僕らが人について知っているほんの少しのこと (adbn)
しおりを挟む

僕らが人について知っているほんの少しのこと

 その日は重苦しい雨で、けれどそんなことは運転手付の軍の車で移動する彼らには関係のないことだった。閉め切られた窓一つきりの殺風景なコンクリートの部屋の中、しかめ面しい顔をして軍装の男たちが、壁に不釣り合いに重厚な木のテーブルを囲んでいる。その軍議とも呼べぬ支離滅裂な感情論の紛糾を、冷ややかな眼で眺める影が二つ在った。

 片方はどこの国のものともつかぬ、洗練された赤と黒の士官服を着た細身の青年。

 片方は陸軍士官の通常礼装に似た、肩章の無いカーキの詰襟を着た短髪の青年。

 

 赤と金の瞳が、彼らが決して客人でも護衛でもないのだと告げていた。

 

 赤の瞳の男は加洲清光と云って、かつてこの国、大日本帝国の首相であった男の陣太刀である。金の瞳の男は同田貫正国と云って、熱河の英雄と言われる中将の佩刀である。

 

「この国は、もう駄目だよ」

 加州清光が、確かにそう言った。けれど、そんな不敬に室内の男たちは何の反応も見せない。ただ同田貫だけが隣に立つ彼を見ないままに答えを返す。

「そうかもな。軍議だって云うのにこのざまじゃあ、もう長いことねえだろうよ」

「ねえ、あんたの主って関東軍の人間だったよね。こんなとこで会議やってる余裕あるの?」

「あるわけねえだろ。前線は今日も地獄絵図──いや、どこだってそうか」

 

 彼らの「本体」たる軍刀そのものは、この指揮所に入る際に預けられていて、ここにはない。けれど彼らはここにいた。まるで、全ての刀を代表してこの国の、この国の人間の行く末を見届けるかのように。殺風景な雪原でも見ているかのように無感動に、ここに立っていた。

 

「この戦いが終わったら、どうなるんだろうね」

「それは、どっちが?」

「あの人が」

「そうだな、まあ。捕らえられて、殺されるんじゃねえの?「裁判」とやらにかけられてから」

「裁判、か。意味なんてあるのかな」

「無い。妙だよな、初めから決まってるなら、そんなまどろっこしいことしなくても良さそうなのによ」

 

 同田貫の兄弟も、加洲の兄弟も、そのほかいろいろな刀が、この戦いで失われていった。今、このときも失われている。空襲で焼けた。出征先で大砲に砕かれた。持ち主が死んでそのまま置いて行かれた。鉄が足りぬと融かされた。人々が心の内で固執するほか、戦いに出る必要性は既に失われているというのに、そんな状況で海を渡って朽ちていった数えきれぬほどの刀があった。

 

「俺も、折れた方が幸せだったかも」

「兄弟たちのように?」

「うん。だって、意味なんてどこにも無いじゃん。あの人は俺なんかいなくても戦える」

「そうかい。俺にゃあ分かんねえ」

「そっか」

 

 彼らは、人を斬ったことがない。彼らは、血の味を知らない。廃刀令によって無用の存在となってから、戦意が腐り落ちて無感動になるまでに長い時間は必要なかった。戦いに執着できるほど、彼らはそれが何なのか知らなかったのだ。

 

「あの人は、あの人が、戦争を望んだわけじゃなかった」

「ああ」

「でも、みんな言うんだろうね。『東条のせいだ』って」

「あんたの主に、」

「うん?」

「あんたの主に開戦を迫った連中も、自分が死にたいわけじゃあない。その時だって、そうだったろうよ」

「なにそれ。なんて自分勝手」

「そういうもんじゃねえの、人間なんて。そうかりかりしなくても、五十年もする頃にはとうに死んでる」

「ほんと、勝手なんだから。あんたの主も、この国の人間も」

「そうかい。まあ、そうだろうな。あいつも人間だ」

 

 

「ほんと、勝手だよ。腹を切る覚悟も、無いんだろう」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。