忘れ形見の孫娘たち (おかぴ1129)
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1.爺様、逝去

登場人物紹介
名前:斎藤和之
職業:パソコンいじる系


「斎藤! 今実家からじいさん亡くなったって電話があったぞ!!」

 

 僕が書いたコードのレビューを会議室で行っている時、ドバンとドアが開いて課長が血相変えてこんなことを僕に向かって怒鳴ってきた。

 

「は? なんです課長?」

「いやだから! お前のじいさんが!! 亡くなったって!!」

「はぁ……?」

 

 人間不思議なもので、突拍子もない事柄を突然言われると思考が停止する。課長の口から放たれた『爺様逝去』の言葉の意味を僕の脳が正しく理解するまで、若干のタイムラグが必要だった。

 

「……あ、あのー……今レビューの最中なんで……」

「レビューなんてしてる場合か!! 帰れ今すぐ!!」

「いやでもレビュー……」

「レビューなんかいつでも出来るだろうがバカタレ!! じいさんにキチンとお別れ言ってこい!!」

「お別れ……爺様……うぉあ?! 爺様が?!! 馬鹿なッ?!!」

 

 ここでやっと僕の脳は『爺様が亡くなった』という言葉の意味を正しく理解した。そしてその途端に妙な不安感に襲われて身体が震えだした。

 

「あわわわわわ課長どうしましょう爺様が死ぬだなんてあばばばばばば」

「うろたえてる暇があったらさっさと帰るんだよッ!! ほらいけッ!!!」

 

 あまりにショックで頭の回転が完全にストップした僕を、課長は強引に会議室から引っ張りだして会社から追い出した。別れ際に『電車賃の足しにしろ!!』と福沢諭吉を一人くれた。その諭吉は、一時間後に野口英世へと変貌していた。

 

 爺様は今年で90になるというのに、殺しても死なないほどに元気が有り余っている人だった。大人気なくてエネルギッシュで色黒。好奇心旺盛で面白そうなことには何でも手を出す。酒豪でチェーンスモーカー。好物は肉全般と貝類。年寄りのくせに行動が素早くて自信過剰。『俺があと50歳若ければ、ジョブズは俺にひれ伏していた』という意味不明な口癖を持つ、自慢でも何でもない爺様だった。

 

――おい和之。お前にできて爺様に出来んのは悔しいからパソコン始めたぞ。

 

 僕が就職してプログラマーになった頃に突然電話で僕にそう宣言した爺様は、その後メキメキとパソコンスキルを身に着けていったそうな。最近では一日中パソコンでブラウザゲームを楽しんでいたらしい。時々父ちゃんが電話でそうぼやいていた。

 

『なんか“和之とラインしたいからスマホにしたい。アイフォンはなんかスカしてるからアンドロイドがいい”って言ってたけど』

『iPhoneでもAndroidでもどっちでもいいじゃん……なんなのさその無駄なこだわりは……つーかそれはiPhone使ってる僕への挑戦状か?』

『ラインって何だよ。父ちゃんもスマホだけど爺様が何を言ってるのかさっぱり分からん……』

『さすがにスマホ使ってる父ちゃんはLINEは知っててくれよ……』

 

 つい先日も父からそう相談されたばかりで、爺様の死はまだまだ遠いと思ってた。きっと僕が30歳になっても40歳になっても、今のままのはちきれんばかりのエネルギーを体中にみなぎらせて生き続けるものだとばかり思っていたのだが……やはり爺様も寄る年波には勝てなかったらしい。家に一度戻って荷物を準備してあと、新幹線で実家に戻る。

 

 実家は僕が今住んでいる場所から2時間ほど新幹線で移動し、1時間ほどローカル線に乗ったところにある、かなりのド田舎だ。街そのものはそこそこ発展してるんだけど、家がある場所が田んぼと畑しかなく、隣の家まで歩いて10分ほどかかる。うちの近所の川は今ぐらいの季節になるとホタルを見ることが出来るほどのど田舎。街は観光スポットとして売り出したいらしいが、いまいち効果がないのが実情だ。

 

「ただいま!! 爺様、和之だよ! 和之帰ってきたよ!!!」

 

 実家について開口一番、ぼくは爺様を呼んだ。

 

――帰ってきたか和之!! 今回こそ嫁を連れてきたんだろうなぁ?!!

  はやくひ孫の顔を見せろ!!

 

 という爺様の怒号を期待したのだが……そのセリフを聞くことはもう、叶うことはなかった。

 

「和之……」

「父ちゃん! 爺様は?」

「和室にいるから。挨拶してこい」

「……ウソだろ? なあ母ちゃん?」

「ウソじゃないよ。……ほら。早く挨拶して来なさい」

「……!!」

 

 父ちゃんと母ちゃんにそう言われ、半信半疑で家の奥にある和室に入る。爺様は……布団に寝かされていた。

 

「爺様……起きてくれよ爺様……ちくしょ……じいさ」

 

 僕は泣きながら爺様の顔にかかった白い布をめくって顔を見た。穏やかでちょっと微笑んでいるようにも見える、安らいだ表情をしていた。その顔は、すでに先に旅立っている婆様に会うのを楽しみにしているかのような、そんな笑顔だった。

 

「そんな顔されちゃ何も言えなくなるじゃん……爺様、お疲れ様でした」

 

 人が亡くなった時……お通夜から告別式、そして火葬までの時間はとても短い。後に残された人をわざと忙しくすることで、悲しみに押し潰されることなく心に踏ん切りをつけさせる意味もあるのだと聞いたことがある。

 

 爺様のお通夜から告別式、火葬までの一連の流れも例外なく忙しかった。僕と父ちゃんと母ちゃんは爺様の事後処理に追われ忙しく動きまわり……爺様の死を悲しむ暇もなく火葬までをやり終えていった。

 

「そういえばさ。爺様のパソコンどうする?」

 

 火葬も終わり納骨まで済ませ、爺様をキチンと弔った疲れで実家でぐったりとしている時、父ちゃんが唐突にそんなことをつぶやいた。

 

「どうするって?」

「いや、爺様がパソコンのゲームにはまってたのは知ってるだろ?」

「うん」

「それで爺様は毎日ゲームやってたんだけど、そのパソコンをどうするかーと思ってな」

 

 まぁ確かにパソコンって高額な上、中にどんなデータが残ってるか分からない。人のパソコンの中身はプライバシーの塊だ。爺様的には決して中を見られたくないはずだが……そうも言ってはいられない。

 

「んー……んじゃ中を見てみようか? 父ちゃんはパソコンわかんないだろうし」

「そうか。んじゃお前に処分を頼む。なんなら持って帰っていいぞ」

 

 というわけで、とりあえず中に何が入っているのか僕が確認することになった。最初は母ちゃんも『私も見たい!!』と騒いていたが、さすがにかあちゃんに中身を見せるのは孫の僕も気が引ける。分かってくれ母ちゃん。男はいくつになっても男なんだ。

 

 爺様のパソコンはちょっと大きめのノートパソコンだった。あの、ノートなんだけど据え置きで使われるくらいの大きさのやつだ。僕は爺様のノートパソコンをテーブルの上に置き、冷えた麦茶を傍らに置いて扇風機をつけつつ、ノートパソコンに向かってパシンと手を合わせた。

 

「じゃあ爺様……すんませんが、失礼しますッ! 恥ずかしいファイルは極力見ないようにするからッ!! なむさんッ!!!」

 

 電源ボタンを押すとすぐにディスプレイが点灯した。シャットダウンじゃなくて休止状態にしていたようだ。無線ランにつながったところを見ると、どうやらこの家ではwi-fiが実装されているらしい。昭和の香りがただようこの部屋の一体どこにルーターが仕掛けられてるんだろう? 電波の強さはそこそこある。

 

「そういや爺様、去年にWEPとWPAの違いがどうちゃらって僕に聞いてきてたっけ……」

 

 そんな懐かしいことを思い出しながらパソコンの中を見ていこうとエクスプローラーを開いた。ネットワークドライブが2つほど割り当てられているあたり、どうやら爺様は自宅サーバーを建てているようだ。なにやってんだ爺様……。

 

 パソコンのデスクトップを注意深く観察する。『和之へ.txt』なるファイルを見つけた。

 

「……お。なんかソレッポイものはっけーん」

 

 ダブルクリックして中を見てみる。

 

――余計なものは見るな。あと、みんなのことを頼んだぞ

 

 みんなって誰のことだ? ……つーかさ。こういうテキストファイルを残すってことは、自分が死んだら僕が中を覗くって分かってたってことだよね。なんかムカつく。

 

 ブラウザはクロミウムを使っているようだ。クロームではなくクロミウムを使っているところが、無駄なこだわりを僕に向かってアピールしているように感じて非常に腹立たしい。

 

「クロームでいいじゃん」

 

 無駄にイラッとしながら、フとデスクトップのアイコンに目がいく。

 

「ん……艦これ?」

 

 確かに爺様は好奇心旺盛な人ではあったけど……まさか艦これに手を出しているとは思わなかった……まぁ確かに戦中派の高齢者の中にはプレイしている方もいるようだから決して珍しいことではないだろうけど……でもわざわざショートカットをデスクトップに作っておくほどのめり込んでいるとは……ひょっとしてずっとプレイしていたゲームってこれか?

 

 僕は艦これをプレイしたことはない。ちょうどヒラコーショックが起きて注目を浴びるようになってしばらく経った頃に興味が湧いてアカウントを取ったのだが、その時はサーバーが抽選式ですぐにプレイし始めることが出来ず、そのまま結局プレイすることはなかった。

 

 タッチパッドの上で指を滑らせ、艦これのショートカットにマウスカーソルを重ねた時だった。

 

「和之ー。ちょっと来てー」

 

 和室の方から母ちゃんの声が聞こえてきた。僕はパソコンをそのままにし、呼ばれた和室に移動する。

 

 和室では母ちゃんが爺様の遺影を持って立ち尽くしていた。視線は仏壇の横に飾られている優しい笑顔の今は亡き婆様の遺影に向けられていた。

 

「母ちゃんどうしたー?」

「爺様の遺影を婆様の隣に飾りたいんだけど……母ちゃんじゃちょっと背が届かないから。飾ってくれる?」

 

 爺様の遺影など別に飾らなくてもいい気もするけど、かあちゃんにそう頼まれてしまった以上仕方ない。僕は母ちゃんから爺様の遺影と押しピンを受取り、婆様の右隣に爺様の遺影をぶら下げた。

 

「うーん……」

「どうしたの?」

 

 僕は改めて爺様と婆様の遺影を見る。優しい微笑みで女性の柔らかさをこれでもかとアピールしてるかわいらしい婆様と比較して、爺様のこのエネルギッシュなまばゆい笑顔はどうだ。なんだこの写真からも感じられる無駄にすさまじいプレッシャーは……なんでこの爺様は年寄りなのに顔がテカテカしてるんだ……写真だけ見たらオレオレ詐欺の元締めと言われても納得する。写真から風を感じる。『今は向かい風です』と言われても納得出来るプレッシャーだ。

 

「いや、こうやって遺影を見ると爺様はエネルギッシュだったんだなぁと」

「爺様はね……圧力の高い人だったね……」

 

 分かる。なんかこう……遺影からも圧迫感を感じるんだよね。なんだろう……この、写真が迫ってくる感じ。

 

「ところでパソコンの中身はどうだった?」

「んー……まだしっかり見たわけじゃないけど、遺書とかそういうのは特に無いかなぁ……」

 

 まだしっかりと中を確認したわけではないけれど、ついそう言ってしまう。うちは別に金持ちってわけではないし、なによりあの爺様が自分のパソコンの中に遺書を隠すなんてことをするはずもないだろうし……なんとなく確信めいたものがあった。

 

「んじゃあ母ちゃん、そのパソコンほしいなぁ。クックパッド使ってみたい」

「んじゃ中身全部消して再セットアップしちゃおうか」

「再セットアップって?」

「一旦パソコンの中を綺麗にしちゃって、買ってきたときの状態にすること」

「んじゃお願い」

「あいよん」

 

 まぁ初七日の間は仕事も休みにしたし、ろうそくの番をしながら暇つぶしがてら再セットアップするのも悪くないだろう。

 

 そんなわけで初七日の間に爺様のパソコンの中身を精査し、一通りバックアップは取っておいて自宅サーバーに保存した後、爺様のパソコンを再セットアップした。汚れ以外は買ってきたままの状態に戻った爺様のパソコンは、今後母ちゃんのパソコンとしての新しい人生を歩むことになるだろう。これからは艦これじゃなくてクックパッドのレシピをディスプレイに表示する日々が始まるのかと思うと胸が熱い。

 

 そして初七日も過ぎ……職場に復帰して……日々の忙しさで少しずつ爺様逝去の悲しみが薄らいできた頃の、ある日の夜のことだった。僕のスマホに父ちゃんからの着信が入った。

 

「もしもし? 父ちゃんどうした?」

「おう。ちょっとお前に聞きたいことがあってな」

 

 電話の向こうの父ちゃんはかなり真剣な声をしていた。

 

「何かあった?」

「ああ。お前さ。爺様から女子高生の知り合いがいるとか、そういうことって聞いたことあるか?」

 

 爺様に? 女子高生の? なんだその財産目当ての匂いがぷんぷんする組み合わせは……

 

「いや? 聞いたこと無いけど?」

「だよなぁ……」

「どうかした?」

「いや一昨日ぐらいからな。うちに女子高生ぽい感じのスズヤって子が来るんだよ」

「ほーん……」

「んで、お前なら何か知ってるかと思ってな。それともお前の知り合いか?」

 

 僕に女子高生の知り合いなんているわけないだろう。第一僕は実家を離れてるし、そっちの高校生と知り合う機会なんてあるわけがない。

 

「つーか父ちゃんの知り合いなんじゃないの?」

「知らぬわたわけがッ!」

「援助は犯罪だよ?」

「違うと言っているッ!! 大体俺の好みは黒髪で清楚でしっとりと落ち着いた大人の……」

「まぁそれは置いておいて……母ちゃんは?」

「あいつも知らないって言ってるな」

「ほーん……」

 

 僕は当然女子高生の知り合いなんていないし、父ちゃんも知らなくて母ちゃんも知らないとなれば……当然、犯人は爺様ってことになるわなぁ……まさかあの歳で女子高生の知り合いを作るとは……

 

「ともあれ一度帰ってこれないか? 『来なくていい』って言ってるのに毎日来るんだよ。『提督に会わせてくれ』とかなんとか言ってさ。得体がしれないから昨日は追い払っちゃったんだけど」

「それは別にいいけど……仏壇に手を合わせるぐらいやらせてあげてもいいじゃん。つーか僕が帰っても何も力になれないよ?」

「いや俺も母ちゃんもその子のしつこさにホトホト困っててな……とにかくもう一度こっちに帰ってきてくれよ。親にその力を貸してくれよー……」

 

 そこまで言われたら一度帰るしか無いだろう。翌日課長に事情を説明して、溜まった有給を消化するという名目で一ヶ月ほど休みをもらった。今年は比較的暇で助かった……。

 

 最寄り駅に到着し家に向かう途中、再度うちに電話をかけてみる。どうやら件の女子高生は今日も来ているみたいだ。

 

 家の前まで来た。……確かにいる。うちの玄関の前に、水色なんてとんでもない髪の色をした、みるからに人生をなめてるとしか思えない感じの女子高生が。

 

「ぇえ〜!! いいじゃん別にスズヤ毎日来てるんだから一回ぐらい提督に会わせてくれてもさー!!」

 

 自分の家のはずなのに、女子高生が一人いるだけで途端に異空間に感じてしまい、それ以上近づくのをためらってしまう……だがそうも言ってられない。意を決し一歩一歩玄関に近づいていく僕に、その女子高生が気付いた。

 

「あ、ちーっす!!」

 

 そう言って左手で軽い敬礼をしつつ、やや前かがみになって満面の笑顔を僕に向ける女子高生。うーん……ザ・女子高生……。

 

「えーと……うちに何か用?」

「え! きみ、この家の人?」

「そうだよ」

「じゃあさじゃあさ! 提督に会わせてよ!」

 

 提督? 提督ってなんだ?

 

「えーと……テイトク?」

「そ! 今まで毎日鎮守府に来てたのに急に来なくなっちゃってもう一ヶ月経つからさ。提督の様子を見に来たんだよね〜。でも会わせてくれなくてさー」

「んーと……その、きみが会いたい人の名前は分かる?」

「えーとね……ちょっと待ってねー……メモったの見るから……」

 

 そう言いながら、自身の肩からぶら下げてるバッグを開いて中を弄ってるこの女子高生。しばらくバッグの中をごそごそと探った後、一枚のメモを取り出してそれを胸を張りながら読み上げたその女子高生は、鼻の穴がちょっとだけふんすと広がっていた。

 

「えーと……斎藤……ねーねーこれ何て読むんだっけ?」

 

 と思ったら自分のメモが読めなかったのか、僕の隣に来てそのメモを見せてきた。馴れ馴れしいのかパーソナルスペースが狭いのか理由はよく分からないが、僕との距離がえらく近い……

 

「……?!!」

「ねーねー。なんて読むの? スズヤ漢字苦手でよくわかんないんですけど」

「斎藤……彦左衛門……」

「あーそうそうひこざえもん! ひこざえもん提督に会わせてよ!!」

 

 季節は初夏。日差しが次第に強まって、冷えた麦茶とスイカとそうめんを美味しく感じ始める季節。扇風機の前で『あ゛~~~~』と声を出して宇宙人の真似をしたくなり、そろそろセミという危険生物の影に怯え始めなければならない悲喜こもごもな季節。

 

「……ぼくの爺様だ」

「え! そうなの?! じゃあキミが提督のお孫さんなんだ!!」

「そうだけど……キミは?」

「鈴谷だよ!! おじいちゃんにはいつもお世話になっておりますー」

 

 そんな季節の今日、僕と鈴谷は出会った。

 



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2. 鎮守府に顔出してみてよ

「嘘でしょ……提督……」

 

 通した和室の仏壇と爺様の遺影を見て、鈴谷は絶句というか何というか……ボー然と立ち尽くしていた。

 

「僕は居間にいるから。好きなだけいていいよ」

「うん。ありがと……」

 

 あのエネルギッシュな爺様とどんなつながりの知り合いなのかは分からない。でも彼女のリアクションは、決してただの知り合いなんかではなかったはずだ。僕は彼女を一人にしてあげた。爺様との別れをちゃんとさせてあげるためだ。

 

 自分の荷物を一旦二階の自分の部屋に置き再び居間に戻った僕は、母ちゃんが準備してくれた麦茶に手を伸ばした。

 

「父ちゃんは?」

「父ちゃんはまだ仕事。夕方頃には帰ってくるよ」

 

 正直なところ、僕は父ちゃんと母ちゃんに文句があった。あの鈴谷って子になんで今まで爺様にちゃんと別れを言わせてあげなかったのか? 最初は僕も爺様と知り合いっぽい女子高生なんて得体のしれない女性だと思ったけど、実際に会って話してみると、悪いことを企んでるようには見えない。

 

「なんで今まで上げてあげなかったの?」

「だって和之……あの子が初めてうちに来た時さ……」

 

――ちーっす! 提督にいつもお世話になってる鈴谷っていいまーす! 提督いるー?

 

「てかるーい感じで挨拶してくるから、いたずらだと思うじゃない」

 

 あー確かに……僕に対してもそんな感じだったね。でもだからと言って話を全く聞かないのもどうかと思うけど。

 

「母ちゃんもね。あの子が和室に入った時の様子を見て反省してる……」

 

 なんつーか彼女、爺様の遺影を見て凹んでたというか絶句してたよね。あの様子を見て、ホントにいたずらじゃなくて爺様を探してたんだって僕も実感出来たわけだし。ともあれ、一度父ちゃんにも説教するしかないだろう。

 

 そんなことを考えながら麦茶を飲んで涼んでいると、和室からパタパタというスリッパの足音が聞こえてきた。あの子が出てきたのかな? 思ったより早かったな……

 

「ありがとー。おかげでキチンとお別れ出来たよ」

「もういいの?」

「うん! ちゃんとお線香もあげたしね!」

 

 居間に鈴谷が入ってきた。別れ間際の彼女の様子から察するに、ひょっとしたら大泣きするんじゃないかと思って気を利かせて和室を出たんだけど、大泣きしてる様子はなかった。目も赤く腫れたりはしてないし、笑顔も曇ってなんかないようだ。僕の考えすぎだったかな?

 

「鈴谷ちゃんごめんねー。おばちゃんイタズラだと思っちゃって……」

「いいっていいって。知らない子がいきなりやって来たら、誰だってイタズラだと思っちゃうもんね」

 

 彼女がカラッとした子でよかった。母ちゃんと父ちゃんの所業をいつまでも根に持つタイプだったらどうしようかと心配していたところだったんだ。

 

 ……で、ここからは彼女の正体を突き止める時間だ。

 

「ところでさ。えーと……鈴谷さんは」

「呼び捨てでいいよ。鈴谷も和之のこと呼び捨てするから!」

 

 あらまぁ! ファーストネームで呼び捨てするだなんて馴れ馴れしいわねこの小娘ッ! まぁいいか。

 

「分かった。んじゃ……えーと……鈴谷はうちの爺様とはどういう知り合いなの?」

「提督はうちの鎮守府を率いてたんだよね」

「鎮守府? なんだそりゃ?」

「海軍施設」

「海軍? いまどき? 自衛隊じゃなくて?」

「そうだよ?」

 

 いや確かにうちの爺様は戦中は志願兵として軍にいたらしいけど、確か陸軍だったような……それも運良く戦闘には参加してなかったと思うけど……

 

「いやいや冗談やめて下さいよ鈴谷くん。大人をからかうのもいい加減にしたまえ」

「ひどっ」

「いやだってそうだろー。今は自衛隊なんだから海軍なんてあるわけありませんやん。鎮守府なんて施設きいたことあらしませんがな」

「いやいやいやマジだから。つーかリュウジョウさんよりヒドい似非関西弁やめてマジキモい」

 

 電波か? この子はデンパなのか? 電波を終始受信してるから髪の色が非常識な水色なのか?

 

「おっかしーなぁ……提督から聞いた話とだいぶ違う……」

「ん?」

「いや提督とさ。初めて会った時に和之の話してたんだよ」

 

 ほう。なんか興味あるね。

 

「爺様、僕のこと何て言ってたのさ?」

「えーとねー……」

 

――アイツは馬鹿で押しが弱いから、お前ならすぐ落とせるぞ

 

「て言ってた!」

「……」

「どーするぅ? かずゆきー?」

「どうするじゃありませんッ」

 

 僕は今、生まれて初めて爺様を張り倒したいと思った。女の子になんつー話をしてるんだ爺様……。

 

「それはそうとね。和之とおばさんに鈴谷ちょっとお願いがあるんだ」

 

 さっきまでケラケラ笑っていた鈴谷は、僕と母ちゃんに対して急に背筋を正し、真面目な顔でこう言い始めた。

 

「実はね。鈴谷以外にも提督にお世話になった子がたくさんいるんだ」

「そうなの?」

「うん」

「……ひょっとしてみんな女の子なの?」

「うん」

 

 老いてなお盛んとはこのことか……それとも婆様が逝去したことで劣情のタガが外れたのか……元から男性ホルモン多そうな人だったけど……。でも浮気とか一回もないって婆様言ってたから……ある意味高齢者デビューってやつなのか?

 

「?」

「あーいやなんでもない。続けて続けて」

「うん。でね、さっきみんなに連絡取って提督のこと伝えたんだけど、やっぱりみんなも提督に直接お別れの挨拶をしたいんだって」

「何人ぐらいいるの?」

「えーと……とりあえず二百人近くはいるかな……」

「にひゃ……?!」

 

 爺様……お盛んなのは結構だけど、わきまえてくれ……年齢というものを……。

 

「だから、出来れば提督にお別れしたい子たちに挨拶させてあげたいんだ」

「でもなー……うーん……二百人近くうちに来るってのは……」

「さすがに全員でってわけじゃないよ? それに、まだ提督が死んだってことを受け入れられない子もいるし、多分一人二人ずつ挨拶に来る感じになると思う」

 

 まぁそれぐらいなら大丈夫かな?

 

「んー……母ちゃんはどう思う?」

「母ちゃんは別にいいよ。一人二人ぐらいなら大丈夫だと思うし」

「やった! おばさん大好き!!」

 

 母ちゃんの返答を聞いた鈴谷は満面の笑みでそういうと、母ちゃんの手をガッシと掴んで上下にブンブン振っていた。母ちゃん、冷や汗が隠しきれてないです。

 

「和之はどう思う?」

「ねーねーいいでしょー? かずゆきぃいいい。かーずーゆーきー……」

「涙目の上目遣いでほっぺた赤くしながら甘えるように言うのはやめなさい」

「いいじゃんかずゆきー。かぁあずぅうゆぅうきぃいいい」

「僕の手を取って左右にぶんぶん振るのもやめなさい」

 

 ちくしょう。手が柔らかくてあったかいなんて反則だ……。

 

「別に一人とか二人とか少ない人数で来るのは構わないから。だから順番に挨拶に来て」

「やった!! 和之も大好き!!」

 

 この子はこうやって無自覚に隠れファンを量産していくタイプだと踏んだ。正直、あの笑顔で『大好き!』はヤバかった。

 

「んじゃさんじゃさ。鈴谷とLINEのID交換しようよ!」

「ん? なんで?」

「だって連絡取るのに必要じゃん? 今から行くよーとか」

「あそっか。んじゃスマホ出すよ」

 

 僕はジーパンのポケットからスマホを取り出して鈴谷とLINEのIDを交換した。

 

「ぷっ……」

「ん?」

「提督が言ってたとおりだ」

「なにが?」

「りんごのマークのスマホ」

「僕はスマホはりんごでタブレットがドロイドくんなの!!」

 

 その後は二言三言交わした後、鈴谷は鎮守府に帰ると言い出した。そこまで送るって言ったんだけど……

 

――それよりもさ。和之、一回ちょっと鎮守府に顔出してみて。

 

 そう言って鈴谷は鼻歌交じりに帰路についていた。

 

 それからしばらくして父ちゃんが仕事から帰宅。父ちゃんは近所の農協で働いている。農家が多くて田んぼや畑ばかりのこの土地において、親身に話を聞いてくれる担当者として農家からの信頼も厚い……らしい。自称だからどこまで本当なのかさっぱり分からん。

 

「ところでさ。俺思い出したんだよ」

 

 晩ごはん時、件の女子高生である鈴谷を家に上げたことを報告した時の事だった。父ちゃんがぽんと手を叩き、ごはん粒を周囲に撒き散らしながらこんなことを言い出した。

 

「父ちゃん……ごはん粒飛んでる飛んでる」

「ああすまん……」

「ほんとあなた……昔っから五歳児なんだから……」

「たわけがッ! ……それはさておき、俺思い出したんだよ。その鈴谷っての」

「?」

 

 思い出した? なんだ会ったことあるんじゃん。事案発生。

 

「ちゃうわたわけがッ! いやあのな。爺様がな。死ぬ前の日の晩、パソコンいじってる最中に叫んでたんだよ」

「……ぁあー、そういえば叫んでた叫んでた」

「? 叫んでた? なんて?」

「えとな……」

 

――よっしゃぁああああ!! スズヤゲットぉお!!! ……たまらんのぉおおスズヤぁああ

 

 ……正直ね。あの人の孫であることが恥ずかしくなってきたよ僕は。

 

 とはいえ爺様が何をしていたのかはちょっと気になる。夕食が終わった後、僕は元爺様現母ちゃんのパソコンを借りてネットでちょっと調べてみることにした。

 

 以前に見た爺様のパソコンの中身から察するに、おそらくはその時艦これをプレイしていたのだろう。あのゲームは確か『艦娘』とかいう第二次大戦の頃の帝国海軍の軍艦を擬人化したキャラを集めるゲームだったはずだ。グーグル先生で確認してみよう。

 

「“艦これ すずや”……っと。べしっ」

 

 この『べしっ』てのは僕のエンターキーを押す時の口癖だ。なんか言っちゃうんだよね調子がいい時とかさー。

 

 で、出てきた検索結果を眺める。目を引くのはやっぱり画像検索の項目で、たくさんの水色の髪の人生を舐めた感じの女子高生っぽい子のイラストがたくさん出てきた。これはどう見ても、昼間に爺様の遺影を見て絶句していたあの鈴谷だ。

 

「……コスプレ系デンパか?」

 

 頬杖をつき、タッチパッドを駆使してイラストを眺めていく。どうやらこの鈴谷ってキャラクターは、やっぱり人生を舐めた感じの女子高生みたいなキャラのようだ。女子高生っぽい感じの見た目と明るくてフレンドリーな性格のため、プレイヤーの間では同じクラスの明るい同級生みたいな感じで人気があるらしい。

 

「まんまじゃないか。徹底してキャラを演じてるのか?」

 

 ともあれ悪い子には見えなかったし、あの鈴谷がうちに来る分には構わないとは思うけどね。

 

 そうやっていろいろと調べ物をしているうちに、艦これにちょっと興味が湧いた。爺様のバックアップの中からD◯Mのログイン情報を見つけた僕は、そのIDとパスワードを使ってD◯Mにログインし、艦これをプレイしてみることにする。左手で麦茶飲みながら。

 

『か、ん、こ、れっ』

 

 洲崎綾さんだっけ? この声優さんは好きな声優さんだ。

 

『いーことぉお? あかつきの水平線に、しょーりをきざむのよ?』

 

 井口さんだっけ。随分と豪華な声優陣なんだなぁ……。

 

『鈴谷だよ! 賑やかな艦隊だね! よろしくね!』

「なんでお前がここにいるんだよッ!!!」

 

 思わず叫んでしまった。だってさ。改めて見ると昼間来たあの鈴谷まんまですやんこの子。見れば見るほどあの鈴谷ですやんこの子。

 

 決まった。あの子はコスプレ系デンパだ。これは決定事項だ。

 

『やっと作戦完了で艦隊帰投か~。おっせぇなぁ、ちゃっちゃとやれよ~』

 

 と突然画面が切り替わって作戦成功とかいう表示が出てる。なんじゃこりゃ?

 

――ぴーひょろろ~

 

 唐突に僕のスマホの着信音がなった。LINEにメッセージが届いたみたいだ。LINEを開いてみると……

 

「鈴谷から……だと?」

 

 なんという神がかり的なタイミングだ……メッセージを読んでみる。どれどれ~……

 

『かずゆきが来てくれたおかげで遠征に出てた子たちが戻ってこれたよ! ありがと!! あとちゃんとみんなに補給してあげてね!!!』<すぽんっ

 

 ……なんだこの今のシチュエーションぴったりなメッセージ。とりあえずグーグル先生にやり方を聞きながら、第二艦隊?に補給をしてみる。

 

『おぅ!もらっとくぜ』

 

 ちゃりんて音が鳴って画面右上の数字が減った。なるほど。補給ってこういうことか。

 

 そのまま編成画面に移行してみる。鈴谷は第一艦隊旗艦という立場なようだ。でもその第一艦隊には鈴谷しかいない。父ちゃんの証言によると、爺様は鈴谷をつい最近手に入れたみたいだから。うれしくてそのまま第一艦隊の旗艦にしていたのかな?

 

 興味が再び湧いた僕は、そのまま第一艦隊を出撃させてみることにした。今第一艦隊のメンバーは鈴谷ただ一人。おっかなびっくり一番簡単そうなステージである1-1を選択し、見れば見るほど昼間の鈴谷にそっくりな鈴谷は勇ましく出撃していった。

 

『最上型重巡! 鈴谷いっくよー!!』

 

 おー。さすがはゲームのキャラクターだ。戦いに行くのも勇ましいのう。

 

 その後、意外とグロテスクな外見の敵一体と戦闘になった。『うりゃー!』の掛け声とともに鈴谷の攻撃が敵に当たり、相手のグラフィックに『撃沈』の表示がつく。これで戦闘は終わりみたいだ。随分あっけなかったな……

 

『鈴谷褒められて伸びるタイプなんです。うーんとほめてね』

 

 ほめてと言われてもどう褒めればいいんだろうか? 頭撫でるとか? いやまてそれじゃ犯罪者だ。んじゃ『えらいッ! さすが鈴谷!! 素敵だよッ! 強いッ!!』とか言って盛り上げてあげればいいのだろうか……まさかとは思うけど『ほめる』ボタンとかないよな?

 

――ぴーひょろろ~

 

 再度僕のLINEにメッセージが届いた。誰からのメッセージなのかなんとなく分かった。

 

『ひさしぶりに出撃したよ! ありがとー!!』

 

 なんかだんだん、この画面の向こう側の鈴谷があの鈴谷なんじゃないかと思うようになってきたぞ……ヤバいヤバい。現実とゲームの区別をつけなくては……とりあえずブラウザを閉じ、パソコンの電源を落とした。このままでは区別がつかなくなってしまいそうだ。

 

――ぴーひょろろ~

 

 またあいつか。今度は何だ?

 

『ぇえ~! もう終わっちゃうのー?! もっと出撃しようよー!!』

 

 なんでこいつはこんなにジャストなタイミングで妙なメッセージを送ってくるのか……マズい。このままでは現実とゲームの区別がつかなくなってくる。

 

『もう寝なさい!』

『いいじゃん夜はこれからだよー? 鈴谷やっとエンジンかかってきたのにー!!』

『明日も来るんだろ? だったら今日は早く寝なさい!!』

『ちぇ~……せっかく一ヶ月ぶりにオールナイト覚悟だと思ったのにー……』

 

 言ってる意味分かってるのこの子?

 

『あーそうそう。みんなに提督へのお別れの件話したよ』

 

 ほう。仕事が早いね鈴谷くん。

 

『で、とりあえず明日は大淀さんが鈴谷と一緒にそっちに行くから。明日もよろしく~』

 

 鈴谷に関してはもう驚くことはないが……まさかその大淀とかいう人も……気になった僕は『艦これ 大淀』でグーグル先生で検索をかけてみる。

 

「……マジか」

 

 いた。『大淀』ってキャラも艦これにいた。まさかとは思うけど……明日鈴谷が連れてくる大淀さんとやら、この『大淀』ってキャラのコスプレしてやってくるんじゃあるまいな……。

 



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3.爺様のスイカ

「軽巡洋艦、大淀と申します……ひこざえもん提督には……いつもお世話になっていました……」

 

 鈴谷に連れられてやってきた大淀さんはスイカを大事そうに抱え、元気のない表情でうつむきがちに、そう挨拶をした。

 

「……鈴谷」

「ん?」

「鈴谷たちはさ。艦これのコスプレしてるの?」

「違うよー。これが鈴谷たちの正装だよ?」

「それが正装なのか……」

 

 一体どんなファンタジーなんだ。大淀さんの服装なんかミニスカートのきわどいところにスリット入ってるぞ? こんなきわどい正装があるのか世の中に。つーかゲームの中の格好そのまんまじゃないか。これが正装だなんて聞いたことない。スリット! スリットなんとかしろッ!

 

「かずゆきのヘンタイっ」

「なんでだよっ」

「あの……すみません。ひこざえもん提督にご挨拶させていただいてよろしいでしょうか……?」

「あ、はい。それじゃご案内します」

 

 まぁあれだ。こいつらがコスプレ電波集団だとしても、爺様の友達で別れの挨拶に来たというのは変わらない。

 

 大淀さんを奥の和室に案内する。大淀さんは和室に入って爺様の遺影を見るなり……

 

「そんな……本当に……ひこざえもん提督……本当にお亡くなりになられたんですか……!!」

 

 と言いながら両手で口を抑え、その場で泣き崩れていた。さめざめと泣く彼女を見守った僕と鈴谷は、彼女を爺様と二人にさせてあげようということで彼女を和室に残し、今は居間で二人で大淀さんが持ってきたスイカをいただいている。

 

「大淀さんは任務娘って役職でね。ずっと提督の補佐をしてた人だよ。しゃくっ」

「ほーん……そら付き合いも濃そうだなぁ。しゃくっ」

「初期艦の五月雨ちゃんと一緒に、提督が着任したときからずっと提督を支えてた人だからね。今回も、自分が最初に提督の死を受け入れなきゃ……って使命感があったみたい。しゃくっ」

「見かけ通り真面目な人だ。コスプレだけど。しゃくっ」

「マジでコスプレじゃないから。あ、あと扇風機の首、鈴谷の方にも回して」

 

 鈴谷から風を催促され、バチバチと首を回して鈴谷にも風を送ってあげる僕。今日はちょっと蒸し暑いからね。確かに扇風機の風は欲しい。

 

「はー……すずしー……」

「なんつーか……めちゃくちゃくつろいでるね」

「へ? だって提督と和之の家でしょ? 別に良くない?」

「いや別にいいけど。……麦茶ほしいな……」

「あ、鈴谷も」

「自分で入れなさい」

「ぇえー! ついでにいれてくれてもいいじゃん! 鈴谷まだこの家のどこに何があるかわかんないよー!!」

 

 考えてみれば確かにそうだ。なんつーかこのくつろぎっぷりを目の当たりにして、付き合いの長い腐れ縁の仲みたいな感覚を抱いてしまっていた……そんな自分にほんの少しの憤りを覚えつつ、僕は台所に行って自分と鈴谷の分のコップを出し、冷蔵庫の麦茶を注ぐ。

 

 同じタイミングで、廊下からスリッパのパタパタという音が聞こえてきた。大淀さんが和室から出てきたみたいだ。僕はコップをもう一つ出し、大淀さんの分の麦茶を注いで、お盆に乗せた。

 

「もういいんですか?」

「はい。ちゃんとお別れを言うことが出来ました。和之さんには感謝しています」

 

 大淀さんは居間に来て鈴谷の隣に座った。麦茶を乗せたお盆を持って僕もテーブルまで行き、大淀さんと鈴谷の前に麦茶を置いた。彼女の目は赤く腫れていた。鈴谷とは違い、和室で相当悲しんで泣いていたようだ。

 

「どうぞ。蒸し暑いですから麦茶の方がいいと思います」

「ありがとうございます。いただきます」

 

 僕が出した麦茶のグラスを両手で上品に持ち、静かに口をつける大淀さん。その所作は美人秘書を彷彿とさせ、美しい。

 

 一方……

 

「あざーす! やっぱこの季節は麦茶だよねー!!」

 

 僕が麦茶のグラスを置くやいなや片手で乱暴にグラスをぶんどり、そのまま盛大に麦茶を飲み干す鈴谷。こら鈴谷。女の子が喉をぐぎょぐぎょ鳴らしながら麦茶を飲むんじゃありませんっ。

 

「……昨日、鈴谷からひこざえもん提督が逝去されたとの報告を受けた時は本当に驚きました……信じられませんでしたが……」

 

 そう言いながら麦茶のグラスを置き、再び目にいっぱい涙を溜め始める大淀さん。こんな美人な人をここまで泣かせた爺様……一体この美人さんとどんな関係だったんだ……

 

「まさか……本当に……ひこざえもん提督……どうして……うう……」

「大淀さん、元気出そ? 泣いてる大淀さんなんて、提督も見たくないよ」

 

 本来なら見ているこちらにも悲しみが伝わる二人のシーンなんだが……爺様が爺様な上に、悲しんでいるのはコスプレしてる二人……どうしても僕にはシュールに感じてしまう。いや悲しみは伝わってくる。伝わっては来るんだけど……

 

「……そうですね。鈴谷の言うとおりですね。これではひこざえもん提督に顔向けできないですね」

「そうだよ! “女の子は笑え! それが男を落とす一番の武器だ!!”て怒られちゃうよ?」

「ですね。ひこざえもん提督に怒られちゃいますね」

 

 元気はまだ戻ってないけど、大淀さんが涙目で少しだけ微笑んだ。よかった。少し気持ちが持ち直したのかもしれない。

 

 でも二人共爺様の名前に『提督』なんて仰々しい敬称をつけて大真面目な顔で『ひこざえもん提督』とか言うからどうしてもそれが僕を魅惑の異空間へと誘う。

 

 んー……なんつーかホント、違和感しかない。コスプレ衣装に身を包む二人の女性が、爺様の名を『提督』という敬称をつけて呼ぶ……

 

「んー……」

「?」

「あ、し、失礼……ところで大淀さん、うちの爺様とはどういうご関係ですか?」

「3年ほど前、ひこざえもん提督が私達の鎮守府に着任してから、私は任務娘としてひこざえもん提督を支えてまいりました。それこそ、毎日一緒にいました」

「はぁ……」

「提督は元気で豪快で……いつも私達を楽しませてくれる、とても楽しい方で……」

 

 まぁ確かに豪快というところは否定出来ないなぁ。

 

「私が……艦娘として出撃することが決まった時には……ひこざえもん提督は……まるで自分のことのように……ううっ……喜んで……ぐすっ……くれ……」

 

 感極まってきたのだろうか……大淀さんは再び両手で口を押さえ、さめざめと泣き始めた。僕のせいではないのだが、どうも女の子が泣く光景を見ると、無条件に罪悪感というメンタルダメージが連続ヒットしていく。

 

「だってかずゆきが提督との思い出なんか聞くから……」

「言うなよ……ちょっと反省してるんだから……」

 

 でもさー。気になるじゃんか。自分の祖父がこんな若くて美人な人とどうやって知り合ったのかさー。しかも泣き崩れるぐらいに仲良くしてたって相当だよ?

 

「……ひこざえもん提督、いつもあなたの事を話してくれてましたよ?」

「へ? 僕の?」

「ええ。なんせ私はずっと一緒にいましたから。ひこざえもん提督とはいろいろお話させていただきました」

「どんなことを言ってたんですか?」

「自分が鎮守府の運営に関わるようになったのは、元をたどれば孫のあなたがパソコンなんてものに興味を持ったからだって」

 

 ああ、そういや僕がプログラマーになったのが癪に障ってパソコン覚えたって言ってたもんね。……ちょっと待て。なんでパソコンに興味を持ったイコール大淀さんや鈴谷たちと出会うって方程式が成り立つんだ?

 

「和之さん、プログラマーをされてるんですよね」

「そうですよ。そんなことも祖父はあなたたちに話していたんですか?」

「はい。あいつのおかげで私達と知り合えたことがムカつく……といつも言ってました」

 

 涙目のまま笑顔でそう答える大淀さんには悪いが、この時僕は心の底から爺様を張り倒したいと思った。いつになるかはわからないが、次爺様に会った時は絶対に張り倒す。

 

 鈴谷は鈴谷で、僕と大淀さんの会話に乱入するのは諦めたのか、スイカを食べては種を口から窓の外へ向けて発射していた。

 

「ぷぷぷッ……」

「おい鈴谷」

「ん? かずゆきどしたの?」

「どうでもいいけどスイカの種をうちの敷地に撒き散らすのはやめなさい」

「どうでもいいなら別にいいじゃん。うりゃー。ぷぷぷッ」

 

 こっちに口を向けて尖らせ、僕に向かってスイカの種を発射しようとする鈴谷。お前は小学生か……部屋の中で種を撒き散らそうとするんじゃあないっ。

 

「いや、なんか邪魔しちゃ悪いなーと思って」

「気を使うのはいいんだけど、それ以上の迷惑をうちに振りまこうとしてるからね?」

 

 まったく……ちょっとは大淀さんの礼儀正しさをを見習ったらどうだこの女子小学生は……

 

「スイカのお味はどうですか?」

 

 大淀さんが僕と鈴谷の不毛なやり取りを眺めながら、少し笑いをこらえつつそう質問してきた。聞けばこのスイカは、彼女たちの施設で取れたスイカということだった。

 

「美味しいですよ? 本当にありがとうございます」

「いえいえ。このスイカ……ひこざえもん提督の一言でみんなで栽培することをに決めたんです」

 

 へぇ。あの爺様がスイカを育てるだなんてまったく似合わないな……

 

「なんて言ってたんですか?」

「“孫に俺のスイカを食わせて、負けを認めさせる”って言ってました」

「……」

「だから……和之さんにはぜひ食べていただきたくて持ってきたんですよ? お気に召したようでなによりです。ひこざえもん提督もお喜びのことと思います」

「待ってきてくれたのはありがたいですし実際とても美味しいスイカですけど、僕は爺様に負けてませんから」

「おっ。かずゆき負け惜しみ? ぷぷぷっ」

「だから僕をスイカの種でスナイプするのはやめなさいっ」

「うりゃー。ぷぷぷっ」

 

 こうして僕と鈴谷が今世紀史上最もしょぼい攻防戦を繰り広げていた時だった。

 

「私も……ひこざえもん提督のスイカ、いただいてよろしいですか?」

 

 僕と鈴谷の様子を見ていた大淀さんが、笑顔でそう言った。

 

「私もスイカ、いただきたいです」

「わかりました! ちょっと待っててください!!」

 

 僕は台所に行き、大淀さんが持ってきたスイカの余りを冷蔵庫から出して、そのスイカから大淀さんの分を切り分けて皿に持った。そしてそれを大淀さんの前まで持ってくると……

 

「じゃあ、いただきます。……しゃくっ」

 

 大淀さんはそのスイカに口をつけた。目を閉じてスイカをじっくり味わいながら、爺様との思い出を思い出すように。

 

「……美味しい。美味しいですね。ひこざえもん提督のスイカ、本当に美味しいです」

「ええ。これをこんなに美味しく育ててくれた大淀さんたちには、本当に感謝です」

「ありがとうございます。美味しいです……本当に……」

 

 爺様のムカつく鶴の一声によって生み出されたスイカの味と、爺様との三年間の日々の思い出を噛み締めながら、大淀さんは僕と鈴谷に精一杯の笑顔を向けてくれた。その顔は、爺様との別れを悲しむ気持ちと、それでも悲しみを受け止めて前に進もうという前向きな気持ちにあふれていた。

 

「ホントに……ぐすっ……美味しいです。……ひこざえもん提督……あなたのスイカ……ぐすっ……ホントに……」

「大淀さん……」

「和之さんありがとう……私に、ひこざえもん提督とお別れする機会をくれて……ぐすっ……本当にありがとうございます」

 

 その後爺様との思い出話をいくつか僕に語ってくれた後、大淀さんと鈴谷は自分たちの施設……鎮守府だっけ。そこに帰っていった。帰り際に、

 

「私以外にも提督にお別れを言いたい子はたくさんいます。もしよかったら、その子たちにもお別れを言う機会をください」

 

 とお願いされ、僕は快諾した。確かに、彼女たちがどこから来て、あの傍若無人な爺様とどんな関係だったのかは未だにわからない。でも、大淀さんのあの姿を見る限り、爺様との関係は本物のようだ。爺様を慕う人たちが多いのも事実なようだし、彼女たち自身も別に悪い子たちではなさそうだし。だったら僕らに断る理由はない。

 

『今日は本当にありかとう! 大淀さん、こっちに戻ってから元気になったよ!』

 

 夜に鈴谷からLINEでメッセージが届いた。大淀さんが元気になって何よりだ。なんでも『ひこざえもん提督に顔向け出来るように、鎮守府運営がんばらなきゃ!!』とはりきって仕事に励んでいるらしい。今回の爺様とのお別れがいい機会になったようでなによりた。

 

『でさ! 今晩こそオールナイトで出撃しない?』

『しないよ。明日もこっち来るんだろ? だったら早く寝なさい』

『ぇえー! 鈴谷マジ退屈なんですけどー?』

 

 何を考えとるんだあいつは……徹夜仕事の辛さを知らないんだな……若いってのは恐ろしいねぇ……

 

『それはそうと、明日は二人連れて行くから』

 

 ほう。二人とな。

 

『今日連れてった大淀さんと一緒に、ずっとひこざえもん提督と一緒にいた五月雨ちゃんと、その五月雨ちゃんの妹の涼風ちゃん』

 

 うん。なんつーかもう名前で分かるね。その子たちもきっとコスプレ大好きっ子なんだろうね。爺様、コスプレイヤーと一体どういうつながりで知り合ったのか、僕がそっちに行った時にじっくり話を聞かせてくれますか?

 

『まぁそんなわけで明日もよろしくね!』

 

 鈴谷とのLINEを適当に終わらせた後、麦茶が飲みたくて居間まで来た。なんか妙なものを踏んだ気がして、スリッパの裏を覗き込む。黒いツブが付着していた。

 

「鈴谷のアホ……フリだと思ってたら一個だけスイカの種ホントに発射してたのか……女子高生じゃなくて五歳児じゃんかアイツ……」

 

――ぴーひょろろ〜

 

 タイミングよく僕のスマホにLINEでメッセージが届いた。もうなんとなく誰からのメッセージか分かる。でもあえて一応、通知欄を見てみることにする。……やっぱ鈴谷じゃん。なんなんだよ一体……。

 

『なんか今ムカついたんだけど。かずゆき、鈴谷の悪口言わなかった?』

「知るかバカタレがッ!!」

 

 僕は怒りに任せてスマホを座布団に向かって投げた。ワンバウンドした後偉そうに座布団の上に佇んでいるスマホは、なぜかふてぶてしい態度の鈴谷を彷彿とさせた。

 



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4.明日ちゃんと笑うために

「五月雨ちゃんも涼風ちゃんもすごくカワイイけど、五月雨ちゃんはちょっと元気がないんだ」

 

 朝一番の鈴谷からのそんなメッセージを読んでいた僕は、そのままワイドショーを見つつお昼の準備をしながら鈴谷たちの到着を待った。今日はまた特に蒸し暑い。手の込んだ物を作るスキルもなければやる気もない僕は、今日はそうめんでいいかと鍋に蛇口をひねって水を汲み始めたときだった。

 

――ぴんぽーん

 

 来客を告げる気の抜けたインターホンが鳴った。万が一のことを防ぐため、一度点けた火を消し、玄関に向かう。

 

「はいはーい。今開けますよー」

 

 ガチャリとドアを開ける。そこにいたのは……

 

「ちーっす! かずゆきー」

 

 いつものように生意気で敬意のかけらもない挨拶をする鈴谷と……

 

「ちわー! あたいが涼風だよ!!」

「はじめまして。五月雨っていいます……」

 

 この季節にぴったりな、青を基調としたノースリーブのセーラー服を着た女の子が二人立っていた。背格好と雰囲気からいくと中学一年生ぐらいかな? 紺色の髪の元気な子の方が涼風ちゃんで、綺麗な水色の髪の子の方は五月雨ちゃんだそうな。

 

「はじめまして。和之です。祖父がみなさんのお世話になっていたそうで」

「おっ! アンタがカズユキかッ!」

 

 僕が名乗った瞬間、涼風ちゃんが僕を睨みつけてきた。パッチリして大きな目からは、『許さんッ』て気持ちがこれでもかと伝わってくる。なんでこんなにガルガルしとるの?

 

「? と、突然なんなの?」

「カズユキ! 鈴谷のねーちゃんに謝れ!!」

「へ? なんで?」

「しらばっくれんじゃねぇッ! あたいは知ってるぞ!!」

 

 なんかよく分からんけど、涼風ちゃんの耳からは憤怒の水蒸気がピー!!と音を立てながら噴射されている……なんだなんだ?

 

「鈴谷」

「ん?」

「お前、二人に何を言った?」

「す、鈴谷は……な、なにも……言ってますん」

「うろたえすぎじゃないか。こっちを見ろッ」

「うう……昨日なんか意味もなくムカッてしたから、その時に“ひょっとしたらかずゆきに悪口言われたのかもー”って」

「鈴谷のねーちゃんに謝れカズユキ!」

「……」

 

 ……確かにスイカの種のことで悪態はついたけどね。そんなことを謝らなきゃダメなの? ……まぁあれだ。涼風ちゃんは元気で熱い子のようだ。

 

「まぁそこはあとでじっくり鈴谷と話をつけるとして……」

「ガクガクブルブル……」

「鈴谷のねーちゃん! あたいがついてるぞ!!」

 

 一方……気になるのはもう一人の五月雨ちゃんだ。

 

「……」

「鈴谷、五月雨ちゃんはずっとこんな感じ?」

「ガタガタ……ぁあ、提督が亡くなったって知ってから元気ないんだよね……」

 

 五月雨ちゃんは真っ青な顔で、身体が少し震えていた。

 

「五月雨、大丈夫か?」

「うん……涼風ちゃんありがとう」

 

 気を抜くとそのまま倒れてしまいそうな五月雨ちゃんの肩を、涼風ちゃんがガッシと掴んで支えていた。顔つきがよく似てる二人だから、きっと二人は姉妹のはず。だとしたら、この五月雨ちゃんも元気で明るい性格のはずだけど……今の彼女からは元気の“げ”の字も出てこない。子音の“G”すらない。詳しくは知らないけど、元気のGははじまりのGではないのか。

 

「五月雨ちゃんはずっと提督と一緒にいたからね……」

「そっか……」

 

 恐怖で身体を震わせている鈴谷の話によると、五月雨ちゃんはうちの爺様にとっては初めての仲間らしい(“初期艦”とか言うそうな)。大淀さんと同じく、みんなの中でもっとも爺様と長く付き合ってきた子ってことだ。

 

 だから鈴谷が爺様の死を伝えた時、五月雨ちゃんは相当動揺したそうで。本人は『提督の死を受け入れなきゃいけない』ということは分かっていながらも、いざここに来てみると、その恐怖と不安で身体がすくむようだ。その様子は見ているこっちも不安になる。

 

「……五月雨ちゃん」

「……はい」

「もし辛いなら、今日は素直に帰ってもいいんじゃないかな?」

 

 僕は、思ったことを率直に伝えた。こういう時は回りくどい言い方はしないで、すっぱり言ってしまったほうがいい。

 

「てやんでぃ! ちったぁ五月雨の気持ちも考えやがれ!!」

「……」

「五月雨はなぁ! 確かに辛いけど、それでも必死に前に進もうとしてるんだ! ひこざえもん提督の孫だかなんだか知らねーが、テキトーなこと言ってんじゃねえ!」

「適当なことなんて言ってない。爺様の死を納得して受け入れるなんて、今日が無理なら明日でもいい。明日も無理なら来月でいい。こういうことは無理しちゃいけないんだ。親しい人の死はそれだけ重いんだ。無理矢理受け入れるものじゃない」

「……」

 

 涼風ちゃんが僕の言葉に噛み付いてくるけど、僕も引く気はない。こういうことは急いで無理しちゃいけないんだ。爺様の死を受け入れるのは、今日じゃなくてもいい。受け入れても大丈夫なように、心の準備が出来てからでも遅くはないんだ。

 

「……和之さん、ありがとうございます」

「どうする? 今日はやめとく?」

「いえ……私は、覚悟してここに来ました。私は今日、ひこざえもん提督にお別れをいいます」

 

 僕の提案への五月雨ちゃんの返事はノーだった。その時の五月雨ちゃんの顔色は変わらず真っ青で身体も震えていたけれど、その目は涼風ちゃんと同じく、強い意思が感じられる力強いものだった。……彼女は、ちゃんと覚悟をしているようだった。ならば、僕はもう何もいうことはない。

 

「……覚悟してるんだね」

「はい。だから、ひこざえもん提督に会わせてください」

「うん。分かった」

 

 僕は三人を玄関に上げ、奥の和室へと案内した。

 

「……さっきはごめんな」

 

 和室に向かう最中、涼風ちゃんが僕のシャツの裾をちょんちょんと引っ張ってきた。

 

「? 何が?」

「あたい、アンタが適当なこと言ってると思って……」

「気にしてないよ。五月雨ちゃんが大切だから怒ったんでしょ?」

「うん」

「だったら気にしない気にしない。僕も気にしてないし」

「そっか。ありがと」

 

 うん。涼風ちゃんはいい子だ。本当に五月雨ちゃんのことを大切に思ってるみたいだ。

 

 そして再度、僕のシャツの裾をちょんちょんとひっぱる感触があった。

 

「ねえねえ、かずゆき」

「ん? なんだよ」

「涼風ちゃんと仲直り出来てよかったね。初対面で涼風ちゃんが怒りだした時はどうしようかと思ったよ。ヒソヒソ……」

「初対面で涼風ちゃんが怒ってた理由の原因は鈴谷だけどな……」

「? 何こそこそ話してんだ?」

 

 とこんな具合で僕達三人は軽く会話をしながら奥の和室へと移動する。五月雨ちゃんだけは一言も口を利かず、決意を秘めたまっすぐな瞳で、前を向いて歩いていた。

 

「かずゆきぃ。五月雨ちゃんに一目惚れ?」

「お前あとでロメロ・スペシャルで折檻」

 

 そうして和室に到着。襖を開け、五月雨ちゃんと涼風ちゃんを中に招いた。

 

「う……」

「そんな……覚悟してたけど……ひこざえもん提督……」

「てい……とく……」

「提督……ひこざえもん提督……」

「なに……勝手に、おっ死んじまってんだ提督……べらぼうめぇ……!」

「ひこざえもん提督……帰ってきて下さい……ひぐっ」

 

 覚悟していたとはいえ……やはり事実を受け止めるのはまだキツかったようだ。遺影を見る五月雨ちゃんのぱっちりした両目にどんどん涙が溢れてきた。涼風ちゃんは涼風ちゃんで両肩をわなわなと震わせ、泣くまいとしているようだった。

 

「ていとく……ていとく……」

 

 力なく崩れ落ちそうになっていた五月雨ちゃんを、その後ろから涼風ちゃんががっしりと肩を支えて立たせていた。

 

「五月雨……泣くんじゃねえッ……!」

「うう……ひぐっ……ていとく……」

「あたいと約束……ひぐっ……したじゃねェかッ……ひこざえもん提督と笑顔でお別れしようって……約束……した……ひぐっ……じゃ……」

「でも……ひぐっ……うう……」

「だから……あたいは……泣かねーぞ……!」

 

 二人は身体を寄せあって、必死に泣くまいとしていた。そんな二人を見守っていると、三度ぼくのシャツの裾をちょんとひっぱる感触があった。

 

「?」

 

 鈴谷が僕のシャツの裾を引っ張っていた。その顔にいつもの軽薄さはなく、鈴谷の真剣な眼差しは僕にこう訴えかけていた。

 

『言ってあげて』

 

 わかってる。こんなに小さな二人に、無理してガマンして笑顔でいさせるなんて、爺様は望んでない。たとえどれだけムカつく爺様であったとしても、僕は孫だ。それぐらいは手に取るように分かる。

 

「ふたりとも」

「「?」」

「泣いていいんだよ。今日は思いっきり泣いて、明日笑顔になろ」

「でも……ひこざえもん提督が……ひぐっ……心配……」

「“女の子は笑顔が一番”って……いっつもあたいたち言われて……ひぐっ」

「そうだよ。女の子は笑顔が一番だよ。だから……明日からは本当に笑顔になれるように、今日は思いっきり泣こ」

「「……」」

「僕と鈴谷は席を外すから。ほら出るぞ鈴谷」

「ぉおっ?」

 

 僕は鈴谷の手を取り、そそくさと和室から出た。五月雨ちゃんと涼風ちゃんは呆然と僕らの背中を見送っていた。そして僕が襖を静かに閉じた瞬間……

 

『うわぁぁあああああああん!!!』

 

 という叫び声というか、二人の泣き声が聞こえた。

 

「……やっぱりガマンしてたんだね」

「だね。かずゆきに言われて、泣いてもいいんだって分かって、決壊しちゃったんだね」

『あたいたちを置いていくなよぉぉおおおおお!!!』

『戻ってきてくださいいぃぃいいいいいい!!!』

『またあたいたちと遊んでくれよぉぉおおおお!!!』

『もう提督のパソコンにお茶かけちゃったりしませんからぁあああああ!!!』

『返事してくれよていとくぅぅううううううう!!』

『提督のお腹にパンチ突き刺しちゃったりしませんからッ! 勢い余って提督のパンツ破いちゃったりしませんからぁぁああああ!!!』

『『うわぁぁあああああん!!!』』

 

 うん。いろいろと聞き捨てならないセリフを聞いた気がするけれど、二人とも気持ちをちゃんと発散できてるようで何よりだ。これでいい。悲しい気持ちをガマンしちゃいけない。ガマンしたらくすぶり続ける。悲しい気持ちは、ちゃんと発散するのがいいんだ。そして、次の日から笑顔になればいいんだよ。

 

「ところでさーかずゆきぃ」

 

 この感動的な場面に立ち会っているというのに、鈴谷はそんなシーンに似つかわしくないニヤニヤを僕に向けてきていた。

 

「ん? なんだよ」

「いや別にいいんだけど……いつまで鈴谷の手を握ってるの?」

 

 鈴谷にそう言われ、僕は自然と自分の右手を見た。僕の右手と鈴谷の左手は、しっかりとつながっていた。

 

「うおッ?! すまん鈴谷ッ!」

「なになに鈴谷と手を繋ぎたかったの? 言ってくれればよかったのにー素直じゃないなぁかずゆきは~」

「たわけがッ!」

「かずゆきぃーどうするぅ?」

「うるさいわッ!」

 

 その後は五月雨ちゃんと涼風ちゃんが落ち着くまで和室にいてもらった。部屋から出てきたときの二人の目はちょっと赤くなっていたけど、来る時よりもかなりスッキリした顔をしているように見えた。

 

「ありがとうございました和之さん! おかげで、ちゃんとお別れが出来ました!」

「よかった。スッキリした?」

「はい! 本当にありがとうございました!!」

「ホント、ちゃんと挨拶できたのはカズユキのおかげだぜ! ありがとうカズユキ!!」

「んーん。二人も、うちの爺様に挨拶してくれてありがとう。仲良くしてくれてありがとう」

 

 特に五月雨ちゃんは、来た時と比べて見違えるように明るくなっていた。確かに爺様の死を受け止めるには彼女の身体は小さすぎるし、彼女にとって重すぎる事実だったけれど、それでも彼女は受け止めた。受け止めて受け入れたんだ。五月雨ちゃんの目にはもう迷いや怯え、不安のようなものは見られなかった。悲しみを乗り越えて、前に進もうという意思だけが宿っていた。

 

「かずゆきぃ。お腹すいたからお昼ごはん作って。そうめんでいいよ」

「感動的な場面に水を指すなよ鈴谷」

 

 そしてその場面に気の抜けた一言で水を差す鈴谷。そんな鈴谷の暴言を受けて、今日は四人でお昼ごはんとしてそうめんを食べることになった。イマイチ納得がいかなかったが、三人が来るまで僕もそうめんを食べる気マンマンだったからちょうどよかったのかもしれない。

 

「私もお手伝いします! 茹でるのはお任せくださいっ!」

 

 僕がいそいそと鍋を火にかけて準備をしていると、五月雨ちゃんがお手伝いを買って出てくれた。ぼくはそうめんを茹でるのを五月雨ちゃんに任せ、テーブルでそうめんの完成を待つ鈴谷と涼風ちゃんの元へと箸とめんつゆを運ぶことにした。どこぞの女子高生と違って五月雨ちゃんは天使だなぁ……。

 

「それ、鈴谷のこと?」

「他に誰がいるんだよ?」

「カズユキ、あたいちょっとわかったぜ!」

「ん? 何が?」

「鈴谷のねーちゃんとカズユキ。ケンカしてるけどすんげー仲良いんだな!」

 

 何勘違いしちゃってるのこの子? 僕は涼風ちゃんの……いやあえて呼び捨てにしよう。涼風のニカッと眩しいその口を両手でムニッと挟み込んでやった。

 

「んぐッ?!」

「くだらないことをのたまいやがるのは……この口かッ……!」

「何……しやがんだ……かずゆきッ……!」

「訂正しろッ! 僕と鈴谷が……仲いいだなんて……訂正しろッ……!!」

「てやんでぃ……! 一度口に出したことは……言い直さねえぞあたいはッ……!!」

「へー……仲いいんだ鈴谷たち。ニヤニヤ」

「お前も意味深なニヤニヤをするのはやめろ」

「みなさん……! そうめんが……茹で上がり……まし……!」

 

 そうやってぼくが涼風を責め立てていると、五月雨ちゃんが4人分のそうめんが入った桶を持ってきた。……持ってきたのはいいんだけど、桶は相当重いようで、五月雨ちゃんは上下左右にふらふらとしている……

 

「大丈夫か五月雨ちゃんッ!」

「だい……じょう……」

「五月雨ッ! あたいも手伝うぜ!!」

「すず……かぜちゃん……は……そこでッ……」

「鈴谷! 手伝ってやれ!!」

「いいよー。五月雨ちゃん今行くからちょっと待って……」

 

 世の中には、考えうる最悪のアクシデントの連鎖というものがある。

 

「……だい……」

「さみだれちゃぁぁあああああん!!!」

 

 たとえば僕が口内炎に苦しんでいる日……うちのかあちゃんは狙いすましたかのように、あさりの殻付きピリ辛炒めを作ってれる。味は美味しいんだけどピリピリした辛味が僕の口内炎を攻撃して、僕はその日夕食を食べることが苦痛になる。しかもその日のあさりには必ず小石のように大きくてガラスのように鋭い砂の粒がたくさん入っていて、それがまた口内炎を刺激して痛い痛い……今日の五月雨ちゃんは、まさにそんな感じだ。考えうる最悪のアクシデントの連鎖が、今発生する。

 

「ふあっ……」

「さみだれぇぇええええ?!」

「かずゆきぃいいいいい?!!」

 

 五月雨ちゃんは、あるはずのない床の出っ張りに足を取られ桶のそうめんをぶちまけた。ぶちまけられたそうめんは……あるはずのない引力に従って、ぼくの方へと飛んできて……

 

「か……和之さん……」

 

 四人分のそうめんは、僕の頭にすべてかかってしまった。おかげで僕はびしょ濡れで、しかも濡れた純白のかつらを頭からかぶってる感じになった。

 

「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃかずゆきチョー受ける!!」

「カズユキが!!! あひゃひゃひゃ!!!」

「笑うなおまえらッ! 人の一生懸命を笑うなッ!!」

「和之さんごめんなさい! ホントにごめんなさい!!」

「……いいんだよ。こういう時は逆に考えるから。『熱いにゅうめんじゃなくてよかった。火傷しなくてよかった』って考えるから」

「ヒー……くるし……おなかいたい……息できない……かひゅー……かひゅー……」

「鈴谷のねーちゃん……あたいも苦し……かひゅーかひゅー……」

「お前らあとで三時間正座で説教だ」

「「ひどっ」」

「ごめんなさい! ホントにごめんなさいッ!!」

「いいの。五月雨ちゃんはいいのよ」

 

 そう言って真剣に何度も頭を下げる五月雨ちゃんをたしなめていると、タイミングよく僕の頭の上のそうめんのひとかたまりがぽとっと落ちた。

 

「ほんと……ごめ……ぶふっ……」

「?」

「和之さんは……やっぱりひこざえもん提督の孫ですね」

「なんで?」

「提督はいつも、私のドジを優しくフォローしてくれてました。和之さんと同じこと言って、いつも私を慰めてくれてました」

「んん? 同じこと?」

「はい。提督のパソコンにお茶をぶちまけちゃった時は、『逆におれにかけてこなかったから火傷しなくて済んだ。ありがとなー』って。パンツ破いちゃった時も『これで新しいパンツを気兼ねなく買える。ありがとなー』って」

 

 おうおう爺様、いくらこの子が可憐だからって随分やさしいじゃないかえ?

 

「いやいや……かずゆきも人のこと言えないでしょ……ぶふっ……」

「ひょっとして五月雨に一目惚れか……ぶほっ……頭からそうめん被ったその風貌で……ありえねーぞっカズユキぃっ……ぶふぅっ……」

「お前ら説教の後ロメロ折檻追加」

「だからなんだか懐かしい気がして……まるでひこざえもん提督に元気づけられてるみたいで……私、うれしくって」

「そっか……ならよかったよ」

「はい! 和之さんありがとうございます!!」

 

 まぁ爺様の気持ちはわかる。五月雨ちゃんが真剣に頑張ってるのはすごく伝わってくるから、責めるなんて出来ないよな。爺様すら責める気が微塵もおきない天使五月雨ちゃん。

 

 その後は僕がそうめんを再度茹で上げ、四人で和気あいあいとそうめんを平らげた。別れ際の五月雨ちゃんと涼風は満面の笑みで、

 

「また遊びに来てもいいですか?」

「いつでも来ていいよ。爺様も待ってるから」

「やったぜ! んじゃ今度はみんなで遊ぼうぜーカズユキー!!」

 

 とまた来てくれる約束をしてくれた。僕はそのうち仕事に戻らなければならなくなるけど、しょぼくれた父ちゃん母ちゃんのいい話し相手が出来てなによりだ。

 

『五月雨ちゃんも涼風ちゃんも元気だよ! 特に五月雨ちゃんは“提督に心配かけないようにがんばります!”て言ってた!!』

 

 夜、鈴谷からこんなメッセージが届いていたことに気付いた。『明日笑うために今日は泣こう』って僕は言ったけど、今日のうちに笑顔になれたんだ。やっぱりちゃんとおもいっきり泣いたのがよかったみたいでなによりだ。

 

『明日は鹿島さんって人を連れて行くから!』

『はいよ。待ってるからなー』

 

 鈴谷からのメッセージの返事を適当にやりつつ、元爺様現母ちゃん所有のパソコンで艦これにログインしてみた。鹿島って子は……いた。なんかドSっぽい見た目とふわふわした物言いがなんだかアンパランスで、こっちの好奇心をくすぐってくるキャラだ。

 

 鹿島ってキャラクターの確認が済んだ後、僕はどうにも五月雨ちゃんが気になって、秘書艦を五月雨ちゃんにしてみたくなった。秘書艦を鈴谷から五月雨に交換する。

 

『いよいよ私たちの出番ですね!』

 

 元気よく五月雨がそう答えていた。

 

『それはそうと、かずゆき』

『んあ?』

『明日はどうする?』

『何がだ?』

『明日も今日みたいに鈴谷と手つなぐ?』

 

 昼間の失態を思い出し、ドヤ顔でメッセージを送ってる鈴谷を反射的に想像して僕はムカついた。

 

『お前明日こそパロスペシャルで折檻してやる』

『ひどっ。なーんーでー? 鈴谷と手つなぎたかったんでしょー?』

『コーホー』

『なにそれ意味分かんない。ムカつくわー』

 

 ムカつくのはこっちじゃと思いながらスマホで返事のメッセージを打ってる最中、ついうっかり肘がパソコンのタッチパッドにあたったみたいだ。それが五月雨へのクリックだと認識され、画面の五月雨が元気よく返事をしていた。

 

『ていとく! 一生懸命、がんばります!!』

 



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5.脳を溶かしてくる系女子

 世の中には、異性の寵愛を一身に受けるために生まれてきたとしか思えないような人が一定数存在する。これは、男女年齢問わず存在する。自分が見える範囲の世界でも、必ず一人は存在する。異性の心を鷲掴みにする人間というものは、いつの時代にでも必ず一人は存在するものだ。

 

「はじめまして。練習巡洋艦の鹿島といいます。ひこざえもん提督には、いつもお世話になっていました」

「鹿島さんは鈴谷みたいな鎮守府に来たばかりの子の面倒を見てくれる人なんだよ!」

「……」

「和之さん?」

「おーい。かずゆきー?」

 

 白状する。僕は鹿島さんの声を聞いて、脳が溶けた。

 

「……」

「どうしたの?」

「かーずーゆーきぃぃいいい?」

「……はッ?!」

「どうかしたの?」

「あ、いや……」

 

 あぶねー……ゲームのキャラの方の声もやばかったが……この鹿島のコスプレをしている鹿島さんの声は恐らくそれ以上……声を聞いただけで意識が別次元に飛んでいきそうだ……

 

「鈴谷」

「ん?」

「お前、明日から随伴役を鹿島さんと変わってくれ」

「なんでっ?!」

「……?」

 

 アカン。あまりの鹿島さんの声の破壊力に、僕の口が僕の意識の制御を離れて欲求を忠実に言葉にしている……。

 

「ダメダメ。鹿島さんはみんなの演習を仕切らなきゃいけない忙しい人なんだから」

「そういうわけでごめんなさい」

 

 鈴谷の言葉を受けて、鹿島さんは僕に対して頭をふわりと下げた。……うーん……この、ドSっぽい外見なのに女の子らしいふわりとした柔らかい性格……そして何より別の意味での最終兵器なその声……

 

「でも和之さんの気持ちはうれしかった……」

「……」

「和之さん……」

「……」

「……ありがと」

「……?!」

 

 アカン。気をしっかり持たないと、意識が持って行かれる……。

 

「ちょっとー。鈴谷はシカトですかー?」

「なにムスッとしてんだよ」

「そらぁ誰だってムスッてするでしょー」

「くすっ……さ、そろそろひこざえもん提督に挨拶をさせてください和之さん」

 

 ああ……いいよ……この『和之さん』て言い方……いい……

 

「?」

 

 これ以上はヤバいと鈴谷は判断したらしく、僕の手を引いて鹿島さんと共に奥の和室に案内してくれた。もう何回もここにきてる鈴谷は、家の構造をかなり把握している。本人からしてみれば家主同然の意識なのだろう。

 

「ほら鹿島さん。ここが提督の部屋だよ」

 

 相変わらず脳が溶けてぽやんぽやんして、案内役としてまったく使い物になってない僕を差し置いて、鈴谷が鹿島さんにそう説明していた。

 

「ここが……提督さんの……」

「鹿島さん……大丈夫?」

「大丈夫。覚悟はしてきました。開けてください」

 

 鹿島さんの眼差しに覚悟が宿ったようだ。さっきまでのふわふわした眼差しとは明らかに異なり、視線に一本芯が通ったように感じた。僕は鹿島さんの周囲の空気か変わったことを感じて正気にもどり、和室の襖を開けるべく、二人の前に出た。

 

「じゃあ……開けます。どうぞ鹿島さん……」

「……はい」

 

 鹿島さんの返事を受け、襖を開ける。鹿島さんの目の前につきつけられる、爺様の遺影。

 

「……」

 

 鹿島さんは何も言わず、何も言葉を発せず、ただジッと爺様の遺影を見ていた。微動だにせず……目をそらさず、爺様の遺影を目に焼き付けるように、ただジッと遺影を見ていた。

 

「……提督さん」

 

 鹿島さんが口を開いた。その顔は、微笑んでいた。

 

「……ホントに逝っちゃったんですね。鹿島を置いて……」

 

 見ているこちらの涙を誘うほどの悲しみを必死に隠して、微笑んでいた。

 

「……」

「鹿島さん……」

「和之さん? 中に入ってもいいですか?」

「……どうぞ」

 

 鹿島さんが、ゆっくりと力なく和室に入った。和室に入った鹿島さんは、遺影のそばまで来ると、爺様の顔を優しく、とても愛おしそうに撫でていた。

 

「提督さん? いつも鹿島のスカートを引っ張ってましたよね?」

 

 ?! 爺様?! こんな美人でかわいい鹿島さんのスカート引っ張って遊んでたのか?! 次会ったら出会い頭にラリアットきめて折檻してやるッ!!

 

「その時はイヤだったけど……今は提督さんがいなくて、とてもさみしい……」

「……」

「もう……鹿島のスカート引っ張ってくる困った提督さんは……いないんですね……」

「……」

「寂しいなぁ……ぐすっ……また……提督さんに、会いたいな……」

 

 そう言って鹿島さんは、目に涙を溜め寂しそうに微笑みながら、愛おしそうに爺様の遺影を撫でていた。その様子はさながら、愛する男性の死を悼み生前の姿を懐かしんでいるようであった。一輪の白い鈴蘭。そう形容してもおかしくないほどに、彼女は可憐で美しく……

 

「ちょっとかずゆき」

「ん? なんだよ」

「なにそんなにうっとり鹿島さん見つめちゃってるの?」

「たわけがッ」

「とりあえずさ。鹿島さんを一人にしてあげよ」

「だな」

 

 僕と鈴谷は静かに和室から出た。襖を閉じる時にチラッと見えた鹿島さんは、とても寂しそうに微笑みながら、優しく爺様の写真を撫でていた。ちくしょう。

 

「なんでそんなに悔しそうなの」

「爺様に負けた気がするから」

「?」

 

 鈴谷にはわかるまい。この悔しさというものが……。

 

 居間に戻ったあと、鈴谷が『暑いからアイス食べたい』とわがままを言い出したので、冷蔵庫に奇跡的に残っていたぶどう味のチューペットを二人で分け合うことにした。鈴谷は半分しか食べられないのが納得いかないようだったが、僕だってチューペット食べたい。暑いし。

 

「鈴谷はハーゲンダッツがよかったなぁ。ちゅー……」

「だったら返せぶどう味のチューペット。今すぐ返せさぁ返せ。ちゅー……」

「まぁこれはこれで好きだからいいんだけど。ちゅー……」

「なんなら新しいチューペットでもいいぞ。返してくれるんならな。ひゅぼっ……」

 

 こうして僕と鈴谷がいつものように軽口を叩き合いながらチューペットを堪能していると、鹿島さんがスリッパの音をパタパタさせながら和室から出てきた。

 

「チューペットですか?」

「もういいんですか?」

「はい。おかげさまで、ちゃんと提督さんにご挨拶することが出来ました」

 

 鹿島さんはそう言いながら、鈴谷の隣にふわりと腰を下ろす。鹿島さん。僕の隣の席、空いてますよ?

 

「いいじゃん鈴谷の隣でさー」

「お前には聞いてない」

「くすっ……お二人は仲がよろしいんですね」

「めっそうもない。こんな傍若無人で若さという武器を最大限活用して振り回す女子高生、迷惑以外の何者でもありません」

「ひどっ」

「ふふっ……そういうことにしときましょっか」

 

 僕と鈴谷を見比べ、鹿島さんはくすくすと笑う。鹿島さんの言葉の一つ一つが僕の頭に染み渡り、心地いい快感と共に僕の頭を溶かしていく。……ダメだこの人。鈴谷が無自覚にファンを作っていくタイプなら、鹿島さんは無自覚に中毒者を量産していく、もっとも危険なタイプの女性だ。

 

「それはそうと……爺様にはいつもセクハラされてたみたいで……」

「ぁあ確かに。提督さん、私のスカートやら服のすそをいっつもちょんちょんって引っ張ってきて……」

 

 ちょんちょん……なんだこの可憐でかわいい言葉……こんなに美しい日本語が存在したのか……

 

「で、私が『ダメですよっ』て言っても、『その言い方がセクシーでいい』って言って、全然やめてくれなくて……」

「僕が許可します。七回地獄送りにしてやってください」

 

 こんな天使にセクハラを働くとはけしからん。たとえ全世界の裁判所が無罪判決を出したとしても、僕だけは有罪の木槌を叩き続けてやるッ。

 

「でも……突然鎮守府に来なくなって……提督さん、お亡くなりになってるって分かって……あの日々が……今ではとても懐かしくて……」

「……」

「そっかー……私のスカートを引っ張ってくる人はもういないんだ……困ることはなくなったけれど……寂しいな……提督さん……」

 

 鹿島さんは頬杖をつき、寂しそうに微笑んでテーブルを見つめていた。きっと鹿島さんは今、爺様の傍若無人っぷりに苦しめられていた頃のことを思い出している。そして、死を受け入れながらも、あの楽しかった日を懐かしむ郷愁の気持ちを抱いているのだろう。

 

「鹿島さんっ!」

「はい?」

 

 もうガマンならん。気が付くと僕の口は僕の制御を離れ、鹿島さんの名を呼んでいた。

 

「よかったらまた来てください! 爺様もいますし、ここなら気も紛れると思います!」

 

 僕の理性は『紛れるわけがないだろう』と必死に叫んでいるのだが、僕の口が言うことを聞かない。今となりでチューペットの容器を膨らましたりぺたんこにしたりして暇そうにしている鈴谷なんかどうでもいい。鹿島さん。また来てくれ! そしてまた僕の脳を溶かしてくれ!!

 

「そうですね……」

 

 鹿島さんは手に自身の顎を乗せて色っぽい頬杖をついたまま、チラッと鈴谷の方を見た。鈴谷は空になったチューペットの容器をしぼませたり膨らませたりして遊んでるようだった。

 

「? 鹿島さんどうしたの? ぷくー……」

「……やっぱりやめとこうかしら」

「なぜッ?! ココに来てはわがまま言い放題、傍若無人な鈴谷よりも、あなたのほうが随伴役にふさわしいッ!!」

「ひどっ。ひゅぼっ……」

 

 口ではそういいながらもさしてショックは受けてないように見える鈴谷を尻目に、鹿島さんは優しい微笑みをたたえて僕を見つめる。見せてくれ鹿島さん。その眼差しを僕にもっと向けてくれッ!

 

「……和之さん?」

「はい」

「鹿島は練習巡洋艦です」

「はぁ……」

「……でも、和之さんの練習には、付き合えません。ね?」

 

 ほわっつ? 鹿島さん意味がわかりませんが……?

 

「鈴谷? これでいい?」

「へ? なんで? ぷくーひゅぼっ……」

 

 僕と同じく鹿島さんの言葉の真意がいまいち読めなくてボー然としている鈴谷に対して、鹿島さんはかわいくウィンクをしていた。

 

 その後は思い出話で花を咲かせた後、鹿島さんは鈴谷と帰っていった。帰り際、鹿島さんからは

 

「明日から、また鈴谷をよろしくおねがいしますね」

 

 と改めて随伴役交代をお断りされた。なんてこった……爺様に完敗だ……。

 

 さて、夜はもう恒例となりつつある鈴谷とのメッセージのやり取りになる。鈴谷は自分たちの施設に戻った後、鹿島さんに『がんばって』と言われたそうだ。

 

『別にがんばることなんてないんだけど。なんだろうねぇ』

『わかんないよ……僕に聞くんじゃなくて本人に聞きなよ……』

『聞いたよ。そしたら色っぽい顔と声でさー』

 

――くすっ…… 和之さんに聞いてみて

 

『てさ』

『意味が分からん……』

 

 なんか鹿島さん、爺様への挨拶が終わった時ぐらいから意味深なセリフが多いね……

 

『それはそうと、明日は二人連れて行くから』

『なんて子?』

『加賀さんと瑞鶴さん。二人とも正規空母』

 

 反射的に『艦これ 加賀 瑞鶴』で検索かけてしまう自分に危機感を覚えてしまう。まさかとは思うけど、現実とゲームの区別がつかなくなっているのではあるまいな……

 

『……その二人、ひょっとして仲悪い?』

『あれ? 加賀さんと瑞鶴さんのこと知ってるの?』

 

 うーん……怖いなー。件の二人がではなくて、今の僕自身が。

 

『だから今からそっちにつくまでの道のりが怖いよー。ギクシャクしそう』

『まぁがんばれ』

『かずゆきー。むかえにきてー車で。BMでガマンするから』

『断る』

『ひどっ……まぁそんなわけで明日もよろしく! また明日連絡するね!!』

 

 そのメッセージのあと、お月様のスタンプが鈴谷から送られ、その日のやり取りは終わった。僕はスマホを充電器につなぎ、布団に寝転んで天井を眺める。

 

 天井を眺めながらフと思い出した。確か艦これというゲームには、独特なレベルキャップ開放システムがあった。確かケッコンカッコカリとかいう名前だ。そんな名称だから、全国の提督の中には、レベル上限開放以上の意味合いを持っている人も多いと聞く。うちの爺様はプレイ歴は長いようだが……誰かそのケッコンカッコカリしているキャラクターはいるのかな?

 

 ……まぁいいか。明日にでもちょいとまたログインして調べてみるとしよう。今日は眠いから寝る。僕は電気を消して布団に寝転んだ。おやすみ鹿島さん……

 

――ぴーひょろろ~

 

 ……なんだよ人がこれから寝るっつー時に……誰だ? 鈴谷か?

 

『どうせなら鹿島さんじゃなくて鈴谷を思い出しながら寝てね~』

「人の寝入りばなの邪魔をするな鈴谷ッ!!!」

 

 僕は怒りに任せて暗闇に向かってスマホを投げた。スマホは画面を天井に向け、暗い室内を画面の明るさで眩しく照らす。その様子は、なぜか僕に鈴谷のムカつく笑顔を思い出させた。

 



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6.お別れをしに来たんじゃない

「大体なんでアンタと一緒に提督さんに挨拶しなきゃいけないのよ!」

 

 午後三時を過ぎた頃。ピンポンの音よりも早く、玄関から聞こえてくる怒号が来客を告げるという珍しい経験をした。

 

『かずゆき〜……早く開けて〜……鈴谷もうムリ……』

「はいはい今玄関開けますよ〜……」

 

 スマホに届いた珍しい鈴谷からのSOSを見て、急いで玄関を開ける。その途端……

 

「もう一回言ってみなさいよ一航戦!!」

「何度でも言うわ。あなたたち五航戦なんてまだまだよ」

「私だけじゃなく翔鶴姉まで……!!」

「この前『あんなん余裕でしょ』って調子こいて出撃したくせにすぐ大破して戻ってきたのは誰だったかしら?」

「ムギギギギギ……!!」

「文句言われたくなかったら実力で黙らせることね」

 

 そんな言い合いが玄関に響き渡り、僕の精神テンションはひどくげんなりしてしまった。

 

 いつもの女子高生スタイルの鈴谷と一緒にいたのは、妙に仲が悪そうな弓道着姿のふたり組。一人は青を基調とした弓道着を着ている黒髪でサイドテールのクールビューティーぽい感じの女性で、もう一人は迷彩柄という珍しい弓道着を着たツインテールの賑やかな子。

 

「……やっぱコスプレか」

「……あんた誰よ?」

 

 ツインテールの子が僕のコスプレ発言に噛み付いてきた。……あーなるほどねー。もうキャラそのものになりきってる感じなのねー。

 

「タハハ……瑞鶴さん、もうずっとこんな感じで……」

 

 珍しい光景だ。あの傍若無人な鈴谷が困り果てて苦笑いをしておるわ。まぁ気持ちはわからなくもない。……一人は常にカリカリしてるし、もう一人はそのカリカリを涼しい顔で受け流しつつ正論で追い詰める。このふたり組と同じ空間に居続けるとげんなりして胃が痛くなってくるだろう。

 

 ツインテールの方……瑞鶴さんとは対照的なクールビューティーな女性は、顔色ひとつ変えず僕の方に頭を下げた。

 

「和之さんはじめまして。あなたの祖父のひこざえもん提督にお世話になっていました。正規空母の一航戦、加賀です」

「ゲッ……この人が提督さんのお孫さん……?」

「そうよ。ちゃっちゃと挨拶しなさい五航戦」

 

 クールビューティーな加賀さんにそうたしなめられた瑞鶴さんはちょっとぶすっとした表情で、僕に向かって頭を下げた。

 

「はじめまして。五・航・戦! の正規空母、瑞鶴です。ひこざえもん提督にはいつもお世話になってました」

「……はじめまして。彦左衛門の孫の和之です」

 

 二人は僕に向かって会釈をしてはいるが……こんな経験初めてだ。トゲトゲした体感温度が低い空気を目視で確認できるぞ……ここまで険悪なふたりが一緒に挨拶ってどういうこっちゃ?

 

「あ、アハハ……お二人とも空母なんすか」

「こいつなんかと一緒にしないで!」

「私も五航戦なんかと一緒にされると頭にきます」

「あは、アハハハハ……」

「ちょっとかずゆき……余計なこと言って刺激しないでよ……」

「いや、正直すまん……」

「ぷーい……」

「つーん……」

 

 刺々しい空気が肌に刺さる感触を感じながら、僕は三人を家に上げ、億の和室に案内してさしあげる。しかしすごいなこの二人。

 

「ぷーい……」

「つーん……」

 

 お互いがお互いを自分の視界に入れたくないのか、二人とも目線が外側を向いてて、前を向かずに僕についてきている。前見てないのにまっすぐ歩いてるってすごいぞ。

 

「……着きましたよ。こちらです」

「「……!」」

 

 和室の入り口のふすまを開ける。その途端、加賀さんと瑞鶴さんの顔色が変わった。さっきまでは互いに敵対心むき出しだったのに、その敵対心が急激にこの場から消え失せたのが僕にも分かった。

 

「ひこざえもん提督……」

「ホントだったんだ……」

「本当に……逝ったのね……」

「提督さん……冗談だよね……?」

 

 瑞鶴さんがフラフラと和室に入り、爺様の遺影に近づいていった。一方の加賀さんはその場から動かず、だけど右手を力いっぱい握りしめて、悲しみをがまんしているように僕には見えた。

 

「和之さん」

「はい」

「ひこざえもん提督に……お線香をあげてもいいですか?」

「はい」

 

 弓道着を着ているせいなのか……それとも背筋が伸びた綺麗な姿勢をしているためか……加賀さんは美しい立ち居振る舞いで和室に入り、仏壇の前に座って爺様に線香をあげていた。線香の香りと煙が、僕と鈴谷にも届いた。

 

「五航戦」

「うう……提督さん……」

「あなたもお線香をあげなさい」

「……うん」

 

 加賀さんに静かにそう促され、瑞鶴さんは目に涙をいっぱい浮かべながら加賀さんの隣りに座り、わなわなと震えながら線香を上げた。僕には、瑞鶴さんが大声を上げてしまいそうになるのをガマンしているように見えた。

 

「ねえねえ」

 

 さっきまでの喧騒と痛い空気はどこへやら……一辺して静かになった加賀さんと瑞鶴さんを見守る僕に、鈴谷がこそこそと話しかけてきた。いつぞやのようにパーソナルスペースが近い近い……でもあんま気にならなくなってきたな。

 

「かずゆき……そろそろ私たち、外に出よっか」

「そうだな。キチンと挨拶させて……」

「鈴谷、そこにいなさい。和之さんも」

 

 僕と鈴谷が気を利かせて部屋から出て行こうとするのを、加賀さんが静かな声で止めた。本当なら、お世話になった人との別れは誰にも邪魔されたくないはずなのに……だから僕と鈴谷は部屋から出て行こうと思ったのに。

 

「でも僕らがいると爺様とお別れがキチンと出来ないでしょ?」

「いいんです。五航戦はともかく、私はひこざえもん提督にお別れをしに来たのではありません」

 

 ? どういうこと? お別れしにきたんじゃないなら何しに来たんだこの人は? 鈴谷を見ると、やっぱり僕と同じで頭にはてなマークが浮かんでるようだ。

 

「……どういうことよ一航戦。あんた、提督さんが死んでも悲しくないの?」

「そうじゃないわ。私もひこざえもん提督がお亡くなりになったのは悲しい」

「じゃあ何なのよ……一航戦がここにきた理由って……」

 

 瑞鶴さんはうつむいているせいで、自分の袴? スカート? に涙がぽろぽろこぼれていた。肩をわなわなと震わせて、泣くのを静かにこらえながら、加賀さんにそう聞いていた。

 

 一方の加賀さんは、急に僕と鈴谷の方を……というより僕の方を見た。そしてまっすぐな眼差しで僕を見つめ、よどみなく、すっぱりとこう言った。

 

「ひこざえもん提督は常々“俺のバカ孫に、自慢の孫娘たちを見せてやりてぇ”と言っていました。だから私は、ひこざえもん提督逝去の報告を受け、提督の希望を叶えたいと思いました」

「爺様が……そんなことを? あなた達のことを孫娘だと?」

「ええ」

 

 爺様……言ってることは素敵だけど、バカ孫は余計だ……。

 

「でも、さすがに全員をここに連れてくるわけにはいかない。あなたにも迷惑がかかる。苦労してあなたとの約束をとりつけてくれた鈴谷にも悪い」

 

 確かに、突然200人以上の子が突然やってくるのは迷惑以外の何者でもないわなぁ……ついでに言うと、最初にうちに来て僕の家族と『一人二人なら来てもいいよ』って約束を取り付けた鈴谷の頑張りを無視することになる。それは加賀さんの言うとおり、鈴谷に対して失礼だ。

 

「そんなん……別に気にしなくていいのに……鈴谷気にしないよ?」

 

 いや鈴谷。そこは加賀さんの気持ちを汲んであげよう。……そして現実問題として、お前は気にしなくてもうちが気にするから。いっぺんに200人も来られたら無理だからうちの収容能力じゃ。

 

「一航戦、そんなこと考えてたんだ……」

「そうよ。だからあなたを連れてきたのよ。私自身と、私が最も信頼しているあなたを見てもらいたくて」

「?!」

 

 なんか空気が変わったぞ? 瑞鶴さんがハッとして顔を上げ、驚いた表情で加賀さんを見つめてる。一方の加賀さんは、顔色一つ変えずに真っ直ぐに僕と鈴谷を見ていたが、やがて鈴谷の方に向き直り、頭を下げた。

 

「鈴谷。こんな機会を作ってくれたのはあなたのがんばりのおかげ。本当にありがとう。私に、ひこざえもん提督の望みを叶えさせてくれてありがとう」

「い、いや……どういたし……まして……」

 

 加賀さんにそう感謝され、困ったように……でもちょっとうれしそうに、赤いほっぺたをポリポリとかいていた。つづいて加賀さんは僕に……

 

「あなたにも感謝しています。ひこざえもん提督にお別れを言える機会をくれて……あの人の自慢であったあなたに、あの人の自慢だった私たちを見てもらう機会をくれて、本当にありがとうございます」

 

 そう言って、やっぱり頭を下げていた。やっべ。なんかすんごく胸が熱い。もはや存在がギャグだった爺様絡みの話のはずなのに、なんだこの胸にこみ上げる熱いものは。

 

 頭を上げた加賀さんは仏壇の方に向き直り、瑞鶴さんはそんな加賀さんを涙目で見つめ続けていた。

 

「ひこざえもん提督……あなた、いつも『五航戦も頑張ってるんだから』って言って私を諌めてたわね。これが答えよ。私は五航戦・瑞鶴を認めているわ。私たちの後を継ぐのはこの子たちしかいない」

「一航戦……」

「今日はいい日になったわ。あなたにそれを伝えることが出来て、あなたの望みを叶えることが出来た……あなたの孫に、私が一番信頼している子を見てもらうことが出来た」

「提督さんは……気付いてたよ」

「……?」

「……提督さんね。いつも私に言ってた。“あいつもお前たちの事を認めてるからこそ厳しいんだ”って言ってたんだ……」

「そうだったの……ひこざえもん提督……あなたは全部お見通しだったのね……」

「うん……でも私……ひぐっ……全然聞かなくて……いっつもあんたに悪態ばっかりついて……ひぐっ」

 

 なんだかほんわかしたいい雰囲気になってきた。僕は改めて、鈴谷のそばに移動して……

 

「鈴谷」

「ん?」

「外に出よう」

「そだね。鈴谷たち、お邪魔になっちゃうね」

 

 鈴谷と一緒に部屋を出た。

 

「ただいま〜しこたま肉買ってきたから今晩はやきに……うおなんだこのデカい靴?」

「あらホント……」

 

 タイミング良く仕事から帰ってきた父ちゃんと買い物から帰ってきた母ちゃんが玄関に入ってきたその直後、和室から盛大な泣き声が聞こえてきた。

 

『うわぁあああんていとくさんごめんなさいぃぃぃぃぃ!』

「ぉおッ?! 何事っ?」

「今日も誰か来てるの?」

「んー……まぁ、ね」

『あ゛だじぃぃいい!! ごれ゛がら゛い゛っごう゛ぜん゛どな゛がよ゛ぐずる゛がら゛ぁぁああああ!!!』

「な、なんかスゴいな……」

『い゛っごう゛ぜん゛ごめ゛ん゛な゛ざい゛ぃぃいいいいい!!』

「鈴谷ちゃんの知り合い?」

「そうだよー」

 

 あんな叫び声が聴こえたら、流石に父ちゃんと母ちゃんも困惑するだろうなぁ……鈴谷を見ると、僕と同じく苦笑いをしながらこちらを見ていた。きっと鈴谷も、僕と同じことを考えているんだろう。

 

 その後は父ちゃんかあちゃんが買ってきた肉を使って、鈴谷と加賀さん瑞鶴さんコンビも交えて焼き肉パーティーとなった。瑞鶴さんは最初遠慮していたのだが……

 

「ひこざえもん提督の実家で焼き肉ですか。流石に気分が高揚します」

 

 というクールビューティー加賀さんにあるまじき発言を受けて、鈴谷たち三人も交えての大焼き肉パーティーになった。僕の隣に座っている鈴谷は、僕が焼く肉を僕よりも早く片っ端から自分の口にほおり込んでいく。

 

「……おい鈴谷」

「なにー? ひょいぱくひょいぱく」

「なんで僕が焼いた肉を片っ端から食べていくんだよ」

「焼けたから。もぐもぐ」

「自分で焼けよ! これは僕が食べるために焼いてるの!」

「ぇえ〜?! 鈴谷のために焼いてくれてるんじゃないの?!」

「当たり前だ!」

「いいじゃん一枚ぐらい。ひょいぱくひょいぱく」

「一枚どころか全部食ってるじゃんか!! おかげでぼくはまだ肉食ってないんだぞ!!」

 

 そして、同じ被害に遭っている人物がもう一人いる。コンロを挟んで僕の向かいには瑞鶴さん。そしてその隣には加賀さんがいるのだが……

 

「ちょっと一航戦! なんで私が焼いてる肉をひょいひょい奪っていくのよ!」

「あなたが食べるのが遅いのよ。ひょいぱくひょいぱく」

「自分が焼いたの食べればいいでしょ! なんで自分で焼かないのよ!!」

「代わりに私が焼いたピーマンを上げるわ。あなたにぴったりでしょ」

「あー確かに私の艤装と髪の色って緑だしねー……って張り倒すわよアンタ!」

「お肉が美味しいとビールも進むわね。ぐびっぐびっぐびっ」

「やっぱり一航戦ムカつく!」

 

 とこんな感じで、瑞鶴さんが焼いた肉を加賀さんは片っ端から口に運んでいた。おかげで瑞鶴さんは肉にまったくありつけていない。

 

「ははは……みんなよく食べるなぁ……ははは……」

「ホントね〜。かあちゃんも気持ちいいよ〜」

「ははは……ホントよく食べるなみんな……」

 

 父ちゃん母ちゃんは凄まじい勢いで肉を食べ尽くしていくぼくたちの……というより加賀さんと鈴谷の食欲に圧倒されているのか、まったく箸が進まず冷や汗をかいていた。

 

「瑞鶴さん」

「ん? どうしたの?」

「はい肉。全然食べてないでしょ?」

「え? いいの? ありがと!!」

「五航戦。その肉も一航戦の私によこしなさい。ひょいぱくひょいぱく」

「アンタは充分食べてるでしょ!!」

「あー! その肉鈴谷の肉なのに!!」

「お前も肉をそろそろ自重しなさいッ!! つーか僕が焼いた肉だッ!!」

 

 しかしあれだね。加賀さんと瑞鶴さん……表面上は来た時と変わらないけど、今はさっきまでと違うね。なんというか……ここに来た時は単にお互い素直じゃなかったんだなーって思える。今はお互いが素直になってる感じだ。今のこの焼き肉戦争も、仲がいいからこそお互い本音を言い合ってる感じがして、仲の良さがこれでもかと伝わってくる。

 

「その通りよ五航戦。私はあなたを認めているわ。もっきゅもっきゅ」

「私から強奪した肉とご飯を口いっぱいに頬張りながら言っても説得力ないわよ!」

「そんなあなたのために、一航戦のこの私が玉ねぎを焼いてあげたわ。喜んで食べなさい」

「肉! 私のために野菜を焼いてる暇があるなら自分のために肉を焼いて!!」

「加賀さんクールビューティーだと思ってたんだけど、全然違うんだね」

「ホントだよ。鈴谷もずっと勘違いしてた」

「ホンットそうよね……ほら一航戦! 口に焼き肉のタレがついてるわよ!!」

「拭きなさい五航戦。キリッ」

「何偉そうに子供みたいなこと言って甘えてんのよ!!」

「プッ……」

「楽しそうに吹いてるけど口周りにタレつけてるお前も大概だからな鈴谷」

「かずゆきー拭いてー」

「こっちに向かって口をとんがらせるんじゃありませんっ」

 

 こんな感じで焼き肉パーティーは終わりを告げ、鈴谷たち三人は帰っていった。酔っ払って『ひこざえもん提督の元から離れたくありません。ここに住みます』と大真面目な顔でわがままを言いながら寝てしまった加賀さんを瑞鶴さんがおぶって帰っていった。

 

「まったく……泣く子も黙る一航戦が情けないわね……」

 

 口ではそう言いながらもどこか嬉しそうな瑞鶴さんが、笑顔で加賀さんをおんぶしている姿がとても印象的だった。

 

「瑞鶴さん大丈夫? 鈴谷も手伝おっか?」

「あー大丈夫大丈夫。それにね。今日はこいつをおんぶしてあげたいんだ」

「スー……スー……」

「ったく……起きてる時はあんなに口うるさいのに……寝たら赤ちゃんみたいなんだから……」

 

 三人が帰ってしばらく経った頃……ちょうど焼き肉があまり食べられなかったために小腹がすいて、夜食に麦茶でお茶漬けを作って食べていた僕のスマホに、鈴谷からメッセージが届いた。夜にLINEでやりとりするのが恒例になってきたなぁ。

 

『今日もありがと! 加賀さんこっちで目を覚ましたんだけど、瑞鶴さんとすごく仲良くなってるよ! ホント、かずゆきの家族と提督のおかげだね!』

『最初はどうなることかと思ったけどね。なんとかなってよかったよかった』

『あ、あと明日もまた二人連れて行くから』

 

 それは別にいいんだけど……明日は父ちゃんが仕事休みだから家にいるけどいいのかな……。

 

『大丈夫。二人には鈴谷から伝えとくから!』

『りょうかいしたー。どなた?』

『妙高さんと那智さん。二人とも私と同じ重巡洋艦!』

 

 どうせあれだろ……もうグーグル先生に聞くまでもなく、その人たちも艦これのキャラなんだろ……もう受け入れたよ……コスプレ集団でいいよ……。

 

 ……あ、思い出した。そういや爺様がレベルキャップした艦娘が誰か調べるんだった。僕は居間まで戻り、母ちゃんが使っているパソコンに電源を入れ、爺様のアカウントで艦これにログインしてみた。パソコンの隣には冷たい麦茶、その反対側にはスマホ。麦茶が入ったコップには水滴がたくさんついていて、最近がもう夏真っ盛りの様相を呈してきているのが分かる。

 

『鈴谷だよ! 賑やかな艦隊だね! よろしくね!!』

「はーい。よろしくおねがいしますよーっと」

 

 鈴谷の挨拶にテキトウこの上ない返事を返してしまう。だってなんだか返事しないと申し訳ないような気がしちゃうんだよね。このまんまの姿の鈴谷がほぼ毎日うちに来てる手前さ……

 

 さて、編成を少しいじってみるとしよう。通常のレベルキャップが確か99だから、それより上のレベルの子を探せばいいのかな。艦娘のリストを見てみる。意外にもレベルが99より高いキャラはすぐに見つけた。見つけたのだが……

 

「……あれ?」

 

 レベル127のキャラクターの名前がいることは分かる。光り輝く指輪のグラフィックが表示されているから、きっとこの子がレベルキャップを開放しているのも分かる。だが、そのキャラの名前は表示が消えていて、それが誰かはわからなかった。

 

「なんだこりゃ? バグ?」

 

 試しにそのキャラをクリックしてみる。いつもならクリックすれば、キャラの容姿が表示されて『変更しますか?』的なUIが表示されるはずなのだが、今回はそのキャラをクリックしてもUIすら表示されない。クリックできないみたいだ。

 

――ぴーひょろろ〜……

 

 ほらきた。なんとなく鈴谷からメッセージが届きそうだったからスマホも持ってきたんだよ。どれどれー……

 

『かずゆきごめんねー。まだ立ち直れてないみたいなんだ。ちょっと今は秘書艦は勘弁してあげて』

 

 なんでこんなジャストタイミングでジャストな内容のメッセージを飛ばしてくるかねこの子は……ひょっとして盗聴盗撮の類でもされてるんですか……?

 

『かわりに鈴谷が秘書艦やってあげるからさー。オールナイトで出撃しよ?』

 

 僕は即座にブラウザを閉じ、パソコンの電源を切った。

 

『ぇえー?! いいじゃんオールナイトで出撃しようよぉぉおおお!!』

『いいから寝なさいッ!!』

『鹿島さんからもかずゆきと仲良くしなさいって言われたし!!』

『それとこれとは別だッ!! 明日も来るんだろ?! 寝ろッ!!』

『ちぇ〜……』

 

 でもさー……鈴谷が言ってることと、爺様の艦これのゲーム内容がいちいちリンクしてるのはどういうことだ? ……まぁいいか。

 



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7.父は鼻の下を伸ばし、母は乙女に戻る

「爺様の遺品を整理してたらこんなのが出てきた」

 

 仕事が休みだった父ちゃんは今日、朝から爺様の遺品整理をしていたのだが……その父ちゃんが昼過ぎに居間にやってきて、僕に一枚の写真を見せた。

 

「ほぁ〜……これは……」

「爺様、若いな〜……」

 

 父ちゃんが爺様の遺品の中から見つけたのは、恐らく若かりし頃の爺様が写った写真だ。白黒で年代物のためかだいぶ傷んではいるが、被写体の二人の顔付きは分かる。

 

「これだけ若くて古い写真でも、爺様って分かるね……」

「ほんっと親父のオーラは昔っから変わらんな」

「ホントだね〜……」

 

 ちなみにこの時、母ちゃんは台所で晩御飯の準備をしていた。前回の加賀さんと瑞鶴さんの襲撃を経験し、『あの子たちが来るときは晩御飯たくさん準備しなきゃ!!』と思ったらしい。

 

 そして、写真にはもう一人女性が写っている。美人でキッとした顔立ちで気が強そうな、なんとなく爺様と悪友っぽい雰囲気が漂っている女性だ。爺様によく似たエネルギッシュなニカッとした笑みをしていて、この写真がカラーだったら白い歯が眩しく輝いていたことだろう。

 

「これ誰だ?」

「分からん……ひょっとしてこの写真を撮った時の爺様の恋人とかかな?」

 

 写真の裏を見た。裏にはこの写真の被写体と思われる人の名前が書いてあった。

 

――彦左衛門・まや 自宅前

 

「おふくろ?!」

「ぇえ?!」

 

 父ちゃんが素っ頓狂な声を上げ、僕も釣られて変な声を上げてしまう。僕も裏に書かれてある名前を見たが、確かに『まや』と書いてある……これは、婆様の名前だ……。

 

「マジで?! これが婆様……?!」

 

 僕が知っている婆様の姿は、和室に飾ってある遺影にあるような、女性らしい柔らかさをたたえたとてもかわいらしい姿だ。話し方や性格も、とても女性らしい、柔らかくて優しい婆様だった。そんな婆様の姿と、ここに写っている男勝りでキッとした顔立ちの女の子の姿がどうしても重ならない。

 

「これウソなんじゃないの?」

「いや……どうだろう……」

「ふぃ〜……下準備完了〜……どうしたの?」

 

 晩御飯の下準備を終えた母ちゃんが台所から麦茶片手にやってきた。母ちゃんは僕達が困惑して見ている写真をチラッと一目見るなり……

 

「ぁあ、爺様と婆様の若い頃の写真? 二人とも若いわね〜」

 

 とさらっと言い当てた。

 

「母ちゃん分かるの?!」

「お前、この女の子が誰か名前を見なくても分かるのか?!」

「分かるも何もそっくりじゃない。婆様が若い頃ってきっとこんな感じだったんだろうなーって想像した通り」

「マジで?!」

 

 写真を見ながらテーブルでのんびりと麦茶を飲む母ちゃんの横で、僕と父ちゃんはただひたすら女性の洞察力の凄まじさに脱帽して口をパクパクさせることしか出来なかった。

 

 いや、言われてみれば確かにそっくりと言えなくもない。この写真に写ってる女性から気合を思いっきり抜いて柔らかい感じにして、そのまま綺麗に歳を取らせれば婆様になると言われれば、確かにそう思えなくもない。

 

 でも、それだって言われてみればの話で、しかもじっくり写真を見てはじめて分かることだぞ? 母ちゃんはチラ見だったよね? しかもそっくり?

 

「そっくりじゃない。この写真の婆様だって、女の子らしくて柔らかい感じがするじゃない」

「いやいやいや……これどう見ても幼馴染のガキ大将がそのままおっきくなったみたいな子ですやん? 僕の婆様、こんなキッてしてませんやん?」

「分かってないねー和之。父ちゃんも」

 

 うお。なんか母ちゃんに無駄に煽られている気分だ……。

 

「それはそうと和之、鈴谷ちゃんたちはいつ頃来るって?」

「あ、ああ……夕方ごろになりそうってさっきメッセージが来てた。今日挨拶に来る二人は忙しくて、それぐらいの時間にならないと来れないんだって」

「あそ。んじゃ晩御飯にはちょうどいいかもね。今日も食べていってもらおっか。……さーてそしたら晩御飯の準備準備ー……」

 

 母ちゃんは言いたいことを全部言うと、再び鼻歌交じりに台所に消えていった。後に残されたのは、写真の女の子が誰なのかわからず、母ちゃんに煽られてしまった無能な男が二人だけ……。

 

「父ちゃん……母ちゃんってすげー……」

「だろ……」

 

 そうしてしばらく経って夕方頃、来客を告げるピンポンがなる。恐らくは鈴谷だろう。

 

「はいはーい。今開けますよー」

「どうせならこっちも家族総出で出迎えてやろう」

「今日はどんな子が来てるのかな?」

 

 玄関には、僕と、面白半分で揃った父ちゃん母ちゃんの三人が立っている。

 

「別に来なくていいじゃない……」

「面白そうだからいいじゃない」

「鈴谷ちゃんたち、びっくりするぞーへっへっへっ……」

「とうちゃん……キモい笑いはやめてくれ……」

 

 びっくりなんかするわけないじゃんと思いつつ、ドアを開ける。開けたドアの先にいたのは、鈴谷ではなかった。

 

「……はじめまして。妙高と申します」

「ずぎゅぅぅうううん」

 

 一人は、綺麗な紫色の着物を着た艶っぽい女性。とても綺麗でツヤのある黒髪をシニヨンでまとめていて、白くて細いうなじが映える、とても色っぽい女性だった。そして……

 

「私は那智だ」

「ずぎゅぅぅうううん」

 

 もう一人は、同じく紫のかっちりした上下のスーツを着て(なんとなくコスプレっぽい感じだけど……)、同じくツヤのある綺麗な黒髪をサイドテールに結っている、とても凛々しい顔つきをした女性だった。

 

「ちーっす! 遅くなってごめんねー。来たよーかずゆきー」

 

 その二人の陰に隠れていたのは、いつもの鈴谷だ。

 

「なんか鈴谷に向ける視線だけ妙にテキトウじゃない?」

「お前は毎日来てるだろ……」

 

 会うたびに熱い視線を向けてるなんて……そりゃ完全に恋する乙女じゃんか……

 

「まぁそれはそれとして……ちょっとかずゆき……」

「んあ?」

「なんかさ……おじさんとおばさん、変じゃない?」

 

 鈴谷が僕にこう耳打ちしてきた。別にそんなわけがなかろうとチラッと二人の様子を見てみると……

 

「私たちは生前、ひこざえもん提督に大変お世話になっておりました」

「いや! いやあの! こちらこそ!! 親父がいつもお世話になっておりまひゅ!!」

「本日はこのような機会を我々に与えていただき、大変感謝している」

「そんなッ! めっそうもございませんわ那智さま! さぁさぁ! 何もないところではございますが、どうぞお上がりください那智さま!!」

 

 あら……確かに二人ともなんか変だわ。父ちゃんは和服美人の妙高さんに視線か釘付けで鼻の下がいつもの五倍ぐらいの長さになっていて、母ちゃんは制服美人の那智さんを見つめるその瞳の中にハートマークが見えている。

 

「む……姉さん」

「はい。それでは失礼いたします」

「どうぞどうぞ! 狭っ苦しいところですが!!」

 

 妙高さんは履いている草履を脱ぎ、那智さんもブーツを脱いで玄関を上がる。妙高さんが自身の草履の位置を美しい仕草で直し、那智さんもブーツの位置を綺麗に揃えていた。そしてそんな二人を熱い眼差しで見守る父ちゃんと母ちゃん。これは……

 

「恋だね。キリッ」

「言うなよ……言うのを必死に我慢してたんだから……」

 

 二人ともさー……もういい歳なんだし、お互い自分の横に人生の相方がいるじゃないか……それに母ちゃん、相手は女性だそ? なんてことを考えていたら、母ちゃんのボソッとしたつぶやきが聞こえた。

 

「はー……女子校時代を思い出すわ……久しぶりにときめく……」

 

 聞かなかったフリ……聞かなかったフリ……聞こえなかった……僕は何も聞こえなかったんだ……

 

 その後は危険極まりない雰囲気の父ちゃん母ちゃんを強引に居間に閉じ込め、僕と鈴谷の二人で妙高さんと那智さんを和室に案内した。

 

「……貴様が和之か?」

 

 その途中、那智さんからこんな風に声をかけられた。『貴様』ってのが古い時代では敬称として使われていたというのは知っていたけど、妙に威圧感を感じるんだよね那智さんて……。

 

「そうですよ。爺様がお世話になりました」

「いや、ひこざえもん提督に世話になったのはこちらだ。……なるほど。提督の孫だけあって、いい面構えをしている」

 

 ……どういう意味?! いい面構え?! なにその戦国時代みたいな会話?!

 

「いやいや……僕なんてまだまだですよ……」

 

 僕のこの返事もなんかけったいな返事だけど、うまく頭が回らないんだよ……だって生まれてこの方『いい面構え』だなんて言われたことないしさ……。

 

「私は、あなたを一目見て和之さんだとわかりましたよ。雰囲気がひこざえもん提督にそっくりで」

 

 と妙高さんも僕にこう語りかけてきた。それも初めて言われた。なんかこう、こっちの予想外のことを行ってくる二人だな……会話のペースが握れない。

 

「鈴谷から話は聞いています。いつも鈴谷がお世話になってるみたいですね。昨日は焼き肉をいただいたとか」

「今日も母が晩御飯を準備しているようです。よかったらお二人も食べていってください」

「分かった。ありがたく頂戴しよう」

「今晩は何食べさせてくれるの? かずゆきー?」

「メニューが何かは分からんが、鈴谷の分だけは僕が作ったかつお節ご飯だ」

「ひどっ」

「もうお二人はすっかり仲良しみたいですね」

「だな」

「勘弁してください……」

「ニヤニヤ。ねーかずゆきー?」

「さて……」

 

 そうこうしているうちに、和室の前に到着する。

 

「ここが爺様の和室です」

 

 妙高さんと那智さんの雰囲気が変わった。今までは柔らかくしっとりとしていた妙高さんの雰囲気が硬質になり、那智さんの目が鋭くなった。

 

「姉さん……」

「ええ。……和之さん、和室に入るのは私たちだけにしていただけませんか?」

 

 もとよりそのつもりだ。鈴谷も僕の方を見てコクリとうなずいてくれる。僕らが妙高さんのお願いを聞かない理由はない。

 

「……わかりました。ではお二人が部屋に入ったら、そのまま襖を閉じます。好きなだけ、お別れをしてください」

「ありがとうございます」

「和之、感謝する」

 

 二人の感謝の言葉を聞き、僕は襖を開いた。和室の中の爺様の遺影が二人を迎え入れる。

 

「……ひこざえもん提督」

 

 妙高さんがフラフラと和室に入り、那智さんもそれに付き従うように和室に入っていった。……約束だ。僕は何も言わず襖を閉めた。

 

「そんな……そんな……提督……」

「姉さんっ……」

 

 襖を閉じる寸前に見えたもの……それは、両手で口を抑えて泣き崩れる妙高さんと、その妙高さんの肩を必死に支えようとする那智さんの後ろ姿だった。

 

 妙高さんと那智さんを和室に残し、僕と鈴谷は居間に戻る。居間に来ると……

 

「ああ……妙高さん……イイ……」

「那智さま……その凛々しいお姿……ああっ……」

 

 と僕の両親は二人揃ってどこか別世界に旅立っているようだった。父ちゃんはいつもの10倍ぐらいに鼻の下が伸びており、母ちゃんの目は微妙に涙で潤んでいて、まさに恋するオトメ状態だった。

 

「鈴谷」

「ん?」

「恋愛って、いくつになっても出来るものなのだろうか……」

「さぁ……?」

 

 この状況は僕も困惑しているし、鈴谷自身も戸惑っているようで、苦笑いする鈴谷の額に冷や汗が垂れていることを、僕は見逃さなかった。

 

「二人とも! 気を確かにッ!!」

 

 なんとか二人を正気に戻したくて、僕は手をパシンと叩く。父ちゃんはハッとして鼻の下が縮み、母ちゃんの目が途端に乾いた。ドライアイじゃないぞ?

 

「二人ともしっかりしてくれよ! 妙高さんと那智さんの知り合いの鈴谷の前で妙な態度取らないで!」

「す、すまん二人共……」

「わ、私としたことが……鈴谷ちゃんごめんね……」

「いやいやー。まぁ実際那智さんカッコイイもんねー」

「鈴谷ちゃんもそう思う?! ねぇそう思う?!」

 

 珍しい光景だ……鈴谷があっけにとられてるぞ……。

 

「それはそうと母ちゃん。妙高さんと那智さん、晩御飯食べてくってさ。だからちゃんと準備お願いね」

「なにッ?! 妙高さんがうちで晩御飯を食べていくだとッ?!」

 

 えらく男前なボイスでそう叫ぶ父ちゃんだが、その鼻の下は再び通常時の15倍ほどに伸びていた。父親のそういう姿って見たくなかったなぁー……。

 

「……何考えてるんだとうちゃん」

「あ、いや……おほん。別に何も考えてない」

「那智さまが私の料理を……私の料理を那智さまが……お口に合うかしら……何が好みなのかしら……お酒は何が……ドキドキ」

「かあちゃんもいい加減恋するオトメモードから再起動してくれないか?」

「いや、だって那智さまが……」

「那智さんはけっこうお酒が好きだよ。ウイスキーとか好きだったんじゃないかな?」

「大変! うちビールしかないッ!!」

 

 あ、母ちゃんが我に返った……いや、別の方向にブーストがかかったとでも言おうか……。

 

「あなた!」

「ぐへへへへ……妙高さん……あのうなじ……いろっぽくて……」

「あなたッ!!」

 

 かあちゃんの隣で鼻の下を通常時の20倍ぐらいまで伸ばし下衆な笑いを口から漏らしている父ちゃんの頭を、母ちゃんは思いっきりひっぱたいていた。昔のコント番組であったような『スパーン!!』というものすごく気持ち良い音が響いていた。

 

「あだッ?! な、何をするッ?!」

「鈴谷ちゃん、那智さまってどんな銘柄のウイスキーが好みか知ってる?!」

「あ、えーとよくわかんないけど……確かダルマとか言ってたかな……」

「ダルマね?! あなたッ! そのダルマとやらを買ってきてッ!!」

「そんなウイスキーないだろうが! ……あ、いや待て。あれか。サントリーオールドか。親父がそんなこと言ってたな……」

「それでいいから買ってくるのよ! 一番いいやつ高いやつ!!」

「オールドにいいやつもクソもないよ!」

「いいからつべこべ言わず買ってくるのよ! 那智さまのためにッ!!!」

 

 夫婦揃って何やってるんだよ……しかもお互いが人生のパートナーだというのに、そっちのけで妙高さんだの那智さまだの……

 

「そお? 仲良くていいご夫婦じゃん?」

「仲はいいな……別の意味で……」

「鈴谷ちゃん! 妙高さんの好きなお酒は?! あの方がお好きな酒は何なのだ?!」

「さ、さぁ~……でもこの前日本酒飲んでたけど……」

「よし! じゃあ父ちゃん行ってくるッ!!」

「オールド! オールド忘れないようにね!!」

 

 うーん……息は合ってるんだけど、すんごく複雑な気分……

 

 鼻の下を通常時の20倍ぐらいに伸ばした父ちゃんが大急ぎで近所の酒屋に買い物に行って10分ほど経過した時、和室から妙高さんと那智さんが出てきた。二人とも多少目は赤かったが、来た時と変わらずとても落ち着いた様子だった。

 

「ぁあ、二人ともおかえりー」

 

 なんでお前がおかえりなんて言うんだ鈴谷……

 

「爺様とのお別れは済みましたか?」

「ええ。おかげさまでしっかりとお別れを言うことが出来ました」

「ご家族の方と鈴谷には感謝している。本当にありがとう」

「そんなッ! 那智さまの麗しきお口からそのようなもったいないお言葉をいただけるだなんて……!」

 

 母ちゃんのオトメモード、再起動。

 

「む……ところで和之。お父上は?」

「お二人のために買い出しに出てます。サントリーオールドと日本酒を買ってくるそうですよ」

 

 平静を装っている那智さんのほっぺたが若干赤くなり、サイドテールが少し揺れた。本人は隠しているみたいだけど、けっこううれしいみたいだ。

 

「……でも本当によろしいんですか?」

 

 妙高さんが申し訳無さそうにそう聞いてくるが……

 

「いいんですよ! むしろどうぞ食べていってくださいまし那智さま!」

「ありがたい。では飲ませていただこう」

「よかった! それでは私は晩ごはんの準備を続けますね那智さま!」

「よろしくお願いする」

「……ああッ!」

 

 母ちゃんは目の中にハートマークをこさえたまま台所に消えていき、鼻歌混じりに野菜をトントンと切り始めた。なんか逆に申し訳ありません……無理に付き合っていただいて……。

 

「鈴谷も付き合ったげるよ!」

「お前は別にいいんだぞ鈴谷?」

「ひどっ」

「ただいま! 妙高さんただいま戻りました!!」

 

 玄関から父ちゃんの元気な声が聞こえてきた。帰ってきて開口一番『妙高さんただいま!!』って、あんたどれだけ妙高さんにやられっぱなしなんだ父ちゃん……ほら反射的に妙高さん立ち上がっちゃってるじゃないか……

 

「妙高さん、気にしなくていいですよ……」

「いえせっかく呼んでいただいたのですから、私がお出迎えします」

 

 妙高さんはそう言うと、しずしずと玄関に向かっていく。その後『お父様、おかえりなさいませ!』『妙高さん! ムッはァァあああ妙高さんっ! 日本酒を買ってきましたぁあ!』という声が聞こえる。だんだん頭が痛くなってきた……

 

「それはそうとかずゆきー」

「んー?」

「この写真なに?」

 

 そういえばテーブルの上にはまた、若かりし頃の爺様とイマイチ信じられない婆様が写った白黒写真がまだ放置されていた。鈴谷の目にそれが止まったようだ。

 

「ぁあこれ? 今日見つけた爺様の遺品。若いころの爺様と婆様が写ってるんだよ」

「ふーん……」

 

 鈴谷は写真に手を伸ばし、それを手に取って眺めていた。……と思ったら。

 

「え……?」

 

 ん? どうかしたか? 珍しく驚いてやがる。

 

「これ……」

「ん?」

「どうかしたか?」

 

 今まで母ちゃんの妙な雰囲気に気を取られていたようだった那智さんが、鈴谷の様子に気がついた。

 

「那智さん……これ……」

「ん?」

 

 鈴谷はそう言いながら那智さんに写真を渡し、那智さんもその写真を見るなり驚いた顔をしていた。

 

「……摩耶か?」

「でしょ? 摩耶さんだよね?」

 

 ちょっとまってどういうこと? なんで二人が婆様の名前知ってるの?

 

「二人ともうちの婆様知って……」

「いやー妙高さんにお出迎えしていただけるだなんて思っても見ませんでしたわダハハハハハ!!」

「とんでもないです。私たちのためにこんなにたくさんお買い物していただいて……」

 

 すごくタイミングよく父ちゃんと妙高さんが部屋に戻ってきた。父ちゃんはそのまま買ってきた山のようなお酒を上機嫌で台所に持っていき、妙高さんはそのままこちらに来て、二人の様子がおかしなことに気がついた。

 

「ふたりとも? どうかしたの?」

「ぁあ姉さん、この写真を」

「? 写真?」

 

 那智さんが妙高さんに件の写真を手渡し、妙高さんも腰を下ろしながらその写真を見る。そして二人と同じく、写真を見るなり驚いた表情をしていた。

 

「摩耶……?」

「そうだよね? これ摩耶さんだよね?」

「確かにそうね……」

「ちょっと待って待って。なんでみんなうちの婆様のこと知ってるの?」

 

 そうだよ。その写真を見て驚くだけならいざしらず、なんでそれをひと目みただけで『婆様』って分かるんだよ。これも女特有の直感力ってやつなの? それとも何か他に理由があるの?

 

「ねぇかずゆき。この写真どうしたの?」

「言ったじゃん。爺様の遺品整理してた父ちゃんが爺様の遺品の中から見つけたんだよ。若いころの爺様と婆様の写真だよ」

「じゃあこの人、かずゆきのおばあちゃん?」

「そうだよ? 裏に“彦左衛門 まや”って書いてあるだろ? うちの婆様、まやって名前だからさ」

「……」

 

 え……なんだこの感覚。なんかすごく置いてけぼりを食らってる感じだ。三人とも顔を見合わせて難しい顔をしてるし……だいたいなんで三人ともうちの婆様を一発で見分けてるんだ? そしてなんで婆様の若いころの姿を知ってるんだ?

 

「かずゆき」

「ん?」

「えとね。この前かずゆきに秘書艦の話をしたでしょ?」

「したね」

 

 レベルキャップを開放した子を見てみたくて探し当てたけど、鈴谷に『今はやめてあげて』って言われた時のことだろ? よく覚えてる。

 

「その時に言いそびれたんだけど……提督とケッコンした子、摩耶って子なの」

「え……」

「しかもね。この写真に写ってるかずゆきのおばあちゃんにそっくりなんだ」

「……マジで?」

「うん。マジ」

 

 台所からは、『ちょっとあなたッ! 那智さまのグラスを綺麗に洗って!! 曇り一つ無いようにしっかり磨き上げるのよ!!』『やかましいわッ! 俺は今妙高さんのおちょこを洗うのに忙しいんじゃ!!』という夫婦漫才が響いていた。

 



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8.鈴谷は仲間はずれ

「買ってきていただいた日本酒、本当に美味しいですね」

「そうでしょうそうでしょう! 俺おすすめの磯○慢ですからね! へそくりはたいた甲斐がありました!!」

 

 日本酒を飲み進めていきほっぺたがほんのり赤くなった洋服姿の妙高さんにそうおだてられ、父ちゃんの鼻の下は通常時の20倍まで伸びていた。そして今も現在進行形で伸び続けている。

 

「この煮物、とても良く出来ている。ダルマにもよく合う」

「あら! 那智さまお褒めいただいてなによりですわよ! 他にも腕によりをかけて作ったものばかりですから、遠慮せずに召し上がってくださいな!!」

 

 那智さんに自分の煮物を褒められた母ちゃんは相変わらず瞳の中にハートマークを浮かべた乙女モード全開だ。妙高さんと那智さん……二人が来てから、うちの夫婦は歯車がズレたところでがっちりと噛み合ってしまったようだ。

 

「鈴谷……僕は頭が痛くなってきた……」

「まぁいいんじゃん? 鈴谷もちょっと飲みたい!」

「お前女子高生だろ? いいのかよ未成年?」

「いつもはワインとかけっこう飲んでるから大丈夫!」

 

 鈴谷は鈴谷でそう言いながら僕のチューハイを勝手に自分のグラスに注ぎ、かっぱかっぱ飲んでいた。そんなペースで飲んで本当に大丈夫かよ……。

 

 父ちゃんが買ってきた酒の量を見て、妙高さんと那智さんは今晩自分の家に帰るのを諦め、とことん我が家での宴会に付き合うことに決めたらしい。二人は一度服を買いに出て、今ではリラックスした服装で夕食を堪能している。初対面の時は二人とも格式ばったかなりかっちりした服装だったが……今はカジュアルな服を着ているせいなのか、僕と同年代の女の子らしいやわらかい印象だ。

 

「ねぇかずゆき、この玉子焼き美味しいねー」

「? 玉子焼き気に入ったの?」

「鈴谷たちのご飯作ってくれてる鳳翔さんのも美味しいけど、この玉子焼きも鈴谷気に入ったよ!」

「確かに、この玉子焼きも煮物と同じく絶品だな」

 

 自分が慣れ親しんだ味を気に入ってくれるってのはとてもうれしいものだ。それがたとえ、傍若無人で小生意気な女子高生の鈴谷であったとしても。

 

「ホント、お母様はお料理がお上手ですね」

「いやそんなぁー……那智さまのお口に合うお料理が作れたってだけでうれしいですよぉ」

 

 確かに那智さんも褒めてたけど、今褒めてるのは妙高さんだぞ母ちゃん!

 

「お母様、よかったらこの煮物と玉子焼きの作り方、教えて頂いてもよろしいですか?」

「え?! ええ、いいですよ?!」

「よかった。では台所へ参りましょうか」

「は、はい!」

 

 妙高さんの突然の提案に母ちゃんは気が動転したらしく、返事が上ずっていた。そしてそんな様子を気に留めることもなく、妙高さんはずずずいっと母ちゃんを台所へ連れて行き、

 

「冷蔵庫、失礼しますね……」

 

 と冷蔵庫の野菜室を開け、大根や人参をひょいひょい取り出していた。

 

 一方の那智さんは那智さんで……

 

「おや、那智さんはよく飲まれますか?」

「ああ。なんだかんだで仲間と共に毎晩飲んでいる」

「それは頼もしい。うちは和之もあまり飲まんし妻も甘党ですから、家ではいつも俺が一人でビール飲んでるだけなんですよ」

「そうなのか? では今晩はこの那智が、とことん付き合って差し上げようか」

 

 と酒が入っていい気分になった父ちゃんに差し向かいの酒に誘われ、二人で楽しそうにサントリーオールドを飲み進めていた。

 

「なんかいい感じにカップリングができてるな」

 

 最初の父ちゃんと母ちゃんの様子が様子だけにとても心配していたのだが……いい感じに四人とも仲良くなったみたいでなによりだ。

 

「そだね。みんな仲良くなれてよかったね」

 

 僕と同じく、鈴谷も四人の様子を微笑ましく見ていた。僕のチューハイを横からかっさらってかっぱかっぱ飲んでいたせいか、鈴谷のほっぺたはほんのり赤くなっていた。

 

 その後は妙高さん作、母ちゃんプロデュースの煮物と玉子焼きをみんなで食べたり、那智さんと父ちゃんが飲み比べをしたり、鈴谷が那智さんのダルマを横からかっさらって飲んで喉を焼いたりとかして楽しい時間が過ぎていく。途中、父ちゃんが酔いつぶれてしまい……

 

「妙高さん素敵だけど……でもやっぱり俺は……母ちゃんが一番だッ!!」

 

 と聞いてるこっちが恥ずかしくなる雄叫びを上げた後に失神。その父ちゃんを、妙にポヤポヤした母ちゃんが寝室に運んでいったところで宴会はお開きとなった。

 

「僕は自室で寝ます。使ってない部屋が一室ありますんで、お二人プラス鈴谷はそちらでお休みください。布団は敷いておきました」

「お心遣い、感謝いたします」

「お風呂や洗面所は好きに使って頂いて大丈夫ですから」

「ありがとう」

「ねー……かずゆきぃー……」

 

 僕が二人に部屋の説明をしていたら、鈴谷が妙にトロンとした目で僕を見ていた。……まーあれだけかっぱかっぱ飲んでたら、いくら酒に強くても酔っ払うわな……。

 

「かずゆきー。すずや、かずゆきといっしょにねてあげても……いいよ?」

「お前酔ってるだろ……いいから妙高さんたちと一緒に寝なさいよ」

「ねぇー……かーずーゆーきー……」

「だあッ!! 寝ろッ!!」

「ちぇ〜……」

 

 そんな僕と鈴谷のやり取りを見ながら、妙高さんと那智さんはくすくすと笑っていた。母ちゃんは父ちゃんを運んでいったまま戻ってこない。恐らくはそのまま寝たんだろう。

 

「それじゃあおやすみなさいッ」

「おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみっ」

「かずゆきのバカぁ……」

 

 僕はというと……自分の部屋に戻ってからやることがあった。それは、夕食前の鈴谷たち三人との会話のことだ。

 

―― 提督とケッコンした子、摩耶って子なの

 

 鈴谷たちいわく、うちの婆様と同じ名前、同じ容姿の子がいるらしい。まさかとは思うが、それも艦これのキャラにいるんじゃあるまいな……実は食事中、僕はずっとそのことが気になっていた。スマホを使って調べようと思ったが、やはり調べものをするときはパソコンの方がいいと思い、居間にある元爺様現母ちゃんのパソコンを使わせてもらおうと居間に戻る。

 

 当然ながら、居間には誰もいない。僕はパソコンの電源を入れ、麦茶と妙高さんの煮物の残りを手元に持ってきた。湿気のせいなのか、麦茶が入ったグラスにはもう水滴がたくさんつき始めている。コースター代わりにティッシュをたたみ、それをグラスの下に敷いた。

 

「まさかな……」

 

 立ち上がったらブラウザを開き、早速『艦これ まや』で検索をかけてみる……出た。まさかとは思ったが……本当にいたとは……

 

「しかもあの写真の婆様そのまんまじゃんか……」

 

 画像検索で引っかかった摩耶というキャラクターの容姿は、まさしくあの古い写真に乗っていた婆様そのまんまの顔だ。服装こそ違うけど、あの気が強そうなキッとした表情は、写真の婆様そのまんまだった。

 

「和之か?」

 

 僕が摩耶の画像に唖然としていると、静かだけどよく通る那智さんの声が聞こえた。心臓が口から飛び出るかと思うほど僕はびっくりして、慌ててブラウザを閉じた。

 

「おわぁぁああ?! な、那智さん?!」

「随分と驚いてるな……パソコンでなにか悪巧みでもしていたか?」

「あーいや、そんなことしてないですアハハハハハ」

 

 別に隠す必要は無いんだけど……なぜか咄嗟にそう答えてしまった。正直に話しては行けないような気がした。

 

「那智? どなたかいるの?」

「ああ、姉さんちょうどいい。和之がまだ起きていた。姉さんの煮物を食べているよ」

 

 ん? ちょうどいい? どういうこと?

 

「あらそうなんですね。ホント、ちょうどよかった」

「ああ。今ならちょうどいい」

 

 那智さんと妙高さんが居間に入ってきた。那智さんの手には、ダルマとグラスがあった。那智さんはそのままテーブルを挟んで僕の向かいに座り、妙高さんはその那智さんの隣りに座る。

 

「お二人ともまだ起きてたんですね」

「ああ。貴様と話がしたいと思ってな」

「僕と? ……ああすみません。お茶でもいれましょうか妙高さん。麦茶と熱い緑茶、どっちがいいですか?」

「ありがとうございます。では熱いお茶を」

「はい」

 

 僕は電子ケトルに水を入れ電源を入れた。沸騰するまでの間に急須にお茶っ葉を入れ、湯のみを準備しておく。

 

「何か食べます?」

「大丈夫だ。姉さんの煮物がある」

「ですね」

 

 沸騰したら急須にお湯を注ぎ、急須と湯のみ、そして那智さん用の氷と水を運んだ。妙高さんはお礼を言いつつ僕から急須と湯のみを受け取ると、実に美しい所作でお茶を湯のみに注いでいく……うーん……なんかベテラン秘書のような安定感がある。那智さんは那智さんで、グラスに氷を入れてダルマを注ぎ、静かに水を注いでいた。冷たい水と氷のおかげでグラスはすぐに汗をかき、中ではダルマと水がグラデーションがかかったように分離していて、それがとても綺麗だった。

 

「では改めて、乾杯」

「かんぱーい」

「乾杯」

 

 こうして、先程までの賑やかな宴会とは違った三人だけの静かな飲み会が幕を開けた。

 

 僕は妙高さんの煮物に箸を伸ばし、改めて味を堪能した。この妙高さん作の煮物、母ちゃんの煮物の面影を残しつつキチンと妙高オリジナルな部分もあったりして、とても美味しい。

 

「やっぱり習ってみた甲斐がありましたね。ありがとうございます」

「いや姉さん、この煮物は本当に絶品だ」

「ですね。とても美味しいですよ妙高さん。母も喜びます」

「あまり褒めないでください……照れます」

 

 確実に酒が原因ではないほっぺたの紅潮を見る限り、妙高さんは褒められているのがとても恥ずかしいようだ。

 

「……で、話ってなんですか?」

「ええ。実は私達、ひこざえもん提督にお別れを言うためだけにここに来たのではないのです」

「へ?」

 

 なんか前回も聞いたようなセリフが……デジャヴってわけじゃないよねぇ?

 

「私たちは、貴様に礼を言うために来た」

「? お礼って何かしましたっけ?」

 

 はて……何かイイことでもしましたっけ? みんなの挨拶に関することなら一度お礼は言ってもらってるし……なんてのんきに考えていたら、次の那智さんの言葉は、僕の胸を不快にさせる一言だった。

 

「鈴谷は、仲間と打ち解けられてなかった。仲間はずれと言ってもいい」

 

 僕の脳裏に……見ていて本人の楽しさがこっちにも伝わってくるような、鈴谷のムカつく満面の笑みが浮かんだ。そしてその笑みは、石を勢い良くぶつけられたガラスのようにひび割れ、粉々に砕け散った。その石を投げたと思しき姿がはっきりしないヤツらは、鈴谷の砕けた笑顔を見て、クスクスとほくそ笑んでいた。

 

「那智さんどういうことですか?」

「実は鈴谷は……」

「まさかとは思いますけど、わざと仲間内で仲間はずれにしたりしてるわけじゃないですよね?」

「いや、そうではない」

「んじゃなんすか? まさかいじめですか? いじめでも起こってるんですか? 誰ですか? 張り倒しますよ?」

 

 自分でも正直意味が分からない。でもどこかの誰かが、あの鈴谷の笑顔に石を投げつけ、ガラスのように砕いているのだとしたら……頭が真っ赤に染まっていく。そんな奴がいるなら僕は許さない。

 

「和之さん落ち着いて。私たちはそんなことはしていません」

「そうだ。話は最後まで聞かんか」

 

 僕の様子に気付いたのか、妙高さんが静かに僕を窘め、那智さんも僕を諌めてくれた。幾分落ち着きを取り戻した僕は、お茶をすすり、ほっと一息つく。一度頭を冷静にするために。

 

 ……一息ついて冷静になって考えてみると……確かに仲良くないとこうやって毎日みんなと一緒に平気でこっちに来るなんて出来るわけないよな。

 

「……すみません」

「構いませんよ。逆に和之さんの人となりを知れましたし、あなたが鈴谷を大切にしてくれてるってこともわかりました」

「そういうことだ。だから貴様も気にするな」

 

 そっか。そう捉えてくれてよかった。安心した。……いや、ちょっと待て。僕が鈴谷を大切にしてるだと?

 

「話を戻そう。鈴谷は今まで、私達と打ち解けることができてなかった」

「どういうことですか?」

 

 那智さんと妙高さんは、鈴谷の事情を代わる代わる話してくれた。

 

 鈴谷は、爺様が亡くなる前日に爺様の元にやってきた子だったらしい。鈴谷が来て次の日の翌朝、ひこざえもん提督……つまり爺様は亡くなり、鈴谷たちの前に姿を見せなくなった。

 

 妙高さんや那智さんたちは爺様との付き合いが長い。付き合いの長い親しい人が、ある日突然消息を絶って自分たちの前に姿を見せなくなったら、人は不安になり、うろたえる。自分が悪いことをしたのではないかと落ち込み、場合によっては相手に対する怒りがこみ上げてくる。とても平常心ではいられなくなる。

 

「だからひこざえもん提督が来なくなったことで、私たちの間には少なからず動揺が走りました。何か私達と会えない事情が出来たのか……それとも単純に私たちが嫌われたか……原因がわからず、私達は混乱するばかりでした。……鈴谷以外は」

「あぁ……なるほど」

 

 鈴谷には爺様との思い出がない。親交を深めるための共有する時間がない。仲間たちが爺様への不安に打ちひしがれ混乱している時、彼女はたった一人、置いてけぼりを食らっていた。仲間の動揺に共感出来ず、周囲の困惑と混乱に取り残されてしまった。

 

「もちろん鈴谷はあんな性格だから、表面上はみんなと仲良くやっていた。私たちも決して鈴谷を邪険に扱っていたわけではない。仲良く出来てはいた。表面上は」

「……」

「……ただ、私たちは配慮が出来なかった。ひこざえもん提督不在という事態に平静を保つのが精一杯で、新しく来たばかりの鈴谷への配慮が足りなかった。だから鈴谷は、私たちの悲しみに共感出来ない自分と私たちの間に、いつからか一線を引くようになったようだった」

 

 妙高さんたちが鈴谷のことを悪く思ってないのは分かる。そうでなくてはこんな話を僕にはしないはずだ。こんな話をするってことは、鈴谷の事を心配している証拠だ。

 

「鈴谷……」

 

 うちに初めて来た時の鈴谷を思い出す。鈴谷以外のみんなは、その場に泣き崩れたり大声を上げて泣いたり……みなそれぞれ違いはあるけれど、爺様の死をひどく悲しんでいた。

 

 だが鈴谷は違った。鈴谷は動揺はしていたが、他のみんなほど落ち込んでなかった。泣いてる様子もなかったし、その後もケロッとしていた。僕はそれが引っかかっていたが、やっと今合点がいった。鈴谷は悲しくなかったんだ。たった一日の間だけの関係しかなく仲良くなる時間がなかった爺様との間に、別れを悲しむほどの深い関係性は育たなかったんだ。

 

 そしてその気持ちは、少しずつ鈴谷自身を追い込んでいった。爺様と会えないことによるみんなの混乱や困惑の中で……ただ一人、仲間の誰とも共有出来ない気持ちを抱え、たった一人でポツンと佇む鈴谷は、どれだけ寂しかったことだろう。

 

 ここに様子を伺いに足を伸ばすことを提案し、『自分が行く』と立候補したのも鈴谷だそうだ。疎外感を少しでも解消したくて……みんなの役に少しでも立てばと思ったのではないか……と妙高さんは教えてくれた。

 

 僕もそう思う。鈴谷は、無意識のうちに疎外感から開放されたかったのではないだろうか。誰が悪いわけでもない……でも感じずにはいられない……周囲が悲しみに打ちひしがれ泣き叫ぶ中、その気持ちを共有出来ない自分……みんなの悲しみに共感出来ない自分。誰にも打ち明けられない疎外感。誰にも相談出来ない孤独感。

 

 誰が悪いわけでもない……だから誰も責められない。そんな苦しみからなんとか逃れたくて、爺様の様子を伺いに来ることを提案したのかもしれない。みんなの役に立つことで、みんなとの距離を縮めたかったのかもしれない。

 

「そっか……鈴谷……」

「私達も、彼女にもっと気を使うことができれば……」

「それは仕方ないですよ。それだけの動揺が広がっていれば、他のことに気を回す余裕なんてないです」

「ありがとう。そう言ってくれると我々も気が楽だ……で、肝心なのはここからだ」

「?」

「鈴谷はここに通うようになってから変わったよ。……いや、元の性格に戻ったと言うべきか」

 

 嬉しそうに話す那智さんによると……鈴谷が大淀さんを連れてここに来た日の夜、鈴谷は鎮守府でとても上機嫌たったそうだ。悲しむ大淀さんの姿を見て、爺様の存在の大きさというものをやっと理解した、と那智さんに言っていたようだ。

 

 その後も五月雨ちゃんや涼風、鹿島さんや加賀さん、瑞鶴さんといった仲間たちが泣きながら爺様との別れをしているのを見て、次第に鈴谷の中でも爺様に対する認識というものが出来てきたらしい。

 

 彼女と爺様との間には、強固に結ばれた関係というものはない。でも仲間たちと爺様との固い絆に触れた鈴谷の中で、彼女なりの爺様像というものが構築されていったみたいだ。恐らくは疎外感が払拭される程度には。みんなの悲しみがある程度理解でき、悲しみを共有することが出来る程度には。

 

「それになにより、あなたとの出会いが大きかったと思います」

 

 妙高さんが、本当に優しい笑顔で僕にこう言った。那智さんとはまた違ったタイプの、やわらかくしなやかな大人の女性の雰囲気を持つ妙高さん。こんな人に優しい笑顔を向けられると、年上好きの男の人の気持ちもよく分かる。

 

「僕がですか?」

「ええ。大淀がこちらにおじゃました日の夜でしょうか。鈴谷が楽しそうにぷんすか怒ってたんで、理由を聞いてみたんです。そしたら……」

 

――なんか今ムカってした! きっとかずゆきが鈴谷の悪口言ってるんだ!!

 

「て言ってたんです」

 

 あー……あの、涼風が僕に敵意むき出しでガルガル言ってた原因の……

 

「でもそれがどうかしました? ……つーか楽しそう?」

「ええ。本当に楽しそうに言ってましたよ」

「なんで楽しそうなんだあのアホは……」

「きっとね。そんな風に軽口を言える友達が出来たことが嬉しかったんですよ」

 

 あーなるほど。疎外感を感じていた鈴谷には、そんな風に軽口を叩き合える相手が出来なかったってことか……本質は僕の家に来ていたあのザ・女子高生な鈴谷で間違いないと思うけど、仲間の前ではあんな風に気楽に過ごしてなかったのかもしれないな……。

 

「もちろん私たちも鈴谷とは仲良くやってはいた。でも、ここに通うようになってからの鈴谷は本当に明るくなったよ。貴様のこともとても楽しそうに語っていた」

 

――ぶふぅ……頭からそうめんをかぶったかずゆき……

  今思い出してもマジウケる……ブフォッ

 

――かずゆきはさー。鈴谷がオールナイト誘ってもノッてくれないんだよー。

  ……ひょっとして不感症? ……いやひょっとして……まさかかずゆきは……?!

 

「そんな彼女を見ていて、合流した次の日に提督を失った鈴谷への配慮が……私達にはできてなかったんだと実感しました。……そして和之さん、あなたは鈴谷にとっての提督になってくれ、私たちが出来なかった鈴谷のケアをしてくれました」

「……いや、提督なんてのが何なのかは僕にはさっぱり分かりませんけど……でも、僕はそんなつもりはなかったですよ? ただ、鈴谷と仲良くやっていただけです」

「それが鈴谷には必要だったんです。和之さん、本当にありがとう。あなたのおかげで、鈴谷は救われました」

「私からも礼を言う。我が鎮守府の重巡洋艦、鈴谷を元の明るい元気な子に戻してくれてありがとう」

 

 妙高さんと那智さんは、僕に向かってそう言って頭を下げていた。

 

「そんな! 頭を上げてください!! 僕はそんな……そんなつもりは……ただ鈴谷と軽口を叩き合ってただけですから……だから頭を上げてくださいよ!!」

「それが鈴谷には必要だったんですよきっと」

「いやわかんないです! ホント僕は軽口叩き合ってただけなんで!!」

 

 そらぁ確かに? スイカの種見つけてつい悪態ついたりしましたよ? 寝入り端を鈴谷のLINEで邪魔されていらついてぶん投げたスマホが鈴谷のムカつく笑顔に見えたりしましたし?

 

「昨日だって僕が焼いた肉をひたすら強奪されてムカついたりしましたよ? だから……」

「和之、うろたえすぎだ」

「う……」

「くすっ……何はともあれ、鈴谷はよい友人を持ったようですね」

「だな」

 

 ちくしょう……なんだか年上の女性二人に翻弄されてるようですごく恥ずかしい……ちくしょう全部鈴谷のせいだ。アイツを明日どうしてくれよう……

 

「和之、酒は飲めんのか?」

 

 我が家に来てからこっち、キッとした眼差しが多かった那智さんの顔が柔らかくなった。サイドテールの綺麗な髪が揺れ、僕の注意を誘ってきた。

 

「少しなら飲めなくはないです」

「なら、私のダルマを飲んでくれないか」

 

 那智さんは柔らかな笑顔でそう言うと、自身のすぐそばに置いてあったサントリーオールド……ダルマのボトルを持ち、それを僕に向けた。僕はウイスキーは苦手だ。だけど那智さんのこのダルマは、断ってはいけない気がした。

 

「じゃあちょっと待ってください。僕もグラスを出します」

「ああ」

 

 僕は一度台所に向かい、那智さんに渡したグラスと同じものを持ってきた。そしてそのグラスを那智さんに向け、那智さんはそれにダルマを注いでくれた。

 

「和之。本当にありがとう。このダルマは、姉さんと私……そして鈴谷を心配しているみんなからの礼だと思ってくれ」

 

 指一本分の量がグラスに注がれる。琥珀色のダルマは本当に美しく、ウイスキー特有の良い香りがした。こんなにも美しいウイスキーを飲んでしまうのはもったいないとすら思えるほどに、ダルマは美しかった。

 

「那智さん、妙高さん、ありがたくいただきます」

「ああ」

「はい」

 

 那智さんのダルマに口をつける。ほんの少し感じる甘みの後、アルコール度数が高い酒特有の刺激が僕の喉に走り、そしてウイスキー特有のいい香りが僕の鼻を駆け抜けていった。

 

「くあっ……」

「どうだ?」

「アルコールがキツいです 。でも甘い……いい香りで飲みやすい」

「そらそうだ。私達みんなの感謝がこもったダルマだからな」

「ですね。甘さも香りも、私たちの感謝の印だと思ってください」

「はい……けふっ……」

 

 これが感謝の味か……その割には、なぜ喉への刺激がこんなに強いんだろう……。

 

「きっとそれは鈴谷からの意趣返しだな」

「ちくしょう……鈴谷のヤツ……」

 

 不思議なもので、そう言われるとこの美しい琥珀色のウイスキーが、あの鈴谷のムカつく笑顔と重なって見えた。ウイスキーとなって僕の喉を焼いた鈴谷は、今日だけはとても美しく、守らなければならない存在のように僕には思えた。

 



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9.もう一度やろう

 昨晩の静かな飲み会の翌日……僕は目覚めた後、眠いのを我慢して頭をボリボリとかきながら居間に行くと、母ちゃんと鈴谷がすでに起きていた。

 

「ぁあ、おはよー和之」

「うーす……二人ともおはよーっす」

 

 母ちゃんは台所で朝ごはんをこさえていて、部屋中に味噌汁のいい香りが漂っている。一方の鈴谷は……

 

「かずゆきおはよー。べしっ。べしっ」

「おはよー鈴谷……って何やってるんだよ」

「おばさんにパソコン貸してもらってる。べしっ。べしっ」

 

 べしっべしっといちいち口ずさみながらパソコンをいじっている。いやいやそんなん見たらわかりますやん。なんでべしべし言ってるのさ?

 

「いや、なんかおばさんの話によるとかずゆき、べしっべしって言いながらパソコン使うんでしょ?」

「だから和之がパソコン使ってるとうるさいのよねー」

「だから鈴谷も真似してみようと思ってさ。べしっ」

 

 ……鈴谷、それは僕をからかっているのか。

 

「ぇえー? なんでそうなるの? べしっ。べしっ」

「いいからそのべしべしをやめなさい」

 

 ほどなくして妙高さんが起床。起き抜けだというのにしゃっきりした妙高さん曰く……

 

「那智は二日酔いでまだ起きてこられませんから、先に朝ごはんをいただきましょう」

 

 とのことで。母ちゃんの話によると父ちゃんも二日酔いで寝室でくたばってるらしいから、その二人は放置でいいだろう。

 

 そうこうしているうちに妙高さんが母ちゃんと共にちゃっちゃと玉子焼きをこさえ、三人での朝食が始まった。ではいただきます。

 

「いただきまーす。べしっ。べしっ」

「鈴谷うるさい」

「かずゆきだって言うくせに。べしっ」

 

 鈴谷が言ってて気付いたんだけど、この口癖、横で聞いてるとけっこううるさいな……この口癖やめようかな……べしっ。

 

 そんなわけで朝食を頂いている最中、僕はみんなにちょっとした話があった。昨晩妙高さんたち二人の話を聞いてて、フと思いついたことだ。

 

「……みんな、ちょっといいかな」

「お? どしたのかずゆき?」

「えと……みんなに相談がある」

「うん」

 

 僕がいつになく真剣な面持ちで話し始めたからなのか……鈴谷の顔からいつものムカつく笑顔が消えた。妙高さんも今は優しい笑顔が消え、真剣に僕の顔を見ていた。母ちゃんは……あくびしてた。

 

「鈴谷、昨日あのあと僕と妙高さんと那智さんの三人で話をしてたんだけど……」

「そうなの?! じゃあ鈴谷も呼んでよー!」

「いや真面目な話。お前たちのことなんだけど……」

「ほ? 鈴谷たちのこと?」

「うん。妙高さんにも聞いて欲しい。で、意見を聞いてみたい」

「私もですか?」

「はい」

 

 昨日、妙高さんたちと話をしていて一つ気になったことがあった。それは鈴谷たちの仲間のことだ。鈴谷がうちにきてからこっち、大淀さんや鹿島さん、五月雨ちゃんに涼風……と我が家で爺様とお別れが出来た子たちは未だ少ない。鈴谷たちの仲間の中には、未だに爺様への別れが出来ず踏ん切りがつかない子も多くいるようだ。

 

「……確かに、私たちを含めてもまだお別れが出来た子は少ないですね」

「ですよね……」

 

 鈴谷たちには爺様の死の死を知らせることが出来なかった。そのため、鈴谷たちは爺様の告別式という、踏ん切りをつけるタイミングを完全に逃してしまった形になっている。今はみんなの自主性に任せているが……僕は、ここらで一度踏ん切りをつけるパブリックな機会があってもいいんじゃないかという結論に達した。つまり。

 

「ここらでもう一度、爺様の告別式をやった方がいいんじゃないかと思ってる。鈴谷たちの仲間のための告別式だ」

「鈴谷たちのための?」

「うん。こうやってみんなが来てくれるのは楽しいんだけど、みんなが踏ん切りをつけるパブリックな機会ってやっぱり必要だと思うんだ。もちろん、爺様の死を突きつけられるのが辛いって子は、ムリして出なくても構わない。でもそういう機会を準備するって、けっこう重要なんじゃないかって思うんだよね」

 

 未だに爺様の死を受け入れられずに泣いている子に対し、無理矢理に現実を突きつけたいわけではない。ただ、『告別式』という死を受け入れるイベントがあるというのは大切なことではないだろうか。たとえその場に出席出来なくても、『告別式があった』という事実は、事実を受け入れて前に進むきっかけとなるのではないだろうか。

 

 特に、うちの婆様にそっくりらしい摩耶とかいう子。その子は未だ爺様の死に打ちひしがれて立ち直れてないらしい。その子が告別式に来てくれるかどうかは未知数だけど、少なくとも爺様の死を受け入れるための第一ステップにはなるはずだ。

 

「それいいじゃん! 鈴谷は賛成!! かずゆきのくせに冴えてるね!!」

 

 僕の提案を聞くなり、鈴谷が笑顔でそう賛成してくれた。

 

「一言多いぞ鈴谷っ」

「べしっ」

「べしはやめろ。……妙高さんはどう思います?」

「私達のためにもう一度ひこざえもん提督の告別式をやっていただけるというのは、とてもありがたいお話です」

 

 妙高さんも僕の考えに賛同してくれるようだ。難しい顔をしているのが気になるけれど。

 

「母ちゃんはどう思う?」

「んー……爺様に挨拶したい子がまだ二百人近くいるんだとすれば、その子たちのために告別式をもう一回やるってのは、いいアイデアだと思うよ? でもさ……」

 

 何か問題はありそうだが、母ちゃんもとりあえずは賛成というところか……。

 

「お母様もお気づきだと思うのですが、私たちが参加する告別式を行うということは、約二百人弱の人間が参加するイベントを企画することと同義です」

「そうだよ? 会場はどうするの? お金は? どんな内容にするの? どこまでやるの?」

 

 なるほど。妙高さんと母ちゃんは現実的に考えて問題点を洗い出した結果の難しい顔と歯切れの悪い答えだったわけだ。……でもその辺に関しては僕も考えがある。そしてそれには、鈴谷たちの協力が必要だ。

 

「鈴谷」

「ん?」

「鈴谷たちのリーダー格みたいな子って誰だ?」

「本当はケッコンして不動の秘書艦だった摩耶さんだけど、今は大淀さんが代理って感じかな? 今は大淀さんが一人で取り仕切ってるよ?」

 

 なるほど。最初に挨拶に来た大淀さんか。爺様との付き合いも長くてデスクワークも得意そうなあの人なら、なんとかなるだろう。

 

「鈴谷、内容に関しては大淀さんも交えて鈴谷サイドのみんなと話し合いをしながら決めたい。こういうイベントを行う以上、みんなの意見をキチンと聞きたいんだ」

「なるほど。じゃあ今日戻ったら大淀さんに話をしてみるよ」

「では資金面はどうしますか? けっこうな大きいイベントになりますが……」

 

 確かに二百人弱の人数が参加できる告別式……その出費は並大抵のことではないが……

 

「心配はいらんッ! 僕が全部出す!!」

「おおッ! かずゆきふとっぱら!!」

「その代わり……イベントは予算も考慮したものになると思ってくれ……!!」

 

 貯金はある……あるけれど……そんなにたくさんはないんだ……そこは理解してくれ……

 

「急に頼りなくなったじゃんかずゆきぃ」

「う、うるさい……」

「いえ、こういうことは内容の豪華さよりも、こういうイベントがあるということそのものが大切なんです。大丈夫ですよ」

 

 辛辣な言葉を浴びせてくる鈴谷と比べると、妙高さんは大人で優しいなぁ……。

 

「では私たちは朝食を頂いたらすぐに戻ります。鈴谷」

「ほい?」

「あなたは戻らずにこちらで待っていなさい。大淀には私の方から話をしておきます。こちらに大淀が到着したら、すぐに話し合いをはじめて」

「りょうかーい!」

 

 おおっ。なんだか年長者の威厳みたいなものを妙高さんから感じるぞ。彼女はそのまま熱いお茶を飲み干すと『では失礼します』とそそくさと居間から出て行って寝室に戻り、その直後寝室から妙高さんと那智さんの不穏なやりとりが聞こえた。

 

『那智! いつまで寝ているの! 帰るわよ!!』

『ぐおおおお……待て姉さん……頭が……』

『今から10数えます! それを過ぎたら1秒ごとに一時間、鎮守府でお説教するわよ!』

『バカな姉さん……ッ?!』

『それがイヤなら早く準備なさいっ。ひとーつ……ふたーつ……』

『クッ……問答無用かッ……?!』

『みーっつ……!!』

 

 その後妙高さんと那智さんは二人で帰っていった。那智さんの顔色が真っ青になっていたのは、恐らく二日酔いだけが原因ではないだろう。そんな那智さんだったが……

 

「あづづ……和之、話は姉さんから聞いた。……ありがとう。期待している……」

 

 と帰り際に僕にそう言ってくれ、その後はふらふらした足取りで妙高さんに手を引っ張られながら帰っていった。

 

「那智さん、大丈夫かな……」

「妙高さんは怒ると怖いからねー……」

「そうなの? まぁ確かにさっきの妙高さんは凄まじかったけど……」

「あんなもんじゃないよ……本気の妙高さんは……」

 

 その後お昼ごろに大淀さんが一人でやってきた。この前と同じくコスプレっぽい服を着ていたが、今日は前回と違って仕事道具と思しきバッグを片手に持っている。以前に来た時のような沈んだ感じはなく、元気で覇気のある雰囲気だった。

 

「和之さん、話は妙高から聞きました。この大淀、全力でお手伝いさせていただきます」

 

 彼女はそういうと、居間に上がって早速バッグからノートパソコンとバインダーを取り出し、秘書らしくメガネをくいっと待ちあげた。メガネのレンズがキラーンと輝き、敏腕秘書の雰囲気がにじみ出ていた。

 

「なんだ……この鈴谷とは比べ物にならない心強さは……!!」

「ひどっ……かずゆき、ちょくちょく鈴谷に対して失礼だよね」

「お前に言われたくはないわ……」

「では早速……和之さん、何から始めましょうか? キラーン!」

「「おおっ」」

「何か?」

「大淀さんが燃えている……!」

「往年の任務娘が再び……!」

「ふふっ……業務のタスク管理は得意ですよ? キラーン!」

 

 そうして僕達は奥の和室に移動し、爺様の遺影が見守る中“グッバイひこざえもんプロジェクト”は幕を開けたのだった……!!

 

「かずゆき……プロジェクト名なんとかならないの?」

「うるっさいなー!」

 

 まずは役割分担として、大淀さんは鈴谷サイドのみんなの意見のまとめ役とタスク管理、僕はこちらで実務全般と財務管理、鈴谷は僕のフォローということになった。

 

「では私たちは一度戻って、みんなの意見をまとめますね」

「僕たちが本格的に動き出すのはその後になりますね」

「だね」

「みんなの意見と簡単な出欠確認はどれぐらいに揃います?」

「本日鎮守府に戻ったらすぐに確認を取ります。まとめた上でお渡し出来るのは早くても明後日以降になるかと」

「わかりました」

「ぉおー……」

「ん? 鈴谷? どうしたの?」

「いや、任務娘としての大淀さんを見るのははじめてだからさー。なんかすごいなーって思って」

 

 ……そっか。考えてみれば鈴谷は、爺様と出会った次の日には爺様が亡くなってるもんな……大淀さんのこういう姿って見るのは初めてなんだな……。

 

「今は和之さんが提督みたいなものですからね。和之さんの任務達成を確実にフォローしなきゃ」

「燃えてるねぇ大淀さん」

「鈴谷も今は和之さんの秘書艦みたいなものなんだから、しっかりね?」

「了解! 鈴谷にお任せっ!」

 

 二人の言う『提督』てのがいまいちよくわからないけど、とりあえずやる気になってくれているのはありがたい。

 

「かずゆき!」

「ん?」

「鈴谷がかずゆきの秘書艦だから! よろしくね!!」

「おう」

 

 大淀さんのメガネがキラーンと輝く中、僕はいつもと同じくムカつくんだけど……でもいつもよりちょっと弾んでる笑みを見せてくれている鈴谷と、改めて握手した。

 

「よろしく! 一緒にがんばろーう!」

「おう。がんばろーう」

 

 彼女の手は、いつぞや手を握った時と同じようにとても温かかった。

 



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10.グッバイひこざえもんプロジェクト進行中

 プロジェクト始動から二日後、僕は鈴谷が持ってきてくれた大淀さんの資料に目を通す。これによると鈴谷の仲間たちの告別式の出席率は百パーセント。そのような機会をつくってくれるのならぜひ出席したいという声がほとんどだったようだ。

 

「……よかった。余計なおせっかいじゃなくて」

「大淀さん、がんばってたよー」

 

 分かるよ。この資料の出来は素晴らしい。簡潔にまとめられていて、それでいて詳細も分かるように見事に作りこまれてる。図案も分かりやすくて過剰ではない。まるでプレゼン資料のお手本のような作りだ。

 

 そして出席率百パーセントということは……爺様が唯一レベルキャップを開放した婆様そっくりの子、摩耶さんも来るということだ。摩耶さんも、これをチャンスに爺様の死を受け入れようとしているのだろうか。

 

 ……あるいは、未だに受け入れられない爺様の死を突きつける僕達に対する、抗議の意図がある出席なのか……どちらにせよ、成功へのハードルは大きく上昇した。

 

「こら失敗出来ないな……」

 

 身が引き締まる思いを感じつつ、皆の要望がまとめられたページを見る。爺様への挨拶をみんなにしてもらったあとすぐに解散てのも素っ気ないし、どこかでみんなでご飯とかは考えてはいたんだけど……

 

「あーそうそうかずゆき」

「んー?」

「大淀さんの資料ね、要望のところに何人か書き足してるみたい」

 

 あーなるほどそれでか。ところどころパソコンの文字じゃなくてどう見ても手書きな文字が入ってるのは……

 

『カズユキの家であそぶ!!』

 

 これはきっと涼風だろう。遊ぶのはいいんだけど、さすがに二百人近くの子がここに来て何して遊ぶ? 家の中に入ったらみっちみちになるよ? 涼風プランへのツッコミもそこそこに、他の手書きの意見に目を通す。

 

『Tea Timeやりたいデス(帰国子女なので)』

 

 うん。いやまぁプランとしてはまったく問題ないんだけど、帰国子女だから?

 

「それは金剛さんかな? あの人イギリス生まれだからね」

「だからティータイムが大切なのか」

「そうだよー」

「ちなみに鈴谷は紅茶はどうなの?」

「リプ◯ンの紙パックのやつをよく飲むかなぁ。1リットルのやつ」

 

 うーん……ザ・女子高生。僕が高校生の時もそうだったけど、その辺は今の女子高生も変わらないのか? つーか1リットルのやつなんか飲んでよく腹こわさないな……

 

 他にはどんなプランがあるんだー……どれどれー……

 

『焼き肉(加賀さんだけズルいので)』

 

 ズルい? 加賀さんの親友か何かだろうか? この人もかなりの食いしん坊さんみたいだな。

 

「ぁあ、その焼き肉ってのは赤城さん」

「加賀さんじゃないのか……」

「加賀さんもよく食べる人だけど、赤城さんはそれ以上だよー?」

「こわっ……」

 

 これは予算配分を見なおしたほうが良いかもしれんな……。

 

「あ、そうそう。大淀さんからも提案があってさ」

「うん」

「『会場にうちの鎮守府を使うのはどうですか? キリッ』だって」

「その『キリッ』てのは勝手に付け加えたんだろう?」

「違う違う。ホントに、こう……『キリッ』て感じでメガネクイッてしながら言ってた」

 

 確かにホントはそうさせてもらえると、出費という意味では大助かりなんだけど……できれば爺様が住んでいたこっちでやりたいんだよなぁ……。

 

「ちなみにさ。仮にこっちで告別式やるってなったら、鈴谷たちはどうやってこっちに来るの?」

「んー……特に決めてないけど、大淀さんならなんとかするんじゃん?」

 

 まー、あの人ならなんとかするだろうな……よし決めた。会場はこっちだ。明日には大淀さんもこっちに来る。それまでに何をやるかを決めておかないとな……。

 

 こんな具合で、ぐっばいひこざえもんプロジェクトは順調に進行していった。涼風たち以外の要望も見てみると、皆様は基本的に食事か遊びのどちらかをご所望のようだ。

 

 ……ならばキャンプ場を貸しきってしまい、そこで一日遊んだり食事したりするのがいいだろう。候補としては……宝永山そばにある『わくわく大自然キャンプ場』がいいだろう。貸しきってしまえば他の客からの苦情もないはずだ。あそこならそばに川泳ぎ場もあるからみんなで遊べる。うちの近所の川はホタルが出るから遊泳禁止だしな。恥ずかしすぎるキャンプ場の名前はこの際ガマンだ。

 

 肝心の告別式に関しては近所の文化会館を借りる。調べてみたところ平日の半日であれば比較的安価な価格で借りることが出来る。

 

 食事は……焼き肉というかバーベキューでいいだろう。あれならこっちは材料を準備さえしておけば問題ない。ならば肉屋と八百屋と魚屋を巡らねばなるまい。

 

「鈴谷」

「はーい?」

「これから肉屋と八百屋と魚屋に行くからついてきてくれ」

「りょうかーい」

「鈴谷の値切り交渉に期待だっ!!」

「任せといてよ!」

 

 鈴谷を引き連れて肉屋と八百屋と魚屋に向かう。理由は二百人分のバーベキューの材料の取り寄せが出来るか確認するためだ。僕が『二百人』という数字を出した途端に店主(男)たちは冷や汗をかき、『無理に決まってるだろう』という表情をしていたのだが……

 

『ねーおぢさん。なんとかならない?』

 

 鈴谷を連れて来て正解だった。この女子高生は意識的にか無意識的にかは分からないが女子高生という己の武器を最大限活用し、次々と店主を籠絡させていく。鈴谷の虜になってしまった店主たち(男ども)は鼻の下を伸ばし、鼻の穴を広げ、フンハーフンハー言いながら食材の準備を約束してくれた。そしてそのたびに鈴谷は『おぢさんだいすき!!』と宣言し、店主を弄んでいた。罪な女子高生、鈴谷。

 

 それにしてもなぜ僕の交渉術ではダメなのか……そら確かに営業は無理っぽいって思って技術職に切り替えた過去のある僕だけれども……

 

「かずゆきは頼み方がダメなんだよきっと」

「いや、鈴谷の頼み方がヤバいんだよ。あの頼み方は鈴谷にしか出来ない」

「そお?」

「……あ、いや待て。一人いる」

 

――店主さん……お肉二百人前、準備してくれるとうれしいな……

 

 声を聞いたものを問答無用で骨抜きにする女性・鹿島さんの存在を忘れていた。僕も危うく軟体動物にされかかったあのボイスはある意味では破壊兵器だよ……。

 

 翌日、大淀さんが再び来訪し、二人で打ち合わせとなった。僕は大淀さんにプランの企画書を渡す。以前に大淀さんからもらったプレゼン資料と比べるとだいぶとっちらかった資料になってしまったが、概要を説明する分には問題はないだろう。

 

「和之さん。企画としては大丈夫ですが……」

「はいはい?」

「資金面は大丈夫ですか? けっこうな金額が計上されてますけど……」

 

 大淀さんは予算のページを見て、心配そうにそういう。……だってミリオン・イェンですもの……個人が払う分には大きい額ですからね……。

 

「任せてください! 僕の底力を甘く見ちゃいけませんよ!!」

 

 大丈夫だ。払えるだけの資金はあるんだ。ただ、すっからかんになってしまうだけの話で……。でもそんなことを悟られるわけには行かない。僕は腰に手をやり、冷や汗が垂れるおでこを必死に隠して、自身を奮い立たせるために盛大に強がった。

 

 これでバレてないはずだ……僕が今不安でいっぱいなのは伝わってないはずだ……と自分に言い聞かせていたら、以外と人の不安というものはたやすく伝播してしまうらしく、僕の大淀さんは困ったような笑顔を僕に向けた後……

 

「……分かりました。では告別式の装飾品に関しては、費用も含めて当鎮守府で準備します」

 

 と、僕にとってとてもありがたい提案をしてくれた。この提案を受けて僕の虚栄心は一瞬で崩れ去り、次の瞬間には大淀さんのこの提案が確実なものなのかどうかを大淀さんに確認してしまっていた。この場に鈴谷がいたらおもっくそバカにされていたところだ……

 

「ホントですか?!」

「ええ。加えてバーベキューの分の食材の半分も当鎮守府から出します。これで和之さんの負担もかなり減ると思いますけど、どうですか?」

「減ります! 金の大半はそこですから! マジで助かります!!」

 

 おお……大淀さんの背中から翼が見えるぞ……眩しい……天上から光が差している……そうか。彼女こそ天使……。僕の前に今、大天使オオヨドエルが降臨なさったのか。

 

「本当は食材のすべてを出せる余裕もあるのですが……それでは鈴谷のがんばりを無下にしちゃいますしね」

 

 なんという慈悲深きオオヨドエル……おい鈴谷、恐れ多くもこの大天使オオヨドエルはお前にすらお慈悲をおかけあそばされてらっしゃっておいでだぞ。この場に鈴谷がいないのが残念だ。ヤツがいたらそれこそ盛大に恩を売っておいてもよかったのに。

 

「私達のためにここまでしてくれる和之さんと、私たちと和之さんを繋いでくれた鈴谷への、私たちからのお礼だと思ってください」

 

 この大天使オオヨドエルの一言を聞いて、……そして彼女の優しい微笑みを見て、僕は涙が出そうになった。なんというお慈悲……天使は確かにここにいた。ここにいたのだ。

 

「ありがとう……大淀さんありがとう……ひぐっ……あなたは僕の天使です……ひぐっ」

「ただいまー!! 文化会館の案内状とキャンプ場の予定表もらってきたよー!!」

 

 僕が涙腺をゆるめて鼻水をちょうど垂らしているところに鈴谷が帰ってきた。鈴谷はそんな僕を見てクスクス笑い始め……

 

「ちょっとどうしたのかずゆき……ぶほっ……ヤバいチョー受ける……ぐはっ……」

 

 だまれ鈴谷。僕は今神様の愛を一身に受けていたのだ。神の愛に触れていたんだよ鈴谷。

 

「なにそれ鈴谷意味分かんないんですけど……デュフッ……」

「黙れ鈴谷ッ! 今日こそ逆ロメロで折檻してやるッ!!」

「うひゃー大淀さんタスケテー。鈴谷がかずゆきに襲われるー」

「黙れッ! こっちこいッ!!」

「ちょ……かずゆき大胆すぎる……!」

「誤解を招く言い方はやめろッ!」

 

 逃げ惑う鈴谷とそれを追いかける僕。そしてその様子を微笑ましく見つめる大天使オオヨドエル。……こんな感じで“グッバイひこざえもんプロジェクト”は滞り無く順調に進んでいった。

 

 爺様、待っててくれ。もうすぐ孫娘たち全員とお別れさせてあげるから。婆様にそっくりな摩耶さんと、シッカリお別れさせてあげるから。

 

 



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11.ありがとう鈴谷

 文化会館を前々日の午後から貸し切り、準備に勤しんでいた甲斐があった。舞台には巨大な爺様の遺影のパネルと花に囲まれた祭壇……そして祭壇には爺様の位牌……なんとかこれで体裁は整った。

 

「出来たじゃんかずゆき!!」

「ぁあ……なんとかなったな……ゼハー……」

「だな……なんとか……歳は取るもんじゃないな……ゼハー……」

 

 昨晩は明け方四時までひたすら花を飾り、そして今朝は五時に起床して遺影を飾った……こんなにがんばって夜通し作業をしたことは仕事ですら経験がない……。

 

 それは僕と共に準備をしてくれた父ちゃんも例外ではなく……父ちゃんの目の下には悪魔の隈取模様のようなクマができていた。未だかつてここまで顔色の悪い父ちゃんは見たことがない。このままぶっ倒れてしまうんじゃないかと不安になってくる……。

 

「かずゆきもおじさんもおつかれ! がんばったねー!」

「鈴谷もな……ホント、よくやってくれたよ……でもお前まだ元気だな……」

「まーねー。鈴谷はかずゆきたちと違って若いですから! オールナイトも慣れてるしね〜!」

 

 とはいうものの、鈴谷も少し疲れが出ているようだ。いつもに比べてそのムカつく笑顔のボルテージは若干落ちているように見えた。

 

 実際、鈴谷はよくやってくれた。夜通し準備している僕と父ちゃんに付き合ってずっと起きてたし、僕らの夜食や必要備品の買い出しに奔走し、僕と父ちゃんをずっとフォローしてくれていた。

 

「しかし……これで終わりじゃ無いぞ……!」

「そうだね……これからが本番だね!」

「見ていてください……妙高さん……!!」

 

 僕と鈴谷が改めて今日の告別式の成功を誓うのと同時に、未だに諦めの悪い父ちゃんの口から妙高さんの名が出ていた。父ちゃん自身に、あの日の飲み会の最後のこっぱずかしい叫びの記憶はない。

 

「「ニヤニヤ」」

「ん? なんだお前ら?」

「なんでもないよー。ねーかずゆき?」

「だな。妙高さんの名がフェイクであるということ以外は」

「「ニヤニヤ」」

「?」

 

 父ちゃん、僕と鈴谷は知ってるよ。本気で父ちゃんが惚れてる相手は母ちゃんだけだって。

 

 タイミングよく鈴谷のスマホに着信があった。相手は大淀さんのようで、鈴谷は二言三言大淀さんと言葉を交わした後、スマホを切ってふところにしまっていた。

 

「お? みんなもう到着したのか?」

「みたいだね。かずゆき迎えに行こう!」

 

 鈴谷が勢い良く僕の手を取って、文化会館の入り口に連れて行こうとグイグイ引っ張ってくる。なんだこの力の強さ?! お前ホントに女の子なの?!

 

「ひどっ。ほらほら早く行こうよー!!」

 

 準備の疲れのせいで鈴谷の引っぱりにうまく抵抗出来ない!! やばい力で鈴谷に負ける時が来ようとはッ…!!

 

「父ちゃん! 母ちゃんは?!」

「そろそろつくはずだ! ついでに迎えに行ってやってくれ!!」

「分かった! 会場の番は父ちゃんに任せる!!」

「おお!」

「よしいこーう!!」

「分かったから引っ張るなって!!」

「いいじゃん手つなぐのが恥ずかしいの?」

「一回つないでるのにいまさら恥ずかしいもあるかッ!!」

 

 鈴谷に強引に牽引されて入りロビーに到着する。恐るべき鈴谷の牽引力はとどまるところを知らず、足がもつれて倒れそうになった僕をそのままひっぱり、僕は鈴谷に引きずられる形でロビーまで連れて来られた。なんかダダをこねて母親に引っ張り回されてる五歳児みたいで恥ずかしいぞ?!

 

「だあッ!! 離せすずやぁぁああ!!引っ張らなくても自分で歩けるからッ!!」

「にっしっしっ……今までずっとかずゆきに振り回されてきたからね。今日ぐらいは振り回すよー!!」

「お前はいつも振り回す側だろうがッ!!」

 

 ロビーにはすでに大淀さんや妙高さんをはじめとした、すでに見知った何人かが待ってくれていた。入り口の向こう側の外には、何台かのバスが停車しているのが見て取れる。

 

「あ! 鈴谷のねーちゃんとカズユキだ!!」

「ホントだ!」

 

 あの、この季節によく似合う涼し気なセーラー服は五月雨ちゃんと涼風かッ!!

 

「はーいとうちゃーく!」

 

 ロビーに到着するなり鈴谷は僕の手を離し、僕がその勢いで倒れそうになったところを五月雨ちゃんと涼風が受け止めてくれた。

 

「お久しぶりです和之さん!」

「五月雨ちゃんホント久しぶりだね!」

 

 うん。五月雨ちゃんは本当に元気だ。うちから帰る時以上に明るく元気になっている。これが本来の五月雨ちゃんなんだね。

 

「元気そうじゃねーか! カズユキー?!」

「お前も元気そうだなー涼風ー!!」

「鈴谷のねーちゃんともなかよくやって……んぐッ?!!」

 

 うん。余計なことを口走るその口の元気さはセーブしたほうがいいぞ涼風。じゃないと今みたいに、僕に力づくでほっぺたを左右から挟まれてグリグリされるからなぁ……!!

 

「言ったはずだ……涼風ッ……余計なことは……言うなと……ッ!!」

「て、てやんでぃ……! あたいは何一つ間違ったことは……言ってねーぞ……!!」

「お前の口は……一言余計なんだよ……ッ!!」

「ぇえ〜!! でも鈴谷は今かずゆきの秘書艦だよー?!」

「ほらみろカズユキ……ねーちゃんと……仲いいじゃねーか……ッ!!」

「それが余計だって……言ってるんだよ……ッ!!!」

 

 ロビーには大淀さんたちの他にもすでに何人かが到着している。バスから次々と女の子たちも降りてきてるし……僕は大淀さんと鈴谷にみんなに中に入ってもらうようお願いした。

 

「僕と鈴谷で会場に案内しますから」

「了解しました。それではみんなに中に入ってもらいますね」

「鈴谷、とりあえず先導を頼む。これだけの人数なら一度会場までの道を作ってしまえば大丈夫だろう。会場についた順から、爺様への挨拶を頼む」

「分かった! 鈴谷にお任せ!!」

 

 鈴谷はそう言っていつぞやのかるーいノリの敬礼をした後、ロビーに入ってきたみんなを引き連れ、

 

「はーい! みんな鈴谷についてきてねー! これから会場に行くよー!!」

 

 と言いながら胸を張ってみんなを会場まで引率していた。

 

 僕はというと、そのまま大淀さんと共にロビーに残り、そのまま会場に向かう爺様の仲間たちと挨拶していった。……しかしホント、みんなコスプレじゃないか……

 

「前にも言いましたけど、これが私たちの正装なんです」

「いや、分かってます。分かってるんですけどね……」

 

 もう今更なことなんだけど、未だにこのコスプレを正装と言い張りますか大天使オオヨドエル……いやそれはないだろー……だってさー……

 

「ユーがカズユキデスネ? ワタシは帰国子女の金剛デス!!」

「よ、よろしく……」

 

 ありえねー……この巫女さんコスプレが正装ですか……。

 

「私は戦艦長門だ。殴り合いなら任せておけ」

「そ、その時はぜひ……」

 

 いやお任せする殴り合いそのものがそうそうあるものではないんですけどね……つーかなんだその非常識な服装は……。

 

「俺の名は天龍……フフフ……怖いか?」

「あーこわいっす。自分、天龍さんがめっちゃこわいっす」

 

 まともな服装だと思えば眼帯してるし……爺様、どこでこんな子たちと知り合いになったのよ……孫はそれが知りたいよ……。

 

「私は戦艦ビスマルクよ!」

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 もう感覚が段々麻痺してきたのかなぁ……金髪美女のこの人見た途端、なんかしらんけどホッとしたもん。これは異常事態ですよ。

 

「一航戦、赤城です。本日はバーベキュー含めてお世話になります」

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 この人が赤城さんか……加賀さんと色違いの赤い弓道着って言えばいいのかな。……普通そうな人なのに加賀さんより食べるんだよな……。

 

「球磨だクマ」

「……?!」

 

 気をつけろッ! この子は頭上で新種の生物を飼育してるぞッ! なんだその頭の上でくねくねしてるアホ毛はッ?! このような生命体、この地球上での存在が許されていたのかッ?!!

 

「ゴーヤって呼んでもいいよ?」

「……?!!」

 

 神よ。私は幻を見ているようです。セーラー服の下にスクール水着を着た女の子が普通に会場に向かって歩いて行く姿を見てしまいました。このような罪深き私をお許しくださいますか。

 

「みんなのアイドル! 那珂ちゃんだよー!!」

「お前らいい加減にしろぉぉおおおおおおお?!!」

 

 僕がついにみんなの格好や態度にツッコミを入れることに対して堪忍袋の尾が切れた時だった。

 

「あ……摩耶が来ました」

 

 大淀さんのセリフが聞こえ、僕は彼女の視線の先を見た。……いた。彼女から距離が離れたここからでも分かる。若かりし頃の婆様そっくりな子がいる。その子が同じ服装のメガネをかけた子に連れられ、僕と大淀さんのそばまで来た。顔つきはそっくりだ。生き写しと言ってもいい。

 

「摩耶さんですか?」

「……あン?」

 

 でも、あの写真のような勢い……爺様にそっくりなプレッシャーや、太陽のような眩しい笑顔というものは、摩耶さんにはなかった。その顔は別人のように沈んでいた。

 

「おまえ、まさか……」

「ひこざえもんの孫の和之です」

「やっぱり……」

「祖父がお世話にな……」

「……うるせー。今は話しかけんな」

 

 言葉が刺々しい。硬さはないから別に怒っているわけでも気が立ってるわけでもないようだが……まだ受け入れられないのか……それともこの告別式そのものが気に入らないのか……

 

「すみません! ちょっと摩耶……ひこざえもん提督のお孫さんなんだから……」

「……」

「すみません。ホントすみません……」

 

 摩耶さんとともにいるメガネを掛けた女性(鳥海さんという名はあとで鈴谷が教えてくれた)は申し訳無さそうに僕に頭を下げると、摩耶さんと一緒に会場への列に加わっていた。

 

「多分、摩耶はまだ納得出来てないんだと思います」

「……そうですか」

「だから、あまり気を悪くしないでください」

「大丈夫ですよ」

 

 大天使オオヨドエルに言われずとも、これぐらいは覚悟していた。告別式をやるということは、爺様の死をみんなに無理矢理つきつけることだ。僕にその気はないとしても、爺様の死を受け入れられない人にとってみればそういうことになる。そのため、人によっては悪態をつきたくなる場合もあるだろうし、告別式を企画した僕に対して怒りをぶつけたくなる人もいるだろう。

 

 摩耶さんの意図はまだ読めない。でも、彼女は来てくれた。ならば僕たちは、彼女がキチンと爺様の死を受け入れて、前に進もうと思ってくれることを願うばかりだ。

 

「ちょっと和之ッ!!」

「ぁあ、母ちゃん」

 

 聞き慣れた声がロビーに響いた。母ちゃんも到着したようだ。母ちゃんはロビーに入るなり僕達の方に来てくれた。外に出て探す手間がなくなってなによりだ。

 

「なんとか準備は終わったよ」

「それはいいんだけど……スゴいねこの人数」

 

 会場まで続くコスプレ集団の行列を冷や汗混じりに眺めながら、母ちゃんはそう言って困惑していた。しばらくして落ち着くと、今度は周囲をキョロキョロし始めている。

 

「……那智さん探してるの?」

「いや、父ちゃんを……」

「ぁあなるほど。ニヤリ」

 

 那智さんたちとの飲み会での父ちゃんの熱い叫びを思い出すねぇ……ニヤニヤ。

 

「かずゆきー! 案内終わったよー!」

 

 程なくして鈴谷が会場の方から小走りで戻ってきた。

 

「あ、鈴谷ちゃんおつかれさまー!」

「おばさんもお疲れ! おじさんなら会場だよ?」

「そお? んじゃ私会場に行くわ」

「「ニヤニヤ」」

 

 僕と鈴谷の意味深なほくそ笑みに気付かなかったのかそれともあえて無視したのかは分からないが……母ちゃんはそう言うとそそくさと会場に向かって走っていった。

 

「お二人とも、さっきから何ニヤニヤしてるんですか?」

「夫婦はいつまでたっても夫婦ということです。ニヤニヤ」

「鈴谷もああいう夫婦になりたいね。ニヤニヤ」

「?」

 

 その後も押し寄せるコスプレ集団一人ひとりに挨拶し、それが終わったら僕も鈴谷とオオヨドエルの三人で会場に向かうことにする。途中で鹿島さんに

 

「和之さん? 私達のために告別式を企画してくれて……」

「……」

「本当に……ありがと」

「……?!!」

 

 と、まるで天上の賛美歌のようなお声をかけていただき、危うく溶けた脳が耳から出てきそうになった。

 

「ああ……鹿島さん……たまらん……」

「鈴谷ももうちょっと色っぽい声の練習しようかなー……」

「何万年修行しようともお前には無理だろう」

「ひどっ」

 

 鈴谷のボヤキはとりあえず置いておいて……会場に到着する。300人以上をゆうに収容できるこのホールのすでに半分以上の席が、今日の主賓たちによってうめつくされている。

 

「テートクぅぅうう!! なんでワタシたちを置いて逝っちゃったデスカー?!!」

 

 金剛さんだっけ……怪しいガイジン訛りのかわいい声が会場にこだましていた。舞台を見ると、爺様の遺影の前で巫女服コスプレの一人が泣き崩れ、もう一人のショートカットの子が泣き崩れた子の肩を抱いて支えていた。みんなが献花しながら、ひとりずつお別れの言葉を述べているようだ。

 

「お姉さま……ぐすっ……気を、シッカリ……ぐすっ……」

「うう……テートク……ふぇあうぇる……」

 

 金剛さんといえばさっきは明るく朗らかな挨拶をしてくれていた。でもそれはやっぱりフェイクで、本当の彼女の気持ちはきっと、爺様の死を悼む悲しみにあふれていたんだろう。今舞台の爺様の遺影の前で泣き崩れているあの姿が、偽らざる今の金剛さんなのだろう。

 

「金剛さん……あんな姿、見たことなかった……」

「……」

「金剛さんはね。みんなを励まして回ってたんだよ。泣いてる子に“テートクはすぐ帰ってくるからダイジョーブデース”て言いながら、みんなを励ましてたんだよ」

「そっか……」

「でもやっぱり金剛さんも不安とずっと戦ってたんだね。ずっとがんばってたんだね」

 

 鈴谷が泣き崩れる金剛さんを見ながらそんなことを言っていた。立派な人だと思いながらも、ならなぜその心配りを鈴谷にも見せてくれなかったのか……とちょっとだけ思ってしまった僕は、空気の読めない悪い子でしょうか……。

 

 その後は僕たち企画組も席に座り、みんなの挨拶を眺める。みんなの爺様への挨拶は様々だ。泣き崩れる子もいた。静かに別れを告げる子もいた。悪態をつく子もいた。

 

「私たちを置いて先に逝くなんて……次会ったら張り倒してやるから……ひぐっ……覚悟しなさい……ひぐっ……でも……会いたいわよ……ひぐっ……アンタに……」

 

 こんな風に、中にはツンデレのテンプレみたいな挨拶をしている子もいた。叢雲って子だったかな? それにしてもホント、みんなそのキャラになりきってるんだなぁ……

 

 元々うちに挨拶に来た子たちは挨拶をせず、摩耶さんを除くほかのみんなの挨拶が終了した時だった。

 

『それでは今日の告別式の立役者に挨拶していただきます』

 

 いつの間にかぼくらのそばから消えていた大天使オオヨドエルの声でホールに放送が入った。と同時に、なぜか僕にスポットライトが当たる。

 

「え? ええ?!」

 

 あまりに突然のことで意味がわからず、僕は鈴谷の顔を見てしまった。鈴谷はこのことを知っていたのか、ニヤニヤとほくそ笑んでいた。

 

「知ってたのか鈴谷?」

「さぁねー。ニヤニヤ」

『和之さん、舞台に上がってください』

「ぇえ~?! いいよそんなの!! 恥ずかしいよ!!」

『そんなこと言わすに! みんなあなたにお礼がしたいんですから』

 

 大天使オオヨドエルの言葉を受け、ホール内には『そうだー』とか『カズユキありがとー!!』とか『早く舞台にあがりなさーい』とか『ハルナは大丈夫でーす』とかいろんな歓声が上がった。そら確かにそんなふうに歓迎してくれるのはうれしいけど!

 

「でも何話せばいいかわかんないよ!!」

「適当にあることないこと言っとけばいいんじゃん?」

「無責任なこと言うな鈴谷ッ!!」

「いいからさっさと行くよほらッ!」

 

 鈴谷はうろたえている僕の手を取り、強引に舞台まで引っ張っていった。さっきの時と同じく僕は鈴谷に抵抗できず、ただひたすら引きずられていく。もはや足を動かしてすらいない。ひたすらズリズリと引きずられていった。

 

「はーなーせー!!」

「いいからいいからー!」

 

 こうして僕は鈴谷に舞台に連れていかれ、ど真ん中にほっぽり出された。爺様の遺影の前に立たされた僕はみんなの方を見る。二百名近くの爺様の友達だった女の子たちが、ジッとこちらを見ているのが分かった。

 

「うあ……うああ……」

「? かずゆき?」

 

 ヤバい。頭が真っ白だ……

 

「ヤバい……何も思い浮かばない……」

「ぶふっ……かずゆきキンチョーしてるの?」

 

 無責任に僕をここまで引きずってきた鈴谷は、僕の隣でおかしそうにほくそ笑んでいた。……ええいっこうなったら……!!

 

「鈴谷」

「ん?」

 

 改めて、僕は右手で鈴谷の左手を取った。右手から伝わる鈴谷の温かい感触が、ほんの少しだけ僕の心を静めてくれた。

 

「ちょ……かずゆき……」

「なんだよ!」

「五歳児みたい……ぶふっ」

「うるさいわ!!」

 

 ホール内にクスクスと笑い声が響く。『二人とも仲いいなー!!』という涼風の声も聞こえ、さらに笑い声が響いた。ちくしょう。距離が近ければ涼風のほっぺたをぐりぐり出来たのに……!!

 

「あの……みなさまに、お礼を言います」

 

 少しずつ少しずつではあるが、言いたいことが頭の中で整理出来てきた。隣にいる鈴谷の顔が最高にムカつくけど……でも鈴谷は僕のことを馬鹿にしながらも手は離さずにいてくれる。スポットライトが僕と鈴谷をさらに照らす。思ったより眩しい。みんながいる席の方が暗くなり、見えなくなった。……よかった。暗がりのおかげで視線を感じなくなった。

 

「あの……僕は、これまで彦左衛門……爺様に、こんなに多くの仲間がいるってことを、知りませんでした」

 

 まとまってきた。爺様が死んでから今日まで、出会ってきたたくさんの人たち……そして爺様と仲良くしてくれたみんな……その人たちに、僕が伝えたいことは何だったのか。

 

「皆さんには本当に、感謝でいっぱいです。本当に、爺様……ひこざえもん提督と仲良くしてくれてありがとう。こんなにたくさんの方に愛されて、爺様は幸せものでした」

 

 『こちらこそデース!』『ありがとうかずゆきー!!』『ていとくありがとー!!』そんな声とともに、僕の言葉は歓迎された。でも、僕はもう一つ伝えたいことがあった。

 

 改めて鈴谷の顔を見る。鈴谷は吹き出すのをこらえてるようなムカつく笑顔で……それでも目からだけは『がんばれ!』という声援が聞こえてきた。

 

 そんな鈴谷に、僕は伝えたいことがあった。

 

「あともう一つ伝えたいことがあります。今横で僕の醜態を見ながらほくそ笑んでいる鈴谷に」

「へ? 鈴谷に?」

 

 僕の言葉を受け、鈴谷がきょとんとした顔で僕を見ているのが伝わった。僕は鈴谷の方を見ずに、みんなと、そして鈴谷に語りかけた。

 

「僕が今、こうやってみんなの前でこっ恥ずかしい挨拶ができているのも……爺様の死をみんなに悼んでもらう告別式という機会を設けることが出来たのも……何人かの人が爺様の家に直接来てくれたのも、僕がみんなと知り合えたのも、全部鈴谷のおかげです」

「……」

「初めて鈴谷がウチに来た時……きっと鈴谷は、この上なく心細かったと思います。突然やって来たからうちの家族には不審人物としか思われないし、爺様には会わせてもらえないし……」

「……」

「でも鈴谷は、めげずに繰り返し僕の家を訪れてくれました。そのおかげで、僕はみんなと知り合えたし、告別式なんて大それたことが出来る機会ができたんです。逆に言えば、鈴谷が勇気を振り絞って僕の家に来なければ……鈴谷が何度も僕の家に来てくれなければ、こんな機会はありませんでした」

「かずゆき……」

 

 鈴谷が僕の手を強く握った。答えるように僕は鈴谷の手を強く握り返す。……一回しか言わないからな。よく聞いとけよ鈴谷。

 

「鈴谷。お前のがんばりのおかげで今日がある。お前がうちに何回も来てくれたおかげで今日がある。本当にありがとう。僕にこんなことをするチャンスをくれてありがとう。たくさんの仲間と知り合えるチャンスをくれてありがとう」

「……」

「みんなに爺様の死を悼む機会をくれてありがとう。本当にありがとう鈴谷」

 

 ホールの所々から『鈴谷ありがとー!』『いよっ! 最上型重巡洋艦!!』という声が聞こえる。……当の本人の鈴谷は、顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうにイヤイヤと右手を振っていた。

 

「いやいや鈴谷何もやってないって! かずゆきの家に行っただけだから!」

「それがとても重要なことだったんだよ鈴谷。本当にありがとう」

「ちょ……マジでやめて恥ずかしい」

 

 僕はつないでいる鈴谷の左手を高々と上げた。上げた途端、珍しく鈴谷が『ひゃっ』と声をあげていたが……気にしない。今回の一番の功労者は、……ムカつくけど……この鈴谷なんだから。

 

「鈴谷は……ただ、みんなの力になりたかっただけで……ひぐっ……」

「それが必要なことだったんだよみんなには。ありがとう鈴谷」

「やめてかずゆき……マジではずかしいから……ひぐっ」

「……」

「でもありがとう……ありがとうみんな……かずゆきありがとう」

 

 妙高さんに言われた言葉をそっくりそのまま鈴谷にも見舞ってやった。泣かしてやったぜざまーみろ鈴谷。こんなこと言うのは今日だけだからな。もう言わないからな鈴谷っ。

 

 盛大に鳴り響く鈴谷コールの中、鈴谷は涙目だけど笑顔でみんなに手を振っていた。

 

 



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12.摩耶さんのワッシャワッシャ

 みんなが片付けを手伝っくれたおかげで、ホールの引き払いは思った以上に早く終わった。そのため予定より早く『わくわく大自然キャンプ場』に到着。食材が現地に届くのを待って、総勢二百人弱の大バーベキュー大会が幕を開けた。

 

「ちょっと一航戦! これじゃ私たちが食べる分がなくなるでしょ!! つーか私が焼いた肉をひょいひょい取ってくのはやめてッ!!」

「あら。私はてっきりあなたが私のために焼いてくれているものとばかり思っていたわ五航戦。ひょいぱくひょいぱく」

「いいじゃないの瑞鶴。肉の一枚や二枚ぐらい……」

「翔鶴姉は甘いんだから!!」

 

 いつぞやも聞いた阿鼻叫喚が加賀さんや瑞鶴さんたちがいるエリアから聞こえてくる。あそこは肉の消費スピードがとても速い。赤城さんといったか……見ているとあの人も加賀さんと同じかそれ以上のスピードで肉を焼き、平らげている。恐るべきスピードだ……。

 

「うーん……いいところデース……紅茶が美味しいネー……」

「金剛お姉さま。この比叡、お姉さまのために肉を焼いてきます!」

「榛名もご一緒します!!」

「では私は金剛お姉さまと共に紅茶を楽しみましょうか」

 

 巫女さんコスプレで身を包んだ四人は、この糞暑い中パラソルを立て、野だての紅茶版とでも言うべき屋外ティータイムを楽しんでいる。大自然の中でのティータイムというのもオツなものだろう。楽しんでくれているようで何よりだ。

 

「カズユキ! あっちに川があったぞ川!! あたいたちと一緒に遊ぼうぜ!!」

「一人前のれでぃーは川泳ぎが得意なんだから!!」

 

 一方で僕は涼風や小学生ぐらいの子たち数人に周囲を囲まれ、川遊びへと勧誘されている。すまん涼風。実は徹夜のダメージが今頃になって響いてるんだ。今けっこう身体がだるくて眠いんだよ……。

 

「ぇえ~?! 私たちとも遊んでくださいよー!!」

「ごめん五月雨ちゃん……でも僕は昨日徹夜したんだ……」

「でもおじさんたちは元気ですよ?」

 

 五月雨ちゃんの抗議を聞き、僕は自然と妙高さんたちがいるエリアを見た。妙高さんと那智さん、そして二人の妹である足柄さんや羽黒さんと共に、うちの父ちゃんと母ちゃんは大騒ぎしていた。時々『ムッはァァああ妙高さん! みょうこーうさーん!!』『那智さま!! ああっ……麗しき那智さまッ!!』という叫び声が聞こえていた。あの夫婦はまだまだ現役な様で何よりだ。父ちゃんも母ちゃんも元気で素晴らしいっ。

 

「あのおじさんたちはね……煩悩をひねり出してなんとか頑張ってるんだよ……」

「?」

「じゃあさじゃあさ! 鈴谷のねーちゃんが一緒に来たら、カズユキも元気になるんじゃねーか?!」

 

 聞き捨てならない涼風の一言には容赦なく身体が反応するようだ。僕は涼風のほっぺたを両手で挟み込み、容赦なくグリグリした。

 

「んぐッ?!」

「余計なことをいちいちのたまうのは……その口かッ……!!」

「てやんでぃ……あたいは何も……間違ったこと言ってねー……ぞッ!!」

「それが余計な一言だって……言うんだよッ……!!」

「あれー? かずゆきって涼風ちゃんと仲いいよねー?」

 

 鈴谷はまためんどくさいタイミングで合流してくれる……両手に肉や野菜の乗った紙皿を持って、さっきまで別行動を取っていた鈴谷が僕らの方に近づいてきていた。

 

「仲良くなんかあるかッ! 今も余計なことを口走る涼風を折檻していたところだッ」

「ぶふっ……ひょっとしてかずゆき、涼風ちゃんに惚れた?」

「いやそれはない」

「心配いらねーぞねーちゃん! あたいは人のものに手を出すなんて野暮なことはしねぇ!!」

 

 まだそういう余計なことを言うか涼風はッ!! 僕は今まさに涼風のほっぺたをぐりぐりと挟み込んでいる両手に力を込め、さらに力強くサンドしてやった。

 

「ちくしょう……あたいは……間違ってねぇ……ぞッ!!」

「だからその……余計な一言はやめろと……何度も……ッ!!」

「ぶふっ……どうするかずゆきぃ? ニヤニヤ」

「お前もニヤニヤするのはやめろ鈴谷ッ」

 

 涼風への折檻もそこそこに、僕は鈴谷と共に少し休むことにした。涼風たちはぶーぶー文句を垂れていたが、こればかりは仕方ない。子供の無尽蔵の体力についていくには、僕は疲労が蓄積しすぎているのだ。それさえなきゃ僕だって川に入ってすいすい泳ぎたかったよ……

 

「はい肉。全然食べてないでしょ?」

「ん。ありがと」

「どういたしまして」

 

 みんなから少し離れたベンチに二人で腰掛ける。鈴谷が僕に渡してくれた紙皿には、たくさんの肉と野菜が乗っかっていた。

 

「鈴谷が焼いてくれたの?」

「そうだよー。鹿島さんが“焼いて持って行ってあげなさい”って」

 

 鹿島さん……あなたに持ってきて欲しかったです僕は……。鈴谷が焼いてくれた肉と野菜は、特別美味しいわけでもなくかといって不味いというわけでもない、焼肉のタレの味が口いっぱいに広がる普通の肉と野菜だった。

 

「ねーかずゆきー」

「ん?」

「ありがとね。さっきの告別式」

 

 お互い並んで座っていて、ふたりともがみんなの方を見ているため、僕からは鈴谷の表情は見えなかった。でもその声色は、いつになく真面目な表情で僕に語りかけているであろうことを僕に伝えていた。

 

「突然どうしたのさ?」

「さっきの。“お前のがんばりのおかげで今日がある”っての」

 

 二度は言わんぞ鈴谷。だって恥ずかしいから。

 

「そう言ってくれて、鈴谷がやったことって無駄じゃなかったんだなー……みんなの役に立てたんだなーって思えた」

「……そっか」

「うん。だからありがと。提督の孫がかずゆきでよかったよ」

 

 そう言ってくれるとぼくもうれしい。爺様の孫でよかった……そうやって疲れきった頭でぼんやり考えながら、鈴谷が持ってきてくれた肉を食べ尽くした時だった。

 

「おう……和之」

 

 僕と鈴谷の前に、摩耶さんと鳥海さんが来てくれた。摩耶さんは両手に肉がてんこ盛りの紙皿を持っている。その摩耶さんの少し後ろで、鳥海さんが微笑みながら僕らを見つめていた。

 

「は、はい?」

「和之……肉、持ってきてやったぞ」

「あ、ありがとうございます」

「おらっ……鈴谷も……」

「あ、ありがと……」

 

 僕と鈴谷につっけんどんに差し出された紙皿。僕らが受け取ったその紙皿には、こぼれ落ちてしまいそうなほどに焼けた肉がてんこ盛りに盛られている。こぼれ落ちてしまわないよう、注意深く受け取った。

 

「あのさ」

「はい」

「礼を言わせてくれ。お前に」

「はいな?」

「アタシたちのためにひこざえもん提督の告別式をやってくれて、本当にありがとな」

「……」

「直接言いたかったんだ。お前には、本当に感謝してる」

 

 摩耶さんは、言葉を選びながらゆっくりそう言ってくれた。……よかった。彼女は爺様とお別れするタイミングを探していたみたいだった。今日がそのタイミングになったんだとしたら、告別式を開いた甲斐があったってもんだ。

 

 ……でも、それと同時にちょっとした疑問が生まれた。直球で聞いてみるか。

 

「でも摩耶さん」

「あン?」

「んじゃ告別式の会場で会ったとき、なんでぶっきらぼうだったんですか?」

「ああ、あのときか……」

 

 そうだ。摩耶さんのあのとげとげしい態度。あれはどう考えても“あとで直接お礼を言いたい態度”には見えない。今思い出してもそうだ。あれはどう考えても、僕に対して敵意むき出しか、あるいは……

 

 摩耶さんはほんのり赤いほっぺたをポリポリとかきながら、ちょっと恥ずかしそうに答えてくれた。

 

「……なんかさ。アタシ混乱したんだ」

「?」

「お前を見たときにさ。すぐに和之だってわかったよ」

「爺様に似てるからですか?」

「違う。なんかさ。お前を見たときに、すごく懐かしくなったんだ」

 

 懐かしい? 懐かしいって何だ? 摩耶さん、なんか不思議なことを言う人だな……

 

「アタシもよくわかんないんだけどさ。なんかお前を見たときにすごく懐かしいって思って……」

「……」

「んでさ。“おっきくなったなー”とか、“変わってないなー”って思ったんだ」

「そうなんですか? 爺様から僕の話を聞いてたからなんですかねぇ?」

「かもしんねーけど、なんかアタシもよくわかんなくてさ。それで混乱しちゃったんだ。ごめんな。ぶっきらぼうな態度とっちゃって」

 

 そっか。別に怒ったり敵意むき出しだったりしてたわけじゃなくて、僕を見て混乱してたのか……確かに今ならわかるかも。なんとなくあの態度は、予想外の出来事に頭がついてきてなかった態度だったのか……

 

 でも不思議なこともあるんだねぇ。僕を見て“懐かしい”だなんて。まるで昔の僕のことを知ってるみたいな口ぶりだ……。

 

「摩耶さんこそ、来てくれてありがとうございました」

「あん? なんでお前がアタシに礼を言うんだよ?」

「来てくれるか不安だったんです。余計なお世話じゃないかって……ひょっとしたらただ辛くなるだけなんじゃないかって、ずっと不安でした」

「そっか」

 

 そして僕も、摩耶さんに対してずっと不安を抱えていたことを告白した。心の何処かで僕はずっと不安を感じていた。爺様にとって特別な存在だったはずの摩耶さん。それは彼女にとっても同じはずで、摩耶さんにとっても爺様は特別な存在だったはずだ。

 

 今回の“グッバイひこざえもんプロジェクト”は、悪く言えば爺様の死を無理矢理叩きつける行為だ。悲しみに打ちひしがれている人に対して『爺様は死んだんだ』と乱暴に事実を受け入れさせる行為だ。それでもみんなは……摩耶さんは受け入れてくれるのか、正直不安で仕方なかった。

 

 だから、僕は摩耶さんから『ありがとう』と言ってもらえて、フッと両肩が軽くなったことを感じた。よかった。これで完璧だ。“グッバイひこざえもんプロジェクト”は大成功だ。もう思い残すことはない。やってよかった。本当に……やってよかった。

 

「本当に……ありがとうございました……ひぐっ」

「おいおい……何泣いてるんだよーお前は泣く側じゃないだろー?」

「いや、あの……なんかホッとしたんです……ひぐっ……」

「ったくよー。これであのひこざえもん提督の孫ってんだから……」

 

 ちょっと困ったような……でもニカッと眩しい笑顔を僕に向けてくれた摩耶さんは、さめざめと泣く僕の頭をガッシと掴んでワッシャワッシャと撫でてくれた。

 

「ありがとなー! 和之ッ!!」

「あ……」

 

 僕の頭に思い出される、とてもとても幼いころの記憶。爺様がまだ元気で、婆様もとても可愛くて、二人によく遊んでもらってた頃の、今日みたいな夏の日の思い出。

 

『かずゆきー!! よくやったなぁー爺様はうれしいぞー!!』

『やめてじいさま! 頭ワシャワシャしないで! いたい!!』

『ブァハハハハ!! 婆様直伝の頭ワシャワシャはまだかずゆきには痛いかッ!!』

『ちょっと……やめてくださいあなた……若いころのことなんて……』

『婆様もな? 若いころはこうやってよく俺の頭をワッシャワッシャしたもんだ!!』

『そうなの?』

『そうだぞー。初めてやられた時はな? 爺様も痛かったんだぞー?』

『その辺にしていただかないと……あの時みたいにワシャワシャしますよ?』

『こわっ』

 

 ……やっと分かった。爺様がこの摩耶さんを秘書艦にした理由が分かった。思い出したよ爺様。

 

「あん? どしたー? 和之?」

「いや……なんか爺様と婆様思い出して……」

「ぶふっ……やっぱお前ら血が繋がってんなぁ和之」

「?」

「提督もさ。アタシがワッシャワッシャしてやったら“アイツを思い出した”つって泣いたんだよ」

 

 マジで?! あの爺様が?!!

 

「アタシもさ。あのひこざえもん提督のこと、なんだか他人に思えなくてさ」

「そうだったんですか……摩耶さん、痛いっす」

「わりぃわりぃ。ついな!」

 

 やっぱ爺様は、この摩耶さんに若い頃の婆様を見ていたんだ。……だから爺様は選んだんだ。みんなの中で、婆様にそっくりな摩耶さんを。

 

 僕の抗議を眩しい顔で受け流しつつワシャワシャし続ける摩耶さんは、今度はそのまま鈴谷の方を見た。

 

「鈴谷ー」

「ん?」

「お前がさ。ひこざえもん提督が来なくなってみんなが混乱してる中、一人で取り残されて苦しんでたのは知ってる」

「……」

「本当はさ。アタシたちがお前のフォローをしなきゃいけなかったんだ。お前が取り残されてみんなにそのことを打ち明けられなくて寂しかったのに……アタシたちは自分のことだけで精一杯で……」

「そんな……仕方ないじゃん。大切な人が突然来なくなったら、そらみんな悲しいし、なんでだろうって不安になるよ」

「うん。そのとおりだ。だけどアタシたちはそれにかまけて、お前も苦しんでるのにフォロー出来なかった。他のみんなはいいけど、アタシは秘書艦だ。その秘書艦のアタシが、新人のお前を気遣ってやれなかった」

「いいのに……気にしなくていいのに……」

 

 摩耶さんの突然の独白に恐縮しっぱなしの鈴谷が妙に新鮮で面白い。そう言うなよ鈴谷。摩耶さんの気持ちを汲んでやろうぜ。

 

「でもさ。そんなアタシたちのためにお前は頑張ってくれた。こんな素敵な機会をくれた。……ホント、お前には感謝しかないよ。ありがとう」

「いいのに……ホントに……鈴谷はただ……」

「ホント……サンキューなッ!!」

「うん。……鈴谷こそ、ありがと!」

 

 鈴谷の言葉を受け、摩耶さんは鈴谷の頭にも手を伸ばし、思いっきりワシャワシャしていた。やはり鈴谷にとってもそのワシャワシャは痛いらしく、顔は嬉しそうだけどとても痛々しい悲鳴を上げていた。

 

「いだだだだ! 摩耶さんマジ痛い!!」

「へへんッ。摩耶様とひこざえもん提督からの感謝のワシャワシャだッ!」

 

 お互いに感謝しあう二人を見て、僕は那智さんの一言を思い出していた。

 

――鈴谷は、仲間と打ち解けられてなかった

 

 でももう、その心配はないようだ。

 

「ありがとなー鈴谷!」

「いだい! 分かったから摩耶さんマジやめて! いだいしぃぃいいいい?!!」

「ブヒャヒャヒャ!! アタシとひこざえもん提督からの二人分の感謝だからだよッ!!!」

 

 もう大丈夫だ。鈴谷が孤独感を感じることはないだろう。鈴谷の頑張りが結実したんだ。……よかったな、鈴谷。

 

「じゃあな! お前らもたんまり肉食えよ!!」

「うん! 行こうかずゆき!」

「おうっ」

 

 鈴谷に手を引かれ、摩耶さんからもらったてんこ盛りの肉が零れないよう、僕はみんなの元に行く。

 

「ほらほら早くッ! みんなにかずゆきのこと紹介するからッ!!」

「待てッ! 溢れるッ! 肉が溢れるッ!!」

「二人共! アタシが焼いた肉をこぼしたら承知しないからなッ!!」

 

 若いころの婆様にそっくりな摩耶さんに見守られ、鈴谷と一緒に手をつなぎながら。

 

 その後は大変だった。鈴谷の姉妹? たちに紹介され鈴谷との仲をからかわれたり……

 

「ところで和之さん。鈴谷とは今後どのような間柄になっていくおつもりかしら?」

「逆に聞きますけどどういう仲だとお疑いなのでしょうか熊野さん?」

「それは……ふふっ……言わずともおわかりでしょう?」

「いーえさっぱりわかりません」

 

 瑞鶴さんに煽られて加賀さんと肉の早食い競争をしてみたり……

 

「和之。五航戦の味方をするというなら容赦しません。キリッ」

「和之ッ! 一航戦に負けたら承知しないわよッ!!」

「よくわかんないけどかずゆき負けるなー!」

「一秒で一枚肉を食べる加賀さんに勝てるはずがないだろうがッ!!」

 

 酔っ払った那智さんに妙な絡まれ方をしたり……

 

「和之ッ。鈴谷はいい女だぞ? 末永くよろしく頼むッ」

「何が“よろしく”なんすかッ?!!」

「うわー……鈴谷としてはどう反応すりゃいいんだろうこれ……」

 

 涼風や五月雨ちゃんたちとドッジボールしたり……

 

「いだッ?! 涼風ッ! 僕ばっかり狙うんじゃなくて鈴谷も狙えッ!!」

「てやんでぃッ! いっつもあたいのほっぺたをグリグリする仕返しだべらぼうめぇッ!!」

「わ、私が……和之さんのこと、守ります!!」

「ごめん。守ってくれるのはうれしいんだけど、どうして僕のシャツの裾をガッツリ掴んでるのかな五月雨ちゃん?」

「それは、あのー……和之さんを誘導して守ろうかと……」

「ぶふっ……こら和之のシャツが破れるのも時間の問題だね」

 

 鹿島さんに脳を溶かされたり……

 

「和之さん?」

「……はい」

「鹿島は練習巡洋艦ですけど……付き合えない練習もありますからね?」

「一体何すか?! 鹿島さんが付き合えない練習とは……一体何なのですかッ?!」

「ふふっ……ね? 鈴谷?」

「……」

 

 大淀さんから感謝の言葉をもらえたりした。

 

「和之さん。この大淀、久しぶりに任務娘としての腕前を存分に発揮させていただきました」

「いやいや、こちらこそ大淀さんがいて助かりました」

「本当にありがとうございました。……鈴谷もお疲れ様」

「ありがと! 大淀さんもお疲れ様!!」

 

 かくして鈴谷たちのための爺様の告別式“グッバイひこざえもんプロジェクト”は大成功のうちに夕方に幕を閉じた。キャンプ場の片付けも終わり、皆それぞれの帰る場所へと引き返す。僕たちは自分の家へ。そして摩耶さんたちは摩耶さんたちの帰る場所へと、バスに乗って引き返していった。

 

 うちに戻った僕はそのまま自分の部屋に戻った。居間では疲れきった父ちゃんがぐったりと寝転がり、母ちゃんはゆっくりとお茶を入れてくつろいでいるようだ。居間からはテレビの音と父ちゃんのいびきと、母ちゃんがお茶を入れるために台所でごそごそやっている音が聞き取れる。爺様と婆様の遺影がある和室も、これでしばらくはお役御免だ。明日からはあの傍若無人な爺様も静かに眠れることだろう。

 

「ふぃー……おつかれー……」

 

 自分の部屋の畳の床にぐったりと寝転がり、天井を見上げて寝転がる。ヤバい。まぶたが重い。……今寝てしまったら妙な時間に目が覚めて眠れなくなりそうだ……でもヤバい……

 

「うん……おつか……かず……ゆ……」

 

 なぜか大淀さんたちとは一緒に帰らずにこっちに来た鈴谷は、僕にくっついて部屋まで来て、僕よりも先に『うりゃー』だか『おりゃー』だか言いながら寝転がっていた。僕に付き合って鈴谷もほぼ徹夜で今までずっと起きてた上にキャンプ場で大はしゃぎだったんだからそら眠いだろう……『うりゃー』にほとんど元気がなかったもんな……。

 

「ヤバ……ねむ……」

「うん……ヤバい……」

 

 あかん。まぶたが重い。重症だ。鈴谷の声がこんなに耳に心地いいとは……。

 

「うう……」

「んー……べしっ……べ……しっ……」

 

 こら鈴谷……べしべし言いながら僕の足を叩くな……僕の腹を枕にするのはやめろ……あ、でも鈴谷の頭ちょっと心地いいかも……

 

「いいじゃん……枕ないんだ……し……」

「そっか……なら……仕方な……クカー……」

「スー……スー……」

 

 

 



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13.行こうよ

「……重い」

 

 フと目が覚めた。部屋の中はもう真っ暗だ。背中に何かが乗っかってる。

 

「……なんだ?」

 

 僕は寝てる最中にうつ伏せになっていたらしい。背中に手を伸ばす。人の頭みたいなものがある。

 

「なんだこりゃ……誰だ?」

「え……もう朝?」

 

 段々目が冴えて記憶が鮮明になってきた。そういえば家に戻ってきてからそのまま寝ちゃったんだっけ……真っ暗だからもう夜なのか。

 

「んー……ちょっとかずゆき……」

「あ?」

「鈴谷の頭ぐしゃぐしゃにしないで……」

 

 どうやら僕の背中に乗ってたのは鈴谷の頭だったようだ。そういえば寝るときに鈴谷が僕を枕にして寝てたっけ。

 

「人の腹を枕にするからだ……」

「文句言わなかったくせに……」

「んー……」

 

 背中に感じてた重みが離れた。鈴谷が上体を起こしたみたいだ。僕も上体を起こす。

 

「んー……おはよ?」

「ん。おはよう?」

 

 寝起きだけど真っ暗だからか? 二人とも妙な挨拶をしてしまう。なんだか妙に気恥ずかしい。お互い無防備に寝ちゃったからか?

 

「とりあえず電気つける」

「ん」

 

 まだ寝起きでふらふらする頭を支え、部屋の明かりをつけた。蛍光灯の眩しさは思った以上に僕らの両目に突き刺さってきた。

 

「まぶしっ」

「まぶ……ぶふぉっ」

「? どうした鈴谷?」

「ほっぺた」

「ほっぺた?」

「畳のあとがクッキリついてるよ?」

「マジか……」

 

 自分のほっぺたを触ってみた。確かに畳のあとがクッキリついている……でも鈴谷も人のことは言えない。同じくうつぶせだったのか、ほっぺたが赤くなってる。枕にしていた僕の背中のあとだろう。

 

「マジで?! はずかし……」

「ザマミロ」

 

 自分のほっぺたをごしごし吹いている鈴谷をほっといて、僕は時計に目をやった。夜八時か……思ったより深夜じゃなかったな。

 

「……喉乾いた」

「……麦茶でも飲むか」

「かずゆきぃ~持ってきて~」

「甘えてないで居間まで来ればいいだろう……ったく……」

「うん。一緒に行くー」

 

 二人で部屋を出て居間に向かう。家の中は真っ暗で、今日は父ちゃんも母ちゃんも疲れて早く寝てしまったようだ。八時前に寝るってどう考えても五歳児じゃないか……。

 

「かずゆきは人のこと言えないけどね」

「お前もな」

 

 居間にたどり着いたらそのまま電灯をつけ、台所に入って麦茶をコップに注ぐ。鈴谷は居間の椅子にこしかけてテレビの電源を入れた。ゴールデンタイムの番組が賑やかに始まっていた。

 

「はい。特別サービスで鈴谷の分もいれたぞー」

「はーい」

 

 鈴谷は僕から麦茶を受け取ると、いつぞやのように喉をぐぎょぐぎょ鳴らして一気飲みしていた。なんだよそんなに喉乾いてたの?

 

「かずゆきー。足りない」

「……僕のも飲んでいいよ」

「ありがとー。かずゆき大好きー」

 

 世界一軽い大好きだなと思いながら、このシチュエーションを冷静に観察してみる。……なんだか鈴谷と二人でこうしてのんびり過ごすってはじめてな気がしてきた。

 

「なー鈴谷」

「んー?」

「二人のときにこんなにゆったりするのはじめてじゃない?」

「だねぇ。大体誰かがいたし」

 

 他愛無いテレビ番組の音声がホワイトノイズとなって居間に鳴り響いていて、それが逆に室内を静かに感じさせていた。

 

「かずゆきぃー。目、覚めた?」

「んー……まぁ。鈴谷は?」

「だいぶバッチリ」

「そかー」

 

 しかし妙な時間まで随分寝てしまったなぁ……八時過ぎのこの時間帯に起きちゃったら今晩はなかなか寝付けないぞ? ……あ、ちょっと待て。こいつ今晩どうするんだろう?

 

「お前今晩どうするの?」

「んー? どうするって?」

「いやお前、帰るだろ? なんでこっち来たんだよ。今晩どうやって帰るんだよ?」

「んー……分かんないけど……まぁいいんじゃん?」

「……」

「せっかくだし目も冴えてきたから、かずゆきにオールナイトで付き合ってもらおっか!」

 

 マジか……考えてみればこいつ、知り合った時からずっと僕に対してオールナイトでどうちゃらこうちゃらって言ってたなぁ。

 

「なにするなにするぅ? かずゆきぃ?」

「んー……しゃーないなぁ……たまにはオールナイト覚悟でいくかー」

「やった! かずゆき大好き!!」

 

 さっきに比べて幾分重みがました鈴谷の大好きを適当に受け流した僕は、鈴谷が飲み干した麦茶のコップを受け取り、それを台所に置いた。

 

「ちょっと外行こうぜ鈴谷」

「どこまで?」

「山の中。すぐ着くよ」

「山の中?!」

「どうした?」

「かずゆきに襲われる……ガクガクブルブル……」

 

 だったら来なくていいよといいつつ、テレビを消した僕はそのまま玄関に出る。

 

「置いてくぞー鈴谷ー」

「んあー! ちょっとまってよ!!」

 

 玄関においてある虫除けスプレーと懐中電灯を持ち、僕と鈴谷は外に出た。外では田舎の夏らしくカエルどもがゲコゲコと鳴き喚いていて、この街の田舎っぷりを演出するのに一役買っていた。

 

「どこいくのー?」

「いいから着いてきなよ」

「こわーい」

「アホ……あちょっと待って」

「ん?」

 

 鈴谷の手を取り、虫除けスプレーを吹いてやる。これから行くところは山の中。蚊が多いから刺されないようにしないとね。

 

「そっか! かずゆきありがと!!」

「どういたしまして。足は自分で吹いてくれ」

「そのまま吹いてくれればいいじゃん」

 

 鈴谷が男ならそうするけどさ……流石にスカート姿の女の子の足にスプレー吹くのは気がひけるんだよ……

 

「考えすぎっしょかずゆき。……まぁいいやスプレー貸して」

「あいよ」

 

 手を伸ばしてきた鈴谷に虫除けスプレーを手渡す。鈴谷は僕からスプレーを受け取ると、そのまま僕の手を取って、腕にスプレーしてくれた。

 

「ほい。かずゆきも」

「ん。ありがと鈴谷」

 

 一通り僕の腕やら身体やら足やらにスプレーをしてくれた鈴谷はそのまま自分の足にもスプレーを吹きかけ、僕にスプレーを返してきた。けっこう盛大にスプレーを使ったためか、スプレー缶はさっきよりも少しひんやりとしていた。

 

「よしっ。行くかー!」

「おー!」

 

 懐中電灯をつけ、カエルの鳴き声が鳴り響く中僕達は田んぼの間を縫うように目的地に向かう。山道の入り口に着き、その山道を歩いて抜けたところが目的地だ。

 

「ちょっとかずゆきー……まだ着かないのー?」

「もうちょっとだよ。だからがんばれって」

「ひー……疲れたー……鈴谷もう歩けないわー……」

 

 両膝に手をつき、ゼーハーゼーハー言いながら歩く鈴谷は本当にしんどそうだ。日頃の運動不足がたたってるじゃないのか鈴谷? まぁ昼間も散々遊んだしなぁ。

 

「うるさいなー……そら確かに普段は艤装で海の上を滑ってるだけだけど……」

 

 このままだと到着するまで延々と鈴谷のボヤキを聞かされる羽目になりそうだ。……ええい仕方ない。自身の膝小僧に置いている鈴谷の右手を手に取ってひっぱってやることにする。

 

「ぉお?」

「ほらあともう少しだから。がんばれっ」

「ありがと。いつになく気が利くじゃん」

「お前も涼風と一緒で一言多いんだよ」

 

 そのまま強引に鈴谷の手を引っ張って目的地に向かう。今日はずっとこうやって鈴谷と手を繋いでた気がするなぁ……まぁいいか。たまにはこんな日もいいだろう。

 

 鈴谷の手を引きながら歩いて10分ほど経った頃。やっと目的地が見えてきた。

 

「川の音が聞こえるねぇ?」

「うん。目的地が近い」

「どんなとこ?」

「そこにいるだろ?」

「? ……あ!」

 

 この辺りはもう目的地に近い。一匹ぐらいは繁殖場所から離れてここまで迷い込むことがあってもおかしくはない。

 

「ホタルだ!!」

 

 おそらくは目的地から迷い込んだであろう一匹のホタルが、ライムグリーンの優しい光を発しながら、鈴谷の周囲をふわりふわりと漂っていた。

 

「うわーすごいきれい!」

「目的地はこんなもんじゃないぞー」

「そうなの?!」

「そらそうだ。こいつはちょうどそこからはぐれた一匹なんだろうさ」

「マジで?! なら早く行こう!」

 

 今までは僕に手を引っ張られていた鈴谷だったが、はぐれホタルを一匹見つけてテンションが上がって元気になったようだ。今度は逆に僕の手を強く握って、ものすごい力で僕を引っ張り急き立てる。

 

「ほら早く行こうかずゆきッ!」

「わかった! わかったから!!」

 

 鈴谷にグイグイと引っ張られ、川のほとりに出た。

 

「うわー……」

「よかった。今年も元気だ」

 

 そこで待っていたのは、同じくライムグリーンに輝きながら周囲を飛び交うたくさんのホタルたちだった。たくさんの光源がふわりふわりと漂いながら、僕達の目の前で輝いて、ぼくと鈴谷を出迎えてくれる。……よかった。ホタルたちは今年も元気。

 

「スゴい! すごいきれい!! すごいすごい!!」

「この街唯一の隠れた観光名所だよ。今年も見られてよかった」

 

 川の水際まで出る僕と鈴谷。途端に周囲がホタルたちに包まれる。僕達の周囲をふわふわと漂うホタルたちは、みんなが同じタイミングで明滅し、まるで今日の僕達を労っているようにも感じた。

 

「すごいね! すごいねかずゆき!! みんな同じタイミングで点いたり消えたりしてるよ?」

「ホタルはだいたいみんな同じタイミングで点いたり消えたりするんだよ。たまにタイミングを外すヤツがいたりして面白いんだけど」

「きれい! ほんときれい!!」

「シー! あんま大声出すと逃げちゃう」

「え……マジ?」

「マジ」

 

 僕からの忠告を受け、鈴谷は慌てて両手で自分の口を押さえていた。

 

 僕は、星空も好きだけどホタルの方が好きだ。星空で輝く星は、まるで宝石を散りばめたようにキラキラと輝いていてとてもきれいだ。色とりどりの星の輝きを見ていると本当に飽きない。

 

「あ、かずゆきの頭が光ってるよ! ホタルがとまってる!!」

「人をハゲみたいにいうんじゃありませんっ! ……あ、でも鈴谷の頭にもとまってる」

「えマジ?! すごい!! 鈴谷輝いてるよ!」

 

 それに比べると、こいつらホタルはライムグリーン一色の輝きしかない。でもこいつらは、ぼくたちのすぐそばで輝いてくれる。すぐそばを漂いながら、ぼくたちに寄り添って輝いてくれる。今もこうやって僕や鈴谷の頭にとまって、そこであったかい光を僕達に見せてくれる。

 

 そう。ホタルは星空と違って優しくて人懐っこく感じるんだ。距離が近くて、僕達の方に漂ってきてくれる。まるで僕達を歓迎してくれるように、ぼんやりと点いたり消えたりして僕達と仲良くなろうとしてくれる。だから僕はホタルが好きだ。

 

「ぁあ! かずゆきの肩にもとまってる! かずゆきズルい!!」

「鈴谷の肩にも止まってるよ。ついでに胸のところにも」

「ホントだ! えっちいなぁこのホタル」

「考えすぎだ……」

 

 自分の胸元にとまったホタルを『うりゃっ』と両手で優しく捕まえる鈴谷。合わせた両手の中が薄緑に輝いている。

 

「ぉお! 熱くない! こんなにピカピカしてるのに熱くないよかずゆきッ!」

 

 とても大切な宝物を手に入れた子供のように大はしゃぎな鈴谷は僕のところまで走ってきて、手の中のホタルを見せてくれた。二人して鈴谷の手を覗き込む。鈴谷の手の中には、自身のお腹をゆっくりと輝かせているホタルが一匹、静かにもぞもぞと動いていた。

 

「……キモッ」

「言っても虫だからなぁ……。その割には平気で触ってるじゃん鈴谷」

「もっとキモくてヌメヌメしてるのを知ってるからね!」

「はいはい……」

 

 そうやってしばらくホタルたちと戯れた後、そばの大きな石に座って休憩する。座るときに

 

「はーい。鈴谷とかずゆきここに座るから、みんなちょっとどいてねー」

 

 と石にとまっていた数匹のホタルたちを鈴谷が追い散らしていた。すまんホタルたち……でも僕達もちょっと疲れたんだよ……。

 

 優しく輝くホタルたちに包まれ、僕と鈴谷は腰を下ろす。ホタルたちはまだ僕と鈴谷の周囲を飛び交っていて、スキを見つけては肩口や頭の上にとまって休憩していた。そのおかげで、時々鈴谷の顔が優しくぼうっと照らされて、とてもキレイな顔に見えた。

 

「なー鈴谷―」

「んー?」

「爺様ってさ。みんなとどんな風に接してたのかな……」

「分かんないなー……鈴谷も一緒に過ごしたわけじゃないから」

 

 鈴谷たちと知り合ってから湧き出た疑問が、つい口をついて出た。鈴谷以外の子たちは、みな一様に爺様の死を悼み、爺様との別れをとても悲しんでいた。それは今日の告別式でよく分かった。どうやら爺様は、今日告別式に来てくれたみんなと相当仲良く過ごしていたようだ。

 

 じゃあ、実際に爺様はみんなとどんな日々を送っていたんだろう? 加賀さんは、自分たちはひこざえもん提督の孫娘だと言っていた。そこまで言い切るなんて、よっぽど強固な関係性じゃなきゃ無理だ。混じりっけなしの信頼をこれだけたくさんの子たちから得ていた爺様。爺様は、どんなふうにこの子たちと過ごしていたんだろう? どれだけ楽しい日々を過ごしていたんだろう?

 

「気になるんだよなー。みんなとあれだけ仲がいいだなんて……」

「……」

「僕ってさ。結局爺様の負けず嫌いでエネルギッシュな部分ぐらいしかよく分かんないからさ」

「……鈴谷もさ。そういうこと、ちょっと知りたいんだよね」

「……」

「鈴谷はさ。提督が亡くなる前日に来たから。これから新しい生活が始まるんだーって時に提督が来なくなって鎮守府が混乱しちゃって……」

「……」

「みんなすごく悲しんだり怒ったりしてるんだけど、鈴谷そんなみんなと温度差があるっていうか……それに、提督との思い出がないのって鈴谷だけなんだよね。それがなんか後ろめたいっつーか……ここにいてもいいのかなぁってずっと思ってた」

「……そっか」

 

 身体に留まるホタルに時々手を差し伸べながら、鈴谷は僕の方を見てそう話す。

 

「……結局ぼくらはさ。ひこざえもん提督のことを何も知らないんだよね。じいさまとみんなとの絆とか、みんなの生活はどんなんだったとか」

「そうだねー」

「どんな風に過ごしてたんだろうな。どんな風にみんなと過ごして、どんな風に仲良くなっていったんだろうな……」

「……鈴谷もさ。ちょっと知りたい」

「だよなぁ」

 

 周囲をホタルに囲まれてるからなのか……それとも夜という落ち着いた時間だからなのか……こんなに鈴谷と穏やかな気分でここまで本音で語りあうとは思ってなかった。……でもこれは僕が知りたかったことだ。鈴谷たちと爺様が仲良く過ごしていたのは本当なようだ。なら、今度は爺様とみんなが、どんな毎日をどんなふうに過ごしていたのかが知りたい。

 

 鈴谷はしばらく『うーん……』と口を尖らせて唸った後、両手をぽんと叩いた。何かいい案でも浮かんだか?

 

「じゃあさ! 一緒に行ってみようよ!」

「行く? 行くってどこへさ?」

「鎮守府!」

「ちんじゅふ? ちんじゅふって鈴谷が過ごしてるとこだっけ?」

「そそ」

「一緒に?」

「うん」

「今から?」

「いえーす」

 

 今からはさすがにしんどいだろー……それに今行っても、爺様のそっちでの生活が見られるわけではないじゃない。

 

「だからさ! 提督がいた頃の鎮守府に行けばいいんじゃん?」

 

 言うに事欠いてこの子はついに頭がおかしくなりやがりましたか? そんなこと出来るわけ無いだろう。

 

「冗談もほどほどに……」

「大丈夫」

 

 僕が文句を言おうとしたその時、鈴谷は僕の首に優しく両手を回した。そしてそのまま自分の顔を僕に近づけ、おでこを僕のおでこに重ねた。お互いの息の感触を感じるほどに距離が近い鈴谷の笑顔は、ホタルの薄明かりに照らされて今まで見たことないほどに神秘的な笑顔に見えた。

 

「行けるよ? 鈴谷とかずゆきが一緒なら」

「でも……」

「ほら行こ?」

「……」

「目、閉じて」

 

 そしてそんな鈴谷の雰囲気に飲まれ、僕は鈴谷に抱き寄せられたまま両目を閉じた。世界が閉じ、僕が感じられる外界は、周囲の音……もっと言うと鈴谷の声と、鈴谷の温かさだけになった。

 

「耳、澄ませてみて……」

「ん……」

「何か聞こえる?」

 

 言われたとおり、鈴谷の声以外の音を注意深く聞いてみる。

 

……

 

「んー……特に何も」

「もっとよく耳すませて」

 

…………

 

「鈴谷のドキドキとか?」

「かずゆきのえっち」

 

………………

 

『…一艦…! 帰…し……たー!!』

『あれ?』

『もう少し……』

 

……………………

 

 



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14.『ありがとう』

「行けるよ? 鈴谷とかずゆきが一緒なら」

「でも……」

「ほら行こ?」

「……」

「目、閉じて」

 

 そんな鈴谷の雰囲気に飲まれ……周囲を飛び交うホタルたちに見守られながら、僕は鈴谷に抱き寄せられたまま両目を閉じた。世界が閉じ、僕が感じられる外界は、周囲の音……もっと言うと鈴谷の声と、鈴谷の温かさだけになった。

 

「耳、澄ませてみて……」

「ん……」

「何か聞こえる?」

 

 言われたとおり、鈴谷の声以外の音を注意深く聞いてみる。

 

……

 

「んー……特に何も」

「もっとよく耳すませて」

 

…………

 

「鈴谷のドキドキとか?」

「かずゆきのえっち」

 

………………

 

『…一艦…! 帰…し……たー!!』

『あれ?』

『もう少し……』

 

……………………

 

『ご…労さー…! 順…に…渠して…て…れー!!』

『え……』

『ほら……』

 

 少しずつ少しずつ、周囲がガヤガヤと騒がしくなってきた。笑い声や命令、雑談……そんな楽しそうな女の子たちの声が僕の耳に届いてきた。喧騒は次第に大きくなり、まるで別の場所にいつの間にか移動していたのかと思えるほど賑やかになってきた。

 

『あれ……』

『来れた……』

 

 まぶたを開けなくても分かる。今僕等がいるこの場所は、夜ではなくて昼だ。鼻に届く空気が変わった。まるで少年時代の学校の校舎のような建物の匂い……乱暴にドアが開かれる音。僕らを素通りし、足早に去っていく足音。

 

『もう大丈夫だよ。目、開けて』

 

 鈴谷に言われ、目を開く。まるで学校の校舎のような建物の中に僕と鈴谷はいた。いつの間にか鈴谷は僕の首から腕を離し、僕と手を繋いで隣で胸を張って立っていた。

 

『……ここは?』

 

 告別式で見た子たちが忙しそうに……でもとても楽しそうに、笑顔でガヤガヤとひしめき合っている。窓から入るお日様の光が眩しい。おかげで周囲が明るくキラキラと輝いて見える。

 

『鎮守府!』

 

 窓の外を見る。外は気持ちいいぐらいの晴天。頭にうさぎの耳みたいなカチューシャを点けた子が『みんなおっそーい!』と言いながらものすごいスピードで駆け抜け、その後をセーラー服を着た小さい子たちが『お、追いつけないのです……』『でもここで追いつくのがー! 一人前のれでぃー!!』と必死に追いかけていた。

 

『ここが? 鈴谷が過ごしてるところ……?』

『うん!』

 

 かけっこをしている小さい子たちから少し離れたところで、和服姿の落ち着いた雰囲気の人がたくさんの洗濯物や布団を鼻歌交じりに干しているのが見えた。干された布団の上には小さい人たちが座ってて、小さな布団叩きで楽しそうに布団をポンポン叩いている。

 

『鈴谷! なんか小さい人がいる!! たくさんいる!!』

『ぁあ、あれは妖精さん』

 

 そのすぐそばでは巫女服コスプレ姿の四人がティーパーティーを楽しんでいる。『んん~……テートクも呼べばよかったデース』『はい! お姉さまの紅茶はいつでもサイコーです!!』そんな楽しそうな会話が聞こえてきた。

 

『ここに……爺様が?』

『そうだよ! 早く行こう!!』

 

 鈴谷が相変わらずのものすごい力で僕の手を引っ張り、僕はドンドンと先に進む鈴谷に引っ張られる形で歩を進める。鈴谷! もっとゆっくり!

 

『ゆっくりなんかしてらんないよ! 行こ!!』

 

 すぐ目の前の扉が開き、スクール水着姿の子が三人出てきた。『今日もまたオリョクル行くでち……』と三人とも妙に元気なさ気に歩き始めたが、僕達とすれ違った途端『でも終わったら間宮さん行くのね!!』『オー!!』という元気いっぱいの雄叫びが聞こえた。

 

 食堂が目に入った。中では弓道着姿の人たちが何か言い合いをしてるみたいだ。『もう一回言ってみなさいよ一航戦!!』『七面鳥が嫌いなんでしょ? 私があなたの分まで食べてあげたわ。ゲッフ』という会話が聞こえた。加賀さんと瑞鶴さんが性懲りもなく言い合いをしているらしい。そばのテーブルには、やっぱり数人の妖精さんたちがオロオロしながら右往左往していた。

 

『加賀さん! 瑞鶴さん!!』

 

 彼女たちの名前を呼ぶ。僕に気付いた加賀さんが笑顔で会釈してくれる。瑞鶴さんは『おー! いらっしゃーい!!』と頭の上に乗った妖精さんと一緒に手をブンブン振ってくれた。

 

『はーい。それではみなさん演習に行きますよー』

 

 僕達の前を、小さな女の子数人と鹿島さんが横切っていった。

 

『鹿島さん!』

 

 鹿島さんは僕達に気がつくと、百万ドルの笑顔を僕達に向けながら、可愛くウィンクしてみんなと共に去っていった。

 

『ちょっと待って鈴谷! みんなに挨拶したい!!』

『そんなんあとでイイから!!』

『おーい鈴谷のねーちゃーん! カズユキー!!』

『鈴谷さーん! 和之さーん!!』

 

 聞き覚えのある声が聞こえる。窓の向こう側で、涼風と五月雨ちゃんがこっちに向かって手を振っていた。ふたりとも満面の笑みだ。肩に妖精さんを乗せた五月雨ちゃんはとても朗らかで、涼風の笑顔がムカつくのは変わらない。

 

『五月雨ちゃん! 涼風!!』

『あとで遊ぼうぜー!!』

『中庭で待ってますよー!!』

 

 また近くのドアが開き、今度は妙高さんと那智さんが何やら真剣な表情で話をしながら出てきた。『この編成では無理がないだろうか……』『でも現状はコレ以上は……』という二人の声が聴こえる。二人の肩にはやっぱり妖精さんがひとりずつ座ってて、一人は顎に手を当てて、もう一人は腕組みをして難しい顔をしていた。

 

『妙高さん! 那智さん!!』

 

 僕達に気付いた二人はフッと笑い、妙高さんは丁寧な会釈を、那智さんは軽く右手を上げて挨拶をしてくれた。妖精さんたちは立ち上がり、僕達にビシッと敬礼をしていた。

 

『それでは失礼します』

 

 ひときわ大きなドアが開き、中から大天使オオヨドエルがそう言いながら出てきた。彼女はドアをバタンと閉じ、僕らの方を見てニコッと微笑んでくれた。

 

『ひこざえもん提督なら中にいますよ』

 

 すれ違いざまにそう言って足早に去っていった。

 

『大淀さん!! ありがとう!!』

 

 去っていく大淀さんの背中に、精一杯の感謝を告げる。立ち止まった彼女は振り返ってもう一度ニコッと微笑んで会釈した後、またスタスタと歩いて行った。

 

『着いたよかずゆき』

 

 大淀さんが出てきたドアの前に立つ。このドアだけは……今まで見てきたドアに比べて作りが頑丈で豪華だ。立て札が立ててあり、『執務室』と書いてある。

 

 僕らの背後を五人の子たちがすれ違った。『次の出撃、北上さんと別々だなんて……』『そんな日もあるよ大井っちー』『いい加減あきらめるクマ』という会話が聞こえてくる。

 

『ここが執務室』

『ここに……爺様がいるのか?』

『そうみたいだね。鈴谷も会うのは久々だから緊張するなー』

 

 ドアをノックしようと手の甲をドアに近づける。その時だった。

 

『だってよおー! アイツムカつくんだぜー? しらねーよはろーわーるどなんてよー!!』

『わーかったからぁ! 孫自慢はもう聞き飽きたよ!!』

『そう言うなよぉ摩耶ぁああん』

『気持ちわりぃよ変な声だすなッ』

 

 爺様の声だ……意を決し、震える手でドアをノックする。

 

『おうッ!』

『ていとくー! 鈴谷だよ!』

『おうッ!』

『和之もいるよ!!』

『マジか! 和之もか!! 入れ入れ!!』

 

 イマイチ力が入りにくい手でドアノブを握り、ドアを開いた。開いた途端、眩しい明かりと共に部屋の中から盛大な『ぉおおッ!!』声が聞こえてきた。久々に聞く懐かしい声だ。小さい頃から聞き覚えのある……でももう二度と聞けないと思っていた声だ。

 

『鈴谷ー!!』

『もー提督!! 出会った次の日にいなくなっちゃうから鈴谷困っちゃったよ!』

『すまんすまん! やっぱ寿命っつーのには勝てなかったわマジで!!』

 

 爺様だ……真っ白い上下のスーツに身を包んで、同じく白い帽子を被ってはいるけれど……あのプレッシャー……むかつく笑顔……あのほとばしるエネルギー……爺様は摩耶さんと一緒に一番奥の席に座っていて、僕達の姿を見るなり立ち上がって満面の笑顔で思いっきり両手を広げてくれた。そのまま僕達の方に駆け寄った爺様は、鈴谷の首根っこを捕まえて、鈴谷の頭をワッシャワッシャしはじめる。

 

『どれ! 久々に俺が直々にワッシャワッシャしたる!!』

『ちょ……提督マジ痛い!! つーか久々もクソも鈴谷は提督にこれされるの初めてなんですけど?!』

『ひでーぞー鈴谷! この摩耶様がキャンプ場で提督の分までワッシャワッシャやってやったじゃねーかッ!』

『ゲッ……マジで?! あれもカウントに入ってるの摩耶さん?!』

『ったりめーよ! なんせ摩耶は俺の秘書艦だからな!! だはははははは!!』

 

 爺様だ……本物の爺様だ……

 

『提督。鈴谷もいいけど……』

『おう!』

 

 鈴谷の一言で、爺様がこっちを向いた。そして僕のそばまで歩み寄ってくる。懐かしい。爺様の匂いがする。爺様特有のタバコの匂いだ。

 

『爺様……久しぶり』

『おう! 久しぶりだ!!』

『スイカありがとう……うまかった……』

『おう!』

『パソコンは……母ちゃんにやった。……中はほとんど見てないから、安心して』

『おう! でも俺の遺言はちゃんと見てくれたんだな』

『?』

『パソコン。お前、見たんだろ?』

 

 思い出した。『みんなのことを頼んだぞ』ってやつ。そういえばあった!

 

『あれが遺言?!』

『おーよ』

『たったあれだけ?』

『他に心残りなんかねぇからな』

 

 呆れた……やっぱ爺様だ。この下らないところ……でもバシバシ先読みを当てて、そのエネルギッシュさでみんなを引っ張るところ……爺様は、ここでも変わらなかったんだ。

 

『やっぱお前に託して正解だったな。うまくやってくれたようで、爺様はうれしいッ!』

『そうだぞー和之! アタシらみんな、お前と鈴谷に感謝してるんだからな?』

 

 摩耶さんが自分の席から立ち上がらず、僕らに向かってそう声をかけてくれた。

 

『爺様……やっぱ、“みんな”って、この子たちのこと?』

『おう。俺が死んだことを伝えられなかったら、こいつらが不憫でよぉ』

『そっか……楽しくやってたみたいで、なによりだ爺様』

『おーよ。こいつらマジでおもしれー。俺の自慢の孫娘たちだよ』

『そっか……うん。そっか』

『俺の方こそ礼が言いたい。俺の孫娘たちの世話、ありがとなー!!』

 

 爺様はそう言うと、鈴谷の時と同じく僕の頭をワッシャワッシャしだした。懐かしい。小さいころにされたワッシャワッシャと全然変わらない。

 

『ぇえ?! かずゆきは痛くないの?!』

『小さいころから何度も食らってるからさ』

『お前とは鍛え方が違うぜ和之は』

 

 痛いけど……本当は痛いけど……でも懐かしいよ爺様。そんな爺様の元気なワッシャワッシャを食らいながら、爺様にとってここの生活がいかに大切なものだったのかを知ることが出来た。爺様にとって、鈴谷たちがどれだけ大切な存在だったのかを、知ることが出来た。

 

 よかった。知りたいことは知ることが出来た。爺様がいかに楽しい生活をここのみんなと過ごしていたかを知ることが出来た。僕はもう疑問はない。大丈夫だ。

 

『鈴谷』

『ん? どしたの?』

『ありがと。鈴谷のおかげで、ここに来ることが出来た』

『にっしっし……まぁこの鈴谷を崇め奉るがいい!』

 

 鈴谷が誇らしげに腰に手をやろうとしたその時だった。……僕は気づいてしまった。齢九十にして男性ホルモン過多の、爺様のあの視線に。

 

『ところでお前らさ』

『ん?』

『提督どしたの?』

『付き合ってんの?』

『なぜッ?!』

『いやだって、ずっと手繋いでるだろ?』

『ぁあ、そういえば』

 

 僕と鈴谷が同時に手を上げる。僕達の両手は、しっかりと繋がっていた。入るときは一回手を離したはずなんだけどな……もういつ繋ぎ直したのかよく覚えてない。

 

『どうだったよ鈴谷? 俺が言った通りコイツ即落ちだったろ?』

『全然。つーか鈴谷たち付き合ってすらないし』

『かぁ〜……和之、爺様は情けないぞ……こんないい女が目の前にいて……』

 

 そう言って爺様は頭を抱えてもじゃもじゃ線を生成していた。いやいや別に付き合わなきゃいけないってことはないでしょうよ。繋いだ手を離すのはなんだかイヤだけど。

 

『でも手を離さないあたり、お前も満更でもないんだろ? ただ恥ずかしがってるだけだろ?』

『えっ……かずゆき、そうなの?』

『そんなことはないっ』

『いい加減素直になれや和之』

『そうだーかずゆきー!』

『だいたい爺様! 婆様そっくりな摩耶さんをレベルキャップ……ケッコンカッコカリだっけ?! してるって摩耶さんと婆様に失礼じゃないかッ!!』

 

 そうだ! 婆様にそっくりだから摩耶さんを選ぶだなんて、摩耶さんに失礼じゃないのか爺様!! なんて文句を言って話を逸らそうとしたら……爺様は急に僕のそばに駆け寄り、肩を抱いて耳元でポソポソと言い始めた。

 

『いや実はな和之』

『なんだよっ』

『あいつ多分、お前の婆様だぞ?』

 

 ほわっつ? ついにうちの爺様は血迷いやがりましたか?

 

『いや、だってあいつのワシャワシャ、俺が若い頃婆様に食らったワシャワシャそのまんまだったぜ?』

『いやそれだけじゃ理由にならないでしょ爺様ー……』

『声や背格好も話し方も何もかもアイツそっくりだし……』

『だって世の中には三人そっくりさんがいるっていうじゃん……』

『初対面の時も第一声が“おう! ひこざえもん!!”だったし……』

 

 何そのゾクッとするような挨拶……ヤバい……摩耶さんイコール婆様説はなんだか現実味を帯びてきたのか……?

 

『それにさっきも和之のことをさ。“他人の気がしない”って言ってたぜ?』

 

 ここに新たな謎が浮上した。摩耶さんの正体は婆様なのか……なんて爺様と一緒に冷や汗をかいて悩んでいたら、その僕と爺様のおかしな様子に摩耶さんが気付いたらしい。

 

『おいお前ら、ジジイと孫で何こそこそ話してんだよ?』

『『な、何もはなしてますん』』

『あやしーなーお前ら……ワシャワシャすんぞ?』

『和之くん。うちの秘書艦が気分を害するようなひそひそ話はいけないと思います』

『爺様の裏切り者ぉぉおおお?!!』

『まぁそれは別にしても……うちじゃ摩耶以…にいい女はいないからな』

『ちょ……やめてく…よ提督……そう…うこと言うのはさぁー……』

『そんなことより……。お前早……谷を落とせよくっ……よ』

『いやいや拒否ですから。ありえませんから』

『ひどっ』

『んなこと言っ……から押しが弱……て言われるし恋……出来ないんだよ。早……のひ孫を見……よ。嫁として紹介し……谷を』

『鈴谷は……んだ…どさー……かずゆ…がノッてこ……んだよねー……』

『なさ…ね………お前……トに男か和之……男な……し倒…鈴…を!』

『そういや……督。鈴谷、……ずゆき……た!!』

『マジか! す……和之ッ! お前……ぱ爺……孫だわ』

『……って……ントに……の部……寝ただ…………けどね』

『前……回。……までし……て鈴谷に……出……のがど……け鈴……対して……なこ…か……』

『そ……ー! ……て……ー提……!!』

 

………………

 

『……加……手ぇ出……やれ……谷……ー! ……な……すぐ……くなっ…………?』

 

…………

 

『鈴……ね……かずゆ……好き……』

 

……

 

 フと目が覚めた。周囲を見回す。ここは僕の部屋のようだ。

 

「あれ……ホタル……爺様は……鈴谷は……?」

 

 夢だったのか……でも僕は覚えてる。鈴谷と二人でホタルを見に行って……そこで鈴谷たちの鎮守府に行って……みんなとすれ違って……爺様に頭をわっしゃわっしゃしてもらって、ずっと鈴谷と手をつないで……

 

 改めて周囲を見回す。やっぱりここは僕の部屋で間違いない。明かりをつけ、時計を見た。午後11時。ホタルを見に出かけてから三時間ほど時間が経っているようだ。

 

「鈴谷ー?」

 

 一緒に寝ていたはずの鈴谷の名を呼ぶ。返事がない。うんともすんともない。もう一度周囲を見回す。やっぱり鈴谷はいない。いた形跡もない。

 

「帰ったのか……?」

 

 LINEを見た。鈴谷からのメッセージが入っていた。たった一言だが、なぜかその言葉にはとてつもない質量を感じた。

 

『ありがとう』

 

 僕の胸に嫌な衝撃が走った。砂が詰まった重いバスケットボールを思いっきりぶつけられた時のような、重くて鈍い衝撃。そのインパクトは、なぜか僕の心を不安にさせた。

 

「鈴谷!!」

 

 もう一度、今度は鈴谷の名を大声で呼ぶ。でも返事はなく、僕の声が深夜の家に響き渡るだけだった。

 

 ひょっとしたらと思って和室に向かう。和室の襖を開けて電気をつけるが、やっぱりそこに鈴谷はいない。あるのはムカつく爺様の遺影と、摩耶さんそっくりな婆様の写真だけだ。

 

 僕の頭に、鈴谷のムカつく笑顔が浮かぶ。家中を探しまわるが、鈴谷の姿はない。もう一度会いたくて……またあの笑顔が見たくて、懐中電灯と虫除けスプレーを持って外に出た。そのまま全速力でホタルのポイントまで走ったが……

 

「う……」

 

 時間が遅く、ホタルはもうみんないなくなっていた。

 

「鈴谷!!」

 

 そして当然だけど、鈴谷はいない。LINEでメッセをいくつか飛ばす。

 

『鈴谷! どこ行った!』

『返事しろ! どこにいるのか教えろ!!』

 

 どうしたんだよ? いつも返事早いじゃんか……僕がメッセ飛ばしたらすぐ返事くれたじゃんか……なんで返事してくれないんだよ……? 既読すらつかないってどういうことだよ?

 

 思いついた。鈴谷はいつも僕が爺様のアカウントで艦これを始めたらタイミングよくメッセをくれた。今回もきっとそうだ。僕は家に急いで帰り、居間に置いてある元爺様、現母ちゃんのものであるノートパソコンを使い、D◯Mにログインしようとした。

 

「う……」

 

 ログイン出来ない。弾かれる。

 

「なんでだ?!」

 

 何度も何度もログインを試行する。……繋がらない。ログイン出来ない。

 

「なんでログイン出来ないんだよッ!!」

 

 リターンキーを叩く。ログイン出来ない。リターンキーを叩く。ログイン出来ない。クリックする。ログイン失敗。メールアドレスとパスワードを入力し直す。やはりログイン出来ない。メールアドレスを見直す。間違ってない。パスワードのコピペを見直す。間違ってない。もう一度だけリターンキーを叩く。ログインは出来ない……

 

 フと思いついた。D◯Mの会員規約のページに接続し、該当箇所を探した。

 

「第十五条……当社による解除……ここだ」

 

 これは、D◯M側でアカウントを削除してしまう場合について書かれた項目だ。注意深く……逸る気持ちを抑えて読み進めていく……。

 

「……!」

 

 ……見つけてしまった。もう鈴谷には会えない気がした。鈴谷だけではない。僕を悩殺した鹿島さんにも……家族の心を盗んでいった妙高さんにも那智さんにも……あのムカつく笑顔の涼風にも……僕にそうめんをぶっかけた五月雨ちゃんにも……焼き肉をめぐってずっと喧嘩ばかりしていた加賀さんと瑞鶴さんにも……僕はおろか鈴谷にまで慈悲の心を見せていた大天使オオヨドエルにも……。

 

「マジかよ……ッ!!」

 

 若い頃の婆様に瓜ふたつな摩耶さんにも、きっともう会えない。

 

「返事しろ鈴谷ッ……嘘だろッ?!!」

 

 鈴谷にもきっともう会えない。ウソだと思いたくてLINEでメッセージを飛ばす。既読はつかない。

 

「マジかよ……マジかよッ……」

 

 さっき感じた胸への衝撃はどうやら間違いではなかったようだ。ものすごく気色悪い風が胸を吹き抜けていく。風穴が開いたみたいに……生ぬるい風が通り抜けているかのように、ものすごく気持ち悪い。不安になって身体から力が抜ける。すごくイヤな感覚だ。

 

「鈴谷……鈴谷ッ……!!」

 

 僕はやっと理解した。これが、残酷な現実がたたきつけられた瞬間の気持ちだったんだ。あのみんなが爺様の死をたたきつけられた時の気持ちが、これだったんだ……。

 

 鈴谷にはもう会えない……それを認めたくなくて、僕は何度も鈴谷にLINEでメッセを送った。

 

『返事しろ! 返事しろ鈴谷……ッ!!』

 

 だけど僕が送ったメッセに既読表示がつくことはなかった。

 

 もう一度、涙で滲んだパソコンの画面を見る。パソコンの画面には、D◯Mの会員規約が無慈悲に光り輝いていた。他の部分は涙のせいで滲んで読めないくせに、読みたくない部分だけは、くっきりと鮮明に表示されていた。

 

 

 

D◯M会員規約

 

第十五条 当社による解除

 

一.当社は、会員が次の各号のいずれかに該当した場合、通知等を行わずに会員登録の解除及び退会処理を行うことが出来るものとします。

 

(一)登録情報に虚偽が含まれている場合

(二)対価等の支払いの遅延が発生している場合

(三)会員の信用状態が悪化し、対価等の支払いの継続が困難であると認められた場合

(四)過去に当社からの退会処分を受けていたことが判明した場合

(五)会員の相続人等から会員が死亡した旨の連絡があった場合、あるいは当社が会員の死亡の事実を確認できた場合

(六)反社会的勢力等(暴……

 

 

 

 

 



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15. 和之、みんなに煽られる。

 僕が課長に提出した辞表は目の前で完膚なきまでビリッビリに破り捨てられ、僕は呆気に取られた。

 

「却下」

「いやいやいやなにしてくれちゃってるんすか課長」

「却下だ」

「いや、ホントすみません。実家に戻りたいんです」

 

 爺様の二回目の告別式が終わって数日後、僕は休暇の終了を前に会社に顔を出した。そしてその日のうちに辞表を提出した。

 

「お前、ここ辞めて再就職のアテはあるのか? もう次は決めたのか?」

「ないです。でも実家に戻ります」

「アテがないなら俺が許さん。却下だ」

「課長に俺の進退を決める権利なんてないでしょう」

「なぁ斎藤。じいさんが亡くなったのが悲しいのは分かるけど、それでここの仕事を辞めなきゃいかんぐらい打ちひしがれてるのか?」

 

 僕が実家に戻る決心をしたのは、爺様の死がきっかけではない。

 

――かずゆき!

 

「違います。実家に戻りたいんです」

 

 僕の気持ちは変わらない。僕は実家に戻る。課長は大好きな上司だけど、僕は実家に戻りたいんだ。これからはあの土地で暮らしていくんだ。

 

「いやだからさ。俺はお前が実家に戻るのは反対してないんだよ」

「んじゃ何が気に入らないんですか?」

「いや別にさ。ここを辞めなくても実家に戻る方法はあるだろ?」

「ムリでしょ。ここから僕の実家はかなり離れてる。実家から通うのは現実的じゃありません」

 

 頭にモジャモジャ線を浮かべながら課長は頭をボリボリとかいた。なんだ? 課長は割と迷ってる部下に対して『責任は俺がとるんだからチャレンジしてみろやボケナス』と背中をドンと押してくれるタイプの人なのに……なんで今回はこう、やたら僕の前に立ちふさがってくるんだ?

 

「……あのな斎藤?」

「はい?」

「お前、職業は何だ?」

「プログラマーですが……」

「だよなぁ」

 

 机の上の湯のみをつかみ、ずずず……と音を立ててお茶をすすったあと、課長はまっすぐ僕を見て再び口を開いた。

 

「お前の商売道具は何だ?」

「パソコンです」

「お前が作るものは?」

「プログラムです」

「……ここまで言ってもまだわからんか?」

「さっぱりです」

 

 課長、いい加減ハッキリ言いましょうよ。僕は頭の回転が早い方じゃないんすよ……。

 

「……お前、ノーパソでいつも仕事してるよな?」

「ですね」

「仕事に詰まった時はどうしてる?」

「スタバで店への迷惑を顧みずにコーディングしたり、図書館で企画書書いたり……」

「つまり?」

「つまり……?」

 

 ……僕の仕事は場所を選ばない?

 

「そうだよバカタレ!」

「ひやっ?!」

「お前はパソコンがひとつありゃどこでも仕事が出来るんだ! だったらここの社員のまま実家に帰りゃいいんだよ! 会社は貴重な社員を失わない! お前も実家に戻れる! みんなハッピーになれるじゃねーかッ!」

「いや、でもうちって在宅勤務は認められてましたっけ?」

「心配すんな! 俺が人事部と部長に認めさせるから!」

「セキュリティの問題とか……」

「そんなもん俺の得意分野だろうが! どうとでもしてやるわ!!」

 

 僕は課長がけっこう好きだ。そしてウマもあう。

 

「だから辞表は却下! お前は在宅で社員続行! いいな!」

「……はい」

 

 その理由が今日なんとなく分かった。この人は爺様みたいだ。高圧的でエネルギッシュ。爺様よりもちょっと言葉遣いが辛辣だけど……。

 

「ぶふっ……」

「なんだよ?」

「ああ、いえ……。課長、ありがとうございます」

「おう。ぶっちゃけな。俺がお前を手放したくないんだ。それは分かってくれ」

「はい」

 

 というわけで、課長の鶴の一声……いや迫力的にはヒグマの咆哮だったけど……によって、在宅勤務という形で僕の社員続行が決定。今までは企画書作ったり折衝に行ったりといった機会も多かったが、今後はゴリゴリのプログラミングの鬼になることが出来る。結果的に良い方向に転がったのかもしれない。僕の在宅勤務がうまいこと行けば、僕の実家を拠点みたいな扱いにしてもいいのでは……という話にもなったようだが、僕にその気はまったくない。

 

 休暇が終わらないうちに自分のアパートの片付けをして引っ越しをする。元々荷物は少ない部屋だったから荷造りも楽だ。使わないものはすべて捨ててしまってもいい。商売道具のパソコンと着替えがあれば事足りる。少ない荷物を宅急便で送り、会社から支給された仕事用のノートパソコン……元々僕が会社で使ってたやつだけど……とその他諸々をバッグに入れ、僕はそのバッグを片手にアパートを出た。

 

「……おつかれさま。今までありがと」

 

 さらば大学時代からお世話になった僕のアパート。大家さんに言われたとおり鍵を郵便ポストに入れ、踵を返す。スタスタと軽快な足取りで、僕はその場をあとにした。

 

 役所で転出届を提出した後、新幹線とローカル線を乗り継いで実家に戻る。

 

『今どのへん?』

「あと一時間ぐらいで着くかな。荷物は届いた?」

『届いてるけどなにこれ……パソコンばっかじゃん……』

「爺様みたいな道楽とはわけが違うんだよ。本職のプログラマーさんのスゴみを爺様にわからせてやるッ」

『ぶふっ……はいはい』

 

 LINEで連絡を入れた後、ローカル線に揺られながら一時間……この一ヶ月の間のことをいろいろと思い出していた。爺様の逝去からはじまった奇妙なコスプレ集団とのふれあい……ぼくの貯金をすっからかんにしてまで行った、その子たちのための二回目の告別式……そして、きっと夢だったんだろうけど……爺様との再会。いろいろと騒がしい一ヶ月だった。

 

 騒がしいといえばアイツ。爺様が亡くなってからしばらくして、突如僕の前に姿を表したムカつく女子高生の鈴谷。

 

――あ、ちーっす!!

 

 未だに忘れない。初対面の時、見慣れたはずのうちの実家を果てしない異空間に変貌させていた、あの鈴谷の存在感。僕が爺様のアカウントで艦これをプレイしてみたらすぐにメッセを飛ばしてきたり……その後いろんなコスプレマニアをうちに連れてきたり……家族と焼き肉した時は僕の肉を片っ端から強奪していったり……最終的には僕が二回目の告別式を決心するきっかけになった、明るい笑顔が最高にムカつく水色の髪の女子高生。

 

――じゃあさ! 一緒に行ってみようよ!

 

 仲間たちのために必死に駆けまわるような優しい性格で……でもみんなと溶け込めなくてちょっと悩んでたり……時々僕の手を握って力になってくれたり……あの日、ホタルを見せたらすごく喜んでくれて、僕を爺様と引きあわせてくれたり……

 

 実家の前に到着する。あの日に異彩を放っていた鈴谷の後ろ姿はない。いつもの見慣れた実家だ。玄関のドアを開ける。ガラガラと音を立てる引き戸。玄関には父ちゃんと母ちゃんの靴やスリッパが散乱している。

 

「とっちらかってるなぁ……」

 

 靴を脱いで上がる。一つだけ異彩を放っている小さなローファーがあるが気にしない。

 

「ただいまー」

「おーう。おかえりー」

 

 居間から父ちゃんの声が聞こえた。今日は日曜だから父ちゃんは仕事は休みか。居間に行くと、台所からは野菜を切るトントンという音が聞こえる。母ちゃんが晩御飯の準備をしているようだ。

 

「僕の荷物は?」

「部屋に上げてくれてあるぞ」

「そっか」

「さっきひーこらいいながら運んでたな。早く行って手伝ってやれ」

 

 見ているテレビの片手間という感じで、めんどくさそうに父ちゃんがそう答えた。そっか。手伝ってくれてるか。だったら早く部屋に行こう。環境を整える必要もある。あと2日休暇は残ってるけど、ヒマな今のうちに環境をすべて整えておきたい。生前の爺様が構築したネットワーク環境も整えておきたいし、この家のどこかに隠されたサーバーも早く見つけなきゃ。

 

 荷物を持ったまま、自分の部屋に向かう。高校生の頃まで使っていた部屋で、その部屋は今も僕が帰ってきた時に使わせてもらってる。部屋の前に立つと、中で待ってるアイツの声が聞こえてきた。

 

『ちょっとぉー……マジ無理……何をどこに置けばいいの……』

 

 いい気味だ。だいぶ苦戦してるようだ。サーバーに使うデスクトップやらネットワークストレージやら諸々持ってきたからな。配線やら何やらがそら大変だろう。……つーか無理して自分で全部一人でやらなくてもいいんだけど。

 

『……まぁいいか! テキトーに並べて片っ端からコードで繋げちゃえばなんとかなるんじゃん?』

 

 僕は勢い良くドアを開け、部屋の中のヤツの暴挙にストップをかけた。

 

「人の商売道具をテキトーに並べて片っ端からつなげるな鈴谷ッ!!」

「ぉお?!! かずゆき?!」

 

 部屋の中にいた鈴谷は、頭に三角巾を巻いて掃除のおばちゃんみたいな格好をしていた。

 

 僕の前から鈴谷が姿を消し、爺様のアカウントが消されたあの日……僕はそのことに随分気持ちが沈み、その日の夜はほとんど寝られなかった。

 

 そして次の日……疲れてるにもかかわらずみんなに会えない不安で目が冴えてしまい、まったく寝付けなかった僕の目の前に……

 

「ちーっす! かずゆきおはよー!! いやー昨日は疲れたね!!」

 

 と鈴谷は何食わぬムカつく笑顔で姿を見せた。起きてきた僕よりも先に居間にいて、母ちゃんのパソコンを叩きながら『べしっべしっ』と僕の真似をしていた。

 

「……なにやってんの?」

「え……何って、かずゆきの真似しながらパソコン。べしっ」

「人の気も知らないで……昨日さ、なんで何も言わずに帰ったんだよ。しかも意味深なメッセージをLINEで残して」

「へ? それ鈴谷のセリフですけど……? なんで昨日、鈴谷に何も言わずに帰っちゃったの?」

「?」

「?」

 

 ん? なんか話が噛み合ってない気がするぞ?

 

「昨日ホタル見に行ったよね?」

「行ったねぇ。鎮守府から少し離れたところにある川にさ」

「いやいや、うちの近所の川ですやん?」

「いやいや鈴谷んちの近くの川だし」

「?」

「?」

 

 あれ? やっぱり話が噛み合ってない……?

 

「ま、まぁいいか。んでその後、爺様に会いに連れてってくれたろ?」

「いやいや、それかずゆきだし。かずゆきが鈴谷を連れてってくれたし」

「?」

「?」

「いや待てよ。お前昨日、ここにいたろ? 僕といっしょに寝たろ?」

「やだ……かずゆき大胆……べしっ」

「いやいやいや。ついでに言うとべしは余計」

 

 いまいち会話が噛み合わない鈴谷の弁によると……鈴谷は昨日、キャンプ場から自分の家……鎮守府に戻ったそうだ。その後鎮守府で朝まで爆睡。今朝早くに起きた鈴谷は、そのままこっちに遊びに来たとのことだ。

 

「でもさー。変なんだよねー」

「ん?」

 

 僕は鈴谷が僕の家に泊まったと思っていたが……鈴谷は鈴谷で、僕が鎮守府の方に泊まったと思っていたそうだ。『鎮守府に行ってみたい』と言い出した僕が鈴谷にくっついて鎮守府に行き、そのまま鈴谷とともに同じ部屋で爆睡したんだとか……?

 

「うわっ! なんかこええ?!! 僕も昨日、鈴谷がこっちに来て同じ部屋で寝たと思って……」

「かずゆきのえっちー」

「お前だって僕といっしょに寝たんだろ?!」

「仕方ないじゃん鈴谷の部屋に入るなりぶっ倒れて『クカー』って寝るし! 寝っ転がった鈴谷に『枕がないから』ってもたれかかってくるし!!」

「それはお前だろうがッ!! ホタル見に行った時も『一緒に鎮守府に行こう』つって僕の首にしがみついてきたくせに!!」

「それかずゆきだし! 鈴谷そんなことしてないし!!」

「僕がそんなこと鈴谷にするわけないだろッ!」

「したし! 『僕達ならいけるよ。キリッ』とか言ってたし!!」

「……母ちゃん、席外したほうがいい?」

 

 ハッとする僕と鈴谷。二人で台所を見る。……母さん、そのニヤニヤをやめてください。違うんです。これは間違いなんです。僕と鈴谷は何もないんです。

 

「いやー、母ちゃんいない方が思う様口ゲンカできるかなと。ニヤニヤ」

「いや母ちゃん、ホンット勘違いしないで」

「うーぃおはよー……いやーよく寝た……ぉお鈴谷ちゃん」

 

 眠そうな顔をして父ちゃん起床。年齢のせいで多少存在感が増した自身の腹をボリボリとかきながら居間にフラフラとやってきた。そして、僕と鈴谷を見比べるなり……。

 

「えーと……そのー……まぁ、なんだ。俺と母ちゃん、今日出かけたほうがいい?」

 

 と、父ちゃんにあるまじき無駄な心配りをしてくれる。だからそんなのいらんっつーにこの似た者夫婦は……。

 

「あなた、どこ行こう?」

「いや親なら真相を察してくれマジで! ホント何もないから!!」

「まぁまぁそう言わずに。ここは素直に俺達の配慮ってやつを受け取ってくれよ」

「そうだーかずゆきー! 人の好意は素直に受けろー!」

「そろそろ素直になったらどうだ和之?」

 

 素直になれってどういうことだ? さっぱり意味が分からん。調子こいて何血迷っちゃってるのうちの両親は?

 

「だってお前、昨日大声で『すずやー!!』って吠えてただろ」

「?!」

「ニヤリ」

 

 僕の顔から一瞬で血の気が引いたのが分かった。上半身にぞわっとしたイヤな感触が走り、瞬間、髪の毛の先まで身体がブルッと震えたのが分かった。ヤバイ。聞かれてたのかあの叫び……。

 

「……なんで知ってるんだ父ちゃん」

「だってなぁ……あんだけ悲壮な声で『返事しろ鈴谷!!』とか叫んでたらなぁ」

「なになに? 鈴谷と離れたのがそんなに寂しかったの? ニヤニヤ」

 

 やめろ。すっげームカつく。ニヤニヤ顔で僕を覗き込むな鈴谷。

 

「だいたいお前が僕のLINEに返事しなくて余計な心配かけたからだろうがッ!!」

「あー。そういやなんか切実そうなLINEがいっぱい来てたねぇ。鈴谷爆睡してたけど。ニヤニヤ」

「『ありがとう』なんて色々と余計な誤解を招きかねないメッセ残すお前が悪い!!」

「そらぁお世話になった人にはお礼言うのは当然じゃん? 眠くて眠くて素っ気なくなっちゃったけど。ニヤニヤ」

「で、改めて聞くけど俺達やっぱ出かけた方がいい?」

「頼むから両親らしい振る舞いをしてください父さん母さん」

 

 とこんな具合で、あれだけ不安で眠れなかった自分が馬鹿らしくなるほどに、鈴谷は普通にまた僕の前に姿を表していた。その後父ちゃんと母ちゃんは夫婦で出かけるというあからさまで迷惑この上ない心配りを見せてくれ、僕と鈴谷は居間で鈴谷たちの状況とこれからのことを話していた。

 

 鈴谷曰く、摩耶さんはけっこう気持ちが前向きになったらしい。今朝は秘書艦として復帰し、爺様の代わりに提督代行として辣腕を振るっているそうだ。といっても艦隊指揮を取る爺様もいないし(つーか艦隊指揮?)、特にすることもなく鈴谷たちはヒマを持て余しているそうで。

 

「で相談なんだけどさ」

「あ?」

「これからちょくちょくみんなで遊びに来てもいい?」

 

 それは別に構わん。……つーか老後生活の近い父ちゃんと母ちゃんのいい話し相手になってくれればあの二人も喜ぶだろう。

 

「別にいいよ。僕はもうすぐ東京に戻るけど」

「え……かずゆき、ここに住んでるんじゃないの?」

「いや、今は休暇中だからここにいるだけなんだけど……言ってなかったっけ?」

「聞いてない。つーかぶっちゃけ仕事してないと思ってた」

「お前あとで説教」

「えー……涼風ちゃんとかよく『今度カズユキの家に行ってアイツに足四の字かけてやるッ!!』とか意気込んでるしさ」

 

 ほほう。大人の僕にケンカを売るとはいい度胸だ。次のパロ・スペシャルの餌食は涼風に決定だな。僕がこっちにいる間に来てくれればだけど……

 

「鈴谷も、かずゆきがいないと来てもつまんないしなー……」

 

 え……ちょっと何なのこれ……なんで鈴谷のこんな他愛無い一言で僕の胸ドキンとかしちゃってるのよ……なんでちょっとぞわってうれしくなっちゃってるのよ……。

 

――和之。

 

「まー……仕方ないか! んじゃかずゆきがこっちにいる間にできるだけみんなをつれてくることにする!」

「みんなって……何人ぐらい?」

「みんな」

「だから具体的に……ってちょっと待て。みんなって、みんなか?」

「うん。みんな」

「……まさかとは思うけど……全員?」

「そだよー。摩耶さんも“一人でひこざえもんに挨拶したいし、久しぶりに帰りたい”て鼻の穴広げてたし……あれちょっと待って。帰りたいってなに?」

「……マジかよ……つーか僕に聞くなよ知らないよ……」

 

 摩耶さんも気になるけど……やっばり爺様の言うとおり、婆様の生まれ変わりなのかどうか気になるけど……それよりもだいたい僕がここにいる期間なんてあと2日ほどしかないぞ? その間に全員がくるってのはどだいムリな話じゃないか。そんなのダメに決まってる。

 

 ……しまった。ある解決方法が僕の心の奥底からむくむくと頭をもたげつつあった。この決断は、おいそれと軽い気持ちで下していい決断ではないけれど……今の御時世、かなり勇気が必要な決断だけれど……

 

――お前も満更でもないんだろ?

 

 やめて爺様……今は僕をからかわないで。そういう言葉を囁かないで。

 

「仕方ないよねこればっかりは。こっちに帰ってくるときはLINEで連絡してよ。鈴谷絶対こっちに来るから」

 

 鈴谷は笑顔でそう言うが……その笑顔には陰がさしていた。やめろ鈴谷。そんな目で僕を見るな。僕を惑わせるな。

 

―― 末永くよろしく頼むッ

 

 ちょっと待って那智さん。今そういうこと言わないで。僕に余計な決断をさせようとしないで。

 

――鈴谷も今は和之さんの秘書艦みたいなものなんだから

 

 頼むから。頼むから僕を惑わせないで。今の僕はひどく不安定だ。だからいくら大天使オオヨドエルといえどもやめて。

 

――行けるよ? 鈴谷とかずゆきが一緒なら

 

 お前は実物じゃなくて僕の妄想の鈴谷だろうがッ! 本人が目の前にいるのに、僕を惑わせようと耳元で囁くなッ!!

 

――『ありがとう』

 

 クソッ?!! 思い出させるなあの時のイヤな感覚を!!!

 

――いい加減素直になれや和之。

 

 やめろ爺様!!

 

――鈴谷はね…… かずゆきが好きだよ

 

 ……だあッ!! 分かったよちくしょうッ!!

 

「んじゃ早速明日は半分の80人ほどを……」

「ふざけるな鈴谷……ッ」

「お?」

 

 どいつもこいつも無責任に好き勝手言いやがってッ!!

 

「こんな普通のジャパニーズ・トラディショナル・ジッカに百人近くも客を収納出来るはずないだろうがッ!!」

「えー。でもかずゆき帰っちゃうんでしょ? その前になるべく……」

「人数は鈴谷を入れてせいぜい五人だ! それ以上はゆるさんッ!!」

「えー!! なんでそんな意地悪言うのー?! みんなかずゆきにお礼言いたいんだよ?!」

「ぁあクソッ……だからだなぁ……!!」

「?」

 

 あーもう! 無責任だッ! こうなったら僕自身、人生に無責任になってやるッ!!

 

「僕がこっちに戻れば万事解決だろうがッ!!」

「え……マジ?」

 

 決めた。僕は仕事をやめてこっちに戻る。一気に50人以上のコスプレ珍客集団を家に招待なんてできるわけないし。なにより……

 

「んじゃ、今までみたいに会えるの?」

「今までどおりとはいかんだろうが、ここに来てくれりゃ毎日会えるわ! 文句あるかッ!!」

「よかった! んじゃ今まで通り、少しずつみんなを呼べばいいよね!」

「これで文句ないだろう!! だからお前も毎日こい!!」

 

 世界一受けとりたくない『ありがとう』を受け取った時のような気持ちはもうごめんだ。だから僕はこっちに戻る。できるだけ、この小生意気でムカつく小娘と距離が開かないようにするために。

 

 この話を父ちゃんと母ちゃんに話した時、二人とも妙にニヤニヤといやらしく笑いながら僕の話を聞いていた。

 

「まぁなぁ……ニヤニヤ……男にゃ自分の生き方を変えざるを得ないときってあるよな」

 

 父ちゃん。ムカつくからその『いいんだよ。俺は全部分かってるから』って顔をするのはやめてくれ。

 

「……父ちゃん、何も言うなよ?」

「だってなぁ?」

「ねぇ」

「?」

「「すずやー!!!」」

 

 僕は至極真面目に話しているのに両親揃って何叫んでるんだッ!! 息子の醜態をあざ笑うのはやめてくれッ!!!

 

「だってなぁ」

「うん」

「頼むから自分の息子をからかわないで。僕は真面目に……」

「すずやー!!」

「返事しろ鈴谷!! ……女子校時代を思い出すわー……」

「あんたらそれでも僕の親かッ?!!」

 

……

 

…………

 

………………

 

 これが、僕が実家に戻ることを決めた顛末だ。僕はその日のうちに荷物をまとめ、一度自分のアパートに戻って出社。課長に辞表を提出したわけだ。同僚がお別れ会みたいなのをしようって言ってくれてるらしいけど、それは後日ってことにしてもらった。つーか別に退社するわけじゃないしね。

 

「かちょー。とりあえず環境整えましたよー」

『おうご苦労さん。んじゃ業務開始は明後日からだな』

「はい」

『お前の勤務評価は今後成果物メインになる。拘束時間はなくなるがその分残業という考え方もないし実績オンリーで評価が下されるから厳しいぞ』

「了解です」

『あと、お前は初めての自宅勤務社員だ。最初のうちは会社のシステム面で色々とトラブルがあるだろうが、軌道にのるまではのんびり構えとけ。気長に行こう』

 

 その日の夜。自分の仕事環境が整った段階で、一度Skypeで課長に連絡を取った。オンライン会議の時に利用するwebカメラなんかの動作確認も兼ねてだ。感度は良好。課長が話す顔もくっきり見えるし、僕の顔も課長にはハッキリと見えていることだろう。マイクの感度も問題ないようだ。すみませんねぇ課長日曜の夜だというのに……

 

『あと電気代だが、詳細が出せるようなら必要経費としてこっちで落とす。明細みたいなのを毎月出して……』

「かずゆきー。麦茶持ってき……て、あれ? なにやってんの?」

 

 課長と業務に関する話をしていたら運悪く……いやタイミングよく? 鈴谷が麦茶を持ってきてくれ、そのままこっちの画面を覗き込んできやがった。これどう見てもカメラに鈴谷写っちゃってるな……めっちゃカメラつんつんしてるし……麦茶のグラスで濡れた手でつんつんするからカメラちょっと濡れちゃったじゃないか……。

 

『斎藤、このお嬢さんは?』

 

 やべ……何も嘘が思いつかねー……

 

「ちーす! かずゆきの秘書艦の鈴谷でーす! いつもうちの提督がお世話になってまーす!!」

「バッ……!! なんつーことを……!!」

『……あーなるほど。よろしく鈴谷』

 

 あれ? 課長、納得するの妙に早くない? つーかなんでそんなに鈴谷に慣れてるの?

 

「すみません課長! この子は知り合いでして……」

『斎藤。お前が実家に戻る決心をしたのは鈴谷のためか。ニヤニヤ』

 

 課長……アンタもか。アンタも僕をからかうか。

 

「いや関係ありません」

『ホントか? ニヤニヤ』

「ホントですって!」

『……まぁいい。邪魔しちゃ悪いしそろそろ切るか。それじゃ鈴谷。秘書艦として斎藤の補佐、よろしく頼む』

「了解!」

『斎藤も鈴谷とお幸せに。んじゃッ』

 

 このクソ課長……言いたいことだけ言って勝手に通話を切りやがった……と思ったら、通話が切れる寸前……

 

『“ていとくー?”“おー、今行くぞーず……”』

 

 という会話がディスプレイの向こう側から聞こえてきた。なんか聞き覚えあるぞ今の声……

 

「ん? ていとく?」

 

 鈴谷が首をかしげていた。腕を組み、右斜め45度に首を傾けて、頭に大きなはてなマークを浮かべた様は、僕に某ステルスアクションゲームの兵士を思い起こさせた。スネークっ!!

 

「ん? どうかしたか?」

「いや、今のあまーい『ていとくー?』て呼び方、どっかで聞いたことあるなーと思って」

 

 同じく僕も腕を組み、首を右斜め45度に傾けて自身の記憶を懸命に辿ってみる。僕もなんか聞いたことある声なんだよね……あの告別式の日に……はッ!! ひょっとして課長の奥さんも!!

 

「鈴谷たちと同じコスプレ電波系?」

「ひどっ」

 

 季節は夏真っ盛り。日中はモチベーションの高い太陽がやる気に満ち溢れた熱と光で大地を照りつけ、恐怖の生命体であるセミたちが湧き上がる熱情を恐怖の咆哮で表現する、戦慄の恋の季節にして過酷な季節。扇風機の前で『ワレワレハウチュウジンダ』と宇宙人の真似をしたくなり、水滴のついたグラスに入った麦茶とチューペット、そしてスイカがこの上ないごちそうになる、魅惑の季節。

 

「まぁ課長のことは置いといて……明日は誰か来るのか?」

「さっき連絡したらね。摩耶さんと金剛さんたちが来たいんだって! 金剛さんたちはティータイムの準備して行くって行ってた!」

「なるほど。なら爺様の言ってたことが本当かどうか確認してやるッ」

 

 この季節を境に、僕は鈴谷をはじめとしたたくさんのコスプレ電波集団の女の子たちと仲良くなることが出来た。爺様は亡くなったが、その代わりに僕はたくさんの楽しい人たちと……爺様の孫娘たちと固い絆で結ばれることが出来た。今後は、代わる代わるやってくるみんなプラス鈴谷と、なんでもないけどなんとなく楽しい……そんな他愛無い毎日を送ることになる。

 

「鈴谷も明日来るんだろ? そろそろ帰っていいぞ」

「ぇー……夜遅いからもう帰れないよー。泊めてよー」

 

 でもそれは、後日判明した課長の奥さんの正体と同じく、また別の話。

 

「泊まるのはかまわん」

「やった! んじゃかずゆきの部屋で」

「それは却下」

「ひどっ。鈴谷がいないと寂しいくせにー……」

「あとでスコーピオンデスロックで折檻だ」

「すずやー! 返事しろすずやー!!」

「やめろぉおおおお!! 人の羞恥心をえぐるなぁぁああああ!!!」

 

 僕と鈴谷の今後は、恥ずかしいから秘密。……でもバレてるんだろうね爺様には。爺様の遺影は、思い通りに事が運んだことできっと上機嫌で肌をテッカテカにしながらニヤニヤしていることだろう。摩耶さんにそっくりな……いやひょっとしたら摩耶さん本人かもしれない、婆様の写真の隣で。

 

 終わり。

 

 



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