤイバの方が早い。

 勝負の分かれ目は数馬が感情に飲まれたとき。徹底して雪片弐型の間合いの外から攻撃していた数馬が最後の最後で自分から飛び込んでしまったからだ。

 油断をしていたわけではない。単純に数馬は冷淡なままでいられなかっただけのこと。ヤイバに自分のことをわかってほしいと胸の内を曝け出したからこその敗因であった。

 

 ところが――ヤイバの剣は数馬でなく左手のハンドガンのみを斬り落とした。

 

 勝負が決まったはずの瞬間にヤイバは数馬の武器だけを破壊した。これが数馬のメインウェポンならば決着と言えたかもしれない。しかし、数馬の右手にはENブレードが残されている。

 勝つために振られたものではなかった。雪片弐型を振り抜いたヤイバの目には大粒の涙がこぼれている。

 

「だからどうして……俺と数馬が戦わなきゃいけないんだよ……」

 

 Illの存在を擁護する数馬はヤイバとは相容れない。そう言い聞かせて戦っていた少年の迷いは結局、晴れることなどなかった。少年にとっては助けたい幼馴染みだけでなく今居る友人たちも大切な仲間である。明確な優劣などあるわけがない。

 

「バカ野郎……」

 

 数馬がENブレードを振るう。雪片弐型を振り抜いたまま固まっていたヤイバは避けることも防ぐこともできずに受け入れるのみ。

 ストックエネルギーが尽きて戦闘不能となる。Illの存在する領域において自動で転送されることはない。ヤイバはハリボテ同然の白式を纏ったまま地上へと落ちていく。

 

「ヤイバっ!」

 

 ヤイバの敗北とともに紅の機体――ナナが駆けつけると彼の体を空中で抱きとめる。紅椿を通していると彼の重量は全く感じられないはずであるが、ナナが受け止めたものは重かった。

 

「ごめん、ナナ……俺、数馬を討てなかった。俺、弱かった」

 

 ヤイバはナナの前だというのに涙を隠そうとしていない。再会したときの涙とは違い、男が流していい類のものではない。本人の言うとおり軟弱な男のものだと、これまでのナナならば糾弾すべきものであった。

 だが今のナナの胸に去来する思いは失望などではなかった。元よりこの敗北もナナが想定していた事態の1つ。ヤイバが試合以外で仲間を本気で倒せるわけがなく、それを責められるはずもないと知っている。

 

「馬鹿者……それはお前の強さだ」

 

 ヤイバの頭を自らの胸に引き寄せる。ヤイバが自分自身を責めないようにと慰める。

 数馬を倒せなかったヤイバをナナは強いと断言する。当たり前だ。他ならぬナナ自身がそんなヤイバに救われている。

 もし相手が世界の敵となってしまっていても自分の感情を優先して手を差し伸べる。

 これでこそ一夏(ヤイバ)なのだとナナは誇りに思うだけ。ありのままの彼を受け入れているナナは優しく微笑みかけた。

 

 

「まだまだ子供だというのに見せつけてくれますねぇ……こういうときはなんて言うんでしたっけ? あ、そうそう! 『リア充爆発しろ』でした」

 

 

 異変が起きたのは不快な声がしたのとほぼ同時だった。いつの間にかナナの腹部に剣が突き立てられている。まるでヤイバの腹から生えてきたようなそれは黒い大剣。

 ヤイバは何も言わずにナナの体を突き飛ばす。機能停止した白式ではそのような力がないはずだが、動転していたナナはヤイバの意図のとおりに彼から離れた。ナナの支えを失ってもなお、ヤイバは落下せずその場にとどまっている。黒い大剣を支えとして……

 

「あ……ああ……」

 

 ナナの声が震えていた。今の一瞬で何が起きたのかをようやく察した。

 敵の攻撃に全く気づかなかったのだ。

 現実ならば絶命に至るほどの傷を負ったヤイバの体は光の粒子となって分解されていく。その背後には黒い大剣を持った少女の姿がある。その機体はまるで黒い蝶。操縦者である遺伝子強化素体の名はマドカ。ヤイバだった光は全て黒い蝶へと吸い込まれていった。

 

「きっさまぁあああ!」

 

 これがIllであり、ヤイバが“喰われた”ということもハッキリと理解した。絶叫するナナは鬼の形相でIllへと斬りかかる。しかし、黒い蝶をナナが斬り捨てると蜃気楼のように消え去ってしまった。

 

「どこにいった!? 出てこい! 卑怯者ォ!」

 

 答えはない。既に黒い蝶の姿を完全に見失ってしまっていた。この場で姿を確認できるのは数馬ともう1人、ハバヤのみ。

 同じ事実に数馬も気づいた。ずっと確認していたはずの少女の姿がどこにもない。やっとの思いでヤイバを退けたというのに彼女が居なければ何も意味がない。

 

「平石さん、ゼノヴィアはどこですか……?」

 

 戦闘中でも数馬はハバヤと連絡を取っていた。実はISVSプレイヤーであり、ゼノヴィアを守るために戦ってくれるという話をそのまま受け取っていた。

 一般プレイヤーならばこの場に現れること自体が困難であることを数馬は知らない。

 

「そうですねー、色々と頑張ってくれた数馬くんにはご褒美として教えてあげちゃいましょう」

 

 ナナがマドカを探しているその頭上で、数馬と対峙したハバヤが告げる。藍越学園の襲撃から始まった一連の出来事の真の狙いを。そして、数馬の守っていた者の正体を。端的に一言で表した。

 

「数馬くんはあの“通り魔”に騙されていたんですよ」

「通り魔? だってそれは――」

 

 数馬の中では警察が通り魔として認識していたのは現実にいた銀の福音になっているはずだった。しかしそれではハバヤの発言と矛盾が生じる。数馬は銀の福音とは今日初めて会い、最初から敵対していた。騙される以前に信用をするだけの間柄になっていない。

 

「君は知っていたのでしょう? ゼノヴィアという少女が自分の両親を始めとする被害者たちの精神――いえ、魂というべきものを喰らっていた。通り魔事件の犯人と知っていながら君は彼女を守ってきた。全て、彼女の思惑通りにね」

「思惑通り……だって……?」

 

 ゼノヴィアが通り魔であるとハバヤは承知していた。その事実が発覚したのだが、数馬が気にしているのは別の点。

 

「そんなはずがない! だってゼノヴィアは俺に『殺してくれ』って言ってきた! だから俺は彼女が化け物なんかじゃないって確信したんだ!」

「身を張った演技までこなしていたみたいですねぇ。これだから知能を持った化け物は恐ろしい。でも化け物は化け物。人間にはなれません」

「嘘だっ!」

 

 激昂した数馬がハバヤを斬る。しかし、ナナが戦っていたときと同じくハバヤの体をすり抜けるに終わり、ダメージを与えられない。

 

「ハッハッハ! ここで私が『嘘です!』と声高に叫べば満足しますかぁ? 違うでしょう? 君がここにいるのに、黙ってゼノヴィアは姿を消した。それだけが事実なんです」

「ゼノヴィアをどこにやった!」

「よく考えてみてくださいよ。私がゼノヴィアを(さら)おうとしたり殺そうとしたところで、抵抗されてしまったら君が知らないはずがないじゃないですか。どうしてゼノヴィアは君に何も言わなかったのでしょうねぇ」

 

 ヤイバとの戦いに集中していたとはいえ、ゼノヴィアの声を蔑ろにするはずなどなかった。だから数馬の耳に彼女の声が届いていたことはない。なぜ彼女が何も言わなかったのか。数馬には見当もつかない。

 

「ですから教えて差し上げたのです。数馬くんはゼノヴィアという化け物に騙されていたのだと」

「違う……彼女はそんなこと――」

「もう1つ教えて上げましょう。今のままだとゼノヴィアが君を騙した動機がわかりませんからねぇ」

「動機……?」

「ええ。ゼノヴィアが生き延びるために君を利用する必要などありませんし、自分からわざわざ身を危険に晒していたとも言い換えられる行為をしていました。ちゃんと目的があったんですよ。そしてそれはたった今、見事に果たされました」

 

 既に目的が果たされた。それも今だという。つまり、ハバヤの言うゼノヴィアの目的は――

 

「一夏を倒すため……? 俺は、利用されてただけ……?」

「そうですそうです。私は賢い子は好きですよ」

 

 勝ち誇るハバヤがしたり顔で突きつけてきた肯定は数馬の胸を抉るに十分だった。

 

「今、一夏を襲った奴はお前の差し金か?」

「マドカ・イリタレートのことならイエスとお答えします。私は協力者ですからねぇ。ギドを倒すほどのプレイヤーを相手に真っ向勝負できるIllは居ませんでしたから少しばかり搦め手を使うことにしたんですよ。そういう点で君は実にちょうど良かった。君と織斑一夏を戦わせれば倒せずとも精神的に弱らせることは簡単と思われましたしね」

「この、卑怯者っ!」

 

 数馬がENブレードを振り回すがハバヤの体を通り抜けるだけで一向に当たる気配はない。

 

「君も私を騙そうとしていたのですからお互い様ですよ。それに私はただの協力者。そんな私を暴力で倒そうと躍起になったところで何も解決しません。何よりも、どう言い繕ったところで君が織斑一夏の敗北を招いた原因であることは変わりません。責任転嫁はやめなさい」

 

 ハバヤの言うとおり、ハバヤを倒したところで数馬の両親も一夏も帰っては来ない。数馬と一緒に過ごしてきたゼノヴィアという少女が帰って来ることもない。

 そして……ヤイバが負けたのも数馬と戦ったことが原因なのは数馬も認めるところである。責任が何もないだなどと考えてはいない。

 頭で理解すればするほど数馬の暴れは止まらない。感情の行き場がどこにもなかった。

 ゼノヴィアもいなければ、一夏を喰ったIllも近くにいないのだから見えているハバヤに当たるしかなかった。

 

「うわあああ!」

「落ち着いて――と宥めるのも無粋でしょうか。この世界で殺せるのは肉体でなく心のみ。好きなだけ叫んでいてください。私が手を下さずとも疲れた頃には自己嫌悪で潰れていることでしょう」

 

 ハバヤは涼しげに数馬の暴走を眺める。自らの体をENブレードが通過してもそれは変わらない。

 なぜならば、彼の本体はそこには存在しない。

 

「結局のところ、君の正義感が招いたのは友人の犠牲だけだったわけです。しかし騙されている身の上ではありましたが、君の戦いぶりは美しかった。少なくとも私はそう称えます。誇らなくていいですけどね」

 

 今もなおハバヤの()()を相手にENブレードを振り回す数馬を遠目に見やる顔には嘲笑が浮かぶ。踵を返して立ち去る彼は手を振ってその場を後にする。

 大切な者が目の前で消えてしまった数馬とナナの2人の慟哭を背に受けた彼の顔はただひたすらに楽しげであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一度でも接近を許せば敗北するギリギリの綱渡りのような戦いが続いていた。ほぼ絶え間なくイグニッションブーストで飛び回るイーリスを相手に12のワイヤーブレードを駆使して剣の壁を形成するクラリッサは一歩も引いていない。

 時間は十分に稼いでいた。クラリッサの背後で機体を休めていたラウラのシールドバリアが回復し、正常な戦闘状態に戻る。

 

「助かった。私も加わろう」

 

 ラウラはブリッツでイーリスを狙い撃つ。以心伝心というものだろうか。言葉にせずともブリッツの弾道上には既にワイヤーブレードが存在しない。一瞬で形成された狭間(さま)から飛び出たレールカノンの砲弾は俊足のイーリスを捉えた。

 

「くそっ! 時間切れか!」

 

 右腕でガードされたため致命打にはなっていない。しかしグランドスラムの片方を潰せたのは大きい。イーリスがヴァルキリーと並ぶほどの実力であろうと、ラウラとクラリッサの2人がかりでかかれば十分に勝てる見込みができた。

 それだけではない。遠方に黒いISの集団の陰が見え始めている。

 

「どうやら我々の勝利です、隊長」

 

 クラリッサが勝利を宣言する。今、向かってきている部隊はシュヴァルツェ・ハーゼの隊員たち。天秤がラウラたちに傾いた上での援軍は決定打として十分である。

 イーリスが撤退を開始。背を向けてまで全速力で離脱していく。

 

「追いますか?」

「必要ない。目的は別にある」

 

 無防備な背中に追撃をかける真似はしない。退いてくれるのならばそれで何も問題はなかった。あくまでラウラの目的は数馬とゼノヴィアを守ることにある。

 

「ところでクラリッサ。お前たちが何故ここに?」

 

 わかっていてすっとぼける。一応、ラウラは命令を無視している。だというのにクラリッサを含めたほぼ全隊員がラウラの元に集まってきているのだった。

 クラリッサは困り顔で返す。

 

「あー、えーと……全員で命令違反しました」

「准将の顔を立てる必要などないぞ」

「では遠慮なく。親馬鹿に便乗した次第です」

 

 言葉通り遠慮がない。そんなクラリッサの返答を聞き、ラウラは目を丸くしていた。

 

「親……と思ってくれているのか」

「隊長。もしそうでなければ准将はあのような愉快な人にはなりえませんよ。15年前までは冷徹非道で有名だったようですし」

「それは一体誰だ?」

「私もそう思います」

 

 副隊長と笑いながら言葉を交わす。

 ――やはりここは居心地が良い。

 再認識したのは自分の居場所。物心ついた頃から軍人となるべく育てられてきたラウラにとっての家と家族。

 今回の一件における行動がそれをも壊しかねない出来事だったことは自覚している。

 しかし、この温かさを知っているからこそ、似た境遇のゼノヴィアにも残したかった。他人事と割り切って切り捨てることが出来なかったのだ。

 

「ではこれより藍越学園に向かい、数馬とゼノヴィアの身柄を確保する。イーリス・コーリングがまだ向かってくるかもしれないから周囲の監視は怠るなよ」

「はっ!」

 

 ようやく当初の目的に戻ることができる。イーリスに時間を割かれていた間、数馬たちが無事であるか確認する術はなかった。今になって通信を飛ばしてみてはいるものの、数馬にもゼノヴィアにもつながらない。部下に見せる冷静な顔とは裏腹にラウラの心には焦燥が募る。

 援軍と合流した。周囲に散らせた人員を除いた6名。8人の部隊となったところで数馬の姿を探して藍越学園へと向かう。

 しかし――

 

『所属不明機が高速で接近してきます。数は2』

 

 哨戒に散っていた隊員から通信が送られてくる。イーリスの逃げていった方角とは逆。同時にイーリスの姿が確認できないことから別勢力である可能性が濃厚である。

 問題は数。単機であったとはいえイーリス・コーリングが撤退を選択せざるを得ない戦力であるシュヴァルツェ・ハーゼに向かってきている。この状況下で身内以外の味方がいるとは考えられない。

 

「全隊員を呼び戻せ」

 

 ラウラが下した命令は戦力の集中。向かってくる2機は十中八九、敵である。そして、シュヴァルツェ・ハーゼに向かって来られるとなると2種類が考えられる。

 1つはラウラとクラリッサがランカーであることを知らないだけの無謀な者。多勢に無勢でも向かってくる時点で実力に自信はあるだろうが、限度というものはある。

 もう1つは限度を超えたプレイヤーである場合。簡単に言ってしまえば2機のうち1機にブリュンヒルデが居ただけでシュヴァルツェ・ハーゼが全滅させられる可能性がある。少なくとも“所属不明機”である時点で国家代表の可能性は低いのだが、ヴァルキリーに比肩する者ならば危険である。

 

『敵は左右対称な翼状の非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)を装備した見たこともない機体です。もう一方は黒い甲冑で――』

 

 通信が途絶えた。おそらくは撃墜。悲鳴もないことから遠距離から奇襲のようにやられたと見るべきである。

 戦法は不明だが強敵であることは疑いようがない。この敵を数馬たちの元へ連れて行くわけにはいかない。藍越学園に向かうのを中止して迎撃に移る。

 

「総員、戦闘態勢。敵はヴァルキリークラス2機を想定する。来るぞ!」

 

 敵の姿が視認できた。高速で飛ぶ機体の速度は拡張装甲(ユニオン)の戦闘機型並。2機という報告であったが確認できるのは翼のある機体のみ。

 クラリッサを戦闘にして陣形を組んだラウラたちは真っ向から迎え撃つ。クラリッサ以外による集中砲火。距離は開いているが相対速度から考えて高速飛行中の回避には一定以上の技量が必要とされている。十分に命中する目処はあった。

 しかし当たらない。増設したブースターで無理矢理加速している速度重視ユニオンならば、あのエアハルトであっても大きく旋回しなければ攻撃を避けることは難しい。にもかかわらず所属不明機は平然と機敏にスライド移動して見せた。それも的確に銃撃の合間を縫っている。

 目がいいだけの話ではない。機体の性能からして従来のISを凌駕している。

 ラウラは向かってくる相手の顔を凝視した。相手はユニオンなどではなくディバイド。つまりは顔を出している。

 危惧していたとおりの相手であった。向かってくる敵は長い銀髪を靡かせ、その瞳は怪しく金色に光る。

 

 先頭にいるクラリッサが迎え撃つ。イーリス・コーリングを以てしても攻め倦ねたワイヤーブレードによる剣の壁。黒の茨がクラリッサを覆う。

 欲しかったのは敵の躊躇。足を止めたところへ再び集中攻撃を加える算段となっていた。

 しかし、思惑通りに事は運ばない。翼つきの所属不明機は速度を落とさずにクラリッサへと突撃する。

 

「な――」

 

 迎撃のワイヤーブレードは的確に灰色の所属不明機へと向かっていた。

 だが当たる直前に所属不明機が“黒い霧”に覆われる。

 霧の中へと飛び込むワイヤーブレードだったが、クラリッサには敵に命中した感触は一切ない。それどころか、ワイヤーブレードを操作する感覚までもが消失していた。

 消失したのは感覚だけではない。ワイヤーブレードそのものが消されていた。黒い霧自体がEN武器の類だと、クラリッサがそう認識した頃には懐に所属不明機が飛び込んでしまっている。

 

「ランク91位、ドイツ代表候補のクラリッサ・ハルフォーフか」

 

 所属不明機の操縦者である銀髪の男が呟く。近距離格闘の間合いで右手をクラリッサの頭へと伸ばす。振り払おうとするクラリッサの両手を黒い霧が意志を持った生物のように蠢き、実体があるかのように絡め取る。銀髪の男の右手は拘束されたクラリッサの頭を鷲掴みにした。

 

「あ、ああああああ!」

 

 クラリッサの悲鳴はただ事ではなかった。Illに喰われたことのある鈴やシャルの話を聞いても苦痛を伴った記憶は存在していない。初めてのケースを目の当たりにして、嫌な予感しか覚えない。

 

「クラリッサごと撃てェ!」

 

 ラウラの指示はクラリッサを救おうとするもの。全隊員がそれを理解して従う。

 ここで所属不明機が違った動きを見せる。本体はクラリッサの頭を掴んだまま動かず、非固定浮遊部位の翼だけが独立して稼働する。黒い霧を纏ったそれは先端から5本の“指”に分かれた。3つの間接に加えて掌まで存在するそれは人の手そのものの形状となる。

 ISを丸ごと握りつぶせるほどのサイズの巨大な手が平手を左右の外側に向けると黒い霧が周囲に拡散される。クラリッサごと本体を球状に覆い尽くした防御行動。ラウラたちの射撃は実弾もEN武器も表面で掻き消されて届かない。

 

「突貫します!」

「よせっ!」

 

 血気に逸った隊員が1人、ラウラと同じ装備であるEN手刀で黒い霧へと斬りかかる。意外にも彼女は黒い霧の内部へと簡単に飛び込んでいった。

 だが即座に黒い霧の下部から墜落していく。装甲が全て消え、ISも機能停止した状態で地面へと落下していった。

 敵の防御を打ち破る手立てが思いつかず、見ていることしかできない。そんな状況は敵によってしか動かなかった。

 何も出来ていない内に黒い霧が晴れる。敵の方から解除したことは明白。クラリッサは何も言わないまま棒立ちするようにその場で浮遊しているだけ。

 

「クラリッサ! 無事か!?」

「…………」

 

 虚ろな目をしたままクラリッサは微動だにしない。ラウラの呼びかけに反応する素振りすら見せない。何かされたのはわかるが、何をされたのかは見当もつかなかった。

 墜落した隊員の方を見やる。完全に戦闘不能であるにもかかわらず転送は行われていない。この場にIllが存在していることを指す。クラリッサを助け出すには目の前の敵を倒さなければならない。

 だが勝てるのか。クラリッサが欠けた部隊で未知の力を使う相手に勝てる確証などあるはずもない。

 ラウラが隊長として下すべき決断は1つ。

 だからこそすぐに言葉に出せなかった。

 

「やはり出来損ないか。合理的な判断はおろか感情に沿った判断すら下せぬとは」

 

 銀髪の男が先に動く。翼となっていた巨大な手が開き、全ての指の先端に黒い霧が収束されて塊を形成する。合計10個の黒い霧の小球が一斉に放たれた。

 空に漆黒の線が引かれる。街明かりが照らす程度の夜空の中であっても、その漆黒は際立っている。光ごと何もかもを吸い込んでしまうとすら感じさせた。

 放たれた漆黒は意志を持っているように自在に動き回る。まるでラピスの行なう偏向射撃のように曲がる漆黒の弾丸はそれぞれがラウラの部下たちへと飛んでいく。命中するまで追尾し、盾で防ぐことも叶わない攻撃によって一瞬のうちにラウラ以外の全隊員が墜とされた。

 残されたのはラウラ1人だけとなる。

 

「貴様は一体何者だ……?」

 

 遺伝子強化素体であることはわかっている。そしてIllであることも見当がついている。それでもラウラは疑問として口に出した。

 遺伝子強化素体にしてもIllにしても次元が違う。ラウラが相手をしたことのあるシビル・イリシットはもちろんのこと、話に聞いているだけのアドルフィーネ・イルミナントと比べても圧倒的な力が感じられる。

 

「答えよう。私はプランナーの遺志を継ぐ者。全人類の導き手として君臨するために生まれた存在だ」

 

 決して質問などではなかったというのに男はわざわざ答えてみせる。

 まだ敵は名乗っていないが“プランナー”と聞いたラウラは目を見開いた。

 

「まさか亡国機業の――」

「言うまでもないことだろう?」

「ここに来た狙いは数馬か? それとも、ゼノヴィアか!」

 

 眼帯を投げ捨てて睨みつけるラウラの視線に怯むことのない男は、真っ正面からラウラを見据える。

 

「どちらでもない。私は君を迎えに来たのだ、ラウラ」

 

 あまりにも突飛な回答。

 虚を突かれたラウラが内容を頭の中で反芻している間にも男は続ける。

 

「ヤイバの元で戦う遺伝子強化素体の話は聞いている。イリシットを使っていたシビルを相手に互角以上に戦えた才能を私は高く評価している。プランナーに出来損ないの烙印を押されていようとも私は君に手を差し伸べよう。今からでも高みに至ることは可能だ」

「ふざけるなっ!」

 

 理解が追いついたところで怒鳴り返す。亡国機業の一員である男がラウラを勧誘しに来たなど狂っているとしか考えられない。今更ラウラが亡国機業に手を貸す理由など全くない。既にラウラには居場所があるのだから。

 4本のワイヤーブレードを射出する。捻りのない最短距離での刺突。一切の迷いのない軌道はひたすらに直線をなぞる。

 だが男の周りに黒い霧が立ちこめると、それに触れたワイヤーブレードが全て破壊された。追撃にブリッツを発射するも黒い霧に触れた時点で砲弾が消失するに終わる。

 

「安心したまえ。私はプランナーのように君を見捨てたりはしない」

「私は! 誰にも見捨てられてなどいないっ!」

 

 手刀で飛びかかる。まだ黒い霧が全面展開していない今がチャンスだという考えだった。イグニッションブーストで飛び込んだラウラの右手は武器を持たぬ男の首へと吸い込まれるように迫る。

 

「どうやら毒されてしまっているようだ。これもあの“織斑”の影響かと思うと悲しいことだ」

 

 男は顔を右手で覆って嘆いた。演技の類ではなく、ラウラの攻撃に対する防御行動でもない。

 ラウラの右腕は止まっていた。ラウラの意思ではない。右手首にはワイヤーが絡みついている。それはラウラの使用するものと同じ種類の装備だった。

 

「クラリッサ!? 何をして――」

 

 ここまで全く動きを見せていなかったクラリッサが持ち前のワイヤーブレードを使ってラウラの右腕を拘束していた。他のワイヤーも次々とラウラを縛っていき、雁字搦めとなる。

 突然の裏切りにラウラは戸惑いを隠せない。その間に最後の武器であるブリッツが巨大な手のユニットに握り潰されて破壊された。

 抵抗する術が全て失われてしまった。だがラウラを打ちのめしているのは武装を失った現状ではなく、クラリッサが自分に攻撃をしてきた事実の方である。

 

「何も不思議なことはない。元より我々と人間は相容れない。プランナーの目指した未来とは我々“新人類(アドヴァンスド)”が旧人類を支配する世界。故に現状で対立は避けられぬこと。何も悲観することはない」

「クラリッサに何をしたァ!」

 

 ショックを怒りに変えてラウラが吠える。クラリッサが普通の状態でないことだけは明白だった。

 

「今後を考えると撃墜するよりも手駒にした方が良いと判断した。よって私の“絶対王権(ぜったいおうけん)”により命令を遵守する人形となってもらった」

 

 男はただの質問として受け取っており、あっけらかんとしていた。

 ラウラと接する態度とは裏腹にクラリッサのことを人間扱いしていない。そこには明確な悪意すら見られない。見下しているのならばまだ話はわかるが目の前の男は人を人と思っていないのだ。

 

「では処置を始めるとしよう。君から“織斑”の毒を消さねば、我らの同志にはなりえん」

 

 身動きのとれないラウラに男が近寄る。何の感傷も抱いていない目のまま、作業のように右手をラウラの頭に伸ばす。

 

「やめろ……」

 

 男には焦りもなければ躊躇いもない。まるでロボットのように迫る右手をラウラは見ていることしかできない。越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)があったところでただそれがスローモーションになるだけ。

 

「やめろぉおおお!」

 

 クラリッサを洗脳したと思われる男の右手を拒絶する。武装を全て失っていて、手足を封じられてもまだラウラには出来る抵抗がある。

 停止結界。極限まで研ぎ澄ませたラウラのAICは他のISの動きすらも止める。ドイツの冷氷の二つ名は何も冷徹な態度だけの話ではない。見るものを氷漬けにする魔眼の持ち主としても恐れられているのだ。

 だがそれは実力差によるもの。ラウラが止められるものにも限界はある。現にイーリス・コーリングは一時的に止めることしかできなかった。

 

「ああ……」

 

 今度は止めることすら叶わなかった。的確に反位相をぶつけられて無力化され、男の右手は減速すらせずにラウラの頭を鷲掴みにする。

 

「あ……あああ……」

 

 クラリッサのように悲鳴を上げることはなかった。

 物理的な痛みは全くない。シュヴァルツェア・レーゲンのストックエネルギーも全く減っていない。

 だが変化は確実にある。

 ラウラの頭の中に膨大なイメージが注ぎ込まれていく。

 

 見知らぬ景色が広がった。

 試験管や培養槽が立ち並ぶ薄暗い部屋の中で白衣を着た老人が話しかけてくる。それが誰かはラウラにはわからないが不気味だったことだけは確かだ。その老人は半身が機械で出来ていた。

 ――人間は次の段階に進む。お前が私の代わりに次の世界を導くのだ。

 

 明らかにラウラの知らない場所と人物。これはラウラ以外の記憶としか考えられなかった。

 

「ブルーノ・バルツェル。あの作戦の指揮官が“織斑”から君を預かっていた。以後は娘としてではなく部下として育て、実力の高さからIS部隊の隊長とした。君はまやかしの居場所を与えられて自分が普通の人間だと勘違いしている」

 

 男の声でラウラの意識が帰ってくる。静かに語られた簡潔な内容は、まだヤイバにすら話していないラウラの過去も関わること。

 なぜ知っているのか今すぐに問いただしたい。だが声は出せなかった。

 

「残念ながら私にはハバヤのような説得の技能はない。もっと簡潔に解決することとしよう」

 

 簡潔な解決方法。それは男の所有する単一仕様能力を使うものであるとラウラは男の右手を通じて知っている。

 

 クロッシングアクセス系イレギュラーブート“絶対王権”。

 発動条件は対象ISの頭部かコアに右手が触れていること。対象と強制的にクロッシング・アクセス状態にし、自らの命令を相手に遵守させる能力。命令を下せるのは右手が該当部位に触れている間のみであり、その回数に制限はない。

 既にクラリッサに下されている命令は『ラウラが近づいたら捕縛しろ』と『それ以外は何もするな』の2つ。命令に従っている間、クラリッサは何もできない。

 

 男はラウラに命令を下す。

 

「これまでのことは忘れろ」

 

 命令の遵守に意識的に行えるかどうかは関係ない。忘れろという命令でさえも絶対王権は強制的に従わせる。

 ラウラが声なき悲鳴を上げる。しかしそれは目の前の男にしか届かず、その男は今の行為を悪行と認識していない。

 

 まず最初に、この場にいる理由がわからなくなった。誰かを守るはずだったことだけは辛うじて思い出せる。しかし、その顔も名前も出てこない。

 次に何と戦っているのかわからなくなった。目の前の男が敵なのか味方なのかも区別が付かない。誰かに得意げに『仲間になってやる』と言ったはずだがその顔は輪郭すらなくなった。

 自分を縛り上げている者が誰なのかわからなくなった。ワイヤーを使って自由を奪ってきているということは敵なのだろう。

 自分を友と呼ぶ誰かが居たような気がした。しかしやはり顔も名前も出てこない。気のせいに決まっている。

 

 最後に残された記憶はラウラと同じ顔をした遺伝子強化素体たちを虐殺していく人間たちの映像だけとなった。

 

 男の右手が離れると、虚ろな目をしたラウラが焦点の定まらないまま呟く。

 

「私は……誰?」

「君は我らの同志、ラウラ。ラウラ・イラストリアスだ。共に戦おう」

 

 男の差し伸べた手を躊躇いなく握る。記憶を消された少女が警戒することなく手を取ったのはひとえに金色の瞳に安心感を覚えたからだ。

 

「あなたは誰?」

「私はエアハルト・ヴェーグマン。同志は皆、私のことを“博士”と呼ぶ」

「博士は何と戦っているの?」

「今は人間と戦っている。我々が生きる世界を得るために」

「そう。だったら私も戦う」

 

 記憶の大半を失った少女に新しい記憶が刻まれ始める。

 彼女の過去を覆い隠していたこれまでの日常は消えた。

 奥底に眠っていた人間に対する恐怖が蘇り、それはそのまま少女が戦う理由となる。

 

 エアハルトが黒い霧で剣を形作るとクラリッサのワイヤーを斬り払う。自由となったラウラの前にはエアハルトの後ろに控えていた黒い甲冑が出てきていた。

 

「受け取ってくれ。君へのプレゼントだ」

 

 甲冑の名はイラストリアス。ブリュンヒルデの模倣を目指したVTシステム搭載Illである。

 ラウラはシュヴァルツェア・レーゲンを外すと同時にイラストリアスへと入り込んだ。遺伝子強化素体を認識したイラストリアスは彼女を主と認めて起動する。

 

「まずは調整のために戻る……と言いたいところだが先に補給としよう。これを喰らうといい」

 

 そういってエアハルトが親指で示したのは動けないクラリッサ。ラウラが部隊内で最も信頼する副隊長である。しかし今のラウラにはその記憶がなく、先ほどまで自分を縛り上げていた敵でしかなかった。

 指示されたとおりにラウラはクラリッサの前に赴く。右手の大剣を振り上げるのに一切の躊躇いはなく、振り下ろされるのもまた同様だった。

 

 だがラウラの剣は空を切った。

 

 外したのではなく外された。エアハルトとラウラの警戒している範囲の外からの狙撃がクラリッサを射抜き、自らの意思で動けないクラリッサはそのまま地面へと落ちていく。

 ラウラは落ちていくクラリッサを追撃しようと目を下に向けた。しかしエアハルトは巨大な手のユニットで掴み上げて制する。

 

「残念だがお預けだ。面倒な客人が来た」

 

 エアハルトの目に映ったのは高速で迫ってくる打鉄。その右手には刀が一振りあるのみで他に武器はない。

 IS“暮桜”。操縦者はブリュンヒルデ。

 未調整なラウラを抱えて相手をできるだなどとエアハルトは思い上がっていない。

 迷わず撤退を選択する。ラウラごと黒い霧で自身を覆い隠したエアハルトには狙撃の弾丸も届かない。

 

 目的通りにラウラを手に入れたエアハルトは悠々と去っていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 仮想世界には現実に存在する生き物の多くが存在しない。それは人間とて例外ではなく、動く者があればそれはISVSプレイヤーであるといえる。

 もっとも、プレイヤーでない者も少数ではあるが存在する。人気のない藍越学園のコピーの上空を今も飛び回っている文月ナナもそんな者の1人だった。

 

「くそっ……くそっ! くそっ!」

 

 苛立ちを隠さず、誰もいない場所に雨月を放つ。ただ建物を倒壊させるだけの攻撃は八つ当たり以外の何でもない。それでも彼女の中では意味がある行為に変換されていた。まだヤイバを喰らった敵が潜んでいて、偶然に当たるかもしれないという有りもしない可能性を胸に抱いて……

 

「もうやめませんか。わたくしの星霜真理でもナノマシンによる探知でも敵の存在は感知できません」

「だがラピス。私のせいでヤイバが……」

 

 ナナの傍にはラピスが駆けつけてきていた。ハバヤはおろか、失意の御手洗数馬も現実に帰還した後というタイミングは手遅れにも程がある。

 

「ナナさんに責はありません。ダメだったのはわたくしなのです」

 

 八つ当たりをしていたナナですらラピスを叱責しないが、他ならぬラピス自身が自分を許せない。

 

「藍越学園が襲撃されたあの日、敵の狙いに気がついたわたくしには余裕が足りませんでした。現実に存在するIllというイレギュラーがあったことも言い訳にしかなりません。常に優雅であれというお母様の教えに背いた罰なのですわ」

 

 ラピスの口から語られるのは後悔。数馬の状況を正確に分析した上で、大きな判断ミスを犯していた。

 数馬に宣告した内容に誤りはない。問題はラピスが数馬を信用しなかったこと。その結果、一夏に信頼されなかったこと。合理的な措置をするあまり、当事者である一夏と数馬の立場に立つことを失念していた。

 

「バカを言うな。お前には落ち度などない。反面、私は目の前にいながらヤイバを守れなかった。ただ守られるだけの弱い女であるつもりなどなかったというのに!」

 

 ナナもひたすらに後悔の言葉を並べる。ヤイバが黒い蝶のIllに飲み込まれていく光景が目に焼き付いて離れない。過ぎ去った事実がナナの胸を締め付けていく。

 そんな2人の傍にはもう1人いる。ツインテールの少女は暗い顔をしている2人の顔を交互に覗き込んだ後でやれやれと肩をすくめた。見られていないことをいいことに、揃って項垂れている2人の脳天に拳骨を振り下ろす。

 

「イタッ!」「痛いですわ!」

「後悔するのはこれでお終い! アンタらは主力なんだからさっさと切り替えて次の行動を起こさないと出来ることも出来ないわよ!」

 

 リンが叱りつけた。ヤイバがIllに喰われたという最悪中の最悪の非常事態だというのに彼女の目に悲観の色は一切ない。ナナもラピスも不思議そうに彼女の顔を見上げている。

 

「もう1発殴らないとわからない? だったら何度でもぶってあげる。それで死んでも恨まないでよね」

「どうしてリンはそんなに平気そうなんだ?」

 

 思わず口をついたナナの疑問。リンは呆れて深い溜め息を吐く。

 

「平気なわけないでしょうが。でもやられたからって落ち込んでてもアイツは帰ってこない。あたしが望んでるのはアイツといる未来だから嘆くより先にすべきことがある。たったそれだけのことじゃない」

 

 単純明快な答えだとリンは主張する。ヤイバが苦悩の末に至った領域に既に足を踏み入れている彼女の凛々しい顔はナナにもラピスにも眩しく映った。

 

「リンさんはお強いですわね」

「アンタがヘタレなだけよ。って言いたいところだけど実は空元気のハッタリなの。一人で気を張るの大変だから手伝ってくれない?」

「任せておけ。途中で音を上げるなよ、リン」

「さっきまで取り乱してた奴が言う事じゃないわよ、全くもう。まあ、役立たずじゃないなら何でもいいわ」

 

 ボロボロに崩れかけていたナナとラピスをリンがいとも簡単に立ち直らせてみせた。敵に手玉に取られて一度は負けたとはいえ、ナナとラピスの2人が欠けていては勝てる勝負も勝てなくなる。ヤイバを取り戻すためには自分たちの持てる限りの戦力を結集するしか道はない。

 

「ナナはツムギに戻って体を休めなさい。アンタは大切な切り札なんだから、いざというときに全力が出せないのは困るわ」

「わかった。今度ばかりは出るなと言われても聞くつもりはないからな」

「当たり前よ。使えるものは何だって使わせてもらう。この仮想世界での死が現実の死であるアンタたちであっても、あたしは止めない」

「感謝する、リン」

「でもってラピスは――」

「わたくしはこのまま敵の位置を特定しますわ。蒼天騎士団も総動員させて網を張ります」

「わかってんじゃん。ってかまだ早朝って言うにも早い時間だけど酷使するのね」

 

 ナナもラピスも行動を開始する。

 いつもは中心にヤイバがいた。今度はその中心が抜けた状態で敵に戦いを挑むこととなる。

 だが戦力には困らないとリンは考えている。着々と仲間を作っていたヤイバの努力が実り、彼を助けようとする者の数は少なくない。

 

「あとは弾が上手くやってくれるといいけど」

 

 リンの中に残る懸念は1つ。

 しかし敢えて自分は口出ししない。

 男の問題は男に解決してもらうのが一番である。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒い霧を身に纏った灰色の“IS”が帰還する。その傍らには黒い甲冑に身を包んだラウラの姿もあった。2人は要塞型マザーアース“ヴィーグリーズ”の内部へと入っていく。

 

「首尾はどうでした?」

 

 入り口からすぐ右の壁にもたれかかっているサングラスの男が確認する。ハバヤだ。

 対するエアハルトの返事は一言。

 

「言うまでもないことだろう?」

「これは失敬。一目瞭然でした」

 

 黒い甲冑の中から睨みつける少女の顔を見てハバヤは満足げに頷く。機体だけ完成していたイラストリアスにようやく安定する操縦者を得ることが出来た。VTシステムの細かい調整はこれからであるが、エアハルトがクロッシング・アクセスで確認した時点で高い適性があることは確認できている。

 ラウラはブリュンヒルデに強い憧れを抱いていたのだから……

 

「貴様の方はどうだ?」

「ゼノヴィア・イロジックなら“ユグドラシル”へ連れて行きました。マドカ・イリタレートも同様です」

ヴィーグリーズ(ここ)でなくユグドラシル?」

「ええ。そろそろ目障りな者どもを一掃しようと思いましてね」

 

 サングラスの裏側の細目は愉悦に満ちている。一掃と口にしてから下卑た笑いを隠そうともしていない。

 

「イロジックを餌にする気か」

「あれはヴェーグマンの大事なゼノヴィアちゃんではありませんから問題ないでしょう?」

「……餌としての価値はあるのか?」

「我々と敵対する国の国家代表は釣れると思われます。しかしながら肝心のブリュンヒルデには別の餌が必要でした」

「でした? つまり、もう確保済みということか」

「先ほどマドカ・イリタレートにヤイバを喰わせたんですよ。ブリュンヒルデは間違いなくイリタレートを追ってきます。ヤイバを取り戻すために死に物狂いでね」

「何だと!?」

 

 ここでエアハルトが大きく目を見開く。人間離れした冷静さを備えていてまるでロボットのような男は“ヤイバ”という名前に過剰に反応した。

 普段は感情を見せない者が感情的になるとき、極端に非論理的な行動を取り得る。

 だからこそハバヤは機先を制して告げておく。

 

「あの“ヤイバ”というプレイヤーが絡むとあなたは理屈の通らない戦いを始めてしまう。そのため事前に排除しました。マドカ・イリタレートを手懐けるのにも利用できた上に、そのままマドカ・イリタレートを餌に出来る。私は何か間違ってますかねぇ?」

「いや、ヤイバはいずれ消すことになっていた。少しばかり早くなろうと関係ない。そして今が好機だということも納得した」

 

 ハバヤの思惑通りにエアハルトは気を落ち着かせる。本来の目的さえ自覚すればヤイバに執心することはない。遺伝子強化素体の指導者として生み出された遺伝子強化素体は持ち前の頭の回転の速さでハバヤの意図を察する。

 

「ウォーロックにミルメコレオを用意させる。イロジックとイリタレートはユグドラシルで待機させておけ。間違ってもイロジックを他勢力に渡すような失態は見せるな」

「了解してますって。何があろうとイロジックが奴らの手に渡ることはありません。他に注文はありますぅ?」

「ナナも向かってくるはずだ。彼女だけは殺してはならない。捕獲は私が行なう」

「復元した“ファルスメア・ドライブ”を完全なものにするために必要な情報源ですからね。委細承知しました」

 

 戦力建て直しの期間は終わり、次の戦いが決まる。

 最大の脅威であったヤイバはもういない。

 決戦の舞台が整うのも間もなくのこと。

 

「ツムギ。そして“織斑”。我らの長き因縁にこの戦いで終止符を打とう」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夜が明ける。空一面が灰色の分厚い雲に覆われ、地上に数多の水滴が打ち付けられている。日の弱さによる薄暗さだけでなく密度の濃い雨で視界が悪い。

 朝を迎えた藍越学園には人気はない。まだ運動部員が朝練に来るような時間ではなく、冬の雨の中に好んで外に出ているような者など居ようはずもない。

 だがグラウンドの中央に立ち尽くしている生徒がいた。傘も差さずに空を見上げている御手洗数馬の眼鏡を大粒の雨が叩く。頬を伝っているのは雨水であろうか。彼の姿はまるで天に許しを乞うているようだった。

 

 もう1人、早朝の藍越学園に傘を差した生徒が訪れる。赤みがかった長髪に若干の寝癖が残っている弾は校門で見慣れぬ金髪の美女とすれ違っても振り向くことなく歩を進める。視線の先にグラウンドで1人、自らを痛めつけている友がいたからだ。

 柔らかくなった土へと足を踏み入れていく。弾の足跡はくっきりと残されており、後で宍戸の説教が待っているのは間違いなかった。

 雨に打たれている数馬の背中へと弾が話しかける。

 

「俺も共犯になっちまった。これ以上面倒なことになる前にさっさと戻ろうぜ」

 

 表向きはぬかるんだグラウンドへの配慮だが含みがある。

 数馬は背を向けたまま振り返らない。何も答えない。

 弾はまだ言い忘れていたことがあることに思い至った。

 

「おかえり、数馬」

 

 時間だけで言えば4日振りの再会ではある。だがとても長い間、離れていたような錯覚をしている。それは弾だけでなく数馬も同じ。

 

「……何でだよ」

 

 黙りを決め込んでいた数馬が重い口を開く。無気力になってしまっていた彼だったが、胸の内に灯った疑問が彼の動力となる。

 なぜ許せるのかと。

 

「俺には一夏を犠牲にしてまで守りたかったものがあった。でもそれは無駄なことでさ……俺なんかじゃ何1つ守れやしなかったんだ。何も出来やしない俺のせいで、一夏までやられちゃった。全部、俺のせいなんだよ……」

 

 ゼノヴィアを守りたかった思いに嘘はない。そのために一夏と敵対することも厭わなかった。だが今、数馬の傍からゼノヴィアがいなくなり、一夏もいなくなってしまっている。片方を選んだつもりが両方を失っていた。

 結果的に数馬本人にとっても価値のない、ひどい裏切りをしただけとなっている。そのことは弾も十分に承知しているはず。にもかかわらず弾は数馬を迎えると言っている。

 理解不能だった。

 

「懺悔合戦をする気なら俺も付き合うぜ」

 

 雨音の中でも数馬の耳には弾の言葉が十分に届いている。しかし弾が何を言っているのかわからない。

 数馬が戸惑う中、弾は自嘲気味に語り始める。自分が抱えていた後悔を。

 

「俺は最初、一夏を手伝う感覚で戦ってた。もうゲームなんかじゃないってわかってたつもりでも、どこかゲームの延長線上で考えてた」

 

 初めて弾が敵との戦いに身を投じたのはイルミナントとの決戦のとき。一夏が初めて無断欠席した日、鈴もいなかったことから何かトラブルがあったのだとは思っていた。弾にとって親友のトラブルを解決するのは当たり前のこと。それが世界規模の争いにまで発展しているとわかった後でも実感はなかった。

 この点は数馬も共感できることである。数馬にとっても一夏が困っているから助けるのは当然のことだった。一夏に助けたい人が居るのなら手伝うつもりだった。篠ノ之箒を救いたいわけでなく、一夏を助けたかった。

 

「それが変わったのは虚さんも巻き込まれたと知ってからだ。一夏に関係なく、俺には俺の戦う意味が出来ていた。虚さんの無事を確認しても妹さんを助けるために俺は戦う意志を持っていた」

 

 一夏の都合ではなく自分の都合。一夏のために言い続けていたことが事実となったのは虚が関わるようになったからだ。戦う理由は一夏の想い人でなく自分の想い人のために変わっていた。

 これも数馬は他人事ではない。ただ一夏に対する立ち位置が違っているだけで、本当に自分の都合で動いた。

 

「でもさ、やっぱり俺は甘く見てたんだ。ゲーム感覚ってわけじゃなかったが、俺はあのとき、やる気さえあればなんとでもできるって楽観的になってた。冷静に考えればあのときは行くべきじゃなかったのにな。こればっかりは数馬のせいなんかじゃない。俺のせいなんだ」

 

 思い出されるのは藍越学園を襲撃されたときのこと。一夏を救うためにと勇敢な自分たちに酔っていたのは否めない。ISVSでないことを考えれば、プロフェッショナルである朝岡だけに任せるべきであった。

 数馬も幸村も自分から行くと言っていた。だが後押しをしたのは弾であり、最後の引き金を引いたのも弾であった。

 

「なんでそうなるんだよ!」

 

 数馬が振り返って叫ぶ。弾の言い分に納得できるはずがない。仲間内のリーダー格ではあったが、弾は誰にも一度として強制していないのだ。数馬が危険に飛び込んだのは数馬自身の責任である。

 数馬のこの反応を弾は否定しない。うんうんと深く頷いてみせる。

 

「今、お前が思っていることはそのまんま俺の考えてることだ。なぜ一夏の件がお前のせいになる?」

 

 弾は既に一夏がIllに敗北したことを知っている。数馬が直接一夏を倒したことも知っている。それでも弾は数馬のせいではないと断言する。

 

「全然違う……失敗なんかじゃなくて、俺は俺のために一夏を蹴落とした。ゼノヴィアが生きれるなら仕方ないって思ったんだ」

「細かいことだ。数馬の意志に関係なく、一夏がやられたのは数馬以外にも原因がある。そういえば数馬は知らなかったかもな。こういう失敗をしたとき、俺も一夏もすべきことは決めてるんだ」

「すべきこと……?」

 

 オウム返しで疑問符を浮かべる数馬に、弾は得意げに言ってやる。

 

「諦めることだけは絶対にしねえ。一夏がやられたのなら一夏を取り返せばいい。まだ取り返しはつくんだ」

「…………」

 

 諦めた自覚のある数馬は何も言えなくなる。少なくとも今の数馬は一夏を犠牲にした上にゼノヴィアが去ったことで無気力になっていた。

 

「数馬の糾弾なんかしたって意味はねえ。俺たちには一夏のために出来ることがある。この現実では数馬以外は無力かもしれねえけどISVSでなら戦える。Illを倒せば一夏は帰ってくる。今こそ藍越エンジョイ勢の底力を見せてやるときだ」

 

 弾が熱く語る。親友が目を覚まさない危機的状況でも彼の目は死んでいない。

 数馬はそんな弾の目にかつての一夏を見た。

 

「俺……まだ弾たちと一緒にいていいのかな……」

「バカ野郎。そんなこと、わざわざ確認するまでもねえ」

「でも俺……まだゼノヴィアを信じていたい」

「数馬はそのままでいい。もしお前が間違ってるなら俺が殴ってでも止めてやる。だから思うままやってみろ」

 

 何も言わずに去ったゼノヴィアに思うところはあった。だが数馬は何かしらの事情があったと考えている。自分を殺せとまで言っていた彼女が偽りであったとはとても思えなかった。

 未だ曖昧な数馬を弾は受け入れる。Illを守っている敵ではなく、共通の目的を持った仲間と考える。

 まずは一夏の救出が先決。ゼノヴィアのことは後からでいい。

 弾は左手に持っていた閉じた傘を差し出す。

 

「いい加減、シリアスごっこは飽き飽きだ。さっさと一夏を取り返して、皆で殺伐としながらも仲良く遊ぼうぜ? それが俺たちのあるべき姿だからよ」

 

 ゼノヴィアの問題が残っているが今は無視する。弾はいずれ取り返すべき日常を語る。

 数馬もそこに行きたいと願っている。戻りたいのではなく行きたい。過去と同じでなく、出来ることならゼノヴィアもいる未来を夢想する。しかし――

 

「ありがとう、弾。また遊べるといいな」

 

 傘を受け取らずに数馬は弾の横を通り過ぎる。

 

「でもやっぱり俺……まだそっちに戻れない」

 

 すれ違い様に呟いた言葉は拒絶。弾が許しても自分でまだ納得できないところがある。敵対する可能性がある以上、共に行くことはできない。

 

「待っててやるから心配するな。お前はいつまでも藍越エンジョイ勢の一員だ」

「ああ。次に遊ぶときは俺の腕前を披露するよ」

 

 全身ずぶ濡れの体は冷え切っている。

 だが握り拳は力強く、熱を帯びている。

 一度は諦観に染まった少年の瞳には、雨でも消えない炎が宿っていた。



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36 愛しき体、愛しき命

 仮想世界でも風は吹いている。海上ドームの外に設けられたテラスでは立っているだけで服がはためくほど潮風が強い。シズネを始めとした女子たちはスカートを抑えていなければ男たちを喜ばせることだろう。

 そのような場所だというのに女子たちは屋内に戻ることはない。男たちもミニスカート女子に鼻の下を伸ばすことなく、別の“2人”を見守っていた。

 この場を支配する音は人の声ではない。ISVSらしい銃撃や爆発でもない。

 ただひたすらに竹のぶつかり合う音だけが幾度も響いている。

 

「まさかISなしでここまでの戦いが見られるなんてな」

 

 シズネの隣でトモキが呟く。彼の視線の先には竹刀で打ち合っている袴姿の少女がいる。色こそピンクと黒で違っているが、同じくらいの長さまで伸ばされている髪を2人ともポニーテールに結っている。

 2人の手合わせは果たして剣道なのだろうか。少なくとも防具を付けない剣道をトモキは知らない。ISVSではナナの次に果敢に戦っていた彼でも生身でこの中に割って入れる自信などなかった。

 

「ナナちゃんが強いのは知ってましたけど、カグラさんがついて行ってるのにはビックリです」

 

 常人お断りの稽古をしているのはナナとカグラ。篠ノ之流剣術を修めているナナはともかくとして、平然とついていけているカグラも普通ではない。既に凡人たちからは『危ないから防具を付けろ』と言えるような雰囲気ではなかった。

 

「トモキくん、カグラさんに代わってもらってはどうです?」

「俺じゃ無理だっての」

「そんなこと言ってていいんですか? ヤイバくんだったら――」

「野郎ならナナについていけるだろうな。だからこそ現状は不甲斐なくてしょうがない」

 

 シズネのからかい混じりの一言だったがトモキは全く動じない。

 既にヤイバがいないことはツムギの全員が知っている。

 決して表に出さないように気を張っているが、シズネも内心穏やかではない。平常心を取り戻すためにトモキに発破をかけたのだが、その反応は想定とは違っていて逆に混乱してしまう。

 

「お前、変わったな。色々と顔に出てるぜ」

「変わったのはトモキくんの方です。どうしてそう達観してるんですか?」

「それは俺が大人の男だからだ」

「同い年でバカなことを言わないでください。たとえ大人でもトモキくんみたいなのは変です」

 

 シズネの胸にはギドとの戦いの後からずっと違和感があった。

 ナナがモッピーを使うようになり、ツムギの皆の前に姿を見せなくなったことでトモキはもっと騒ぐと思っていた。ツムギの皆に情報が拡散しないようにと彼にだけモッピーの情報を流した。当然、それはナナがヤイバと現実で会っていると教えるようなものである。内心では不満が溜まっているのだと、シズネはそう思いこんでいた。

 実際は違う。トモキは不気味なほどナナの前に姿を見せなくなっていた。トモキだけではない。今まで共に戦ってくれていたメンバーのほとんどが自室に籠もるようになっていた。ナナ以外のメンバーを探してツムギ内を歩いていたシズネが見つけられたのはレミたちアカルギクルーの3人だけだったのである。

 

「トモキくんはナナちゃんが嫌いになりましたか?」

「ありえねえ。ナナはいつだって最高の女だ」

「良くわかりません。トモキくんはおかしいんです。そうに決まってます」

 

 ヤイバのいない不安がある。さらにトモキが考えていることがわからない状況も重なってシズネは若干涙ぐんだ。積み重ねられてきた安心感が一気に崩れていくように感じられた。

 トモキはシズネの頭にポンと手を乗せる。

 

「俺のことなんて全部はわからなくていい。俺はナナが好きだし、シズネのことだってどうでもいいなんて思ったことはない。それだけ知っててくれればいいさ。お前たちがヤイバを助けるために戦う道を選ぶなら俺も行く。放っておくわけにはいかないからな」

「優しい言葉をかける相手を間違えてますよ」

「『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』。ちゃんと下心があってのことだから心配すんなって。じゃ、俺は他の連中の様子を見てくる」

 

 シズネの頭から手が離れる。背中越しに手を振るトモキをシズネは黙って見送ることしかできなかった。

 

「トモキと何かあったのか、シズネ? 浮かない顔をしているようだが」

 

 カグラとの稽古を済ませたナナが問う。ヤイバのことに気を取られすぎないよう、戦いに気を集中させる儀式を終えたナナの表情には一切の動揺が見られない。

 

「……トモキくんはナナちゃんのために頑張るそうです」

「無理はするな、と今は言えないな。トモキのことだから止めるのも難しいだろう」

「そうですね」

 

 嘘は付いていない。しかし全てを正直に話せてもいない。

 以前と違って達観としすぎているトモキ。

 彼がもう帰ってこないような気がする。

 そんな漠然とした不安を戦闘前のナナに言えるはずなどなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 金曜日の放課後。前日の深夜にISが暴れていたことなど一般の生徒は知る由もなく、学業から一時的に解放された生徒たちが各々の放課後ライフを満喫するために教室から散っていく。

 しかし今日は一部の生徒の動きが違っていた。彼らはISVSプレイヤーであるが向かう先は外ではなく体育館。崩落していた屋根の修理が終わって立ち入り禁止は解除されている。あまりに早い工事に驚嘆を示しつつ生徒たちは続々と集結した。

 

「皆、良く来てくれた。ひとまずは歓迎する」

 

 ステージの上には生徒会長の最上英臣が待っていた。体育館の床の上には多数のISVSの筐体が配置されていて、集まった生徒たちはその隙間を埋めるようにして整列する。誰一人として私語をせずに壇上の生徒会長を注目しているという異様な雰囲気が体育館中に満ちていた。

 

「君たちに聞こう! ここへ何をしに来た!」

 

 沈着冷静な生徒会長らしくなく大声を張り上げる。普段は見せない熱さが、この場が普通ではないことを示している。

 

「よもや遊びに来たなどと言う者はおるまい! もし周りに流されている輩が紛れているならば、直ちに帰宅したまえ!」

 

 最早怒声に近い言葉が生徒たちにぶつけられる。以前のイベントのときと違い、ISVSの筐体があっても遊びにいくわけではない。最上は事前に己の知る事柄を全て打ち明けている。今、集まっている者たちはその事実を踏まえた上で駆けつけた者たちなのである。

 誰も動かない。この中で本気で危険であることを承知している者が何割いるかは最上も想定できていない。だがもう十分すぎるくらいに引き返す道を提示した。この先は遊び半分でついてきても、最後まで心中をも覚悟して付き合ってもらうことになる。

 

「君たちの覚悟と心意気、しかと受け取った。準備を終えた者からISVSへ入ってくれ。後の説明はラピスラズリから聞くように」

 

 生徒会長からの許可が下りた。生徒たちはイスカを手に次々とISVSにログインしていく。その中には弾を始めとする藍越エンジョイ勢も当たり前のように入っている。

 

「あれ? もしかして遅刻?」

 

 藍越学園生徒のログインが一段落したところで追加で体育館に入ってくる者たちがいた。その先頭に顔を出したのは弾の妹である蘭。そのすぐ後ろにはマシューこと真島慎二や大学生以上のプレイヤーの姿もあった。藍越学園外の彼らも一夏の危機を知って駆けつけてきた者たちである。

 

「大丈夫だ。しかし藍越学園でなくともゲームセンターからで良かったのでは――」

「会長さん。この場に集まったことに意味があるんだ」

「なるほどね。君の言うとおりだ」

 

 3つ年下の真島に諭されて最上は納得させられた。この場にいるのは最上が集めたのではなく、一夏のために勝手に集まった者たちばかり。藍越学園にわざわざやってきたこと自体が士気を底上げしているのは間違いない。

 最上は新たにやってきた者たちの代表として蘭と真島を選んで問う。

 

「念のため確認しておくけど、今からやろうとしていることと、今から戦う敵が何かを理解しているかい?」

「一夏さんには色々と返さなきゃいけない恩があるんです。主に兄貴のことで」

「織斑くんは貸してるだなんて思ってないだろうけど、君が参加する理由は良くわかった」

 

 続いて真島に最上の目が向けられる。

 

「僕に戦う意味を問うとは滑稽な話だ。我ら蒼天騎士団が名誉団長の危機に動かぬはずなどない。ついでに言えば会長さんよりも前から僕は戦っている」

「たしかに。聞くだけ無駄だったかな?」

「逆に会長さんに聞くけど、あなたはどうして戦力や設備を集めてまで戦うんです? まあ、風の噂を聞く限りだと正義のためなんだろうけど――」

「心外だな。僕は自分のことを正義だなどと言ったことは一度もないよ。そもそも正義や正論というものは他者を評価するための言葉であって自己を肯定するための言葉じゃない」

「じゃあどうして?」

 

 問い返された最上は自らの戦う理由を述べる。

 自らの行ないを正義と自称しない彼が語る動機は一言。

 

「ただの趣味さ」

「…………」

 

 誰も一言も発さずに淡々とイスカを使ってログイン作業を始めた。気づけば体育館の中で立っているのは最上と宍戸のみとなっている。

 

「では先生。後はよろしくお願いします」

「任せた。今のを聞いた後だと任せていいのか激しく不安だがお前ならなんとかするだろう。織斑を喰ったIllをなんとしてでも討て」

「了解しました。もっとも、僕としては織斑くんも助けるべき対象の1人でしかないのですけどね」

 

 最上がログインして藍越学園の体育館には宍戸が1人残ることになる。

 旧ツムギの一員として現実で戦っていた戦士はISVSで戦えず、教え子たちを頼るしか道がない。

 

「頼んだぞ」

 

 無意識な握り拳には力が籠もっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 マザーアース“アカルギ”。ツムギの所有する戦艦のブリッジの中でラピスは戦場の分析結果をまとめている。

 アカルギがやってきた場所は富士山から南の海岸線の上空。集まったプレイヤーたちもアカルギの周囲に展開して臨戦態勢は整っている。全軍が目を向けている先は富士山であった。

 否。富士山と呼ぶには現実のそれと大きく変わっている。なぜならば日本の最高峰から、あり得ないものが()()()いる。富士の火口から天に伸びている金属の柱は無数に枝分かれしており、まるで鉄でできた大樹。あまりにも巨大スケールの建造物を前にしては、血気盛んなプレイヤーたちと言えども息を呑まざるを得ない。

 

「ミューレイ内のスパイからの情報によると、あれはミューレイの開発した拠点防衛用マザーアース“ユグドラシル”。ルドラの主砲を上回る荷電粒子砲を搭載し、さらに対空火器として強力なEN兵器を無数に搭載していますわ」

 

 全軍に情報を伝達する。富士山に巣くっている敵のマザーアースは必死にかき集めた戦力を以てしても落とせるとは限らない強大な代物である。

 まだ戦いを挑むような相手ではない。それでもラピスたちがユグドラシルと対峙しているのは、そこに目標があるからだ。

 ラピスはマドカ・イリタレートの行方を追っていた。そしてそれはわざわざ捜索せずともすぐに見つかることとなる。大掛かりな光学迷彩で隠れていたユグドラシルが姿を見せ、ラピスの目の前で黒い蝶がユグドラシルへと入っていったのだった。

 明らかに誘われている。それでもラピスたちは挑む必要がある。いつまでもマドカ・イリタレートがユグドラシルにいる保証はない。罠とわかっていてもチャンスであることに違いはなかった。

 さらに言えば、待つことができない最高戦力の存在もある。一夏が被害に遭うことを最も危惧していた日本代表がいつまでも大人しくしているはずもない。ラピスたちが戦いを挑むにはブリュンヒルデの攻撃に合わせる必要もあった。

 

「今回の作戦目標は『ユグドラシルの破壊』並びに『黒い蝶のIllの破壊』とします。困難な作戦となりますが明確な時間制限はありません。落ち着いて対処していけば突破口を見つけられるはずです」

 

 らしくないことしか話せない。過去最大の戦力を預かっているラピスだが、彼女自身には勝利のビジョンが見えていない。

 確認できるだけでも敵の戦力は強大である。

 まずユグドラシルの周囲1kmの円周上には4機のマザーアースが配置されている。ダンゴムシ形状のそれの名前は“カルキノス”。機体前面に巨大ENブレードを展開して突貫する格闘戦仕様のマザーアースである。

 他にも当然のように大量のリミテッドが空に散らばっている。硬さが売りのベルグフォルク、数が取り柄のスケルトン。どちらもISの敵ではないが、後方からユグドラシルの砲撃がある場合は事情が違う。数でのごり押しを防ぐ壁として十分に機能している厄介な存在だった。

 見えている敵はこれだけ。しかしそれで終わるわけがないとラピスは確信している。

 

「やはりわたくしは強くなどありませんわね……ブリュンヒルデが味方にいても全く勝てる気がしていませんわ」

 

 現段階の戦力ならばユグドラシルの破壊は可能だと考えている。しかしそれはブリュンヒルデがカルキノスを突破してユグドラシルへの道を開いてこそだった。ブリュンヒルデの足が止められてしまえば、カルキノスの突破は遅れ、味方はユグドラシルの砲撃に晒され続けることとなる。

 もし自分が相手の指揮官ならばブリュンヒルデに対して伏兵を用意しておくはず。よって悪い方向に転がると見るべきであり、わかっていても有効な対処法はない。

 

『ラピスの悪い癖だ。指揮官だからと言って一から十まで自分一人でなんとかしようとしてしまっている。お前はあくまでサポートなのだと自覚しろ』

 

 外に出ているナナからの通信。少なくとも彼女はラピスより精神状態が安定している。たとえ強がりでも今は必要な意地と言えよう。

 

『そもそも指揮官だって肩肘を張る必要なんてないのよ。アンタに求められてるのは戦況の分析。ただの高性能レーダーなんだから、実質的な戦闘は前線の仕事よ。まさかヤイバ以外の前線部隊に不安しかないとか失礼なこと言わないわよね?』

 

 続いてリン。辛辣な物言いだがラピスから余分な力が抜けるには十分なエールとなった。

 表情を引き締めなおしてラピスが告げる。

 

「これより攻撃を開始します。主砲(アケヨイ)発射用意」

 

 アカルギの前部が左右に開き、内部から巨大な砲身が現れる。

 絶大な防御力を誇ったイルミナントの光の翼をも突き破ったツムギ最大の火力。

 相手が動かない上にでかい的ならば遠距離からでも十分に狙える。撃たない手はない。

 

「ユグドラシル中心部までの直線上には敵リミテッド部隊のみです」

「船首角度調整完了。リコ、いけそう?」

「OK! タイミングはラピスに任せる!」

「では狼煙を上げましょう。できればこの一撃で終わることを願います」

 

 引き金が引かれた。

 海岸線から放たれた極光は昼の空すらも白く染める。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アカルギからの砲撃が開戦を告げた。単機のISでは到達できない破壊力のENブラスターの光が道中のリミテッドを消し飛ばしながらユグドラシルへと突き進む。

 しかし光の進撃は半ばで止まる。ユグドラシルの前面に光の壁が展開され、内側への進入を拒絶する。倉持技研の不動岩山を遙かに凌駕する出力のENシールドであった。

 巨大マザーアースならばあって当然ともいえる長距離砲撃に対する備え。開幕の先制攻撃は結果的に失敗に終わるも想定の範囲内。強力なシールドと言えど長時間の展開は不可能であり、付け入る隙がないわけではない。富士山を包囲する全IS部隊がユグドラシルへの侵攻を開始する。

 無論、近づくISに対して無防備であるはずなどない。そのためのリミテッド部隊であり、4機のマザーアース“カルキノス”である。

 IS部隊で真っ先に敵陣へと突入したプレイヤー、カイトが呟く。

 

「めっちゃ速いなー」

 

 言葉は軽いが目つきは真剣そのもの。ISVSの全国区プレイヤーでもマザーアースとの戦闘経験はほとんどない未知の領域である。油断せずに大きく旋回することでカルキノスの軌道上を避ける。最善を見つけるまで無茶はできない。

 カイトの機体、ラインドサイトはスピードを重視している。変形機構は飾りではなく戦闘機を模しているときは最高速度、人型のときは敏捷性に特化したスラスターの配置となるように組んである。

 カルキノスの巨体が通過する。ギリギリを通過したため、ラインドサイトのPICにも干渉され機体バランスを僅かに崩す。戦闘機状態の最高速度でようやく軌道上から離脱できた。

 

「オレっちだけ先に進んだところで無駄か。しゃーない」

 

 危機感からカイトは引き返す。自分だけならばカルキノスを無視して先に進めるが単機ではユグドラシルを落とせない。カルキノスを落として道を開かなくてはこの戦いに勝利はない。

 空飛ぶ巨大ダンゴムシのような敵を後ろから追い縋る。機体の先端に配置したレールカノン“レヴィアタン”でマザーアースの後部大型ブースターを狙い撃つ。高速戦闘下においても機体速度を遙かに上回る弾速は後方からの追撃も可能としている。

 

「ちっともダメージが入ってない」

 

 装甲の薄いと思われるブースター本体に当てたというのにカルキノスの足は止まらない。それだけでなく、体表面に配置されている砲塔がぐるりと後方のカイトに向けられ、即座に光が放たれる。

 複数の荷電粒子砲に晒されながらもカイトは食らいつく。小回りを重視して変形を解除し、右手のレールカノンで執拗にカルキノスのメインブースターを撃ち続ける。装甲を打ち破らずとも機動力さえ奪えば無力化したも同然。他のIS部隊を無傷で通せればユグドラシル攻略も見えてくる。

 だからこそ気が緩んだ。見えているものだけで判断し、相手がバンガードと同じ重装甲で突撃するタイプだと誤認していた。カルキノスという名前の意味をカイトは知らない。

 ダンゴムシ形状の左右が開かれ、中から巨大な機械腕が出現する。先端部分は単純に巨大化されたENブレードであると視認できるもの。

 

「やばっ――」

 

 気づいたときには手遅れ。突如現れた巨大ENブレードが一閃。荷電粒子砲の回避に気を取られていたカイトは直撃を受けてしまう。機動性重視のユニオンは装甲が薄いだけでなくシールドバリアも薄い。とても耐えられるわけがない。

 後続の部隊の目の前でエース級プレイヤーがいきなり敗北した。蟹の化け物の名を冠したマザーアースは3本の巨大ENブレードを振り回す文字通りの格闘型。バンガードのように重装甲と高い推進力で接近し、ヤイバのように高威力のENブレードで薙ぎ払ってくるのは並大抵の脅威ではない。

 

「総員散開。荷電粒子砲、ミサイル、一斉掃射」

 

 強敵なのは百も承知。エースが1機落とされた程度でプレイヤーたちは浮き足立たない。集まったプレイヤーの内、最年少であるマシューの指示で上下左右からの包囲射撃がカルキノスへと殺到する。速いとは言っても一軒家程の巨体であり、小回りの利かないマザーアースが回避などできるはずもない。

 だが止まらない。決して無傷ではないが、致命傷には遠い。表面の装甲をボロボロにしながらも強引に包囲網へと近づいたカルキノスのENブレードが振り回され、ディバイドも含めたISが蒸発する。

 

「正面の機体は全速力で離脱せよ。両翼の部隊は攻撃を続行。ミサイル攻撃を続けつつ荷電粒子砲を順次発射。攻撃の手を休めるな」

 

 1機も失わずに勝利することは不可能と割り切っている。マシューは包囲を突破したカルキノスの追撃を指示する。自らもBTビットを操って攻撃に加わった。

 距離を空けての集中砲火はISバトルと言うよりも攻城戦に近い。さらに攻撃対象であるカルキノスは通常のISよりも速度自体は上。IS同士の対決ばかりのプレイヤーでは慣れない戦闘だがマシューの口元には笑みが浮かぶ。

 

「マザーアースとはつまりユニオンの集合体。ミサイルとEN射撃で飽和攻撃を仕掛ければいずれ落ちるだけのもの!」

 

 既存の情報から敵戦力を分析した。機体前面と可動腕のENブレードはそれぞれ推定2・3個分のISコアにより起動させている。ブースターに割り振ったISコアは10個ほど。機体の全体を形作っている丸い装甲も複数体のユニオンが連結して成り立っている。

 複数のISが役割分担して1機の兵器となっている。使用した数分のISコアに対応する操縦者は内部のコクピットに存在しているため、人とコアの数は常に1対1。防御性能もENシールドを使用していなければIS単機分のものと変わらないはずである。

 事実、プレイヤーたちの放った荷電粒子砲はカルキノスの装甲を抉っている。装甲を厚くしていてもEN武器に対しての防御力は変わらない。ミサイルについても同様でPICによる衝撃軽減は装甲に対しては小さく、相対的にライフル等よりも効果的な武器となる。

 

「……10機落とされた。でももう終わる。マザーアースを落とせるなら安い被害だ」

 

 暴れ回っているカルキノスの装甲に虫食いが目立ち始めた。BTビットから送られる映像にもカルキノスを操縦しているプレイヤーの姿が見える。直接狙い撃てばその損害は大きい。

 もらった。マシューは確信の元にBTビットに指示を送る。

 装甲に空いた穴から内部へと光線が向かっていく。カルキノスの移動速度に合わせた的確な射撃は装甲の隙間を突いて内部のプレイヤー自身を襲う――はずだった。

 しかしマシューの攻撃が当たる直前に穴が装甲に塞がれる。あまりにも瞬間的な再生。それはISVSでは考えられない。

 

「あ、しまった! そういうことか!」

 

 マシューはそのカラクリに気づく。今の出来事は正確には再生ではなく新調であったのだと。

 カルキノスが機首を変更する。対象はマシュー。ここまでのやりとりで部隊の連携の指揮を取っていたプレイヤーが誰なのかを見定めての行動。

 マシューは狩りのつもりで臨んでいた。しかし敵は知性のないモンスターでなく、人間が操縦しているのである。あからさまに相手の弱点に狙いを絞ってくるのも無理はないのだが、とどめをさせると踏んでいたマシューは前に出過ぎていた。カルキノスの機体前面に設置されているENブレードを前にして体が硬直する。

 

「足を止めるな、バカ!」

 

 横からマシューの体がかっさらわれ、カルキノスは誰もいない空を通過する。間一髪で指揮官を救出したのはハンマーを持った女子プレイヤー、カトレア――つまり蘭である。

 

「あれ? カトレアはバレットの方じゃなかった?」

「お兄に邪魔って言われたからこっちに来たのよ。文句ある?」

「ないけど、僕らの役目はデカブツの足止めか破壊だから君のやれることなんて何も――」

「私がいなかったらやられてた奴が言うことじゃないでしょ」

「……一理ある」

 

 一夏の後輩に当たる2人が並び立つ。相手の強大さを思い知らされているが、目的のある彼らの目は決して臆していない。

 気持ちは負けていない。

 だがまだそれは結果には結びついていない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 4カ所でほぼ同時にカルキノスとの交戦が開始された。過去に対戦したルドラやヤマタノオロチと違い、近距離戦に特化したマザーアースに対してはISの機動力が武器とならない。近寄ればENブレードの餌食となり、遠距離からの攻撃は有効なダメージとなる前に接近される。攻め倦ねるばかりか、いたずらに被害が拡大していくばかりだった。

 さらに悪い報せが入っている。敗北したプレイヤーの強制転送が確認されていない。つまり、この戦場のどこかでIllが活動していることは確実で、それがターゲットのマドカ・イリタレートでない可能性も考えられた。

 

 カルキノスとの激戦が繰り広げられている頃、富士の登山道を複数人が飛ぶように駆け上がる。現在の主戦場は空に集中している上に、敵の主力であるカルキノスは地上付近の戦闘を不得手としている。ISによる補助を最小限に抑えた少数精鋭の隠密部隊、更識の忍びは敵の警戒網をすり抜けて既にユグドラシルの根本にまで到達していた。

 先頭を走っていた(アイ)が通信を飛ばす。

 

「これより突入します」

『頼みましたわ。内部でターゲット以外のIllと遭遇する可能性もあります。お気をつけください』

 

 これより先はマザーアース。無数のISコアで作られた要塞ではセシリアの星霜真理もISを探知できない領域となる。ほぼサポートを得られない戦場へと更識の忍びたちが潜入する。

 外壁の突破は容易だった。内部はマザーアースと言っても人が通れる建造物となっている。情報通りならばこの中にマドカ・イリタレートが潜んでいるはずであり、更識の忍びに与えられている任務はマドカを討伐してヤイバを解放することにあった。

 しかしこれで敵に存在を察知されたはず。外と比較すれば手薄であると予想されるマザーアース内部であるが、時間をかけてしまえば利点を失う。アイたちは内部の捜索を急いだ。

 

 

「お疲れさん。わざわざ出力を落として登山道を通ってくるとは正気の沙汰じゃないですねぇ」

 

 

 時間との戦いであるはずだった。

 だが実際はアイたちには捜索する時間など存在しない。侵入する前から警戒されていて、既に目の前に門番が立ちはだかっている。

 

「マザーアースは操縦者の才能に左右されずに一定のポテンシャルを発揮することができる。だがやはり判断するのは人。センサーを抜けてくる相手を見つける直感までは備えられない。だからこそ私がここにいるわけです。マドカちゃんをやらせるわけにはいきませんので」

 

 したり顔で解説する細目の男は武器も持たずに丸腰。

 アイを始めとして、更識の忍びは全員がその顔に見覚えがあった。

 

「平石……ハバヤ!」

 

 総員がブレードを抜き放つ。PICを極力利用せずに移動するため、更識の忍びは極端な重量の装備を使うことができない。従ってメイン装備は威力と低質量を両立できるブレードとなる。

 相手に読まれていたのは誤算だった。しかしハバヤは何故か無防備な姿を見せている。他に敵は見受けられず、アイならば武器を出される前に斬ることができる間合い。当然、躊躇う理由はない。仮想世界であるため、アイの剣は迷わずハバヤの首を襲う。

 手応えはあった。ISすら展開していなかったためか、いとも簡単にブレードで両断でき、ハバヤの首と胴が離れる。

 

「ヒッヒッヒ、速い速い。純粋に速さだけならランカーにもなれる逸材でしょうねぇ。ですが速さだけではどうにもなりませんよ」

 

 首だけとなったハバヤがほくそ笑む。仮想世界とはいえアバターが活動不能になるだけの致命傷を受けたはずであるにもかかわらずハバヤには何の障害にもなっていない。

 

「ぐあっ!」

 

 アイの後ろで1人倒れた。ハバヤは目の前で笑っているだけで他に敵はいない。だというのに攻撃を受けて戦闘不能になった者がいる。

 2人目も倒れた。今度はアイも目を光らせている中での出来事。近接戦闘の腕に覚えのある忍びが何もできずに敗北している。それも無理はない。誰の目から見ても攻撃を受けてはいなかったのだ。

 

「やっぱ影は影。当主様がいないと張り合いがねーなー」

 

 浮いている首を一突きで串刺しにする。ハバヤの笑みは崩れぬまま顔面に穴が空く。それでもハバヤの声は止まらない。

 

「ま、あの女がここにいたところで何も変わりませんがね」

 

 1人、また1人と忍びたちが消えていく。アイに見えている敵は既に斬り捨てたハバヤだけであるのに未だにハバヤの声は途絶えず、仲間が一方的に狩られていく。

 姿を消して透明になっている。そう判断した者が周囲にブレードを振り回し始めた。しかしその攻撃が敵を捉えることはなく、逆にやられるだけで何も事態は好転しない。

 そもそも敵が透明になったところで攻撃されれば敵の攻撃手段くらいはわかる。それすらも確認できていない現状を説明することなどできない。

 このまま何もできずにやられるのを待つだけ。それくらいならば逃げるべきか。逃げきれる保証などないがこの場を突破する方が難しい。

 アイが撤退を決断しようとしたそのときである。

 

「見つけた……」

 

 忍び部隊に入っていたジョーメイが呟いた。彼は何もない場所を指さす。アイには彼が何を言っているのか瞬時には理解できない。1つだけ強烈な違和感を覚えたのは、ジョーメイがISを解除するという血迷った行動を取っていたこと。

 

「テメェ!」

 

 この戦闘中で初めてハバヤの声に焦燥が混ざる。ジョーメイが次の言葉を発する前にと慌てたのか、アイの視界の中で何もない場所から突然に現れたナイフがジョーメイの喉元を貫いたのが視認できた。

 体を張ったジョーメイのおかげで敵の攻撃の正体に推測が立った。事実だとすればハバヤの能力はステルスという域を超えている。アイは確信を得るためにISを解除する。

 

「本当にそこに居たのですか」

 

 ISの補助が何も働いていない肉眼で見る景色は全く違っていた。

 アイが首を斬り落としたものはリミテッド。貫いた首はただの機械の残骸である。

 誰もいないと思っていたジョーメイの指さした場所には深緑のISを纏ったハバヤ。両手にナイフを持ち、非固定浮遊部位にはワイヤーブレードを射出するユニットが4つ存在している。

 

 鬼の形相のハバヤが手にしたナイフを投擲する。ISによる攻撃であるが軽さを重視したナイフは人体への殺傷力が素の拳銃を下回る。生身のアイは右手を犠牲にして生き残ることを優先し、改めてISを展開し直した。

 すると再びハバヤの姿を見つけられなくなり、転がっていたリミテッドの残骸はハバヤの死体に変貌する。

 

「やはり幻覚。それもISにのみ見せるワンオフ・アビリティ……」

 

 外部への通信として呟く。それはアイに残された唯一の仕事であった。

 

 コア・ネットワーク系イレギュラーブート“虚言狂騒(きょげんきょうそう)”。

 アイとジョーメイが辿りついたハバヤの能力は対象のISに幻覚を見せるというもの。コア・ネットワークを通じて嘘の映像と音声を送りつけ、IS自体を混乱させて操縦者を騙すという仕組みになっている。

 ISはコア・ネットワークから完全に断絶することはできず、ISコアは嘘の情報を嘘だと認識することはない。ハイパーセンサーを始めとする優秀なISの目や耳をハッキングするハバヤの能力から逃れるには何らかの特殊性が無い限りISを使わないしか手はない。

 しかしそうなると攻撃する手段がなくなる。ISの解除と展開には一定の時間を要するため瞬時に切り替えて戦闘するのは現実的ではない。

 

 相手の正体は見えた。しかしそれでアイが勝てるわけではなかったのだ。

 アイは最後に確認したハバヤの居た場所へとブレードを振るう。しかし手応えはない。それどころか振り切った自らの脇腹にナイフが突き立てられ、逆に手痛いダメージを入れられる。続けざまに放たれたワイヤーブレードが装甲のない喉元を的確に突き、アイのストックエネルギーも空となった。

 

「チッ。オレの勝ちは揺るがねえにしても気分が悪い」

 

 ハバヤがとどめを加えることでアイの体も消失する。現実に強制転送されることなく留まる光はIllにとってのエネルギー源となる。この戦場において、敗北したプレイヤーたちの運命は戦闘の結末によって明暗がくっきりと分かれることとなる。

 

「じっくりいたぶる時間すら惜しいのが残念。しかし今回ばかりは油断するわけにもいきませんか。ヴェーグマンには敵対勢力をことごとく潰していただかないと困りますし、今回以上のチャンスは二度と来ないでしょうね」

 

 結果的に多勢に無勢の戦闘を難なくこなしたハバヤ。ワンオフのカラクリを見抜かれてもまだ彼の優位は崩れていない。にわかに表出した怒りを抑え込み、冷静さを取り戻した彼は次の場所へと移動する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 カルキノスを1機も破壊できぬまま時間だけが過ぎていく。策の1つとして送り込んだ更識の忍びの部隊は壊滅し、ラピスたちは他の手を敢行することとなった。

 敵の防衛網は崩壊していなくとも主軸であるカルキノスを引きつけることはできている。その4カ所を避ければユグドラシルへの攻撃を仕掛けることは不可能ではない。

 当然のことながら敵からの反撃は予想され、敵防衛部隊を無視するための進軍速度も要求される。この場で適切な戦力は推進力に特化したユニオン部隊しかなかった。

 既にバンガードを筆頭とする部隊を編成してある。この部隊の最低限の目標はユグドラシルのENシールド発生装置の破壊。できることならばユグドラシル内部に潜むマドカ・イリタレートを討つことも視野に入れている。

 トリガミでの戦闘の時と違い、ヤイバの生死に関しては時間制限はない。かと言ってのんびりとしていられるかというとそうでもない。マザーアースを1機も落とせていない現状では時が経てば経つほど戦力差が開いていく。この辺りで起死回生の一手が欲しいところではあったのだ。

 次々と飛び立っていくユニオン部隊。高度を十分にとっての進軍にリミテッドは脅威とならない。順調に空を行く彼らにとっての障害はユグドラシルのみとなっている。

 

「いいか! 1発たりとも当たるんじゃないぞ!」

 

 バンガードが檄を飛ばした瞬間だった。すぐ隣を飛行していたプレイヤーが光の中に消える。ユグドラシルから放たれた砲撃はまだ遠距離であるにもかかわらず正確に飛行中のISを捉えていた。

 真顔になってしまったバンガードは思い出す。高速機動中の正面からの射撃はその相対速度から回避の難易度は上がる。対して射撃側にとっては大きく的がぶれないため、格好の的となる。

 ここで問題となるのが敵の射程。速度重視とはいえユニオンを一撃で吹き飛ばすためには“イクリプス”レベルのENブラスターが必要最低限となる。通常ならば切り札とする攻撃を当たるかどうか定かではない段階で発射してきていることの意味をバンガードのみならず全員が理解した。

 改めてバンガードが言葉として口に出す。

 

「脳筋な直進で突破できるとは思うな!」

『お前が言うな!』

 

 ほぼ全員に言い返されて凹む一幕を挟みつつも上下左右にブレながらの移動を始める。直前まで自分の居た場所をENブラスターの光が通過していき、冷や汗が流れた。

 ユグドラシルからの攻撃は切り札でもなんでもなかった。ISが切り札として使っているレベルの攻撃を湯水のように使ってくるというだけの話である。当たれば致命傷である砲撃がユグドラシルのほぼ全ての枝に複数搭載されている。バンガードたちはこのENブラスターの弾幕の中を接近していかなければならない。

 30秒が経過。近づくほどに光線の回避率が低下していき仲間が落とされていく。それでも全体の40%はユグドラシルに到達できる試算となっている。実際の戦争と違い、負傷者の回収などを考える必要がないため、最後の1人まで突撃する意味はある。どれだけ被害を出そうとユグドラシルを落とせば勝利は確実に近づくのだから。

 

「ユグドラシルから敵が出てきた」

 

 敵に新しい動きが見られた。守りきれないと踏んでの援軍と思われる。リミテッドではなくたった1機のISが向かってきた時点で普通の相手ではないことは予想できる。

 バンガードの声を拾っていたラピスから通信。

 

『わたくしが確認できない相手です。間違いなくIllですわ。お気をつけて』

 

 指揮官から正式に強敵認定がなされた。バンガードたちと戦うために高々度の戦場へと赴いてきた敵の見た目はユニオンでなくディバイド。右手に物理ブレード、左手にアサルトライフルを持ち、非固定浮遊部位には左右にシールドを搭載している打鉄の初期装備(プリセット)と同じ構成である。

 カラーリングが紫紺である初期装備の打鉄という見た目。しかしオーソドックスな戦闘をこなすだけだなどと誰も考えていない。レールカノンの射程に入ってから、即座に射撃攻撃を開始する。

 多対1という状況である。細かく正確に狙わなくても数を撃てば当たるというほどの差ができている中、打鉄と同じ装備をしたIllは僅かに飛行の軌道を逸らすに留めた。たったそれだけでプレイヤーたちが張った弾幕の隙間に入ってしまう。

 

「もう1回やってくれ」

 

 射撃攻撃の指示を下しながらもバンガードは自らの得物であるドリルランスを準備する。悪い方を想定した準備が無駄になることはなかった。2度目の一斉射撃もほぼ動くことなく弾幕の隙間に入られて盾を使わせることすらできなかった。

 敵の排除ができないまま距離だけが狭まる。敵は撃たれるだけの的ではなく、左手のライフルで発砲してくる。最初から避けるつもりのないバンガードが盾で防ぐと特に問題なく弾き返した。

 

「あれ? 嘘だろ……」

 

 しかし回避しようとしたプレイヤーからは戸惑いの声が漏れる。確実に回避することなどできないが、敵のライフルはただの1発も外れなかった。

 多対1の射撃戦における命中率は敵が100%で味方が0%。ただの偶然ではないと感じつつもバンガードはドリルランスを手に格闘戦を仕掛ける。

 高速でのぶつかり合い。突き出されたドリルに対して敵は刀1振りで向かってくる。真っ向から当たればドリルが勝つ。

 接触の直前までバンガードには勝利が見えていた。それが逆に戸惑いにつながってしまう。不測の事態に対処するために加速を緩めた。

 その躊躇こそが敵の狙いだとも気づかずに。

 紫紺の打鉄は急加速する。ドリルへと向かっていた刀は軌道を僅かに変え、ドリルの輪郭に沿っていくとバンガードの顔面に叩き込まれる。分厚い装甲のメットで覆っているバンガードの機体“ラセンオー”にとってはこれでもまだ致命傷には遠いが大幅に失速してしまう。

 

「やばっ!」

 

 咄嗟にブースターを再点火する。反射の領域での対応はその場に居てはマズいという本能によるもの。打鉄のプリセットなど重装甲のユニオンにとっては問題にならないが、敵の本命は大変危険であった。

 ユグドラシルからの砲撃。単機で飛び出してきた敵機がいようともお構いなしに放たれる対空放火はその密度を増すばかり。

 単機で向かってきた敵の思惑をようやく理解する。このままバンガードは紫紺の打鉄を無視して先に進めるが、それは偶々のこと。砲撃以外の攻撃を加えてくることで軌道を誘導された味方機が次々とユグドラシルの砲撃で落とされる。敵はこちらの陣形を乱すためだけの機体だった。

 

「先に行け!」

 

 後方から通信が飛ばされる。バンガードの部隊に混ざっていた女子の声。彼女はこの部隊の最高戦力とも呼べる女傑、文月ナナ。

 

「わかった。ヤイバを助けるまでは死んでくれるなよ」

 

 バンガードは生き残った部隊を引き連れて先に進む。妨害してくる敵は彼女に任せればいい。ヤイバが助けだそうとしている少女は決して弱くはない。

 紫紺の打鉄に対するは紅の女武者。二刀を構えるだけで相手の動きを抑え、後続の部隊は彼女たちを追い越していく。

 

「ラピスの推測通りか。大した装備はなくとも驚異的な先読みの力が大きな武器となる。どれほど強力な攻撃であろうと当たらなければ意味がなく、一方的に攻撃できれば弱い武器でも勝ちが見える」

 

 ナナが左手の空裂を振り切る。纏っていた光波を放つ直前に敵は回避行動に移っていた。結果的に何もない場所へ攻撃をしただけに終わる。

 この隙に敵は何もしなかった。ライフルで撃つくらいはできたはずだというのに構えすらせずナナと対峙する状況を継続するのみ。

 

「おそらくは私に撃っても無駄だとわかっているから撃たない。逃げきれないとわかっているから逃げない。ただ役割として足止めをしなくてはならないからそこにいる。機械のような奴だ」

 

 ここまでナナの独り言しかない。敵は銀髪に金の瞳をしている遺伝子強化素体だがその目は焦点が合っておらず、口が開かれることはなかった。アドルフィーネやギドのような人間性が全く感じられない。

 信念も何もなく、義務として立ちはだかる敵にナナは激昂する。

 

「私の邪魔をするなァ!」

 

 イグニッションブーストで接近。敵もカウンターで刀を振るおうと右手が動いた。しかし、その手は途中で止まる。その抵抗が無意味だと結論づけられた結果……投了した。

 空裂、雨月と連続して命中。一方的に攻撃を受け続けた紫紺の打鉄は力なく墜落していく。

 

「待っていろ、一夏。今度は私がお前を助ける番だ」

 

 新型のIllを相手に圧倒したナナは先を急ぐ。ユグドラシルのENシールドを消せばいいだなどと考えてはいない。自分がマドカを打ち倒すつもりでこの戦場に赴いていた。

 そんな彼女の向かう道中に新手が乱入する。それは黒い霧に覆われている、巨大な手の非固定浮遊部位を持ったISであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ユニオン部隊がユグドラシルへと順調に迫っている。この報せをラピスはわざわざ全部隊に通達した。カルキノスと戦っている者たちを鼓舞する効果は確かにあるが、真の狙いは別にある。不特定多数に向けた通信を受け取ったのは藍越のプレイヤーばかりではない。

 

「出遅れてるなー。このまま“あれ”を倉持に取られたら上がお冠だろうぜ、ナタル」

「わかってるなら早く出撃すればいいじゃない。単機特攻はイーリの得意分野なんでしょ?」

「へいへい。でもデカブツの処理は面倒くさいから任せる」

 

 富士山周辺の戦場に新たな部隊が加わる。アメリカ代表、イーリス・コーリングを擁するセレスティアルクラウンを中心としたアメリカの部隊である。軍人と強豪プレイヤーの入り交じった部隊構成には国の本気さが窺える。

 ハバヤの手によりアメリカにはゼノヴィアの情報が横流しされている。この場にやってきた目的はツムギや倉持技研への加勢ではなく、ゼノヴィア・イロジックの獲得にあった。マドカ・イリタレートは彼らには関係ない存在といえる。

 ファング・クエイクが戦場に躍り出る。対IS戦に特化した格闘型の機体は多数の敵やマザーアースを相手取るのに向いていない。だからイーリスは一目散にユグドラシルへと向かう。

 

「面倒なのが来やがった」

 

 ユグドラシルに接近するイーリスへとカルキノスが迫る。わざわざ日本のプレイヤーを囮にしたにもかかわらず、持ち前の機動力で振り切ってきたモンスターはイーリスをくい止めようと巨大ENブレードを振り上げる。

 足の速いファング・クエイクでも攻撃範囲の外に出るのは簡単なことではない。速度とサイズを両立した格闘型マザーアースはそれだけ脅威の存在である。だがそのような相手を前にしてイーリスは回避どころか迎撃の素振りも見せなかった。

 既にデカブツは任せると宣言していたからだ。

 

「英雄の足を刈ろうとする捨て身の勇気は認めよう。だが分不相応というもの。大人しく天に召されるがいい」

 

 後方にいた銀の天使が翼を広げる。同時に展開される光弾の数は砲門の総数である36を上回り、見る者の視界を白一色で染める。

 全ての光が一方向に向けて放たれる。ある程度の指向性しか持たせられない光弾は散弾としてカルキノスに降り注ぐ。通常のISならば1、2発程度しか当たらない広範囲の攻撃だが、カルキノスほどの図体があると話は大きく変わってくる。

 振り上げたENブレードはおろか、本体の装甲を根刮ぎ削り取っていく。巨大質量の塊であるマザーアースといえど、中途半端なサイズといえるカルキノスでは広域殲滅を得意とする銀の福音にとってはカモでしかなかった。光が収まったとき、蜂の巣になったカルキノスは戦闘能力を失って地上へと墜落を始める。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 藍越のプレイヤーたちにとって純粋な援軍ではないが新たな戦力が加わったことで戦況は大きく動いた。

 アメリカだけに留まらず、ドイツの戦艦型マザーアース“シュヴァルツェア・ゲビルゲ”も姿を見せる。主砲であるAICキャノン“ラヴィーネ”が火を噴くがユグドラシルの広域ENシールドに阻まれるに終わった。しかし戦線に加わったこと自体が大きく、それだけユグドラシルの防衛網に穴が目立ち始めることとなる。

 情勢が混乱していくに連れて敵に隙が生じやすくなる。ナターシャと密かに連絡を取っていたブリュンヒルデはイーリスを先に向かわせることで敵の目をそちらに向けさせた。まだ敵にはVTシステムを搭載したIllが控えていることが予測されているが、この状況ならばブリュンヒルデが出撃する意味はある。

 何より、もう我慢の限界だった。静かに闘志を漲らせていた世界最強のIS乗りが雪片を抜刀する。

 

「止めるなよ、彩華」

「私は無駄なことをしない主義だ。今の君はたとえ篠ノ之束であっても止められないだろう」

 

 暮桜が戦場に舞う。専用のブースターの補助もなしに音速を軽く突破する。銀の福音が開いた道を突き進む彼女をたかがリミテッドごときが止められるはずもなく、斬り捨てられた残骸が通り道を飾りたてた。

 無人の野を行くが如く。ブリュンヒルデはただの一度も失速しない。普段は感情を表に出さない彼女がこのときばかりは顔に鬼が張り付いている。

 まだ誰一人としてユグドラシルへと到達できていない中、最後発であったブリュンヒルデが最速で向かっている。当然、敵も手をこまねいているままにはいかず、用意していた最高の手札を繰り出した。

 

「来たか。VTシステム搭載機」

 

 立ちはだかるは漆黒の甲冑。手にする得物は大剣のみ。西洋と東洋の違いはあれど、装備構成はブリュンヒルデと似通っている。

 以前に対峙したときはまるで鏡に映したような動きで対応され、互いに攻撃を当てることができていなかった。今回も同じことを繰り返していては一夏を助け出せない。

 形振り構ってはいられない。後先を考えるよりもこの場を突破することが最優先である。技量が同等ならば優位な点で押し切ればいい。いくらVTシステムがブリュンヒルデを模倣しようと再現不可能な単一仕様能力を起動させる。

 

 特定武器強化系イレギュラーブート“零落白夜”。

 使用者の任意で発動と解除を行える。発動中は手に持っているブレードによる攻撃に『シールドバリア無効』『EN属性攻撃の打ち消し』『防御系単一仕様能力の無効化』の3つの効果が付加される。その代償として時間経過でストックエネルギーが減少していく、身を削って攻撃力を高める諸刃の剣といえる能力であった。

 

 IS同士の戦いにおいて最強の矛とされる能力を武器に鏡の中の自分と相対する。一方的に攻撃を加える必要性はなく、互いに同じ攻撃を当てても零落白夜を使用しているブリュンヒルデがダメージ勝ちする。使用した時点で無傷とは呼べないが、短時間での突破のために多少の犠牲はやむを得ない。

 暮桜と黒の甲冑が激突する。ブリュンヒルデは黒の大剣を防ごうとせず、たとえ自分が斬られようとも雪片を敵に当てることを優先する。ブリュンヒルデの相討ち上等の捨て身の一撃はたとえヴァルキリーであっても凌ぐことは困難を極める。

 ……その一撃が届かなかった。

 

「何だと……?」

 

 零落白夜を発動した状態での雪片を完全に防ぐことはブリュンヒルデ本人であっても不可能に近い。正しく最強の矛である。VTシステムで技量が並んだからといって止められるものではなかった。ブリュンヒルデを超える“何か”が必要なのである。

 驚愕に染まるブリュンヒルデの右手は空中に固定されて動かない。まるで空気ごと凍り付いたかのような現象はブリュンヒルデも知っているISの基本装備の応用に違いなかった。

 AIC。それも他ISの動きを静止させるほど強力な代物。モンド・グロッソで激戦を繰り広げてきたヴァルキリーたちの中にすらその使い手はいない。唯一心当たりがあるのは、たった1週間だけの教え子のみだった。

 

「遺伝子に刻まれた呪い……駄目だったか」

 

 フルフェイスの奥にある顔が何者であるのか確信している。

 15年前、不完全であることを理由に処分される寸前で“織斑”によって救出された現実に存在する最後の遺伝子強化素体。

 その出自から生後施される手術が行われず、プランナーへの忠誠が刻まれなかった個体。

 彼女は銀獅子らと違ってISVSの中で亡国機業に抗える唯一の遺伝子強化素体であった。

 それももう過去の話。人として生活してきた記憶を消された彼女は他の遺伝子強化素体と同じ状態に戻っている。人への憎悪を刷り込まれた生体兵器と化していた。

 

「思うことはある。だが今はお前に時間を割いている暇はない」

 

 後方へと逃れる。AICから逃れる難度が前に出るよりも容易かったためだ。こうして逃げられるのもブリュンヒルデのAIC能力があってこそであり、普通のISならば固定された時点で詰んでいる。

 距離を離したブリュンヒルデが取るべき行動は1つ。手早く倒せない相手ならば無視して先に行けばいい。単機で十分な戦力であるブリュンヒルデだからこそできる選択肢であった。

 まずは迂回する。追ってこられても構わない。戦いながらでもイリタレートを見つけだして討伐することくらいできると踏んでいた。

 

 ところがブリュンヒルデは前触れもなく急激に失速する。意図してのことではない。ISを扱っているにもかかわらず重力に捕まり、地上へと落下を始める。

 PICに異常が見られる。原因は不明。イグニッションブーストもままならず、スラスターを利用して落下の衝撃を和らげることしかできることはなかった。

 地上に降り立ったブリュンヒルデの前に黒い甲冑も降りてくる。いや、落ちてくる。相手も同じ条件となっていた。

 

「これがお前のワールドパージか……」

 

 対象を選ばずに強力な効果を発揮する単一仕様能力。詳細は不明だが一定範囲内にいるISの飛行能力が奪われていることだけは間違いない。

 空を飛べないISに機動力はない。ブリュンヒルデがユグドラシルへと向かうにはワールドパージの使用者を討たなければならなくなった。

 ブリュンヒルデが睨みつける。相手がラウラ・ボーデヴィッヒであろうとも、一夏と秤にかけたときにブリュンヒルデが取るべき行動は決まっている。

 互いに向けた剣が打ち合わされた。ISらしさのない原始的な一騎打ちがここに始まる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 たった一度だけでも彼女を疑ってしまった。

 

 強くあろうとしていた。

 自分が守らなくてはならないのだと気を張っていた。

 そのために親友をも敵にして……心に余裕などあるはずもなかった。

 

 弱い数馬は疲れ切っていた。逃げたがっていた。

 世界の大きさに比べて数馬はちっぽけな個人でしかない。口では大きなことを言っていても空元気に過ぎなかった。

 だからこそあの男――平石ハバヤの言葉を一度は受け入れてしまったのだ。

 

 ゼノヴィアが数馬を騙して一夏を討たせた。

 

 ハバヤの説明に論理的矛盾はなかった。敵の思惑に乗せられて一夏を裏切ってしまった。数馬の人格の核となっていた父の教えも守らなかった数馬には何も残らず、魂が抜け落ちた。

 

 自らを罰したくて仕方なかった。

 

 だがもう1人の親友は数馬を許した。いや、そもそも責めてすらいなかった。

 そんなはずはないと言い返した。ゼノヴィアのために悪をも許容した自分に罪がないなどありえない。

 すると気づく。なぜ自分は全ての責任をゼノヴィアに押しつけないのかと。

 

 諦めない。まだ取り返しはつく。

 そう語る親友の内なる炎が数馬にも燃え移る。

 たとえ本当に騙されていたのだとしても、まだ数馬の胸の内に灯る想いは消えていない。

 

 ゼノヴィアと一緒にいたい。

 まだ彼女を信じていたい。

 共にいる未来を幻視して、数馬は再び自己を確立する。

 

 富士の戦場に数馬も姿を見せている。

 弾たちに加わっているわけではなく銀の福音の後方。アメリカの部隊に混ざる形でやってきた。

 これはナターシャの計らいによるもの。彼女に身柄を保護された数馬はアメリカに連行されることはなく、作戦の協力を依頼されることとなった。

 内容は『ゼノヴィアの身柄の確保』。

 依頼などというのは建前に過ぎない。アメリカの目的がゼノヴィアの持っているワンオフ・アビリティにあるのは事実だが、数馬の協力を得る必要性はない。

 

「イーリの後をついていけば大丈夫よ。早く行きなさい」

 

 敵のリミテッド部隊を引きつけているナターシャが数馬に声をかける。断罪者を演じた話し方ではなく、穏やかな声かけは優しさに溢れているものだった。

 ナターシャはゼノヴィアを殺そうとしたが今は数馬に全面的に協力している。数馬はその意図を察せていないが何も問題はない。今はとにかくゼノヴィアに会えさえすれば、たとえ利用されていても構わないのだから。

 イーリスの通過した道は比較的安全な経路となっていた。リミテッドはほぼいなく、ユグドラシルの砲撃は他に集まっている。イーリスが先にユグドラシルへと侵入することにはなるがそれは許容範囲であった。

 

「待ってて、ゼノヴィア。必ずもう一度君に会いに行くから」

 

 そうして数馬はイーリスが突き破った箇所からユグドラシルの内部に入る。

 騙されていた可能性は否定されていない。

 しかし今の数馬の頭にそんな可能性は露ほどもなかった。

 論理的矛盾がなくても、確かな矛盾がある。

 

 数馬の知っているゼノヴィアは悪い子なんかじゃない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 嬉しいと同時に悲しかった。それは二律背反じゃない。

 

 数馬に自分の言葉が正確に届くようになった。これは嬉しいことだ。

 理性を上回る食欲が数馬の両親を襲った。これは悲しいことだ。

 両者は1つの事象からの派生。現実の数馬にISを与えたことがきっかけで起きた出来事。だから嬉しいけど悲しいこと。

 

 数馬は戦ってくれる。ゼノヴィアを守るためにと世界を敵に回す。たった一人でも味方でいてくれる人がいる。これは嬉しいことだ。

 数馬は親友に剣を向ける。ゼノヴィアを守るためにと自らの心をも傷つける。これは悲しいことだ。

 嬉しいと悲しいは二律背反じゃない。でも両立なんてして欲しくなかった。嬉しいだけで満たされていたかった。

 

 必死に叫んだ。もうやめて。数馬たちが傷つけあうのは間違っている。

 だけどその声は届かなかった。数馬はゼノヴィアに見向きもせず、親友にがむしゃらに挑んでいく。

 ゼノヴィアには伝わってくる。発砲する度に、剣を振るう度に数馬の心が悲鳴を上げている。耐えられなかった。

 声で止まらないのなら力尽くで止めるしかない。ゼノヴィアは数馬にしがみつこうとした。

 でもその手は届かなかった。両腕に絡みつく鎖がゼノヴィアを引っ張り、前に進めない。

 

 ――大人しくしててもらわないと困りますよ、ゼノヴィア・イロジック。せっかく数馬くんが織斑一夏を倒してくれそうなんですから。

 

 数馬に声が届かないのに、どうでもいい男の声だけはゼノヴィアの耳に届く。

 平石ハバヤ。初めて会ったときから強烈な嫌な予感を感じていた男。そのイメージを上手く伝えられず、数馬は彼を信用してしまっていた。

 鎖は解けないままゼノヴィアは連れて行かれる。まだゼノヴィアのために親友と斬り結んでいる数馬を置いて。

 ゼノヴィアは数馬の名前を必死に叫んだ。しかしその声は届かない。『ゼノヴィアが沈黙している』という嘘の情報で塗りつぶされてしまっていたのだ。

 

 

 

「数馬……ごめんなさい」

 

 ユグドラシルの内部で檻の中に囚われているゼノヴィアが涙する。

 数馬の名前を呼んでいても、ただの一度も助けを求めていない。出てくる言葉は謝罪だけ。

 ハバヤの力の正体には気づいている。幼い見た目に反して聡い彼女は今の数馬がどうなっているのか想像できていた。何も言わずに数馬の元を去ったも同然の状況にされてしまっているのだと。自分がしたことではないのにゼノヴィアは数馬に謝る。

 

「いくら謝っても彼はあなたを許しませんよ。彼から親を奪い、さらには親友を裏切らせたのですから」

 

 全てを仕組んだ男、ハバヤがほくそ笑む。振り返ってみればゼノヴィア自身も平石の言動に操られていた。おもむろに与えられたテロの情報で藍越学園に誘導されていたのだ。あの時点でハバヤの脳裏には今の状況が見えていたことになる。

 元凶を潰してやりたくてもゼノヴィアにはできない。イロジックは装備を剥奪され、エネルギーも底をつくギリギリとなっている。まともに戦えないばかりか想像結晶で現実に逃げることもできない。

 

「さて、そろそろお客さんが来る時間です。イロジックのワンオフを狙う愚か者には私が直々に罰を下してやるとしましょう」

 

 ユグドラシルがいくら強力なマザーアースであってもヴァルキリークラスを相手にして守りきれるとは考えていない。ヴァルキリーを相手に出来る手駒は限られている。よって敵戦力のうち数人はユグドラシルへの潜入を許すことになる。

 そのときに備えてハバヤはゼノヴィアの前に張り込んでいる。自分で戦えるマドカ・イリタレートと違ってゼノヴィア・イロジックは囚われのお姫様も同然。門番がいなければ易々と奪われることだろう。

 ハバヤはランカーではない。しかし彼のワンオフ・アビリティ“虚言狂騒”は彼にヴァルキリーにも対抗しうる力を与える。ゼノヴィアの元にやってくると思われる強敵相手にもハバヤは敗北するつもりなど毛頭ない。

 

 扉が強引に突き破られた。穏やかではない侵入は敵対の意志そのもの。

 虚言狂騒を使用してハバヤが敵の目から姿を消そうとしたそのとき――彼の思考が一瞬だけ停止する。

 

「な、んでここに、こいつが……?」

 

 驚愕に染まるハバヤとは対照的に檻の中のゼノヴィアは晴れやかとなった。

 もう会えないかもしれない。そうわかっていたのに願わずにはいられなかった。

 ――私の手を握って。離さないで。

 謝りたい気持ちは今でも残っているけれど、それよりも温かい気持ちが胸を埋めている。彼の温かさを求めている。

 

「数馬っ!」

 

 数馬の顔を見て叫ぶ。

 嬉しい。悲しくない。それはとても心地よかった。

 来てくれた。たとえ自分を殺しに来たのでも構わない。もう一度会えただけでも十分だった。

 数馬と目が合う。彼は朗らかに微笑む。少しも怒っていないのだとわかってまたホッとする。

 どうして? 理由なんてどうでもいい。

 

「助けに来たよ、ゼノヴィア」

 

 数馬が手を差し伸べてくれればそれでいいのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 イーリスとは別方向に向かった数馬は直感を信じて突き進んだ。

 ユグドラシル内部は入り組んでいるというのに迷うことすらなかった。数馬は何かに導かれるようにして真っ直ぐに目的地に辿り着く。

 マザーアースの内部はひどく殺風景であった。通常の機械と違ってISを組み合わせて作られた巨大兵器には複雑な電子機械を積み込む必要性がない。装甲で組み合わされた建築物であり、家具がなければがらんどうでもおかしくはない。

 

「助けに来たよ、ゼノヴィア」

 

 情報通り、探していた彼女はユグドラシルの中にいた。殺風景な空間に唯一存在するオブジェクトは檻である。彼女は檻の中で囚われの身となっていた。数馬の名を呼び、手を伸ばしてくる姿を見て、不謹慎だと感じながらも内心ではホッとする。

 

 ――彼女は俺の知る彼女のままだった。

 

 ゼノヴィアは数馬を騙してなどいない。彼女は利用されているだけであり、本当に数馬を騙している者は他にいる。

 

「平石ハバヤァ!」

 

 檻の前に立つ細目の男。ワンオフ・アビリティのみならず、様々な嘘を操っていた黒幕。この男こそがゼノヴィアを苦しめている張本人だと確信し、数馬はENブレードを抜き放つ。

 

「おやおや。私の気遣いは逆効果だったようですねぇ」

 

 初めこそ数馬の登場に驚きを隠さなかったが一瞬のこと。持ち前の冷静さを取り戻したハバヤの顔は不敵な笑みを形作る。

 

「全ての責任をゼノヴィア・イロジックに押しつければ君は元の日常に帰れたというのに……残念です」

「ふざけるな!」

「これが割と大真面目なんですよ。今からでも遅くありません。仲間を裏切って居場所を失った者同士、仲良くやりませんか?」

 

 ハバヤは勘違いをしている。

 数馬は居場所を失ってなどいない。裏切った自分を受け入れてくれる親友が待ってくれている。

 今の数馬にとってハバヤの発言は何もかもが薄っぺらい。

 嘘を武器にして戦う男の言葉に耳を傾けるだけの価値はない。

 

「ゼノヴィアを返してもらう!」

 

 話し合いの余地などなく、数馬は問答無用で斬りかかる。しかしENブレードの刃は避ける素振りを見せないハバヤの体を透過してしまった。斬られながらもハバヤの顔は愉悦に歪む。

 

「平和的解決の放棄が何を意味するか、わかってるぅ? それが望みだってからには残酷な現実を受け入れる覚悟があるんだろうなぁ?」

 

 交戦開始。ハバヤの能力のカラクリをまだ知らない数馬は攻撃を当てられない理由もわからず、がむしゃらにENブレードを振り回す。その隙間を縫うようにしてハバヤの投擲したナイフが腹部に突き立てられる。数馬にとっては何をされたのか理解できないうちにダメージが入っただけであった。

 このまま続けても一方的に蹂躙されるだけに終わる。そもそも数馬でなくとも虚言狂騒に嵌められてしまえば勝ち目はない。

 

『上だよ、数馬!』

 

 唐突に声が響く。録音した音声を再生したノイズの多い機械っぽい声はこの場にいる誰もが想定していなかったもの。音源は檻の中に転がっているスピーカーであった。

 誰の声かと考えたとき、数馬はゼノヴィアの声が聞こえてこないことに気がついた。代わりに聞こえたスピーカーの声を頼りにして数馬はENブレードを構えて上方に突撃する。

 

「バカな……そんな手段が……」

 

 ENブレードの突きはハバヤの胴体に直撃した。命中したことは偶然であるが、おおよその位置を把握したのは偶然でない。

 まず第一にゼノヴィアはイロジックを展開できないほどエネルギーが枯渇している。Illをも騙せる虚言狂騒であっても展開していなければ意味をなさない。ゼノヴィアの目には嘘が映っていないことになる。

 当然ハバヤも承知している。だからこそゼノヴィアの声が数馬に届かないように虚言狂騒で沈黙の嘘を植え付けた。ゼノヴィアが居場所を伝えようとしても数馬には聞こえないはずだったのだ。

 ハバヤの誤算は2つ。

 ゼノヴィアがハバヤの能力のカラクリに気づいていること。

 そして、想像結晶で唐突に出現した物に関する嘘を数馬に植え付けるだけの即効性が虚言狂騒にはないということ。

 

 ゼノヴィアが目となり、数馬が手足となる。

 ここに虚言狂騒の絶対優位は崩れた。

 

『すぐ右を全力で斬って!』

 

 肉声でもISの通信でもないスピーカー音声に従って数馬は躊躇なく攻撃を加える。ナイフとワイヤーブレードしか装備していないハバヤの機体では太刀打ちできず、手にしたナイフごと左手を斬り裂く。

 強力な能力を有するハバヤがランカーになっていない所以(ゆえん)は持ち前の戦闘能力の低さにある。ヴァルキリーと渡り合うだけの強力なワンオフを除いてしまえば、ハバヤ自身は凡百のプレイヤーにも劣る。

 

「くそっ! 分が悪ィ!」

 

 ハバヤは形振り構わず逃げ出した。まだ数馬の方が不利であることには変わらないが一方的な状況は覆っている。ハバヤが好むのは戦闘ではなく一方的な蹂躙。危険を冒して数馬と戦う理由は皆無だったのだ。

 

「逃げてった」

 

 ゼノヴィアの肉声が届くようになる。虚言狂騒でゼノヴィアの口を封じる意味を失ったからであろう。ゼノヴィアを置いてまでハバヤを追いかける意味はない。放っておくことにした。

 

「ちょっと鉄格子から離れてて」

 

 ゼノヴィアに檻の奥へ行くよう促すと数馬はENブレードを振るって鉄格子をズタズタに引き裂いた。

 これでもう2人の間を遮るものは何もない。時間にすると1日程度離れていただけ。しかし一度は互いに心が離れていた。経過した時間以上に寂しさを感じさせる。

 

「もう一度言うよ、ゼノヴィア。君を迎えに来た」

 

 ENブレードを仕舞い、右手を差し伸べる。自分から向かうことはせず、ゼノヴィアの方から来てくれるのを待つ。

 

「どうして、来てくれたの?」

 

 ゼノヴィアは檻の奥で立ち尽くしている。拒絶ではなく戸惑い。

 数馬は誤解することなく、落ち着いて答える。内容は以前と何も変わらない。

 

「俺がそうしたかったからだ」

 

 一度は疑った。

 もう一度信じたかった。

 最初の決断から紆余曲折を経て最初に戻った。その途中経過をわざわざ言う必要はない。

 数馬がゼノヴィアに言いたいことは1つ。

 

「もうゼノヴィアは御手洗家の家族なんだよ」

 

 下心なんてない。朝のジョギングで並んで走るのも、食卓で1つ増えたイスも、もう当たり前の光景になっている。その当たり前を失いたくなかった。

 

「でも私が生きてると数馬の親父と母さんは――」

「別に死んでるわけじゃない。きっと方法があるはず。でもゼノヴィアは死んだら終わりじゃん?」

 

 決して両親を蔑ろにしているわけじゃない。ただ、家族全員の無事を考えたとき、ゼノヴィアを優先して守らなければならなかったというだけのことである。

 

「私、人間じゃないよ。数馬に要らない面倒をかけるよ?」

「何者であろうとゼノヴィアはゼノヴィアだ。いくらでも面倒を見る。それでもいいから俺はゼノヴィアとあの家に帰りたい」

「それってプロポーズ? 数馬はロリコン?」

「ゼノヴィアがそれを言わないでよ。最近、自分でもよくわからなくなってるんだ」

 

 肩を落とす数馬にゼノヴィアはふふふと微笑みかける。

 

「大丈夫。私、こう見えて18歳らしいから」

「……へ?」

「私の方が数馬よりお姉さんってこと!」

 

 特殊な出生を疎んでいた少女が胸を張る。

 前を向いた先にいるのは自分を守ると誓った少年。

 生まれてからずっと独りぼっちの暗闇にいた彼女が見つけた光。

 偽りだと思っていた。いつか簡単に無くなる作り物だと思っていた。

 それは違った。

 一度は隔たった心も再びつながった。それが偽物でも作り物でもない真実。

 差し出されている右手は今も変わらず優しかった。

 ゼノヴィアが歩み寄る。絶対の信頼を胸に右手を伸ばす。

 その手が届くのを待つ数馬の頬は自然と緩んでいた。

 

 

 ――風を切る音が鳴る。

 その刹那、数馬の視界に光の粒子が舞った。

 あと10cmでつながったはずの手が届かない。

 笑顔を象ったままゼノヴィアの体が崩れ落ちる。

 その背にはワイヤーのついたナイフが突き立っていた。

 傷口からは血の代わりに彼女の体を構成していた粒子が吹き出続けている。

 

「ゼノヴィアァ!」

 

 何が起きたのか理解できぬまま数馬は彼女の体を抱き起こした。仮想世界でも温かい。

 しかし()()である。

 彼女の熱が急速に奪われていくのを腕から感じ取れてしまう。

 

「サービスはここまで。ヴェーグマンの命令通り、イロジックを他勢力に渡すわけには行きませんのでねぇ」

 

 不快な声が再び戻ってきた。逃げたのはポーズであり、単純にゼノヴィアの視界の外に居ただけのこと。数馬の認識の外に居ること自体はハバヤにとって難しいことではない。

 

「ゼノヴィア! 返事をしてくれ!」

 

 数馬はハバヤに向き直りはしない。ゼノヴィアの背中に刺さったナイフを引き抜いて彼女の名前を呼び続ける。彼女は目を閉じたまま。

 

「だから最初に言ったでしょう。残酷な現実と向き合うことになると。数馬くん程度の力ではどう足掻いてもゼノヴィア・イロジックを救うことなど不可能だったんです」

 

 哀れみの言葉を茶化すように告げる。そこに思いやりなどあるはずもなく、ハバヤは嘲笑を隠そうともしない。

 

「これが最後の親切です。君はそこでずっと嘆いていなさい。そうすればすぐにでも彼女の元へ逝くことができるでしょう」

 

 用の済んだハバヤは数馬を残して立ち去る。ゼノヴィアさえいなくなれば彼にとって数馬は脅威でも何でもない。わざわざ手を下さずとも、時がくればまとめて消え去るのみだ。

 

 後に残されたのは2人だけ。数馬はゼノヴィアの体温が光の粒子として外に流れ出るのを見ていることしかできない。

 この仮想世界に医者はいない。傷ついたアバターを初期化以外で治す術など思い当たらない。

 軽く、冷たくなっていくのに何もできない無力さが歯痒い。

 ISVSの中で涙が流せるのだと初めて知った。頬を伝った涙がゼノヴィアの目蓋で弾ける。

 

「……泣かないで、数馬」

 

 ゼノヴィアの口が開かれる。まだ生きてる。数馬は彼女が助かる1つの可能性に思い至った。

 Illだったら人を喰らえば力が蘇るはず。

 

「俺を使ってくれ! 君の力で傷を塞げば――」

「無理……」

「どうして!? まさか俺を喰いたくないとかそんな理由じゃないだろうな!」

「……さっきのでイロジックが壊れちゃった。もう想像結晶は使えないし、人を食べることもできないの」

 

 背中を射抜いたハバヤの攻撃はゼノヴィアに致命傷を与えるだけでなく、イロジックのコアをも破壊していた。今のゼノヴィアはIllではなく、Illによって生存していた彼女がこれ以上生きていられるはずもない。

 もう人を食べられない。そう告げるゼノヴィアの顔は晴れやかだった。対照的に数馬は悲痛な声で叫ぶ。

 

「なんでそんな嬉しそうなんだよォ!」

「だって少しも悲しくない。不謹慎だけど、数馬が悲しんでくれてるのが嬉しいんだもん」

 

 もはや手足を動かすことすら叶わないゼノヴィアは精一杯の力で笑いかける。

 ずっと前から別れを覚悟していた。それが今になっているのは上出来な方。数馬が見ているときに消えることができるなら本望と言えた。

 最後に伝えておかなければいけないことがある。このままだと数馬は自分を嫌いになってしまう。これまでの選択を後悔してしまう。それはゼノヴィアの望むところではない。

 

「私は知ってるよ。人間は私たちを嫌ってる。でも数馬みたいな人も居てくれるって、私は知ってるんだよ」

 

 人ではないと言われ続けていた。自覚もあった。

 しかし他のIllのように化け物として受け入れることもなかった。

 同じ境遇の者が居ても常に孤独だった。逃げ出しても変わらず、死に場所を探していた。

 そんなときに数馬と出会った。

 

「私は生きたいって思ったんだ。それはとても幸せなことなんだ」

 

 幸せという言葉を口に出来る日が来るとすら思っていなかった。

 

「だからね、私は幸せだよ。数馬が居てくれたから。数馬が戦ってくれたから」

 

 無駄なんかじゃない。だから自分を嫌わないでほしい。今のゼノヴィアがあるのは数馬が頑張ったおかげなのだから。

 そうした想いをこの一言に込める。

 

 

「ありがとう、数馬」

 

 

 言い切れた。安心して気が抜けた途端にゼノヴィアを形作っていた粒子が分解される。数馬の腕の中で弾けたゼノヴィアの体は空気中へと消えていく。

 

「……ふざけんなよ」

 

 腕の中には何も残っていない。

 彼女は言うだけ言って数馬の元を去った。

 

「俺、まだ言えてないことがあったのに。何で、勝手に満足していなくなってるんだよ……」

 

 彼女は最後まで恨み言など言わず、数馬への感謝しか言わなかった。

 いっそのこと不甲斐ない自分を叱ってくれた方がマシだった。

 ゼノヴィアは卑怯者だ。

 これでは自分を嫌いになることすら難しい。

 彼女が礼を言った自分を、自分自身が否定しては彼女に悪かった。

 

「俺は……行かなきゃね」

 

 1人で立ち上がる。いつまでも(うずくま)っていては彼女に申し訳が立たない。

 すべきことは1つ。復讐だけではなく、これからの未来のために必要なことを思い浮かべる。

 

「あのキツネ目野郎をぶっ飛ばしてやる」

 

 ハバヤを討つ。私怨と大義が入り交じった灰色の炎をその目に宿して御手洗数馬は剣を取った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ユグドラシルへの道を急いでいたナナはその動きを止めざるを得なかった。

 紫紺色の打鉄を打ち倒した直後、彼女の前へとやってきた敵の新手。灰色の四肢装甲(ディバイド)で両肩付近に浮く巨大な手を翼のように広げているISであるが、一際目を引く特徴がある。

 

「あの黒い霧はまさか……」

 

 ナナに僅かばかり残された現実での最後の記憶。シズネと2人で遭遇した存在が思い起こされる。

 ここは仮想世界(ISVS)だがラピスやラウラのように現実から専用機を持ち込んでいる者もいる。ナナたちを襲った“黒い霧のIS”がISVSに居ても不自然ではない。

 

「来たか……ヤイバがいない今、張り合いの無いことこの上ないが仕方ない」

 

 ナナは敵の顔を見ている。

 エアハルト・ヴェーグマン。ヤイバに因縁をつけ、ナナを狙っている遺伝子強化素体。

 以前は1人のプレイヤーとして立ちはだかっていた男が、機体を改めて目の前に現れた。

 ナナが現実に帰るための鍵を握っている“黒い霧”と共に……

 

「ヤイバを返してもらうぞ!」

「相手を間違えている。ヤイバを取り戻したくばイリタレートを討たねばならない。もっとも、私が君を見逃す理由などないが」

 

 ナナの雨月から8本の紅い閃光が放たれ、エアハルトの非固定浮遊部位の指8本から漆黒の帯が伸びる。

 直進する真紅に対して、漆黒は自由自在に軌道を変えて激突する。

 

偏向射撃(フレキシブル)だと……?」

「驚くほどのものではない。ヤイバに出来て私にできないはずがないだろう」

 

 エアハルトはヤイバのワンオフ・アビリティを把握していない。ヤイバがラピスの力を借りてようやく成り立っていたBTと格闘戦の両立を、事も無げに1人で成し遂げている。その異常を当たり前だと言っている事実がエアハルトの強大さを物語っていた。

 エアハルトには負けないとナナは豪語していた。だがそれはエアハルトを甘く見ていたのである。ランキング5位、世界最強の男性プレイヤーの肩書きは伊達ではない。

 射撃戦に徹すれば勝てる相手と見込んでいたがその勝算は霧散した。今の攻防だけでわかる。相殺したのは手加減であり、下手をすればあの時点で勝敗は決まっていた。

 エアハルトが最善の手を打たない今だけが好機。大技を使える間合いではなく頼りに出来る武器は雨月と空裂だけ。ここまで来て引き下がれない。勝機は接近戦にある。

 接近。そして、二刀で挟み撃つ。エアハルトが無手でも油断はあり得ない。防御困難な同時攻撃で確実に当てにいく。

 

「――残念だがその選択は悪手だ」

 

 勝負を急いだナナに対してエアハルトは非固定浮遊部位である巨大な手を動かした。両側の中指の先端から伸びる黒い霧を固めた爪が雨月と空裂を受け止める。

 同時にエアハルトからの攻撃。人差し指部分の先端に集まっていた黒い霧の塊が発射され、動きが止まっていた紅椿の両肩を抉る。

 

「うあっ――」

 

 ISが正常に動いているにもかかわらず、ナナの両肩に痛みが走った。

 エアハルトの攻撃は終わっておらず、巨大な両手が包み込むようにナナの体を掴む。

 頭だけ出た状態で拘束され、身動きがとれない。ふりほどこうと力を込めても抗えなかった。

 

「さて。ファルスメア・ドライブにもこの戦場にも時間が残されていない。早いところ終わらせることとしよう」

 

 エアハルトが右手をナナの頭に伸ばす。それが意味することをナナは知らないが漠然と嫌な予感だけは過ぎる。

 

「やめ――」

 

 声が途切れる。頭を鷲掴みにされたナナは何も言わず、だらりと脱力する。巨大な手の拘束から解放されても抵抗しない。

 

「ここは間もなく廃墟となる。我々は立ち去るとしよう」

 

 エアハルトからナナに『ついてこい』と命令がなされる。巨大な手を広げて飛び立つ彼と、追従するナナを追いかけるだけの余裕があるプレイヤーは1人もいない。

 

「待て! ナナは連れていかせねえ!」

 

 プレイヤーはいなかった。しかし駆けつけた者たちはいる。

 筆頭である男の名はトモキ。オーソドックスな打鉄を装備した彼はまだ速度の出ていないエアハルトに斬りかかった。

 ナナを圧倒したエアハルトにトモキが勝てるわけがない。そのようなこと、トモキはとうに理解している。それでも彼は行動を起こした。たとえその身が果てようとも譲れない想いがある。

 

 黒い霧が立ちこめる。トモキの刀は黒い霧に触れた時点で消失した。使い物にならなくなった武器を即座に捨て、荷電粒子砲を撃ち込むも黒い霧の中には届かない。

 巨大な右の手がピストルを形作る。銃身に該当する人差し指に黒い霧が収束する。ナナに向けられることのなかった“必殺”の一撃を、エアハルトは然したる興味もなさげにただの作業として放つ。

 捨て身の攻撃をしていたトモキには回避の概念が存在しない。漆黒の球体が迫ってもそれは変わらなかった。

 故にトモキの体が左に流れたのは本人の意思ではない。

 

「なっ……」

 

 突き飛ばされた。トモキの居た場所に居るのは長く共に戦ってきた戦友であるダイゴ。

 

「まだお前は残ってるべきだ」

「旦那――」

 

 黒が通過する。再び元の景色が戻ったとき、空にダイゴの姿はない。

 エアハルトの攻撃は1発でなく、後続の仲間たちも撃たれている。

 この場に駆けつけた者は16名。それがたった数秒で5名にまで減らされた。

 

「くそぉっ!」

 

 悔しさを言葉として吐き出す。この一瞬で起きた出来事は単なるゲームの敗北ではない。真実を悟っていながら唯一足を止めなかったトモキは激昂してエアハルトに立ち向かおうとした。

 だが――

 

「待てよ、クソ野郎っ!」

 

 エアハルトにとって彼らは憎悪にも値しない有象無象。生きていようが死んでいようがまるで興味がない。己の目的のため、ナナを連れ去ることに終始した。

 既にトモキの機体では追いつけない速度に達している。今から追いかけても追いつくことは出来ない。

 

「俺には戦う価値もないってのかよ……ちくしょう……」

 

 守るべき人を奪われ、友は自らの代わりに散っていった。

 行きどころを失った怒りと悔しさで気が狂いそうになる。

 何故この場に“あの男”がいないのかと責め立てたくて仕方なかった。

 ナナを託したはずだったのに、と。

 

 ナナとエアハルトが去ってもまだ戦闘は続いている。

 富士から遠く離れた空には、新たな敵影が姿を見せ始めていた。

 ワインレッドの甲殻を持ち、たてがみのついた蟻を模しているのは自爆専用の量産型Ill“ミルメコレオ”。

 ISの防御すら易々と突破するISミサイルとも言うべき兵器が、富士の戦場に向けて迫っていた。

 

 ――その数、2341。



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37 はじまりの再来

 気づいたときには知らない場所にいた。

 寝そべっている俺を照らす光がひどく眩しい。反射的に目を瞑ったけれどそれは一瞬のことで、目が慣れる。光源は天井に設置された大型の蛍光灯だったようだ。

 ここはどこだろう。そう疑問に思い体を起こそうとしてみる。だけど体は動いてくれなかった。金縛りにでもあっているのか。首すら動かず、蛍光灯以外に何もない殺風景ばかり見せつけられている。

 背中の感触も硬く冷たい。ベッドというよりは作業台にでも乗せられていると言った方が正しい。

 

「目が覚めたようだな」

 

 意外なことに聞き覚えのある声がした。だからといって嬉しいわけなどない。抑揚の小さく、上から目線だと感じさせる男の声色に俺が良い感情など持っているわけがない。

 声に反応して上半身を起こす。俺の意志じゃない。まるで俺の体ではないようだ。

 ……いや、本当にこれは俺の体じゃないんだろう。似たようなことを俺は経験している。

 

「何者だ?」

 

 自分の喉が動いた感覚があるが、俺の言葉じゃない。なぜなら俺は目の前にいる銀髪の男が何者であるか知っている。

 

「私はエアハルト・ヴェーグマン。親しい者は私のことを“博士”と呼ぶ」

 

 奴は自分から名乗った。アドルフィーネの残した言葉の中にも“博士”が出てきてるから十中八九、俺の知るエアハルト自身と見ていい。

 

「ヴェーグマン。私はお前の名前を聞きたかったわけではない」

「ふむ。では何を伝えれば納得する? 私の出生か? それとも私の公的な役職か?」

 

 それはぜひ聞きたいところだ。千冬姉が掴みたい情報でもあり、奴らを追いつめるきっかけになる。

 

「まあいい。答えてやろう。私はプランナーに指導者として生み出された遺伝子強化素体。いずれはプランナーに代わり、全人類を導く使命を課せられている。故にヴェーグマンの名を継いだ」

「プランナー? 植物でも育て――」

「それはプランターだ。これも“アレ”の遺伝子を使った弊害なのだろうか。初期学習で主に日本語を習得させたが他言語の認識に障害が見られる」

 

 プランナーと聞いて俺も同じことを思ってた。他人を通してとは言え、まさかエアハルトに諭されるだなんて悔しいにも程がある。どうせ俺は英語ができねーよ。

 

「プランナーとは我らの長の名の1つだ。人類の宇宙への進出を先導するILL計画の発案者であることからそう呼ばれている」

「そうか」

「まとめると私はILL計画を進めている遺伝子強化素体となる。他に質問はあるか?」

「ない」

 

 身を起こす。当然ながら俺の意志は一切関係ない。直立した状態の目線は低く、エアハルトの胸よりも下にあった。

 周囲には作業台を取り囲むように様々な機材が置かれている。唯一わかるものは心電図を表示するディスプレイくらい。おそらく手術室に近い環境なのだろう。

 

「質問はない……か。これは驚かされた。では私が逆に聞こう」

 

 部屋の出口を探して視線を泳がせていたが再びエアハルトへと目を向ける。奴は意外と顔に感情が出るようで明らかに目を丸くしていた。それほどまでの疑問を持ったということだろう。

 

「君は何者だ?」

 

 言われて俺も知らないことに気づく。

 ――俺は一体、誰の記憶を覗いているんだ?

 

「…………さあ?」

 

 首を傾げた答えは答えになっていない。少なくとも声色は高めで女であることは間違いない。年齢も俺と変わらないか年下だと思う。

 

「私は誰だ?」

 

 エアハルトをバカにしてるわけではなく、彼女は答えを目の前の男に求めた。

 するとエアハルトは鼻で笑う。俺と敵対したときよりも感情的で、この少女に対してどこか小馬鹿にした雰囲気を隠そうともしていない。

 

「マドカだったはずだ。君を同志として歓迎しよう」

「マドカ……それが私の名前……」

 

 与えられた名前はマドカ。俺も聞き覚えのある名前だ。

 弾と一緒に戦った蜘蛛のIllの操縦者。

 そして、デュノア社のミッションで戦った蝶の女。

 中学時代の千冬姉と瓜二つの彼女はこうして生まれた。

 

 

  ***

 

 

 銀髪の少女が赤黒い刃に貫かれる。ラウラと瓜二つの顔をした少女はさして反応もなく、だらりと腕を下げた後で光の粒子に分解されていった。その粒子はまとめて殺戮者の手の中に収まり、吸い込まれていく。

 こうした風景は珍しくなかった。力のない者が失敗作の人形として捕食者により処分される。それがIllの操縦者として造られた遺伝子強化素体の辿る道であることは、遺伝子強化素体でない俺ですらも理解させられた。

 

「足しにならん。やはり活きの良い人間が相手でなければな!」

 

 この場における絶対的な捕食者の顔には俺も見覚えがあった。

 ギドだ。エアハルト以外に顔を出す作業員のような男が奴のことをギド・イリーガルと呼んでいたから間違いなく同一人物だろう。

 奴らは力を維持するために人を喰らう。だが昏睡状態のプレイヤーという証拠が残ってしまうため、あまり表立って行動できはしない。強力な個体を生かすために、こうして役立たずとして切り捨てられる個体を餌としている。

 マドカが周囲の顔を見回す。不気味なくらいにラウラやクーと同じ顔が立ち並び、皆が無感情に仲間の死を眺めている。

 怖くて心臓が暴れ回っている自分がおかしいと思わされる異様な光景だった。

 

「ん? そこの黒髪の女!」

「な、何だ!」

 

 上擦った声の返事はわかりやすい恐怖を証明している。そのような心の機微を知ってか知らずか、黒い眼をしたギドが歩み寄ってくる。

 

「その返事。ただの人形ではないな。自我のある者は生かしておけとエアハルトに厳命されてなきゃ手合わせ願うところなんだが」

 

 ここで返事をしていなければ、ギドは容赦なくマドカを手に掛けた。理由は目に止まったから程度なんだろう。マドカは他の遺伝子強化素体と違って髪が黒く、悪目立ちしている。

 しかし意外だ。俺の戦ったギドという男は戦闘狂に分類できる奴だった。冷静な部分を併せ持っていたとはいえ、最後は俺の挑発に乗ったことから後先を深く考えるタイプではない。なのに自らの欲よりもエアハルトの命令を優先している。

 

「博士が怖いのか?」

「怖い? オレ様が? そのようなはずがあるまい」

「じゃあどうして博士の命令を素直に聞いている?」

 

 マドカは俺と同じ疑問に行き着いていた。異常な共食いの現場で理性を維持しているギドという男はその行為以上に不気味に見える。

 

「エアハルトがオレ様に命令できるのは当たり前だろう。そう決められている」

 

 ギドの答えは俺たちの予想を遙かに上回るものだった。

 マドカの動揺が伝わってくる。圧倒的な力を持っていて、傲慢なところもあるギドが命令に従うことを常識として語っている。まるで遺伝子に刻まれた本能であるかのように。

 おそらくマドカはギドの発言に一切共感してない。だが異を唱えることなど出来るはずもない。遺伝子強化素体でない俺の脳裏でも警鐘が鳴っている。この疑問を口にすればマドカの命はないのだと。

 マドカは他の遺伝子強化素体と根本的に違う存在なのだ。

 

 

  ***

 

 

 マドカにはイリタレートという機体が与えられた。IllとはISと似て非なる機体の総称で、ISコアがなくても使える代わりに動力源として人の魂を必要としているという。

 イリタレートは二層構造になっている機体だ。本体はティアーズフレームをベースにしたBTビット運用もできるオールラウンダー。その外装として蜘蛛型の別のIll“イリベラル”を搭載している。イリベラルに搭載されている武装は拡張装甲(ユニオン)専用のものと相違ない強力なもの。最大の特徴は、イリベラルを切り離(パージ)しても即座にディバイドとしてのイリタレートを起動できることにある。それもIllだからできることなのだとか。

 エアハルトに言われるまま、マドカはプレイヤーと戦闘をこなした。一度でも敗北すればマドカ自身が消される。

 常に死と隣り合わせの戦場で、彼女は死に物狂いに戦った。

 自らが生き残るために。

 

 見ていて辛かった。

 だってさ……戦って、相手プレイヤーを喰らって……その先に何も喜びがないんだぜ?

 生きるために。死から逃げるためにマドカは戦う。もし俺だったら耐えられない苦難の連鎖で狂ってた。

 いっそのことギドのように戦うことを生き甲斐にしてくれた方が、見ているこっちは気が楽になるくらいだ。

 

 次第にマドカの心は死んでいく。まともに会話が出来る相手がいない。仲間とされている者たちのことが理解できない。エアハルトからの扱いも他の遺伝子強化素体と比べて素っ気ないものだった。

 そんな中――

 

「大丈夫? 顔色が悪いよ?」

 

 暗い顔をしたマドカに声をかけてくる女の子がいた。これまた俺には見覚えがある。ラウラを幼くしたような容姿をした彼女は数馬が必死に守ろうとしていたゼノヴィアである。

 まさか遺伝子強化素体の中に他者の体調を気遣う者が現れるとは思っていなかった。しかもそれがゼノヴィアという少女である。

 数馬が俺と敵対してでも守ろうとした理由が見えてきた気がする。

 

 彼女は自我を持っているというだけで生かされている遺伝子強化素体であった。操縦者に自我があるとIllにも強力な単一仕様能力が発現する可能性があるらしい。そうした成長が期待できる個体は処分には当たらないということだろう。

 実際、彼女は不思議な力を持っていた。拡張領域の中にある物を呼び出すのではなく、何もないところから己の想像を頼りにして物体を具現化する単一仕様能力を持っていた。それを戦闘に利用できていないのが現状であるが、貴重な存在だったのは間違いない。

 マドカは彼女と話をするようになった。お互いに完全に気を許してはいなかったが誰とも話をしないよりも気が楽だったことだろう。遺伝子強化素体やエアハルトに対する疑問を封じ込めて、日々のことを互いに報告する。

 そうしている内にゼノヴィアの方で動きがあった。戦闘向きではないと言われていた彼女を戦闘用に仕立てる計画が動き始めていたのだ。

 その原因はイルミナントの消失。つまり、俺がアドルフィーネを討伐したことにあった。イルミナントはIllたちの中核の1つであったらしく、戦力の補充は急務らしい。

 マドカの焦りが伝わってくる。俺にもわかる。このままだとゼノヴィアにはマドカと同じ苦しみが待っている。もし彼女が受け入れてしまえばギドと同じ存在になるかもしれない。

 だから彼女は動いた。

 

「逃げるから手伝って……」

 

 一緒に逃げようとでも言えばいいものを、マドカは手伝えという建前を口にする。

 不器用な奴だ、と思いきや中々強かな言葉選びだと思う。あくまで主犯はマドカ自身であり、もし失敗してもゼノヴィアに責がないとエアハルトに訴えるつもりだろう。

 だけでこれに対する返事が――

 

「ちょうど良かった。私も同じことを言おうと思ってたの」

 

 これでは台無しもいいところである。

 同意は得られた。マドカは最後に一言付け加える。

 

「協力関係は脱出するまでだ。その後はお互い好き勝手にしよう」

「う、うん。そうだね……」

 

 マドカは気づかなかっただろうけど、俺には悲しげに目を伏せるゼノヴィアの態度が気になった。

 2人は脱走を図る。後のことは気にせず、ゼノヴィアの能力で偽物を造りだし、出口へと向かう。当然ロックされているため、強引に破壊するしか方法を思いついていない。

 ところが問題なく開いてしまった。

 マドカは居残っているIllたちと1戦交える覚悟だったはずなのだが結局、1発も撃つことなく脱出に成功する。あまりにも拍子抜けだったのにはカラクリがある。

 

「こいつは都合がいい。例のブリュンヒルデのクローンじゃねーか。逃げたいなら手伝ってやるからついてこい」

 

 蜘蛛を模したIS。Illではない。現実からやってきた人間だった。顔は隠れていてわからないが、声の感じは高圧的。

 確証はないけど、おそらくは藍越学園を襲ったテロリストだ。

 どう見ても不審人物であったがマドカとゼノヴィアはついていくことを選択する。遺伝子強化素体を勝手に逃がそうとしていた者がエアハルト側であるとは考えられず、最悪は避けられると判断していた。

 ……俺だったら徹底抗戦した気がする。でもそれは藍越学園を襲ってきた経緯があるからなんだよな。事前に因縁が無かったらきっと……利用した。

 マドカは俺と同じだった。脱走の手引きをしてくれているISを信用なんてするはずもなく、隙をついてゼノヴィアが造った偽物と入れ替わった。

 そうして2人の遺伝子強化素体は自由を手に入れた。

 だが目的を達したマドカの顔は晴れない。テロリストの女が言ったことが頭を離れないんだろう。

 

 ――ブリュンヒルデのクローン。

 俺でもクローンが意味することは大体察しがつく。どうやって造るのかは知らないけど同じ遺伝子を持つ生物を指す。つまり、マドカとは千冬姉のクローンとして造られた存在ということになる。

 エアハルトが欲したものが何なのかわかった。奴は戦力としての千冬姉を欲しがってたんだ。今までに俺が相手にしてきた中で千冬姉に対抗できそうなのはギドくらいだから、国家代表たちとの戦いを想定するとブリュンヒルデは喉から手が出るほど欲しいはず。

 その程度のことでマドカを生み出したのだとすれば反吐が出る。

 

 脱走した2人にはまだ苦難が待ち受けていた。

 彼女たちを捕らえようと幾人もの追っ手がやってくる。

 マドカはそれらを次々と倒した。戦い続けるために喰らった。

 結局のところ、逃げ出してもマドカの生きるための戦いは終わってなどいなかった。

 戦いの最中、ゼノヴィアともはぐれた。既にマドカには周りを気にする余裕などなく、彼女がいないことに気づいたのは見ている俺だけだった。

 

 疲れ切ったマドカはジャングルの中に隠れている妙な建造物を発見する。

 エジプトのピラミッドと似た遺跡だった。

 少しでも体を休めれば、と一時的な宿として選ぶ。その中は俺も見覚えがあった。

 

 

  ***

 

 

 見つけた遺跡はマドカにとって都合が良い物件だった。イリタレートの機体特性を考えると頑丈な天井と壁がある限定空間の方が望ましい。さらに柱が数本立っている広めの空間もあり、巣を張るには最適な場所だった。

 ……ここは俺とマドカが初めて遭遇した場所だ。

 きっかけは弾の彼女、虚さんが消息を絶ち、弾も後を追ったからだった。つまり、この場に彼女がやってくることになる。

 

 最初に姿を見せたプレイヤーは俺が知らない人。イリタレートで巣を張り終えていたマドカは糸に絡まった侵入者を情け容赦なく攻撃する。あっという間に撃墜し、今までと同じように魂を吸収した。

 戦うのにもコストがかかる。それに力も蓄えなければ勝てない。もしギドが追手となれば、今のマドカでは太刀打ちできない。

 プレイヤーは次々とやってくる。いつの間にかマドカの顔に笑みが浮かぶようになっていた。対照的に俺の胸の内には不安ばかりが募る。脱走した頃の彼女とは違う人格が生まれているような気がしたからだ。

 とうとう運命のとき。虚さんと数名のプレイヤーが姿を見せた。全員が“更識の忍び”と呼ばれている凄腕だけど、巣を張り終えたマドカの相手をするには機体が力不足。素早いことが売りのプレイヤーたちが糸の前に屈していき、マドカの餌食となる。

 不幸中の幸いだったのはマドカが一度に喰える数に限りがあったこと。この辺りは普通の人間の食欲と同じらしい。負けた虚さんが喰われるまで時間に猶予があった。

 その後、バレットとジョーメイがやってきて彼女を連れ出すことに成功。代わりにジョーメイが捕まり、あとは俺の知ってる通り。

 この場に俺――ヤイバが現れた。

 

「……この男は一体何?」

 

 マドカが呟いた。俺はマドカの顔を見るまで何とも思わなかったけど、彼女はヤイバを見て何かを感じ取っていた。

 

「敵は敵。倒さなきゃ生き残れない」

 

 小さな声で覚悟を決める。もし俺がこの声を聞いていたら俺は攻撃する手を止めただろうか?

 ……いや、きっと問答無用で倒したと思う。ナナのときと違って、蜘蛛が敵だという確信だけはあった。数馬を敵に回してでもゼノヴィアを倒そうとした俺が止まるわけないよな。

 俺たちとマドカの戦いは苛烈だった。マドカにしてみれば今まで見破られなかった糸を早々に攻略されて巣の利点を失っていた。こうして敵の視点に立ってみるとラピスの目は恐ろしい。このとき、彼女が居なければ俺たちはマドカにやられてたんだと改めて実感する。

 もう1人。マドカの所持する武装で最高火力を持っているAICキャノンを右手1つで無効化する遺伝子強化素体の存在がある。強力な遺伝子強化素体が攻め込んできた事実が既にマドカを追いつめていた。

 急がないとギドがやってくる。マドカは俺たちと戦いながらも別の恐怖と戦っていた。俺とバレットで打ち破れたのはマドカがギドに気を取られていたからかもしれない。外装であるイリベラルを破壊したことで、イリベラルが喰らっていた魂は解放された。

 戦闘が終わり、簪が扮する偽楯無が乱入する。マドカに味方をする理由は不明だったが利用して逃げ出す。

 

 

  ***

 

 

 ギドではない相手にイリベラルを破壊され、巣も失った。行く当てもないまま空を飛ぶ彼女には何も残っていない。

 

「私に平穏などない。わかっていたことだ」

 

 脱走する前には無かった願いが生まれてる。マドカは平穏を求めてる。そして、それが平和的解決で得られないことも知ってる。だから彼女はいつの間にか力を求めるようになった。それは結局ギドたちと同じ道を歩んでるとわかっているのだろうか……

 

「私はマドカ。ブリュンヒルデなんて知らない。マドカなんだ」

 

 マドカは与えられただけの名前を繰り返す。クローンとしての価値ばかり求められ続けた彼女は名前こそ与えられたが、一度として彼女自身を見てもらってはいなかった。

 唯一、マドカを見ていたかもしれない仲間とははぐれてしまっている。そして、マドカはその存在をも忘れている。戦いの繰り返しで、自分すら見失っていたんだ。

 俺とバレットが倒したのは何だったんだろうか。あのときは喜んでいたけど、今になると素直に喜べない。

 

「やっと見つけましたよ、マドカちゃーん」

 

 逃亡中のマドカの隣に影が1つ瞬時に現れる。着崩したスーツにサングラスをかけた男はISを付けていないように見える。どうやって浮いているんだろうか。どれだけ装甲を排除してもコア部分だけは必要となるはずなのにそれすらなかった。

 マドカには心当たりがない相手らしいが俺には覚えがある。サングラスはしていなかったけど、数馬と戦っていた場所に現れた平石という刑事だったはず。なぜコイツがここに?

 咄嗟にマドカは飛び退いた。危機察知からの反射的な行動だろう。すると不思議な現象が起こる。

 

「あらら。まだ何もしていないのに私に身を預けるんですかぁ?」

 

 離れた先に平石がいた。客観的に見てる俺ですら何が起きてるのかわからない。当事者であるマドカはもっと混乱してるはず。そのままなし崩し的に戦闘が始まった。

 あまりにも一方的だった。マドカの攻撃は何も当たらない。マドカが暴れている間に次々とナイフが突き立てられていく。そのナイフがどこから来ているのかすらもわからない。刻一刻と敗北の2文字が迫ってくる。

 恐怖に駆られたマドカは手にしたライフルとBTビット全てを辺りに乱射する。

 

「これは傑作ですねぇ! ウォーロックがティアーズフレームを参考に造り上げたIllだってのに、見えてねえのかよ!」

 

 平石は煽る。だけどマドカにしてみれば怒りよりも戸惑いや恐れの方が強い。理解不能というのはそれだけで怖いんだ。

 未知のナイフ攻撃を最後まで見極められず、マドカの身を守っていたイリタレートはその機能を停止した。平石という男は俺たちが苦戦していたマドカをたった1人で赤子の手を捻るように倒してみせたのだ。

 ここでマドカの意識が途切れて視界が真っ暗になる。

 

 1つ、わかったことがある。失踪中の数馬が接触していたと思われる平石という男はエアハルト側の人間だ。でなければIllに詳しいはずがない。

 数馬の近くにいたのも偶然とは思えない。

 つまり、俺と数馬が戦っていたのは敵の思惑通りだったってことだ。

 

 

  ***

 

 

 次にマドカが目を覚ましたとき、元の遺伝子強化素体の収容所とも呼べる施設に戻されていた。

 殺されていないことに驚いたのか、マドカは自分の手を見て指の動きを確認している。

 そんなマドカを出迎えたのはイリタレートを渡してきた作業服姿の中年男である。

 

「生きているのは意外か? 安心しろ。ヴェーグマンはお前を許している」

「どうして?」

「マドカちゃんが遺伝子強化素体だからですよ」

 

 そしてもう1人。サングラスをかけた平石も姿を見せていた。マドカが睨みつけてやるが平石はどこ吹く風。敵対していた事実すら無かったかのように馴れ馴れしい。

 

「ブリュンヒルデに匹敵する力は欲しい。しかし、強すぎる“人間”は要らない。だからあなたのような存在が必要だった。簡単なことでしょう?」

「……勝手なことだな」

「勝手ついでに耳寄りな情報をお伝えしましょうか。ブリュンヒルデの正体である織斑千冬に関することです」

「何?」

 

 マドカが興味を示すのも無理はない。千冬姉のコピーとして生み出されたのだから、気にならないと言えば嘘になるはず。

 平石は簡単なプロフィールと、弟である俺の存在を伝えた。するとマドカは千冬姉よりもそちらの情報に食いつく。

 

「織斑一夏……?」

「ええ。イリベラルを破壊した者たちのうち、白い機体を操っていた男こそがブリュンヒルデの弟です」

「アイツがそうなのか。だから私は……」

「負けるのも仕方ないかもしれませんねぇ。あの“織斑”の息子ですし」

 

 この業界のどこでも俺の父さんは有名人扱いされてるらしい。父さんは父さん、俺は俺なんだけど、そんなことはこの連中には関係ないだろうな。

 マドカは平石から織斑家のことを熱心に聞いた。俺の知らないことはないし、大した情報なんてない。それでも彼女には意味のあるものだったらしい。

 

「それで? 私に何をして欲しい?」

「話が早くて結構。とは言ってもお願いするのではなく、される側のつもりなんですよ。単刀直入に聞きます。あなたは織斑一夏と戦いたいですか?」

「ああ」

 

 即答だった。俺の存在を知り、平石の言葉に素直に従うと言う。これまでの彼女らしくない言動だけど、平石は満足げに頷いていた。

 ……きっとこの男はマドカの狙いに気づいてない。

 いや、『狙い』だなんて気取ったものじゃないか。これは彼女の『思い』といった方が正解に近い。

 

 そして彼女は再び俺の前に現れる。何も言わずに斬り結び、剣を通して1つ1つ確認していく。

 ――お前たちは“苦せずして価値を得ている私”。

 これは口をついて出た彼女の本音。こうして彼女のことを知った今だと言いたいことはわからないでもない。

 でも異を唱えさせてもらう。

 俺も千冬姉も何も苦労していないなんてことはない。俺自身の価値なんてものは誰かに与えられるものなんかじゃなかった。俺自身の手で箒を助け出さないといけないと思い知ったとき、俺の中で俺の価値が定まったんだ。

 戦闘が終わり、彼女は最後に吐き捨てた。

 ――この名をその胸に刻んでおけ。

 今の俺には、この言葉が助けを求めているようにしか聞こえない。

 

 ところ変わって、俺と数馬との戦いの場。

 マドカはこの戦場にいた。俺たちは全く気づかなかったらしい。

 俺が数馬にやられ、箒に抱き抱えられた。

 そこへ彼女がゆっくりと忍び寄る。手に持った大剣を白式が機能停止している俺の背中へと突き立てた。

 

 マドカは自らの手で“織斑”の息子を倒した。

 それでお前に価値は生まれたのか?

 お前自身は満足しているのか?

 

 急速に俺の意識が遠くに飛ばされていく。

 自分自身のように感じられていたマドカから引き剥がされていく感覚。

 どうやらマドカの記憶を垣間見る時間は終わりらしい。

 

 

  ***

 

 気がつくと俺は篠ノ之神社に立っていた。あまりにも唐突な変化にはとても現実味が感じられない。事実、これは現実ではないのだろう。

 箒ともう一度会うと約束したこの場所には先客がいた。箒と違って、神社に相応しい格好なんてしたことがない人である。お気に入りだと自慢していた機械仕掛けのウサ耳のカチューシャに水色のワンピース。『1つの物語を1つのファッションに』をテーマにしていた人だけど、不思議の国のアリスはいつからか特別な格好になったらしい。

 

「束さん」

 

 名前を呼びかける。神社に相応しくない格好でも、篠ノ之神社に相応しい人の1人であることは疑いようもない。彼女は箒の実の姉である篠ノ之束に違いなかった。

 

「ハロー、いっくん! 元気してた?」

「今の状態だと返事に困りますね……」

 

 底抜けに明るい顔で振り向いた束さん。この人はいつまで経っても変わらない気がする。俺の記憶を遡ってみても束さんが笑ってる顔しか見たことがない。

 だからちょっと不安になってる。束さんは箒の現状を知っても、その笑顔が崩れないんじゃないかって。

 

「いっくんがそんなんだと箒ちゃんも苦労が多そうだね~」

「その箒がどうなってるのか知ってて言ってるんですか?」

 

 束さんのペースに合わせるつもりなんてない俺はさっさと本題を切り出す。

 ここが現実でないかもしれないし、目の前にいるのが現実の束さんと同じ存在じゃないかもしれない。

 それでも俺は聞かずにはいられなかった。千冬姉は疑ってなかったけど、今の俺には束さんすら無条件に信じることが出来ないのだ。

 だって、束さんだったら箒を簡単に救い出せるはずだから。

 

「ふむ。いっくんには束さんを甘く見てると同時に束さんの力を過信してる節が見られる」

 

 笑顔は崩れないけど間延びしたような喋り方ではなくなった。これだけでも俺の知らない束さんになってる。やっぱり俺は束さんのことをほとんどわかってないんだ。

 

「箒ちゃんがISVSで囚われのお姫様になってる。もちろんこの束さんが知らないはずなんてない。でもね、ISを開発した束さんの力があってもできないことはあるんだよ」

「束さんにできない……? 一体、箒を苦しめてるIllって何なんですか! 束さんが関与してるんじゃないんですか!」

 

 段々と遠回しには言えなくなってきた。Illなんて普通は造れない。簪さんたちを見てると余計にそう思う。だから敵の技術には束さんの力が関わってると俺は見てる。

 俺の指摘にも束さんは動じない。

 

「Ill……アレの開発に束さんは関係ない。そもそもアレは『私の生まれる前から造られていた代物』なんだしさー」

「じゃあどうしてIllとISは似ているんですか!」

「察しが悪いよ、いっくん。実際の完成のタイミングは逆だったけど、設計思想の段階だとIllの方がISよりも先だった。そこから見えてくるものがあるはず」

 

 Illが先にあった。ISの方がIllに似てるってことになる。だとすると真似をしたのは――

 

「束さんがIllを元にしてISを開発した……?」

「ご名答。細かい経緯は置いとくとして、束さんは開発途中だったアレを安全な形で造り上げたわけなのだ」

「だからIllには束さんも理解できてないことがあるってこと?」

「うーん、ちょっと違う。『Illに束さんが関わってるかどうか』と『束さんが箒ちゃんを救うことが出来ない理由』は別の話」

「やっぱり束さんには箒を助けられない理由があるんですか」

「そうなるね……本当にもどかしくて仕方ないよ」

 

 束さんから笑みが消えた。近所の親しいお姉さんから冷酷な殺人者にでもなったかくらいに急変し、背筋が冷える。世間が束さんをテロリストとして疑っていたときは何をバカなことをと思っていたけど、この顔を知ると仕方がないと思えてしまった。

 

「こうしていっくんとお話をしにきたのも箒ちゃんが関係してるの」

「何回か話しかけてきてたのも束さんですよね? 千冬姉も聞いたことがない声を俺だけが聞いてたのも箒が関係してるってことですか?」

「ちーちゃんは私に近すぎるからダメだった。でもいっくんなら私より箒ちゃんの方を大切にしてくれる。いっくん以上に箒ちゃん()()を想ってくれる人はいないから。だから私はいっくんを頼るしかなかった」

「教えてください。俺は箒のために何をすればいいんですか!」

 

 核心に迫る。束さんは俺たちの知らない真実を知っている。だから答えを明確にしてくれるはず。

 

「いっくんが辿り着いた答えと何も変わらないよ。箒ちゃんをISVSに閉じこめた元凶を倒してしまえば箒ちゃんは何事もなく現実に帰ることが出来る」

「黒い霧のIS……たぶんIllだと思いますけど、それを倒せばいいんですね?」

「うん。束さんも居場所までは知らないけど、そいつを倒せばいい」

 

 結局、俺の知り得たことと束さんの答えは変わらなかった。俺のこれまでの道のりは何も間違ってなくて、確実に箒を助ける道につながっていたんだ。

 だけど今の俺は足止めされてしまっている。順調だったはずだけど、数馬に負けてマドカに喰われた。

 現状を再認識すると自嘲気味な笑いが漏れてしまう。

 

「俺を頼ってもらって悪いんですけど、俺じゃ無理ですよ。マドカにやられてしまって動けません。そもそも束さんが自分でやればいいんじゃないですか?」

 

 俺としては自分の力で箒を助けたいという()がある。だけど束さんが箒を助けるならそれはそれで構わない。束さんにとっても箒は特別だろうから。

 でも束さんは首を縦に振らなかった。

 

「本当に無理なのは束さんの方。いっくんにはまだ次があるけど、私にはもう無いから」

 

 何が無いというのだろうか。ピンとは来ないけど、束さんが俺を頼っているのも実は本心じゃない気がする。苦肉の策であって、できれば関わらせたくないという千冬姉と似た雰囲気を感じ取れた。

 これ以上、束さんにやれというのも酷な話なんだと思う。だから俺は受け入れるべき。そして、束さんの言う『次』を活かすことを考えるべきなんだ。

 

「いっくんには束さんにない力がある」

 

 束さんが語り始める。

 これまでの戦いで培ってきた力がこの現状を打破することにつながるのだと。

 

「今もいっくんを助けるために多くの人が戦ってる。諦めるのは早いよ。いっくんにはまだチャンスがあるんだから」

「そう、ですよね。セシリアに鈴、弾たちも……戦ってくれてるんですよね」

「でも完全に解放は難しい。だからちょっと裏技を使うことになると思う」

「裏技?」

「そう。完全にIllを倒せなくても消耗さえさせてくれれば、あとは束さんが道をこじ開ける。いっくんはそれを辿って戻ればいい」

 

 ふと気づいた。そういえばどうして俺は、Illに喰われた後なのに束さんと話しているんだ?

 

「ここはIllが構築するコア・ネットワークの中に無理矢理造った仮想空間。こうやってスペースを創るのも結構無茶してるんだけど、あともう一歩踏み込まないと箒ちゃんに顔向けできないもん」

「何を言ってるんですか……?」

「こうやって束さんがいっくんにちょっかいをかけられるのもこれが最後ってこと。束さんに残された力は本当に小さなものになってるからね」

 

 まるで俺を助けるために命を絞っているという言い草だった。

 苦しそうに顔をしかめている束さんは独り言のように話を続ける。

 

「いっくんは何のために戦ってきたのかを思い返してみて」

 

 俺は箒のために戦っている。

 

「悲しいことだけど救えない人はいる。何もかもは救えない。逆に、敵対する者を何でもかんでも殺す必要もない」

 

 数馬とゼノヴィアのことだろう。結果的にゼノヴィアは箒とは関わりがなかった。何が正しいのかは置いておき、Illであるからというだけで殺すのは箒のためだけの話ではなくなっている。

 

「いっくんが戦うべき相手は必ずしもIllではないし遺伝子強化素体とも限らない。箒ちゃんのために最後まで戦い抜ける自信はある?」

 

 もちろんだ。俺は頷くことで答える。

 

「よろしい。戦う相手を間違えちゃダメ。戦わなくていい相手は無視していい。その代わり、倒さなきゃいけない相手に手加減は無用。それが束さんとの約束だよ」

 

 あくまで箒を助けることに全身全霊をかけろということ。人ひとりができることには限度がある。ゼノヴィアが喰らったであろう人は俺が気にかけることではなく、精神をすり減らしてまで俺が数馬と斬り合うことなんてなかった。

 とはいえ所詮は結果論。あのときの俺はゼノヴィアを倒せば箒が帰ってくる可能性があると思ってた。だから数馬との戦い自体は否定しない。

 だけど俺に問題はなかっただろうか。束さんによる補足が入る。

 

「今回のいっくんの唯一の失敗は選ばなかったこと。ゼノヴィア・イロジックを殺すでもなく守るでもなく、成り行きに任せちゃったのはダメ。ちゃんと箒ちゃんのためを思って決断する。そうじゃないといっくんは誰も救えない」

 

 俺は最後に数馬に斬られることを選んだ。いや、あれは逃げたんだ。数馬を押しのけてでも箒を救うためにゼノヴィアを討つという覚悟もなく、箒に関係ないと割り切ってゼノヴィアを見逃すこともなかった。決断を数馬に投げたのは諦めたことと同じだった。

 それでは箒を助けられない。束さんはそう言っている。

 

「もう束さんが助けられるのはこれが限界。あとは自分たちの力だけでやってくの。箒ちゃんを助けられるのは、いっくんしかいないと思うから……だから私は託すんだ」

「はい。俺が箒を助けます。必ず!」

 

 強く答える。こうして束さんと話せたのは良かった。自分勝手なエゴを押し通せという見る人によっては悪とされることだけど、今の俺に必要な心の持ちようだと思ったんだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 富士の戦場は少しずつ終結に向かっていた。しかしそれは必ずしも藍越のプレイヤーたちの勝利に近づいているとは限らない。

 アメリカのチームの参戦。シュヴァルツェ・ハーゼやデュノア社もユグドラシルへの攻撃を開始した他、ヤイバに身近でない勢力もこの戦闘に参加している。

 他勢力の介入もあってエアハルト側の主力であるマザーアース、カルキノスは4機のうち半数を失った。しかしユグドラシルは未だ健在。その強力な砲撃能力でプレイヤーたちを次々と戦闘不能に追いやっている。

 内部への潜入に成功したプレイヤーはいるがユグドラシルへの攻撃に移れてはいない。

 数馬は平石ハバヤを追っている。

 イーリス・コーリングはオータムの操作する人形と交戦中。

 他のプレイヤーたちは残らず平石ハバヤに狩られてしまっている。

 

『遅くなりました。カルキノス撃破です』

 

 ラピスの元に通信が送られてくる。送信主はマシュー。蒼天騎士団を中心としたプレイヤーたちを率いてカルキノスとの戦闘をしていた。被害は指揮下のプレイヤーの6割。辛勝と呼ぶにも手痛い損失である。

 待ち望んだ勝利報告だったにもかかわらずマシューの声は明るいものではない。そして、ラピスが彼に返す言葉も労いなどではなかった。

 

「即座にユグドラシルへ。主砲(アケヨイ)さえ通せば勝てます。一刻も早くユグドラシルの防壁を破壊してください」

『了解!』

 

 作戦はまだ続いている。手を休める余裕などなく、ひたすらに攻撃を加え続けなければならない。

 撤退はこれまでに散っていったプレイヤーを見捨てることとなる。

 プレイヤー全員が現実に帰るには、この戦場から全てのIllを排除しなければならないのだ。

 そのためにはユグドラシルの内部に潜んでいるIllを倒す必要がある。

 

「ラピス! アカルギのカメラが何かを捉えました!」

 

 カグラの報告を聞いてラピスは映像に目を向ける。

 まだ遙か遠方の空を埋める群れが見える。まだラピスのナノマシン散布範囲の外であるため、星霜真理で確認を行おうとした。しかし、その場にISがいないという情報しか得られない。

 

「Ill……それもあの数だと量産型といったところでしょうか」

 

 Illだとすればそれらも全滅させなければ勝利できないことになり、面倒な援軍であると言えた。

 だが事態はそれだけで終わらない。アカルギの移された映像の解析を進み、ぼやけた輪郭がハッキリしたところでその正体が何かを悟る。

 ワインレッドの甲殻を持った蟻。獅子のたてがみをつけたようなその形状は以前にリンたちが対戦したことがある。ラピスもその戦闘記録は確認している。

 

「自爆IS……いえ、ISではなくIllでしたわね」

「つまりミサIll(ミサイル)だよね!」

 

 暫しの静寂。

 リコの相槌に対して誰も答えない。

 

「アケヨイで一掃は可能ですか?」

「難しいどうこうじゃなくて無理。発射中は船体の角度を変えられないから」

「連射も無理だね。2射目の前にあちらさんが到達する方が早い」

「同種の敵影は全方位から確認できます。完全に包囲されていると見ていいです」

 

 3人の報告を統合するとアカルギでどうにかできる状況ではなかった。

 富士の戦場に迫る蟻の大群の数は1000では済まない。概算で2000を超えている。

 日本という場所。逃げ場が無く包囲されていて、1発でも着弾すればその被害は甚大であるとわかっている。

 この状況はISに携わるものでなくても思い起こされるものがあった。

 

「まるで白騎士事件ですわね」

 

 10年前に起きた全ての始まり。

 日本を攻撃範囲に納めている戦略級ミサイルが誤作動を起こして日本に発射されるという前代未聞の事件のことだ。その数は2341発と言われていて、当時の迎撃システムでは迎撃しきれるものではないと断言できた。

 しかしそれらはただの1発も日本の国土に落ちなかった。世界で最初に現れたIS“白騎士”により全て斬り落とされたのである。

 全世界にISの力を示し、その後の世界の在り方すらをも変えた歴史的事件を今の状況は再現しているようにも思える。

 

 問題は今回使われている代物がミサイルでなく自爆Illであること。爆発の有効範囲に入ってしまえばどのようなISであろうとも一撃で消されてしまうほどの威力を誇り、近くで迎撃を行うわけにはいかない。

 そもそも白騎士事件自体が未だに人類には再現不可能とされているオカルトである。ラピスには今ある戦力でただの1発も日本にミサイルを落とさせない自信など皆無。ラピス以外のプレイヤーが指揮を取ったところで変わらない。

 過去に倉持技研はISVSでミッションを出したことがある。とある島に向けて当時と同じ状況を再現してプレイヤーたちに挑戦させた。その結果は失敗のみ。バレットのWikiにも最高難易度のミッションとして記載されている。

 絶体絶命の状況。自爆Illが来てしまえばこの場にいる全てのプレイヤーの敗北が確定する。そして、ユグドラシルの内部にIllが存在する限り、現実に帰ることはできない。

 ラピスは決断を下す。

 

「わたくしは戦場に出ます。アカルギは直ちに高度を上げ、戦場から離脱してください」

 

 全ての自爆Illを迎撃することは現実的でない。よって自爆されてもプレイヤーが帰ることができる状況を作る必要がある。プレイヤーが全滅してもヤイバを含めて全員が帰ればこの戦いは勝利と言える。

 勝利条件は定まった。自爆Illの到達までにユグドラシル内部にいるイリタレートを破壊する。

 ブルー・ティアーズが前線に出るのもイルミナントとの戦い以来のこと。それだけ追いつめられているとも言える。

 ユグドラシルへと向かう彼女の隣にツインテールを揺らしてリンも追従する。

 

「もう特攻するしかないのよね。最近、こんなのばっか」

「今は少しでも手数を用意するしかありません」

「アンタが出ても変わらない気がするけど……」

「そうでもありませんわ。ユグドラシル攻略を困難としているのはハバヤという敵プレイヤーの存在にあります。そしてナナさんをも手玉に取った手法には見当が付きました。対抗できるとすればわたくしのみでしょう」

 

 実を言えば確証などない。しかし可能性があるとすればラピスのみであるというのは事実。時間がない今、少しでも高い可能性にかけるのは当然である。

 もっとも、ラピスが前線に出ることを選んだ理由がそのような合理的な判断のみであるとは限らない。

 彼女の青い瞳は静かに燃える。ヤイバを救出できるか否かが自分にかかっているとなれば、臆すことなく(たぎ)るのみ。

 

 ユグドラシルにはイクリプス級のENブラスターが100基以上積まれている。厄介な点はそれらを連射できることにあった。おまけに1つ1つの精度も並の狙撃手以上である。遠くからの接近が困難を極めていた。

 リンの顔にも余裕がない。自分も無傷で突破できるか不安である上に、相棒がどこか頼りないからである。

 

「アンタ、本当に大丈夫?」

「リンさん。わたくしはこれでも代表候補生ですわ。基本操縦技能はリンさんよりも上です」

「でも実戦は壊滅的に下手でしょ? 射撃戦も距離が近いほど無能になるし」

「……それ以上言うとぶっ飛ばしますわ」

「地が出てるわよ。ちょっと余裕がなさ過ぎ」

 

 呆れた吐息を漏らす。そんなやりとりをしつつも彼女たちは遠方から飛んでくるENブラスターをひょいひょいと避ける。事前にマシューたちを押し立てていた効果もあり、的が上手く分散してくれていた。

 数で言うならラピスとリンの2人だけ。ユグドラシルに最もマークされない2人は弾幕の薄い戦線を突破する。

 

「結構拍子抜けだったわね。ユニオンでも苦労したって話だったのに」

「カルキノスを想定よりも多く倒せているからですわ。あと、もう1つ理由がありますが聞きます?」

「あー、言われなくてもわかったわ。あたしらが舐められてんのね」

 

 何はともあれ、2人はユグドラシルに肉薄した。あとはENシールドの出力装置を破壊するか、マドカ・イリタレートを討伐すればこの戦いを征することになる。

 リンは早速外壁の一部を拳で打ち破る。内部への進入路は確保。ラピスはその間、周囲に気を配っていたが何も襲ってこない。逆に不可解である。

 

「そろそろ妨害が来ると踏んでいたのですが……」

「例の嘘つき野郎のこと? 大方、ラピスの星霜真理が怖くて近寄ってこないのよ」

「だといいのですが……」

 

 首を傾げつつもラピスはリンと共にユグドラシルの内部へと進入する。内部に入ると同時にナノマシンを散布。無駄に歩き回ることなく構造を把握し、マッピングを行なう。

 

「上方にファング・クエイクが居ますわね。どうやらリミテッドかIllと戦闘中のようです」

「加勢するの?」

「いえ、やめておきましょう。他には中央にコアが集中していますが、こちらはユグドラシルの中枢部。そして、下層に妙なPICの反応がありますわね。わたくしたちが行くべきはそちらですわ」

 

 道を把握したラピスが先導し、リンも追従する。

 その道中を妨害する者はなく、いとも容易く目的の場所へと到達する。

 広い空間だった。下を見れば建造物ではなく自然物が露出している。ここは休火山の火口であり、周囲はドーム上に壁が覆っていた。

 中央、空中で蹲っているのは黒い蝶“イリタレート”。ナナから受け取ったデータに残された『ヤイバを喰らったIll』の外見と完全に一致する。

 

 一触即発。言葉は要らない。ラピスはスターライトmkⅢを呼び出して銃口を向ける。隣ではリンが龍咆の砲口を開いた。

 同時に蝶の羽が広がる。2人の殺意に敏感に反応しての行動。円錐型のBTビットと板状のBTシールドビットがばらまかれて臨戦態勢となる。

 

 射撃。ここにヤイバと全プレイヤーの命運を賭けた戦いが始まった。

 シールドビットが展開したENシールドによりスターライトmkⅢと衝撃砲が防がれ、イリタレートは丸まっていた体勢を解く。右手に握られている黒い大剣の表層をうっすらと紫色の光が覆っていく。

 

「紅椿の空裂と似た武器のようですわ。双天牙月で斬り合うには難しいでしょう」

「ああいう相手にはこっちの方が良さそうね」

 

 双天牙月を収納したリンは籠手部分についた衝撃砲“崩拳”を開く。

 相手はブレードとBTビットを両立している。身近な相手ではマシューの戦闘スタイルが該当するが、1つ1つの技能は遠く及ばない。むしろヤイバとラピスを同時に相手にしているのと同じ。

 2対1という考えは捨てるべき。彼我の戦力差は実質的にリンとヤイバの差であるようなもの。もし負けるようであれば自分1人の責任であると自らに発破をかける。

 射程は短い。崩拳を運用する上で求められている間合いは『つかず離れず』。敵のブレードの外、かつ射撃よりも早く攻撃を出せる距離を維持する。

 当然、マドカもリンの得意な間合いに入らせる理由はない。周囲に散らせていたBTビットが一斉にリンへと向けられて発射される。

 

 ――全部任せた。

 

 リンは敵の射撃攻撃に目もくれず強引に接近を試みる。その背景には相棒に対する信頼があった。リンはラピスの指示通りに突き進んでいるにすぎない。彼女の前方にはラピスが放ったBTミサイルが先行している。

 爆発。否。どちらかと言えば自壊と言った方が正しい。攻撃を目的としていないミサイルが破裂すると同時に内部から煙幕が放出される。リンの姿は煙の中へと消えた。

 煙の中へとマドカの射撃が飛び込む。目眩まし程度で外すような距離でもない上に、手数が多い。下手な鉄砲でも数を撃てば当たる。しかしそれは避けることが前提での理屈。

 マドカが目を見張る。BTビットから放たれたEN射撃は全て煙幕の中で細かく裁断されて消失した。

 

「ハヅキ社が開発を進めていたEN射撃を透過、屈折させる特殊素材“レーザークリステイル”。それとBTナノマシンを併用して簡単なプリズムを造らせていただきました」

 

 したり顔で解説するラピス。BTミサイルから散布された煙幕の中にレーザークリステイルの破片を仕込み、小規模のEN射撃を分散させて消滅させている。ENブラスターほどの出力には対応できないがBTビットから撃てる程度ならば無力化も可能。

 そうなるとマドカの選択肢は羽に備え付けられている2門のENブラスターとなる。リンの予想進路を計算して斉射した。

 煙幕を晴らした紫の光は富士火口を覆っている壁をも撃ち貫く。それ以外の手応えはない。

 互いに相手を見失っているはずの状況であった。しかし、リンの目は相棒についている。

 

「まずは1発目!」

 

 射撃での対応が難しい距離に到達。両手と両肩の衝撃砲を一斉にマドカへと叩きつける。面を制圧する4発は相手の回避を想定した命中重視の攻撃である。不可視なのも相俟って見極めることは困難を極める。

 マドカの対応は最善手。右手の大剣の腹を見せて体を隠す。盾となった大剣に衝撃砲が命中するも凹みすらしない。

 

「もういっちょ!」

 

 初撃の成果を確認することなくリンは次の攻撃のために位置を変えていた。イグニッションブーストでマドカの脇を通過し、すれ違いざまに龍咆を後ろに向けて発射する。

 背中に命中。マドカがよろけている間にスピードに乗ったリンは距離を開けた。

 

「くっ!」

 

 そのリンの左肩をENブラスターが掠める。マドカもリンと同様に後方へENブラスターを放っていた。左の龍咆が破壊され、残る武装は龍咆1に崩拳2。

 体勢を立て直す隙もない。既にマドカはリンをブレードの射程に捉えている。そう気づいたときには右の龍咆も両断された後だった。

 マズいと思う前に反射的に手が出る。大剣を逆袈裟に振り終えたばかりのマドカめがけて左の拳を叩き込む。

 だが衝撃砲ごとマドカの左手に受け止められた。

 AIC。ラウラに迫るイナーシャルコントロール能力により衝撃砲の威力を極限まで減らされてしまう。不可視が特色であるのに、近距離すぎてタイミングがバレバレだったことが防がれた要因。

 固定された左手。然したる抵抗もできぬまま、マドカの大剣が振り下ろされた。

 

「あっ……つぅっ!」

 

 直撃。崩拳ごと装甲を砕いた剣はリンの腕に届き、甲龍に対して絶対防御を強制させる。ストックエネルギーの大幅減少。さらに追い打ちとして二の太刀が迫る。

 リンは対応できない。黒い大剣はリンの頭へと吸い込まれていく。近づいてくる敗北をただ見ていることしかできない。

 

 だがマドカの右手は途中で止まった。

 ラピスが攻撃したわけでもリンが起死回生の一手を打ったわけでもない。

 彼女はリンの顔を見て硬直していた。

 

「リン……」

 

 名前を口走る。剣を握る手は震えている。まるで何かを恐れているかのように。

 理解はできずともリンにとってはチャンスだった。残された武器ですぐに使えるものは右手の崩拳だけ。挙動不審な相手に構うことなく、全身全霊の一撃を右拳に込めて突き出す。

 

 特定武器強化系イレギュラーブート“火輪咆哮”。

 リンは単一仕様能力を発現させているが藍越エンジョイ勢のメンバー全員に対してすら事実を伏せており、極力使用も控えている。常日頃からバレットが『ISVSは不平等』とボヤいていることを気にしてのことであり、リン本人も自らの強みとは考えていない。

 その効果はストックエネルギーが減少した際、その値に応じて次の衝撃砲の威力が増大するというもの。条件が限られている一発逆転専用の能力である。

 通常の試合で使うつもりはなかった。目立ちすぎると面倒くさい連中に目を付けられることをも危惧していた。リンは多くの女子たちと違って代表候補生という地位に興味がないのではなく、なりたくないのである。

 しかしこれがヤイバの命運がかかっているとなれば話は別。最初に能力が発現したヤマタノオロチ戦と同様に、手段を選ぶような相手ではない。

 自らの痛みを力に変えて放出する。リンの渾身の一撃は反動で自らの武器をも破壊する。

 

 マドカの回避は遅れた。結果的にリンの攻撃はクリーンヒットにはならずともマドカの右の羽をもぎ取る。

 ここまでだった。リンは満身創痍。衝撃砲を全て失い、拡張領域から双天牙月を呼び出そうとする。シャルロットのようなラピッドスイッチの技能がないリンの早さでは戦闘中の装備変更は隙だらけにしかならず、今度こそマドカの剣がリンの体を捉えた。

 戦闘不能となったリンが墜落を始める。その光景を眺めていたマドカは目を見開いて放心状態となる。そして、左手で頭を抱えると――

 

「あああああああ!」

 

 絶叫する。自分で攻撃をしておいて、後悔しているようにも映る。

 実際に彼女が見ていたのは目の前の現実か、それとも過去の幻か。

 いずれにせよ、まともな反応をしていない。

 隙だらけにもほどがある。そんなマドカの背中に蒼い流星群が殺到した。

 

「まだわたくしが居ますわ!」

 

 リンは負けた。だがまだラピスたちが負けたわけではない。BTビット4基とスターライトmkⅢを駆使して集中砲火を浴びせる。そこに沈着冷静なラピスの姿はなかった。歯を食いしばり、思考を空にして引き金を引くことを繰り返す。

 

 1つ1つのダメージは大きすぎるものではない。しかし意志を持って曲がる射撃は確実に命中という結果を残す。着実にダメージが重ねられ、マドカ自身の危機が残りのストックエネルギーという目に見える数値で示されてしまう。

 このままでは消されてしまう。抗わなければならない。

 再び戦闘に意識を割けるようになったマドカはラピスの弱点を見抜いた。手にしている装備はEN射撃武器のみ。接近戦には対応できず、広大とは言え限定空間である富士火口の戦場で射撃型が不利なのは自明の理。

 マドカは剣を前に突き出して前進する。ラピスから放たれたスターライトmkⅢの光弾をEN属性を付与した大剣で弾いた。

 接敵するのは一瞬のこと。ラピスはそもそも中距離射撃戦闘も並程度の腕しかなく、マドカの接近を阻害するほどの牽制などできない。前に出していたスターライトmkⅢの銃身が叩き斬られて爆散する。

 こうなってしまってはマドカの間合い。周囲のBTビットにマドカへの射撃を指示するも、マドカのBTビットが先にラピスのBTビットを撃ち抜いた。

 

 ずっとヤイバに任せてきた戦場に立っている。あの人が居たからこそ前線を離れて後方支援に徹することができていた。2人ならイルミナントだろうが世界最強の男だろうが打ち破ることができた。

 自分が代表候補生であるということを忘れるくらいに心地よかった。

 そのヤイバはいない。だからと言って自分が役立たずで終わっていいはずなどない。

 

 マドカの剣が振るわれる。左肩に直撃。防御性能が低いブルー・ティアーズではあと一撃加えられれば撃墜される。

 

 地面への落下を始めるラピス。彼女にとどめを刺すためにマドカは急降下する。

 ここが正念場。格闘戦を仕掛けた方が有利だという固定観念に囚われたマドカは射撃武器を全て失っているラピスにわざわざ接近戦を仕掛けている。だから有効な一手がラピスの頭には浮かんでいた。

 自分だけでは掴めなかったイメージがある。幾度となく“あの人”と繋がったことで少しずつ自分のものとなってきた。

 それは刀を振るイメージ。

 完璧でなくとも、今では名前さえ呼べば応えてくれる。

 

一夏さん(インターセプター)っ!」

 

 右手を前に突き出しながら呼び出すはENショートブレード。

 頼ってばかりはいられない。いつかは自分で斬り開かなくてはならないときがくる。

 それでも――

 

 ……勇気だけは貸してください。

 

 蒼と黒が交錯する。互いの剣は互いの腹部を刺していた。降下の勢いを殺さないまま揉み合って墜落する。

 

「どうなりました……?」

 

 クレーターの中でまだラピスは動くことができた。体に乗った岩をどけて起きあがる。

 その彼女をマドカが見下ろしていた。ラピスの攻撃は届いていたが戦闘不能には足りない。

 勝敗は決している。

 

「ここまで、だなんて……」

 

 ラピスはその場で膝を屈した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 穴の開けられたユグドラシルの外壁でハバヤは肩をすくめていた。その穴はラピスとリンが開けていったもの。イーリス・コーリングに続いて2組目の進入を許したことになる。

 

「“蒼の指揮者”が直接乗り込んでくるなんて聞いてませんよ……全く、(冗談)の通じない相手はやりづらくて仕方ありません」

 

 ここまで大多数のプレイヤーたちを一方的に始末してきたハバヤが戦闘能力の低いラピスを見逃さざるを得なかった。その理由は彼女の単一仕様能力にある。あらゆるISの情報を取得するラピスをハバヤの単一仕様能力は騙すことができない。彼女から他のISへの情報には介入できるが本人だけは無理なのである。

 嘘を操る単一仕様能力に対して真実を見抜く単一仕様能力は相性が悪い。事前にラピスの情報を得ていたハバヤにとって最も相手をしたくない相手だったと言える。

 

「まあ、いいでしょう。マドカ・イリタレートも自我を持ったIllなのですからあの程度のプレイヤーに負けはしないでしょうし」

 

 損得を考えると、もしラピスと真っ向勝負をしてハバヤ自身が負けてしまえば藍越側の一転攻勢となり得る。被害を最小限に済ませるにはラピスを素通りさせる方が効率的なのは間違いなかった。

 タイムリミットが迫っている。ハバヤは時間さえ稼げば勝利を得る。危ない橋を渡る必要性などどこにもなかった。

 

「というわけであとは……冗談が通じない愚か者の相手をしてやるとしましょうか」

 

 ハバヤの前に新たなプレイヤーが姿を見せる。いや、この戦場で対峙するのは2度目。

 

「平石ハバヤァ!」

「数馬くんもいい加減にしつこいですねぇ。何度も言うように私を倒したところで織斑一夏もゼノヴィア・イロジックも帰――」

 

 まだ話している最中のハバヤに容赦なくENブレードが振り下ろされる。しかしこれは幻。本体の位置は違う。

 

「君は意外と血の気が多かったようで」

「俺と戦え!」

 

 ところ構わずハンドガンを撃ち放つ。だが闇雲な攻撃がハバヤに届くはずもない。

 

「問答無用ですか。これでも私は君に一定の敬意を払っていたのですが……もう必要ねーな」

 

 何もなかった場所から飛び出したナイフが数馬に刺さる。

 

「相手をしてやんよ、クソガキィ!」

 

 ハバヤの口調が豹変する。慇懃無礼ながら丁寧な物腰に隠していた凶暴性が曝け出される。情けをやめたハバヤが攻撃を控える理由は消えていた。

 決して攻撃力は高くないが防御困難なナイフが次々と数馬を襲う。視認が難しいだけならばまだ対処はできる。問題は当てられるまで存在を認識できないことにある。

 数馬よりも強いプレイヤーがユグドラシルには数人到達できていた。その全員がまとめてハバヤ1人に敗北を喫している。到底、数馬1人でどうにかなる相手ではない。

 

 だがそんな理屈で止まる足など持ち合わせていない。

 

 キョロキョロと周囲を見回す。もしかしたらハバヤの戦闘の綻びが見つけられるかもしれない。ハバヤの戦闘のカラクリを完全に理解していない数馬は足掻く。狙いを絞らずにハンドガンを乱射し続ける。

 

「何をそう必死になってるんだか……ひょっとして、あの人形に劣情でも催してたかぁ?」

 

 ハバヤの煽り。無言の数馬が乱射するハンドガンの連射間隔は短くなる。その目つきは友人の誰も見たことのない鋭さを持っている。

 

「しゃーねーなぁ。今度、お兄さんが代わりを用意してあげようかぁ?」

「黙れ!」

 

 数馬の怒りが口から漏れだした。

 たしかにゼノヴィアは造られた存在かもしれない。

 でも数馬の知っているゼノヴィアは彼女だけしかいない。

 代わりなんてどこにもない!

 

「ヒッヒッヒ! オレは野蛮人じゃないんで、戦ってる相手とも言葉を交わすぜ? 数馬くんももっと語れよ」

「死ねェ!」

「これが今時のキレやすい若者って奴か。ジェネレーションギャップを感じずにはいられねーなぁ?」

 

 必死な数馬に対してハバヤは嗜虐の笑みを浮かべるのみ。すぐにでもとどめを刺せる状況下だというのに、じわじわといたぶる。

 

「黙れ。死ね。どっちもオレには届かない言葉だ。次は何を言ってくれるのかなぁ?」

 

 答えは返さない。言いたいことはもう終わっている。だが銃を撃つ気力をも失い始めていた。

 がむしゃらに立ち向かっても無駄。それは状況が物語っている。ゼノヴィアの仇を討ちたくても数馬には十分な力がない。

 

 ……もし一夏だったら。

 

 過去に強大なIllを打ち破ってきた親友を思い浮かべる。数馬では手も足も出ていない相手でも、一夏なら倒してみせるはずだとそう確信している。

 

 ……何で俺が残っちゃったんだ。

 

 喰われるなら自分で良かった。逆なら一夏がハバヤを倒してくれる。ゼノヴィアの仇を討ってくれる。そう信じられた。

 自分なんかよりよほど頼りになるのだと、自分を卑下せざるを得ない。

 

 ――数馬はどうして来てくれたの?

 

 ふと、彼女の声が脳裏に蘇る。

 なぜ自分はここに来たのか。それはゼノヴィアの仇を討つため――

 

 ――違う! ゼノヴィアを迎えに来たんだ!

 

 ゼノヴィアが消えたのは結果論。

 ハバヤに落とし前をつけるのも結果論。

 一夏ではなく数馬がこの場に立っている理由はもっと単純な話だ。

 

 ……俺がそうしたかったからだ。

 

 叶えられなかった願いがある。だからといって何もかもを無駄と切り捨ててはいけない。

 彼女は数馬を全て受け入れた。死を待つ身でも恨み言1つ残さず礼を述べた。

 危うくゼノヴィアが残した想いすらも裏切るところだった。

 

「俺は――」

 

 ENブレードを横に薙ぐ。数馬に迫っていた投げナイフが初めて斬り落とされた。

 

「仇討ちをしに来た。だけど1人の復讐なんかじゃなかった」

 

 攻撃を防いだ後の第2波は投げナイフとワイヤーブレードによる前後からの挟み撃ち。認識の外から本人が近寄ることなくトリッキーな中距離攻撃を仕掛ける。

 卑怯者の戦術の全容が今の数馬には見えていた。

 

「バカな……!?」

 

 前後からの同時攻撃も前からのナイフはハンドガンで撃ち落とし、背後からのワイヤーブレードはENブレードで真っ二つにする。

 立て続けに的確に攻撃を防がれたハバヤは絶句する。

 入れ替わりに数馬の口元に笑みが浮かんだ。

 

「俺は1人でお前を倒しに来たんじゃない。彼女も一緒に戦ってくれてる」

 

 言葉を交わせなくても数馬はゼノヴィアを傍に感じている。そう自覚した途端にハバヤの繰り出した幻覚の何もかもが消え失せていた。

 もう本体の位置も目に映っている。こうなってしまうとハバヤは藍越エンジョイ勢のどのプレイヤーと比べても脅威にならない。

 

「おかしいだろ! なぜ虚言狂騒が通じない!?」

 

 ISの持っているハイパーセンサーを始めとする情報収集能力は高い。虚言狂騒はその取得データに介入し、偽のデータを植え付けることでISコアにも真偽が判断できない状態を生み出す。

 だが今の数馬はISを使いながらもIS以上に信用している存在がある。彼女の遺志とも言うべきデータがハバヤの偽の情報を拒絶し、数馬を守る。

 

「これで終わりだ!」

 

 近寄れば一瞬。壁を背にして逃げ場もなかったハバヤにENブレードを振り下ろす。

 何度でも。ただ、奴が黙るまで。奴の心が折れるまで。

 ストックエネルギーが尽き、戦闘不能となっても数馬の手は止まらなかった。ISが解除された生身のハバヤの襟を掴みあげるとユグドラシルの外壁に押さえつける。

 

「おめでとう。数馬くんの勝利だ」

 

 ハバヤはひきつった笑みで数馬を称えた。

 もちろん、心からの言葉ではない。続きがある。

 

「けどざーんねん! こっちは負けても痛くも痒くもねーんだっての! ミルメコレオが来ればテメェらは例外なく消えるんだよ! ヒャッハッハッハー!」

 

 仮想世界で肉体は殺せない。殺せるのは心だけである。

 それはハバヤの言であるが数馬も同じ意見だった。

 今のハバヤは自らの精神的優位のために数馬をからかい混じりに煽っている。

 敵の意図を理解している数馬は暴力で黙らせずに言ってやることにした。

 奴の心を殺すために。

 

「この勝利は俺の自己満足。だけど俺がお前を倒した事実だけは揺るがない」

 

 どれだけ上から目線で煽って来ようが関係ない。

 淡々として事実を突きつけるだけでいい。

 御手洗数馬というノーマークに等しかったプレイヤーが平石ハバヤを打倒した。

 その事実を引っ提げて宣告してやる。

 

「お前は俺より『絶対的に弱い』んだよ。精々、自分に嘘をついてるといいさ」

「……ウゼェな、テメェ」

 

 ハバヤが静かに凄む。嘘に塗れていた男が見せた真実の顔には怒りだけでなく悔しさも浮かぶ。

 最後に数馬はハバヤの体を投げ捨てた。これでハバヤは高々度のユグドラシルからパラシュートのないスカイダイビングを体験することとなる。もっとも、途中で体が分解されてその場に止まるため、苦痛を味あわせるには至らないが数馬にはもうどうでもいいことだった。

 

 2千を超えるミルメコレオが迫る。タイムリミットが近づいているにもかかわらず、数馬の顔は満たされていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラピスは全ての攻撃手段を失った。リンは既に戦闘不能で、他にプレイヤーがいない。だというのに未だにマドカは健在である。

 不幸中の幸いかマドカはラピスにとどめを刺そうとはしない。必要がないからと蔑んでいるようには感じられず、ただラピスの眼前で立ち尽くしていた。

 Illを前にして無防備も同然の状況だというのにラピスには恐怖心が一切存在していない。それもそのはず。彼女の蒼い瞳が映しているのは化け物などではなかった。

 

「……私とアイツは違い過ぎるのだな」

 

 独り言が漏れ聞こえる。砕かれたバイザーから覗くマドカの眼は黒でなく白。発言も外見もこれまでに敵対したIllとは決定的に違っていた。

 

「あなたは一体――」

 

 何者なのかと問おうとした言葉は宙に消える。

 ラピスの意識をマドカから引き離したのはアカルギからの通信であった。

 

『敵自爆Ill部隊の到達まであと3分を切りました。こちらの判断でアケヨイを発射しましたが落とせたものは10機程度です』

 

 あと3分でプレイヤーが全滅させられる。現実に帰るためには目の前にいるIllを倒さなくてはならない。

 だがそれは不可能な話。ラピスには武器がなく、仮にあったとしてもまだまだマドカは戦闘可能な状態である。彼女にはとどめを刺す気配が見られず、ラピスは時間切れまで放置されることだろう。

 思考を巡らせても答えは出ない。ラピスは俯いていた。

 

 

 ――前を見てて、ラピス。君が見てくれていれば、俺は無敵だから。

 

 

 あり得ない声がした。

 

 ハッと気がついたラピスが顔を上げると、半ば呆然と立ち尽くしていたマドカが頭を押さえて後ずさる。

 

「い……痛い……う、くっ……」

 

 原因は不明だがマドカは突然苦しみだした。全身が仄かに白く光を発している。その色をラピスはよく知っている。

 やがてマドカを覆っていた光が乖離して1つに集う。そして――

 

 天へと解き放たれた。

 

 光はユグドラシルを突き破り、遙か上空へと昇っていく。

 既にラピスからは肉眼では見えない場所へと消えていた。

 しかし彼女には別の眼がある。星霜真理はISの真実を映し出す。光の位置も、光の正体もラピスにはお見通しだった。

 なんとかなる。その確信が生まれた。

 

「一夏さんっ!」

 

 成層圏よりも更に上。地球の丸さ、青さが実感できるほどの高空へと昇った“白”はその手にある剣を頭上に掲げた。

 剣に雪のような白い粒子がまとわりつく。加速度的に増殖するそれらは剣の表面だけでは収まらず、刀身に沿って長く伸びていく。遙か彼方に存在する別の星までつながる架け橋でも創るのではないかという勢いであった。

 どれほどの長さになったのか。それはおそらく剣の所有者すら正確に把握していない。だがそれが(もたら)すものは承知している。

 ISVSには存在しないはずの過去の遺物の全性能を引きだした。

 あとはISにとっての“はじまり”を再現するのみ。

 

 

 一閃。

 

 

 たった一薙ぎである。“白”が右手の剣を振るうと、無限に感じられるほどの刀身も追従する。

 空に閃光が走る。

 そうして、“はじまり”は終わりを告げた。

 成層圏よりも上での出来事。富士の戦場へと向かっていた蟻の軍勢は1匹たりとも残っていない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 地上からもユグドラシルから昇った光は見えていた。

 ラウラ・イラストリアスと交戦中のブリュンヒルデはその光を以前にも見たことがある。

 具体的には10年前。日本に2341発ものミサイルが発射された“白騎士事件”。1点を中心に円形に白い光が広がり、全ての脅威が一瞬で駆逐されたあの事件を再現していた。

 危機的状況は一瞬でひっくり返り、気づいたときには平穏な空だけが残されている。

 

「束……なのか……」

 

 ブリュンヒルデは雪片を下ろし、呆然と空を見上げる。

 挙げた名前は死んだはずの親友。

 10年前に一夏と箒を守るためだけにISを持ち出した天才が再び現れた。

 しかしわからない。なぜ彼女は自分に何も言わないのか。

 ブリュンヒルデにとっては危機が無事に去った安堵よりも疑問の方が大きかった。

 

 敵対していたラウラ・イラストリアスも剣を下げる。この戦場で戦う意義を失った彼女はブリュンヒルデをその場に残して立ち去った。

 ブリュンヒルデは追撃をかけることすらなく、なおも空を見上げ続けていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 状況はすぐに理解できてた。ラピスたちは戦力を結集し、罠を承知でエアハルトたちに決戦を挑んだ。そしてその罠を打ち破れないという瀬戸際だった。

 2341発のミサイルが日本に迫っていた白騎士事件を再現するかのようなエアハルトの攻撃。バレットが言ってたけど白騎士事件は現存するIS単機では再現不可能という無理難題だったらしい。そもそも伝え聞いた話が『白騎士は剣の一振りでミサイルを全て叩き斬った』という。ISVSをプレイしてればそんな無茶な話があるかとなるのも良くわかる。

 ラピスは最後の力を振り絞ってマドカに挑んでいた。彼女もバレットと同じく自爆Illの攻撃を防ぎきることは不可能と考えている。だからこそIllを倒して帰る道を用意することしかできなかった。

 

 ……助かったよ、ラピス。リンも。

 

 彼女たちはマドカを倒せなかった。だけど無駄なんかじゃない。そのおかげで俺はこうして皆の前に帰ってくることができたのだから。

 役目を終えた長大な刀身が砕けるように消え去る。もう制限時間が来ていた。あらかじめ言われていた時間にピッタリというあたり、流石の束さんだと思う。

 ……両刃の剣はどうもしっくりこない。

 今の俺の機体は白式ではなかった。顔も覆われてる全身装甲(フルスキン)で、武器は西洋剣が1つ。あとは非固定浮遊部位に荷電粒子砲があるけど俺には上手く使いこなせそうにない。

 俺には合ってない機体だけど、今の俺には必要な力だった。束さんが貸してくれたこの力の名前は白騎士。10年前、日本を救った“はじまりのIS”である。

 自爆Illの脅威は去った。だけど俺には別のタイムリミットが迫っている。こうして実体化しているのも束さんが無茶をした結果らしくて、無限に続くようなものじゃないとのこと。

 急速下降して俺が飛び出した穴へと飛び込む。敵の拠点ともなっていたマザーアース“ユグドラシル”は俺の攻撃で中枢のコアをいくつか砕いたため、戦闘不能の木偶の坊となっていた。あとは中に残っているはずの“アイツ”を倒せば終わる。

 

「一夏さん、ご無事だったんですか!?」

 

 ラピスからの通信。彼女は自分が呼んでいる名前に違和感がないのだろうか。今の俺はヤイバというアバターの姿をしていない。これは束さんが知ってる俺を形にしたからだろう。

 

「全然無事じゃないって。だから帰るためにできることをしないとな」

 

 富士の火口の戦場に降り立つと中心で蹲っていたマドカが顔を上げた。目が合った瞬間に大剣を持って飛びかかってくる。

 ……そこに何の意味があるのだろうか。

 イリタレートの大剣を白騎士の剣で真っ向から受け止めてやるとマドカは俺の目の前で止まった。力で押しつけることもせず、その場で浮いているだけ。

 コイツはわからないんだ。今、何のために戦ってるのかを。

 

「……お前の価値は見つかったか?」

 

 俺の口からついて出たのは問いかけだった。返答はない。だけどマドカはぶつけてきていた剣を引き下げる。

 

「私は……何者なのだ……?」

 

 マドカの口から漏れた疑問。彼女のこれまでを知った俺でも明確な答えなんて知らない。

 千冬姉と同じ力を持った遺伝子強化素体として造られたクローン。だというのにVTシステムを使いこなせなかった。普通の人間に近い外見からエアハルトにすら忌み嫌われ、彼女はただの道具となっていた。

 

「私はなぜ……現実(そこ)にいない……?」

 

 割れたバイザーの隙間から俺を見つめるその目は今にも泣き出しそうで、とても子供だった。

 事実、彼女は子供なのだろう。彼女に意識が生まれたときには既に今と同じ体を与えられていた。それは1年も前の話ではない。

 彼女に与えられた価値は戦いの勝利にしかなかった。だから比較対象である織斑を討たなくてはならないという思考に縛られることになり、ターゲットとして俺が選ばれた。

 俺はもう一度問いかける。

 

「お前の言う価値って何だ?」

 

 価値ある自分のために俺を倒す。それはいいとしよう。

 でも俺を倒した後のはずなのに、マドカはずっと暗い顔をしてるじゃないか。

 その証拠に、ついさっき俺に振るわれた剣にはまるで殺意がなかった。

 だから俺は断言してやる。

 今もなお困惑してるマドカが本当に欲しがっている価値を。

 彼女が一度だけ俺に求めた救いへの答えを。

 

「俺は知ってるぞ! マドカがISVS(ここ)に生きてたってこと!」

 

 自分のしたいことすらわからなかった彼女が無意識のうちに口にした願い。それは――

 

「マドカ。ちゃんと俺の胸に刻んだ!」

 

 名前を胸に刻め。これはただの捨て台詞なんかじゃなかったんだ。

 俺だけはお前を忘れない。たとえ現実に体のない幻のような存在でも、俺の前に現れたマドカという人格は確かに居た。

 

「無理に戦わなくても、お前に価値がないなんてことはないんだよ!」

 

 マドカの記憶を覗き見てからずっと思ってたことは言ってやった。

 ……ただの自己満足だ。

 この後、俺がすべきことは1つしかない。束さんにも指摘されたこと。自分の願いのために、切り捨てるべきものは切り捨てなければならない。

 俺はマドカに恨みなんてない。彼女も被害者でしかない。

 だけどゼノヴィアと違ってマドカはヤイバを喰らった。“俺”が箒を助けるために彼女は相容れない存在となってしまっている。

 

「まるで拷問だった」

 

 白騎士の剣を握り直して不意打ちしようと考えていたところへマドカが語りかけてくる。

 

「織斑一夏の記憶が私に流れてきた。今まで経験したことがなかった事態に戸惑うだけでなく、見せつけられた映像は私の胸を抉った。私はお前にはなれないと宣告されているようなものだった」

 

 斬りかかってきたときの気迫とは無縁な静かな語りに俺は黙って聞き入る。

 

「織斑一夏と仲間の信頼を身近に感じた。それが苦痛だった。私の存在がゼノヴィアの心にすらいなかったという証明だったからだ。所詮、私は造られた存在であり、人ではなく道具に過ぎないのだと思い直した」

 

 それがこの戦いに望む前のマドカの心境。俺がマドカの記憶を見ていたようにマドカも俺の記憶を見ていた。

 やはりクロッシング・アクセスだったか。相変わらず発動条件がわからな――

 

 ――私は人になれるのか?

 

 ハッと息を呑む。マドカの口を通さず、ISの通信でもない言葉が頭に浮かんだ。

 これはナナやラピスとのクロッシング・アクセスと同じ。

 

 ……なれるも何も最初から人だろ?

 

 そもそもの話、エアハルトの言いなりになる必要なんてない。エアハルトに気に入られなくても、それだけで価値がないだなんて俺は思わない。

 マドカが人でなくなるとき。それはマドカ自身がマドカを否定したときだけだと思う。

 

「……よくわかった」

 

 ぶつり、とクロッシング・アクセスが途切れる。最後に一言だけ口走った後、マドカの目つきが変わる。迷いの消えたその瞳の奥には確かな決意があるように見えるけど、その具体的な中身は俺にはわからない。

 マドカが大剣を振り上げる。彼女は結局、戦うことを選んだということだ。

 そんな彼女に対して安堵を覚えたことに気づく。

 なんて自分勝手な。彼女を手に掛ける理由ができてホッとしてるのかよ。

 

 俺が止める間もなくマドカが斬りかかってくる。遅い。きっとラピスにも見切れる程度だ。

 わかってしまった。けど、ここまで来てしまっては止まる理由がなかった。

 本当のところ、俺が偽善者でマドカが優しい奴なんだ。

 俺は剣を突き出す。難しい技量なんて要らない。これはお互いにとっての予定調和でしかなかった。

 

 白騎士の剣はマドカの体を貫く。イリタレートの核をも破壊し、マドカは消えることとなる。

 

「……私に勝ったお前は何か変わったか?」

 

 Illを失い、消滅に瀕しているマドカが逆に俺に聞いてくる。

 何も変わってないというのが正直なところ。だけど、より確実になったことが1つだけあった。

 

「絶対にエアハルトの野郎をぶっ飛ばさなきゃいけないってことがわかった」

 

 マドカは被害者である。とすれば加害者は誰か。

 その答えはエアハルトだと断言する。

 ここで俺はマドカを消す。でもそれだけじゃ何も終わらない。箒のことも他のことも何もかも、奴との決着無くして解決なんてしないんだ。

 俺が改めて宣言するとマドカから「ふふっ」と小さな笑い声が聞こえた。

 

「ならば成し遂げて見せろ。その結果を現世(うつしよ)に肉体を持たぬ私が生きた証としよう」

 

 マドカのバイザーが完全に消失。隠されていた彼女の顔は10年前の千冬姉と瓜二つで……俺の知ってる優しい笑顔も同じだった。

 生きた証。それが彼女が欲していたもの。俺がエアハルトを倒した後の世界こそがマドカが生きていた証となる。

 この場で消えることを自ら選んだ彼女を俺は生涯忘れはしないだろう。

 

「本当はお前にも現実の世界を見てもらいたかった。俺ならそれが実現できたのに……」

 

 俺は良心の呵責から、できたかもしれない可能性を口にしてしまう。マドカの体が現実になくてもモッピーがある。あれを通せばマドカも現実を体験できるはず。

 言ってから失言だったことに気づいた。もう消えるしかない彼女に夢を見せるのはそれこそ拷問のようなもののはずなのに。

 でも杞憂だった。バカな俺をマドカは軽く鼻で笑ってくれる。

 

「却下に決まっているだろう。一度知ってしまえば願いから未練に変わる。私はここで消える方が幸せだ」

 

 幸せ。本当にそうだとはとても思えないけど、俺には否定することなんてできない。

 もうマドカの体は下半分が消えていた。光の粒子の分解は徐々に進行していき、じきに顔も見えなくなる。

 残り時間が少ない。それでもマドカは恨み言を残さず、笑みを作る。俺を小馬鹿にしたような嘲笑でもマドカが楽しそうならそれでいいと思えた。

 だけど意外にも最後に彼女はニカッと満面の笑みを浮かべる。

 

 

「お前が覚えてくれてればいいんだよ。“お兄ちゃん”」

 

 

 瞬間、俺の思考がぶっ飛んだ。俺が固まっている間に逃げるようにマドカの体が全て消え去ってしまう。

 ……俺が、兄か。

 もちろん俺に自覚なんてない。だけど、そう呼ばれて悪い気はしなかった。絆なんて呼べるほどのつながりはなかったけど、最後に彼女は俺とつながりを感じてくれていた。

 絶望して消えたわけじゃないことだけは嬉しかった。

 

「ごめんな、マドカ……」

 

 謝らなくては気が済まない。俺のために道を譲ってくれた仮想世界だけの妹。彼女の優しさを犠牲にして、俺は俺の願いを叶えようとしている。

 箒を救い出す。

 その確かな想いを再認識した。何もかもは救えない。本当に助けたいもののために、俺はマドカの死をも受け入れて乗り越えなくてはならない。

 

 ……泣くのはこれで最後にしたいな。箒に軟弱者だって叱られちまう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 互いに多大な戦力を揃えての決戦はミルメコレオの全滅とイリタレートの破壊を以て終わりを告げた。

 白騎士として一時的に蘇った織斑一夏はマドカが消えた後で現実へと帰還を果たす。今回の戦いで帰還できなかった()()()()()は誰もいなかった。

 エアハルトは確実に手駒を失いつつある。逆転の一手であったこの戦いで対抗勢力を潰せなかったことは大きなマイナスであった。

 一方でツムギの被害も甚大である。ナナの護衛として参戦していた男たち16名の内11名が消滅。プレイヤーでない彼らは二度と帰ってはこない。そして、彼らが守るはずだったリーダー、文月ナナはエアハルトに連れ去られた。

 アメリカの部隊もイロジックが破壊されたことで成果を得られていない。日本企業との亀裂を覚悟してまで強行しただけに割を食った形となっている。

 

 結果だけ見れば痛み分け。誰も得していない。

 当然、このままで終わらせるつもりなど誰1人として考えていなかった。

 ナナを取り返す。

 敵対勢力を殲滅する。

 篠ノ之論文を手に入れる。

 様々な者の思惑が交錯し、時を置かずして次の戦いが待っている。

 

 

「篠ノ之束……更識楯無……そして、御手洗数馬。どこまでもオレの邪魔をしやがってェ!」

 

 プレイヤーたちが去った後の富士の戦場に残っている男もまた、己の目的のために行動を起こそうとしている。

 平石ハバヤの傍らには墜落した紫紺の打鉄“イレイション”がいる。完全破壊を免れていたIllの前で激昂しているハバヤには今までのような余裕は微塵もない。

 

「お前の機体を寄越せ」

 

 命令を下す。本来、全てのIllはハバヤの無茶な命令を聞かないようエアハルトから指令が下っているために無駄なはずだった。

 しかしハバヤはエアハルトとの協定違反となる禁じ手を使った。

 イレイションの操縦者の返答は事務的なもの。

 

「承知しました、()()

 

 虚言狂騒で自身をエアハルトと誤認させてイレイションを外させる。ハイパーセンサーの加護を失うと同時にエアハルトだったはずの男がハバヤだと認識したが時既に遅し。ハバヤのナイフが胸に突き立てられた。Illを外した遺伝子強化素体を絶対防御システムは守らない。

 自意識に乏しかったはずの遺伝子強化素体の少女が目を見開いてその場に崩れ落ちた。恨みがましくハバヤを睨むも力尽きて光と化して空気中に消えていく。

 主を失ったIllの核を手にハバヤはほくそ笑んだ。

 

「出来の悪い人形に使われた結末がこれじゃテメェも無念だろう? オレがテメェを使ってやる! オレを世界最強の存在にしてみろや!」

 

 遺伝子強化素体でないハバヤがイレイションを装着する。

 瞬間、ハバヤから笑みが消えた。

 

「ぐっ――」

 

 呻き声を上げて地面に膝を突く。胸を押さえても奥底で痛みが駆けめぐる。

 

「ぐあああああああ!」

 

 絶叫。その傍らには誰一人としていない。



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38 それぞれの決意

 一夜明けた。深い眠りにつけなかった俺は休日の土曜日だというのにまだ早朝と呼べる時間に目が覚めてしまった。

 これも昨日の戦いが原因だろう。

 

「箒……」

 

 セシリア、鈴、マドカ。他にも藍越学園の連中やプレイヤーたちの助けもあって、俺は現実に帰ってくることが出来た。Illとの戦闘であったにもかかわらず、プレイヤーは誰一人として犠牲になっていない。

 だが何もかもが順調に終わったわけじゃない。俺を助けようと戦ってくれた人たちの中にはナナがいた。ツムギのメンバーがいた。まるで俺が帰ってくる代償であるかのようにナナはエアハルトに連れ去られ、ツムギのメンバーは11人が消えてしまった。

 

「ナナちゃんの本名、ですか」

 

 自分の部屋で目覚めたというのに声がする。もう慣れたものと言いたいところだったが、このタイミングで聞こえるべきはナナの声であった。

 今は違う。同じモッピーから発されている声だが中身はシズネさんである。

 

「来てたのか、シズネさん」

「はい。ヤイバくんがまた落ち込んでいそうでしたので」

 

 俺はわかりやすいんだろう。顔を合わせていなくてもシズネさんには見抜かれていた。

 たしかに落ち込んでいないと言えば嘘になる。俺がIllに喰われた要因は俺の失敗にあった。数馬にやられるのではなく、俺が退いていれば昨日の戦いは起きなかった。

 俺のせいでナナがさらわれたも同然だ。

 

「落ち込んでばかりもいられないよ」

 

 否定はしないけど何もしないことだけはありえない。

 ナナは生きている。まだ取り返しがつかないなんてことはない。

 もう俺のするべきことは決まっている。

 

「今、セシリア……ラピスたちにエアハルトの居場所を探してもらってる。昨日の戦いは形の上では俺たちの勝利だ。確実に奴らを追い込んでるから、拠点を割り出すのもそう時間はかからない」

 

 今は情報が来るまで待つ。闇雲に飛び出していったところで地球と同じだけ広いISVSの世界の中からナナ1人を見つけだすことは不可能だ。

 ……もう束さんも当てにできないだろうしな。

 

「そういえば、シズネさんの方こそ俺に気を使う余裕があるんだな。シズネさんがさらわれたときはナナが即座に飛び出していったって聞いたけど、シズネさんは落ち着いてる」

「私は……非道なのでしょうか」

 

 モッピーから憂いの声が漏れる。いつになく感傷的な声音は普段の抑揚の小さい喋り方とは一線を画する。もしかしなくても動揺していた。

 当たり前だ。この1年、彼女たちはただの親友どころの関係ではなかったはず。半身に等しい存在が欠けていて不安でないはずがない。

 そんな人に俺は心配されてる。そこまで俺は弱いと思われてるのか。

 

 ……弱いんだろうな。でもそのままじゃいけない。

 

「ごめん。落ち着いてるはずなんてなかったよな。冗談の1つもない時点でシズネさんは元気ないよ」

「すみません……」

「謝らないでくれ。むしろ謝るのは俺の方なんだ。でも謝っただけで済むことじゃないから、俺は全力でナナを取り戻しにかかる」

「ナナちゃんは無事なんですよね?」

「それだけは間違いない。現実の彼女は変わらず眠ったままだから」

 

 携帯のメールを確認する。少しでも異変があれば、箒に付きっきりになってる柳韻先生から連絡が来る手筈になってる。沙汰がないということは起きていない代わりに死んでもいない。

 

「エアハルトがナナを連れ去った理由はわからない。ただ、少なくとも奴はナナを殺さないように注意を払ってた。だからまだ終わってなんかない」

「ヤイバくんの希望的観測……ではなさそうですね」

「そうとでも思ってないと耐えられないってのもあるけどな。奴は俺に執着を持ってた。ラピスに頼んで俺が健在であると喧伝してもらったから、きっと奴は俺との決着をつけに来ると思う。そこが最後の勝負だ」

 

 最後の勝負。それはもう現実味を帯びてきている。

 富士での戦いでは各国の国家代表まで参戦していた。エアハルトの狙いは脅威となる彼女らを大量の自爆Illで一気に殲滅し、他のIllに喰わせて他勢力の勢いを潰すこと。その目論見を崩した今、奴らには後がない。

 千冬姉の話では既にミューレイの包囲網が完成しているらしい。国連のIS委員会もメンバーが入れ替わり、ミューレイの権威は一企業レベルにまで落ちた。昏睡事件の件で本社にも捜査の手が伸びていると聞いている。

 未だエアハルトの尻尾は掴めていないが時間の問題だ。

 だからこそ奴が何かしらの逆転の一手を打ってくると俺は確信している。それを返り討ちにしてこそ俺たちの完全勝利となる。

 

「ヤイバくんは大丈夫そうですね。これもナナちゃんを助けようとする男の子らしい力なんでしょう」

 

 モッピーが『やれやれ』とでも言いたげに肩をすくめる。少しばかりシズネさんらしさが戻ったような気がした。

 

「実はヤイバくんに会って欲しい人がいるのですが……お願いできますか?」

「遠慮しなくていいよ」

 

 シズネさんはただ俺を慰めに来ただけじゃなかった。

 ナナのいないツムギで俺と引き合わせたい人物。心当たりは2人ほどある。

 

「クーか? それともトモキか?」

 

 どちらもナナを大切にしていたツムギメンバー。しかもクーの方は束さんが絡んでいる可能性が高い。

 ……しまったな。あのとき、クーについて質問しとくんだった。

 

「トモキくんの方です。クーちゃんは、その……」

 

 トモキの方となると昨日の戦い絡みの話になる。覚悟はしてるし、俺の方から会いに行くつもりでもあった。

 むしろ気になるのはクーの方。ナナがさらわれて何もしないとは思えないのだが……

 

「クーに何かあったのか?」

「……そちらも会ってもらった方が早そうです。すぐにこちらへ来てもらえますか?」

「わかった」

 

 幸い、今日は土曜日で学校は休み。

 起きて早々、俺はISVSへとログインする。

 

 いつもの声は聞こえなかった。

 

 

  ***

 

 ツムギへとやってきた。ギドとの戦いの後からずっと、ここに来ると決まって彼女が出迎えてくれていた。

 でも、今はいない。これには俺の責任も少なからずある。

 胸が苦しくなったけど、それは俺1人が抱えてる傷じゃない。シズネさんもそうだし、何よりもこの男が黙っているはずなどなかった。

 

「どの面を下げて来やがった?」

 

 茶髪を逆立ててるチャラそうな見た目に反して目つきは真剣そのもの。

 ツムギメンバーの中でも取り分けナナを慕っている男、トモキ。

 前に会ったときから俺に因縁を付けてきている。だけどどういう意味なのかは不明のまま。単純な嫉妬でないことだけは確かだけど、俺は“トモキの希望”が何なのかわかっていない。

 今日まで俺はトモキも含めてツムギのメンバーとはなるべく会わないようにしていた。俺はラピスと違ってすぐ顔に出るところがあったからボロが出ないようにと気を使っていた。

 だけど流石に今日は顔を合わせないわけにはいかなかった。眉間に寄った皺から怒りが感じ取れる男に対して頭を下げる。

 

「すまない。俺のせいでナナが捕まった。それに他の――」

「待て。謝罪なんて誰も欲しがってねえ」

 

 懐を掴まれ、無理矢理顔を起こされる。トモキの顔には怒りが感じられるが激情と呼べるほどのものではなく、どちらかと言えば冷淡だった。ますますトモキの考えてることがわからない。

 

「俺が言いたいのは『ナナを助けるために出来ることをしてるのか?』だけだ。大方、ラピスに場所を探らせてる間にやることがないんだろうがな」

 

 逆にトモキは俺のことなどお見通しだったようだ。

 

「その通りだ。だから俺は――」

「空いた時間を使って俺たちに謝りにきたってわけか。くだらねえ。そんなことに意味はないだろ」

 

 掴まれていた襟が解放される。変わらずトモキの怒りは感じられるが1つだけわかった。そもそもトモキは俺に怒りを向けてない。

 

「でもナナがさらわれただけじゃない。俺がIllに喰われたせいで死んだ人がいるんだろ?」

「『全部、ヤイバのせいだ』なんて言った奴がいるのか? 誰だ? 言ってみろ。この俺が殴ってやる」

「いや、誰も言ってないけど――」

 

 言い切る前に容赦のない拳が俺の左頬に叩き込まれた。

 仮想世界だけどかなり痛い。

 殴られた勢いのまま俺は床を転がった。

 

「有言実行だ。悪く思うな」

「どういう意味だ?」

「だってお前しか言ってないだろ? 『全部、ヤイバのせいだ』なんて世迷い言にも程がある」

 

 まさかコイツも弾たちと似たようなことを言うとは思わなかった。

 だけど今回ばかりは失ったものの方が大きい。

 少なくともツムギのメンバーならそう思ってるはず。

 

「消えた命は帰ってこないのにか?」

「そうだな。手遅れなんだ。もしヤイバが化け物に喰われてなかったとしてもな」

 

 この瞬間、俺の中にあった違和感が明確に形となった。

 手遅れだとトモキは言う。しかしそれは今の時点での話をしているわけじゃない。

 俺がマドカにやられる前の“もしも”を話しているはずなのに、手遅れだと断言している。

 俺にはその意味が伝わった。ナナもシズネさんもわからないこと。幸いなことに今はどちらも近くにいない。

 

「全部、知っているのか……?」

「ああ……ここに囚われた奴らの大半は“ゾンビみたいなもん”だろ?」

 

 決定的な一言をトモキは言ってのけた。

 俺はラピスから既に聞かされていた事実。ツムギのメンバーで現実に生存が確認されているのはナナ、シズネさん、アカルギのクルー3人の計5人のみ。

 最後まで隠しておかなければならないと思ってたのに……

 

「俺を含めて戦場に出てた奴らは察してたさ。1年近く経ってナナもシズネもISの技能が上達してた。だが俺たちはいくら練習しようと変わらない。最初に与えられた能力で同じようにしか戦えなかった」

「……そうか」

「俺の調べではナナとシズネ、レミ、リコ、カグラの5人は生きてる。他の連中は死んでる。これも合ってるか?」

 

 ラピスの調査とピタリ一致している。声で返事ができなかった俺は首を縦に振った。

 トモキの言動もわかってきた。コイツは最初から自分が死んでるものとして俺に向かってきてた。戦う理由も自分本位なんかじゃなくて、まだ生きてるナナたちだけでも生還させられる道を探してたんだ。

 

「どうして今まで戦えたんだ? ナナが現実に帰ってもお前は消えるだけなんだろ?」

 

 わかってるのに聞いてしまう。なぜなら俺が箒を助けようとしてるのは自分のためだと自覚しているからだ。でもトモキは自分のことなど二の次。俺に託すと言っていた“希望”は“ナナの生存”以外にはない。

 どうしてナナのためにそこまでできる?

 もしかしたらナナの生還と引き替えにISVSのトモキも消える必要があるかもしれない。現実の体が死んでいると知っているのに、今の自分の存在の何もかもが消えるかもしれない戦いに身を投じるのは何故だ?

 

「生きるためだ」

「生きる……?」

「現実で死んでる俺たちが神様の悪戯(いたずら)か何かでこうして動けている。だけどテメェらの話を聞いてる限りじゃこんなもの幻みたいなもんだ。そんな俺たちでもこうして寄り添い合って生きてたってそう思いたいんだよ」

 

 ――その結果を現世(うつしよ)に肉体を持たぬ私が生きた証としよう。

 

 トモキの顔にマドカがダブる。出自は違うが状況的にトモキもマドカも似たようなもの。その果てに得た結論はほぼ同じだった。

 

「だからな、テメェに言っておかなきゃならねえ」

 

 力強い拳が俺の胸に押し当てられた。

 

「アイツらが逝ったことにテメェは関係ねえ。でもな……ナナがさらわれたことだけはテメェの責任だ。意地でも取り返せ!」

「わかってる……」

「テメェは! これから先、ただの一度も負けんじゃねえぞ! ナナたちを必ず現実に戻せ!」

「わかってる!」

 

 最後に圧迫感が加えられた後、トモキの手が離れる。

 自らが死んでいると自覚している割には力も熱もあった。

 その想いは受け取った。

 他ならぬ俺のために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「全く。“俺の希望”様はどこか頼りねえな」

 

 ツムギの奥へと1人で歩いていった背中を見送った後でトモキはぼやいていた。

 完全に独り言のつもりだった。

 しかし、熱くなって周りが見えなくなっていたトモキは気づいていなかったのだ。

 

「“私たちの希望”はトモキくんよりとても頼りになりますので何も心配は要りませんよ」

「シズネ? まさかお前――」

 

 唐突に現れたのはナナの親友の少女。ツムギの内情を知らない5人のうちの1人がこの場に現れた。つまり、

 

「今の話を聞いていたのか……?」

 

 盗み聞かれていた。よりによってトモキが最も聞かれたくなかった人に。

 

「……ずっと違和感はあったんです。私にも。もちろん、ナナちゃんにも」

 

 ヤイバの去った方を向いているがシズネの目は焦点が合っていない。遠くをぼんやりと眺めている彼女の目に映っているものはトモキたちが隠してきた真実。

 

「こんな恐ろしいことだとは少しも想像してませんでした。でも、悲しいと思うより先に妙に納得している自分がいるのがわかるんです。最初からそうだと言ってくれても良か――」

「やめろっ!」

 

 淡々と告げるシズネに掴みかかってでもトモキはその先を言わせなかった。

 シズネが黙ると強く掴んでいた手を離す。

 

「そんな風に泣いてたら説得力なんてねえだろ……」

「あれ……? おかしいです。私、泣けなかったはずなのに」

 

 ボロボロと溢れてくる涙にシズネは戸惑いを隠せない。今までも全く泣かないわけではなかったが、以前と比べて涙腺が緩くなっている。

 これもきっかけがあったからだ。その詳細を知らなくても、トモキには誰の影響かハッキリと理解できている。

 

「おかしくねえよ。お前はそれでいい。俺たちどころかナナでも取り戻せなかった“お前らしさ”だ」

 

 誰が取り戻したのかは敢えて言わない。言わなくてもわかるはずであるし、言ってしまうと台無しな気がした。

 トモキは涙を拭っているシズネの頭に右手を優しく置いて笑いかける。

 

「お前にもちゃんと現実に帰ってもらわないとな。あの野郎だけにナナを任せるのは不安しかない」

「……トモキくんより安心できます」

「まだ言うか。ま、それは事実だけどよ」

「でも――」

 

 涙の止まらないまま、シズネはトモキの目を見つめ返した。

 

「トモキくんたちが格好良かったことを私は忘れません。現実に帰っても」

「……そいつは最高のご褒美だな」

 

 恥ずかしげに目線を外したトモキは右手で後ろ頭を掻く。

 もうすぐ最後の戦いが始まる。

 勝っても負けてもトモキは消えるだろう。それは最早、避けられない事実。

 怖くないと言えば嘘になる。しかし、トモキは悲観していない。

 

現実(向こう)でナナと思い出話でもしてくれ。ヤイバも交えてな」

 

 ここにいた自分が幻でないとそう思えるから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ツムギの中枢。迷宮の入り口のある部屋の中心に彼女の姿はあった。

 クーと呼ばれている自称AIの少女。

 だけど俺たちが想像するAIとは全く違う。彼女にはトラウマがあり、それはとても人間らしい反応だった。

 

「クー。元気にしてたか?」

 

 呼びかけてみる。しかし今の彼女は無表情と呼ぶのも違和感があるくらい反応が薄い。

 目は虚ろ。無とでも言った方がしっくりくる。

 

「ヤイバお兄ちゃん……」

 

 一応、俺の名前を呼んでくれたけど、俺を見てくれてはいない。シズネさんが言うにはナナが連れ去られたと聞いた後から魂が抜けたように喋らなくなったらしい。

 ナナをさらわれたことが影響しているのか。

 それとも、俺が束さんの声を聞けなくなったことの影響か。

 どちらも考えられるけど、答えは出そうにない。

 

「ごめんな。俺のせいでナナがさらわれた」

 

 口をついて出たのは謝罪。クーはナナを守ることを任としていた。気にしているはずだと思うと言わずにはいられなかった。

 でも俺は心のどこかで期待もしていた。『ヤイバお兄ちゃんのせいじゃありません』と反応を返してくれるのだと。

 だけど違った。

 

「そう思うなら、早く連れ戻してください」

 

 目を見張る。無反応に等しかったクーが明確な意思表示を示したことはいい。だけどその言葉はどこか無機質で、以前のような人間らしい思いやりが欠けていた。

 

「あ、ああ。わかってる。今は居場所を調べてるところだ」

「“北緯83°、東経36°”」

「へ?」

「ナナさまの居場所です。早期の救出をお願いします」

「あ、ああ」

 

 なぜ知ってるのかなど言いたいことはあったけど、有無を言わせない迫力に押された俺は頷くことしかできなかった。

 本当にそこにいる保証はまだない。ラピスに確認してもらうとしよう。

 

「まだ何か?」

 

 俺が立ち尽くしていると無機質な声で問われる。クーの目つきは俺を糾弾するかのように冷たい。ナナが最優先と言わんばかりに、俺がこの場に残ること自体を叱責してきているようだ。

 ……きっとナナがいなくてクーの精神が安定してないんだろう。

 ここで俺が何を言ったところで無駄か。クーの言うとおり、ナナを連れ戻すことを最優先にしないと。

 

「いや。情報ありがとう。必ずエアハルトに勝ってナナを取り戻すよ」

「お願いします。私はここでヤイバさまの勝利を祈っています」

 

 一応、期待はされているらしい。だったら応えないとな。

 ……何か違和感があるけど気のせいだろう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ピンポーンと織斑家の呼び鈴が鳴る。一夏はISVSでログイン中であり応対には出ない。もっとも、今現在の織斑家には使用人がいた。オルコット家の専属メイドが玄関を開く。

 客人は黒い軍服に身を包み、左目を眼帯で隠した女性だった。

 メイド、チェルシー・ブランケットは無言でドアを閉める。

 

「え……私が何か不作法でもしたのか?」

「すみません。お嬢様からいただいたブラックリストに載っている顔でしたので……黒ウサギ隊だけに」

 

 チェルシーがドア越しに応対している相手はISVSでは有名人の1人。シュヴァルツェ・ハーゼのナンバー2、クラリッサ・ハルフォーフであった。

 

(あるじ)の意向であなたを一夏様に会わせてはいけないことになっています。お引き取りを」

「いや、私は教官――千冬さんに用事があるのだが……」

 

 しばしの静寂。そして、再びドアが開けられた。

 

「大変失礼しました。一夏様に悪影響が出ないのでしたら問題はないとのことです」

「……一体、私は何を警戒されているのだろうか」

 

 首を傾げながら中へと案内されていく。その先の客間でクラリッサは目的の人物と会えた。

 織斑千冬。ブリュンヒルデの正体であり、過去にはバルツェルの伝手でシュヴァルツェ・ハーゼを指導していたことから隊内では教官で通じる人物である。

 

「お久しぶりです、教官」

「その呼び方は止せ。ラウラにも影響が出ていたぞ」

「隊長はここで楽しくやっていましたか?」

「隊長、か……どちらかと言えばクラリッサがアイツの保護者だと思うのだが」

「たしかに姉のように振る舞っているのは事実ですね。隊長はかわいい人ですから」

 

 他愛もない談笑。しかしどこか暗い笑い声。その原因は、話題の中心人物がいないことである。

 客間へとやってきたチェルシーがお茶を淹れてきた。受け取ってすぐに口に運び、気を落ち着ける。そうでないとまともに話もおぼつかない。

 

「……私では力不足でした。隊長を守れないどころか、足を引っ張るだなどと」

 

 クラリッサが後悔を吐露する。あわや自分が昏睡状態になっていた危機だったというのに、気にするところはかわいがっていた上官のことばかり。カップを握る手にも力が籠もる。

 

「AICの天才が敵に回ってしまったのは脅威ではある。だが、クラリッサもラウラも大切な情報を(もたら)してくれた。あまり気負うな」

「しかし、隊長が――」

「解決策はわかりやすい。現実での戦闘でないのなら、ラウラの纏うIllを破壊さえすれば帰ってくる」

「私では……隊長に勝てません」

「だからこそここに来たのだろう? 私も無関係ではない。次の戦いでもおそらくは私が相手をすることになるだろう。今度は全力で向き合うさ」

 

 富士の戦いとは違う。一夏の救出が優先であったときと違い、今度はラウラを取り戻すことが千冬の戦いとなる。それが最も一夏の助けとなると理解している。

 

「それとも私では不安か?」

「いえ。お願いします、教官」

「だから私は教官では……まあ、いい。任せておけ」

 

 クラリッサも千冬には絶大の信頼を置いていることだろう。多くのISVSプレイヤーはブリュンヒルデが誰かに負けるだなどとは考えられないはずだ。

 だから不安になっているのは本人だけである。今のラウラはVTシステムだけでない。完全なコピーではなく、千冬の技能を最低限備えて強みまである強敵だ。

 それでも千冬は勝たなくてはならない。

 勝利こそが世界最強の務めなのである。

 

 クラリッサが出て行った。本当にラウラの件で話をしにきただけだった。

 バルツェル准将の部下らしい行動だ。

 亡き父の親友である強面が不安げに眉をひそめている顔を想像し、千冬は苦笑する。

 造られた存在だったラウラが、この輪の中だとただの人間である。そう肌で感じ取れた。

 

「失礼します」

 

 客間から自室に戻ろうとしたところで、入ってくる人物がある。外からの来客ではない。そして、千冬には心当たりもあった。

 

「デュノアか。またあの社長に何か言われて――」

「違います」

 

 空気を読まずにデュノア社長の使いとしてきたのだと千冬は思いこんでいたが、シャルロットはきっぱりと否定する。

 

「恥を忍んでお願いをしに来ました。父は関係なく、僕個人の意志です」

「ほう……」

 

 千冬は感嘆の声を上げる。以前にデュノア社の使いを名乗ったときとは目つきが違う。宣言通り、誰かの意志で動いているわけではないのだと見ただけでわかるものだった。

 そんなシャルロットの頼みとは何か。先に言ってしまえば、決して複雑なものなどではない。

 彼女は深々と頭を下げる。

 

「ラウラを助けてください」

 

 本当は自分で助けたかった。富士での決戦でもシャルロットはラウラの位置を把握していた。

 だがラウラの前に立つことすら適わなかった。彼女の単一仕様能力により近づくことすらできなかったのだ。

 

 改変系ワールドパージ“永劫氷河(えいごうひょうが)”。

 発動は任意、解除も任意でイレギュラーブートとしても使える。

 その効力は、自機から一定範囲内にある全てにAICをかけるというもの。その影響で真っ先にISの飛行能力が奪われる。機動力を奪われ、重すぎる機体は身動きすら取れなくなり、実弾は静止する。

 またもう1つ効力があり、ISから離れたEN兵器によるビームも急速に減衰する。

 要約すると射撃武器が全てまともに使えなくなり、IS自体の機動力を奪う領域を展開する能力だった。

 

 ラウラの永劫氷河はブリュンヒルデを捕らえる檻となっていただけでなく、周囲からの接近をも阻む障壁となる。

 徒歩で辿りついた先でシャルロットが見たものはPICの恩恵が微少な中での超人同士の立ち会い。その中に割って入ることは不可能だと悟るには十分であった。

 夕暮れの風がプライドを捨てて頭を下げた。ブリュンヒルデと比べれば夕暮れの風の名前は霞むものだが、以前の彼女ならば意地でも他人に任せたりはしなかっただろう。

 

「頼まれなくてもそれは私の仕事だ。あのバカな教え子には教官を私事で利用した罰を与えてやらねばならない。トイレ掃除でもやらせようかと思ってるがどう思う?」

 

 立て続けに同じことを頼まれた千冬は快く快諾する。元より、一夏救出に動いてくれたものたちの頼みを断るつもりなどなかった。

 シャルロットの肩を掴んで無理矢理顔を上げさせた千冬は楽しげに笑う。釣られてシャルロットの顔も明るいものに変わった。

 

「ラウラに掃除なんてさせたら酷い出来になりそうです。僕も手伝いますよ」

「良いだろう。最終的にあのメイドが完璧に仕上げるだろうが、やりたいものを止めはしない」

 

 言ってから気づく。すっかり織斑家も狭くなった。いずれ全てが解決すればいなくなるとは言っても、今だけは共に住んでいる家族みたいなものだと思うと、また千冬が戦う理由となる。

 千冬の中でラウラと決着をつける意志が固まりつつあった。同時に不安になることもできてくる。解消するためには誰かの手を借りる必要があった。

 

「逆に私からも頼む。私はラウラの相手で手一杯となる。代わりに一夏を助けてやってくれ」

「任せてください。一夏の障害は僕が取り除いてみせます」

 

 頼みごとが交差し、お互いに了承した。互いにすべきことはハッキリとしている。あとは戦場で役割を果たすのみ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 昼になり、俺は外に出てきていた。家の方は千冬姉にお客さんが来ててちょっと居づらかったからだ。まだ飯も食ってない。

 必然的に外で食事ということになるのだが、生憎と手持ちが心許ない。馴染みのある場所の方がいいしな。こうなると俺が向かう場所は限られてくる。

 藍越学園に進学してから一番多いのは無頼さんのラーメン屋台だけど、あの店は夜限定だから無理。そもそも今は1人で食いにいく気分でもないし。

 次に多いのは五反田食堂だけど土曜日に行っても弾はいない。

 だったらあそこが一番だな。たしか土曜日は店の手伝いをしてるはず。今日は俺の家に来てなかったからまず間違いない。

 

「いらっしゃいませー! おひとり様ですか――って一夏ぁ!?」

 

 店内に入ると仰天とされた。久しぶりに来たから当然の反応か。あの狂言誘拐で色々とやらかしてるからここに来づらかったし。俺のメンタルはそこまで図太くない。

 というわけでやってきたのは鈴の親父さんが営む中華料理屋。軽く1年以上振りな気がするけど雰囲気は少しも変わってない。……土曜日の昼時にしてはお客が多いとは言えないけど、絶対に口には出さない。

 飲食店として最低限綺麗にしているが建物はもうかなり老朽化をしてきている。壁なんかあちこちにくすみが見られるし。お世辞にも綺麗とは言い切れない店内だけど、逆に俺はこれくらいの方が落ち着いた。すぐ傍に調理場があることもあって、空気もどことなく油っぽい。だがこれも中華料理屋ならではの味と言えるだろう。

 鈴に案内されるまでもなく勝手に席に着く。そうしてウェイトレスの鈴に目をやってみると、彼女は私服の上にエプロンという格好だった。

 

「あれ? 今日はチャイナドレスじゃないんだ」

「あんなふざけた格好、二度とするもんか!」

「かわいいらしいから、ちょっと期待してたんだけどなぁ……」

「お父さん! あの制服ってどこに片づけたっけ?」

 

 鈴が奥に引っ込んでしまった。からかうつもりだったのに本気で着替えに行ってしまったようだ。

 ……うーむ。今更冗談とは言い出せない。そっとしておこう。

 

 話し相手もいないし、注文を取るはずのウェイトレスはしばらく来ない。注文するメニューは決まってるから、この暇な時間は携帯で潰すとしよう。

 クーの話を聞いてからまだセシリアに会えてない。今日は外に出ているとのことだった。例の情報は直接言おうと思ってたけど折角だからメールで済ませる。

 

「“北緯83°、東経36°”か……」

 

 具体的な場所はセシリアに任せるつもりだけど、俺でさえ数字だけでどんな場所かは想像できる。北緯83°なんてどう考えても北極海だ。だからこそ敵の拠点があっても不思議じゃないし、下手をすると現実の同じ場所にも何らかの施設があるのかもしれない。

 簡単に座標を送信したところでカウンターの奥で動きがあった。少し慌てた感じで飛び出してきたのは、見慣れた彼女の見慣れない格好である。

 

「お、お待たせ」

 

 これでどうだと胸を張ってはいるが恥ずかしげに俺から視線を逸らしている。俺は俺で割とすぐに鈴の顔から足に目を移していた。

 鈴が着てきたチャイナドレスのスリットはかなり深い。これは親父さんの好みなのだろうか。よくわかります。

 正直に言うと鈴の体格だと衣装に負けると思ってたんだけど、とんでもない。歩く度にチラチラと覗く白い太股が持っている破壊力を俺は甘く見ていた。

 

「うーむ……盛り上がりに欠けるなぁ」

「胸見て言ってんじゃないわよ! こんちくしょう!」

 

 太股から意識を逸らすために胸のことでからかう。鈴はお世辞にも胸が大きい方ではないから親父さんも胸を露出させるデザインにはしていなかった。もしこれで胸付近の露出度も上げていたら色々と危なかったぜ。

 ごめんな、鈴。思ったより俺の方が恥ずかしかった。

 

 軽く注文を済ませ、暇な鈴が俺の対面に座る。今は親父さんの調理待ちだし他の客の対応もないから別にいいのか。

 

「今日はどうしたのよ。ここに来るなんて珍しいじゃない?」

「なんとなくだよ。理由がないとダメか?」

「てっきりあたしに会いに来たのかと思った」

「ハハハ。実はその通りなんだ」

「その明らかな愛想笑いは癪に障るわ」

 

 あながち冗談でもないんだけど、鈴が勘違いしてるならそのままでいい。

 セシリアがいなくて千冬姉が忙しそうにしてる家で飯を食うより、来やすい間柄の誰かが居るところに来たかったんだ。

 

「あたしじゃなくて誰でも良かったって感じなのよね」

 

 全然勘違いしてないじゃん。やっぱり鈴は鋭い。

 

「でも、あたしの予想とは違ってる。一夏のことだからもっと取り乱してると思ってた。今日も本当ならさっさと手伝いを切り上げて様子を見に行くつもりだったのに」

「……今の俺って変か?」

「当たり前よ」

 

 自分では気づいてなかったけど、今の俺は変らしい。

 取り乱す、か。言われてみればナナがエアハルトにさらわれたっていうのに俺は落ち着いてる。数馬が失踪してたときなんかはがむしゃらに街を走り回ってたくらいだったのにな。

 ナナが大切な存在じゃないからか? いや、そんなはずはない。彼女の顔を思い起こすと抱きしめたい衝動に駆られる。会えないとばかり考えると鈴の予想しているような取り乱した俺になるから、考えすぎないようにしているだけなんだ。

 

「慌てたところでナナが帰ってくるわけじゃない。今はセシリアたちを信じて待つ。俺は次の一回で確実にエアハルトをぶちのめす。休むのが最良なんだよ」

 

 もう1つ、俺が落ち着けているのはきっと束さんの話の影響だと思う。

 箒を取り戻すために俺は自分を最適化しなくちゃいけない。無駄なことはせず、必要なことのみを実行して確実に達成する必要がある。

 今は俺の力の及ばない状況。そして、エアハルトと戦うときになれば全力を尽くす。

 もう俺の中でその割り切りはできている。鈴に質問されて再確認した。

 

「そろそろ出来るわね。ちょっと待ってて。持ってくる」

 

 話の途中だが鈴は席を立ちカウンターの方へと向かう。

 流石は中華料理。注文してから出てくるのが早い。俺の前に置かれた酢豚から立ち上る香りが空きっ腹を刺激する。我慢は体に悪い。割り箸を取って早速食べ始める。

 すると、また鈴は俺の正面に座った。両手で頬杖をつき、やたらとニコニコしながら食事中の俺を覗いてくる。

 

「なんだよ? そうやって見られてると食べづらいんだけど……」

「いいじゃん。減るもんじゃないし」

「逆の立場になって考えてみろ。俺がじっと見てる中で食べてて気分がいいか?」

「最高だと思うけど?」

「お前に聞いた俺がバカだったよ」

 

 今日は俺よりも鈴の方が変じゃないだろうか。鈴の奴ってこんな価値観だったっけ?

 

「ねえ、一夏」

「ん?」

 

 なぜか改まって俺の名前を呼んでくる。変だと一言でいうなら簡単だけど、鈴の意図が掴めなくて困る。ただまあ、上機嫌そうだからいいんだけど。

 

「美味しい?」

「じゃなきゃここに来ないっての。でも前に食ったのと違う気がする」

「実はその酢豚、あたしのアレンジレシピなのよ」

「そうなのか。ってことは作った人の腕の差だろうな」

「何が?」

「俺の家で食った奴よりこっちの方が旨い」

「随分とハッキリ言ってくれるわね……まだお父さんに適わないのは認めるわよぅ……」

 

 口を尖らせて拗ねたけど怒ってはなさそうだ。つい正直に言っちゃったけど結果オーライ。とりあえずじーっと見て来なくなったから落ち着いて食べられる。

 

「そういや、鈴の酢豚を初めて食ったのって中3のときだったっけ」

「そ、そうよ。よく覚えてるわね」

「当たり前だって。筆舌に尽くしがたいという言葉の意味を知った瞬間だった。悪い意味で」

「喧嘩売ってる?」

 

 おっと、流石に図々しすぎたか。久しぶりに鈴に青筋が浮かんでるのを見た。

 さて、どう機嫌を直してもらおう。

 しかし何事もなかったかのように鈴は大笑いした。

 

「ま、仕方ないわよねー! あのときのあたしの料理ってひどかったもん!」

 

 この自虐を否定する言葉を俺は持ち合わせていない。

 あのときの鈴が作った酢豚は酸っぱかったもんなぁ。調味料の加減が全然できてなくて、絶対に俺が自分で作った方が旨かったと断言できる。

 たぶん……鈴は中3まで料理なんてしたことがなかったんだ。料理はどうしても両親の確執を思い知らされただろうから見たくもなかったはず。

 変わったのは中2の冬。今思い返すと我ながら無茶をしたもんだけど、親父さんと仲良く料理をする鈴が得られたと思うと『良くやった』と自分を褒めてやりたい。

 

「ちゃんと上達してるよ、鈴は」

「それってお世辞?」

「本当だって。いつか親父さんの味も超えるって信じてるぜ」

「うん、頑張る!」

 

 なんか小さい子供みたいに元気な返事がきた。体格の小ささも相俟って同級生なのに年下みたいに思えてしまう。これがいざとなったら男顔負けの勇ましさを発揮するなんてにわかには信じられないよな。

 酢豚を完食。すぐに出ていかずに鈴と話でもしていようと思った矢先だった。店内に新たな客がやってくる。話し相手はしばらくお預け。鈴は席を立って入り口へと歩いていく。

 

「いらっしゃいませー! 何名さ……」

 

 鈴の挨拶が途中で止まった。何かトラブルでもあったのかと入り口に目を向ける。すると、そこには中華料理屋には似つかわしくない金髪縦ドリルの美少女の姿があった。

 店員のスマイルをどこかへと捨てた鈴が口を尖らせる。

 

「何しに来たのよ……」

「もちろんお食事ですわ。ちなみに3名です」

 

 先頭のインパクトに持っていかれたけど、よく見ればセシリアの後ろに簪さんとのほほんさんが付いてきている。珍しい組み合わせだった。

 

「……では席にご案内します」

 

 ぶっきらぼうな応対をする鈴。対するセシリアは彼女の案内を無視してこっちに向かってきた。

 

「あら、一夏さんもいらしたのですか」

「まあな」

「ちょっとアンタ! 何勝手に――」

「相席よろしいかしら?」

「もう俺、食い終わってるんだけど」

「まあまあ。お話にだけでもお付き合いください」

 

 そう言ってセシリアは俺の正面に座る。簪さんとのほほんさんも同じテーブルについた。

 不機嫌さを露わにする鈴の様子を見ておどおどしている簪さんに、目を輝かせてメニューとにらめっこするのほほんさん……両極端な2人だなぁ。

 この2人と一緒にいることといい、鈴の店に来たことといい、絶対に偶然なんかじゃない。3人が適当に注文を終わらせ、鈴が奥へと引っ込むとセシリアは俺を真っ直ぐ見据えてくる。

 

「お元気そうで良かったですわ。これも鈴さんのおかげでしょうか」

「最初っから俺がここにいるの知ってて来たんだな」

「否定はしませんわ。ただ、一度ここに来てみたかったというのもありますわね」

 

 店内を新鮮そうに眺めるセシリア。来てみたかったというのは本当だと思う。セシリアが来る飲食店としては品格なんてまるでないところなんだけど、鈴の家ってことに意味があるんだと俺は勝手に納得する。

 しかし簪さんもセシリアと同じように店内を見回している。彼女も実は割と大衆向けの食堂とかに縁がないのかも。

 

「簪さんとのほほんさんがセシリアと一緒だなんて珍しいな」

「ああ、それは――」

「一夏くんに聞きたいことがあったから……」

 

 簪さんが話してくれた。俺に会うためにセシリアについてきたってことらしい。昼食はついでなんだ。のほほんさんはどうか知らないけど。

 

「簪さんのお話はまた後ほど。まずはわたくしからでよろしいですか?」

「うん……それでいい」

 

 セシリアからの話。まさかとは思いつつ俺の方から心当たりを聞いてみる。

 

「さっきのメールの件?」

「はい」

 

 俺が飯を食べ始める前に送ったメール。それは敵の拠点が北極にあるかもしれないというもので大雑把な座標も指定したものだった。

 まさか肯定されるとは思わなかった。こんな短時間で調べ終わったのかよ。

 

「で、どうだった?」

「星霜真理で調べたところ、ISコアの不自然な集中が確認できましたわ。十中八九、マザーアース。さらにゲートジャマーが確認されたため、トリガミのような登録されていないレガシーである可能性も高いです」

 

 つまり、隠されていた敵の拠点を発見したということになる。セシリアですら発見が困難だった場所をクーがどうやって見つけているのかはさっぱりわからないが、彼女の情報は正確なものだったようだ。

 間違いなくそこにナナがいる。そうなるとここでのんびりしている時間は終わり。さっさと家に戻るために席を立つ。

 

「お待ちください。攻撃は明日ではいけませんか?」

 

 席を立った俺はセシリアに掴まれた。彼女の手を強引に振り払って良い結果が出た試しがない。大人しく彼女と向き合う。

 

「どうしてそんな悠長なことを言うんだ?」

「今の一夏さんには周りが見えておりません。一夏さんは睡眠のような昏睡状態から解放されたばかりで動けます。しかしながら昨日、一夏さんのために戦った方たちは疲れ果てているのです」

 

 いくらISVSといえども精神的疲労と無縁ではない。俺は結果的に休めているが皆は連日の戦いばかりで疲労困憊であるとセシリアは言う。

 俺には否定する言葉などなかった。

 

「わかった……俺一人じゃ奴らに勝てないしな」

 

 セシリアが俺を止めるということは敵の拠点の戦力はこれまでと同等かそれ以上であることを指す。敵にマザーアースが1機あるだけでも俺単独では突破できない。

 

「予定は? 皆には伝えてあるのか?」

「弾さんやマシューさんといった方々には伝えておきました。あとは通常のミッションと同じように協力者が集まると思われます」

「敵にそのことは気取られてると思うか?」

「おそらくは今日に奇襲をかけられることすら想定していると思われます。急ぐことよりもこちらの体勢を万全に整える方が現実的でしょう」

「皆の休養。あとは敵の対策を練るってところだな」

「はい。そのことでも今日はお話があります」

 

 敵の対策を練る。敵の主力と言えるマザーアースはもちろんのこと、俺が一番気にしているのはエアハルト。ナナが奴に連れ去られたってことは、奴は以前までとは違うはず。

 そんな俺の意図をセシリアも理解してくれているのか、話題はやはり奴のことだ。

 

「長らく不明でしたがエアハルトの単一仕様能力の概要が掴めました。種別はクロッシング・アクセス系イレギュラーブート。発動条件は対象のISの頭を鷲掴みにすること。効果は対象ISを強制的に命令に従わせるというものです」

 

 思ったよりも使いにくそうな能力という印象だ。俺が接近戦ばかりしているから思うことだが、相手の頭を手で掴むというのは面倒極まりない。使いづらいとされているシールドピアースを当てる方が簡単だ。そんなレベルのことをしなければ使えない能力となると実戦での使い道はほとんどないと言える。

 効力の方は大きい。それでも戦闘で多数を相手にするのには向いてない。ブレードで斬った方が早いに決まってる。

 

「つまり、頭を掴まれないように注意しろってことだな。でもなんでクロッシング・アクセス系なんだ?」

「クラリッサさんからの情報ですが、能力を使用された際、相手側の記憶と思われる光景を見たそうです。わたくしが一夏さんとのクロッシング・アクセスで経験したことを同じでしたので、そう判断しました」

「強制的にクロッシング・アクセスをする能力ってことか……」

 

 クロッシング・アクセスはまず起きない。単純に仲が良いだけで起きているのならもっと一般的なものになっているはず。条件は不明だけどエアハルトが見ず知らずの相手とクロッシング・アクセスしたとなると、漠然と無理矢理なんだと思えた。

 

「エアハルトのワンオフはそれほど脅威とは思えないな。だったらナナはどうして負けた?」

「目撃した方の情報を集めてみると、ナナさんもラウラさんも“黒い霧”にやられたとのことです。変幻自在に動き、実体にもEN属性にも対応できるそうですわ」

「黒い霧……」

 

 ここで聞いたことのあるキーワードが出てくるのは偶然とは思えない。

 エアハルトの使ったという装備の概要を聞いた俺は思わず笑ってしまった。

 

「一夏さん……? どうかされましたか?」

「あっと、ごめん。気にしないでくれ」

 

 笑わずにいられない。“黒い霧”は箒たちをISVSに閉じこめた元凶の証明に等しい。エアハルトを倒す意味はナナを取り戻すことに留まらない。

 ……束さん。思ったよりも早く約束を果たせそうです。

 エアハルトに捕まったというラウラもエアハルトさえ倒せば帰ってくるはず。何をすればいいのかはハッキリした。

 

「わたくしからは以上ですわ。次は――」

「私。一夏くんに聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「ああ」

 

 先行きが見えてきて、気が大きくなっていた俺は特に考えることなく返事する。

 すると、簪さんは手の平側を上に向けて右手を出してきた。

 

「イスカを貸して」

「え、あ、ああ。ほい」

 

 意表を突かれた要求だった。しかし一度頷いた手前断りづらく、言われるままにイスカを手渡す。

 何をするのかと黙って見つめる。

 簪さんは表と裏を確認したかと思うと、あろうことか俺のイスカを自分の上着のポケットに仕舞い込んだ。

 

「ちょ、おま! しれっと自分の懐に入れてんじゃねえ!」

「ひっ! ご、ごめんなさ……」

 

 ついセシリアや鈴と同じように大声でツッコミを入れたら彼女を怖がらせてしまったらしい。慌ててポケットからイスカを出して俺の方に差し出している。

 何か悪いことした気分だ……

 そんな俺を咎める一撃が上から降ってくる。

 

「女の子泣かせるなんて最低よ、一夏!」

「ぎゃふん! って、鈴? これは俺が悪いのか?」

 

 拳骨を振り下ろしたのは料理を運んできた鈴だった。片手でトレーを支えながら俺を殴りつけられるとは脅威のバランス感覚である。無駄な才能だと言っておこう。

 俺は悪くない。とはいえ、悪いことをした気分になったのも事実。

 

「ごめんな、簪さん。だけどまさかイスカを持っていかれるとは思ってなかったんだ」

 

 謝りつつも暗に説明を要求する。その意図を察してくれた簪さんは俺のイスカを両手で差し出したまま言ってくれる。

 

「一夏くんは昨日……白騎士を使ってた。だから……白騎士の情報がないか調べておきたかったの」

「そっか。だったら預からないと調べられないな。次の戦いは明日って決めたからそれまでなら問題ないし。でも最初からそう説明してくれれば別に怒らなかったのに」

「……言おうとしたときだったの」

「ごめん」

 

 少しばかり遅いよ、とは思ったが俺がせっかちだったのも悪かったかもしれない。前にも唐突にイスカを取り上げられた経験があるものだから許してほしい。

 簪さんのしたいことはわかる。たしかに昨日の戦いで白騎士が上げた戦果は凄まじいものだった。ISVSにあったら間違いなくバランスブレイカーになるが、敵との戦いに限ればあって困るものじゃない。

 ……でもよく考えると白騎士って10年前にあったISなんだよな。そのデータを今更欲しがるってどういうことなんだろう?

 

「10年前、白騎士はISの見本として篠ノ之博士から提供されました。しかし、白騎士をそのまま使っても白騎士事件で見せていた性能の10分の1も発揮できなかったのです」

 

 俺の疑問は顔に出ていたのか。セシリアが補足を入れてくれる。

 

「束さんが何かを隠してたってことかな?」

「多くの研究者はそう見ていますわ。だからこそ篠ノ之博士を信用できず、テロリスト扱いする者までいたのです」

 

 束さんがテロリストとして疑われていた背景には国際社会の信用がなかったのもあるわけか。たしかに2千発以上のミサイルを完璧に落とした謎の兵器として登場したのに、実物を渡されて誰も再現できないのなら何か裏があると思うだろうし。

 どうして束さんはそんなことをしたのか。

 きっとこの事件に関わらなかったら、束さんを理解できずに終わってた。

 でも今は違う。俺はツムギを知ってる。束さんがツムギに守られていたのも知ってる。束さんには敵がいたんだ。

 だから真実は国際社会が束さんを信用する以前の問題。束さんが世界各国の首脳を信じていないことが根源にある。

 

「何かわかったら俺にも教えて、簪さん」

「うん……」

「そういえばセシリア。昨日の戦いに白騎士が現れたって事実はどれくらいの人に知られてるんだ?」

 

 白騎士の話を聞いて、昨日の派手な活躍は問題じゃないかと思い至った。白騎士の情報が貴重なものなら、男性操縦者やイロジックのようにアメリカとかが欲しがっても不思議じゃない。

 だから確認してみたんだけど、セシリアが目を丸くする。

 よもや彼女が気づいていないとは思わなかった。

 

「まさか一夏さんが気づくなんて……」

 

 前言撤回。セシリアが気づいてないなんてはずはなくて、わざと俺に話さなかっただけ。

 ってか失礼すぎるだろ。俺を何だと思ってるんだ……いや、学校の成績はお察しだけどさ。

 

「一夏さんが危惧されているとおり、倉持技研や日本の立場は苦しいですわね。平石羽々矢が公表していたイロジックの存在が失われた今、手柄を求めるアメリカの手のものが狙ってくる可能性があります」

「だろうなぁ……ナタルさんが味方じゃないのかぁ」

「いえ、あの人は割と千冬さん寄りなので心配は要りませんわ」

 

 意外だ。最初にナタルさんに敵意を見せていたはずのセシリアが彼女を擁護してる。つまり、本物の銀の福音が俺たちの敵として立ちはだかる心配はしなくて良さそうというわけか。

 と、そういえば。今の話に出てきた名前を忘れてた。

 

「数馬を騙してたっていう平石羽々矢はどうなったんだ?」

「捕まえた……お姉ちゃんが言ってたから間違いない」

 

 簪さんが答えてくれる。楯無さんが捕まえたって断言したならそれは事実だろう。あの人が簪さんに嘘をつくとは思えないし。

 だけど何もかも解決しているとは言っていない。

 

「捕まった平石羽々矢ですが、昏睡状態が続いているそうですわ」

「Illに喰われた? エアハルトの仲間じゃないのか!?」

「少なくともIllが関わっていることだけは確実ですわね」

 

 セシリアは含みを持たせた。そう、Illに喰われていなくともIllの傍にいれば同じような状況に陥るはず。

 いなくなったわけじゃないかもしれない。でも数馬にやっていたような非道な真似はできないだろうと思えば進歩ではあるか。

 

「あ、これ美味しい! かんちゃん、あーんして!」

「ほ、本音!? 一夏くんの前でそれはちょっと……」

 

 話し込んでいる間に頼んだ料理が既に並び終わっている。俺たちに構わずのほほんさんは先に食べ始めていた。簪さんに食わせてる麻婆豆腐は結構辛いんだけど、簪さんは平気かな?

 あ、やっぱり辛そう。涙目で水を求めて手が空中を泳いでる。

 

「お話はここまでですわね。食事にしましょうか。一夏さんはこれからどうされます?」

「腹一杯だけど皆が食べ終わるまで待ってようかな。イスカがないからISVSも出来ないし」

 

 女子3人の食事が始まり、俺は手持ち無沙汰で見ているだけ。

 ついでにセシリアの顔をじっと見ていたら「こういうとき、紳士はどうするべきと思いますか?」などと言われてしまった。どういう意味かわからんけどジロジロ見るなってことだろうと思い、そっぽを向く。

 

「あれ? アンタ、まだ帰らないの?」

「折角だからセシリアたちを待ってようと思ってな」

「……ふーん」

 

 鈴が不機嫌そうにこちらを見てくる。これは『早く出てけ』と責めてきているのか。だったらハッキリ言ってくれればいいのに。

 一応、まだ邪魔にはなってないと勝手に判断して居座ることにする。俺が退いたところでテーブルが空くわけじゃないし。それにお客さんも多いわけじゃない。

 しかし、外がやけに騒がしくなってきたな。今日、この辺で何かイベントでもあったっけ?

 

「い、一夏! 食べ終わってるなら早く出ていくのが筋ってもんじゃない!?」

 

 さっきまでやや遠回しだったのに、何故か急に直球で帰れと言ってきた。何があったのかは知らないけど、この変化は異様だ。

 

「ああ、もう! あ、しまった! まだ着替えてなかった! これもマズい!」

 

 完全にパニクっている。一体何が彼女をそうさせているのだろうか。

 その答えは入り口が開くと同時に理解できた。

 

「来たよー! 鈴ちゃーん!」

「今日もたらふく食うぜ!」

「やべっ! 今日の鈴ちゃん、チャイナドレスだ! これは嬉しい誤算!」

 

 なんともまあ……見覚えのある団体だこと。軽く見積もって30人近くいる気がする。でもってどういう集団かは先頭にいる男2人でわかった。

 幸村亮介(サベージ)内野剣菱(バンガード)先輩。

 つまり、鈴ちゃんファンクラブの面々だった。

 土曜日の昼だってのに人が少ないのはそういうことか。こんな連中が来るって知ってる人はわざわざ来ようとは思わないんだろう。悪意がなくても立派な営業妨害になってる気がするが、俺が気にすることでもないか。

 にしても数が異様すぎる。テーブル席が次々と埋まっていき、あっという間に満席という事態になった。

 

「あ、織斑がいる!」

「鈴ちゃんが珍しい格好してると思ったら、そういうことか!」

「ナイス、織斑!」

「俺は今、初めて織斑という存在をありがたく感じている!」

 

 何やら俺が褒められているようだが少しも嬉しくない。まあ、知らない間柄でもないし、色々と助けられてるから愛想笑いでもして手を振っておこう。

 ……コイツら、無駄にテンション高いな。疲れなんて溜まってないんじゃないの?

 

『鈴ちゃん、かわいいよ!』

「だーっ! いちいち、うっさい!」

「ポーズとってよ、ポーズ! 織斑を悩殺する勢いで!」

「誰がするかぁ!」

『えー! 勿体ない!』

 

 ファンクラブの数人が俺を見てきた。まさか俺に同意しろとでも言う気か?

 お断りだ。俺までお前らと同じ扱いを受けたくはない。

 首を横に振ると盛大な舌打ちが返された。率先しているのは内野先輩。この人、本当にブレないな。

 って、ちょっと待て。ファンクラブの中に弾が混じってやがる。土曜日なのに虚さんはどうしたんだよ!

 

「ねえ、のほほんさん? 今日、虚さんって何してるの?」

 

 隣に座ってるのほほんさんに聞いてみる。ファンクラブという変人集団を目の当たりにしてもまるで動じていないどころか指さして笑い転げている彼女は平然と答えてくれる。

 

「お姉ちゃんはお仕事~」

「よくわかったよ。弾の奴は暇なんだな」

 

 店内は俺たちを蚊帳の外にして盛り上がっていく。弾みたいに遊び半分で参加している奴もいるが、これも鈴人気なんだろう。

 

「あたしをからかうな、おだてるな、かわいいって言うなぁ!」

 

 鈴が叫ぶ。まあ、弾の奴まで混ざってるならからかわれてるだけに見えるわな。幸村や内野先輩はガチなファンだと思うけど。

 

「鈴さんは人気なのですわね……羨ましい」

 

 鈴に物憂げな眼差しを向けているセシリアがそっと呟く。

 現役の代表候補生が見当違いなことを仰っているのでつい口出しせざるを得なかった。

 

「いや、たぶんセシリアの方が世界的にファンは多いぞ。鈴のはあくまでローカルな人気だ」

「……同じくらい、もしくはそれ以上に嫌っている人の方が多いですわ」

「それはセシリアのことを誤解してる奴だけだって。少なくとも俺は好きだぞ」

「だといいですわね」

 

 少しだけセシリアの顔に明るさが戻る。思ったよりも深刻に考え込んでたみたいだけど、俺の一言で気が楽になったなら安いもんだ。

 

「アンタら! とにかく注文しなさいっ! ないならとっとと出てけぇ!」

「イエス、マム! 1人当たりノルマ1000円、貢がせていただきやす!」

 

 鈴の激昂。もう声量は近所迷惑レベルになってる。

 そんな鈴の反応もファンクラブの連中にとっては褒美なんだろう。ほぼ全員がにやけながら敬礼をしてやがる。1人1000円は高校生にしちゃ払ってる方だし人数がハンパないけど、この店大丈夫かな。経営的な意味だけじゃなくて。

 流石にこの人数は鈴1人じゃ捌ききれない。調理場からも数人が援軍に駆けつけてオーダーを取っていく。

 そんな中、1人だけ席を立って調理場に向かっていく姿がある。幸村だった。

 奴は調理場にいる鈴の親父さんに人差し指を突きつけた。

 

「行くぞ、ご主人! 食材の貯蔵は十分か?」

「黙れ、小僧。お残しは許しまへんで」

 

 何故か喧嘩腰な宣戦布告だった。コイツら、店の食材を食い尽くすつもりかよ。1000円じゃすまねえぞ?

 なんだかんだで大量の注文が入ってしまった。調理場が唐突に慌ただしくなるのも無理はない。いくら中華料理屋でもこの人数だと全員分が出てくるのには時間がかかるだろう。

 鈴も調理場の援軍として奥に引っ込んでしまった。そうなるとここに集まった男たちは暇になってしょうがないはず。自然と鈴に関係ないダベりが始まるわけだ。

 

「おい、皆。聞いてくれ! アゴが女子に告白したらしい」

 

 まさかの恋バナだった。しかもセシリアとはいえ同じ学校の女子の前でする話題じゃない。

 ……コイツらが常識で動いてるわけないか。いい意味でも悪い意味でも。

 アゴとは藍越エンジョイ勢のプレイヤーであるアギトのこと。鈴のファンクラブ所属じゃないし、弾みたいにバカ騒ぎが好きでもなさそうな奴だからこの場にはいない。

 ちなみにセシリアたちは黙って食べている。男連中が入ってくるまでは会話もあったんだけど雰囲気に飲まれてるんだろうな。特に簪さんが。

 

「アゴが誰に告白したんだよ? あの顔でさ」

「相川と一緒にいた――」

「サマーデビル?」

「違う、もう一人の方」

 

 相川さんはうちの学校の同級生だけど、ほか2人というのは別の学校だ。サマーデビルの方は谷本さんだったかな。でも彼女でもないらしい。

 あれ? でもたしか、もう一人って……

 

「まさかの伊勢怪人かよ! いや、確かに中身は超美人だったけども!」

 

 弾も覚えていた。伊勢エビの着ぐるみに身を包んだランカー。中身が同い年の女子だって知ったのは結構後のことだけどさ。

 

「で、どうなったん?」

「『伊勢エビよりも格好悪い人はお断り』だそうだ」

 

 そいつは……悲しい返事だな。同情するぜ、アギト。

 だが悲しんでるのは俺だけらしい。店内は笑い声に包まれていた。

 

「ギャハハハ! アゴの奴、甲殻類に顔で負けてんのか!」

 

 一番声がでかいのは弾。彼女持ちだからって調子に乗りすぎだろ。

 同意する輩ばかり。アギトの名誉のために俺が立ち上がろうかとも考えたが、特に反論が思いつかなかった。すまない、アギト。

 

「でも、ナギーはダンダンが一番あり得ないって言ってたよ~」

 

 急にのほほんさんがしゃべったと思ったら男たちの笑い声が止んだ。

 ナギーとはきっと伊勢怪人のこと。たしか本名は鏡ナギだったはずで、彼女はのほほんさんと同じ学校に通っている。

 別世界のように静まりかえった店内でのほほんとした口調が場を支配した。

 

「朝の校庭で~、情けない愛を叫ぶ姿が滑稽だったってさ~」

「忘れてくれ! 頼むから!」

「じゃあ、お姉ちゃんに『忘れて』って伝えておくー」

「ノリノリでドS発言!? また俺、校庭の中心で叫ばなきゃいけないの!?」

 

 いつの間にか弾が笑われてた。まあ、因果応報だから止めはしない。

 

「そ、そういえばジョーメイにも好きな人が出来たらしい」

 

 ここで弾は強引な話題転換を仕掛ける。しかしその話題はいくらなんでも苦し紛れの嘘としか思えない。

 ジョーメイはうちのクラスでも硬派で通ってる堅物。なぜかこの場に居てしまっているが、鈴やセシリアに一切靡かなかった強者だ。

 全員の注目がジョーメイに集まる。ここで冷静に否定されて弾が非難されるのがオチだ。

 ……そう思っていた時期が俺にもあった。

 

「な!? オホン。何を世迷い言を言ってるでござるか? そのような根も葉もないデマを流さないでいただきたい」

 

 ありえないくらい動揺してた。こうなると、もう俺たちの好奇心は止まらない。硬派男を陥落させた女子が誰なのか激しく気になってくる。簪さんとのほほんさんも食事の手を止めてまで聞き耳を立てていた。

 ここで弾が追撃の手を加える。

 

「ジョーメイはISVSにログインしては必要もないのにツムギにまで通っているとのことだ。ちゃんと証言(ウラ)もとれている」

「え? ツムギのメンバー!?」

 

 今のツムギはゲートジャマーの影響で俺の家から以外はロビーから長距離を移動する必要がある。しかも企業からの許可かミッションによるゲート使用で外に出なければならない。そこまでの面倒を抱えてツムギに行く目的は恋愛ごとにこそあると邪推するのは仕方ない。

 

「ぐぬぅ……」

「しかも図星だ。一体、誰だろう……自称ウザい人? 腹黒大和撫子?」

「そういや最近になってヤイバへの愚痴が目立ってたな。つまり――」

「や、や、やめるでござる! 土下座でも何でもするから放っておいてくれー!」

 

 からかいすぎてジョーメイの口調が壊れつつある。しかしジョーメイが俺の陰口を叩いてたのか。これは意外なことを知った。だからって何かするつもりはさらさらないけど。

 

「そういうお主らは――」

 

 ジョーメイも弾と同じように話題を変えようとする。だがな、ジョーメイ。それは愚問という奴だ。

 

 

『もちろん鈴ちゃん一筋に決まってる!』

 

 

 ここにいる男子はお前と弾、俺を除けば鈴のファンだけなんだって。

 ちょうど鈴が料理の第一弾を持ってきたところで固まっている。

 

「モテモテだな、鈴」

「もうやだ、コイツら……」

 

 鈴の顔に疲れが見えた気がするけど、そっとしておこう。

 

 

 

「――ここは、楽しいな」

 

 

 

 不意に後ろから声がした。俺はハッとして振り返る。

 人が多かったり、騒いでいたから気づかなかった。

 真面目っぽい眼鏡をかけているがイメージに反して肉体労働が得意な男。

 まさかここに来てるだなんて考えもしてなかった。

 

「数馬……?」

「ちょっといいか? 話がある」

 

 昨日……いや、今日まで行方をくらませていた男がこうして姿を見せた。

 色々と話だけは聞いてた。もう追われるだけの理由がないこともわかってる。

 だけどこうして俺たちの前に姿を見せられるのはまだ早い気がする。にもかかわらずこうしてやってきたのは本当に大事な話があるからだ。

 

「わかった。外に出よう」

 

 チラッとセシリアに目配せをする。彼女はウィンクだけ返してきた。これで数馬との話に邪魔が入らないよう手を打ってくれるはず。

 俺と数馬は連れ立って外に出た。店の入り口だと落ち着かないため、路地へと入る。人通りがないどころか日光もあまり入ってこない、建物の隙間というだけの狭い空間は2人だけで静かに話をするにうってつけだった。

 久しぶりに会った数馬は少しやつれて見えた。それもそのはずだ。俺たちから逃げている間、ほとんどまともに飯も食えてなかっただろうし。

 ……それだけじゃないか。

 昨日の戦いの顛末は聞かされている。俺を倒してまで数馬が守りたかったものはもう……

 

「一夏が思ったより元気そうだと思ってたんだけど、俺の顔を見るなり暗い顔しないでくれよ」

「あ、わりぃ」

「親父たちも無事に目を覚ました。これから何もかもが元通りになるんだから悪い話ばかりじゃないって」

 

 数馬は笑ってくれているが明らかに作り笑いだ。今までも作り笑いだったみたいなことを言ってたけど、その質が大きく違ってる。

 だけどそれをわざわざ指摘することはできなかった。きっと数馬は前を向こうとしてる。それを俺が邪魔することなどできない。

 

「……俺のことはともかくとしてだ。ナナさんがさらわれたんだって?」

「ああ。でももう場所は見当がついたから、明日にでも乗り込むつもりだ」

「そっか……まだ取り返しがつくのか。良かった」

「数馬はこれからどうするんだ? 俺を手伝ってくれるのか?」

 

 ゼノヴィアのことで敵対していた手前、当たり前に数馬が協力してくれるとは限らない。そう思っての質問だ。

 以前とは少し違う距離感の俺たち。そう思っているのは俺だけでなかったらしい。数馬は目を見開いていた。

 

「まだ……俺を友達と思ってくれてるのか……?」

「それは俺のセリフだっての。あのときは俺が悪かった。ゼノヴィアって女の子は絶対に悪者なんかじゃない」

「……ありがとう、一夏」

「なんでだよ。礼なんて言うタイミングじゃ――」

「ありがとう……」

 

 涙まで見せられたら俺はこれ以上何も言えなかった。

 ……だから俺が謝るべきなんだよ。数馬がこれほどまで大切にしてた子を問答無用で殺そうとしていたんだから。

 しばらくそのままそっとしておいた。落ち着いたところで数馬は自分で涙を拭う。

 

「ごめん……ちょっと涙腺が緩くてさ」

「皆には黙っておくから安心しろって」

「そうしてくれ。戻るときにからかわれたくないし」

「流石にそこまで空気を読めない奴は1人もいないだろ」

「言われてみりゃそうだね。一夏が大丈夫なら皆大丈夫に決まってる」

「うん、そうそう――ってその言い方だと俺が一番空気読めないってことになるだろ!」

「え、違うん?」

 

 こればっかりは違うと否定できない。空気を読めると自称するなんて情けない男が空気を読めてるわけないし。

 俺が黙り込むと数馬の奴は吹き出した。目に涙すら浮かべて腹を抱えている。

 ……野郎。俺が黙認するのをわかってて言いやがったな。

 

「ひどいな、数馬は……」

「これくらい、いつものことじゃん」

「違いない」

 

 本気で戦った俺たちだけどまたこうして笑い合えている。きっと数馬が望んだ未来とは違ってるんだけど、また数馬と友達でいられるのは純粋に嬉しく思う。

 俺は右手を差し出した。

 

「だから、空気を読まずに言ってやる。明日の決戦に数馬の手を貸してくれ」

 

 戦力的には数馬1人が加わったところで大勢に影響はない。だけど俺としてはよく知らない誰かよりも数馬がいてくれる方が心強い。気の持ちようの話なんだ。

 ゼノヴィアを救えなかった数馬にとって酷な話かもしれない。それでも俺は数馬の力も借りたい。そう思うのは図々しいだろうか。

 

「ごめん、一夏。それは無理」

 

 正直、断られるとは思ってなかった。俺はがっくりと肩を落とす。

 しかし、右手を下ろす前に数馬の右手が掴み取ってきた。

 

「勘違いはしないでくれ。別に一夏が嫌いだとか、本気でナナさんがどうなってもいいとか思ってるわけじゃない。俺の力でいいのなら貸してやりたい。だけど一夏の要請には応えられないんだ」

「どういうことだ?」

「少し野暮用があってさ……今日、これから日本を出ることになってる」

 

 急な話だった。国外に出るとなると、環境によってはISVSが出来なくなるのはわかる。

 でもどこへ? 心当たりがあるにはあるけど、数馬はそれを認めたのか?

 

「アメリカに行くのか?」

「行き先はまだ知らない。でも一夏が心配してるようなことじゃないよ。宍戸先生も一緒だから」

「宍戸が? どうして?」

「元々、宍戸先生に俺が志願したことなんだ。俺なりのけじめになるし、俺にしかできないことだと思ってる」

 

 数馬は左手を顔の高さに持ってくる。薬指に輝いている銀色のリングがおよそ高校生には似つかわしくない。

 ……そうだったな。お前は特別だった。

 

「俺は一夏と共に戦ってるつもりだよ。たとえ隣じゃなくてもね」

「わかった。行ってこい、数馬」

 

 堅く握手を交わす。こうして俺たちはお互いの背中を押している。

 立つ戦場は違うし、思惑も違うかもしれない。それでも俺たちは共に戦う仲間だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 とある山間部。表向きは電化製品の製造工場に偽装している場所の地下深くで銀髪の男が透明なガラスケースの中身を眺めていた。

 声を発することなく、中で横たわる者を見つめて目を細める。悲哀を感じさせる視線はおよそ彼らしい表情ではない。この部屋に居るもう1人、作業着姿の無精髭男、ウォーロックは尋ねざるを得ない。

 

「意外だな。そんな顔もできたのか」

「顔などいくらでも作れる。人間は愚かだ。表層しか見えぬものから心などというものまで見ようとする」

「……別に俺は心の話なんてしてねえよ、ヴェーグマン」

 

 2人のやりとりは明らかに変化してきている。初めはエアハルトに混乱が見られていて、ウォーロックは理不尽な粛正がくるかもしれないと戦々恐々としていた。

 だが次第にウォーロックは理解し始めていた。確かにエアハルト・ヴェーグマンはある目的のために造られた存在だ。しかし、遺伝子操作していようと根本は人間。本当に感情が抜け落ちることなどなく、これまではただ感情を知らないだけだった。

 あくまで仮説。しかし否定する材料どころか、時と共に肯定する材料しか出てこない。

 きっかけはヤイバ。エアハルトにとって目的も憎悪も誰かに与えられたものではある。しかし、自らに何度も立ちはだかる男に対して覚えた怒りは彼本人のものだった。そして、今のように怒り以外の顔を見せるようにもなっている。

 

「それでだ、ヴェーグマン。もう“お前の機体”の調整も終わってるんだが、他にも仕事があるのか? わざわざ俺をこんなところに呼び出したのも理由があるはずだろう?」

 

 そもそも今、ウォーロックが立ち入っている部屋はエアハルトが他人の立ち入りを禁じていた場所だった。存在を知っていたのもエアハルト本人を除けば勝手に調べていたハバヤのみである。

 なぜ今更、戦いに関係のない部屋をウォーロックに見せる必要があるのか。

 隠れ蓑であったミューレイが外部から切り崩され、アントラスの立場が厳しい。自分たちの命運を賭けた決戦の前だというのに、肝心の指導者が合理的な行動を取っていない。

 暗にエアハルトの行動を非難しているわけであるが、とうのエアハルト本人は気づかぬまま。いつも通り、ただの質問として受け取った。

 

「私が帰るまで、お前にはここに居てもらいたいのだ」

「はぁ?」

 

 ウォーロックがあからさまに疑問の声を上げる。その最大の要因は具体的な内容ではなく、エアハルトが命令口調でなかったこと。ただのお願い事としか受け取れない言い方だった。

 

「ここを死守しろだなどとは言わん。もしここが襲撃でもされれば降伏しても構わない。だが、ここに居てほしい」

「おい、ヴェーグマン。お前は自分が何を言ってるのかわかってるのか?」

「何かおかしいことを言っているか?」

 

 彼は本気で首を傾げている。口で説明するのもバカバカしい。ウォーロックは大きく溜め息をついた。

 

「しょうがねえ。ここで待っててやる。ちゃんと帰ってこいよ」

「単一仕様能力の複製はことごとく失敗に終わっているが、想像結晶と違って絢爛舞踏は有効利用できる。制限の無くなった“イリュージョン・レプリカ”が負けるはずなどないだろう?」

「その通りだ」

 

 言うだけのことは言った。エアハルトは足早に部屋を出ていく。

 向かう先は輸送機。行き先は日本である。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 もう12月も終わりが近づいている。冬休みに入る直前の日曜日に俺はヘリに乗せられて倉持技研にまで来ていた。何度か来ていて既に勝手もわかっている。入所許可証を受け取ったらすぐに目的の研究室へと足を運ぶ。

 

「簪さーん?」

 

 中と通話ができるので声をかける。数秒後、慌てた様子の簪さんが中から出てきた。

 

「い、いらっしゃい、一夏くん」

「いや、息を切らせるほど慌てなくてもいいぞ。ミッションの開始予定時刻はまだ先だし」

 

 今日はエアハルトたちとの決戦に臨む日である。それでいて俺が倉持技研にまでやってきたのは昨日預けておいたイスカを取りに来たからだ。

 イスカは量産こそされているが実際のところ企業から見てもブラックボックスが多々あるらしい。プレイヤーが使用できる装備など内部データの管理すらも未知の部分があるとのこと。

 結局、あの後調べてみてどうだったのだろうか。

 俺から聞かずとも簪さんは俺のイスカを持ってきてくれた。

 

「ありがとう、一夏くん」

「どういたしまして。で、どうだった?」

 

 もしかしたら今日の戦いが楽になるかもしれない。そんな淡い期待も寄せての質問だ。

 だけど簪さんは目に見えて肩を落としている。

 

「調べてみたけど白騎士の装備のデータは欠片も見つからなかった……」

「やっぱりそっか。俺が見ても同じだったし」

 

 残念だけど仕方がない。無い物ねだりなんてしている暇はないから、今あるものでなんとかしよう。白式で勝てないなんてちっとも思ってないし。

 

「……篠ノ之博士の手が加わっていたからといっても一夏くんが使っていた。だからイスカに登録されていないとおかしいんだけどなぁ」

 

 しかし、あれば儲けものくらいの感覚でいた俺と違って簪さんは悔しそうである。ブツブツと俺に構わず独り言を垂れ流している。

 

「あの、簪さん? この後、ここからISVSに入るつもりなんだけど、どこに行けばいいかな?」

「……あ、ごめん。案内する」

 

 これで決戦前に出来る準備は全て終わった。

 あとは本番を残すのみ。

 エアハルトを倒し、箒を助け出す。

 もうこれで最後にしてやる。

 待っててくれ、箒。



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39 不退転の極地

 北半球は冬が到来している。温帯気候以外は冬と呼ばないであろうが、日照時間には明らかに影響がでる。つまり一際冷え込む時期となっているのである。

 北極海には大陸などない。しかし極度の低温により海面は分厚い氷を形成し、即席の大地と化している。衝撃で割れてしまう不安定な土地は普通ならば人が通ることが推奨されない危険な場所であった。

 天候にも恵まれていない。空は灰一色の曇天。降雪の勢いは留まるところを知らず、体に打ち付ける雪はまるで凍てつく矢。防寒着でどうにかなる程度の冷気ではなかった。

 

 この悪辣な環境で無数の光と銃弾が飛び交っている。猛吹雪に混じって空を飛び回っているものはIS。仮想世界といえど寒さも本物であるのだが、過酷な寒さも希代の大発明の前には無いも同然であった。

 ISの軍勢が攻撃を仕掛けている。その対象は北極海の氷の大地にそびえるマザーアース“ヴィーグリーズ”。レガシーを基点とした拠点型マザーアースであり、その規模はトリガミのヤマタノオロチを軽く凌駕する。正しくIS要塞と呼ぶべき様相であった。

 AICキャノンやENブラスターが立ち並ぶ脅威の対空火力を前に接近がままならない。飛びながら使用できるISの火器はヴィーグリーズのものと比べて出力が低く、猛吹雪によってさらに威力が低減されていた。操縦者は吹雪の影響を受けていなくとも、銃弾まではカバーされていない。射程の差により有効な攻撃ができずにいた。

 そして駄目押しとなるのが空に浮かぶ箱である。ヴィーグリーズ防衛のための空中母艦“ナグルファル”。迎撃用のリミテッドを戦場に展開するだけでなく、内部に搭載されている量産型Ill“ミルメコレオ”を適宜発射する。視界は悪く、反応が遅れるIS部隊に撃ち込まれた自爆Illの光は遠方からも確認が容易だった。

 

 

 所変わってツムギのロビー、転送ゲートの前。ここにはラピスを始めとするプレイヤーのリーダー格が集まっている。そして先遣隊として送り込んだ蒼天騎士団が戦う映像を眺めていた。

 

「やはり大がかりな作戦もなしに落とせるような代物ではありませんわね」

 

 ラピスが呟く。元より先遣隊のみで突破できるとは思っていなく、彼らの最大の役割は敵戦力を見極めるための咬ませ犬である。

 現状で把握できているものは攻略対象である敵拠点ヴィーグリーズ。ヴィーグリーズを空から守る空中母艦ナグルファル。また、ヴィーグリーズの両翼には砲台型マザーアースであるルドラがあり、6機のカルキノスも確認されていた。

 これ以上のマザーアースの参戦は考えにくい。ラピスは先遣隊に撤退の指示を出してロビーに集まっているプレイヤーたちと向き合う。

 

「ではこれより本格的な侵攻作戦を開始します」

 

 誰も異論は挟まない。むしろ早く先を話せという空気で満たされている。

 

「先ほども言ったようにヴィーグリーズへの接近は困難を極めます。吹雪という環境下による有効射程の差や速度重視ユニオンの運用ができない点はもちろんですが、最大の難関は空にあると言えますわ」

「あの母艦か。この吹雪の中でも存在がわかるくらいにはデカいよな」

 

 映像を指さしながら(バレット)が反応する。

 最上会長(リベレーター)も続く。

 

「本丸の前に敵の空中母艦を落とす必要があるってわけだね。敵に大量破壊兵器がある限り、こちらの動きがかなり制限されてしまう」

「要塞側にも大量破壊兵器があったら、どちらを攻めるにせよ難度が変わらない気がするぞ」

「それはないよ。状況的にあれはこのISVSにおける敵の最後の砦。以前にリンが倒したマザーアースのように暴発でもしてしまえばそれで終わりだ。普通はそんな危険なものを内部に積んでおかないと思う」

 

 シャルルの分析にラピスが頷く。

 

「わたくしも同様の考えですわ。自爆Illは空中母艦のみと考えていいでしょう」

「でも空中母艦の位置が要塞の真上だから、難しいことは変わらないよね。結局、要塞の対空砲火が機能するんだし」

「その点は考えてある……対空をさせる余裕を奪えばいい」

 

 ふっふっふ、と怪しい笑みを浮かべるのは簪。この日のために秘策は準備済みだった。

 秘策の内容はラピスも把握している。

 

「要塞からの砲撃の対処は簪さんにお任せしましょう。先遣隊の蒼天騎士団にも要塞への陽動に参加してもらいますので指揮を取ってください」

「その間に俺たちが空中母艦を落とせってわけだ」

「その通りですわ、バレットさん。ただし、敵要塞にはナナさんが捕らわれています。空中母艦を真下に落下させることは避けてください」

「わかってる。やらかしちまったらヤイバに顔向けできねえし」

 

 今、ここにはヤイバがいなくとも何と言うのか想像はできた。

 頼む。きっとこの一言だけなのだろう。

 だからこそ応えてやらねばならないと思わされる。

 

「残る懸念はIll。今までの運用の多くが遊撃でした。今回は要塞内部にいるはずです」

「倒す必要性は?」

「倒せるならば倒した方がいいのですが、無理を押してまでとは言いません。拠点さえ潰してしまえばこれまでのように潜伏することは不可能ですので」

「目的はあくまで要塞の制圧ってわけだ」

「そういうことですわ。また、敗れた先遣隊が帰還できている報告もありますので富士のときよりもIllの領域が狭いと言えます。おそらくは個体によって差が出ているのでしょう。前回と比べてわたくしたちのリスクは大幅に減っていると思っておいてください」

「今更どっちでも変わらないけどな。勝って終わらせるんだから」

「以上、簡単ですがブリーフィングは終わります。質問はありませんか?」

 

 異論は出てこない。

 

「では参りましょう」

 

 ラピスの指示が出た直後からプレイヤーたちが転送ゲートに並び、次々と戦場へと送り出されていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 とにかく視界が悪い。ISの目は光学情報だけでないとはいえ、激しく暴れている猛吹雪は様々な情報に外乱(ノイズ)を引き起こす。周囲の味方機の姿すらおぼろげにしか映っていなく、通常の連携は難しい。

 不幸中の幸いなのは攻撃目標である空中母艦ナグルファルなどマザーアースのサイズが大きいこと。そのため、劣悪な環境の中でもその姿を見失わずにすんでいる。

 しかし敵側の索敵はプレイヤーたちの視界よりも優秀である。ほぼ人間大のISを正確に狙い撃ってきているため、バレットたちは息をつく暇もなかった。

 

「お互いに場所はわかってるが、条件的にはあちらさんの方が有利っぽいな」

 

 いかにISが様々な環境に適応できたとして、全ての環境において万全の状態で戦えるわけではない。優先されている操縦者の保護だけは完璧であるが持ち前の機動力が低下することは避けられない。攻城戦の主力であるユニオン部隊も足を奪われていては役に立たない。

 マシンガンなどの各種射撃武器は有効射程が3割短くなっている。ミサイルに至ってはまともに飛ばず、有効打を与えるには接近する必要がある。

 だからこそ、プレイヤーたちは的になっているようなものだった。

 

「カルキノスの位置は?」

『要塞から南に4機が展開。他は東西に1機ずつで北は空いています』

 

 バレットは敵軍で一番フットワークの軽いマザーアースの位置を確認する。悪天候下でもカルキノスは大した影響を受けていないという報告が上がっている。富士での戦闘で苦戦した経験から、楽に勝てるとは考えられなかった。

 最初に警戒すべき相手であることは間違いない。布陣が気になるのも当然のこと。そして、偏った配置には敵の明確な意図が感じられる。

 

「明らかに誘われてんなー」

『カルキノスのない北は最も敵の警戒が強い区域と見て間違いないでしょう。ルドラだけでなく自爆Illも制限無く使えることを意味しますし』

「ラピスも俺たちと同じ意見だったのか」

 

 バレットはやれやれと首を横に振る。

 

「それじゃどうして俺たちは北に転送されてきたんだ? 手違いか?」

 

 バレットたち主力はヴィーグリーズから北に飛んできた。最も手薄な場所に送られるという予想を遙かに上回る無防備さで逆に警戒が強まるというもの。どう見ても罠だと判断して進撃に二の足を踏んでいる。

 

『全ては予定通りですわ。現状、自爆Illよりもカルキノスの突破の方が困難という判断です』

「手違いじゃないんなら結構だ。出撃する」

 

 北に転送されたプレイヤー全員に指令を送る。横一線に並んだISの大群は壮観だった。不規則に並んだ彼らは一斉に動き出す。その様はまるで1つの巨大生物のよう。

 向かう方角はぼんやりと見えている要塞ヴィーグリーズ。攻撃目標は要塞直上の空中母艦。未だ空中母艦は見えていないが方角を見失うことはない。

 まだ戦闘距離に入っていない。しかし、それはプレイヤー側の事情。敵要塞側にとっては既に射程内であった。

 全プレイヤーに緊張が走る。そして――

 要塞から延びる光が数発、プレイヤーに命中する。

 

「怯むな! 一撃で落ちるほどじゃない!」

 

 十分に高威力。下手をすると致命傷な機体もある。

 だが躊躇だけはありえない。足を止めることは敵の益となる。

 そもそもバレットの檄などなくとも士気は低下していない。その理由は敵砲撃の命中率にあった。初撃で命中した機体こそあったが、発射された弾の数の10分の1を下回っている。

 先遣隊の場合は半分以上が当たっていた。この差はどこから生まれたのか。

 第2射が来る。その瞬間、バレットの視界に赤い線が示される。その線は奥から自分に向けて伸びており、カウントダウンの数字もついている。

 

 ――マジか!? この数の戦闘で!?

 

 誰が何をしているのかバレットは把握している。これは攻撃予測。敵の情報を盗み取り、リアルタイムでプレイヤーと情報を共有する彼女の戦い方。

 バレットは軽く砲撃を回避する。コースとタイミングがわかっている攻撃など恐るるに足らず。同じように情報を与えられたプレイヤーに攻撃が当たるはずもなく、第2射の損害は0で抑えられる。

 

「おい、最後までこれで行く気か!? この後から弾幕が濃くなってくってのに……」

 

 いくらなんでも規模がおかしい。いかに“蒼の指揮者”といえど一軍全てに行なう情報サポートなど無茶にも程がある。ラピスの能力を知っているからこそ、バレットは最後まで保つのか気になった。

 

『ご心配なく。要塞からの砲撃は間もなく別の対象へと向けられますわ。あと、わたくしの心配をするのなら緊急時以外の通信を控えてください』

「あ……す、すまんっ!」

 

 自らの失態を悟ったバレットは飛行中に頭を下げる。再び顔を上げたときには強く前を見据えていた。

 士気は上がっている。

 悲壮感など皆無でやる気だけが満ちている。

 本気で勝ちにいく試合と同じ気の持ちようで臨めている。

 全力を出すコンディションには十分だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『かんちゃーん! 全体的に準備オッケーだよ~』

「わかった……皆を出発させて」

『あいあいさー』

 

 ヴィーグリーズの西方にいる簪が本音と通信を交わす。北から進軍する主力を援護するための秘策の準備は整った。あとは実行するのみ。

 簪の傍には直径10mを超える巨大な杭が立ち並んでいた。その数は50弱。杭と言っても木材ではなく金属製。ISに使われている装甲と同じ材質でできている。

 

「作戦名“波状槌(はじょうつい)”、開始」

 

 指示を下すと巨大な杭が一斉に前進を始めた。シールドピアースをそのまま巨大にした代物は向けるだけで危機感を煽るに十分である。いかに強固な要塞型マザーアースといえど、破城槌を思わせる杭に突き破られるであろうことは容易に想像される。

 東西にはカルキノスが1機ずつ配置されている。要塞の防衛に奔走するマザーアースが無数の杭を放置するわけなどない。持ち前の亜音速で豪快に吹雪を裂いて飛来し、アームから伸ばしたENブレードで杭を一刀両断にする。

 杭は容易く輪切りとなった。カルキノスを操縦している者たちは呆気にとられたことだろう。

 

 杭は中身スカスカのハリボテであったのだ。

 

 役割を終えた杭の中からISが離脱した。その数、1。このままカルキノスと戦闘などするはずもなく、出発地点へと撤退を開始する。カルキノスが追撃をかけることはなく、次の杭へと向かっていった。

 

「第2波、開始」

 

 簪の指示に従って、同じように並べられた杭が要塞へ向けて進む。

 第1波と同じくIS1機で動かしているだけのハリボテの群である。たとえ要塞に辿り着いたところで杭が意味を為すことはない。

 だが敵にとってはそうではない。1つがハリボテとわかっても全てがそうであるという保証などどこにもない。カルキノスだけでは対処できず、リミテッドも駆り出されているが、要塞の砲撃も杭の対処に追われ始めていた。

 敵の慌てふためく様を簪は冷たく見下ろす。

 

「囮は成功……失敗してた方が本命を通せて楽だったんだけど……」

 

 戦力を過大に見せて敵の注意を引きつけるという当初の思惑は成功。だが簪の本当の狙いは、敵がハリボテと割り切って無視してくることにあった。

 

 ……そこまでバカじゃないか。

 

 囮に集中しなければ囮が本命に成り代わるだけ。

 二段構えのこの作戦に要塞の対空砲火は振り回されている。今はその結果を上々とし作戦を継続。撤退してきたプレイヤーに新たなハリボテを与えて突っ込ませる。

 一時凌ぎだけでは終わらせない。要塞の目は完全に杭の群に向いていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 明らかに砲撃の数が減っていた。遠目に映る閃光の筋は左右に散っている。秘策が成功している今、北からの進軍を阻む障害は限られている。

 

「おらあああ!」

 

 バレットは吠えながらマシンガンを連射する。ベルグフォルクの硬い装甲に弾かれるが動きを止めるには十分。左から入ってきた味方機が動きの止まった敵に荷電粒子砲を撃ち込んで破壊する。

 空中母艦から出てきたリミテッドとの戦闘が始まった。既に空中母艦ナグルファルは目視できる距離にまで来ている。あとは敵の防衛線を突破して殴り込むのみ。

 だがそれが簡単ではない。数も質もバレットたちが上回っているが敵にも策がある。

 

「来たっ!」

 

 空中母艦からワインレッドの蟻が飛び出す。回避行動も取らず、闇雲に迫ってくるそれは自爆Ill“ミルメコレオ”。以前にもバレットたちを苦しめ、富士の戦いではプレイヤー全員を窮地に追い込んだ悪魔の兵器。

 最大の難点はラピスの星霜真理では見えないことにある。前線の観測でしか確認できず、予言じみたラピスの指示は存在しない。

 

「任せろ!」

 

 プレイヤーの1人が率先してミルメコレオへと向かっていく。結局、ミルメコレオに関しては対策らしい対策は立たなかった。取れる手段など限られている。それは誰かの犠牲。

 遙か前方で吹雪すら気にならないほどの光が炸裂する。ホワイトアウトした視界が落ち着く頃、飛び出していったプレイヤーの姿はどこにもない。

 

「リミテッドは無視! 強引に突っ込むぞ!」

 

 リミテッドがある間は発射してこない、などということはなかった。敵にとってリミテッドは捨て駒。リミテッドごとミルメコレオで一掃すればいい。足を止めて撃ち合っている現状は敵の思う壺に嵌まっている。

 一方的に撃たれようが構わず進む。ここから先はバレットもあまり指示を出さない、各々の判断に任せた形となった。

 再びミルメコレオが発射される。指示を待つことなく、プレイヤーの1人が暴走に近い形で前に飛び出してブレードで斬りつけていく。結果、1対1交換で終わらせてプレイヤーたちの進軍を遅らせることくらいしか効果はない。

 もっとも、この対処法が通じるのもある程度の距離があってのこと。以前と違い、接触からミルメコレオの自爆までの時間が異様に短い。2秒の空白を利用したリンの方法は今回は使えないのである。

 

 距離が残り1kmを切った。目と鼻の先となり、敵がミルメコレオを放てる限界距離とも言える。そして現在、最もプレイヤーが密集している場所はバレットの周囲であった。

 バレットはリミテッドの対処を周りに任せてナグルファルを見据える。自分が敵の視点に立ったときを想定すると、このタイミングでバレット周辺を狙って撃つしかないはず。

 ここが正念場。自分の目こそが道を切り開く鍵となる。

 そして――

 

 ナグルファルからミルメコレオの赤い頭が覗いた。

 

「今だ! いけぇ!」

 

 通信ではないがバレットは叫んだ。バレットが見ている光景は星霜真理によって指揮官にも届いている。つまり、観測者を介することでミルメコレオの正確な座標を導き出せていることを意味し、発進直前ならばまだスピードも出ていない。

 分厚い雲に大穴が開く。ナグルファルよりも上方から飛来するのは1発の砲弾。特殊武装AICキャノンによって高いPICCを付与されたそれは砲弾の形をしたISも同然である。

 雲の上。大穴の奥に垣間見えるのはISVS屈指のスナイパー、本業がメイドのチェルシー・ブランケット。彼女はIS4機によって作られた不安定な土台の上で飛行中に使用不能である武器を発射してみせた。

 敵の注意が向けられていない上方からの正確な狙撃。発射直後のミルメコレオは首を撃ち抜かれて真下へと落下していく。自爆こそしなかったが、この攻撃失敗こそがバレットたちに有利に働く。

 

「突入っ!」

 

 次弾は用意されていない。ミルメコレオの有効射程の内側に雪崩れ込んだプレイヤーたちを止める術は敵に残されていない。

 ミルメコレオの発射口が閉じた。だが場所はわかっている。他の部分よりも柔い構造となっているのは確実であり、バレットたちの集中砲火が浴びせられた。

 装甲板が弾け飛ぶ。内部の空洞が見え、侵入ルートが確立された。こうなってしまえばプレイヤーの独壇場。雪の影響を受けない屋内へと戦場が移行する。

 内部に敵性ISの存在はあるが数が違う上に装備も違う。マザーアースの運用サポートにすぎないISで戦闘用ISの相手が務まることもない。

 瞬く間にナグルファルが制圧されていく。この戦闘の第一段階はほぼ終了と言える段階に入った。

 

「こちら、バレット。空中母艦に侵入した。もう半分くらい制圧できてるはず――」

 

 したり顔での勝利報告。負けか辛勝しかなかった最近の中では上々の戦績にバレットだけでなく参加したプレイヤー全員が納得の表情を浮かべた。

 だがバレットの勝利報告が最後まで発されることはなかった。

 既にナグルファルは落ちたも同然。だからこそ、敵がどのような手段に出るのか想定しておくべきであった。

 ナグルファル内部のあちこちで一斉に光が放たれる。光源は大人しくしていたワインレッドカラーの蟻。その全てが一斉に本来の機能を果たすべく動き始めた。

 

 炸裂。空に浮かぶ砦のような母艦は光と共に消失した。当然、内部にいるプレイヤーをも巻き込んでいる。

 そして、この空域はヴィーグリーズに潜むIllの領域内。復活も見込めないまま戦場は次の状況へと移っていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 空中母艦が落ちたのは遠目でも観測は容易だった。同時に多数のプレイヤーが油断によって自爆に巻き込まれたのであるが、全ては計算のうち。ミルメコレオさえなければ“波状槌作戦”は次のステップへと進むことになる。

 

「“本命”を用意して」

 

 簪が通信で指示を送る。

 と同時に1つあった懸念をふと思い出してラピスへ通信をつなぐ。

 

「北に回ったマザーアースはある?」

 

 ナグルファルの落ちた今、北の防衛網には明確な穴が空いている。だからこそ簪は南の余剰戦力がそちらに回されている可能性を危惧していた。

 

『いいえ。東西は波状槌作戦に翻弄されていますし、南は南で敵に余剰戦力などありませんわ』

「他に部隊でも用意してたの?」

『わたくしではありませんわ。ナタルさんが有志を募って駆けつけてくれました。流石に悪天候で4機の相手は辛いでしょうが、対マザーアース戦で最も頼りになるランカーです。心配は無用でしょう』

 

 指揮官の保証も付き、いよいよ以て波状槌作戦の第2段階を開始する。

 本命。要塞突入部隊を送り込む突撃艇型即席マザーアース“ハジョーツイ”を使うとき。

 

「発進」

 

 本命を動かせという指令。それと同時に1本の杭が手薄な北から要塞へと直進を始めた。

 無人の野を行くが如く。戦闘の爪痕が残されている氷の大地の上空を杭が突き進む。

 当然、その存在に敵が気づかぬはずはない。そして今まで東西から無数に迫っていたのに対して、北からは1本しか来ない。それは誰が見ても異様な光景だった。

 AICキャノンとENブラスターは東西に向けられている。そこで要塞“ヴィーグリーズ”の砲手が取った対処は過激なもの。

 

「敵にも本命があった……」

 

 西にいる簪からも確認できる巨大な砲塔はルドラのものと遜色ない。連射が利かない代わりに広範囲高威力のEN属性射撃を行なうものと推測される。

 直接ISを狙われてしまえば回避は困難。ましてや直径10m超の杭では回避行動など取れるはずもない。

 要塞の主砲が放たれた。

 氷の大地に亀裂を入れるほどに大気が振動する。猛吹雪の中を苦もなく突き進む光の奔流はたった1本の杭を飲み込んで北の空へと消えていく。

 あとに残されたものは何もない。その状況を作り上げた主がほくそ笑む。

 

「釣れた。ルドラ2機も他に撃ってるから時間に余裕がある。十分にいける」

 

 簪は作戦の成功を確信する。

 主砲が放たれた直後、北のひび割れた氷の大地を突き破って新たな杭が海中より躍り出た。

 これが本命。敵は海中にも防衛網を張っていたが要塞の近くのみである。途中まで分厚い氷の陰に隠れて進軍し、海中の戦力と衝突する寸前で浮上。残りは氷上を要塞にぶつける勢いで進むのみ。

 ナグルファルを落としておく必要性はここにある。このタイミングからでも上からミルメコレオを撃たれれば全てが水の泡。逆に言えばミルメコレオさえ排除すればこの本命を邪魔するものは何もない。

 ENブラスターとAICキャノンで狙い撃たれる。流石にこの登場の仕方をすれば敵にも狙いがバレている。しかしもう手遅れと言えた。

 杭の正面でENシールドが展開される。AICキャノンはもちろんのこと、ENブラスターにも出力で勝り、強引に突破する。

 

「盾は防ぐことができるものに対して使うもの。防げないのならばそもそも勝負しなければいい。あと、盾は武器にもなる」

 

 杭型のマザーアース“ハジョーツイ”はさらに加速。砲撃を苦ともせず、ENシールドを押し立てる。要塞型マザーアース“ヴィーグリーズ”は頑強であっても動くことは出来ないため衝突は時間の問題だった。

 衝突。ENシールドが要塞外部の装甲を貫通し、内部へと侵入を果たす。

 ここでハジョーツイの役目は終了した。杭の全面が分解され、内部が晒される。中には空間があり、ぞろぞろと控えていたプレイヤーが顔を出す。

 先陣を切ったのは銀髪の男、ヤイバ。

 

「一気に制圧する! ナナを取り返すぞ!」

 

 主戦場は要塞内部へ移ることとなる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヴィーグリーズから南方のカルキノス4機を中心とした敵のいる戦場。既に役割を終えたに等しい部隊の中にトップランカーの姿があった。その数、2。

 1人はアメリカ所属の銀の福音の使い手、セラフィム。

 そしてもう1人は日本の国家代表にして世界最強、ブリュンヒルデ。

 セラフィムはマザーアース戦が得意という理由があったが、ブリュンヒルデは戦闘スタイルからマザーアース戦を苦手としている。ヤイバたち本命を通すために敢えて最も厳しい戦場に身を置いていたのだが、もうその必要はなくなった。

 

「後は任せるぞ、ナタル」

「はいはい。頑張って弟くんの手助けしてあげてくださいね」

 

 ブリュンヒルデがヴィーグリーズへと直走(ひたはし)る。その背中を庇うように銀の天使が翼を広げた。彼女の周囲には雷光の迸る球体が一瞬で展開される。

 

天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」

 

 吹雪に混ざって光の雨が降り注ぐ。人為的に生成された天の網の目は粗くとも敵対するものを逃しはしない。

 

 後方の爆発を背景にしてブリュンヒルデは単身でヴィーグリーズへの道を急ぐ。富士のときと違い、その表情には一切の焦りがない。ただひたすらに弟の手助けとなるべく、その足を前へと進める。

 その歩みを止めることが出来る者などそうはいない。アメリカ代表のイーリス・コーリングクラスでなければ接触と同時に敗北する。

 故に敵対する者は相応の実力者でなければ務まらない。エアハルト側が彼女に対して送り込む刺客は常に1人。

 

「来たか」

 

 ブリュンヒルデが失速し、氷上へと軟着陸する。姿を視認せずともブリュンヒルデの身を襲った現象が彼女の出現を示している。

 ワールドパージ“永劫氷河”。領域の中にある飛行物体全ての動きを封じる“停止結界”はブリュンヒルデから機動力を奪う。しかし自らの機動力と射撃武器をも奪う。そのため剣同士の1対1(タイマン)の舞台を整える力となっている。

 盾すら持たない打鉄、暮桜が雪片を下段に構える。不安定な氷の上とはいえブリュンヒルデにとっては土の地面と変わらない。ISらしくない地上戦となるが、本来、ブリュンヒルデにとっては地上戦こそがその本領を発揮できる条件だ。

 対戦相手が姿を見せる。その重さを全く感じさせない黒い甲冑が余裕をも感じさせる悠然とした足取りでブリュンヒルデへと歩んでくる。ISもIllも手足部分は人体のそれより長い。全身装甲(フルスキン)の中身が小柄な少女とわかっていても、熟練さを体現した立ち姿は彼女を歴戦の猛者と思わせる。

 薄い桜色の女武者と漆黒の甲冑の騎士。

 互いに武器は一振りの剣のみ。

 語りかけることはしない。音声などこの戦場では雑音(ノイズ)の1つでしかない。

 故に彼女らが交わす言葉は剣のみ。

 

 ほぼ同時に氷上から姿が消える。否、肉眼で見ていればそう錯覚するほどの初速度があっただけだ。

 彼我の距離は100mを切っていた。とはいえPICの能力を極限まで減らされている今、その距離は決して短くはない。それでもなお、彼女たちは一瞬のうちに剣を合わせた。

 刀と大剣。大きさの異なる二振りがぎりぎりと互いを押し込む。武器自体の質量差があれど、ブリュンヒルデは力負けをしていない。

 鍔迫り合いは均衡する。状況が動くにはどちらかが行動を変える必要がある。だが下手を打てば先に仕掛けた側がそのまま斬られる。

 お互いに顔を隠している。たとえ顔が見えていたとしてもブリュンヒルデは沈着冷静。ラウラ・イラストリアスも本来の彼女とは別人となっているため、顔は能面が張り付いているようなものである。

 残された感覚は戦いの勘のみであった。

 

 先に仕掛けたのはブリュンヒルデ。力比べを中断して剣を引き下げる。あわよくば前に体が泳いだ相手を打ち倒すつもりであった。

 そこまで簡単な相手だとは考えていなかった。イラストリアスにはVTシステムが搭載してある。過去のモンド・グロッソにおける全力のブリュンヒルデの動きをトレースする相手が初歩的な手段で初歩的なミスをするとは思えない。

 しかしそれを踏まえてもなお異様であった。

 ラウラ・イラストリアスの体は前に流れることはない。それだけでなく、彼女は大剣を引いていた。見てからのはずはない。いくらハイパーセンサーを通しているといえど、認識までのタイムラグは存在する。その僅かな時間をブリュンヒルデが見逃すはずもなかった。

 つまりは完全に行動が一致していたことになる。

 

「これは驚いた。癖まで似るとはな」

 

 独り言が漏れる。VTシステムは技量だけでなく呼吸をもトレースしている。そうとしか思えないほどラウラ・イラストリアスの姿は鏡写しになっていた。

 ブリュンヒルデは鼻で笑う。対峙する歪な存在に対してでなく、あくまで自分自身に対して。

 

「私が成長していない証拠か」

 

 (おおやけ)に出回っている映像のうち全力を出したものは1年以上前のモンド・グロッソが最後となる。その模倣が中心であるはずのイラストリアスに徹底的に真似されている事実に苦笑を隠さない。

 だが臆すほどのことではない。逆を言えば明確に相手が有利な点はAICくらいである。ならば勝率が大きく偏った不利な戦闘にはならないという確信がある。

 圧倒することは難しい。それは認めている。ラウラ・イラストリアスとの戦闘をこの戦いのメインと考えているブリュンヒルデは覚悟を決めた。

 ――長期戦の覚悟を。

 

「喜べ。久しぶりに稽古をつけてやる」

 

 技量や間の取り方などの癖。それらを模倣したところで、それらを扱う体力や精神力まではコピーできない。それは今までのイラストリアスの操縦者たちが使い捨てられているという事実が証明している。VTシステムとの親和性が高いラウラといえど、別人を模倣しているからには必ず綻びが生まれる。

 一撃必殺が持ち味であるブリュンヒルデが根比べに臨む。それはギリギリの戦いを強いられることを意味していた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 要塞内の通路はISで飛行できるほどの広さがある。これはマザーアースの都合上、外壁以外に装甲の容量を割くのが勿体ないからだとラピスは言っていた。いちいち歩かなくてもいいのは急いでいる身としては都合がいい。

 

(早くレガシーの内部へ)

(わかってる)

 

 頭の中でラピスの声がする。彼女の言うとおり、まだ俺たちは敵の本拠地に侵入する第一段階までしか達成していない。

 敵の要塞は元々ISVSにあった遺跡(レガシー)と呼ばれる施設を元にして、それを覆い隠すように建造されている。要塞の中を進んでいる俺たちはまだ敵地への侵入を果たせたとは言えない。

 急ぐ必要がある。空中母艦を自爆させたのだからいざとなれば要塞部分を切り離してでも拠点を守る可能性があった。

 あちこちで隔壁が下りている。しかしこの程度で俺たちを止められるとでも思っているのだろうか。雪片弐型で軽く引き裂いて奥へと進む。

 

(ヤイバさん! 戻ってください!)

 

 ラピスの声で俺は急速に引き返す。この警告があって助かった。

 隔壁を切り裂いた俺の前に現れたのは、通路の先で銃口をこちらに向けている敵のIS。

 装備は4連大型ガトリング――クアッド・ファランクス。

 手前に引っ込んだ瞬間、通路を蜂の巣にする勢いで弾丸の雨がぶちまけられた。

 

「あっぶね!」

「ガトリングは屋内の防衛で使われることが多いんだから気をつけなさい」

 

 すぐ後ろでリンがぼやく。そんな彼女がガトリングの苦手な俺の代わりに前に出てくれない。

 

「困ったな。どうやって突破しよう」

「任せろ」

 

 そう言って出てきたのは藍越エンジョイ勢の一発屋、ライター。

 今回は吹雪の中で誤射されるとマズいってことでこっちに来てたんだった。

 トレードマークである集束型ENブラスター2門を抱えて飛び出したライターは進路の先へとぶっ放す。何が起きてるのか俺の位置からは見えないが、向こうからの銃弾の反撃はない。

 ライターは無言で親指を立ててくる。一発で終わらせやがった(一発しか撃てない)。まともに動けない上にEN武器に弱い相手なんてライターにとってカモでしかないな。こういうピンポイント起用だとめっちゃ活躍するってことを改めて再確認した。

 

「サンキュー」

「流石の一発屋ね」

 

 俺たちはライターが切り開いた道を先に進む。

 ライターは置いていこう。この先の戦いについていけそうにない。

 ……真面目な話、ライターはしばらく動けないし。

 

「見えた!」

 

 要塞の最後の直線通路。その先には見覚えのあるロビーへの通路が広がっている。レガシーの内部に入ってしまえば、あとはナナを見つけるだけだ。

 順調な道程。だからこそ俺は若干の違和感を拭えていない。

 なぜまだ“奴”が来ない?

 この疑問は自然と警戒につながる。俺はその場で足を止めた。

 

「どうしたの、ヤイバ?」

「先に行っててもらえるか? いや、むしろ後のことは全部任せていいか?」

「よくわかんないけどしょうがないわね。ナナはあたしたちに任せなさい」

 

 リンは俺を置いて先に向かってくれる。一緒に来ていた皆もリンの後に続いていった。

 これでいい。もし奴と中で戦闘になれば、ナナたちの身が危険に晒される。俺がレガシーに入らなければ、ナナが巻き添えを食うことはないはずだ。

 

 もう俺の中で確信がある。“奴”はこの中にいない。何らかの事情でここを離れている。

 だとすれば外からここへとやってくる。時間としてはそろそろ来てもおかしくない。

 

(ヤイバさん! そちらへ高速で接近する敵が――)

 

 わかっているよ、ラピス。君の目は俺の目も同然。俺にも見えている。

 的確にレガシーの入り口あたりへと飛び込んでくる灰色の機体が。

 

 直後の轟音。分厚かった要塞の壁は消し飛び、レガシーの入り口が雪空の元へ露出する。

 俺とレガシーの入り口までの直線距離はもうがら空きではない。要塞を破壊してまで突入してきた敵がそこに居座っている。特徴的な巨大な手のような翼を広げると、黒い霧のようなものが敵の体を包み込んでいく。

 初めて見る機体だが、初めて見る顔じゃない。

 露出させている頭は銀の長髪。こちらを見据える眼には金色の瞳。つまらなさそうにしている無愛想な表情は冷めた性格を象徴している。

 エアハルト。敵の親玉がやってきたのだ。

 

「間に合った――というわけではなさそうだ。まさかこの私を待っているとは思わなかったぞ、ヤイバ」

「余裕ぶっこいてる場合かよ。俺の仲間が先に行ってんだ。ナナを取り返されるぜ?」

「問題はない。アレの周囲は無防備というわけでもない」

 

 動揺させようとまでは思ってなかったが、全く動じてないのにも困ったものだ。エアハルトがハッタリをかましてくるような相手じゃないことはよく知ってる。無表情でも言葉自体は素直なところがある。だからレガシーの中にはIllが待っているんだろう。

 だけど心配することはない。俺はリンたちに後を任せた。だから俺の仕事に中のIllは関係ない。

 雪片弐型をエアハルトに向ける。お前を倒すという意志と共に。

 

「中のことはどうでもいい。俺の役目はお前を倒すこと」

「必然の一致だな。私がすべきは貴様を倒すこと」

 

 エアハルトが右手を頭上に掲げる。体にまとわりついていた黒い霧が右手に収束して剣の形を造り上げる。あくまで斬り合おうというわけか。望むところだ。

 

「行くぜェ!」

 

 先手必勝。小細工は抜き。突き出したENブレードをそのままにイグニッションブーストで突進する。

 急速に迫る奴の顔が見える。俺がどんな速度で向かおうが、平然とした顔で受け流すことだろう。それを踏まえての攻撃だった。

 だけど、違っていた。

 

 笑ってる……?

 

 頭の中で爆発したような危険信号が発される。反射的にAICを使って急停止。即座にベクトルを反転して後退する。

 あり得ない。少なくとも俺の知ってる顔じゃない。この違和感の正体がわからぬまま、今までのような感覚で戦うのはマズい。

 

「クックック……ハッハッハッハ!」

 

 エアハルトはあからさまに高笑いをした。攻撃もせずに引き下がった俺を嘲笑っているのか。

 臆したのは事実。今の俺はその嘲笑を受け止めることしかできそうにない。奥歯を強く噛んで悔しさを堪える。

 だけどそれすらも俺の思い違いだった。奴は即座に笑うのをやめ、目を見開いて怒りを露わにする。

 

「“ファルスメア”の力を直感のみで悟ったか。やはり貴様は放置できぬ存在。この場で打ち倒さねば私の理想郷を築くことなどできはしない」

「ファルスメア? その黒い霧のことか?」

「Illの根源たる架空の悪夢。囚われた人の魂は恐れを抱き、激しい心の動きは純粋な力となる。この点はISもIllも変わらない」

 

 束さんに聞いた話に近い。

 ISはIllを安全な形で造り上げたもの。

 Illはその逆で意図的に危険なまま仕上げたもの。

 基本的には類似しているのだから、エアハルトの扱う黒い霧も類似品のはず。

 

「Ill専用のEN兵器……」

「良い着眼点だが正解ではないな。もっとも、これ以上口で語る必要もない」

 

 ぞわり、と寒気がした。空気が変わったのを肌で感じる。

 来る。そして、雪片弐型でのバカ正直な迎撃は危険だ。

 左手にスターライトmkⅢを呼び出す(コール)。奴が動く前に射撃で機先を制する。トリガーを引く瞬間でもエアハルトの姿は銃口の正面にあった。

 直進するだけの蒼の光弾は対象へと向かう。偏向射撃(フレキシブル)など使うまでもない。奴は上下左右にズレることなく飛び込んで来たからだ。

 当たり前のように命中する。その一瞬前にエアハルトの正面に黒い霧が覆った。蒼はその黒に吸い込まれるように消える。

 

「くそっ!」

 

 正体は不明だがENシールドみたいなものだと思っておく。このまま衝突するだけで俺が一方的に打ち負ける。その直感を信じて俺はスターライトmkⅢをエアハルトに投げつけた上で雪片弐型を床に突き立てる。

 スターライトmkⅢも黒い霧に触れた途端にバラバラにされて消えた。だが僅かばかりの時間を得られた。その間に床を斬り開いた俺は体ごと突っ込んでこの場を離脱する。

 がむしゃらに下まで突き進む。結果、要塞の底までぶち抜いた。外は海で薄暗いが見えないことはない。水温なんて気にする必要がないから構わず中へと飛び込む。

 海の中は空中のように上手く動けない。雪片弐型も海中での使用は通常より燃費が悪く、すぐにガス欠になってしまう。俺にとって決して良い環境とは言えない。

 だからこそ来た。黒い霧の正体は不明だがEN武器であるならば海中での使用は減衰が激しいはず。常に展開している節が見られる奴の機体は海中でならその性能を引き出せない。

 1つだけ気がかりなことがあるとすれば、俺を追ってくるかどうかだけ。だがそれは杞憂に終わる。

 

「迷わず逃げたかと思えば、私をここまで誘いだそうとしたのか。無駄な徒労だ」

 

 自らの要塞を破壊してまで、エアハルトは追ってきた。俺に対する執念は俺の思っていた以上かもしれない。この様子なら難しく考えずともエアハルトの目を引きつけることはできる。

 だけど楽観視もしていられなかった。

 奴の周囲に黒い霧は健在。海中という環境でも不具合を起こしているようには見えない。

 

「何なんだよ、それはっ!」

 

 ここまで黒い霧に関してわかっていることは3つ。

 EN武器と同じように実体に対して非常に有効である。

 EN武器に対しても一方的に打ち勝てる。

 過去に戦った連中の戦闘記録から、シールドバリアによる減衰はほとんどないこともわかっている。

 

 まとめるとジャンケンでグーチョキパー全部合わせた禁じ手を出したようなもんだ。相性なんてなく、純粋に上位に立っている。

 バレットじゃなくても『このチート野郎!』と言いたくなる。

 

 こうなってしまうと海中は俺が不利なだけ。博打のつもりではあったが、ここまでのことになるとは予想してなかった。EN武器にある弱点すらないならどう勝てばいいのかさっぱりわからない。

 

「どうした、ヤイバ? かかってこないのか?」

 

 エアハルトの翼だったユニットが手として動き始めた。右手の人差し指と親指だけを立てて、人差し指を俺へと向ける。先端には黒い霧が収束して渦となっていた。周りの海水も引っ張られていてまるで小さなブラックホールだ。

 撃たれればマズいことだけはわかる。だけど発射を阻止する方法はなくて、動きの鈍い海中だと避けることも不可能。

 後悔が脳裏を占める。選択を間違えた。軽々しく自分に不都合のある状況を選ぶべきじゃなかった。

 残された道は悪足掻きだけ。方向性は2択。突っ込むか逃げるか。

 俺は海面を目指して浮上することを選ぶ。

 ――勝つためにはこの場を逃れないと!

 悔やみこそしているけど諦めることはしない。選んだ後悔より選ばなかった後悔の方が自分を苦しめるのだと、つい最近あの人から学んだばかりなんだ。

 

「一方的すぎるがそれも仕方あるまい。今、ここで全ての因縁を終わらせよう」

 

 エアハルトから黒い霧の弾丸が放たれる。海水ごと吸い込むブラックホールが俺を飲み込むために大口を広げて向かってくる。海流が変えられてしまい、俺が浮上する速度は失速。逃げられるものではない。

 ……俺ひとりだけの力だったなら。

 

「これは……」

 

 急激に海流が偏向される。俺は凄まじい勢いで海水に押され、黒の弾丸を上回る速度まで急加速して浮上する。

 

(助けが間に合いましたわね)

 

 ラピスが手配してくれた援軍、伊勢怪人さんだ。そのことは知っていたし、彼女が海のスペシャリストなのも知ってる。この状況をひっくり返してくれるのはいい意味で予想外だった。

 空気中へと飛び出した俺はまず自らの機動力を確認する。海水と低温の影響で動けないなどあっては助けてもらった意味がない。イグニッションブーストを2回ほど使用してみて問題ないと結論づける。さすがはISだった。

 外は未だ勢いの衰えない猛吹雪。寒くはないが大幅に視界が制限される白の世界が広がっている。塗れたままの生身だったら一瞬で凍死できるだろう。

 ブルーティアーズを全て呼び出(コール)しておく。ナナの絢爛舞踏を借りられない今の状況だと全開の雪片弐型と併用はできないけど、エアハルトの方はリンドブルムじゃないから雪片弐型にこだわっている方が危険だ。

 

 眼下で変化が起きた。海面を大きく揺らして1機のISが飛び出してくる。いや、Illか。黒い霧をまとったエアハルトが手のような翼を広げ、俺の元へと急上昇してくる。

 ほんの数秒で海の伊勢怪人さんがやられた。やはり今までと違う規格外の怪物として扱わないといけない。あのギドですらヌルく思えてしまう。

 だからこそ、俺は妙だと感じている。

 なぜエアハルトは最初からこの黒い霧を使っていなかったんだ?

 わざわざISVSプレイヤーの範疇に収まる戦い方で俺の前に立ちはだかっていた理由があるに決まっている。それこそが突破口になるはず。

 

「時間稼ぎばかり。それでも私は貴様の評価を下げてはいない。このイリュージョンを前にして未だ立っていられることは才能と言えよう」

「きっつい皮肉だな。仲間を犠牲にして生き残る才能があるって言われてるみたいだ」

「それもまた才能、あるいは天意とでも言おうか。なればこそ、私と貴様は同じ頂に立てはしない」

 

 エアハルトの接近を許してしまった。右手の黒霧の剣が上から振るわれる。

 俺は反射的に雪片弐型を振り抜いた。全てのエネルギーを雪片弐型に回した文字通りの全力。

 剣同士が衝突した。いつもの干渉とは違い、まるで実体の剣同士を打ち合わせたときのような感触がある。つまり、短い時間ではあるがエアハルトの剣を止められた。目に見えて雪片弐型の刀身は端から削り取られていくが、かろうじて残った刀身で受け流す。

 エアハルトの右側を抜ける。その先にはエアハルトの装備である“巨大な右手”が待ち構えていた。黒い霧をまとっている手はこれまでの奴の攻撃と同じ特性を持っていると考えられる。

 イグニッションブーストで左に飛ぶ。とにかく今は動きまくるべき。足を止めれば力負けする。

 だけど速さで勝っているというわけでもない。完全には避けきれず、右のウィングスラスターが半ばからもぎ取られた。

 

「……天意? 全人類を導く使命があるってやつか?」

 

 一方的にやられている状況。全く以てそれどころではないのに、どうしても言いたくなった。

 

「お前みたいな奴と俺を一緒にするなっ!」

 

 ブルーティアーズに指示を送って4発のフレシキブルでエアハルトを狙い撃つ。しかし黒い霧が奴の周囲を全て覆い隠して隙間がない。軽く打ち消されて終わる。

 だけど俺は挫けてもいないし、気が収まってもいない。

 

「俺は誰かに言われて戦ってるわけじゃない! お前と違って!」

「違わぬさ。私が“ヴェーグマン”の名を継いだのと同じように、貴様は“織斑”の立場を継いでいる。だからこそ、今ここに立てているはずだ」

 

 エアハルトの背中の“両手”が広げられる。10本の指先それぞれに黒い霧が収束し、一斉にばらまくように放たれた。

 テキトーに撃ったように見える。事実その通り。この攻撃は目標を後付けで設定できるフレキシブル攻撃。一度は離れた弾丸が軌道を修正して俺の方へと向けて飛んでくる。

 大きく回り込むように綺麗なカーブを描いた。その軌道から同じ光景を見ているラピスが演算を終了する。

 

(3カウント後、前方に5mだけイグニッションブーストをしてください)

(わかった)

 

 詳しい計算は俺の頭でついていけてない。ただ俺は彼女の指示を信じるだけ。

 俺に向けて殺到する黒の流星群。10発が全てバラバラのタイミングで着弾点も微妙にズレている。おまけに後出しで微調整もできる。初見で回避することは極めて困難であり、未だ射撃の知識に乏しい俺では回避は不可能だ。

 提示されたカウントが0になる。同時にイグニッションブースト。速度0から瞬時に最高速度へと至り、5mという短距離を移動して即座に急停止する。これは宍戸から習ったAICの応用。

 ラピスの理想通りに動いた俺の体すれすれを黒い弾道が通過していく。ラピスのフレキシブルと違って鋭角に曲がらないそれらは海水や氷上に着弾すると球状に抉り取った。

 

 ダメージは0。

 

 刀身を出していない雪片弐型をエアハルトに突きつける。

 今の攻撃を潜り抜けることができたのは決して顔も覚えていない父さんの力なんかじゃない。

 

「俺がここに立っているのは“俺”だからだ!」

 

 指令を下す。BTビットではなく、フレキシブルの操作を行なう。

 先ほど放った4発のうち掻き消されたのは3発。残る1発は吹雪に紛れさせておいたまま、俺たちの周囲を大きく円運動させていた。

 いくら黒い霧が無敵でも、攻撃に回ってれば隙もある。

 軌道を変えて白に変えていた光弾がエアハルトの左手ユニットの人差し指を貫く。

 

「貴様……」

「俺には負けられない理由がある。ナナを助けるって約束したんだ。他人の言うことだけ聞いてる奴が俺の邪魔をするなっ!」

「……人間風情がこの私を愚弄するか。身の程を(わきま)えろ」

 

 エアハルトの両目が大きく見開いた。ギドらと違って眼球が黒くはならないが静かな怒りが伝わってきて肌が痺れる。

 突如として黒い霧の量が増した。エアハルトを覆い隠してしまい中が見えなくなる。さらに、外部に残った巨大な手のユニットにも表層に霧が伝っていて隙間などない。

 まるでイルミナントと同じ。攻防一体の超兵器を前にして俺に残された手立てはないに等しい。

 たった1つだけ俺に残されていた希望は奴の戦闘可能時間の長さだった。だけど、効率を考えているとは思えない運用を目の当たりにして、戦闘時間が短い可能性は絶望的になった。

 

「所詮は人間。その非力さを思い知るといい」

 

 10で収まらない数の弾丸が複雑な軌道で一斉に放たれる。

 ラピスの力があっても避けきれるものじゃない。

 借り物であるBTビットは全て撃ち落とされ――

 黒の弾丸が俺の左肩を撃ち抜いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 レガシーの内部へと潜入した部隊の中にはシャルルの姿もあった。彼女にとってこの戦いはラウラを取り戻す戦いという意味合いが強いのであるが、今のラウラを相手に出来るほどシャルルには技量が足りていない。直接の相手をブリュンヒルデに託した彼女が果たすべき役割はヤイバの目的達成を全力で支援すること。

 

「先に行って、リン!」

 

 同じくレガシーへと入ってきた仲間を先に進めて自分だけが残る。共に進めない理由など、敵の足止め以外にない。

 アサルトライフルを正面に向ける。狭い通路の中、銃口の先に立つ女は水をヴェールのようにまとっている。

 

「皆のところには行かせないよ、シビル・イリシット」

 

 以前にも戦ったことのある相手で名前も知っていた。

 シビル・イリシット。ISVSでただ2人だけ存在するアクア・クリスタルの使い手の片割れである。最初から眼球は黒く染まっていて武器も蛇腹剣“ラスティネイル”と4本のBT大剣という全力の体勢。

 

「どうしてシビルのことを知ってるのかと思ったけど、あのときの女の子みたいなお兄さんかぁ」

「僕は実は女の子なんだ」

 

 シビルが勘違いするのも無理はない。ヤイバと知り合ってからは父との約束もほとんどないも同然になってはいるのだが、シャルルは男装アバターを使い続けている。

 現実と同じ姿ではないからこそ意味がある。この姿のときはか弱いシャルロットでなく“夕暮れの風”で居られる。Illに立ち向かうにも気の持ちようが大きく変わってくるのだ。

 

「男のフリだなんてバッカみたい! 人間は女の方が偉いって思ってるんでしょ?」

 

 シャルルの人差し指がトリガーを引く。アサルトライフルから飛び出した弾丸はけらけらと笑うシビルの眼前で小さい爆発と共に消滅させられる。

 不意打ち気味の攻撃はただの挨拶。シャルルはシビルを強く睨みつける。

 

「男の子は強いよ。少なくとも、僕の知ってる人たちは皆」

「ふーん……そう思ってるのって、シビルだけじゃなかったんだ」

「え?」

 

 思ってもいなかった発言を聞いたシャルルは思わず前のめりに耳を傾けてしまう。だから自らのPICを浸食する反応に対する対応が一瞬だけ遅れた。

 爆発。直接攻撃に転用できるBTナノマシン、アクア・クリスタルによる視認困難な攻撃をシャルルは左手の盾で防御する。

 

「でもさ、ギドもハバヤもいなくなっちゃった。2人ともシビルよりも強いのに、シビルより弱い人に負けちゃったんだってさ。強さって何なんだろ……」

 

 背後のBT大剣の切っ先が全てシャルルに向けられる。以前と違って好戦的には見えないシビルではあるが、戦闘する意志だけは固まっている。

 Illに対して抱いているイメージと食い違っていて戸惑いもあるシャルルだが、四の五の言っていられる状況ではない。今は戦うしかない。

 

「“転身装束”、起動(ブート)。ガーデン・カーテン!」

 

 ワンオフ・アビリティを起動して装備を全取っ換えする。ガーデン・カーテンは拡張装甲(ユニオンスタイル)であり、大量のシールドを搭載した防御特化の装備構成となっている。

 シビルの大剣が一斉に襲ってくる。それらの表面にはアクア・クリスタルを利用した耐ビームコーティングが施されていて、シャルルの通常装備では対応が難しいことは前回の戦闘で学んでいる。

 シャルルが導き出した最適解は攻めないことだった。

 非固定浮遊部位のシールドを立ち並べ、さらに両肩にくっついているENシールド発生装置をフルオープン。多重に折り重なるように配置されたシャルルの盾は即席の城壁とでもいうべき堅牢さを誇る。シビルのBT大剣はその半ばでENシールドを突破できず、逆に先端から4分の1ほどの長さの刀身が折れた。

 

「ウザい……それでシビルを倒す気なの?」

「逆に聞かせてもらおうかな。僕が君を倒さなきゃいけない理由はあるの?」

 

 前回はラウラに助けられた。ラウラはシビルを倒すことなく撃退した。結果で言えばそれも勝利である。

 この戦いの最終目標はシビルを倒すことではない。シビルという存在に本来の目標を妨害されることだけが気がかりだった。だから邪魔さえされなければあとはどうでもいい存在であるともいえる。

 

「僕としては全部終わるまで君とお話をし続けても構わないよ」

 

 既に通路上を陣取った。アクア・クリスタルでもENシールドを突破することは出来ない。シビルが他のプレイヤーの元へ向かうには防戦に集中するシャルルを打ち倒さなければならない状況が出来上がっている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 レガシーの内部構造はどれも似たり寄ったりである。エアハルトでも内部の改造まではできず、ヴィーグリーズのレガシー部分もツムギ内部と同じ構造となっている。ラピスの星霜真理が示すナナの座標は中枢に当たる位置。リンとシズネ、トモキの3人は仲間たちが足止めをしてくれている隙に、目的地の目の前にまで辿り着いた。

 先頭のリンが曲がり角の陰から奥の様子を窺う。するとそこには1機の人型の姿があった。全身装甲(フルスキン)ではあるがメットからは長い銀髪が外に流れている。ラピスが敵の存在を確認できていないため、間違いなくIllである。

 

「初めて見るタイプね。装備は……防御重視か」

 

 これまでに戦ってきたIllの内、まだ倒せていない相手の情報はプレイヤー間で共有できている。その中に無い敵がナナのいる場所の手前に陣取っている。

 見ただけでわかることはIllの周囲に浮いている板状の物体。BT使いが使用しているシールドビットと酷似していることから同系列のものであるとリンは判断した。

 他の装備は不明だが今はやるしかない。おそらく敵の狙いは時間稼ぎ。この通路を守れさえすれば、援軍が駆けつける手筈となっていることだろう。

 

「シズネはここで隙を窺ってて。あたしとそこの人で奴の注意を引く」

「俺、“そこの人”扱いかよ!? まあ、俺も同じ提案するところだったから別にいいけど」

 

 リンもトモキも耐久に自信のある機体を扱っている。狭いところでも多少の無茶は利くということで2人が先に前に出る。同時に通路に身を投げた後、龍咆と焔備で一斉に攻撃を開始する。

 だが衝撃砲もアサルトライフルも届かない。通路自体を覆い尽くす規模のENシールドが敵の全面に形成されて、全て防がれてしまった。

 攻撃どころか先へ進むための隙間すら存在しない。ここまでされれば敵Illのコンセプトは自ずと理解できる。予想通り、防御特化であり、先への侵入を拒む為だけに存在する番兵だった。

 レガシーはマザーアースと違って破壊は困難である。要塞ならば通路自体を破壊するという選択肢もあったが、ドームの中はリンたちの装備では歯が立たない。

 先に進むためには目の前のIllをどかす必要がある。

 

「シズネ、ちょっと来て!」

 

 リンはシズネを呼んだ。この敵の攻撃能力は低いため、堂々と呼んでも問題はない。

 近くまでやってきたシズネにちょいちょいと手招きして耳元に顔を近づける。別に内緒話ならプライベートチャネルを使えばいいのだが気分でこうした。

 

「今からコイツをちょっとだけ動かすわ。必ず道が出来るから“そこの人”を連れて先に進みなさい」

「リンさんは?」

「あたしはコイツの相手。流石に後ろから追っかけられるのはキツいし」

「すみません……」

 

 リンも敵の足止めのために残るという。ここまで来るのに多くのプレイヤーに同じ責を負わせてきた。大抵はリミテッドの相手であるが、リンとシャルルはIllを相手にしている。負ければどうなるのか、身を以て知っている2人がである。

 全てはナナを助け出すため。シズネとトモキの2人を送り出してくれている。申し訳なさからシズネはつい謝罪を口にした。

 そんなシズネにリンはデコピンを食らわす。

 

「謝ってんじゃないの。皆、好きでやってんだし、それに『ありがとう』の方がやる気が出るってもんよ?」

「……はい。ありがとうございます」

「よろしい。じゃ、行くとしますか!」

 

 リンは右手に武器を呼び出した。いつもの双天牙月は置いてきた。代わりに持ってきていた装備はハヅキ社が開発した新兵器。

 形状は両刃の大剣。ただしどう見ても金属ではなく、水晶を思わせる透き通る材質で造られていた。

 

「たかがENシールド如きで鉄壁気取りとはね。ゲームってのは時間と共に環境が変わるもんよ。時代遅れはそのまま弱さになる」

 

 水晶の剣の先端を敵に向ける。敵はENシールドの出力を上げて迎撃の体勢を整えた。機械的な判断しか下さない敵はその行動が無駄だとまだ察せていない。

 イグニッションブーストで突貫。水晶の剣が光の防壁に触れる。普通の物理ブレードならば触れた箇所から壊されてしまうのだが、この武器は違っていた。シールドに壊されることも、シールドを壊すこともなく、何事もなかったかのように通過した。

 

 ハヅキ社製近接物理ブレード“ブロークン・ハート”。その最大の特徴は使われている材質にある。刀身の全てがハヅキ社の開発したレーザークリステイルのみで構築されている特殊な武装となっている。レーザークリステイルはEN属性を損失無く透過・屈折させる性質をもっているため、ENシールドに阻害されることがない。衝撃に弱い欠点を抱えているが、ENシールドを無力化するただ1つの剣となる。

 リンがわざわざこの装備を用意したのには理由がある。衝撃砲はENシールドで守りに入られると手出しが出来なかったのだ。その欠点を抱えたままこの決戦に臨みたくなかった。その対策が功を奏したのだ。

 

 リンの剣はシールドの奥のIll本体に届いた。命中した衝撃で水晶の剣は粉々に砕け散るものの役割は果たした。胸のど真ん中を突いたことでIllの体がぐらりと揺れ、通路を塞いでいたENシールドが一時的に消失する。

 

「今よ!」

 

 リンが合図を送る頃にはシズネが駆けだしていた。彼女の背を守りながらトモキが追従し、Illの背後の通路を飛んでいく。

 リンも奥側へと移動する。この後は出来ることならIllを倒す。それが無理でもリンがこの場に居座ってシズネたちを守れればいい。

 Illが起きあがる。突破を許した今、盾で守りに入っても無駄だということくらいはわかっている。広範囲に設定していたシールドビットも回収し、腕に集中した。さらに手を覆うように小範囲に小型のENシールドを展開し、ボクサーのように両手を上げて構える。

 

「あたしと殴り合い? 上等っ!」

 

 リンも崩拳を構える。お互いの右ストレートが正面からぶつかり合った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ついにシズネは目的地に辿り着いた。ツムギではクーが居座っているレガシーの最深部となる六角形の部屋。その中央でぼんやりと浮いているのは紅椿を纏ったままのナナである。

 

「ナナちゃん! 助けにきました!」

 

 返事はない。心ここに非ずといった様子で目は虚ろだった。

 近づこうとして足を踏み出すとナナの右手が動く。手に握られている装備は雨月。突きと同時に発生する8本の紅の閃光が外敵であるシズネに殺到する。

 だがここにはこの男がいる。トモキは両肩のシールドを背中に回してシズネを抱くようにして庇った。

 

「ぐっ――大丈夫か、シズネ?」

「は、はい……すみません」

「話には聞いてたがナナが操られてるってのは本当のようだな。だが戦闘って感じじゃない。おそらく複雑な命令は聞けないってとこだろ」

 

 トモキはナナの攻撃を受けたというのに冷静だった。シズネと違って……

 だからシズネには不思議でしょうがない。

 

「落ち着いてるんですね……」

「バカ言え。俺だって色々とテンパってる。全力のナナじゃないとはいえ、装備だけは強力だからいつまでも攻撃を受けてられないしな」

 

 そういうことじゃない。好きな人から攻撃されてショックを受けないのかとシズネは問いたかった。

 しかし疑問の言葉は飲み込んだ。今はそれどころじゃないのも事実。

 

「ナナちゃんを取り返すためにはどうすればいいのですか?」

「ラピスが言うワンオフ・アビリティの影響を無くす手っ取り早い方法は1つ。ISを機能停止させればいい、だとさ」

 

 今のナナは自分の意志でISを解除できない。よって紅椿を停止させるには必然的に攻撃を加える必要がある。

 

「シズネは下がってろ。あとは俺がなんとかする」

 

 トモキはシズネを置いてナナの元へと向かおうとする。流石にこのトモキの対応をシズネはおかしいと感じていた。

 ……過保護すぎる。

 

「トモキくんが1人でナナちゃんに勝てるわけありません。私も戦います」

 

 力強い言葉とは裏腹にシズネの目にはうっすらと涙が浮かぶ。

 もうポーカーフェイスだった彼女はどこにもいない。

 トモキは優しくポンとシズネの頭に右手を乗せる。

 

「じゃあ、頼むわ。2人でナナを助け出すとしようぜ」

 

 あまりにも清々しい爽やかな笑み。それが逆にシズネには儚いものに見えてしまっていた。

 却って涙腺が高まってしまう。それでもシズネは耐えた。鼻をすすり、トモキに答える。

 

「はい!」

 

 シズネはスナイパーライフルを両手で構える。ナナを照準に入れ、引き金に指をかける。

 とてつもなく重い。大丈夫だと頭ではわかっていても、ナナに向けて銃を撃つ行為に躊躇いがないわけがない。

 それでも引いた。他ならぬナナのために。これが最善なのだと自分に言い聞かせた。

 

 覚悟の銃弾は飛んでいく。シズネの思いを抱えて。

 しかし攻撃としては単調なものだ。操られているナナでも簡単に見切れるものであり、一刀の元に弾丸が斬り捨てられる。

 

「良くやった、シズネ。だけど遠くちゃナナに届かないな。俺について来れるか?」

「もちろんです」

 

 トモキの提案は近距離でぶっ放せというもの。近づくことも決して簡単ではないのだが今更尻込みする2人ではない。

 先にトモキがナナへと向かう。当然、向かってくる外敵にナナは迎撃を行なう。左手の空裂による中距離の斬撃。これもまた単調な攻撃であるのだがトモキには避けられない事情がある。両手を交差させて敢えて受けた。全ては後ろについてきている彼女のために。

 無機質な顔のままナナは右手の雨月で追撃を加える。8本のビームが迫るがトモキはこれもまた全て自分から受け入れた。身を盾にして前へと進む。

 

「行け……」

 

 ナナに近づける直前になってトモキが失速する。代わりにシズネが前に飛び出した。スナイパーライフルの長い銃身を前に突き出すと、銃口がナナの胸に触れる。

 トリガーを引く。今度は躊躇う時間はなかった。ここまで自分を導いたトモキの思いを無駄になどできない。そう思うことで自分を奮い立たせている。

 当然1発で倒れる紅椿ではない。ぐらりと揺れた後、攻撃対象をトモキからシズネに変えて両手の刀が振り上げられる。

 そこへすかさずトモキが動いた。やられたフリをしていただけであり、まだトモキは動ける。ナナの背後をとったトモキは彼女を後ろから羽交い締めにした。

 じたばたと暴れるナナ。背中の非固定浮遊部位を剣に変形させてトモキに突き刺す。だがまだトモキは手を離さない。

 

「やれ! シズネェ!」

 

 トモキの叫びに応えるようにしてシズネは引き金を引き続ける。1発ごとにナナの呻く声が耳に届く。

 ……ごめんね、ナナちゃん。

 謝りながらシズネは攻撃の手を緩めなかった。撃った自分の方が痛くても、もうやめたくても引き金を引いた。

 ナナの攻撃の矛先がトモキからシズネに再び切り替わる。浮いていた剣がシズネのスナイパーライフルを半ばで両断した。

 だが武器を失ったところでシズネは止まらない。そもそもこの距離ならば武器なんて必要ない。

 

「あああああ!」

 

 シズネは1歩分前に進み出る。右手を振り上げ、勢いよくナナの頬をひっぱたいた。

 痛烈な音が六角形の部屋に反響する。これを最後にナナは動きを止めた。攻撃に回っていた非固定浮遊部位は粒子に分解されて消滅し、紅椿本体もサラサラと消えていく。支えを失ったナナは落下を始めるがシズネが捕まえた。

 

「ナナちゃん……ごめんなさい、ナナちゃん……」

 

 ぎゅっとナナを抱きしめる。すると腕の中でもぞもぞと動きがあった。

 

「泣くな。胸を張れ。お前のおかげで私は助かったのだ」

 

 エアハルトの能力から解放されたナナはすっかり弱みを見せるようになってしまった親友を茶化すことなく慰める。

 操られている間のことも記憶にある。助けたい人のために助けたい人を撃つなどそう簡単にできることではない。それでも撃ってくれたシズネはかけがえのない友なのだとナナは改めて思い知らされた。

 

「ありがとう、シズネ」

 

 親友同士で抱き合う。

 そんな2人を見つめていたトモキは小さく微笑むとボロボロな姿のままこの場を離れた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 目の前がチカチカしている。左肩が焼けるように熱くなってて、痛み以外の感覚がほとんどない。まるで自分の体ではないものが左肩にぶら下がっているようだった。

 

「バカな……なぜ……?」

 

 正面ではエアハルトの野郎が狼狽している。まさかやられたこっちじゃなくて攻撃した方が驚くなんてな。

 実際、我ながらバカなことをしてるとは思う。やろうと思ってできることじゃないはずなんだけど、どうやら束さんが手を加えてたようだ。

 

「なぜ絶対防御が作動していない?」

 

 俺はエアハルトの攻撃を避けられなかった。左肩に黒い弾丸が直撃した。装甲も紙同然で、シールドバリアもないかのように食い破るエアハルトの新兵器は白式を強制的にアーマーブレイクさせるEN攻撃のようなもの。肩だったとはいえ絶対防御が発動すればストックエネルギーの大部分が削られることとなったはず。

 それは避けたかった。だから俺は絶対防御をカットした。コアを狙われたり、俺の命がなくなる攻撃を受ければ即座に敗北するけど、逆を言えばそれ以外の攻撃で俺が倒れることはない。

 だけどこれは安全装置を外した状態。だからさっきから痛くて痛くてしょうがない。

 肩を見れば風穴が空いていた。

 

「この程度のことで驚いてんじゃねえよ。程度が知れるぞ、遺伝子強化素体(アドヴァンスド)

 

 脂汗を浮かべながらも言葉で噛みつく。じっくり考える余裕がなくてもエアハルトに対して弱音だけは吐かない。

 こうして身を張った甲斐はあった。もしエアハルトに断続的に仕掛けられていたら俺は既にやられてたはず。正攻法でなくともこうして僅かな時間を稼げた。その意味はあったのだ。

 エアハルトを覆っていた黒い霧が急速に小さくなっていく。

 

「バカな……シビルたちがこの短時間で敗れたというのか……?」

 

 やはり使用に制限があったようだ。エアハルトの言動から鑑みるに挑発に乗った末の自滅ではなく、思惑から外れた事態が起きたということだろう。おそらくはナナが関係している。

 助かったぜ、皆。ナナを助けてくれたんだな。

 エアハルトの周りから黒い霧が消えた。まだエアハルトは状況に対応できてない。この隙を逃してたまるものか。

 残っている左のウィングスラスターを真後ろに回してイグニッションブースト。左肩の痛みで僅かに集中が途切れた。エアハルト本体を叩っ斬るつもりだったのに軌道が左に逸れて、奴の背後に浮いている右手ユニットを両断するに留まる。

 

「図に乗るな!」

 

 奴からの反撃。人差し指以外が残っている左手ユニットの指4本の先端に黒い霧が出現し、小さく凝縮される。黒い霧は完全に使用不能になったわけではないらしい。通常の射撃のように黒い弾丸が俺に向けて放たれる。

 その軌道はもうラピスが計算済みだ。

 考えることもなくラピスの指示通りに後方に宙返りすると全て外れた。

 

「反応が鈍いぞ、ヤイバァ!」

 

 回避直後の俺の目の前にエアハルトがいる。近接ブレードもなしに近づいてきた奴は自前の右手を開いて振りかぶった。

 油断してたつもりはない。だけど今まで攻撃に余裕を持たせていたエアハルトが牽制射撃の後に接近戦をしてくるという連携をしてきたのは意外だった。

 雪片弐型で斬るか? いや、まだ一撃で倒せる保証はない。俺の推測ではエアハルトを倒すまでに二撃が必要になる。この状況だと俺が2回斬るまでに奴の右手が俺の頭に届く。

 昨日、セシリアから聞いたエアハルトの単一仕様能力。頭を掴んだ相手を強制的に従わせるという効果が事実なら、奴の右手は敵対する者を一撃で倒すほどの威力を持っているも同然。

 もう逃げられない。左腕が動かない俺には右手を弾くことも無理だ。

 エアハルトの右手が迫ってくる。いつもの冷淡さとは無縁な闘争心が剥き出しとなった金の瞳がギラギラとしている。奴もこの一手が必殺となると確信を持っていることは明白で、俺もそれを否定できない。

 

 手立てはないのか。

 俺には雪片弐型以上の武器なんてない。

 あるのは単体だと役立たずな単一仕様能力だけ――

 

「そうかっ!」

 

 閃いた。確信はないが可能性に賭ける。

 そのために雪片弐型を拡張領域に回収する。

 右手の武器を無くした俺は徒手空拳。この状態で初めて出来ることがある。

 殴ろうってわけじゃない。グーじゃなくてパーだ。

 俺は右手を伸ばす。向かってくるエアハルトの右手はどうでもいい。むしろ俺の頭を差し出してやる。

 代わりに……お前の頭をもらう!

 俺とエアハルトはほぼ同時に互いの頭を鷲掴みにした。

 

 知らない記憶が頭の中に流れ込んでくる。いつものクロッシング・アクセスと比べて暴力的に情報を叩き込まれる感覚だった。これがラピスの言っていた強制的なクロッシング・アクセスなのか。

 映像の景色は薄暗い部屋の中。仄かに怪しく輝く緑色の水槽を背景に白衣の老人がこちらを見ている。左目は機械的なレンズに置き換わっていて左手も完全に機械になっているサイボーグのような爺さんである。

 ――お前の名はエアハルト・ヴェーグマン。私に代わって全人類を導くのだ。

 老人はそう告げた。それがエアハルトに与えられた使命。

 しかし、映像はこれだけじゃない。

 景色が変わる。視界には火の海が広がっていた。あちこちからパパパパと軽い音が聞こえるけど、これはマシンガンなどの銃声。目の前で銀髪の子供たちが次々と殺されていく中、ひたすらに走っていた。

 手には幼い少女を抱えている。これまた銀髪の彼女の足は傷を負っていて走れる状態でない。

 ――安心しろ。私が必ず、我々が生きられる理想郷を創る。

 エアハルトの声に悲観の色はない。そのエアハルトの腕の中で少女は笑ったまま動かなくなった。

 

 これがエアハルトの記憶の一部。単なる裏組織の世界征服計画だと思っていたけど全然違う。

 むしろエアハルトの目的は俺や数馬と同じなのかもしれない。

 だけどこれだけは言いたい。

 ……本当に、その道しか無かったのか?

 プランナーとかいう機械仕掛けの爺さんの操り人形になる必要なんてないはずだろ。

 奪われた過去があるのなら奪い返さなきゃいけないなんて誰が決めたんだよ。

 俺や数馬と似ているところがあるくせに何故他人の言うことに従う必要がある。

 

 このムシャクシャした気持ちを声に出してぶつけたい。

 

「俺はお前が!」「私は貴様が!」

 

 全く同じタイミングでエアハルトも吠える。

 合わないことばかりの俺たちだけど、これだけは一致する。

 

 

『気に入らないっ!』

 

 

 声が被る。同時に相手の頭を押し込むようにして突き放した。

 距離が開いた。俺は掴まれていた頭を右手で押さえる。エアハルトも鏡に映したように頭を押さえていた。

 自分の状態を確認する。エアハルトに命令をされた形跡はない。俺は賭けに勝った。

 

「ヤイバ……貴様も“絶対王権”を持っているのか……」

 

 絶対王権。それがエアハルトの単一仕様能力の名前。

 奴が俺の単一仕様能力を勘違いするのも無理はない。なぜなら俺はその絶対王権を使ってエアハルトに命令したんだ。

 ――単一仕様能力の使用を禁止する、と。

 これは奴の能力が強制的にクロッシング・アクセスを起こすからこそできるカウンター。奴が俺の頭を掴んだとき、俺も奴の頭を掴んでいれば共鳴無極により俺も絶対王権を行使できる。

 

「……私は誤解をしていた。貴様は十分に化け物だ」

「奇遇だな。俺も誤解してた。ギドと違ってお前は割と人間だよ」

 

 エアハルトの右手に黒い霧が現れて剣を象る。おそらくは節約した使い方。絶対王権を封じたからと言ってまだ俺の勝ちは遠い。

 むしろ追いつめられてるのは俺の方。もう痛覚が麻痺したのだろうか。左腕の感覚が全く無くなった。右手に雪片弐型を呼び出したけどバランスが悪く、いつも通りに振るえると思えない。

 漆黒の剣が迫る。純粋に速い攻撃は黒い霧の特殊性を合わせると必殺の一撃となり得る。まともに受けるわけにいかない俺は雪片弐型の高出力に任せて斜めに流す。

 ガリガリと刀身がすり減るような手応え。EN属性の刃すら喰らいつくそうとする黒い塊がまるでIllそのもの。だが扱うエアハルトも通常のブレードと同じ感覚というわけにはいかないようだ。戻ってくる手が明らかに遅い。

 

「くらえっ!」

 

 受け流した後の刀を返すようにしてエアハルトを斬りつける。出力が削られた直後とはいえ雪片弐型だ。すぐさま持ち直して最大に近い威力を奴の肩口にぶつけられた。

 クリーンヒット。確実に絶対防御を発動させた。それも軽いものじゃない。

 攻撃をくらったときから思っていた。黒い霧による攻撃に対してシールドバリアが全く機能しないどころか、砕かれた形跡もないまま消失していた。だから奴自身も黒い霧がある限りシールドバリアが張れないんだと予想した。

 ようやく勝ちが見えた。あと1発。雪片弐型で斬ればエアハルトを倒せる。

 黒い霧のIllを……倒せる!

 

「笑うには早いぞ、ヤイバ」

 

 今は俺が押している。そのはずなのに……

 エアハルトは落ち着きを取り戻している。

 失念していた。まだ奴には手にある剣以外の武器が残っている。

 奴の左肩付近に浮いていた左手ユニット。人差し指部分を失ったそれが手刀を形作り、背中側をぐるりと回って右側から俺に斬りつけてきた。

 俺がエアハルトに攻撃したとほぼ同時。

 巨大な手刀は黒い霧を微少量纏っていて攻撃力は十分にある。

 攻撃のために突き出していた俺の右腕の――肘の位置でぶった斬っていった。

 

「ぐっ――ああああああっ!」

 

 失敗した。絶対防御を切っていたからこその弊害。俺の唯一の攻撃手段だった雪片弐型を使うためには右手がいるというのに。コアの次に守るべきだったのに読み違えた。

 頭の中へと激痛の荒波が押し寄せてくる。どうすればいいのかなんて考える余裕がない。痛いという言葉しか頭に浮かばない。目に映るものは無様に宙を舞う俺の右手と雪片弐型。

 あと一撃。

 それで勝てるのに。

 箒を助けられるのに。

 ここまでなのか、俺は……

 

 なんて諦める自分はもうどこにもいない。

 

「俺はァ! 箒を助けるって誓ったんだよォ!」

 

 目はまだ見えている。右手から投げ出された雪片弐型がクルクルと回りながら宙を舞っている。その軌道も回転の速さも全て認識できる。

 翼はまだ生きている。飛行には支障がなく、イグニッションブーストもやろうと思えばできる。

 口は良く動く。抗いの言葉を叫んで活力が失われていないことを自覚する。

 いける。まだ俺の可能性は潰えちゃいない。

 

 俺は口を大きく開いた。ほんの1mという短距離をイグニッションブーストで前進し、雪片弐型の柄に噛みつく。

 起きろ、雪片弐型! お前もまだ死んじゃいない!

 ENブレードの刀身を再構築。首を折られそうなほどの反動を逆に利用して大きく首を振る。

 勝利を確信していたエアハルトはまだ近くにいる。このまま一気に振り抜く!

 

 

 ………………。

 ……周りが全く見えない。

 猛吹雪だけのせいじゃなくて目に映っているものが何なのか理解できない。

 全方位を見ることが出来るISの視界も意味を理解できなければ見えてないも同然だ。

 顎から力が抜ける。雪片弐型をくわえてたことも忘れてた。下に落ちていったけどその行方を追うだけの気力もない。

 

「……認めよう。貴様は私以上の化け物だ」

 

 それがエアハルトの声だと認識したとき、ようやく俺の目の焦点があった。

 右肩から斜めに大きく切り傷の入ったエアハルトがそこにいる。

 闇雲に振るった最後の一撃が奴に届いていた。

 

「同時に私の敗北も認める。ファルスメアを使っても貴様を倒せなかった。この結果だけが事実として残る」

「負け惜しみも……上から目線かよ……」

 

 勝った俺の方が一言話すのも辛い状況。だけど白式は動いているのに対して奴の機体は戦闘不能。仮想空間に造られた奴のアバターは光の粒子に分解されていき、この世界を退場していく。

 俺が勝った。それも単なるプレイヤーとしてのエアハルトにではなく、黒い霧を使う黒幕としての奴を倒した。この勝利が意味するものは俺の自己満足などでは収まらない。

 だというのに、エアハルトの奴は愉快そうに笑ってみせた。

 

「貴様が男で良かった。これほどの脅威であっても所詮は架空のもの。現実になければ本来の目的の邪魔にはならない」

「何を……言っている……?」

「仮想世界の文月ナナはくれてやる。記憶を見た今、あれは用済みだ。今の私が欲するのは現実のIllを動かすための動力源。絢爛舞踏を持つ篠ノ之箒の体だ」

 

 エアハルトの体が消えていく。奴は遺伝子強化素体と言っても現実に体を持つ個体。だから仮想世界で敗れても死ぬことはなく、現実に戻るだけ。

 現実に戻れば俺と同じように無力。そう思っていたけど、真実は違う……?

 

「まさか、現実にもIllが――」

「同じ土俵もここまでだ。現実の貴様は私とIllを止められはしない」

 

 俺たちは敵を追いつめすぎたんだ。エアハルトは本拠地を死守するつもりなんて最初からなかった。最初から狙いは現実でIllを稼働させることだけ。そのためにナナではなく箒を欲している。

 

「ふざけるな、この卑怯者ォ!」

 

 エアハルトは高笑いをして去っていった。

 これで終わったと思ったのに、そんなことはなかった。

 エアハルトの言い草から黒い霧のIllは現実に存在しているとわかる。今、俺が倒したのがコピーのようなものだとすれば、まだ箒たちを助けられていないことになってしまう。

 それだけじゃない。奴の狙いはナナから箒に変わった。今も眠り続けている箒がエアハルトに連れさらわれてしまう。事態はより悪い方に動いている。

 なのに、俺は何も出来ない。現実の俺は無力だから。

 

 いつの間にか俺は落下し始めていた。両腕を失ったような状態で気を張り続けることに疲れていたのもある。再び飛び上がることも出来ず、海面へと真っ逆様。まるで今の俺の心境そのものだった。

 だけど落下は急に止まる。柔らかい何かがクッションになって俺の体は空中に留まった。

 

「……全く。無茶ばかりするものだな、ヤイバは」

 

 ナナが俺を抱き留めてくれていた。わかってたことだけど、リンたちが無事に彼女を取り戻してくれたことに今更ホッとする。

 だけど、俺はエアハルトの真の狙いを知ってしまっている。こうしてナナが戻ってきても完全に取り戻せたわけじゃない。

 

「お前には感謝の言葉をどれだけ言っても足りない。だが今の私には『ありがとう』としか言えない。許してくれ」

「まだ……その言葉は受け取れない……」

 

 ナナに説明しないといけない。

 だけど痛みで頭の中がまとまらない。早く現実に戻らないといけないという焦りとナナに事情を説明しないといけないという義務感も合わさって混乱している。

 

「言わずともわかる。まだ終わっていないのだな?」

 

 彼女はわかってくれた。おかげで錯綜してた頭の中が一気に整理できた。

 小さく首を縦に振って応える。

 

「悔しいが私は待つことにする。行ってこい。今、言えなかったことは現実で会ったときに改めて言おう」

 

 また約束が増えちまった。でもその分だけまた俺が前に進む力になる。

 冷静さが戻ってきた。

 まずは現実に戻ろう。でないと何も始まらない。

 

「行ってくる」

 

 一言だけ残して、俺は現実へと帰る。

 折角ナナと顔を合わせたのにまともに話す時間もない。

 でもそれももうすぐ終わる。

 なんとかして現実のエアハルトをぶっ飛ばせば、いくらでも話す時間くらい作れるはずだから。



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40 君が呼ぶ声

 剣戟の音は鳴り止んでいた。ひび割れではなく切断面が垣間見えている流氷が直前まで起きていた戦闘の激しさを物語っている。

 氷上に立つ姿は2つ。傷一つなく直立しているのはブリュンヒルデ。それに対面する形で黒い甲冑の騎士が片膝を突いている。

 結論から言ってしまえばブリュンヒルデはただの一度も黒騎士に攻撃を当ててはいない。長い戦いではあったが、どちらとも相手の剣と地面となっている氷以外を斬っていない。

 つまり、黒騎士が戦闘不能に陥っている理由は戦闘の勝敗とは無関係だった。

 

「世界最強の面目が丸潰れだな。無名の弟に助けられるとは」

 

 自らの不甲斐なさを嘲るブリュンヒルデ。しかしその顔はどちらかと言えば誇らしげだった。

 結局のところVTシステムを本物が乗り越えられなかったのだろうか。少なくともブリュンヒルデはそう考えてはいない。自らが成長していないことは否定しないが、先ほどまで戦っていた相手がただのシステムであったなどと単純に考えてもいない。

 雪片を納めると黒騎士の前へと歩を進める。そして右手を差し伸べた。

 

「お前の素質も認めよう、ラウラ・ボーデヴィッヒ。流石は私の一番弟子だ」

 

 たった1週間だけの師弟関係だった。とはいえブリュンヒルデは嘘を吐いていない。そもそも誰かにものを教えること自体、滅多にしない人なのである。弟の一夏に剣を教えたのも柳韻であって千冬ではない。

 

「私はラウラ……ボーデヴィッヒ……?」

 

 兜の下からくぐもった声。ぼんやりとした口調は意識そのままで、若干の震えは動揺の表れだ。

 絶対王権から解放されて自我を取り戻したラウラだがまだ記憶に混乱が見られる。ブリュンヒルデは彼女の被っている兜を剥ぎ取るという強攻策に出た。

 寒空の下に長い銀髪が揺れる。

 

「似合わぬ仮面は捨てておけ。お前はもっと堂々と顔を出してもいいんだ。眼帯の下の金の瞳も含めてな」

「教……官……」

 

 決定的な一言。ラウラはブリュンヒルデの顔を見て安堵の笑みを浮かべた。

 

 ――同時に黒い大剣を突き立てていた。

 

「何だと……」

 

 顔と一致しない、呼吸も何もあったものじゃないラウラの不意打ちをブリュンヒルデは避けられなかった。大ダメージを確認してから異常に気づいてラウラを突き飛ばす。

 そのラウラもブリュンヒルデと同じように目を剥いていた。

 

「私は……一体……」

 

 頭を執拗に押さえるラウラの眼帯が氷の上に落下する。

 露出した左眼には遺伝子強化素体に共通している金の瞳がある。

 だが、それだけではなかった。

 本来、白であるはずの眼球が黒く染まっていく。

 

「“織斑”を……倒す……」

 

 左手で頭を押さえたまま右手の大剣を振り回す。VTシステムはもう機能していなく、ブリュンヒルデとは似ても似つかない剣筋となっている。

 迫り来る剣戟を雪片で打ち払うブリュンヒルデはその太刀筋に懐かしさを覚えた。

 一見すると無茶苦茶。しかし隙らしい隙がわからない我流の剣は親友のものと酷似している。

 

「ラウラ。それをどこで――」

「ぐっ――!」

 

 どこで学んだのか。そう尋ねようとしたところでラウラは一際苦しそうに頭を抱える。もうまともに戦えないと踏んだのか、黒騎士の甲冑を纏ったままラウラはワールドパージを解除して空へと飛び立った。

 

「待て!」

 

 ブリュンヒルデは後を追う。今の戦況など考える余裕もない。がむしゃらに親友の爪痕を追いかける。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 窓の外から見える景色は青空だけだった。少しばかり窓に身を寄せると下の景色が見えるのだがひどく殺風景である。なにせ一面に白い雲が広がっているだけであったのだから。

 御手洗数馬は現実の空の上にいた。旅客機ではなく、ドイツ軍が特別に用意した輸送機の中で出番を待つ身である。

 

「暇か、御手洗?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

「それでは返事になっていないぞ。もう少しリラックスしておけ」

 

 対面に座っているのは軍人っぽい戦闘服に身を包む宍戸恭平。大型のナイフやら手榴弾やらといった物騒な装備を体中に付けている。およそ日本の高校の英語教師のする格好ではなかった。

 リラックスしろと言われても無理と言うものだ。緊張して当たり前の環境は言わずもがな、最大の原因は目の前の担任教師の眼にある。数馬を見るその瞳は教師姿のときとは違って怪しく金色に光っていたのだ。

 

「怖がるな。オレは遺伝子強化素体でも敵じゃない」

 

 数馬の視線に気づいた宍戸は何でもないといった装いで軽く話す。数馬も説明を受けて頭ではわかっているのだが慣れるのは難しそうであった。

 

「目的地までもうすぐだ。今の内に御手洗の仕事について確認しておくとしよう」

 

 本当は確認するまでもないことだが、とにかく話をするべきという配慮である。数馬は自分のこととなると気負って話を聞くことになってしまうのだが、集中だけは高まる。実戦前のコンディションとしては緊張で上がりっぱなしよりはマシという判断でもあった。

 

「オレたちはこれからアントラスの幹部がいる敵の拠点と思しき場所へと襲撃をかける。ハッキリと言ってしまえば制圧するのに俺たちだけで十分に戦力は足りているが、御手洗はついでに連れてきた。それは偏にISという絶対的に優位な装備を使えるからである。ここまではいいか?」

「はい」

 

 数馬は左手の薬指に嵌まっている銀色のリングを撫でる。これこそが数馬が手に入れてしまった468体目のISの待機形態。消えてしまった彼女が残した形見とも言える品である。

 この作戦の後、このISは倉持技研の所有物となることが決まっている。既に数馬以外に操縦できないことは確認済みであったのだが、IS委員会の取り決め上、所属だけは明確にする必要があった。

 こうして数馬が所持できる猶予はあまり残されていない。その僅かな時間で数馬にはやりたいことがあった。

 

「俺は先生たちと別行動。単独でIS以外の敵を無力化する。それでいいんですよね?」

「ああ。ISさえあれば銃で撃たれようがミサイルを撃たれようが死にはしない。好き勝手にやればいい」

 

 数馬のやりたいこと。それは自分の手で敵組織を壊滅させること。聞こえは悪いが復讐のようなものだった。

 ゼノヴィアを苦しめた組織がまだ残っている。それを放置できない。

 その意志を持ったタイミングが宍戸たちの作戦と重なり、土下座して頼み込んだ末にここまでついてきた。

 

「オレが言った注意事項は?」

「絶対にISの展開を解かないこと。絶対にISの武装を使わないこと。絶対に敵のISと戦わないこと。絶対に宍戸先生たちの戦いの場に近づかないこと。この4つです」

「それでいい。敵にISがいたらハルフォーフか山田に任せて逃げろ。その約束を破ったとき、オレはお前の命だけでなく精神状態も保証できない。頼むからオレに謝罪なんて真似をさせんなよ」

「大丈夫です。これは俺が決めたことですから先生が謝ることなんて何もありません」

 

 本来、ISを使えるからといって数馬をこの場に連れてくるべきではない。宍戸も数馬に何度も諭したのだが数馬は折れなかった。根負けした宍戸が譲歩した形である。

 

「そういえば先生。今になって一夏の言っていたことがわかりました」

「織斑が? 何を言ってたんだ?」

「宍戸先生は厳しい態度と違って生徒に甘い人だそうです」

「……(おだ)てても成績は上がらん。帰ったら奴にそう伝えておけ」

 

 宍戸がおもむろに立ち上がる。まだ空の上だが、もう時間ということだった。

 開け放たれた先は高度を下げて雲よりは低い。しかし地表に見える建物群は小さい米粒も同然。宍戸は出口の縁に手をかける。

 

「オレたちは先に行く。ISを使えるお前は後からゆっくり来い」

 

 外からの強烈な風がバタバタと耳を襲っていても宍戸の声は数馬に届いた。数馬が頷くのを確認した宍戸は仲間とともに空へと身を投げていく。

 

「……俺も行こう」

 

 輸送機内のほぼ全員が飛び降りた後、1人残された数馬が出口から下を見下ろす。

 まるで模型のような景色。高所恐怖症ならばその高さで発狂してもおかしくない。ましてや数馬にはスカイダイビングの経験などあるはずもない。

 しかし恐れは無かった。パラシュートどころか今乗っている輸送機よりも頼りになる代物が左手の薬指にある。

 

「今日で全部終わらせる。だから力を貸してくれ、ゼノヴィア」

 

 1人で空へと身を投げる。このまま地面に激突すれば間違いなく即死するが、そのような事故は起きない。

 念じるだけで数馬の体は光に包まれる。一瞬の後に数馬の体には打鉄が纏われていた。武器を持たない武者姿の数馬は自由落下をやめて一定の速度で下へと下降していく。

 向かう先は標高の高い山の山頂から若干下った先にある工場施設。輸送に難がある立地にしては大がかりな設備も見られ、何よりも外壁には機銃まで付いていた。

 既に施設の上空ではISの戦闘が繰り広げられている。黒いワイヤーブレードとマシンガンが飛び交う戦闘はISVSでは見慣れた光景だが現実では初めて目の当たりにするもの。ISVSが現実と遜色ないことを実感しつつ、数馬は宍戸の指示に従って主戦場から離れた場所へと降り立った。

 一斉に機銃が向けられる。警告もなしに発砲されたそれを数馬はただ眺めていた。

 銃弾の雨が降り注ぐ。無抵抗の数馬を無慈悲に叩き続けるも数馬は涼しい顔を崩さない。

 

「効かないね。ISVSのミッションの方が厄介な妨害があったよ」

 

 その顔には呆れすら浮かぶ。現実で初めて武器の前に立った数馬だが仮想世界では幾度も経験していることだった。

 ISの防御構造の1層目にはPICがある。IS同士の戦闘ならばPICCによって防壁としての効果を軽減されてしまうが、PICCのない攻撃に対してPICは無敵の障壁となる。生身ならば1発でも致命傷になりうる銃弾だが今の数馬には雨水の1滴にも劣る。

 構わず歩を進める。任務としては無力化を指示されているが敵の設備を破壊する義務は負わされていなかった。堅く閉じているゲートの前に到着した数馬は武器すら取り出さない。ただ殴りつけるだけで道を切り開く。

 内部に入るとほぼ同時に数馬の足下に手榴弾が転がった。気づいたときには爆発するも、やはりISの守りを突破できはしない。土煙に紛れて奥からは銃声が鳴る。広範囲にバラマかれた弾丸は数馬の体に触れた後でポトリと床に落下する。

 今度は数馬から仕掛ける。武装を使わずに無力化とはつまり敵の武装を取り上げろということ。守備力重視のフレームである打鉄とは言ってもISと生身では機動性には雲泥の差がある。煙の中から飛び出した数馬は発砲している敵に近づくと、ISの大きな手で銃身を掴んで見せた。握力を加えると硬い金属で出来た機関銃が粘土細工のように潰れる。敵の兵士は引きつった声を上げた後で武器を手放して一目散に逃げ出した。

 戦いにすらなっていない。

 これがISとそうでない兵器との差である。もはや次元の異なる存在とも言えた。

 

「宍戸先生たちと遭遇しないルートしかダメか……仕方ないよね」

 

 味方から戦況のデータが送られてくる。どこで戦闘が起きているか把握すると、数馬は誰もいない場所へと適当に進む。奥に行くなんて真似はしない。特に重要そうでない場所を歩き回るだけしか宍戸には許されていなかった。

 それでも数馬はここにいるだけで良かった。敵にとってみればISが1機増えてるようには見える。そうしてプレッシャーを与えるだけでも数馬がいる意味となる。そうして敵の拠点の壊滅に貢献できれば、数馬の胸の内のわだかまりも少しはマシになる。そう思えたのだ。

 とうとう数馬を攻撃してくる敵すらいなくなった。ところ構わず壁を破壊して乱暴に施設内を歩き回る。

 もう誰もいないのか。敵が敗走したのかと思い始めたとき、打鉄のセンサーが人の体温ほどの熱源を感知する。

 

「まだ敵がいる……ん? でも、これって……」

 

 視界にサーモグラフィを表示すると壁一枚隔てた向こう側には人が2人いることがわかる。その内の片方が寝そべっていることに違和感を覚えた。

 負傷兵を収容する場所があるようには思えない。そもそも宍戸たちが戦っている間、敵に負傷した者を回収する余裕があったとは思えなかった。

 

 ――ここにいるよ。

 

 幻聴だろうか。女の子の声が聞こえた気がした。慌てて周囲をキョロキョロと見回すも誰もいない。

 もし誰かが喋ったのだとすれば、近くにいるのは壁を挟んだ向こう側だけである。

 気になって仕方がない。敵施設内をひっかき回すだけだった数馬に1つの目的が生まれた。

 この声が何なのかを確認したい。

 入り口のドアを見つけた数馬は打ち壊して中へと侵入する。

 

「ここは一体……?」

 

 数馬の目に飛び込んできた光景は意表を突くものだった。

 この部屋だけは白い壁紙で覆われていて清潔感のある空間。薄汚くも無機質な壁ばかりが続く殺風景な施設内の中では明らかに異質である。

 入り口と反対側には横長のガラスケースが置かれている。お店のショーウィンドウを想像した数馬だったがベッドと一体化していることが引っかかる。

 

「何者だ……と問うだけ無駄か。ヴェーグマンの予期していたとおり、ここにツムギの連中が押し寄せてきただけのこと。もっとも、例の男性操縦者が来るとは思っていなかったが」

 

 ガラスケースの脇に立つ作業服の中年男が気怠げに自分の肩を揉んでいる。茶色がかった髪と無精髭やブラウンの瞳、白い肌はおよそ日本人ではない。相手が日本語を話してくれているおかげで数馬にも彼の言っていることがわかる。

 武器も持たず、戦闘意志が見えない。となると数馬からも攻撃する意味がない。

 

「お前は?」

「ジョナス・ウォーロック。負け戦に身を投じたバカな科学者の1人だ」

 

 見るからに戦闘要員ではない。だからこそ数馬は気になった。

 

「どうして逃げない? 時間はあったはず」

「こうなっちまったら逃げも隠れも抵抗もしねえよ。負けてもいくらでもやり直せる子供のゲームとはわけが違うのさ」

「それでもここにいる理由にはならない」

「質問はもっとわかりやすく簡潔にまとめろ、日本の高校生」

 

 作業服の男はISを前にしても少しも怯みはしなかった。彼はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま数馬の前にまで歩いてくる。

 

「ここに何か秘密があるんじゃないか。そう聞きたいんだろ?」

 

 図星だった。数馬はこの場所が特別だと直感してやってきている。その場にいた男をただ偶然に居合わせただけとは考えていない。

 

「ハバヤの野郎から少しだけ話は聞いてる。これも何の因果か知らねえが、偶然じゃないとしたらテレパシーみたいなオカルトが実在するってことまで信じてもいいぜ」

「平石ハバヤを知っているのか?」

「顔見知りってだけだ。親しくはない。そこんところ間違えるな」

 

 親しくないということをわざわざ強調する辺りウォーロックがハバヤを毛嫌いしているのは初対面の数馬にも伝わった。

 

「で、平石ハバヤとつながりのある俺をお前はどうするつもりだ? “復讐”のために無抵抗な相手でも殺すか?」

 

 目の前の男は事情を知っている。でなければ復讐などという単語を口に出す必然性がない。数馬とゼノヴィアの関係や、ゼノヴィアが殺された経緯すら知っている可能性が高い。

 とはいっても数馬には男を殺す理由など全くなかった。あのハバヤすら殺そうとしたわけではない。数馬はただ、ゼノヴィアを殺した連中の思惑を潰せればそれで良かったのだ。

 

「別にお前をどうこうしようとは思ってない。それよりもそこで寝ているのはどういう人なんだ?」

「気になるなら見てみればいい」

 

 男に道を譲られ、数馬は言われるままにガラスケースの脇に立つ。入り口から確認できなかったガラスケースの中身は“少女”だった。

 

「え……どう、して……」

 

 数馬は目を疑った。

 腰まで届きそうな長い銀髪。まるで人形のような顔立ち。

 どこからどう見ても、数馬の知っているゼノヴィアと瓜二つな少女が横たわっている。

 

「いや、彼女のはずがないか。ラウラもそうだったし、そっくりさんが居ても不思議じゃない……」

 

 一瞬だけゼノヴィアが生きていると思ってしまった。しかし数馬の知識がそれを否定する。

 宍戸のような初期の個体とは違い、ラウラのような後期に量産された遺伝子強化素体は基本的に同じ遺伝子を基にして造られたと聞かされている。ラウラとゼノヴィアが似ているのも彼女たちがクローンのようなものだからだと知っていた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ。15年前の生き残りにして最後の遺伝子強化素体。この部屋に残された記録を漁ったところによれば、不完全な遺伝子強化素体として処分寸前だったらしい。つくづく失敗作とされた者ばかりが生き延びているようだ」

「失敗作?」

「資料には越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)が片目のみだったとある。兵隊としての価値が下がるってことだけだろうよ」

「じゃあ、この子も?」

「そうだ。簡単に言えば病弱。植物状態で生きながらえているだけの人形みたいなもんだ。こんな幼い姿をしてるが実年齢は18歳。ずっと体の成長が止まってる」

 

 もう一度ガラスケースの中身を確認する。ウォーロックの言うとおり、眠り続けている少女は見たところ年齢を高く見積もっても中学生くらいにしか見えない。だが現実は18歳で数馬よりも年上だという。

 ……どこかで聞いたことがある。

 いくらなんでもこの既視感は異常だった。見た目だけの一致ではない。だから数馬は問いただす。

 

「この子の名前は!?」

「もうわかっているんだろう?」

 

 ウォーロックは机の上にあったファイルを開いて数馬に手渡した。

 中身は顔写真付きで治療の記録が記されているカルテ。

 患者の名前は――

 

「ゼノヴィア。本来、遺伝子強化素体に姓などない。だが強いて言えば、ゼノヴィア・ヴェーグマンってところだ」

 

 数馬のよく知っている彼女の名前と同じ。ここまで揃っている事実を前にした数馬はガラスケースの中を食い入るように見つめる。

 

「生き……てた……」

 

 涙を堪えることなどできなかった。

 もう二度と逢えないのだと、そう何度も言い聞かせてきた。

 なのに、けじめをつけるための戦いに身を投じた先でもう一度彼女の顔を見ることができるだなどと想像できるはずもない。

 機械的に動いていただけだった数馬の胸に確かな灯が点る。

 そんな数馬の肩にウォーロックの手が軽く乗せられた。振り向くと彼は無念そうに目を閉じて首を横に振る。

 

「この状態を生きてるだなんて俺は言わない。あとな、仮想世界のゼノヴィア・イロジックとこのゼノヴィアは厳密には違う存在だ」

「どういうことだ……?」

 

 ISを装着していることも忘れて危うく掴みかかろうとしてしまった。数馬は動転している。目の前に突然現れた希望が幻であると言われては無理もない。

 

「俺も今日知ったことだ。ヴェーグマンの残した記録によれば、このゼノヴィアは1年近く前に容態が急変して死にかけたらしい。普通の治療じゃどうにもならないと判断したヴェーグマンはゼノヴィアの生命維持にISを利用することを思いついた」

「意識のない彼女にISを使わせる……?」

「それができたら苦労はしない。たとえ女性でも意識のない人間にISを起動できないことは確認されている。そして操縦者保護機能は操縦者として認識されなければならない。そもそもな話、数の限られたISコアをたった1人の命のために使えないしな」

「じゃあどうやって――」

「ヴェーグマンはISVSを使った。ISが起動できなくてもアバターは造られる。意識のないゼノヴィアがアバターを動かすことはないがな」

 

 それでは答えになっていない。意識のないアバターは人形も同然であり、アバターをどうこうしたところで現実に意味があるとは思えなかった。

 素人である数馬の困惑をもISに詳しいウォーロックは見抜いている。

 

「わからないって顔をしてるな。正直なところ、俺だって常識外れだと思ったさ」

 

 一定の共感を示しつつも「だが――」と言葉を続ける。

 

「ヴェーグマンが行動に移したのは事実……奴は仮想世界で生み出した個体とゼノヴィアのアバターの脳を入れ替えたんだよ」

「え……脳を入れ替えた?」

 

 なおさら混乱する。アバターの脳を外科手術で入れ替えられるのかという問題もそうだが、仮に成功したところで現実の体にどう影響を及ぼすのか、その因果関係を想像できない。

 

「狂気の沙汰としか思えない。結果的に目覚めたのは元々ISVSで生まれた遺伝子強化素体の方だけで、アバターの方は消えてなくなったらしい。アバターが死亡したら消えるのはISVSの常識。だから普通なら何もかもが元の状態に戻っただけになると思うよな?」

 

 思うだなどという言い方をした時点で次の言葉は決まっていた。

 

「だが、どういうわけだかゼノヴィア・イロジックが活動を始めると現実のゼノヴィアの容態も回復していた。まるで仮想世界のゼノヴィア・イロジックが現実のゼノヴィアを生かしていたようだろう?」

「ゼノヴィアのおかげでこの子が生きられたってこと?」

 

 数馬なりの言葉で簡潔にまとめる。ウォーロックは首を縦に振った。

 

「誰も証明はしていないが、残された結果はそう物語っている。実にオカルトだ」

「じゃあ、ゼノヴィアが消えた今、この子は……」

「生物は専門じゃないんで詳しくは知らないが、死ぬまでそう時間は残されてないだろう」

 

 希望は儚いもの。一瞬だけ姿を見せたかと思えば、即座に数馬から奪っていく。

 彼女が生きていたと思ったらそもそも彼女ではないと否定される。

 目の前にいる少女すらももう短い命。

 結局、何も出来ない現実に直面させられるだけなのかと唇を噛む。

 

「ヴェーグマンが何を思ってこの少女を救おうとしていたのかはわからん。ゼノヴィア・イロジックを殺しても構わないと言っていた奴と同一人物とは思えん。もっとも、真実は奴自身もどうしたいのかわかってなかったんだろうがな」

 

 ウォーロックが過去を懐かしむように語っているが数馬の耳には届いていない。

 今、数馬の思考を支配しているのは『今、どうすべきか』の1点のみ。

 本当に自分には何も力がないのか。

 自らの両手を見下ろしたとき、とんでもないものが手元にあることに気が付いてしまった。

 

「……ISがあるじゃないか」

 

 数馬は宍戸との約束を破る。打鉄が光に包まれた後、その場に残るのは生身の数馬だった。

 

「ウォーロックさんだっけ? 悪いけどこのガラスケースを開けてくれない?」

「……それは今動いている生命維持装置を切ることを意味する。わかってて言ってるのか?」

「もちろん」

 

 左手の薬指から銀色のリングを抜き取る。これはゼノヴィア・イロジックが残した数馬だけの専用機。その待機形態のISである。

 

「さっきも言ったが、意識のない人間がISを起動することはない。ましてや他人の専用機を起動させることなど不可能だ」

 

 ウォーロックは数馬の意図を察している。それを踏まえて、数馬の行動は間違っていると批判する。

 だがその根拠は現実にあるコアの常識によるもの。

 数馬の手にあるのはただのISコアではない。

 

「頼む。俺に託してくれないか?」

 

 ズレた眼鏡をかけ直す数馬。その仕草すら堂々としたものであり、先の不安を感じさせない力強さがある。

 少なくとも彼の発言には根拠など全くない。

 だというのに論理に忠実な男であるはずのウォーロックの心を動かした。

 

「どのみち死ぬのなら可能性に賭けるべきだろう。俺にしてみれば否定する材料しかないが、無駄な挑戦をするのも若者の特権だ。もしこれで死んでしまっても、俺の責任にでもすればいい」

 

 ガラスケースの脇にある端末の操作が始まる。装置が起動していることを示すLEDが順番に消えていき、少女を生かしていたシステムが眠りについていく。

 このままだとすぐにでも死に至る。だが数馬は悲観などしていなかった。

 言葉には出来ない確信が数馬の胸の内に宿っている。ウォーロックの言っていた否定的な見解も全く気になってはいない。

 

 意識のない人間にISは起動できない。

 しかし数馬はいないはずの人間の意識に触れたことがある。

 

 専用機を他人が使えることはない。

 しかし数馬の持っているISは数馬だけのものではない。

 

 ガラスの覆いが開けられ、ベッドの中が外気に触れた。

 数馬は不可侵であった領域へと乗り入れる。横たわる少女はやはりゼノヴィアと瓜二つで、現実の彼女だと思いたくもなってくる。

 首を横に振った。ウォーロックの話を聞く限り、数馬の知っているゼノヴィアは仮想世界で生まれた仮想世界だけの存在。彼女はもう死んだのだと言い聞かせる。今、目の前の少女を救おうとしているのは自分の好きな彼女の代わりにするためなどではない。

 

「ゼノヴィア。この子のために力を貸してくれ」

 

 その指輪に彼女の意志が宿っていると信じている。

 平石ハバヤとの戦いで力を貸してくれたときのように……

 眠っている少女が生きるためのきっかけを分けてほしい。

 そう願う数馬は少女の左手を取った。傷のない白い手から薬指を選んで銀色のリングを填める。

 あとは信じるだけ。少女の左手を両手でぎゅっと握りしめて思いを込める。

 

 ――あたたかいね。

 

 また声がした。そんな気がした。

 数馬は周囲を確認する。しかし近くにはウォーロックが1人、慌てた数馬の様子にキョトンと首を傾げるのみ。聞こえていたのは数馬だけだった。

 他に気を取られていたために数馬はすぐには気づかなかった。数馬はもう手に力を入れていない。だというのに少女の左手は数馬の手から離れていない。

 弱い、本当に弱い力ではあったが数馬の手を掴んでいた。

 

「握ってる……?」

 

 植物状態と聞かされていた。だとすれば数馬の手を握り返すことは不自然。明らかに変化が生じている。

 自然と数馬の目は少女の顔に向いた。ピクピクと睫毛(まつげ)が動いているのがわかる。そして――

 

 重かった目蓋がゆっくりと開かれた。

 

 両目ともに金色の瞳。その全てが数馬の知る彼女とほぼ同じ。

 その体を抱きしめたい衝動に駆られた。しかし数馬の知っている彼女ではない別人のはずである。強引に衝動を抑え込んで数馬は笑ってみせる。

 死に瀕していた少女がゼノヴィアのおかげで救われた。今はその奇跡を喜ぼう。

 そう思っていた。

 

 なのに――

 

 

「カズ……マ……」

 

 

 頭の中が真っ白になった。

 彼女の第一声を聞いた途端に体が言うことを聞かなくなった。

 反射行動かと疑うほどの速さで少女の体を抱き起こす。数馬の頭からはずっと寝たきりだったという配慮さえ抜け落ちてしまっている。

 

「ゼノヴィア! ゼノヴィアじゃないか!」

「バカな……ゼノヴィア・イロジックの人格とこのゼノヴィアの人格は別物だとヴェーグマンは結論づけていたはず」

 

 全て無駄に終わると高を括っていたウォーロックが目を剥いている中、数馬は他人の目すらも気にせずに泣きじゃくる。

 本当はずっと受け入れてなどいなかった。両親が目を覚ましても心のどこかにはぽっかりと穴が空いていたようだった。

 だからこそ数馬は敵の拠点攻撃に志願した。けじめをつけるためやゼノヴィアを苦しめた奴らの陰謀を潰してやりたいなどは全て言い訳に過ぎない。本当は無理矢理動くことで気を紛らわせようとしていただけ。

 悲しみを乗り越えたフリをし続けた。まだ友達と思ってくれている男たちを心配させたくない。そんな風にいい子ぶっていた。

 

 もう何も演じる必要はない。

 

 腕の中には確かな鼓動がある。冷たくない。血の流れている温かい体を肌で感じる。

 決して力強くなくとも、細く小さな手は躊躇いなく数馬の背中に回った。

 ずっと見たかった顔がある。

 ずっと自分を見てほしかった瞳が数馬に向いている。

 初対面ではありえない信頼がここにあるのだ。

 

「俺が……俺のことがわかるのか?」

「……うん。当たり前だよ……どうして、泣いてるの?」

「それこそ当たり前だろ! 死んだって……思ってたんだ」

「そう……不謹慎だけど、悲しんでくれてて嬉しいな」

 

 果たして救われたのは誰だったのだろうか。

 甘える子供のようにしがみつく数馬と、彼をあやすように背中をなで続けるゼノヴィア。

 幼い子に慰められているかのような光景だが数馬は知り合いの誰かに見られていたとしても構わなかったことだろう。

 

「私ね、全部思い出したの。どうして私が18歳なのかとか、生まれてから18年に何があったのかとか。どうして人間が怖かったのかとかも全部」

 

 まだ本調子ではないのか言葉はどこか辿々しい。

 

「ずっと忘れてた。現実にやってきたとき、懐かしかったはずなのに怖い気持ちの方が強かった。その意味もやっとわかったんだ」

「無理に喋らなくていい! お前がゼノヴィアだってわかったから! 話は後でたくさん聞くから!」

 

 無理をして話している。そう感じた数馬はゼノヴィアを止めようとする。

 彼女はそんな数馬を手で制する。

 

「わかった。でもこれだけは言わせて」

 

 長い話なんて要らない。

 本当にゼノヴィアが言いたかったことはたったひとつだけ。

 

「ただいま……数馬」

「おかえり、ゼノヴィア」

 

 一言を終えた途端にゼノヴィアから力が抜けて再び眠りにつく。また同じ状態に戻ったのかと若干の不安が過ぎったが、すやすやと健康そうな寝息が耳に届いてホッと一息をつく。

 元から戦力になれていない任務などもうどうでも良くなっていた。償いやけじめなんてもう必要ない。もっと大切な者が帰ってきてくれたのだから。

 今の数馬が願うのは宍戸たちが早くこの戦場を制圧してくれないかということ。ここまで数馬を導いてきたISはゼノヴィアの左手に眠っている。

 

「全く……ISに関わってからずっと、オカルトな話ばかりで辟易してきた」

 

 ゼノヴィアが眠ったところで数馬はこの部屋にいるもう1人の存在を思い出した。左手で頭を抱えている作業服姿の男の右手には拳銃が握られている。銃口は数馬の頭に向けられていた。

 

「形勢逆転だ。ここが敵地だってことや、俺が敵だってことを忘れてなかったか?」

 

 今の数馬にはISがない。それどころか武器もない。日本の一般的な高校生が戦場に居ても武器1つで蹂躙されるだけのか弱い存在である。

 ただ、数馬は既に一般的な高校生とは呼べないのかもしれない。拳銃を向けられても彼はウォーロックを正面から見つめ返す。そこに敵意は欠片もなかった。

 

「敵なはずないよ。得にもならないのに色々と教えてくれたり協力してくれたのは、あなたもゼノヴィアを大切に思ってくれたからじゃん」

「バカを言うな。俺は元より壊すより作る方が好きなだけ。ものだけじゃなくて人も同じ。無闇に死なせるよりも助けられるものは助ける。当たり前だろ?」

「それは意外かも」

「俺をハバヤの野郎と一緒にすんなってことだ。敵という立場でも色々とあるんだよ」

 

 頭を抱えていた左手でそのまま後頭部を掻くウォーロックは右手の拳銃を下ろした。

 

「今のはただのお節介だ。もし俺がハバヤだったら間違いなく撃たれてたろうぜ。今後があれば気をつけろ」

「たぶんもうすぐ襲撃の本隊がここに来るけど、どうするつもり?」

「ヴェーグマンは投降を許した。そしてここに留まるべき理由ももうない」

 

 ウォーロックは手錠でもかけろと言わんばかりに両手を差し出す。

 

「牢屋でもなんでもいいからぶち込めばいいさ。もう俺はISなんていうオカルトに関わるのは疲れたんだよ」

 

 その溜め息によって長年のストレスが一気に放出された。作業服の中年男の顔は憑き物が取れたようにすっきりとした顔を見せる。

 人類の発展のためにEOS(リミテッド)を開発した男の挑戦はここで一度途切れる。しかしいつの日かまた彼の力が人々の為に役立つ日もやってくることになるだろう。

 

 数馬の迎えが到着する。宍戸の部下によってウォーロックは拘束されて連れて行かれた。

 ここに数馬の戦いは一応の終止符が打たれることとなる。

 藍越学園が襲撃された日から2週間も経っていないが長い戦いだった。

 何度も心を折られそうになりながらも数馬は最後まで走り抜いた。

 結果、数馬は再会を果たす。

 足を止めなくて良かったと涙する少年の腕の中で、銀髪の少女は健やかに寝息を立てていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 跳ね起きた俺はまず周りを確認した。自分の部屋じゃなくて倉持技研内に設けられたISVSのログインスペースである。大型のマッサージチェアほどのイスが立ち並ぶ部屋には誰も起きている人がいない。

 ……さて、これからどうするか。

 倉持技研の立地は海の上。俺の家と比べて箒のいる病院からは遠いが、交通手段を考えれば時間はそう変わらない。

 いや、よく考えるとヘリで移動したところでエアハルトがIllを持ち出してきていたら俺がいたところで意味がない。むしろ俺に出来ることなんてあるのか?

 

「とりあえず誰かを頼るしかないか……痛っ!」

 

 イスから立ち上がろうと肘掛けに手を置いた途端に痛みが走った。右手の肘から先が痺れていて、指すらまともに動かせない。左は左で肩に違和感がある。

 

「まさか仮想世界で受けた傷が影響してるのか?」

 

 異常のある部分はエアハルトとの戦いで大怪我を負った箇所と一致する。本当に腕がぶった斬れたりはしてないけど、仮想世界だからと甘く見てた。

 いよいよ以て俺自身がエアハルトに立ち向かえない気がしてくる。早くISを使える誰かと合流しないとマズい。右手に負担が掛からないよう気を張りながら出口へと向かう。

 

「……一夏くん? 顔色悪いけど、大丈夫?」

 

 後ろから声をかけられた。倉持技研で俺を一夏くんと呼ぶのは簪さんだけである。ちょうどいいタイミングで戻ってきてくれたようだ。

 しかし他の人は一向に帰ってくる気配がない。

 

「俺なら大丈夫。それよりも簪さん。誰かすぐにISを出せる人はいないかな?」

「うーん……専用機を持ってる人は今回のミッションに参加したり、外に出払ってるはずだから残ってないと思う」

 

 必死に心当たりを探ってくれているようだけど思いつかないようだ。

 

「ミッションはエアハルトを倒してほぼ終わりだろ? まだ戻ってきてくれないのか?」

「まだIllが残ってて戦ってるから帰れないんだと思う」

「思う? どうしてそんな曖昧なんだ?」

「戦闘中にセシリアとの通信が途絶えたの。今回は安全な場所で指揮を執ってただけのはずなのに……理由は不明なままで全体の状況を把握してる人が皆無だったからIllの領域にいなかった私が一度外に出てみることにしたんだ」

 

 ISVSの方は今、混乱しているらしい。その理由はセシリア――ラピスの不在にある。前線に出ていない彼女が敵にやられるとは考えづらい。

 何が起きたのか。

 そういえば、と思い出す。

 エアハルトとの戦いの最終局面で、俺はラピスの意志を感じ取れなくなっていた。タイミングとしては右腕をぶった斬られた辺り。

 

「俺のせいか……セシリアを巻き込んじまった」

 

 絶対防御機能をカットした弊害は現実の体への影響だけに留まらなかったということか。

 あのとき、俺はラピスとクロッシング・アクセス状態にあった。感覚を共有する状態だったってことは俺が経験した全てを彼女も被っていたことになる。

 俺が彼女を痛めつけて気絶させたも同然だ……

 

「セシリアもダメでラウラも千冬姉も戻ってない。ISを使える人がいないとマズいってのに」

 

 セシリアの安否はとても気がかりだが今は箒の方が危ない。エアハルトが今どこにいるのかは定かではないけど、始めから箒が狙いだったならもう時間は残されてないと考えた方がいい。

 気ばかりが焦る。けど有効な手段なんて何も思いつかない。

 

「……どうしてISが必要なの?」

「まだ戦いは終わってないんだ。エアハルトが箒を奪いにやってくる。奴のIllに対抗するにはISを使うしかない」

「……ISじゃないけど、今すぐに用意できるものならある」

「ISじゃない……リミテッド……あ!」

 

 簪さんに言われて俺も思い出した。倉持技研では男でも操縦が可能なリミテッドが研究されていて、その試作を俺も使ったことがある。

 

「彩華さんの開発していたリミテッド白式。あれならすぐに使えると思う」

「だけどあれには欠陥があったはずだろ? そもそもPICが使えないとISとは戦えないし」

「大丈夫。普通のリミテッドと同じように外部からISコアで干渉すればISにも攻撃できるようになる」

 

 言われてみればあのときも彩華さんの干渉でISみたいに動かすことは出来てた。規模は明らかにISに劣るけど動けないことはないのか。

 

「システムをイジる時間はないから私がISを使うことはできない。たぶん私が出てもエアハルトには勝てないし」

「だから俺が白式で出る。リミテッドな分、ISVSのようにはいかないだろうけど」

「本当にいいの?」

「もちろんだ。他に機体はないし、何より俺自身が戦えるってのは大歓迎だ」

 

 右腕と左肩にまだ違和感があるくせにな。でも痩せ我慢してでも俺は自分が出れるなら出たいと考えてる。

 簪さんが呆れて溜め息を吐いている。俺もバカなことを言ってるなぁとは思ってるけど、ここで躊躇っていたら未来の俺は今の俺に呆れるを通り越して殺意が湧くことだろう。

 だからこれでいい。束さんと約束した俺の道だ。

 

 ところ変わって彩華さんの研究室。そこには留守番をしてる研究員が1人だけいたけど簪さんがさっさと許可を得て簡単に中に入る。前に来たときから2ヶ月ほどしか経ってないから設備は変わってなかった。

 奥に進む。すると今も変わらずあの機体が鎮座している。

 白を基調とした鎧。人よりも二回りほど大きな手足があり胴体や頭部分は存在しない。待機状態になっていない四肢装甲(ディバイド)のISを人から外しただけの姿のまま、操縦者のいないリミテッドが放置されていた。

 

「……私は設定を確認してくる。一夏くんは1人で取り付けできる?」

「とりあえずなんとかしてみる。無理だったら手伝いを頼む」

 

 前の時は装着する時点で研究員の人たちに手伝ってもらっていた。だからたぶん1人で白式を装着はできないんだとは思う。でも少しでもやれることはやっておこう。

 まずは中央の空いた部分に座る感覚で入る必要がある。位置は若干高いけどよじ登れないことはなさそうだ。

 だけど俺は忘れてた。

 

「痛っ!」

 

 無意識に右手に力を加えると激痛が走る。体重を支えられないばかりか握るのも困難だった。

 これじゃ乗れたとしても雪片弐型を振るえない。

 まだ左手はある。肩に違和感はあるけど握力は生きてる。

 でもとても全力とは言えない。

 機体性能だけでなく俺自身が万全じゃない。やはり無謀なのか。

 

 ――世話が焼ける。

 

 聞き慣れない声がした。聞き覚えのある気がするんだけどピンとは来ない。

 簪さんかと思ったけど見回しても誰もいない。そもそも簪さんにしては毒が強かった。

 気のせいだったのだろうか。そう首を傾げる。

 

「あれ?」

 

 首を傾けて違和感があった。正確には違和感がなかったからおかしいと言うべきか。左肩が普通に動くようになった。

 もしかしてと思い、右手を動かそうとしてみる。グーとパーを繰り返しても全く痛みを感じない。どういうことかと右手を見てみれば、俺の右手ではなく白式の右手がそこにある。

 

「俺……いつ装着したんだ?」

 

 以前にリミテッドの白式を装着したときはもっと面倒くさい手順が必要だった。重石を自分の体に括り付けるような感じだったはず。

 でも今の俺はその手順すらすっ飛ばし、自分でも気が付かないくらい一瞬に白式を装着できていた。

 

「スゲーな、彩華さん。あれから開発がここまで進んでたなんて……」

 

 ふわりと宙にも浮ける。PICが正常に稼働している。簪さんも設定を無事に終わらせてくれたみたいだ。

 ISVSのようにコンソールも呼び出せて、装備を確認してみるとちゃんと雪片弐型もある。呼び出し(コール)の手続きも正常で右手には雪片弐型が現れた。

 問題ない。これでエアハルトに立ち向かえる。

 

 研究室の天井が重い音を立てて開いていく。その先には青空が見えていた。すぐに実験に移れるように造られた部屋なんだろう。まるで秘密基地から出撃するロボットみたいな気分になる。

 一度床に着地。足を折り曲げて力を溜めて勢いよく蹴り出す。そんなことをしなくても飛べるんだけど、自分に気合いを入れる意味を込めてそうした。

 倉持技研の上空に出た。周りは海に囲まれているが陸地も見えている。最初に向かう方角さえわかれば、あとは感覚で病院にまで行けると思う。

 そこでエアハルトと戦うことになる。

 ここから先はISVSとは違う。仮想世界のアバターのように千切れた腕が元通りってわけにはいかない。当然、死んでしまえば命がなくなる。

 俺は欲深い男らしい。箒を助けるために命を賭けられるかと質問されれば即答でイエスと答えるくらいの覚悟はあったつもりなんだけど、死ぬかもしれないと考えると仮想世界で斬られた右腕が怯えた。俺は箒に戻ってほしいだけじゃなくて、生きて箒と再会したいのだと思い知る。

 箒はそんな俺をどう思うだろうか。それは実際に再会してから聞くことにしよう。

 陸のある北へと向けて飛び立つ。その先に来るはずのエアハルトと決着を付けるために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「どうして……動いてるの……?」

 

 一夏が飛び去った後、簪は目を疑っていた。

 簪はまだ天井を開くことしかしていない。この後、リミテッドの白式のPICを起動させるつもりだった。

 しかし一夏は白式とともに空へと姿を消した。そして本来、ISコアがあるべき場所には何もない。

 

「更識さん。言い忘れていましたが――って白式はどこにいったんですか!?」

 

 留守番をしていた研究員が顔を見せる。まだ詳しい事情を説明していないため、簪は自分が責められると思いこんだ。

 だが研究員の興味は簪が白式を持ち出したことに対してなどではなかった。

 入室を許したのは簪と一夏の2人のみ。この場にいるのが簪ということは白式に乗っているのは一夏ということになる。

 

「今の白式はただのISなんですよ!?」

 

 そこまで言われて簪は状況を理解した。

 リミテッドだと思っていた白式には現在ISコアが搭載されている。彩華の研究が上手くいかず、現実で亡国機業との戦闘の可能性が高まってきた今、ISコアと機体を遊ばせておくはずなどなかった。操縦者さえ居れば戦える状態になっていたのだ。

 

「どうして動いてるの……?」

 

 同じ疑問を繰り返す。男性がISを動かせるはずなどない。本来なら一夏が白式で出撃するプラン自体が水の泡となっているはずなのだ。

 男性操縦者の事例がないわけではない。だが御手洗数馬の場合は使っているISが特殊だった。倉持技研にあった白式は御手洗数馬のケースには当てはまらない。

 理由はわからない。簪としてはその謎を解明したくも思う。しかし今はとりあえず言えることがある。

 

「……結果オーライだよね。頑張って、一夏くん」

 

 青い空を見上げ、声援を送った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 上空からの景色は見慣れた街でも違って見える。けど白式に載っている情報で現在位置は確認できるからすぐに目的地には着いた。

 すぐ下には病院がある。見たところ建物が壊されたりはしてないからまだエアハルトは到着していないはず。

 それを裏付けるように西の方角から高速で接近してくる影があった。

 注視すると影は人型だとわかる。長い銀髪を靡かせている奴は間違いなくエアハルトだった。ISVSのときとは違って巨大な手のユニットは付いてない。おそらく奴にとっても不十分な機体でここまでやってきたんだろう。

 雪片弐型を呼び出す。刀身も展開する。リミテッドでEN武器を使うのは出力から考えて難しいと聞いていたけど、問題なく使えるようだ。というよりISVSで雪片弐型を扱うのと遜色ない。

 エアハルトもこちらには気づいている。奴の右手には既にENブレードが握られていた。雪片弐型よりも巨大な刃を形成しているこの武装は以前に奴が使っていた“リンドブルム”。出力は雪片弐型と同等以上と見ていい。

 イグニッションブーストは要らない。互いに障害を認識したなら真っ向からぶつかるのみ。

 ENブレードが打ち合わされる。干渉によって停止する互いの刃を境にして、俺とエアハルトは睨み合う。

 

「男の操縦者だと? それにその機体……まさかヤイバか!?」

「この姿だと初めましてだな、エアハルト!」

「つくづく我々は篠ノ之束の気まぐれに振り回されているようだ。ここにきて男性操縦者などというイレギュラーが現れるとは」

「生憎、これはリミテッドらしいぜ」

「バカを言うな。倉持彩華の造っていたリミテッド如きがリンドブルムの一刀を防ぐことなどできるはずもない。貴様が動かしているのは正真正銘のISだ!」

 

 強く押し込まれて距離が開く。俺もエアハルトも二度目の衝突を前にして息を整えている。

 

「俺がISを使ってる? もしそうでも関係ないだろ。俺はここにいて、お前に剣を向けている。これが全てだ」

「尤もだ。貴様が邪魔をするというのなら貴様を葬ればいい。だが――」

 

 エアハルトが地上の病院を指さす。

 

「どのみち私の勝ちだ! 既にあの病院には刺客を放っている。私は篠ノ之箒の身柄を引き取りに来たに過ぎない。絢爛舞踏さえ得られれば、ファルスメアはブリュンヒルデにも打ち破れはしないだろう!」

 

 エアハルトが高笑いをしてみせる。奴の他に刺客がいるだなんて俺は考えもしなかった。

 ……考える意味もなかった。

 俺はエアハルトに確認する。おそらくだが俺は……俺たちは負けてなんかいない。

 

「その刺客だがISは持ってるのか?」

 

 もしもエアハルト以外にIllやISが控えているのならば問題だった。だけど病院で破壊活動にまで至っていないのならその可能性は低い。敵にIllやISさえなければ、俺は無茶をしてまでここに来ようだなんて考えもしなかった。

 エアハルトは怪訝な顔を浮かべている。俺の言ったことの意味をわかっていないのだろう。奴は人間を軽視してる傾向がある。日本の病院くらいならばISのない武力でも簡単に制圧できるとでも思っているんだろう。

 

「ISもなしに箒をさらおうだなんて甘すぎるぞ、エアハルト」

 

 千冬姉ですらISもなしにあの病院から箒を連れ去ることなんてできない。

 なぜならあの病院には――

 箒の病室には――

 俺の知る限り世界最強の男が居るのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 よく晴れた昼間だというのに病院の中は静寂に包まれていた。訪れた者たちはおろか、勤務している医者や看護士も含めて一様にところかまわず眠りこけている。その中を武装した男たちがガスマスクを付けて闊歩していた。

 集団の向かう先は病棟方面。立つ者のいない廊下を足早に移動する。目覚めないとわかっていても、最小限にしか音が立っていない訓練された足取りだった。

 目的地の4階に到達。男たちのターゲットは病室で眠っている少女、篠ノ之箒の身柄を確保することにある。誘拐の手口としては大味であるが、篠ノ之箒さえ得られれば問題ないという判断の上で実行されている。既に彼らには形振り構っていられる時間など残されてはいなかった。

 強引な手段であったが相手は軍人というわけではない。素人しかいない上に自衛の手段すら持っていない日本人を相手に遅れを取るはずなどない。

 そう、高を括っていた。目的地に辿り着くまでは……

 

「内気な見舞い客か、はたまた一般に顔を知られたくないVIPか。いずれにせよ睡眠性のガスを流すとは穏やかとは言えぬ」

 

 襲撃者たちは病院の空調を利用して建物全体にガスを流した。大きな副作用のないものを使ってはいるが、常人なら間違いなく数秒で昏倒する即効性の高いガスのはずである。まだ空気中に残っていることも考慮して襲撃者たちはガスマスクを手放せないくらいだ。

 そんな建物内で襲撃者たち以外に動けるものなど居るはずもない。だというのに、目的の病室の前には和服姿の初老の男が佇んでいた。

 

「俗事に詳しくはないが、病院で使うマスクも随分と物騒な見た目になったものだ。昔、『流行に疎い』と束に叱られたことが懐かしい」

 

 異様な格好をしている襲撃者を前にして動じるどころか感心してみせる。ガスが通じないだけでなく、言動も常識からズレていた。

 襲撃者たちの行動は早かった。明確な障害でなくとも目的地の前に居座る男は十分に邪魔である。エアハルトがやってくるまでに篠ノ之箒を確保しなければならない焦りから強硬手段に打って出る。

 一斉に銃口を和服の男に向けた。それでも男は動じない。

 

「ふむ。それはもしかすると昔、束が言っていた“サバゲー”というものか? 病院で遊ぶならば許可を取って廃屋を使うべきだと思うのだが――」

 

 現実が見えてない。そう判断した襲撃者たちのリーダーが発砲。銃弾は男の足下の床を抉るも見向きすらしていない。

 

「しかも近頃は空気銃でなく火薬を使うようになったのか。実銃がビームなどというものに移り変わった影響がこのような場所にまで出ているとは思わなかったぞ」

 

 見当違いの言葉を発しつつも和服がゆらりと動く。威嚇射撃を意に介さないどころではない。男が歩き始めたというのに威嚇した側の認識が遅れてしまっている。完全に意表を突かれていた。

 何をしてくるかわからない。敵の出現も想定していた襲撃者たちは混乱している。この時点で武装すらしていない相手に飲まれていた。

 リーダーが撃てと指示を下す。威嚇ではない殺意が和服の男に向けられ、一斉に放たれた銃弾が病院の廊下を引き裂いて飛ぶ。

 

「たとえ遊びでも無関係な人間に銃を向けるものではない」

 

 和服のゆとりの大きな袖に隠れていた右手が表に出た。無手ではなく、右手には木刀が握られている。正面に構えられた木刀が小さく動くと、放たれた銃弾の一部が軌道を逸らして廊下の掲示板に突き刺さる。

 銃弾が当たらない。ゆらりとした歩き方は無駄が多いように見えて左右の狙いを絞りにくくしている。さらに命中するコースに乗った銃弾は、超人的な見極めによって木刀で受け流されていた。

 およそ人間業ではない。技術や眼力はもちろんのこと、圧倒的に不利な状況で当たり前のように神業をしでかす胆力は化け物の一言に尽きる。

 銃を撃っている方が錯乱を始めた。撃っても撃っても掠りもせず、1人、また1人と襲撃者が木刀の前に沈められていく。

 ついには襲撃者で残されたのはリーダーのみとなった。手にしている銃は弾切れ。引き金を引いてもカチカチと無駄な音が鳴るだけ。

 最後の一刀により襲撃者は残らず昏倒した。廊下に立つのは木刀を持った男ただ1人となる。

 

「およそ戦いの域に到達しておらぬ。独房から出たら修行し直せ」

 

 浮き世離れした言動は遠回しな説教であった。

 木刀を振るう者の名は篠ノ之柳韻。

 銃を相手に木刀のみで圧倒し、数の差をも平然と跳ね返す。

 これが織斑一夏の目指す最強の男の力。その一端でしかない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 病院の上空でENブレードが火花を散らす。現実でも俺の雪片弐型とエアハルトのリンドブルムはほぼ互角。ISVSとほぼ変わらないやりとりが繰り広げられていた。

 戦いの最中でもエアハルトは時折病院に視線を向ける。

 

「どうした、エアハルト? 思い通りにいかないって顔をしてるぞ」

「まさか私の動きを読んでいたのか? 篠ノ之箒に護衛を付けているとは……」

「違うっての。入院してる子に親が付き添ってるのは当たり前って話だ。お前にはわからないかもしれないけどな」

 

 いくら柳韻先生でもISが相手だとマズい。でも逆に言えばISでなければ柳韻先生は負けない。ミサイルでも撃ち込まないと倒せないんじゃないだろうか。

 そんな人が箒の父親なんだ。基本的に放任主義な人だったけど、箒があの状態なら1人の親になる。あの人は護衛なんて役割を与えられなくても箒を守るんだよ。

 箒の父親のことくらいエアハルトは調べてるはず。なのにまるでいないかのように作戦を立てているのは余裕がなかったか、親が子を守るという当たり前をエアハルトが知らないかしかない。

 

「……こうなってしまっては仕方がない。貴様を倒し、私自らの手で奪うしかないようだ」

 

 エアハルトの鋭い大振りにギリギリのタイミングで雪片弐型を合わせる。あの竜の機体でなくてもスピードを維持して全開のリンドブルムで戦えている。奴の使うIllがISを上回るスペックであることは疑いようがない。

 だけど拡張装甲(ユニオン)でなくなっただけでそれほど条件は変わってない。今のエアハルトはギドと比べればまだ俺1人で渡り合える。

 そう思っていたのは甘えだった。

 エアハルトが右手のリンドブルムを拡張領域(バススロット)に回収した。それが意味することを直感した俺は即座に飛び退く。

 

「ぐっ……」

 

 エアハルトの右手には瞬時に黒い霧の剣が生まれていた。黒の剣閃は雪片弐型の刀身を打ち消し、俺の胸を掠める。退くのが遅れていたら直撃していた。

 あの機体はISVSで戦ったものとほぼ同じと見ていい。リンドブルムを使っていたのは黒い霧に時間制限があるから節約のためなんだろう。

 たとえ雪片弐型でもまともに受ければ一方的に打ち負ける黒い霧の剣。これを攻略しないと俺は勝てない。

 

「逃げたいなら逃げればいい。私はこのまま篠ノ之箒を奪いに向かうだけだ」

 

 弱点はわかってるのに時間稼ぎを許されない。俺は病院に向かうエアハルトを体を張ってでも止めなきゃいけない立場にある。

 黒い霧を出したということは今のエアハルトを守るシールドバリアは存在しない。雪片弐型で斬れば大ダメージは与えられる。だけど奴の攻撃を食らう前に2回斬る必要がある。そんなのは俺1人じゃ無理だ。

 

「長考か。ならば私は行く。向かってこない貴様の相手をしている暇はないのでな」

 

 攻める手立てを考えているうちにエアハルトが動き出す。俺を無視して病院へと足を向ける。箒を奪われた時点で、奴は絢爛舞踏を使って黒い霧を全開で使えるようになる。そうなれば俺に限らず、誰が戦っても勝てない敵が誕生してしまう。

 俺に出来ることは立ちはだかることだけだ。

 雪片弐型を両手で中断に構えてエアハルトの行く先を阻む。

 

「来なければ拍子抜けだった。その蛮勇を死後の誇りとするがいい」

 

 先に仕掛けてきた。黒い霧の剣を容赦なく振り下ろしてくる。受けるわけにもいかない俺は後方に飛び退いて間合いを外そうとしたけど、黒い霧は形を変えて、剣先が大きく伸びた。雪片弐型を横に振ることで剣を受け流し軌道を変えることには成功。しかし次の瞬間にはエアハルトが目の前に来ていた。

 

「しまっ――」

 

 返す刃を雪片弐型でまともに受けてしまう。刀身は消され、腹に直撃を受けた俺は錐揉み回転しながら近くの河原へと墜落する。

 砂と土にまみれて体を起こす。絶対防御で守ってくれたがストックエネルギーは残り僅か。シールドバリアは消し飛んでいるが、サプライエネルギーは使える。白式はバリアの修復をしようとしていないけど今はそれでいい。

 早くエアハルトの元へ行かないと箒を奪われてしまう。そう思い、慌てて顔を上げた俺の前にエアハルトの姿があった。

 

「へっ……俺の相手をしてくれるのか?」

「貴様への手向けだ。念入りにとどめを刺してやる」

 

 できれば後ろから不意打ちをしたかったがそこまで甘い相手でもなかったか。

 今の俺は動けないことはない。雪片弐型も生きている。だけど黒い霧の剣を使うエアハルトとの真っ向勝負は分が悪い。

 ……こうなったら悪足掻きしかないな。

 立ち上がった俺は雪片弐型を上段で構える。防御なんて考える余裕はない。なんとしてでも奴より先に攻撃を当てるという一心で挑むだけだ。

 

「最後までその目は死なないか。ならばその光は力尽くで奪ってやろう」

「はあああ!」

 

 今度は俺から仕掛ける。小細工は抜き。真っ直ぐ向かって真っ直ぐに斬る。速さだけを求めた一撃を決めに行く。フェイントをかけたところでもう無駄だと悟っていたんだ。

 エアハルトの右手が動く。俺が近づくよりも奴が右手を動かす方が速い。簡単に迎撃されて終わると脳裏を過ぎる。

 そのときだった。

 

 右から飛来した蒼い光がエアハルトの右手首を撃ち抜いていった。

 

「何っ――!?」

 

 エアハルトの目が見開かれる。黒い霧の剣は形を失って霧散し、エアハルトは一瞬だけ無防備になった。完全に隙だらけだ。

 

「喰らえェ!」

 

 防がれるもののない俺の剣がエアハルトを左肩から袈裟懸けに斬り裂く。

 手応えは十分。まだ倒せてないけど、ストックエネルギーとしては五分の状況にもつれ込んだ。

 そして、戦況は俺に傾いた。蒼い光の正体は1人しか心当たりはない。

 

『遅く……なりましたわ。ご無事ですか、一夏さん?』

「ああ。助かったよ、セシリア」

 

 事前に通信がないくらい余裕のない狙撃だったんだろう。間一髪の状況で俺はまた彼女に助けられた。本当に俺は彼女がいないとダメなんだなって思わされる。さっきまで気を失ってただろうに起きてすぐに俺に力を貸してくれる彼女には頭が上がらない。

 まだ終わってない。膝を突いていたエアハルトが立ち上がると、血走った眼で睨みつけてきた。

 

「蒼の指揮者……仮想世界に足止めできなかったのか」

「誤算だったか? 悪いが俺は最初からお前との一騎打ちにこだわりなんてない」

 

 そもそも1人でどうにかなったのならここまでの苦労は何もなかった。

 俺はエアハルトと戦うことが多かったけどそれは1つの役割に過ぎない。俺1人で荷が重いのなら2人で対処すればいい。そうやって俺は戦ってきた。

 

「一騎打ちならお前の方が強いかもしれない。だけど、俺()()はお前1人より強いんだ」

 

 セシリアの援護を受けてから不思議と誰にも負ける気がしない。

 体の奥底から力が溢れてくるようだ。

 まるで誰かが俺と一緒に戦ってくれているような感覚がある。

 

 ――お前は私の生きた証そのものだ。

 

 声が聞こえた。その声が誰なのか、わかった気がする。

 戦ってるのは俺1人じゃない。そう確信したとき、エアハルトの使う黒い霧も全く怖くなくなった。

 雪片弐型をエアハルトに突きつける。これが最後。

 

「来いよ、エアハルト! 全力でかかってこい!」

「ほざくなァ!」

 

 激昂したエアハルトが黒い霧の剣を掲げて向かってくる。後先を全く考えない全力を出すのは余裕の無さの表れ。

 対する俺も全身全霊の一撃で応える。

 雪片弐型と黒い霧の剣がぶつかり合う。そして、砕けたのは黒い霧の方だった。

 

「バカな。ファルスメアが消失するなどあり得ないはず……まさか!?」

 

 エアハルトのリカバリーは速い。即座に左手に次の黒い霧を出現させて剣とする。

 俺は再び雪片弐型で黒い霧そのものを斬った。あれほど苦労していた黒い霧がいともたやすく消えていく。

 

「零落白夜だと!? 貴様、いったい幾つの単一仕様能力を持っている!?」

 

 残念ながらそれは勘違いだ。俺が持ってる単一仕様能力は1つしかない。俺1人なら役立たずな能力だけど、俺と共に戦ってくれる人の数だけ強くなる。その中に現実には存在しない人もいる。ただそれだけの話だ。

 エアハルトが黒い霧でひたすらに斬りかかってくる。俺はその一太刀一太刀を斬り払う。

 状況は完全に逆転した。

 とはいえ白式のストックエネルギーが時間とともに削れていく。これが零落白夜の代償。俺の方もそんなに余裕は残されてない。

 雪片弐型を上段に構える。今度は先ほどと違って必勝を確信している。エアハルトにはもう黒い霧を上回る攻撃は残されていない。

 

 縦に一閃。

 

 脳天から入った白い剣はエアハルトのストックエネルギーを残さず奪い取った。

 戦闘続行が不可能となったエアハルトはその場に両膝を突いた。空を見上げて放心状態となった奴はポツリポツリと呟きを始める。

 

「私は……負けるわけにはいかない……プランナーの計画を実行できなければ……私たちに存在価値はないの……だ……計画の先に……アドヴァンスドの理想郷が……ある…………」

 

 負けた今になってもまだそんなことを言っている。哀れを通り越して怒りを覚えた俺はエアハルトの胸ぐらを掴みあげた。もう我慢ならなかったんだ。

 

「ふざけるなよ……取って代わる必要なんてなかった。お互いが認め合えば、それで良かったんだ。お前は新人類(アドヴァンスド)なんかじゃない。自分たちの居場所が欲しかっただけの、ただの“人間”なんだよ」

 

 こうして武器を向け合っていたのは相容れないからだった。

 俺は箒を救う。エアハルトは箒を利用して世界征服をする。

 箒を巡って俺たちは明確に対立した。

 だけどエアハルトの願いと行動が一致してない。俺と違って、与えられた役割を果たそうとしていた。他人のエゴで動いていたからこそ俺たちは敵同士となった。

 本当は戦う必要すらなかったのに。

 

 反論すらしないエアハルトが両腕をだらりと下げる。力を失ったIllを纏ったまま、完全に意識が飛んだようだ。俺が手を離すとその場に崩れ落ち、起き上がる気配はない。

 俺は俺で変化があった。零落白夜によってストックエネルギーが枯渇し、白式がただのガラクタ同然となる。俺の体は自動的に白式から弾き出されて河原の固い地面を転がった。

 

「痛え……」

 

 石ころの上を転がった痛さだけでなく、右腕と左肩の痛みも蘇ってきた。

 だけど失神するほどじゃない。両手を上手く使えないけどなんとか立ち上がってみせる。

 俺には行かないといけない場所がある。もう黒い霧のIllはいないのだから。

 

「箒。今度こそ俺……やったよ」

 

 幸いにも病院は近い。腕の痛みが深刻になってる気がするけど足は動く。片足を引きずるような早さでもいいから、俺は彼女の待つ病院へと歩を進めた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 どこもかしこも戦闘は一段落といった様相だった。プレイヤーたちの戦いの終演を仮想世界の天気までもが悟っているのか、吹雪は治まって分厚い雲が切れていく。氷の大地に打ちつける波の音だけが響く寒空の下、敵の要塞から出てきたトモキは雲の切れ間の空を見上げて溜め息をついた。

 

「雲まで現実と同じにしか見えないってのに、全部が全部幻だなんてな……」

 

 自らの存在でさえも。ヤイバに全てを打ち明けた後、現実では自分の葬式までもが終わっているとトモキは知ってしまっている。もう疑いようもないくらい、自分の運命は決まっている。

 何気なく自らの右手を眺める。手の細かい皺まであり、およそゲームの中だとは考えられない。手相でも勉強していれば生命線を見てみるという悪足掻きも出来たのにな、と笑みを浮かべた。

 そのときである。トモキの右手から光の粒子が抜け出てきた。右手だけではない。体中から徐々に溢れていくそれはプレイヤーが帰還する際に起きる現象そのもの。トモキにとってそれは自らの消滅を意味する。

 

「まあ、自分で言うのも何だが、上出来だったと思うぜ」

 

 今まで共に戦ってきた戦友たちの顔を思い浮かべる。自分たちが本当に終わるその日までナナたちを助けるために全力を尽くす。そう誓った仲間たちはもう先に逝ってしまった。残されたトモキも間もなく後を追うことになる。

 決して悪いことではない。死して去るのではなく、勝利して去る。仲間たちに自分たちのミッションの成功を報告できると思えば誇らしいくらいだった。

 あとは時間が経てばいい。そうして何もせずに立ち尽くしていると――

 

「トモキくんっ!」

 

 名前を呼ばれてしまった。それもトモキが一番顔を合わせたくない人物にである。

 気を利かせて2人だけを残して去ったというのに、まさか追いかけてくるとは考えていなかった。

 振り向くしかない。この状況で無視するほど彼は強くもなければ非情でもない。何よりも、そうしたいという誘惑を振り切れない。

 

「やったな、シズネ。長く待ちわびていた希望の瞬間(とき)だ」

 

 慈愛に満ちた笑顔を向ける先には息を切らせている少女、シズネが肩で息をしている。彼女も今のトモキと同じように体を構成していた粒子が少しずつ分解されて、光の粒子が溢れ出てきていた。

 彼女が間違いなく現実へと帰ることが出来るのだと最後に確信さえ持つことが出来た。自分たちと違って、彼女には帰るべき場所がある。それを羨むことなどなく、ただただ胸の内を喜びが占めていた。

 

「……どうして何も言わずに逝こうとしてるんですか」

 

 シズネは顔を伏せたままトモキに問いかける。暗に責められたトモキは一瞬だけ眉尻が下がるもあくまで平静を装う。決して表には出せない想いがある。たとえ歪でもトモキは最後まで押し通すつもりだった。

 

「お涙頂戴はガラじゃねえ。俺にだって空気くらい読める。ナナもシズネも現実に帰れるってんなら、ただ喜べばいい。そこに俺が居たら冷めるだろ?」

「本気で……言ってるんですか?」

「当たり前だ。俺はもう自分の運命を受け入れてるし、他の連中を差し置いて俺だけ特別扱いする必要なんてねえ」

 

 右手でしっしっとシズネを追い払う仕草をする。

 

「とっとと行っちまえ。お前に同情されるなんて腹が立つ終わり方は望んでねえんだよ」

 

 突き放す物言いには容赦がない。これまで同様にトモキがシズネを見る視線は冷たかった。

 しかしトモキは気づいていない。根が熱血な彼は敵対する者や嫌いな者に対しては激昂するはずなのである。故に冷たさの宿る視線に潜む心は決して嫌悪の類ではない。必死に本心を隠しているからこその態度だと言える。

 

「嘘を吐いたままいなくならないでください!」

 

 シズネは察していた。ツムギに隠されていた真実を知ってから、トモキが道化を演じているということを。

 こうして最後のときまでの僅かな時間、トモキを追ってきたのは知りたかったからだった。その思いの丈を一言でぶちまける。

 

「本当のあなたを私に覚えさせてください!」

 

 トモキは即座に背を向けた。これ以上、向き合えなかったのだ。

 まさかとは思いつつ右手で頬を押さえると、トモキは自分の顔面の異常に気が付いてしまう。泣き虫になってしまったシズネよりも先に涙腺が崩壊していた。

 

「本当の俺……? 何言ってるんだよ……いつもの冗談にしちゃキレが悪いんじゃ――」

「逆……なんですよね?」

 

 若干鼻声になったトモキを遮るようにシズネが言葉を紡ぐ。

 鈍感だった自分なりに考えた答えを確かめるために。

 

「トモキくんの言っていた、“馬”と“将”は誰なんですか?」

 

 最近になってトモキは口を滑らせていた。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。

 シズネを励ましたときに使った言い訳であるが、実は言い訳でもなんでもない。この言葉はトモキの行動の全てを物語っていた。

 もうシズネは気づいている。気づかれたことをトモキも察している。

 なんとも格好悪い結末だ。墓まで持って行く秘密であったのに。

 情けなさにまた別の涙が流れそうだった。

 

「無表情のついでに、鈍感だとばかり思ってたぜ。表情が戻ったら鈍感も消えたんじゃねえか?」

 

 ここまで言われて頑なに否定するようなことはしない。何故なら、それは格好悪いからである。彼の矜持が誤魔化すことを許さなかった。

 

「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。言葉通り、俺はシズネに近寄るためにナナにアプローチをかけてた。ナナを介さないとシズネとはまともに話すことも出来なかったからな」

 

 過去を振り返るトモキは泣き顔のまま自分のことを鼻で笑う。

 

「ずっと気になってた。最初は感情の希薄ないけ好かない女だって思ってた。でも一緒に過ごす内に無表情を作ってるんじゃなくて、表情の作り方がわからないんだって気がついた。本当はツムギにいた誰よりも純粋な奴なんだって思ったらずっと目で追ってたよ」

 

 もう隠すことはない。ずっと胸に秘めていたことを全て打ち明けるつもりでトモキは捲し立てる。気恥ずかしさもあったが、何よりももう時間が残されていない。

 

「シズネがさらわれたときは冷静さを失っててさ。ダイゴの旦那にぶん殴られて気絶させられたりもしたっけ……本当にナナとヤイバには感謝しかしてない。俺じゃ助けられなかった」

「トモキくん……」

「ナナが好きだってのは嘘じゃない。でもナナの場合は恋してたとかじゃなくて男気に惚れてた。ナナが男でも俺はついていったと思う」

「どうしてナナちゃんにセクハラを?」

「ちょっとばかしオーバーになっちまってたな。シズネにどんなトラウマがあるかわからなかったから、俺の意識がナナに向いてることにしといた方がシズネも話しやすいだろうって思ったんだよ」

「意外と繊細なところがあるんですね」

「バカ言え。俺は昔から細かい男だっての。自慢することじゃねえけど」

 

 演技の根本は全てシズネへの配慮。そして自らの死を悟ってからは必要以上に近寄らないことに決めていた。当初の目標もその時点で潰えていた。トモキ自身が達成したところで、終わりの時になって新たなトラウマをシズネに刻みつける恐れがあったのだ。

 だからトモキは自分以外に希望を求めた。

 誰でもいい。シズネに表情を戻してやってくれ、と。そしてナナと共に現実に帰った後も見守ってやってくれ、と。

 ヤイバはその全てを満たす救世主だった。

 

「最後まで隠し通してたら格好良い男になれたはずなんだけどな。やっぱ俺は格好悪い男で終わる運命らしい」

「そうですね。最悪です」

「おっと! ここでまさかの毒舌かよ!?」

 

 ふざけた口調のトモキだが本気で胸を痛めていた。全てを知った上で罵られるとは思ってもいなかったからだ。

 しかしトモキは忘れている。今までもシズネの言動に振り回されてきたことを。彼女の言う『最悪』を文字通りに受け取ってはならない。

 

「格好悪いだなんて勘違いしてるトモキくんは最悪ですよ……」

 

 大粒の涙をこぼしながら最悪だと繰り返す。素直じゃない言葉を簡単に置き直すとたった一言になる。

 ――最高に格好良い。

 想い人にとって一番の男でないことは理解している。それでも彼女にそう想われたトモキの胸は必然的に高まった。

 

「俺、後悔なんてしてない。俺が役に立ててなくても、最終的にシズネは正直な顔を見せられるようになった。現実に帰ってもナナと楽しくやっていける。そう、俺は確信してる」

 

 もう残された時間は少ない。トモキの体は下半身がなくなっている。両手も消えて、胸元より上しかない。

 確実に消滅が近づいている。それでもトモキは前を向き続けた。最後のそのときまで、シズネの姿をその眼に焼き付けるために。

 恨み言なんて何もない。あとは笑って彼女の背を押してやればいい。それで全ての望みは叶う。

 

「頑張れよ、シズネ。応援してる」

 

 その言葉を最後にトモキの全身が消え去った。彼の終わりへの旅路はここが終点となる。目元に涙の跡が残ったままでも、彼は最後まで笑っていた。

 仮想世界の空に消えた光は帰る場所がなく、現実でも仮想世界でもない場所へ向かう。その新たな旅路の果てに彼は先に逝った友と巡り会うことだろう。

 

「……私、覚えました。格好良かったあなたのこと。私とナナちゃんの希望を最後まで紡いでくれたこと。絶対に忘れません」

 

 先に消えた少年を想いながらシズネの体も消えていく。行き先はプレイヤーたちと同じ、現実の自分の体。もう二度とトモキと顔を合わせることはない。

 笑顔で現実に戻ることがトモキの願いであり、希望だった。だから泣いてはいけない。そう、頭ではわかっている。しかし耐えることなどできそうにない。

 ……これを最後にするから今だけは許して。

 

「う、あ……あああああ――」

 

 静まりかえった北極の海に少女が幼い子供のように泣き喚く。

 その慟哭は彼女の姿が消えるその瞬間まで、ただの一度も途切れることはなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヴィーグリーズの制圧が完了した。一部の敵は逃走したが、もうこの地に敵の姿はない。ミッションを終えたプレイヤーたちも次々と現実へと帰っていく。

 空に消えていく者たちを文月ナナは見送る。名前も顔も知らない者たちが、たとえゲームとしてであっても自分たちのために戦ってくれていた。その事実を噛みしめて、感謝の念を送る。

 

「さて、あとはヤイバ……一夏次第か」

 

 紅椿は辛うじて飛べる程度の状態であるがツムギに帰還するのに支障はない。現実で起きている戦いの結果を待つためにも仮想世界の家に帰ることに決めた。

 

「シズネ、どこにいる? 私たちもそろそろ戻るとしよう」

 

 共にこの世界を生きてきた親友がもう現実に帰ってしまっていることをナナは知らない。通信の声は風に消え、誰もナナに答えはしなかった。

 シズネに何かあったのではないか。そうナナが不安を覚えるのも無理はない。

 今の彼女に何も変化がなかったからだ。

 

「迎えに来ました、ナナさま」

 

 ふと近くで声がして振り返る。振り向く前から誰がいるかは想像がついている。ナナさまと呼ぶのはクーだけだった。

 氷の上に立っている少女は想像通り、両目を閉じている盲目の銀髪少女。

 問題はなぜクーがこの場にいるのか。

 今まで不測の事態を除いてクーが戦場にいたことはない。今回のような戦場になっていた場所にわざわざ顔を見せるのは異様である。

 

「ちょうど良かった。シズネと連絡が取れないのだが、どこにいるのか調べてくれないか?」

 

 クーがこの場にいる疑問を棚に上げて、いつものように調査を依頼する。戦闘能力がなくてもクーの情報収集はツムギの立派な戦力である。シズネと連絡が取れないのも大した問題でないと教えてくれると期待していた。

 

「鷹月静寐の行き先は知りません。ワールドパージ“幻想空間”の外側を私は認識していませんから」

 

 いつにも増して事務的な反応。さらにシズネのことをシズさんでなくフルネームで呼んでいるのが冷たさに拍車をかけていた。

 クーが何を言っているのかナナにはわかってしまった。死んだという最悪の事態でないことは言い回しから理解できる。そして、クーが認識できない理由も推論が立っている。

 

「シズネはもう現実に帰ったのだな」

「そうです」

「ということは一夏がやり遂げてくれたのか。流石は一夏だ」

 

 シズネが無事に現実に帰った。それを成し遂げたのは一夏である。そう思うだけでナナの頬は綻んだ。

 だがまだ彼女は気づいていない。シズネが帰ったというのに、まだ自分にその兆候が表れていないことを。

 その事実はクーの口から宣告されることとなる。ナナの喜びすらも奪い取る形で……

 

「いいえ、織斑一夏は関係ありません。鷹月静寐を始めとするツムギを騙っていた者たちは私の権限でこの世界から解放しました」

「……何? どういうことだ!」

「彼女らはこれより先の“幻想空間”に不要な存在でした。異物は排除しなくてはなりません」

 

 ナナが聞きたい質問とは違う答えしか返ってこない。『どうして?』ではなく『なぜそんなことができる?』と聞きたいのである。

 言葉よりも先に手が出たナナはクーの胸ぐらを掴みあげた。クーの言っていることが事実ならナナたちをこの世界に閉じこめている者の正体は――目の前の少女ということになってしまう。

 

「お前が! 全ての元凶なのか! あのとき、篠ノ之神社に居たのだな!」

「元凶とは何のことかわかりかねます。ただ、ナナさまが篠ノ之神社を訪れた際、私がその場に居合わせたことは間違いありません」

 

 箒が文月ナナとなってから篠ノ之神社には1度しか行っていない。黒い霧のIllに襲われたあの日だけである。クーはそのとき、近くにいたと言っている。

 つまり、クーは現実にも存在していたことになる。

 

「……お前のことはわかった。すぐに私も現実に帰せ」

 

 言いたいことは山ほどあるが、その前にナナは当たり前の要求をする。シズネたちを戻せたのならば自分も可能であるはずだ。

 しかしクーは首を横に振る。

 

「できません。ナナさまは箒さまであり束さまの妹です。ですからあなたはこの世界に必要なのです」

「姉さんを知っているのか!? これは姉さんの仕業なのか!」

 

 掴まれた右手をふりほどこうとしても一向に離れそうにない。小さい体のどこにそんな力があるのか。全開でないとはいえ紅椿の力で抗えないのは異常である。

 クーは無表情を崩さない。ポーカーフェイスだったシズネと比較しても無表情と言えた彼女はAIと名乗っていただけあってまるで機械のよう。そんな彼女の閉じていた目蓋がピクピクと動き始める。

 

「私は束さまのために存在します。束さまのためになるならば手段を選ぶつもりはありません」

 

 クーの両目が開かれる。

 重い目蓋の下にあった眼球はおよそ人のものとはほど遠い漆黒。

 瞳は夜に浮かぶ満月のように金色に怪しく輝いている。

 彼女は今まで敵としていた遺伝子強化素体そのものの姿をしている。今まで苦楽を共にしてきた仲間の豹変にナナは驚愕を隠せない。

 

「お前はいったい……何者なんだ?」

「ただの出来損ないの遺伝子強化素体です。束さまはそんな私にこの体とクロエ・クロニクルという名前を与えてくださいました。私はその恩をまだ返せていません」

 

 クロエがパチンと指を鳴らすと彼女の背後から黒い霧が吹き出した。それは意志を持つ生物のように細長く伸び、ナナの両手両足に絡みつく。

 

「これはあのときの黒い霧? 本当にお前……だったのか……」

 

 抵抗しようとしていたナナだったが黒い霧にまとわりつかれて急速に意識が遠くなっていく。

 ガクリと意識を落とした彼女を黒い霧が優しく抱き上げてみせる。

 

「ナナさまを保護。これより安全な場所へ待避します」

 

 クロエがナナと共にふわりと浮き上がる。東西南北、どの方位にも移動しないまま、ただひたすらに空へと昇っていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 右手と左肩の痛みは引いてきた。仮想世界で無茶をした後遺症はあまり残ってなさそうで良かった。とは言ってもまだ何かを触れるほどには回復していなく、左手も持ち上げると肩に響くからダラリと垂れ下げるしかない。

 病院に入ってからは医者と看護士に気づかれないように慎重に歩いた。変に体調が悪いと思われてしまえば時間を取られる。せっかく箒に会えるというのに、自分の体のことで時間を割かれたくなかった。

 忙しなく歩く人たちとぶつかるとマズい。あくまで普通に歩いているように見せ、ただの一度もぶつかってはならない。痛みを我慢しながら周囲に気を配るのは思っていたよりもきつい。

 エレベーターはボタンを押せなかったから階段を使う。体に振動を与えないように一歩一歩確実に踏みしめて昇る。少し焦る度に激痛が走り、叫んでしまいそうになっては足を止める。その繰り返しだった。

 

「やっと……着いた……」

 

 4階で助かった。これ以上昇れと言われても頭が悲鳴を上げている。ギリギリで俺の精神力は持ちこたえてくれた。

 あとは廊下を歩いていくだけ。4階は1階ほどドタバタしていなく、誰にも邪魔されずに歩くことが出来る。

 もう目的地は見えている。病室の中では今頃箒と柳韻先生が再会の抱擁でも交わしているんだろうと頭の中で思い描く。

 早く俺もその輪に混ざりたい。来年の初詣の計画でもしようか。

 自分の体の異常も忘れて俺の口は勝手にニヤケていた。

 

 早く箒に会いたい。

 

 君がその喉を震わせて、俺の名を呼ぶ声を聞きたいんだ。



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【幻想黒鍵 - Illusional Space - 】
41 止めない歩み


 上下左右、あらゆる方向に星空が広がっている。そんな天然のプラネタリウムに浮かぶ漆黒の球体は正しく浮いている存在だった。まるで星空に虫食いができてしまったかのように、球体の存在する一部だけが一切ノイズのない純粋な黒で染まっている。

 今、その黒へと近づく人影がある。重力の働かない星屑たちの空を自由に動き回る男は当然のようにISを着用している。……いや、ISらしきものと言った方が正確だろう。少なくとも、Illを知っていてもなお、これをISと認識する者は少数である。

 男は黒い球体の建造物の中へと入っていった。

 球体の内部は異様に赤い通路。壁面はところどころにケーブルが剥き出しになっていて毛細血管を彷彿とさせる。人工的な建造物ではあるが生物の体内を思わせる色合いといえる。鼓動まであったとすれば巨大生物の体内と言われた方がしっくりとくるほどだ。

 迷宮のように入り組んだ血管の通路を奥へ奥へと進むと、男の目的地である心臓部分に到達する。野球でも出来そうなくらいに開けた空間はそれまでの景色と打って変わって白一色で染まっている。まるで異世界。男はここを天国のようだと形容している。

 

「ゴーレムどもの宇宙空間への配置の件ですが、無事完了しましたよ♪」

 

 男は楽しげに声をかけた。当然、その対象がこの空間に存在する。男の視線の先、中央にそびえ立つ水晶で造られた樹木の根本には機械製のウサ耳を装着したワンピースの女性が立っていた。

 

「おつかれ~、イレイション。手伝えなくてごめんねー」

「いえいえ。我らが神様のお手を煩わせることはありませんよ」

 

 男に“神様”と呼ばれた女性は背中を向けたままだ。彼女が見据えるは水晶の樹木。透き通って見える内部である。

 その様子に違和感を覚えた男が尋ねる。

 

「“彼女”に異常でも?」

「ううん。“幻想黒鍵”との融合は完了してて、“絢爛舞踏”も正常だよ。無線バイパスを通してイレイションにも供給できてるのがその証拠」

「あ、マジっすか!」

 

 唐突に言葉を崩した男は高いテンションを維持したまま、手から黒い霧を発生させる。

 

「本当に使い放題になってんじゃん! これで何も怖くねえ。じゃ、早速地上の方へ行っても?」

「好きにすればいいよ。ちゃんと役目さえ果たしてくれれば、ね」

「わかってますって。人間どもを宇宙(そら)へと出さないことですよね? では色々と仕掛けてきます」

 

 そう言い残して男は白の空間を去っていった。

 後には結晶の大樹を見上げるウサ耳の女性だけが残される。

 

「箒ちゃんが居てくれる。それで束さんは束さんでいられる」

 

 独り言が向けられたその対象。

 結晶の大樹にはピンク色の髪の少女、ナナが取り込まれていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「週末のクリスマスイブだってのにこんなとこで何やってんだろ、あたし……」

 

 年季の入ったテーブル席に顔を伏せた鈴が呟く。その目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。

 

他人(ひと)の実家をこんなとこ呼ばわりすんなっての」

 

 対面にはこれまた景気の悪そうな顔をした弾が頬杖を突いている。

 ここは弾の実家でもある五反田食堂。まだお昼の忙しい時間の前であり客が少ない。ガラガラの客席の一部を借りて何をするでもなく2人して溜め息をついていた。

 

「どうして弾がここに居るのよ?」

「居ちゃおかしいか!? ここは俺の家だっての!」

「虚さんは?」

 

 単刀直入に問われた弾は目に見えて沈んだ。虚ろな目をした弾の半開きの口からは魂が抜け出ているかのようである。

 

「仕事だってさ……しかもしばらくは連絡もつかない」

「なるほどね。例の裏のお仕事ってことかー」

「鈴の方こそどうした? それこそどうして“こんなとこ”に“ひとり”で?」

 

 気怠そうにしながらも言い返すところは言い返している。鈴は「うぐっ」と声に出るほどダメージを受けていた。

 

「ムカつくわね。わかってて聞いてるでしょ?」

「2パターンほど考えられるが、どっちかまではわかんねえよ。鈴がへたれたのか、一夏が唐変木なのか――」

「どっちも外れ……逃げられたのよ」

「はぁ?」

 

 弾が素っ頓狂な声を上げる。

 

「アイツ、家で寝込んでたんじゃないのか!?」

「あたしもそう思って叩き起こしてやろうと思ってたんだけどね。見事に誰もいなかったわ。千冬さんは今忙しいはずだし、セシリアは亡国機業の件で本国に呼び戻されてる。シャルロットと2人で残ってると思ったんだけど……」

「ってことはシャルロットが一夏を連れて行った?」

「それも違うわね。幸村に探してもらうように頼んでみたら、シャルロットは1人でゲーセンに顔を出してるってさ。肝心の一夏の情報はなし」

「そっか……まあ、1人で外に出てるってことは確実そうだな。チャンスだった鈴には悪いが、一夏が思ってたより元気そうで良かった」

「あたしのイメージを勝手に下げんな! あたしだって一夏が元気ならそれに越したことはないわよ」

「ムキになんなって。近くで見てきた俺はそんなこと良く知ってる」

 

 テーブルをバンと叩いて逆上する鈴を弾が宥める。これもまた良くある光景で、世間的に特別な日でも何ら変わることはなかった。

 

 一夏たちとエアハルトの決戦から数日が経過している。事情を知っているプレイヤーたちにとってはエアハルトを打ち倒して全てが終わった。そのはずだった。

 鈴にとっても友人となった鷹月静寐を始めとして、入院していたツムギのメンバーは無事に目を覚ましている。今は長く眠り続けていた影響で立って歩くことはできないが順調に回復していく傾向にあると聞き及んでいた。

 ……1人を除いて。

 エアハルトをその手で打ち倒し、満身創痍だった一夏が辿りついた病室で待っていたのは、眠り続ける篠ノ之箒と傍らで見守る柳韻という何も変わらない現状でしかなかったのだ。

 それから一夏は一度も学校に来ないまま年末の休みに突入して今に至る。鈴たちからの連絡に対しても音信不通だった。

 

「結局、あたしって蚊帳の外なのかなぁ……」

 

 ずっと抱えていた不安が口から漏れ出る。そもそも最初から一夏は鈴を巻き込もうとはしていなかった。頼るようになっていたとはいっても鈴個人にではなかった。少なくとも鈴本人はそう感じている。

 自分から危険に飛び込んで、一夏を精神的に追いつめて、挙げ句の果てに助けられたのは鈴の方。その後にいくら一夏のために戦っても鈴の気が晴れることはなかった。

 

「鈴がどう思ってるかだけの問題だ。お前が自分のことを蚊帳の外だと思ってるならその通りなんだろう」

「弾お得意の精神論?」

「経験談だ。見方によっては一夏も蚊帳の外になってておかしくない。だけどアイツは自分から飛び込んでいった。問題の中心にな。俺が一夏と一緒に戦ってるのも俺なりの理由で中に入っていったからだ」

「だったらあたしも当事者ね」

「そう思ってるならそうなんだろ。一夏が幼馴染みのために戦ってる。鈴が一夏のために戦う。それでいいんじゃないのか?」

「そうよね……」

 

 弾に言われなくても鈴は頭ではわかっていた。しかしそれでも報われたかった思いもあり、少々複雑なのだ。

 

「なんか段々と一夏にとって都合のいい女を演じようとしてる自分に気がついてきちゃった……」

「セシリアみたいなマジで一夏にとって都合のいい女がいるからだろうな。で、そんな自分が嫌いなのか?」

「そうでもない。負けたくないって気持ちの方が強いの」

「誰に――だなんて聞くまでもないか。で、今日はどうする? 言っとくが俺も含めて藍越エンジョイ勢の大多数が暇人だぞ?」

 

 弾がニヤリと笑みを浮かべる。半ば自棄になっているとも言えるが、こうなっては1人で過ごすよりも有意義なことがある。

 

「ようし、ISVSやるわよ! ゲーセンに集合をかけなさい、弾!」

「あいあいさー」

 

 そうと決まれば行動は早かった。弾は携帯片手に連絡を始め、鈴は素早く席を立つ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 休日だったりクリスマスイブだったりしても病院という場所はそこまで変わらない。白衣姿の人たちが忙しそうに廊下を行き来していたり、患者が待合い席を賑わせているのもよく見る光景だ。

 俺は当然のようにそれらを無視して先に進む。別に俺が受診しに来たわけじゃない。ここには見舞いに来たのだから。

 目的の部屋の前に到着する。軽くノックすると中から返事があった。

 

「どうぞ」

 

 病室は個室。しかも見舞いに来るには特別に手続きが必要となっている。それもそのはずで医師にしてみれば正確な病状すら不明な難病の患者が入院していたのだ。もう今では大丈夫なのだと俺たちはわかっていても医者の方は後遺症の可能性も危惧してやや特別な扱いを続けている。

 

「お邪魔します」

「あら、君は……誰だったかしら?」

 

 中に入ると初めて会うおばさんがいた。そういえば前に来たときは会えなかったんだっけ。

 

「初めまして。織斑一夏です」

「ああ、あなたが例の。なるほどねー」

 

 例の……?

 なにやら品定めされてるかのように全身をじろじろと見られている。

 かと思えばおばさんは名乗ることなく病室の奥を振り返った。

 

「じゃあ、静寐。お母さんはちょっと出かけてくるから」

 

 奥に一声だけかけると俺の脇を通り過ぎてさっさといなくなってしまう。

 これはもしかしなくても気を使われてしまった。

 ……まあ、俺としてはその方が話しやすいから結果オーライ。

 俺は奥へと歩を進める。カーテンの奥に隠れているベッドには上半身だけ身を起こしている人影があった。

 

「もしかしてヤイバくんですか?」

「当たり。元気そうで良かった」

 

 ベッドで寝ていたのは静寐さんだ。あのエアハルトを倒した日に目が覚めたらしいけど、こうして会いに来たのは今日が最初になる。

 

「俺、タイミング悪かったかな?」

「ううん、大丈夫。お母さんはすぐに早とちりするから慣れてます」

「……仲が良いんだな」

 

 楽しそうに語る静寐さんの顔を見て、つい呟いてしまう。よく考えると割と失礼な物言いになってしまった。

 

「でもタイミング悪いのも否定できないかもしれませんね」

「どっちなんだ」

「この日を狙ってきたヤイバくんに私はどこまで許すべきなのでしょうか」

「何の話だよ……って今日、何かあったっけ?」

「私には実感のない話ですが、今日はクリスマスイブです。ナナちゃんを放っておいて私のところに来るだなんて乙女心を理解できていないとしか思えません」

 

 ナナの名前が出て俺は言葉に詰まった。その動揺が顔に出ていたのか静寐さんの顔からも笑顔が消える。

 

「何かあったんですか?」

 

 静寐さんたち、目覚めたツムギのメンバーには他のメンバーについて一切の情報が与えられていない。それは単純にメンバーの誰が死んでしまっているのかを本人たちに伏せておくため。生きている者同士は本人たちが自分の足で動けるようになってから直接会ってもらうことになるのだと思う。

 その関係で静寐さんには箒を含めた全員の状況を知らされていない。だから静寐さんは箒がまだ目覚めていないことを知らない。

 でも箒については隠すだけ無駄だな。俺も箒に関しては隠すつもりもないし。

 

「実はさ……箒――ナナはまだ……」

「そう、ですか。ナナちゃんはまだあの世界に取り残されているんですね」

 

 現実でも異様に察しがいい人だ。それでいて大きく動じたように見えない。

 ……俺なんて今でも凹んでて、叫びだしたい衝動を辛うじて抑え込んでるだけなのにな。

 

「それでヤイバくんは今日までずっとナナちゃんの傍にいたんですよね? だから私のところに来たのが今日になったんですよね?」

 

 可能だったらそうしたかった。だけど俺はずっと()()にすら会えていない。

 事態は以前よりも悪化している。

 箒が目覚めていないどころか、ナナの居場所がわからない。ISVSの中でも彼女は行方不明となっていた。

 全てを話すつもりだったのに何と言ったものかわからなくなった。というのも目に見えて静寐さんの顔に陰りが生まれたから……

 

「教えてください、ヤイバくん! ナナちゃんはどうなったんですか!」

 

 ポーカーフェイスの崩壊が早かった。静寐さんは声を荒げて問いただしてくる。

 もうわかっているんだろう。

 俺はゆっくりででも話すことにする。胸の痛みをこらえながら。

 

「あの日からずっとナナがどこにいるのかわからないんだ。あの北極海の戦場にも残ってなかったし、ツムギにも戻ってなかった」

 

 箒が目覚めないと知った俺はすぐにISVSに戻った。だけどプレイヤーが引き上げた後の戦場には誰一人として人影はなかった。すぐさまツムギにまで戻ったけど倉持技研の人がいるだけで、残っていたはずのツムギメンバーすらも姿を消していた。

 クーもいつもの場所にいなかった。

 俺には他に彼女の居場所に心当たりがない。今日までずっとがむしゃらに仮想世界の中を探し回ったけど、全てが無駄に終わっていた。

 少しだけ冷静になれた俺は当てもないまま探すよりも情報を集めることを選んだ。だからこそ俺はここにいる。

 

「静寐さんに聞きたい。あの世界でツムギ以外にナナが行きそうな場所に心当たりはある?」

「……ツムギの他に私たちが家としていたのはアカルギしかありません。レミさんたちは?」

「皆、現実(こっち)に帰ってきてる。潜水したまま操縦者のいなくなったアカルギは北極海に沈んだらしいから、そこにナナがいる可能性はほぼない」

 

 結局、静寐さんの知ってる範囲は俺と大差なかった。もしかしたらと思っただけだからそれほど期待していたわけでもない。

 ここに来たのも別に無駄足じゃない。とりあえず静寐さんの元気そうな顔が見られただけでもプラスだ。

 でもやっぱり静寐さんは悔しそうに歯噛みする。

 

「……どうしてナナちゃんだけ戻ってきてないんですか」

「わからない。でもだからって俺は止まるつもりなんてない」

 

 元々俺は何の手がかりのないまま箒を探し始めていた。

 ここまで順調に現実への帰還が近づいていると思っていた。それが勘違いだっただけのこと。

 たかが振り出しに戻っただけだ。俺が足を止める理由にはならない。

 

「心配かけてごめん。とにかく俺はナナを探しにいく。現実への帰還祝いはナナが戻ってきたときに一緒にやろう」

「あ、待ってください! 私も一緒に――」

「気持ちだけ受け取っておくよ。これは俺がやるべきことだから」

「私の意思を無視してでもですか?」

 

 まだ歩けないと聞いている。だけどすぐにでも走り出せそうなくらいに強い目で俺を見てくる。

 静寐さんとナナの関係を考えれば何かしたくなるのも仕方ないとは思う。

 とは言え俺も譲れない。ナナのために何をすればいいのかもわかってないのに静寐さんをまたあの世界に連れて行くだなんてしたくない。あの世界は静寐さんたちにとって怖いものだったはずだから。

 何よりも――

 

「静寐さんはゲーセンには行けないだろ? だからナナのことは俺を当てにしてくれよ」

「……わかりました」

 

 小さな声でそう呟いた静寐さんはベッドに横になると掛け布団を頭から被ってしまう。あからさまに不機嫌になってる。今日はもう帰った方がいい。

 

「じゃあ、また来るよ」

 

 静寐さんからの返事はなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一夏が去った後、静寐はむくりと身を起こした。

 

「ヤイバくんが連絡すらくれなかったので妙だとは思っていました。ナナちゃんとよろしくやっているために私のことなど忘れているのかと心配しましたが、私どころの問題ではなかったんですね」

 

 現実で目覚めてから数日。まともに知り合いのいなかった静寐を見舞う者など母親くらいしかいない。ナナはもちろんのこと、ツムギの誰とも話さない時間は現実であるのに現実感がなかった。

 ナナと離されて、危機感のないままベッドに横たわるだけで時間が過ぎていく。苦痛、とまでは言わないがこのままでいいのかという不安に襲われた。誰かと話をしたくても母親は事情を良く知らず、医者や看護士は明らかに何かを隠していて、まともに情報すら得られない状況が今日まで続いていた。

 

「さて……私はこのまま大人しくしているべきだと思いますか?」

 

 窓から空を見上げ、現実(ここ)にはいない誰かに問いかける。

 表情を読みやすく、失言の多いヤイバと話すことで静寐にも事態の理解が追いついた。

 まだ自分たちの希望には届いていない。シズネの希望にもナナの希望にも。そして、“彼”の希望にも……

 ナナがいなくては何も始まらない。

 ヤイバの言うように終わってなどいなかった。

 

「……シズネの思うようにした方がいいと思うよ」

 

 独り言だったはずの言葉に返事があった。その音源は少なくとも見た目が幼い少女。入り口とは反対側のベッドの陰で身を屈めていたため、先ほどまで部屋にいた一夏は彼女の存在を認識できていない。

 

「かくれんぼは終わりですか、ゼノヴィアちゃん」

「子供扱いはやめて。私はシズネよりも2歳くらいは年上なんだからね!」

「これは失礼しました、ゼノヴィアお姉さま」

「うーん……それはなんとなく嬉しくない」

 

 のそのそと立ち上がった銀髪の少女、ゼノヴィアはキョロキョロと辺りを見回す。

 

「もうヤイバくんは帰りましたよ?」

「そ、そうだよね。うん、大丈夫」

 

 一夏がいないことに安心した彼女はようやく肩の力を抜いた。

 今日はとんだ災難といったところだ。数馬から『鷹月静寐が現実に帰ってきている』と聞かされ、せっかく今いる数少ない友人に会いに来たというのに、そこであのヤイバと遭遇するとは思ってもみなかった。

 

「ヤイバくんが怖いですか?」

「え? えーと……そ、そんなことはないよ」

「嘘ですね」

 

 ズバリ嘘だと断言されてゼノヴィアの目が泳ぐ。このようなあからさまな態度がなくとも静寐には彼女の嘘くらい簡単に見抜けるほどの驚異的な洞察力がある。

 

「立場が違えばヤイバくんを怖いと思うのは当然です。私に気を使う必要はありません」

 

 静寐は既にゼノヴィアがISVSでどんな目に遭ってきたのかを聞いていた。ヤイバがゼノヴィアを殺そうとしていたことも知っている。当時の静寐がこのことを知っていればヤイバを止めようとしていたのは間違いないと断言できるがそんなもしもの話は後の祭りでしかない。

 

「でも現実のヤイバくんは怖そうというよりも甘そうな顔をしていると思うのですが、それでもダメだった?」

「あの顔が逆に怖いの。あの博士を一騎打ちで倒した人なんだって思うと何か恐ろしい中身があるような気がして……」

「難しく考えすぎかな? あの人はただのナナちゃん大好き人間ですよ。私にはわかります。同類ですから」

 

 ゼノヴィアの不安を静寐は笑い飛ばす。恐ろしい中身なんてあるわけがない。彼は最初からたったひとりのために戦い続けているだけなのだと静寐は確信しているから。

 

「同類なのにどうして喧嘩したの?」

「さっきのは喧嘩じゃありません。無駄に優しくしようとするヤイバくんに対して私が不満を言っただけです」

「それって喧嘩じゃ――」

「全然違います。むしろこれは私の一方的な我が儘。ナナちゃんの危機に大人しくしているだなんて私には無理なんです」

 

 正直に言ってしまえばヤイバには腹を立てている。もう静寐は囚われのヒロインを卒業した。次にやるべきことは最後のヒロインを救出に向かうことのみであり、そのための戦士となることに何も抵抗などない。

 

「どうしてそんな我が儘を言ったの?」

 

 不思議そうにゼノヴィアが質問した。

 静寐は力強い目をしたまま胸を張って答える。

 

「私がそうしたいから、ですよ」

 

 あまりにも簡潔な回答の前にゼノヴィアは言葉を失った。

 そんな理由で危険かもしれない場所に戦いにいけるのか、と。

 静寐だけではない。数馬も一夏もゼノヴィアから見れば強い人ばかり。単純な戦いの強さでしか語らなかった遺伝子強化素体の世界がちっぽけに見えてしまった。

 

「そういえばゼノヴィアちゃん。御手洗くんを待たせてるのでは?」

「あ……そろそろ行かなきゃ。もっとお話したかったのに」

「また遊びに来てください。今の学校には友達がいないので入院中は寂しいんです」

「うん、わかった。またね、シズネ」

 

 軽く挨拶をしてゼノヴィアは軽快な足取りで病室を去っていった。静寐と話をしたかったというのは本音に違いないがやはりゼノヴィアが一番傍にいたいのは数馬なのだ。

 

「そういえば私って今、どういう扱いになってるんでしょう? 中学は卒業……できてないんでしょうか」

 

 意識不明となったのが年明けだった。当時の静寐はまだ中学3年生であり、受験は受けてさえいない。自分がこれからどんな生活をするのかはよくわかっていない。それでも静寐は新しい生活に不安を覚えることはなかった。

 同じ境遇の人が居る。唯一無二の親友がまだ帰ってくる。彼女とならどんな苦難が待ち受けていても乗り越えられると信じられた。

 だから静寐が今すべきことは決まっている。

 

「もちろん私にやれることはするつもりです。ナナちゃんの親友ですから」

 

 独り言で決意を露わにする。

 現実ではまだ歩くことすら難しい。誰かの足を引っ張ることしかできない上に、せっかく仲直りした母親に心配をかけるだけである。

 だから静寐は考えていた。この状態の自分にもできることを……

 母親がペットボトルのジュースを3本持って病室に帰ってくる。静寐1人だけしかいないため、「あれ?」と首を傾げていた。

 

「おかえりなさい、お母さん」

「ただいま――じゃなくて、さっきの男の子は? ゼノヴィアちゃんも帰っちゃったみたいだし……お母さん、飲み物買ってきたのに」

「急用ができたって。あの人はモテますから」

「あら。ライバルでもいるの?」

「ライバルじゃなくて親友です」

 

 一夏のことを静寐の彼氏だとはやとちりしていた母親に対して、静寐は大きく否定しない。恋敵と言われてナナの顔が出てきたがそれも即座に否定する。

 彼女とは互いに蹴落とす関係などではない。共に在りたいと思える関係だ。

 現実で彼女と居るために静寐はできることから始める。

 

「ねえ、お母さん。頼みたいことがあるんだけど――」

 

 自分だけではどうしようもない。だから静寐は今ある人脈を使って行動する。

 まずは自分が動けるようにしなくてはならない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 可能性は低かったとはいえ当ての1つが早々に潰れてしまった。しかも静寐さんの気を悪くさせただろうからしばらく近寄りづらい。堂々と顔を合わせるにはやっぱり箒が帰ってこないとな。

 次の予定は決まっている。思ったより静寐さんのところで時間を使わなかったから予定よりも早く待ち合わせ場所である駅前に着きそうだ。

 

「次は次で当てにできないけどな」

 

 つい独り言が漏れる。最初の頃と比べれば手がかりも手助けも多いはずなんだけど、先に進んでいる感じがほとんどしない。そんな不安が俺の胸に渦巻いている。

 

「……じゃあ、約束は無かったことにして帰っていい?」

「うわぁ!?」

 

 唐突に後ろから声がし、前に飛び退いてから振り返る。

 そこにはキョトンと首を傾げてメガネがズレる簪さんがいた。

 

「そんなにビックリした?」

「あ、ああ。まさか後ろにいるとは思わなかったもんで」

「私も今から向かうところだったの……ごめん」

「いや、謝らなくていいから」

 

 駅に向かう途中で出会った簪さんこそが俺の待ち合わせの相手である。彼女は倉持技研とつながりがあるだけでなく、あの楯無さんの妹だ。今は楯無さん本人が忙しくて連絡が取れないから代わりに彼女に来てもらった。

 

「早速で悪いんだけど、俺の頼みは通った?」

「お姉ちゃんも虚さんもいなかったから本音に手を回してもらった。案内するからついてきて」

 

 若干不機嫌そうな声でさっさと振り向くと俺の前を早足で歩き出す。いくら年末だからってそこまで忙しなく動かなくてもとは思ったが、急ぐ分には俺にとって都合がいい。

 今から向かう先は本来なら俺が踏み込めるはずのない場所なんだと思う。具体的には良く知らない。簪さんは呆気なく俺を案内してくれているが、たぶん結構な無茶をしてる。

 

 静寐さんから情報が得られなかった場合に考えられる情報源は3通り。

 1つは今もなお千冬姉や楯無さんたちが追いかけている亡国機業の残党――具体的には藍越学園を襲ったテロリストだ。エアハルトとの決戦の際、別働隊として現実で奴らの本拠地と思しき場所へと宍戸先生たちが乗り込んで完全に勝利した。しかし亡国機業の全てのメンバーを捕らえるには至っていないと聞いている。

 亡国機業の残党を俺が直接追いかけるのには千冬姉がNGを出した。ISVSで戦うことは許容してくれてたけど現実ではわけが違う。

 あの決戦で俺が現実のISを動かしてエアハルトと戦った事実を知った千冬姉は俺を怒鳴りつけてきた。俺が戦わないと箒が奪われていたのは事実。そう反論はできたけど、代わりに戦えなかったことをしきりに謝る千冬姉に対して俺は何も言えなかった。

 あのときはISを動かせたけど、その後の検査で俺はISを動かせていない。そもそも動かせていた理由は不明。今の俺は現実では無力だから、現実の危険が伴う亡国機業残党の捜索は千冬姉たちに任せた方がいい。

 

 次に考えられるのはまだ見つかってないIllの捜索。イルミナントとの戦いから考えて直接的な情報を得られるとは思えないけど、もしかしたら箒を目覚めさせるきっかけになるかもしれない。

 それにまだラウラも帰ってきてない。Illとして敵になっていた彼女は千冬姉の前で一度だけ正気に戻ったらしい。だけどその後に千冬姉を攻撃して姿を消した。

 仮想世界でラウラが失踪した裏には糸を引いている何者かの存在がある。そしてそれはエアハルトじゃない。奴がラウラに行使した絶対王権を俺が戦いの中で打ち消した。一度だけ我に返ったのはタイミングからしてその影響に違いない。だとすると、その直後のラウラの行動にエアハルトが関与しているとは考えづらい。

 消えたラウラの背後にいる存在はおそらく亡国機業の残党。千冬姉もそう考えているようで、ISVSでラウラを直接探すような真似はせず現実で亡国機業を追っている。

 ISVSでラウラを探すという方法もないことはないが、それは今日まで俺がしてきたことと同じ。ナナを探してきた俺だがラウラにも他のIllにも遭遇していない。当てのない方法だし、以前のようにログインしただけで鉢合わせるような偶然もなかった。急ぐなら別の方法を採る必要がある。

 

 となると俺に残されたのは最後の1つの方法となる。それ自体も千冬姉に知られれば怒鳴られそうなことだけど、俺は今の“奴”を危険だとは思わない。

 簪さんと一緒に5駅ほど揺られ、その後も用意されていた車で移動した。その先は都市部から離れた小さな山の麓で、灰色の(いか)つくも地味な建物の前。

 

「着いたよ」

 

 近づいていくと建物と同じく灰色の塀の上には有棘鉄線が張り巡らされている。いかにもな建物を前にした俺は自然と緊張が高まった。

 

「ここにエアハルトがいるのか……」

 

 俺との戦いの後、河原で倒れていたエアハルトは楯無さんが捕縛したらしい。ISに匹敵する兵器を扱っていた奴を警察に引き渡すことはなく、更識家が独自にその身柄を拘束しているとだけ聞かされていた。

 俺に残された最後の手段は敵の親玉だったエアハルトから直接情報を聞き出すこと。素直に話してくれるとは思っていないけどやるだけやってみるつもりだ。奴の協力を得ようとしていることに違和感がないなんてことはないけど俺は手段を選ぶつもりもない。

 

「ここはISを使ったテロの原因となりうる犯罪者を拘留するための施設。更識家が緊急で用意した場所で、常に1人は専用機持ちも控えてる」

「IS対策に有棘鉄線は意味ないんじゃないのか? 獣対策ってわけでもないんだろ?」

「あれは一般人に対する心理的防壁。何も知らない人から見れば、近寄りにくい雰囲気がでるから」

「たしかに……」

 

 門の警備員から許可証を貰って中へと入る。中は刑務所のイメージと違って割と事務的な設備しか見当たらなかった。しかし中で事務作業をしている人たちは例外なく更識に関係しているとのこと。具体的に何をしているのかを俺が知ってはいけないらしい。

 階段を降りていく。つまり俺たちは地下へと向かっている。軽く見積もって3階分降りた後で廊下を直進していくと突き当たりに重そうな扉があった。

 

「先に言っておくけど、今日までの尋問で一言も口を開かなかったらしいから話すこともできないかもしれない」

「ダメで元々のつもりで来てる。そのときはそのときだ」

「面会時間は10分。それ以上はダメ。気をつけて」

「ありがとう、簪さん」

 

 3回ほど扉をくぐったところで簪さんが足を止めた。2人の警備員も見守る中、俺は最後の扉に手をかける。

 意外と扉は軽く開いた。俺の経験に比較対象がないからこれが厳重なのかは良くわからないけど、この先に奴がいるという実感が薄れそうなくらいあっさりしている。

 部屋の中は薄暗く文字を読むなどに支障がでるだろう明るさしかない。内装も簡素なベッド1つだけ。その上に力なく座り込んで項垂れている男の顔は長い銀髪が邪魔してよく見えない。俺が入ってきたことにも気づいていないのかピクリとも動かなかった。

 俺の知っているエアハルトとは随分と違って見える。無地の白い囚人服という味気ない服装そのままに覇気が感じられない。

 

「エアハルト……だよな?」

 

 つい確認から入ってしまう。それくらい俺には自信がなかった。

 声には気づいてくれたのか、エアハルトの頭が重そうに上がる。長い前髪の奥に潜む金の眼光はかつての輝きを持っていない。

 

「ヤイバ――織斑一夏か。わざわざ私を蔑みにきたのか?」

 

 一言も口を開かなかったと聞いていたがあっさりと喋ってくれる。すっかり活力のなくなった外見とは裏腹に俺への敵意を含んだ物言いは相変わらずだ。

 

「そんな得にもならないことをするわけないだろ。できれば二度とお前の顔なんて見たくなかった」

「必然の一致だな。私ももう貴様の顔など見たくもない」

「へぇ……俺に負けたくないんじゃなかったのか?」

「既に負けた。それが全てであり、こうして生きていることは惨めでしかない。この苦痛が貴様に敗北した私への罰なのだと受け取っている」

 

 普通はその苦痛から逃れたいと思うんだけどな……こういうところが人間味が薄くて気に入らないんだけど、今はそんなことを言ってる場合じゃない。

 

「じゃあ、罰ついでに俺の質問に答えろ」

「図々しい男だ。私が貴様の益となる話をするはずがないだろう?」

 

 無気力ながらも呆れ混じりの溜め息程度はつけるらしい。返事をしてくれる時点で最悪の想定とはズレてるんだけど、エアハルトの言うとおり俺の質問に素直に答えてくれるのは難しいか。

 だけど、そもそもダメ元で来たんだ。やるだけやってみよう。

 

「残ったIllの居場所を教えてくれ」

「返答不能だ。私は誰が生き残っているのかすら把握していない」

 

 静寐さん顔負けのポーカーフェイスだ。嘘なのか本当なのかさっぱりわからん。

 ただ、エアハルトは俺に対して嘘を言ったことはないはず。俺の益とならない真実ならば即答してくる可能性は高い。

 

「ラウラはなぜ帰ってこない?」

「ほう、あの娘は帰っていないのか。絶対王権が貴様に無力化された時点であの娘は私の管理下を離れた。それ以降のことなど私が知る由もない」

 

 予想通りの回答。エアハルトはラウラがまだISVS内をさまよっていることも知らなかったようだ。

 

「そもそも質問内容からしてナンセンスだ。もし仮に私がIllの誰かの居場所を知っていて白状したところで、貴様が得することなど何もないだろう」

「……どういう意味だ?」

「私は指揮下にあった全てのIllの情報を記憶している。その私が文月ナナ――篠ノ之箒を確保しようとしていた。それだけの事実があって貴様は何も気づかないのか?」

 

 エアハルトの目的の話か。ギドを倒してから後は箒やラウラを支配下におこうと動いていた。それ以前についてもツムギを攻めてはナナを奪おうとしていた。

 ……ん? 本当にそうだったっけ? 何か引っかかる。

 たしか俺が最初にエアハルトと戦ったときはナナを攻撃しようとしていた。でもあのときのエアハルトはナナを捕まえようとしていただろうか。

 俺とエアハルトが互いの名前を知ったときはどうだ? 奴は明確にツムギを滅ぼしかねない攻撃を仕掛けてきた。それこそナナごと消し去るかもしれないマザーアースの強力な砲撃でだ。だけどその後から攻撃が控えめになっていたんじゃないだろうか。

 エアハルトに聞くべきことがわかった。

 

「お前はいつナナのことを知ったんだ?」

 

 改めて質問するとエアハルトは右手で顔を隠して「ハッハッハッハ」と高笑いする。

 

「私の記憶によれば既に貴様には話しているはずだ。もう一度言う必要があるほど愚かでもあるまい?」

 

 いちいち俺を小馬鹿にしている節が見られるけど、結局は俺の考えを肯定してくれている。

 奴がナナのことを知ったのはツムギにマザーアースで初めて攻め込んできたときに違いない。

 そしてナナが箒だと知ったのはもっと後。そうでなければ奴の行動はもっと早かったはず。タイミングとしては仮想世界でナナが連れ去られた直後くらいだろう。奴の絶対王権ならナナの記憶から情報を得られたはずだし。

 つまり――

 

「篠ノ之箒が昏睡状態に陥っていることと私の存在に直接的な因果関係などない。貴様は私を倒すという手段の可能性に過ぎなかったものを目的にすり替えてしまっていたのだ」

 

 エアハルトを倒したところで箒が目を覚ますなど、最初からありえなかった。

 戦ったことに意味がないなんてことはない。箒を守るためにエアハルトとの戦いは避けられなかった。だけどゴールじゃなかった。今の俺が理解すべきはそれだけのこと。考えるべきは箒を取り戻すためにこれから俺は何をすべきかだ。

 

「箒が目覚めない理由について、お前の考えを聞かせてくれないか?」

「貴様は本当に愚かだ。何度も言っているように私が貴様の益となる話をするわけなどないだろう」

 

 自分でもバカなことを言ってる自覚はある。ずっとISVSで戦ってきた宿敵とも言うべき存在の男に俺は見返りも何もない要求をしている。それで望む答えが得られるだなどと頭の中がお花畑と言われても仕方ない。

 それでも――

 

「頼む! 今はお前だけが頼りなんだ!」

 

 俺は頭を下げた。他に方法なんて思いつかない。足を止めるくらいなら恥でも汚名でもなんでも被ってやる。

 

「やめておけ。私は敵味方を問わず媚びるものを毛嫌いしている。機嫌を取るつもりならナイフの1本でも持ってきて自決でもしてみたらどうだ?」

「断る! たとえ箒が目覚めても、俺が死んでいたら意味がない!」

 

 即答する。見返りとして俺の命を要求される可能性は考えてた。だけど俺はそれに従うつもりなんてさらさらない。俺はこの現実で箒を出迎えないといけない。でないと初詣の約束が果たせない。何よりも俺がそうしたいと強く願っている。

 数秒の沈黙。そしてエアハルトは無言のまま鼻で笑った。閉じられた口が若干左右に引っ張られている。

 

「笑いたきゃ笑え。俺は死ぬつもりなんてない」

「ああ、嘲笑ってやろう。私との戦いで自殺未遂をしていた男の発言とは思えなかったのでな。愉快な話だ」

 

 またもやエアハルトは高笑いする。楯無さんに捕まった身の上だというのに何故か余裕をも感じさせる態度だ。だけど不思議と悪巧みの臭いを感じなかった。

 

「その意地汚さに免じて1つだけ問答をしてやろう。貴様はISVS――あの仮想世界がどういうものだと認識している?」

 

 俺の頼みが通ったのかは定かでないけどエアハルトは話を続けてくれるようだ。藁に縋っている状態の俺はこの問答に喜んで応じる。

 

「ゲームとは思えない、まるで現実と同じ世界」

 

 最初から感じていた通りに答えてみる。むしろこれ以外の答えを俺は持ち合わせてない。見たり聞いたりするだけじゃなくて、肌であの世界を感じていたし、痛みも本物だった。

 俺の答えは悪い意味で奴の思っていた通りのものだったらしく、おもむろに溜め息を吐かれた。

 

「やはり齟齬があるようだ。篠ノ之束が生み出したISVSは現実の全てを映し出す鏡などではない。IS操縦者の観測を仮想世界の創造主が認識・許容することで初めて情報が存在できる。なぜあの世界で遺伝子強化素体を生み出すことができるのか。そして、なぜあの世界にIllが存在できるのか。その根本に気づかないとは言わせない」

 

 俺だって疑っていたさ。だけどそれはもう否定した。

 

「束さんがIllと関係してるってことが言いたいのか? だったらもう俺は知ってる。ISはIllから派生したんだからあながち無関係じゃ――」

「認識という点だけの返答でしかないな。私は『Illという概念が許容されている』と言っている。その意味をわかっているのか?」

「え……?」

 

 何が違うのか。エアハルトに言われてから考えてようやく気づく。もし奴の言うように仮想世界の創造主が許容――つまりは許可しない限りIllが存在できないというのなら、Illの存在するISVSは創造主が望んだ姿であることになる。

 それは遺伝子強化素体も同じだという。エアハルトはそれを利用していただけにすぎないということらしい。

 なぜ束さんがIllと遺伝子強化素体をISVSに組み込む必要があったんだ? 箒を苦しめるだけのものを束さんが許すとは考えにくい。理由があるはず。

 

「……私からはここまでとしよう。さっさと消えるがいい」

「いや、もう少しだけ――」

「よもや私から何かしらの答えを得ようと考えているのか? それこそ愚かだ。ここまでの私の話を真実として受け取る危険性を理解できぬとは」

「俺は信じるよ。それしか道はない」

「フッ……私はこのような阿呆に敗北したわけか。惨め過ぎてプランナーにはとても顔向けできん」

 

 このタイミングで背中越しに扉の開く音がした。

 

「一夏くん。もうそろそろ……」

「わかった。すぐに行く」

 

 エアハルトが打ち切らなくても約束の時間になってしまっている。どのみちこれ以上の情報は得られなかった。

 少なくとも無駄足じゃない。そんな気がする。それだけ新しいことも聞けた。

 出ていく直前に俺は後ろを振り返る。エアハルトはもう俺から興味を外して天井をぼんやりと見上げていた。俺を煽ってきたときの嘲笑すらない、人形のように固まっている。

 そんなエアハルトに俺は最後に一言だけ言っておきたいことがあった。言われたままじゃ収まらない。こればっかりは奴に言われたままでは虫の居所が悪い。

 

「最後に1つだけ言っておく。手段と目的を履き違えていたのは俺だけじゃない。お前もだ」

 

 これでスッキリした。奴が聞いてくれているかはこの際どうでもいい。

 俺は簪さんと一緒に地上へと戻る。この次の行動はまだ決まっていないが、今は考えてみることにする。それだけのヒントはもらったと思うから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 がらんどうになったツムギのロビーの中へとISVSプレイヤーがぞろぞろと入ってくる。多くを藍越エンジョイ勢が占めている男ばかりの集団だが先頭を進むプレイヤーは控えめな胸を若干水増し設定している少女だった。

 彼女のすぐ隣で後ろのメンツへと振り返り、藍越エンジョイ勢のリーダー、バレットは驚愕を顔に出している。

 

「リンの影響力はすげーよな。一声かけただけで何人集まってんだよ。俺が呼びかけても多くて20人だってのに」

「知らないわよ。皆、暇なんでしょ」

「それを言ってやるな。ここに集まった奴らが惨めになる」

 

 12月24日。バレットとリンは溜め息混じりにISVSへとやってきた。彼らの陰鬱そうな顔は後ろについてきている男たちのとても朗らかそうな顔とひどく対照的である。

 

「いやー、まさかリンちゃんが俺たちを誘ってゲームしようって言ってくれるなんてな。しかもこんな日にだぜ?」

「てっきり織斑――ヤイバもセットかと思ってたけどいないなんて珍しい。なんて素晴らしい日だ!」

「合法ロリ彼女のいる数馬に殺意を抱いたりしたけど、全く気にならなくなった。ありがとう、神様!」

 

 脳天気な会話はリンの耳にも十分に届いている。右手が硬く握り拳を作り、わなわなと震えていることに気がついたのはバレットのみだった。

 

「あーっと、そういえばどうしてこんなとこに来たんだ? ってかどうやって俺たちをここに連れてくるようにゲートを起動したんだ? 企業かなんかの許可がいるんじゃなかったっけ?」

 

 自分たちは憂さ晴らしに来ている。だからさっさとクリスマスの話題から鈴の意識を逸らす必要があった。ついでにバレットが自分の疑問もぶつけると、リンは口を尖らせたまま面倒くさそうにぶつぶつと答える。

 

「セシリアに頼んだらやってくれただけよ。ここに来た理由はナナが本当にいないのかを確認に来たかったから」

「一夏――ヤイバがしばらく家に引きこもってたくらいだからいちいち確認するまでもないと思うけどな」

「わかってるわよ。それくらい」

「で? セシリアへの言い訳はそれを使ったんだろうが、本当の狙いは教えてくれないのか? 確認だけならこいつらを連れてくる必要なんてない」

 

 親指でくいっと後ろを指す。そこにはリンに呼び出されて有頂天になっているファンたちが集う。1人1人の実力はそれなりだが、数が集まればやれることも自然と増えていく。

 もちろんバレットには心当たりもあって尋ねている。リンも今更はぐらかすような真似はしない。

 

「“迷宮”とやらに突っ込んでみようと思ってね」

「やっぱりな……結局はヤイバのためってことか」

「否定しないわよ。今も逃げてるIllを追ってるのは他にいるけど、ここだけはノーチェックだと思ったから」

 

 迷宮とはISVSのシステム中枢が眠っているとされる場所。入り組んだ構造と防衛用無人機“ゴーレム”の存在によりRPGなどにおけるダンジョンのようであることからそう呼ばれている。

 以前にヤイバと簪たちがツムギの最深部よりも地下にある迷宮へと足を踏み入れた話を耳にしていた。そのとき、Illと戦っていたときと同じ現象が迷宮内で起きていたことも知っている。

 エアハルトを倒してもナナが現実に戻らない。その理由が隠されている可能性は十分にある。リンは一夏よりも先にその可能性を見出していた。

 

「じゃあ、とっとと行こうぜ」

「うん……」

 

 目的もハッキリした。ならば目的地にさっさと移動すればいい。

 だというのにリンの足取りは重かった。

 

「どうした、リン? 今更危険だってことに気づいて引き返すってんなら大いに賛成だ」

「いや、そうじゃないけど……ってアンタは反対なの?」

「試しに行ってみるってのは悪くない。けど、本格的な突入はもうちょっと準備してからの方がいいな。具体的には国家代表を連れてくるくらいの準備だ」

「そう……アンタがそう言うなら早めに引き返した方が良さそうね」

「それが賢明だ」

 

 迷宮の中はIllとの戦闘と同じく現実への帰還に制限がかかる。下手に飛び込めばIllの被害者と似た状況に陥るのは明白。現状での深追いは危険であるとバレットはこれまでの経験から冷静に分析する。こうしてリンに付き合っているのも、ヤイバの目の届かないところで彼女が無茶をしないかという監視の意味合いが強い。

 バレットの関心はリンに向いていた。他の連中はクリスマスイブにリンと遊べるという事実に酔いしれていて、周りが見えていない。

 リンしか気づいていない。無人のツムギ自体が異常であることに。

 

「ねえ、バレット。どうしてここに誰もいないのかな?」

「あ? そんなもん、ナナ以外のツムギのメンバーが揃って現実に帰ったからだろ。そのナナも行方不明なわけだし――」

「違う。ツムギの皆じゃなくて、ここに居たはずの倉持技研の人たちはどうしたの?」

「あ……」

 

 全く気がついていなかったバレットはあんぐりと口を開ける。

 遺産(レガシー)と呼ばれている施設の1つであるツムギの拠点には倉持技研の操縦者たちが常に張り付いていた。ツムギメンバーを保護するために居たと考えれば、彼女らが現実に帰った今ではその存在意義を失って帰還することも十分に考えられる。

 しかしながらバレットは倉持技研が何の見返りもなくツムギメンバーを守るためだけにここにいたのではないと考えている。初めはヤイバの要請に応じたお人好し企業だと思いこんでいたのだが、迷宮の話を聞かされてから思い直した。

 倉持技研も篠ノ之論文を探している。そのためにこのレガシーを倉持技研が占拠していたとも言えてしまう。だからこそツムギメンバーがいなくなった今こそ迷宮攻略のために倉持技研が行動を起こしていても不思議ではない。

 

「……何もおかしくないんじゃないか? 倉持技研が迷宮攻略に乗り出してて誰もいないんだろ」

「本当にそうなのかなぁ。千冬さんが今の一夏を放っておいて参加してるとは思えないんだけど」

 

 バレットの前向き意見もリンの不安を拭えない。そうした中――

 

「あ、誰か入ってきた」

 

 ツムギのロビーホールの入り口に新しくプレイヤーが顔を見せ、藍越エンジョイ勢の1人がそれに気づいて声を上げる。ヘルハウンドフレームのフルスキンで特に目立った特徴はない。

 共に来ていたプレイヤーで別行動をしていた者はいない。したがって必然的に自分たちとは関係のないプレイヤーであることになる。

 そして、この場に普通のプレイヤーが迷い込むことはない。

 バレットはおろか、誰も見覚えのないプレイヤーがそこにいる。両手に所持した銃器を正面に構えたプレイヤーの行動に最初に気づいたのは最も遠い位置にいたバレットであった。

 

「隠れろ!」

 

 バレットの声かけとヘルハウンドのプレイヤーが発砲するのは同時。無防備なまま被弾した仲間はいたが1人の脱落もなく柱などの物陰に待避した。

 発砲してきた者が何者かは不明。しかし藍越エンジョイ勢は不意打ちだったにもかかわらずパニックせず、落ち着いて自分たちの武器を取りだして撃ち返し始めた。

 入り口を挟んでの銃撃戦が開始。敵は1機だけでなく複数確認され、その全容はバレットたちには把握できない。

 

「あれ? プレイヤーと戦闘するミッションだったっけ?」

「なあ、バレット。俺たちはこいつらを倒せばいいんだよな?」

 

 攻撃しながら確認されてもバレットから言えるのはたった一言。

 

「遠慮なくやっちまえ」

 

 敵の目的が不明でも撃ってくるなら撃ち返せばいい。まだ迷宮に入っていない状態ならばいつものISVSである。負けを恐れずにいつもの通りに戦っても何のリスクもない。

 

「ねえ、バレット? アイツらは何なの?」

「俺が知るかよ! ただ――」

 

 マシンガンの引き金を引きながらも相手の機体を注視する。

 敵はヘルハウンドフレームで統一されている。一般プレイヤーの場合は好みで機体を選ぶために少数チームでもバラバラな機体を使うことが多い。逆に機体に偏りがある場合はその機体を扱う企業の所属である可能性が高い。

 

「確証はないが、アメリカ関係っぽい感じだな」

「アメリカがどうしてあたしらを攻撃してくるの?」

「むしろあちらさんにしてみれば『なぜここに一般プレイヤーが居る?』とでも思ってんじゃないかねぇ。ここに来るような目的は迷宮にある篠ノ之論文くらいだろうし」

「つまり、奴らにはあたしらが篠ノ之論文を横取りしようとしてるように見えるってわけね」

 

 推測でしかなくても現状ではそうとしか考えられなかった。リンも納得したところで双天牙月を呼び出し、戦闘態勢に入る。

 

「よし、やっつけよう」

 

 リンの目的は篠ノ之論文ではない。かといってそれが相手に通じるとは思えない。相手に競争の意思しか見られないならば、自分たちが迷宮に入るための障害となることは明らかだ。

 全プレイヤーがリンの声に応じたように突撃を開始する。局地的にはリンたちの方が数に分がある。

 特別な作戦を立てるまでもなく、入り口にいた敵を数に物を言わせて殲滅。そのまま勢いに乗って道中の敵を蹴散らしながら全軍で外へと向かう。

 Illやマザーアースと戦ってきた藍越エンジョイ勢の敵ではない。慢心ではなく全員が確かな自信をつけてきていた。

 このまま相手を全滅させることは簡単だ。そう、外に出るまでは誰も疑っていなかった。

 

「うわぁ……何だコレ?」

 

 外に出たバレットの第一声は想定外の存在に対するもの。

 敵の部隊の待ち伏せは想定していた。事実、バレットたちは大軍に包囲されている。

 問題はそれらの大きさと外観にある。ISより一回りも二回りも巨大な図体に加えて、人の形を成していない。流線型のロケット状のボディの左右に巨大な機関銃が取り付けられただけの異形がずらりと並んでいた。

 ロケットという見た目の印象通りにそれらは高速で接近してくる。腕のように取り付けられている機関銃はガトリングガン(デザートフォックス)。射程に捉えられると厄介なことこの上ないとわかっていても、高い機動性を持ったガトリングガン持ちは脅威以外の何者でもない。

 似たコンセプトのプレイヤーの2人組をバレットは知っている。そしてその2人がアメリカのクラウス社の人間であることも。今の相手の新兵器に彼らの手が加わっている可能性は高かった。

 アサルトライフルやマシンガンでは火力負けしている。白兵戦となっている時点で分が悪い。先頭にいたリンは真っ先に銃弾に晒されて退場してしまっていた。

 ツムギ内に引き返すには手遅れ。むしろじり貧となる前に反攻に出るべき。

 撤退の指示は出さず、バレットは手持ちの武器を愛銃であるハンドレッドラムからENライフルに持ち替えた。

 

「相手はユニオンだ! EN属性で攻めろ!」

「無理だって! 弾幕がキツすぎだっての!」

 

 既に士気ががた落ちだった。傾いてしまった形成をひっくり返せるイメージが沸いていない。

 この状況を打ち破るにはエースの存在が必要不可欠。

 今、1人の男が立ち上がる。

 

「俺に任せろーっ!」

 

 その手に武器の類は一切ない。

 藍越エンジョイ勢最速の逃げ足を持つ男、サベージがあろうことか敵へと向かって突撃する。

 一斉に向けられるガトリングガンの銃口。しかしサベージは臆することなどない。リンの仇を取ろうという思いが強く、それしか頭になかった。

 3秒後、濃密過ぎる弾幕が通過するとともにサベージは蒸発した。

 

「…………全員、ログアウト」

 

 回避特化のサベージが瞬殺されたことでバレットは諦めた。ISVS自体からの離脱を指示する。異論は誰からも上がらずに続々とその姿を消していく。

 敵から追い打ちはない。バレット側の降参の意図を汲んでくれているということである。

 新型の集団の中、ただ1人だけ敵の中に紛れていたタイガーストライプのISを見つけてバレットは溜息を吐く。

 

「勝敗以前に戦うだけでマズい相手だった。これは俺たちが勝手に行動していい案件じゃない」

 

 全軍の離脱を確認してからバレットも現実へと帰還する。

 ここまでの経緯で状況は把握できた。倉持技研の人間が誰もいなかったのは迷宮攻略ではなく、その逆。迷宮攻略を断念すると共にその権利をアメリカに引き渡したからだ。

 ISVSの中にはゲームでは片づけられない事情がある。下手に首を突っ込むのはエアハルトたちを敵に回す以上に厄介な相手を敵にする可能性があった。

 迷宮に行くにしても、強引なアプローチ以外の方法を考える必要がある。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 考え込みながら歩いている内にいつの間にか家の近くにまで戻ってきていた。

 結局のところ、俺はまだ束さんのことを知らないでいる。箒を仮想世界に閉じこめるだけのIllの存在を束さんが認めているだなんてにわかには信じられなかった。

 どうしてISVSにIllが必要なんですか、束さん……

 エアハルトの言うことだからと切り捨てることは俺にはできなかった。

 

「今の俺に何ができるんだろ……」

 

 束さんのことをわかってない。だから俺は身動きがとれない。

 と、ここまでは来たんだけど肝心の束さんのことを知る方法が思い当たらなかった。

 俺の知ってる中で一番束さんと親しいのは千冬姉だ。だけどその千冬姉が箒を取り戻すために苦心している現状こそが、千冬姉も多くを知らないと証明している。きっと束さんの無駄な秘密主義が招いた結果だろう。

 

「とりあえず今後のことはセシリアに相談……ってそういえばイギリスに帰ったんだっけ」

 

 ISVSを始めてから得た相棒の顔を思い描いたところで溜め息が漏れる。家に居候してまで手伝ってくれていた彼女が、エアハルトを倒してからというもの本国に戻るという連絡だけ残していなくなってしまっていた。それきり連絡がつかないでいる。

 ……まあ、いつまでも彼女に頼ってばかりもいられないか。代表候補生なんて立場だと本来は俺に関わってる余裕はないくらい忙しいはずだし。

 

 少し気が滅入ってきた。

 今は休もう。何もできないときに気ばかり焦っても良いことはないのだから、今は落ちつくことが肝心だ。

 

「ただいまー」

 

 帰ってきた。玄関に入ってから靴を脱いで家に上がる。

 ふと気づいた。家の中から全く返事がこない。チェルシーさんたちはセシリアと一緒にイギリスに帰っているにしても、まだシャルが居たはず。

 靴を確認してみるとシャルの靴はなかった。千冬姉も忙しいらしくまだ帰ってない。

 

 ……じゃあ、どうして玄関に鍵がかかってないんだ?

 

 明らかな違和感。さっきは気づかなかったが玄関には見覚えのない靴が置いてある。底がかなり高いピンヒールに下駄のような鼻緒がついている履き物は千冬姉の持ち物ではない。

 靴に注意を奪われていたときだった。

 家の中なのに、にゃあ、と猫の声。

 振り返ると階段の下には見覚えのない白猫の姿があった。

 

「猫? どっから入ってきたんだろ?」

 

 野良だろうか。家の中をひっかき回されたら面倒だ。とりあえず捕まえないと。

 俺が一歩踏み出すと同時に猫は階段を軽快に昇ってしまう。階段の下にまで行くと猫は踊り場からこちらの様子を窺っていた。

 

「よーし、そこで大人しくしてろよー」

 

 笑顔を作ってそっと階段の1段目に足をかける。同時に猫の方も階段を1段昇る。2歩目も同じで、俺が1段昇る度に猫も1段昇った。いたちごっこを繰り返して俺はとうとう2階にまで連れてこられてしまった。

 猫は千冬姉の部屋の前にまで行ってしまった。そして、何故か千冬姉の部屋の戸は開きっぱなしになっている。

 

「待て、この!」

 

 じれったくなった俺は千冬姉の部屋に入られるまでにと決着を急ぐ。

 しかし猫の方が上手。よりによって千冬姉の部屋にまで逃げ込んでしまった。

 慌てて追いかけた俺は千冬姉の部屋の入り口から中を覗き込んだ。

 

 ……そこで俺は固まってしまった。

 千冬姉の部屋に知らない人が居る。

 

「お疲れ、シャイニィ」

 

 肩に乗せた白猫に労いの言葉をかけている女性は赤毛の外国人だった。顔立ちはたぶん西洋系。服装は和風な着物でどちらかといえば浴衣に近い。肩から胸にかけて大きく露出した着こなし方は目のやりどころに困った。

 だけど色気を感じる前に気になった。右目に眼帯をしている女性には右腕がなかった。眼帯や右肩周りには痛々しい火傷の痕もある。

 

「キミ、世界の不幸を全て背負ってるような陰鬱な顔をしてるネぇ」

「え?」

 

 女性は千冬姉の部屋で堂々とキセルをふかしている。服装といい怪我の痕といい色々と浮き世離れしている女性に気後れしていたけど、ふと我に返った。

 

「あなたは誰……ですか?」

 

 本当なら勝手に家に上がり込んでいる不法侵入者として追い出しにかかるべき。だけど俺は今もどこか気圧されていて、強気に出られなかった。何者か尋ねるだけで精一杯だったのだ。

 

「アリーシャ・ジョセスターフ。アーリィと呼ぶといいのサ」

 

 とても軽い口調で名乗ってきた女性はあっさりと俺に近づいてきて至近距離から顔をまじまじと見つめてくる。

 

「真面目すぎる性格は嫌いじゃないサ。でも1つのことに気を取られて他を疎かにするのはいつか命取りになるのサ」

「な、何のことですか?」

「まだまだ闇の中に牙が潜んでるということサね。気をつけナ」

 

 そう言って俺の肩をポンと叩いた女性はそのまま通り過ぎて廊下へと出ていく。振り返ることもなく階段を降りていき、玄関から外に出ていく音まで聞こえてきた。

 その間、俺はポカンと立ち尽くしていた。

 

「何だったんだ、一体……」

 

 突然に家に現れた女性はあっという間に立ち去ってしまった。たぶん空き巣の類じゃなくて千冬姉の知り合いだとは思う。でも千冬姉が留守なのに何のためにここに居たのかさっぱりわからない。ってか勝手に上がるなよ。

 わかっているのは扇情的で目立つ和装とアリーシャ・ジョセスターフという名前だけ。愛称はアーリィだと自称もしていたか。

 ……ん? アーリィ? どこかで聞いたような気がするぞ。

 心当たりがあった。

 

「まさか、今の人って……」

 

 俺は自分の部屋に戻ってPCを立ち上げる。確認したかったのはISVSのサイト。その中でも個人ランキングに用があった。

 見つけた。以前に福音探しをしていたときに目に入っていた名前。ブリュンヒルデのすぐ下、ランキング2位のイタリア代表のプレイヤーネームがアーリィだった。

 この一致を偶然として片づけられない。おそらくは今来ていた人こそイタリア代表その人であり、モンド・グロッソの決勝でブリュンヒルデに惜敗していたアーリィなのだろう。

 千冬姉と知り合いだとしてもおかしくない。でも、そんな人がどうしてこのタイミングで日本に?

 

「まだ何かあるっていうのか?」

 

 今も千冬姉が忙しくしているのは箒だけが理由じゃないのかもしれない。数馬の騒動の時のアメリカ然り、他国の国家代表まで出張ってくるのは異常の証とも言える。

 エアハルトがいなくなってもまだ何も終わってないんだ。きっとそれには箒も関わってる。

 

「……やるしか、ないな」

 

 まだ戦わなくちゃ。俺にはまだ戦う理由がある。箒は今も危険なISVSに独りで取り残されている。そう思うと彼女が帰ってくるまで俺は立ち止まるわけにはいかない。

 あと10日ほどで次の約束の日がやってくる。それまでに箒を助け出さないと。これ以上、彼女がISVSに閉じこめられているのはごめんだ。

 休むと言ったのは前言撤回。エアハルトの話を聞いて次の方針は決まっている。明確でなくてもとりあえずは動き出さないと始まらない。

 俺は束さんのことを知らない。だから束さんの足跡を追う。それが箒に近づくために必要なんだ。

 まずは……篠ノ之神社から行ってみよう。



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42 猛る絶対強者

 クリスマスイブ。まだ1月3日になっていないどころか新年にすらなっていない。そんな日だというのに俺は一人で篠ノ之神社にまでやってきた。

 今年の1月3日には来ていなかった。ここは嫌でも箒との約束を思い出させる場所で、俺が約束を守ろうとしなかったことを責められるような気もして全く近寄らなかった。そもそもの話、ここ数年は新年以外に来てないのだからほとんど二年ぶりだった。

 年末年始という時期の神社は慌ただしいはずなんだけど、篠ノ之神社は小さな神社であることに加えて管理者である柳韻先生が病院に付きっきりだから静かなものだ。箒と静寐さんが原因不明で昏倒していたという話もこの近所では知られているらしく近寄ろうという人は滅多にいない。

 昔のこの時期はもっと人がいた。束さんが巫女服を着たまま赤い帽子と白髭をつけてサンタに扮してプレゼントを配り始めちゃって、柳韻先生が怒鳴り散らしていたのも今となっては懐かしい。

 

「さてと……ここに何か手がかりがあるといいんだけど」

 

 俺が因縁のあるこの場所にやってきたのは昔を懐かしむためなんかじゃない。今まで俺が見ようとしなかった場所に箒や束さんにつながる何かがあるんじゃないかと思ったからだ。無駄足に終わる可能性の方が高いのは自覚してるけど思いついたことからやっていこうとした結果がこれだから仕方ない。

 鳥居をくぐって7年前に箒と歩いた参道に出る。今年はまだ雪が降っておらず、小石の詰まった通路をじゃりじゃりと音を鳴らしながら奥へと進む。

 箒たちが倒れていたと思しき場所はこの辺だろう。でも1年近く前のことだ。今更やってきて痕跡が残ってるはずもないか。よく考えてみたらISが関わっている事件だったから地元警察だけでなく大がかりな調査団が派遣されてきているだろうし、それこそそこら中を(しらみ)潰しに調べ尽くされた後のはず。

 イスカを取り出してみる。都合よく束さんが俺にしか反応しない何かを残してくれているとか期待してみた。でも流石にそんな旨い話はなくてイスカはただのカードだった。

 

「これは空振りだったかな……」

 

 おもむろに溜息を吐く。

 思い返せば手探りだと思っていた今までは都合よく箒の傍に近づくことが出来ていた。きっとそれは束さんが導いてくれてたからなんだ。

 俺が白騎士を使ったあの日。束さんは俺にちょっかいをかけるのも最後と言っていた。その言葉通りなのか、俺はあの日以来ISVSに入るときに束さんの声を聞いていない。

 束さんの力を借りずに箒を見つけないといけない。それは今まで以上に途方もないことのような気がしていた。

 

「……無駄ついでだ。神頼みでもしていくか」

 

 独り言を漏らして賽銭箱の方へと足を向ける。

 ISVSに関わるまで呪ってばかりいた俺を神様は助けてくれるだろうか。

 

「ん? 誰か人がいる……?」

 

 意外なことに賽銭箱の前には先客がいた。タイトスカートのスーツ姿が似合うスラッとした体型で長い黒髪の女性だ。最近は年上のお姉さんと知り合うことも多いけど、その後ろ姿には全く心当たりがない。

 身内以外に篠ノ之神社を訪れる人がいるとは思わなかった。俺は首を傾げつつ女性が参拝を終えるのを待つ。

 

「これは失礼しました。すぐに場所を空けます」

 

 女性は俺に気づいてやや慌てた様子で階段を下りてくる。その顔にもやはり見覚えがない。だけどどこかで聞いたことがある声のような気がする。

 少し失礼かもしれないけど疑問の方が勝っていたから単刀直入に尋ねてみる。

 

「あのー、どちらさまでしょうか?」

「あ、これまた失礼しました。私はこういうものです」

 

 女性は笑顔のままやたらとフレンドリーに話してくる。上着のポケットをごそごそと漁ったかと思うと名刺を取り出してきた。

 差し出された名刺を受け取って目を通す。

 

「ミツルギ工業の巻紙礼子さん、ですか」

 

 やはり聞き覚えがない名前だ。

 ――と、俺が名刺に気を取られていたときだった。

 首に金属のひやりとした感触がする。気づいたときには目の前の女性の右腕が俺の首もとに伸びていた。

 

「動くなよ。手元が狂うと私が赤いシャワーを浴びる羽目になる」

 

 女性は一瞬のうちに豹変していた。人懐っこそうな笑顔でなく、狂気の混ざった歪んだ笑みは常人の域には収まらない。

 コイツは十中八九、亡国機業の刺客だ。

 完全に油断していた。エアハルトを倒していたからもう俺に固執する敵はいないものだと思ってた。まだ残党が居ることは知ってたはずなのに。

 

「目的は何だ……? エアハルトの解放か? 俺の命か?」

「へぇ。この状況で落ち着いて喋る胆力があるとは。ただ鈍感なだけかもしれねーが使い物にはなりそうだ」

 

 巻紙礼子は鼻で笑うと顔を近づけてくる。

 

「質問に答えてやる。エアハルトなんてどうでもいいし、お前の命なんて奪う価値はない」

「え……?」

「いい顔だぜ? 危険だってこと以外わけがわかりませんって書いてある。その間抜け面は写真にでも収めておきたいもんだ」

 

 高笑いが篠ノ之神社に響きわたる。しかしその態度とは裏腹に巻紙礼子は全く隙を見せない。下手に動けばその瞬間に首を切られる。

 俺が動けずにいると巻紙礼子は左手で腹を抱えて笑い出した。

 

「ドッキリタイムはそろそろ終わりにしてやるよ! いやー、楽しませてもらったぜ!」

 

 唐突に隙だらけになったばかりか俺の首から右手を離す。

 俺は巻紙礼子の右手に握られている得物を見て驚きを隠せなかった。

 

「は? スプーン?」

「ナイフだとでも思ったのか? このオータム様が本気でお前を殺しにかからなくて良かったな」

「お前は一体……?」

 

 オータムと名乗られてもピンとは来なかった。

 いたずらを仕掛けてきたと言っても内容はかなり質が悪い。いつでも俺を殺せたと言いたげなオータムは得意げな顔で俺を見下してくる。

 

「私の名前を知らないか。織斑の後継者だとか新しいツムギを率いる者だとか色々言われてるが、ただの一般人じゃねーか」

「俺のことを知ってるんだな」

「あのなぁ。私がわざわざこんな寂れた神社に来たのは織斑一夏を尾行していたからに決まってるだろ」

 

 やはり俺を狙っていたらしい。だとすると亡国機業か。だけどそれならそれで目的が全くわからない。エアハルトを倒したことへの報復以外に何かあるというのか。

 

「面倒くせえがお前にわかるように話してやる。私は藍越学園を襲ったテロリストだ」

 

 言われて初めて気づかされた。声だけ聞き覚えがあるのは当たり前。声しか聞いたことがない相手だったからだ。

 

「お前があのときの!」

「おっと、殴りかかってくるなよ。いくら私から手出しする気がなくても、お前の方から攻撃されては過剰防衛せざるを得ないよなぁ?」

「ぐっ……」

 

 目の前に数馬を苦しめたあの事件のきっかけが居る。そうわかっても俺には何もできそうにない。ナイフで脅されなくても、あのときのテロリストだったらISがある。俺は今もなお脅されているような状況だった。

 

「そう身構えるな。お前からかかってこない限り、私はお前に危害を加えるつもりはねーよ」

「お前の目的は何なんだ? 俺を追ってきたのは俺を殺すためじゃないのか?」

「さっきも言ったろ? お前に殺す価値なんてない。逆に教えてくれよ。この私がお前のようなガキを殺さなくちゃならない理由ってのが何かあるのかぁ?」

 

 聞き返されて俺は何も言えなくなった。どこの世界に自分の殺される価値を自信満々に言える人間がいるというのか。いたとしても相当な自信家で、ついでに言えば世界トップレベルのバカだろうと思う。

 

「強いて言うなら、さっきのスプーンを見破って反撃してくるようだったら私はお前を殺した。だがお前はナイフだと思いこんで動けなかった。よって私が殺す価値はない」

 

 オータムは歪な笑みを消して至極真面目に答えてくる。それはそのまま俺に力がないという宣告に等しかった。

 現実の俺に力がないってのは俺自身がよくわかってる。父さんの武勇伝を聞いても異世界の話みたいに聞こえるし、千冬姉という生きる伝説も俺には手の届かない存在だ。

 そんなことはどうでもいい。俺は箒を助けるためにできることをするだけだ。だから今はオータムに殺されなければ、どれだけバカにされようが構わない。

 

「そろそろ私の用件を話すとしようか。お互い、これ以上の時間の無駄は避けたいよなぁ?」

「殺す価値のない俺に何の用があるって言うんだ?」

「用があるのは織斑一夏でなくヤイバだとでも言えば納得するか?」

「ISVSか」

「ああ。エアハルトの野郎が負けたせいで私らには今、戦力が足りてない。猫の手でもいいから借りたいってわけだ」

 

 まさかの内容だ。敵である亡国機業の残党が俺を勧誘してきている。

 当然、俺の答えは決まってる。

 

「バカか? 俺がお前たちに手を貸すわけないだろ!」

「予想通りの返答だ。だからこそ、最終的に私の思う答えが返ってくるとも知ってるぜ」

「ふざけるな! 俺は箒を苦しめてた奴らと手を組まない!」

「お前、篠ノ之束のことを知りたいんだろ?」

 

 否定する言葉は出せなかった。俺は正しく今、束さんの手がかりを探してこの場に来ていたのだから。

 

「だからどうした? 俺が束さんを追ってることとお前たちに協力することは――」

「篠ノ之論文は知ってるか?」

 

 俺はまた言葉に詰まってしまう。正直に言ってしまえば、オータムの話す内容に興味が湧いてしまっていた。

 篠ノ之論文。以前にセシリアや店長から聞いていたから知っている。ISVSを作る際に束さんが仮想世界の中に残したとされるISに関する技術が詰まった論文のことだ。

 さっきまでの俺の頭になかった。それは篠ノ之論文がただの技術知識だけのものだと思いこんでいたからだ。でももしかしたら……現実の誰も手にしていない束さんの情報や、箒を探すための手がかりが見つかるかもしれない。

 協力なんてしないという俺の意志がこんなに簡単に揺らぐとは思ってなかった。

 

「知ってるようなら話は早い。今、アメリカのクラウス社を中心としたチームが篠ノ之論文を狙って迷宮を攻略中だ。その迷宮はお前たちが守っていたツムギにある」

 

 俺も入り口にまで行ったことのあるあの迷宮をアメリカのチームが挑戦している。

 そうか。箒以外の皆はISVSから解放されたから倉持技研があそこを守る理由もなくなってる。倉持技研が迷宮に挑んでない理由は詳しくは知らないけど、アメリカと何かしらの取引があったんだろう。

 

「そのアメリカの話がどうした? まさかアメリカが篠ノ之論文を手に入れる前に強奪するから力を貸せとか言う気じゃないだろうな?」

「ちょっと違うぜ。私らは織斑一夏に篠ノ之論文を手に入れさせようと考えている」

「はぁあ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げてしまった。いや、仕方がないだろう。オータムの発言はハッキリ言って俺の理解の範疇を飛び越えている。

 

「それでお前たちに何の得があるんだ!?」

「私らは今のアメリカが気に入らない。連中に篠ノ之論文が渡るくらいなら倉持技研の方がマシとも考えてる」

 

 これは流石に言葉通りに受け取るのは危険か。前の藍越学園の襲撃も藍越学園自体が標的なのではなくて、本当の狙いは倉持技研をアメリカと敵対させることにあった。

 

「そうやってまた倉持技研とアメリカの仲違いを狙ってるのか」

「いや、そうしたいところだがそれは無理だ。ツムギを占拠しているアメリカは量産型マザーアースを大量に並べて防衛もしている。このオータム様が全力で仕掛けないと蟻一匹入る隙間がない。どうやったところで倉持技研でなく亡国機業の仕業だとしか見られない」

「じゃあ、本当にアメリカに篠ノ之論文を渡さないために?」

「どこまで信用するかはお前次第だ。篠ノ之束の手がかりが欲しいんだろ? 私と一緒にツムギに乗り込む気はあるか?」

 

 決して信用しきっていい相手じゃない。

 だけど篠ノ之論文というわかりやすい手がかりがあるのは事実。そして、アメリカを敵に回すかもしれないという状況で汚名を被ってくれるのは俺にとって好都合。

 

「行く」

 

 意見を翻すことにした。

 俺は正義のために戦ってるわけじゃない。

 箒を取り戻すために戦っている。

 一時、敵であったし今も味方だと思ってはいないけど、利用できる者は利用する。

 束さんも言っていた。倒す必要のない相手まで敵に回す必要はない。それは亡国機業ですらも当てはまるのかもしれない。

 全ては俺の直感で根拠はない。でも、俺を殺す価値がないと言ってのけた目の前のテロリストが箒を閉じこめているとはとても思えなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 篠ノ之神社からホテルの一室に帰還したオータムは煩わしそうにネクタイを外してベッドに放り投げた。襟元のボタンを外して喉元をリラックスさせると一人用のソファに乱暴に座る。

 

「あー、超絶に面倒くさかった! スコールの頼みじゃなけりゃ本当にナイフを突き立ててきただろうぜ」

「お疲れさま、オータム。問題はなかったようね」

 

 バスローブ姿のスコールがグラスを差し出して部下を労う。若干気が立っているオータムは受け取ったグラスの中身を一気に飲み干した。

 

「問題があったらここに戻らずに今頃IS大戦争でも始まってるさ。連中もそれをわかってるから下手に私を捕まえようとはしてこない」

「やっぱり織斑一夏に護衛が付いてたようね」

「ああ。だがあの過剰戦力を何のために用意してんのかはさっぱりだ。最初は私対策かと思ったんだが、いくらISを使わなかったからと言って無反応すぎた」

「それはきっと私たち以外の敵を見据えているからでしょうね……」

 

 そう言って重く溜息を吐くスコール。わかりやすく頭を抱えているのは現状に大きな問題があるからに他ならない。

 しかしオータムはその内容までは知らない。

 

「そろそろこのオータム様の恐ろしさを思い出させてやらないといけないか? 旧ツムギが解散してから張り合いのない任務ばかりで溜まってんだ」

「まだその時期ではないわ。今は連中と争ってる場合ではないのかもしれないのよ」

「クラウス社の問題は深刻なのか?」

 

 オータムは自分の知っている範囲で問題を考えてみた。報告も聞いている最近起きた問題が米クラウス社内部の亡国機業のスパイが一掃された件。その関係でクラウス社のチームが篠ノ之論文を独占するとスコールたちに情報が入らないという状況になってしまっている。

 そのためにクラウス社の迷宮攻略にちょっかいをかけようというのが今回、織斑一夏を(そそのか)した目的である。オータムから見れば大勢に影響が出そうにない小さすぎる策に不満を募らせているというわけだ。

 でもそれはオータムが無知だからでスコールには別のものが見えているかもしれない。そう思い直して改めて聞いてみたオータムだったが――

 

「クラウス社が篠ノ之論文を独占してもまだまだ手の打ちようがあるから別にいいの」

 

 当初の想定通りスコールはクラウス社のスパイが見破られた件を大事と見ていない。

 

「じゃあ、どうしてわざわざ織斑一夏と接触してまでレガシーに攻め入ることになってんだ? 戦力を確認した限りじゃ私だけでもなんとかなるレベルだぞ?」

「あなたならできるでしょうね。でもあの迷宮は他と違ってIllのワールドパージと同じ現象が起きている。イーリス・コーリングもいる。あなたにもしものことがあったら困るわぁ」

 

 つまり、スコールは『危険だからオータムを向かわせられない』と言っている。

 

「え、それだけ?」

「他に何か理由でもいるのかしら?」

「いや、嬉しいけどさ……ちょっと過保護じゃないか?」

「それでもいいわよ。あなたが目覚めないだなんてことになるくらいならいくらでも過保護になるわ」

「心配性だな、スコールは」

 

 照れくさそうに後ろ頭を掻くオータム。

 優しげな目で見つめていたスコールはふふっと小さく微笑みながらオータムの肩に腕を回した。

 しかしそれも(つか)の間。顔を引き締めて呟く。

 

「あの迷宮は今まで以上に篠ノ之束が関わっている。リターンよりもリスクの方が大きい気がするのよねぇ……」

 

 現段階での理想は織斑一夏とクラウス社の部隊の共倒れにより迷宮攻略自体が失敗すること。これはただの希望的観測であり、そもそもスコールにも何が正解かは見えていない。

 篠ノ之束が関わっているというだけで、これをきっかけにして恐ろしい何かが始まってしまうという嫌な予感を拭えずにいた。10年前に白騎士事件の引き金を引いてしまった亡国機業の長のことを思い出さずにはいられなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夜。指定された時間に俺はISVSにログインした。

 場所はツムギから少しだけ離れた海域の無人島。そこから見えるだけでもツムギのドームの周囲にはガトリングを装備した武骨な兵器が大量にずらっと並んでいる。

 遠方の海上を見つめていると近くの木が大雑把に揺れる。木の陰から怪訝そうな顔を浮かべるオータムが現れた。

 

「約束通り来たようだな。だがお前1人だけなのか?」

「当たり前だろ。お前たちなんかに協力するだなんて千冬姉にも言えないっての」

 

 ここには俺1人で来た。流石に今回は皆を連れてくるのは躊躇われた。亡国機業に味方してアメリカを攻撃するなんていう危ない橋を渡らせるのはいくらなんでも無理だ。

 

「そういうお前こそ1人なのか? 戦力が乏しいとは言ってたけど、いくらなんでも少なすぎだろ」

「ハァ……無知もここまで来ると全く笑えねえぜ」

 

 あからさまに呆れ顔を見せるオータムが指をパチンと鳴らす。

 すると周囲の茂みの中から一斉に何かが飛び出してきた。

 隠れていた戦力か……?

 しかしそれらは一様に人型を成していない。それどころか兵器としての形すら成していない。ただのスクラップにしか見えないガラクタが無数に宙に浮いている。

 

「え、何これ?」

「解説するよりも実演した方が早い。まあ、見てろ」

 

 オータムの指さした先はツムギ。ガトリングを装備したモンスターマシンの大群をさらに取り囲むようにして、スクラップの軍隊が海上から現れた。

 パッと見ただけでも異常な数だ。藍越学園のプレイヤー全員をかき集めてもこの数には劣る。オータムはそれをたった1人でコントロールしているとでも言うのか。

 

「祭りを始めてやろう。血祭りって奴だ」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ISVSにおいて未だかつてないほどの大規模な部隊を用意したクラウス社は今回の迷宮探索で再びアメリカの権威を取り戻そうと躍起になっていた。

 これまでの情報を精査した結果、ツムギと呼ばれたレガシーには篠ノ之束の多大な関与が見られる。その迷宮に眠っている篠ノ之論文にはISに関する重大な情報が眠っている可能性は高い。この篠ノ之論文を手にするのはクラウス社にとっての至上の命題だった。

 レガシーを取り囲んでいる量産型マザーアース“コンクエスター”は個人の力量に左右されないシステマチックなIS部隊を目指して造られた代物で、既に対ISVSプレイヤーにおける制圧力は実証されている。1機当たりに使用されているISコアは3個であり、コンクエスター1機とISVSプレイヤー3人ではプレイヤー側に分がある。しかし数が多くなり集団戦闘になるほどコンクエスターは名前通りにプレイヤーを蹂躙できた。

 配備されたコンクエスターの数は200を超える。1機につき3人の操縦者を必要とするため総勢600人の部隊だ。当然、一般プレイヤーで賄うことなどできず、600人はクラウス社の社員と現役の軍人で構成されている。

 絶対に迷宮攻略の邪魔はさせないという意思表示。他勢力が介入するのならば戦争を仕掛ける気でいかなくてはならない。権威が弱まっているとはいえ、アメリカに表から喧嘩を売るような国などなく、この状況が出来上がった時点で実質的な勝利である。

 ……そのはずだったのだ。

 

「報告します。海中より未確認の機影が複数出現。これは――スクラップ?」

 

 その異常はすぐに全隊に伝わった。ISどころかミサイルの類でもないそれらは一見すると無害だが、宙に浮いている時点でPICの影響下にあることは誰もが理解できている。油断の一切ない冷静な判断で危険だと判断したコンクエスター部隊は一斉に銃弾の雨を浴びせた。

 撃ち抜かれていくガラクタはさらにその形を崩壊させていき無惨な姿へと変貌していく。PICが作用していても何も特別な防御能力があるわけでもなく、ゲームとしてはつまらないコンクエスターが一方的に破壊していく光景が広がるだけだった。

 だが攻撃している側にはまるで余裕がなかった。攻撃は確実に効いている。だからこそ1つの事実に気が付いてしまった。

 

「どれだけ壊せばいいんだ?」

 

 1人の男からその不安が言葉となって出てしまう。最初からスクラップ同然だったものが浮いていたわけであり、さらに壊したところで細かくなったガラクタが宙に浮いている状況は変わらない。

 終わりが見えない。ガラクタの群はガトリングの降らせる雨の中を平然と突き進んでくる。時間とともに急加速するガラクタは銃弾に迫るスピードでコンクエスター部隊を襲う。

 

「怯むな! この程度でコンクエスターは傷つきはしない!」

 

 指揮官の檄が飛ぶ。内容も事実であり、ガラクタをぶつけられた程度では厚い装甲に守られたコンクエスターに損傷らしい損傷を与えられない。

 

「敵のISがいるはずだ。索敵、急げ」

 

 異質な攻撃は一段落した。今度は攻勢に打って出るため、周囲の探索が命じられる。

 

「うわあああ!」

 

 だが指揮官の命令は叫び声に塗りつぶされた。

 

「どうした? 何が起きている!」

「な、仲間が攻撃をしてきてます!」

「くそっ! わざとじゃない! この機体が勝手に動くんだよ!」

 

 見ればコンクエスター部隊のうち5機が突然に味方に向けてガトリングを乱射し始めていた。陣形が崩れるのはもちろんのこと、急造部隊であるコンクエスター部隊の指揮系統は乱れ、仲間同士での同士討ちが始まってしまう。

 

「撃つのをやめろ! まずは制御不能な友軍機の情報を全軍で共有し――」

「敵の新手が出現!」

 

 混乱を極める中、海中からは新たなガラクタの部隊が現れる。陣形が乱れに乱れたコンクエスター部隊にはガラクタの進軍を抑えることなどできるはずもなく、次々とガラクタの突進を受けてしまう。その後、制御不能に陥るコンクエスターの数が増大し、最早どの機体が友軍機なのかも特定できない阿鼻叫喚の図が繰り広げられていた。

 

「くっ……まさか、これは亡国機業のネクロマンサー!? 死体でなくとも操れるというのか!?」

 

 気づいたときには時既に遅し。

 クラウス社の誇るガトリングモンスターの軍はたった1人のテロリストの単一仕様能力1つにかき回される。

 

 幾度となく織斑千冬と渡り合い、ただの一度も敗北がない。

 単一仕様能力“傀儡転生(かいらいてんせい)”により個人で一軍に匹敵する戦力を用意できる最凶のテロリストは戦場から遠く離れた地で愉悦に浸る。

 

 この混乱した戦場で1機のISがレガシーへと進入することは造作もなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 俺は危なげなくツムギの中に入ることができた。正直なところ、あの大量のガトリングの中を突っ切るのは藍越エンジョイ勢の皆の力を借りても難しかったと思う。だからオータムの力の強大さを思い知らされた形となった。

 

「何なんだよ、あれ……あんなのが敵だったのに、よく俺たち勝てたな」

 

 本当に俺が無知だった。オータムは1人でもアメリカの部隊を手玉に取るくらいに強い。俺をツムギ内部に送り込むまでの囮どころじゃなく、相手部隊にこのまま勝てるとも思わせた。

 でも、たぶんそう簡単にはいかない。さっき外で敵の中にナターシャさんの姿も見かけた。流石のオータムでもトップランカーを易々と倒せはしないだろう。だから俺はオータムが時間を稼いでいる間に迷宮の奥へと向かわないといけない。

 迷宮の攻略が難しいってのは門番に追い返されたことがあるからよくわかっているつもりだ。今はアメリカの部隊が都合良くゴーレムを倒してくれていることを祈ろう。

 

 俺は慣れた道を突き進んで迷宮の入り口のある六角形のフロアに辿り着いた。かつてクーが陣取っていたその場所に彼女の姿はなく、迷宮のある下へと向かう階段が覗いている。

 

「よし、誰もいないな」

 

 中を確認。迷宮攻略とオータムの迎撃にほぼ全員が駆り出されているようで、ここまで誰とも遭遇していない。とりあえずはこちらの思惑通りといったところだ。

 

「――前にはいないわね。でも後ろが全く見えてないわよ」

「うわっ!」

 

 唐突に後ろから声がして反射的に俺は飛び退いて雪片弐型をそちらに向ける。

 

「え、楯無さん? どうしてここに?」

「それはこっちのセリフよ。私がやっとの思いで潜入できたところに、まさか一夏くんが来てるだなんて思わないもの」

 

 俺の背後にいたのは楯無さんだった。日本舞踊でも始めそうな和風デザインで武器が扇子しかないISはこの人しかありえない。楯無さんの偽物は違う武器を使ってたからたぶん本物で大丈夫だろう。

 

「俺は……篠ノ之論文に箒の手がかりがあるんじゃないかと思って来ました」

「前にも迷宮に挑戦して逃げ帰ったって簪ちゃんから聞いてるけど、勝算はあって来たの? 見たところ1人みたいだけど」

「いや、それは先に行ってる人たちがなんとかしてくれてないかなって思って」

「希望的観測だけで迷宮に飛び込もうとしてたってわけね。呆れた」

 

 楯無さんが扇子を広げて口元を隠す。扇子には『絶句』とだけ書かれていた。

 

「一応確認するけど、外に来てるオータムとはグル?」

「え、いや、その……」

 

 答えづらいと思った時点で狼狽を顔に出してしまっていた。俺がハッキリ言わなくても楯無さんはうんうんと頷く。

 

「大体わかったわ。一夏くんが何もせずに大人しくしてるわけないもの。たとえ悪の組織だろうが箒ちゃんの手がかりがあるのなら利用する。それがあなたらしさでしょうね」

「俺……致命的なミスをしてますかね?」

「それは君が決めることよ。私の立場だったらオータムをなんとしてでも捕まえたいところだけど、君はそうじゃないでしょう?」

「ええ、まあ」

「今の私の優先順位もオータムを捕らえることより篠ノ之論文確保の方が上。ここは協力しない?」

 

 願ってもない話だ。当然、俺の答えは決まってる。

 

「別に俺は亡国機業の尖兵になったわけじゃないですって。俺としては篠ノ之論文の情報をチラッとでも見られればそれでいいですし、後は楯無さんに任せます」

「よろしい。じゃあ、行くとしましょうか」

 

 鉢合わせたときにはどうなることかと思ったけど、とりあえず悪い方向には転んでなさそうだ。

 戦力が2人になったところで楯無さんを先頭に階段を下りていく。簪さんと一緒にきた迷宮まであと少し。体感的に階段の半ばにさしかかったところで俺はあることを確認する。

 

「やっぱりここではログアウトできない」

「報告にあったIllのワールドパージと同じ現象ね。倉持技研がここの迷宮攻略に乗り出さなかった最大の理由はリスクの大きさにあったから。切り札であるブリュンヒルデが動いてくれなかったのも理由かな」

 

 たぶんそうなんだろう。クーが入り口を占拠してたなんてのは企業レベルでは迷宮攻略を始めない理由にならない。クラウス社に権利を投げずに自分たちで篠ノ之論文を手にしたかったというのが本音のはず。

 これまでの迷宮攻略ではヴァルキリークラスのプレイヤーを投入しても苦戦を強いられたと聞いている。その事実があるために、勝算が薄いのはIS関係者なら誰でも理解できることだ。

 

「でもアメリカのクラウス社はプレイヤーのリスクよりも篠ノ之論文のリターンを取った……」

「それだけの理由があったんですか?」

「ISの分野で世界の覇権を握れるかもしれない。一夏くんにはピンと来ないかもしれないけど、命を張る人間がいるだけの理由になるのよ」

 

 いや、わからないでもない。他人から見れば俺が亡国機業と手を組んでまでここにやってきたのは理解しがたいことなのだと思う。きっとアメリカの動きも同じで、そうしなければならない事情があるということだ。

 そしてそれは俺やアメリカだけの話では留まらない。

 

「楯無さんにもここまで来る理由があったんですよね?」

「……篠ノ之論文を横から掠め取るだなんて、我ながら卑怯だとは思ってるわよ。でもISの技術をどこかの企業が独占したらそれだけで世界の均衡が崩れることになる。相手がテロリストでなくても私たちにとっては完全に味方という話にはならないの」

 

 箒さえ無事でいればいいという俺と違って視野の広い話だった。

 ……世界平和の崩壊か。そんなことは今まで考えもしなかったけど、ISの登場が世界の均衡を壊したという話を遠い過去に聞いた気がする。あれは誰から聞いたんだったっけ?

 ともかく、この篠ノ之論文の話は思っていたよりも大事らしい。やっぱり俺は少しだけ情報をもらうに留めて楯無さんに任せた方が良さそうだ。

 

「広い場所に出たわ。一夏くんはどこまで来たことがあるの?」

 

 俺たちは迷宮の入り口に到着した。以前に門番として立ちはだかっていたゴーレムの姿はなく、部屋の中央には下へと降りていく穴が開いている。

 

「ここで門番に追い返されました。けど、アメリカの部隊はここを突破して先に進んだみたいですね」

「私たちも行きましょう。戦闘は避けていきたいから推進機はなるべく噴かさないで」

 

 いつもは戦闘中でさえ余裕の顔を浮かべている楯無さんの顔が厳しく引き締まる。Illのワールドパージによって敗北が許されない空間に加え、ゴーレムやアメリカ代表のいる中へと突入していくのは楯無さんといえども緊張を隠せないのだろう。

 俺はと言うと、敵勢力の何と遭遇しても厳しいことになると思ってる。ゴーレムには相性的に勝てる気がしていないし、アメリカ代表の強さはISVSを始める前から知っている。できることならどれとも合わずに篠ノ之論文だけを手に入れたいところだけど……難しいよなぁ。

 

 もうやると決めたのだからいつまでも躊躇っている時間はない。俺たちは迷宮の入り口である大穴から飛び降りる。縦に長い通路だ。自由落下でも地に着くまで数秒の時間を要した。

 下に行き着いた俺たちは十字路の中心に居る。四方に伸びた細い通路は入り組んでいるようでその先に何があるのかは行ってみないとわからない。

 

「時間がありませんし、手分けしますか?」

「却下。ここに虚ちゃんたちを連れてこなかった理由をわかってないの?」

 

 言われてみれば虚さんたちがいない。たしか“更識の忍び”と恐れられている隠密行動の集団だったはず。こういった作戦では大活躍できるはずなのにどうしていないのか俺にはわかってない。

 

「単純に戦力外通告よ。簪ちゃんから聞いてたゴーレムの性能だと虚ちゃんはゴーレムを倒せない。そしてそれは一夏くんにも当てはまる」

「俺は足手まといってことですか」

「少なくともIB装甲を持っているゴーレム相手だとね。それ以外だと期待してるから自信喪失はしなくていいわよ」

「アメリカ代表とかは……?」

「もちろん一夏くんに任せて私は先に進む。適材適所よね」

 

 可愛くウィンクされても困る。しかし冗談と言わない辺り、本気で俺とアメリカ代表を戦わせるつもりなのかもしれない。

 まあ、やれと言われたらやるところだ。ギドとの戦いに比べたらまだまだ逆境というほどでもない。ナナともセシリアともクロッシングアクセスしてないのは気がかりだけど。

 楯無さんはしばらく目を閉じて考え込んだ後、一本の道を選んで移動を始めた。BT使いはナノマシンを散布しての索敵も得意としているからこうした建造物の構造も把握することができる。この分野でセシリアの右に出る者はいないのだとマシューが力説していたけど、楯無さんも強豪のBT使いだから信用していい。俺もその後をついていく。

 

「ごめん、一夏くん。ちょっと戦闘になるわ」

「へ?」

 

 移動を初めて割とすぐのことだった。狭い通路の先に見覚えのある形状のロボットがぬっと姿を見せる。両手が足先よりも長いくらいに長い歪な人型は間違いない。ゴーレムだ。

 俺が間抜け面を晒している間もロボット的な動きを見せるゴーレムは右腕の砲口をこちらに向けてきた。狭い通路だと避けるスペースもない。

 

「やばっ――」

 

 慌てて来た道を引き返そうとした。でも楯無さんは逃げる素振りを見せず扇子を正面に向けている。その堂々とした立ち居振る舞いは絶対の自信に満ち溢れていた。

 ゴーレムの右腕が光を放つ。同時に大きく炸裂してゴーレムの右腕が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「あら、すごい威力。おかげでこっちは楽できそう」

 

 何をしたのか全くわからない。しかし楯無さんがゴーレムに何か仕掛けていたのは間違いなく、俺と簪さんたちが苦戦していたゴーレムを赤子同然に扱っていた。

 相手は無人機。その思考は俺の知るAIよりも複雑だと思うけど、楯無さんの戦闘パターンにはついていけてない。残された左腕も同じように攻撃しようとして潰され、最終的に全身が爆破されてゴーレムは沈黙した。

 

「い、一体、何をしたんですか!?」

「ひ・み・つ。というよりも説明する暇がないって感じね」

 

 その通りだ。爆破されたゴーレムの残骸を乗り越えて俺たちは先を急ぐ。

 この後、楯無さんは推進機を使ってスピードを上げた。もう先ほどの爆発で敵に侵入を気づかれている。そして敵とはゴーレムだけではない。

 入り組んだ迷宮の道には動かないゴーレムの残骸が無数に転がっていた。既に誰かが通った後なのは一目瞭然。

 それらは皆一様に胸に大穴が空いていた。ENブラスターや荷電粒子砲ならば溶けたような痕が残るはずだが、穴の縁を観察すると強力な打撃でひしゃげていることが確認できる。つまりは物理属性攻撃であり、そのような攻撃痕を残せる武器はシールドピアースの他にはない。

 

「……流石は国家代表の中で最も無駄に好戦的なだけはあるわ。こっちの侵入に気づいて引き返してくるなんてね」

 

 入り組んだ通路を抜けて直径30mほどの球状空間に出た。およそ人が歩くことを考慮していない空間はISでの移動を想定した設計なのだろうか。

 IS同士が戦闘するには狭い空間には通路が2つ。今、俺たちが入ってきた入り口と、反対側にある先に進む出口のみ。そして、楯無さんが脂汗を浮かべて視線を向けるそちらから1機のISが飛び出してきた。

 両手に特大の杭打ち機がトンファーを持っているみたいにくっついている格闘特化の機体は黄色と黒のタイガーストライプにカラーリングが施されている。

 虎柄の機体はISVSプレイヤーならば誰もが知っている絶対強者の証。

 一般プレイヤーの前に最も多く顔を出している国家代表であり、ランキング6位のトップランカー。

 その名は、イーリス・コーリング。

 

「亡国機業の奴らかと思って来てみれば、更識楯無か。もう1人はナタルの言ってた織斑千冬の弟……」

「人違いだったなら見なかったことにならない?」

「悪いな。アタシらも本気で来てるから何もせずに見逃すなんてこたぁあり得ねぇ」

 

 イーリスは完全に戦闘態勢に入っている。話し合いの余地はなく、篠ノ之論文を巡っての対立は避けられない。

 こうなると俺たちの選択は自ずと決まってくる。

 雪片弐型を呼び出す(コール)。陣形を入れ替えるようにして、俺は楯無さんの前に進み出た。

 

「ここは俺が引きつけておきます。楯無さんは篠ノ之論文を」

「無理はしないで。相手はヴァルキリー級の操縦者、それもブリュンヒルデとは違ったタイプのインファイターよ」

「わかってます。だからこそ楯無さんより俺が残るべきですし」

 

 楯無さんは中央を迂回するように壁に沿って奥へと進んでいく。

 すると、まだ攻撃を仕掛けてこないイーリスがあろうことか先への道を譲るようにして開けた。楯無さんは楯無さんでそれを当たり前のように受け取って通路へと入っていった。

 

「見逃さないんじゃなかったのか?」

「それは建前だって。アタシは別に篠ノ之論文が欲しいわけじゃない。この仕事を引き受けた理由に使命感なんて皆無だ」

 

 駄弁るように喋りながらもイーリスの内に眠る戦意がまるで突風のように俺の体に吹き付けられているのを感じる。

 この感覚はギドとの戦いを思い出す。つまり――

 

「戦闘狂か……」

「おいおい。ISVSプレイヤーなら自分より強い奴に会いに行くなんてのは賞賛されるべきで非難されるもんじゃないだろ」

 

 たしかにゲームとしてのISVSならより強い相手との戦いを求めることは普通だ。だけど、この迷宮の中でまで同じ常識が通用すると考えてる時点で十分に一般から逸脱している。

 負ければ現実で目覚めないかもしれないという背水の陣に好んで身を置くのは狂ってる奴のすることだ。

 

「さてと。望み通り、更識楯無は通してやった。だから、エアハルトを倒した実力を見せてくれよ、織斑一夏」

 

 イーリスは部屋の端にまで移動して両足を壁につけた。視線は俺に向いたまま。両膝が縮んだバネのようにエネルギーを蓄えている。

 

「Are you ready?」

 

 俺は無言で雪片弐型の切っ先を向けて答える。

 両者の意思確認は終わり。

 火蓋を切ったのはイーリスの足下の爆発だった。いや、そう錯覚するほどのイグニッションブースト。過去に様々な猛者と戦ってきた俺だけど、今まで見た中で最も荒々しく、最も瞬発力のある加速だ。

 30mの球という狭い空間でイーリスの馬鹿げた加速は命取りなはず。俺は右方向のイグニッションブーストで相手の軌道から外れる。

 だがそのまま壁に激突などするはずもない。直角どころか鋭角に方向転換したイーリスはスピードを緩めないまま俺に向かってきた。振りかぶった右腕には大型シールドピアース“グランドスラム”。もしクリーンヒットすれば白式は一瞬でやられる。

 がむしゃらに雪片弐型を振る。いくらシールドピアースが強力な武器でもENブレードなら打ち勝てる。

 

「まだ曲がるのかっ!?」

 

 イーリスは突っ込んでこなかった。超短距離のイグニッションブーストをしておきながら俺の動きを見てから攻撃を中断。一度壁まで移動した後、急速反転して別角度から俺へと向かってくる。

 迫る右手。避けきるのは不可能。雪片弐型での迎撃は間に合わない。

 ならばアレをやるしかない。俺は何も持たない左手で拳を握り、イーリスの拳にぶつける。

 

「バカか! 素手でこのグランドスラムを受けて無事で済むと思うなよ!」

 

 互いにAICを使用した拳は簡易の物理ブレードに等しい。しかしながら俺とイーリスのAIC強度は互角。お互いに力場を相殺してただの金属で構成された拳でしかなく、装甲同士が打ち合わさるだけだ。

 俺の攻撃はここまで。だがイーリスの攻撃にはまだ続きがある。拳で殴りつけるのに重ねて特大の杭を相手に打ち込む技術がイーリス・コーリングのランキング6位という地位を確立させている。

 全IS専用武器の中で最も対シールドバリア性能が高いグランドスラムが放たれる。ユニオンの分厚い装甲の上からでもアーマーブレイクを発生させる脅威の物理攻撃は易々と白式の左腕を貫通した。

 

「手応えがねえ……まさか!?」

 

 ISのストックエネルギーは絶対防御の発動時に消費される。絶対防御の発動条件は操縦者が負傷するとき。つまり、操縦者さえ傷つかなければストックエネルギーが削られることはない。

 左腕装甲を切り離(パージ)した。切り離された白式の左腕は中身がスカスカの装甲でしかない。いくら強力なシールドピアースであろうとも、プレイヤー自身に当たらなければダメージにすらならないというわけだ。

 

「もらったァ!」

 

 渾身の一振り。ファングクエイクにはEN武器が搭載されておらず、雪片弐型を受け止めることは不可能。この勝負、もらった!

 

「やらせねえ!」

 

 逃げるか受けるか。その2択だと思っていた俺が甘かった。

 イーリスはあろうことか前に突っ込んできた。両手を使わない無遠慮な突進。容易く俺の間合いの内側に飛び込んできた彼女の頭と俺の頭が激突する。

 まるでピンボールのようにお互いに弾かれて壁に叩きつけられる。むくりと壁から体を起こすのは同時。

 

「クレイジーだぜ、織斑一夏! ISでパーツを自分から切り離す発想は普通はしねえ!」

「アンタも大概だ! IS戦闘で刀の間合いよりも中に入ってくるとか普通じゃない!」

 

 俺が取った手段はギド戦のときに使ったものと同じ。左手を囮にして次の攻撃につなげた。相手が格上だからこそ自分の身を削ってでも隙を作らないと勝てないからだ。

 しかしイーリスには通じなかった。原因はイーリスの技量ではなく、その戦闘スタイルによるもの。楯無さんが言っていた『ブリュンヒルデとは違ったタイプのインファイター』の意味をようやく理解した。

 拳とシールドピアースによる接近戦はブレードを使ったものとは別もの。俺の知っている近接戦闘よりもさらに内側がイーリス・コーリングの得意な間合いなのだ。

 いかに近寄るかが鍵だった今までと違う。いかに近寄らせないかも考えなければならない戦いとなっている。

 

「左手は潰した! 次はその翼でも差し出すかぁ? 剣術も戦法もブリュンヒルデには程遠い! それでアタシに勝てると思うなよ!」

 

 所詮は奇襲。もう囮で隙を作ることはできない。ぶつかり合いさえすればENブレードの方が有利だけど、イーリスの的を絞らせない機動が力勝負をさせてくれない。

 直径がたった30mという狭い空間で縦横無尽に飛び回っている。一般プレイヤーならイグニッションブーストなんてできない狭さでもイーリスは躊躇いなく使ってくる。急停止からの方向転換の技術は俺が今まで見てきた猛者と比較してもトップだと言える。

 仕方ない。相手は俺がずっとイグニッションブーストの教科書にしてきた存在だ。宍戸が教えてくれた技術の完成系に俺が追いつけているだなどとは思ってない。

 ……だからって簡単に負けるつもりなんてないけどな。

 

 イーリスがイグニッションブーストで突っ込んでくる。

 俺は雪片弐型の刀身を消してイグニッションブースト。方向はもちろんイーリスのいない方へ適当に。

 

「テメっ――逃げてんじゃねえ!」

「逃げる? いや、これはお前への挑戦だ!」

 

 俺はこの狭い空間の中でイグニッションブーストを使う。すぐに壁が迫るためAICで急停止。さらに向かってくるイーリスの位置を見極めた上で次の方向にイグニッションブースト。極短時間で情報がめまぐるしく錯綜する。

 イーリスへの挑戦とは俺の連続イグニッションブーストの限界への挑戦を意味している。

 俺の技量が劣っているのはわかっている。真っ向勝負するよりも勝率が低い追いかけっこなのも理解している。

 だけどこの戦いの目的はイーリスを打ち倒すことなんかじゃない。楯無さんが篠ノ之論文を入手する時間さえ稼げれば俺の目的は達成される。だからいずれ捕まるにしても、より時間を稼げる方法を選択したまでだ。

 

「来いよ、イーリス・コーリング! まさか俺に追いつけないとか言う気じゃないだろうな?」

「誰にものを言ってる! 瞬発力でこのファングクエイクに勝るISなんてねえ!」

 

 鬼ごっこの開幕だ。お互いに踊り続けるとしようぜ。

 楯無さんが篠ノ之論文を手に入れるまで。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 更識楯無は1人。懸念されていたアメリカ部隊の待ち伏せはなく、ゴーレムの残骸が残るだけの通路を怪訝な面もちで奥へと進む。

 果たして、この先に篠ノ之論文はあるのだろうか。

 イーリスが単独で引き返してきたことからまだ奥にはアメリカの部隊がいると考えられる。すでに篠ノ之論文を手に入れている、もしくはこのルートがハズレだと確定している場合は全軍で引き返すはず。故にまだアメリカは篠ノ之論文を手に入れておらず、このルートも調べ切れていないということになる。

 

「確証はなくても調べるしかないわね。一夏くんに無理させてるし、お姉さんが足を引っ張っちゃ悪いもの」

 

 もし篠ノ之論文が見つからなくても楯無の事情としては問題ない。企業のパワーバランスの崩壊を防ぐことが目的であるため、アメリカに渡ることさえ阻止すれば楯無の目的は果たされるのである。

 しかし成り行きとは言え織斑一夏に協力すると宣言した。簪と本音のことで借りが出来ている上に自分自身も助け出された恩がある。更識当主としてではなく刀奈として一夏に応えてやりたかった。

 

「また広い部屋……」

 

 イーリスと遭遇した場所からは一本道だった。どこからイーリスが引き返したのかは定かではないが、イーリスと行動を共にしていたはずの部隊はまだこの先にいるはずである。

 入り口の端に身を隠して内部の様子を覗き見る。事前に撒いたナノマシンでPICの反応がないことはわかっているのだが、念には念を入れて慎重に行動する。

 

「どういうこと?」

 

 辿り着いた部屋の中は不可解な光景が広がっていた。

 イーリスと遭遇した部屋と同じような球状の空間。その下半球の床にはボロボロのISを纏った人が大量に転がっている。装備を見る限りではクラウス社関連の操縦者と思われる。他にゴーレムの残骸などはない。

 

「アメリカの部隊が全滅している?」

 

 どのISを見ても戦闘不能。ここに留まっているのもログアウト不能であるからだ。

 誰がこのようなことをしたのか。その答えは部屋の中央に立っている細身の人形にある。のっぺらぼうのマネキンを思わせる人形が両手を広げると倒れていたプレイヤーたちが光の粒子に分解されて消滅した。

 

「あのマネキンの仕業……? もしかしてIllなの?」

 

 目の前でログアウトできないはずのプレイヤーが消えた。その現象を楯無は冷静にIllの能力だと分析する。

 なぜここにいるのかなど考えるだけ無駄だ。とっくにここは通常のISVSとは縁のない異界になり果てている。むしろIllがいないと断言する根拠の方が存在しない。

 アメリカの部隊がイーリスを残して全滅した。非情であるがこの時点で楯無の任務は達成されたも同然だった。このまま戦闘をせず引き返すのが更識当主として正しい判断となる。

 

「私もつくづく甘いのよね……またお爺様に叱られちゃうわ」

 

 楯無は部屋の中に足を踏み入れた。部屋の主であるマネキンは異様な雰囲気を発している。もし相手がギドと同レベルであれば楯無に勝算はない。それでも退くわけにはいかなかった。

 

「一般人の男の子が頑張ってるのに、更識の当主が逃げるだなんて間抜けな真似をできるわけがないわ」

 

 部屋の中を見渡す。部屋から出る通路は楯無の入ってきた入り口しか存在しない。つまりは行き止まり。だがそこにいる異様な存在が1つの可能性を示す。

 

「あなたが篠ノ之論文の番人さんでいいかしら? どういう手続きが必要なのかは知らないけど、案内してもらうわよ」

 

 扇子を力強く開く。書かれている文字は『臨戦態勢』。肉眼で目視できないナノマシンが部屋の中を覆い尽くす勢いで広がっていく。

 楯無のこの行為は宣戦布告に等しい。部屋の中央に突っ立っていたマネキンはふわりと浮かぶと、つるつるの顔を楯無へと向ける。

 

「我は閉所に恐怖する(ステノフォビア)。故に我は空間を広げる」

 

 機械の合成音声が響く。この瞬間、楯無は報告にあったIllと違う存在であると直感した。

 遺伝子強化素体ではない。この相手は無人機だ。だからIllではなくゴーレムと同じ部類。

 マネキンの両手に光が生成される。球体となった輝きはボールのように放り投げられ、盛大に爆発を引き起こした。

 部屋全体を閃光と爆煙が包み込む。アクア・クリスタルから生み出した水のヴェールで衝撃を抑えきった楯無であるが、部屋の中に散布したナノマシンは今の一撃で全て破壊された。

 圧倒的な攻撃範囲。その無差別な爆発は屋内においては逃げ道のない強力な兵器である。加えてナノマシンを使った搦め手を得意とする楯無にとって無差別な範囲攻撃はひたすらに相性が悪い。

 一番の問題は自爆に等しい攻撃範囲だったというのに攻撃を仕掛けたマネキン自体には全く傷がついていないということだった。

 再びマネキンの両手には光の球体が生成される。

 

「あれって倉持技研とFMSが開発中のエナジーボムじゃないの!?」

 

 簡単に言えばEN属性の手榴弾である。しかし開発中とされていたそれは投げた本人が無傷で済むだなどという仕様は存在しない。完成予定の品よりも明らかに上位に位置する武器だ。

 閉じた扇子の先を相手に向ける。相手が全方位に攻撃をしてくるためにナノマシンを使ったいつもの戦法は封じられている。通常戦闘を余儀なくされた楯無は扇子の先から水を模した弾丸を射出する。

 マネキンの手の中で光が爆発を引き起こした。楯無の放った弾丸は爆発の中に消える。

 

「くっ――」

 

 防御にアクア・ナノマシンを回さなかったために爆風をもろに浴びてしまった。攻撃を一方的に無力化され、逃げ道のない限定空間では相手の攻撃を避けられない。このまま戦っても無駄なことは一目瞭然だった。

 楯無は後ろに退がる。火力も防御力も高くない楯無の機体では根本的に勝てない相手。この最悪な相性を前にして意地になって戦う気は毛頭ない。

 通路に逃げ込んだ楯無。その後ろをマネキンが追ってくる。手にある光を投擲し、楯無の後方で炸裂した。

 

「まさか追ってくるなんてね」

 

 まだ至近距離での爆発はない。しかし楯無が逃げ込んだのは狭い通路。敵の攻撃は普通の爆発と同じように狭い空間でその威力を増している。

 

「……有効射程は爆心地からおよそ86m。攻撃の間隔(スパン)は2秒強。隙間はあるわね」

 

 通路に沿った飛行を継続しつつ、ぶつぶつと楯無は独り言を漏らす。

 その目は真剣そのもので、集中してナノマシンを操作する。

 

「マッピング完了。爆破予測地点の算出終了。ポイント確定。全アクア・ナノマシンを集結」

 

 追っ手の爆破が徐々に近くになってくる。単純な速さで楯無はマネキンに負けている。逃げていてもいずれ追いつかれることは火を見るより明らかであり、一夏やイーリスの戦っている場所にまで戻ることは出来ない。

 危機が迫っている楯無の口元に笑みが浮かぶ。元より一夏の手を借りるつもりはない。逃げ出した理由は戦略的撤退ではあったが、相手が追ってきた時点で戦う手段が生まれた。

 近距離での爆発を水のヴェールで受ける。押さえきれない衝撃で吹き飛ばされた楯無は通路上を転がった。

 足を止めてしまった。敵のマネキンは両手に光をチャージしながら突き進んでくる。

 

「もう最後の爆発地点は越えたわ」

 

 楯無は立ち上がる。逃げる素振りを見せず、追ってきたマネキンを正面から見据える。力強い視線には恐れなど皆無。相性が悪く、追い込まれている人間のする顔ではない。

 

「元々攻撃は散発だった。それが移動を加えることによって顕著に現れ、地図を見れば爆破された場所とそうでない場所に区分けされている」

 

 楯無は説明を開始する。いかに相手がバカなことをしたのかを実感させるための自己満足。それは既に状況が詰んでいるからこそできる勝者の余裕である。

 

「爆破地点のナノマシンは一掃されている。しかし移動していたせいで私の進む通路全体を爆破の攻撃範囲に入れられなかった。隙間が存在しているのよ」

 

 マネキンが立っている位置は楯無が定めたポイント。ここにはアクア・ナノマシンが結集してあり、エネジーボムによる破壊がされていない安全圏だ。つまり、楯無の攻撃の要であるアクア・ナノマシンが集中して存在している。

 

「チェック」

 

 楯無が指を鳴らして合図を下すと事前に集めてあったアクア・ナノマシンたちが槍状に変形しマネキンの胴体に突き刺さる。それを3本。串刺しとなったマネキンは移動を止められただけと割り切り、両手のエネジーボムで周囲を一層しようと試みる。

 

「それは間に合わさせない。これでチェックメイトよ、人形さん?」

 

 もう一度楯無が指を鳴らす。それを合図としてマネキンに突き立っていた水の槍が内部からアクア・ナノマシンに分解され、それぞれが多大な熱を帯びていく。

 水の槍の急激な爆発。マネキンは機体の内部からの爆発に耐えきれず全身が引きちぎれるようにして吹き飛んだ。

 

「クリア・パッション。爆発を扱わせて私に勝てるだなんて思わないことね」

 

 不利な戦況を罠の一つで逆転する。これが更識楯無の戦い方であり、強者をも打ち倒すことにつながる。

 今回は相手が動いたからこそできた方法。爆発で罠に使うナノマシンを破壊されてしまうことが問題であったのだが、通路を移動しながらと状況を変えたために、爆発の範囲外となるポイントが生まれた。そのポイントにナノマシンを結集して、攻撃直後のマネキンを誘き寄せることが出来ればあとはアクア・ナノマシンで圧倒できる。

 マネキンはバラバラの残骸となっている。楯無はそのうちの一つ、顔の部分を拾い上げた。

 

「倒したけど篠ノ之論文の情報はなしなの?」

 

 また機械音声で何かしら情報が漏れてこないかと期待していた。

 この行動に意味がないことはなかった。

 マネキンの頭からは返答がある。

 

『ステノフォビアが倒されちゃったのか~。これも人間の傲慢さだと受け取るべきなのかな? 悲しいねー』

 

 予想外だったのは最初の機械音声でなくお気楽そうな女性の声が再生されたことだった。楯無が黙って耳を傾けていると女性は続ける。

 

『この神域にまで忍び込む人間たちの増長ぶりには心底呆れ果ててるよ。やっぱりこの幻想空間を人に開放するのは間違いだったのかもね』

「あなたは誰かしら?」

 

 発言内容からゴーレムのような単純なプログラムではない。かといってゴーレムを動かしていたのが亡国企業の遺伝子強化素体とも考えていない。

 幻想空間を人間に開放した。つまり、声の主はISVSの創始者と関わりのある可能性がある。

 

『人間はこの世界に必要ない。ううん、もう邪魔。邪魔者は排除しなくちゃいけない』

「全く会話する気がないみたいね……」

『そこの人間に警告しておく。人間は直ちにこの世界への関与を停止すること。じゃないと、実力行使することになるよ』

 

 それきりマネキンの破片から声が発されることはなかった。

 楯無は額に手を当てて考え込む。

 

「今のはもしかしなくても篠ノ之束の関係者よね。でも篠ノ之束は亡国機業の“生きた化石(ヴェーグマン)”と敵対していたはず……どうして“人間”を敵視するようなことを言っているのかしら?」

 

 強敵のゴーレムを打ち破って手に入ったのは篠ノ之論文でなく疑問だけであった。情報が少なく、現時点では何も結論を出せない。

 

「旧ツムギのメンバーに接触して今の人物の情報を集めてみるべきね。とりあえず今は篠ノ之論文を探しましょうか」

 

 行き止まりに用はない。楯無は来た道を引き返す。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 狭い空間を飛び回る鬼ごっこも佳境に入っていた。初めは単純に俺の通る軌道を追尾してきたイーリスだったけど、差が縮まらないことを理解されて機動の読み合いに発展している。

 そうなってくると俺には圧倒的に経験が足りていない。慣れない連続イグニッションブーストで頭が破裂しそうなのに、イーリスの動きまで計算に入れるなんてことは難しすぎる。

 

「捉えたっ!」

 

 俺の逃げる方向とイーリスの突っ込んだ方向が噛み合った。頭に向かってイーリスの右手が伸びてきて、俺は右手で頭を庇う。するとイーリスは拳をぶつけるのではなく俺の右手を掴んできた。そのまま右手を引っ張られた俺はイーリスと共に床に向かって一直線に落ちていく。

 

「地面とチューしな、織斑一夏ァ!」

「ぐっ――!」

 

 球状の空間の最下部に俺の体が叩きつけられた。右手装甲の切り離し(パージ)を警戒しての攻撃だ。俺の逃げ道はなくなり、グランドスラムをまともに受けるしかない状況が出来上がる。

 イーリスだけでなく俺もそう思っていたんだ。

 だけど思ってもみなかった事態が俺を襲う。床に叩きつけられた俺の体は床を突き破って深く沈んでしまった。

 

「え?」

「何だと!?」

 

 お互いに意表を突かれた間抜け顔を晒す。床を突き破った先には別の空間が広がっている。宙に投げ出された俺は図らずともイーリスから距離が開き、とどめをさされることはなかった。

 それだけでなく、イーリスは俺に追撃を加えようとしてこなかった。その場で唖然としてこちら側を見ているだけ。戦闘に意識が向いていた俺だけどイーリスに釣られて自分の周囲を見回してみる。

 ここまで見てきた迷宮の内装とは全く異なっていた。殺風景な金属製の壁ばかりのSF的な景色だったのに、この部屋だけは木製になっていて趣が和風となっている。障子の貼られた引き戸やコタツなどは日本の古い家屋ではよく見られるものだ。

 俺はこの部屋を知っている。7年前までは頻繁にお邪魔していた場所だった。

 

「箒の家……?」

 

 ここは篠ノ之家の一室に酷似していた。中央のコタツに束さんがよく幸せそうに潜り込んでいたのを思い出す。ISを開発したほどの人なのに『コタツを発明した点は人類を高く評価するよー』などと言っていたっけ。

 コタツの上にはミカンなどの定番でなく1冊の本が置かれていた。その1冊だけはこの場の空気にそぐわない(おごそ)かなオーラを発している。

 これは異物。本という形態を取っているということは……もしかしてこれが篠ノ之論文か?

 

 

『今の世界は楽しい?』

 

 

 俺が本に注目したと同時だった。久しく聞いていなかったあの声を俺の耳が聞き取った。

 

「束さん?」

 

 呼びかけに返事はない。代わりに俺の視界が歪んだ。

 この感覚は誰かと深いクロッシングアクセスをしたときと似ている。

 俺の意識がこの場から乖離して急速にどこかへと飛んでいく。



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43 束が願ったこと

 篠ノ之束は物心がつく前から両親の近くにいた“おじさん”に羨望の眼差しを向けていた。

 その男の背中は大きかった。実父の柳韻と喧嘩して家出した束をおんぶして連れ戻すのはいつも決まって織斑おじさんだった。自分にも他人にも厳しい柳韻とは正反対で自分にも他人にも甘い優男。束縛とは縁の無い破天荒で自由なところが束にはすこぶる相性が良かった。

 柳韻と違って笑顔を絶やさない彼はクールとは縁遠くて口数が多い。口から出任せを言うこともあり、失言は数知れず。

 

「束ちゃんは可愛いなー。うちの千冬にもその愛嬌を少しでいいから分けてくれよー」

 

 そんな冗談もよく口にしていた。その度に拗ねた千冬が柳韻仕込みの回し蹴りを披露し、本気で悶絶していたおじさんを見て束はゲラゲラと笑っていた。

 束と千冬はお互いに懐く父親を間違えていた。

 千冬は柳韻の厳格さに憧れて勝手に道場に顔を出しては見様見真似で技を覚えていき、ついには独自の技を開発するに至る。

 束は“織斑”の破天荒な雰囲気に惹かれて外国にまでくっついていった。その先で見た最新の機械技術を見様見真似で再現し、ついには独自の発明品を開発するに至る。

 いつしか『取り替えっ子』と揶揄されるほどに互いの父親の影響を受けた子供が出来上がってしまっていた。

 束にとって柳韻よりも織斑の方が父親らしかった。

 自由奔放な生き方に憧れた。その方が楽しそうだと思ったのだ。

 

 織斑はその仕事の都合上、世界各地を転々とする慌ただしい生活を余儀なくされている。妻と千冬を家に置いて長い出張に出て行くことも珍しくなかった。束もいつも連れて行ってもらえるわけではない。

 千冬はその間、篠ノ之道場で柳韻から稽古をつけてもらえるから寂しくはない。だが織斑と居たかった束は暇でしょうがない。もちろん柳韻からは束も稽古に出るよう言われているのだが乗り気ではなかった。

 

 考えた末に束は1つの簡単な結論を導きだす。

 勝手について行けばいい。それで織斑と一緒にいられるのだから。

 スパイ道具セットなる発明品を駆使し、束は織斑に気づかれることなく尾行することに成功する。子供一人だと周囲に認識させないまま飛行機に乗り、向かう先はドイツ。束の知らない国だったが特に困ることもないだろう。束は天才なのだから。

 

 だがまだ幼い束である。知らないことはある。ドイツがどこにある国かも知らず、飛行機からの出方もよくわかっていない。いつの間にか織斑を見失っていた。迷子だ。

 何も知らない土地に一人。自分のことなど気にかけないたくさんの人たちが束の傍を無遠慮に通過していく。パーソナルエリアが常人よりも広かった束はその領域に知らない人が入るだけで気分を悪くした。

 ……早く織斑を見つけないと。

 空港で幼女(9歳)が胸を押さえて苦しそうにしている。それをいつまでも放っておく人ばかりであるはずがない。真っ先に現れたのは同い年の日本人の少年だった。

 

「大丈夫?」

 

 優しい声かけだったが束はビクビクしながら後退する。他人に対しての苦手意識がある束は恐れを抱いて少年を見つめていた。

 少年は笑顔を絶やさずに話を続ける。その態度は束の憧れる織斑のものと酷似していたから、束はその少年に恐れだけでなく興味も向けた。

 

「自己紹介をしないとマズかったね。僕は轡木(くつわぎ)創始(そうし)。歳は9。ここには織斑を追ってきたのさ」

 

 少年の口から織斑の名前が出たことで束は親近感を覚える。

 そして、初対面である少年に対して口を開いた。

 

「邪魔は許さない」

 

 かなり攻撃的な一言だった。しかし轡木創始は束の発言にショックを受けることなく背中を向け、ちょいちょいと前方を指さしながら歩いていく。

 ついてこいと言われている。つまり束が迷子になっていることを見抜かれていて、創始は道案内をしてやろうと言っている。

 ……今は大人しく従ってやる。だが後で泣かせてやる。

 極端な自尊心を持っている束である。こうして誰かの世話になったとき、感謝を述べるよりも先に証拠隠滅を図ろうと考える危険思想の持ち主だ。創始の行動は束を知る者から見れば自殺行為なのだがそれを注意する者がドイツにはいない。

 

「キミの名前は?」

 

 前を歩く創始が尋ねるも束は聞こえなかった振りをした。筋金入りのコミュ障でありながら自尊心の強すぎる束は他人と関わること自体を強気に避けている。

 

「なるほど。やっぱりキミが篠ノ之束さんだね」

 

 束は何も答えなかった。しかしアッハッハと笑う少年は束の名前を的確に言い当てただけでなく確信すら持っていた。

 同い年の9歳。今までに見てきた同年代の子供と違って大人びている彼はどちらかと言えば束寄りの人種だった。束は織斑と似た雰囲気を持っている彼への興味を強くし、ついには自分から質問をするに至った。

 

「お前は何者なの?」

「僕は織斑の一番弟子さ。そろそろ着くよ」

 

 創始が案内してきた場所はビジネスホテル。そのロビーに入り、創始が手を振る先には探していた人の顔があった。

 

「おい、創始。どこに行って――ってなんでここに束ちゃんが居るのォ!?」

 

 織斑だ。彼は創始の後ろについてきていた束の顔を見るなり顔面を蒼白に染めた。

 

「やっぱり気づいてなかったんですか。身近な人すら助けられないのに『困ってる人全てを助ける何でも屋』だなんて大言壮語もいいところです」

「俺の目標なんてどうでもいいんだよ! どうすんだよ! こんなところに束ちゃんを連れて来ちまって、もし危険な目にでも遭わせたら俺が柳韻に殺される!」

 

 子供の前だというのに人目を(はばか)らずに頭を抱えて床に蹲る織斑。

 その弟子を自称する創始はあっけらかんとして答える。

 

「別に大丈夫じゃないですか? 話を聞く限りだと前にもあったんでしょう?」

「今回はヤバいの! お前は柳韻の恐ろしさを知らないからそんなテキトーなことが言えるんだよ! 一個師団を木刀1本で壊滅させたって逸話があるくらいの化け物だぞ!」

「だったら束さんを日本に送り返せばいいだけの話でしょう?」

「その通りだ。創始は頭いいな」

 

 すかさずシャキっと織斑は立ち直った。しかし――

 

「私は帰らない」

 

 束がそう言った瞬間に再び頭を抱えた。

 織斑は束のことを生まれたときから知っている。柳韻よりも自分が好かれていることも自覚している。しかし、懐いていることと言うことを聞いてくれることは同義ではなく、束が素直に織斑に従ったことは一度としてない。

 

「おい、創始! 束ちゃんを説得してくれ!」

「いつも思うんですけど、あなたは9歳の子供に頼りすぎではないでしょうか?」

「適材適所だ。子供の相手は子供にさせた方がいい」

「私は子供じゃない」

 

 束は頬を膨らませて織斑の服の裾をくいくいと引っ張る。束本人は自分が大人だと思っているので、完全に子供扱いされては不満を露わにせざるを得ない。

 織斑は束と目線を合わせて頭を撫でてニヤリと下品に微笑む。

 

「はいはい。そういうことは出るところが出てから言おうねー」

 

 織斑が9歳の女の子にセクハラ発言をかまし、束が自分の胸元を見て赤面した瞬間だった。織斑の肩を力強い何者かの手がガシっと掴む。

 

「束ちゃんをいじめてた、と奥さんに言いつけるぞ?」

「げっ!? バルツェルっ!? 来てたなら早く言え! あと、陰口なんて子供じみたことはするなよ!」

「自分がデュノアにした仕打ちを棚に上げてよく言う……」

 

 織斑の元に姿を見せた大柄な男の名はブルーノ・バルツェル。ドイツ軍の大佐という立場だが、今はプライベートの用件で織斑との待ち合わせ場所に訪れていた。

 プライベートとは言っても穏便で平和な話ではない上に形だけのものだ。バルツェルは一個人として織斑に武力的な協力をするためにやってきた。だからこそ待ち合わせ場所にいる織斑がひどく緊張感に欠けていることに苛立ちを隠せない。

 

「それで? この大事なときに子供を2人も連れてきたのはどういう了見だ?」

「俺は悪くない! ガキどもが勝手についてきただけだ!」

「何度同じことを繰り返しているのか胸に手を当てて思い出してみろ」

「2人合わせて13回目だ」

「……それだけ正確に覚えていてなぜ学習しない?」

「いや、テキトーに言っただけで回数が合ってるかは神のみぞ知る」

 

 バルツェルが無言でボディブローをかます。

 織斑は声にならない悲鳴を上げてその場で転がり回る。

 

「少しはその脳天気さに刺激を与えられただろう。頭を切り替えたところで早速だが本題に入るぞ?」

「おい、お前……」

 

 呆れ顔のバルツェルがようやく話し始めようとしたときだった。

 大の男2人のやりとりを黙って見ていた少女が怒りに満ちた顔で間に割って入る。

 

「おじさんに暴力を振るってもいいのはちーちゃんだけだ」

 

 幼い束が大男相手に凄む。同い年の創始相手にビクビクしていた弱さは微塵もなく、威風堂々とバルツェルを指さす立ち居振る舞いは非凡さを感じさせるには十分だった。

 睨まれたバルツェルはと言うと、織斑の相手をしていて不機嫌だった顔を緩ませて関心の目を向ける。

 

「ハッハッハ! 織斑よりもよほど頼りがいのありそうな目をしている!」

「笑うなよ、バルツェル。束ちゃんが本気にしたらどうする気だ?」

 

 ボディブローのダメージから織斑は瞬時に立ち直った。織斑の平気そうな顔を見た束は怒りを引っ込めると彼の背中に隠れる。

 

「冗談はこの辺にして仕事の話でもしようか。おい、創始! 部屋を借りといたから束ちゃんを連れてそこで待ってろ!」

 

 織斑の投げた鍵が創始の手に収まった。

 鍵を受け取りつつも創始は口を尖らせる。

 

「えー、折角ここまで来たのに僕を置いていくんですか?」

「今日はいつもと事情が違う。社会科見学の時間は後で別に作ってやるから今は大人しくしてろ」

「……わかりましたよ」

 

 渋々ながらも創始は頷いた。そして、織斑とバルツェルは話をするために場所を変えようとする。

 だが織斑の袖を束が掴んで離さなかった。

 

「どこに行くの?」

「ちょっと面倒くさい仕事だ。いつもの楽しいのとは違うから束ちゃんはあのクソガキとここで待っててね」

 

 目線を合わせて笑顔で諭される。こうしたとき束は自分の主張を曲げないのが常だった。

 

「楽しいかどうかは私が決める!」

「うん、そのスタンスは大好きだけど束ちゃんは空気を読むことも覚えようね」

「褒められた♪」

 

 大好きの一言を聞いた瞬間に束はルンルン気分全快で織斑の袖を手放す。

 結果的に織斑の予定通りの状況となったが彼は首を傾げた。

 

「おかしいな。頭が良い子のはずなのに前半部分しか聞いてない……都合の良いことしか聞かないとろくな大人にならないぞ」

「あなたのような、ですね?」

「黙ってろ、創始! お前はもうろくな大人にならないって俺が断言してやる!」

「わーい、褒められたー!」

 

 創始は『お前も俺みたいな男になると断言してやる』と受け取ってテンションが上がっている。

 今も浮かれている束の元へ近寄った創始は織斑にアイコンタクトを飛ばす。その間に織斑はバルツェルと共にホテルの外に出て行った。

 

「束ちゃん。こっちの部屋で待ってるように、だって」

「え。私は織斑おじさんと一緒に行くよ……って、いない!?」

「諦めなよ。いつもは大目に見てもらえてたけど、今から織斑たちが向かう先は銃弾が飛び交うような危険な場所らしい。僕らは邪魔だってことさ」

 

 鍵の番号に従って部屋を見つけ、中を開けるとそこは特に代わり映えのしないビジネスホテルの一室。しばらくはこのまま部屋の中で待機をすることが織斑に下された任務である。

 束は珍しく素直に創始についてきた。一室だけでベッドも一つだけ。この状況を目の当たりにした束は真っ先にスパイ道具の一つの起動を決断する。束がスイッチを入れた瞬間、壁により掛かっていた創始は壁に貼り付けにされた。

 

「ちょっと束さーん? いったいこれは何の真似ですか?」

「私はこの部屋で大人しくするだなんて約束してない。もちろん、今からでもおじさんを追うつもり」

「どうやって? さっき迷子になってたじゃ――」

「おじさん探知機ー!」

 

 目つきや表情はやる気なさげな束だが声だけは某たぬきに間違えられるロボットみたいなテンションである。掲げられた右手には受信機となる携帯端末があり、画面には地図とポイントが表示されていた。

 

「なるほどね。さっきひっついてるときに織斑の服に発信機を忍ばせておいたんだ」

「そういうわけだから私はおじさんを追いかける。お前は邪魔になるから置いていく」

「まあまあ。僕だって織斑に素直に従おうだなんて考えてないよ」

 

 創始は束の発明品の拘束からあっさりと脱出していた。彼は束よりも先に部屋から外に出ると束の腕を引いてホテルの外にまでやってくる。

 そこには既に車が待機させてある。創始はさも当たり前のように運転手に声をかけ、恭しい所作で束の手を取って後部座席へと誘導する。

 

「どうぞ、お姫様」

「意外と使えるんだ……」

 

 束はその手を拒絶しなかった。後部座席にちょこんと座ると騒ぐこともなく大人しくしている。

 わざわざ反対側の扉に回り込んでから隣に座る創始を一瞥したが何も言わずに再び前を向いた。

 

 

  ***

 

 束たちがやってきたのは郊外からさらに外れていった山奥と言っていいほどの場所にある大規模な施設だった。表向きは製薬会社の工場ということになっている。実際に薬も生産されているのだが工場に入ってくる原材料と出荷される薬の量には著しい差が出ている。その理由は地下にあった。

 

「きな臭い場所だね。僕たちを連れてこようとしなかったってことはよっぽど危険な相手がいるってことなのかな?」

「おじさんは心配性すぎる。私がただの人間に負けるはずがないのに」

 

 束はまるで自分がただの人間でないかのような絶大な自信を持っている。だからこそ危険だから待っていろという織斑の指示が気に食わず、今もなお不満げな顔を崩さない。

 対して創始は厳しい顔を変えない。束の極端な発言を聞いても笑わない。

 

「つまりだ。相手が人間でない可能性もあるってことだよ」

 

 創始の指摘で束の顔が引き締められる。その可能性を束は考えていなかったのだ。

 2人は誰もいない階段を下りていく。いや、元から誰もいなかったわけではない。通路の端や階段の踊り場には武装した男たちが動かぬ体となって転がっている。

 初めは束の視界に入らないように気を使っていた創始だったが束の目は恐ろしく冷徹――言い換えると、ゴミを見る目つきだった。死体を見てショックを受けるなどという一般的な反応はない。ここまでナイト気取りでいた創始だったが考えを改める。

 

「もし武器を持った敵が現れたとき、束さんは自分で戦える?」

「誰にものを言っているの?」

 

 創始が確認すると束の背中にガシャガシャと大量の銃火器が展開された。機関銃からミサイルまで。いったいこれらをどこに持っていたのかを創始は尋ねなかった。聞いたところでわからないだろうという諦めである。

 

「束さんの意志は理解したし、共感した。じゃあ、僕らも織斑の手助けをしにいこう。正義を成すために」

「正義? 何、それ?」

 

 創始が決め顔で言った矢先、束が首を傾げる。

 困惑した創始は思っていないところで束と意志疎通できていないことに気がついた。

 

「束さんは織斑の正義に共感して手伝おうとしてるんだよね?」

「正義なんて世界のどこにもないよ。あるのは楽しいかそうでないか。今はお前が思っていたより楽しい奴だから一緒に居るだけだし」

「あ、うん。よく、わかったよ」

 

 初対面の印象から物静かで人見知りするタイプの女の子だと判断していた創始だったが思い違いだった。篠ノ之束はどちらかといえば狂人の類。行動や言動に正しさを求めず、楽しさを求めて織斑について回っている。

 創始の考えでは織斑の傍にいてはいけない類の人間だ。だが今になって束を追い出そうとするのは難しい。とりあえずはこの工場の問題を織斑が解決するまでは共に行動するべきだと妥協する。

 

 降りていくにつれて音が聞こえてくるようになった。発砲の音。爆発音。明らかな戦闘の音は徐々に奥へ奥へと消えていく。

 まずは戦況を把握しなけれならない。と、足を止めた創始に目もくれず、束はスタタタと階段を降りていってしまった。一瞬、顔を(しか)めた創始だったが放っておくわけにもいかず、すかさず後を追う。

 金属の板が並んでいるだけのスカスカな階段の隙間からは階下の様子が窺えた。先に降りていたはずの束は階段の一角に陣取って下の様子を()()している。創始もその隣に並んで下を覗き込んだ。

 

「織斑発見。相手は……1人か」

 

 上からは物陰に隠れている織斑の姿を確認できた。右手には拳銃を持っている。銃撃戦をしているのならば障害物を挟んだ状態で相手の隙を窺うのは当たり前だと創始は知っている。

 だから不思議だった。隠れている織斑に対して相手の少年はその身を曝け出している。まるで先に撃ってこいとでも言わんばかりに隙だらけだった。

 少年とは言っても創始よりは見るからに年上で中学生ほどだろうか。手入れのされていないグシャグシャの長い銀髪の隙間からは不気味な金の双眸が光る。

 織斑が先に仕掛けた。物陰から拳銃を向け、躊躇なく発砲する。遠目に見ても狙いは正確。これで普通は勝負ありだ。

 しかしそうはならなかった。銀髪の少年は発砲されてから右に体をズラし、銃弾を回避する。その身体能力もさることながら、動体視力と反射神経は人間の領域を超えている。

 

「ハハハ……まさか本当に化け物が相手だとは思ってなかったよ」

 

 創始から乾いた笑いが漏れる。銃弾を見てから避けるだなどというマンガのような芸当を目の前でやられてしまった。何か手伝おうとしてここまでやってきたというのに今はただ成り行きを見守っていることしかできない。

 それは隣の少女も同じ。しかし彼女は少しばかり事情が違う。敵の異常さを目の当たりにしても束はひたすらに真顔だった。そこに驚愕や恐怖といった感情は一切見受けられない。

 

「うちの怪物よりは弱い。おじさんなら大丈夫そう」

 

 “うち”とはそのまま篠ノ之家のことを指す。驚くはずもない。束にとって銀髪の敵が起こした事象は日常の範囲内だったのだ。

 その事実を察した創始は少しだけ束から距離を空ける。そうして創始が目を離している隙に織斑は敵の少年を捕縛していた。

 

「あれ? もう終わったの?」

「そうみたい。おじさんも普通じゃないからねー」

 

 激しい戦闘は終わっているようだ。今の内なら大丈夫だろうということで2人は織斑のいる階下へと降りていく。

 足音を隠さなかったため、下にいる織斑は2人に気づいて出迎える。その顔は不機嫌というよりも呆れていた。

 

「おいおい……大人の言うことを聞けない悪い子が2人もいるぞー?」

「おかしいですね。僕は織斑から出されてた指示は無視しましたけど、大人の言うことを無視した覚えはありません」

「右に同じー」

 

 創始が屁理屈とも言えない言い訳をすると束もそれに便乗する。いつの間に仲良くなったのやら。この場合は束が楽しそうな方に流れた結果であるのだが。

 

「俺を子供扱いするな! 千冬の親だぞ、俺は!」

「オジサンハイツマデ経ッテモ少年ノ心ヲ忘レナイ素晴ラシイ人ダモンネ」

「素晴らしい棒読みをありがとう、束ちゃん。全く褒めてないよね、それ」

「オジサン大好キ」

「棒読みだけど嬉しいよ、束ちゃん! 俺も大好き!」

「またそんなチョロそうな反応するから束さんが調子に乗るんでしょうに……」

 

 口を尖らせて小言を言う創始は気絶している銀髪の少年の傍で座り込む。

 

「それで、この人はどうするんです? 殺さずにわざわざ拘束しただけの理由があるんですか?」

 

 ここまでの道中、敵と思われる者たちの死体が転がっていた。そのことから創始は普段と違う非常時なのだと認識していて、織斑たちが相手を生かす余裕のない戦いをしているのだと思っていた。

 しかし最も強敵であろう少年兵を織斑は少し時間をかけて殺さずに対処した。おそらくは仲間のバルツェルたちをも先に向かわせてまでだ。理由もなくそのような真似をするとは考えられなかった。

 

「コイツが他の連中とは違ったからだ。俺はここを潰しにきたが誰も彼も殺しにきたわけじゃない」

「そもそもここは何の施設なんです?」

「簡単に言えば、悪い組織の人体実験場だ。おまけに遺伝子操作して新しい強靱な兵士を生み出す研究までやっていた。戦うための人間を機械のように生み出すなんて自由のないことを、この俺が見逃すはずがないだろう?」

「じゃあ、この人は……」

「ここで生み出された兵士の1人ってところだろ。俺にしてみれば生み出されただけで罪だなんて思いたくはない。“生きた化石”の狂信者どもと違って、他の生き方を知らないだけだと思うんだよ」

 

 敵対していた少年に向ける目は慈愛。織斑は自由奔放な男であるが自分勝手で傍若無人なことばかりしているわけではない。自由を愛するが故に、己だけでなく他者の自由も尊重する。

 束はそんな織斑の背をじっと見ている。篠ノ之家にいるよりも楽しい世界を見せてくれるおじさんは学校の先生よりも先生と呼べる存在だった。

 彼のように在りたい。彼の真似をすれば自分もあんなに楽しそうにこの世界を生きられるのではないか。そんな期待が憧れになり、束は織斑を慕う。

 

「というわけで創始に仕事だ。そいつを地上にまで連れてってくれ」

「あなたは忘れているのかもしれませんが僕はまだ9歳の子供ですよ? どうやってこんな体格の男を連れて行けっていうんですか」

「そんなもん……努力と根性と運で」

「無茶ですよ。まあ、挑戦はしときますけどね」

 

 渋々といった様子で創始が銀髪の少年の肩を引き上げる。身長差は歴然としているが足を引きずれば移動できないことはなかった。なんだかんだで創始は地上へと少年を担ぎ上げていく。

 残されたのは織斑と束だけとなる。

 

「さて、束ちゃんも創始のところに――」

「どうして?」

「うん、そう返してくるって知ってたさ! だけど真面目な話、ここから先は束ちゃんには来て欲しくないんだよ」

 

 織斑はこの施設で行われていることをオブラートに包んでしか話していない。現実はもっと凄惨だろうと推測しており、子供に直視させていいものとは思っていない。自由に寛容な織斑が束に帰れと繰り返すのも束を思ってのことなのである。

 そんな気遣いを束が理解していないはずもない。理解しつつも敢えて言い返す。

 

「死体でも転がってるの? それともホルマリン漬けになってる脳味噌の標本でもあったりするの?」

「束ちゃん……?」

「大丈夫だよ、おじさん。私は今更そんなものに怖じ気付いたりしない。だってどうでもいいもん」

 

 何かを見てショックを受けることなどあり得ない。それは子供らしい感情の喪失をも意味する。強靱な心臓というわけではなく、心があると思えない。

 

「……束ちゃんはそんなことを言っちゃいけない」

「どうして? 人はいつか死ぬもの。死んだ人から目を背けるのは弱さ。私は弱くない」

「束ちゃんは死ぬのが怖くないのか?」

「怖がる必要がない。私は誰かに殺されるつもりはないし、いずれ時間が私を殺すのならば素直に受け入れる。それが自然だから」

「柳韻の思想が歪んで伝わっちまってるんだな」

 

 織斑は後頭部をかりかりと掻いた後、束の顔の正面で目を合わせる。

 

「聞き方を変える。束ちゃんは忘れられるのは怖くないか?」

 

 『死ぬ』を『忘れられる』に置き換えられた。それだけで束の顔に動揺が生まれる。

 

「例えばここで束ちゃんが死んでしまったとしよう。でもって非情な俺は束ちゃんのことを忘れてその後の人生を生きていく。死んでしまった束ちゃんはどう思う?」

「それは嫌! おじさんの人でなし!」

「嫌だよね。でも死んじゃってたら束ちゃんの気持ちを俺に伝えることができない。俺は何も聞かないまま束ちゃんのことを思い出さない」

「ひどいよ、おじさん……」

「うん。束ちゃんが死んじゃった後、ひどいことがあるかもしれない。それでも死ぬのは怖くない? 束ちゃんのいない世界で皆が楽しそうにしているのはどう思う?」

「私も……楽しい方がいい」

「よろしい。楽しい方がいいに決まってる。生きてないと楽しいことはできない。今でも死ぬのは怖くない?」

「死ぬのは嫌になった」

 

 この数秒のやりとりで束の人生観が簡単に変わっていく。人の生死に無頓着だった束が生きることと死ぬことについて考え始める。

 

「中にはさっきの少年のように助けられる者もいるかもしれない。だけど俺はこれから多くの人間を殺す。ここから先は楽しくないことばかりだ。それでも見たいのならついておいで」

 

 織斑が束を置いて先へと進む。

 束は一瞬だけ躊躇った。他人がいくら死のうがどうでもいいと考えていたときと違い、他人の死が存在を忘れられてしまうと置き換えられ、怖いことが起きていると刷り込まれている。

 確かに楽しくない。ゲームで出てくる敵キャラとは違うのだ。そんな相手を殺すのを織斑は楽しいとは思っていない。束もそれに共感した。

 束は織斑の後を追う。相手が誰でも殺せば早いと考える思考は過ぎ去っており、その上で織斑がどこを目指しているのかを気にするようになった。

 

 深層まで潜ってきた。先にバルツェルやその部下たちが来ていて無数の死体が転がっている。全て長い銀髪をしていて顔がそっくりな者も多数見受けられる。

 人が量産されていた。束はその事実を冷静に受け止める。

 

「胸糞悪い……」

 

 胸の内の黒い感情を吐露する。人の死が怖いことなのだと教わった直後、人が造られている事実に嫌悪する。

 

「な? 楽しくないだろ?」

 

 束がついてくると確信していたのか。織斑が束を迎えにきた。

 

「ねえ、おじさん。どうしてこの人たちを殺しちゃったの?」

「助けられるなら助けたさ。だけどさっきの奴と違ってここに居る奴らは機械みたいだった。力のない俺たちじゃ、こうするしか救済する道がなかったんだよ」

 

 おいで、と手招きされて束はトコトコと織斑の後をついていく。

 

「どうしてこの人たちが生まれちゃったの?」

「手厳しい質問が来たな。答えなくちゃダメ?」

「うん」

 

 無邪気に頷く束を見て織斑は困ったように頬を掻く。

 

「……人が競い争う生き物だからかな。人というのは1人で生きられない生き物だから、どうしても誰かと手を取り合って生きていかないといけない。大小はあるけど人は必ず他者に依存して生きていく。逆に言えば、他者から自分を認められなければ生きてはいけない」

「私はおじさんとちーちゃんが居ればそれでいいよ」

「柳韻たちも枠の中に入れてやれよ……ともかく、束ちゃんだって1人で生きてるわけじゃない。俺や千冬に自分を認めて欲しいと思ってるだろ?」

「うん。承認欲求だよね?」

「難しい言葉を知ってるなぁ……」

 

 ハハハと小さく微笑む織斑。束は感心されたと思って胸を張る。

 

「人は人に認めて欲しがってる。自らを証明したがってる。その方法が人によって違ってて、研究に生きる者は新しい発見や発想に、戦いに生きる者は戦う力に自分の価値を見出す」

「私とちーちゃんの違いみたいなもの?」

「そう。束ちゃんと千冬が違ってるように、この施設を造った奴も自分の価値を証明したいんだよ。『俺はこんなにも強力な兵隊を簡単に造れるぞ』って」

 

 織斑の回答を聞いた束は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「やっぱり胸糞悪い」

「俺もそう思う。だからこそ俺たちは『そんなの間違ってる』って食い止めに来たんだ」

「楽しくない話だよ」

「最初からそう言ってるだろ。だけど俺はこの後に楽しい世界が待ってると信じてる。少しずつできる範囲で変えていきたいんだよ。この楽しくない世界を」

 

 それは織斑の思想。平和を謳いながら争いの絶えない世界を憂い、裏の舞台で暗躍する者たちの手から世界を守ろうと本気で考えている。

 楽しい世界を作りたい。そう夢を語る男の心境は裏を返せば今の世界を楽しくないと感じているということになる。

 束は自分の周りの狭い世界には多少退屈しつつも楽しいと感じている。しかし一度外の世界に踏み出すと楽しくないことばかりだ。だから束は本能的に織斑が自分と似ていることに気づいていて、それで興味を持っていた。

 

「さてと。一応、俺も乗り込んではみたもののバルツェルたちがほとんど制圧した後みたいだな。ま、束ちゃんを無闇に戦闘に巻き込まないですんだと思っておこう」

「私も戦えるよ?」

「知ってるけど、束ちゃんに人殺しをさせたら俺が柳韻に殺される」

「黙ってたら大丈夫」

「無理だ。俺は顔に出る方だし柳韻は超能力者だと思うくらいに異常に察しがいい」

「そうだね。化け物だもん」

 

 などと共通の見解を交わしていたときだった。

 織斑の視界の端にピクリと動く赤ん坊を見つけた。

 素早く駆け寄った織斑は呼吸があることを確認すると、近くにあった布で赤ん坊の体をくるんで抱き上げた。泣くことのない赤ん坊の開かれた両目は右が赤っぽく、左は金色の瞳をしている。

 

「生まれたて……片目だけが越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)ということは失敗作として破棄される予定だったか」

「助けるの?」

「当たり前だ。コイツは洗脳を受けてない。たとえ愛されて生まれたわけじゃなくとも、愛されないまま死なないといけない道理はないからな」

 

 織斑は来た道を慌てて引き返す。赤ん坊は衰弱している。助けるためには急いで処置のできる設備の整った場所へ行かなければならない。

 束は置いていかれた。と言うよりもついて行かなかったという方が正しい。織斑は見つけられなかったが束は他にも生存者を見つけていた。

 

「こんにちは。生きてる?」

 

 返事はない。束が声をかけたのは織斑の拾った赤ん坊よりは大きい程度の幼子だ。加えて織斑の拾った赤ん坊よりも衰弱がひどく、傍目には生きているようにも見えない。

 

「助けないと、だね」

 

 束はその幼子を拾った。織斑のしたことを真似て、後の楽しい世界のために幼子を助けると決めたのだ。

 

 

  ***

 

 ドイツの一件から1週間が経過した。日本に帰ってきていた束はしばらくは大人しく家にいたのだが、今は豪邸と呼べるほど大きな屋敷の一室で勝手に自分の荷物を広げている。

 

「さて、束さん。今の状況を説明願えるかな?」

 

 傍らには無駄に満面の笑みを浮かべている同い年の少年――轡木創始の姿があった。

 束は創始に見向きもせずに慌ただしく手を動かしながら答える。

 

「家出してきたからここに泊まる」

「僕の許可すら取らずに随分と勝手なことを言ってくれるね……」

「ダメなの?」

「いや。楽しそうだからいいよ」

 

 家主の息子である創始は呆気なく了承した。

 

「そこの子は例の施設で拾った遺伝子強化素体か。元気が無さそうだけど大丈夫なのかい?」

 

 指さす先にはベッドに寝かせられている幼い銀髪の子供。両目を閉じている彼女はここに来たときから全く動く気配がない。

 

「かなり危険だよ。うちの化け物が死人扱いしてきたくらい」

「病院には……無理かな」

「そう。この子は生まれながらにして欠陥を持ってる。手の施しようがないとか言われて追い返されるのが目に見えてる」

 

 かなりハッキリと死にかけていると断言する束。ならば何故彼女は死にかけの遺伝子強化素体を創始の家に連れてきたというのか。

 創始はその答えを理解していた。携帯電話を取り出すと、鞄から取り出した機械部品とにらめっこしている束に声をかける。

 

「こんな客室でいいのかい?」

「私は天才だよ? 場所は選ばない。ただちょっと欲しいものはあるかな」

 

 手早く書いたメモを投げて寄越す。

 

「それだけ用意できる?」

「なんとかするよ。期限はいつまで?」

「今日中」

「仰せのままに。お姫様」

 

 やたらと仰々しくお辞儀をした創始は携帯のボタンをプッシュしながら退室した。

 1人残された束は部品、工具を散らかして黙々と組み合わせていく。

 

「欠陥があるなら、他で補えばいいんだよ」

 

 独り言を漏らす。医学で救えないなら工学で救えばいい。拾ってきた少女を救うための装置の設計図は既に束の頭の中に出来ている。

 注文していた足りない材料は創始が揃えてきた。既に中核部分はこの屋敷にやってきた時点で完成している。あとは少女に組み込むだけの形を整えれば終わり。

 その日の内に仕上がった代物は球体状の機械であった。その中心部で発光しているものが何かは創始には理解が及ばない。ただ言えるのは、現代科学の限界を超えた何かがこの場で生まれたかもしれないということだけだった。

 メスを取り出した束は完成品を少女の心臓付近に組み込む手術を行った。

 篠ノ之束は天才である。失敗はしない。

 

 2日後、銀髪の少女は目を覚ます。結果はわかりきっていると自信に溢れていた束だったが、いざその命を助けたと実感したとき涙を流した。

 ……良かった。

 そう言って抱きしめる束の優しい抱擁は子供を産み落とした母親を思わせる。

 貰い泣きしていた創始があることに気づく。

 

「この子の名前は?」

 

 遺伝子強化素体は施設の方では番号で呼ばれていたと聞いている。だから彼女には本来の名前と言えるものはない。

 束は深く考えることなくぽろっとこぼすように告げる。

 

「クロエ・クロニクル。略してクーちゃん」

「なんだ。もう名前を付けてたのか」

「そ。私はクーちゃんのお母さんになるんだから名前くらい付けないとね」

「とりあえず順調に助かったってことで良さそうだね。じゃあもう家に帰ろうか。柳韻さんも心配してるよ」

「誰が帰るか、あんなとこ!」

 

 さっきまで深い慈愛に満ちた目をしていた束が急激に激昂する。

 

「あれ? 家出の理由ってクーちゃんのことだったんじゃないの?」

「あの化け物にクーちゃんを見せられるわけないよ」

「確かに柳韻さんに遺伝子強化素体を見せるのは織斑的にもよろしくないかも」

 

 篠ノ之柳韻はドイツの件に絡んでいないため遺伝子強化素体の事情には理解がない。現状では束が捨て子を拾ってきたようなものである。

 

「だからクーちゃんをここに泊めて」

「実の親と徹底抗戦する気なんだね……? わかったよ。僕もそれに付き合う」

「さっすが、おじさんの一番弟子! 話をわかってくれるね」

「はいはい。僕の父には上手く言っておくから、束さんは束さんでちゃんと家の方に連絡を入れるんだよ?」

「えー、面倒くさーい。そうくんが代わりにやっといてくれない?」

「自分の親を大切にしようよ……ん? そうくんって僕のこと?」

「他に誰がいるの?」

「いないね」

「嫌だった?」

「ううん、全然。むしろ意外にいい感じだった」

 

 破天荒に周囲に人間をかき回していく台風のような束を、創始は持ち前の超がつくほどの包容力で受けきってみせた。気を良くした束は眠っているクロエの頭を撫でて微笑みかける。

 束の発明品が遺伝子強化素体であるクロエの命を救った。これこそが世界で最初のISコアである。

 

 

  ***

 

 束がクロエを救出してから2年後。

 織斑が亡くなった。妻と2人で外出中の交通事故だと知らされる。

 束は通夜にも葬式にも出ることなく事故現場を調べていた。慕っていた人の死を悼むことよりも、真実を追求することを優先する。涙を見せないまま淡々と事故を追いかけた末に不可解な点があることに気づく。

 

「相手側にブレーキ痕がない……?」

 

 交通事故の概要は織斑の運転する乗用車と大型トラックの正面衝突。1車線のみの山道であるから正面衝突自体は不自然ではない。問題は正面から車が来た際の運転手の対応である。

 普通なら衝突を避けるためにブレーキをかけつつハンドルを切る。左側を走る日本の運転手ならば反射的に左に逃げようとするだろう。織斑の車のブレーキ痕はその例の通りに左へと向かっている。

 しかし相手側は全くブレーキを踏んでいない。それも右側へとハンドルを切っている。それこそわざとぶつかろうとしない限り大事故にはなりえなかったほどに。

 

「おじさんは殺された……」

 

 悲しみを全く顔に出さない束だが、怒りだけは隠そうとしない。震えている両手の拳から血が滴るほど固く握りしめている。

 

「やっぱりここにいたのか、束さん」

 

 後ろから声をかけてきたのは創始。共に織斑を慕っていた同志とも言える存在で、発明家としての束の支援者でもある同い年の少年。彼がこの殺人の証拠に気づいていないと束は思っていない。

 ――そして、明らかに殺人事件であるにもかかわらず事故として処理された事実にも気づいていることだろう。

 

「そうくん。私、おじさんとの誓いを破ってもいいのかな……? もう今だったらおじさんがうちの化け物に殺されることはないんだしさ」

 

 織斑は束に『人を殺すな』と厳命してきた。軽々と強力な兵器を持ち出せる束にとって人の命は恐ろしく軽い。身内以外の人間に価値を見出せない冷めた心は兵器の引き金すらも軽くする。織斑はそんな束のストッパーとなってきていた。

 その(たが)が外れてしまった。ある意味で抑圧されてきた黒い感情が一気に束の胸の内を占めてしまっている。このままだと束は殺戮へと向かうことも厭わない。

 

「つまり、束さんは織斑を忘れるってことだね?」

「え……?」

 

 同意してくれるのを待っていた束は驚愕で目を見開く。

 

「私がおじさんを忘れる? 何を言ってるの?」

「だって織斑は束さんに人殺しをさせたくなかったんだよ? 束さんもそう誓った。それを破るのは織斑との今までを束さんがなかったことにしようとしていることになる」

「違う! 私は――」

「違わない。単なる復讐は人を殺さない誓いを破るだけでなく、織斑の目指していた“楽しい世界”からも遠ざかる。だって束さんが復讐したところで、楽しくないでしょ?」

 

 まさかこの期に及んで初めて出会ったときと真逆の立ち位置になるとは思っていなかった。

 最初は束が創始に『楽しければいい』と言っていた。今は同じことを言い返されている。

 想像してみた。織斑を殺した相手を束が自分自身の手で殺すイメージを湧かせる。正直に言えばスカッとする。しかし楽しいかと問われると少し違っていた。

 

「……ねえ、そうくん。今の世界は楽しい?」

「全然まだまだ」

「楽しいって何だろう?」

「僕はまだその答えを見つけてないよ。きっと束さんも」

 

 その通りだ。束には常識外れの知識だけはあっても知らないこともある。織斑の目指していた世界が何なのかを正確には理解していない。

 楽しい世界という理想郷に至る道がまるで見えなかった。それがたまらなく悔しい。天才を自負する自分がわからないままで終わることはできない。

 相手を殺すという復讐は逃げだ。理解を放棄するなど篠ノ之束にはありえない。

 

「そっか。私が楽しい世界を作ればいいんだ」

 

 やるべきことが見えた。織斑が志半ばで倒れたのなら、それを引き継げばいい。わざわざ織斑を殺したのだから、その相手は織斑の作ろうとしている世界を快く思っていないのは明白。ならば楽しい世界を作ることこそが間接的な仇討ちになる。

 

「先に言われちゃったね。僕も手伝うよ」

「ありがと。頼りにしてる。主に資金面で」

「僕は財布か……まあ、いいけど」

「じゃ、これから2人で頑張ってこー!」

 

 と束が右手を振り上げたときだった。

 

「待て。私を除け者にする気か?」

 

 近くの茂みががさがさと揺れて1人の少女が姿を見せる。歳は束たちと同じ。目つきは鋭く、その姿勢は無駄にピシッとしていて歩く姿に隙がない。

 

「ちーちゃん!? どうしてこんなところに? お葬式は?」

「いつの話をしている? 昨日終わった」

「いっくんは放っておいたままなの?」

 

 いっくんとは織斑一夏のこと。千冬がここにいるということはまだ物心つく前の幼い弟を1人家に残してきたことになる。

 

「雪子おばさんに預けてきたから心配するな。そもそもお前も妹を放っておいて家に帰ってないだろう? 人のことは言えないな」

「うぐ。それはそうだけどさ」

 

 千冬に言い返されて束は言葉に詰まる。父親が生きているとは言え、姉があまり家にいないことに変わりない。

 

「話を戻すぞ。お前たちはこの私を差し置いて父さんの仇討ちをしようとしているのだな?」

「え、う、うん。一応はそうなる……のかな?」

「前々から気に食わなかったからハッキリ言ってやろう。あの人の娘はこの私だ! 勝手に娘を気取るな!」

「むっ! ちーちゃんがうちの化け物にばっかりくっついてて寂しそうだったおじさんと遊んでてあげたんだよ!」

「それは違う。お前が先生を毛嫌いしてたから真面目に稽古を受けていた私が相対的に近かっただけのこと。私のせいではない」

 

 事故現場の付近で束と千冬はバチバチと視線で火花を散らす。この場に居合わせてしまっている創始は『長くなりそうだ』とぼやくとその場に腰掛けて成り行きを見守った。

 

 この日、3人で世界を変えようと誓った。

 これがツムギの始まりである。

 

 

  ***

 

 ツムギの活動は低年齢な構成メンバーからは考えられないほどに過激なものだった。世界各国を飛び回り、犯罪者を片っ端から捕まえていく。時には武力を行使してでも目的のために一直線であった。

 メンバーも増えた。その中には傭兵として紛争地帯に飛び込んでいった遺伝子強化素体の姿もある。ツムギは世界中の争いに何かしらの関わりを持つほどの巨大な組織となっていく。

 全ては楽しい世界を作るために。つまらない世界を否定するために彼らはその手に武器を取る。復讐を否定した彼らであるが、手段としての戦闘は辞さなかった。

 そうして活動を進めていくうちに明確に敵対すべき組織の存在が浮き彫りとなった。

 亡国機業(ファントム・タスク)

 100年以上も前から戦争の影で暗躍している武器商人の集団であり、平和を謳っている現代でも各国の裏に潜んでいる者たち。他者を操って自らの利益としている彼らの存在は織斑の思想と相反するものであり、ツムギが目指す世界の最大の障害なのである。

 織斑が襲撃した施設も亡国機業が関わっていたことはバルツェルから聞いていた。織斑が殺されたのにも亡国機業が関わっている可能性が高い。ツムギはこの組織を潰さなくてはならない。

 全貌を掴めなくとも存在は認識できている。束たちは徐々に亡国機業の構成員を捕らえ始め、少しずつではあっても亡国機業にダメージを与えていった。

 

 ツムギが活動を開始してから2年と少しばかり経った頃、世界に変革の時が訪れる。

 亡国機業がツムギを殲滅するために大きく行動を開始した。

 ツムギの構成員には日本人が多い。特に中枢メンバーは日本人ばかりである。

 たったそれだけの根拠で亡国機業が仕掛けてきた攻撃はツムギを日本ごと殲滅するというもの。日本を攻撃できる弾道ミサイルを一斉に発射するという、目標に対して過大すぎる攻撃を行なったのである。

 

「狂ってやがる! オレたちが目障りだからってここまでやるのか!?」

 

 ツムギの主要メンバーが集まっている場。メンバー中では大人と呼べる遺伝子強化素体の男、メルヴィンの叫びに全員が頷いた。

 

「これは流石に驚いた。まさか奴らの影響力が大国のトップにまで伸びているとは思わなかったよ」

「やけに冷静だな。何か策でもあるのか?」

「策でどうにかなる状況じゃないよ。だけど悲観もしていない。僕らには女神様がついてるんだからさ」

 

 創始が視線を向ける先には機械仕掛けのウサ耳を付けた束がしたり顔で胸を張っている。

 

「うん、この程度ならどうとでもなるよ」

「マジかよ……具体的には何をするんだ?」

「簡単なことだよ。ミサイルが落ちてくる前に全部叩き落とせばいい」

 

 一瞬だけその場が静まりかえった。

 その反動であるかのようにメルヴィンが叫ぶ。

 

「バカなことを言ってるんじゃねーよ! 弾道ミサイルが1000発や2000発単位で飛んでくるんだぞ! 今、こうして話してる間に着弾するってのに!」

「そうだねー。だから今から行ってくる。箒ちゃんといっくんがいるこの世界を壊させたりはしないから」

 

 とぼけた口調に反してすっくと素早く立ち上がると束は外に走っていった。

 

「アイツ、何をする気なんだ?」

「僕も良くは知らないよ。千冬さんは何か聞いてる?」

「いや。だが束が出来ると言ったのだから出来ないことはないだろう」

 

 千冬と創始は束に絶対の信頼を置いている。人格にではなく技術に。その手が紡ぎ出す出来事はまるで奇跡のようであっても束にとっては普通のことだ。

 

 この日、後に白騎士と呼ばれる、世界で最初のISが空に現れる。成層圏よりも高く飛翔した白騎士は地平線を一筆で描けるほどの長さにまで伸びた光の大剣を振るい日本に迫っていたミサイルを全て叩き斬ってみせた。

 ツムギを壊滅させるためだけに行われた日本へのミサイル攻撃はたった1機のISによって阻まれた。この事実はすぐさま各メディアを通して世界中に発信される。弾道ミサイルを容易く無力化した超兵器が存在するという事実は世界の軍事バランスを保ってきていた相互確証破壊の崩壊を意味し、結果的に世界の軍事を裏で牛耳っていた亡国機業の権威が失墜することにつながった。

 

 世界が変貌したきっかけとなったこの事件は白騎士事件と名付けられた。

 

 

  ***

 

 白騎士事件から3年が経過する。篠ノ之束が世界に公表したISはそれまでの常識を覆す驚異の性能を持っていた。しかし、ただ純粋に超技術が現れたではすまない大きな問題も抱えていた。

 ISは女性にしか扱えない。

 この使用制限がネックとなり、世界中で男女間に新たな亀裂が生じることとなる。

 

 なぜこのような制限がかかってしまっているのか。

 千冬は一度、束に確認してみたことがある。

 その回答はこんなものだった。

 

『うちの化け物を正面から打ち倒すために作ったからね。あの化け物が使えないという条件を加えられればなんでも良かったんだよ』

 

 公表された事実とは異なり、束の意図した制限であったことが発覚した。そもそも束が親子喧嘩で勝つために生み出されたのがISだという。

 加えてツムギを率いている創始がこれに追い打ちを入れた。

 

「男が使えない設定はそのままにしておこう。必要以上に有用性を示してしまうのは良くない。男の自尊心に傷をつける現状の方が必要以上な軍事的発展を阻害できる効果を期待できる」

 

 創始は白騎士事件を世界へのプレゼンテーションの場として整え利用した。その理由は亡国機業の軍事的な権力を失墜させるため。万能の兵器でなくとも、亡国機業の支配体制さえ崩せればISの公表は成功だといえる。

 束と創始によって生み出されたISの微妙具合はある程度は上手く機能していた。女性しか使えないもの、しかも数が限られているものを軍事の中枢に据えようという動きは小さかった。

 

 しかし良いことばかりとも言えなかった。欠点を抱えていようと超兵器なことには変わりない。量よりも質を体現するような兵器を利用する上で、各国首脳が導き出した答えは『優秀な操縦者を集める』ことだった。

 自国に優秀な操縦者を引き込むために女性優遇の法整備がなされる。世界中で女性優遇の法律が蔓延し、女尊男卑と揶揄される風潮が出来上がってしまう。

 わずか3年の間。人々の意識がまだ女尊男卑に染まるはずもないが、このまま女性優遇の法体制が続いてしまうと、やがては女尊男卑が当たり前の世代が生まれてきてしまう。

 

「ということで2人に来てもらったわけなんだけど、いい案はない?」

 

 珍しく創始が困った顔で束と千冬に相談する。自分たちの行動で世界中が混沌とした状態になっていることに責任を感じずにはいられない。

 

「別に今のままでもいいよー。見てる分には面白いし」

「束さんに聞いた僕が間違いだった。千冬さんは?」

「私がISを使って柳韻先生と戦ってみよう。そこで私が負ければ男が弱いという風潮ではなくなる」

「いや、それだとISが弱いと思われるか柳韻さんが化け物ってだけだから失敗だね」

 

 千冬の提案を否定したが創始にはピンとくるものがあった。

 

「そっか……法律を変えさせようとしなくても人々の意識を変えさせなければいいのか」

「具体的には?」

 

 聞き返された創始はニヤリとしたり顔を見せる。

 

「何も思いつかない」

「……そうか」

 

 千冬は束を連れて創始の部屋を出て行こうとした。

 

「待って! 本当にノーアイディアだから助けて!」

「私にはそうくんが何を困ってるのかがわからないんだけど……そうくんが何かの答えを出さないといけないの?」

 

 これまた珍しく束が真面目な顔をして創始に尋ねた。

 なぜ創始が女尊男卑問題に立ち向かう必要があるのか。

 その答えは簡単だった。

 

「楽しい世界じゃなくなると思ったからね」

「ふぅん……」

 

 2人にはこのキーワードだけで通じるものがある。言われてみればこのままで織斑の目指した世界になるとは思えない。この瞬間から束にとっても由々しき事態となった。

 だが束には難しい問題である。物理法則すら無視しそうな発明を生み出す頭脳を持っていても人間の心理は全くの専門外であり、凡人よりも圧倒的に理解力が足りていない。

 

「ねぇ、クーちゃんはどう思う? 何かいいアイディアはないかなぁ?」

 

 束は自分にくっついていた銀髪の少女、クロエに猫なで声で聞いてみた。

 束の背中側からひょっこりと顔を出したクロエは両目を完全に閉じているのだが正確に創始の方へと顔を向けた。高校生の年齢である彼らと比較して1人だけ幼い彼女であるが、その物腰はとても落ち着き払っている。

 

「皆で楽しく、ということなら男性も使える状況が手っ取り早いと思われます」

 

 言葉遣いもやけに大人びていた。とは言ってもこの場にいる3人はそんなクロエを当たり前だと思っている。

 

「うーん……男性の使用制限解除はまだするべきじゃないんだよ。せめて亡国機業の中枢を壊してからでないと」

 

 クロエの提案にも創始は渋い顔を崩さない。

 

「楽しくというのが無茶があるだろう。私たちはISを兵器として広めてしまった後だ。武器はどう取り繕ったところで武器にしかならない。今、主立った企業や国連がISをスポーツにしようという動きを見せているが、実質的には戦争の代替物でしかないしな」

 

 千冬からも厳しいコメントが出る。主にクロエの口にした『楽しく』という部分を指摘するもの。そして『スポーツ』という単語が出てきたことで1つのアイディアが生まれた。

 

「そうだ! 限定的空間で制限を解除すればいい! 男女関係なくどころか、一般の人でも限定的にISを使える環境を用意しよう! そうすれば男性の劣等感を少しは抑えられるし、いつか制限解除した日に男性がすぐにISを使いこなすことも可能かもしれない!」

 

 創始1人だけがテンションを上げる。首を傾げる3人に創始は意気揚々と宣言する。

 

「ゲームを作ろう!」

 

 既に具体的な案は固まっていた。

 クロエの単一仕様能力“幻想空間”はISコアの中に仮想世界を生み出すことができ、人の意識をその中に潜り込ませることができる。これまではその有効利用法が『相手に幻覚を見せる』ことだけだったが、対象に疑似体験をさせることも可能だ。これを応用する。

 その仮想世界で誰もがISを使える状態にする。具体的な製作は束ができるはずだし、ゲームとしてのシステムは創始が考えればいい。

 

「なるほどねー。じゃ、早速取りかかるよ」

 

 束は創始の提案を全面的に受け入れた。

 この1年後、世の中にISVSが普及し始めることとなる。

 

 

  ***

 

 再び時は移り、3年の時が経過した。ISVSの普及は始めこそ上手くいかなかったものの、この頃になると現実でのIS競技が廃れてISVSに移行するようになりはじめる。

 束は黒いペンダントを首から提げるようになった。常に傍らにいたはずの盲目の少女の姿はどこにもない。ISによって支えられてきた彼女の肉体は限界を迎えていて、とうに葬られている。ペンダントはその代わりと言える代物だった。

 

「ねぇ、クーちゃん。次はどこに行こっか?」

 

 独り言を呟くように胸のペンダントに話しかける。すると返事があった。

 

『束さまのお好きなところへどうぞ』

「そういうのが一番困るんだよね。我が儘を言ってくれた方が私は嬉しいんだよ?」

『私は束さまと一緒に居られればそれでいいです』

「あー、もう、かわいい!」

 

 愛おしそうにペンダントを撫でる束。それもそのはずで、このペンダントこそが今のクロエの身体である。

 クロエは束に生かされた時点で体の半分がISとなっていた。時間と共にクロエの体は成長していったのだが、同時に人の部分が機能しなくなっていった。12歳時点で成長が止まり、残された身体も死に体となる。

 そのまま人として死ぬ選択肢もあった。クロエがそれを望めば束は受け入れたことだろう。しかしクロエは束と共に在ることを望んだ。たとえ人としてでなくとも、共にいたかったのだ。

 

 クロエはIS“黒鍵”として生きている。

 

『あ、1つだけ思いつきました』

「行きたい場所? どこどこ?」

『イギリスです。たしか場所はロンドンで良かったかと』

 

 顔のないペンダントがドヤ顔を披露している。束にはそんなように見えた。

 

「あのね、クーちゃん。そんな変な気を回さなくてもいいんだよ」

『何のことでしょう?』

「とぼけたところで無駄無駄! そうくんの出張先だから選んだのはわかりきってるんだからね!」

『束さまはすごいです。しばらく顔を合わせていない創始さまのスケジュールを完璧に把握しているだなんて』

「ま、まあね。天才にかかればこのくらいは当たり前――」

『ちなみに千冬さまは今どこに居られるのでしょうか?』

「…………」

 

 束は固まってしまった。

 ペンダントからはクスクスと笑う声が漏れる。

 

『細かい話はさておき、早く行きましょう』

「クーちゃん。私をからかってない?」

 

 口を尖らせつつ、渋々ながら束はIS“黒鍵”を起動させてふわりと浮き上がる。向かう先はイギリス。具体的な位置は現地に到着してから改めて調べることにした。

 ISを使った飛行で束はあっという間にイギリスに辿り着く。クロエの意図に従って創始の居場所をすぐさま探す。事前に発信機は仕込んである。見つかるまでは時間の問題だ。

 何かしらの乗り物で移動中であることは発信機の反応から見て取れた。ところがその信号はいきなり消えてしまう。

 

「あれ? もしかして、そうくんに気づかれて壊されちゃった?」

 

 自分の開発した作品には自信がある。束は不具合を一切疑わず、発信機自体が破壊されたのだと分析する。

 

「でも、そうくんだったら気づいても笑って許してくれると思うんだけどなぁ……」

 

 織斑の元で出会って以来、志を同じくしてきた男のことを思う。体感的には束と一般人の間に立っているような男で、彼の存在は浮き世離れしていた束を一般的な常識の中につなぎとめていた。

 今の束の精神的な土台を作り上げたのが織斑なら、それを育んできたのは創始である。共に成長してきた間柄であり、彼の異常すぎるほどに穏和な人柄は誰よりも知っている。我が儘な束を織斑のように受け入れてくれた彼が、今更になって束の仕掛けた発信機に不快感を示すとは考えにくい。

 

『束さま……? どうしました?』

 

 心配そうにクロエが声をかける。今の束は顔面が蒼白になっている。長年共に過ごしてきたクロエが全く見たことのない顔色だった。

 束から返事はない。無言で空を飛ぶ。何回もイグニッションブーストを繰り返して、発信機の信号が消えたポイントへと急ぐ。

 

 ついに辿りついた場所は地獄絵図となっていた。

 

 なんでもない田舎の線路。都市間をつなぐ列車が脱線し、車体があちらこちらで大破している。

 悲鳴と慟哭が支配する阿鼻叫喚とした事故現場に降り立った束は足早に車体へと走った。横転している車両の天井部分を引き裂いて内部へと突入する。

 倒れた人が折り重なり、鮮血が内装を赤く染めている。血生臭い空気の中を束はただ1人を探して彷徨(さまよ)った。

 見つけた。その瞬間、束はその場で膝を折る。

 

「そうくん……?」

 

 事故現場ではすまされない惨状が残っていた。壁、床、天井のありとあらゆる面に穿たれているのは銃弾の痕。正しく蜂の巣となっている室内の座席にぐったりと体重を預けている男は見間違えようもない。創始だった。

 ただの脱線事故ではない。これは創始を狙った敵の仕業。ツムギの指導者を確実に殺した上で、大事故としてこの件を処理しようとしている。織斑のときと同じ。明確な殺人の証拠があろうと敵は握りつぶすだけの権力を有している。

 

「ねぇ……そうくん……」

 

 束はふらふらと立ち上がる。涙を見せない無表情なまま創始に歩み寄った束は彼の血塗れの頬をそっと撫でる。

 

「私にはわからないよ」

 

 胸の内を喪失感が占めている。虚しさばかりが溢れてくる。

 

「本当に……楽しい世界なんてこの世にあるのかな……?」

 

 束は創始の顔に自分の顔を寄せた。額と額をくっつける。彼に残された体温を感じるために。彼とまだ通じ合っていたいと祈る。

 答えは返ってこない。楽しい世界を作ろうとしていた男は2人とも束の元から去った。残された束はこの世の全てに興味がなくなる。

 

 この日を境にして篠ノ之束は歴史の表舞台から姿を消した。ツムギは崩壊し、ISを理解し始めた亡国機業が再び暗躍を始めることとなる。

 

 

  ***

 

 創始の死後から2年もの間、文字通りの隠居をしていた。世俗との関わりを絶とうとしても篠ノ之束はまだ世界が必要としている人材である。ISコアの秘密を握ったまま、唯一ISコアを作ることの出来る束を放置すればいいと考えるものなど居るはずもなく、敵味方を問わずに追われる身となっていた。

 たまに千冬とだけは連絡を取っていた。ツムギが無くなってもまだ亡国機業と戦っているという千冬を支援することもなく、ただ話をするだけ。話題は主に一夏と箒のことばかり。一夏が毎年の1月3日に篠ノ之神社に通っているという話も千冬の口から聞いていた。

 

「いっくんと箒ちゃんにも迷惑しかかけてない。2人とも、今が楽しいわけないもんね……」

 

 自分たちがツムギとして活動していたために箒を別人として一夏の傍から引き離した。全ては箒の身の安全のため。束の親族は人質に取られる可能性が高い。ツムギを殲滅するために弾道ミサイルまで持ち出した狂人連中が相手では柳韻がついているだけでは安心と言えなかった。

 そこまでしても束は楽しい世界に辿りついていない。犠牲に払ったものだけが大きく、成果は全くと言っていいほどない。今のところ、世界中を引っかき回しただけで終わっている。だから一夏や箒の前に顔を出すことは不甲斐なくてできなかった。

 

 そんな折り。無気力な束に1つの連絡が届く。束宛というわけでなく、ツムギの残党から千冬への通信を勝手に傍受していたクロエが垂れ流したものだ。

 ――文月奈々が監視下から抜け出した。

 年の明けたばかり、1月2日の夜のことである。無気力だった束の目に光が灯る。

 奈々――箒が姿を眩ました理由はわかりきっている。一夏との約束を果たすために護衛の目を振り切ろうとしている。

 

 それはいけない。篠ノ之神社に近寄るのは危険だ。

 

 束は自らの身体に活を入れた。現実逃避を続けていた彼女の胸の内には僅かに心が残っている。今まで振り回してきた妹のことまで『どうなっても構わない』と思うような非情さは持ち合わせていない。

 

「クーちゃん! 神社に行くよ!」

『はい。しかしその前に悪い報せがあります』

 

 久方ぶりに黒いペンダントを首から提げると、ペンダントが語り出す。

 

『こちらをご覧ください』

 

 束の視界に表示された画像は篠ノ之神社を中心とした日本の関東地方の地図だった。そのうち、北陸地方から首都圏に向けて日付付きの×印が数カ所に付けられている。その場所に束は心当たりがない。

 

「これは何?」

『ここ1週間ほどのとある変死事件の死体発見現場です。被害者は10代中頃の男女問わず。警察は心臓麻痺として処理している場所もありますが、私は関連性があると見ています』

「これって、日本海辺りから移動してきてる?」

 

 日付の古い順に×印のポイントを追っていくと変死事件の発生が一定の速度で移動していることがわかる。そのままの方角と速さで場所を移していくと翌日には束にとって馴染み深い場所にぶち当たる。

 

「篠ノ之神社……それも1月3日!?」

『おそらくこの事件の真の狙いはそこでしょう』

「変死って言ってたけど、具体的には?」

『外傷も何もなく、眠るように息を引き取っていたそうです。黒鍵のデータベースに照らし合わせると過去に似た事例が発見できました』

「Illだね」

 

 クロエの返答を待つことなく答える束。ISを開発する際に参考にしていた織斑の資料の中にあった実験の内容と酷似している。十中八九、該当する兵器がISの後追いで完成したと見ていい。

 創始が死んでから2年。その間、束は現実と向き合ってこなかった。ISコアが増産されなかったために亡国機業が新しい行動を起こしてきていても不思議ではない。

 

「でもどうして日本に?」

 

 束の疑問にはクロエがすぐさま回答する。

 

『白騎士事件と同じです。全ては束さまと敵対しているからこそ。おそらくは篠ノ之神社に束さまを呼び出すためにわざと狙いがわかるように動いています』

「そこまで予測してて、どうして黙ってたの?」

『束さまに仕掛けられた罠なのは見え見えでしたから。今、お伝えしたのは束さまが知らずに死地に飛び込むのを避けるためです。箒さまが篠ノ之神社に行く可能性さえなければ束さまが行く必要も生じませんでしたので、現状は私にとってもイレギュラーな事態で――』

 

 違う。箒が篠ノ之神社に向かっているのは敵にとっても予想できない事態のはず。だから本当に餌にされているのは箒でなく一夏だ。

 

「急ぐよ、クーちゃん。このまま放っておくと、私はちーちゃんにも顔向け出来なくなる」

 

 敵の罠だとはわかっている。それでも束には向かうだけの理由があった。

 今度こそ失敗しない。

 今度こそ奪わせたりしない。

 束に見えている小さい世界からこれ以上人がいなくなって欲しくなかった。

 

 千冬にも連絡を入れた後で篠ノ之神社に辿りつく。

 鳥居をくぐったその先に待っていた光景は最悪の事態そのものだった。

 

「箒ちゃん……」

 

 箒を含めた女子が2人倒れている。一夏の姿こそ見当たらないが、束が間に合わなかったことに変わりない。

 傍らには車椅子に腰掛けている老人がいた。髪はなく、白い髭を存分に生やしたしわくちゃの男の左目は機械化されていて、無機質なピント合わせのカチャカチャした動きが逆に生物のようである。

 

「ようやく来たか、篠ノ之束よ」

 

 見た目に反して声は若い。しかしところどころに雑音が入っていて若干聞き取りづらい声だった。まるで古いカセットテープを再生したときのような声は明らかに肉声ではない。

 車椅子の老人は目も喉も機械化されている。束から見て『美しくない』人体改造を施している相手が何者なのか、束はすぐに察することができた。

 

「亡国機業の親玉……」

 

 創始が突き止めていた亡国機業のボス。百年以上も前から存在し、代替わりすらすることなく現代にも生きていて、裏の世界でついた異名は“生きた化石”。類稀な頭脳を持っており、突出した技術力を背景に世界を征したマッドサイエンティストは人の身体を捨ててまでこの世界に君臨しようとしている。

 

「私の名はイオニアス・ヴェーグマン。察しているとおり、君たちが亡国機業と呼んでいる組織を率いている者だ。こうして他人に名乗るのも何十年ぶりのことであろうか。自己紹介などに意義があることなど久しくなかった」

 

 老人は自分から名乗った。今までツムギが追っていても居場所を全く掴めなかったというのに、呆気なく束の前に姿を見せている。その理由は隠れる必要がないからに他ならない。

 

「さて。聡明な篠ノ之束博士ならば既に理解していることだろう。私は何のためにここに来て、既に何をしたのかを」

 

 束は無言で人差し指をイオニアスに向ける。表情こそ変えないが、その目は暗く淀んでいる。明確な殺意が視線に現れている。

 人を殺すなと大切な人2人に言われてきた。束もそれを守ってきた。全てはいずれ来る楽しい世界のために。手を汚した束では辿り着けないと言われてきたからだ。

 でももう無理だ。束がいくら堪えても2人は帰ってこない。その元凶が目の前にいて、箒も巻き込まれた。殺しても殺さなくても楽しい世界がやってこないのなら、自分の中の衝動に従えばいい。

 IS“黒鍵”を展開する。水色のワンピースが黒く染まり、漆黒の6枚羽が背中に広がった。

 

「お前を殺す……」

「わかりやすい危険分子で助かる。ISを造り上げた技術力を生かすか悩んでいたが、結論は出た。君は私の世界に必要ない存在だ」

 

 老人が車椅子ごと宙に浮き上がると黒い霧に包まれる。一瞬の後、黒い霧が晴れると車椅子が消失して、代わりに灰色の装甲を纏った直立姿勢の老人が姿を見せた。 

 男はISを使えない。それは半分機械化していた老人でも同じことである。つまり老人が使っているものはISではない。束の持っている答えはIllのみ。

 

「君と私が相容れることなどありえないのは知っている。織斑の襲撃に始まり、ツムギの武力介入は非常に煩わしいものだった。何を目の敵にされていたのかは全く知らないが、降りかかる火の粉は払わねばならん。この15年に渡る人類にとって無益な争いを今日この場で終わらせようではないか」

 

 戦闘が始まる。

 老人の身体から黒い霧が溢れて周囲を覆っていく。この霧は触れただけで危険であると、束は初見であっても看破した。手を象った黒い霧が束に迫るが、束は至極冷静に人差し指を霧の手に向ける。

 小さな所作だ。たったそれだけでイオニアスの黒い霧は文字通り雲散霧消する。

 

「ほう……ファルスメアの特性を見抜かれているか」

「人の魂を食らうIllの根源は人の思いを力にするISのエネルギーも同じように食べてしまう。でも霧状のものをコントロールする技術はISのPICを流用している。だからこっちも同じように干渉してやれば形を維持できない」

 

 束の指から放たれたのは黒鍵の装備などではない。IS操縦の上級者ならば誰でも使うAICを自分から離れた場所に適用しただけのことだった。しかしAICの遠隔使用、それもブリュンヒルデのブレード攻撃と同規模のものはIS戦闘において常識外れのものだ。

 本来、ファルスメアをAICで突破することはできない。しかし束は力業でねじ伏せる。単なるIS開発者で終わらない、次元の違いが如実に現れていた。

 口では冷静を装っているイオニアスだが実際は全く余裕がない。それどころか勝算が既に無くなっている。

 束は無言で指鉄砲を乱射する。イオニアスを守っていた黒い霧は射出されたAICの力場を前にして次々と剥がされていき、ついには本体からの供給が追いつかなくなる。そしてたった一発のAIC弾が直接左肩に命中すると、イオニアスの左腕が肩からもがれた。

 

「ぐ……まさかここまでの差があるとは」

「所詮は胸糞悪いだけの玩具。こんなもので粋がっている奴がおじさんやそうくんの敵だったなんて拍子抜けだよ。たった1人でのこのこと束さんの前に出てきたのは愚かでしかない」

 

 地上に墜落したイオニアスを束が見下ろす。呆れていると言いたげに溜息を吐くが胸の内は自分への静かな怒りが満ちていた。その感情すらも目の前の敵への憎悪に切り替えて、とどめを刺すために人差し指をイオニアスに向ける。

 

「私の生など些細な問題だ。後継者は用意している。このガラクタに等しい身体で篠ノ之束の精神を殺せるのならば、喜んでこの身を差しだそう」

 

 この絶体絶命の窮地を前にして、イオニアスは笑っていた。その顔を前にして束は一瞬の躊躇をする。その隙があればイオニアスには十分だった。たった一言さえ発することが出来ればいいのだから。

 

「私を殺せば君の妹も死ぬ」

 

 束は攻撃をすることが出来なくなった。腕を下げて、イオニアスを視線で殺す勢いで睨みつける。無感情に見えていた束の表情に明らかな感情が宿っていた。

 

「事態の理解が早くて手間が省けた。篠ノ之箒はまだ生きている。もっとも、まだというだけではあるのだが」

「……クーちゃん、生体反応のチェック」

 

 呟きに近い声量で指示する。黒鍵のセンサーは視界内にいる箒にまだ息があると断定している。イオニアスの発言は間違っていない。

 ……ああ。まだ手遅れじゃなかった。

 怒りの感情がきっかけではあったが束は冷静さを取り戻す。怒りとは別に安堵も覚えている。

 

「要求は何? 武装解除? ISコアの生産?」

 

 まだ死んでいないのなら、束には箒のために出来ることが残っている。

 

「武装解除だ。今更ISコアの数が増したところで私の益にはならん。むしろ邪魔な存在だ」

「わかった」

「ダメです、束さま!」

 

 束はイオニアスの要求に従って黒鍵を解除した。待機状態である黒いペンダントを首から外して右手に掲げる。

 

「これでいい?」

「うむ、そのまま何もせずに立っていろ。下手なことは考えない方が妹のためだ。もはや私が特別に手を下さずとも篠ノ之箒は絶命する。助けるためには私が彼女を解放するより他に方法はないのだから」

 

 イオニアスの右手に黒い霧が集まる。人の命を容易く奪ってしまう闇が、その攻撃的な意志を剣として形を成す。

 

「避けることも許さぬ。大人しくこの場で絶命するがいい」

 

 篠ノ之束を害さんと闇の凶刃が振り上げられる。人質を取られて無抵抗を強要されている。下手に手を打てばその時点で箒の命はない。

 

「束さま。敵が箒さまを助ける保証はありません。要求に従ってはダメです」

「わかってるよ」

 

 イオニアスのIllは既に箒を食らった。タイムラグがあるが食われた者は死亡する。まだ助けられるという言葉が真実であっても、束の死後に面倒な手順を踏んでまで口約束を守る理由はない。そんなことはわかっている。

 束は確実に箒を助けなければならない。イオニアスの意思だなどという不確定なものに期待するのは天才のするべきことではない。

 既に手立ては思いついている。そもそも黒鍵を解除したのはイオニアスの要求に従ったからではなく、箒を助ける手段に用いるため。

 

「クーちゃん。箒ちゃんを助けるために力を貸してくれる?」

「はい、もちろんです」

「その身体を失ってでも?」

「当たり前です。クロエ・クロニクルは常に束さまのために存在します。それが私の存在意義。束さまのいる場所こそが私にとっての“楽しい世界”です」

「ありがとう」

 

 束の右手から黒いペンダントが高速で射出される。黒鍵は単なるISではなく、クロエの意志が宿っている。待機形態であってもISの機能を使用でき、ペンダントのみがイグニッションブーストを使うことも可能。

 

「ぐぁっ!」

 

 ペンダントはイオニアスの胸に着弾。貫通することはなくイオニアスの身体にめり込んだ。

 

「君は実妹を犠牲にすることを選ぶわけだ……」

「そんなわけないから黙っててよ、耄碌(もうろく)ジジイ」

 

 束は移動型ラボ“我が輩は猫である”を起動する。コア・ネットワークを通じて黒鍵にアクセスし、単一仕様能力“幻想空間”に干渉する。空中に投影された仮想キーボードを叩く束の指は視認が困難なほどに速い。

 

「ごめん、そうくん。私たちの作った世界を使わせてもらうよ」

 

 イオニアスに打ち込んだ黒鍵は媒介。束の狙いはIllの能力を書き換えることにある。イオニアスを絶命させず、Illの機能を停止することなく別の物に作り替える作業は真っ当な手段では難しい。

 束の取った手段はISVSを利用することにあった。独立したIllに手を加えることは束にはできない。しかし黒鍵と融合してISVSの一部となっているIllならば束の思うとおりに書き換えられる。Illから箒を助け出すため、ISVSにIllを取り込んだのだ。

 

「死亡するまで生命力を吸い上げる仕様を変更。吸収量にリミッターを付けて箒ちゃんの死亡を回避。あとは箒ちゃんの精神を取り戻さないと。そのトリガーは……Ill本体の消滅がないとどうにもならないか」

 

 高速の独り言でキーボードを叩く。既にIllの改変が始まり、箒を含むまだ死んでいない被害者の命はつなぎ止められた。あとは精神が囚われの身となっている箒を解放する手続きを済ませればいい。

 自称する通りの天才はたった数秒でIllの危険性を緩和していく。しかしそれだけの労力を払っていて、他に意識を向けられるはずもなかった。

 

 漆黒の剣が束の胸に突き立てられる。

 剣は身体を刺し貫いて背中から刃が飛び出していた。

 

 水色のワンピースに血が滲む。口からは喀血。死に体であるにもかかわらず束の手はキーボードを叩き続ける。

 

「ぐ……が……」

 

 イオニアスが胸を押さえてその場に蹲る。Ill改変の影響を受けて、Illの原動力であるファルスメア粒子が急速に減少。百年以上の時を生きる身体の生命維持にも影響が出始めていた。

 Illの消滅よりも先にイオニアスが死亡する。その場合、黒鍵とIllの融合が不完全となり、箒の解放が出来なくなる。それどころか改変が無効になって箒が死亡する可能性も出てくる。

 ……最終手段だ。

 朦朧とする意識の中で束は思い切った行動に出た。Illと黒鍵の融合を維持するために、イオニアスの意識もクロエと同じように黒鍵に取り込む。そうすればIllの改変は無効とならず、箒の延命は維持できる。

 だがそれは黒鍵の中にイオニアスをIllごと封印することになる。満身創痍な束ではもうIllに手出しが出来なくなるも同義だった。

 

「……ごめんね……助けきれなかった……」

 

 束の最後の策が完了するとイオニアスの胸から黒鍵が消失した。

 黒鍵がISVSの中に消えた後になってようやく篠ノ之神社に織斑千冬が駆けつける。

 残されていたのは気を失っている女子中学生2人と胸に大穴を開けた老人の死体。そして、血の海に沈む篠ノ之束だけだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ハッと気がつく。ISVSは現実ではないが“俺”という意識が帰ってくることで現実感が湧き上がってきていた。

 周囲を確認してみる。篠ノ之家を模した和風の内装だ。天井に開いた穴からは無機質な空間が垣間見える。ここはツムギの迷宮の中であり、俺はイーリス・コーリングと戦っていたことを思い出す。

 

「今、見えていたのは束さんの記憶……なのか?」

 

 過去に経験したクロッシング・アクセスで俺は箒やセシリアたちの記憶を覗き見ていた。ついさっきまで俺は俺の知らない記憶を追体験していて、それは箒やセシリアのときと同じ。共通していた登場人物が束さんしかいなかったから十中八九束さんの記憶だと思う。

 

 束さんの知っている俺の父さんのこと。

 白騎士事件の裏側と束さんの立場。

 ISVSが出来るまでの経緯。

 クリエイターと束さんの関係。

 そして……あの日、篠ノ之神社で起きていた出来事。

 

 あまりにも情報が多くて頭がパンクしそうだ。しかもこれを真実だと断定する証拠もない。クロッシング・アクセスのときと微妙に違っていて、俺の意識と束さんの意識はほとんど重なっていなかった。だから俺の中に実感として全く残っていない。

 でも事実だとすれば収穫としては十分だ。

 ISVSにIllの存在がある理由は箒を助けるために止むなくだった。決して束さんが箒を苦しめようとしたわけでなく、現状は束さんにとっても誤算なんだ。

 一番重要な情報はイオニアス・ヴェーグマンの存在。半分以上機械になっていたあの爺さんはエアハルトの記憶の中にもいた。亡国機業のボスであり、遺伝子強化素体をこの世に生み出した元凶は死んでいなく、今もなおISVSの中で生き続けている。箒を食らったIllと共に……

 

「そういえば篠ノ之論文は?」

 

 当初の目的を思い出す。新しい情報が入った今、俺にとっては無用の長物だったが楯無さんと協力している以上、手に入るなら手に入れなければならない。

 迷宮の中でこの和室は明らかに異様だ。篠ノ之論文があるのならこの部屋の中。さらには心当たりもある。

 

「あれ? コタツの上にあった本がない」

 

 その心当たりは消えていた。どうやら俺が束さんの記憶を見ている間に持ち出されたようだ。よく考えてみれば、戦っていたはずのイーリスの姿もない。

 

「一夏くん?」

 

 天井の穴から楯無さんがひょっこりと顔を出す。俺がイーリスを引きつけている間に奥へと進んでもらっていたのだが戻ってきたらしい。

 

「篠ノ之論文はありましたか?」

 

 たぶん無かっただろうと予想しておきながら聞いてみた。

 楯無さんは首を横に振る。奥の道はフェイクだったらしい。

 

「すみません。俺、たぶん目の前でイーリスに篠ノ之論文を取られたみたいです」

「この隠し部屋にあったってことね。相手が相手だし、取られちゃったものは仕方ないわ。致命的な技術がアメリカに渡らないことを祈りましょう」

 

 俺は目的を果たしたけど作戦自体は失敗に終わる。

 その俺にしても情報こそ手に入ったけど、役に立つものとはまだ言えない。イオニアス・ヴェーグマンという存在を知っても、その居場所までは特定できていないから動きようがなかった。

 イオニアスは黒鍵というISと融合しているらしい。そして黒鍵はクロエという遺伝子強化素体とも一体化している。クロエは束さんにクーちゃんと呼ばれていた。間違いない。俺の知ってるクーのことだろう。

 ナナが行方不明になってからクロエの姿も見ない。

 この件にクロエが関わっている? でも束さんの仲間だったクロエがナナを俺たちの前から連れ去る理由が見えてこない。

 

 次の方針が決まった。

 クロエを探そう。ナナの行方をクロエなら知っているはずだ。

 あと、遺伝子強化素体も追うべきかも。エアハルトに命令を下していたイオニアスが今も健在なら遺伝子強化素体の行動に関わりがある可能性がある。具体的にはラウラの失踪が関係しているかもしれない。



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44 駆け抜けるテンペスタ

 クリスマスから一夜が経過した。例年なら弾や数馬たちと一緒に男だけの祭りでも開催してたんだろうけど今年は事情が違う。弾には彼女がいるし、数馬にも彼女(と呼んでいいのかはわからない合法幼女)がいる。折角のイベントの日なのだから各々で楽しんでもらえればそれでいい。

 俺はと言えば遊ぶという選択肢がなかった。もしたとえ仮想空間であってもナナが居てくれれば皆を誘って遊ぶなんて真似もできたかもしれない。だけど、肝心のナナがどこにいるのかわからないのでは、他ならぬ俺自身が浮かれる気分には全くなれない。

 

「手がかりはまだ足りないけど、やるべき方向性は見えた」

 

 昨日得た情報を整理する。

 箒をISVSに閉じこめている元凶はIS“黒鍵”とIllが融合した存在だという。その中にはエアハルトを先導していた亡国機業のボス、イオニアス・ヴェーグマンの意識が紛れている。束さんが残した記憶によれば黒鍵とIllの融合体を打ち倒せば箒は帰ってくるらしい。

 もし箒自身が見つからなくとも条件さえ満たせば箒は帰ってくる。だから今の俺が見つけなくてはいけない最終目標は黒鍵ということになる。

 最終目標を定めた次はそこに至るまでにどうするかという道筋を決めるべき。またエアハルトのところに行くという選択肢もないことはなかったが、今は別方向からのアプローチをしてみよう。

 

「おはよう、シャル」

 

 今の織斑家の住人は一時期と比べて随分と減ってしまった。朝起きてきて台所に顔を出すと、待ってくれていたのはエプロン姿のシャルだけ。

 

「あ、一夏、おはよう。テキトーにサンドウィッチ作ったけど食べる?」

「いただくよ。セシリアが厨房に立ってるわけじゃないし」

「もしセシリアのだったとしても食べるんでしょ?」

「当たり前だ。俺のために作られたものを粗末にできるかよ」

 

 初めて食べたセシリアの手料理っぽいものを思い出す。アレは単純な卵焼きだったのにすごい味がした。イギリスはマズい料理の国って言われるけど、セシリアのアレはお国柄関係ないレベルだと思う。

 そんな料理であっても俺は一度心を救われている。拙くても俺を元気づけようとしてくれていた彼女の想いは俺の胸に深く染み渡っている。そんな想いの籠もった料理を俺には捨てることなんてできない。

 ……まあ、それはそれ。アレがないことに深く感謝して朝飯にすることとしよう。

 シャルお手製のたまごサンドを頬張りつつ早速、朝の会議的なものを始める。まずは報告会から。

 

「シャルの昨日までの成果はどんな感じだった?」

「鈴たちと一緒にずっとISVS。Illと遭遇はできてないよ。前回の決戦でシビル・イリシットを取り逃がしたことが確定してるんだけど、今のところ新しくIllの被害者が出たという報告も来てない」

 

 エアハルトこそ捕まえることができたが仮想世界における戦いでシビル・イリシットを倒すことはできなかった。シャルの戦闘データからわかるシビルの戦闘能力はギドやアドルフィーネと比べて大きく劣っている。こちら側に反撃を考えているのならば、Illの都合上、プレイヤーを襲わなければ力を蓄えられない。必ず足がつくことになるわけで、シャルはずっとIllの痕跡がないかを追っていた。

 しかし見つからない。それはつまりシビルがプレイヤーを襲っていないということになる。さらに追加して仮説が立つ。

 

「シビルの行動を抑えている奴がいる……?」

 

 シビルは遺伝子強化素体の中でも感情を表に出すタイプであると会話しているシャルから聞いている。頭脳戦が得意なタイプでなく、どちらかといえば猪突猛進な傾向が見られ、ギドよりも合理的でない戦闘をする。そんな不器用そうな性格の敵が単独の判断で隠密行動に徹しているとは考えにくい。

 

「たぶん、親玉がいる。エアハルトを捕まえても亡国機業は滅んでないんだよ」

 

 そもそもの話を辿ればエアハルトは亡国機業の親玉ではあったが唐突に用意された急造の後継者であるようだ。オータムが俺に協力要請してきたことから考えても亡国機業は決して一枚岩の組織じゃない。エアハルトを失って新たな頭が出てきていてもおかしくはない。

 それが誰か。オータムの所属する派閥はおそらく関係ない。Illを手中に収めているのならば篠ノ之論文に固執することはないだろうから、昨日俺と協力したこと自体が彼女たちがシロであると告げている。

 ではイオニアス・ヴェーグマンという機械仕掛けの爺さんだろうか。たしかに束さんの記憶を追ってみた限りではコイツは死んでない可能性が残っている。でも、もし健在だったならエアハルトが指導者になってなかったと思うんだ。

 

「裏に誰がいるのかは結論が出せそうにないな。で、肝心のラウラの情報は?」

「それも全く出てこないんだ。黒い全身甲冑なんて出てきたら目立つに決まってるし、今のラウラは単一仕様能力に目覚めてるからそれを使えば嫌でもセシリアの情報網に引っかかる。Illと遭遇したISの情報は拾えるからね」

「そのセシリアからは何も情報が来ないんだよな」

「うん。だから僕としてはお手上げと言いたくなってきてる。今日もゲーセンに行こうと思ってるけど悪足掻きみたいなものなんだ」

 

 結局、俺たちにやれることは限られていたままだった。

 エアハルトに聞ける情報はイオニアスのことだけ。でも奴とのクロッシングアクセスで覗いた記憶を信じるなら、エアハルトはイオニアスを死人として扱っている。だからエアハルトに居場所を聞く行為は奴の言葉を借りれば『ナンセンス』に他ならない。

 ダメ元でISVS内を飛び回るか。もしかしたら俺が出向くことで奴らが姿を見せるかもしれない。淡い期待でしかないけど。

 

「じゃあ、今日はシャルと一緒にゲーセンに行くか」

「あ、一夏も来るんだ。他の用事は済んだの?」

「やるだけやって、結局こっちに協力する方向になったんだよ。説明は要るか?」

「……今はいいや。ラウラを助けるのに集中するってことでしょ?」

「ああ」

「だったら僕の目的と同じ。それだけわかってればいいよ」

 

 2人だけで予定を決めた。軽食のみの朝食をあっさりと片づけた俺たちは外出着に着替えて玄関を出る。

 

「あれ? シャル、ちょっと服に気合いが入ってないか?」

「前からこんなもんだよ。こんな状況でもデュノア社の“夕暮れの風”で在るつもりだからさ」

 

 単純なファッションへの理解の差なのだろうか。冬の寒い時期の朝、シャルは防寒のためにモコモコのコートを着ているのだがその色はISVSのイメージカラーと同じオレンジ色。家に出る前にチラッとだけ見たコートの中身は、胸に黒い布をサラシのように巻き、下半身は片足だけ根本からもぎ取られているようなダメージジーパン。お腹が丸出しなんだけど、デュノア社長は娘のこの格好を黙認しているのだろうか?

 ……俺は気にしないことにした。

 

 もうクリスマスが過ぎて年末年始がやってくる。雪こそまだ降っていないが気温だけはもう立派な冬だ。俺もシャルも厚着をしているのに寒気が俺たちの体をツンツンと突いて戯れてくる。

 ガタガタ震えそうな体に鞭打って歩を進める。ゲーセンにさえ着けば暖房が俺たちを待っている。

 だから急いでいこう。

 と、思っていたのは俺だけだったのか、シャルは頭上を見上げながらゆっくりと歩く。

 

「何を見てるんだ?」

「空だよ。もうすぐ雪の予報だったから、なんとなく今のうちに見ておこうと思ってさ」

「空なんていつでも――」

 

 いつでも見れると答えようとして俺は固まった。

 違う。シャルが言いたいのはそんな単刀直入な話ではない。

 言い掛けていた言葉は訂正しよう。代わりに付け加える。

 

「終わらないって。次は皆揃ったときに見れるさ」

「そう……だよね。僕もそこに居ていいんだよね……」

「あの社長さんがバカなことを言い出したら俺に言ってくれればいい。叱りつけにいってやる」

「パパは他人の話を聞かない人だから骨が折れるよ?」

「だったら物理的に折ってでも黙らせる。だってさ――」

 

 今まで言葉にはしてこなかったことがある。

 ずっとシャルが俺に協力してくれていたことが実は気になっていた。

 最初はデュノア社のために仕方なくというのが見え見えだったんだけど、最近のシャルは一心不乱にラウラばかりを追っている。これはデュノア社のためというだけでは説明がつかない。

 俺の出した結論は1つ。

 普通は言うようなものじゃないんだけど、シャルには必要なんだと思うから。だから言ってやるんだ。

 

「俺とシャルは友達だから」

「……そう思ってくれてるんだね?」

「ああ。今だけの協力関係だなんてビジネスライクなのはごめんだ。これからの人生、お互いに頼れる友達でいようぜ」

「ありがとう、一夏」

 

 シャルの顔に笑顔が浮かぶ。さっきまであったぎこちなさはどこかへと消え失せている。

 俺は少し気まずげに頬を掻く。他にも言っておかないといけないことがあった。

 

「……今日まで無視してたみたいで悪かった」

「何の話?」

「俺、自分のことばっかりでラウラのこと放っておいただろ?」

「仕方ないよ。ナナが行方不明になってるんだし。それにラウラを助けるのも一夏にとってはナナを助けるための通過点なんでしょ?」

「うっ……」

 

 的確に突かれてぐうの音も出ない。口ではなんと言おうが俺はラウラよりもナナを優先する。ラウラがついでだという指摘に反論ができなかった。

 本当に……都合のいいことばかり考えてる男だな、俺。

 

「あまり気にしなくていいよ。ラウラを助けた後に目的があっても僕は構わない。言えることは1つ。今やるべきことを見出したのなら、とりあえずそれに集中してほしい」

「わかってる。ラウラを助けるなり、シビルを倒すなり、やれることから全力でいく」

「うん、一夏はそれでいい。僕たちはそんな一夏に助けられてきた。そして今度は僕たちが一夏を助ける番でもある」

 

 シャルが差し出してきた右手を掴む。冬空の下、改めて友として向き合い、お互いの胸の内を吐き出した。交錯した想いの中、ラウラを助けるようという意気込みが一致する。

 皆と比べて少し遠く感じていたシャルのことを少しだけ理解できた気がした。

 

 ――お互いに笑顔を交わした直後だった。

 シャルの顔が急変する。視線が空へと向いたまま口を半開きしていた。

 俺がシャルの見ている先を見ようと振り向こうとした瞬間――

 

「一夏、危ない!」

 

 シャルが俺にタックルをかましてくる。体格差があっても不意打ちだったから俺の体はシャルと一緒にアスファルトを転がった。

 激しい衝突音が辺り一帯にばらまかれた。年末の街を歩く人たちの喧噪をも吹き飛ばした音源はさっきまで俺たちがいたところに在る。アスファルトの歩道に生まれた小型のクレーターの中央には漆黒の金属で構成された人型の機械が佇んでいた。

 何だ、あれは? そう疑問に思うのは当然だが不思議と俺は冷静に『奴が空から落ちてきた』ことを理解できている。その理由は『初めて見る相手でない』からだ。

 

「ゴーレム……?」

「え!? どうしてそんなのが現実(ここ)に!?」

 

 シャルの疑問はもっとも。ゴーレムとはISVSの迷宮内に出没する無人ISのことであり、現実には存在しないはずのIS。簡単に言ってしまえばエネミー専用みたいな存在だったはず。現実で作られている無人機はリミテッドまでだってことは倉持技研で学んだ。

 

「逃げるぞ、シャル!」

「う、うん!」

 

 考えるのは後だ。目的は不明だが、ゴーレムが俺とシャルを狙って襲ってきたのは間違いない。現実だと無力な俺たちでは敵に襲われたら逃げることしかできない。

 でもそれですら甘えだ。生身の人間が走った程度でISから逃げきれるはずもない。事実、俺たちが逃げる方向に空から回り込んだゴーレムが目の前に降りてくる。機械的なモノアイのカメラが向いたのは俺。

 

「シャル、二手に分かれるぞ! 追われない方が助けを呼んでくるんだ」

「助けって誰に!?」

「親父さんでも宍戸でも誰でもいい! 行くぞ!」

 

 これ以上シャルに説明する時間はない。あとはシャルの機転に任せて、俺は半ば強引に策を実行する。

 ゴーレムの視界から逃げるために迷わず狭い路地裏に飛び込んだ。そのすぐ後ろを両側の壁を丸く削り取りながら強引にゴーレムが追いかけてくる。

 やはり狙いは俺の方だった。ラウラを追っていただけで特に何もしていないシャルよりも、昨日迷宮に潜っていた俺の方が誰かさんのヘイトを集めていても不思議じゃない。アメリカの差し金にしてはゴーレムが出てきたことだけが引っかかるから敵の正体までは掴めてないけど。

 

「さーて! ISと鬼ごっことか勝てる気がしないな!」

 

 不幸中の幸いか、ゴーレムは射撃攻撃をしてこない。イグニッションブーストなどの高速機動もしない辺り、何かしらの理由で機能を制限している可能性が高い。

 ならば逃げることは不可能じゃない。俺は建物の隙間を練ってゴーレムからひたすら逃げる。

 地の利を活かしての逃走。必然的に俺が走るコースは慣れたものに限られ、最終的に俺は篠ノ之神社付近にまでやってきていた。

 

「あ、そうだ! もしかしたらアイツがいるかも!」

 

 篠ノ之神社で思い出した人がいる。頼るべきでないことは承知しているが、背に腹は変えられない。神社の境内にまで辿り着いた俺は叫ぶ。

 

「助けてくれ、オータム!」

 

 アメリカ軍を相手に一人で戦っていたテロリストならゴーレムの1体程度抑えてくれるに違いない。

 だけど所詮は希望的観測だ。俺の叫びに答える声はなく虚しく時が過ぎた。

 木々のざわめきが聞こえてくる静けさの篠ノ之神社。それをぶち壊す破壊者が空からやってくる。

 着地しただけで林の一部の木が薙ぎ倒された。緑の隙間から覗く黒の機体は歪なカメラアイを俺に向けてくる。飛ぶこともなく一歩一歩確実に俺の方へと歩み寄る。

 

「こいつ、滅茶苦茶な近寄り方をしてるだけで実は味方だったりして……」

 

 急に歩いてきたのもあって、俺はそんな淡すぎる希望を抱いた。

 こっちの言葉の正否を答えようとしてくれたのか、ゴーレムは右手の掌からENブレードを出現させる。

 俺は即座に回れ右した。

 

「殺る気満々じゃねーか!」

 

 再び始まる鬼ごっこ。タッチされたら交代なんてお子さまルールじゃなくてタッチされたらこの世界からさようなら。まさしく命がけのゲームを前にして俺は早くも心が折れそうだ。

 

「くそっ! こっちにもISがないと勝負にならないだろうが!」

 

 全力疾走が続いていてもう俺に体力が残ってない。ここまで逃げられただけでも奇跡に近い。

 もう万策は尽きた。シャルが呼ぶ助けも間に合わない。まぁ、間に合うと思って助けを呼びにいけと言った訳じゃないんだけども。無事だったならそれでいい。

 

「……やっと本当の敵が見えてきたってところだったのにな」

 

 このまま終わることに納得なんて出来ない。

 また箒に近づくための方法が見えてきたんだ。

 俺はまだ箒との約束を叶えられるんだ。

 なのに志半ばで倒れるなんてことできるかよ!

 

 気合いだけで精神を保つ。ゴーレムが振りかぶったのに合わせてその場を飛び退き、必殺の一撃を紙一重で避けた。掠りもしていないのにズタズタにされた袖が千切れて舞う。

 

「くそっ! 人が生身で戦うレベルじゃないだろ」

 

 尻餅をついた俺の前に機械人形が立っている。感情なく無機質なカメラアイが俺を見下してくる。この状況がもう鬼ごっこは終わりだと告げていた。

 右手にはENブレード。種別は不明だが、出力は中型相当。生身の人間を軽くオーバーキルするのは実験をするまでもなくわかる。

 俺を軽く殺せる凶器が振り上げられる。

 

 この絶体絶命の状況下――

 

「ハッ、ハハハハ!」

 

 俺は笑った。自分でも狂ったんじゃないかと思ったんだけど、実はこれ、悲壮感は欠片もなかったんだ。

 遠くに意識を感じる。快晴の青空のように広く、波の立たない海原のように穏やかな、そんな蒼色のイメージが頭の中に湧いている。

 ISはないから声なんて聞こえてこない。これまで俺たちをつないでいたコア・ネットワークにもISのない俺は干渉できない。

 気のせいだとも言える。だけど俺の中には確信が生まれていた。

 

 セシリアが帰ってきた。

 

 そうハッキリと感じ取った次の瞬間にゴーレムの右手を蒼い光の軌跡が貫く。

 

 少しだけ俺の寿命が延びた。彼女の偏向射撃を交えた長距離射撃の精度は相変わらずで頼りになるのは間違いないが、相手は近接戦闘に強いゴーレムである。俺を撲殺するのは簡単であり、遠距離からセシリアの火力で倒しきるのはまず無理だ。

 まだ危機は去っていない。そう思って気を引き締めなおす。

 

 ……どうやら俺はラッキーらしい。

 この晴天の日、篠ノ之神社に神風が吹いた。

 

 巻いた風が葉っぱを引き連れてゴーレムへと向かっていく。その回転数は目で追えず、まるで風がドリルになっているかのよう。事実、その風はゴーレムの分厚い装甲をガリガリと掘削して破壊する。

 加えて、風切り音がなるたびにゴーレムの体に穴が開いていく。

 装甲の薄い間接部がスッパリと切断され、バラバラにされていく。

 まるで見えない剣に解体されていくその様は心霊現象でも目の当たりにしているようだった。

 

「これ、風……だよな?」

「ご名答なのサ」

 

 ゴーレムを一方的に破壊していくものの正体を呟いた後、ふと背後から声がしたため振り向く。

 両肩の露出した着物から豊満な北半球が覗き見える。右目を眼帯が覆い、右腕は機械で出来た義手。左手に日傘をさして突っ立っている女性は数日前に俺の家に来ていた人だ。

 

「アリーシャ・ジョセスターフ……」

「もっと気楽にアーリィと呼ぶといいサ、織斑一夏くん」

 

 世界ランキング2位のイタリア代表。千冬姉に次ぐISVSプレイヤーとしてその名を知られている人がこの場にいるのはおそらく偶然なんかじゃない。このゴーレムの出現を予期していたんだろう。

 

「その言葉、そのまま返しますよ、アーリィさん」

「この状況でも余裕があって何より――しばらく屈んでナ」

 

 言われるままに俺は姿勢を低くする。その俺の頭上を鋭い空気の流れが通過していき、後方から重い金属が地面に墜落する音が聞こえてくる。

 さっきの奴以外にもゴーレムがいた。それも1体やそこらではないようだ。どうなっているのか確認しようとして顔を上げると――

 

「こら。ここは大人しく言うことを聞くところなのサ」

 

 アーリィさんに叱られる。俺が立っているだけでも戦闘に支障が出るということか。戦う術のない俺は素直に言うことを聞くしかないな。ゴーレムに襲われている現状、ゴーレムと戦っているアーリィさんに反抗する理由はない。

 ゴーレムは今になっても射撃をしてこない。ENブレードのみで襲いかかってきているようで戦闘の音は比較的静かだった。風切り音が周囲を支配していることしか今の俺にはわからない。

 

「数が多い。面倒になってきたのサ」

 

 少し不穏な呟き声を俺の耳が拾う。次の瞬間には俺の体が抱えられて地面から引き離されていた。

 

「あの、アーリィさん……?」

 

 俺はアーリィさんに片腕で抱えられている。男として少し恥ずかしい気もしたが、ISが関わっているのなら仕方がない。

 

「しっかり掴まってナ」

「へ? うわあああ!」

 

 体が軽くなったような浮遊感。唐突な急速上昇。IS視点で見れば遅いだろうけど生身だときつい加速が俺を襲う。ISは操縦者以外を保護してくれない。

 

「ちょ、ちょっとゆっくり!」

「男の子なら我慢するのサ」

「アカンって! 慣性とかGとか知ってます!?」

「あのカサカサした動きぶりは苦手サね」

「Gと聞いてゴキブリを想像してんすか!?」

「ちょっとだけ急ぐのサ!」

「え、結局俺の要求とは逆!? ちょ、ま――」

 

 飛翔したアーリィさんは俺を抱えたまま空を蹴る。結構な急加速だったけど意外にも俺の体に一切の衝撃が来ない。

 チラリと視線を上に向ける。俺を見下ろしているアーリィさんの顔は実に楽しそうだった。これは遊ばれてると思えばいいのか?

 

「AICは基本サね」

「……そうっすね」

 

 現実でゴーレムに襲われてるってのに緊張感の欠片もない。少なくとも今の俺にはまるで危機感がない。そう安心させてくれてるのはきっとアーリィさんが千冬姉と似た匂いのする人だったからだと思う。

 

「追っ手は諦めたようだねぇ」

 

 飛行時間はあっという間に終わり、俺たちが降り立ったのは織斑家の正面。周囲を確認したアーリィさんが「敵影なし」と宣言すると右手となっていた義手が光とともに消え去った。とりあえず当面の危機は去ったらしい。

 

「あ、ありがとうございます」

「これは私に与えられた仕事。礼は不要なのサ」

「仕事? それってもしかして――」

「一夏さーんっ!」

「ぐあっ!」

 

 アーリィさんに質問しようとしたところで背中に容赦ないタックルが入ってきた。

 振り返らずとも声だけでタックルの犯人は特定できている。ただ、ちょっと俺の抱いている彼女のイメージと食い違っているからちょっと戸惑う。

 

「セシリア……」

 

 振り返ってみると額を押さえてるセシリアがいた。妙に背中にきついのが入ったと思ったら、どうやら彼女は勢い余って俺の背中に頭をぶつけたらしい。何をそんなに慌ててるんだか。

 

「お怪我はありませんか?」

「痛そうに頭を押さえてる奴が他人の心配するのか。俺なら大丈夫だよ」

「それならば良いのです――なんて言うと思いましたか!」

 

 心配の言葉の直後、彼女は鋭い目つきに豹変した。

 

「わたくしのいない間、現実では無防備だと最初からわかりきっていたことでしょう! どうして大人しくしていてくださらなかったのですか!」

「いや、だって……」

 

 じっとしてられなかった、というのは今に始まったことじゃない。それ以外に理由はないからセシリアが納得のいく理屈なんて答えられそうになかった。

 

「わたくしも油断していましたわ。一夏さんが少なからず凹んでいる間ならイギリスへ報告に行く余裕がある、だなんてありえなかったのです」

 

 うぐ。やっぱり俺、凹んでるように見えてたのか。たしかに急に何をすればいいのかがわからなくなって途方には暮れてたけど。それじゃダメだと思うようになってとりあえずやれることからやり始めたんだけど、セシリアはそのせいで俺が襲われたと考えているようだ。

 しかし俺も全く考えなしというわけじゃなかったんだけどなぁ。エアハルトがいない今、俺が執拗に狙われる理由はないと思ってたし。もっとも、オータムが現れた時点でその見通しが甘かったことも思い知らされているのだが。

 それでも今さっきのようなゴーレムの襲撃を見越して動けというのは無理がある。

 

「セシリアは現実にいないはずのゴーレムが襲ってくるってわかっていたのか?」

「日本を発ってからしばらく後ですわ。本当はすぐにでも戻りたかったのですが、向こうでしておくべきこともありましたので……」

 

 代表候補生で専用機持ちだと色々と大変なんだろうな。

 

「だったら無理せずこっちに来なくても――痛っ!?」

 

 頭にガツンと衝撃がくる。後ろから何かで殴られたらしい。振り返ってみると、さっきから蚊帳の外にしてしまっていたアーリィさんがキセルを鈍器みたいに順手で握っていた。

 

「いきなりなんなんですか!?」

「今のはキミの失言サね。当の本人は気にしないかもしれないが、私は気に入らなかったのサ」

「失言……?」

「お二人とも、いつまでも立ち話もなんですから中に入りませんか?」

 

 言われてみれば俺たちはいつまで家の前で喋ってるんだ?

 俺たちはセシリアに案内されるままに織斑家に入る。

 ……ここ、俺の家だよな? どうもセシリアの方が家主っぽいことしてる気がするぞ。

 

「チェルシー、お茶の用意を」

「かしこまりました」

 

 今朝の時点でいなかったはずのチェルシーさんが当たり前のように台所を取り仕切っている。

 ……ここ、俺の家だよな? 今更だけど。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 富士の戦いにおいてゼノヴィア・イロジックが消失したことにより、通り魔事件の被害者は無事に目覚めている。もちろんその中には御手洗数馬の両親も含まれており、今では何事もなかったかのように退院して普通の生活を送っている。

 宍戸恭平らと共に亡国機業の施設に攻め入っていた数馬もIS操縦者でなくなった一般人として家に帰ってきていた。ただし少しばかり特殊な事情を抱えたままであったのだ。

 

「数馬、まだー? そろそろ出発しようよー!」

 

 玄関先で幼い見た目の銀髪少女が大声で数馬の名を呼ぶ。両親が事件に巻き込まれる前から御手洗家の新たな住人として認められていたゼノヴィアである。当時の彼女と今の彼女は別人であるという話が出ていたが、御手洗家の人間にとってそんなことはどうでもよく、彼女とは以前と変わらぬ付き合いを続けていた。

 一つだけ変わったことがあるとすれば、ゼノヴィアの身の振り方であろうか。以前はゼノヴィアの親を見つけるまでの居候ということになっていたが、今はもう両親も御手洗家の住人として扱っている。その関係で数馬は父親と口論になると思っていたのだが、数馬が自分の意志を伝えると父親はかなりあっさりと承諾したという。

 

「ごめんごめん。じゃ、行こうか」

 

 着替えを済ませた数馬はゼノヴィアと二人で外へ出る。冬期休暇の昼下がりの外出ではあるが、彼らの目に浮かれた様子は微塵もない。

 

「ゼノヴィアが一夏に会いたいなんて言い出すとは思ってなかったよ」

 

 外を歩き始めた数馬の第一声はこの外出の目的の件だった。本当はまだゼノヴィアを外に連れ出すような真似をしたくなかった数馬だが、この日はゼノヴィアの強い希望によって織斑家に出向くことに決める。

 しかし数馬は了承しておきながらゼノヴィアの真意を掴めていない。ゼノヴィアから見れば一夏は自分を殺そうとしてきた敵だったはず。そんな人間に会おうと言い出すのは意外だ。

 

「あの博士をぶっ飛ばした人の顔をちゃんと見ておきたいんだ」

「博士ってエアハルト?」

「そう、私は知りたいの。一夏って人のことも博士のことも」

 

 知りたい。そう告げる彼女の顔はイキイキとしていた。

 それも束の間、即座に表情を暗くさせる。

 

「でもそれはついでの話。今の私には一つの使命があるの」

「まだキミは自由になれてないってことなのか……」

「そうじゃない。この使命は私が私に課したもの。数馬の言葉を借りるなら『私がそうしたいから』だよ」

 

 数馬がゼノヴィアを助けようとした理由。それを今度はゼノヴィアが口にした。そのことが嬉しくてついつい数馬の頬が緩む。

 

「それでその使命って何?」

「私は伝えないといけない。博士がIllの全てを知っていたわけではないのだと」

 

 ゼノヴィアの歩くスピードが上がる。明らかな焦りが見えている。しかし数馬はそんな彼女を後ろから見守りながらついていくだけに努めた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「わぁ、やわらかーい」

 

 家に入ってすぐに目に付いたのは階段の一番下。そこには先に戻ってきていたらしいシャルが背を向けて屈んでいた。何かに夢中になっているようで、どうやら俺たちに気づいていない。

 一体どうしたのか気になった俺はこそこそと回り込んでみる。

 するとそこには猫の肉球をプニプニ触っているシャルのだらしなく緩んだ顔があった。

 

「シャル?」

「えへへー……」

「シャルロットさん?」

「うわぁ!? 一夏! いつからそこに!? というか無事だったんだね!」

 

 何回か呼びかけてようやく反応が返ってきた。しかしやけにオーバーリアクションだが何か後ろめたいことでもあったのか?

 シャルロットが構っていた白猫はアーリィさんを見つけて走っていく。そういえばアーリィさんが猫を連れていたっけ。

 

「シャルの方も大丈夫だったみたいだな」

「うん。一夏と別れた後にアーリィさんに助けられたんだ」

「助けられた?」

 

 てっきりゴーレムが俺を追ってきていたからシャルは無事だと思ってた。しかし敵の狙いは俺だけというわけでもなかったらしい。だからこそ余計に敵の正体が見えなくなってきてるけど。

 

「一夏さん? お話はこちらに来てからにしませんか?」

「あ、ああ。そうだな」

 

 ダイニングのセシリアに呼ばれて俺たちはそちらへ向かう。

 テーブルにお茶と菓子が並べられていて既にセシリアとアーリィさんが着席していた。俺とシャルも空いている席に座ると早速セシリアが口を開く。

 

「さてと。まずはわたくしから質問をさせていただきますわ」

 

 ニッコリと満面の笑みを浮かべるセシリア。俺の経験が訴えかけてくる。不自然なほどの笑顔を見せるセシリアを見たままの感情を持っているとして受け取ってはいけない。

 

「えと……何か怒ってる?」

「一夏さんはわたくしのいない1週間の間に何か大きな行動を起こしましたか?」

 

 どうしよう。『怒ってない』と否定されることなく質問が飛んできた。これは相当マズい。

 しかし俺が関わった大きな出来事か……となるとあれしか思いつかないな。

 

「昨日、ツムギの迷宮に乗り込んだ」

「……やっぱりそうでしたか」

 

 てっきり叱られるかと思ったけどセシリアはひどく落ち着いた様子で紅茶に口を付ける。あくまで予想の範囲内だということか。

 

「ゴーレムを扱えるのは迷宮を作った者に限られます。現実に実体化させている技術も篠ノ之博士が関わっているとなれば不自然とも思いません。ゴーレムに襲われたという時点で自ずと何があったのかは想像がつきますわ」

 

 簡単に解説をしてくれたセシリアが二口目の紅茶を飲む。

 さすがはセシリアだ。俺が彼女に隠し事できることなんてないだろう。全部、正直に話すべきだ。

 

「俺は自分がオータムと組んでアメリカ軍に攻撃を仕掛けることになるとは思わなかったぜ」

 

 セシリアが紅茶を吹き出した。

 

「な、何をしてるんですか!?」

「あれ? 知ってるんじゃなかったの?」

「そんなこと知りませんわ! どうして亡国機業のテロリストなんかと!」

「いや、だって……束さんの情報が欲しかったし」

「それで篠ノ之論文を欲しがったというわけですか……よりによってこのタイミングで」

 

 面倒なことになったと思っているのかセシリアがあからさまに頭を抱えてみせる。

 

「利害が一致していたとは言え、やっぱり亡国機業と協力したのはマズかった?」

「いえ、この際、アメリカと直接敵対したのは問題としません。一夏さんが亡国機業とつながっているとアメリカに思われても、ISVSの中だけですのでテロリストとして逮捕という話にはならないでしょう。まだナターシャさんに庇っていただける範囲ですわ」

「じゃあ何が問題なんだ? それにタイミングって?」

「実はですね……」

 

 セシリアが立ち上がると同時にチェルシーさんが機材を用意して映像を投射する。

 そこに映されていたのはゴーレムとISの戦闘だった。ゴーレムという点さえ考慮しなければISVSで良くある光景とも受け取れる。しかし続くセシリアの言葉が加わることでこの映像が伝える意味が変わってくる。

 

「この戦闘は2日前に撮影された現実の映像ですわ」

「え……?」

「まだ公表されていませんが、1週間前から所属不明の無人ISが世界各地に出没しています」

「今日が最初じゃなかったのか」

「ええ。ゴーレムの攻撃対象が専用機持ちばかりでしたので一夏さんを狙うことはないと思いこんでいました。これはわたくしの落ち度でしたわ」

 

 セシリアの口調から棘が消えてしょぼんと凹んでしまっている。

 

「いや、一般に隠してることをべらべら喋るのもおかしいだろ。俺は一般人だし」

「一般人は迷宮に入りませんが……」

「そこは触れないでくれ。で、俺が迷宮に乗り込んだのが原因でゴーレムが現実の俺を襲ってきたってこと?」

「今はそう推測するしかありませんわ。おそらくは亡国機業が一夏さんに協力を求めたのも篠ノ之論文が狙いではないのでしょう」

「たしかにオータムは篠ノ之論文がアメリカに渡りさえしなければいいって言ってたな。俺が入手する方が都合が良いとも」

「その実、アメリカが篠ノ之論文を手に入れても構わなかったのだと思われますわ。エアハルトを失い、勢力が弱まった亡国機業の狙いは『敵の敵を作ること』。一夏さんも各国の専用機持ちも迷宮の番人であったゴーレムの攻撃対象となってしまいました」

 

 何かしら罠があるとは思ってたし、最初は俺とアメリカを敵対させるのが目的かと思ってた。その考えの方向性は間違ってなかったということか。

 あくまでセシリアの推測。しかし現状、俺はゴーレムに襲われている。さらに言えば、あの迷宮に攻め込む際、オータムは迷宮の中に乗り込もうとしなかった。その理由がゴーレムを操っている者の敵意(ヘイト)を自分たちに向けない意図があったというのも理屈としては間違ってない。

 

「セシリアはこのゴーレム襲撃をどう考えてるんだ?」

 

 亡国機業がゴーレムの裏にいるとは考えられない。少なくともオータムの派閥は関わっていないと言える。エアハルトの派閥はリーダーを失って勢力として存続できていない。他に有力な派閥があると考えるには今まで全く姿を見せていなかったことが気にかかる。

 俺は亡国機業は関係ないと思っている。

 

「今ある情報を組み合わせると『チグハグである』と言わざるを得ませんわ」

「チグハグ?」

「まず『ゴーレム襲撃を実行できる者は何者か?』という視点で見ると篠ノ之束博士以外に考えられません。旧ツムギの中枢に居られた千冬さんや宍戸先生に伺いましたがゴーレムとツムギには直接的なつながりは何もなかったようですので、篠ノ之博士以外は存在すら知らなかったのでしょう」

 

 やっぱり束さんが関わっていないとおかしいよな。そこは俺も否定する気はない。

 

「しかしながら『ゴーレム襲撃を実行して得をする人物』という動機の視点で追ってみると話は真逆になります。襲われているのは千冬さんも含めた専用機持ち、それも亡国機業と関わりの薄い国の方ばかりでした」

「束さんはツムギの中心だった。ツムギと亡国機業は敵対していたのだから束さんが亡国機業の利となることをするとは思えないってことだな?」

「そうですわ」

「何らかの方法で亡国機業の連中がゴーレムを操る手段を手に入れたとかは?」

「それは公開されていない篠ノ之論文が亡国機業の手に渡っているということになるのですが……」

「あ、悪い。そんなことになってたらもっと大事になってるよな」

 

 もし亡国機業がゴーレムとつながっているならオータムの行動と言動に合点がいかない。俺の感覚での話になるが、あいつらはこの状況に振り回されている側だと思う。

 ここでシャルが挙手して話題に入ってくる。

 

「今まで一夏の前で言っていいのかわからなかったけど確認させて欲しい。篠ノ之博士は表向きは行方不明とされてるけど、もう亡くなってるんだよね?」

 

 俺は何も言えずに固まった。

 ……そうだ。あの迷宮の奥で見た光景が束さんの記憶だったのなら、束さんは箒が昏睡状態になったあの日に敵の親玉と相討ちになっている。

 もう束さんは死んでいる。そんなことに今まで思い至ってなかった。ずっと目を向けようとしなかった。ISVSに出会ってからずっと俺はあの人の存在を傍に感じていたから。

 

「シャルロットさんの言うとおり、篠ノ之博士は今年の1月に亡くなっていると聞いています。しかしながら、現実で死んでいることから今の状況に関係ないと判断することはできません」

「どういうこと?」

「ナナさんの作ったツムギに所属していた方々の多くは昨年末に亡くなっています。しかし彼らの意識はISVSの中では生き続けていました」

 

 トモキたちのことだ。彼らは現実で死んだ後も現実と同じ意識を保って仮想世界の中を生きていた。同じことが束さんの身にも起きている可能性を否定することはできない。それどころか高い確率で束さんの意識がISVS内で今もなお生きている。

 

「実を言うと俺がISVSを始めてからずっと、ISVSに入る度に束さんの声が聞こえてたんだ。それだけじゃなくて富士山での戦いの時にはもっと直接的に束さんの意識みたいなものと会話もした」

「あのときの一夏さんが白騎士を使っていたことからも篠ノ之博士の関与を疑う余地はありませんわね」

「だからセシリアの言うように現実の束さんが死んでいるかどうかは関係ないんだと思う。だけど俺の話には続きがあって、あの白騎士を使ったとき以来、俺は一度も束さんの声を聞いてないんだ」

 

 束さん自身も俺に力を貸すのはこれで最後だと言っていた。俺が話していた束さんはきっと会話すらできない状態になっているのだと思う。だから俺の意見としては束さんが裏で糸を引いているとは思えないってことになる。

 

「一夏さんの中ではもう篠ノ之博士黒幕説は否定されているというわけですわね?」

「そうなんだけど俺の考えは身内贔屓も入ってると思うからセシリアはセシリアで考えてくれ」

「今のところ一夏さんの意見を否定する材料もありませんので、わたくしも篠ノ之博士を疑うのはやめておきますわ」

「でもそうなると僕たちの敵って誰なの? 亡国機業の残党でもないんだよね?」

 

 シャルの言うとおり、今の俺たちの敵が何者なのかが断定できない。そもそも敵の目的らしい目的が見えてこない。箒やラウラを捕らえている何者かが居るのに何のためか理由がわからないんだ。

 議論が行き詰まってきたところでピンポーンとインターホンが鳴る。重くなってきた空気を変えるのにちょうどいいタイミングだ。いつもならチェルシーさんに任せるところだけど今回は俺が直接来客に対応することにする。

 この時間に来るってことはきっと俺の客だろうし。

 

「一夏! ISに襲われたって本当なの!?」

 

 玄関を開けた先には鬼気迫る表情をした鈴がいた。

 

「見ての通り無事だ。それにしても情報が早いな。誰に聞いたんだ?」

「セシリアからよ! あの子もあの子で帰ってくるなら帰ってくるって一言連絡を寄越してくれても良かったのに!」

 

 すぐ後ろにいたセシリアの顔を覗いてみると申し訳なさそうに顔を伏せていた。これはわざとじゃなくて完全に失念していたんだろう。意外と抜けてるところもあるし。

 

「前も学校が襲われたけどあのときよりも今の方がひどいことになってたりしないわよね?」

「……正直、俺もよくわかってない」

「まあ、いいわ。立ち話もなんだから中でじっくり話をするわよ」

 

 そう言って鈴は遠慮なく我が家へと足を踏み入れる。まあ、いつものことなので止めるような真似はしない。

 鈴のことはさておき、俺は外にいる意外な人物に目を向ける。

 

「数馬じゃないか」

 

 数馬が俺の家を訪ねることは鈴や弾と比較すると珍しい部類だ。加えて数馬の背中に隠れている銀髪の少女がおどおどした様子でこちらを窺っている。

 

「突然来て悪い、一夏。取り込み中だった?」

「今はたぶん大丈夫だ。ついさっきまで大変だったけどな。ゴーレムに襲われたりとか」

「ちょっと待って! それ、全然大丈夫じゃないだろ!」

「いやいや。銀の福音に追い回されるよりは遙かにマシだろ」

「そ、それはそうかもしれない……」

 

 お互い苦労してるよな、と同時に溜め息を吐く。誰も好き好んでそんな危険な目に遭ってるわけじゃないのだが、いかんせんそうなってでも成し遂げたいことが俺たちにはあるのだ。

 数馬らも家に上げて今度は台所でなく客間に場所を移す。7人は割とぎりぎりな人数だが収容は可能だ。もちろん改装前の客間には入りきらないけどな。もうすっかり我が家らしくない。

 

「じゃあ早速だけどさっきの続きから――」

「待ちなさい、一夏。その前にすることがあるでしょ」

 

 何やら不機嫌な鈴が抗議の声を上げる。その視線の先はアーリィさん。

 そういえばさっきはアーリィさんに全く話を聞いてなかったから俺もアーリィさんがここにいる具体的な理由を知らない。

 俺と鈴の思惑を悟ってくれたのか、アーリィさんが口を開く。

 

「私はアリーシャ・ジョセスターフ。アーリィと呼ぶといいサ」

「えっ、それって……イタリア代表の!?」

 

 彼女は名乗る。それだけで鈴も数馬も彼女が何者なのかを把握した。

 ついでだ。俺の知らないことも聞いておこう。

 

「どうしてイタリア代表が日本に?」

「キミの護衛を依頼されてきたのサ、織斑一夏」

 

 そうじゃないかとは感じていた。でないとゴーレムに襲われている俺を都合良く助けるなんて出来はしない。まあ、護衛してくれてたのならもっと早く助けて欲しかったけども。

 しかしさっきのセシリアの様子だと彼女が手回ししたわけじゃなさそうだ。一体、誰が俺の護衛を頼んだのだろうか?

 

「初めはブラコンをこじらせたのかと耳を疑ったサ」

 

 少々呆れ気味に肩をすくめるアーリィさん。

 なるほど、千冬姉がやったのね。

 ……そういえば当の千冬姉本人はどこに行ってるんだろ? しばらく留守にすると言ったきりで最近は家に帰ってきてないけども。

 

「ゴーレムに狙われたことのある千冬さんと、イタリア代表ということが関係しているのか狙われていないアーリィさん。千冬さんが一夏さんの傍に居ては逆に危険に巻き込む可能性が高かった。さらに言えば暮桜は敵を倒すことに特化している機体であって何かを守ることには向いていませんし。だから欧州でのアーリィさんの仕事を千冬さんが代わりに行っているというわけですわね」

「その通りサ。おかげで楽させてもらってる。あっちはゴーレム退治で東奔西走してるらしいからネェ」

 

 要するに千冬姉とアーリィさんはお互いの仕事を交換したようなものか。国の隔たりを越えてこのような真似をしている辺り、ISの国家代表という人たちは意外とつながりが深いのかもしれない。

 一番意外だったのは束さん以外にも千冬姉が対等と思っている人が居たことか。自分で言うのもなんだけど千冬姉が他人に俺のことを頼むのはよっぽどないし。

 

「その人がここにいる理由はわかったわ。でも千冬さんはどうして一夏が襲われるかもしれないと考えたのかしら?」

 

 鈴の疑問はごもっとも。俺自身、狙われるような心当たりが昨日発生しただけでそれ以前に予測することはできなかった。アーリィさんの口振りだともっと前から護衛してくれてたことになるんだけど、千冬姉は何から俺を守るつもりだったのだろうか。

 

「私は頼まれただけサね。特に聞いていない」

「わたくしも一夏さんが襲われたこと自体が想定の外でしたのでわかりませんわ」

 

 これは千冬姉本人に聞いてみないとわからないか。もしかしたら千冬姉は俺たちに見えていない敵の正体に推測が立っているかもしれない。

 

「……織斑一夏が狙われることは必然でした。織斑千冬が警戒するのは無理もないでしょう」

 

 セシリアすらわからないと言っているところへ意外な声が上がる。声の主は椅子に座ることもせず数馬の背中越しにこちらを窺っている小さい少女。

 

「俺が狙われるのが必然?」

 

 問い返すと彼女はビクッと大きく反応した後で数馬の背中に隠れてしまった。

 ……俺、怖がられてるのかな? この子に関しては心当たりだらけなのだけどもちょっとショック。

 

「織斑一夏はギドも博士も倒した。この情報を全ての遺伝子強化素体が共有していて、最大の脅威と見なしているのは博士のいなくなった今でも変わらないの」

 

 隠れたままでも返答だけはしてくれている。その内容にはちょっと引っかかることがあった。

 

「俺はゴーレムに襲われたんだけど、どうして遺伝子強化素体が関係しているんだ? ゴーレムと亡国機業は関係ないはずだろ?」

「そう、亡国機業なんてもう関係ない。遺伝子強化素体が亡国機業にしかいないと、本気で思っているの?」

 

 言われて気づいた。エアハルトの印象が強かったせいで俺の中に『遺伝子強化素体=亡国機業』のイメージが強く根付いていたことに。

 ゼノヴィアは『ゴーレムを扱っている者が遺伝子強化素体である』と言いたいだけであって、それが亡国機業の者だとは言っていない。

 

「遺伝子強化素体の中でも私やラウラのような後期の個体はクロッシングアクセスとまではいかなくても互いの状態がなんとなくわかるようにできている。一種のテレパシーみたいなものかな。そのラウラから伝わってくるの。彼女は博士とは別の遺伝子強化素体の支配下にいる。ゴーレムと同じ命令を受けて行動にも移してる」

 

 亡国機業以外に遺伝子強化素体はいるのか。その答えは身近にもある。宍戸先生が遺伝子強化素体なのだから他にもそういう遺伝子強化素体がいる可能性は十分にある。

 ゴーレムとつながりのある遺伝子強化素体。そして俺だけが見てきた束さんの記憶。この2点から導かれる答えは1つ。

 

 クー。

 束さんにクロエ・クロニクルと名付けられ、ナナたちの傍にいたあの子だけがゼノヴィアの言う敵の条件に当てはまる。

 ……俺には信じられないことだけどな。

 

「私の使命はこれでお終い。数馬、帰ろ?」

「え? 使命って、それだけを言いに来たん? 俺が一夏に伝えるだけでよくない?」

「私が直接伝えることがラウラの願いでもあったから。あとは織斑一夏に任せて私はお家で朗報を待ってるのが一番なんだよ」

 

 なぜかゼノヴィアはやたらとこの場を離れたがっている。数馬が俺に申し訳なさそうな目を向けてきたから、一緒に帰ってやれと目で返事をしておいた。頷いた数馬はゼノヴィアを連れて客間を出ていく。

 そんな彼らを見送っていると隣に座っている鈴が俺に耳打ちをしてきた。

 

「アンタ、あの子に相当嫌われてるわよ? 何かしたの?」

「いや、まあ……一時期は敵だったから殺す気で立ち会った過去があるかな……」

「ああ、そういうこと。誤解じゃない分、この溝を埋めるのは難しそうね。いつか謝っておきなさいよ」

「そうするよ。箒を取り戻してからな」

 

 と俺と鈴が話している間、数馬たちが出て行く直前にゼノヴィアが何やらセシリアに手渡していたのが見えた。どうやらメモリスティックか何からしい。2人がいなくなった後、中身をチェックしていたセシリアが眉を(ひそ)める。

 

「こんな施設があったのですか……」

「ゼノヴィアから何を渡されていたんだ?」

「亡国機業の隠された施設の座標とその詳細が記されていますわ。現時点でわたくしたちの目に触れていない場所なのは間違いありません」

「でも今更亡国機業を調べる必要があるのか? さっきのゼノヴィアの話を聞く限りだと亡国機業以外に敵がいると思っていいと思うんだけど」

 

 俺の中で具体的な候補がいることは伏せておく。まだそうだと断言したくない。

 

「いえ、わたくしたちは見に行くべきでしょう。もしかしたらわたくしたちは思い違いをしていた可能性があります」

「思い違いって?」

「それは現地で確認してからにしましょうか。皆さん、今からISVSに行きますが構いませんか?」

 

 今、この場にいるメンバーは俺、セシリア、鈴、シャル、アーリィさん。その全員が頷く。

 

「チェルシーたちは現実(こちら)に残り、わたくしたちの安全を確保するように。いいですわね?」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 半ば逃げるようにして一夏の家を出てきた数馬たち。数馬としては中途半端なところで投げ出したようでもやもやしている。それが顔に出てしまっていたのか、前を歩いていたゼノヴィアが振り返ると足を止めた。

 

「ごめんね、数馬。私の我が儘で振り回しちゃって」

「いやいや。今日はゼノヴィアのために出てきたからこれでいいよ」

「でも数馬は織斑一夏と一緒に戦いたいと思ってるよね?」

「それはそうだけど優先順位はゼノヴィアの方が上だから」

 

 ゼノヴィアが一夏の傍に居たがらないのは誰の目から見ても明らか。数馬はそんなゼノヴィアの心情を無視するような真似はしない。

 

「一夏のことが知りたいって言ってたけど、何かわかった?」

「良くも悪くも真っ直ぐで、ついでに言えば鋭利で危なっかしい。鞘のない刀って感じだった」

「変わった例えだね。でも俺もそんなイメージだ」

「博士も似たところがある。違うのは博士は悪人だけど優しい人でアイツは善人だけど怖い人」

「ああ、ゼノヴィアから見るとそんな感じなんだ……というかそれだと悪人と善人ってどんな定義なんだろ……?」

 

 結局のところ、数馬にはゼノヴィアを理解しきることは難しいのかもしれない。もっとも、人が他人を理解しきることなどそうそうあり得ないのではあるが。

 とりあえず彼女の変わった感性はさておき。数馬にはそれよりも気になることがあった。

 

「そういえばセシリアさんに何か渡してたけど、あれは何なん?」

「あれも使命の1つ。ウォーロックがイロジックからサルベージしていたデータの一部を渡した」

「イロジックの? それはまたどうして?」

「さっきも言ったけど、博士はIllの全てを知らない。最強のIllだったギド・イリーガルがなぜ生まれたのかすらも博士は知らなかったんだ。ギド自身もたぶん自覚はしてなかっただろうし」

「へ? どういうこと?」

 

 部分的にしか事情を知らない数馬ですらもゼノヴィアの言っていることには違和感を覚えた。

 戸惑う数馬に対してゼノヴィアは得意げな顔をして言い放つ。

 

「そもそも博士は黒幕なんかじゃなかったってことだよ」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 家からISVSに入るときの恒例だった束さんの声はやはり聞こえない。

 少々の寂しさすら感じながらやってきた場所は樹海の奥深くに隠されていた地下施設だった。獰猛な生物はおろか虫一匹もいない静かな木々の間を通って、機械仕掛けの入り口を破壊して乱暴に入場する。

 

「なんかラピスらしくない入り方ね。壊すのならあたしがやったのに」

「ここから出る頃にはリンさんもどこか壊したくなっていると思いますわ。ここはそれだけの場所です」

 

 セシリア――ラピスがまるで無人の野を行くが如く先頭に立って突き進む。その姿もいつもの冷静で用心深いラピスとは異なっていた。

 だから俺はラピスの肩を掴んで引き留める。

 

「先頭は俺の役目だろ? 何に苛ついてるのかは知らないけどまずは落ち着けって」

「……そう、ですわね。そうでしたわ」

 

 やはり気が立っていたらしい。しかしラピスがこれほど静かに怒りを露わにするのも珍しい。一体、この施設がなんだと言うのだろうか?

 

「そろそろ話してくれない、ラピス? 何か確証が得られるまで話さないのはラピスらしいとは思うけど、ここまで来てそんな態度を見せられたらさすがにこっちは不安になるよ」

 

 普段は黙って聞き役に徹するシャルルにまで言われてはラピスからも反論が出にくい。ラピスは一度目を閉じて何かを断ち切るように首を左右に振ったかと思うとポツリポツリと語り出す。

 

「……ヤイバさんはナナさんたちと出会った頃のことを覚えていますか?」

 

 先頭で歩いている俺はラピスの話を背中で受け止めていた。

 

「覚えてるに決まってる、と言いたいところだけど具体的には何の話なんだ?」

「当時、ISVSの中だけの『ナナさんたちのツムギ』を知る人はほぼ皆無でした。千冬さんや宍戸先生すらもナナさんたちの助けを求める声を聞くことができていなかったのです」

「そう、だったな。俺とラピスがプレイヤーで初めて彼女たちの力になったんだ」

 

 もうかなり昔の話のように聞こえる。おそらく束さんが仕組んだことで俺はISVSの中で生き残るために戦っているナナたちと出会った。

 

「では当時のナナさんたちの取っていた行動は覚えていますか?」

「たしか同じ境遇の仲間を集めてたんだっけか。俺たちが合流する頃にはもう終わりの頃だったみたいだけど」

「集めていた……正確には『囚われている仲間を救出していた』と言い直すべきでしょう。ここで少し気になることはありませんか?」

 

 気になるところと言われてもピンと来ない。強いて言うならラピスがわざわざ言い直した理由が気になると言えば気になる。

 

「では少し違う面からも考えてみましょうか。そもそもヤイバさんがエアハルトと戦うことになった原因は何だったでしょうか?」

「奴がナナを狙っていたからだ」

「そうなのですがそれは最初からそうだったわけではありません。彼の言動から考えられるツムギを襲ってきた最初の理由は倉持技研への報復でしょう。エアハルトはわたくしたちと戦う中でナナさんの存在を知り、単一仕様能力である絢爛舞踏を利用するという目的に途中で置き換わりました」

「エアハルトがナナを知ったのはツムギに攻撃を始めてからだったってのは俺も知ってる。それの何がおかし――」

 

 自分で言ってて気がついた。

 いや、俺が気づけるようにセシリアが誘導してくれたという方が正しい。

 

「ナナたちを狙っていたのは誰だ……?」

「は? ヤイバ、何言ってんの? エアハルトとかいう奴がって、さっきまで言って――」

「いや、タイミングの問題だ、リン。俺がプレイヤーの皆を引き連れて戦う頃はもうエアハルトとの戦いでしかなかったから気づかなかった。イルミナントを倒す前、エアハルトは俺のことだけでなくナナすら眼中になかったんだ。これが事実ならエアハルトよりも先にナナたちを追い回していた何者かが存在することになる」

 

 俺が具体的にその場面に遭遇したのはラウラがナナたちを追っていたときと俺が初めてエアハルトと戦ったときだ。ラウラはミューレイからの依頼だったと言っていたからてっきりエアハルトからの依頼だと思いこんでいた。

 しかしエアハルトと初めて戦ったときはナナを狙う執拗さのようなものを全く感じなかった。奴がラウラに依頼した人間ならば、あれほどあっさり引き下がったのは妙としか言えない。

 

「で、それがどう今につながるわけ?」

 

 リンはまだピンと来ていないようだ。

 ……実を言うと俺もまだラピスの意図を理解し切れてるわけではない。

 

「……ここはISVSから出られなくなった人たちが捕らえられていた牢獄なのです」

 

 そうラピスが言った直後、タイミングを計っていたかのように俺たちの目に飛び込んできた光景は正しく牢獄に相応しい鉄格子が張り巡らされた空間だった。

 今は誰もいない。それもそのはずだ。新ツムギのメンバーと同じ境遇だった彼らはこの間の戦いの後、解放されているはずだから。

 ――という俺の想像すら甘かった。

 

「遺伝子強化素体の間では“ギドの食料庫”と呼ばれていたそうですわ」

 

 ラピスの語る通称の時点で何が起きていたのかを察する。力を高めるために共食いのような真似までしていた奴のことだ。ここに人間が捕らわれていたのならば最終的な使い道は限られている。そして、それは俺の知るIllの被害とはまた別物だったことだろう。

 胸糞悪い話だ。ようやくラピスの憤りを俺も理解したよ。

 

「連中は強い遺伝子強化素体を作り出すために手段を選んでいなかった。奴らはプレイヤーよりもナナたちのような存在を狙っていたってわけか。おそらくは『足がつかない』というただそれだけの理由で」

「いえ、それ以外の利点もあるのでしょう。おそらく敵のIllの中に強力な個体が生まれていることにもつながっていると思われますわ」

 

 俺よりも前に出たラピスがある牢屋の前で足を止める。

 

「ゼノヴィアさんから渡されたデータによればこの中にはまだ捕らわれていた人が残っていたことになっています」

 

 当然ながらラピスの視線の先にある牢屋の中は空っぽ。

 しかし当然と思ったのは俺だけのようでラピスは訝しげな目を向けている。

 

「あの戦いの後にこの世界から解放されたのなら、アバターのみが消失するはず……なぜこの牢屋は開いているのでしょうか?」

 

 言われて気づく。空っぽの牢屋が開いていること自体に違和感はないが、元々閉じているはずの場所をわざわざ開く理由は何かと尋ねられると答えられない。

 誰かがいたはずという情報と照らし合わせるとそれは違和感へと変わる。

 

「ゼノヴィアさんには敵の正体がある程度掴めているのかもしれませんね。放棄されたはずの施設に入り、この牢屋を開ける必要のあった人間がいた。そしてそれは北極での決戦の直前、あるいは戦いの最中だった」

「エアハルトが来た――にしては妙だって話だな」

「エアハルトの使っていたIllはナナさんの絢爛舞踏とつながっていました。人を喰らう必要のない状態でしたのでこの施設を使う理由はありません。それに、おそらくエアハルトはこの施設に関与すらしていないでしょうし。もし知っていればあの黒い霧……ファルスメアをもっと早く運用していたでしょうから」

「エアハルトとは別に遺伝子強化素体にエネルギー源を供給して、かつ俺たちが決戦に臨んでいる間、密かにここにやってきて捕らわれていた人たちを喰らっていた何者かがいる。そして、そいつの正体を俺たちは把握していなくてまだ野放しになっているってわけか」

 

 Illのことを知っている敵がまだISVSに潜んでいることは間違いない。

 ……その人物とはクロエなのだろうか? しかし彼女は最初、ラウラに狙われていた。そのラウラはミューレイからの依頼だったという。ミューレイとクロエがつながっているとは考えづらい。

 クロエとは別に暗躍している奴がいる。そう考えておくべきだろう。

 

「そろそろお暇した方が良さそうサね」

 

 これまで黙ってついてきてくれていたアーリィさんが奥の方へと進み出ると同時に周囲に暴風が吹き荒れる。不安を煽る風切り音が否応なしに俺たちの緊張を高めてきた。

 すると俺たちの視界にゆっくりと第三者が姿を見せる。ISにしてはやたらとすっきりしていて、パワードスーツを纏った人間と言うよりもマネキンと言った方が近い。軽量な全身装甲(フルスキン)かと思えば、関節部分が異常に細くて人が中に入っていないことは明白だった。

 

「ゴーレム!? しかもコイツは――」

 

 ツムギの迷宮に潜った後、楯無さんから聞いていた。普通のゴーレムよりも人形っぽいスラリとした外見とその戦闘能力を――

 

「気をつけろ! なんかヤバそうだ!」

 

 なぜこの場にゴーレムが居るのかは今はどうでもいい。問題はゴーレムが明確な敵意をこちらに向けていることにある。

 ゴーレムの手には1本の槍があるのみ。その切っ先をこちらに向けて後ろに引いて構える。

 

「……我は先鋭に恐怖する(アイクモフォビア)。故に我はこの矛先を汝に向ける」

 

 敵はどう見ても接近戦型という見た目をしている。まだ中距離といえる距離が開いている今、俺は雪片弐型を取り出して迎撃の用意をした。

 強敵を想定し、槍という武器を所持していることから俺が飛び出すのは下策。そう判断する定石が身についていたからこそ、俺は前に出なかった。

 だから俺は何もできなかった。

 

「え……?」

 

 敵は一歩も動かずに槍を前に突き出した。ただそれだけであり、何かしらの飛び道具が放たれた形跡もない。傍目には敵の攻撃が空振りしただけに見える。

 だがその瞬間にラピスのブルー・ティアーズが機能停止した。

 誰もが呆然とする中、ただ一人、アーリィさんだけが叫ぶ。

 

「下がるのサ!」

 

 言われてからようやく体が動く。身動きがとれず、ISVSからログアウトもできないラピスを抱えた俺はこの施設から離脱するべく出口へと急ぐ。

 ――セシリアは絶対に守ってみせる。

 だが敵もそれを易々と見逃してはくれない。原理も不明な謎の攻撃の射程は全くわからないがまたその場を動かずに同じ動作で突きを繰り返そうとしていた。

 

「させないよ!」

 

 シャルルが装備をガーデンカーテンに換装して俺たちを守りに入った。幾重にも張られた盾はイリシットの攻撃の全てに耐えきったという実績もあった。

 そこへ敵の突きが放たれる。何かが飛んでくることもなく、ISのセンサーから見ても異常は何もない。盾を構えたところで何から身を守るのか俺たちには理解が追いつかなかった。

 だからだろうか。俺にはこの結果も見えていた。

 

「リン! シャルルを連れてきてくれ!」

「わ、わかったわ!」

 

 シャルルのリヴァイヴ改も一撃で機能停止に追い込まれた。展開していたシールドは全て無傷でENシールドにも何かを受けた形跡はなし。ISVSで使われる装備に該当する武器は存在しない。

 単一仕様能力か新兵器か。その正体は不明だが、通常の防御方法が通じないことだけは確定したも同然だった。

 現状、俺がラピスを、リンがシャルルを抱えている状態となっている。これではとても敵と戦えない。そして、まともに逃げきれるとも思えない。

 

「キミたちは逃げるといいサ。私はそのためにここにいる」

 

 だけどまだ手詰まりじゃなかった。幸いにも今は俺たちだけじゃなくてランキング2位のアーリィさんが居てくれる。俺の護衛に来てくれているという彼女は自分から進んで殿(しんがり)を買って出てくれた。

 ここはお言葉に甘えよう。楯無さんが苦戦するようなレベルの相手なら下手に俺たちが居るよりもアーリィさん単独の方がマシだろうし。

 

「気をつけてください」

「問題ないサね!」

 

 力強い返事を聞いて俺たちはこの場を後にした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アーリィは一人で残った。千冬から依頼された『織斑一夏の護衛』を果たすにはISVSにおける『ヤイバの護衛』もする必要がある。ただゲームをしているだけならば問題などないのだが、相手がIllの領域を展開するゴーレムであるのなら危険だと判断するには十分だった。

 否。依頼されたから戦うというのはもう建前でしかない。

 

「もっと早くこの祭りに参加したかったのサ」

 

 ただ純粋に織斑一夏を気に入った。IS同士の戦闘すら単なるスポーツとされてしまったこの世の中で、自らの存在意義すらかけた本気の戦いを日本の高校生がしている。その事実に嫉妬すら覚えた。

 屋内だというのに空気が渦を巻き、暴風が吹き荒れる。肌を裂きかねない風が吹き付けられる中、細身のゴーレム、アイクモフォビアは槍を構えたまま微動だにしない。

 中腰のアイクモフォビアから槍が放たれる。中距離からの素振りにしか見えないその攻撃は対処法を悟られることもなくラピスとシャルルを倒した。この攻略法を見つけない限り、ヴァルキリーと称されるISVSトッププレイヤーであっても敗北は免れない。

 槍が振り切られた。対してアーリィはその場を動かなかった。結果――

 

 お互いに何も起きなかった。

 

 これを受けてアーリィはほくそ笑む。

 

「これで威力の高いだけの単純な攻撃でないことは確定サね。それどころか実体としての攻撃は全くないことが証明されたのサ」

 

 このただ一度のやりとりでアーリィは敵の攻撃の正体におおよその察しがついていた。この洞察力は決してアーリィが特別だからではない。ISVSにおける高ランク同士の戦いは相手の単一仕様能力の正体を見抜くことから始まる。その当たり前を実践しているに過ぎない。

 逆にアイクモフォビアはもう一度必殺の槍を放つ。なぜ攻撃が通じないのかを分析する思考はあれど、答えを導くことはできず同じ行動を機械のように繰り返す。いや、機械そのものだった。

 もちろんアーリィのテンペスタは全くダメージを受けない。その理由は至極単純。この場に立っているアーリィは実像でなく、風を操る単一仕様能力“暴風疾駆”によって空気中の屈折率を複雑に操作して生み出した精巧な陽炎(かげろう)に過ぎないからだ。

 威力の低いハンドガンでも揺らいでしまう程度の淡い分身。にもかかわらずアイクモフォビアの攻撃は陽炎を消すことすらできなかった。このことから敵の攻撃が通用するのは槍を突き出した直線上に存在するISに対してのみとわかる。

 敵の攻撃の具体的な正体を把握していなくとも対処法さえわかれば問題ない。アーリィはブリュンヒルデと違って搦め手も使える万能タイプ。このまま敵の前に姿を見せずとも一方的に攻撃を加えることなど造作もない。

 攻守交代。風が渦を巻き、螺旋の槍となってアイクモフォビアへと殺到する。アイクモフォビアは槍で弾くような真似をせず竜巻の槍の隙間を縫うようにして移動する。

 移動。それはアイクモフォビアのAIが方針転換したことを意味する。槍を携えたまま低姿勢でアーリィへと矢のように飛びかかっていく。

 狙われたアーリィは見せかけだけの分身。回避行動も取らずに敵の槍を受け入れ、乱された空気と共に雲散霧消した。

 たとえ人形と言えど、手応えの無さは明確に判断できる。ISのセンサーも騙す幻を使う相手だと学習し、奥の手の無駄打ちをすることはなくなる。

 同時に身を隠していたアーリィの姿をも捉えた。この時点で必殺の槍を放つこともできたが、念には念を入れるためアイクモフォビアは接近戦を選択する。ここまでの戦闘で遠距離からの搦め手を多用されたが故に。

 居場所がバレたアーリィのすることは変わらない。竜巻の槍を複数、アイクモフォビアめがけて発射するのみ。決して直線的でなく、視認しづらい風の槍をアイクモフォビアが的確かつ最小限のジグザグした軌道で接近する。

 接近を抑えられない。攻撃が失敗してからアーリィは飛び退くももう遅い。槍の名手であるアイクモフォビアの一撃がアーリィの喉元に突き立った。

 今度は手応えがあった。さらに言えばアイクモフォビアの槍の効果である『突きを向けられた対象ISのストックエネルギーが枯渇するまで絶対防御を誤作動させる』という対IS限定の幻覚も加わり、打ち倒せないISは存在しないと断言できる。

 テンペスタが光の粒子と共に消えていき、胸元の大きくはだけた着物姿のアーリィが投げ出された。ISを失って無力な生身。ISVSにおいてはそうなる前に自動でロビーに転送される安全装置が働いているのだが、アイクモフォビアが展開するIllと同じワールドパージの中では効力を発揮しない。

 アイクモフォビアは槍を持っていない右手でアーリィの左手を引っ張り上げる。無抵抗なまま宙に吊られたアーリィの顔の正面にのっぺらぼうな顔を近づけたかと思えば、その部位なき無表情は豹変した。

 口が開いたのだ。顔の表面にジグザグと切れ目が入り、ギラギラとした牙となって上下に開く。

 何のために口を開いたのか。その答えはヤイバがこの場に居たとすれば容易に連想したことだろう。

 ……イルミナントに敗北したあのときを。

 怪物としての本性を露わにしたアイクモフォビアは機械らしい無機質さでアーリィの首もとにその牙を突き立てた。

 

 しかしここで異変があった。

 生身のはずのアーリィに牙が通らない。

 

「機械すらも魅了してしまったのかネぇ。でもがっつき過ぎる男は嫌われるのサ」

 

 その声はアイクモフォビアの捕らえていたアーリィから発されたものではなかった。周囲から風の槍が殺到してアイクモフォビアの細身の体に風穴を開けていく。

 アイクモフォビアの掴んでいたアーリィは風と共に砂のように消えていった。

 アーリィの策は実に簡単なこと。アイクモフォビアに見つかった体も分身だったというだけの話だ。しかし今度は最初の陽炎と違い、槍の接触に合わせて高密度の空気をぶつけて硬さを演出し、さらにはテンペスタが解除される幻像をも見せつけた。質の劣る分身を事前に見せておくことで、アーリィの創り出す分身の限界を誤認させ、本命の分身を本物だと勘違いさせたわけだ。

 

「それにしても状況はブリュンヒルデの想定に近いようサね。ゴーレムとIllが融合してるということは……」

 

 もう戦闘は終わった。アーリィが右手を強く握ると蜂の巣になったアイクモフォビアがバラバラに砕け散る。

 勝利したアーリィは次を見据えて行動を開始する。まずはこの場から離脱し、ブリュンヒルデと連絡を取る必要がある。

 

「最悪の事態は目の前に迫っている……信じたくなくても受け入れるしかなさそうサ」

 

 表情の明るさに反した重苦しい溜め息を吐いてログアウトした。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 夕食を終えてから寝室へやってきた俺はそのままベッドにダイブする。アーリィさんに全部任せて逃げ帰ってきたとは言え、何度やってもログアウトが自由にできない場所にいるのは精神的に疲れる。慣れることはなさそうだ。

 結局のところ、今日の収穫は『エアハルト以外に裏で糸を引いていた黒幕がいる』だろうとわかったことくらい。エアハルトを倒したところで何も終わってないことを再確認した。そして、新たな黒幕はエアハルトよりも前からナナたちを狙っていた節が見られる。

 俺の戦いはまだ終わってなどいない。

 

「一夏さん?」

 

 ノックの音とともに廊下から俺を呼ぶ声がした。セシリアだ。皆のいる夕食の場でなく、部屋に戻ってからわざわざ訪ねてきたということは少し踏み込んだ話でもするということか。

 すぐに出迎える。すると彼女は顔を伏せたまま何も言わずに部屋の中にまで入ってきた。

 俺は首を傾げつつも彼女をそのまま迎え入れる。俺の部屋にある唯一のイスを譲り、俺はベッドに腰掛けた。

 

「どうしたんだ、セシリア? 何かヤバいことでもあったのか?」

「…………」

 

 セシリアは何も言わず、顔は俯いたまま。両手は膝の上でそれぞれ拳を作っていてわなわなと震えている。

 ……これは怒っているのだろうか? しかしゴーレムに襲われたこととかはもう怒られた後だし、今度はあまり心当たりがない。困ったなぁ。

 

「……先程の戦闘をどう思われましたか?」

 

 やっと口を開いてくれたかと思えば、さっきの戦闘の感想ときたか。

 何もせずに逃げ帰っただけだからあまり深いことは言えそうにない。

 

「楯無さんからもチラッと聞いてたけど、妙な性能のゴーレムだったな。強いというよりも、わからないって感じ」

「わからない……そうですわね。わたくしも同じ思いです」

「やっぱりあの槍の攻撃はセシリアも知らない武装だったってこと?」

「いえ、想像はついていますわ。あれはおそらくコア・ネットワークを利用して対象ISの機能に不具合を生じさせる一種のコンピューターウイルスでしょう。兵器としての構想こそ存在していますが、実現にはほど遠いものを敵が実用化しているのです」

 

 目に見えない攻撃の正体はウイルス……? つまり、あの槍の動作をしておいて、実際にはコア・ネットワークから攻撃を加えてきてたってこと?

 話を聞いても俺にはどう対処すればいいのか皆目見当もつかない。

 

「ところで用件は敵の新型ゴーレムのことなのか? だったら他の皆がいるときの方がいいと思うぞ」

 

 セシリアの話は俺にだけ話すような内容じゃない。そのことを指摘するとなぜかセシリアは黙りこくってしまう。

 

「他に本題があるんだろ? 心の準備はできてるから遠慮なく言ってくれ」

 

 可能性が高いのは悪い報せの方か。ツムギの真実を聞いたときもこんな風にセシリアと二人きりのときだったし。

 

「……ったんです」

 

 ボソっとした声が床の方へと消えていく。何と言ったのか全く聞き取れない。

 いつもはっきりと物事を言うセシリアにしては珍しい。

 俺は彼女の両肩を掴んで問いかける。

 

「セシリア。相手の目を見て話せって言ったのは君だったろ?」

 

 すると俯いていた顔がゆっくりと上向いた。

 セシリアらしくない弱気そうな顔はそこになく、優しげに微笑んでいる。

 

「一夏さんの顔を見たかったんです……」

「顔? 今日会ってからずっと顔を合わせてるだろ?」

「……ハァ。やはり気づいてはもらえませんか」

 

 美しい笑顔から一転、盛大に溜め息を吐かれてしまった。

 俺は何かやらかしたのだろうか。しかし考えてもわからないものはわからない。 

 

「手を握ってもらえますか?」

「あ、ああ」

 

 言われるままに差し出された彼女の右手と握手する。

 ……ああ、そういうことか。これは気づかなかった俺が悪くないとは断言できない。

 セシリアの手は震えていた。

 

「俺、セシリアに無茶させてるのか……」

 

 セシリアはIllに関してトラウマがある。イルミナントを倒してチェルシーさんが帰ってきても、それが直ったとは限らないのに……俺の都合に長々と彼女を付き合わせてしまっている。

 だからといって、俺は彼女に『もう関わるな』なんて言えない。

 ここまで俺が戦えてきたのはセシリアの支えがあったからだ。セシリアがいなかったらイルミナントを倒せなかったし、ナナたちと関わることすらできなかった。箒を見つけることすらできなかっただろうし、エアハルトにも勝ててない。

 

「ごめん。無茶させてるのを承知でも俺はセシリアに力を貸してほしいと思ってる」

「わたくしも一夏さんの力になりたいと思っています」

「強がりじゃないか?」

「そうかもしれません。ですが、今、勇気を分けてもらいました。まだまだやれますわ」

 

 握っている彼女の手はもう震えてない。最初の頃と比べて俺のことを信頼してくれてるんだと思うと胸が暖かくなる。

 

「勇気か。それを貰ってるのは俺の方だよ。セシリアが見てくれていると『なんとかなる』ってそう思えるんだ」

「ではナナさんを救い出すそのときまで見届けなくてはなりませんわね」

「ありがとう、セシリア」

 

 この後は他愛のない話ばかりした。小学生時代の箒の話とかセシリアが代表候補生になるまでの話とか昔の話を中心に。本当に大した話をしにきたわけじゃなかったらしい。

 

 ――翌朝。

 俺たちの元に待ち望んだ報せが届くことになる。

 だけどそれはとても朗報と呼べるものではなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 クリスマスを過ぎた年の暮れになってもISVSの勢いは止まることはない。むしろ休暇となったプレイヤーでどこのロビーも溢れかえっている状況となっている。世界のどこでもそれは同じで、アメリカ西海岸のロビーも非常に混雑していた。

 盛況なロビードームを遠方から見据える影がある。漆黒の甲冑という無骨な姿ではあるが、頭部には兜どころかISらしいバイザーも見受けられない。唯一露出している顔は無骨な鎧に似つかわしくない少女のもの。銀髪の少女はその左目の眼球だけが黒く染まっていた。

 

「のんきな笑い声が外にまで響く。この平和な時間がいつまでも続くといいですよねぇ?」

 

 無言を貫く甲冑の少女の傍らにいるフードを目深に被ったコート姿の男が下卑た笑い声を発していた。ISを装備していないように見えるその男の両目は漆黒の眼球に変貌している。

 

「さーて! お祭りの狼煙を上げるとしましょう! 盛大にっ!」

 

 男の言葉が合図だった。甲冑の少女は消えたかと錯覚するほどの急加速でロビードームへと向かっていく。それに続くようにして無数の物言わぬゴーレムたちが飛び出していった。

 

「終わりの始まりだ!」

 

 一瞬のうちに戦場と化したロビー。その様を眺めているハバヤの高笑いが響く。



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45 兎の抱える鬼胎 【前編】

 不安を拭えたことは一度もなかった。

 物心がついた頃には既に地獄絵図が脳裏にこびりついていた。

 燃えさかる炎。飛び交う銃弾と悲鳴。テレパシーのように頭に次々と飛び込んでくる痛みと近づいてくる死の恐怖。

 平穏な世の中で生活していても、それらの記憶は常に少女の頭の片隅に残っている。

 

 少女には家族がいなかった。とある研究施設。フラスコの中で量産された彼女に遺伝子上の親は居るのかもしれない。しかし腹を痛めて生んでくれた母親は存在しない。

 生まれたときから愛されぬことを宿命づけられた命。少女はそれを悲しむ間もなく失敗作という理由で廃棄されることとなっていた。

 どこまでも恵まれない。歪な命として生きることすら許されない。こうして人知れず消えていくだけの運命だった。

 

 そのはず()()()

 

 しかし少女は生き延びた。まだ物心が付く前のこと。目に映るものが何かを判別することもできなかったというのに、少女は自分が救われたのだと本能で理解した。

 

 ――大丈夫だ。お前は生きられる。

 

 まだ喜ぶという感情すら知らなかった少女の眼前で、彼女を抱えている大の男が涙すら浮かべて歓喜の声を上げる。

 絶望しかなかった記憶の最後。心の奥底に刻まれた男の笑顔がなければ少女の心はとっくの昔に壊れていたことだろう。

 この笑顔がギリギリのところで少女の心を支えていた。

 喜びの感情が少女の人格を人間につなぎ止めていた。

 

 以来、少女――ラウラ・ボーデヴィッヒは人間として育てられた。

 戸籍上の父親も居て、姉のような人も居てくれた。

 不満など全くない。捨てられた過去を理解しているラウラは自分が恵まれていることを自覚している。多くを望まぬ彼女は現状を維持できればそれで良かった。

 だが彼女を取り巻く環境は歪なままだった。

 まず軍人としての英才教育を叩き込まれた。これは軍人である義理の父、バルツェルが独断で決めたことである。ラウラを守るため、彼女の地位を確立させるという目的の元、彼女の自由意志を無視した。ラウラも自由を求めなかった。見捨てられたくなかったのだ。

 普通の学校に通ったことはない。ラウラは危険分子と見なされている。何か問題が起きて公にその存在が公表されてしまえば、ラウラを守ることのできる者はいなくなる。バルツェルの庇護の元、軍人としての道を歩むのが最も安全だった。

 バルツェルの娘として扱われたことはない。しかし、どこにいても特別扱いされていたことは間違いなく、年齢や実績に相応しくない権限まで与えられた。どこまでもラウラを守ろうとするバルツェルの措置だったが、それが逆にラウラを苦悩させた。

 

 自分は人間とは違う。

 

 恵まれた環境の中であっても優越感に浸るのでなく疎外感を覚えていた。

 強い権限が自分にある。ならばそれに相応しい実績を積まなければならない。そうでなくては『人間になれない』。人間でなくては『見捨てられる』。

 何か1つでも間違えれば捨てられる。たとえ記憶に残っていなくとも失敗作の烙印を押された過去を持っている。少女は環境が変わっても本能として悩みを抱えていたままだった。

 強くなければ生き残れない。そうした強迫観念の中、周囲が期待する人材で在り続けたのは、ただひたすらに必死だっただけである。少女の健気に頑張る姿を見た年上の隊員たちが“隊長”と慕ってきているのだが、当の本人はそうした尊敬の眼差しに気づいていない。

 

 

 

「この……化け物め」

 

 手にした大剣の一振りで1人のプレイヤーが倒れ伏す。相手はアメリカのクラウス社所属の専用機持ちであるのだがラウラの敵ではなかった。

 化け物。そう呼ばれても心が動かなくなった。自分は人間と違うと自覚していたのはいつものこと。実際に化け物として活動している今、そう呼ばれたところで心が傷つくはずもない。

 だからだろうか。とても気楽に思えていた。黒ウサギ隊の隊長としての自分が悪とすることでも、今の自分には何が悪いのかを判断することはできない。むしろ煩わしい不安から解放されているのだから、これが正しい姿なのだとすら思えている。

 

「流石はイラストリアス、仕事が早くて助かりますよー♪」

 

 ラウラの後方でハバヤが今にも鼻歌でも垂れ流しそうなくらいに上機嫌になっていた。

 

「では、あとは私の仕事。ロビー(ここ)の深部に潜って来ますから、プレイヤーどもの迎撃をお任せします」

 

 ラウラが倒したプレイヤーを最後に、ロビー内の敵対勢力は全滅。制圧が完了し、転送ゲートの機能を停止させたロビーの奥へハバヤが向かっていくのをラウラは黙って見送った。

 ハバヤを味方だとは思っていない。しかし今のハバヤはラウラと同類となっている。少なくとも今のラウラにとって、ハバヤは敵と認識されない。

 

「プレイヤーを迎撃する……」

 

 ハバヤから与えられた指示と同じ命令を受信したラウラ。近い内に向かってくるであろうプレイヤーを倒すために彼女はこの場で待ちかまえる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月27日。約束の日までとうとう残り1週間。できれば次の1月3日までに箒を助け出したいけど、今のところ終わりが見えてこない。

 それでも状況は大きく動き始めた。現実にゴーレムが出現し始めた異常はもちろんのこと、ISVSの中でも異変が始まっている。

 

 アメリカのロビーの一つが使用不能となっている。

 

 ISVSが始まって以来、ゲームをプレイできないという不具合があったことはない。今まであったのはIllによる被害者が現実に帰ってこなかったことだけであり、ISVSに入れないのは真逆の問題であるといえる。

 原因はすぐに発覚した。これまでIllが起こしてきた事件とは違い、隠す気すらも感じられない。件のロビーのある遺跡(レガシー)が敵に襲撃されたのだ。

 敵がこのような行動に出た理由はまだわかっていない。しかしこのまま放置する理由は俺たちにはない。(ナナ)につながっている可能性があるのなら俺はその渦中に飛び込んでいくだけだ。

 というわけで俺たちはISVS内のロサンゼルス近郊にまでやってきている。

 

「内密に進めると思ってたんだが、意外と人数が集まってるな」

 

 ロサンゼルスにある、クラウス社の持ち物という遺跡から十数キロ離れた地点。作戦開始前に集まっているプレイヤーたちを見回してみると普段見ない顔もある。

 

「ISVSにおける一大事だからね。倉持技研やデュノア社はもちろんのこと、今まで中立を保ってきた企業も便乗して今回のミッションを発令してるから実質的に世界規模でプレイヤーが集められてるよ」

 

 隣でシャルルが説明してくれる。流石は社長令嬢ということか。こうした企業の裏事情に詳しい。

 しかし便乗? 合同じゃないのか。

 

「ミッションってことはIllを知らない一般プレイヤーも混ざってる?」

「そこまではしてないみたいだね。国家代表は見かけないけど代表候補生クラスを中心にある程度現実のISに関わりのある人たちばかりかな」

 

 要するにこの場にはそれなりの実力者が揃っているということ。

 でも全く気楽になれないのはクラウス社の所有する遺跡が敵の手に落ちているという事実があるからだ。

 クラウス社はアメリカのIS関連企業のトップと言っていい企業。抱えている専属操縦者もアメリカの中でトップクラスなのは間違いない。にもかかわらず常駐していたであろう専属操縦者ごと短時間で全滅させられているということは、遺跡を占拠した敵の実力は相当上だったということになる。

 もしかするとギド・イリーガルに匹敵する敵がいる可能性もある。楽観できないどころか悲観すべき事態かもしれない。

 それでも俺たちが足を止める理由にはならないけどな。

 

「誰が味方にいようと関係ないよ。重要なのはここにラウラがいることと僕たちが間に合ったことだから」

 

 装備を1つ1つ確認するシャルルの目つきはいつになく真剣だった。俺はこの目に親近感を覚えている。自らの存在意義すらも賭けていると言わんばかりの危なっかしさすら感じさせる強い瞳はきっと『ラウラを助ける』という思いの表れだ。

 無理をするなとは言わない。俺が彼女にかけるべき言葉はただ1つ。

 

「やり遂げるぞ」

「もちろん」

 

 作戦開始までまだ時間がある。シャルルはそのときが来るまで目を閉じて瞑想でもしているようだった。集中を高めているのであろう彼女を俺の雑談で邪魔するのも悪い。

 

「ラピス。敵の全容は掴めそうか?」

 

 すぐ後ろで情報収集していたラピスに確認してみる。ただひたすらに数が多いという情報ばかりが出回っていて、具体的な敵の陣容を把握し切れていないのは敵の部隊が遺跡内部に籠もっているからだ。

 この状況で頼れる目はラピスの単一仕様能力“星霜真理”。コア・ネットワークを通じてISコアから情報を奪い取ることができる彼女の力があれば、どこにコアがあってどのような装備をしているのかを簡単に知ることができる。Illに対しては無力だったが、ISコアを使っているゴーレムならば条件は通常のISと変わらない。

 

「リミテッドはなし。全てが門番クラスのゴーレム以上で編成されていて、数もこちらと同等ですわね」

「マジか……もしかして、俺は役立たずか?」

「IB装甲を危惧されているようですが搭載機は1割ほどといったところですわ。遭遇した際は逃げに徹して他のプレイヤーに任せれば問題ありません」

「ラウラの居場所は……わからないよな」

「星霜真理ではIllの場所を特定できません。今のところ生還したプレイヤーの目撃情報のみしか確認されておりませんわ」

「今もあの中に残ってると思うか?」

 

 エアハルトと決着をつけた後、初めて入ってきたラウラに関する情報だった。まだ中に残っていて欲しいというのは俺とシャルルの願望でしかなく、根拠なんてない。だからラピスの冷静な意見が欲しかった。

 

「十中八九、居ますわ。こちら側の持ち物であったレガシーに敵が立てこもっているのは今までにない異常な行動です。つまり、敵はレガシーの内部に目的があって襲った。わたくしたちに包囲された今でも迎撃の姿勢を崩さないのはその目的がまだ果たされていないからであり、ゴーレムよりも強力な駒であるラウラさんを離すとすれば敵にとって不測の事態が起きているときだけでしょう」

 

 敵には何か目的があってまだ果たせていない。おそらくはそうなんだろうし、それが重要であるほどラウラがまだ残っている可能性が高くなる。

 

「ところでその目的ってのには見当ついてたりする?」

「全くわからないというのが正直なところですわ。ゲームシステムの一部を乗っ取ったところで敵にメリットなどありませんし、現状で損害を受けているのはレガシーの所有者であったクラウス社のみ。大掛かりな行動に出た理由があるはずなのですが……」

 

 相変わらず敵の行動方針については見当もつかないまま。俺たちは与えられた状況に対応するしかなくて、主導権を握れない。

 ……まるでISVSを始めた頃と同じだな。

 いや、今はもっと状況が悪いかもしれない。なぜなら今の俺たちはプレイヤーの一人に過ぎなくて、自軍の主導権すら握れていないのだから。

 

「そろそろ始まりそうかな?」

「ようやく、ですわね。既に世界中の主要な企業から援軍も来ているというのにクラウス社はあくまでも自分たちの手でレガシーを取り戻したという手柄を欲しています。連携はほぼ期待できません。いくら物量があっても、組織的な動きができないのでは敵に振り回されて終わるだけですわ」

「だからこそ俺たちは俺たちの都合で動こう。レガシー奪還に出しゃばると余計な敵を作るっていうなら、俺たちの目標はあくまで『ラウラの奪還』だ」

 

 シャルルが便乗と言っていた理由はわかった。危険な相手とわかっていても損得を切り離せない人間がいるのは仕方ないことと割り切るしかない。俺が箒を最優先するように、自らの利益を優先する人がいてもおかしくないからな。

 数が多くても純粋な総力戦とは違う。正規軍に相当する代表候補生クラスの操縦者が集まっていても、これでは烏合の衆のようなもの。俺たちが個人でいくら頑張ってもこの戦い自体の勝利は遠い。だから企業とゴーレムどもの戦争は勝手にやらせておいて、俺たちは一つの目標に終始すればいい。

 今回は藍越エンジョイ勢や他の皆には普通に倉持技研からのミッションとして参加してもらっている。目標がラウラだと知っているのは俺の家に来るような一握りのプレイヤーだけで事情を知らない連中の方が多い。リンには藍越エンジョイ勢の士気を上げるために一般プレイヤー側に行ってもらっているから、実質的にラウラ救出に動くのは俺とラピスとシャルルの3人だけとなる。

 ラウラを助けるために複雑な手段を用いる必要はないと彩華さんから聞いている。方法は単純でラウラが使っているIllが機能停止すれば勝手にラウラは現実に帰ってくるのだそうだ。だから俺たち以外の誰かがラウラを倒しても俺たちの目的は達成できる。

 ……まあ、その単純なことが果てしなく遠いんだけどな。あの千冬姉(ブリュンヒルデ)が倒しきれなかった相手。俺たちが勝てる保証なんて全くない。

 でも、今を逃していつラウラを助けられる?

 ここでやるしかない。

 俺がやるしかない。

 その気概でいかないと何も成せない。そんな気がする。

 

「ラピス」

「なんでしょうか?」

「俺を無敵のヤイバにしてくれ」

 

 自分に対して『ラピスが見ているぞ』と発破をかける。

 イルミナントと遭遇した頃のような、リンに守られただけの不甲斐ない俺なんかじゃない。

 強大なIllを次々と倒してきたヤイバとしてここに立っているんだ。

 そう言い聞かせる。

 

「久しぶりに指揮権がありません。今回はヤイバさんのサポートに専念させていただきますわ」

 

 満面の笑みが返ってくる。昨夜の不安げな彼女は見る影もない。

 とても頼もしい相棒だ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 包囲しているプレイヤー軍の中、黒いカラーリングで統一された戦艦が異様な存在感を放っている。ISの立ち並ぶ陣容の中で巨大なマザーアースを運用している勢力はドイツ軍のIS部隊“シュヴァルツェ・ハーゼ”しかない。

 

「この作戦は可能であればクラウス社の持ち物であった遺跡を我が国のものにし、最低でもクラウス社に恩を売るというのが上層部の思惑だ。しかし、そんなことはどうでもいい!」

 

 艦橋の中央でISスーツを着た初老の男が叫ぶ。堅物から親バカにクラスチェンジしていても建前だけは忘れていなかった軍人がその建前すらも放棄した。

 

「君たちの思うままに戦え! それが私の下す命令だ!」

 

 間もなく攻撃開始予定時刻というところで、指揮官であったはずの男、ブルーノ・バルツェルは艦橋から退出する。数秒後、外に単機で飛び出していく姿が確認できた。

 その光景を艦橋から眺めるクルーの中にクラリッサ・ハルフォーフの姿はない。どこにいったかと思えば、彼女もまたバルツェルの後方に付き従うように戦場へと飛んでいった。

 

「親バカ将軍に過保護副隊長。我らが隊長は上からも下からも愛されてるね~」

「私らも大概だけど。国の意向とかどうでもよくて隊長の安否しか気にならないもん」

「――隊長をさらった奴はいずれ特定してぶっ殺す」

「私怨の発言はやめなさい。気持ちは我が身のことのようにわかるけど」

 

 艦橋に残されたメンバーはIS戦闘において戦力外とみなされた隊員である。そんな彼女らも戦闘に出て行った隊員たちと志は同じ。部隊内で最年少である隊長の帰還だけを願っている。

 国に対する忠誠心はほとんどない。その理由はシュヴァルツェ・ハーゼという部隊の成り立ちが女性軍人の落ちこぼれを集めた吹き溜まりであったから。ウサギは“戦力外通告を受けた者たち”を象徴した皮肉。中央からは捨てられたも同然であったのだ。

 そんな落ちこぼれ部隊が今ではドイツ軍のトップエリートになっている。艦橋に残った隊員たちもこの戦いで戦力外とされたとはいえ、一般的なプレイヤーと比べれば圧倒的に強い。軍内部のISの比率が高くなるにつれて黒ウサギは強者の象徴となる。

 ここまでの部隊に育った理由。それは誰よりも幼かった隊長の直向きな姿があったからだ。弱さを受け入れ、人よりも劣るところを認め、ただ強くあるために生きている小さな背中に隊員の誰もが尊敬の念を抱いた。

 隊長が頑張っている。自分たちが諦めていては申し訳ない。そうやって奮い立たせてきた。

 

「絶対に隊長を助けよう」

「当たり前。じゃあ、問題発言がありそうな会話記録とかその他諸々は改竄しとく感じで。いつもどおりシステムの不具合ってことにしとこ。責任は准将がとる」

AICキャノン(ラヴィーネ)発射準備。副隊長から指示が来たらいつでも撃てるように」

「もうやってるよ~」

 

 厳格さの欠片もないだらだらとした空気の中、マザーアース“シュバルツェア・ゲビルゲ”は素早く戦闘態勢に移行する。

 これがドイツ最強部隊の姿。軍隊というよりもむしろ家族のようなチームなのかもしれない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 複数の企業が一斉にミッションを開始した。大軍で遺跡を包囲していたプレイヤー軍は明確に統率されていなくともある程度の足並みを揃えて包囲の輪を狭めていく。

 対する敵側は遺跡内部からゴーレムが次々と溢れ出てくる。エアハルトが従えていたリミテッドの部隊と違って各々にISコアを保有している無人機たちは単機でもプレイヤーを圧倒するだけの力がある。プレイヤーが数で勝っていても安心できるなんてことはなかった。

 

「どうだ、ラピス?」

 

 俺たちは戦いのどさくさに紛れて遺跡内部に侵入するつもりである。戦闘が口火を切っていても今のところは遠方から様子見の段階。敵の陣形の手薄そうなところを見つけることに専念する。

 

「戦況はプレイヤー側が圧倒的に不利ですわね。ゴーレムの防衛網には穴が見当たりません」

「ん? 不利ってどういうことだ? まだ始まったばっかなのに」

「ヤイバさんはご存じと思いますがゴーレムは通常のISよりも強力な防御性能を誇っています。正確には操縦者が存在しない無人機であるため、絶対防御機能がオミットされることで許容されるダメージ量が増大しています」

「HPが多いっていう感じだな」

「有人機よりも耐久力があるとだけ認識していただければ結構ですわね。迷宮攻略におけるゴーレム戦のセオリーは1体のゴーレムに対して複数のENブラスターを集中砲火することで封殺するというものですが、ある程度数が拮抗してくるとセオリー通りに攻めきることが難しくなっています」

「つまり?」

「前線で衝突する度にプレイヤー側が一方的に消耗している状態ですわ」

 

 いきなり状況は芳しくない。戦闘のどさくさに紛れるという思惑は混戦になることが前提にある。一方的な展開になっていては俺たちが無理に前に出たところでプレイヤーの一部に過ぎず、ゴーレムの守りを突破するのは力業となってしまう。

 

「クラウス社だけは全力なんだろ? イーリス・コーリングも出てるんじゃないのか?」

「今のところ前線には出ていませんわね。後方に控えたままのようです。おそらくはわたくしたちと同じく、前線を無傷で突破しようと隙を窺っているのでしょう」

「それで何もせずに戦線が後退していく一方じゃ意味がないだろ……」

 

 呆れながら口走ったことだけども、ふと気づく。

 ……これ、ブーメラン発言じゃないだろうか。

 少なくともこのまま見ているだけだと俺たちは何もしないままプレイヤー側の敗戦を見せつけられることになりそうだ。

 

「さて、わたくしたちはどうしますか、ヤイバさん?」

「俺が何て言うかわかってて聞いてるだろ」

 

 既に理想から外れている。このまま流されていては良い結末なんて絶対にやってこない。

 まずは行動を起こそう。そう思い立ったのは俺だけじゃなく、ラピスもだ。俺は今、彼女と同じ思いを共有していると確信できる状態にある。

 右手に雪片弐型、左手にインターセプターを呼び出す(コール)。加えて白式のウイングスラスターの周囲にBTビットが羽のように展開される。

 今の俺はイルミナント相手に互角に立ち回っていた無敵のヤイバそのもの。

 ゴーレムがいくら立ちはだかろうが、負ける気が全くしない。

 

「俺が道を切り開く!」

 

 イグニッションブースト。もう後方から眺めているのは終わり。俺は自分自身の役割を当初の予定から変更し、敵軍の防衛網に隙間を作りにかかる。

 前線に到達するのはすぐのこと。目の前には巨大な腕をぶんぶん振り回すゴーレムが迫ってくる。

 星霜真理にアクセス。眼前の対象にIB装甲はなし。ならば単純に硬いだけの相手だ。

 雪片弐型で一閃。ゴーレムの左手を肘からぶった斬る。

 操縦者のないゴーレムは絶対防御が働かず、片腕を失っても怯むことなく攻撃を継続。右手が硬く拳を作り、俺の顔面にめがけて飛んできた。

 右の拳にはインターセプターを合わせる。出力が足りずに両断することは無理だが弾き飛ばすことくらいは可能。そして時間さえ稼げれば、雪片弐型が使える。

 雪片弐型の2刀目。肩の間接部を狙って縦に振り下ろすと、ゴーレムの右腕は地へと落ちていった。

 よろめいたゴーレムの頭へインターセプターを突き刺すとバチバチと火花が散る。回路のショートや燃料の誘爆などに偽装しているが、ラピスの星霜真理はこれをゴーレムの自爆と警告した。俺はゴーレムの胸を強く蹴って退避する。

 ゴーレムが爆散。ようやく1機。防御性能が高いというのは嘘偽りがない。イルミナントと渡り合えていたと言っても、火力だけは雪片弐型に頼っているから多数を一度に倒すことは難しい。

 

「BTビーム、1から8を斉射」

 

 倒すことは難しくても相手ができないことはない。偏向射撃により上空を旋回させていた蒼い光線をゴーレムの脳天へと打ち下ろし、ゴーレムの攻撃対象(ヘイト)を俺に向けさせる。

 早速、IB装甲を搭載したゴーレムが向かってきた。IB装甲は強力な斥力で物理ダメージを激減させるのに加えて敵性ISを近づけさせないという強力な効力を持っている。しかしEN属性に対する耐性が激減するという欠点を抱えていて、EN武器が流行しているプレイヤーたちの間では使用者がとても少ない装甲だ。

 要するに対策自体は簡単。俺の白式には対抗策がなくても、ラピスのブルーティアーズにとってIB装甲持ちはカモだ。

 左手のインターセプターをスターライトmkⅢに持ち替え。引き金を引くと同時にBTビットからのビームも発射し、射線をIBゴーレムに集中させる。

 対策さえ取れば大した敵じゃない。俺をかなり苦しめた装甲を持つゴーレムがいとも容易く蜂の巣になって墜落していく。

 

「このまま行くぞ、ラピス」

『もちろんですわ』

 

 一方的だった戦場に一石を投じた。堅牢な守備も一カ所に穴が開くことで崩壊することもある。今はただ、俺が暴れることでできる隙間を使って彼女が先に進んでくれることを祈る。

 

「頼んだぞ、シャルル」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバが前線で戦闘を開始したことをきっかけとして、ゴーレムたちの統率に若干の揺らぎが生じ始めていた。シャルルの進む道を開こうとしたヤイバの行動だが、プレイヤー軍の他勢力にとっても待ち望んでいたものだった。

 そのうちの一つがクラウス社。遺跡をゴーレムに奪われた失態を取り戻すため、なんとしてでも自分たちの手で遺跡を取り戻したい思惑がある彼らは最大の切り札であるイーリス・コーリングを後方に控えさせていた。遺跡内部へと侵攻していくにあたり、その旗頭として先陣を切らせるためである。

 

「いい加減、もう行っていいよな?」

 

 眉間に皺を寄せているイーリスが不機嫌さを隠さずにクラウス社の人間に確認する。

 失態を取り戻そうとする企業の指示に従って大人しく出番を待っていた彼女だが本心では最初から最前線で戦いたかったところだった。遺跡に一番乗りしたという事実を欲する上層部の事情は理解している。しかし、そのために誰かの活躍の影に隠れているのは国家代表としての矜持に反する。

 イーリスは女性プレイヤーの中で上位5人に入っているがエアハルトの存在によりゲーム中のランキングでは6位とされてしまっている。ISVSにおいてランキング上位5名までの女性にはヴァルキリーの称号が与えられているのだが、世界最強の男性プレイヤーとされていた者の存在によってイーリスはヴァルキリーになれなかった。

 いつしか彼女はこう呼ばれることとなる。

 

 “無冠のヴァルキリー”。

 

 実質的にヴァルキリーではあるが、その基準をギリギリで満たしていない。ただただイーリスを不名誉にしているその呼び名が彼女を必要以上に好戦的にする。一般プレイヤー相手でも勝負を引き受けてきたのも不名誉な呼び名を払拭したかったからだ。

 自らの強さを他に見せつける。そうしてISVSというシステムにも自らの力を認めさせる。その一心で戦いに明け暮れていた。強い相手との戦いを欲していたのも全ては力の証明に必要と考えたからだ。

 

「雑魚に用はねえんだよっ!」

 

 立ちはだかったゴーレムの顔面を殴りつける。錐揉み回転して墜落していく機械人形を追撃しないばかりか目で追うことすらしない。言葉通り、いくら雑魚を倒してもイーリスにとっては何の意味もない。

 必要なのは強者との戦い。心持たぬ人形はその時点で強者ではない。少なくともイーリスにとってはそうだった。

 短距離の機動力はブリュンヒルデをも上回るとされるイーリスは敵の包囲を突破した後、追撃を受けることなくレガシーのドーム内への突入に成功する。まだ内部のシステムは敵の手に落ちていなく、隔壁はどこも降りていない。配置されているゴーレムもなく、奥へと進むのに何も障害はなかった。

 

「罠か? それとも……」

 

 簡単すぎることが引っかかる。機嫌が悪くても頭は冷静だった。いとも容易く侵入できた事実は漠然とした違和感となってイーリスの脳裏を過ぎる。

 

「どちらにしても行くしかねえか」

 

 足を止めてしまったが他に選択肢はない。自分が強者であるためにすべきことは決まっている。レガシーを占拠している敵の親玉を討伐して、自らの強さを世界に示さなくてはならない。

 攻略済みの迷宮の中を進み行く。ここにもゴーレムは配置されていなく、静寂と暗闇の一本道を奥へと進む。

 敵の具体的な狙いはわからずとも敵の目的地にはおおよその予想がついている。

 迷宮の最奥部。篠ノ之論文が置かれていた宝物庫。

 クラウス社がまだ調査中だったISVSの秘密が残る場所。

 わざわざ企業の手に落ちたレガシーを狙う理由はそれ以外に考えられなかった。

 

 狭い通路を抜け出ると視界が開ける。目的地である宝物庫には案の定、敵の姿を一人確認できた。

 フードを目深に被ったコート姿の男。確認しづらいフードの中で金色の瞳が怪しく光る。男の周囲には黒い霧状の物質が細長く渦を巻いていた。

 

「最速の想定よりも20分ほど遅刻ですか……そんなだからテメエはエアハルトの小僧よりも格下だなんて烙印を押されたんだろーなぁ?」

 

 コートの男、ハバヤは涼しい顔で待ち受けていた。襲撃というだけでなく、ここにやってくるプレイヤーがイーリス・コーリングであることをも予期していたということだ。

 つまり、ハバヤはイーリス相手に逃げることを必要としていない。そう自覚している。

 

「お前が親玉か?」

「あ、そう見えちゃう? リップサービスとはいえ嬉しいことを言ってくれるじゃねーの、無冠のヴァルキリーさんよぉ」

 

 ハバヤはわざとらしくフードを下ろした。露出した顔はアメリカ代表であるイーリスも知っている。知り合いというわけでなく、更識家経由で世界中の企業に指名手配されていた要注意人物だったからだ。

 

「平石ハバヤだったっけか。亡国機業の生き残り」

「そいつは違うぜ。オレ様はもう平石の家を捨てたし、協力はしていたが亡国機業の一員になったつもりもねえ」

「ハッ! だったらお前はどこの誰なんだよ?」

 

 イーリスの問いと呼べないような軽口だったがハバヤは満足げな笑みを浮かべて愉快そうに返答する。

 

「オレ様は神に会った! 最高の力も得た! この世界でオレ様は人間の頂点に立つ!」

 

 返答と呼ぶには荒唐無稽。そもそも会話のキャッチボールすら成立していない。気が狂ったとしか思えない返答だ。

 イーリスは呆れを隠さなかった。その反応を眺めていたハバヤはむしろ表情に一層の愉悦を刻む。

 

「いいねェ! 理解できてないって顔だ! テメエは悪くねえ、それが普通だ! そう、ヴァルキリーなんて特別な存在じゃない、ただの凡人に過ぎねえ!」

 

 一瞬でイーリスの目つきが鋭くなる。

 これ以上、言葉を交わす意味を見出せない。

 目の前にいるのは敵。クラウス社の障害だとかそんなことはどうでもいい。レガシーを使って何を企んでいようが関係はない。

 この男はヴァルキリーを貶めた。イーリスの聖域を汚したのだ。

 身の内に眠る激情を抑える口実などどこにもない。

 瞬きをする程度の僅かな時間でイーリスの全力の右拳がハバヤの顔面へと向かう。

 

「熱血な性格と聞いてたもんだから、無言で殴りかかってくるとは思わなかったぜ。もしかして怒った? 怒っちゃった?」

 

 イーリスの行動は早かった。全てのプレイヤーの中で最速と言っても過言ではないイグニッションブーストで近づいて右拳をハバヤの顔面に叩き込んだ。まともに対処できるのはブリュンヒルデらトップランカーくらいなものだろう。事実、ハバヤは避けられなかった。

 否、避ける必要がなかった。イーリスの拳は何にも触ることなく空を切る。ハバヤの顔を貫通しても手応えは全くない。

 

「おや、驚いてない? ああ、なるほど。更識の連中から“虚言狂騒”の情報が出回ってるわけですか」

「タネの割れた手品に付き合うつもりはねえよ」

 

 ハバヤの単一仕様能力“虚言狂騒”。コア・ネットワークを通じて対象ISに誤情報を流し込み、幻覚を見せる特殊能力はヴァルキリーであっても攻略が難しい厄介な代物だ。

 だがそれは空間の範囲を無制限としたとき。相手を捕捉できないからこそ逃げに徹されれば倒す術がないという話でしかない。

 今、この戦場は限定された屋内だ。ならばイーリスの対処法は一つ。

 片っ端から攻撃すればいい。

 見えなくても接触はできる。狭い場所、さらに言えば柱などの障害物も存在しない場所ならば持ち前の機動力を駆使して虱潰しに敵の姿を探すことくらいできる。

 放たれた銃弾のように飛び出したイーリスは部屋の端に到達すると同時に跳弾の如く反転する。少しずつ着実にハバヤの存在できる領域を潰していき、ついにその居場所を特定した。

 

「そこだっ!」

 

 長引かせるつもりはない。ヤイバとの戦いと違い、この戦闘には一切楽しさを覚えなかった。

 だから躊躇なく終わらせる。クラウス社の誇る、対シールドバリアにおいて最強の威力を誇る大型シールドピアース“グランドスラム”で。

 振り下ろした右手は確実に敵を捉えた。同時に放たれた杭は敵の体に吸い込まれる。

 これで終わりだ。呆気ない。

 

「捕まっちゃいましたね~。じゃあ、今度はオレ様が鬼の番でいいよなぁ?」

「何……?」

 

 確かに手応えがあった。そのはずだ。幻覚ではなくハバヤはまだ目の前にいる。グランドスラムもハバヤの体にめり込んでいる。だというのにハバヤの顔から余裕の色が消えない。

 

「別に不思議でもなんでもねえだろ。オレ様に突き立てられた杭なんて無かった。それだけのことだっての」

 

 イーリスの拳が離れる。杭打ち機の口から飛び出していた杭部分はその半ばから消失していた。

 杭が打ち込まれたハバヤの腹部には黒い霧が渦巻いている。

 

「オレ様が単一仕様能力だけに頼ってこの戦場に来たとか思っちゃってたわけぇ? ちょっと情報を集めりゃわかるだろーに! 自慢じゃねーがオレ様は勝てる勝負しかしない主義なんだよ!」

 

 高笑いするハバヤの体に黒い穴がいくつも開き、それぞれから黒い霧が紐状になって延びる。その先端は狐を模していた。黒い霧の管狐(くだぎつね)の群れはイーリスの四肢を絡め取り、一瞬のうちに拘束を完了する。

 

「ぐっ。なんだこれは……?」

 

 もがいてみせるもビクともしない。そればかりかファング・クエイクの装甲が腐食したかのように溶けていき、ストックエネルギーも著しく減っていく。シールドバリアは消失していてサプライエネルギーも0。実質的な戦闘不能に陥っていた。

 

「ファルスメア。ISコアが際限なく人間からエネルギーを搾り取った結果、特性が変質したサプライエネルギーのことだが、そんな細かい話はどうでもいいよなぁ?」

 

 くっくっくと下卑た笑いを見せつける。

 

「これが純粋なゲームだったなら、オレ様の行為はチートだ。だがISVSは反則のある競技なんかじゃねえ。純粋な競争世界だ。力持たないものが敗北するのは必然で、力とは個人の有する操縦技術とは限らない」

 

 黒い管狐に拘束されたままイーリスは床に叩きつけられた。その無防備な彼女の腹をハバヤが右足で踏みつける。

 

「ぐっ……」

「これがテメエの現実だ! この程度じゃどう足掻いてもオレ様を倒せねえし、神には届かない!」

 

 ぐりぐりと右足に力を入れる。既にストックエネルギーも尽きてファング・クエイクは解除された。Illの領域の中、帰還できないイーリスは生身同然でハバヤの蹂躙を受けるしかない。

 

「次の予定まで暇だから遊んでやんよ」

 

 振り上げられた右足が再びイーリスの腹部を襲う。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ISが登場する前のこと、戦場で銃弾が飛び交うような時代だというのに“剣聖”と称される超人が軍人たちの間で恐れるべき対象として存在した。若き頃に武者修行と称して世界中を渡り歩いた剣聖は木刀を片手にあらゆる国家の軍隊を遊び半分で蹴散らしたと伝えられている。当然、表沙汰にするわけにもいかず、仮に一般人に情報が漏れていたとしてもこのような与太話を信じる者がいるはずもない。剣聖は事実を知る裏世界の者のみに恐れられていた。

 しかし、かの剣聖を止められる者が皆無だったわけでもない。とある年の冬のこと。ルーチンワークのように剣聖がドイツ軍と戯れていたとき、一人のドイツ軍人が彼の前に立ちはだかった。剣聖よりも一回りほど大柄で屈強な男は外見に似合わず策を巡らせる。計算し尽くされたトラップを駆使して剣聖の歩みを止めさせた。

 剣聖を止めた男。決して表には出てこない実績であるが、裏の世界では一目を置かれる存在となるに十分な功績だった。強大な相手を前にしても冷静に、冷酷に、ただひたすらに相手を追いつめるための一手を打つ。無感情に強敵を追い返した黒い軍服の男は、件の戦闘をした季節も踏まえ、いつしか友軍の者たちにこう呼ばれることとなる。

 ――“ドイツの冬将軍”と。

 

 

 イーリス・コーリングがレガシーに侵入する3分ほど前、黒いISの一部隊が先にレガシーへと突入していた。その先陣を切るはワイヤーブレードの達人、クラリッサ・ハルフォーフの駆るシュヴァルツェア・ツヴァイクである。立ちはだかるゴーレムの手足を巧みに縛り上げては放り投げ、強引な突破を敢行してきた。

 そのすぐ背後には男の姿がある。白髪の混じり始めた初老の男は年齢にそぐわない筋骨隆々とした武人。武闘派と呼ぶのが勿体ないほどの頭脳派でもある彼は黒ウサギ隊を設立した男、ブルーノ・バルツェル准将である。

 

「ここがレガシーという場所か。敵に制圧された拠点にしては静か過ぎる」

「索敵を行います。准将はこの場で待機を」

「あまり年寄り扱いするな。今の私はただの一兵卒と同じとして扱え、ハルフォーフ大尉」

 

 追従していた数名の隊員たちがレガシー内部に踏み込んでいく後ろをバルツェルも続く。

 レガシーの内部にはゴーレムが配置されていない。外での戦いが嘘のように静まりかえっていて、未だに新手が現れる気配が感じられない。

 バルツェルの経験上、こうして拠点内を空にして敵を引き込むのは罠が仕掛けられている可能性が高い。その選択肢としては施設ごと自爆することも考えられる。通常の現実での戦闘ならばこの時点で撤退を選択するところである。しかし、今は仮想世界であり、加えて引くわけにはいかない事情もあった。

 

「ハルフォーフ大尉はどう考える?」

「外の守りが堅牢過ぎることから罠の可能性は低いかと。おそらくは放棄寸前といったところでしょう。敵の目的は不明ですが、その目的が完了するまで時間がないと思われます」

「躊躇するだけ無駄だな。急ぐぞ」

 

 黒ウサギ隊がこの戦場にきた目的は一つ。ラウラを取り返すことのみ。

 敵がまだこの場に残る理由がある間にラウラを取り戻さなくてはならない。

 先を急ぐ黒ウサギ隊の足はすぐに止まることとなった。

 

「隊長……」

 

 先頭を進んでいたクラリッサを阻む形で黒い甲冑のIllが立ちはだかる。以前に被っていたフルフェイスの兜は最初から装備しておらず、剥き出しとなっている顔は間違いなく黒ウサギ隊の隊長であるラウラ・ボーデヴィッヒに違いない。

 だが見慣れた顔と唯一違っている点がある。金の瞳を宿す左目の眼球のみが漆黒に染まっていた。

 

「隊長!」

 

 クラリッサがもう一度呼びかける。しかしラウラからの返答はなく、無言のまま大剣を頭上に掲げるのみ。

 言葉が届かない。ならば残る手立ては実力行使。力尽くでも連れ帰ると隊全体で誓いを立ててここまで来た。たとえ相手がブリュンヒルデに匹敵するとわかっていても、進む選択肢しか存在しない。

 背中、肩、腰からワイヤーブレードを引き伸ばす。クラリッサを中心として張り巡らされた黒の枝は敵ISの接近を阻む剣の結界。近接型に対して圧倒的に優位に立つ中距離格闘に特化したシュヴァルツェア・ツヴァイクは未だブリュンヒルデ以外の機体に接近を許したことがない。

 とはいえ、情報が確かならラウラの使用しているIllにはVTシステムが搭載されている。ブリュンヒルデの再現度次第ではあるが黒枝の結界が破れる未来も脳裏に過ぎってしまう。

 ラウラの一挙手一投足に集中する。最大限に警戒すべきはイグニッションブースト。大剣の射程に捉えられる前にワイヤーブレードで接近を阻止できなければクラリッサは即座に敗北する。

 そう。クラリッサはISの戦闘を想定していたのだ。

 ラウラが大剣を床に突き刺すまでは。

 

「この状況で使ってくる!?」

 

 大剣が突き立った場所を中心にして床も壁も天井も氷が覆っていく。空気すらも凍り付いたかのように錯覚し、全身が急激に重くなる。

 

 ――単一仕様能力、“永劫氷河”。

 ラウラの保有するワールドパージはISのPICを一部制限して飛行能力を凍結させると共に、空間内を飛翔する物体を静止させて地に落とす。つまり空間内のISは全て射撃武器が使えず、地を歩くことしかできない。

 エアハルトに捕らえられる前のラウラには無かった力であり、情報は実際に対峙したブリュンヒルデからのものしか受け取っていない。そのため、クラリッサは自らの機体に起きる異常を想定していなかった。

 

ワイヤーブレード(シュベルト・ツヴァイク)が!」

 

 物理的な結界を作り出していたワイヤーブレードはPICが機能していて初めて操作できる代物である。当然、PIC制限の影響を受けてしまえば、浮いていたワイヤーブレードは全て地に落ちる。力なく枯れ落ちた黒い枝に本体を守るための防御力は欠片もない。

 永劫氷河を使われても有利に展開できると踏んでいたクラリッサだったがその思惑は脆く崩れ去った。

 抵抗する術のないクラリッサの元へ大剣を掲げた黒騎士が駆けていく。そこに一切の躊躇いはなく、怒りも悲しみも表情に載っていない。家族以上の時間を過ごしてきた、妹のような上官が機械のごとき無感情さで刃を向けてくる。

 

「――悲観するな、ハルフォーフ大尉。私がいる」

 

 クラリッサに振り下ろされた大剣は刃渡り30cmほどのナイフに受け流されていた。

 対峙していた二人の間に割って入ったのはこの場で唯一の男性。古くから二人を見守ってきたブルーノ・バルツェル。

 

「准将……?」

「私はISの戦闘に関しては素人同然だ。しかし、ISがISらしさを発揮できないこの戦場はむしろ私向きだとは思わんか?」

 

 武器の質量差を操縦者の膂力の差で覆す。バルツェルがナイフを振るい、大剣で受け止めたラウラは後方へと弾き飛ばされた。

 

「ハルフォーフ大尉はその場で待機。他の隊員はワールドパージの範囲外で封鎖に当たれ。邪魔者をここへ近づけるな!」

「ハッ!」

 

 成り行きを見守っていた隊員たちは助太刀に加わることなく指示されたそれぞれの持ち場へと駆けだしていく。ブリュンヒルデに相当するラウラを前にして射撃を封じられている時点でほぼ全ての隊員は戦力とならない。ならば余計な敵の乱入を抑えてもらう方が都合がよいという判断だった。

 クラリッサを残しているのは永劫氷河を解除された時の対策。通常のIS戦闘が始まってしまえば、経験の少ないバルツェルに勝機はない。だからこそ、入れ替わりでクラリッサが戦える態勢にしておく必要がある。

 状況は整った。バルツェルかクラリッサのどちらかが倒れるまで、ラウラとまともな戦いをすることができる。

 バルツェルはナイフを持たない左手で自らの胸をドンと叩く。

 

「かかってくるがいい、ラウラ・ボーデヴィッヒ。このバルツェルがお前の相手をしてやろう」

 

 俯いていた顔を上げたラウラの左目だけがギョロリと別の生物のように動いてバルツェルを注視する。右目は焦点が定まっていなく、虚ろに視線が彷徨う。

 

「……死ね」

 

 ラウラの口から言葉が漏れた。まるで感情のない人形のようであったさっきまでと明確に異なる。たった二文字のその言霊には確かな感情が宿っている。

 口だけではない。ラウラは大剣を下段に構え、地面に滑らせるようにしてバルツェルへと迫る。走り込んだ勢いを乗せて、力任せに大剣を振り上げた。フェイントも何もないあまりにも単調すぎる攻撃。たとえ達人でなくとも避けることは難しくない。

 だがバルツェルは足を動かさなかった。手にしたナイフでラウラの大剣を真っ向から受け止める。今度は衝撃を逃がす場所もなく、バルツェルが一方的に吹き飛ばされた。

 

「ぐっ……重いな」

 

 物理的な衝撃のみにあらず。この呟きは心への負荷を端的に表したものだ。

 凍り付いた床を滑りながらも受け身をとったバルツェルは即座に身を起こして半分に折れたナイフを正面に構える。

 

「これほどの殺意をずっと抱えていたのか……やはり私には人を育てる資格などなかった」

 

 ラウラの攻撃を避けなかったのではなく避けられなかった。洗脳されたラウラを連れ戻すと意気込んで来たバルツェルだったが、『死ね』というたった一言に大きく心を抉られ、判断力を奪われていた。結果的にバルツェルは身を以てラウラの憎悪を知ることとなってしまった。

 操られただけではない。ラウラは自らの意志でバルツェルを攻撃している。後見人として成長を見守ってきた娘のような存在に憎悪を抱かれていた事実はバルツェルの鋼の精神でさえも苦しくなるほどに重く伸しかかる。

 

「力尽くで捻じ伏せるのも私の義務」

 

 バルツェルが左手に所持していた遠隔操作用のスイッチを押し込む。アナログな手順で起動する仕掛けは設置していた爆弾を起爆するだけの単純なもの。設置場所には先ほどまでバルツェルが立っていた。つまり、今そこにいるのはラウラ。

 射撃武器が使用不可能ならば設置したトラップで攻撃する。あくまで真っ向勝負にこだわらずに最善の勝利を模索する。それがバルツェルのやり方だ。

 だからこそか。バルツェルの奇襲は逆に奇襲にはなりえない。

 炸裂したはずの爆弾は爆風を撒き散らすことなく砕けるだけに終わった。永劫氷河の影響でなく、ピンポイントでAICが使用された結果である。PIC凍結の影響下であっても強力なAICならば機能するというラウラにとっての情報アドバンテージを失ってまで、彼女はバルツェルに力を誇示してきた。

 

「読まれた。やはりお前はラウラなのだな」

 

 意志無きモンスターにあるはずのない意地がそこにあった。

 自らの思惑を易々と潰されたというのにバルツェルの顔には笑みさえ浮かぶ。

 なんてことはない。ラウラが黒ウサギ隊を離れたのはきっかけこそ洗脳だったかもしれないが、現状はもっと単純なもの。

 

「思い返せばお前は昔から手の掛からない優秀な子だった。私の教育が良かったからだと密かに誇っていたのだが、自惚れに過ぎなかったというわけだ。つくづく私は未熟者だと思い知る。堅物だと織斑に言われていた頃から何も成長していない」

 

 ナイフは折れた。だがまだ心は折れていない。それどころか、より大きな支えを得た老戦士の両の足は揺らぐことなく氷の床を踏みしめる。自らの後悔を口にしようとも、彼の口元から笑みは消えず。

 

「私は退かぬ。全ての不満をぶつけてきなさい」

 

 戦いを生業とする者とは思えぬ穏やかな顔をしていた。

 かつて世界最強の剣士と恐れられた男を単独で追い返したドイツ最強の軍人の面影はどこにもない。

 この場に立っているのは軍人でなく、一人の親に過ぎなかった。

 

「……ふ、ざ…………けるなァ!」

 

 口数の少なかったラウラが閉ざされていた感情を雄叫びとして放出させる。

 

「私は! 私はァ!」

 

 叫びながら駆け出す。大剣を握る手は力強く、その戦意は一切失われていない。

 ただし何も変わっていないことなどない。焦点の定まっていなかった右目はたしかにバルツェルを捉えるようになっていた。

 

「私は遺伝子強化素体(アドヴァンスド)だ! お前が仲間たちを殺したんだ!」

 

 振り下ろす大剣に容赦は欠片もない。

 バルツェルは辛うじて折れたナイフで剣撃を受け流す。

 

「そうだ。今まで黙っていたが、私はかつて遺伝子強化素体を滅ぼす作戦を指揮していた」

 

 攻撃を捌きながらもバルツェルの額には冷や汗が浮かんでいる。激情に身を任せただけのラウラの単調な攻撃でも、まともな武器を持っていないバルツェルにとって一つ一つが綱渡り。いつラウラの怒りの奔流に飲まれてしまってもおかしくはない。

 

「私も殺すつもりだったんだろう!」

「その通りだ。あの作戦の殲滅対象に例外は指定されていなかった」

 

 大剣を振り回すラウラの右目には大粒の涙が浮かぶ。

 バルツェルの言葉には嘘偽りがない。Illを纏っている状態にあってもエアハルトの洗脳は切れている。育ての親の性格を熟知しているからこそ、バルツェルが命令に忠実に従ったであろうことは容易に想像がついてしまう。

 

「なぜ私を生かした! なぜ私を育てた!」

「…………」

 

 ラウラの問いに即答していたバルツェルが押し黙る。彼の脳裏にはいくつの葛藤が走り回っているのだろうか。口を堅く結び、困ったような視線をラウラに向ける。

 

「私は都合のいい兵士だったのだろう! お前が私に与えた地位も、部下も、全て私という化け物を有効に利用するためのものだった!」

 

 歪な生まれ方をしたラウラは他者よりも優遇されてしまった。分不相応な扱いを受けている。彼女の眼帯の下には常に人間に対する劣等感が潜んでいて、認識と現実との差違の原因を差別という概念に置き換えてしまった。

 人は人らしく、化け物は化け物らしく。

 シンプルな回答は実にしっくりとくる論理(ロジック)である。人として育てられた15年間の歴史は、彼女の中に巣くう鬼を育てていた。

 

 ――化け物は化け物らしく。兵器であることを望むなら兵器となってやろう。

 

 エアハルトの洗脳の効力は尽きている。しかし、元々のラウラ自身の抱えていた闇が消え去ることはなかったのだ。

 

「これが私の真実の姿だ! さぞ満足したことだろう!」

 

 ラウラが吠える。否。右目から飛び散る滴は彼女が泣き叫んでいることの証明だ。

 もはや自分が何を言っているのか、何を言いたいのかすらも見失っている。

 がむしゃらではあるが、その剣撃は重い。まともに受ければひとたまりもないことは初心者プレイヤーでも察することくらいできる。そして中級者ならば避けることも造作もない。

 故に、この攻撃が当たるとすれば――

 

「ああ。これが反抗期というものか」

 

 攻撃を受け入れる意志がある者に対してだけだろう。

 折れたナイフを投げ捨て、両手を広げたバルツェルは自らに迫る凶刃を受け入れた。

 

「なぜ……?」

 

 ラウラの大剣はバルツェルの体を貫いた。ストックエネルギーを空にしただけでなく、アバターをも消失させる一撃。傷口から光の粒子が漏れ出て、ラウラの黒い左目へと徐々に吸い込まれていく。

 

「お前の素直な声が聞けて、私は嬉しかったぞ」

 

 消えていく体。最後に残された右腕はラウラの頭を優しく撫でた。

 これまで、ただの一度もなかった温もりだった。

 

「……どうして……」

 

 ラウラの口元には笑みが浮かんでいる。左目はギラギラと周囲を威嚇していて、体は臨戦態勢が整っている。

 しかし右目だけは変わらず涙をこぼし続けていた。

 

「どうして私を切り捨てない……」

 

 兵器は制御ができなくてはならない。制御を失った今のラウラを生かしておく理由など、今のラウラには到底理解できなかった。彼女にとってバルツェルとは軍人でしかなかったから……

 ラウラの意志とイラストリアスの意志に大きな隔たりが生じる。体は一時的に全ての命令を拒絶し、両手をだらりと下げた。バルツェルの姿が消えて無くなっても彼女は動きを止めたままだった。

 

 氷に包まれた静寂の地平には黒騎士が呆然と立ち尽くしている。

 翼を奪われた者たちの目は常に地を見つめ続けていた。

 だからこそ、見えていない。

 天井の一点を暁の空に変えている存在に――

 

 ラウラの背後に鮮やかなオレンジ色をしたISが上から降ってきた。同時にラウラの背中に2本のブレードスライサーが斬りつけられる。

 

「……やっと追いついたよ、ラウラ」

 

 天井から落下して奇襲を仕掛けたプレイヤーはシャルル。永劫氷河の影響下において床に張り付けとなったプレイヤーたちの意識は前後左右の平面に向けられる。それはラウラも同じである。シャルルはその死角を突くために壁をよじ登っていたのだった。

 新手の敵を認識したラウラは無言のまま大剣を横に薙払う。反撃を予期していたシャルルは既に距離を取っており、大剣は虚しく空を切った。ブリュンヒルデをトレースしていた面影はどこにもない。剣士の技にはほど遠く、まるで子供のチャンバラごっこのような振り方だ。

 

「早く戻ってきてさ、二人で一夏の家にお邪魔しようよ。居候が僕一人だけだと心苦しいんだ」

 

 攻撃の空振りを確信していたシャルルは即座に反転してラウラに詰め寄る。振り切った大剣はすぐに戻ることはない。返す刃よりも早くブレードスライサーはラウラの胴を打つ。

 ラウラはシャルルに対して無言を貫いている。しかしその表情には若干の苦悶が浮かぶ。

 

「今度は僕がキミを助け出してみせる」

 

 シャルルは自分がギドに喰われた後のことを伝え聞いている。ラウラが自分を助けるために必死になってくれていたことを。たとえ直接的にシャルルを助け出したのがヤイバであっても、シャルルが恩義を感じているのは救出されたことに対してだけではない。

 

「友達だから!」

 

 デュノア家に引き取られて以降、シャルロットはそれまでの友人との付き合いがなくなり、新しく友人を作れず孤独な毎日を過ごしていた。ISVSを始めたのも、デュノア家に対して自分の価値を認めさせたいという思いの他に、人とのつながりを欲していた。心はいつも孤独だった。

 シャルロットはヤイバから必要とされた。自らの価値を見失っていたシャルロットにとって、ヤイバの勧誘はとてつもなく嬉しいものだった。

 そして、ヤイバの元でシャルロットはラウラと出会う。たまたま同じようなタイミングでヤイバと知り合い、たまたま近くで行動していただけの関係。だからこそ気楽な間柄となれたのかもしれない。いつの間にかシャルロットは孤独を感じなくなっていた。

 親友。言葉にするのは簡単であるが、手にするのは難しい。なぜならば恋人のように一大決心の告白をするわけでもなく、契約を交わすわけでもない。得るものではなく、いつの間にかなっているものなのだ。

 ラウラ・ボーデヴィッヒは親友である。シャルロットの中に確かな思いが存在する。たとえ一方通行であろうともこの思いを自分から否定することはない。

 

「本気でいくよ」

 

 親友だからこそ手を抜くわけにはいかない。表立って口にはしなかったものの、ラウラは親友であると同時にISVSのライバルでもある。たとえ正気のラウラが相手であっても、手加減をすることは絶対にあり得ない。

 ラウラは自分から後ろへと下がる。ブレードスライサーの間合いはラウラの大剣よりも狭い。近づかれてしまった現状は剣の技量の差を覆すこともあり得る。

 定石。つまりは容易に予測できる行動。劣っている戦力で戦い続けてきたシャルルにとって、敵の行動分析はお手の物。シャルルが不敵な笑みを浮かべた次の瞬間――

 

 ラウラの足下が爆発する。

 

「接触式の機雷を床に撒いておいたんだ。ISなら光学迷彩くらい突破できるだろうけど、僕と戦いながら見極められるかな?」

 

 バルツェルがラウラの注意を引いていた間、シャルルはこの戦場に機雷を仕掛けていた。永劫氷河の領域内において、射撃攻撃は使用できないが爆発物は使える。投擲すらもまともにできない可能性を考慮すると、罠を設置するのが手っ取り早い。

 ISVSにおいて、爆発物をダメージソースとして利用できるのは装甲に対してのみである。その理由はPICCの性能の低さ。永劫氷河の中ではISの防御機能のPICが制限されているため、爆発物のダメージを軽減する力が大幅に減っている。

 一度はピンポイントAICで防いでいた。しかしバルツェルのときと違い、シャルルの攻撃は読めていない。爆煙が晴れたとき、現れたラウラの足装甲は右だけ剥げ落ち、素足が覗いていた。

 攻撃の結果を確認することなくシャルルは次の攻撃に移る。彼女の知るラウラはこの程度で終わるような相手ではない。攻められるうちに攻めなくては即座に攻守が逆転してしまう。

 二刀を上段から振り下ろす。まだ爆発の余韻から復帰できずにいたラウラは大剣を構えることもできず、咄嗟の判断で後ろへ退く。永劫氷河によって飛べないことに加え、片足を失っているラウラのISでは着地もままならず、素足である右を床についた。

 ラウラには迎撃体勢が整わぬ間は後退するという癖がある。より勝率の高い選択肢を選ぶという彼女の身に染み着いた当たり前をシャルルは知っている。だからこそ、この戦いに勝機を見出した。

 

「そこもアタリだよ」

 

 シャルルの思惑通り、装甲のない足で機雷を踏みつけたラウラが爆風に包まれる。罠を仕掛けた場所もラウラの逃げる先も全て予定調和。戦いを仕掛けた時点で思い描いたシナリオ通りの戦闘により、ラウラに致命傷に近いダメージを負わせた。

 あとは仕上げに入るのみ。確実に倒したと判断できるまでシャルルが手を止める理由はない。一方的に押しているのは策が全て通用しているからであり、一つの油断が敗北を招くのだと身を以て知っている。

 脇目も振らず、ただ真っ直ぐに全力疾走。両手に握られたブレードスライサーをそれぞれ正面に構え、ただ真っ直ぐに突き出す。

 

 だが――シャルルの思いは届かない。

 

「くっ、ピンポイントAIC……」

 

 突きだした剣はラウラを目前にして静止する。空気ごと凍り付いたように動かない剣をシャルルが力付くで動かすのは無理がある。故にシャルルの行動は決まっている。

 

「だったら、これでどうだ!」

 

 ためらいなく剣を手放したシャルルは前に進みながら新しく武器を具現化した。拡張領域から取り出したのはまたしてもブレードスライサー。ラウラとの戦闘において物理ブレードが有用であるとわかっていたため、当然のように予備も用意してある。

 ピンポイントAIC使用中のラウラは無防備であるはず。その隙をついてこの戦いに決着が付く。そんな考えが過ぎった一瞬のことだった。

 シャルルの手にあるブレードスライサーが一刀両断された。

 

「この太刀筋はブリュンヒルデ!?」

 

 一手足りなかった。バルツェルとの戦闘で自我が表出したことによりVTシステムはその機能を発揮できずにいた。しかし眠っていたはずのシステムが再び稼動を始めている。敗北を前にしたラウラの『勝って生き残る』という本能が力を求め、彼女の使用IllであるイラストリアスはVTシステムが提示する最適な条件の体へと自らを作り替えていく。

 まず全ての装甲がどす黒い泥となって溶けた。粘性のある流体がラウラの全身を這い回ると、そのまま彼女の姿を覆い隠していく。

 泥の塊と化したイラストリアスはその後、人の形を形成。

 ラウラよりも高身長の女性のシルエットはシャルルも見覚えのある者。

 織斑家で出会った、世界最強のIS操縦者そのもの。

 

「VTシステムが暴走してる……?」

 

 VTシステムは禁忌とされている技術である。その理由は簡単なもの。優秀な操縦者の技能を模倣する代わりに、模倣している操縦者の自我を崩壊させてしまうからだ。

 過去に行われた悪しき人体実験をシャルルは知っている。暴走したVTシステムは操縦者を作り替えようとし、人格が変わってしまう。暴走したISを破壊した後、救出された操縦者は魂が抜けたように動かなかったという。肉体が生きていようとも精神が殺されているのだろう。

 

「ラウラーっ!」

 

 もはや手遅れなのか。それともまだ辛うじて時間の猶予があるのか。判断が付かないまま、シャルルは前に飛び出た。常に先を予測し、身体能力のみで戦うことを避けてきた彼女ががむしゃらに飛び出すほど動転していた。武器を手に持っていないことすらも忘れていたのだ。

 黒き泥人形が動く。右手には雪片を象った泥の太刀。ラウラの理想とする強者が爆発的な加速(イグニッション・ブースト)でシャルルに向かってきた。

 ここでシャルルはようやく気づく。VTシステムが暴走した影響だろうか。もう永劫氷河(ワンオフ・アビリティ)の効力が切れている。それはそのまま、ラウラの自我がもう残っていないことを意味していた。

 

 シャルルはその場で立ち尽くす。自らを狩ろうとする黒き凶刃を見つめたまま、彼女はおもむろに呟いた。

 

「……僕の最低限の役割は果たした。あとは任せるよ、ヤイバ」

 

 一刀の元に斬り伏せられるシャルル。ここに辿り着くまでに受けた損傷も軽微でなく、加えて黒い泥人形はブリュンヒルデの単一仕様能力である“零落白夜”を使用できている。ストックエネルギーは尽き、これ以上の戦闘は不可能となった。アバターも形状を維持できず、Illの結界によって現実に帰還することもできないシャルルはその場にただ留まるだけ。あとはIllの餌食となるのを待つばかりのか弱い存在となる。

 絶望的な状況となるはずのシャルルだがその顔には最後まで悲観の色は浮かばなかった。心残りはラウラが無事であるかどうかだけであり、己のことなど全く気にしていない。

 泥人形がシャルルだった光へと手を伸ばす。しかし、その手がピタリと止まり、泥人形は頭上を見上げた。そこには――

 

「あとは任せろ、シャル」

 

 蒼き翼のヤイバが駆けつけてきていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 外の敵戦力の攪乱を行っていたヤイバは隙を突いてレガシー内部へと突入した。外部は未だにゴーレムの軍勢との戦闘が続いており、プレイヤー側が押されている状況に変わりはない。

 その様子をラピスは静観している。今までの大規模な戦闘でもたった一人で戦況を管理してきていた彼女の有り余っている情報処理能力は使われないまま。ヤイバ一人のサポートをしながら、周囲の観察を続けるばかりだ。

 

「やはりゴーレムは亡国機業の使っていたリミテッドとは出力から違いますわね。単機でISと互角以上の能力を持っている無人機……そんな代物を軍隊と呼べる数まで揃えている相手とは何者でしょうか」

 

 各国のエリートが敗れていく戦場を他人事のように冷めた目で見据える。彼女の興味は主にヤイバが目的を達成できるかどうかに向いており、他には敵の正体が何者かくらいしかない。

 既に亡国機業の親玉(エアハルト)はヤイバに倒されている。オータムを筆頭とした亡国機業の残党の存在は確認できているが、残党の反攻にしては規模が大きすぎる。これだけの情報からでも、ゴーレムを従えている敵はエアハルトとは別勢力であると推定できる。

 別勢力というだけではない。エアハルト以上の戦力を保有していると言ってもいいくらいだ。だからこそ一つの可能性に思い至ることとなる。

 

「ナナさんを捕らえている何者か……と見て良さそうでしょうね」

 

 エアハルトが更識楯無に捕縛された後、ナナが行方不明となり、同時期からIllがISVS上から姿を消していた。そこには一つの意志が介在している。ラピスはそう考えている。

 ラウラ救出は敵の正体に迫るための決定打になるはず。エアハルトの洗脳が消えた後の彼女が敵であるまま立ちはだかっている原因にこそ真実が隠されている。

 そう。ラピスは決定打となる情報を求めている。何の目的でクラウス社のレガシーを襲撃したのかは想像すらできていないが、誰ならばゴーレムの軍勢を引き連れることができるのかはもう最初から結論が出ていた。

 

 期せずして、決定打となる情報は向こうからやってくる。

 

 星霜真理が遙か上空より戦場へと飛来するISの存在を感知した。見上げたラピスの視界に入ってきたISの形状は人間。メカメカしい装甲などなく、水色のドレス姿で頭にはウサ耳のカチューシャを着けている。

 味方の援軍とは考えられなかった。何故ならば彼女は人類がどうなろうと知ったことではない。全く付き合いのないラピスでも彼女の人間性を伝え聞く程度には異質な人間であることを知っている。

 

「篠ノ之束……博士」

 

 IS、並びにISVSを世に送り出した天才、篠ノ之束。

 彼女は既に現実の地球上には存在しない人間。しかしISVSの中では死んだはずの人間が意志を持って活動していたのをラピスは見てきた。ゲームが作り出した幻想だと考えることなどなく、当然のように束本人がこの戦場に姿を現したのだと受け入れた。

 

 篠ノ之束の姿をしたISは全ての戦場を見下ろすかのように空の上でふわりと滞空する。まだ戦場で彼女の存在に気づいているのはラピスだけ。

 ラピスが観察している中、篠ノ之束は無言で右手に杖を取り出した。まるで小さい女の子向けアニメに出てくる魔法少女が手にしているかのようなデザインの可愛らしい杖だ。

 

「きらきら☆ぽーん♪」

 

 幼稚さを感じさせる声音と共に杖を振り上げた。一見すると相手を小馬鹿にする挑発行動とも受け取れるキテレツな言動と行動。ただし、それは何事も起きなければという前提での話だ。

 篠ノ之束が杖を振り上げると同時にラピスの体は真下の地面へと引っ張られていく。

 

「え……」

 

 ラピスは一部始終を見ていた。にもかかわらず何をされたのかすぐには理解できなかった。

 ブルーティアーズが落下を始めている。飛ぼうとしても全く言うことを聞かず、PICが機能していない。

 ようやく気づいた。これはラウラの単一仕様能力に酷似した、ISの飛行能力を奪う攻撃であるのだと。

 

 玉座の謁見(キングス・フィールド)

 篠ノ之束が自ら作り上げた対IS用兵器の一つ。原理はPICCと同じであり、強力なAICによってPICを打ち消すというもの。しかしその規模は破格であり、打ち消すに留まらない。

 

 敵味方問わず、次々とISが地面へと墜落する。不時着したISには物理的な衝撃を抑えるPICが機能していないため、多大なダメージを受けている。とはいうもののシールドバリアも衝撃から身を守ることはできるので高々度からの落下でも即座に戦闘不能とはならない。

 しかし――墜落した後で起きあがるISは1機もなかった。地に落ちたISは皆一様に這い蹲っている。ラピスもその例に漏れなかった。

 

「強力な重力……? これがAICだとでも言いますの!?」

 

 冷静な分析と事実を受け入れられない混乱が同時に脳内に展開される。

 紅椿という機体の性能から知っていたつもりだった。

 しかしISの開発者の持っている技術はラピスの想像を遙か先をいく。

 

 もう、ここは戦場ではなくなった。

 激しい銃撃の嵐はとうに凪いだ。

 戦っている者など誰一人として残っていない。

 仮想世界の主を前にして、全ての者が彼女の前に膝を突き、頭を垂れる。

 人がいくら集まろうとも一息で潰せるのだと思い知らされているようだった。

 

 ここでラピスは気づく。篠ノ之束を見てしまった瞬間からヤイバの意識を感じ取れなくなっていることに。

 まだクロッシングアクセスを完全に使いこなせているわけではない。ヤイバの方はいざラウラとの戦闘という場面だったところまでは覚えている。そんな土壇場でヤイバから翼を失わせてしまった。

 

「ヤイバさん!」

 

 慌ててラピスはヤイバの様子を探ろうと通信を試みる。

 気が動転していたラピスだったが、視野だけは広いまま。

 意識をヤイバに向けながらも観察を怠らなかった彼女は見てしまったのだ。

 

 遙か遠方。およそ戦闘距離とは思えぬ場所に佇む篠ノ之束と目が合ったことに。

 篠ノ之束の右手はピストルを象っている。人差し指の先は真っ直ぐラピスに向けられていた。

 

「BANG!」

 

 篠ノ之束は戯れのように銃を撃つ仕草をする。本来は撃たれた側のリアクションで楽しむ遊びであるが、篠ノ之束が関わると最早遊びにはならない。

 撃たれた。ラピスがそう思ったときにはブルーティアーズが機能停止。星霜真理どころか通常の通信も使えない。Illの影響下で帰還できないラピスは戦闘が終わるまでこの場に留まることしかできなくなった。

 

「どう……して……?」

 

 目を見開いたまま、ラピスは呆然と篠ノ之束を見つめていた。

 

「どうしてわたくしをわざわざ攻撃しましたの?」

 

 呟いた言葉は疑問。自分がどのような攻撃をされたのかなどはどうでもよく、なぜ自分だけを攻撃したのかが論点だ。

 篠ノ之束の狙いは何か。

 ラピスに通信すらさせない目的はどこにある?

 もし篠ノ之束がラピスの人間関係を知っていたのならば……通信させたくない相手など一人しか心当たりがない。

 

「ヤイバさんが危ない!?」

 

 篠ノ之束がヤイバをどうしたいのかは相変わらず推測すらできない。

 しかし、戦場を沈黙させた篠ノ之束が向かう先はレガシーの内部。

 その先にはヤイバがいる。篠ノ之束の目的がヤイバと無関係だなどと楽観視していられない。

 ラピスはガラクタ同然となったブルーティアーズを体から剥がして、生身のアバターの姿で駆けだした。

 間に合うはずがない。そもそもラピスの足で辿り着けるのかも定かではない距離。走るだけ無駄だとわかっていてもじっとしていられなかった。

 情報を封鎖する目的などパターンが限られている。この場合、篠ノ之束は織斑一夏の知り合い。他に信頼する人物の声を聞けなかった場合、唯一の知り合いの言葉を信用する確率は高い。

 

「ダメですわ、一夏さん! 篠ノ之博士の言葉に耳を貸してはいけません!」

 

 ラピスの声は誰にも届かない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 シャルルからの報告にあった通り、ラウラはこの戦場に()()。もしかすると文字通りの過去形になってしまったのかもしれない。そう思えてしまうほどの事態が俺の目の前で起こっている。

 

「何なんだよ、その姿はっ!?」

 

 シャルルの姿も消えた戦場に残されていたのは俺の知ってるラウラではなく、黒い甲冑のIllでもない。どす黒いヘドロが人型に固まったような泥人形だ。

 VTシステム。ラピスの知識から引っ張り出してきた情報が正しいのならば、今のラウラはシステムに意識を乗っ取られている状態だろう。仮想世界での出来事とはいえ、このまま放置すれば彼女の精神が危うい。

 ……だなどと、ラウラを気遣う言葉は大義名分に過ぎないな。

 雪片弐型の刀身を展開し、切っ先をラウラに向ける。

 

「それで千冬姉になったつもりか」

 

 俺は苛立っている。怒りの矛先は助けるべき対象。

 ラウラが千冬姉の……ブリュンヒルデのファンなのは知ってる。戦いを生業にしている者ならば、憧れて当然だとも思ってる。世界最強の肩書きは魅力的で、自分もそうなりたいのだと俺も柳韻先生の背中を見て思ったものだ。

 だけどさ。共感できるからこそ、許せないことがあるんだよ。

 

 フッと俺の背中で待機していたBTビットが消失する。同時に左手のインターセプターも消えてしまい、サプライエネルギー総量も減少した。

 ラピスとのクロッシングアクセスが消えた……? 通信もつながらない。表にいる彼女が戦闘不能に追いやられたということか。彼女のことは心配だが今は俺がやるべきことをしなくてはならない。

 ラピスが見てくれていない今の俺は無敵のヤイバとなれてない。この状態でヴァルキリー級の敵と戦うのは愚かだというのもわかってる。だけどここは退くわけにはいかない。

 

「いくぞ。ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 最早彼女の意識が残っていないかもしれない。

 だからどうした。今、彼女のことをラウラだと言ってやれるのは俺だけだ。何よりも、俺は目の前の泥人形に対して『千冬姉に似ている』だなどとふざけたことを抜かすつもりは毛頭ない。

 ここに立っているのは俺だけ。そして、俺が戦う理由は十二分にあった。

 

 先に飛び出したのは泥人形。細かい所作の一つ一つまでもが見覚えのある動きにピタリと一致しているのが忌々しい。無駄なんて何一つない、完璧な模倣(トレース)ができていると実の弟である俺が太鼓判を押すとしよう。

 模倣は形だけでなく能力もだ。イーリス・コーリングと違って静か過ぎるイグニッションブーストは凝視していたところで『こちらに接近している』と認識させない。気づいたときには目の前に振り下ろされた刀が存在している。それが千冬姉の剣。

 

 そう、見てても理解が追いつかない。純粋な速度でなく、動きを悟らせない所作にこそ篠ノ之流剣術の速さの秘密が隠されている。

 奥義とは剣を振ることに非ず。

 波紋すら立たぬ水面のように静かな平常心を保つことこそが篠ノ之流の真髄である。

 

 漆黒の凶刃を上半身を逸らして避ける。泥人形が零落白夜を発動しているため受け止めるのは無理だから避けることに意識を割く。

 見てもわからない攻撃なら最初から見なければいい。俺には柳韻先生のような心眼はないけれど、俺に染み着いている記憶が俺の辿るべき未来を綴ってくれる。

 

 昔から千冬姉には敵わなかった。千冬姉は俺の幼さを理由として挙げてくれたけど、俺は心のどこかで一生敵わないと諦めかけてた。柳韻先生も含めてまるで別世界の人間のようにすら思えてしまった。

 そんな俺だったけど、結局は諦めなかった。柳韻先生や千冬姉のように強くなりたいという憧れはもちろんある。だけどそれ以上に、カッコいい自分でありたい理由があった。

 

 ――諦めてしまった俺では()()の隣に立てない。

 そう思った俺は何度敗れようとも千冬姉にがむしゃらに挑んでいたんだ。

 

「次は逆袈裟のフェイントから胸への突き」

 

 泥人形は俺が宣言したとおりに攻撃してきた。当然、その刀は俺に掠ることすらない。

 ラピスの星霜真理よりも鮮明に敵の次の動きが手に取るようにわかる。VTシステムとやらは確かに完璧に千冬姉の動きをトレースできている。だからこそ俺はハッキリ見なくても攻撃を見極められた。

 これは俺にとって戦闘にならない。ただの演舞と同じ。殺陣の撮影にも等しい予定調和だ。

 

「俺が一歩踏み出すとやや強引に返す刀で胴を狙ってくる」

 

 隙を見せたと相手に思わせるカウンターも俺には通じない。来るとわかっているカウンターなど恐れることもなく、型に嵌まった剣はどれだけ鋭くとも全く怖くない。

 型とは言うけど、たぶん俺以外には理解できないだけのパターンが存在している。おそらくは千冬姉本人ですらもパターン化できるとは思いつかなかったはずだ。だから千冬姉はVTシステムを前にして勝利を収めることができなかった。

 千冬姉は俺がどれだけ研究して臨んでも、平然と裏をかいてくる。ハッキリ言ってしまおう。本来、千冬姉の戦闘行動のパターン化など不可能だ。その理由は剣を持った者同士の駆け引きを考慮しなければならないからである。

 つまりだ。完全なVTシステムとはVTRの再生と似ている。動きの再現に駆け引きなど存在し得ない。

 

 10回。泥人形の攻撃が空を切り続ける。正直に言って、初心者の使うマシンガンの方が俺にとっては脅威だ。

 11回目。今度は右肘を狙って雪片弐型を振るう。俺の攻撃は先に届いた。泥人形の一部が弾け飛び、黒い雪片がカランと音を立てて床に落ちる。

 

「もう一度言う。それで千冬姉になったつもりか?」

 

 千冬姉がこんなに弱いわけない。これがお前の求めた世界最強の姿だと言うのなら、そんな幻想は俺が斬り捨ててやる。

 

「違うよな。お前が日本に来て会いたかった人はそんなもんじゃないだろ?」

 

 二の太刀で胸部を横に薙ぐ。千冬姉のシルエットを形作っていた泥がラウラから剥がれていく。

 

「こんなに弱いわけないだろ……」

 

 千冬姉はもちろんのこと。俺が声を大にして叫びたいのは他ならぬ――

 

「俺が出会ったラウラ・ボーデヴィッヒはもっと強かった!」

 

 ラウラ自身のことだった。

 

「お前は俺の手の届かない位置にいるプレイヤーだった! 敵対したら勝てる気がしなかったし、一緒にIllと戦ってくれるとなったときは頼もしくて笑いが止まらなかった!」

 

 仲間の力が必要だとなったときに、ラウラとシャルが来てくれた。

 本当に心強かったんだ。

 お前が『大丈夫だ』と言ってくれると安心できた。

 

「形だけで本当の強さが得られるだなんて思うな! 断言してやる! 千冬姉を真似している今のお前よりも、俺に力を貸してくれたときのお前の方が何倍も強い!」

 

 きっと俺の知らないところで、ラウラの直向きな小さい背中は多くの人の心を動かしてきた。そんなカリスマを持った奴が弱いはずなどない。

 これでとどめ。雪片弐型を大上段で構え、一気に泥人形の脳天に振り下ろす。

 ラウラを覆っていた泥は頭を中心にして放射状に弾け飛んだ。

 

「……人間は怖い。倒さないと。勝たないと。強さを示さないと。でなければ私は生きることを許されない」

 

 口元を覆っていた泥が消えたと同時にラウラが口走る。

 こんなにも弱気になったラウラの言葉を聞きたくなかった。

 否定するのは簡単だ。だけど、それじゃあ聞く耳を持ってくれそうにない。だったら肯定してみようか。

 

「じゃあ、俺に負けた弱いお前は生きることを許されないわけだ」

 

 暗に『死ね』と告げる。

 正直、これは賭けに近かった。だけど、俺はまだ彼女の強さを信じていた。

 

「死にたく……ない」

 

 まだ細々とした声で彼女らしさは戻ってない。

 それでも、決して悲観に染まった人間の言葉ではなかった。

 俺は彼女の言葉を少しだけ訂正させることにする。

 

「否定するだけじゃダメだ。お前がどうしたいのか。俺はそれを聞きたい」

「わた……しは……」

 

 ラウラの体を覆っていた泥が全て風に溶けていった。彼女の左目の黒く染まっていた眼球は白く戻り、目の焦点が俺に定まる。

 

「私は生きたい」

「誰と?」

「黒ウサギ隊の皆。日本で出会ったプレイヤーたち。シャルロット」

 

 ちゃんと“誰か”が出てきた。エアハルトの絶対王権で消されていた記憶も帰ってきた。そう思っていいだろう。

 

「なあ、ヤイバ。強さとは何なのだろうか?」

 

 目に力が宿り、彼女らしい強かな視線を俺に向けてくる。

 

「俺も知らない。エアハルトに勝ったのにランキングに俺の名前が載らなかったし」

「茶化すな。今さっきまで偉そうに私に語っていただろう?」

 

 いや、緊急事態でないとあんな言葉は言えない。勘違いされている気がするけど、俺は割と小心者で演劇とかできないタイプなんだ。ついでに気の利いたことを咄嗟に言えないし。

 

「私も……私の理想もお前に敗れた。私は根本的に弱いのだと思う」

「いや、あれはお前の理想なんかじゃない。ただの勘違いだ。そこだけはお前がどう思っていようと譲らない」

「相変わらずのお人好しだな、ヤイバは。本当は私に構っている暇などないだろうに」

 

 ついさっきまで意識のなかったラウラにまで見透かされている。ぐうの音も出ず、気まずさが顔に出てそうだ。

 そんな俺の状態など素知らぬ顔といった様相でラウラは独白を続けた。

 

「ずっとクラリッサたちと居たのに私だけ場違いだと感じていた。ずっと准将に育ててもらっていたのに、道具扱いされてるのではないのかという不安を拭える日は来なかった。だから私はつながりを欲していた。雛鳥の刷り込みのように、私に最初の光を当ててくれた存在、織斑を」

「俺の父さんか……」

「だからこそか。私にとってヤイバはずっと特別な存在だった。理由がわからなかったのだが、私はヤイバを織斑と重ねていたんだと思う」

 

 俺は父さんの顔すらまともに知らない。だから似ているのかどうかは全く知らないし、比較されても首を傾げるだけだった。

 本音を言うと話題にされても困るだけなんだけど、今はしょうがないと思って聞き流しておこう。

 

「教えてくれ、ヤイバ。私はどうしたら強くなれる? どうすれば遺伝子強化素体(アドヴァンスド)という宿命から逃れられるのだ?」

 

 ラウラの次なる質問は俺も答えを知りたいくらいだ。俺はどうやったら強くなれるのか。どうすれば箒を助けられるのか。

 今は自分のことは棚に上げておく。ラウラへの返答としては今の俺の在り方を告げよう。

 

「独りで強くなろうとしなければいい。俺は独りだけで戦おうとして潰れたことがある。でも仲間のおかげでなんとかなった。今、こうしてラウラと話せているのも仲間のおかげだ。俺一人の強さなんかじゃない」

「だが私は心の奥底に人間への不信がある。ヤイバのようにはなれない」

 

 それは本当だろうか。人間への不信感なんて俺でも抱えてるもんだし、ラウラが人間に対して不信感だけしか持ってないなんてあり得るのか?

 

「そんなはずはないだろ。だってお前はさ、お前よりも孤独に戦ってたバカに仲間の大切さを行動で教えたんだぜ?」

 

 俺に協力してくれながらも心の奥底では誰も頼ろうとしなかったアイツの心を変えたのは、急速に仲良くなったラウラしか考えられない。

 

「シャルロット……」

「強さなんて結果論だ。誰かに操られていた弱さを後ろめたく思うなら、今はまず自分がどうしたいかをハッキリ自覚すればいい。お前はさっきそれを言葉にしただろ?」

「私がどうしたいのか、か……」

 

 ラウラが俺を真っ直ぐに見据えてくる。

 

「私は人でいられるのだろうか?」

 

 そんな強い目で不安を吐露するなっての。

 もうラウラの中で答えは出てるんだろ?

 それに――

 

「振り返ってみろ、ラウラ」

 

 ラウラの後ろを指さしてやる。つられてラウラは即座に振り返った。

 

「……あ…………」

 

 俺の指の先。ラウラの視線の先には黒いISを纏った集団、黒ウサギ隊の姿があった。

 中央にいるクラリッサさんがラウラに手を差し伸べる。

 

「帰りましょう、隊長」

「クラリッサ。皆……」

 

 俺の元から駆けだしていったラウラはクラリッサさんの胸に飛び込んでいった。

 黒いISの女子たちに囲まれて胴上げされているラウラの目元がキラリと光る。

 その光景を見ていて俺は言わざるを得なかった。

 

「お前が人でいられるかどうか。その涙が答えだと俺は思うぞ」

 

 これでこの戦闘の目標は達成した。

 残るは……ナナの手がかりを探すこと。

 まだ俺にとっての戦いは終わってない。

 

「何があるかはわからないけど、行ってみるとするか」

 

 ラウラのことは黒ウサギ隊に任せて、俺はレガシーの奥へと向かう。

 そこにナナの手がかりがあると信じて。



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46 兎の抱える鬼胎 【後編】

 しとしとと雨が降っていた。6階にある病室の窓から見える景色はどんよりとした曇り空。昼だというのに暗い印象が拭えない。夏の雨と違い、肌に張り付くような湿気がないのでそれほど不快ではないが、やはりどことなく気分が陰鬱になってしまいがちである。

 

「シズネはヤイバが好きなの?」

 

 病室内にある一つだけのベッドの脇で外の天気など関係ないと言わんばかりにニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべている少女、ゼノヴィアは好奇心で輝いている金色の瞳を静寐に向けている。永く眠りに就いていた彼女は実年齢である18歳と比較して精神が幼く、最近になって色恋沙汰に興味を持った。彼女にとって一番の女友達である静寐は格好の詮索対象なのである。

 

「大好きですよ。ナナちゃんと同じくらいに」

 

 しかしながら静寐は恥ずかしがったりせずに淡々と返事をする。その淡泊さはゼノヴィアの想像と食い違っている。だからこそより疑問が深まった。

 

「一緒にいたいって思わないの?」

「思うに決まってます。でもね、ゼノヴィアちゃん。私が本当に望んでいるのは今だけヤイバくんが近くにいてくれることよりも、後でナナちゃんと3人で笑っていられることなんです」

 

 やせ我慢の類ではない。静寐の目は前を見据えていて、言葉通りの未来がやってくるのだと確信しているかのようにゼノヴィアには見えた。

 

「シズネは強いなぁ……私は数馬が居てくれないと不安で仕方ないのに」

 

 ゼノヴィアは褒めたつもりだった。しかし静寐の顔は逆に暗くなる。

 

「強くないですよ。このままナナちゃんとヤイバくんに会えないなんてことになったら寂しくて死んじゃいますから」

「そんなに思い詰めた顔で言わないで! 本気で死んじゃいそうに見えるから!」

 

 慌ててゼノヴィアが大声を出すと、静寐はクスクスと笑い出す。

 

「冗談ですよ。今の私は昔のように受け入れるだけの私ではありません。もっとアグレッシブにいこうと思ってます」

「具体的には?」

 

 アグレッシブ。つまりは積極的。ようやくゼノヴィアの望む恋愛話(コイバナ)に進むことが期待され、金色の瞳に輝きが蘇った。

 

「顔が見えたら即座に落とす勢いで挑みます! ビルの屋上から獲物を狙うスナイパーのように!」

「それって結局待ちになっちゃってるよ、シズネっ! 割と受け身だよ!」

「そこに気づくなんて、ゼノヴィアちゃんは天才ですか……」

「言い回しが変なだけで、シズネってば奥手さんなだけだね」

 

 唐突で冷静な一言は静寐の鈍感マインドすらも揺らした。流石の静寐でも、見た目が子供なゼノヴィアに呆れた顔をされてしまっては平常心を保てない。

 

「いえ、私はヤイバくんとどうこうなりたいよりも、ナナちゃんが無事に帰ってくることの方が大事なので、ヤイバくんの邪魔をするわけにはいかないのでして――」

 

 次第に静寐の口数が増え、ところどころ声が裏返っている。呆れた顔を崩さぬままのゼノヴィアだったが、内心では普段と違う静寐を見られてホッコリしていた。

 

「やっぱり男の子は格好良くあってほしいもんね。シズネの気持ち、よくわかるよ」

 

 今日のところはとりあえず満足した。ゼノヴィアは静寐に微笑みかけると腕時計を見ながら立ち上がる。

 

「じゃあ、そろそろ帰らないと。数馬が心配するから」

「うん。ありがとう、ゼノヴィアちゃん。また来てね?」

「もちろん。ラウラが帰ってこないとシズネしか話し相手いないし」

「私が言うのもなんですけど、もっとお友達を作った方が楽しいですよ?」

「ムッ……わかった。次は友達を連れてくる」

 

 最後の静寐の一言を煽りとして受け取ったゼノヴィアは対抗意識を燃やして病室を去っていった。

 見送った静寐はしばらくバツが悪そうに頬を掻いていた。確実にゼノヴィアが離れたとわかるまで困ったような顔をし続ける。その間中、ずっと右手は布団の中にあった。

 足音が遠くなっていき、近づく音も無くなったところで布団の中に隠していたあるものを取り出す。

 

「では宣言通り、アグレッシブに動くとしましょうか」

 

 静寐が取り出したものはコンシューマー版のISVS。値段の張るものであったが、静寐は歩けない自分がISVSをするために母親にねだった。心配と迷惑をかけた上に我が儘まで言ってしまって母親には申し訳なく感じている。だがそれ以上に『自分も何か力になりたい』という欲求が勝っていた。

 静寐はベッドに仰向けとなり、イスカを胸の上に置く。正規の起動手順の後、彼女はプレイヤーとして再びISVSの地を踏むこととなる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラウラを黒ウサギ隊の人に任せて、遺跡(レガシー)の奥へと進む。その道中にゴーレムを始めとする敵は全くなく、静かすぎて不気味な雰囲気を醸し出している。

 もう奥に敵はいないのか。ラピスに通信がつながらないからこの場で確認しようがない。にもかかわらず、漠然とこの奥には何かがあるのだと俺の直感が告げてきていた。

 

「俺、あの頃よりも強くなれてるのか……?」

 

 この先にナナにつながる手がかりがあるかもしれない。そう思うと同時にふと先ほどの戦闘の光景が蘇った。

 VTシステムが再現した千冬姉は正しく千冬姉そのものだった。寸分の狂いもなく、俺の知ってる行動をしてきた。再現性が高かったからこそ今回は全く負ける気がしなかったけど、小学生だった当時はあの千冬姉に手も足も出なかった。

 昔は何度やっても千冬姉に勝てなくてムキになっていた。子供ながらに必死になって千冬姉の動きや癖を観察して、たとえ1回だけでもいいから勝ちたかった。

 束さんに無理を言って剣を教えてもらったこともあった。必死だったのはよく覚えてる。俺の我流の剣術はあまりにも不格好で束さんに笑われたっけ。結局のところ、完成した剣術は束さんの我流に近かったように思う。

 とにかく何でもいいから俺は千冬姉に勝ちたかったんだ。だけど、勝ってどうしたかったんだろう?

 答えはすぐに出てきた。

 

「そういえば俺、千冬姉に勝ったことを箒に自慢したかったんだっけ」

 

 気づけば難しいことなんてなかった。俺が執着していたのは千冬姉じゃなくて箒の方。昔から俺はそこだけは変わってないんだと思うと口が勝手に笑ってしまう。

 

「箒。偽物だけど、あの頃の千冬姉には勝てるようになったぞ、俺」

 

 また一つ、箒に言いたいことが増えた。

 

 そうして昔の思い出に浸りつつ飛んでいると、前方から若干の物音が聞こえてきた。戦闘音にしては金属のような甲高い音ではなく、硬い印象がない。もっと柔らかい――そう、生身での喧嘩のような鈍い音がしてくる。

 脳裏に過ぎったのはナナが何者かに痛めつけられている光景だった。

 気がついたときにはもう体が勝手にイグニッションブーストを使って前に前にと突き進んでいる。目的地に到着するのは一瞬だった。

 やや薄暗い通路から明るく開けた空間へ。最奥と思われる部屋には先客が2人確認できる。フードを目深に被った男が倒れている女性を足蹴にしている。事情を知らなくても虫酸が走るのに十分だった。

 

「そこで何をして――」

 

 とりあえず倒れている女性がナナでないことは見て取れた。だから俺は冷静でいられ、そのまま慣れない正義感を発揮してフードの男に雪片弐型の切っ先を向ける。

 でも最後まで言い切ることなく、俺は目を丸くせざるを得なかった。

 倒れている女性は知らない人なんかじゃない。

 

「イーリス・コーリング!?」

 

 既に意識が飛んでいて、現実への帰還すら許されないままサンドバックにされている女性はアメリカ代表のイーリスだった。

 俺は雪片弐型をフードの男の方に向けたまま、反射的に一歩後ずさる。

 

「織斑の血の本能か、それとも篠ノ之柳韻の教えによるものか。どっちでもかまわねーけど、その反応は正解だぜ、織斑一夏」

 

 フードの男はイーリスを踏みつけるのをやめた。男はそっぽを向いたまま、俺の現実での名前を呼んできている。

 

 エアハルトは俺の正体を知ってもずっとヤイバと呼んできた。

 戦えなくなったプレイヤーを痛めつけているコイツは十中八九、敵である。

 この2点だけでわかる。目の前の敵はエアハルトの配下ではない。そして、状況的に今回のレガシー襲撃の主犯格と考えられる。

 

「ナナはどこにいる!」

 

 ナナの行方と無関係だなどと思えなかった。返事など期待できず、ダメで元々、感情的に叫んだだけ。

 だが意外なことに反応がある。男は肩を小刻みに上下させるようにして笑っていた。

 

「わかりやすいねえ。全体のことなんて気にせず、己の欲に従って突き進む。オレ様はそういうの嫌いじゃないぜ!」

 

 ようやく男は俺の方へと振り向いた。フードの中から覗く顔は全く見覚えのないものではない。つり上がった細目が特徴的なやや青白い顔。知り合いというわけでなく、楯無さんが要注意人物として情報を寄越してきた顔である。

 

「平石ハバヤ……」

 

 聞いただけの話だが、俺と数馬が戦うように仕向けた元凶らしい。ナナとラウラがエアハルトにさらわれたのも、この男がいたからこそ。

 ――この男さえいなければ、ナナがいなくなることもなかったかもしれない。

 

「睨むなっての、織斑少年。()を通す人間が一人いれば、いずれ争いは起こるものだろ? テメエと数馬が戦ったのは単なる必然に過ぎねえ」

「もう一度聞く。ナナはどこだ?」

 

 過ぎ去ったことはこの際、どうでもいい。

 ナナさえ取り戻せれば、今はそれでいいんだ。

 

「オレ様が知ってると確信してるのか、当てずっぽうなのかは知らねえが、まあ知らねーこともねーな」

 

 はぐらかされるかと思っていたが意外なことにハバヤはナナの行き先を知っていると仄めかしてきた。

 ニヤニヤと笑みを崩さないヘラヘラした態度が癪に障るけど、今はコイツから情報を引き出すのが得策。

 

「ナナをどうするつもりだ! アイツを連れ去って何をしようっていうんだ!」

「そりゃ美少女をさらったらすることは一つだろ?」

 

 考える余裕すらなかった。自分を抑えるなんてとても無理だ。

 気づいたときには俺の体が奴の傍に移動してて、雪片弐型を振り下ろした後。

 ……手応えはない。

 

「悪い悪い。今の冗談はお子様にはきつかった。残念ながら、あの娘を捕らえているのはオレ様じゃないし、オレ様があの娘に近づくことは保護者に固く禁じられてんだよ」

 

 俺が斬ったものは幻。これが楯無さんから聞かされていた平石ハバヤの単一仕様能力“虚言狂騒”の力か。

 幻が消えたと同時に視界の右端にハバヤの姿が見える。だけど今度は考えなしに飛び込もうとは思わない。

 見えない相手と戦うのとはわけが違う。下手に情報が与えられる分、実像を探すのは難しい。ラピスの力を借りなければまともに戦えない相手だろう。

 

「さてと。織斑少年と話ができそうだし、邪魔者は排除しとくとすっか」

 

 どう戦うべきか。悩んでいる間に、ハバヤは傍らで倒れているイーリスの首を掴んで持ち上げる。

 このまま放置してはまずい。そう認識するよりも早く、ハバヤの手の中でイーリスの体が光となって消えてしまった。

 これが意味するところを俺は知っている。なのに、俺はハバヤに斬りかかることができず、黙って見ていることしかできない。

 イルミナントに掴みあげられたリンの姿がフラッシュバックする。足が……動かない。

 

「勿体ぶっててもしょうがねえから、ハバヤお兄さんが織斑少年のためにとっておきの情報を授けてやろう。耳の穴をかっぽじってよく聞けよ?」

 

 俺は平石ハバヤという敵の情報を知っている。強力な単一仕様能力を保有しているが直接的な戦闘力が低いのだと、ハバヤを倒したことのある数馬もそう言っていた。

 だけどおかしい。もしそうなら、さっき俺の前にあった光景は何だ?

 イーリス・コーリングの強さは俺が身を以て知っている。幻を使うだけで倒せるほど、国家代表は甘くないのに……ハバヤはイーリスを倒した。

 イーリスが倒されていたのはハバヤが俺に見せている幻という可能性もある。だけどイーリスというチョイスが幻ではないと俺に思わせた。俺を萎縮させたいだけなら、ブリュンヒルデの方が効果的に決まってるからだ。

 

「テメエが会いたがってる文月ナナがいるのはあっちだ」

 

 考え事をしててもナナに関することは聞き逃さない。ハバヤの指さす先を見逃すまいと食い入るように見つめていると、奴の指は真上を向く。

 天国? 冗談じゃない。死んだなんて認めるわけにはいかない。

 だからこれを前向きに受け取ると答えが一つ出てくる。

 

「宇宙……」

「ご名答。ISは宇宙用に造られた癖にISVSでも未だ宇宙に進出していない。だからISVSプレイヤーは宇宙というフィールドに目を向けていない。全く以て視野が狭いことこの上ないぜ」

 

 俺の答えをハバヤは機嫌良さそうに肯定してきた。嘘を得意とするというこの男の発言をどこまで信用すべきかは判断が難しい。だけど情報が少ない中、今まで全く調べていなかった場所を示された俺は敵の言葉に希望を抱いてしまっていた。

 

「残念だったな、織斑少年。ここにナナはいなく、オレ様を倒したところでナナは帰ってこない」

 

 無理にハバヤと戦う必要はないのではないか。俺がすべきは――箒の情報を持ち帰り、宇宙での捜索を開始すること。もしハバヤと戦って負けてしまえばそれで全てが終わってしまう。

 だからこの場は戦わなくていい。

 

 ――そう考えた結果、安堵を覚えている自分に気がついた。

 俺が勝てなかったヴァルキリーをもハバヤは無傷で倒した。奴はIllと同じ存在にもなっている。負けたときのことを考えてしまい、振り払ったはずの恐怖が蘇ってくる。

 

「まだ答えを聞いてないぞ!」

 

 俺は雪片弐型を床に向けて振り下ろす。体にまとわりついてくる恐れを強引に斬り払った。

 気持ちで負けるな。敵に言われるがままでいてしまえば、イルミナントに負けた頃の俺に逆戻り。数馬に負けて、マドカに喰われたときと変わらない。どんな絶望的な状況でも、それでも前に進むと俺は決めたはずだ!

 

「お前たちはナナをどうするつもりだ!」

 

 さっきハバヤは『ナナに近づくことを禁止されている』と言った。つまり、ハバヤに対して指示を下す黒幕が他にいる。だったらこの場でハバヤから黒幕の正体を聞かなくてはナナに近づけない。

 もはや俺たちと対立する敵がエアハルト以外に存在するのは確定している。その敵がナナを連れ去った以上、ナナを助け出すには戦うほかない。

 まずは情報を手に入れることが先決。お喋りなハバヤからさらに情報を引き出そうとして俺は質問を重ねた。

 だけど返事は正面からでなく後ろからやってきた。

 

「どうもしないよ、いっくん。箒ちゃんは在るべき場所に在るだけだからね」

 

 俺は目を見開いた。しばらく聞いてなかった声音。知らないわけじゃないどころか親しい人のもの。ISVSに入る度に世界が楽しいか問いかけてきていた声の主はあの人しかいない。

 振り返って正面から見る。ISを装着せず、以前にも見たことがある不思議の国のアリスをモチーフにした衣装でふんぞり返っているのは間違いなく篠ノ之束その人だ。

 ……もう姿を見せないと言っていたはずの束さんなんだ。

 

「束さん……何を言ってるんだ?」

 

 俺はハバヤたちに質問しているのであって、束さんは関係ない。

 というか、どうしてここに束さんが居る?

 まだこうして話すことができるのに俺のところに来てくれなかったのは何故なんだ?

 

「おや、お早いお着きで。既に準備は完了していますので、奥へとどうぞ」

 

 ハバヤが束さんに話しかける。知らない人間に声をかけられたところで束さんがまともに反応するはずがない。だというのに――

 

「ご苦労。それじゃあ、ちゃっちゃと作業を終わらせちゃうよ」

 

 俺の脇を通過していった束さんがハバヤに案内されるまま奥へと歩いていく。

 俺の疑問よりもハバヤへの返答を優先した。

 

「どうしてだよ……」

 

 束さんは俺が生まれた頃からずっと亡国機業と敵対していた。

 俺がISVSを始めてからずっとナナを助ける手伝いをしてくれていた。

 なのにどうして?

 

「どうしてそんな奴と一緒にいるんだよ!?」

 

 ハバヤは亡国機業に居た人間。束さんと相容れないはずなのに、束さんは奴を受け入れている。

 自分の目に映っている光景が信じられない。

 

「そうか! これはお前が見せている幻か!」

 

 そういえばと思い至る。ハバヤはISに対して自分が思うままの幻を見せることができる。だから俺が見ている束さんはハバヤが見せている嘘なんだ。

 

「織斑少年にアドバイスだ。オレ様の虚言狂騒はISにしか効かない」

 

 ハバヤが言っていることは本当だと俺は知っている。楯無さんから聞いた情報で、虚さんが実証したことらしい。楯無さんが俺に嘘をつく理由がないから、俺はISを解除すれば幻を見ずにすむ。

 だから俺は白式を一度解除することにした。

 

「は……ははは……」

 

 乾いた笑いが漏れる。笑わずにはいられなかった。

 虚言狂騒がなくても、ハバヤの傍らに束さんの姿がある。

 ハバヤが見せている幻じゃない。

 

「……ねえ、いっくん。今の世界は楽しい?」

 

 束さんは俺に背を向けたまま、いつもの問いかけをしてきた。

 よく知ってる背中。でもその表側で顔がどうなってるのか俺にはわからない。

 俺はよく考えないまま、思ってるままのことを口にする。

 

「箒さえ帰ってくれば楽しいと思います」

「そっか……じゃあ、質問を変えようか」

 

 どことなく束さんの声が寂しげに変わった。その理由は俺が今まで考えもしてこなかったこと。

 

 

「束さんのいない世界は楽しい?」

 

 

 何も言葉を返せなかった。

 だって箒が戻ればそれでいいと俺は言った。現実ではもう束さんが死んでいることを知りながら、箒さえいれば楽しい世界がやってくるのだと、他ならぬ束さんに宣言してしまったんだ。

 束さんの問いかけは俺と束さんが決裂することを意味してしまっている。

 これ以上言葉を交わしてしまえば束さんとの溝がもっと大きくなるとしか思えなかった。

 

 俺が黙り込んでいると束さんは無言のまま奥へと消えていく。その背中を目で追っていると、視線を割るようにハバヤが立ちふさがってきた。

 

「……真実ってのはいつだって容赦がない。厳しさが全てってわけでもないが、望む望まざるにかかわらずオレ様たちの前に現れる。テメエもまた幾度となく現実とぶつかってきたはずだ」

「何が言いたい?」

 

 ハバヤは何故か俺に攻撃を仕掛けてこない。イーリスを圧倒した戦闘能力なら俺を倒すくらいわけないのに。

 何が狙いだ? 束さんの指示なのか?

 少なくともハバヤと束さんにつながりがないだなんて全く思えなくなった。

 

「現実逃避という名の虚構世界に逃げ込むなら今の内だってことだ。ISVSは現実逃避する場所にしてはやたらと現実を押しつけてきやがるからな」

「俺に戦うなって言いたいのか?」

「選ぶのはテメエだ。オレ様が篠ノ之束の配下にいるのが気に食わないなら今すぐかかってきても構わないぜ?」

 

 ハッタリでもなんでもなく、ハバヤが自信に満ちあふれているのはわかる。

 俺の直感もイルミナントのときよりも危険だと告げている。

 束さんの真意を確かめなきゃいけないけど、俺が束さんを追いかけるには立ちはだかるハバヤを倒す必要がある。

 選ぶのは俺。

 

「俺はナナを……箒を助けたい」

 

 雪片弐型を構える。切っ先を向ける先にはフードを被った男、ハバヤ。奴の周囲にはエアハルトが使っていたものと同じ黒い霧が渦巻いていて、俺の腕が斬り飛ばされたときの激痛を思い出してしまう。

 体は正直だ。雪片弐型を握っている手の感覚がほとんどない。ちゃんと握れているのかも怪しい。カタカタと音でもなっていそうだ。

 それでも前に進まないと解決しない。逃げてはダメだと言い聞かせる。目の前にナナの手がかりが転がっているのを見逃していて、いつナナを助け出せるというのか。

 

 こういう挫けそうなとき、俺はどう切り抜けてきただろうか。

 そうだ。俺には自分を奮い立たせる魔法の言葉があったはずだ。

 たしか内容は――

 

「くそっ!」

 

 俺は即座に後ろに向かってイグニッションブースト。突っ立ったまま動かないハバヤの姿が急速に遠ざかっていく。

 結局、来た道を戻ることを選んだ。その理由は簡単だ。

 

 彼女(ラピス)が見てくれてない。

 だから今の俺は無敵の刃なんかじゃない。

 

 何度も失敗してきた。

 そのときは決まって自分だけでどうにかしようとしてきたとき。

 イルミナントのときも数馬のときも俺の過信と焦燥に原因がある。

 ここでハバヤに挑むのは絶対に間違いだと言い切ってやる。

 

 何もなかったとは思わない。少なくとも情報は得られた。

 ナナは消えたのでなくさらわれた。信じたくないけどおそらくは束さんに。

 そしてナナは宇宙にいる可能性がある。

 

 まだ終わってない。まだ俺は箒を助け出せる。だから今は逃げるのが正解なんだ。

 

「ごめん、箒……」

 

 だけどいくら自分に言い聞かせても、悔しさだけは晴れなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 結果的に亡国機業を壊滅寸前にまで追いやった銀髪の男性プレイヤー、ヤイバ。ハバヤが直接彼と対峙したのは初めてのことであり、ハバヤは戦わずして勝利した。逃げていくヤイバをハバヤは追いかける素振りすらせずに見送る。

 

「低レベルとは言え、煽ってやったのに逃げる選択をした。ムカつくくらい正しい選択をしたぜ、織斑一夏」

 

 ムカつくだなどと口に出しているが顔は醜悪な笑みで歪んでいる。概ね満足そうである。

 

「もしもだ。もしもう一度イノシシみてーに飛びかかってきていたとしたら、テメエを生かしとく価値はなくなってたんだが……それなりに強かで安心した」

 

 狭い部屋に反響した独り言は誰にも届かず消えていく。聞かせたい相手は他ならぬ自分自身なのだから何も問題はない。

 ハバヤはただ現状を確認しているだけだ。己の思い描く未来に沿っているかどうかを。

 

「是非とも、このまま心折れることなく邁進(まいしん)してくれたまえよ、織斑一夏クン。少なくともテメエが何もしなかったとすれば――人間は滅ぶ。オレ様としてはどう転んでも構わないが、最良ではないわな」

 

 再びフードを目深に被り直したハバヤは踵を返して篠ノ之束が向かった先へと歩を進める。

 

「……神様は気に入らない世界を壊そうと考えた。ただ単純に楽しくないが故に。幼稚な癇癪も至極当然。神様はずっと見た目通りのガキのままだったのさ」

 

 彼が歩む先にあるのは誰の希望だというのか。

 あるいは希望など最初からどこにもなかったのかもしれない。

 

「折角見逃してやったんだ。精々、最後まで足掻ききってみせてくれ。テメエは神を討ち倒すための(ヤイバ)なんだからよ」

 

 ハバヤの高笑いが闇の中で響く。先を見通す目を持つ彼にとって、今起きている何もかもが手の平の上での出来事に過ぎなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月27日の夕方。まだ一夏たちがISVSで激戦を繰り広げている頃、珍しい組み合わせの3人が人里離れた山奥へとやってきていた。

 3人の内、案内人という立場である布仏本音。彼女は更識簪経由で依頼されたために二人の人間を更識が管理する特殊な施設へと導いている。

 先頭に続く少年は藍越学園の高校生、御手洗数馬。藍越エンジョイ勢の一員である彼ももちろんISVSに誘われていたのだが今回はパスしている。その理由は、保護者としての同伴が予定としてあったからだ。

 最後の一人。数馬の背中にくっつくようにして歩く小さな少女はゼノヴィア。彼女こそがこのメンバーの主役であり、この場にやってきたのも彼女の願いと更識の思惑が一致したためだった。

 

「さ、もうすぐ着くよ~」

 

 ほぼ初対面であるにもかかわらず、誰に対しても間延びした応対をする本音。しかしそうした言動とは違って意外と歩くのは速く、数馬たちのストレスにはつながっていない。

 本音の言葉通り、木々ばかりだった視界の中に人工的な建造物が見えてきた。建物の周囲はコンクリートの壁で覆われていて、その上には有刺鉄線が張り巡らされている。

 

「なんか、いかにもって感じだな」

 

 数馬に驚きはない。むしろ事前に聞いていた施設の機能にマッチした外観だったからだ。

 感想もそこそこに一行(いっこう)は建物へと入っていく。入り口での手続きは本音の顔パスのみでほぼないも同然。これで大丈夫なのかと数馬は不安を覚えながらついていく。

 

「なあ、本当にここに()()エアハルトがいるのか?」

 

 エアハルト。一夏の前に幾度も立ちはだかった亡国機業の親玉だと数馬も聞いている。本当ならそんな危険人物とゼノヴィアを引き合わせるような真似をしたくなかったのだが、他ならぬゼノヴィアが『会いたい』と言ってしまったので数馬は素直に応じた。

 ゼノヴィアはゼノヴィアなりに前に進もうとしている。それを実感している数馬は彼女を応援こそすれど、妨げにはなりたくないと強く思っている。危険がありそうなら自分がついていって守ればいい。暴力から身を守る力はなくとも、精神的な防壁にくらいはなってやると意気込んでいる。

 そうした数馬の決意とエアハルトの監獄のセキュリティに温度差があるように感じられたのだ。

 

「それがねー、脱走どころか生きる気力すら感じられないんだって」

 

 本音が語るのは囚人の現状。捕まってから一度も口を開いておらず、魂が抜けたような放心状態が続いている。食事にも手を着けておらず、点滴で強制的に生き長らえさせているのだが、このままではすぐに限界がやってくることは想像に難くない。

 重犯罪者なのだから死んでも構わない。そういった声もあるにはあるが、更識としてはこのままエアハルトに死なれては困る。まだIllを巡る事件は解決していなく、事件の中心にいたエアハルトの存在は貴重な手がかりであるのだ。

 

「それで、ゼノヴィアなら話を聞いてくれるかもって思ったわけだ」

 

 亡国機業の基地で見つけた資料にあったゼノヴィア・ヴェーグマンの名前を数馬は忘れていない。遺伝子強化素体の生き残りであったゼノヴィアにヴェーグマンの姓を与えたのはエアハルトであるらしい。何かしらの思い入れがなければ、そのような真似をする必要がない。

 数馬と本音が話している間、ゼノヴィアは終始無言だった。緊張だろうか。不安が表に出ていて、数馬の服の裾をギュッと握っている。

 間もなくエアハルトのいる部屋。未だに数馬の服から手を離さないゼノヴィアの方へ数馬は振り向いた。

 

「怖いなら、ここで帰ってもいいんだよ」

「大丈夫。私は博士と向き合わなきゃいけないの」

 

 即答だった。意志が固いことを見て取った数馬はゼノヴィアの背を押す。

 

「俺はここで待ってる。何かあったら呼んでくれ」

「うん。行ってくる」

 

 ゼノヴィアは数馬の服から手を離し、一人で歩き出した。

 暗闇の奥、金色の目が光っている囚人の牢屋へと。

 扉を開け、一歩踏み込んだ。その瞬間――

 

「生きていたか。まさか人間どもがお前のために貴重なコアを割くとはな」

 

 エアハルトの方から声がかけられた。

 どう声をかけたものか悩んでいたゼノヴィアだったが、向こうから話してくれるのは渡りに船。自分の胸に両手を当てて、誇らしげに返答する。

 

「違うよ。このコアはあの世界の私が作って数馬が与えてくれた。元を辿るとあの世界を私に与えてくれた博士のおかげなの」

 

 完全に想定外の返答だったためか、エアハルトは目を見開いてキョトンとする。

 

「すっかり変わったな。他人を恐れることしか知らなかったお前が他人に感謝をするのか」

「博士も変わったよ。今の博士は怖くないもん」

「怖いのは理解が及ばないからだ。今の私はお前が理解できるレベルの存在になっているだけのこと」

 

 独特な言い回しで自らのことを変わったのだと言うエアハルト。やせ細った顔になっているが、ゼノヴィアから見て活力を失っているようには見えない。

 

「ちゃんとご飯を食べてる?」

「何の話だ?」

「聞いたよ。ここに来てからずっと食事に手を着けてないって」

「だからなんだと言うのだ?」

「そんなんじゃ死んじゃうよ?」

「率先して死のうとは思っていないが、逆に生きる意味もない。織斑一夏の手に掛かって死ぬ方が楽だったとは思うが、このまま餓死するのも敗者の末路としては自然なものだろう」

 

 淡々としたエアハルトの答えを聞いたゼノヴィアは胸を強く押さえた。

 苦しい。その理由を今のゼノヴィアは言葉にできるようになっている。

 

「死んだら嫌だよ、博士」

 

 饒舌だったエアハルトが言葉に詰まって黙り込む。今までのように自らの意志で黙っているのでなく、話したくても言葉に出せなかったのだ。

 

「生きる意味がないと生きられない。だったら、今までの博士が生きる意味は何だったの?」

 

 質問が出された。回答の方向性を示されたことでようやくエアハルトは言葉を発することができるようになる。

 

「私は理想郷を目指していた。我ら遺伝子強化素体が心置きなく過ごすことのできる、そんな理想郷を……」

「知ってる。博士は他の皆にもそう言い続けてたもんね」

 

 “他の皆”とはISVSにしか生が与えられなかった遺伝子強化素体たちのこと。マドカに対してだけは辛辣に接していたが、少なくともエアハルトは彼女らを一度として道具扱いしたことはない。

 

「理想はあくまで理想だった。破れた夢は風に吹かれて消えていくのみ」

「ふーん。もう博士の夢は終わっちゃったの?」

「勝てなかった私に未来はない。こうなってしまえば、私の生涯にすら意味はなかったのだと言えるな」

 

 なぜそのようなことまで淡々と言えてしまうのか。

 ゼノヴィアの右手は考えるよりも速く動き、エアハルトの左頬をひっぱたく。

 

「今日はね……私は博士に伝えたいことがあって来たんだ」

 

 叩いた右手を左手で(さす)りながらゼノヴィアはキッと強くエアハルトを睨みつける。

 

「博士のことを今でも悪者だと思ってるけど、生まれてきちゃダメだったなんて私には思えない……」

 

 まずはエアハルトの発言を否定する。生まれた意味がないと自虐するエアハルトを許すことなどできない。

 

「結果論だって笑われるかもしれないけど、博士のおかげで今の私がある」

 

 少なくともエアハルトが何もしなければゼノヴィアは15年前に死んでいた。エアハルトが足掻いたからこそ、ゼノヴィアはこの場で息ができている。

 当然、結果論だ。だが結果を出すには原因となる何かが必要。原因なくして結果はない。

 

「博士のした何もかもが無駄だったなんてことはなくて――」

 

 言いたいことは、実を言えばたった一言。その一言をゼノヴィアなりに精一杯に飾りたてて贈る。

 

「私の気持ちはありがとうでいっぱいなんだ」

 

 今にも泣きそうだった顔のゼノヴィアは精一杯の笑みをエアハルトに向けた。

 ゼノヴィア・イロジックとしての記憶はエアハルトの悪行を知らせてくる。それでもそれだけがエアハルトの全てでないことをゼノヴィアは知っている。遺伝子強化素体が生きる世界のために粉骨砕身に働いていた背中を忘れたことはない。

 

「また来るね、博士! 今度、友達に博士を紹介したいから、ちゃんとお話してよ!」

 

 言いたいことは言えた。また黙り込んでしまったエアハルトを置いて、ゼノヴィアは足早に立ち去っていく。言うだけ言って満足し、無邪気な笑顔をして数馬の元へと駆けていった。

 残されたエアハルトは天井を見上げる。虚ろな瞳はもう無く、焦点の定まった目が見る先は存在する。

 

「……生き延びれたじゃないか。馬鹿馬鹿しいにも程がある」

 

 ふっ、と小さく小馬鹿にするように自嘲する。人間らしい感情がほぼなかった男の目から大粒の涙が一滴、頬を流れた。

 

「プランナー、イオニアス。私の欲しかった世界は貴方の示した道以外にもあった。もう私に貴方の思想は要らない」

 

 泣きながらもエアハルトは笑ってみせる。遺伝子強化素体の未来のために戦っていた男は敗北こそした。しかし、その手は確かに希望への道を切り開いていた。

 金色の瞳は理想の景色の一部をしかと映したのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月27日の夜。もう今年も残すところ4日。ようやく箒の手がかりを見つけたのはいいけど、次のタイムリミットは刻一刻と近づいてきている。

 

「宇宙……か」

 

 自室のベッドで横になり、天井の模様を目で追いながら呟く。言葉の響きだけでも途方もないイメージばかりが先行する。曖昧でいて巨大な領域を前にした俺は1月3日までの時間の短さばかりを気にしてしまう。

 そもそも、『ナナが宇宙にいる』という情報は『地球上ではない』というだけのことで少しも居場所を絞れていない。捜索範囲で言えばむしろ広がったとも言えるし、今の俺には宇宙での探し方自体に見当がついていない。

 

「いや、それよりも束さんの方が問題か……」

 

 俺の前に現れた敵は束さんとしか思えない。根拠は俺の呼び方。束さんが俺のことを「いっくん」と呼ぶのは平石ハバヤという男も知らないことのはず。

 束さんがナナを連れ去っている。普通なら束さんがナナを保護できたと安心するところなんだけど、平石ハバヤの存在がそれを許さない。束さんが亡国機業とつながっているという考えづらかったはずの最悪の可能性が浮上してしまった。今の俺には束さんの真意が全く掴めない。

 今まで知らなかった束さんの過去を知った俺は束さんのことを全部知った気でいたけど、俺は束さんのことをまだまだ知らないんだ。

 

「今日は千冬姉、帰ってくるかな……?」

 

 年越しまで10日を切った頃からまた千冬姉は家に帰らない日々が続いている。それどころかアーリィさんの話によると海外にまで出て行ってるらしい。例のゴーレム事件がまだ解決してないから仕方ないとはいえ、そろそろ千冬姉と話がしたいところだ。

 などと考えていたときのことだ。もう夜も遅いというのに下の階で足音がしたのに気づく。

 ……チェルシーさんが俺の部屋にまで届くような物音を立てるとは思えない。シャルはラウラの様子を見に行ってて今日は帰ってこないから、ありえるのはセシリアだろうか。

 見に行ってみることにした。ついでにセシリアと話すのも悪くないし。

 

 部屋を出て、階段を下りる。

 すると廊下に凛として仁王立ちしている千冬姉と目が合った。

 

「おかえり。いつ帰ってきたんだよ」

「今、帰ってきたところだ。色々とこちらの話は聞いている」

 

 久しぶりに帰ってきたというのに『ただいま』の一言すら言わないまま、千冬姉は指でチョイチョイと俺についてくるように促してくるとさっさと客間の方へと行ってしまう。大事な話があるということだ。俺の方も聞きたいことがあったから丁度いい。

 客人を招かない客間で姉弟が向かい合うのも久しぶりのことだ。以前に客間をこのように使ったのは鈴の狂言誘拐の直後だったか。要するに家族会議を意味していて、あまりいいイメージがない。

 

「アリーシャから聞いたぞ。よく無事だったな」

 

 向かい合って座った後の第一声は千冬姉。怒声だった以前とは違って口元には笑みが浮かんでいる。

 

「アーリィさんに助けられた。俺だけだったら死んでたかも」

「アイツの風は私と違って護衛向きの能力だからな。おそらくその場にいたのが私だったなら一夏の安全を確保できなかったことだろう」

「謙遜だろ?」

 

 千冬姉の強さは知ってる。だから千冬姉にできないことなんてないとすらも思ってる。だけど謙遜と言った俺の言葉に対して千冬姉は即座に首を横に振った。

 

「私が守れなかった者は多い……」

 

 ここまでの弱音を吐く千冬姉を初めて見た。

 俺が箒の見舞いに行くときに見せる暗い顔とは種類が違う。

 初めてなのにどこかで見たような既視感を覚えているのはきっと俺が毎朝眺めた鏡と似ているからだ。

 

「父さんたちのときは幼くて力を持っていなかった」

 

 俺の記憶にも残ってないような昔。俺と違って自意識が確立できていた千冬姉は父さんたちの死と向き合った。

 

「束のときは傍にいてやれなかった」

 

 今年の年始。もう1年前のことになるが、束さんは亡国機業の親玉である爺さんと相討ちとなって死亡した。千冬姉は全てが終わった後に変わり果てた束さんを抱き抱えた。

 

「もう失敗などしてやらない。何を利用してでもお前を死なせはしない。そう決めた」

 

 これまで俺は自分のことでいっぱいいっぱいで千冬姉が普通に生活してると思ってた。箒のことで苦しんでる俺が変人で、サバサバしてる千冬姉が普通なんだとも思ってた。

 でも千冬姉は千冬姉で抱え込んでるものがある。千冬姉も俺と変わらないんだと思うと、俺は今のまま突き進んでいいんだと安心できた。

 

「ありがとう、千冬姉」

「礼などいい。それよりもお前に聞きたいことがある」

 

 ここまでの話は前置き。本題はこれから。

 

「私がいない間、敵からの接触はあったか?」

 

 先ほどまでの姉としての顔が消え去り、尋問官のような冷徹な視線が俺に突き刺さる。

 しかし問いかけの内容が絶妙に変だ。『敵()接触したか?』でなく『敵()()接触されたか?』と俺に聞く時点で、千冬姉には心当たりがあるんじゃないか。

 

「束さんには会った。けど束さんからの接触とは違う。偶然会っただけだ」

 

 嘘はついてない。俺が自分から飛び込んだ場所に束さんが姿を見せた。束さんと言葉を交わしたけど、束さんが俺に対して何かを求めたわけじゃない。

 過去に束さんが敵である可能性を千冬姉に提言したことがある。そのときは決まって『そんなはずがない』という返事だったけど、今はどうなんだろうか?

 敢えて俺は『敵=束さん』として返答した。千冬姉の反応が見たかった。以前なら鼻で笑われたことだけど、今日の千冬姉は真剣な眼差しのまま変化せず。

 

「……一夏が狙いというわけでもないのか。束の奴、何を企んでいる?」

 

 決定的だ。千冬姉も束さんを敵として見ている。

 こうなったら単刀直入に聞いてもいいだろう。

 

「束さんは敵じゃないんじゃなかったのか?」

「心情としては元々50:50(フィフティー・フィフティー)だった。やるはずがないと思う反面、アイツならやりかねないという危うさがあることも知っている。加えて、敵は短期間の間でゼノヴィア・イロジックの単一仕様能力“想像結晶”をISVS上に再現した疑いがある。そんなことができるのは私の知る限り1人だけだ」

 

 千冬姉が言及しているのは現実でのゴーレム出現の件だ。現実にないはずのISコアで暴れていた無人機はISVSからやってきたという仮説を千冬姉は立てているらしい。

 以前にISVSのみの存在であったはずのゼノヴィアという遺伝子強化素体が自らの単一仕様能力を使って現実にやってきていたことがある。その能力の名前が想像結晶。世界中のIS関係者が欲しがっていた無限の資源、無限の軍事力となりうる力だとセシリアから聞いている。

 千冬姉の仮説が事実なら敵はこの危険な力を既に手にしていることになる。そして、今の俺にはこの話を眉唾物だと受け流すことができない。

 白騎士の力を貸してくれた束さんは俺に箒のことを託してくれた。でもあれは現実のことじゃないから、もしかしたらあの束さんは俺の想像が生み出しただけの存在だったのかもしれない。そう思い始めると、何が正しいのか全くわからなくなってくる。

 

「束が敵だとお前に不都合があるのか?」

 

 俺の苦悩が表に出ていたのだろうか。いや、昔から俺は千冬姉に隠し事ができた試しがないか。とにかく、千冬姉らしくない発言が飛び出しているのはわかる。

 

「束さんと戦いたくないのは当たり前だろ。箒の姉さんだし、千冬姉の友達だし。何よりも相手にして勝てる気がしない」

「私が聞きたいのはそういうことじゃない。これまで無茶をしてきたお前が足を止めるほどの何かがあるのかと聞いている」

 

 戦いたくないのと戦えないのは違う。千冬姉はそう言っているのだ。

 ああ、そういうことか。だったら俺の返答は決まってる。

 

「相手が誰であっても、俺がすべきは箒を助けること。邪魔する奴と戦うのに容赦はいらない。たとえ千冬姉が立ちはだかっても俺は戦う道を選ぶ」

「ふっ。そこまで言えとは言っていないが、目的を複雑化させる必要はないとだけ姉として言っておこう。一夏は単純でいい」

 

 笑われたけど心地がいい。俺の在り方をまた再認識した。

 あの幻かもしれない束さんも言っていたじゃないか。相手が誰であっても倒さなければいけない相手に手加減は無用だと。

 ……今思うと、あの言葉はまるで俺が束さんと敵対することを予見していたかのようだ。気のせいかな?

 

「とりあえずもう束さんの真意は無視する。それよりもこれからどうするかが肝心だ」

「その通りだが、まだ私はアメリカでの件の詳細を聞いていない」

 

 そう告げた千冬姉はすっくと立ち上がると客間の入り口を見やる。

 

「盗み聞きはその辺にしてお前も入ってこい。一夏よりもお前から聞いた方が早いからな」

 

 すると客間の扉が開き、セシリアが入ってきた。盗み聞きと言われたにもかかわらず、当の本人は少しも悪びれずに俺の隣にまでやってくる。

 

「わたくしも最後の方は戦況を把握できなかったので、参加していたプレイヤーやクラウス社内部の情報をかき集めてきました」

 

 そういえば、と思い出す。俺がハバヤから逃げ帰った後、Illの領域から離脱しようと飛んでいたら生身でレガシーに向かって突っ走るラピスを見かけたんだっけ。逃げるのに必死だった俺は有無を言わさずにラピスを捕まえて一緒にIllの領域外に出たんだ。

 あの後、現実に帰ってきてからずっとセシリアは悔しそうな顔をしていた。俺たちの目標であるラウラの救出を果たしたとはいえ、納得いかないことがあったんだろうと思ってる。それが何かはよくわかってないけども。

 

「結果だけ先に言っておきます。クラウス社を中心とした企業連合軍はゴーレムの軍に敗北しました。ロサンゼルス近郊の遺跡は敵の手に落ちたままであり、Illの領域は遺跡を中心にして広範囲に展開されています。クラウス社はイーリス・コーリングを始めとする専属操縦者の大半を失って壊滅。彼らの手による遺跡奪還は事実上不可能となりました」

「イーリが負けたのか。尚更、束が関与している可能性が高い」

 

 千冬姉の眉間に皺が寄る。やっぱりアメリカ代表が負けた事実は重いとうことか。

 ……しかし、イーリ?

 

「千冬姉はイーリス・コーリングと親しいのか?」

「国家代表は第1回モンド・グロッソから顔触れが大して変わらない。必然的に顔見知りくらいにはなるさ」

 

 淡々と言い終えた後であからさまに溜め息を漏らしている。強がるなよ、千冬姉……

 

「一夏さんの話だとイーリス・コーリングは平石ハバヤに敗れたそうですわね」

「ああ。直接負けたところを見たわけじゃないけど、少なくともあのハバヤって男はギドくらいにやばい雰囲気があった」

「わたくしの持っている情報と食い違っていますが、おそらくは平石ハバヤにも篠ノ之博士の手が加わっているものと考えられます」

「それは同感だけど、同時に不可解なんだ。だろ、千冬姉?」

「束が見ず知らずの男に力を貸す……ツムギのメンバーにすら滅多に手を貸さなかった束が亡国機業とつながりのあった男と協力関係になるなど本来は考えづらい」

 

 本来は、と付け加えた。だから千冬姉の中ではもう結論はでている。

 

「少なくとも篠ノ之博士が戦場に姿を見せたのは事実ですわ。未知の攻撃手段を使ってきていたり、ゴーレムの軍隊を使役していたりと偽物にしては高次元過ぎますわね」

 

 さらに追い打ちが入る。セシリアも束さんを直接目の当たりにしていて、ブルーティアーズを機能停止させたのは束さんの仕業らしい。

 

「束の真偽はこの際どうでもいい。偽物だとしても束と同等の力を有しているのだから脅威と見なすには十分だ」

「しかし本物か偽物かで次の行動予測が変わってきますが……」

「いや。どちらであっても次に起こす行動は現実への干渉に決まっている。場所はアメリカ東海岸。ナタルを始めとする現実での操縦者に近隣で待機するよう既に要請を送ってある」

「千冬姉。どうして敵の次の行動が現実への干渉になるんだ?」

 

 俺もセシリアも全く話についていけない。ということは千冬姉が俺たちの知らない情報を握ってると思われた。

 

「現実におけるゴーレム出現の条件を特定できたからだ。想像結晶という能力でISVSから現実に物質を送る場合、地球を基準とした現実における出現座標かその座標と一致するISVS上の座標のどちらかに触媒がなければならない」

「つまり、現実側から想像結晶で干渉して物質を転送して持ってくる場合はISVS上のどこからでも持ってこれるけど、ISVS側から送るには現実の同じところにしか送れないってこと?」

 

 俺の返答に千冬姉が目を丸くする。

 

「一夏……頭でも打ったか?」

「今更、俺を頭が残念な子扱いするな!」

 

 全く失礼な姉だ。

 ……よく見たらセシリアまで驚いてる。ちょっとショック。

 

「条件を特定したということは、ISVSの方に想像結晶の触媒が観測できたというわけですわね?」

「元々ゼノヴィア・ヴェーグマンから断片的な情報は得られていた。今のあの娘に想像結晶の力はないが知識だけはある。彼女の情報に従い、ゴーレムの出現位置に該当するISVS上の座標に小型の建造物が確認できた」

 

 そう言って千冬姉が取り出した写真には鉄骨でアルファベットのAのように組まれた簡素な塔が映っている。

 

「この建造物を破壊することでゴーレムの湧きは潰された。でなければ私が日本に帰ってくることも難しかっただろうな」

「なるほど。対処法がわかれば敵の攻撃を未然に防げるってことか」

「論点が変わってますわ、一夏さん。これは良い報せと言い切れません」

 

 言われて気づく。敵の現実への侵攻の防ぎ方がわかったという前向きな話ではあるが、今となっては次の出現を事前に防げないという話につながるんだ。

 

「……だからアメリカの遺跡が話題に上るのか」

「そういうことだ。敵の勢力下で想像結晶の基地が造られてしまえば敵の現実への侵攻を許すことになる」

 

 俺が正面から向き合ってこなかったゴーレムが現実に出現した事件はここにきて立ち位置が大きく変わってきている。既にこれは敵からの明確な攻撃の意思表示であり、仮想世界から現実への侵攻を意味していた。

 

「戦争……なのか……?」

「ああ。このままだと我々は現実のIS467機で仮想世界から送られてくる無尽蔵のゴーレムと戦わねばならなくなる」

 

 その戦力差は歴然。どれだけ国家代表操縦者たちが優れていてもたった467機で無限とも思えるゴーレムの群れから人類を守れるのかという無理難題を解決できるはずもない。もし白騎士がいたとしても地球上にいるゴーレムを殲滅するのは不可能だ。できたとしても人類も共に滅ぶ。

 

「どうにかならないのか……?」

 

 この問題を無視するわけにはいかない。箒を取り戻しても、彼女と共に過ごす世界が無くなってしまっては意味がない。

 

「敵が遺跡を占拠したもう一つの理由がISVSプレイヤーを減らすことにあります。遺跡を使えないと一般プレイヤーがISVSに入れません。敵はISVSプレイヤーを減らす戦略を取っていると言えますわね」

 

 遺跡襲撃の意図についてセシリアが推論を述べた。なるほど。

 

「敵は現実の操縦者よりもISVSプレイヤーを警戒しているのか」

「連中はISVSの住人だ。我々にとって造られた世界であっても奴らはそこで生きている。むしろ奴らにとってISVSの方が現実とも言える」

 

 千冬姉の発言から俺が今まで倒してきた遺伝子強化素体を思い出した。

 アドルフィーネとギド。どちらも仮想世界での死で存在が消え去った。

 もう現実で生きてない束さんが仮想世界で死んでも同じ末路を辿る。

 

「我々の方からISVSに攻め込み、元凶を討てばそれで解決する」

 

 言いたいことはわかる。だけどさ、千冬姉。それはもしかしなくても……束さんを殺すという話だよ。

 わかってる。俺は箒を取り戻す障害となる束さんを倒さないといけない。

 だけど千冬姉はそれでいいのかよ……?

 守りたかったんじゃないのかよ!

 

「そんな顔をするな、一夏。暴走した束を私の手で止めるのは昔にアイツと交わした約束だ」

 

 約束。そう言われた俺は黙っているしかなかった。

 ……約束は守らないとな。

 

「近いうちにロスの遺跡に塔が立つはずだ。現実での対応はナタルたちに任せて私は元凶を討ちにいく。これで全てを終わらせるんだ」

 

 千冬姉の誓いを聞いた俺は違和感を覚えていた。

 今まで俺は千冬姉が自分の予定をまともに話すのを聞いたことがない。

 いつだって突然だった。出張の連絡もセシリアのホームステイも。

 

「俺も行く」

 

 放っておけない気がした。そもそもこの件は箒の救出にも関わること。俺も全力で立ち向かわないといけない戦いだ。

 千冬姉が居て、セシリアが見ていてくれる。今度はハバヤから逃げなくても大丈夫。そう信じられた。

 

「ロスへの攻撃予定時刻は明朝5:30。私はそれまで休むことにする。流石に世界一周に近い遠征は疲れた」

 

 俺が返事をする前に千冬姉は客間を出て二階へと上がっていった。その足取りがどこかふらついていたから疲れてるのは嘘じゃない。アーリィさんの代わりに世界中を飛び回っていたのは想像以上にキツいことだったようだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 畳が敷き詰められた12畳ほどの和室。周囲に壁はなく、全面が障子の戸で囲まれており、家具らしいものは何もない。あるのは座布団が2つと向かい合って正座する高校生のみである。

 

「それで? このタイミングでたけちゃんが私のところに来たってことは、“あの男”に動きがあったということでいいのね?」

 

 一度開いた扇子を勢いよくピシリと閉じる。更識楯無。普段は飄々として掴み所のない彼女であるが、今の表情はとても険しいものとなっている。

 正面に座っているたけちゃんこと朝岡丈明は更識の忍びとして名を連ねている男子高校生。この場にいるのはもちろん表向きの顔である高校生としてでなく、更識に仕える者としてだ。

 

「例のアメリカ西海岸の遺跡の件はどこまでご存じで?」

「クラウス社がなりふり構わないフリをしながら結局のところ自分たちの面子を優先した果てに、最高戦力であるイーリス・コーリングを失ったってことなら聞いてるわ」

「そのイーリス・コーリングを倒したのが平石ハバヤです」

 

 瞬間、楯無の眉間に大きく皺が寄る。あまりにも想像から離れていて不可解だった。

 

「待って。アメリカ代表はこの私でも普通に勝てないレベルなんだけど、“あの男”が誰を倒したって?」

「ですから、イーリス・コーリン――」

「あ、うん。言わなくていいわ。ただの現実逃避だから」

 

 額に右手で押さえながら小さく頭を振る。過去に楯無を継ぐ候補者として名前の挙がっていた男、平石ハバヤ。彼が現楯無である自分を超えた力を見せた事実をそう簡単に受け入れられない。

 だが認めなくてはならない。信頼する部下のもたらした情報を感情だけで否定するような当主であっては更識の恥である。

 

「一応確認よ。たけちゃんがその情報を得たルートは?」

「目撃した一夏殿から直接です」

「だったら嘘じゃなさそうね」

 

 まだ一夏がハバヤの虚言狂騒に騙されている可能性も考えられないことはなかったが、楯無は自分でその可能性を否定する。なぜならば、平石ハバヤという男は“己の力”を誇示しようとする傾向があるからだ。もしハッタリで強さを示そうとしたならば、それは弱さを認めることであり、ハバヤが自らの精神を殺すのに等しい。

 

「一夏くんは他に何か言ってた?」

「危険だったから逃げたとだけ」

「そっか……」

 

 一夏が敵を前にして逃げた。それも箒が関わっているかもしれない状況でだ。これもまた事態の異常さを楯無に訴えてきている。

 

「大体理解したわ。“あの男”はもう現実(こっち)の住人じゃないのかもね」

「と、言いますと?」

「知ってのとおり、“あの男”の身柄は更識が押さえてあって、ずっと昏睡状態が続いてる。強制ログアウトもできなかったから例のIllの領域に自分から逃げ込んでるものだと思ってたけど、今回ので別の可能性が浮上したわ」

 

 平石ハバヤの仕組んだ富士での決戦に楯無は参加していなかった。その理由はハバヤの現実の体を拘束する目的にあり、楯無は見事にハバヤの潜伏先を突き止めて、動けない状態のハバヤを捕まえた。だがそれ以降、ハバヤが現実に帰ってくることはなかった。

 ISVS上の精神体は現実の体が死んでいても生きているのだということを、ナナと共にいたツムギのメンバーが証明していた。もしハバヤを現実で殺したとしても、ISVSにいると思われるハバヤは変わらず活動を続ける。現実の肉体が枷となっていなく、未だに逃げられているも同然と言えた。

 そして、Illと行動を共にしているという説も否定するときがきた。イーリスを倒した戦闘力と、一夏がハバヤを前にして逃げたことから楯無の中で答えが導かれた。

 平石ハバヤはIllとして活動している。方法は不明でもそれが事実だと認めざるを得ない。

 

「とりあえず尻尾を出したことは朗報と受け取っておきましょう。水面下でこっそりと悪事を働かれる方が面倒だし」

「では拙者は引き続き一夏殿の周囲を監視しておきます」

「うん、お願い。私は私で情報を集めておくわ。“あの男”相手に事前情報なしで戦闘を仕掛けるのは丸腰で挑むのも同然だから」

 

 先に朝岡が席を立ち、無駄な動きなくきびきびと退出する。見送る楯無は障子が閉まるのを視認した後に盛大に溜め息を吐いた。

 

「これは更識家の……いいえ、私の不始末ね。いい加減に向き合わないと。私の願いが生んでしまった歪みは私がこの手で片を付ける」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 千冬姉が寝室に戻った後、俺も自分の部屋に帰った。ロスの遺跡への次の攻撃は朝のこと。俺も明日に備えて寝るべきだ。

 ……と、頭ではわかってるんだけども。

 

「寝れない」

 

 やたらと目が冴えてしまっていた。今日は本当に色々とあったから必要以上に考え事をしてしまう。

 

 ラウラを無事に救出した。

 ナナの行方の手がかりを得た。

 敵の中に束さんの姿があった。

 

 ナナを取り返すための障害は排除すると決めた。だから束さんが立ちはだかるのなら俺は束さんを倒さなければならない。

 頭ではわかってる。だけどまだ口先だけだ。実際に束さんと向き合ったときにちゃんと立ち向かえるのか、自信はない。

 ぐるぐると脳内で同じところをうろついている。迷路で袋小路に突き当たったと感じる頃になったタイミングで、机の上に置いておいた携帯が俺を呼び始めた。誰かが電話をかけてきた。おかげで下手な考え事をしないですむと考えるあたり、実は結構追いつめられてるのかもしれない。

 

「もしもし」

『あ、やっと出た。もう寝ちゃったかと思っちゃったわよ』

 

 相手は鈴。基本的に用があれば俺の家にまで来る奴だから、こうして電話で話すのは少しだけ珍しいことだったりする。

 

「一応言っておくが、もう日が変わってるぞ?」

『小学生じゃあるまいし、0時過ぎた程度で寝るなんて真っ当な高校生じゃないわよ』

 

 いや、その価値観はおかしい。まあ、それを鈴に言ったところで俺がジジ臭いとかそういう扱いで終わるだけだから黙っておくけども。

 

「それで? なんかあったのか?」

 

 たとえば親さんらが喧嘩でもしたのかとか。そういう意図だったんだけど――

 

『アンタのことはアンタがよく知ってるでしょ?』

 

 こんな返答が来てしまっては俺は誤解しようもなくなる。

 鈴は自分の話をするために電話をしたわけじゃない。だったら残るのは俺の話だけ。でもって俺の話題となると、昼間のISVSの話になる。

 

「“何か”はあった。鈴はすごいな。最近あまり一緒にいないのに俺のことをよく知ってる」

『ごめん、今回はただの鎌掛け。それっぽい予兆はあったけどね』

「予兆?」

『今まではミッションの後、ISVS内で軽く反省会してたでしょ? ラウラが帰ってきたと聞いてたのに今回はそれがなくて、一夏もセシリアもさっさと帰っちゃったから他に何かあったんだとしか思えなくてさ』

 

 なるほど。もし進展がなかったら、俺は最近のセオリーに従って皆と駄弁(だべ)ってから帰ってたかも。言われてみれば俺はわかりやすいのかもしれない。

 でもそうだとすると、いつもと違うのは俺だけじゃないような。

 

「いつもの鈴ならその後で俺の家にまで来てそうなんだけど、今日は来てないよな?」

『行こうかとも考えたんだけどね。でも、アンタの家ってセシリアもいるでしょ?』

「ん? セシリアがいるとマズいのか?」

『ちょっとだけね。たまには一夏と1対1で話したかったから、こうして電話にしてみたの』

「甘いな、鈴。この会話もセシリアには筒抜けだぞ」

『それはそれで別にいいわよ』

 

 どうしよう。テキトーに冗談を言ったのに受け入れられてしまった。

 ごめんな、セシリア。でもたぶんこの原因は普段の行いにあると思う。

 

『……声色は元気そうね。でも喜んでるわけでもない。良いことも悪いこともあったって感じかぁ』

「ご名答。ナナの行方に当てができた。だけど敵が誰なのかも見えてきた」

『それが篠ノ之博士ってわけね』

 

 俺は目を見開く。

 まさか鈴の口から束さんの名前が出てくるとは思ってなかった。

 

『なぜ、って顔してるわね? 見なくてもわかるわ』

「鈴は何でもお見通しだな」

『敵の正体は弾の予想をそのまま言っただけなんだけどね』

「弾が?」

『要するに一般人レベルでも篠ノ之束を連想するくらいの規模になってきてるのよ。例のゴーレム事件とかさ。ネット上だと白騎士事件のときに騒いでた連中がまた息を吹き返してるわ。篠ノ之束はテロリスト、って』

 

 俺が思ってるよりも世間に情報が流れるのが早いようだ。現実にゴーレムが出現したのはどう考えても一大事だし、派手に暴れてたから隠蔽しきれないのも仕方ないのか。

 ゴーレムの出現は世界中の研究者連中が出し抜かれているようなもの。これは白騎士事件を連想するには十分だったろう。人類未踏の地には常に篠ノ之束の影があるというのは世界共通の認識だろうし。

 

「やっぱ束さんが敵……なのか」

『なるほどね。ナナのお姉さんだからアンタの知り合いでもあるってことか。それで悩んでるの?』

「悩んでない、と言えば嘘になる。けど、ここまで来て止まるつもりはない。箒を助けるために必要なら俺は束さんを倒す」

『でもそれをナナが望まなかったら?』

 

 ああ、そこを突っ込んでくるのか。本当のところ、俺が一番悩んでいるのはそこだ。俺と束さんの関係は実は全く関係なくて、全ては箒と束さんの関係が関わってる。

 もし箒が束さんとISVSに残ることを選んだら。それでも俺は箒を助けるべきだろうか。

 姉の存在と引き替えにして現実に帰ってくることを箒は願ってくれるだろうか。

 全ては箒の考えを聞かないとわからない。

 でも、個人的な願いを言わせてもらえば――

 

「ナナが何を言おうと俺はアイツを現実に連れ帰る。そう約束した」

 

 約束など単なる言い訳。俺が箒を助け出したいのは箒のためを思ってのことじゃなくて、もう俺個人の願望に等しい。

 

『こりゃ、あたしがわざわざ電話する必要なかったわね。ちゃんと振り切れてるじゃん』

「自分で言うのもなんだけど、俺って変だろ?」

『変ってとこは否定しないけどさ。こういうときに必要なのってとにかくブレないことなんだとあたしは思うわけよ。うじうじしてたらその間に大切なものを落っことしそうじゃない?』

「そうかも」

『一夏は少し我が儘なくらいでいいのよ。あたしが保証してあげる』

「どうも。少し楽になった」

 

 俺は俺のことを何度も自分勝手な奴だと思ってきた。

 だけど自分を抑えていた頃と比べて、周りに人が増えてきた気がする。

 こうして鈴に太鼓判まで押されると、自分に自信がついたのが実感できる。

 

『でさ、一夏。明日なんだけどさ……ナナの行方を追うのはいいんだけど、もし良かったら――』

「一夏さんっ!」

 

 真夜中の電話の最中だというのにいきなり俺の部屋のドアが開け放たれた。廊下に立っているのは寝間着姿のセシリア。慌てているようで息を荒げており、肩を上下させている。

 とりあえず、何かマズいことが起きていることだけは伝わってきた。

 

「どうしたんだ、セシリア?」

 

 電話の先の鈴にも聞こえるように尋ねる。鈴は何かを言い掛けていたと思うのだけど、緊急事態を察してか黙ってくれている。

 

「先ほど病院に張らせていたSPから連絡が来ましたわ」

「病院? 箒に何かあったのか!?」

 

 セシリアは首を横に振る。

 

「異常があったのは静寐さんの方です。彼女が再び目を覚まさなくなったそうです」

「え……?」

 

 しばらく頭が理解を拒絶していた。

 だって、静寐さんはもう助かったはずだろ?

 なのにどうして、また目覚めないなんてことになるんだ?

 

「わたくしの油断、と言うべきでしょうか。まさか家庭用のISVSを手に入れているとは……」

 

 家庭用のISVS? それってつまり、静寐さんは自分からまたISVSに戻ったってこと?

 なぜそんなことを、と疑問に思う余地はなかった。よく考えたら静寐さんがISVSに入ろうとするのは必然。

 

「……セシリアのせいじゃない。俺の……せいだ」

 

 俺がナナの危機を静寐さんに伝えてしまった。それで静寐さんが黙っていられるはずもないのに。

 俺は机の上に置いてあるイスカを手に取る。

 

「行こう。まだIllに喰われたと確定したわけじゃないんだろ?」

「そうですわ。ではわたくしも準備してきます」

 

 まだだ。まだ静寐さんがIllの領域に足を踏み入れているだけの可能性もある。だったら連れ帰ればいいだけのこと。

 俺はつながったままの携帯を改めて耳に当てる。

 

「そういうわけだ。俺は今からISVSに向かう。話はまた明日な」

『待ちなさい、一夏! あたしを蚊帳の外にするな!』

「悪いが鈴が家に来るまで待ってる余裕はない」

『あたしも家にISVSがあるからそれで入る。待ち合わせはロビーよ! わかったわね?』

 

 電話が一方的に切られた。勝手に段取りを決められてしまって、俺が言い返す隙間もない。

 何よりも俺はポカーンと間抜けに口を開けていたから答えられる状態じゃなかった。

 

「鈴の奴……いつの間に家庭用ISVSなんて手に入れたんだ……?」

 

 予想外なことだったが結果オーライだ。

 

 静寐さんがISVSで行方不明になっている。この状況に対処できるのは俺とセシリアだけ。そこに鈴が加わるのは頼もしい。

 絶対に静寐さんを助ける。箒が戻ってくる世界に静寐さんがいないなんて悲劇は起こさせない。

 ……他ならぬ、俺自身のために。



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47 願う未来の渇望

 初めてプレイするゲームという感覚は全くなかった。

 眼下に青い海が広がる空の上、風を一身に受けたシズネはその場で深呼吸をする。病室では感じられない風には潮の香りが混ざっている。今の現実では触れられていない自然を感じることでシズネは帰ってきたことを自覚する。

 そう、帰ってきた。まだ現実で目覚めて間もないシズネにとって、寝たきりの病室よりも仮想世界(こちら)の方が現実味がある。母親と再会できて嬉しかったことに違いないが、なんだかんだで仲間たちと共に過ごしたこの世界にも愛着が湧いていた。

 

「戻って来ちゃいました。こんな私をあなたは叱りますか?」

 

 この空へと消えていった友人に語りかける。最期まで自分たちの幸せを願ってくれていた男が困ったような照れたような顔をしているのを想像し、シズネはふふふと一人で微笑む。

 

「感傷に浸るのは後にしましょうか。私にはやることがあるので」

 

 現在、シズネがやってきているのはヤイバとエアハルトが決戦を繰り広げた北極海である。本来は極寒の地であるがISのおかげで操縦者に寒気の牙は突き立てられない。悪環境の中でも潮の香りを感じられるほどにリラックスできているのは(ひとえ)にISの性能のおかげである。

 天候は晴れ。前に来たときは猛吹雪の中だったため、周囲の景色がまるで違って見えている。ただ、ISが教えてくれる座標はここが戦場だったことを教えてくれる。

 

「あの大きなマザーアースはもう影も形も残ってないんですね……」

 

 海と氷の大地の他に観測できるものは遺跡(レガシー)のみ。遺跡に取り付くようにして建造されていた亡国機業の要塞はその残骸すらも残っていない。この事実がシズネに一つの不安を想起させた。

 

「アカルギは無事でしょうか?」

 

 アカルギ。刀匠、明動(あかるぎ)(よう)の名前から取ってナナが名付けた、ツムギの保有していた戦艦の名前である。ISVS界にマザーアースが出現する前から存在していた篠ノ之束製の艦には現在の人類が到達できていない領域のオーパーツとも言える技術が密集していることをシズネは伝え聞いていた。

 これまで多くの危機をアカルギに助けられてきた。敵から逃げる足としてはもちろんのこと、ツムギが拠点としていた遺跡よりもシズネたちの家と言える存在だった。ヤイバたちと出会ってからも強大な敵を倒すための力となってくれていた。

 シズネたちは現実に帰ることができた。しかしナナはISVSに囚われているまま。まだアカルギが役目を終えるには早すぎる。シズネにとってアカルギという存在は『絶対に現実に帰ってやる』という意志の象徴である。深海に沈んだままという現状を放っておきたくなかった。

 ISVSに来てまず第一にやろうと考えたのはアカルギを再起動させること。敵の要塞が消えてしまっていることでアカルギもそうなのではないかと不安が過ぎったが、結局のところシズネのすることに変わりはない。

 この海面の下に潜っていく。それ以外にすることはない。

 

「では……行きますっ!」

 

 この先にアカルギがあるはず。そう信じ、大きく息を吸ってから真下への急降下を開始。着水と同時に水柱を立てた。

 海中に入ってから気づく。普通に呼吸ができる。わかっていたはずなのに、水に飛び込む意識からついつい呼吸を止めようとしていた。

 

「まるで夢の中ですけど、これはISのおかげなんですよね」

 

 IS自体が夢の産物であると言われてしまえばその通りかもしれない。とにかく今、現実に近いこの仮想世界で海中へと潜っていけるのは他ならぬISのおかげであることを実感した。ほぼ一般人であるシズネであっても深海に眠っているはずのアカルギへ向かうことはできそうである。

 道中に何事もなければ、であるが。

 

「こんな場所にPICの反応?」

 

 深度が50mを超え、視界は暗い。ライトで照らすことは不可能ではないが、広範囲を捜索するのには向いていない。他の情報、一般的には音を利用するところだがシズネはISコアの痕跡を探してみた。その結果、PICが起動していることを確認できた。

 だからこそ異常。乗組員のいないアカルギがPICを起動できているはずもない。加えて、シズネが観測したPICの反応は1カ所でなく、広範囲に渡って複数確認された。

 PICの反応は徐々に近づいてきている。移動している。それも自分を取り囲むようにして向かってきている。それが意味することがわからないシズネではなかった。

 

「敵!? でも、どうして……」

 

 誰にも相談せずにISVSへとやってきたシズネであるが、単独で敵と戦おうだなどと無謀なことは考えていない。だからこそ、自分なりに敵と戦わずにできることを模索したつもりだった。もう終わった戦場に敵がいるとは考えなかった。

 だから装備も戦闘を意識しておらず、拡張領域にスナイパーライフルが1つ入れてあるだけだ。海中で複数の敵を相手に接近戦などとてもできる装備ではない。

 逃げなければ。即座に浮上を開始するも反応が近づいてくる方が早い。近づく物体の外観が視認できる距離にまできた。両腕が異様に大きく、頭部が異様に小さい異形は普通のISではない。シズネはその名前を知らないがゴーレムである。

 

「くっ! やるしかない……」

 

 逃げるのは無理。相手側に会話の意志はなく、接近をやめない。もはや戦闘は避けられないと判断して銃口を向ける。

 ISの実弾射撃武器はPICCを付与する行程の副作用として水中での発砲も可能になっている。しかしそれは水中で有効な武器として使える設計であることを意味しない。

 引き金を引いた。水圧に屈することなく銃口から飛び出した銃弾は抵抗の大きな海水を切り裂いて直進する。弾速も悪くない。

 だがいつまでも続くものでもない。そもそも射撃攻撃へのPICCの付与はその継続時間が課題とされてきた。大気中でも減衰していくそれが海中で同じだけ続くとは限らない。むしろ短くなって当然。

 放たれた銃弾は急激に失速し、ゴーレムに届くことすらなかった。

 

「引きつけないと――違う! 逃げないと!」

 

 どうすれば当てられるかという思考に陥りかけた自分を叱責して浮上を再開する。当たれば勝てるという保証がないどころかほぼ間違いなく効き目が薄いとわかっている。戦う選択肢はかなぐり捨てなければならない。

 問題は逃げきれるかだ。

 

「きゃっ!」

 

 追いつかれた。ゴーレムのラリアットが右から襲った。海中であってもその威力は地上と変わらない。浮上していたベクトルを変えられ、シズネは錐揉み回転しながら海の底へと落ちていく。

 回転しているうちに頭が混乱してきた。どっちが前でどっちが後ろ? 天と地すらもハッキリしない。全方位が見えることと重力や浮力を無視した移動ができるために、当たり前の情報を理解できなくなってしまっている。

 まだゴーレムの目はシズネを向いている。慈悲なき無人機はシズネをターゲットとしてロックしている。このまま蹂躙されるのは時間の問題だ。

 このままでは負ける。何か手はないのか。そう考えたとき、今の自分がプレイヤーであることを思い出す。

 ログアウトすれば――

 

「嘘……」

 

 仮想世界であっても現実は無情。ログアウトができない。この意味をシズネはヤイバたちを通じてよく知っている。

 ここは化け物(イル)の作り出したワールドパージの領域にある。敗北が招く結末は……再びISVSに囚われること。今度は自分という意識もなくなる。それではナナを救えない。

 

「ナナちゃん!」

 

 このまま被害者に戻ってしまっては申し訳がない。消えていった友人にも、行方不明のナナにも、今も戦ってくれているヤイバにも。抗うことをやめてはいけない。混乱していた頭は敵に立ち向かうという意志の元に統一され、周囲の状況をクリアにした。

 もうゴーレムの追撃が目の前にまで来ていた。

 やられる。少なくともこの攻撃を回避することは不可能だ。そう思考する暇すらもなかった。

 

 一瞬。ほんの一瞬だけ海水が真横に割れた。

 

 遅れて迫っていたはずのゴーレムの腕がスッパリと両断される。シズネにそれ以上近寄ることなくゴーレムは腕を損傷したまま離れていった。

 何が起きたのかわからない。

 

「やはりシズネも来ていましたのね」

 

 事態についていけず困惑しているシズネの後方にいつの間にかISが存在していた。

 理解が追いつくと涙が出そうだった。かけられた声音はとても身近だったもの。共にこの世界を生きてきた“仲間”のもの。

 

「ダメだよ、シズネ。そんな軽装で戦場に出るのは丸裸も同然だよ? とりあえずフルバーストォ!」

 

 シズネを守るように立つIS。その数は3機。うち、1機の重装備を通り越して戦車のようなISから無数の魚雷が発射されてゴーレムたちに殺到する。

 

「プレイヤーとして来たからにはその利点を最大限利用するってこと。有り合わせの装備で苦心することはないから」

「レミさん。リコさんにカグラさんも」

 

 アカルギのクルーだった3人もISVSに来てくれていた。それもISVSでの戦闘にも順応している。時間のかかってしまった自分よりも早く、現状を打破するためにアカルギに向かっていたのだろう。

 だとすると3人もシズネのようにナナの危機を知っていたことになる。

 

「さーて! さっさと片づけて先に行きましょ!」

 

 レミがかけ声と共に背中のユニットを切り離す。それはゴーレムのように人型を形成してレミ本体からどんどんと離れていく。人型ユニットはそのままゴーレムと取っ組み合いを始めた。

 

「押さえた! カグラ!」

「わかっています」

 

 動きの止まったゴーレムに近寄るカグラ。両肩の盾を外した打鉄を纏ったその出で立ちは一人の侍。取っ組み合いをしている2機の間に入り込んだ彼女は手にした刀を鞘から抜き放ち、即座に刀を鞘に納めた。

 一振り。ただそれだけでゴーレムの上半身と下半身が分割された。

 

「カグラ、危ない!」

 

 撃破したゴーレムの影から新手がカグラに迫っていた。先に気づいたリコはゴテゴテと大量の装備を配置した巨体で体当たりを敢行する。

 巨体と無人機の正面衝突。PICの干渉が互角ならばあとは単純な元の質量差で勝敗が決まる。フルアーマーリコリンの総質量は全身が機械である無人機を相手にしても圧倒的だった。ゴーレムをはね飛ばしてからドヤ顔と共にメガネがキラリーンと光る。

 

「爆発物を積んでるんだから、ちょっとは自重しなさい!」

「だったらレミが人形を使ってちゃんとカグラを守りなさいよ!」

「あの、二人とも?」

 

 言い争いを始めた2人にカグラが声をかけるも届かない。

 

「リコ! 簡単に言ってくれてるけど、人形操作はBTビットより難しいのよ!」

「そんな弱音を吐いてる場合じゃない! やらなきゃいけないの!」

「あの……二人とも?」

 

 2人を後目に単独で前に出たカグラがあっさりとゴーレム一体を斬り捨てる。

 

「護衛するならシズネを頼みます。私は一人で十分ですので」

「過信は禁物だよ!」

「カグラぁ、喧嘩しないから皆で一緒に行こー?」

「……正直、足並みを揃えるのは煩わしいのですが仕方ありません」

 

 シズネの目の前でゴーレムたちが数を減らしていく。チームワークができていないような会話を繰り広げながら行動だけは揃っている。アカルギにいた頃と何も変わらない。

 ……ああ、この場所が心地よい。

 仲間がいる頼もしさはもちろんのこと。途切れなかった絆を感じ取った胸の内が温かくなる。

 まだ、前に進める。4人は海の底へと向かっていく。たった4人――正確には3人でゴーレムの部隊を相手にするのはランカーレベルのプレイヤーでも苦労することなのだが、この場にいる誰もがゴーレムの戦闘水準を把握していないために今の結果だけが行動指針となる。自分たちなら敵を押しのけてアカルギを回収できると信じられたのだ。

 

「見つけました。アカルギです」

 

 事実、シズネは海底に眠るアカルギを発見した。ハイパーセンサーを通して観測できる外観には損傷は見られず、すぐにでも動き出せそうである。

 

「周囲に敵影なし。中へ行きましょう」

 

 最後のゴーレムを両断したカグラが刀を鞘に納める。戦闘終了を聞いたシズネがアカルギの非常口の前に立つと、レミがその肩を掴んだ。

 

「待って。念には念を入れて、私の人形を先行させよ?」

「そうですね。周囲にゴーレムがいたのですから、既にアカルギが敵の手に落ちているかもしれません」

 

 言いながらその可能性は低いとシズネは考えている。理由は単純で、敵がアカルギを残しておく必要性が考えにくいからだ。制圧したのならアカルギを持ち帰ればいいし、ただ邪魔なだけなら破壊でもいい。近くに敵がいて、アカルギが無事に残っているということは敵がアカルギに興味がないことを示唆している。

 そうは言ってもレミの提案を却下してまでシズネが先行する理由は全くない。そもそも間違っていない。レミが先頭でカグラ、シズネ、リコの順でアカルギの非常口をくぐる。

 

「あ、中には水が入ってこないんだ」

 

 船内と海中は見えない壁で断絶されているようで船内へ海水が浸入することはなかった。久しぶりに入ったアカルギの船内は薄暗いけれども自分たちの知るものと変わってない。先頭のレミも慣れた様子でブリッジを目指して歩いていく。

 

「まだ1週間も経ってないんだよねぇ……」

 

 この艦に居たのが既に遠い過去のように感じられるのか、レミが船内通路を手で撫でながら懐かしんでいる。

 

「実感が湧きませんわね。ここにゲームのプレイヤーとして立っていることも含めてですが」

 

 カグラも足を止めて低い天井を見上げる。仮想世界の住人だった頃とプレイヤーとして見る景色の違いが全くわからない。だからこそ、違うところに意識が向いてしまうのも無理はなく――

 

「他の皆はもういないんだよね……」

 

 リコの空気を呼んでいない発言を咎める者は誰もいなかった。

 救われなかった者たちばかりだった。この場の4人が無事に現実に帰ったのはただ運が良かっただけのこと。本人たちは理由を知らされていないが、現実のIllに襲われたタイミングが遅かったというだけの単純な話である。ナナと行動を共にしていたシズネはともかく、レミたち3人は少しでもタイミングがズレればトモキたちと同じ道を辿っていた。

 

「まだ一人居ることだけは忘れちゃダメです。私たちはこの仮想世界から5人で生還しないといけません」

「わかってるよ、シズネ」

「ナナが一番頑張ってたんだから、ご褒美がないとね」

「現実に帰ってから改めて剣を交えるという約束もしましたし」

 

 まだナナがいる。シズネの言葉に他の3人も力強く同調する。現実に生還した後も変わらず続く仲間との絆が彼女たちを突き動かしている。

 通路上での小休止も終わり、また歩き出した。ブリッジに着いたらさっさとアカルギを起動して帰ろう。誰もがそう考えていたときだった――

 

 先行させていたレミのBTパペットに天井からバケツをひっくり返したかのような水が降り注いだ。

 

 まさかアカルギが水漏れを起こしたのか? レミの思考はあくまで日常的なものから逸脱しておらず、ISVSに最適化されていない。天井に穴が開くことなく、大量の水が突然降ってくるなど、自然な現象ではないというのに。

 

「下がって!」

 

 悲鳴に近いカグラの叫びでレミはようやく我に返る。水を被ったBTパペットを操作できないことに気づき、改めてBTパペットの現状を視認した。

 

「水……じゃない?」

 

 液体の散る音から水だと思いこんでいた。しかしその水は床に広がることなく、そればかりかBTパペットを覆い尽くしたまま形を維持している。

 粘性の高い液体ということか。否。その流動性は普通の水と変わらない。つまり、BTパペットを覆っている流体は自ら意志を持ってまとわりついている。

 

「何なの、コレ!?」

「落ち着いて、レミ。艦内に敵が潜んでいるのかも」

 

 奇妙な水の塊に目がいってしまうからこそ気を引き締めろとカグラが忠告する。

 

「うーむ……水を動かすという武器にはアクア・クリスタルがあるけど――」

 

 最後尾のリコが前に出て、手にしたグレネードランチャーを躊躇いなくぶっ放す。

 着弾。通路における爆発の行き場は限定的。

 結果、肌を裂きかねない衝撃波が全員を襲った。

 

「ちょっと! こんな狭い場所でそんなもの撃たないで!」

「ISが守ってくれるって。無駄な心配よりも前を見てた方がいいよ」

 

 レミの抗議をスルーしたリコの視線は煙の奥へ向いたまま。

 至近距離の爆発があったというのに、謎の水もBTパペットも健在。

 おもむろにメガネをくいっと上げて、リコは似合わない悩み顔を披露した。

 

「爆発で拡散しない。つまり、BTナノマシンの集合体じゃないってことかぁ」

「それってどういうことですか?」

 

 クーという情報源が近くにいないシズネは基本的にISVSの素人である。過去、ヤイバにレールガンについて語ったのもクーの知識があってこそだ。シズネは他の3人もそうだと思いこんでいたのだが、何故かリコは妙に詳しい。彼女らしくない険しい表情を崩さずに口が高速で動く。

 

「アクア・クリスタルは水に擬態してるだけで、本質的には宙に浮いているBTナノマシンなの。BTナノマシンは銃弾などの点や線の攻撃では破壊されにくいけど、爆発のような面の攻撃には脆くて、グレランやミサイルが近くで炸裂するとたとえ壊されなくても遠くにとばされ――」

「いえ、そういうことが聞きたいのでなくてですね――」

「アクア・クリスタルであることの否定が何につながるか。私も理解してませんわね。説明願います」

 

 落ち着いた声色のカグラであるが、額には冷や汗が滲んでいる。直感に等しい漠然とした嫌な予感が頭から離れない。どのような形でもいいからこのモヤモヤとした不安を拭い去りたかった。

 饒舌だったリコはしばし言葉を失う。ISVSを予習してきている、根は生真面目な彼女だけが理解できているのは異常ということだけ。その重い口を開き、3人の仲間に伝えるのは一言だ。

 

「未知そのもの、ってことだよ」

 

 結局のところ、わからない。しかしながら、同じ言葉でも知識のない人間とそうでない人間で意味合いが異なってくる。

 知らないのではなく、いないはずの存在なのである。

 

「あ、私の人形が……」

 

 事態はさらに悪化する。意志を持って動く液体の中でBTパペットがどろどろに溶解し、ついには消えてなくなってしまう。

 

「溶かした? まるでRPGに出てくるスライムみたいですね」

 

 全員の中で一番冷静なシズネが自分の持っている印象を簡単に言葉にする。

 スライムという単語を出したことがきっかけだったのだろうか――

 

『我は枯渇に恐怖する(ゼロフォビア)。故に我は(うるお)いを求める』

 

 艦内に声が響く。抑揚の小さい、人間とはほど遠い機械的な音声が名乗りを上げている。状況的に敵のものだろうと推測された。

 敵影らしい敵影はないままだ。敵の声は艦内放送によるものか、それとも目の前のスライムから発された声だろうか。いずれにせよ、ブリッジへと向かうには通路に立ちふさがっているスライムを突破しなくてはならない状況に変わりない。

 

「レミは下がってください! リコ、爆弾以外の攻撃手段は?」

「とりあえずテキトーにライフルで発砲。やっぱダメ。EN武器はないけど火炎放射器ならあるよ?」

「なんでそんなの持ってるの!? ISに火って効かないでしょ!?」

 

 ツッコミを入れつつレミは慌ててカグラと入れ替わるように後方へ。逆に後方のリコがカグラの前に出て、火炎放射器を構える。

 この火炎放射器は一応企業が製作した試作品であり、IS用の装備ではある。ただし製作は元玩具メーカーのハヅキ社。兵器としてでなくゲームの一部として設計されているそれは見た目だけで造られていることもあったりする。要するに、ISのシールドバリアに阻まれてダメージを一切与えられない。

 

「ファイヤーッ!!」

 

 水の塊に向けて炎が噴出される。通路が熱気に包まれ、全員の視界が著しく歪む。

 しかし、誰一人として熱いとは感じない。つまりISには効き目がない。

 ジュッと炎が消える音も水が蒸発する音も聞こえず、むしろ無音のまま見た目だけの炎が照射され続ける。アカルギ自体もシールドバリアを張っているために燃え移ることはなく、もはや単なる立体映像でしかなかった。

 

「ダメだこりゃ。無駄だったね」

「いえ。少なくとも今のでアカルギの機能が生きていることを確認できました」

「おー! 言われてみればそっか! 流石、シズネ!」

 

 正体不明な存在を前にしてシズネは冷静だった。その落ち着いた彼女の存在が浮き足立ちつつあった他3人をも通常テンションに引き戻していく。

 

「レミさんの装備は?」

「BTパペットは自動修復にすごく時間がかかるし、容量も食ってるから他の装備もない。今、一番役立たずよ」

「カグラさん――は刀しかありませんね」

「そうですが、確認することなく断言されたのは少々気になります」

 

 シズネ自身の装備はスナイパーライフルのみ。残るリコは武器を多数所持しているが持っている武器全てが効かなかった。

 

「逃げましょう」

 

 こうなると判断は決まっている。戦うだけ無駄であり、敗北を容認して挑みかかるのは危険。戦闘の指揮の経験があったシズネは撤退の判断も遅くなかった。

 誰も意義を唱えない。以前と違ってプレイヤーという身分であっても、この世界を単なる作り物だと楽観視するような者は誰もいない。むしろ最近までこの世界を現実として生きていた彼女たちだからこそ、危機には敏感であった。

 撤退すると決めてからの移動に無駄はなく、スライム状の敵も追ってくる気配がなかった。敵の様子を観察していたシズネは残念そうに口をすぼめる。

 

「どうしたの、シズネ? 変な顔して」

「もし追ってくるのなら撤退作戦を変更してブリッジを目指したのですが、入り口で待ちかまえられているとなると素直に撤退するしかありませんね」

「意外とシズネって往生際が悪そうだよね」

「当然です。私はナナちゃんとヤイバくんから『諦めないこと』を教わりましたから」

 

 目映い笑顔で胸を張る。そうしたシズネの表情こそがナナとヤイバの2人から貰ったもの。今の世界はまだ希望が残っていて、道半ばでへこたれるには勿体ない。だから笑って前に進むのだ。

 明るさは伝搬する。未知の敵から逃げているという緊迫した状況であっても笑顔があった。自分たちはよくやれているのだと、気持ちまで大きく感じられた。

 撤退の先陣を切っているのは最も重装備なリコ。もしゴーレムと鉢合わせしても彼女ならば正面から撃ち合える。進行方向の索敵はシズネも自分の目で行っていたが、基本的に進行スピードはリコ任せだ。

 未だアカルギの中。慣れた様子で出口へと向かうリコは目の前にふさがる扉に手をかけた。

 そう、扉は閉まっている……

 

「リコさんっ!? すぐに離れ――」

「え……?」

 

 来た道を戻ってきたはず。わざわざ扉を閉めてはこなかった。だから行く手を阻む扉などあるわけがなかった。

 何よりもアカルギで長く過ごしてきた記憶が違和感を訴える。そんな場所に扉などなかったはずなのだ。

 

「やだ……何これ……」

 

 リコの触れた扉がぐにゃりと曲がり、まとわりついてくる。反射的に右手を振り払ったが、柔軟性に富みすぎている物質は千切れることなく伸びるだけ。

 この扉だったものの正体は先ほどのスライムと同一と推測された。

 

「このっ! このっ! 離れて!」

 

 右腕を振り回しても一向に千切れる気配がない。暴れるリコの意に背いて、スライムはリコの右手を伝って徐々に体へと向かってくる。ISの右手パーツはもう溶かされており、生身のリコの右手が露出していた。

 

「ひぃっ!?」

 

 生理的な嫌悪感からリコは左手の銃を右手に向けて乱射する。しかし銃弾が謎の物質に命中してもズブズブと内部へ取り込まれるだけでまるで効いていない。

 攻撃に反応した液状物質は急速に動きを早め、瞬く間にリコの全身を覆い隠してしまった。彼女の声は聞こえてこない。ISの通信もつながらない。

 

「リコっ!」

「ダメですっ!」

 

 リコからスライムを剥がそうとしたレミをカグラが後ろから羽交い締めにする。

 

「離して、カグラ! このままじゃリコが――」

「今、避けるべきは全滅ですわ! お二人は逃げるか身を隠してくださいませ!」

 

 レミをシズネの方へ投げ飛ばすと、カグラは腰の刀に手をかけてリコの元へと歩く。

 全滅すべきでないと訴えたその直後、理に適わぬ行動をとる。

 その理由は簡単だ。リコを一人だけにすることなどできるはずもない。

 

「……必ず戻ります」

「シズネ、離して! 私も残る!」

 

 シズネはレミを抱えた状態で敵影を確認できない通路へと走っていった。

 無事に逃げられる保証はない。扉に擬態して待ち伏せていたことから敵のスライムが単体でないことだけは確定していて、ここの他に潜んでいないだなどと楽観視できない。だから無事でいてくれることを祈るしかカグラにはできなかった。

 

「……人を守る剣も人を殺す剣も学んできましたが、化け物退治も学んでおくべきでした」

 

 水の怪物を見据える瞳にはまだ闘志が宿っている。しかし額にうっすらと光る冷や汗が胸中の不安を如実に表していた。

 武器は刀のみ。他の武器を選ぶこともできたが所詮は付け焼き刃。使わない武器を所有するだなどという雑念を持ち込むのは逆にマイナスであり、己の(みち)を貫き通す信念こそが曇り無き閃きを生み出す。

 

「歴史は人が作るもの。過去の剣術に前例がないのならば、私が一人目になればいい。そうでしょう?」

 

 何もない空間に突如一振りの刀が出現した。そう錯覚するほどの神速を以て鞘から抜き放たれた一閃は刀の届かぬ位置にある水塊を両断し、霧散させる。

 IS用装備としての刀は物理ブレードに分類される。ブリュンヒルデの活躍から一時期の流行りになっていた格闘武器である。しかしENブレードが普及してきた現在のISVSにおいて、ENブレードとぶつかり合うと一方的に武器を破壊される物理ブレードは弱武器であるという扱いを受け始めている。

 格闘戦をするだけならENブレードでいい。アーマーブレイクを狙うにしてもシールドピアースほどの劇的な効果は狙えない。物理ブレードは所詮PICCを乗せただけの棒きれのようなもの。デメリットの少ない扱いやすさだけで使われているのが常である。

 だが弱武器だなどと誤解もいいところだ。シンプル故に見逃されがちな裏技がある。ISが物理ブレードに付与するPICCがイメージインターフェースを通じて形作られていることをカグラは本能で理解していた。

 

「IS用剣術といったところでしょう。やればできるものですね」

 

 抜刀とともに広がったPICCの力場が長大な刃となってスライムを襲った。厳密には攻撃ではない。剣を振るった際の風圧のようなものだ。それでスライムが消えた。つまり、スライムの体を動かしている原理がPIC由来のものということとなる。

 スライムが消え、囚われていたリコが解放された。ISはおろか、ISスーツもメガネも失っているが体は五体無事に見える。意識は飛んでいて、支えを失ったリコが倒れる寸前にカグラが彼女を抱き抱えた。

 

「よし。早くシズネたちと合流しないと――」

 

 想定よりも上手く事が運び、全員で逃げられるかもしれない。そんな希望が見えたときだった。

 息が詰まるくらいにジメジメとした湿気が周囲を満たしている。肌にまとわりつくような不快感が全身を包み込んでいる。

 

「そ……んな……まさか、水蒸気に……」

 

 まるで粘土の中にいると錯覚するくらいに体が動かせない。腕を見れば、打鉄の装甲が虫食い状態となっていて、穴は徐々に広がっていた。腰に取り付けていた鞘が床に落下し、衝撃だけでバラバラと砂のように崩れてしまう。

 剣圧(PICC)で水の化け物を吹き飛ばしたと思いこんでいた。実際は水の怪物は状態を変化させただけであり、リコという餌をちらつかされたカグラはまんまと敵の罠に飛び込んでしまったのだ。

 再び水蒸気から液体へとスライムが形を取り戻していく。既にカグラの四肢を押さえ込んでいて、ゆっくりと上へと目指してスライムが這っていく。

 もはや詰み。刀を失った剣士にできることはない。

 

「無念ですね」

 

 体の芯まで底冷えさせてくるヒヤリとした感触が顔をも覆い始める。痛みはないが温度以外の感覚が麻痺している。動くことはできず、抗いきれない眠気が目蓋を強制的に閉じさせた。

 寒い……

 全身がスライムに埋まったカグラの意識が途絶える。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 冬休み中だからだろうか。既に日が変わっている深夜だというのにISVSの東京ロビーには人が溢れかえっていた。流石にゲーセンが開いているような時間じゃないから、十中八九、この場にいるのは家庭用のISVS所持者ということだろう。

 普段はこの環境だと藍越勢の連中は誰もいないんだけど、今日は俺の隣にリンの姿がある。まだロビーの中であるにもかかわらず、既に彼女は甲龍を展開して臨戦態勢だった。

 

「意外と落ち着いてるのね、ヤイバ」

「経験上、俺ががむしゃらに飛び出すよりもラピスが探す方が確実で早いからな。今は待つのが正解なんだ」

 

 何回も考えなしに行動して失敗してきた。上手くいったときもあるけど、それはおそらく偶然じゃなくて束さんが手助けしてくれたからだ。

 ……束さん。いや、今は考えないでおこう。

 

「ふーん。なんか変わったよね、アンタ」

「変わった? 俺が?」

「うん。前は『あたしがなんとかしなきゃ!』だったんだけど、今は『あたしも力になりたい』になってる……まだなれてないけどさ」

「なんだよ、それ。変わったのは俺じゃなくてリンじゃないのか?」

 

 内面の話だけでなく、よくよく見てみればリンのISである甲龍の外観が若干変わっている。腕と肩、背中はあまり変わっていないが、脚部装甲に追加パーツがあった。

 

「ヤイバももう立派なISVSプレイヤーね。こんな些細な変化にも気づくなんて」

 

 俺の視線が足にいっていたからか。リンはさっきの俺の言葉を装備の話だと受け取ってしまう。まあ、別にいいけど。

 

「実はね、クリスマスにゲーセンでリアルファイトがあって――」

「待て。俺はその話をどう受け止めればいいんだ?」

「いつも通りにバカどもを蹴り倒してて思いついたんだけど――」

「いつものことだけど! たしかにいつものことだけど、生身の喧嘩は自重しよう! 暴力よくない!」

「ISって手だけしか使っちゃいけない決まりなんてないじゃない? だから得意な足技も生かした方が戦闘の幅も広がるかなって思ったの」

 

 ツッコミ全スルーでリンは言い切った。

 とりあえず言いたいことはわかった。足にも衝撃砲を付けたってわけだ。それで何が変わるのか俺にはわからないけども。

 

「ヤイバは装備を変えないわね。こだわりでもあるの?」

「昔から不器用だからな。一つの武器でいかに勝つかを考える方が性に合ってる」

「あたしはそう思わないけど? 昔からアンタは一つのことを成し遂げるためにありとあらゆるものを利用してきたじゃない」

「おいおい、それじゃまるで悪人みたいだろ。リンは俺の何を見てきたんだよ」

「誘拐」

 

 ああ、なるほど。俺が悪人ってのは全く否定できない。

 

「クラスメイトを篠ノ之流とかいう武術でボッコボコにしてたこともあったわね」

「うぐ……あのときは俺もまだ子供だったんだ」

「あたしはそう思わない。アンタは一度として自分の力に酔って人を傷つけたりなんかしてない。アンタが誰かを殴るのは、誰かが泣いていたからよ」

 

 唐突な手の平返しと共にニカッと眩しい笑みをぶつけられた俺は何も言えずに照れくさくなってしまった。

 俺としてはそれほど褒められるようなことをしてきた自覚はない。だけど、リンが言うならきっとそれは俺の良いところなんだと受け取れる。

 

「やっぱりリンも変わったよ。前はそこまでハッキリ言ってくれなかった」

「まだまだ。あたしの本気はナナが帰ってくるまでお預けを食らってるから。ちゃんと覚悟してなさいよ」

「怖い怖い」

 

 茶化すように言った。きっとそのときが来れば俺は苦悩するだろうけど、今の俺にとってその時間はとても待ち遠しい。きっとそこには楽しい世界が広がっているだろうから。

 

「……お二人とも、楽しそうですわね」

 

 リンと駄弁っているところに心なしか口を尖らせたラピスもやってきた。ISVSに入ってからずっと彼女はシズネさんの足跡を追ってくれていたのだが、俺たちのところまでやってきたということは――

 

「見つかったのか!?」

「ええ。たまたまロビーを出て行くシズネさんを目撃した人のコアの履歴(ログ)を見つけまして、彼女が使用するISのIDを取得できたのであとの追跡は難しくありませんでした」

 

 ……ラピスの星霜真理でISVSにおける俺の過去の行動まで見られてしまう事実が発覚したけれど、この際それは置いておく。

 問題はシズネさんの向かった先。そして、他にも気になる点がある。

 

「ロビーを出て行った?」

 

 一般プレイヤーはロビーの外にでることができない。ゲームのシステムというわけでなく、企業らがISVSを運営する上での取り決めとして、一般プレイヤーは転送装置でしか外に出ることが許されていなかったはずだ。

 

「わたくしもそこが気になって調べて参りました。どうやら警備のリミテッドを周辺の哨戒に全て駆り出していて、内部プレイヤーの監視は放棄しているようですわ」

「どうしてそんなことを……?」

「おそらくは千冬さんが見つけたゴーレム対策の一環と思われますわ。日本国内に想像結晶の基地を作られてはたまりませんし」

 

 つまり、シズネさんが外に出て行くことができたのは偶然ということになる。

 

「わざわざ出口から外に出たくらいだ。シズネさんの向かった先は企業の設定した転送ポイント以外ってことか」

「そうとは限りませんわ。転送装置を使わなかった理由は断定できませんが推測はできます。彼女たちは転送装置を使えば死ぬと言われていました。プレイヤーになったからと言ってすぐに順応していないかもしれません」

「で、向かった先は?」

「実は現在、信号をロストしている状況です。コア・ネットワークに残されていた最新の足取りによると、彼女を見失った地点は“北緯83°、東経36°”でした」

 

 聞き覚えのある座標。それは北極海にあった亡国機業の要塞の座標に他ならない。シズネさんがそこへ向かった理由はわかりやすい。ナナが消息を絶った場所だからだろう。

 

「では水中戦を想定して準備をお願いします」

「ん? 水中戦?」

「はい。シズネさんの信号が消えたのは高度から考えて海中であると思われます。おそらくは沈んだアカルギへと向かったのでしょう」

 

 あ、そうか。アカルギが沈んだと聞いてたから勝手に使用できないと思ってたけど、別に破壊されたわけじゃないのか。もしかしたらシズネさんには転送装置が頭になくて、この世界での足を手に入れるためにアカルギを手に入れようとしているのかもしれない。

 でもってそこで消息が途絶えたとなると、海中で何かしらのトラブルがあったことになる。考えられるトラブルはIllとの遭遇くらいだ。だから水中で戦える準備をしておくのは当然の流れといえる。

 

「じゃあ、白式はやめて、簪さんの構成を真似た打鉄でいくか」

 

 白式以外を使ってみようとして雪羅を装備した打鉄を練習していた。決して水中戦が得意ではないけど白式よりはやれることがある装備だろう。

 俺が装備変更をしていると、静かにしていたリンが口を挟んでくる。

 

「なーんだ。ヤイバも違う装備があるんじゃない」

「本当は白式でいきたいんだけど、雪片弐型だけで水中戦したことがあって、思いの外きつかったんだよ」

「いや、アンタがしたことのある水中戦って伊勢怪人との練習試合だけでしょ? あれが相手じゃ水中用装備を整えても勝つのは難しいわよ」

 

 あれほど勝負になってない試合は初めてだったなぁ。なんというか、ゲームのジャンルが違うって感じ。雪片弐型はまともに刃が出てこないし、魚雷は避けられないしで散々だった。

 

「とりあえず装備はこれでいくか。ENブレードよりは物理ブレードの方が使いやすいし、雪羅の方もENシールドなら水中でも出番があるだろ」

「効果の程はぶっつけ本番でってわけね」

「まあ、俺の付け焼き刃なんかよりもリンの衝撃砲の方が頼れる。期待してるぜ」

「もちろんアンタより戦える自信ならあるけど……敵にタイマンで勝てるかは相手次第よ? あたしでも伊勢怪人には歯が立ちそうにないから」

 

 それは俺も気にしてるところだ。もし相手が水中戦に特化したIllだったりしたなら、伊勢怪人さんレベルの相手であることを覚悟しておくべき。今の俺たち3人にどれだけの勝ち目があるのだろうか……

 

「伊勢怪人で思い出したんだけど、あたしら以外に誰か来てくれないの?」

「既に連絡を試みましたが時間がかかりそうですわね。苦しいところですが、わたくしたちのみで向かうべきでしょう」

 

 転送の準備が完了し、ラピスが俺たちをゲートまで先導していく。俺としても、行き先が確定していて時間もない現状では援軍の到着を待てそうにない。

 門をくぐる。目の前が真っ白になったかと思えば、一瞬のうちに眼下に青い海が広がっていた。この間の戦闘のときから変わらず寒い土地である証拠と主張している氷の大地以外には陸地が見えない。

 

「あの要塞……ヴィーグリーズだったか? あれはどこにいったんだ?」

「今はそんなことを気にしてる場合じゃないでしょ! さっさと行くわよ!」

 

 リンの言うとおりだ。今は少々の疑問など捨て置いてシズネさんの元へと向かわないといけない。

 シズネさんは北極海までISで飛んでくる必要があった。そのタイムラグがあるから、まだシズネさんが海の中でIllと対峙している可能性はある。

 海中に潜る。俺とリンが先に潜行していき、ラピスはやや浅い深度から周囲に目を光らせる。

 暗い。知識としては知ってるけど、生身では潜れない深さまで来ると光が届かないというのは本当のことだった。走ればすぐくらいの直線距離なのに、人類を拒絶する世界が広がっている。

 

「妙に静かだ」

 

 生物がいないISVSの世界だから静かなのは当たり前。問題は現在進行形で戦闘が行われているはずだという希望的観測の元に俺たちが動いているということだ。光は遮っていても音は十二分に伝わる。ISの戦闘をしているのなら、もう戦闘音が耳に届いていてもおかしくない。

 

「Illの領域に突入……ワールドパージ内で活動中のISコアを3つ確認しましたわ」

「3つ? 1つはシズネさんとして、他2つは?」

「3つ中2つは固まっていて、シズネさんと一緒にレミさんが居るようです」

「え……?」

 

 レミさんってたしかアカルギの操縦を担当してたツムギのメンバーだった子だよな? 彼女もまたシズネさんと同じようにまだ病院から動けない体のはずなのに、どうしてISVSに来てるんだ?

 

「なぜ、という議論は時間の無駄ですのでやめておきますわ。救出対象が増えたことに変わりありません」

「そうだな。で、残りの1つは誰の?」

「ほぼ間違いなく敵ですわ」

 

 もしかしたら残りのアカルギクルー二人の内の一人かもしれない。

 そう思考が行き着いた俺は先入観で物事を考えていた。

 星霜真理に映るものはISのみ。Illが敵ならば敵の姿を確認できないものだと。

 

「フレーム等の機体情報が既存のものではありませんし、操縦者情報がありません。にもかかわらず、ISのコア・ネットワークにつながっていて、星霜真理は当該個体をISと判断しています」

 

 未知の機体であり、人が乗っておらず、Illと同じワールドパージを保有しているISである。

 この条件に当てはまる敵は今のところ2体確認できている。

 

「“ギドの食料庫”に出てきた奴と同じ……」

「そうですわ。わたくしたちが遭遇した槍を持ったゴーレムに、楯無さんの遭遇したというエナジーボムを多用するゴーレム。共に自らを“フォビア”と名乗っていた特殊な個体ですわね。複数種の存在を確認していることから彩華さんたちはフォビアシリーズと呼称しているようです」

 

 フォビアシリーズ。Illの性質を持っているゴーレム、か。

 Illとゴーレムの両方の技術を持っているとなると、いよいよ以て束さん以外にできない芸当になってる。

 ……もう否定する余地はないのかな。

 

「ヤイバ。今は目の前の戦いに集中して」

「すまん、リン。ラピス、シズネさんたちと敵の位置は近いのか?」

「直線距離にして500mほど。敵の深度はシズネさんたちよりもさらに50mほど下ですわ」

 

 通常のIS戦闘だと短距離の部類だけど、それは大気中で障害物がないときの話だ。この深海での戦闘が地上と同じとは限らない。

 

「もしかして今は戦闘状態にない?」

「安易にそうだと断言はできませんが、互いに移動せず、全員にENの急激な変化を確認できませんのでわたくしたちの想像する戦闘は起きていませんわね。ただ、レミさんの機体は装備を損傷しているようですので戦闘がなかったわけではないとも言えますわ」

 

 つまり、今は膠着状態ということか。もしくはシズネさんたちが隠れていて、敵がBT使いのようにその場を動かずに捜索しているのかもしれない。

 いずれにせよ俺たちは間に合った。

 

「作戦を立てよう。この海域にはフォビアシリーズと思われる敵が存在していて、その戦闘能力は未知数。俺たちの目的はシズネさんたちを連れ帰ること」

「できることなら戦闘を避けたいところよね。あの槍の奴みたいな敵を相手にする余裕なんてないわよ」

 

 たしかに今回はアーリィさんがいない。それより前に現れたというフォビアシリーズも楯無さんがギリギリで勝利したという。格上相手という認識を忘れちゃいけない。

 

「海底の探索を終えましたわ。シズネさんたちがいるのは沈んだアカルギの船内。敵はアカルギの外の岩陰に潜んでいます」

 

 ラピスから位置情報が送られてきた。俺たちから見た敵の位置はシズネさんたちを挟んで反対側になっている。

 

「よし。さっさとアカルギに入ろう」

「そうね。あたしらに気づいたときの敵の行動が読めないけど、敵が邪魔になりそうにない内に動きましょ」

 

 敵がこちらに気づいていようとそうでなかろうとあまり関係ない。敵を先に倒すという選択が危険であるという前提で話を進めると、まず俺たちがすべき行動はシズネさんたちとの合流以外にない。

 誰からの異論もなし。だったら即動く。暗い暗い海の奈落へと、俺たちは忍びながら落ちていく。

 

「……ちょっと、念には念を入れることにするわ」

 

 できれば敵に気づかれぬように、と皆が自然と黙っていた中で突然にリンがそんなことを呟いた。俺がその意図に気づくよりも早く、スピードを早めたリンがどんどんと先に降りていく。

 アカルギが近づいてきた。そんなときだった。先行していたリンの下降が急激に減速する。

 

「どうした、リン? 何かあったのか?」

「止まりなさい、ヤイバ! なんかこの辺り、変よ!」

 

 辛うじて見えるリンの姿は何もないところで藻掻いているようだった。まるで足がつって溺れているよう。しかしISを使っていてそんなことはありえない。

 

「このォ!」

 

 リンの脚部衝撃砲が炸裂する。ぼんやりとしか見えない俺の目にはリンが何もない水中に向かって暴れているようにしか映らない。

 まるで幻覚でも見ているかのよう。まさか――

 

「平石ハバヤの“虚言狂騒”か!?」

「いえ、コア・ネットワークからの干渉はありません!」

「リン、何が起きてるっ!?」

「よくわかんない! この水、まとわりついてくるのよっ!」

 

 水がまとわりついてくる? ハバヤの使う幻でもない?

 つまり、水を模した兵器ということ。似たような装備は楯無さんが使っている。

 

「アクア・クリスタル!?」

「おそらくは。ただ、全く同じと判断するのは危険ですわ」

「リン! とりあえず離れろ!」

「――無理っ! 水に引っ張られて上手く動けない!」

 

 動かない敵なのだからと油断していた。罠を使ってくることも考慮すべきだった。

 

「今、助けるぞ、リン!」

「来ちゃダメ! アンタまで動けなくなったら意味がないでしょうが!」

 

 くそっ! また俺は繰り返してるのか?

 誰かを助けに来て、リンを危険な目に遭わせているのか?

 もうそんなのは嫌だと思っているのに。

 

「あのときとは違うわ、ヤイバ。今日のあたしはアンタの身代わりなんかじゃない。だって、まだアンタが動けるんだもの」

 

 目の前でリンのISの足が溶けてなくなった。左手も水に捕まっているらしく、全く動かせていない。そんな危機的状況のリンを置いて、俺に何をしろというのか……

 

「ラピス。あたしが道を切り開くからあとは任せる」

「……わかりましたわ」

 

 俺を差し置いた二人のやりとり。そして――

 唯一自由だったリンの右手が赤々しく燃えるような輝きを放つ。

 

「“火輪咆哮(かりんほうこう)”、起動(ブート)。百倍返ししてやるわ!」

 

 リンの単一仕様能力“火輪咆哮”は受けたダメージを衝撃砲の威力に変換する特定武器強化系イレギュラーブート。受けたダメージとは絶対防御に使われたストックエネルギーの他に破壊された装甲なども含む。

 甲龍の足を奪われた今、リンの右手の崩拳にはまるで炎が宿っていると錯覚するほどの高エネルギーが集中している。深海の暗闇を手に収まるサイズの小さな太陽が照らし出した。

 何もない。海底に至るまで透き通るような海水が続くばかりで、異物はアカルギくらいしかなかった。まとわりついているという水は正しく水そのものであり、俺には普通の海水と区別できない。

 振りかざした小さき太陽が正面に突き出される。何かを狙ったものとは思えない。しかしその拳は確実に何かを捉えていた。

 

「よっし、手応えあり! ラピスっ!」

「粘度の差異を観測。ナノマシンを確認。色づけして視界共有しますわ」

 

 ラピスから送られてきたデータを反映。打鉄を通した視界に特殊なフィルターがかかり、海水の中に潜んでいる謎の水が全て赤く表示される。

 

「な……こんな広いのかよ……」

 

 一瞬で視界が真っ赤に染まった。謎の水はアカルギ全体を覆っていてもなお有り余っている。この深海自体が敵であるとそう思わざるを得ないほどの圧倒的な水量が周辺を支配していた。

 だが今は、今だけは敵の支配領域に大穴が開いている。リンの拳が突き出された直線上に、俺たちが通れるほどのトンネルが完成していて、アカルギまでつながっていた。

 

「行きなさい、ヤイバ!」

「くっ……」

 

 ここで足を止めるなんてできない。リンを見捨てるに等しい行為かもしれないけど、もしここで止まったら、それこそ俺はリンを裏切ることになる。

 時間と共にトンネルは狭くなっていく。いかにISといえど、水中で空中と同じようには移動できない。イグニッションブーストの感覚が掴めず、PICの補助があるだけの水泳だった。

 あと20mというところで肩のシールドが赤い水と接触した。即座に切り捨てて前に進み続けるが、あと少しが届かない。

 

「ヤイバさん、歯を食いしばってください!」

「え?」

 

 背中に強い衝撃が加わる。打鉄は爆発によるダメージを報告してきた。損傷は軽微であり、俺の体は爆発によって発生した海流に乗ることで急加速する。

 この爆発の正体はBTミサイル。つまり、撃ったのは――

 

「ラピスっ!」

「作戦を変更! アカルギを任せますわ、ヤイバさんっ!」

 

 なぜラピスが俺を攻撃したのかなんて考えるまでもない。俺一人だけでもアカルギに届かせようとした苦肉の策だった。

 流されるままにアカルギの入り口に到着。爆発で一時的に広がった赤い水のトンネルが再び狭まり始め、もう時間がない。左手の雪羅をクローモードで展開して扉を強引に突き破り、中に侵入を果たす。アカルギの内部に海水はなく、突き破った扉のあった場所を境にして海水の浸入をシールドが阻んでいる。

 

「どうなった!?」

 

 通ってきた道を振り返る。既に入り口の外は赤い水で満たされていて、一度(ひとたび)外に出れば俺も捕まってしまう。

 後ろをついてきていたラピスはいない。通信もつながらない。今は彼女たちが無事であることを祈ることしかできない。

 

「……シズネさんを探そう」

 

 当初の予定通り、シズネさんと合流する。事前にラピスから受け取っていた位置情報を頼りにすれば見つけること自体は難しくないだろう。

 問題はその後。アカルギに入ることができても、これでは俺も閉じこめられただけじゃないか?

 いや、ラピスが勝算もなく俺を送り出したとは思えない。彼女は作戦を変更と言った。だから俺はその内容を自分で考えないといけない。

 

「この角を曲がれば居るはず」

 

 指定された座標に到達。アカルギの船室が連なっている通路で、そのうちの一つの部屋にシズネさんがいる。

 具体的にどの部屋かはわからない。けどまあ、こういうときはテキトーに開けていくのがセオリーだろう。

 まず一つ目の扉を開ける。

 

 ズドン。

 

 俺の眉間に銃弾が突き刺さった。

 

「あ……ヤイバくん」

 

 いかにも『やっちまった』と顔に書いてあるシズネさんと目が合った。彼女の手にしているスナイパーライフルの銃口はもちろん俺の頭へと向けられている。

 ……良かった。俺は間に合ったようだ。

 

「一発だけなら誤射かもしれません」

「いや、撃った本人なんだから誤射だって断言してくれよ」

 

 冷静沈着なシズネさんがこちらを確認せずに攻撃してきた。この事実だけでどれだけ追いつめられてたのかが伝わってくる。予想通り、シズネさんたちは隠れていたんだ。

 顔には出してないけど、取り乱してるのだと思う。だから、考えたくなかった可能性も考慮する必要が出てきた。

 

「他にはいないのか?」

「リコさんとカグラさんが……」

「あの化け物にやられたのか」

「……たぶん」

 

 やっぱりレミさんだけじゃなかったか。脱出は絶望的であり、星霜真理で確認できてないってことから二人は敵にやられたと言っていいだろう。

 敵はフォビアシリーズという新手。しかし特性は従来のIllのものと類似している。だからプレイヤーを取り込んだのだとしても、元凶さえ絶てば帰ってくる。

 

「ああ、そういうことなのか、ラピス」

 

 作戦の変更。つまりはシズネさんたちを救出して逃げ帰るという作戦目的から変更しようという話だ。だからこそリンもラピス自身も捨て駒にしてでも俺をここまで辿り着かせた。

 この作戦は既に背水の陣。引き返す道はなく、勝利でしか未来を得られない。

 

「どうしました?」

「聞きたいんだけどさ。アカルギって今も動かせるのか?」

「故障はしてないと思う。起動には最低3人必要だけど」

 

 実際に操縦を担当していたレミさんから見てもアカルギは正常な状態のようだ。起動条件である最低人数の3人は俺を含めればクリアしてる。

 

主砲(アケヨイ)を使いたい。操作はブリッジで?」

「それはいいのですが、ヤイバくん。ブリッジの入り口には敵がいます」

「水の化け物?」

「はい」

 

 さっき見た感じだとあの水の化け物はアカルギの中に入ってこようとしてなかったけど、内部に入り込んでるのもあるのか。てっきり内部への浸入ができないものだと思いこんでたけど、実際の事情は違うようだ。

 人型をしていない見た目に先入観を持ってた。もしかしなくても敵には知性がある。隠れているシズネさんたちを必要以上に追いかけなかったのにも理由があったとしたら、その狙いは――生き餌か。アカルギは籠なんだろう。

 

「とりあえず案内してくれ」

「わ、わかりました」

 

 言葉が揺れている。本心は行きたくないのだと言っている。そうわかっていても俺は二人を連れてアカルギのブリッジに行かなくてはならない。

 歩く距離は大してなかった。案内された先の通路にはいかにも異物と思える水の塊が宙に浮いている。

 

「攻撃は試してみた?」

「リコが銃とかグレランで攻撃したけど全く効いてなかった。カグラの刀もたぶん効かなかったんだと思う」

「俺の絶佳(かたな)も役立たずと思っておくか。EN武器は?」

「誰も持ってなかったから試してもない」

「OK。だったらこいつをぶっ放すとするか!」

 

 左手の掌を開く。複合装備“雪羅”の射撃形態は荷電粒子砲。アカルギに多少のダメージが入ってもいいと割り切って、水の排除に全力を尽くす。

 チャージ完了。照準の仕方は未だによくわからんけど、この距離でなら外さないだろう。

 

「二人とも、発射と同時にブリッジに駆け込むつもりでいてくれ」

 

 本来は効き目を確認してから慎重に行動したいところ。しかし、2回目は相手も対策を立ててくる可能性がある。1度の成功を無駄にすることはできない。

 さっきリンがやれた。衝撃砲はEN武器とは違うけど、同じことができるはず。たとえ楽観視でも俺はこの可能性に賭けるだけだ。

 

「いくぞっ!」

 

 荷電粒子砲を発射。撃ち終わらない内に俺は前へと体を進ませる。

 通路の壁面を焼きながら直進する光は真ん中に居座っていた水の化け物を突き破る。

 消滅はさせられない。それでも穴を開けることくらいはできた。

 

「身を低くして走れ!」

 

 低空を滑るようにして飛行する。イグニッションブーストを使える俺は余裕で突破して入り口に到達。扉を開いて後続の二人が滑り込めるように進路を確保する。

 レミさんは初心者とは思えないくらいに機体の操作に慣れているようでイグニッションブーストで飛び込んできた。残るはシズネさん。

 

「シズネっ! 掴まって!」

 

 ブリッジの中からレミさんが手を伸ばす。一人だけ足の遅いシズネさんを水の化け物が追ってくる。このままでは捕まってしまう。

 

 ……今日は装備を変えてきて良かった。ありがとう、簪さん。

 

「シズネさんに触るんじゃねえ!」

 

 雪羅をシールドモードで起動。通路を全て覆う範囲にENシールドを展開して水の化け物の通路を完全に塞ぐ。

 

「コア・ネットワーク上に無線エネルギーバイパスを構築! 雪羅を分離(パージ)!」

 

 簪さん直伝の裏技を使用。BT装備で使われている方法で固有領域(パーソナル・エリア)外の装備にサプライエネルギーを供給することで、雪羅を使用状態のまま俺から切り離せる。

 ラピスとクロッシング・アクセスしてない俺にはBT適性なんて皆無。それでも宙に固定しておくだけならBT適性は必要ない。

 ENシールドに水の化け物が殺到する。光の膜一枚隔てた向こう側で不気味な液体が蠢く。浸入はない。とりあえずブリッジの安全は確保できた。

 

「二人とも、無事か? 水に取り付かれたりしてないよな?」

「はい。ヤイバくんの方こそ、大丈夫ですか?」

「ああ。俺のことよりもアカルギの起動を急ごう。レミさん、俺は何をすればいい?」

「あ、うん。じゃあ――」

 

 レミさんの案内で俺はブリッジの一つに着席。起動の手続きはほとんどレミさん一人でやれている。俺は座っているだけで手持ち無沙汰になった。急いでいるのに暇というなんとも微妙な時間である。

 まだ落ち着けない俺はブリッジの中で視線を泳がせる。特に何か面白いものが置いてあるわけでもないから、結局俺の視線はシズネさんに向いた。

 シズネさんも俺を見ていた。目が合った直後、彼女は慌てた様子で俺から目線を外す。

 

「ヤイバくん……怒ってませんか?」

 

 顔を伏せたまま、バツが悪そうに恐る恐るといった様相で問いかけてくる。

 勝手に行動して危険な目に遭っているのだ。たぶん後悔もしてるだろうから俺がとやかく言うのは逆効果だろう。

 

「いや、怒ってないよ。むしろ俺の方がシズネさんを怒らせてたし」

「ヤイバくんに憤りを覚えていたのは事実ですから否定しません」

 

 あれ? こういうときはお互いに『怒ってない』と言うことでわだかまりがなくなるとかそういう話になるんじゃないのか?

 

「あ、うん。ごめん」

「全く……ナナちゃんを助けに行くのに私を部外者扱いするだなんて、いくらヤイバくんでも許せませんよ」

「根に持ってるなぁ」

「……でもヤイバくんが正しかったんです。私は皆さんに迷惑しかかけていなかったみたいですから」

 

 本当にシズネさんは表情を見せるようになった。

 だから彼女が落ち込んでるってことを俺は嫌でもわかってしまう。

 

「そんなことない。本当は俺が受け入れなきゃいけなかったんだ」

 

 慰めの言葉じゃない。どちらかと言えば贖罪だ。こうあるべきだったという謝罪だ。

 自分一人の力で戦ってきたわけじゃない俺だからこそ、一緒に戦ってくれる人を大切にしないといけない。そんな基本を忘れていたわけじゃないけど、心のどこかでまだ巻き込む人を減らそうとしてることに気がついた。

 

「改めて言わせてほしい。シズネさん、レミさん。ナナを取り戻すための戦いに力を貸してくれ」

 

 どうして今の戦力で事足りるだなんて思っているのか。たとえランカーレベルでなくとも、人が増えるということはそれだけで力になる。俺はその力を利用してでも箒を助け出すと誓ったんだろう?

 被害者だったシズネさんたちだからと特別扱いしてるだけの余裕なんて俺にはない。

 

「『力を貸す』は間違っています。私はヤイバくんと力を合わせたいのですから」

「右に同じー」

「頼もしい返事だ」

 

 ほんのちょっとの間でシズネさんの表情はみるみる明るくなった。やっぱりシズネさんに暗い顔は似合わない。彼女にはしょうもない冗談を飛ばしてもらって俺たちの精神的なコンディションを安定させてもらわないとな。

 

「ヤイバ。アカルギの起動は完了したよ」

「よし。主砲は撃てる?」

「どこに撃つの?」

「ラピスがくれた敵座標データを送る」

 

 アカルギが動きさえすればアケヨイが使える。深海でも使用には問題ないと聞いているし、海中での威力減衰も元々の威力が高いから気にならない。

 過去にアドルフィーネやギドを倒してきた威力は本物。未知の敵であるフォビアシリーズであっても問題なく倒せるはずだ。

 

「現在の射線上にはいないね」

「あ、そういえばアカルギの主砲は正面にしか撃てないのか」

「だったら旋回をすれば……?」

「ダメよ、シズネ。例の水の化け物がアカルギに張り付いてて、向きを変えるのは難しそう」

 

 しまった。そんな弱点があったか。やっぱり水の化け物には知性があって、アカルギ主砲の威力すらも把握し、対策まで打っている。

 

「ヤイバくん! 入り口が!」

 

 シズネさんの叫び声を聞いて俺は入り口を確認する。

 ……なんてこった。じわじわと壁が溶けている。ENシールドを突破できなくても水の化け物にはアカルギの通路を破壊するという選択肢が残っていた。

 主砲が敵のコアに向いてない。

 ブリッジの入り口まで迫っていた敵が浸入してくるまで残り時間がない。

 八方塞がりだ。このままだと俺たちは皆、水の化け物に呑まれてしまう。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバは無事にアカルギへ辿り着いた。急遽変更した作戦の要は達成。しかし、ゼロフォビアがアカルギを覆うと同時にヤイバと通信ができなくなってしまう。

 まだ作戦について打ち合わせできてはいない。

 

「ワールドパージの中には通信に障害を起こさせるものもあると聞いていましたが、思いの外厄介ですわね」

 

 ラピスの周囲は既に赤く視覚化された水で埋められている。そればかりか両腕、両足に水が絡みついている。ISのパワーアシストがあってもビクともしない拘束力で身動きも取れない状態だ。

 

 ゼロフォビアは身動きのとれない相手の装備を自らの特性である溶解によってじっくりと剥いでいく。アカルギに巣を張っていた人造モンスターは寄ってくる餌を貪るだけの狩人であり、戦闘とは違った認識で動いている。

 とどめを刺すだけならばもっと簡単に終わらせられる。だがそれでは物足りない。

 Illは人の魂を喰らう。魂は感情で彩られるもの。何も知らないまま喰われる餌よりも恐怖に震えた餌の方がより強大な糧となる。ゼロフォビアは獲物の抵抗する術を少しずつ奪っていき、弱火にかけるようにじっくりと絶望色に染めていく。無感情で機械的にプレイヤーを責め立てる、文字通りのモンスターであった。

 

 この日は獲物が多かった。だがしかし、感情のないはずのゼロフォビアは戸惑いを覚えている。

 アカルギの艦内で捉えた二人は絶望などしなかった。

 アカルギに残しておいた餌に釣られてきた獲物の1体は最後まで強い眼差しのままだった。

 そして、今捕らえた獲物もまた、完全に拘束してもなおその蒼い瞳は揺らがない。

 

 バキバキと強引に装甲を剥がしにかかる。溶かすだけが能でなく、水で包んだ対象を圧力で押し潰すことも容易にできる。力の差を見せつけることで対象の絶望を誘う。

 だが蒼い瞳は薄まらない。ゼロフォビアにされるがままになっているというのに、ラピスはまるで紅茶を嗜んでいるかのように悠然と構えている。

 所詮は痩せ我慢だろう。ゼロフォビアは自らにプログラムされている人間の特徴を物差しとして判断する。四肢のISを破壊し終えたゼロフォビアはラピスのISスーツを浸食し始めた。

 

「……どうやら見えていないようですわね」

 

 ラピスがおもむろに呟く。その言葉の意味をゼロフォビアが理解することはない。もし理解することができるタイミングがあるとすれば、そのときは事後であろう。

 遠方で爆発が起きる。爆発といっても小規模。破裂と言った方が正確かもしれないほどの小さなものだ。

 この瞬間、ラピスを拘束している水がのたうち回る。あらゆる攻撃にビクともしなかった水の化け物が明らかに苦しんでいた。

 

「アクア・クリスタルに準ずるBTナノマシンを広範囲にばらまいているのは攻撃や罠のためだけでなく、一番重要な役割はBT使いによる索敵を妨害すること。そこまでして本体を安全圏に置いている理由は、本体の戦闘能力がとても小さいからに他なりませんわ」

 

 爆発地点はゼロフォビアのコアがある地点。つまり、ゼロフォビアの本体がそこにある。深海というフィールドでBT使いの索敵も封じてしまえば、おいそれと本体を見つけられるものではないのだが、ラピスという例外の前では全く意味をなさない。

 

「ナノマシン操作が意外とお粗末で驚きました。まさかわたくしの混ぜたアクア・クリスタルに気づかないとは思いませんもの」

 

 アクア・クリスタルは更識楯無の専売特許ではない。そもそもアクア・クリスタルの分類はBT装備。世界最高のBT使いと称されるラピスに扱えないBT装備など存在しない。

 ゼロフォビアの挙動が急変する。ラピスが危険な存在であることにようやく判断が追いついた。じわじわと嬲り殺す時間はなく、ラピスを包む水に圧力をかけて強引に潰そうとする。

 ラピスに抵抗する術はない。だがしかし、したり顔は崩れない。

 

「隙は作りました。あとはヤイバさんが終わらせてくれることでしょう」

 

 詳細は何も話していない。それでもラピスの中では確信があった。ヤイバならば自分の意図を察してくれている、と。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 たとえ通信が通じていなくとも俺の中には確信めいたものがあった。一見すると八方塞がりな状況でも、ラピスが見てくれているのならその先に光があるのだと。

 だからアカルギの周囲を覆っていた赤い水が急速に離れたのにも特に驚きはなかったし、すぐに何をすべきかも判断ができた。

 

「アカルギを回頭させて」

「う、うん。だけどどこに?」

 

 自由になったアカルギが向くべき方向は敵のいる場所。その座標はラピスから事前に聞いている上に、今の深海は一面が闇に覆われているわけではなくなっている。

 一部だけ蒼く発光している点がアカルギのブリッジからも確認できた。その意味を俺は推察できている。

 

「あの蒼い光点だ。そこに敵の本体がある」

 

 俺の足りない点をラピスが補ってくれた。そう信じて俺は動く。このタイミングで発生した変化がラピスの作戦に絡んでいない可能性の方が低いしな。

 アカルギの正面に蒼い光点を捉える。船首が開いて主砲が海中に露出する。海中発射が可能かどうかを確認し忘れているけど、束さん製だからきっと大丈夫だろう。

 普段はリコさんが座っていたという席に座り、トリガーに指をかける。

 

「ヤイバくんっ! もう入り口が保たない!」

 

 シズネさんが叫ぶ。直後、通路にいた水の化け物がブリッジになだれ込んできた。

 俺は席を立とうとした。でもそれよりも早く、シズネさんが駆けだしていた。

 

「ヤイバくんは攻撃に集中してください!」

 

 あろうことかシズネさんは水の化け物に自ら飛び込んでいった。あっという間にシズネさんの全身は水の中に取り込まれてしまう。

 だが意味がなかったとは言わない。水の化け物は動きを止めた。この時間が稼げた時点で俺たちの勝利は決まった。

 

「ありがとう、シズネさん。皆」

 

 トリガーを引く。アカルギに蓄えられていたエネルギーが主砲(アケヨイ)に一気に収束。海底の暗闇を極光で満たし、減衰を感じさせない力強さで強引に海水の壁を突き破っていく。

 海底の地形が穿たれた。暗闇を取り戻した海底には激しい海流が生じ、アカルギの船体も大きく揺らされる。

 

「あ、ごめん、ヤイバ。姿勢制御忘れてた」

 

 レミさんのそんな一言の後、アカルギの揺れは一瞬で収まる。

 急激に静かになった。外の海流も落ち着きを取り戻している。ラピスの視界調整によって赤い水として見えていた海水はどこにも存在していない。

 ここでISVSの機能をチェックする。ログアウトは……問題なさそう。

 化け物は消えた。俺たちは生き残ったんだ。

 

「やったぞ、ラピス、リン!」

 

 通信を飛ばしてみる。しかしながら二人とも既にログアウト済みであり、届かなかった。

 

「シズネさん!」

 

 さっき身を挺して時間を稼いでくれたシズネさんの名を呼んで振り向いた。

 もう水の化け物は存在していない。だからそこにはシズネさんがいるだけ。

 それは間違ってなかった。だけど、俺は一つ、敵の特性を知らなかった。

 

「き――」

 

 水の化け物はISの装備を喰らう。装備の後はISスーツ。最後に操縦者という順で蝕んでいく。

 蝕む=溶解。つまり、その途中経過で止められたとき、

 

「きゃあああああ!」

 

 操縦者は生まれたままの姿で放り出されることとなるわけだ。

 

 

  ***

 

 

 俺の頬にはでっかい手形があるけど、あまり痛くはない。後でナナに言いつけられるらしいから社会的には痛いけど。

 

「シズネさん……さっきのは不可抗力と言うことで一つ手打ちにしていただけませんか?」

「いいえ、許しません。ナナちゃんが許すまで反省してください」

 

 これは暗にナナを助け出せと言ってるんだろうなぁ。

 

「シズネ。別に現実の体じゃないんだから、見られても気にしなくていいでしょ?」

「ではレミさんは今この場で服を脱いでヤイバくんの前に立てますか?」

「いや、それやったらただの痴女でしょ」

「ほら、恥ずかしいじゃないですか」

「あー、なるほど、私が悪かった。これはヤイバの負けだね」

 

 こういうとき、男が不利なのは女尊男卑な世の中のせいなのかな。かといって反IS主義者(アントラス)の奴らの主張する男尊女卑が良いものだなんて絶対に思わないけど。

 とりあえず俺たちはアカルギに乗って北極の暗い海底から無事に帰還して、海上を航行中。今はそのブリッジで今後について話し合っている最中である。

 

「ヤイバ、アカルギはどこに向かえばいいの?」

 

 この後どうするのかなんて全く考えてない。以前だったらツムギの拠点に帰るだけなんだけど、あそこはもう倉持技研の所有ではない上に、ゴーレムたちの手が伸びている可能性もあるから安全な場所とは言えない。

 

「シズネさんはどういうプランだったんだ?」

「それが自分でもビックリするくらい行き当たりばったりでして……」

 

 アカルギを手に入れてからの展望は何もなかったというわけか。

 

「だったらこういうことはラピスに任せた方が良さそうだな」

 

 戦闘終了から時間が経っている。もうそろそろ通信が来る頃だろう。

 

『そうですわね。ではまずは日本の近海まで来てください』

「あ、ラピスさんから通信です」

「このタイミング……こっちの会話を聞いてたんじゃないの?」

 

 レミさんが気づいてはいけないことを口走ったけど、もう誰もその話題を気にしようとはしていない。

 

「リンも無事?」

『ええ。リコさんとカグラさんの無事も確認してますわ。わたくしたちの勝利です』

「それは良かった。じゃあ、とりあえず俺たちはこのまま日本にまで行く」

『了解しましたわ。申し訳ありませんがアカルギの到着までわたくしは一度ログアウトして休ませていただきます』

 

 そういえば、もう実時間だととっくに朝になってるのか。このまま無理をさせてたらラピスのポテンシャルが発揮されなくなるのは目に見えてる。休みを挟むのは当然のこと。この後もまだ戦いは続くのだから。

 ん? もう朝?

 

「思い出した! アメリカの方はどうなってる!?」

『間もなく攻撃を開始することでしょう。まさかヤイバさんも参加されるおつもりで?』

「当たり前だろ!」

『ハァ……ご自分の状態を把握されておりませんわね。わたくしが通信で言うのも時間がかかるだけですから、後はシズネさんにお任せします』

「わかりました」

 

 通信が切れる。と、同時にシズネさんが俺の隣まで寄ってきた。

 

「ちょっと顔を見せてください」

「お、おう」

 

 下から顔を覗き込んでくる。俺は黙って彼女の目を見つめ返した。

 すると、盛大に溜め息を吐かれてしまう。

 

「ヤイバくんには選択肢があります。今すぐログアウトして自分のベッドで眠るか、この場で私に実力行使でISVSから追い出された上でラピスさんかリンさんに物理的に眠らされるか、好きな方を選んでください」

「え、ちょっと何それ!?」

「なお、沈黙は後者を選んだと見なします。返答はあと5秒だけ受け付けましょう。5、4――」

 

 何やら物騒なことを捲し立てられてるけど、言いたいことはよくわかった。

 

「わかったわかった! アメリカの件は千冬姉たちに任せて、俺はもう休む!」

「よろしい……私だって意地悪で言ってるわけじゃないですからね?」

「それもわかってるよ。休みを挟まないといざというときに動けないからな」

 

 よく考えてみるとまともに休息をとらないまま連戦しすぎている。言われてみて初めてものすごく疲れていることを自覚。肩がとても重いことにも気づいた。このコンディションじゃ勝てる戦いも勝てない。

 皆の言葉に甘えて休むことにする。それもまた俺の戦いだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 日本時間の早朝。アメリカ、ロサンゼルスの現地時間では昼を過ぎた頃。ISVSにおけるロサンゼルスも同様に昼を迎えている。

 しかし昼と呼ぶには薄暗い。分厚い雲に覆われた曇天であることが直接的な要因ではあるが、不安を煽ってくるものは天気だけに留まらない。

 現実では賑やかな繁華街であっても、人が住んでいない上に戦場にもなっているISVSにおいてはただの廃墟と化している。

 瓦礫が転がる終わってしまった街の中央には唯一残っている建造物であるドーム型の施設が鎮座する。この仮想世界における人類の拠点となってきた施設はもう人類の管理下から離れてしまった。シンプルな半球状でしかなかったドームの頂点には新しく鉄塔のような建造物が建てられていて、その無骨なデザインがさらに周囲の場の空気を重くする。

 

遺跡(レガシー)内部でなく外側に建造してきたか……」

 

 人ではない存在の支配下に置かれたドームを遠方から眺めるは織斑千冬。この仮想世界においてはブリュンヒルデというプレイヤーネームで活動している、ISVSプレイヤーでその名を知らぬ者がいない名実共に世界最強のプレイヤーだ。

 

「想像結晶の媒体。これまでよりも巨大であることから考えられるのは、媒体のサイズによって現実に送り込める物が限定されるということだろう。どうやらナタルが四苦八苦しそうだ」

 

 現実のロスでは既に騒ぎが起きている。ここ最近発生していたゴーレム出現事件の中でも最大規模のゴーレムが侵攻していると既にブリュンヒルデの耳にも届いている。

 もし想像結晶のシステムを把握できていなければ、ブリュンヒルデも現実で駆り出されていて、この場に立つことすらできていない。

 だがそうはならなかった。事件の元凶がブリュンヒルデの視認できる場所にある。後手に回ってきたブリュンヒルデだったが、今だけは先手を打てる。

 

「準備はできているか?」

「今回はウチだけの少数精鋭にしているから、準備に手間取ることはない。ただし、持久戦は無理だから作戦は迅速にな」

 

 倉持技研の責任者である倉持彩華(花火師)からの返答を受け、ブリュンヒルデは小さく頷いた。

 全体の作戦目標は至ってシンプル。ドームの頂点に新設された鉄塔を破壊すること。当初想定していた内部へ攻め込むことなく目的を達成できそうである。これは破壊対象である想像結晶の媒体が想定よりも巨大であったためだ。

 探索時間は要らず。ただ目標に向かって突き進めばいい。多少の妨害があろうとブリュンヒルデならば労せずして破壊できることだろう。

 

「私はあの鉄塔の破壊には参加できない。むしろお前たちの働きの方が鍵となる」

 

 当然、簡単に終わるとは思っていない。そもそもブリュンヒルデ個人の作戦目標は鉄塔の破壊でなく、篠ノ之束の討伐である。ラウラ・イラストリアスが消えた今、ブリュンヒルデの相手をできる敵の駒は大幅に限られた。

 

「間違いなく私の迎撃にアイツが現れる」

 

 作戦開始前から確信している。織斑千冬が篠ノ之束の企みを阻もうとしているのだから、当然のように篠ノ之束が立ちはだかるのだと。

 もし、織斑千冬の前に現れなかったのなら、それは最早篠ノ之束ではない、とまで言える。

 

 ――出てこい。約束通り、この手で引導を渡してやる。

 

 幼い頃、ツムギを結成する前に交わした2人だけの約束。

 

『もし私が世界に喧嘩を売ったら、そのときはちーちゃんが止めて。もちろん、私を殺してでも』

 

 自制が効かないときがあると親友にだけは本音を漏らしていた。

 そうなってしまえば、きっと親友の言葉さえ耳に入らないのだとも。

 親友は殺してでも彼女を止める、と承諾した。

 自らの手で楽しい世界を壊そうとする彼女の姿など見ていられないから。

 

 ……できることなら現れてくれるな。

 

 同時に逆の願いも持っている。

 ブリュンヒルデの前に篠ノ之束が現れなければ、いくら篠ノ之束を自称しようともそれは最早別人である。殺すことに何の躊躇いもない。問題は逃げる相手を捕まえるのが面倒ということで、弟の問題解決まで時間がかかってしまうことが悔やまれる。

 

「では行くとしよう」

 

 ブリュンヒルデが立ち上がる。自らの目的だった親友の死の真相はおおよその見当がついている。あとは後始末をするだけ。

 全ての元凶を討つ。

 自らの約束と愛する弟の願いのために。

 

 

  ***

 

 

 開戦。

 ブリュンヒルデを筆頭とする倉持技研の軍が全方位からロスのレガシーに迫る。

 対する防衛側。想定されていたのは無数のゴーレム軍団であったのだが、一向に迎撃に向かってくる無人機の出現が確認されない。

 静かすぎる。もし自分が敵の陣営にいたとすれば、この対応は罠を用意しているときでしかありえない。

 花火師の指示で倉持技研の操縦者たちの進軍が停止する。その中でブリュンヒルデのみが構わず突き進んだ。

 

「篠ノ之束が小細工をするはずなどないだろう!」

 

 一人で叫ぶ。もし織斑千冬が敵側の指揮官だったなら、この状況は罠を使おうとしていることだろう。だが篠ノ之束は違うに決まっている。

 数など要らない。そう煽ってるだけに過ぎない。

 その証拠というべきか。ブリュンヒルデの視線の先、鉄塔の麓には人影が一つだけ存在する。

 ISを纏っていない、水色ワンピースの女性。頭にはメカメカしいウサ耳のカチューシャ。右手には魔法少女が持ってそうな子供受けしそうなデザインのステッキがある。

 

「きらきら☆ぽーん♪」

 

 ふざけた掛け声と共にステッキが振り上げられる。直後、ブリュンヒルデに強力な重力が働いた。

 

「小手調べか。舐められたものだっ!」

 

 束の開発した対IS用兵器、玉座の謁見(キングス・フィールド)は大雑把に言ってしまえば広範囲に強力なAICを適用するというもの。故にブリュンヒルデには抵抗する術はある。AICにはAICで対抗するというISVSの基本に従うだけ。

 愛刀である雪片を横に一閃する。キングス・フィールドによって発生した力場を強引に断ち切ったブリュンヒルデは重力の縛りから解放されて再びレガシーの鉄塔へと向かう。

 だがこの初撃によって倉持技研の操縦者たちは全員が飛行不能状態に陥った。実質的な戦線離脱に等しい。

 

「いいよいいよ、ちーちゃん。やっぱり束さんの前に立つ資格があるのはちーちゃんくらいだよ」

 

 ステッキをもう一振りする。今度は攻撃でなく、姿を変貌させるための予備動作。

 水色の服が弾け飛び、全身を光が覆い隠す。一際強い光が目映く辺りを照らし、光が過ぎ去った後には漆黒のドレスを纏った篠ノ之束の姿がある。

 

「始めようよ。最高に楽しいパーティーを」

「ふざけるなっ!」

 

 爆発するかのような急加速でブリュンヒルデは斬りかかっていく。彼女らしい静かさなど欠片もない荒々しさは剥き出しの感情の証左。

 

「この状況の何が楽しいと言うんだ!」

「ちーちゃんと二人きりだもん。楽しいに決まってるじゃない?」

 

 世界最強の剣閃はふざけた形状のステッキに容易く受け止められた。続く二戟目も同様。雪片の刃が立たないよう絶妙に角度を付けられて受けられている。

 ブリュンヒルデを相手にまともに接近戦をこなせたのはこれまでVTシステムのみ、つまりはブリュンヒルデ本人のみであった。たとえヴァルキリーであってもブリュンヒルデに接近されれば逃げるしか選択肢がなくなる。ブリュンヒルデの剣は必殺を意味するものなのである。

 その剣が通じない。ISの性能差では説明が付かない技の領域で防がれている。そして、ブリュンヒルデはIS戦闘以外で同じ状況を経験している。

 

「くっ……やはり束、なんだな」

 

 幼い頃から手合わせをしてきた。その経験がハッキリと告げている。

 目の前で斬り結んでいる相手は篠ノ之束に違いないのだと。

 

「今更何を疑う必要があるの、ちーちゃん?」

「お前の言うとおりだ。私がすべきはここでお前を討つことのみ」

 

 零落白夜、起動。

 暮桜の全身を淡い白光が包み、雪片の刀身が新雪の如く純白に染まる。

 ブリュンヒルデの単一仕様能力はストックエネルギーを常に消費し続ける代わりにブレード攻撃にシールドバリア無効などの強力な効果を付与する諸刃の剣。

 ブリュンヒルデが白を纏う。それは立ちはだかる敵を瞬殺するという意思表示である。

 

 単一仕様能力の発動はブリュンヒルデの精神状態をも変化させる。剥き出しだった感情は(なり)を潜め、冷め切った目つきのほぼ無表情となった。

 音の生じぬ瞬時加速。最早それをイグニッションブーストとは呼べない。単一仕様能力だと疑われるほどの瞬間移動じみた接近を果たしたブリュンヒルデの一撃が漆黒ドレスの胴体へと薙ぎ払われる。

 

「うんうん、なるほど。やっぱり束さんを殺せるとすればちーちゃんだけだね」

 

 雪片とドレスの間、ギリギリのところでステッキが割って入っていた。

 だが余裕などまるでないタイミング。まともに受けたステッキはこの一刀で真っ二つに折れる。代わりに本体に攻撃が届くことはなく、雪片の先端は漆黒ドレスの表層を小さく切り裂くに留まった。

 

「特注のドレスに傷がついちゃった。ひどいよ、ちーちゃん」

「黒とはまた地味な色を選んだな。私が色鮮やかにしてやろう」

「マジレスしておくけど、この世界じゃ血は出ないからね?」

 

 武器を失っても余裕は崩れない。軽い口を叩きながらも冷静に距離を取って、次の武器を拡張領域から取り出す。

 次に出てきた武器は赤黒い長柄。その先端は斧と槍を両立した形状となっている。ハルバートと呼ばれている武器が最も近いだろう。

 

「じゃあ、そろそろ本気でいくよ?」

 

 長柄の斧を掲げ、朗らかな笑みを向けたまま、その姿が掻き消える。ブリュンヒルデの目を以てしても追うことができていない。気づいたときには後方から頭めがけて斧が振り下ろされていた。

 ISの背後を突くことに意味がないとは言わない。しかしながらIS操縦者の視界は全方位にある。真後ろでも見ることができる特殊な視界を使いこなせれば理論上死角などない。

 ブリュンヒルデの超反応は奇襲を容易く防ぐ。振り下ろされる斧を逆に叩き斬ってやろうと鋭い迎撃を打ち放つ。互いの力場が正面から衝突して暴風が吹き荒れた。

 

「あっはっはっは! 反応が速すぎるよ、ちーちゃん! もう人間を辞めてるんじゃない?」

死人(お前)が言うな」

 

 零落白夜の剣をもう一度打ち込む。立ちはだかる敵を全て両断してきた最強の剣はあらゆる守りを突破する。防ぐには雪片に触れずに対処する必要がある……はずだった。

 しかし赤黒いハルバードは雪片の刃をそのまま受け止めてしまっている。

 

「おおう……本当にちーちゃんが束さんを殺す気でかかってきてるよぅ」

「殺せと言ったのはお前だ」

「あれ、そだっけ? そうかもしれないけど、全く躊躇してないちーちゃんは流石に薄情者だと思うよ」

 

 全く躊躇していない。そんなはずがない。

 一連の事件の影に幾度となく篠ノ之束の姿が過ぎった。束でなければできない芸当が敵の技術に確認されても、織斑千冬は否定してきた。篠ノ之束の目指した楽しい世界と真逆に向かっていたから。ただそれだけを根拠にして否定をし続けた。

 全ては親友を信じていたからこそ。その親友がこれほどまでに千冬のことを見ていないのだと思うと悲しくもなる。

 

「親友だと思っていたのは私だけなのだな……」

「唯一無二、不倶戴天(ふぐたいてん)の親友に決まってるじゃん。でも本当はこのままちーちゃんと一緒にこの世界で生きたいんだよ?」

「偽りの生にしがみつく。それがお前の目指した楽しい世界なのか?」

「この世界が偽物で、束さんのいないあの世界が本物。そう在るべきだとかいう価値観こそが悲しみを生んでいる。ここほど誰もが平等に楽しくいられる世界など存在しないというのにね」

 

 この発言は完全に仮想世界の住人となっていることを指す。千冬たちの現実では最早“楽しい世界”に辿り着けないという決別を意味していた。

 このまま篠ノ之束の暴走を許せば、現実に悪影響がでる。下手をすると、人類の存亡の危機にすら発展する可能性がある。

 もう殺すしかない。雪片を強く握りしめた。

 

「もう後はちーちゃんが束さん側についてくれれば、私の楽しい世界が完成するんだけどなぁ」

「あり得ない。私の願いとお前の世界は相容れない」

「それはわかったよ。でもさ、ちーちゃんの願いといっくんの願いは両立するのかな?」

「何が言いたい?」

 

 空気の変化を感じ取ったブリュンヒルデは攻撃をせず様子を窺う。

 相対する者から殺気どころか戦意すら感じ取れない。

 まるでこのまま無抵抗に殺されてもいいとでも言いたげで……なおかつ、その瞳は狂気を孕んでいた。

 不穏の答えは明確に言葉として叩きつけられる。

 

「私を殺すと箒ちゃんも死ぬよ?」

 

 ブリュンヒルデの体を覆っていた白く淡い光が急速に消えていく。

 先ほどまで冷め切っていたポーカーフェイスは脆く崩れ去り、大きく目を見開かざるを得なかった。

 

「どういう……ことだ……?」

「そのままの意味だよ。今や私と箒ちゃんは運命共同体。この“幻想黒鍵”と“紅椿”のコアを融合させたから、幻想黒鍵の破壊と同時に現実とのリンクを断たれている箒ちゃんの存在も消えちゃうってこと。融合を解除できるのは幻想黒鍵の操縦者である私だけなんだけど、私がそんなことする必要ないよね」

 

 この宣告の意味をブリュンヒルデは瞬時に理解した。

 幻想黒鍵とはIllと融合した黒鍵であることが推測できる。そこへさらに紅椿が融合したということは、紅椿がIllと化したと言い換えられる。

 Illを破壊すれば現実に存在しないIllの操縦者も死亡する。ラウラと違い、文月ナナは仮想世界の住人として取り込まれているため、Illと化した紅椿が破壊された瞬間に絶命する。

 

「一つ……聞かせろ」

「うん、いいよ。束さんの知ってることならね!」

「現実で篠ノ之箒の魂を喰らったIllは、その幻想黒鍵とやらか?」

 

 確認せざるを得ないこと。もう既にブリュンヒルデの中では結論が出ているのだが、否定してほしいという願望だけは残っていた。

 

「厳密には違うけど、結果的にはそうなってるのかな? 少なくとも箒ちゃんがあっちの世界に戻るには幻想黒鍵を壊すのが必要条件だね」

「冗談だとは……言わないよな」

「束さんがつまらない嘘を言ったことはある?」

 

 束の発言は内容が荒唐無稽なほど真実味がある。それが織斑千冬の知っている篠ノ之束である。

 だから、この馬鹿げた話はブリュンヒルデにとって真実としか思えない。

 

 箒を取り戻すためには幻想黒鍵を破壊する必要がある。

 幻想黒鍵を破壊すれば、融合している紅椿も破壊される。

 Ill化した紅椿が破壊されれば箒は死ぬ。

 

 助けるための条件を満たすと同時に死亡する条件が満たされる。

 篠ノ之箒はもう、助けられない。

 

「おや? どうやらちーちゃんは束さんの言ったことを全部信じてくれるのかな? これから証明もしていこうかなと思ったんだけど、必要なさそうだね♪」

 

 試しに幻想黒鍵を破壊するなどできるはずもない。もし真実ならば全てが手遅れ。ブリュンヒルデの手によって篠ノ之箒が死んだなどという事態になれば、もう千冬は二度と最愛の弟と顔を合わせられない。

 

「いっくんの願いを巻き添えにしてでも束さんを殺したいのなら、束さんはその殺意と正面から向き合う。そうでないなら、そんなちーちゃんは束さんの敵じゃないから戦ってもつまらない」

 

 赤黒い斧が無防備なブリュンヒルデの胴体を捉える。この一撃でブリュンヒルデは吹き飛ばされ、ドームから離れた地面に何度もぶつかりながら転がった。

 

「ちーちゃんが何を選択するのか。束さんはここでじっくり待つとするよ。でもまぁ……その間何もないっていうのはつまらないよね?」

 

 柄の先を持ち、斧を頭上高く掲げる。それを合図としてドームの周囲に5つの巨大な光が天上より落下してきた。

 光の正体。それは人が蟻に見えてしまうほどの巨大なゴーレム。機械仕掛けの巨人はその場で直立すると、ふわりと軽く浮遊した。

 

「束さんからISVSプレイヤー全員にミッションを通達するよ♪ 今から世界中のロビードームを束さんの配下の巨大ゴーレムが攻撃しまーす! 全力で阻止してね! もし防衛失敗したら――」

 

 それぞれの巨大ゴーレムが5方向に向けて一斉に移動を開始する。

 その様子を高みから見下ろすウサ耳女は口が横に裂けそうなほど歪な顔で醜悪に高笑いする。

 

「二度とISVSができなくなるから! アッハッハッハッハ!」



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48 機械仕掛けの巨兵

 12月28日は曇り空。朝から薄暗い天気であっても休日における駅前のゲーセンは賑わっていて陰鬱さの欠片もない。プレイヤーたちは仮想世界へと旅立っているが、モニターで観戦している者たちの喧噪は“動物園”と揶揄されてしまうほどになっている。

 五反田弾もいつものようにISVSをプレイしようとゲーセンに来ている者の1人であった。一夏たちが大変であることは承知しているが、動き方がわからないうちは何をしていても浮き足立つに決まっている。下手に動かず、日常を過ごすことが己の役割なのだという強い自覚があった。

 

「相変わらず恋人よりもゲームを取る、バレットはゲーマーの鑑だよな」

 

 店内に入った弾に声をかけてきたのは幸村亮介。藍越エンジョイ勢において最速の逃げ足を持つ男であり、弾が思うに藍越エンジョイ勢で最も操縦技術に秀でた男である。

 

「ゲームは好きだが虚さんが最優先だっての!」

 

 幸村の明らかな煽りにムキになって言い返す。そうした弾の反応を周囲にいた藍越エンジョイ勢の仲間がゲラゲラと笑った。

 その輪の中で今日は珍しい人物がいることに気づく。藍越学園で会うのなら何も違和感がないのだが、こうしてゲーセンで見るのは初めてだった。

 

「あれ、会長? 珍しいっすね。たしか会長は家庭用勢じゃなかったっすか?」

恋人(ルッキー)のを借りてたけど、最近はずっとISVSをやってたから取り上げられたんだ」

「ダメっすよ。もっと彼女のためにも時間を割かないと」

「それを君が言うのか……」

 

 藍越学園生徒会長、最上英臣。一夏の父親に憧れている自称“解放マニア”。人が束縛から解放される瞬間を見ることが何よりもエクスタシーなのだとは彼の言である。

 

「会長も完全にISVSにハマってますね」

「いや、僕は君たちと違って不純な動機だよ。結果的に自分が楽しむためではあるけど、ISVSは目的でなく手段に過ぎない」

「……今日ここに来たのも何かあるってことですか?」

 

 唐突に弾の声から軽さが消えた。真剣な眼差しを正面から受け止めた生徒会長はゆっくりと頷く。

 

「今朝になって宍戸先生から連絡が来てね。どうやら敵に不穏な動きがあったようだ」

「詳細は?」

「昨日、ロサンゼルスの遺跡奪還作戦に参加したろう? あの後、倉持技研による作戦も実行されたようなんだけど、状況が悪化したらしい」

 

 奪われたロビードームを企業連合軍が取り返す作戦は弾も知っている。一応、参加はしていたがとてもゴーレムの防衛網を突破できるとは思えなかった。最後は戦場にいる全てのISが敵味方を問わず強制的に墜落させられ、いつの間にか終わっていたという消化不良な戦いだった。

 

「これを見てくれ」

 

 そう言って示されたのはISVS関連の表示がされているディスプレイ。その一部に今あるミッションのリストがある。

 生徒会長が指さしたのはミッションのうちの一つ……というのは語弊があった。過去に前例のないことだが、現在あるミッションはたった一つだけ。これだけでも弾にとっては十分に異常だったがもちろん中身も普通じゃない。

 

「篠ノ之束の挑戦状……?」

 

 唯一のミッションのタイトルに入っているIS開発者の名前。一連の事件を知る前の弾だったら、とうとうIS開発者も出張ってきたとテンションを上げるところだが、現状では違う反応になる。

 まだ推測の域ではあるが、もしかすると本当の黒幕は篠ノ之束かもしれない。そう思っていた矢先のこのミッション。只事ではないと思うには十分すぎた。

 

「ミッション内容は?」

「内容は拠点防衛。篠ノ之束の用意した敵がロビードームを襲撃するから、プレイヤーは敵を撃退しろということらしい」

「ロビーを……ですか」

 

 瞬時に顔をしかめる弾。ミッション内容に純粋に怒りを覚えている。

 ロビードーム――遺跡(レガシー)はプレイヤーに必要な施設ではある。だがしかし、これまでのISVSの世界観においては登場しなかった要素である。少なくともミッションの文面に“ロビー”と書かれたのは初めてだ。設定を無視したメタ的な内容としか受け取れなかった。

 そうした弾の印象はあながち間違っていない。

 

「この戦闘でプレイヤー側が敗戦した場合にはISVSを閉鎖する、とISVS運営責任者である轡木十蔵氏の名前で発表されている」

 

 生徒会長の口からミッションでプレイヤー側が敗北した際のデメリットが告げられた。個人に対してだけでなく、参加していないプレイヤーにまで影響が出る。ましてや運営側が損しかしないものを仕様としているのはあまりにも荒唐無稽。

 単なるプレイヤーであったなら運営に対して暴言を吐いていたであろう。しかしそれなりにISVSのことを知っている今では、現状に至るまでの道筋を察せられる。

 

「負けはロビーの破壊を意味していて、ロビーが破壊されたら俺たちはもうISVSができないってことか」

「そう。運営は可能な限りゲームの体裁を保ちつつも、実質はプレイヤーたちに対して無差別に助けを求めている。プレイヤーにとっても他人事じゃなく、運営に文句を言ったところで状況が変わらないことを受け止めて、ミッションを成功させることに終始しなければならない。このゲームを今後も続けたいと思っているのなら、ね」

 

 情報は与えられた。早速、弾はスマホで自分が管理するWikiを更新し始める。

 まだISVSの現状を知らない人が多数を占めている。ならば自分の出番だと弾は奮い立つ。これまで地道にISVSの攻略情報をまとめてきた。弾の立ち上げたサイトを覗くISVSプレイヤーは世界中にいる。ここでミッションの参加を呼びかける効果は決して小さくない。

 

「……やっぱり君に声をかけて正解だったね。僕は広範囲に情報を発信する(コネクション)を持ち合わせてないから」

 

 参加予定プレイヤーの数字が跳ね上がっているのを眺めながら生徒会長が呟く。口元には笑みが見られるが、右手は握り拳を形作っていて必要以上に力んでいる。

 

「篠ノ之束の挑戦状。それがもし本当なら、この戦いは一筋縄にはいかない。何事もなければいいんだけど……」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 プレイヤーたちがロビードームの外に集結する。これまでならばロビーでブリーフィングを行うところだったが今回はほぼ日本中のISVSプレイヤーが集結しているためロビー内ではキャパシティオーバーである。バレットの呼びかけの効果――というだけでなく、ISVS運営のコメントから異様な空気を察知したゲーマーたちが危機感を持って集ったのだ。

 

「ミッションへの参加に感謝する。私の名は轡木十蔵。ISVSの運営責任者ということになっているが、私はこのゲームにおいて何の権限も持ち合わせていないことを先に明言しておこう」

 

 中央に造られた即席のステージにはスーツ姿の初老の男が立っている。ISを身につけていない彼は見たままの通りプレイヤーではなく、名乗った通り運営側の人間だ。

 前置きとして何の権限も持ち合わせていないと発言したのはそれが事実だからだ。彼らISVS運営がゲームとしての機能を維持させてきたのは事実であるが、ISVSを完全にコントロールできるわけではない。もっとも、この発言の真意を理解しているプレイヤーが少ないのも事実であり、大多数にはパフォーマンスの一部として受け取られている。

 

「このミッションの目的は至極簡単だ。我らの拠点となっているロビードームを破壊しようとしている敵ISを撃退すればいい。早速、詳細を話していくとしよう」

 

 上空に巨大な空間ディスプレイが表示される。そこには海上を直立姿勢で浮遊移動している巨大な人型ロボットが映し出されていた。

 

「この巨大ISは今から3時間前にロサンゼルスに出現した。篠ノ之束が送り込んできたこの兵器の内の1機がまっすぐこの日本へと向かってきている。篠ノ之束によればこの兵器の攻撃目標はロビードームであるとのこと。もし破壊を許せばISVSはゲームとしての機能を失うこととなる。諸君らにはこの巨大ISを破壊してもらいたい」

 

 辺りはにわかに騒がしくなる。それはプレイヤーたちに参加を呼びかけていたバレットや生徒会長(リベレーター)も例外ではなかった。想定されるミッション内容と決定的に違っている点があったからだ。

 

「敵は単機……?」

「これまでも巨大兵器はあったけど、人型という点が気になるね。中に人がいないのなら人型であるメリットは思いつかない」

「巨大であってもたかが1機。この数で苦戦するとでも言うってのか?」

 

 全プレイヤーの参加を呼びかけるほどの内容と思えない。だからこそ、単機で向かってきている敵の性能を甘く見てはいけない。

 ISVSは数で決まると言い切れないことを理解していないプレイヤーはいないことだろう。数の差をひっくり返す強大なプレイヤーの存在があるのならば、数の差をひっくり返す兵器があってもおかしくはない。

 運営側責任者である轡木十蔵の作戦概要説明が終了する。簡潔にまとめると、プレイヤーは海上を迫ってくる敵の側に転送され、順次敵への攻撃を開始しろということだった。

 運営側から作戦の指示はない。これがゲームならそれで当たり前だ。この後のことはプレイヤーに全て任せられる。それでこそISVSなのだから。

 

「藍越エンジョイ勢は全員集合!」

 

 気の早いプレイヤーはもう出撃した後だがバレットはすぐに動かない。すぐさま身近なメンバーに召集をかける。続々とバレットの元に集まるメンバーたち。バレットは全員の顔を見回して首を傾げた。

 

「あれ? ラピスさんいねえの?」

 

 バレットはまず声をかけようと思っていた人がいるのだが、この中に思っていた人影はなかった。

 全国から集まったプレイヤーたちは数こそ多いが全体の息を合わせることは難しくなっている。必然的に身内だけで連携を取る小部隊が乱立することとなる。この状況で全軍の意志を統一できるとすれば星霜真理を持っているラピスだけ。しかしラピスはもちろんのこと、ヤイバの姿もなかった。

 

「何か別件があるのか……だったらここは俺たちだけでなんとかしないといけないな」

 

 ISVSの危機。それも篠ノ之束の名前が出ているにもかかわらず、ヤイバが顔を見せていないのは異常と言えた。ラピスが知らないなどあり得ない。何か事情があるのだろうと思っておいて、今はある戦力だけで出来ることを模索するべきだ。

 

「リンもいないのか。あと、バンガードは?」

「もう出てっちゃいましたよ」

「これだから猪突猛進野郎は……」

「いや、彼の先行出撃は僕の方から頼んでおいたんだよ。あまりにも情報がなかったからね」

 

 別に藍越エンジョイ勢でも何でもないリベレーターが話に割って入ってくる。

 

「先遣隊ってことか?」

「うん。敵の力を計るにはある程度の実力が必要だったし彼もやる気満々みたい。だからまずは分析から始めよう」

 

 リベレーターが空にバンガードの視界を表示する。バレットも画面を食い入るように見つめた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 まだ日本の陸地が見えないほどの距離の太平洋上を巨大な人型が直立姿勢で飛翔する。外形はフルスキンのISとほぼ同じだが、そのサイズは優に100mを超えていた。大きさ以外には目立った特徴はなく、むしろシンプルすぎる。武装らしきものも一見しただけではわからない。

 バンガードは高々度から併走するように飛びながら対象を観察していた。まだ戦闘は仕掛けない。バンガード以外に来ているプレイヤーたちが率先して攻撃を始めるからだ。

 

「ENブラスター……デカブツ相手のセオリーだな」

 

 巨大ISを相手に先遣隊は包囲を完成させた。全てのISが所持しているのはENブラスター“イクリプス”。100を超えるISによる一斉射撃が放たれ、火線は敵の胸部に集中させた。

 着弾と同時に白煙が巻き起こる。ここまで等速で飛翔を続けていた巨大ISはその歩みを止めた。

 

「お? もしかして今ので終わり?」

 

 だとしたらあまりにも呆気ない。当然、バンガードは本気で終わりだなどと思っていないし、攻撃したプレイヤーたちも同じである。誰一人として疑うことなく、敵の健在を確信している。

 白煙が風に消されていく。再び姿を見せた巨大ISの胸部には傷一つついていなかった。

 巨大ISが両腕を広げる。まるで空から降ってくる何かを欲するかのように。もし人間ならば雨乞いしているようにも映る。

 

「我は科学技術に恐怖する(テクノフォビア)。故に我は文明を破壊する」

 

 大音量で響きわたる機械音声の名乗り。それを合図として巨大IS、テクノフォビアの背中に三つ重なったリング状の黄色い物体が出現した。

 

「ファルスメア・ドライブ、起動(ブート)。敵対勢力の殲滅を開始」

 

 背中のリングが黄色から漆黒に染まる。黒の浸食は背中のリングから肩へと伝搬し、両手の先へと移動。指の先に集まった黒が球体となって乖離したところでテクノフォビアは両手の指先を周囲に浮遊するプレイヤーたちに向けた。

 

「回避ーっ!」

 

 危険な雰囲気を感じ取ったプレイヤーたちは即座にテクノフォビアから距離を取るべく後退を始める。

 だが遅すぎた。

 黒が放たれる。指の先端から伸びていく黒い弾丸は逃げるISを食いちぎっていく。狙われて避けられたISはない。

 

「何なんだ、あれは……?」

 

 テクノフォビアの攻撃はバンガードにとって初めて経験するものだった。速さはそれほどない代わりに、黒い弾丸がまるで生きているかのように曲がりくねってISを襲っていた。蒼の指揮者の偏向射撃(フレキシブル)のように鋭角に何度も曲がるのとは挙動が異なっている。

 あと2回ほど黒い弾丸が放たれたのを確認したところでテクノフォビアを包囲していたISは跡形もなく消えていた。あまりにも一方的すぎる戦闘はもはや蹂躙でしかない。

 

「簡単なはずないとは思ってたがこれじゃ無理ゲーだろ!」

 

 ENブラスター100発超を受けて無傷。

 IS100体超を10秒で殲滅。

 今この場に残っているバンガード一人では何をしようと無駄に終わる。

 

「とりあえず戻って会長に報告でもしとくか」

 

 と、いつもの感覚でロビーに戻ろうとしたバンガードだったが転送が全く機能しない。ログアウトも不可能。

 

「チッ……コイツも例のアレかよ!」

 

 ロビーから戦場への転送は一方通行。こうして戦場に来たからには戦う他の道はテクノフォビアのワールドパージの範囲外に出るしか残されていない。

 戦うか逃げるか。その決断を下す前に先にテクノフォビアが指先をバンガードに向ける。

 

「チクショウッ!」

 

 咄嗟に反応して全速力でテクノフォビアから離れ始めるバンガード。生き物みたいに曲がる弾丸でも弾速さえ遅ければ速度で振り切れる。

 そうした考えすら甘かった。

 

「嘘……だろ……?」

 

 音速域に到達したバンガードの背中を黒の弾丸が貫く。ユニオンスタイルのファイタータイプですら逃げられない。それはテクノフォビアを前にして逃げられるISが存在しないことを意味する。

 装甲もシールドバリアも意味をなしていない。絶対防御が発動しても、体に張り付いた黒い霧の残骸がストックエネルギーを奪い続けた。ただの一撃で戦闘不能になったバンガードを黒い霧が包み込んでいく。

 

「くそっ! くそおおおお!」

 

 武器を手にとって戦うことすらできずに散っていく。悔しさのあまりに叫んだバンガードの意識はここで途切れた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 戦闘開始から1分も経たない内に100名以上のプレイヤーが蒸発した。その光景を見せつけられた形となった藍越エンジョイ勢のプレイヤーたちは言葉を失い、ただただ空を見上げていた。

 これまでも亡国機業のマザーアースと戦ってきた。その経験があったからこそ相手がいかに強大であろうともやり方次第で倒せると思えていた。

 敵の図体は似たようなもの。しかし本質が大きく異なっていることに気づかされている。

 マザーアースは凡人集団が扱っていた兵器。

 対して、テクノフォビアはギドやエアハルトといった強者がそのまま巨大化したようなもの。

 一個体の戦闘能力を比較すればどちらが上かは明白だ。

 一筋縄ではいかない相手、という枠に収まってすらいない。

 

「……さて、バレットくんの作戦を聞こう」

「会長!? アンタ、自分がお手上げだからって俺に押しつける気かよ!?」

「僕は初心者で君はベテラン。つまりはそういうことだよ」

「もうアンタは初心者の域にいない!」

 

 吠えるバレットを後目にリベレーターが周囲の皆を見回す。

 

「冗談はさておき。さっきの映像から、思考停止の物量で押すのは得策でないことだけはわかった。問題は敵の使っている装備だけど、誰か心当たりは?」

「エアハルトが使ってたのと同じ系統だと思う」

 

 挙手して発言したのは海老をモチーフにしたIS。中身は少女の伊勢怪人。彼女はヤイバとエアハルトの戦闘の際に割り込んだことがある。海中という得意フィールドであったにもかかわらず、一瞬で強引に戦闘不能に持って行かれた経験から言えること。それは――

 

「あれに打ち勝てる装備はこっち側にはないと思った方がいい。あるとすれば単一仕様能力だけ」

 

 実弾でもEN武器でも喰らい尽くす黒い霧、ファルスメア。ヤイバの雪片弐型も零落白夜なしでは一方的に押し負けていた。正面からぶつかってしまった時点で敗北を意味すると言っていい。

 

「単一仕様能力……だったら、ヤイバくんが来るまで待つ方がいいかな」

「いや、そんな暇はないだろ。アレがロビーに来たら俺たちの負けだ。今ある戦力でやるしかない」

 

 リベレーターの待つ策をバレットは否定する。

 

「今ならログアウトしてヤイバくんらを呼ぶこともできるよ?」

「もうジョーメイに行かせた。それでもこっちに来れるかわからない戦力に頼るのは手遅れになる危険がある」

「ああ、そうだね。だったらどうする? 僕らで時間稼ぎをするかい? 何分保つかというレベルだと思うけど」

 

 バレットは首を横に振る。

 

「生憎、俺はISVSという場において脇役に徹するつもりなんてない。時間稼ぎ? そんなつまんねー目的のゲームじゃモチベーションが足りねえんだよ! そうだろ、お前らァ!」

 

 周囲に叫びを撒き散らすと、あちらこちらから同意の声が上がっていく。先ほどまで衝撃映像を前にして萎縮していた者たちとは最早別人。彼らの瞳には闘志が宿っている。

 

「このゲームの主役は俺たちだ! ヤイバだけじゃねえ!」

 

 作戦なんて決まっていない。

 だがプレイヤーたちは一人、また一人と転送ゲートへと向かっていく。

 このミッションがただのゲームでないことを知っていても止まらぬ理由がある。

 篠ノ之束の我が儘なんかでISVSを終わらせてたまるかという熱い思いがある。

 勝算などなく、賞賛も要らない。

 他に適任がいようとも、自分が戦ってはいけない理由などどこにもない。

 ISVSが好きだから。それだけでプレイヤーたちはゲームでない戦場へと赴く。

 

「……なるほど。ISVSができなくなることの不自由こそが君たちを苦しめるということだね。だったら僕は後押しするまでだ。この身を賭してでも、ね」

 

 最後まで残っていたリベレーターも戦場へと転送される。誰もいなくなったロビー周辺であるが、水平線の向こうには空へと伸びていく幾つもの閃光が視認できてしまっていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ふと気がついたときには、俺は見覚えのある神社に立っていた。左右に杉の木が立ち並ぶ参道の脇を特に目的もなく歩いている。何かしなければいけない気がしていたけど、それが何なのか思い出せない。まるで微睡みの中であるかのように考えることができない。

 

「やっと来たか、一夏」

 

 神社には先客がいた。それどころか俺を待っていたらしい。神社の娘らしいと言えばいいのか、巫女服姿で出迎える彼女の姿はとても風景に馴染んでいる。

 

「待たせて悪かった」

 

 俺はそう答えるのが当たり前であるかのように答えた。罪悪感なんてこれっぽっちもなく、ただ状況に合わせてルーチンワークのように答える様はまるでロボット。そんな俺の返答でも気を良くしたのか、巫女服姿の少女は小さく微笑んだ。

 

「悪いだなんて少しも思ってないくせに」

 

 バレバレだった。

 でもむしろ彼女は機嫌を良くしているのだからそれでいいとさえ思える。

 ……どうして俺はそう思えるんだろうか。

 

「約束通り、神社の清掃を手伝ってもらうぞ」

 

 半ば無理矢理竹箒を手渡された。どうやら俺は彼女と約束をしていたらしい。

 約束は大事だ。だったらちゃんと守らないとな。

 俺は彼女の指示に従って参道の落ち葉を掃き始める。

 

「ほう、感心だな。今日は文句の一つも言わないではないか」

「約束したからしょうがない……っていうのは違うか。なんか、こうしてるのがすごく楽しく思えるんだよ」

 

 思わず口を突いて出てきた言葉は紛れもなく俺の本心だ。掃除がしたいというわけじゃなくて、彼女が居るというだけで喜びに溢れている。

 ……それは何故だ?

 

「ほほう、約束をしていなくとも一夏は掃除を手伝ってくれるのか?」

「手伝いはする。代わりにはやらない」

「安心しろ。私も一夏一人に押しつけたりはしない」

 

 会話の他には風が木々を撫でる音と竹箒が地面を掃く音しか聞こえない。

 この穏やかでまったりとした時間はとても落ち着く。

 できることならいつまでもここに居たい。

 

 ――でも、夢の時間は終わりだ。

 

「そろそろ行くよ、箒」

 

 頭がハッキリしてきた。まだ箒が帰ってきてない現実がある。俺はこの夢を現実にするためにもやり遂げなきゃいけないことがあるんだ。

 

「どこへ行くんだ?」

「お前を迎えに行く」

 

 普通なら首を傾げられても仕方のない問答。

 だが彼女はうんうんと笑顔で頷いた。

 

「そうだな……」

 

 瞬間、この世界の夢は崩壊した。神社の景色は吸い込まれるように何処(いずこ)かへと消えていき、真っ白い世界に俺と箒の二人だけが残される。

 単なる夢じゃない……? どちらかと言えばここは束さんと話したあの空間に似ている。

 

「私の元へ来てくれ。そして――」

 

 笑顔は作ったもの。強かったはずの彼女の両目からは大粒の涙が零れている。

 

「全てを終わらせてくれ、一夏」

 

 彼女の背後から黒い霧が広がっていく。霧は徐々に彼女の体をも浸食していく。

 

「箒っ!」

「私は……お前がいい」

 

 伸ばした手が彼女に届くことはなく、彼女は黒い霧に飲み込まれた。

 最後に彼女が言い残した言葉。その中に一度として『助けて』が出てくることはなかった。

 

 

  ***

 

 

「箒っ!」

 

 ガバッと跳ね起きたそこは俺の部屋だった。年末だというのに外が明るいのは既にお日様が高いからだろう。つまり、もう昼を過ぎていた。

 

「そういえば朝までISVSにいたんだっけ」

 

 ただでさえ最近は寝不足だったのに昨日は徹夜までしてしまった。シズネさんに言われるがままにベッドで横になったらすぐに意識が飛んだんだろう。あまりその辺りの記憶がない。

 

「さっきのは夢……なんだよな?」

 

 箒と話していたのは間違いなく現実ではなかったと言える。だけど夢にしては少し妙だった。俺は篠ノ之神社の掃除の手伝いをしたことはあるけど、あんなにも素直に手伝ったことは一度としてない。もしかしたら俺の願望だったのかもしれないが、最後の箒がどうしても俺の願望とは違うことを喋っていた気がしてならなかった。

 俺の知ってる箒。俺の望む箒。どちらでもない箒が居たとすれば、それは――

 憶測の域だ。だけど単なる夢として片付けられない俺がいる。

 何か嫌な予感がしてならなかった。

 

 寝起きであるのも重なって頭を抱えていた。そんなときに唐突に部屋のドアがバンと大きな音を立てて蹴り開けられる。

 

「一夏っ! 起きてるっ?」

「もっとお淑やかに開けろ、鈴」

 

 音で殴られたような感覚もあったせいか、つい苛立ち混じりに返事をしてしまった。その程度の棘が刺さるはずもなく、鈴は仁王立ちしたまま俺を指さしてくる。

 

「ISVSに敵が来てるわ」

「ISVSのどこにだよ?」

 

 なんとも曖昧な言い方だ。そう思ったのだが、別に鈴の表現は外れでもなかった。

 

「はい、これ」

 

 渡されたのはISVSのミッションリストのページが開かれたタブレットPC。そこに載っているミッションは一つだけであり、俺はその詳細を目で追った。

 

「束さんからの挑戦状……?」

「そ。でもってもう既にミッションは始まってて、弾たちはもう出撃した後。これに負ければISVSが無くなるっていうんだから、皆必死よね」

 

 負ければISVSが無くなる。つまり、狙いはプレイヤーの出入り口である遺跡(レガシー)の破壊か。通常のISでは破壊できないけど、アカルギなどのマザーアースでは破壊できると言われていたし、束さんが関わってるなら壊すのも容易だろう。

 ん? 束さん? そういえば――

 

「千冬姉の方はどうなったんだ!?」

 

 俺が寝る前の時点では千冬姉がロスにいる束さんを倒しに向かっていたはず。なのに今、プレイヤーたちは束さんからの挑戦状が来て天手古舞(てんてこま)いになっている。

 もう事実関係だけで察することはできてた。けど認めたくもなかった。

 

「残念ながらロスでの戦闘は篠ノ之束に敗北したそうです。ブリュンヒルデの消息は不明で、倉持技研の部隊も帰還しておりません」

 

 寝間着姿のセシリアが顔を出して教えてくれる。彼女からの情報となると信憑性が上がってしまう。俺からは否定する言葉など出てこなかった。

 

「助けに行かないと」

 

 ここまで聞いてしまったら、俺はもう休んでなどいられない。千冬姉が勝てなかった相手に俺が勝てるのかは怪しいけど何もしないなんてありえない。

 

「ちょっと待って、一夏。どこに行くつもり?」

「そんなの千冬姉を助けに――」

「弾たちを放っておいていくの?」

 

 浮き足立っていた俺の頭は鈴の言葉で我に返った。

 と言うよりもまだ現状を理解し切れていないことに気がついたという方が正しいか。少しだけ冷静に戻れた。

 

「さっきのミッションの話か。マズイのか?」

「どうやらフォビアシリーズが出てきているようですわ」

 

 フォビアシリーズ。例のゴーレムとIllの融合体という奴か。確かにその戦闘力は高かったし、未知の力を使ってくる難敵だけど、プレイヤーが集まれば勝てないことはないだろう。

 そんな俺の考えはセシリアにはお見通しだったようだ。彼女は俺の顔を見て嘆息する。

 

「仲間への信頼は結構ですが過信は禁物ですわ。まだ確証は得られてませんが、今度のフォビアシリーズは例の黒い霧(ファルスメア)を使用したという情報が入っています」

「ファルスメア。エアハルトが使ってた装備だな」

「一夏さんもご存じの通り、ファルスメアはEN装備の上位に位置しています。現在、確認されているファルスメアへの有効な対処法は零落白夜しかなく、使い手であるブリュンヒルデはロスで消息不明となっています」

「ってことは、束さんは千冬姉がいない確証を得てからそのフォビアシリーズを送り込んできたわけだ」

 

 自分で言ったことなのに何か違和感を覚えた。けどそれが何なのか上手く言葉にできない。

 

「鈴とセシリアが言いたいのはつまり、千冬姉以外で零落白夜を使えるかもしれない俺が弾たちに加勢に行った方がいいってこと?」

「あたしはそんな理屈の話してないわよ」

「わたくしはこのまま弾さんたちを放置するのは得策でないと断言しておきますわ」

 

 断言と来たか。だったら俺がとるべき道は決まってるも同然。

 

「弾たちの加勢に向かう。俺が零落白夜を使えるかは運次第だけどな」

「OK。じゃ、早速行くわよ!」

 

 俺の意思を確認した鈴はさっさと1階へと駆け下りていった。そのままリビングのソファでも使ってISVSに入るつもりだろう。

 

「千冬さんの方はいいんですの?」

「セシリアが俺に弾たちの方へ行くよう誘導した。ってことは千冬姉の方には既に別働隊を送ってくれてる。違うか?」

「ああ、心地よい信頼ですわぁ……」

 

 寝間着姿のままで恍惚とした表情を浮かべるセシリア。唐突かつ無造作に俺の健全な青少年の心を根絶やしにしようとするのはやめてくれ。

 とりあえず彼女のこの反応を肯定と受け取っておこう。千冬姉のことは別働隊に任せた。それが最善だと自分に言い聞かせて、俺は俺の戦場に赴く。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 阿鼻叫喚だった。悠然と佇みながらも進軍を続ける巨人。周囲を小バエのように集まるプレイヤーたちが包囲して集中砲火を浴びせるも巨人は止まらない。ふと気がついたように両手をかざし、指先から発射される黒い霧の獣たちがプレイヤーを喰らい尽くしていった。

 たとえこれが単なる遊びであったとしても同じようにプレイヤーの悲鳴が溢れかえっていることだろう。

 

「無理ゲーだろ! 攻撃が全部掻き消されてるっ!」

「製作者出てこい!」

「設計ミスを謝罪しろ!」

「ついでにその武器を寄越せっ!」

 

 吐き出される言葉は緊張感の欠片もない。だが並べ立てられる言葉は皆一様に現状の理不尽を嘆くものになっている。

 

「今ので何人やられた!?」

「うちのメンバーは12人ほど。サベージまでやられた」

「チッ……奴が避けられないなら必中みたいなもんじゃねえか。このままだとじり貧だ」

 

 ノープランの物量で攻撃を続けているものの着実にプレイヤーの数は減っている。対する巨人、テクノフォビアはまるでダメージを負っていなく、進軍速度すらも落ちていない。

 

「誰か、試してない攻撃はないのか!?」

「実弾、ミサイル、ENブラスター……射撃できるものは大体終わってる。あとは接近戦だけど――」

 

 言っている間にも果敢なプレイヤーが近接攻撃を敢行する。だが近づくよりも先に指先から放たれた黒い霧がプレイヤーを襲う。これまで接近できたプレイヤーは皆無であった。

 

「ダメだ、バレット。近寄れない」

 

 絶望を告げる報告。しかしバレットの耳にはそう聞こえなかった。

 射撃攻撃を受けてきていたテクノフォビアが接近するISに対しては敏感に反応して迎撃している。これは裏を返せば――

 

「勝機は接近戦にこそある……?」

 

 テクノフォビアが接近戦を嫌がっている。つまり、接近戦にこそ突破口がある可能性があると言い換えられる。

 ここまでわかってもまだ問題はある。テクノフォビアが接近戦の何を嫌がっているのか、だ。特定の武器が苦手なのか。あるいはテクノフォビアの鉄壁を生み出している機能が近くだと不都合のある代物であるかもしれない。ここを特定できなければ作戦を立てられない。

 

「よし。ここは僕が調べてこよう。あとは任せるよ、バレットくん」

 

 バレットに通信を送って寄越したのはリベレーター。今残っているプレイヤーの中でトップクラスの操縦技術を持っている彼が自分から捨て駒になる選択をする。

 止める時間も頼む暇もなく100mを超える巨人へと立ち向かっていく一人の戦士。敵から発射された黒い霧の弾丸には左手のハンドガンを投げつけて代わりに喰らわせる。そうして時間を稼ぎ、足下から急上昇したリベレーターは足の付け根を狙って右のハンドガンのトリガーを引き絞る。

 カンッと軽い金属音。当たりはしたがダメージがあるようには思えない。しかしながらこれは確実に収穫だった。

 

「ハンドガンのダメージが全く軽減されてない」

 

 ISの防御機構は4層に分かれている。PIC、装甲、シールドバリア、絶対防御の4つだ。それらにはそれぞれの役割が存在し、ハンドガンのダメージを押さえる役割は主にPICと装甲となる。

 まずはPICが実弾の見かけの質量を操作して運動エネルギーを減衰させる。PICCなどの妨害によって消しきれなかったエネルギーを受け止め、物理的な衝撃をシールドバリアの代わりに受け止めるのが装甲の役目。

 金属音が聞こえたということはPICを突破できたということ。そして、装甲に多少なりともダメージが入ったということ。

 これまでテクノフォビアはプレイヤーたちの射撃に晒されながらも無傷で在り続けた。これはPICのようなパッシヴな防御機構でなく、むしろAICのようなアクティヴな防御機構によるものだと考えられる。

 

「接近戦を嫌ってたのは反応速度の限界があるからだ。敵の防御は完璧なものではないよ」

 

 これが突破口だと言い残し、リベレーターも黒い霧に呑まれていった。

 残されたプレイヤーはもう2割を切っている。そして、とうとう水平線に陸地が見えてきてしまった。

 

「包囲射撃を続けろ! 奴の処理速度を超えれば、攻撃が届く!」

 

 敵の限界がどこにあるのか全く想像がつかないまま、そんな指示を出すしかできなかった。

 残り時間は限られている。このままこのミッションが最後のプレイとなってしまうのだろうか。

 そんなこと、認められるはずがない。

 届け。

 届け。

 連なる想いが環となって巨人へと収束していく。

 

 だが悲しいかな。

 黒霧を纏った巨人の叫びが漆黒の閃光となってプレイヤーたちの想いごと包囲射撃の環を引き裂いた。

 巨人の歩む道を阻む者は無し。無人の野を行くが如く突き進む巨人を引き留める手は小さく、数は減り、熱意すら風前の灯火となった。

 笑えないクソゲーだ。普通のゲームだったなら制作者を罵ることも躊躇わない酷いゲームバランスであると言わざるを得ない。

 だがバレット――五反田弾は知ってしまっている。今自分たちが戦っている場所こそ仮想世界であるが、戦いそのものは現実であるのだと。今直面している現実こそが“人々”と“敵”の歴然とした戦力差であるのだと。

 

「負けるかよ……」

 

 その呟きは自然と出てきていた。勝つ手段などこれっぽっちも思いついていないにもかかわらず、バレットの目の奥底にはまだ火が揺らめいている。

 

「ISVSは不平等だ。だからどうした? その程度で辞めるほど俺は――俺たちはつまらない人間じゃない!」

 

 非力だとは承知している。それでも食らいつくことをやめない。悠々と進軍している巨人の背中に絶えず射撃が命中し続ける。始めは音すらも皆無だった攻撃が、徐々に金属同士の衝突を知らせる甲高い音を発するようになってきた。

 この変化はリベレーターの分析した反応速度の限界だけの問題ではない。単純にこれまでの物量が導いた末に得た絶好の機会。

 

「黒い霧にも限度はある! ミサイル部隊、一斉に撃て!」

 

 ファルスメアには一度に精製できる限界がある。あくまで予想の範疇であったが、一縷の望みにかけた。足掻くことをやめなかったものだけが辿り着ける答え。それこそが無人機が持ち得ない人間の力である。

 全方位から殺到するミサイルの群れは黒い霧の防壁を潜り抜けて次々と着弾する。ファルスメアを防御に使っていた弊害によりシールドバリアだけでなくPICの性能まで落ちていた巨人の装甲は表層から吹き飛ばされていく。

 

 このまま押し切れる。誰もが勝利を確信した。

 だがそれは次なる試練の到来を告げるものであった。

 

「ストックエネルギー危険域に突入。リミッター解除。インパクトバウンス、神の祭壇(オーリオール)起動」

 

 突如、逆風が吹き荒れる。発射していたミサイルですら推進力とは別方向に流され、眼下の海面に水柱を昇らせる。弾丸の類も全て真逆のベクトルに書き換えられており、バレットの撃っていたマシンガンの弾丸もそっくりそのまま跳ね返ってきていた。

 

「くっ……何が起きた……?」

 

 疑問を口にしながらも理解は追いついている。プレイヤーも使用できる装備であるIB(インパクトバウンス)装甲と同じ現象が引き起こされ、実弾の類が全て強力な斥力によって弾き飛ばされたのだ。

 問題はその規模。通常のIB装甲では物理的な攻撃を近寄らせないことしかできないのだが、テクノフォビアの使用した代物は強制的に離れさせられるのである。同心球状に働く斥力には隙間などなく、オーリオール展開中は物理的な攻撃を加えることは難しい。

 ではEN攻撃ならばどうか。IB装甲の影響を受けないENブラスターで遠くから撃てば問題なく攻撃は可能だと容易に考えられる。だがしかし、そもそもテクノフォビアの鉄壁を実現している装備はオーリオールなどではなかった。

 バレットが指示を出すまでもなく、加えられるEN射撃。オーリオールの影響を無視して伸びる光の筋の向かう先には黒い霧が漂っている。闇の中へと溶けていった光はテクノフォビアに届かない。

 こうなればEN射撃のみで飽和攻撃を加える必要が出てくる。しかしながらEN射撃は一つ一つの攻撃に消費するサプライエネルギーが多く、実弾中心の攻撃と比べて弾幕は薄くならざるを得ない。参加プレイヤーの半数以上がいなくなった現状では必要十分な飽和射撃を加えることは不可能と言えた。

 

「情報が出揃うまでリソースを使いすぎた。最初からわかってれば勝てない勝負じゃなかったってのに……」

 

 テクノフォビアの指先がバレットへと向けられる。収束した黒い霧が放たれればバレットもこのゲームから退場することとなるだろう。

 これがラストゲームとなるのか。

 全然満足しちゃいない。

 悔しさだけ残して終わるような結末は嫌だった。

 どうしようもない現状を憂い、天を仰ぐ。

 するとバレットの目に無数の蒼い光が上空で渦を巻いているという光景が飛び込んできた。

 バレットの口元に笑みが浮かぶ。

 

「遅すぎんだよ、お前ら。いいとこだけ持っていきやがって」

 

 悪態をつきながらも胸の内に温かいものが広がっていく。

 必殺の一撃を向けられながらも、その心は黒に染まらない。

 

「この際、クリアできれば何だっていい。後は頼むぜ、ヒーロー」

 

 自分の戦いは無駄などではない。最終走者(アンカー)がゴールできればそれでいい。タスキをつなぐのも重要な役割であり、決して脇役などではないと自らを誇る。

 漆黒の弾丸に貫かれてもなお、バレットは空を見上げ続けた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 前情報と著しく食い違っている。

 参加プレイヤーの数は万に届こうとしていると聞いていたけど、俺が確認できるプレイヤーは既に百を切ろうとしていた。バレットを始めとする知人は誰も生き残っていない。

 正直なところ、俺は甘く見ていたのだと思う。仲間の力を信頼していたことは間違いだなんて思いたくない。けど、決定的に俺は敵の力を見誤っていたのだと認識を改める。

 束さんが敵となり、千冬姉が敗れた。それが事実なら人類滅亡すらあり得ると言えてしまうのだ。

 

「状況はどうだ、ラピス?」

「敵の巨大ゴーレムはフォビアシリーズ、それもこれまで確認された中で最も強大なものですわ。大規模なファルスメアにより、プレイヤーの皆さんは為す術もなくやられてしまったのでしょう」

「為す術もなく……本当にそうか?」

 

 初見のファルスメアに面を喰らったのは間違いないと思うけど、根性あるプレイヤーたちだから誰の心も折れてなかったとも思う。でなきゃ巨大ゴーレムに傷がついてるはずないし。

 

「……訂正しますわ。健闘むなしく敗退されました」

「で、あのデカイ図体を倒しきれないのは何故かわかるか?」

「ファルスメアを防御に回せばEN武器も通らないのはエアハルトとの戦闘でわかっています。全身を覆うだけのファルスメアを展開できていないため隙があるように見えますが、現在は大規模なIB装甲が並列で起動しているためEN射撃以外の攻撃は近づけません」

 

 よりによってIB装甲と来たか。俺の天敵とも言える装備。ファルスメアに打ち勝てる零落白夜があっても近づけなければ意味がない。

 

「ねえ、ヤイバ。今、零落白夜っていうのは使えるの?」

 

 リンに尋ねられたから改めて確認してみる。

 

「使えるみたいだ。誰ともクロッシングアクセスしてるわけじゃないのにな」

 

 たぶんだけど“アイツ”が力を貸してくれている。俺がファルスメアに立ち向かうための刃は“アイツ”がこの世界で生きていた証だ。ありがたく使わせてもらおう。

 

「じゃあ、あたしがアンタを連れて行く」

「リンが? どうやって?」

「説明は面倒くさいからパス。アンタはあたしを信じて、あたしに掴まってればいいの」

 

 俺を試すような視線が突き刺さる。

 もし俺たちが失敗すればISVSが終わるかもしれない。それは俺の戦いがここで終わってしまうことをも意味する。

 戦場に出てきていきなりの土壇場。俺一人では決して突破できない状況を前にして、リンは任せろと言ってきた。

 答えなど決まっている。

 

「わかった。頼むぜ、リン」

 

 俺はリンの背中に回って肩をがっしりと掴む。

 小さい背中だ。だけど今は他に頼れるものがない。

 だけどなんとなく――本当になんとなくだが、リンの背中が見た目通りの小ささであるように感じられてしまった。

 

「本当にあたしでいいの? ラピスに対案を聞かなくてもいいの?」

 

 背を向けてる彼女の表情はわからない。任せろと言った直後、彼女はいつになく不安げに再確認してきた。

 ラピスに聞くまでもない。問題があればとっくに口を挟んできてるはず。何も言わないということはラピスもリンの案に乗るという無言の肯定だ。

 

「わたくしは偏向射撃でファルスメアを引きつけます。お二人はその間に敵を撃破してください」

 

 後押しの一言もあり、リンは強く拳を握りしめた。

 

「よしっ! 行くわよっ!」

 

 覚悟は決まった。リンに合わせて俺も巨大ゴーレムへ向けて突撃を開始する。

 もうプレイヤーの数が少ない。俺たちの突撃はすぐさま敵の知るところとなる。当然のように黒い霧の魔手が俺たちへ伸びてきた。

 

「零落白夜、起動(ブート)っ!」

 

 ここで零落白夜を起動。リンに迫るファルスメアを雪片弐型で斬り払う。生き物のように蠢く黒い霧は零落白夜の光に照らされて雲散霧消していった。

 俺たちの速度は衰えない。続いて肝心の特大のIB装甲が待ち受ける。その領域に入った途端に後ろ側へと強烈に引っ張るような力が俺の体を襲う。

 

「火輪咆哮、起動(ブート)っ!」

 

 リンが吠える。すると後ろに引っ張られる力以上に俺たちを前に進める推力が発生した。

 これは火輪咆哮の応用。衝撃砲の威力を上乗せするだけでなく、自らにかかる荷重を別方向に強制的に推力として変換することが可能だ。

 徐々に。徐々にだが俺たちは巨人へと向かっている。だが――

 

「白式のストックエネルギーの減少が早い。もう少し速くならないか、リン!」

「この斥力の中を2機分引っ張るだけで精一杯なのよ! 零落白夜の節約とかできないの?」

「やってたらファルスメアにやられる!」

 

 俺とリンで足りない部分を補って前には進めている。だけど、同時にお互いの重荷にもなってしまっていて、能力のデメリットが俺たちを苦しめてくる。

 突破口が開けているように見えて、その口には俺たちが通れる広さなどなかった。

 

「……あたし、やっぱ役に立てないのかな」

「急に何を言い出すんだよ、リン!」

「だってさ……アンタが火輪咆哮を使えればあの巨人を簡単に倒せるのよ?」

「そんなもしもの話、意味が無いだろ」

「もしもの話なんかじゃない!」

 

 怒鳴り声が鼓膜を叩く。耳を塞げない俺は反射的に目を瞑った。

 

「アンタの共鳴無極(ちから)なら現実的な話のはずでしょ! そうでしょ!」

「いや、でもあれは俺が自由に使いこなせるわけじゃな――」

「セシリアとは普通に使えてるじゃない!」

 

 ISVS内なのにラピスではなくセシリアと呼んでしまっている。それだけ今のリンは感情的になっているし、気が動転している。

 

「落ち着け、リン。今は戦いに集中――」

「集中してるわよ! 愚痴くらい言わせなさいよ!」

「いや、それは集中できてな――」

「アンタは黙ってろ!」

 

 ダメだ、聞く耳を持ってない。

 しかし本当にリンはどうしてしまったのか。

 彼女に何を言えばいいのか、俺の頭には何も浮かんでこない。

 彼女の肩を掴んでいる左手からも何も伝わってこない。

 ただし唯一、俺の額に当たる水滴に気がついた。

 

「これは……」

 

 水滴は前から飛んできた。つまりリンの顔、目元付近から流れてきたことになる。

 

「あたしの気も知らないでどんどん先に行っちゃって……クロッシングアクセスって何よ。ナナとセシリアばっかり。弾とすらも繋がってたのに、どうしてあたしだけ……あたしだってアンタを想ってるのに……」

 

 そういうことか。

 リンの悩みがなんなのか、ようやくわかった。

 

「気にしすぎだ。偶然だって」

「違う! アンタ、絶対にあたしと距離を取ろうとしてる!」

「そんなことはない!」

「だったらどうしてあたしとだけクロッシングアクセスできてないのよ! あたしがアンタと一緒に戦おうとしてても、アンタがあたしも戦うことを望んでないんじゃないの!?」

「だから理由はわかんないんだっての!」

 

 あ、ダメだ、これ。もう俺の方が黙ってられない。

 

「ISのシステムだけで人の想いまで計ろうとしてんじゃねえよ! 俺が鈴をどう想ってるかまで反映されててたまるか!」

「何よ、それ! なんでそんなことで怒鳴ってくんのよ!」

「お前がわからず屋だからだ! いいか! 俺はもうこの戦いはお前に預けたんだ! お前には全幅の信頼を寄せてる! それはお前が凰鈴音だからに他ならない!」

「嘘よ! アンタはあたしのことなんて見てない! わかってくれてない!」

「わかってないのはお前も同じだ! 俺が距離を取ってるって? 一歩引いてたのはお前の方だろ! 最近になって急に余所余所しくなりやがって!」

「仕方ないでしょ! アンタがナナばっかり見てたから、あたしが前までのように近くにいたら迷惑でしょ!」

「それこそお前の勝手な思い違いだろうが! 俺はナナばかり見てたわけじゃない! お前がイルミナントに喰われた後、俺にはお前のことしか頭になかったってのに! 俺の悩みも知らずに好き勝手言うな!」

「え、そうなの?」

 

 急激にリンの声のトーンが落ち着いたものに変化した。

 

「お、おう……」

 

 呆気にとられた俺もヒートアップしていた感情に冷や水が浴びせられたも同然となり、口から出そうだった言葉は出口を見失う。

 

「あたしはついでじゃなかったの?」

「……当たり前だろ。“俺の世界”に“凰鈴音”は絶対に必要な存在なんだ。理不尽に奪われて黙ってられるかよ」

「ナナと比べると?」

「バカか。俺にどちらかを選ばせるな。俺は両方を選ぶ強欲な男なんだよ」

「うわ、マジ引くわー」

「何とでも言え。鈴にも箒にも傍にいてほしい。それが今の俺の素直な想いだ」

「後で酷いことになるわよ?」

「そんときはそんときだ。そもそもお前は色恋沙汰の話をしてそうだけど、俺はまだそこまで頭が回ってない」

 

 全部が俺の本音。俺を形作っている世界には箒がいて鈴がいる。そのどちらが欠けても俺の世界は成り立たない。

 今の世界は楽しいか、と束さんは問いかけてきた。何度考えても結論は同じ。そもそも楽しいかどうか以前の問題だ。俺の世界は今もなお壊れてるから、取り戻すために必死なんだよ。

 

「やっぱりあたしの望む答えは出てこないわよね。わかってたけど」

「悪いな。全部片付くまでは待ってくれ」

「わかってたつもりだったけど不安なのよ、あたしは」

「すまん」

「最近はもうナナたちだけスタートラインを超えてるんじゃないかってことばかり考えてた。だけど卑屈になってもいいことないわね。少なくともあたしらしくなかった」

「薄情な俺を見捨てる選択肢もあるぞ?」

「バカね……今、アンタを見捨てたらあたしがいい女になれないでしょうが」

 

 リンが後ろを振り返った。その表情には少しの陰りもなく、太陽のように眩しい笑顔に八重歯がキラリと光る。

 いや、リン。お前は今の時点でめっちゃいい女だから。そこは断言できる。

 

「お二人とも。痴話喧嘩は終わりましたか?」

『そんなんじゃない!』

 

 ラピスの一言にリンと同時に反応した。気づいてからお互いの顔を見る動作もピッタリ一致し、ハッと目が合う。

 

「うふふ。すっかり息が合いましたわね。といったところで落ち着いてご自分の機体の状態を確認してくださいませ」

「機体の状態……?」

 

 言われてから確認すると、白式のストックエネルギーの最大値が1機分増えている。おまけに単一仕様能力の項目にも能力が一つ追加されていた。

 火輪咆哮。リンの単一仕様能力に違いない。つまり、これは――

 

「クロッシングアクセス? これまでと違って全然実感ないけど」

 

 俺とリンがクロッシングアクセスを起こしている。感覚共有とかの不思議な感じが全くしないけど、白式がそう言ってるんだから本当なんだろう。

 

「これがそうなのね……なんか期待してたのと違う」

「自然体とあまり変わらないということでしょう。羨ましいですわね」

「一応、褒め言葉として受け取っておくわ」

「さて、雨降って地が固まるを実践したところで本題と行きましょう。まだ戦闘中ですからね。ヤイバさん、火輪咆哮の扱いは?」

「なんとなくわかる」

「ではお二人は3カウント後に散開。個別に特攻をしかけましょう」

 

 視界に表示されるカウントダウンに俺とリンは黙って従う。

 目の前には次の黒い霧が迫っている。今度は斬り払うことはしない。

 カウントゼロと同時に俺は右へリンは左へと散る。

 方向を示し合わせるタイムロスなんてない。今の俺とリンは互いの動きが手に取るようにわかっている。逆方向に動くことなど以心伝心でできた。

 リンの背中から飛び出す。それは俺自身が巨大ゴーレムの眼前に出たことを意味する。今の高度は膝元当たり。垂直に聳え立っている巨人は山でなく崖であり、俺たちの前に立ちはだかる文字通りの壁だ。

 

「“オーリオール”出力全開」

 

 巨人の背中には後光を思わせるリングが黄金に輝いており、さらに輝きが強まった。引き離そうとする斥力が吹き当てられる。だが逆風は最早逆風ではない――

 

「火輪咆哮、起動――衝撃転換」

 

 ただの追い風だ。

 後ろに引かれる力を衝撃として検知。それをそのまま推力に変換、リンから貰った脚部衝撃砲から出力して前進する。

 俺という重荷を失った今、俺たちは敵の斥力領域の中を縦横無尽に飛び回れている。

 

「脅威レベル上方修正。ファルスメア全出力を以て撃退する」

 

 巨人の独り言が大音量で響く。

 背中から這い出た黒い霧が広がっていき、俺に向けて一斉に殺到してくる。

 

「ヤイバさんっ! この量は流石に想定外ですわ!」

「大丈夫だって、ラピス」

 

 雪片弐型を抜き放った状態で俺は冷や汗を浮かべている。ちっとも余裕なんかない。いくら零落白夜でファルスメアに打ち勝てると言っても刀の届く範囲に限られるから、物量で押されれば簡単に俺は負ける。

 だけどそれは敵も同じ。俺に対してのみファルスメアの優位を失っているからこそ、大規模な攻撃を俺に向けて仕掛けてきた。無人機であっても零落白夜の脅威を理解しているからこそ対処をしてくるのは当たり前。

 ――言い換えるとゴーレムの目を俺に誘導できるということ。

 

『喰らえェェ!』

 

 声が重なる。黒い霧に襲われている俺と反対側。巨大ゴーレムの背中側に回り込んでいた彼女の叫びは確定反撃成立の宣言。

 俺は何も持っていない左腕をファルスメアに突っ込む。当然、無防備な左手はファルスメアに侵されて一瞬のうちに装甲を持ってかれる。

 ダメージを受けた。共鳴無極の効果により、その事実は俺と繋がっているリンにも言えることとなる。

 

 世界が揺れた。そう錯覚するほどの衝撃波が発生した。

 震源は巨人の背中。ファルスメアと斥力領域の発生源となっているリング上の非固定浮遊部位。その中央である。

 

「うらあああ!」

 

 ファルスメアの元は潰した。雪片弐型を振り回して黒い霧を薙ぎ払う。これで勝利の道は明確に見えた。

 ラピスの指示が飛び、残っていたプレイヤーたちの一斉射撃が次々と巨人に着弾する。ファルスメアと斥力領域の二重の防壁を失った巨人の防御能力は並のIS以下にまで低下している。まだファルスメアを使用しているが、デカイ図体をカバーしきれる量の精製などできていない。

 

「とどめだ! いくぞ、リン!」

「わかってるわよ!」

 

 弾幕の中を突っ込む。ラピスの分析で味方の射撃コースは手に取るようにわかる。フレンドリーファイアを恐れることなく、俺とリンはそれぞれ巨人の胸と背中に到達する。

 雪片弐型の出番はもうない。俺が繰り出すのは腕の攻撃でなく脚の攻撃。衝撃砲の砲口を開いて、跳び蹴りをぶちかます。

 衝撃砲による前後からの同時攻撃。逃げ場のないエネルギーは巨人の心臓部で炸裂し、至近距離での挟み込みは攻撃していた俺たちをも傷つける。

 ここで火輪咆哮の本領が発揮される。お互いを傷つけた衝撃をもまた攻撃に転換し、衝撃砲の出力を上げる。

 無駄なく、ただひたすらに破壊するための力が循環していく。

 強靱だった装甲も内側から弾け飛び、内部が露出したゴーレムの心臓部にあるコアには亀裂が入る。

 俺たちは止まらない。加え続けた圧力は最高潮に達し、ついに巨大ISコア全体に亀裂が広がった。

 次の瞬間――

 

 世界が白く染まった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 静かな蒼穹に一人、不思議の国のアリスを一人で体現した格好の女性が天を見上げていた。浮遊しているのにまるで椅子に座っているような姿勢で両足を落ち着きなくブラブラと揺らしている。

 

「全滅かぁ。ヴァルキリーどもと戦闘したクローン4機はともかくとして、ちーちゃんのいない日本でオリジナルのテクノフォビアが負けるとは思ってなかったよ」

 

 予想外だと口にしながらも声は弾んでいた。それもそのはずだ。女性は不満など言っていない。さながら楽しい遊び相手を見つけた、そんな感覚だと言えよう。

 

「やっぱり“織斑”の息子だからなのかな……どー思う、ちーちゃん?」

 

 傍らには刀を杖代わりにして辛うじて立っているブリュンヒルデの姿があった。世界最強と謳われ、ただの一度も1VS1で敗北したことのないプレイヤーが負けた。この事実が知れ渡れば人々は再び篠ノ之束に恐怖することだろう。誰も彼女の暴走を止める術を持たないことに気づかされてしまうから……

 

「お前の目は節穴だ。一夏が勝ったのは一夏だからに他ならない」

「ふーん……ま、結果は受け入れるよ。いっくんはフォビアの一角を倒すまでの存在になった。“織斑”の目指した世界を救う英雄にだってなれるかもしれないね」

 

 “英雄”という単語を出した途端にほくそ笑む。その意図をブリュンヒユデは瞬時に察した。

 

「……それがお前の狙いか。ただ、一夏を絶望させたいがために」

「誤解だよ、ちーちゃん。もちろん束さんはいっくんが英雄なんかにならない方がいいと思ってるよ?」

 

 クスクスとやはり愉快そうに笑う。千冬と同年代とは思えない子供じみた表情をするところは千冬の知っている彼女と何一つ変わらなかった。……なぜ敵となっているのかすらわからないほどに。

 

「テクノフォビアが落とされたなら、次はとりあえず物量で押してみようかな? テクノフォビアのクローン5体ほどを一気に送り込んだらいっくんはクリアできると思う?」

「……いつまで遊んでいる気だ?」

「世界が終わるまで。そのための基地がここにあるわけだしね」

 

 自らの立っている塔を軽く小突いて存在をアピールする。

 

「もう知ってると思うけど、想像結晶の基地塔で送り込める物体は自身の質量以下のものに限られる。だからこんな巨大建造物が必要となるし、これを壊されてしまえばあっちの世界に束さんが手を出すことができなくなる」

 

 送る物体の制限までは掴めていなかったが、ある程度は千冬の想定していた性能だった。基地塔さえ破壊すれば想像結晶は止まる。現在、アメリカに出現している無人機も目の前の塔が壊れさえすれば湧きを潰せることになる。

 

「この程度で終わる世界ではない」

「言っとくけど、基地がある限り送れる戦力は無尽蔵だよ? ここに束さんが居て、玉座の謁見(キングス・フィールド)が展開されてる。ちーちゃんがその体たらくで一体誰がこの塔を破壊――」

 

 突如、轟音と振動が発生。言いかけた言葉は途切れさせられた。2人がいる屋上から見える塔には大穴が開いていて、見るからに斜めに傾いていく。もう倒壊まで秒読みが始まっていた。

 キョロキョロと混乱した様子で辺りを見回す全身アリスのコスプレイヤー。それを眺めていた千冬の方が先に事態を把握した。

 

「破壊できたぞ?」

「……みたいだね」

 

 今度の予想外は不満であるらしく、あからさまに頬を膨らませた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒを忘れてた。彼女のAICなら玉座の謁見(キングス・フィールド)を打ち消せる。それに加えてマザーアースによるAICキャノンの遠距離砲撃をしてくるってことは、あの白髭独身親父の仕業しか考えられない」

「これは意外だ。お前がラウラのことを認識しているとは」

「いつまでも昔の束さんじゃないよ」

 

 盛大に溜息を吐いたのは自分自身への失望か。はたまた千冬の誤解への呆れか。その真実を千冬が知る間もなく、事態は次の状況へと移っていく。

 

「今回はプレイヤーの完全勝利、ということにしとく。束さんが思っているよりも人は強いことがわかった。難易度を上げないとゲームとして成り立ちそうにないね」

 

 千冬に対してクルリと背を向ける。もうこの場で戦闘しないという意思表示であり、この場に千冬を縛り付けていたワールドパージを終了させることにもつながる。

 この戦闘は終わった。だが決着にはほど遠い。

 

「本当はここまでする気はなかったけど、こうなったら仕方ないから奥の手を出す。これがどういう結末を辿ろうと束さんは後悔しない」

「何をする気だ?」

「想像結晶は基地塔よりも小さいものしか送れない。そして、地球上にある最大の基地塔は今さっき破壊された。これだけ言えば、束さんが次に何をするのか、ちーちゃんならわかるはず」

「……まさか」

 

 以心伝心。またしても言葉の意図を汲み取った千冬は思い至った可能性を口にする。

 

「宇宙に建造してあるのか……?」

Exactly(イグザクトリー)! 特大のを用意してるに決まってるでしょ」

「ならば、お前は――」

「うん。地球に束さんお手製の隕石もどきでも落とそうかな。シールドバリアによって燃え尽きずに落ちてくの。一つ命中したらまた次を送り込む。何度でも、“人間”が地球上から消えるまで、ね」

 

 狂っている。隕石が一つ落下するだけで地球上にどれだけの被害が出るというのか。それをひたすらに繰り返されてしまえば、地球は人間が住める土地ではなくなる。

 

「攻撃開始はちーちゃんが復活してそうな明朝にする。すぐに終わったらつまらないし、ちーちゃんが心変わりして束さんの元に来る可能性も捨ててないから」

「ふざけるな。何をされようが私が束の愚行を肯定することはない!」

「だよねー。でもとりあえず根比べをしよう。ちーちゃんのことだから根を上げないとは思うけど、淡く期待しとく。じゃーね!」

 

 用事は済んだとばかりに千冬の前から飛び去る。行き先は真上。自らの根城がある宇宙へと昇っていく顔には不敵な笑みが張り付いていた。

 

「あっちの世界を守るのなら、もうちーちゃんは自由に動けない。早く私の世界を受け入れた方が楽だけど、いつ来るかはちーちゃんの意思に任せる」

 

 高度を上げていくにつれて、楽しげだったはずの顔から徐々に笑みが消えていく。大気圏を突破する頃にはもう無表情に近くなり、虚ろな視線は地球とは逆方向に向けられている。もはや、興味が無いとでも言わんばかりに。

 

「…………別に来なくても構わないしね」

 

 小さな呟きが広大な宇宙に溶けていく。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 束さんからのミッションをクリアした。巨大ゴーレム撃破時の爆発に巻き込まれた俺とリンは共に戦闘不能に陥ったがIllの領域も消滅していたので実害は何もなかった。現在、再びISVSに入り直してロビーにやってきている。リンは気が乗らないらしく、ここには戻ってきてない。

 他にミッションがないためか、先ほどのミッションで疲労しているプレイヤーばかりなのかは知らないがロビーは閑散としていた。周囲にはいつものメンバーくらいしか見当たらない。

 とりあえず俺とラピスとバレットの3人で反省会を行うことにする。と言っても今日は特に反省会と銘打って話すようなことはなく、もう次に目を向けているけども。

 第一声はバレット。

 

「ったく、何か別件でもあるのかと思ったら単なる寝坊だとは思わなかったぜ」

「そう言うな、バレット。別件が忙しかった影響だ」

 

 嘘は言ってない。シズネさんのピンチは緊急事態だった。それが深夜のこと。

 寝る時間も必要だった。俺は悪くない。

 

「なんにせよ、ヤイバのおかげでISVSの危機は去ったってわけだ」

「いや、それはどうだろ?」

「そうですわね。今回の件は嘘でも誇張でもなく篠ノ之束博士の宣戦布告に等しいものでした。あの巨大ゴーレム――テクノフォビアだけで終わるものだとは考えづらいですもの」

 

 そう、まだ通過点に過ぎない。ラピスの根拠とは違った理由で俺は確信している。束さんと俺は箒を巡って完全に対立しているも同然だから、箒を取り戻すか俺の心が折れるまでこの戦いは終わらないのだ。

 少なくとも束さんは俺が箒を求めて宇宙に出ることまで知っている。意に沿わないことだろうからきっとまだまだ妨害してくると思う。

 と、そういえばそうだ。まだバレットたちには言ってなかった。

 

「やったな、バレット。次の舞台は宇宙だぞ」

「待て。話の転換が唐突すぎるし、まるで俺が宇宙を楽しみにしてたかのように扱うな……って、宇宙っ!? マジで!?」

 

 反応が遅いけど、やっぱ嬉しそうだ。

 

「そういや、ISVSで宇宙に出たことねーな。たしかISって性能だけなら宇宙にも出られるんだろ?」

 

 尤もな疑問を投げかけるバレットの視線はラピスに向けられている。

 

「ええ、出られるはずですわ。それどころかIS単独で大気圏外に出ることもできますし、宇宙からそのまま大気圏に突入しても問題ありません。限りなき成層圏(インフィニット・ストラトス)の名の通り、成層圏とさらに上との境界線は無いも同然なのです」

「大気圏突入形態が必要ないのはそれはそれでロマンがねーな……」

 

 何故かガッカリしているバレットはさておき。

 ラピスの言うとおりISは単独で宇宙に出られる。それは俺自身、デュノア社のミッションで弾道ミサイルを迎撃したときに経験したから断言できる。ISにとって宇宙とは身近な場所であると言っても過言ではない。

 となると、新たに疑問が湧き出てくるのが自然だろう。それは俺だけでなくバレットも同じだった。

 

「しかしどうしてISVSには宇宙ステージがなかったんだ?」

 

 それこそが俺たちの捜索範囲に宇宙が挙がらなかった最大の理由。

 これまでプレイしてきたISVSにおいて、宇宙に出たことはあるものの宇宙が舞台となったことは一度としてなかった。現実を映し出している高度なシミュレータという観点からでも、現実のISが宇宙に出られるのだからそこも再現されているはずだし、何よりも企業がそれを率先して行っているはずだ。

 ラピスはやや難しい顔をしている。どうやら明確な答えは持っていない。

 

「おそらくはISVSの仕様のためだと思われますわ」

「仕様? 宇宙に出ることを禁止してるわけじゃないのにか?」

「正確には“転送ゲートの座標指定の仕様”ですわね。わたくしはミッションを設定できる立場上、転送ゲートの出口を指定することもあるのですが、宇宙は最初から選択肢から外されていました。やろうとしてもできないのです」

「転送ゲートで送れないからプレイヤーが宇宙に出るにはわざわざ空の上へと飛んでいかないといけない、か。そうなると、なぜ送れないのかも気になってくる」

 

 最初からISVSというゲームはプレイヤーの目を宇宙から逸らせようとしているとも受け取れる。どういう意図なのかは知らないが、俺たちが宇宙に出るには少し手間がかかることだけは間違いない。

 

「ラピスに頼みがあるんだけど――」

「宇宙に出るルートの洗い出しですわね。広大な宇宙を捜索するのですから、何度も往復する可能性を踏まえると効率を高めたいところですし……」

 

 流石、良くわかってらっしゃる。俺と彼女は以心伝心だから当たり前だ。……俺からラピスへの一方通行な気もしてるけどな。

 

「捜索手段もそうですが、戦闘面も気になっていることがありますわ」

 

 ほら。俺にはラピスの言葉の真意が掴めない。

 

「気になってること?」

「先ほどのテクノフォビアを倒したときのことです。ヤイバさんとリンさんの活躍によって勝利した我々ですが、もし敵が他にいたとすればどうなるでしょうか?」

「俺とリンは敵の自爆に巻き込まれて戦闘不能。プレイヤー側は壊滅してたから負けになるってことか?」

「ええ。もし今後、敵が物量に任せてきたら、道連れも避けなければ勝機がなくなります」

 

 面倒くさい話だ。ただのゲームでそんなことを仕掛けてみたらユーザがぶち切れるほどの案件だろうに。

 俺が頭を抱えている隣でバレットも同じように頭を抱えている。

 

「そろそろ笑えないクソゲーの要素になってきてるな。難度が高いならともかく、面倒と思わせるだけだろ」

「それもそのはずでしょう。こちらはISVSというゲームをしている人が多数を占めていますが、あちらはゲームをしているのではないでしょうから」

「…………」

 

 ラピスの物言いには同意してるんだけど、聞いていて引っかかることもある。

 なんというか最後の自爆は“姑息”な気がしている。そのことが違和感になってるのだと思う。だけどそれがどうして違和感なのかは答えとして上手く出てこない。

 

「皆さん、今日はもう休みませんか? これが宣戦布告だとすれば、篠ノ之博士は必ず次を仕掛けてきます」

「それもそうだな。バレットはどうする?」

「俺も休むとするか。虚さんとも話したいし」

 

 ラピスの提案からあっさりとその場を解散することとなった。

 

 

  ***

 

 

 意識が自室に帰ってくるのは一瞬のこと。もう慣れてしまったけれど、最初の頃は現実と仮想世界の区別がなかなかつかなくて体が重く感じていたこともあったっけ。

 

「ん? メール?」

 

 ISVSから帰ってきての日課はまず携帯を見ること。最近はISVS内で連絡が終わってたことばかりだったから使用頻度は減ったけど、携帯でしか連絡してこない人もいるからやっぱり手放せない。

 しかし誰だろう? ちょっと前までは『箒が目覚めた』という連絡が入るかもしれないと思って毎日欠かさずチェックしていたわけだけど、今ではそれはありえないことを確信できている。毎日顔を合わせてる奴らを除くと、もう心当たりはない。

 

「鈴……?」

 

 メールを開いて飛び込んできた名前は凰鈴音。見慣れすぎた名前だったから逆に意外だった。先に帰ったからてっきり家の用事でもあるのかと思ってたのに。

 中身を見てみる。わざわざメールを打ってきた割には簡潔な一文が書いてあるだけ。

 

 ――あの日、星を見た丘で待ってる。

 

 具体的に書かれなくても待ち合わせ場所がわかった。

 そもそもあの場所を鈴に教えたのは俺だから。

 あのときは2月。今は12月。どちらにせよ寒いだろう。

 

「すぐに行かないとな」

 

 鈴のことだ。俺の返事を聞くことなく動いてて、もうあの場所で白い吐息を吐きながら待っているのだろう。厚めのジャンバーを羽織った俺は飛び出すように部屋を出た。

 

 

  ***

 

 

 部屋を出てからというもの誰からも呼び止められずに最短距離、最短時間で辿り着けたと思う。2年近く前に来たときからまるで変わっていない景色。街の明かりは遠く、喧噪もまるで聞こえてこない静寂に包まれた場所。この辺りで一番美しい星空を背景として、一本杉の下に立ち尽くしているツインテールを発見した。

 

「待たせた」

「今も待ってるわ」

 

 どちらが呼んだのかはさておき、寒空の下で待たせていたのだから理不尽なお小言が俺を待ってると思ってた。けど、今日の鈴はちょっと違うようだ。待ち人であるはずの俺が来てもそっぽを向いたまま。機嫌を損ねているようにも見えず、どこか淡々としている鈴は俺の知らない鈴だった。

 

「怒ってるのか?」

「へ? どうして?」

「いや……違うならいいんだ」

 

 鈴はこっちを向かないまま首を傾げる。たぶん違うと思いながら試しに聞いてみたけど、この反応はやはり本当に怒ってない。

 

「ところで、どうして俺の方を向かないんだ?」

「星を見てるのよ」

 

 どうやらそっぽを向いているということ自体が俺の勘違いだったようだ。真上でないから気づきにくかったけれど、たしかに鈴の顔はやや上を向いている。

 俺は鈴の隣に歩を進めた。ほぼ無意識で特別な意図は何もない。なんとなく体が勝手に動いてた。

 見上げた夜空は雲一つ無い満天の星空。星の瞬きに魅せられていると、冬の澄んだ空気は寒さよりも心地よさを覚えるようになってくる。

 

 ……だけど今日の俺は素直に星空を賛美できそうにない。

 

「アンタの考えてること、当ててみせよっか?」

 

 いつの間にか鈴の視線が空でなく俺に向いていた。さっきまで素っ気なかった態度とは一転して人懐っこい猫のような――きっといたずら好きだろう――笑みを浮かべている。

 言われる前から確信できることがある。鈴は間違いなく今の俺の心情を言い当ててくる。

 結果はわかりきっていると思いながらも俺は素知らぬフリをして星空を見上げていた。

 

「アンタは星空じゃなくてISVSの宇宙を見てる。そこに箒がいるってことしか考えてない。そうよね?」

 

 頭の中が箒のことだけというわけじゃない。でも星が綺麗だと思うだけの心の余裕はなくて、地表から見える宇宙の姿は嫌でも俺の意識を次の戦いに向けさせるものだった。

 

「それがわかっててここに呼び出したんだろ?」

「再確認という意味ではそれも正解ね。まだまだアンタは非日常の世界に生きてる。ま、それはそれでいいのよ。悪いことじゃないわ」

 

 ちょっと含みのある返答だ。キーワードは“再確認”。

 

「じゃあ何を再確認するつもりなんだ?」

「あら? もう確認はすんだわよ」

「そうなのか――って、ちょ!?」

 

 唐突に胸ぐらを掴まれたかと思えば、強引に引っ張られた俺は半ば強制的に上半身を屈めさせられる。抵抗しようと思う前に意表を突かれた形でされるがままだ。

 反射的に殴られると思い込んだ体が勝手に反応したため、俺は痛みに耐えるために目を思い切り瞑って歯を食いしばる。

 

 …………。

 頬に柔らかい感触。鼻腔をくすぐる香りはお日様を吸収した布団に顔を突っ込んだかのような脱力感を生じさせてきた。

 ふと鈴の気配が離れる。冬の空気で乾燥していた頬にはしっとりとした熱が残っている。その意味がわからない俺ではない。

 

「情熱的と見せかけて、頬という辺りは臆病者だよな、鈴は」

「むっ! そんな冷静な反応されると傷つくんだけど?」

「十分に冷静じゃないっての。俺は元々口数が少ない男だ」

「ダウト! いつもと同じだけ喋ってる! だからもっとどぎまぎしなさいよ!」

「無理」

「なんでよ!」

「今気づいたことだが、お前の言う“いつもの俺”こそがどぎまぎしてる状態だからだ」

「…………え? それって――」

「なーんてな。軽い冗談だ」

「ふっざけんなァ!」

 

 鈴がムキになるのを眺めながら大笑いしてやる。

 でもさ。こうやって鈴をからかうこと自体が気恥ずかしいからで、それは鈴が単なるクラスメイトの女の子というだけじゃ説明できない存在だからなんだとは思ってる。

 まあ、そんな本音を言うつもりはないけどな。少なくとも、今は。

 などと内心思っている間に鈴は沈静化したよう。呆れたとでも言いたげに俺から目を逸らして溜息を吐く。

 

「あたし、また怒っちゃった」

 

 呆れたという点は合ってたけど、対象がどうやら俺でなく自分自身らしい。

 

「仕方ない。俺が怒らせちまった」

「もし今のがセシリアだったらもっとお淑やかに対応してたと思うのよ」

「うーん、それはどうだろ? たぶんセシリアに対して今の対応してたら、今頃俺はセシリアに土下座してると思うぞ」

「……ごめん。今の話だけじゃアンタの頭の中にどんな展開が繰り広げられたのかさっぱりわかんないわ」

「知らない方がいいこともある。少なくとも鈴のシミュレーション通りにはならないって」

 

 だから嫉妬することなんてない、とでも言いたかったのか、俺は。

 言ってからちょっと後悔。これはきっと甘えだ。

 

「ナナ――箒だったら怒ったと思う?」

「そんなもしもがあったとしたら、今頃俺は箒に殴り倒された上で箒に膝枕されてるだろうな」

「自作自演?」

「無自覚なマッチポンプを平然とやってのけるんだよ、アイツは。全部が全部、アイツの正直な思いと行動なんだ」

「そう……羨ましいわね」

「ああ。だから俺は――」

「待って! その先は言わないで。ちょっと揺らぎそうになるから」

「揺らぐって何が?」

「それを聞くの?」

「聞かれたくないなら別にいい」

 

 なんとなく鈴の言いたいことをわかっていながらも、彼女の意図に従ってスルーした。

 

 ……呆れるほどに前に進めないな、俺たちは。

 

 結局のところ、答えは最初から鈴が言っているとおりなんだろう。ここでどれだけ言葉を重ねようが、俺の心は未来へ向かおうとしない。

 叶えたい約束がある。認めたくないがこれはある種の呪縛。願望と後悔が入り交じった結果、重い扉となって俺の進む道を塞いでいる。

 

「……本当に言ってもいいの?」

 

 次なる話題転換を模索していた矢先のこと、鈴に先制攻撃を許す。

 上目遣いは卑怯だ。心なしか潤んでいるような瞳なのに口元には俺をからかっているかのような小悪魔じみた笑みが垣間見える。普段の勝ち気さの欠片もない、甘えたいと主張してくるギャップは大多数の男を籠絡させる。俺も例外なんかじゃない。

 

「やっといい顔してくれた」

「それってどんな顔だ?」

「困った顔」

「鈴は俺を困らせたかったのかよ」

「あたしのことで悩んでほしかった。だってあたしが悩んでるんだからアンタにも悩んでほしいじゃない?」

「そういうもんか?」

「そういうもんよ」

 

 じゃあそういうことにしておこう。これ以上、突っ込んだ話をするのはお互いに望んじゃいない。

 過去に俺と鈴は数日間だけ付き合った。あれからもう一年も経つ。俺の身勝手さで線引きされた俺たちの関係はまだこのままで在りたい。

 

「ねえ、一夏。あれがシリウスだっけ?」

 

 唐突に。本当に唐突に鈴は頭上を指さした。あからさまな話題の切り替えは俺も望んでいたことだから、不自然だとわかっていても乗っかるだけの理由がある。それに折角星のよく見える場所に来たのだから簡単な天体観測をするのも悪くない。

 見上げた夜空、鈴の指さす先にあるのはオリオン座だった。

 

「違う違う。オリオン座にある冬の大三角はベテルギウス。シリウスがあるのはおおいぬ座だ」

「あれ、そだっけ?」

「2年前に教えただろ? シリウスは一等星の中で一番明るい星だって。鈴くらい目が良ければ違いがわかる」

「そのはずなのよね……でもさ。あたし、一番明るい一等星だと思ったのを指さしたのよ?」

「ん? そうなのか?」

 

 言われてからもう一度空を見上げた。雲一つない、理想的な星空であり、俺たちの視界を遮るものは何もない。

 だというのに、俺の目から見ても「これが一番明るい」と言える星はなかった。

 

「あと、さっきから探してるんだけど冬の大三角になるような正三角形が見つからないの」

 

 鈴に言われるまでもなく俺も同じことを思った。ついでに言うと、俺たちが冬の一等星を見失っている理由が単純であるのも気づいている。

 

「シリウスがない……?」

 

 あるはずの星がない。一等星の一つが消えたなんて話になれば朝のニュースのトップの方に話題が昇るのは間違いないけど、俺はそんなことを耳にした覚えがない。遮蔽物もなしに星一つが見えなくなるなんてことは考えにくい。

 鈴と違って俺は冬の大三角の大体の位置に当たりがついている。だから気づけた。

 

「星一つの話じゃない! 空の一部が真っ黒になってる!」

 

 シリウスのあるおおいぬ座の周辺だけ星が一切見えなくなっている。

 虫食いの星空を見上げる俺の両手は拳を形作り、否応なしに力が入った。

 

「どうしたの、一夏? 急に笑って……」

 

 ああ、そうか。俺は笑っているのか。

 今、何が起きているのか察しがついている上に、それが皆にとって朗報でないとすら思っているのに……

 

 俺は笑っている。何せ、探す手間が省けたのだから。

 

 すぐに携帯を取り出す。かける先はもちろん決まっている。相手はすぐに出た。

 

「セシリア。ちょっと確認してほしいことがあるんだけど……」

「ちょうど良かったですわ。厄介なことが発覚しましたので戻ってきていただけます?」

「わかった。俺の方の話もそっちで直接話す。たぶん、同じことだと思うけどな」

 

 電話を切った。するとタイミングを見計らっていたのか、鈴がわざわざ俺の視線に入るように下からのぞき込んできた。相当不機嫌そうな膨れっ面のおまけ付きで。

 

「もう戻るの?」

「ああ。いつまでも夢の中にはいられない」

「どっちが現実なんだかわかんないわよ、それ。今のアンタ、ナナと同じなんじゃないの?」

「たぶんそうだ。ISVSに出会ったあの日から、俺はずっとあの世界に囚われてる」

「じゃ、あたしが助けてあげるわ、お姫様」

「はいはい。頼りにしてるぜ、王子様」

 

 結局、なけなしのロマンチックの欠片をも粉々に砕いて天体観測を終える。

 本音を言えば、もうちょっとここでゆっくりしてるつもりだったけど、そうはいかなくなった。

 星空に虫食いが生じた原因は星が消えたからなんかじゃない。

 遮蔽物があるからだ。

 その遮蔽物が()()()()()()()()()()()()()

 

「……宇宙に地表からでも見えるほどの巨大な建造物が急に現れた。束さんが絡んでないわけがないよな」

 

 束さんの次の一手はもう始まっている。

 世界をも終わらせかねない一手を――



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49 落ちてゆく星

 12月29日。今年もあと残すところ3日となった。それはつまり、約束の日までもう1週間も残されていないことを意味する。

 そんな俺の個人的な事情を嘲笑うかのように世界には大きな脅威が迫っていた。

 

 ――空に黒い月が現れた。

 

 朝からTVのニュースはそればかりだし、新聞の一面も黒い月の話題で埋まっている。某テレビ局すらもアニメとか美味しそうな蟹を放映していない。

 それもそのはず。

 ただ単純に物珍しいというだけの理由ではなく、明確な危機が迫っているからだ。

 

「隕石が地球に落ちてくる……か」

 

 普段なら絶対に目を通さない新聞の一面を読み終えて投げ捨てる。昨夜の時点でわかっていたことだけど、あまりにも無茶苦茶な状況になってしまっていた。

 正直なところ、束さんがここまでしてくるとは思ってなかった。身内だから甘く見ていたばかりでなく、考え方が浅はかだったと言わざるを得ない。

 

「報道は媒体を問わず“自然発生した隕石”で統一されているようだな」

「当たり前ですわ。篠ノ之束博士の造った人工隕石が落ちてきているだなどと言ってしまえば、篠ノ之博士と白騎士を英雄として祭り上げていた各国政府の立つ瀬がありませんもの」

 

 テーブルに一人座るセシリアは落ち着いた様子で紅茶を口にする。地球がやばいのにもかかわらず、彼女が普段通りの優雅な振る舞いをしているおかげで俺も平静を保てていた。

 ……いや、虚勢を張っているに過ぎないか。

 

「心配ですか?」

「いや、千冬姉に心配なんて無用だよ」

 

 千冬姉は今、地球上にいない。

 ……別に死んだわけじゃなくて、単純に地球の外に出て行っているということだ。

 昨夜、鈴と別れて家に帰ってきた後のこと。千冬姉が俺に言い残していったことを思い返してみる。

 

 

  ***

 

 

 空に穴が開いた。鈴との天然プラネタリウムから帰宅した俺は真っ先にセシリアの元へと向かおうとしていた。

 ただいまと言って帰った俺を玄関先で待ってくれていたのはセシリアじゃなかった。

 

「え、千冬姉?」

「帰ったか。間に合って良かった」

 

 俺を出迎えた千冬姉の服装は家にいると思わせない、キリッとしたスーツ姿だ。俺の帰宅が間に合ったということは、今から千冬姉は出かけるらしい。

 

「どこかに行くのか?」

「ちょっと空の上にまで行ってくる」

「ふーん。ま、気をつけて…………はい?」

 

 ちょっと耳でも悪くしたのだろうか。俺は耳の穴をかっぽじる。

 

「どこに行ってくるって!?」

「そのことで話がある。ついてこい」

 

 半ば強制的に連れてこられたのは最近の恒例となった客間だった。中には既にセシリアがスタンバイしてて、お茶の用意を済ませている。

 セシリアがいることで千冬姉が空の上に行く理由を察せた。

 

「やっぱり()()はやばいものなのか?」

「アレとは何か。おそらくわたくしと千冬さんの知っているものと同じだとは思いますが念のため確認しておきます。黒い月のことですか?」

 

 問い返してきたのはセシリア。電話だとまだハッキリ言ってなかったけど、誤解の無いようにハッキリさせておくという提案は正しい。

 

「俺が確認したのは星空に虫喰いができたこと。理由は一つしか考えてない」

「一夏さんの想像通り、鈴さんとの楽しい楽しい天体観測を邪魔したのは宇宙空間に現れた球体状の構造物による遮蔽が原因ですわ。衛星軌道上よりも遠方ではありますが、便宜上、我々はアレを黒い月と呼称しています」

 

 ……なんかセシリアの言葉の端に少しだけ棘を感じたけど、気のせいということにしておこう。

 ともかく、俺の用件と千冬姉の話は一致するということで良さそうだ。互いの認識がわかったところで千冬姉が口を開く。

 

「彩華の報告によれば、あの黒い月は真っ直ぐ地球に向かってきている。このままだと人類は新年を迎えられないかもしれないだろう、とも言っていた」

「隕石ってことか? しかも突然現れた」

「人類が観測できる領域の内側に出現した隕石だ。通常の対策では間に合わない」

「だからISが必要になるわけか」

「そう。間もなく私に出動命令が下ることだろう。ナタルたちとも合流し、命令に先んじて宇宙(そら)へと上がるつもりだ」

 

 わかりやすい流れだ。今起きている問題はISVSでなく現実の話。ISしか問題を解決する手段がなく、ISを使える人が限られているのなら俺たちは頼るほかない。

 

「わかった。いってらっしゃい、千冬姉」

 

 素直に送りだそうと思って、そう声をかけた。いくら束さんが裏で糸を引いているのだとしてもたかが隕石が相手。千冬姉が出撃するのなら何事もなく解決するだろう。

 だけど当の本人は浮かない顔をしている。絶対に負けないと俺に思わせてくれる無敵の剣士の面影は全く見られない。

 

「何か問題があるのか、千冬姉?」

「…………お前に言っておかねばならないことがある」

 

 長く溜めた後、消え入りそうな小声で言われた。明らかに普通じゃない。少なくとも千冬姉らしくはない。

 

「私は――いや、私たちは後手に回っている。こうして私が駆り出されるのも束の手の平の上で踊っているも同然だ」

「相手が束さんだから仕方ないって。それでも勝つのが千冬姉だろ?」

「もちろん、そのつもりだ。だがな……私の想定するとおりなら、この状況になった時点で既に詰んでいる」

 

 始まる前から負けを認めている。千冬姉が言ったのはそんな諦めの言葉だった。

 

「そんなこと言うなよ! 負けるイメージを持ってたら勝てるものも勝てないだろ!」

「わかっている。だから私は私が果たせる役割を果たすと決めた。だが私や他の国家代表クラスの操縦者たちがいくら戦ったところで、束に勝つことはできない」

「何でだ?」

「……何事もなく終わればそれでいい。だが最悪の事態が起きたとき、おそらく私は帰ってこられない」

「死ぬって言いたいのか!」

 

 つい衝動的に掴みかかってしまったが俺の両手は千冬姉に軽く払いのけられる。千冬姉は至極冷静なままだ。

 

「すぐには死なんさ。単純に帰ってくる余裕がなくなるかもしれないとは思っている」

「そこまで予想を立ててるならハッキリ言ってくれよ! これから何が起きるんだ!?」

 

 いい加減、勿体ぶった話し方をする千冬姉に苛立った俺は単刀直入に問いかけた。

 すると千冬姉はフッと小さく微笑む。だけど視線は俺から逸れているし、下を向いている。千冬姉の笑顔が無理に作っているようにしか見えなかった。

 

「お前が間に合わないと思っていたから、オルコットに伝えておいた。必要なことはその都度、オルコットから聞けばいい。私はもう行かねばならないからお前にじっくり説明する余裕はないんだ」

 

 優しく頭を撫でられる。今更そんな子供扱いされるとは思ってなかった。普段なら心地よく受け入れられる千冬姉の手を俺は払いのける。

 

「俺はそんなに頼りないのかよ!」

 

 怒鳴った俺を見て目を丸くしている千冬姉。

 脅かしてごめん。

 罪悪感で胸が締め付けられる。それでも言いたいことを言わせてほしい。

 

「俺は千冬姉に守られるだけの子供じゃない。箒を助けるために戦ってる男だ。一度は認めてくれたんだろ?」

「……そうだったな」

 

 千冬姉は立ち上がると客間の外へと歩を進める。

 逃げるのか。そう思ったが千冬姉は入り口のドアに手をかけたまま止まった。

 

「悪いが、一夏。時間がないのは事実。詳細はオルコットから聞いてほしいのも変わらない」

 

 ドアを開けて一歩踏み出す。そのとき、背中越しに振り向いて俺の目を見据えてきた。

 セシリアがいつも言っている。人と真摯に向き合うのなら目を見て話せ。たとえ体の向きが合っていなくとも、目さえ合わせていれば、そこに後ろめたい思いはないはずだ。

 

「一つだけ直接言っておく。箒を救えるのは一夏、お前だけだ。いや、少し違うか。箒を救おうと思えるのはお前だけだ。だからもう私はお前が戦うことを否定しない。否定するわけにはいかない。お前自身に選ばせるしか、無力な私に選べる道はなかった」

 

 それだけ言い残して千冬姉は出発していった。

 世界最強のIS操縦者が自身を無力だと言う。それほどの事態であるのだと俺は黙って受け入れるしかなかった。

 

 

  ***

 

 

 一夜明けた今でも千冬姉の言葉の真意は掴めてないままだ。セシリアに聞いてもはぐらかされている。この感じは前にも味わっているから、もう俺の方ではなんとなく察せてしまっている。

 そう、これはナナの正体を知っていても俺たちのために事実を隠していた宍戸先生に似ている。だから俺に隠しているのはナナ――箒に関することだと確信すらしている。そして、それが最上級に悪い報せだとも。

 

「セシリア。箒に関して隠してること、話してくれないか?」

「……やはり心配の種は千冬さんでなく箒さんでしたか。それでこそ一夏さんと言うべきでしょう」

「単刀直入に事実だけを教えてくれ」

「申し訳ありませんが、わたくしにも意地があります。確証もない情報をお伝えするわけには参りません」

 

 わかりやすい。隠し事は箒のことかと聞いたのに明確に否定されなかった。つまり、箒のことで何か隠していることは明白。

 

「今度は何だ? もう箒が現実に帰ってこられないとかそういう類いの問題か?」

 

 当てずっぽうで最悪の事態を口にすると、セシリアは誰の目から見てもわかるくらいに目を丸くして俺を見た。

 

「目は口ほどに良く語るわけだ」

「い、いえ! まだそう決まったわけでは――」

「でも千冬姉はそうだと確信してるんだろ? でなきゃ千冬姉が束さんに一方的に負けるなんてありえない。あの二人は共に並び立つ存在だから」

 

 納得できてなかった事柄もこれで合点がいく。千冬姉が本気で束さんと戦うわけにはいかない理由があった。そして、その理由はきっと箒自身のことでなく、俺を思ってのこと。

 俺が千冬姉の足を引っ張ってる。わかっていたことだけど、いざその事実を突きつけられると胸が痛い。

 でも今は自分のことは置いておく。目の前で黙り込んでいる彼女に俺は言わなくてはならない。

 

「セシリア。頼もしい相棒だと思っていたのは俺だけか?」

 

 以前にもこんなことがあったなと思い返す。あのときはナナが箒だとわかってなくて、現実ではもう死んでいるかもしれないことをセシリアが黙っていた。

 あのとき、お前は泣いてただろうに。

 一人で苦しんでただろうに。

 

「また繰り返すのかっ!」

 

 つい声を荒げてしまう。胸の内に燻っている思いを抑える蓋など吹き飛んだ。

 

「一人で抱え込むなよ! セシリアが俺を支えてくれたように、俺だってセシリアの支えでありたい! 潰れるときは二人一緒にだ!」

 

 そもそも俺たちは協力関係にある。セシリアが一方的に力を貸してくれるだけで、負担が彼女ばかりなのは間違ってる。何よりも俺自身がそう在りたくない。

 言いたいことは言った。

 すると、セシリアは盛大に溜息を吐く。

 

「そんなことを無自覚に言ってしまうからこその一夏さんですわね。わたくしの負けですわ」

「お、おう。そうか」

 

 明らかに呆れられた。なんか思ってた反応と違って俺の方が戸惑ってる。

 おかしい。俺の熱い言葉に感銘を受けたセシリアが思い直すことで、隠してることを話してくれるものだとばかり思ってたのに。

 

「……千冬さんが直接篠ノ之博士から聞いた話と前置きさせていただきます」

 

 セシリアが静かに語り出す。あくまで人伝(ひとづて)であると強調した上で。

 

「仮想世界で活動中の篠ノ之博士を殺害すると箒さんも死亡するそうですわ」

 

 隠されていた情報はあまりにも短いもの。

 なんだか拍子抜けする内容だとすら思えてしまう。

 

「そんなことか。だったら束さんを殺すような暴力的な解決がダメってだけ――」

 

 俺の軽口は途中で止まる。気づいてしまったからだ。

 

「束さんが使ってるのはISなのか?」

 

 千冬姉の暮桜とやりあったのだから、束さんもISを使ってるのは間違いない。ISの開発者なのだからISを使って当たり前だという先入観すら俺にはあった。

 だけど俺は知ってるじゃないか。束さんが何を元にしてISという形を造り上げたのかを。

 

「ISでありIllでもある。フォビアシリーズと同じですわ。付け加えると、箒さんを仮想世界に閉じ込めている元凶でもあるようです」

 

 嫌な予感は当たるもの。セシリアの肯定により、俺は事態の深刻さを理解した。

 ……いや、理解なんてしたくなかった。もう箒を救う術がないなどという真実(デタラメ)なんて認められるわけがない。

 だけど、否定する言葉も口から出てこない。千冬姉が認めてしまっているという事実が重くのしかかる。

 

 しばらくの間、沈黙が場を支配した。どう否定しようとしても根拠がなく、空元気にしかならないとわかりきっている。

 そもそもこの情報自体が根拠の薄いものだ。前提がハッキリしていないからどう議論したところで無駄とも言える。セシリアには最初からこうなることが見えていたんだろう。

 

「……メッセージを発信できるか?」

 

 俺が沈黙を破る。このまま動かないことだけはあり得ないとわかっている。何か方法がないかと模索した結果、俺が選んだ手段はこれだ。

 

「どちらにですか?」

「今日は『もう準備しておきました』とは言わないんだな」

「完全に想定外ですから」

「珍しいこともあるもんだな。送り先はわからないからテキトーに拡散してくれ。目に触れさえすればいい」

「拡散……? 篠ノ之博士宛ですわね」

 

 何が想定外だよ。十分に察してくれてるじゃないか。

 

「内容はどうされますか?」

「日本時間の午後8時、彼女との約束の地で待つ。俺の名前も箒の名前も入れなくていい」

「それで篠ノ之博士が来るのですか?」

「来ないなら来ないで収穫になる。頼んだ」

 

 俺の考えは真っ当な疑惑なのか、はたまた単なる希望的観測に過ぎないのか。その答えを出すための策は今のところこれしか思いつかない。

 ……もっとも、答えが出たところで箒を救う手立てに繋がるとは限らないけどな。

 それでもやれることはしよう。

 今は足掻くことしかできないのだから。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 静かな世界だった。振動する媒体がほぼ無いに等しい空間において、ISが聴覚補正をしなければ操縦者には周囲の一切の音が届かない。ほぼ全方位で星が瞬く闇の空で、青い星を背にして織斑千冬が仁王立ちする。

 

『花火師よりブリュンヒルデへ。一部国家を除いて国家代表の出動が決定した。4時間後には指定ポイントで合流可能とのことだ』

「のんびりとした対応だな。危機感がまるで足りていない」

『仕方がない。隕石落下(これ)を危機と思ってない輩が権力を握っている国もある。我々は戦争を仕掛けられているも同然だというのに、自分たちが無関係であると本気で思い込んでいるようだ』

「もはや白騎士事件すらも記憶から薄れたか。あの事件で示されたのはISの有用性などではなく、束個人の保有する軍事力が全世界と戦争ができる規模であることだというのにな」

 

 倉持技研からの連絡を聞いた千冬は嘲笑を隠さない。ISは宇宙にも容易く進出できるほどのポテンシャルを誇っているにもかかわらず、未だに大気圏の外に出られていない理由を実際に示された形だからだ。

 千冬も同意している束の言葉がある。

 

 ――道具を与えたところで人間は地球の外に出られない。重力の枷でなく、隣人の手が翼をもぎ取ってしまうから。

 

 要するに足の引っ張り合い。隙を見せれば後ろから撃たれる。挑戦の度に後背を気にして過剰な予防策を講じなければならず、宇宙に出たところで待っているのは他国との勢力争いだ。

 空の上に求めたロマンは人間という現実を前にして腐り果てた。人間が出てきただけでそこに夢はなく、行き着く先は今と変わらぬ人間社会のみ。

 故に果て無き成層圏(インフィニット・ストラトス)。『人は“楽しい世界”に辿り着けない』という篠ノ之束からの皮肉も込められた名前である。

 

「そう言わないでくれ、ブリュンヒルデ。こうして私が参加すれば何も問題ないのサ」

 

 千冬の右隣にスッと入ってきたISの操縦者はイタリア代表、アリーシャ・ジョセスターフ。ランキング2位、ヴァルキリーの称号を持っている“風”使いである。

 

「宇宙だと無能なのだから下がっていろ」

「ひどい言われようサね。心配されずとも私の風は宇宙だろうが海中だろうが吹き荒れるのサ」

「それは果たして風と呼べるものなのか……」

 

 アリーシャの言動に対して苦笑する千冬は先ほどまでと違って少々楽しげである。

 

「――世界最強さんもあるべきはずの余裕を失ってしまっているようですわねぇ? 親友が世界の敵ともなれば、心中お察ししますけども」

 

 続いて地球から上がってきたISは緑と黒の迷彩色で舞踏会のドレスをイメージした形状をしている。胸元ははだけていてISスーツすらない四肢装甲(ディバイド)の中でも無防備な装甲配置にしているのは単純に操縦者の趣味。頭部には緑色のベレー帽を被っているかのようなデザインのヘッドパーツが装着されているが、これもまた操縦者の趣味であって特別な機能はない。強いて挙げれば、長い金髪をベレー帽の中に束ねて入れていることくらいだろうか。

 

「たとえ親友が相手でも、討つべき敵は討つさ」

「その決意が口だけであることを願っていますわ。身内の手を汚させるなどと悲しいことは避けるべきことですから」

「おい、顔とセリフが一致してないぞ、トリス! なぜ満面の笑みを浮かべている!?」

 

 丁寧な口調で同情を口にしておきながらニッコリと笑っているグリーンベレーの女性は“トリス”という名のイギリス国家代表である。彼女もまたランキング4位のヴァルキリーの一人であり、一般プレイヤーたちには“千弾の魔女”と呼ばれている。

 

「悲しいときこそ人は笑って前を向くべき。そうやってポジティブに生きることを教えてくれた束ちゃんの生き様を胸に刻んで、私は躊躇いなくこの銃のトリガーを引く。それこそが束ちゃんとの絆を大切にするということなのです」

「えらい口上を並べているが、お前と束に面識は無かっただろう?」

「大丈夫です。束ちゃんの思いは私の中で永遠に生き続ける!」

「…………もうお前はそれでいい」

 

 魔女の相手をするのに疲れた千冬は言葉を交わすのを諦めた。元来、人と話すのは得意ではない。

 

「そういえば、アリーシャ。あの寝ぼすけは来ているのか?」

「心配は要らないサね。相変わらず引きこもっていたが、篠ノ之束の名前を出したら部屋から飛び出してきたのサ。もうすぐ来ると思――」

「篠ノ之束ェエエエ!」

 

 返事ごとぶった切るように千冬とアリーシャの間を超高速で何かが通り過ぎていった。地球から黒い月の方面に向かっている。形状は人型。女性とは思いたくない奇声の発生源もそれである。

 

「早速、ドイツ代表が向かっていったようサね」

「くそっ! 流石にワンマンプレーでは歯が立たんだろ! 追うぞ!」

「まだ後続が来るはずだけどどうするのサ?」

「とりあえずお前たちが居れば時間稼ぎくらいできる! 残りは随時加勢するよう伝えておけ!」

 

 急遽、作戦を前倒しして黒い月迎撃作戦を開始。事前にわかっていたことであるが、チームワークの欠片もない作戦である。それでも千冬たちがこの作戦を実行しなければならない。

 現実にISは467しかなく、この場にいる4人が最高戦力に違いないのだから。

 

 黒い月は今もなお速度を上げて地球へと落ちてきている。

 迎え撃つISはより速く、先陣を切った朱色のISが黒い月の眼前で背中の翼を最大限に広げる。翼の先端から輝いている羽根が飛び散り、朱色のISの周囲に大量配置される。羽根は各々がその先端を黒い月に向けると、一斉に射出された。

 無数の光が筋となって黒い月に殺到する。ISが単体で出せる火力としては最高クラスの射撃攻撃であるが、黒い月の質量はその名に恥じない。光の羽根は黒い月の表面に着弾するも、その表層を削るだけに終わる。

 

「――イーリを返して貰うわ」

 

 黒い月の前に白銀の翼も姿を見せた。千冬たちよりも先に到着したISは銀の福音。千冬と同タイミングで宇宙に上がってきていたナターシャ・ファイルスである。

 朱色のIS、ドイツ代表の第一撃に続き、対マザーアース戦でその殲滅力を見せつけた福音がその翼を広げた。無数の光弾が生成される。

 

「消えなさい!」

 

 ナターシャは叫ぶと同時にその場で独楽(コマ)のように1回転。周囲を漂っていた光球が弾き出され、雪崩となって黒い月に直撃する。

 マザーアースに大打撃を与える一撃も星と呼べるサイズの黒い月にとっては蚊に刺された程度ということだろうか。失速することなく地球への進路は変わらない。

 

「質量だけじゃない……? やっぱりこれもISなの?」

「十中八九、束製のマザーアースだ。IS以外の兵器を持ってきて数を揃えたところで無意味だろう」

 

 ここで千冬たちも到着。早速、アリーシャとトリスの2人のヴァルキリーも黒い月への攻撃を開始するが、千冬はその様子を観察するだけに留めていた。

 

「……向こうからの抵抗は無し。単純に落ちてくるだけだな。意外と芸が無い」

『そうは言うが、破砕作業が今のペースでは地球に落ちてしまうぞ?』

「他の操縦者たちは?」

 

 地球の倉持彩華との通信で尋ねるのは援軍の有無。巨大建造物の破砕作業だけならIS同士の戦闘に特化した千冬よりも有象無象を多く連れてきた方が遙かに効率が良い。

 

『我々が作戦行動に入ったのを確認した途端に他の国家代表たちも重い腰を上げたさ。あと、代表候補生を含む専用機持ちも動けるものは片っ端から送り込む予定だ』

「そうか。だが――」

『わかっている。君の要望通り“あの子”だけは例外としておいた』

「助かる。私の想像が正しければ、“あの娘”だけはこちらに来るよりも残ってもらった方がいい」

 

 段取りは概ねOK。これ以上は望めない。あとはこの場でできることに尽力することが千冬の役割。

 

「アリーシャ、合わせろ!」

「はいよ」

 

 AICによる力場を展開。前方にレールを、後方に火を噴くイメージで一気に前に駆け出す。ブリュンヒルデとアーリィ。世界ランキングの1位と2位が肩を並べて宇宙空間を全力で疾走する。

 向かう先は黒い月。月そのものと呼べる大質量に向かってひたすら突き進む2人は、落ちていくのでなく突撃するに相応しい気合いと速度で迫っていく。

 

「ISの攻撃は大きさだけで威力が決まるものではないのサ」

「……吹き飛べ」

 

 2人の動きは一分の狂いもなく同調。クルリと前方宙返りすると片足を突き出した状態で勢いを衰えさせることなく黒い月へと向かう。

 衝突。否、着地と呼ぶべきか。2人の足の裏が黒い月の表層を踏んだ瞬間、初めて黒い月の速度が失速し、軌道がわずかに逸れた。

 

 まだ破壊まで先が見えないことに変わりはない。

 しかし、地球に衝突するまでのカウントは確実に延びていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 12月29日、午後8時。予告していた約束の時間となった俺は()()()()()篠ノ之神社にやってきていた。

 セシリアに頼んで全世界に送って貰ったメッセージに書いた“約束の地”はここしかあり得ない。正確には現実の篠ノ之神社なのだけれど、待ち人が来れるのはこちら側だけだから仮想世界(ここ)で良い。

 

「わたくしも同席してよろしかったのですか?」

 

 今回はラピスにも来てもらった。色々と理由はあるんだけど、一番の理由はジンクス。俺が大きなミスをするときはラピスの目が届いていないときだから、こうして近くに居てもらえれば心強い。

 

「ダメと言ったところで、どうせ監視してるだろ?」

「それはそうなのですが……」

 

 実は否定してほしいんだけど肯定されてしまった。まあ、お互いにそういうもんだと理解し合ってるということなんだけど。

 

「そろそろ時間になるな――と言ってる傍から早速お出ましのようだぜ」

 

 神社の参道に光の柱が昇った次の瞬間には一人の女性が立っていた。

 数えるくらいしか会っていないはずなのにこの服の印象しかない。そう断言できるくらいの『不思議の国のアリス』のコスプレをしてる女性は束さんでしかありえない。

 

「やっほー! やっぱりいっくんだった!」

「“彼女との約束の地”だけでわかったんですか?」

「当たり前だよ! ……と言いたいところだけど暇だったから覗いてみただけだね。いっくんが居ればよし。居なければ無関係で済む話だもん」

 

 それは俺も同じ。このメッセージを見ておいてここに来ない束さんだったら、俺はそんな人相手に話す言葉を持ち合わせていなかったから。

 とりあえず最低限の条件はクリア。この束さんは俺と対話するテーブルにはついてくれている。

 

「束さんの予想通り、いっくんは武装してない。これは束さんと戦闘する意志がないからである。だよね?」

「ええ、もちろん」

 

 俺は別に束さんを殺したいだなんて微塵も思ってない。できれば仮想世界の住人としてでもいいから、これからも俺と箒の助けになってほしいとすら思ってる。

 

「でも、予想外だったなぁ。まさか“約束の地”に無関係な女を連れてくるとは思ってなかった」

 

 束さんの冷めた視線がラピスに向けられている。

 俺はその敵意からラピスを守るため、彼女の前に立った。

 

「彼女は居るだけです。俺が束さんと話をして、束さんは俺とだけ話す。それでいいじゃないですか?」

「……別に邪魔と言いたかったわけじゃないよ。ギャラリーが居る分にはむしろ大歓迎だしね。ただ単純に意外だっただけだよ」

 

 てっきり口を尖らせて不満を言うと思ってたけど、思いの外簡単にラピスの同席を容認してくれた。

 ここで気になるのはその根拠として言った“ギャラリー”。つまり、束さんは見世物を用意しているということになる。

 

「ところで、いっくん。不確実な方法を取ってまで束さんと接触したがった理由は何かな?」

 

 優しい口調。だが目は笑ってない。昔は感情が読めない人の一点張りだったけど、今の束さんからは警戒というか敵意みたいなものが感じ取れてしまう。それは俺の錯覚なのだろうか?

 

「ま、言わずともわかるけどね。箒ちゃんを解放しろと要求するつもりでしょ?」

「はい。俺にはもう、お願いすることしかできません」

 

 建前なんて言うつもりは毛頭無い。千冬姉が聞いた情報が確かであるのならば、束さんが自発的に箒を解放してくれないと箒を救うことができない。

 

「うーん……たしかに私が望めば箒ちゃんとの融合を解除して解放することはできるよ。やっぱりいっくんは正解に辿り着いてるね!」

 

 束さんはアッハッハと高笑いする。

 断言できる。正解に辿り着いたという俺のことを褒めているかもしれないが、決して俺に対して好意的な考えを持っていない。

 ……いくら束さんでも、このタイミングで笑うとは思えないから。

 案の定、笑い終えた束さんの顔が豹変し、俺を見下すように冷たい目を向けてくる。

 

「たった一つの道も私次第ですぐに塞がる。もう妥協しなよ。こうして私が約束の地に赴いたのも、いっくんの妥協に付き合ってあげるためなんだから」

 

 言うや否や、束さんが黒い霧に包まれていく。戦闘行動と判断したラピスがISを展開しようとするのを俺は手と目だけで制した。

 言動からして、このまま俺たちを倒そうという意志はないはず。だから黒い霧の役割は攻撃じゃない。

 やがて黒い霧は霧散する。中から出てきたのは束さんではなかった。

 

「ナナ……?」

「ヤイバ……」

 

 出てきたのはピンク髪のポニーテール少女、文月ナナだった。

 ここはISVS。ただ姿を似せるだけなら簡単な設定だけでできる。だけど、彼女が俺のことを一夏でなくヤイバと呼んだこと。何よりも俺の直感が彼女が俺の探し人本人であると訴えてきている。

 

「シズネは……元気か?」

「ああ。今はまだ病室だけど、もう起きてお母さんと再会してる」

「そうか……そうか」

 

 俺の返答を噛みしめるように何回も頷く。

 この癖まで束さんは知っていて偽物を作ったのだろうか?

 自分のことよりもシズネさんのことを最初に気にかける性格すらも偽物に写しているのだろうか?

 たったこれだけでも俺が確信するのに十分。目の前に居るのは篠ノ之箒本人しかあり得ない。

 

「ツムギの皆はもう、解放されたのだな」

「ああ。あとはお前だけだ」

 

 取り戻したい人がもう目の前にいる。そのはずなのに、今の俺にはとても遠く思えた。

 手を伸ばせば届く。この手で抱きしめてやれる。だけど、一緒に帰ることはできない。

 そう感じているのは俺だけじゃなかった。

 

「もう終わりでいいんだ、一夏」

 

 現実に帰るまでお互いに現実の名前で呼ばないと誓い合った。ついつい呼んでしまうことはあったけど、わざと呼んだことはない。

 今、ナナは俺のことを一夏と呼んだ。それは俺との誓いを無かったことにしようという提案になっている。

 

「いいわけないだろ! まだナナは帰れてない!」

「もう文月ナナは死んだも同然だ。今の私は現実の体ではなく、黒鍵というISのコアと結びつけられている。融合していると言った方がわかりやすいだろう。そして、黒鍵は私をこの世界に閉じ込めた元凶のIllでもある」

 

 ナナの口からその事実を伝えること。

 これこそがこの“見世物”のメインってわけかっ!

 

「Illである黒鍵を破壊しなければ私は現実に帰れない。Illである黒鍵を破壊すれば私は死ぬ」

「方法は必ずある! 実際、同じ状況になるはずだったシズネさんは助かってるだろ!」

「そうだな。黒鍵の操縦者である―――なら任意で解放できるのだろう。だが私にはその権限がなく、許可が無ければこうして話をすることもできない」

 

 何だ? 今、一瞬だけナナの口から言葉が出てなかった。そのことにナナ自身が気づいてない?

 

「もう一度言う。私はもう死人(しびと)だ。これからも生きていくお前たちの枷とはなりたくない」

「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」

「私は知っている。このままでは地球が滅びる。できもしない説得を敢行して、世界そのものが消えるだなど断じて許されるべきではない」

「滅びない! 今、地球に向かってる黒い月も千冬姉たちが対処してくれてる! 絶対に地球には衝突しないから! だから諦めるな!」

「いいや、お前は理解していない。現実に姿を見せている黒い月――隕石型マザーアース“ルニ・アンブラ”は想像結晶により仮想世界から送り込まれたクローン体。本体は別に存在し、現実世界に最大1機までだが無尽蔵にクローンを送ることができる」

 

 しばらく言われた内容を飲み込めなかった。

 なんとか要約すると、千冬姉たちが必死に破壊してる黒い月を破壊できたとしても、すぐに新しい隕石を送り込めるということになる。

 つまり、千冬姉たちが行っていることは、地球に隕石が衝突するまでの時間稼ぎでしかない。

 

「隕石を止める手段はある。発生源を止めればいい。仮想世界にあるルニ・アンブラ本体のコア――黒鍵を破壊すれば現実への隕石攻撃も止まる」

 

 単純明快な答えが示される。だけどそれは――

 

「俺に……お前を殺せっていうのか……?」

「別に一夏でなくても構わない。ただ、我が儘を言ってしまえば……一夏がいいな」

 

 こんな……こんなことで俺に笑いかけるなよ……

 そんなの我が儘でもなんでもないだろ……

 作り笑いで頬が引きつってるのも丸わかりだっての。無理してんじゃねーよ……

 

「セシリア。現実で会ったこともないお前に頼むのは恐縮だが、一夏を間違った方向に進まないよう導いてやってくれ。絶体絶命だったツムギを救ってくれた手腕には期待している」

「……わかりましたわ」

「ラピス!? 何を言ってるんだ!?」

 

 まさかラピスがナナの馬鹿な頼み事を引き受けるとは思わなかった。ラピスも俺と同じ気持ちでいてくれるとばかり思ってたのに。

 

「私がいなくなった後の一夏のことも頼む。一夏のことだ。しばらく塞ぎ込むくらいしてくれそうだから、尻を叩いてやってくれ」

「あなたの自分勝手な自己犠牲精神の後始末だなどお断りですわ」

 

 俺の思い違いだった。ラピスは俺と同じ思いでいてくれている。さっき了承したことは別にナナの意志を尊重したわけではない。

 

「代表候補生なら何を優先すべきかわかってくれているものだとばかり思っていたのだがな……」

「残念ながら、世間一般からの評価としてわたくしは代表候補生失格ですの。これは誠に正しい評価だと思いますし、誇りにも思いますわ。血の通った人間なら何を優先すべきかわかっているものですので」

 

 代表候補生失格。そう中傷されてきたのはラピスにとって本当に痛い過去の話だ。それすらも利用して、ラピスはナナに生きろと訴えかける。そんな彼女の想いを聞いた俺の胸の方が熱くなった。

 

「これでわかっただろ、ナナ? 俺もラピスもお前を助けることを諦めない。世界が救われることを望むなら、黙って助けられてろ」

 

 いくら見捨てろと言われたところで揺らぐ気持ちなんてありはしない。そもそも俺が戦う理由は箒を救い出すこと。世界のために箒を見殺しにするのは俺が戦いの目的を見失っているも同然だ。そこに何の価値もない。

 

「……まったく。お前たちはバカばっかりだ」

 

 うつむいたナナの表情は見えない。だけど、地面に落ちていく雫は決して悪いものじゃないと確信させてくれる。

 こういう涙なら流させてもいい。必ず後でその涙を俺の手で拭ってやる。

 

「何も解決の糸口を提示できない。無責任極まりない。それでもいいなら、私の我が儘を聞いてくれ」

 

 再び顔を上げたナナの顔面は涙でぐちゃぐちゃだった。

 

「私を……助けてくれ!」

「当たり前だ!」

 

 即答と同時に俺はナナを抱きしめようと駆け寄ろうとした。

 しかし、直前で強力な斥力によって弾き飛ばされる。

 

「ヤイバっ! うあっ!」

 

 倒れた俺が身を起こしたとき、ナナは頭を抱えて蹲っていた。さらに黒い霧が彼女を覆い隠してしまい、俺たちは全く近寄れない状態となった。

 

「ナナっ!」

 

 呼びかけに答える声は無く。

 次に黒い霧が晴れたときには、もうナナの姿は無く。

 現れたのはいつもの格好をした束さん。

 

「感動のご対面の時間はしゅーりょー。ここまでお膳立てをしたのに、どうしてまだ私と争うつもりなのか、本当に理解に苦しむよ」

「争うつもりがないなら、さっさと箒を解放しろ」

「おや、命令口調になった? 根拠のない自信は若者の特権だけど、年長者に生意気を言うのは良くないぞ?」

「自分のことを棚に上げてよく言う」

「あ、そだっけ? いっくん、毒舌がちーちゃんに似てきたね。やっぱり姉弟なんだなぁ」

「そういうアンタは箒と似ても似つかない」

「昔からよく言われるよ。うんうん」

 

 俺の挑発もにこやかに受け流してきた。きっとこれは自らの優位を確信しているからこそだろう。まあ、もし戦闘を仕掛けられても、今の俺たちには逃げるしか選択肢が無いから困るんだけどな。

 まだ戦うつもりがないのに俺が挑発した理由? それは単純にムカついているからだ。

 

「じゃあ、用件も済んだし帰るとするよ。と思ったけど、その前に空を見てもらえるかな?」

 

 言われるままに頭上を見上げる。何もない夜空だと思ったが、あまりにも暗すぎる。晴れているにもかかわらず、夜空ではあっても星空ではない。

 

「ヤイバさん! 空を大量のゴーレムが埋め尽くしていますわ! それも地球を覆い尽くすほどの量ですっ!」

 

 ラピスからの報告を聞いて、即座に正面を睨み付けた。

 

「争う道を選んだいっくんに最初の課題を出すよ。地球全体をゴーレムが覆い尽くしているし、“ヘリオフォビア”も配置したから簡単に宇宙に出られるとは思わないでね?」

 

 プレイヤーが宇宙に上がれないように戦力を投入してきた。やはり、拠点は宇宙にあるし、宇宙に上がってこられるのを嫌がっているとも受け取れる。

 

「絶対に箒を助ける。俺から言えるのはそれだけだ」

「ふーん。ま、楽しみにしてるよ」

 

 “楽しみにしている”。全く楽しそうじゃない顔をしたウサ耳女はそう言い残して空に消えていった。

 見送った後、俺はすぐに行動を開始する。まずは――

 

「ラピス、頼みたいことがあるんだが――」

「宇宙へ、それも大戦力を一気に送り込む方法の模索ですわね。簪さんとも相談してみますわ」

 

 こういうとき、本当に理解が早くて助かる。

 

「頼んだ。俺の方は他の準備をしておく」

 

 今、やるべきことは見えている。

 箒を救うためには宇宙に出ることが必須。そして俺一人だけ宇宙に出たところで絶対に箒には届かない。

 だったら、まずは箒のところに辿り着いてやる。そのための手段を俺は知ってる。だからやることはもう決まってた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒い月――ルニ・アンブラの破壊状況は70%を超えた。だが既に地球が目前に迫っている。残りを破壊できたとしても、その残骸が地球へ落ちていく可能性が高まっていた。

 

「どうするのサ、ブリュンヒルデ?」

「手を止めることだけはあり得ない。攻撃を続行しろ!」

 

 全体への攻撃指示を継続した上で、“千弾の魔女”トリスに個別の指示を加える。

 

「トリスは本体への攻撃をやめて最終防衛ラインまで下がれ! 欠片の一つも地球に落とすんじゃないぞ!」

「イエス、マム!」

 

 グリーンベレーのISが人類軍の最後尾へと移動。配置につくと同時に両手を左右に広げる。

 

「“銃殺書庫(じゅうさつしょこ)”、全開放」

 

 トリスの背後でまるで水に水滴が落ちたかのような波紋が次々と広がっていく。それぞれの波紋の中央からぬっと現れたのはIS用の銃器。ただの一つも同じ種類のものはなく、立ち並ぶ銃器の軍勢はまるで城壁であり、銃器の博物館でもある。

 

 単一仕様能力、銃殺書庫。

 ISVSに存在する全ての射撃武器を扱えるという破格の武器数を誇る拡張領域系パラノーマルである。実際に拡張領域に全ての武器を事前にインストールしているのではなく、ISVSのデータバンクにアクセスしてコピーをその場で生成している。

 この能力が使える条件は拡張領域に何も武装をインストールしていないこと。つまり、全ての射撃武器を得る代わりに他の装備は一切使えない、状況によっては詰む事もあり得る諸刃の剣でもある能力である。

 また、生成された銃器を直接手で扱わなくても非固定浮遊部位として運用できる。つまり、銃器の種類だけ兵隊が増えるようなものだった。

 

 千冬は地球防衛の最後の砦にトリスを指名した。それは手数と射程、個々の射撃の照準精度を総合すると彼女の右に出る者はいないからだ。

 

 総攻撃で黒い月が大きく割れる。バラバラになった破片はまだ大きく、このまま大気圏に突入しても燃え尽きそうにない。

 

「照準……OK。盛大に吹っ飛ばして差し上げます!」

 

 立ち並んだ全ての銃火器が一斉に火を噴いた。ほぼ平行に延びていく火線は破壊の壁となってルニ・アンブラの侵入を防ぐ。

 だが破片となってもまだ残骸と呼べなかった。未だにISとしての防御力を有していたルニ・アンブラはトリスの砲撃も潜り抜けた。

 

「まずいっ! 抜かれるっ!」

 

 ヴァルキリーの額に冷や汗が浮かぶ。ISのシールドが生きている破片ならば、大気圏突入のダメージを受けることなく地球へ落下する。たとえ小質量でも、都市部に落下してしまえば被害は甚大となる。

 千冬も目を閉じて頭を振った。トリスで抑えきれないのならば他の誰がやっても不可能だった。あとは人の居ない土地に落ちてくれることを祈るしかない――かに思われた。

 

 大気圏に突入していく破片。しかしそれらは唐突に地球への落下を停止する。それどころか、まるで意志を持ったかのように軽快に地球から離れ始めた。

 

「――面倒くさい上にウザイことこの上ない仕事だ。なぜこの私がブリュンヒルデと同じ陣営として作戦に参加しなければならない? 地球を守るとか綺麗事過ぎて気持ち悪い」

 

 誰の目から見ても地球から新たな援軍が来たことはわかった。ミスをカバーしてもらったトリスなどは胸を撫で下ろしているのだが、指揮官である千冬だけは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

 

「“ネクロマンサー”、オータム……だと……? なぜここに?」

「私だって嫌だったさ! だがスコールに頼まれたら断れるわけないだろうが!」

 

 地球から上がってきたISは蜘蛛。過去、ヴァルキリーの誰を敵に回しても、ただの一度も敗北したことのない最凶のテロリストがその姿を現し、あろうことか人類の危機に立ち向かう千冬たちを援護している。

 

「ここで会ったが100年目……と言いたいところだがそれどころではないな」

「私はお前たちがかかってきてくれた方が都合がいいんだがな! 世界の危機に職務を忘れて私情に走る国家代表だとでもメディアに煽ってやるよ!」

 

 オータムの単一仕様能力、“傀儡転生”は意志なき物質を己の兵隊として使役する能力。ルニ・アンブラの破片はISのシールドが生きていても意志なき物質と分類される。

 破壊でなく操作する。オータムの張った蜘蛛の巣により、ルニ・アンブラの破片が地球に落ちる可能性は限りなく0に近づいた。

 

 防衛の布陣はこれにて完成。現実の操縦者たちはルニ・アンブラの残りを地道に破壊し、ついにコア部分を千冬の剣が貫いた。

 

「無事に終わったようサね。さて、篠ノ之博士は次に何を仕掛けてくるのかナ?」

「違うな、アリーシャ。終わってなどいない。むしろ始まったようだ」

 

 アリーシャを始めとする操縦者たちが任務達成に肩の力を抜こうとしていたときだった。千冬が雪片を向けた先、遠方には黒い巨大な球体が浮かんでいた。

 すぐさま地上からの通信がくる。

 

『ブリュンヒルデ! また黒い月が――』

「こちらからも見えている、彩華。どうやら悪い予感が当たっているようだ」

 

 ルニ・アンブラ破壊直後に再び現れた黒い月はまたしてもルニ・アンブラ。現実の操縦者が総出で迎え撃ってなんとか破壊した隕石が再び地球への侵攻を開始した。その事実は操縦者たちを達成感の高揚から途端に絶望に突き落とす。

 終わりが見えず、ミスを許されない任務。もちろん休憩すら許されない。プロローグが終わり、地球の延命治療に等しい過酷な戦いが幕を上げた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一面に水が張ったような床の上、鏡面に立つ水色ワンピースの女性が壁に浮かんだ映像を見上げている。

 

「想定よりもルニ・アンブラ・レプリカが破壊されるのが遅かったねぇ……ちーちゃんはもうすっかり牙が抜けちゃったのかな?」

 

 現実で起きている隕石迎撃作戦を仮想世界から眺めているウサ耳カチューシャの女性は満面の笑みを浮かべていた。想定外と口にしながらも、その実は思っていたとおりに事が運んでいる。この状況になってもなお、もし世界最強のIS操縦者が自らの前に姿を現すとすれば、それは現実世界の崩壊を意味し、織斑千冬が軍門に降るも等しい。

 既に人類側はブリュンヒルデを仮想世界で戦わせることができなくなっていた。

 

「これも卑劣さだけが取り柄のイレイションのおかげだよ。褒めてつかわすー」

「ハッハッハ。お褒めにあずかり光栄です」

 

 ウサ耳女の傍らにはスーツをラフに着崩した男、ハバヤが立っていた。当たり前のようにこの場にいる彼こそが今回の隕石攻撃を立案した張本人である。

 

「想像結晶などという強力なカードがありましたからね。もう一つ基地を建造すれば、人類は為す術もなく滅びたでしょうが、それだと面白くないですよねぇ?」

「その通りだよ! エンターテイメントをよくわかってるじゃないか!」

 

 2人の男女の大笑いが反響する。もしもこの場に共感できない人物が紛れていれば耳障りなことこの上ない。

 そして、その“もしも”は起きている。

 

「……くだらないな。およそ見世物の域に達していない」

 

 部屋の中央。水晶のように透き通った大木に取り込まれているピンクポニーテールの少女、文月ナナが呟いた。あまりにも冷めた声だったが、その根底には確かな熱が埋まっている。でなければ喋ることすら煩わしいはずであるからだ。

 囚われの身となってからのナナはずっと人形のように何もしなかった。話しかけられても無視を決め込んでいた。聡い彼女は事態の重さを正面から受け止めており、夢すら抱かず絶望の前に折れていた。

 昔からそうだった。自分ではどうしようもない苦難など慣れている。これまでの人生の大半を諦めて生きていた彼女にとって、暗い現実を受け入れることなど造作も無い。ましてや、自分が素直に消えることが一夏のためとなると思えたなら尚更だ。

 

 だが、また叱られてしまった。

 一夏よりも先に諦めてしまった。

 裏切ってしまった。

 

 ナナは素直に自らの非を認める。

 過ちは正さなければならない。まだ手遅れではない。

 だから、最後まで足掻くと決めた。

 たとえ一夏に殺される結末だとしても、生きる努力を放棄しないと決めたのだ。

 

「箒ちゃん……やっと喋ってくれたね」

「訂正しろ。まだ今の私は文月ナナだ。姉さんが付けてくれた二つ目の名前は、一夏と本当の意味で再会するまで消えることはない」

「――ちょっと黙っててね?」

 

 苛立ち混じりの声と共に指がパチンと鳴らされると、ナナは目を閉じてぐったりとしてしまう。

 

「力尽くだなんて大人げないですねぇ?」

「イレイションの場合は首を()ねてもいいよ?」

「前言撤回。お優しい対応でした」

 

 言葉だけなら過激な脅し文句に屈したハバヤであるが、全く恐れを抱いていない。相も変わらず不遜な態度のまま、あくまで対等だと立ち振る舞いで語っている。

 

「さてと。現実世界の崩壊までのカウントダウンが始まりました。このまま何事もなく、終わると思ってますぅ?」

「それはないだろね。まだいっくんが残ってるから」

「織斑一夏。亡国機業に壊滅的な打撃を与えた英雄の息子。彼は女一人を救うために未だに戦い続けている。正直な感想を言わせてもらうと“ガキ”の一言ですが、不気味なほどの一貫性は私好みではあります」

「急に饒舌になってどうしたの?」

「テンションが上がってきてるのは間違いないですねぇ。ここに篠ノ之箒がいるということは、織斑一夏は必ずやここまでやってくるに違いない。たとえ無駄だとわかっていても抗う人の姿は尊い。そう言わせていただきます」

「尊い? どうせ滑稽だと思ってるんでしょ?」

「それはそうですよ。ですがね――その2つは両立するんです」

「ふーん。イレイションの中でいっくんの評価は高いんだ」

「エアハルトを倒した事実もありますから認めてはいますよ」

 

 ハバヤが返事をした瞬間、人差し指を顎に当てていたウサ耳女の眉がハの字になる。

 

「そんな理由で?」

「何か変でした?」

「うーん……ああ、そういうこと」

 

 唸っていたウサ耳女が胸の前で手をポンと叩いて勝手に納得する。

 

「まあ、楽しみにしておく感じかな。まだ一波乱起きそうだから」

「普通に考えると、こちらの戦力を突破してくることはあり得ないはずなんですがね。ただ、私の予想では『彼は来る』でしょう」

「それはイレイションの思惑でもあるということ?」

「さあ、それはどうでしょう? 少なくとも、彼がいないと面白くないとは思ってますけど」

「ま、それでいいよ。束さんもいっくんが来てくれないと寂しく終わっちゃうと思ってるし、やっぱり楽しく終わらないとね」

 

 『楽しく』と言った彼女は頭上を見上げた。外が透けている天井に映し出されている景色は、闇の中に黒い汚れが目立つ青い球体が浮かんでいる。

 

「早くおいで、いっくん。私と――遊ぼう?」



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50 拡散する光明

 12月30日。例年なら大晦日前日にもなるとお祭り気分になっている人が大半を占めていると思うのだが、残念ながら朝から暗いニュースばかり取り上げられている。

 

 国家代表チーム、隕石の破壊に成功。しかし、二つ目の隕石を観測。

 IS操縦者、休みなき戦い。

 

 どの新聞もテレビもそんな見出しだ。相変わらず不安を煽るのが仕事だと言わんばかりに熱心な報道をしてくれている。

 だけど日本というお国柄だろうか。特別に避難しろという指示が出されることもなく、国民の大半は今も日常の中に居る。ネットの方を確認しても危機感を持っている人は少数派で、隕石のニュースはまるで他人事扱いだ。白騎士事件なんていう前例があるものだから、たかが隕石くらいISがなんとかしてくれるという認識もあるんだろう。

 わからないでもない。本当に危険だったならば政府が動いているはずで、避難指示が出されていないということは危機を回避できる算段があることを意味するはずだから。

 だけど実際は違うのだと俺は知っている。もし国家代表チームが隕石落下を阻止できなければ、地球には次々と隕石が落着する。その果てに何が起きるのかは想像に難くない。地球上のどこに逃げようが、その昔恐竜が滅んだように人類はいなくなることだろう。避難指示など出せるはずなどなく、いたずらにパニックを起こすよりは形だけでも平穏を装っていた方が秩序を保てるというものだ。

 誰も間違っていないと思う。しかし、地球滅亡の危機を前にして、日常の中にいる人たちを眺めているのは複雑な気分にもなる。

 千冬姉は人々を守る戦いに赴いている。それを軽視されているように思えてしまうし、何もできていない自分もそんな大多数の人間と変わらないのではないか。そんなことすら考えてしまうこともあった。

 

 もっとも、今はネガティブ思考をしてる暇もない。

 

「よし。全員集まったところで早速、会議を始めたいと思う」

 

 今日、俺の家のダイニングには俺を含めて6人が集まった。もちろん俺が呼んだのだし、話し合う内容もこのタイミングだと一つだけだ。

 

「会議はいいけどよ。代表候補生と倉持技研職員(仮)以外は役に立ちそうにないんじゃないか?」

 

 いきなり話の腰を折ってきたのは弾。別に俺に文句を言ってるわけじゃなくて、他に話すべき相手がいるだろうという指摘だ。

 

「最終的に彩華さんに話を通せば問題ない。それに俺は弾の力をかなり当てにしてる」

「俺の力……? ああ、やっぱりそういう流れになるよな」

 

 もう弾は察してくれてるようだ。たぶん俺が提案する内容まではわかってないと思うけど。

 ちなみに鈴と数馬も呼んでるけど、特に2人に頼み事をする予定はない。

 

「ではまず、現状の確認からしましょう」

 

 そう仕切り始めてくれたのは当然、セシリア。つくづく思うけど、彼女がいないと俺は致命的な情報不足に陥っているだろう。

 

「皆さんもニュースなどで知っていると思いますが、現在、地球に向かって隕石が落ちてきています。この脅威に対し各国の国家代表が出動。ギリギリのところで破壊に成功しました」

「……え? ギリギリだったん?」

「そうですわ。あの隕石は自然にできたものではなく、仮想世界から“想像結晶”により送られてきた隕石型マザーアースでした。公にはあたかも当たり前のように破壊したと報道されていたわけですが、国家代表を始めとする専用機持ちが集中攻撃してようやく落とせた代物なのです」

「想像結晶……ゼノヴィアの使ってた力だよね?」

 

 想像結晶は仮想世界のものを現実に造り出す単一仕様能力。元々は遺伝子強化素体であるゼノヴィアが現実にやってくる際に使用していた力だった。敵側はどうやらこの力を解析できているようで、仮想世界からゴーレムだったり隕石だったりを現実に送り込んできている。

 全部、千冬姉が追っていて見つけた真実。だけど今はもう千冬姉に仮想世界を追いかける余力がない。

 

「さらに情報を付け加えさせていただくと、ゼノヴィアさんが使っていた想像結晶と違い、この隕石は仮想世界に存在するもののコピーであることがわかりました。不幸中の幸いですが、同時に2つ以上出現させられないようですので、国家代表チームが現在の防衛を続けている限りは地球への落下はありません。続けている限りは、ですが」

 

 まだ、次の隕石が残っている。そして破壊しても後続があることだろう。もし隕石の迎撃で千冬姉が欠ければ、隕石は地球に到達する。

 セシリアの言うとおり、千冬姉たちが抑えてくれているうちはまだ地球への落下はない。だけど、いつまでも全力で戦えるわけもない。ISの操縦者保護機能などを考慮しても、年が明けた頃には限界が近いと予想されている。

 

「はぁ……全部が全部、アンタらの作り話だったら良かったんだけどね。あまりにもフィクションっぽいから全然実感湧かないけど、このままだと地球が滅ぶってのは理解したわ」

 

 今まで黙ってた鈴が頭を掻いている。じれったいのはわかる。このままだと危ないのに逃げることすらできそうになくて、自分の運命が完全に他人任せになっている。自分のことは自分で切り開いてきた鈴としては面白くないだろう。

 

「で、本題は? まさかあたしらにだけ本当に世界の危機なんだって伝えて、セシリアが用意した宇宙船で逃げろとか言わないわよね?」

「あのな、鈴。そんなものがあればとっくに――」

「とっくに政府に徴収されましたわ」

「本当にあったんかいっ!」

「冗談ですわ」

 

 真偽がわかりづらい冗談はやめていただきたい。今は真面目な話をしているんだ。

 

「話を戻すけどさ。危機があるってだけで終わるわけないわよね?」

 

 そう言った鈴の視線はここに集まった最後の一人に向く。

 

「……そう。私も……一夏くんの力になりたかったから」

「ありがとう、簪さん」

 

 6人目は簪さん。ISの装備についてセシリアよりも詳しい彼女が居るのと居ないのでは作戦立案の質が大きく変わってくる。エアハルトとの決戦の攻撃プランもセシリアと簪さんの2人で組み立てていた。

 簪さんを招いた。つまりこれは、俺が反撃に出るという意思表示でもある。

 

「さっきは現状の“危機”について話した。改めて言っておくと、このまま現実で国家代表チームが戦っていても、隕石の襲来は終わらない。だから俺たちが把握すべきは『どうすれば敵の隕石攻撃が終わるのか?』だ」

「……ブリュンヒルデから提出されたデータによると、想像結晶を使用するにはいくつかの制限がある。想像結晶の発動媒体が必要。仮想世界側から現実に送り込む場合、仮想世界での座標に対応する現実座標にしか送れない。そして、発動媒体よりも小さな物体しか送れない……です」

「簪さんが言ってくれた条件を満たせない状況を作り出せば、現実に新たな隕石が出現することはなくなる。つまり、仮想世界にある想像結晶の発動媒体を破壊すればいいってことだ」

「ん? 今の話をまとめると、想像結晶の発動媒体って奴は仮想世界の宇宙にあるってことになるんだけど……?」

「その通りだ、鈴。仮想世界の宇宙空間のどこかに存在する発動媒体――あの隕石型マザーアースのオリジナルであるルニ・アンブラを破壊する。それができなければ、地球が破壊されるんだ」

 

 もう話は単純なものになっている。

 千冬姉たちが力尽きて、隕石が地球に落ち始めれば俺たちの負け。

 千冬姉たちが防衛できている間に、仮想世界のルニ・アンブラを破壊すれば人類の勝ち。

 決着はISVSでつけるというわけだ。

 

「もう目標は定まってるわけね。これから具体的な話をしてくんだろうけど、その前に一ついい?」

「ん? なんだ、鈴?」

「どうして、こんな世界の危機をなんとかしようなんて大それたことを一夏が仕切ってんの?」

 

 ………………。

 言われてから初めて気づく。そういえば、いつの間にか規模のでかい話に巻き込まれてるんだな。

 

「なんで驚いてんのよ。あたし、何か変なこと言った?」

「いや、全くそんなつもりなかった。俺はただ――」

「いつも通り、例の彼女を助けるのに必死なだけだろ。まだその繋がりを把握してねえけど、それ以外ないっての」

 

 俺が言わずとも、勝手に弾が答えてくれた。

 俺は皆の住む現実がどうでもいいとまでは言わないけど、少なくとも箒と共に帰ってくる場所くらいは守りたいと思ってる。それでもやっぱり地球を守るためだなんて大義名分を本気で抱えるつもりはなかった。

 あくまでついで。俺は宇宙まで箒を迎えに行く。

 

「弾に言われなくてもわかってるわよ……でも一夏からまだ聞いてない」

「じゃ、改めて俺の口からも言っておく。この戦いは箒を取り戻すための決戦になる」

「そ。じゃあ、きっちり勝って終わらせないとね!」

 

 とびきりの笑顔でそう言った鈴が俺に手を差し出して話を先に進めるよう促してきたから俺は頷く。

 

「決戦の最終目標はルニ・アンブラの破壊。そのためには俺がルニ・アンブラの内部に突入してコアを破壊する必要がある」

「これまでの戦いと似てるな。突入要員はどうしても一夏である必要があるんだな?」

「その通りだ、弾。俺以外が先に突入して、ルニ・アンブラを破壊できたとしても、それは俺にとって負けだ」

「……OK。全力で支援する」

 

 普通は理由を聞くところだと思うが、答えはさっき言ったも同然。弾は問い詰めてくることなく勝手に納得してくれた。

 

「最終目標はルニ・アンブラ。だけど今までと違ってすぐに戦場といううわけにいかないのが今回の厄介なところだ」

「転送ゲートを使って宇宙に直接出ることができない、って奴だね?」

「ああ。その件に関して聞きたかったから簪さんに来てもらった。実際のところ、どういうことなんだ?」

 

 セシリアも結果を知ってるだけだったこと。本当は彩華さんに聞きたかったけど、あの人は忙しい。俺の把握してる限りでは簪さんなら知っててもおかしくなかった。

 簪さんはズレた眼鏡のブリッジを人差し指でくいっと押し上げる。

 

「転送ゲートは“アウトゲート”にデータを転送するスキャナーみたいなものであって、厳密には好きな場所にテレポートさせる装置ではないの」

 

 スラスラと出てきた説明は俺の頭には上手く入ってこない。

 

「ロビーの転送ゲートは入り口の装置に過ぎず、出口の装置が存在するということですか?」

 

 頭上で疑問符が乱舞している俺の代わりにセシリアが代わりに質問してくれる。

 というか質問じゃないな、これ。どう考えても俺に説明するために言い直してくれただけだ。

 

「わかりやすいように言ったつもりだったんだけど、間違った言い方をしただけになっちゃった……基本的にはセシリアの言うとおり。正確には入り口側である転送ゲートの機能はゲート内の物質のデータを取り込み出口側である“アウトゲート”に送ること。アウトゲートは装置の範囲内の指定した座標にデータを元にしたコピーを再構成するもので、プレイヤーの意識だけは現実から再びダウンロードし直しているの」

 

 ……似たような話をクーから聞いてたな。ギドを倒すときに利用した『仮想世界の住人は転送ゲートを使用すると壊れる』という話だ。それもそのはず。俺たち現実の住人は現実に元となる意識が存在しているが、ナナのように仮想世界に意識を囚われている人間や、ギドのように元々仮想世界にしか存在しない者はダウンロード元となる確定した意識がなくて、肉体に残った絞りかすのような意識しか残らない。

 俺の解釈はそんなところ。現実に転送ゲートが作られないのはそうした“アウトゲート”の機能が理由となっている。

 

「その“アウトゲート”には有効範囲がある。これが宇宙に転送できない原因なんだな?」

「そう。現在、地球上を範囲とするだけのアウトゲートが起動しているけれど、宇宙には届いていない」

「宇宙でアウトゲートを起動したらどうだ?」

「難しい。アウトゲートは転送ゲートやゲートジャマーと同じで遺跡(レガシー)の中でしか起動できない。当然、宇宙に私たちが活用できるレガシーは存在しない」

「じゃあ、転送ゲートで大軍勢を一気に運ぶのは無理ってわけか」

 

 どう考えても敵はこれまでにない大戦力を抱えているし、俺たちが攻勢に出ることはわかってるだろうから警戒してることは間違いない。

 この状況で俺がルニ・アンブラに到達するには敵軍と乱戦に持ち込みたいところだけど、そのための戦力が揃わないと話にならない。

 転送ゲートが不可だとすればあとは地道に飛んでいくしかなくなる。でもそれだとルニ・アンブラの宙域に辿り着ける戦力が極端に削られてしまう。

 今、ISVSの空はゴーレムの軍勢で埋め尽くされている。向こうから攻撃はしてこないようだけど、宇宙へ行こうとすれば途端に牙を剥くに決まってる。

 

 俺が頭を悩ませている中、簪さんは胸を張って笑顔を見せてきた。

 

「難しいとは言ったけど、無理じゃないよ。レガシーを宇宙に運んじゃえばいいから」

「どうやって運ぶんだ? 今のISVSの状況を知ってて言ってるのか?」

「誰もロビードームを運ぶとは言ってないし、ロビードームを移動させることは今の私たちの技術では不可能と結論づけられてる」

 

 この口ぶり。ロビー以外に俺の知らないレガシーがあるってこと?

 

「つい最近まで私たちもその存在がレガシーと同等の機能を持っていることを知らなかった。沈んでいたあの(ふね)を届けてくれなければ、この作戦は立案すらできなかったと思う」

 

 (ふね)……? まさか――

 

「アカルギ……」

「そう。篠ノ之博士が建造した戦艦型マザーアース“アカルギ”は高速で移動できるレガシーでもある。だからアカルギが宇宙に出られれば、プレイヤーを宇宙に転送することが可能になる」

 

 これは朗報だ。何よりも、シズネさんたちが無茶をしたことに意味があったのが嬉しい。結果論ではあるけど。

 

「アカルギを使えば宇宙にプレイヤーを転送できるわけだな?」

「うん。あの艦なら宇宙空間に出てからも単独で高速航行が可能だから、転送範囲に困ることはないと思う。……篠ノ之博士が宇宙空間全てにゲートジャマーを展開していなければ、だけど」

「その心配は要らない。ゲートジャマーが存在するのなら、レガシーもあるだろ? 制圧してアウトゲートを設置すればいい」

 

 もし相手にアカルギのような戦闘可能なレガシーがあると厄介だけど、流石に宇宙空間を覆い尽くすような数を用意できていないはず。

 ……束さんにそんな時間はなかっただろうから。

 

「思ったんだが、一夏。アカルギを使えばいいとは言うけどよ、宇宙まではどうする?」

 

 弾の危惧は至極当然。今、正にISVSで起きている異変が関係している。

 

「ゴーレムのことか」

「ああ。俺も自分で確認したし、他の奴らからの情報と照らし合わせてみても言える。どこに行ってもゴーレムのいない空はない。文字通り、地球を包囲してる」

「まあ、敵さんもそう言ってたからな。目に見えた穴はないと思うから、強行突破するしかないだろ」

「アカルギは決して防御性能が高いわけじゃない。耐えきれるのか?」

「無理だ。だからこそ――」

 

 ここでようやく本題に入る。

 

「知恵を貸してほしい」

 

 本当は『どうやって大量のプレイヤーを宇宙に転送するのか』が議題だったんだけど、簪さんが提示してくれた方法でいくべきなのは一目瞭然で議論の余地がない。

 だけどまだ机上の空論。俺たちが決戦を始める条件は『アカルギが無傷で宇宙に到達すること』なのだが、ゴーレムの攻撃を掻い潜るには図体がデカいため、強引には通過できない。加えて、地球を包囲してるゴーレムの中に“ヘリオフォビア”というフォビアシリーズが紛れてることもわざわざ宣言してきていた。一筋縄にはいかないと思っておかないと痛い目を見る。

 ここでセシリアが挙手する。

 

「残念ながらわたくしが提示するのは解決策ではなく注意点の追加ですわね。宇宙に上がると気軽に言っていますが、転送ゲートの仕様上、敗北したプレイヤーが無事に現実に帰る保証はできません。そして、敵軍の数は地球を包囲してもなお余裕があると思われますので、長期戦は絶対に避けなければなりません」

「元より時間制限があるから1回勝負のつもりだ」

「わたくしが言いたかったのはアカルギを宇宙に打ち上げた後、最終決戦を仕掛けるまで時間を置いてはいけないということですわ」

 

 確かに宇宙に上がった途端に地球を包囲できるほどの数のゴーレムたちが標的をアカルギに移すとなると、現実の地球に隕石が落ちるよりも早くアカルギが落とされる。

 つまり、宇宙へ離脱するときから決戦は始まっているということ。

 

「帰還ができないかもしれない。それはストックエネルギーの回復ができないことを意味します。敵にはIllもありますので、倒れたプレイヤーは決戦が終わるまで復帰できないと思われます」

「どの道、背水の陣だろ? アカルギを宇宙に上げるためには戦いは避けられない。だったら最初から全力でいくだけだ」

「……それは間違ってるよ、一夏」

 

 意図的に強気な発言をした俺を数馬が(たしな)めてきた。正直に言うと意外だし、何よりも俺の何が悪いのかピンと来てない。

 

「一夏の目的を果たすには、一夏がルニ・アンブラってところに突入しないといけない。なのに、地球から出るだけでボロボロになってもいいのか?」

「それは……」

「前にもあったことだって。一夏を無傷で届けるのが()()()の勝利条件の一つ。だから土壇場まで一夏は神輿(みこし)として担がれてろってことさ」

 

 数馬が言ってるのはギドとの戦いのこと。俺は皆の援護を受けて、ナナを助けに向かった。皆の力で無傷の俺が辿り着かなかったら、俺はギドに負けていただろう。

 

「一夏に限らず、宇宙に出るまでの戦いには戦力を割きすぎない方が良さそうね」

「どうしてだ、鈴?」

「だってそうでしょ。相手はわざわざ地球全体を包囲するなんていう効率の悪い方法をとってきたから戦力が集中してないとはいえ楽な相手でもない。どっちにしろ後で大軍と戦うことにはなるけど、いきなり疲弊することもないんじゃない? アカルギさえ宇宙に上がれば、こっちの兵隊は無傷でいられるんだからさ」

 

 ここでセシリアに目配せをしてみる。彼女はコクッと頷くだけ。つまり、鈴の言ってることは間違ってないのだとセシリアも同意している。

 

「しかしメンバーはどうする? ゴーレムの大軍を蹴散らし、未知数の敵をも打ち破ってアカルギの道を確保できるプレイヤーに心当たりがないんだけど」

「人選はあたしに任せてもらえる?」

「鈴がそう言うのも珍しいな。あんまり人脈があるようには見えないんだが――」

「まあ、見てなさいって。とりあえずアンタはあたしを信用して待ってればいいわ」

 

 ここまでハッキリ言われると俺は頷くしかない。

 

「鈴さん。時間の方は調整できますか?」

「作戦開始時刻のこと?」

「違いますわ。アカルギが宇宙に到達する時間です」

「誤差はどれだけ許容できるの?」

「30分ほどなら問題ありませんわ」

「OK。努力はする」

 

 俺が置いてけぼりになってる間に2人の作戦会議は終わってしまったようだ。

 

「では明日、12月31日の午前10時より鈴さんの作戦を実行しましょう。作戦完了の目標時刻は午後1時でお願いします」

 

 あ、そういうことか。終わる時間を気にしてるのは、次のために決まっている。決戦開始時刻をある程度決めておかないといけない理由があるからな。

 

「鈴が上手くいったとして、だ。その後はどうするつもりだ、一夏? いつものメンバーを招集していくのか?」

 

 このタイミングで弾がわざわざ口を挟んできた理由を俺は知っている。確認するように質問をしながらも、弾は暗に『それでは上手くいかない』と言ってくれている。

 当然、俺も今まで通りでなんとかなるだなんて思ってない。ギドやエアハルトのときとは違う。戦力が限られていた奴らと違って、今度の敵は無尽蔵に強力な無人機を出してくるとわかってるからだ。

 その点に関しては俺に策がある。もう形振(なりふ)り構わないと決めた。

 

「ゲームのイベントに仕立てよう。ISVSの年越しイベントとでも銘打って、隕石以上の危機を乗り越えるってミッションをすれば、ゲーム好きなら必ず寄ってくるし、世界中に実力を示したいガチ勢も釣れる」

 

 ミッションのシステムでなく、ISVS全体を巻き込む。運営者ミッションはもう前例が作られているから、彩華さんのコネを頼ればきっと実現は可能だ。ゲームのイベントとするからこそ、開始時刻を決めておくことは戦力に影響してくる。

 そして、俺はプレイヤーを騙すだけにはしておきたくない。

 

「Illの噂も利用する。それとなくISVSでルニ・アンブラを破壊すれば現実の隕石も破壊できるって噂を流しといてくれ。知ってる奴なら協力してくれるだろうし、知らなくても、たとえ半信半疑でもいいから参加してくれればそれだけで心強い」

「……なるほど。その噂の拡散に攻略wiki管理人である俺の力が必要ってわけだ。すぐに仕掛けておく」

「わたくしも情報の拡散はしておきますわ」

 

 ネット関係はセシリアと弾に任せておく。その分野で俺ができることはない。

 

「簪さん、アウトゲートの準備にかかる時間は?」

「準備自体は大気圏外に出る前でもできるから、宇宙に出てから起動するのに大して時間はかからないと思う」

「ではルニ・アンブラへの攻撃開始は午後2時としましょう」

 

 大体の段取りが決まってきた。

 まずは鈴が集めた少数精鋭で地球の包囲網を突破し、アカルギを大気圏外に到達させる。

 その後、ミッションとして掻き集めたプレイヤーによる数の暴力でルニ・アンブラを攻撃。白兵戦で混乱を誘い、俺がルニ・アンブラの内部へと突入する。

 ルニ・アンブラの防衛網がどうなっているのかはまだわからないけど、現状ではこれ以上の策はなさそうだ。

 

「――ふーん、噂の拡散かぁ。それだったら僕も役に立てそうだね」

「私は戦闘が専門だ。決戦の際は最前線で力を示すとしよう」

 

 会議に割り込む形で入り口から声がした。呼んでなかったけど、本当は呼びたかった金髪と銀髪の美少女2人。しばらく留守にしてただけで、彼女らはまだこの家の住人(居候)だ。

 

「シャル、ラウラ! 帰ってきてたのか!」

「うん。ラウラも元気になったし、そろそろ一夏が反撃を始めるってわかってたからね」

「不甲斐ない姿を見せてすまなかった」

「いや、気にするなって。ところで、ラウラ。たしか専用機持ちは隕石迎撃に駆り出されてるって聞いたけど、ここに居ていいのか?」

「病み上がりというのもあってか本国からの要請はないから問題ない。結果論ではあるが、隕石迎撃に主力を割くのは敵の思うつぼだ。わざわざ今から私が向かうのは下策だろう」

 

 淡々とした態度ながらも俺を助けることを全肯定してくれるラウラ。あの不安で染まりきっていた彼女の心はもう前を向いている。もう俺が心配することは何もなさそうで安心した。

 

 俺はこの部屋にいる皆の顔を見回す。

 箒がいなくなった後、俺が周囲から孤立しないよう近くにいてくれた鈴。

 中学で一緒のクラスになり、遊ぶことを忘れていた俺とバカをやってくれた弾と数馬。

 力不足だった俺たちにとって心強い仲間だったシャルとラウラ。

 最初は誤解から敵になっていたけど、今は俺たちと違った視点から手を貸してくれる簪さん。

 そして……たった一人の戦いをしていた俺の前に現れたセシリア。

 

 他にも、この場にいない多くの仲間に助けられてきた。

 俺はアドルフィーネやギドといったIllを倒してきたし、世界最強の男性操縦者と言われていたエアハルトも打ち破ったけど、それは俺一人の力なんかじゃない。

 皆が居てくれたから今の俺がある。

 皆が居てくれたから箒を救いにいく戦いを始めることができる。

 

「ありがとう、皆」

 

 まだ終わってない。まだ礼を言うには早い。そう頭ではわかっているけど、気づいたら口から出ていた。

 

「バカね、アンタは。そういうのはナナを助け出してからにしなさいよ」

「そ、そうだな」

 

 案の定、鈴に指摘されて何も言い返せなかった。

 俺の空気を読まない発言で皆が笑っている。人類が滅ぶかもしれないなんていう悲壮感は全くなく、俺たちの日常がまだまだ続く。きっとそう皆が信じられているのだろうと思う。

 だけど、皆に合わせて作り笑いをしていた俺の胸中はもやもやしていた。

 

 この場で唯一、セシリアだけが笑っていなかったから……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一夏の家での会議を終え、五反田弾は帰路に就いていた。冬休みに入ってから弾は一夏の問題に深く関わってこなかったが、もはや事態は個人の問題ですまなくなっているらしいと知るに至った。

 弾の行動は一夏たちからの提案にあった通り、情報をばらまくこと。もう既にスマホからwikiを更新し、大晦日の大イベントということで情報を出した。あとは閲覧したユーザが勝手に拡散してくれる。

 加えて、匿名のBBSでIllの噂を交えて不安を煽り、半ば強引にでも世界の危機に結びつけておく。本当に世界の危機に立ち向かってもらう必要はない。ただ、事実を事実として受け取れる者だけには本当のことを知っておいてもらいたかった思いがある。一人でも多くのプレイヤーに、本気で戦ってほしいからだ。

 

「さて、こんなとこか」

 

 一通りの作業を終えるとスマホをポケットに仕舞って再び歩き始める。こうして一夏に協力している弾にとっても、世界の危機はあまりにも現実感がなかった。昼の晴れた空にポッカリと穴が開いたような黒い月が浮かんでいるというのに身の危険を全く感じない。この漠然とした安心感に気づいてしまったとき、逆に弾は怖くなった。

 

「平和ボケ……か。今も誰かが必死に対処してるのに、それを知らないと時間が解決してくれるように思えちまう。昔はこうじゃなかったはずなのにな」

 

 10年前の白騎士事件で日本は滅亡の危機に瀕していた。2341発のミサイル。それは一般市民に隠し通せるレベルの脅威ではない。自分だけでも助かろうと数少ない核シェルターを取り合い、少しでも遠くに逃げようと空港や船に人が殺到する。生きるのに必死で他人を蹴落としていた人々の姿はまだ幼かった弾の目にも強烈に焼き付いている。

 世界的な災害時だというのにパニックとは縁遠く、年末の準備で忙しなく歩く人々とすれ違う。見知らぬ人たちの背中を見た弾は少し胸が軽くなった。

 

「醜く争うよりはいい」

 

 ISが登場してからの10年で人は変わったということなのだろう。たとえ楽観視しているだけでも、目的を見失って誰かを蹴落とし始めるよりはずっといい。

 

「初めは危機感がないと思ってたが、戦えない人はこうやって変わらない日常で待ってる方がいいな。実際、俺らみたいな子供ができることなんてないのが普通だし」

 

 などと今の状況の感想を独り言として漏らしていると、正面に見覚えのある顔が見えてきた。

 防寒着で身を固めている“彼女”は塀によりかかって立っている。手袋同士を擦り合わせ、白い吐息を吐きかけて暖をとっている。ここは一夏の家から弾の家までの帰り道。きっと待ってくれていたのだろう。

 

「虚さーん!」

 

 呼びかけると布仏虚は顔を起こして小さく手を振る。弾は早足で彼女の元へと寄っていく。

 

「仕事が忙しいんじゃなかったんですか?」

「お嬢様から暇を出されてしまいましたので」

「またですか。だったら一夏の家まで来てくれれば良かったのに」

「それだと、弾さんだけと話せないじゃないですか」

「え……は、はい」

 

 弾が顔を赤らめて狼狽えると虚はクスクスと微笑む。

 

「そういえばチラリと聞こえてきましたが――」

「俺の独り言を聞いてたんですか?」

「ええ、耳は良い方ですので」

「何かおかしなこと言ってました?」

「いえ。ただ、言っておきたいことはありますね」

「何です?」

「緊急時に子供ができることなんてない、なんてことはないんですよ。大人だからなんでもできるわけではないですし、その逆も然りです」

「ええ、わかってますよ。少なくとも、今回は黙って見てるつもりはありません。世界の危機に立ち向かうなんてシチュエーションは今を逃すと一生出会えないから」

 

 弾の目は先を見据えている。既にステージが出来上がっていて、自分たちには戦うための術がある。戦おうという熱意もある。

 ゲーム好きな弾は高校生になってもなお憧れているものがある。いや、大人でもゲーム好きでなくても一度は憧れるだろう。軽い気持ちではあるが、世界を救うヒーローになってみたいという願望が少なからずあるのだ。男なら誰だってそうだ。

 

「動機が不純ですね」

「いやいや、俺は純粋に俺の欲望に従ってます。そういう虚さんはどうなんです?」

「私は……」

 

 即答しかけた虚が途中で言葉を止める。視線は空へと向いた。

 

「今を守りたい。お嬢様だけでなく、弾さんとの時間も」

「虚さんが言うと、清純に聞こえる不思議」

「おかしいですか?」

「逆です。惚れ直しました」

 

 冗談交じりな言葉だが変わらず頬は赤く熱を帯びていた。冬という気候でもその熱が冷めることはない。

 

「弾さんと話すと不思議な感じです」

「不思議?」

「なんと言えばいいのか……そう! 力が湧いてくるんです!」

「そう言ってもらえると嬉しいっすね」

「明日は私も戦場に出ます。おそらくは弾さんと違う場所で、ですが」

「……そう、ですか」

 

 弾は肩を落とす。どうせだからイベントとして虚と遊びたかった。しかし虚にとって明日の戦いは弾以上に遊びでは済まされないことも知っている。

 

「お互い、頑張りましょう」

「はい。そうっすね」

 

 右手が差し出された。

 虚からの無言の握手の要求に弾は素直に応じる。

 ところが握手した瞬間に弾の右手が強く引っ張られて大きくバランスを崩した。

 

「えっ……?」

 

 事態について行けない弾の体は前に倒れるも途中でクッションに当たって止まる。暖かく、柔らかいクッションに顔を埋めた弾はそれが何なのか理解が追いついていない。

 

「……しばらくの間、こうさせてください」

 

 抱きしめられていることに気づいた弾だったが、虚の不安げな言葉を聞き、恥ずかしがることもなく黙って目を閉じた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 一夏の家で解散した直後、御手洗数馬は急ぎ帰宅した。一夏から切り出された話は事前に数馬が想定していた通りのもの。だからこそ、数馬には早急に確認すべき事柄があったのである。

 

「ゼノヴィアは帰ってる?」

 

 玄関を開けての第一声。ゼノヴィアの身を案じてのもの――ではなく、数馬には別の思惑があった。

 トトトト、と軽快な足音と共に階段を駆け下りてきたのは御手洗家の住人となったゼノヴィアだ。一番下まで降りたところでブレーキをかけようとした彼女だったが、想定よりも履いていた靴下が床との摩擦が小さい。玄関ギリギリまで簡易スケートで突っ込んできたところを数馬が受け止めた。

 

「危ないから走るなって」

「おかえり、数馬」

 

 注意しても全く意に介さないゼノヴィアに呆れつつも、優先事項を思い出した数馬は用件を切り出す。

 

「頼んでおいたことはやっておいてくれた?」

「うん。本音ちゃんが協力してくれたから楽に終わったよ」

 

 布仏本音のことは数馬も知っている。ほわわんとした空気を発している不思議な雰囲気の少女だが、その表層に似合わない聡い発言もする。数馬の中では腹黒系女子という位置づけではあるが、少なくともバカではないという信頼にもなっている。

 

「じゃあ、俺の方も連絡を入れておくか」

「誰に?」

「ゼノヴィアに頼んだこともその人に頼まれたことなんだよ」

 

 携帯を取り出して電話する。しかし出る気配がないので止むなくメールを送ることにした。

 

「それじゃ返事になってない。誰?」

「うーん……ごめん。ゼノヴィアに名前を出さないって約束があるんだ」

「ぶー……なんか面白くない」

「ごめんごめん。だけど、これは頼まれたからやったんじゃなくて、俺がそうしたかったからやってるんだ」

 

 きっかけは依頼されたことだが、数馬自身はこれを好機と見ていた。与えられた役割は単なるお膳立てに過ぎないが、これが後に役立つと確信すらしている。

 

「今は少しでも戦力が欲しい。俺が一夏の戦いに貢献できるとしたら、こんなことくらいだ」

「でも……数馬も戦いに行くんだよね?」

 

 おかえりと言った笑顔と秘密と言い渡された不満顔。どちらの表情にも根底には幸福が宿っていたのだが、一瞬のうちに目線を床に下げたゼノヴィアの顔には不安が彩られている。自らにとって数馬が悪い選択をするとわかっていると、正面から目を合わせられない。

 

「もちろん行くよ」

「そっか……」

 

 思っていたとおりの答えに嘆息するゼノヴィア。そんな彼女の気持ちを知らない数馬ではない。

 

「別に一夏のためだけじゃないって。もうアイツだけの問題じゃ済まなくなってる。俺は俺のために戦う。ゼノヴィアのために勝つ。何を利用してでも、ね」

「そっか!」

 

 同じ返事ではあっても、その顔は明るいものに早変わりしている。自分のために戦うという数馬の言葉にすっかり機嫌を良くしたゼノヴィアを見て、数馬もまた心が温まるのだった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 解散した後の織斑家の一室。2回にある客室の中、ベッドに腰掛けたシャルロットは携帯電話を耳に当てていた。耳に届く音声はコール音のみ。空いている左手が暇そうにベッドのシーツを弄くり回している。

 

「やっぱり、忙しいのかな……」

 

 かけた先は父親であるデュノア社長の携帯。連絡先を知っていても、こうして自分から電話を入れるのは初めてであったりする。あくまでシャルロットは娘でなくデュノア社の人間と自覚して活動していたため、連絡手段を簡易なメールのみに限定していた。

 別に電話が禁止されていたわけではない。現に父親からは何度も電話がかかってきている。父親に甘えないように、と自らへの戒めとして禁じていただけのことだ。

 ――否、甘えを絶つためというのは言い訳に過ぎなかった。

 

「僕が義母(かあ)さんの娘じゃないから……なのかな」

 

 本当は怖かったのだ。

 シャルロットは実の母親と2人で暮らしてきた。しかし2年前に母が死去し、頼れる親戚もいない天涯孤独の身となった。

 そんな折りに現れたのはシャルロットにとって“親切なおじさん”。母との2人暮らしのところへ偶にやってきていた彼が実の父親だと知らされ、引き取られることになった。このときはシャルロットもこの事実を良いことだと受け入れられていた。

 しかし父親には妻がいた。愛人も多く囲っていて、シャルロットの母もその一人なのだと知ることとなる。父親の正妻は初めて会うシャルロットのことを娘だと扱ってくれていたが、内心では快く思っていないかもしれない。デュノア家にいた頃のシャルロットは常にそんな不安と戦っていた。

 父に引き取られてから学校も転校した。そこでのシャルロットはシャルロット個人というよりもデュノアの娘としか扱われない。クラスメイトたちは明るくシャルロットに接してくれているが、シャルロットにはそれらが全て作り物のように見えてしまっていた。――いつしか、シャルロットは学校に行かなくなった。

 シャルロットは自分という存在を肯定するために、血を引いていること以外のアイデンティティを欲することとなる。そうして手を出したものがISVS。仮想世界での自分はデュノアの娘でなく、個人としてみられる。少なくとも特別扱いは受けない。居心地が良かった。

 だがISVSで“夕暮れの風”として活動していても胸が苦しくなるときがあった。デュノア社の宣伝は上手くいっていたから父親の役に立っているという自覚はあった。しかし、父親はそんなシャルロットを褒めたことは一度としてなかった。

 

「今は忙しいだけに決まってる! 僕は強くなったんだ!」

 

 不安に飲まれそうになっても、今のシャルロットは屈したりしない。声を張り上げて自分を鼓舞するのは不安の表れでもあるのだが、以前までならこの時点で膝が折れていた。

 

『……そうだ。お前は強い子だ、シャルロット』

「あ……」

 

 いつの間にか電話がつながっていた。聞こえてきた音声は間違いなく父のもの。

 

『出るのが遅くなってすまなかった。何か用があるのだろう?』

「うん。パパに頼みがあるんだ」

『頼み、か。言ってみなさい』

「デュノア社の人でも誰でもいいから、ISVSができる人を片っ端から集めて欲しい。それで――」

『明日に行われる倉持技研が中心となって開催するイベントに参加しろということか』

「う、うん」

 

 デュノア社長は尊大な態度でありつつも事務的な対応でありながらシャルロットの言葉を先読みする理解力を示してきた。

 ……いつもこうだった。

 父親がシャルロットに関心があるのか無いのかわからない。だからシャルロットも自分がどうあるべきなのか、自信が持てなかった。

 今でも父のことでわからないことは多々ある。しかし、今はそんなことは些末な問題だった。

 

「一夏は決着をつけにいく。僕は彼の道を切り開きたい。そのための力を貸してください」

 

 自分にはやりたいことがある。デュノア社のことを考えたわけではない。その気持ちを前面に出して父親にぶつけた。

 これは“夕暮れの風”である自分を捨てたに等しい。ISVSを始めた当初のアイデンティティは崩壊した。しかし、不思議と落ち着いていた。

 ――もう、自分を肯定できるようになったから。

 

『……今一度繰り返そう。お前は強い子だ、シャルロット』

「パパ……」

『私は人付き合いが苦手だ。他人との距離を近づける努力をしたことがない。他人なんてものは放っておいても寄ってくるものだったからな』

 

 電話口の向こうで父親がどのような表情をしているのかシャルロットからは見えない。どことなく寂しそうだという空気だけ察している。

 

『だから私が他人にできることは、私がやりたいようにすることだった。もちろん例外はあったが、概ね私が好き勝手をした方が何事も上手くいっていた』

 

 唯我独尊な態度は結果論。すり寄ってくるものに対して対等であろうとする方が無礼であるという独自の理論でわざとそのような態度をしているのだと父が告白する。

 

『我が儘になればいい。私のように誰に対しても我が儘になる必要はない。だが少なくとも、お前は私に対してだけは我が儘になっていいんだ』

「我が儘になる……?」

『お前は私の娘だ。娘が父に媚びへつらうな。堂々と胸を張れ。お前がどのような道を選ぼうと、私の愛は潰えない』

 

 お願いをするだけの電話のはずだった。

 なのにこんな励ましの言葉を言われると思っていなかった。

 不意打ちだった父の温かさに涙腺を刺激される。

 

「パパ。僕ね、帰ったら言いたいことがいっぱいあるんだ」

『良かろう。パーティの準備をして待っている』

「うん。楽しみにしてる。そのときは友達も一緒に連れてくよ」

 

 年の暮れ。暗がりの一室の中、親子の電話は深夜にまで続いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒはISVSにログインしていた。日本国内のロビーから転送ゲートを介し、ドイツのロビーに移動している。その理由は黒ウサギ隊の皆に会うためだった。

 

「揃っているな?」

「はっ。お待ちしていました、隊長」

 

 部下を代表してクラリッサが返答する。

 

「ん? 専用機持ちが駆り出されていると聞いていたが、クラリッサは残っているのか?」

「ドイツ代表のみで戦力は事足りるという政府の判断があったようで、黒ウサギ隊には待機命令が出されています。念のために言っておくと准将の独断ではありません」

 

 話題となった上官もこの場にいる。

 

「代表以外の温存は亡国機業の動きを警戒しての妥当な判断だ。最高戦力である国家代表を送り出せば国としての面子は立っている」

「つまり上層部は今回の隕石の件を亡国機業の仕業だと考えているのですか?」

「最初はそうだった。だが亡国機業の“ネクロマンサー”が隕石迎撃に参加したとの報せを受け、混乱しているというところが現状だ」

 

 バルツェルは両手を挙げて首を横に振った。

 情報が錯綜し、目に見えている脅威がある。状況に振り回されている政府は後手後手の対応をするしかできておらず、さらには解決の糸口が見えていなかった。

 

「では早速だが、ボーデヴィッヒ少佐の持ち帰った情報を聞こう」

「了解しました」

 

 黒ウサギ隊がわざわざISVSに集まったのは他でもない。ラウラが織斑一夏の元から持ち帰った情報を元にして、黒ウサギ隊の方針を決定するためである。

 

「現在、地球に迫っている隕石の正体は篠ノ之束が製造したマザーアースであることは間違いありません。しかし本来は現実にないマザーアースであり、オリジナルは仮想世界に存在。現実の脅威となっている隕石は“想像結晶”により生み出されたコピー体であると結論づけられました」

「想像結晶……篠ノ之束がその技術を実現してしまったのか」

「知っての通り、現実で隕石をいくら破壊しようとも想像結晶により即座に次の隕石が送られてきます。想像結晶の制約により同時に2つ以上のコピー体が存在できないことは不幸中の幸いと言えます」

「なるほど。詰みに等しい状況かもしれないが、少なくともしばらくは現状維持をするだろうということか」

 

 バルツェル准将が立派な顎髭をさする。

 

「国家代表部隊はどこにも動かせない。問題の解決策は出てきたのか?」

「方法は至ってシンプル。仮想世界に本体があるのなら、仮想世界の本体を潰せば次の隕石は現れない。一般プレイヤーも集結させて、数の暴力で小惑星型マザーアース“ルニ・アンブラ”を破壊する作戦です」

「時間も有限。奇策に出るだけの猶予も無しということか」

「はい。我々も全隊員を出撃させて、加勢するべきと考えます」

 

 小難しいことは何もない。目的と方法が提示され、自分たちもその方法を実践する。ラウラの単純明快な要求に嫌がる素振りを見せる隊員は皆無であり、逆に拍手が起こった。

 明らかに持ち上げられすぎている。そう感じたラウラは鬱陶しそうに手でパッパッと払いのけた。とは言っても顔は笑っているのだが。

 

「反対はなし。では、准将。承認を願います」

「私も反対する理由などない。むしろ他から戦力が補充できないか検討してみることとしよう」

 

 方針は即座に決定した。クラリッサから細かい指示が各隊員に飛ばされていく。

 その様子をラウラは黙って眺めていた。当然、そんな彼女のことを気にかける男がいる。

 

「まだ元通りとはいかぬか?」

「戻る必要などありません。私は未来(まえ)に進みたい」

「……進めているのか?」

「はい。まずは皆のことをじっくり見ようと思いました」

「そうか。ならばいい」

 

 交わす言葉は少ない。しかし伝えたい思いは通じ合っていた。

 

「ではな。私は上層部に報告をせねばならない」

 

 片手を挙げたバルツェルが現実へと帰還していく。

 ラウラもまた敬礼をして見送った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

「折角の病院以外の景色を楽しめるチャンスなのですが、台無しな空ですね。困ったものです」

 

 仮想世界で頭上を見上げると無数のゴーレムが空を埋め尽くしている異様な光景が広がっている。

 ゴーレムの大軍は地上に攻撃を仕掛けて来ていないが敵対の意思がないわけではない。既に倉持技研から送られたプレイヤーが宇宙へ上がろうと試みており、その際にゴーレムたちに妨害され、撃墜されている。ゴーレムたちの包囲網はプレイヤーを地球に閉じ込める檻であった。

 

「ヤイバくんとナナちゃんが2人で飛んでいた景色をもう一度見るには、障害が多すぎますね」

 

 シズネ――鷹月静寐は今までの出来事を思い返す。

 最初は仮想世界の空など見る余裕もなかった。ナナと二人で迷い込んでしまった世界の中を生き延びるのに必死だった。

 まともに空を見上げたのはヤイバとナナがお互いの正体を知った後。二人が空でダンスを踊っていたのを下から見上げたとき、背景に過ぎなかったはずの空にもシズネは見惚れてしまった。

 恐ろしい場所だったISVSも見方が変わると美しく感じられた。

 怖い世界。嫌な世界。それは一面に過ぎず、楽しい世界も内包しているのだとシズネはもう知っている。

 

「もう一度……今度は皆で飛びたいです」

 

 悲観などしない。楽しい世界は自らの力で掴み取ればいい。そう教えてもらったからシズネは戦える。

 もちろん、戦おうと決意しているのはシズネだけではない。

 

「その“皆”の中に私たちは入ってるの?」

 

 シズネの傍らに立つ3人の娘もまたシズネと同じ境遇だった者たちであり、志も同じくしている。

 

「もちろんです、レミさん」

「シズネって変わったよね。会った頃はナナの後ろで『ナナちゃんナナちゃん』言ってただけで、私らの顔を見ようとしてなかったのに」

「すみません。極度の人見知りなんです」

「初対面の人に全力で失礼な発言をかます人見知りを私は知らないけど、そういうことにしておくわ」

「失礼な発言……?」

「うっそー! ラピスに向かって『友達少なくてかわいそう』みたいなこと言ってたのを忘れたの!?」

「言いましたけど、何か問題が?」

「ダメだ、この子。人見知り以前に常識が無かったんだった」

 

 レミが頭を抱えて唸っているのと入れ替わるようにリコが一歩前に出る。

 

「一般常識なんてものは自称常識人たちのスラングに過ぎない! 私はシズネのぶっ飛び方の大ファンだから!」

「そうなんですか。ウザいです」

「やったー! ……でもちょっと待って。なんか納得いかない! 今の私、ウザいこと何も言ってないよね?」

 

 リコは後ろにいるカグラの方を振り返った。しかしカグラは目を閉じていてリコの方を見ていない。

 

「存在がウザい」

「カグラ、ひどっ! ねえ、レミぃ。最近、カグラが冷たいよぅ」

「何言ってるの? 昔からこうだったでしょ」

「あれ、レミも味方してくれないの? というか私の記憶が皆と食い違ってる気がするんだけど」

「それは勘違いよ、リコ。食い違っているのは記憶でなく、認識なの」

「ああ、なるほど……ん? 本当に、そう? 私はそれを認めてしまっていいの?」

「どうでもいいことで悩まないでください、リコさん。ウザいです」

「確かにどうでもいいことだわ。でもさ、こんなどうでもいいことを話せるって素晴らしいことだと思うの」

 

 そんなリコの一言を否定する言葉は誰からも返ってこない。

 カグラがゆっくりと目を開く。

 

「必要なことしか喋らない。それが常に効率がいいとは限りません。無駄と思えるものにこそ価値がある場合だってありますわ」

「お? 珍しくカグラが同意してくれた」

「私たちはアカルギを海の底から引っ張り上げた。あのときは無駄だと思われたことだったけれど、あの戦いがなければ明日の反撃が頓挫していた可能性が高かった。たとえ結果論であっても、意味がないことだけは否定できます」

「つまり、徹底的に足掻きましょうということでいいですね?」

 

 言葉を継いだシズネに頷きを返すカグラ。彼女は手にしていた刀を鞘から抜き放つ。

 

「私は足掻くだけで終わるつもりはありません。勝ちに行きましょう」

 

 黒髪美少女の目つきは“真剣”そのもの。ゼロフォビア(スライム)に敗北した剣士は己のプライドをも賭けて次なる戦いに備えている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 大晦日の前日。鈴は実家の中華料理屋の手伝いをしていた。元々そのような予定を立ててはいなかったのだが、一夏の家で解散した後に真っ直ぐに帰ってきていたのである。

 特に強い意志があったわけでもない。帰るべき場所に帰り、家族とともに過ごす。そんな日常に居るだけなのだ。

 

「はぁ……」

 

 こうして溜め息を漏らすのも最近の日常であったりする。その多くは一夏が原因なのだが、今回ばかりは少々違う方向性で憂鬱になっているのだった。

 

「ちょっと見栄を張りすぎたわ……」

 

 脳裏に巡るのは昼間の一夏の家でのこと。鈴は自信ありげに『宇宙に出るまでは任せろ』と言った。勝算があるわけでなく、一夏を温存しないと勝てないという事実を意識しての発言だった。

 いや、一番意識していたのは全体の勝敗よりも自分のプライドであったのかもしれない。宇宙に上がってからの決戦では鈴一人の力など微々たるものとなるだろう。その戦場で一夏の役に立てているのだと自分を納得させるのは難しいと無意識ながらに感じていた。

 一夏の役に立ちたい。そう思うようになったのもセシリアが日本にやってきてからだ。一夏の一番の理解者の座を取られそうだと焦っていた。それは今でもあまり変わっていなかったりするのだが、鈴はそんな自分の思いに気づかないフリをしている。

 

「いらっしゃいませー」

 

 決戦の前日だというのにウェイトレスとして仕事をこなしている理由は大きく2つに分けられる。

 1つはもし負ければ現実世界が終わるという不安から、大好きな家族と居る時間が欲しかったから。

 もう1つは大役をこなせる目処が立っておらず、対策の立てようもない現状から逃避しているから。

 

 既に作戦に参加するメンバーには声をかけてある。人選は間違っていないとは思っている。それでも敵の全容を把握できていない不安は拭えない。ベストを尽くして天命を待てばいいだなどと言っていられない。鈴には結果が必要なのだ。

 

「いらっしゃいま――」

 

 新しく来店した客に挨拶をする鈴。その言葉は途中で止まり、表情も笑顔のまま固まって動かなくなった。

 来店したのは男子高校生。特別に身体的な特徴があるわけでなく、顔面偏差値も平均を下回っていると本人は思っている。そんなクラスメイトである幸村亮介が一人で店に来ていた。

 

「マジで!? 今日、鈴ちゃん居る日だったっけ!?」

「うげっ、幸村じゃん」

 

 鈴があからさまに“来るんじゃないオーラ”を発しているというのに幸村のテンションはうなぎ登り。ノリノリなままカウンター席までやってくると「大将、いつもの!」と奥に声をかけている。店の主人――鈴の父は「おう!」と親指を立てた。

 こんな二人のやりとりを鈴は初めて見た。

 そして、思う。

 

「……意外ね。アンタ、あたしがいないときにもこの店(うち)に来てたんだ」

「俺だって鈴ちゃんのスケジュールを完璧に把握してるわけじゃないって。そんなストーカーみたいな真似はしないんだ」

 

 つまり、休みの日に幸村は頻繁にこの店に来ている。それがたまたま鈴の手伝いの日であることを祈ってのことなのだろうか。

 

「毎日来てるの?」

「隔日くらいかな?」

「それもストーカーみたいなもんじゃないの……?」

「いや、俺は大将の料理を食いに来てるだけだ! ……という大義名分がある」

「それを言っちゃダメでしょうが」

 

 鈴の軽いチョップが幸村の脳天に下ろされた。いつも鈴は容赦ない回し蹴りを入れるからか、幸村にはそれがとてもソフトに感じられるものだった。

 

「ダメだ。足りない」

「アンタ、本格的に頭が逝かれてるんじゃない?」

「もっとだ、もっと俺に痛みを――じゃなくてさ」

 

 また変態発言でも飛び出すのか。そう身構えていた鈴だったが、幸村が姿勢を正して鈴に向き直った。普段のふざけている彼からは想像もつかないクソが付くほどの真面目な顔つき。

 

「鈴ちゃんに元気が足りてない」

 

 鈴は即座に幸村に背を向けた。

 向き合うことができなかった。

 

「気のせいよ」

 

 しばしの沈黙。店内には奥で油の跳ねている音が響くのみ。

 少し気まずい雰囲気となる中、幸村はバツが悪そうに後頭部を掻いた。

 

「……やっぱりそう? いやー、俺って良く勘違いするからさ。ごめんなー」

 

 恐ろしいほどの棒読み。彼なりに空気を読もうとした結果なのだが、完全に逆効果になっている。

 下手くそな配慮。それが却って鈴の心に響いた。

 

「不安なのよ。出来る当てもないくせに大口を叩いてさ」

 

 普段なら絶対に見せない本音をぶちまけてしまう。

 弱音を聞かされた幸村はと言うと、うんうんと大げさに頷いた。

 

「わかるわかる。好きな子に自分のカッコイイところを見せようとするのは男の(さが)。鈴ちゃんは男顔負けの男らしさも備えてるから、男っぽい弱点もあるんだよ」

「アンタね……あんまり男らしいとか言わないでくれる? 女の子らしくないのは自覚してるから――」

「否! 断じて否っ! 鈴ちゃんが乙女でなくて誰が乙女だと言うのかっ!」

 

 鈴が自分の胸を見下ろしてがっくりした瞬間に幸村が大声を張り上げた。これには肝っ玉の据わった鈴も目を丸くする。

 

「セシリア・オルコットは確かに美女だ。才色兼備で非の打ち所がない。だが! 非の打ち所がないのは短所にもなり得る!」

「どういうことよ?」

「俺みたいな男はね、可愛い女の子の力になりたいものなんだ。だけど強すぎる女性は助けを必要としてない、もしくは助けるために要求されるレベルが高すぎる。要するに高嶺の花なんだ」

 

 ジト目で幸村に抗議する鈴。

 

「俺は至って真面目だし、鈴ちゃんを卑下してるわけでもない。他人から『助けたい』と思ってもらえるのは、その人の人徳そのもの。一人一人が微々たる力でも多数の人から助けてもらえるなら、助けられた人は強いと思うよ」

 

 付け加えられた言葉を聞いた鈴は、自分よりもむしろ一夏に当てはまっていることなのではないかと感じている。幸村から見て鈴がそうなのだったら、特に悪い気がしなかった。

 

「だから、一人で抱え込む必要なんてないんだ。鈴ちゃんは難題に挑むことを決めたけど、一人の戦いじゃない。“俺たち”がついてる」

 

 ガラガラと入り口が開けられて次々と客が入ってくる。彼らは皆、藍越学園の男子高校生。さらに言えば、この店でよく見かけるメンツである。

 

「わーお! 本当に鈴ちゃんがいるじゃん!」

「幸村、テメェ! 独り占めしてやがったな!」

「来るのが遅いお前たちが悪い」

「違う! 俺はもう食い終わって出て行った後だったんだ! 腹がいっぱいだぜ!」

「……じゃあ、なんで中華料理屋に来たんだよ?」

「そこに理由がいるなんておかしくね?」

「それもそうだな。大将、水ーっ!」

「俺も俺も!」

「料理を注文しろォ!」

 

 一気に席が埋まるほどの大盛況。ここに居る者たちは皆、鈴に惹かれて集まった。そしてそれは――鈴を性的な目だけで見ているわけじゃなかった。

 

「はっきり言ってさ、鈴ちゃんは俺らのアイドルなんだ。別に付き合いたいとかじゃなくて素直に応援したい気持ちで満たされてる。少なくとも俺は鈴ちゃんに救われたから」

「あたし、何かしたっけ?」

「心当たりなんてないと思うよ。具体的に話すと本当にちっぽけなことだったりするし。それでも俺たちが凰鈴音という女の子を好きになるには十分だったんだ」

 

 ここで鈴は振り返った。背中を向けていた店内には鈴を慕っている男たちで溢れかえっている。

 

「はぁ……どうでもいい男には好かれるのよね」

「ひどいよ、鈴ちゃん! でも言いにくいことでもハッキリ言う鈴ちゃんが好きだ!」

「はいはい」

 

 面と向かって好きと言われるのにも慣れていて、ぞんざいに受け流す。これももはや様式美。いつもの状態に戻ってきた証であった。

 

「じゃあ、折角何人か集まってることだし、言っとくわね」

 

 店内にいるのは鈴ちゃんファンクラブのほんの一部である。しかしながら全体に影響力があるメンバーなので、言っておく価値がある。そう、鈴は判断した。

 

「連絡が行ってると思うけど、明日の午前中、ISVSをやるわよ。決戦の前哨戦。本当の最終決戦を行えるかどうかはあたしたちにかかってる。アンタたちはあたしの力になりなさい!」

『喜んで!』

 

 一人一人の力は微々たるもの。

 しかし、鈴一人で立ち向かうよりも遙かに心強い仲間たちであった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

『――なるほどね。少年の狙いは良くわかった。危険極まりない代物だが背に腹は代えられない。お姉さんも協力するとしよう』

 

 俺は自室で電話中。電話口の向こうからは彩華さんの声が聞こえてきている。

 昼に俺たちは方針を固めた。折角出した結論も絵に描いた餅では意味が無い。実際にISVSの運営を動かすには一定以上の権力を持った人が必要であり、俺が声を掛けられる範囲だと彩華さんが適任だった。

 仮想世界の黒い月――ルニ・アンブラを破壊すれば地球の危機が去る。俺と千冬姉が得た情報をしっかりと受け止めてくれた彩華さんは世界中のプレイヤーたちを巻き込む俺の作戦を肯定してくれたのだ。ついでの頼み事の方も協力を得られたのは大きい。決戦で俺の力になってくれるはず。

 

「ありがとうございます」

『礼など不要だよ。むしろ我々大人は君たちに謝罪せねばならない立場だろう。本来は大人が解決すべき問題だったにもかかわらず、少年少女たちに重荷を背負わせている』

「いえ、謝罪など不要です。俺は箒を助けられればそれでいいですから」

『フフッ、確かにそうだ。では互いに全力を出すとしよう』

 

 電話が切れる。これで今日、俺ができる下準備は終わった。

 

「お疲れ様ですわ」

 

 携帯を懐に仕舞うとほぼ同時にセシリアが紅茶を差し出してくれた。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って受け取りつつも少しばかり違和感がある。セシリアの入れてくれた紅茶を飲むのは割と良くあるんだけども、俺の部屋で彼女から紅茶を受け取るのは初めてのことだ。

 違和感の正体はすぐにわかった。通常、ダイニング以外に紅茶を持ち出す際、セシリア本人が持ってくることはない。いつもならチェルシーさんが付き添っていたからだ。

 

「チェルシーさんは?」

「ジョージ共々、本国に帰らせていますわ。明日に向けて出来る限りの戦力を用意しておかなければなりませんので」

「セシリアは行かなくて良かったのか?」

「わたくしが直々に出向くだけの意味がありませんわね。表向き、わたくしは国家の期待を裏切った代表候補生ですので、(おおやけ)の場で声を上げるのは逆効果なのです」

 

 一緒に紅茶を飲む。俺の部屋のベッドに勝手に腰掛けているセシリアだが高級な椅子などなくてもそのゆったりとした所作には気品を感じさせられる。

 優雅な見た目。自虐する言動。そうしたギャップは初めて会ったときから少しも変わってない。

 

「世間はセシリアの凄さを理解してないんだな」

「同情するつもりならその笑顔を引っ込めてもらえます? からかわれてるようにしか思えませんわ」

 

 指摘されて気づいた。たしかに俺は笑っている。

 ……なるほど。俺は意外と欲深いのかもしれない。

 胸の内にある喜びの感情を自覚し、声に出して「アッハッハ」と笑ってしまう。

 

「え……? 本当にからかってますの?」

 

 なぜか本当に驚いているセシリアに向けて両手を交差して×印を示しておく。

 

「違う違う。セシリアの頼もしさを知ってるのが俺だけだと思ったら、なんか嬉しくなってさ」

「あら? それは独占欲でしょうか?」

「たぶん、そうだ。セシリアみたいな高嶺の花が近くにあるように錯覚できる。そんなことはないはずなのにな」

 

 話していて目の奥が痛くなった。

 明日には決戦が控えている。敗北は世界の滅亡。勝利は箒の帰還。中途半端な終わりなんて考えられなくて、どう転んでも俺の戦いは終わってしまう。

 箒が帰ってくる。それは俺が望んでいた結末に違いない。箒を助けないなんて選択肢はない。だから俺の進む道は間違ってないと言い切れるんだけど、決戦を前にして胸の内を寂しさが埋めてきている。

 今が終わって欲しくなんてないだなんてあり得ない。だけども、名残惜しいとも思う。その理由は一つしか思いつかなかった。

 

 ……この戦いが終わったら、俺とセシリアの関係は終わる。

 元々はたった一人で始めた戦いだった。最後まで一人で戦うつもりだった。

 そんな孤独の中で出会った最初の戦友。目的が同じだったから利用し利用される良い関係が築けると思っていた。

 俺の精神的に都合の良い存在だった。

 だけど、都合が良すぎた。相性が良すぎた。

 セシリアは俺に足りないものを持っている。射撃の腕、情報収集・処理能力の高さ、物事を俯瞰的に見る観察力。彼女と一緒に活動している間、俺は前に進み続けることが出来た。

 

 いつもいつも、俺は俺一人の力で戦っていないと言っている。

 手を貸してくれる皆がいたから勝ててきたのは間違いない。

 そこには必ずセシリアの存在があった。

 俺の力なんてちっぽけなものだったと言えるけど、セシリアのことを大勢の中の一人だなんて括りにまとめることなどできない。

 

「俺は本当に幸せ者だよ。ありがとな、セシリア。お前には本当に助けられた」

「……鈴さんも言ってましたが、お礼を言うにはまだ早すぎますわ」

「いや、そうなんだけど、どうしても感謝を言いたくなったんだよ。普段はこんなこと言ってないから」

 

 もう決戦が近いという気の緩みだと思ってる。終わりが見えないうちは自分のことで手一杯だったから、誰かに礼を言うことすら人間関係を円滑にするための手段としか思ってなかったように思う。そういった打算抜きの感謝を口に出したのは今日が初めてかもしれない。

 だけど――

 

「感謝を言い訳にしないでください!」

 

 セシリアが怒鳴ってきた。怒るにしても静かな彼女が声を荒げるのはよほどの事態である。だが俺には原因に皆目見当が付かない。

 オロオロとする俺。頬を膨らませているセシリア。こんな硬直状態のときに俺の方から声をかけることができないのは以前から成長していない証か。

 

「外に出ますわ!」

「あ……いってらっしゃ――」

「一夏さんもですわ!」

「は、はいっ!」

 

 完全に気圧された俺はセシリアに言われるがままに出かけることとなった。

 

 

  ***

 

 

 目的地もわからぬまま徒歩で移動。

 いつもの駅に着いたかと思えば電車に乗り込んでいる。

 その間、俺はずっとセシリアに手を引かれていた。

 電車内は満員電車と言うほど混雑してはいなかったけど席は埋まっていた。俺はセシリアと手をつないだまま入り口付近で立っている。

 端から見れば恋人のように見えるのだろうか。俺の心情としては飼い犬と主人なんだけども。

 

「なあ、セシリア。どこに行くんだ?」

「さあ? どこでしょうか?」

 

 “いたずら決行中”と顔に書いてある邪悪な笑み。教える気は全くなさそうだ。まあ、それならそれでいい。少なくとも悪い方向には向かわないと思えるから、行き先不明のままでも俺は素直に従っておくことにする。

 ……しかしずっとセシリアのペースというのもつまらない。俺からも何か仕掛けるか。

 

「そういえば気になってたんだけどさ」

「行き先以外で、ですか? なんですの?」

「セシリアって、電車に乗れたんだな」

 

 瞬間、俺の額に衝撃が走る。

 無言でノータイムのデコピンを俺は躱せなかった。

 

「わたくしを馬鹿にしないでくださいな。初めて電車に乗りましたけど、予習はバッチリですから」

「やっぱ初めてだったんだ……って、予習?」

「ええ。計画を立てたからにはシミュレーションも念入りにしておくのは当たり前のことですわ」

 

 計画を立てたって言ったか? つまり、これは俺がセシリアを怒らせたことに起因する突発的事象などではなく、予定を立てていたらしい。

 

「じゃあ、これはちょっとした旅行なのか?」

「わたくしにとっては“冒険”かもしれませんわね。何事も初めてというものは緊張するものですから」

「セシリアでも緊張するんだな」

「一夏さんは覚えておられないかもしれませんが、わたくしも一夏さんと同い年の女子高生なのですわ。怖いものは怖いのです」

 

 知ってる。セシリアはイルミナントと対峙したとき、敵に向ける銃口が震えてた。恐怖もあっただろうけど、外したら終わりというシチュエーションで全く動じないなんてことはなかった。

 怖いものは怖い。セシリアにとってIllという存在は恐怖の対象であったはず。チェルシーさんが戻ってからも俺の都合で彼女を巻き込み続けている。

 以前にセシリアは自分のために戦っていると言ってきた。でも、どう考えても俺のためだろう。でないとセシリアの行動のいくつかは説明できない。

 

「セシリアはさ、どうして――」

「あ、着きましたわね。降りる準備をしてください」

 

 どうして俺と共に戦ってくれるのか。

 そう聞こうとした言葉は偶然にも遮られてしまって消えてしまう。

 言い直すことも出来たはずだけど、俺はもう一度繰り返すことができなかった。

 ……聞きたくない答えが返ってくるかもしれなかったから。

 

 

  ***

 

 

 降りた駅は無人駅で人はいなかった。晴れ渡った冬の空は気温が下がっている証拠。突き刺さるような冷たい空気が頬を撫でたとき、同時に鼻腔を潮の香りがくすぐってきた。

 着いた場所は海沿いの田舎という印象だった。砂浜もなく、コンクリートで固められた海岸では観光客を呼びにくそうだ。周囲に民家も見えず、観葉植物っぽい樹木が並んでいるだけの殺風景がひたすらに続いている。

 セシリアが俺を連れ出した目的地にしてはとても地味な場所だった。

 

「……こんな場所に来たかったのか?」

 

 否定的に質問しながらも俺は期待もしている。俺が知らないだけでセシリアが知っている素晴らしいものがあるのかもしれないし。

 

「このような場所でしたのね。知りませんでしたわ」

 

 そんな俺の淡い期待はあっさりと裏切られた。隠れた名スポットどころか、セシリア自身も初見という事実を知らされる。

 ……セシリアはわかってるんだろうか? 俺たちには時間がないってことを。

 

「では行きましょうか」

 

 この後はどうするつもりかと思っていた俺に対し、セシリアはつないでいた手を引っ張ってきた。まだ俺をどこかに連れ出そうとしている。彼女のことは信用しているけど、俺の脳裏には明日の決戦が控えている現実が過ぎっている。無駄なことはしたくない。

 

「どこに行くんだ? 俺たちにはこんなところで時間を潰している余裕なんて――」

 

 余裕なんてない。そう言おうとした俺だったが、セシリアの人差し指で唇を押さえられて強引に黙らせられる。柔らかいタッチだが、芯のぶれない力強さで気圧(けお)された。

 

「明日までわたくしたちにできることなどもうありません。賽は投げ終わりましたわ」

 

 たしかにイベントの準備は彩華さんにお願いした時点で俺の仕事は終わっていた。前準備となるアカルギの打ち上げは鈴が担当すると決めているし、セシリアがそれを承認したってことは既に策があるということだ。

 残る仕事は明日の決戦で勝つだけ。今できることは休むこと。

 頭ではわかってるんだけど、今の時間を無駄に過ごしていると思うと焦って仕方がない。

 俺の焦燥はきっとセシリアにバレている。それでも彼女は俺の手を引いてどこかへと連れ出そうとしている。根拠もなくその手を振り払うことなど出来なかった。

 

 海岸線まで出てきた。砂浜でなく、海面よりも2mほど高いコンクリートの壁の上にまで波打ち際の冷たい水飛沫が跳ねてくる。波が打ち付ける音以外は鳥の声くらいしか聞こえてこない。そんな車の通らない閑散とした道路の脇を2人でのんびりと歩いていた。

 

「風が気持ちいいですわね、一夏さん」

 

 とっさに同意できなかった俺は口を噤んでしまった。折角、セシリアが楽しそうに笑ってるけど、その感情を共有できそうになかった。

 そもそもセシリアは俺に怒っていたはず。

 どうして何も言ってこない?

 どうして笑っていられる?

 理解できない。

 

「……海を見てもらえますか?」

 

 立ち止まったセシリアはつないでいた手を離した。

 家を出てからというもの、ずっと離そうとしなかった手を。

 つまり、こここそが目的地。特別なものは何も見当たらない。目に飛び込んでくる風景は広大な海が広がっているだけだった。

 

「静かな海を見ていると落ち着きませんか? それも今日のように晴れた空だと、空と海で鏡に映したような青い世界が広がります。わたくしはこの色が好きなのです」

 

 雲もほとんどない空には言われてから気がついた。

 青い空。青い海。なるほど、確かに青尽くし。セシリアが近場で青い景色を求めたのなら、ここが目的地なのも納得できる。

 

「青は母が好きだった色でした。自分の瞳を指しながら『青には誠実が宿っているの』と自慢げに語っていたことを今でもハッキリと覚えています。お金で人は動くけれど、お金だけが全てではないのだとも教わりましたわ」

 

 そういえばセシリアの親の話を俺は初めて聞いた気がする。俺自身に両親の記憶がないから、あまりセシリアの親について触れようとは思ってなかった。既に亡くなっていることは知ってたから俺の方から聞くような内容でもなかったし。

 

「本当のことを言ってしまうと、わたくしは最近まで母の教えを理解できていませんでした。わたくしが取り残された後、わたくしに寄ってきた人たちにはわたくしはお金にしか見えてなかったでしょう。わたくしも人はお金で動くものだとそう思うようになっていましたわ」

「今では弱みを握って脅すことを覚えたから金なんて要らない、ということか?」

「そうですわね。結局のところ、人は損得勘定で行動指針を決めます。何が得で何が損であるのか。そこに違いがあるだけなのですわ」

 

 冗談を言ったのにまさかの肯定をされてしまって、俺は口をあんぐりと開けざるを得ない。

 弱みを握って脅す、の箇所はキッチリと否定してくれ。建前だけでもいいから。

 

「大金を得る。脅しに屈する。結局のところ、『今よりも良くなった』と言える環境を求めて人は足掻いています。箒さんを取り戻したいという一夏さんの戦いも、願う未来があるからこそでしょう?」

「ああ」

 

 これだけは即答できた。

 しかし相変わらずセシリアの言いたいことが掴めていないまま。

 だから聞くことにした。俺が気になっていたことを。

 

「セシリアにも願う未来があるんだよな?」

「当然ですわ」

「それが何か聞いてもいいか?」

「では、単刀直入に言いましょう」

 

 向かい合ったまま一歩前に進み出てきたセシリア。

 上目遣いの彼女の顔がかなり近い。

 反射的に離れようとして俺の右足が一歩下がった。しかしそれ以上離れられない。セシリアが俺の腰に手を回して抱きついているからだ。

 

「わたくしは……今のこの関係がずっと続いて欲しい。そう願っていますわ」

 

 急に俺の肩から力が抜けていったのがわかる。さっきまで離れないといけないと思っていたけど、今は逆に離れたくないとさえ思っている。

 

 セシリアは俺と同じ事を思ってくれていた。

 

 全てが終わった後、イギリスに帰りたくないと言ってくれている。

 

「でも……帰るんだろ?」

 

 願い。それは実現が遠い未来を意味している。だから全てが終わった後、セシリアは日本から去ると決まっているのだろう。

 それも仕方がない。そもそも彼女は代表候補生。本来は公人としての立場があるのだから、ここまで俺に付き合ってくれただけでも御の字というもの。

 

「一夏さん次第ですわ」

「はい?」

 

 どういうこと?

 思っていた返答と違う。

 

「言葉通りですわ。一夏さんが望むのなら、わたくしはしがらみを捨ててでも一夏さんの隣(ここ)に残りましょう」

「なんでそこまで……?」

「やはりそうでしたか。ここまで来ると単なる鈍感ではなく、強い思い込みがあるとしか思えませんわね」

 

 セシリアの体が離れる。柔らかさと温かさを同時に失った俺の右手は勝手に彼女へと伸びていた。

 無意識に伸ばした右手は彼女の左手とつながる。互いの指が互いの指の間で絡まり、彼女は俺を引き寄せようと引っ張ってきた。追いかけようとして前のめりだった俺は体勢を崩す。

 いつの間にか俺の襟がセシリアの右手に掴まれている。これまた引っ張られた俺は前に倒れかねないほどつんのめる。

 

「うおっ――ん……」

 

 ……すぐ目の前にセシリアの顔があった。ほぼ密着する距離。香水の匂いだけでない女の子の香りが俺の鼻腔を埋め尽くす。

 唇に当たる柔らかい感触。これはさっきみたいな人差し指じゃない。

 

 キス、された。

 

 時間にして一秒ほどだろうか。実際はもっとあったのかもしれないけど、俺には時間をカウントするだけの余裕なんてなかった。

 口が離れ、体も離れる。

 今度は喪失感なんて全くなくて、ただただ余韻だけが唇に残り、頭の中が痺れている。

 

「わたくしがあなたを手助けする理由など、好きだから以外にありませんわ、朴念仁さん」

「え……えぇ!?」

 

 ちょっと待ってくれ。まだ頭の整理が追いついてない。

 セシリアが好き? 俺を? 友人としてでなく、男として?

 

「そこまで驚かれるとは思いませんでした。悲しいですわね。これまでもわたくしは必死に歩み寄っていたのに……」

 

 いや、妙に距離感が近いと思うことはあったよ? その度に俺は自分の勘違いだって言い聞かせてきたんだ。だって、これまでは――

 

「恋人のフリだったんじゃないのか?」

「ああ、あれが原因でしたか。しかしですね、一夏さん。あなたも知っての通りわたくしは昔、男性に嫌悪していた時期がありましたの。そんなわたくしが例え演技であっても殿方に触ることが出来ると思いますか?」

 

 クロッシングアクセスしたときにチラッと聞いたような気がする。男嫌いがするような真似じゃなかったと言われればその通りだ。

 

「あれってセシリアと知り合ってからそんな時間が経ってなかったよな。俺の方にしてみれば、まだセシリアの本名すら知らない時期だぞ? そんな頃からなのか……?」

「ええ。わたくしも自覚したのはもっと後ですが、今にして思えば、日本に来たのもチェルシーのためだけのはずがなかったのです」

 

 俺はクロッシング・アクセスによってセシリアと通じ合ったとき、彼女の記憶の一端を覗いた。

 家族同然だったチェルシーさんを失った。今まで頼りにしてきたオルコット家の権威でも事態は改善せず、代表候補生でありながら力尽くで解決できる力すらなかった。

 オルコット家の当主として強い人間であった彼女は、あの一連の出来事でそれまでのアイデンティティを全否定されている。

 男性不信どころか人間不信にすら陥っていた。

 チェルシーさんを救えるのは自分だけだと、自分を追い込んでいた。

 

 彼女に秘められていた想いは激情。

 多くを失った悲しみと奪った者への怒り。

 

 そんなセシリアが日本にまでやってきた理由は俺に会うためだった……?

 

「わたくしはずっとオルコット家の当主として振る舞ってきました。当然、相手もわたくしのことをセシリアでなくオルコットとして扱ってきます。それが当然だと思っていたのです」

 

 セシリアはオルコット家の当主で在り続けなければならなかった。

 誰に強制されたわけでもなく自分の意思だったことだろう。

 オルコットの家名は誇りであると同時に、今は亡き両親との繋がりの象徴。

 親というものを俺はよく知らない。でも、大切な誰かとの絆を失いたくないのは当たり前にわかる。俺が戦う理由も似たようなもんだしな。

 

「ですが、あの日。一夏さんと出会い、わたくしの素性を知らないあなたに言われた言葉がずっと胸に残っています」

 

 セシリアとの出会いはロビーでシャルの試合を観戦してたときだった。でもあのときの俺はテンパってて大したことを言ってなかったはず。

 

「俺、何言ったっけ?」

「『君が見てくれていれば俺は無敵だから』。わたくしの言葉を全肯定された瞬間、わたくし自身も無敵になった気がしました」

 

 それは俺が嬉しかった言葉を視点を変えて言ってやっただけだ。

 俺を無敵に仕立て上げたくせにセシリアは自信なさげだった。

 俺が認めた彼女の実力を、他ならぬ彼女自身が否定しているのは気にくわなかったんだ。

 

「オルコットであるわたくしを知らないあなたが、わたくし個人を認めてくれた。単純に嬉しかった。そう自覚した途端、気づきましたわ。わたくしは本当は――」

 

 俺は未だにオルコット家の権力なんてものは知らない。

 彼女に力になって欲しいと思ったのは、彼女がオルコットだからなんてどうでもよくて、彼女が良かった。

 資金力? 情報収集力? たしかに助かっている。だけどそれが彼女の全てではない。俺が彼女を必要としたのはもっと別のところ。

 孤独に戦っていた俺は彼女に救われたんだ。

 俺は――

 

「お母様のように“セシリア”とつながってくれる人を探していたのです!」

 

 我が儘で危険に飛び込む俺を肯定してくれる人が居て欲しかったんだ!

 

「……俺はセシリアとつながった」

「わたくしは一夏さんについていきました」

「俺はずっとセシリアに助けられてきた。一方的な関係だと思ってた」

「わたくしはずっと一夏さんに助けられてきました。わたくしばかりが得をしているのだと思っていました」

 

 初めは割と打算的だった。セシリアが居ることのメリットを考えて、鈴の前で恋人のフリをしたりすらした。

 だからだろうか。居てくれて当たり前に感じるようになっても、心のどこかで『セシリアはメリットがあって俺を助けてくれているだけであって、終わればすぐに去る』と思い込んでいた。

 

 勘違いだった。そうとわかった途端に俺たちは笑い合った。どこか後ろめたいと思っていたことで、逆にセシリアに迷惑を掛けていただなんて滑稽にもほどがある。

 

「さて、一夏さん」

 

 胸の内を少しばかり明かしたところでセシリアが改まって俺の名を呼んできた。

 

「どうした?」

「わたくしは今もあなたを見ています。であるならば、あなたは“無敵のヤイバ”なのですわ」

「ん? そうだな」

「だから箒さんが帰ってくるまで、わたくしに礼を言うのはやめてくださいな?」

 

 何を言いたいのだろうか。そう考えたとき、礼というキーワードから朝のことを思い出していた。

 俺が皆に礼を言ったとき、セシリアだけは笑ってなかった。心の底から、礼を言う俺に否定的だったんだろう。

 その理由。“無敵のヤイバ”と言われてやっと気づいた。

 

「……俺、箒を助けられないとか思っちまってたんだな」

 

 ゴールが見えてきた矢先で降って湧いた無理難題。

 箒が現実に帰る条件と箒が死ぬ条件が重なっている。明確な解決策がないまま、俺たちは明日を迎えようとしている。

 現状、説得しかない。その可能性を俺が信じられてない。

 

「この体たらくで箒を救えるとかあり得ないな」

「わたくしも解決策を導くことができていません。それでも言わせてください。決して諦めないでください。あなたが諦めれば、箒さんは絶対に帰ってこれないのですから……」

 

 その通りだ。千冬姉も言っていた通り、俺以外の人間は世界を救うために箒を見殺しにする。俺にしかできないんだ。

 

「気を引き締め直しましたか?」

「ああ。助かった。セシリアがいないと俺はダメだな」

「やはり全てが終わった後もわたくしが見ていないといけませんわね。おそらく、一夏さんはもう一般人でいられない未来が待っているでしょうから」

「やめてくれ。俺は平穏な生活を送りたい」

「人生、諦めが肝心ですわね。彩華さんを始めとしてIS業界ではもう有名人ですし」

「おい、そこも諦めるなって言ってくれよ!」

「それはそれ、これはこれ、ですわ♪」

 

 とても楽しそうなお顔をしていらっしゃる。真面目に俺の未来は今まで通りにいかないのかもしれない。

 まあ、それはそれでいいか。今まで通りが嫌だったから、俺は“楽しい世界”を求めて箒を助けようとしている。

 箒がいて、セシリアもいる。きっとそこは楽しい世界。

 

「そういえば、セシリア。さっきの話だけど――」

「わたくしが一夏さんのことを好きだという話でしたら、返事など要りませんわ。一夏さんがわたくしに好意を持ってくださっているのは聞くまでもありませんし、恋人になれという要求はまだ控えておきたいですから」

 

 これまた言いたいことが読まれてた。鈴に言ったことと同じ事を言おうとしたけど意味が無かったようだ。

 

「“まだ”、なんだな」

「ええ。これまた最近になって気づいたのですが、どうやらわたくしにも“欲”というものがあったようでして。一夏さんを独占したい想いで溢れていますわ」

 

 どストレートにぶつけられる好意に俺はたじろいだ。今まで高嶺の花だと思ってた人だからこそ、嬉しさが爆発して暴力的な衝撃が体を襲ってくるような錯覚すら覚える。

 

「もしここでわたくしが一夏さんに『恋人になれ』と迫り、一夏さんが了承したと仮定しましょう。そうなるとわたくしは一夏さんに幻滅してその場で別れ話が始まります。不毛ではありませんか?」

「あ、そうなるんだ?」

「当たり前ですわ。今の時点でわたくしに振り向いてしまうような一夏さんは、わたくしの好きな一夏さんではなくなり、単なるクズ野郎と化します」

 

 きっと俺がセシリアと付き合ったら、俺は今ほど箒を助けようとはしなくなる。

 俺の原動力は束さん風に言うと『楽しい世界を求める』という欲。

 セシリアと恋仲になった俺はその時点で楽しい世界に到達できてしまう。

 当然、そうなれば箒を救えない。

 幸せを掴んだ手では箒に届かないと思うから。

 原動力を失った俺はセシリアが好きになってくれた俺とは違っているということだ。

 

「でもそれだったら、決戦が終わった後の俺もセシリアの好きな俺じゃないだろ?」

「あら、そうですか? やり遂げた男の子というものもカッコイイと思うのですが」

「ああ、なるほど。道半ばで投げ出すなってことね」

「ええ。何よりもわたくしを妥協と扱われてしまうのが気に入りませんわ。わたくしはわたくし自身の魅力で箒さんから一夏さんを奪い取らなくてはなりません」

「楽しそうだな」

「ええ、それはもう。スタートラインが待ち遠しいですわね。そして、その日は近い」

 

 すっとさりげなく俺の隣に寄ってきていたセシリアが俺の左腕に抱きついてくる。

 

「大丈夫ですわ。わたくしたちは勝てます。もし一人で考え込んでしまって心が折れそうなときは、遠慮無く寄りかかってきてくださいな?」

「頼もしいな。そうさせてもらうとするか」

 

 青い空。青い海。そして青い瞳の彼女。

 俺たちはしばらくの間、寄り添い合って波の音に耳を傾けていた。



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51 天空を開く一振りの閃き

 空から黒い穴が消えていない。

 12月31日、大晦日。隕石出現の第一報から既に丸2日以上が経過していた。当初の衝突予想時刻はとうに過ぎているにもかかわらず、地球への衝突も隕石の消滅もないまま、今に至るまで状況は変わっていない。

 

 この日になって、日本の人々の反応は前日とは打って変わっていた。

 昨日までは世界中のISが問題解決に動いていることから、9割以上の人間が危機感を覚えていなかった。その理由としてはやはり10年前にもっと大きな災害を無傷で乗り越えてしまっている実績がISにはあったからだろう。

 故に、早急な解決がなされていないのは一般人レベルでも想定外だと言える。

 

「今更騒ぎ始めても何も変わらないっての」

 

 どのチャンネルを見ても朝のニュースは大騒ぎだ。昨日は海外で起きた事件くらいの扱い方だったのに、今日は国内での大きな震災レベルでの報道が始まっている。地域によっては避難勧告も出ているらしいけど、どこに逃げろと言っているのかは甚だ疑問である。

 今朝の時点で空に見えている隕石は3つ目。国家代表たちが2つ目を破壊すると同時に次の隕石が迫ってきている。

 終わりが見えない災厄。もし隕石が一つ落下したとして、次が現れないと楽観視するものなどいないのは必然だ。自分たちの生活が脅かされなければいいだなどと他人事で居られる人間は地球上には存在しないと言いきれる。

 

「あ! この評論家、千冬姉の責任とか言い出しやがった! 千冬姉いなかったら地球が終わってるのわかってねえだろ!」

 

 テレビの出演者に悪態をついてると、勝手に画面がプツリと切れた。

 リモコンの行方を確認すると、セシリアが手に持っている。

 

「いつの時代であろうと、どのような状況であろうと、他人に悪意の矛先を向けなければ喋ることすらできない人間は存在します。嘆かわしいことですが、前向きな発言にもセンスが必要なのですわ」

「そりゃそうだ。俺にもそういう時期があったし」

「もちろん今は?」

「違うに決まってる。止まらないよ、俺は」

 

 席を立ち、胸ポケットにあるイスカを手で触れて確認する。

 いよいよこれから決戦が始まる。

 人類にとっては生き残りを賭けた仮想世界勢力との全面戦争。

 俺にとっては永く待ち望んでいたもの。願いを掴み、約束を叶えるための戦いだ。

 

「行こう、セシリア」

「はい。お供しますわ」

 

 泣いても笑ってもこれで最後だ。

 必ず、箒との約束を果たしてみせる。

 

 ――束さんのためにも。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 決戦予定時刻まで残り――――5時間。

 

 地球上のISVSプレイヤーたちに発せられた大イベントの情報は既に末端にまで行き渡っていると言っていい。これも五反田弾たちプレイヤーの有志の集まりや、倉持技研、デュノア社を始めとするIS関連企業が参加を広く募ったからであろう。事情を知らない人間からすれば、世界の危機にゲームをしている不真面目な連中とでもなるところだろうが、事情を知っている人間は最早少数派でなくなっていた。

 Ill。現実の人間の意識を奪っていく怪物の噂はヤイバがIllを倒すごとに信憑性を増していた。今回の隕石騒ぎもその延長線上であると定義するだけで、大晦日イベントが単なる遊びではないと考える人も少なくない。

 

 世界中の人々が地球滅亡の危機を自覚した。

 救世主が求められ、立ち上がった者は孤独な勇者などではなかった。

 たかがゲームのプレイヤーに過ぎない? 事実、そうであるかもしれないが、求められるのは結果のみ。

 生まれ持った才能が全てではない。

 大した境遇などなくとも、簡単な環境さえあれば権利は得られる。

 結果を出した者が英雄だ。

 ロールプレイなどではない、本当の戦いが待っている。

 戦う力を手にしている男たちの少年の心に火が(とも)った。

 

 決戦イベントへの予定参加人数は数え切れていないという。

 当初の予定では倉持技研とデュノア社から報酬を用意するつもりであったが、そのような真似は必要なかった。

 

 お膳立ては残る一つの行程を以て終了となる。

 だがその最後の一つこそが最大のネック。

 主戦場としたい宇宙までの道はまだ開かれていない。

 

「さてと。予定していた戦力は集まったかしら?」

 

 地上で待機している戦艦アカルギの傍らで、リンは空を見上げた。

 ISVSの空はゴーレムの大軍によって埋め尽くされていて、朝だというのにひどく暗い。

 およそ現実的ではない(おびただ)しい数の敵勢力をいざ目の当たりにすると気が遠くなりそうにもなる。

 全てを倒す必要はないとわかっていても、これからそれら全てが牙を剥いてくるのだと思うと無理ゲーの4文字が脳裏に浮かぶ。

 一応、リンはその不安を覆すだけの仲間を用意したつもりだった。

 

「鈴ちゃんファンクラブは全員が強制参加。むしろ参加するなと言っても聞かない連中ばかりだけどね」

 

 まずはサベージやバンガードら鈴ちゃんファンクラブの面々。私生活において面倒だとしか思えない連中だが、危機に立ち向かおうとするリンを全面的に支える彼らの存在は実力以上にリンを支える柱となってくれる。

 

「さっき、“更識の忍び”も到着してたみたいだよ」

「簪も来るからね。忍びの人たちはあの子の護衛も兼ねてるみたい」

 

 簪はアカルギのブリッジ要員としてこの作戦に参加する。戦闘面での彼女の活躍は最初から期待していないが、護衛として付けられた更識の忍びは十分な戦力である。

 リンにとっての勝利はアカルギを宇宙に送り出すこと。簪がアカルギ内にいるのならば、アカルギの護衛は勝利条件に直結する。目的はほぼ同じと言っていい。

 

 他、集められる知人はまだいたのだが、リンは敢えて選択肢から外した。

 作戦目的は戦艦一隻の強行突破。まだ大きな作戦が控えている以上、無駄に戦力を浪費するつもりはない。そんな昨日の自分の主張を馬鹿正直なまでに実践している。

 

『リンさん。ラピスですわ』

 

 作戦開始まで間もない。そんな折り、ラピスからの通信が届く。

 

「何よ、唐突に。今更、あたしには任せられないとか言い出すんじゃないでしょうねぇ?」

『まさか。わたくしにはわたくしの役割があります。ここはリンさんにしか任せられません』

 

 リップサービス。

 少なくともリンにはそうとしか思えなかった。

 

「嘘ね。アンタの役割はこの次だけ。だから今は暇なんでしょ?」

『正確には“何もしない”のが今のわたくしの仕事ですわ。暇などありませんの』

 

 リンも知っている。いざ全面戦争が始まったとすれば、ラピスは膨大な数の味方に指示を下す立場になる。今までの比ではない負荷が彼女の脳にのしかかることがわかっているからこそ、できるだけ決戦までラピスを温存しておく必要があった。

 あくまでラピスの代理。ヤイバの代理。そう言ってしまえば虚しくもなる。ただ――それは誰にでも務まるものではなかった。

 

『わたくしとヤイバさん。二人が揃って他の誰かに任せられるとしたらリンさんしかいませんわ』

「単に共通の知り合いがあたしだけだからなんじゃ……?」

『もっとご自分に自信を持ってくださいな。あまりネガティブなことばかりおっしゃっていると、わたくしのライバル失格ですわよ?』

「え……?」

 

 思わぬ一言だった。

 ラピスにとっては何気ない一言だったのかもしれない。

 しかし、リンにとっては重要なキーワードがあった。

 

「ライバル……? あたしが……?」

『ええ。ヤイバさんのことを昔から知っていたリンさんに嫉妬しました。ヤイバさんの些細な変化を見逃さない観察力に尊敬すらしていました。わたくしの目指していた男女の関係にリンさんなら簡単に辿り着けてしまえるとすら思えますわ』

 

 ……ずっと劣っていると感じているのは自分だけだと思っていた。

 後から来ておいて、当たり前のようにラピスは一夏の隣にいた。

 ずっと妬ましく思うと同時に、羨ましかった。尊敬すらしていた。

 そんなラピスが実は同じ事を自分に対して感じていたなどと想像すらしていなかった。

 

「同じなのね、あたしとラピス」

『ええ。ですから、リンさんなら大丈夫と言い切れるのです』

「アンタ、前より自信過剰になってない?」

『それは当たり前ですわ。今のわたくしを全肯定してくれる人がいますから』

 

 誰か、などと尋ねるまでもなかった。

 今のリンを全肯定してくれる誰かをリンも知っている。

 

「よし、吹っ切れた。あんがと、ラピス」

『お気を付けて。日付が変わってからISVSからログアウトできなくなりました。おそらくは仮想世界全体がIllの領域とされてしまっています』

「元々2度目の挑戦なんてないでしょ?」

『ええ』

「だったら問題ないわ。例えあたしが倒れたとしても、アカルギさえ宇宙に辿り着けばラピスたちの戦いが始められる。あたしが仮想世界に閉じ込められたとしても、皆がすぐに解放してくれる。それでいいじゃない」

 

 敵が仕掛けてきている障害はもうこれ以上重ねたところで意味をなしていない。

 元より背水の陣。これ以上の逆境など蛇足に過ぎず、戦う者の心積もりはとうに終わっている。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アカルギのブリッジ。人類の最後の希望を託された(ふね)の船員として選ばれたのは、アカルギを使い慣れた者たちだった。

 

「いやー、またここに座るときが来るだなんて思ってなかったわー!」

 

 真っ先に操縦席に座り込んだのはレミ。ツムギにいたときから操舵手として働いており、ツムギの構成員を逃がす際などに陰ながら活躍していた実績がある。

 今回の作戦におけるアカルギの役割は敵の大軍の中を強引に突破するというもの。操舵手にかかる負担は大きいもので、任せられる人材はレミをおいて他にいない。

 

「アッハッハ! レミってば、テンション上がって子供みたいになってる!」

「笑うな! ってかアンタも同類でしょうが、リコ!」

 

 操縦席の左隣にはアカルギの火器管制が集中している砲撃手用の席がある。ここに座るのもツムギ時代と同じリコが選ばれている。アカルギの主砲“アケヨイ”の照準は独特なシステムであり、ISVSプレイヤーだからといってすぐに扱える代物でないのが理由だ。

 

「まだそれほど時間が経っていませんけど、皆さんはもうこの場所を“懐かしい”と感じているんですね。同時に、楽しかったとも思ってくれている。合ってますか?」

 

 操縦席の右側。通信と索敵を担当するオペレーター席に座っているのはシズネだった。ツムギ時代にはカグラが座っていた場所であるが、この席に特別な技能は要求されておらず、必要なのはアカルギに関する知識だけ。よってアカルギの知識があって、手も空いているシズネが入っている。

 

「帰りたいとは違いますが、また集まりたいと思っています。だからこそ、私たちは剣をとったのですから」

 

 シズネの傍らに立っているカグラ。彼女は始めからブリッジ要員としてカウントされていない。これはカグラ自身が前線に出たいという意思表示をしたからだった。

 

「いいの、カグラさん? 前線にはフォビアシリーズといって、Illとゴーレムを混ぜたような強敵がいるんだけど……」

 

 シズネとカグラとは反対側。リコの後ろで簪が疑問を投げかける。

 簪はIllの強大さを身を以て知っている。それも最強のIllであったギドという化け物と直接対峙している。非戦闘要員だったカグラがそういった強敵に立ち向かう構図をあまり想像できない、というのが簪の素直な感想である。

 

「……自分は戦えないのだと甘えてしまっていました。父の教えてくれた剣を信じられず、似た育ち方をしたはずのナナに頼ってしまっていました。そんな弱い私を斬り捨てると誓ったんです」

「やばいよやばいよ。カグラの目が逝っちゃってる」

「リコ。真面目な話をしてるんだから、黙ってなさい」

 

 カグラの目つきはツムギ時代とは別人に変わっている。

 強気の発言は死なない保証が生まれたためか。

 はたまた、戦う目的が生まれたためか。

 いずれにせよ、剣技においてナナと互角に渡り合った剣士の参戦は朗報と言えた。

 

「ブリッジの方はあと、ヤイバくんとラピスちゃん、花火師さんが来れば全員ね?」

 

 ブリッジの中央。この後、ラピスが定位置として着く指揮官席では更識楯無――プレイヤー名も楯無に変更した――が“必勝”と書かれた扇子を広げていた。

 

「姉さん、どうしてここに?」

「念のための予備戦力よ、簪ちゃん。私には後でやるべきことがあるから、なるべく出撃したくはないけどね」

 

 楯無の言うとおり、楯無には決戦で戦う役割が存在している。

 国家代表が抜けている今、仮想世界における最高戦力は楯無であると言っても過言ではない。決戦をする上で主軸となるのはもちろんのこと。何よりも楯無には自らの手で倒さねばならない相手がいる。

 

「私は“あの男”を倒す。それが楯無である私の役目。簪ちゃんも虚ちゃんも助ける余裕がないと思うけど、許してほしいの」

「大丈夫。私が姉さんの道を切り開くから」

「頼もしいわね」

 

 過去に距離が開いていた姉妹仲は完全に復旧している。

 劣等感を抱えていた妹が姉の背中を押し、妹に引け目を感じていた姉は堂々と胸を張るようになった。

 これはヤイバの戦いの副作用に過ぎない。しかしながら当人たちにとっては確かな救いであった。

 

「遅くなってすまない! もう全員準備できてる?」

 

 最後。ブリッジに駆け込んできたのは唯一の男、ヤイバ。ラピスと花火師の3人が到着した今、作戦開始は秒読み段階に入る。

 

「いつでも発進できるよー!」

「じゃあ、アケヨイ第一射、いっきまーすっ!」

 

 リコの軽いトリガーが引き絞られる。

 戦闘が始まった。長い長い決戦の幕が上がる。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒く濁った空に白い極光が筋を指す。

 ど派手な開戦の合図により、ゴーレムの空が割れた。

 それも束の間、一瞬のうちに戦力が補充され、包囲網は揺らがない。

 

 元より覚悟の上。リンは圧倒的な数的不利を背負ってでも勝つと決めてここに立っている。

 臆す理由などない。双天牙月を天に掲げて吠える。

 

「全軍、突撃ーっ!」

『うおおおおおお!』

 

 いかにも脳筋な指令が飛び、彼女を慕っている連中はハイテンションで空へと飛び立った。

 待ち構えるはゴーレムの大部隊。アケヨイの先制攻撃により、ゴーレム軍は戦闘状態に移行。ゴーレムたちは長い両腕を地上へと向けた。

 黒く濁った空に無数の光点が灯る。それら一つ一つがゴーレムの腕。その先端にある巨大な砲口である。

 

 降り注ぐ閃光。蹂躙の雨にも怯まない者たちの怒号。

 ISの戦闘に置いて、高さの要素(ファクター)は単なる位置関係に過ぎない。地上から駆け上がるプレイヤーたちはゴーレムの包囲網に容易く飛び込んでいく。

 多勢に無勢。ゴーレムは一体一体が強力な武装を所持している。だからこそリンは両軍が入り乱れる乱戦を選んだ。

 

「来るなら来なさい!」

 

 自らに向けられる砲口も恐れることなどない。むしろ大歓迎だ。

 ラピスの解析により、ゴーレムの大半は照準から発射のタイミングが一定であることがわかっている。つまり、イグニッションブーストさえ習得していれば、回避は余裕で可能。

 さらにだ。避けるだけでは終わらない。多数の敵軍の中で敵の強力な砲撃を避ける。外れたビームがどうなるのか。どうなる確率が高いか。

 

「相変わらず同士討ちしてんのね……こいつら無人機のくせに連携もまともにとれないの?」

 

 ゴーレムの攻撃がゴーレムに当たる。数が多くても、ゴーレムの行動を管理・制御ができていないのでは烏合の衆と変わらない。単機の性能も数も勝っているゴーレム軍であったが、徹底して同士討ちを誘うリンたちの前に翻弄され続けている。

 リンにこの戦法を決断させた“最速の逃げ足”を持つ男は一足先にさらに上へと飛んでいった。高さが上がるほどゴーレムのマークがきつくなる。同士討ちも構わず、数が増していくビームの隙間を的確に縫う男の名はサベージ。避ける技能だけならばランカーに匹敵するという驚異の操縦技術の持ち主である。

 

「どんどんかかってきやがれ! この空が晴れるまでな!」

 

 サベージの両手にはマシンガン。本来は別のイスカ(週末のベルゼブブ)のときにしか使わない装備であるが、今日ばかりは出し惜しみする気などない。

 本気のリンに本気で向き合う。それができなければ、リンを想い慕う資格などないのだから。

 否。資格など関係ない。サベージはリンの本気に応えたいと思った。それが全てだ。

 

 敵の数を利用した同士討ちを誘う戦術。時間と共に同士討ちの比率は激減し、敵を全滅させることなど不可能な消極的戦闘方法ではある。元よりリンの目的は敵に打ち勝つことなどではない。アカルギを宇宙に送り出すことである。敵の陣形さえ乱せれば良かった。

 静かな水面に投石したかのように、整然と並んでいたゴーレムの隊形に波紋が広がっている。頭数が減れば、包囲網の薄い場所ができる。弱点を補おうとして陣形を変えたとしても、絶対量が変わらないのならば必ず隙も生まれるはず。

 

 リンたちは攻撃を避け続けることを強いられる。いつか来る逆転のときをひたすらに待つ。そのような無茶がいつまでも続くわけもなく、一人、また一人とゴーレムの放つ光に散っていく。

 そんな中、最もヘイトを集めている男、サベージはひたすらに高度を上げていく。一様に地球を覆い隠そうとしていたゴーレムたちであったが、間もなく包囲網を離脱するであろうプレイヤーの存在を見逃すわけもなく、積乱雲のように高く密度を増していく。

 水平方向でなく垂直方向にゴーレムが並ぶ。最強の囮役であるサベージの仕事は敵の同士討ちだけでは終わらない。彼の無茶苦茶な突撃が味方の最強の一撃を最高のシチュエーションに仕立て上げる。

 

 ――アケヨイの第二射。

 

 地上からの砲撃の射線上に並べられたゴーレムは光の中に消えた。

 空が青い。

 地球の包囲網に第一射と比べても大きな穴が空いている。

 

「今よ! 行きなさいっ!」

 

 これ以上にない隙。少なくともリンはそう判断して、アカルギに指示を出した。

 アカルギのブリッジも反対する理由はないはずである。少なくとも操舵手であるレミは空への道を駆け上がるため、推進機に火を点けようとした。

 

 だが、ブリッジから様子を見ていたヤイバとラピスの2人は訝しげだった。

 ……本当にこのまま進んでもいいのか?

 もしアカルギを落とされれば、人類の反撃は絶望的になる。アカルギを宇宙に送り出すには出来る限りの安全を確保しなければならない。

 2人だけは聞いていた。『“ヘリオフォビア”を配備した』というウサ耳女の言葉を。

 

「レミさん、アカルギはちょっと待機で。サベージはもっと上空に行って欲しい」

 

 ヤイバの指示は様子見。レミはヤイバの直感に従い、サベージはヤイバに言われなくてもさらに上空を目指している。

 ついにサベージがゴーレムの包囲を突破した。純粋な速度では通常型のゴーレムよりもフォスクラスのISを使っているサベージの方が速い。この状況が完成した時点で、待ち伏せがない限りはサベージは宇宙に到達できる。

 包囲の外側は満天の澄み切った青空。宇宙への入り口にもうすぐで手が届く。

 ――そのとき、声が聞こえた。

 

『我は太陽に恐怖する(ヘリオフォビア)。故に飛び立つ者を地上に帰す』

 

 その声は作戦に参加している者、全員に届いた。

 フォビアを名乗る無人機シリーズ。それは規格外の装備を持っている篠ノ之束製の特別なゴーレム。一機一機がこれまでヤイバたちを苦しめてきたIllと同等の性能を持っていると言っていい。

 

『“イカロスの翼”、起動』

 

 宣言と同時にサベージのISに異変が生じる。

 全身が急激に重くなり、空が遠くなっていく。

 

「くっ……これは」

 

 落ちている。重力に捕まる感覚はサベージにとっては二度目。ISが飛べなくなったのだと感覚で理解した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 サベージに追いすがっていたゴーレムたちも同じように落ちていく。敵の新兵器はサベージ個人に向けられた兵器でなく無差別であることがわかる。

 リンたちは影響を受けていない。つまり、一定の高度以上になると発動する兵器である。

 

「ラウラさんの“永劫氷河”と同等機能を持った兵器、もしくは篠ノ之博士の“玉座の謁見(キングス・フィールド)”そのものでしょうか……重力などの引力でなく、ISコアに飛行禁止を強制するようですので前者に近いものでしょう」

 

 ISの強みである飛行能力を奪われる。プレイヤーの宇宙進出を防ぐのにこれ以上の手段はないと言っていいくらい効果覿面である。

 ゴーレムの大軍は心を折るための視覚的な圧迫。本命はヘリオフォビアによる飛行性能削除。最初から二段構えの包囲網であった。

 結果的にアカルギが飛び出さなくて良かったと言える。しかし、敗北が遠退いただけに過ぎず、強引な強行突破すら封じられたも同然だ。

 

「ラピス。ヘリオフォビアの位置はわかるか?」

 

 こうなれば温存とも言っていられない。ヤイバはラピスに敵の位置確認を行うよう要請する。しかし――

 

「特定できません」

 

 返答は否。純粋なIllと違い、フォビアシリーズはISのコア・ネットワークにつながっている。にもかかわらず、ラピスが敵の位置を特定できないでいる。

 

「特定できない? 見えないってことか?」

「いえ……該当する特殊装備使用個体を逆探知したところ、反応が多数存在しているのです」

「今度のフォビアシリーズは単体じゃないのか」

「まだ断言はできませんわ。BTドールなどの分離体である可能性はありますし、おそらくはそれです」

 

 Illと違い、星霜真理に敵の姿が映っていないわけではない。反応のある座標が幾つもあるために絞りきれないのである。

 

「一つ一つ潰すしかないな」

「問題があります」

「時間がないってことか?」

「それもありますが、敵の位置が飛行禁止区域よりも上――衛星軌道上にありますわ」

「……俺たちは完全に籠の中か」

 

 早急に倒さねばならない敵が宇宙にいる。しかし翼を奪われているISでは飛んでいくことが出来ない。

 

「地上から狙撃するとかは?」

「撃鉄などの一部スナイパーキャノンやアケヨイの射程内ではありますが、敵に気づかれては当たるものも当たらなくなるでしょう。不完全な観測のみで一撃で決められる可能性はないに等しいですわ」

「じゃあ、有効な対策は?」

「そうですわねぇ……封じられているものはISの飛行能力。原理としてはISを引力で落としているのではなくコア・ネットワークを介して飛行能力を禁止している。つまり、コア・ネットワークから切り離されたものであれば大気圏離脱は可能となります」

 

 ラピスの視線は同じブリッジ内の花火師に向けられる。

 

「ISを輸送するロケットは用意できますか?」

「……試験用にストックしてある弾道ミサイル擬きなら100発ほどある。準備時間として10分欲しい」

「わかった。アカルギの大気圏離脱のため、敵フォビアシリーズの討伐隊を編成する。討伐隊はミサイルに乗って大気圏を離脱後、敵フォビアシリーズと思われる対象を破壊。これしかない」

 

 作戦の提示から即断即決。直ちにミサイルの用意が始まり、討伐隊要員として更識の忍びが前線から呼び戻される。

 全員は呼び戻せない。既に戦闘が始まっているため、全軍が退いてしまえばゴーレムの部隊も地上まで連れてきてしまう。そうなるとアカルギが戦闘に巻き込まれる。

 

「リン。話は聞いてたか?」

『うん、聞いてた。結局、アンタらを頼っちゃったわね……』

「最初からお前一人の戦いじゃない。むしろ頼ってるのは俺の方だし、今からもお前を当てにする」

『わかった。10分、時間を稼ぐ』

「頼む」

 

 ヤイバは祈るように目を閉じた。もうリンの集めた戦力は半分以下になっている。ゴーレムの密度は変わっていない。更識の忍びを全員呼び戻した上で10分耐えろという指示は過酷なものになるはずだった。

 負担があるのはリンだけにはしない。そうした想いがあるからか、ヤイバは席を立ち、ブリッジの出口へ向かおうとした。

 そこに立ちはだかるのはラピス。

 

「どちらへ?」

「俺も討伐隊に加わる」

「この戦いの意味を忘れたのですか?」

「忘れてない。だけど、そもそも宇宙で決戦が出来なかったら意味が無い。違うか?」

 

 どちらの主張も間違ってはいない。

 ナナを助けるためにヤイバを温存するべきというラピスの主張。

 大気圏(ここ)を突破できなければナナを救う戦いを始められないというヤイバの主張。

 間違っていなくとも、最良とは限らない。

 

 この場には他に楯無もいる。しかし彼女もまた、後の決戦に目的があってここにいる。楯無の能力は広範囲に散った複数の対象を攻撃するのに向いていない上に、(アイ)が参加しているのだから彼女に任せる判断を下すのが当然とも言える。

 

「ヤイバくんはさ、うちの虚ちゃんをバカにしてない?」

 

 楯無が抗議するのも無理はなかった。

 

「いえ、そういうわけでは――」

「じゃあ、キミはここで待ってるのが筋でしょ。なんでもかんでも一人でやろうとしても、絶対に上手くいかないの。いーい?」

「あ、はい……」

「わかれば良し!」

 

 舌戦で完全敗北したヤイバは渋々と着席する。理屈の上ではヤイバもわかっている。仲間を信頼して、任せなければならない状況だということくらいわかっている。それでも彼の直感がまだ足りないという主張を崩さなかった。

 

「……それでは、私たちが切り札を切るとしましょう」

 

 納得し切れていないヤイバのためにシズネが声を上げた。さっきまで作戦に口を挟んでこなかった彼女の発言にヤイバだけでなく全員の注意が向いた。

 私たちとシズネは言った。そのような団体はツムギしか考えられないのだが、現状、シズネの近くにいる構成員は本人を含めても4人しかいない。

 

「カグラさん。やってくれますか?」

 

 切り札とはカグラのこと。元より、彼女はアカルギを動かす船員(クルー)として乗船したわけでない。

 カグラは鞘に納まったままの刀を手に歩き出す。

 

「相手は化け物(フォビアシリーズ)。不足はありません」

「え? カグラさん?」

 

 疑問の声を上げたヤイバ。彼の驚く様を見てシズネはしたり顔を披露した。

 

「驚きましたか?」

「いや、なんでカグラさんが行く必要があるの?」

 

 ヤイバの認識だとカグラは戦闘要員でない。海底のアカルギを回収に向かったときも、ゼロフォビアにやられていたことも知っている。それはシズネも同じはずだったが、彼女はツムギ時代に乏しかった微笑みで応える。

 

「大丈夫です。今のカグラさんはナナちゃんと互角に渡り合えると思ってます」

「ナナと? それってかなりのもんだってわかってる?」

「はい。他ならぬ私がそう言っている。ヤイバくんならその意味を理解してもらえますよね?」

 

 ナナに対して依存に近い状態だったシズネが、ナナと同等の戦闘力を持っているとカグラを認めた。他の人間ならいざ知らず、ヤイバがシズネのこの言葉を軽いものだと受け取ることはない。

 

「わかった。頼む、カグラさん。俺たちの道を切り開いてくれ」

 

 ヤイバは頭を下げた。

 

「シズネとナナだけではありません。私もまたヤイバさんに助けられました。こうして恩返しの機会があるのは喜ばしいことです」

 

 カグラもまた会釈で返す。再び顔を上げた彼女はスタスタとブリッジの出口へ歩き、出る寸前に振り返った。

 

「全てが終わった後で構いません。私と手合わせを願えませんか?」

 

 視線の先はヤイバ。一瞬の狼狽が窺えたがヤイバは力強く頷いた。

 

「その勝負、受けた」

「楽しみにしておきますね」

 

 ブリッジにいた間、カグラはピリピリとした緊張感を放っていた。

 ツムギにいた頃にお腹を抱えて大笑いしていた彼女は形を潜めていた。

 まるで無表情だったシズネと入れ替わってるかのようとも受け取れるほどに。

 だがヤイバと約束を取り付けた彼女は笑顔だった。

 楽しみにしておく。その言葉に嘘偽りがないというただ一つの証明。未来に新たな希望を見出したカグラは勢いよくブリッジを飛び出していった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 10分の時間を稼げ。

 ヤイバから提示されたミッションは簡潔な一言であったが、その実現は満身創痍なリンたちには過酷そのものだった。

 ゴーレムは一機一機が並のプレイヤーよりも動ける上、機体性能もプレイヤーたちを上回っている無人機。ヤイバが苦戦した迷宮の門番ほどの性能ではないのだが、雑魚として一蹴できるほどでもない。むしろ1対1で確実に勝てる保証すらない。

 事実、ここまでリンが自らの攻撃で撃破したゴーレムは3機ほど。この数字が味方のISの中で単独トップであると言えば、まともな戦闘になっていないことが理解できるだろう。普通ならば拮抗することなど不可能なのである。

 

「へへっ……あと、10分か。あの野郎も随分な無茶を言うようになったもんだ」

 

 敵の兵器“イカロスの翼”により落下していたサベージが飛行能力を取り戻して体勢を立て直す。動けない間に攻撃されなかったのは僥倖。まだその体は囮として機能する。

 サベージは周囲に両手のマシンガンを乱射する。ターゲットなんてない。撃てば何かに当たるほどの密な包囲網の中だ。倒すことが目的でなく、攻撃されたと認識したゴーレムのヘイトを向けられればいい。

 

「バンガード! リンちゃんを連れてアカルギに戻れ!」

「任されたァ!」

 

 仲間内のほぼ以心伝心。サベージの要請の意図の解説など必要としていない。主戦力の一人だったバンガードはリンの腕を掴んで強引に地上へと引っ張っていく。

 

「ちょっと! 何すんのよ!」

「リンちゃんは戻るべきだ。ここで失ってはいけない」

「でも、10分――」

「そんなもの、俺たち2人がいようがいまいが戦力として誤差範囲だ。むしろリンちゃんが先に散ってしまえば、アイツが戦意喪失する」

 

 アイツとはサベージのことに他ならない。それはリンにもわかっている。圧倒的劣勢でも敵軍の中に飛び込んでいく“最速の逃げ足を持つ男”はその逃げ足を以て誰よりも長く敵前で立っている。リンを勝たせる、ただそれだけのために。

 最速の逃げ足。それは真っ先に敵前逃亡するというヘタレを意味するのでなく、『最も多くの攻撃に晒されながら生き残る生存能力を称えた賞賛』に『攻撃に貢献しない欠点を踏まえた皮肉』を交えた称号。こうした時間を稼ぐだけのミッションならば、サベージは圧倒的なエースなのである。

 

「あたし……役立たずなのかな」

「リンちゃんはアイツが戦う意味になってる。むしろ俺の方が役立たずだ。アイツに言われるがままリンちゃんを戦場から引き離すしかできないんだからな」

「そんなことない。皆、役に立ってる」

「その言葉はそのまま返すとする。リンちゃんも役に立ってないなんてありえない」

「うん……」

 

 無事、リンが地上へと帰還したのをサベージは見届けた。

 責任を背負って出てきていたリンを半ば強引に帰らせたのだ。ここで時間稼ぎを失敗してしまえば、それはサベージだけでなくリンのミスとなってしまう。サベージ流の背水の陣が敷かれたも同然だ。

 丁度、このタイミングで他プレイヤーが全滅した。残りはまだ8分。空の戦場にプレイヤーはサベージただ一人。

 不幸中の幸いか。ゴーレムたちの最優先目標はサベージ。ただの一機も地上へと向かわず、サベージを中心に球状に陣形を組んでいる。全てはサベージの目論見通りである。

 

「さあ! こっからは俺のワンマンショーだ!!」

 

 四方八方からゴーレムの砲撃が迫る。殺意なき淡々とした射撃の全てをサベージはまるで他人事のように冷静に見分けている。不気味なほど綺麗にターゲットへ集中しすぎている射撃の軌跡は発射時点で掴めた。

 イグニッションブースト。

 敵の包囲射撃には一見すると隙間がないように感じられる。しかしそれは立ち止まっていればの話であり、包囲球の中心から離れるほどに隙間ができ、安全地帯すら存在する。理屈がわかっていても、どこが安全地帯かなど常人には瞬時に判断が付かないものだが、サベージは息を吸うように実行できる。

 包囲射撃の第一射を潜り抜けた。ゴーレムたちも味方の射撃を回避した後、即座に次の攻撃のために照準をサベージに定める。これもまたサベージは同じ方法で安全地帯に逃げ込んだ。

 この時点で判明しているのは敵の連携の練度がまだまだ低いということ。精度はあっても柔軟な対応は苦手としている。射撃のタイミングを揃えていないとすぐに同士討ちをしてしまっているのが現状だ。

 

「なんか、天才博士の作った軍隊にしてはレベルが低い気がする。まあ、そのおかげで簡単になってるんだけど」

 

 少しばかりゲーマーとしての物足りなさすら覚えたサベージであるが、今はゲームで遊んでるわけでないことを思い出してクレームをぼやくのをやめる。

 提示された時間まで残り5分。孤軍奮闘は次第に安定していき、ワンマンショーは演舞の域に到達している。見ている者をハラハラさせつつも、結局は大丈夫だろうと思わせる安心感がそこにはあった。

 

 反撃の狼煙を上げるまでの時間をたった一人で稼ぐ。

 慕っている女子の名誉を背負い、戦場に立ち続ける。

 たかが意思無き人形如きに砕くことができるはずもない。

 これは共通認識だった。

 友軍のみならず、敵軍もそれは同じ。

 

「けっ……本命がやってきやがった」

 

 敵軍に動きあり。腕の長い木偶人形ばかりの中にたった一機だけ違う形式のものが存在している。全体的に細く滑らかなボディラインは人間の女性を思わせるシルエット。顔はのっぺりとしたフルフェイスのメットを被っているが女性型ゴーレムという印象は崩れない。背中には鳥の翼を模したユニットが生えており、女性の体と合わせると天使を連想させた。

 天使の手には西洋風の剣がある。明らかな近接戦闘装備である。この時点でサベージの思惑は崩れてしまった。

 

 最初、味方が居る内にサベージは積極的に敵の同士討ちを誘っていた。主に近づいてきたゴーレムに向けて敵の射撃を誤射させていた。それを繰り返す内に学習したゴーレムたちは接近すると同士討ちすると刷り込まれていたのである。

 単機となってからサベージに危機が訪れていない。その最大の理由は射撃攻撃しか来なかったからだ。格闘戦と比べて戦闘速度が遅く、集中さえできていればサベージには死角が存在しない。サベージの策略は無人機に格闘戦を避けるように仕向けるという単純学習のAIを騙す手法であった。

 敵援軍である天使型はその学習結果を反映していない。

 

「くそっ! 寄って来んなっ!」

 

 敵天使型の行動は突撃の一択。敵が選んだのは最悪の選択肢。

 接近戦を苦手とするサベージは近接戦闘型に対して後ろに下がることしかできない。1対1ならば十分に対応できるが今は違う。ゴーレムに包囲された背水の陣の下、サベージが下がるべき後方は存在しない。

 

「うらああああ!」

 

 吠える。マシンガンを撃つ。絶望的なまでに射撃センスのないサベージの放った弾丸は避けようとしない相手に掠りもしない。当然だ。今まで攻撃を当てる努力などしてこなかったのだから。

 

 負けるのが当たり前の人生を送っていた。勉強もスポーツも人並みにはできたが、常に誰かが上にいる。競争するよりも、今の立ち位置でどう満足するかを考えた方が気楽だった。

 好きな女の子ができても性根は変わらなかった。自分が恋人になりたいだなどと表に出さず、彼女の恋を応援をすると言い出す。自らが我を通して、険悪な空気を生み出す未来に耐えられそうになかったからだ。

 勝利から逃げていた。勝者の陰には常に敗者がいる。自分が敗者を生み出すよりも、自分が敗北を引き受けた方が世界が平和なのだと信じていた。

 

 いつからだろうか。

 負けを受け入れるだけだったサベージに変化が訪れたのは。

 “週末のベルゼブブ”というプレイヤーが生まれたのは何故だろうか。

 本人に尋ねれば間違いなくこう返ってくる。

 

 ――鈴ちゃんが遊ぼうと言ってくれたから。

 

 もう理屈の域はとっくに過ぎている。

 彼女の笑顔は太陽。その眩しさに憧れて、サベージは空を飛んだ。

 蝋で固めた翼でも構わない。墜落する未来が見えていようが、彼女の近くで飛んでいたい。その想いに偽りはない。

 

 鈴ちゃんの笑顔に影を差す輩がいる。

 ならば全力を以て、障害を排除する。

 それ以上でも以下でもない。

 世界平和なんてどうでもいい。

 ただ、彼女のために在れば誇らしいのだ。

 

「おらァ!」

 

 柄にもない荒い声を上げ、サベージは敵天使型に頭突きをかます。

 射撃の技能が足りないなら殴ればいい。殴った経験も薄いが根性でカバーする。

 状況は不利。生き残ることは絶望的。

 ならば選択肢は一つ。少しでも敵に損害を残すこと。後々のリンの戦いが少しでも楽になれば、自らの戦いにも意味がある。

 

 天使の剣が突き立てられる。

 避ける必要など皆無。死ななければ全てのダメージは安いもの。

 お返しにマシンガンの銃口を天使の頭に押しつけて引き金を引く。発砲と連動して天使の頭がガンガンと大きく揺れたが貫通はしない。

 マシンガンを切り払われた。もう武器はない。サベージの右手は迷いなく天使の首目掛けて伸びており、掴み取る。

 

「俺だってなァ! ただじゃ終われねえんだよ!」

 

 絶対に眼前の敵だけでも倒す。勝ち取ることから逃げていたはずの男が少女の名誉を背負って闘争本能を剥き出しにする。

 無数の無慈悲な砲口が向けられている。味方がいようがお構いなし。ゴーレムたちの無機質な殺意を前にしたサベージは高笑いする。

 

「10分だ!」

 

 一点への集中砲火はただ一機のISを倒すためのものとして過剰であった。

 サベージは光の中に消える。最後まで右手に掴んだ天使の首は離さず、逃げられなかった天使も同様に消滅した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 空の部隊が全滅。その報せとミサイル発射準備完了は全くの同時であった。

 

「発射!」

 

 花火師の号令で一斉に100発のミサイルが放たれる。既にミサイルの先端にはヘリオフォビア討伐隊に選ばれた者たちが立っている。

 このミサイルは“イカロスの翼”の領域を突破するためだけの高速輸送船。故にまずはゴーレムの包囲網をミサイルを守りながら突破しなくてはならない。

 そのために地上にはAICスナイパーキャノンの部隊が展開され、援護射撃をする体勢が整えられている。他にもゴーレムの部隊を引きつける囮が地上から飛び立った。

 

「……始まりましたか」

 

 加速するミサイルの上でカグラは呟く。

 ISVS歴は一週間ほど。強敵との対戦経験は深海のゼロフォビアのみ。

 ほぼ初心者も同然である。しかし、鞘に納まった刀を携える凜とした立ち姿は不安定なミサイルの上でも揺るがない。

 作戦が始まっているにもかかわらず、カグラはラピスに通信を送るだけの余裕があった。

 

「ラピスさん。確認しますが、先ほどの羽の生えた敵はどうなりましたか?」

『サベージさんと共に消滅を確認しましたわ。しかしながら“イカロスの翼”は健在です』

「その言い方……敵の新兵器と無関係ではないと?」

『ええ。サベージさんのおかげで敵フォビアシリーズの概要が掴めてきました。先ほどの天使型のものはISでなくリミテッドに近い。カグラさんに身近な例で言うと、レミさんの扱うBTドールと似たものですわ』

「複数の反応の正体はBTドールが複数展開されているから。そして、BTドールの大元は1機のフォビアである。そういうことですか?」

『わたくしの見解と一致していますわね』

「本体の位置は?」

『残念ながら。戦術から考えて、遠方であることだけは間違いないでしょう。()()()()()()()()()()

「わかりました」

 

 欲しい情報は得られた。敵の位置が不明で討伐隊が自分の足で虱潰しに当たっていくしかないということである。当然、そんなことをしている時間の余裕はなく、ここで戦力を割きすぎて被害が拡大すれば後の決戦に支障が出る。

 求められるのは最小限の犠牲と最大限の早さ。あまりにも無理難題だ。ここは後の憂いを覚悟してでも目的の達成に尽力するのがセオリーであろう。

 だがカグラが了解したのは妥協などではない。そもそも妥協するのならばカグラはこの戦場に出撃しなかった。逆境だからこそ自らの剣を振るうのだ、とカグラは息巻いている。

 

「策は2つですね。できればA案で突破したかったところですが、確実性と早さを考慮するとB案が有力でしょう。いずれにせよ、負けはありません」

 

 視線は既に先を見据えている。この戦闘の終結も予見した。

 あとはより良い選択を掴めるかの問題となる。

 

「そこのニンジャさん?」

 

 近くにいた更識の忍びに声を掛ける。するとたまたまその忍びはカグラにとって見覚えのある人物だった。

 

「あ、たしか貴方はシズネLOVEなニンジャさん」

「ちょ、いきなり何をっ!?」

 

 唐突にコイバナを振られて焦りを隠さないニンジャさん、ことジョーメイ。なにかとツムギにやってきていた彼のことをカグラたちは覚えてしまっていた。

 

「せ、拙者は任務でここにいるでござる! 色恋に現を抜かすなど拙者がするわけ――」

「隠してるつもりでしたら、シズネの前でだけ口調が真面目になるのをどうにかした方がいいですよ」

「ぐはっ……そ、そうであったか」

 

 周囲にはバレバレであり、知らぬは本人たちばかりなり。

 シズネに至ってはジョーメイの名前すら知らないのだが、その事実をジョーメイは知らない。

 

「ニンジャさんに頼みがあります」

「この話の流れで物事を頼めると本気で思っているでござるか!?」

「私をゴーレムの攻撃から守ってください。絶対に私はゴーレムに攻撃されるわけにはいかないのです」

 

 問答無用で要求だけがなされる。あまりにも厚かましい頼みであったのだが、それが逆にジョーメイの心を動かした。

 

「承知した。それが勝利への道ならば」

 

 余分な言葉は要らない。むしろ言葉を絞ることで要点が明確に伝わると言える。

 カグラはこう言ったも同然なのだ。

 ――ゴーレムからの攻撃さえなければ、この状況を打破してみせる、と。

 

 ミサイルは徐々に加速。

 正面のゴーレムは臨戦態勢。その長い腕を向けてきている。

 いかに高速といえど、単調な軌跡である。照準の精度だけならば人よりも精密なゴーレムに対して、無防備も同然。ISと違い、ミサイルはゴーレムの攻撃を一撃でも受けてしまえば壊れてしまう。衛星軌道まで上がるためにはミサイルの死守が必須事項だった。

 ミサイル部隊とは別に囮の部隊が送られたのはミサイルを守るため。最悪の場合は身を挺してでもミサイルを守ることが彼らに与えられた任務である。およそゲームとは思えない指令内容であるが、この部隊に抜擢されたのは蒼天騎士団の一部であるため、彼らは喜んでラピスの頼みに応えている。

 ただし、肉壁のような存在にすぎない彼らではサベージほど長時間は保たない。見る見るうちにその数を減らしていき、ついにミサイルの1発が被弾して失速していく。

 残りは99。空を埋め尽くすほどのゴーレムの包囲網を突破するビジョンなど誰に見えるというのか。更識の忍びも宇宙まで行かなければ、ヘリオフォビアの暗殺ができない。作戦の前提条件で無理があり、それは当然ラピスも承知の上である。

 

 そう。ラピスは知っていた。

 ツムギの生き残りの切り札がどのような存在であるかを。

 始めからこの作戦はカグラありきで立てられている。

 カグラを空に上げるためだけのミサイルである。

 故に、討伐隊の中に(アイ)が入っていない。

 

 

『――天の上に人は無く 天の下に人は無し』

 

 

 ミサイルの上。頑強かつ流線形の舞台に立つ剣士は(まぶた)を閉じ、腰に据えた刀に手を掛ける。

 ゴーレムに墜とされた友軍が傍らを流れていく。不利な戦況は明らかで、これから正に死地に飛び込むというのに、その立ち振る舞いはあまりにも無防備だった。

 案の定、迫る光撃。微動だにせず、柄を握っておきながら刀を鞘から抜き放とうとしない。回避したところでミサイルを壊されてしまえば作戦が失敗するとはいえ、避けようとすらしないのは異常である。

 

 ジョーメイは聞いていた。

 この戦いで彼が為すべき役割を。

 勝つために何が必要であるかを。

 

「カグラ殿をやらせはせぬ!」

 

 射線上に飛び込む忍びの少年。高い機動力とステルス性を重視した彼の機体は攻撃を受ける盾としてはあまりにも耐久性が無さ過ぎる。しかし、機動性が高いからこそたった一回の攻撃を防ぐ肉壁としてなら優秀だった。

 ただの一撃の身代わりとなっただけで瀕死となるジョーメイ。身を張って守ってもらったカグラは未だ眼を閉じたまま。

 

 

『傍らに人は亡く 荒れ果てた地で独り 青天を見下そう』

 

 

 やはり動くことなく、ポツポツと言葉を紡ぐのみ。

 近づいてくるゴーレム。ジョーメイはビームを受けて離れてしまっている。守る者は誰もいない。長い腕がカグラめがけて振り下ろされた。

 轟音にはほど遠かった。結果だけを言えば、ゴーレムの拳は空を切っている。

 手刀。カグラは迎撃に動いていた。しかし鞘に納まっている刀を抜くことはなく、右手でゴーレムの拳を横から叩いて軌道を逸らしたのだ。

 未だ瞼は閉じている。視覚に映る光景など必要としていない。脳に映すべき景色は己が剣の極地のみである。

 

 

『唯一無二の我 果てなき空虚の頂に立つ』

 

 

 右手は再び刀を握る。

 腰は一段と低く、閉じていた瞼は開かれた。

 言霊は完成し、残るは解き放つ意思を形とする。

 

 

『――掃剣(そうけん)虚空荒蕪(こくうこうぶ)

 

 

 抜刀。

 (はし)る閃光、音を絶つ。

 刻まれた軌跡は一の文字。

 断たれた空はひたすらに平穏。

 騒がしい機械人形など初めからいなかったかの如く。

 

 空は綺麗に晴れ渡る。

 ただの一刀を前にして。

 抜き放たれたのは文字通りの閃光。

 地平線をも描く剣戟が曇り空を斬り(ひら)いた。

 

 虚空荒蕪。

 この剣が通った後、動く者は残らない。

 

「……まだ終わっていませんよ?」

 

 止まっていた時間が動き出す。

 道は開け、ミサイルはゴーレム無き青空を駆け上がる。

 破れた網の突破は容易。

 ヘリオフォビア討伐隊の面々はついに“イカロスの翼”の範囲に突入する。

 ISは飛べなくとも、不安定なミサイル上で立つことに支障は無かった。ISの機能が完全に死んでいるというわけでなく、単純に飛ぶことが出来ないだけである。

 旧式の技術で飛翔するミサイルは“イカロスの翼”の適用外。ゴーレムももう追っては来られない。

 

 まだ終わりではない。ゴーレムは飛べなくとも、“イカロスの翼”の使用者が残っている。衛星軌道のヘリオフォビアは隠れたままでも分身を使うことで大気圏内にアプローチが可能。

 景色が青から黒へと変わりつつある。

 ミサイルの進む先には天使の軍勢が立ちはだかる。

 剣のみならず、天使たちは銃火器も所持していた。

 

 高速で移動するミサイルだが、操縦はできない。

 正面からの攻撃に対しては固定標的と同等。

 ミサイルは討伐隊の棺桶となっている。

 

 天使の一斉攻撃。被弾したミサイルは爆発して散っていく。カグラを守る任務を与えられたジョーメイも爆炎の中に消えていった。

 出撃した討伐隊はカグラを残して全滅。残されたカグラも足場が破壊されては対抗する術がない。

 掃剣・虚空荒蕪は使えない。奥義の発動には3つの制限がある。

 1つ。刀を鞘に納めた状態で手に持っていること。

 2つ。納刀したまま、詠唱を行うこと。

 3つ。詠唱中は飛行機能を使わないこと。

 ミサイルへの攻撃を刀を用いて迎撃している限り、切り札は封じられている。

 

 元より、刀という装備は防衛に向いていない。世界最強で知られているブリュンヒルデを以てしても、ISが相手では一人の人間を守り切ることすら難しいと断じている。異質な剣を振るうカグラもこの例に漏れない。

 最後のミサイルが崩壊。地に落ちていくカグラは目を閉じて刀を鞘に納めた。どうせ飛べないのならば飛ばなければいい。

 天使の軍勢は勝利に酔いしれることなどなかった。ゴーレムの大軍を一刀の元に切り伏せたカグラはわかりやすい脅威となっている。地に墜としただけではまた這い上がってくることは想像に難くない。故に念には念を入れて追撃に来る。

 落ちていくカグラは的。避けるどころか移動することもままならない。精々が空気抵抗を利用して体をズラす程度。それでは空を飛ぶ敵の攻撃を避けることなどできようはずもない。

 銃弾が直撃する。ビームが装甲を剥がしていく。一方的な蹂躙をカグラはただただ耐えた。その全てを受け入れた。

 “イカロスの翼”の領域から外れる。飛行能力が回復したカグラは地面に向かって加速。自らの意思で逃げていくカグラを天使は見送り、代わりにゴーレムがカグラを追っていく。

 手が届くようになったのはゴーレムだけではない。地上が近づいている。つまり、地上にいる狙撃部隊の射程圏内にカグラが入ってきたことになる。

 地上からの援護射撃がゴーレムを追い散らす。ゴーレムの頑強な守備力を以てしても、AICキャノンの破壊力を前にして無傷ではいられない。プレイヤーたちがラピスから課せられたミッションは『カグラの生存』。それこそが勝利条件であるという意思で統一されていた。

 カグラが地上に降り立つ。ストックエネルギーは残り僅かの虫の息。再度、空の戦場に戻るのは難しいと言わざるを得ない。そんな満身創痍であっても、この帰還には確かな意味がある。

 

 

『地に落ちた血だまり 捧げられた贄は(あらが)いの雄叫びを上げる』

 

 

 詠唱を始める。内容は掃剣・虚空荒蕪のものと異なっている。

 ゴーレムたちに放った虚空荒蕪は厳密には単一仕様能力でない。カグラの単一仕様能力によって生じた剣技であるが、単一仕様能力そのものではない。

 

 

『復讐の怨嗟は一振りの剣と成し 身命を賭した愚者の覚悟は罪を以て大罪を誅す』

 

 

 単一仕様能力、“抜刀魔術(ばっとうまじゅつ)”。

 ゼロフォビアに敗北した後、ひたすらにISVSで剣を振るっていて生じたコア・ネットワーク系ワールドパージ。他のワールドパージと違い、特別なルールのある空間を作り出すのでなく、ISのコア・ネットワークに干渉してIS戦闘に関するルールを作り出す。

 やっていることはハッカーと同じ。厨二病という名のコンピュータ・ウイルスでコア・ネットワークを汚染し、術者の言霊と強烈なイメージを具現化する。

 

 

『たとえ紅蓮の花と散ろうとも 不毛な連鎖を断ち切る最後の刃とならん』

 

 

 詠唱を終えた。開眼と共にカグラは刀を抜き放つ。

 

 

『――怨剣(えんけん)報復絶刀(ほうふくぜっとう)

 

 

 抜刀。

 抜かれた刀は鉄の煌めきを軌跡として弧を描く。

 眼前に敵対する者は皆無。

 戦闘とはほど遠い演舞。

 その剣戟は見る者を惹きつけて止まない芸術であった。

 

 同時刻。遙か上空、衛星軌道上に異変が生じた。

 翼の生えた卵のような形状の機械人形――ヘリオフォビアに亀裂が入る。

 自然なひび割れにしては鋭利。客観的に見れば、それは切り傷と呼べるもの。

 そう。これは刀による傷だった。

 

 怨剣・報復絶刀。

 カグラの扱う抜刀魔術の中でも異質な能力を発揮する奥義である。

 虚空荒蕪はENブレードに分類されているが、報復絶刀は現在のISVSではカテゴリーに当てはめることが出来ない。

 前例が皆無というわけでもない。過去にヤイバたちは同種の攻撃を先端恐怖症(アイクモフォビア)から受けていた。

 コア・ネットワークを介して対象のISに『攻撃された』という幻覚を植え付けて絶対防御を強制発動させる。ラピスがコンピュータ・ウイルスに例えたその武装にカテゴリーを設けるならば、ウイルス系統とでも呼ぶことになるだろうか。

 報復絶刀の効力は『術者が負ったダメージを攻撃者に与える』というもの。対象が見えていなくとも、コア・ネットワークが攻撃者を導きだし、対象となるISにダメージを実体化する。衛星軌道に隠れ潜んでいようとも、カグラに直接攻撃を加えた時点でつながりができてしまっていた。

 出撃直前にカグラは()()()()()攻撃されることを嫌った。ヘリオフォビア以外からのダメージは報復絶刀で与えるダメージが減ってしまうことを意味する。だからヘリオフォビアの懐までノーダメージである必要があった。

 

 呪いの一刀は確実にヘリオフォビアに届いた。

 しかし、これが初撃である。自らのダメージをそのまま相手にも与える報復絶刀では倒しきれないことが確定している。

 

 

『神域を侵す大罪』

 

 

 刀を抜いたまま、カグラは詠唱を始める。

 これより始まるはカーテンフォール。

 抜刀魔術により生まれた中で唯一、抜刀中でのみ使用できる奥義。

 

 

『他を滅する殺意 他を蝕む呪い』

 

 

 腰から鞘を外し、左手を突き出す。

 

 

『自己の確立とは罪無くして在り得ぬ 悲しくも黒き人の(さが)

 

 

 右手の刀の切っ先は鞘に向き、先端が入り口を通る。

 抜刀ではない。これは納刀そのもの。

 

 

『我 神の代行者と成りて 罪の根源を絶つ』

 

 

 抜刀魔術の内、唯一の納刀は当然のことながら刀を納めるだけでは終わらない。

 争いの根源となる、敵対者。その定義は術者の刀が傷を付けた者。そして、他者を呪う者。術者は神に成り代わり、それらを討つと宣告する。

 

 

『追悼の意を表して黙祷を捧げよう』

 

 

 言霊が完成。

 カグラは体の正面で刀を鞘に納めた。

 

 

『――終剣(ついけん)修祓神威(しゅうふつかむい)

 

 

 パチン。

 その納刀は手品師が指を鳴らしたが如く。

 刀が鞘に納まった瞬間に世界に変化が訪れた。

 

『“イカロスの翼”、沈黙っ!』

『衛星軌道上からフォビアの反応が消失しましたわ』

 

 敵の消滅を確認したとする味方の通信がカグラの耳にも届いた。

 

 修祓神威は報復絶刀と同じウイルス系に分類される奥義。納刀時にのみ発動できるその効力は『術者の刀が与えたダメージを各対象に与える』というもの。言い換えると、ダメージの倍加である。

 ヘリオフォビアには報復絶刀でダメージが与えられた。だからこそ追撃の奥義もコア・ネットワークを通して確定で命中する。カグラ自身が瀕死になるダメージの2倍を受けることとなったヘリオフォビアは卵状の本体が真っ二つとなった。いかにフォビアシリーズといえど、ストックエネルギーの絶対量はプレイヤーと変わらない。防御能力を無視したウイルス系攻撃の前にヘリオフォビアは為す術もなかった。

 十分すぎる戦果だ。しかしコア・ネットワークを厨二病で汚染することで実現した奥義である。何もリスクを負わないことなどあり得ない。ウイルス系に分類される報復絶刀と修祓神威には発動条件以外の弱点が存在していた。

 

「ふふっ……これにて終幕」

 

 勝ち誇った顔をしたカグラの体に刀傷が浮かび上がっている。傷口からは光の粒子が漏れており、アバターが消失する運命にある。

 修祓神威は争いの根源を駆逐する。その建前を形としたためか、報復絶刀が参照した自らのダメージをも対象とした。既に瀕死だったカグラに耐えられるはずもなく、絶対防御を突き破ってもなお有り余る斬撃がカグラを襲っていた。

 全て予定通り。少しだけ自分も生き残る道を模索したが、足場であるミサイルを破壊された時点でその狙いは潰えた。潔く役割に徹したカグラは自らの退場と引き替えに、皆の未来を切り開いたのだ。

 

「約束通りに手合わせ願います、ヤイバさん」

 

 悔いは無い。未来に楽しみもある。カグラは満ち足りた表情で光の中に消えていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 空への架け橋がかかっていた。

 ゴーレムの包囲網には特大の穴が開いていて、イカロスの翼は消失。

 カグラが己の存在を賭けて臨んだ戦いは相打ちでありながらも圧勝であった。

 

「最大船速で一気に宇宙に行くよっ!」

「お願いしますわ、レミさん!」

 

 アカルギのブリッジは一気に慌ただしくなる。レミの掛け声と共に瞬時加速によって最高速に達した戦艦は見る見るうちに地上から遠ざかった。

 妨害する敵はいない。気づけば外の景色は星空となり、後背には青い星が鎮座する。

 呆気なく宇宙に到達した。これで決戦を始めるための障害は全て乗り越えたことになる。

 

「AIC全力稼働(フルスロットル)……転移領域を確保……」

 

 ここからは簪の出番。キーボードを高速で叩いて、アカルギのレガシーとしての機能を呼び起こしていく。

 

「コア・ネットワークを再構築……アウトゲート展開っ!」

 

 時間にして3分。予定時刻である日本時間の午後1時には間に合った。最後に力強くエンターキーを叩く。

 直後、アカルギの周囲に無数の光が生まれた。光は一瞬で人の形を成し、ISも展開した戦闘態勢で実体化する。

 出口の開放と地上での転送開始はほぼ同時。今か今かと待ちわびていた全世界のプレイヤーがこぞって宇宙へと雪崩れ込んできている。

 

「アカルギの進路をルニ・アンブラへ。止まってたら転移領域が味方で埋まっちまう」

 

 ヤイバの指示でアカルギは決戦の地へと突き進む。

 アカルギが通る軌跡は転送されたプレイヤーの光で天の川を作り上げている。世界の危機を知って立ち上がった者もいれば、実力を世界に示したい者、ゲームの新しい環境と聞いてじっとしていられなかった者などこの場に集まった理由は様々である。重要なのは全員の目的が『この決戦に勝つ』という意思で統一できていることにあった。

 通常なら絶対にあり得ない人類軍という大きな括り。その壮大さを目の当たりにして、ヤイバたち素人のみにとどまらず、花火師――倉持彩華も興奮を隠しきれない。

 

「背水の陣は誰もが承知している。この戦いには人類の命運がかかっている。元より敗走する退路など残されてはいない」

 

 花火師の視界に黒い月が映るところまで近づいた。

 黒い月には篠ノ之束がいる可能性が高い。少なくとも花火師はそう信じている。だからこそ、この決戦には地球を守ると言う大義名分以外にも戦うべき理由が彼女にはあった。

 科学者として鬱憤が溜まっていたのは亡国機業のジョナス・ウォーロックだけではない。むしろ全世界の科学者が篠ノ之束に振り回されてきた。能力は認めていても、心証は最悪に近い。

 今回の一件は明らかに篠ノ之束が人類を軽視している。これには温厚な花火師も怒り心頭。黒い月を囲む無人機の軍勢を見据えて高らかと叫ぶ。

 

「かかって来るがいい、木偶ども! 人間様の底力を見せてやろう!」

 

 人類の反撃が始まるまで、あと数分もかからない。



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52 蛮勇一択強行突破

 間もなくミッション開始予告時刻だ。準備は滞りなく進んでいて、戦艦アカルギの全周囲モニターに映し出される宇宙空間は全世界から集まったプレイヤーたちによって埋め尽くされている。身近な奴らはもちろんのこと、名も知らぬ強者たちが共に戦ってくれる。心強いことこの上ない。

 

「ヤイバさん、作戦の段取りを確認しますわ」

「頼む、ラピス」

 

 開始前にこの決戦の流れをおさらいしておく。

 

 戦場となるのは小惑星型マザーアース“ルニ・アンブラ”周辺宙域。俺たちプレイヤー軍の作戦目標は『ルニ・アンブラの破壊』であり、ルニ・アンブラを破壊しなければ現実の地球が破壊される。

 

 当然、敵である仮想世界勢力はルニ・アンブラの破壊を阻止してくる。アカルギのカメラはルニ・アンブラを捉えており、同時に敵もこちらを認識した。ルニ・アンブラを覆うようにして展開された敵の無人機軍の規模は地球を包囲していたゴーレム軍と遜色ない。

 加えて時間もない。俺たちは大気圏を脱出し、宇宙に自軍を展開した。既にゴーレム軍による地球の包囲は意味を成していない。つまり、その軍勢が大挙してこちらに押し寄せてくることが予想される。

 全世界からプレイヤーを集めても数の上では向こうが上。ましてや挟み撃ちされてしまえば敗戦は必至。現実の千冬姉たちが持ちこたえられるかも含めて、短期決戦に持ち込まなければならない。

 

 敵を全滅させることは不可能。無人機をいくら倒したところでルニ・アンブラが健在であれば俺たちは敗北する。

 よって俺たちの作戦は敵軍の中に飛び込んでいき、ルニ・アンブラへと突入。ルニ・アンブラにいるであろう敵のボスを討伐する。これしかない。

 

「いつもいつも俺は皆の力を借りて敵陣の真っ只中に飛び込んでるよな」

「それも楽なポジションではありませんわ。最終的に個の力で戦う以上、重責が一気にのしかかるのですから」

「前に出て戦うだけなら、全体に指示を出すラピスより気楽だ」

「わたくしも前線で敵の大将と一騎打ちするより今の立ち位置が性に合っていますわ」

 

 艦橋の中央で俺とラピスは笑顔を交わす。

 適材適所。互いに足りないところを補ってきた俺たちは今回も己の役割に徹する。その最適解こそが“無敵の刃”になるのだと、これまでの実績が後押ししてくれている。

 今回も勝つ。不利な状況なんて関係ない。

 

「ではそろそろ号令の方をお願いできますか、ヤイバさん?」

「おう――」

 

 軽く返事をしてから気づく。

 

「号令?」

「はい。折角の大きなイベントですし、派手に開戦した方が士気も上がると思いませんか?」

「それはそうかもしれないけど、なんで俺が?」

「だって主催者ですもの」

「表向きは倉持技研だろ?」

 

 イベントの開催は彩華さんに一任したから倉持技研主催になってるはず。

 思わず花火師さんの方を見てみた。

 彼女は右手親指をグッと立てる。

 

「安心しろ、少年。ミッション依頼主の名前は“ブリュンヒルデの弟”として設定してある」

「なんでそうなってんの!?」

「今、現実で戦っている姉を応援したい、という名目を加えてあるからな。この決戦の意味を理解している層にも伝わる内容にしたらそうなった」

 

 どや顔に嫌みがない……この人、本気でいいことしたと思ってるに違いない。

 

「逃げ場はないですね、ヤイバくん」

 

 前に座っているシズネさんが振り向いてきた。

 

「シズネさんまで追い打ちかけにくるの?」

「嫌なんですか?」

「元々、俺は目立つのが嫌いなんだよ」

「ナナちゃんを助けるために目立つ必要があるなら?」

「喜んで目立ってやる」

「じゃあ、やりましょうか」

「…………」

 

 おかしい。こんなにも簡単に俺の反論は封じられてしまうのか。

 

「ああ、もう! やればいいんだろ!」

「無理に気負わなくてもいいのですよ?」

「今更フォロー入れられても困るぞ、ラピス! もう腹を括ったからマイクを寄越せ!」

「チャンネルをつなげましたわ。いつもの通信と同じ感覚で全軍にヤイバさんの言葉が伝わります」

 

 相変わらずの素早い準備だ。もうつながってるらしいからもう駄々をこねているわけにはいかない。

 

『このイベント戦を企画したブリュンヒルデの弟だ。今日ここに至るまでの事情を知っている人もそうでない人も俺の話を聞いてほしい』

 

 全プレイヤーへの一方通行の一斉通信。

 不思議と緊張してない。

 言うべき言葉も原稿を用意してなくてもちゃんと出てくる。

 

『今、世界は危機に陥っている。ニュースでも騒がれている隕石が迫っている。世界各国のIS操縦者たちが今も宇宙で戦ってるけどまだ終わりは見えてない』

 

 まずは現状のこと。世間に知られてること以上のことも知っておいてもらう。

 

『真実は少し違う。終わりが見えないのでなく、終わらないことが見えている。今、破壊している隕石は3つ目であり、これを破壊してもすぐに4つ目が地球に向けて放たれる』

 

 隠すつもりは毛頭無い。政府が隠していることだが、もうISVSにいる人たちはルニ・アンブラを破壊するまで現実に帰ることは出来ない。俺の行動で現実をパニックにする可能性はここまできたら無いと言っていい。

 

『隕石騒動は天災でなく人災、もっと言ってしまえば、地球に対して宣戦布告されたも同然の出来事。喧嘩を売ってきたのは皆の前に立ちはだかっている黒い月と無人機の軍勢だ。信じられないかもしれないけど、地球は仮想世界の存在と戦争状態にある』

 

 きっと勘のいい人なら束さんの仕業だと思うだろうけど、俺は否定も肯定もしない。あくまで敵は仮想世界の無人機だということにする。

 

『ISと同じ防御機構を有する隕石に対して人類が保持している戦力は467機のISだけ。この数がフルで迎撃に当たっているわけもなく、終わらない迎撃作業は確実に操縦者を蝕んでいく』

 

 人類側の戦力が圧倒的に足りない。

 束さんの設けたコア数制限が俺たちを苦しめている。

 でもそれは――現実に限った話。

 

『国家代表を始めとする専用機持ちが戦ってくれている。だからって俺たちが黙って見ているだけでいいのか? 本当に何も出来ないのか? 戦う場は違うかもしれない。だけど俺たちにだってできることはあるはずだ』

 

 もちろん足掻く方法を知っているからこそ、皆はここにいる。

 

『敵はこの仮想世界の住人。だったら俺たちからも仮想世界に攻め込むことができる。俺たちだって戦うことができる。このISVSこそが本当の戦場だ!』

 

 この仮想世界において俺たちは無力じゃない。

 戦う力を持っている。

 抗う意思を持っている。

 

『男たちに問う。本当に俺たちは女性から見て劣っている存在なのか? 少なくともISVSをやってる連中が納得してるはずがないと俺は信じている。俺たちがISを使えれば国家代表が手を焼いている敵にだって打ち勝てる。今がそれを証明するチャンスだ』

 

 ISVSは男の尊厳を守るために造られたのが発端だったと聞いている。その意義を果たすなら今は好機。

 

『女性たちに告げる。この場にいるのは一部の例外を除き、現実で専用機を与えられなかった人たちだ。だけど俺はその実力を軽んじるつもりなんてない。強くなりたいと願っていた想いは俺たち男に負けないくらい大きかったと思うから。大いに頼らせてもらう』

 

 専用機持ちは一つの結果に過ぎない。専用機を与えられていないからと言って全く役に立たないだなんて言えるわけがない。たとえ一つ一つが小さな力でも、結集すれば467のISよりも大きな事を成し遂げられる。

 

『俺たちの敵は男も女も関係なく人間自体を小馬鹿にしているAIだ。世界中からプレイヤーを集めても数は向こうが上で、こちらが不利なのは俺がいちいち言わずともわかってくれてることと思う』

 

 戦力差は覆らない。敵の中にはフォビアシリーズが多数紛れているだろうから、個人個人の力でも分が悪いと言わざるを得ない。

 

『だけど始める前から負けているだなんて思わない。見せてやろう。俺たち人間の力を。生き残る意思を』

 

 ミッション開始時刻まで秒読みが始まっている。

 言いたいことは大体言った。これで士気が上がるなんてこれっぽっちも思ってないけど、俺自身のためにはなった。少なくとも気合いが入っている。

 

『この戦いを現実で戦ってくれている国家代表たちへの声援(エール)とする』

 

 本当の戦場はこちらだけど、この勝利を千冬姉たちに届けたい思いが俺の胸に確かに存在する。

 俺たちは必ず勝つ。だから今は耐えてくれ、千冬姉。

 

 ――時間だ。始めるとしよう。

 

『行くぞォ!』

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 開幕直後の一斉射撃。ヤイバの号令によってタイミングが一致した初撃は黒い月の周囲に展開した敵軍の表層を削り取る。

 あくまで表層。見た目よりも遠い距離だからかENブラスターと言えども効果的なダメージを与えられない。アカルギの主砲“アケヨイ”を以てしても、平凡なゴーレムを一撃で墜とすことすらできていない。

 その様子を眺めていた蒼天騎士団の団長、マシューが違和感を覚えて呟く。

 

「宇宙だとEN射撃の減衰が少ないはずだけど、地球上よりも減衰が激しいのか……?」

『そう思って調べたところ、ある距離を境にして急激に威力が下がっているようですわ。フォビアシリーズの特殊兵装か単一仕様能力、あるいはルニ・アンブラによる影響でしょう』

「ひ、姫様っ! 僕などと会話していてよろしいのですか!?」

 

 マシューの呟きに間髪入れずにラピスが分析結果を通知した。当然、マシューのテンションは上がる。

 ラピスからの更なる返答はなかった。それだけ忙しいという証明であり、マシューも重々承知していた。襟元を正し、動転していた精神を落ち着かせる。

 

「取り乱して悪かった。我らも出陣するとしよう、蒼天騎士団の諸君」

 

 蒼天騎士団と書いてセシリア・オルコットファンクラブと読む。セシリア本人の公式団体となったことで、全世界からマシューの元にセシリアファンが集結していた。

 ファンと呼ぶのは語弊があるのかもしれない。彼らのそれはおよそ一般人からはかけ離れたもの。経済的な消費活動ではなく、どちらかと言えば信仰に近い。今やISVSの中でも最大クラスの大組織となった蒼天騎士団であるが、その思想は揺らぐことなく、セシリア・オルコットの崇拝を第一としている。

 団長のマシューは現実の世界では中学3年生である。彼の思考には年相応な幼さが残るものの、先を読む力には非凡の才がある。一人では目立った活躍をしないが、団体戦となった途端に指揮官として輝くあたりは彼の敬愛するセシリア・オルコットにとてもよく似ている。20代や30代の大人たちがメンバーとなっても、マシューを団長から降ろそうとする者は誰一人としていない。

 

「突出はするな。血気盛んな者たちに情報を引き出してもらうとしよう」

 

 元々、マシューは慎重な男である。ラピスの命令があるときに無謀な突撃をすることもあるが、逆に言えばそうでなければ後方でじっくり構えるスタンスが基本。蒼天騎士団以外にも多数の戦力がある状況下では指揮下の全部隊の進軍をわざと遅れさせた。

 

「団長に報告! 黒い月の前面に巨大なISが出現!」

「見えてるよ。……しかしちょっとあれはサイズがおかしくないか?」

 

 巨大ISの出現。そう聞いて脳裏に浮かぶのは東京のレガシーにまで攻め込んできた科学技術恐怖症(テクノフォビア)。全高100mを超えていた巨大無人機にマシューも軽く蹴散らされたことは記憶に新しい。

 敵軍の中にいる巨大ISは骨のようなパーツが連なった巨人である。頭部のみ人間とは違い、巨大な黒い一つ目が在るのみ。実際のところ、マシューたちにとって見た目はどうでもよく、問題となるのは巨人の周囲にいるゴーレムが砂粒にしか見えないということだった。

 推定全高1km。最早、巨大ロボと形容するのも違和感があるレベル。要塞がロボットに変形したと言われた方がしっくりくるというものだ。

 

「いや、待て。敵が陣形を大きく変えてきたぞ?」

 

 どうしても巨大な存在というものは目を引く。そういった状況を前にしたとき、マシューは普段の癖から目立たないものを探そうとする。

 開戦当初、無人機軍は烏合の衆も同然の乱雑な配置であった。しかし、骨の巨人が姿を現したくらいのときを境にして機体間の距離を一定に保つ格子状の陣形に切り替えている。

 その最前面。均等に配置された無人機は普通のゴーレムではなく、右腕が身長の2倍ほどの砲筒となった特殊形状の機体だ。

 

「この距離で撃ち合いをする気か!」

 

 つい先ほど、プレイヤー側の遠距離最高火力であるアケヨイの効き目が薄かったばかりである。当然、無人機側もそれを承知のはずである。にもかかわらず明らかに砲撃戦用のゴーレムを前面に押し出してきた理由はただ一つ。

 

「進軍停止! その場で防御行動に徹しろ!」

 

 マシューは騎士団の者に足を止めろと指示を下す。回避行動と言わずに防御行動と言ったことに根拠はほとんどない。ただ、漠然と嫌な予感がしていたからでしかなかった。

 敵の砲撃部隊の右腕が赤く発光する。結晶のように等間隔に並んだ光は明確な殺意だった。

 装甲が(ひしゃ)げる音。続けざまの炸裂音。蒼天騎士団のメンバーの一人が構えていた盾に被弾した。命中箇所は凹みつつそのまま貫通し、盾の担い手の腹部には1本の巨大な杭が突き立てられていた。

 

「無事か?」

「はい、なんとか。首の皮1枚ってやつですよ」

 

 敵軍の遠距離攻撃の第1波による蒼天騎士団の脱落者は0。しかしながらプレイヤー軍全体で見てみると敵に撃たれた数だけプレイヤーが倒れている、正しく一撃必殺だったという報告が上がってきていた。

 倒れたプレイヤーは姿が消える。どのような攻撃を受けたのか証拠を残さず、星霜真理を持つラピスも機能停止したISの情報を手に入れることはできない。

 そんな中、蒼天騎士団のメンバーは攻撃を受けてもなお生き残った。故に敵の攻撃痕は分析の材料となる。

 

「マシューより姫様へ報告。敵の砲撃はAICキャノンと思われ、弾頭はシールドピアースに間違いありません」

『確認しましたわ。“杭打ち弾頭(ゴーストパイル)”ですか……また企業が実現できていない机上兵器(きじょうへいき)を使われたことになりますわね』

 

 AICキャノンの特性は発射時にIS本体のPICを砲弾に移し、強力なPICCとして機能させるというもの。操縦者の精神を砲弾に乗せて攻撃するイメージであるため、一部では憑依砲という呼称を付けられている。

 憑依砲の砲弾は近接ブレードのようなものである。そうした考えから、扱いにくいシールドピアースを遠距離攻撃に昇華できないかという発想はあった。ただし、未だ開発途中のものであり、試作の1号機すら完成していない。この兵器は机上の空論の域を脱していない故に机上兵器と呼ばれているものの一つにカウントされている。

 

(シールドピアース)自体の構造について補足を。流線型の先端部分はどうやらスライドレイヤー装甲に似た素材を使っているようで、ENブラスターを当てても杭自体がEN射撃を受け流す構造になっています。こちらの攻撃力を減らす何かが敵陣にある状態で、遠距離の撃ち合いは得策でないかと」

『わかりましたわ。ありがとうございます、マシューさん』

 

 敵の持ち出してきた新装備の情報をあっさりと丸裸にした。こうした情報集めは慣れたもの。マシューにとって、ISVSで最も大きな武器は情報そのものである。

 どのようなゲームでも未知とは脅威とイコールと言って過言ではない。相手を理解しなければ駆け引きすらできないからだ。加えてISVSでは単一仕様能力という初見では未知で当たり前の存在があるから性質(たち)が悪い。

 

 “知ること”に貪欲なのはマシューだけではない。

 マシューが後方からの観察に重点を置いたのに対し、敵の持ち札を吐き出させるために誰よりも先に進軍をしていた男がいる。情報の重要性を早くから理解し、広くISVSの情報を集めるためにwikiまで作成した彼は根っからのゲーム好きだ。

 

「相変わらずだね、バレット。その無謀さが時折羨ましくなるよ」

 

 ライバルというよりは単なる身内っぽい間柄の男の活躍を期待し、マシューは後方で敵軍の観察を続けながら待機する。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 バレット率いる藍越エンジョイ勢は全プレイヤーの中で最も早く敵陣への進軍を開始していた。その理由はヤイバの願いのため……のみならず自分たちのハマっているゲームの存続がかかっていると知っているからである。敵軍のゴーストパイルの一斉射撃が放たれ、メンバーの幾人かが犠牲となってもその足は止まってなどいなかった。

 彼らは使命感で動いている。現実の地球に迫っている脅威を排除するという大義があると知っている。自分たちもヒーローになれるのなら、男の子だったら燃えて当然と言わんばかりだ。

 

「全員、怯むな! すぐにラピスが対策を立ててくれる!」

 

 バレットが檄を飛ばす。正体不明の攻撃を前にしても、勝利の女神(ラピスラズリ)がついているのならばなんとかなるのだと藍越エンジョイ勢のメンバーは確信している。

 そんな厚く信頼されているラピスからの、全プレイヤーに向けた通信内容は次の通りだ。

 

 ――敵、机上兵器の正体はシールドピアース弾頭のAICキャノンである。

 

 攻撃の種類が通知された。この時点でバレットを始めとする手慣れたプレイヤーは対策を思いついているのだが、本題はそこではなかった。

 一部プレイヤーが目に見えて進軍速度を上げる。様子を見ていたプレイヤーも慌てた様子で後を追い、ゲームに慣れていないプレイヤーは周囲に釣られて敵陣へ向かう。

 先行していたバレットたちも例に漏れていない。むしろ焦燥している。突然の変化についていけていない(アイ)はバレットの後方を追従しながらも怪訝な顔を浮かべていた。

 

「一体、どうしたのですか?」

「さっき、ラピスが“机上兵器”って言っちまったんです。だから急がないと」

 

 まだアイは首を傾げている。根本的に情報が足りていない。バレットもそのことに思い至り、説明を付け加える。

 

「今回のイベントは報酬として“敵軍が使用していた装備”があるんです。クラウス社やFMS社など有用な装備の大半はほぼフリーで使えるISVSなんであまり装備でアドバンテージがとれないんですけど、例外となる特殊な装備は今までもあった。今回はそんな装備を入手するチャンス、それもマイナーなわけでなく、企業が開発できていない装備が手に入るかもしれないっていうんだから必死にもなりますよ」

 

 倉持彩華が設定したミッション内容の報酬はかつてツムギのナナを苦しめたものと同じもの。当時も強大な戦闘能力を持つナナに果敢に向かっていったプレイヤーは数知れず。少しでもプレイヤーの数を集めるための策として、机上兵器の入手チャンスであることを明言していたのである。

 しかし倉持彩華にとってみれば、この選択には誤算があった。とはいっても良い方向と言えるものであるが。

 

「そっちの腕を押さえろ! 右腕を切り取る!」

 

 プレイヤーたちは肉壁すらも駆使し、敵軍のゴーストパイル部隊にこぞって飛びかかる。厄介な砲撃武装である右腕自体を狙うことなく本体を数人がかりで押さえつけ、右腕の付け根を付け狙う。どのプレイヤーも一貫して同じ行動を取っていた。彼らの形相は鬼気迫ったものではあるが、同時に嬉々とした表情でもある。

 そう、最初は確かに使命感で戦っていた。しかし、彼らの前に現れた大きな障害は同時に魅力的な報酬でもある。

 敵の砲撃部隊の数およそ1万という数字の認識も変わった。敵対戦力として見れば1万もいるのであるが、報酬の数としてみれば()()()()()()()()()。既に彼らにとって早い者勝ちの競争が始まってしまっているのだった。

 

「なんともまた……緊張感のないお話ですね……世界の危機のはずですのに」

「緊張でガチガチよりはいいと思いますよ。負けられない戦いなら尚更」

 

 呆れを隠さないアイとあっけらかんと現状を肯定するバレット。バレットの言うとおり、競争が始まってからというものプレイヤーたちの進軍速度は上がっている上に、報酬を得るために逆に連携して動けるようになっていた。もっとも、それはラピスラズリの誘導によるものなのだがプレイヤーたちにとっては結果さえあればどうでもいいことだろう。

 20分後。1万体超のゴーストパイル部隊は壊滅。後続のプレイヤー軍も次々と敵陣へ飛び込んでいける状況となった。

 

「とりあえず俺たちは6個の収穫。上々だ」

「バレットさん?」

「あ、すみません! 次に向かわないといけませんね!」

 

 アイの言いたいことが伝わっているようで伝わっていない。バレットの目は輝いている。次なる机上兵器(おたから)を求める狩人となる。彼の視線の先は骸骨を模した一つ目の巨人だった。

 

「よしっ! 次は骨巨人に向かうぞ!」

「弾さん!?」

 

 アイの制止は届かず。バレットは藍越エンジョイ勢を引き連れて巨人へと進路を取った。

 当然、彼らは敗北イコール未帰還者となることをわかっている。しかしそれはもうリスクとして成り立っていない。人類側が勝利すれば未帰還者も現実に帰ることが出来ることに加え、人類側の敗北はISVSで戦闘不能となっていなくとも現実での死亡につながっている。結局のところ、勝つために戦う他道はなく、どうせなら勝利した後の未来のためにプラスとなる方向に突っ走ろうという割り切りが彼らを蛮勇に走らせた。

 骨巨人に動きあり。佇んでいるだけであった巨体は戦艦よりも太い腕を広げると、巨大な一つ目に黒い霧が収束する。

 

「巨大なエネルギーの収束を確認!」

「全員、奴の正面には出るなよ!」

 

 漆黒の宇宙(そら)を禍々しい黒が貫く。骨の巨人の視線は死を運ぶ線となってプレイヤーの群れを二つに割った。黒き閃光が通過した空間を埋めていたプレイヤーの姿はもうどこにもない。

 

「このデカブツもファルスメアかよ!?」

「バレット、どうすればいい?」

「接近は中止! 現在の距離を保ったまま包囲を続けろ!」

「攻撃は?」

「もちろん仕掛ける。効果は期待できないけどな」

 

 既にファルスメアの存在は多くのプレイヤーに認知されている。プレイヤーが使用できないCPU専用の違法武器として認識され、その脅威はテクノフォビアの襲撃によって思い知らされていた。

 この決戦に設けられたルールならば、このファルスメアの源であるファルスメアドライブという装置をプレイヤーが手にすれば自らのものとして所有できる。しかし、そのような餌がぶら下がっているにもかかわらず、プレイヤーの動きは重いまま。バレットと同様に様子見をするだけだ。

 チクチクと包囲射撃を加える。相手が1kmを超えるデカブツであろうとも、小さい積み重ねがあればいつかは倒せるはず。もっとも、それは塵でもいいから積み重ねていればの話。

 

「ラピスに報告。想定外だ。奴には全く効いてねえ」

 

 骨巨人はテクノフォビアと違い、ファルスメアを防御に回していない。見た目で言えば、デカイ図体なだけで無防備な姿を晒しているようにしか見えない。だというのに攻撃が当たった箇所には傷一つついていなかった。

 結果論だが飛び込まなくて正解だった。百戦錬磨のプレイヤーの野生の勘が危険を察知してのことだろう。相手のHPを削るゲームをしているのに全くHPを減らせないのではゲームとして成り立っていない。

 骨の巨人は文字通りの鉄壁。プレイヤーたちが黒い月に近づくための障害として君臨する。

 

「もう一つ。俺たちの攻撃が()()()()()()威力が下がってる」

 

 初撃では距離による威力減衰説もあったが、その可能性はこの報告により打ち消された。ならば他の説が浮上するのも必然。データはもうラピスの元に届いている。

 

『どちらも敵の単一仕様能力によるものでしょう。前者はまだ詳細が不明ですが、後者はプレイヤーの皆さんからの報告を統合すると骨の巨人を中心とした球状の範囲内で威力が半減しているようですわ』

「奴の能力なのか……」

 

 防御よりの能力により、プレイヤーの進軍速度は激減している。この決戦は時間との闘いでもある。骨の巨人の存在は正しく脅威だ。

 加えて、ここに一つ、新たな情報が届く。

 

『こちら、アイです。黒い月へ単独で先行したところ、途中で見えない壁に阻まれました。攻撃を仕掛けてみたところISのシールドバリアを極大化させたものという印象です』

「アイさん、いつの間にっ!? どこまで行ってるんすか!?」

 

 バレットが骨の巨人に向かっていくのを尻目にアイは黒い月へ近づいた。実際に侵入が目的なのではなく、前もって敵の情報を入手するための諜報活動である。その成果はあった。

 

『……黒い月は骨の巨人の能力の範囲に入っていますわ。そして、威力が半減した攻撃では巨大なシールドバリアを破るのは難しいと言わざるを得ません』

 

 黒い月を覆っている見えない壁の正体がシールドバリアであるのなら、通常のISVSと同じくアーマーブレイクをすれば良い。しかしながら敵の能力である武器威力の半減は単純に半分のダメージが入るというわけではない。威力が半減した攻撃では、シールドバリアの耐久力を減らせないのだとラピスは計算している。

 

『我々は骨の巨人を無視することは出来ません。いち早く、あの敵を排除しなければ勝利はありません』

「ここに来て、作戦目標の更新か。悪くねえ」

 

 難題が提示され、バレットの口元には笑みが浮かぶ。作戦途中で新たな障害が発覚して対処しなければならない。このシチュエーションは厄介であるが、バレットとしては燃えるものだった。

 

「よっしゃ! 俺ら藍越エンジョイ勢はあの骨の巨人を全力で落とす! 報酬はファルスメアを貰えたらラッキーくらいに思っとけ!」

「おー」

 

 煮え切らない鼓舞だが一定の効果はあった模様。各々(おのおの)が明確な目的を意識して、思考を開始する。

 対する骨の巨人にも新たな動きがある。唯一、骨を模していない一つ目が黒い霧に包まれたかと思うと、中心に金の瞳が開眼する。

 

『我は巨大に恐怖する(メガロフォビア)。故に何者よりも巨大である』

 

 名乗りを上げ、ファルスメアドライブがフル稼働する。黒い霧はオーラとなって骨の体に纏わり付いた。

 

「へっ、やってやるよ! 俺らの底力を見せつけてやる!」

 

 テクノフォビア以上と推測される脅威を前にしたバレットが吠える。退路など無いと自分に言い聞かせるように。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 衝撃砲。衝撃砲。双天牙月。衝撃砲。

 決戦開始直後から、リンは目の前の敵へとひたすらに攻撃を加え続けている。対象は闇雲で倒しているかどうかすら確認できていない。1体を吹き飛ばせば、すぐに新しいゴーレムが目の前にやってくる状況が続いているのもある。しかし明確な目標のないがむしゃらな攻撃の理由にはなっていない。

 

「ああ、もう! 鬱陶しい!」

 

 苛立ちが募る。いくら攻撃しても減っているように感じない敵勢力に対してではない。リンが怒りを示しているのは自分に対してだった。

 ヤイバの役に立ちたいと、宇宙に出るまでの戦いを買って出た。その結果は自分を慕っている男が囮となって戦場に散り、リンの関与しないところで道が切り開かれた。

 ……今度こそ誰かを助ける側に回りたかったのに、結局助けられてばかりだ。

 

『リン、落ち着け』

「うるさい!」

 

 ヤイバからの通信にも怒鳴り返してしまうくらい気が立っている。もはやポーズのみならず、ヤイバのために戦っているわけではなくなっていた。

 もうヤイバにいいところを見せようだなどと考えてはいなかった。一人のISVSプレイヤーとして、活躍できないまま終わることはなんとなく許せない。

 確かなプライドがリンを突き動かしていた。行為は憂さ晴らしそのもので、次の獲物を探す必死な目は満足できる着地点を探している。

 自分が戦う、その意味を欲していた。

 

「ちっ……本命はあの馬鹿デカイ骨だったのね」

 

 ラピスからのミッション目標として『メガロフォビアの破壊』が提示され、別方面に来ていたリンは舌打ちを隠そうともしない。

 今更バレットたちの戦場へと向かう気はなかった。後から行ったところで自分の戦場と思うことが出来ない。仲間と共に勝利しても、自分がこの決戦にいる価値を見出せそうになかった。

 リンだからこそ。そうしたアイデンティティが必要だった。

 

 そんな折り。黒い月方面で眩い光が解き放たれた。漆黒の空に突如現れた極光はおよそ自然のものではない。光の玉が無数にばらまかれ、拡散していった光がプレイヤーたちを襲っている。

 どこか見覚えのある攻撃。リンにとっては忘れられない拡散型ENブラスター、“銀の鐘(シルバー・ベル)”と類似している。光を放っているその中心には光り輝く翼を広げた1機のISが佇んでいた。

 

『我は暗闇に恐怖する(ニクトフォビア)。故に我は闇夜を照らす光となる』

 

 フォビアの名乗りは強敵の証。それも過去にリンが対峙した中で最も強大だった敵と瓜二つの姿がそこにある。

 ニクトフォビア。闇を恐れる光はアドルフィーネ・イルミナントそのものを(かたど)っていた。

 

「アイツは……!」

 

 因縁の相手。かつてヤイバとともに戦ったときは手も足も出なかった。結果、リンは敗れて未帰還者となった。そのときのヤイバの顔は今でもリンの脳裏にこびりついている。逃げろと叫びながら、絶望に潰されようとしている彼を思い出すと、リンの胸は強く締め付けられた。

 ……あのとき、リンが逃げても逃げなくても、どちらにしてもヤイバが苦しむことになっていた。原因は自分たちに力が無かったからに他ならない。

 元々リンはISVSにそれほどのめり込んでいるわけでもなかった。本当にムキになって強くなりたいと願ったのはイルミナントに敗北してからのことである。

 

「サベージ……あたしをこの場所に残してくれたこと、感謝するわ」

 

 先の戦闘でリンの身代わりとなるように戦場に残った男の名を挙げる。申し訳ないと感じていたリンだったが、ニクトフォビアを前にした時点で謝罪は礼へと移り変わった。

 このような機会は二度とやってこないだろう。ヤイバとリンを苦しめた相手に自らの手でもう一度リベンジするだなど。

 

『リン! 無茶をするな!』

「あたしがアンタの言うことを聞いてるだけの女なわけないでしょ?」

 

 ヤイバの制止に対して、いつかと同じ返答をする。

 とは言っても、今度ばかりはヤイバの過保護に過ぎない。

 

「どのみち、危険はどこに居ても一緒。あたし個人が勝っても負けても細かい話。現実に帰るにはアンタが黒い月を壊さないといけない。だったら、アレの相手をあたしがしても問題ないじゃない?」

『たしかにそれはそうだが……』

「あたしのことは気にせず、アンタは自分のことに集中してなさい。この敵をアンタのとこに行かせないから」

『……わかった。頼む』

 

 通信が終わり、リンはおもむろに溜め息を吐いた。

 

「あたしの気も知らないで、変なとこで気に掛けてくるのは相変わらずね」

 

 行き場のない怒りを抱えていたさっきまでとは打って変わって、リンの顔には笑顔が戻ってきた。この決戦における自分の役割を見出したこともある。さらには過去の清算もできる。あとは勝つだけ。

 

「さーて! 行くわよ!」

 

 イグニションブースト。ヤイバがISVSを始めた頃には習得していなかった技術を苦も無く披露して、銃撃の飛び交う宇宙を駆けていく。

 正面には光の翼を広げた白い悪魔。周囲に展開された光の玉が無差別に発射され、宇宙が白く染められる。隙間など無いが、リンは止まらない。

 腕部衝撃砲、開口。無い道は切り開けばいい。立ちはだかるものが敵の攻撃ならば、こちらの攻撃を以て打ち崩す。

 光撃と衝撃。可視と不可視の戦意がぶつかり合う。

 敗れたのは光。構成していた粒子を散らされたEN射撃には破壊力が残されていない。強引ではあるが、ここに道は開けた。

 リンの八重歯が光る。その笑みに宿る感情は喜びそのもの。自らの力で出来ることがあると実感できている。それが確かなアイデンティティだ。

 敵はもう目の前。

 

「おらぁ!」

 

 およそ女の子らしくない雄叫びと共に右拳を放つ。敵がイルミナントを模しているのならば決して接近戦が苦手というわけではないのだが、リンには接近戦を仕掛けるしか勝ち目がない。その勝ち目すら薄いことも自覚しているからこそ、自らを鼓舞する。

 

「やっぱ、そう簡単にはいかないか」

 

 リンの右拳をニクトフォビアが左手で真っ正面から受け止めた。崩拳を使用した攻撃をAICも駆使して的確に防いでいる。この時点でリンは近接戦闘能力すらも劣っていることを見せつけられてしまった。

 左の崩拳。同様に右手で受け止められる。

 両肩の龍咆。光の翼を盾にされて弾かれる。

 脚部衝撃砲。撃つ前に光の翼で叩き壊された。

 

「あぐっ……!」

 

 足に被弾して顔を顰めるも、リンはニクトフォビアから離れない。

 否、離れられない。

 リンの両手はニクトフォビアに握られたままで拘束されたも同然だった。残る攻撃手段は龍咆だけだが、ニクトフォビアの光の翼を打ち破れない。

 ニクトフォビアが牙の生えた口を開く。握った手を強く引き、リンの体を自らに寄せていく。離れようと藻掻くリンだったが、少しずつニクトフォビアの牙がリンの首元に迫る。

 いつかと同じ。無力なまま食われるのを待つだけ……

 

 そんな結末でいいはずがない。

 

 いつまでも同じであるはずない!

 

「アンタみたいなのをどうにかするために()()()を用意してんのよっ!」

 

 リンの足下に武装具現化の光が出現する。

 ISの装備展開は個体ごとに異なる固有領域の範囲内であればどこでもできる。甲龍の固有領域は標準的なヴァリスクラスであり、足下に武器を出すだけなら問題なくこなせる。手に出す必要など全くない。

 現れたのは水晶のように透き通った大剣。衝撃砲で崩しにくいENシールドに立てこもる防御型のISを打ち破るためのメタ装備である武器の名は“ブロークン・ハート”。

 手が塞がれているリンがとる行動は当然決まっている。

 蹴った。大剣の切っ先はキッチリとニクトフォビアに向いていて、ニクトフォビアを守っていた光の翼を容易く通過した水晶の剣は敵の腹部に突き立てられた。

 思ってもいなかった反撃だっただからか。リンの両手は解放された。光の翼の防御にも隙間が出来ている。リンの取る行動は一つ。

 

「喰らえっ!」

 

 両手と両肩。計4つの衝撃砲を叩き込む。2発はAICで防がれたが2発は直撃した。

 確かな手応え。自分一人で一撃を加えた。その事実を噛みしめたリンはここで――後退を選択する。

 今の攻防で一定の満足感があった事実は否定しない。だが追撃せずに下がった理由は自己満足などでなく、客観的な状況判断によるもの。熱くなった心の中に冷徹な自分がいて、これ以上はまずいと警告を発していた。

 直後、ニクトフォビアの全身の至る所から無造作に光の翼が生えた。もはや天使を真似る体すら成していない。光の翼という武器を振り回すだけの人形がプレイヤーへの殺意だけで動いている。

 撤退の判断は正しかった。だが間に合っていたとは言いがたい。擬似的な腕となった光の翼がリンに伸ばされ、速度で劣っているリンが捕まるのも時間の問題だ。

 ……もっとも、この戦場でいつまでもプレイヤーが一人で戦うこともなかった。

 遠方から一発の砲弾が放たれた。レーザークリステイルを主としている対ENシールド透過弾。光の翼の防御を突破した攻撃を察知したニクトフォビアは追撃をやめて急反転し回避する。

 

自棄(やけ)になって一人で飛び込むなって、リン。フォローするこっちの身にもなってよ」

「援護なんて頼んでないわよ、ライル」

 

 駆けつけたプレイヤーはカズマ。得意な装備と言い切れるものが無い代わりに複数の装備を一定水準で使いこなせる器用貧乏な彼が今回の決戦で選択した武器はAICスナイパーキャノン“撃鉄”。飛べないデメリットのない宇宙空間であり、敵との距離が離れていることが多いことから選択したこの装備は弾頭を使い分けることで敵の防御兵器の穴を突くことも得意としている。

 

「一つ訂正しとく。今はもうプレイヤーネームをカズマにしてるから」

「あ、そうなの? どうしてまた――って愚問だったわ」

「おいおい、急に口を尖らせてどうしたんだよ?」

「リア充にはわかんないことよ。爆発しろ」

 

 刹那。一筋の光線がカズマの脇を掠めていき、肩のミサイルポッドが爆散する。

 2人は同時に攻撃元を視認。一時は距離の離れたニクトフォビアの口が開いており、再び光が収束していくところだった。

 

「やばっ! 集束型ENブラスターもあるの!?」

「ENブラスターというよりもENブレードみたいな密度。厄介だ」

「意外と冷静ね、アンタ」

「……俺がアレを倒さなきゃいけないとか気負う必要ないからね。戦闘目的はアレをヤイバのいるアカルギに近づけさせないことだし」

「そういうところが意外って言ってるのよ」

「まあ、リンと違って器が大きいからさ」

「はぁ? 誰の何が小さいって?」

「……もしかしたらゼノヴィアの方が大きいかもね」

「ちょ!? マジで何の話してんの!? あのチビっこが大きい?」

「ゼノヴィアは大人だったよ。こう、なんというかさ。包み込んでくれる感じって言うの?」

「あの幼い子に何したのよ、アンタ!?」

「俺も負けずに大人でいようかな。さ、奴の足止めをしよう、リン」

「あーっ! 気になって仕方ないけど、今はやるしかないわ!」

 

 光の悪魔を前にしてリンとカズマは向き合いつつも後退する。

 あくまで時間稼ぎ。

 この戦いは元より、敵を全滅することなど不可能だと割り切るしかない。ましてやヴァルキリーに匹敵する敵である。倒すことにつぎ込むリソースは計り知れない。

 この決戦では強大な敵の駒をいかに意味の無い存在に落とし込むかが鍵となっている。

 たった2人で時間を稼ぐ。いつまでも続くものでないと知っていても2人は戦いをやめない。

 ヤイバのため? 否。自分たちの未来のために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 プレイヤーたちの執拗な攻撃が続いていた。にもかかわらず骨の一つ目巨人、メガロフォビアには傷一つ付けられていない。自慢のマシンガンを撃つのをやめたバレットは藍越エンジョイ勢に後退の指示を出す。

 

「どういうつもりだ、バレット? 奴を倒さないとダメなんじゃないのか?」

「ノーダメージな攻撃をいくら続けても意味が無いっての、アギト。ライターの攻撃も通らないんじゃ、単純な威力で突破するのは無理だ」

 

 聞いただけでは諦めたと受け取れる発言だが、仲間の誰もがバレットの意図を見誤ってなどいなかった。

 

「条件付き……だな」

 

 ゲームプレイヤーならではの発想。敵の防御兵器が完全なものであり、ゲームとして成り立っていない可能性を少しも考えていない。

 もっとも、敵の防御が完全であるとすれば突破方法など探すだけ無駄なのだから、最悪の可能性を考慮する意味こそない。だからこそ彼らは探す。勝利への道を。

 

「まず、一定範囲の攻撃力半減効果。これは攻撃者に対して発生する効果でなく、範囲内で生じる全てのダメージに適用される」

「遠距離からの狙撃でも、弾が範囲に入れば威力を下げられた。だから骨巨人に当たる攻撃は全部威力が下げられてしまうということになるな」

「武器種も関係なかった。接近戦を仕掛けた奴らも物理ブレード、ENブレード、シールドピアース。主要な攻撃は全部試したけど、結果は同じ。近づいた奴はパンチ一発でやられちまったよ」

「アーマーブレイクも狙えなかった。シールドバリアへのダメージすらもなくなっている」

 

 メンバーからの報告は既にバレットの頭に入っていること。これまでの経験と照らし合わせて、何か試していないことがないかを考えてみるが敵の防御のメカニズムがわかっていない現状では何も思いつかない。

 バレットたちが後方で唸っている間にも、前線で散っていくプレイヤーがいる。メガロフォビアの拳は小型の隕石に匹敵する。PICを突破してくる超質量を受けて無事でいられるISは存在しない。

 その様子を見たバレットは固まっていた。

 

「どうしましたか、バレットさん?」

 

 アイが心配そうにバレットの顔を覗き込む。そんな彼女の様子に全く気づかないまま、バレットの口元には笑みが浮かんだ。

 

「ハハッ、そういえば野郎自身の攻撃は全く半減してねえな!」

「そりゃ単一仕様能力の使用者だからだろ?」

「ワールドパージは能力の使用者が例外となることはねえ! つまり、抜け道がある!」

 

 敵の能力がワールドパージであるだなど、希望的観測に過ぎない。

 しかし、広範囲に適用され、プレイヤーサイドの単一仕様能力をも飲み込む効力の強さはワールドパージと考える方が自然である。

 メガロフォビア自身が自らの能力に巻き込まれていないことは何かしらの条件が存在することを意味する。ここからは希望的観測に加えて、想像を交えて推測していくしかない。

 自分たちプレイヤーとメガロフォビアは何が違うのか。わかりやすい差を言ってしまうとそれは単純なサイズが挙げられる。メガロフォビアはこれまでに相手取ってきたどのマザーアースよりも巨大である。

 

「メガロフォビア。単純に訳すと巨大恐怖症。巨大なものを恐れる巨人。巨人から見た巨大とはもちろん――」

 

 ぶつぶつと独り言を垂れ流す。あくまで可能性ではあるが、一つの道が見えてきていた。

 

「相対的なサイズ。あるとすれば、これが条件だ」

 

 至った答えはシンプルなもの。敵の能力は自らの大きさを基準として、自分よりも小さい者の攻撃を制限している。だからこその巨大恐怖症(メガロフォビア)。自らに攻撃を加えられる同格以上のものを恐れているという名前を冠している。

 

「サイズ……つまり、あの巨人よりも大きな個体の攻撃ならば打ち破れるというわけですか」

「あくまで可能性ですよ、アイさん。何でもいいから試してみるべきだとは思ってますけど」

「ですが、こちらの勢力にはアカルギよりも大きなマザーアースはありません。試すことも不可能ではないでしょうか?」

 

 アイの指摘は尤もなもの。要塞型マザーアース“ヴィーグリーズ”や“ユグドラシル”ならばメガロフォビアのサイズを超えられるが、あれらはレガシーに根を張らなければ運用が出来ないという欠点を抱えている。そもそもミューレイにはもうそれらは残っていない。

 だがアイの指摘は型に嵌まったもの。開発されたマザーアースという形でしか物事を捉えていない。

 バレットにはプランがある。

 

「ラピス、提案がある」

 

 通信を開く。この思いつきを実行するには連携を密にした大軍が必要となる。今からそのような大軍を作る時間などないため、即興で烏合の衆をエリート部隊に仕立て上げることのできるのは“蒼の指揮者”の力だけだった。

 

『突破口は見つかりましたの?』

「ああ。“スイミー”は知っているか? お前には目になってもらいたい」

『…………子供騙しではありますが、マザーアースの構造を考えてみれば似たようなものですわね。やってみますわ』

 

 通信を終えると同時に近くにいるプレイヤーたちに一斉に追加ミッションが課せられた。内容は戦闘ではない。指示通りの機動をするというもので、最初期の簡単なトレーニングで行うものとほぼ同じである。

 

「これは一体どういうことでしょうか?」

「アイさんも従ってくれますか? あの骨巨人を討てるかもしれない策なんです」

 

 指示に従ったプレイヤーたちはメガロフォビアから距離を取って集結。即座に決められたポジションに移動して待機する。

 

『煙幕、展開』

 

 一部のプレイヤー、主に蒼天騎士団に所属するプレイヤーがスモークを撒き散らして全プレイヤーをメガロフォビアの視界から隠す。その間もプレイヤーたちは陣形を整えることに集中する。

 姿は隠していても煙の中にいることは敵にバレバレである。メガロフォビアの巨大な眼球が纏っている黒い霧のオーラが集束していき、煙の中心に向けて放たれた。

 煙に大穴が穿たれる。真円の宇宙に散ったISの姿は皆無。光学情報などなくとも、ラピスの眼があれば全軍が避けることは可能だ。

 煙のカーテンが上がっていく。そこには人の形をした奇妙な陣形に並んだ無数のプレイヤーたちの姿がある。右手に当たる部分にはアカルギが配置され、ちょうど銃を持っているような位置となっていた。

 

 バレットの策は本当に子供騙しのようなこと。

 巨大なISがないのなら、巨大なISのフリをすればいい。

 そもそもマザーアースは複数のISの集合体であり、極論を言ってしまえばISが並んでいるのと同じである。複数のコアが確認されているメガロフォビアもマザーアースに分類されているのだから、上回るべき大きさは集合体としての大きさである可能性が高い。

 あくまで可能性に過ぎなかったが損になることもない。ならばやってみればいい。その結果は――

 

「マジかよ。ファルスメアも無くなってるぞ?」

 

 想定よりも大きな反応として表れた。メガロフォビアの巨大な目玉を覆っていた黒い霧が消え失せ、先ほどまであったプレイヤーへの攻撃の意思すらもなくなったかのように見える。徐々に後退していくその姿は、もし人間であったなら狼狽えているのだろう。

 ラピスから陣形変更指示が飛ぶ。主に右手部分に当たるチームが長距離の移動を指示され、プレイヤーの群体である巨人は手に持つ銃をメガロフォビアに照準する。

 

『では、盛大にいきましょう。主砲(アケヨイ)、撃て』

 

 プレイヤー勢力最高火力であるENブラスターが発射された。メガロフォビアのワールドパージ内であるが威力半減の効果を受けていない。バレットの仮説は正しく、本来の威力のままである極光はメガロフォビアの目玉を貫いた。

 幾重にも並んでいたメガロフォビアの防御システムは何一つ働いていなかった。ほぼ無抵抗にアケヨイを受けたメガロフォビアの目玉は爆発四散。骨の体はコントロールを失って単なるガラクタとして宇宙空間をさまよい始める。

 

『ミッションコンプリート。元の作戦に戻ってください』

 

 バレットのスイミー作戦によりメガロフォビアを突破。プレイヤーたちは巨人の陣を解除して各々の意思のままに黒い月へと向かっていく。

 続く障害は黒い月が張っている不可視障壁(バリア)。これより内側にプレイヤーが入るには、障壁を破壊するしかない。通常のISよりも圧倒的な強度を誇っているシールドバリアをアーマーブレイクするには闇雲に攻撃しても骨が折れるところだ。

 だがもう手筈は済んでいた。蒼天騎士団マシュー旗下のグランドスラム部隊が障壁に取り付いている。彼らはマシューの号令の元、一斉にシールドバリアに杭を打ち立てた。

 タイミングを合わせた衝撃はマザーアースの一撃にも勝る。自然回復の入る余地もない一斉攻撃を前にして、小惑星を覆うほどのシールドバリアも為す術無く砕け散った。

 

「よっしゃ! 全員、突撃!」

 

 黒い月までの道が開かれた。プレイヤーたちは我先にと雪崩れ込み、黒い月へと迫っていく。バレットも熱に煽られて、最前線を突き進んだ。その行く手には当然のようにゴーレムが立ちはだかっているが、プレイヤーたちはまだ数が残っている。

 問題なく黒い月まで辿り着ける――そう高を括っていた。

 

 

『我は死に恐怖する(タナトフォビア)。故に汝を殺す』

 

 

 ゴーレム軍団の先頭で黒い襤褸(ぼろ)切れを纏ったISが身の丈ほどもある大鎌を持って立ちはだかっている。およそISVSらしくない外見とフォビアの名乗りから強敵であると察するには十分だった。

 

「気をつけろ! コイツは――」

 

 バレットは藍越エンジョイ勢のメンバーに指示を出そうとしたがこれ以上の言葉を出すことが出来なかった。喉を動かそうとしているのに体が応えてくれない。

 ぐるぐると周囲の星景色と仲間たちが目まぐるしく回っている。その中には馴染みの深い装備をした首無しのISがある。そのISの正体に気がついたとき、バレットは意識を手放した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 最前線で障壁を突破した報せは全プレイヤーに届いている。しかしながら最前線のプレイヤーは強引に突き進んだだけであり、戦場全体で見れば未だ混戦状態である。

 アカルギとは別方面から進軍を開始した黒ウサギ隊の旗艦、シュヴァルツェア・ゲビルゲも敵軍を突破できずに立ち往生している。主砲であるAICキャノン(ラヴィーネ)の威力を以てしてもゴーレム軍の防衛網は全く揺るいでいない。

 

『我は時間に恐怖する(クロノフォビア)。故に時を支配する』

 

 敵軍の中に時計を背負ったマネキンがいる。フォビアの名乗りを上げたその個体が手をかざすだけで黒ウサギ隊の最高火力を無力化されてしまっていた。

 敵の能力の正体はわかっている。単純に強力なAICによってAICキャノンの砲弾を停止させただけだ。だが単純であるが故に敵の強大さを思い知らされてもいる。

 

「……今度ばかりはラウラの助けとなりたかったのだがな」

 

 ゲビルゲのブリッジの中央で軍服の老紳士が項垂れる。任務中であるにもかかわらず不抜けた姿を部下に見せているのは、かつて“ドイツの冬将軍”と呼ばれていた冷徹な堅物軍人であったりする。

 ブリッジクルーは揃って黙り込んでいる。陰では親バカと噂していても流石に上官に対して軽口を叩こうという者はこの場にはいなかった。

 

「准将。第5射も止められました」

「わかっている。対象フォビアの動きはどうだ?」

「攻撃行動に移ろうという気配無し。なおも我らの正面に居座るのみです」

「ならばよし。あれほどのAICの使い手をこのゲビルゲで引きつけておけるのならば意味はある。次弾の準備、急げ」

 

 状況は劣勢である。プレイヤー軍が包囲していると言っても、それは敵軍が打って出てこないからに他ならず、果敢に攻め込んだプレイヤーは片っ端から散っている。

 ただでさえ強力なゴーレムが数を揃えられているのも理由の一つではある。だが歴戦の勇士であるバルツェルから見ると、数以上の脅威となっているのは敵軍の中に数体だけ存在するフォビアシリーズなのは間違いない。あまりにも一方的にプレイヤーを狩っていくその姿はISVSを単なるゲームと考えている者の心すらも折るのに十分だった。

 

「この(いくさ)、唯一の勝機は()にしかないだろう」

 

 プレイヤー軍はほとんど進軍できていない。唯一、メガロフォビアを突破したアカルギ周辺の者たちだけが、敵軍の真っ只中を強引に突き進んでいるだけである。

 最前線のプレイヤーの戦いは軍人ではあり得ない無謀な突撃。それが許容できるのも仮想世界では戦闘の結果によって直接死ぬことはないのに加え、勝てなければ人類が滅亡するという背水の陣だからだ。軍人であるバルツェルが指揮官だったなら取らなかったであろう作戦行動に対し、バルツェルはただ感服するのみであった。

 既にメガロフォビアが倒された後の防衛線の穴は塞がっている。退路のないアカルギが行く先にしか未来は開かれていない。

 

「私も老いた。若者が切り開く未来を見るのが楽しみで仕方ない」

 

 バルツェルは十中八九負け戦であることも忘れ、一筋の希望に全てを託した。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 侵攻ムードは一変していた。真っ先に飛び出していったプレイヤーは相も変わらず藍越エンジョイ勢であったのだが、リーダーのバレットを含めて一瞬のうちに全滅した。

 敵の方が多勢ではある。しかし、藍越エンジョイ勢を一瞬のうちに全滅させたのはゴーレムの集団でなく、たった1機のフォビアシリーズであった。

 全身に襤褸切れを纏った見窄らしい格好に身の丈ほどの大鎌を所有しているその姿は死神のイメージをそのまま具現化したようなもの。見た目だけでなく結果で死神と思わせられたプレイヤーたちの士気は大きく下がってしまっている。

 

「……バレットみたいな愚痴を言うのは癪だけど、こいつはチートだ」

 

 一瞬の惨劇を目の当たりにした蒼天騎士団団長のマシューは頭を抱えていた。敵の攻撃は明らかに異常。攻撃力が高いというレベルの話でなく、鎌を受けたプレイヤーが即死しているような速さがあった。

 ISはストックエネルギーがある限り絶対防御が発動できる。絶対防御とは言ってもやっていることは『既に起きた事象の改竄』という現代科学では原理すら解明できていない代物である。例え操縦者が死ぬような攻撃を受けても、ストックエネルギーがあれば操縦者は生存している。ISVSでは一撃必殺の攻撃を受けても攻撃の持続時間さえ短ければ操縦者がその場に残るはずなのである。

 今、目の前で起きた殺戮の中で、誰一人として絶対防御を発動していない。敗北したプレイヤーは例外なくストックエネルギーを残したままリタイアする羽目になっていた。

 

「対人間特攻。絶対防御発動の無効化。現実にあってはいけない、危険すぎる力だ」

 

 およそ競技の範疇に納まる能力ではない。ゲームのシステムを無視した暴力に等しい。故にチート。否応なしにこの決戦が単なるゲームで終わらないと思い知らされた。

 

『アカルギは進みます』

 

 敬愛している指揮官からの指示はなかった。淡々と旗艦の行動だけを周囲に伝えると、有言実行されるのみ。前方にアケヨイを放ち、開いた進路を強引に突き進んでいく。

 

「自分で選べということですか、姫様」

 

 アカルギを見送る形となったマシュー。

 追いかける真似はせず、見据える先には死神が在る。

 

「言われずともわかっています。僕たちに求められている仕事はこれなのだと。アレを放置するわけにはいきませんからね」

 

 全体の戦況を確認しようとしなかったバレットと違い、マシューはプレイヤー側の圧倒的不利を自分で確認している。真っ当な戦い方で勝利することは難しく、一発逆転を狙うしか方法はない。

 逆転の方法はルニ・アンブラの核を破壊すること。マシュー自身は自分がそれを成す役割にないことを自覚している。何よりも唯一尊敬している男、ヤイバがやり遂げようとしている。ならば手助けすることこそが本懐。

 

 マシューがヤイバと初めて出会ったのはISVSの中。ミューレイ社から出されていた未確認ISの討伐ミッションで妨害されたときである。団体戦では連戦連勝で調子に乗っていたマシューの鼻っ柱は完璧に叩き折られた。敗北した結果のみならず、男嫌いで有名だったセシリア・オルコットの隣に特定の男がいたことも大きなショックだった。

 もちろん最初は妬ましく思っていた。一番好きなアイドルとしてセシリア・オルコットの名前を挙げるほどの熱烈なファンだったから当然である。藍越エンジョイ勢との対戦でヤイバと戦った後も敵意を隠そうともしなかった。

 試合に勝ったことで溜飲は下がった。落ち着いてもう一度考えてみたとき、日本に来たセシリア・オルコットが無邪気な笑顔を見せていたことに気づく。表舞台から消える直前、彼女は本当に笑わなくなっていたことも思い出した。

 ヤイバが直接何かをすることなく、マシューは態度を180度翻す。敗北感などなく、ただひたすらに感謝した。ファンの声が届かなかった彼女の闇を晴らしたのは誰にでも出来ることではない。以来、マシューはヤイバに尊敬の念を抱いている。

 

「総員、対物理ブレード戦闘用意。前衛はありったけの装甲で身を固めろ。操縦者自身が斬られれば一撃でやられる」

 

 蒼天騎士団お得意の陣形。固い前衛で敵の接近を阻んでいる内に火力の高い後衛が敵を殲滅する。強力な格闘型を相手取るのに好んで使う攻め方であるのだが――

 

「ダメです! 鎧の上から持ってかれました!」

 

 死神の鎌の切れ味は鈍らない。装甲をプリンのように切断し、シールドバリアも絶対防御も機能していない。鎌が人体部分に届けば致命傷となる攻撃を防ぐ術は、少なくとも蒼天騎士団にはなかった。

 

「前衛は下がって連射武器に持ち替え。包囲して火線を集中させろ」

 

 戦法の変更。敵のスタイルと同じ接近戦型であるヤイバが最も嫌っているマシンガンを中心とした手数重視の中距離戦に移行する。

 だが狙いが定まらない。タナトフォビアのイグニッションブーストは予備動作を全くせずに滑るように移動する。気づけば目の前にいる死神にマシンガンを向けたところで間に合っていない。

 一人また一人と散っていく。そのペース、一秒につき一人。戦闘になっていないどころか虐殺とも言い難い単なる作業をこなされている。

 既に団員の士気は底についた。もはや戦意が残るのはマシューのみ。両手にENブレードを展開して、刺し違えるつもりで前に出る。

 

 そのときだった。タナトフォビアが唐突に離れていく。マシューたちからだけでなく、アカルギとも反対方向へ。アカルギが追われないのならばマシューの責は果たされたも同然であり、当然ながら追うような真似はしない。

 逃げた理由は不明。変わったことがあったとすれば、マシューたちのすぐ傍を竜をイメージしたデザインの友軍機が高速で通過していったことくらいだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 アカルギは進んでいく。多くのプレイヤーの骸を乗り越えて。

 俺たちを先導してくれていたバレットはもういなくなってしまった。藍越エンジョイ勢の皆も強敵の前に散り、マシューは殿として置いてきた。

 頼れる仲間が減っていく。まだ行く手にはゴーレムが残っているし、退路はどこにもない。冷静に考えるとアカルギは敵勢力圏内で孤立しているような状況だった。

 時間をかけられない。立ち止まればゴーレムに包囲されて、一瞬で押し潰される。だというのに俺はアカルギの中で出番を待つしかなくて、正直に言うともどかしい。

 

「もうちょっと大将面しててもいいんですよ、ヤイバくん」

 

 落ち着きの無さが顔に出ていたのだろうか。シズネさんが俺の方を振り返っている。

 

「大将面ってどんな顔だよ?」

「表情でなく態度の問題です。トップにはもっとどっしりと構えてもらわないと末端の士気がガタ落ちですからね」

「俺をトップ扱いする方がおかしいと思うんだけど」

「一般化するとヤイバくんの心に響かないのであれば、もっと具体的かつ身近に言ってやりましょう……ヤイバくんが不安そうだと私も不安になります」

 

 うぐっ。シズネさんの言葉が深く胸に突き刺さる。

 同時に、気を張らないといけないと思わされた。

 

「シズネちゃんの言う通りよ、ヤイバくん。こういう非常事態では男の子が女の子に不安な顔見せちゃダメダメ」

「楯無さんまで……というかこのご時世、しかもあなたがそれを言います?」

「肩書きなんて気にしないの。私だってかよわい女の子よ?」

「かよわい……?」

「むっ。流石にこのタイミングで首を傾げるのはひどいと思うなー」

「かよわい……誰のことだろ……?」

「ちょっと待って! 本気!? 冗談じゃないの!?」

 

 もちろん冗談だ。男の俺から見てもカッコイイ人だけど、目に飛び込んでくるボディラインは女性だと強く主張してきてるし、意外とからかわれやすかったりするしで、なんというか色々と卑怯な人だよ。

 愉快な人であり、ISVSでは13位のランカーというかなり強い人でもある。現実で専用機を持っていないという理由だけで仮想世界(こっち側)に参加してくれてるのは本当に幸運だった。

 

「楯無さんに聞きたいことがあります」

「真面目な顔して何を聞くつもり!?」

「真面目なことですよ」

 

 楯無さんの実力は知っている。アカルギのブリッジに居てくれるのは彼女が最後の砦のようなものだからだ。この先、外でアカルギを守ってくれているプレイヤーの手に負えない敵が現れたとき、露払いをしてもらうために。

 だけど、心配事ができた。きっかけはリンが戦っている相手を知ったこと。アドルフィーネ・イルミナントを再現したフォビアシリーズがいたという事実が、とある可能性を訴えてきている。

 

「楯無さんはギド・イリーガルと戦えますか?」

 

 アドルフィーネが居るのならばギドが居てもおかしくない。実際に戦った経験から言わせてもらえば、ギドはエアハルトやイーリスよりも圧倒的に強かった。もしあのとき転送ゲートの傍でなかったら、俺は絶対に勝てていないと断言すら出来る。

 俺の問いを聞いた楯無さんは真顔だった。

 

「前には立てるわ。だけど戦いとして成立するかすら自信ないし、この艦が進む道を開けるかと聞かれれば絶望的ね」

 

 自信家な楯無さんですらもギドの相手をするのは無理だという。

 この先、奴を再現したフォビアシリーズが出てきたとしたら、俺が出るしかない。

 などと考え事をしていたら、唐突にアカルギが揺れた。

 

「アカルギの推進器が全て停止。レミさん、どうしたのですか?」

「急に動かなくなったの! コアは生きてると思うんだけど!」

「あ、アケヨイも使えなくなってる! というか機能が全部死んでる!?」

 

 ブリッジの操縦担当が騒ぎ始めた。多分な未知の混ざっている内容はかなりマズイ。どう考えてもフォビアシリーズの手が加わっている。

 

「ラピスっ! 何が起こってる!?」

「アカルギを鎖のようなものが縛っています! フォビアの特殊装備と思われますが、詳細は不明ですわ!」

「除去は可能か?」

「鎖に触れたプレイヤーもアカルギと同様の事態に陥っているようですわ!」

「射撃で破壊は?」

「ほぼ密着している鎖です! アカルギを沈めるつもりですの!?」

「正面に敵影! ゴーレムではありません!」

 

 動かないアカルギの前に敵の新手が姿を見せる。外見は端的に言ってしまえば包帯でぐるぐる巻きになった人間といった感じだ。

 

『我は自由に恐怖する(エルーセロフォビア)。故に束縛を強いる』

 

「アカルギを守れ!」

 

 動けないアカルギを攻撃されればひとたまりも無い。近くに居るプレイヤーに敵への攻撃を要請する。

 しかし――

 

「うわっ、なんだこの鎖! どこから現れ――」

 

 あっという間に無力化されていく。撃破されず、その場に拘束されている。誰一人としてリタイアこそしていないが、敵の鎖は実質的に一撃必殺に近い拘束性能を誇っている。

 このままでは埒が明かない。動けない時点で致命的な状況だ。まだ距離は開いてるけど今が潮時なのかもしれない。

 アカルギを放棄して、ルニ・アンブラへと向かう。

 

『――いや、君はまだそこに座っていればいい』

 

 立ち上がろうとした俺を諫めるような通信が送られてきた。

 外に目を移す。俺たちの前に立ち塞がっていた包帯フォビアの前に飛び出していったのは二挺拳銃のシルフィード。敵が召喚する鎖を小回りの利く高PICC武器である拳銃で弾き飛ばした。

 

「会長……」

 

 藍越学園生徒会長であるリベレーター。箒を救うという俺の覚悟を試すように立ちはだかったことがある人で、俺よりも後からISVSを始めて俺よりも圧倒的に成長が早い天才だ。

 

『今ので確信した。この鎖の拘束は鎖の持っている固有領域内の物質に作用している』

 

 固有領域はISが武器を出し入れしたりすることができる範囲を表したもの。敵の鎖はBT兵器のように武器自体が固有領域を持っているとリベレーターは言っている。

 BT兵器を成立させるには独立したPICの領域を確保しなければならない。そこに別の強力なPICで干渉させると固有領域が不安定となりBT兵器として成立しなくなる。

 リベレーターは銃口をアカルギへと向けてきた。

 

『タイミングを合わせよう、オルコット女史』

「了解しましたわ。カウント2でお願いします」

 

 カウントはほぼ即座。リベレーターが手が分裂したようなおそろしい速さのクイックドロウで射撃。直後――

 

「機能回復! 最大船速!」

 

 拘束から抜け出したアカルギは前へと進み出した。

 振り返る余裕はない。拘束してくるフォビアはリベレーターに任せて俺たちは先に行く。

 

 

『我は視線に恐怖する(スコプトフォビア)。故に認識から身を隠す』

 

 

 だがまだ安心するには早かった。速度を上げたアカルギが大きく揺れる。

 

「どうした!?」

「何者かによる攻撃です!」

「わたくしの星霜真理に映っていない……? Ill? それとも……」

 

 ブリッジが混乱する中、次の衝撃がアカルギを襲う。

 

「きゃああ!」

「敵の射撃攻撃じゃないのか!?」

「攻撃が見えていません!」

「さっき聞こえてきてたフォビアとかいうのじゃないの!?」

 

 たしかに名乗りが聞こえてきた。認識から身を隠すとも言っていた。

 

「平石ハバヤと同じ力じゃないか?」

「いえ。虚言狂騒はわたくしの星霜真理の前では無力ですわ。おそらくはコア・ネットワークに干渉するのでなく――」

『――完全ステルスってことだろうね』

 

 ラピスとの会話を遮ってきた通信の主は頼もしいアイツだ。

 ラピッドスイッチの申し子。対戦相手に夜を告げる、夕暮れの風。

 

「シャルルか!」

『うん、お待たせ。別ルートで攻めてたけど、アカルギで強行突破する流れになるなら最初からそっちにいた方が良かったね』

「良く間に合ってくれた。ラウラは?」

『もちろん私もいるぞ。生憎、黒ウサギ隊の他のメンバーは置いてくることになってしまったがな』

「お前たちだけでも十分に心強い」

 

 この増援は良いタイミングだ。もうアカルギの中から出せるフォビアの相手をできる戦力は俺か楯無さんしか残ってない。

 

「早速で悪いが――」

『わかっている。不可視の敵を炙り出せということだろう?』

『ちょっと前が見えなくなるけど、ごめんね』

 

 シャルルがソフトボールのようなものをばら撒いた。直後、漆黒の空がどぎついピンクで染まる。正確にはアカルギの窓に塗料がたっぷりと張り付いた。

 

『見えたよ! アカルギに張り付いてた!』

『捕まえたぞ! ヤイバ、先に行け!』

 

 外では姿を消してた敵が見つかったらしい。通信内容から察するにラウラがAICで敵の動きを止めてくれている。その間に俺たちは先を急ぐ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ピンクの塗料を被った敵、スコプトフォビアは人型ではなく四本足の獣のような動きをしていた。いや、獣と言うよりも蜥蜴のような爬虫類と言った方が近い。

 

「コイツ、私のAICでも止まらないのか!?」

 

 アカルギから引き剥がすことこそできたものの、ラウラのAICによる拘束からいとも容易く脱出された。特殊な能力を発揮されたわけでなく、単純に打ち消されたのである。

 

「油断は禁物だよ、ラウラ。敵はゴーレムとIllの融合体。つまり、篠ノ之博士の技術と亡国機業の“生きた化石”の技術が両方合わさっているんだから」

 

 シャルルのショットガンがピンクの塗料を捉えるが、そこにはもう塗料しかなかった。中身は抜け出して、漆黒の夜空に溶け込んでしまっている。

 視界に敵の姿はない。各種センサーにも引っかからない。だが敵は確実に近くに居る。

 取るべき行動は一つ。

 

「炙り出すよ!」

 

 ペイントグレネードをばら撒く。透明でも塗料を浴びていれば存在を確認できると既に実証している。たとえ一時的でも、まずは敵の位置を掴まなければ勝負にすらならない。

 炸裂直後にピンクの花火が咲き乱れる。塗料の動きに注視するも明確な移動は察知できない。

 敵は動いていない。そう判断したシャルルは両手のショットガンを周囲に向けながら見回す。しかし、塗料のカーテンが落ち着いた頃になっても蜥蜴の形状をした塊が見当たらない。

 意外と足が速いのだろうか。そうした思考の展開も無理のないこと。隠れる敵と認識したシャルルは自分のことを“追う者”だと思い込んでいる。自らの過ちに気づかされたのは、両腕が何者かに掴まれたからだった。

 

「しまった!」

 

 両手だけでなく両足も掴まれている。大の字に拘束されたシャルルの腹部に見えない何かが押し当てられた。

 攻撃される前にその正体に思い至る。なぜならば、それはシャルルも多用している必殺兵装――

 

「シールドピアース!?」

 

 連続して2回、シャルルの体が揺れる。アーマーブレイクが発生し、回復まで武器の出し入れにも影響が出てしまう。手持ちの武器では反撃に移れない。

 リロードまで数瞬。既にシャルルの抵抗は手遅れ。足掻いたところで見えない敵の拘束を抜けることはできない。

 ――独りだったなら、だ。

 

「シャルロットォ!」

 

 見えなくとも関係ない。赤い光を帯びた手刀でシャルルの目の前を躊躇いなく薙ぎ払うラウラ。当たった手応えはなくとも、シャルルが拘束から解放された。

 

「無事か!?」

「うん、助かったよ、ラウラ」

 

 助けられたとはいえ、まだ一時的なもの。シャルルはアーマーブレイク状態であり、サプライエネルギー周りが万全でない。実質的にラウラ一人の戦力に近かった。

 対する敵はスコプトフォビア単独というわけでもない。フォビアシリーズがたった二人を未だ仕留め切れていない事実が伝わったのか、ゴーレムの大部隊が既に包囲陣形を敷いている。

 

「これは……まずいね」

 

 向けられている砲口の数は数え切れない。万全のシャルルならばガーデンカーテンに換装すれば敵の一斉射撃にも耐えられる可能性もあるが、アーマーブレイク状態ではほぼ無抵抗に等しい。

 

「ラウラは逃げて」

「何を言う? こんなもの危機でもなんでもない」

 

 ラウラは不遜な態度を隠そうとせず、右手を高く掲げて呟く。

 

「“永劫氷河”、展開」

 

 ワールドパージを発動した。

 永劫氷河の効力は領域内の全てのISの飛行能力を奪い、全ての射撃攻撃を何らかの形で無力化する。前者は宇宙空間ではあまり意味を成さないが、後者はもちろん有効である。

 空間は凍結された。

 ゴーレムの砲口からは何も出てこない。

 

 そして、永劫氷河がもたらした結果はゴーレムのビーム無効に留まらなかった。

 何もなかった場所で光の粒子が飛び散り、金属で構成された蜥蜴が姿を現す。

 いや、全貌がはっきりとした今では蜥蜴と表現するのは正確ではなかった。口から伸縮する長い舌が出ており、周囲の景色に溶け込む擬態能力は正しくカメレオンである。

 

 なぜ姿を現したのか。少なくとも意図したものではないのは確実。擬態ができなくなったスコプトフォビアは一目散にラウラたちから逃げ始めた。

 当然、見逃すラウラではない。永劫氷河の領域内ではイグニッションブーストが使えないため、地道に追いかける。スコプトフォビアの足は重量級のISであるシュヴァルツェア・レーゲンよりも遅い。

 

「捉えた!」

 

 手刀がカメレオンの尾を切断する。まるで蜥蜴のように切れた尻尾に未練無くひたすらに逃走を続けるスコプトフォビア。もはや戦闘ではなく一方的な狩りと成り果てていた。

 しかし少しばかり時間を掛けすぎた。逃走するスコプトフォビアはゴーレムの部隊の中へと飛び込んでしまう。

 ゴーレムの剛腕がラウラに振り下ろされる。純粋な打撃攻撃と侮るなかれ。ISにおいてAICを駆使した格闘攻撃は扱う者によっては最高クラスの火力を得ることすらある極めて危険な攻撃である。本来、武器相性で言えばラウラのプラズマ手刀の方が有利であるが、順当な結果となるとは限らない。

 

「くっ!」

 

 打ち負けたラウラの顔がひきつる。右手の装甲が大きく(ひしゃ)げて手刀どころかまともに武器を握ることもできない。もっとも、ラウラの戦闘スタイルでは手に武器を持つことはないのだが。

 敵のゴーレムは1体ではない。その数、無数。わらわらとラウラに群がってきた無人機は一切の容赦なくラウラに拳を振るってくる。

 

「下がって、ラウラ!」

 

 押され気味だったラウラと入れ替わるようにしてシャルルが前に出た。アーマーブレイクからの回復は終わっている。エネルギーは万全で、装備も専用に換装した。

 両手にはブレードスライサー。固有領域には4本のブレードスライサー。合計6本を駆使してゴーレムの剛腕を巧みに受け流すシャルル。防戦一方のように見えるが、シャルルの体は前に進んでいる。その真後ろをラウラが黙って追従していく。

 逃げるスコプトフォビアの位置はまだ見えている。ゴーレムの配置も頭に入れた。

 シミュレート開始。直近の未来を予測し、自らとターゲットの間に邪魔が入らない瞬間を狙う。そして5秒後――

 

「解除して!」

「了解だ!」

 

 ワールドパージ、永劫氷河が消失する。この後、5分間はワールドパージを再展開できないのだが、ラウラは躊躇いなく切り札を手放した。強力なカードでもデメリットが大きかった。スコプトフォビアに与えた損害の方が大きいとはいえ、もうこの場で役に立たなくなった能力に執着する意味もない。

 打ち合わせ無しに2人の行動は一致している。位置を知り、再び擬態するまでの瞬間は唯一の射撃のチャンスである。その一瞬に勝負を賭け、虎視眈々と準備を整えていた。

 

 レールカノン“ブリッツ”を照準。

 イレギュラーブート“転身装束”起動。クアッドファランクス展開。

 

『逝けえええ!』

 

 銃弾の雨がスコプトフォビアに降り注ぐ。生々しい動きで捩れる機械の体が表面から抉られ、擬態能力が機能しない。ギョロリと球体状のカメラアイが恨みがましくシャルルを向いたとき、とどめの砲弾が頭を撃ち砕く。

 頭部を失い、ピクリとも動かなくなったカメレオンの胴体が宇宙空間を流れていく。勝敗は決した。

 

「まあ、楽勝って奴だね」

 

 フォビアの一角を落としたシャルルが得意げに笑む。

 すかさずラウラが怪訝そうな面持ちを見せた。

 

「どう余裕だったんだ……?」

「少しは勝った余韻に浸らせてよ」

「そんな暇などないだろう。また囲まれているぞ」

 

 強敵を倒してもまだ戦いは終わらない。むしろ、単純に数が多いゴーレムの方がフォビアシリーズよりも戦力としては厄介である。

 

「これ、倒しきれるの?」

「現実的ではないな。だからこそ、希望はヤイバに託した。私たちはその障害を排除することが仕事だ」

「わかってるよ。でも欲を言えば、もう少し目立つ舞台で暴れたかったなぁ」

「観客ならいるだろう?」

「どこに?」

「私がお前を見ている。それでは不服か?」

 

 ……嬉しいけど、そうじゃない。

 シャルルは拳を握り、わなわなと振るわせながらもツッコミたい衝動を抑えきった。

 

「ラウラは本当にいい子だよ」

「子供扱いは止せ」

「違うよ。尊敬してるって意味」

「ならよし」

 

 ブリッツの砲弾がゴーレムの1体の顔面に突き刺さるのが戦闘再開の合図となる。

 

「まだまだ行くぞ、シャルロット! 私たちの戦いはこれからだ!」

「そのセリフは勝ち負け以前に大事なものが終わるフラグが立っちゃうから訂正して!」

 

 ゴーレムの大軍に飛びかかっていく2人の顔は非常に生き生きとしていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 強敵が現れる度に仲間を置いて先を行く。

 いつまでこんなことが続くのか。

 いや、もう続けられないのかもしれない。

 

「ラピス、正直に答えてくれ。このまま繰り返して辿り着けるのか?」

「勝算はゼロではありません。これではいけませんか?」

「いや、それでいい」

 

 この返答だけで厳しいことは良くわかった。彼女がそれ以外の方法をとらなかったのも、初めから俺たちに勝ち目が薄かったから。

 可能性はゼロじゃない。それを引き寄せないと勝てないほどの戦力差がある事実。

 

「前方にゴーレムが15体」

「こちらの護衛は?」

「もう残っていません」

 

 ここまで仲間を減らしながら強引に進んできたツケが回ってきた。

 ゴーレム15体。アケヨイを発射して突破するにはギリギリの数字。さらに言えば、この場を突破できたとしてもアケヨイは連射が利かないため、後続に対してできることがない。

 

『……まだ私が残ってる』

 

 そう通信を残して、簪さんがアカルギから飛び立った。

 

「一人じゃ無茶だ!」

「いいえ、ヤイバくん。簪ちゃんは弱くなんてない」

 

 簪さんは大量のミサイルを撃ち、ゴーレム全てに攻撃を命中させる。だが見たところ、そこまで効果的なダメージを与えられているようには見えない。

 単純に敵の目を引くためだけの行為だ。

 

「楯無さんはこれでいいんですか!」

「私だって簪ちゃんを一人置いていきたくないわよ! でもまだあなたがあそこに辿り着けていないでしょうが!」

 

 指さされた先には黒い月。確実に近づいてきてはいるが、まだそこまでに控えている敵が残っている。

 

「足を止める余裕なんてない。ここで私も残るのは、みすみす勝利の可能性を手放すようなもの。しっかりしなさい、ヤイバ」

「前方に新手! こ、この敵影は……!」

 

 追い詰められ始めた俺たちに追い打ちがかかるかのようにシズネさんからの報告が上がってきた。

 先に確認したラピスが静かに目を伏せる。

 

「イリーガルのコピー体……」

 

 アカルギのモニターに映し出されたのは筋骨隆々としたマネキンがジャケットのようなマントを羽織っているという敵の姿。中身はともかくとして、装備はギド・イリーガルのものと酷似している。

 

 

『我は鬼神に恐怖する(デモノフォビア)。故に鬼神に成り代わる』

 

 

 両手から赤黒い光の爪が展開された。

 鬼神。それは正しくギドという敵を表している。これまで戦った敵の中で唯一、真正面から打ち破れなかった敵であり、俺の体感としては千冬姉と戦うよりも勝ち目が見えない。

 

「アカルギがアレの攻撃を受けたらひとたまりもないわね」

 

 楯無さんが重い腰を上げた。でも――

 

「勝てるんですか!?」

 

 さっき、無理だと言ったばかりじゃないか……

 

「細かい戦闘の勝ち負けは気にしないの! あなたはもっと全体を見据えなさい」

「いや、俺が行くべきです! 俺ならギドに勝ったことが――」

「ダウト。裏技を使った自覚があるでしょ? それに、ここであなたが戦闘に出てしまえば、ここまでの強行突破の全てが無駄になるわ」

「くっ……」

 

 ラピスの顔を見る。彼女も楯無さんと同じ立場のようで、1回だけ頷いた。

 

『私が出たらすぐに最高速度で突っ走って。決して振り返らないように。いいわね?』

 

 楯無さんも出撃。彼女がどうなったのかを確認することなく、俺たちは先へと進む。

 これでアカルギに残っているのは俺とラピス、シズネさん、レミさん、リコさん。戦闘要員と呼べるのは俺だけになってしまった。

 

 ルニ・アンブラが目の前に迫る。だがやはり敵の本丸。ゴーレムの数が尋常でなく、一斉放火を浴びせられてしまえばアカルギは瞬殺されてしまう。

 まだアカルギには役目がある。ルニ・アンブラには入り口らしきものが見当たらない。あの外壁を突き破るためには、有効射程内に入ってからアケヨイを撃たなければならない。

 

「ゴーレムを蹴散らす。いいな、ラピス?」

 

 もう俺しか残っていない。ここで俺が出ないという選択肢が消えてしまっている。

 だけどラピスは首を縦に振らなかった。理由は彼女以外から俺の耳に届くことになる。

 

『――随分と行き当たりばったりな作戦だ。加えて大将が敵の雑兵の前に姿を晒すだなどとナンセンスにも程がある』

「げっ、この嫌みな声と台詞回しは――エアハルトォ!?」

 

 もちろん増援は嬉しいし、ラピスが俺に指示を出してなかったから期待もしてた。だけどまさかエアハルトが来るだなんて思いもしなかったぞ。

 エアハルトはあの黒い霧を扱う機体でなく、以前に使っていた竜のISで現れた。奴の右手がフォビアシリーズらしきマネキンの頭を掴んでいる。まだ稼働しているマネキンが両手を広げると宇宙を埋め尽くすほどのミサイルポッドが大量に展開され、一斉にゴーレムの軍勢を焼き払っていく。

 

「俺を助けてくれるのか!?」

『何をバカな。貴様などさっさと敗れてくれた方が私の気が晴れるというもの』

「じゃあ、なんでこんなところに来たんだよ!」

『貴様の損失よりも私の利益の方が重要視されるのは当然だろう? 結果的に貴様の益となるかもしれないが、貴様がどうなろうと私の知ったことではない』

 

 きっとツンデレの類いでなく、コイツは本気でそう思ってるに違いない。

 

「お前にどんな得がある?」

『私は世界の行く末に興味を持った。篠ノ之束の亡霊に破壊されるだなど、放置できない由々しき事態である。不甲斐ない貴様に代わり、元凶を絶つ気でいるとも宣告しておこう』

 

 やっぱりコイツ、味方と言い切れない。

 俺の目的や敵の状態を掴んだ上で言ってきているに違いない。

 エアハルトをこの先に行かせることは俺の敗北を意味する。

 

『案ずるな。私の興味は世界が存続するか否か。貴様の女の生死などどうでもよい』

「前は執着してた癖によく言う」

『執着したままの方が良かったか?』

「いや、そんなことはない。今はお前と戦ってる暇なんてないからな」

『これも必然の一致か。私も貴様と戦う暇などない』

 

 ミサイルを打ち切った後、エアハルトは掴んでいたフォビアを投げ捨てると、そのフォビアは爆発四散した。

 これがエアハルトの絶対王権。右手で頭を掴みさえすればどんなISでも支配下に置き、即死させることも可能となる。今回は敵フォビアの火力を利用するだけしておいて、要らなくなってから自爆させた。

 エアハルトはそのままゴーレムの群れに斬りかかっていった。奴が通るところ、ゴーレムが次々と真っ二つにされていく。もはやゴーレムは奴に注意を向けるしかなく、アカルギへの警戒は手薄となった。

 

「目標値点に到達」

「アケヨイ発射用意!」

 

 アカルギはルニ・アンブラを射程に捉えた。外壁を打ち破るために、アケヨイの最大出力をお見舞いする。

 チャージ開始。外壁を突き破ったら、俺は内部に侵入する。内部に何がいるかは入ってからでないとわからないが、行き当たりばったりであっても俺たちにはこれしか道がない。

 

「撃てェ!」

 

 光の奔流が黒い月に着弾。様々な敵を消し飛ばしてきた特大のビームだけど、今度ばかりは小惑星サイズのものが相手。表層で爆発が起きるに留まっている。

 

「ルニ・アンブラ外壁の破壊を確認」

 

 ここまで来た。皆を利用して……いや、皆がお膳立てをしてくれたおかげで、俺はようやく俺自身の決戦の地へと向かうことができる。

 

「ヤイバくん……」

 

 シズネさんが席を立ってこちらを振り返る。名前だけ呼んで、続く言葉はない。彼女はただ黙って俺の目を見続けてくる。

 

「シズネさんは心配性だな。大丈夫。俺は折れてない」

「ナナちゃんを頼みます」

「もちろん」

 

 彼女の一言を受けて俺はブリッジを出る。

 通路に出て直進。最初の角を曲がったところで――

 

「わたくしからもいいですか?」

 

 後ろから声を掛けられた。

 

「どうしたんだ、ラピス?」

「星霜真理でルニ・アンブラの内部を確認することが出来ません。つまり、こちらとルニ・アンブラの内部はコア・ネットワークが連続していないのです」

「敵のワールドパージってことだろ? 何か問題があるのか?」

 

 このタイミングでわざわざ呼び止められるほどの内容と思えず、俺は首を傾げる。

 ラピスは力なく俯いていた。ただひたすらに申し訳なさそうに。

 

「わたくしが……あなたを見ることが出来ませんの」

 

 たしかにそうだ。言われてみると俺も不安を覚える。

 だけどさ。俺が思うに『ラピスが見ている』というのは星霜真理の力のことなんかじゃなくて――

 

「俺のやろうとしていることをラピスが肯定さえしてくれればいい」

 

 これまでのジンクスはラピスに黙って行なった事柄が失敗につながっていたというだけのこと。

 たとえ直接的に見ていなくとも、ラピスが良いと言うなら俺の自信につながる。

 

「……わかりましたわ。こちらであなたたちの帰りを待っています」

「じゃ、行ってくる」

 

 これ以上、話している時間は無かった。名残を惜しむ暇なく、俺はアカルギの外へと飛び出す。

 眼前には黒い月。間を遮る敵戦力は皆無。ゴーレムの防衛部隊は皆、エアハルトの迎撃に向けられているようだ。

 敵側の指揮系統が乱れているのか。それともエアハルトと比べて俺たちが脅威と見なされていないだけなのか。真実はわからないがこの好機を逃す手はない。

 黒い月に開けられた大穴へと向かう。正面に回り、内部の様子を確認する。

 そこで気づく。

 

「嘘だろ……!?」

 

 俺は足を止めた。見えてしまったものが何なのかを頭の中で整理するのに時間が必要だった。

 

「アケヨイで足りないのか……」

 

 アケヨイの攻撃痕は穴などではなかった。

 クレーターにしかなっていなかったのだ。

 まだ壁は存在し、俺の行く手を阻んでいる。

 

「ラピス、もう1射いけるか?」

『やってみま――あ』

 

 彼女らしくない煮え切らない返事はトラブルの証。

 

「どうした?」

『先ほどの()ですわ! アカルギは動けません!』

 

 さっきの鎖、ということは道中に遭遇したフォビアの1体による攻撃ということになる。

 あの包帯のフォビアを相手するために残ったのは会長だった。

 

「会長が負けた?」

 

 白式が後方から接近する機影を察知する。

 自由恐怖症(エルーセロフォビア)。包帯を巻いたようなISは拘束能力に特化したフォビアなんだろう。アカルギを撃墜しようとすらせず放置して、迷わず俺にまで向かってきた。

 エルーセロフォビアから何かが放たれる。それが鎖であることはわかっている。弾幕として飛ばされてきた鎖を避けるのは難しそうだ。

 雪片弐型を抜刀。攻撃には攻撃で迎撃する。

 

「ダメか……」

 

 ENブレードが鎖に当たった瞬間、鎖は一度粒子となって弾けた。その後、粒子が再び集まって再構成。俺の体に巻き付くように具現化される。

 直接、鎖を飛ばしてきているのだと勘違いしていた。撃たれていたものはマーキングのようなものであり、ブレードで迎撃した時点で俺は敵の思うつぼだった。

 鎖による拘束は単なる物理的なもので終わらない。サプライエネルギーが一切使えず、ISの基本機能全てに制限がかかっている。

 

「くそっ! ここまできて!」

 

 鎖を引きちぎろうとしてもビクともしない。パワーアシストすら死んでいて、当たり前のようにAICは使えない。

 エルーセロフォビアが俺の近くで待機している。とどめを刺すわけでもなく、動けない俺を嘲笑しているかのように見える。

 近くに誰かいないのか。見回す俺の目に、単機で向かってくるISの姿が映った。二挺拳銃で戦うISの心当たりは一人だけ。

 

「会長!」

「逃げられてしまってすまない!」

 

 会長はやられたわけでなかった。エルーセロフォビアの方が会長との戦闘を放棄して逃げてきたということらしい。

 急速接近してきた会長はその勢いのままエルーセロフォビアに激突した。速度を落とさないまま、エルーセロフォビアを連れてルニ・アンブラのクレーターへと一直線。

 

「事情は聞いている。君を縛っている障害は私が全て排除しよう」

 

 クレーターの中心にぶつかった。エルーセロフォビアをルニ・アンブラに押しつけ、両手の拳銃を敵の両肩に押し当て、シールドピアースを打ち込む。

 それだけで倒し切れる相手じゃない。会長がわざわざ密着するような接近戦を挑んだのは敵の拘束に飛び込んだようなもの。これではみすみす負けにいったようなものだ。

 だけど会長の方もこれで終わりじゃなかった。

 

「“慈心解放(じしんかいほう)”、起動(ブート)

 

 ――単一仕様能力(イレギュラーブート)!?

 数値化できない俺の目から見ても、会長のISに異様な量のエネルギーが集束していくのを感じ取れる。

 強そうとかそういう話じゃなく、危なっかしい類のもの。

 エネルギーを集めておいて、それを制御する気が全くないとしか思えない。

 だからこれから何が起こるのか理解できてしまった。

 

「行けっ! これが未来への道だ!」

 

 自爆した。エアハルトが使っていたミルメコレオと同じ系統。ISコアの自爆は瞬間的な威力だけならアケヨイの出力を上回る。

 ホワイトアウトした視界が晴れていく。宇宙空間に浮かぶ黒い月はISが一機自爆した程度では健在である。しかしクレーターに過ぎなかった傷跡は、内部まで続く深い穴へと変貌した。

 会長の姿はない。押さえつけていたエルーセロフォビアの姿もなく、俺を縛っていた鎖は自爆を境にして消失した。

 

「……本当に俺の障害を全部排除してくれたなんてな」

 

 白式は動く。黒い月に入り口が出来ている。

 出来過ぎた戦果だ。会長の自己犠牲を除けば、だが。

 

「ありがとうございます、会長。そして、他の皆も」

 

 ラピスには礼を口にするなと言われてるけど、こんなもの我慢できるかよ。

 俺は恵まれている。助けてくれる人たちがいるのはとても心強い。

 これは俺への期待の裏返しでもあることを忘れちゃいけない。

 

 絶対に勝って終わる。それこそが皆への恩返しになると信じている。



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53 生きている証

 不本意な出撃だった。

 更識楯無は自身の実力を見誤ってはいない。単純に個としての戦力で考えて、現在のプレイヤー軍でトップレベルであると断言できる。しかしこの戦場全体で考えれば、自身の評価が大きく下がることも自覚している。フォビアの名を冠する敵戦力を楯無は過小評価していない。

 楯無がこの戦いに参加した理由は概ね他のプレイヤーと変わらない。地球の危機で自分に出来ることを考えた結果、現実世界よりもISVSの方が事件解決に貢献できるという判断を下した。織斑一夏(ヤイバ)黒い月(ルニ・アンブラ)に送り込むことが最善であるという作戦方針にも賛同の立場を示した。

 出撃のタイミングは間違ってなどいない。楯無が出なければアカルギは確実に破壊された。アカルギが無事に通過できたのも、楯無が敵と対峙しているからに他ならない。

 役割を全うできている。それでもなお不本意と言ってしまう理由は至極単純。想定されている敵戦力の中で最強と目されている存在が相手であり、そのような存在に単独で挑まねばならない状況だったからだ。

 

「……本当にどうしようかしら。前に不意打ちで負けた相手ってだけのはずなのに、不思議とリベンジしてやろうって気力が湧いてこないわ」

 

 義務感のみで受け継いだからとはいえ、更識の長を名乗る者としてのプライドくらい持ち合わせている。負けず嫌いな楯無ならば一度負けた相手にやりかえす機会は望むところのはずなのだが、そのような気力など欠片もなかった。

 理由は知っている。戦う前から敗北を悟っているからだ。

 諦めるなと自らを奮い立たせようとする熱血さは持ち合わせていない。普段から軽薄そうな態度で大きな口を叩いていても、楯無の本質は生真面目で冷静な現実主義者(リアリスト)。自己の戦力分析と簪が持ち帰ったギド・イリーガルの戦闘能力を比べて、勝算はほぼ無いに等しいと結論づけている。

 

「このまま睨み合ってるだけにしたいんだけど……そういうわけにはいかないわよね、やっぱ」

 

 楯無に逃げる選択肢はない。

 対峙している敵、デモノフォビアは両手に赤黒い爪を展開。のっぺらぼうな顔面にギザギザの切り込みが走ると、縦に大口を開いて牙となった。

 人の言葉を話さず、雄叫びを上げる姿はもはや獣。視界の中でその敵影が唐突にぶれる。

 

「やばっ!」

 

 慌てて飛び退く楯無。さっきまで居た場所にデモノフォビアの爪が振り下ろされていた。

 速いだけで語ることの出来ない芸当。荒々しい外見に反した予備モーションなどほぼ無いに等しい静かなイグニッションブーストは“無音瞬動”と呼ばれている高等技能であり、織斑千冬(ブリュンヒルデ)の得意技として有名である。

 

 攻撃したデモノフォビア。回避した楯無。攻撃した側の方こそ不利な状況になりやすいISVSであるが、無音瞬動を使いこなしているデモノフォビアに隙は無く、後のことを考えない全力の回避をした楯無の体勢が崩されていないはずなどない。

 続く二撃目。獣の爪が楯無の体を捉え、楯無はその勢いに逆らうことなく吹き飛ばされた。否、正確には自分から飛んでいった。

 全く戦闘する気が無いわけでもない。これが楯無なりの強敵との戦い方。受け身に回ったとしても、致命傷を避けながら自らに有利な状況を組み立てていく。具体的にはアクアナノマシンを配置して罠を張り巡らせていく。今もデモノフォビアを包囲するようにナノマシンを散布したところだ。

 

 デモノフォビアが咆哮を上げる。鬼神の体の内から溢れ出した赤黒い波動が急速に拡散されていく。強大な圧力となって襲いかかる波動を楯無は両腕を交差させて耐えるしかなかった。

 

「くっ、何なのよこれ!」

 

 まともに浴びてもダメージらしいダメージはない。その正体はAIC。動きを止めるほどの干渉を起こすものでないが、ISコアから独立したPICを解除する程度の干渉は起こせている。

 普通のISならば威嚇された程度のこと。しかし、楯無にとってデモノフォビアの行動は絶対に勝てないと宣告されたようなもの。ばら撒いたナノマシンを片っ端から使用不能にされてしまっていた。

 広範囲のナノマシン潰しは楯無の天敵。以前に戦闘した閉所恐怖症(ステノフォビア)のときは敵の攻撃の隙間を突くことが出来たのだが、限定空間でない今回のケースでは敵の行動を予測しきれない。

 

「ううっ!」

 

 デモノフォビアの爪を扇子で受け流す。真っ向から受け止めなくとも呻き声が漏れるほどの衝撃が両腕を襲ってくる。

 そもそもデモノフォビアの方が足が速い。ステノフォビアのときのような戦略的撤退も選択肢に入りづらい。追われればすぐに追いつかれるし、もし追われなかったとしても、それこそ楯無がデモノフォビアの前に出た意義を失う。

 

「あっ!」

 

 連撃の2発目。今度は受け流すことができず、まともに扇子で受け止めてしまう。咄嗟に後方へ推進機を吹かして逃げ、扇子は壊されずに済んだ。

 ここで反撃も試みる。吹き飛ばされて不安定な姿勢でありながらも、強引に閉じた扇子の先端をデモノフォビアに照準する。

 EN弾の発射。結果的に奇襲となった一発はデモノフォビアの胸部に直撃する。

 だがこの攻撃の成立は現実を思い知らされるだけとなる。

 

「効いて……ない……?」

 

 敵の姿は一見すると上半身裸のようで無防備に見える。モチーフがギド・イリーガルであり、ギドがディバイドスタイルでIllを使用していた名残であるのだろう。それは単なるデザインでしかなく、無人機らしくどの部位も同程度の強度を持っている。

 問題はその防御力。フォビアシリーズは単一仕様能力に匹敵する強力な装備を使用する特徴があったが、本体性能はISと大きく差が付いていないことが多い。少なくとも楯無が一騎打ちしたことのあるステノフォビアはフォスクラスのIS程度の防御性能であった。

 デモノフォビアは逆。情報だけ聞いていたコピー元のイリーガルよりも固いとしか思えない。

 圧倒的なパワー。EN武器を寄せ付けない防御力。さらに与えたダメージ分だけエネルギーを回復するという能力まである。

 

「どう考えても無理難題。だからこそ私がなんとかしないといけない、かぁ」

 

 口から弱音を吐く。簪の前だったなら強気な発言の一つや二つ飛び出る場面であるが、気を張る必要も無いと割り切って腕をだらりと下げた。

 ここで通信を開く。相手はラピス。

 

「ねえ、ラピスちゃん。ヤイバくんはどうなったの?」

『先ほど内部へと突入していきましたわ』

「そう。だったら私の役目は終わったのね」

 

 当初の目的が完了していることを確認した。これでいつ負けても決戦の勝敗に直接影響はしない。抵抗してもしなくても意味が無いとなれば、無理して怪物と戦う理由などない。

 

『いえ。外にいる強力な手駒をルニ・アンブラの内部に戻してはいけませんわ。わたくしたちは入り口で敵戦力を中に入れないよう防衛をしています。ですがそれはフォビアシリーズを皆さんが引きつけてくれているからこそ可能なのです』

「……たしかに、中に入ってから一瞬で事態が解決する保証なんてないわね」

 

 まだ終わってない。まだ戦わないといけない。もう心が折れているというのに、仲間に対して楯無は弱音を吐かなかった。

 楯無は強く在らねばならない。常勝不敗でなくとも、膝を折ってはならない。

 国を守ってきた一族の矜持が脳裏に浮かぶ。

 

「ああ、もう! やればいいんでしょ、やれば!」

 

 逃げ出したい思いを抑え込み、前方を睨み付ける。

 獣そのものとなった無人機はしばらく楯無を攻撃せず傍観していた。それはまるで獲物を前にして舌なめずりをしていたかのよう。楯無が戦意を態度で示すとデモノフォビアの黒金の双眸が妖しく光る。

 

 一呼吸を置いた。

 その一瞬。

 すぐ目の前には赤黒い爪――

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 黒い月の内部は真紅に染まっていた。ナナのIS、紅椿の色と言いたいところだが、印象はまるで異なっている。

 紅椿は名前の通りの花。鮮やかで心癒やされる色合い。

 対する黒い月の内部はどことなく淀んだ雰囲気を放っている。若干紫がかっているのが暗いイメージを植え付けてきてるのだろうか。通路に平行に走っている良くわからない配管が血管のように思えてしまうのはどこか生物的だと俺が感じているからなのだと思う。

 黒い月が生物で通路が血管だとすれば、俺は傷口から紛れ込んできた菌やウイルスの類。正常な生物なら当然の反応がある。

 

「来たか……」

 

 ゴーレム。それも以前に簪さんたちと一緒に遭遇した門番タイプ。IB(インパクトバウンス)装甲とやらを搭載している近接格闘型の天敵と言える存在だ。

 狭い通路は一直線。ただでさえ近寄ろうとしても強力な斥力で弾き飛ばされるのに、接近するルートまで限定されている。

 対する敵には両腕に強力なビーム兵器がある。狭い通路だ。撃ち方によっては俺に逃げる場所がない。

 

 どうやって突破するか。答えは簡単だ。

 

 スターライトmkⅢを呼び出し(コール)。即時発射。

 EN射撃はIB装甲の影響を全く受けない。それどころかIB装甲はシールドバリアを犠牲にする特性があるため、普通のゴーレムよりも大きくダメージが入っている。

 ゴーレムの腕が上がろうとする度に撃ち落とす。ただ作業のように一方的に撃ち続けること10秒。呆気なくゴーレムは残骸と成り果てた。

 

「……結局、繋がったままだったな」

 

 突入前の一番の心配事項だったコア・ネットワークの切断。しかしいざ内部に突入してみれば、ラピスとのクロッシング・アクセスは有効なままだった。

 

(良き想定外でしたわ。これもヤイバさんの単一仕様能力の力なのでしょうか)

「ん? ラピスが心配しすぎたとかそういう話じゃないのか?」

(コア・ネットワークが繋がっていないのは事実ですわ。今の会話も通常の回線とは全く違う、クロッシング・アクセスによる思考の共有に近い状態ですわね)

「でも俺、今はラピスの考えてることわかんないぜ?」

(意識を交差しつつもパーソナルスペースを明確に分けているということでしょう。無闇矢鱈に近づいても自己意識を保てなくなるだけですし、いい傾向ですわ)

 

 言われてみると最初のクロッシング・アクセスって結構危険な代物だったのかもしれない。ISが勝手に危険性を学んで改善したってことか。でもあれがきっかけで色々と感覚を掴んだのもあるから、この成長はなんとなく寂しい。

 

「外の戦況はどうだ?」

(入り口は問題なく。今のところ、外の敵軍が内部に向かう様子もありませんわ)

「俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて――」

(ヤイバさんが全てを終わらせる頃までは耐えます。ご心配なさらず)

 

 やっぱり玉砕前提な返答だ。まあ、数から考えて一桁どころか二桁も違う物量が敵にはある。こちらが世界中からプレイヤーを募ったところで、絶望的な戦力差がひっくり返ることはなかった。

 リンやシャルル、ラウラは今頃フォビアシリーズと戦っている。

 楯無さんに至ってはギドのコピーらしきフォビアと戦っている。

 他の皆も戦っている。

 皆、無事でいるだろうか。負けると未帰還者。勝っても俺がルニ・アンブラを破壊しなければ死亡。リスクがリスク足り得てないことはわかってるけど、どうせならやっぱり負けて欲しくない。

 

 立ちはだかるゴーレムを両断して奥へ。道は枝分かれしていたりするけど、中心の方角は把握できているから感覚だけを頼りに進んでいく。ここまで来たら、立ち止まって迷うだけ無駄だ。もし行き止まりがあるのだとしても、立ち止まっていて答えが出るものでもない。後先考えずに突っ走る俺は正に、今の俺たちの作戦の縮図となっている。

 中枢まで半分くらいの距離を移動しただろうか。ここまでの間、通路には一切の扉がなかった。侵入者を迎撃するための施設としての機能が全くと言っていいほどない。そんな建造物であっても、扉が全くないということはなかったようで、生き物の体内を思わせる真紅の通路に相応しくない木製の両開きの扉が突き当たりの壁に張り付いている。

 

(気をつけてください。その先には――)

「たぶんフォビアシリーズがいるな」

 

 今の俺はラピスの星霜真理を使える。使いこなせるわけじゃないが、ISコアの反応が2つある程度のことはわかる。俺がルニ・アンブラに突入する前は内部のことは全くわからなかったが、俺が中に入ってからは星霜真理が機能しているようだ。おそらくは月の内外でコア・ネットワークが分断されているのだが、俺が裏技的にラピスを通じて外と繋がっているということなのだろう。中心の方角を把握できているのもこのおかげだったりする。

 

「ま、大丈夫だろ。今の俺はそう簡単にやられる気がしない」

(先ほどは鎖に縛られていましたのに?)

「それを言うな」

(とにかく、油断なさらず。先ほどのように助けが入ることはないのですから)

「ああ。肝に銘じる」

 

 木の扉を押し開ける。

 その先は――古い遺跡のような石壁の部屋だった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ヤイバを見送った。自らに与えられた最低限の役割を果たしたラピスは一先ず胸を撫で下ろす。

 しかし、まだ終わりではない。この決戦におけるラピスの目的は『ヤイバが万全の状態で敵の親玉と戦うこと』である。最後の戦場に向かったヤイバに無駄な邪魔を入れさせないよう、外の敵が内部へ攻め込むのを防ぐことも彼女の役目であった。

 

「アカルギ、回頭。主砲の照準を敵ゴーレム部隊へ」

「回頭180°」

「照準オッケー」

「では遠慮なくいきましょう」

 

 漆黒の宇宙を一筋の極光が彩る。数合わせのような雑魚ゴーレムはアケヨイが掠めただけで消し飛んでいった。だが倒れたのはほんの一部。大多数は無人機らしく敗れた同胞を全く気に掛けることなく向かってくる。

 主砲のアケヨイしか武装を積んでいないアカルギは防衛戦には適していない。一点を突破することには長けているが、広範囲から攻撃されると脆い。壁となる部隊があれば別であるが、生憎と近くに護衛のプレイヤーは残されていなかった。

 

「ふっふっふ。いよいよ私のフルアーマーをフル稼働させるときがきたァ!」

 

 (おもむろ)に立ち上がったリコの眼鏡がキランと光る。

 

「操縦と射撃管制を全部シズネに譲渡、と。リコじゃないけど、私もそろそろ普通にISVSを楽しませてもらおっかなー」

 

 続いてレミも操縦席から立った。

 二人は自前のISを展開してブリッジの外へ歩いていく。

 彼女らの背中を見送ることなく、シズネは黙々とアカルギの操作に専念していた。

 

「やはりお二人が降りてしまうと主砲(アケヨイ)の出力が大幅に落ちますね」

 

 単独操縦に切り替えてから即座に主砲を発射。しかし、その威力はENブラスター“イクリプス”程度といったところであり、ゴーレムを一撃で倒せないほど弱体化している。

 

「ではシズネさんにここをお任せして、わたくしも外で戦いますわ」

「いよいよラピスさんの sparrow's tear を見せつけるときですね」

「いえ、わたくしの機体の名前は Blue Tears ……って、わたくしでは雀の涙ほどの戦力にしかならないと言いたいんですの!?」

「あ、間違えました。正しくは chicken feed(家禽(かきん)の餌:はした金の意)でした」

「そっちを訂正っ!? 結局は雀の涙なんですの!?」

 

 意気込んで出て行こうとしたラピスであったが、何故か味方に出鼻を挫かれた。

 単独戦闘、特に近距離戦闘における力の無さは自覚していた。しかしまさかシズネにまでそう思われていたことに若干どころではないショックを受ける。

 

「早く行ってください。塵も積もれば山となりますが、積まなければ始まらないのですから」

「今度は塵……もういいですわ! わたくしもいつまでも同じままではありません! 行き過ぎた過小評価を取っ払って差し上げます!」

 

 シズネの追い打ちを受けたラピスはいつになく興奮した様子で飛び出していった。

 

「……世界の中のほんの小さな塵に過ぎなかった私たちを高く積み上げてくれたラピスさんの力を過小評価なんてしてないですよ」

 

 残されたのはシズネだけ。彼女は自分以外誰もいなくなったブリッジを見回す。

 

「最初にここに足を踏み入れたときは私とナナちゃん、クーちゃんの三人だけだった。当てもないまま途方に暮れていた私たちにとって、ここは家のようでした」

 

 思い返すのは仮想世界生活の始まりの頃。

 神社で機械仕掛けの老人に襲われ、現実とそっくりであるにもかかわらず誰も居ない世界に投げ出された。

 いずれ救助が来るのだとナナは希望を語っていた。彼女がいなければシズネはとっくの昔に壊れてしまっていた。二人だけしかいない静かなブリッジでも寂しいと感じたことはなかった。

 

「不思議ですね。今こうして一人でここにいても何も不安がありません。たとえこの場にナナちゃんがいなくても、私たちはまた会える。そう確信しているからなのでしょう」

 

 もう一人じゃないと知っている。

 二人だけでもないとも知っている。

 数え切れないほどの人たちが共に戦ってくれている。思惑は千差万別なれど目的は一致している。

 まるで世界そのものが自分たちの味方になったかのような絶対的な安心感。

 中心にいるのはシズネが最も信頼している男、ヤイバ。

 たとえ仮想世界そのものを敵に回していても大丈夫だ。そう思えた。

 

「……おそらく敵はこのアカルギを執拗に狙ってくると思いますけど、ラピスさんを降ろしたのでもう役目を終えています。あとはアカルギが健在であることを示し続けましょう」

 

 もはや戦闘能力が無いに等しいアカルギを単独で動かすシズネ。

 彼女に届くアカルギのセンサーによれば、敵の大部隊がアカルギに向かって押し寄せてきている。

 黒い月内部に攻め込んだヤイバの元へ行かせるわけにはいかない。

 退かぬ瞳は前を向く。

 心に刃を宿し、切っ先を敵に突きつける。

 

「ツムギの参謀、鷹月静寐! 参ります!」

 

 アケヨイ発射。

 まだまだ彼女の戦いは終わらない。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 久しぶりの戦場――と呼ぶほど、全くISVSをしていなかったわけでもなかった。自らの長所と短所を理解していたラピスが後方支援に徹していたのは事実だが、最近ではシャルロットやラウラとも試合をしてハイレベルな実戦の感覚を掴もうとしてきた。

 ヤイバが近くにいない上に、仲間内での試合でもない戦場に立つ。それもIllと同等以上の化け物が蔓延るようなところだ。少し前のラピスだったなら足が竦んで動けなかったことだろう。

 もう弱かった彼女の面影はどこにもない。毅然たる態度で胸を張り、右手のスターライトmkⅢのトリガーを引く指は軽い。敵のいない明後日の方向へ発射された蒼の弾丸は鋭角にカクカクと稲妻のように曲がり、ゴーレムの側頭部を撃ち抜く。

 

「対ゴーレムに限って言えば、ヤイバさんよりもわたくしの方が得意でしてよ?」

 

 周囲を旋回する4機のBTビットからは絶えず蒼い光弾が発射されている。ほぼ無作為に放たれた光弾はラピスから一定の距離を保って廻る。幾重にも取り巻く蒼の軌跡は彼女の盾となり、彼女の矛となる。

 

「頑丈な駒を揃えたところで、鈍重であっては何の脅威にもなりませんの。迎撃の準備が間に合ってしまうのですから」

 

 時間と共に蒼き線は面となり、球状となった蒼はもはや一つの星となる。

 頑丈なゴーレムであっても、EN射撃の奔流である蒼の星に触れてしまえば一瞬で蒸発する。ゴーレムは近寄れない。故に取るべき行動は自ずと決まってくる。

 両腕を正面に突き出す射撃体勢。掌に開けられた砲門から放たれるENブラスターならば、BTビットのビームの集合体であろうとも貫通して内部にまで届かせることが出来る。

 ……だが彼女には見えている。射撃攻撃は誘導されている。発射位置も発射タイミングも把握されている。無数のEN弾の一つ一つを個別にコントロールしている彼女が取るべき行動も決まっていた。

 

「チェックメイト」

 

 蒼の星から光の筋が伸びる。正確にゴーレムの腕の砲口に飛び込み――大爆発を引き起こした。

 多勢に無勢のときは相手の力を利用するのもあり。同じBT使いであるランカー、更識楯無の戦い方を自己流にアレンジした結果、全くの別物になった。

 偏向射撃(フレキシブル)衛星軌道(サテライト・オービット)。準備に時間がかかる欠点こそあるが完成してしまえば難攻不落、攻防一体の陣となる。

 

「ラピス、やばくない? いろんな人から『前に出ると無能』とか言われてたのにラスボス感すらあるんだけど?」

「まあ、RPGで言うなら味方の支援出来る上に火力も持ってる魔法使いだから。詠唱時間さえ稼げればいいんだよ」

「ほほう。つまり、私らは壁にされた、と?」

「裏を返せば気楽に戦えるって事だから気にしないの!」

 

 全力を出しているラピスの近くにはリコとレミもいる。彼女らも押し寄せてくるゴーレムと戦っているのだが、ラピスほどの派手な戦果は挙げられていない。

 

「でも、負けてらんないよねー」

 

 大量の銃火器を装備したフルアーマーリコリンが宇宙を駆ける。大気圏内では重量の制約から移動にかかるエネルギーコストが膨大であったリコの機体だが、宇宙空間では扱い方次第で高速戦闘も行える。

 背中のミサイルポッドを全て発射しつつ移動も継続。高速でかっ飛ぶ重装甲な本体は一発の砲弾に等しく、ゴーレムの1体に向かって突撃を敢行。正面衝突した結果、ゴーレムが一方的に吹っ飛ばされた。

 

「オラオラオラァ!」

 

 日常生活では絶対に出てこないようなヒャッハーな叫びを上げながら両手のガトリングガンを乱射する。衝突の影響で体勢が崩れていたゴーレムに次々と風穴が開いていき、やがて物言わぬ屑鉄と化した。

 

「リコの性格が変わってる……これ、あれだ。普段大人しい人がハンドルを握るとスピード狂になっちゃうのと同じだ」

 

 リコの豹変ぶりに驚きを隠せないレミ。

 この独り言を聞いていたラピスは『リコさんが大人しい? わたくしの知っている大人しいとは意味が違う……?』という疑問を抱いていたのだった。

 

「どれもこれも皆のウザキャラ、リコリンの素顔だよ?」

「はいはい、良かったね」

「やっぱり、最近のレミはノリが悪ーい!」

「こっちとしては最高に乗ってやってるつもりなのよ」

 

 レミの戦闘は派手に暴れているリコとは対照的。彼女はBTドールを操ってゴーレムと取っ組み合いをさせ、動きを止めた相手をラピスの射撃が射貫くという堅実な戦い方を繰り返す。

 地味。だが壁に徹している彼女の存在がある限り、ゴーレムがラピスに接近することはさらに難しくなっている。

 2人とも既に初心者の域にはいない。カグラも含め、ISVSを始めてからおよそ一週間という僅かな期間で一線級の戦力に成長していた。

 

「やっぱりカグラがいないと決め手に欠けるなぁ……」

「そうね。あの子、刀しか持ってない剣士のくせに、バ火力の後衛だし。銃火器を大量に装備してるくせに前衛でタンクしてるリコとは対照的よね」

「レミ、私のこと褒めた?」

「割と(けな)してるけど?」

「ハッキリ言った! ひどいっ!」

「喋ってないで手を動かしなさいって! ラピスが援護してくれてるからって、胡座(あぐら)をかいてると足下を掬われるわよ?」

「座ってる状態で足下を掬われても大してダメージないじゃん」

「今度、やったげよっか?」

「え、遠慮しとく。なんか怖い……」

 

 会話は平常運転。武器を手にして暴れ回っていても、まるで日常生活の一部であるかのような落ち着きぶりである。

 それも当たり前のこと。彼女たちにとっての修羅場はとっくの昔に過ぎ去った。負けたらゲームの世界から出られないだとか言われても今更と受け取っており、世界の危機だとか言われてもツムギ時代の自身の危機と比べたら当事者間がない分だけ緊張感に欠ける。

 この決戦において、レミとリコの二人はゲーマーたちよりもゲームを楽しんでいる。

 

「ん? ごめん、抜かれた!」

 

 リコの立ち回りはラピスに敵を近づけさせないことを念頭に置いている。離れる相手には手を出さず、近寄る相手には超重量で突撃を繰り返していた。先ほどまではそれで上手くいっていたのだが、まるで示し合わせたかのようにゴーレムが一斉に突撃してきたため迎撃が追いつかない。

 即座にフォローに回るレミ。だが彼女の操るBTドールは1体。ゴーレム1体だけなら押さえられるが複数体を同時には無理だ。

 

「ラピス、そっちにいった!」

 

 突破したゴーレムは5機。十分にラピスのサテライト・オービットで迎撃が可能な数である。

 しかし――ラピスは顔を(しか)める。

 

「止まる気がありませんの……?」

 

 ゴーレムのスピードが落ちない。それこそがラピスの思惑から大きく外れた敵の行動。ゴーレムたちは蒼の軌跡に自ら飛び込んでいき、無数のEN弾に身を晒す。

 5機のゴーレムは溶けるようにして無くなった。蒼の弾丸を道連れにして……

 ここまでの戦闘でゴーレムの行動パターンは把握していた。集団戦闘に明るくない脆弱なAIは同士討ちを頻繁に起こし、個体の存続を優先して味方の射撃の的になる行動は取らなくなっていた。つまり、数が多いほど接近戦を仕掛けないという誤った方向に学習させられていたのである。

 射撃の的になることを避けるAIに対して、ラピスのサテライト・オービットは強力な威嚇である。ラピスとしても敵を自身に接近させないことが一番の狙いだった。

 この思惑が崩れた要因。ゴーレムたちが自身の消失をも考慮しなくなった理由。ラピスの想定する可能性はとても簡単なもの。

 

「二人とも、気をつけてください! 指揮個体がいますわ!」

 

 ゴーレムを統率している何者かがいる。個体ごとのAIが自身の生存を優先していてはラピスのサテライト・オービットに飛び込むという自殺行為はありえない。

 ゴーレムの無謀な突撃はサテライト・オービットの守りを削ることが狙いでしかない。全体が見えていない脆弱なAIが急に書き換わるというよりも、上位権限の何かがゴーレムに働きかけたと考える方が自然である。

 

「いるよ。変なのが」

 

 リコが見つけた。同じようなゴーレムばかりの戦場で、友軍でない異質な存在が姿を現している。水色のドレスを纏い、周囲に巨大な砲塔をいくつも浮かべている、マネキンのように表情のない人型の機体が両手を広げた。

 

 

『我は不完全に恐怖する(アテロフォビア)。故に我は完全である……完全でなければならない』

 

 

 フォビアの名乗りは強敵の証。ラピスはこの名乗りを特殊武装の起動キーと判断しており、その認識は他の二人とも共有している。

 共有している……はずなのだが。

 

「先手必勝!」

「ちょっ、リコ! 待ちなさいって!」

 

 リコは形振り構わず水色ドレスの機体、アテロフォビアへと駆けていく。彼女の行動にレミは驚きを露わにしているが、むしろこの場ではリコの無謀に見える突撃こそが多数派の意見であった。

 どこからどう見てもアテロフォビアはBT使いである。レミはまだISVSの知識が少ないため、未知の強敵に対しては様子見を選択したくなるのは自然。しかし、ISVSにおけるBT使いの脅威を予習しているリコにしてみれば、様子見=詰みという認識だ。

 現に実例が自分たちのすぐ後ろに控えている。接近戦の弱さばかりが目立ってしまっているが、“蒼の指揮者”と遠距離戦などしようものなら瞬く間に封殺される。敵が強敵のBT使いというなら、前に出ないことこそが愚策なのである。

 

 リコの行動だけでなく、敵の反応も早い。大小様々なビットが散開し、リコらを包囲せんと目まぐるしく動き回る。撃ち落としてやろうかとリコがガトリングを向けるも、全く的が定まらないため、諦めざるを得なかった。

 撃ち落とせないなら強引に突破するだけだ。こうだと決めたらリコの行動は迅速。ビットを無視して最短距離で敵を目指す。

 判断は間違っていない。だが重装甲高火力ユニオンという機体コンセプトからしてBT使いは根本的に相性が悪い相手である。

 

「あ、やばい!」

 

 先にビットの包囲網が完成した。どの方向を見ても砲口がこちらを向いている。

 右からのビーム。流石はISのハイパーセンサー。リコの目にも放たれる光の軌跡が見て取れる。

 だからこそ見てしまう。ただの一射に注目してしまう。全方位に視界のあるISであっても、意識が一方に集中してしまえば、逆側が死角となる。

 

「うわ!」

 

 背中に被弾。1発当たり、2発3発と続く衝撃。パックパックを貫かれ、ミサイルポッド付近の熱量が増大。とっさの判断でバックパックを丸ごとパージする。

 爆発。しかしPICCのない攻撃は攻撃とならず、爆風に巻き込まれたリコはストックエネルギーを減らされないまま投げ出された。

 

「やっぱ無理ィ!」

 

 逃げ道はどこにあるのか。戦闘経験に乏しいリコでは生き残る道を見つけられない。

 そもそもここまでの戦闘も純粋にリコたちだけの力で切り抜けてきたわけではなく、手厚いサポートの恩恵もあったからゴーレム相手でも圧倒できていた。しかし、今は敵の攻撃予測データが送られてこない。

 

「ラピス! データ送って!」

『ですが――』

「早く!」

 

 要求した攻撃予測データは送られてきた。いつものように敵の射線が赤く表示されたとき、リコの視界に赤いフィルターがかかる。

 

「え……?」

 

 隙間など無い。全方位から狙える上に、偏向射撃(フレキシブル)も扱ってくる敵機体は後出しでいくらでも攻撃コースを変えられる。唯一、攻撃のタイミングだけは正確だがそれを知る意味などない。

 無駄に多い情報量に気を取られたリコは、自分を狙う巨大な砲口に気づかなかった。向けられた代物はENブラスタービット。

 

「リコ、危ない!」

 

 ENブラスターはリコに届かなかった。目の前にいるのはリコ以上にボロボロな姿だったレミ。強力な一撃を耐えられるだけのエネルギー残量などなかった。

 

「ごめん、先にリタイアするわ」

 

 レミの姿が消える。エネルギーが尽きて退場し、この世界の中で意識だけが取り残されることとなる。

 

「よくもォ!」

 

 吠える。この戦いに参加する上で散々口ではゲームだと言っていたが、リコたちにとってやはりこの世界での生死は軽いものではない。

 もう考えることはやめた。避けられないのだったらやられる前にやればいい。というよりやるしかない。

 敵の姿は見えている。意外と距離は近い。手持ちのアサルトカノンならば届く。

 

「喰らえっ!」

 

 即座にトリガーを引く。砲弾はリコの思い描くように水色ドレスの機体、アテロフォビアへと飛んでいく。

 避けられて当然。そう思っていた攻撃ではあった。

 しかし、アテロフォビアは動かない。代わりにビットの一つが砲口の先をリコから外す。狙いはもちろん――

 

「嘘……撃ち落とされた……?」

 

 リコの放った砲弾が的確に射貫かれた。避けもせず、一発のみ。避ければいい攻撃をわざわざ撃ち落とした意図は明確。

 ……単なる示威行為。余裕の現れと言い換えてもいい。

 攻撃のやりとりだけで敵はこう言っている。

 お前など相手にならない、と。

 尚もBTビットに囲まれている状況。

 最後の武器だったアサルトカノンも撃ち抜かれる。

 ラピスの力を借りた攻撃予測は、逆に回避不能という結論しか出てこない。

 

「ごめん。私も先に落ちるわ」

 

 まるで一旦ゲームを休憩するかのような言葉。

 ビットから伸びる無数のビームに串刺しにされたリコはISVSから姿を消すこととなった。

 

「……謝るのはわたくしの方ですわ」

 

 一人残されたラピスがポツリと呟く。

 リコとレミの二人が倒れていくのをただ黙って見ていたわけではない。当然、敵のビットを牽制するために援護射撃もした。

 だが届かなかった。ラピスの放ったビームは途中で全て()()()()()()()。相手も同じBTビットから放たれたビームで偏向射撃。同規模のビームの相殺はラピスも使う手ではあるのだが、同レベルの偏向射撃が相手という特殊ケースが発生するとは思っていなかった。

 敵の妨害は完璧。名乗りの際、自らを完全であると豪語したのは伊達ではない。

 

 BT使いとしての技能が劣っているとは感じていなかった。

 しかし戦いは個人でするものではない。障害物も何もない白兵戦をするしかない宇宙空間では前衛の有無が大きく戦況を左右する。先ほどまでたった三人だったが、三人だったからこそ立ち向かえたのだ。

 今は一人。衛星軌道(サテライト・オービット)は無謀なゴーレムの突撃により剥がされた。身を守るものは既に無く、無防備なラピスの前に立ちはだかるのはゴーレムの群れ。

 

「ここまで……ですわね」

 

 冷や汗が頬を伝う。まだ敵の本拠地に乗り込んだヤイバが戦っているというのに、彼とつながったまま自分がやられれば、彼の能力によって二人が同時に敗北する。

 今はただ、彼の勝利を祈ってクロッシング・アクセスを切るしかなかった。

 だというのに……

 この大事な場面で完全に失念していた事実に気づく。

 

「切り方がわかりませんわ!」

 

 元々、クロッシング・アクセスをする方法など判明していない。

 大きな戦いを前にすると自然にクロッシング・アクセスを起こしていたものだから、今まで全く不都合を感じなかった。

 切る必要性など生じなかった。

 “無敵のヤイバ”は負けない。ラピスは後方で支援であったため、矢面に立つこと自体が非常に稀だった。

 

「こんなところで! わたくしが足を引っ張るわけには参りませんのに!」

 

 早く切らなければ。そんなラピスの焦燥をヤイバも感じ取っているはず。それだけでも彼の戦闘に影響が出てしまうというのに、ラピスは感情を抑えられない。

 ゴーレムが突撃してくる。その数、15。まだ後方に控えている機体もあるというのに控えめな数の理由はおそらく『この数で十分だ』という指揮官の挑発のようなもの。実際、15体も差し向ける時点で十分脅威と見なされているわけではあるが、敵が全力を出していない事実はさらにラピスを焦らせる。

 

(落ち着け、ラピス。まだ君は負けてない)

 

 ヤイバからの声が聞こえる。通常の通信とは違う、頭の中に直接語りかけられているかのような感覚はとても温かいもの。

 彼の声が聞こえた。それだけだ。状況は何も変わっていない。

 しかし変化はあった。心境の変化というものだろうか。てんやわんやだった頭の中がまるで水を打ったように静かになる。

 

 迫るゴーレムの右拳。波紋一つない澄み切った心を自覚したラピスには全てがスローモーションに見えている。拳の軌道は以前から把握できていた。あとは目まぐるしく動く状況とそれに対応する度胸の問題だった。全ての問題は今このときだけは存在していない。

 滑るように横移動する。動きらしい動きのない平行移動だが、その正体はイグニッションブースト。高速で放たれたゴーレムの拳を上回る速度で、間合いを見切った紙一重の回避を披露する。

 伸びきった腕が右肩を掠めている。ラピスは右手に武器を呼び出す(コール)。現れた得物はENブレード“雪片弐型”。

 

 一閃。

 振り上げた一刀はゴーレムの脇から入り、頭をも切り裂く。

 これだけでも致命傷。さらにラピスは返す刀で同じ箇所を切りつけた。この場所にはゴーレムのコアがある。情け容赦の無い一撃でコアは砕け散った。

 

「ふぅ……」

 

 深呼吸をする。ヤイバの戦闘技能を取り込んでの格闘戦はラピスにとって慣れないもの。まだまだ場数が足りなく、少し全力で動くだけで気力の消耗が激しい。

 今の立ち回りに一定の効果はあった。近寄ってきていたゴーレムは一度距離を開けた。残った14機で強引に攻めても倒せないという判断がなされたのだろう。

 敵の狙いは周囲からの増援が来るまでの待ちであることは明白だったが、ラピスから動くことはできない。

 待つと言うほどの時間も稼げていなかった。ゴーレムの数はさらに15体増えている。ラピスの精神的な消耗も見破られているのだろう。アテロフォビア自身が出てこないあたり、完全に持久戦に持ち込むつもりである。

 

「……ヤイバさんなら、簡単に乗り越えられますのに」

 

 たった一機との戦闘で一杯一杯だった。このまま30機との連戦を(しの)ぎきれるかどうかは定かではない。どちらかといえば分が悪い。

 ゴーレムが突撃してくる。まるで黒い月に攻め込もうとしているときの自分たちを見ているかのような無謀さを伴っている。差があるとすれば、突撃してくる全てが捨て駒に過ぎないことくらいか。

 いつまでも雪片弐型を借りているわけにもいかない。むしろラピスは装備をヤイバに貸す側でなければ、この作戦に意味が無い。

 事前にわかっていたことであるが、この作戦には最初から欠陥があった。無謀な突撃にはアカルギが必要で、途中で通信ができなくなるリスクもあったためアカルギにラピスが乗艦することも必要だった。それ故に、ヤイバが黒い月に突入した後、ラピスたちが敵の真っ只中に取り残されてしまう。その状況下でラピスが生き残らなければ、ヤイバを“無敵のヤイバ”に仕立て上げられない。

 

 ――この危機を理解しているのはラピスだけではなかった。

 

「退いてください、ラピスさんっ!」

 

 声がしたのは黒い月側。つまりは後方。意識を向ければ、アカルギが高速を維持したままラピスに向かって突っ込んできている。

 

「え、シズネさん!?」

 

 たった一人取り残された戦場。そう思っていたのはラピスだけだった。黒い月に開けた入り口付近に残してきたシズネの存在を完全に失念していた。

 アカルギは減速する気配を見せない。シズネの思惑をラピスは悟る。

 

「それでは時間稼ぎにしか――」

「それでもですっ!」

 

 彼女の意志は固い。この限界状態、時間もない中で説得することは不可能だ。

 ギリギリで回避したラピスのすぐ脇をアカルギが走る。その先にはラピスを襲おうとしていたゴーレムの集団があり、それらをアカルギの強力なPICCと大質量を以て牽き潰した。

 直後、アカルギをBTビットが取り囲む。

 

「きゃあああ!」

 

 全方位から浴びせられる光の雨は確実にアカルギの装甲を剥いでいく。篠ノ之束製だからといって、戦闘用に特化したわけでもない艦である。本格的に武装したISを相手に真っ正面から戦うだけのポテンシャルは元から無い。

 アカルギは失速しなかった。まだ潰さなければならない目標が残っている。ラピスを危機に追い込んでいる元凶、水色ドレスの機体を目指しての無謀な突撃は終わらない。

 

「負けられない! ラピスさんは絶対に討たせない! 私たちの希望を絶対に潰させたりしない!」

 

 ビームが直撃する衝撃にも慣れた。ブリッジ内にはアラートが鳴り響いている。行動不能までの予測時間はまだある。眼前の敵さえ倒せれば、あとはどうなろうと構わない。

 シズネにとってアカルギは家だった。ナナと仮想世界で過ごした思い出の場所でもある。単なるデータではなく、もし破壊されれば二度と返ってこないことも知っている。

 それでも前に進む。思い出も大事だけれど、それに縋る必要なんてない。ナナは生きていて、ヤイバが取り戻してくれると信じている。そのための道を開けるのなら、この思い出の品の犠牲は決して無駄なんかじゃない。

 

「届いてェ!」

 

 叫び、祈り、願う。

 自分にできる最善は尽くした。あとは運に賭ける他ない。

 蜂の巣になったアカルギは速度を損なうことなく、アテロフォビアにまで辿り着いた。

 

 それまでだった。

 

 威力が高くとも直線的すぎる。

 アテロフォビアの行動はシズネの熱い思いをあざ笑うかのような無慈悲な回避行動だった。

 誰もいない空間を通過したアカルギを今度はENブラスタービットが取り囲む。

 先ほどまで全く使っていなかった強力な武装。それをわざわざこのタイミングで使う理由はおよそ機械らしくないものしか考えられない。

 

「どこまで人を弄べば気が済むんですのっ!」

 

 敵はわざとアカルギが自分に届くまで攻撃の威力を調整していたということになる。

 BTブラスタービットが一斉に火を噴いた。ボロボロなアカルギで耐えられるわけもなく、ビームが貫通する。艦の原型さえなくなって、宇宙の残骸として漂い始めた。

 

「シズネさん……?」

 

 通信をするもシズネからの返事はない。

 ショックを隠せないラピスを取り囲むようにしてBTビットが動き回る。

 次はお前の番だ、とアテロフォビアの無表情な仮面が振り向いた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 人の形に翼が生えても天使とは限らない。たとえ美しい外見であっても、敵対すれば悪魔も同然である。

 星々を背景とした暗闇を流星の如く駆けるのは白く輝く翼。地上から見ることが出来たなら、純真無垢な少年少女なら三回お願い事を言いたくなることだろう。しかし綺麗な流れ星を近くで見てみると、その実態は子供には優しくない存在である。

 ニクトフォビア。暗闇を照らす暴力的な輝きは殺意で溢れていた。

 鋭い牙をぎらつかせ、開く顎門(あぎと)に集束する光。一点に圧縮される膨大なエネルギーは行き場を求めて暴れている。そこに出口を作れば、エネルギーは光の剣となって虚空をも穿つ。

 

「あぶなっ!」

「大丈夫、リン?」

 

 光線がリンの頬を掠めていった。お互いに高速で動き回っているというのに、敵の照準は徐々に精度を増してきている。

 攻撃は高出力のビームのみではない。翼を広げ、駒のように一回転すると同時に全方位無差別に無数のEN弾がばらまかれる。むしろこちらの方がリンにとって因縁のあるイルミナントが主に使ってきていた攻撃方法であり、多対一であるのにリンたちが有利を取れない要因だ。

 全方位無差別攻撃の間、リンもカズマも弾幕系シューティングゲームをやらされる羽目になっている。避けるのに精一杯で攻めに転じるだけの余裕はない。一発一発が仮にもENブラスターに分類されるため、ダメージ覚悟で飛び込もうとしてもノックバックが大きく、まともに前に進めない。

 

「本当にこれ鬱陶しいわ。何か打開策ないの、カズマ?」

「さっき撃鉄を破壊されちゃったから、拡張領域(バススロット)内で自動修復(オートリペア)が終わるまでこの距離(レンジ)でできることはないよ」

「リペアが終わるまでの時間は?」

「ロビーに戻らないなら軽く一日ってところ。一応、打鉄フレームの特性で装備修復が速いはずだけど、AICキャノンはリペア時間が長い部類だからなぁ」

「……つまり、使えないってことね」

 

 二人併せても遠距離に対応できる装備は一つも残っていなかった。

 接近戦に持ち込めればリンにも勝ち目が生まれてくる。しかし、一度痛い目に遭った接近戦を仕掛けてくるとは考えにくい。敵側の視点に立って考えてみると、遠距離からだけで十分に封殺が可能と判断するのは自然であり、それを逆手に取る方法などなさそうだ。

 

「何度も言うけど、俺らにしてみればコイツを倒す必要は無いから、このまま弾幕避けゲーしてればいいんじゃね?」

「そんなストレスが溜まるだけのゲームなんてやりたくないわよ」

「見解の相違だね。リンならわかると思うけど、全力の攻撃が全く相手に当たらないっていうのは、攻撃できないことよりもフラストレーションが溜まる。避けるだけでも、それがもたらす戦術的な効果は意外と大きいんだよ」

「たしかにそうかもしれないけど、何が言いたいの?」

「攻撃するだけが戦闘じゃない。サベージがそうだったように。リンはもう少し忍耐が必要だと思うよ」

「普通、このタイミングでダメ出しする?」

「このタイミングだからさ。俺らだけじゃ突破できない。こういうときは仲間が来るのを待つのも有りじゃない?」

 

 援軍を待とう。その提案をした直後、ニクトフォビアの口から放たれた光の筋がカズマの左肩を抉る。

 

「カズマっ!」

 

 ダメージのためか、錐揉み回転して流されていくカズマ。リンは反射的に彼の後を追った。

 

「あー、そういうこと。弾幕は目くらましで、光線の予備動作を隠したのか。厄介だね」

 

 敵の攻撃を分析する発言が飛び出す辺り、カズマにはまだ余裕が窺えた。だが見た目として、カズマの機体は左半身がほとんどなくなってしまっている。戦えそうには見えない。

 

「大丈夫なの……?」

「大丈夫、致命傷で済んだ」

「全然大丈夫じゃないでしょ、それ!」

「なんとかストックエネルギーを節約するよう受け身を取ったつもりだったんだけど、ここが宇宙っていうのがネックだった。操縦者保護機能が死んでるみたいで、時間と共にストックエネルギーが減少してる」

 

 地上でならばまだ戦えたかもしれないが、悪環境という制約によってカズマはもう戦えない。あと十数秒で退場することが確定してしまっている。

 

「あとは任せるよ、リン。あんなどうでもいい化け物なんかには勝てなくていい。どうか最後まで生き延びて」

「何よ、それ! サベージも他の連中もどうしてあたしだけ残そうとするのよ!」

「ヤイバが勝つためにリンが必要だと思うからだよ」

 

 そう言い残して、カズマの姿は光の粒となって消えていった。

 

「……意外と失礼な男よね、カズマは。今の言い草だとあたしが便利な道具みたいじゃない」

 

 わなわなと両手が震える。怯えとは無縁。どちらかと言えば武者震いの類いである。

 

()()()()勝てなくていい? あたしの気持ちを完全に無視して! 勝手に押しつけて! それであたしが喜ぶとでも思ってるの! ふざけんなっ!」

 

 相手は強大。カズマがやられてリンは一人。絶望的な状況のはずなのだが、リンの心は折れず、むしろ強固なものへと変わっていく。

 

「あたしは! アイツに勝ちたいのよ!」

 

 指さす先には光の翼の怪物がいる。

 この決戦は前に進むためのものだ。

 ヤイバにとってのそれがナナを取り戻すことであり、リンにとってのそれは過去の敗北を精算するだけの活躍をすること。

 全てが終わった新しい世界でヤイバがスタートラインに立ったとき、自分も同じ場所に立っていたい。

 ナナやラピスと並び立てる自分でないとそこに居られない。他ならぬ自分がそう思っている。

 所詮は自己満足。だがヤイバの優しさに胡座を掻いているようでは到底、欲しいものには届かない。

 

 甘えや優しさなど不要。

 リンは勝利こそを欲する。

 明日へと向かうために。

 

 突撃を敢行する。いくら勝算が薄くとも、どのみち接近戦でしか勝ち目がないのだから、バカの一つ覚えのように進むしかない。

 光の砲弾が拡散される。光線と比べれば弾速が遅い部類であり、ISのハイパーセンサーならば目で追える程度のもの。隙間がないわけでもなく、リンは瞬時にルートを絞って敵に近づこうと試みる。

 

 木の葉を隠すなら森の中。

 光を隠すなら同じ光の中。

 弾幕の中を光の筋が走る。

 直後、リンの右肩付近で龍咆が撃ち抜かれた。

 

「しまっ――」

 

 カズマの分析通りの攻撃。折角最後に忠告をしてくれていたのに、リンはその情報を扱い切れていなかった。

 被弾に気づくまでラグがあった。被弾してから意識が被弾箇所に向いてしまった。まだ敵の拡散ENブラスターによる攻撃は終わっていないというのに。

 迫る弾幕を避けられるタイミングはとうに逸していた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 どこかで見た風景。

 扉をくぐった俺の目に飛び込んできたのは埃っぽい石の壁でできた部屋。天井は高く、体育館くらいの広さはあるだろうか。内装らしい内装は特になく、床と天井をつなぐ柱が何本も立っている。

 用途のわからない謎の空間だ。黒い月の中において、この場所は異質そのもの。だけど、俺はなんとなくこの空間が存在している意図を察することができた。

 

「出てこいよ」

 

 待ち受けている何者かがいる。その程度のことは誰にだって予想が付く。

 ただ、俺にはそれが何かも想像が付いている。

 

「居るのはわかっているぞ、蜘蛛野郎」

 

 ここは始めてマドカと戦った場所に似ている。

 周りと協調しようとすらしていない異質な空間をわざわざ用意した敵の意図。

 以前に戦ったことのあるIllをコピーしたようなフォビアシリーズの存在。

 この二点から考えられる可能性は、マドカと似た戦い方をするフォビアシリーズが待ち受けていることくらいだ。

 

 俺の呼びかけに応えたわけではないだろうが、奥からやってくる影がある。

 輪郭は人とはほど遠い多脚型。周囲に漂うBTビットは糸を張るために使うことを俺は知っている。

 

『我は蜘蛛に恐怖する(アラクノフォビア)。故に蜘蛛を支配する』

 

 名乗りと共に敵のビットが壁の方へと散っていく。このまま放置すれば部屋中に糸を張られて面倒なことになるのは経験済みだ。

 

「スターライトmkⅢ、展開」

 

 右手を横に突き出してラピスから借りた武器を手に取る。

 先手必勝。即座に発射。

 敵のいない方に発射しても全く関係はない。最初から狙いは敵本体でなくビットの方。

 フレキシブル起動。複雑な形としていてもラピスのBT技能があれば部屋中のどこでも狙い撃てる。曲がりくねった蒼の弾丸は敵のビットを撃ち抜いた。

 まずは一機。そして、この時点で俺は既に3発ほど発射済み。それぞれが各々の対象へとカクカク曲がりながら追尾していく。

 四機破壊。その間も俺は休まず連射。その全てが敵のビットを正確に射貫いた。

 

 敵もこのまま黙っているわけがない。

 蜘蛛の胴体最前面に砲口が開く。たしかこれは威力重視のAICキャノンのはずだ。PICCは一定以上の強度となるとEN兵器を掻き消すという話もあって、AICキャノンの一部はENシールドをも貫通するらしい。

 動けないなどのデメリットはあっても、有り余るくらいのメリットも存在している武器。撃って当たれば勝つというシンプルな強さがある。

 おまけに単調な射撃に終わるとは限らない。BT適性の高いものが扱えば曲がる弾道も使える。遮蔽物がない状態で向き合っているこの状況は非常にまずい。

 俺が柱の陰に移動するよりも先に、蜘蛛のAICキャノンが火を噴いた。

 

 イグニッションブーストで避ける? それは不確かな方法だ。相手がマドカのコピーだとするならBT適性は高い。後出しで曲げられれば、俺は避けきれずに被弾する。

 雪片弐型で斬り捨てる? 当てられる可能性が低い上に、もし砲弾に雪片弐型が負けたら、これもまた俺が被弾する。

 

 つくづく俺の打てる手だけじゃ勝てない相手がごろごろしている。

 だから俺は俺以外の力を借りてでも勝つ道を選ぶ。

 右手を前に突き出す。

 掌を砲弾に向け、意識を集中。いつもより格段とゆっくりに見える世界の中で、目に見えない意識の網を張り巡らせ、目標となる砲弾に集中的に絡ませるイメージを確定させる。

 最後に網と砲弾が重なったほんの一瞬を逃さず、掴み取る!

 

 砲弾は止まった。空中で静止したまま、内包していた破壊力を完全に失っている。

 

「初めてやったが、こいつは俺だけじゃ無理だ」

 

 これはピンポイントAICという特殊技能。俺が普段格闘戦で使っているAICと違って、あらゆるものの動きを止めるという防御的な使い方が主になるのだが、タイミングがシビア過ぎて使い物になるような代物ではない。実戦に投入できている達人はランカーの中でもほんの一部だけであり、ヴァルキリーでもできるとは限らない分野だと聞いている。

 

「さて。攻撃はもう終わりか?」

 

 敵からの追撃はない。だったら今度は俺の番。

 スターライトmkⅢから雪片弐型に武器を変更する。

 やはり使い慣れた武器が一番だ。

 イグニッションブーストで接近ついでに足の一本を切り取る。返す刀で反対側の前足を一本。

 残った足のうちの一本がENブレードを展開して振り下ろしてくる。出力規模はエアハルトの剣(リンドブルム)くらいか。普通のISにはできない構成をフォビアの基本性能で実現しているあたり、ISの上位互換のような相手だと思い知らされる。

 だがISも負けてられない。人が使っているISにはフォビアに対抗しうる特殊な力が宿ることもあるのだ。

 

 敵のENブレードに対して、俺は雪片弐型を真っ向からぶつける。

 干渉は起きない。雪片弐型に触れた敵のENブレードは砕け散り、俺の攻撃は蜘蛛の本体にまで達する。

 これが単一仕様能力“零落白夜”。マドカから受け取った千冬姉と同じ力はあらゆるEN兵器やファルスメアに一方的に打ち勝つ最強の剣を作り上げる。

 ここで攻撃を止める理由はない。続けざまに斬りつけ、蜘蛛の分厚い装甲を解体。内部に別の機体が入っていることはなく、フォビアのコアが露出した。

 

「終わりだ」

 

 コアを突き刺す。零落白夜の前にはシールドバリアなど意味を成さない。絶対防御のない無人機のコアを守るものはなく、刺し穿たれたコアは次々と亀裂が入って最終的に砕け散った。

 

「……先を急ぐか」

 

 過去の強敵を倒したけど達成感なんてまるでない。

 口にした言葉通り、先を急ごうという思いしかなかった。

 

 

『つれないね~。折角、束さんがいっくんのために用意してあげた門番だったのに』

 

 

 先へと向かう俺の背中に声を掛けられる。正確には頭上から声が振ってきた。

 上を見上げても遺跡っぽい石の天井しかない。どうやら声だけのようだ。

 この声の正体はこの先で待ち受けている。

 

「門番? ってことはもうすぐそこがゴールか?」

『まだもうちょっと距離はあるけど、アラクノフォビア以上の障害は置いてないね』

「それをわざわざ俺に教えてくれるんだな」

『嘘を言ってもしょうがないからね。早くおいでよ。ここまで来たのなら逃げも隠れもしないよ』

「そりゃどーも」

 

 おそらく本当のことを言ってるだろう。もしこれが嘘で、フォビアシリーズが三体待ち受けていたとしても俺が引き返す理由にはならない。立ちはだかるのなら全て打ち倒す。今日の俺に退路はなく、活路は常に前にある。

 

『でも、ちょっと聞いていいかな?』

「さっき俺も質問したからな。いいぜ、言ってみろよ」

『いっくんは外がどうなってるのか知ってるの?』

「外、か。ラピスやリン、皆が割とやばい状況になってるのはなんとなく知ってる」

『敗色濃厚だよ。このまま無駄に無人機に蹂躙される運命にある。どうせこの世界の住人になるのなら、酷い目に遭わない方がいいのに、頭悪い奴ばっかだ』

 

 一瞬だけ、リンの顔が浮かんだ。

 動けない俺を置いて去って行った、妙にすっきりした寂しい笑顔。

 その後に起きた惨状が、この決戦の至る所で発生している。

 

「じゃあ、賢いってなんだ?」

 

 苦しいと思うことから逃げたいのは本能だ。だから楽な方へ逃げることを賢いというつもりなのだろう。俺はそういう生き方を否定するつもりはないし、俺自身も嫌なことからは割と逃げている。

 でも、俺は言いたい。必ずしも逃げることと諦めることはイコールなんかじゃない。必要ない苦労からは逃げるけど、やりたいことを諦めてまで逃げる道は選びたくない。

 

「酷い目に遭うかもしれないのがどうした? その可能性があってもなお“お前の世界”を受け入れるなんてまっぴらごめんだってことだろ。実際、誰も諦めてない」

『お仲間が負けてるのに、いっくんはまだ私を受け入れてくれないんだね?』

「これは俺が望んで始めた戦いだ。たとえ皆が負けても、俺自身がまだ立っている限り戦うのをやめるつもりなんてない。負けはあっても挫折だけはない」

『責任感?』

「いいや。我欲だ」

 

 少し強い言葉を使ったけど、あながち間違ってない。

 俺は俺のしたいようにしている。この戦いに参加した皆もやりたいことをやっているはず。中には責任感とか義務感で戦ってる人もいるだろうけど、それはそれで個人の自由だ。

 

『存外、くだらないね』

「理解できない、と受け取っておく」

 

 これ以上、顔が見えない状態で話すこともない。

 先をふさぐ石の扉を蹴り開け、俺は奥へと突き進む。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 10年前の白騎士事件は少女、更識刀奈の人生を大きく変えた。

 

 ちょうどその頃、父である先代の楯無が不慮の事故で死亡し、後継者のいない更識の次期当主を誰にするかで揉めていた。

 直系は娘が二人。男はいない。楯無の名は男が引き継ぐものであったため、更識家の者たちは暗部の一族の中から優秀な男を養子として迎え入れることも視野に入れていた。

 養子として迎え入れる。それは娘のどちらかと婚姻させるということ。当時、まだ7歳だった刀奈はその意味を理解していたし、更識の娘として覚悟もできていた。

 だが候補に挙がった男を見て考えを翻した。軽薄なお調子者のようでいて、道化を演じながらも目だけはいつも笑っていない。当時15歳だった少年に心から嫌悪感を覚えていた。

 少年の名は、平石羽々矢。

 ――“アレ”を更識家に入れてはならない。

 そんな直感が働いていた。理由はわからなかったが、受け入れることはできなかった。

 刀奈は己の感情を律することが出来なかった。結果、許嫁として白羽の矢が立ったのは妹の簪の方だった。それは自分が生け贄になることよりも刀奈を苦しめた。

 無力さに打ちひしがれていた。そんなときに白騎士事件が起きた。世界を支配していたシステムが崩壊し、世界には新しい秩序が求められることとなる。

 新しい秩序の中心には“女性”が必要だった。

 渡りに船。刀奈は当主代行となった祖父から提案されることとなる。

 ――お前が楯無になれ、と。

 

 以来、刀奈は楯無とならねばならなかった。

 楯無は凡人であってはならない。

 常人であってはならない。

 優秀でなくてはならない。

 致命的な敗北をしてはならない。

 勝負事を始めれば、必ず勝って終わらなければ許されなかった。

 

 最初は義務だった。

 だが今では更識刀奈の生き方として定着している。

 楯無としての自覚は彼女をより高みへと導いてきた。

 

 ……そんな強いはずの彼女が勝利を諦めざるを得なかった。

 対峙している敵の強大さがハッキリとしすぎている。努力だけでひっくり返らない何かがうっすらと感じ取れてしまうほどの実力差が見えてしまった。

 楯無であろうとした。だが思ってしまったのだ。

 歴代の楯無はタイマンでこの怪物を打ち倒せるのだろうか、と。

 

 敵は男ではない。獣の類い。がむしゃらに暴力を振り回し、獲物を蹂躙する本能で動いている。

 勝利までのイメージが固まらなかった楯無は集中力すら欠き、敵から意識を逸らしてしまっていた。

 その間、1秒あるかないか。

 気づけばデモノフォビアの赤い爪が目の前にある。

 避けられない。かといって受け止めることなどできず、受け流せるタイミングも過ぎている。

 明確な敗北。更識楯無にとっての死が確実に迫っていた。

 

 ……戦闘中に初めて目を瞑った。物理的に閉じただけではない。心の底から現実に目を背けたのだ。

 ISの目を閉じても脳裏に映る視界も、意識が拒めば闇となる。

 暗い。何も感じない。来るであろう衝撃は微塵もなく、むしろ水の上で浮いているような心地よさすら覚える。

 現実逃避の結果にしてはあまりにも不自然だった。考えにくい可能性だったが、デモノフォビアが途中で気を変えて離れていったのだろうか。それとも他の何かがあるのか。

 好奇心が勝り、再び目を開く。

 すると目の前には当然、デモノフォビアがいる。

 だがデモノフォビアと楯無の間にいつの間にか割って入っていた男の背中があった。

 

「こういう役回りは織斑だろうに。面倒くせぇ。オレは誰かを守る戦いなんて向いてないんだっての」

 

 悪態をつく男は驚くほど手入れがされていない伸ばし放題の銀髪が特徴的だった。ふっくらとした髪の量のためか、いつの間にかついた通り名がある。

 

「“銀獅子”がどうしてここに……?」

 

 裏の世界での有名人。どこかの勢力に肩入れすることなく、紛争地帯にふらりと現れては手段を問わず戦闘を終わらせる伝説の傭兵がいた。ツムギが活動を始めた頃に行方不明となっていた男が何故かISVSという戦場に現れている。

 

「オレを知ってるのか、不法侵入女子高生」

「え――まさか、あのときの暴力教師!?」

「しまった! 正体がバレた!」

 

 などと間抜けな声を上げた銀獅子だが、間抜けなのは声だけだ。デモノフォビアの右手首を正確に掴み、力だけで押さえつけている。

 デモノフォビアが左手の爪で斬りかかろうとする。だがその初動に対して左後ろ回し蹴りがデモノフォビアの顔面に炸裂。鉄壁を誇っていたデモノフォビアの顔面を歪ませ、吹き飛ばした。

 

「お嬢さん。オレの正体は藍越の生徒には黙っててくれ」

「言えないわよ、そんなの。どう考えても私の頭がおかしいって思われるに決まってるじゃない」

「だろうな」

 

 銀獅子のISはフレームこそラファールリヴァイヴであるが、全く装備を展開していない。デモノフォビアとの戦闘も徒手空拳のみである。距離が開いても武器を出す様子はなく、拳のみでデモノフォビアに対峙する。

 

「素手、なの……?」

「素手なわけがないだろ。ISという凶器を使っている」

 

 男の戦い方はおよそISVSらしくない。だがISの性能を極限にまで引き出している戦い方である。

 ISが凶器という認識が彼にはある。一般人にとってISは武器を使うためのスーツだが、彼にとってはISさえあれば武器はおまけ程度でしかない。

 消えたかと錯覚するほどの静かなイグニッションブーストで銀獅子はデモノフォビアを追った。礼を言う暇も無いまま呆気にとられていた楯無はその場に残される。

 

「まだまだ私も小娘なのね……」

 

 伝説の域にいる者の戦いの一部を目の当たりにしただけで距離を感じた。まだ遠い。13位のランカーである楯無だが、上位10人はまだまだ手の届かない存在だ。銀獅子のようにランキングに載っていなくともヴァルキリーに匹敵する者もいる。世界は広い。

 デモノフォビアの脅威が去って、楯無は冷静さを取り戻していく。やはり事前の自己分析のとおり、デモノフォビアは楯無が無策で戦える相手ではなかった。敗色濃厚な戦いをいかに避けるのか、という視点で物事を考えなかった。成長した己の実力に胡座を掻いたツケが回ってきたのだろう。

 結果的に助けられた。これは単なる僥倖。二度目はないと言い聞かせて、自分が楯無であるという自己暗示をかけていく。

 

「まずは状況の把握から、かな。ナノマシンを吹っ飛ばされたから何も情報がないわ」

 

 ナノマシンを散布し、わかる範囲での情報を集める。

 デモノフォビアが暴れていた影響からか、近くにゴーレムはなく、味方プレイヤーの姿もない。ステルスで隠れているISもない。

 ただ、PICの反応が一つだけあった。人が入っているISだ。しかし味方プレイヤーではないと断言できる。

 なぜなら、その顔には見覚えがある。そして、楯無しかいないこの場所にやってくることに何の違和感もない男だ。

 

「来たのね、ハバヤ」

 

 細長い黒い霧を体に纏わり付かせた男は楯無の知るとおりのハバヤだった。

 一つ違うとすれば、建前の仮面を脱ぎ去っていることくらいか。だが本質を知っている楯無が驚くことは何もない。

 

「さっきまで泣きそうだった子猫ちゃんが粋がってんじゃねえよ!」

「自分は後ろに隠れてるだけで、煽りだけは一人前。救えないわね」

 

 煽りには煽りで返す。デモノフォビアに屈していた楯無だが、この男にだけは負けられない。たとえ子供っぽい口喧嘩であっても(おく)れを取ることは許せなかった。

 たとえ虚勢を張ってでも周囲に自らの強さを示そうとする点は共通している二人。だが、誰のために張る虚勢かどうかは大きく異なっている。一方は大切な妹のため。もう一方はひたすらに己のため。

 この遭遇が単なる煽り合いで収まるわけなどない。言葉の応酬の裏では既に敵を討たんとする一手が始まっている。

 爆発。前触れもない一撃が二人から離れた箇所で発生した。

 楯無の舌打ちが鳴る。

 

「バレてた」

「当たり前だろ。BTナノマシンってのはBT使い以外に使うもんだ」

 

 先制攻撃を仕掛けようとしていたのは楯無。相手と会話しながらも強かに敵を討つ手を実行していた。

 だがそれはハバヤには見えている。BT使い同士の戦闘ではナノマシンの存在をお互いが把握した状態であることが前提となる。当然、楯無にもそういう認識はあるが、彼女はハバヤのことをBT使いと扱っていなかっただけのことだ。

 

「まあ、落ち着けよ、更識楯無。オレ様は戦いに来たわけじゃねえ」

「それは命乞いなのかしら? 聞く気は無いけど」

「言葉に気をつけろよ。オレ様の気分次第でテメエはすぐに消え去ることになる」

 

 ハバヤの煽りが控えめになり、楯無の調子の方が狂う。弱者扱いされればすぐに怒りの沸点を超えるはずのハバヤが落ち着いている。つまり、戦闘の弱さをコンプレックスとしていない。

 この点は楯無の知るハバヤとは違う。イーリスと戦闘して圧勝したという、にわかには信じられなかった情報も嘘ではないのかもしれないと思い直した。

 積極的に挑発していた楯無がその矛を引っ込めると、ハバヤの顔には愉悦が浮かぶ。

 

「理解してくれて何より。気分がいいから少しネタ晴らしをしてやんよ」

 

 楯無の返事など待たない。

 ハバヤは自分が心地よい気分に浸るためだけに語る。

 

「圧倒的な物量を誇る無人機軍に対し、人類はISVSプレイヤーを総動員して立ち向かった。だが戦力差を覆すことはできず、プレイヤー軍は一縷の望みを抱いて、英雄を敵の本陣に送り込む決死の作戦を敢行する。ボスさえ倒せば勝ちなんだからな」

「そうね。私たちはヤイバを黒い月に送り込むことに成功した。彼は必ず勝ってくれると信じてる」

 

 楯無がしたり顔で返す。

 対するハバヤは――深く頷いた。

 

「オレ様もヤイバが勝利すると信じている」

「え……?」

 

 完全に想定外な返答。どのようにしてハバヤの裏をかくか思考を巡らせていた脳内が全ての議論を放棄して呆気にとられる。

 

「勘違いしてもらっちゃ困るぜ、更識楯無。テメエらは今の状況を勝ち取った気でいやがるが、オレ様の敷いたレールに従って突き進んできたに過ぎねえんだよ!」

「あなたの、筋書き……?」

「無人機軍には膨大な戦力がある。個体の性能でもヴァルキリーと張り合えるフォビアが何体もいる。そして、防衛の布陣を敷いたのはオレ様とまできたもんだ。まともにやってテメエらがルニ・アンブラに入れるわけねーだろ」

 

 目を丸くする楯無に気を良くしたハバヤはさらに饒舌となる。

 

「当然、オレ様の目的は無人機軍の勝利なんかじゃねえ。むしろ、あんな篠ノ之束の遺物なんか全滅しちまった方がせいせいする。ま、その力だけは欲しいけどな」

 

 敵に与しながらもその勝利を願っていない。

 ということはハバヤは無人機軍に入り込んだ人類側のスパイなのか。

 楯無の答えは――否。

 

「あなたは人類の勝利も望んでいない」

「流石、オレ様のことを良くわかってるじゃねーか」

「共倒れが狙いなの? あなたが支配者になるつもり?」

「悪くねえ。だがオレ様は悟った。オレ様には王の資質がない。自分本位なオレ様は他者の征服はしても管理や支配は性に合わねーんだ」

 

 またも楯無の知らないハバヤの顔が覗く。

 楯無の名を欲していた男が支配に興味が無いと言い出した。

 資質がないと言った。つまり――

 

「王となるべき何者かがいる?」

 

 資質のある人間をハバヤは知っている。少なくともハバヤが王と認めた者が存在することを意味している。

 

「今日のテメエは察しが良くて話が早い。そう、オレ様は偽りの神を崇める気なんてさらさらねえ! 王は他にいるからなぁ!」

 

 ハバヤに纏わり付いていた長細い黒い霧が肥大し、各々の先端が狐の顔を模した。黒狐の牙は全て楯無に向けられる。

 戦いに来たわけではないと断言した。ハバヤにとってそれは嘘などではない。彼は楯無を()()()()()()ために来たのだから。

 

「ネタ晴らしはここまでにするか。続きは冥土の土産として語ってやんよ!」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 蒼い閃光が飛び交っている。多数対多数の射撃戦であるが、その担い手はどちらの陣営も単独であった。

 片や人類最高のBT使いである“蒼の指揮者”、ラピスラズリ。EN弾の軌道を曲げる偏向射撃を得意としており、曲げるだけに留まらず複数のEN弾を維持することすらも可能としている彼女の支援射撃の密度と精度はISのみで編成された軍隊を相手にしているようだと賞賛されている。

 片や人類の敵として立ちはだかる無人機の特異個体、フォビアシリーズの一角であるアテロフォビア。一部の例外を除き、一芸に特化した怪物たちの中で、アテロフォビアはBT技能に特化した個体である。ヴァルキリーに匹敵するとされる戦闘能力を持つBT使いはプレイヤーの中には存在していない。

 BT使いの最高決戦とも言えるこの組み合わせだが、根本的に土俵が違っている。

 ラピスは裏方。アテロフォビアは前線。お互いに向かい合っての戦闘となれば、明らかにアテロフォビアの方が有利である。

 だがラピスはまだ膝を突いていない。敵の全ての射撃に対して、ラピスは自分の射撃を当てて相殺を繰り返した。

 

「頭が破裂しそうですわね……」

 

 操縦者保護機能が働いているにもかかわらず、ぜえぜえとラピスの呼吸が乱れている。支援射撃に専念できる後衛と違い、矢面に立ちながらの複数同時偏向射撃は確実にラピスの思考能力を限界突破させて熱を上げていく。

 相殺合戦の手数はほぼ互角。BTビットから放たれる一度のビームの生成量はアテロフォビアの方が上であるが、同時に操作できる偏向射撃の数ではラピスが上回っている。無駄弾のない攻撃効率によってラピスは状況を維持できていた。

 だがもう限界が近い。ISの保護があっても、操縦者の精神力までは支えられない。集中力が切れたとき、ラピスは敵の攻撃に晒されることになる。

 

 このまま戦闘が継続するだけで危険であった。

 さらに状況は悪化する。

 ここまで一対一であったのに、次々と近づいてくる機影があった。

 

「ゴーレム……」

 

 既に手一杯なラピスにはたとえゴーレムが一機だけでも相手にする余裕はない。

 ゴーレムの部隊が押し寄せてきている。これらが来てしまえばもうラピスに抗う術はない。

 視覚的な情報は否応無しに絶望を押しつけてくる。

 たとえ表向きは気丈に振る舞っていても、心の奥底ではバタ足で必死に足掻いている。

 気持ちに余裕などなく、一つのことに集中するなどできようはずもない。必ず隙が生まれてしまう。

 

「あ――」

 

 敵のビームの相殺に失敗した。ラピスのEN弾はコントロールを失って明後日の方向へ。アテロフォビアのEN弾は曲がりながらラピスへと向かってくる。

 自分が動いて回避する余裕もなかった。脳は限界を超えて情報を処理している。敵の攻撃が迫っているという情報が脳に届いても、どうするべきかという判断が出るまでのラグが大きい。

 ビームが着弾し、爆発を引き起こす。

 ……ラピスのすぐ手前で、だが。

 

「どういうこと、ですの?」

 

 またもや視界に飛び込んできた情報を脳が処理できていない。

 アテロフォビアの攻撃からラピスを守るように立ちはだかったのは知った顔でなかったばかりか、人間ですらなかった。

 無人機(ゴーレム)が腹に風穴を開けている。身を以てEN弾の威力を殺した人形は何も言わぬまま、砕け散った。

 

 状況に理解が追いつかないラピスは隙だらけとなっている。

 偏向射撃の一つもしていない。ビットの操作すらもしていない。

 そんな無防備を晒しているにもかかわらず、アテロフォビアからの追撃はなかった。

 なぜならば、アテロフォビアにはもうラピスを相手にするだけの余裕がなかったからだ。

 

「なぜ、ゴーレムがフォビアを襲っていますの……?」

 

 近づいてきていたゴーレムの大部隊はラピスを狙っていたわけではなかった。

 援軍は援軍だった。しかし陣営が違う。ラピスの援軍として駆けつけたゴーレムだったのだ。

 ラピスは即座に星霜真理を起動する。コア・ネットワークを通じて援軍のゴーレムの正体を探る。だが返ってくる内容は『敵のゴーレムである』という事実だけ。

 

 意思を持たないゴーレムが敵の陣営を裏切った。

 あり得ないことが起きている裏には必ず“単一仕様能力”があると考えるのがISVSの常識。

 そう思い至った瞬間、ラピスはこの事態を引き起こした人物の正体に行き着いた。

 

「エアハルト……ヴェーグマン……」

 

 ゴーレムの群れに紛れている唯一のISを発見する。

 竜を模した装甲を纏ったISの操縦者はかつてヤイバと死闘を繰り広げた男。この決戦に参加したプレイヤーの中でランキングの最高位に座る男の右手はあらゆるISを支配下に置く。

 

「つくづくナンセンスだ。蒼の指揮者が前線で戦っている作戦もだが、こうして私がヤイバの女を守らねばならない事実も慙死(ざんし)に値する」

 

 ラピスの窮地を救ったのはエアハルトの単一仕様能力“絶対王権”。右手で頭かコアを掴んだ対象ISに命令を与え、意思に関わらず強制的に従わせるという強大な力である。

 問題はこの力を使う制限である()()ということ。決して大多数に対して有効な手段ではなく、エアハルトの戦闘能力ならばいちいち敵を掴んで回るよりも攻撃した方が早い。

 にもかかわらず、手間を惜しまずにゴーレムの部隊を配下とした理由は一つ。

 倒すための戦闘でなく、守るための戦闘をするからである。

 

「わたくしは守ってくれだなどと言っておりませんわ」

「貴様の都合など知らぬ。私はあの男に借りを返すために、貴様を守らねばならない」

「あの男? ヤイバさんですか?」

「虫酸が走る冗談だ。私がヤイバのために戦うことなどあり得ない」

「では、一体――」

「黙っていろ、蒼の指揮者。貴様はただ私が敵を蹂躙する様を眺めていればいい」

「あなたの目的は? どうしてこの戦場に?」

「依頼を受けた。契約を交わした。私は貴様たちを勝利に導く。他ならぬ私自身のために。これ以上の返答は要るまい?」

「……そうですわね」

 

 ラピスはそれ以上、エアハルトに追求する気にはなれなかった。

 ヤイバと対照的だった男。自分のためでなく、他人の理想を掲げて戦っていた造り物の男が『自分自身のために戦う』と言ってのけた。

 エアハルトは改心などしていない。しかし、彼の中で何か変化があったことは確実である。

 

「お言葉に甘えて、わたくしは見物させていただきますわ」

「そうするといい。ヤイバが勝つために、貴様はなくてはならない存在だ。生き残ることこそが貴様の真の戦いであると心得ろ」

 

 去って行くエアハルトを見送ったラピスは武器を全て拡張領域に仕舞う。これらの武器はヤイバが必要とする可能性のある力だ。下手に戦って壊してしまうわけにもいかない。

 周囲から敵がいなくなる。敵地の真ん中で安全を確保できてしまったラピスは黒い月に向き直って目を閉じた。

 

「わたくしは祈りましょう。我々の勝利を。何よりもあなたの勝利を」

 

 満身創痍のラピスは祈りを捧げる。

 最後の戦いへと臨むヤイバの勝利と、彼と共に過ごす未来を願って……

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ENブラスタービットから放たれた光線がゴーレムの頭を貫く。だが頭部を失ってもなお活動しているゴーレムは水色ドレスのアテロフォビアに果敢に飛びかかっていく。すれ違いざまに一刀両断にされるゴーレムだが、機能停止するまでの僅かな時間に発射したビームが水色ドレスの肩部を引き剥がしていった。

 恐れを知らぬばかりか、自らの命も知らないゴーレムの部隊がアテロフォビアに次々と群がっていく。多数のビットから放たれるビーム攻撃もゴーレムの足を止めることは適わず、アテロフォビアはじりじりと後退を余儀なくされていた。

 ラピスラズリに対して行った戦術をそのままそっくり返されていた。手駒だったはずのゴーレムは全て寝返り、反旗を翻したゴーレムは一つの意思の元に統制された軍隊として動いている。

 否。軍隊と呼ぶには語弊がある。ゴーレムたちは正しく一つの意思によって動いている、言わばBTビットと同じ扱いだった。

 

「ふむ。流石は篠ノ之束といったところか。ウォーロックのリミテッドとは比べるべくもなく基本性能が高い。AIの方は戦術や戦略というものを知らないお粗末な代物だが、方向性を示してやればどうとでもなる」

 

 ゴーレムの部隊を操っているエアハルトが独り言を垂れ流す。操っていると言ってもエアハルトが下した命令は『玉砕覚悟でアテロフォビアに突撃し、撃墜しろ』のみ。多数に細かい命令をするような手間はかけられず、『従え』などの曖昧な命令は意味を成さないという制約があった。その程度でも一定の効果が得られているのはゴーレムの個体性能の高さと言える。

 当然、エアハルト本人も高みの見物を決めているわけではない。宇宙というステージではエアハルトの移動スタイルである『初速のみイグニッションブーストによる慣性航行』が優位に働く。大気圏内よりも機動力を増した竜のISは縦横無尽に宇宙を駆け巡り、アテロフォビアのBTビットを一つずつ斬り捨てる。

 “完全”を自称するアテロフォビアがたった一機のISに圧倒されていた。特異な単一仕様能力による結果ではあるのだが、単純な力に差があるとも言えてしまう。何より、負けという結果が出てしまえば“不完全”の烙印を押されて仕舞いかねない。

 ……少なくともアテロフォビアにとってはそうなのだろう。

 

「アアアアアアアアア!」

 

 確実に迫ってくる敗北の足音を聞き、悲鳴を上げた。

 残ったBTビットは三機。残り全てを使い、エアハルトに向けて一斉射撃をする。偏向射撃を駆使して三方向から同時に攻撃するも、エアハルトは回転しながらリンドブルムを振り回して全てを叩き落とした。

 いくら曲げられても消されてしまえば意味が無い。かつてラピスがエアハルトと対峙した際に経験した偏向射撃の攻略法は誰にでもできることではないが、エアハルトという男はいとも簡単にやってみせた。

 二回目の一斉射撃をする間もなく、アテロフォビアの操るBTビットは食い散らかされた。残された武器はENブレードのみ。

 もう格闘戦しか残されていないアテロフォビアをゴーレムが襲う。一体程度ならば余裕を持って斬り返したアテロフォビアだったが二体、三体と増えるにつれて手が足りなくなり、四体目の拳をまともに受ける。

 フォビアの一角といえど、BT装備を失ったBT使いではまともな戦力として機能していない。手駒となるべきゴーレムに攻撃された時点で勝ち目などなかったとすら言える。

 この敗戦は必然。このまま名も無きゴーレムの手にかかって消えることとなる。

 そうした終わりを悟ったときだった。アテロフォビアにとどめを刺そうとしたゴーレムが一刀両断される。

 

「……これは誤算だ。この可能性を想定していなかった私の落ち度である。もっとも、ヤイバに後れを取った時点でこの結末は避けられなかったとも言える」

 

 ゴーレムを叩き斬ったのはエアハルトだった。彼はアテロフォビアに背を向けて、向かい来るゴーレムを迎え撃っている。

 自分で命令をしておきながら、自分でその対処をしている。その滑稽さを一番笑っているのは他ならぬエアハルト本人だろう。

 

「この数を再び命令し直すのは現実的ではない。命令を忠実に実行したゴーレムのどれかがお前を殺す方が早い」

 

 万全を期してゴーレムの数を揃えた。その手間と同じ労力を駆使しなければゴーレムを止めることは出来ない。

 ゴーレムはエアハルトの命令により、アテロフォビアのみを攻撃対象としている。エアハルトが囮となることも適わない。

 加えて、エアハルトにとっての敵は命令を遵守しようとしているゴーレムの大部隊に留まらない。

 背中にENブレードが突き立てられる。攻撃の主はもちろんアテロフォビア。いきなり現れた敵の背中を攻撃しない理由がない。

 そう、アテロフォビアにとってエアハルトは敵なのである。

 

「賽はとうに投げられていた。そういえば敵の中にあのハバヤもいたか。あの男らしい“他人”の使い方をしている」

 

 攻撃されたエアハルトはリンドブルムを拡張領域に片付け、体の向きを反転。勢いを殺さずに右手でアテロフォビアの頭を掴み取る。

 絶対王権を発動。強制クロッシング・アクセス。無人機からは流れてくる記憶などないのだが、アテロフォビアからは彼女の記憶が流れてきた。

 記憶の登場人物の中で最も頻度が多い人物。その顔をエアハルトは鏡越しでしか見られない。

 

「……すまないな、()()()

 

 アテロフォビアは無人機などではなかった。先ほど上がった悲鳴でエアハルトは気づいた。彼女は遺伝子強化素体のシビル・イリシットであるのだと。

 エアハルトの敗北後、慕う相手を失ったシビルはハバヤを頼った。Illの力をも手に入れていたハバヤはシビルを連れていき、兵器として改造を施した。戦力とするためでなく、自身の快楽のために。

 

「苦労を掛けた。許せとは言わない。存分に恨んで逝け」

 

 命令を下す。内容はアテロフォビアの放棄。今のシビルがアテロフォビアとのつながりを失えば、その存在を維持できずに消滅する。それでもエアハルトはシビルをアテロフォビアのままにしておきたくなかったのだ。

 命令と共にアテロフォビアの仮面が砕け散り、操縦者の顔が露出する。

 

「……はか……せ?」

 

 アテロフォビアから切り離されたシビルが目を開く。黒く染まっていない眼球の中で輝く金色の瞳は焦点が合っていない。

 

「シビルね……頑張ったんだよ」

 

 シビルが消えていく中、エアハルトは彼女の体を抱き抱えた。支配者の右手は彼女の頭をもう一度掴む。

 

「いい子だ。おやすみ、シビル。良い夢を」

 

 エアハルトの腕の中でシビルは満足そうに微笑んだ。完全でないと捨てられるのだと思い込まされ、辛いだけの戦いに身を置いていたことも最後の一瞬で忘れられたのだろうか。

 彼女が消え去った後もエアハルトはその場で立ち尽くす。

 

「仮初めの命が消えたとき、元から存在しなかったと考えることもできる。だが少なくとも、私がこの喪失感を抱えている間は彼女が生きていたと言える。そのはずだ」

 

 この幻のような世界でエアハルトは確かに仲間と過ごしていた。言葉を交わして、彼女らの未来のために戦っていたことに嘘はない。

 果たして彼女たちの存在は架空のものだったのだろうか。

 その答えは出ている。この胸の痛みこそが答えなのだと最近になって気がついたのだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 長い道のりだった。

 この決戦で進んできた道だけじゃない。

 ISVSと出会ってからの全てがそう思わせる。

 

 最初は一人だった。

 ラピスが隣に立ってくれた。

 リンやバレットたちも戦ってくれるようになった。

 今まで関わらなかった多くの人たちとも共に戦うようになった。

 

 少しずつ、俺にできることが増えてきた。

 敵を倒して、誰かを助けてきた。

 その全ては、本当に助けたい彼女のため。

 何も出来なかった俺じゃなく、彼女を助けられる俺がここにいる。

 

「ナナっ!」

 

 最後の扉を蹴り開けると、床一面が鏡のような水面となった不思議な空間に出る。

 後ろに目を向けると俺の入ってきた入り口はもうない。つまり、ここは特殊な場所。敵のワールドパージの中に入り込んだということだ。

 

「そこは呼ぶ名前が間違ってるんじゃないかなー、いっくん?」

 

 果ての無い水面の中心で水色ワンピースの女性が立っている。

 彼女こそが全ての元凶。箒を今もこの世界に閉じ込めている黒幕だ。

 俺は迷わず、雪片弐型の切っ先を向ける。

 

「ナナを返してもらうぞ!」

 

 今度こそ、彼女を取り返す。

 7年前の約束を果たしたいなんていうのはおまけだ。

 俺は彼女と一緒にいたい。それだけだ。



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54 仮想世界の主

 鏡のような水が床一面に広がっている。足を付けてみれば、沈み込むほどの深さはなく、波紋が消えてまた静かな水面へと戻った。壁など無く、水の床に果ては無い。上に視線を向ければ、吸い込まれそうなくらいな青々しい空が広がっていた。

 静かだ。とても落ち着く。煩わしいもの全てを取り払った純粋さがこの空間にはある。

 同時に寂しい。まるで時が止まった世界だ。生きているものがない世界とはつまり、世界そのものが死んでいるのではないだろうか。

 俺が足を踏み入れたとき、動いている存在は水色ワンピースとウサ耳の女性のみだった。水晶のように透き通った樹木の下、背中を向けて鼻歌を口ずさみながら、体を揺らしてリズムを取っている。

 聞いたことのない曲だけど、子守歌だろうか?

 

 俺は雪片弐型の切っ先を向けたまま、ゆっくりと歩いていく。こちらに気づいてないなどあり得ない。返事もあったし、俺の戦意を受け取っているはずだ。

 歌が途切れる。楽しげに揺れていた体も止まった。つい俺もそれに合わせて足を止める。

 

「問答無用で斬りつけてきそうな勢いで入ってきたのに、急に大人しくなったね、いっくん」

「当たり前だ。俺はお前を倒すのが目的じゃなくて、ナナを――箒を助けに来たんだからな」

 

 ただ相手を倒すだけなら、こうして言葉を交わす必要性なんてない。

 だけど、少しでも可能性があるのなら戦わない方がいい。

 別に俺は……目の前のこの人を殺したいわけじゃないんだから。

 

「それはきっと、我欲でなく甘さだと思うよ?」

「お前を殺しちゃいけない。これだけは徹底する必要がある」

「へー。それでいっくんはここに何をしに来たのかな?」

「何度も言わせるな。俺は箒を助けに来た」

「最終目標はわかりきってる。そのために君はどうするつもりかと聞いているんだよ」

「お前に土下座でもすれば箒を解放してくれるのか? だったらすぐにでもそうする」

「うーん、嘘はつきたくないからハッキリ言うよ。そんなことはあり得ない」

「だろうな。だから俺はこの剣をお前に向けている」

 

 戦いは避けられない。

 これは相手を殺すためのものでなく、俺が語る言葉そのもの。

 

「無駄な戦いになるのはわかってるのに、何を足掻くのか私にはわからない」

「そうなのか。意外だ。束さんにもわからないことがあるなんてな」

「知らないことの方が多いし、知らない方が良かったことの方が多いよ。どこの誰とも知れない有象無象の事情とか、どうでもいいでしょ?」

「じゃあ、束さんにとって俺は有象無象だったのか?」

「違うね。大事な大事な、箒ちゃんの想い人だよ」

 

 束さんにとって、俺は箒が関わらなければ有象無象の一人だったということか。

 なるほど。それがお前の考えか。

 

「いっくんだけじゃない。人間たちは外で今も無駄な戦いを続けてる。目の前の敵を倒したところで、私がどうにかなるわけでもないのに、ルニ・アンブラが消えるわけでもないのに、必死になってバカだなぁ」

「いや、無駄なんかじゃない。皆が戦ってくれなかったら、俺はこうしてお前と一対一になれなかった。もし誰も居なかったら、外にいるフォビアが俺を倒しにここまでやってくるんだろ?」

「…………」

 

 俺の質問に対するノーコメント。図星って奴だった。

 

「誰も諦めてない。それを知れただけで意味がある。俺が戦う活力になる。何度でも言おう。無駄なんかじゃない」

「……そうだね。いっくんの精神を支えているのならば、結果論であろうとも意味がある。それは認める。だから、本当に仕方なくだけど、束さんも覚悟を決めることにしたよ。君がここからいなくなるまで、私は逃げも隠れもしない」

 

 ウサ耳女の目つきが変わる。優しげな垂れ目だったのが鋭利な刃物のような睨みを利かせて、指鉄砲を俺に向けてきた。

 

「バン!」

 

 発声と同時に強力なPICCの力場が発生。

 衝撃砲以上に不可視となっている“ISだけを殺す弾丸”に対し、俺は左手をかざす。

 攻撃の正体がPICCとわかっているのなら対処も出来る。同じだけの力場をAICで形成してやれば相殺は可能。

 

「やるねー」

「今度はこっちから行くぞ!」

 

 戦闘開始。

 突破口を開くため、俺は雪片弐型で斬りかかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 銀の福音を前にしたプレイヤーの視界は真っ白に染まる。

 リンも話には聞いていた。実際に対峙した銀の福音は偽物ではある。しかし同系統の同等以上のレベルで放たれる光の雨に差異などほとんどないことを現在進行形で思い知らされている。

 攻撃されている。目の前が真っ白だ。光で埋め尽くされた世界には濃淡など一切なく、物体の輪郭などといった線引きが存在しない。

 暗くなどない。しかし深き闇がここにある。

 

 もう避けようとは思えなかった。敵の攻撃は点でも線でもなく面。安全地帯など皆無で、耐える他助かる道はない。たとえ悪足掻きに過ぎなくとも、リンの腕は反射的に動く。体の前で腕を交差して、少しでも本体へのダメージを減らそうと試みる。

 ……経験上、助かる見込みはない。冷静だった頭は敗北を認めている。それでも心の底では諦めたくなどなかった。何か間違いが起きて、助かるかもしれない。そんな都合のいい奇跡を願った。

 

「――良く生き残ったな」

 

 死なない瞳は幸運を引き寄せた。

 リンの視界を埋め尽くしていた白き闇は瞬時に晴れ渡る。

 

「ありがと、助けてくれて」

「どういたしまして、だ」

 

 待望の援軍はラウラ・ボーデヴィッヒだった。

 彼女が現れたことで、リンはどのようにして助けられたのかを把握する。

 試しに龍咆を起動させてみた。反応はない。

 

「これがワールドパージって奴ね。射撃禁止だっけ?」

「私の“永劫氷河”は飛行機能も制限するのだが、宇宙空間においてはほぼ意味が無いようだ」

「私の衝撃砲が使えないんだけど」

「敵の銀の鐘(シルバー・ベル)を封じたのだから許せ」

 

 小言を呟きつつも淡々と双天牙月を装備するリン。

 ラウラもレールカノンとワイヤーブレードが使用できず、両手のプラズマ手刀を使った格闘戦に制限された。

 ワールドパージは範囲内の全てのISに効力が及ぶ。正に諸刃の剣である。

 ニクトフォビアの体の至る所から伸びる光の翼は健在。しかし翼から飛び散るように発射されるEN弾はただの一発も出ていない。翼を広げた異形の天使はリンたちを討つために近づいてくる。

 望んでいた接近戦だ。リンは嬉々としてニクトフォビアへと立ち向かう。ラウラもその隣に並んだ。

 

「油断はするな。メイン武装を奪っただけでどうにかなるような相手ではなさそうだぞ」

「わかってるわよ。ついさっきも押されてたから」

 

 銀の鐘を封じたのは大きい。しかし、リンたちも射撃武器を封じられ、手数が圧倒的に足りていない。

 ニクトフォビアの翼が掴みかかってくる。手のような形と動作だが実質は大型のENブレードに等しい。まずはラウラが前に立ち、手刀で翼を打ち払う。その隙にリンが前へ。右の双天牙月を突き出した。

 翼が一つのはずもない。リンの攻撃はニクトフォビアを守るように現れた新たな翼で防がれる。続けざまに左の双天牙月で連撃を敢行しようとするリンだったが、ラウラに首根っこを掴まれて無理矢理後退させられる。

 

「無茶をするな!」

「ごめん、ありがと。今のあたしには何が無理なのか判断が出来ないから、その辺のことは全部任せるわ」

「何っ!?」

 

 ラウラが手を離すや否や、ニクトフォビアに向かっていこうとするリン。ラウラは咄嗟にピンポイントAICでリンを止める。

 

「少しは考えろ!」

「考えてるわよ。相手はあたしの攻撃をちゃんと翼で受けようとしてる。つまり、他のフォビアと違って本体に攻撃を受ければ素直にダメージが入るってことじゃない」

「少しは守りをだな……」

 

 ラウラが困り果てていると、このワールドパージ内にもう一人入ってくる。

 ラウラと行動を共にするオレンジ色の機体。もちろんシャルルだ。

 

「リン。ラウラは真面目すぎるんだからからかうのは程々にね」

「あたしは大真面目よ? あたしが勝つには先手必勝、短期決着しかないもん」

「それにしたって、少しは周りを頼ってほしいってことだよ」

「アンタたちのことは信頼してるわよ? だから好き勝手にやってるんじゃない」

 

 それは信頼とは違うと断言したいシャルルだったが実際に口に出すことはなかった。

 我慢しているのではなく、思いついたことがあるからだ。

 

「わかったわかった。僕がフォローするから二人はひたすら接近戦を仕掛けて」

「秘策でもあるのか、シャルロット?」

「うーん……正直なところ、今の状況で僕たちが勝てる確率はかなり低いと思うんだよ。この敵が黒い月に向かわないために時間稼ぎをするのが正攻法なんだけど――」

 

 ここでシャルルはリンを一瞥する。リンがこの事件に関わってきた経緯を知っているシャルルには、彼女の考えが透けて見えるようだった。間違いなく、ただの時間稼ぎで終わらせるつもりがない。

 

「敵はこのニクトフォビアだけじゃない。僕たちがここで足止めを食っている間に他の個体がヤイバの元に辿り着いたらゲームオーバー。だから僕たち三人でニクトフォビアを倒そう」

「勝算はほぼないのにか?」

「ゼロじゃないなら価値はある」

「へー。シャルルも中々わかってるじゃん。あたしらゲーマーはね、軍人とは違って勝てる戦いしかしない生き物じゃない。強敵が立ちはだかるなら打ち倒したいのよ」

 

 三人中、二人がやる気になった。残されたラウラは溜め息を一つ入れる。

 

「作戦くらいは立てるんだぞ」

「任せたわよ、シャルル」

「あ、僕頼りなんだね。まあ、なんとかするよ」

 

 拡張領域系イレギュラーブート“転身装束”起動。

 フォルダBへ換装、“ガーデンカーテン”。

 シャルルの周囲に大小様々なシールドが展開される。

 

「元々博打だということを念頭に置いて欲しい。陣形は単純に行こう。リンが正面から。ラウラが後方から回り込んで挟み撃ち。僕がリンを援護するから、ラウラはリンのことを気にせず戦闘して」

「了解した」

「あたしもOKよ」

 

 話し合いが終わると同時、ニクトフォビアが目の前にまでやってきている。シャルルは二つの盾をニクトフォビアの顔面に叩き付け、距離を取った。

 物理シールドに対してすら防御行動を徹底している。ニクトフォビアはわざわざ光の翼で顔を覆ってシールドから守った。この光は視界にとって巨大すぎるホワイトノイズだというのに……

 

「そこ、もらったァ!」

 

 双天牙月がフルスイングされる。狙った場所はほんの小さな場所。人間で言う右足の小指。

 光の翼で守られていなかった隙間を突いた。絵面がとても卑怯者として映る割には、大して無人機にはダメージがない。

 だがダメージがゼロというわけでもない。攻撃されたことを自覚したニクトフォビアは反射行動のように光の翼でリンに殴りかかる。避けられるタイミングではないが、リンは焦る様子を見せない。

 

「させないよ!」

 

 間にシャルルのENシールドが割って入る。シャルルには『固有領域が広い』という操縦者としての個性がある。自身から固有領域の範囲内にある装備を非固定浮遊部位として利用できるため、少々の距離ならばBTを使わずにシールドで仲間を守ることも可能なのである。

 

「じゃあ、もういっちょ!」

 

 盾に守られたリンは再び前へ。攻撃された時点でニクトフォビアの守りには隙間が出来る。ラウラが裏に回っているため、正面の守りが疎かになっているのもある。隙だらけの脇腹に双天牙月がクリーンヒットする。

 連続して攻撃が入った。この事実は無人機であるはずのニクトフォビアにも焦りを生じさせた。このまま中途半端な防戦をしたところでじり貧となる。そんな未来を演算した。

 故に、未来を開くためには攻めるしかないと結論づけるのも自然なことだ。

 光の翼四つがリンに掴みかかろうとしてきた。その全てにシャルルは自分の盾を押しつける。まだ手数では負けていないが、一つ押さえるごとに一つの盾が消されていく。長くは持たない。

 

「このっ!」

 

 リンの二刀がニクトフォビアを斬る。胴体を十字に斬りつけられたニクトフォビアはよろめきはするもののまだまだ光の翼は健在。押し切れる雰囲気は微塵もない。

 

「――この空間において、射撃武器は飛ばない。だが、置いた爆弾は機能する」

 

 背後に回っていたラウラが所持していたミサイルポッドをニクトフォビアの後頭部に叩き付けた。衝撃で信管を起動させ、ポッド内のミサイルを一斉に爆破する。

 

「ちょ、あたしまで!?」

「まともにPICが機能していれば爆発など大したダメージにはならん。だが殴りつけた相手のPICはどうかは知らないがな」

 

 実際は若干のダメージ増でしかないのだが、ストックエネルギーの数値がダメージの全てではない。ダメージを受ける経験に乏しいAIがこの状況をどう判断するか。そこがラウラの攻撃の真の狙い。

 ニクトフォビアが鋭い牙の並んだ大口を開く。高密度のエネルギーが集束していく。これはニクトフォビアの最高威力を誇る攻撃の前兆。

 

「はぁ? なんで射撃攻撃を!?」

「いや、これはENブラスターじゃなくてENブレードだよ!」

「“白騎士の剣”か。たしかにアレならば“永劫氷河”の中でも問題なく使える」

「冷静になってる場合か! これの直撃はマズイって!」

 

 遠距離でも格闘戦のようなタイミングで飛んでくる正しく光の一撃。実際に格闘戦のレンジで撃たれれば回避不能。

 焦るリン。しかし他の二人はむしろしたり顔を見せている。

 この流れは望むところ。ラウラのミサイルポッド打撃は敵に決着を急がせるために実行された。シャルルがガーテンカーテンを使っているのもこの一瞬を迎えたときのための準備に過ぎなかった。

 残りの盾は七枚。その全てをリンの前方に直列に配置する。

 

 光が一閃される。

 対象となったのは、最も多くニクトフォビアに攻撃を加えたリン。ニクトフォビアが最も脅威と見なしたからであるのだが、それすらもシャルルたちの掌の上。

 七枚の盾はあっさりと打ち破られる。元より防ぐための盾ではない。軽減するための盾だ。ちゃんとリンに()()()()()()()()()()()()()()

 

 ここまでのお膳立てをされて、リンが思惑に気づかぬはずもない。

 双天牙月は投げ捨てた。必要な武器は拳についている“崩拳”。永劫氷河の中では使えない衝撃砲。

 

「ワールドパージ、解除!」

 

 リンの左肩をニクトフォビアの光の牙が穿つ。

 リンの右手はニクトフォビアの胸に届く。

 

「――“火輪咆哮”」

 

 単一仕様能力、起動。

 受けたダメージを衝撃砲の威力に変換。

 盾七枚分だけ生き延びたリンは限界までダメージを負ったに等しい。

 

「消し飛べえええ!」

 

 極大の一撃。

 加えて、後方よりかけられるピンポイントAICによりニクトフォビアには衝撃を受け流す逃げ道すら残されていなかった。

 胸に大穴。コアは欠片も残さず消失し、翼の生えた化け物の体はさらさらと光の粒となって宇宙に溶けていく。

 

 舞い降りる沈黙。最初に破ったのは右手を振り上げたリンだった。

 

「やったわ! あたし、福音に勝ったのよ!」

 

 厳密には銀の福音と違うだとかそんなことはどうでもいい。

 いつまでも一夏に助けられるだけの自分ではないのだ、と自分自身に向けて証明が出来ればそれで良かった。

 

「おめでとう、リン」

「ありがと、シャルル、ラウラ。アンタたちがいなかったら勝てなかったわ」

 

 涙すら流しそうなほどリンは感激している。

 だがその感動が全く届かない人種も居る。

 

「さて、さっさと黒い月に向かうぞ。戦いはまだ終わっていない」

 

 “ドイツの冷氷”と呼ばれているのは伊達じゃない。リンの心の機微など知ったことではなく、淡々と作戦の目標を更新する姿は軍人らしいと言うべきか。

 

「いや、ちょっと休憩させ――」

「何を言っている? こうしている間にもヤイバの元に敵が向かうかもしれないのだぞ? 自分への甘い判断が地球を滅ぼすことになってもいいのか?」

「くっ……正論だけど、説得の仕方がブラックだわ」

「黒ウサギ隊だからな」

「単純な色の話じゃないわよ! 噂に聞く限りじゃアンタんところの組織はドン引きするくらいのホワイトでしょうが!」

「苦労詐欺隊だからな」

「それで上手いこと言ったつもり!?」

「はいはい。二人とも、そろそろ行くよ」

 

 三人はルニ・アンブラへと向かう。

 ヤイバの戦う舞台、その入り口を死守するために。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 不思議の国のアリスをモチーフとした服装のまま戦闘している。ISなど要らないということなのか、それともあのコスプレ自体がISなのか。真実は俺にはわからないが、少なくとも手を抜かれているという印象はなかった。

 

「きらきら☆ぽーん♪」

 

 鋭い目つきだったのが唐突に豹変し、いかにも無邪気な子供っぽい笑顔で間抜けなセリフと共に魔法少女っぽいステッキを振るってくる。あまりにもふざけた真似をされているけど、実際はかなりチートな類いの攻撃内容だ。

 この攻撃の正体も大雑把に言ってしまえばAICである。ならば、AICで抗うことはできるし、()()()()()左手をかざすだけで楽勝で相殺できる。

 

「むむむ。初見で玉座の謁見(キングス・フィールド)を破ってくるとはねー」

「経験は無くても知識ならある。ラピスの前でそれを使ったことあるだろ?」

 

 返答の前に杖を持っていない左手の指鉄砲が放たれる。見えなくとも軌道は読めている。今度はAICで迎撃せずに避けた。

 

「“蒼の指揮者”、ね。敵に回すと面倒くさいことこの上ない」

 

 ()()()()()、か。

 

「まるで味方だったときがあるみたいだな?」

「言葉の綾だよ。細かい男は箒ちゃんに嫌われるぞ?」

「嫌われるは言い過ぎだろうけど、たしかに好かれそうにないな」

 

 あまり揚げ足取りをしても意味がない。

 俺が語る言葉としてはまだまだ弱すぎる。もっと決定的にしないと。

 

 流れを変えよう。

 今度こそ、俺は接近戦を試みる。

 さっきから逃げられてばかりだったけど、そろそろおかしいだろう?

 だって、束さんが俺から逃げる必要なんてないはずだから。

 

 大上段からの雪片弐型。

 対するは玉座の謁見(キングス・フィールド)で使われていた魔法のステッキ。一見すると子供のおもちゃなそれで最高クラスのENブレードが真っ正面から受け止められてしまう。

 鍔迫り合いは俺から避ける。二歩分ほど距離を取ってからもう一度斬りつける。今度は縦でなく横。面と見せかけてから胴を狙う。

 フェイントを仕掛けたもののまだまだ安直な攻め。俺の攻撃は縦に構えられたステッキでまたもや受けられる。

 

「それ、武器だったんだな」

「いいでしょー。欲しい?」

「趣味じゃない」

「最近は男の子の方がこういうの好きだと思ってたんだけど」

「少なくとも俺の趣味じゃない」

 

 まるで日常会話を交わすように、何合も打ち合う。

 加速度的に腕の速度を上げていく。得物同士が衝突する周期が短くなっていき、剣戟(ビート)を刻む。

 ISだからこその殺陣。人間の剣の領域はとっくの昔に超えた。

 そして、片割れである俺はというと、さっきから頭痛が酷くて仕方がない。

 

「苦しそうだね、いっくん。まだ君には早かったのかな?」

「勝手に俺の限界を決めるなよ。まだまだ余裕だ」

 

 余裕なんて全くない。だけどここで強がらないのは俺らしくないだろう?

 そっちも乗ってこい。でないと俺が無理をしている甲斐がなくなる。

 

「強がるのも若者の特権だね。そうして人は強くなっていく。ちーちゃんもあの化け物に果敢に挑戦していった結果、あの強さを得られたようなもんだし」

「俺と千冬姉を一緒にするな」

「そこまで強がらなくてもいいよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()同じところにいつか行ける」

「そっか」

 

 存外、早く釣れた。

 俺は剣を引き、後ろに下がる。

 追撃は来なかった。なぜならば、敵は明らかに困惑している。俺が戦闘をやめた理由を理解できていない。

 

「どうしたの、いっくん? 諦めてくれたの?」

「いや、そろそろ茶番を終わらせようと思ってな」

 

 俺は左手で首の後ろにある装置を掴み、引きちぎる。

 

「これ、何だと思う?」

 

 この決戦に臨むに辺り、この瞬間を迎えるために取り付けてきた秘密兵器だ。

 ハッキリ言って諸刃の剣。戦闘にプラスに働くこともあったけど、『俺が俺自身を保つ』という一点においては苦痛しかなかった。

 この装置の正体を、目の前の女性はいとも簡単に見抜くことだろう。

 

「VTシステム……?」

 

 正解だ。彩華さんに無理を言って取り付けてもらった、禁忌とされている装備。登録されたヴァルキリーと同じ操縦技術を行使できる代わりに自意識が浸食される。使い続ければ間違いなく廃人となるこの装備を俺がわざわざ使った理由は、決して戦闘で勝つためなどではない。

 

「このVTシステムにはブリュンヒルデ――千冬姉の戦闘データが入っている。ルニ・アンブラに到達してからの俺の戦いは全てVTシステムによるもの。ぶっちゃけると、喋るだけで苦しかったぜ。俺という自我を表に出さないと喋れないからな」

「それで苦しくなったから外したの? いっくんの覚悟はその程度だったんだね?」

「いいや、必要がなくなったんだ。ここから先はもう、千冬姉の剣を借りずに俺の剣で戦ってもいい」

 

 そう。千冬姉の剣と俺の剣は別物。柳韻先生の剣を学び、己のものとして順当に昇華させた千冬姉と違い、俺の剣は小さい頃に『千冬姉を打倒するため』だけに全てを注ぎ込んだ歪な剣術がベースとなっている。後追いをしていたら千冬姉を倒せるわけがないから、絶対に真似なんてしない。

 

「俺の剣と千冬姉の剣は似ても似つかない。ルーツが違う」

 

 俺の無謀な挑戦から始まった歪な剣にはちゃんと師匠がいる。箒と仲良くなることを誰よりも応援してくれて、柳韻先生を毛嫌いしていたあの人は一緒に居る時間が短かったけど師匠の一人だった。

 

「千冬姉の剣は柳韻先生。俺の剣は柳韻先生からよりも先に束さんから学んだ。束さんは誰よりも、俺の剣が千冬姉と違うことを知っているんだ」

 

 だからこそ、さっきまでの俺を見て束さんは違和感を覚えるはず。

 千冬姉の弟だからと納得してしまうだなんてあり得ない。

 

「お前は誰だ?」

 

 束さんを説得するなんて元から無理だった。

 なぜならば、束さんはそこにはいない。束さんに言葉を投げかけても、スルーされて当たり前だ。束さんへ向けた言葉が別の誰かの心に響くわけがない。

 この機を逃しはしない。俺はここまで話をしにきた。話っていうのはちゃんと相手の目を見てするもの。だからまずはお前の目を見ることから始めよう。

 

「自分から言いたくないなら言わなくていい。俺から言おう」

 

 束さん本人でなく、束さんのことを良く知っていて、束さんの技術を使える人物。

 そして、箒が事件に巻き込まれた日、篠ノ之神社にいた人物。

 

「正体を現せ、クロエ・クロニクル!」

 

 瞬間、束さんの顔をした仮面が崩れ去る。

 貼り付けたような笑顔の仮面の裏には人間味のない無表情が隠れていた。

 まるで人形。生気の無い瞳は金色で眼球は漆黒。

 長い銀髪を靡かせ、赤と黒のドレスに身を包む少女は遺伝子強化素体の特徴をこれでもかと備えている。

 

「一本取られたよ、ヤイバお兄ちゃん」

 

 俺のことをそう呼ぶ少女はツムギにいたクーしかいない。

 表情の変わらぬ人形のような目が俺を正面から見据えてきた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 その咆哮は獣だった。

 振り回される赤い爪は暴力の権化。

 絶対的な力の差を見せつけられた人間は本能から逃げようとすることだろう。

 恐怖とは生物として正常である証だ。

 故に、デモノフォビアという怪物を前にして一切の恐れを抱かない者がいるとすれば、人間として壊れている。

 

「視線と攻撃箇所が一致している。戦術レベルはCマイナスってところか」

 

 当たれば致命傷という爪の一撃を銀獅子――宍戸恭平は武器を使わずに捌く。直線的な攻撃に対して、そっと左手を添えて攻撃の外れるルートに導く。剛胆な姿勢から想像しづらい、恐ろしく精細な攻撃対処をしている。強引さなど欠片もなく、非力でも可能な戦闘方法に終始していた。

 

「事前の情報ではギド・イリーガルと同レベルとされていたが、比べるまでもない。純粋なパワーだけならば上だが、コイツは戦士ではなく獣に過ぎず、狩人からすれば狩猟対象。エアハルトの言っていたとおり、下位互換にすらならないレベルだ」

 

 銀獅子は自分から攻めるような真似はしなかった。

 独り言はひたすらに相手を侮辱しているのだが、侮るようなことはしない。徹底的に敵の癖を分析し、完全な勝利を確信するまで小手調べを続ける。いたずらに時間を掛けているのは相手を強敵と認識してのことである。

 攻撃の空振りが続き、デモノフォビアは形振り構わず距離を取った。接近戦では攻めきれないとデモノフォビアが判断するのも無理はない。全力の攻撃が柳に風と受け流されていては、人間でなくとも己の無力さを思い知らされる。その土俵での戦いを放棄するのは至極当然のことだと言える。

 デモノフォビアの攻撃。距離を取っての選択肢の中で最も単純な、威力重視のENブラスター。両手の間に圧縮したエネルギーが球を成し、両手で正面に押し出すと同時に赤い光の奔流が銀獅子を襲う。

 

「――操縦者の任意で形を変えるのはPICだけじゃない」

 

 装備を持たない銀獅子はあろうことか右手を正面に掲げた。EN兵器に対してあまりにも無防備。避けようと思えば避けられるはずのタイミングだというのに、銀獅子はそうしなかった。

 赤き極光の暴力は銀獅子の右手の前で緩やかにカーブを描き、逸れていく。ダメージはない。

 

「流れっていうものはよりレベルの低い方へと向かう法則がある。川の水が低い方へと流れるように。電気が抵抗の少ない方へと流れるように。ENブラスターという激流であろうとも、斜面に沿って流れるもんなんだよ」

 

 銀獅子はシールドバリアを操作した。体の周囲の守りを最低限とし、余力のバリアを自身の前方に集中。その際、シールドバリアの強度をわざと左に偏らせていた。

 特別な後付け装備など何も使っていない。銀獅子はISの基本装備の応用を使って、イリーガルと同等の一撃を無力化した。

 圧倒的なパワーを持つデモノフォビアに対して、決して力勝負は挑まない。かといって、逃げることはせず正面から叩き潰した。次の攻撃ならば当たるという希望すら抱かせない、受動的な蹂躙劇は既に始まっている。

 デモノフォビアの姿が掻き消える。比喩だ。静かな初動のイグニッションブーストで銀獅子の死角に回り込もうとする。

 だが本来、ISに死角などない。人間の眼球を通した視覚は理解しやすいというだけであり、やろうと思えば全方位の情報が脳に映る。

 銀獅子は指を差していた。デモノフォビアが動く度、指先は常にデモノフォビアを向いている。デモノフォビアにしてみれば、どう動いても常に敵の銃口が自分を向いているようなもの。

 

「どうした、もう終わりか? 織斑とオルコットのコンビだったら、もうオレに一撃を当てているぞ?」

 

 敵への煽りであると同時に生徒への賛辞である。銀獅子の辞書には謙遜という言葉はなく、自己評価が高い。その彼が認めるレベルにヤイバは足を踏み入れている。

 

 もし銀獅子が最初からISVSで戦えていたなら、事件はもっと早く解決していたかもしれない。そうならなかったのは銀獅子には戦えない理由があったからだ。

 銀獅子は遺伝子強化素体の生き残り。とりわけ優秀な個体であった彼は亡国機業の長であるイオニアス・ヴェーグマンに逆らえないよう遺伝子レベルで本能として刻まれている。その影響により、ヴェーグマンの後継者であるエアハルトにも逆らえず、エアハルトとコア・ネットワークを通して繋がってしまうISVSでは洗脳が働いてしまう。

 戦う力を持ちながら、自らの目的のために力を振るうことが許されなかった。そんな彼の前で織斑一夏がヤイバとして立ち上がったのは、彼にとって救いだった。

 

 今は借りを返している最中だ。教え子に救われたのだから、今度は師としての在り方を見せなくてはならない。

 幸いなことに、これまでの障害となっていた『遺伝子強化素体の呪い』を無視できる状況が整っている。他ならぬエアハルト自身が同じ目的で戦っているのだから洗脳など起きようはずもない。この状況ならばイオニアス・ヴェーグマンが直接立ちはだからない限り、思うように戦える。

 

 デモノフォビアががむしゃらに攻め込んでくる。もう思考を放棄したということだ。乱雑に振るわれる爪を銀獅子は右手で二度払い除け、敵の懐に入り込む。

 密着するほどの近距離。殴るために腕を引くこともままならない。銀獅子は左手の掌をデモノフォビアの脇腹に押し当てている。

 

「吹き飛べ」

 

 ぽそりと呟く。口も感情も動きが小さい中、銀獅子の駆るISは激しくも精密な作業を求められていた。

 ピンポイントAICでデモノフォビアの脇腹をロック。対象の位置を固定し、密着させていた左手のみに多段イグニッションブーストを適用する。

 無理矢理固定されていた敵の脇腹に向けて、ゼロ距離の掌打を複数同時に叩き込む。

 脇腹を構成していた装甲は弾け飛び、ピンポイントAICの効果時間を過ぎたデモノフォビアは文字通り吹き飛ばされた。

 

「頑丈さだけは認めてやる。面倒くせえがお前が完全に壊れるまで付き合ってやるよ」

 

 脇腹に穴が開いてもなお、デモノフォビアは動いていた。動く限り、放置は出来ない。

 銀獅子は油断することなくデモノフォビアと対峙する。

 決して慌てないその理由は決まっている。

 信頼する教え子がこの決戦を終わらせるという確信があるからだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 今の世界は楽しい?

 俺がISVSに入る度に聞こえてきていた声の主は昔から俺がよく知っている人のものだった。

 この質問は今の世界を楽しくないと思っている裏返しである。千冬姉はそう受け取っていたし、俺も同じ事を思っていた。今もそれは変わらず、きっと束さんは変わらない世界に嫌気が差していたことだろう。

 ――まるで俺が軽々しく神様とやらを呪っていたときのように。

 思い違いかもしれないけど、少なくとも俺は束さんが聖人だったとは思ってない。頭は良くても、気に入らないことがあるとすぐに頬を膨らませてて、俺や箒よりもずっと子供っぽく柳韻先生に反抗していた。その手段にミサイルすら用意していた恐ろしさを当時の俺は良く理解できていなかった。

 

 千冬姉は束さんの子供らしい短絡さと人間らしくない残忍さを知っていたからこそ、違和感を覚えなかったんだろう。『束ならやりかねない』と肯定してしまっていた。それだけ、偽物による変装の再現度が高かったのだ。

 でも俺にとって束さんはやっぱり『変わり者だけど、妹思いの優しいお姉さん』でしかなくて、そこがブレていると例え真面目だったとしても束さんだと認められなかっただろう。

 

 結局のところ、俺は俺の知ってる束さんしか知らなくて、クロエはクロエの知る束さんしか知らなかった。互いの知識が噛み合わないのならば、どれだけそっくりに真似たところで相手には伝わらない。クロエの語る束さん像に俺はあまり共感できなかったんだ。

 

「ようやく話が出来るな、クロエ」

 

 雪片弐型を拡張領域に片付ける。

 俺は別にクロエを殺しに来たわけじゃない。箒をこの世界から解放し、ついでに現実への攻撃をとりやめてもらう。それでこの戦いは終わる。できることなら話し合いだけで解決したい。

 そんな俺の考えは甘かっただろうか。

 黒いドレスを纏った彼女が右手を空に掲げると、赤い雷光が落ちる。次の瞬間、その手には血のように赤いポールアクスが握られていた。

 空の雲行きが怪しくなってくる。透き通っていたような青空を映していた天井に暗雲が立ちこめ、赤い稲妻が絶えず奔る。

 

「束さまならばともかく、私があなたと会話する意味を見出せません」

「急に余所余所しくなったな。もう一度ヤイバお兄ちゃんと呼ぶ気にはならないか?」

「残念ながら、実年齢は私の方が上です」

「若作りだったのか」

 

 ついつい考えもせずに言葉を漏らすと、目の前に瞬間移動してきたクロエと目が合う。眼球が黒く染まっているだけではない。明確な殺意がそこにはあった。

 

「危ねっ!」

 

 振り下ろされた斧が頬を掠めた。それだけで雪片弐型が直撃したくらいのストックエネルギーを持って行かれている。当たれば即死のチートな武器に違いない。

 

「失言は謝る! だからとりあえず武器を下ろしてくれ!」

「取引になっていません。私がここにいる。その時点であなたは抹殺対象なのですから」

「なんなんだよ、それ!?」

「本来、ここにいるべきは束さまなのです。あなたは確信を持ってそれを否定した。故に許されない。あなたという存在は」

 

 ポールアクス先端の槍部分が俺を向く。尖った先端というキーワードが脳裏を過ぎり、俺は全力で右にイグニッションブーストをする。

 クロエの突きが空を切る。これまで相手にしてきた達人級のプレイヤーと比べて緩慢な動きだが、今のは生きた心地がしなかった。

 

先端恐怖症(アイクモフォビア)との戦闘経験がありましたか。口では余裕ぶっていても意外と繊細なようです」

「俺は図に乗ることが多いけど、基本的に面倒くさがりで臆病者だからな」

「性格の自己申告をする可哀想な人だということはわかりました。ちなみに先ほどの攻撃にはアイクモフォビアの槍の呪殺効果などありませんでした」

 

 どれだけ煽られようと俺の行動は間違ってなかった。今のクロエの言葉が真実とは限らないし、敗北の可能性が少しでもあるのなら、俺は全力で回避しなくてはならない。

 

「仕方がない。武器を下ろせと言っても聞いてくれないなら、他の手段に出るしかない」

「実力行使ですか。わかりました。迎え撃ちましょう」

 

 斧に帯びる赤い雷光が輝きを増した。

 こんな威嚇に屈する俺じゃない。目に物を見せてやる。

 

「頼む。箒を解放してくれ」

 

 全力で頭を下げる。

 箒さえ助かるのなら、俺がここで退場してもいい。ルニ・アンブラの方はエアハルトがなんとかしてくれる。

 皆の力を借りてここまで来たけど、結局のところ俺にはこんなことしか思いつかなかった。

 偽物の束さんにはどんな言葉も届かない。ナナたちと一緒に過ごしていたクーの良心に訴えるしか活路を見出せなかった。

 

「交渉下手ですね。始めから頭を下げていては自らの意思など通るわけないでしょう」

「それでも俺にはこれしかない」

「弱者の論理。意義のない意地。それでは束さまの耳にも届かないです」

 

 情け容赦なく振るわれる斧。工夫の欠片もない、ただ速いだけの一撃を、俺は飛び退いて避ける。箒が解放されるまでやられるつもりなんてない。

 

「少しは反撃しないのですか?」

「攻撃を当てたら箒を解放してくれるか?」

「なぜ私がそのような約束をする必要があるのですか?」

「箒を助けられないのにお前と戦う必要が俺にあると思うのか?」

 

 互いに質問を投げ合う。

 攻撃は一方的。クロエが斧で斬りかかり、俺はイグニッションブーストで大きく避ける。

 攻撃して倒すだけならできるけど、それは俺の負けを意味する。

 未だ会話は平行線だけど、根気よく続けるしか道がないんだ。

 

「ツムギに居た頃、クロエもナナが救われることを願っていただろ!」

「もちろんです。そして、あと少しで箒さまは救われる。束さまのいる世界に帰っていただける」

 

 薙ぎ払われる赤き斧の太刀筋は一切ブレない。

 迷いがない。ただ一つの確信を持って、自分が絶対的に正しいと思い込んでいる。

 そんなの絶対に間違っているのだと俺は知っている。

 

「馬鹿か! そんなもの、箒も束さんも望んじゃいない!」

「それはあなたの言葉です、織斑一夏。あなたは箒さまでも束さまでもありません」

「そっくりそのまま返すぞ、クロエ! お前は束さんじゃない!」

「そう言えるあなただからこそ、あなたは完全なるイレギュラー。束さまのため、この世から消えていただきます」

 

 大振りの斧を回避した直後、空中で斧が静止する。クロエは斧を起点として大車輪のように回り、両足で回し蹴りをしてきた。

 想定してなかった攻撃。俺は初めてクロエからの攻撃を受ける。

 

「VTシステムの恩恵を受けていないのに私の攻撃を受け止められるのですか。どうやらあなたのAICの方が上手のよう」

 

 ISで殴ったり蹴ったりといった格闘攻撃は使い方によっては物理ブレードと同等かそれ以上の威力になると宍戸から教わっていた。クロエの攻撃もそれに類するものだったけど、左腕で受けた俺に大したダメージは入っていない。

 ……今までこんなことはできてなかったはずなのに、今は不思議とできている。まるで自分以外の誰かが俺を動かしてくれているかのよう。

 

「認めましょう。あなたは強くなりました。だからこそ私は思います」

 

 ポールアクスの先端が俺に向けられる。

 

「なぜ、もっと早くあなたが居てくださらなかったのかと」

 

 イグニッションブースト。クロエ自身が弾丸となって突っ込んでくる。タイミングが計れている直線的な攻撃など避けるのは難しくない。だが速すぎる攻撃だ。避けられたのは紙一重。さらにクロエは俺と交差した場所で急停止した。

 

「なぜ、あの日、あなたがあの場所にいなかったのかと!」

 

 ポールアクスの斧の刃がこちらを向く。

 そのまま横に薙ぎ払われるのだと理解はしている。

 だけど、すぐに行動には起こせなかった。俺の頭の中は戦闘以外のことを考えてしまったから。

 横腹に斧が突き刺さる。赤い雷光はファルスメアと同系統のものだろうか。シールドバリアを無視し、絶対防御が発動。自分から吹き飛ばされることで少しでもエネルギー減少を減らす。

 まだストックエネルギーは残っている。共鳴無極の恩恵だ。俺一人分のストックエネルギーは今ので無くなったけど、まだラピスの分が残っている。

 斧なんかよりもクロエの言葉の方が切れ味が鋭い。俺自身が自分を責めていたことを、改めて当事者であった他人から聞かされると堪える。

 ――なぜ俺は約束の日に篠ノ之神社にいなかったのか。

 もう答えが出ていても、苦しいことには変わりない。

 

「今更出てきて私を責める権利などあなたにはありません。少しでも私たちを思う気持ちがあるのなら、私の世界に迎合してください。私とて織斑一夏を排斥したくはないのです」

 

 俺への攻撃が手緩かったのもそういう理由か。

 何回か俺の前に現れては諦めさせようとしてきたのも、俺をお前の世界に取り込むためだけだった。

 迎合。つまり、俺の意思を捨てろとクロエは言っている。

 

「……ふざけるなよ」

 

 その選択肢は最初からない。折れるのは俺だけじゃなく、箒も束さんも助けてくれた人たち全員もだ。

 既に投げられた賽だからというわけじゃない。ここで俺がクロエの軍門に下るのは誰のためにもならないとわかりきっている。

 ――もちろん、クロエのためにもならない!

 

「俺はお前の世界を認めない!」

「では私を討ち倒し、あなたの世界を守ればいい。その右手に剣を持ち、私の胸を貫く。あなたには簡単なことです」

「それだと“俺の世界”は守れないって言ってるだろ!」

「私もあなたの世界を認めるわけにはいきません。束さまのいない世界など消え去ってしまえばいいのです」

 

 箒のいない世界など嫌だという俺。

 束さんのいない世界など嫌だというクロエ。

 同じような事を言ってるはずなのに、俺とクロエは噛み合わない。

 その差異は、ISVSという仮想世界をどう位置づけているかなのだろうか。

 俺にはISVSが現実にとって代わる世界だとは思えない。だけどクロエにとってはもうこここそが現実。それはわかる。だけどそれだけの違いだとは思えなかった。

 何よりも気になることがある。

 俺は聞かなくてはならない。

 

「クロエにとって大切な人は束さんしかいないのか?」

「はい。束さまは私の全てです。束さまがいなくてはクロエ・クロニクルは存在意義を失います」

「箒――いや、ナナは?」

「束さまの妹。束さまの人格を形成する大きな要素です」

()()と仲が良かったシズネさんは?」

 

 本当のところ、クロエが箒をどう思っているのかよりもこっちが聞きたかった。

 束さんのいない世界だから現実をぶっ壊す。もしかしたらその中に苦楽を供にした人がいるという自覚がないのかもしれないと思った。

 だけど俺の指摘を聞いたのにクロエの人形のような無表情は変わらない。

 

「鷹月静寐は箒さまが自身を文月ナナという別人だと誤認させる危険な存在でした。故にこの世界から解放し、退場願ったのです。二度と箒さまと会わせるわけにはいきません」

「箒が会いたくてもか!」

「束さまの妹、篠ノ之箒には不必要な存在です。完全なる束さまのための世界にとって、彼女の存在はむしろ邪魔と言えます」

 

 ……なんなんだよ、それ。

 ツムギの皆はクーのことを仲間だと思ってたのに、お前は何も感じていなかったのかよ。

 ナナもシズネさんも自分たちが危険に晒されると知りながら、お前を守って戦っていたこともあったのに。

 

「……もう一度ハッキリと言ってやる」

 

 もうこれは無理だ。言葉だけで届くような簡単な話じゃない。

 何よりも俺自身が口だけで終わらせられない。

 湧き上がるのは怒り。この衝動を抑えた言葉だけで何を変えられる?

 

「俺はお前の世界を受け入れない。その理由はたった一言だ」

 

 クロエの目指す世界はもう死んでしまった束さんと過ごす過去の世界。箒や俺といった束さんの過ごしていた現実を再現して、終わらない夢を見続けようとするもの。現実世界の破壊は誰にも邪魔されないためというおまけに過ぎない。

 狭苦しく目新しさの欠片もない世界だ。きっと、この構想を束さんが聞いたとしたら、同じ事を言っただろう。

 

「お前の世界は()()()()()!」

 

 好きな人がいる世界は素晴らしいものだろうと思う。俺も箒がいる世界を目指しているからそこだけは理解できる。

 だけど、俺は箒のいた子供の頃に戻りたいわけじゃない。やり直したいんじゃなくて、箒とのこれからが欲しいんだ。

 

「シズネさんは泣いてた。自分が人間であることを忘れてしまいそうだって。まるでゲームのキャラになってしまうみたいだって。そんな世界、クソ食らえだ!」

 

 箒を過去の住人(ゲームキャラ)にさせてたまるか!

 雪片弐型を抜刀。

 切っ先をクロエに突きつける。

 

「箒を解放しろ、クロエ! アイツの居場所は仮想空間(こんなところ)じゃなく、俺の隣だっ!!」

 

 攻撃しないなんてもう言っていられない。

 クロエの思想を全否定する。そのためにクロエの保有する武力を徹底的に打ちのめす。力尽くでも俺は俺の意思を押し通すと決めた。

 イグニッションブースト。勢いを殺さないまま雪片弐型で横一文字に一閃。光の刀身は縦に構えられたポールアクスの柄で弾かれた。

 攻撃失敗。移動の慣性を殺さずに至近距離から離脱。その際、BTビットを展開し、背中越しに狙い撃つ。

 クロエは振り向かないまま斧を床に叩き付けた。円形に衝撃波が飛び、(ほとばし)った赤い雷に蒼のビームを撃ち落とされる。

 

「千冬さまの技を借りなくともこれだけの動きが出来るのですか。亡国機業の強者を(ことごと)く退けた“無敵の刃”……箒さまが憧れるに足ると認めます」

「だったら俺に託してくれ」

「それとこれとは話が別です。あなたの言葉を借りれば、『あなたの語る世界はつまらない』」

 

 やっぱりクロエの関心事は束さんに関することだけだ。箒のことは束さんの妹という記号でしか扱っていない。

 

「織斑一夏の戦闘意思をしかと確認しました。認めたくありませんがこのまま続ければ、戦闘技術で劣る私の敗北は見えています」

 

 クロエの手に四角い箱が現れた。それはさっき俺が壊したものとよく似ている。

 

「VTシステムか!」

「はい。あなたを千冬さまに匹敵する強敵と判断しました。であれば、対等以上に渡り合うには私が束さまとなるしかありません」

 

 箱がクロエの背中に張り付く。漆黒のドレスが赤い雷を帯び、黒い翼三対が背中から生えた。

 何よりも大きな変化がある。クロエの無表情に笑顔が貼り付けられた。感情が現れたのではなく、単なる真似に過ぎないことがわかっていると虚しい。

 クロエの左手、その人差し指が俺を向く。

 

「バン!」

 

 慌てて飛び退く。

 指鉄砲攻撃の厄介なところはISが攻撃と認識してくれないことだ。敵にロックされているという警告もなしだから、操縦者の感覚に頼らないと避けられない。

 もちろん指鉄砲は牽制だった。飛び退いたばかりの俺の背後には既にクロエが斧を振りかぶっている。赤い雷は直撃すれば一撃で終わる。

 

「零落白夜ァ!」

 

 形振り構ってはいられない。零落白夜を起動し、俺の使える最強の一撃を以て、クロエの雷斧を迎え撃つ。

 赤い雷はファルスメアのように消失させられなかった。ポールアクス自体が赤い雷光に守られていて、雪片弐型+零落白夜でも止められてしまう。

 

「壊せない……?」

「零落白夜のエネルギー消失効果はたしかに厄介です。しかし、絶えず供給され続ける無限のエネルギーがあれば対抗できます」

「無限のエネルギー? そんなものがどこに――」

 

 どこにあるのか。言っていて答えはすぐに思いつく。

 

「絢爛舞踏……」

「黒鍵と紅椿のコア融合の副産物でしたが良い誤算でした。あなたに絶対的な優位はありません」

 

 絢爛舞踏があれば零落白夜でエネルギーを消され尽くすことはないっていうことか。だとすればエアハルトが絢爛舞踏を手に入れるのに必死だったのは千冬姉に対抗するためだったと言える。俺がファルスメアに勝てたのはエアハルトに無尽蔵なエネルギー供給がなかったからだ。

 

「天運も私に味方しています。まだ続けますか?」

「当たり前だ」

 

 戦う意思に変わりはない。だけど旗色が悪くなったのは間違いなかった。

 零落白夜の実質的な無力化はあまり関係ない。本当にまずいのはクロエがVTシステムを使っていること。もしクロエの人格が破壊されて暴走でもされてしまえば、倒さずに勝つことが不可能となる。

 結局のところ、俺に残されている選択肢は短期決戦のみ。

 BTビットから空にビームを発射。偏向射撃で円の軌道を描かせ、待機させておく。これを繰り返す。

 対するクロエはポールアクスをバトンのように軽々と振り回す。まるで単なる演技だが、ポールアクスの軌道上には赤い光の球が幾つもできていた。

 

 斉射。蒼の雨が降りしきる中、赤の雷光が空を奔る。

 光同士が相殺する中、俺は前へとひた走る。元より遠距離から攻撃するだけで勝てる相手だとは思っていない。単純に接近戦に持ち込んでも零落白夜でごり押しできないのでは勝率は高くない。

 しかしだ。俺の優位な点が全て失われたわけでもない。俺はアドルフィーネやギドといった敵と相対してきたが、どちらも零落白夜を使わずに倒している。

 俺の優位な点。それは俺一人だけが戦っているわけじゃないということ。射撃戦と格闘戦を同時に行っているけど、俺自身は格闘戦に集中すればいい。射撃はラピスの担当だ。

 でもクロエはどちらも自分で対処しなくてはならない。束さんだったなら余裕でこなすかもしれないけど、いくらVTシステムを使っていようが、頭の回転速度はクロエの脳に依存している。だったら、限界はあるはずだ。

 偏向射撃のぶつかり合い。その一つ一つがクロエの集中力を削ぐためのもの。ラピスが負担してくれているおかげで、俺の方は万全のまま近づける。

 まずは一太刀。接近と同時に斬りつけた。ポールアクスの柄に阻まれるも、クロエからの反撃は飛んでこない。まだ俺の攻撃が続けられる。

 

「どうした、クロエ? 俺の知ってる束さんなら今の隙を逃さないぞ」

 

 上段からの二撃目。縦に打ち下ろした一刀もポールアクスの柄で受けられる。押し込もうとしてもビクともせず、力勝負は分が悪い。

 

「あなたが! 束さまを語るな!」

 

 初めて、クロエの心を見た気がした。

 VTシステムの影響からか、人形っぽい表情とか機械っぽい話し方は影も形もない。

 

「じゃあ、教えてくれ! お前が知ってる束さんを!」

 

 雪片弐型を押しつけたままクロエのポールアクスに蹴りを入れてから距離を取る。

 クロエは実直に追いかけてきた。

 

「束さまは――」

 

 体を前面に押し出し、斧は後ろ。腰を捻っている振りかぶった体勢からのフルスイング。

 なんて素直な攻撃だろうか。

 なんて真っ直ぐなんだろうか。

 たしかに束さんも小細工抜きな力押しをする傾向がある。だけど、それは何か企んでいると相手に思わせる、束さんの人間性があって成り立っている。

 このまま真っ直ぐに向かってくるはずがない。罠の一つでも仕掛けてくるはずだ。

 そう相手に思わせる束さんだからこそ有効な動き。

 

 俺は知っている。VTシステムは登録されたヴァルキリーの行動パターンの通りに動ける()()である。システムの内部ではヴァルキリーの思考をもトレースしようとしているらしいが、トレースが完成する前に操縦者の人格が破壊される。だからこそ禁忌となっている。

 

 クロエは束さんじゃない。戦術はクロエのまま。

 早い話が、俺には当たらないってことだ。

 

「お前にとって束さんは、本当に優しい人だったんだな」

 

 振り抜かれた斧を見送る。大振りな攻撃の直後、クロエは背中を向けている。この隙を見逃す手はない。

 雪片弐型を振り下ろす。ポールアクスで受け止めることはできないであろうタイミング。だが、雪片弐型は止められた。

 さっきまでクロエが握っていたポールアクスがクロエの背中で浮いている。ラピッドスイッチでポールアクスを背中に出現させ、非固定浮遊部位扱いとしたまま俺の攻撃に当てた。この辺りの基本技術くらい束さんをトレースしているのなら苦にならないだろう。

 

「優しいの一言で表せません」

「だろうな。俺も束さんには何度も助けられた。それは優しいだけじゃできないことだろうよ」

「どういうことですか?」

 

 両手にポールアクスを掴んだクロエが再び体全体を使ってフルスイングしてくる。真っ向勝負は分が悪い。剣を交えることなく後退。戦況は押され気味といったところだ。

 

「あの人は(したた)かだ。自分を蔑ろにしてまで俺を助けるようなことは絶対にしなくて、何をするにしても自分を一番優先してた」

「当たり前です。あなたは所詮、千冬さまの弟であり、箒さまの想い人でしかないのですから」

「よく知ってるじゃないか」

 

 四機のBTビットを飛ばし、クロエを包囲。一斉射撃をするも赤い雷が渦巻いて全て掻き消される。

 

「あなたの理解を否定します。束さまは決して自分本位な人ではありません。実際、あの日、篠ノ之神社で束さまは箒さまを助けるためにご自分を犠牲にされました。箒さまへの優しさに他なりません」

 

 渦を巻いていた赤い雷が複数の球体を象る。

 エネルギーの圧縮は攻撃の前触れ。

 振り上げられたポールアクスを合図として、全ての球体が雷の獣と化して俺を襲ってくる。

 

 見ただけじゃ軌道なんてわからない。

 防げる盾など持っていない。

 当たればもちろんただでは済まない。

 

 だけど俺は落ち着いている。

 こんなものはピンチのうちに入らないって確信がある。

 今の俺は“無敵のヤイバ”だから。

 

 目で見る必要はない。見るのは彼女(ラピス)の役目。

 俺はただ導きに従い、結果を引き寄せるのみ。

 立ち位置を決める。たったそれだけ。イグニッションブーストすら使ってない。

 静止した俺を掠めるように赤い雷が通り過ぎていった。

 

「クロエ。俺の完敗だ。お前は束さんのことを良くわかってる」

 

 元より、クロエが束さんを慕っていることなど否定する余地はない。

 彼女は俺よりもずっと長く束さんと一緒にいた。俺よりも束さんに詳しくて当たり前なんだ。

 だから俺はクロエの言葉を肯定する。お前が正しいと言ってやる。

 

「お前の言うとおり、束さんは箒が生きることを選んだ。他ならぬ、あの世界で生きることを」

 

 あの世界。もちろん俺たちが現実と呼んでいる世界のこと。

 束さんは最期まで箒のことを案じていた。箒が生き残る道を残すための選択肢を必死で守り続けた。

 

「思い出せ、クロエ。大切な人を次々と失ってしまった束さんが最後に何を願っていたのかを。お前は一番近くでそれを見てきたはずだろう?」

 

 束さんがなぜ篠ノ之神社に向かったのか。

 束さんがなぜ亡国機業の親玉と相討ちせねばならなかったのか。

 それを優しさだと思えたのなら、理解できないとは言わせない。

 

「お前の作ろうとしている世界は、束さんが目指した“楽しい世界”と言えるのか!」

 

 クロエが動きを止めた。

 すかさず、俺は雪片弐型を振り上げてイグニッションブースト。

 接近までは一瞬。クロエの頭を目掛けて剣を振るう。

 反応は若干鈍い。だが初動が遅れてもポールアクスは雪片弐型の前に立ちはだかった。このままだと再び簡単に受け止められる。

 もちろん、そんなことは最初からわかってる。

 ここからは俺の剣術。強敵を相手にするとき、必ずと言っていいほど使う小細工。肉を切らせて骨を断つだとか、蜥蜴の尻尾切りだとか、そういう感じのものだ。

 雪片弐型とポールアクスが接触する瞬間、俺は雪片弐型を手放す。自由になった右手は何にも遮られることなく、クロエの懐にまで届いた。

 距離が近すぎる。再び雪片弐型を呼び戻したところで攻撃もままならない、イーリス・コーリングが得意としていたゼロ距離。シールドピアースは持っていなく、残されているのは手だけ。

 拳を握ることもない。掌をクロエの腹に押し当てる。ついさっきまで全く選択肢になかったけれど、急に頭の中に浮かんだ技が今なら使える。そう、漠然としたイメージなのに確信していた。

 ピンポイントAICでクロエの腹を固定。密着したまま押し当てた右手のみに多段イグニッションブーストを適用する。

 

「お前の知っている束さんならなんて言うのか。もう一度考え直してみろ」

 

 赤と黒のドレスが弾け飛ぶ。体をくの字に曲げて飛んでいったクロエは二回三回と水の張った床を転がり、そのまま仰向けに倒れた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 途中からクロエは何も言い返せなかった。

 否定されれば反論は出来る。しかし自らの発言を肯定されてしまった。論理的に考えて、言い返す必要性がなかった。織斑一夏の言葉は自分の言葉でもあったからだ。

 織斑一夏との二人だけの空間で、束という存在が共通認識となった。その時点でクロエの描いていた束像は確かなものへと変貌する。長く会えなかった主人にもう一度会えたような錯覚さえあった。

 束は人間を嫌っている。しかし親友と妹のことだけは自分よりも大切にしている。クロエの短い生涯の中、常に傍にいてくれた仮初めの母親は自分自身と深く繋がっている人を最も気に掛けていた。

 身内にはとことん甘い。そんな束のことが大好きだった。あの日、亡国機業の動きを伝えて篠ノ之神社に向かってしまったことは必然。葛藤こそあったものの、最終的に束に情報を伝えたのも、束に束らしくいてもらいたかったからだ。

 

 全て思い出した。束が箒を救おうとしていたこと。たとえ自分が死んででも、箒にだけは“楽しい世界”に辿り着いて欲しかったことを。

 “楽しい世界”に束はいない。クロエには耐えられなかった事実を、当の本人である篠ノ之束は生前の時点で受け入れていた。

 クロエが目指していたのはクロエにとっての“楽しい世界”。それは失ってしまった過去に戻りたいという願い。束の目指した未来とは逆方向への道だった。

 

 今の自分は束の意思に反している。

 そう気づいた途端、目の前が真っ暗となる。

 束のためと謳いながら、その実、束の思いを蔑ろにしていた。

 

 今のクロエに対して束がなんと声をかけるのかは想像できない。

 しかし、少なくともクロエ自身が自分にかける言葉は決まっている。

 

 ――今の自分(あなた)はつまらない。

 

 水の張った床に仰向けとなったまま、動けなかった。

 胸を埋めるものは後悔と謝罪。

 冷静さを失ったパニック状態のまま、黒い何かが体を浸食していく。

 自分が自分でなくなる。そんな感覚に抗えなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 狐は平石ハバヤを連想させる動物だった。習性だとか小難しいことは何も関係ない。純粋に見た目だけの印象である。傍目からは瞳すら覗けないほどの細いキツネ目は、彼の視線がどこを向いているのかを悟らせてはくれない。

 黒い霧状の物質が塊となり、わざわざ狐を象っているのはハバヤの趣味である。胴体が異様に長いそれは管狐(くだぎつね)といったところか。使い魔として思い通りに操るハバヤの周りに黒い管狐が何匹も纏わり付いていた。

 

「おやおや。更識楯無を名乗る者が悪に屈してしまっていいのかなぁ?」

 

 ハバヤに傷はない。対する楯無の着物のようなISの装甲にはところどころ穴が空いている。

 これらは全て攻撃を受けた痕。黒い狐に食い千切られた惨状である。

 

「私は負けを認めてないわ」

 

 閉じた扇子を向けて念じる。先端から水のような弾丸が放たれた。

 単調に撃っただけ。ハバヤを取り巻く黒い狐が水の弾丸をその身に飲み込んだ。

 水の弾丸は同じ見た目をしていても効力は二択。

 通常のEN属性射撃かアクア・ナノマシン集合体による爆発攻撃。

 今回は後者であったのだが……

 

「やっぱりこっちもダメか」

 

 ファルスメアに攻撃が完全に無力化される。黒い霧はブラックホールのように全てを飲み込み、あらゆるものをまるで無かったかのように消し去っていく。楯無の装備のみならず、通常のISの装備ではとても太刀打ちできるものではない。

 元より真っ向勝負の力技は楯無の得意とするところではない。正面でダメならば、回り込んででも有利な状況に持っていく。それが己の長所であると、ついさっき思い出したばかりだ。

 明らかに落胆した顔をハバヤに見せつけておきながら、裏では淡々と攻撃を練っている。ハバヤを取り囲むようにして集めたアクア・ナノマシンを一気に集束させて槍を複数形成。包囲したまま一斉に槍をハバヤに撃ち放つ。

 だがハバヤには見えている。通常のプレイヤーならば突然に水の槍が現れたように感じられるだろうが、高レベルのBT使いにはナノマシンの動きなど手に取るようにわかる。見えていたのならば、楯無の攻撃は奇襲となり得ない。槍は全てハバヤに命中するがそれはハバヤの見せている幻に過ぎず、槍は黒い狐に食われて消えた。

 

「ワンパターンだな、楯無ちゃんよぉ。もっとオレ様を楽しませてくれねぇと困るぜ」

 

 ハバヤのターン。黒い狐が三匹、楯無に向けて解き放たれる。各々が不規則な軌道を描いているのはハバヤがコントロールしているというよりも、本当に狐が動き回っているかのようだ。

 楯無の扇子から水の弾丸が発射された。狙いは黒い狐である。もちろん命中し、何事も無く弾丸が消えるだけに終わった。

 右腕の袖。左脇腹。左の(すね)。三カ所を狐に食われた。装甲が千切られ、操縦者の体が露出する。

 一方的な展開が続く。とっくに負けていてもおかしくないほどに。今、楯無のストックエネルギーがほとんど減っていないのは、単純に舐められているからだ。

 

「生憎だけど、私はあなたを楽しませるためにここにいるわけじゃないのよ」

「ごもっとも。しょうがねえから、オレ様が勝手に楽しむとするかな」

 

 また黒い狐がハバヤへと帰っていった。攻撃を続ければすぐに終わるはずであるにもかかわらず、ハバヤはそうしない。彼にとっての勝利とはIS戦闘の先にあるものではなく、己の自己満足を達成できるかどうかにある。

 

「楽しむ? そんな余裕があなたにあるとは思えないけど?」

 

 一方的に負けている状況でも、楯無の心は折れていない。デモノフォビアのときと違い、目の前の相手には負けたくないという思いが強い。たとえこのまま負けるのであろうとも、負けを認めることだけはしないと言い切れる。

 楯無の強気を支えているもの。それは楯無の敗北が世界の終わりを意味しないことが根底にある。無駄に気負う必要が無い。

 

「そろそろ頃合いか。冥土の土産に教えてやるよ」

 

 このまま楯無を倒したところで、ハバヤは己の勝利を掴めない。役割を果たしたと思われたまま退場させたところで、ハバヤの溜飲は下がらない。

 故にハバヤは己の最大の武器である言葉を使う。

 

「オレ様の目的はこの仮想世界の主、創造主であるクロエ・クロニクルの精神を破壊することにある」

「クロエ・クロニクル?」

「そういや、知らねえか。オレ様もあの篠ノ之神社に()()()()()()()()存在自体を知らなかっただろうからな。簡単に言うと、篠ノ之束の養子であり、狂信者だ」

 

 篠ノ之束には知られざる身内が存在した。この時点で楯無も敵の正体が篠ノ之束本人でない可能性に思い至る。

 

「偽りの神とはそういうことなのね」

「理解が早いのは助かるぜぇ。その通り。篠ノ之束を名乗っているアレは遺伝子強化素体の生き残りだった。従属を宿命づけられている遺伝子強化素体の本能から、アレは篠ノ之束に心酔した。それこそ篠ノ之束のいない現実を受け入れられぬほどに」

 

 クロエが束を真似ているのは束になりたいからなのではない。束のいる世界でないといけないという強迫観念から、束の存在をこの世界に刻み込もうとしている。

 当然、意味などない。現実逃避の行く末は誰も満たされぬ破滅が待っていることだろう。ハバヤとしてはそれも面白くない。

 

「そもそもの話だ。オレ様は亡国機業と行動を供にしながら、連中の目標を達成させようとはしなかった。エアハルトが篠ノ之箒を狙っていることなどどうでも良かった。オレ様の狙いは最初からツムギが匿っていたクロエ・クロニクルだったんだからな」

「やっぱりあなた、ロリコンだったのね」

「クロエ・クロニクルは現実に肉体のない精神だけの存在。この仮想世界に生まれた生命と似たようなもんだ。だが決定的に違う点があった」

 

 楯無の煽りを無視し、ハバヤは喋る速さとテンションを上げていく。

 

「あの日、篠ノ之神社で起きた出来事。真実は単なる相討ちなどじゃねえ。篠ノ之束とイオニアス・ヴェーグマンの精神が、クロエ・クロニクルの中に閉じ込められた。今もなお、天才はこの世界(ISVS)に生きている。クロエ・クロニクルという封印の中でな」

 

 にわかには信じられないどころか、理解すらもしがたい真実。

 だからこそ楯無は真実なのだろうと納得する。ハバヤという男が単なる作り話で驚かして楽しむような人間でないという理解があってのことである。

 

「封印を解き放つためにクロエ・クロニクルを探した。見つけるまでは簡単だったが、篠ノ之箒という厄介な護衛が付いちまってた。仕方なくオレ様はエアハルトを焚きつけて篠ノ之箒を排除しにかかった」

「でも一夏くんがエアハルトの前に立ちはだかった」

「厄介な奴だった。いざというときのために用意しておいたギド・イリーガルまで壊された。だからオレ様は強硬手段としてプレイヤーの抹殺を計った」

「それすらも一夏くんに止められた」

「あのときは全てが終わったと自暴自棄にもなった。だが運命はオレ様を見捨てなかった。織斑一夏が白騎士を使ったことによってクロエ・クロニクルが記憶を取り戻した。篠ノ之束のいない世界に、狂信者の人格が帰ってきた。そこには絶望しかなかったろうよ」

 

 そして、クロエは篠ノ之束となるため、篠ノ之箒をさらった。

 よりリアルな篠ノ之束となるために、環境を整えようとした。

 

「オレ様はクロエに近づくことにした。自棄になってIllを取り込んだオレ様は仲間として認められた。懐に入り込んだあとは甘言を弄して、織斑一夏がクロエ・クロニクルに立ち向かう構図を作ってやるだけ。なぜオレ様はそんなことをしたと思う?」

 

 問いかけをしておきながら楯無の返答を待たずに続ける。

 

「織斑一夏は篠ノ之箒を助けるため、間違いなく偽りの神であるクロエ・クロニクルの心を殺しにかかる。己の過ちを認めさせることで、自分から篠ノ之箒を解放させようとするだろう。オレ様の思惑通りと知らずに」

 

 この決戦は未だにハバヤのシナリオ通りに動いている。

 防衛に穴があったのはハバヤがそうしたから。

 織斑一夏が一人でクロエ・クロニクルに向かう状況となるように戦力を調整した。

 

「残念ながら、オレ様ではクロエ・クロニクルの心を殺せない。アレは甘言には耳を傾けるが、ストレスとなる言葉には全く耳を貸さない。コントロールをする立場として、オレ様が挑発するのはハイリスクなだけでリターンが期待できない。だからこそ利用させてもらった。テメエらの希望である無敵のヤイバとやらをな」

 

 ハバヤの目的がハッキリとした。

 一夏が箒を助けようとするのを利用して、クロエに精神的な負荷をかける。その結果、クロエが自我を保てなくなれば――

 

「間もなく我らの王が蘇る。ISの登場で支配者不在の混沌と化した世界は終わりを告げ、正常に戻った世界で人類はさらなる高みへと足を踏み入れる。オレ様もそれを導く側へと回る。今から楽しみで仕方ない」

 

 全ての管狐が一斉に鎌首をもたげる。視線は楯無に集中。今度は食らいつくそうとする戦意も垣間見える。

 

「以上で土産話は終わりだ。凡人でないテメエになら、理解はできただろう?」

「えー、もう終わり? もっと秘密の話とかないのかしら?」

 

 理解はしている。にもかかわらず、楯無の言動はあまりにも軽い。

 

「……もう少し頭の良い女だと思ってたが興ざめだ」

 

 ハバヤの顔から表情が消える。冷めた目で右手をかざし、使い魔に指示を下す。

 更識楯無を殺せ。

 現実で死ぬわけでなくとも、自らの手で楯無を殺せたという事実を残そうとした。

 

 管狐がハバヤの体を離れて楯無へと向かう。避けるのは現実的でなく、ファルスメアを受け切ることはもっと無理だ。

 楯無の顔に冷や汗が浮かぶ。しかしその口元は笑っている。諦観に染まったのではない。これは勝利の確信であった。

 指を鳴らす。この行動自体に特別な意味はなく、単純に相手に対して『今、攻撃した』というメッセージを送っている。

 

 爆発が起きた。場所は――ハバヤの背中。

 

「な――!?」

 

 立て続けに二度三度。ハバヤの体、Illの装甲の内側で爆発が止まらない。その内の一発が、コアに接続されていたファルスメア・ドライブを砕いた。

 原動力を失った管狐は動きを止めてさらさらと宇宙の塵になっていく。楯無の目の前で。あとほんの一瞬でも遅れれば、楯無が餌食となっていたであろう。

 

「ふーっ……」

 

 大きく息を吐く。綱渡りだった。全てはハバヤが防御を捨てて攻撃に集中する一瞬に賭けていた。

 弱者を演じた。実際に不利であったのだから演技でもなんでもないのだが、逆転の目があるとハバヤに思わせなかった。

 

「バカな……アクア・ナノマシンはもう無くなっていたはず……」

「あったのよ。それこそ最初から。あなたには見えていなかったけれど」

 

 BT使いにも見えなかったナノマシン。

 ISVSにおいて、既存の兵器だけで説明が不可能な事態に陥ったとき、プレイヤーがまず考えるべき可能性がある。

 

「切り札とは忍ばせておくもの。単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)があなただけの特権のわけがないでしょう?」

 

 単一仕様能力、玲瓏波紋(れいろうはもん)

 特定武器強化系パラノーマル。使用するBTナノマシンに特殊なステルス効果を付与し、BT使いから見えなくすることができる。BT使いが相手でなければほとんど意味のない低ランクの単一仕様能力である。

 

「あなたに一つだけ教えてあげる。真実が見えてないと嘘はつけない」

 

 決して強い能力ではない。だが情報を武器とする戦いとなったとき、隠れた情報が勝敗を左右する。

 

「何も知らないあなたは嘘ではなく出任せしか言えない。戦場を制御するなんてもっての外。あなたは最初から私の掌の上で踊っていたの」

「ふざけ――」

 

 なおも続く爆破。ハバヤを覆っていたIllが削り取られ、徐々にその面積を小さくしていく。

 虚言狂騒を使うタイミングはとうに逃した。今更隠れても楯無の攻撃はもう終えている。見えなくなっても的確にハバヤに攻撃を当て続けられる。

 逆に追い詰められてしまったハバヤは高笑いをする。

 

「オレ様は消える! だが! それはオレ様の敗北を意味しない! 既に賽は投げられた! 世界の滅びを願う偽りの神は倒れ、我らの王が新たなる神として君臨する!」

 

 完全に立場は逆転していた。

 ハバヤの方が『自分が負けても決戦に敗れたわけではない』と主張することとなる。

 楯無が両手で指を弾く。それを合図として、ハバヤの頭上には巨大な槍が出現した。

 

「あなたはずっと向き合わなかった。男も女も関係ない。私が楯無となれたのは、少なくともあなたよりは優秀だっただけなのよ」

 

 割と直接的に『あなたは弱い』と告げる。

 ハバヤから笑い声が消え、顔は怒りに歪んだ。

 そこへ水の槍が落ちる。断末魔もなく、ハバヤという男は仮想世界から退場した。

 

「一番の邪魔者は倒したわ。あとは頑張ってね、一夏くん。いえ、ヤイバ」

 

 張りすぎていた緊張の糸が切れた。

 楯無はボロボロのISを纏ったまま、その場で意識を失う。

 すやすやと息を立てる彼女の寝顔は安らいでいた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 ゼロ距離掌打が決まって、クロエは床に転がった。まだ戦えるはずなのに起き上がろうとしない。

 

 俺の言葉が届いてくれたのか?

 

 束さんの願いを認識してくれたのか?

 

 真実はわからない。

 だけど、決して現状が良いものとは言えなくなってきた。

 

「これは……ファルスメア?」

 

 クロエの胸元から盛大な勢いで黒い霧が噴出される。

 

「あ……あ……あ……」

 

 目を開いたクロエの瞳は焦点が定まっていない。

 心ここに在らずと言った様子で口から漏れているのは小さい悲鳴。

 助けを求めるでなく、ひたすらに自分を責め立てているような、ゴールの見えない苦痛。

 俺の想像だが、きっとその正体は後悔だ。

 

「クロエ! 落ち着くんだ! お前が悪いわけじゃない!」

 

 俺は束さんの記憶を通じて知ってる。クロエも束さんと一緒に箒を助けようとしていた。ただ束さんの言うことに従っていただけだとしても、箒を助けてくれたクロエを悪だと断じることはしない。

 でもクロエにとって、俺の言葉は軽いのだと思う。黒い霧の噴出は収まるどころか酷くなる一方。青く澄み渡っていた美しい世界の空を黒い霧が覆い隠していく。

 床に張っていた水は蒸発して消えた。鏡のように美しかった一面は見る影もなくなり、荒れ果てた赤いひび割れの大地へと変貌を遂げる。

 同じ景色の中、唯一存在していた水晶の樹木も大地と供に塗り変わる。透き通ったクリスタルが灰色に濁り、枝は形を変えて人間の腕を象る。樹木の頂点に水晶の髑髏が現れたかと思えば、それも即座に灰色の濁りを帯びた。

 

 世界の変質に気を取られてクロエから目を離してしまっていた。

 慌てて意識を戻す。だけどもう、クロエの姿はそこにはない。

 世界を塗り替えた黒い霧の発生源。クロエが倒れていたはずの場所には、この場にそぐわない老人が車椅子に腰掛けていた。

 

「コイツは……」

 

 機械仕掛けの左腕は義手と呼ぶにはあまりにも無骨。

 左目に眼球は無く、代替物として置かれているものはレンズ。

 俺はこの男を知っている。

 

「歓喜の時だ! 我が魂はここに再臨を果たしたのだ!」

 

 発声器官すら機械仕掛け。

 ノイズ混じりの機械音声が耳に障る。

 コイツはあの日……篠ノ之神社にいた亡国機業の親玉。

 全ての元凶。

 

 ――イオニアス・ヴェーグマン。



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55 彼女のためのヤイバ

 俺は――前に進めているのだろうか?

 

 自分が正しいと思うことを率先してやってきた。俺の願いを他人に委ねて待っているだけなんてことはできなくて、自分の手で成し遂げたかった。

 箒を救う。再会するという約束を果たす。これだけだったら、別に千冬姉が代わりにやってくれてもいいはず。

 我慢できなかった理由は簡単だった。

 俺は箒の前で格好つけたかっただけの一人の男に過ぎないんだよ。

 こんな我が儘を手助けしてくれる人たちがいた。

 学校の友達。ISVSのプレイヤー。

 気の良い奴ばかりだ。俺は幸せ者なんだろう。

 だからこそ、早くこの輪の中に箒を迎え入れたい。その一心でここまで戦ってきた。

 

 あと少しだったんだ。

 クロエを説得さえすれば、箒は救われる。クロエが束さんの真意に気づいたから、説得できたかもしれなかった。

 ……なのに、何なんだよ、これは!

 

心做(こころな)しか体が軽いようだ。仮想現実であるからなのか、はたまた憑き物が落ちたからか。どちらにせよ、童心に帰って欣喜雀躍(きんきじゃくやく)することも厭わぬ」

 

 クロエが消えた。

 代わりに現れたのは機械仕掛けの(じじい)

 束さんたちが敵対し、エアハルトを間違った方向に進めていた全ての元凶。

 

 俺の目の前で老人の全身が黒い霧に包まれる。

 ファルスメアが暴走した……とは考えづらい。

 その証拠に黒い霧は即座に晴れ、中には人の姿がある。

 ……車椅子の老人ではなく、銀の長髪の若い男だった。

 

「なるほど。老いすらもデータに過ぎず、体を構成している粒子にデータさえ与えれば望む肉体を得られるというわけか。こうして在りし日の私にもなれるとは、存外居心地の良い世界と言える」

 

 まるでエアハルトを少し大人にしたような外見。

 それもそのはずだ。エアハルトはこの男のクローン。自分の外見を好き勝手に変えられるこのISVSで、目の前の男は過去の自分を蘇らせたのだ。

 

 俺は赤い床に転がっている雪片弐型を拾い上げる。拡張領域に回収するような真似はせず、そのまま切っ先を()に向けた。

 ……その後、どうすればいいのかなんて全く思いついてない。それでも抗う意思だけは消してはならない。そんな意地だけの敵意を向けるしか今の俺にはできないのだ。

 

「感謝しよう、織斑一夏くん。私は君に救われた」

 

 こちらの威嚇などないかのように、まるで世間話でも始めそうな軽さで敵は話しかけてきた。

 ふざけている。何が感謝だ。俺はお前を助けようとなんてしてなかったし、むしろ殺してやりたいくらいだ。

 だけど、殺せない。まだ俺は何も成し遂げられてないのだから。

 

「これは失礼した。恩人に名乗らぬのは人間らしい礼儀に欠けている」

 

 俺は何も話さない。饒舌な敵はなおも一方的に話し続ける。

 

「我が名はイオニアス・ヴェーグマン。この仮想世界の新たな主にして、人類の支配者だったものだ」

 

 名乗られずとも俺は知っている。

 直接会ったことはなくても、束さんとエアハルトの記憶が教えてくれている。

 俺とイオニアスは決して相容れない存在だ、と。

 

「人類の支配者? テロリストの親玉の間違いだろ?」

「当然、君の認識ではそうなるだろう。君には知らないことが多い」

「お前が悪人だってことだけは知ってるぞ」

「私が悪、か。では一つ質問しよう。君は悪か?」

 

 無駄な問答だ。何が正義とか何が悪かとか、そういう話。本当に意味が無い。

 

「俺は悪じゃない。少なくとも俺にとっては」

「もちろんそうだろう。本当に自身を悪だと誤認したならば自殺をせねばならない。先ほど、君がクロエ・クロニクルという少女を思い詰めさせた末路がそれだ」

 

 俺がクロエを追い詰めたのは自覚してる。俺が自分の目的を果たすことを第一にしていたのも否定しない。

 だけど――

 

「本当のことを勘違いしたまま、世界を滅ぼさせてしまうわけにはいかなかった」

 

 他ならぬクロエ自身のためにも、真実を伝える必要があったと確信している。

 その後のことはその後のこと。俺はクロエを見捨てる気は無かった。俺自身が束さんの代わりになってでも、クロエを助ける道も考えてた。

 

「社会にとっての悪と認識しながら悪事を行う者たちも、本質は自身の中にある正義に従っている。君が少女に過酷を強いたように、決して善行でないと理解しながらも、己を正当化して悪行を積む」

「何が言いたい?」

「君の言う悪に君自身が入っていない。私はそれを否定するつもりはない。もし私がクロエという少女を追い詰めたならば、君は私を悪と断じるだろうが、それすらも君の人間らしさだ」

 

 回りくどい。要するに言いたいことはこれだろ?

 

「お前は自分を悪人だなんて思ってない。それだけのことだろ?」

「私だけではない。全ての人間がそうだと言っている。君も含めて」

「別にそれでも構わない。俺にとってお前は倒すべき悪に変わりないからな」

「私が自分の意思でルニ・アンブラを止めると宣言しても、か?」

 

 少しだけ俺の中の戦意が薄れた。

 その動揺は右手にまで表れていて、気がついたときには正面に向けていたはずの雪片弐型が30°ほど下を向いている。

 

「元より私には世界を壊そうなどという意思はない。クロエ・クロニクルの残したこの空間から出られれば、すぐにでも攻撃命令を解除しよう」

「偉そうなことを言っておきながら、ここから自分で出られないのかよ」

単一仕様能力(ワールド・パージ)“幻想空間”で作られる世界には創造時にのみ付与できるルールがある。この空間は『織斑一夏が逃げる』か『織斑一夏が消える』かしなければ創造主にも消せないように作られているようだ」

 

 クロエはクロエなりに覚悟があって俺を待ち構えていたわけか。

 俺を消すか、俺が諦めるか。俺が諦めないのならば、絶対に消すのだと自分を追い込むため。

 そう考えると、クロエは本当に――俺と戦いたくなかったんだな。

 

「君は賢い。ここまで言えば、私の言わんとすることはわかるだろう」

「俺がここを立ち去れば、世界は救われるってことだろ?」

「その通りだ。私の手で君を消しても同じことだが、わざわざ恩人を消すこともあるまい。私があの小娘から解放されたことで、イリュージョンは私の支配下に戻った。ルニ・アンブラは私が命令を下せば自己崩壊する。ありがとう、織斑一夏くん。君のおかげで世界は救われた。君は英雄なのだ。もう刃をこちらに向ける必要などないのだよ?」

 

 たしかに。イオニアスがクロエと同じように世界を壊すつもりがないというのは理解できる。コイツの目的はあくまで人類の管理支配であって滅亡なんかじゃないからな。

 この決戦における皆の第一目標は俺がこの場を離れようとするだけで達成できる。現実でまだ戦ってくれている千冬姉たちの苦労も報われる。イオニアスの言うとおり、世界に平和が訪れることだろう。

 でもそれじゃ俺の目的を果たせたとは限らない。

 雪片弐型を強く握り直し、切っ先を再びイオニアスに向ける。

 

「箒は?」

 

 イオニアスの提案には彼女の名前が出てきていない。俺の名前すら把握していたこの男が箒のことを知らないだなどあり得るわけがない。

 

「篠ノ之箒か。彼女の現状を知ってもらうにはこちらを見てもらう方が早いだろう」

 

 奴の右手が指し示すのは水晶の樹木だったもの。灰色に濁り、枝は人間の腕となり、頂点には髑髏が現れた。上半身のみの灰結晶の巨人となった構造物の胸元には唯一肌色が見えている。

 ……たしかに見た方が早かった。

 

「箒っ!」

 

 灰結晶の巨人の胸に取り込まれているのはISスーツ姿の女の子。

 胸像のように胸から上だけが外部に露出している。

 その顔は見間違えようはずもない。失踪していた文月ナナのアバターそのままだ。

 ぐったりとしていて目は閉じている。意識はない。

 

 反射的に駆け寄ろうとした。

 だけど、灰結晶の巨人と目が合って足を止める。

 まだ俺は彼女の現状を理解し切れていない。そんな状態で無茶をして箒が死んでしまっては意味がない。

 

「説明しろ」

 

 すぐにでも駆け寄りたい衝動を抑えつけ、イオニアスを睨み付ける。

 

「クロエ・クロニクルのIS“黒鍵”は私のIllである“イリュージョン”のコアと融合した。融合した状態を私は“幻想黒鍵”と呼んでいるが、幻想黒鍵はさらに紅椿のコアとも融合を果たした。結果、紅椿の単一仕様能力“絢爛舞踏”は幻想黒鍵の動力源として欠かせないものとなっている」

「その融合もお前の意思で解除できるんだろうが!」

「否定はしない。今の私は幻想黒鍵の全権を掌握している。融合と言っても容易に分離できる程度のものだ」

 

 否定はしないってことは肯定もしないということ。

 イオニアス自身の意思で箒を解放しないということ。

 

「お前も箒をエネルギー源にするってことだろ!」

「非常に残念なことだが、クロエ・クロニクルと違って私の肉体は不安定なものらしい。この体の維持にはエネルギーが必要だ。その問題はこの娘さえあれば解決される。娘の現実の体が果てようとも変わらぬ。私は未来永劫、人を導くことが可能となった」

 

 箒が解放されれば、イオニアスが消滅する。

 つまり、イオニアスが自分の意思で箒を解放するのは自殺を意味している。

 

「……確認する。箒を解放する気はあるか?」

「その問い方の時点で答えはわかっていよう。否だ」

「もうお前は現実にいない存在だ。そこまでして生きる必要があるのか?」

「現実の私の肉体がとうに滅んでいるのは知っている。だが構わぬ。私はここに在る。この世界から現実への干渉もできることはクロエ・クロニクルが証明した。何も問題はない」

 

 想像結晶の力でイオニアスは現実にも干渉できると知ってしまっている。だからこの男は自らの理想を果たすために進むんだろう。

 俺が箒を救おうとしているように、イオニアスは人々を導く。目的を果たすためなら他が犠牲となることも厭わない。

 

「もう一つ確認する。お前の目的は何だ?」

「この場合は長期的な目標を尋ねていると解釈する。私はただ愚かな人類を導くシステムであればいい。既に人間は誰かにコントロールされなければ自滅してしまう段階にきているのだ」

「その導くべき人類になぜ箒が入らない!」

「入っているとも。彼女には私という管理者を維持する大役が与えられている。彼女も本望だろう。私が再び現世に君臨するための糧となれるのだから」

「ふざけるなァ!」

 

 俺は叫ぶ。気迫で殺せるのなら、このまま殺してやりたい。

 攻撃は控えるつもりだった。まだ戦闘の前提条件は変わってない。このままイオニアスを殺してしまえば、箒も死ぬ。

 だけど体は勝手に動いてた。雪片弐型の切っ先を向けたまま、反射的にイグニッションブーストで突っ込んでいた。

 イオニアスとの間に灰結晶の巨人の腕が割り込んできた。雪片弐型の先端は灰結晶の表面で弾かれる。全く効いていない。

 

「世界を救うための最も簡単な選択肢は君が自らの意思でこの場を立ち去ることだ。私を斬りつける意味などない」

「世界なんて知るか! 俺は最初っから箒を取り戻すために戦ってきた。お前が存在する限り箒が目覚めないというのなら、俺がお前を倒す!」

「条件の共有はできていると思っていたのだが、今一度教える必要があるようだ。私を殺せば、篠ノ之箒も死ぬぞ?」

 

 そんなことはわかっている。だけど、このまま奴の言うことを聞いても箒は二度と帰ってこない。今はクロエのおかげで奴が逃げられない状況だが、この機会を逃せば、俺は二度とイオニアスの前に辿り着くことすら出来ないだろう。

 イオニアスがわざわざ俺に会う理由なんてない。一度逃がせば亡国機業が力を取り戻し、危険分子である俺はきっと殺される。

 だから俺はここから逃げるわけにはいかない。

 

「残念だ。世界は私を必要としている。人の暴走には監視役が必要だというのに」

「そんなもんは必要ない! 誰かが暴走しても別の誰かが暴走を止める。お前にとっての俺がいるように!」

「やはり血は争えぬか。君は父親と同じく私に楯突くわけだ」

「父さんは関係ない。たとえお前が父さんの仇だとしても、俺が戦う理由はそこじゃない。俺は箒を取り戻すためにお前を倒す“ヤイバ”だ!」

 

 明確な宣戦布告をした。

 イオニアスはさして驚きもせず、灰結晶の巨人の元へと跳び退き、改めてこちらへと向き直った。

 

「いいだろう。君が選んだ道の先。仮想世界そのものとなった私に挑む虚しさを思い知るといい」

 

 灰結晶の巨人が咆哮する。

 腕は四本。大小が一対ずつ。左の大腕には巨大な槍が握られていて、右の大腕にはこれまた巨大な鎌があった。

 足はなく、樹木だった名残か大地から上半身が生えているような姿。

 

「幻想黒鍵よ。薙ぎ払え」

 

 イオニアスの指示の直後、巨人――幻想黒鍵の口に赤い雷が収束する。クロエの使っていたものとは明らかに規模が違う。

 放たれた光。俺がそれを攻撃だと認識したときには、赤い荒野全体がマグマのように煮えたぎる。

 光が収まったとき、俺は地上に墜落していた。

 ダメージを確認。どうやら直撃は避けられたらしい。だけどストックエネルギーがラピスの分を合わせても残り僅かだ。

 

「なぜ君は生き長らえている?」

 

 驚かれているというよりも純粋な疑問として投げかけられている。

 俺の単一仕様能力を知らないからだろうとも思ったけど、よく考えてみたら俺自身にとっても不可解だ。

 さっきのクロエとの戦いで受けたダメージで俺とラピスの分を足してもエネルギーは残り僅かだった。今の攻撃の規模を考えると、俺はもう負けているはず。

 

(……そこであたしの顔が出てくれると嬉しいんだけどなぁ)

 

 首を傾げている俺の脳裏にラピス以外の声が浮かぶ。

 

(リンか?)

(あたしの方も大変だったのに、なけなしのストックエネルギーまで持ってくとか鬼畜過ぎない?)

(すまん。助かった。ありがとう)

(素直でよろしい)

 

 どうやら土壇場でリンとクロッシング・アクセスできたおかげで持ち堪えたようだ。

 ……まだ違和感があるけど、答えは出ない。

 

「君の単一仕様能力によるものか。クロッシング・アクセスした者とストックエネルギーや装備を共有する。何が増えるわけでもないが、運用次第でヴァルキリーにも匹敵しうる力となる」

「詳しいな」

「クロエ・クロニクルの知識にあっただけのことだ」

 

 少しマズイ気がしている。今までは俺の単一仕様能力の正体に気づいた敵はいなかったから有利に戦えてた面がある。イオニアス相手ではそのアドバンテージはない。

 

「今ので力の差も思い知ったことだろう。まだ引き返せる。大人しく去れば私は君を追わないと約束しよう」

「その選択肢は俺がこのままお前にやられるデメリットがないと成り立たないぞ」

「君は勘違いをしている。私が……正確には幻想黒鍵が存在する限り、この宇宙で散った者の魂は現実に帰ることが出来ない。君もその中に混ざることとなると私は言っている」

 

 そっか……イオニアスが存在する限り、俺は箒だけじゃなく、助けてくれた皆も失うことになるのか。

 

「だったら、尚更俺は退くわけにはいかない!」

 

 イオニアスへとイグニッションブースト。しかしまたもや灰結晶の腕に進路を阻まれる。

 今度は零落白夜も発動した。この一撃は俺の今の手持ちの中で最高の威力を誇っている。

 だが弾かれた。先ほどと何も変わっていない。幻想黒鍵の灰色の体はENブレードが通らず、零落白夜で無効も出来ない鉄壁の防御。この正体はもしかすると――

 

巨大恐怖症(メガロフォビア)か!?」

「絡繰りを察したか。存外、頭の回転は速いようだ」

 

 幻想黒鍵の左大腕が動く。手にしているのは巨大な()。その切っ先が俺に向いている。

 形振り構わず、槍の先端から逃げ出した。あの突きは防ごうと考えてはいけない。いかなる防御も効かなかったことをシャルルが証明している。

 クロエのときと違って、今度こそアレは先端恐怖症(アイクモフォビア)の呪いの槍に違いない。

 槍の挙動に注目せざるを得なかった。

 

(左を向け!)

 

 頭の中でラウラの声がした。瞬間的に広がる視野。気づいたときには幻想黒鍵の右大腕が鎌を振るっているところ。

 鎌を使うフォビアもいた。たしかその力は『絶対防御無効』。俺がストックエネルギーをどこから持ってこようと、操縦者自身を殺しにかかる死神の鎌には関係の無いこと。当たればそれで終わり。そして、もう避けられそうにない。

 

「ラウラ!」

 

 ラウラをイメージする。左手を鎌に向けてかざし、網を張る感覚を一点に集中する。あとはタイミングを合わせて一気に引き絞る。

 ピンポイントAIC。ある一点を静止させる強力なAICで鎌を直接止めた。

 もちろん敵の攻撃はこれで終わりではない。構えた体勢で止まっていた左大腕はいつでも槍を放てる。止まっている理由などない。ピンポイントAIC中で動けない俺は恰好の的だ。

 

(発想を転換しよう。これを使ってみて)

 

 今度はシャルルの声がした。声に従って、彼女から受け取った装備――手榴弾を前方に呼び出し、その場で使用する。

 炸裂と同時に広がったのは煙。俺と幻想黒鍵の間が視覚的に遮られた。敵が何をしているのかわからない。

 風が動く。煙を巻き込むようにして突き進んでくる“何か”。俺はその何かを雪片弐型で弾く。俺の脇を通過したとき、それがあの槍だったことがようやくわかった。

 敵の攻撃が一段落した。劣勢を認めて、俺は一度距離を開くことにする。

 

「こちらの武器の特性は完全に把握されているようだ。どちらも対処法としてこれ以上はない」

 

 攻撃が失敗したというのにイオニアスは感嘆を漏らすのみ。

 鎌の方は触れなければ問題ない。

 槍の方は槍を向けられていると知覚していなければ絶対防御の誤作動が起きない。

 どちらも俺だけじゃ突破できていなかった。

 

「君は仲間に恵まれている。セシリア・オルコットはもちろんのこと、他の人間にも好かれている」

「羨ましいのか?」

「いや、私はただ不思議で仕方がない。それほど恵まれていながらにして、なぜ君はたった一人の少女のために茨の道を進む必要がある?」

「そんなことに理由がいるのか!」

 

 俺が箒を助ける理由など今更のこと。

 俺は彼女と過ごす未来が欲しい。

 

「一人の娘のために君は世界を犠牲にしようとしている。愚劣極まりない」

「愚かで結構だ! 俺は箒を見捨てたりしない!」

「何が君をそこまで駆り立てている?」

「箒が大切だからだ!」

「そこがわからない。女など彼女だけではないだろう。現に君にはセシリア・オルコットがいる。篠ノ之箒に私と敵対するほどの価値があるのか?」

 

 コイツはどこまで俺たちを侮辱すれば気が済むんだ?

 なぜ箒なのか。なぜ箒がいないといけないのか。

 約束? それはもちろん理由の一つ。だけどやっぱり何度聞かれても答えはもっと単純で、子供の我が儘みたいなものだ。

 

「うるせえ! たとえこの先、俺がセシリアを伴侶に選ぶとしても、ここで箒を見捨てる理由にはならねえだろうが!」

 

 セシリアがいるから箒は要らない。そんな理屈なんてないし、それこそが正常だなんて価値観があるなら、俺は世界を壊してでもその常識に異議を唱える。

 

「実に愚かだ。君と私では背負うものの大きさが違いすぎている。少なくとも、私は君に人類の命運を託せそうにない」

「結構だ! 俺は人類なんて重苦しいもんを背負う気なんてない!」

「なるほど。最初から私と君は同じ次元に立っていなかったわけだ」

 

 幻想黒鍵の周囲に赤い雷の球が無数に出現する。

 これは福音やイルミナントが使用していたシルバーベルに酷似している。

 

「根本的に人間は他者と相容れることなどない。故に力を示し、他者を従わせることで社会を形成してきた。昔から人間の歴史は勝った者が正義である。他者を蹴落とし、己が力を示すことでようやく立場を得られる。誰もが他人に勝つために生きているのだ」

 

 目の前が真っ赤に染まるほどの雷球が一気に拡散される。

 またもや俺に逃げ道などない。

 

(……大丈夫。一夏くんなら切り開けるって信じてる)

 

 簪さんの声。そうだ、あの装備ならいける!

 左手の装備を変更。左腕全体を覆う和風な甲冑の名前は“雪羅”。

 複合兵装である雪羅の内、俺が最も頼りにしているのはENシールドだ。これには()()()()()()()()()()

 左手をかざしてシールド展開。白い輝きを帯びた盾は赤い雷の群れを完全に打ち消しきった。

 

「欲を抑えることなどできはしない。欲とは生物の証。本能とも言い換えよう。人は己の欲を優先して他者を虐げる。君も知ってるだろう?」

「知らねえよ! たしかに皆、自分のために生きているが他者を虐げるなんて見たことがない! 俺が知ってるのは――俺を助けてくれる人たちの粋な心意気だ!」

「君は幼い。人間の一面しか知らず、それが全てだと思い込んでいる」

「お互い様だ! お前が言う人間の愚かさも単なる一面に過ぎない!」

 

 この無意味な問答をいつまで続けるつもりだ?

 実際のところ、イオニアスにも意味などあって話していないのかもしれない。

 奴にとっては、この戦い自体が意味の無いもの。俺だけが焦って奴を倒そうと躍起になってるだけ。その俺が奴を倒すわけにはいかないという矛盾を孕んでいるのだから、奴にとっては戦闘にすらなってない。

 

「ところで君はいつまでこの茶番を続けるつもりだ? 私を殺せない君が私の前で剣を振り回す。それで何が変わる? 実に無駄だ」

 

 無駄、か。でも俺にはこの場から離れることも、イオニアスに討たれることも許容できない理由がある。たとえ勝つ目処がなくとも、抗うことをやめるわけにはいかないだけだ。

 しかしだ。圧倒的優位であるはずのイオニアスが勝負を急いでいるような気がしている。もっと余裕を見せていてもいいはずなのに、俺が諦める方向に持っていこうとしている。

 これはたぶん、焦り。でもその理由は何だ?

 

「無駄じゃない! 俺が諦めたら、それで救われない人がいる! もう箒一人だけの問題でもない!」

「結末がわかりきっているのに、か」

 

 少なくとも、イオニアスが想像する『わかりきった結末』にはさせない。

 結末と言えば、このまま長引くと千冬姉たちにも限界が来る。そうなれば現実の地球に黒い月が次々と着弾し、死の星となる。それが想定される最悪の事態だ。

 ……最悪の事態だよな? それは俺にとってはもちろんなんだが、よく考えてみると、このまま戦闘が長引くのはイオニアスにとっても喜ばしくないのでは?

 

「そうだな、結末はわかりきっている。このまま俺がここに居座れば、現実の地球が壊されちまう」

「そうだ。だから君が早急に立ち去れば、私がルニ・アンブラを止め――」

「箒を解放すれば、俺は彼女を連れてすぐにでもここから立ち去る。そう言ったら、どうする?」

 

 逆に考えてみる。地球の破壊を最も恐れているのは誰だ?

 俺はもちろん、箒と一緒に帰るべき場所が失われては困る。しかし、箒を失ってまで世界を守ろうという意思は無い。

 イオニアスはどうだ? 人類を管理支配することが目的である奴にとって、地球が破壊されるとはつまり、管理支配から遠ざかることを意味する。下手をすると二度と管理支配ができない環境にもなり得る。

 

 ルニ・アンブラを排除したいとお互いに考えている。イオニアスの狙いが世界の破壊でなく世界の支配である限り、イオニアスは何が何でも現実の世界を守らなくてはならない。

 

「まさか君は地球そのものを人質にして、私に自決を迫る気か?」

 

 無言で頷く。それが今の俺が思いつくこの状況の突破口。

 情で訴えられる相手でないのは明白だ。だったら理屈で勝負する。たとえ屁理屈でも、イオニアスは俺の言葉を無視できないはず。

 

「それで取引になっているつもりなのか?」

「いや、お前には俺を倒す選択肢が残ってる」

 

 イオニアスの勝利条件は俺が立ち去るか俺を倒すこと。俺はもう立ち去らない意思を固めているから、俺を倒すしか道が無くなっている。

 対する俺の勝利条件が決まった。それはイオニアスが俺を倒す術を失うこと。イオニアスが俺を倒せないと確信する状況が出来上がれば、地球を人質に箒の解放を迫ることができる。少なくとも理屈としては間違ってないはずだ。

 

「なるほど。君は私と戦う意味を見出したわけだ。私から戦闘能力を奪いきることさえできれば、私は世界を救うためにこの身を滅ぼす選択をせざるを得ない」

 

 俺の考えてることはすぐに見透かされた。もっとも、気づかれなかったところで何かが変わるわけでもない。イオニアスが俺を本気で消しにかかってくるのには違いないからな。

 

「だがそれらは全て君のモチベーションに関わる問題に過ぎない。私は最初から君さえ排除すればいいだけだ」

 

 戦闘続行。雪羅の荷電粒子砲を発射。狙いは幻想黒鍵でなくイオニアス本体だ。

 当然、幻想黒鍵に阻まれる――と思っていたが、イオニアスは黒い霧を纏った自らの右手をかざしてきた。薄く円形に広がった霧はイオニアスを覆い隠し、荷電粒子砲の光を吸い込んでしまう。

 わざわざ本体が防御行動をした。それはつまり、幻想黒鍵がフリーということ。既に左大腕の槍がその切っ先を俺に向けていた。

 まだ見えている。突き出された槍の進路上から離れて事なきを得る。ただ、今更こんな単発の攻撃で終わらせてくる敵ではない。

 イオニアスの周囲で黒い霧が渦巻く。まるで意思を持つかのように蠢く霧は一度球体を成した後、俺に向かって棘のように伸びてきた。その数、四。

 零落白夜、起動。ファルスメアに対する有効な対策はこれくらいしか思いつかない。

 BTの偏向射撃のように曲がりながら迫り来る棘を剣で薙ぎ払う。防ぎきったものの、零落白夜は使うだけでストックエネルギーを削ってしまう諸刃の剣。実質的にファルスメアを撃たれることは確定でダメージを受けることに等しい。

 時間を掛けられないのは敵の方ではある。しかし、戦闘が長引くとじわじわと削られる俺の方が不利でもある。

 ……()してや、まだ俺は幻想黒鍵にダメージを与える術を見出せていない。メガロフォビアと同じ防御機構が存在しているのならば、攻撃を与える条件は『相手より巨大になって攻撃する』こと。皆の物量でごり押したスイミー作戦は俺一人じゃ無理だ。

 まだ敵の攻撃が続く。幻想黒鍵が小さい方の右手を天に掲げる。幻想黒鍵の体からいくつもの赤い光弾が現れ、それらは一斉に俺の方へと進軍を開始した。

 

「また弾幕か!」

 

 敵の弾幕攻撃は概ね一定の方向に流れているけれど、各々は特別な狙いを定めていない。意思を感じ取りにくい乱雑な射撃は意図が読めなくて逆に避けづらい。

 避けようと考えるのは危険と判断。無作為にばらまいただけの攻撃なら安全地帯すらも見つけ出せるのだが、その安全地帯が造られたものだとすれば、狙い撃ちにされる恐れが拭えない。

 結局のところ、数の多い射撃攻撃に対して俺が出来ることは限られていた。雪羅を展開して、ENシールドを使用。零落白夜も適用して強引に無力化を試みる。

 ――雨が降ったとき、傘を持っていたら差すだろう。今の俺はそんな当たり前の行動を取った。

 赤い雷の弾幕は雪羅の傘の前に掻き消える。破壊に貪欲な稲光は空気すらも蹂躙して耳を劈く轟音を打ち鳴らす。光と音。その全てが膨大なノイズで埋まる。

 ノーダメージ。されど情報も入らない。敵の攻撃が終わるタイミングも、敵が何をしているのかもわからない。

 唐突に光と音がクリアとなる。

 目の前では槍の先端が俺を向いていた。

 気づいたときにはもう遅い。白式の絶対防御が誤作動を起こし、ストックエネルギーが弾け飛ぶ。

 

「呪殺槍のウイルスはIS一機分のストックエネルギーしか削れない、か。君のような特殊な事例だと一撃必殺とはいかぬようだ」

 

 実際にくらった俺よりもイオニアスの方が理解が早かった。

 雪羅で守りを固めた俺はあの槍を受けた。アイクモフォビアとの戦闘時のラピスやシャルルのようにストックエネルギーだけが削りとられている。今の俺は皆とクロッシング・アクセスをしているから、単一仕様能力“共鳴無極”によって耐えられただけ。

 

「存外しぶとい男だが、これで終わりだ」

 

 再び槍が振りかざされる。突きの直線上から待避すればいいのだが、口で言うほど簡単でもない。

 俺が突きをくらったと認識した時点でアウト。つまり、あの突きは射程がほぼ無限の光の速度で放たれているも同然である。

 避けるには全力が必要。イグニッションブーストしかありえない。

 突きの軌道からは逃げられた。

 そんな俺の顔面に雷の弾が飛来する。

 

「くっ……」

 

 回避先を読まれた――というより逃げる先を左右どちらかのみに絞って乱射された。

 攻撃を当てられてよろめく。腹、肩と次々着弾し、その場での姿勢維持が不可能になった俺は後ろに吹き飛ばされる。

 赤い荒野のような床を転がった。まだ意識はある。だけどいくら何でも攻撃をくらい過ぎてた。

 一つ一つの攻撃は軽くない。白式の防御性能ではとても耐えきれない。そう思っていた。

 

 ……だけど俺のストックエネルギーはまだ尽きていなかった。

 

 まだ、立ち上がれる。

 

「なぜまだ戦える? 気合いだけで立てるはずなどない」

 

 イオニアスの狼狽が伝わってきた。

 わからないでもない。他ならぬ、立ち上がった俺が不思議に思っている。

 なぜ俺はまだ立てるんだ?

 もちろん気力だけなら自信がある。だけどISVSのシステムはやる気だけじゃ覆せない。

 

 立ち上がった俺に槍の先端が向けられていた。既に突きを終えた後。白式の絶対防御が再び誤作動を起こしてストックエネルギーが持って行かれる。

 だけど、ストックエネルギーのゲージはほとんど動いていない。

 

「効いているはずだ。まだ君の繋がりは尽きないとでも言うのか?」

 

 白式を通して伝わってくる。

 ラピスの星霜真理でつながっているプレイヤーたちの声が届く。

 まだ戦いをやめていない。

 ルニ・アンブラは現実で脅威となっているままだし、負ければISVSができなくなるというこのイベントもまだ終わっていない。

 誰もが自分のために戦っていながら、誰もが世界を救うために戦っている英雄だ。

 現実も仮想も関係ない。

 俺たちの世界を奪わせてたまるかと足掻いている。

 

 深い繋がりじゃなくても、俺は顔を知らない人も含めた皆と繋がっている。

 

「なぜだっ!?」

 

 常に冷静だったイオニアスの余裕が崩れた。

 きっと奴にとって今の俺はゾンビか何かに見えているに違いない。

 少なくとも得体の知れない何かと思ったのだろう。

 

「運命を呪って足を止めるのは、もうやめたんだ」

 

 俺には見える。コアネットワークのつながりがまるで果てのない宇宙のように広がっている。

 俺1人はちっぽけだけど、全部合わせるととてつもなくデカかった。

 敵は仮想世界そのものかもしれない。

 ……だったら俺は俺と繋がる世界で立ち向かうだけだ。

 

「“転身装束”、起動。ガーデン・カーテン」

 

 シャルルの単一仕様能力を借り、拡張領域のフォルダを眺めた。

 とりあえずシャルルの装備をそのまま借り受ける。盾の量がかなり減っているのは激戦だったからか。残っている三枚も修復が早いものが復活しただけ。しかし三枚もあれば、俺がやりたいことはできる。

 向かうは幻想黒鍵。まずはイオニアスの手足となっている灰結晶の巨人を無力化する。

 イグニッションブースト。強引に前に進み出た俺に幻想黒鍵は髑髏の顎門を開く。

 赤い雷が口元に集まっていく。この攻撃は俺が最初にくらったもの。リンの対戦経験を借りると、ニクトフォビアという敵が使っていた武器が一番近い。

 赤き雷光の剣が振るわれた。ガーデン・カーテンの残り三枚を俺の()()に配置する。

 直撃したが関係ない。無尽蔵にも思える膨大なストックエネルギーを利用したゴリ押し。ただ、敵と距離が離れることだけは嫌だったから吹き飛ばされないための壁として盾を用意したんだ。

 転身装束を再起動。元の白式に戻り、再びイグニッションブースト。

 対する幻想黒鍵は雷球の弾幕を生成。俺を近寄らせないための行動。だがソイツは単純な()()()()だ。

 

「“永劫氷河”、展開」

 

 ラウラの単一仕様能力を借り受けて使用。

 体が重くなる。飛行能力を奪われたからだ。それを代償に幻想黒鍵の雷球は全て消失する。

 即座にワールドパージを解除。再びイグニッションブースト。ただひたすらに前に進む。攻撃よりも先にやるべきことが俺にはある。そのために近づく。

 俺の意図は悟られている。幻想黒鍵が吠えると同時に強力な斥力が俺に働いた。IB装甲の強力版。これはテクノフォビアに搭載されていたものと同じ兵装だろう。

 これは以前に攻略済みだ。リンから脚部衝撃砲を借り受ける。

 

「“火輪咆哮”、起動」

 

 自身にかかる斥力を衝撃砲の出力に変換。後退どころか減速すらせず、むしろ加速して幻想黒鍵に迫る。

 幻想黒鍵に近づいた。俺が射程に入ったと同時に右大腕の鎌が振り上げられる。

 ここが正念場。絶対防御を無効化するあの鎌だけはストックエネルギーが無尽蔵にある今の俺が受けても致命傷となる。

 

「“星霜真理”、リミッター解除」

 

 常に起動しっぱなしであるラピスの能力を脳への負荷を無視してフル稼働。

 幻想黒鍵もISである。だから必ず鎌による攻撃の情報もある。頭に流れ込んでくる数多の情報の中から必要な情報を抽出し、相手の思考を演算する。

 絶対防御無効の特殊効果以外は純粋な物理ブレードである鎌。軌道さえ読み取れば回避はできないこともない。

 ここだ。その一点を導き出したのはラピス。俺は全幅の信頼を以て、自分の身を置く。

 鎌は空を切った。この隙を逃さず、俺は幻想黒鍵の胸元へ跳ぶ。

 

 幻想黒鍵の胸元。

 囚われの身となった彼女(ナナ)の元へ。

 

「まさか――君はこの期に及んで彼女を狙っていたのか!?」

 

 俺と幻想黒鍵の戦闘を静観するだけだったイオニアスが慌てた様子でこちらに向かってくる。

 何を勘違いしてるんだか。俺が世界のために、()してやイオニアスを殺すだなんてくだらないことのためにナナを手に掛けるはずなどない。

 敵の攻撃を受けてでも、ここまで来た理由なんて決まってる。

 俺は力なく項垂れている彼女の顎を持ち、上に向けさせた。

 

「助けに来たぞ、ナナ。いや――」

 

 直接触れている。目の前で語りかけている。

 だけど何も反応が無い。まだ、であるが。

 現実で再会するまでヤイバとナナでいよう。今に満足せず、輝かしい未来のため……楽しい世界に至るために二人の間だけで名前を封印しておこうと取り決めた。

 これは後ろ向きなルールだった。本当なら俺は仮想世界に囚われているナナを肯定してちゃいけなかった。

 だからこそ、俺は今再びこの名を呼ぶ。

 

 一緒に帰るぞ、という思いを込めて。

 

「箒!」

 

 言葉には魂が宿る。道場で柳韻先生から教わったことがあるし、束さんからも同じ話を聞いていた。犬猿の仲だった親子が共通して認識していた概念を俺は実感している。

 箒の目蓋がピクリと動いた。二度寝でもしそうな虚ろな意識のままのぼんやりとした目が俺と合う。

 

「一、夏……?」

 

 目覚めた彼女は最初こそ戸惑いを見せたものの、すぐに目つきが和らぐ。

 

「来てくれたのだな」

「もちろんだ。だけど、まだ終わってない」

「そうか。たしかにまだ私は自由に動けそうにない」

 

 再会を喜び合うのはまだ後のこと。

 今はこの戦いを終わらせないといけない。

 

「箒。お前の力を貸して欲しい」

「そうしたいが、今の私では何もできない」

「できることならある」

 

 こうして箒と話したかった理由は簡単なこと。

 きっとイオニアスには理解できないだろう。

 

「頑張れって言ってくれ」

 

 俺は彼女の前で格好をつけたいだけの男の子だ。

 これほど力が(みなぎ)るエネルギーは他にない。

 箒とシズネさんは一方的な『頑張れ』を嫌っているらしい。相手を突き放すような意味合いに感じ取れるからだそうだ。

 でも俺は敢えて言ってほしいと思っている。箒と一緒にというのも悪くないけど、ここは俺一人が踏ん張るべきところだ。

 俺に箒の全てを委ねてくれ。それが俺の力になる。

 

「わかった」

 

 俺は箒から手を離して、距離を取った。

 次に俺が向き合うのは倒さなければならない障害。灰結晶の巨人、幻想黒鍵。

 メガロフォビアの防御がある限り、ダメージを与えられない。

 方法は一つ。奴よりも巨大なものが攻撃すること。

 

「“転身装束”、起動!」

 

 シャルルの単一仕様能力をもう一度借りる。

 さっきフォルダの一覧を見たとき、白式に存在する隠しフォルダを発見した。チラッと見ただけだが、中身も把握している。

 

「来いっ! “白騎士”!」

 

 白式がフレームごと変身を遂げる。

 かつて、日本を滅ぼしかけたミサイル軍を一薙ぎで殲滅した英雄のISにして、束さんが俺に託してくれた剣。

 俺は白騎士の剣を天に掲げる。

 

「頑張れ、一夏」

 

 箒からの声援が届く。それに呼応するかのように白騎士のサプライエネルギーが無限に増幅されていく。

 剣から刀身に沿って光の柱が伸びる。実体を伴わないこの光こそが白騎士の剣の真の姿。切っ先すら見えないその剣の大きさは幻想黒鍵の体格を超えるには十分に足りている。

 

 光の剣を振り下ろす。右肩を狙った。灰結晶の体はまるで豆腐のように抵抗なく切断され、幻想黒鍵は右腕二本を失った。

 すかさず幻想黒鍵の左大腕が槍を構えた。だがそれよりも俺の返す剣の方が早い。地に根を張る幻想黒鍵の胴体を横薙ぎに斬る。

 ぐらりと傾く巨人。俺は追撃の手を緩めるつもりなどない。光の剣を振り上げて左の腕も二本とも根元から刈り取る。

 幻想黒鍵に残された攻撃手段は髑髏の口から放たれるENブレードの亜種のみ。地面から切り離された幻想黒鍵はPICで浮かび上がると、口元に赤い雷を集束させながら俺を向いた。

 赤い雷が放たれる。対する俺は一度光の剣を解除した。胸元に箒が居る以上、あのまま振り下ろすわけにはいかなかった。

 剣の切っ先は既に髑髏を狙っている。あとは再び剣の真の姿を解放するのみ。

 伸びる刀身はそのまま突きとなる。もはや射撃攻撃に等しい射程のENブレード同士が正面から衝突する。

 お互いに絢爛舞踏の恩恵を受けている。そして、俺の方は零落白夜も発動している。

 均衡は一瞬で崩れ、赤い雷を蹴散らした白騎士の剣が灰色の髑髏を粉々に吹き飛ばした。

 

 全ての攻撃手段を失った幻想黒鍵は胸元に箒を捕らえたまま漂い始めた。動く気配は微塵もなく、もはや浮いているだけの檻でしかない。

 

「幻想黒鍵がこの一瞬で敗れた、だと……?」

 

 残る敵はイオニアスのみ。

 白騎士の剣を元に戻し、奴と向き合う。

 

「バカな……この男は人間の集合体……? 人類そのものだとでも言うのか……?」

「バカなことを言ってるのはお前の方だろ? 俺は俺であって他の誰でもない」

「君の正体はこの際、置いておくとしよう。それで君はどうする? 幻想黒鍵を打ち破る戦闘能力こそ証明したが、それで私が本当に負けを認めて自決するとでも思ったのか?」

「思わねえよ。どれだけご大層な言葉を並べても、結局はお前も自分自身が大切なだけのちっぽけな人間だからな」

 

 これが最後だ。

 俺は白騎士の剣を上段に構えてイオニアスへと突撃する。

 

「あくまでその娘を殺さず、私を殺すか。結果は同じだというのに……その傲慢さを悔いるがいい!」

 

 イオニアスの頭を目掛けて剣を振り下ろす。幻想黒鍵の援護を失った奴に俺の接近を阻む術などない。当然、奴が素直に攻撃を受け入れるはずもないから、黒い霧(ファルスメア)を使って攻撃を受けてくる。

 ここからは俺のいつもの戦術。白騎士の剣から両手を離してファルスメアとの激突を回避し、相手の防御をすり抜けてフリーとなった俺はイオニアスの懐に潜り込む。

 

(生き方からしてナンセンスな男だ。だが今の私はそれも悪くないと思っている。その手で掴み取れ、貴様にとっての勝利をな)

 

 脳裏に浮かんでくるのは俺を敵視してるはずの男の声。

 イオニアスの操り人形に過ぎなかったはずのエアハルトまでもが、今は俺の勝利を願ってくれている。

 俺は右手を突き出す。グーじゃなくてパーだ。狙いは――イオニアスの頭!

 

「お前は背負ってるものが違うって言ったな? だけど俺とお前じゃ、背中を押してくれる人の数が違うんだよォ!」

 

 “絶対王権”、起動。

 右手で頭を掴んだ者に絶対遵守の命令を下す単一仕様能力。

 当然、俺の望む答えは――

 

「箒を解放しろ、イオニアス・ヴェーグマンっ!」

 

 イオニアスが決して自分からは行わない自決に等しい行為。そんな拒絶の意志をも絶対王権は踏みつぶして強制的に命令に従わせる。

 もしエアハルトがイオニアスと対峙しても、遺伝子強化素体であるエアハルトでは上位権限を持つイオニアスに命令されてしまえば絶対王権をかけることができない。こうしてイオニアスに絶対王権を仕掛けられるのは、エアハルト以外の人物が絶対王権を使用するという条件が必要だった。

 俺一人じゃこうはならなかった。俺がいなかったとしてもこの結末には届かなかった。

 イオニアスの体が急速に老化していく。絢爛舞踏を失い、身体を維持できなくなった事象が視覚的に具現化されている。このまま何もせずともイオニアスという存在は仮想世界の塵となるだろう。

 

「自分勝手な愚か者め……このエゴがいずれ世界を喰らい尽くす怪物となる」

「それが人間だ。お前も含めてな」

 

 だから消えろ、怪物(モンスター)

 

 かつて世界を支配していたという老人は跡形も無く消え去った。

 同時に、頭上で浮遊していた幻想黒鍵が砕け散る。内部に囚われていた彼女は浮遊の支えを失って真っ逆さまに落ちてくる。

 俺の元へ、落ちてくる。

 悲鳴の一つも上げず、両手を広げている彼女を俺は同じように両手を広げて迎え入れた。

 

「一夏っ!」

 

 上手くキャッチできた。俺の腕の中に箒が居る。仮想世界だけど、彼女の温かさと柔らかさは本物だった。

 俺が守りたいものがここにある。そう自覚した途端に胸の奥から込み上げるものがあった。

 

「良かった……箒……」

「泣くな。カッコイイ男が台無しだぞ?」

「そっか……」

「嘘だ。その涙も含めて、お前は……最高の男だ」

 

 箒も次第に涙声が混じり始めた。

 もう死別するかもしれないとお互いに本気で考えていた。

 それを乗り越えての再会だ。安心したら張りっぱなしだった緊張の糸が切れて、抑えていたものが全部吹き出してきた。

 俺だけじゃなく箒もそうだった。今だけは強がらなくていい。ただ喜ぼう。俺たちは未来を勝ち取ったのだから。

 

 ……勝ち取ったんだよな?

 

 俺は辺りを見回す。まだ辺りは赤い荒野が広がっていて、頭上は黒い霧こそ晴れているものの薄暗い夕暮れ空である。幻想黒鍵が消滅したのにクロエの作り出したワールドパージが解除されていない。

 

「箒。紅椿はどうなった?」

「私の手元にある。しばらく展開は出来そうにないが」

 

 左手首の金と銀の鈴を見せつけられて俺も納得する。紅椿はたしかに幻想黒鍵から切り離された。だから幻想黒鍵もその存在を維持できな――

 違う。維持できなかったのは幻想黒鍵でなくイオニアスだけだ。

 もしかして、まだ幻想黒鍵がこの空間に残っている?

 

 俺は周りを確認しようとした。すると俺よりも先に箒が指を差す。

 

「あそこにいるのは……?」

 

 その場所は幻想黒鍵が根を生やしていたところ。灰結晶の身体が砕け散った後も根元部分だけはまだ形を維持しており、その手前にはこちらに背中を向けている女性の姿があった。

 見慣れた服装だ。不思議の国のアリスを一人で体現するというコンセプトのコスプレはあの人の象徴のような恰好である。

 

「行こう、箒」

 

 箒の手を引いてあの人の元へと向かう。偽物か本物かはわからないけど、何も言わずにここを出て行くことはできなかった。

 考えたくない可能性だが、もしクロエが扮した偽物であるならば倒さなければいけない。

 

「――このまま黙って見送ろうと思っていたけど、気づかれちゃったなら仕方ないね」

 

 背中越しにかけられた声はすごく優しいものだった。

 彼女を中心として赤い大地に波紋が広がる。元の鏡のような水面が下一面に広がり、空もどこまでも澄み渡る蒼穹へと移り変わった。

 

「姉さん……」

 

 目の前の人物が偽物かどうかまだ判断が付かなかった俺の隣で、箒は迷いなく彼女のことをそう呼んだ。

 

「良かったね、箒ちゃん。箒ちゃんを文月ナナにせざるを得なかった全ての元凶はさっき死んだ。もう嘘の世界に生きる必要はなくて、本当の世界でのびのびと生きていいんだよ」

「それはちょっと違う。今日までの7年間は決して嘘なんかじゃなかった。姉さんが必死に守ってくれた、私の世界だった」

「まさかそう言ってくれるとは思ってなかった。私は恨まれて当然のことしかしてこなかったから」

「昔は恨んでいた。でも、私たちは姉妹だ。姉の不器用さくらい知ってる。自由奔放だったんじゃなくて、家に居られなかっただけなんだってもう知ってる」

「元を辿ると、私が自分から危険な場所に首を突っ込んだのに?」

「そんな話に意味はない。姉さんが繋いでくれた命がここに在る。それが私の知ってる姉さんの本質なんだ」

 

 箒が束さんだと断言してるんだから俺が細かいことを気にするのはやめよう。

 束さんがここに現れた理由を考えてみても実は難しいことじゃない。幻想黒鍵に取り込まれた操縦者はクロエとイオニアスだけでなく、束さんもだった。俺を助けるために消耗して一番権限が小さくなっていた束さんの人格がようやく一番表に出てきたということだろう。

 束さんはまだ俺たちに背中を向けたままだ。最初は箒に合わせる顔がなかったからかもしれないけど、きっと今の理由は違うものになってるはず。

 

「……私は“お姉ちゃん”でいられたかな?」

 

 あの束さんが泣いてるところを初めて見た。

 

「私の自慢の姉だよ、束姉さん」

 

 俺の知る限り、箒が呼称としての意味以外で束さんのことを姉と認めたことはなかった。

 束さんはいつも箒に対して後ろめたさを感じていた。柳韻先生の教えを真面目に受けていた箒が段々と束さんよりも千冬姉に似てきているのだと軽そうな口調で俺に呟いてきたこともあったっけ。

 口調とは裏腹にずっと気にしていたんだ。今、この瞬間、その悩みが吹き飛ばされていくのが見て取れてしまう。

 振り返った束さんの顔は涙でぐちゃぐちゃだったけど、笑っていた。子供のように無邪気な笑顔。それは今まで見てきた作り笑顔とは根本的に作りが違う。

 雨降って地固まる。第三者視点で見てても気分が晴れやかになる良い光景だ。

 

「もうそろそろお別れの時間だね」

 

 表情は温かいまま。しかし告げるのは別れ。

 箒が詰め寄る。

 ……そっか。箒にはまだ実感なんてなかったのかもしれない。

 そういう俺も束さんの世話になってたから全く実感なんてない。

 

「どうしてっ!?」

「束さんはもう死んでるから」

 

 箒は束さんの胸に飛び込む。幼い頃から肉親に甘えてこなかった彼女が初めて束さんの胸に顔を埋めた。

 

「嫌だ! 折角、本音で話せたのに! もう、これが最後だなんて!」

「厳密には束さんの最後は1年前に過ぎちゃってる。今の私は篠ノ之束の残照に過ぎなくて、そういう意味では偽物みたいな――」

「でも! ここにいるのは姉さんなんだ!」

 

 小さい子供みたいに駄々をこねている箒。普段なら絶対に見せない彼女の姿は素直になった結果なんだと思う。

 束さんは少し困ったように頭を掻いていたけれど、やっぱり笑ったまま。右手で優しく箒の頭を撫でた。

 

「うん。私は箒ちゃんのお姉さんだ。だからさ、箒ちゃんが元気に帰って行くところを見送りたいの」

「そうだ! 一夏、モッピーがあれば姉さんも一緒に――」

 

 束さんから離れた箒が俺に話を振ってきた。

 たしかにモッピーがあれば現実生活の中で束さんと会話することができるだろうと思う。

 だけど、ナナだった頃の箒と決定的に違うところがある。

 そこにいる束さんはたしかに束さんだけど、俺たちは過去の束さんと話しているに過ぎないんだ。

 他ならぬ箒の頼み。首を縦に振りたいけど、こればっかりは心を鬼にするしかない。

 だって、過去の束さんに合わせてしまって前に進まなかったら、それこそ束さんの死が無駄になる。俺はそう思う。

 たとえ嫌われてでも俺はこの願いを否定しなければならない。

 

「ダメだよ、箒ちゃん。私は死の直前の意識が固定されているAIに過ぎない。学習はするけど人間としての成長とは違うし、どんどんと本来の篠ノ之束からかけ離れていっちゃう。見た目は人と変わらないかもしれないけど、本質的に生物の域から出てしまっているの」

 

 俺が否定する前に束さんが先に告げた。ついでに俺にウインクを飛ばしてきた辺り、完全に助け船を出されている。

 ……こんなときに俺にまで気を遣わないでくださいよ。

 

「それが姉さんの選んだ道ですか……?」

「うん。割と満足してるよ。私の最後の願いはここに叶っているから」

 

 自らの消失する未来を束さんは頑なに受け入れていた。

 箒の両手は握り拳を作り、力みすぎて震えている。言いたいことはまだたくさんあるだろう。きっとほとんどが単なる我が儘だ。今、彼女は懸命に自身の言葉を飲み込んでいる。

 

「……姉さん。私、帰るよ」

 

 一歩、二歩、と箒は束さんから離れる。チラチラと束さんの顔を見ながら、名残惜しさ全開だったけれど、確実に前に進んでいた。

 

「私は辿り着いてみせるから! 姉さんがいつも言ってた“楽しい世界”が見られるように頑張っていくから!」

「うん、そうだね。頑張れ、箒ちゃん」

「後で羨んでも、知らないから!」

「羨むもんか。むしろ誇らしく思うよ」

 

 束さんはひたすらに言葉で箒の背を押し続ける。

 頑張れ。ここから先、手助けはしない。優しさの中にはそんな厳しさも垣間見えた。

 

「じゃあ、俺たちは現実に帰ります、束さん」

「箒ちゃんのこと、よろしく頼むよ、いっくん」

 

 俺は箒の隣に並ぶ。手を繋ぎ、二人で揃って束さんに背を向けた。

 ワールドパージの出口として目の前の空間に穴が開く。ここを通れば俺たちは現実に帰ることになる。

 

「さよなら、姉さん。ありがとう」

「こちらこそありがとう、箒ちゃん」

 

 最後は二人、お互いに感謝を交わした。

 箒の手を引いて、穴を通過する。視界がホワイトアウトして、俺たちの意識はこの世界から乖離した。

 

 

  ***

 

 

 真っ白だった視界から急激にクリアになってくる。左手に握っていたはずの箒の手の感触はなく、現実に帰ってきたのだ。

 ――そう漠然と思っていたのだが、どう考えてもおかしい。

 辺りの景色を見回してみれば清々しいほどの青空と、鏡のような水の床が広がっている。

 ここはさっきまでいたワールドパージと同じ?

 

「お、困惑してるねぇ、いっくん」

 

 ついでに、さっきお別れを告げたばかりの束さんが俺を見つめてきてた。

 

「説明をお願いします。色々と」

「箒ちゃんは無事に現実に帰ったよ。今頃はあの剣術お化けが箒ちゃんの面倒を見てるだろうね」

「ああ、それは良かった。で、俺はどうしてここに?」

「そりゃあ、束さんが引き留めたからだよ」

 

 あのタイミングでわざわざ俺だけを引き留めた。つまり、箒には聞かれたくないことってわけだな。まさかこの期に及んで気まぐれに悪戯してるだけとは思えないし。

 

「まずはおめでとう、いっくん。君は無事、“楽しい世界”に辿り着いた」

 

 ……楽しい世界。それはずっと束さんが求めていたものではなかっただろうか。

 ありがとうとは言えなかった。当たり前とはいえ、束さんがあまりにも他人事のように語るものだから素直には喜べない。

 

「どうしたの? 箒ちゃんとそんな暗い顔で再会するつもり?」

「だって、その楽しい世界に束さんがいないじゃないですか……」

 

 ああ、くそ。俺は別に束さんとはあまり深い付き合いじゃなかったのに、どうしてか無性に悔しい。

 楽しい世界が待っている。そう言われても、そこに束さんの居場所はない。陰ながら俺たちのためにずっと戦ってきてくれた束さんに俺は何もしてあげられないのか。

 申し訳なく思う俺を束さんはあろうことか鼻でせせら笑った。

 

「おかしなことを言うね、いっくん。君が目指した世界には、私の存在などなかったよね?」

「でもそれじゃ束さんがあまりにも報われてない……」

「いっくんは歴史の勉強をしたことがないのかな? 有史以来、世界が平等であったことなど一度もないよ。人類全てを平等に救うことなど君のお父さんにも天才である束さんにもできなかったのだから、君がそれを後悔するのは自惚れというものだ」

「束さんは納得してるんですか?」

「いっくんは楽しい世界に辿り着いた。束さんは辿り着けなかった。どちらも人が自分らしく生きた結果であり、十分に納得している。もし仮にだ。万人に平等な世界を誰かから与えられたとしても、そんな世界はつまらない。そこにはきっと人らしい人なんていないだろうから」

 

 報われない努力もまた人間の歴史であり、束さんもそんな人間の一人に過ぎないのだと言う。

 楽しい世界を求めて日々を生きる。それこそが人間らしさだとする束さんに俺はこれ以上言い返すことができなかった。俺もそう思うから。

 ……だけど、このままさよならじゃ俺の気が済まない。

 

「ねえ、束さん。一つ聞いていいかな……?」

「一つと言わず、好きなだけいいよ。今だけね」

「今の世界は楽しいですか?」

 

 ずっと俺に投げかけられてきた質問をそのまま返した。

 俺が戦い続ける覚悟を固めたきっかけの問い。

 否定したからこそ(あらが)えた。欲しい未来が見えていた。

 これで束さんの本当の気持ちを知ることが出来るのだと俺は思っている。

 

「楽しい方だよ。一番じゃないのは残念だけど」

「そう、ですか」

 

 詳しく聞かなくても俺は察している。

 束さんが最も辿り着きたかった楽しい世界は未来にはもう無かったんだ。

 

「さっきも言ってたように、もう束さんは過去の人。今を生きる君たちの邪魔はしたくないのだよ」

 

 束さんの言ってることはさっき俺も認めたこと。箒を納得させたのだから、俺も納得しなくてはならない。

 

「だから、いっくん。ここからが束さんの用件になるんだけど」

 

 そういえばまだ俺だけを引き留めた理由を聞けてなかった。

 なんとなく嫌な予感がしている。こういうときばっかり俺の勘は良く当たる。

 

「まだいっくんの仕事は終わってない」

「どういうこと、ですか……?」

「もういっくんと箒ちゃんを苦しめる奴はいなくなった。でもまだISVSは残ってる。管理者である私の意識が残っている内に消さないと、このままISコアと共に残り続ける。いっくんを苦しめてきたISVSは役割を終えて消えるべき。私がどうすべきか、君が決めるんだ」

 

 嫌な予感はあながち外れてはいなかったけど、なんてことはない。

 束さんが随分と的外れなことを考えていただけだ。

 

「もう箒は現実に帰ったんだ。ISVSを消す必要なんてない。この先も皆で楽しめればそれでいいんじゃないかな?」

「でもISVSはまた悪い奴に利用されるかもしれないよ? また箒ちゃんが巻き込まれるかもよ?」

「俺が目を光らせてるうちは絶対にそんなことはさせない。むしろ良い奴に利用させないといけないと俺は思ってる。だから束さんといえどもこの世界を消させはしないし、俺自身が消すだなんてことはあり得ない」

 

 神様すら呪っていた頃に俺が出会ったISVSには感謝こそすれど、消してやりたいだなんて思わない。

 俺にとってISVSは箒を苦しめた元凶でなくて、箒を救う可能性だった。真実を知った今ではその認識が正しかったと確信もした。

 

「選ぶのはいっくんだけ。それがいっくんの答えだったら束さんは素直に従う」

「ありがとうございます」

「一つ聞かせて。いっくんはISが嫌いだったと思うんだけど、どういう心境の変化だったのかな?」

 

 たしかに昔はISが嫌いだった。箒と離ればなれになった原因がISにあったのは子供だった当時の俺にも理解できたから。

 だけど7年の間で本当に嫌いだったのは別のものだと気づいた。

 

「嫌いだったのは箒を邪魔するものだけだ。ISに罪があるわけじゃなかったし、束さんたちの作ったこのISVSは多くの人にとって“楽しい世界”になっている。俺も好きなんだ、ここが」

「制作者冥利に尽きるね」

「それに俺は束さんの作った“楽しい世界”を見て思ったんだ。近い将来、ISが人を宇宙に連れ出してくれたりとか、色々な夢を叶える原動力になってくれるんじゃないかってね。俺の願いを叶えたこの世界(ISVS)がきっと他の誰かの夢となり、そして現実となる未来が待っているかもしれない。それは素晴らしいことだと思うし――」

 

 束さんは現実からいなくなる。いつかは人々の記憶から忘れ去られるのだろう。だけどISVSは――

 

「束さんが生きていた証にもなると思うんだ」

 

 束さんのしてきたことは無駄なんかじゃなかった。そう、俺は断言したい。

 

「じゃあ、いっくんが嬉しいことを言ってくれたお礼をしてあげる」

「無理しなくていいですって」

「いっくんには篠ノ之束お姉さんとISVSで対戦する権利と義務を与えよう」

 

 無理するなと言いながら若干の期待もしていた俺だったんだけど、思いの外、予想外な答えを聞いてしまった。

 

「対戦? それに権利と()()ってどういうこと?」

「いっくんがここから出るには束さんを倒すか二日経過しなくてはならない。こんな条件を与えればいっくんは否応なしに私と戦わざるを得なくなるよね」

 

 試しにログアウトを試みるが、失敗に終わる。

 束さんの言ってることはマジだ。

 現状、俺はIllのワールドパージに囚われているのと変わらない。

 

「いやー、実はこのゲーム、作るだけ作っておいてまだ私自身がやったことないの。だからこの機会にいっくんと遊ぼうかなーと」

「い、今じゃないとダメっすか?」

「むしろ今だからだよ」

 

 よくはわからないけど、束さんは本気だ。本気で俺を帰らせないまま戦おうとしてる。

 なんとか考えを改めさせないと!

 

「あ、そういえば! 早く黒い月を停止させないと――」

「さっき箒ちゃんを帰したときに止めといたから大丈夫だよ」

「えーと……とりあえず皆が心配するから一度帰りたいんだけど――」

「さっきからこの会話を盗み聞きしてる子がいるから心配無用。ちゃんと事情はあの子が説明してくれるよ」

 

 束さんの言う“あの子”が誰なのかはよく考えなくても察せられる。この信頼感。うん、今は逆に悲しい。聞いてるなら助け船の一つでも出してくれればいいのに。

 唐突に束さんが携帯電話みたいなものを取り出してどこかと通話を始めた。何を話しているのかは聞き取れない。そうこうしてる内に通話が終わる。

 

「許可も出たし、早くやろうよ、いっくん」

「許可でちゃったの? ってか誰の?」

「だから、さっきから盗み聞きしてる子」

「裏切ったのか、ラピスゥ!」

 

 少しでも早く箒の顔を見に行きたいのになんで束さんもラピスも俺の邪魔をしようとするんだ?

 とにかくだ。この2人が俺の道を阻んでくるのなら相応の覚悟が必要だ。もう単なる説得じゃ弱い。

 

「わかったわかった。やればいいんでしょ、やれば」

「投げやりだなぁ。ちょっとは楽しそうにしてくれないと束さん、悲しい」

「全力でやるんで安心してください。俺は早く箒の顔を見たい。さっさと引導を渡してくれる!」

「じゃあ、私は全力で阻止しよう。さあ! 束さんの力を思い知れ!」

 

 雪片弐型を抜刀。

 束さんは例の魔法のステッキを召喚。

 今ここに、俺が現実に帰るための最終試練が始まった。

 

 

◆◇◆―――――――――――――◆◇◆

 

Epilogue : 俺の隣 - Her real space -

 

◆◇◆―――――――――――――◆◇◆

 

 

 

 黒い月の騒動から二日が経過した。

 現実におけるこの騒動は国家代表が黒い月の破壊に成功したことで終結したことになっている。ISVSに関わっていない人々にとって、自然災害をIS操縦者が防いだという認識である。

 世界中のISVSプレイヤーが全人類の命運を賭けて戦っていた。その戦いは歴史に刻まれない。公にはあくまでゲームという扱いであり、プレイヤーたちの記憶に残るだけのイベントとなった。

 地球の危機と騒がれていたのも今は昔といった様相だ。人々は例年通りに新しい年を祝っている。穏やかな日常。その中に仮想世界の戦士たちも帰っていた。

 

 しかし日常とは言っても何も変わらないわけではない。少なくとも、織斑家はこの一年で劇的な変化をしている。昨年までならば、新年の織斑家のダイニングで優雅に紅茶を嗜む少女などいなかった。

 

「今日は一月三日。“約束”の日ですわね」

 

 独り言を呟く横顔はどこかスッキリとしている。そんな主人の背後に控えていたメイド、チェルシー・ブランケットがついつい口を挟む。

 

「よろしかったので?」

「何かしら?」

「お嬢様も行きたかったのではないですか?」

「そのような無粋な真似、お母様に叱られてしまいますわ」

 

 使用人の問いに答える声は窓の外と違って明るい。

 

「殿方の帰りを家で待つ。淑女として当然の在り方でしてよ」

 

 この日、セシリア・オルコットは待つと決めていた。

 邪魔をするのは無粋としたのも理由の一つ。しかしそれよりも自分にだけできるアプローチがあるという割と自分本位な理由で“彼”の帰りを待っている。

 

「そういえば、一夏様はどうしてすぐに帰ってこられないのですか?」

 

 あの決戦以来、織斑一夏は現実に帰ってきていない。今は篠ノ之箒と同じ病院に入院させている。

 

仮想世界(あちら)で篠ノ之博士と戯れていますわ。そろそろ戻ってくるはずですが」

「それは存じています。しかし篠ノ之博士はなぜそのような真似を?」

「一夏さんはデリカシーの無い人ですから。篠ノ之博士は箒さんに準備をする時間を与えたかったのでしょう」

「お嬢様もそれに同意されたわけですね」

「わたくしはどちらでも構わなかったのですが、ちょっと一夏さんを困らせたかったのかもしれませんわ」

 

 セシリアは窓の外に視線を移す。まだ午前五時を回ったばかりで真っ暗だ。日が明けるには早い時間である。

 実際のところ、この日を迎えるに当たってそわそわして眠れなかったセシリアであった。

 

「あの人はきっと今頃走っていますわね。目標に向かって一直線に。わたくしはそんなあの人の帰る場所で在りたい。たとえ今は他の人を見ていても、わたくしは負けたとは思っていませんもの」

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 目が覚めたら、明らかに家とは違う匂いがした。清潔感の中にちょっとした薬品っぽい印象があるこの雰囲気はおそらくは病院だろう。辺りを見回すと、ベッドが白いカーテンに囲まれている。

 

「これって入院させられてるってことか?」

 

 頭を掻きながら起き上がる。廊下から光が漏れてきている程度の暗がりの中、枕元に置いてあった私服に着替えてカーテンの外に出た。

 外は暗い。真夜中、あるいは早朝だろうか。

 勝手に出歩いちゃマズイかもしれないとは思いつつも、俺は廊下に出た。見覚えがある。ここはこの一年間俺が見舞いに通っていた病院に違いない。

 

「そうだ、箒!」

 

 俺が起きない間にわざわざ入院という形でここに置いてくれたのはセシリアの計らいだと思う。起きてすぐに移動する手間が省けたというもの。俺は慣れた道を早足で進む。

 道案内も何もなくても目的の部屋に着くまでは一瞬だ。篠ノ之箒の名前がある病室の前。中は明かりが消えているけど、俺は躊躇なく扉を開けた。

 ここは個室である。もちろんベッドは一つのみ。意外なことにベッドを隠すカーテンは全開となっていて、ベッドのシーツには皺一つ無かった。もちろん、誰も横たわっていなかったし、それどころか病室内に誰もいない。

 箒がいない。昏睡状態を見せつけられるよりは遙かにマシだけど、会えると思ったのに会えなかったのは結構悲しい。

 

「――ようやく起きたか」

 

 後ろから声が掛けられた。振り返ると、廊下にいたのは――

 

「千冬姉?」

 

 久しぶりに会った気がする千冬姉だった。そういえば年末はほとんど会えてなかった。

 

「どうしてここに?」

「さっきまではお前の眠っていた病室にいた。席を外している間にいなくなったお前を追って、ここまで来ただけのことだ」

「ん? 寝てる俺についててくれたのか?」

「あの黒い月の脅威が去ってから暇だったからな。たまにはこういうのも悪くないだろう?」

 

 まあ、たしかに。特に最近は千冬姉を遠い存在に感じてたから。

 

「ところで一夏。束は何か言っていたか?」

 

 千冬姉に聞かれて振り返ってみる。

 あの決戦の後、俺は束さんとひたすらにISVSをしていたわけなんだけど、特に千冬姉に伝言とかは頼まれなかった。

 まだしばらくは束さんの人格は消えないらしい。これは俺の勝手な推測だけど、きっと束さんは何も言わないことで、千冬姉に直接会いに来るよう仕向けてる。

 

「特に何も」

「そうか……」

「まだしばらくはISVSのどっかに居るみたいだから探しに行ってみたら?」

 

 すると千冬姉にしては珍しい、眉間に皺が寄った心から嫌そうな顔をした。

 

「まだ居るのか……?」

「そんな顔しないでやってくれよ。友達なんだから」

「――まあ、私から束に言いたいことは山ほどある。暇つぶしを兼ねて行ってみるのも悪くはない」

 

 本当は行きたいくせに。

 そう、思ったけど胸の内に留めておく。

 

「私のことはさておき。お前はどうした?」

「どうしたって何が?」

「今の時刻は一月三日の午前五時。お前が来るべき場所はここではないだろう?」

 

 言われてからしばし固まる。

 ……そういえば起きてから時計を見てなかった。

 それにまだ入院中らしい箒が病室にいない理由とは何か。

 深く考えずとも答えは決まっている。

 

「やべっ!」

 

 俺は慌てて病室を飛び出した。

 

 

  ***

 

 

 日の出が近くなり、空が白み始めていた。

 この夜は大変良く晴れていたらしく、外気温は容赦なく凍てついた棘となっている。着慣れたジャンパーを羽織っていても、その上から身に刺さるような寒さが俺を襲っていた。

 昨日辺りは雪でも降っていたのだろう。道行く風景は銀世界と呼べるほどではないけれど、冬らしい雪景色ではある。道路の雪は溶けていても、人通りの少ない歩道の雪はしつこく残っているものだ。

 雪を踏みしめて俺は歩く。こうして雪の中を神社まで歩いていると七年前のことが思い出される。たしか、まだ日が出る前の暗い時間に箒から電話がかかってきたんだったっけ。基本的に面倒くさがりな俺だけど、あの日は当たり前のように行こうと思えた。その時点で俺の想いなんてものは決まっていたのかもしれない。

 篠ノ之神社に到着。参道に積もった綺麗すぎる雪を見るに、昨日から誰も足を踏み入れていないらしい。新年の神社としてこれはいかがなものかと思うところだが、まだここは原因不明の昏睡事件が起きた場所となってから丁度一年が経ったばかりだから近寄る人がいなくても不思議ではないか。とりあえず俺が先に到着したことがわかったからそれでいい。

 

「こうして待つのは二年ぶりだな」

 

 と、言いながらも思い起こすのはやはり七年前。呼び出されたのにもかかわらず長く待たされた。正直に言ってしまうと当時はかなりイライラしていたけど、今にして思えば、そのとき彼女が準備にかけていた時間はとても嬉しいものだった。

 

 

「来てくれたのだな……一夏」

 

 

 俺の名前を呼ぶ声がする。今も覚えている七年前と同じ台詞。鳥居の方へ振り返ってみると、そこには鳥居の朱に負けないくらいに鮮やかな着物姿で、束さんよりも圧倒的に艶やかな()()が立っていた。

 彼女はわざと七年前と同じ台詞を言った。だけど、俺にはとてもこの先の再現を出来そうにない。あのときは苛立ち混じりに『来てやった』みたいなことを言ったと思うんだけど、今の俺はここに来たくて仕方がなかった。自分に嘘を吐くような演技はしない。

 俺が欲しいのは過去でなく未来。

 これから先の“楽しい世界”への第一歩がここから始まる。

 

「ずっと、伝えたかったことがあるんだ」

 

 逸る気持ちをぐっと抑え、彼女の元へと歩む。

 伝えたかったことは数え切れないほどある。仮想世界でのクロッシング・アクセスで彼女には全部伝わっているのかもしれないけど、これは俺が自分の口から言うからこそ意味がある。

 

「箒。もうお前を離したくない。これからずっと傍にいてくれ」

 

 やはりドラマに出てくるようなカッコいい言葉は言えない。

 でもそれでいい。伝えたいことはちゃんと言えたんだ。

 

「私もだ、一夏」

 

 箒は優しく微笑んだ。普段の凜とした強い目つきは形を潜め、慈愛すら思わせる寛容さが感じられる。

 だけどそれすらも箒の強がりだった。笑顔を見せる彼女の頬を一滴の雫が伝う。

 

「今日まで……生きてきて良かった。私は……一夏の隣にいる」

 

 泣き咽ぶ箒をそっと抱き寄せる。そうしてやっと実感する。

 幻なんかじゃない。俺の腕の中には確かな温もりがある。

 俺が守った彼女が、ここにいる。

 あの日と同じ、透き通る氷のように澄んだ寒空の下、俺たちは二人で抱き合った。

 

 

 …………。

 箒の温かさを感じつつ。静かになったから周りの音が良く聞こえるようになってきた。

 すぐ傍の茂みがガサガサと小さく揺れている。

 ついでにひそひそと話し声も聞こえてくる。

 これはもしかしなくても――

 俺は石を拾って茂みの中に放り投げた。

 

「いたっ!」

「うおっ!」

 

 この声は鈴だ。ついでに弾の声もする。というか、声は一人や二人じゃなくて、水面に落ちた波紋のように一気に騒々しくなる。

 

「よっしゃ! 織斑は幼馴染みルート確定!」

「おい! 建前上は鈴ちゃんを選ばなかったことを責めるべきだろうが!」

「本人も居る前で何言ってるんだ、コイツら……」

「僕は知ってます! 名誉団長の心は最後に必ずセシリア様の元へ向かうと!」

 

 何やら好き勝手言われてるようだ。

 隠れていたのは藍越学園の奴らだったり、プレイヤー仲間だったりといったいつものメンツ。コイツらは俺たちをからかうためだけに早朝からスタンバイしていたのだろうか。

 とりあえず覗き見されてたことは今日だけは大目に見よう。皆も俺と箒の約束を知っていたわけだし、心配もさせちゃったからこんなことになってるんだろうしな。

 

「勘違いしないでよね、箒! 今は同情されてるだけ! あたしは認めないから!」

「鈴ちゃん、もう負けフラグしか立ってないよ!」

「うるさいっ!」

 

 ああ、幸村がアッパーカットをくらってる。なぜか幸せそうだ。

 これを皮切りに、まだ三箇日(さんがにち)という勢いも相まって、ジュースや菓子を持ち込んでの大騒ぎに発展する。この寒い中、元気な奴らだ。もう冬休みに集まって騒ぎたいだけの近所迷惑なガキの集団にしかなってない。

 主役であるはずの俺と箒はいつの間にか蚊帳の外。どんちゃん騒ぎを遠くから二人で眺めていた。

 これが日常の一風景。箒が帰ってきた場所。

 隣にいる箒に目をやると、藍越連中の勢いに気圧されて明らかに戸惑っている。たぶん俺も同じ事を思ってるんだけど、長年の約束を果たしたという余韻は、連中の熱い思いやりで台無しだ。

 箒に見えやすいように、俺はわざとらしく溜め息を吐く。

 

「また約束を果たせなかった」

 

 これだけ騒々しくては二人だけの初詣とは言えない。だから――

 

「来年こそ、二人だけで初詣をしよう」

「ふふふ。そうだな」

 

 また約束を交わす。そうして俺たちの未来を紡いでいこう。

 ここが俺の“楽しい世界”だ。

 

『Illusional Space』(完)




お疲れさまでした。

やっと完結しました。これまでに私が書いた中で間違いなく最長の作品です。無事終わって良かった良かった。
いつも完結した後は読者の方から好きなキャラと好きなセリフ、好きなシーンを聞かせてもらっています。今回も書いてもらえると嬉しいですね。
ちなみに作者の私が好きなセリフは一夏の「君が見てくれていれば、俺は無敵だから」で、好きなシーンは25話で一夏の口では黙っているけど「助けに来た」と全力で主張している背中のところです。一番好きなキャラ? セシリア以外ありえない。
皆さんの感想をお待ちしています。


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おまけ
1年後の1月3日


 透き通る氷のように澄んだ空の下、俺は1人立っていた。

 

 仄かに明るくなってきた朝の空には雲一つない。放射冷却の影響をもろに受けた冷たい空気は清々しいまでに肌に突き刺さってくる。藍越学園ISVS部の皆で製作したロゴ入りジャンバーを着ていても、流石に冬の早朝の寒さに耐えきれるほどではなく、俺は両腕を抱えて震えながら待っている。

 何を待っているのかなど決まっている。今日は1月3日。正月の三箇日の最後の朝は俺と箒にとって特別な時間となっているのだから。

 

「今のところ、誰もいないな」

 

 周囲を注意深く観察する。去年は大多数の邪魔が入ってお祭り騒ぎになり、俺と箒の初詣とはとても呼べなかった。今年こそは真の約束を果たすため、誰にも邪魔させないと誓いを立てている。

 

 今日この日のために俺が何もしなかったわけなどない。

 

 まず邪魔しに来る可能性のある人物の筆頭、セシリア・オルコット。

 専用機を企業に返還し、代表候補生を引退した彼女はずっと日本に住んでいる。というか未だに俺の家に居候を続けている。主人思いのメイドと執事の手によって魔改造を施された我が邸宅はいつの間にか豪邸へとリフォームされてしまっている。

 既に大学卒業の資格を有していると聞いていたがまだ藍越学園の生徒という身分は捨てていない。ただ、肩書きが1つ増えていて、彼女は藍越学園の理事長でもある。この辺りの話は箒たちのためにしてくれたことなので俺は彼女に頭が上がらない。

 ただし、受けた恩と俺の都合は分けて考えるべきだ。

 今日、この時間だけは邪魔しないでくれと俺は彼女に頭を下げてきた。すると、彼女はこう言った。

 

『わたくしがそんな無粋な女に見えるかしら?』

 

 ……アレは間違いなく内心ぶち切れてたね。完全に俺の失言だった。最終的には『仕方ない人ですわね』と笑われてたからたぶん大丈夫。

 

 次はお祭り騒ぎを作り出す元凶となる男、五反田弾。

 藍越エンジョイ勢のリーダーであり、藍越学園に誕生したISVS部の部長でもあるあの男が一声掛けると藍越学園の野郎どもの大半が便乗してくる。厄介極まりない存在だ。逆に言えば弾さえ動かなければ他の藍越エンジョイ勢はこんなところにやってこないとも言い換えられる。

 奴の場合は頼み込んだところで無駄だ。俺だけが楽しもうとすると必ず自分も混ざろうとしてくる。

 俺は俺のために、弾は弾のために。

 昔からそんな行動指針で上手く歯車が噛み合ってきただけの俺たちだ。だから弾には弾のために動いてもらえばここにやってくることにはならない。

 というわけで、虚さんにペアの温泉旅行券を送りつけてこの街からご退場願った。奴が美人女子大生の彼女との温泉を捨ててまで俺を茶化しに来るわけなどあるはずもない。

 

 一番行動が読めないのは数馬だが、あいつのスケジュールを確認したら今日は家族で出かけるとか言っていたな。あの野郎の場合、『行き先は篠ノ之神社じゃないから安心しろ』と一言添えてきたから信用していい。嘘を吐いてまで邪魔してくるような腐った性根は持ち合わせていないと俺は知っている。きっと御手洗家の家訓にも『友達に嘘を吐くな』と書いてある。

 

 あとは蒼天騎士団の団長、真島慎二。

 藍越学園に入学してきた慎二は明確に俺の後輩となった。いつも俺の後ろをついて回ってきたから1月3日もいるかもしれないと警戒していたんだが、むしろ慎二の方から『冬休み中はお邪魔するわけにはいきません。何かトラブルがあれば連絡をください』と勝手に引き下がっていった。そういえば7月7日と12月24日も姿を見せなかったっけ。良くできた後輩だが察しが良すぎて若干不気味でもある。

 

 何度考え直しても邪魔が入る要素は見当たらない。少なくとも必然的な事象は回避できていると言っていい。

 

 確かな手応えを感じつつ、身体を震わせながら待ち続けること30分。約束の時間よりも10分以上早く、“彼女”が姿を見せた。

 

「やはり待っていてくれたのだな、一夏」

 

 彼女のイメージカラーである鮮やかな紅の着物はもはや彼女のトレードマークと言っていい。半年ぶりに会う彼女はまた一段と綺麗になった。それは気のせいじゃなくて、実際にそうなのだと断言したい。

 

「い、いや、待ってないぞ。お、俺も今来たところだから」

「待ち合わせの常套句を覚えてきたのか。昔と比べて一夏も成長したのだと感じさせられるが、嘘だとすぐにバレるあたりはまだまだだな」

 

 くっ。笑われた。

 仕方ないだろ。着飾った箒を前にして、用意してた褒め言葉が全部頭から吹っ飛んだんだ。1ヶ月ぶりにあったものだから尚更だ。

 

「元気そうで何よりだ」

「それはこっちのセリフだっての。1ヶ月も学校を休みやがって」

「文句は研修を強制してきた倉持技研か国家代表を引退した千冬さんにでも言ってくれ」

「千冬姉は悪くないだろ! 研修も必要だったんだろうし……」

「では私が悪いのか?」

「そうは言ってない! でもまあ、箒が国家代表になる必要はなかったとは思うけどさ」

 

 箒たちが仮想世界に閉じ込められた一連の事件は一部で黒鍵事件と呼ばれている。黒鍵事件は千冬姉たち国家代表たちの活躍で解決したことになっているのだが、事件の直後に千冬姉が表舞台に顔を出し引退を宣言した。千冬姉にとって国家代表という立場は手段であって目的ではなかった。目的が果たされた千冬姉がいつまでも面倒な国家代表という立場に居続ける理由もない。今は何とかという国際的な組織に所属して亡国機業の残党を追っていると聞いている。

 ISVS最強プレイヤーを失った日本は次のブリュンヒルデを探した。千冬姉の代わりが務まるプレイヤーなどいるはずもないと誰もが諦めていたときにISVS界に降り立ったのが箒である。全身が机上兵器で固められた専用ISと無限とも言えるサプライエネルギーを得られる単一仕様能力を使いこなす彼女はあっという間に日本代表の座についたのだった。

 

「私の我が儘だ。姉さんが遺してくれた紅椿を世界中に見せつけてやりたかった。千冬さんを超えたいという夢もあったしな」

「無謀な夢を見るだなんて箒にしては珍しい」

「負けるつもりなどない。千冬さんにもセシリアにも」

「ん? なんでここでセシリアが出てくるんだ?」

「誰にも負けたくない。ただそれだけのことだ。深い意味はない」

 

 急に視線を逸らしやがった。深い意味があるらしいけど教えてはくれそうにないから諦める。

 

「あと、一夏は誤解をしている」

「何をだ?」

「1ヶ月も会えなかったのだ……私の方が一夏の何倍も寂しかったのだぞ?」

 

 コイツ、いつの間に上目遣いなんて覚えてきやがった! 俺を悶え死にさせる気か!

 いや、箒だぞ。意図的にあざとい真似なんてできるはずがない。

 だったら天然? 余計にヤバイじゃん!

 

「え、えーとだな……とりあえずお参りを先にしないか? 去年みたいに邪魔が入ると嫌だし」

 

 箒の足下を見る。歩きづらそうな下駄だ。今年は雪道でないけど、手を差し伸べる。彼女は一度だけ首を傾げたが、うんうんと頷くとあっさり手を取ってくる。

 

「安心した。一夏が奥手なのか、セシリアが控えてくれたのかは知らないが何も変わっていないようで何より」

「何の話だよ……」

「その顔は(とぼ)けているな? まあいい。追求すると藪蛇かもしれんしな。こうして篠ノ之神社に2人きりでいる今を喜ぶとしよう」

 

 たぶんこれは遠回しに嫌みを言われている。それくらい俺にもわかってるけど、今はまだ結論を出すつもりはない。

 箒を助け出した後、何もなかったはずの俺にも夢ができた。今はその夢に向かって突っ走っている最中だから、今ある人間関係を一部でも壊したくない。甘えだって言う人もいるけど、俺は彼女たちに甘えると決めているし宣言もした。もう開き直ってる。

 

「そういえば鈴はどうしている?」

「この1ヶ月は特に連絡ないな。まあ、沙汰がないのは逆に元気な証拠と思ってる」

「たしかに。鈴は中途半端なまま連絡を寄越す性格でなかった。次に会うのはモンド・グロッソの舞台かもしれん」

 

 鈴は半年前に転校していった。半年前はちょうど箒が国家代表に内定した頃。普段から箒に対抗意識を燃やしていた彼女は『中国で国家代表になってくる』と言い残して去っていった。昔はISVSでプロを目指すつもりはないと言い切っていたのに。人は変わるもんだ。

 他にもシャルがフランスの次期国家代表の候補に挙がっていると聞いている。ラウラも似たような感じだ。もしかしたら将来的にモンド・グロッソが同窓会みたいになるかもしれない。

 

「一夏の方はどうだ? 順調なのか?」

 

 そういえば、どうせ初詣のときに会うからと俺の近況について箒に言ってなかったっけ。

 

「とりあえずめぼしいアマチュア大会は制覇してきた。千冬姉とアーリィさんの推薦ももらえる。あとはモンド・グロッソ主催者側にコネのある宍戸に認められれば、俺も2月のモンド・グロッソに男性特別枠で出場できることになった」

 

 これは俺の夢にもつながること。

 俺はISVSのプロプレイヤー、言い換えると現実の専用機持ちになりたいと思っている。ちょっと前までは寝言に等しい夢だったが、最近になって見つかった篠ノ之論文により男性もISを使用可能になる制限解除方法が確立できそうだと簪さんから聞いている。

 あの仮想世界での戦いの最後、束さんと約束した。

 楽しい世界が楽しい世界であり続けるよう見守っていく、と。

 そのために俺はISに関わる仕事をしていきたいのだ。

 

「恭ちゃんは認めてくれるのか?」

 

 相変わらず箒から宍戸への呼び方は慣れない。変な笑いが込み上げてくるが今は真面目な話をしているので必死に抑える。

 

「条件を出された。明日、藍越学園で宍戸の用意した相手に勝たないといけない」

「そうか。今の一夏なら問題ない。千冬さんや恭ちゃんが相手というわけではないのだろう?」

 

 既に俺が勝つ気でいる箒は頬を綻ばせている。

 ……喜んでもらってるところ悪いが、俺はそんな楽観視してない。

 

「相手は俺たちと同じ高校2年生。宍戸が鍛え上げた対亡国機業の切り札だ。箒は知らないと思うけど、俺は奴と過去に10戦して5勝5敗、つまりは五分の戦績だ」

「今の一夏と互角の高校生……? そんな者がいるのか!?」

「ああ。あの野郎、宍戸みたいに武器なしでもとんでもなく強いからな。絶対に勝てる保証なんてない」

 

 むしろ最初は俺が勝ち越していて、最近になって追いつかれた。戦績だけを見れば五分でも、直近に絞れば俺が負け越している。

 勝ちたい。でもそう簡単に勝たせてくれる相手でもない。

 

 賽銭箱の前まで来た。すると箒は何も言わないまま小銭を投げ入れて手を合わせる。

 

「明日の試合で一夏が勝ちますように」

 

 わざわざ俺に聞こえるように、そう祈ってくれた。

 

「1年分のお願いを明日に集中させるつもりか? 俺は1回だけの特別枠で満足するつもりはないぞ」

 

 俺がISVSのプロプレイヤーになるためにはモンド・グロッソで実績を残すのが手っ取り早い。だから1回戦負けだけは絶対に避けなければならない。

 特別枠だなんてたった1回だけのチャンスだ。男がモンド・グロッソに参加できる風潮を作らなければ2度目なんてやってこない。

 

「ならば、たかが一般の高校生程度には勝ってもらわなければな」

 

 あの男がエアハルトより強い相手だとわかってて箒は煽ってくる。正論だから何も言い返せないし言い返すつもりもない。

 

「そうだな。びびってちゃ勝てるもんも勝てない」

「心配せずとも一夏は勝つ。お前は私が認める世界最高の男なのだから」

 

 どうして箒はそんな恥ずかしいことを自信満々に言ってくれるのかねぇ。

 おかげさまでやる気が出てきた。

 俺も賽銭を投げて合掌し、念じる。

 

 ――今年も楽しい年になりますように。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 1月3日の早朝。織斑千冬は国家代表を引退してからほぼ半年ぶりに仮想世界へとやってきていた。

 場所は篠ノ之神社。現実世界での同場所で織斑一夏と篠ノ之箒が待ち合わせているのと同時刻、仮想世界の参道を1人で歩く。

 

「この時間ならば“アイツ”もここに来ているだろうか」

 

 アイツとは古くからの友人である篠ノ之束のことだ。ちょうど2年前に亡国機業の首領と相討ちして死亡した束であるが生前の意識だけが今も仮想世界を彷徨っている。少なくとも一夏からそう聞かされていた千冬はいずれ不満をぶつけてやろうと考えていた。今がそのときと思うと自然と頬が緩んでいる。

 神社の敷地内を見回す。しかし屋外に人影は見えない。千冬は迷わず屋内、それも本殿へと入っていく。

 

「――ようやく見つけた」

 

 木造の殺風景な部屋の中、水色のワンピース姿の女が壁に背を預けて座り込んでいる。今も変わらず頭にメカっぽいウサ耳カチューシャを取り付けている女は十中八九篠ノ之束だ。俯いている彼女の表情は千冬から(うかが)えず、おそらく彼女は千冬がいることに気づいていない。

 

「創始に褒められてからずっとそのコスプレだったな、お前は。構って欲しくてツッコミ待ちしてただけだったのが『可愛い』と言われて逃げ出した、お前の滑稽な姿を私は今でも覚えてるぞ」

 

 声をかけたが反応は返ってこない。眠っているのだろうか。ツムギの活動を始めて以降、束の寝る姿など見たことがなかったことに気づかされる。

 

「平和な世界……いや、違ったな。お前の言う“楽しい世界”だからそうやって寝ていられるということか」

 

 眠り続けている親友の隣に千冬も腰を下ろす。

 ……黙っていれば非の打ち所のない美人だというのにな。

 もっとも、束は男の気を引こうとしていないのだから全く損をしていないのだが。

 

「箒は国家代表になった。お前の作った紅椿が世界一であることを証明するのだと気合いを入れていたぞ。私の見立てでは次のモンド・グロッソで十分にその存在を世界に知らしめるだろう。優勝は難しいだろうがな」

 

 束の頭をそっと撫でる。

 

「一夏は世界初の男性の専用機持ちを目指している。まさかモンド・グロッソの出場枠を手に入れる段階まで来るとは思っていなかった。その原動力となったのはお前との約束だそうだぞ」

 

 独り言を言いに来たわけではない。だからそろそろお前の話を聞かせろ、という意味を込めて強く肩を揺する。

 

 ……束から反応はない。

 

「狸寝入りは()せ。そもそもお前が私の接近に気づかぬはずがないだろ?」

 

 徐々に力を込めていく。

 するとようやく束の両目がゆっくりと開く。

 彼女と目が合った千冬は目を丸くした。

 

「たば、ね……?」

 

 黒い眼球と金色の瞳。千冬の知る篠ノ之束にはなかったその両目の特徴は遺伝子強化素体のものと一致する。

 目が合ったと思っていたのは千冬だけだった。束の目は焦点が定まっていない。

 

 ……もう彼女の目には何も映っていない。

 

「私は上手くやれましたか? ()()()

 

 発された言葉から千冬は全てを察した。彼女の頭を抱きかかえ、優しく撫でるのを繰り返す。

 

「ああ、上出来だ。ありがとう」

 

 感謝の意を告げる。千冬の胸の中でニッコリと微笑んだ彼女の肉体は足から順番に光の粒子となって仮想世界に溶けていく。

 

「束によろしく言っておいてくれ。お前たちの遺したこの世界を私なりのやり方で守っていくから」

 

 役割を終えた彼女は仮想世界から消失した。

 1人となった千冬は即座に立ち上がる。

 

「さて。用件も済んだことだ。帰って仕事に戻るとしよう」

 

 切り替えが早い。それが千冬らしいところなのだが、神社から立ち去る千冬の頬を光る雫が伝っていた。



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【用語】

 

■IS

アイエス。篠ノ之束の開発したパワードスーツ、インフィニットストラトスの略称。現実世界においては女性にしか使えない代物であるが、仮想世界の中では男性でも扱える。

ISは既存の軍事兵器を過去のものとした。その要因の大半が慣性操作(イナーシャルコントロール)による衝撃の無効化にあり、ISに傷をつけるには攻撃側にも慣性操作が必要となる。

ISバトルが競技として成立した理由の一つとして、ISの防御力が挙げられる。実弾を撃ったところで操縦者に傷が付かないからこそ競技として成り立つ。仮想世界のアバターならば尚更のことであり、ISVSは現実と比較して違和感のない代物であったことから現実のISバトルは廃れていった。もっとも、現実で競技が行われないのは、弾薬費などの経済的な理由が大きかったりする。

現実に存在するISの総数は467。これは篠ノ之束が世に配った総数であり、束が世間から隠したISも存在しているため厳密にはこの数よりも多い。

機体構成はおおよその大枠であるフレームに様々なパーツを取り付けるというもの。フレームの段階で装備できるパーツの上限とサプライエネルギーの供給効率がある程度決まっている。

 

■ISVS(アイエス・ヴァーサス)

正式名称はインフィニットストラトス・ヴァーストスカイ。ISの登場以降、人知れず世に現れた高性能な仮想シミュレーター。言い換えるとVRゲーム。従来の技術では到底実現できない機能の数々を生み出した人物は当然のように篠ノ之束である。ただし、ゲームとしてのシステムを構築した人物は別に居て、その男は単純にクリエイターと呼ばれている。

 

■ISCA(イスカ)

ISVSをプレイするために必要なカード。プレイヤーの情報はこのカードに集約されている。

 

■コア・ネットワーク

ISコア同士が結ぶ通信回線網。ISコアはコア・ネットワークにつながっていなければ起動しない。

 

■PIC

パッシヴ・イナーシャル・キャンセラーの略称。ISの基本機能にして、ISの優位性の大半を担う重要機能。重力の影響を軽減して浮遊・飛行する機能であるが、ISの防御機構の第1層として衝撃を無力化する働きもある。

 

■装甲

ISに装着する機械パーツなどの防具。敵ISからの攻撃でPICで防げなかった攻撃を受けるために存在する防御機構の第2層。主な役割はシールドバリアの保護である。ただし、装甲を付ければ付けるほど、ISの容量が圧迫され、シールドバリアの出力が減衰する。

 

■シールドバリア

別名、皮膜装甲(スキンバリアー)。ISの防御機構の第3層。熱や放射線などPICでは守れない様々な要因から操縦者を保護する。IS戦闘において、物理的な衝撃もEN攻撃も軽減する万能な防御機能であるが、物理的な衝撃に弱く、一定以上の衝撃を受けると破壊される。

 

■アーマーブレイク

状態異常:シールドバリア破損のこと。アーマーブレイク中はシールドバリアの修復にエネルギーが回されるため、サプライエネルギーの使用に制限がかかる。

 

■絶対防御

ISの防御機構、正確には操縦者保護の第4層にして最後の砦。他の防御機構で防ぎきれなかったダメージを操縦者が受けるとき、そのダメージを無かったことにする。この世界観における最大のオカルト要素。時間を巻き戻すような機能であるため、ISコアに蓄えた大規模なエネルギー(ストックエネルギー)を必要としている。

 

■シールドエネルギー

ISが使用するエネルギーの総称。ストックエネルギーとサプライエネルギーに分けられる。

 

■ストックエネルギー

ISVSにおけるHPの役割を果たすシールドエネルギー。このエネルギーは特定の単一仕様能力を除くと、絶対防御にしか使用されない。大規模なエネルギーであり、予めチャージしておかなければならない。

 

■サプライエネルギー

ISコアから常時生み出されているエネルギー。その生成能力を超えなければエネルギーが枯渇することはない。移動やEN装備の使用などあらゆる行動に使われる。

 

■固有領域(パーソナルエリア)

ISコア周囲の一定の領域のこと。この範囲内ならばIS本体のPICが適用できるため、装備の呼び出しや回収、アンロックユニットの配置などができる。

 

■非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)

パーソナルエリア内に配置された装備のこと。本体と直接つながっていなくとも、設定した位置に常に浮遊した状態で配置される。

 

■EN装備

サプライエネルギーを利用する装備のこと。ENはエネルギーの略称である。ここでいうエネルギー兵器はISコアが生み出している謎エネルギーを粒子として吸い出して利用している。攻撃対象に対して熱ダメージを与えたような損害を与えるが、熱エネルギーを直接与えているわけではない。

EN装備による攻撃同士が衝突した場合、それが同規模であったならば互いが干渉して打ち消し合う。ENブレードの場合は打ち消しあっている限り、鍔迫り合いのような状態となる。

 

■BT装備

BTとはブルーティアーズの略称。ローカルコアネットワークの構築によりパーソナルエリア外でアンロックユニットを使用する装備のことを指す。名前の由来は最初の実験機の名前。

BT装備を扱うには空間認識能力など特殊な技能が必要とされている。

PICセンサーとして使用されるナノマシンもBT装備に分類される。このことからBT装備を使用するプレイヤー(単純にBT使いと呼ばれる)は索敵要員とされることが多い。

 

■AIC

アクティブ・イナーシャル・コントロールの略称。操縦者の意志に関係なく動作するPICとは別に、操縦者の任意で慣性操作を行う。

さらに上の段階として、慣性停止を一点に集中させた“ピンポイントAIC”という技能もある。しかし時間が止まって見えるレベルの動体視力を要求されるため、使用できるものは限られている。

 

■瞬時加速(イグニッションブースト)

AICを利用して自機を移動に最適化して高速移動を行う。移動に最適化されているため防御機能は著しく低下している。そのため、操縦者が恐れを抱くと操縦者保護機能によりイグニッションブーストが適用できない。

 

■スタイル、クラス

ISの機体構成の分類。フレームの階級を3段階に分けるクラスと装甲の比率から分類されるスタイルがある。

クラスは軽いほど装備容量が小さくサプライエネルギー供給能力が高くなる。逆に重量級になると装備可能な容量が増えるがサプライエネルギー供給能力が低くなる(EN装備の運用に支障が出る)。

スタイルは防御面の性能を分けた分類。EN属性を重視するとディバイド、物理属性を重視するとフルスキンにする。ユニオンはフルスキンよおりも物理属性に特化している上に装備可能容量を超過した装備を使用できるがデメリットも多い。

クラス:フォス(軽量)、メゾ(中量)、ヴァリス(重量)

スタイル:ディバイド(四肢装甲)、フルスキン(全身装甲)、ユニオン(拡張装甲)

 

■フォス

ISのフレームの軽量クラス。装備容量を削り、シールドバリア強度やサプライエネルギー効率を重視している。

 

■メゾ

ISのフレームの中量クラス。平均的な能力を有する。

 

■ヴァリス

ISのフレームの重量クラス。フォスとは逆に装備容量を重視し、シールドバリア強度とサプライエネルギー効率が低い。

 

■ディバイド(四肢装甲)

顔と胴体を装甲で覆わない装甲配置。ISコア付近を露出させることでシールドバリア強度をギリギリまで高めるための配置である。

 

■フルスキン(全身装甲)

全身を装甲で覆っている装甲配置。対物理ダメージを想定している。

 

■ユニオン(拡張装甲)

フレームの上限を超えた量の装甲やパーツを取り付けた装甲配置。アンロックユニットを使用できず、シールドバリア強度が著しく低下する。また、拡張領域に装備を量子化して格納することもできない。強力な装備を運用するための一芸特化構成に使用されることが多く、狙撃特化はスナイパー、スピード特化はファイター、防御特化はフォートレスと分類されることもある。

 

■机上兵器

現実にある全ての企業が再現できない、机上の空論とされていた兵器の通称。主に束にしか作ることの出来ない兵器を指す。EN兵器も机上兵器に該当していた過去があり、篠ノ之論文を手に入れたFMSによって開発されたため、机上兵器の分類から外れた。

 

■単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)

稀に発現する特殊能力のこと。機体に発現するのではなく、操縦者に発現するため、単一仕様能力を発現した人のイスカを借りても同じ能力を使うことは出来ない。

任意で発動するイレギュラーブート、常時恩恵を得られるパラノーマル、周囲に結界を展開するワールドパージの3種類に大別される。

 

■イレギュラーブート

操縦者の任意で発動するコマンド型の単一仕様能力。

 

■パラノーマル

操縦者の意志に関わらず常時発動し続けるパッシヴ型の単一仕様能力。

 

■ワールドパージ

操縦者の任意で発動し、自機から一定範囲内の全てのISに対して効力を発揮する結界展開型の単一仕様能力。他の単一仕様能力よりも上位に位置しており、ワールドパージの効果が優先される。

 

■ME、マザーアース

複数のISコアを搭載し、複数の操縦者を必要とする大型機動兵器の総称。操縦者の技量に左右されるISと異なり、誰でも一定以上の戦闘力を持つことが出来るというコンセプトで作られた。現実ではコアの数が制限されている関係上、実用的でない。

 

■スフィア

イスカに登録できる自らの所属チームのこと。藍越エンジョイ勢や蒼天騎士団、セレスティアルクラウンなど。スフィアを利用したゲームシステムはまだ実装されていない。

 

■レガシー

篠ノ之束が残した遺産。主にプレイヤーを管理するロビーを有するドーム状の建造物を指すことが多い。レガシーでしか起動できない装置もあり、ISVSのシステムに深く関わっている。

レガシー周辺はゲートジャマーと呼ばれる装置によって転送の出口として指定できないようになっている。

 

■迷宮

レガシーに存在することのあるダンジョン。奥には篠ノ之論文が隠されている場合がある。

 

■篠ノ之論文

ISVSに残された篠ノ之束の研究データ。IS開発を急速に発展させるための宝として認識されている。

 

■ランカー

ISVS内で公示されている個人ランキング上位100人のこと。

 

■ヴァルキリー

ランカーの中でも5位以内の女性プレイヤーのこと。5位が男であるため、現在のヴァルキリーは4人である。

 

■藍越学園

主人公である一夏が通う私立高校。地産地消よろしく地元への就職に力を入れていると謳っていたが、セシリア・オルコットを留学生として招き入れるなど、近年グローバル化が進んでいる。

エンディング後、日本一ISVSの強い高校として注目され、IS学園と揶揄されることとなる。

 

■ツムギ

篠ノ之束と轡木創始によって作られた組織。“正義の味方”を称して各国に巣くう亡国機業の殲滅を図っていた。

リーダーである轡木創始の死亡により、組織は自然崩壊している。

 

■更識の忍び

暗部の一族、更識家に仕えている忍び。

 

■黒ウサギ隊

ドイツ軍のブルーノ・バルツェルが養子であるラウラのために設立したIS専門部隊。バルツェルの腹心の部下であるクラリッサ・ハルフォーフを除き、主に軍人適性の低い女性ばかりが集められた落ちこぼれ集団であったが、ブリュンヒルデの指導を受けたことをきっかけにその評価は上がってきている。

 

■倉持技研

日本を代表するIS企業。質実剛健を旨とし、開発したフレームも防御力を重視しているものが多い。

 

■デュノア社

フランスのIS関連企業。拡張領域の多いラファールリヴァイヴを開発した企業で、開発する装備は登録容量の小さいものが多い。

 

■クラウス社

アメリカ最大のIS関連企業。既存の軍事企業の延長線上でIS開発を行っているため、FMSのような新機軸のものは出てきていない。EN装備に関しては遅れているが、実弾装備の開発を得意としている。

 

■ブレイスフォード社

アメリカのIS関連企業。FMSに対抗するためにクラウス社の元幹部が独立し、EN装備を中心に開発を行っている。銀の福音のフレームや装備はブレイスフォード製。

 

■FMS

イギリスのIS関連企業。篠ノ之論文を元にEN装備を開発し、さらにはコア・ネットワークの情報からBT装備も開発した最先端を突き進んでいる企業。ISが登場する前にはミサイルの開発もしており、IS用ミサイルにおいてもトップシェアを誇る。

FMS製の装備は星や宇宙に関する名前が付けられていることが多い。

 

■ハヅキ

日本のIS関連企業。ゲーム開発も行う玩具メーカーであったがISVSに関わりたい一心からIS装備を作り始めることとなった。利害の一致した更識楯無の後援を受けている。

 

■ミューレイ

欧州に根を張っている多国籍企業。元々はISスーツにしか関わりがなかったが、アントラスの資本が流れてきたことをきっかけに独自のIS開発を始め、亡国機業の隠れ蓑として利用される。

他企業の後追い製品が目立つものの何かしらの尖った性能を持たせることにこだわりがあるため、ミューレイ製のフレームや装備を愛用するプレイヤーは多い。ミューレイ製の装備は伝説上の生物の名前が付けられているが、これは開発者(ジョナス・ウォーロック)の趣味から始まり、企業のカラーとなってしまった。

 

■アントラス(反IS主義者)

女尊男卑を批判する人権団体に亡国機業に与する者たちが合流することで生まれた、ISと篠ノ之束を敵視する思想。または思想を持つ者を指す。

かつての力を失った亡国機業は、アントラスという基盤の上に成り立っている。

 

■遺伝子強化素体(アドヴァンスド)

亡国機業により、遺伝子改造を施されて生まれてきた人間。実験体と量産体(クローン)に大別され、同じ遺伝子を元にした量産体同士は微弱なテレパシーのようなつながりを持っている。

一部の例外を除いて、全ての遺伝子強化素体はプランナーに逆らえないよう、呪いとも呼べる改造を受けている。プランナーの後継者であるエアハルトに対しても同様であるが、エアハルト自身もプランナーには逆らえない。

下記は作中に登場する現実世界に存在する(存在した)遺伝子強化素体である。

実験体:エアハルト・ヴェーグマン、宍戸恭平、テレーゼ・アンブロジア

量産体:ラウラ・ボーデヴィッヒ、クロエ・クロニクル、ゼノヴィア・ヴェーグマン

 

■亡国機業(ファントム・タスク)

世界のあらゆる紛争の裏で糸を引いている武器商人の集団。“亡国を織りなす者”として世の権力者たちから恐れられたことから名付けられ、実質的に世界征服を果たしていた。

遺伝子強化素体研究施設の崩壊をきっかけに、ISの登場、ツムギの活躍、組織のトップの死亡により、その勢力は急速に衰えていた。しかしアントラスの支援を受けて活動を再開している。

幹部の1人であるスコール・ミューゼルはISによって延命しており、アントラスの思想と対立しているが本性を隠している。

 

■Ill(イル)

ISに対抗するため亡国機業が完成させた兵器。その設計思想は古く、篠ノ之束がISを生み出す際にIllの設計図が使われていた。

ISと違い、人間の生命力を動力源としているため、遺伝子強化素体以外が操縦者となる場合は命の危険がある。つまり、Illは遺伝子強化素体を人間として認識していない。

 

■ファルスメア

Illに搭載されているファルスメアドライブという動力源から生み出される黒い霧状のエネルギー、またはIllのみが扱うEN装備の亜種。通常のEN装備の性質に加えてISのエネルギーを飲み込む特性がある。

ファルスメア使用中はシールドバリアが消失するデメリットが存在するがファルスメア自体が身を守る盾となる。

 

 

 

【メカ 装備】

 

※準備中。というか要る?

 

 

 

 

【キャラ】

 

■織斑一夏/ヤイバ

藍越学園の1年生。7年前に離れ離れになった大切な幼馴染み、篠ノ之箒と『また二人だけの初詣をしよう』と約束を交わしたことがずっと頭に残っている。昏睡状態に陥った箒を救うためにISVSの世界に飛び込むこととなった。

ISVSのプレイ傾向は近接特化。射撃のセンスは皆無であるが、イグニッションブーストなどを始めとする機体制動、AICに関しては非凡の才がある。(ただしピンポイントAICは普通には使えない)

単一仕様能力により、クロッシングアクセスした対象の技能と装備、エネルギーを借り受けることが出来る。主なクロッシング相手はセシリアであり、不得意分野の大半を互いに補える状態となっている。

 

(原作との差)

・両親が存在し、一夏自身は造られた存在でなく一般人。

・一夏にとって千冬は追いかける理想ではなく、(箒に格好いいところを見せるために)打倒すべき相手。

・守りたいのは関わる人全てではなく、箒という個人。

・ワンオフアビリティはあくまで共鳴無極1つのみ。零落白夜を使用できているのはマドカとの擬似的なクロッシングアクセス状態が永続しているから。

 

(使用機体)

機体名:白式

   :白式・翼蒼雫(つばさそうてき)

   :白式・紅雪羅(くれないせつら)

   :白騎士

フレーム:神風

クラス&スタイル:フォス・ディバイド

単一仕様能力:共鳴無極(きょうめいむきょく)

主兵装:雪片弐型(高出力ENブレード)

 

(単一仕様能力)

能力名:共鳴無極

分類:イレギュラーブート

発動条件:クロッシングアクセス時

効果:クロッシングアクセスした対象の技能と装備、エネルギーを共有する。また、クロッシングアクセスした対象の単一仕様能力を得る。

 

 

■篠ノ之箒

一夏の幼馴染み。ISの開発者である篠ノ之束の妹。1年前より昏睡状態に陥っており、ずっと入院している。

 

■文月奈々/ナナ

ISVSに囚われている女の子。現実世界で黒い霧を纏ったISに襲われて意識を失い、気がついたらISVSにいた。

ISVSに囚われている仲間を集め、ツムギを名乗る。

使用ISである紅椿は全ての装備が机上兵器に該当する。圧倒的な出力を誇りながらも燃費が最悪である机上兵器を、絢爛舞踏の効果である『サプライエネルギー無限』により強引に使い回すパワープレイがナナの戦闘スタイルである。

 

(使用機体)

機体名:紅椿

フレーム:紅椿(専用フレーム)

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド(可変)

単一仕様能力:絢爛舞踏(けんらんぶとう)

主兵装:雨月(物理ブレード+ビーム)

   :空裂(物理ブレード+ENブレード)

   :囲衣(可変BTビット)

 

(単一仕様能力)

能力名:絢爛舞踏

分類:パラノーマル

発動条件:常時

効果:サプライエネルギーを無制限に使用できる。ただしアーマーブレイク中は効力を失う。

 

 

■セシリア・オルコット/ラピスラズリ

イギリス代表候補生。3年前に両親を失ってオルコット家の当主となったセシリアは高いBT適性を武器に代表候補生となった。しかし、かつては最弱の代表候補生とまで呼ばれていたほど、ISバトルの勝率は低かった。その後、チェルシーが昏睡事件に巻き込まれたことで自らを鍛え直し、“蒼の指揮者”と恐れられる有名プレイヤーとなる。

銀の福音の噂を流した張本人であり、昏睡事件の解決に全力を注いでいる。

プレイスタイルは完全な後衛。BTビットと偏向射撃を多用した支援射撃の攻撃範囲と物量により、相手の前に姿を見せることもなく戦える。同時に扱える偏向射撃の数は100を超えており、世界最高のBT使いと称されている。(一般的なBT使いが扱える偏向射撃は多くても3つまでである上に、迷路を走らせるような複雑な軌道はできない)

星霜真理は全てのISの情報をコア・ネットワークを通じて知ることができる。ただし人知れず盗むわけではないので、相手側は情報を見られていることを知覚できる。前線に出ないセシリアのプレイスタイルとの相性は良く、本陣に居座ったまま一方的に偏向射撃で攻撃できる。

 

(原作との差)

・高いBT適性を武器に代表候補生となったため、戦闘能力が高いわけではない。ただし操縦能力は一級品である。

・戦闘面では後方支援に特化している。本人もそれを自覚しており、強さに驕ることはない。

・権力と資金力も武器にした情報系チート。

 

(使用機体)

機体名:ブルー・ティアーズ

フレーム:ティアーズ

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:星霜真理(せいそうしんり)

主兵装:スターライトmkⅢ(ENライフル)

   :ブルーティアーズ・シグニ(BTビット+BTミサイル)

 

(単一仕様能力)

能力名:星霜真理

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:コア・ネットワークを介して任意対象ISの情報を取得する。その際、対象ISの情報プロテクトやステルスモードの影響を無視する。

 

 

■凰鈴音/リン

藍越学園の1年生。一夏のクラスメイトの中で最も付き合いが古く、小学生のときに知り合っている。一夏に恋していることを隠し切れていないのだが、何も始めから一目惚れしたわけではなく、中学時代のある事件がきっかけとなっている。

スフィア“藍越エンジョイ勢”に所属しており、エース的な存在にして紅一点。

プレイスタイルは中距離の牽制能力に秀でた格闘型。中距離戦で相手を崩してから近距離に飛び込み、手数で押し切るのが勝ちパターンである。

火輪咆哮は受けたダメージを次の衝撃砲の威力に上乗せする。自分に有利な不平等を受け入れていなかった鈴は使用を控えていたのだが、一夏が巻き込まれた事件の大きさを知り、どんな力でも利用したいと考えるようになった。

 

(原作との差)

・両親が離婚していない(両親不仲の原因が父親の病気でなく鈴のいじめがきっかけ)

・父親が日本人

・一夏と同じく藍越学園に通う

 

(使用機体)

機体名:甲龍

フレーム:金剛

クラス&スタイル:ヴァリス・ディバイド

単一仕様能力:火輪咆哮(かりんほうこう)

主兵装:双天牙月(物理ブレード:投擲)

   :崩拳(衝撃砲)

   :龍咆(衝撃砲)

 

(単一仕様能力)

能力名:火輪咆哮

分類:イレギュラーブート

発動条件:ストックエネルギーの減少、または装甲・シールドバリアが破壊されたとき。任意

効果:ダメージを受けた直後、次に放つ衝撃砲の威力が上がる。上昇量は受けたダメージ量に比例する。

 

 

■シャルロット・デュノア/シャルル or 夕暮れの風

“夕暮れの風”を名乗る凄腕のプレイヤー。デュノア社の装備を使うことにこだわっている。100位のランカー。

母親を失った後にデュノア社長に引き取られた。誰からも酷い扱いを受けなかったことで逆に見捨てられたときが怖いと感じるようになる。自分が必要な存在だと証明するために“夕暮れの風”として活動している。

ラピッドスイッチを得意としており、状況に合わせた装備に瞬時に切り替えられる。また、単一仕様能力により、3つまで装備構成を登録することができ、戦闘中に切り替えることで装備をフレームから一新できる。

 

(原作との差)

・父親らと不仲ではない。しかしシャル本人が一方的に距離を感じている。

・唐突に大会社の社長令嬢となったため、高校での人間関係が上手くいっていない。休学中。

 

(使用機体)

機体名:ラファール・リヴァイヴ改

フレーム:ラファール・リヴァイヴ

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:転身装束(てんしんしょうぞく)

主兵装:ヴェント(アサルトライフル)

   :ブレイドスライサー(物理ブレード)

   :グレースケール(シールドピアース)

 

(単一仕様能力)

能力名:転身装束

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:拡張領域として3つのフォルダを保有し、3倍の装備を搭載できる。ただしフォルダ間の装備の共有はできない。戦闘中にフォルダを瞬時に切り替えることができ、クラスとスタイルも切り替えられる。

 

 

■ラウラ・ボーデヴィッヒ

ドイツのIS部隊、シュヴァルツェ・ハーゼの隊長。28位のランカー。遺伝子強化素体の生き残り。廃棄処分の対象となった記憶から、誰かに必要とされたいと願っている。

越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)を持っており、ピンポイントAICを使いこなすことができる。

 

(原作との差)

・最後の遺伝子強化素体。ドイツ軍による遺伝子強化素体殲滅作戦で保護された。ドイツの研究でなく亡国機業の研究によって生まれている。

・保護された後、ドイツの軍人であるバルツェルの養子となり、軍人・指揮官としての英才教育を叩き込まれる。

 

(使用機体)

機体名:シュヴァルツェア・レーゲン

フレーム:シュヴァルツ

クラス&スタイル:ヴァリス・ディバイド

単一仕様能力:永劫氷河

主兵装:ブリッツ(レールカノン)

 

(単一仕様能力)

能力名:永劫氷河

分類:ワールドパージ

発動条件:任意

効果:特殊領域を展開する。領域内の全てのISの飛行と射撃を禁止する。領域展開時に飛んでいるISと飛び道具は静止した後に自由落下する。

 

 

■更識楯無/カティーナ・サラスキー → 楯無

日本の暗部を束ねる一族、八領家の筆頭である更識家の長女。13位のランカー。本名は更識刀奈で楯無は当主が継ぐ名前。元来男が継いできた楯無の名前であったが、先代楯無に跡継ぎとなる息子がいなかった。ISの登場によって女性の力が求められる可能性もあったため、初めての女性楯無が誕生した。

楯無を名乗る偽物がISVSに現れたため追っていた。右腕である虚の妹、本音が昏睡事件に巻き込まれたことによって、事件解決により積極的に動くことになる。

戦闘スタイルはアクア・クリスタルによる爆破を用いた奇襲。BT使い以外には認識されにくいナノマシンであるのに加え、単一仕様能力によりBT使いにすらも認識されない特殊性を持っている。

 

(原作との差)

・ロシアと関わりがない。専用機も持っていない。

・更識の家が八領家という名家の1つという裏設定が追加されている(なお、今作中で話題に上がらない)

・機体と単一仕様能力が全くの別物。

 

(機体名)

機体名:霧纏(むてん)

フレーム:叡晶

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:玲瓏波紋(れいろうはもん)

主兵装:アクア・クリスタル(BTナノマシン)

 

(単一仕様能力)

能力名:玲瓏波紋

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:BTナノマシンに特殊なステルス機能を持たせる。同じBT使いに察知されない。

 

 

■更識簪/楯無 → 簪

更識楯無の妹。高校生でありながら倉持技研にIS装備の開発力を評価されており、専用の研究室を与えられている。布仏本音が昏睡事件の被害者となって以来、研究室に引き籠もるようになった。

 

(原作との差)

・ほぼ倉持技研の人間。操縦者でなく開発者としてISに関わっている。

・姉と役割分担している意識があり、コンプレックスは抱えていない。しかし本音が昏睡事件の被害者となった際、姉が理想の姉として動いてくれないことに失望している。

・雪羅を開発して自分の装備として使用する(白式の装備ではない)

 

(使用機体)

機体名:打鉄・雪羅

フレーム:打鉄

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

主兵装:葵(物理ブレード)

   :雪羅(複合装備)

 

 

■五反田弾/バレット

藍越学園の1年生。一夏の親友その1。中学時代からの腐れ縁。仕切りたがりな性分であり何かとまとめ役をすることが多い。一人でいることが多かった一夏をクラスの中に巻き込むのはいつだって弾だった。

ISVSに並々ならぬ情熱を持っている。一夏たちのような因縁があるわけでなく、純粋にゲーマーとしてハマっている。弾が立ち上げた攻略ウィキは閲覧数トップに君臨している。

藍越エンジョイ勢のリーダー。エンジョイ勢を名乗っているものの、ゲームに取り組む姿勢は一般的にはガチ勢と呼べるものである。弾の中でのガチ勢の定義が『ISを生業としている者』であるため、弾たちはエンジョイ勢なのである。

プレイスタイルはハンドレッドラムを中心とした牽制射撃で相手の足を止め、チクチクとシールドバリアを削ってからミサイルやグレランで一気に大ダメージを狙っていく実弾射撃型。

 

(原作との差)

・バンドよりもゲーム

・物語開始時点で虚と恋仲であるため、モテたいと考える時期は過ぎ去っている

 

(使用機体)

機体名:クロスブリード

フレーム:ボーンイーター

クラス&スタイル:メゾ・フルスキン

主兵装:ハンドレッドラム(マシンガン)

   :ミルキーウェイ(垂直分離ミサイル)

 

 

■御手洗数馬/ライル → カズマ

藍越学園の1年生。一夏の親友その2。弾と同じく中学からの付き合い。父親が他人に厳しい人間であり、門限など家庭内ルールに縛られつつもそれを全く苦にせず毎日を過ごしている。

知的そうなメガネをかけているが勉強はからっきし。反面、日々父親の課したトレーニングをこなしているためか学内でトップレベルの運動能力を有している。

ISVSにおいては好んで使用するプレイスタイルがなく、状況に合わせて装備を使い分ける万能プレイヤー。突出した能力も無いため、悪く言えば器用貧乏。

 

(原作との差)

・バンドよりもゲーム

・他、原作に設定が存在しないためほぼオリジナルキャラ

 

(使用機体)

機体名:ユニークホーン

     :ブレイクホーン

フレーム:メイルシュトローム など

クラス&スタイル:メゾ・フルスキン など

主兵装:デュラハン(ENブレード) など

 

 

■幸村亮介/サベージ、週末のベルゼブブ

藍越学園の1年生。藍越エンジョイ勢の中で“最速の逃げ足を持つ男”と呼ばれている。凰鈴音のことを強く慕っており、藍越学園内にあるファンクラブに所属している。

攻撃の技能はまるでないが回避能力はトップランカーすらも凌駕する。類い稀なその才能は全て、鈴と同じ戦場に立っていることに注がれている。

 

(使用機体)

機体名:ベルエネキラー

フレーム:シルフィード

クラス&スタイル:フォス・フルスキン

主兵装:ターマイト(マシンガン)

特殊技能:複眼

 

 

■真島慎二(マシュー)

スフィア“蒼天騎士団”のリーダー。中学3年生。セシリア・オルコットが“蒼の指揮者”として頭角を現す前からのファンである。

プレイスタイルは典型的なBT使い。チームの状況に応じて指揮か戦闘に特化した装備を選んで出撃する。

 

(使用機体)

機体名:アズール・ロウ

     :アズールナイト

フレーム:ルーラー

    :ティアーズ

クラス&スタイル:フォス・ユニオン

        :メゾ・フルスキン

主兵装:ノエシス(BT補助AI)

   :BTビット

 

 

■鷹月静寐/シズネ

ナナと共にISVSに囚われた女の子。あまり感情が表情に出ないが、本人は冗談を頻繁に口にする。ツムギでは主にナナの手が回らない雑務をこなしている。

戦闘は苦手。使用するISの装備にはナナから譲られた机上兵器があるのだが、実際のところあまり使いこなせていない。

 

(原作との差)

・無表情キャラ

 

(使用機体)

機体名:翠鷹

フレーム:打鉄

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

主兵装:射抜(スナイパーライフル)

机上兵器:天元(ISレーダー)

 

 

■国津玲美/レミィ

ツムギの所有する戦艦“アカルギ”の操舵担当。現実感のない死が隣り合わせの異常な状況において、あくまで普通であることを誰よりも意識している強靱な精神の持ち主。

プレイヤーとしては自身が前に出ることを苦手としており、矛にも盾にもなる人形をBT装備を利用、操作して戦う。

 

(使用機体)

機体名:アルマドール

フレーム:ウンディーネ

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

主兵装:自作BTドール“Bすけ”

 

 

■岸原理子/リコリン

戦艦“アカルギ”の砲撃担当。孤独を怖がっており、たとえウザイと思われようとも誰かと関わっていることこそを大切にしている。マイペースな発言が目立っているが、実際のところは真逆であり他人の目をいつも気にしている。精神的に打たれ弱く、ウザイと言われて喜ぶキャラクターを自ら演じることで「これより悪くはならない」という予防線を張っている。

プレイヤーとしては勉強家でありISVSで使われている大多数の武器を知識として知っている。使いたい武器をとりあえず詰め込んだらEN武器を運用できる機体状態にはならなかったので実弾重視の機体となった。

 

(使用機体)

機体名:フルアーマーリコリン

フレーム:金剛

クラス&スタイル:ヴァリス・ユニオン

主兵装:実弾系武器多数

 

 

■四十院神楽/カグラ

戦艦“アカルギ”の索敵・通信担当。物事を第三者的に見ていることが多く、基本的に他人に合わせている。物静かであるためお淑やかに思われがちだが、笑い上戸であるため物陰で一人笑っていることもある。

プレイヤーとしては物理ブレード一振りで戦うことにこだわっており、その影響か、発現した単一仕様能力により、ISVSに“抜刀魔術”という新しい概念を生まれさせた。詠唱と共に抜刀して放たれる魔法は非常に強力。

(裏設定)四十院の家は八領家の一つ“八龍”。古くは武の象徴でもあった名家であるが、現代においては形を潜めている。神楽はその後継者として育てられていたが、普通の女の子として生きたかったため、一度は剣を置いた。

 

(使用機体)

機体名:神薙(カムナギ)

フレーム:神風

クラス&スタイル:フォス・ディバイド

単一仕様能力:抜刀魔術(ばっとうまじゅつ)

主兵装:絶佳(物理ブレード)

 

(単一仕様能力)

能力名:抜刀魔術

分類:ワールドパージ

発動条件:常時(ルール改変)

効果:戦闘ルール“抜刀魔術”をISVSに追加する。

 

 

■桐生和毅/トモキ

ツムギの男性メンバーの一人。戦闘要員としてはナナに次ぐ実力者。ナナを慕っており、ナナに対してセクハラ染みたアプローチを続けている。

ナナへのアプローチはポーズであり、本命はシズネ。表情を失ったという彼女への配慮の結果である。

 

(使用機体)

機体名:打鉄・(おどろ)

フレーム:打鉄

クラス&スタイル:メゾ・フルスキン

主兵装:葵(物理ブレード)

   :シュベルト・ツヴァイク(ワイヤーブレード)

 

 

■布仏虚/アイ

更識家に忍びとして使える一族、布仏の長女。ISVSの調査をしていくにつれて、一般プレイヤーから“更識の忍び”と呼ばれ恐れられる存在となる。

更識の忍びの戦闘スタイルはひたすらに軽量の装備のみにこだわり、BT使いのPICセンサーもくぐり抜ける隠密性をもって敵ISを暗殺することに特化している。

 

使用機体名:浅葱

フレーム:シルフィード

クラス&スタイル:フォス・ディバイド

主兵装:ブレードスライサー(物理ブレード)

   :インターセプター(ENブレード)

 

 

■布仏本音/のほほん

 更識簪お付きのメイド。昏睡事件の被害者。

 

(原作との差)

・今作はISAB発表前に書かれたものであるため、使用機体が異なっている。

 

(使用機体)

機体名:アーマードコアラ

フレーム:金剛

クラス&スタイル:ヴァリス・フルスキン

主兵装:雪羅(複合装備)

 

 

■五反田蘭/カトレア

五反田弾の妹で中学3年。学校では儚げな美少女を演じているが、家ではかなりずぼら。弾曰く、「家では鈴、学校ではセシリア」。

 

 

■相川清香/ハンドボーラーK

藍越学園のハンドボール部員。ハンドボールの練習の一環としてISVSを始めたらしい。

 

 

■谷本癒子/クシナダ

布仏本音の友人。“7月のサマーデビル”と恐れられる女子高生プレイヤー。7月のある日、ゲームセンター“パトリオット藍越店”にて藍越エンジョイ勢が全員抜きされた。

 

 

■鏡ナギ/伊勢怪人

布仏本音の友人。86位のランカー。本音の作製した伊勢エビ着ぐるみを気に入っており、本音が昏睡している期間は日常生活でもずっと着ぐるみだった。

 

(使用機体)

機体名:クルーエルデプス・シュリンプ

フレーム:サラマンダー

クラス&スタイル:ヴァリス・ユニオン

単一仕様能力:海流脈動

 

(単一仕様能力)

能力名:海流脈動

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:水にPICを適用して自らの武器として操作できる。

 

 

■最上英臣/リベレーター

 藍越学園の生徒会長である3年生。他者が束縛から解放される姿を恍惚とした顔で眺める変人。行動は利他的なものばかりであるが、あくまで本人の欲求によるものであるため、行動原理としては一夏と同じく自分本位なものである。

 一夏の父親に憧れており、彼の弟子であった宍戸恭平にも心酔している。いずれは織斑と同じ道を辿る、という目標を掲げている。

 

(使用機体)

機体名:ブレイブエース

フレーム:テンペスタ

クラス&スタイル:フォス・ディバイド

単一仕様能力:慈心解放

主兵装:ドットファイア(ハンドガン)

   :グレースケール(シールドピアース)

 

(単一仕様能力)

能力名:慈心解放

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:ストックエネルギーを全て消費する。自身を中心に大爆発を引き起こす。

 

 

■内野剣菱/バンガード

元藍越エンジョイ勢である3年生。鈴ちゃんファンクラブの過激派の筆頭であり、一夏を目の敵にしている。

 

(使用機体)

機体名:ラセンオー

フレーム:サラマンダー

クラス&スタイル:ヴァリス・ユニオン(ファイター)

主兵装:豪毅(ドリルランス)

 

 

■白詰和己/ジャミ

藍越学園生徒会の書記。最上会長の古くからの友人。元蒼天騎士団であり、セシリアのファンである。

IS装備の開発者を志しており、BTを駆使したオリジナル装備を使う。(なお、本編中での出番はカットされた)

 

(使用機体)

機体名:ジャック・ザ・クローバー

フレーム:ルーラー

クラス&スタイル:フォス・ディバイド

主兵装:カルナバル(自作BTドール)

 

 

■新庄流姫/ルッキー

最上会長の恋人。素行不良の問題児であったが、束縛からの解放好きである最上の手によって更生させられた。家は金持ちであり、最上が学園のイベントで使用する機材を用意しているのは流姫である。

機体コンセプトは読者からのアイデアを元にしている。

 

(使用機体)

機体名:アウターハート

フレーム:ティアーズ

クラス&スタイル:メゾ・フルスキン

主兵装:BT鉄球(BTシールドビット)

   :ヒッパレード(ワイヤーアンカー)

 

 

■倉持彩華/花火師

倉持技研・第二海上研究所の所長。千冬と同世代であり、複数の棒付きキャンディを同時に舐めることと、頭が爆発したようなパイナップルヘアが特徴的。何事にも第三者的な関心しか持ってなさそうな冷めた言動をしているが、心の根っこは熱血寄りである。

 

 

■アルベール・デュノア

デュノア社の社長。一夏の父親とは因縁のある仲。旧ツムギの支援者。多くの愛人が居り、一夏に対してハーレムを推奨している。

 

 

■クラリッサ・ハルフォーフ

ドイツのIS部隊、シュヴァルツェ・ハーゼの副隊長。44位のランカー。作戦行動時以外はラウラを妹のように可愛がっている。部隊内最年少であるラウラの代わりに矢面に立つことも少なくない。

 

(使用機体)

機体名:シュヴァルツェア・ツヴァイク

フレーム:シュヴァルツ

クラス&スタイル:ヴァリス・ディバイド

主兵装:シュベルト・ツヴァイク(ワイヤーブレード)

 

 

■ブルーノ・バルツェル

“ドイツの冬将軍”とも呼ばれている軍人。ラウラを娘として引き取り、軍人として育てた張本人であり、シュヴァルツェ・ハーゼを設立した人物。一夏の父親とは親友の間柄であった。篠ノ之柳韻とはライバル関係である。

 

 

■チェルシー・ブランケット

オルコット家に仕えているメイド。家事が万能なのはもちろんのこと、優秀な狙撃手でもある。昏睡事件の被害者であり、セシリアが“蒼の指揮者”として目覚め始めたきっかけを作った。

 

 

■ジョージ・コウ

オルコット家に仕える老執事。セシリアの両親の死を誰よりも悔やみ、後を追おうとまで考えていたがセシリアに諫められることで思いとどまった。セシリアの当主としての成長のみを生きがいとしている。

かつて、やんちゃだった頃の柳韻と手合わせしたことがある。

 

 

■織斑千冬/ブリュンヒルデ

1位のランカーである日本代表。一夏の姉。誰もが認める世界最強のIS操縦者。警視庁IS犯罪対策課に所属している(千冬のみの部署であり、指揮系統は独立している。主な役割は亡国機業によるテロへの対処)

ISVSで起きている昏睡事件の真相を追っている。

 

(原作との差)

・警察に所属(ただし組織の一員というわけでもない微妙な立ち位置)

 

(使用機体)

機体名:暮桜

フレーム:打鉄

クラス&スタイル:メゾ・フルスキン

単一仕様能力:零落白夜

主兵装:雪片(物理ブレード)

 

(単一仕様能力)

能力名:零落白夜

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:発動中、全てのブレード攻撃に『シールドバリアによる軽減無効』を付与する。発動中は常にストックエネルギーを消費する。

 

 

■ナターシャ・ファイルス/セラフィム

9位のランカーであるFBI捜査官。千冬と同じく集団昏睡事件の真相を追っている。戦闘になると謎の厨二病を発症する。

 

(原作との差)

・FBI捜査官。

・千冬と親しい仲。

・戦闘中に人が変わる。

 

(使用機体)

機体名:シルバリオ・ゴスペル

フレーム:エンブレイス

クラス&スタイル:フォス・フルスキン

単一仕様能力:断罪聖典(だんざいせいてん)

主兵装:シルバーベル(拡散型ENブラスター)

 

(単一仕様能力)

能力名:断罪聖典

分類:パラノーマル

発動条件:常時

効果:拡散型ENブラスターの出力数が倍になる。消費エネルギーは変わらない。

 

 

■イーリス・コーリング

6位のランカーであるアメリカ代表。好戦的な性格で、一般プレイヤーとの試合も進んで受け入れている。エアハルトが5位にいるためにヴァルキリーの枠に入れていないことを気にしている。

 

(使用機体)

機体名:ファング・クエイク

フレーム:ボーンイーター

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:戦型一陣(せんけいいちじん)

主兵装:グランドスラム(シールドピアース)

 

(単一仕様能力)

能力名:戦型一陣

分類:パラノーマル

発動条件:常時

効果:イグニッションブーストのエネルギー消費量が半分になる。EN武器を装備したとき、この効果は適用されない。

 

 

■アリーシャ・ジョセスターフ/アーリィ

2位のランカーであるイタリア代表。現実世界での実験で右目と右腕を失っている。

 

(原作との差)

・千冬が現役であるため、千冬を極端に敵視してはいない。

・亡国機業に降らない。

 

(使用機体)

機体名:アーリィ・テンペスタ

フレーム:テンペスタ

クラス&スタイル:フォス・ディバイド

単一仕様能力:暴風疾駆(ぼうふうしっく)

 

(単一仕様能力)

能力名:暴風疾駆

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:空気などの気体にPICを適用し、自らの武器として使用する。

 

 

■トリス・ヴァレンタイン

4位のランカーであるイギリス代表。代表候補生であるセシリアをいたく気に入っており、日本語は彼女から教わった。バレンタインの日にパトリオット藍越店を訪れ、お手製のチョコレートを日本のプレイヤーたちに振る舞ったことがある。その日に起きた出来事は“ブラッディ・バレンタイン”として語り継がれている。

 

(使用機体)

機体名:ブラッディ・ライブラリアン

フレーム:メイルシュトローム

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:銃殺書庫(じゅうさつしょこ)

 

(単一仕様能力)

能力名:銃殺書庫

分類:パラノーマル

発動条件:常時

効果:ISVSに存在する全ての射撃武器を呼び出すことができる(机上兵器は除く)。同時に展開できる武器は1種類につき1つまで。拡張領域に射撃武器以外の装備がある場合、この効果は適用されない。

 

 

■テレーゼ・アンブロジア/ゲビスバウム

 3位のランカーであるドイツ代表。遺伝子強化素体。身体に欠陥があり、一日の大半を寝ていなければならない制約がある。旧ツムギの構成員であり、クリエイターに心酔していた。そのためか、篠ノ之束を敵視している。

 

(使用機体)

機体名:アウレオーレ

フレーム:なし

クラス&スタイル:なし

単一仕様能力:極光翅翼(きょっこうしよく)

 

(単一仕様能力)

能力名:極光翅翼

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:自身のシールドエネルギーを物質化する。物質化を解除するとEN属性の攻撃に変化する。

 

 

■篠ノ之束

ISの開発者にしてISVSの開発者でもある。日々、“楽しい世界”を追求している。

千冬の父親に懐いていて、彼の死後、復讐のために亡国機業と敵対する。

亡国機業の首領と相討ちとなって死亡。最後まで箒の身を案じていた。

 

(原作との差)

・物語開始時点で死亡している。

・轡木創始、織斑父など大切な人ができ、人間らしい感情を持っている。

 

 

■クロエ・クロニクル

死にかけていたところを篠ノ之束に拾われた遺伝子強化素体。心臓代わりにISコアを体内に宿すも肉体の死は避けられず、コア・ネットワーク上のみに存在する電子生命体として生まれ変わった。

記憶を失った状態でナナの傍にいたが、自身に封じられていた篠ノ之束の意識が消失したことをきっかけにして記憶を取り戻す。束の死を受け入れられなかったクロエは自らが束となることでその存在を肯定しようとした。

 

(原作との差)

・仮想世界を生きる生命体となった。

 

(使用機体)

機体名:黒鍵

フレーム:黒鍵(専用フレーム)

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:幻想空間

主武装:管理者の鍵(斧型物理ブレード)

 

(単一仕様能力)

能力名:幻想空間

分類:ワールドパージ

発動条件:任意

効果:コア・ネットワーク内に独自のルールを設定した仮想空間を生成し、人間の意識をダイブさせることができる。この仮想空間は生成時に指定した条件でしか消去できず、能力保有者が死亡しても消去されない。

 

 

■轡木創始/クリエイター

轡木十蔵の息子。ツムギの創始者。ISVSのゲームシステム部分を設計したことからクリエイターと呼ばれている。

 

 

■宍戸恭平/メルヴィン

遺伝子強化素体の最高傑作とされる超人。一夏の父親に拾われて以降、傭兵まがいのことをしており、“銀獅子”と呼ばれ恐れられていた。ツムギにも合流し、ISの絡まない事柄に関しては常に最前線に立っていた。ツムギ崩壊後は轡木十蔵を頼り、藍越学園の教師としての身分を得て日本に潜伏する。

 

(使用機体)

機体名:クリニエール

フレーム:ラファール・リヴァイヴ

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:覆滅無明

主武装:なし

 

(単一仕様能力)

能力名:覆滅無明

分類:ワールドパージ

発動条件:任意

効果:真っ暗闇の仮想空間を生成し、対象IS1機を自らと共に閉じ込める。

 

 

■倉持虎徹/ディーン、店長

幼い頃に家を飛び出していった倉持彩華の兄。元ツムギの構成員。ツムギ崩壊後はゲーセンの店長としてISVSの動向を監視している。

 

 

■エアハルト・ヴェーグマン

亡国機業の親玉である“プランナー”の後継者。プランナーのクローンである遺伝子強化素体。ドイツ軍主導による遺伝子強化素体殲滅作戦を生き延び、人間に対して憎悪を抱えるようになる。

仮想世界で疑似生命体の遺伝子強化素体を誕生させる。表向きは遺伝子強化素体兵の量産シミュレーションとしているが、ゼノヴィアの治療の実験体を確保するのが真の目的であった(エアハルト本人は自覚していない)。

 

(使用機体)

機体名:ドラグーン・ヴェイル

     :イリュージョン・レプリカ

フレーム:サラマンダー

    :イリュージョン

クラス&スタイル:ヴァリス・ユニオン(ファイター)

        :メゾ・ディバイド

単一仕様能力:絶対王権

主兵装:リンドブルム(大型ENブレード)

   :ファルスメア・ドライブ

 

(単一仕様能力)

能力名:絶対王権

分類:イレギュラーブート

発動条件:右手で対象ISかIllの頭部かコアを掴む。任意

効果:対象ISに絶対順守の命令を与える。具体的に行動を指示する命令でないと無効。

 

 

■オータム

亡国機業最凶最悪のテロリスト、“ネクロマンサー”。意志を持たぬものならば何でも自由に操ることが出来る単一仕様能力により、自らが表に出ることなく、破壊活動が行える。

不必要に好戦的である自身の性格を自覚しているため、やりすぎないためにスコールの命令に従う内容でしか行動しない。

 

(原作との差)

・亡国機業の最高戦力。

 

(使用機体)

機体名:アラクネ

フレーム:ボーンイーター

クラス&スタイル:メゾ・ユニオン(フォートレス)

単一仕様能力:傀儡転生

 

(単一仕様能力)

能力名:傀儡転生

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:生物でなく他ISのPICの影響下にない物体を操作できる。ユニオンスタイルのISも場合によっては操ることができる。

 

 

■スコール・ミューゼル

亡国機業の幹部。身体を機械化したサイボーグ。自らの延命にISを利用しているため、反IS主義者であるアントラスとは一定の距離を置いている。

 

(原作との差)

・亡国機業の中では穏健派に該当する。

 

(使用機体)

機体名:ゴールデン・ドーン

フレーム:ウンディーネ

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:紅炎宝玉

 

(単一仕様能力)

能力名:紅炎宝玉

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:敵性PICを打ち消す炎を生み出す。この炎は零落白夜により掻き消され、強力なAICによっても打ち消される。

 

 

■アドルフィーネ・イルミナント

仮想世界で生まれた遺伝子強化素体の1体。Illの宿主としてISVSで活動している。

成人女性の外見とは裏腹に精神はとても幼い。

 

(使用機体)

機体名:イルミナント

クラス&スタイル:フォス・フルスキン

単一仕様能力:架空悪夢

主兵装:シルバーベル(拡散型ENブラスター)

 

(単一仕様能力)

能力名:架空悪夢

分類:ワールドパージ

発動条件:任意

効果:プレイヤーがログアウトできない領域を生成する。

 

 

■ギド・イリーガル

仮想世界で生まれた遺伝子強化素体の1体。最強のIll。遺伝子強化素体の最高傑作であるメルヴィンのDNAを元に作られている。

性格は傲慢。与えられた使命よりも自らの欲を優先するところがあるが、使命を裏切ることはしない(手を抜いたり、後回しにすることはあれど、最終的に目的は果たす)。

架空悪夢の追加効果により、自身の攻撃によって相手が消費したストックエネルギー分、自身のストックエネルギーを回復できる。

 

(使用機体)

機体名:イリーガル

クラス&スタイル:ヴァリス・ディバイド

単一仕様能力:架空悪夢

 

 

■マドカ・イリタレート

一夏の両親の遺伝子情報を元に作られた仮想世界で生まれた遺伝子強化素体。当初はVTシステム搭載機の操縦者としての運用が想定されていたが、適合率が低かったため見送られた。

マドカの名前は一夏が女の子だったら付けられていただろう名前。この名前をこの遺伝子強化素体に与えたのは平石羽々矢であり、エアハルトは真実を知らない。

架空悪夢の追加効果により、自身のブレード攻撃にシールドバリア無効化能力を付与できる。

 

(使用機体)

機体名:イリタレート

   :イリタレート・黒死蝶

クラス&スタイル:メゾ・フルスキン

単一仕様能力:架空悪夢

 

 

■ゼノヴィア・イロジック

仮想世界で生まれた遺伝子強化素体。人を襲う欲求に対して理性で抗おうとしている。

追っ手から逃げるために単一仕様能力である想像結晶を使って現実世界に受肉する。そこで御手洗数馬と運命の出会いを果たすことになる。

仮想世界内での外科手術により現実に存在するゼノヴィア・ヴェーグマンと同一の存在となった。

 

(使用機体)

機体名:イロジック

単一仕様能力:想像結晶

 

 

■シビル・イリシット

仮想世界で生まれた遺伝子強化素体。更識楯無と同じ顔をしている。整形を指示した人物は平石羽々矢。幼い言動が目立つも、アドルフィーネと違ってわざと自分を弱く見せている。

架空悪夢の追加効果により、BT適性が引き上げられている。

 

(使用機体)

機体名:イリシット

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:架空悪夢

主兵装:アクア・クリスタル

   :大型BTソードビット

 

 

■イオニアス・ヴェーグマン

亡国機業の親玉である“プランナー”。100年以上前から戦争を陰で操っていた武器商人でもある。

全ての遺伝子強化素体はイオニアスに逆らうことができない。

 

 

■平石羽々矢(ハバヤ → ハバヤ・イレイション)

八領家の1つ“平石”の若き当主“避来矢”。古くは対等であった八領家であるが、現在は更識の下についている。更識に付き従う平石の一族が気に入らなかった羽々矢は両親を謀殺して当主となった。さらに更識家に嫡男が生まれていないことを利用し、先代更識楯無(刀奈の父親)もテロ組織の仕業に見せかけて暗殺した。全ては自身が権力を手にするためであったが、同時期に白騎士事件が起きたせいで楯無の名前を手にすることが出来なかった。以来、ISと更識楯無を目の敵にしている。

5話にて黒ウサギ隊にクロエの確保を依頼していた人物はミューレイの人間だと身分を偽っていた羽々矢である。クロエの中にイオニアス・ヴェーグマンと篠ノ之束が眠っていると知っていた彼は当初、支配者となり得る2人を封じるためにクロエを欲していた。

追い込まれた羽々矢はイレイションを装着。自らの単一仕様能力により、Illを騙して操縦者となることに成功する。しかし、そんな彼は遺伝子強化素体へと変貌し、イオニアスにとって都合のいい駒と成り果てた。

 

(使用機体)

機体名:ライライライアー

   :イレイション・イヅナ

クラス&スタイル:メゾ・ディバイド

単一仕様能力:虚言狂騒

主兵装:グラスリッパー(ナイフ型物理ブレード)

   :潜竜(BTワイヤーブレードビット)

 

(単一仕様能力)

能力名:虚言狂騒

分類:イレギュラーブート

発動条件:任意

効果:コア・ネットワークを通じて任意対象のISに嘘の情報を与えて幻覚を見せる。

 

 

■ジョナス・ウォーロック

EOSの開発者。篠ノ之束のIS発表によって研究成果の全てを過去のものとされ、私怨からテロ組織に協力するようになる。しかし束が表舞台から去ってもテロ組織から足を洗えず、選択を後悔している。

 

 

■織斑

原作のISには存在しない一夏の父親。世界中を飛び回る探偵を自称しているが実質はただの何でも屋。

 

 

■篠ノ之柳韻

世界最強の剣士。箒の父親。今は落ち着きのある渋い男性であるが、若い頃は1人で軍隊に喧嘩を売るような血の気の多い無謀な男だった。なお軍隊に売った喧嘩はドイツ軍と戦ったときに一度だけ撤退した以外は負けていない。国際指名手配されるほどのことをしでかしているが、織斑が裏で交渉を繰り返し、柳韻の武者修行は表向きにはなかったことになっている。

 

 

■更識翁

先々代の更識楯無である刀奈の祖父。現場に出るほどの体力はもはやないが、暗部一族の信頼は厚い。引退した後も当主代行として暗部組織を指揮している。

 

 




まだ未完成ですが載せておきます。
この設定を語ってほしいというものがありましたら連絡ください。
気が向いたら更新していきます。


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