相沢さん家の居候 (ムク文鳥)
しおりを挟む

01-家なき子

 当サイトへのユーザー登録に伴い、マイページが寂しいので昔書いた二次ものを発掘しました。

 いや、もうこれ、8年も前の作品だよ……


「あの……誠に何と言ったらいいか……」

「……」

「本当に申し訳ありません」

「……」

「もちろん、敷金と礼金は一度ご返却致します」

「……」

「大至急替わりを手配しますが、何分にも今の時期はそうそう空きがなく……」

「……」

「それで荷物の方ですが、運送会社に連絡して一時当方で預かるという形で……」

「……」

「取り敢えず、今日の所は当方でホテルを用意致しましたのでそちらで……」

「……」

「誠に、誠に申し訳ございませんっ!」

「…………そんな酷な事はないでしょう……」

 

   ◆  ◆  ◆

 

 まず、結論から言うと。

 私、住む所が無くなってしまいました。

 

   ◆  ◆  ◆

 

 季節は春を迎えました。

 そして私、天野美汐も無事に高校を卒業し、大学に進学する事ができました。

 大学と言っても地元の大学ではなく、あの雪の街から遠く離れた今いるこの街の大学です。

 私は親元から離れアパートを借りて一人暮らしをする予定でした。

 しかし、ここで重大な問題が発生してしまいました。

 私が借りるはずだった部屋は、不動産屋の手違いで既に他の人が借りてしまったのです。

 もう明後日から学校も始まりますし、一度実家に帰るという訳にもいきません。

 結果、私は住む場所を無くしてしまったというわけです。

 

 私はこれから一体どうすればいいのでしょうか?

 今日の所は不動産屋が用意してくれたビジネスホテルで休むとしても、実家から遠く離れたこの土地に友人知人がいるはずもなく、親戚も当然いません。

 明日中に住む所をなんとかしないと、明後日からは学校も始まってしまいます。

 果してこの進学就職の時期に、そうそう手頃な部屋が空いているとも思えません。

 取り敢えず、今日のところはホテルで一度腰を落ち着けてゆっくりと考えてみましょうか。

 それに明日は他の不動産屋を当たるとか色々と忙しくなりそうですし、今日は早めに休みましょう。

 

   ◆  ◆  ◆

 

 今、私は公園のベンチに座って途方に暮れています。

 今日一日、あちこちの不動産屋を廻り空き部屋を捜しましたが、やはり時期的にも手頃な部屋はなく、あったとしても家賃が予算より高かったり、女性の一人暮らしには条件が合わなかったりと、契約に踏み切るには至りませんでした。

 そして気が付けば日も既に傾き始めています。

 もう明日からは大学も始まるというのに、本格的にどうしようもなくなってきました。

 まさか野宿する訳にもいかないし、少なくとも今日の宿を確保しないと。

 昨日のホテルの宿泊代は不動産屋がもってくれましたが、今日の分までは無理でしょう。

 

「仕方ありません。今日は自腹でホテル代を出すしかありませんね……」

 

 あまり持ち合わせが有る訳でもないのですが、背に腹は変えられません。

 そう思ってベンチから立ち上がろうとした時。

 

「天野……? ひょっとして天野か?」

「え?」

 

 後ろから急に名前を呼ばれ、驚いて振り向くと。

 そう。そこには。

 相沢祐一さんがスーパーの買い物袋を手に持って立っていました。

 

「やっぱり天野だったか。久しぶりだな。ん、少し髮が伸びたか?」

 

 相沢祐一さん。

 高校の一年先輩でとある事がきっかけで知り合いになった人。

 そしてかつて……いや、今でも憧れていると言ってもいい人。

 ですが相沢さんは高校卒業と同時に、進学とある事情の為に実家に戻ったはずです。

 

「あ、相沢さん……? ど、どうして相沢さんがここに……?」

「どうしてと言われてもなあ。俺の方こそどうしておまえがここにいるのか聞きたいぐらいだ」

 

 まあ取り敢えず今は買い物の帰りなんだが。

 そう言いながら相沢さんは手に持っていた買い物袋を掲げて見せました。

 

「ほ、本当に相沢さん……ですよね?」

「おう。相沢さんだぞ。それよりこんな所で立ち話もなんだろ? 良かったら俺の家までこないか?」

「相沢さんの家……? という事はひょっとしてこの街は……」

「ん? ああそうか。知らなかったのか」

「それではやはり……」

「そう。ここが俺の生まれ育った街だ」

 

   ◆  ◆  ◆

 

「本当にお邪魔していいのですか?」

「だからいいって言ってるだろ」

 

 今、私と相沢さんは相沢さんのお宅に向けて歩いています。

 既にこうして相沢さん宅に向いながらも、少々遠慮ぎみになってしまうのには理由があります。

 

「ですが、相沢さんのお宅は今……」

「ああ、その事か。あれからもうすぐ一年になるし。だから変な遠慮は無用だぞ」

「……分かりました。お邪魔させて頂きます。それに久しぶりに会ったというのに恐縮ですが、正直に言って少々相談したい事もありますし」

「んー。そっちも何か訳ありっぽいな。ま、それは後でゆっくり聞かせてもらうとして……ほら、着いたぞ」

「ここが……」

 

 今、私の目の前には一軒の家があり、その表札には『相沢』と文字が刻まれています。

 どうやら間違いなくここが相沢さん宅のようです。

 

「そう。ここが俺の家だ。ごく普通の一軒家だろ。がっかりしたか?」

「……あの、私は別に豪邸とか変なカラクリ屋敷とかを期待していた訳ではないのですが……」

「そうか? 俺はてっきり天野の事だからこう、風靡な日本屋敷を期待していたものとばかり……」

「それは遠回しに私がおばさんくさいと言っていますか?」

 

 久しぶりに会ったというのに、相変わらず人を揶揄うこと忘れない人です。

 久しぶりとは言っても、相沢さんが高校を卒業されてずっと会っていない訳ではありません。

 相沢さんは長期の休暇などに水瀬家を尋ねては、二、三日逗留されていましたから。最後に私が相沢さんと会ったのは今年のお正月でしたか。

 

「ははは、冗談だよ。ま、それよりも上がれ上がれ」

「ええ。それではお邪魔します」

「おう、お邪魔されます、と。おーい! ただいまー!」

 

 相沢さんは玄関のドアを開けながら家の奥に向かって声を掛けます。

 しばらくすると、家の奥からエプロン姿の女性が現れました。

 

「おかえり祐一。でもどうしたの? ちょっと遅かったけど……って、あら?」

 

 その女性と目が合ったので、軽く会釈をしながら「こんばんわ」と挨拶する。

 

「天野さん? どうして天野さんが祐一と一緒に?」

「うむ、実はな、そこの公園に落ちていたんで拾って来た」

 

 ……私は落とし物か何かですか……

 

「はいはい。それで? 本当のところは何があったの?」

「まあ、そう慌てるなよ。その辺は何か訳ありっぽいから晩飯でも食べながらな。天野も食べてくだろ?」

「よろしいのですか?」

 

 相沢さんではなく、奥から現れた女性のほうに尋ねる。

 

「ええ、構わないわよ。ようやく材料も届いてこれから作るんだし」

 

 そう言いながら彼女は相沢さんを軽く睨む。

 どうやら相沢さんは、夕食の材料で足りない物でもあって、それを買いに行かされていたようです。

 

「それでは遠慮鳴く御馳走になります。……では改めてお邪魔します美坂先輩」

「ええ、こちらこそ改めていらっしゃい。ところで天野さん、私もう美坂じゃないんだけど?」

 

 そうでした。

 家の奥から現れた女性。

 高校時代の先輩で、かつての同級の友人の姉でもある人。

 それが祐一さんが生涯の伴侶として選んだ女性、旧姓・美坂香里、現・相沢香里その人でした。

 




 なぜかこんなものを始めてしまいました(笑)。
 いや、もう、恥さらし以外の何ものでもありませんな。

 こんな大昔の作品で良ければ、お付き合いいただけると幸いです。
 昔書いたもののため、ある程度の頻度で更新できると思います。

 では、これからよろしくお願いします。






 しかし、今どき「Kanon」の二次ものなんて書いて誰が読むんだろう……?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02-下宿する

 相沢祐一さんと相沢(旧姓・美坂)香里さん。

 お二人は高校卒業と同時に入籍され、相沢さんの実家のある街の大学に進学されました。

 

 ちなみに。

 お二人の卒業式の当日、卒業生代表として香里さんが答辞を述べている時に相沢さんが乱入し、手に持っていたヴェールとブーケを香里さんに手渡し――押しつけたとも言う――、やはり乱入した北川先輩が神父役を務めてその場で結婚式を挙げるという暴挙を行いました。

 いくら卒業式の当日とはいえ、よくお咎めもなく無事卒業できたものだと思ったものです。

 後で聞いたところによると、先生たちの間でも「まあ相沢の事だから何もしないわけがない」と、ある程度の予測がたっていたとの事。

 尤も、まさか卒業式をジャックして結婚式を行なうとまでは予測していなかったでしょうけど。

 その結果、始終拍手喝采の今までに類を見ない盛り上がった卒業式になりました。

 いくらなんでも父兄や役員などから、苦情の一つも出ると思ったのですが、どうやら某アルティメット主婦や、前年に卒業した女生徒の父親である某代議士などが予め手を打っていたとの事。

 とはいえ、自分の通っている高校はこれで大丈夫だろうかと、少々疑問を感じたりもしました。

 

 更にちなみに。

 どうやらこの乱入結婚式について香里さんは何も聞かされていなかったらしく、始終オロオロとしていた姿がちょっと可愛いなと思ったのはここだけの秘密です。

 

 更に更に。

 この卒業式の最後、香里さんが投げたブーケを受け取ったのは実は私だったりします。

 

   ◆  ◆  ◆

 

 

「なるほど……不動産屋の手違いねえ……」

「はい……」

「それは災難だったわね」

 

 香里さんの作った夕食を食べ終え、昨日からの事の顛末を相沢さんたちに説明しました。

 

「あの……それで……なんですけど……」

「ん? どうした天野? ああ、トイレならそこを出てみぎ……おぶぅ!!」

「このバカっ!! 女の子相手になんて事言うのよっ!! もう少し考えてから言いなさい!!」

「……あ、あの……」

「あ、ああ、ごめんなさいね。まったくこのバカのせいで……」

 

 しかし香里さん。今、相沢さんを思いっきり殴りませんでしたか? しかもぐーで。

 相沢さん、顔面を押さえて床でのたうち回ってますが……

 

「ああ、祐一なら大丈夫よ、これぐらい。いつもの事だし」

 

 ……いつもの事なんですか……?

 こ、これも夫婦の信頼の一つという事にしておきましょう。

 今一つ釈然としないものもありますが……

 

「で? 何か相談事があるって言ってたよな。何なんだ?」

 

 復活した相沢さんが聞いて来ます。平然としているところを見ると、香里さん

の言う通り大丈夫みたいですね。

 

「あ、あの……私を暫くここに置いてもらえないでしょうか? もう明日から大学も始まってしまいますし、新しい部屋が見つかるまででいいんです。もちろん、その間の食費などの生活費は支払います」

 

 相沢さんと香里さんはお互いに顔を見あわせています。

 当然ですよね。いくら知り合いとはいえ、いきなり暫く置いてくれと言われれば誰だって躊躇います。

 

「なんだ、そんな事か。いくらでも好きなだけここに居てくれていいぞ。なあ香里?」

「ええ私は構わないわよ。何なら大学を卒業するまで居てもいいのよ」

「……そうですよね。やはり無理……って、えええっ!? いいんですか!?」

「おう。親父たちは一向に帰って来る素振りもないしなあ」

「あ、その代わりと言っては何なんだけど、家事を手伝ってくれると助かるかな。天野さんって家事得意そうだしね」

「え、ええ。一応家事全般はこなせますが……」

「なら話は決まりだな。ところで天野。明日から大学って言ってたよな」

「はい。一応明日大学の入学式がありますが。それが何か?」

「おまえが入学した大学ってもしかして……」

「はあ。H大の獣医学部ですけど」

「やっぱり。しかも獣医学部とは……」

「それが何か問題でも……ひょっとしてお二人の大学って……」

「そう。私たち二人ともH大なのよ」

 

 そう言いつつ香里さんは相沢さんの方を見る。

 

「もしかして……」

「おう。俺も獣医学部だ」

 

 にやり、と笑いながらそう告げる相沢さん。

 どうやらまた私と相沢さんは、先輩と後輩という関係になってしまったようです。

 考えてみるとすごい偶然が重なっています。

 でもそんな偶然がちょっと嬉しいです。相沢さんとまた同じ学校に通える事になるなんて思ってもみませんでした。

 

「しかし、ここまで偶然が重なるとちょっと凄いわね」

「天野が偶然この街の大学を受けた事。今日偶然にも俺と公園で再会した事。で、偶然同じ大学でしかも同じ学部ときたもんだ。確かにここまで来ると奇跡に近いよな」

「でしょ? でも偶然も三度重なれば必然って言うわよ。ひょっとして祐一の運命の相手は私じゃなくて天野さんだったんじゃない? もしそうだったらどうする祐一? 私と別れて天野さんと再婚する?」

 

 あ、相沢さんが香里さんと離婚? し、しかもその後、私と再婚? こ、こ、こ、これってやはりブーケを受け取った効力でしょうかっ?

 なんとなく想像してしまった事が恥ずかしくて、思わず私は下を向いてしまいました。

 きっと、今の私の顔は林檎みたいになってる事でしょう

 

「おいおい。冗談でもそんな事言うなよ。俺が香里と離婚する訳ないだろう。もしどうしても離婚したいのなら弁護士を雇って家庭裁判所で勝訴するんだな」

「もちろん、私だって祐一と離婚するつもりはないわよ。でもねぇ……」

 

 そう言いながら香里さんが私を見ています。それはもう穴が開くほど見てます。

 

「ふ~ん……」

「どうしたんだよ香里? 天野がどうかしたのか?」

「ま、いいわ。この朴念仁は今のところそんな気はないみたいだし」

「だから何の事だよ?」

「言葉どおりよ」

「うぐぅ。だから解らんって」

「だから祐一は気にしなくてもいい事よ。それよりも天野さん、荷物とかは大丈夫? 明日の入学式に必要なものもあるでしょう」

「そ、それもそうですね。一度不動産屋に連絡してみます。それから実家の両親にもここで暫くお世話になると伝えておかないと」

 

 その後、実家や不動産屋に連絡し、届いた荷物から明日必要なものを探しだしたりと大騒動を起こしながらも、日付が変わるちょっと前にはどうにか落ち着く事ができました。

 相沢さんから与えられた一室で、最低限のものだけを荷解きしているとドアをノックされました。

 

「はい、どうぞ」

「ねえ天野さん。よかったらお風呂どう?」

 

 そう言って現れたのは香里さんでした。

 

「そうですね。ではお言葉に甘えて」

 

 荷物の中から着替えを探し出し、香里さんにお風呂場まで案内されました。

 

   ◆  ◆  ◆

 

「あ、あの……」

「ん? どうしたの?」

「い、いえ、その……」

「ふふふ、言いたい事があるんでしょ? いいわよ。遠慮なくどうぞ?」

「では……どうして香里さんが私と一緒にお風呂に入っているんですか?」

 

 そうです。今、私は何故か香里さんと一緒にお風呂に入っています。

 先程香里さんにお風呂場まで案内され、脱衣所で服を脱ぎかけ、ふと気が付けば香里さんも服を脱ぎ始めているではありませんか。

 

「ど、ど、ど、どうして香里さんまで服を脱ぎ始めているんですかっ!?」

「どうしてって天野さんと一緒にお風呂に入ろうと思って」

「だ、だからどうして一緒にお風呂に入る必要があるんですかっ!?」

「まあいいじゃない。女同士なんだし。ね?」

「…………はあ……」

 

 で、こうして一緒に入浴中という訳です。

 

「一緒に入った理由……ね。実は天野さんとちょっと真剣に話がしたかったのよ。それも祐一が絶対に立ち入ってこない場所でね」

 

 それでお風呂……というわけですか。確かにここなら、いくら傍若無人な相沢さんでも乱入したりはしないでしょう。

 

「……それで香里さん。お話とは?」

「んー。私から言い出した事だし、単刀直入に聞くけど……あなた、祐一の事いまだに好きでしょう?」

 

 ぞくん、と。

 香里さんのその一言を聞いた時、何かが私の胸を貫きました。

 暖かいお湯に浸かっているはずなのに、私の体からはどんどんと熱が奪われていくかのようです。

 気を抜けば失いそうになる意識を必死に繋ぎ止め、何か答えなければと香里さんを見た時。

 無表情に私を見る香里さんと正面から向かい合う事になったのです。

 




 続けて二話目も投稿。

 本日、三話目も投稿しようかと思います。

 お気に召したら嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03-お風呂の密談

「単刀直入に聞くけど……あなた、祐一の事好きでしょう?」

 

 矢のごとく鋭い香里さんの言葉。

 それは決して知られてはならない感情(こころ)を真っ直ぐに射貫く。

 相沢さんは既に香里さんという生涯の伴侶を得たのだから。

 だから私のこの感情(きもち)は胸の奥に押し込めたというのに。

 でも、押し込みきれずに時々溢れ出してしまうこの感情(おもい)

 溢れ出すたび、ああ、そうなんだ、とその節度思い知らされてしまう。

 

 私は相沢祐一にいまだに恋心を抱いている――と。

 

 そしてその想いを、最も知られてはならない人に知られてしまうとは。

 私はそんなに解りやすく彼の人に接していたのだろうか?

 いや、そんな事よりも、この秘めた想いを香里さんに悟られてしまった以上、私は再び住む場所を無くしてしまうのでしょうか?

 

   ◆  ◆  ◆

 

 静かに私を見つめる香里さん。

 なんと言ったらいいか解らず、ただただ呆然とするしかない私。

 一体どれくらいの間、二人の間に沈黙がたゆたっていただろうか。

 

「やっぱり――ね」

「あ、あ、あの……その、え……と……」

「ああ、そんなに緊張しないで。別に追い出したりはしないわよ?」

 

 今までの無表情から一転、香里さんは苦笑ぎみにそう言う。

 

「大丈夫よ。祐一を諦めきれていないのは天野さんだけじゃないから」

「……え? それは一体……?」

「言葉通りよ。例えば私の親友……今では一応親戚でもあるわね」

「名雪さん……ですか?」

「そう。それに私の妹とか」

「栞さんまで?」

「そうなのよ。と言っても、名雪はある程度は振っ切れてるみたいね。祐一と名雪は実際に血縁という切り離しようのない絆があるから。例えどんな事があってもこの関係だけは崩れようがないもの。そう考えて自分を納得させたみたい」

「なるほど。相沢さんと名雪さんは他人には成り得ないって事ですか」

「そういう事。だけど栞は虎視眈々と祐一を狙ってるわ」

「そ、そうなんですか……」

「あの娘も『義妹』って事で祐一と一応親戚になる訳よ。それを言い訳にして、頻繁にここに遊びに来るわ」

 

 はあ、なんとなく想像できます。『義妹が義兄のところに遊びにくるのが何か不思議ですか? 不思議じゃないですよね? だからいいじゃないですか遊びに来って。え? 受験生? 受験生といえどたまには息抜きも必要ですよ? それともお姉ちゃん、私は邪魔だから来るなと言うんですか? えぅー、そんな事言うお姉ちゃんなんて大嫌いですぅ』とか言いながら襲来する栞さん。ああ、光景がありありと脳裏に浮かんできます。

 

「しかも『男の人に対して「血の繋がらない妹」というのはベストポジションですよ』なんて事まで言うのよ? 栞ってばどこをどう間違えてあんな性格になっちゃったのかしら?」

 

 昔はもっと素直な子だったのに。

 なんて事を言っていたかと思うと、香里さんは柔らかい笑みを浮かべながら私を見ます。

 

「そのあなたの感情(きもち)は、あなたのものよ。誰にも侵害する権利はないわ」

「香里さんはそれでいいのですか? そ、その私が相沢さんの事を……」

「自分の夫に好意を寄せる他の女性と同居するなんて、妻として、女としては当然いい気持ちはしないわね。それはきっと誰だって同じでしょう? でも友人としての私は困っている天野さんを放ってはおけないわ。それに私がどんなに反対しても、きっと祐一は天野さんをここに置くって言うと思うの。だってそれが『相沢祐一』という人物なんだから」

 

 ああ、きっとそうでしょう。

 相沢さんは例え香里さんと喧嘩する事になっても私を助けてくれたでしょう。

 親しい人が困っているなら、自分の事よりもその人の為に行動し、結果なんとかしてしまう。

 相沢さんという人は、そんな優しさと強さを持った人ですから。

 

「でも誤解しないでね? 私は祐一とあなたとの浮気を認めた訳じゃないのよ? あくまでも祐一は私の夫。そう簡単に渡さないわよ?」

「あ、あの、別に私はそんな……」

「うふふ。私はいつでも受けてたつわ」

「あ、あうう……」

 

 自信たっぷりに言う香里さん。

 対して私は、真っ赤になってブクブクと顔を半分お湯に沈めてしまう事しかできません。

 この自信の差はきっと相沢さんに愛されているという実感からくるものなのでしょう。

 ……きっと、私の方がぷろぽーしょん的に劣っているからではない筈です。

 ……そういう事にしておきましょう。いえ、そういう事にしておいてください。お願いですから。

 そうやって自分的に納得のいく答えを自分自身に言い聞かせている時でした。

 結論を言ってしまえば、相沢さんは私や香里さんの考えていた枠などには収まりきれない人でした。

 色んな意味で。

 

「何だよ香里ー。風呂に入るなら一言ぐらい言えよなー」

 

 そんな台詞が聞こえたかと思うと、勢いよく浴室のドアは開け放たれました。

 勿論、そこに立っているのは相沢さん。どうやら相沢さんは香里さんと一緒にお風呂に入る気のようでした。

 つまり。

 浴室に乱入した相沢さんは当然と言えば当然、何も身につけていませんでした。

 俗に言う全裸という奴です。

 

「いつも一緒に入ってるだろ? どうして今日に限って……て、て、あ、あ、天野っ!?」

 

 数秒とも数分ともつかない時間。

 私たちは三人とも石になったかのように固まってしまいました。

 その間、思わず私は凝視してしまいました。……そ、その、相沢さんの全てを。

 男の人の裸なんて、小さい時に父親のものを見たぐらいですから他に比較材料がありませんが、……お、大きい方だと思います。相沢さんは。

 

 じゃなくてっ!!

 

「どうして香里と天野がっ!? や、やっぱり香里はそっちだったのか!? あの噂は本当だったと……」

「誰が両刀かっ!! そんな事よりせめて前ぐらい隠しなさいっ!! このバカっ!!」

「ぐぅおっ!?」

 

 すこーんという音と共に、香里さんが投げつけたシャンプーのボトルが相沢さんの顔面に直撃しました。

 

「ところで祐一。今なにか不穏当な発言があったわね? 『あの噂』とか、『やっぱりそっち』とか。どういう意味かしら?」

 

 前を隠すどころか、腕を腰にあて仁王立ちする香里さん。

 そりゃあ夫婦なんですから、今さら隠すも隠さないもないかも知れません。

 ですが、女性としての恥じらいというものを、もう少し考えてはどうでしょうか?

 

「あ、ああ、それはだな……」

 

 おそるおそる、香里さんの質問に答える相沢さん。

 お願いします。相沢さんも香里さんも何か着てください。

 せめて、体の前ぐらい隠すとか。

 本当に、目のやり場に困ってしまいます。

 

「香里って俺が転校するまで特定の彼氏とかいなかっただろ? それに対して妙に名雪と仲が良いし、あ、あと、香里が栞を見る目ってのが、どうにも妹を見る姉ってよりも……」

「ぬぅわんですってええぇぇっ!?」

「だ、だから噂だってば、噂!! しかも高校の時の事だしっ!!」

「いいから来なさい! 私がそっちかどうかじっくりと証明してあげるわ!」

「い、いや、その辺は結婚してから……というか、結婚する前からすでに証明して頂いている訳ですが……」

「ええい、うるさいっ! ともかく別の意味もあるんだから!」

 

 ちらっと、私を見ながら言う香里さん。

 つまり、あれですか?

 相沢さんは自分のものであるとマーキングするつもりですね?

 香里さんは裸のまま、やはり裸のままの相沢さんを引きずっていきました。

 人間、結婚するとこういうものなのでしょうか? それともこんなのは相沢さんたちだけですか?

 浴室に取り残された私は、少なくとも自分が結婚しても恥じらいを忘れないでおこう、とそう心に刻みました。

 

 ところで、私の部屋は相沢さんたちの寝室とは廊下を挟んだ反対側なのですが……。翌朝、今日の入学式が終わったらどこかで耳栓を買ってこようと、心底思いました。

 でないと不眠症になりそうです……

 




 三話目です。

 本日の更新はここまで。続きは後日に暇を見て行う予定です。

 併せて、こちらにも何かオリジナルを書こうかなとも思っています。
 それの投稿がいつになるのかは不明ですが、投稿した際にはそちらも合わせてよろしくお願い致します。

 では。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04-祐一の告白

 

 それはまだ、私たちがあの雪の街にいた頃の話。

 三年生に進級し、新しいクラスにも馴染み始めた頃。

 相沢くんの周囲には、相変わらずたくさんの可愛い女の子がいて。

 毎日昼休みともなると、全員が教室に集まってわいわい騒ぎながらお昼ごはんを食べるのがいつの間にかの日課になっていた。

 なぜか、卒業したはずの倉田先輩に川澄先輩、そもそもこの学校の生徒でもないあゆちゃんや真琴ちゃんまで同席しているのは些か不思議だったけど。

 そんな高校生活最後の一年が始まったばかりの頃のこと。

 

「――俺が好きなのは香里……美坂香里なんだ」

 

 相沢君は私の瞳を見つめながらそう言った。

 

   ◆  ◆  ◆

 

「さあ祐一さん! 今日こそはっきりとして貰いますよ!」

 

 栞が相沢君にまくし立てている。

 ここは昼休みの教室。

 そしていつものごとく集まっているお馴染みの顔ぶれ――世間で最近『相沢ガールズ』とか呼ばれている――は相沢君に決断を迫る。

 つまり ――

 

 相沢祐一は誰を選ぶのか?

 

 ―― という決断を。

 

「はっきりしなさいよ祐一ぃ~」

「そうそう。真琴の言う通りだよ~」

 

 真琴ちゃんと名雪が、栞に続いて相沢君に迫っている。

 

「相沢さん。ここは男らしくきっぱりと選んでくださいね」

「祐一くん! ボクはもう心の準備はできてるからいつでも……」

「あ、あゆさん! どさくさに紛れてナニ言ってるんですかぁ!? そんな事言う人嫌いですよ!」

「あはは~。祐一さん、もしも佐祐理か舞を選んでくれたら、恋人公認の愛人がもれなくついてきますからお得ですよ~」

「はちみつくまさん。祐一と佐祐理、三人一緒がいい」

「わ、わ、わ、倉田先輩に川澄先輩! 物量作戦にでるなんて卑怯だよ。ね、ね、祐一。私なら一緒に住んでるんだからいつでも傍にいられるよ?」

「なによ名雪! 真琴だって一緒に住んでるわよぅ」

「うぐぅ。だったらボクだって……」

「ううぅ……どうしても決めないと駄目か?」

「相沢君。もうこうなったら覚悟を決めたら?」

 

 相沢君の机に軽く腰を乗せながら私は言った。

 表面上は相沢君が誰を選ぼうと特に興味はない風を装いながら。でも、本当は彼が誰を選ぶのかを考えると、心臓が口から飛び出しそうなくらい活動する。

 

「だけど……なあ……」

「もしかして、このハーレム状態を失うのが嫌だとか?」

「だ、断じてそういう訳ではないぞ?」

「だったら腹を括りなさい」

「うぐぅ……」

「そうです祐一さん! 覚悟完了しちゃってください!!」

「ええーい! 解った! 俺も男だっ!! ここですっぱり決めてやろうじゃないか」

 

 栞たちが黙って見守る中、相沢君は一度全員を見回す。

 

「ほ……本当に言っていいんだな? 言うぞ?」

『…………』

 

 皆、押し黙って相沢君が告げるその名前を待つ。

 その相沢君は一度眼を閉じ、もう一度皆を見回して……

 彼は私の方に向き直った。

 

「……え?」

「――俺が好きなのは香里……美坂香里なんだ」

 

 相沢君は私の瞳を見つめながらそう言った。

 

◆   ◆   ◆

 

 まず結論から言うと。

 私は相沢祐一に恋している。

 もっとも、その事に気付いたのはつい最近の事だ。

 彼が栞や名雪と楽しそうに話をしているのをみるとなぜかイライラした。

 彼があゆちゃんと商店街を一緒に歩いているのを見た時はなぜか胸が苦しかった。

 彼が倉田先輩たちの作ったお弁当を美味しそうに食べているのを見た時、嫌な目つきになっているのが自分でもわかった。

 彼が今年も同じクラスだと知った時は嬉しかった。

 気が付けばいつも彼を目で追っている自分がいた。

 彼が私に笑顔を向けてくれるだけで、心の奥の何かが暖かくなった。

 そして気付く。決定的だった。

 そう。

 私は相沢君が好きなのだ、と。

 

 でも、彼の告白に対して私の口から出たのは拒否の言葉だった。

 

◆   ◆   ◆

 

「……どうして断るのか、聞く権利ぐらいはあるよな?」

 

 しばらく呆然としてた相沢君が口を開く。

 

「……無理よ……」

「……だからどうして?」

「……だって……名雪や……栞の気持ちを知ってる……から……」

 

 姉として。親友として。

 私は栞や名雪の想いを踏みにじってまで、相沢君と結ばれるつもりはなかった。

 

「香里……」

 

 私を見る相沢君の顔がぼやける。

 いや、相沢君だけじゃない。周りにいる名雪たちや風景も一緒に。

 私の頬を冷たい何かが伝い下りる。

 

「それって私たちに遠慮して祐一をあきらめるって事……?」

「……名雪……」

「馬鹿にしないでよ!!」

 

 突然名雪が叫ぶ。

 

「一体何様のつもり!? 私や栞ちゃんの気持ちを知ってるから身を引く!? それじゃあ私たちを馬鹿にしてるよ!! いいじゃない! 本当に祐一の事が好きなら私たちに遠慮なんかしなくたって!!」

「そうですお姉ちゃん!! 本当に祐一さんの事が好きじゃないなら仕方ないです! でもお姉ちゃんは祐一さんの事好きなんでしょう!?」

「美坂先輩。そんな理由で相沢さんの想いを拒否するというのなら、それはとても相沢さんに失礼な事ですよ。それは人間として不出来な事です」

「それだけじゃないですよ香里さん。このままでは香里さんは佐祐理たち全員の気持ちも踏みにじる事になりますよ?」

「……香里」

「……川澄先輩……?」

「香里は祐一が好き。そうでしょ?」

「なあ香里。おまえの本当の気持ちを聞かせてくれ。もし俺の事を単なる友達としてしか見ていないのなら俺もすっぱり諦める。だから……」

 

 名雪 ――

 栞 ――

 天野さん ――

 倉田先輩 ――

 川澄先輩 ――

 あゆちゃん ――

 真琴ちゃん ――

 そして ――

 そして相沢君 ――

 皆真剣な顔で私を見ている。

 私は……私は……

 

「……いいの?……本当に……私なんかで……」

「ああ。香里がいいんだ」

 

 視界が更に滲む。

 

「……私……嫉妬深いわよ……?」

「解ってるさ。覚悟してる」

 

 もう誰が誰だかの判別さえつかない。

 

「……相沢君にすぐ縋るかも知れない……」

「かまうもんか。俺が支える」

 

 それでも。

 

「……一生逃がさないわよ……」

「望むところさ」

 

 それでも、彼だけはどこにいるかはっきりと分かる。

 

「私……好きよ……相沢君……」

 

 それはさらっと私の口からこぼれた。

 だってそれが私の本当の素直な気持ちだったから。

 

「ああ。俺も香里が好きだ」

 

 私の頬を再び何かが伝った。

 でもそれは先程のように冷たいモノではなく、とても暖かい何かで。

 そして気が付けば、私は相沢君の腕の中にいた。

 

◆   ◆   ◆

 

 その瞬間、教室が沸いた。

 よく考えてみれば、ここは昼休みの教室だった。

 衆人の前で大々的に告白をしてしまったのだ。

 あまりの騒ぎの大きさに、よそのクラスの人間まで何事かと様子を見に来る程だった。

 冷やかしと祝福の大歓声の中、「鉄の女がついに墜ちた」とか「抜き身の刀がとうとう鞘に収まった」とか「相沢は神の右拳を手に入れた」とか不穏当な発言も聞こえたような気がしたけど、私にそんな事を気にする余裕はなかった。

 恥ずかし過ぎて、更に相沢君の胸に顔を埋める事しかできない。

 

「よかったね。香里」

「おめでとうございます。お姉ちゃん、祐一さん」

 

 ようやく騒ぎも落ち着いた頃、名雪と栞が声を掛けてくる。

 

「相沢さんも美坂先輩もようやく煮え切りましたね。本当に世話がやけます」

「うんうん。祐一くんも香里さんももっと早くこうすれば良かったのにね。ねえ名雪さん?」

「本当だよ~。端から見ていてじれったいったら」

「……おまえら……もしかして俺たちの事……」

「……気付いていたの?」

「あはは~。お二人ともモロバレでしたよ~」

「……二人とも解りやすい。とても」

「もちろん真琴だって気付いていたわよぅ」

「このままではいつまでたっても進展しそうもなかったものですから。少々お節介をさせてもらいました」

 

 私の相沢君への気持ちは栞たちはとっくに気付いていたそうだ。

 もちろん、相沢君の気持ちも。

 それでわざと相沢君にはっきりするように皆で詰め寄ったらしい。

 本当にお節介なんだから。

 でも、そんな皆のお節介が嬉しかった。

 

「それにしてもやりますね、お姉ちゃん。祐一さんへの愛の告白だけでなくプロポーズまでしてしまうなんて」

「…………へ?」

「だってさっき言ってたじゃないですか。『一生逃がさないわよ』って。そしたら祐一さんが『望むところさ』って。きゃーきゃー、ドラマみたいですぅ」

 

 どうやら勢いでとんでもない事まで口走ってしまったらしい。

 思わず相沢君と見つめ合い、次の瞬間二人して真っ赤になった。

 ううっ。その辺に残っている雪に埋まってしまいたいぐらい恥ずかしい。

 

◆   ◆   ◆

 

 その後、数日間学校は私たちの噂で持ちきりだった。

 いや、学校だけではない。

 家の近所のおばさんにも、「おめでとう香里ちゃん。彼氏を飛び越えて婚約者ができたんですって?」なんて言われてしまった。

 それにここ最近、お父さんは意味ありげに私の方をちらちらと見て、私と目が合うとわざとらしく視線をそらしたり。

 お母さんなんて先日、「ねえ、相沢さんっていつ家に挨拶にくるのかしら?」なんて言ってくるし。

 この件に関しては、情報を洩らしたと思われる人物にみっちり報復を与えた。激辛カレーで。

 

「なんかすごい騒ぎになっちゃったわね。相沢君?」

「なんだかなあ。まあ『人の噂も七十五日』って言うしな。ちょっとすればすぐに皆忘れるだろ。それよりも香里」

「なに?」

「『相沢君』はやめないか? 初めて会った時に『祐一』と呼んでもいいぞって言ったのに、おまえ断っただろ?」

「そういえば、そんな事もあったわね」

「ああ。だから今度こそ俺の事は名前で呼んでもらうぞ? いいな?」

「うん。『祐一』!」

 

 こうして。

 こうしてまた一つ、私と彼は仲良くなった。

 

 




 本当なら四話目は明日以降にしようと思っていたのですが、なんか初日からお気に入りに登録してくれたり、評価点を入れてくれたり、感想を書いてくれたりした人がいらっしゃったので、調子に乗ってもう一本投稿しました。

 今回の話は時系列的には過去の話になり、祐一が香里に告白する話でした。
 今後も時々こうして閑話的に過去のエピソードも入ってきます。特に過去編は香里の視点からになると思います。
 いや、現代編でも香里視点のものはありますが。

 では、これからもよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05-初登校

 

 

「……おはようございま……す……」

「……あ、あら、お、おはよう天野さん」

「……お、おはよう天野」

 

 朝です。

 昨日の入学式も晴天でしたが、本日も良い天気のようです。

 今日から本格的に大学も始まります。気持ちを引き締めていかないといけません。

 私は一日の基本ともいえる朝食を食べる為に、リビング向かいました。

 今朝の朝食は香里さんが作る日――私と香里さんで一日交替で朝食を準備する取り決め――ですから、もう準備はできている事でしょう。ひょっとすると既に食べているかもしれません。

 そしてリビングに顔を出すと、やはりすでに相沢さんも香里さんも朝食を食べている途中でした。

 しかし……

 何故、香里さんは相沢さんの膝の上で朝食を食べているんですか?

 

「……お二人とも、朝っぱらから一体何をしているんですか?」

「い、いやその……つい、いつもの癖で……」

「するといつも相沢さんは香里さんを膝に乗せて朝食を食べている、と?」

「ま、まあ、その、なんだ……」

 

 はあ。

 私は思わず溜め息をついてしまいました。

 

「お二人の仲がよろしいのは結構ですしよく存じてますが、朝っぱらからは少々遠慮願いたいものですが?」

 

 思わずキツい口調になってしまいました。

 

「そうね。これからは気を付けるわ」

 

 申し分けなさそうにそう言う香里さん。

 

「すぐに天野さんの分の朝食を用意するから待っててね」

「あ、私も手伝います」

「そう? じゃお願いしようかしら」

 

 相沢さんをリビングに残し、香里さんと連れ立ってキッチンへと入る。

 

「ねえ天野さん。今朝はトーストだけどいい?」

「ええ、構いませんよ」

 

 取り留めのない会話をしつつ、一緒に朝食の準備をする私たち。

 ですが、私は見てしまいました。

 先程申し訳なさそうに私に告げた時の香里さんの口元、確かに笑ってました。

 つまり、先程のあれは――

 

「……さっきのは作為的ですね? 私がそろそろ起き出してくると分かっていて」

「あ、やっぱりバレちゃった?」

 

 ぺろっと舌を出しながら香里さん。

 やはりあれは私に対する示威行為だったようです。

 

「なぜあのような事を?」

 

「……だって……今日から大学が始まるでしょ? そうするといくら同じ大学とはいえ、私と祐一は学部が違うから当然一緒に居られる時間が少ないじゃない? それなのに天野さんは学年は違うとはいえ祐一と同じ学部だし、私の知らない所で祐一と一緒にいるかも知れないと思うと……悔しいじゃない……?」

 

 と、彼女は頬を染めながら拗ねたように告げる。

 な、なんと言うか、同姓の私から見ても、そ、その、可愛いと感じてしまいます。

 以前はもっとクールな女性だとばかり思っていましたが、どうやら思い違いのようです。

 それともこれも相沢さんのせいでしょうか?

 

「……香里さんが、私なんかに対して妬く必要は思い当たりませんが?」

「そんな事ないわよ? 天野さん可愛いし。私が男だったらほっとかないわね」

「そ、そんな事は……」

「あら、そう卑下したものでもないわよ? きっと大学へ行ったら天野さんに言い寄って来る男がわんさかいるわよ」

 

 わ、わんさかって……

 いくらなんでも、こんな暗くて協調性のない人間に、そんな事はないと思いますが……

 

「大学へ行ってみたら解るわ。どうせ天野さんは注目を集めるだろうしね」

「ど、どうして私が注目を集めるんですか?」

「ふふふ。だから行けば解るって」

 

 結局、香里さんの言葉は理解出来ず、時間が迫って来たので私たち三人は揃って家を出たのでした。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 相沢さんの家から電車で揺られる事十五分。駅までの徒歩の時間を含めても三十分も掛からずに大学に着きました。

 その、着いたのはいいですが……

 どうして私たちは注目を集めているのでしょう?

 大学の校門付近から校舎に至るまでの間、ざわざわとちょっとした騒ぎになっています。

 そして間違いなく、その騒ぎの中心は私たち三人のようです。

 相沢さんも香里さんも、周りの事など何もないかの如く平然としています。

 一体これはどういう事なんでしょう?

 

「ああ、天野。これは別におまえのせいじゃないから。気にしなくていいぞ」

「え?」

「うふふ。やっぱり予想通りね。ほら、朝私が言ったでしょう? 天野さんは注目されるって」

「あ、あれはこの事だったんですか?」

「何て言うかな。この騒ぎはどちらかと言うと俺たちのせいだ」

「は? どういう事ですか?」

「自分で言うのもなんだけど、私たちって結構この大学の有名人なのよ。で、その私たちと一緒にいる見知らぬ――おそらく新入生――見目麗しい女の子。ね、ちょっとは騒ぎになるでしょ?」

「ゆ、有名人? 相沢さん、一体何をやらかしたんですか!?」

「……天野が俺の事、どう見てるか一度じっくりと確認しないといかんな」

 

 あう。思わず本音が……じゃなくて。

 

「ほら、私たちってやっぱりちょっと特殊でしょ? だからどうしても話題に上りやすいみたいね」

 

 きっと私は顔中に疑問符を浮かべていたのでしょう。見かねた香里さんが説明してくれました。

 相沢さんと香里さん。大学に入学した時点で既に夫婦となっている二人。

 確かに話題性は充分と言えます。

 

「よう、相沢夫妻。相変わらず一緒だな……って、あれ?」

 

 話し込んでいた私たちに声を掛けてきた男性。どうやらお二人の顔見知りの方のようです。

 その男性がまじまじと私の方を見ています。

 香里さんの言う通り、お二人と一緒にいるという事は何かと注目されるみたいです。

 

「なあ祐一、その美人誰? 知り合い?」

「うむ。実はな、この娘は俺と香里の隠し子なのだ」

 

 ……また、この人は……

 言うに事かいて『隠し子』はないでしょう。いくらなんでもそれは酷というものです。

 

「な、なにいいぃぃっ!? き、貴様という奴はっ!? 貴様という奴わあぁぁぁっ!? 学生の分際で美人の奥さんだけじゃ飽き足らず、もうこんな大きな娘までいるというのかっ!? 羨ましすぎるぞこんちくしょう!!」

 

「すると私は、相沢さんと香里さんが一歳の時の子、という計算になりますが?」

「……天野。確かにそこは突っ込む所だが、方向がちょっと変だぞ?」

「まあ、ボケはこの辺にしといてだ。で、誰だよ、この美人は? 紹介しろ、紹介。いいだろ祐一?」

「こいつは俺が名雪の所に行く前からの悪友で腐れ縁の後藤(ごとう)浩三(こうぞう)ってケチな奴だ。で、こっちの大人し目で、物腰の上品そうな娘は俺が親戚の所に居候している時に知り合った天野美汐嬢。『みっしぃ』って呼んでやってくれ」

「よろしくみっしぃ。俺の事は『ごんぞう』って呼んでくれ」

「あ、相沢さん! なんですか『みっしぃ』って? 変な呼称を付けないでください」

「そうか? 可愛いのに『みっしぃ』」

「やめて下さい。ところで……ごんぞう……さん?」

「ああ。後藤の『ご』と浩三の『ぞう』で通称『ごんぞう』。俺の事は皆そう呼んでるから『ごんぞう』でいいよ。で、祐一とは中学、高校と一緒の仲でね。と言っても高校は祐一が転校するまでだが」

「分かりました。ではごんぞうさんと呼ばせて頂きます。私は故あって相沢さんのお宅で御厄介になってる天野美汐と言います。今年からこの大学の獣医学部に入学させて頂きました」

「な、なんていうか……今時珍しいぐらいしっかりと挨拶する娘だね。天野ちゃんって」

「あ、天野ちゃん?」

「あ、気に入らね?」

「い、いえ、構いません。ちょっと今までにそんな呼ばれ方した事がなかったので」

「ところで祐一。今の天野ちゃんの台詞の中に只ならぬ事が含まれていなかったか?」

「ん? ああ、ちょっと訳ありでな。一昨日から天野は家に下宿してるんだ」

「な、なにいいぃぃっ!? という事はかおりんとみっしぃでうはうはのぱふぱふ……うぶっ!!」

「はいはい。そこまでよ、ごんぞうくん。ところで何かしら? うはうかとかぱふぱふとか意味不明の単語は?」

 

 そ、その笑顔は怖すぎです香里さん。しかもごんぞうさんの足を思いっきり踏んでます。踵で。

 

「い、いや、冗談だって相沢夫人。だから足をどけて下さい。お願いします」

「分かればいいのよ。さ、私たち英文の授業はこっちよ」

「ううう。相変わらずキツいね相沢夫人。そんな事じゃ男にモテないぞ?」

「結婚してるからもうモテなくて結構よ。それじゃあね、祐一、天野さん。お昼の時間に合いましょ」

「ああ。授業が終わったら携帯に連絡してくれ」

 

 香里さんたちと別れ、私と相沢さんは敷地内の奥へと続く道を歩きます。

 

「獣医学科は結構奥まった場所にあって迷いやすいからな。気をつけろよ」

「そう言えば、意外ですね。相沢さんが獣医を目指しているなんて」

「そうか? でも、子供の頃からの目標だったんだぞ」

「何か原因でも?」

「ああ。子供の頃な、鳥を飼ってたんだよ。オカメインコって奴」

 

 性格が大人しくて、人馴れしやすい人気のあるインコですね。かくいう私も好きなインコです。

 

「そいつがある時、卵詰まりから卵管脱を起こしちまってな」

「オカメインコは卵詰まりを起こしやすいと聞きますね」

「小さかった俺は大慌てでな。近所の獣医に駆け込んだんだよ。でもそこは犬猫専門の獣医でなあ」

「それじゃあそこでは診てもらえなかったんですか」

「ああ。うちは専門外だからダメだと。で、その時知ったんだ。家の近所に動物病院は結構あるけど犬猫専門ってところがほとんどで、その他の動物を診れる獣医少なかったんだ」

「それでどうしたのですか?」

「家に飛んで帰って電話帳で調べまくった。ようやく見付けた獣医は家から車で一時間以上掛かる所でさあ。親に車出してもらったよ」

「それでそのインコは……?」

「ああ、発見が早かったのと、獣医に連れてったのが早かったんで助かったよ。その診てもらった獣医によると、あのまま手当てが遅かったら最悪死んでたかもしれなかったそうだ」

「良かったですね、助かって」

「まあな。その後八年ぐらい家に居たよ。そいつ」

 オカメインコの平均寿命は十年から十五年ぐらいと聞きます。ですが、雄に比べると雌は産卵で体力を消耗するためか、やや雌の方が寿命が短いそうです。そう考えれば、相沢さんのインコはほぼ平均的な寿命だったのではないでしょうか。

 

「で、その時俺は思ったんだ。どんな動物も診る事の出来る獣医になりたいってな」

「そんな事があったんですか」

「獣医になるって動機にしちゃ、ちょっと弱いか?」

「そんな事ないと思います。立派な動機ですよ、それ」

「天野はやっぱり、例の件か? 獣医を目指す原因は」

 

 私が経験した『あの子』と離別。それは獣医学ではどうこう出来るものではありません。

 

「腕の中で消えていった『あの子』も、どこかで事故や病気で死に掛けている動物も、私にとっては同じものなのかも知れません。消えなくて済む命は救いたい。それが私の獣医を目指す動機です」

「強くなったな。天野」

「もし私が強くなれたのなら、それは相沢さんたちのおかげですよ」

「うむ。俺も天野に負けてられないな」

「ええ。お互いに頑張りましょう」

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ねえねえ、ちょっといいかな?」

「はい、なんでしょうか?」

 

 相沢さんと別れた後、今日の授業の行われる教室に入り、適当な場所に席を確保した途端、近くにいる数人の女生徒たちから声を掛けられました。

 

「さっきあなたと一緒にいた男の人って、相沢って先輩でしょ? 獣医科二年の」

「はあ、そうですが? あの人の事を御存知なのですか?」

「きゃー! ちょっと聞いた? 『あの人』だって! やっぱりあの噂は本当だったんだ!」

 

 い、一体何の事でしょう?

 その後も彼女たちは、私をそっちのけでわいわい騒いでいます。

 

「あ、あの、相沢さんがどうかしたのですか?」

「私、知人の先輩から聞いたんだけど、あの人でしょ? 学生結婚している先輩って」

 

 ああ、その事ですか。どうやら相沢さんの噂は一部の新入生にまで伝わっているようです。

 

「その件なら本当です。相沢さんはもう結婚されてます」

「じゃあ、じゃあ、その相手があなたなのね?」

「はあ!?」

「だって、さっきあんなに親しそうだったじゃない? あなたたちが学生結婚カップルなんでしょ?」

「ち、違いますっ!! 相沢と結婚されている方は英文科の香里さんという女性です!」

「え、そうなの? あんなに仲良さそうに見えたのに?」

「そうですよ。私と相沢さんは……」

「じゃ、じゃあ、あなたはあの相沢先輩の……愛人っ!?」

「ど、どうしてそうなりますかっ!?」

 

 こうなったらもう手がつけられません。

 他人の噂話ほど、この年頃の女生徒にとっておいしい話題はないのですね。

 しかも色恋沙汰となると尚更です。

 不本意ながら……真に不本意ながら、私も相沢さんに負けず劣らずの知名度を得てしまいました。

 天野美汐、そんな十八歳の春でした。

 




 お久しぶりでございます。

 ずーっとここ「ハーメルン」が不調だったため、本日ようやく次話を投稿できました。

 ここ「ハーメルン」が自分が投稿した翌日から不調になり、投稿したくても投稿できない状態でした。
 加えて、週末は家から離れていたので、復旧しても投稿できず。ようやく本日の投稿となりました。

 本日はあと一話、投稿する予定です。

 よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-ゲームで対戦

 それは週末の金曜日の夜の事。

 土曜日は学校も休みだし、私も祐一も明日はバイトも入っていない。

 という事は、今晩は恒例のアレ(・・)を祐一が持ちかけてくるはず。

 先月は私が勝ったので、祐一は雪辱に燃えているだろう。

 当然ここは返り討ちにして、祐一の悔しがる姿を楽しむ事にしよう。

 

「どうしたんですか? 何か楽しい事でも?」

 

 リビングで一緒にお茶を飲んでいた美汐ちゃん――私は紅茶だけど、彼女は日本茶――が、尋ねてきた。

 どうやら、考えが顔に出ていたらしい。

 

 ――――あ。

 

 そうだ。美汐ちゃんがいたんだった。

 先月はまだ美汐ちゃんが居候する前だったけど、彼女がいるのなら今日はアレは無理かも……

 それとも、彼女も巻き込んでしまおうか?

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ゲーム対決?」

「そう。学校もバイトもない週末の夜のゲーム対決。大体月に一回ぐらいで私と祐一とでやってたのよ」

「はあ……」

「で、あるモノを賭けて勝負して、そのあるモノが尽きた方が負け」

「何か賭けるんですか?」

「ええ。それで、負けた方は勝った方の言う事を明日一日中何でも聞くっていうのがルール」

「な、な、何でも言う事を聞くっ!?」

「そう。明日一日負けた方は勝った方の言いなりって訳」

「い、言いなり……」

「ただいまー!」

 

 あ、どうやら祐一が帰って来たみたい。今日祐一はバイトがあったのでこの時間の帰宅。

 

「お帰りなさい、祐一。バイトご苦労様。晩ご飯どうする?」

 

 時々バイト仲間と帰りに夕食を食べてくる時もあるから聞いてみる。大抵その時は祐一の方から連絡があるんだけど。

 

「もちろん食べる。それよりも香里。今日こそは俺が勝たせてもらうからな」

 

 どうやら祐一はやる気満々らしい。

 でも美汐ちゃんはどうするつもりかしら?

 

「はいはい。ともかくご飯食べてからね。」

「おう。実はもう腹が減って、腹が減って」

「じゃあすぐ用意するから。悪いけど美汐ちゃん、手伝ってくれる?」

「は、はい、分かりました」

 

 美汐ちゃんはどうやら、『一日言いなり』を妄想したいた模様。

 なんていうか、この娘も随分祐一の毒に染まってきたわね。もはや致死量かしら?

 でも、知り合ったばかりの頃よりも、今の方が明るくていいと私は思うけど。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ところで、天野はどうする? 参加するか?」

「参加します!」

 

 うわ。即答。よっぽど『一日言いなり』が効いてるみたい。

 

「え? 本当にいいのか? 相沢家ルールでやるんだぞ?」

「ええ。そ、その負けたら勝った人の言いなりになるんですよね?」

「確かにそうだが……その前の過程も聞いてるか?」

「そういえば、何かを賭けるとか……」

「うむ。ぶっちゃけて言うと………………脱衣だ」

「…………は?」

「だから一勝負ごとに、負けたら着ているものを一枚ずつ脱ぐんだ。で、先に全裸になった方の負け」

「ぜ、ぜ、ぜ、全裸っ!? き、聞いてませんっ!! か、香里さんっ!?」

「だって美汐ちゃん、詳しく説明する前に『言いなり』でトリップしちゃったじゃない。それに話の途中で祐一が帰って来し……」

「あ、あう……」

「まあ無理に参加する事もないぞ?」

「う、うぅ……」

 

 悩んでる、悩んでる。『言いなり』と『脱衣』を秤に掛けているみたいね。

 ちょっと背中を押してみようかしら。どっちに傾くか分からないけど。

 

「そうえいば、先月は私が勝ったのよね?」

「くっ、封印していた記憶が……」

「ちなみに、あの時は祐一に一日女装してもらったっけ」

「うぐぅ。忘れたい過去を……」

「あ、あ、相沢さんの女装っ!?」

「そ♪ それもメイド服で♪」

「め、メイド服!?」

「あ、あの服は本来は香里に勝って着せようと思って手に入れたのに……逆に俺が着る事になるとは……しかも写真まで撮られて……ふふ、俺もう笑えないよ……」

 

 確かに、あのメイド服は女物のようで、祐一が着るにはちょっとどころかかなり苦しそうだった。

 

「しゃ、しゃ、写真!? か、香里さんっ、その写真見せてくださいっ!!」

「ダメよ。あれは私だけのものだもの」

「くそう。今日こそは俺が勝つからな。その時は泣いてもらうぞ?」

「あら、そううまく行くかしらね? で、そうする? 美汐ちゃんも参加する?」

「参加します。そして勝ちます! そして相沢さんはメイド服ですっ!!」

「いや、その……本当にいいのか? メイド服はともかく、脱衣だぞ?」

「か、構いません。ど、どうせ一度相沢さんには見られてますし……、そ、その一度見られるのも二度見られるのも同じです! そもそも勝てばいいんです!」

「だ、だけどな……一応世間体とか……」

「いいじゃない。本人がいいって言ってるんだし」

「いやまあ……いいならいいけど……」

 

 こうして、今夜のゲーム対戦に美汐ちゃんの参加が決まったのだった。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 それでルールはというと。

 

 ゲームは何でも可。カード系でもコンピュータ系のゲームでもOK。

 ただし、極力三人で同時にプレイできるものにする事。

 尤も、シュミレーション系のような、勝敗に時間の掛かるものはNG。

 ゲームの種類は敗者に選ぶ権利がある。

 先程も言ったように、負けたら服を一枚脱ぐ。

 着ている服の数は予め三人とも同じにする。

 最後まで服の残っている者が勝者。全裸になってしまった時点で敗者としてリタイア。

 勝者は敗者二人を明日一日自由にできる。

 

 とまあ、こんなところ。

 最初のゲームは前回の敗者である祐一が選んだレースゲーム。

 三人とも同じコースを同じ車で走り、最もタイムの短かった者が勝ちというルール。

 結果は得意ジャンルである祐一の勝ち。私も以前はこのジャンルのゲームは苦手だったんだけど、祐一と一緒に遊んでいるうちに結構上達した。それでもやっぱり祐一には及ばない。

 悲惨だったのは美汐ちゃん。どうやらレース系は鬼門らしく、コースアウトしっぱなしで散々な結果だった。

 

「うぅ。レースゲームなんて初めてやりました……」

「道理でな。それはともかく、ルールはルールだ。二人とも一枚脱いでもらうぞ?」

「分かってるわよ」

「し、仕方ありません……」

 

 取り敢えず、最初の一敗なのでソックスを脱ぐ。

 

「あ、ソックスは両方で一つだぞ」

「言われなくても分かってるってばっ!」

 

 どうやら美汐ちゃんもソックスを選んだようだ。

 

「だ、大丈夫です。次は私がゲームを選べるんですから。次は負けません」

 そして、美汐ちゃんが選んだゲームは何と花札だった。

 これはルールを全く知らない私の大敗。祐一と美汐ちゃんは接戦の末、美汐ちゃんに軍配が上がった。

 

「くっ、やるな天野。しかしまさか花札でくるとは……さすが天野だ」

「それは相変わらず遠回しにおばさんくさいと言ってますか? まあ、いいでしょう。負け犬の遠吠えとして聞き流します。それよりもこれで相沢さんのメイド服に一歩近づきました」

「な、なんかすげー悔しいぞ」

 

 祐一はソックス、私は上に羽織っていた春物のカーディガンを脱ぐ。

 

「じゃあ、次は私が選べるのよね? だったら次はポーカーよ!」

「う、香里の得意ジャンルだな」

「確かに強そうですよね。香里さん」

 

  ◆   ◆   ◆

 

 その後も勝負は進み、現在の情況はというと。

 祐一は上半身は裸だけど、下はまだズボンが残っている。だから残っているのは後二枚。

 私は上下とも下着のみ。祐一と同じく後二枚。

 それで美汐ちゃん。彼女はすでにブラを取り去り、片手で胸を隠している状態。もはやショーツ一枚のみの崖っぷち。

 

「……ま、まだです。まだ負けた訳じゃありませんっ……!」

 

 顔を真っ赤にしながらもまだ勝負を捨てていない美汐ちゃん。そんなに祐一のメイド姿が見たいのね。

 

「次は俺がゲームを選べるんだよな……うし、じゃあ格闘ゲームで勝負だ」

「う、まずいわね……。私、格闘系苦手なのよ」

「格闘ゲームですか? それだと三人同時は無理なのでは?」

「そうだな。じゃあ総当たり戦で最も勝利数の多い奴が勝ちって事で」

「じゃあ。それで行きましょう」

 

 まずは私と祐一の対戦。結果は当然私の惨敗。

 

「ふふふ、まずは勝ち星1、だな」

「くっ、まだ勝負は決まってないわよっ!」

 

 続いては祐一VS美汐ちゃん。

 これが何と美汐ちゃんの勝ちとなった。

 意外にも結構格闘系はやり慣れているらしい美汐ちゃん。だけど、私から見たところ祐一よりは経験が浅そうだった。

 それなのになぜ祐一が負けたかというと……

 

「雑念に負けたわね、祐一」

「うぐぅ……」

 

 つまり、格闘系ゲームをプレイするには両手でコントローラーを握る必要がある。そうすると必然的に美汐ちゃんの胸元はノーガードになる訳で……それが気になって祐一はゲームに集中できなかったようだ。

 

「天野の胸に負けた……」

「え? 胸って………きゃああああっ!!」

 

 慌てて両手で胸を隠す美汐ちゃん。

 どうやら美汐ちゃんは勝負に熱中して今の状態を忘れていたらしい。

 なんか、何を今さらって気もしなくはないが。

 ともかく、次は私と美汐ちゃんの対決。当然これは美汐ちゃんの勝ち。

 これで、祐一、美汐ちゃんとも一勝一敗。私は二敗で、この勝負私の勝ちは無くなった訳だ。

 

「じゃあ、俺と天野でもう一度対戦だな……って、何してる香里っ!?」

「何って、この勝負私の勝ちは無くなったから一枚脱いでるんだけど?」

 

 そう。私は早々とブラを取っていた。しかも、その後胸を隠そうともせずに。

 

「ま、まずい。こんなおっぱいがいっぱいな状態では勝負に集中できんっ!」

「それ、寒いわよ。祐一」

 

 これこそ私の狙い。祐一の集中力を乱すのが目的でブラを取ったのだ。

 この作戦が功を奏したのか、再び勝者は美汐ちゃんとなったのだった。

 これで三人とも身につけているのはあと一枚。次が最後の勝負。

 しかも、その勝負の種類は私に選ぶ権利がある。

 

「どうやら、私が圧倒的に有利のようね」

「くっ、まだだ。まだ終わった訳ではない!」

「そうです。まだ諦めません!」

 

  ◆   ◆   ◆

 

「いやあ、いい! 最高ですか? 最高ですとも!」

 

 翌日祐一はご満悦だった。

 結論から言うと、昨日のゲーム対決の勝者は祐一だった。

 最後の勝負、私は得意種目であるトランプの神経衰弱を選んだ。

 祐一の下着姿に赤面しっぱなしの美汐ちゃんと、私と美汐ちゃんのセミヌードに集中力を乱している祐一。

 私の勝利は揺るぎないものとばかり思っていたのだけど、ここ一番の驚くべき集中力を発揮した祐一の前に敗れ去ったのだった。

 そして、祐一が私たちに言い渡した命令は、

 

 今日一日、二人そろってメイドさん

 

 だった。

 今私たちはメイド服を着て、ソファに座る祐一の左右に座り、お世話の真っ最中。

 ちなみに。

 私は黒を基調としたメイド服。これは前回祐一が着るはめになったメイド服。

 そして美汐ちゃんは白を基調としたメイド服を着ている。

 

「あの、ご主人様? 一つ質問があるのですが……」

 

 御丁寧な事に、今日一日祐一の事は『ご主人様』と呼ぶように命令されていたりする。

 

「うむ、何だね香里クン? 言ってみたりしなさい」

「私のこのメイド服は分かるんですが、美汐ちゃんが今着ているメイド服はどうしたのですか?」

「うっ、い、いやそれは……」

「あいざ……いえ、ご主人様は最初から私にこれを着せるつもりだったのですね……?」

「ま、まあ、きっと天野もゲーム対決に乗って来るとは思っていたし、それなら予め用意しておこうと……」

「はいはい。いいですもう。でも次こそ私が勝たせてもらいますわ。その時は何をして頂きましょうか? フフ、楽しみですわね」

「いいえ、次の勝者は私です。そして次こそご主人様がメイドさんの番です」

「ううっ、メイドさんだけは勘弁してほしいなあ……」

 

 私も美汐ちゃんも、共に次の勝利を誓うのだった。




 本日二本目の投稿ー。

 内容の方は……ま、まあ、あれです。かっとなってやった。うん、後悔はしていない。
 実は、今回の話のR-18アナザーバージョン「夜の生活編」なんてものもあったりしますが……読んでみたいなんて方はいるでしょうか? 要望が多ければ、そっちも投稿しようかと思います(笑)。

 「ハーメルン」が不調で投稿できない間に、お気に入り登録などが結構増えておりました。
 この場で、お気に入り登録、お気に入りユーザー登録、評価ポイント投下などの支援をくださった方々にお礼申し上げます。

 これからもがんばりますので、よろしくお願いします。

 では。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07-交友関係

 

「ね、ね、ね、天野、天野。今日のお昼どうする? 学食?」

 

 午前中の授業が終わりと同時に、私に声を掛けてきたのは、同じ獣医学科の中川(なかがわ)睦月(むつき)さん。

 癖のない黒髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、背は私よりちょっと高いぐらいですが、いつもボーイッシュな服装で元気一杯な彼女。

 私に最も親しく接してくれる方です。

 最近の私は、以前からは想像も出来ない程の交友関係――と言っても数人程度――を築くに至るようになりました。

 やはりこれも相沢さんたちのお陰なのでしょう。

 

 ……いろんな意味で。

 

 まあそんな事は関係なく、彼女は私の大切な友人です。

 

「いえ、私はお弁当を作って来てますが」

「じゃあ、じゃあ、一緒に食べよ? 実は私も今日はお弁当なのだー」

「あの、申し訳ないのですが、先約がありまして……」

「それって、それって、もしかしてあの人たち?」

「はい、睦月さんの考えている通りだと思います」

 

  ◆   ◆   ◆

 

「え、え、それじゃあ天野って自分でお弁当作ってるの?」

「はい。……と言っても一日おきですが。私が作らない日は香里さんが私たちの分も作ってくれますし」

「香里さん? あ、それって、それって、噂の学生結婚カップルの奥さんの方? どうして天野のお弁当をその人が作ってくれるの?」

「中川さんには言ってませんでしたか? 私、ちょっとした事情で今相沢さんのお宅に下宿しているんです」

「え、ええ~っ!? て事は、て事は! 本妻と愛人が同居っ!?」

「ですからっ!! 私と相沢さんは単なる友人であり、あ、あ、あ、愛人とかではありませんっ!!」

「……今のドモリから微妙な女心が伺えるね。天野くん?」

「……もう知りません。置いて行きます」

「あ、あ、ごめん、ごめん。もう言いません。だから私にも噂の学生結婚カップルを紹介して~」

「紹介?」

「うん。だって、だって会ってみたいじゃない? 噂の学生結婚カップル。どんな人たちなのか気になるもん。ね、ね、写真とか持ってない?」

「高校時代に撮ったものならありますよ」

「わ、わ、見せて見せて」

 

 これから本人たちに会えるのにと思いましたが、私はパスケースの中に入れてあった高校時代の写真を取り出します。

 

「この真中の男性が相沢さん。で、その隣の女性が香里さんです」

「隣の女性……って、左右どっち?」

「向かって右側です。左側は相沢さんの従姉妹の名雪さんという方です」

「で、その他に写っている沢山の女の子はナニ?」

「その人たちは相沢さんと親しい友人の方たちです」

「……すごいね。見事に美女ばっかりだね」

 

 そういえば一時、北川先輩が『相沢、俺を弟子にしてくれっ! 俺もおまえみたいに美人に囲まれてうはうはしたいんだっ!!』と血の涙を流しながら相沢さんに弟子入り志願した事がありました。

 当然、その申し出は黙殺されました。相沢さんと香里さんのツープラトン攻撃で。

 

「……なるほど、なるほど。で、全員が全員相沢氏に少なからぬ好意を寄せていた、と?」

「まあ、そんなところですが……よく分かりましたね?」

「そりゃあ、写っている彼女たちを見れば一発っしょ? 全員相沢氏を意識しているのが丸分かりですよ。もちろん、それは天野も含めて……ね?」

「……やっぱり置いていきましょう」

「あーん、あーん、ごめんってば~」

 

 そんな話をしているうちに、目的の場所が見えてきました。

 大学の敷地内の片隅にある小さな東屋。ここが最近の私たちのランチスポットとなっています。

 そこには既に相沢さんたちの姿がありました。

 

「遅くなりました相沢さん、香里さん」

「おう天野。待ってたぞ」

「あら? 後ろの彼女は? 美汐ちゃんの友達?」

「はい。こちらは私の友人で中川睦月さんです。今日のお昼をご一緒したいというのでお連れしたのですが、構いませんか?」

「ああ、構わないぞ。どうせ後からごんぞうも来るしな」

「はい、はーい。わたくし、天野の友人をしてます中川睦月と言いますです。今後とも御贔屓に~。お二人のお噂は色々と聞き及んでおりますです。はい」

「ごんぞうさんが後からいらっしゃるんですか?」

「ええ。ごんぞうくんはお弁当持って来てないから、大学の構内のコンビニで何か買って来るって飛び出して行ったわ」

「まあ、ごんぞうはおいおいやって来るだろうから、先に食べるとしようか」

 

 コンビニまで行くとなると、大学の構内とはいえ少々時間が掛かります。ここは相沢さんの言うとおり先に食べましょうか、と考えていた時です。

 

「おーい、買って来たぞ~」

「あら、早いわねごんぞうくん。コンビニまで行くとなるともっと時間が掛かると思ったのに」

「ふふふ、この後藤浩三、足の速さならちょっと自信あるぜ?」

「そういやおまえ、中学高校と陸上部だったな」

「正確には現在進行形で陸上部だ。それに、こう見えても高校時代には全国大会に出場した経験もあるぞ」

「へえ、それはちょっと驚きね。正直そんな感じには見えないもの」

「ぐはっ、相変わらずキツいことズバっと言うね、相沢夫人。と、それよりもだ。天野ちゃんと一緒にいる女の子誰?」

「あー、あー、わたくし、天野の友人やっとります獣医学科一年の中川睦月っていいます。以後お見知りおきを」

「俺は英文二年の後藤浩三。人は俺を『ごんぞう』と呼ぶ。何なら『ごんちゃん』でも可。ってかむしろ推奨。祐一とは腐れ縁って奴だな」

「では、では以後はごんちゃん先輩とお呼びしますです。はい」

 

 ノリが合うのか、あっという間に打ち解けているお二人。

 会っていきなり打ち解けるなんて、まだまだ私には無理な事なのでちょっと羨ましいです。

 

「そう言えば先程、ごんぞうさんは陸上の全国大会に出場経験があるとか?」

「おお、あるぞ。しかもあの『トラックの蒼い妖精』と握手した事だってあるんだ。すごいだろ?」

「なんだその『トラックの蒼い妖精』ってのは?」

「知らないのか祐一? 俺が高校の時の陸上界では有名な女の子でな。俺、彼女の大ファンだったんだ。『トラックの蒼い妖精』ってのは、こうトラックを走る時に流れる蒼みのかかった長い髮が綺麗なんでついたあだ名だ。え~と、確か本名は……水瀬……名雪だったかな」

「み、水瀬名雪だあ!? そりゃ確かにあいつ、高校の時何度か全国大会に出たけど、そんなに有名なのか?」

「な、なんだ? 彼女の事知ってるのか、祐一?」

「知ってるも何も名雪は俺の従姉妹だ」

「な、なにいっ!? 『トラックの蒼い妖精』が祐一の従姉妹だとぉっ!? どうしてもっと早く教えてくれなかったんだこんちくしょうっ!!」

「どうしてもこうしても、そんな事知らなかったし。香里は知ってたのか?」

「詳しくは知らないけど、そう言えば『蒼い』なんとかって呼ばれているって事はちらっと耳にした事があるわね」

「お、おいちょっと待てよ? 確か祐一は転校する時、親戚の家にやっかいになるって言ってなかったか? それってもしかして……」

「おう、名雪のトコに居候してたぞ」

「う、ううおおおおぉぉぉぉっ!! 『蒼い妖精』と一つ屋根の下で暮らしていただとおおぉぉっ!? なんて羨ましいんだこの野郎!!」

「そーいえばさ、さっき天野が見せてくれた写真に確か名雪って人、写ってたよね? やっぱり、やっぱり、あの人の事?」

「ほ、本当かい中川ちゃん!? 天野ちゃん! お願いだからその写真を見せてくれ!!」

「は、はい、それは構いませんが……」

 

 ごんぞうさんの迫力に押され、あたふたしながら再び写真を取り出しごんぞうさんに見せます。

 

「お、おおおおぉぉっ!! 間違いないっ!! 『トラックの蒼い妖精』だっ!! くうぅ~、まさか彼女が祐一の従姉妹とは……って、おい祐一、この一緒に写っている美人たちは何だよっ!? おまえ、向こうで何やってたんだ?」

「はい、はい、はーい! ごんちゃん先輩! それについては先程、私が天野から耳寄りな情報を得てまして。それによりますと、彼女たちは相沢先生の向こうでの愛人たちだそうでーす」

「そ、そんな訳あるかっ!! そりゃ皆俺にとって大切な人たちだけど、あくまでもあいつらは友人だ。それより中川! 『先生』ってのはなんだ? 説明しろ!」

「いえ、いえ。私、相沢先輩をそれはもう尊敬致しまして。いやあ、なかなか居ませんですよ? これだけの美人を侍らせている男は。もう『先生』ってよりも『ハーレムキング』もしくは『ミスターハーレム』って呼びたいくらいですよ? で、この美女軍団による相沢祐一争奪戦に勝利したのが香里奥様って訳ですか。それで、それで? この美女軍団の中から香里奥様を選んだのはどの辺がポイントで?」

「…………天野。もう少し友達は選らぼうな……?」

「…………申し訳ありません。私も今ちょっと後悔してます……」

「あー、もうっ! なにそれ、なにそれ? 天野も相沢先生もひどくない?」

「だから『先生』はやめてくれ」

「もう無理ですよ、無理ですよ。既に私の脳細胞にインプットされちゃいましたー。削除不能ですー。プロテクトされてますー」

 

 にっこりと笑いながら、そう宣言する中川さん。

 そんな中川さんに、相沢さんはぶぜんとした表情を浮かべて沈黙しました。

 ちょっとびっくりです。

 香里さん以外に、あの相沢さんを沈黙させることができる人物がいようとは。

 確かに、あの北の街では倉田先輩あたりはその天然性──もとい、生来の明るさで相沢さんを黙らせたりもしましたが、ここまで真っ正面から彼を沈黙させたのを、後にも先にも香里さん以外に初めて見ました。

 思わず、尊敬の眼差しで中川さんを見詰めてしまいました。

 

「あれ? あれ? どしたの、天野? ひょっとして、この私にめろめろきゅん? うーん、ごめんよ、天野。私、ストレートなんだ。天野の気持ちは嬉しいけど、その想いには応えられない。それに、いくら相沢先生が奥様一筋で相手にされなくて寂しいからって、同性に走るのはどうかと思うよ?」

「…………………………………………違います」

 

 色々と突っ込みたいところは多々ありましたが、もう彼女にはいくら言っても無駄でしょう。

 ええ、悟りました。悟りましたとも。

 相沢さんの言ではありませんが、友人はもっと慎重に選ぶべきですね。

 そんな思いを込めて、じっとりとした目で中川さんを見詰めます。

 

「あ、あれ? あれ? 今度は天野の視線がなんか冷たいよっ!? これは一体どういうコトっ!?」

「わははははははっ!! 天野ちゃんも中川ちゃんもおもしれえなぁ!」

 

 じっとりと中川さんを見詰める私。私に見詰められておろおろとする中川さん。

 そんな私たちを見て、ごんぞうさんは大声で笑っています。

 そして。

 そして相沢さんと香里さんは、わいわいと騒ぐ私たちを暖かく見守っていました。

 

 その際、二人の手がしっかりと握り合わされているのを、私ははっきりと見ていました。

 なぜでしょう?

 この納得のいかない、言いようのない敗北感は……

 




 本日もまた、調子に乗って追加の投稿。

 実は、この話は前半だけ書いてずーっと放置してあったものを、8年振りに最後まで書き上げたものでして(笑)。

 もしも、途中で違和感を感じるようなことがあれば、その辺が原因と思われまする。

 では、次回もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

08-帰り道

 

 

「お先に失礼しまーす」

「はーい、お疲れ様。またよろしくね」

 

 今日はバイトが入っていた日。

 珍しく祐一とシフトが一緒だったので、こうして同じ時間にバイトが終わった。

 

「久しぶりよね。祐一とバイトのシフトが噛み合うのって」

「そういやそうだな」

 

 今、私と祐一はとある獣医院でバイトをしている。

 元々は祐一が大学で紹介してもらい働いていた所なのだが、人手が足りないとの事で私もバイトとして雇われたのだ。

 と言っても、獣医学生でもなく獣医志望でもない私が出来る事は受付と事務の手伝い、後は入院している患畜のちょっとした世話ぐらいだけど。

 だけどそこは二十四時間対応の獣医院なので、規模は小さいものの人手は必要らしい。

 大学生である私たちは深夜の勤務こそ外してもらっているものの、遅い時はこうして十時を過ぎる事もある。

 そろそろ四月も終わりに迫っているとはいえ、夜の十時を過ぎればやはりちょっと寒く、僅かに白く曇る息を吐きながら家路を急ぐ。

 もう一人の家族ともいうべき彼女が、今頃夕食の準備をしながらきっと私たちを待っているだろうから。

 

   ◆  ◆  ◆

 

 こうして家路を急いでいると、ふと祐一の足が止まった。

 

「祐一? どうしたの?」

「ん、ちょっと……な」

 

 祐一の視線を追うと、その先には小さな児童公園があった。

 

「その公園がどうかしたの?」

「いや、ちょっと懐かしくてな」

「なにかあったの?」

「ああ。ずっと昔だけどな。小学校に入学するかしないかってぐらいの頃、遊びに来た名雪が迷子になった事があったんだ。辺りが暗くなっても見つからずに、俺の両親も秋子さんも警察に連絡しようかどうしようか悩み始めた頃、ちょうどこの公園の前を通りかかった俺が、真っ暗な公園のブランコにポツンと座っている名雪を見付けたんだ」

「でも、この公園から祐一の家まではすぐそこじゃない?」

「そこが名雪の名雪たる由縁だな。で、俺を見た途端、急に泣き出してなあ」

「なんとなく分かるわ。きっと泣いちゃいけないと自分に言い聞かせていたのね。それが祐一を見た途端、緊張が緩んで泣き出したんじゃないかしら?」

「ああ。そんなとこだろう。後で名雪に迷子になった理由を聞いたら、猫を見掛けたから追いかけて行って道が分からなくなったらしい」

「ふふふ、何とも名雪らしい理由ね」

「しかもだ。よくよく考えてみたら、昼間この公園で俺と名雪は遊んだ事があるんだぞ? それなのにここまで来て途方に暮れるかね、普通?」

「昼と夜とでは同じ風景でも違って見えるものよ。実を言うと私もこっちに来たばかりの時、夜に家の近所で迷子になりかけた事があったわ」

「そういうものかね」

「そういうものよ」

 

 会話を続けながら、二人は真っ暗な公園の中に入った。

 そして何気なく見上げれば、そこには――。

 

「ねえ、見てよ祐一。星が凄く綺麗よ」

「ん? ああ、ここは周りが暗いし、今日は四月の下旬とは思えないほど冷えてるからな。空気が澄んでいるんだろう」

「んー、でもやっぱり星空は私が産まれたあの街の方が綺麗な気がするわ」

「それはきっと、あっちの方が空気が綺麗だからじゃないか?」

「あら、それは言外にあそこが田舎だと言いたい訳?」

「そういう訳じゃないさ」

 

 静かな住宅街の中にある公園の事、会話を止めた途端辺りは無人の街の如く静寂に包まれる。

 

「…………なあ、香里」

 

 しばらく無言のまま二人で星空を見上げていると、ふと祐一が聞いてきた。

 

「……香里は天野を下宿せた事、反対だったか?」

「そうね……正直に言うと、二人っきりじゃなくなったのはちょっと残念ね。でも、美汐ちゃんを下宿させた事自体は反対じゃないわ。それに目の前で美汐ちゃんが困ってるのに無視できる祐一じゃないでしょ?」

「まあ……な」

「それにね、私には栞っていう実の妹がいるけど、もし、祐一に妹がいればきっと美汐ちゃんみたいだと思うの。だから彼女の事は義妹のようなものだと思ってる」

「……義妹……か……」

「そう。二人にとって共通の義妹。少なくとも私にとってはすでに彼女は家族みたいなものよ?」

「なるほどな」

「そういう事よ。だからそろそろ帰りましょう? もう一人の家族が首を長くして待ってるわ」

「ははは、そうだな。あまり遅くなると『それは人として不出来でしょう』とか言われかねん」

「そうそう」

 

 そう答えながら、そっと祐一に寄り添い彼の腕を取る。

 

「か、香里さん?」

「いいでしょ? 確かに美汐ちゃんは家族同然だけど、今だけは二人っきりよ?」

「………………うぐぅ」

 

 暗くて分からないが、きっと祐一の顔は真っ赤になっていると思う。

 美汐ちゃんの祐一に対する気持ちを知っている以上、必要以上に彼女の前で祐一と仲良くする訳にはいかない。

 尤も、美汐ちゃんに対する牽制の意味で祐一にくっつく事はあるけど。

 私はれっきとした祐一の妻なのだから、それぐらいはいいわよね?

 でも、今だけは誰に遠慮することなく祐一と寄り添っていよう。

 満天の星空の元、彼女の待つ我が家に辿り着くまで……




 本日の更新です。

 とか言いながら、今回はちょっと短め。

 こうしてみると、やたらと会話文が多いこと。そのへん、昔の作品ってことでお許しいただきたく。

 本日、時間があればもう一本更新するかもしれません。

 これからもよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

09-父親の書斎

 相沢さんが書斎に閉じ篭って数日。

 あ、いえ、別に相沢さんと香里さんが喧嘩したとか、私が洗面所で翌日の洗濯の準備をしている時に、お風呂に入っていた相沢さんが出て来て彼の全てを見てしまったりとか、私が帰宅してリビングに入ると、全裸の相沢さんと香里さんが抱き合ってナニの真っ最中だったとか、夜中に何気なくお手洗いに行くと、台所に電気がついていて、そこから香里さんの悩ましい声が聞こえてきたり……

 

 ……何だか、私の方が閉じ篭りたくなってきたのは気のせいでしょうか?

 

 ここは相沢さんの自宅で、私は居候の身です。相沢さんとその奥さんである香里さんが、どこで何をしようと自由ですし、居候の私がとやかく言える立場ではないのは分かりきっていますが、せめてナニぐらい寝室でしてもらえないでしょうか?

 

 ──話が逸れました。どうして相沢さんが書斎に閉じ篭っているか、という話でした。

 別に大した理由はありません。大学のレポートを仕上げるために、相沢さんはお父さんの書斎に閉じ篭っているのです。何でも、お父さんの書斎の方が集中してレポートがはかどるからだそうですが。

 そういえば、今まで聞いたことありませんでしたが、相沢さんのお父さんってどんなお仕事をなさっているんでしょう?

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ねえ、美汐ちゃん。祐一のところにコーヒー持っていってくれない?」

 

 台所から香里さんの声がします。その声に応えて台所に顔を出すと、香里さんが淹れたばかりのコーヒーを準備していました。

 

「ごめんね、美汐ちゃん。悪いけどお願いできる?」

「私は構いませんが、私があの書斎に入ってもいいのですか? 以前、相沢さんから特別の用がない限り、あの部屋には入るなと言われたのですが? 何でもかなり貴重なものがあるとかで……」

「ええ……まあね。確かに貴重といえば貴重かも。でも、私はあれがどうしても苦手なのよ」

 

 香里さんが苦虫を噛みつぶしたような表情で零します。

 

「あの書斎には、お義父様のお仕事の資料とか、そっち関係の貴重なものがたくさんあって、私もおいそれとはあの部屋には入らないようにしてるのよ」

「相沢さんのお父さんって、どんなお仕事をなさっているんですか?」

「学者よ」

「学者ぁっ!?」

 

 思わず声を上げてしまいました。こう言っては失礼ですが、『相沢さんのお父さん』というイメージからはかなり外れた職業だったので。

 戸惑っている私を見て、香里さんはくすくすと笑っています。

 

「その気持ちは解るわ。私もお義父様の職業を初めて聞いたときは同じ心境だったもの」

 

 相沢さんを知る人物なら、ほとんどの人が同じ心境に陥るのではないでしょうか?

 

「ともかく、コーヒーお願いね」

「分かりました」

 

 私はそう返事をすると、コーヒーとちょっとしたお菓子の乗ったトレイを受け取って、相沢さんのいる書斎を目指しました。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「相沢さん? 私です。天野です。入ってもよろしいですか?」

 

 相沢さんのお父さんの書斎の前で、私はドアをノックしながら中にいるであろう相沢さんに声をかけました。

 

「おう、天野か。入ってもいいぞ」

「では失礼します」

 

 そう言いながらドアを開けた瞬間、私は思わず固まってしまいました。

 壁という壁を埋めるかのように飾られた標本箱。その中にはありとあらゆる種類の昆虫の標本が、綺麗に整理陳列されていました。

 蝶や蛾などの鱗翅目、蝉などの半翅目やトンボ目、甲虫目ではカブトムシやカミキリムシ、テントウムシにタマムシ。中でも最も沢山の標本があったのは甲虫目のクワガタムシでした。

 

「……すごい……」

「びっくりしたか?」

 

 私が唖然としながら標本を眺めていると、机の上でパソコンを操作していた相沢さんが、私を振り返って尋ねました。

 

「これは親父の趣味と実益を兼ねたコレクションだよ」

 

 と、標本を眺めながら相沢さん。

 

「相沢さんのお父さんは学者さんだそうですが、昆虫学者なんですか?」

 

 私は運んで来たコーヒーを、テーブルの上に置きながら相沢さんに尋ねました。

 

「ああ。親父はとある大学で教授なんぞやってるんだ。で、今はその大学と姉妹提携を結んでいるアメリカの大学に、客員教授として招かれているって訳だ」

 

 相沢さんのご両親が、仕事の関係で海外へ赴いているという話は聞いていましたが、具体的な職種などは初めて聞きます。

 改めて部屋を見回せば、たくさんある書棚の蔵書のほとんどが昆虫関係の学術書ばかり。

 

「親父の奴、招かれた大学がアメリカだって事で、結構ぐちぐちと文句言ってたっけな」

「どうしてですか?」

「親父の専門はクワガタなんだ。で、アメリカ大陸って所はクワガタが殆どいないらしい。カブトは結構いるらしいけどな。特に南米じゃカブトの有名どころがごろごろしている。クワガタが最も分布しているのは日本も含めたアジアなんだよ」

「南米のカブトムシと言えば、ヘラクレスですか?」

 

 相沢さんは私の問いに笑いながら頷くと、机の引き出しから一つの標本を取り出しました。

 その標本は今私が言ったヘラクレス・オオカブトムシでした。世界最大のカブトムシとして、虫にはさほど詳しくない私でも知っている有名な昆虫です。

 

「この標本はヘラクレスの源名亜種で、ヘラクレス・ヘラクレスだ。ヘラクレスっていうのは、ヘラクレス・リッキーとかヘラクレス・オキシデンタリスとかの亜種を含めると十五種類ぐらいあるそうでな、その中でヘラクレス・ヘラクレスっていうのは基本となる種類らしい。ところで天野。この標本、幾らぐらいすると思う?」

 

 相沢さんがどこか意地悪そうな笑みを浮かべながら尋ねます。私はこう言われて、相沢さんが手にしている標本をじっくりと観察します。

 小型の標本箱の中に、ヘラクレスの雄の標本が一体だけ入っています。大きさはだいたい十五センチぐらい。私には標本の価値など分かりませんが、昆虫の値段は大きさに比例すると以前何かで聞き及んだことがありますので、大きければ大きいほど高いはずです。

 

「詳しいことは解りませんが……二、三万円ぐらいですか?」

 

 私は全くのあてずっぽうで付けた値段に、少々上方修正した金額を相沢さんに告げます。ですが相沢さんは、私の答えを聞くとしてやったりの笑みを浮かべながら正確な金額を明かします。

 

「残念。これ、五十万以上するらしいぞ」

「ご、ごじゅうま……っ!?」

 

 標本一つが五十万円っ!? し、信じられません! そんな高価なんて……!

 

「こいつはただのヘラクレスじゃないんだ。こいつの原産地……何とかって島だったと思ったけど忘れちまったが、その島では生きてるヘラクレスだろうと、こうした標本のヘラクレスだろうと、今では島の外へ持ち出す事を禁止しているらしいんだ。だから、禁止される以前に出まわった標本しか流通してないそうでな。特に日本ではとんでもない高額がついてるらしい。で、こいつはその禁止前に手に入れた親父の自慢の逸品なんだと」

 

 相沢さんは笑いながら、その標本を大切そうに机の引き出しに戻します。

 

「これ以外にも高価な標本が幾つかあるからな。ここには香里といえども、そうそうは入らないんだ。おまえもこの部屋に入る時は気を付けてくれ。尤も、香里って実は虫関係がまるで駄目だから、自分から入ろうとはしないだろうけど」

 

 なるほど、そういう事だったんですか。それで私にコーヒーを運んで欲しいと言ったんですね。

 かつて北の雪の街にいた時の香里さんは、落ち着いた大人の雰囲気を漂わせる女性でした。しかし、この家で再会した香里さんは、可愛いイメージの女性になっていました。おそらく、こちらの香里さんこそ本来の彼女なのでしょう。以前は栞さんの病気の事もあって、必要以上に張り詰めていたのではないでしょうか。

 

「天野は虫は平気か?」

「ええ、人並みには。と言っても、ゴキブリとか百足を触れと言われたら即刻辞退しますが」

「充分だ。香里なんて、ゴキブリが出たら大騒ぎだからな」

 

 でもそこがまた可愛いんだけど、といい笑顔でコーヒーに口をつける相沢さん。

 その時でした。

 

「────っっっきゃあああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 とてつもない大音量の悲鳴が響き渡りました。その音量は、噂に聞く名雪さんの目覚し時計の大合唱に勝るとも劣らないほど。

 

「あー、出たな、こりゃ」

「もしかして、ゴキブリ……でしょうか?」

「間違いないだろ。まあ、この家も決して新しいとはいえんからな」

 

 などと言っていると、どたどたとけたたましい足音が徐々に近づいて来ます。

 そうこうしているうちに、書斎のドアがばんっ! と勢いよく開け放たれると、香里さんが相沢さん目がけて一直線に飛び込んできました。

 

「祐一、祐一、祐一祐一祐一祐一祐一祐一ゆういちぃぃ~っ!!」

 

 涙目になった香里さんが、相沢さんにしがみ付いて一生懸命に訴え掛けます。

 

「どうした香里? ゴキブリでも出たか?」

「うん、うん! 虫、虫、むしぃぃ~! 祐一何とかしてぇぇぇっ!!」

「分かった、分かった。どこにいるんだ、その虫は?」

「げ、玄関~。買物に行こうと思って玄関に行ったら、そこに大きくて黒い虫がいたのぉ」

 

  ◆   ◆   ◆

 

 香里さんの証言に従い、私たち三人は玄関へ移動しました。

 おそらく、今更玄関に行ってももうゴキブリはいないでしょうけど。あれだけ香里さんが大騒ぎした以上、ゴキブリもどこかに逃げ去っているはずです。

 それでも一応確認のため、私と相沢さん、それから相沢さんの腰に縋り付いている香里さんの三人は玄関へ向いました。

 

「おや?」

 

 ですが予想に反して、その虫は玄関にまだいました。ですが、少々様子が変です。

 香里さんにしがみ付かれて身動きの取れない相沢さんに代わり、私が玄関をゆっくりと歩いている黒い虫に近づきます。

 

「──ゴキブリじゃありませんよ、これ……」

 

 その虫はゴキブリのように素早くはなく、のっそりと玄関を歩いています。

 キチン質で光沢のある身体、上翅には縦にくっきりとした筋があります。そして何より特徴的なのは、頭部にある小さな角、いえ、これは確か顎が進化したもののはず。

 

「クワガタの雌ですか?」

 

 拾い上げたその虫を、掌に乗せると相沢さんに差し出します。

 

「あー、こりゃ、親父の研究資料のオオクワガタの雌だな」

「研究資料?」

「ああ。親父が昆虫学者で、専門はクワガタだってのはさっき言ったよな?」

「はい。先程聞きました」

「で、親父は研究用に何種類かのクワガタを飼育しているんだ。庭の片隅に小さな小屋があるだろ? あれが飼育部屋になっていて、あの中には育てたクワガタがいるんだよ。こいつはおそらく、あそこから逃げ出して母屋の方に迷いこんだんだな」

 

 相沢さんの言う通り、庭には確かに小屋があります。今までは物置か何かだとばかり思っていましたが、そうではなかったという訳ですか。

 私の掌をちょこちょこと動くオオクワガタの雌。一時は黒いダイヤなどと呼ばれ高額で取引きされているという話でしたが、実は一部の例外を除くとそれは都市伝説みたいなものとの事。その一部の例外も、実際には数十万程度だったそうです。尤も、マニアな人たちは自分が欲しいものにはお金に糸目をつけないので、今でもネットオークションなどでレアな産地の大型の個体が出品されると、驚くような金額で競り落とされたりするそうです。

 最近では飼育方法が確立され、誰でも容易に飼育して産卵させて幼虫を育てる事も可能で、値段も産地にこだわらなければ精々数千円程度だそうです。

 

「もうっ!! そんな話は後にして、その虫をどこかにやってよっ!!」

 

 相変わらず涙目の香里さんが、必死に訴えます。その訴えに苦笑しながら、相沢さんはオオクワガタの雌を手にすると、飼育部屋に返してくるからと言い残してそのまま玄関を出ていきました。

 

「──ふぅ」

 

 虫が視界から消えて、ようやく香里さんが安堵の溜め息を洩らします。

 

「もしかして、相沢さんと結婚した事後悔してます?」

 

 相沢さんではありませんが、香里さんの様子があまりにも可愛かったので、思わず意地悪な事を聞いてしまいました。

 

「まさか。そりゃ確かに、お義父さまの職業を聞いた時は思わず石化しちゃったけど。この程度でそんな事考えてたら、あなたや名雪たちから祐一を勝ち取った意味がないでしょ?」

 

 腕を組み、不敵に笑う香里さん。虫がいなくなっていつもの調子に戻ったようです。

 

「だから、この程度で私の弱みを見つけたなんて思わないでね」

 

 と、何となく赤い顔の香里さん。

 ──なるほど。取り乱した姿を私に見られたのが、よほど恥ずかしかったようです。

 

「ええ。もちろん分かっていますよ、香里さん」

「……その口元の笑みがいまいち信用できないんだけど?」

 

 これから夏に向かうという季節柄、ゴキブリが度々出現してその度に狼狽える香里さんを見掛けることになるのですが、その都度虚勢を張る香里さんが何とも可愛いなあと思ってしまうのはちょっとばかり先の話です。

 




 結局、昨日は一本しか投稿できませんでした。

 昨日投稿予定だった話は、現時点で書きかけのもので、しかも香里視点のものでした。
 二本続けて香里視点はアレかなぁと思い直し、本来なら10話に予定していた話を9話として本日投稿した次第です。

 ちなみに、この話を書いていた時代、本当にその何とかいう島のヘラクレス・ヘラクレスの標本は50万を超えていたそうです。今ではどれくらいなのか不明ですが(笑)。

 では、次回もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10-浮気疑惑

 

 

「私はね、相沢くん。見てしまったのだよ」

 

 沈痛な表情で訥々と語るお父さん。

 

「君が私の娘以外の女性と楽しげに歩いているのをね」

 

 それを聞いた瞬間、祐一の顔が引きつる。

 きっと心当たりが有り過ぎるのだろう。

 なんせ名雪たちが、「私たちは祐一を香里に譲ったんだから、少しぐらいの見返りはあってもいいよね?」と巫山戯た事をのたまいつつ、時々祐一を連れ出している。

 ちなみに、その中に我が美坂家の次女が含まれていたりするのが少々頭イタい。

 確かに、今私と祐一がこうして居られるのも名雪たちのお陰なのだから、それぐらいは目を瞑ろうかと思う。

 そもそも、名雪とあゆちゃんと真琴ちゃんなんて祐一と一緒に住んでるし。

 でも、お父さんは誰と祐一が一緒のところを見たのかしら?

 もしもそれが名雪たち以外の誰かだったら……

 解ってるわよね、祐一?

 

   ◆  ◆  ◆

 

 今日は仕事は早めに終わったからと、夕方には帰宅したお父さん。

 その帰り道でばったり祐一と出会ったらしく、父は祐一を家に連れて来た。

 初めて祐一を紹介した時から、お父さんはどうやら祐一を気にいったらしい。

 なんでも女所帯に男が一人で肩身が狭いという同じ境遇が共感を呼んだとか何とか。

 私に言わせれば、祐一は女所帯の中でもきっと肩身が狭いなんて事はないと思うけど。

 で、夕食を食べ終わった後――最初はお茶を飲んでいたはずなのに、いつの間にかアルコールに変わっていた――、急にお父さんが先程の話題を繰り出した。

 

「私はね、相沢くんには感謝している。今私たち家族がこうして笑いあっていられるのも君のお陰だと思っている。栞の病気が快方に向かったのも君に寄るところが大きいだろう。そして何より、君が居なければ香里は今頃どうなっていたか分からないぐらいだ。香里と栞を救ってくれたのは間違いなく君だろう。だからこそ、君と香里が卒業と同時に入籍するという話も二つ返事で承諾した」

 

 そう言えば、家の両親に結婚の承諾を得に来た時、あまりにもあっさりOKが出たので拍子抜けしたと祐一が言っていたが、なるほど、家の両親は祐一の事をそんなふうに見ていたんだ。

 

「だが君はその女性と親しげに語り合いつつ、両手にスーパーの買い物袋らしきものを持ちながら、商店街を抜け一軒の家の中にそれはもう仲良さげに一緒に消えていったのだっ!」

「……ねえ、お父さん」

「ん? なんだね香里?」

「今の言い方からして……ひょっとしてその祐一たちの後を付けたの?」

「勿論だとも!」

犯罪(ストーカー)よ! それはっ!!」

「何を言う! 家族を想う父の心の前には法律など無いも同然だろうっ!! なあ、そう思うよな、母さん!?」

「思いませんっ!! ナニやってんですかアナタはっ!?」

「ううっ、そ、そうだ、栞はどう思う? お父さんに同意だよな?」

「いい年齢(とし)こいた大人が探偵ゴッコですか。感心しませんね」

「のおおぉぉっ、栞までっ!?」

 

 本当、栞の言う通りいい年齢の大人が何やってるんだか。

 これが我が父親かと思うとちょっと頭イタい。

 

   ◆  ◆  ◆

 

「そ、それよりもだ、この事態をどう説明するんだね、相沢くん? 事と次第によっては香里との結婚も考え直さなければならんぞ?」

「いや、あの、その……なんていうか……心当りが有り過ぎて……」

「………なぬ?」

「そうですねー。祐一さんはここのところ、名雪さんとか舞さんたちとかに駆り出されっぱなしですもんね」

「なに言ってんのよ栞。あんただって祐一を引っ張り回してるじゃない」

「私は別にいいじゃないですかー。祐一さんは私にとって義兄になる訳だし。いわば義兄と義妹のスキンシップ?」

「はいはい。そんな事よりもこの前皆で撮った写真を持って来て」

「えぅ? この前の写真? どうするの?」

「祐一と一緒に居たのが誰なのかを特定すれば話は済むんじゃない?」

「あ、そっか。はーい、すぐに持って来ますぅー」

 

 と、リビングを飛び出して行く栞。

 

「ねえ、祐一。名雪や倉田先輩たち以外の女性(ひと)と一緒に商店街を歩いた心当たりはある?」

「そ、そうだな。名雪たち以外にはないぞ。うん」

 

 やはりお父さんが見たのは、名雪たちの誰かと一緒のところみたい。

 

「お父さん。どうやら浮気とかそんなのじゃないみたいだから安心していいわよ」

「ど、どういう事かな? お父さん、今イチよく分からないんだが?」

「つまりですね、祐一さんに好意を寄せていた女性はお姉ちゃんだけじゃないんですよ。でも最終的には皆さんお姉ちゃんに祐一さんを譲った形になった訳で。で、それをネタに皆さん祐一さんを連れ出している訳です。お姉ちゃんとしては譲ってもらった負い目があるので強く出れませんしねー」

 

 部屋から写真を持って来た栞が、写真をお父さんに見せながら説明する。

 

「ん? この写真は……?」

「その中にお父さんがみた女の人はいる?」

「うむ、どれどれ…………な、なにかねっ!? この美少女の集団は!?」

「それが祐一さんに好意を寄せる女の子たち、通称『相沢ガールズ』です。さっきも言ったように、この中から祐一さんに選ばれたのがお姉ちゃんというわけですね。選ばれたのが私じゃないのがちょっと悔しいですけど」

「むぅ……このハイレベルな少女の中から香里を選ぶとは、さすがは相沢くん、実に目が高い。いやいや、親の私が言うのも何だが、決して我が娘たちがこの少女たちに劣っているというわけでは……しかし……」

 

 栞の説明を聞きながら食い入るように写真を見るお父さん。何やらブツブツと呟いているのが何ともはや。

 

「それでどうなの? 祐一と一緒にいた女性ってのは誰?」

「お、おお、そうだったな…………いや、私がみた女性はこの中にはいないな」

「えっ!?」

 

 これはちょっと意外だった。てっきり名雪たちの誰かだと思ったんだけど……

 祐一の方を振り返ってみると、彼はぶんぶんと頭を振っている。

 どうやら、本当に心当たりはないみたい。

 

「ねえ、あなた。その祐一さんと一緒だったっていう女性はどんな人だったの?」

 

 今まで黙って聞いているだけだったお母さんが質問する。

 

「そうだな、背の高さは相沢くんよりも低かったな。年齢は大体二十歳前後、長い髮をこう、大きく三つ編みにしていたな。おお、そうだ! 相沢くんとその女性が入った家には『水瀬』という表札が……おや? 確か名雪くんも名字は水瀬だったような……」

 

 そ、それってもしかして……いや、もしかどころか確実に……

 

『秋子さんっ!?』

 

 思わず、祐一と私と栞の声がハモる。

 

「そういえばこの前、秋子さんが米が買いたいからって荷物持ちしたっけ。今の水瀬家は大所帯だからな。一度に買う米も馬鹿にならないから俺が運んだんだった」

 

 合点がいったとばかりに手を打つ祐一。私と栞、そして秋子さんと面識のあるお母さんもなるほどと頷く。

 

「あ、あの、一体どうしたというんだね? やっぱりお父さん、よく分からないぞ? その秋子さんとはやらは誰だ?」

 

 一人会話に付いてゆけず取り残されたお父さん。まあ、無理なからぬ事ではあるが。

 

「秋子さんというのは名雪の母親、つまりは俺の叔母な訳でして……」

 

 置いてけぼりをくらったお父さんに祐一が説明する。

 

「ちょ、ちょっと待てっ!! あ、あの女性が名雪くんの母親だとっ!? いくらなんでも年齢的に無理があるだろうそれはっ!?」

「事実なんですよ、それが」

「現実なんですお父さん」

「嘘じゃないわよ」

 

 私たちが口々に説明するが、どうしても納得しないお父さん。まあ無理もないけど。

 いきなりあの秋子さんを見て高校生の娘がいると言われても普通は信じないだろう。

 

「そ、それでは、一体あの女性は名雪くんを幾つの時に産んだというんだあああぁぁっ!?」

 

 静かな夕食時の住宅街に、お父さんの近所迷惑な絶叫が響き渡った。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「う~ん。相変わらず面白いお義父さんだなあ。しかし栞は完全にお父さん似だな」

「ど、どういう意味ですかぁ!? そんな事言う祐一さんなんて嫌いですっ!!」

「な、なんだとっ!? どういう意味だ栞っ!? お父さんに似ているのがそんなに嫌……みぎゃっ!!」

「はいはい、あなた。近所迷惑だから叫ばないのよ?」

「う~む、見事な肘だ。どうやら香里はお母さん似のようだな」

「…………」

 

 うぅ、反論できない自分がちょっと情けないかも……

 




 本日の更新。

 今回もまた過去視点。祐一と香里が結婚する前の、美坂家でのちょっとしたできごとでした。

 投稿開始から一週間以上が経過し、お気に入り登録も30を超えました。
 本当にありがとうございます。
 お気に入り登録だけではなく、評価ポイントを入れてくださった方々にも同様の感謝を。

 これからも、よろしくお願いします。




※とか書いている内に、お気に入りが減少して29になった……くすん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11-千客万来

 

 

 世はいわゆるゴールデンウィークの真っ只中。

 もちろん大学もお休みなので、午前中からこうしてゆっくりとお茶を味わっていられます。

 大学に入学してはや一ヵ月以上。親しい友人も何人かでき、それなりに休日のお誘い等もありますが、本日は何の予定は入っていません。

 相沢さんと香里さんはお出かけ中のため不在。

 相沢さんたちからは一緒に行かないかと言われましたが、お二人の邪魔をするつもりはないのでこうして一人で留守番がてら、のんびりお茶を飲んでいるという訳です。

 

 ………………はぁ。

 

 あうっ、思わず溜め息が。

 こんなところを相沢さんにでも見られようものなら、また何時もの如く『おばさんくさい』とか言われ兼ねないので気をつけないと。

 ……あら、今、玄関の呼び鈴がなったような?

 こんな休日の午前中に一体誰でしょうか? 宅配便か何かですか?

 以前に香里さんから教えていただいた場所から印鑑を取り出すと、私は玄関に向かいました。

 ですが玄関には宅配便どころか、予想もしなかった事が待ち構えていたのです。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「お久しぶりですっ! 愛すべき妹の栞が遊びに来ましたっ! お姉ちゃんも祐一さんもお元気で……って、あら?」

 

 玄関を開ければ、そこに待っていたのは香里さんの妹の栞さんでした。

 

「栞さんでしたか。ええ、お久しぶりですね。栞さんこそお元気でしたか? とりあえず玄関で立ち話もなんですから上がりませんか?」

「あ、あ、あ、天野さん? ど、ど、どうして天野さんが祐一さんの家に? それもさも自分の家のごとくっ!?」

 

 なにやら混乱している様子の栞さん。どうやら私が居候している事を知らなかったようですね。

 

「ああ、それはですね――」

「あれ、美汐……?」

「えっ?」

 

 栞さんに私が相沢家で居候している理由を話そうとしたら、横から私を呼ぶ声がしました。

 それも私がとても良く知っている声――

 

「真琴? どうして真琴がここに?」

「あぅー、やっぱり美汐だ! 美汐ーっ!!」

 

 声のした方を振り向けば、やはりそこには真琴の姿が。

 しかも真琴だけではなく――

 

「名雪さんにあゆさん、秋子さんまで……」

 

 そう。真琴の後ろには水瀬一家が勢揃いしていました。

 

「あれ? 美汐ちゃん? どうして美汐ちゃんが祐一の家にいるの? それに栞ちゃんまで」

「あ、わかったよ! 美汐ちゃんと栞ちゃんもボクたちみたいに祐一くんの所に遊びにきたんでしょ?」

「あらあら。結婚しても相変わらず祐一さんは人気者ですね」

「そ、そうですっ! いえ、違いますっ!」

「うみゅ? そうなの? 違うの? どっちなのかな?」

「で、ですからっ! 確かに私はお姉ちゃんたちの所に遊びに来たんです。でもそれは一人で来たのであって、天野さんと一緒に来たのではないんですっ!」

「あぅー。でも美汐は動物のお医者さんになる勉強をするために遠くの学校に行ったんじゃないの? それがどうして祐一の家にいるの?」

 

 どうやら皆さん、私が相沢さんの家に居候する事になったのを御存知ないようですね。

 

「分かりました。私がここにいる理由なら家の中でゆっくりご説明します。取り敢えず上がりませんか?」

 

  ◆   ◆   ◆

 

 その後皆で家の中に入り、お互いの情況の説明。

 皆さんはゴールデンウィークという事で、相沢家に遊びに来たとの事。

 しかも相沢さんと香里さんをびっくりさせるため、あえて何の連絡もせずにおいたそうです。

 ちなみに、栞さんと水瀬家の皆さんは予め打ち合わせた訳ではなく、まったくの偶然との事でした。

 

「そうだったんですか。天野さんも大変でしたね」

 

 私の方の事情を説明すると、秋子さんがそう言いました。

 

「いえ、そんな……でも相沢さんのお陰で助かりました」

「偶然でも何でも祐一の家に住めて、しかも同じ大学なんて美汐ちゃんが羨ましいよ。でも祐一の家に久しぶりに来たけどあまり変わってないね」

 

 そう言いながら辺りを懐かしそうに見回す名雪さん。

 相沢さんの従姉妹である名雪さんは、きっと過去に何度もこの家に来た事があるのでしょうね。

 

「あぅ~。折角ここまで来たのに、祐一がいないとつまんない~」

「あらあら。だから予め連絡した方がいいって言ったのよ?」

 

 テーブルに上半身を投げ出しながら真琴が呟く。そんな真琴を秋子さんが(たしな)めている。

 相変わらずの光景。真琴たちから離れてまだ一ヵ月ちょっとしか経ってませんが、なんだか懐かしいものを見ているような気がします。

 

「大丈夫ですよ真琴ちゃん。お姉ちゃんたちはもうすぐ帰って来ます」

 

 何やら席を立っていた栞さんが戻ってくるなりそう言いました。

 

「どうしてそんな事が分かるの、栞ちゃん?」

 

 あゆさんが皆感じているであろう疑問を栞さんに問いました。

 

「ふっふっふっ、それはですね……」

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ねえ、そこのお姉さん。もし暇ならチョット付き合ってくれない?」

 

 ここは駅前。祐一がお手洗いへ行くと言って場を離れて少しした頃。

 私に背後から軽薄そうな声が掛かった。

 振り返れば声と同じく軽薄そうな若い男がにへらっと立っていた。どうやらまた(・・)ナンパのようだ。

 

「ね、ね、美人のお姉さん。俺、いいトコ知ってんだけどさ?」

「悪いけど連れがいるのよ。だから他を当たってくれない?」

 

 実は私に声を掛けてきた男はこれが初めてではない。

 祐一が離れたちょっとの隙に、目の前のナンパ男で実に三人目だったりする。

 私のそっけいない態度に脈ナシと見たのか、あっさりと男は離れていった。

 

「……もうっ! どうしてこう次々に……祐一も早く帰ってきなさいっての」

「あのー……ちょっと……」

 

 ああ、どうやらまた別口が来たみたい。

 

「だから、私には連れがいるって言ってるでしょっ!!」

「おお、やっぱり美坂だったか。元気そうだな。ところで相沢の奴は一緒じゃないのか?」

 

 また別口のナンパだと思って振り返れば、そこには思いがけない人物が。

 

「き……北川くん? どうして北川くんがここにいるの?」

「諸用でこの近くに来たんだけど、相沢の家の住所が確かここらだったのを思い出してさ。で、ちょっと足を伸ばしてみたんだけど……美坂一人?」

「あ、ううん、祐一も一緒よ。ちょっとお手洗いに行ってるけど」

「おーい香里ー、お待たせー……って、あれ? 北川? なんで北川がいるんだ?」

 

 などと話していると、当の祐一が戻ってきた。

 

「よう相沢。久しぶりだな」

「むぅっ!! さては貴様、北川の偽者だな? 本物の北川がここにいるはずがないし、そのアンテナの角度が微妙に違うのが何よりの証拠!」

「ふっ、さすがは相沢祐一、よくぞ見破ったと誉めてやろう。何を隠そうこの俺は、北川潤の偽者の北川潤二……って、そんな訳ないだろうがっ!?」

「うむ、このノリツッコミ……間違いなく北川のようだな」

「だからそう言ってるだろうが」

「いや、念の為に」

「はいはい、その辺にしておかないと必要以上の注目を集めるわよ?」

 

 再会して早々漫才を始める祐一と北川くん。ここが駅前であるという事を忘れているんじゃないだろうか?

 

「ねえ、北川くん。良かったら家に来ない?」

「そうだな。ここで立ち話も何だし、そうしないか北川?」

「んー、お邪魔じゃなければそうするけど?」

「それに、あなたたちが漫才を繰り広げてる間にこんなモノが来たのよ」

 

 と、祐一たちに携帯を見せる。

 

「ん、なんだ? メール?……栞から?」

「ええ、あの子たちもこっちに来てるみたいよ」

 

 何やら懐かしい顔ぶれが久しぶりに揃いそうね。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 玄関の呼び鈴がなる。

 本当に今日は千客万来ですね。

 呼び鈴に呼ばれて玄関に赴くと、そこにはごんぞうさんの姿がありました。

 

「こんばんわごんぞうさん。何か御用ですか?」

「よう天野ちゃん。実は相沢夫人に借りてたノートを返しに来たんだけど……何? お客さん?」

 ごんぞうさんは玄関に置かれた沢山の靴を見ながらそう言います。

 

「ええ、何故か皆さん急に訪ねてみえられて。少々やかましいですが良ければ上がりませんか?」

「んじゃ、お言葉に甘えて」

 

 そしてごんぞうさんを案内してリビングに。

 ですが、ごんぞうさんを案内した事が混沌へと向かう道の第一歩だとは、この時はまったく気付きませんでした。

 

「にゃはははははははー」

 

 真琴が意味不明の笑い声を挙げています。

 

「うぐぅ。だからぼくあゆあゆじゃないもん……」

 

 あゆさんは壁に向かって何やら語りかけている様子。

 

「私を捨ててお姉ちゃんに走った祐一さんなんて嫌いですぅ……聞いてるんですかぁ、祐一さぁん?」

「……けろぴーが何か言ってるおー……」

 

 名雪さんと栞さんは全然噛み合ってない会話を続けています。

 

「だからさー、俺の方が美坂との付き合いは長いんだって。それなのに……」

「お、何々? 女がらみかい、北ちゃん?」

「応ともよ、ごんちゃん。相沢がおれの美坂を掠め取りやがったのさー」

「何、祐一が北ちゃんの女を寝取ったと? それは許せんな。祐一は男の敵だな」

「そうとも。こんなに美女に囲まれてるってのに、よりによって美坂を選ばなくてもいいのにさー……」

「うん、うん。で、美坂って誰?」

「美坂は相沢香里の旧姓だよぅ」

「ほうほう。そういや、祐一のやろーは昔から女たらしだったなー」

 

 会ってすぐに意気投合した北川さんとごんぞうさん。

 ……ところで、本当に相沢さんは昔から女たらしだったのでしょうか?

 しかし、一番意外だったのは秋子さん。てっきり強豪だとばかり思っていましたが一口で寝入ってしまいました。

 

「……ねえ祐一、どうするの? この惨状……」

「……どうするっていわれてもなぁ……どうしよう天野?」

「私に聞かないでください……」

 

 事の始まりはごんぞうさんが取り出したお酒。

 なんでもごんぞうさんの実家は酒屋さんで、今でも電話すれば配達してくれる昔懐かしい営業形態が評判の酒屋さんだとか。

 で、そんな配達のついでに香里さんから借りたノートを返そうと家に寄ったのだそうです。

 そして、相沢家に沢山のお客さんが来てる――しかもその殆どが美女ばかり――のを知ると、乗って来た軽トラックに積んであったお酒を飲み始めたのです。

 

『おいごんぞう、お店の物に手を出したりしたらまずくないか?』

『いいの、いいの。今日は俺の奢りだから。さあ、そうと決まれば酒を運ぶぞ北ちゃん!』

『合点だごんちゃん!』

 

 なんてやりとりも相沢さんたちと行われましたが、結局はそのままの流れで酒宴に突入しました。

 仕方ないので、私や香里さん、秋子さんや名雪さんが有り合わせで料理を作ったり、相沢さんに揶揄われた真琴とあゆさんが意地になって無理してビールを飲んだり、栞さんが自分も飲みつつ皆に注いで回ったり……。

 それなりに楽しい時間でしたが、気が付けばリビングには混沌が爆誕していました。

 何故か雰囲気に乗り遅れて飲むタイミングを逸した相沢さん、意識してセーブしていたらしい香里さん、根本的にアルコールには弱いのであまり飲まなかった私の三人が、辛うじて混沌に飲み込まれずに済んだという訳です。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 その後酒宴は進み、最終的には皆寝入ってしまいました。

 

「う~む、やはり最大の良心ともいうべき秋子さんが真っ先にダウンしたのがまずかったな」

「少なくとも真琴とあゆさんは相沢さんに責任の殆どがあると思いますが?」

「いまさらそんな事言っても始まらないわよ。まあ、この季節なら雑魚寝しても毛布でも掛けておけば風邪ひく事もないでしょ」

 

 香里さんと私で家中の毛布や布団を引っ張り出して皆に掛けてゆく。

 

「きっと皆、久しぶりに顔を合わせたからはしゃぎ過ぎたんだな」

「そうね。なんだかんだ言っても私も楽しかったわ」

「ええ。私も久しぶりに真琴たちに会えましたし」

 

 改めて振り返ってみれば、決して不快ではない今日という日。それは最後に残った三人とも同じ思いの筈です。

 

「なあ、ついでだから俺たちもここで寝るか?」

「ふふ、いいわね。ついでだから最後まで付き合いましょうか」

「ですが、もう毛布が一枚しか残ってませんよ?」

 

 そもそも、一つの家にある毛布や布団の数なんて知れています。それを皆に使用してしまったので、もうこれしか残っていません。

 

「それなら……香里がこう来て……ほら天野、おまえもこっち来いって」

「えっ?」

 

 相沢さんは右腕で香里さんを抱き寄せ、空いた左腕を私に向けて伸ばします。

 

「毛布が一枚しかないのなら三人で使えばいいんだよ」

「ですが……」

 

 さすがにそれは戸惑います。

 相沢さんと香里さん、そして最後の毛布を代わる代わる見比べながら途方に暮れていると、

 

「仕様がないから今日は許してあげる」

 

 そう香里さんが優しく微笑みながら言います。

 

「で……では、お言葉に甘えて……」

 

 相沢さんの左腕に抱かれ、三人で肩を寄せ合って一つの毛布に包まれます。

 

「……暖かいですね……」

「そうね。暖かいわね」

「こうして三人で寄り添うのも悪くないな」

「そりゃあ祐一は両手に花ですものね?」

「…………うぐぅ」

 

 今の私たちの状態は、相沢さんを中心に右側に香里さん、左側に私が寄り添っています。

 

「しかし、明日は片付けが大変そうね」

「皆さんゴールデンウィーク中はここに滞在する訳ですから、真琴たちが手伝ってくれますよ」

「秋子さんはともかく、名雪は朝は期待できないし、あゆと真琴じゃあ返ってマイナスになりそうな気がするけどな」

 

 今日という楽しい日も終わりに近づきました。

 ですが明日も今日とは違う楽しい日になりそうな予感がします。

 明日も……いえ、明日以降も三人一緒ならきっと楽しい日が続く筈。

 ですから、これからもよろしくお願い致します。

 

 

 なお――

 店の商品を勝手に飲んでしまったごんぞうさんは、やはりご両親からこっぴどく叱られたそうです。

 自業自得ですけど。

 




 本日のもう一本。

 拙作『相沢さん家の居候』も残すところあと数話。
 あらすじにもあるように当作は過去に書いたものであり、その書いたものが尽きた時点で完結とする予定です。
 そのため、おそらく8月中には完結まで行くと思います。

 残りわずかですが、最後までおつきあいいただければ幸いです。

 よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12-襲来! ファミリー!

 

 五月も終わりに近づいたある日。

 その日の大学の授業も終了し、後は家に帰るだけ。

 ノートやテキストを鞄に詰め込み、ゆっくりと教室を出て校門へと足を向ける。

 私の周囲には、私同様に家へと帰る者、サークルへ向かう者、気の合う友人同士で話に更ける者と様々な学生たち。

 大学に入学して約二ヶ月、私もようやくこちらでの生活に慣れてきたところ。

 ですが、今日は少々様子が違いました。

 校門の所にちょっとした人集りがあったのです。いえ、人集りというと、少々言葉が過ぎるかもしれません。数人の学生たちが、ある一点を見ながら互いにひそひそと話し合っているようなのです。

 私も興味を引かれて、彼らの視線を追ってみました。すると、そこにはよく見知った顔がありました。

 

「香里さん……?」

 

 そう。私の居候先である相沢家、その家主である相沢祐一さんの奥さんである相沢香里さん。

 その香里さんが、見知らぬ男性と親しげに話し込んでいたのです。

 香里さんと言えば、夫である相沢さん以外の男性とは常に一線を引いた感じで接することで有名だそうです。唯一の例外といえば、相沢さんの幼馴染にして親友であるごんぞうさんぐらいでしょうか。

 そんな香里さんが、見知らぬ男性と親しげに話している。彼女を知っている人から見れば、確かに驚くべき光景かも知れません。

 しかも、香里さんが傍らに停めてあった男性のものと思われる真っ赤なスポーツカーの助手席に、何の躊躇いもなく乗込んだとなれば尚更です。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「どうした、天野? こんな所でぼけっとして」

 

 その声に振り向けば、いつの間にか相沢さんの姿が。どうやら先程の光景に、我知らずかなりの衝撃を受けていたようです。

 

「あ、いえ、その……」

「ん?」

 

 思わず言い淀んでしまいました。

 先程の事を有りのままに相沢さんに告げていいものか、判断が付きかねたのです。

 ですが、そんな私の事などお構いなしに、周囲の学生たちがひそひそと囁き始めました。

 

「……何か周囲の視線が変だな……何があった?」

 

 周囲の雰囲気を敏感に悟った相沢さんは、私に問います。これでは今は隠したところで、遅かれ早かれ先程の件は相沢さんの耳に入るでしょう。それも必要以上に尾鰭の付いた無責任な噂が。

 それなら、私の口から有りのままを告げたほうが、余計な脚色が付かない分ましというものでしょう。

 

「実は……」

 

 そして私は、先程見た光景を出来るだけ正確に相沢さんに告げました。

 

「香里が知らない男と……?」

 

 さすがに相沢さんも驚いたようです。

 

「それで、その男ってのはどんな奴だった?」

「そうですね、年の頃は私や相沢さんよりやや年上……二十代半ばから後半ぐらいでしょうか。相沢さんと同じ位の背丈のすらりとした人でした──あ」

「どうした?」

 

 実は、先程から例の男性がどこかで会った事があるような気がして仕方がなかったのです。ですが、間違いなくあの男性は初対面。それではどうして会った事があるような気がするのか不思議でしたが、こうして相沢さんと向き合って話をしていて、その疑問が氷解しました。

 

「あのですね、その男性なのですが、どことなく相沢さんに似ていたような気がするのです」

 

 そうです。遠目だったので確信は持てませんが、相沢さんと似ていたのです。それでどこかで会ったような気がしたのでしょう。

 

「何? まさかその男って──」

 

 相沢さんが何かを言おうとしたその時。私たちの耳に、聞き覚えのある声が響いたのです。

 

「おーい! ゆーいちー!」

 

 思わず声の方を振り返ると、声の主と思しき女性がこちらに駆け寄って来ます。そしてその女性の姿は、記憶にある声の主とぴったりと一致していました。

 

「な、名雪さんっ!? どうして名雪さんがここに──?」

 

 驚愕に目を見開く私。ですが、真の驚愕は次の瞬間にあったのです。

 

「か、母さんっ!!」

 

 ──なんですと?

 

 今度は相沢さんの方を振り向きます。

 その相沢もかなり驚いている様子。どうやら、こちらに駆け寄ってくる名雪さん、いえ、名雪さんによく似た女性は、一概には信じられませんが相沢さんのお母さんみたいです。

 

「母さんがここにいるって事は……」

 

 ぼそりと相沢さんが呟きました。

 

「香里と一緒にいた男って……」

 

 呟き続ける相沢さん。ええ、私にも何となくそれが誰なのか予想がつきました。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「やあ、お帰り」

 

 相沢さん、そして相沢さんのお母さんと一緒に家に帰り、リビングに入るや否や、私たちを笑顔で出迎える男性。その男性は間違いなく、先程香里さんと一緒にいた男性でした。

 

「お帰りなさい。祐一、お義母さん、美汐ちゃん」

 

 私たちの声を聞き付けたのか、台所から香里さんが人数分のお茶を用意して現れました。

 

「そちらが天野くんだね? 始めまして。祐一の父の(まさる)です」

 

 男性──相沢さんのお父さんが右手を差し出しながらそう言います。

 その右手を握り返していると、横から女性の声が。

 

「じゃあ私も改めて。祐一の母の夏奈(なつな)です。よろしくね、美汐ちゃん」

「私が居候させて頂いている天野美汐です。よろしくお願いします」

 

 お二人に合わせて私も挨拶を返します。そして改めて相沢さんのご両親に目を向けます。

 まずはお父さんである賢さん。

 見た目は先程も言った通り二十代の中から後半ぐらい。ですが、実年齢はもっと上のはずです。何せ相沢さんという息子がいるのですから。

 単純に二十歳の時に相沢さんが産まれたと仮定しても、四十歳ぐらいのはずです。

 身長は相沢さんと同じくらい。四角い縁なしの眼鏡をかけていて、相沢さんを五歳ぐらい大人にして、やや知的にした感じの容姿の男性です。

 そしてお母さんの夏奈さん。

 こちらは賢さんよりも見た目はもっと若い。そしてその外見は本当に名雪さんにそっくりです。こうして改めて見ても、名雪さんと見間違えそうになるほど。

 確か、名雪さんのお母さんである秋子さんとは実の姉妹で、秋子さんのお姉さんにあたると聞いています。名雪さんとも血が繋がっているので、似ていても不思議ではありません。

 しかし、秋子さんも名雪さんと並ぶと親子というより姉妹のように見えましたが、夏奈さんは名雪さんと双子の姉妹でも通りそうです。……本当に恐るべき姉妹です。色々な意味で。

 後に相沢さんが、「俺が七年振りに会った名雪をすぐに分かった理由はこれだよ」と苦笑混じりに言いました。確かに納得できる理由です。

 

「それで? 突然帰国した理由は一体何なんだ? それも一切の前ぶれもなく」

 

 そう訪ねるのはもちろん相沢さん。ですが私も今日ばかりは彼に同意します。前もってきちんと連絡していただければ、いらぬ騒動にならなかったはずです。

 

「いやね、夏っちゃんが急に『ゆーいちに逢いたい~』とか騒ぎ出して……」

「え~、賢くんだって『祐一と香里くん、仲良くやってるかな?』って、いつも気にしてるじゃない?」

「そりゃあ、当然だろ? 祐一と香里くんが仲良くやっていれば、遠からず孫の顔が見れるというものだ。あ、そうそう。香里くん、できれば孫は女の子がいいな」

「うん、そうね。やっぱり女の子の方が楽しいわよねぇ」

「ああ、その点はご心配なく。お二人はそりゃあもう、所構わず『仲良く』なさっていますので」

「あ……あ、天野っ!?」

「み、美汐ちゃんっ!?」

 

 私の発言に真っ赤になって言葉に詰るお二人。ええ、いつも私が苦労しているのです。少しぐらいはお返しさせてもらっても構わないでしょう。

 そしてそんなお二人を見て、にやにやしているのは勿論賢さんと夏奈さん。

 

「そうか、そうか。それなら割と早めに孫の顔が見れそうだ」

 

 と、賢さんが呵呵と笑いました。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「それで? いきなり帰国した理由をまだ聞いていないんだが?」

 

 賢さんの笑いが治まったところで、相沢さんがちょっと拗ねたように尋ねました。

 

「あー、その事なんだけどな、実は……」

 

 歯切れの悪い返事をしながら、賢さんは夏奈さんを見ます。そして当の夏奈さんはといえば、にっこりと笑いながら香里さんに何やら目配せ。すると香里さんが立ち上がって居間から出て行きました。

 私と相沢さんはお互いの疑問顔を見詰めながらも待つ事しばし。再び香里さんが居間に戻って来ました。

 

「ちょ、な、何だそれはっ!?」

「か、香里さんっ!?」

 

 私たち二人は同時に言葉を失いました。ですが、香里さんの腕の中に存在するものを見れば、それも無理はない事だと思います。

 居間に戻って来た香里さんの腕の中には、すやすやと眠っている赤ちゃんがいたのです。

 

「ふふふ。この子は蓉華(ようか)ちゃん。私の義妹──つまり、祐一の妹よ」

「お、俺の妹っ!?」

 

 ぐりん、という感じで相沢さんの首が回転しました。

 その相沢さんの視線の先には、照れたような笑いを浮かべる賢さんと、してやったりと満面の笑みを浮かべている夏奈さん。

 

「ちょっと待てっ!! 一年前、香里との結婚で父さんと母さんが帰国した時、それらしい素振りはなかっただろっ!?」

「まあ、蓉華はまだ生後三ヶ月経ってないからね」

「うんうん。あの時はまだ、賢くんのタネは仕込んでなくてね──」

「だああああっ!! 変にリアルな解説すんじゃねええええええっ!!」

「つまり、賢さんと夏奈さんが帰国されたのは、蓉華ちゃんの出生の諸々の手続きのためですか?」

 

 激昂する相沢さんに任せていては話が進まないので、私が質問します。

 

「日本では、出生届は生後十四日以内だけど、海外で出産した場合は三ヶ月以内の届け出になるんだって。だからちょっと日本に戻って来たの」

「何が戻って来たの、だよっ!? それよりも俺との年齢差が二十歳以上離れてるじゃねえかっ!! これじゃあ兄妹っていうより、親子でも通っちまうぞっ!?」

 

 確かに相沢さんの言う通り、もし相沢さんと香里さんが一緒に蓉華ちゃんを連れて歩けば、十人中十人が親子だと思うでしょう。

 

「いいじゃない。どうせ数年以内にゆーいちと香里ちゃんにも子供ができるんだから。そんなに大きな問題じゃないでしょ? 美汐ちゃんの話によると、とーっても仲がいいみたいだし?」

 

 夏奈さんにそう言われて、何も言い返せない相沢さん。

 賢さんもうんうんと頷き、香里さんは真っ赤になって俯いています。

 何はともあれ近い将来、相沢さんのお宅は賑やかな事になりそうです。

 




 今日はもう一本更新しました。

 とりあえず、あと数本でストックが尽き、最終話として一本新たに書き下ろして「相沢さんちの居候」は完結となります。

 もう少しだけ、お付き合いください。

 では、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-父として

 

 ことり、という音と共に、私は湯気の立つ湯呑みを彼の前に置く。

 

「ああ、ありがとう。わざわざ済まないね」

「いえ、ついででしたので。大したことではありません」

「ふむ──」

 

 そう答えた私を、彼──相沢 (まさる)さんはまじまじと見詰めます。

 

「あの……どうかしましたか?」

「いや、躾の行き届いたいい娘さんだと思ってね。君といい、香里くんといい、祐一の周りは素敵な女の子が多いなあ。同じ男として羨ましい限りだね」

 

 と、にこやかに微笑みながら答える賢さん。

 聞きようによっては口説き文句とも取れる台詞ですが、そこは相沢さんのお父さん。決してそんなつもりはなく、ナチュラルに滑り出た言葉なのでしょう。

 

「ああ、そうだ。ちょっと君に尋ねてもいいかな?」

「はい? 何をですか?」

「もちろん、祐一のことだよ。僕や()っちゃんがいない間、あいつがどうしていたのかを聞きたいんだ」

 

  ◆   ◆   ◆

 

 日曜日の昼下がり。相沢さんと香里さん、それから夏奈さんは現在、容華ちゃんのお散歩中。

 よって、今相沢家にいるのは私と賢さんの二人。私は課題のレポートを片付けていたため家に残り、賢さんはお仕事関係の資料を纏めるために、書斎の中で忙しく動き回っているようです。

 ちょっと休憩にと台所でお茶を淹れた私は、ついでに賢さんの分も淹れようと思いつきました。

 聞くところによると、賢さんは緑茶派だとか。

 この家では相沢さんはコーヒー派、香里さんは紅茶派でしたので、いつも緑茶は私一人分のみを淹れていました。ですが今日はいつもより少々多めに淹れ、お茶うけのお菓子と一緒に書斎に向かいます。

 書斎の扉の前でノックをすると、すぐに中から返事がありました。

 お茶とお菓子を乗せたお盆を片手で支え、書斎のドアを開けて中に足を踏み入れます。

 相変わらず書斎の中には沢山の標本。そんな標本たちを眺めつつ、賢さんは書斎の中で佇んでいました。

 

「お茶を淹れたのでお持ちしたのですが……いかがですか?」

「うん、遠慮なく頂くよ」

 

 私が置いた湯呑みから、賢さんは一口お茶を口にした後で。

 悟さんは私に尋ねたのです。あの雪の街で相沢さんがどう過ごしたのかを。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 私が知る限りの相沢さんについての話……彼によって救われた数人の少女たち。

 私を初め、真琴、名雪さん、あゆさん、舞さん、佐祐理さん、栞さん、そして香里さん。

 そんな彼女たちが皆、相沢さんに好意を寄せるようになったのは、当然と言えば当然なことでした。

 彼女たちと過ごした、はちゃめちゃでも楽しかった一年間。

 そして相沢さんの卒業。ここでも一波乱あり、結果として香里さんと学生結婚することになったのは、賢さんもご存知のこと。

 更にその一年後、私が相沢さんの実家に居候するようになった経緯。

 時々質問を挟みながらも、賢さんは始終にこやかに私の話に耳を傾けていました。

 

「それにしても、祐一の選んだ相手が香里くんで良かったよ。もし、祐一の選んだのが名雪ちゃんだったら……」

 

 私の話を聞き終えた賢さんが、やや沈んだような表情でぼそりと呟きました。

 

「え?」

「これは、ここだけの話にしておいて欲しいんだけど……」

 

 そう前置くと、賢さんは改めて話を続けます。

 

「実はね、昔から僕と夏っちゃんは、祐一と名雪ちゃんが恋人関係に発展することを恐れていたんだ」

「それは一体どういう理由からですか?」

「君も知っての通り、祐一と名雪ちゃんは血縁上では従兄妹の関係になる」

 

 賢さんの言葉に、私は首を縦に振る。私に限らず、相沢さんと名雪さんを知る者なら、だれでも二人の血縁上の関係は承知済みです。

 ですが、賢さんはそれこそが問題なんだと続けました。

 

「従兄妹同士の結婚は、法律上は許可されているものの、やはり色々と変な噂を呼び込むことがあるんだよ。これは僕たちが嫌という程経験したからよく知っている」

「え……? もしかして……」

「うん。僕と夏っちゃん、そして秋ちゃんとは従兄妹なんだよ」

 

 そう言ってにっこりと微笑む賢さん。

 ということは、相沢さんと名雪さんは、従兄妹であると同時に又従兄妹でもある訳ですか。

 

「そんな二人が結ばれると、少々血が濃くなり過ぎる。僕も専門は昆虫とはいえ、生物学者の端くれだからね。少しばかり心配だったんだ」

 

 なるほど。

 私も獣医を志す身、賢さんたちの心配する理由は分かります。

 

「先程も言った噂云々もあるけど、やっぱり心配なのは血の濃さだ。近親者同士の間に生まれる子供は、障害を持って生まれることがままある。もちろん、必ずそうなる訳ではなし、近親者同士でなくても障害を持った子供が産まれる可能性はゼロじゃない。でももし、そんな子供が産まれたらと考えると、やはり親としては……ね」

 

 分かるだろう? という意味を込めた視線を、賢さんは私へと向ける。

 相沢さんと名雪さんが結ばれた場合、香里さんとの時のように学生結婚するとは限りません。しかし、遠からず二人が結婚する可能性は決して低くはなかったでしょう。

 そしてもし、その二人の間に生まれた子供が、賢さんの言う通りに何らかの障害を持っていたとしたら。

 生活面での負担はもちろん、きっと良くない誹謗中傷に晒されることになる。

 それは年若い二人が背負うには、重過ぎる十字架となった筈です。

 

「だから香里さんなら……ですか」

「そういうこと。そういう意味では、君が相手でも良かったんだよ」

「な……なななな、何をいきなり……」

 

 いきなりの賢さんの言葉に、自分の頬が熱を持つのを自覚する。

 

「あはは、ごめん、ごめん。別にからかうつもりはなかったんだ。ところで、今の話は絶対に祐一たちには内緒だよ?」

「ええ、それは承知しています。ですが……」

「うん?」

「ですがもし、相沢さんが選んだのが、香里さんではなく名雪さんだったとしたら……賢さんたちは無理矢理にでも二人を別れさせたのですか?」

 

 からかわれた仕返しという訳でもないが、私はちょっとばかり意地悪な質問を悟さんにしてみます。

 

「そんなの、決まっているだろう?」

 

 そう言うと、賢さんはぱちりと片目を閉じながら私に告げました。

 

「心の底から祝福したさ。香里くんの時と同様にね」

「で、ですが、それでは……」

「確かにさっきの話とは矛盾するね。でも、さっきの話はあくまでも生物学者としての話。祐一の父親としての僕は、名雪ちゃんなら諸手を上げて歓迎するよ。彼女が優しい娘なのは昔から良く知っているからね。名雪ちゃんならきっと祐一を幸せにしてくれる」

 

 そう言って再び微笑む賢さん。

 きっとこの人は、相沢さんが選んだ相手なら、誰だって祝福するのでしょう。

 そしてそれは、それだけ自分の息子を信頼しているという証でもある訳です。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「ただいまぁ」

 

 玄関から、相沢さんの声がします。

 

「おかえりなさい。散歩は如何でした?」

 

 玄関まで出迎えた私は、そう何気なく相沢さんに尋ねました。ですが、途端に彼は顔を顰めます。

 しかも、今玄関にいるのは相沢さんと香里さん、そしてベビーカーに乗った容華ちゃんだけで、一緒に出かけた夏奈さんの姿はありません。

 

「いや……その……大変だったよ、色んな意味で……」

「?」

 

 不思議に思って首を傾げる私に、相沢さんの隣りの香里さんも、ご主人同様疲れた溜め息を零しながら呟きます。

 

「家を出てすぐ、ご近所の人と出会って、お義母さんがその人と世間話を始めちゃって……」

 

 なるほど。顔なじみの主婦同士が道端で出会えば、そこで世間話が始めるのは世の常。しかも夏奈さんは久し振りに帰郷した訳で、余計に話に花が咲いたのでしょう。

 それが今この場に夏奈さんの姿がない理由でしたか。

 

「で、暫く話が終わるのを待っていたんだけど、いつまで経っても終わりそうもなくて。そのうち容華ちゃんがぐずりだしちゃって……仕方ないから、私たちだけで散歩をしたんだけど……」

 

 ああ、香里さんが言わんとしている事が手に取るように分かります。

 この近所の方は、皆さん相沢さんと香里さんが夫婦であることをご存知です。その二人が生まれたばかりの容華ちゃんを乗せたベビーカーを押して散歩していたとしたら。ご近所の皆さんがそれをどう見るかなど、容易に想像できます。

 

「いつの間に赤ちゃんが生まれたの? という質問攻めにあった訳ですか……」

「その通りだ。しかも、容華は俺たちの娘じゃなくて妹だって言っても、誰も信じやしねえし……」

「そ、それは……」

 

 はあ、と重い溜め息を吐く相沢さんと香里さんに、私はかけるべき言葉は一つしか思い浮かびません。故に、私はそのたった一つの言葉を、万感の思いを込めてお二人へと送ります。

 

「ご愁傷さまでした」

 

  ◆   ◆   ◆

 

「そう言えば、先程賢さんからお聞きしたのですが、悟さんと夏奈さんは従兄妹同士だそうですね」

「え?お義父さんとお義母さんが?」

 

 リビングでお茶を飲みながら、私は先程悟さんから聞いた話を、何気なく相沢さんと香里さんにしてみると、意外そうな顔で香里さんが返事をしました。

 

「あれ? 香里に親父たちのこと、言ったことなかったっけ?」

「ええ、初耳よ。へえ、お義父さんとお義母さんが従兄妹ね。実を言うと、前からどことなく二人の容姿が似ている気がしていたんだけど、似ていて当然だったのね。あれ? でもそうすると……」

 

 と、そのまま拳を口元にあて、何やら考え込む香里さん。一体、どういたというのでしょう?

 そしてそのまま暫く、微動だにせず考え続ける香里さん。私と相沢さんは、互いに顔を見合わせて首を傾げるばかり。

 ちなみに容華ちゃんはと言えば、散歩から帰って来てミルクを飲むと、そのままお昼寝に突入。賢さんは書斎にて仕事中だし、夏奈さんも一向に帰って来ません。

 故に今リビングにいるのは私たち三人だけですが……

 

「いやああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」

 

 不意に叫び声を上げる香里さん。いや、正直びっくりしました。本当に。

 

「ど、どうした香里っ!? 一体何があったって言うんだっ!?」

 

 相沢さんに肩を掴まれ、彼の方へと振り向く香里さん。彼女は両手で頭を抱えながら、いやいやと首を左右に振っています。

 

「み……」

「み?」

「見えたの……見えちゃったの……」

「な、何が見えたって言うんだよっ!?」

 

 やや厳しめにそう問い質す相沢さん。でも、香里さんは一体何を見たというのでしょうか?

 

「────将来の私たちの姿よ」

 

 暫くしてようやく落ち着いたのか、香里さんが力のない声でそう呟きました。

 

「将来のお二人の姿──ですか?」

「ええ……」

 

 私の問いかけに、香里さんは力なく首を縦に振る。

 

「これから先、十年、二十年と経ったと仮定して……当然、私たちもそれだけの年を重ねていくわよね……」

 

 私には香里さんが言わんとしていることが分かりません。

 時間が流れれば、万物はすべからく年を重ねていきます。それは避けようのない事実です。

 ですが、なぜそれをこの場で香里さんが口にするのでしょう?

 

「その時、私はきっと年相応の容姿をしているわ」

「えっと……いや、な? それが普通だろ?」

「ええ、それが普通よ。でも……」

 

 何となく。

 何となく、香里さんの言わんとしていることが分かったような気がします。

 香里さんに限らず、私も十年後、二十年後にはそれなりに年を重ねた容姿をしていることでしょう。ですが相沢さんは……いえ、相沢の血筋の人たちは……。

 

「年相応の私の隣りには、今とさほど変わらない祐一の姿が……いや、いやよっ!! 私だけが年老いて行くのはいやなのぉっ!!」

 

 賢さんは言うに及ばず、妻であり血縁関係にある夏奈さんとその妹である秋子さん。

 この三人の今の実年齢と容姿との差を考えれば、その血を引く相沢さんもまた、賢さんたちのように実年齢と容姿が釣り合わなくなる可能性は極めて高いでしょう。

 ああ、香里さん。あなたの気持ちはとても良く理解できます。

 周りが一向に年を取らない──少なくとも外見的には──のに、自分だけは年相応に衰えていく。

 確かにこんな怖ろしいことはありません。

 全く、本当に相沢の血筋は人間ですか? 人外の血が混じっていると言われても、誰も不思議に思いませんよ?

 そんな思いに捕われながら、私はどうしたものかと頭を掻きながら悩んでいる相沢さんをじっと見詰める。

 本当に。

 本当に恐るべき人たちです。相沢の血筋の人たちは。色んな意味で。

 




 本日の更新。

 昨日、UAが1000を超えたっ!!

 連載開始当初に予想していたより、かなり多くの方々が当作に目を通していただいているようです。
 やはり、こういう形で小説を発表している以上、一人でも多くの人に読んでいただけるのは望外の喜びであります。

 当作のストックもあと一本。それに最後のエピローグを加えて、完結となる予定です。
 ストックの方は今日中に。そしてエピローグも今月中か来月初旬には掲載でいるようにがんばります。

 あと一息。

 よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14-買い物に行こう

 あの怒濤のような、相沢さんのご両親の突然の帰国から早数週間。

 悟さんと夏奈さん、そして容華ちゃんは、出産に関する諸手続を済ませると、すぐに渡米してしまいました。

 悟さんのお仕事の関係で、それ程長い休暇は取れなかったとか。

 できれば悟さんたちを北の街にすむ皆さんにも紹介したかったのですが、残念ながらそれはかないませんでした。

 悟さんたちを見て、きっと驚くであろう真琴たちを想像すると、なんとも楽しみであったのですが、いやはや残念です。

 そんな悪戯心を宥めつつ、日常はいつものように過ぎ去って行きます。

 

「美汐ちゃん、買物に行きたいんだけど、付き合ってくれない?」

 

 休講で家にいた私に、私同様たまたま休講が重なった香里さんが尋ねました。

 もちろん、特にすることもなかった私は、香里さんの提案に素直に首を縦に振りました。

 

「今日は時間もあるし、ちょっと遠出をしようかと思うんだけど、いい?」

「遠出ですか?」

「そう。ちょっと隣町までね。ほら、これ見て」

 

 そう言って香里さんが広げたのは、今日の朝刊に折り込まれていた広告の一枚。

 それは隣町にある、郊外型大型店舗のスーパーの広告。そして紙面に踊る『特売』の二文字。

 なるほど。確かに特売に相応しい、お値打ちな商品がたくさん記載されています。

 

「ですが、ここは電車で行くにはちょっと不便過ぎませんか?」

「あら、電車で行くなんて、私は一言も言ってないわよ?」

 

 と、香里さんはにやりと笑いました。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 外出の準備を調えた私は、同様に外出準備済みの香里さんに連れられて、相沢家の横手にあるガレージへとやって来ました。

 

「あの、香里さん? 確かこのガレージには何もないはずでは……?」

 

 以前、私がこの家に居候することが決まった時、相沢さんに案内されてこのガレージに来たことがあります。

 その時には、このガレージの中には車は一台もなく、片隅に申し訳程度に相沢さんがこちらの高校にいた時に使っていたという、ビッグスクーターがぽつんと置かれていました。後は使わなくなった日用品などが積み上げられていただけ。

 

「ええ、そうよ。確かにこの前までは……ね」

 

 そう言って、再びにやりと笑う香里さん。

 そして香里さんは、黙ってガレージのシャッターを押し上げます。

 

「あ……」

 

 空のはずのガレージ。ですがそのガレージには、真新しい車が二台も止められていました。

 

「この車は……」

 

 私は二台の車の内、真紅のスポーツカータイプの車へと視線を向ける。

 なぜなら、その真紅のスポーツカーには見覚えがあったからです。

 

「ええ、そうよ。あなたが想像している通り」

 

 してやったりとばかりの香里さん。ああ、なんとなく、最近の香里さんは相沢さんの影響を受けているような気がします。

 ですが、今は目の前の車の方へと意識を向けましょう。

 

「マツダRX-8。以前、大学までお義父さんが来た時、乗っていた車よ」

 

 あの大学前で悟さんが香里さんを乗せた車。確かにそれは、今目の前に止まっているこの真紅のスポーツカーに間違いありませんでした。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「お義父さんはね、帰国間近に偶々テレビで見たこのRX-8に一目惚れしたそうよ」

「へ?」

「で、そのまま顔なじみのディーラーへ電話して、帰国した際に即金で買うから諸々の準備をしておくように頼んだんですって」

「で、では、この車はアメリカで使っていた車を持って来たのではなく、帰国した時にわざわざ買った車なんですか?」

「そういうこと。しかも、買ったはいいものの結局はそのまま置いてっちゃったのよ? 全く、信じられないわよ。流石は祐一の父親ね。行動に予測がまるでつかないわ」

 

 スポーツカー一台を衝動買い。しかも日本に置いてきぼりに……。確かに普通なら信じられません。ですが悟さんは誰あろう相沢祐一の実の父親。そう考えると、なぜだか不思議でも何でもないような気がしてきました。

 ですが、この車一体幾らぐらいでしょう? 私は車に関しては全くと言っていいほど詳しくありません。ですが、目の前のスポーツカーが決して安くはないのは分かります。

 後に私は相沢さんに聞き、このスポーツカーが三百万ほどはすると知り、改めて驚くのですがそれはまた別の話。

 しかし、三百万もする車をぽんと衝動買いするとは、本当に信じられない人です。

 

「では、もう一台の車は……」

 

 私は改めてもう一台の車へと視線を向けました。

 こちらはいかにもなRX-8とは違い、小型でかわいい感じのピンクの車。いわゆる軽自動車というものでしょう。

 

「そっちはスズキのMRワゴン。お義母さんが買った車よ」

 

 はい? 今、香里さんはお義母さんが買った車、と言いませんでしたか?

 お義母さんが『買った』? お義母さんが『乗っていた』ではなく?

 

「も……もしかしてこっちの車も……」

「ええ、そう。今あなたが考えている通りよ」

 

 額に人差し指を当て、はあっと溜め息を吐く香里さん。

 

「『悟くんが買ったなら私も買うっ!』って言い出したらしくてね……しかもお義母さんも買いはしたものの、結局こっちに置いてっちゃうし……」

 

 更に、夏奈さんが車を置いていった理由というのが、「私、運転苦手だし。てへっ」というものだったとか……。

 

「運転が苦手ならどうして買うの? 買う必要ないじゃないっ!」

 

 私も香里さんの言われることには、激しく同意します。

 

「……まあ、いくら身内とはいえ、お義父さんたちの買物にまで介入できないけど。納得いかないのも事実なのよ」

 

 どうやら……というか当然というか、代金は全て悟さんたちが支払ったようです。

 しかも、毎年の保険料や税金も悟さんたち持ちといいます。これでは確かにいくら身内の香里さんとはいえ、何も言えないでしょう。買物自体は悟さんたちの自由なのですから。

 

「でも、そのお陰でこうして遠くまで買物に行けるんだから、これ以上文句は言わないことにするわ。ま、燃料代だけは私たち持ちだけど」

 

 そう苦笑する香里さんに、私もそうですねと同意して、改めて買物に出かけることにします。

 しかし、私が軽自動車の助手席側へと足を向けると、何故か香里さんから待ったがかかりました。

 私は運転免許は持っていません。ですから、運転は香里さんに任せることになります。もちろんそのことは香里さんもご承知の筈ですが。はて?

 

「そっちじゃないわよ、美汐ちゃん」

 

 車のキーを指先に引っかけて回しながら、香里さんは空いた方の手である方向を指差します。

 香里さんの指が差し示す先。そこには真紅のスポーツカーが鎮座ましましていました。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「え?」

 

 思わずきょとんとする私に、香里さんは不敵に微笑みかけます。

 

「軽自動車なんて、女子供の運転するものよ」

 

 いえ、香里さん。あなたは「子供」はともかく間違いなく「女」なんですが。

 しかし、困惑する私をよそに、香里さんは確かRX-8という名前のスポーツカーの運転席に、颯爽とその身を滑り込ませました。

 仕方なく、私もスポーツカーの助手席に腰を落ち着けます。

 しかし何と言うか。そこは車の運転席というよりは、まるで宇宙船か何かのコクピットのようです。いえ、私が車について無知だということももちろんあるでしょうけど。

 

「そういえば、美汐ちゃんは免許はどうするの?」

 

 シートベルトを締めながら、香里さんが尋ねました。

 

「免許は取るつもりです。大学が夏休みに入ったら、自動車教習所へ通う予定でいます」

「その方がいいわね。将来、車の免許ぐらいは絶対に必要になるでしょうから」

 

 香里さんの言葉通り、今の日本では自動車免許は必須と言ってもいいでしょう。ですから、私も大学にあった近場の教習所のパンフレットを、一応貰ってきていたりします。

 

「もし免許を取れたら、MRワゴンの方を使わっていいわよ。車ってのはほったらかしにしておくといろいろと都合が悪いしね」

 

 香里さんは私がシートベルトを締めたのを確認すると、慣れた様子で手足を動かします。

 

「じゃあ、出発するわよ?」

 

 キーを捻ってエンジンを始動させ、サイドブレーキを外してシフトを一速に放り込むと、素早く半クラッチを噛ませてクラッチを戻す。

 途端、ぎゃりりりりりりっというホイルスピンの音と共に、がくんと私の身体にのしかかってくる慣性。

 

「ひゅぴっ!?」

「しゃべると舌、噛むわよ?」

 

 香里さんはそう忠告してくれましたが、私はそれどころではありません。

 ハンドルが右へ左へと切られる度、私の身体も左右へと激しく揺れる。

 もう必死にシートにしがみ付くしか、私にできることはありません。

 そしてこの時、可及的速やかに免許を取ることを心に誓いました。

 でなければ、私は買物の度にシェイカーに入れられたカクテルの気分を味合わなければなりません。

 ぶっちゃけ、もう二度と香里さんが運転する車には乗りたくないです。

 




 これにてストックが尽きました。

 お話としてはあと一話。エピローグを加えて完結します。
 とはいえ、そのエピローグはこれから書くわけですが。

 さて、作中に出てきたRX-8。この作品を書いていた当時、自分が欲しかった車です。そのRX-8も話によると生産が中止になったとか。いやはや、時の流れを感じてしまいます。

 何はともあれ、あと一話。

 もう少しだけおつきあいください。

 では。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15-エピローグ

 

 お久しぶりでございます。天野美汐です。

 あれから随分と時が流れ、今や私も一社会人として頑張っております。

 大学生時代、相沢さんの家に居候しながら大学に通ったのは良き思い出です。

 いえ、思い出というのは少々間違いかもしれません。

 なぜなら。

 現時点で、私は今も相沢さんのお宅に下宿しているのですから。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「こいつは肝臓疾患だな。ほら、嘴の先っぽが黒くなっているだろ? これは実は内出血なんだよ。こういった出血傾向以外にも、嘴が異常に伸びて喉に刺さりそうなるとかもあるから、そういった病気のサインを発見したら早目に病院に連れてくるようにな?」

 

 セキセイインコが入れられている鳥籠を前に、相沢さんが飼い主さんに病状を説明しています。

 飼い主さんと言っても小学生の男の子で、家で飼っているセキセイインコの様子がおかしいからと先程病院に駆け込んで来たのです。

 それを当院の院長である相沢さんが丁寧に診察し、その診察結果を飼い主の男の子に告げています。

 そう。

 ここは相沢さんが院長を務める動物病院であり、私はそこに獣医師として勤務しています。

 大学を卒業し、なんとか獣医の資格を取得した私は、相沢さんに誘われて彼の病院にそのまま就職しました。

 とはいえ、相沢さんが院長を務めてはいますが、この病院のオーナーは彼ではありません。この病院のオーナーは、かつて北の雪の街で私たちと共に相沢さんとあった、倉田先輩がオーナーの病院なのです。

 現在、倉田先輩は実業家として有名な人となっています。

 大学を卒業してすぐ、彼女はお父さんから資金を借り受けて起業しました。

 そしてその会社は瞬く間に軌道に乗り、莫大な資産を稼ぎだしたとの事です。

 瞬く間にお父さんから借りた資金を返済した彼女は、その後も様々な業種で成功し、現在では年収数千万を超えるやり手の女性実業家として名を馳せています。

 

「川澄さん。ゲージの入院患畜に餌を与えてください」

「…………分かった」

 

 そして、そんな倉田先輩と常に一緒だった川澄先輩はといえば。

 彼女は大学を卒業した後、専門学校に通って動物看護士の資格を取り、相沢さんの病院で私たちと一緒に働いています。

 現在は相沢さんの実家のある町で倉田先輩と一緒に暮らしています。何でも、倉田先輩がマンションを建て、その最上階を一フロア全てぶち抜いて二人の住まいとしているそうです。

 私も相沢さんも何度かそこへ訪れた事がありますが、行く度にその広さに驚きと呆れを感じざるを得ません。

 川澄先輩は獣医ではないとはいえ、動物に限りなく愛情を注ぎ、患畜のためならどんな苦労も厭わない彼女は、当院にとって欠かせない存在であるのは間違いありません。

 院長である相沢さんを筆頭に、私以外にも数人の獣医と川澄さん他数人の動物看護士を擁する当院は、患畜に対するその丁寧な対応と、二十四時間対処する体制で近隣でも評判な獣医院となりました。

 大変な職場ではありますが、私も確かなやり甲斐を感じており、辛くとも楽しい毎日を過ごしています。

 

  ◆   ◆   ◆

 

「調子はどうですか?」

 

 私と相沢さん、そして川澄先輩が一緒に休憩時間に入ると、珍しくオーナーである倉田先輩が尋ねて来ました。

 

「よう、佐祐理さん。相変わらず忙しい毎日を送っているぜ」

「それは何よりです」

 

 にこやかに微笑みながら休憩室に入ってくる倉田先輩。

 私は立ち上がると、倉田先輩にお茶を入れる準備を始めます。

 

「あ、天野さん、お構いなく。私もすぐに行かなくちゃいけませんから」

 

 いつも通り忙しそうな倉田先輩。きっと病院の駐車場では、彼女の秘書さんが時計を見詰めながら彼女の事を待っている事でしょう。

 倉田先輩のスケジュールはまさに分刻みだと聞いた事がありますから。

 確かに倉田先輩はオーナーではありますが、経営方針他一切口は出しません。その辺りは全て、院長である相沢さんに任せているようです。

 普段は相変わらずな相沢さんですが、患畜たちにはいつも真面目に接しています。

 そんな彼の横顔に、若い女性の動物看護士たちはよく見蕩れているようですが。

 ちなみに、私も時々見蕩れたりしますが、それは私だけの秘密です。

 

「ところで祐一さん。そろそろじゃないですか? 良ければ車で送りますよ?」

「おっと、もうそんな時間か。じゃあ、悪いけど、お願いしますよ、佐祐理さん」

「はい、お願いされました」

 

 壁にかかっている時計を確認し、相沢さんは立ち上がります。

 

「じゃあ、天野。後は頼むな」

「はい。香里さんによろしく伝えてください」

「……祐一。上の子はどうしているの?」

 

 立ち上がり、倉田先輩と一緒に休憩室から出ようとした相沢さんに、川澄先輩が問いかけます。

 

「あいつなら今、栞のところだ。丁度栞の分の作業は終わったらしくてな。しっかり『叔母さん』してるよ」

 

 どうやら、三年前に生まれた相沢さんと香里さんのお子さん──男の子──は、叔母である栞さんの所にいるようです。

 現在、栞さんは漫画の原作を生業としており、作画担当のあゆさんと組んで人気漫画家として活躍中です。

 本当は作画も自分でやりたかったそうですが、あの混沌しか生み出さない画力ではさすがにそれは無理と諦めたらしく、意外と絵が上手いという隠れた特技を有していたあゆさんと組み、新人賞に応募したところ見事に当選、今や押しも押されぬ売れっ子漫画家としてその作品はアニメ化までされる程となっています。

 彼女たち以外も、名雪さんはアスリートとしてオリンピックでの銀メダルを皮切りに、その他の国際的な陸上競技会で幾度もメダルを獲得し、現在は出身大学で後輩の育成に頑張っていますし、真琴は保育士としての資格を見事に取得、今日も園児たちを相手に元気に走り回っています。

 そして。

 そして、相沢さんの奥さんである香里さんは、現在二人目を妊娠中。それも今月が臨月という正に正念場。

 しかし、その香里さんに少々問題が発生したのです。

 二人目の妊娠が発覚した際、子宮に腫瘍がある事が判明しました。

 腫瘍とはいっても良性のもので、転移などの心配はないとの事。

 ただし、出産の際に万が一腫瘍が潰れたりすると、身体中を洗浄する大手術が必要になるとかで、今回は帝王切開による出産になるようです。ちなみに、子供を取り出す際にその腫瘍も切り取る予定との事。

 そして、その手術の時間がそろそろ間近に迫っているのです。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 りりん、と電話が鳴りました。

 その音に私が電話へと振り向くと、既に川澄先輩が電話に出ていました。

 電話が鳴った時、彼女は確か私よりも電話から遠い位置にいたはず。それなのに、どうして私より早く電話に出る事ができるのでしょうか?

 とても人間業とは思えない速度に、たまたま居合わせた他の動物看護士の女性が目を丸くしています。

 後に彼女はこう語りました。

 

「電話が鳴った途端、川澄さんの身体が消えたんです。そして、気づけば電話に出ていました。あれってもしかして瞬間移動?」

 

 私も相沢さんから川澄さんには不思議な力があると聞いた事がありますが、それは瞬間移動の類ではなかったと思います。

 何はともあれ、漏れ聞こえてくる川澄先輩の声から、電話の開いてはどうやら相沢さんのようです。

 やがて、電話を終えた川澄先輩は、こちらへ向き直るとぐいっと右手の親指をおっ立てました。

 

「……女の子。2224グラム。ちょっと小さいけど、母子共に元気」

 

 彼女がそう告げた途端、居合わせた者が歓声を上げました。

 どうやら相沢さんと香里さんの第二子は女の子のようです。確かに2224グラムは小さいですが、元気なら問題はないでしょう。

 当院の職員たちは、まるで我が事のように相沢さんの第二子の誕生を喜んでいます。

 もちろん、私も川澄先輩も同様です。川澄先輩など、うっすらと涙まで浮かべています。

 川澄さんと私は、勤務が明けたら病院に直行しようと約束しました。

 

  ◆   ◆   ◆

 

 仕事が明けると、私と川澄先輩、そして夜勤組以外の他の同僚と共に、香里さんが入院している病院へと駆けつけました。

 そして今、私たちは新生児室の前で、その中の赤ちゃんを食い入るように見詰めています。

 足首に「相沢香里・女児」というプレートをかけられた赤ちゃん。昔は生まれた時に、取り違えなどがないように足の裏に親の名前を書いたそうですが、今はあのようなプレートをかけるのですね。

 新生児室にいる他の赤ちゃんより、一回りは小さいその子。

 ですが、小さな身体で他の赤ちゃんよりも一番元気に手足を動かしています。

 

「……あれが相沢さんと香里さんの……」

「……かわいい」

 

 現在、香里さんは手術の時の麻酔のため今だ目を覚まさないらしく、相沢さんは香里さんの病室にいるようです。

 そして、その病室には双方の家族が駆けつけているため、私たちはこうして新生児室の赤ちゃんを見ているというわけです。

 

「よ、みんな。折角来てくれたのに、病室に入ってもらえなくて悪いな」

 

 私たちの元へとやって来た相沢さん。眠っている香里さんの事は両家の家族に任せているのでしょう。

 

「…………赤ちゃん、名前は?」

 

 川澄先輩が尋ねます。

 

「いや、実はまだ決めてないんだ。香里が目を覚ましてから、二人で決めようと思ってな」

「事前に決めてなかったのですか?」

「ああ。生まれた子を実際に見て、その子に一番合う名前をあげようと香里と相談していたからな」

 

 そういえば、上の男の子の時も事前に名前は決めていませんでしたね。

 確かに、生まれる前にあれこれと名前を決めるのもいいものではありますが、相沢さんの言う通り、生まれた子を見てから決めるのもありではないでしょうか。

 

「まあ、これからはこの子共々、改めてよろしくな、みんな」

 

 そう言ってにっこりと微笑む相沢さん。

 相沢さんと香里さん。そして二人のお子さんたち。

 北の雪の街にいる栞さん、あゆさん、名雪さん、そして真琴。

 今や同僚となった川澄先輩に雇用主でもある倉田先輩。

 そして、その他にもご近所の皆さんや、同じ病院で働く人たち。

 そんな人たちと、これからも私は共に歩んでいくのでしょう。

 ですから、そんな思いも含めて私も相沢さんへと微笑みかけます。

 

──こちらこそ、これからもよろしくお願いします、と。

 

 





 これにて、「相沢さん家の居候」は完結となります。

 随分と昔の作品に手を加えた当作ですが、それなりの評価をいただけたようで安堵しております。
 今回、実に数年ぶりに「相沢さん家」の続きを書いたわけですが、やはり今では勝手が違いますね(笑)。この作品を書いていた当時は、自分も二次作品ばかり書いていましたが、今ではオリジナルがメインとなっています。
 当サイトではまだオリジナルは発表しておりませんが、「小説家になろう」では幾つかの作品を発表しております。こちらと同じユーザー名で公開しておりますので、興味の沸いた方が見えられたら、そちらも覗いてやってください。


 さて今回、香里が生んだ第二子について、少々実体験を盛り込みました。
 子宮に腫瘍が発見されて帝王切開したとか、生まれた子供の体重が少なめだったといったあたりです。
 手術後まだ嫁が眠ったままの時、担当医に呼び出されて子供の体重が思ったより少ないため、検査をする必要があると言われた時には頭が真っ白になったものです。
 当初では2500グラム以上はあると思われていた体重が2224グラムしかなかったわけですから、どこか異常があるのでは、と疑われたようです。大きくなれなかった理由があるのではと思われたようですね。
 そして検査の結果、単に体重が少ないだけで健康と聞かされ、ほっとした時の気持ちは今でも鮮明に思い出されます。
 その子も今では小学二年生。確かに他の子よりも小柄ではあるものの、毎日元気に暮らしています。


 これまで「相沢さん家の居候」をお読みくださり、本当にありがとうございました。
 お気に入り登録、評価の投入など、各種の支援をくださった皆様に心からお礼申し上げます。

 では、次の機会に再びまみえる事ができるよう願いまして。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。