技師の力は何が故に (幻想の投影物)
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case01

「Nicole……」

 

 既に死んでしまっている恋人の名前を呟くが、あの地獄のような場所から脱出できたことを喜ぶべきかも分からない。この「石村」に訪れた同僚の乗員は全て死に絶えている。その中から、ただ自分のみが生き残ってしまった事を嘆くべきなのか。

 冷静な上司でもあり、私を導いてくれたHammondは真実を知る前に巨大な化け物の手で目の前で惨殺された。だが、あの軍艦が爆発して崩壊したことから考えると、あの非情な化け物「ネクロモーフ(Necromorph)」共と同じ存在にならなかったことが、唯一の救える点なのかもしれない。

 そして私と同じく、死んだ筈の恋人の幻影を追っていたDr.Kyne。彼は半ば正気を失いながらもMarkerを元の位置に戻そうとして、そして撃ち殺された。

 だが、嗚呼。今となっては憎さしか浮かばないKendraよ、彼女は私が恋人の幻覚を見続けていたと言っていた。あの忌々しいネクロモーフを生みだしたモノリス、Markerによる物だとも。だとしたら、私が見て来たNicoleは一体何者だったのだろうか。

 ロックを外す為、コンソールを弄っていた彼女の助けによって私は先に進む事が出来た。確かに私はあの場所に行く事が出来ず、そして彼女の手でロックは開かれた。シャトルを戻した時だってそうだ。私がやったのはシャトルその物の操作ではなく、それは彼女の手によって行われていた。

 あれらが全て幻覚のNlicoleだというのならば、どうやって私は先に進む事が出来たのだろうか。

 

≪Isaac, it's me. I wish I could talk to you.

 I'm sorry. I'm sorry about everything.

 I wish I could just talk to someone―――≫

≪アイザック、私よ。貴方と話すことが出来たら。

 ごめんなさい、何もかもあやまるわ。

 誰かと話すことさえできたら―――≫

 

 ログを切る。

 これ以上彼女の声を聞いていると頭がおかしくなりそうだった。

 

「Damn it!! why!?」

 

 何故こんなことになってしまったのか。

 なんにせよ、全ての元凶であるMarkerはもはや頭の中に覚えておくのも忌々しい。

 もう何も考えたく無い。今はただ、救助を求めてこのシャトルを操作せねば。

 だが、Nlicole。あのメッセージの最後に映っていた、自殺した君の死体は一体どこに。

 

「ヴォォォォォオオオオオオオ―――ッ!!」

 

 後ろに―――Nlicole!?

 

 

 

 

 

「a……ah……?」

 

 盲点だった。いつから入口が空けっぱなしだった脱出シャトルの中にネクロモーフがいないと錯覚していたのだろうか。いや、あの極限の状況下でも下手な精神障害を負わなかった、自分の精神のタフさに感謝すべきだろう。助かった事には感謝どころかハグでもしてやりたいところだが。

 しかし、此処は何処だ?

 ドロドロとした雰囲気はネクロモーフ共が適応化していた肉壁のようにも見えるが、実際に肉と表現するべきところは無い。どちらかと言えば、怨念やゴーストなどが取り憑いた「恐怖の館」とでも言ってやるべきなのだろうか。

 いや、そんな事を言っている場合ではない。問題なのは、私は船の中でネクロモーフに襲われた筈なのに、どうして再びヘルメットをかぶった状態で、古臭い触感がするコンクリートジャングルの中に居るのか。と言う事だ。裏の事情がからんでいる「石村(Ishimura)」近くには開拓惑星も無く、それどころか居住惑星すら無い。私が長い間眠っていて不時着したとしても、乗っていた筈の船が無いのはおかしい。そして私を殺そうとした筈のネクロモーフが必ず此処に解き放たれている筈である。

 そうなれば、早々に近隣住民に奴らの弱点を示さなければならない。あのエイのようなヤツ以外にも同族を作る事が出来る者はいるだろう。

 そうして決意を固めた時だった。ジャキ、と銃を突きつけられる音がしたのは。

 

「貴方、一体こんな所で何をしているの? いえ、もしかしてその風貌は魔女の使い魔かしらね」

 

 声のした方を見れば、こちらに銃を向けている十代半ばの少女の姿。

 不味い。このエンジニアスーツは石村特有の強化スーツなので、知らず化け物だと思われてしまうのも無理はない。とにかく無害を示す為、その力の込められた指が引かれる前に咄嗟に両手を上げてアピールした。彼女が人間なら、この意味が何か分かるはずだ。

 

「降伏っ…? あなた、人間なの?」

「……? Japanese…Japan!?」

「え、英語…? えっと、フーアーユゥ?」

 

 たどたどしい発音ながらも、彼女は私が誰かと聞いてきたらしい。

 そう思った瞬間、周りの恐ろしい雰囲気に包まれた世界にひびが入り、どこかの廃ビルらしき場所に景色が移り変わった。これも幻覚かと思われたが、目の前に居る少女の姿は消えていない。

 ここは接触の必要がある。そう判断して、スーツの翻訳機能を使用した。これで彼女と意思を問題無く交わすことができるはずだ。

 

「君は、日本人なのか?」

「え、……に、日本語が話せるのね?」

「翻訳装置を使った。君も知っている通り、一般的な物だと思うのだが…ああ、君は誰かと聞いていたのだったか。私はアイザック、アイザック・クラークだ」

「暁美ほむらよ。外国で言うと、ホムラ・アケミになるわね」

「やはり日本人…ここは、地球なのか?」

 

 そういった瞬間、彼女が訳のわからない物を見る目になった。

 一種の狂人とでも思われているのだろうか。だが、この反応はもしかしたら。

 

「…? ええ、そうよ。何で魔女結界の中に居たのかは知らないけど、惑星を聞くなんて宇宙人のつもりかしら」

「いや、私は生粋の地球人だ。Concordance Extraction Companyでエンジニアをしている」

「聞いたことの無い会社ね。そこのエンジニア…それにしては、随分と装備が物々しいようだけど」

 

 確かに、少女の言うとおり私のエンジニアスーツは幾つもの追加装甲と安全装置を最大まで解除させた重工具で固められている。手に持っているプラズマカッター以外は全て背部の収納スペースに収めているが、見ようによってはこの工具も銃に見えなくもない。事実、人間よりもずっと強靭な肉体を持つネクロモーフ共を殺すため、このプラズマカッターで四肢を切り裂いてきたのだから。

 しかし彼女の方も随分と旧式の拳銃を使っている物だと思う。こうなってきては、私の方もとある可能性が浮かび上がってきた。

 

「ねぇ」

「何だ」

 

 唐突に、考え込むようにしてAkemiは話しかけてくる。

 その瞳に見えた小さな感情は、恐らくは未だ消えぬ未知への疑いだろうか。

 

孵卵器(Incubator)って聞いたことないかしら?」

「支援者、いや保温器…違うな。君が言いたいのはもっと別の事か」

「正確に言うと、インキュベーターと言うエイリアンを知らないか、と言いたいのだけど」

「いや、…残念ながらネクロモーフぐらいだ。私も、すぐにそれを始末しなければならない。怪しいのは分かっているつもりだが、早くしなければ手遅れになってしまう」

「ネクロモーフ…それは、アレの事かしら」

 

 Akemiが拳銃の先で示したのは、確かにネクロモーフの骸であろう物体だった。

 幾つかの腹にある銃撃痕と爆発物で吹き飛ばされたバラバラの残骸。当然ながら四肢も吹き飛んでいる。なるほど、あれなら確実に死んでいるだろう。

 

「…助かった。礼を言うべきだな」

「そうね、此方としても聞きたい事があるわ。貴方に異存はある?」

「Ishimuraの何も分からない状況よりはマシだ。温かな人工の光と血に濡れていない清潔な空間があるなら、どこへでも連れて行ってくれ」

「貴方本当にエンジニア? まぁ、良いんだけど……」

 

 ほんの一日近くしかいなかった筈なのに、どうにも自分の常識感覚が狂っている事が実感させられる。あの幻影が見えない事が唯一、自分にとっての救いかもしれないが。

 

「それじゃ、少し酔うかもしれないから目を瞑ってなさい」

「?」

 

 彼女の言う意味が分からない。

 唯一つ言える事は。

 

 自分の意識が暗転した事か。

 

 

 

 

 少しばかり広いマンションの様だ。

 変わった地図や資料のインテリアが天井から吊り下がっているが、自分をこんな所まで連れて来た人間の物だ。ただの家具(インテリア)として片付けるには余りにも失礼だろう。

 そう思いながら立ち上がり、周囲を見渡してみれば何の事は無い表情で此方を見ているAkemiの姿があった。

 

「…一体、どうやって私をここまで」

「それも含めて話したい事があるわ。その前に、ちょっと長話に付き合ってもらうけど」

「先ほども言ったが、何も知らないよりはマシだ」

「そうね、それじゃあ私の貴方を連れて来た力から話して行こうかしら」

 

 そうして彼女は私にとんでもない事実を聞かせてくれた。

 曰く、彼女は先ほど言っていたインキュベーターと契約した魔法少女と呼ばれる存在で、此方で言うネクロモーフのような恐怖と負の体現、魔女と呼ばれている怪物と日々闘い続けているらしい。

 魔女(ウィッチ)と聞いてローブをまとった老婆の姿を想像したのだが、それは彼女が見せてくれたインテリアの実物写真を見せてもらった事ですぐさまイメージが破壊される。確かにこれなら、怪物という表現がぴったり当て嵌まっているだろう。

 そんな魔女と闘い続ける運命を背負う代わりに、インキュベーターはどんな願い事でも一つだけ叶えてくれるらしい。それだけなら確かによくあるフィクションだと笑う事が出来たのだが、やはり現実にはそんなファンタジーな幻想は存在しなかった。

 彼女達が契約した後、変身アイテムとして渡される「ソウルジェム」は彼女たちの魂そのもの。これが壊されれば彼女達は死に絶え、魔法を使い続けてこれが黒く濁り切ったら、敵である理性も自我も消え去った魔女になり果てるのだとか。

 

「だが、何故それを知っていて君は魔法少女に?」

「誰も真実を知ったらならないわよ。此れも全て、インキュベーターが“言わなかったから”」

 

 インキュベーターは宇宙全体が広がり続け、消滅しないようにと魔女化した際の感情エネルギーを変換し、宇宙に貢献する技術を確立させているとのこと。確かに友好的だとは思うが、余りにも人道を反した行いにネクロモーフを至上としたUnitologistのDr.Mercerを思い出す。

 犠牲あっての人類の進歩は否定しないが、これは感情の問題だ。私とて覚悟のある者ならともかく、無知の人物を餌として使い潰すやり方は気に食わない。

 そうした被害が増える原因はインキュベーターが契約の際に甘事だけを言う事が起因している。それならば詳しく掘り下げなかった契約者たちが悪い、と言う人物もいるだろうが、大抵契約を迫られた少女と言うのは少なからず悲劇を目の前にして、その悲劇を回避したいと思っている重い運命を背負った物の前に現れるのだ。その悲劇を自分の願いで何とかできる、と言った甘事を囁かれた際、断れる人間など普通は探してもいないだろう。皆が強靭な精神を持っていたのなら、これまで争いなど一度も起こらない筈なのだから。

 

「そのインキュベーターによって嵌められる子を救うため、そしておよそ一ヶ月後に訪れる最大の脅威を排除するために、私は契約したの。私一人の犠牲であの子が助かるなら、いくらでも契約するわ」

「覚悟はあると。だが自殺志願者の戯言とも聞こえるな」

「そう言わせないのがこの部屋の惨状よ」

 

 彼女の言葉と共に、重く響いた金属音が聞こえて来た。

 いつの間にか、周りには大量の銃器や武器が転がっている。

 どこもかしこも銃、銃、銃、銃、銃、銃、銃、銃、銃、銃、銃、銃。

 軍艦の武器庫なのかと疑いそうなほどの量が突如として出現していたのだ。

 

「これを見ても、私の言葉が狂言と言えるかしら? アイザック・クラーク」

「いいや、それよりも信用に値する情報を、その部屋の隅で見つけさせて貰ったさ。これがコメディだったらなんと嬉しい事か」

「情報?」

 

 どうにも私のヘルメットで視線の先が分かりにくかったようだが、Akemiはようやく私の見ていた物を見つけることが出来たらしい。

 それは―――「時計」。

 何の変哲もない、一昔前の旧式でデジタル表記な23:14を指し示すものだ。

 だが私が注目したいのは旧式と言う点では無い。アンティーク趣味な者やマニアがいればこう言う時計はどこでもお目にかかることが出来る。そんな中で私が注目したいのは、その時計が差す「年度」であった。

 

「一つ聞きたい事がある、Akemi。今年はAnno Dominiでいつだ?」

「西暦…? 2008年(※)よ。それがどうかした」

「やはり……私のいた時代は2507年。これだけの事実で荒誕無稽な話の全ても信じられると言う事だ。ノリノリのドッキリなら良かったが、バックトゥザフューチャーも顔負けのタイムスリップをしたとなってはな」

 

 此れが冗談だったらどれほど良かっただろうか。このノリでネクロモーフ共やMarkerの事も全てが嘘だった、と言うなら私はひとしきりに憤慨した後に心から安堵の涙を流すだろう。

 だがそんな事も無いのが現実。此方に来た際のネクロモーフはAkemiが仕留めたことが何よりの点だが、こうなってしまえば故郷に帰る事も出来ない。多少は此処で言う未来の技術を持っているのだから、その特許でも出してこの地で生きて行くことぐらいは可能だろう。

 

「それじゃ、貴方からも話してもらいたい。此処まで話したのだから、其方の事情も知っておきたいわ。あのお世辞にもユニークとも言えない怪物や、貴方の血まみれの自称エンジニアスーツについてもね」

「……話しておくべきか。もしここが過去だと言うのなら、もう同じ間違いは起こしてはいけない。ここが別世界だとしても」

 

 宇宙渡航の技術開発に当たって、並行世界といったオカルティックな要素も含めて実現させたのが私の居た世界の「船」だ。ここは正式には私の居た地球では無いのだろうが、それでもアレが…Markerが埋まっている可能性は否定しきれない。そう言った覚悟をもって話を聞いてほしかったのだが、Akemiの目はHammondにも似た決意が見て取れた。

 だからこそ、何一つ偽らずに彼女へ打ち明けていた。いや、もしかしたら馬鹿なことをやらかさない人物に事実を広めることで、私は精神的なストレスを解消しようとしたのかもしれない。

 普段の私らしくない程饒舌に、ネクロモーフの弱点や発生原理、そしてあの最悪のモニュメントがもたらした悲劇と精神汚染を語って見せた。時折視界の隅に死んだ筈の物たちの姿が見えたが、熱くなりすぎてしまったのかもしれない。

 どれほどの時間が経っていたのだろうか。ヘルメットの中で話し続ける息苦しさすら忘れるほどに必死に、時には声を荒げながらも彼女へ全容を話し終えることが出来た。

 

「……災厄、かしらね。インキュベーターと少し似ているけど…いいわ。私はあなたを信じてもいい」

「………そう、か」

 

 人種も違い、接点すら無い赤の他人。

 だと言うのに、何故だろうか。

 話し終えた。話すことが出来た。伝えることで皆の死を、名もなき墓標に名を彫った時の様な達成感と疲労が一気に襲いかかってくる。思えばIshimuraでの騒動中はスーツの調整機能に任せっきりで、碌に食事や睡眠さえとっていない事を思い出した。極限状態からの脱出が「報告」なあたり、どうにも社員根性が染みついているのかもしれない。

 

「…転がり込んだ身だが、寝かせてくれないか? 流石に、疲労が溜っていてな」

「そうね。この部屋ならどこでも使って構わないわ。ここに宿泊させる交換条件と言っては何だけど、貴方の武装を見せてくれる?」

「その程度なら……いかんな、好きに見ててくれ。大事な仕事道具もあるから、解体は……勘弁してほしいが、な…」

 

 そう言って、アイザックは機能停止したロボットの様に近くの壁に寄りかかりながら眠りについた。同時にヘルメットの青い光も収まったので、見ようによっては本当にサイボーグか何かだと思えてくる。

 彼が泥の様に眠る直前、撒く様にどこからか取り出した「工具」の数々の一つを手に取ったほむらは、縦、横と刃の向きを変えるプラズマカッターを弄り始めた。

 

「未来の道具、というのはあちらも妄言じゃ無かったようね。それに、取り逃した(・・・・・)何体かの影…ネクロモーフの事は彼が起きてから話しておこうかしら。…とにかく、魔法処理しておかないと」

 

 ただの武器では、どんなに威力がある武器でも魔女に通じる事は無い。

 一応は協力の態勢を見せてくれたアイザックの工具――彼女には武器に見えている――の全てに魔力処理を施していく中、忌々しい自分にとっては全ての元凶ともなる気配を感じた。

 振り返ってみれば、予想通り自分のイメージとは反対に神々しい見た目をした生物の姿。しかし、それを生物と言うにはただ嵌めこまれたような紅玉の瞳、耳の中から伸びる一房の毛の周りを浮かぶ金色のリングがただの生物では無いことを証明していた。

 其方を向き、アイザックのフォースガンと呼ばれる衝撃砲を手に取った。大規模な瓦礫・粉塵除去に使われるそれは人間の体なら一瞬でミンチにする事が出来る威力を持っている。それを知ってか知らずか、ほむらはソレへと銃口を向けた。

 

「やあほむら、これはまた変わった物を連れ込んだみたいだね。これは…現在の地球の技術では開発不可能な作りだけど、どうしたんだい?」

「キュゥべえ、あなたに話すことは何一つとして無いわ。早々に消え失せなさい」

「酷いなぁ。僕は君がこの男に何かされてないか、心配になって来ただけじゃないか」

「心配…? そんな配る様な心も持ち合わせていない癖に、随分と知ったような口を利けるものね」

 

 その個体の名はキュゥべえ。ほむらがアイザックに話したように、目の敵にしているインキュベーターの端末の一つである。キュゥべえ曰くボディのスペアは有限らしいが、この個体を幾ら殺した所で新しい体が出現するのでキリがない。今にでもバラバラに撃ち殺してやりたいところだが、その憎さを抑え込んだほむらは平坦な声色で言葉を発した。

 

「真意は何? 回りくどいのは其方も好みではないでしょう?」

「そっちの彼は僕たちの観測機に引っ掛かる特異な転移をしてきたようなんだ。決して成し得る事の出来なかった時への干渉、それを解析すれば並行世界や未来からのエネルギーを得ることが出来るかもしれないだろう?」

「そう、残念だったわね。彼はあなたと似たような宇宙的脅威には嫌悪感を抱いているらしいわ」

「確かにそれは残念だね。それじゃあ別のアプローチを掛けてみるよ」

 

 残念と言いながら、まったくそうは見えない空虚な言葉と共にキュゥべえの姿は闇の中に消えて行った。それまでキュゥべえに向けていたフォースガンを下ろすと、アイザックの近くに整頓するように置き直した。

 それからは投影スクリーンに英語で書かれている説明書きを何とかして読み解いていくが、これらがまさしく技師の使うような工具であることには心底驚かされた。唯一の「武器」としてはパルスガンがあったが、自分では反動の大きさから扱うには難しいだろうと再び彼の近くに戻す。

 

「初めてのイレギュラーが未来人…似たようなものね」

 

 もっとも、自分は起こりうる「過去」を止めるため、何度も同じことを繰り返す人間。彼は「過去」の事を忘れてしまいたいと思っている人間。決して交わらないような考えを持つ者同士が、こうして出会ったのは何たる皮肉だろうか。

 まだ彼に話していない真実も、きっと隠したままになるだろう。

 

 十月四日。朝日が三時間後に控えるこの日から、絶対に運命を変えて見せる。

 

 少女の決意を隣に、男は身動き一つしなかった。

 




※とある場所の考察より。
 原作放送時期の2011年ではなく2008年の出来事とさせていただきました。

アイザックさんのスーツは
 ( 圭)→( 二)→( 三)→( 亖) 以上のレベルとお考えください。

そういうことでネクロモーフと魔女が夢の共演かもしれないです。
希望となるのか絶望となるのか。
これからよろしくお願いします。


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case02

アイザックさんの口調、日本語にするとどうしても書き手によって変わっちゃいますね。
ここのアイザックさんは少し好青年、といった感じでよろしくお願いします。
あとキャラがぽく無いのはご愛敬。


「……?」

「おはよう。…いえ、グッドモーニングの方が適切かしら」

「Are you―――いや、思い出したよ」

 

 目覚めてすぐ、アイザックは手元の仕事道具が少し変化している事に気付いた。性能それ自体が違うと言う訳ではなく、見た感じの意匠と言うか、その外観には今まで見受けられなかった変な文字や模様が入れられていた。一種の時代を先取りし過ぎた画家の作品を彷彿とさせるその模様は、引き込まれていくような魔が込められているとも思えるのだが。

 疑問符を浮かべた彼は、己のプラズマカッターを持ち上げながら不思議そうに尋ねた。

 

「これは」

「お察しの通り、その武器には私の魔法付与をさせてもらったわ。これで魔女の手下や魔女にも攻撃が通用する筈」

「武器…成程、言い得て妙かもしれない。だが此れは私の仕事道具だ。リミッターを外して武器として扱っていても、その本分は変わらない」

「……エンジニア、もしかして工具?」

「その通り。硬いネクロモーフ共の手足を切り裂くには、人間程度を殺せるただの銃では心許なかったからな。その点、削岩や巨大な障害物を排除するための工具の方が有効打を与えられる」

「正に得物は選ばず、か。少ししか聞いていないけど、よっぽど必死な世界だったと言う事ね」

 

 少女、暁美ほむらの同情と呆れの交じった視線に、まだ敵とは分かっていなかった頃のケンドラの表情が浮かび上がる。だが、あのような女と目の前の彼女を混同してはいけないと、かぶりを振って考えを追い払った。

 

「どうしたのかしら」

「いや、少し頭の整理だ。こうまで超常的な現象が続くと、少し落ち着かねば頭がやられそうなものでな」

 

 皮肉を混じらせた苦笑を浮かべると、彼女は安堵の息を吐いた。

 

「貴方の感性が人並みの物でよかったわ。いくら私でも、その…工具? を喰らったらひとたまりも無いから」

「心配せずとも、元より人間に向けるつもりはない。大事な仕事道具は行く手を阻む障害(ネクロモーフ)や化け物にしか使わないつもりだ」

 

 そう言って、彼はプラズマカッターのマガジンを引っ張りだしてマガジンを補充する。普通の銃と違って、下から追加分だけを入れることが出来るこの道具は、小回りも利くおかげで何度も彼の窮地を救ってくれている。一種の愛着さえ湧きそうなものだが、一つの物に執着していてはエンジニアはやっていられない。

 すぐさま弾を込め終えると、彼はエンジニアスーツの背骨辺りに存在する収納空間へ次々と工具を仕舞い込み始めていた。

 

「不思議なものね」

「これから数百年後には量子化の理論も完成されるだろう。生憎とこのスーツは作れないが、持っている工具なら幾つかの材料さえあれば現代でも作ることが出来る。…君も化け物どもと闘うなら、プラズマカッターの一つでも使ってみるか?」

「そうね……それも良いけど、そろそろ私は学校に行こうと思うわ」

「ああ学生だったな。こんな怪しい者を匿ってもらっている礼と言っては何だが、しっかり家は守っておくさ」

「そ、じゃあお願いね。…ああ、そこの地図に書いた×印の所、夕方くらいになったら来ておいてくれる? なるべく人目につかないように」

 

 そうして指さされた先をアイザックが見ると、確かにテーブルの上にはぽつねんと一枚の地図が。ほむらが何を言いたいかを理解して頷くと、彼女は満足そうにうなずきながら家を出て行った。

 

「……それまでは彼女用に作っておこう」

 

 彼も人間、ただ待つのも暇である。

 そう思い立ったが吉日。そう言わんばかりに、彼はプラズマカッターの制作に取り掛かり始めるのであった。

 

 

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 もう、この自己紹介をしたのは何度目だっただろうか。

 まどかを救うと決めて幾度の時を遡った。だけど、何時も力足らずに過去へ戻って作戦を立て直す。美樹さやかは魔女になり、味方を殺す。佐倉杏子は最後まで一緒に戦う事もあったけど、巴マミの凶弾に倒れるか、絆された美樹さやかと心中する。最早そんなパターンさえも見あきるほどに、彼女達が命を散らす様子を見て来た。

 

「…!」

 

 そして、変わらない優しさと少し臆病な面を併せ持つ守るべき人。

 まどか。貴女には何度も解き明かした事もあった。契約をする前に、どうにかして私の手ですくおうと奔走した。それでも今までは貴女の命を散らせることしかできない、ワルプルギスをも超える最悪の魔女へ変貌させてしまった事もあったけど、今度こそ、今度こそは…!

 

「あ、暁美さん? 少し顔が強張ってるみたいだけど……」

「すみません。緊張したのか、心臓に少し痛みが戻って来てしまいまして…」

「た、大変! えっと、保健委員は鹿目さんでしたよね。暁美さんを保健室まで案内してあげて下さい」

「あ、はい」

 

 少しばかり時間が空く事になるけど、必要以上の接触もしないと念入りに釘を指すことが出来ない。どうにかしないと、今回こそは……そう言えば、家に招いたあのアイザック・クラーク。彼は今頃…いえ、彼は何者なのかしら。

 今までのループに登場した事も無い。たった一体だけみたいだけど、ネクロモーフなんて言う魔女よりもある意味で性質の悪いモノまで持ちこんできた未来人。流石に目的の為だけに動き続けるのも悪い結果を招きかねない老婆心から助けてみたけど。

 あ、頼んだ、とも言い切れないけど、あの工具でも弄っていそうね。

 

「え、えっと…暁美さん…?」

「ほむら、でいいわ。鹿目まどかって言うのよね。こっちもまどかって呼ばせて貰いたいんだけど」

「あ、うん。いいよ。ほむらちゃん…で良いのかな? あ、ごめんね。何かワケわかんないよね」

「…ふふっ。ああ、ちょっと唐突でファンタジックな事かもしれないけど、まどか。聞いてほしい事があるの」

「? なにかな」

 

 少し首をかしげる様子は、動揺やファンタジックと言う言葉に別段強い反応を示していると言う訳ではない。この時間軸のまどかは契約していないようね。

 人を物差しで測るみたいで気分のいいものではないけど、今回はフレンドリーに進める事にしましょう。余り敵対するような関係ばかりを作っていても、悪い結果ばかりに繋がってしまうから。

 

「貴女は…この日常を劇的に変えるような、アクション映画みたいな酷い運命と向き合う事、もしくは関わることになったとする」

「うん」

「その時、貴女は危険を退けることが出来ると、実際に叶ってしまう誘惑を持ちかけられた。自分の家族や友人、そう言った日常に二度と戻れる事は出来なくなるけど、それらを蹴ってまで非日常に足を踏み入れ、皆を守ろうと思う?」

「え…? えっと、私以外にも同じ人とかは…」

「いる。という前提よ。ちょっとした心理ゲームとか占いみたいなものだから、本心で応えてくれると嬉しいわ」

「占い…かぁ」

 

 保健室に行くまでの道すがら。ホームルームが終わって一限目が始まろうとしている一回の廊下は、時折すれ違う先生以外には人影も無い。まどかはその事に少し安堵を感じたのか、それでも聞かせることが恥ずかしいように顔を上げた。

 

「えっと…多分、私はその誘惑に乗っちゃうかも……」

「そう……」

 

 当たり前の答えだ。ほむらは分かり切っていた返答に変わらない「鹿目まどか」出会った事の安心と、キュゥべえの魔の手に今回も落ちてしまう危険性を見出した。

 だけど、ソレを聞かせてくれただけでも今回はかなりのアドバンテージを得た事になる。自分の言葉が届けば、それだけキュゥべえの誘惑を振り切るきっかけになるかもしれない。実際に契約をさせなかったことで、嵐の二次被害に晒された彼女が死んでしまった事もあったが、その時は自分しか魔法少女は残っていなかった。あの男…アイザックの実力を確かめてからでも、十分作戦に入れる余裕はある。

 この繰り返しの中で、すっかり頭の中では別の事を考える妙技が得意になってしまったが、逆に戦闘中でも多数の事を考えることが出来るという利点も出来た。肉体の繁栄はともかく、精神は逆行したと同時に成長したまま戻って来れると言うのは嬉しい物だ。

 目の前の彼女を救えなかったと言う時点で、悔むべきなのだが。

 

「あ、保健室ね。案内ありがとう、まどか」

「ほむらちゃんもお大事に。それで、占いの結果はどうだった?」

 

 ああ、そう言えばそうして誤魔化していたんだったと思い出す。

 なんというべきかは既に決まっているが、この時点で彼女はキュゥべえと接触する機会が待ち受けている。少し厳しめに、それでいて真実を織り交ぜておいた方がいいかもしれない。彼女と触れ合う時、一挙一動が貴重な時間だ。繰り返しが出来る、なんて言うのは甘え。この時間軸で全てを終わらせる気兼ねで臨まねば、また―――

 

「…そうね。まどか」

「う、うん……」

「ラッキーアイテムは黄色いリボン。ただし、どんな見た目であっても願いを叶える、なんて相手には取り合わない事。そうすれば平穏な毎日に、少し幸運のアクセントが付いてくるかもしれないわ、と言う所ね」

「黄色いリボンかぁ…私のは赤色だし」

「ふふ、あくまで占いよ。肝心なのは自分がその時どうするか。ラッキーアイテムはちょっとした勇気を出すお守りに過ぎないの」

「そう、かもしれないね。ほむらちゃん、お大事に」

「ありがと」

 

 少し嬉しそうな顔をして、彼女と保健室前で別れを告げる。

 しかし、問題となるのはこの後。

 

「…もう授業、同じものしか受けて無いのよね……」

 

 それでも日常的な愚痴が出るのは、前のループよりはずっと精神的に余裕が出来ている証拠だろう。全く異常が無いのに少し場所を取ってしまうのは申し訳ないが、昼までは保健室で場所を取らせてもらう事にしよう。

 

 

 

 空が赤くなってきた頃、アイザックはのそりとその無骨な巨体を起こした。

 これまでの石村での出来事もあって一眠りしていたのだが、この平穏な時間が何とも落ち着くと言うか、感動的な事に気付いて嫌になる。どれほど自分が血と腐臭がする異常な空間に慣れてしまっていたのかを自覚してしまうからである。

 だが、ふと覗いた窓の外の景色は、地球に居た時はいつでも見ることができていた美しいサンセット・シーン。過去と言う点は気になるが、平穏かつゆったりとした日常に戻ってこれた事を認識するには十分だった。

 

「……promised time。―――ああ、また翻訳し忘れていたか」

 

 夕方頃になったら、この地図の場所へ。

 スーツの自動マッピングシステムで大体の地理を把握した彼は、地図の×印がある場所をロケーターに登録して手を地面に向けた。すると、石村でも何度もお世話になった最短ルートを示す青白い光の道が、地面の数十メートル先までアイザックを案内する。これはスーツのヘルメット越しにしか見えない光景であるので、一般人がこの光の案内線を黙視する事も出来ない。

 

「準備は…整っているな。恩人の頼みとあらば、化け物退治でもやるしかない」

 

 現にアイザックは国籍どころか身分を証明することすらできない。自分が生まれるのは数世紀も先の事であるし、下手に良識に凝り固まった人物が彼を見てしまえば、公的機関に通報するのは目に見えた事実なのだから。

 

 アイザックはそう言いながらも戦闘に耐える準備を整え、指定された位置までロケーターを使用して向かっていくことにした。この見滝原という町は最近急激に産業が発展した影響で廃ビルや建設途中で放棄された建物、工場などが華々しいビル街の奥地にひっそりと控えており、アイザックという怪しい風体の男が隠れながら進むには十分な隠れ蓑になってくれている。

 指定された場所も同じく廃ビルの一角らしいのだが、家ではなくそのような場所で話があるということは、つまりそこで「何か」があるべきだとみるのが当然だろう。

 ただ、アイザックが驚いたのはそんな警察や公共機関の隠れ家にもなりそうな場所が無数に乱立するというのに、そのどこにも犯罪を行っているような形跡、現場がないことだった。自分のいた場所では人間の寿命が延びたことで人口も急激に伸びていき、溢れるような人間の数割はほとんど公然に犯罪を犯して刑務所へと連行される。

 だが、ここは治安がいい。良すぎるといっても差し支えないほどに。

 まるで、「ここに人間自体が来ないかのようだ」。

 

「それも原因なのだろうか。いや、今はアケミを信じるしかないな」

 

 彼がこの世界に来て、居場所を作ってくれた恩人。

 そしてどうにも奇妙な時間操作が可能な魔法少女というものをやっていらしい女の子。

 石村では終ぞ見ることのなかった若者がそんな物騒なことにかかわっていることに心を痛めたが、そんな日常をぶち壊すようなまねをするインキュベーターとやらは非道と断じるほかない。

 ネクロモーフと戦うような決意を固めたアイザックがロケーターの青白い光が途切れたことに気付くと、眼前にはまだ廃棄されて間もないのだろう。重機が屋上に置かれたままのビルが建っていた。

 ふむ、と古典的なコンクリート構造のビルを物珍しげに眺めているさなか、彼は背中の収納スペースに小さな振動が加わっていることに気が付いた。何を入れていたのかと不思議に思いながら取り出してみると、それは彼の視点から見て旧式の携帯電話。バイブレーションと小窓の「ほむら」という文字が彼女からの連絡を示しており、彼は迷うことなくコールに出る。

 

『クラークさん、着いたみたいね』

「ああ。GPSでも仕込んでいたのか?」

『そんなところよ。ともかく話は後、私はすることがあるから、そこに来るはずの青と桃色の髪をした女の子を見かけたらすぐに助けてあげて。ただし、姿は見られないように』

「狙撃か…彼女たちが囲まれるような事態に陥った場合は?」

『やむを得ないわ。フォースガン、といったかしら。それで一掃をお願い』

「分かった。健闘を祈る」

 

 そういうと、向こうもかなり切羽詰っていたのか唐突に通話が断ち切られる。気になるのだが、会話の合間に聞こえてきた銃撃音は偽物や映画などのものではないだろう。すでに彼女は魔女、その使い魔とやらと戦闘を繰り広げているに違いない。

 そして少女たちが来るというのは予見していたことかどうかはわからないが、とにかく一般的な感性の持ち主としてはその少女たちを見殺しにするような真似はできない。

 

「ともかく、行ってみるしかないな」

 

 確認のようにつぶやくと、彼は廃ビルの一角に足を踏み入れる。

 あとは来るはずの少女たちに備えて待ち伏せ(アンブッシュ)を行うのみである。

 

 

 

「追いつめたわ。それで、あなたは何回殺せばその活動する身体はなくなるの?」

「やけに僕らのことを知っているみたいだね。それにインキュベーターのデータベースにも暁美ほむら、君との契約は一切記されていない。なかなかに興味深いかな」

「言ってなさい」

 

 何のためらいもなくトリガーが引き絞られ、打ち出された魔力強化の施された弾丸が白く、どこまでも空虚なキュゥべえの体をハチの巣に変える。だが、確実に命を失っていると分かっている状態の彼に、9mmパラべラムの弾頭が次々と追い打ちをかけていき、もはや生物として見ることは不可能なほどの肉塊に変えられてしまった。

 

「やれやれ、分かっているのに殺し続ける。君は無意味な行動を好んでいるようには見えないのだけど」

「ちょっとしたストレス発散も兼ねているのよ。とにかく、貴方はすでに目を付けているんでしょう? あの、膨大な因果を持った彼女に」

「まどかの事かい? なるほど、僕たちが観測できていない奇妙な客人を連れ込んでいたかと思えば、君一人では契約を阻止できないから助っ人にしたわけか」

 

 納得したように頷く、二体目のキュゥべえ。彼は最初の自分の体をもしゃもしゃと食らいつくすと、関心や興味心があるような振る舞いでほむらへと答えを返すのだが、感情などあるはずのないと分かっているキュゥべえがそのような仕草をすることは、彼女の精神を更に逆なでするような真似。それでも尚狙いを反らさない精密さは舌を巻くほどだが、結局、彼女の弾丸はまたキュゥべえを肉塊へと変えるのみだった。

 

「逆上か。つくづく人間の感情と言う物は面倒だね」

「既に言われてるかも知れないけど、教えてあげるわ。あなたの様な異形や私達の様な異物を見て人間は、最初に恐怖を覚えるのよ」

「それは僕が恐ろしい物と言う事かい? まだまだ面識がないけど、君にしては随分と高評価だと捉える事にするよ」

「何とでも…っ、待ちなさい!」

 

 再び暗がりから姿を現したキュゥべえは、それだけ言ってほむらの元から姿を消した。

 このままではまどかと接触を許してしまう事態になるので、何とかキュゥべえを足止めしようと彼女も走り始めたのではあるが、神出鬼没の面目躍如と言うべきか。キュゥべえは先ほどまで弾丸に当たっていたのがワザとであると嘲笑うかのように避けて行く。

 ほむらは彼の逃げる方向が、自分の記憶にある巴マミ、そして美樹さやかと鹿目まどかの初の接触地点である事を思い出した。契約をしていないまどかは、大抵この場所で初めて魔法少女などの存在を知ることになる。

 しかし、今回は此方側とて大きく変化しているのだ。彼女は盾の無限収納空間から一つの端末を取り出すと、走りながらショートカットコールを掛けた。

 

「クラークさん、キュゥべえが其方に向かったわ! まどか達の様子はどう!?」

『こちらアイザック・クラーク。彼女達はまだ使い魔とやらに遭遇していないようだが…消えた!? おいおい、此処じゃイリュージョン・ショーでもやっているのか!』

「魔女の結界よ! 私の魔法をかけた武器をまどか達が消えた地点に当てれば、多分結界内に突入できる筈」

『了解、朗報を待っていてくれ』

 

 ひとまずはこれで安心だろう。ほむらから見たアイザック・クラークと言う男は、エンジニアと語りながら化け物の相手を単身でこなしてきたという馬鹿げた武勇伝を証明するに足る威風堂々とした雰囲気を感じられる。

 恐らく巴マミとの接触は不用意な注意を招きかねないが、此方が直接姿を見せて出向くよりはずっと混乱のリスクが少ない。

 

「…まずはこの結界裏口を突破しないと…!」

 

 もっとも、まどか達が入ってきた方を正門と言うのなら、であるのだが。

 

 

 

 

「あっち行け! ま、まどか…アンタ怪我とかしてない!?」

「大丈夫。でもさやかちゃん、あれ、投げた石とか効いて無いよ!」

「分かってるよ! でも、怯ませるぐらいなら―――」

 

 まどかを後ろに控えさせる青髪で強気な少女、さやか。だがひげを生やしたテルテルボーズのような使い魔は、その手に人の首を簡単に切り裂いてバラ園の養分にしてしまう鋭いハサミを携え、周りを囲んでいた。

 万事休す。どれほどまどかを守ろうとして後ろに下げても、後ろに居る使い魔のシャキンシャキンと鳴らされるハサミに近づける結果になってしまう。いつしか二人は互いに向こうをむきあう、背中合わせになって追い詰められていた。

 

 ―――き、きききききききききききききき…カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ…ぎぎぎぎぎぎぎぎ……

 

 追い詰められた獲物を嘲笑い、陽気な髭を生やした頭の部分で人間の口の様なものが開かれる。その口は妙に生々しく、平らな歯の形はこれからまどか達もその仲間入りするんだと言う暗示のように恐怖を与え、一回の女子中学生に過ぎない二人の動きを完全に止めてしまった。

 止まった時が動き出したかのよう。二人の精神の中で何かがプツンと切れる音がして、同時に使い魔達が殺到。命を終えるのがこんな早くに。こんな偶然は夢であってほしい。各々の想いを胸に秘めながら、二人は硬く瞼を瞑り―――

 

「Fhuuuoooooooo!!」

 

 野太く男らしい声に我に返される事になった。

 

「――――え?」

「Ahhhhhhhhhhhhh!」

 

 男は使い魔の包囲網の一角を青く光るカッターのような物で蹴散らすと、そこに密集していた使い魔を消滅させながら二人の元に直進する。だが、彼女達はそう言った助けが来たと言う事よりも、顔の見えない(・・・・・・)鎧の様な物(・・・・・)が此方に直進してくる事に更なる恐怖を覚えてしまっていた。

 そうしてガタガタと震える二人の元に男の声をした何かが辿り着くと、持っていた巨大な近未来的な銃の一角をスライドさせ、縮こまる二人の間から上に向けて銃口を上に向ける。

 

「耳をふさいで伏せろ!」

 

 今度ははっきりとした日本語。力強い意志の感じられる言葉に従って二人が頭を下げると、彼の持っていた銃がクルクルと、いや轟々と回転し始め、辺り一面に青いプラズマの弾丸を撒き散らし始めたではないか。プラズマと言う極高温のエネルギー体に触れた使い魔は、焼かれるよりも早くその身を灰塵と化して消滅する。

 男が持っていた銃、そのセカンダリと呼ばれる機能は全方位への弾丸の一斉射出。銃身が焼けつく寸前まで負荷を掛ける形態であるのだが、その弱点は低い位置の敵には当たらない事。それゆえに使い魔と違って難を逃れることが出来たまどかとさやかは、荒々しくも不動の精神で助けてくれた人物…の様な物に視線を向ける。

 その瞳に宿る感情の色は、恐怖と感謝。そして不安だった。

 

「…怖がらせてしまったか。心配しないでいい、私は君達の味方だ」

 

 だからこそ、鎧、もといエンジニアスーツを着込んだアイザックは、その素顔をさらしながら安心させるため、姿勢を落とし目を合わせて二人に言葉を掛けた。

 

「…あの、貴方は…さっきの奴は何なんですか!?」

「どうやら使い魔、と言ういらしい。それから私の名はアイザック・クラーク。ちょっとした事故でこの地に来てしまったのだが、化け物退治を生業とするエンジニアだ。君達が襲われていたようなので、助けさせて貰った」

「あ、ありがとうございます…その」

「なにかな」

 

 おずおずと、まどかは警戒を解いても良い人物だと分かっていながら萎縮して尋ねる。

 ガタイの良い外国人と話すのは、引っ込み思案な彼女にとっては中々無理をしているのだろうが、それでも聞きたい事があったからなのだ。

 

「あなたは、どうして廃ビル群(こんな所)に?」

「…ふむ、君達を案じている、ある人物に助けを求められたからと言うべきだろうな。姿を見せる事は出来ないが、君達の事を考えている人物とは教えておいても良いかもしれない」

「そ、そうですか…。ともかく、ありがとうございました」

「あ、こっちも。ありがと、でもスゴイ銃だねそれ」

 

 軍用のパルスライフルを指し示して、さやかは興味深げにソレを見つめる。それでも触ろうとしないのは、先ほどの威力を目の当たりにして暴発などされてはたまらないと言う生存本能からだろう。

 そうして一先ずは安堵の空気が流れた所に、バタバタと足音を響かせながら少し派手な黄色の装飾がある恰好をした少女が現れた。

 彼女の名前は「巴マミ」。この見滝原を縄張りとする魔法少女であり、人一倍正義感と使命感に強い少女。それ故に生じる問題もあるのだが、ここでは一先ず置いておくとしよう。

 

「…貴方達、大丈夫? 此処に来ていた化け物は、居なかった!?」

「え、あなたは一体…?」

「ごめんなさい、怪しいものじゃないの。私は巴マミ。見た所同じ中学校の生徒だと思うけど、……貴方達、二年生かしら。それとそこの人は」

「三年生の方ですか…この人はクラークさん。さっき化け物に襲われていた所を、助けてもらったんです」

「アイザック・クラーク。SF創始者の名前をもじったようだと言われた事もあるな。よろしく」

 

 すっ、と差し出された手をマミが取る事は無かった。

 その目は訝しみを帯びており、通常なら魔法少女以外に倒すことのできない使い魔を倒してしまったと言う事実をこの少女たちから聞いて、命の危険や縄張りについての警戒を強めているのである。

 

「クラークさん…? 申し訳ないんですが、魔法少女と言う言葉を聞いた事は?」

「私の恩人がそうだ。彼女たちを助けたのも彼女の命令だな」

「…そうですか、その魔法少女はどこに?」

「さあ、今頃は多分――――伏せろッ!」

 

 アイザックが叫ぶと同時、彼の後ろに在ったコンクリートの壁が吹き飛び、向こう側から白い体をしたウサギとネコを足して二で割ったような不可思議な生物が転がり込んでくる。その体の至るところは傷だらけで、普通の生物なら致命傷と言っても過言ではない。

 幸いにもアイザックと相対する形で立っていたマミは、いち早くその存在を認識する事が出来た。

 

「キュゥべえ!? どうしたの…こんな怪我ッ」

「やあマミ。少し襲われてしまってね。僕を此処にやったのが不味いのか、どうやら姿は消したみたいだけど」

「……とにかく手当てしなきゃ」

「…そこにいるのか」

 

 当たり前のようにその見えない生物と会話を交わすマミと言う少女を見ながら、アイザックはアレが噂のキュゥべえかと納得する。成程、確かにあの無機質な紅玉からは一切の感情の揺れと言うものが見えない。普通の動物でも瞼の開閉具合や目の動かしようで微妙な表情を作る物であるのだが、このキュゥべえと言う物は全く違う。

 思い出したかのように瞬きをし、その眼球が方向を確認するために動く様子さえ見受けられない。愛くるしいような外見とは裏腹に、よく観察してみればどれだけ異常が存在するのかが良く分かる。

 そんな彼とは違い、事前知識の無い被害者の二人は驚きに目を瞬かせるばかりであった。不可思議で、一見神秘的な見た目をしたキュゥべえと言う存在。そして喋るともなれば、好奇心に溢れる第二次成長期の少女の意識は其方に向けられるのも当然と言うべきか。

 

「しゃ、喋ってる……」

「やあ、まどか、そしてさやか。君達と会うのは初めてだね。…そしてアイザック。君も」

「アイザック…? キュゥベエ、この人のことを知ってるの?」

「……すまない、そこにいるならばなぜ名前を知っているか答えてほしい」

「理由を聞いているのかい? それなら少し調べれば簡単に分かったから、としか言いようがないね」

「…って、言ってるわ」

「そうか。ありがとう、トモエ。もう十分だ」

 

 そうは言っても、ほむらのしたように彼に銃口を向けるよう真似はしなかった。

 これはアイザックの想像だが、恐らく彼女はここで自分をこの巴マミという魔法少女と敵対させるつもりはないだろうし、まどかと言ったこの少女を守りたいと言う気兼ねは変わらない筈。それ故に、自分が敵に回るような行動は避けるべきだと判断したまで。

 それでも、やはり正体に気付いてしまえばキュゥべえの存在は薄気味の悪い物だ。多少の居心地の悪さを感じながらも、彼はマミがキュゥべえの治療を完了し、話し始めるまでを待った。

 

「…これでよし。怪我は治った?」

「ありがとう、マミ。もう何ともないや」

「よかった。…えっと、まどかさん。さやかさんってキュゥべえに呼ばれてたわよね? よかったら私の家に来ないかしら。詳しい事を話しておきたいの。…それから、クラークさん。貴方にも聞きたい事があるわ」

「of course.私でよければ君の話に付き合おう。まだ魔女に関しては知らない事もある」

「よかった。それじゃあ夜も近いし、少し急ごうかしらね」

「はい」

「うーん、キュゥべえって言ったよね。お前なんなのさ?」

 

 そう言ったマミに三者三様の反応を見せながらついて行くことになった。

 アイザックは不審者が出かねない場所と言う事で殿を務めたのだが、少し歩調を遅くし、彼女とは会話が聞こえない程度の位置まで間隔を空けると、ほむらからもらった端末を取り出した。手慣れた様子でコールを掛けると、すぐに向こうは出てくれたようだ。

 

『巴マミの家に招かれたのね?』

「やはり見ていたか。だが、あの程度なら君が仕留めきれないとも思わないんだが…」

『キュゥべえは有限だけど、無数に体を持っている。幾ら体を潰しても、キュゥべえの精神は新たな体に入って何処からか現れるの。キリがないから、少しでも殺して足止めしたかったけど……』

「OK.ともかく情報や、まどかと言った彼女の様子を報告したらいいのか?」

『ええ。ごめんなさい、貴方を恩で使うようなことになって』

「日本人は謝ることが多いと聞いたが、その通りだな」

『?』

 

 唐突に方向転換した言葉の意味が分からず、向こうで彼女が疑問を浮かべる音が聞こえる。だが、ここははっきりと言っておくべきだろう。

 

「帰るアテも無い。だが君は私を招いてくれたのだろう? ならば胸を張っていてくれ。この機械を弄るか、化け物の相手をするぐらいが取り柄の私なら幾らでも使ってくれて構わない。脅威を止めたいと思うのは、誰だって一緒だ」

『……ありがとう。まどかの事、お願い』

了解(roger)、また連絡する」

 

 通話を切ると、彼女達が振り返らないうちに直ぐに列に追いつくアイザック。そこで自分がとてもではないが公共の面前に出れる格好では無い事に気付き、彼女達にその旨を伝えることになるのだった。

 




いつの間にか一万字って超えるものなんですね。シラナカッタナー
今デッドスペース2やってアイザックさんを何度もバラバラにされてます。
デトネイターに自分で引っかかるってどうなの……
あと自爆君。テメーは角にいる時来るな。巻き込まれて死ぬから。私達が。


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case03

アイザックさんが楽しそうでなによりです。
これが本編の目的。と言ってみる。


 やっとの思いで巴マミの家であるマンションに到着すると、屋根の上から滑りこんでアイザックのスーツにある金具がガシャン、と小さく音を立てた。未来の巨大な宇宙航行船や惑星開拓用の重機の整備、そして人間の身体能力を遥かに上回るネクロモーフと言う怪物どもの相手をしてきたアイザックにとっては、軽業師の真似ごとなど容易い事だったと言う事だろうか。

 

「お疲れ様。それにしても、貴方は他に服を持っていないの?」

「この身と工事道具だけで地球に戻ってきたのでな。それに、これが無ければ他の物を持ち運べん」

「そう、良く分からないけど仕方ないわね」

 

 家の扉の前で待っていたマミが彼を招き入れると、既に夜の冷え込みは体に悪いだろうと先行した二人の少女が待ち受けていた。あまりにも日常風景には不釣り合いな(スーツ)姿でアイザックはテーブルの対面に座り、同時にそわそわとしていた空気を落ち着ける。

 

「あの、息苦しく無いんですか?」

「息苦しくはない。このスーツは宇宙での使用を目的としている事から空気清浄とエアタンクの両方を兼ね備えているからな。…だが、招かれた立場では失礼に値するか」

 

 そう言うと、首元の開閉スイッチを押して自分の顔を露出させた。

 パタパタとリズミカルに閉じて行くフェイスヘルメットの下からは、暗所での作業用に灯されている青色の光源よりもなお、強い意志の輝きを携えた青い瞳が洗われる。短く刈り上げられた髪と、屈強さを表す様な黒い肌は太陽さえ焼き切るには至らないと証明するかの如く。

 

「改めて、アイザック・クラークだ。早速で悪いのだが、本題に入ってもらえないか? 私には見えないのだが、その、キュゥべえとか言うらしい生き物についても」

「そうね。彼女たちもご家族が待っているでしょうから、簡潔に話させてもらうわ」

 

 まずは、と言葉を置いた彼女は懐に入れておいた黄色い卵の様な装飾具を取り出した。神秘的な輝きのほか、自ら発光しているその不思議な物体は、しかし、電気的な無機質さを感じさせない。

 生きた芸術、とでも言った方が表現は当てはまるのだろうか。その脈動するような黄色い輝きは、そこに居る者全ての関心を寄せていた。

 

「これはソウルジェム。有り体に言えば、私達が魔法少女になるのに必要な変身アイテムで、キュゥべえと契約を交わした時に貰える宝石よ。同時に変身するために必要なだけあって、魔力の源でもあるわ」

「凄い綺麗……」

「だが、契約と言う位だ。代償は当然存在するのだろう?」

「ええ。本当はキュゥべえが言ってくれると説得力があるんだけど、クラークさんは流石に見えないようだから私から言わせてもらうわ。

 この契約をした人は、こうしてソウルジェムをもらえたり、魔法を使えるようになるだけじゃないの。さっき貴方達が遭遇した使い魔…それを束ねる負の怪物、魔女たちと闘う宿命を背負う事になるわ。戦える人が少なければ、それだけ私達魔法少女が日常を捨ててまで魔女を退治しないと簡単に死人が出てしまうし、とっても危険な非日常への入り口なの」

「非日常……」

 

 保健室前でほむらに言われた事を思い出して、まどかは知らずの内に手を強く握っていた。もしかしてとは思ったが、知る限りでは彼女がアイザックを送りだした魔法少女ではないのだろうか。自分を心配するような素振りもあり、その可能性は高い。

 だが、今はこの話を聞くことが先決だと集中し、皆が理解する時間を待っていたマミは再び口を開くのを待った。

 

「ただ、それだけじゃないの。魔法少女になる際、本当にどんな事でも、たった一つだけ願いが叶うのよ。あんまり重く考えないで欲しいのだけれど、魔法少女となるからにはその願いによって能力や戦い方が決まる時もあるわ」

「……少し口を挟ませてもらうが、まるで契約を前提としたような物言いだな?」

「ちょ、クラークさん」

「いいのよ。……ごめんなさい、私も少し焦っちゃったかしらね。初めて、同じ志を持った子と一緒にいられるかも、って気が早まっちゃったわ」

 

 だからこそ危険性については口を酸っぱくさせてもらう。そう言ったマミは、「何もない空間」に手を置くと、ゆったりと撫で始めた。キュゥべえの見えないアイザックにはその動作がパントマイムの様に見えていたのだが、無意識でやっている行動だと分かれば確かにそこに何かがいると言う事は理解できた。

 同時に、思っていたよりキュゥべえとやらは小さいのだなと、場にそぐわないことを思っていたりするのだが。

 

「私達が戦う事になる魔女は、世間でよくある理由のはっきりしない自殺や集団心中、突然錯乱した人がする殺人事件はこの魔女によって引き起こされた物が大半らしいわ」

「って言うと、魔女は全国どころか全世界に居るってこと!?」

「そうなるね。しかも魔女は有史以前からこの地球に蔓延っているんだよ」

「そんなに前から…!」

「何を言っている?」

 

 キュゥべえを知覚できないアイザックは首をかしげるが、キュゥべえの言った事をまどかが伝えると、分かり易いほどにその顔は歪められた。精神作用による殺害、自殺作用と言えば石村での悲劇を彷彿とさせる。その忌まわしい記憶がアイザックの脳裏に蘇り、あの、今度こそよく見た映像。恋人だったNicoleが自分の腕に薬を打って自殺した映像が浮かんできた。

 

「まるでMarkerのようだな。いや、世界規模の時点でそれより質が悪い、か」

 

 似通った性質を持つ今回の事件に対し、彼は誰にも聞こえないように小さく呟いていた。そんなアイザックが話に復帰しようとした時にはまどか、さやかの二人は魔法少女になるかならないかの話を持ちかけられ、同じく唸りながら是非を考えている。

 

「……ねぇ、そんなに悩んじゃうことなら、しばらく私の魔女退治を見学してみない? クラークさんも私達に引けを取らないみたいだし、ボディガードが二人もいるなら魔女の恐ろしさや、魔法少女についての造指を深めることが出来ると思うの。貴方も敵ではないのなら、付き合っていただけませんか?」

「…それでもこの二人に危険は無い、とは言い切れんのだろう?」

「そう、危険はぬぐいきれないわ。だからこそ、魔女退治は後になってもこの二人の安全を優先して行く方針ね。取り逃した魔女は結界をそう簡単には変えないし、いざとなったら先に二人を帰してからでも十分狩り切れるわ」

「hum……」

 

 少し考え込んだアイザックだったが、ほむらの願いはまどかを守り切り、魔法少女の契約をさせないこと。初めて会った時は「少女」とその存在をぼかしていたが、此処に来る直前は確かに、「まどか」と。守るべき対象の名前を自分に伝えた。

 ともなれば、自分が選ぶ選択肢は一つだろう。

 

「その話、受けることにする。君達も結局は魔女退治の見学に出るだろう、その時に一人だけではカバーしきれない場所もあるだろうからな」

「流石に魔女と闘え、とは言いません。使い魔とはタフさも脅威もケタ違いですから」

「その分君は専門だ。私は排斥程度に働かせていただくさ」

 

 なにはともあれ、これにて話はまとまった。

 

「あ、そうだ。二人とも、夜道は危険だからこれを持って行って。不審者や使い魔程度なら身を守ってくれるわ」

「ありがとうございます。黄色いリボンかぁ、腕に巻いておこうっと」

「黄色のリボン……」

 

 そうして「お守り」を渡したまどか達を先に家から出すと、アイザックも背を向けて出て行こうとする。が、そこで彼の足はピタリと止まる。スーツのその重厚な音が聞こえなくなった事をいぶかしんだ二人も其方を見ていたが、不思議そうにしているマミに対してアイザックは一つの問いを投げかけた。

 

「キュゥべえ、と言ったか。私には見えていないが、君の事は私を保護してくれた魔法少女から少し聞いた。この星にMarker――いや、捻じれた柱が絡み合っているようで、表面に訳の分からない文字が刻まれた精神汚染を引き起こす物体が無いか。心当たりでも良い、知っているなら思い出しておいて欲しい」

「へぇ、“アレ”の事だね。確かに情報はあるけど、少し資料を見てみないと何とも言えないかな」

「―――って、言ってるわ。アイザックさん、その“マーカー”というのは…?」

「此方の事情だ。少し私の恋人の事件に関係していてな、君達が余り気にするほどの物ではないさ」

「貴方は、一体?」

「ただのエンジニアさ。少しばかり化け物退治の経験がある、変わった男だと思ってくれるならそれでいい。これは忠告だが、あまり個人の事情に深入りしない方がいい。人の心は存外に傷つきやすい物だ」

 

 最後にその一言を付け加わることで、言外にこれ以上は関わらないで欲しいと意志表明。年不相応に聡いマミは言葉の裏を読み取ると、彼女自身もアイザックはそう親しい間柄でも無いので深入りする必要も無いと結論付けた。

 その様子に一つ頷いた彼は、まどか達の方に振り返る。

 

「君達、よければ途中まで送ろうか?」

「あ、いえ。わたしは少し一人で考えたいかな……」

「私もちょっとなぁ。今日は危ない所、ありがとうございました」

 

 ぺこりと頭を下げた彼女に、どうにも慣れていないアイザックは恥ずかしげに頭をかこうとして、ヘルメットに手が当たってカァンと硬質な音が響き渡る。その可笑しな様子は二人の深く考えようとしていた空気をほぐし、自然と笑い声を生じさせた。

 

「あははっ、ありがとうござますクラークさん。もうちょっと気楽に考えてみることにします。また今度お会いしましょう!」

「あの、お電話教えてもらえませんか? マミさんの魔女退治に誘う時、連絡しておきたいので」

「それもそうか。なら回線を同期……この時代は出来ないのだったな、この携帯の番号を渡しておくか」

 

 余っていたメディカルパックのケースにほむらから渡されていた携帯のナンバーを書くと、怪我をした時の優れモノだと言う言葉と共にまどか達に渡しておく。見覚えの無い近未来的な医療道具に少し戸惑う彼女らだったが、使い方を教えてやればこれも魔法の一つだと思ったのか、便利な物だと感心していた。

 

「それでは、私も戻らせて頂くよ。ただ、此方側に足を踏み入れるなら日常は大切にしておくといい」

「え?」

「おーい、まどかー? 早く帰ろー」

 

 ほむらと同じような事を言ったアイザックの言葉にまどかが声を上げたが、彼は背を向けると闇の中に歩いて消えて行ってしまった。ぽかんとその様子を眺めていた彼女だったが、さやかの呼ぶ声に我に返る。

 

「やっぱりほむらちゃんなのかな……」

「え、転校生がどしたの?」

「ううん。ちょっと思い出してただけだよ」

「ははーん? 仁美が好きそうな話題に飛びそうって奴ですかぁ?」

「そ、そんなんじゃないって! もぉ…」

 

 顔を赤くしながらも、彼女の言葉にもしそんな展開になったらという考えが浮上し、彼女が転校してきた時に夢を見ていたせいで尚更無駄に意識してしまう。普段はクールなほむらが、自分の事になるとあの時のように必死な声を出して引きとめる。その裏に在る感情はままならぬ、言葉では言い表せぬようなもので……

 

「だ、ダメダメダメ! わたしがそんなこと考えちゃってるなんて、そんなの……」

「え、本命だった? ………よ、よぉーし! さやかちゃんはアブノーマルな友人でもちゃんとフォローしちゃうから、大丈夫大丈夫!」

「違うってばぁ……」

 

 先ほどまでのマミとの会話はどこに行ったのか、さやかの煽りで全く別の方向へと話が進んでしまっている。だが、普通の少女としてはこれほど相応しい様子も無いだろう。測らずして非日常へのあこがれが薄末端かは定かではないが、この場に居ないほむらが日常の身を過ごすまどかを見ることが出来たなら、一体何を思うのであろうか。

 

 

 

「……お帰りなさい。どうだった?」

 

 出迎えの言葉が二言目にこれだ。彼女は随分とあの少女に入れ込んでいるらしい。私としては元の世界に帰れるかも分からない状況、この世界にもしMarkerがあれば破壊するか何とかしておきたいところだったが、自分の明確な目標がない事に気付いて苦笑する。

 

「どうしたの?」

「いや…向こうで、魔法少女のマミに出会った事であの二人は契約を持ち掛けられていたな。君にとっては幸いなのか、まどかという少女の方は随分と悩んでいる様子だった。天秤がどちらに傾くかは、君次第かもしれない」

「そうなの。私は、彼女をずっと見ているわけではないから。…難しいものね」

「そうでなければ人は心など持たないさ。それより、聞きたいのだが…その血は?」

「大丈夫よ、もう治ってるから」

「いや、そうではなく」

 

 アイザックが訪ねた理由である血の跡は、彼女の衣服にべったりとこびり付いていた。制服の代えはあると言っているが、どうにも彼女は理由をぼかそうとする。最終的に、アイザックもその言いたくないことが自分に関わることなのか、と聞いたところ、彼女はあまり余分な事を考えてほしくは無かったのだがと、渋々口を開いた。

 

「実は、貴方が倒れていた場所。あのネクロモーフという化け物が他に何体かいたみたいなの」

「…何だと、何故それを早く言わなかった!」

「貴方は随分と苦労していたから、せめて私の掴めなかった平穏を少しでも日常の中でいて欲しかったの。私の勝手なエゴよ。本当は起きてから言おうと思ったのだけど」

「それは嬉しい心遣いだが、奴らとなると話は別だ。昨日も言った様に、奴らはMarkerが無くとも人間さえあれば、赤子であろうと老人であろうと、無差別に同じ怪物に変える! そして新たなネクロモーフはまた新たな得物を見つけ、倍数もかくやという速度で増えて行くことになってしまう」

「……分かっていた。でも、あの時に見たのはたったの―――」

「ともかく聞いてほしい、アケミ。私がいた場所、君の見た中にエイのような平べったい奴はいなかったか? ソイツはどこに消えて行った?」

 

 彼の言葉に、言われてみれば確かにエイの様な形だと言う納得。そして記憶を掘り起こしていく中でそのような肉塊の怪物がいた事を思い出した。

 

「……いたわ。私があそこに転がっていた鋭い爪をもった奴と、爆発させた赤子の化け物以外には…その、エイみたいなのが空を飛んで行ってた」

Shit(くそっ)!」

 

 机をガンッ、と殴りつける。ネズミ算より酷い速度で死骸(ネクロ)変異体(モーフ)を量産し、肌の黒く普通の攻撃が効きにくくなる強化体へ死に変わらせる。Dr.Mercerが目の前で生きたまま変異させられたように、口の中からネクロモーフに作りかえる何かを注入し、そのまま怪物へと変貌させてしまう恐ろしい存在だ。アイザックは知らないが、名は体を表し、 感染させる者(Infecter)という。

 結局、その狂った一体化主義者(ユニトロジスト)だったMercer博士は文字通りネクロモーフと一体化し、決して最終目標であった不老不死とは程遠い死の先の傀儡になり果てる結末が訪れた訳なのだが、アイザックはせめて人の形のままで殺してやろうと思ったのか、彼にまだ人の意識が残りかけた状態でフォースガンで吹き飛ばしてしまったので、野望は文字通り体と共に粉々になったと言うことである。

 そんな結末はどうでも良いとして、重要なのはその人間を材料にする恐るべき芸術家がこの地球にまで訪れてしまっていると言う事。この土地に意志を持つ建造物(Marker)巨大な統括存在(Hivemind)がいない限りその活動は制限されるだろうが、地獄と呼ぶのも生ぬるい体験をしたアイザックにとって、この無関係な世界の住人が巻き込まれるのはどうあっても避けたい事実。

 ほむらは、そんな必死で、狂気さえ感じるようなアイザックの気迫に押され、次に見つけた時は真っ先に始末すると約束づけた。

 

「…それで、君が今回出会った奴らの見た目はどんなものだった?」

「……多分、この街の住人だったんでしょうね。流行りの服を着た夫婦が、背中から醜い爪を生やして襲いかかってきたわ。恐らくは生まれたばかりの子供もいたんでしょうけど、そ、その赤子も背中から三本の触手を生やして怪物になり果てて、いたわ」

「そうか。――すまない、よく頑張ったな」

 

 そっと、アイザックは彼女を抱きしめた。

 いくら何度も怪物と相対している彼女とはいえども、自分の住む町の人間の面影を残したモノを、赤子の姿をしたモノをその手に掛けた事は想像以上の勇気と決断が必要だっただろう。話している時も彼女の手には銃が握られており、気丈にふるまっていても話しの節々で手が小さく震えていることが見て取れた。

 恋人はいても、結局子供をもうける事も出来ず、そんな機会に至る前にニコルを死なせてしまったアイザックとしては、ほむらの事は「もし自分に娘がいたらこうして接していたかもしれない」という勝手な投影と、願望を重ね合わせてしまっていた。だからこそ、我が子のことのように、精神に掛けられた負担を少しでも減らす為、精一杯の人の温かさを感じて欲しい。アイザックの、今まで彼女に与えられることの無かった心配の情は硬質なスーツを通りこして、彼女へとしっかりと伝わっていた。

 

「……ごめんなさい」

「君はまだ子供だ。どんなに心が成長していようとも、子供という事実は変わらない。頑張った。君に、私のせいで手を汚させてしまった。どんなに謝罪をしても足らないだろうが、私なら幾らでも使うと良い。アケミ、君の守りたい彼女を、私は必ず守り通す」

 

 抱きしめた体を離し、彼女の両肩に手を置いた彼はそう言い放つ。

 視線を合わせ、言い聞かせるように、決して無理をさせないように。

 

「そして、本当にすまない。私がこの世界に来なければ、きっと君はこんな真似をしなくてもすんだのだろうに」

「……いいえ。私はもう、あの子を二度も手に掛けた時から…ううん。最初に殺してしまった時から、覚悟は決まっていたわ。…ありがとう、アイザック。こんな所で縮こまっている場合じゃないって、気付かせて貰ったわ」

 

 そう言った彼女は、罪から逃げるわけでもない。殺した元人間達を忘れようとしているわけでもない。ただ、起きてしまった事実として背負い込むことを覚悟する。彼女の揺れていた瞳が微動だにしない様子を見たアイザックは、ただ一言呟いた。

 

「…強いな」

「そうでなければ、あの夜は越える事は出来ないの。…私にここまでしたんだから、地獄の底まで付き合ってもらうわよ」

「それで上等だ。指示をくれれば、私は君の言われた通りに、君の思い描く結末を作りだす為に動こう。だから、君は君に出来る事をするといい。全てをこなす必要は無い」

「ええ。……ただね、アイザック」

「どうした?」

 

 一体何を聞こうと言うのか。決して崩れる事の無い強靭な決定の意識が見える瞳を覗かせたままほむらを見据えていると、彼女は対照的にくすりと笑った。

 

「貴方、やっぱりエンジニアには見えないわ」

「……それを言われてしまうと、どうにもな」

 

 苦笑で返し、自分もあまり石村ではエンジニアらしい修理はほとんどしなかった事を思い出していた。せめてケンドラが裏切らない人物であったならば、ハモンドとの間柄を修復して大団円と行きたかったところだが……どう言う皮肉か、運命か。その両者ともにアイザックの目の前で死んでいる。

 片や自分に逃げろと言って串刺しにされた後、遺体はゴミの様にネクロモーフに放り投げられていた。片やMarkerを思い通りに動かそうとして、Hivemindの巨大な触手に面影も残さないほど粉々に押し潰された。そのどちらもが人間として尊厳もあったものではない死に方。

 この目の前の少女を、この街に住む人間をそんな目に合わせてはならない。自分が持ちこんだ厄災と言う事実が酷く心にのしかかるが、ほむらも言うとおり、こんな序盤で躓いているなら何をすることも出来ないだろう。

 

「アイザック、ネクロモーフについてはまどか達にそれとなく伝えておいて。でも、事実をぼかした方がいいわ」

「了解だ。あくまで私の観察眼からの物言いだが、あのマミという子は人間の面影が残っているネクロモーフには躊躇するかも知れない。せめて頭を吹き飛ばしてから遭遇させた方が人間とは分からないだろうな」

「……まさか、人殺しの葛藤に悩む日が来るなんてね。魔女だって、元は人間なのに」

「そう言えば、魔女は魔法少女のなれの果てか」

「なるべく巴マミに伝えた方が良い情報だけど、彼女はソレを知って錯乱してしまうタイプだから。ソウルジェムは魔力を使いきるほかに、まさしく“希望”の魔法少女の象徴でもあるわ。魔女化すると言う事実に負け、彼女の心が絶望に染まれば……」

 

 新たな魔女化と魔法少女の事実。あの地球外生命体との契約者ではないアイザックとしてはならば絶望しなければ良いじゃないか、という考えが浮かんだが、それは決して口にしてはいけないことであると呑みこんだ。

 その代わりに応えるのは対抗策。こうして話すことしかできないのはもどかしいが、何も考えずに行動するよりはマシだと心を抑え込む。

 

「そのために、言うべきタイミングとフォローは必須か。…私も随分な輩に調査依頼を出してしまったものだな」

「安心しなさい。インキュベーターは嘘は言わない。そして一方的な利益を人間から得ていると言う事で、大抵の聞かれた事に答える性格だから。」

「Markerもそれほど知的な物体なら、まだ話は通じただろうな」

「ジョークを言ってる場合じゃないでしょ。それにしても、調査って…ああ、Markerについて聞いたのね」

 

 流石にすぐ検討はついたようだ。

 ほむらの言葉に、アイザックは大きく頷いた。

 

「Kendraは地球のオリジナルを真似て石村のMarkerが作られたと言っていた。もし、この世界にもそれがあるのならば……破壊するしかない」

「こっちとしてもそんな物は願い下げね。ワルプルギスの夜を乗り越えた後は、貴方の事を手伝おうかしら」

ワルプルギス(Walpurgis)? ヨーロッパの祭りがどうして君の目標に…」

「…余りにも話すことは多いから。まだ貴方に話せていない事実はたくさんあるの。時が来たら、その時にまた」

 

 何かを話したくても、言葉にできないもどかしさがある。そんな恋人のニコルの最期を彷彿とさせる彼女の様子は、アイザックを奮い立たせる。二度と、二度とあのような悲劇は生んではならないのだと。

 もう何度目だろうか。そうして一日の間に言い聞かせるようにしてきた決意の全ては、しかし決して無駄ではないと言い切れる。アイザック名の中ではそれらが全て、今の原動力になっているのだから。

 

「分かった。とにかく未来の平穏無事の為、君につくさせてもらうよ。私はどこまで行ってもしがない一社員として従った方が性に合っているからな」

「だったらその社員証でも提出してみる?」

「まさか。私の上司は後にも先にもあの煙くさい彼しかいないさ」

 

 そんな他愛のない言葉を交わしていると、十一時の鐘が鳴る。彼女の方は明日の学校のために眠りにつく必要があるため先に寝室へ向かって行った。アイザックは久方ぶりに訪れた静寂の中、自分も同じく眠ろうとしたのだが、部屋の隅に置いてある作業道具を見つけ、思わず其方に足が向いてしまう。

 次に気がついた時には、自分の両手には機械が握られていることに苦笑する。

 

「なんとも言えないな。私はあの船の中で、どれだけ普通のエンジニア業を求めていたのか……いや、この作業こそが日常だと信じていたのかもしれない」

 

 ともかく、彼女を少しでも楽させるためにプラズマカッターの制作作業は続けた方が良いだろう。そう結論付けた彼は、最初からセーフティも何も外していない、自分の所持している方を見本にしながら作業に取り掛かった。

 

 それからしばらく経った宵闇の襲い来る丑三つ時。確かにこの異邦の男は、未来の希望を信じていたのかもしれない。彼の鉄の覆いに隠された口元は、楽しそうに跳ねあがっていたのだから。

 




楽しそうなアイザックさんが書きたかったんです!
他意は無いんです! あ、でも元一般人殺して涙目のほむらとかもかわいいかも……

今回の「暁美ほむら」に関してですが、流石に何度も繰り返してからと言って、性根の「臆病だったころの暁美ほむら」が変わりきることは無いと思うんですよ。彼女も変哲もない、しかもビクビクしていた一般人だった経験があるわけで、一人の人間なんです。
そりゃぁ、ワルプルギスの夜に挑むなんて蛮勇にひとしい真似をしていますが、それはまどかが死んだことやまどかの為という目標があったからこそ。アイザックが持ち込んだ不確定要素に関しては、同じ覚悟はそう簡単にできないのではないかという想像です。
まあ、ほとんど理にかなってないのは承知の上。所詮は初心者達による考えですので、「そのうち考えるのをやめた」って感じで気楽に読んでください。そっちの方がストーリーや戦闘で楽しめるかもしれません。(私達にそれだけの技量があれば)

長々と失礼。
こんな感じで後書きは補足などにしていくつもりですので、それでも判らないことがあれば感想にどうぞ。この先の展開がネタバレしない程度にこの物語の解説と自己解釈による設定を教えることができると思いますので。


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case04

全然進んでないのに長くなる……


 鮮血が飛び散り、腐りかけた肉片が降り注ぐ。腐臭は吐き気を催す規模にまで進行しており、すでにその臭気を発するものが物言わぬ肉塊でしかないことをたった一つの感覚だけで悟らせることができよう。

 しかし、である。それはただのフェイクであって、それはひたすらに動いていた。以上発達した骨を鋭くとがらせ、より圧縮して押し込めたような鉄すら切り裂くことが可能になった爪を振りかぶる。地に濡れた衣服の下には変形して赤子の手よりも小さくなったり、腹と一体化して押し込められたような腕が見え、それがもともとは人間だったことすらうかがえるのだが、躊躇してはいられない。

 

 ―――グヂャァッ!!

 

 男は叫び、憎しみと悲しみを持って引き金を引く。その引き金のある鉄の塊で相手を殴り飛ばす。鋼鉄の足を以ってその肉を蹴り飛ばす。重作業にも耐えうる未来の作業着は彼の動きを補助し、殴り飛ばしたそれを文字通り粉々に余すことなく粉砕する。倒れたそれにかける追い討ちの踏み付けを、四肢の一部を捩じ切るまでの威力へ強化する。

 「四肢」。

 そう、その四肢を切り取ることが、人道を完全に無視した死体損壊の一撃こそが真に有効で決定打となりうるのは皮肉としか言いようがない。だが、戦闘する彼はそんな涙を呑む時期はとっくの昔に体験していた。

 これはただの敵。ただの化け物。そう思って、そう思い込んで、容赦なく全体重をかけた踏み付けで四肢をもぎ取り、青白い高熱の刃で五体を爆ぜさせる。持ち替えた大型の銃にエネルギーを込め、周りの瓦礫ごとそれらを一掃して吹き飛ばした。

 動く変形した死体は、その心臓の動きを止めたことには変わりがない。黒く参加した血液がべっとりと返り血となって降り注ぎ、彼の体に人殺しの罪を押し付けるようにして張り付いていく。

 

「洗浄開始」

 ―――Standing by_READY

 

 彼の着ている未来の作業服は、音声認識で持ち主の声にこたえてスーツの表面を洗い流していく。装甲が張り付けられた表面の隙間から清潔な洗浄水が流れ、なすりつけられた罪のような血液を足元に押し流し、押し流し、彼は悪くないのだと味方する。そんな持ち物に対する彼自身は、酷い後悔と胸糞の悪さを抱えたまま、ビルの狭間に消えていった。

 あとに残されたのは、つい数分前まで人間だったものの黒ずんだ血肉と、その惨劇を作り出した不格好な陸上のエイの亡骸。また一つ、人間の街を脅かす怪物たちは闇の中へと葬られるのだった。

 

 

 

「お帰りなさい、アイザック」

「……ああ」

 

 臭いは残っていない。清潔そのものの見た目であるが、確かに血の通ったものを殺してきたのだという空気をまとわせて、鉄の精神を持った男は帰ってきた。ただ一人だけ、死のカーニバルと化した宇宙船から生き延び、恐らくは逃げ延びた時に潜んでいたのだろう、「ネクロモーフ」と呼ばれる怪物に襲い掛かられ、いつの間にか彼の主観ならば過去であるこの見滝原の地に投げ出されていた不思議な男。

 彼の戦い方は人間の反応を超えない、魔法少女たちにとっては鈍重なものであるにもかかわらず、不動の精神、動じない構え、そして確実に弱所を見抜く驚異的な洞察力によって魔女や怪物相手でも大立ち回りが可能な実力を持っている。

 彼は、私にとってのイレギュラーであり、希望となりえる存在。少し境遇は違えど未来人というあたりも共感は持てるし、何より害もなく人当たりのいい性格は好感さえ持つことができる。それ故に、その命が失われることがあれば心の隙間も大きくなるだろうが、そんな絶望はいくらでも味わってきた。どんな時空でも、あきらめずに前へ立ち向かう。彼と私に共通する意思さえあれば問題はない。

 問題は、彼の力がワルプルギスと言う巨大すぎる敵に通用するのだろうか――

 

「アケミ、私の顔に返り血でも残っていたか?」

「いえ。それより、次の予定が決まったわ。多分、巴マミについていくと昨日襲われた薔薇の魔女本体を倒すと思うの」

 

 内心の疑念を隠し通し、彼女は平静のままにアイザックに次の決定事項でもある予定を話して行く。アイザックは彼女の話でほう、と息をついてテーブルに身を乗り出した。

 

「それで」

「基本的には今までと一緒。一、まどかとキュゥべえを契約させない。二、決して一般人に怪我はさせない。三、あわよくば私と巴マミに話し合いの機会を設けさせてほしい」

「つまり、倒した直後の気が緩んだ時に語りかけ、心の隙間を突けと?」

「身も蓋も無い言い方をするならそうなるわ。多少の人心掌握術は使って行かないと、下手に錯乱させて此方の立場が危うくなる。相手も魔法少女、魔女を葬る実力を持つと言う事は、私の隙を突く事さえ可能になるから」

「結局、人間同士が一番の敵か。…どこも、変わらないな」

 

 宇宙への開拓を進めるにあたって、アイザックはこの地球の未来の史実を見て来た事になる。普通の中学生ぐらいにならった歴史には、この地球を離れる手段を開発した者に宗教的な観点で罰当たりと言いながらわめき散らし、大惨事を起こしたユニトロジストの原典になりそうな者もいた。

 そう、結局は自分の意思と反する事があれば気にいらないと言って反発するのが人間だ。そこに正義と悪は無い。ただ、意志と思想の違いがぶつかるのみ。人数と一般観衆の意見反映が多い方が正義で、少ない方が悪なのだ。

 

「とにかく、私は学校に行ってくるわ。此方からも有効なアプローチは入ったと思うし、後は少しずつ……まどかと話をしないと」

「言葉もまた、人類が編み出したコミュニケーション。黒人も白人も同じく英語を使うように、君の言葉も彼女に届く事を祈らせて貰うさ」

「ふうん、でもそれじゃ、私とまどかは対立するってことかしらね?」

「まさか! そんな意味で言ってはいない。たとえ話だよ、あくまでな」

「分かってるわ。ちょっとしたジョークにしては、随分とブラックだと思うけど」

 

 アイザックは叶わない、と言った風に小さく笑った。そのまま立ちあがり、彼は部屋の奥に作った専用のスペースに歩いて行く。

 

「私は向こうで作業を続けているよ。また、時間が来たら連絡頼む」

「了解。苦労を掛けるわね」

 

 すんなりと労わりの言葉が自分から出てくることに驚いたが、それだけこの男がフランクで、フレンドリーで、まどか以外には凍りつかせたはずの心を開いてしまうイレギュラーなのだと考えられる。

 この位に因果が捻子曲がってくれるなら、せめてこの破滅の運命をも捻じ曲げてほしいものだと、切実に願いたい。もちろん、キュゥべえ以外に。

 

 ほむらは制服の皺を伸ばし、三つ編みの名残で跳ねた長髪を整えると玄関に向かって歩き出した。目指すは見滝原中学校。まどかが日常を感じる場所で、悪夢の様な日々を感じさせない陽の場所だ。

 

 

 

 昼休みの鐘が鳴り響き、まどかの隣に居るさやかが大きく背伸びをする。真面目に勉強する気はあるのか、彼女のノートは途中まで書きかけた後は居眠りを決め込んだせいで鉛筆の線がぐちゃぐちゃとノートを汚してしまっている。それでも反省の色も無く、まどかに話しかけていつもの屋上で弁当に誘うのは彼女の明るさと言う長所なのだろう。

 いつもはその二人とくっついて楽しげに談話している志筑仁美といえば、用事があるのか珍しくお誘いを蹴ってそそくさと何かの支度を始めている。ただ、あの二人をいつまでも放っておくわけにもいかない。自分の姿をさやかに見せておく必要もあるだろうと、ほむらは「才色兼備の転校生」という珍しさから群がっているクラスメイトを押しのけながら立ち上がった。

 

「あ、あの暁美さん! 一緒にお昼…た、食べない?」

「…ごめんなさいね。少し、昨日の保健委員…まどかさんに送ってくれたお礼を言っておきたいから、今日は失礼させてもらうわ」

「そ、そっかあ……いいなあ鹿目さん」

 

 ほら、平凡だ、自分は平凡だといいつつ、その優しさや可愛さからまどかはクラスメイトの一部にもちゃんと人気のある存在だ。彼女はそれに気付いていないからこそ卑下するような言葉で過小評価するが、この私「暁美ほむら」にとってアナタ(まどか)はとても魅力的な存在。この子が私に向けるような憧れと同じ、それ以上の存在なのに。

 さて、彼女の再評価はこの位にして早く屋上に向かわなければ。そう思って足を進めていると、肩にキュゥべえを乗せた桃青の二人組を見つけた。中央階段を上って屋上に行き、魔法少女の素質がある数人の少女を振り向かせながら扉の向こうに消えていく。おや、そう言えば二人ともジュースしか手に持っていなかったような。

 

「パンの一つくらいは食べないのかしらね」

 

 また、些細で日常的な問題に気がついた。恐らく今日の間に魔女狩りツアーはあるというのに、しっかり昼は食べておかないと力が出ないかもしれないと言うのに。愚痴を続けてもしょうがないが、とにかく二人(・・)のために購買で買ったパンをひっつかみながら階段を上り、屋上の扉に手を掛ける。

 

「この世には、私達以外にもっと願いを叶えたい人もいると思うんだけどなぁ……」

「さやかちゃん……もしかして、上条くんの」

「ま、ね。このさやかちゃんもちょっとは素直に悩み、話しちゃった方が気が楽かなぁって」

 

 すると、二人の会話が聞こえて来た。

 美樹さやかの魔女化の原因として、先ほど言った「上条恭介」の存在が挙げられる。彼はとある事故で手に現代医学ではまだ治療ができない怪我を負い、人生の柱と言っても過言では無かったバイオリンを弾くことが出来なくなっている。その怪我を治療する為に美樹さやかは契約を果たし、怪我を完全に治したことで志筑仁美に上条恭介を奪われる選択を選び、自分の選択だったのにそれに絶望してしまって魔女となっていた。

 自分勝手と言えば一言で片がつくが、それは彼女の恋心と友情、そしてキュゥべえたちが目に付けた未熟で不完全な年頃の精神がかみ合わなくなってしまったからに過ぎない。むしろキュゥべえさえいなければさやかは魔女化する事も、余計な重荷を背負う事も無かった。そして、ずっとまどかの友人として、善き親友として平凡な日々を送れていた筈なのだ。

 

「ねぇキュゥべえ。確か二つ返事で他の子は答えたんだっけ? たとえば、どんな願いを願ってたのさ」

「そうだね、友人を作りたい。もっとも自分を愛する恋人が欲しい。チーズが食べたい。綺麗なバラを咲かせたい。…たくさんあるけど、全員が等しくその時に願っていた最も強い願いを叶えていたよ」

「そうなんだ、最高の願いか……」

 

 その話を聞いていたほむらは、先ほどあげた例がすべてこの見滝原に存在する魔女の特徴に当て嵌まっていることに気付いた。

 友人を憧憬と見ていたのは「箱の魔女(H.N.エリー)」。恋人がいなくて憤怒したままの「鳥かごの魔女(ロベルタ)」。チーズを食べたかった執着がある「お菓子の魔女(シャルロッテ)」。薔薇にしか心を開かない不信の「薔薇の魔女(ゲルトルード)」。

 なんという皮肉な心遣いなのだろうか。キュゥべえはこれを狙って行ったのかは知らないが、恐らくこの答えは必然だったのかもしれない。先ほどさやかは「他の子は、たとえば」と言っている。つまり、身近な地域の人物を限定したと捉える事も出来るわけだ。ともなれば、この地で倒れた魔法少女の願いを答えてしまえばいい。

 このままでは魅力的な方面ばかりにさやかやまどか自身が持って行ってしまう。人間、悪い所は疑ったとしても其方に歩んで行こうとはしない性質を持っている。だからこそ、少しばかり無粋になっても此処は自分が―――

 

「ちょっと、いいかしら?」

「て、転校生!? もしかしてアンタも屋上派…?」

「ほむらちゃん、えっと……」

「貴方達…キュゥべえが見えるってことは素質があるのね。今は話を聞いてる途中、と言ったところかしら」

「な、まさかアンタ……」

 

 絶句するさやかを前に、自信があり気に彼女は堂々と歩んで行った。まどかは昨日の言葉の節々からある程度の予想は出来ていたのか、やっぱりと小さく呟いてほむらの目を覗きこむ。

 いま、暁美ほむらはその目に多大なる覚悟と威圧を備えてこの場に君臨した。その萎縮してしまいそうな雰囲気は魔法少女が魔女を狩るときのもの。明らかに剣呑とした雰囲気に気がついたさやかは、まどかを守るように後ろに下がらせる。

 

「それで、クラークさんは間に合ったかしら? 二人が無事と言う事は、そう言う事だと思いたいのだけど」

「え、あ、クラークさんの恩人って、ほむらちゃんだったんだ……!」

「それより転校生、アンタ、何をしに来たのさ?」

「何をしに…そうね」

 

 ほむらは更に近づくと、さやかと腕一本分の距離に近づいて懐を探りだした。

 そして―――購買のパンを差し出す。

 

「二人とも、昼食買ってないみたいだから、ちょっとしたお節介ってとこよ」

「――――へ?」

 

 その時のさやかのぽかんとした顔と言ったら、後にほむらが含み笑いで思い出すほどのものだった。一体何をするのかと固唾をのんでいたまどかも彼女の行動には唖然とし、手に握っていた空のジュースパックを取り落とす。そして、まどかの落としたパックが地面に転がる音でようやく固まった空気は氷解したのだった。

 

「そ、そう言えば確かに…あたしら食べて無かったね……貰っちゃっていいの?」

「ちょっとした話し合いのきっかけとしても、受け取ってもらうと助かるわね」

「ありがとう、ほむらちゃん。ほら、さやかちゃんもお礼言っておかないと」

「そうだね…え、と。ありがと?」

「何で疑問形なのかしらね。そこ、隣に失礼するわ」

 

 まどかの横を指さすと、彼女は快くその場を開けてくれた。

 いつもの仁美の穴を埋めるかのように、三人となった空気には再びの静寂が訪れる。だが、その気不味さもほむらが一言目を発する事でなくなった。

 

「そうね、こんなご飯時に言う事ではないけど、キュゥべえを襲っていたのは私よ。そこは否定しないわ」

「え、じゃあ昨日離脱したのは……」

「あの場には巴マミがいたから。私はあまり争いはしたくないし、なんと言っても、私もこんな性格と目つきだから他の魔法少女に敵だと思われやすいの。キュゥべえを襲っていたのは別件ね」

 

 あっけらかんと自分の汚点さえ言い放つ彼女に、さやかは意外と良い奴なんじゃとほむらの事を見直し始めていた。対するまどかと言えば、そうして気づかいのできる点に更なる憧れとほむらの良さを確認し、尚更にほむらを見る角度を変えている。

 

「ところでほむら」

「あら、そう言えば居たわねキュゥべえ」

 

 キュゥべえが話しかけると、とてもまどか達とは違う氷の様な態度をとる。そのあからさまな態度にさやかは再び警戒心を戻したが、逆に何故このような仕打ちを取ろうとするのかも気になって来ていた。

 

「僕を襲っていたのはどう言う理由かな? 君は色々と知っているようだけど、どうにも行動原理が理解できない。どうやらまどかの事を気に掛けているようにも見えるし、君と僕達の個体は契約した覚えも無いからね。いっそ話してくれるといいんだけどな」

「残念だけど、あんまり多くは貴方に言えないわ。ただ、貴方と契約したことで私の知り合いが深い絶望と不幸を負った、と言えば理由くらいは分かるかしら?」

「もしかして、僕に復讐を?」

「復讐!?」

 

 キュゥべえの出した結論は近いものの、既に「インキュベーター」としてキュゥべえの事を知っているほむらにとっては復讐とは見当違いの推理だった。そのことが可笑しくなって笑みを漏らしたが、逆にそれは「そうだ」と思わせる様な嘲笑を交ぜる。

 優秀で面白い作品では、よくミスリードに導いて、結末のどんでん返しで読者や視聴者を驚かせる。ほむらにそんな気は無かったが、この場はこうした「らしい」理由を作っておくことも円滑な関係を作るためのきっかけになるだろうと、真実を覆い隠してみる。

 たとえ全てが露見した先が自分の孤独や非難であったとしても、その時に全ての事が終わっているなら構わない。既にほむらは自分の未来さえも己が願いへと捧げているのだから。

 

「似たようなものよ。だからキュゥべえ、貴方達は気に喰わない。子供みたいな癇癪、とでも思ってくれればいいわ。事実子供だものね」

「そうなると益々興味深いよ。君が僕達に復讐を望む理由、そして魔法少女となった経緯がね」

「そう。好きなだけ予測すると良いわ。私からは何も言わないけど」

 

 ツンと突きは寝るような態度は、この事だったのかとまどか達を納得させる。

 そうして話の「空気」がまとまってきた所で、ほむらは落としたジュースの代わりを渡しながらまどかに話しかけた。

 

「ところで、さっきの会話が聞こえて来たんだけど…貴方達、魔法少女になるかどうかで迷っているのよね?」

「え、えっと。そう……だね」

「転校生は願いをかなえたみたいだけど、どう思ってる? あたし達みたいにキュゥべえが見える人にしか願いはかなえられない。魔法少女にはなれないのって」

「そうね。それも契約前の人間の命題かしら」

 

 大抵は二つ返事で甘事に乗るのが、思春期真っ盛りの間違いを犯しやすい少女たちの心情だろう。だが、さやかは未だ恋とも友情とも定めきれない思いを背負っているし、まどかは突如として現れた非日常への切符を前に、生来の臆病さから手を出しかねている。

 それに、二人ともに願うべきかと思う物はあっても、それを実際に願ってしまうのはどうかと言う葛藤を抱えているからこそ、躊躇が生まれているのだ。ほむらにとってはこの考えの停滞は嬉しいことこの上ない。

 だからこそ、正論から彼女達に非日常から遠ざけるような選択肢を考えた。

 

「選ばれたのなら素直に享受すべき。そう考える人もいるし、事実私も契約をしてしまっているから何とも言えないけど……こんな危険な事は、簡単に願いに乗ってしまった他の人に任せればいいと思ってるわ」

「他の人に任せる? つまり、願いは諦めるってこと?」

「ええ。此れを言うのは卑屈だけど、私はキュゥべえと契約せざるを得ない状況だったから契約してしまっただけだし、それによって叶えた事もあんまりに大それてて私“一人”じゃ手に負えないことだったもの」

 

 それは真実だった。

 彼女一人で全てを上手い方向へ運んだ事は無い。多少の独力はあったものの、それは懐柔、もしくは隣に居てくれた魔法少女たちのおかげで困難を乗り切った事もあったし、決して一人では倒せない魔女もたくさんいた。

 最終的にはまたループするハメに陥っているが、それでも仮定の中では自分以外の他人がもたらした功績が大きいことは確かだ。

 

「だから、自分勝手な願いや相手の気持ちも確認しない様な願いは絶対にしない。自己犠牲、なんて考えで魔法少女として戦って平和を守るためだけに契約したとしても、それは周囲の人間を絶対に悲しませることになってしまうわ。私も、この心臓の病が契約で治った時なんか……もう、最悪の意味で大変だったもの」

「……あ」

 

 ソレを聞いて、さやかは前半の相手の気持ちを考えない願いに顔を青褪めさせ、まどかは周囲の人間の事を引き合いに出されて顔を伏せてしまった。

 ほむらはある意味、その全ての間違いを犯していると言っても過言ではない。これまでたった一人で「何十回」というループを繰り返し、未だに自分の願いを叶える事も出来ず、もう家族がいたことさえループの因果から消え去っている。

 ある意味不幸のどん底と言える現状をこの場で思い知って、ほむらは自嘲気味に笑った。

 

「ま、私の考えはそれだけね。魔法少女ツアー…だったわよね? 危険なことだって愚痴っていたクラークさんから聞いているわ」

「う、うん……」

「彼ならきっと守ってくれると思うから。私は魔女とは別件の用事が合って貴方たちを守る人手にはなれないけど、大丈夫よ」

「あはは…やっぱりあの大男、すごく強いんだ」

「…別件? ほむら、君は魔法少女なのに魔女よりも優先するものがあるのかい?」

 

 さやかがアイザックや契約の事で頬を引き攣らせている時、キュゥべえが何においてもソウルジェムの濁りを取るために動く魔法少女にしてはらしくない思想の点を見抜いて質問する。それに関して、ほむらは待っていたと言わんばかりに口を開いた。

 

「実は、この街に魔女以外の最悪の化け物が紛れ込んでいるの。…貴方達、クラークさんから“Marker”って聞いた事は無い?」

「あ、聞いたことあるよ。もしかして、ほむらちゃんの用事って」

「そう、それから生み出される最悪の怪物“ネクロモーフ”を倒さないといけない。奴らはその名前…死骸変異体の通り、殺した人間を材料にしてドンドン仲間を増やしていくわ。まるで映画のゾンビみたいにね」

「そ、そんな化け物が魔女以外に居るって言うの!?」

 

 さやかが声を張り上げるが、無理も無い。

 結界の中に閉じこもる魔女と違って、ゾンビのように増えると聞けば何処にその怪物とやらが潜んでいるかも分からないし、白昼堂々大騒ぎが起こる可能性も高いのだ。その被害者に自分の名前が参列する事になった日には、目も当てられない。

 

「奴らの弱点は――――」

「四肢を切断すること、だね。まったく、幾ら無限のエネルギーを内包しているからと言って、あの建造物は意志あるもの全てに干渉して生命や文明の全破壊を図っている。とんでもない欠陥品だよ。ああ、この“地球には無い”からね。まどか、さやか。君達は怖がらなくてもいい」

「……あなた、知っているの?」

「資料を見直しただけさ。次に会った時には彼にも言っておくけど、君が伝えるかい?」

「…いいえ。私はあの件の当事者じゃないから、クラークさんに任せることにするわ」

 

 流石、と言うべきだろうか。

 インキュベーターの目的は宇宙存続のエネルギーを得ること。そのためにとっくの昔にあの螺旋構造の建造物は調査済みであり、それに関して無限のエネルギーがあるとは分かったが、それは生きる者にしか干渉できないのでキュゥべえ達が求めるエネルギーとは根本から違うことが立証されていた。

 この事実がアイザックに話されるのはまた、後の事である。

 

「となると、ここで君達で言うネクロモーフを始末するために動くんだね」

「そう言う事ね。二人も、ネクロモーフは多分また増えていると思うから、何かあったらクラークさんでも、巴マミでも良いから連絡して。近くに居れば私も駆けつける。とにかく、“餅は餅屋”。専門の人に任せた方がいいわ」

「で、でもそんな化け物なら…契約したらあたしでも」

「ネクロモーフの材料は人間。愛する夫婦でも、朗らかな老人でも、…そして赤子でも。とりあえず人間であれば面影を残したまま化け物としてこの街を闊歩している。そんな彼らを、アナタは躊躇なく“殺す”事が出来るのかしら?」

「あ、赤ちゃんまで!? もしかして、ほむらちゃん……」

「殺さざるを得なかったわ。それに、既に素体になった赤ん坊は“死んでいる”。殺して、誰も襲わせないようにするのがせめてもの情けでしょう?」

 

 これだけは、この感情だけは隠すことができない。

 ほむらはMarkerを人間の意志など何処にも介入しない、自然現象の様な物だと理解はしているが、それでも赤子を手に掛けてしまった時、そんな達観した考えが簡単に打ちのめされた事を理解していた。

 

「…少し長話になったけど、まだ昼休みが続いていて幸運だったわ。言うだけ言って悪いけど、そろそろ予鈴も鳴ることだし解散させてもらうわね」

 

 彼女の言葉に返す者はいなかった。

 赤子の姿をした化け物。今まで親しかった人間が目の前に怪物として変貌し、襲ってくるかもしれない恐怖。それらは、単なる中学生でしかない二人を震えあがらせるには十分だった。そして、それに連なる魔女と言うのがどれだけ恐ろしい存在であるかを分からせるにも。

 静寂の中、ほむらが扉を閉めた音だけが響き渡り、それを合図に二人の硬直は溶けた。気付けば手元にキュゥべえは居なくなっており、本当にまどかとさやかの両名のみが屋上に取り残されている。

 

「ネクロモーフに魔女。一般人だったら…ううん、自衛隊の人でも、絶対に戦えないよね」

「それを知ってるのはあたし達みたいにキュゥべえが見える人だけか。……正直言って、まどか。アンタは怖い? あたしは、すっごく怖い」

「怖いのは当たり前だよさやかちゃん。……でも、ほむらちゃんはさっきの話が本当なら、さっきまで人間だった人を……」

「い、言わないでよっ! あたしだって考えたくなかったんだからさぁ…!」

 

 二人には想像もつかないが、その覚悟は尋常ではない。だが、それを成し遂げるだけの精神を持つ人物であるほむらが余裕の一言すら無く「危険」の一点張りだったのだ。こうして、まだ契約もしていない自分達がどれだけちっぽけな存在なのかと思い知らされたと同時、あの頼りになる先輩が提案した魔女退治見学ツアーの言葉にどうしようもなく体が震え始める。

 だが、またあの鎧のエンジニアさんがいたのなら。マミという先輩がいるのなら。

 助けられた経験からか、ほむらの言葉の暗示の為か、そう言った「専門の人間」が自分たちの近くでしっかり守ってくれると言う事に体の震えは収まって来ていた。

 とにもかくにも、今はその放課後に備えて学業を全うしなければならない。屋上に残っていた二人は、予鈴のベルが鳴ったと同時に忙しそうに駆けだしたのだった。

 




あら不思議。ほむらが饒舌にコミュニケーションをとるだけで、なんかうまくいきそうな気分。
アイザックさんのことは忘れてませんよ?
それと、この地球にはマーカーは無いということになりました。流石にあったらヤバいじゃすみませんし、自分達の頭では虚淵氏ばりのBADEND(沙耶)しか思い浮かびません。みなさん、沙耶みたいに愛も無いのにそんなの嫌でしょう? 私達も嫌です。

ともかく、これから色々と話は発展していきます。
場面の進みはこれくらい遅く濃密に書くことなると思いますが、どうかご容赦ください。


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case05

何故だろう。
色々書いてて、この作品が一番、力入ってしまう気がする。


「うーん……」

「どしたのまどか。やっぱりさっきの話気になっちゃった?」

「あ、さやかちゃん」

 

 終業のベルが鳴り響く教室で、浮かない声の二人が会話を交わす。その暗い雰囲気を発する二人をクラスは違和感を感じているのか、ちらほらと珍しいと言った好奇の目線を向けている空気があることが伺えるだろう。

 彼女達が学業をこなすクラスの中にはこの暗さの原因ともなった暁美ほむらの姿もあり、まどかを労わったさやかは悩むような視線をほむらの背中に投げつけていたのだが、彼女の背中に目が付いている筈もなく、淡々と帰る準備を進めている様子のみが網膜を通じて映像として映されていた。

 

「アイツも―――」

「あら、お二方。今日は一段と仲がよろしいようですが、どうしたのでしょう?」

「あ、仁美ちゃん」

「何かあったのなら、私にもお話し下さいな。きっとお力になれるでしょうから」

 

 まだ答えが出ない中、唯一キュゥべえに声をかけられることの無い仲良し三人組の最期の一人、志筑仁美が彼女達に心配そうに声を掛ける。彼女が二人を心配するのは当然のことであり、いつものように軽い親子喧嘩や無くした物を相談したりする日常的なものなら、彼女と話していれば、そのお嬢様らしいちょっとおとぼけた視点での会話で日常にちょっとしたアクセントが混じって楽しく過ごせていただろう。

 しかし、今回ばかりはそうもいかない。なんとか自分達が暗い雰囲気を出している理由を誤魔化そうと口を開いたが、どのような事を話せばいいのかも分からず、言葉の代わりに空気だけが肺から押し出された。

 何かを言おうとして立ち止まったその様子に、仁美もまたただ事ではないと思ったのか、少々悩んだような仕草をした後、にっこりとほほ笑みかけた。

 

「言えない事でしたら、深くは聞きませんわ。ただどうしようもなくなったら、私だけではありません、親しい人や、お二方以外の秘密を共有できる方とゆっくりお話した方がよろしいと思われます」

「う、うん。ありがとね仁美ちゃん」

「仁美っていつにもまして妙な所で鋭いよねぇ…。でも、ありがと」

「あらあら、お礼を言われるまでもありませんわ。それでは、少々寂しいですが今日は一人で帰らせていただきます。お二方もどんな事を抱えているかは分かりませんが、お気をつけて」

 

 優雅な立ち振る舞いで手を振る彼女は、まどか達にとってほんの少しではあるものの、日常へ引き戻してくれる温かさを兼ね備えている。

 本来、お嬢様育ちのおっとりとした様子に、どこかズレた知識を併せ持った「淑女」というのが志筑仁美を表す人柄であるのだが、そのおっとりとした性格をバランスよく両立させるためとでも言うべきか、天秤のもう片方には正しくも意志の籠った事をはっきりと述べる豪快さも持ち合わせている。

 今回もまた、その滅多に上がらない天秤の片方が浮上したのだろうが、今のまどか達にとっては最良でもある「何も聞かない」という選択肢を取ってくれたことは本当にありがたかった。

 

「……」

「ありがと、仁美」

 

 本当に、頭が上がらないな。

 そんな事を思いながら、まどか達は手を振って教室を出た。巴マミとの約束の場所へと向かう彼女達の背に向かって、仁美は満面の笑みで呟きを零す。

 

「ああ、一体何があったのか…? それは聞かないでおきましょう、ですが―――」

 

 聖女マリアの様に美しく、聖処女ジャンヌの如き純粋な疑問を言の葉へ乗せた。

 

「禁断の愛! あなた達をそうまで深く結びつけたその理由を知りたいものですわ」

 

 

 

 

「……Be slow in coming」

 

 待ち合わせ場所をそれなりに賑やかなカフェテリアで一度話し合ってから此方に来る、と言った内容のメールを受け取ってから早十分。それほどに経過しているというのに、という文句が出て来てしまう。

 そうして、とある裏路地を抜けた先の一角に青い作業用ライトを顔面から発している不審な男が立ちつくしている。その男の名は「アイザック・クラーク」と言い、巴マミ、鹿目まどか、美樹さやかとの約束を交わして「魔女狩りツアー」とやらの補助役(サポート)として加わる手筈だった者である。

 

 遅いな、と母国の言葉で彼の姿はどこか哀愁が漂っており、確かに43歳という中年街道真っ只中を突き進んでいる身としては中学生の少女たちと行動を共にするのは随分と絵の華が萎れてしまうと感じてもいる。だが、見知らぬ「過去」の世界で孤独に放り出されている彼にとって、何処とも知れぬ暗所で待ちぼうけをくらうというのは結構な寂しさが込み上がってくるものなのだ。

 そう思っている彼の懐――背中の粒子化収納スペース――から、突如としてコール音が鳴り響く。最近の若者の様に凝ってもいない、コンクリートに囲まれたこの場に似つかわしい無機質な着信音1が鳴り響くと、Ⅲコールもしないうちに彼は早々にそれを耳にあてた。

 

「こちらアイザック。どうしたアケミ」

≪そろそろそっちに巴マミ達が来るわ。一応準備はしておきなさい≫

「そうか。来る時間が分かるのはありがたい」

≪それと、今回の魔女はそれほど強力じゃないとしても気をつけて。使い魔は一匹だけでも十分―――ああ、そっちはネクロモーフで慣れてるか。煩く言う必要もないわね≫

「気を引き締めるには丁度いいさ。何にせよ、君は君で安心していろ」

≪分かったわ、朗報を待ってる≫

「ああ」

「――アイザックさん、お待たせしてすみません」

 

 通話を切った所に、ちょうどマミ達が彼の前に姿を現した。

 前回ワケの分からなかった怪物に襲われた場所、と言うだけあってかマミの後ろにいる二人はそれなりに警戒が強く、少し気を張り詰めているようにも見える。

 

「いや、年甲斐も無く張りきった此方も早く来すぎていたよ。それより本題に入ろう。今日は君の魔女退治を見学、もしくは状況に応じてそこの二人の補助を行う、でいいんだな」

「そうなります。あ、私は縦横無尽に飛び回って距離を取るタイプなので、そちらの動きでは追いつけないと思うから無理に守ろうと動かなくても大丈夫ですよ」

「子供の君達を相手に不謹慎だが、少し安心したよ。流石に四十も超えるとスタミナがどうにもな。スーツとRIGが運動を補助してくれるから、アスリート並みにはいけるのだが。―――あっと、それから私相手にそう畏まらないでくれ。少々むず痒い」

「そうですか。ええっと、それじゃ本題に入るわね、二人とも。アイザックさんもこのソウルジェムを見てくだ…見てくれない?」

「…魚群のソナーみたいだな」

 

 合流を果たしたマミとある程度のやり取りをすると、彼女の取りだした黄色い卵型の宝石――にも見える魔法少女の「必須」アイテム、ソウルジェムに三人の視線は集中した。

 それは薄らぼんやりと光の点滅を繰り返しており、何かのレーダーの役割を果たしているようだと、職業柄そうい言う機材に触れるアイザックは真っ先に思い浮かんだことを口にしていた。

 

「探知機としては結構当たってるわね。そして、これは昨日ここにいた魔女の気配よ。残念ながら姿は見せずに結界の奥の方に閉じこもっていたみたいだから、本当にその残り香を辿るくらいしかできないんだけど」

「これを見て、昨日の魔女を追いかけるってことですか?」

「正解よ鹿目さん。ただ、あなた達を見捨てるわけにはいかないから追跡は後にしたんだけどね」

「えぇっと…ごめんなさい?」

「いいのよ。アレはまだ若い魔女みたいだし、移動したばかりの一日やそこらで人は襲えないわ」

 

 そう言っていると、マミの持っているソウルジェムがひと際大きな反応を示した。魔女のいる方角を示しているのか、ソウルジェムの発光した光が離脱するように浮き上がり、一定の場所に流れて再び消滅する。

 

「あ、光った」

「反応があったみたいね。でも今のだと結構遠いのかしら…」

「それは、困ったな」

「ああ、アイザックさんだと目立っちゃうからね」

 

 買い物を重ね、軍用のエンジニアスーツを身に纏った彼は一般衆目に晒すにしては目立ちすぎる風体である。安直に同行を願い出るべきでは無かったのか、とアイザックが頭を抱えると、マミは問題ないと言ってくすりと笑った。

 

「魔法である程度は衣装も変えられるの。アイザックさん、ちょっと失礼」

 

 マミが胸元のリボンを引っ張ると、まったく同じものが胸元に残ったまま、魔法で増やされたリボンの方がアイザックに向けて放たれた。避ける暇も無くそれらがアイザックの体にミイラの包帯の様に巻き着かれて行くと、一体の不格好な黄色い蓑虫が瞬時に出来上がった。

 だが、変化はそこから始まる。

 リボンで巻き付けられた足のリボンはラフなジーンズになり、巻ききれていない筈の場所も塗りつぶすようにただの衣服へと変化して行く。その工程が全て終わる頃には、軽装で素顔をさらしたままの彼の姿が出来上がっていた。

 

「……どうなったんだ?」

「私達から見て、アイザックさんの姿を一般人と同じように見せたの。やっぱり外国人ってことから目立つかもしれないけど、これなら街を普通に歩けるわ」

「わぁ、マミさんの魔法ってこんな事も出来るんですね!」

「と言っても、結構脆いからアイザックさんが誰かに殴られたりしたら直ぐに解けちゃうわ。だから街を歩く間は注意して」

「分かった」

 

 それでは、と一行は固まって歩き始めた。

 ソウルジェムの指し示す方向はどうにもあやふやなもので、やはり魔女の残り香を捕える程度だとはっきりとした反応は中々現れないらしい。そう上手くいく物でも無い、忍耐強さが肝心だと笑ったマミからは、いつものことであるらしいという空気が読み取れた。

 

「そう言えば、魔女が見つかり易い場所って言うのを頭に入れておいてもらえるかしら」

「下手に近づかないように、ってこと?」

「そう。魔女は人から生命力を吸い上げ、最終的にその命を終わらせることでその人の全てを持って行ってしまうの。事故が起きそうな場所とか、ここ見滝原には無いけど歴史的にも人が死んだ事に縁のある土地、それから…この開発途中の年だからこそ多い、自殺するのに向いていそうな人気のない場所が特に魔女が目をつけて結界を置くわね。とくに見滝原に魔女が多いのは三番目に言った土地が多いからって言うのもあるわ」

 

 魔女とは人の負を体現したかのような存在。それらは全て絶望の回収を生業としている、悪徳商人でも後ずさりしそうな程の邪悪である。そんな存在が多くのこの土地に集まり易いと聞いたアイザックは、嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 

「だが、それだけでは無いんだろう? 嫌なものには二重三重と悪意が付いて回るのがこの世の常だ」

「残念だけども、同意せざるを得ないのが魔女の嫌なところよ」

 

 首を振った彼女は、その「嫌なところ」というのに嫌悪を示すように言葉を吐き捨てた。

 

「魔女には共通して、精神が弱っている人に“口づけ”を施すの。その趣味の悪いキスマークを貼り付けられた人は、持っていた負の感情とでも言うべきかしらね。それを増幅させられて、終いには自意識を“自殺”と言う方向に無意識下で誘導される。こうなると、もうその人は正気ではなくなるから気絶させて安全な場所に置いた方がいいわ。ただ、逆にその“口づけ”を張られた人に付いて行くと……」

「魔女の居場所を突き止められる、ですね?」

「そういうこと。だから魔女の口づけをされた人は最優先で助けないと。その点、あなた達は魔女の結界の中に入ったのに口づけをされないで運がいいわ。口づけはそのつけた魔女を倒さないと消えないから」

「厄介だなぁ」

「ええ、本当に…厄介。しかも結界に近い場所に魔女の口づけは広がるから、病院なんかに取りつかれたら最悪ね。ただでさえ怪我をして心が弱っている人が付け込まれて、その場で自殺を初めてもおかしく無いわ」

「……つくづくMarkerに似ているな」

「アイザックさん?」

「っ、む。ああ、なんでもない」

 

 思わず零した声に反応するさやかに何でもないと笑いかけると、彼らの話しは一旦の終わりを告げる。ずっと歩いていた水上道路の先にあった廃ビル前に辿り着いた瞬間、電球もかくやという発光がマミのソウルジェムを包み込んだからである。

 その余りに眩い光は危険信号を感じさせ、同時に敵が此処にいると示すことで俄然マミのやる気を引き立たせた。

 

「ここが―――マミさん上!」

「!」

 

 さやかがビルを見上げていると、屋上の手すりを乗り越え、よくテレビで映されるように何だかんだと自殺を止めさせられる「自殺者モドキ」とは違い、何の迷いも無く飛び込んでくる虚ろな目をした女性が落下し始めていた。

 幸いにも初速は遅く、十分間に合うと判断したマミがすぐさまソウルジェムに手を掛け、魔法のリボンで蜘蛛の巣の様に女性を受け止めようとしたその時、アイザックが女性に向けて開いている様子が目に入って、一瞬判断が遅れてしまう。しかし、落下してくるその女性はマミの貴重な魔力を使わせるまでも無く、命を助けられることになった。

 

「……浮いてる」

 

 まどかが驚くのも無理は無い。それは未来の技術であるのだから。

 アイザックの住む未来では、無重力空間――すなわち宇宙での作業をこなすことが多く、星間飛行機等を作る際には大量の重機材や機械でも持つ事が難しい程の質量を持った物体を扱う事すらある。

 そんな重機材を扱うために生み出された、重力をものともしない念動力(テレキネシス)のような力が未来では常用されている。

 その名を――「キネシス」と言った。

 

「やはり衣服を掴んだ分、そこだけでは人の体重を支えるのは難しいのか……マミ、彼女を下ろせばいいんだな?」

「え、ええ。気絶してるなら魔女を倒すまでは目覚める事は無いと思うわ」

「分かった」

 

 この「キネシス」、それがつい先ほどまで生物だった(ネクロモーフ)の爪など、「生物以外」ならどんな物であっても出力次第で動かすことができ、出力最大ならばあの死が蔓延る石村(Ishimura)で活動するネクロモーフ達の体を容易く貫く程の速度で持った「もの」を吹っ飛ばすことのできるなど、トンでも無い性能を持っている。

 だが、彼はゆっくりと地面の近くまで女性を引き寄せると、キネシスの動力を切ることでポスン、と優しくコンクリートの上に寝かせた。キネシスは宇宙空間で重力に縛られずに暴れ回るやんちゃな工具達を技術屋達の手に収まらせるためにも用いられる、エネルギーも半永久的に使えるほどのエコロジカルな工業普及アイテムの一つ。非生物である服を介してとはいえ、人間一人を浮かすことは造作も無い、と言ったところだ。

 

「あの、アイザックさんって本当に魔法少女じゃないのよね?」

「このいかつい四十路が少女と言える柄で無ければ、そうかもしれんな」

「いや、冗談にしてもきついって。それにしてもすっごいなあ」

 

 何時か未来で普及する、と言えば彼女たちを驚かせることも出来るのだが、アイザックはMarkerのように人間に不条理な死を与える魔女どもを倒すことを優先するため、その返事として曖昧に笑って返すだけに留める。

 とにかく、このようなことが出来るのならばとマミは安堵の息を吐くと、気持ちを切り替えてソウルジェムを握り、魔法少女としての姿に変身する。一瞬の発光が彼女を包み込んだ後には、魔法少女の戦闘装束に身を包んだ巴マミの姿がそこに顕在した。

 

「それじゃ―――行くわよ」

 

 彼女の頭のブローチに変化したソウルジェムが黄色く光り、その温かな心の様な光が冷たいビルの中を明るく照らす。そして試練とでも言うかのように階段の上に魔女の結界が姿を現すと、四人はその中に飛び込んで行くのだった。

 

 

 

 

 結界は迷路のように入り組んでいた。最初に遭遇した結界はおどろおどろしくもオープンな薔薇園、と言った風だったが、今回は魔女も異物が入り込んだことに脅威を感じているのか何体もの使い魔を解き放ち、マミ達を奥へ通すまいとしており、その様相は夜のルーブル美術館よりも堅固な防衛戦線だ。

 

「ふぅ、ヤケに多いわね。それほどに何か魔女には強く固執する物でもあるのかしら」

「ここでは薔薇を運んでいる使い魔が見える。恐らくは化け物ながらに薔薇を愛でる趣味でも持ち合せているのだろう。ネクロモーフ共もこれくらい高尚な意志を持ち合せているのなら、私の精神も多少は楽だっただろうに」

「想像できないけど、大変だったのね。ただ愚痴を言っている暇はなさそうだけど」

 

 どうにも悪趣味な形をしているのが、魔女の使い魔と言うらしい。人間の頭より一回りも大きく、頭が溶けたクリームの中に一定数以上の目があるもので挿げ替えられている蛾のような使い魔が辺りを飛び回り、何をしたいのか、単なる体当たりをしようと二人に迫る。

 だが、こんな気味の悪い結界の中で生まれた相手に接触すれば碌な事にはならないというのは、アイザックもマミも嫌と言うほど理解している。故に、抗う為の武器を持ちだして中空を縦横無尽に飛び回る使い魔達に魔法とプラズマの弾丸のシャワーで汚い使い魔どもを洗い流し始めていた。

 射程も違えば、弾丸も、時代も原理も違う。だが、一貫して「銃」としての性能を持つ二人の弾幕は群がってきた使い魔を塵も残さず消滅させ、自分達が奥に進む為の道にショートカットをするが如き大穴をあけて行く。その穴を埋めるためのセメントよろしく集まってくる使い魔もまた、二人の快進撃の前には意味を成さない。

 

「マドカ、サヤカ、二人共に付いてきているな?」

「「はい!」」

 

 元気よく答えた瞬間、二人の背後に現れた使い魔が襲いかかるが、気配を呼んでいたマミのマスケット銃によって「殴り」飛ばされ消滅する。

 

「油断は禁物だよ、二人とも」

「あらキュゥべえ。今日は随分と重役出勤じゃない」

「マミも万能じゃないからね。二人に死なれるわけにもいかないし、契約を待って傍に居させてもらうよ」

「そう? じゃあ―――保険もいらない位に派手に行くわ!」

「Hory shit! 二人ともこっちに来て耳を塞げ!」

 

 アイザックの呼びかけで二人が彼の背に隠れた途端、マミの近くに現れた大量のマスケット銃が飛びまわる使い魔に自動的に照準を合わせ、同時に全ての弾丸が吐き出された。その時に生じた爆発音は尋常なものではなく、鼓膜を打ちふるわせんとする凶悪なもの。アイザックの事前の忠告を聞いた二人が何とか助かっている事を確認した彼女は、ちょっとやり過ぎたかしらね、とばつの悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「えーっと…まぁ、そろそろ結界も最深部みたいね。アイザックさん、二人をちゃんと見ててね!」

「取り繕えて無いよマミ」

 

 何となく締まらない彼女にキュゥべえがツッコミを入れるが、そんな事は無かったと言わんばかりに目の前に現れた扉を蹴破るマミ。和室が何枚もの障子を開くことで一つの部屋としての機能を持つように、奥の方にある扉もまた一気に開いて言ったかと思えば、四人と一匹は魔女が器用にも椅子に座っている瘴気の強い部屋へと強制的に招待されていた。

 その何もかもがアンバランスで、比重を美徳とする人間にとっては非常にグロテスクな外見は、語るもおぞましい醜さを体現している。

 ネクロモーフが人間の死体、つまりは己も最終的にはあんな骸になってしまうのか。という切った爪や髪にも似た嫌悪感や恐れから来るグロテスクさであるとするのならば、この魔女は汚らしいゴミや腐り落ちて異臭を発する生もののような感覚器官や感性に訴えるものであると言えよう。

 

「ますますネクロモーフどもの憎たらしい面が思い浮かんでくるな」

「そっちの怪物も大概みたいね。…でも、アイザックさんも此処で待ってて。あの程度の魔女ならすぐに倒して見せるから――下がってて」

 

 防御魔法を発動し、使い魔程度では打ち破れない結界をアイザック達のいる場所に張ったマミは、普通の人間なら飛び降り自殺だと言われてもおかしく無い高さから飛び降り、優雅に降り立つ。そして足元を飛び回る極小サイズの使い魔を踏み潰した途端、ようやくマミの姿を認識したとでも言うのだろうか。魔女が頭とも泥に幾つもの薔薇が生えた物体ともとれるソレをマミの方向にぐるりと回し、カタカタと体を震わせていた。

 

「それじゃ、お一つお手柔らかに!」

 

 対する魔女の返事は、一件の家屋に匹敵するソファの投擲。悪趣味なハートマークを基本としたそれを撃ち落とすと、マミはソファが破壊されたことによって巻き起こされた砂煙に紛れ、一瞬のうちに多数のマスケット銃を展開する。

 同時に飛翔し距離をとった魔女に狙いを定めると、単発式の旧式銃の欠陥点とも言える反動を全く感じさせず、両手にそれぞれの銃を持って銃撃を始めた。焦らず、ゆっくりと、それでいて正確に。弓道の練習でもしているかのように冷徹な着弾を繰り返させるマミはさながらワンマンアーミーのキャラクター。

 圧倒的優位を手にしていたと思われた彼女は、しかし、その油断によって足元をすくわれることになる。

 

 彼女の足元に集まっていた使い魔が一本の長い鞭となり、彼女の体に纏わりついた。そして子供が扱う縄跳びの縄のように壁や地面に追突させられた彼女は、アイザックから見ても決定的に不利に思えた。

 

(確か、アイザックさんはこいつが薔薇を愛でる趣味がある魔女だって言っていたわね)

 

 だが、その中でもマミの冷静さが欠ける事は無い。それどころか、歴戦の魔法少女であるからこそ、彼女はどんな魔女にも「癖=弱点」があるという事を知っており、それをアイザックの言葉から導き出していたのである。

 早速その予想を実行に移すことにした彼女は、魔女に狙いをつけるように見せかけながら、相手がワザとその照準をずらしてくる事を予測して先ほどまで魔女が座っていた場所でもある「薔薇園」へと銃弾を撃ち込んで行った。地面に深く潜り込み、散弾銃のような穴を開けた薔薇園は狙い通りに整えられた形を崩されていったが、まどか達にとってその様子は狙いを外したピンチと言う風に映りこんでいるらしい。

 そしてまた衝撃。壁に叩きつけられた後に宙づりにされ、魔女の顔の様な場所がぱっくりと開かれる。そのまま捕食してしまうのだろうか、そんな嫌な予想を持ったまどかが悲鳴にも近しい声を上げているが、マミはそれでも恐れを見せずに笑って見せた。

 

「未来の後輩の前で、あんまり格好悪い所は見せられないものね!」

 

 そして布石が発動する。唯でさえ荒らされた薔薇園からマミの銃弾が変化したリボンが間欠泉より激しく噴き出し、使い魔が集めてきた薔薇の数々をその噴き出す勢いで粉々にして行ったのだ。無論、それだけならば魔女に対する攻撃としてはダメージはゼロ。だが、その執着心や精神面においては手酷い損傷を与えたのか、マミとの戦いもそっちのけで敵の魔女はマミの攻撃が続く薔薇園に飛び込んで行ってしまったのだ。

 生存競争の真っ只中、真っ当な生命ではないとはいえ、そんな愚行を犯してしまえば相手側が有利なのは自明の理である。魔女に待ち受けていたのは噴き出していたリボンにハムよりもキツイ拘束を受ける未来であった。

 

「さぁて、これで避けられないわよね?」

 

 聞き様によっては嗜虐的ともとれる言葉と共に笑ったマミは、胸元のリボンを抜き取ると新体操の様に前方に渦を作った。そして、それらがシュルシュルと巻かれて形成されて行ったのはとても人間程度の大きさでは扱えない程巨大な砲身。

 

「ネオ……いや、何でもない」

 

 アイザックが弾かれたように言葉を発したが、マミはそんな事にも気付くことはなく砲身に魔力を込めると、その魔女にとって「最後の一撃」を放つのだった。

 

Tiro finale(ティロ・フィナーレ)!」

 

 勇ましい声と共に、撃鉄が落ちる。

 方針は黄色い閃光を放ち、身動きの取れない魔女に着弾。

 周囲にいた使い魔さえ巻き込む余波を生じさせる衝撃波が散らかされ、その余韻も収まる頃には敵対していた悪しき存在は跡方も無く消滅させられていた。

 

 そして魔女のタマゴでもありソウルジェムのなれの果てでもある「グリーフシード」が落下し、彼女の隣にカツンと転がった。

 

「……」

 

 マミの勝利が決定的なものとなったと同時、おどろおどろしい結界は現実に溶かされて行くように消滅し、マミも結界を出ると同時に見滝原中学校の制服姿へと戻っている。華々しく、美しく、完封を決めたマミは正に圧倒的だった。その実力は他の魔法少女をも頭一つ飛びぬけて見えるだろう。

 だが、アイザックはその戦い方を見て、ヘルメットの中で苦い顔をしていた。あのトドメを刺す際にも言っていたが、恐らくは未来の後輩達になる可能性があるまどかとさやかに良い所を見せようと、「格好いい戦い方」をしていたのだろうというのは分かる。だが、あの魔女の壁に叩きつける攻撃や一軒家ほどの巨大なソファを軽々と投げる攻撃力。いくら魔法少女が丈夫だとは言ってもモロに喰らってしまえばネクロモーフが人間の頭をもぎ取るが如く、容易くその命を終えることになるだろう。

 

「ふう、まずはこのグリーフシードでソウルジェムの穢れを取らないとね」

 

 しかし、ヘルメット越しではその視線も伝えることはできない。この事は後にしておこうとアイザックが判断を下したその時、マミは魔女が落とした真っ黒なグリーフシードを自分のソウルジェムに近づかせていた。すると、戦闘前と比べて少し黒ずんでいた彼女のソウルジェムから「濁り」が抜けてグリーフシードへと委譲されて行く。最終的に街を探査していた時よりも美しい黄金の輝きを発するようになったソウルジェムを仕舞いこむと、マミは三人の前にそれを差し出した。

 

「これがグリーフシード。時々魔女が持っている魔女の卵で、私達のソウルジェムから濁りを取り除く為の…そうね、魔女退治の“報酬”かしら」

「マミさん。濁りって、全部黒くなったらどうなるんですか?」

「私は一度もそうさせた事は無いけど、濁りが進めば進むほど魔法の精度も規模も落ちて来てるから魔法が使えなくなるんだと思うわ。だから、濁り切る前にグリーフシードに吸い込ませてから万全の状態で次の戦いに臨むの」

「え、報酬ってそれだけ…?」

「……魔法少女ってね、テレビみたいに仲間がたくさんいるわけでもないし、逆に言えばテレビみたいに誰にも知られることのない孤独なものなのよ。それでも酔狂にも戦い続ける私みたいな人には、十分な報酬だと思うわ―――ねぇ、暁美ほむらさん?」

 

 マミが目配せして見た通路の闇の先。訪ねるようにして発された言葉に反応したのか、コツコツと靴の音が三回程聞こえたかと思うと、夕焼けがその闇から出てきた暁美ほむらの姿を赤く照らし出した。

 

「あ、転校生!」

「……巴マミ、その問いに対する返答だけど、私ならその報酬は割に合っていない不満モノ、と言わせてもらうわ」

「へぇ、あなたは中々欲張りなのね」

「そうじゃ無ければ、本当に欲しいものすら手に入らないわ」

「その割には私が戦ってる間、姿は見せなかったようだけど?」

 

 余裕を崩さないマミに、鉄面皮を保つほむら。

 いつ、どちらが攻撃を仕掛けてもおかしく無い空気が発せられたその時、間に割って入る夕日に引き伸ばされた大きな影があった。

 

「そこまでだ二人とも。アケミ、君も敵対する意思は無いのだからそう固く当たる事も無いだろう?」

「……今までの経験から生まれた性格よ。そう簡単に直せるようなら苦労しないわ」

「性格? あれ、じゃあ貴女は……」

「でもお暇させてもらうわね。今日はこの裏ですることもあったから顔見せしにきただけ。…それと巴マミ、確かに見事なお手際だったけど魅せる事を意識し続けたら足元をすくわれると思うわ。用心しておいた方がいいわね」

「ご忠告どうも。さっきの魔女戦で十分掬われちゃったから、肝に銘じておくわ」

「……そう」

 

 短く返答を告げた後、ほむらの姿は転移でもしたかのように唐突に消え失せた。

 その一端の魔法少女でさえ思いつかない様な唐突な消え方を見せられた彼女達は動揺するが、アイザックは素直じゃない性格だと苦笑を以って彼女達に言う。

 

「ちょっとしたサプライズってところだな。アケミも君達と仲良くしたいのだろうが、どうにも彼女にはまだやることがあるらしくてな。学業も重なって、それをこなすまでは君達に必要以上の接触はしないような態度をとってしまうのかもしれない」

「…いわゆるツンデレって奴?」

「Tundere…それは日本のサブカルチャーか? うまく翻訳されていないが、そう思ったのならそれでいいかもしれないな」

 

 さやかの言葉に首をかしげながらも、アイザックは場の空気を取り持つかのように小さく笑った。

 

 それから数分後、魔女退治とはどのようなものか、そして魔女や魔法少女の仕組みとはどういうものかをレクチャーしながらビルを降りてきたツアーの御一行は、KEEP OUTのテープを越えてビル前の「魔女の口づけ」を受けた女性の元に戻ってきていた。

 目を覚ました女性は操られていた事を覚えていたのか、落下した時の光景と己の意志とは関係なく死に向かったことが信じられないかのように頭を押さえていたが、マミとヘルメットを外し特殊部隊の者と身分を偽ったアイザックが諌めることで、なんとか平常心を取り戻して四人に礼を言ってからその場を去って行った。

 

「あの人も、一度死ぬって言う恐怖を覚えたからね。この経験をばねにして、もう魔女の口づけを受けるようなことにならなきゃいいけど」

「結局のところ、それは当人次第だ。私達が出来るのは命を助け、忠告をすることぐらいだな。…難しいものだよ、人の心と言うのは」

 

 それ故に、あのMarkerがもたらした悲劇やその魅力に陥って悪魔の如き所業を犯すケンドラのような狂信者たちの心境が測り知れない。加え、そのように歪められた精神を持つにいたった者はどのように考えているのかも分からない。

 結界の中でも自分に引けを取らず、それでいて今の様に達観したアイザックに何か言いたいことがあったのか、マミは彼のヘルメットの下にある青い瞳を覗きこんだ。そして、その中に秘められている濃密な「何か」を感じ取り、俯いて閉口する。

 

 そうしたマミに、アイザックは先ほどの戦闘に関して言いたい事を言ってしまおうと、その口を開けた。例え、その心に傷つけるような真似をしてでも、伝えねばならないと感じたからだ。

 

「…マミ、アケミの言った通りだ。君は彼女達が魔法少女である君自身を良く見せるため、悪く言えば誇示するために戦闘に関しては余計な動作が多かった。攻撃自体は見事なものだが、相手は化け物だ。油断をすれば首を噛みちぎられ、腹を食い破られる」

 

 実際にその描写を見てきた彼にとって、言葉には知らずの内に威圧するような実感が込められていた。そして、その実感のある言葉は話を聞く彼女達の脳内で鮮明なイメージを描き出してしまい、彼の言ったシチュエーションに彼女達は青い顔をして口元を抑える。

 

「…幸いにも、都心で活動しているネクロモーフがこの街の外れに乱入する事は無かったが、奴らと魔女はまったく同質の人類の害悪というのは良く分かった。だからこそ、四六時中命を狙われた事のある経験者として君に言っておきたい。…戦いの間は、決して油断をしないでほしい。そして、どんな時にも生きる事を諦めないでくれ」

 

 力強く言葉を渡され、呆然とする彼女の手を取ったアイザックは彼女のもう片方の手をその手首へと押しあてた。動脈を流れるマミの血液が指で感じ取ることができて、マミは知らずに目を丸くしてしまう。どうして、そんな反応をしたのかは分からないが。

 

「君の体には血が通っている。当たり前だ。君も、私も鼓動を刻んで動いている。これも当たり前だ。だが、その当たり前が魔法少女と言う括りだけではなく、生きとし生けるもの皆が持っている。それでいて、私達は脆い生き物だ。だから、決して戦いに浮かれた気持ちを持っていてはいけないんだ。……頼む」

 

 油断は無くとも、目の前で巨大なネクロモーフに押し潰され理不尽な死を遂げたハモンド。彼は確かにアイザックを逃がすように己の身を犠牲にしてまでその弱り切った足で駆け抜けたが、それでも助けに来た筈の軍艦が彼の行いのせいで壊滅した事もあり、その責が大きくハモンドの心に影を落としていた筈だ。

 あの死ぬ瞬間も、大きく振り上げられたネクロモーフの攻撃は必死になれば避けられる筈のものだった。だが、彼はきっと後悔と心の影で足を止めてしまったからこそ、あの場で死んでしまったのだとアイザックは考える。

 そんなハモンドと同じく、マミやほむら達には油断や慢心、そして一瞬の判断の差で死んでほしくは無いのだ。ほむらから聞かされた魔法少女の事実を知って尚、いや、知っているからこそその肉体に宿る命を大切にして欲しい。

 

「…アイザックさん。確かに、私も“あの魔女は弱いかも”って油断していた。だからこそ使い魔の接近に気付けなくて、私はあんな無様な姿をさらした。魔法少女の体にとっては大したことは無いけど、本当は、私も怖かったわ。……ええ。怖かった」

「マミさん……」

 

 アイザックに心の内を吐露するように、未来の後輩候補がいる前で、彼女は取り繕ってきた「完璧な先輩」という仮面を外して本心を告げた。それは、あの冷静を保っていた戦いを見ていたさやかやまどかにとっては衝撃的だったのだろう。マミの名前を呼んだ声には、私達とそう変わらないんだ、という失望と驚愕、そして安心が混ぜられていた。

 

「調子に乗り過ぎていたわ」

「…そうか」

「だから、今度からは本気で当たる」

「そうだな」

「……次も、見ていてくれますか?」

「私でよければ、喜んで」

 

 マミは、彼の瞳を見続けて分かったことがある。アイザックと言う男は、自分よりも時間は短くとも、自分よりも圧倒的な数の死を駆け抜けてきた猛者であるという事だ。

 だから、次の戦いで彼に見ていてほしいと思った。同じ、化け物退治をしてきた「先輩」に自分の戦いを見極めてほしいと思った。それは彼女の孤独に闘ってきたが故の人のぬくもりを傍に求めた結果であり、一人の戦士としての覚悟でもある。

 アイザックも、元がただのエンジニアであり、結果的に化け物退治の方も技術屋に匹敵する腕にまで成長しただけの一般人に過ぎなかったが、それでも死を経験した彼としてはマミの動向を見守りたいと思った。

 

(……娘が二人目、か。私も相当未練があるらしい)

 

 そう思ったアイザックと、彼に覚悟完了の視線を向けるマミを見ていたインキュベーターは、ぽつりと呟いた。

 

「やれやれ、訳が分からないよ」

 

 その理解不能の言葉こそが、彼らの本質であると言わんばかりに。

 




今のところは原作通り。
でも、マミさんやさやかの「ほむほむ警戒メーター」はレベル50位。
まどかに至っては「ほむほむ? 私、気になりますっメーター」がレベル90振り切ってます。

そして、ところどころネタを挟まないと死んじゃう病。なにもこんなシリアス作品でしなくてもいいのに、どうしても反動が出てきてしまいます。
これも一種のアクセントだと思ってください(なんつー勝手な


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case06

原作から逸脱し始めました。
今回はさやかメイン


 夜につかり始めた空を見て、もう遅い時間になってしまったわね、とマミは二人に頭を下げた。そんな町はずれの廃ビル前にはマミを含めた三人の少女しかおらず、アイザックはいつまでも若い女の子たちの傍にいては体裁が悪いだろう、と早めに帰ってしまっている。それは、圧力をかけやすい見た目の自分がいなくなる事で三人の会話を円滑に進めるための策でもあったのだが、アイザックのそんな配慮にあえて乗るかのようにマミはまどかとさやかに対して口を開いた。

 

「それじゃあなた達も、魔法少女の事については決心とか色々と考えておいてほしいの。アイザックさんも言っていたけど、死と隣り合わせって言うのは本当だから。…それは、今日の私の無様な姿でも分かったかもしれないけど」

「でもマミさん、壁に叩きつけられても出血一つありませんし、ホントは魔法少女って無敵なんじゃ―――」

「その考えは捨て去った方がいいわ」

「ッ」

 

 さやかの浮かれた夢見がちな言葉を抑えて、マミは一転鋭い眼光で彼女を見据える。

 マミの底冷えするような視線を向けられたさやかは二の句を紡げず、口に手を押し当てられたかのように唇を閉じてしまった。

 

「あのね、美樹さん。確かに私達魔法少女はいざという時は“痛み”も消せるし、どれだけ怪我をしたってグリーフシードがあれば重症すら治る体を持つ事が出来るわ。でも、それだけであってそれほどの事なの。長い事やっていると他の魔法少女も見た事はあるし、その死に際にも立ち会ったことがあったわ。……ええ、今まではその子の死から目を背けてあなた達に魔法少女を勧めていたけど、もうそんな事を言える立場じゃないって今分かった」

「マミさん…死んだって―――?」

「目の前で、魔女の攻撃に押し潰されてミンチよ。助けに入る間もなく、即死だったわ。しかもその子は死に際何をしていたと思う? ……ホント、私が言えた立場じゃないのだけれど、“弱そうな外見の相手に慢心して笑っていた”の。そう、少しでも戦いの中で慢心したら簡単に命が消え失せる世界。それが、“こっち側”だって言うのにね。私も、初めてその時に此方の世界を実感したわ」

 

 あえて、マミはその死んだ人物の名を語ろうとはしなかった。だが、マミは思い出す。

 目の前で死んでいった命、結局逃してしまう形になり、後にキュゥべえの話で数人の魔法少女の犠牲が在った後に遠い地でその魔女は討たれたという話を聞いたことを。

 そして、己が死にたくない。こんな非日常に抑圧された生活を強いられていることに日々の鬱憤と、そうした孤独を打ち砕いてくれる「同類」が現れて隣で戦う事も心のどこかで願っていた。

 故に、その全てを思い返したマミは拒絶と覚悟を問う。

 

「……退治ツアーは二回くらいで最後にしましょう。その時、私は魔法少女として敵を“殺す”戦い方。つまりはあなた達の為のイメージアップを図った戦い方は見せない事を言っておくわ。その姿を見て、少しでも怖いとか思ったのなら魔法少女になる事は諦めて頂戴。勝手で、さっきまでとは反対の意見だって言うのは分かってる。でも、アイザックさんやあの暁美ほむらって子が一緒に戦ってくれている以上、可愛い表の後輩を裏に引き込むような真似はしたくないから」

「…なんですか、それ」

 

 まるで掌を返したかのような突き放す彼女の言葉に、さやかは心底不思議そうに、それでいて、目前で何かを奪われたような表情で言葉を漏らした。小さな声だった筈のそれを、普通の人よりもずっと聞きとることが出来るマミが拾うと、質問に答える教師めいた仕草で問い返した。

 

「あら、美樹さん。ご不満かしら?」

「マミさんにはあんまり関係ない話だけどさ。せっかく、せっかくだったんだよ? 希望を目の前に差し出されたのに今度はそっちから来ないようにするの? それに、そんな脅しみたいな言葉を使わなくたって―――」

「脅しじゃないのよ美樹さん。これは事実なの。アナタがどんな願いをその胸の内に秘めていたとしても―――現実が変わる訳じゃない」

「……そんなに危険だっていうんですか?」

「ええ、今回はアイザックさんが隣にいてくれたから、貴方たちがいても余裕を持って戦う事ができた。でも、彼がいなければ私の消費はもっと激しかったでしょうし、魔法少女と違って大けがに繋がる裂傷や怪我を覚悟してもらうつもりだったわ」

「え!?」

「ごめんなさいね鹿目さん。これは、人一倍気の弱そうな貴女への配慮と警告でもあったのだけれど……取り繕わず正直に言うわ。運が良かったわね、あなた達」

 

 本来の史実であるなら、初めての邂逅にてマミが口にする筈だった言葉を、マミは庇護の為では無く注意勧告の意味を込めて言い放った。その冷たい節を持った言葉にまどかはヨロヨロと後ろに下がり、マミという少女が如何に常識からかけ離れている存在かを認識し直した。

 対して、さやかの反応は実に分かり易い。その感情は「怒り」の一色に染め上げられており、守ると言っておきながら「無責任な発言」をしたマミに対して言いようのない感情を喉のあたりまで込み上がらせる。だが、結果として無事だった自分達には何も言える立場は無く、その怒りを滾らせた腕はぶるぶると腰のあたりで握られ震えるのみ。

 不意に、キッと向けられた視線をマミは受け止め、同時に悲しみに包まれる。また、浅はかな考えで「他人」を傷つけてしまった。自分本位なのは契約したその時から変わりそうにないんだな、と。

 

「もういい、帰ります。ねぇまどか」

「え、な、なに…? さやかちゃんも落ちつい―――」

「今度マミさんから呼び出されたら誘って。そんじゃあたし帰る」

 

 まどかの手を振り払うようにずかずかと歩きだしたさやかを、まどかは慌てながらに後を追いかけて行った。だが、ある意味さやかの反応は人として全く正しいものだ。

 夢と将来と言う現実、そして自分達が置かれている未熟と言う言葉の狭間で生きている「第二次成長期」。その渦中にて日々を過ごす者たちと言うのは、他の年代と比べて非常に感情が高ぶり易く、同時に奇抜な個性を兼ね備えた人格を排出する。

 現に、まどかは「臆病で引っ込み思案、そして自己嫌悪で深みにはまる」と言う現状を見つめながらも、解決に己の意志を導かない。その勇気がないという悪循環を引き起こしやすい。心優しいという性格も裏を返せば孤独を恐れ、常に他の人と一緒にいたいという願望から来るものでもあるのだ。

 

 では、さやかはどうなるのだろうか。

 美樹さやかという人物は、情に厚く義理や約束、そして生来のお人好しから様々な事に頭を突っ込もうとして、その度に解決する方法を知らずに前向きな自分と周りを同調させようとするムードメーカーである。だがそんな物も、まどかと同じく裏を返してしまえば「前向きにする以外に自分の表現方法を持たない」とも取れる曖昧で不安定なものなのである。

 故に、そう言った人物こそ心の天秤が一度傾いてしまえば、元の静かな釣り合いをとることは難しい。水に投げ込んだ波紋を消そうとして、手を突っ込んで新たな波紋を作ってしまう。そんな悪循環に囚われて己の心を自分自身でかき乱していく一方なのだ。

 

 マミは、そんな彼女の心情を思って表面上でしか心配出来ない自分を嘲笑った。

 どれだけ憧れの目を向けられようとも、自分の本質はその「凄い事」をし続ければ孤独に囚われることのない空間を作り出せる。それ故に、「凄い事」を強迫観念としてし続けているだけの卑しい人間だ。

 

「でも、ちゃんと言えてよかったわ」

 

 ただ、今までの自分と違ったのはマミもはっきりと自分の口で「真実」を口にできた事。同情を引こうとして仲間に引き入れ、己の隣に同じ存在を作りたかった本心は前々から自分で感じていた事だ。それでもマミは初めて、その欲望に蓋をして話すことが出来た。

 この抑圧をしながらも正しい事を言えた自分は、どうしようもなく愚かで賢かったのだろう。自分にとっては何の益にもならないが、相手にとっては最後の一線を踏みとどまらせる選択を掲示したのだから。

 それでも思う。「正義の魔法少女」として街を守ってきた誇りはあった。その功績が認められず、希望の魔法少女らしくもなく、闇の中に真実が埋もれ続けて行くのも承知の上だ。だというのに、つい先ほどまでの私は何を考えていたのだろう? 仲間が欲しい? 馬鹿な。戦いも何も知らない無垢な少女に契約を迫り続けていた自分は、「正義」とは程遠い所にいたくせに。

 

「私も、もう帰りましょ」

 

 ただし、いつまでもこんな所には居られない。

 マミは自問自答を繰り返しながらも帰路についた。突如として協力体制を取ったアイザックと、その恩人であるという黒髪の魔法少女の暁美ほむら。本当に短い間しか近くにいなかったのに、僅かな時間しか話もしなかったのに、確実にあの二人組の言葉は正しく心に響いてきている。

 

 ―――ささやかながらも、この選択は己に大きな変革を与えるかもしれない。

 奇妙な予感を抱き、マミは夕暮れの赤に溶け込んでいくのであった。

 

 

 

 

「…戻ったぞ。随分と弾薬を使ってしまったがな」

「お疲れさま。巴マミが逃した使い魔の掃討でこっちも弾切れよ。いくら魔女を倒せば自立前の使い魔は消えるけど、グリーフシードを生成しかけている使い魔たちは野に放たれるというのにね」

 

 目の前の事ばかり見ていて、その爪が甘い所などが実にマミらしいとほむらは語る。

 アイザックは冷たく突き放した彼女の言葉に仕方がない、と言った風に微笑むと、銃の分解とマガジンリセットに勤しむ彼女に一つの武器を手渡した。

 

「今回の事でよく分かった。これは君が持っていてくれ」

「……これは、発破解体工具(フォースガン)?」

「流石に重力装置が積まれた物は造れないからな。それに、ネクロモーフ共の数が少ない以上大型の銃はデカイ獲物に使った方がいい。囲まれる心配も無いのなら、小回りのきく武器の方がずっと使いやすい」

「それはそうだけど……いえ、貰っておくわ。敵の攻撃を吹き飛ばしたりとか、体勢を整える時に使えるかもしれないわね」

「セーフティは例の如く全開放。威力はお墨付きだ」

 

 スーツの上部を露出させ、電灯の光に目を鳴らしたアイザックは部屋の隅に敷かれたブルーシートの上に移動して陣取った。工具や分解中のネジ釘がばら撒かれたその場所は、最早一種の作業現場を思わせるそれに雰囲気ごと変化させられており、異世界未来人たる彼が侵略してきた事の主張を表しているようにも思える。

 だが、ほむら用のプラズマカッター製作に取り掛かろうとしたアイザックはピタリと造りかけのプラズマカッターに伸ばす手を止めた。言いたいことが在るのか、くるりとほむらの方に向き直ったアイザックの視線を受け、ほむらはフォースガンの各所を見ていた作業を中断させて振り返る。

 

「…最初に謝らせて貰う。すまない」

「……? どうしたのよ」

「勧誘する事を忘れていたんだ。トモエには少しばかり化け物退治の先輩として説教してきたが、あれでは己が生き残ることに全力を懸けても君との協力体制を築く為の感情は抱きにくいかも知れん。むしろ、こっちを別の行動者として対抗意識を燃やされた可能性も高いな」

「そう、でも彼女の慢心が無くなったのなら幸いね。あれでも本気を出したら全魔法少女中最高クラスの実力を持っているし、場数を踏んだだけあって観察眼も大したものよ。ワルプルギスの夜が来ると分かれば、どちらにせよ性格上協力してくれるだろうし」

 

 あのお人好しの「正義の味方」には断る理由など無いだろう。

 だが、アイザックが次に口にした言葉が最も大きな問題であった。

 

「だが、魔法少女の真実を伝えたならば?」

「……分からないわ。巴マミという人格は非常によく出来たガラス細工の鳥みたいなものよ。だから、罅が入ればすぐにその心は砕け散るし、この数年の間“事実を知らずに戦ってきた”彼女にとってはそう簡単に克服できるような問題でもない。かと言って、下手にまどか達に魔法少女の真実を話せば―――」

「それが、トモエの耳に入ってしまう…だな」

「その通りよ。彼女が真実に耐えきれれば万々歳だけど、下手をすると錯乱して暴れかねないのも事実。…いや、“史実”と言った方がいいわね」

 

 フォースガンの上部レバーを引っ張り、砲門を露出させたほむらはこれでいいのかしらね、と溜息を洩らした。その後すぐにsafeモードに戻すと、いくらでも物を入れることが出来る「盾」の中にフォースガンを突っ込んだ。

 音も無く「盾」の中に沈んで行ったフォースガンを見届けて、アイザックは首を横に振りながら製作に取り掛かり始める。

 

 重苦しい空気だけが、この部屋に満ちていた。

 

 

 

 

 翌日もまた快晴の日。寒くも無く、むしろ暖かな陽気が辺りに満ちた午後の頃。白いカーテンを揺らす風を招く様に開け放たれた窓のある病室があった。そこには、精も根も尽き果ててしまったかのような雰囲気を放つ儚げな少年と、普段の快活さはどこに行ったのか、物静かながらも精一杯の笑みを少年に向ける青髪の少女が向き合っていた。

 

「へぇ、ネットでも手に入らない廃盤のCDじゃないか。さやかはレアもの見つけるのが本当に上手いんだね」

「え、そうかな…?」

「それに僕好みのクラシックを持ってきてくれる。ハハハ、もうどんなことでも知られちゃってる気がするなぁ」

「……そんなことないよ。あたしは知らないことだって沢山ある」

「うん? なんだか今日は暗いね。どうしたんだい」

 

 そう言って、白い髪が益々儚さを助長しているかのような少年――上条恭介は幼馴染の青い髪の少女――美樹さやかを労わる様な言葉をかけた。確かに、恭介という人物は夢潰えたりを現在進行形で味わう辛い身の上だ。その事で嘆き悲しんだ数は数え切れず、時には、と表現するには少なすぎるほど自分の才や夢を潰されたことを八つ当たり気味に撒き散らした事もある。

 だが、彼は決して「嫌な奴」として在り続けるには心が汚く無い少年。何度も辺り散らしてしまったこともある美樹さやかという人物は、それでも自分を励まそうと近くにいてくれる人物であることを知っていた。

 故に、恭介は尋ねた。自分に勝るとも劣らない「暗い瞳」をしたさやかへと。

 

「……ねぇ恭介。こんな事言うのはアンタを怒らせるって分かってるけど、その手が治せる手段が在るんだったら、それに飛びついて、這いつくばってでも掴み取るっていう“覚悟”はある?」

「何を言うかと思えば。もちろんだよ! 僕の手を治せるんだったら、外国でも、未知の医療技術でも何でも試してみるさ! さやか、君は何を言って―――……ああ、ゴメン。また、やっちゃったね」

「ううん、いいの。あたしも決心がついたから」

「さやか、本当にどうしたんだい。まるでその言葉じゃ…痛っ!?」

 

 再度疑問をぶつけた恭介の背を叩き、さやかは満面の笑みで立ちあがった。

 そして、彼は分からなくなる。美樹さやかという人物は本当に意味の無い所で笑う様な人間では無い。では、何故この場面でこんなに嬉しそうな顔をしたのだろうか? そして、先ほど聞いた決意を問う言葉。

 ここまでお膳立てしたのならば、如何に鈍い人間でも気付く事が出来る。まったくさやかの本心に気付いていない、いわば「鈍感」という烙印を押されてもおかしくは無い恭介だったが、それでも彼女の様子を見て一つ分かった事が在った。

 

――美樹さやかという女性が、己の何かを投げてまでこの手を治す手段を見つけている。

 

 その決意は嬉しい。そして自分の手が治る事も嬉しい。だが、彼女が自分の為に何かの犠牲になるというのは、幼馴染が何かしらの危機に巻き込まれるというのは我慢ならない。正義感と親愛の情からさやかに向かって手と言葉を伸ばそうとした恭介は、しかし他の誰でもない、さやかの手によって正面から口を防がれた。

 これ以上は自分が話す番だと、子供に言い聞かせる母親の様に。

 

「ねぇ恭介。あたしは、アンタの手が治ればまた演奏を聴けるからとっても嬉しいの。だから、アンタがずっと元気でいてくれればあたしはどうなろうとも構わないや。…責任負わせるみたいな宣言してごめんね? でも、もしあたしが居なくなっても、恭介は幸せになれるように、頑張るから、ね?」

 

 慈愛と恋愛感情。その二つが入り混じった瞳で愛しき男を見る。だが、恭介は捨て身とも取れる彼女の発言に錯乱するばかり。そして、己を犠牲にするその言葉を聞いて今度こそ彼女をこの場で引きとめなければならないと足を動かした。

 だが、動かない。それどころか、視界もぼやけて息がし辛い。

 

 過呼吸だ。さやかの事で驚くばかりに己の現状を見極めることすらできていなかった。早く引きとめたいと焦る気持ちが心臓に早鐘を打たせ、己を更に悪い状況へと引き込んで行く。止めなくては、そうは思っても絶対に彼女に手が届く事は無い。

 

「た、大変! どうしたの恭介…すぐに看護師さん呼ぶから、待ってて!」

「さ、さや――――」

 

 やっとの思いで口にした言葉は、霞の様な儚いもの。自分の耳は震えても、彼女の鼓膜を揺らすには至らない声量。恭介の必死な様子を苦しさから来るものと勘違いしたさやかは、彼の懇願など知らぬかのように急ぎその部屋を出て行ってしまった。

 

 僕のせいだ。僕のせいで、さやかは。

 幼馴染が身を砕いて献身してくれる事は素直にうれしかった。だが、それとこれとは話が別だ。何も、自分の為に人生の全てを捨てるような決断などして欲しくは無いのに。そんな恭介の思いは決して、彼女に届く事は無い。そして、その焦りと彼女の決断は、また新たな運命を呼び起こすことになるなど。

 彼は、後に全てを知ることになる。そして、彼は――――

 

 運命が刻まれた病室。

 恭介が苦しげに吐血したブラッド・アートは行く末を描くが如くであった。

 

 

 

 

「恭介、アイツ大丈夫かな……」

 

 病院の屋上で、さやかは手すりにもたれかかった。あれから、恭介のいる病室から看護師が戻って来て、ただの過呼吸だったから安心していい、と彼の無事を報告されたさやかは、その全ての原因が自分にあると思って辛くなり、逃げるようにこの屋上まで走ってきたのである。

 青空が映し出す風景には薄らと赤色が交じり始め、夕焼けも近い事を表している。まるで魔女たちやアイザックの言ったネクロモーフが跋扈する恐怖の時間を暗示しているようで、さやかは人知れず身ぶるいと共に未知の怪物へと恐怖を抱いた。だが、その中であの強い光を目に灯した人物達は戦っているのだと思うと、さやかの持つ負けん気が込み上げてくるのだった。

 

 しかし、それは諸刃の剣だという真実を彼女は知らない。知らずの決意は、新たな悲劇を呼び起こすものであるのだとも。

 

「やぁさやか。こんなところでどうしたのかな」

「キュゥべえ? アンタ、ホントにどこにでも現れるんだね」

「まぁ、君が“契約”してくれそうだったからこっちに来たんだよ」

「お見通しってわけ? その辺さぁ、結構気味が悪いよ」

「そうかい? この姿は君達人間の基準で言えば愛らしいものの括りに入ると思うんだけど」

「あー…そうじゃなくてさ。……もういいや」

 

 突如として隣に出現した獣に面食らいつつも、さやかは項垂れるように手すりに背を向けて座り込んだ。硬質な棒の間隔が二、三本ほど背中に当たり、多少の痛みを生じさせる。だが、それくらいがこの悩みを考えるにはいい刺激だと、彼女は自分の痛みを当てにする現状に対して小さく息を吐いた。

 

「そろそろマミたちも動き出す頃だ。魔法少女ツアー、また待ち合わせ場所は同じだよ」

「……そう、マミさんが。かぁ」

 

 思い出して、巴マミと言う少女から伝えられた言葉が蘇る。

 キュゥべえは諦めていないようだが、このツアーもむしろこの一回が最後になるのだろうとは思っている。マミは既に仲間の魔法少女を欲しておらず、前に見えた様な自然の中に誘導を織り交ぜた契約を迫る様な発言はしなくなっている。

 それはつまり、自分が契約して「恭介の手を治す」ことを認めないという事。だが、その言い分もまた正論であるので、残酷な二択の現実にさやかは新たな溜息を洩らした。これで今日は何度めだろう、そんな取りとめのない想いと共に。

 

 しかし、それでこの今が変化する訳でもない。

 契約しなければ最愛の恭介は未来を閉ざされることになる。

 契約するならば自分は戦いに放り出され、死神を連れ回すことになる。

 何とも残酷な話だ。そんな自分の過酷な境遇に反吐が出るが、既に先ほどの恭介との話で「決心」はついた。それに見合う、マミも言うような覚悟はともかくとして。

 

「なぁキュゥべえ。あたしの、願いは―――」

 

 言いかけて、彼女の懐から電子音が鳴り響いた。

 

「……まどか?」

≪あ、さやかちゃんいま何処にいるの? マミさんが使い魔を見つけたから、すぐにいつもの集合場所に来てって≫

「あ、うん。すぐに行くよ。今は恭介の病院にいるから、心配しないで待ってて」

≪恭介君の? お見舞いしてたんだね≫

「まあね。これ以上話も長くしてらんないし、切るね」

≪うん、また後で≫

 

 そして、あちらから通話を切る音を確認するとさやかは大きく息を吸い込んだ。

 

「キュゥべえ、今回のツアーが終わったらあたしの家に来て。どうせ来れるんでしょ?」

「わかったよ。それじゃ窓を開けて待っていてくれ」

「どんな侵入方法かと思えば……ま、いいか」

 

 さやかは「ツアー」の待ち合わせに遅れないように急ぎ、途中で病院内を走った事を看護師に怒られながらも廊下を駆け抜けて行く。その最中で、とある病室を通った際に彼女を呼び止める声があった。

 

「さやか!」

「…………」

 

 だが、彼女はそれに耳を傾けることなく駆け抜けた。

 それは自分の決心を彼に乱されたくなかったからなのか、彼に余計な事実を喋りそうな自分に緘口を敷いたのかは分からない。だが、ともかく彼といま、話をすることは避けたかったのだ。

 

 さやかは駆け抜ける。決して暗くは無い、「思い描いた未来」を信じて。

 




いつもより文字数は少ないですが、今日はここまで。

そしてまったく場面が進んでいない……
これって、コミックスだと3,4ページくらいの内容です。アニメでは数分程度。
いやぁ、展開が遅すぎて申し訳ありません。次からはもっと長く、濃く書いていきたいと思います。(何回目でしょう、これ言うの)


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case07

急ぎ過ぎたので誤字が多いかもしれません。一応チェックはしましたが。
もし見かけたら、申し訳ありません。


「またハズレ。…そろそろ濁って来てるから危ないんだけど」

「マミさん、グリーフシードは」

「落とさなかったわ。それに、今日は美樹さんが顔を出さないわね。鹿目さん、何か知らない?」

「……」

 

 沈んだ顔のまま、まどかは首を横に振った。

 

「そう……」

「あ、でもさやかちゃん。思いつめたような顔してることが多かったと思います」

「思いつめた? でも、いやもしかして……」

 

 マミは考える。

 あの好奇心に溢れたさやかが顔を出さなかったのは何かしらの理由があるとは思っていたが、それは初めの魔法少女見学ツアーの最後に口論をしてしまったことが原因なのではないかと。

 確かにアレは自分の勝手な理由で魔法少女を勧めたり、諦めろと言ったり。キュゥべえが認識可能な、希望を夢見る権利を持つ彼女にとっては思いつめさせるには十分な理由に在るだろう。楽しみにしていた玩具を目の前で取り上げられた幼児と同じような事をしてしまっているのである。

 

 マミのそんな考えが顔に出ていたのか、まどかもまた暗い表情でスカートの裾を握りしめていた。後輩になんて言う思いをさせてしまっているのだ私は。マミはそんな自己嫌悪が湧きあがって来たが、油断は一切なくしても彼女達の前では常に「強い先輩」で在り続ける必要はあると思っている。そうでなければ、この危険が隣り合わせの同伴に付き合わせている彼女達に示しがつかない。

 

「明日、学校で彼女を見たら次で本当に最後だって言っておいてくれる? 相手が使い魔でも、魔女でも。こんな風にあなたたちの仲を引き裂いちゃうんだったら、もう来ない方が良いから」

「……え、でもマミさんは」

「私はいいの。鹿目さんや美樹さん、クラークさんだって私が戦ってるって知っていてくれるでしょ? 認めてくれる人が少しでもいるだけで、戦いのモチベーションは上がっちゃうんだから、ね?」

「マミさん」

 

 何か言葉をかけようとして、まどかは喉の奥から出かかった言葉を飲み込んだ。ここで何かを言うのは決意を固めた彼女の侮辱になると分かってしまったからだ。

 それでも、やはりまどかの心のそこに潜む「優しさ」はマミもまた、これ以上危険を一人で引き受けなくてもいいと叫んでいる。そのためには守られる立場だとしても、彼女の傍に自分や頼りになる誰かが傍にいてやらねば、近いうちに大変なことになると警鐘を鳴らしている。

 それでも、やはりまどかは言葉にできなかった。言葉にしたくても出来ないもどかしさは、これまでに感じたことのない心の苦しみ。心臓の上がきゅっと締め付けられるような、そんな痛みがまどかに襲いかかっていた。

 

「これ以上は貴女のお肌にも悪いわね。私は学年も違うし彼女ともほとんど親しくない。……だから、貴女にしかできないことなの。美樹さんの隣にいてあげて、鹿目さん。突然現れた私たちみたいな存在は、光が強すぎて彼女の目を潰してしまったみたいだから」

「…はい。マミさんも、気をつけてください」

「ええ。分かっているわ」

 

 そうしてマミは離れて行った。薄暗い公園に灯る街灯にはもう少なくなり始めた蛾や羽虫が集まっている。まどかはそんな光景に目を取られて、思わず目じりが熱くなった。

 

「……もう、帰ろ」

 

 あの無機質な白い獣も彼女の傍には居ない。どこか空恐ろしさがあっても、キュゥべえの平坦な感情の無い声はいつも心の平静を保つのに丁度良かったな、とまどかは思った。その行動指針だけは真似をしてはいけないような気もしていたが、それは本能的にキュゥべえを地球発展の時からの絶対者として認識していたからか。

 ただ、その事実をまどかは知らない。沈んだ気持ちのままに歩みを進めていくと、ふと、見覚えのある癖っ毛の目立つ黒髪が目に入った。

 

「こんばんは」

「あ、ほむらちゃん?」

 

 どうしてここにいるのだろうか、そんな事を思う。

 それはそれとして、やはり暁美ほむらと言う人物も魔法少女だという事なのか。彼女の闇に紛れる筈の黒髪は、はっきりとまどかの目に認識できている。まるで己こそが正しい事の白の中にいる存在として、彼女と言う人物そのものが世界に浮き彫りになっているようだった。

 

「巴マミは…行ったわね」

「うん。さっき別れたから、もう自分のお家に戻ってると思うよ」

「…寂しそうね。どうせ私も“仕事”帰りだし、送って行きましょうか?」

「え、いいの?」

 

 思わず同行を前提とした言葉を返したことに、こんなに自分は受け取る事柄に対して積極的だっただろうかと驚いた。だが、それは違うと思った。結局、自分はこの闇の中が心細かっただけなのだろう。

 

「当然よ。クラスメイトでもあるし、あなたはこの学校で初めての友達だから」

 

 だから、この友好的な返しには面食らってしまった。

 物静かな雰囲気にふっ、と漏れた小さな笑みはとても魅力的で、思わず顔が赤くなる。ただ、暗かったのが幸いで相手には気取られずに済んだようだ。

 

「あ、ありがとう」

「それじゃ行きましょ。まどか」

「うん、ほむらちゃん」

 

 暁美ほむらを隣に、まどかは並んで公園の出入り口を抜けた。

 いよいよ持って暗くなってきた夜道は、電柱のライトでも照らし切れないほどに薄暗くて心細い。こんな中を一人で帰っていたら、多分恐ろしくて半泣きになってしまっていたんだろうな。

 そんな気の緩みもあったのかもしれない。自分の口は驚くほど軽く言葉を紡いでいた。

 

「ねぇほむらちゃん、さやかちゃんに何かあったのかな?」

「…彼女が? そう言えば、姿は見えないけど」

「うん、今日のツアーに来なかったんだ。それから最近思い悩んでるみたいで、授業でも難しそうな顔をして集中出来て無かったみたいで。ほむらちゃんは保健室にいたから、知らないだろうけど」

「……噂で聞いたのだけど、もしかして病院の幼馴染の事じゃないかしら」

「上条くんの? え、でも最近はずっと明るい顔でその話をしてくれて―――」

「だからこそ、かもしれないわ。普段の明るさがもし取り繕った物でしかないのなら、長い時間をかければダムのように壊れる時は一気に無くなってしまう。その病院にいる彼と美樹さやか。どちらかの限界がちょうど、今来てしまったのだとしたら……」

「もしかしてさやかちゃんが契約しちゃってるの!?」

「可能性は否定できないわね」

 

 この頃から限界は訪れていた筈だ。アイザックの報告が確かなら、既にこの辺りから「歴史」の乖離は始まっていてもおかしくはない。早めに思いつめた美樹さやかと言う人物がどのような行動に走るのか、それを予測する事は数える事すら億劫になったほむらにとっては、チーズの成分を言い当てるよりも簡単なことだった。

 

「いい? まどか、良く聞いて。明日の登校の際、彼女の手に見慣れない宝石の付いた指輪が嵌められていたら、彼女はもう魔法少女になったと考えてもいいわ。その時に、私からじゃ伝わらない。貴女だからこそ伝えてほしいことがあるの。私名義だという事は決して言わないで」

「ほむらちゃん…うん。分かった」

 

 自分にしかできない事、という言葉に酔ったのは否定しない。だが、それ以上にまどかは親友のさやかがこれから危ない目に会うであろうという事を危惧する。故に、その道のベテランであろうほむらの言葉を一言一句聞き逃さないように、足を止めて彼女へと向き直った。

 

「“魔法少女は正に希望の存在。目先の絶望は己の奇跡で受け入れて”。これが、あなた達にはまだ言えない真実を知る私からの伝言よ。そして、貴女は彼女が危ないと思ったら傍にいてあげて」

「あ……」

 

 マミと同じことを言うほむらに、魔法少女とは本当に強い人がなるものなんんだなぁと、託された言葉を覚える頭の片隅で思った。

 

「あ、家が見えてきた……」

「今日は此処までかしら。それじゃ、また明日」

「うん、またね。ほむらちゃん………ありがとう」

「…ふふ、どういたしまして」

 

 顔を背けてそそくさと家に向かったまどかの姿を見送って、少し口出しし過ぎて嫌われたのか? とほむらは首をかしげる。彼女が真っ赤に染まったまどかの顔を見ていたら、別の事を思っていたのかもしれないが。

 

「それじゃ私も―――」

 

 踵を返そうとして、彼女の体は突如として横にずれた(・・・)

 異変に気付いたほむらが腰を両手で固定して魔法の紫の光を放つと、何事も無かったかのように彼女はその場で立ちつくす。だが、制服の腰辺りは明るく生々しい紅色に染められていた。染みを広げるその怪我は、彼女の名誉の負傷と言ったところか。

 

「……油断、した…わね」

 

 あの公園の周囲で行っていた彼女の「仕事」。それは巴マミが見つけられずに潜んでいた魔女の退治であったのだが、その時に現れたのがネクロモーフ、「Slasher」だった。何人かの住人を犠牲にしたのか、四体もの徒党を組んで襲いかかって来たそれらを、ほむらは盾の中に入れていたアイザックの兵器「フォースガン」で纏めて吹き飛ばした。

 だが、その威力の高さに慢心してしまったのだろう。二体ほどの四肢が吹き飛んだことに浮かれ、その隙をつかれてジャンプしていた個体から強襲を受けていた。何とか時間停止によって難を逃れることが出来たが、ここからが問題だった。

 銃で吹き飛ばしたネクロモーフの鋭い爪のついた腕が跳ねかえって彼女へと飛んで来ていたのである。全ての相手を殲滅した事で少し目を閉じていた彼女は鋭すぎて風を切る音すら聞こえない接近に気付かず、腹から背中までを二枚に下ろされてしまったのだ。

 

「魔法少女ってホント便利な身体。嫌気が差すほどにね」

 

 厭味ったらしく皮肉を吐き捨て、フラフラと近くの電柱によりかかろうとしたところで、大きな腕に抱きとめられた。どこか硬質で力強く、その冷たい金属の感触からも伝わる偉大なる父親の様な雰囲気は―――

 

「アイザック、来てたのね」

「無茶をし過ぎだ。魔法少女と言っても限界があるだろうに」

「ごめんなさい。あれほど気をつけていたのに余韻に浸っちゃってたわ」

「死して本領を発揮する奴ら相手に普通の人間なら死ぬ所を学んだ。それだけで儲けものさ。アケミ、腹を診るから服を上げろ」

「……ここで?」

「OK、OKだ。流石に此方のモラルが無かった。君の家に戻ってからにしよう」

 

 慌てた様子も無く言い放つ彼の様子を見るに、あのセクハラまがいの発言は意図したモノだったのだろうとほむらは当たりをつけた。真実は闇の中であるが、どちらにせよこうして気軽に話しかけ、心配してくれる人物がいるというのは悪くない。

 あとは、美樹さやかにもそう言った人物が現れるばかりだと、彼女は願うのであった。

 

 

 

「やあ、他の魔法少女候補の子に言い寄っていたら遅くなっちゃったよ」

「いいよ。どうせ暇な時間は宿題で潰したし」

「熱心だね」

「別に、ただの気晴らしよ」

 

 そっけなく言い放った少女――美樹さやかを前に、キュゥべえは決してぶれることのない瞳を向ける。生きた心地がしない目から発せられる感覚にさやかは喉を鳴らすが、ここでビビっていたら一世一代の決意はどうなるんだと、心の中の自分に両頬を叩いて喝を入れた。

 

「それで、契約はしてくれるという事で良いんだね」

「そうよ。アンタがちゃんと私の願いを聞いてくれるんなら文句なんて無い。街の為でもマミさんを見返す為でも何でもいい。戦って、魔女を倒し続けてあげる」

「君みたいに積極的にグリーフシードを集めようとしてくれる人は助かるよ。それじゃあ、君の願いを言ってごらん」

 

 とうとうこの時が来た。

 いざ、と言う時には緊張が出てくるが、これは自分の人生と恭介の人生、二人分の重荷が詰まった瞬間だとさやかは冷や汗をかく。ここまで間を置く事、一秒間。たったそれだけの時間が、遥か先に在るマラソン大会のゴール地点の様に思えてならない。

 

 汗が首を伝う。平静を装おうとして、息をそのままにしたせいか心臓が痛いほどに鼓動を刻む。私の体が私の物じゃ無いかのように暴れ回って苦しい。もしかしてこれは、よく病院で聞く拒絶反応に近しいものではないのだろうか? だが、此処まで来て止められる筈も無い。

 

「私は、恭介の―――」

 ―――Prrrrrrr!!

 

 声を遮られて、え、なんて間抜けな声が出た。

 相も変わらず契約を待っているキュゥべえの顔が此方を向いているが、あんなものなど放っておけと言っている気がしてならない。だが、こんな夜に電話をかけてくるなんて勧誘の家庭教師とかに違いないだろう。

 そんな「もしも」の事を考えながら、「病院の電話番号」が表示されている電話を無視したかった。だが、それは恭介の病室に備えつけられている電話から直々にかかっている者だ。おおよそ、あの帰る時に止められなかった事を言いたいのだろうと早めに契約を済ませようとして足を動かし―――右手には、いつの間にか受話器が握られていた。

 

「あ、れ――?」

≪さやか! その声はさやかなんだね!?≫

 

 ああ、そうか。私はこの人の声が聞きたかったんだ。

 最大の決意を前にして、この愛しい片思いの人の声を。

 私の声はいつもいつも、「幼馴染」という泡に帰られて届かない。それでも、彼から求めてくれればいつでも安心できた。彼が偽りだとしても、笑っている姿を見ていれば―――恋は、心の中で静かに熱を増して行った。

 

≪お願いだ。君は僕なんかの為に身を削らなくてもいい! そりゃぁ手が治るのは嬉しいさ。けど、君は君の―――≫

「あ、やっぱり嬉しいんだよね。そうだよね。だったら」

≪だから! 聞いてくれって言っているだろう!?≫

「――――ぁ」

 

 恐らくは病室の隣まで聞こえたであろう大声が、スピーカーを通じて彼女の耳へ侵入して行く。うずまき型の器官が中で音を反響し、その声に込められた意味をさやかへダイレクトに攻撃していた。

 

≪もう分かったよ。君は僕の為に何かをしようとしている! そしてそれは、君の身が多分危険にさらされるってことにつながる! だけど、そんなのは嬉しく無いんだ。僕はこの世界の中で同じような負傷をした内の一人でしかなくて、君はそんな僕を才能だとか、音楽の為とか、そんな添加物に期待せずに心から案じてくれる大切な人だ。だから、大切な幼馴染の君が無理をする必要なんてない。僕と同じように、並大抵には取り戻せないことに手を染める必要なんて―――≫

「……アハハ」

≪さやか? どうして笑っているんだい…? まさか……駄目だ! まだ医療には発展の余地がある。だからソレを待っていればいい! 駄目なら、作曲家としても僕はやっていけるから、さや≫

 

 命綱が切れたような、太い電子音がさやかの鼓膜を叩く。

 直後、死体に繋がれた心電図のような連続音が響き、彼女は持っていた受話器を元の場所へと収めた。もう愛しい彼の苦しむ声が聞こえないように、電話線を抜き取って投げ捨てる。

 

「いいのかい?」

「うん。あんなに凄い人を何のとりえも無い私一人でこの世の中に戻せるんだったら―――後悔なんて無い」

「じゃぁ聞くよ。君の願いを言ってごらん」

 

 もう緊張なんてしていなかった。

 在るのは決意と、恭介が笑って過ごす未来。その横に「幼馴染」の自分はいなくても、彼が幸せに成功した日々を謳歌する黄金の日々。輝かしい光が生み出した、そんな影の中で、彼の幸せの為に奔走する自分。

 ああ、お似合いだ。輝く白い髪を持つ彼が太陽のもとで輝き、海底の様な青い私が暗き影の中で剣を光らせる。うん、武器は剣が良い。彼を守るような、騎士として相応しい剣。

 

「恭介を手を治して。そして彼が心の底から幸せな日々を送れるように」

「おめでとう、君の願いはエントロピーを凌駕した」

 

 一瞬の隙も無く返したキュゥべえ。そして異変は起こった。

 

「受け取ると良い。それが君の運命だ」

 

 胸の内が熱く燃え上がり、焼きごてでも押しつけられたような「錯覚」に。そう、はっきりと自覚できる「錯覚」に陥った。そんな情熱よりも深い愛を語るような熱が体から離れていくと、透き通った青く鈍い輝きが自分の手の中で形となって収まって行く。

 巴マミがその手にしていた、魂の宝石(ソウルジェム)。強き者たち、魔法少女の証が当然であるかのようにさやかの手の中で輝きを放っていた。

 

「何もしない日々を過ごしていてもソウルジェムは数週間ほど持つ。それまでの間に魔女を倒して、グリーフシードで浄化し続けるんだね」

「分かってる。分かってるよ…だから、もうあっち行って。一人になりたい」

「やれやれ、早速お払い箱ってわけだね。それじゃぁさやか、良い夜を」

 

 ぴょんと白い体を持つ筈の彼は、恭介と違って闇の中に溶け込んで行くように姿を消した。あの神々しくも見える模様やリングと言った装飾品はあの闇と言う違和感を誤魔化すものではないのか? という馬鹿な想像が頭を巡るが、早々にそんなわけがないと斬り捨てた。

 

 手の中のソウルジェムを転がしていると、それは指輪となって中指には嵌められた。サファイアの様な宝石の付いたリングは、指のサイズぴったり。

 

「本当にこれで良いんだよね。うん、大丈夫。手を治すだけじゃなくて、アフターケアもばっちりなさやかちゃん! いやーホント抜け目ないわ、あたし。抜け目なんて……ないんだから。だから……」

 

 なのにどうしてだろう。瞼が熱い。知りたくも無い液体が頬を伝って落ちて行く。

 ああ、そうか怖いんだ。ネクロモーフなんて変なのもいるらしいし、マミさんが倒していた魔女だって完全無欠に見えたマミさんを壁に叩きつけるくらいは簡単にして見せた。あんな痛みを自分で耐えられるのかと聞かれたら――無理だ、って答える。

 

 夜は思惑に浸って更けていく。

 少女達の定められた運命が急激に終わりを告げるなか、一人の少年は―――

 

 

 

 

「……ああ、さやか」

 

 手に異変を感じて、抉れた箇所がみるみる埋まって行く様子を見届けた恭介は、受話器を片手に握りつぶさんほどの握力を取り戻していた。怪我の後はもう無い。でもそれは、さやかが治療したという証拠が無い事。

 魔法みたいな出来事は、今でも夢のようだと思う。だが、同時にこれが夢であってほしいと何度も願った。悪い夢を見た時に頬をつねって起きるように、何度も何度も悪い夢だと自分を傷つけて、現実なのだと打ちひしがれた。

 

「治ったよ…さやか。治ってしまったよ(・・・・・・・・)…!」

 

 こんな不可思議な現象に代償が無い筈がない。

 御伽噺が好きだった彼女が勧める本を一緒に読んでいた時を思い出して「人魚姫」の物語が頭の中に浮かんできた。

 

 ―――王子様と会うため、魔女にお願いをした人魚姫は声を失った。そして幸せな日々を思い浮かべた矢先、王子様は化けた魔女の魅惑の魔法に掛けられて人魚姫の事を無視し始めた。悲しくなった人魚姫は、声も出せず、かと言って人間の文字もかけずに何も伝える事は出来ない。そのうち人魚姫を見かねた姉が王子を殺した血で元に戻れると短剣を渡したが、最愛の人物を殺せない人魚姫は死を選んだ。泡となって消えた人魚姫は、誰にも知られずに消え去ったのでした―――

 

 彼女もまた、誰にも知られずに消える運命になってしまったら?

 こんな、誰もいないのに手が治ってしまった超常現象を前に、そんな等価にも等しい最悪の自体が起こってしまっても不思議ではない。そう思った自分の治ったばかりの手は何度も電話の番号を押しているけど、彼女の自宅につながる事は無かった。電話線を切ったとしか思えない。そして、それほどさやかが思いつめたのは―――僕のせいだ。

 

「こんなことなら…治ってほしい何て言わなきゃよかった。クソッ、クソォ!」

 

 CDプレイヤーに叩きつけた怪我をしていた(・・・・)手に痛みが走る。機器に叩きつけた事で壊れた破片が皮を裂き、そこから血が流れ出していた。――だが、不思議な現象が巻き起こる。

 

「…え?」

 

 巻き戻しのビデオを見ているかのように、彼の怪我した手の部分は再び元どおりになった。最高の健康状態を保ち、どれほど強く握っても直ぐに痛みが引き、これまで以上に器用に指先を動かせる「最善」の状態に。

 そして、彼は恐る恐る自分の「腕」にプレイヤーの欠片で斬りつけてみる。だが、手と違ってその部分の怪我は治らず、血の球が自己主張を途切れずに続けていた。

 

「ああ、なんてことだ。さやか、君はこうまで僕の事を……」

 

 嘆いているばかりでは何も変わらない。もう代えられなくなったのであろう自分の手はともかく、彼は気付いたことがあった。

 

 自分達は人魚姫の物語では無い。現に自分は身を案じた人物の想いに気付き、彼女は人魚姫などとは比べ物にならない程の身の犠牲を惜しまなかった。これほどまでに強い因果関係で結びついた自分達が、一度も出会わずに終わる事なんて「許されない」と。

 

 恭介は怒りの炎を目に宿した。

 そして彼が手に取ったのは先ほどの電話。新たな連絡先をコールし、暇なく何かの言葉を相手に伝え続ける。おめでとう、や期待していたよ。と言った心のこもっていない言葉は聞き流し、ただ自分の要件を伝え続けた。

 全ての作業が終わった後、もう月は建物の向こう側に姿を消していた。

 

「……これで、君を絶対に救って見せる。さやか、君が戦う物を僕にも教えてほしい。その時には、僕らはきっと」

 

 この続きは、彼女と出会った時に言うべきだ。

 揺るがぬ意志を瞳に宿した少年は、この日在るべき運命のしがらみを全て断ち切った。因果で囚われていた嘆きの王子は、眠り姫を救うために奔走する武器を整える。魔法を扱う魔女に立ち向かう、純粋な嫌疑しか使えない王子として―――勝利を掴むため。

 人魚姫はもういない。憐れな王子ももういない。

 眠り姫が出来上がる。剣を執るのは勇猛な王子。

 強大な力を前に、己の力を全て出し切ろう。意を決めた恭介は、燃え上がった。

 

 

 

 

「安心、しちゃうんだよね」

「んー? どうしたまどか。もう寝とけよ」

「はーい」

 

 母親の勧告に従い、彼女は己の部屋へと向かった。ふわふわとしたベッドの上は危険が潜んでいるという日常を切り離す夢の様な安心感を得られる場所で、寝間着に着換えたまどかは布団にくるまれて幸せそうな息を吐く。

 

 だが、そのどれもが無機物による感情移入が無ければ満たされない物ばかり。

 

「ほむらちゃん……」

 

 マミさんも思い浮かんだが、あの勇敢でクールな姿は忘れられそうにも無い。これまでの彼女を目の前にした行動は、仁美が言っていた禁断の愛とやらに目覚めてしまったのではないかと疑ってしまいそうになるが、決してそんな趣向では無いと頭を枕にうずめて首を振った。

 だが、ほむらと共にいると言いようのない安心感があるのは確かな事実である。そして、全てを見通すが如き鷹の目は、鋭く尖った雰囲気に良く似合って憧れを抱くには十分だ。

 

 だからこそ、まどかは彼女の忠告をすんなりと受け入れようと思っている。

 魔法少女という選択肢は既に消え去り、自分が出来るのは戦う事じゃなく、ただ彼女達の為に声を届けて祈るしかできない事も自覚している。こうなればよくも悪くも、この時点でほむらの全ての目的は達成されているともいえよう。

 

「また、明日。さやかちゃんを見つけて、ちゃんと……言って……それで」

 

 眠気が襲い、視界の端からぼやけてくる。

 ほむらが常に隣に付いていると思えば、目を閉じて覆い尽される闇の中でも安心する事が出来た。

 幸せを思い描くのは、普通の少女でも、覚悟を決めた魔法少女でも変わることはない。それを裏付けるかのように、普通の少女として在り続けると己に課したまどかはただ、皆の幸せを祈り続ける。世界の皆が、笑って過ごせますように、と。

 




そしてやっぱり進まない物語。
いつになったら終わるんだろうこれ。

そんな感じで一番視点を分けてみましたが、どうでしょうか。

それではまた次回。

……文頭に「さ行」とか「接続詞」が多すぎますね。


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case08

遅いですかね…?
とにかく、アイザックさんをどうぞ。


 朝の日差しは心地のいいモノだった。まるで自分が「生まれ変わった」かのように、体が軽い。これも魔法少女となったためなのだろうか、そんな考えがさやかの頭をよぎるが、実際魔法の力がどうこうという感覚も無く、単に気持ちの問題なんだろうと意味も無く自分を納得させる。

 

「……綺麗なリング。アイツとお揃いだったら―――って、駄目駄目。あたしはもうアイツの傍にいてやれないんだから。それに、こっちから突き放しちゃったんだもん。あっちも私の事忘れるくらいに喜んでくれてるよね」

 

 それでいい。と彼女は思った。

 そんなのは嘘だ。とも彼女は思った。

 

 

 

 

「さやかちゃん、来なかったなぁ。いつもなら一緒に登校してたのに」

「まどかさん、彼女に何かあったのですか?」

「……ええっと、言っちゃったら駄目なことなんだって。だからごめんね、言えないや」

「それは残念ですわ。やっぱり、さやかさんも思いつめていたようですし……心配なのですけれど」

「そうだね……」

 

 いつもの三人組にさやかが不在の中、仁美とまどかの会話は進んで行く。

 既に時は放課後。日の高いうちから帰れる事に浮かれている学生も数多く存在する中、まどかはこの街に蔓延る裏の事情を知っているだけに、そんな皆の日常が壊されてしまわないだろうかと不安だった。

 ただ、ほむらやマミ。最近は見かけないがアイザックというとても頼りになる人たちの事を疑っている訳ではない。まどかが心配しているのは、魔女の「数」だ。同時に出現した数が多ければ三人しかいない戦える人物がバラバラになる機会もあるだろうし、そのせいでカバーしきれない範囲で人が死んでしまっていたら、という不安もある。

 まどかは余りのショックで忘れようとしている事実だが、既にほむらが親子三人を犠牲にしたネクロモーフを殺している事には終ぞ気が回ることは無い。そう言った欠如感も、まどかの精神を参らせるには一役買ってしまっている。

 

「あ、ただね…信じてくれるかどうかは分からないけど……この街には人の形をした、手足を吹き飛ばさないと死なない怪物がいるんだって。その怪物はゾンビみたいに増えるから……あ、えっと」

 

 普通はこんな事を言われても頭がおかしいって言われて笑い話になるんだろうな。まどかはそんなごく当たり前の想像をしていた。だって、仁美はお嬢様として育った現実的な考えもする人だから――

 

「何でも信じますわよ」

「うん、普通はそうだよねっ……て、え?」

「だってまどかさん、目がとても怖いんですもの」

「……目?」

 

 仁美が何の脈絡もなく言った言葉が気にかかって鏡を見た。

 

「……あ、本当だ。私の目、すっごく怖いや」

 

 瞼が落ちて半目になっているという事でも無ければ、隈が目立って恐ろしいという訳でもない。まどかの眼は、余りにも募り過ぎた不安によって桃色の角膜の奥底がどんよりとした漆黒に呑みこまれていたのだ。こんな目をした人が話す内容なんて、その人が体感した「恐ろしさ」をそのまま表してくれているようなものだ。

 

「それにしても怪物、ですか。お父様に掛けあって捜査して見る事にします。手足しか攻撃が効かないというのも余りにハッキリしていて本当に弱点でしょうし……」

「ちょ、ちょっと待って! 仁美ちゃん、何でそんなに」

「だって、さやかさんもその“怪物”とやらの騒動関係なのでしょう? しかもこれはまどかさんが話せる程度の一端でしかない。だったら、権力なんて普通は使えないモノを持ち腐れている私が動くのはごく自然なことではないでしょうか」

「……そっか。仁美ちゃん、強いんだね」

「いいえ、所詮はお父様に頼ることしかできない小娘ですもの。そんな目になるまでの事を見届けてきたあなたの方がお強いと、私は思いますわ」

「ううん。ちゃんとそう言う事言える方が羨ましいよ」

 

 だって、私は……。

 口から出かかった言葉を呑み込んで、誤魔化すように言った。

 

「さやかちゃんも心配だから…探して見るね」

「はい。私も出来る事をさせていただきます…ごきげんよう」

 

 優雅な立ち振る舞いで礼をする彼女が余りにも眩しくて、マミやほむらを見ているような気持ちになってまどかは教室を飛び出した。行く当てなんてどこにもない。でも、私は私でできる事を…ほむらちゃんに言われた事をさやかちゃんに伝えなくちゃいけない。

 親友としてのカン、と言うべきなのだろうか。まどかは無意識に、さやかが「魔法少女としての契約を結んだ」という結論に達してしまっている。しかし、その予想も彼女が辿り着こうとした場所「見滝原総合病院」でさやかの幼馴染の現状を聞き、それは確信に変わった。

 

 

 

「それで、どう言う事なんだ」

「…………私だって予想外よ。だって、早すぎる(・・・・)

 

 ほむらに問い詰め、アイザックは理解が出来ないという風に腕を組んでいる。対するほむらもどうしてこうなってしまったのだと、内心では自分の髪を掻き毟りたい衝動に駆られていた。……そもそも、この二人が何故こんな風になったのか。その経緯を説明しなければならないだろう。

 

 事の発端は、ほむらがさやかの姿を街で見かけた事だった。しかし、それだけならいい。魔法少女ツアーの全容はまどかをストーキングしている訳でもないほむらでは知らない場所もあったし、寧ろ今はネクロモーフと言う新たな障害を前にして人手が二人分になっても手に負えない事態になっていた。

 さやかの動向を見抜けなかった事。それがほむらが最初に思った後悔だったのだが、その手に嵌められている魔法少女としての証である「指輪」を見た瞬間、彼女は制服姿のまま切り札である「時間停止」を行って彼女の後をつけていた。

 途中でアイザックに連絡を取って二人で彼女の様子を見てみれば―――それは惨たらしい現場になっていたのである。

 

 美樹さやか。

 彼女初陣は魔法少女としての正式な戦いではなく、ネクロモーフとの遭遇によって行われる。元々精神面もそこまで高くない、一人の少年に半分依存するようなさやかがネクロモーフとの戦いを初めて目にすれば、精神が壊れてしまう事は必須だろうと、己を押し殺すことに慣れたほむらは冷静に分析していた。

 

 だが違った。さやかが見せたのは、半狂乱になってまだ人間の形である頭部が残っているネクロモーフ共を容赦なく一本の剣によって両断する姿だったのだ。その太刀筋は、前までの「歴史」と違ってよほど純粋な思いで契約したのだろう。ダイアモンドですら欠片の一つも出さずに両断できそうな、鮮やかな切り口であった。

 事実、さやかの斬ったネクロモーフからの出血は一瞬遅れていたし、アイザックはもし奴らに知能や記憶するだけの頭があれば、死んだ事にすら気付いていないかもしれないとも思っている。しかし、しかしである。さやかはそんな人型を切って、「何の抵抗も感じていない」ように見えているのだ。

 

 ここで話は冒頭に戻る。そんなさやかの一心不乱な様子を見ていれば、既にネクロモーフは全滅したのではないか? と思うほどにネクロモーフの群だったモノは唯の肉塊へと変貌して行く。絶対に正気では無いと断言できるさやかの様子を見て、この二人はどうしたのものかと頭を抱えていたのである。

 

「……仕方がない。私が行こう」

「アイザック?」

「ああいう狂った手合いには…いや、癇癪を起した子供の扱いは慣れている。確か今日は君にもするべき事があるのだろう? 私もミキを説得したら、すぐ其方に向かうさ」

「…そうね、任せたわ」

 

 既にこの時点でほむらが知る大体の「流れ」とは大きく食い違いが生じてしまっているが、まどかはさやかを探す為にCDショップや上条恭介の通う病院に行き、病院でグリーフシードを発見してしまうのは目に見えている。ここで押し問答を続けていれば守るべき鹿目まどかが死んでしまう可能性だって大いにあり得てしまう。そうさせないために、自分はこの時間を何度も巻き戻っているのだ。

 ほむらが魔法少女姿となると、アイザックの目の前ですっかりその姿は消え失せてしまっていた。彼女の言っていた時間停止がこの様な非現実的な光景を作り出すのだな、と昔に超常的な力を持つアメリカン・ヒーローに憧れていたアイザックは微妙な表情を作ると、その顔をスーツのヘルメットで覆い隠した。

 

 そして、彼は一歩踏み出す。念入りにさやかが倒してきたネクロモーフの四肢全てを踏みつけて乖離させ、完全な死亡確認を行いながらまた一歩足を前に出す。無論、そんなことをしていれば骨や肉が弾け飛ぶ音がさやかの耳にも入り、自分以外の誰かがこの場所にいるのだというサインを送ることにもなってしまうだろう。だが、彼女に害をなす敵では無いアイザックは、あえて自分を気付かせる意味も込めて歩いて行った。

 振り返った彼女は、全身に赤黒い酸化しかけの返り血を浴びた姿に驚愕を描きだす。本当に思いもよらない人物が目の前に現れたのだから。

 

「アイザック……さん? どうしてここに…」

「…契約してしまったのか」

「ああ、うん。……まぁね」

 

 先ほどまでの狂戦士の様な風貌は何処へ行ったのか。年頃の少女の様な顔で、どこか気まずげに彼女は苦い笑みを浮かべている。ただ、それは普通の感性ではなくなっているという証拠になってしまっているのだが。

 考えてみてほしい。自分が作り上げたばかりの死体の中で、例え苦笑だとしても笑みを浮かべて普通に会話が可能な中学生を普通と呼べるだろうか? 答えは否。断じて否である。

 

「でも、あたしはこれでいいんだ。アイザックさんの言った通り、こいつら倒せば街は守られるし、人型でも四肢を斬り落とすのに抵抗も感じないようになった(・・・)。最初は怖かったけど、でもちゃんと殺せたんだよ?」

「……そうか」

 

 アイザックは再びネクロモーフの死体の肢体を踏み砕く。これで、見滝原に来てから存在が知れたネクロモーフは何体目だ? 既に、十五体を越えている。最初に見かけた数匹からもう「黒色」のネクロモーフが居ないことから「死体製造器(デトネイター)」はいないようだが、それでもこれだけの人間が犠牲になっているのだ。

 さやかは、コレの元が人間であるのだと、そうは見ていない。故に、平気でいられる。

 

「魔法少女になったのは…私は否定しないさ。君が選んだというのなら、どんな苦境にも乗り越えられるのだろうと信じているからね」

「あ、そうですか? いやー、褒められるなんてまいっちゃったなぁ。それだけでも魔法少女になった甲斐があるって言うか」

「しかし、真実と君の決意は……影に何を隠してしまっている。それは、分かっているのか?」

「……恭介…じゃなくて、願いをかけた人には、会えないって言う事ですよね。それから、会っちゃいけない。私はこんな血なまぐさい日常の中で、戦い続ける宿命を――」

「チープな言葉で誤魔化すな。ここはゲームや漫画のような都合のいい世界じゃない。自分で道を決め、自分で何かをしない限り、よほどの偶然が起きなければ自分の利を得られないんだ。それを“分かっているか”と……私は聞いた」

「現……実…? ぁ、ぇッ…!?」

 

 アイザックの言葉を受け、さやかは見た。自分が斬ったネクロモーフの残骸たちを。

 あの小さな個体は髪の毛や、縞模様の小さなズボンとシャツを着ている。パジャマみたいだが、寝る前に襲われたのか。あの妊婦の様な大きな個体は、腕のあった場所に買い物袋の残骸がぶら下がっている。買い物帰りに死んでしまったのだろうか。

 でも、でも…でもでもでも! それらを細切れにしたのは―――自分自身。

 

「ぁ、ぁ、あ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!?」

 

 違う。こんな事をしたかったんじゃない。

 だって私は魔法少女で、マミさんみたいに異形の魔女を狩って、街の平和を救おうとしていた。そして生意気だけどどこか憎めない転校生みたいにクールに物事を片付けて、自分は倒した魔女のグリーフシードを集めたりもして……それが、こんな、血みどろ? だって、恭介の傷は治ったし。万々歳なんじゃないの?

 あれ、でも、誰かが似たような意味で言っていたような―――

 

 ―――私も、この心臓の病が契約で治った時なんか……もう、最悪の意味で大変だったもの。

 ―――ネクロモーフの材料は人間。愛する夫婦でも、朗らかな老人でも……そして赤子でも。とりあえず人間であれば面影を残したまま化け物としてこの街を闊歩している。そんな彼らを、アナタは躊躇なく“殺す”事が出来るのかしら?

 

 殺した。あたしが殺した。

 殺してない。違う、だってアレは化け物でただの死体だよね。じゃないと、あたしが、あたしが……殺したの? あたしが、自分で、命を終わらせた?

 

「実感したか」

「ち、違うんですアイザックさん! そんなつもりじゃなくて、あたし、あたしは!」

「それでいい。ここが現実だと認め、幻想にとらわれ無ければ生きていける。幻影に囚われているというのは、私の様に破滅を呼ぶだけだ」

「アイザック…さん? アンタは……」

「だが、そう長話もしていられないようだ」

「え…?」

 

 アイザックが突如として銃を取り出す。それはさやかが今まで見たどれとも形状が違っている「工具」だったが、それを気にする時間は無くなっていた。

 周囲に蔓延るは数十を超えたネクロモーフの大軍。流石のアイザックでも苦戦は必須なこの数を前に、彼は深いため息を吐く事で心の平静を装った。

 

「……これで全てだと良いんだが…」

「え、嘘でしょ……これが、みんな見滝原の…?」

「さっきと同じで、現実を受け入れてくれ。私もこんな重荷を背負わせるつもりは無かったのだが、仕方ない。至らぬ身ではあるが“人として”生きて戦うためのレクチャーをしよう」

「アイザックさん、あなたは本当に何なんですかッ!?」

 

 さやかも自分がいじけている場合ではないと一時的に正気を取り戻し、両手に巨大な一本の剣を握った。いつの間にか背中合わせで自分たちを囲んでしまっているネクロモーフの大軍に注意を払いながら、彼の声を聞きとった。

 

「エンジニアさ。直せるモノは機械しかない……ただの能無しだ」

 

 ラインガンを構えて引き金を引く彼は、さやかにとって哀愁に満ちているように見えた。その直後、青白く横長の光がネクロモーフ達へ殺到。己も何かを言っている場合ではないと判断し、長く、左右対称で無骨な穢れを知らない白の西洋剣を手に―――突き進んだ。

 

 

 

「上条君も忙しいみたいだし……さやかちゃんは受付の人も見て無かったなぁ」

「元気出して、まどか。僕にも分からないけどさやかは何処かで戦ってるみたいだから、そんなに心配しないでいいと思うよ」

「キュゥべえ…うん。ありがと」

「きゅっぷい」

 

 感情を感じさせない無機質な声はCDに押し込まれたライブ音楽の様に耳を擦りぬけて行くように思えたが、人間自分よりも平坦で冷静なものを見ると意外と波長を合わせるという特徴がある。怒った人が自分より怒った人を見て冷静になるのと似たような理論だ。

 だからまどかは、前は居なかった心強い話し相手がいる事でいくらか平静を取り戻せていた。そうした冷静さが戻って来たからなのだろう、彼女は、病院で得た情報から判断して、さやかの状態をキュゥべえに訪ねる事にした。

 

「キュゥべえ、戦ってるって言ったけど…さやかちゃんは契約したの?」

「そうだよ。彼女は昨日、僕と契約して魔女を探して一日中どこかを彷徨い始めた。移動速度も並みじゃないから捕え切れなかったけど、今はどこかで戦闘を繰り広げている事は間違いないね。魔力の波長がいつもより乱れている。変身した魔法少女特有の…君達で言う心拍数みたいなものさ」

「そうなんだ……」

 

 しかし、そうなると気になるのは彼女が契約に踏み込んだ理由だ。自分と一緒に話を聞いていた時には確かに少しは迷っていたようであるが、それでもまだまだ上条恭介という人物からどうにかされた、どうにかなってしまったという話は聞いたことが無い。

 だとすると、やはり怪しいのは初めてマミが魔女を倒した日の帰り際のあの会話だろう。ある意味身勝手だと言い放ったマミの言葉の前に、さやかは少なからず感情を抑える事は止めていた筈だ。もし、あの事を引きずっていたのだとしたら。

 

「……あれ? もしかして、アレは」

「グリーフシードだ。こんな病院で孵化したら大変なことになるよ!」

 

 キュゥべえの勧告はとても正しい。魔女は人の怨念を喰らい、人を負のどん底へ叩き落とす結界を張って自殺させる。そうした絶望のエネルギー全てを吸い取った魔女は更に強大な力を得て行くという悪循環を繰り返すのだが、これに病院丸ごとが取り憑かれた場合は大惨事が起こってしまう。

 治らないと診断された患者などもいるが、怪我をした事で必ず何かしらの後悔や悲しみと言う物が付随するのが悲しき病院の性。そして、その誰もが陰鬱とした雰囲気を放ってしまう場所で魔女が現れた場合は、急速にその魔女は病院の全てを喰らい尽す大惨事を引き起こしてしまう。

 まどかも魔法少女ツアーの参加者としてマミから聞かされた知識が頭に残っていた。だからなのか、悪い想像が頭を駆け巡ってしまい、体は恐怖に打ち震えてしまう。

 

「まどか、早くはなれないと結界に呑みこまれて―――ああ、もう手遅れだ」

「え……?」

 

 その一瞬が大きすぎる隙となってしまった。

 駐輪場の片隅で発動した結界は、その周辺を巻き込みながら結界を作り出す。新たに生まれるための魔女の揺り籠を作り出すために、周囲の人間やモノから見境なく魔力を吸収するためである。

 そして、まどかはこの結界の吸収作用の一環に呑みこまれてしまった。こうなっては魔法少女でもないまどかは使い魔に殺される確率が高く、もしやすると生まれたばかりの魔女のディナーになってもおかしくは無い。ほむらにとっては最悪の選択肢だが、キュゥべえと契約を交わすことでしか彼女が独力でこの場を切りぬける手段は無い。

 

「まどか、僕と契約をしてくれ。君には凄まじい才能があるんだ。本当にどんな願いでも叶えることが出来る位の才能が。そしてこの場を切りぬけるには―――」

「ううん、ごめんねキュゥべえ。ギリギリまでその話は待ってくれないかな」

「殺されるかもしれないのに、契約しないのかい?」

「ちょっと考えてたことがあったんだ。だから、それが上手くいかなかったときにだけ契約するよ」

「……分かった。僕は君の意志を尊重しよう」

 

 次々と吐き気を催すほどに甘ったるいお菓子の匂いが立ち込めて行く結界の中で、籠に入れられたグリーフシードを見張りながら、まどかはほむらに言われた事を思い出していた。そんなに記憶力もいい方では無かった筈だが、どうにも頭に張り付いてしまっている言葉だ。

 

 ―――どんな見た目であっても願いを叶える、なんて相手には取り合わない事。

 

 もしかしてなくても、魔法少女である暁美ほむらと言う少女はこの契約には「裏がある」のだと知っていたのではないだろうか。それも、彼女がさりげなく、しかし最初の出会いで必ず言うべき事として「忠告」してきたような、重大な意味があるのだと。

 まどかは企業で働くキャリアウーマンの母親を持っている。その母親は、働いて頑張ることが好きなんだとも言っていた。でも、そうやって頑張っているからこそ近道の様に見えた落とし穴を仕掛けてくる人はいくらでもいるんだと、まどかは優しい母親から教わって生きてきた。「美味しい話には必ずとんでもない裏があると思っておけ」。たったそれだけの、どんな家でも言うような社会でのお約束だ。

 

 だから、それがキュゥべえにも当て嵌まるのだとしたら。

 ファンタジーな世界には夢と希望が溢れている。なんて、まどかはそんな妄想を抱ける程に優しい現実を見て来ていない。いつだってそこにあったのは、OLの人の飛び降り自殺や戦っているマミのピンチに陥った姿。そしてアイザックさんの悲壮に満ちた瞳。

 ファンタジーがあっても、此処は現実なんだ。マンガみたいに都合のいい助けが来てくれるのは、相手が本当に偶然に気付いたりした時だけ。事前に自分で動いておかないと、何もできずに動けなくなってしまう。いつからか、マミの隣で戦いを見る度にそんな事を思うようになっていた。

 

「……ほむらが来るね。これは、マミの魔力もある」

「……良かった」

 

 キュゥべえの言葉を聞いて、安心する。

 ほんのわずかなサインだった。ただ、帰り際に見かけたほむらをじっと見つめ、目があった瞬間に小さく頭を下げただけ。でも、それだけで助けてもらえるなんて思っていなかったから、本当に良かった。

 無条件で助けてくれる白馬の王子様は居ない。ただ、頼んだら手を貸してくれる「友達」がいる。それはとっても、嬉しいなって。

 

 ふと、彼女は先ほどの思い浮かべたほむらの言葉にはまだ思い出せていない箇所があったのだと気がついた。ソレは一体何だったか、罅が入りタマゴの様に生まれ出てきてしまったぬいぐるみの様な魔女に迫る一本のラインを見て、思い出した。

 

「ラッキーアイテムは――黄色のリボン」

「お待たせっ! 鹿目さん、怪我は無いかしら?」

 

 安心させるよう、優雅に微笑みかけるマミに対して、彼女は笑って大きく頷いた。

 

 

 

 マミが結界の異変に気付く前、アイザックと別れたほむらは時間停止を利用しながら一直線に病院の方へと向かっていた。さやかが居なくともあの場所にいる魔女は発動してしまうだろうし、何より帰り際に見かけたまどかはさやかを探しているようにも見えた。そのために、絶対に病院には一度訪れる事になっているだろうから。

 せめて孵化の瞬間には立ち会わないでいてほしい。そう思っていたほむらだったが、意識を向けていた病院の方で、普通の状態なら気付かない程小さく魔力の違和感が生じた事で一足遅くなってしまっていることを痛感した。

 また止まった時間の中でビルとビルの間を飛び越えた時、忘れられない金の髪を持つ少女が下にいる事に気付く。

 

「…巴マミ」

 

 一番敵対する確率が高かった魔法少女。それでいて、今回はあまり此方に明確な敵意を向けてこないらしい彼女は、どうやら病院の異変に気付いていないらしい。人気のない道を歩くマミを発見したのはほとんど偶然だったが、ほむらは彼女の近くに降り立つと、時間停止を解除した。

 

「ちょっと、いいかしら」

「っ…! 暁美さん?」

「魔女が見滝原総合病院で孵化したわ。……手伝ってくれると、嬉しいのだけど」

「魔女が…? ……どうやら本当みたいだけど、手柄を取られる機会を作るなんてどう言うつもり。鹿目さんから聞いた様子じゃ、不意打ちってのはなさそうだけど」

「別に。ただ病院に魔女がいたら大惨事になるのを避けたいだけ。アイザックも別の場所でネクロモーフと闘っているから、人手が必要なの。今回の敵は強そうだから」

 

 今更の話だが、ほむらが何かを隠す様な真似をしているのは、マミも感じ取っていた。その真摯に見える表情の底で何を考えているのかが分からない。それがマミにとっては最大の不安要素となるのだが、生憎とほむらはそんな事より早く頷いてほしい、と言った空気を出しているのも事実。

 マミはまだ、ほむらに気を許した訳ではない。だが、やはり優先すべきは魔女を排除する事だという選択を取った。

 

「分かった。それじゃ早く行きましょう」

「……せめて信用して欲しいってことを証明するわ。手に掴まって」

「手に?」

 

 言うや否や、ほむらがマミの手を取った。多少強引で突発、それでいて温かい人のぬくもりを感じたマミはびっくりしたものの、次の瞬間に自分が目にした光景を見て違和感を覚える。―――世界は此処まで、色が無かっただろうか?

 

「時間停止。それが私の魔法よ」

「な―――そんな、凄い……!」

「とにかく急ぐわ。これ、結構魔力の消費が大きいし…後は手を放さないで。そうしたらまた止め直さないといけないから」

 

 既にほむらのソウルジェムが三割ほど濁っている事を確認したマミは、それなら急ぐほかは無いとほむらの歩調に合わせて走りだした。色を失ったモノクロトーンの世界は新鮮だが、どこかほむらの冷静さの原因ともなりそうな圧倒的な静寂が感じられる。

 大通りから聞こえてくる筈の自動車のクラクションや近くに動いている筈の工場の稼働音が聞こえない世界は、とてつもなく不安になりそうだと、マミは繋いでいない方の手を握りしめる。だからこそ、聞きたくなった。どうしてほむらが最近になって頭角を現し始めたのかを。キュゥべえすら知らない、「復讐」とやらの理由を。

 

「暁美さん、道すがらで良いから答えてほしい事があるわ」

「言うなら早くして」

「分かってる……ねぇ、どうしてあなたは戦っているの? 私も昔に、あなたみたいに必死になっている人を見たことがあるわ。そう、他人の為に必死になっている人の姿をね」

「……鋭いわね。誰が必死になっていたかは聞かないけど」

 

 ずっと行く先を見つめるほむらの瞳に動揺が走ったのが見てとれた。

 

「否定しないんだ」

「まぁ、ね」

「それで、答えてくれるの?」

 

 そうは言ったものの、マミには既に幾つかの予想があった。その中でも筆頭なのは「鹿目まどかの為」という結論。魔法少女ツアーの中で、まどかはさやか以上にほむらの話をしてきた事もあるし、ほむらの言葉を凄いね、と言うまどかに的確な助言を行っているのは明白だったからである。

 故に、キュゥべえの思惑などどこにも絡んでいない筈の「復讐」という言葉とのつながりが気になった。ただのカモフラージュだと言えばそれまでなのだが、マミからほむらの目には薄暗い炎も灯っている。決して、両者にはまったく関係が無いとは言えないのは分かり切っていた。

 

「着いたわ。結界の入り口よ」

「誤魔化さないで。ちゃんと、それさえ聞けばすぐにでも共闘するから」

 

 時間停止をしてきたからか、それほど生まれたての結界は広がっていない。

 時間的にもギリギリ余裕があるだろうと判断したマミは、ほむらを問い詰めていた。

 

「……じゃあ聞いておくわ。あなたは、残酷な魔法少女の真実を聞いてなお、戦い続ける事が出来ると誓える?」

「…魔法少女の真実? 確かにキュゥべえが縄張りを意識せずに魔法少女の勧誘をし続けるとか、まだよく分からない事もあるけど……残酷ってどういうことよ」

「少なくとも、私は一度挫折しかけたわ」

 

 言葉でしかない。マミは彼女が口にしたことしか分からないが、それでもほむらの射抜く様な視線には真実が含まれていると体が感じ取る。そして、聞いてはいけないのだと頭のどこかで警鐘も鳴っていた。聞いたら、後戻りが出来ないような気もしてくる。

 

「……成程、確かに今から戦う私達が持ちこめるような話題じゃないわね」

「分かってくれて何よりよ。とにかく、今は魔女の討伐を手伝って」

「了解よ。それに、あなたが必死になるってことは中に鹿目さんもいるかもしれないのよね?」

「ッ、何故それを…?」

「鎌掛けたのに当たっちゃったか。それじゃ、それも含めて後で聞かせて貰うわ」

 

 気にかかっていた謎が解けるとだけあって、マミはこの戦いには必ず生き残ろうという決意を固めた。戦闘モードに思考を切り替えたマミの姿を見て、ほむらも彼女の後を追って結界の中に飛び込み、中を突き進んで行く。

 ネズミのような使い魔達が行く手を遮ってくるが、魔法少女が二人もいればそれらはむしり取られる雑草の様に二人の銃撃で塵と化して行った。

 

「初めて戦ってる所を見たけど…あなたも銃を使うのね」

「そっちと違って、これは実物よ」

「ふぅん? ドンドン聞きたい事が増えて行くわ―――ねっ!」

 

 面倒になったのか、横長の砲身を作り出したマミが結界の扉ごと使い魔達を一掃する。マスケット銃だとか、そんな事を言う以前の黄色い光弾が魔女の結界にショートカットの大穴を開け、さながら立体迷路の壁を壊していくが如き快進撃だ。普通の迷路と違うのは、壊しても何の文句も無いどころか壊した方が有益と言う点だろうか。

 進めど進めど終わりの見えない無限の扉。しかし、まだ広がり続ける中途半端な構造だった魔女結界は難なく侵入者たちの横行を許してしまい、主の坐す玉座への道を遠ざける事は出来ない。壁一枚隔てた先に感じる強大な怨念の様な魔力を前に、マミは好戦的な笑みを浮かべた。

 

「ここが最奥? 暁美さん、少し下がってなさい」

「そうね、任せるわ」

 

 自信たっぷりに言うマミがリボンを増大させると、次の瞬間には複数のリボンの端が孵化した直後の魔女と怯えを見せていない桃髪の少女の間に割り込む。そして結界の中にキュゥべえと取り残された少女の顔を見て、目標の仮説はどうやら真実になったらしいと、脳内でマミは己が発想に柏手を打った。

 攻撃の方も生まれたての魔女を突き飛ばし、無防備なダブダブの服を着たぬいぐるみにも見える魔女を一時的に行動不能にさせる事が出来ているらしい。そしてマミは、助けた少女に向かって安心していいのだと、微笑みかけた。

 

「お待たせっ! 鹿目さん、怪我は無いかしら?」

 

 大きく頷いた笑顔のまどかを見たほむらは、本当に無事でよかったと胸をなでおろす。次の瞬間にはヒーローとして振舞っていた魔法少女達は、必ず勝利と安寧を齎すのだという気高き誇りを胸に、魔女へその刃を突き立てた。

 




今回はまどかの心情を表した世界にしてみました。
彼女は彼女で、一般人だからこその魅力を引き出せると思います。
そしてグロ担当は剣持になってしまう性でもあるのだろうか。


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case09

 魔女の姿はこれまでの相手とは違い、まだ見れる方だというべきであろうか。されどまどかが最初に感じたのは、一見かわいらしい人形のような見た目から発せられる違和感だった。キュゥべえの言っていた魔法少女の才能とやらが関係しているのかどうかはわからないが、とにかく感じたのは多大な違和感。まるで、多段ロケットのように他の出力を残して動き回れそうな、底の知れなさだったのだ。

 だが魔女は魔女。魔法少女達はキュゥべえのような虚構の愛くるしさを持つ敵であっても一切の容赦は必要ない。走りだしたマミは、まどかの隣を擦りぬけると同時にリボンでほとんど隙間の無い壁を作ってまどかの安全を最優先に確保する。鋭く空を裂くリボンの音が、守られるまどかにとって頼もしく聞こえていた。

 

「これでいいんでしょう?」

「…敵わないわね」

 

 微笑みかけるマミに、ほむらは見透かされたことを称賛する。次いで盾から一丁の銃を引きずり出して発砲すれば、周囲に集り始めていた一つ目ネズミのような使い魔を撃ち殺す。正確にばら撒かれた弾丸の合間を縫って、マミは吹き飛ばした魔女「シャルロッテ」の方向に使いなれた標準サイズのマスケット銃を向けた。

 

「消えなさい」

 

 引き金を絞り、直後に撃った方を投げ捨て次の銃を召喚。絶え間なく響く銃声をBGMに、その繰り返しで確実に弾丸の雨をシャルロッテの小さな体に浴びせて行く。そこには優雅さなど感じられず、マミが宣言した通りとなるような蹂躙劇が開幕を告げる。しかし魔女とて黙って弾丸を受け止める様な木偶では無い。その身を一度大きく震わせたかと思うと、ひよこのくちばしよりも小さな口から巨大な何かを吐きだしていた。

 黒っぽいソレは牙をむき、未だ銃を構えたままのマミの頭へと襲いかかるのだ。

 

 

 

 また一匹、この世界で二体目である赤子の姿をしたネクロモーフが切り捨てられる。脊髄の辺りから生え、骨の弾丸を飛ばす三本の特徴的な触手。さやかはそれを正確に狙って斬り捨てると、次なる目標に向けてその白き刃を閃かせていた。数瞬の後、赤子だったモノはゴトリと横に倒れる。

 

「詰めが甘い。例え赤子でもネクロモーフは―――」

 

 アイザックはそんなさやかに語り聞かせるように片足を上げ、寄って来ていたスラッシャーの両腕をラインガンの一線で上半身ごと焼き払う。そして、勢いよく右足を振り下ろし、赤子だったモノの死体をミンチもかくやというほどに踏み砕いた。

 

「こうする他ない。Ahhh! Fuck!」

 

 口汚い言葉が出る事も構わず、赤子もろとも近くのネクロモーフの死体を踏み砕いてどす黒く酸化した元血液の名残を全身に浴びる。ベッタリとこびり付いた血糊の内、視界に関係するバイザー部分だけを洗浄にかけてさやかの方向を見ると、彼女は顔を髪の毛よりも青くさせながらアイザックの忠告通りに死体を更に細切れの挽肉へと変えていった。

 

 それから数十分。ようやくネクロモーフの襲撃は終わり、辺りに散らばっている死骸の数はざっと見て30以上。そのうち、大半が面影も無いほどに細切れの肉塊へと変貌させられていることを踏まえれば数は更に多かったことになる。

 アイザックは忌々しげな感情とこれを持ちこんでしまった罪悪感を交えた視線を骸の群れに向けて放つと、盛大な溜息と共に近くのビルの壁を殴りつけた。アイザックにとって旧世代の構造でできているビルは強化スーツの拳がめり込み、蜘蛛の巣の様な罅を広げてしまっている。

 さやかは息を切らしながらアイザックの元へ歩いて行くと、マミのように新たに作り出すことも出来ず、たった一本しかない己の武器を杖代わりにして、その場に崩れ落ちた。極度の疲労と緊張。そして溜めこんできたモノが最後の最後で押し寄せてきたのか、その口からは透明な胃液が漏れ出ている。これでは、喉は相当に痛みを訴えている事だろう。

 

「……人として生きるからには、戦いの間はネクロモーフの事を人間ではないと思いこまなければならない。親しい人間が交じっていれば……私も躊躇いが生まれるだろうが、最終的には迷いを振り切ることしかできない。そうしなければ、狂気に呑まれてしまう」

 

 この場には静寂が満ちていた。

 ネクロモーフ達の獣の様な唸り声も無ければ、アイザックとさやかの己を鼓舞するための雄たけびも無い。ただ、そこに闘いがあったという名残である血と、戦いの終わりを示す無情なまでに穏やかな時間だった。

 

「……アイザックさん、アンタは一体…どんな地獄を経験してきたんですか」

「地獄か」

 

 自嘲するように、彼は笑った。

 

「あながち間違ってはいないのだろう。同僚は目の前でだ。更には犬死にで命を終え、脱出を手伝ってくれると信じていた相手は敵となって私の気持ちを裏切り、助けようとしてくれた狂った科学者は幻想を抱いたまま目の前で殺された」

 

 その名は生涯忘れられないだろう。「Hammond」「Kendra」「Dr.Kyne」。彼らの死は、これまで見て来たどんなことよりも衝撃的で、呆気ないものだった。

 

「僅かな船の生き残りも、よほどに精神を侵されていたのか。私を目にした途端、頭が弾け飛ぶ爆弾を使ったり、自らの喉を掻っ切って死んだ。最後まで抗った猛者達は、報われることなく人間に殺されていた…」

 

 思い返せど、一度も希望が見えた事は無かった。…いや、訂正しよう。真に希望に辿り着く事は許されていなかった。まごうことなき死の空間(Dead Space)となったIshimuraを駆け回った中で、何かの度に何らかの希望を捨てる事態が訪れていたのだ。

 最悪の連鎖が、この目の前で横たわるネクロモーフ達に投影される。船員として乗っていた皆が血溜まりに沈み、人口抑制のために成長を維持されていた、名も知れぬ赤子の検体が内側から破った水槽のガラス。だが、此処にいたのはそんな名も知れぬ管理された赤子では無い。命に価値を付ける事もナンセンスだが、アレらは正真正銘、両親から愛を受けて生まれた子供だったのだ。

 

「正気を保つために、必死に己を保つんだ。多少の絶望も己の糧として行くしかない。……こいつらと相対した君には、その覚悟と意味をしっかりと持っていてほしい。理不尽など、こうして死体になるほどに転がっているんだと。君達魔法少女にとっても、絶望は重要なファクターだという事も、覚えてほしい」

 

 さやかは、割り切ってしまったアイザックの感性に酷い衝撃を受けた。

 自覚してからは、人の面影を残したアレらが襲ってくる光景が恐ろしいものに見えていた。だが、手を動かそうとすれば目の前の人だったモノを切り捨てなければならない。さやかは、その中で自分の命が失われることに恐怖して剣を振るった。その結果が、魔法少女の筋力で容易く飛んで行くネクロモーフのバラバラになった残骸。

 普通の感性を取り戻したさやかにとって、アイザックのように「正しく狂う」ことは非常に難しく、それでいて理解しかけている自分がどこかにいるのだとも思えてしまった。この時点で、自分は前までの我武者羅に「悪い事」に首を突っ込む美樹さやかとは変わってしまっているという、そんな自覚さえ浮かび上がってくる。

 

「最悪よ。ホント、あたしみたいなのが魔法少女になるんじゃなかった」

「だが、君は既に契約している」

「分かってる! 分かってるよそんな事!! ……だからじゃん。だから、あたしはこうやって怖がってる……。惨めに、自分が殺した死体に怖がってるんだよ! それに、覚えろって…? ただの中学生で、バカなあたしには……難しいよ…!」

 

 目眩が酷くなった。バランスが保てなくなり、寄りかかっていた剣とは別方向に倒れ込む。それでも、未練は残っているのだろう。剣を握りしめる手は、決して開かれる事は無く己が武器を握り続けていた。まるで最後の心の拠り所であるかのように。

 さやかは意識が途切れる寸前、硬質な金属に抱きかかえられる感触を感じて、視界を暗転させた。

 

「……無理も無い。…グリーフシードはこの辺りだったか」

 

 収納領域からほむらに渡されたグリーフシードを取り出し、半分ほどまで黒く染まっている彼女のソウルジェムに近づける。戦闘の消耗と、この事態に遭遇した事。そして一日二日の間を一人で駆け巡った事。それらの積み重ねが、一気に黒い染みを広がらせる要因だったのだろう。

 グリーフシードはそんな絶望を取り除くかのように、当たり前だと言わんばかりに黒い汚れを取り出した。吸収量が多かったためか、ブルブルと震えたグリーフシードは今にも魔女が生まれそうだとも感じられる。ただ、これは表面張力のレベルにすら達していないのだ。そう、ほむらからのレクチャーで教えられてはいたが、実際に目にしてみると何とも不安を湧かせる。

 

 とにかく、アイザックは気を失ったさやかを乗せてビルの影の中に紛れていった。変身も解除されているようなので、魔力を無駄に失う事も無いだろう。ただ、彼女の幸せそうな寝顔を見るには、夢の中で何かを掴んだのかもしれないな。アイザックは、そう思って微笑むのだった。

 

「…………」

 

 路地裏から、一人の男がその後ろ姿を見届ける。ただ、動きは素人のものではない。一見何処にでもいそうな私服に身を包んだ男は、携帯を取り出すと目の前の肉塊から込み上げる腐臭と肉の焼ける匂いに顔をいぶかしめながらも、とある相手に連絡を取った。

 

「……はい、見つけました。想像以上に…いえ、人知の及ばない程におぞましいものだと思います。……し、しかし!? それでは貴方の感性や、教育上………わ、分かりました。貴方がそこまで望まれるのでしたら。私も仕事ですので、答えざるを得ません」

 

 携帯の発達したカメラ機能で空しい機械音が鳴り響く。一瞬のフラッシュがネクロモーフの残骸を覆い、次の瞬間に男の姿も消えていた。あれほど特徴の無さそうな、良くいる初老の男性だ。服を変えてしまえば誰にも正体を知ることはできないだろう。

 今度こそ、場には死の静寂が訪れる。夕方頃に傾き始めた日の光は、それらを隠すようにビルの影を伸ばしてしまうのだった。

 

 

 

 魔女の牙が眼前に在った。

 もはや、銃弾程度ではこの場を逃れる事は出来ない。既に相手の牙に首をつままれているのだ。下手に動かせば、この首が飛んで行くだろうと、マミはほんのわずかな一瞬の間に感想を述べていた。

 

 視界の端には、驚愕に目を見開いたまどかの姿がある。ほむらは視界に入らなかったが、唯一つ気がかりがあった。

 

 ―――結局、理由聞けなかったじゃない。

 

 ………。

 ……。

 

 …………はて? 世界はこんなにモノクロームだったろうか。

 

「巴さんッ!」

 

 寸での所で、マミの体はシャルロッテの禍々しい顎の範囲から逃れていた。気が抜けたのか、他の要因が重なっていたのか、どんな事象が働いたのかは窮地から逃れる事が出来た彼女でさえ分からない。いつの間にか体は、すれ違いそうなほどに魔女の巨体を眼前に捉えてなお生き伸びていたのだから。

 ただ、一つ言えるとするならば、巴マミという人物がこの場で消える事を、運命ですら望まなかったという点であろう。

 

 難を逃れた事を認識したマミは一転。足を踏みしめて側面に飛び跳ねた。魔女の体の形に合わせて沿って行く移動の後に、無防備な横腹に当たる箇所へ到達。瞬間、己の右手に握られている銃の引き金をあらん限りの力で引き絞った。同時に、その勝利への渇望と生への執着が魔法の力に通じたのか、いつの間にか背後に出現していた数々の大砲からも魔法の銃弾が吐き出されている。

 煙幕で巨体が埋め尽くされたと同時、危険を感じたマミはその場から飛び退いた。その直後に魔女の体が目の前を通り過ぎ、ほむらが喰われそうになったマミの代わりに投げていた手榴弾を口の中に呑みこんでしまう。

 

 その結果は―――爆発だ。

 

「ギャァァァァァァアァァァァアアァァァァアアアアアアアア!!」

 

 口の中からの攻撃に、形態移行したシャルロッテは元の小さな人形体にまでダメージを浸透させられる。せめてこの忌まわしき魔法少女共からのダメージを和らげようと、蟲の成長速度を遥かに超える脱皮で新たな身体を形成、再び襲いかかろうとするが、晴れた煙幕の先にマミの姿は無く、ご丁寧に人の形に整えられた爆発物の塊が鎮座するばかり。

 巨大な恵方巻きは、ほむらのルアーフィッシングにまんまと釣られてしまったのだ。魔女が自覚した瞬間、眼球を一瞬で焼きつくす程の閃光が浄化の光のように眩く―――

 

 

 

「まどか、大丈夫?」

「ちょっと、耳が痛いかな…」

「ごめん」

「ちょっと~? 二人とも先輩の脱出劇には何もない訳?」

 

 死の危険から脱出したばかりで、全身から汗を吹きだしたマミがそこにいた。流石の魔法少女と言えど、再生速度はともかく全ての汗腺を閉じるという行為は不可能らしい。

 

「危なかったけど…無事で何よりね」

「暁美さん、あの時間停止は使えなかったの?」

「最初から触れている人じゃないと動かせないの。あなたのリボンや銃みたいに、制約は当然存在するわ」

「そっか……そんなに都合のいい話なんて、そうそう無いものね」

 

 巴マミの生還。

 そのことに喜びを覚えると同時に、ほむらは一種の疑念が生まれていた。

 本来、このシャルロッテと言う魔女は巴マミの戦法には相性が悪く、更には文字通りな初見殺しの形態変化で不意を打たれて死亡するという「歴史」が非常に多かった。だが、何の「因果」が働いたのかは定かではないが、覚悟を決めた彼女でさえ反応しきれなかったあの時、僅かに体が下がるという奇跡が起こって一命を取り留めることになる。更には、決定的な反撃のチャンスとまで相成ったのだ。

 ほむらには確実に感じられた。史実にズレ(・・)が生じているのだと。そして、そのズレは今のところ巴マミの生存という利点を齎しているが、美樹さやかの契約を早める結果に繋がっている。

 

 時期が近い。いや、時が来た(・・・・)のかもしれない。

 ほむらは、紫色のソウルジェムの輝きを見ながら、思った。

 

「あ、結界が…!」

「魔女もこれで完全に消滅したようだね。そこにグリーフシードがあるから、ソウルジェムの穢れを吸い取らせたら、僕に渡してくれ」

「あら、いたのね」

「冷たいなぁ。ほむらは」

 

 今までまどかばかりで、初めて魔法少女二人にキュゥべえの存在が認知される。唐の肩に乗せていたまどかもすっかり忘れていたようで、あ、と小さく声をこぼしていた。

 

「…キュゥべえの言う事ももっともよね。とにかくソウルジェムの穢れを吸わせましょうか。そうそう、暁美さん、先に使う?」

「今回は使わせてもらうわ。此処までの間に魔力を消耗してるから」

「そう? じゃ、お先にどうぞ。私はまだ余裕があるから」

 

 ソウルジェムを投げ渡されたほむらは、他の魔法少女と同様に穢れを吸い取らせていった。穢れが膨張してグリーフシードから溢れそうになるも、近くにキュゥべえが居るのなら。そう思って、マミにも投げ渡す。

 

「限界近いみたいだけど…」

「その程度なら僕が回収すれば問題ないよ」

「そう? 分かったわ」

 

 コツンとグリーフシードを当てて、マミのソウルジェムも黄金色の輝きを取り戻す。常に光り輝いていなければならない魔法少女の使命と相重なって、その最たる例であるマミのジェムはほむらにはとても眩しいものに見えた。

 結界も無くなり、穢れも浄化した事で二人は魔法少女の変身を解く。元の見滝原中学校の制服に身を包んだ姿を見て、まどかはようやく日常が戻って来たんだと安心した。待っている間は長くも感じたが、いざ戦うとなると、傍観者であるまどかには時間が直ぐに過ぎているように思えた。

 

「…うん、それじゃ鹿目さんもいることだし、聞かせてくれる?」

「覚えてたのね」

「当然。それが私の協力する理由にするって決めたもの」

「え、え…? どうしたんですか、マミさん」

「彼女、私達の知らない事を知ってるって。だから聞いておこうかと思ったのよ。ね、暁美さん?」

 

 制服姿に戻っても、魔法少女としての剛毅な性格が取り除かれる訳ではない。ちょうどほむらも、時期が来たのではないかとある意味で諦めの境地に入っていた所だ。

 ただ、その話をするにはこの場所では頭の痛い女子中学生に思われても仕方がない。

 

「分かったわ。話をつけるから、キュゥべえも連れてアイザックと落ちあいましょう。多分美樹さやかを確保しているだろうから―――」

「さやかがそっちにいるって!? それは本当なのか!」

「上条さん! あなたはまだ検査が終わってません! 落ちついて下さい!」

 

 突如としてほむらにかみつく様に言葉を浴びせたのは、看護師に止められている上条恭介その人だった。病院服は余程の無理をして此処まで来たのかあちこちが汚れており、必死に止める看護師の姿が少しずつ増えていくにつれて彼の姿も病院に返されようとしている。

 

「え……上条君?」

「鹿目さん、彼は……」

 

 事情を知らないマミがまどかに訪ねたが、まどかは彼が元気になっていることに対してさやかの魔法少女としての願いを嫌と言うほどに思い知らされた。それだけ、親友が危険な現場に関わってしまっている事がどうにも、まどかの中に在る感情に引っ掛かりを覚えさせる。

 

「頼む! さやかの元に行かせてくれ! 鹿目さん、知っているんならどうか、お願いだ…! さやかが僕を治してくれたって言うのに…彼女は……!」

「上条さん! あの写真がショックだったのは分かりましたから、どうかお願いです。戻ってください。親御さんもせっかく手が治ったと喜んでいらっしゃるのに、このままでは」

「黙っていてくれ! そんな事(バイオリン)より幼馴染が危険にさらされている方が!」

「……仕方ないわね」

「暁美さん? まさか」

 

 このままでは押し問答が続くのみ。

 そう判断したほむらは、つかつかと彼の前に歩いて行くと、モノクロームな世界に入った。魔法少女は、固有の能力を変身しなくともその一端を使う事が出来る。ほむらの場合は時間停止を数秒程度に扱えるというモノだったが、彼女にとってはそれで十分だった。

 上条恭介の体を看護師達からあらん限りの力で引っ張り出し、看護師達をソウルジェムの魔法の力で気絶させ、近くの木陰に座らせる。時が止まった世界で数秒と言うのもおかしな話だが、その短時間で全ての事は為された。

 

「―――あれ?」

「上条恭介。美樹さやかにそこまで会いたいの?」

「…君は、いや。会いたいさ。会って、正面から話さなければならない事があるんだ」

「………分かったわ。付いてきて」

「ちょっと、暁美さん!?」

「いいの、巴先輩。彼には知る権利がある。少なくとも、数週間後に現れるワルプルギスの夜の為、町もろとも命運の一端を手にした彼にはね」

「ワルプルギスって……本当に、貴女は」

 

 絶句する一同。此処に来て、暁美ほむらと言う人物の得体の知れなさが次々と当人の口から吐き出されていく。真実と、占い師の様などこか説得力のある言葉。まさしく魔を扱う少女として相応しい雰囲気を醸しながら、ほむらは言った。

 

「ついてきて」

 

 他の面々は、その揺るぎない意志の元に頷きを返すことしかできなかった。

 

 

 

 

「……まだ私だけか。やれやれ、此処まで来るのに私服さえあればな」

 

 とはいっても、ほむらもそのような私服は持っていない上にまさかこの格好のままで買い物に行くわけにもいかない。選択肢の全てをはぎ取られているような現状に対し、アイザックは苦笑を洩らした。

 

 さやかをソファーに寝かせ、不可思議な地図や戦略図が中央から垂れさがっているほむらの部屋を見回す。まるでフワフワと不定形な宇宙がそこに在る様な感覚で、ファンタジーとSFが混ざった印象さえ与えるこの場所は、隔絶された空間としてエンジニアであるアイザックにとっては理想の場所だった。ここなら、騒音を出しても近所迷惑にならない。

 

 早速と言わんばかりに工具を取り出し、先の戦いで用いたラインガンの残弾を補充する。エンジニアとしてやっているうちに、時間さえかければこう言ったものの補充をするための小道具は作れるようになっている。石村にいた時はそんな暇すら与えられない為に背後を気にしながらショップを利用していたが、ここでは実に、安息の時間が取れていると笑みを漏らした。

 

「……だが、ネクロモーフはああまで増えるものなのか…?」

 

 石村脱出を胸に、駆け回っていた時。ネクロモーフの成り立ちについて知らざるを得ない機会に恵まれてしまったが、それでもまだ、彼のネクロモーフと言う未知の怪物についての知識は十全のものではない。彼はネクロモーフはが単体で細胞分裂を起こして増える事も知らないし、新たに増えたネクロモーフがデトネイターを作り出す事も知らない。

 だが、今回ばかりはそれでよかった。この世界に、既にネクロモーフは最後の一匹しか残っていない。しかも、それはアイザックが連れて来た古株であり、細胞分裂も限界数を越えている。だが、果たしてソレは本当の終わりと言えるのかは、分からない。

 

 そんな事を知らないアイザックは、補充して限界まで弾を込めたラインガンの調整を終え、次なる工具である丸鋸射出装置、リッパーの点検に移った。実際に使いどころはいいが、弾が手に入った際は弾の単価が高いので石村ストアで換金して別の武器を調達していたか。そんな事を思い出す。

 しかし、その武器が今後に重要な使われ方をするとは、彼は思いもよらない。

 

「……ぅ、ううん……」

「目が覚めたか」

「アイザックさん…? 此処どこ」

「アケミの家だ。ああ、今から煩くなるから耳をふさいでいろ」

「へ?」

 

 気の抜けた返事の直後、凄まじい金切り音が響き渡る。

 ギャルリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリィッ!!

 

「ぃぃいいいい…!?」

「Hum、射出口に緩みがあるな。動力を停止して点検するか」

「い、いたたたた……」

 

 さやかの目も覚めるどころかぶっ飛ぶようなリアクションには目もくれず、彼は只管に自分の工具を点検する。自分の命綱の一つでもあるそれに、慢心して油断を晒すことはできない。エンジニアの性からしても、こうした道具の入念なチェックは彼の癖でもあった。

 

 そうしていると、玄関の辺りから誰かが入ってくる気配がした。アイザックは磨いていた工具を傍に置くと、入口を向いて出迎える準備をする。同じくさやかも、其方の方を見て―――驚愕に目を見開いた。

 

「恭介…!? アンタ、なんでここに……」

「さやか? やっと見つけた!」

「そこまで。嬉しいのは分かったが……アケミ、アレの為(・・・・)に連れて来たんだな?」

「ええ、赤い槍が居ないけど、少し予定を早めてでも知っておく必要があると判断したの。そっちはどう思う?」

「私は……いや、君がそれでいいと思うのならいいのだろう」

「……ありがとう」

 

 いつの間に、この男にここまで心を許したのだろうか。だが、ほむらは不思議な安心感と包まれるような父性をアイザックに感じていた。彼の境遇は話で聞いて知っていたが、もしかしたら彼も自分を居たかも知れない娘に重ねているのかもしれない。

 ただ、その温かさはこの絶望に満ちた現状に対しては最高のファクターだ。ほむらは彼に背中を押されるような錯覚を受けながら、重い口を開いて真実を語ろうとする。二人の会話で場の空気を呼んだ残りの人間は、アイザックの手の誘導で各々がソファーに座ってほむらに視線を集めていた。

 

「それじゃ、覚悟して聞いてちょうだい。魔法少女の―――真実を」

 




な、何とか書き上げました……

時間ももう無くて書き上げただけで誤字とか多いかもしれませんが、後日に修正しておきます。


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case10

アイザックさん空気。ごめんなさい


「このことについて、まずは上条恭介。貴方に覚悟があるかどうかを聞いておきたいの。それから美樹さやか、貴方にも。私が話す真実については“残酷”と言う言葉がつくわ。それがどれほどの物なのか? 貴方達には想像だにも出来ないでしょうけど、せめてもの事前準備としては必要だから」

「って、ええ? ちょっと肩すかしじゃないの」

「巴マミ。貴方にも言える事よ。…今回は少し余裕があるみたいだけど、貴方も考えておきなさい」

「……そうね。先輩に対してその口調は、少し考えさせられなくも無いけど」

 

 そう言って、これまでにない程の余裕を持ったマミは少し明後日の方向に視線を反らした後、戦闘時のそれにも似た顔つきになっていた。これには、少しばかりほむらも内心で動揺する。表に出すような真似はしないが、ここまで巴マミと言う人物は気丈だったであろうか。そんな疑問があったからだ。

 

「…僕は、どんな事でも受け入れる。さやかが一度その身を犠牲にしようとしたんだから、結局はその真実って奴も僕の中では一緒さ」

「恭介が…そう言ってくれるなら。あたしも」

「相も変わらず彼に頼り切った意見ね、美樹さやか」

「なにおう! ちょっと強いからって調子乗り過ぎじゃない!?」

「落ちついてよさやかちゃん! ここはほむらちゃんが教えてくれる所で、喧嘩する所じゃないってば」

「…あ、あー……そう、だね。ゴメン、ちょっとアイザックさんと戦ってから、調子狂っちゃって」

 

 思い返すのは、凄惨な現場の光景。脳裏に焼き付けられた血肉の赤と腐臭は、真っ黒に感光したフィルムの中でさえ原形を保ってしまうだろう地獄。恭介が無意識に握ってくれた右手の温かさを感じながら、いきり立った感情を心の内に収めた。

 

「それで、転校生。真実って――――何?」

 

 全員の心内を代表するが如く、剣の切っ先よりも鋭い眼光がほむらを貫いた。

 曰く―――偽りは沈黙より罪である、と。

 

「……そうね、まずは小さな疑問から話をさせて貰うわ」

 

 そう言って彼女は――現在の魔法少女は知る由も無いが――己の魂であるソウルジェムと、ことんとテーブルの上に置いた。テーブルを挟んで円形に、ソファーに座っている面々はその紫色の透き通るような薄暗さを兼ね備えた美しい宝石に、ほぅと知らず息を漏らす。

 

「ソウルジェム―――よね」

「ええ、巴マミ。私達魔法少女の魔法の核。魔法の発生源。じゃあ、次にこれよ」

 

 ほむらが隣に置いたのは、不安定なはずの針の先で立っているという不可思議な現象を起こす黒き嘆きの種、グリーフシード。魔女を生みだすという点では、新たな嘆きを生む種として十分な役割を持っているとも言えるであろうそれを、ほむらは比較するかのように隣に置いた。

 

「魂と言う名の宝石を覆う金の装飾。嘆きと言う種を戒める銀の装飾。じゃあ、何故この二つはこんなにも似通っていて、魔女なんて人の事を考えないようなただの化け物が魔力の回復を行う、こんなにも優れた特典・報酬を落としてくれるのかしら?」

「―――言われてみれば、確かにそうかも」

 

 魔法少女となって日が浅いさやかが頷いた。なるほど、特典としては聞いていたが、実際に運用して当たり前となるには余りにも不思議な共通点だ。

 

「当たり前だって。魔女を狩ってから使って、孵化する前にキュゥべえに渡していたけど……言われてみれば。私は戦うのも当初は必死で、一度も疑問に想う事は無かったわね。ゲームで言うならAボタン一つで使える回復薬って思ってたわ」

「もう一つの疑問は、何故ソウルジェムから濁りを“取り除く”事で魔力が回復するのか、よ。このソウルジェムが無限に魔力を生成して、その過程で濁りが魔力の発生を遅らせるって言うのなら……何故無限である筈なのに、途中から魔法が使えなくなったり疲れたりするの? 私達魔法少女は確かに人よりすぐれた体を持つようになる。でも、それは本当に魔法の力だけの話?」

「「――!」」

 

 現行の魔法少女二人は、その疑問を上げるほむらの問いに息を詰まらせた。ヴァイオリンンという音から全てのイメージを作り出す上条も、何らかのイメージはつかめたのだろう。まさか、口から声は出なかったが、確実に疑問が喉を通り過ぎている。

 

「最後にもう一度。何故、この二つはこんなにも“似通っている”の?」

「……まさ、か」

「おかしな話よね。同じ形の魔女が現れる辺り、前例はどこにでもある筈。魔女は使い魔も変わらないから、自己進化能力も無い。だというのに新種が現れる理由は? 何故キュゥべえの契約は魅力的なのに、強い弱いに関わらず魔法少女は日本に溢れていないの? その答えは―――コレ」

 

 濁りが吸収され、グリーフシードがなお一層黒さを増す。憎悪や絶望、そのような負の感情が押し固められたような瘴気が強くなったような、事実である筈の錯覚が部屋を覆い尽した。

 だが、魔女は理性も無い筈なのに何故それから生まれた筈のグリーフシードが「感情」を見せる? 負の側面だけであるとはいっても、それは立派な感情。決して理性も中身も無い怪物が持っていていい筈のものではない。

 

「ソウルジェムとグリーフシードはSGとGSで対のイニシャル……魔女は、魔法少女のなれの果てだって言うの!? そんな―――あ、そ、そうよ。少女…それから、女? 嘘でしょ……こんな、言葉遊びみたいなのが……」

「マミさん!」

「ぁ……っ!」

 

 よろよろとソファーから崩れ落ちそうになるマミをまどかが支えた時、彼女の懐から魔法少女としては何よりも大切な、黄金の光を宿したソウルジェムが転がり出てきた。運良くテーブルに転がったソレは、硬質な音を響かせてその輝きを衆目に晒す。

 マミの目の前で、彼女の感情に「比例」するかのように―――それは濁りを深めて行った。

 

「い、嫌…待って……止まって――――」

「まどか! これを早く!」

「あ、…う、うん!」

 

 ほむらから投げ渡されたのは、彼女が比較対象として出していたのとは違うグリーフシード。初めて見せて貰った時の事を思い出しながら、まどかはマミのソウルジェムへ慎重な姿勢でグリーフシードを隣り合わせにする。

 黒き穢れが抜け落ち、マミの負の感情も引っ張られるかのように沈んだ気分が浮き上がっていく。だが、それは決して気分のいいものではない。釣り上げられた魚のように、無理やりに海面へと引きずり出される「喪失」の感覚だ。

 

「……あ」

「……何だよそれ。それって、つまりあたしも」

「そうよ。私も、巴マミも、あなたも。この世界に存在する全ての魔法少女が持つソウルジェムが、貴女たちの魂が…魔女を生む為の殻。中で胎動する、魔女へと孵化するための栄養。より一層の悲劇を糧とし、その莫大なまでの負の感情を引きだそうとする―――第三者の策略よ」

 

 ―――なッ!!?

 

 完全に沈みきる前に、ほむらは浮輪を放り投げた。必死になってそれにしがみついた者達は、足元にいる自分の足首を掴む冷えた体を持つ者の姿をハッキリと見た。どこまで行っても深淵しか覗けない、紅玉の瞳を持つ知的な獣。

 キュゥべえ(・・・・・)の存在を。

 

「その全てを計算したのはキュゥべえと、その種族。そんな彼らの正式名称はインキュベーター。正真正銘の宇宙人よ。そして、貴方達が魔女になる事を待ち、魔法少女を生みだす過程で悲劇の種を撒き散らし、出来上がった絶望と言う作物を意気揚々と収穫する感情なき生物。彼らに言わせれば、私達はただの家畜らしいわ。高度な文明をもっているが故に、自分達には追いすがる事すらできないモンキーってね」

「だけど、あたしが願った恭介の手を治すって契約は…」

 

 先ほどから、さやかの疑問は実に的を射ている。そして、彼女が冷静さを保っているのはやはり、そのような事を言われて動揺は見せても拒絶はしない恭介の存在。

 いい傾向だ。アイザックも人知れず頷き、ほむらへジェスチャーで続きを促した。

 

「それも本当に叶えてしまう。そう、他の魔法少女が絶望し、魔女になった時のエネルギーを使ってね。たとえば、使う絵の具を間違えてしまった美術の授業の絵は上塗りで誤魔化したりするでしょう? インキュベーターはエネルギーをそのまま世界に応用し、事実と言う形で回収したエネルギーを貴方たちの契約する時の願いとして履行する事が可能なの」

「そんな技術力を持っているのかい、そのキュゥべえって奴は」

「ええ。人の持つ“因果”。つまりその人が今後どんな波乱や出会いに満ちた人生を送るかで魔法少女が叶えられる願いの大きさ、それに比例する魔女化までのカウント、魔法少女としての強さが決まってくるらしいわ。私みたいに、それほど大きくない因果を持っていたら能力ばかりにエネルギーが傾倒して、身体能力は素のままと変わらない。って言う天秤の関係よ。まぁ、今はあまり関係の無い事だけど」

 

 十度以上のループの果てに得た知識。だが、これは今は関係ない。

 

「魔法少女が魔女になるのは……まぁ、一番重要とするのは心を常に前向きに。そして定期的にグリーフシードの供給を怠らなければ問題は無いわ。巴マミ、貴女が恐れるような全員魔女化、という絶望なんて早々起こらないから安心しなさい。現に、貴女はこの数年間を普通に生き残って来たでしょう?」

「………そう、よね」

 

 マミは平静を装う。後輩達の前であからさまな失態は見せられない。そして、あの成り立てで一番ショックが大きいであろうさやかさえもが気丈に振舞っているのだ。何よりも、自分のプライドがここで狂う事を許さなかった。

 本当は、すぐにでも銃を取り出して魔女になる前に全員であの世に旅立ってしまいたい。死んだパパとママに会いに行きたい。そんな後ろ向きな思いばかりが募っているけども、鹿目まどかが、その手に握る自分の手から伝わる温もり。最後の生命線が巴マミの暴走を押しとどめている。

 ほむらの言葉も、今のマミにとっては平常心を取り戻す良い添加剤となってくれる。

 

「私は今まで魔女を狩って、生き残って来た。魔女になった事なんて一度も無い」

「そうよ」

「でも―――人だった子たちを、私は殺したのよね」

「そう。でも、アレはもう人じゃない。魔法少女はまだ、人の心を以って(・・・)、人の肉体を持って(・・・)いるから人間よ。普通の人との繋がりがあっても許される人間。少なくとも私は、そう考えているわ」

 

 ハッとする。あまりにも淡々と話していたから忘れかけていたが、この話の中心であるほむら自身が魔法少女であるのだ。だというのに、この真実を改めて確認するように話しているのは、初めて聞かされた時よりも異常性が浮き彫りになって聞こえている筈。

 まだ全員の中でも理性の残っていたまどかと恭介は、それぞれの魔法少女の拠り所の一つとなれるように、その手をぎゅっと握った。多少痛いくらいでも、その痛みが彼女達の正気を保ってくれるのだと信じて。

 

 一時の沈黙。事実を噛み締めさせるように間を置かせたほむらは、ゆっくりと上がる青髪の娘の左手を見た。

 

「じゃあ、ネクロモーフを殺したあたしは…?」

「…それは、私から言わせて貰おう」

 

 ずっと沈黙を保っていた、鎧の置物の様な男が声を上げ、初めて全員の視線が其方に集中する。されど動じる事は無く、アイザックはメットを外した素の顔をさらけ出し、さやかの目を射抜く様に視線を合わせた。

 

「君は彼らを救ったんだ。死してなお、親しい者の首に手をかけるような冒涜を止めた。確かに、血しぶきは上がるだろうし、人間だった面影もはっきりと残っている相手だと思ったろう……だが、ミキ。君がやった事はこれ以上街の人間を被害に陥れる事も無くした善の行動。君の武器が放つ刀身のような白さだ。決して、殺人なんて汚名を着せられるような穢れは無いとも」

 

 それは、ある意味アイザックにとっても自分を正当化するための言い訳(・・・)だ。あのIshimuraの中ではああするしかなかった。ハモンドを殺したのは己のトロさ故の結果。生きた人間を誰も信じようとはせず、ニコルの幻影に囚われ続け、あまつさえは最悪の結果を招きそうになった己への戒め。

 その正当化が彼女を救うというのなら、己が救われるというのなら。あまりにも独善的な感情に己自身に罵倒を浴びせたくはなるが、彼女の隣にいる男が頷いてくれるというのならこれでいいのだろう。

 

「…ありがとう、アイザックさん」

「参ったわね。どうにも話の力強さじゃあなたには負けるわ」

「うん。さやかは人殺しじゃないよ。街の為に戦ってくれる僕の素敵な幼馴染だ」

「……うん」

 

 一先ずは、あちら側の問題は片付いたのだろう。

 これで全員、少なくとも真実については魔女化する事は無くなった。キュゥべえのやるような、感情も無く、痛みと実感によって真実を裏付けるような必要も無い。ただ、話を聞いた四人の瞳の中には、列記とした「納得」の色が浮かんでいるのだから。その色が、暖色であるか寒色であるかについては人物の中ではっきりとは別れているものの。

 

「これが、真実。その裏付けとして、最後の証明を行うわ。……アイザック、お願い」

「ああ」

 

 全てを語り終え、招かれた四人が最後の疑問「真実や否や」というものを無意識下で抱いている中、立ち上がった二人は奇妙な行動を始めた。ほむらが己のソウルジェムをアイザックに渡し、距離を取り始めたのである。

 ほむらの魔法のおかげで、一つのマンションでしかない部屋の空間は十畳間よりもずっと広い。ともすれば、ずっと走っていけそうなほどに広い空間を二人はデモンストレーションでも行うかのように離れて行く。

 ほむらの足取りが離れる過程でふらつくものとなり、彼女の身を案じる何名かが身を乗り出して向かおうとしていたが、当人達の視線でそれは諌められることになった。

 

 そして二人の距離が99メートルに到達。ほむらは、ゆっくりと口を開いた。

 

「ソウルジェムは名の通り、キュゥべえ達が魔法少女として戦わせやすくするために取った改造処置。魂を物質として保管する事で、肉体が幾ら傷つけられても何度でも動けるようにするためのコントロール装置なの。好ましい言い方ならロボット、身も蓋も無く言えば」

「ゾンビだな」

「……え?」

「そして、今回はその前者のロボットに該当するわ。問題よ、まどか」

「私?」

「ええ。じゃあ一つ―――直進し過ぎたラジコン、その場から動かずコントローラーを持った操縦者。その結果は、どうかしら?」

「え、えっと……」

 

 考えるまでも無い。そんなのは決まり切った結果だ。

 だが、これは魔法少女という人間が当て嵌まる事実。ただの人間である彼女が言うには余りにも口憚られる内容で、道理に直接戦争を仕掛けるようなそれ。彼女がどもって、口に出せない間に、心の中で全員の答えが一致する。

 そして、いつからか数えていたアイザックのカウントが空しく告げた。

 

「ゼロ」

「――――………」

 

 アイザックが最後の一歩を後ろに歩み、途端、ほむらの体は崩れ落ちる。

 

「ほむらちゃん!」

「転校生!?」

 

 中でも少しは関係のあるさやかとまどかが勢いよく席を立ちあがり、ほむらの元まで駆け寄って行った。どうしたんだ、目を覚ませ。そうして揺さぶり、声をかけるが一切として彼女が呼び掛けに応じる事は無い。体を抱き起こし、暁美ほむらの肉体を揺さぶっているさやかは何の冗談だと顔を覗き込んだ瞬間、その瞳を見てしまった。

 瞳孔の開ききった、死体の瞳を。

 

「あ」

 

 ネクロモーフの光なき目がフラッシュバックする。

 まぎれも無い死がこの腕の中の肉体に訪れているのだと、さやかは感じ取る。

 

「死んでる」

 

 ぽつりと、彼女の口から出た言葉は部屋の全員に衝撃を与えるには十分だった。

 急ぎまどかが心臓に手を当て、体育の脈の変化で体力を測った時のように手首を持つ。だが、そこに血が流れているような感触はおろか、生命として活動するべき動きすら無かった。

 

「……驚かせてしまったようね」

「ええ!?」

「い、生きてた……良かった…ほむらちゃん…!」

 

 だが、その悲劇もドッキリでも仕掛けたようにほむらが起き上がった事で否定される。再度鼓動を確認するまどかの手には、今度こそハッキリとしたほむらの命の脈動が感じられた。そして、動く血液で熱を取り戻す体を見てほっとする。だが、温かくなっていくという事は本当に先ほどまでの死は現実だったということを裏付けているのだ。

 一体何であるのかを問いただすまでに、そんなに長い気は使わなかった。

 

「ねぇ、今のって何? どうしてほむらちゃんがあんな死んでいたなんて、変な事が起きるの? これが魔法少女の本当のこと?」

「…さっきも言った様に、私達の肉体はラジコンの車で、アイザックが持ってるソウルジェムが魔法少女の本体…コントローラーなのよ。どれだけ肉体が欠けようが、魔力があれば幾らでも補填が効く。約百メートルしか操れない肉の体。これが、魔法少女の実態よ。私も例外無く囚われる“真実”」

「ねぇ転校生。それを証明するために、アンタは一度死んだってこと…?」

「事実は小説より奇なり。それに、納得は何よりも優先されるわ。そのためなら、私の体なんてどうでも良い」

「……アンタ、馬鹿だよ。あたしより」

「ソレは光栄ね。アイザック、そろそろ」

「ああ。受け取れ」

 

 魂であると説明したばかりなのに、アイザックはほむらへソウルジェムを投げ渡した。上手くキャッチした彼女は席に戻ると、席を立った数名も元のソファーに座らせ、一拍の間をおいた。

 

 数分の間、誰も口を開く事が無い。

 ある物は目を瞑り、ある物は額に手をあてたままぼうっと上を向いて寄りかかる。ただ、ほむらとアイザックの二人だけが、背筋を張って各々の様子を見守っていた。

 

「成程、ね」

 

 突如として場に響くその声は、ほむらにとって何よりも予想外の人物から発生した。全員がそちらに視線を移せば、魔法で作りだしたのだろうか。黄色いソウルジェムをテーブルに置き、優雅に紅茶を煽っている姿が目に入る。

 まるで何とも無いかのようにマミは微笑み、アールグレイの香り漂う紅茶をテーブルの周りに充満させる。何とも言えない落ち着き払った態度と香りが、他の面々の張り詰めた空気を和らげていた。

 

「真実、ね……確かに残酷だわ。鹿目さんが私の手を握ってくれなければ、乱心して武器を振りまわす位には私も錯乱しそうになった。ありがとう、貴女のおかげよ」

「そ、そんな。私はただ、怖かったから……」

「ええ。それでも、事実は変わらないわ。暁美さんが語ってくれたようにね」

 

 その言葉でさやかが息を詰まらせる。契約したて、更には一回だけでは無い。一生付き纏ってくるデメリットをその身に受けた彼女としては、マミの言葉は深く心に突き刺さっていた。されど青いブルーマリンのようなソウルジェムの輝きは、未だ力強く誇りも無き黒には屈していない。

 すぐさま持ちなおしたさやかをちらりと一瞥し、マミは「でも」と言葉を繋げる。

 

「あなたが話したのは、こんな所で私達をまとめて覚悟させるだけじゃないわね。何か目的があって、その時の為に私達が押し潰されないように。そんな気遣いと下心があって、ここに集めて真実を話した。……そうね、私達を見極める、とでも言うつもりかしら? 私の見当違いだったのなら、素直に頭を下げるけど」

 

 言いきって、もう一度紅茶に口をつけたマミはいつものような優雅な雰囲気を取り戻している。そして何より、言及する物言いはほむらの全てを見透かすかの如き、戦う物としての鋭いメスを備えていた。緊迫する空気の中、ほむらは肯定の言葉を告げた。

 

「あなたの言うとおり。これからおおよそ二週間後、この街に訪れる災害―――ワルプルギスの夜。そう呼ばれる魔女がスーパーセルを伴って出現するわ。私はそれを倒すため、あなた達が真実に耐えうるか、はたまた戦力としてワルプルギスを乗り越えられるかを見極めるために、この部屋に呼んだ。いうなれば利用するためにね。上条恭介、その点ではあなたも美樹さやかの(よすが)として役に立ったわ」

「なっ――――は、はは。まんまと嵌められたってわけか、あたしも。……キュゥべえと言いアンタと言い、あたしってこんなにも利用されやすい性格なんだね」

「さやか……でも、彼女はそのキュゥべえってのよりも善良だと思うよ。だって、彼女は強制はしてないんだ。…だろう? 暁美さん」

「…え?」

「…本当に、言葉の穴をつくのが上手いわね。それにまどか、やっぱりあなたも少しは人を疑ったりした方がいいわ」

 

 素っ頓狂な疑問符を掲げるまどかに忠告した後、ほむらは予想以上の恭介の聡明さにこれまで見てこなかった知性の片鱗を垣間見た。彼ほど、確実にさやかのストッパーや抑制役としてピッタリな人物もいないだろうに。

 ほむらもこれまでのループした時間軸の中で悲惨な運命を見て来ただけに、この奇妙な巡り合わせには目をみはるばかりである。

 

「それにしても、ワルプルギス…暁美さん。あなたの目的は分かったし、美樹さんはともかくこの街を守るためにも私はその話に乗らせてもらう。……でも、何故そんな事を知っているの? キュゥべえに“最強の魔女っているの?”なんて時に聞いた事があるけど、ワルプルギスの夜は嵐を伴って突如として出現し、ひとしきりに暴れた後は壊滅した国を見下ろしながらまた何処かへ消える。そんな予兆も前兆すらも直前に現れる存在よ? 現に、今の外はちょっと雲がある位の晴れ具合だし。嵐の様子すら見えていないわ」

「……今のところは、統計…とだけ言っておくわ」

「まだ隠し事があるのね」

「ええ」

「否定はしないんだ」

「でも隠させて貰うわ。これは私の戒めでもありエゴでもある」

「だったらそれに触れない範囲で言わせてもらうわ」

 

 わざとらしく間をおいたマミは、真っ直ぐと見据えた。

 

「あなたは、私達の味方かしら?」

「……そうよ」

 

 過去の仲間として戦った別のマミ達の姿が脳裏に思い浮かぶ。仲間を撃ち殺したマミ、特攻し、道を切り開いてくれたさやか、幻影で己を逃がし、魔女と心中を図った未だこの場にはいない赤い魔法少女。

 その過去の全てを裏切っておいて、この時間軸でもまた嘯いた。でも、真実は確かに言葉に乗せている。マミ達の中の、まどかの味方であるのだから。

 

「含みがあるけど、まぁ良しとしましょうか。私からはこれ以上は何も聞かないわ。じゃあ、これからは木端の魔女狩りやワルプルギスの夜の時は一緒にお願いね。その何処とも知れぬ“情報”、どうせまだまだあるんでしょうから有効利用させて貰うわよ」

「ッ……ええ、分かったわ。それで、美樹さやかはどうするの?」

 

 マミの読心術でも使ったかのような慧眼には恐れ入る。呑まれそうな「先輩」であるマミの雰囲気を無理やりに押しのけながら、ほむらはもう一人の問題であるさやかへと問いを投げた。まるで人形のような抜け殻となるのがこれまでの時間軸。だが、今回ばかりはアイザックと言うイレギュラーのおかげでこんな場所にまで予想外の人物を引っ張ってくることになった。

 この大きな変化を期待して、さやかの変化を言葉として聞く。そのために、ほむらは初めて、美樹さやかという少女の瞳を覗きこむ。

 

「……あたしは、元々この街と恭介を守るために魔法少女になったんだし。話にはのる。……のるよ、でも…………魔女、になるんだよね、あたし達」

「ならないために戦う。そのために穢れが溜るって矛盾はしてるけど、そうする事でしか未来は生きていけないわ」

「うん。そっか、未来なんだよねぇ……ねぇ、恭介」

「…なにかな」

「後で話したい事があるから、丑三つ時って言うんだっけ? …位になったらさ、病院の窓開けておいて。二人っきりでさ、魔法少女って変なものになったあたしから言いたいんだ」

「…分かったよ」

「うん、だから転校生さ、あたしも参加するよ」

「……そう。無理はしないでいいわよ、足手纏いはごめんだから」

「ハンッ、いい気にならないでよね。あたしの剣はコンクリートだってバターみたいに切っちゃうんだから」

「そう。ならその調子で魔女も切って頂戴」

「分かってる。じゃあ、恭介もそろそろ帰ろう」

 

 さやかの問いかけに対し、恭介は明るい笑顔でそれに応えた。彼は分かっていたのだ、さやかがどれだけ危ない崖の端にいるのか。だからこそ、彼女の全てを受け入れるために彼は笑っていた。

 

「…いっちゃった、ね」

「暁美さん。私もキュゥべえと話しておきたい事があるから早めに帰るわ」

「そう。なら気をつけて。キュゥべえ達インキュベーターは感情が無いし、ある意味一番公平よ。問いただせば必ず淡々と事実を語ってくるから、平常心で受け入れなさい」

「ご忠告感謝するわ。これでやっと、長年のあの子の違和感もケリがついた」

 

 マミも手を振って、玄関に向かって行った。晴れ晴れとしたような表情が、ドアの外に出た途端に崩れ去ったのは誰も知らない事実。いや、寧ろ最後まで隠し通すことが出来たマミの精神の強さは―――誰よりも芯が通っていると言えるのだろうか。

 

 最後に部屋に残ったのは、まどかとほむらとアイザックの三人だけ。アイザックはこれ以上は野暮だな、と言いながら工具の点検セットを持って別の部屋に消えて行き、実質この不思議な部屋にはほむらとまどかの二人だけが残されることになった。

 

「…送って行くわ。まだネクロモーフが残ってるかも知れないし」

「あ、そっか。魔女だけじゃないんだよね……あ、あはは……」

 

 

 

 

 帰り道は何事も無く、静寂と電信柱の電灯がコンクリートに囲まれた住宅街の道を照らし出している。自然の景観を計算されて植えられた街路樹の葉が光を反射し、その分をぼんやりとだけ周囲を照らす。何より、天に輝く月の光が後から二人を追いすがってくる暗闇を遠ざけているような、そんな錯覚を覚える程でもあった。

 

「凄かったね」

「何が?」

「ほむらちゃんだよ。だって、私はびっくりし続けてあんまりしゃべれなかっただけなのに、皆の疑問や怖い所を直ぐに答えて、納得させてたもん。私もずっとそんなほむらちゃんの言葉に踊らされ続けて、ほむらちゃんが言うまでずっと話の全部が皆の為だって思いこんでて……」

「あなたは、持って生まれた優しさ。皆から言われるあなたの優しさについてどう思う?」

「え…優しさ?」

「そう。よく言われてるんじゃないかしら」

「……うん。でも、良く分かんないかな」

 

 それもそうだ。優しい、とひとえに言われてもまどかはその優しさを自覚した事は無い。単に自分が見ているのが嫌だから行動しているのであって、それが結果的に優しいという印象に繋がっていただけだ。

 だが、ほむらはその答えに満足していた。ほむらの感じるまどかの優しさとは、言われて驕るものでは無くその身に染みついた、他人を安心させる雰囲気そのもの。ソレがあるだけで、思い出すだけでも…過去何度、魔女となる直前に救われただろうか。

 

「……やっぱり、不安?」

「不安…かも」

「それじゃあ、また占いでもしてあげるわ」

「ホント?」

「ええ。あなたの為だもの」

 

 そう言ってほむらは目を瞑る。前に考えたのは今後の展開の事で、それから導き出される結果を忠告とラッキーアイテムとして提示したが、今回ばかりは別だった。もう通用する未来は無いだろう。だからこそ、己の習慣で彼女が幸せになれるような選択肢を推す。

 そこにほむらの幸せが無いのだとしても。

 

「そうね、忠告するのはやっぱりキュゥべえからの勧誘。それから、嵐の中での瓦礫にご用心。ラッキーパーソンはあなたの家族。魔法の事は言わなくていいけど、何度でも話し合って、それで家族で頷けるような未来を歩くと良いかもしれないわ」

「えっと…ぐ、具体的だね……」

「本当は占いと言うより私の願望。…さ、ついたわ」

 

 夜も遅く、まどかの両親は連日の夜帰りに心配しているだろう。ほむらは、鹿目家のリビングから漏れる電灯の光を見ながらそう思った。

 

「ほむらちゃん……ありがとう。またね」

「ええ、また明日。まどか」

 

 普通の友達のように、手を振って二人は別れる。

 何気ないただの友達のように。

 




デッドスペース成分どこ行った、と言うぐらいの内容でしたね。
というか、もはや私達はこのまどマギの世界に凄惨な時を経験した大人が欲しかっただけなのかもしれません。どちらにせよまだ「クロスオーバー」としての種はまだまだ残してあるので、この先の希望に満ちあふれた「真っ黒な道」をお楽しみください!


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case11

 病院に顔を出した恭介はすぐさま個室に戻された。急速なまでの自己修復、そして「痕」として残り続かなければならない筈の抉れた手の損傷すらも完全に消え去った。その原因を探り、あわよくば治療法を確立させる病院側の思惑も作用しての結果であったが、いざこうなって見ると恭介にとっては全てがどうでもよかった。

 この街が危険にさらされている。魔女と言う脅威は自殺者の裏付けであり、ネクロモーフと言う動く死体はいついかなる時も増殖するために死体を探す。帰り際、さやかの話を聞く限りでは人を素体にした怪物しか出て来ていない様だが、これもよくあるゾンビ映画のお約束だ。それ以外の生物でも必ずネクロモーフ化するであろうと、恭介は疑っていなかった。用心に越したことは無いのであるから。

 

 そうして夜になり、時刻は深夜の零時を回る。暗くなった病院の心細い静寂が満ちる月夜を満喫して掌を翳していると、突如として覆った影と共に窓の外をノックする音が聞こえてきた。

 こんな地上から離れた場所に、一体誰が? などとは思わない。約束の人物が約束の時間通りに訪れただけである。

 

「ごめんね、こんな時間に」

「いいや、寒いだろう? 早く入りなよ」

「うん」

 

 一見コスプレ衣装に身を包んでいるとも言える幼馴染、美樹さやかその人である。

 不思議と見慣れない筈の非現実的な衣装は違和感を感じず、この剣士のような姿こそがさやかの魂の在り方を表している、と言った印象を受けた。さやかは敢えて魔法少女の変身を解かずに、恭介の病室に在った椅子に腰かける。

 

「音楽流しとく?」

「いや、流石に音漏れは無いだろうけど、夜に音楽流すのはマナー違反だと思うよ」

「それもそっか。じゃあ、いつもので」

「へぇ、持って来たんだ」

 

 にか、と笑みを浮かべたさやかがイヤホンと携帯音楽機器を取りだし、イヤホンの片方を恭介に渡す。この二人の間にだけ、オーケストラの荘厳な音楽が流れ始めた。

 此処の所ギスギスとした空気が続いていたからだろうか。しばらくの間、二人は目を閉じてその音楽に聞き入っていた。どちらが眠るという事も無く、偶然にも同時に目を開けて向かい合うと、自然に笑みがこぼれてくる。

 さやかの身を差し出した暴挙には、まだ恭介は理解が及んでいない。ただ、その身に受ける一心不乱の恋慕の気持ちには、この時漸く認めざるを得なかった。彼女が何を言うか分かっていながら、恭介は尋ねられずには居られなかった。

 

「それで、話って何かな?」

「えーっと……面と向かって言うのも何だけどさ。…その、あたし、アンタの事がさ」

「……僕が?」

「も…もう、意地悪言わないでよっ!」

 

 耐えきれず尋ね返した恭介は、そんな彼女の様子に心が温かくなるのを感じた。

 そうからかわれ、顔を真っ赤にして片手で顔を覆ったさやかは、それでも視線はしっかりと彼を見て言い放つ。

 

「……アンタが、好きなの」

 

 消え入るような声でも、その言葉は恭介の耳を打つ。同時に、ここまで彼女を追い詰める原因がやはり自分に在るのかと思うと自分の心が怒りに震えながらも冷えて行くのを感じた。どうして―――こんなことになってしまったんだろう、と。

 恭介は元来、ヴァイオリンに人生を投げうつつもりで趣味と実力を重ねて行った努力家だ。天性の才能を授かっているとはいえ、立場に甘んじることなく努力を続けて……事故に遭って失墜する。常にこの道程にはさやかと言う幼馴染が隣にいて、異性を認識するには十分なまでの年月を共に過ごしてきた。

 ずっとこのままの関係が続けば…なんて、心のどこかで思っていたそれは甘えだったのだろう。いつでも自分に優しい手を指し伸ばしてくれるさやかの事を、失墜の中でいつしか何でも自分の事を心配してくれる存在だと思い込んでいた。

 

 その結果が、これだ。

 彼女が伝えた気持ちは、嘘偽りない恋慕。己の人生を恭介と言う人間の為に、魂も肉体も同時に捧げるような形で告白する。この気持ちは裏切れない。こうして面と向かって言われたからには、彼女の事を全力で受け止めることこそが正解なのだと分かっている。

 だが、逆に言えば自分が彼女という人間につり合ってはいないと…そう、思う。

 

「……嬉しいな、僕はこんなにも思ってもらえていたんだから」

「恭介…なんで、涙が」

「ありがとう。僕は君に会えて本当に良かったんだって、今ようやく思えた。でも……だから君には僕は相応しくない」

 

 負の感情は、そのまま口をついて出て来てしまっていた。

 今となってはこんなに素晴らしい彼女を手放す選択肢を取る事はとても苦しい。この笑顔を、誰かに取られるなんて想像するだけで胸が張り裂けそうな思いだった。それでも、彼女はこんな場所で情けない自分を支えるために一生を捧げるだなんて勿体なさすぎる。

 自分のことばかり考えていた反動だろうか。今ばっかりは、彼女の為としか思う事が出来ない。

 

「……そっか。じゃあ、恭介はずっとあたしのことは幼馴染だって思ってる?」

「凄く…魅力的な人だと思っているさ。でも―――」

「じゃあさ!」

 

 顔を上げ、さやかは恭介の手を強く握った。勢いに押された恭介は押し倒される形で倒れ込んで、胸のあたりに温かな重みを感じることになる。

 

「ワルプルギスの夜を越えたら……もう一回告白する」

「さやか…?」

「恭介は自分の凄さに気付いてないしさ。だから、もっと気持ちが落ち着いてからもう一回、返事を聞かせて貰うから! 何であたしがアンタのことが好きなのかっていうの…考えておいて欲しいな」

 

 抱きついていたさやかは恭介から離れ、窓枠に手を掛けた。

 去り際に一度も振り返る事はせず、恭介もまた、ベッドの上から起き上がることなく片腕を目の上に当てている。足に力をいれ、夜の空に跳び出す前に一言だけ、恭介の耳は愛しい女性の声を聞いた。

 

「こんな体だけど…愛してる」

 

 恭介は己の過去の中に、どっぷりと浸り始めた。

 

 

 

「まっどかー! また屋上で食べに行こっ。あと仁美も」

「わ、私はおまけ扱いですのね…うう、彼女達の禁断の愛の中には私は不要と言う事なのですわー!」

「そ、そんなことないよ! あ、待って力強いって仁美ちゃん」

 

 翌日の昼。さやかの能天気な声が教室に響いては他のクラスメートの雑談の中に溶け込んでいった。其方をちらりと見る復帰した生徒…恭介は彼女の元気そうな様子を人目収めると、質問攻めにされている状況の中でクラスメートたちのお祝いの声に一つ一つ受け答えして行く。

 結局のところ、現代技術では魔法少女の祈りによって生じた治癒は原因不明で終わり、これ以上息子をモルモットにされてはたまらないと思った恭介の父親が退院届けを出させたのが学校復帰の真実である。そんな彼の横には、病院生活で衰えた筋肉の補助として松葉杖が立て掛けられていた。

 

「さやかちゃん、いいの…?」

「うん。恭介には今度ちゃんと話すって約束したし」

 

 さやかの笑顔には迷いは無い。そうふるまう彼女に嘘を感じなかったまどかは、そっか。と言って笑みを返した。それによって再び暴走し始めた仁美を二人掛かりで抑え込みながら、三人の姿は教室から屋上へと移る。

 あれだけの真実を受け止めてなお、微笑ましい日常を送るさやかの精神力はかつて「彼女」が知る限りでは有り得ない。これは、願いの恋慕に至り、なおかつ早急に自分の気持ちに気付いたからなのだろうかと「歴史」を知る少女は息をついた。黒い髪をなびかせながら立ち上がり、携帯電話を取り出してはメールする。

 メールが終わった瞬間、まだ転校生という物珍しい肩書が気になって集まってくるクラスメート達の姿が目に入った。

 

「いまのアイザックって誰? もしかして、ボーイフレンドだったりするのぉー!?」

「え、暁美さん彼氏いたんだ。くぅ、私狙ってたのにぃ~」

「そう言うのじゃないわ。アイザックは私の生活補助に来てくれたの」

「あ……そうだったね、暁美さんって一人暮らしだったっけ」

「そう言う事。それからアナタ? 私にはそんな趣味は無いからね」

 

 クス、と笑いながらクラスに溶け込む日がこようとは。真実を知らない者達に囲まれ、そう言った対応をしざるを得ない状況であるものの、ほむらは今までの自分とはかなり違う現状に対して新たな可能性を見出し始めていた。

 もう一体何度繰り返し、まどかを契約させてしまって、自分だけが過去に逃げ伸びていた事か。数えるのも億劫になる程の失敗を重ね、新たなネクロモーフと言う脅威の現出と共に現れたアイザック。この男の存在が、この男の僅かな言葉がこれほどまでに大きな影響を与え、今のところは理想の展開に進んでくれている。バタフライ効果ならぬアイザック効果、信じざるを得ないわね。そんな事を思って、そのアイザック効果の被害者である上条恭介を横目で見た。

 彼の笑顔が目に入って、同時に自分と同じく悩みの底にいる目の暗さが見て取れる。

 まだ波乱は終わっていないと再確認し、これまで唯一接触の無かった魔法少女――佐倉杏子という最後のピースはどう動くのかを考え始めた。

 

 

 

 アイザック・クラークにとって500年前の地球での朝は早い。

 ほむらが起きるよりも早く起床し、武器としても使える工具の点検で轟音を鳴らしながらほむらを叩き起こすのだ。それでいい加減に、と言う小言を聞き流しながらスーツの整備を整え、同居人の彼女と共に家の玄関を出る。

 住宅街の裏道を縫って出た先には、廃工場や廃ビルが立ち並ぶ無人の薄暗い立ち入り禁止区域。そこでネクロモーフの生き残りや、場所としての執着が集まり易い廃工場を中心に孵化前のグリーフシード探しを兼ねた素材漁りを開始するのである。

 

「……私が持ちこんだネクロモーフだけは…あれだけはこの世に存在してはならないっ…! しかし、前のミキとの戦いで全て狩りつくしてしまったか? いつもは一匹ぐらいは見かけるが」

 

 閑散としたのもので、カラッと乾いた埃だらけのビルばかり。落ちていたガラクタの類を組み合わせ、簡単な清掃用ボット(現実のル○バの性能よりさらに上)などで一度訪れた場所のマークをしているが、それらからの信号も発せられてこない。

 単純な動力復旧やシステム再始動などは配線の位置を把握し、少しいじる程度で十分過ぎる程に直せるエンジニアならではの技術はこう言う地道な作業に有効活用されている。ガラクタの寄せ集めでしかない為この世界の者にも十分再現可能であろう。

 

「ニコル……だがやはり、君は」

 

 自分でも、かつての恋人は死んでいるのだと分かっていたのだろう。石村の脱出の際、道中に綴っていたレポートをほむらの家で読み返している時に気付いた。己のレポートのタイトルの頭文字を全て組み合わせると、[N I C O L E I S D E A D]――ニコルは死んでいる。ああ、これを皮肉と言わずして何と言うべきであろうか。それを理解した瞬間、地球政府に提出しようと思っていたレポートを消去した。

 忌まわしい記憶だ。幻覚か、はたまたネクロモーフなのは分からない。だが、真実はこの世界に自分が降り立った事で、本来有り得る筈の無いマーカーの産物、怪物たちを此方にはなってしまったという事だ。

 この世界で死に、ネクロモーフとされた者達であっても後悔を抱く暇すら無い。目の前で怪物と化したマーサー博士の様に、無情にかつ非道な精神で罪も無い人間だったモノを粉砕しなければならないのだ。

 その責を多少なりともほむらやさやかに背負わせているアイザックは、己の馬鹿さ加減に嘲笑を送った。戦う覚悟などと、自分が言える言葉では無い。ケンドラの思惑に乗せられ、目の前で共に生き残ろうとしたハモンドを失い、人の言葉で流されるまま悲劇の中を踊って来た己がどうして戦いを教えるなどと言える?

 あまつさえは、恋人の幻影に未だ囚われ続けている己など。

 

「ここにはマーカーは存在しない…そうだ、それでいい。あの忌々しい赤い(・・)双角の建造物はないんだ」

 

 もっとも、自分には見えないキュゥべえとやらの言葉を信じるならば、と言う前提だ。

 ほむらの話しでは、7回目の逆行の際にキュゥべえ達インキュベーターは人類史の初めから存在し、人類の科学技術の発展の裏には魔法少女となった者たちの願いの名残が染みついているのだという。それ故に、己が知る歴史よりも幾ばくかは技術の進歩がこの見滝原で見られているのだと信じられた。

 だが、それだけだ。ほむらが言うのであれば、人類は力を持った気でいるお山の大将。その周囲を動物園の檻が囲っている事など知らない、広大な「保護区」の中で息をしている種族と言う事になっている。

 正直、そんな家畜のような扱いは御免被る。まるでネクロモーフを生みだす為、人類がたったそれだけの為に育てられたようではないか。だから、自分はもう嫌気が差す怪物どもに向かってもう一度引き金を引く。青白い光は神の裁きなのだと言い聞かせて、己にしがらむ数多の障害を排除するために。

 

 気付けば、器用なことに探索をしながら考え事にふけっていたらしい。

 未練がましいものだと、すっかり暗くなった夜の街を見下ろしていた。廃工場の鉄骨の上に座り込み、スーツの視界から送られる情報の数々を検証しながら深く息をついた。

 

「あとは、此処だけか」

 

 足元に在る看板を見れば、ここはまだ新しい。つい最近、発展競争に敗れて潰れたばかりの工場立ち入り禁止の張り紙が自己主張しているようだった。それと同時に、何故か暗い気分に沈められる己の身が非常に恨めしい。

 そこまで考えて、また負の感情に囚われている事に気付く。アイザック・クラークはここまで悲観的だったであろうか? そう聞かれれば、否と答えよう。今自分の精神状態が不安定なのは恐らく、USG石村での深い禍根の念が己の中に渦巻いているからにすぎない。

 

「む、アレは―――カナメ?」

 ――駄目…こっちに行ったらだめぇぇ!

 

 もう少し探索を続けよう。そう思って立ち上がった所、聞き覚えのある声を彼の耳が拾った。足元の工場にぞろぞろと入って行く集団の最後尾に、同じ制服を着た女子を引きとめようとするまどかの姿があったのだ。

 アイザックに気付くことなく彼らは工場の中に入ってしまったが、アイザックは趣味の悪い一体化論信者(ユニトロジスト)の奇行が頭の中に浮かんできた。余りに突然の事で呆けてしまっていたが、アイザックが動きだす前に一筋の青い閃光が工場の扉をぶち破って入って行った。

 

「…嫌な予感がするな」

 

 RIGの収納領域からプラズマカッターを取り出すエンジニアの背後には、喉元をうならせた獣が潜んでいた。

 

 

 

 どうしてこうなっているのだろう。

 きっかけは、確か魔女のくちずけを施されていた仁美を追いかけたことから始まっていた。まどかはそんな事を思いながら、淡々と進められていくネガティブな人間達の奇行に恐怖を覚えていた。

 何とかしなくてはならないと思いつつも、恐らく魔女に操られた人間達が発するその剣幕は恐ろしいものがある。大の大人や健康そうな体つきをしたスポーツマン達もいることから、単なる中学生に過ぎない自分ではこの場を力づくで押さえつけることなど出来ないであろう。でも、何とかしなくては。

 

「ほら、まどかさん。あと少しで私達は解放された世界へ逝けるのです……」

「え」

 

 操られた仁美の言葉で我に帰る。

 葛藤するまどかの眼前で、操られた集団催眠自殺志願者の者たちは最も早く、最も近隣に迷惑を残し、最も楽に逝ける手短な方法―――洗剤を混ぜた塩素ガスの発生による自殺を図ろうとしていたのだ。

 このままでは魔女の魔の手から逃れるどころか、自分諸共死んでしまう。死への恐怖へ追い立てられた体は、自然に動いていた。勢いよく飛び出した事でひるんでいる狂人達の手からバケツを奪い取ると、窓に向かって思いっきり投げ捨てた。ガラスを割って外に撒き散らかされる洗剤は環境に毒だろうが、ともかくこれで一時的な危機は去った。

 安心したまどかは息を切らせたまま後ろを振り返り、絶望に落とされることになる。

 

「……邪魔、したな?」

 

 そうだ。この人たちは集団で魔女に操られている。その自殺の邪魔をした自分は、真っ先に捕えられて殺されるか、はたまた自殺に巻き込まれて死ぬことになるだろう。

 何かと状況判断の早いまどかは現状を認識するが、それだけだ。密室だけあって入口には鍵は掛けられているし、窓を昇り切る間に足を掴まれてしまう事だろう。そうなると、近くに在るドアに逃げ込むしか手は無い。

 どうして私がこんな目に。そんな事を思うが、元はと言えば魔法少女であるさやかやほむらに連絡していないことが裏目に出ているのだ。しかし、まだ続くと思われたまどかの危機は呆気なく救いの手が伸ばされることになる。

 

「たぁぁのぉぉぉ……もぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 鍵がかけられているドアに切れ込みが入り、そこから欠片を吹き飛ばしながら白銀に輝く両手剣を持ったさやかが突撃してくる。突然現れた異様な存在に犇めいた集団の頭上を飛び越えながら、さやかは魔法で人々を昏睡させていった。

 この世界の魔法少女と言うと、固有の能力に目が行きがちだが、一応秘匿を優先とした精神作用のある魔法はデフォルトである。魔法少女の祈りによってその辺りの才能も左右されるが、さやかはその限りでは無かったようだ。

 

「まどかは大丈夫?」

「あ、ありがとう……でもどうして分かったの?」

「キュゥべえがこの辺りに魔女がいるって言うからさ。…そりゃ、アイツの言うとおりに動くのは癪だけど、キュゥべえって嘘は言わないらしいじゃん? それで追ってみたら、まどかの姿があったからすぐに来たってワケ」

 

 両手剣を肩に当てて快活な笑みを浮かべる。いつも通りの美樹さやかがそこにいることを確認すると、まどかは張り詰めていた緊張を一気に解いてその場に崩れ落ちてしまった。その目の淵に涙が溜っているのは、御愛嬌と言ったところだろう。

 

「良かったぁ……」

「まどかはこの人たち見ておいてくれる? 多分目が覚めないとは思うけど、今から魔女と戦ってる間に起きて自殺されないようにしないと。なるべく早く倒してくるから!」

「あ、うん。頑張ってねさやかちゃん!」

「はっはっはー。狸の船に乗ったつもりでまっかせなさーい」

「それって、泥船なんじゃ……」

 

 さやかはまどかの近くにあったドアの中を開くと、剣を握りこんでその中に突入する。直後に彼女の陽気な気配が消えた事を感じたまどかは、さやかが結界の中に入ったんだという事に気がついた。

 ほっと息をついて、死屍累々と気絶している人たちを見渡しても、起き上がる気配は一切見えない。間に合ってよかった、と知人の仁美が巻き込まれていることからも強い安堵の息を吐いたまどかは、その直後に顔を青ざめさせることになった。

 

「……まどか…さん……?」

「あ、仁美ちゃん! よかった気がついて―――」

「よくも邪魔してくれましたわね……」

 

 まだ魔女は倒されていない。仁美の首筋に在る「しるし」が何よりの証拠。つまり、彼女はまだ全てを死に追い込もうとする洗脳から解放されていない。仁美はフラフラと立ち上がりながら、近くの人間が持っていたカッターナイフを手にキチキチと刃を捻りだした。

 工作用のカッターナイフの刃は錆びており、あれで切られればただ痛いだけでなく錆びた箇所が引っ掛かって尚更酷いことになるだろう。何か投げる物で対応しようとしたまどかは、近くには何もないことを再確認するばかりで何もすることはできなかった。

 

「一緒に、死にましょう…!」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 頭を抑え、その場に座り込む。閉じた目と耳は恐怖を抑えつけるため。

 ………あれ?

 

「……?」

 

 そおっと、瞼を開けて前を見る。

 そこには振り下ろされた仁美の手だけが映った。手だけ(・・・)だ。

 カッターナイフは…何処に行ったんだろう?

 

「ミキ一人に任せるわけにもいかないな。カナメ、大丈夫か?」

「あ…アイザックさん!」

「なんですの? アナタも私の邪魔をしに――」

 

 ガショガショとスーツの鉄板部分を鳴らして近寄ったアイザックは、仁美の目の前にフラッシュライトを当てる。途端にその光には何かしらの作用があったのか、仁美はその場に崩れ落ちるが頭から倒れ込む前に我に返ったまどかが彼女をキャッチ。

 まどかを襲う筈だったカッターナイフはしばらく空中に留まっていたが、アイザックが動かした方向に射出されると反対側の壁に当たって砕け散った。

 

「今のって、ビルから落ちる人を助けてた…」

「キネシスモジュールだ。私達エンジニアのほかに、暴動鎮圧にも警察隊などが使用している優れ物だな。一般人の武装解除にはもってこいと言う奴だ」

「あの、ありがとうございます。おかげで私も仁美ちゃんも怪我しないで済みました」

「いや、降りる場所を中々探せなかった私が悪い。だがタイミングとしては白馬の王子様と言ったところか、やれやれ、似合わないにも程がある」

 

 そう言うアイザックは、どちらかと言えばオイルにまみれた工夫様、と言った風貌。それ以前にエンジニアである筈の彼がこの様な戦闘を前提とした魔法少女達に戦力として協力している時点で最早エンジニアとは何だったのかと疑問を持ちたくなるが、それもこれも対人用ではなく全てが対物仕様の工具を武器として利用しているからなのだろう。

 それと同時に、さやかの入って行った部屋のノブが回され、魔法少女となったさやかが疲れたような、それでいてふっきれたような表情で出てきた。彼女の引きずる両手剣はぞんざいな扱いをされているにもかかわらず、曇一片無い白銀の輝きを保ったままだ。

 

「アイザックさん。来てたんだ」

「いつの間にか名前で呼ばれることが多いな……まあソレは良い。魔女は倒したんだな?」

「精神攻撃が主体だったし、しかも恭介のこと馬鹿にしたみたいな攻撃してきたからちょっと怒っちゃってねー…我を忘れて手こずっちゃった」

 

 あはは、と反省したように苦笑したさやかに、その精神攻撃の影響は無い様だと安心したまどかは今度こそ平穏な安堵の息を吐いた。さやかがこれ以上の魔力行使は勿体ないと変身を解けば、同時に寝ていた人たちが少しずつ起き上がり始め、ここはどこだ、なんて事をしようとしていたんだ、と正気に戻ったような発言が聞こえてくる。

 しかしこれで一見落着とは言えないらしい。この場にいるアイザックの姿は近未来的なスーツを着こなす異人のため、起き上がった者たちは警戒の色を見せ始めたのだ。

 この場をどうするべきか、上手い言い訳が浮かんでこない彼女のたちから一歩前に出たアイザックは、仕方ないなと言う言葉は呑み込み、彼らの説得に掛かった。

 

「皆起きたようでなによりだ」

「あ、アンタ何もんだよ…?」

「私は近年の自殺者防止の為に作られた特殊部隊の一人だ。ガス自殺などに巻き込まれないようにこの様な強化スーツ姿で申し訳ないが、聞いてほしい。どうやら君達は自殺するよう暗示に掛けられていたようでね、その暗示をかけた犯人は既に此方で確保したが……この場での事はなるべく公言しないでもらいたい。余計なトラブルには巻き込まれたくは無いだろう? では、此方は退散させて貰う。人質に取られていたこの少女達には犯人の言動などを聴取する必要があるのでな」

 

 そう言って、さっそうと歩いて行った彼の後を仁美を背負ったまどか達は慌てて追いかける。しばらくぽかんとその様子を見ていた被害者たちは、これ以上分けの分からない事態に巻き込まれてはたまらないと―――次の朝には、この場での記憶を一切なくしていた。

 

 

 

 

「アイザックさん、さっきの話って本当?」

「そんな馬鹿な事があってたまるか。私は一介のエンジニアだ」

「エンジニアって……じゃあネクロモーフって言う怪物と戦っていたのは」

「成り行きだ。流されるがままの社畜の性に従った結果に過ぎないさ」

「ふぅ~ん……そう言えば、アイザックさんの事ってあたしら何にも知らないよね」

 

 仁美を送り届けるため、人気の少ない夜の街を堂々と歩くアイザック達はそんな談笑で盛り上がっていた。そんな中、突如としてアイザックの携帯が音を出し始め、彼は少し待ってくれと言って携帯をメットの横に当てる。

 

≪アイザック、今日の報告がないみたいだけど≫

「アケミか。なに、ミキが魔女を一体倒した。真実を知っても十分戦ってくれたようだ」

「ほむらちゃんと話してるの?」

≪…まどかもそこにいるのね≫

「クラスメートがくちずけを受け、彼女を引きとめようと引きずられていったらしい。ネクロモーフは今のところ一体も見当たらない」

≪ああ、そう言えばハコの魔女は今日だっけ。この辺りはしっかり被ってるのね……≫

「おい、アケミ?」

≪ごめんなさい、とにかく無事だったのなら良かったわ。ちょっと話したい事もあるし、彼女達を送り届けたら巴マミのマンションまで来て頂戴。部屋の前で待ってるわ≫

「その場合私はどうやって―――切れたか。どうしていつも私の通信相手はこうも一方的に……いや、今更だな」

 

 疲れたように携帯をしまう。そんな彼がまだ何かしなければならないと分かったのか、さやかはまどかの事は任せといて、と無い胸を張って言いはなった。

 

「こちとら魔法少女だし、ネクロモーフの対処も分かってるから大丈夫。まどかの家まで送り届けておけばいいよね?」

「そうか。大人としては君に任せきるのも少々後ろめたいな」

「大丈夫です、アイザックさん。さやかちゃん本当に強くなってるみたいですから、ね?」

「そのとーり。ここは私に任せて先に行ってよ。また明日会えるからさ」

 

 自信満々な彼女達は、このような世界の命運をかけたワルプルギスが近付いているとは思えない程に気丈な心を持っていた。その辺りを見習いたいものだな、と苦笑した彼は二人から離れ、マミのマンションに向かって歩みを進める。

 いつだっただろうか、まどかはほむらと二人で帰った時の様にさやかが隣にいる事で強い安心を得ていた。

 

「アイザックさんも忙しいんだね。私、何もできなかったな」

「何言ってるのさ。まどかがあのガラス突き破って出てきたバケツ放り投げないと皆死んじゃうところだったんでしょ? 私が入ったのはその数秒後だったし間に合わなくなる所だったじゃん。私みたいに魔法って言う縋れる力も無いのにさ、ホント羨ましい位に勇気あるよ、まどかは」

「羨ましい…? そう、かな」

「そうだって。じゃないとあたしが親友やってる訳ないじゃん。誰かを羨んだり、それでも平等に付き合って長くいてくれるのが親友だしさ。素直にこう言える仲だって……あーなんだろ、言ってて恥ずかしくなってきた」

「あ、あははは…さやかちゃんらしいね。でも安心しちゃったな。さやかちゃんが魔法少女になったら、凄く強く見えたけど…本当はあんまり変わってないから。私が知らないさやかちゃんに変わったりしなくって、本当に良かったって思うんだ」

「もう可愛い事言っちゃって! このこのぉ~」

「い、いたた…さやかちゃんすっごく力強くなってるって!」

 

 そんな二人の帰り路ももう終わり。まどかの家が見えてきた。

 またね、と手を振って別れたまどかは家に戻り、さやかは誰もいないことを確認して魔法少女に変身。さっき手に入れたグリーフシードを勿体なくも使いながら、楽して家の屋根を飛び跳ねて帰って行く。

 まどかの姿が扉の中に消える直前、白い生物は尻尾を揺らして忍びよっていた。

 

 

 

 

「巴さん、入っても良いかしら?」

「あら。暁美さんとアイザックさん? こんな夜に…まぁ上がってちょうだい」

「失礼する」

「お邪魔するわ」

 

 巴家に訪れた二人は、マミの案内でリビングに通された。アイザックはメット部分を収納すると、いつものスタイルで家の壁に腰かけて座った。マミのアンティークな家具は彼の装備の重みで傷がついてしまうが為の配慮なのだろう。

 

「それで、どうしてここに? 勉強でも教わりに来たのかしら。それとも、貴女が言っていた最後の真実ってやつを教えに来てくれたの?」

「残念ながらそっちじゃないわ。早速だけど、本題に入らせてもらうわね」

「いつもながらに寄り道しないわね。暁美さん、もうちょっと余裕持って見ればいいじゃない」

「あなたはもう少し真剣みを帯びた方がいいと思うわ。…それはともかく」

 

 一息置いて、ほむらは視線をマミに合わせた。

 

「アナタ、これから戦えるのかしら」

 




今回多めに影置いてみました。
上に乗ったら吹き飛ばされてバラバラになります。はい、デッドスペースのお馴染みステージギミックです。何度あれで死んだことか……


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case12

「もう一度言うわ。アナタ、戦う意思はまだ残ってる?」

「…………」

 

 してやられたか。アイザックはそんな事を思いながら、スカートの端を握りしめる俯いた巴マミの表情について憶測を立てた。この少女は、一つの失敗が後に大きく響くタイプの人間なのだろう。それも、自分自身に向ける自嘲行為へ繋がる様な。

 巴マミの精神は酷く不安定で、それは全てが敵に囲まれた状態であると言い換えても差し支え無い。幼くして両親を失った彼女は、この中学生まで生きてくる中で恐ろしい程の魔女と戦い、その戦いの熾烈さはマミに「真実」について考えさせる暇は無かった。幾らでも予想は立てられるが、キュゥべえがマミが魔女化した際のエネルギーはそれほどでもない故に魔女化は避けてきただけかもしれない。そんな一説もアイザックには思い浮かぶ。

 

 事実、バランスを崩れるような話をされたマミは、ここ数年で信じて来た己の生き様を否定されたような気分だった。目の前で他の魔法少女が変貌するなど、そう言った試練が立ちはだかる事が無かったのが、更に彼女を傷つけやすいガラスの彫刻に変えた原因の一つだったかもしれない。

 

「戦えるわ」

「嘘言わないで。じゃあ、何でソウルジェムをそのテーブルに置きっぱなしにしてあるの? 近くにあるナイフは? テーブルの端についた血は何を表してる?」

「それは……べ、別に何も―――」

「嘘」

「うるさいっ! 質問ばっかりしないでよ…アナタも秘密を話してない癖に、私にばっかり聞いてくるの!?」

「…そうよ。私のそれとは規模が違う。貴女の今の状態は、命に繋がる状況なの。貴女を死なせないためにも、私たちは此処に来た」

 

 しばしの沈黙が始まる。

 マミは、嫌という程ほむらの言いたい事が分かっていた。確かに今の自分は何をするにしても、とてもじゃないが力の入る状況では無い。精神的なショックは莫大で、後輩たちの前でずっと嘘だと叫びたい本心を隠し通しながら、平静を装っていたに過ぎないのだ。

 一日経って、受け止めた事実は次第に精神を犯し始めた。何気ない、魔女の出ない一日を過ごす中で、日常と言うものがどれだけ不安定なのかを思い知ったと言う事もあるだろう。誰が魔女に誑かされていて、誰が魔法少女として活動を始めていて、誰が敵になる可能性を秘めているのか。そして、その際にはワルプルギスの夜という脅威も重なってくる。全ての魔女の中でも最大級の「災害」と呼ばれる魔女は、これまでの普通の魔女を倒してきたからこそ力量を測る事ができ、キュゥべえから聞いた分では絶対に敵わないと知った。

 

 (あらが)うことは最早なんの意味も持たない。それどころか、死ぬ時間が少し早くなるだけなのだと、マミは諦観の気持ちを持ち始めていた。そんな時に現れたのが、この二人だったと言う訳だ。

 

「だったら…だったら、貴方たちはこの先の脅威を乗り切って! ソウルジェムを絶対に黒く染めないで! 戦い続けても良いって言うの!?」

「そんなに嫌なら、何処かの凄い因果を持つ魔法少女候補に願わせても良いと思うのだが」

「無理よ。そんな、他人を犠牲にすることなんてできない…私は、誰かを喰いつぶす権利は持っていないから……」

「…失言だったか」

「でも、それが最高の手段である事はキミ達魔法少女全員が分かっていると思うけどね」

「―――あなた、キュゥべえ……」

 

 ひょっこりとアイザックの肩の上に、この宇宙の存続を騙るキュゥべえ(インキュベーター)が現れていた。当然アイザックは認識していないが、掴まれる前にキュゥべえは方からソファーに飛び降り、その白くもふもふとした尻尾を揺らしながら魔法少女達に向き直る。何も光を映さない紅玉の瞳を覗かせていた。

 

「そこにいるのか、アイツは」

「ええ。……それで、今度は何をしに出てきたの?」

「君たちが決断を迫っているようだからね。比較的エネルギー搾取量の少ないマミは大した損失じゃない。過去には家族を生き返らせる事を祈った魔法少女もいたことだし、君達の元に戻りたいと言う願いは叶えさせることは可能だと言う事を裏付けに来たまでだよ」

「…そう」

「ヤツは何と?」

 

 アイザックに同様の内容を伝えると、スーツの上からでは見えない表情を歪ませた。

 提案したのは他ならぬ自分自身だが、場を和ませるジョークのつもりで言ったことを裏付けされると言うのは何とも歯がゆいものだ。それに、アイザック自身クソのような悪欲の塊な相手なら死んでも良い。寧ろ自分が関わることならなお引導をこの手で渡すと言った性格の持ち主だが、何も知らない相手を騙して…と言ったことは過去の自分とまるっきり同じだ。

 何も知らない魔法少女達は、正にそれをあてはめる事が出来る。そんな彼女たちを更に絶望へ突き落す様な、物扱いしかしないキュゥべえの言動には手に入る力が増す程である。

 

「そうか。……元の世界に帰った時、貴様らのような存在がいると知れば真っ先に滅ぼしに行く事を約束しよう。クソッたれたマーカーと運命を共にさせるのも視野に入れておくがな」

「その頃には人類程度がどれほどの科学力を持っているのか気になるけど…まぁ、所詮は別次元の宇宙だ。出来るのものなら勝手にやっていてくれて構わないさ」

「――――ですって。じゃあキュゥべえ、あなたの仕事は済んだでしょ? さっさといなくなりなさい」

 

 むんずとキュゥべえの体を掴んだほむらは、窓を開けてキュゥべえを投げ捨て、マミの視界からは見えない角度でサイレンサー付きの銃を発砲。闇夜に紛れて見えない位置でキュゥべえの脳天に風穴があいた事を確認すると、話の続きをしようと場を取り繕い直した。

 

「ともかく、今日からは貴方の家に住まわせてもらうわね」

「え、ええ?」

「君は、それほど病んでないようだ。精神ケアは専門外ではあるが、ある程度の知人とコミュニケーションを取る事はふさぎこんだ精神を和らげる効果もあるだろう。精々がストック分のグリーフシードを君のソウルジェムに当てる程度だから、まぁ安心してくれて構わない」

 

 そう言ってアイザックがRIG(リッグ)の収納スペースから取り出したのは、ほむらが時間停止を繰り返しながら他の街まで行って掻き集めたグリーフシードの山。軽く数十はある量にほむらの実力を確信しながら、マミは渋々と二人の入居を承諾する。鬱々とした気分はどこに行ったのか、マミはその日の夜にぐっすりと眠れた事で自分が案外単純なのだと知って、ベッドの中で項垂れているのであった。

 

 

 

 翌日、学校が終わってベルが鳴り響く中で珍しい光景が生徒たちの注目を引きつけていた。笑顔で話をしている噂の転校生、暁美ほむらと交流を中々持たないミステリアスな美少女、巴マミが仲良さそうに会話をしていたのである。

 それを気にマミに何時か話しかけようと目をつけていた生徒たちが近寄ろうとするが、何やら二人の魔性の魅力が生徒たちを一定の距離から近づけさせない。仲良く揃って校門を抜けて行く二人を追うように、二年の中よし三人組が通り抜けて行く。

 人目を自然と避けるように合流した彼女達は、とある病院近くの路地裏を通りながら廃ビルの合間を縫って行く。その後方で、怪しげな鉄兜に身を包んだ男と、若々しい少年が合流する事となった。

 

「自己紹介が遅れましたけど、僕は上条恭介です」

「いままでまどかさんたちを守ってくれたそうで、志筑仁美と申しますわ」

「巴マミよ。まさか富豪の二人が協力してるなんて思わなかったけど…よろしく」

 

 一応は形式的な挨拶を交わしていなかったという事で、一行の中でも初対面の者たちが互いの挨拶を済ませる。早速と言わんばかりに会議は始まり、この地に集まった服数人の中でも異彩を放つ男が仕切った。

 

「まず、ここにいる全員は魔女、及びにネクロモーフと言う現実では有り得ない様な怪物の事を知識だけでも知っている面々だな?」

 

 アイザックの問いかけに、全員が頷いた。

 

「じゃあ魔女の方から話して行くけど、志筑さん」

「はい、なんでしょう暁美さん」

「魔女に巻き込まれた事である程度の因果を得た貴女なら、もうグリーフシードは見えるようになっていると思うわ。これ、見えてるわね?」

「黒い宝石…さやかさんから聞いた特徴と一致しています。しっかり見えていますわ」

 

 仁美は一般人の中でも、重要なキーパーソン。この世に起きている「異常」の一端が認識できるようになっている事を確認したほむらは、マミへ視線を送った。

 

「これが魔女のタマゴ。流石に本物渡し続けるわけにはいかないから、暁美さんの撮ったこの写真を渡しておくわね」

「見える者が居ないか、わたくしたちの方でも捜索を?」

「違うわ。偶然見つけたらすぐに連絡する、という程度に。アイザックさん位の兵装でも、私達の魔力で加工された武器じゃないと効き目はないの。後は……この街からの避難勧告が欲しい所ね」

「確かワルプルギスの夜…だったね。暁美さん、そのためかい?」

「ええ。人が傷ついたら…っていうのは私のエゴ。でも、物は本当に大切なものは避難の時に持って行けばいいし、変な事で無関係の人間が魔法少女の戦いに巻き込まれてほしくないから。その悲劇が連鎖を呼んで、またキュゥべえの掌で踊る者が増えてしまう」

「分かった。上条の家にかけて」

「志筑はこの街の権利の一端を握っておりますし、其方から話が通る様に呼びかけておきますわ。こう見えて、わたくし人望はありましてよ」

「こうして見ると頼もしいわね。戦いは私達に任せて」

 

 目の前でトントン拍子に話が進んで行く様子に、さやかとまどかはぽかんと眺めるに過ぎない自分がどうにももどかしかった。その役目はさやかにもある。だが、まどかは契約を望まれていない、ただの一般人。特別な家柄も無く、何故ここに呼ばれたのかすら分からない。

 そう言った疑念が生じ始める頃だと悟ったのか、段取りを進めて行く四人から同じくあぶれているアイザックがまどか達に優しく語りかけた。

 

「カナメ、君はほむらにとって最重要だ。ここで彼らが頑張り始めた事を、知っておいて欲しいと言う事で連れて来た」

「え、ど、どう言う意味ですか?」

「そうだよ。いっそ知らない方が変な緊張無いと思うけど……」

「ミキの質問も尤も。だが、カナメは全ての魔法少女の中でも、歴代最高クラスの因果を巻き付けられてしまっているらしい。その因果は、魔法少女に秘められるエネルギーを増幅し、とても個人では運用できずに暴走させるほどにな」

「暴走…? 魔法少女の暴走って、もしかして―――」

「ああ。ワルプルギスを二乗した存在よりもずっと強力な魔女が、契約を結んだ瞬間に出現するだろうな」

 

 事の重大さは、すぐさまは呑み込む事が出来た。

 アイザックが言うには、ほむらの願いのせいでまどかの因果は強まりを高めているらしいが、もはやその領域は簡単に神を越えても問題は無い…新たな宇宙の創世すら可能な段階であるらしい。

 膨大すぎる話に目が点になる想いをするまどかだが、さやかはそれを聞いて決してまどかに契約させないようにと己に誓う。それは恭介との未来の約束を果たす為の保身行動でもあったが、数年来の友情から来る決意でもあった。

 

「Hum……ミキ、あっちに使い魔が現れたようだ」

「え? あぁ! ホントだ。ごめんまどか、ちょっと狩ってくる!」

「あ、気をつけてね!」

 

 決意を固めたばかりのさやかは、アイザックの言うとおりに落書きの世界から飛び出してきた様な使い魔へ向かって変身。地面を蹴って路地裏の向こうに行くと、初めて魔法少女姿を目撃することになる仁美の驚愕を置いて行ってしまった。

 

「今のは…アイザック。もうそんな時期なの」

「ああ。ヤツが現れたと言う事は5人目だろう?」

「巴さん、行ってあげて。まだなり立ての美樹さやかはネクロモーフとの戦闘ばかりだったから、フォローを」

「仕方ないわね。改めて“後輩”になっちゃったからには、先輩らしくしないと」

 

 マミもソウルジェムを輝かせると、金色の残光を棚引きながらさやかの援護に向かった。

 

「魔法少女って……素敵ですのね」

「見た目はね」

 

 どこか疲れたように言ったほむらは、きらきらと目を輝かせる仁美に向かって大きく息を吐きだすのであった。

 

 

 

「そぉぉぉ……」

 

 そろ~っと近づき、上空から一気に飛び降りる。

 両手に握った白銀の両手剣は寸分違わず使い魔へ降り注ぎ―――

 

「れぇっ!」

 ―――ぎぃぃぃいいぃ!?

 

 あっけなくそれを両断した。

 

「お見事」

「あ、マミさん」

「迷いの無い一撃だったわ。私の最初と比べると、ちょっと羨ましいかも」

「そう言ってもらえるとこっちとしても照れちゃいますね」

 

 元からの冗談を連発する気質により、人から純粋に褒められたことの少ないさやかは少し気恥ずかしいと頬を弄る。近くに結界も無い様だからと、魔法少女の変身を解いて魔力節約を図ろうとした時に、その人影は二人に降り注いでいた。

 

「おいおい、あの使い魔やっちまった? 勿体ないな。一人や二人襲わせれば、効率よく魔女になってくれるってのにさ」

「…え、この声」

「ちょっと、アンタ誰よ!」

 

 マミはその声に聞き覚えがあるのか、武器を握って後ずさりする。気丈に剣を握り直したさやかの反応に対し、上から降ってくる声はカラカラと笑って見せていた。

 

「ハッ、魔法少女が増えてるなんて聞いてないんだけどなぁ。ま、そんな愚直な得物じゃすぐにやられんのがオチか。あたしのと違って…さッ!」

「うわっと!?」

 

 ザラザラと鎖の音を響かせながら尖った凶器がさやかに向かう。驚きながらも、天性のセンスで剣の峰で弾き返したさやかは一撃を防いだことに安堵しながら、攻撃してきた相手が魔法少女だと言う事に驚く。

 この世界でのほむらは、マミに警戒はされていたものの直接的に戦闘に至る様な事は無かった。さやかたちとも交流は深く、マミには魔法少女同士の縄張り争いがあるとは聞いていたが、実際の戦闘を見た事がないのでどこか現実として捉えていなかったとも言える。

 そんな甘ったれた雰囲気を持ちながらに防いださやかに興味が出たのだろう。上にいた影の持ち主は、面白そうだと声を漏らして降りて来た。

 地面に降り立った彼女は紅い衣を身に纏う。口に挟んでいた棒菓子を一口で平らげると、菓子の代わりに棒状武器である槍を構えてさやかに相対する。槍は同時に多接棍でもあり、ガシャンッと騒がしい音を立てて槍の穂先は棒の先に収まった。

 

「佐倉さん……戻って来たのね」

「ああ。ちょっとこの街から溢れる使い魔が減ったと思ってな。案の定、新しい魔法少女を飼ってやがったか、マミ」

「美樹さんをペットみたいに言わないで頂戴。相変わらず手癖の悪さは治ってないようね」

「マミさん、知り合い?」

 

 ギッと寸分の隙なく睨みつけるさやか。彼女の問いにマミは頷いた。

 

「かつての弟子…いえ、同じ穴のムジナかしら」

「ヒュー。言うじゃないか、臆病者」

 

 マミその言葉に反応するが、銃を構える手は何処か定まらない。ただならぬ様子に気がついて佐倉、と言われた魔法少女はニッと赤髪のポニーテールを振って笑う。

 

「ついに引退でも考えてたか? 腰が引けてんぞ」

「そう…引退、近いかもしれないけど最後のひと仕事やり遂げなきゃならないの。死ぬのはそれからでも良いわ」

「マミさん、死ぬなんてないですから。私とか、アイツらとかちゃんといますから! そんで、そこの赤いのさぁ……さっきから何なの? 魔女にさせるまで人襲わせるとか、目の前で死を見せつけられても何とも思わない訳!?」

「ったりめーだろ。つか、一々そんなこと考えてたらあたしらが生きられないっての。…ああ、マミんとこで魔法少女契約しちゃったんだっけ。それなら砂糖より甘い考えでも仕方ないよなぁ」

 

 力んで柄を握った瞬間、自分の手が軋みを上げた。

 ネクロモーフを斬って、アイザックから手ほどきを受けたさやかは、死と言うものがどれほど重要で、平等に訪れ無ければならないと知っている。尊ぶべきは人の意志。死を受け入れる時は、その人間が意志を自ら捨てるか、託した時にしか与えられてはならない。

 さやかが確立した死の概念を、この魔法少女は嘲笑った。

 踏み込みにはそれで十分―――!

 

「おっ!?」

「はっ、ぜぇぇええええええっ!!」

 

 大剣が慣性を持ちながら、エネルギーを持って魔法少女に襲いかかる。あまりにも真っ直ぐで、だからこそ捕え切れない速さを持った突進に反応しきれず、紅い魔法少女の手から槍が弾き飛ばされる。空気を裂いて弾かれた槍は天高く打ち上げられ、魔法少女の後方に突き刺さって消滅した。

 

「っつぅ……案外やるじゃん。不意打ちしてくるとは思わなかったな……」

「退いて。それで、あたしたちがやること茶化しに来たって言うんなら此処以外の何処かの街で戦ってなさいよ。あんたがいると多分、全部邪魔になるから」

「アァ…? チョーシこいてさぁ、新人がいきがらないで欲しいんだけど?」

 

 杏子はノーモーションから槍を生成。既に間合いに入っていたさやかに対して生成の勢いを利用して射出。真っ直ぐに打ち出された槍に、さやかは避けることなく左腕を差し出した。突き刺さった箇所は感じたことの無い痛みを奔らせたが、魔法少女になってから軽減された「痛み」に抗い剣を振る。横っ腹から向かった峰打ちを魔法少女は避け、くるりと後方に回転して間合いを取った。

 

「あー……そういうことか? ちょっと誤解してた。あんた、ひよっこじゃなくて殺せる動きしてる。マミと違って、あるものの為なら人斬りだって厭わない剣ってヤツ? まぁ、そんな感じ―――っとぉ!」

 

 マミの打った弾丸が相手の魔法少女の足元に当たり、そこから伸びたリボンがさやかと相手を仕切る様な壁を作った。一歩引いた彼女は、まるで演劇の様にお辞儀をする。

 

「あたしは佐倉杏子って名前。結構面白い事聞かせてもらったしねぇ……この街には居座らせてもらおうかな」

「はぁっ!?」

「アンタの意見は聞いてないよ。んじゃ、せいぜい次まで生きてろよなッ!」

 

 リボンの隙間から見える相手――杏子は分が悪いと見たか、置き土産にリボンの間を縫って数本の槍を投擲。それらを全て難なく撃ち落としたマミは、一息ついてさやかに振り返った。

 

「……ねぇ、美樹さん」

「違いますよマミさん。こう言うのは、活人剣って言うらしいです」

「…聞き慣れない言葉ね」

「本来人を殺す武器としての剣ですけど、使い様によっては大切な人を生かすための盾にもなるし、道を切り開く枝鋏にもなるって話。あたしは、もう迷ってませんし、この剣で守りたい人は決まっています」

「そう、立派じゃない」

 

 私とは違って。

 マミが零した言葉は、さやかにマミの心情を理解させるには十分だった。自分の思っている以上に、巴マミという人物は心がメッキで構成されている。それが剥がれてしまえば、虚構が広がっているから、それを知られたくなくて「華麗な姿」の皮を被っているんだ。

 自分に恭介という守るべき人物がいる事を知っているマミは、やはりどこか羨望の瞳で此方を見て来ている。そんな空気にいたたまれなくなったさやかは、変身を解いてグリーフシードを取りだした。昨日、病院の帰りに狩って来た魔女から落ちた物だ。

 

「マミさん、これ使ってよ。あたしより消耗が激しいみたいだし」

「……ええ。ありがとう」

 

 同じく変身を解いたマミは、コツンと自分の魂を当てて、グリーフシードへ穢れを吸い取らせた。それでも奥の奥からじわじわと這い出てくる黒い濁りは、無くなる事は無い。

 




そろそろ(ネクロモーフが)本気を出すんだよ


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case13 Emergency!

   ☣WARNING☣


 とある化け物の話をしよう。

 かれこれネクロモーフと言う化け物は死体を素体として誕生し、素体となるものは人類以外にも動物の犬や、果てには我々の視点で言う人型宇宙人という相手すら例外ではない。事実それに遭遇してきたアイザック・クラークという人物がこの幕間の物語を越えた未来で遭遇し、宇宙へ訪れる死への足音を遠ざけるに至っている。その未来の多くを語るには、余りにもこの場では長くなりすぎるので割愛するとしよう。

 さて――――では、その相対する敵としてネクロモーフがいるのは周知の事実。アイザックと言う男は、人間にしては既に全盛期の年齢も過ぎただろうに、これまでの経験と類稀なる狂気に蝕まれた精神を何とか取り繕いながら戦い数多のネクロモーフに勝利を収めてきた。四肢を削り取り、時にはその体ごと破壊することで物言わぬ屍へと変えて来たのである。そんなアイザックにも、決して倒せない特殊なネクロモーフと言うのは存在した事はご存じだろうか?

 我々の言葉で言い表すなら、「狩人《Hunter》」と呼称されているそれは、マーサーという狂気(ユニトロジー)に取りつかれた一人の科学者の手によって生み出された。四肢を削り取ろうとも、バラバラにしてやっても、踏み砕いても、その体はずるずると元の体を求め合い、肉片や体液の全てを元の形に戻そうとする……人間の学者が見聞するならば、実に羨ましい限りの再生力を持つ個体だ。しかしそれは明確な理性のない化け物として、執拗に我々を殺そうと追ってくるなら? ―――言いようも無い「モンスター」だと、全ての人間は認識する事だろう。

 アイザックはそんな化け物を、何度も退けてきた。最終的には一体を氷の彫像へ変え、一体を灼熱の炎で細胞ごと焼却処分することでその不死身の化け物を葬る事ができた。幾ら動く死体と言えど、その動かす元である細胞そのものを死滅させる行為は有効だったと言うのが、アイザックにとって第一の幸運だったのかもしれない。

 

 そんな狩人の存在こそが、この章で言うべき問題だった。

 一体は氷の彫像に、一体炎の燻製に。さて、気付いたであろうか? 狩人《Hunter》と銘打たれた人造改良ネクロモーフのうち、一体は確実に死んでいない(・・・・・・・)ことに。

 惑星採掘艦USG石村(Ishimura)は崩壊こそしていないものの形を保ち続けていた。未来の建造物とは凄まじいもので、その動力すら廃棄されて十年以上全く問題なく動き続けている。そのシステムに異常が生じない限りは、の話だが。そうした万全のシステムだが、所詮は人の作りだした物体。とある惑星から宇宙にまで振動を与える程のエネルギーを間近で受けてしまえば、どこかに異常は発生してしまうと言う事らしい。

 狩人を凍らせていた凍結装置は異常を起こし、中に眠っている最悪の化身を目覚めさせてしまった。狩人は執拗に生物を殺そうと、その鎌の様な両腕を振り上げてアイザックの生命反応を感知する。最後に脱出しようとしていた彼の船を見つけ、宇宙空間を越えてまで彼の乗った小型艦に潜みついた。そして気付けば―――名も知らぬ見滝原市(新天地)に訪れたと言う訳だ。

 まず狩人は、いつの間にか現れた同族を効率よく増やす為の構造に特化したインフェクターの影に隠れて細かな殺人を繰り返していた。狩人にとって幸いにも見滝原では魔女の存在もあって、魔女の誘い込んだ「手遅れな人間」を次々と狩り続ける事が可能だった。名も知らぬ別の化け物に罪をかぶせながら、黙々と着々と殺した相手と接触した箇所からネクロモーフの細胞を擦り込ませ、新たな同族を増やしていったのだ。

 

「ここもか……」

 

 そんな充実した毎日を送っていた狩人の前に、あのアイザックが現れた。もちろん知性など欠片も持ち合せていないスラッシャーはアイザックの事を覚えておらず、いつも通りに殺す人間の一人だと判断して他の周囲をうろついていた新しい同族達と共に襲いかかった。結果は、同族は全て四肢を切断され、狩人もその場で流れ弾に当たって纏めて葬られると言う呆気ない決着。復活しないように同族を踏み潰して行くアイザックの足裏を見て、狩人はその時まで保っていた生物としての意識を黒く染めることになる。

 次に目覚めたときには、同族達の死体に紛れて復活した自分の姿があった。アイザックとしては目立たない場所でネクロモーフが群れていたので自然分解に任せようと言った魂胆だったのだろうが、その時に狩人の存在を認識していなかったのが運のつきと言ったところか。狩人は、その時に既に形を変えている事にすら気付かなかった。

 アイザックは何かと不祥事を起こすメンバーに恵まれていたせいか、そう言う体質を少しばかり受け継いでしまったのかもしれない。狩人の変貌は、ネクロモーフとしては当たり前で人間としては最悪の結界になっている事に気付かなかったのだから。

 

 狩人は、低くうなりを上げてネオンの光に包まれた市街地の闇を歩きまわっている。その存在はまだ、誰にも知られることは無い。

 

 

 

 佐倉杏子との初接触の後、精神的にも疲労したマミを伴ったさやかがメンバーの元に戻って来ていた。元々この会合が開かれた時間が放課後と言う事もあってか、それなりに時間が経っていて夜の闇を晴らす程度に街灯の光が灯り始めている。家柄も富豪と呼ばれるほどにはいい暮らしを過ごしている恭介と仁美の二人の場合は、もう帰らなくてはならないらしい。

 

「とにかく、父さんに今までの分を含めて直談判しておくよ。さやかとクラークさんが戦ってた時の写真も部下に撮らせてあるし、それを前面に出して話をつけておく」

「わたくしも暁美さんの仰った方向でお父様に報告しておきますわ。警察などの大人ではなく、貴方たちにしか解決できないという点が非常に心苦しいですが……それでも、任せるしかないのなら、わたくしも腹を括りましょう」

「ありがとう、二人とも。志筑さんは随分と男らしいのね」

「そうでなければお二方との親交は深められませんわ」

 

 優雅に微笑み、仁美はいち早く路地裏を通った表通りに戻って行った。既に車を待機させているとのことなので彼女にそうそう危険はないだろう。

 

「クラークさん」

「どうしたカミジョウ」

「ネクロモーフにも、僕達の時代の武器は通用しないんですか?」

「…残念ながらな。私の時代にあるプラズマ技術の結晶ですら、奴らの手足をもぐには多少の手間がかかる。この時代の重火器では威力の高い爆弾でない限り、奴らの体に多少のへこみを作るだけだろうさ」

「そんなあなたの時代でしか通用しない威力が出せるのは、私達魔法少女の魔法ってことになるのね。厄介なことだわ、本当に」

「まったくもって同感だ。そもそも、地球外の生物は私たちの時代ですら仮説に過ぎなかった。そんな時に現れたのが動かされる死体とは、よほど人間とは罪深き生き物だと痛感した程だ」

 

 もっとも、アイザックが神に恨みをぶつけたのは一度や二度では無い。崩壊する建造物に巻き込まれそうになったり、更にはその状況下でネクロモーフが襲ってきたり、宇宙に放り出されそうなハプニングが幾度も訪れたりと問題解決のロジックパズルを彷彿とさせる様なほど、連鎖的に問題が発生している。宇宙一不幸な男と銘打てば、アイザックはどこか呆れながらも侮蔑の言葉を撒き散らす態度を見せるかもしれない。

 

「もっとも、こっちの時代も宇宙人は碌なものじゃなかったけどねー」

「えっと……さやかちゃん、それもしかしてキュゥべえのこと?」

「アタリ。アイツらの目的は宇宙にエネルギーだっけ? ワケ分かんないけど、感情すら無い奴が問題解決に赴く事がまず変なんだよねぇ。胡散臭いったらありゃしないよ」

「あはは…さやか、それじゃあまた明日無事に会おう。僕もこの辺りで失礼するよ」

「ん。またね、恭介」

「例の件、ちゃんとお願いね」

「分かっているさ」

 

 恭介も離れて行き、さやかはマミを連れてまどかと一緒に帰って行った。最後に残されたアイザックとほむらは互いを見合って頷くと、それぞれの武装を引っ張りだして闇の中へと身を沈めて行く。闇に浸る人間は最小限で十分。多少の自己犠牲精神の気がある二人は、今日も宵闇を泳ぐ回遊魚となる。

 

 

 

 上条恭介の一日は変貌した。そう語るのはかつてより上条家に使える使用人の言。

 病院から回復してきた将来有望な御子息は、ヴァイオリンを進めた教師に向かって「今はそんな事より重要な事がある」と言って直属の――しかも裏に通じた――部下へとある命令を下していた。前よりもずっと人を使う事に遠慮やよそよそしさが無くなった姿は立派だが、上条家の両親は息子のその姿に焦りを覚える。

 そう、ヴァイオリンについて触れる事が最小限になったのだ。退院してまだ二日程度。その程度ならばと普通の家庭は言うだろうが、入院前の恭介は取り憑かれたように上を目指した天才ヴァイオリニストの道を歩んでいた希望の星。両親もさぞや鼻が高かろうその姿が、今となっては豹変染みていることがどうしようもなく不安になっている。

 そうした日々の中で、遂に真実を明かされる時が来た。その日の夜、晩餐を囲んでいる中で恭介がした発言にそれはある。

 

「父さん、この後なるべく使用人全員を集めて父さんたちにも集まってもらえる?」

「…ん、遂にやる気を出したのか?」

「多分、父さんが望む事じゃないかもしれないけど……大事なことなんだ」

「分かった。母さんも今夜時間は取れているな?」

「ええ。息子の真剣な話みたいだし、それに使用人も集めるなんてよっぽどよ。聞かないなんて選択肢は無いわ」

 

 こうした一連の出来事から、一番の大部屋に総勢数十名の使用人と上条家の者が集まることになった。深夜というにはまだ早い時間、恭介は一人の上条家に仕える部下を連れて父親の前に訪れる。

 

「まず、これを見て欲しいんだ」

「これは……む!?」

「どうしたのあなた」

「待てっ! オマエはまだ見るな」

 

 最初は、特徴的な青色の髪色から例の「美樹さやか」に関する出来事かと思った。しかしそんな考えは渡された写真を見た瞬間に吹き飛ばされる。そこには、不思議な衣装に身を包んだ息子の幼馴染が大剣を以って必死な形相で化け物を切り刻んでいる姿があったのだから。

 

「恭介……これは、どう言う事だ!?」

「見ての通りだよ父さん。この街で行方不明者が一気に増えたことは分かっていると思う。僕は、その真実をさやか達から教えて貰った。この街には今、それに映ってる化け物がうろついているんだ」

「合成かなんかだろう? おい、オマエも息子の冗談に乗る様な真似は――」

「それはありえません。私は、この目でご友人と近未来的な鎧に身を包んだ男が、この化け物どもと戦っている姿を見ていました」

 

 父親の熱が上がって混乱した声は信頼するその部下の声によって冷却される。

 とにもかくにも、冗談だと思いたい事実ばかりだ。その写真に写っていた化け物の腕だったと思わしき部分に、恭介の父が親しくしていた友人の物と同じブレスレッドがあった事もその原因。

 

「アイツが行方不明になった時はと思ったが……まさか、そんな嘘だろう…!」

「あなた、さっきから何の話を…」

「母さん、それに使用人の皆も……覚悟して欲しい。跡部さん、映像お願いします」

「分かりました」

 

 跡部、と呼ばれた上条家の部下の男は今度は映像を用意したスクリーンに映し出した。

 瞬間、スクリーンに映ったのは生々しい肉片と黒く酸化した血液のなれの果て。その中心で狂戦士のように剣を振るって雄たけびを上げるさやかの姿と、アンティークな衣装のさやかとは異色を喫した鎧の男(アイザック)が手に持った銃から光の線を化け物に浴びせている姿。映像でしかない筈なのに、人間の面影をどこか残しながら、絶対に特殊メイクでは不可能なレベルに体型が変質した化け物の姿はその場にいる全員に酷く衝撃を与えた。中にはあまりの惨状に耐えられず、口を抑えてうずくまる人間もいる。

 映像だけでこの惨状。直接見ていた跡部と言う名の部下は余程に精神が鍛えられていたから耐えられたのだろう。

 此処まで見せつけられてしまっては、恭介の父親も息子が何を言いたいかが分かる。この見滝原に住む物の中でも権力をそれなりに持つ上条家に、直々に動いて貰わねばならない事態なのだと。

 

「……跡部、仲間を集めて緘口令と避難勧告の申請を」

「父さん、その避難勧告は“スーパーセルの突発的な発生”も加えておいて欲しい。それから、協力者には志筑家も」

「…あの家から、教えて貰ったのか」

「正確には志筑さんも協力してくれてるだけで、当事者はさやかたちだよ。この怪物…ネクロモーフだけじゃなくて、魔女って言う化け物が集結していることもある。それにこの化け物は人間を殺しながら仲間を増やすから、力のない人間がいたらさやか達にこの街の人間を殺させるってことになるんだ」

「あの子が……まさか、一体何が起きていると言うんだ……」

 

 頭を抱えた父親は決して悪くは無い。この事実がこの世の中に伝わっていないことこそ異常な事態であり、キュゥべえたちインキュベーターの歴史を作って来た情報統制能力がそれを裏付けている。恐らくはこの事実も、インキュベーターが何かしらの手を施して「ワルプルギスの夜襲来」の後に有耶無耶にすることは間違いない、とはほむらの談。

 恭介はそのことに対して人間はなんて流されやすい生き物だと怒りを覚えたが、とにもかくにも目前の脅威に対しては最小限の被害で事態を収めなければならないのは事実。頭を抱え、唸る父親に対して、この場にいる全ての人間に対して更なる言葉を浴びせに掛かった。

 

「この死体の化け物たちはあの鎧の人…クラークさんが使っていたプラズマ兵器でも手間を取るし、完全に殺すには頭じゃなくて四肢を斬り取らないといけない。でも、現行の兵器じゃ絶対に勝てないとも聞かされました。だから、皆さんはなるべく見滝原にいる知人に逃げるように促してください。一人でも早く、この街から逃げないと死人は増える一方なんです」

「で、でも…さっきのアレが本当だとしたら、街の外にいる可能性だってあるんじゃないですか?」

 

 使用人の一人が言った可能性は全く正しい。だが、そこには恭介に従っていた跡部が前に出た。

 

「それはない。我々のメンバーで動いたところ、知能も無いこいつ等は他の街で見つかったとは聞いていない。見滝原では私の部下も何体か遭遇したそうだが、全てが廃棄処分になった廃ビルか何処かにいるとのことだ。既に街に監視の包囲網を張っているが、外に出た所は目撃されていない。この街から出さえすれば、安全だ」

「ありがとう、跡部さん」

 

 跡部はそれだけ言うと、恭介から新たな命令を聞いて足早に退室した。使用人たちの混乱は安全な場所があると知った事で、故郷に避難すると言う話にまで発展している。ざわざわと騒がしくなってきた大部屋の中、恭介の母親だけが当事者たる自分に近づいている事に気がついた。

 

「恭介、貴方は…貴方は、大丈夫なの?」

「うん。それと……最近はヴァイオリンのことに全然気が回らなくてゴメン」

「いいのよ。貴方は私たちに危険を知らせてくれたんだから。さやかちゃん達は、何をしてるの? あんなおっきな剣なんて、この街じゃ造れないし、買えないわよね」

「さやか達は魔法ってのを使ってる。僕の手が抉れた傷跡すら残さずに“元に戻った”のも、さやかの祈ってくれた魔法のおかげなんだ」

「あら……羨ましいけど、強いのね。さやかちゃんは」

「強いよ。本当に強くなったんだ、さやかは」

 

 母親の反応は嬉しそうに笑うだけだった。そのすぐ後、何とか思考の海から戻って来た父親が彼女に何かを伝え、頷いた彼女も使用人たちに部屋を移すと言って退室する。恐らく一番彼ら使用人と話している彼女に纏めさせようと言う考えがあったのだろう。

 父親と二人だけ残った恭介は、恐らく生まれて初めて真っ直ぐに父親と向かい合った。アイザック達の事を知って変に精神が変わったからだろうか、長らく生きてきた親の視線はとても重たいものに感じられる。

 

「恭介……俺は結構嬉しい。お前がこんなになるとは思ってなかったし、お前のことは正直、ヴァイオリンの事だけ優秀だと思ってた」

「ソレは酷いや。流石に傷ついたよ」

「すまんな。だけどこうしてハッキリ意見を言えるようになったのは本当に良いと思ってる。前のお前は何だか、教師や俺達の言葉に流されてばっかりだったみたいでな」

「事実だけどね。僕は僕のやりたい事を走ってたつもりだけど、怪我をしてからはすぐ近くにいてくれる幼馴染の事や父さんたちの事も忘れて悲劇の役者ぶってたんだ。本当に情けなくて涙と笑いが込み上げて来たよ」

「ふ、ははは……恭介、よく言ってくれたな。後は俺らに任せておけ」

 

 椅子に座っていた彼は、頬笑みを見せて恭介に応えようと電話のある場所へ走って行った。富豪と言っても、結局は現代に生きる一人の人間。恭介という息子を持った父親だ。

 

「何だか誇らしいよ父さん。父さんの息子ってことがさ」

 

 ひと仕事を終えた恭介は、慣れない事をしたせいで非常に疲れていた。

 とにかくは自分の部屋に帰還し、恭介は自分のベッドにばったりと寝転ぶ。

 

「ふぅ……」

 

 考えれば、非常に濃密な連日を送っている。病院からの退院を終え、さやかの姿を見かけてからはこの世界に存在する魔の側面を垣間見た。その後は現実の退院手続きや急速に手が元に戻ったことに対して解明を要求する人間の欲望を見せつけられ、後日には関係者を交えて会談後に「家族全員」への勧告。

 こんな濃密な人生が、一人の人間に訪れるものだろうか? そう思った瞬間、もっと波乱万丈を歩んでいるであろうさやかの事が思い浮かんだ。父親にも、魔法の事を言った母親にも伝えていない「魔法少女の真実」。凄惨な戦いを強いられる皮肉な運命を背負った彼女たちは、こんなぬるま湯に浸かっている自分達よりもずっと肉体的にも精神的にも疲労が酷い筈だ。だから、

 

「こんなところで寝ていられる暇は無いって?」

「うわっ、さやか!?」

「やっほ。何かこうして夜に来るとイケないことしてるみたいで味占めちゃってさー? あっはっは! ………うん、来ちゃった」

「なんて言うか、さやからしいや。麻薬とかみたいなのに引っ掛からないでくれよ?」

「既にそんなのより酷い悪徳商法に掛かっちゃってるからなぁ。お邪魔しまーす」

 

 窓から入って来たさやかは、魔法少女の変身を解くと今日の戦闘分、此処に来るまでの魔女狩り分で濁ったグリーフシードをソウルジェムに押し当てた。現在のマミとは違い、一片も黒い濁りが無い状態になった己の魂に満足気な声を上げると、使ったグリーフシードを窓の遥か彼方に投げるモーションをし、

 

「一番ピッチャー、美樹さやか…投げますッ!」

「ちょ、なにしてるんだよ」

 

 夜の街へブン投げる。

 さやかの魔法少女になってから強化された視界の中で、白く輝く奇妙な獣が背中でグリーフシードを受け止めた事を確認すると、さやかも疲れたように恭介のベッドを我が物顔で占領する。もふんっ、と衝撃を吸収する生地はさやかのような一般人では手も出せない高級感に溢れていた。

 

「あっちにキュゥべえいたからね。追い返す意味を込めてエネルギーって奴を回収させてやったの。あ~~~、さやかちゃんってばホント優しいよね」

「自分で言ってると世話ないよ」

「それもそっか」

「それで、何しに来たのさ?」

 

 告白はワルプルギスを乗り越えてから。なんて、世間一般で言う死亡フラグを盛大に打ち立てた相手はなははと笑ってごまかした。この様子では目的も何もなく、ただ恋した相手のいる場所に来たかっただけなのかもしれない。

 気楽で、気丈で、時には抑えられない感情を恭介の前で打ち明けた事もある幼馴染。そんな彼女はいつも通りのゴロゴロとしただらしない態度の中、恭介には少し綺麗に見えた。

 

「さやか、魔法少女になってからいいことあった?」

「それ聞いちゃう? デリカシーないったらもぉ。でもね、魔法少女の体って戦いが万全にしないといけないのと、ほむらが言う“自己回復”って言うあたしの能力のおかげでお肌の艶が最善で保たれてるんだよねー。お手入れしなくても十分だし、その手間が省けたのが一番かも」

「普通の女性は、そう言う手間暇の方を重視すると思うんだけどなぁ」

「その人はその人。あたしはあたしだよーん。…まぁ、恭介の前ならおめかししたいなって思う事はたくさんあるけどね?」

「えっ」

 

 気付けば、さやかはうつぶせの状態で此方を見上げている。少しだけ微笑んだ表情と、醸し出す雰囲気は今まで感じたことのないさやかの女らしさがある。先ほどまでの言動を忘れる様な、そんな魅力が感じられたのは確かだ。

 だが、恭介はそんな彼女を敢えて鼻で笑って見せた。

 

「ふふっ」

「あ、せっかくあたしが本気出して見たのに何その反応―!?」

「せっかくだけど、答えを出すのは約束した日だからね。さやかも僕を落とそうと必死みたいだけど、ちゃんと答えを待つって言ったからには待っていて欲しいなぁ」

「あーうん。そんなことだろーと思いましたぁ~……恭介ってば生真面目なんだから」

「それはともかく、今日も持ってきたのかい?」

「イエス! それじゃ、今日も聞いちゃいましょっか」

 

 イヤホンと再生機器を取りだした彼女に、恭介は満面の笑みを向けた。

 今宵もまた、慌ただしいプレリュードの中にマイペースな演奏者たちが二人。

 

 

 

 

 

 

 びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた、びた。

 ――――ヴォォォォォォォォォォォオオオオオオオオォォォォォオオオォォォオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!

「ファック! クソッタレ共め!」

 

 固体でも気体でも液体でも無い、第四の光が化け物たちの群れに向かう。プラズマカッターでは切れない大きく頑丈な柱などを解体するために使われる工具「ラインガン」から放たれた青いプラズマが化け物たちの肢体を遍く切断し、上からは通常の切れ味から格段に強化された鉄の板が空を舞った。

 バラバラにされた化け物たちの肢体を踏みつけ、上半身だけになってもまだ動くネクロモーフには鋼鉄の右足をお見舞いするアイザック。スーツのヘッドライトから放たれる青色の光は無慈悲なまでに光り輝き、動く死体共を睨みつける。何の遠慮も無くストンピングされるネクロモーフは今度こそ動かぬ死体へと変貌し、残党はほむらの持つ鉄の塊が圧倒的な質量で叩き潰した。

 

「やっと殲滅ね」

「ああ。奴ら、やはり全滅などしていなかったか。忌々しい……」

 

 10体。つまり、また10人もの罪なき人間がこの場所で死したと言う事になる。その中にはあの赤子型のネクロモーフが居た所を見ると、家族連れか妊婦の被害者がいたのかもしれない。

 

「すまないアケミ。君の街を私が滅茶苦茶にしてしまった」

「過ぎたことだし、貴方は自分から来たんじゃなくていつの間にか事故に遭っただけでしょう? 悲観する事は無いわ。……こう言うのは不謹慎だけど、私がもう一度“繰り返せば”被害者もゼロに戻るから」

「させないさ。こいつ等を殺した罪は君達だけに背負わせるつもりはない」

「男らしい事で」

「そうでも無ければ正気が保てん。何故Markerすら此処には無くとも動いているのかが不思議でならないが」

「まったくもって、前半には同意。後半に関しては敢えてノーコメントで」

 

 同意したほむらは、肩に立て掛けていた銃の引き金をそのまま引くと、後方に迫っていたネクロモーフの腹に銃弾を撃ち込んだ。そして一瞬ひるんだ化け物の無防備に広がった手足に、四つのプラズマ線が縦に奔る。正確に四肢を斬り落とされたネクロモーフは甲高い耳障りな声を上げて地に伏した。

 

「11体目。見滝原は開発途中都市だから、物珍しさ目当てで来た旅行者も多い。特にアレは、肉に埋もれたカバンからして旅行者でしょうね」

「……ドクター・マーサーのような輩なら殺すにも躊躇わないが、こうして見ると私たちは随分と残酷だな。そうでなければ生き残れない現状が恨めしいよ」

「話だと自分からネクロモーフになろうとした科学者だったかしら。こんな死体になった所で、何が楽しいんだか分からないわ」

「ユニトロジー、という所の信者だった筈だ。地球にいた頃からいつの間にかあった宗教だが、Markerが関係していると知った時は驚いたものだ」

「ああ、新興宗教の信者ってこと? それなら納得。自分を嘆いて変に宗教に嵌った奴なんて碌な目に遭わないでしょうけど……って、ちょっと待って、ユニトロジー? それってどういう意味だったかしら」

 

 ほむらの疑問に、返り血の処理をしていたアイザックはそのまま何気なく答えた。

 

「一体化論。私の母もユニトロジーになってしまっていてな、家財を売り払った挙句に中間程の位は得たようだ。教義内容はあまり知らないが、錯乱したように盲信する母から聞いた言葉を真面目に捉えるなら“死を始まりとし、全てと一つになる事で救いが得られる。共同体は素晴らしい!”らしいな。始まりが死の時点で胡散臭いが、もう私はその母とは縁を切ったよ」

「脚色に関してはともかく……死んで、一つになる? それって―――なんて偶然」

 

 立ちつくしたほむらは、不意にそんな事を言った。

 それはアイザックには関係ないと思って言っていなかった、「魔女化したまどか」が齎すワルプルギス以上の被害のこと。世界全土、いや宇宙一帯にすら被害を及ぼす魔女となる、とはまどか達に伝えているが、それ以上の事は死ぬことと同義と考え教えていなかった。

 

「アイザック、多分それ、マーカーってものを起点として発生した宗教よね?」

「ああ。カイン博士の説明や所々のログを見た事があるが、覚えている限りはそうだったはずだ。まさか家族の人生をめちゃくちゃにしたばかりか恋人すら奪って行くとは思わなかったが」

 

 忌々しいと再度呟いたアイザックの表情は、今はヘルメットの下に隠されて見えない。近未来的なヒーロー像を意識した様なエンジニアスーツに包まれた男は、どこまでも悲痛な運命をこれからも歩かされる男でしかないのだ。

 アイザックの思い出したくも無い記憶を掘り返したことは申し訳ないが、キュゥべえの「地球にはMarkerは無い」という発言も気になって、ほむらは言わずにはいられなかった。

 

「……実はね、まどかが魔女になった時…彼女は地球の全ての生命を吸い尽して、彼女の中にある天国に連れ込む事で一つとなって救済する。そんな存在になるのよ」

「……共通点、か? 気にすることは無いだろう。元より世界が違う」

「でも、何か引っかかるのよ。喉に小骨が刺さった様な感じ」

「それは随分とキーワード感に溢れた―――アケミ!」

「ッ!?」

 

 アイザックの叫びにその場から飛び上がると、ほむらは血肉に濡れた鋭い爪からの攻撃をかわすことに成功した。直後にラインガンを向けたアイザックが闇夜から現れたネクロモーフにプラズマを発射すると、伸ばされた手足からプラズマで焼き切られ、ネクロモーフの両手が上半身と共に吹き飛ばされる。

 だが、アイザックはそれで安心する事など出来ない。このネクロモーフはトラウマを掘り返す最悪の存在だ。現存する携行兵器では倒すことはできても殺すことはできず、魔法少女で言うならマミのような範囲消滅型の攻撃しか通用しない相手。

 

「あのクソドクターの忘れ形見だ! アケミ、ここは一旦引くぞ」

「何を言ってるの!?」

「ヤツは不死身の怪物(リヴァイバルクリーチャー)。ダイヤモンドを蒸発させる高熱が無ければヤツを殺しきるのは不可能だッ! Shit(クソが)!」

「そんな……え、嘘」

「どうし―――

 

 二人の声は、路地裏から消える。

 後にはそこに浮かぶ二つの爪を交差させたような魔法陣が絶望の証として残るだけ。

 




Self destruct system has been activated.
All personal evacuate immediately.

この警告は見滝原には届きません。

Fear and despair fuse.






アメリカ語(笑)発動。スペルが合っているかは未確認。
そういうことで、絶望つくってみました。お味はいかがでしょうか?
内容だけではなく、私達の書き方(描写の仕方)などにご意見などありましたら気兼ねなく感想欄にどうぞ。参考にして文章力向上の経験値にさせて頂きます。(←自信の無い奴らの言い訳


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case14

この小説に足りなかった者は絶望でした。
今度からは絶望マシマシで書かせていただきます。


 気が狂った芸術家を100人ほど集めて、気の向くままに書かせたらこうなるのだろうか? それほどまでに、その空間はそこにいるだけで気が狂いそうになってしまう。足元に建てられたわずかばかりの蝋燭も、赤い温かみを出そうとしたのかと覗き込めばうじゅるうじゅると肉汁滴らせる脂肪で固められた赤い蝋燭でしかない。そのすべてに人間や動物、そのすべてが関係なく訪れる死への概念が込められており、そしてその死を当り前であると錯覚させるような趣味の悪さがうかがえる。

 血管の張った壁には鼓動があり、地面を歩けばじゅぅじゅぅと蒸気を上げる消化液のような黄色の汚濁液が散らばっている。生身で足を踏み入れてしまえば、靴ごと溶かされることは間違いない。

 そんな空間に引きずり込まれたのは、かの空間を作り出したと思わしきネクロモーフの天敵アイザックと、そのネクロモーフの脅威を微塵に体感した程度の暁美ほむら。まだ一度も気が狂っていないのだから、十分彼女は触りを知ったにすぎないといえるであろう。また、そのようなことでしかネクロモーフが、Markerが作り出す脅威に対して対応可能なレベルが図れないというのも余生を投げ捨てるような話ではあるのだが。

 

 その空間は、いつぞやに見たマーカーを安置した地でまみえたHivemindの体内にでも侵入したらこうなるのだろうかと言わざるを得ないほどに気味が悪い。まだ見ぬ恐怖の中の一端を改めて知ったアイザックは、頭の奥に響く何かの声を押さえつけるようにスーツのヘルメットを装着した。

 

「こんな時だけ、私が生身の人間じゃなくて良かったって思えるわね」

 

 彼の隣でそう嘯くのは、特徴的な衣に身を包んだ魔法少女。ソウルジェムの濁りが時を止めるほどではないものの、ほんの少しずつでも進んでいくということはここの空気は人体にとってひどく有害なものであるのだろう。アイザックが着こなすスーツの洗浄作用だけで対応できるのが唯一の救いだが、それも彼女に適応されていない限りは脅威であることに変わりはない。

 

「これ、ネクロモーフが魔女を取り込んだってことかしらね」

「笑えない冗談だが、そう受け止めるしかないのだろうな」

 

 二人はそろって悪態をつき、その流れで手に持った武器を一新する。ほむらは盾から、アイザックはRIGの収容機能からプラズマカッターをその手に収め、ジャッと構えて三本の青く光るポイント光とライトで周囲を照らし出した。

 わずかばかりに明るくなった視界に見えたのは、心臓のように鼓動する腐り落ちた肉塊の洞窟。鍾乳洞のように垂れ下がっていた棒は神秘的な自然が生んだ風景ではなく、人為的に削り出された肉塊から滴り落ちる黒ずんだ血液の塊。

 道しるべとして照らしたライトの明かりは、人肉を開けた時や、豚肉を掻っ捌くときにも似た腐臭が黄色い煙とともにその周囲の穴から吐き出されている要注意地点を教えてくれるにすぎなかったらしい。高角に向けたライトは、一本道ではない複数の迷路のような煙の出ない穴をも見つけてくれた。

 

「結界に引き込まれた場合、出るにはどうするといい?」

「本体を引きずり出して殺すか、こちらから出向いて殺すしかないわ」

「殺す……だが、問題はあの声がクソッタレた狩人の物だと言う事だ」

 

 引きずり込まれる前、襲ってきたあの影はあの恐怖への呼び声。幾度となく叫ばれてきたネクロモーフの禍々しき咆哮の中でも、ひとしお恐怖を植えつけられた事は早々に忘れられるものではない。倒したと思った瞬間、肉塊がずるずると互いを求め合って復活した光景は残弾も心許無い状況に置いては最悪の一言であった。

 殴っては逃げ、その爪を施設の壁にわざと喰い込ませては隙を突いて逃げる。最終的に追って来なくなるまではそうする事でしか対処法が無かったのだと思い出すと、どうにもこの展開が自分達にとって最悪だと言うのかが理解できてしまう。恨み事ばかりが悪体となって口をつくが、前に進まない事には進展も何もないのが現状である。

 

「とにかく進むしかないわね……巴マミの魔法少女ツアーが終わってて本当に良かった」

「まるで体内からの迷路(ラビリンス)だ。ラブ・ロマンスに浸ると言ったのはどの映画だったか」

「浸るにしても、消化液がいい所よ。ここは」

 

 一つ目の穴に手を掛けたほむらが、身軽に入口へ着地する。靴の裏から伝わるぶよぶよとした感触に加えて、得体の知れない水が染み込む生温かさは背筋に冷や水を打ち込んだが、その感触を表に出さずほむらはアイザックを引っ張り上げるために手を指し伸ばした。

 その手をとって、穴の向こう側を見たアイザックは神に祈らざるを得なかった。

 

「Oh,my……」

「繭? ネクロモーフのイメージが形になった結果ね。気持ち悪い」

「刺激しない方がいいだろう」

「ええ」

 

 穴の段差から飛び降り、得体の知れない黄色い液体を跳ねさせながらアイザックが肉壁に着地する。ほむらがその後に続き、周囲を警戒しながらプラズマカッターのライトで上を照らし出した。

 動く者は無いと知って、とりあえずは警戒を続けながらゆっくりと索敵と進撃を行う。ふと、ほむらが近くにあった繭へ目を見張らせた瞬間彼女の顔は驚愕に歪められた。

 

「…コイツら、生きてるわね。いや違う…? これは、変えられてる…!?」

「……半ネクロモーフ化と言ったところか。こうなっては、もはや」

 

 繭の隙間から見えたのは、まだ真新しい衣服を着こんで半分が肉塊と化した人間の姿。目や口などの器官はもはや用を成さない黒い窪みと化しており、人の持つ尊厳である表情すら掻き消された存在には正しい命の息吹を感じる事すらできない。

 繭の中には叫び声をあげ続ける上半身しか残っていないネクロモーフの出来そこないもあり、だがその状態のままで人間としての意識を残したまま「生きている」状態である事がアイザックには理解できた。U.S.G.Ishimuraの動力部近くに、浸食された肉の壁があり、その中で同じような物を見た事があるからだ。

 悲痛な叫び声は定期的に響き渡り、理性と肉体が分離された暴挙がこの場で行われていることの証明を果たしてしまっていた。助けを求める悲鳴にすら聞こえてしまうそれを、アイザックとほむらは苦渋を噛み締めて無視することしかできない。

 

「…アイザック。先に進みましょう」

「ああ。この結界を壊せば、使い魔は中に居る限り魔女ごと全てが消滅するのだったか」

「使い魔がネクロモーフなら、美樹さやかや他の魔法少女がやってくれる筈よ。ネクロモーフには誰も殺させない」

「……だったら、いいんだが」

 

 まだ助かる人もいる可能性がある。だが、二人はその可能性を諦めて肉塊の扉の先へと進んで行った。二人の姿が喰らい闇の中に呑まれていったあと、繭の乱立する大部屋にはほむらなりのサプライズの音が鳴り響いていた。

 その場にいる全ての「人間」を、救うためのカウントダウンが―――

 

「……着火」

 

 

 

 

 さやかは空を駆けていた。魔法少女の契約で手に入れた身体能力は、変身しなくともその恩恵を十分に与えてくれている。流石に地上から二階へひと跳びに移る事は不可能だが、魔の彼女はアスリートも真っ青な爽快感溢れる走りを披露していた。

 風を切って、流れる町並みを見ているうちにふと頭のどこかに引っかかる様な感覚を覚える。まるで引き寄せられるようなそれに、自分の魂でもあるソウルジェムを取り出して見れば光の帯が粒子となって風に抗う方向へ流れて行った。これは、魔女が近くに居る。もしくは使い魔が近くに居る反応。どちらにせよ異形の脅威がこの街を侵攻しようとしているのだと言う証であった。

 

「……濁りは、こんなもんか。97%ってトコだね」

 

 ソウルジェムの濁りは、恭介の家に忍びこんだ事で変身した成果、少しだけ濁ってしまっていた。白銀の剣一本しか扱えない上に燃費も最高クラスの魔法少女の箔を自称するさやかではあるが、やはり事実を知らされた上であれば細心の注意を払いざるを得ない。

 地上に降り立った彼女は、反応の続く先へ徒歩で探索を開始した。

 

「マミさんも意外と完ペキじゃないし、ほむらは重いもの抱えてたし、アイザックさんは責任を持ってる。あたしは、恭介との約束かぁ…他の人から見たら軽いかもしれないけど、うん、やっぱこれが一番だね。何だろ、不安な物がゼーンブ無くなっていく感じ」

 

 ちらりと見えるソウルジェムの濁りすら気にならない程、さやかは心が透き通ったような感覚を味わっている。それは、人間の尊い感情の一つである「愛」に関係していたからなのか、はたまた彼女の人生の転機になる男性が、今のところはちゃんと事実を受け止めてくれているからかは分からない。それでも彼女は思う。たとえ恋敵が現れても、彼の答えだけはしっかりと聞かなければならないのだと。

 恐らくは、これまでの人生の中でも最も大きな選択を自分はしてしまっているのだろう。それも当然だ。そも、「人をやめる」契約に自分は手を出して、人間の手では届かない力を行使してしまっているのだから。

 路地裏をひたひたと歩く中で、唐突に彼女の足は止まった。

 光はフワフワとひと際明るく発光して、この先にある異様な空気の元凶が何であるからを如実に証明している。ソウルジェムに祈りを捧げた青髪の少女は己が魂の青を身に纏い、白銀の直剣を正面に構えた魔導騎士へと相成った。

 

「変・身ッ! と。やっぱ掛け声一つで違うね。って誰に言ってんだろあたし」

 

 確かめるように右手を開いては閉じ、これまで多くのヒトガタを葬り去って(救い上げて)きた穢れなき銀剣の柄を握る。ずっしりと実感する本物の刃は空気の流れによって刀身を鳴かせ、戦いへ臨むさやかへ同調しているかのようにさえ思えてしまう。

 直後、その場にはコンクリートの欠片が舞いあがった。

 強く踏み込んだ彼女のスタートダッシュによって地面が罅を入れられながら、しっかりとした助走へ手を貸し一つの砲弾を形作る。白銀を引く青き閃光はその握りしめた剣を大きく上段に構えると、目の前に展開された小さな結界モドキへの入り口を強引に、かつ音すら立てずに造り出した。

 魔女結界とは程遠い、まだ現実の面影を残した油のぶちまけられたような世界は、やはり普通の人にとっては居心地も最悪の空気を放っていた。さやかは早々に片付けるべきと判断し、魔力の出所を探って耳をすませる。

 一体…いや三体。近づくにつれて、使い魔の数を把握した彼女は異形の潜む物影へ向かってただ真っ直ぐな剣技を体に染み込ませて突っ込んで行く。曲がり角を曲がった先には、パンを加えた美少女では無く、飛行機に乗った落書きの女の子。此方に気付いた瞬間、逃げ出そうとしたそれに何の迷いも無く刃を当てて斬り捨てる。多少の硬さに抵抗を感じたが、両手剣の使い方でもある「叩き潰す」方式で――自分の性にはぴったりと思いながら――多少の誤差ごと斬り伏せた。

 返す刃で、両手を下から上、上からバットのように横にスイング。一体目の近くに居た使い魔たちも余すところなくスライスチーズよりも細かく切り刻む。存在維持も難しくなった使い魔共は、その身を闇へと還元してその結界に張っていた魔力一切合財を消滅させた。元に戻った路地裏には、通りを走るトラックのエンジン音が鳴り響いてきていた。

 

「あー、もう夜も遅いなぁ。収穫は無いけど、明日ほむらのトコ行けば大丈夫か」

 

 多少濁ったソウルジェムを見ながら、さやかは変身を解除して表通りに出ようと足を向けたが、

 

「ちょっと待ちなよ」

 

 後ろからの声に引き戻される。

 

「……ああ、昼間の―――」

「そ、流石に忘れるほど脳筋でもなさそうだな」

「佐倉アンコ」

「わざと間違えんじゃねえよ!」

「冗談よ、ジョーダンッ」

 

 杏子の魔女に成長させてからグリーフシードをもぎ取るというスタンスは、生まれたばかりの魔女はそこまでの力を持たないと言う事も含めて効率がいい事は確かだろう。しかし決して人道的とは言えないが故に、さやかはあまり彼女の事は好いてはいなかった。

 その嫌悪的な印象に含めた返しだったのだが、やはり彼女も自分の精神を把握しきれるほど大人では無かったらしい。言った後に、馬鹿言った物だと恥ずかしがるくらいには。

 

「それで、何の用? こっちとしてはクタクタなんだけど」

「グリーフシード持ってないかと思ってさ。あったら奪わせて貰おうかと」

「無いよ。そもそもあたしは使い魔とネクロモーフ。あとは時々魔女を狩る程度だしさ。あ、グリーフシードは必要な時に供給してもらってるから大丈夫なんだけどね」

「……供給? それだけのグリーフシードがそっちにはあるってことか。オッケー、とりあえずは痛めつけて吐かせて貰おうかね。さっきの手ごたえで分かったけど、油断しなきゃ新人ツブすのも簡単そうじゃん?」

 

 魔法少女装束を纏った杏子は、槍を向けてそう言い放つ。

 実際のところ、先輩であるマミの様子や小難しい会談を挟んできたさやかとしては心のオアシスである恭介との語らいも終わった事も含めて帰りたい一心なのだが、昼間の戦闘で杏子のフットワークの軽さを目の当たりにした彼女としては逃げるのも難しそうだと言う結論に辿り着く。

 

「……うん。それじゃ仕方ないかな」

「いっちょ派手にやるかい? ほら、変身するまで待ってやるよ。そのいけすかないツラ正面からブッ飛ばして―――」

「おやすみ」

「へっ?」

 

 ソウルジェムを展開したさやかは、変身が終わると同時に近く似合ったゴミ箱を大剣で切り裂き、その中身が零れ出ないうちにゴミ箱を蹴り飛ばして目隠しの役割を与える。空中で散乱するゴミに触るのは流石の杏子と言えど抵抗があったのか、一瞬のひるんだ様子を見せている隙にさやかは大通りの方面(・・・・・・)へと勢いよく踏み出した。

 

「なっ!?」

 

 魔法少女は影に隠れて、決して表立った行動をしてはいけない。これは強固ですら守っている鉄則であり、魔法を使ってインチキする際にも周囲に決してばれてはいけないのが常識である。そうしなければ立ちどころに人の情報網に自分達の姿が乗せられてしまうと言うのに、あろうことかさやかは人がまだ多く歩いている大通りへとその身を乗り出したのだ。

 これには、杏子は二段構えで足を止めざるを得ない。そもそも表だって人の前に姿を現すことも好まない彼女が、追いかけるには必須な魔法少女の衣装のまま表に出る事は生理的嫌悪すら抱く程の拒否反応がある。よって、杏子は唖然としたまま逃げ出したさやかの行く先を見つめることしかできないでいたのであった。

 一方、逃げ出したさやかは大通りに入る直前に壁を何度か蹴り上がってネオンの光が届かない高さに移動すると、一直線に向かい側の路地裏に向かって全力跳躍をしていた。魔法少女の膂力が生み出す速度は自動車すら追いぬき、人目につくことなく闇の中へと姿を消すことに成功する。

 こうして、大した思惑も交差せずに彼女たち二人の邂逅は終わりを告げる。時間と共に次の日の出が上がる頃には、また新たな明日が待ち受けているのみである。

 

 

 

「……出れた、わね」

「何が起こっている」

 

 あの黒い穴を抜けた先は、ほむら達が居た廃ビル地帯の向こう側だった。魔女もネクロモーフも何もなく、ただ出口が広がっているだけの釈然としない結果が二人の身に訪れる。その直後、ほむらの仕掛けた爆弾の攻撃範囲が結界全域を覆い尽したのか結界の紋章はボロボロと崩れるようにして破壊されていく。その場からは完全に魔女の反応が消え、繭の中に居た人間達の生きた証ごと消滅してしまっていた。

 こんな、不可思議な現象はほむらであっても初めて経験する。魔女が居ない結界は、結界として成り立たない。そもそも中心核にしか魔女は居られないのであって、結界のエネルギー源たる魔女が居座るからこそ初めて結界が存在できる。だというのに、先ほどの結界はその絶対たる法則を覆してしまっているものだった。

 まったくもって分からない事ばかりが増えて来ている。ほむらでさえ、まだワルプルギスの夜を完全に倒しきるには魔法少女一人以上の犠牲を無くして乗り越える事はできないままであるのに、これほどまでに新たな絶望と恐怖の混沌とした空間を作り出すネクロモーフは酷く理不尽な存在であった。

 

「ともかく今日は帰りましょう。対策を立てる必要がある」

「それしかない、な。こんなことになるとは、とんだ疫病神だ、私は」

「そんな事無いわよ……この時間軸はね、アイザック。あなたのおかげで全ての人間と渡りをつける事が出来ているの。後は佐倉杏子を説得して、何とか此方側に引き込めば魔法少女側の当面の問題は解決するわ。少なくとも、私の都合によるものではあるけども」

「それが慰めの言葉に過ぎないにしても気持ちは受け取らせて貰おう。ほんの数時間の間しかIshimuraには居なかった筈なのだがな…生きた人間が溢れている事が、こんなにも幸せな事だなんて考えもつかなかった」

「…良い医者(ドクター)、紹介する?」

「それよりも宇宙も航行可能な船渠(ドック)が欲しいね」

 

 くだらない事を言って誤魔化さなければ、二人は重さで押し潰されてしまいそうだった。馬鹿馬鹿しいと首を振った二人はほむらの自宅へと足を向けて――プラズマカッターの射出口を後ろへ向けた。

 引き金は引き絞られ、青白い二条の光が闇を照らして行く。それは後ろで両爪を振り上げていた出来そこないの化け物の腕の付け根に着弾し、ギチギチに筋繊維を張り巡らせた二本の棒を断ち切った。そこで初めて振り向いたアイザックが左手を吹き飛んだネクロモーフの爪に向けると、青い稲妻の様な光が爪を宙に浮かせ、後にロケットのように射出させる。両腕を失って命尽きる寸前であった化け物は、自らの発達させた爪を体の真ん中に突き刺され、地面と平行になって飛んで行く。奥の壁に磔にされたそれは、遂に命を終える嵌めに陥ったのだった。

 

「ナイスフォロー」

「キネシスが半永久動力でよかったと思ったのは何度目だろうな」

 

 今度こそ背中を向けた二人は、先に待ち受けるであろう脅威の全てに思索を張り巡らせながら、深い深い暗闇の道を進んで行くのであった。

 




と言うわけで、ネクロモーフは「残り一匹→無限増殖可能」となりました! 拍手~
ステイシスさんの使い道は今はまだありませんが、キネシス共々工具に負けないくらいに活躍させていきたい所存です。
デッドスペース特有のダイハードより死に物狂いなアクション場面も追加していきたいですね。おもにまどかとか一般人へ。


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case15

更新遅れましたが、登場人物はいつも通りです。
ええ、いつも通りですとも。


「鹿目トリオと暁美さん、最近ずっと一緒に登校するようになって来たなぁ」

「最初に保健室連れて行ってもらってたし、それで仲良くなれたんだろ。あーあ、オレもお近づきになりたかったなぁ」

「ばっか。テメェみたいな不細工チビがあのモノホンの美人に似合うかっての」

「それもそうか」

 

 朝のホームルームが始まる前に、男子達のそんな声が聞こえてきた。確かに、最近はキュゥべえから契約を持ち込まれないように魔法少女の誰かが家に帰るまでの時間、四六時中みんなわたしの傍にいてくれている。

 朝はほむらちゃんとさやかちゃんが。昼はさやかちゃんが仁美ちゃんと難しい話をしながら、わたしにもわかりやすいように色々とこの町で練っている対策を立て始めていて、帰りにはマミさんも加わって…夜になればなるほどわたしの周囲は厳重になって行く。

 あの会談から3日経って、クラークさんはいまどうしているのかとほむらちゃんに聞いたら……ぱったり。姿を消して別行動をとっているって言ってた。なんでも、とりのがした最悪のネクロモーフが魔女と同じような結界を張るようになっていたとか。その責任で、日夜あの未来の技術を使ったスーツのおかげで寝る暇も惜しまず街の闇の中を徘徊しているみたい。

 

(……ほんとに、凄いなぁ。わたしができるのはキュゥべえと契約しない事だけ……それが一番大事なんだってのはわかるけど、どうしてもほむらちゃんたちの役に立ちたいし、さやかちゃんの助けになりたい。……そう思うわたしは、わがままなんだよね。こんなわたしは―――)

「まーどかっ! 暗い顔してどしたの? さっきから呼びかけても全然気付いてくんないしさ」

「あ、ご、ごめんね」

「あはは、大丈夫大丈夫。あたしが無視されんのなんていつもの事じゃん」

「今日もさやかさん、居眠りで起きぬけの一言が“変身!”でしたものね。そのせいで授業が3分ほど止まってしまいましたもの」

「美樹さん。そう言う魔法少女関連のことは重要に考え過ぎないようにしないと。日常と裏の使い分けしないと、昔の私みたいに参っちゃうわよ?」

「そうそう。お稽古のペース配分を間違えて、風邪を引いてしまったわたくしと同じですわ」

「あーい。頑張りまーす……」

「あはは……さやかちゃん、ファイト」

 

 こんな励まししかできないけど、それでもこれが力になると言うから…わたしはそれに甘んじることしかできない。本当に惨めで嫌になる……どうして、因果が集まったのがわたしなんだろう。なんて、今度はほむらちゃんをけなす様な言葉が思い浮かぶわたしは凄く嫌な奴だと思う。

 帰路の夕焼けが照らす光に皆で、当たって笑い合っている。ワルプルギスの夜と、ネクロモーフの恐怖。それがあるって分かっているのに、それでも笑っていられるのはきっとみんなが強いからなんだろう。わたしは、愛想笑いばかり……みんなの影の中に縮こまるばっかり。

 ほむらちゃんも笑っていないけど、それはもっと別の理由。時間を繰り返してきたなんて、すごい理由があるから。だから笑っていなくても、こうして皆が一緒に居られることに安心できている。わたしは、やっぱり不安なまま。

 

「その」

「どうしたました、まどかさん?」

「今日はちょっと早めに帰ろうかな、って。特別休校の宿題も沢山出てたし、平和になったらみんなと一杯遊ぶために頑張ろうかなぁなんて……思って…」

「あぁ、志筑さん。あなたがそこまでやり手なんて思ってなかったわよ。まさかワルプルギスの夜が出現する辺りの日は見滝原から人をいなくさせるなんてね」

「上条さんのお家との協定、それからお父様の顔の広さの賜物ですわ。わたしはただのメッセンジャーに過ぎませんし……それに、学校がお休みになるなんて花の中学生としては辛抱たまりませんわー!」

 

 その場でクルクルと回る仁美。美少女が満面の笑みを浮かべて街を歩いているが、周囲には人っ子一人見かけることはできない。みな、「未曾有のスーパーセル発生」という告知を受けて見滝原から脱出するために荷物をまとめているからだろう。

 事実、ゆったりと女子中学生らしい会話に花を咲かせてのんびりしているのは彼女たちだけ。他の人間はなにやら大きな荷物を持っていたり、引越配送業の業務員がトラックを走らせているばかりだ。

 

「あ、そう言えば仁美ちゃんって時々こんな風に弾けるんだったよね……」

「それに、まどかさんの仰る通りです。その休日を満喫するためにも、課題は全て終わらせておきませんと。特にさやかさん? あなたの家へ通いつめてまで終わらせるつもりですので、鍵は開けておいてくださいね」

「ウェッ!? や、やだなぁもう……ちゃんとするってば。するよ? うん、ちゃんと宿題は…するよ、多分」

「決定ね。志筑さん、巴さんも美樹さやかの家でワルプルギス後は勉強会なんてどう?」

「それは名案ね暁美さん! 実は私も魔女狩りで数学とか理数系がちょっと追いついて無くて…基礎だから、二年の範囲で復習のいい機会にもなるもの。その話乗った!」

「と言う事ですので、その際にまどかさんもご一緒しませんか? あぁ、勿論それまでに“出来る範囲”で終わらせておくのも一つの手ですけど。終わらせておくのもねぇ、さやかさん?」

「う、うぅぅぅ……アイザックさん、みんながいじめるよ……恭介…タスケテ」

「絶対行くよ。ってさやかちゃん、魂でちゃってる。ソウルジェム落としそうだって―――!?」

 

 そんなこんなであたふたとしながら決戦前、楽しい最後の下校を終えた五人。恭介は早めに帰って家のごたごたを片付けるとのことなのでこの場には居ないが、最終的にワルプルギス到来少し前までには見滝原から戦えない者としてまどか・仁美と共に脱出している予定だ。

 そうなると、この町に残るのは魔法少女たちと、ネクロモーフの討伐を主な目標とするアイザックだけになる。アイザック自身も強力な武装を持っているのだが、あくまでそれはあまり強くない中級クラスの魔女までとネクロモーフにしか通用せず、やはり魔法少女の地力には敵わない。故に、アイザックも現在の元凶となる「Hunter」を完全に殺した後は、戦えない者たちの対キュゥべえの護衛としてこの町を出る手筈になっていた。

 そしてまどかが家に戻り、心配だと言う事で家族もいないマミがまどかの家に一晩お世話になることに。桃色と金色の髪を揺らしながら扉の向こうに消えていく二人を見送った一行は、それぞれの役割の為に解散しようとして―――

 

「さやかさん、少しお時間よろしいでしょうか?」

「ん、どしたの仁美」

「……私はアイザックの武装の練習に行ってくるわね。次に出る“影の魔女”は任せておいて」

「あ、うん。りょーかい!」

「魔法少女になり立てのあなたも、自分自身の扱い方に慣れておきなさい。ワルプルギスは範囲攻撃が主だから、しっかり避けないとソウルジェムが砕かれるわよ」

「肝の冷えるお話しをどーも。頑張ってきなさいよね」

「言われなくとも」

 

 すぐさま変身して屋根を伝って跳んで行くほむら。

 彼女を見送った仁美はさやかに視線を戻した。

 

「それで、どしたの?」

「幸い家は途中まで一緒ですし、それまでに終わりますわ。…歩きましょうか」

「うん」

 

 二人は枯れ葉色の制服を身にまといながら、電灯が照らし始めた夜道を往く。

 心なしか、その影はいつもより一層濃いような気がした。

 

 

 

「……実は、上条君のことについてお話がありまして」

「恭介について? 避難勧告(そっち)の事情でなんか不味い食い違いでも起こった?」

「いえ、わたくし個人の感情です」

「ふーん……そっかぁ」

 

 その言葉で、さやかは頭をひねらせる。まさか魔法少女として一緒に戦うのでは、という疑問が彼女の頭に浮かんだと同時、誰でもない仁美自身によってそれは否定された。

 

「わたくし…上条君をお慕いしておりますの」

「……え」

「勿論、さやかさんとの約束は存じておりますわ。ワルプルギスの夜を乗り越えて、彼はあなたに返事をよこす、と。それに関して、あなたが居ない場所では同じ秘密をもつ一般人として彼から聞きました。ですが、そうして誰かやさやかさんの為に悩む彼の姿を見て思ったのです……わたくしも、彼の人となりに、彼自身に恋慕を抱いたのだと」

「…あんにゃろ、こっちが酷く悩んでるってのに仁美まで悩殺してたなんて……それで、仁美は恭介に?」

 

 仁美は首を振る。告白に関しては、まだだと言った。

 

「仁美が、恭介にかぁ。なんて言うか」

「予想外。と?」

「うん。でもやっぱり恋って難しいね……あたしは気付くのに数年かかって、仁美は恭介と向き合って話しただけでコロリでしょ? すっごい雁字搦めになった沢山の糸みたいでさ、ゆっくりと解いたあたしと、偶然一本掴んで抜け出た仁美って感じかな。そうして毛玉の外に出た私たちの糸は―――」

「上条くんに繋がってしまった、と」

「あっちは多分、仁美の方には気付いてないよ?」

「ええ、それはそうでしょうね。…それは、ともかく」

 

 こほんと咳払いをする彼女。いいたい事は、さやかにも分かった。

 

「なんでこんなに仁美を否定しないんだってこと?」

「はい。…わたくしとさやかさんは、言わば恋敵。ワルプルギスの事でそんな事を言っている暇はないとも取れますが……わたくしはその程度の理由であなたが今を看過しているとは思えません」

「うーん……そう言われると難しいんだけどさ、あたしは仁美のこと親友だって思ってるし、それにさ…恭介の気持ちも考えさせて欲しいんだ」

「かれの、気持ち?」

 

 頭沸騰しそうだけど、と前置いたさやかは言う。

 

「結局さ、あたし達が勝手に惚れて…それで答えを強要してるのが今じゃん。仁美はまだ告白してないから違うかも知んないけど、でも告白した後はいまのあたしと同じになる。恭介の事を勝手に惚れて、あっちの気持ちもその場ですぐ言葉で受け取っていないのに、期待を膨らませて迷惑かけるようになる。多分、最近あたしが夜にしか恭介に会えないのは…アイツも、迷ってるからだと思うんだ。真剣に、迷ってくれてる。そんな恭介に昼までも無理やり会って、アピールして…そして生き返ったヴァイオリンの練習とかに魔法少女の事で水さしちゃってさ? 怪我が治った喜びを感じさせることも出来なかった。多分、恭介は魔法少女の真実を知った皆よりもずっと苦しんでる」

「…確かに、そうですわね。わたくし…自分の事ばかりで気が回りませんでした……」

「仁美の告白も、たぶん悪い事じゃないと思う。原因の大半を考えると、魔法少女の事情に付き合わせたあたしが悪いんだし。むしろ、あたしは仁美が告白してしまえばいいって思ってる」

「…これ以上の重荷を背負わせてしまうかもしれませんのに?」

「うん。多分、今までのあたしの中でいっちばん最悪な考えだけどさ」

 

 視線を落としながら、頬を掻く。零したさやかの苦笑いは陰気を含んでいた。

 

「契約の時の治す祈りと、幼馴染から親しい位置に立って告白したあたし。同じ富豪の家だとしても、知り合ったばかりの仁美。こうして誰か一人が恭介の中で増えたとしたら……あたしを選んでくれた時、嬉しさは増すんだろうなって。そんな最悪の独りよがり」

「……さやかさん。貴女は」

「分かってるよ。だから言ったの。誰でもない、仁美だから」

「分かりました」

 

 気付けば、仁美の家の前まで来ていた。大層な庭にも、ほとんどの使用人がこの町から脱出しているおかげで人の気配はほとんど感じられない。大きな家の門に手を掛けながら、仁美はさやかを見返した。

 

「わたくしは上条恭介さんに告白する事にします」

「…それでこそ、だね」

「負けませんわ。絶対に……アドヴァンテージは其方にあっても、わたくしも将来を賭けた大事な選択ですもの。ですが、一つ約束しましょう」

「約束? お互いやることには不干渉とか?」

「いいえ。彼が選んだ相手がどっちであろうとも、必ず祝福の場には参列する事です。どちらも本気でやり合って、それでわたくし達以外の誰かが選ばれたとしても……わたくしたちが恋した上条君の幸せには違いありません。彼自身を祝福するのは、こんな決断を迫ったわたくし達の義務ですから」

「……それも、そっか。そうだよね…恭介が幸せなら、そうじゃないとあたし達はネクロモーフ以下の外道になっちゃうか。…うん、約束。キュゥべえの契約なんかよりも、ずっと大切な約束にしようよ」

「はい」

 

 何を言わずとも、二人の手はしっかりと相手の手を握った。

 どちらも女の柔な手ではあるが、芯の通った気持ちは感触の奥底で力強い流れを両者の心に響かせる。強い光を視線の間で交わし合い、仁美は門の向こう側へ、さやかは変身して夜の空へ。互いに背を向けて道を別つ。

 次に会う時は、恋のライバルとして。

 次に顔を見せる時は、最高の親友として。

 ワルプルギスの夜を乗り越えた先は―――望みを掴む者として。

 二人は、心を固めた。

 

 

 

 

「それにしても、友達でさやかちゃんかと思ったら……まさかの大穴。こんな美人な先輩連れてくるとはなぁ。まどか、もしかしてそんな? 育て方間違えちまったかなぁ」

「な、何言ってるのママ!? ノーマルだよ、わたしノーマルだよ!」

「でもこんな可愛い子なら、私は構いませんよ。鹿目さんのお母様。むしろ、まんざらでもないと言うか―――」

 

 ひゅん、とマミの頬を掠めて銃弾が飛来する。

 窓の隙間から、正確にマミを狙って打ちこまれたのはすぐに消失する魔法弾だった。

 

「…………!?」

「ど、どうしたんだい巴さん。真っ青になってるけど…夕食でなにか当たっちゃったかな」

「い、いえ。当たったのは寧ろ琴線というか…大丈夫です。はい」

「マミさん大変! 頬に傷があるよ!?」

「え? さっきまでは無かったのに…女の子の顔に傷が残っちゃ大変だ。ママ、救急箱どこだっけ?」

「昨日タツヤが転んだ時に使って動かしてないと思うぞ」

「パパ、たつやー。たつやもいくー」

「はいはい。それじゃ一緒に巴ちゃん治そうね? 巴ちゃん、ちょっと待ってて」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ふぅ、吐息を吐きながらマミは思った。

 

(…もしかして、もう魔女倒して戻ってきたの? 確かに夜は寝ずの番で鹿目さんを守ってるって聞いたけど……これじゃもうスト―――)

 

 二撃目飛来。

 

「ひぃっ!?」

「ま、マミさん!?」

「ほとんど同じ場所にもう一つ? どうなってんだ、これ」

 

 鹿目まどかの母親、鹿目詢子がいぶかしむ様な視線をマミの傷に集中させるが、マミは自動修復して行く傷を見せないためにも大丈夫、大丈夫と言って救急箱を取りに行こうとしたまどかの父親と弟を食事の場に留めている。

 唯一事情を知っているまどかはとんでも無い事態におろおろするばかりで、その可愛らしい姿が現在のマミを落ちつける特効薬になっているのは本人には内緒だ。

 

「自分でちゃんと直しますから……」

「マミさん、そう言えばクラークさんから貰っておいたメディカルパックがポケットにあったから、これ使って」

「あら、ありがとう」

 

 受け取ったメディカルパックの筒のような部分の口になっている箇所。そこへ傷口を押し当てると、中身の水色の液体が少しだけ消費されてマミの頬に濡れた感触が当たった。それから数秒して其れを離すと、マミの頬に刻まれていた裂傷がきれいさっぱり消え去っている。未来の医療技術、正に恐るべしと言ったところか。

 

「ほー。これはまた便利な……クラークさん、だったな。まどか、これはそのクラークさんから貰ったのか?」

「う、うん。二週間くらい前に貰って、ずっとポケットに入れっぱなしだったんだけど……こんなにすぐ効くんだ」

「でもこんな薬どっかで扱ってたか? ちょっと見せてみろ」

「あ」

 

 まどかの手から取り上げた詢子がメディカルパックを見回す。

 すると、

 

「……何だこりゃ、外国産か? クラークは英名だしそりゃ……ん!? 製造年月日、2500年…U.S.G.Ishimuraって………」

「2500年? ママ、ちょっと僕にも見せてくれないか」

「ん。ほらここ」

 

 詢子の手からまどかの父親、知久の手に渡る。アイザック・クラークの持ちこんだ技術の塊が完全に検分された後、両親の目は胡散臭いものから何か確信のある者へと変化して行った。

 

「……それで、事情の説明はできるんだよな?」

「さっきの傷と言い、まどか。何か僕達に隠してる事があるんじゃないかな?」

「え、えーっと……」

「それに先輩が後輩の家にいきなり泊まりに来るのもおかしいだろ。まさか学校でぼっちだった訳でもないだろうし」

「はうっ!?」

 

 巴マミ、二重のダメージである。

 

「話してもらうぞ。最近の避難勧告といい、街の隙間から見えた化け物と言い……幻覚や何かで決め込むには有り得ないことばっかりだ」

「ママ、ネクロモーフ見たの!? 襲われなかった!?」

「遠目に見てたから大丈夫だよ、まどか。…それと、その反応はダウトだ」

「あ」

 

 まどかの盛大な自爆によって、食後はマミを交えて家族会議へと移行した。

 リビングで両親と対面するまどかと、その隣でこんなことになるとは思いもよらなかったマミが正座して座っている。にっこりと話してごらん、と促す知久の顔は、まどかが今まで見て来た父親の中でももっとも恐ろしかったのだとか。

 

 

 

 

 白黒が交差する。無様に地面を這いまわることしかできない大男が転がりながら、ギリギリのところで直撃を避けて影の魔女の髪の毛を避けていた。転がり、起きぬけにラインガンを構えてプラズマカッターより出力も横幅も広い青い光の線を発射。ほむらの魔力を加えられたそれは、元の威力と合わせて影を伸ばす魔女の髪を一気に切断。

 次に伸びてくる隙を狙って男は鎧をガシャガシャ鳴らしながらに距離を詰めていって、その作業の様な展開は30分に渡り続けられていた。

 そもそもの発端は、ほむらが現状の確認をしようとアイザックへ電話をかけたことによる。今回の魔女はアイザックが相手をするには人間の認知を遥かに超える物量的な攻撃を持ち、アイザックでは対処しきれない相手であることから手を出さないようにとほむらは言ったのだが、何故か彼はその魔女が出現する廃工場のグリーフシード前に佇んでおり、結界が開いたと同時、「倒してしまおう。其方の方が手っ取り早い」と言ってほむらの忠告を無視して突っ走ってしまったのだ。

 

(その結果が、これか。髪を触手に見立てれば……Hivemindが多少素早くなったと思えば対処のしようはある)

 

 言いながら、彼は幅広の攻撃範囲を持つラインガンと、突撃銃のように目の前の障害を切り刻む電鋸射出装置であるリッパーを切り変えながら戦っていた。特に、リッパーの使用者から愚痴が寄せられる程度にはうるさい駆動音が魔女の琴線に触れるような行為だったらしく、これを使っている間は相手が取り乱して隙だらけになる。

 実際にこの「エルザマリア」という魔女は常に祈り続ける事を心情とし、全ての生物を一つにまとめ上げることで救いと考える敬虔な邪神の信徒のような魔女。その祈りを邪魔する者に制裁を与えるのではあるが、逆に言えば祈りを邪魔されるのは魔女にとって一番嫌な事。つまり、その祈りを邪魔する程の甲高くガリガリと何かを削るようなリッパーは魔女の精神を作動するごとに一緒に削り取ってくれているのだ。其れを知ったアイザックは、水を得た魚のようにして30分、少しずつではあるがエルザマリアの元へ歩いて行くことに成功している。

 

「…だが、残弾が心許無いのも事実か」

 

 そう言った通り、この魔女を仕留める分にはともかくリッパー、ラインガンともに持って来ている分は在庫切れが近い。ほむらの家にある自室には大量に作っておいた残弾があるが、残りはラインガン2発とリッパーが一発。そして他に持ってきた武装分も約半分以下しか持ち合せが無かった。視界に移る物全てがモノクロにしか映らないこの結界の中では、狙いを外すという行為は最悪の一手になりうるだろう。

 アイザックはラインガンを装填し直し、残り二発を完全に打ちつくす。エルザマリアの髪が尖った大樹のように押しこんでくる中、ラインガンで開かれた活路をプラズマライフルの連射で穴をあけながら濁流にのまれていく。もはや自分の進む分しか空いていない死の空間(デッドスペース)の中で、アイザックはその手に持ったリッパーの引き金を―――引いた。

 

 酷く甲高い音が響き渡り、射出された丸鋸の刃はキネシス技術の応用で高速回転しながら目標を切り刻む。それはエルザマリアの髪を抜けて行くと、魔女本体の後頭部に着弾し、顔も姿ものっぺらな女性像の髪を根本から掻き毟り、蹂躙し、脳髄まで破壊しながら嫌悪感の高い駆動音を響かせ血飛沫を上げさせる。

 しかし、最後の一発であるリッパーの残弾がゼロになっても、まだ魔女は息を保っていた。リッパーの刃によって頭を文字通りグチャグチャにされた魔女がアイザックを再び髪で刺し貫こうとして―――

 

「Fuuuuuuuuuuck!!!」

 

 魔女、エルザマリアが最後に見た光景は、プラズマカッターを振りかぶる鎧の男。そして、その顔面から発せられる死を司るような青いライトの光だった。

 プラズマカッターの固い外殻が魔女の核に達し、スーツの力で補強された筋力が魔女の頭蓋をカチ割って脳髄を撒き散らす。完全に絶命した魔女はよほどの生物を殺していたのか、二つのグリーフシードを落として結界ごと消滅するのであった。

 




ようやくかけた。アイザックさんが魔女を殴り殺す話。
殴り殺せそうな脆い魔女ってこいつしかいませんし、H.N.エリーは無重力空間戦闘の疑似として使えそうだったんですが、トラウマ映像はニコルの薬自殺になりそうでまどか達の精神がヤバいです。
それにしても、もうちょっとアクティブに相手に翻弄されたり足つかんで振り回されたアイザックさんが起死回生で相手を撃って、解放されたら今度は地面に叩きつけられるようなアクション書いてみたいです。


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case16

20話目くらいで完結しそうな勢い。
内容薄くて申し訳ありません。


「Wow!?」

 

 魔女結界の消失と同時、アイザックの体は空中に投げ出されていた。近くにはとっかかりになりそうな鉄骨もなく、フリーフォールの20メートルが彼の眼前に広がっている。地面は酷く硬いコンクリートの塊で、断線したトラム(一つの街の様に広大な船の中を行き来するモノレールのような物)から落っこちた時より手酷いダメージを受ける事は間違いないだろう。

 体勢が整わず、ぐるぐるとバランスも取れずに落下し始めたアイザックだったが、何とかスーツの宇宙空間を移動するための空気噴射機能を起動させる。真下に落ちて行く状態から少しだけ横に逸れる事が出来た彼は、錐揉み回転で大きく体勢を崩しながらも、驚異的な動体視力とスーツの予測補助機能で何とか着地点の設定を決定。そして地面に接触する。

 

「オォォォォォォォォォ!? グァァッ!!?」

 

 ドン、という衝撃が右腕から伝わり、回転しながら廃棄された建設途中の鉄骨が見下ろすコンクリートの現場を転がって行く。ガン、ガシャン! と轟音を立てて身体を強かに打ちつけながら、何とか彼は地面と生きて再会する事が出来た。ひとえに未来で作られたスーツの優秀さに感謝すべきか、はたまたこんな生存をさせてくれた運に感謝すべきか。

 

「……ぐ……骨は…平気か? だが如何せん、派手すぎやしないか」

 

 自分の転がってきた場所は、荒々しく打ちつけた場所やスーツを含めた自重の全てを含めた大質量のものが上空から落下、後に転がったせいでひび割れや捨て置かれた備品を大きく破壊してしまっている。痛む体を引きずり、何とか近くの壁に背中を預けた彼は収納スペースに格納していたほむらから譲ってもらった携帯電話を取り出し、スーツの頭部を可変機能で収納して素顔を露出させた。

 夜特有の冷えた空気に加えて、先ほどまで魔女が結界を張っていたからか酷く不快な気持にさせられる違和感が魔女結界の入口があった場所から漂ってくる。大きく息を吐きだしたアイザックはスーツの言語統一機能を使用してから携帯をプッシュ。耳に当てた。

 

「アケミ、済まないが迎えに来てもらいたい」

≪今回の魔女、やっぱり相当だったのね≫

「いや、魔女は何とか殴り殺した。君の掛けた魔法が工具そのものにも帯びていたようでね、何とか叩き潰せたよ」

≪……深くは突っ込まないけど、すぐに迎えに行けばいいのね?≫

「頼む。流石に20メートル以上からのコンクリートダイブは難しかったようだ。鳥人間コンテストでも開けば優勝できそうな気はするがな」

≪次からはトばないように気をつけなさい≫

 

 心底訳が分からないと言った同様すら隠せていない彼女の声を最後に、アイザックは再び息を吐きだして背中に預ける体重を増やす。困ったものだと関節を少しやってしまったらしい右足の張れるような痛みに辟易していると、先ほどの衝撃で建設頓挫場が揺れたせいか、アイザックの頭上から一つのロボットが落下してきた。

 ゴツン、と肩に当たった其れに今度は何だと多少苛立ちを隠せないながらも仰ぎ見れば、それはこの都市開発の為に作られていたらしい作業補助用の小資材搬入用ロボットらしい。角ばったコブラの様な見た目をした可愛らしいそれに、アイザックは実入りもあまりよくなかった昔、スクラップ上で「SCAVENGER BOT」という自動資材回収ロボットを思い出した。

 

「………見てくれは可愛い奴だ。ああ、そうだ」

 

 おもむろに手を伸ばした彼は、そのロボットの腹をがばっと開く。中から転がり出てきたのはドライバーなどの前時代的でもあり未来に至るまで使用される工具で、アイザックの懐かしい気持ちは膨れ上がるばかりであった。

 ドライバーを一本手に取り、彼の右手からは未来の技術である「キネシス」の青い光が辺りのものを掻き集めるために伸ばされる。スーツの顔面部から発せられるライトの光を頼りに、エンジニアのちょっとした暴走が始まっていた。

 

 

 

 その頃、鹿目家では家族会議with巴マミが開催されていた。

 ほんの僅かな証拠から自分の娘がとんでもないことに巻き込まれていると知ったまどかの母、詢子の観察眼は感嘆の域であるとも言えるだろう。しかし今回ばかりはそれが裏目に出ており、巴マミもまどかの父親・知久のあれやこれやと言った話術によって自らの魂そのものであるソウルジェムを机の上に提出させられていた。

 まだ幼子であるタツヤを寝かしつけた知久が部屋の奥からリビングに戻ってきた所で、さて、と言った詢子の声が深夜の家に静かに響く。

 

「なぁまどか。今すぐにでもっていうスーパーセルからの退去命令に、私たちが街の路地裏向こうに見た化け物の姿。ネクロ…なんとかって言ったか? アレ、もう一度聞くけどどんなもんか本当に分かってんだな?」

「…うん。正確にはネクロモーフだよ、ママ」

「そしてあたし達は本当はああ言った化け物から逃げるため、そして余計な被害者を出さないためにお偉いさんの権限をどうにか使って退去命令が出ている。それで間違いないね? 巴さん」

「はい。正しくは上条君と志筑さんを伝手に伝播したようですが」

 

 マミの証言に、まどかの両親は揃って頭を抱えた。

 よりによって自分の娘と、それに準じた親しい者達全員がこの厄介事に関わっていると言ったのだ。そしてクラークという名前の大人は、彼女達の話ではネクロモーフと言う化け物を退治する専門家(というのがまどか達の主観)。未来の技術を使ってどう言う訳かタイムスリップしてきた化け物共を倒せるらしいが、現代の技術ではネクロモーフの弱点である手足をもぐ事すら難しいとの事。

 そもそもアスリートの男性が全力で走り続けてくるような速度を出す化け物が狂気を以って突っ込んでくるのだ。正常な人間では一瞬の虚を突かれて一生を終えることになりかねない。更にはスーパーセルと偽った強大な魔女と言う敵が迫って来ている。それに対抗できるのはまどかの友達であるさやかも含めた、先輩の巴マミ、転校生の暁美ほむら、そして協力してくれるかどうか分からない一人の少女達でしか無いという事実。

 知久がそんな事をさせるわけにはいかないと、口を開くが。

 

「…まどか。みんなに何とか言って―――」

「それはダメだよパパ。さやかちゃん達はもう決めてるし、それにあの魔女を何とかして、ネクロモーフも倒さないと世界が滅んじゃう」

「私たちは元から死ぬことを前提として戦っていますし、それに私たちはこの……ソウルジェムが、本体ですので。……多分、これだけでも残っていれば魔力を回復させれば、肉体も元に戻るかと。丸ごととなると、流石に数年かかるかもしれませんが」

 

 続いて行ったマミの言葉は震えていた。自分が化け物と同類と言ってもいい身体をしている事と、その事実を自分自身で告げたことに多少なりとも恐怖の色が宿ったのだ。そして魔法少女という名前の響きとは裏腹に、残酷で不死身と言う化け物にさせられている少女の運命を大人たちは悔いた。

 何故、そのような存在を自分たちは知らないのか。そして止める事が出来なかったのかと。その呟きは詢子の口から漏れ出ていたようで、マミは嬉しそうな頬笑みを見せながらに、悲しく笑って見せた。

 

「ありがとうございます。…でも、この契約を結ぶキュゥべえという生物は私たち魔法少女の才能がある人にしか見えなくて、彼自身も魔法少女じゃ捉えきれない程に神出鬼没なんです。それに現代で、そんな事を言っても信じてもらえると思いますか? 彼の話では、人類の創世記から彼らは人類を見守ってきたと聞きました。其れが真実なら―――」

「あたしら何もできない大人は、真実を知っても墓まで持ってくしか無いってことか」

「…うん。これは、さやかちゃん達の問題。それに此処で引き下げて見滝原が壊滅したら、さやかちゃんも、ずっとこのワルプルギスに備えていたほむらちゃんも絶対に納得しないと思う。少なくとも、わたしにはそう見えたんだ。……マミさんも、そうなんだよね?」

「………」

 

 まどかの問いかけに、マミは無言で目を閉じた。

 しばらくして、自分自身ですら確かめるように、小さく一度だけ頷く。

 

「そんな……玉砕覚悟だって言うのかい…!?」

「鹿目さんのご両親。どうかこの事は絶対に誰にも言わないと約束して…明日にでも、鹿目さんを連れてこの町から逃げてください。私たちはきっと負けません。貴方たちが祈る限り、私たちはちゃんと力にして戦いますから」

「そんな事…! テレビの魔法少女じゃないんだから、気休めにすらならないんじゃないのか!? なのに、そんな年で死のうだなんて何を言っているんだ!! 君は、命を――」

「失いたくありません! だから、だからこそ戦うなんて…私も嫌なんです。でも、他の魔法少女は領地の取り合いで絶対に参加なんてしません。誰かに頼んで魔法少女になって貰ったとしても、その子は何時敵である魔女になって怪物にならないとも知れない」

 

 だから、と見滝原の魔法少女を代行してマミはいう。

 

「私たちがやるしか、ないんです」

 

 唇を噛み締め、震えを押し殺し、それでもまどかの両親を見据えて言う。

 こんな年の少女がするには、あまりにも血に染まった考え方。恐らくは、魔法少女としての回復力でしか治らない程の大けがも何度もしてきたのだろう。その度に、命が失われる恐怖を乗り越えてきた。いわゆる「ベテラン」として言葉の重みを乗せたマミの宣言に、大人は項垂れるしかない。

 

「…分かった。まどか、おまえはどうするんだ?」

「ママ…! でも、まどかは」

「いいから。……此処に残って見るのか? 確か、話だとクラークさんはワルプルギス戦は武器を貸すだけで参加しないんだろ? だったら、戦える大人(・・・・・)に守ってもらった方が…そのキュゥべえって奴から守ってもらえるんだと思ったのさ」

「……わたし、は」

「鹿目さん。悪い事は言わないわ…ご両親と一緒に、遠くに逃げておいて欲しいの。きっと暁美さんも、あなたを戦いに巻き込みたくない筈よ」

 

 マミはまどかを遠ざける様に言った。正直、「ワルプルギスの夜」という魔女は現れただけでスーパーセルにも似た現象を引き連れてくる強大な敵だ。他の魔女とは比較にすらならないだろうし、それで巻き上げられた瓦礫や戦闘の余波が彼女に被害を及ぼさないとも限らない。だから、危なくなる可能性からは遠ざけておきたいと言うのが、魔法少女ツアーという危険な未知に誘ってしまった自分が言えるせめてもの償い。

 マミの言葉と瞳に圧倒されながらも、まどかは瞳を合わせて彼女に向かい合った。桃色のくすんだ目が金に輝く彼女がまどかによって見据えられる。

 

「…わたし、パパやママと一緒に逃げています。だから、頑張ってください…!」

「…よく言えたわ。そう、それでいいの。……思う存分戦ってくるから、私たち魔法少女の事を信じて待っていて? 刺し違えてでも、ソウルジェムだけは残して戻ってくるから。絶対に、どんな形でも生きて(・・・)帰ってくるからね」

「…うん……うんっ!」

 

 知らず流れる涙は、まどかの頬を濡らす。一滴の輝きを目にしたマミは己のソウルジェムを手にとって力を込めると、その場で変身した。

 金色の穏やかな魔力が部屋に満ちる。たちまちに戦闘装束に着替えたマミは、己の魔法を使って四本のリボンを作り出した。それは赤・青・黄・黒の、見滝原に居る魔法少女のイメージカラーを題材にしたもの。器用な手つきで結びつけ、カラフルな実にブローチを作ったマミはまどかの手にそれを手渡す。

 

「佐倉さんはどうか分からないけど…きっと協力してくれるわよね。うん、それが私たちだから、キュゥべえにお願いしない程度に祈ってくれると嬉しいわ」

「……分かりました。絶対に、帰って来てください。マミさん」

「後輩にみっともない所は見せられないもの。帰ってくるわ、必ず」

 

 それではごきげんよう、とスカートの裾を少しだけ持ち上げたマミは一礼の動作の後、すぐさま窓を開け放ってそこから飛び出した。マミの残されたリボンが冷たい風を取り入れそうになった窓を閉じ、金の影は宵闇に呑まれるようにして消えて行く。曇天の影った空を上に仰ぎながら、鹿目の家に住む者は皆崩れ落ちる。

 それは止められなかったことの後悔。そして、こうして送りだすことでしか自分達の安全が保障されない情けなさ。同時に、あんな身体能力を誇る超人ですら倒せるかどうか分からないと言うワルプルギスの夜へ対する畏怖の感情。

 

「まどか。良い先輩を持ったね」

「…うんっ」

 

 ただ一言、呟くように言った知久の言葉に、まどかはくしゃくしゃになった顔で答えるのだった。

 

 

 

 

「…何をしているの?」

 

 ごそごそと動く未来技術の結晶を身に纏った男に、一人の少女が話しかける。

 

「済まないがそこの鉄板をとってくれ。ちょうど10センチ四方に切り取った奴だ」

「ほら……それで? 随分元気そうだけど」

「済まない。後五分もあれば回路の積みこみも終わる。小さいコンピューターでいいが、何か接続用の端子は無いか? ああ、いや。コードさえあればパネルは必要ない。直接手を突っ込んで制御は可能だ」

「……私、こんな時どう言う反応をしたらいいのか分からないわ」

「黙って手伝え。出来ればこのまま運んでもらえるとなお良い」

「ハァ」

 

 カチャカチャと完全に自分の世界に入っている困ったエンジニアを前に、専門職の人は気難しい所もあると言う印象を持っていたほむらは、まさしく職人肌そのものな雰囲気を隠そうともしていないアイザックに対し、額を抑えつけることでしか自分の感情を表現する事が出来なかった。

 何やら細かい部品を寸分違わず選び、即席で地面のコンクリートからプラズマカッターで抉り取って造ったと言う作業台に小さな作業用ロボットを乗せ、完成するまでチミチミと組み立て始めている。更には機械額だけでなくシステム系や電気工学も網羅する彼は、就職後たったの二年で主要船に近い現場の船を触る事を許された経歴を持ち、そのエンジニアの中でもかなり高めの技術がこの500年も前に当たる過去で発揮されている。

 更には物理的にコードと電子盤さえあればパネルの入力端子は必要ないと言い張る辺り、ハッキングの心得もあるような発言はほむらを呆れさせるには十分な威力を持っていた。ほむらが話しかけなければ、黙々と作業を続ける鎧姿の男(アイザック)の姿は、傍目ちょっと怪しいおじさんである。

 

「ふむ…ガワは出来たが、ルーチンを組むにはコンピューターから打ち込まなければならないな。新しく命令上書き用のチップも作っておいた方が良さそうだ」

「…終わったの?」

「後は君の家に着けばな。さぁ、早く運んでくれ。こちらは足を動かすのもキツイらしい。メディカルパックは君の家の倉庫に全部預けてしまっていてね」

「グリーフシードは?」

「勿論、キネシスで材料を集めているついでに見つけておいたとも」

 

 目の前に差し出された魔女の卵を受け取り、今度こそ盛大に溜息をもらしたほむらは自分の盾の亜空間にグリーフシードを保管する。丸い盾を時計の秒針を止めるかのように抑え込んだかと思えば、その場にいた筈の男も少女も、ただ散らかされた機材を残して誰も居なくなってしまったのであった。

 

 そして約50分後。負の怨念が溜りそうな場所をいくつか巡ったが、ネクロモーフはおろか魔女の結界すら見つける事が出来ず、今度こそ帰路につく時間遡行者達。アイザックはスーツをガシャガシャと鳴らしながら、ふと呟かずには居られなかった。

 

「…これで、いいのか? 本当に」

「今日は随分独り言が多いのね。さっきといい、今といい」

「そう言う意味では無いが、ワルプルギスの夜…実物を見たことのない私はともかく、君はどのくらい強力な魔女なのか分かっているのか? 今まで聞いた事は無かったが、それだけでも聞いておきたい」

「……恐ろしく強大よ。魔法少女二人が自爆して、ようやく弱った。そこを魔法で強化したタンクローリーを四つ突っ込ませて一度怯みを見せた。日本の自衛隊やギャング連中から押収したミサイルを掃射して、ようやく笑い声を止めた。そして―――反転し、全てを破壊した」

「…君はどうなった?」

「分からないわ」

 

 その言葉に、アイザックは眼を見開いた。今はスーツのヘルメット部分を開けているので、その様子はほむらにも見て取れる。

 

「君らしくないな。状況分析、そしてデータの採取でこつこつと積んできたのだろう?」

「本当に分からないの。私はその時、恐らく一度死んだ。もしくは死ぬ直前に、偶然この盾を自分の手で逆回す(サカノボル)ことができたのか。……分からない」

「…では、今一度別の方を聞く。君は、何度遡ったのか覚えているのだろう?」

「…………」

 

 思い出したくもない、と言う顔をしたほむらにアイザックは首を振る。

 やはり、人間と言うものは忘れたくても忘れられない事柄には何を言われようとも口にしない。そして、そうする事でようやく忘れることができると信じずにはいられない生き物らしい。だがそれは全くの無駄である。一度心に、記憶に刻みつけられた衝撃は生半可な事では消えない。

 足を止め、ほむらの前方に回り込んだアイザックは彼女と視線の高さを合わせた。

 

「もう一度、言ってくれ」

「……もう、この世界は21巡目になるわ」

「その中で、一度だけでもワルプルギスを倒せた事は?」

「3度、だけ。その時は、まどかが魔法少女になって、一撃でワルプルギスを倒して、1時間にも満たず世界を滅亡させた。その前に、私は戻った。やりなおしたわ」

「自分の手でワルプルギスを退けたのは?」

「ゼロ、よ……」

 

 心底悔しそうに、歯を食いしばる。ほむらの手は強く握られ過ぎたのか、隙間から血が噴出し始めている。アイザックはそんな彼女を見て、やはり託すしかないと言う諦めの感情と共に、一つの「武器」をRIGの格納所から取り出した。

 それはほむらが一度も見たことのない形状をした、二本の支柱に鉄板を張り詰めたような形をした物。硬質な輝きを放つそれを、アイザックはほむらに手渡した。

 

「…本当は、私の身を守るためにも渡したくはなかった。奥の手だったんだがな」

「これは?」

Contact Beam(コンタクト・ビーム)。とりあえず20メートル級の肉塊ならフルチャージで吹き飛ばせる、高マイクロウェーブの他、弾丸そのものに付けられたステイシス機能によって対象のエネルギー浸透率を補助。高濃度のエネルギーを対象の内部で核分裂の様に反響させ、一定の値に達した所で爆砕させる。欠点としてはエネルギーのチャージが必要なため、チャージ中はエネルギーを暴発させないようゆっくり運用する事と、一発一発の単価が非常に馬鹿高い。弾数は私の用意できる資材では今は3発が限度だ。既にカートリッジに搭載してある」

「……工具?」

「悪質なスペースデブリや小惑星の破壊以外には、とりあえず馬鹿デカイ化け物にしか使ったことが無いが……それはもうアケミが持っていた方がいい。最高の目標が目下Hunterしかいない私には無用の長物だ」

 

 仕様書を同時に受け渡し、アイザックはほむらの家へ歩を進める。

 突然としてこんなものを受け取らされたほむらは、コンタクトビームの重さに四苦八苦しながら、何とか其れを盾に収めた。

 

「…突然どうしたの?」

「いや、こっちもさっぱりだ。ただ、渡さなければならない様な気がしてな」

「本当に唐突ね」

「…何時までもその“力”だけで取り繕うのも難しいだろう。新しい仮面の拠所ぐらいしか渡せないが、せめて最後まで隠しきれるよう祈っておくと良いんじゃないか? 助けの手すら伸ばさない薄情(クソッたれ)な神とやらにな」

「……そう、ね」

 

 ほむらは、どこまでも気丈にそう言った。

 

 

 再び夜明けは近づいてくる。

 ワルプルギスが到来するまで、それほどの時間は残されていなかった。

 




ようやく登場コンタクトビーム。当然設定は後付けアンドオリジナル。
でも、こうじゃなきゃゲームで使ったときに爆砕する理由が分からないし、そもそも巨大な肉塊を吹っ飛ばすなんてエネルギーがどーんだけじゃ説明つかない。
しかもあれ、数少ない「武器」かと思ったらやっぱり「工具」ってちゃんと説明書きに在ったという事実。


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case17

注意。今回はデッドスペース3のネタバレが含まれています。
ただし、アイザックさんは無印の直後です。


≪――繰り返します。見滝原及び近隣の住人の皆さまは本日より緊急退去をお願いします。スパーセルの到来は一週間後と予想されており……≫

 

 避難勧告が一定の時刻に定期的にならされている。しかし、既にここ4日の間に見滝原は避難勧告が続いていたため、既にこの町に残っているのは僅か数人の「事情」を知る者のみとなっていた。その放送を聞いて、河川敷で寝そべっていた一人の少女がむくりと起き上がったりもしているが彼女もまた特別な存在であるので問題は無い。

 その日の朝は遂にまどか含めた鹿目一家が避難する日となっており、街は住人の代わりにスパーセルへの恐ろしさが町中に負の思念となって固まり、いくつかのグリーフシードを形作っている。魔法少女であるさやかとマミがそれらの掃討に当たっているため、鹿目家を見送る魔法少女はほむらだけが残っている状態だった。その隣には、件のエンジニアスーツを着用したアイザックも連れ添っている。

 

「ほむらちゃん、頑張って。絶対に生きて帰って来てね」

「大丈夫よ。今までになく最高のコンディションだから、ワルプルギスには負ける事なんて無い。それに上条・志筑両家には無理を言って各種兵器を貰って来たから準備も万端。負ける要素なんて―――無いわ」

 

 その言葉と共に、マミから別れ際に手渡された黄色のリボンをまどかに渡す。

 

「これって…」

「巴さんから貰ったの。私の占い、覚えてる?」

「…ラッキーアイテムは、黄色のリボン」

「そうよ。派手な花火で凱旋を演出してあげるから、あなたはそれを通して私たちを応援してくれればそれで十分。私たちがどんな状態になっても、キュゥべえの誘惑には絶対に乗らないで」

「うん。わたしも、世界は滅ぼしたくないから」

「大丈夫。大丈夫よ」

 

 自信満々に言い切るほむらだったが、まだ中学生の少女が国を挙げた最新兵器を取り扱うと言う事実を聞かされた詢子と明久はたまったものではない。だが、それに異を唱えることも出来ないのが現状であるが故に、彼らはただ一時の別れを告げる娘の友達を見送ることしかできなかった。

 

「暁美ちゃんだっけ。ウチのまどかが世話になったみたいで、本当にありがとうな。おかげで引っ込み思案だったのが人を思いやれるようになってるし。まどかに暁美ちゃんみたいな友達が居て助かったよ」

「僕からもお礼を言わせて欲しいな。ただ、ありがとう。それだけしか言えないけど」

 

 語るべき言葉を持つのは自分では無い。だからこそ、形式的な挨拶しかできない自分が恨めしかった。それでも言葉にするのは大切だ、と。今にも泣きそうな顔でまどかの両親はほむらを見送ってくれる。

 

「…お二人とも、ありがとうございます。数日後にはこちらの彼(アイザック)が避難所に行くと思いますので、いざという時には彼を頼ってください。彼なら発生したばかりの弱小の魔女は倒せると思います」

「避難民の恐怖や怯え、不安がグリーフシードを呼び寄せ孵化させるとのことだ。こちらのネクロモーフの脅威を始末したら、今度はそちらに伺おう。魔女が育つには平均一週間ほどかかるらしいんでな、そちらもグリーフシードがあったら娘さんを通じて知らせて欲しい」

「分かりました。アイザック・クラークさんでしたよね?」

「ああ」

 

 知久の問いに応える。すると、知久は頭を下げて言った。

 

「どうか、どうかあなたが居る間だけでも子供達を守ってあげて下さい。大人が解決するべき事なのに、どうにもできない……そんな僕達の勝手な詭弁ですが、どうか」

「…勿論だ。こう見えても整備員とはいえ軍には所属していた時期がある。イロハは心得ているつもりだよ」

 

 気休めにもならない台詞を吐いて、アイザックはこの町から去ろうとする力無き者たちへ言葉をかける。当人同士がとっくに理解している、まったく意味の無い会話。だがそれでも、言葉にしなければならない時がある。それを体現したかのような、悲しい会話。

 

「アイザックさんも、頑張ってください!」

 

 最後にまどかが頭を下げ、彼女は両親に連れられて街の外へ向かう集団の中へと紛れて行く。その姿を見つめ続けていたほむらがぐっと拳を握りしめ、その音にアイザックは知らぬふりをしたのだった。

 

 

 

 見滝原某所。

 噴水の見える綺麗な公園で、曇天の下ふたりの男女が向かい合っていた。

 

「それで志筑さん。話って」

「…ええ、この場でハッキリと言わせていただきます」

 

 仁美と恭介。財閥として連携、そして今回のワルプルギス騒動への政治的介入の第一歩となった二人の家族は、それぞれ最後の責任感から最後の避難民が居なくなるギリギリまで街に残るつもりだった。とはいえ、雑務は実質的な権威と能力を持った親がこなしているため、二人は両家でシンボルとして扱われるのみ。そうして空いた時間を狙って、仁美はさやかとの約束を今、まさに果たさんとしているのだ。

 胸の前に握りしめた片手を寄せ、仁美は小さく深呼吸する。真っ直ぐと見据えた目線で恭介を捉えた彼女は遂に思いの丈を吐きだした。

 

「あなたを、お慕いしております」

「………これは、参ったね」

 

 ある意味男としては最低の発言だっただろう。だが、恭介はそれを分かった上で、仁美がこの言葉に仕方ありませんわねと笑う事すら予想して言い放った。

 

「いつから…かな?」

「…あなたが退院なさる前から、興味を。そしてあなたと競合の時に、改めて」

「そっか。僕もこんな立場になるとは思わなかったよ」

「誰も思いませんわ。でも、よくあることなのは確かです」

「確かに、その通りだね」

 

 公園の柵に手を置いて、恭介はそちらに体重を預けた。

 その仕草は正に、彼にとっては重荷になったと言う証。だがそれでも仁美は引く事はしない。元より重荷となるのは明らかで、それは親友との真剣勝負(ヤクソク)であるのだから当たり前だ。

 

「…返事は待ってくれるかい? このワルプルギスの夜が終わるまで」

「勿論ですわ。何度でも言うようですが、わたくしは本気です」

「さやかとの約束なんだね。このタイミングで言うってことは」

「はい」

 

 迷う事無く言い切った。そうして恭介も意図を理解する。

 これは魔法少女となったさやかと、一般人で在り続ける仁美の戦いであり、友情であり、そして試練であるのだと。

 恭介は笑って、こんな大変なことになった二人の少女へ涙を流す。こうすることでしか己を保てないさやかと、訪れるかもしれない「最期に怯えて」言い切った仁美。恐らく話を切りだしたのは仁美の方で、この気持ちは後悔しないようにといったもの。しかし、それだけに人生を投げ捨てたさやかとつり合った重みを持つ。

 

「上条さん……いえ、恭介さん。頑張りましょうね」

「うん。そうだね…そうすることでしか、僕らは彼女に償えないから」

 

 告白のことからすっぱりと話題を変えて、上条恭介は「魔法少女たち」を案じる。未だ見ぬ、まさしく未知の脅威。アイザック、ほむらが変異したと言ったネクロモーフや前文明を滅ぼしかねない最強の魔女、ワルプルギスの夜。それらは人間が思い浮かべるにはあまりに常識からかけ離れ過ぎていて、実感の湧かない恐怖だ。

 しかし、実在すると知っているからだろうか。こんなにも背筋が震えて、殺気を感じているような――――?

 

 ―――――ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!

 

 本物の恐怖はすぐそばにいる。

 赤黒い肉の鎌が振り向く恭介の視界に収められた。

 

 

 

 くちゃ

 

 

 

 

 

 

「…ここが、転校生の記憶(・・)で言う最後の魔女が居る場所?」

「女の下半身が鳥かごの中に入ったような魔女ね。足場は最小限しかないから、その御自慢の脚力で使い魔でも何でも踏み台にしないと奈落の結界に真っ逆さまよ。実際、あなたそれで死んだ事もあるんだから」

「……え? 美樹さんじゃなくて私の方?」

「そうよ。銃身が重すぎて滞空終了、私が気付いた時には結界と一緒に消えてたんだから」

「情けないわね、私」

「情けないどころか、その時間軸はあなたが最後の仲間だったのよ」

「うわぁ…マミさんの理想像が崩れて行くー……」

 

 ガラガラと何かの砦を崩した二人に溜息をつきながら、ここは遠距離で有利なほむらとマミだけが残るように会議を終えた。それぞれの役割分担をした三人は、死なないようにと誓い合ってその場を二方向に別れて行き、さやかはほむらから預かった3このグリーフシードを握りしめて変身、ビルの谷間へと消えて行くのだった。

 

「それじゃ、始めましょうか」

「そうね」

 

 ほむらは魔法で強化したプラズマカッターを、マミは最初からリボンを新体操のようにクルクルと巻いて魔法で編んだ硬質な銃を。どちらも魔力のセーフティを外したまま、結界の中に飛び込んで行った。

 

「あ、わ、とっとと…!」

「足場を作りなさい! あなたのリボンで繋げるのよ」

「分かってるってば。足場なしの結界は慣れないのぉ……」

 

 ほむら、アイザックお泊りの一件以来すこしだけ心が開けていたからか、マミは「出来る先輩」の仮面を拭い去って素のままの自分をさらけ出しているらしい。少しだけ弱気の入った発言は彼女の寂しさという本質を表しているようで、見ている分には可愛らしいが戦場ではどれだけ心が揺れ動いていたのかを嫌でも理解させてくる。

 ほむらはプラズマカッターで成人男性の恰好をしながら、鳥の頭に挿げ替えられた人型の使い魔を破壊しつつ、すぐさま武器を収納して使いなれたハンドガンを装備する。強化された手で反動の具合を確かめつつ、使い魔へ魔力コーティング9mmパラベラムを慣れた手つきで撃ち込んでいく。

 隣を見てみれば、弱々しい表情は顔に残したままであれど、歴戦で鍛えられた反射神経と身体に染み込んだ戦闘経験から華やかで無駄のない狙撃を披露するマミの姿がある。大砲を両手に装着したような格好で飛んでくる使い魔を撃ち落としたマミは、着弾した敵から伸びたリボンを操作して使い魔達を雁字搦めに結び付けているようだったが、その視線が一瞬だけ此方に向けられる。なるほど、そう言う事なら――

 

「暁美さん、使って!」

「ありがたくいただくわ」

 

 黄色いリボンと使い魔でできた歪な階段は、ほとんど何もしていないが使い魔を際限なく生み出す魔女へと向かっているものだった。タン、タン、タンッ! と大きく飛び上がったほむらは盾からあるものを取り出し、その長い長い身の丈以上の長さがある筒へ魔法を付与。そして、射程圏内へ入った魔女へ向かって思いっきり投げつけた。

 風を切り、銀色の硬質な輝きを放つそれは銃弾などではなく、一つの弾丸。通常なら専用の発射気を用いるようなそれは、魔法少女のとんでもない膂力で投げられることで着弾時の衝撃が発破に届いた。――ミサイル、と呼ばれる兵器は空間を響かせるような大爆発の反響音を響かせながら、魔女を守るかのように聳え立っていた銀色のカゴを破壊する。こうなってしまえば、「鳥カゴの魔女」の名も形無しであるとでも言うように。

 

「とどめは譲るわ。先輩」

「ありがとう、後輩さん」

 

 マミのリボンに絡まりながら、飛翔を続けようとする使い魔達は足場として非常に役立ってくれている。その一つに降り立ったほむらはマミの雄々しい背中をその目に焼きつけ、今までの鬱憤を晴らすかのように高められていく魔力の唸りを感じ取っていた。

 

「ティロ・フィナーレッ!」

 

 5メートルはあろうかと言う巨大な砲身が、マミのリボンで魔女へのレールを作りながらに放たれる。新幹線のようにリボンの上を走った魔力の弾丸はミサイルの爆風でボロボロになった魔女へと到達し、その核を破壊しうるほどの威力を見せつけた。

 恐れるべきはマミのポテンシャルの高さ、そして魔法の威力。揺るがぬ決殺と最後を飾る意を込められし魔弾は魔女の存在した痕跡すら残さず、魔女結界そのものを巻き込んで消滅させてしまう。

 この世界ではそのまま落ちて行くこと無く、無事に地面へ到着したマミは空から降ってきたグリーフシードをキャッチして、ほむらにそれを見せつけるように振りかざす。そんなお茶目な様子を見せつけられるほむらと言えば、多少呆れているようでもあった。

 

「グリーフシード、二つも落ちてきたわ」

「よっぽど街の人の不安があった? でも、今回は結構全力出さないと厳しい戦いだったから、このまま使ってしまいましょう。先輩(・・)? 今度はお一つ譲ってくれると助かるわ」

「あの郊外のビルでの出来事覚えてるのね。じゃあ今度こそ、使いなさい。そのグリーフシード、まだ一回も使ってないから……なんてね」

「ぷっ、ふふふ……何よソレ」

「あの時の再現よぉ! ちょっとは乗ってくれないと恥ずかしいじゃないの…もう」

 

 マミからグリーフシードを投げ渡されたほむらは、彼女と顔を見合わせた。そして、思い出すように二人でクスクスと笑いながらもソウルジェムの穢れを吸わせていく。これまでに穢れを溜めて温存していたせいか、それで入手したばかりのグリーフシードは一回こっきりの代物になってしまったようだ。

 それから、マミからもう使用は不可能なグリーフシードを受け取ったほむらがいきなり後ろにあった暗がりに二つのグリーフシードを投げつける。すると暗がりからは白色の影が飛び出し、背中の円の様な模様がある場所を開いてそれらをバクバクと呑み込んでしまった。

 

「やっぱり来てたのね、キュゥべえ」

「きゅっぷい! グリーフシードを再発させて魔女を孵化させても、最初よりエネルギーは落ちているからね。死にたてのものが一番なのは、君達人間も新鮮なものはおいしいと言っているようなものだね」

「魚の方で受け取らせていただくわ。あなたの言葉はモラルとかに反した発言だと思うけど……分からないわよね」

「仕方ないね。その辺りも鬱陶しいという感情から生まれた思いだ。感情を持たない僕達には理解の範疇を越えた精神構造だよ」

 

 瞬きすら必要の無い紅玉の瞳で見上げてくる獣は、やはりその奥底にうっすらとした異物としての恐ろしさが宿っている。そして人間とは決して分かりあえないと言う事実を知る彼女らはそれ以上に、このキュゥべえという生物に対して良い感情は抱く事はできていなかった。

 

「ねぇキュゥべえ。大体一週間後、本当にワルプルギスの夜は来るのね?」

「そうだね。この気流の乱れ方……まぁ、その他諸々を噛み砕いて言うと一週間後の昼を過ぎた1時頃、この星の時間体系では前後1時間と20分以内の誤差範囲で襲来する事は確かだ」

「細かい統計ね。それも過去の出現履歴からかしら」

「そもそもの情報が少ないから誤差範囲を伝える結果になるんだけどね。ハッキリとした情報さえあれば本星の演算処理によって誤差範囲は0.1秒以内に収められるさ」

 

 そもそも、キュゥべえは元凶であると同時にそのインキュベーターが生きる星の端末の一つに過ぎない。ともなれば、無駄な殺害行為はコイツらのノルマとやらを増やす=犠牲者を増やすことにしか繋がらないと判断したほむらは、必要最小限にしかキュゥべえは殺さないことにしている。

 だがやはり、その面を見ると殴り飛ばしたくなる想いは変わらないらしい。今にも吹き飛ばしそうに震える右手を精神力で抑えつけ、ほむらはマミとキュゥべえの会話を見守ることにしていた。

 

「質問はもう終わりかな?」

「いえ、もう一つ」

「いいよ。時間はあるしね」

「……ネクロモーフに関してだけど、あなたたちインキュベーターの方で処理はできないの? 話しを聞いた限りじゃそっちでもあの存在は無駄って分かってるみたいだし、私たちはワルプルギスの夜に集中したいから、どうにかしたいんだけど」

「それは難しい判断だね。そもそも、君たちがワルプルギスに勝てるかどうかは演算結果として出すことができない。魔法少女は如何なる奇跡も起こして見せると言うのは、契約時の願いを叶える事に限った事では無いんだ」

「それって? ネクロモーフはひとまず置いて、そっちの話から聞かせて貰えるかしら」

 

 そうだね、とキュゥべえは長い話になる事を事前に尋ねる。

 その問いにほむらとマミは頷いたので、白獣はその済み渡るビー玉の様な眼で二人を見上げて説明を開始した。

 

「魔法少女は魂をソウルジェムとして固定化する事で、その感情の力を魂を通して何倍に膨れ上がらせる。それを便宜上“魔法”と呼ばれる力に変換して科学では証明のできない強大な力として扱う事ができている。まあ、科学でも其れに相当するエネルギーを消費すれば再現は可能だね」

「だけど、いまだ解明されていないながらも魔法はその契約した個人の想いの丈や最初の願いに応じて戦闘時に能力として発言するケースが多々見られた。同時に、何度演算してもその願いとはまったく関連性を持たない結果を弾きだす固有の魔法を扱う魔法少女も幾人か確認されているよ。たとえば、マミ」

「君のソレは、僕や自身に作用する治癒能力だ。それは僕の体と、マミ自身の体を治すことはできないという制約はあるものの、他には他人の治癒に長けた魔法少女でなければ固有魔法として発現する事は無い。こちらの本星を通した回答によれば、僕を案じる感情から生まれた小さな固有魔法と言う結果だね」

 

 その言葉に、ほむらはハッと想い至った。

 確かにマミは銃とリボンを作り出す能力であり、治癒はあくまで点在する魔法少女全般とほとんど変わらないものの筈。あの治癒を願ったさやかでさえ、他人の傷はいやせず自分しか治せない欠点を抱いていると言うのに、マミは生き残りたいという「自分自身への願い」の範疇を越えている。

 

「こうしたマミの実例のほかに、多数の他人に作用したり自分へ施される異例の魔法のケースが本星のデータベースに保管されている。これらの技術はいまだ未解明で、人類史誕生から糸口すらつかめない状態なんだ。だから不可能だと思われることであっても、数百億分の一の確率で万が一にでもそう言った異例の魔法が発現した場合、こちらの演算装置のいくつかがオーバーヒートを起こす現象が発生する」

「…なるほどね。つまり、ワルプルギスの夜もその数百億分の一の確率で私たちの誰かが異例の魔法を生み出せば乗り越えられるってことでいいの?」

「“異例の魔法を生み出す”という仮定を決定づけた上なら、君たちの場合89%の確率でそうなるね。もっとも、残りの11%は君たちが絶望的な状況下で狂ってしまった場合の破滅を呼ぶ魔法を生み出す確率なのだけども。だからこそ異例の魔法を生み出す確率がオーナイン以下の理論上見込めないこの星は投棄の案が提出されている」

「家畜みたいな扱いね」

「そもそもこの星の“技術”という方式を目覚めさせたのは僕らだよ。故に、後の脅威となるネクロモーフ諸共この地球が存在する宇宙は少なくとも太陽系ごと隔離する予定だ」

「…ネクロモーフが脅威?」

「Markerは見当たらないけど、いつしかワルプルギスから生き残った人類の誰かがMarkerの原典となるものをネクロモーフから受け取るだろう。脳回路に侵入し、幻覚として死角情報から訴えられて造り出してしまえば“奴ら”がこの星をワルプルギスのエネルギーごと捕食に来る。ワルプルギスの夜が襲来することで90%の人類は滅びる予定だからね。どちらにせよあの厄介な奴らを隔離するために星一つが犠牲になるならまだマシさ。宇宙の恒久的存在への貢献のほかに、僕達の本星が襲われる確率も減ってくれる。インキュベーターも感情は無くとも生存本能はあるからね」

 

 なにやら、話が壮大になってきた。

 マミは既に地球以上の規模になりつつあるキュゥべえの話の内容に頭から煙を出しかけているし、ほむらもアイザックが想像した以上の規模でネクロモーフが脅威となりうることに衝撃を隠せない。図式としては、「ネクロモーフ<魔女」と考えていただけに、キュゥべえの話には少々納得のできない点が多々存在していた。

 

「…ネクロモーフは、あなた達インキュベーターですら恐れているの?」

「確かアイザック・クラークはHunterと言う個体の殲滅に努めているのだったね? アレは細胞全てを焼き尽くせば消滅できる事を考えれば全く脅威になり得ない。これを踏まえたうえで、ネクロモーフ単体と言うよりはこのアンデッドが作り出すMarkerが問題なんだ」

 

 ほむらは思う。キュゥべえが、インキュベーターがこうも恐れるMarkerとは一体どれほどの脅威となりうるのだろうか、と。

 何度も話題として挙げられるこの物体は、二つの断層的な見た目をした四角錐が螺旋状に捻じりあった構造の数メートルあるものだと言う。長い間近くにいると、この建造物そのものが語りかけてくるらしく、それで気が狂いそうになったとも言っていたが、ネクロモーフを作り出してしまう電波のようなものを発するだけでは無いのだろうか?

 

「巴マミ、ここは私が話をまとめておくからアナタは魔女の掃討に戻って」

「…わ、分かったわ。美樹さんも心配だし、途中でネクロモーフを見かけたら撃って……おく、わね」

「…無理しなくてもいいわよ。ネクロモーフは少なくとも、魔女の様に人間の原型が何一つ残って無い怪物じゃない。少しでも知り合いの面影がある怪物なんて殺したくないでしょう?」

「…ごめんなさい暁美さん。―――ありがと」

 

 マミはさやかの軌跡を辿り、鳥カゴの魔女結界があったその場から飛び退いた。ひと跳び数十メートルもの脚力を発揮できる魔法少女の能力を存分に使いながら、ゴーストタウンと化した見滝原での探索者の一人となる。

 ほほに感じるのは台風の前兆でよくある生温かい風。不快な気分を感じながら、マミは一週間先に待ち受けるであろう死の恐怖へと涙を流した。願わくば、生き残る事ができますように…と。

 

 

 

「…それで、聞かせてもらえる? あなたがさっき言った“奴ら”…ネクロモーフが呼ぶ脅威について」

「こちらとしても管理可能な知的生命体が存在する星が失われるのは避けたい。君にできるだけの情報を渡すことにするよ、暁美ほむら」

 

 キュゥべえとほむら。これほどまでに相性の悪い相手もいなかっただろうが、キュゥべえの発言はこの場で形式上とはいえ協力関係になると明言したようなものだった。だがやはり効率のいいエネルギー搾取場としてしか人間を見ていないキュゥべえの言葉に吐き気を感じながらも、ほむらは聞き手の体勢を整える。

 

「まるで小惑星の様な大きさから、そして彼ら自身もそう言っているんだけどね」

 

 キュゥべえは平坦に話す。

 インキュベーターですら一度目をつけられれば逃れられない最大の脅威。

 

「The Moon。君たちの言語ではそう呼ばれている」

 

 生命を捕食する暴虐の存在。

 宇宙全てに点在する月の兄弟達がどこかで笑ったような気がした。

 

 

 

 

「…あ」

「上条さん!」

 

 恭介の顔にはべったりと、赤黒い新鮮な血液が張りつけられる。

 目としての機能を無くした肉塊が彼らを睨みつけ、どこまでも空虚な死そのものとも言い変えられる恐怖が恭介に訪れるが、それはあくまで目の前のネクロモーフからしか発せられてはいない。

 血こそ着いてはいるが、上条恭介という人間は何一つ怪我など負っていなかった。

 

「よぅ、寝てたらだーれもいなくなっちまった。オマエなにか知ってるか?」

 

 目の前の槍を構えた少女に、救われたのだ。

 

「……あなたが、佐倉杏子さんですわね?」

「あァ? なんで知ってる」

「この町は貴方が先ほど切ったネクロモーフの脅威から守るため、そしてワルプルギスの夜が襲来すると言う事でわたくしたちが閉鎖しました。この町では残留した未曾有の台風と偽ったことで恐怖と不安が魔女を大量発生させているようですが、あなたが求める狩り場ではなくなっていますわよ」

「…魔法少女か? いや違うな…ソウルジェムを構えようともしないってことは一般人。だけどアンタがなんでそこまでこっちの事情に詳しいんだよ?」

 

 槍についたネクロモーフの血肉を払った紅い魔法少女、佐倉杏子は疑問を掲げる。

 少なくとも魔法少女の秘密は人類史の始めから発生しているにもかかわらず、それが表ざたになった事が無いほどに隠匿された情報だ。ちまたの噂程度に広がる事はあれど、一般人が熟知していることが無いのが当たり前。

 だが、協力者として申し出たこの二人は知っていて当たり前。そこから得た情報を照らし合わせた上で、見たことの無い魔法少女はこの佐倉杏子だと判断したのだろう。

 

「恭介、こっちにネクロモーフっぽいのが……ってあんたは!」

「テメェ、この前逃げた青色の! おい、オマエ魔法少女のことばらしたのかよ!?」

「あたしじゃないわよ! というか恭介…に仁美か。そっちもあの事情は終わってる?」

「ええ。告白いたしましたわ」

「分かった。…それじゃ、二人はもう避難しても大丈夫だよ。ここはあたしたちの領分だから」

「さやか、気をつけて。僕らはもうこの町から出るけど」

「待っていますわ。必ず生きて帰って来てください」

 

 恭介の先導で、公園を出る二人。ネクロモーフの脅威はあるが、恭介が出口辺りで電話をしている事から二人にはすぐに迎えが来るだろう。万が一、目の前に転がっているネクロモーフ以外にも個体がいた場合を想定して見送っていたさやかは二人の安全が保障された事を確認すると、その両手で白銀の大剣をしっかりと持ち、正位置に構える。

 

「まぁこんな感じで構えたんだけども」

「お、前の続きやるかい? アタシは全然構わないけどさー」

「ちょっと、こっちの話も聞いてくれるかな」

「は?」

 

 さやかは戦いに臨むとは思えない様な温和な笑みを浮かべていた。

 だが杏子は一切として油断する事などできない。少なくとも二人以上で群れている魔法少女のさやかに増援が来ないとも限らないのだから。

 さて、どんな油断の言葉が飛び出すのやら。そう思った杏子は、次の瞬間には呆けた表情を晒すことになるのだった。

 

「ワルプルギスの夜討伐戦線。参加表明が欲しいかなー…なんて言ってみたり」

 

 




次回からもっとダークなのが書きたいです……結局ヒロイックな表現になってしまいました。
虚淵さん…わたしたちに、ダークな表現&脚本パワーを…どうかお恵みください……


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case18

バラバラになっていく登場人物達。
文字稼ぎにはちょうどい(ry


 馬鹿を見る様な目だ、と思う。

 当たり前だ。なんせ前の邂逅にてゴミ箱の相手をさせている間に自分が逃げたという事実がある。更には明確な敵対関係を取ろうとした相手に直接、仲間に加われと言い放つ。加えてさやかは魔法少女になって日が浅く、長丁場になればなるほど敗北の確率は高まっていく。

 下手を踏めば、やられてしまうのは自明の理。杏子はいぶかしむ感情を隠そうともせず、ただ目の前の青い魔法少女を睨みつける事しかできなかった。

 

「……あ、分かんなかった? えっとね。一週間後にワルプルギスの夜が到来するからさ、そっちが仲間になってくれればこっちの戦力が4人になるってワケ。少しでも死ぬ確率は減らしたいじゃん? だから、負けて地球を終わらせるよりはちゃんと協力できる複数人の戦力で―――」

「待て待て、待てって! …コッチはやるなんて一言も言ってねーぞ」

「あれ、勧誘の仕方が悪かった? ほむらみたいには行かないなぁ」

「ッ! ふざけんなっ!!」

 

 痺れを切らした杏子の一閃。言葉と共に予備動作も見せずに振り抜かれた槍は神速の一撃に相応しい。無論、唐突な行動に対する即座の対応などルーキーの魔法少女には難しく、さやかはその一撃をまったく視認する事も叶わぬまま―――

 

「…あれ?」

「ハッ、言っただろ。ブッ飛ばしてでもグリーフシードの在りかを喋ってもらうってな」

 

 勢いよく槍が引き抜かれ、紅い穴を作ったさやかの腹部からは大量の血液が噴出する。信じられない、といわんばかりの顔でその場に片膝をついた彼女は、患部を抑えながらも杏子を見上げて睨みつける。

 杏子が行動に出た理由はこれで少しはマシな態度になっただろう、といった杏子なりの気遣いであり、手っ取り早い苦痛による情報抽出の手段である。それほど多くの魔法少女と出会ったことは無いが、いくらかはこうした方法で漁夫の利を得ることができていた。その後の魔法少女がどうなったかは持して知るべしであるが、彼女自身いちど奪った相手のことなど気にも留めない。さやかも同じくその犠牲者の中に含まれるだろう、というのが当たり前の結果であるのだが、そうもいかない。

 さやかは魔法少女の中でも恐らく、いや絶対に一番特殊な初陣を飾った少女だ。能力の全容は多少の差異はあれど、ほむらと共にいる時に「別の時間軸のさやか」の事を聞いているだけあって、自分に何ができるか、どこまでできるかの限界を知ることも可能。

 その武勇伝の数々は、さやか自身でも狂人としか思えない様なストーリーであったが、なるほど、自分以上に戦いで麻痺させることに特化した魔法少女も珍しいかもしれない。この様々な麻痺は、恭介の手が願いで治るまでの分が全部持って来てしまったのでは? とも議論した事がある。

 偶然キュゥべえが聞いていても、因果のなせる御業さ、とでもいいそうなものだが。

 

 なんにせよ―――さやかは再起不能ではない、というのが結論。

 

「…痛ぁぁぁぁいッ! お腹突くとか、アンタ正気!? しかもここ、女で一番大事な場所! 分かる? アンタは命に感謝とかしたことあんの!?」

「……ハ?」

「ああもう! 怒った。こうなったらこっちから力づくでも気絶させて引きずって行くからね。恨まないでよ、馬鹿!!」

「なっ、おまえ!?」

 

 その手に白銀の刃を備えた両手剣を出現させると、身の丈より大きく自身の首よりも太い刀身を誇る両刃の銀剣をひらめかせる。重力など感じさせないかのように大質量の長物を扱うさやかは、背中にロケットエンジンでもついているのかと錯覚させるロケットスタートを切り、刹那の時にて対象との距離を詰める。

 明らかに長物にしては不利な超至近距離と圧迫感に、杏子は反射的に後ろに飛び退いてしまう。しかしそれこそがさやかの狙いであり、標的自身が作り出した理想的な間合いが開いた瞬間に剣を振る。杏子の身を寸断せんと迫りし刃は彼女が取りだしたギミック・ランスの強靭な柄で受け止められたが、その膂力は並みの魔法少女には無い怪力だった。インパクトの瞬間、さやかの全身から集約された衝撃が相手の接触点を通じて全て運動エネルギーへと変えられてしまえば、結果は語るまでも無い。

 水平に飛んで行った杏子の体は、あまりの風圧で体勢を整えることも出来ずに公園のフェンスを突き破り、それでいくらか速度が和らぎ地面へ転がされる。振り抜いた形で固まっていたさやかは直剣を両手で握りしめ、鋭い闘気を乗せて視線を叩きつけた。この程度で終わりなのか? と、そう問うようにして。

 

「舐めんなッ!」

「舐めてなんか無い!!」

 

 立ち上がった杏子の手で槍が回り、一本の柄は多関節を持つ棍としての機能を露わにする。魔力が通り、意のままに操る事を可能とした鎖がジャラジャラした音を立てて展開すると、杏子は同じ槍を十数本辺りに展開。鎖が伸び、槍の穂先が様々な場所にささっていく中、その内の何本かはさやかを狙って風を切る。

 しかしネクロモーフの純粋な殺意と、おぞましい程の速度・量で振り下ろされる一撃に比べれば投擲物などさやかにとって脅威にすらなり得ない。ただの一振りで風圧を巻き起こし、たったそれだけで周囲へワイヤートラップの様に展開していた槍の何本かを機能停止させ、愚直なまでに真っ直ぐに、さやかは剣を備えて杏子へ向かう。

 ご自慢の変幻自在な鎖槍を突破されるとは思わなかったが、ある程度の予想はつけていた杏子は第一陣が破られた時の対応策を思案。そして一瞬で考えをまとめた彼女は何と、槍の一本を握りしめて低く構えた。下段から射出する様な体勢を取った杏子を視認したさやかが迎撃のため、水平に握った剣でレイピアのように突出させる。時を違わず放たれた杏子の溜めとぶつかり合い、甲高い金属音が夜の公園に響く。明らかなパワーファイターと思われたさやかだったが、そこで力負けしたのはなんと彼女の方だった。

 

「狙いが甘ぇ! 真っ直ぐ過ぎて弱点がありすぎるんだよっ!!」

「ご指導どうも。じゃあ、もう一回!」

 

 痺れる手の感覚はあるが、さやかはそれでも剣を取り落とさない。近距離ですれ違った際に会話を交わすと、その場で右足を軸に、左足で大きく身体を回転させてバットの様にフルスイング。遠心力と剣そのもののが持つ重力で引っ張られた速度は魔法少女の膂力に乗せられ、杏子の死角から一気に迫る。まるで騎士のような見た目とは裏腹な攻撃方法に面食らった杏子だが、風を切って進む物体の気配に気付いていたことでさやかの攻撃が失敗に終わる。無理やりに慣性の力を殺すことも出来ずにるさやかに、杏子は再びの鋭い槍の一撃を放った。

 ぞぶり、と確かに肉に喰い込んだ槍は、即座に引き抜かれて切り払われた。それはさやかの右腕を切断(・・・・・)し、勢いのままさやかの背中へ大きな裂傷を描き出す。一瞬遅れてやってきた血液が霧吹きの様に噴出し、公園に鉄っぽい匂いのする液体が撒き散らされた。

 

「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」

「ほーら直撃だ。不味い不味い!」

 

 さきほどの仕返しとでも言うのか、おどけたように言うのは杏子。

 失われた右腕をしばらく抑えていたさやかの喉元に向かって槍を突きつけると、再三忠告するかのようにして杏子は言い放つ。オマエの負けだ、と。

 

「観念してグリーフシードの在り処を吐きなよ。見殺しはやって来たけど、殺人なんてもんに手を染めるつもりは無いんだからさ」

「…はっ、ははは」

「ん?」

「ははははははは!! あっははははははははははははは!!」

 

 残った左手で握る剣をだらりと下げ、さやかは心底可笑しいと言った風に笑い始めた。

 狂気的にも見える光景は、ハッキリ言って気味が悪い。常人ならば見ただけでつられて発狂するかもしれない、そんな純粋な狂気だけがさやかの瞳には宿っているようにも見えた。どろりと濁った彼女の瞳からは、普段の空の如き青さは最早ない。

 杏子は、もう使えないかもしれないと判断。さやかはこれ以上生きていても現代社会にも影響を及ぼす廃人だと断定して、即座にベテランらしい判断を下し―――その槍は左手に受け止められる。

 

「くそッ、まだ普通の意識があったのかよ」

「普通? 正常? そんなワケ無いじゃん。三日ぶりに、痛い思いさせられたなぁ」

「三日ぶり…? オマエ、まさか」

「ありがとね」

 

 びくっ、と杏子の視界の端で、白い何かが跳ねた。

 それは切り落とされた筈のさやかの右腕で、白色が見えたのは魔法少女の衣装だったから。杏子が認識するよりも早く、有り得ないという驚愕の感情が杏子の足をさやかの目前に、彼女の間合いから動かすことを拒否してしまう。

 まるで巻き戻しのテープを見ているようにさやかの腕は右肩と接合され、接合前から脳の指令を受け取っていた右腕は振りかぶる彼女の動きに合わされている。目をかっ開いて杏子の目を睨みつけたさやかは、無言の威圧で杏子の撤退をも防いだ。

 そして剣の切っ先が杏子の腹のすぐ隣を通り過ぎ、咄嗟で外れたようにも見えた剣の峰が、

 

「ぜェやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 回し蹴りで反対側から峰を打ち込まれた。

 完全に不意を打った形。剣の峰は杏子の脇っぱらに叩き込まれ、両刃剣という特性上めり込んだ箇所の上下に小さな裂傷を造りつつもパワータイプの魔法少女であるさやかのキック力が意識を奪い去るまで威力を増加させる。

 内臓にすら響き渡り、脳を揺さぶられたような激痛の後に杏子の視界はブラックアウト。訳が分からない、という表情を残して気絶した杏子がその場に倒れ込み、全力を尽くしたさやかはその横に崩れ落ち、転がった。

 

「…い、い、い、い―――――いだぁぁぁぁっ!? 痛いッ! ~~~ッ!?」

 

 ダメージはさやかとて同じ。何をしても破壊された事が無い剣の峰を、自分自身でも分かっているのにつま先で蹴り飛ばしたのだ。よって叩き込んだ右足の先は骨折どころか人体強度そのままなため靴を突き破って破裂している。

 

「ふぅー…ふぅー……ふぅー…っ!」

 

 嫌な汗を掻きつつ、さやかは自身の内側に意識を集中して痛覚神経をカット。歯科医院で麻酔をかけられた時にも似た感触を覚えたさやかは次に魔力を集中させ、右腕のちゃんとした接合と粉砕してしまった右足の治療。そして腹の子宮に達するまで空けられた穴と背中の裂傷へと次々に魔力を回す。

 じわじわと患部にはむず痒い感覚が襲ってくるが、掻き毟るとどこぞのバイオハザードのゾンビを思い起こしてしまうので無心を装って治療へ専念。数分の間そこでのたうち回った彼女は、泥だらけになりながらも全ての患部を元の健康体へと修復する事ができていた。

 問題無く動くか、右手の指や右足の関節をぐるぐると回しながらに確認。まるでドールに対するソレの様だと自分ながらに気味の悪さを抱きつつ、こう言う選択を執った己自身の選択に間違いは無かったのだと思い起こす。最愛の人である恭介が笑う姿を思い起こせば、もう彼女に恐れるものなど何もなかった。ワルプルギスの夜さえも。

 

「…捕獲、完了でいいのかな? とにかくっ! やったぞ、あたし!!」

 

 ぐっ、と握りしめた手でえいえいおー! と己を鼓舞し、胸元についたソウルジェムが半分以上黒く濁っている事に気付く。これは危ないとあたふたしながらグリーフシードを取り出すと、穢れを吸わせて使用済みの袋の中へ投げ入れる。その際にもう電池で動くラジコンみたいだな、と思ったのは今更な話であろう。

 気絶した杏子を念入りに縛り上げ、さやかは近くに脅威がいない事を確認してからほむらの家に向かった。ほむらの家はこの町で戦い続ける者たちの最後の活動拠点であり、作戦会議室となっているからだ。どんなお褒めの言葉があるのやら、と。現金な思考で頭の中に花咲かせる乙女は走る。雨が降り始めた街の中を。

 

 

 

 

「The Moon…月そのものを騙っているって解釈したらいいの?」

「月は光を反射するだけさ。僕達を喰らおうとまではしないだろう? 恐らく彼らは自分たちが絶対なる惑星の捕食者として宇宙創世期から脅かされ無かった事を踏まえ、月のように太陽ですら光を受け止めて見せようとでも言っているんじゃあないかな。もっとも、感情的なキャッチコピーは全て僕たちの本星にあるシステムが弾きだした結果だけども」

 

 あのインキュベーターすら最悪の敵と称する存在。そんなものはアイザックの知識には無かったが、Markerそのものとしか戦っていない現在のアイザックには知り得ない情報だったのは仕方がない。ほむらも巻き込まれて生還しただけのアイザックにそこまでの情報は求めていないし、そもそも彼女自身も、ワルプルギスを乗り越える際の障害としか認識していなかったネクロモーフ。しかし、それがまさか、あのキュゥべえ本人の口から災害認定されるとは思わなかったほむらであった。

 

「かいつまんで説明しよう。月は複数あり、それぞれに知的生命体が理解できる言語を話すことからテレパシー能力及びにそれを扱うだけの知性がある事が証明されている。その知性は僕達には遠く及ばないものの、観測できうる限りの情報では一つのことに特化しているみたいだね」

「それは?」

「君たちがアイザック・クラークから伝えられているMarkerのことさ。あれは内部で恒久的な強力なエネルギーを生み出し、更に循環する増幅効果でエネルギーを抽出してなお、その性能を寸分も落とすことは無い。僕達からすれば夢の様なものだったさ」

「…それでも、あなたがこの地球で続けていると言う事は、それは使えなかったという事でいいのね?」

「その通りだよ。発見後、初の接触当時に僕たちの意識へクラッキングし、端末個体へ精神的介入を行ってきたんだ。それで電子化されていたインキュベーターNo.■■■…まあ仲間の一体は精神分解を起こして容れものごと融解された。その時に探索していた植物環境のある惑星諸共に、ね。そしてその惑星からは件のMarkerが現地の野生動物の手によって建造されていた。あの星は知的生物が居なかったけど、それでも造ることのできる何かを直接近くでコントロールしていたようだね。The Moon自体は僕たちが惑星を発見した当初から生命活動を表面上停止させ、ただの衛星のように振舞っていたんだから」

 

 ほむらは戦慄する。インキュベーターは憎むべき敵であるが、自分達人間を魔法少女などと言う存在に変換。更には不確実な空想要素でしか無かった筈の魂をソウルジェムと言う手に取れる物質へ顕現させることすら可能な力を、純粋な科学力のみで構成しているのは紛れもない事実であり、同時にそれほどまでの優れた種である。

 そんな星の生まれであるキュゥべえすら逆らう事の出来ない存在と言ったのだ。その「月」とやらを。

 

「そして造られたMarkerは映像記録では黒色の数十メートルはある荒削りな建造物だった。現在宇宙各地で複製・拡散されているもののオリジナルとも言えるそれは今どこにあるかは分からない。だけど、そのMarkerは己自身をMarkerと自称する。そうインプットされているからだ。…そのようにする理由と、名称について。もう君は見当がついているだろう?」

「Markerは…その名の通り、The Moonを呼ぶための発信機ってことでしょうね」

「正解だ。そしてMarkerの知識や発せられる特殊な波紋からはあの不出来な怪物・ネクロモーフが誕生する。そしてMarkerだけではカバーしきれない距離にネクロモーフは潜入し、Markerを拡散するためにその場所を誇示するよう生命体を襲い始めるんだ。必要に駆られ、死なないために知的生命体はMarkerを敵の本拠地で発見。そして研究し、無限のエネルギーを運用しようとして……その全てのアプローチを失敗で終えることになる。だけど複製ならできるかもしれないと試みて、失敗作とも見える無数の複製Markerを制作する。そうして発せられるMarkerからの発信は、宇宙のどこかにいるThe Moonを目覚めさせ、その星の生命体を喰らわせるために自己主張を繰り返す……君は、少なくとも地球と同等以上の大きさを誇る相手に、大質量の堅牢な半恒久的に存在できる生命体に勝てると思うかな? ワルプルギスですら、この星では絶望と言われているのに」

「無理、と断定するわ。核ミサイルなんて使っても意味は無いんでしょう?」

「その通りだよ。むしろその高密度の放射性エネルギーは彼らが嬉々として飲み込むだろうね。そしてその星の住民へ心理的ダメージをも与えられる。僕たちがワルプルギスで数少なくなった地球を見捨てる理由は、つまりそう言う意味さ」

 

 キュゥべえの話は未だスケールが大きすぎて把握できないこともあったが、つまりはこう言う事なのだろう。ほむらが描き出した答えは、次の様なものだった。

 

「…ワルプルギスが討伐されなかった時、ネクロモーフが残っていれば必ず知力の高い人間がMarker作成の狂気へ囚われる。そしてThe Moonの思惑通りに発信機が作られ、それを辿って星を襲いに来るThe Moonが地球を狙うってことね」

「その通りだよ。滅び去る種族を相手にギリギリまでエネルギーを絞ろうと思ったところで、引き際を間違えれば僕達自身の個体意識が引き裂かれる。そして常に本星から意識を飛ばしている僕らの星の位置が知られ、こっちに月の兄弟は寄ってくる。駆除方法が見つかってもいないのに、そんなリスクは欠片でもとりなく無いと言う事さ。感情が無い分、インキュベーターは本能的な自己生存意欲が他種族と比べても旺盛である事が判明している。かく言う僕もね」

「……もし、ワルプルギスに私たちが勝った時は?」

「これまで通りに魔法少女の量産と、魔女の拡散。そしてこの星自体の生命が終わるまでは僕たちが人類絶滅に陥らないよう影で手を尽くそう。ただし、ネクロモーフの討伐は君達魔法少女か地球の組織へ委任することになるだろうね」

「メリットが見当たらないわね。いえ、私たちはあなたに感謝していればそれでいい、とでも言うつもりかしら」

「そんな気は毛頭ないさ。ただほむら、もし君が本当に生きてワルプルギスを撃破した時、君の願いは真の意味で叶えられることになるだろうね。魔法少女の祈りとは、その人物が心の底で描いた事が実際の現象として発生する。願いと因果の質によって強度は変わるだろうけど、中でも因果の量がまどかに次いで膨大な君ならきっと願いはかなえられる。それはインキュベーターを代表してこの僕が保障するよ」

 

 相も変わらず変化の無い表情で言われたほむらは、まったくもって保障されても不安しか残らないキュゥべえに顔をしかめてあからさまな嫌悪の表情を浮かべた。キュゥべえも感情による行動が理解できないだけで、感情と言うのが何を齎すのかはある程度知っているためか、それ以上は何も話さずワルプルギスの夜に、と言い残して暗がりへと消えて行った。

 キュゥべえは担当区域であるこの町、その他周辺へグリーフシードの回収と新しい魔法少女の契約――あわよくば、人間の力を観察する役目を果たす為にその魔法少女をほむら達への戦力へと捧げることも加味しているのだが、それを衝撃の事実に戸惑っているほむらが認識できる筈も無かった。

 

「…アイザック。これは、あなたに伝えるべきなのかしらね」

 

 アイザックが知らないこの事実は、既にMarkerの存在が明確化されている彼の元へ届けるべきなのだろうか。魔法少女が祈りによるなにかしらの結果を齎したならともかく、不思議な技術とはいえ人間の扱える程度でしか無い武器ぐらいしか対抗策の無いアイザックの世界の人間は、The Moonに対抗する術は持っていない筈。

 最初に真実を話すことで受け入れてもらったが、それは互いに何かを抱えていたからという共通点を無自覚の内に共有していたから。アイザックが元の時代に戻ったとして、彼は一体何を希望に生きていけるのか。そしてThe Moonという怪物は、彼の地球に訪れてしまうのだろうか。

 それら全ては、創造主にしか知り得ぬ事実であるとしても。ほむらは憂慮せずにはいられない。ここまで他人へ意識を避けるお人好しになったことも自分にとっては巨大過ぎる変化だが、同時にこの想いは失いたくは無い。やはり人間に囲まれていないと、誰かは誰かを頼らないと生きていけないのが人間なのだと、ほむらは実感させられたのだった。

 

 

 

 巴マミはいくらかの魔女を倒すことに成功していた。

 仲間との合流こそ無かったものの、この広大な見滝原で偶然に出会う事の方が珍しいと言うものだ。それを心の中では納得しようとしつつも、やはりどこか寂しさは拭いきれない。そんな時にばかり追い打ちを掛けるような事態が発生するのが人生と言うものだが、それは魔法少女となったマミにも当てはまる様で、

 

「……なに、この音」

 

 ビルからビルへ飛び移り、魔女結界の反応を探していたところでマミの耳は唸りを上げる声を聞いた。同時に、帽子にアクセサリーとしてつけられたソウルジェムから魔女結界の魔力を追う金色の光が風に逆らい流れて行く。

 嫌な予感しかしないとはこの事だろう。マミは屋上から路地裏に飛び降り、着地した瞬間に濃密な血液の匂いを鼻孔いっぱいに吸い込んでしまう。視界の端、頭の中ではいつかの魔法少女の契約を行った交通事故の光景がフラッシュバック&リフレイン。マミの精神を大きく揺らして行った。

 

「…ダメ、ダメよマミ。私は魔法少女で、ネクロモーフは倒さないと世界そのものが脅かされる敵なんだから……殺せる。殺せるわ。魔女と、同じように…!」

 

 マミは大きく深呼吸し、あえて血なまぐさい腐臭を肺の中に取り入れた。さらに大きくなる頭痛が巻き起こるが、それでも進まないと自分自身が他の戦う彼女達から取り残されるような気がしてしまっている。これを克服しなければならないと、強い強迫観念が自分の中に生まれたことを実感する。

 

「…………っ」

 

 ごくりと生唾を飲み込んだ彼女は、生々しい血肉の飛び散る音がする静かな路地裏へマスケット銃の銃口を向けた。

 




ここから先はいったん合流。そしてさまざまな思惑が交差する―――みたいな展開の練習&実施訓練です。この小説自体が書き方や表現の練習であることはいまさらな感じですが、そんな風に色々試していくので場面の転換が気に食わない方もいらっしゃるかもしれませんが、よければお付き合いください。
文章についての意見や書き方についてありましたら受け付けております。


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case19

巴―――物が円形を描くように回るようす。

真実とは、金色の果実也


 この音は、ずっと前に聴いた事がある。屠殺場にいた魔女は動物からの怨念すら吸い取って、醜くもどこか豚の面影が残っている魔女へと変貌した時の話だ。すぐさま討伐することに成功したが、使い魔はこちらに酷く不快な精神的な視覚効果を与えてくる使い魔だった。なんと、屠殺場だっただけに、様々な方法で自爆するのだ。

 肉がめり込み、血の詰まった肉の袋が弾け飛ぶ鋭い破裂音。なんとも形容しがたい感触を目の前で味わった私は、一度思い出してしまえばしばらくウィンナーを食べる事ができなかった。フォークが肉汁の詰まった肉袋にめり込む瞬間、あの時の生温かくも鉄錆び臭い匂いのする液体が吹き出る瞬間を思い出してしまうのだ。自分の体に返り血のようにして掛かった感触は、まるでドラマの誤って刺し殺してしまった犯人のワンシーンの様に呆然と突っ立っていることしかできなかった。

 今の状況はそれと同じかもしれない。でも多分殺されているのは、見滝原の名も知らない同じ人間で、私が守るべき筈の人。こんなところで殺されてしまっているとしたら、でもネクロモーフってどんな化け物なのか。好奇心と罪悪感がせめぎ合っているようにも感じて、でも私は―――この化け物を殺さないといけない。みんな、死なせないために、コイツらを殺すしか無いじゃないの。

 

「……ッ」

 

 マミはマスケット銃を空中に待機させ、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 音が止む。

 ぐちゃぐちゃと何かを貪る様な音が無くなって、此方に何かが投げ飛ばされてきた。

 人だった。それは、人だった(・・・)もの。

 四肢は無い。内臓は、顔まで貪りつくされている。肋骨だけが残されて、中途半端にへばりついた肉の塊がゴロゴロと地面を転がる度に撒き散らかされていった。赤い斑点を地面に残して、ソレが飛んできた方向に顔を出し――――自分の顔と距離は残り1センチ。

 

「ぁぁぁぁぁぁっぁぁあああああああああああああああああ!!!?」

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」

 

 手もとのマスケット銃が火を噴いた。魔力が点火し、背後に浮かべていた全ての待機銃が引き金を引く。プラズマライフルより貫通力に優れ、プラズマカッター並みの広い円の射程を持つ魔力弾がネクロモーフの身体に打ち込まれていく。細々としながら、生物学上有り得ない程のエネルギーと熱量が込められ硬質化したネクロモーフの四肢は神秘的な魔法と言う現象によって脆く崩れ去っていく。

 マミとの距離は5センチ、60センチ、2メートル。だんだんと離れていく度にマミの一斉放射の弾丸を一身に浴び、まるで狭い場所で跳ねるスーパーボールのように弾丸に接触する度に跳ねて行く。肉片がマミの頬に掛かり、生物として必要とされなくなったおかげで真っ黒に酸化した血が路地裏にへばりついて行く。卵の腐ったような腐臭が充満して、ネクロモーフは四肢をもがれた達磨になってゴミ箱にぶち当たった。

 ガランガランと馬鹿みたいに揺れるゴミ箱の傍には、最近流行りのコートらしきものを着た四肢の無い肉塊。自分の後ろには人のまま食われて肉を失った骸。自分の前には人を失って自分が殺した四肢亡き骸。自分の進む道を、戻る道すら表している様な前衛的なアートは、人として死ぬか、魔女として死ぬかを迫られているかのよう。

 ―――なんて思って、その場にへたり込んだ。

 

「……なんで、よ。みんな死ぬしかないなんて、どうして、私だけ」

 

 少女の咽び泣く声が路地裏に響く。

 幸か不幸か、彼女の近くに「敵」はいなかった。

 

 

 

 ずるずると身体を引きずり、唯一この町で明かりがついた家へと向かう。

 そこはかつての上条家。上条家はワルプルギス出現予測位置の近くに位置しているため、確実に全壊するというほむらの言葉を受け、魔法少女やアイザック達の全面的な使用を許可していた。そこで、ほむらは自分の家の様に空間をいじくり回した作戦会議場所としてこの家を使わせて貰い、魔法少女達の現在の拠点としても使われているようになる。

 全員が集合するのは今回が初のことであったが、最後に訪れたのはさやかのようだった。彼女は明かりの向こうから聞こえてくるネイティブの英語交じりな愚痴や女子特有の高めの声を耳に拾いながら、その家の扉を開ける。思えば、こうして上条家に訪れたのも久しぶりだと思いながら。

 

「こんばんは! お土産持って来たよー」

「来たわね……って、なるほど。お手柄よお調子者(美樹さやか)

「ふふんっ! ……ん? あれ、ちょっと待って。今お調子者とか言わなかった? ねえ、あたしのことお調子者って言ったよね!?」

「美樹さん、ちょっと静かにしてもらえるかしら。ちょっと、私、調子悪くて」

「あ、マミさん。ネクロモーフと会った、ってトコですか」

「そのようなものね。巴マミのケアはアイザックに任せておくから、とりあえずそこ佐倉杏子(手土産)を持ってこっちのソファに座りなさい」

「はいはい」

 

 さやかは魔法少女の変身を解き、杏子を寝かせてグリーフシードが山積みになっている一角の近くに寄せる。ソウルジェムは回収し、ほむらの方に渡しておいた。

 

「あと少し。一週間後でワルプルギスは現れるわ」

≪ザザ……え…るかい。聞こえるかい、暁美さん≫

「恭介。ってことは無線で連絡とってんだ」

≪わたくしもおりますわ。暁美さんは本当に優秀な指揮官らしくて≫

「情報統制は私がやっているわ。愛しの彼の声が聞けなくて寂しかったかしら?」

「さっきちゃんと街から出る前に会えたから大丈夫」

「そう、それならいいけど」

 

 寝かされた杏子、そしてほむらとさやかの二人に無線越しの恭介と仁美。

 四人を交えた会合が始まった。

 

≪こっちの方でプラズマカッターの仕組みは分かったから、この戦いが終わったら即分解する事を血判押させて研究者にはプラズマ銃によるネクロモーフ対策を施しておいたよ。事態の後には記憶処置も行ってくれるよう父さんがやってくれた≫

≪こちらの被害状況はありませんが、遂に街の外に出ようとしたネクロモーフの姿が確認されておりますわ。10体、試作型のプラズマカッターでも対抗できる事が証明されているようです≫

「そっか。被害は出てる?」

≪さやか、心配しなくても無いから大丈夫だ。それから、これからは戦いになるだろうし無線変わるね。……自衛官さん、どうぞ≫

 

 無線が向こうで切り替わった音がした。

 

≪こちら自衛隊。君が魔法少女の暁美ほむらちゃんで合っているね?≫

「お初にお目にかかるわ。魔法少女の代表として、協力してくれることに感謝します」

≪いや、こちらは君たちじゃなくても倒せる相手しか倒せない。件のスーパーセルについてはどうしようもないんだ。大人のできる事がこれしかないが、これが君たちの助けになるのなら甘んじて請け負う事を誓おうではないか≫

「ありがとうございます。それで、ネクロモーフの状況ですが元凶となる狩人(Hunter)の個体はまだ見つかっていません。一週間以内に人々の残留思念から魔女が4体孵化したのが確認されていますが、それらは全て此方側で討伐しました」

「ネクロモーフも確認したよ。それから、多分行方不明になった難民の中に居ない人だから、殺した張本人のあたしから特徴を伝えておくね」

≪……すまない。美樹さやかちゃんだったね。どうか教えてくれたまえ≫

 

 さやかがしばらくの間、ネクロモーフと化した人間達の残っていた特徴を教えて行く。自衛官の人間はそれらをこんな少女に背負わせてしまっている事に悲痛な感情を覚えずには居られなかったが、ここで弾劾してもその人間達は戻って来ない。そして、彼女自身の心が救われることも無い。

 だから聞き届けた。銃数分に及ぶ特徴の羅列に、37人分の名簿が向こうで書き込まれていく。避難民の中でも行方不明になったのは42人。あと五人、少なくともこの見滝原に取り残されているか、怪物と化しているか、はたまた魔女に喰われたか。

 

「あと5人、ですか」

≪君たちの余裕があったらで構わない。本懐はワルプルギスだったか≫

「分かりました。アイザックがネクロモーフの事態収拾に当たっていますので、またネクロモーフの結界巣が見つかったら報告します」

≪街の外の様子は静かなものだ。風当たりばかりが強いが、応援させていただく≫

「お気持ちだけでも頂いておきます。私たちがいなければ魔女すら生まれる事は無かったので」

≪……すまない≫

 

 最期の最期で、そう言って通信を切ってしまうのは情に厚く実戦経験のない日本の自衛官だったからなのだろう。バリトンボイスが断ち切られた先では通信していた自衛官の男が無力さに嘆いていたのだが、それは彼女達に知らせることでもない。

 

「……何度もごめんなさい。やっと戻って来れたわ」

「このままメンタリストにでも……いや、自分が幻覚を見ているようでは無理、だな」

「お帰りなさい。頭はすっきりしましたかマミさん?」

「いっそのこと脳を洗って貰いたいわ。だったらこんな思いなんてしなくて済んだのに」

「全部終わってからにしてちょうだい」

 

 マミ達がちょうど、その時になって戻ってきた。

 そしてもう一人、この作戦会議に必要不可欠な人物が現れる。

 

「……来たわね」

「え?」

「やあ、みんな。頑張っているようでなによりだよ」

 

 白いふわふわとした尾っぽ、耳から垂れる正体不明の毛に金色のリング。

 全てを見通す紅玉の瞳を持った、猫とウサギを足して2で割ったような生物。

 この地球の管理者インキュベーターが一体、キュゥべえそのものであった。

 

「……!?」

「コイツとは協力関係にあるわ。地球の存続はインキュベーター側からしても利点だから、と言う理由でね」

「やっぱり、そう言う理由なのねキュゥべえ」

「当たり前だよマミ。それよりさやか、その表情はなにかな? 感情が理解できない僕としては、そんな微妙な表情をされても感情の色すら読み取れないのだけど」

「……うーん。その、ね? アンタがいなけりゃどうにかなってたのは真実だけど、アンタがいないと駄目っていう現状に納得してる自分が不可思議と言うか」

「俗に言う、恋のキューピットという役割を果たしたから、という予測を立てさせてもらうよ。人間の行動理念を当て嵌めるとこの一例が君には相応しい」

「そうかも、しれないなぁ……うん。やっぱワケ分かんないなぁ、キュゥべえって」

 

 もとより地球外生命体と会話が交わせているだけでも軌跡に等しい。地球と同じか、もしくは同じ文明を誇っていても言語形態の違いは普通ならば解消できないはずなのだから。どちらにせよ、関係無しに襲ってくるネクロモーフや月の兄弟どもよりは遥かにマシな部類とも言えよう。インキュベーターがマシ、というだけ地球が切羽詰まっているのも心苦しいものである。

 

「さあ雑談はここまでにしよう。有限の時間は有意義に使わなければならないんだからね」

「あなたに言われるまでも無いわ。じゃあ、ワルプルギスの作戦会議を始める前に佐倉杏子、起きているんでしょう? グリーフシードにずっと魔力を吸い取らせていたから例え首が取れていても回復できる筈よ」

「……いや、流石にそれは無理だと思うんだけど?」

「起きてたのっ!?」

「はっ、やっぱ素人だな」

「お、起きてたのね……」

「マミさんってベテランじゃなかったっけ?」

「いいじゃない! わ、分かるわけ無いわよ! 普通っ」

 

 むくりと起き上がった杏子がふてぶてしくソファーに身体を預ける。彼女とて手元にソウルジェムが無いことから、抵抗は無駄だと心得ているらしい。そればかりでなく、ソウルジェムがあったとしてもずっと変身して睨みを利かせているほむらの姿を見れば、変身と言う一工程を踏んでいる間に抑えつけられるのは目に見えていたのであるが。

 

「美樹さやか、早速お願いね」

「……え? あたしがやんの?」

「何の話だよ?」

「うーん、しょうがないなあ。アイザックさん、キャッチよろしく」

「だから何を」

 

 アイザックが部屋の向こう側に歩いて行ったと思えば、さやかは自分のソウルジェムをアイザックに向かって放り投げる。102メートルほどの距離をとった二人の間をソウルジェムが放物線を描いて飛んで行き、アイザックがそれを受け止めた瞬間にさやかの身体はその場に崩れ落ちた。近くにいた杏子が思わずさやかの肉体を支えるが、マミはその様子を見て御愁傷さまと言わんばかりの視線を投げかけている事には気付かなかった。

 

「は、いきなり何してんだ?」

「…………」

「おい、起きろって!」

「無駄よ佐倉さん。だって今、美樹さんは死んでるもの」

「マミ? 死んでるって、おまえ何を言って―――?」

 

 ようやく気付いた。

 アイザックはさっさと身体に戻してやりたいと眉を潜ませているが、杏子がそれを自覚するまではさやかのソウルジェムを圏内に戻すことは許されない。そう言うほむらの指示で在り、説得方法であるからだ。なんとも胸糞の悪い方法だが、マミが真実を知った時もこれで平静を保つ事ができた。なら、ここは一番杏子と接点のあるさやかが検証した方が信憑性も増すと言うものだ。あくまで希望、ではあるが。

 

「どう言う事だよ、おい」

 

 どんどん冷たくなっていくさやかの肉体。開けっぱなしの目は瞳孔が開き切っていて、心臓の音も血液が流れる鼓動すら感じられない。息をするための肺はこの数分の間ずっと止まっていて、まるでビデオの一時停止を見ている様な不気味な雰囲気がある。

 死体を、抱きとめている。

 その事実を知った瞬間、杏子は薄気味の悪さにソファへさやかの肉体を取り落とした。ぼすん、と少しだけ揺れるソファー。何も動かないだらりと下がったさやかの腕。その様子を見守っていたアイザックはほむらからサインを受け取り、マミは口を開く。

 

「佐倉さん、アイザックの方に行ったソウルジェムを見てなさい」

 

 言葉に反応し、杏子は無言のままに未知の鎧に身を包んだ男を見る。

 アイザックがソウルジェムを投げた。マミの手に向かって投げられて、100メートル圏内にソウルジェムが戻った瞬間さやかが起き上がる。止まっていた心臓を動かす為、思いっきり息を吸い込んでは吐き出して、咽ながらその場から蘇ったゾンビの様な動作に杏子の視線は再びさやかに注がれる。

 信じられない様なものを見る彼女の反応に、さやかは悪役張りの笑みを浮かべた。瞼の筋肉が引き攣り、見開いた眼球が飛び出るように杏子を縛り付ける。自分と同じ人が、魔法少女が、そんな訳の分からない現象によって死んでいて、生き返って、でもあの時も、刺した筈なのにこの女は生きていて……?

 

「あ、な、なんだよオマエら……?」

「これが私たちの真実なのよ」

「死んだって、そんなワケ。だってコイツは今動いて」

「貴女にできるかって? ええ、出来るわ。だって魔法少女はソウルジェムが本体」

「だったら、アタシの体は」

「ソウルジェムさえ無事なら、頭を失っても生きていられるわ。あなたの体は美樹さやかの手によって、一度内臓がズタズタにされた。でもショック死はしなかったでしょう? その怪我も、痛みすらグリーフシードのおかげで治ってる」

「……あ、アタシも一緒だって言うのかよ!?」

 

 信じられない。信じたくは無い。

 キュゥべえが真実を必ず言う事は知っていた。だから、助けを求めた。

 でもキュゥべえは、その手を取った。顔の表情一つ動かさずに。

 

「変わらないさ。魔法少女は皆、僕たちがそういう風に作ったんだからね」

 

 佐倉杏子の常識は終わりを告げる。

 

 

 

 

「やり過ぎた感があるけど……いいの?」

「いいのよ。二日も誰かが掛かりきりになれば元には戻るし、キュゥべえと巴マミが昔のよしみと言う事でついてくれている。インキュベーター側もこの問題ばかりはまどかの契約に頼る意味も無いと言っていたし、なによりキュゥべえが言ったのだから裏は無い筈よ」

「本当に真実しか言わないもんね、アイツら。こっちとしては分かりやすいからいいけど、人間としてみたら絶対に受け入れられないよねえ」

 

 ふぅ、と一息ついたさやかは見滝原の制服ではなく、動きやすい私服に着替えていた。近くにあった洋服店から盗んできたものだが、在庫の処理も時間が間に合わずコンビニなどにも売れ残りは多い。魔法少女一同はそうした場所から食料品や衣類を拝借し、実質このゴーストタウンを満喫しているようだった。

 唐突にアイザックがヘルメットを構築し、すっと立ち上がってプラズマカッターに弾を込めた。明るめのライトを増設したそれを手に、薄暗い街へ向かう準備を進めていたようだ。

 

「……アケミ、少し見回ってくる」

「アイザックさん、それならあたしも行きます」

「分かったわ。佐倉杏子が戦線復帰できるようになったら連絡する。……ええと、いつも通り携帯の方で良いのよね?」

「ああ。万が一を考えてミキも持っておくといい。ショートカットコールなら面倒を挟む必要もほとんどない」

「分かった。転校生…っていうのももう変だよね。ほむら(・・・)、ひとつ頂戴」

「一応全員分は確保してあるわ。持って行きなさい」

 

 簡易携帯をほむらから受け取り、さやかはサンキュと其れを持った手を掲げる。

 電波事態はまだ生きているから決して無駄では無い。

 アイザックとさやかはHunter発見のため、曇天に見舞われた見滝原へと繰り出した。

 

「……行った、わね」

 

 ふぅ、と考えなければならない件が多すぎることに息を漏らすほむら。ちょうどその時、キュゥべえとの交代で杏子がうずくまっている部屋から出てきたマミが、額に一筋の汗を掻きながら出てきた。

 

「暁美さん、紅茶でも一杯どう?」

「そうね、いただくわ」

「あら珍しいわね。素直に私の好意に応えてくれるなんて初めてじゃない?」

「……ここまでの展開が既に、初めてだらけで不安なのよ」

「ふーん…? 初めてねえ」

 

 こぽぽぽ……。湯気を上げる紅茶が注がれていく。

 上条家の最高級クラスの茶葉をふんだんに使った、紅茶の名人とまでは行かずとも素人としては良い腕をしたマミ。美しい琥珀色の液体を清潔な白いロイヤリティ溢れるカップに注いだ彼女は、ほむらと自分の分を含めてトレーにのせ、砂糖とミルクを二つずつ乗せた。

 香ばしさは紅茶のなんたるかを全く知らないほむらの鼻孔をくすぐり、魔法少女の体にはほとんど必要ない筈の喉の渇きを訴えさせる。

 

「お待ちどうさま。テンプレートを踏襲してダージリンなんて淹れさせてもらったわ」

「紅茶の柄は良く分からないんだけど……」

「良いから飲んでみなさい。実は私も飲むの久しぶりで、ちょっと楽しみなのよね」

 

 マミが優雅にティーを口元に運ぶ姿はとても様になっている。

 いつも撒かれている金色の髪は一つに下ろされ、マミ自身は一度完全な休憩を取ろうとしていたためか、清楚な見た目の私服はこの上流階級の家の雰囲気に似合わない自分とは大違いだ。

 恐る恐る、ほむらは紅茶のカップを手にとって一口。熱さはあったが、それ以上に全身に澄み渡るような香りが一緒に流れ込んできて、普通の御茶とは全く違う特有の味が舌の上に転がる。口の中に溜めず、すっと飲み下して一度カップから口を離す。自分の何かが温まって、思わず「ほぅ」と吐息がもれた。

 

「お気に召したようでなによりだわ。イメージは大切にしないとね」

「あなたの場合、イメージに頼り過ぎている気もしないでもないわ」

「毒舌ねえ。それより、私の事は名前か、この前みたいに巴先輩って呼んでみない? ちょっと気に入っちゃって」

「……それであなたの士気が上がるなら、私からはそう呼ばせて貰うわ。巴先輩」

「うんっ、良い感じね!」

 

 にっこりと、しかし微笑の域を出ない不思議な温かさがマミの表情から読み取れた。

 思わず同じ女性でも見惚れてしまうほどの笑みに、ほむらはまた彼女が失われてしまう事があれば、と心を痛ませる。別段、これまでのループで仲間になった魔法少女を見捨てた時、心が痛まなかったわけではないのだ。まったく同じ顔、まったく同じ人物の死を、ここまで背負ってきたに過ぎない。

 背負って引きずって、少しは擦り減って欲しいものだとは思う。だが、この重さに慣れてしまうと言う事はつまり、自分がまどかを救うべき人間ではなくなってしまうと言う事でもあるのかもしれないと。そう気付いたのは何巡目だったろうか。

 

「いい加減、私に話してくれないかしら」

「詮索はもう止めると、そう言ったのはそっちだった気がするのだけど」

「最期の闘い。死ぬかもしれないまさに人類を代表した戦争みたいなものでしょ? 最期の最期まで、しこりを残していたら戦いきれないと言うか、後悔するかもしれないから」

「……ネクロモーフの恐怖すら、拭えていないのに」

「っ!」

 

 マミの目は大きく見開かれる。

 何もかも見通されていると知って、観念したように彼女は首を振った。

 

「……そう。だからこそ、些細な事も大きなことも。全部聞いておきたいのは駄目なのかしら。私は初めてネクロモーフをバラバラにした時、あの化け物に食べられてまるで魚の開きみたいになった死体を投げつけられたわ。そしたら、パニックになって、訳も分からないうちに悲鳴と一緒に撃っていた。目の前にあったのよ!? あの、人間の面影が残っているのに、化け物でしか無かった、あの肉の塊みたいな顔が! ……それが、怖かった。面影が残っていたから、魔女なんてものじゃないの。人間を殺したって、そう思って何度も何度も、吐きそうになった」

「それは人間として正しい反応よ。だれも責めたりしないし、それが当たり前だわ。囃し立てる馬鹿がいるとしたら、実際に人間に似た何かすら殺した事のない野次馬か、シリアルキラーくらいのものよ」

「…ありがとう。慰めだって分かっていても、その言葉は素直に嬉しいって思うわ」

「素直に、ね。……こちらは何も言ってないのに、不公平な事もあったものね」

 

 其れを言ってしまえば、キュゥべえはその極みであるとマミは無理な笑みを浮かべた。

 儚げで、消えてしまいそうな。次に控える戦いが死に場所である事を悟ってしまった様な、それでも恐怖に怯えた笑顔。目の淵から流れ出る涙は、彼女の心を表していたのかもしれない。

 

「お願い。あなたの隠している事がどんなに辛いことでも、私はそれを聞きたいの。私は、いま、話したら少しだけ軽くなったけど……もしかしたらあなたは、私なんかよりずっと深く傷ついている」

「……」

「誰にも話さない。墓にまで持って行くと誓うわ。あなたとアイザックさんが何度も私を励ましてくれたように、私もあなたの力になりたいの。単純な戦力だけじゃなくて、あなたをほんの少しでも支えられるような―――そんな、力に」

「それが、あなたの祈りなのね」

「そうよ。契約した時、自分だけでも助かりたいと思った利己的な私。そんな私ができる、唯一の償い。いま、ここで暁美さんと話してそう思ったわ」

「……それがあなたの欠点よ、巴先輩」

「知ってるわよ。誰もかれもが心を開いてくれる訳じゃないのは、嫌ってほど」

「でも、それこそがあなたにしかできない事かも知れないわね」

 

 自分にしかできない事、という響きは甘い。マミはその言葉を吟味して、それで満足しそうになってしまう。だが、そこで彼女は踏みとどまった。

 視線はほむらに向けられる。真摯な鳶色の目がほむらの深淵の様な瞳を見つめ続ける。折れたように、ほむらは息を吐き出した。

 




そろそろ、ワルプルギス戦に至るまでの1週間による章が始まります。
出会いの市章 共闘の似章 真実の酸章
そして、混沌と悲壮なる第死章

もう少しだけ、お付き合いくださいませ。


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case20

今回短め


 カチッ、こんっこんっこんっ。からららら…………。

 パズルのように射出口が回る。カシャカシャと音を立てて滑りこんで行く弾薬は作業用のレールに乗っている様子すら幻視させた。最後にがちっと叩く様に押さえつけて前を照らすライトを点ける。雨の降り始めた見滝原の路地裏を明るい光が照らしだし、向こう20メートルほどがハッキリと映しだされた。

 それでも光の届く範囲は圧倒的に少ない。強化エンジニアスーツのヘルメット自身に備え付けられたフェイスライトで補助的に照らしだした路地裏は、彼の周囲5メートルほどをより鮮明に映し出した。手元作業が命の技士にとってはありがたい光だが、こうも命のやり取りのために使われるとは製作者も思いもよらなかっただろうなと、彼は心の中で愚痴る事は忘れない。

 しっとりとした湿気をスーツの機能が数値として表記する。家から出てきた時、レインコートを羽織ってきた青髪の少女を隣に携えながら真っ暗な通路を進んで行く。現状、降り注ぐ雨の音は奇襲する暗殺者の足音を掻き消し、恐ろしく危険な状況下であるのだろう。己の肉体そのものを変形させ、狭いところを通ってくる化け物共から逃げる術は少ない。慎重に、決して油断をしないように周囲への警戒を続けながらにライトが一体化した未来の工具を取り回す。明るい放射状の光が所々を照ら出し、だが異常は何も見当たらない事を教えてくれる。このまま見回りに出るまでも無く、死体の怪物が減ってくれればいいと思ったのはおかしくは無いだろうな、と。青髪の少女は肌寒さに打ち震えながらレインコートの裾を握った。

 

「アイザックさん。そう言えばこの前のネクロモーフは何か吐き出してきたし、赤ちゃんが殺されたのもいたけど……やっぱりアレって、種類あるの?」

「便宜上とって付けた呼び名に過ぎないが、私の中では少なくとも5種類以上は名前を分けている。一般的な鉤爪のSlasher、乳児以下の死体を素体にした潜んでいる事が多いLurker、死体や生きた人間に取りつきそのままネクロモーフ化させるInfecter、腹が肥大化して何匹ものネクロモーフを生み出すPregnant、すばしっこさが面倒なLeaper……他にも肉の様な壁と一体化したヤツや、辺りを真空状態にするガスを延々と背中の肺の様なものから吐き出し続ける変わったのもいたが……嗚呼神よ(Oh my)、何だ? ネクロモーフ大辞典でも書けと言うのか、冗談じゃあ無いぞクソッたれ(Fuck)!!」

「あ、お、落ちついてアイザックさん! 聞いたあたしが悪かったから、ほらネクロモーフがいつ来るかも分かんないんだしさっ!」

「いいや、何もかも私が悪いんだ! 恋人も守れない、挙句の果てにはMarkerの思い通りに幻影に踊らされた! こんなオレに何の価値がある!? 騙していたのはケンドラだが、クソッ! 何のためにこんな悲劇を生まなくてはならない!? 何故小さな幸せすら許されないんだ? あの母親(クソアマ)が馬鹿馬鹿しい教団に全財産を売り払って入信した時からか? オレ如きのせいで自分以外が何人失われていけば―――」

「目ェさませ馬鹿!!」

 

 思いっきり振り上げたさやかのグーが彼のフェイスメットを震わせる。視界の端にはシステムエラーと小さなノイズ。そして頭全体をカチ鳴らす様な振動に見舞われたアイザックはようやく己が小さな事で激昂し、馬鹿の様な理由で錯乱している事に気がついた。いや、我に返ったと言った方が正しいか。

 普通の人間なままであるさやかに殴られたからか、吹っ飛ぶことこそしなかったアイザックは錯乱していた人格を叩き直される。遥か古代のテレビは叩けば治ると言ったか、自分も結局壊れやすいアレと似たような物なのかと思えば、急に頭が冷えてきた。

 

「どうしちゃったの!? アイザックさんそんな事言う様な人じゃないよね? だってあたしに偉そうに説教たれてるくらい図太い神経してる頭の固い大人でしょ!? こんな時に一人前に錯乱なんてしないでよ! アイザックさんも自分の責任感じて、あたしにちゃんと大丈夫って言ってくれたんだからそれでいいじゃない。死んでる人より生きてるあたしや、この世界の人の事考えて一緒にネクロモーフ倒してくれるんじゃなかったの!?」

「……あ、ああ。そうだ。そうだったな…ああ、そうでなくてはならない……そのためにも、脅威は排除しなければな」

 

 アイザックのプラズマカッターがさやかへ向けられる。

 明るいライトが彼女の目をくらませ、思わず顔を覆い隠した彼女でも正気は保っていたのだろう。ただ一言、形にならない声が零れる。

 

「―――え?」

 

 次の瞬間、何もかもを蒸発させるプラズマの帯がさやかの目に焼きついていた。

 

 

 

 

 

 どさっ、倒れるような音が聞こえる。

 聞こえてきたのは気のせいなどでは無く、確かに目の前で彼女は倒れていた。平常を装うように表情を消しているが、その手は確かな動揺によってカタカタと打ち震えている。やはりこうなったのか、と半ば予想していた人物は小さく息を吐き、彼女を立たせるために手を引いて持ちあげる。

 

「……分かった? 尻もちなんてつく位なら最初から聞かなければよかったのに」

「ち、違うの。そうじゃなくて……その、本当に?」

「全てが事実よ。巻き戻した時の中で、覚えているのは私だけ。それでも私の中にある一ヶ月は幾度の可能性を見せつけて来て、既知を気取っている私の事前準備をその度に嘲笑う。恐らくは魔法少女が必ず絶望するようにするため、とキュゥべえが言っていた事もあったわ。もっとも、今回ばかりは願いは叶うなんて言われたのだけど」

「そう、キュゥべえが」

「恐らくアレは私がなにかを理解しているわ。詳細までは語らないけど、聞かれなかったからなんて言うのが目に見えているわね」

 

 マミが近くのソファに座りなおしたのを見て、すっかり冷めてしまった紅茶を煽る。不味い、という感想を抱きながらも飲み干すほむらは律儀な性格であるのかもしれない。

 

「それで、私の事を知った感想はどうなの」

「……別段、私からはなんとも言えないかも。それはあなたの過去であって、“頑張ったわね”みたいな励ましも無いわよ」

「あら以外。あなた身内には甘々だと思っていたのだけど」

「それは、そうだったわ。この家に帰って来る前まではね」

 

 マミもまた冷えた残りの紅茶を手に取り、ソウルジェムを持った手で光を砂糖の様に振らし、入れたての様な状態になった中身を飲み干した。恨めしい視線を向けていたほむらの反応は実に正しいであろうが、そんな彼女を無視するように、されどほむらに聞こえる声で美味しいわと呟いたのはマミの性根の悪い所が出てしまったのかもしれない。

 

「この家に来る前まで?」

「……アイザックさんにアレは化け物だ、って何度も言い聞かされたわ。だけど同時にそれが救いになるんだってことも。魔女だって同じで、理性を失った元人間を殺してきたのは今更だもの。だから、アイザックさんにケアして貰った時に気付いたのよ。私は確かに誰かの助けになりたい。でも、結局私ができるのは銃を突きつける事だけ。だったら、その銃口を向けると言う行為そのものになにか意味を持たせられないかなって」

「理由探し……そう。私は深く考えた事は無いわ。全て終わってから全ての罪や後悔はしていかないと、それこそ“時間が無い”から」

 

 ほむらの言葉を聞いたマミは奇妙な感覚に陥っていた。あの時間を止めるほむらが時間が無いと言ったのは自分自身に対する皮肉を込めたのだろうが、それにしたってあのほむらが自分の前で泣きごとを漏らしたのだ。

 クスッと大人っぽいと思っている微笑を浮かべたマミ。

 口に手を当てる仕草は淑女のそれのようでもある。

 

「ソレはそれでいいと思うんだけど? だって別々ですもの、私たち」

「じゃないと人間は生きてはいけないわ。もし相手とまったく同じだったら、その相手が死んだ時に自分も死んでしまいそうだし」

「重いわね。特にあなたが言うと」

「……やっぱり、気付いているのね」

「見れば分かるわよ。鹿目さんに対する庇護っぷりは途中からあからさまに過ぎたし、ラッキーアイテムは黄色のリボンですって? もう、嬉しくなるわね」

「あからさまな話題反らしは嫌いよ」

「―――ふぅ、面倒なのね。巴先輩」

「そりゃ先輩ですもの。たった一年でも積んできた時間が違えば面倒に感じられるわ」

 

 自覚があるのか、という突っ込みは心の中に仕舞う。

 すっかり本題である「ほむらの過去」からはかけ離れている事に気付いたが、それでもほむらは思わず会話を弾ませてしまっている事に気がついた。アイザックと一緒にいる間に、随分自分の口は軽くなってしまったらしい。「もう誰にも頼らない」なんて、この言葉を言った事を後悔するのは何度目だろうか?

 それとも、今回は好意全開でまどかに迫った事が仇となったのだろうか。まどか本人はこの通り避難を済ませて貰ったが、その周りのキーパーソン達はどうにも運命の糸を面倒臭さ満開な絡ませ方をしてくる。それによって杏子もこれまでにない精神攻撃で追い詰めてから一度心の芯を揺さぶる方向になってしまったし、これから出てくる魔女の数以外はネクロモーフと言い、この魔法少女や一般人の協力者と言い、今までに無かった選択肢が広がり過ぎて困ってしまう。リーダー的な立ち位置ではあるものの、とてもじゃないが、自分では纏められそうにない。

 

「……そうね」

 

 ふと、マミが何かを喋り出そうとしている事に気がついた。

 彼女の黄金の瞳はこちらを覗きこんでくる。

 

「今までの鹿目さんや私……もしかしたら美樹さんたちが、あなたと交わした約束なんていうのもあるかもしれないわね」

 

 耳に痛い話だが、その通りだ。

 二ケタを軽く超えているループの中で、ほむらは様々な人間と瀬戸際の約束を交わしている。その全てを忘れた事は無く、一人の時はいつだって目を閉じて確かめている。そのほとんどが果たされていないのも、確かである。

 

「でも、まぁ―――忘れちゃいなさい」

「……はっ?」

「だって、死人に口無しって言うじゃない。それに、いまの私たちがいる時間は誰も死んでいないわ。あなたの中では前の私や、鹿目さんたちは確かに死んでいるかもしれないけど……あなたが時間を巻き戻してくれたおかげで、いつも生き返っているじゃない。客観的に見ればそうなるし、あなたからすると一度理解を得た相手をまた失ったり、はじめましてと言われるのは恐ろしいかもしれないけど」

 

 言葉を区切って、微笑んだ。

 

「今度こそ、何とかなりそうじゃないの。下手に自分を傷つけなくてもいいのよ?」

「……あなた、私の母親にでもなったつもり?」

「そこまで老けて無いわよ! 失礼しちゃう。……あ、でもあなたにはない立派なものがあるのだから嫉妬してもおかしく無いかも?」

「あなたの言いたい事は良く分かったわ。今すぐにでもソウルジェムを取り上げてネクロモーフの群れに放り込んできてもいいのよ。ええ、あなたが死んでも厄介な真実を知る相手が減るだけだもの」

「あ、あれ? ちょっと此処は親切で話を運べる先輩に後輩がお礼を言う感動シーンって感じだと思うんだけど? なんか、寧ろ知り過ぎたエージェントが消されそうな……じ、冗談…よね」

「あなたは知り過ぎたの」

「改めて状況確認!? ちょっと待って、ここギャグシーンじゃなくて」

 

 ジリジリと危ない空気を醸し出すほむら。たらたらと冷や汗を流すマミ。

 黄色いクロワッサンをプルプルさせたマミはソウルジェムを守る様にキュッと握り、

 

「―――あら、戦闘シーンみたいね」

 

 現状を確認する。

 

「一、二。後は任せたわ」

 

 ほむらが冷静に言い放った瞬間、階段の上に潜んでいた影から酸化した黒い血液が降ってきた。その直後、重いものが倒れる音と共に耳障りな大声を発する化け物が天井から降ってくる。三本の触手を背中から生やした赤子が骨の弾丸を飛ばして逃げ道を防いできたが、ほむら達は降ってきた一体が着地するまでには忽然と姿を消していた。

 

「!?」

「いい的ね、あなた達」

 

 いつの間にか、ほむらは柱の陰に潜んだサソリの尻尾の様に両足が変異したネクロモーフへ銃口を、マミは両腕と一体化した様な巨大な砲を着地した一体・天井に張り付いた一体に向けて上下に照準を向けた。時を止めた一瞬で変身・武器の顕現・的確な位置取りをした二人は憐れな人の残骸に向けて引き金を振りしぼった。

 静かな一弾丸、騒がしい二砲弾。そのどちらもが死すら恐れず襲いかかろうとするネクロモーフが初動を始める前に接触し、この世へ取り残された肉体を操る不届き者へ鉄槌を下す。飛び散る赤黒い液体。最初に倒されたものを含め、それを垂れ流す置き物がこの屋敷に4つ転がることとなった。

 ふっと銃口から立ち上る硝煙を吹き消したほむらは盾の下へ銃を滑り込ませる。両腕に付けていた砲身を変身ごと解いたマミは空中から近くの階段へ降り立ち、転びそうになりながらも取っ手に捕まることで事なきを得る。

 

「侵入してきたの? 一体どこから」

「屋根裏や細い窓とかだと思うわ。アイザックの話だとネクロモーフが移動する手段としてダクトを使っているらしいから。あなたの魔法、持続力あったかしら?」

「ええ。私のリボンなら一度効力を持たせておけば中々消えない筈だけど」

「じゃあ今からコイツらの侵入経路を探してリボンを壁にでも何でもして埋めて来なさい。私はこの死骸の特徴を覚えたら完膚なきまでに処理してくるから」

「……屋根裏、流石に掃除されてるわよね? 上条くんのこの家ってお金持ちだし、普段使わないとこなんかも使用人さんとかが―――」

「この家が放棄されてから五日目だけど、まぁ自分の目で確かめて来るといいんじゃないかしら。そもそも、キュゥべえとの交替をサボって私と話しこんでいた事への罰も兼ねてるから」

「うぅ、無事に帰ったら鹿目さんに言っとくから! 暁美さんが私に意地悪したって報告するから覚悟しておくのよっ」

「果たしてどっちの言葉を信じてくれるかしらね」

「むぅぅぅっ!!」

 

 だー、っとわざとらしい涙を垂れ流しながら去っていく先輩を冷たい目で見送ったほむらは、何故マミが今回のムードメーカー的存在になっているのかに対して世界の意志を感じていたものの、このタイミングで他の協力者が帰ってきたら卒倒しそうな事を思い出す。

 適当にワイヤーを引っ掛けてネクロモーフの死骸を外に引きずって行ったほむらは、床に着いた血の後の掃除もマミに任せれば解決するのではないかと黒い考えを腹に持ったのであった。

 




さやかはどうなるのかー。
何故かマミさんが癒し要素になっていたのは想定外ぃぃぃ……


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case21

可愛いさやかちゃんがゾンビを受け入れた結果


「フゥゥゥゥゥッ……!」

 

 息を荒げて肩を上下させる。震える手はやってしまった、と言う思いが冷めると同時に持っていた殺傷具を取り落とした。プラズマカッターが地面に転がる耳に入ってくる乾いた音がどうにも響いて、間逆に目の前の彼女とその後ろに合った影からはびちゃびちゃと絶え間ない水音が跳ねまわっていた。

 鮮血とでも言うべき彼女の体液とその後ろに居たネクロモーフの酸化した黒い血が交じり合って倒れた体同士を橋の様に繋げている。己の手で覆って自分のしてしまった行動に後悔するが、今更してしまったことに対して贖罪する事すら許されないであろう。私は、錯乱していたとはいえこの手で彼女を撃ってしまったのだ。ネクロモーフと同一に見える幻覚がチラついていた? 真実だが、それを証明する術は無い。ただ今は、自分がどれほどおぞましい錯乱した精神疾患者になり果てたかを再確認してしまうばかり。

 だから、逃げた。わき目も振らず逃げ出してしまう。悪くない、悪くないと呪詛のように吐き散らしながら―――アイザックはその場から逃走した。

 

「………」

 

 死体が二つ、取り残されている。

 人間の肉体を失った異形の怪物と、人間の魂を失った首と胴が泣き別れている少女の死骸。交じりあうように練り込められた血液のかけ橋は二人を結んでいるのだろうか、なんて。馬鹿な事を想ってしまう―――だからこそ、ふざけるなと言う万感の思いと共に少女は意識を覚醒させた。

 

「………」

 

 首から下は動く。生憎と五感の内、探しものに相応しい視覚・聴覚・嗅覚に加えて味覚までもが失われているが動かせる首から下の体に残されていた触角は残っていた。考えるなど出来る筈も無いのに、何故か頭の中でこの血液の感触は非常に不快だなと自分の事を他人行儀に考えながら、手探りで近くの地面を撫で探して行く。

 やがて、指の先にまだ温かいさらさらとした感触が手についた。髪の毛だ。血液に濡れている場所は非常にネチョリとしている――具体的に言えば固体半分液体半分の粘液状の――感覚に包まれているが、ぺたぺたと触って確認しながら凹凸のある方を自分の体の前方にして、無ければならない場所へとソレを据える。

 やがて、彼女の体からは青い光が発せられた。じゅぅぅ、じゅぐ。接合されていく生々しい音が首筋から「聞こえてくる」。聴覚が復活し、薄ぼんやりとした光を感じる程度には視覚が戻る。口の中にある味覚からはネクロモーフの血液でも入っていたのだろうか、妙に鉄錆臭い感覚のする液体をペッと吐きだした彼女は生臭さの残る接合部分に手を当てながらも自己修復の魔法を当て続ける。同時に思った。感覚的な物でしか無かったが、中々に奇妙で化け物じみた感覚を味わえたものだ、と。

 

「……これが、魔法少女ってか」

 

 美樹さやかは、悠然とした態度を崩さずに言った。

 

「……お」

 

 次いで完全に復活した視覚から見つけ出したのは、ライトの光で前方を照らし続けるプラズマカッター。転がっているそれは、自分の視覚が途切れる直前に戦いの先生でもあるアイザックが持っていた工具、と言う名の武器として扱われるそれだ。彼女はそれを拾うと、強化スーツを前提とした幅広い持ち手のせいで手との空間が結構空いており自分ではトリガーに指が届かないことに気がつく。自分もバンバン撃ってみたいなと思っていたさやかは適当に懐中電灯代わりにプラズマカッターを持つと、即座に自分のソウルジェムを翳して変身した。

 

(う~ん、首の辺りまだちょっと痛いかな? それにしてもアイザックさん、随分取り乱してたけど……どうしたんだろ。襲われてないと良いけど)

 

 アイザックの言った方向は、血液の水たまりを踏んだからかハッキリと足跡になって残っている。これが続く限りは追いつけそうだなと思いながら、さやかはソウルジェムの濁りを気にしながら思いっきり夜の街を掛けて行く。普通、自分を一度だって殺した相手にこんな楽観的な感情を抱く事など不可能だと言うのに、不思議とさやかの心は澄み渡っている。

 それはやはり、アイザックが自分の心を守ってくれた恩師だからだろうか。はたまた恭介という恋焦がれた男のために自分は最後の一線を越えまいと理性が無意識下で押し流してくれているのだろうか。それは、さやか自身ですら認知の外。ただただ今はあのちょっと心配な大男が助かっていればいいなと思いながら、血のへばりついた靴跡を追い続けた。

 

 

 

 走る。走る。ただ逃げるように走った。それでも闇は自分を追ってくる。光という戯言を乗せたまま、黒く染まり過ぎた闇の塊が光を反射しながらあたかも発光しているかのように自分に笑いかけてくるのだ。愛しい彼女の姿を模しながら。

 

 ―――アイザック、あなたは正しい事をしたのよ。

「だ、ま……れ」

 ―――あの女の子達も立派な怪物じゃない。殺してよかった。

「黙れ、ただの幻影が話すんじゃない!」

 ―――そうね、辛いわよね。でも私はもっと辛いわ。だってあなたと、

「辛い、辛いだと? ニコルは死んだ。死んだお前が、一体何を辛いと! ……ッ!?」

 

 誰も、居ない。やはり幻影だった。振り払うように、いいや事実振り払った手はそこにあった固い物へブチ当たる。まるで黒い繭に包まれている様なそれには見覚えがある様な、そう思ったが全てが遅かった。

 途端、景色は塗りつぶされる。

 ドロリと解けた肉塊が上から下へと流れ続ける異臭と腐臭の交じり合った場所。時折生きているかのように脈動する通路となった空間は、少なくとも中型動物以上の生物の腹にでも入った様な気分だった。むわっと広がったのは内臓器を掻きだした時によく匂って来る、生理的嫌悪から吐き気を催す臓腑の悪臭だった。スーツの正常化機能が働いていると言うのに、それすらも何なく通り抜けてくるのは精神にも異常なまでのダメージを与えてくる。

 アイザックは困惑し、何とか死にかけていた自分の息を取り戻したものの、これすらも幻覚だと言い切るには余りにも前回のソレと似通っている事に気がついた。

 

「……ネクロモーフの、結界」

 

 一体どのような進化を遂げたのか、その過程には死んでも知りたくは無いが、厄介なものになっている事は一目瞭然であろう。プラズマカッターを備えようとして、あの場所に置き去りにしてしまったことを重さの無い右手から思い出す。これでは、小回りのきいた防衛策がとれないではないか。

 暇を持て余したかのように混乱と同時に突っ立っていれば、奥の方からは聞き覚えのある怪物の叫び声が反響して響いてきた。抉り取った喉の肉から発した様な不快な音は、既に機能すらまともに残っていないネクロモーフの声帯から作り出される空気の押しだしたもの。だが、その声が聞こえると言う事は「本命」がこの先に居るかもしれないという暗示でもあった。

 RIGを操作するパネルに手を伸ばし、適当な武器になる物を取り出して構える。ガチ、ガチ、ガチンと何かを嵌めるような音が響いてくるのは、いざとなったら前方を切りはらいながら前進できるような回転する刃。キネシスの技術と宇宙から発見された資源をふんだんに使用した超合金を使い捨ての刃にした「リッパー」がずっしりとした重さを手に伝えて来てくれる。何分、ふわふわと浮いた幻影を見ていた事もあってこの重さは足が地についている事を連想させてくれていた。

 

「お前さえ、お前さえ居なくなれば彼女達に任せられる……忌々しい腐れドクター(Dr.Mercer)の置き土産が…!」

 

 幻影も、何もかも。ネクロモーフが溢れていなければ見る事は無かった。ネクロモーフが彼女の後ろにいなければ、美樹さやかをネクロモーフと勘違いする位まで錯乱する事も無かった筈だ。

 憎悪と、理解しきれない汚い感情を胸に秘めながらアイザックは歩を進めていく。もう数分は歩いたか、はたまた数十秒か。不思議なほど静かな結界の中は脈動する音が時間の感覚を麻痺させる。同時に、苛立ちながらも冷静さを忘れていないアイザックの集中度合いが長い時間を短い物と感じさせ、常に周囲への厳密な警戒が行われ続けている。常人ならば死の恐怖と訳の分からなさから発狂する所を無事なのは、既にアイザック本人のどこかが狂っているからだろうか。その分厚いメットに覆われた表情からは読み取りようも無い。ただただ、荒々しい息遣いだけが彼の感情の機敏を表しているだけだ。

 不意に、彼は何かを感じ取った。びくっとはねた肩は恐怖から来るものではなく、その何かに反応したため。だが余りにも感じ慣れたその脅威に、「死の脅威」には彼を動揺させるまでは至らない。ただ来ると分かっていたからには、アイザックは迷い無く手に握った繊維類切断用機材のトリガーを引いていた。

 

 当たり前の様に彼の目前からネクロモーフが姿を現して、何をするでもなく爪のはえた四肢ごと高速回転する丸鋸に切り刻まれる。正しく「筋繊維」を切り裂き、開けた傷口を抉る様に削り取っているリッパーの丸鋸は勢い留まるところを知らず、一体のネクロモーフを完全に切断しきったところでその後ろに控えていた異形の怪物へとそのまま回転する凶刃を伸ばした。

 二体目もあと少し、と言ったところでキネシスの稼働時間が終わりを告げ、丸鋸はただの鉄塊となってアイザックの足元へ堕ちる。此れ好機と取ったか、はたまたその殺意の衝動に突き動かされただけかは知る由も無いが、その人間を軽々と切り裂き貫ける鋭利な爪を振り上げた一般的なネクロモーフ・スラッシャーがアイザックへ命を刈り取らんとジャンプし迫ったところで、その体は力無く空中で肉塊となった。

 その正体はアイザックの持つリッパーの第二効果(セカンダリ)、丸鋸の射出。キネシスの維持の出力を射出と回転力に全て注ぐことで、宇宙に時折存在する危険度が高い植物などを遠くから確実に伐採するための機能だ。それがこんな敵対性半人型エイリアンを一掃するために使われるなど思いもよらなかっただろうが、ある意味全てが「対物(アンチマテリアル)」武器となる工具は、人間よりも丈夫な怪物には最適な武器と成りうる。これが、ただの軍隊が「人間を殺せる程度の武器」では歯が立たなかった理由でもある。

 そしてリッパーで次々と襲い来るスラッシャーを狩っていると、アイザックが最も警戒すべき「黒いネクロモーフ」が現れた。その丈夫な体は普通のネクロモーフの二倍はあり、高い耐久力から取り付かれてマウントを取られたことも石村では良くあった。だからこそ、アイザックはまだ遠くに居る間にリッパーの射出機能によって動きまわるその怪物の四肢を狙い撃ちする。西部のガンマンよりもよっぽど実戦向きに鍛えられた射撃の腕は、見事に黒いネクロモーフをバラバラ死体へと変えてくれた。

 

「……まだ、か」

 

 黒い強化型ネクロモーフの脅威は去ったが、本命は別だ。この黒いネクロモーフは、ある特殊なマンタ、またはエイのような形をしたネクロモーフに改造された死体から出来上がっている。つまり、死体がある限りあの厄介な黒色が多数出現すると言う事もあって、アイザックはうんざりとした感情を吐き出さずには居られなかった。

 とにかく進むしかない、と意気込む彼は勇ましくも見えるのだが実際のところはさやかを殺してしまった(と彼は思っている)責からくるイライラを発散するための丁度いい的を探す為でもあった。ただの殺人犯、破壊者。そんな狂気的な思考に染まりかけているがため、自分の精神状態を知ることなど出来る筈も無い。アイザックが手に握るリッパーを選んだのは、すっぱりと切れるプラズマ射出工具よりも目の前で惨殺出来ると言う実感が強いからなのかもしれない。

 

 ―――アイザック、進みましょう。

「ああ、そうだな」

 

 いつの間にか現れた、幻覚と断じたニコルさえも疑わない。

 彼の精神は少しずつ、しかし確かに壊れかけているのかもしれない。

 

 

 

 彼の後を追いかけて行った先、さやかは愕然とした。

 圧倒的なまでの負のオーラ。魔女がいる結界と言うのは確かに禍々しい気配がするものだけど、自分が今まで倒してきた魔女がまだ「若い」部類に入ると分かっていても、そんじょそこらの魔女などとは比べ物にならないほど圧倒的な威圧感を放つ結界があるなんて信じられなかった。

 普通、魔女結界の入口には魔女のシンボルらしき模様の書かれた複雑怪奇な魔法陣が敷かれており、それを入口の媒介とすることでソウルジェムを通じて魔法少女が結界内に入る事ができる。それは魔女の持つソウルジェムのなれの果てであるグリーフシードとの共振作用による弛緩の類だとも言われているが、その論点は今は置いておこう。

 この時に注目すべきなのは魔女結界の魔法陣にある。普通ならば魔法陣の中央にあるに相応しい中傷的な形をしたシンボルマークが描かれている筈の中心部には模様が無かったのだ。いや、あるにはあるが厳密に言えばそれは模様では無く傷であると言える。真ん中の模様が欠けた、不完全な結界。魔女の使い魔が独立して作り出したものでは有り得ないというのは、この結界から滲み出る不気味なオーラが証明している。

 

「…アイザックさん、ここに入って、じゃなくて取り込まれたのかな?」

 

 じゃなければ、魔法少女でも無いアイザックが入り込める筈は無い。前にアイザックが「影の魔女・エルザマリア」を狩るために結界に入れたのもグリーフシードが孵化し、結界が構築される瞬間に立ち会ったからに他ならない。

 さやかは若輩の自分程度、この結界の中を生きて戻ることなど出来るのだろうかと己の身可愛さに心許無くなってしまった。しかし、ここで引けばあの時の、ただ馬鹿をやっていることしか無かった中学生に逆戻り。何より、同じ魔法少女たちの面目が丸つぶれになってしまうかもしれない。

 息を飲んだ音は、自分の喉から聞こえてきた。

 

「……よしっ、キュゥべえいる?」

「此処にいるよ」

 

 ぬっ、と闇からはい出してきたのは今の拠点となっている上条家に居る筈のキュゥべえ。その唐突な出現に驚愕は隠せなかったが、さやかは予備で持って来ていた3つのグリーフシードの内ひとつを使用、半分ぐらい濁っていたソウルジェムに無理やり全ての穢れを吸い取らせて孵化寸前のそれをキュゥべえに放り投げた。

 

「ほら、急いで喰いな」

「よっと。やれやれ、エネルギー変換があと一瞬でも送れていたら魔女が生まれていたよ。でも流石は孵化寸前だっただけの素晴らしいエネルギー量だ」

「そりゃ良かったわね。……ああ、佐倉杏子だっけ? あの子どうなったの」

「ほむら曰くのやり過ぎた、は緩和されて来たよ。今はマミが付きっきりで昔話なんかして心を開かせているようだ。ほむらは拠点の哨戒にでているね」

「ふーん。……じゃあ、まどか達は?」

 

 結界突入前、アイザックも気にはなったが親友は今どうしているのだろうかと、不意に思いついた言葉をそのままキュゥべえに託す。彼はしばらく黙っていたようだが、なにやら電波でも受け取っていたのかすぐに話を切り出し始めた。

 

「同族の報告によれば、スーパーセルの襲来にただ怯えているのが6割だね。残りはバラバラ過ぎて感情すら理解できないけど、少なくともまどかは日常的行動の節目に祈るような行動をしているみたいだ」

「なんだかまどからしいなぁ。ああ、無力感に苛まれた結果じゃなけりゃいいけど」

「残念ながら君の予想は当たっているよ。契約はしない、と彼女自身が拒んでいるからには僕達も手は出さないけどね。所詮はエネルギーが一時的に莫大な量を得られるに過ぎない。それに、彼女の魔女が発生すればその時は―――いや、まだ憶測に過ぎないからやめておこう。不確実な情報は無益な混乱を生みだし効率を落とすだけだ」

「…? そっちにも事情があるんだ。インキュベーターってのも面倒な種族だったりするわけね」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。感情が無いから君たちで言う辛いという思いは味わったことが無いんだ。そんなことより、その結界に入るならひとつお願いがある」

「お願い?」

 

 此方の事情は終わったからすぐに行く、というのはさやか自身の性格に反している。更にはいくらこんな面倒な事態であるワルプルギス達の生みの親とはいえ、確かに此方にはインキュベーターに対する多大な恩があることも事実だ。

 こんな小さなお願いでよければ、少しくらい聞いた方が自分も納得はできるだろう。そう思って、さやかは結界突入の準備を整えながらも聞き返した。

 

「この中にMarkerが生成されつつある。アイザックと協力して、アレを完成前に破壊してほしい」

「……マーカーって、あの?」

「その通りだ。どうやら魔女の結界生成のプロセスにある願望を叶えるための空間効果として、ネクロモーフの副次的存在理由であるMarkerが生成されて掛けているのを察知した。そして、アイザックは恐らくこの宇宙でも珍しくMarkerを破壊する術を持った人間だ。彼が失われるのは、月の兄弟達(Brethren Moons)の脅威を排除するためにはあまりにも惜しい」

 

 その言葉の中にどれだけの真意が隠れているかは分からない。さやか自身そんなに頭の出来は良くないと自負しているだけあるが、それでもキュゥべえの言葉には何かが含まれているというのは理解できた。

 さやかもキュゥべえ達の思惑に関しては、正直言って恐ろしい。魔女以上の何かをアイザックを使ってするつもりならばインキュベーターの殲滅も辞さない覚悟ではあるが、今は目の前のアイザックの危機を見逃すことになる。それだけは、己のちっぽけな正義感が許さなかった。

 

「分かった。アイザックさんはちゃんと助けるし、そのマーカーってのもぶっ壊してくる。だからアンタはいい加減あたしたちに情報まとめて渡す準備でもしといて。地球で搾取し続けたいって言うんなら、この地球の危機くらい救う立場に立って貰うからね」

「効率重視、と言う点なら確かに惑星一つが失われるのは惜しい事態だ。……了解したよ、母星に掛け合って幾らかの手は回してもらおう。それでも実行するのは君たちになるけど戦える力量はあるのかい?」

「当然! そうじゃなきゃこの中に入ろうなんて―――思ってない」

 

 その言葉と同時、さやかは結界の中へ突入する。掻き消えた魔法陣は一般人の視点からは発見できないほどに秘匿され、おぞましい死の気配を撒き散らす怪異スポットへと早変わり。それを無感情な視線で見つめていたキュゥべえは、ふとインキュベーターらしくも無い独り言をつぶやいた。

 

「やれやれ、君達人間と言うのは、まったく理解できないよ」

 

 己自身すら誤魔化した異星人の種族。彼らが生物として欠如した感情は、恐らく永遠に理解されることは無い。そこから生じる確執は我々感情ある生物とは深いものになるだろう。

 同じ生物であることから手を取り合う事もあるのかもしれない、が。

 




いつか、この小説の登場人物全員がカッコよくなればいいなぁ(キュゥべえ含めて)

ところで、キュゥべえを殴り隊ってどのくらいいるんでしょう?
私たちは少なからずインキュベーターの行動方針に賛成するところがある派ですが。


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case22 impossible

 じゅくじゅく掻き鳴らされる不協和音。足を踏みしめる度に動物でも踏んでいるかのようなぶにっとした感触が足の裏から伝わってくる。自分の惨状を含め、いままでずっとグロテスクなものを見て来たおかげで嫌悪感は最小に収められてはいるものの、やはり人間の中身と同じような場所を歩くのは辟易と言ったところである。

 

「うわぁ、ここの壁削げてる。アイザックさんが頑張ってたのかなぁ」

 

 それと同時に辺りに散らばるネクロモーフの残骸。壁の中に溶け込むように吸収されていっているが、その中には見た事のない全体的に黒いネクロモーフなども発見する。多分これがアイザックさんの言っていたエイみたいな形の奴が作る強化型みたいだが、今のうちに安全な試し切りと称して剣を振るってみた。

 結果はまぁ、ざっくりと両断され、自分の剣がどれほど鋭いのか再確認するだけだった。活動中の方が固いのだろうか、という疑問も浮かび上がった事もあるが自分の剣はコンクリートの壁すらも水を相手しているかのように切り裂いてしまう。ならば、この鋭さを信じて何もかもを振り切ればいいのだろう。

 自分の信じる剣を振ろう。そうして恭介に願った様に、自分が歩んできた道はこの剣そのもの。真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに。そうしていれば―――魔女になる(曲がる)なんて有り得ない。非情に徹し、人だった怪物を斬り捨てる。自分のすべきことは世界の理と同じでしかない。不要な物は全て斬るだけ。

 

 

 

 ―――いいわ、アイザック。ここよ。

「そうだ……ニコル。ああ、ここだ」

 

 その頃、アイザックは結界の最奥に到着していた。彼が歩いてきた後には数多の屍が転がり、その多くに丸鋸が突き刺さった状態で機能を停止している。頭蓋に突き立てられた墓標の様な銀色は鏡となってアイザックのフラフラとした足取りを映し、彼の隣に誰もいない事をも証明している。

 アイザック・クラークは焦燥しきっていた。何故か、いきなり自分が発狂して美樹さやかの首を跳ね飛ばした事をずっと後悔している。あの船の中で、自分の目の前で首を掻っ切って死ぬ人間は何人も見て来たがアイザック自身は化け物となった奴らを斃してきただけであって、まだ一人の「人間」も殺していない。だからこそ、アイザックは初めて殺したのが「友人」のような関係にある人物だったことが信じられない。もう、何かに逃避するしか無かった。

 その結果が、「頭の奥」に潜んでいた「Nicole」を引きずり出した。「本来の運命」ならば再び彼が目覚める数年後までずっと付きまとっている筈の彼女の幻影は、何故かこの見滝原に居る間はずっと出てこなかった。それが今となって、いきなり彼の横に出現したのはいったい何故なのだろう? 理由は単純、彼の心の均衡が崩れたからに他ならない。

 

 ―――ここが私たちが約束した場所。

 

 捻じれた双角のオブジェ。

 記憶の片隅に引っ掛かっている筈の忌まわしき光景は、幻影の言うがままにされているアイザックには判断できないただの柱に見えている。いや、現状は確かにまだただの柱であった。捻じりあう前の二つの四角錐。何かが足りないと言う、威圧をも放つ不可思議な物体である。

 

「ここが、そうなのか……?」

 ―――間違いなんて無いわ。さあ、アイザック手をこれに。

「ああ…そうだな。これで、私は……」

 

 捻じれる前の双角にアイザックが手を触れそうになり―――

 

「やぁぁぁぁぁっ!!!」

「ガァッ!?」

 

 突如としてぶれた視界ごと吹き飛ばされる。エラーとノイズを吐きだすスーツからの情報は先ほども体験したアレだ。そう、そしてこの声は聞こえる筈がない、隣に居るニコル以上に死を確定されていた筈の、

 

「ミキ……?」

「このっ! お馬鹿ぁ!!」

 

 目の前の光景が信じられない。確かに、ネクロモーフの手足と同じように彼女の首を吹き飛ばしてしまった筈だ。彼女の後ろに居たスラッシャーと共に首が地面に落ちた光景も確認している。だというのに、ここまで鮮明に覚えている記憶を馬鹿にするかのように彼女は目尻に涙をためながら此方を見上げている。

 

 直後、スーツの洗浄機能が突如として働き、スチームが背中から噴出した。正常な空気は先ほどまで取り込んでいたネクロモーフ結界の中の淀んだ空気を吐きだし、途端に幻影に囚われていた頭の中をシェイクするかのように立ち直らせる。加工された頭の奥に響く酸素を胸いっぱいに吸い込んで、手に持っていたリッパーが取り落とされた。

 ガシャン、と響いたのは狂気が砕ける音。リッパーの落ちる音。そして同時に、自分が触れようとしていた忌まわしい双角のオブジェが何であるかを理解し、小ぶりながらも確かにアレと同じ形をしている「紅い物体」へ激しい敵対心と嫌悪感を抱くアイザック。なんて馬鹿な真似をしようとしてしまったのだ、と。頭を押さえて目を見張っていた。

 

「はぁ…はぁ……ま、間に合った……フルスロットル……帰宅部のあたしにはキツイ……いや、ソウルジェムパワーで回復しちゃお」

 

 体力の回復後、グリーフシードへ穢れを吸わせるが結界突入前の様な孵化寸前まではさせない。だとしてもキュゥべえがこの場言い無い以上はこの後の戦いで使える予備はあと一つだけだ。息を整えたさやかは前方に広がる光景に冷や汗を流しながらも、挑戦的な笑みを浮かべて剣を握り直した。

 

 アイザックがニコルに案内され、さやかが止めに入った「Maker Room」とでも呼称すべき場所は、結界の中でも一番広い作りをしていた。丸い肉塊がおよそ半径20メートルの円形に周りを覆い尽くし、その各所に空いた穴からは今にも零れだしそうなほどのネクロモーフがぞろぞろと湧きだしている。骨組を内側からひっくり返したかのような不格好な怪物どもは掠れ切った声帯で移動し、空気を気管だった穴に通すことで化け物の咆哮にも似た音を発している。

 その異様な光景に見惚れてしまっていたのか、気付けば、肝の底から震撼させる醜悪な死の体が辺りを覆っていた。アイザックは取り落としたリッパーの代わりに設置型武器として扱えるデトネイターを構え、辺りに射出する。同時に併用可能な現界数を迎えたその武器を仕舞いこみ、ラインガンへと装備を変えたアイザックは歯ぎしりしながらネクロモーフの蠢く「波」へ照準を合わせた。

 

「アイザックさーん、正気に戻りましたー?」

「………もはや、私は正気ですらないかもしれん」

「だったらそれでいいですよ。狂っただけ暴れられるんならじゅーぶんっ!」

 

 両手剣を順手に握る。一度目を閉じ、ネクロモーフの群れを見た。魔女と戦う筈の魔法少女がこんな人間モドキを相手にするばかりで精神的なポテンシャルばかりが最低最悪ではあるが、想像以上の厄介事の中心に慣れてしまったと言う彼女の精神がこの状況下で頭を冷やしてくれる。

 勇んで一歩を踏みしめ、彼女は笑う。

 

「リハビリとでも洒落こみましょうよ、アイザックさん」

 

 ネクロモーフが波のように蠢きながら、さやか達の間合いに入った。

 いつかのように、二人の蹂躙劇が幕を上げる。

 

「まずは先手、どうぞアイザックさん」

「ああ……すまん」

 

 くたびれた男の言葉と共に、仕掛けたトラップにネクロモーフが引っ掛かる。吹き飛ばされた魔力の肉塊からは、黒く染まった卵の様なものが溢れ出ていた。

 

 

 

 

「……あ、れ?」

 

 なにやら、とても喉が渇いている。

 温かい感触は最近間借りしていたホテルのふかふかとしたものより、更に高級感に溢れた寝具の数々。疲れていたのは否定しないが、無意識であってもこんな贅沢の限りを尽くせるような場所を(従業員を魔法で騙して)使っていただろうかと思い首をかしげる。

 ソウルジェムは枕元の小机に置いてあった。中の穢れはあまり浸透していないようだが、早めにストックも無くなったグリーフシードを探しておかなければならないとベッドを降り、ソウルジェムをその手に掴んだ。

 ―――瞬間、全てを思い出す。

 

「……あ、アタシは」

「ようやく正気に戻ったのね。はいこれ、眠気覚ましの紅茶」

「テメェ、マミッ!」

 

 後退し、変身。この高級な部屋の家具をいくつか破壊しながら戦闘態勢へ整えたが、対するマミは少し暖かそうな私服姿のまま優雅に紅茶に口をつけるばかり。

 一杯目を半分まで楽しみ飲み干した所で、マミはカップを下ろした。

 

「そんなにいきり立たない方がいいわ。余計に感情を揺らすとソウルジェムがすぐ濁っちゃうわよ」

「……ああ、そうだな。そうだったな」

「分かったら変身は解きなさい。いえ、魂を外に出さないでって言う方がいいのかしら」

 

 ソウルジェムを掲げ、マミは一本のリボンを取り出した。可愛らしくカップをコーディネートして包み込めば、これで保温完了と言っておどけて見せる。

 

「お前らは……いいのかよ。こんなゾンビみたいな―――」

「魔法少女の事?」

「ッ……ああ」

「私はもう、折り合いをつけていくしかないと思って。他の子たちはどうかは知らないけどね? 自分の一部になった以上、常に見つめ合っていく問題でしかないのよ」

「おまえ、そんなんだったか?」

「自分のした事をどんどん雁字搦めに難しく考えていく……みんな、そうして大人になって行くのかもね」

 

 ようは責任の問題。逆に、自分達しか現在直面している責任をとれる人間がいないのなら喜んで責を負って行かなければならない。そんな事をつらつらと並び立てるマミに、正しい教育も何もかも受けてこれなかった杏子は酷く顔を歪ませた。

 まだまだ自分のことしか考えられていない、と言う証明のように。

 

「とにかく佐倉さん、あなたにも協力を取り付けたいの。美樹さんから大体は聞いてるんでしょ?」

「ワルプルギスに、あの化け物共だろ? ハッ、ごめんだね! ワルプルギスは倒せばグリーフシードが落ちるけど、あの化け物はほっといても魔女にならないしグリーフシードも落とさない。アタシがそんなヤツを倒す為に手を貸すって? 馬鹿馬鹿しい!」

「その結果、誰が死んでもいいと……そう言うのね」

「関係ない奴が何処で死のうと、ニュースで事故の話を聞いたのと同じだろ?」

「まぁ、それもそうよね」

 

 溜息は一つ、麗しの乙女から発せられる。

 マミとしてもこうなれば自分がどんな考えか誤解されそうになるだけあって、使いたくなかった手段を講じることにした。言うなれば力の下に相手を従わせると言う、シンプルな答えだ。

 ソウルジェムに黄金の輝きが宿り、マミを人としての階梯を外れた魔法少女という存在へと押しのける。密接に魂と結び付くキュゥべえ達の技術の結晶、あらゆる奇跡を起こしうる事象の書き換えすら可能な成功体。

 

 手に握るのは古めかしくもマジカルめいた衣装のマスケット銃。鉛の弾丸の代わりに魔法の球を吐きだす銃には多少の変化が目に見える。それは、銃口の下に取り付けられた刃。見栄え、歩兵銃の形相になったことに杏子はマミの戦闘スタイルを思いだすが、どうにも上手く扱えるとも思えなかかった。

 

「力づくってか。分かり易いけどね!」

「―――なーんちゃって」

「なぁっ!?」

 

 勢いよく飛び出した杏子を、周囲の家具と言う家具から飛び出してきたリボンが覆い尽くす。マミの弾丸を種として、ツタのようにリボンを伸ばす拘束用の魔法。すぐさま変身を解いたマミは吊り下がった杏子を見上げるようにして言い放った。

 

「あからさま過ぎる銃剣。フェイクに引っ掛かる様じゃベテランなんて言えないわよ? それにここは私たちが拠点にしてるんだから、どこにネクロモーフ用のトラップが仕掛けてあってもおかしくないと思うけど。現に侵入してきたからこんな風にしたんだけどね」

「……! ッ!!」

「ああ、喋れないんだったわね。まぁ暁美さんたちが帰ってくるまで大人しくしてなさい。私もこんな野蛮な事は嫌いなんだけど、今回ばかりは全員が協力しないと掴めない事態のようだから……ね?」

 

 納得して頂戴、と言わんばかりの流し目に杏子は威嚇の視線を投げるばかり。

 

 それから数分ばかりの時間が過ぎた頃、玄関の方から歩いてくる影があった。いつもの冷静そうな仮面を張りつけたその人物の名は暁美ほむら。右手に握りしめているのは白いマスコット。キュゥべえは生物の見た目とは裏腹に、ぬいぐるみのように顔面を凹まされてぶら下がっていた。

 

「ほむら、僕の様な物体を運ぶ際には不適切だと思うんだけどね」

「あなたが気にしていないのなら言いと思うわ」

「君の凶暴性が飛び火しない事を祈らせて貰うよ」

「あら、お帰りなさい」

「緊急よ。戦闘準備を―――佐倉杏子が正気を取り戻したのね」

 

 リボンでぐるぐる巻きにされている杏子の姿を見て、キュゥべえを放り投げながらほむらは言った。空中に投げ出されたそれをマミが実際豊満な胸で受け止める。キュゥべえを肩に乗せたマミは戦闘準備とはどうしたのかを問うた。

 

「僕が説明するよ。現在さやかがネクロモーフ結界で交戦中だ。Marker製作を阻止するため、アイザックとの共闘をしているのかもしれないがどうにもアイザックの様子がおかしいんだ。此方としてもMarkerが完成されてしまうのはいただけない。少しでも破壊の確立を上げるため、君たちに協力を願い出たのさ」

「私はその間、結界の位置を突き止めておいたわ。コイツの案内した先からは移動していたから」

「そう……そう言えば美樹さん、何か言ってなかった?」

「さやか自身が僕達インキュベーターと交渉をもちかけたよ。その結果、僕はこれから母星からの情報交換をしなくちゃならないから、ネクロモーフ結界へ応援に向かってくれ」

「最近の美樹さん凄く豪胆になって来てない?」

「……今まで見てきた中では有り得ないメンタルの強さね。それだけに決壊した時が一番面倒だろうけど」

 

 そう言えば、と現地に向かおうとしたマミが思い出す。

 

「佐倉さんをどうにかして参戦させたいんだけど」

「今は無理だと判断した方が得よ。“月”の脅威が来る事だけは避けないといけない」

「そうだけど……あ、そうだ!」

 

 何かを思いついたようにマミが笑みを浮かべる。

 一般に言うあくどい笑み、と言う奴だ。

 

「キュゥべえ、ネクロモーフ結界のネクロモーフってどうなの?」

「アレらも魔女結界の性質を取り込んだ以上、一般人を殺してネクロモーフ細胞を植え付ける以外の魔女的繁殖方法なら、結界の主と言う者がいない以上群体の魔女としても捕える事が可能だろうね。使い魔と一体化したタイプに数えられるけど、奴らが現在避難した見滝原の住人に与えた恐怖は相当なものだ。よって、グリーフシードを全個体が持つ可能性が―――」

「…ということらしいわよ? 佐倉さん」

「…………」

「あっと」

 

 口元のリボンを外す。

 威嚇的な睨みを利かせる杏子に対し、マミはほむらに視線を投げた。

 仕方ない、と言わんばかりにほむらは彼女の前に立つ。

 

「グリーフシードの分け前ならあげられるわ。それで一時共闘……手を打てない」

「9割だ」

「高いわね、等分に考えてあなたには2割が限度よ」

「8割5分」

「妥協しても3割」

「……なら、6割でいい」

「私達も惑星そのものを相手にしてるの。3割5分」

「ハッ、そんなのお前らで何とかしてればいいじゃんか」

「巴マミ、行くわよ」

「仕方ないわよね」

「おいっ!」

 

 揃って外へ足を向けた二人を呼びとめる。

 屈辱に濡れた表情ながら、杏子は呟いた。

 

「半分だ! 半分以下は譲れねえし、お前らの拠点だってぶっ潰す。術者が近くに居ない拘束を壊すのなんて簡単だぞ」

 

 睨みつける杏子。ほむらはふっと笑って、髪をなびかせる。

 

「オーケーね。歓迎するわ」

「―――は?」

「まぁ、必要十分は集まってるもの。よろしく(・・・・)ね? 佐倉さん。まさか貴女が自分で言った事を否定なんてしないわよね? 半分はあなた個人にあげるんだから、相応に働いてもらおうかな」

「あああああああ! クッソォ!」

「女の子がそんな言葉使わないの」

 

 今度こそマミは身を翻し、ほむらと頷き合ってその場から離脱する。杏子も追いかけなければ取り分そのものが見つからないと踏んだのか、渋々ながらも悪態付きで上条家から他の家の屋根に飛び移っていくのだった。

 そして、既にキュゥべえの姿すらその場には無い。拠点となった上条家の周囲には黄色い光が魔法陣を描き、更にリボンが城壁のように周囲を覆う。もし杏子が断っていたとしても、この壁を杏子の脱出を食い止める手段として講じている辺りマミたちも意地が悪くなるほど切羽詰まっていたのかもしれない。

 

 

 

 場所は再び、ネクロモーフ結界内。

 彼らの足元には数段に積まれたネクロモーフの死体が絨毯となり、特に普通の歩行速度しか出せないアイザックは足元の不安定さも含めて素早い動きの敵に照準を合わせられず四苦八苦しているようだった。

 

クソッ(Fuck)! こうもゴロゴロ……いい加減に、キツイぞッ!」

 

 リロードの隙を狙ったスラッシャーを裏拳で弾き飛ばし、すかさずフォローに入ったさやかの剣閃が輝く。ジャンプから斬り、着地。そしてさやかが別の得物を切り刻む頃にようやくネクロモーフの体はバラバラとサイコロステーキへ成り果てた。

 時にさやかの高速機動を止めようと波状攻撃を仕掛けるネクロモーフに、セーフティを外し、更に強化したことで貫通力が対極太鋼材解体用並みに跳ねあがったラインガンのプラズマが光波を棚引かせながら直線状に存在した敵を寸断する。そしてアイザックは振り上げられたようなスラッシャーの両()を斬り捨て、四肢をもいだ残骸には目もくれずに次の獲物を狙う。

 片や鮮やかな剣舞を、片や堅実な射撃を。方向性が違いながらもそれぞれの役割を果たしていた二人であったが、余りにも多い物量を相手に厳しい状況下に追い込まれてきているのは確かだった。ラインガンの弾薬もアイザック手製の物ではすぐに消費してしまいやすく、アイザックの攻撃方法も強力な工具による一掃からキネシスを用いた省エネ戦法になりつつある。反対に、さやかは「殺したネクロモーフ全て」が落とすグリーフシードで微量ながらも回復を続けているがために、体力的には常にベストを保つ事が出来ているようだ。

 

「まだ……まだ続くのッ!? コイツらぁぁ!!」

 

 いい加減、肉を切り裂く感触が手に馴染み始めてしまっている。このまま生活に戻ったら猟奇殺人犯にでもなってしまいそうな甘美な切断の感触を両手に感じたまま、さやかは魔力を腕に込めて大剣を振り払う。攻撃圏内に居た異形の輩をズバズバと裁断してまた次へ……と言う戦法は効果的ではあるが大ぶりなためLurkerの背中から飛ばされる骨の弾丸によく狙われやすい。3way shotの骨は大きく距離をとる動きをしないと避ける事が難しく、かと言ってこんな狭い球状のステージでジャンプしてしまえば上の穴から降ってくるネクロモーフの首狩りの餌食となってしまう。

 

 そうしたことから、さやかは遂に、その身を焦りと言う感情に包まれ始めていた。急かす様な言葉を言わずして、我慢し続ける事はさやかの性分としても合わなかったからではあるのだが。

 

「アイザックさん! マーカーぶっ壊せる手段ってないの!?」

 

 一つしか作り出せない大剣で再び薙ぎ払う。

 そして三体に囲まれていたアイザックを脇に抱えて場所を変えて言い放った。

 

「あれば実行しているさ!」

 

 距離を取れたが故にデトネイターに切り替え、爆発物をばら撒いた。そしてプラズマライフルを抱えてセカンダリを設定し、ネクロモーフが最も多く犇めいている場所に投げ込めばプラズマ花火が巻き起こる。オーバーヒートさせた銃身はそのまま動かなくなったが、あくまで対人戦に過ぎない「武器」はアイザックにとって余り損失にはならないらしい。

 

 そこで背中合わせになったアイザックは、再び自分が部屋の中心部分にある捻じれていない双角のオブジェ――Markerの近くに来ている事に気がついた。そう言えば、幻影のニコルは元の世界に会ったMarkerのミニチュアサイズに過ぎないこれに触れ、触れ、と言っていたような気がする。

 同時に、現物を何度も運搬したからこそ「触るだけが全てでは無い」、という奇妙な確信すらアイザックは抱いていた。

 そんな迷いが生まれた事を悟ったのか、Markerの表面に刻まれた不可思議な模様が僅かに光り輝き、幻影だと証明するかのように顔の目や口、鼻から電球でも呑み込んでいるかのように光を漏れだすニコルモドキが現れる。

 

「また貴様が……な、これは?」

 

 悪態をつく前に、彼は周囲の時が止まったようになった世界を見渡した。

 さやかは剣を握り、決意を瞳に溜めたまま今にも飛び出しそうな体勢。そして自分は、ネクロモーフですら止まっているその世界の中で何故か自由に動けている。

 アケミの能力、「時間停止」にも似通った世界は、しかし赤色を基調とした毒々しい世界。そのせいで血肉を主体とする残酷な運命を人間に貸すイメージのあるMarkerへとアイザックは連想を繰り広げた。そして忌々しげに恋人の姿を借りた気持ちの悪い幻影と、その近くにある未完成なMarkerへと敵意を隠そうともせずに見せつける。

 

「私はまだ何かする必要があるのか!? え、そうなんだろう!?」

『受け入れるのよ、アイザック。そう、ずっと言いたかったの―――』

 

 まぶしい光が漏れ出ている。口から、目から、鼻から、まるでその内側が空洞である事を証明するかのように、ニコルの幻影は顔をアイザックに近付けた。

 

Make us whole again(また私と一つになりましょう)!!』

お熱い事だな(Fuckin’ hot)! 化け物め(Monster)!!」

「アイザックさん!?」

 

 いつの間にか時間は元に戻っていた。

 戦闘ばかりで「ハイ」になっていたアイザックがせめてもの反撃とばかりに幻影へ繰り出した拳は、いつの間にか見えていた位置と違っていたMarkerへ伸ばされているではないか! そんなアイザックの凶行に慌ててさやかが止めようとして、アイザックの体を付き飛ばそうと片手を伸ばし―――二人の視界は赤く染め上げられた。

 




次回、クルーエル・ワールド・オブ・ザ・ネクロモーフ・ユートピア

実際胸糞悪くなると思うから注意な。


ドーモ、ドクシャ=サン。ゲンソウクリエイターです。
オープン・コングラッチュレーションから投稿遅れてドゲザ必要な。
コトダマ空間でニンジャスラング多発汚染注意重点。ごあんしんください。
トロイ・ウィルス感染でヤバレカバレしてたら業者からPC帰ってくるまで書けなかった。ドーモスミマセン!!


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case23

死は始まりに過ぎず、現世の死によって永遠の共同体であるunityに生まれ変わる

聖体Markerを求めよ。

さすらば救いが与えられん。


 弾けるようなシナプス。中央から視界の端へと流れる不可思議な光景。確実に意識は何かに吸い込まれているのに、自分の足はずっと動かず棒立ちのままであると言う現象を体感しながら、アイザックは急ブレーキのかかった車の中に居るような衝撃を受ける。

 転げ、すぐさま敵陣である事を思い出して立ちあがった。

 しかし隙があったのは事実。すぐさま視界のすぐそばに腕を振り上げた強化型ネクロモーフよりもなお黒く、目立った穴からは光を垂れ流す化け物が爪を振り上げた姿がある。万事休すと思いつつもラインガンで殴りかかろうとしたところで、その化け物は四肢の一部を撒き散らした。

 

「立って! 早く!」

 

 意識を覚醒させる。さきほどから、何度も何度もこの蒼い髪の共闘者に助けられてばかりだ。苦笑は絶えず、ラインガンのトリガーから指を放す暇もない。突如として虚空から現れたネクロモーフの幻影と言うべきか、ドス黒く気味の悪い亡霊の様なソレを吹き飛ばした所で、自分たちがいる場所が全く違っていることに気がついた。

 

 岩に包まれ、宙に浮いた孤島。第一印象がそれだった。

 見える範囲で、この孤島の周りは何かの奔流が流れ続けている。そして中央に1つ、外周に3つほど。見るも忌々しいあの赤い捻じれた建造物が乱立しているではないか。

 

 そこで先ほどさやかがバラバラにした筈のネクロモーフがHunterのように体を修復させて立ちあがってきたことに気付く。咄嗟にラインガンをぶっ放したが、一撃ではまだ死なない。

 二発目をすかさず打ち込んだ。目の前の怪物が倒れ込み、続けざまに忌々しい運命の転換をしてくれたMarkerへプラズマラインをくれてやるが、破壊できるわけでは無かった。

 その直後に、耳に障るバインドボイスを耳に入れる。そこでようやく、さやかが倒しているのであろう奇声をあげ続ける子供の様な体躯のネクロモーフが彼女の手によって駆逐されているのだと理解する。

 

「あのマーカーって言うの!? ソレが動いてる時アレが光ってた!!」

「分かった」

 

 剣先で倒れ伏した不死身の人型より一回り大きなネクロモーフを射し、次いで先ほど光っていたのだという捻じれた赤角(Marker群)をアレだと言った。

 それだけでアイザックは理解する。光っている間に破壊できるのかもしれない。随分と安っぽくありふれたゲームの様だとも。

 また立ちあがるのは修復された鎧の様なネクロモーフ。何度も起き上がるしつこいそれに注意を払いながらも、今度は目前に会った孤島中心部のMarkerが光り輝いている事を視認した。

 

「この膝とキスでもしてろ!!」

 

 意識の切り替えはほんの一瞬。軽くラインガンを打ち込み、近づいてきたネクロモーフへはお熱いキックをくれてやる。体勢を崩すにとどまった、効果も薄いキックであると理解していながらアイザックは注意をそのネクロモーフから逸らし、Markerへの銃撃を止める事は無い。

 なぜなら、あのU.S.G.石村(Ishimura)への単身潜入時と違って心強い味方がいる。後方では、あの醜い化け物共が肉を引き裂く怪音ではなく、鋭い包丁が肉を裁断した快音が響き渡っていた。

 

「Yeahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!」

 

 背中を預ける事ができる、狂っていない人間がいる。気分が高揚していたのは否定しない。そして、そうでもしないとまた自分の中にニコルの幻影が入り込んでくるのだと恐れてもいるのだろう。

 

 視線はただ一途に、恋する乙女のように光る建造物へ。

 されど込めるは恨みと殺意。

 

 プラズマの帯が幾度となくアイザックのスーツを光で照らしながら、ゆっくりとその収束性を失わずに突き進む。弾着、抉り取る。続けざまにプラズマを叩きこまれた赤く捻じれた双角は欠片を飛ばし、罅を入れ、遂にはその内側から爆発する。

 飛び散った赤い欠片は妙にぬめりとした感触で、アイザックの耳にぬちゃっとした落下音を受け取らせた。同時に、いくら撃っても死ななかった怪物が厳格であることを証明するかの如く霧散する。これでひと安心―――などと、さやかもアイザックも甘い考えをするようにはできていない。

 

 続く様に、さやかは黒く小さな子供型ネクロモーフを一切の躊躇なく薙ぎ払いながらに注意を配る。アイザックは彼女と反対側のMarkerを見張る。思惑は当たり前のように的中し、新たに2つのMarkerが禍々しい波動を撒き散らしながら光り輝いた。

 アイザックは新たに現れ、まとわりつこうとする人型ネクロモーフをラインガンで殴り飛ばす。先ほどのさやかへお手玉をするような生易しいものではなく、スーツの筋力増強能力を存分に駆使した鈍器パンチはネクロモーフのヒット箇所を肉ごとこそげ落とし、抉り取りながら人ほどの巨躯を吹き飛ばす。さやかもまた、弾かれるように走りだしてその白銀の大剣を大きく振りかぶっていた。

 

 ―――今、同時!

 

 呼吸を合わせる必要もない。

 ただただ、破壊衝動に身を任せて二人は得物を振り降ろす。

 さやかの剣でも罅が入るだけだったそれは、しかしさやかの絶え間ないスイングのような大雑把な連撃に悲鳴を上げ始めていた。アイザックも一度鬱憤を晴らすかの様のように殴りつけ、ラインガンの弾薬を補給してからゼロ距離でトリガーを引き続ける。

 そして、偶然にも一致する破壊の瞬間。壊れたMarkerからは赤い光の奔流が二人の視界を覆い尽くし、その活動を停止させようとしていた。その背後にて、必死にその物体を破壊しようとしている二人に忍びよるのは件の幻覚で現れたネクロモーフの大群。

 幻覚であろうとも、この精神世界のような場所で傷を負えば自分自身の精神にも障害が出ると本能的に理解していたのか、二人は一切傷を負うリスクを取らずに避け続けていたが、この時ばかりは避けようもないことを悟る。

 今から応戦しても、木端微塵にまでMarkerを破壊するまで自分の手を休めるわけにもいかない。自分の確固たる意志でそう決めた二人は、再び同時に―――

 

「Ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!」

「おおおぅぅうらぁぁああああああああああああああああ!!」

 

 破壊、破壊、破壊、破壊、破壊ッ!!

 渾身の気合を以って押し付けられた解体工具、白銀の大剣。青白い光(プラズマ)と鋭い剣閃が瞬いたかと思えば、その破壊を目指した力はMarkerへ最後の抵抗をさせる力すら奪い取った。

 

 砕ける赤い結晶。飛び散るのは血液の様なナニカ。

 確かに聞こえてきたのは―――敵の、断末魔!

 

 ――――アアアァァァアアァァアアアアィイイイィイイイザァァァァックゥゥッ!!

 

 消滅したのは強大な悪意と敵の悲鳴。

 悪夢からはね起きたように、二人は体を大きく仰け反らせた。脳の奥が焼き切れるような、逆流する侵入時とは別の光景。脳の中枢部から神経を伝い、目の網膜から外へと放り出されるような感覚を突きつけられた二人は言い様のない衝撃を体に感じ、その場で地面を転がされる。

 

「ミキ! この世界ももう持たんぞ!!」

「アイザックさん、いまそっちに!!」

 

 爆音は火薬を幾つも使った様に鳴り響き、世界に罅が入った。転がった二人が居た地面にも大きな裂傷が奔り、この結界の限界が近くなっている事を如実に証明している。いち早く正気を取り戻したさやかは、素早くアイザックの下へ駆け寄るとその剣を構えて大きく上段から下段へ振り下ろす!

 世界へ切れ目を作り、本能的な危険を感じたさやかはアイザックの手を引きながら転がり出すように世界の裂傷を通った。そして、それに比例するかのように肉や血管が貼り付けられた最悪の世界、ネクロモーフ結界は内側から圧縮される肉袋のように内側へ押し潰されている。

 ぶぢっ! ぐぢょっ……びちびちびちびち……!

 肉の神経を引きちぎるような音と共に、圧壊するネクロモーフ結界を、二人は茫然と見送っていた。

 

 こんな、「死に方」をする結界があるなんて。

 

 アイザック・クラーク、美樹さやか両名は魔法の世界に入ったのもほぼ同時期。真実を聞かされている身であったとしても、普通の魔女結界を経験した数はさほど多くもない。だが、そんな未熟な経験を以ってしてもこのネクロモーフ結界の消え方は異常であると思う他なかった。

 まだ結界の悲鳴が耳の奥へと攻撃を喰らわせる。そして完全に殺しつくされ、その役目を終えようとしている結界の中から、ひとつの影が飛び出した。

 

「ヴォォォォォオオオオオオオォォォオォォォオオオォッ!!」

「うっさい化け物! 死ねぇ!!」

 

 が、さやかの大剣が容赦なくネクロモーフ・スラッシャーの上半身だけとなった報いの一矢を妨げる。その細胞を両腕や頭ごと刀身に押し潰されたスラッシャーはコンクリートの壁にぶつかってザクロを撒き散らした後、完全に沈黙して錆びた黒い血を垂れ流す肉塊へ変貌する。

 正しい死体の在り方へ戻してやったさやかは、自分からあんなに口汚い言葉が出るのか、などと言った現実逃避をしながらその場に座り込んだ。

 魔法少女となってからも、そのメンタル面の強度の高さは目を見張る成長っぷりだ。さやか自身ですら自覚するほどなのだから、相当なものであるとも言える。しかしそんな彼女であっても、こうも立てつづけに続いた自身の殺害、インキュベーターとの取引、アイザックの救出、Markerの精神世界の戦い、自動自壊する結界からの脱出という盾続きのアクシデントには耐えられなかったらしい。

 

「Miki!? Are you OK?」

「アイ、ファイン、センキュー。だいじょーぶ、ちょっと休んだら、落ちつくから」

 

 そうは言われても、アイザックは心配せずにはいられない。

 息を切らす彼女の言葉はあまりにも弱々しい。

 

「最後のグリーフシード……ピッタリこれで消費、ッと」

 

 まだ心臓はバクバクと反乱を起こしているが、疲労そのものは体から穢れと一緒に抜け落ちて行く。これが最上の状態である感覚への相転移。ソウルジェムとグリーフシードの親和性に、「まったくもって表裏」なんて感想を持ったさやかは大きく深呼吸を繰り返した。

 脳裏にかすめるのは思い人。あの恭介が居てくれるから、待っていてくれるから戦える。少なくとも……こんな心の折れそうな「職場」ではそうして、信じていたい。そうじゃなくても、この苦しみを分かち合ってくれる仲間は三人……いや、マミさん達が成功していればもう四人になる。

 

「……ありがと」

「どうしたしまして、だ。それより戻るぞ……Markerの破壊は、恐らく完了した」

 

 「マーカー」の破壊。

 私を見下ろして、酸化した血のこびり付いたヘルメットの下から安心した表情を晒しているアイザックさんが、多分二つの意味で嬉しさを隠そうともせずにそう言っている。

 そんな戦いに「勝利」した雰囲気は、私もとっても好きだ。何より、この初めて味わう「悪」との戦いに打ち勝ったような陶酔感は何とも言えない。

 

「もう、立てるから」

 

 無理をするな、と言ってくれる彼を制しながら立ちあがる。

 まぁ、そう酔っても居られない。私はまだ未成年なんだから、いまはまだ「日常」という名のジュースを満喫するために頑張らないといけない。本当に酔っぱらうのは、ちゃんと私が大人になってからじゃないと。

 

 大剣を消し、魔法少女の変身を解き、さやかは立ちあがる。

 ふらっと崩れる様な足は治り切っているが、それは精神的な問題。危うく倒れそうになったところを、彼女の最高の戦友であるアイザックが腕を捕まえ、肩を回してやった。

 

「へへっ」

「……そうだな」

 

 だがまぁ、勝ったのだと。悪戯が成功したような笑みを浮かべて、さやかは左拳をアイザックの眼前に差し出した。彼はそれを断ることなどせず、戦線をくぐりぬけた友情の証として、右拳を差し出す。

 大した音もなく、戦士たちの絆は深まったのかもしれない。

 

 

 

「今戻った……ん?」

「ただいまぁ~―――ゲェっ!?」

「あら、お帰りなさい美樹さん。アイザックさん。紅茶淹れてあるわよ」

「オイほむらぁ! こんなんバッカ相手にしなくちゃならねーのかよ?」

「少なくとも結界潰さない限りはね。アイザック、早速だけど報告お願い」

 

 疲れ切った二人を出迎えたのは、いつもの優雅な立ち振る舞いを演技ではなく、本当の自分として見せ始める事ができたマミ。目覚め、魔法少女の真実を知って、脅され、渋々協力の提案に頷いた杏子。今一度燃えたぎる野望と願望を、他人に話すことで確固たるものにしたほむら。

 そして―――

 

「やあ、どうやらMarkerの破壊は成功したようだね。君との“契約”の価値はこれで証明されたようだね、さやか」

 

 数多のネクロモーフの死骸の山。それに乗っかった純白の獣(インキュベーター)・キュゥべえだ。当然、アイザックには見えもしないし彼の言葉を知ることも出来なかったが。

 

「ほい使い切ったグリーフシード。えっと、報告の前にこれ……どしたの?」

「きゅっぷい! 二人の帰りを待っている間に襲撃されたのさ。マミのリボンと杏子の鎖槍がダクトを封じていから、ご丁寧に正門から入ってきたところを杏子が次々斬り捨てたのさ」

「はっはー! それでな、これ見ろよ!?」

「グリーフシード…!? あれ、でもコイツらネクロモーフでしょ!?」

 

 確かにこの「反ワルプルギス同盟」は最近の魔女を狩り続け、グリーフシードを大ゴミ袋がいっぱいになるほど集めていた。だがそのグリーフシード山はもう一つ増えていたのだ。他ならぬ杏子が持つ、その手の中に。

 どう言う事だといぶかしむが、さやかとアイザックは戦いの最中に結界内のネクロモーフが何かを落としていたことをうっすらと思い出していた。

 

「キュゥべえから聞いたわ。ネクロモーフが結界で生成されるようになってから、正式な結界の中に二人で侵入したのよね?」

「転校生……うん、まあそうだけど」

「そして魔女の性質である“魔女そのものの願望を叶えようとする効果”及びに“使い魔として質量保存の法則を無視した怪物を作りだせる”という結果が反映された結果、この元見滝原の住人を使ったネクロモーフのほかに、使い魔ネクロモーフ……まぁ、奴隷(サヴァント)とでも言うべき存在が現れた。ソイツらは死体を残さず消滅する」

 

 ほむらは指を立てながら、二人を待っている間に考えたのだけど、と言う。

 

「恐らく、魔女として此方の世界の法則にネクロモーフが染まり切ったのでしょうね。だから恐怖と死の体現として魔女化した奴らの体から、きっちりとグリーフシードが落ち始めた」

「……でも、それって滅茶苦茶もうかるだけじゃねーか?」

「甘いわよ佐倉さん。つまり、全部が使い魔のようで魔女ってことは、増えれば増えるほど私たちはあの物量を当たらなければならない。無限に回復できても、増え続ける奴らが一斉の波状攻撃でも仕掛けてくれば私たちは終わり。体力が100だとして、50の怪我を負って回復できても120の攻撃を受けたらもう死ぬだけでしょ?」

 

 冷静に言うマミは、しかし現実をしっかりと反映させた結論を言った。

 

「……その、だ。もう報告しても良いか?」

「そうだね。意味のない未来的観測より現状のデータを収集した方がいい。実益のある現在を未来へ反映させるためにも、是非お願いするよアイザック」

「―――って、キュゥべえが言ってるわ」

 

 しんみりとし始めた空気に耐えきれず、アイザックが切り出せばキュゥべえが相槌を打つ。その旨をマミが伝え、アイザックは今回の状況を報告した。

 

「まず、今回我々が発見できたのはMarkerが生成されつつあるネクロモーフ結界は殺すことが可能だと言う点だ。中枢に辿り着き、完成一歩手前のMarkerに触れた瞬間、見たことも思い出したくもない空間に引きずり込まれたが……その場所にあった発光するMarkerを3つほど破壊する事で結界は機能を停止した」

「手順踏んで、破壊する。爆弾みたいねぇ」

「あー、確かに似てるけどさぁ。……マミさん、実はそれを壊した後に、結界そのものが死に始めたんだ」

「結界が生きているかのような言い回しだな? イカレタか、青色」

「実際肉と血管とか、生物の体内がそのまま結界みたいなところだったし。しかもその結界、壊された後に自分で脱出しないと―――まぁ、多分私たちは本能的に危ないと思ったんだろうね。結界の壁を切り裂いて、ようやく脱出したら…結界がいきなり内側から潰れ始めてさ」

 

 杏子の皮肉をも軽く流し、解説するさやかの補足をするようにアイザックが続く。

 

「私も、最後はミキに引きずられなければ結界と共に消滅した可能性もある。ともかく、結界では狭い空間で100以上は当たり前のネクロモーフ共と戦いながら中枢に辿り着く必要もある。……ただ、ヤツが居なかった事が懸念事項なのだが」

「Hunter……不死身のアレの事ね、アイザック」

「ああ。さっき言った不可思議な空間の中で不死身の奴がいたが、あれはあの光るMarkerの作りだした何かだ。単身動くヤツではない事はハッキリと分かっている」

「…不死身の怪物は、未だこの街を徘徊しているかもしれない……か」

 

 難しそうに顔をゆがませ、紅茶を飲みきったマミは大きく息を吐いた。

 聞けば、アイザックとほむらを最初に引きずり込んだ今回の結界が出来そこないだったような場所では、確かにHunterの声がしたのだと聞いている。

 だが現れなかったという事は、まだ二人の言う結界は複数存在していて、恐らくは結界の中の出来事以上に不可思議な上位存在としてHunterが待ちかまえている。

 マミがそのような想像を放せば、キュゥべえが恐らく間違ってはいないだろうとマミの言う可能性を認めた。

 

「さやか、母星からの連絡はまだ時間がかかる。恐らく一晩もあれば必要な情報の選出はできるだろうから、それまで待っていてくれ」

「アンタ嘘はつかないでしょ? 何かと言って協力してくれてんだから、あたしとしては悪く言うつもりもないって」

 

 キュゥべえの唐突な切り出しに、さやかは喉の奥で笑う。

 そうして、思いっきり上条家のリビングにある広いソファに寝転がった。

 

「しかし、よく協力してくれる気になったな。サクラ…だったか」

「お、アンタがこのカモ(ネクロモーフ)専門家だっけ。……まぁ、アタシとしても不本意って言うか、コイツらに脅されたからって言うか。いまいち煮え切らないんだよなぁ」

「グリーフシードを落とすネクロモーフが出てからは目を輝かせっぱなしだったのは誰だったかしら? ねぇ、佐倉杏子」

「おいほむら。喧嘩売ってんのならかうぞオラ」

「私は別に―――あ」

 

 そうしていると、立ち並ぶ無線のうち、ひとつのコーリングがリビングに広がった。

 外からのコールはまだ記憶に新しいうちの出来事だったと言うのに、なんとも長く濃い時間を過ごしているような気もする。真っ先に司令塔として、代表として無線を取ったほむらは通話の状態へ無線を切り替えた。

 

「どうしましたか」

≪もしもし、あなたは暁美さんでしたわよね。さやかさんはいらっしゃいますの?≫

「…志筑さん。ええ、今かわるわ」

≪できれば他の方には席を外していただきたいのですが≫

「それじゃ、美樹さやか。個室にでも移って話してきなさい」

「ほむらさぁ、妙にあたしには厳しくない?」

「気のせいよ」

 

 ほむらの冷たい態度は、これまでのループでさやかが幾度となく魔女化し、事態を混迷に導いたキーパーソンであるからこそ。そんな私怨が交じった無意識下の行動であるからこそ、そう言えばなんでだろうと考え始めたほむらから無線を受け取ったさやかは、とりあえず自分の使っている部屋へと歩き始めた。

 

「それじゃ、行ってくるね。なんか重要な話したら後でおしえてよー?」

「大丈夫よ。後輩を見捨てるような真似はしないわ」

 

 マミの安心感に溢れる言葉を聞きながら、さやかは部屋の一つへ消えて行った。

 

 

 

 それにしても仁美からか。一体どんな用なんだろう?

 

「はいはーい、さやかちゃんにかわりましたよ。それで、どうしたの」

≪上条くんの事ではないのですが、あなたの現状が知りたくて≫

「あたしの? アハハッ、さっすが親友だね。心配してくれてるんだ」

≪まどかさんも呼んでおりますわ≫

≪さやかちゃん、聞こえる?≫

「まどかっ!? やっば、ちょっと声聞くの凄い久しぶり!」

≪元気そうで良かった……みんなも、無理してない?≫

 

 まどかは、ずっと心配性で変わっていないみたいだ。

 どうにもキュゥべえも、ほむらの言うほどまどかを狙ってないみたいだし、それに今回はアイザックさんとネクロモーフって言う最大の問題があるから焦ってるけど、これまでの中では一番みんなと一緒に居られる時間があって、久しぶりに笑えたとも言ってた。

 そんな感じの事をまどかに話したら、一緒に聞いていた仁美と一緒に笑ってくれた。ちょっと、いや…やっぱり空気は重くなっちゃったけどね。

 

「そんな感じかなぁ。これ言うと殺人犯みたいだけど、あたしだって、もうネクロモーフは完全に切っても割り切っちゃう感じ。戦いに飢えるバーサーカーだぞー! がおー!」

≪それでは、“ばーさやかー”なんて如何でしょう?≫

「……いや、仁美? それはちょっと」

≪ごめんね仁美ちゃん。わたしも擁護できないよ≫

≪あら、なんででしょう。お二人の声が妙に冷たい様な……≫

 

 やっぱり天然は治ってないみたいだね。まどかも呆れてるし。

 でも、あんなに必死になったからかな。なんだかすっごく、心が落ち着いてきた。

 

「そういえばさ、なんでこんなあたしが戻ったの見計らったように掛けてきたの?」

≪えっと、それはね……これ言っちゃってもいいのかな?≫

「ん~? あたしたちの間に隠し事なんて、傷ついちゃうなぁ」

≪え、えっと……!?≫

≪実は、まどかさんがキュゥべえさんから話しておいて欲しいと≫

≪ちょ、ちょっと言っちゃうの仁美ちゃん!?≫

「……キュゥべえ、が?」

 

 ちょっと、信じられなかった。

 皆が言うほどキュゥべえに感情が無い、っていうのは対面して、実感して、改めて分かっていた筈だった。でも、心のどこかで「宇宙を救おうとする意志」があるのに感情のない生物なんてあり得るのかと引っ掛かっていたから「ちょっと」なのかもしれない。

 それでも、少なくともアイツらには身体的なメンテナンスはお手の物だとしても、こういう精神ケアは専門外だと思ってたのに。

 

≪さやかさん、ネクロモーフとの連戦……人の形をした物を切ると言うのは、どのようなお気持ちでしょうか?≫

「……もう、慣れちゃった。っていうか」

≪そうですか……それでは、何故そのように疲弊しているのです? 魔法少女の事も聞きましたが、もうグリーフシードで回復していらっしゃるのですよね。でも、貴女の声には覇気がございませんの。…それは、何かと言って心が傷ついている証拠ですわ≫

「心、が」

 

 どうしてだろう。仁美の言葉に「分かるもんかっ!」って叫びたくもなるけど、そうかもしれないってしぼんで行く自分の気持ちの方が強くて言いだせない。

 ソウルジェムは………ああ、そっか。濁ってるね。あたしも、本当は。

 

「切るのが、怖いんだ。後悔してたんだ」

≪…それが当たり前なのです。私には、分かりません。ですけれど、貴女の気持ちは一度上条君のために相対した者同士、少しは理解できているつもりです。もし私の言葉でさやかさんの心が揺り動いているとしたら……あなたは間違いなく人間です。私が、志筑仁美が貴女を認めますわ≫

≪さ、さやかちゃん! 良く、分からないけど……わたしも親友だから。困ったことがあったら、わたしにもちゃんと言ってくれるかな? こんなわたしじゃ受け止めきれるか分からないけど、仁美ちゃんと一緒に受け止めるよ。えっと、だから、だから…ね≫

「……大丈夫。ありがとう。吐き出したら、すっごく楽になった」

 

 グリーフシードを使った、あの結界から出てじわじわと黒ずんでいたソウルジェム。グリーフシードをもう一度押しあて、穢れを取り除く。そして月光に照らしてじっと見つめていても……黒ずんだ濁りは、現れなかった。

 

「ねえ、ワルプルギス倒したらさ、このネクロモーフ問題がぜーんぶ片付いたらさ! 仁美とわたしの問題を片付ける前に、みんなでパーティ開かない? もちろん、このさやかちゃん以外の魔法少女には秘密でっ!」

≪それはいい案ですわ!≫

≪わたしも賛成! それじゃどこでする? やっぱり、あのいつものカフェ?≫

「ううん。この上条家の庭で! 街を助けた英雄ってことで恭介の家の人に無理言ってさ、財布は恭介の使って、豪勢にやっちゃいましょ!!」

≪うわぁ……上条君もご愁傷様だね…せっかく回復したのに≫

≪そうとしても、私たち二人も侍らせる色男の上条君には丁度いいかもしれませんわ。さやかさん、貴女のこと改めて見直しましたわよ!!≫

≪えっ、仁美ちゃんもそっち側!?≫

「ふっふっふ、そのままじゃあたしの嫁にはなれないぞまどか~」

≪元からお断りします。美樹ちゃん≫

「え、なにその様変わり!? ちょ、地雷踏んだのあたし!?」

 

 それから、しばらく馬鹿な話をして時間を潰していた。

 居間の仲間達も、誰も呼びに来なかったから、多分そんなに細かい話もしていなかったのかもしれないし、もしかしたら全員あたしのことを見透かして気を使ってくれたのかもしれない。

 どっちにしても、あたしも久しぶりに「日常」ってのを思い出した気がする。

 ……みんな、ありがとね。

 

 

 

 

「…青春、だな。若いものだ」

「その若いのに囲まれる貴方も十分だと思うわよ、鎧の騎士さん」

「巴先輩、流石にアイザックは騎士になれないわよ」

「ああ! やっぱりその先輩って呼ばれ方最高ねっ!」

「つーかよ、こんな風に盗み聞きしてもいーのか?」

「細かい事を気にしちゃダメよ佐倉さん。人生は楽しまなくっちゃ」

「……マミ、君は前と比べて随分ふっきれたようだね」

「暁美さんのおかげよぉ。ねえ?」

「黙秘権を行使するわ」

「嫌われてんじゃねーか」

 




どうも、ようやく佳境に入ってきました。

今回はデッドスペース3のMarkerの精神空間で行われた戦闘が取り入れられています。もちろん独自の設定はありますけども。

平穏と余裕を「彼ら」に持たせつつ、これからは「素晴らしい世界(A wonderful world)」を作っていきたいものです。


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case24

ちょっと短め


 腹を貫かれた。でも大丈夫、歯を抜く時のように麻酔が掛かっているかのように感覚の無い変な感じがお腹にあるだけで、それ以外はまったく問題ない。でもようやく、これでこの魔女は捕まえた。

 大量の血飛沫を撒き散らす青髪の少女は、持っている剣を突き立てる。目の前にある銀色の巨大な機械の塊に、雄大な白銀の峰を半ばまで見えなくするほど深く、それはそれは深く。金属の擦れ合う耳障りな音が骨伝導で体を打つが、体全体をセメントで押し固めたかのように筋肉を硬直させ、痛みも何もかもの感覚を消し去ることでしっかりとその魔女―――銀の魔女、「ギーゼラ」を繋ぎ止めた。

 

「早くしなよほむら!」

 

 呼びかけに答えは無く、代わりに一発の爆弾が直撃。

 巻き散らかされる爆風には身を呈して動きを止めた少女すら巻き込まれてしまったが、その分魔女を倒すために必要なダメージは与える事ができたらしい。魔女結界はブラウン管のテレビが消える時の様に揺れ、この世界から実体を消し去った。

 そしてグリーフシードと共に、青髪の少女は倒れ込む。おびただしい血液の量はどう見ても一介の人間が保有する量の半分を越えており、地面に落ちた血は乾ききった瓦礫と落ち葉に吸収されてその一角を深い紅色に染め上げていた。だが、驚くべきことに少女は何でも無いかのように立ち上がる。

 その手にあったのは、落ちた当初よりもさらに黒ずんでいたグリーフシード。それと反対に何もなかったかのように魔法少女としての衣服ごと腹の穴を再生させている彼女、美樹さやかは何ともなかったかのように後ろに降り立った「友人」を振りかえった。

 

「いやー、流石にワルプルギスの4日前ともなると魔女少なくなってきたね」

「反対にネクロモーフは増えてるわ」

「あ、本当だ」

 

 この世のものとは思えない叫びを残し、さやかを貫こうと腕を振り上げた一体のネクロモーフは瞬時に手足を消し済みにされた。そんなほむらの片手には未だ排熱処理を施すメカニカルで無骨な外見の鋼材熱断用工具が一つ。ネクロモーフが死ぬ前との違いは、グリップの辺りが赤黒く染まっている事か。

 

「サンキュ。相変わらず死角の攻撃には弱いんだよねー」

「魔法少女としてのバトルスタイルや願いにもよるわ。あなた、背中を預ける予定の人がいるから逆にガラ空きなんじゃないの」

「あくまで予定だよ。仁美に取られちゃったら、その時はまた戦い方変えるかも」

「そう……少なくとも、ワルプルギスを生き残ってからそう言う事を言いなさい」

「はいはい、伊達に通産3年近くやってるベテランさんには負けますよーだ」

「そう、私もそんなに戦ってるのね。アイザックにでも計算して貰ったのかしら」

「遡行も数えてないけど覚えてるんだよね。同情するから手を貸すよ」

「それはまたありがたい話よね」

 

 呆れて笑った黒髪の少女、暁美ほむらに対して不満の意を示す。

 そんな朗らかとした光景だが、現状はこうして取り繕ってでもいなければ絶望しきってしまいそうなほどに状況が変貌していた。

 

 まず、最新技術発展の証として取り囲んでいたビル群は軒並み姿を消している。

 その代わりにあるのは、ビルの代わりに土地を買い占めたと言わんばかりの魔法陣。勿論、自分のことで手いっぱいな魔法少女たちが施した財産保護を証明するものではなく、ソレらは全てネクロモーフ結界によるもの。

 その魔法陣の蓋を開ければ、必ずグリーフシードを落とすネクロモーフがおよそ二千(・・)から五千(・・)体まで、詰まりに詰まった素敵な血と肉しか弾けない乱交パーティーにご招待である。命の保証? そんなものがあるのならば是非ともチケットを頂きたい。アイザックが呆れ果て、そんな愚痴をこぼすほどの状況下だ。

 

 現在魔法少女たちはみな、一日に3~7のペースでMarkerが製作される危機を脱している。キュゥべえの観測システムによれば今のところ「月」に地球を補足されるような発信はされていないとのことで一安心だが、それにかまけて現状を放り出せば楽しい楽しい地球人全滅ENDING feat.The Moonの始まりだ。

 そのために此処のところはツーマンセルを組みつつ、確固撃破の形でMarkerが製造されそうになっている結界だけを破壊している。唯一の救いは、結界消滅時に弾きだされたもの以外、一切のネクロモーフが街に徘徊しない様になったことぐらいだ。

 

「こちら魔法少女チーム。そっちにネクロモーフの影はありますか?」

≪いや、2日前から影すら見ないな。警戒を怠るわけじゃないが、人員を減らしてカメラで見張ってる。どうなっているか分かるか?≫

「……すみません、私ではなんとも」

≪そう気にやまなくていい。幸いにも君たちの避難勧告のおかげでもう犠牲は現状確認できた者以外は誰一人として出ていない。―――ああそうだ、暁美くんの為にまた物資を調達しておく。いつもの時間に受け取ってくれ≫

「ありがとうございます。では、また」

 

 ザザ……と砂嵐が吹き荒れた。無線を切ったほむらは盾の中へと「ゴツイ携帯電話」を収納し、さてどうしたものかと言わんばかりにさやかを横目で見つめた。

 

「とにかく今のところは、何も分かってないし。アイザックさんに合流しよう。確か学校の方に反応あるって言ってたし、キュゥべえからの念話(テレパシー)もないからそこが今日の最後だよ」

「そうね。行きましょうか」

 

 二人はちらりとネクロモーフがいた場所を一瞥し、その場を大きく跳躍して去って行った。ネクロモーフ結界があった場所は結界の証が揺らぎ、大きく地面を震動させたかと思えば―――その怪しく光る魔法陣を綺麗さっぱりに消し去ってしまう。

 最初から瓦礫以外なかったかのように、ビルがあった場所は結界となり、ただの皿血となって沈黙していた。大きな嵐を予感させる、そんな生温かくも荒々しい風が口笛を吹き鳴らして通り過ぎたのであった。

 

 

 

「アイザックさん、お疲れ様」

「この年で連日の重労働は堪えるな。……いや、U.S.G.Ishimuraでこき使われた時に比べればまだマシか」

 

 夕日がガンをつけてくる頃。大きく伸びた影法師に挨拶をしながら、年下の少女に肩を貸される情けない大人が帰路についていた。このエンジニア用の強化スーツは軍用のものまで大きく強化してあり、まるで鎖帷子の様な追加プロテクターはネクロモーフの不意打ちをも弾き、逸らす優れ物ではあるが如何せん重い。自分の動きを強化するが、元の体力が尽きてしまえばその重い体を動かすのに更なる体力が必要になる。

 だがせめても、心身疲労以外の身体における機能においては万全の状態にしてくれるのが壮年に差しかかったアイザックの唯一の命綱であった。あと10年は戦えると自負していたが、こうも事が長引くと元の世界に戻ったとしてもMarker絡みの事件があった場合生き残れるやら。

 

「マミ、どうやらほむらたちがこっちに向かっているようだね」

「あらそう? アイザックさん、みんなこっち来てるって」

「そうか。さて、肩を貸してくれてありがとう」

「どういたしまして、ミスター」

 

 彼にとってのもう一つの救いは、少なくとも外見だけは見目麗しい乙女が揃っている事だろうか。いちアメリカ人としても、それ以前に男として美女が近くにいるのは気分が高揚する。勿論死した恋人(ニコール)の事を忘れたわけではないが、妻帯者がグラビア雑誌を読む時の様な例のアレだ。深くは語るまい。

 そうこうしているうちにほぼ全員が学校の校門に集合。学校もいくつかが結界の円状に繰り抜かれた穴あきチーズと化しており、加えて前面ガラス張りであることから自重に耐えきれなくなって倒壊している箇所も多い。そんな正に人類の居なくなった世界な様相である場所に、4名の超人少女と1人の(見た目)ロボットが立ち並ぶ姿はB級映画のポスターとして飾るには十分な光景であった。

 

「収穫は?」

「グリーフシードだけだね。ほらキュゥべえ、たんと受け取れよー」

「こうも純度の高いグリーフシードが集まるなんて、本当はこっちのシステムの方が効率は良さそうだね」

「けーやくしたろ」

「分かっているよさやか。君と契約したし、ここのみんなと約束もした。だから僕たちインキュベーターはこれ以上の過剰搾取を止めて、従来通りにノルマを集めるよ。ただ、事前に承諾した通り別の知的生命体がいる星でこのシステムを運用しても構わない、これで合っているね?」

 

 それは数日前、全員で話し合った結果だった。

 さやかの言う地球滅亡を食い止める約束以外に、エネルギー効率の点を見出したのがほむらの慧眼。そこから交渉を発展させたのがアイザック。そうして、魔法少女たちは真に自分勝手だと自覚しつつも地球以外の知的生命体が過剰に搾取され、不幸になる結果を選んだ。

 苦肉の策とは言えない。こんなものは人間にとって「当たり前の決断」だ。そしてそんな判断ができただけで、人間と言うものは如何に醜いか、その場にいた者たちは相手を見て自分の姿を映す鏡の様に固まっていた。

 

「オーケーよ。本当に見ず知らずの他人を不幸にする契約だけど、貴方たちにとってはこの方法を運用するとなるとギャンブルになるわね。下手をすると月が襲ってくるんだもの」

「月の脅威さえ無くなれば、破格の条件だね。奴らは惑星を食う割に、エントロピーを半分どころかオーナイン以下まで価値を下げている。実質的にエネルギー総量を失った宇宙の寿命は、奴らの手によってさらに縮めさせられているんだ。……此方としても、早々に手を打ちたいところではあるんだけどね」

「……難儀なものよね、あなたたち(インキュベーター)も」

 

 マミが言えば、もうキュゥべえはビジネスライクな関係として処理し、不快さや敵意をほとんど捨て去った魔法少女たちが同意する。宇宙の寿命と言えば長く感じるが、その実月たちや破壊と暴虐にのみ技術を特化して自滅する知的生命体が宇宙で絶えないせいで、下手を打てば明日をも知れぬ宇宙の終わりが突然にやってくる可能性もあったのだとか。

 今でこそ200年~5兆年という「多少」のばらつきがある猶予はあれど、インキュベーターは各銀河に引っ張りだこのブラック企業も真っ青な就労体系らしい。もとからそう言う種族として生まれているので苦労と言う感情は一切ないらしいが。

 そうして明かされたキュゥべえの真実やら、「月」が齎す最悪の現状。それがこの地球すら覆いかぶさろうとしている事実を知ったことで、魔法少女たちは肩に入れる力を尚さら込めた。そうして意気込んで最終決戦に備え、ワルプルギスの撃破と共にこの地球からネクロモーフを追いだすプランもキュゥべえと共に練っているらしい。

 

「おーい!」

 

 そうした真剣に「将来」について語り合う一団に、夕日よりもなお紅く快活な髪色を持った少女が一人、ビルの上から手を振っていた。張り上げた声は大きく、時に後ろを見るようにちらちらと注意を反らす様は仕草は見ていて疑問を感じさせるには十分である。

 らちが明かなくなったのか、単に効率主義なのか、キュゥべえは杏子と周囲にテレパシーの回線を開いた。

 

≪どうしたんだい杏子≫

≪どうしたもこうしたも……とにかくヤバいモン見つけたんだよ! あくまでアタシの意見だけど多分アレ、滅茶苦茶マズイんだって! とにかく案内するからついて来てくれ≫

 

 一時の余談すら許さぬと言わんばかりの態度のまま、杏子はビルの向こうへジャンプして行った。普段好戦的ではあるものの、頭は冷静である筈の彼女がここまで取り乱すと言う事は、確実に何かがあるに違いない。

 関係者がそう思うのに無理は無く、魔法少女たちが飛び出して行ったあとはさやかがアイザックを肩で抱える形で杏子の後に続いた。二人分の表面積を覆うようにぶわっと風がまとわりつくが、そんな物は障害にすらならない。

 

「いったい何があったの!?」

 

 追いかけるほむらが叫ぶが、聞こえていないのか杏子は只管に駆けているばかり。

 顔を伺う事は出来なかったが、恐らく彼女の顔は焦りに満ち溢れているのだろう。一度もこっちに振り返ろうとせずに先導する様は、この短いつき合いながらも誰も見たことのなかった焦りようだったから、そんな事を一同は考えていた。

 いくつものビルがあった場所を飛び越えて、真っ平らになった地面に降り立ち一同は走る。まるで中心にある渦を覗いて円状に存在を抉り取られた更地には、ぽつんと一つの廃ビルだけが取り残されていた。

 

「ここだ、この結界から見えてんだ!」

「外から見える? あなた何を言って」

「いいから、ホラ!」

 

 杏子の焦り様は尋常では無かった。

 彼らはその理由を―――身を持って知ることとなる。

 

「……馬鹿な!?」

 

 巨大な結界の入り口となる魔法陣は、それだけで半径2メートルの巨大なものだった。そして魔法陣の向こう側は透けており、いつもの肉塊然としたネクロモーフ結界ではなくいきなり最深部の洞穴が幾つもある場所が映し出されている。

 何より目を引いたのは、その中心にある「真っ黒な双角のオブジェ」。ある意味完成された不完全な形は、畏れるに値するほどの神々しさまで放っている。それと同時に、身がすくむほどの禍々しさをも。ただの建造物にこれまでの存在感があると言うのか? そう思わずにはいられず、現実を知りたくもなかった一同が皿に驚いていた理由は、その「巨大さ」にあった。

 

 Markerの大きさは目測でおおよそ3~4メートルほどしかない。だが、この如何にも特別せいですと言い張っていそうな黒いMarkerはそれを二回りほど大きくしたかのように巨体を鎮座させていた。

 せめてもの救いは、この黒いMarkerの足元辺りがまだ未完成な事だろうか。しかしこんなものが建造され、そして起動したならば―――

 

「この地球は間違いなく関与されて僕らの回線も拾われてしまうだろうね。みんな、どうか急いでくれると僕は嬉しいかな」

「言われなくとも分かってる! 一蓮托生なら真っ先に喰い止めるわよ!!」

「早く壊しましょうマミ先輩!」

「殿は私が務めよう。トモエは先行してくれ」

「分かったわ」

 

 最悪の想像を振り払い、そこにいた全員が結界の中に突入した。

 キュゥべえですら生物的本能からか「焦り」にも似た言葉を発している辺り、これがどんなに異常な事かを理解いただけたであろうか? だが、そうした一同の焦りとは別に、ここまでの案内をした紅い少女はただ笑って全員が結界の中に消えて行くのを見て、ただただ笑っている。

 そして突如、結界の魔法陣は揺らぎ始めていた。水面に映った絵をぐるぐると中心に向けて回したように魔法陣がしぼんで行き―――音もなく、ただただ消滅してしまうのだった。

 

 

 

「おーい、戻ったよーい」

 

 緊急拠点として使われる上条家。そこには杏子が帰って来ていた。その手には沢山のグリーフシードを溢れさせ、ジャラジャラと鳴らしては大量が嬉しいのかにっしっしと女の子らしくない笑みを浮かべている。

 だがふと気付いた。今この上条家には誰一人として帰ってきていないらしい事を。

 

「なんだよ、せっかく結界3つも潰してきたのになあ」

 

 それだけの量のネクロモーフを狩り、単身で結界を破壊する。それは彼女の余裕そうな表情からも、如何に杏子という魔法少女の実力が高いかを伺わせる。だがその半面、せっかくできた駄弁り仲間が今ここには居ないと知って少しばかり意気消沈するただの少女としての面も持ち合わせているらしい。

 誰も家に戻っていないと知るや否や、まぁしばらくしたら誰かいるだろう。そんな楽観的な想いを抱いてグリーフシードに穢れを吸わせ、自分を十全の状態にした上でゆったりと息を吐いた。

 

「しっかしアレ、何だったんだろうな」

 

 整備がおろそかになったおかげで、彼女の呼吸だけでもほんの少し積もり始めた埃をソファからはたき落としてしまう。ひらひらと地面に落ちて行く埃を見つめながら、はてと首をかしげていた。

 

「脱出する時に受けた、あの紅い光」

 

 精神世界に引き込まれたわけでもないし。

 最後のあがきだと決めつけて、まあいいかと彼女は足をソファに乗せた。

 埃は、ゆっくりと地面に落ちた。

 




キリのいいところで切ると少し短くなりました。
さて、最終決戦前夜の始まりです


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case25

「あれ、どこさここ」

「今までのとは雰囲気が違うわね」

 

 魔女結界は、必ずと言っていいほど地球に存在する既存の法則とは異なる法則に囚われている事が多い。重力があればまだマシ、地に足がつかないことなんてザラで、魔法少女が武器を振るう時に特に踏ん張りが必要な者はこうした結界の特性だけで殺されることもあるらしい。そもそも、魔女という存在は発するエネルギーが宇宙の寿命を増やすに値するほどの強大なものだ。それが魔女と言う個体にのみ与えられる世界を作り出しているのだから、常識の尺度でこれらの現象を測ろうとする方が愚かしいものである。

 だからこそ、なのだろう。ほむらを始めとしたさやか以外の魔法少女たちは、自分の知っている「結界」という常識をそれなりに知っていたからこそ、信じられなかった。

 

「宇宙基地? 窓もある」

「ちょっと下がって」

「うわっ!」

 

 マミがさやかを下がらせ、外から全容を把握できないかと壊そうとしたのだが―――壁はおろか窓すらまったくの無傷。つるりとしたガラスのようにも見える忌々しい透明の壁は、曲がりなりにも魔女結界の一部であると言うつもりらしい。

 見れば、入ってきた入口も閉じられているではないか。舌打ちするか、足を鳴らすか、忌々しげな動作を見せる者はそう少なくも無かった。

 

「佐倉杏子、こうなることを知っていたのか説明を要求するわ―――?」

「そうだよ、っていないじゃん。アイザックさん、見た?」

「……みんな待ってくれ。さっきのあれはまさか、Shit!」

 

 やられた、と毒づいたアイザックは誰よりも悔しそうだった。

 覚えがあるどころの話では無い。今回は視界の揺らぎや自分の精神に揺らぎが無かったために、全く気付く事ができなかった。だが「知り合い」が「必要以上を言わず」、かつ「何処かに誘導する」という行動は正しくMarkerが造り出した幻影が望む行動そのものではないか。

 

「落ちついて聞いてくれ、私たちはどうやらこのパーティーを仕組んだ主催に呼ばれたらしい。ご丁寧に受付時間(出入り口)を締め切ったのが何よりの証拠だ」

「アイザックにも経験がある事態、そう考えて良いのね?」

「ああ。だからこそ気が抜けん。恐らくさっきのサクラはMarkerが造った幻影だ」

「…元々幻影としての力を持ってたから、一番姿を借りやすかったのかしらね」

「マミさん知ってるの?」

「ええ、佐倉さんが持ってる力は槍の生成だけじゃないわ。幻影を作るのが彼女の祈りから生まれた力……だったわ」

「……なんにせよすぐにこの結界を壊さないと」

「確かにその通りだ」

 

 ほむらの決意を裏付けるように言葉を発したのはキュゥべえであった。全員を見渡せる様な位置に陣取り、自分の言葉を聞く様にまずはその視線を全員に行き渡らせる。注目が集めさせた彼は感情が無くとも、しかし確実に彼女らを急かすように言った。

 

「この結界の中で膨大なエネルギーが一か所に集中している。恐らく結界の入り口から見えた、黒いMarkerの生成に使われているんだろうと予測は立てられるね。まだ完成まで時間はあるだろうけど、何分“黒色(Black)”を観測したのは初めてだから大幅に時間を測り間違える可能性が大きい」

「……キュゥべえはこう言ってるよアイザックさん。ところでブラックって、キュゥべえは何か知ってんの?」

「今まで造られてきたMarkerが量産品だとすると、あの黒色はオリジナルだ」

「黒がオリジナル? 大体分かったわ。つまり、さっさと壊せってことでしょう」

「もの分かりが良くて助かるよ、マミ」

 

 そうとなれば善は急げ。足並みをそろえた一同はさやかを先頭に、ほむらとマミを中央にしながらアイザックが後続を務める形で陣を組んだ。進むべき道は分からないものの、ご丁寧なこの近未来の宇宙船内部のような結界には通路が設置されている。まるで現実世界で戦っているような違和感があるものの、戦いと言う点に変わりがないと言う事で最初の鉄扉、その真ん中のボタンをさやかが触れることで先に進むことにしたようだ。

 

 カチッ、シュゥ。と機械的な音が響く。

 清潔な合金張りの部屋から新たな部屋への扉を開くのはさやかにとって少し面白い雰囲気だったが、その奥から漂ってくる圧倒的なまでの「血生臭さ」によってすぐさま意識を切り替えさせることになった。

 壁には乾きかけのどろりとした血液が張り付き、人間の死体の様に待ち伏せている半休眠状態のネクロモーフが5体ほど寝そべっているではないか。

 

「こう言う手合いは死んだふりだ。むしろ永遠にオネンネさせといてやれ」

 

 U.S.G.Ishimuraを脱出したばかりのアイザックが知る由もないことなのだが、実はネクロモーフというのは長らく人や生命が近くにいなければ、その醜い死肉の塊である体を休眠状態にして繭の中に入ったりもする。しかも、その間は完全に死体と同じ反応、つまりは不活性状態の物体としての反応を放っているのだ。

 人がいれば動く死体、人がいなければ正真正銘の死体。生きている者のみに反応する冒涜的な存在は、アイザック達を待ちうけるかのように倒れ伏しており―――さやかが瞬きした次の瞬間には、四肢から血を噴出させる達磨となった。

 

「……早いよ」

 

 切り込み隊長としての自負もあったさやかにとって、時間停止を使ってネクロモーフ達の意識が無い間に奴らを正真正銘のゴミクズに変えてしまったほむらの行動は、少々張っていた気を散らせる結果となった。もちろんそうする事が正しい故に、異論の一つも出来ないのがまた少しさやかの欲求不満を募らせる。

 どちらにせよ武器を最初から構えて無かった自分も悪いかと思いなおした彼女は、使い慣れてはいても、しっかりとした重さのある白銀の両刃剣を握る。それと同時、辺りを見回していたマミが何かに気付いたようだ。

 

「これ、面倒ね」

「長年の経験かね?」

「ええ。なにか仕掛けがあって、それを解かないといけないみたいだけど……」

 

 あれ、と彼女が指さす先には赤色のキーロックランプを燈した壁のような扉。一つ一つが隔壁の役割を果たせる強靭な壁は、今魔法少女たちを遮る壁として立ちはだかっているらしい。時折点滅して見せる赤い電気ランプが此方を嘲笑っているかのようだ。

 

「撃ってみようかしら」

「多分、さっきと同じ結果よ。時間停止と一緒に近くの壁に張り付いてたのがいたけど……結果はご覧の通り」

 

 ほむらが指さした先には、地面に落ちた赤子のネクロモーフLurkerと、それが張り付いていたのであろう壁上部にある焦げ跡。グレネードが炸裂したと思わしき場所は、魔法少女の力を以ってしても破壊できない代物らしい。

 急がなくてはならないという焦りが、ちょっとした出来事でも不和の原因になりかねない。それを十分に分かっているからこそ、この場では必ず力を合わせようとする全員は無理にでも冷静さを欠かさないように気をつけていた。だから一番冷静であろう存在に、さやかは助けを乞うた。

 

「じゃあキュゥべえ、何かなかったりしない?」

「簡単だよ、そこの扉を防ぐのは現代的な防壁だ。つまり、ハッキングしてやればいい」

「おおー、流石の理系な発言じゃん。早速お願い」

「さやかは勘違いしているようだけど、ハッキング出来る機材を所持するならともかく、ここには僕の精神を入れる容れ物しか無いんだ。アイザックのも解体用工具だけだろうし―――」

「……ふぅん。キュゥべえが言うにはハッキングらしいけど、アイザックさんはエンジニアでしたよね?」

「なるほど、ハッキングか」

 

 最近は脳筋な真似しかしていなかったためか、アイザックはその通りだなと苦笑しながら動力らしきパネルに近づいた。

 

「ちょっと、アイザックさんはアテがあるのかしら」

「勿論だとも。こう見えても私は商船海兵隊からCEC社に入ってからはそれなりに社でも評価された上級エンジニア通信技士としての資格を持っている。機械工学・電機系が専攻だが、それだけで宇宙開拓時代の船は任せられてはいない」

「あ、そうか。元々はアイザックの時代から来たのがネクロモーフだものね」

 

 真っ先に納得がいったほむらは、疑っていない様な素振りである。

 パネルは感圧開閉式であるらしく、パスの入力画面と指紋認証・暗号認証が必要であると彼は弄りながらに語っていた。

 

「生体認証もあるんじゃ」

「まぁ見ていてくれ。すぐに済む」

 

 ふむ、と一度固まった彼はパネルの端に両手を置き、エンジニアスーツの不調を確かめる。スーツに搭載された色々なシステムを確認してから満足そうにうなずき、

 

「フンッ!」

「えええええっ!?」

 

 パネルの外装を引っぺがし、すかさずコードの敷き詰める内部に手を突っ込んだ。何本かのコードを躊躇なく引き抜いては奥へ奥へと無造作に乱暴に機械をいじる姿はむしろ単に壊しているようにしか見えない。魔法少女の驚愕を露わにするように、認証画面には謎のメーターが浮かんでいて、アイザックが手を動かす度にメーターの中の指針がバチンッ、バチンッ、という嫌な音と共に弾けている。

 更に怖いのが突っ込んでいる場所からヘルメットにまで届いている火花、というより最早激しいスパーク。断続的に続く激しい破裂音とショート回路を組む音に、機械関係に明るく無い彼女らは……いや、機械関係に秀でている者もこの光景は思わず止めに掛かるだろう。どこの世界に専用の機材を持たずパネル基盤からいじるシステムエンジニアがいると言うのか。

 最後に聞こえたのは一番激しいヴァーチャル・ミュージック。エンジンが停止するときの音が聞こえてかと思えば設備の照明がいくつか消え、復旧したと同時に赤いランプは青色に変化していた。つまり、信じられないことに―――

 

「開いたぞ」

「え、ちょっと……私のイメージと違うんだけど」

「この時代に合わせるなら、実際の刑事が簡単に拳銃を発砲しないのと同じだろう」

「だからってソレは無い、ソレは無いよアイザックさん!」

 

 ぎゃあぎゃあと喚き立てるのも無理は無いし、納得いかないのは此方も同じである。

 

「とにかく―――」

 

 誰が諌めようとしたのだろうか。誰かが其方に注意を引かせて、また場を落ちつかせようと隙を晒した。だから―――ソレを縫う暗殺者もいる。

 

 事の始まりはドゴォッとでも言うべき破壊音。

 そして気味の悪い、筋肉のしなる音。

 

「不味いッ!」

「きゃああああああああああ!?」

「マミさん!」

 

 捕らわれたのはマミだった。予想外の事態に対応できたのは、図太い神経を持つさやかとソレの正体を知っていたアイザックだけ。本当ならば、ここでアイザックがこのマミを捕えた「巨大な触手」の弱点が黄色い膿の様な場所であると言葉にしていれば、不幸な事件は起こらなかったのかもしれない。

 

「固――――」

 

 アイザックが工具を取りだすよりも早く動いたのが、動いてしまったのが彼女だった。白銀の大剣を振りかぶってマミを解放しようとして、弾かれる硬さとはまた別種であり、なによりも予想外の筋肉に「挟まれる固さ」に剣が食い込むに留まってしまった。

 痛みを感じたのか、人の胴ほどの太さはある触手はアイザックがかつて見たものよりも圧倒的な速さで長い体をしならせれば、抜けなくなった剣を持っていたさやかが激しく壁に打ちつけられる。その衝撃で、同時にさやかと大剣も触手の脅威から逃れられたがダメージはダメージ。彼女は一瞬ひるみ、少なくともこの事態の収拾を出来なくなってしまった。

 次いで動いたのは触手に囚われていたマミ。アイザックが必死に――メットで隠れて視線は見えないが――プラズマカッターを向けた黄色い膿のような部分に向かって銃を出現させ、敢えて手元ではなく空中で自動的にトリガーを引かせる。

 狙いは当たり、黄色のエネルギー弾を吐いたマミの大砲は一撃で弱点を破壊。活力を失って千切れ飛んだ触手からの脱出に成功した。追撃を恐れて真っ先に動いたほむらがキュゥべえを肩にテレパシーで時間停止を伝えてから一瞬でマミの目の前に転移。

 

 こうしてマミとほむら、さやかとアイザック。

 見事に、バラバラになってしまった。だが―――これはネクロモーフ…いや、この結界の望む結果では無かったらしい。

 自分たちが攻撃しても一切壊れてくれない、そんな無敵の壁を容易く突き破ってきたのは十数本の触手。捕えるための形状では無く、捕えた瞬間その先端についている尖った骨の様な槍で刺し殺す為の凶器を持った触手共は狭い通路を広い部屋へと仕立て上げたうえに、その長大な身体をそれぞれの狙いに向かって一直線に伸ばして行った。

 真っ先に厄介だと思われたのか、ほむらは左手の盾を使えないように左側面から打撃を受けて吹き飛ばされ、触手の海へと放り投げられる。ソレを受け取った触手がほむらの体を巻きつく様に捕えれば、次に立ちあがろうとしていたさやかの腕をからめ取ってどこかへ連れて行ってしまった。

 次にアイザックとマミが狙われ、特にアイザックに至ってはその触手の質量でストンプされている。上から迫るソレを正確に弱点だけ破壊して避けて見せたのだが、ここで予想外だったのが避けた先に叩きつけられたマミが飛んできたという事態。空中衝突を起こした味方同士で悶絶してしまい、その隙をつかれて横から流れた鞭の様な触手がほむら達とは反対の方向へ二人をブッ飛ばした。

 

≪聞こえる!? 結界内ならキュゥべえのテレパシーは使えるわ。各自マーカーの位置を探しながら、位置を把握しつつ合流を目指すの!≫

「了解! アイザックさん、とにかく各自で手分けしたと考えて、らしいわ」

「ah……OK!」

 

 マミもアイザックも射撃専門だ。しかし、マミに限ってはリボンの様な万能手を持っているし、アイザックはステイシスという緊急手段を持ち合わせている。後退しつつ、距離は向こうの二人とずっと離れつつも、しかし確実に二人の銃撃は触手の弱点を破壊し再起不能に追い込んで行く。

 最後の一本、マミの狙い打ったマスケット銃の一撃が煙を上げる頃には、膿のような汚物を撒き散らしながら触手は肉塊と化して辺りに飛び散った。エネルギーを内部で炸裂させたおかげで、あたりはすっかり最初の部屋以上の惨状である。

 

「……不味いな、本格的に離れたか」

「壁は壊されてても、あの触手のせいで視界を封じられていたものね」

「それに、見ろ」

「自動修復か……厄介ね」

 

 なまじ結界の内装が近未来的な人工の見た目だったために、まるで魔法を見ているようだった。飛び散った破片はそのまま、壁から壁が生えて来ている。無音でただ質量を増して行く光景はキュゥべえが掲げているエントロピーを凌駕したエネルギーに相応しく、ここの結界もまた既存の法則からかけ離れている事を如実に表している。

 恐らく、この先は先ほどアイザックが見せたように物理ハッキングを行うか、もしくは知恵を使って行かなければならないだろう。不思議な事にというべきか、幸いにもと言うべきか、魔女結界と言うのは必ず魔女の下に力の無い人間であっても辿り着けるような構造をしている。ここが魔女結界をベースに、かつ特性を引き継いでいる特殊なネクロモーフ結界だったとしても、その法則は変わっていない筈だ。

 

「やれやれ、狙った様に特に仲が良かった者同士を引き離されたか」

「キュゥべえはあっちだし、そもそも私とアイザックさんの面識はトラウマ克服させて貰った程度の仲だものね」

「Hm……それは程度とは違うのではないかな」

「こんな風にお喋り出来るだけなら、本当にありがたいわよね」

「いやはや、まったくだ」

 

 さやかへ向けられたいつかのように、マミへプラズマカッターのメカニカルな波先が向く。何の躊躇も無く発射されたカッターの刃は、マミの首元―――の傍を通り過ぎ、後ろの地面穴から出てきた赤子ネクロモーフの背から伸びるものを斬り飛ばした。

 断末魔の絶叫がマミの意識を戦闘に切り替えさせ、その手に持ったマスケットの他、彼女とアイザックの周囲には動きに追従する砲身が何本も出現した。

 

「狙いが丁度良かったら横っ面をひっ叩いて頂戴。それで弾が出るわ」

「まるで20世紀のテレビだ」

「斜め45度が丁度いいのかしら」

 

 手でクルンと回ったマスケット銃が火を噴き、ネクロモーフの大群を切り裂いた。前の通路から湧き出る4匹の小隊を相手に、アイザックも自分の得物を変えてマミの前に出る。

 

 ―――フォースガン。その衝撃波を発する一撃は、今にも刃を振り降ろさんとしたネクロモーフ達を一気に吹き飛ばすショットガンのような役割を果たす。元々は衝撃波での岩壁採掘、威力を弱めて広範囲の小粒石を吹き飛ばすショックウェーブを放つ工具は、安全用にと掛けられたリミッターを外した瞬間、ネクロモーフをも圧砕させる恐ろしい凶器へと成り果てる。だがそれは、味方にとっては何よりも心強かった。

 

「固まったら私が払おう。後は君のシモ・ヘイヘが目覚める事を祈っている」

「死神なんて、女の子に言う言葉じゃないと思うわ」

「それは失礼。では」

 

 フォースガンを薙ぎ払い、横っ面を攻撃しようとしたネクロモーフをぶん殴る。スーツで強化された勢いに怯んだネクロモーフを一切の躊躇なく踏み潰し、アイザックは血潮を浴びながらトリガーへ手をかけた。

 

「天使とダンスだ!」

 

 衝撃波はマミの展開した銃に刺激を与え、一斉放射(フルファイア)の牙をむいた。

 




これからは分断された両者の視点を変えず、一話ごとに記していく方針。
デドスペ初代のハモンドと、アイザックが動く間にハモンド側はどうしているんだろう? という妄想をしていたら分けて書けば描写が思いつくんじゃないかと思って、ハイヴマインドさんの触手に仕事してもらった。

ここからはホラーアクションの要素入れていきたいと思います。
ホラーというか、びっくり描写が苦手なんで練習を兼ねた投稿です。今までを含め、次回からそういう描写に何か違う……と思ったら、ビシバシ言ってください。むしろ責め立ててください。改善するために此方も鋭意努力をします。


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case26

 分厚い壁が破壊され、二人の人影がその部屋に叩きつけられる。追撃を掛けてきた触手を立ち直ったさやかが迎撃し、その剣を振るう事で弱点だと言われた部位を両断。血とも言えぬ気味の悪い体液を撒き散らして引いた触手を見送りながら、ようやく訪れた静寂に二人はほっと息をつく。

 

「見事に分断されたわね」

「そうみたい……それにしても頭痛い」

 

 さやかとほむら。この二人組となっている部屋の壁もまた、件の触手に破壊された場所だったらしい。目の前で建造物が自動修復されていく不可思議な光景がその証拠だ。

 それはともかく、ほむらにはある程度の見当はついていたらしく、彼女の様子は冷静の一言であった。アイザックから又聞き下に過ぎないが、突如襲ってきたのは「Hive Mind」というネクロモーフを統括する巨大な肉塊の一部分だと確信しているからだ。

 

 元々、あの狂気の一体化信仰者(ユニトロジスト)だったマーサー博士の言葉や石村各部に散らばった研究資料などを、アイザックは石村の中で少しでも有利に動けるよう、ハモンドや裏切るとは知らなかったケンドラのためにかき集めていた。その中にあった情報端末(マトリクス)のうちの一つに、それらしい情報があったので取得と共にデータバンクへの書き込みをしていたと言う訳だ。

 その蓄えられた知識を見直し、一応此処にいる者達にネクロモーフの種別と言うのは頭の中に入っている。ただ、それがぱっと思い浮かぶかどうかは個人次第であるが。

 

「―――ってこと。下手するとワルプルギス級の大きさのヤツらしいわ」

「わお。魔法少女でもないのに、そんなのと戦って無事だったアイザックさんって何者だろうね……あ、ちょっとヤバいこれ。立ってらんない」

 

 頭を打った時に骨でも陥没していたか、まだ頼りない足取りのさやかをほむらが抱え立たせる。こんな風に相手と密着したり、そう言う事に慣れていなかったため少し彼女の体を取り落としかけたのは秘密だ。

 

「しっかりしなさい。……でも、そうね。本人はあくまでエンジニアって言ったけど」

 

 ただ思う。お前の様なエンジニアがいてたまるか。

 ほむらはアイザックからネクロモーフの特徴を聞くたびに、とてもではないが人間の膂力程度で勝利を収められるとは思えない相手ばかりなためにアイザックを本気で何者なのかと疑ったこともある。

 だが、結局彼は人間でしか無い。強化スーツを着ていようと、こんな非常識を「尻ぬぐい」と言って関係の無い魔女や仲を取り持つ事に手助けしてくれようとも、一般人の大人でしか無いのは覆しようもない事実。

 それはアイザックが魔女を単身撃破するなどの偉業を成し遂げる度に、彼女の中で少しずつ薄れてしまう様な価値観であると同時、それでも忘れてはならない認識だった。なにせ魔法少女並みの運動能力は彼には無いし、ネクロモーフはともかく魔女の理不尽なまでの結界や使い魔、ギミックなどは人の造った科学技術など一瞬で破壊するだろう。

 

 前途多難。正にそうとしか言えない現状でただ魔法の加護を受けただけの人間がここにいる。それはどれだけ異常な事であるかを再確認して震えているほむらは、肩から降りた白い獣の呟きを拾って意識を切り替えた。

 

「それにしても困ったね。この場では君たちの補助をするのが僕達としても一番だけども、あちらには同族はいない。ネクロモーフの落とすグリーフシードからは同じネクロモーフしか生まれないと言っても、グリーフシードの回収をしないといずれ数に押される悪循環だ」

「あ、そうか! 転校生……じゃなくてほむら、急いでマーカー探すよ!」

「…そうね。今はそれが最優先ね」

 

 ワルプルギスは、精々本気を出しても日本列島一つを破壊する程度だ。

 だがThe Moonは? 惑星を破壊するだなんて、放っておけない。そんな事をしてしまえば、ほむらにとって何よりも優先すべき約束の相手「鹿目まどか」が死んでしまうからだ。

 だからこそ、ここまで真摯な態度で接してくれる「今回の人たち」に、打算的な考えを持っている事が少し気にとまった。どうせ次に回せばいい、という思いはあるが、一般人に多くの犠牲者が出ようともこの世界にて全てをやり遂げる気兼ねが無ければワルプルギスを乗り越えることなど夢のまた夢だから。

 

「ほむら、とにかく進んでくれないかな。黒いマーカーを発見するか、アイザックたちとの合流を先にしなければ此処はネクロモーフで溢れ返るかもしれないからね」

「ごめんなさいね、また思考に嵌まってたみたい」

「そう言うの良いから―――っと、来ちゃったか」

 

 何とも心移りがしやすくなってしまった、とほむらが自嘲している所に、考えどころか人間をぶった切る不躾なお客さんが家族ずれでいらっしゃった。どれもが穴のあいた顔ならぬ顔を揺らして、腐ったような形の筋肉を剥きだしに見せつけてくる。

 異形の化け物共はと言えば、さやか達を見つけて狂喜乱舞するようにその腕を振り上げた。一斉に殺到するのはプラズマという物質の第四態でも切り裂けぬ異常な硬度を持っている事も含め、まるで赤い海を相手にするかの如き恐怖であった。

 

 ―――が、彼女達は魔法少女。既存法則によって倒せるような相手は敵では無い。自身の心と言う法則に満ちた世界を創造する魔女へ相対して戦って、なおかつ勝利を収める人々の希望の灯であるのだ。

 

 白銀の大剣をその手に出現させたさやかは、いつもは笑顔の似合う垂れ目を塗り替える。キッと視線だけでも射殺せるような敵意を胸に、爆発させた魔力を推進力として飛び出して集団相手へ無謀な一閃を切りこみ―――その全てを両断したッ!

 豆腐へ包丁を降ろすかのように、その血飛沫すら切り裂いて見せたさやかが次に見せたのは体勢ごと大剣を握りなおした逆薙ぎ払い。近未来的な施設の狭い入口に陣取っていた一団を完全に切り落とした彼女はすぐさま身を引いて、ほむらの元へと帰還する。

 

「流石、状況判断はお手の物ね」

 

 アイザックとのネクロモーフを相手にした連戦。それによって極限にまで鍛えられた視野の広さは、時間停止を使ってまでほむらが起こしたアクションを知るほどに成長していた。視界の端に見えた鈍い光沢。それは決して見間違いじゃないと判断したからこそ、多くの敵を其方へ殺到させた。

 2秒……1秒……爆発。

 向こう側の部屋を埋め尽くすほどの赤い光は、閃光手榴弾にすら匹敵されるほど魔力で強化された現代兵器(グレネード)。ネクロモーフの不出来な身体から肉片が飛び散り、地面や壁、果てにはさやかの頬にまで飛び散った。

 

≪クリア≫

≪突入するよ!!≫

 

 キュゥべえがほむらの肩に乗り、余計な興奮で舌をかまないよう狭域テレパシーで応答して隔壁の向こうを進む。ご丁寧な事に、アイザックがハッキングに成功したからか、この結界を作った者が全てのパスロックを別に変えることができなかったからか、彼女達の視界に入った扉は全て開かれているらしい。

 一瞬判断を迷った二人には、クイズの時間切れで罰ゲームのつもりか赤子ネクロモーフの背中から生えた触手から吐き出される骨弾の雨がプレゼントされた。さやかは頭部を庇ってマントで自らを覆い、ほむらはその左手の盾を回して時間を止める。

 

 ほむらに訪れたのは写真の中に入った様な感覚。

 幾つもの骨弾が空中で静止し、それに対応しようとするさやかの固まった姿。そしてなによりも弱点である背中の触手三本を剥き出しにして天井に張り付く赤子のネクロモーフ共。

 骨弾の雨を逆に足場にしながら、トントンと階段を駆け上がる様に華麗なステップを刻んだほむらは丁度触手を一括できるような位置にプラズマカッターを向け、容赦なく光の帯を打ち込んだ。

 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン。ピアノの同じ位置を引くかの如く、しかし撃つ位置はしっかりとバラバラに定められた光の帯は幻想的な光を発しながら止まった時に置き去りにされる。天井と壁の間にできる僅かなデッドスペースで安全地帯を確保したほむらは、壁に張り付きながら時間停止を解除―――そして時は動きだす。

 

 さやかのマントに突き立てられる骨弾の雨、同時にいつの間にか存在していたプラズマカッターの光波に弱点を切られ死滅する赤子ネクロモーフ。地上で生き残っていた通常個体のスラッシャーが鋭利な爪を振り上げて着地するほむらへせまったが、彼女が時を止める必要も無くその体は四肢を伐採されてしまった。

 

「ああ、もう。あたしってなんでこう泥臭い感じ(ダーティ)な戦い方になっちゃうのかな。そう言う星の下に生まれたとしたら、ホント神様をぶん殴りたいよ」

「知らないわよ。それよりさっさと弾を抜き取りなさい」

「はいはい――痛ゥッ!? ちょ、勢い付けて引っ張んな!」

 

 さやかの体中に突き刺さった骨弾を抜き取ると、凄まじい勢いで吹き出る血と共に彼女の傷は癒えて行く。魔力をフル稼働させているのか喪った血液も生成されているようで、よく無敵と勘違いした魔法少女が戦闘中に陥る貧血症状も見受けられない。

 

「ほらキュゥべえ。餌」

「むしろ世界の餌という表現方法が適切だね」

「冗談の通じない奴」

 

 さやかが二個同時に当てていたネクロ・グリーフシードをキュゥべえの背中の穴に収納させる。そして突入した部屋を見渡せば元の物言わぬ屍と成り果てていたネクロモーフの全てが、そこに存在した証としてグリーフシードを一つずつ落として消滅した証が転がっているだけである。ただ、飛び散った血液が残っているのは、この結界の厭らしい真意を表しているに違いない。

 使用をしなくとも、放っておけば得にはならないのは当たり前の話。ほむらとさやかはそれらを拾い集めて、丸ごとキュゥべえの背中へとドサドサと突っ込んで行く。さながら大漁の漁船から魚が揚げられていく様子が数秒続き、そこに転がっていたネクロモーフのグリーフシードは全て収められる。

 背中の蓋を閉めて、キュゥべえは「きゅっぷぃ」とげっぷのような仕草をした。悔しいことにこの愛玩的な見た目をした生物は声もさながら動作も可愛らしい……その無機質な目を見なければ、という条件付きではあるが。

 

 グリーフシードはまだまだ残っているし、恐らくキュゥべえは今回でノルマとやらを達成している事だろう。だがこの回収量はあくまで副次的なものに過ぎず、キュゥべえの目的は建造中のBlack Marker(以降はB.Markerと記す)を破壊する事だ。

 

「テレパシーを繋げるよ、向こうで何か動きが合ったみたいだ」

「分かったわ……巴先輩、聞こえる?」

≪こっちは大丈夫よ、ただ少しお願いしたい事があるの≫

「キュゥべえの動きって奴か…マミさん、どんな感じなんですか?」

≪えっとね……≫

 

 アイザックと応答しているのか、ここの二人にはテレパシー越しにええ、とかそうね、と言った相槌が聞こえてくる。それから数十秒後、ようやく話をマミも理解できたのかその内容が明かされた。

 

≪こっちにパネルがあるんだけど、全部開いた扉と違ってバッテリーが必要みたいなの。なんて言うか、電撃マーク? みたいなエンブレムがついた、両手で抱えられるくらい大きな電池らしいわ≫

「電池……そうね、魔女の結界なら奥まで辿り着くのに必要な謎解きもあるかもしれない。そして狙ってこっちを分断したとしたら」

≪えっと……うん、そうなの? ……その、アイザックさんが言うにはそれなりに重いから気をつけてほしいって≫

「重労働ならあたしが…って言いたいけど、そしたらネクロモーフの奴らがなあ」

「だったら僕が運ぶよ。使用後は筋繊維が断裂するだろうけど、この容れ物を破棄すれば次の体で元に戻るしマミの回復魔法を浴びればある程度は回復出来るからね」

≪そうね、こっちも何とか二人でカバーしてる所があるから、戦えないキュゥべえが運ぶのは得策だけど……キュゥべえ、無理しないでね≫

「うん? 修復すれば問題は無いよ。マミ」

 

 テレパシー越しに深いため息が聞こえてくる。

 

≪そう言う意味じゃ……まぁいっか。それじゃあこっちも探索を続けるから、そっちにバッテリーがあればお願い≫

 

 ソレを最後に、向こうはテレパシーの回線を切ったようだ。

 一応支給された無線や携帯電話は各自所持しているが、ここは電波が通っていないし無線も周波数が届かない仕組みなのか現状はただの荷物と成り果ててしまっているのが痛いところだ、と数少ない連絡手段にほむらは頭を抱えた。

 

「……何にせよ動かないと駄目ね。あなたが決めてくれない?」

「それじゃ、あっちを探そうよ」

 

 さやかが指さしたのは、部屋と部屋を繋ぐ扉では無く、様々な部屋へ繋がる通路に出る扉。さやかがなけなしの英語の知識で読み取ったのだが、向こうにDr.■■labという文字があったために其方へと決めたようだ。

 

「研究室なら色んなの揃ってそうじゃん」

 

 とは彼女の言。とにかくほむらはそれに従って通路へと足を向けた。

 

 歩いてみてわかったのだが、大きなシェルター染みた扉は全て開かれているが、個々の小さな部屋に取り付けられた扉はほとんどが閉じられている。妙に静かな通路はなんとも不気味な雰囲気がしているが、それ以上に辺りに漂う血生臭さや壁に張り付いた血液、何かが此処を荒らしまわった後を示す壊れた電灯が絶対に何かがいるのだと語りかけてくる。

 精神を異常なまでに追い詰めるただの通路一つに、多大な心の労力を強いられているのだが、それは様々な機敏に聡いほむらだけでは無くさやかも同じだった。特に壁や上に取り付けられたダクトは、見滝原の廃ビルや路地裏で戦っていた時に、狭い狭い隙間から突然出てきたこともあって要注意対象の一つとなっている。

 

 不意打ちを喰らえば、魔法少女とて元は人間。ネクロモーフの鋭く巨大な爪は容易くその肌を切り裂いてバラバラと臓物や骨を分断して見せる。攻撃力に秀でたとして、いくら相手に攻撃すらさせない連携を組んだとしても、人間の体を少しばかり上部にした程度の彼女たちはアイザックの強化スーツ程度の耐久力しか無い。

 だからこそ、何が合っても怪我は負わないのが当たり前のルール。多少の切り傷は良いとして、体を削ぎ取られるような怪我を負えば痛覚が遮断される以前に体が動かなくなってしまう。

 

 さやかは大剣を順手に構えつつ、鏡のように周囲を映しだすその峰を見て同時に死角のカバーも行う。キュゥべえが彼女ら二人では抑えきれない範囲を見てくれているが、戦う術が無い以上は接近を許してしまえば忠告も意味を成さなくなる。

 扉一つ一つ、そこから突き破って(ブリーチして)不意打ちを仕掛けられても対応できるように、即興のハンドサインやアイコンタクトを駆使してクリアリングを行う。

 足音一つが緊張を呼び覚ます状態の中、ガタガタガタガタガタガタガタッ―――と、上のダクト部分を騒がしく歩いて行く音が聞こえた。それはネクロモーフ以外にあり得ない。もう位置はばれていると思ったとして、なにもおかしくは無い。

 

 訪れるのは再びの無音。

 ネクロモーフは生体反応を嗅ぎつけた時、どうやっているのかは分からないが死角からの攻撃が多い。常に死角をカバーするような陣を組んで背中を合わせ、互いの死角範囲を120°から240°まで広め―――

 

≪……研究室まで駆けこむわ。余計な戦闘は控えたいし、戦っていたらまた増援が来て余分な時間を取ってしまう可能性が高い≫

≪扉は、空いてないけどどうすんのさ≫

≪じゃあ僕が先行しよう。この体は足音どころか生体反応が無い。ネクロモーフが反応しないと思うからね≫

≪分かった、それじゃキュゥべえ……今はあなたを信じるわ≫

 

 ほむらの肩から降りて、一般人には知覚できないと言うキュゥべえは正に無音と無気配の限りを尽くして研究室まで駆け抜ける。パネルは無く、その真ん中の開閉スイッチを押せば開く仕組みらしいとキュゥべえが伝え、タイミングを待つ。

 

≪カウントは3よ。キュゥべえ、1と0の間でスイッチ≫

≪分かったよ≫

≪カウント! ――3≫

 

 緊張など隠しようが無く、誰の額か、汗が垂れる。

 生唾を飲み込む音が嫌に耳に残った。

 

≪2≫

 

 音も無く走る体勢を整える。さやかとほむらは大きな武器を消し、なるべく転がり込んだ際に扉に引っ掛からないよう身軽な装備になった。

 頷き合って互いを見、その挑戦は訪れる。

 

≪1≫

 

 キュゥべえが動く。

 軽いジャンプ、そしてスイッチを押す(push)

 扉の開く音は―――聞いたことのない、「おぞましい叫び声」に掻き消された。

 

「GO!」

 

 走り、直後彼女たちがいる場所に一体のネクロモーフが天井を突き破ってくる。背後の扉が破壊され、真っ黒な体をした巨大な怪物が剛腕で押し潰さんと迫る。魔法少女の中でも機動力に優れたさやかが先行し、ほむらは時間を止めていくつかの土産を置き、すぐさま時間を動かして部屋の中に転がり込んだ。

 次いで、生身だった分遅くなったさやかが入りパネルで待機していたキュゥべえが小動物の前足をもう一度ボタンに振り降ろす。扉が閉じる瞬間はまるでスローモーションのようで―――抑えきれなかったネクロモーフが上半身を乗り出しその爪を振り上げた。

 

 そして扉がソレを圧砕。

 上下左右から迫り出た扉がネクロモーフの体をねじ切り、長い両腕を引っ掛けて圧倒的な力で粉砕する。弾けた肉塊は無様な血飛沫を噴き出して力無く血に落ち、赤黒い水たまりだけを残して静寂をその場に訪れさせた。

 

 と、思ったのもつかの間。ほむらの後方から迫っていたのであろう死体を混合させた大型ネクロモーフ「Brute」が腕を振り上げ、扉を破壊しようと質量に任せた攻撃で部屋を震わせた。

 1撃が入ると扉はひしゃげ、2撃目が扉の金属を大きく迫り出させる。3回目の脅威が訪れようとした時、ほむらが時間を止めた時の「置き土産」を操作するリモコンを取りだし、そのレバーをぐっと倒して―――

 

「………ん?」

 

 衝撃は、こない。変わりに聞こえるのは、向こうの立ち去る鈍重な足音。

 ほむらは画面を開きながら必死にリモコンを操作し、それがさやかの興味を引く。

 

「何やってんの?」

「ラジコンよ。誘導用にって自衛隊の人から貰った物資だけど……本当に役立つなんてね。っと、もう少し―――」

 

 ほむらの動かすラジコンは最初に二人と一匹が放り込まれた、分断された部屋まで戻って来ていた。こうなっては袋小路、他のネクロモーフもこの騒ぎを聞きつけて訪れ始め、10体に及ぶ怪物ども宴がラジコンカーのバギーを追いかけるシュールな絵面となっていた。

 幸いにも「生きたネズミ」をラジコンカーの中に閉じ込めているおかげで、ネクロモーフはその音と生物に反応してそこまで誘導させられてくれた。

 

「さて、起爆ね」

 

 今度はもう一つのリモコンを取りだし、たった一つのボタンをピッと押す。するとラジコンから見えていた画面が消え、変わりにズズゥン……と小さな自身がこの研究室にまで響いてきたではないか。

 

「ほむらは爆弾使いが上手いね。今のは人間の造ったC3爆弾を魔力コーティングしたものかな」

「アイザックがあの触手に言っていた黄色い弱点、あれがさっきの大型にもあったから、小分けにして貼り付けておいたのよ。それなりに巻き添えに出来たけど、あのグリーフシードは放ってしかなさそうね」

「と、とにかく何とかここまで来れたなぁ……あー何か作戦映画に憧れてたけど、実際にやると此処まで疲れるなんて思わなかった」

「お遊び気分は止めなさい」

「そうでも言わないと、あたしが狂いそうなの」

 

 それなら、仕方が無いか。そう思ってほむらはこの研究室を見渡した。

 ネクロモーフの結界が造ったにしては小奇麗で、てっきりあると思っていたホルマリン漬けの生体サンプルらしきものも無い。点滅を繰り返す壊れかけたライトデスク位が特徴的なものだ。

 

「ほみゅりゃ……ひょれが、ファッテヒィふぁは?」

「あ、キュゥべえ。アンタが咥えてるのって」

「ぺふっ、うん。これがアイザックやマミの言うバッテリーで間違いなさそうだね。確かにかなり重いけど、僕のこの体なら運ぶのにそれほどロスは無いようだ」

 

 稲妻マークのついた、おおよそ直方体の物体。赤子を抱える程の大きさ、重さがあるがキュゥべえはこれなら大丈夫そうだと言った。

 

「聞こえるかい、バッテリーを見つけた。僕たちは……Dr.■■labにいる。マミ、合流できそうな場所はあるかな」

≪さっきの大きな爆発がキュゥべえ達の居る方なら、何とか分かると思うわ。……え? アイザックさん、地図が手に入ったからロケーターを? ……大丈夫! そっちにすぐ行けるわ≫

「ロケーター……確か地図を用いた方向を示す最短ルートを見る機能だったかしら」

≪これ凄いのよみんな! 青い光が道標になってるの。魔女を探す時もこんな簡単なら良いのにねえ≫

「マミさーん、珍しいの見て面白いのは分かりましたから、少し抑えて抑えて」

≪へぅっ! そ、そうよね。ちょっとはしゃいじゃってごめんなさい≫

 

 ほむらには手に取る様に、今のマミの表情を思い浮かべる事が出来た。あの拠点であれだけマミの変顔百面相を見ていれば、それはそれは簡単なことであるらしい。

 

「とにかく合流の目途は立ったわね」

「こっちに此処の地図が見れるような機械が無い以上、大体はアイザックさんだのみになりそうだぁ。っふ~」

 

 近くの椅子に座りこむ。この部屋には侵入されるようなダクトも何もないので、脱出するときは外が安全を確保してくれるだろう。そう思いながら、アイザック達の到着を待って―――

 

≪暁美さん、美樹さん! はやくそこから逃げてぇ!!≫

 

 念話と共に、部屋そのものを破壊する衝撃が三人を襲った。

 





そろそろ、作戦通りにはいかないようにしないとね


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case27 Gravity

結構短め。


 魔女の結界と言うのは厄介なもので、その世界の法則は魔法少女たちの培ってきた経験を一瞬で無に帰す物すらある。逆に固有魔法との相性が最高で、なんの成す術も無く討滅される魔女も少なくは無い。

 そうして種類が多岐にわたる魔女結界の中で、まず共通しているのは「空気」があると言う点だろう。魔女は非生物なのか生物なのかもわからないが、何故か必ず結界の中に人間が呼吸できる空気が存在している。

 何故か? それはインキュベーターですら解明したことの無い謎だ。だが、確実に存在しているのだと言う結果があればそれでよかった。

 

 では本題に戻ろう。

 たったいま、この「杏子の姿をした幻覚」に連れられて結界の中に取り入れられた四人と一匹。この中で生成されるBlack Markerを破壊すべく訪れた彼女らは、アイザックの居た時代に普及していた、それこそ「USG Ishimura」のような居住可能大型宇宙船に酷似した施設へ閉じ込められている。

 その窓から見える光景は、本当に宇宙そのものを映し出しているかのような美しさと、生物の居ない無常観をありありと表している。―――そう、宇宙空間を、だ。

 

 この結界そのものらしき近未来的施設は、そうして「宇宙空間に囲まれた」位置に立地されていると言う事は存分に知っていただいたであろう。では次の問題だ、もし……もしもだ。

 ―――この施設が破壊され、外と境界が無くなればどうなる?

 

「息、止めッ――――」

 

 音は消える。

 破壊したらしい肉塊の怪物が、剛腕を振り上げてほむらに迫る。さやかが投擲した白銀の剣が無重力空間で空気の抵抗無く剛速で迫り、大型ネクロモーフの腕を打ちすえた。それはほむらを狙う腕を、ほんの僅かに横へそらすことができたらしいが、直撃は免れなかったらしい。

 一撃目に打ち抜かれる。もう片方の手で打ち据えられる。無重力と無空気空間には音無き振動が施設と大地を揺らすばかり。まるでクルミ割り人形に掛けられたクルミのように、ほむらは幾度となく大型ネクロモーフに先ほどの爆発の仕返しだと言わんばかりに攻撃され続けていた。

 伸ばした手は力なく垂れ下がり、撒き散らかされた血が付着するソウルジェムは無事であっても肉体の再生がまったく追いついていない。さやかに、マミのようなリボンがあれば話は違ったかもしれないのに、彼女が持つ魔法は白銀の剣を振るう事と、体をプラナリアのように兆速で再生させる事だけ。さやかの手は、届かない―――

 伸ばした手を諦める前に、さやかは跳んだ。空気が無くて、重力もなくて、内側から自分の体が弾け飛びそうだったけども。それでも体は治り続けているから問題は無い。投げた剣を再びその手に現出させ、歯を喰いしばって出来得る力の全てを発揮し、思いっきり回転して叩きつける。剣の刃では無く、峰が大型ネクロモーフの弱点と、それごと体を押し返した感触がビリビリと手に伝わってきた。

 ネクロモーフが飛んで行った向こう側は宇宙空間。あの吹き飛ばされた化け物は、まったく終わりが存在しない、永い永い宇宙遊泳を続けることになるだろうがそんな事はどうでもいい。

 重力の無い宇宙空間では与えた力と逆方向に均等な力が働く。その反動で施設側に戻る自分の体が飛んで行く前に、見れたものじゃ無くなったほむらの腕を何とかして引っ掴んだ。肉が弾け、こそげ落ちて骨が見えた腕は頼りなかったが、魔法少女となった強靭な筋繊維が意識朦朧なほむらに気付けの激痛を与えながらも、決してさやかの腕から零れおちるような真似は許さなかった。

 キュゥべえはなんとか空気ごと吸い出される勢いに耐えていたのか、こっちだと言わんばかりに尻尾を振ってさやかが自分を視界に収めるようにしているらしい。

 

 あと少し、あと少し、あと数センチ―――

 近づく元の部屋は、既に自分が通れるかも怪しいほどに修復されてしまっている。確かに早い、でもこのままの速度じゃ、後続のほむらは侵入しようとしたネクロモーフのように胴体を真っ二つにされてしまうだろう。部位の大々的な欠損は、いくら魔法少女自身が持つ再生能力を当てにしても数日は掛かる。

 だとしても、もう一匹の協力者は決して無力では無かったらしい。

 

≪危なかったね、さやか≫

 

 まだ空気が無いため、キュゥべえのテレパシーがさやかの脳に語りかけてきた。まだ間に合わないのに、などと彼女が思っている間に、キュゥべえはその耳から伸びた何かに付けた黄金のリングを発光させ―――その不思議な光が纏わりついた彼女らの体を急加速させた。

 引き寄せられていた。二人の体が? いや、正確には……さやかの()が。

 ギリギリだった。本当にギリギリのタイミングでほむらの足が部屋の中に戻り、その瞬間にこの部屋を覆う生きているような金属の壁が施設を元通りにする。同時に無重力空間だったこの部屋の機能が回復したのか、無機質なシステム音声が流れてくる。

 

 ―――Exiting Vacuum

 

 ブシュゥゥゥゥ……といった空気が戻ってくる音が聞こえて、ようやく聴覚が他の人間の声を聞きとれるようになった。宇宙空間に放り出された時とは違って酸素もあり、空気もある今は内側から破裂しそうな苦痛を味わう必要もない。しっかりと地に足がついている事へ安堵したと同時、さやかは抱えていた彼女の容態を思い出して顔を青ざめさせる。

 そうだ、早くほむらを治さなくてはならない。

 

「グリーフシードは……手持ち三個か。くっそ、でも一気に使っちゃえ」

 

 三つある闇の宝石を押し当てると、まったく濁っていないほむらのソウルジェムから無理やりにドス黒い魔力が引き出される。それと同時に、身体を再生させる魔法が自動的に行われて、ほむらの殴り潰されていた臓器や何からが全て、風船を膨らませるかのように元に戻って行く。当然―――それは痛覚も一緒だ。

 

「~~~~~ッ!!?」

「落ちつけ馬鹿! 暴れないでったら!」

 

 まだ治り切っていない場所は、皮膚や臓器が再生する熱で非常に「熱痒い」。

 だからこんな大掛かりな身体の欠損部位再生を初めて経験したほむらは、思わずその患部を掻きむしって更なる激痛を齎そうとする前にさやかの魔法少女内随一の膂力によって取り押さえられ、内臓に走る「痒み」に耐えながら体をくねらせる。

 それから約二十秒、全身に奔る痒みと激痛と熱さに耐えきったほむらは、汗腺から汗を噴き出して息を切らしていた。その横でなんとかなったかぁ、と使い終わったグリーフシードをキュゥべえに喰わせたさやかが安堵の息を吐いている。

 

「それにしても、キュゥべえのあれって……アイザックさんの“キネシス”?」

 

 気軽に世間話でもする様に聞いた。だがどうして助けたかを聞かないのは、多分ここで自分たちが死ぬとマーカーの破壊に支障が出るからだろうな、というのはさやか自身でも分かっていたからだ。

 

「そうだよ。現状、僕達インキュベーター自身も何らかの自衛手段を持たなければ、新しい体が転送されるまでに生じるラグの中で決定的な瞬間を逃す可能性があったからね。アイザックのキネシス技術は、その点で言えばこの肉体に不足する物資の運搬能力と自衛手段としては適していた。元々僕らはエネルギー収集以外に余分な機能をつけていないから、ついこの前インストールしたのさ」

「猫の手でも借りたい状況で、伸びる手を持ったでいい?」

「最近の君の理解力の高さは目を見張るね」

「―――仲良く話してないで、早くそのバッテリーを届けるわよ」

「おおっ、落ちついたんだ」

「おかげさまで……借りはいつか返すわ。癪だけど、キュゥべえにもね」

 

 長い髪をいつものように掻き上げようとしたが、自分の血糊がべっとりと付いたことで髪の毛が引っ掛かった。髪が抜ける痛みと共に、少しだけほむらの目尻に涙が浮かんでいる。まぁここはスルーしておいた方が良いだろうと、キュゥべえから話題が切り出された。

 

「起動実験も兼ねたキネシスモジュールの使用は問題ないみたいだ。それじゃあ急ごうほむら、さやか」

「分かった分かった……って実験!?」

 

 驚きながら、さやかは衣装についているマントを衣装から消して剣を腰に背負う形で装備した。さきほどの空気ごと排出された時、マントが空気抵抗を高めていまいち踏ん張り切れなかったからだ。ヒーローっぽいイメージとしては気にいっていたし、いざという時は液体状の攻撃から身を守れる優れ物ではあるが、今のところはゲロを吐くネクロモーフも見当たらないことから大丈夫だろうと判断してのことだった。

 

 それから、完全に持ち直したほむらがBluteに破壊されかけた扉のボタンを押し、途中まで開いた扉を蹴り壊して、再び研究所の外に広がる廊下に出る。扉の残骸がカラカラと落ちる以外、シィン……と静まり返った廊下にはネクロモーフの気配はなく、足音らしきものも遠近共に聞こえてこない。

 ある程度倒したら、現状その場所はクリアリングできているなんてゲームみたいだ、とさやかが思ったのは余談である。

 

「……そう言えば、さっきマミさんの警告があったよね。反応できなかったけど」

「ちょっと待ってくれ……うん、マミはどうやら、僕たちを見下ろせる位置にいるらしい。さっきの研究室が1階の中庭に面した部屋だとすると、マミたちがいる場所は中庭を挟んで向かいにある棟の3階にいるらしい」

「となると、ぐるーんと迂回して行けばマミさんたちと合流できるわけか」

「そうなるわね。……そう言えばキュゥべえ、あなたはアイザックのような機械を扱えないのかしら? こっちもマップを持っておかないと土地勘が無いここじゃ迷うのは必至よ」

「この体自体が演算装置にもなるけど、最悪端末の一つは無いと無理だね」

「じゃあ、もうマーカーが生成されてるみたいな場所はそのバッテリー持って行けばいいんだし、キュゥべえが使えそうな端末も探索していこっか」

 

 ピンっ、と人差し指を立てながらの提案に、ほむらはその手もあるわねと重々しくうなづいた。端末さえキュゥべえの手に渡れば、その端末から情報を引き出すか、またはアイザックにメールなり何なりの方法でデータを送ってもらえる。マミを介してキュゥべえの念話で伝えれば、どちらかに戦闘が起こっていない限りは比較的楽に合流までの流れを整えられるだろう。

 そうとわかった一行は、一応位置を動きつつあることを念話でマミに伝え、アイザックにも通達して施設を進んで行くことにした。そうする中で、マミから伝えられたアイザックの話によればこの宇宙空間らしき場所に立地する施設は「縦長のサークル状」の構造をしており、その中心、中庭にも思える空間への出入り手段は無いらしい。

 魔女結界というのは案外単純で、一方通行の道を辿れば魔女に辿り着けるが、こんな循環構造の結界は魔力が外に出ないと言う事から、得物たる人を惑わせる使い魔を出したりする魔女の性質とは全く違うとも、キュゥべえは様々な論理と共に語っていた。

 

「循環……それだけBlack Markerを効率よく建造したいのね。どこぞの異星人みたいに無駄がなくて惚れぼれしそうだわ」

「結界そのものに言ってもねー。まぁ急ぎ足で行くと不意打ち喰らうから、まだ時間がある間にじっくりと行こうよ―――って言いたいけど、キュゥべえ」

「なにかな?」

「実のトコ、どれくらいでマーカーは造られそう? ご自慢のエネルギー分野の知識とか、後は感覚とかで判別できないかな」

「……幾らかの演算を行ったけど、実際にBlackを目にしたのは先ほど言った通り初めてだ。誤差を3時間のぶれがあるとして、あと21~27時間が限度だね」

「約一日、か。短くも長い悲劇が起こらないと良いけど」

 

 ほむらが零したのは、アイザックから聞かされた体験談から来た呟きである。ある意味武勇伝とも言えるべき忌まわしいアイザックの戦歴は、今のところ詳細を知っているのは暁美ほむらただ一人。だからこそ、こうして彼の言った「石村」に似た施設に閉じ込められて、魔女の脅威とは程遠くもネクロモーフには大歓迎なこの状況に、デジャヴを感じずにはいられないのも仕方が無い。

 実体験する、理不尽なまでの死の連続。突入、襲撃、分断、危機。目まぐるしい勢いで訪れた多くの事態によって、こうした不安が生まれるのは人間として当たり前だ。むしろその感性をどこまで保つ事ができるか、それが狂人と普通の人間の区切りとなるであろう。

 もし、この結界の中で狂ってしまえば――またひとつになろう(Make us whole again)!――と叫びながら全てを虐殺するバーサーカーの誕生だ。無論、それをこの場にいる彼女たちは知る由もない。

 本能的に、死ぬことだけは許されないとは分かっているようだが。

 

「それにしても、ちょっとヤバいかな。こうも狭いとこの剣振りまわせないや」

「武器の形はある程度帰られる筈よ。巴先輩のが良い証拠だけど」

「うーん、そうかな? ―――っわ、二本に分かれた」

「魔法少女の固有武器は、契約とは別に君たちの意志を元にして造られている。精神状態にも大きく武器の形状は左右されるだろうね」

「ふ、ふぅーん……」

 

 キュゥべえの話を聞いた瞬間、さやかは不味いと感じていた。

 自分が持つ白銀の大剣は、恭介に捧げる想いと同じだった。重く、鋭く、なおかつ壊れにくい。唯一のものと言っても良い、そんな心を映し出したような剣がさやか自身でも好いていた。

 それが――分裂。まるで対を成すかのように、ギミック付きで分裂したのは恐らく、恋心が揺れ動いたのではなく自分の精神の乖離が始まってしまっている可能性が高い。こうしてネクロモーフの事態には慣れが生じてはいるものの、そうした「戦う自分」と「普通の自分」が明確な形で別れたの証明なのではないかと言うのがこの現象だ。

 やろうと思って形を変えた瞬間、意図せず変化したこの結果に、手数が増えた半面不安の方が大きいと言うのは如何なものか。さやか自身、この変化はさっさと元に戻したいと内心で溜息をつく。

 なんにせよ、突破しなければならないのはこの結界だけでは無い。通過点だと甘く見るつもりは無いが、それでもこうして戦う中で自分を見つめ直さなくては。もしこの別れた二刀を扱うのが主流になるとしたら、それは―――恭介に振られた後だ。

 

「……やっぱり、大剣のままでいいや」

「あなたがそう思うのなら、それでいいと思うわ」

 

 キュゥべえは無言。ほむらは肯定。

 各々が自分の中で、どのような心持をしているか。それは誰にもわからない。

 

「とにかくアイザックがいる3階に向かう道を見つけましょう。こう言う施設はエレベーターかトラムでの移動が基本だと言っていたから、合流するには移動設備のある部屋の方が確率は高いわ」

「分かった。それじゃ、怪しい所は調べて行く方針でも良い?」

「油断しても私がフォローする。さっき助けてもらった分位は、わがまま聞いてあげようじゃない」

「オッケー、ありがと」

 

 剣を背負い直したさやかを戦闘に三人は進む。扉が全開放されている分、知能の無いネクロモーフを人の手で閉じ込めると言う手段は使えないため、現れた傍から全滅させるのが常になってくるだろう。

 そんな事を予期しながら、これからどれほど濃密な戦いが待っているか。それを知った上で彼女達は進んだ。地球が破壊されるなら、ワルプルギスどころの話じゃない。こんな事態を持ってきたアイザックに恨みをぶつけたくもなるが、それは心の中で留めておく。

 この事態は乗り越えることができる。それだけは確かなんだから。

 

 ―――絶望が待っていても、進むことしかできない?

 そんなものはキュゥべえのおかげで克服している。いずれ皆、魔女になると言うのなら……命を散らすだけの危険など、どこまで行っても意志を折ることはできない。

 確かなる希望を胸に、ほむらの歩みは確実に二歩目を踏みしめた。

 




一端「ほむら・さやか」のひらがなペアの視点は終了。
次回は「マミ・アイザック」のカタカナペア。

キュゥべえの設定考えてると凄く使いやすいキャラなことに気付いた。
流石、魔法少女まどか☆マギカのマスコット的立ち位置だと戦慄。


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case28

 爆音が見えた。振動は伝わって来なかったが、下の階に飛び散ったネクロモーフの破片が窓に張り付いていることから、あの辺りにはぐれた二人は取り残されているらしい。まったく、派手な事だ。そう思わずにはいられない。

 同じく爆発した場所を見ながら、先ほどから何度か耳に手を当ててテレパシーを拾っている少女――マミを見る。うん、うんと頷いている便利なテレパシーは、残念ながら自分には使えないらしい。

 

「さっきの大きな爆発がキュゥべえ達の居る方なら、何とか分かると思うわ」

「ちょっと良いか? さっきのハッキングで地図がある。彼女達はマークしたから、このロケーターで目的地として設定しよう」

「え? 地図が手に入ったからロケーターを?」

「合流まで問題は無い、筈だ」

「分かった……大丈夫、そっちにすぐ行けるわ―――これ、凄いのよ!」

 

 にこにこと此方のロケーターが造る青いラインを見ながら、彼女は笑顔を浮かべていた。こう言った好奇心が刺激されるものに興味があるのか、実況するようにアケミらへ伝える姿は年相応の少女のようだった。

 そうだ、年相応。これが重くのしかかる事実。同時に、彼女たちで無ければ戦えないという問題点。私のスーツがあれば話は違っただろうが、これはこの時代で作れるような代物では無い。OSやパススロットの量子変換機能は作れないこともないが、他星で発掘された専用のレアメタルで量産されたパーツで造らなければ収納とRIGシステムは保管できない。

 彼女達以外、大人が戦うべきである。それはこの時代のジャパンにいる自衛隊も同じ考えのようで、表面上でしか納得はできていないようにも見えた。今となっては、考えるだけ無駄なことでしかなく無理やりにでも感情を抑えつけなければならないが……む、あれは。

 

「……Shit! 早く、逃げろと伝えろ!」

「え、あ―――暁美さん、美樹さん! はやくそこから逃げてぇ!!」

 

 ギリギリで伝わったか、そうでないかは分からない。

 だが―――確実にあの部屋は破壊されてしまった。宇宙空間に吸い出された二人の姿を見て、すぐさま私たちの足は動き始める。ロケーターの光を追いかけつつ、彼女がこちらに話しかけてきた。

 

「あの部屋までのマーキングは出来ますか!?」

「問題無い。ただ、君が先行しなければそう早くはいかないだろう……だが」

「大丈夫。二人を信じてるから、アイザックさんに合わせます」

ありがとう(Thank you)……気を引き締めねばな」

 

 ロケーターが示すのは横道にそれる事も無い最短ルートだ。施設の床から直接データを引き出し、地面に設置された特殊な誘導装置の一部が発光する事で道を指し示す。その光はラインの上を流れるように動き、それで方向を知ることができる。土地勘のない者にも目的地へ辿り着けるよう誘導が可能なほか、アイザックなどが着けている強化スーツなどにロケーター補助の機能があれば、例え雪山など自然の造り出した場所であっても「地図」さえあればヘルメットが仮想的に見えるラインとして視覚に映しだせる。

 バーチャルリアリティを再現した時代の賜物である。ナビゲーター機能を突きつめた結果、最もスマートで分かりやすい進化を果たした証がロケーターの真髄と言っても良いであろうか。

 

「次は―――何?」

 

 しかし快進撃とはいかなかったようだ。

 アイザックの不可解だという感情が突如口から洩れる。

 ソレもその筈。彼らが走り飛び出した先、ロケーターの光が指示していた場所は壁で埋まっていたからである。元からそこにあるような壁に、しかしロケーターはここが「障害物の無い」最短経路だと教えている。

 地図が間違っていなければこの指示は絶対に可笑しいものではないし、地図が正しいのはこうして上階からいくつかの階段を下り、廊下を間違いなく抜けて来れたことから証明されている。

 となれば、これは何らかの妨害工作か結界の主なりのルールに従った警告の一種かもしれない。この結界は、魔女の結界では無い。アイザックはそう言った魔女に関してはかなり疎いものの、結界の他ネクロモーフなどから発せられる不可解な行動理由がずっと気に掛かっていた。そのため、これにも何か意味があるのではないかと疑ったわけだ。

 

「アイザックさん、ちょっと下がってて」

 

 何かあるというのは彼女にも分かっていたのだろう。マミは胸元のリボンを解けさせると、手に持って鞭のように―――否、自在に動き回る己の手足のようにその壁をリボンに 抜けさせた(・・・・・)

 そう、すり抜けたのである。

 

「…っ!? これって!」

 

 そして返す手首でリボンを戻すと、壁から向こう側は何やら溶けたように蒸気を発しているではないか。この先に何かがいると言う事はこれで明白になった。

 一体どうすればいいのか、迷うべき場所にぶち当たった彼らが取った行動とは。

 

「酸を吐くヤツか? 何でもいい、早く合流しなければ何時電子レンジが鳴るかも分からん」

「そんなにマーカーってものの電波が強かったらみんな死んじゃうと思うんだけど……」

「Huh! 怪物になる運命は変わらんさ」

「ケ・パッレ。いつも雨よね、でも赤い雨はこっちだってうんざり。私も乗るわ」

 

 言葉はそれまで、あとは暴力。

 一番ダメージを気にしなくても良いマミが有無を言わさず、ソウルジェムの髪飾りを帽子の中に隠してからその偽物の壁の中に突っ込んだ。その瞬間―――

 

 雨、雨、雨。酸の雨。

 人体をドロドロに溶かしつつ、何故か粘着質を持った最悪の液体がマミに降り注ぐ。送れて壁を突破したアイザックは即刻工具を持ち変え、本来の「危険物その他を遠くへ吹き飛ばす」用途のためにその道具、フォースガンの引き金を引いた。

 BAM!! と広がった目に見えない衝撃の渦は振りかかる酸を吹き飛ばし、余った液体はひとまとめにしてアイザックがキネシスで引っ掴み持ち主へと返す。飛び散った自らの酸液に内臓以外が耐えられず、自爆し弾け飛んだネクロモーフの血肉を浴びながらマミはその中心部へと躍り出た。

 

「対ネクロモーフの新技、見せてあげるわ!」

 

 魔女とは違い、ネクロモーフの耐久度は全てが等しく高い硬度を持っていながら、それ以上の存在は無いと知らされていた。故に彼女は、分配する魔力を考えつつ、一度の攻撃に使う魔力量は「最後の一撃(ティロ・フィナーレ)」以上に使うと言うとんでもない技を考案した。

 まだ名前は無いし、こんな悲劇的な相手かつ一発ごとにグリーフシードの補充が必要な時にしか使えないのでは意味が無い故名前を付けるつもりもない。

 だがそれはあまりにも強力で、華やかで―――何より一切の容赦など存在しない。

 

 円状に彼女お得意の銃剣を出現させる。その中心に自身とアイザックを入れて安全圏を確保した瞬間、マミは薄く笑って見せた。

 それらはラッパ状の散弾の様な形状をしながら、持ち手の上はリボルバー拳銃の様に丸いマガジンが露出していた。空で固定される筈のそれらはマミの周りを高速で回転し、風船のように膨らみ始める。

 唐突に、でも意識的に、それらの銃は開け放たれた。

 

「一斉掃射!!」

 

 Bang,Bang,Bang!

 オノマトペはこの程度。実際には―――音すらうるさ過ぎて聞こえない。

 拳銃のようにも見えるマガジンは六発なんて生易しい数では無く、まるで「ドラム」と呼ばれるマガジンのように圧倒的な暴力を発揮する。既知の言葉で形容するならば、それらは「ガトリングショットガン」とでも言うべきか。

 黄色い魔力の球はあまりのも密度が高すぎて最早白くさえ見える。マミ達を囲うショットガンの弾丸は打ち出されるリロード速度と数が多すぎるせいで、もはや弾ですら無く、線と言うにも馬鹿らしい。真ん中だけ空けて広がった白く丸い板そのものだ。

 

 酸の雨の洗礼を受けたから、こちらも仕返ししてやろうと言う魂胆なのか、馬鹿らしいと思えるほどの数の暴力。一時期流行った倍返しなんて言葉が優しすぎて涙が出そうなものである。まさか、量を仕掛けてくる相手に対して「二乗」で返す馬鹿がどこにいるというのか。

 掛け算の中でも二乗、三乗と数そのものを掛けて行く乗算は数の暴力として表すのならば恐ろしいことになる。少なくとも、抗争や取っ組み合いが戦争になる程度には。

 

 そんな真っ白な世界にアイザックがポカンとしている間に、花火の様に散ったマミの散弾銃モドキ達は魔力を失って割れるように現実から姿を消した。パキィン……と嫌に高く響いた音が彼をようやく現実に押し戻す。

 

「魔力の使い放題って良いわね。でも、これっきりにしないと中毒になっちゃうかも」

「……君は十分トリガーハッピーで通じるさ、社会人としてはともかく、個人としてはテロ屋をお勧めしたいものだ」

「じゃあ魔女の世界にテロ活動でもしてるわよ。今のところ……それだけが、私にできる事だから」

 

 息を切らしながら、グリーフシードを二つ使って穢れを浄化するマミ。

 確かに全力疾走したかのような光景だが、恐らく魔女にとって一番厄介なのはこうした単純な暴力が力となるマミのような魔法少女なのだろうとアイザックは思う。特異な能力は強力な半面、使いどころが難しいのは彼自身の人生経験でよく分かっている。

 

 ただ一つ、アイザックは思った。

 彼女だけは、グリーフシードが潤沢に使える現状では怒らせてはいけない。もしも彼女がネクロモーフ共にその怒りを向けたのなら……破滅は必須であろう、と。

 

 

 

「サーノバビィィィィッチ!!」

「ネクロモーフを呼ぶつもり? それともアイザックの真似? どっちにしろ煩いわ」

「やってられないよーこんなの。ああもう! なんでこんなに複雑で訳の分からない構造してんの此処!? 早くキュゥべえに情報受け取れる機械使って貰わなきゃいつまでたってもアイザックさん達と会えないっての!!」

「でも時間がかかるのは確かに考えものね……キュゥべえ、ここのモニターから何か出来そう?」

「……駄目だね、これもハリボテだ。そもそも、Black Markerの生成に全エネルギーを供給してるのに僕らが使える機械があること自体可能性としては低い。そんな機械にエネルギーを割く必要なんて無いからね。もっとも、普通のネクロモーフとMarkerならという前提が必要だけど」

「あーあ、そりゃそうだよね。だってこの世界はネクロモーフが魔女の力を使ってるようなもんでしょ? どうやってこんなになったかは知らないけど、だからこそキュゥべえの豊富な知識もこう言う時には役に立たないって言うかさ」

 

 精神的に疲れ、まいってきたさやかを咎める者はいない。キュゥべえも感情が無いとは言っても精神は存在するため、そこに疲労・疲弊と言う現象は必ず存在する。それは名が気に渡って自分を殺し続けてきたほむらにも言えることで、この時間軸で巻き起こる全ての圧倒的な予想外の事象は徐々に彼女自身の見つけたペースを崩し始めていた。

 絶体絶命とは言いきれないが、時間が無くなって行く焦りがまた心に罅を入れてくる。幸いなのは心がまだしっとりと他人の繋がりで濡れている事で、もしも孤独で乾燥してしまっていたならば既に魔女と化していてもおかしくは無いだろう。

 

 人とのつながり、それはどれだけ重要なのか。

 この場にいる二人の魔法少女は、どちらも単独で事を成そうとする無意識が存在する。だからこそ、色々と分かっていて二人一組の現状を保ち続けているのかもしれない。

 

「…ねぇキュゥべえ。正確な数はともかく、日本には魔法少女ってどれくらいいるの?」

「47都道府県の地区一つあたり平均で40人前後だね。変動は激しいから必ずしもそうじゃないけども」

「じゃあさ、その子らに協力呼びかけられない? 騙すようで悪いけど、“真実”知らないヤツとかは杏子みたいにグリーフシードに目が奪われそうなもんだけど」

 

 唐突にさやかが話したのは、人間だからこそ誰しもが考える様な事だった。

 自分の手が足りないから他の人の手を借り、その物事を解決する。集団的な行動を取る生き物が人間であることから、間違ってはいないどころかその発想は正解だっただろう。

 キュゥべえの言葉を信じるならば、どこか近くの街から魔法少女を拝借するのもまた、戦力増強と地球の危機を救う方法として正しい。しかし現実と言うのは非情なもので、

 

「残念ながら、それは無理だね」

「なんで、地球丸ごと無くなるよりマシじゃないの?」

「魔法少女は、自らの願いを僕らの様な異邦者に叶えてもらうと言った利己的な部分を持ち合わせている。今でこそ君たちは危機の知識を共有し、さやかも初戦闘がネクロモーフだったこともあって同族に似た姿を持つ敵を屠ることに抵抗感は無い。でも、今ここで部外者が立ち入るのは現在の共闘意識を乱す可能性が高い」

「……自分勝手な意見を主張して“人だったのを倒すなんて!”と喚いたり、“自分以外がどうなってもいい”と見殺し、あまつさえは“全力で頑張る”と此方が分かっている事を知らず空ぶってしまえば、ほんの少しの要因が結果として“魔法少女のネクロモーフ”を誕生させる恐れもあるわ。大人から、挙句に胎児までああなる存在を相手に、元から人を越えた魔法少女のネクロモーフは最悪の存在よ」

「あー、そうだね。変に特攻されても体が残ったら駄目ってことか。死ぬのかどうかは二人とも重要じゃないんだね、まぁいいけどさ」

 

 今回の相手は厄介なことに、魔法少女と同じようで、全く違う正真正銘の「ゾンビ」だ。死者は敵の仲間入りを果たし、あまつさえその死体はネクロモーフの体の良い道具として最大限効果を発揮する。

 非常に微妙な精神状態を取りそろえた、この奇跡の様なメンバーで無ければ無理。

 

 人だったものを殺し、共闘意識があり、全員の生命を生き残らせる気兼ねを持ち、それぞれが全員と自分の正気をカバーできる。その上で実力が必要とされ、時には個人の技能を突出させて「必ず」良い方向へ持って行かなければならない。

 此処までを取りそろえるには、事情を知り、それなりの時間を必要としなければならないだろう。だからこそ、飛び入り参加は失格退場。此方側にこれ以上のイレギュラーは必要されていない。

 ワルプルギス戦ならば、協力を呼び掛けることも出来るのだがその場合はネクロモーフと違って大量のグリーフシードと言う報酬が無い。正義感で動く人物など、魔法少女の中では非常に珍しく稀有であるから集まるのはほんの数人と言ったところだろう。

 

「……積みそう、でもやるしかないかぁ。アハハ、ワルプルギス倒したら絶対に恭介の返事聞いてやるんだ」

「分かってて妙な伏線張るの止めなさい」

「いま此処で言うから、ほむらが聞いてるから言うんだって。いざとなったら時間停止で助けてくれるの信じてるから」

「信じる……その議題も、いつか解明したいものだ。僕たちが感情を持つ事は許されないが、感情を操るためにも必要な議題が幾つも残っている。単純な喜怒哀楽でさえまだまだ分かっていないことは多いと言うのにね」

「なんか、今日のキュゥべえは良く喋るし動くなー。キネシスがあるとはいえ荷物持ちも引き受けるし、もしかしてマーカーの事もあるから焦ってんの?」

「かもしれない。精神的に追い詰められる事で身体にも何か動作を持続的に起こす異常らしきものが、今この体にも起こっているよ。君たち風に言えば何かしていなくてはもやもやが晴れない、と言ったところだろう」

 

 ただ、このままでは精神疾患(感情発露)を起こしそうだけどね。

 

 心の中で呟いたその記録は、ふっと彼の母星にあるデータの海に呑まれて消えた。

 この場でキュゥべえは、自分自身の役割を持っている。魔法少女を「絶望させない」ように精神を誘導し、自分自身は無我を貫く様にしつつ彼女らの精神を落ちつかせるフォローをしなければならない。

 傍観者がいたとすれば、ソイツはエネルギー搾取のために絶望が必要な癖に、とんだ役回りであると笑うだろう。だが彼らほど宇宙を、広義的な意味の世界を想う種族もいない。

 

 ただし人間は、大は小を兼ねないという意識を持つ者もいる。そのために、種族と精神構造の違う彼らは必ずすれ違いと衝突を起こして行くのだろう。これまでも、そしてこれからも。

 

「急ごう。エレベーターよりも二つの棟を結ぶ渡り廊下なら遭遇する確率が高い」

「機械探しはあくまで手段のための手段だものね。無くてもそんなには困らないわ」

「それもそっか。……じゃあ頑張ろうか、特にほむらはまどかのためにもねー」

「煽るなら、買うわよ」

「全部終わってからなら受けて立ぁつ! なんてね」

 

 笑みを浮かべる事を忘れない。

 それは、相手に教えてやるためだ。

 自分たちはどんな逆境にも負けないという威圧を与え、そして仲間が決してあきらめないようにするため。例え笑うという行為の意味を知らずとも、自然と出てきたものは必ず理に沿っている行動となる。

 挑戦を楽しみにしているように先陣を切ったさやかは次の扉を開き、

 

 部屋を埋め尽くす1万トンの肉塊が襲いかかってくる光景を網膜に焼きつけた。

 

 ザンッ、という音が腹から聞こえてくるのと同時に。

 




次はデストロイパーティー。

なんか、最終章入った瞬間それが一番長いことに気付いた。
と思ったら、実は文字数少なくて話数だけ多かった。

あー、それでは皆様……イッツ・ショウ・タイム


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case29

すいません、elonaというフリゲに嵌ってたら執筆に手が伸びませんでした。


「ま、た、こんな役ぅ!?」

 

 既に痛覚神経を切っていたおかげで、斬られた感触と下半身の喪失感のみを感じたさやかは、かろうじて大剣をぶん投げ牽制しながら地面に倒れ伏した。腰から真っ二つになった体は何とも異様な姿であるが、彼女にとっては最早体の一部が切れて飛ぶのは日常茶飯事となってしまっている。事実としてそんなことに慣れたくも無かっただろうが、この非常事態で真っ先に「犠牲になる」切り込み隊長を務めることで、全員の生存率が確実に跳ね上がっているのは明確な事実であった。

 

「今のうちに早く繋げなさい。ふんっ」

「グリーフシードも大盤振る舞い。もう逆に普通の魔女倒せない気がする」

「その時はその時よ」

「ひっど」

 

 ほむらが一度時を止め、さやかの体に触れてから二回目の時間停止を使う。

 止まった時間の中でしっかりと体を繋ぎ直し、手に持った大剣(クレイモア)を握り直したさやかはオッケーと目配せして、ほむらの手を振り払いながら彼女が投げておいた未爆発状態のグレネードに足を向ける。

 同じく時間停止状態となったさやかをその場に残し、ほむらはキュゥべえを抱きかかえて施設のダクトや狭い場所がなるべくない隅へと移動、そのまま片手にプラズマカッターを備えると同時に時間停止を解除した。

 

 けたたましい爆音と強烈な閃光がネクロモーフの動きを止め、固まった木偶人形共を少しだけジャンプしたさやかが正しく伐採する。水平に薙ぎ払われた大剣はそのリーチと剣圧が許す限りを切り裂き、両手を切り離してネクロモーフ共の疑似生命活動を停止させた。

 敵はそれで大方薙ぎ払ったようにも見えたがMarkerが余裕を以って見計らって命令でも下したのだろうか、天井の薄い鉄板を破壊して振ってくる二振りの爪と強酸性を帯びたゲロが振ってくる。人外の身体能力を以って迫りくる二つの脅威に対して、さやかと言えば余裕を持った対応を見せた。

 

「キュゥべえお願い!」

 

 伸びてきた爪の出所を切り裂いて殺戮の限りを尽くし、そして飛んできたゲロはキュゥべえのキネシスで一時的に空中に留まった後、また元の場所へと速度割増しで戻された。超高速の運動エネルギーを得た粘着質の酸液は元吐いたネクロモーフの体にぶち当たると、その体をバラバラにして殺害せしめた。高い所から海面に叩きつけられたのと逆の原理が働いたと言えば分かりやすいだろうか。

 

 そうしている間に、さやかが第二撃を放って棒立ちしていた手無しネクロモーフの足を切断。四肢を完全に失った不定形な化け物共は正義の鉄槌を喰らい、その場に斃れた。

 ほむらの方も着実にプラズマカッターで四肢を切断し、トドメの逞しい「ストンピング」を繰り出して、返り血に頬を濡らしながらさやかに向き直る。あの喉だった場所から発せられるおぞましい奇声も聞こえてこない事を察するに、もうこの場所にネクロモーフの群れは居なくなっているらしい。

 

「あぁぁ~~~~しんどっ!」

「キリが無いわね。いくらグリーフシードがあっても、これじゃこっちの精神が持たない。とりあえず貴女もすぐに全快させておきなさい」

「はぁ、何かコイツらが消滅するのも早くなってきてるし」

 

 そう言ったさやかが見るのは、たった今倒したばかりのネクロモーフ群。ほむらの方には赤子型のLurkerが行っていたのか、ごろりと転がるそれらの骸はシュウシュウと音を立てて既に消滅しかけていた。

 通常なら、この結界で造りだされた完全量産型のネクロモーフは殺されてからグリーフシード化するまでに数分を要していた筈である。それがこんなにもすぐに分解されるのは、一体Markerはどんな心変わりをしたと言うのだろうか。

 

「……倒したことでエネルギーが中心部へ流れ込んでいると思ったけど、そうでも無さそうだ。このグリーフシードにネクロモーフとして活動可能なエネルギーが全て収まっている。だからと言って母性で維持エネルギーに変換される前に孵化した報告もないし、謎は深まるばかりのようだね」

「やっぱキュゥべえ、アンタ最高の清涼剤だわ。無理やりにでも心落ち着くって言うか」

「そうかい?」

「別に許せないってのはそのままだけどさ、せめて今のあんたはそのままでいてよね。都合の良い事やってきてたんだから少しは我儘聞いてもらいたいっての」

「言われずとも僕は変わらないと思うよ。あえて数値にはしないけど可能性は限りなく低い」

 

 ネクロモーフ群を倒して、必ず行われるキュゥべえとの会話。ソレを見ていたほむらは顎に手を当てて、ふむと一言。

 

「……何気に、貴方たち仲が良いのね」

「何かもう、愛着わいちゃったって言うのー? まぁそんな感じ」

「流石にそこまで割り切れないわ」

「それが此処のあたしと今のあんたってトコでしょ。あたし自身そんなにコイツに因縁は無いしさ。結局は個人の感情って奴だね」

 

 まどか元気にしてるかなー、とこの場には居ない元の主役を思い出すさやか。いくら切り刻まれようと、それすら当然と思って来ている感性は人間のソレから大きく逸脱しながらも戦力には大きく貢献できている。

 剣を地面に突き刺してふぅと一息つき、またそれを引き抜いて背中に担ぐ。ほむらも次の敵を想定して早々にプラズマカッターの弾薬を補給し、空になったエネルギーボックスがカラカラと音を立てて地面に転がった。

 

 窓の外には変わらず宇宙が広がっている。

 ここが本当にネクロモーフ……いや、Markerの作りだした空間なのか、はたまたMarkerが空間ごと場所を移したどこか地球外の場所なのかは分からない。ただ言えることは、正粒的な邪悪なる変化を齎すMarkerはその反面機械的な処置によって完成し、そのためには少なからず時間が必要であると言う事だった。

 

 

 

 

 それから約十数分後。

 耳をつんざくような奇声は聞こえないが、彼女らが歩く通路の向こう側に二体ほどの気配が近づいて来ていた。警戒態勢に入ったさやかとほむらに対し、キュゥべえは彼らの正体を知っていたのか平然と待ちかまえ、攻撃しない方が良いと諭す。

 その言葉で気付いた二人が武器を下ろした瞬間、通路の向こうには見覚えのある赤銅色の装甲を着こんだ大男と、対照的に華やかしい格好に身を包んだ少女が現れる。

 

「マミさん!」

「よかった、やっと合流出来たわね」

「……キネシス? そこにいるのは、もしやキュゥべえか」

「姿が見えないってこう言う時に不便だね。本来ならアイザックほどの因果を持つ者は見えていてもおかしくは無い筈だけど」

「推論は後よキュゥべえ。それでアイザック、これは扉の開閉に使えるかしら?」

 

 キュゥべえが浮かせているエネルギーポットを見せた所、アイザックからは間違いないと本職のお墨付きを頂いた。それとは別に、何故自分達のテクノロジーと同一のものがこの結界内で扱われているのかと言う疑問が彼の中に浮かび上がってきたが、生憎とそれを議論している暇もない。

 

「何にせよ、これであのHiveMindの手が出てこない限りは急がない必要もない。すぐにでもあの部屋を開きに行くぞ」

「分かったわ。後衛は任せて、美樹さんはアイザックさんの護衛を。それから暁美さんは隊の真ん中で幾らかの指示といざという時の保険ね」

「はいっ、マミさんの仰せの通りにってね」

 

 さやかの気安い返事に場の何人かは苦笑を零すばかり。それを知った上で、あれまとふざけたように笑みを浮かべる。

 キュゥべえがアイザックの肩に飛び乗り、約一名が不可視の重さに苛まれながらも「あっさりと」合流に成功した一行はアイザックの見つけた動力無しの扉へと向かう事となった。機械的な鉄の壁に囲まれた場所で、一般的なヤツから赤子、ゲロ吐きとノーマルなネクロモーフの襲撃を切り開きながらその道を進む。

 ただ、その数は合流するまでと違って圧倒的に少なかった。一体何が原因かも分からないが、とにかく進みやすいのは彼らの心にとって余裕を生んでしまう。その数の少なさが、一体何を表しているかも気付かないままに。

 

 

 

 その頃、結界の外。

 見滝原市はネクロモーフ結界が発生している場所が上空から見た時、まるで虫食いのようにビルの姿が消えている有様であったのだが、その中で結界に入らず槍を振るう一人の少女の姿があった。

 

「あー、もううっとおしいね! なんだって結界から溢れてやがんだコイツら!!」

 

 名を、佐倉杏子。この度ネクロモーフとワルプルギスの夜討伐戦に参入した新入り扱いの人物でありながら、その実力は長年のベテランを務めているというかなりの猛者である。

 彼女の武器は穂先のある多節棍でありおよそ20~30センチほどある巨大な穂先はネクロモーフと言う数を相手取るにも大立ち回りが可能な柔軟性を備えている。元の戦闘スタイルがまるで踊る様に長々と伸びる武器を振りまわす型であるため、個人戦ならば迂闊に近寄れない範囲型、複数戦なら自分の周囲が全て微塵切りになる結界型ともなり得る、一見すれば最強のバトルスタイルを確立していた。

 

 事実、彼女が戦っているネクロモーフ共は人より少し優れた程度の身体能力の持ち主、しかも人外の瞬発力は獲物が超近距離であった場合にしか報われない、反知性的な化け物らしい憐れなものだ。

 杏子を殺すべき獲物であると分かっているからこそ、下手に近づき脅威に気付かず粉々にされる。まるで砕石機の流れ作業をするかのような光景ではあったが、一見有意な筈の杏子には焦りと疲労の色が見え始めている。

 

 それもその筈、現在彼女が結界から溢れだしているらしいネクロモーフとの戦いを繰り広げてから既に数十分。勝手に足元へ転がってくるグリーフシードは武器の勢いで巻き上げて消費できるが、彼女の精神だけはそうもいかない。

 

 あたりを見回せばネクロモーフの群れ、群れ、群れ、群れ、群れ!

 何百、いや何千体と溢れかえっているネクロモーフの大群はまるでアリの行軍のようだ。たった一つの獲物に対し、近くできる範囲の巣にいる全ての兵隊がたった一つの獲物に群がって行く。無論数で勝っているからという人間特有の油断もない。

 単に波、打ち寄せて引いて、またそれ以上の質量が当たり前のように押し寄せてくる。だがここで引いたが最後、杏子の済んでいた町は全て破壊され、そして当然のようにこの町を起点に全ての人類は滅び去るだろう。

 

 杏子にとって人間はそこまで守る対象では無かったが、人類となれば話は別だ。つまりそれは、自分の死であり思い出の場所すら訳の分からぬ輩に明け渡すことと同義。自分の幸せだった頃や、自分が狂わせてしまった家族への贖罪を届ける場所――あの教会も、下手をすればこの質量の前に蹂躙される。

 それに加えて、今回ばかりは命の尊厳すらも破壊される。自分が死ねば、恐らくはあの薄汚い亡者のような姿と同じにされてしまうのだ。先ほどから飛び回っては此方に接触してくるエイのようなネクロモーフ、Infecterがソレを行う化け物だとアイザックから聞いている。胡散臭い大男だったが、真実を聞かされて嘘だと思う彼女では無い。

 

「クソッ……ジリ貧かよ」

 

 槍を振りまわしながらに言う。技としてマミに命名された「ロッソ・ファンタズマ」という幻術もあるのだが、それは意志のある相手にしか適応されずネクロモーフの様な自我すら無い化け物相手には意味が無い。せめて普通の魔女の使い魔らしくド低能でも意志さえあれば誤魔化し相討ちさせることは出来たが、キュゥべえの話ではネクロモーフとは遠隔コントロールされた機械歩兵だ。自分の武器以外まったく意味が無い。

 

 そんな時だった。彼女にとっては大きな転機が訪れることになる。

 

「ッ……なんだ、地響き!?」

 

 足元のコンクリートへ大きな罅が入ったと思うと、次の瞬間には地面が揺れてある場所からは巨大な光芒が立ち昇った。神々しさとはまるで反対の禍々しく吐き気のするような気持ちの悪さは、杏子の精神をひっかきまわす様な暴君のソレ。

 発せられた波動の元は少しずつ光を形へ還元して行ったかと思うと、それらは一本一本が不定形でグロテスクな触手として存在を顕現させて行った。それが活動している間、数千のネクロモーフは身体活動を停止してひれ伏すかのように地面へ転がっている。

 しっかりと地面を踏みしめながらも、その手に元の長さへ戻した武器を構えて杏子は呟く。ぽつんと、余りの驚愕に心のうちから零れた言葉を。

 

「なんだ……ありゃ……」

 

 巨大。そんじょそこらのビルなど大きく上回る。

 幅の広さは学校の敷地並みで、縦の大きさは見滝原最大の建物を完全に抜いている。そんな余りにも巨大な敵は、それだけで戦意が失われていくと言うのに……杏子の絶望を更に深める要素がふんだんに盛り込まれていた。

 それは肉質。あまりにもぶよぶよとした肉塊は、多少の攻撃など何ひとつとして効きそうにない。加えてその増え続ける質量と、黄色くネバネバした何かを守る穴のような場所にはどろりとした幾つもの触手が揺らめいていた。いくら早く動いたとして、あれが壁となって襲いかかれば空中に出ざるを得ない自分はすぐさま潰されてしまうだろう。文字通り、グチャグチャの肉塊への仲間入りだ。

 

 アイツらは一体何をしている?

 それが杏子の本音であった。同時に、この事態が自分の想像を越えた何かであるとしか認識できていない。未知とは恐怖であり、圧倒的な未知数は絶望である。巨大な肉塊が見滝原を埋め尽くさんと異界からせり出してくると同時、現実にいる人間達の心は追い出されるかのように締め出されようとしていた。




大体このネクロモーフ章を5000~7000字で書いてきましたが、あと数話で最終章へ行けそうです。
それではまた。


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case30 Hot

「なんとも不気味な行軍だったな」

 

 彼の目には見えていないキュゥべえからバッテリーを受け取り、いざ動力源として挿し込まんと控えたアイザックの発言であった。

 これまで、途中取り逃していたり、無視して突っ切った事で置いてきたネクロモーフ以外、彼らの行く手を新たに阻む敵は湧いていなかった。あんまりにもすんなりと、アイザックの歩調に合わせたそれなりの時間を此処に来るまで消費していたのだがそれすらも安全な道を開けてくれていた。

 不気味、と称すには申し分ない。楽で良いと表面上は楽観視できたとしても、その心のうちに皆が抱く感情は疑惑という同一のものであった。

 

「どちらにせよ急いでくれると嬉しいかな」

「…キュゥべえが急げ、ですって」

「それもそうだな」

「君たちにとっては今さらだろうけど、僕らの研究成果から注意事項を言わせて貰うよ。アイザックは知っているだろうから君たちにも改めて話しておかなければならない」

 

 キュゥべえの注意事項とやらに、魔法少女は耳を傾ける。一人は盾から魔法でコーティングしたレコーダーを取りだし、後の人間側へ伝える準備を整えた。

 

「Markerの周りではネクロモーフ共は活動を停止する。だけど、その力場の特性を利用して一時の安寧を得る場所を広めることはつまり、The Moonを呼ぶ発信をも強めることになる。ネクロモーフの活動と幻覚症状さえ無ければ有用な技術の発展を促すと科学者は目がくらむかもしれないが、単なる破滅を呼ぶことを忘れないでおいてほしい」

「良く分かんないけど、早くぶっ壊せってことで良いんでしょ?」

「おおむねそのような意味で受け取ってくれて構わないよ」

「……何を話してる? まあいい、行こうか」

 

 アイザックがキネシスモジュールでバッテリーを浮かせ、方向を定めて穴に押し込んだ。そして、最後にひと押しすることで供給箇所を接触させる。すぐさま電力を受け取ったドアのロック部分は解除され、赤いランプは青緑の正常を表す色へ変わった。

 

 続いてほむらが中心の開閉スイッチに振れる。扉の中心にある金具が滑らかに滑りながら円を描いて腕組みを開き、上下にその身を分かれさせた。圧縮していた空気が押し出され、白い蒸気となって排気口から排出される。

 

 たった一つの狭い入り口を通りぬけた彼らが目にしたものとは―――あまりにも想定内過ぎる光景だった。

 

「大きい……」

「これがBlack Markerか」

 

 黒いオリジナルと赤いコピー。それ以外に、Markerが持つ違いはまったく無い。大げさに表現して見せた黒色も、キュゥべえ達インキュベーターは通常のMarkerとは違いなんて何処にもない事を知っていた。

 

 だが、そうならば何故彼らを急がせたのか?

 

 その疑問は此処に建設されていたMarkerの「大きさ」にある。

 単純な問題だ。出力を大きくするために、その建造物事態も大きくしてしまえば底力を上げることはできる。小型化に躍起になるのが技術進歩の宿命だとするならば、逆にその小型化に成功した技術を持つ者が大型の物を作るとすれば、小型化したものを数多く詰め込んだ精密で無駄のない機械となる。そしてまたソレ事態の小型化を図り……と言った繰り返しになるだろう。

 早い話が、巨大なMarkerほど脅威になりやすい。それが今回、偶然にも「黒色」であっただけで、インキュベーターにとっては赤色でも破壊を優先させていただろう。

 黒と赤の違い、それはこうして魔女というシステムを取りこんだネクロモーフ共にどのような意味があるのかは分からないが、想像するだけ時間の無駄なのかもしれない。大事な意味を持っているのかもしれない。どちらが真実かは、その事実に直面しない限り彼らは知ることができないだろう。

 

 

 

 

 しばらくはその数十メートルはあろうかと言うMarkerにぼおっとしていた一同だったが、このMarker、捻じれた双角の交わる点が普通の完成間近のものとは違ってまだ半ばほどまでしか建造されていなかった。その周囲を回って赤いレーザーを当てながらMarkerを作りだす外殻の装置は今も絶えず動き続けており、ゆっくりとだが一秒に1センチほどの速度でこの危険なオベリスクを作ろうとしている。

 

「何か、一気に機械的だけど……これが普通のMarkerの作り方なの?」

「そうだね。表面から読み取った技術を用いて、表面からまったく同じ形を作り上げていく。大小の差だけで、発信する波長の大きさが左右する技術の中身すら未解明な建造物。それがこのMarkerというものだ。さやか、とにかくこの周囲を回っている二つの作業機械を壊してくれないかな?」

「わ、分かった。ほむらは火力不足だし……一気に壊すなら、マミさん。少し手伝ってくれませんか?」

「ええ。いつでもいいわ」

 

 さやかは背中に回していた剣を手に取り、マミは帽子から手品のように身の丈を越える大砲を取りだした。剣に魔力を纏わせ、砲に魔力が込められる。

 さやかが走り、マミはその手に持ったトリガーへ手を掛けた。

 

「よし、とりあえず一気にぶっ壊すよ!」

 

 思いっきり振りかぶったさやかの剣が接触、マミの魔力砲弾が弾着。

 円運動をしていた二つの機械は自らの進行方向から向かってきた攻撃の威力に押し負け、その身をひしゃげさせながら身を二つに両断、そして爆散。さやかが切りぬけた先で剣についたコードを振り払ったところで残骸から火花と炎が上がり、黒い煙をもくもくと掲げながら己が役目を果たせない事をアピールした。

 

 施設には電力の急な断絶のせいか電灯が点滅し、しかし次には元の静けさを取り戻す。

 直後、計器が異常を察知して警報を鳴らすが働くべき人間はいないし、此処の騒音を嗅ぎつけてネクロモーフが来たとしても未完成とはいえ此処はMarkerの力場。ただ人間の施設を模しただけなのか、オブジェクトの存在理由の分からなさは魔女結界特有のそれであった。

 もっとも、魔女結界の経験が少ないアイザックとさやかは首をかしげるばかりである。この様な現象に場慣れしているほむらとマミは、いち早く次の行動を起こした。

 

「それじゃあ次はこれに触れて、いつも通り精神世界に入れば良いだけね?」

「そうだね、これで万が一にもネクロモーフは出てこないし僕は幻覚作用のある世界からは性質上弾かれるけど人一人を正気に戻す位はできるから、どれだけ時間を掛けようとも必ず破壊してくれれば現実結界内での安全は保障するよ」

「魔法少女にはグリーフシードの処分も出来なければ、こうした事態でフォローも出来ない。……つくづく、あなた達の手を借りなければならない存在の様ね、私たちは」

「Markerに乗っ取られるようなものとはいえ、仮にも僕たちが造ったシステムだ。まして一度観測した事象がどのような干渉を起こしたとしても難無く制御可能な形に修正を加えるのは、新たな技術を生み出したものとして当然の義務さ」

 

 こともなげに言ったキュゥべえは早く完全な破壊をするように促した。この後に出てくるHive Mindの脅威は忘れているわけではないが、どちらにしてもすぐ解決した方が良い問題であることには変わりない。

 その言葉に渋々頷く者数名を含め、全員が黒いMarkerの面にせーのの掛け声で一成に振れた。その直後、目が捕えた映像から直接脳の中へ入り込んで行く様な、精神が神経を通って内なる世界へと引き込まれる感触が全員を襲う。

 キュゥべえは立ちつくしたまま動かなくなった全員を見据え、事の結末を委細記録するように、その不動なる紅玉の瞳を向けるのであった。

 

 

 

 Markerの精神世界。赤黒い大地が浮かぶ、目に見えないエネルギーの奔流が絶えず流れるその地は、赤色のMarkerとは違って気持ち世界の色が黒く、暗く見える。しかし違いと言えばその程度であり、やはりキュゥべえの言うとおりMarkerとしての役割は色に全く違いが無いと言う事を無意識のうちに全員が理解する。

 それと同時、バシュンっ! と上記の様な物が地面から噴き出して幻影の双角を作りだし、この浮島に突き刺さる6のMarker片が姿を現した。赤黒く聳え立つ、欠片と言うにはあまりにも大きすぎるMarkerの形になり切れていない欠片達。

 

 それらを壊せばこのくだらない茶番も終わる。そうして魔法少女たちが武器を構えようとして―――その全ての手は空を切った。

 

「……え?」

 

 一番焦っていたのはほむらだった。その手に持ったフォースガンと、腰に掛けていたプラズマカッターはそのままあるとして、あるべき魔法少女の衣装は無く、自身が纏うのは何の魔法的効果もない見滝原中学校の制服。

 あたりを見回せば、全ての魔法少女が固有の武装を無くし、「変身前に持っていた」ものだけが彼女らの手にあった。残る魔法少女のうち、目立つ持ち物と言えばマミにはポケットの中の化粧道具、さやかは全員が持っている小さな無線機のみ。

 唯一武装をしているのはいつもの強化スーツに身を包んだアイザックだけ。しかし彼も工具を見てみれば、刻まれていた魔法コーティングの抽象的なデザインは消えており、無骨な作業工具らしさしか残っていない。

 

 これまでのMarkerへ突入した時には見られない現象だった。

 唐突にあるべき力を無くし、元の力無き少女へと戻されてしまう。手持無沙汰に、普段の魂と肉体が「乖離」したが故に強化されていた体が生身に戻ったことで、長らくこの魔法少女として過ごしていた面々は体を重く感じて肩を落とす。

 それよりも落ち込んでいるのは、さやかである。一番意気込んで、なおかつ固有魔法としての超速再生能力をなまじ頼りにしていた蛮勇な戦い方だったばかりに、いざ剣と魔法が無くなると途端に自分は無力になってしまう。心のうちに秘めた熱き思いは変わらずとも、その不利さはかえって熱を冷却してしまう要因となってしまった。

 

「……どうしよう」

 

 思わず零れた言葉は普段から歯に衣着せぬ彼女らしくも、普段より弱気な紛れもない本音に他ならない。

 自分の胸中にあるのは、この中の面子で武装が無ければ恐らく「一番足を引っ張る要因」だと自己認識していた事。剣を主体とするさやかにとって、ほむらが持っている様な銃器の扱いなど知らない。ゲームや漫画では無茶な体勢で命中させるバトル展開があるが、それは空想の中だけだ。ましてや銃器でさえない巨大な反動を持つアイザックの工具をもし借りたとしても、この華奢な体では支えきれない。

 

 そんなさやかの不安をよそに、しばらく視線を泳がせて動揺していたほむらは一度頭を振ってフォースガンをマミに手渡した。いくらまだ中学生の体とはいえ、マミは幼少期から契約し、戦い続けてきた「肉体」を持っている。つまり戦闘に耐えうる体付きは、多少の反動があっても似たような武器なこともあって使えると判断したからだろう。

 

「こ、これってアイザックさんが使い魔一掃してたものよね?」

「ええ。魔法のコーティングが無ければ一般人でも撃てることは撃てるらしいわ」

 

 そんな無理やり呑気にしたような会話が聞こえてくる。

 手持無沙汰になったさやかに、これまでのネクロモーフ狩りのパートナーを務めていたと言っても過言ではないアイザックは何を渡すか迷っていたが、最終的にRIGの収納空間から取り出したメディカルパックと弾薬を幾らか手渡した。

 これはどう言うつもりか、視線で問いかけた彼女にアイザックは、

 

「彼女らのサポートを頼む。私のように救ってやって……そんな、嘘だろ」

 

 答えながらに、戦闘態勢を整えた彼は、思いがけないものを目にした。今まで彼女たちを怖がらせないようにするために「取り繕っていた口調」を崩して。

 巨大なMarkerの守護神は雑魚のネクロモーフモドキを量産しようとは思わなかったらしい。変わりに現れたのは、今までグロテスクで見るに堪えない見た目をしていたものとは大違いのものだった。

 

 全体的な白色は清潔感を連想させる。

 血肉にまみれた赤黒いネクロモーフとは違う神々しさを併せ持った純白の衣服。

 しっかり縛られた(ひらひらとした)服の裾(スカート)張り(長く)、全てを包み込むように大きな瞳は()()を見抜いている。

 金色(桃色)の髪を精神世界の奔流になびかせながら、ふわりと笑顔を浮かべて彼女は透き通るような声を発した。

 

アイザック(ほむらちゃん)……来てくれた()()?」

「Nicole!? お前が何故ここに、またMarkerの幻覚とでも言うのか…!」

「嘘、そんな……まどか、何で」

 

 その場から一歩を後ずさったのは、ここまでの道のりを計画した世界の異邦人である二人。一人は時間を越えて繰り返した少女、一人は地獄を越えて時に呑まれた男。

 その二人の後ろに立っている二人の少女は、目の前の二人が呼んだ名前が違っている事に驚き、そして「ただの光と双角の幻影」に対して自分達の知る人間の呼称を使っている事に驚いていた。

 

 そこで迅速な判断を取ったのは、珍しくマミだった。いや、もしかしたら恐らく最後であろうことから虚栄を張ったに過ぎないのかもしれないが、それでも客観的に見て最も正しい選択をしたのは彼女。手に持ったフォースガンを以前にアイザックの使った様子を思い浮かべながらリロードし、トリガー一つでその衝撃波を発する事ができるように構えた。

 

「マミさん!」

「ちょっと待って美樹さん! アイザックさん……これ、届くの?」

「それよりもNicole、君は」

「まどか、ねぇあなたはあの時死んだあの」

 

 また術中に掛かっている事はアイザック自身も良く理解していた。そして目の前の最愛の恋人「だった」存在が、Markerの作りだした幻影であることも。

 だが、彼の心は何度も何度も目の前で悲惨な衝撃を味わったことで少しずつはがれかけていた。普段のアイザック・クラークという人物に抱ける強く、冷静で判断もまた一人前のそれではない。本当のアイザックは単に仕事をよしとして、母親を奪ったユニトロジーを憎み、ただ言われるがままに動き―――最愛の恋人、Nicoleとただ静かに添い遂げたかっただけだった。

 だから目の前の偽物に縋る様に呟くしか無かったのだろう。

 

 狂気に呑まれそうなほむらは彼女の死に顔が、同じ顔の筈なのに一人一人が必ず違っていた、その中でも自分が殺したまどかが目の前であの顔をしているのだと悟った。

 何度も繰り返すうちに、自分を押し殺して約束の為だけに奔走した。次があるさと撒き戻した時間は、もしかしたら本当に死んだ命をもまき戻していたのかもしれない。でも、きっと自分だけが時間を遡っているだけで世界はそのまま残されているのだと分かっていた。

 取り返しのない時間を、今をも生きる彼女は尋ねずには居られなかった。

 

「君は―――」

「あなたは」

 

 今は、確かにこの最悪の遺物Markerを破壊しなければならないと言う「使命感」に駆られているかもしれない。だが例え偽物でも、心の底からこれはMarkerの罠だと理解していたとしても、彼にとってはNicoleとは最後の(よすが)だった。

 でも幻影だとしたら、それでも聞いておかなければならない事がある。

 

 驚異的なネクロモーフと言うのは、放ってはおけない。それはまどかが日常的に死の恐怖に巻き込まれることを意味しているからだ。だから、アイザックの提案を受け入れてネクロモーフの殲滅を受け入れた。他の人間を守ったのも、結局はその人間が怪物になるかもしれなかったからという打算でしか無い。

 だから、どうしても救えなかった彼女が目の間にいるのなら聞かなければならない。

 

「幻影、なんだろうな」

「誘導、なんでしょうね」

「ええ。そうよ、あなたと一つになるための姿。さぁ、一緒になりましょう。なりましょう、なろうよ、なりましょう、なろうよ。我々は生まれ変わらねばならない。お前たちは一つにならなければならない(You will all be made one)……」

 

 ヘルメットを収納し、顔を出したアイザックの目はその「偽物」が歪んで行く光景を見た。重なって見えたのは、ほむらが見ていたのだろう神々しい鹿目まどかの姿。ノイズのようにバラバラと統一性も無く、輪郭すらハッキリしない金色と桃色の短い(長い)髪、日本人らしい(らしくない)高低のない(彫りの深い)儚げな顔が同じ口を動かした。

 

ねぇ(So)―――ひとつになろうよ(Make us whole)!!」

「Ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!」

「うぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 偽物が口を開いて、二人の精神は決壊した。

 

「Fuck you! ! Get the fuck out of me!!」

 

 口よりも手が動くとはこのことか。無心に殺気を叩きつけてプラズマカッターを乱射する二人がMarkerの化身として現れたのだろう「親しい人」に向かって血を吐きだす勢いで暴言とプラズマを叩きつけた。殴りかかりたい衝動は工具の反動が肩代わりをする。

 呆気にとられていたマミは二人の剣幕に呑まれながらも、攻撃を受けたMarkerがコアらしき黄色く発光する光の塊のような何かを露出させた騒音で我に返り、その手に持っていたフォースガンを持って走った。走る先は、Markerではなく我を忘れた二人の周囲に集まる黒い影。なんとなく、かつて戦いながらも今は戦う力を失った彼女は本能的に「危険」を察知していたのかもしれない。あの幻影の本体に触れてはならないと。

 

「美樹さん、こっち!」

「マミさんうしろ!!」

 

 弾薬はさやかが込めて、マミがリロードをして吹き飛ばす。一撃で有機組織がボロボロに崩れ去るヤワで餓鬼のような姿をしたネクロモーフは粉々になって視界も安定しないほどに吹き荒れるMarkerのエネルギーの奔流に消えていく。必死に地へ足を突き刺すようにして立ちながら、二人で体を抑えて二人の主役の排斥役を請け負ったさやかとマミが二人かがりでフォースガンを放って行く。

 

 ただただ、強い何かもわからない感情の渦に巻き込まれながらも叫ぶ二人は両手で押さえてプラズマを放ち、弾薬が尽きかければ手荒くマガジンを取り変えてただただ激しいフラッシュを焚き続けた。

 この薄暗い世界の中、サブリミナルで映し出される憤怒と悲哀に染まった男と少女は泣きそうな声を喉が枯れるまで叫び続けて、その偽物の姿を使った相手へ光波を投げ込んで行く。ほんの少しだけでも、死した者を使った卑怯者に引かれかけた事を深く後悔し、その死人の姿を使った非情なる相手に激怒しながら工具の駆動音は鳴りやむ事が無い。

 対物の工具らしい低い炸裂音が鳴り響く世界では、何かNicoleと二週目のまどかの姿を借りた幻影(Marker)が何かを言っていたようだが、二人に聞こえるのは自分自身を責める声と銃声しか無い。相手が自身の破滅が近付いているとして焦った声すらも、彼らの耳は拾う事すら無かった。

 二人はついぞ気付けなかったが、アイザックたちの後方にいた者たちはRIGの光が赤くなったことと、腕のソウルジェムが黒に近い紫色になっているのをしっかりと見ている。つまり、二人は文字通り心も体も限界に近かった。

 

 そんな時に、終わりは唐突に訪れる。黄色くもオレンジにも見える光の塊が破裂し、光という偽善の中に隠し通してきた本性が闇の奔流となって光の内側から染みだした。破裂した光の球を起点に、無限にも近しいエネルギーを持つとされるMarkerの精神体だったものはドス黒い生物の欲望を満たそうとするだけの心の内を撒き散らしながら四方八方へと霧散して行く。

 

 全てが終わり、脳の神経から視神経を通り、再び視界が眼底に映しだされたものだけを拾うようになった時、アイザックはRIGから弱々しい警告音が発せられているのを聞きながらその場に座り込んだ。

 何かを救おうと動いた結果、むざむざ自分の誘惑の弱さを再確認して、精神をボロボロに傷つけただけ。使命感は冷め、数えるのも億劫な幾度目にもなるか、死者で弄ばれた彼の心だけがガラガラと崩壊の前兆を響かせ始める。収納していたヘルメットを再び装着し、カシャカシャとリズムよく取り付けられていくその音に幾ばくかの現実逃避を混ぜた彼は、もう何も聞きたくないのだとでも言うように頭を抱え込んだ。

 

「……また、私は、彼女を殺した」

「暁美さん!」

 

 同時、魔女化する寸前までソウルジェムを濁らせ切ったほむらがその場に倒れ伏す。普通の魔法少女ならその場で魔女を生んでもおかしくは無いソウルジェムだったが、最後の最後、紫の中に含まれる赤の、ほんの少しの抵抗が混ざった桃色の光が最後の堤防を作ってほむらを「人間」でいさせていた。

 もっとも、それはすぐさま魔法少女としての力を取り戻したさやかが人外の速度で早急にグリーフシードで濁りを吸い取ってしまったために見えなくなってしまったのだが。

 

 そうして、Markerを流れていたエネルギーの流れも全てが収まったのだろう。結界の中で維持されていた近未来的な風景は解体され、電気はつかなくなって非常用の蛍光塗料が明るくも頼りない緑の光で彼女らを照らしだした。

 全く動こうとしないアイザックと、もう動く気力もないほむら。キュゥべえすら何も喋らない沈黙と言う世界の中で、マミの足元がほんの少し、揺れた。

 

 初期微動の次には主要動が動き、すぐさまこの施設の崩壊を伝えてくる。もう警告を発する電気すら無くなった蛍光の中で緩やかな崩壊を目にした彼女達は、「普通の魔女結界」のようにバラバラに砕けていくネクロモーフ結界を脳裏に焼き付けることとなる。

 まるでガラスのように宇宙や世界に罅が入り、偽物として構築されていた魔力の結界が本当の世界に耐えきれず溶けていく。なまじ未来技術を結集していた建物は、崩壊する合金の欠片を落ちてくる月光に輝かせ、光を乱反射させながら空へ昇って消えていく。

 

 グロテスクなネクロモーフとは対照的な、幻想的で煌びやかな光景。

 二人が崩壊の儚げな美しさに魅入りっているが、それに何の興味も示さないかのように黙りこくる鎧と化したアイザックと糸が切れた操り人形のようなほむらは、再び意識を取り戻していながらにして何のコメントも残さない。

 偽物だとは言え、大切な人の姿を撃ったのだ。撃てて、しまった。これは記憶として忘れることができても、きっと心の中で必ず心臓をわしづかみにしてくるであろう。Nicoleの写真を、今を生きるまどかを見る度に、彼らの中で。

 

 何もかもが終わった。

 それを裏付けるかのように宵闇が静寂を告げ、判決の終わりを表す木槌を鳴らす。

 どんっと落ちてきたそれは、朱印のように赤かった。

 

「……佐倉、さん?」

「なにやってんのアンタ、その傷は」

 

 地面が揺れた。

 まだ終わってなんかいなかった。

 

 宵闇は静寂なんかじゃない。そう、先ほどまで月光が照らしていた筈なのに、時間も経っていない筈がいつの間にか宵闇になっていた。それは光から隠す何かがそこにあったからだろう?

 巨大なそれが、複数の触手(Tentacles)を振り上げる。

 振り下ろされようとするそれに、動かない二人と違って魔法少女の力を取り戻した二人が迎撃の姿を取り、マミの砲撃による巨大な一撃が瞬時に準備を終えて発射を控える。最後の一撃と銘打たれながらも、最初に打たれることもあるソレは「敵にとっての最後」に他ならない。

 ただ、この時ばかりはマミにとっての最後となってしまったのかもしれない。

 

「ガァ、ッハ……?」

 

 真紅に染まった二振りの鎌が彼女の体を貫いていたのだ。

 ただのネクロモーフが持つそれよりも長く、鋭く、強靭な鎌が、その背後に不死身の名を冠する最悪の怪物の体を控えさえ醜い眼光を光らせる。何もかもを等しく終わらせる怪物の魔の手は、救われるべき悲劇の黄色き蒲公英の命を無造作に貪り喰らう。




1の最後はお約束



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case31 Nightmare



―――操り人形の糸が切れた時、紐をなくした人形は少女の手に渡る


 口から大量の血液を迸らせながら、白い衣装は真っ赤に穢されていく。背中の肉を押しのけ、胸元を突き破って飛び出た二つの鎌の持ち主は、突き刺した一対の爪を左右に引き裂こうと力を入れた瞬間、逆にその鎌の持ち主は鎌に繋がる腕を両断させられた。

 腐ったような、黒い血液とおぞましい咆哮を撒き散らすソイツに蹴りを入れた蒼き少女、美樹さやかはさっさと剣を捨て、まだネクロモーフの爪が突き刺さったままのマミを引っ掴む。もう片方の手にはアイザックとほむら、そして杏子を器用にひっさげながら、間上から迫るHiveMindの触手よりも太い肉塊が振り下ろされる前に射程外へ全力疾走。タッチの差で四人を前に押しやり逃げ切れた―――

 ように見えたが、彼女は苦痛に悶える声を無理やり噛み締めて抑えていた。

 

「が、ぁぁぁあぁあああっ!? くっそ、範囲広過ぎだ…バカヤロー!」

 

 タッチの差で逃げ切れた四人と違い、触手のような丸い物体が地面に着くとき横へひしゃげるように、その余剰部分で押し潰された両足が激痛を訴えてきたが、さやかは自分の中にある人間性が失われることを覚悟し、無理やりにまた痛覚を切ってグリーフシードを押しあてながら超速再生を開始。10倍速の巻き戻しを見ているように彼女の足が骨から繊維、筋肉、皮膚と再生され、ものの数秒で彼女は全員をその両手に抱えながらビルを三角飛びで駆けあがる。

 

 荒い息を隠そうともせず、みっともなく吐き出しながら四人がとあるビルの屋上へと転がった。のっそりと立ち上がり、また絶望を感じているかのように頭へ手をやろうとしたアイザックは酷く疲れて見えたが、そんなものは関係ないとばかりに彼女はまず、酷い怪我を負ったマミへとグリーフシードを片手に詰め寄った。

 

「マミさん、しっかりして下さい!! あんたが正義の魔法少女として最後にこの戦いで勝たせてくれるって言ったんじゃないですか! こんな所であのクソみたいな細胞に負けてる場合ですかッ、この馬鹿先輩!」

 

 あえて彼女の苦痛を無視してネクロモーフの爪を引き抜き、噴水のように血が飛び出る直前にグリーフシードを髪飾りになったソウルジェムへ押しあてる。さやかと違って自己兆速回復はできないが、マミは目の奥に僅かな意識の光を取り戻して歯を食いしばった。

 胸元のリボンに魔法を使って穴の空いた場所をきつく塞がせ、内側から乗っ取ろうとしてくる変異細胞――ネクロモーフ細胞の浸食を意志の力と魔法少女の根性である程度の回復魔法で乗り切ろうとする。だが―――

 

「うえっ……傷口から何か出て来てるじゃん!?」

「は、はぁっ……あっ、んぅ…! が、はぁッ!」

 

 ネクロモーフ達に見れた、変異しきってガンのように茶色く染まった細胞の形。まるで筋繊維だけが絡みついたかのような醜悪なデザインの小さな触手が、マミの細胞を乗っ取りながらそのまま彼女を喰らい尽くそうと死を与えてくる。

 即死で無かったのが幸いだったのか、それともこうなるのだったら潰れていた方がまだマシじゃなかったのか。それでも命を救ってくれたさやかへの恩と先輩としてのプライドだけで心の防波堤を作ったマミは、ふと視界の端に揺れる黄金のリングをつけた白獣の姿を捉えていた。

 

 白獣、キュゥべえは何やら「不可思議な模様が貼り付けられたリング」に取りつけたキネシスの機能を使ってマミへその食指を伸ばすと、あろうことか彼女の穴が開いた肉体を更にネクロモーフの患部ごと無理やり抉り取った。ひっついた肉塊に寄生しそれだけでもネクロモーフ細胞に変えようとしている醜悪な肉の塊を、ほむらが気絶硬直で握っていたプラズマカッターをそのまま使って照準してさやかが消し済みにする。

 炭化したマミの体の一部だったものを吐き捨てるように見届けたさやかが再びマミへと視線を戻した時には、先ほどよりリボンを赤く湿らせたマミが痛覚を切った状態で大丈夫、と微笑みかけていた。しかしそれは、死に瀕する儚いものだと連想させるかのようなもの。

 思わずその痛々しさに目をそむけようとしてしまったさやかは、しかし再びその視線をマミへ戻した。

 

「危なかったねマミ。後は回復魔法に多少の負荷を掛けながらブーストすると良い。今この場で君が戦闘不能になればアレを排除することは難しいだろうからね」

「大丈夫……それでキュゥべえ、このまま戦ってあとどれだけ持つかしら?」

「もって十分。それ以上は魔法少女の体でも数年のリハビリ生活さ。ましてネクロモーフ細胞が残っていないとも限らない。君の体はこの瞬間、ある意味で貴重なサンプルとなった」

「そう、なら生き残って、貴方の星にでもお邪魔して治してもらおうかしら」

「打診しておくよ。さやか、今まで使ったグリーフシードが孵化する前に」

「……そう言えば結構危ないのもあったっけ。ほら、18個」

「このペースだと普段のノルマ4年分はもう集まったね、マミにはその4年分の休暇でも与えてやると良い、復帰には最低でもそれだけは掛かるだろうからね……さぁ、本題に入ろうか」

 

 キュゥべえの感情が見えない瞳で合っても、その言葉が何を意味しているかぐらいすぐに理解できた。痛みが無いとはいえ、マミは心臓が無いと言う違和感のある患部を抑えながらキュゥべえに向き直った。

 

「できればアイザックのステイシスが欲しかった所だけど、こんな状態だしプランDに変更するよ。マミが負傷した際、さやかが足になってマミの攻撃補助に回ってくれ」

「分かった。それでキュゥべえ、あれって…何なのさ?」

「あれは恐らくMarkerが活動を停止した際に原住民族を掃討し、自分自身を肉団子の様にしてThe Moonの訪れを待つ餌型ネクロモーフHiveMindだね。結界内の大量のネクロモーフや、今も街に溢れているネクロモーフを取り込んでアレだけ巨大化したんだろう。アレがいる間は通常のネクロモーフは行動できないから、町中のネクロモーフを食い尽くすまで待ってから、攻撃すると言う手段が後処理もなくて手っ取り早い―――無論、その難易度は量を相手するのとあまり変わらないけども」

「あんなものすぐに倒すわ。後処理は私達と自衛隊の方に任せるから」

「じゃあまずは、あの触手から破壊して行こう。さっきの結界に出てきたのと同じで黄色い部分を破壊すれば根元から信号を発たれた触手は取り込むのに時間が掛かるからね、逆に行動阻害の役割を果たす筈だ。その状態で、HiveMindの口のような部分で光る弱点を潰せばいい。ある程度の衝撃を与えることで飛び出てくるから、そこを狙ってくれ」

「衝撃って……でも脚が私で、マミさんは一発ずつでやっとじゃん」

「だから、この二人が起きるまでは僕が担当するよ」

「それって―――危ない!」

 

 即興の作戦会議も終わりかけた所に、さやか達の居る方向に一本のビル並みの大きさがある触手が上から降りかかってきた。さやかがこのままでは距離があり過ぎて逃げ切れないと絶望しかける一方、キュゥべえが再びその耳毛? についた黄金のリングのキネシスを発動させた。

 見えない動の力が働いて、触手は勢いを無理やり収めたかと思うと遥か彼方にある根元から引っこ抜かれて、HiveMindの巨大な身体の方へと投げ返された。凄いじゃないかとさやかがキュゥべえを見直そうと振り返ったその時、既にキュゥべえがいた場所には彼だった肉塊が広がっている。

 あまりにも強力なキネシス。「スーパーキネシス」とでも形容すべきか? しかしその代償は、体をむしばむ負荷が小動物の様な入れ物の命を浪費させるほどのものだったようだ。数秒後に暗がりから転送されてきたキュゥべえの新しい体が生成され、素っ頓狂な表情の彼女たちを見上げた。

 

「やれやれ……このように間髪いれず襲ってくる触手には対応できない、気をつけて。さやか、マミ」

「でも、それだとあなたの体が」

「ノルマ超過達成分の報酬にストックは増えている。ほんの10分程度なら前でも減った所で問題は無いよ。各所には僕達の仲間も呼んである」

「…多分、インキュベーターがここまで協力してくれることは無いと思うんだ。マミさん、今だからこそコイツに全部任せてみよう。これも“契約”の内に入ってるなら必ずやり遂げてくれると思う。さぁ、乗って!」

 

 マントを消失させ、代わりにマミを両手でなくても固定できるような鞍へと変えたさやかがマミに背中を差し出した。確かに今、何かに迷っている暇は無いのかもしれない。それでもキュゥべえには少なくとも多大な苦労を掛けてしまう事に、数年来の付き合いだったマミは迷いを見せてしまう。

 ただ、ただ……本当に、時間は無い。このままの浸食速度なら街の外までHiveMindの肉体が広がるのは十数分という短い未来の出来事。痛む体を絶えず治し続けながら、マミもまた覚悟を決めてさやかの背に乗っかった。

 マントだった布がマミの足を固定し、さやかの肩に体を預けられる台を作る。そちらに体重を預けた途端、自動で動く砲台(さやか)はビルから跳んでいった。

 キュゥべえから見えなくなったビルの下側から、景気づけの初発とでも言わんばかりの黄金の極光が街を一瞬照らす。ビリビリと伝わる砲撃音にその入れ物の体を震わせながら、決して感情の色が見えない紅玉の瞳はちらりと意気消沈する技士の方へと向いていた。

 

「アイザック、正しく君はMarker killerだ。感情に溺れやすく、絡まった因果の量は僕達と契約できてもおかしくは無い……もしかしたら、この世界のまどかにも匹敵しているかもしれない。だというのに、君が僕の姿を見えず、認識できない理由は何か分かるかな?」

 

 沈黙を保つアイザック。

 当然だった、アイザックには此処にキュゥべえが残っている事すら認識できない。キュゥべえ達、インキュベーターという存在だけは……恐らく金輪際認識できないだろう。

 

「それは、僕たちが宇宙の一種族であると同時に非科学的な理論から成る存在だからだ。僕たちは宇宙の寿命をただ増やす為に造られたシステム。開発にいたる歴史は存在しても、感情を持たない生物が繁栄したのも霊的存在だったから。……そう、この世界に造りだされた僕たちは、異世界人である君にはどうあっても観測はできない。もっとも、実在はするから重さなどへの接触は可能だけども」

 

 HiveMindの本体へ、派手な黄色の光と追随するただの弾丸のような小さい攻撃が浴びせかけられていった。最初の一撃で体勢を崩した所に、固く閉ざしていた口蓋の弱点が露出。さやかが触手の一本を逆に道にして接近し、マミは移動しながら正確に弱点を破壊させる。

 街の外まで揺るがす巨大な咆哮が響き渡る。苦痛に満ちた化け物の怒りを表すように触手は唸りを上げ、本体の肉塊から再生成されていった。

 

「恐らく、君は異界からやってきた最後のネクロモーフ……あのHiveMindか、現在この地球に存在するネクロモーフが消えれば世界に送り返されるだろう。例えThe Moonが嗅ぎつけたとしても、それは此方の世界のものだ。君が追ってきた、いや付随してきたHunterというネクロモーフ細胞の実験体は既にあのHiveMindに潰された際に取り込まれたからね」

 

 グジュグジュと黄色い体液を纏いながら、肉塊から生えてきた新たな触手に、それに比べれば小さな小さな白銀の刃が風を切りながら投擲される。

 それは帰って来ないブーメランであるが、その意志と共に塗り固められた強固で鋭い剣はさやかの持つポテンシャルで投げられたことで結合の弱い触手の黄色い部分を破裂させながら突き進む。

 HiveMindが何とか触手で食い止めた瞬間、注意を引きつけた剣とは反対側からマミの砲撃が降り注ぎ、再び巨大な化け物の口蓋は開け放たれていた。

 

「さぁ暁美ほむら、そろそろ君も動くべきだと思うよ」

「……変に聡い、だからインキュベーターは嫌いなのよ」

「君という人物をプロファイリングするのは簡単だったさ。その結果、君はまどかと同一の姿形をした程度のモノを破壊しても心が壊れている筈がないと結論を下せた」

「ええ、そしてあの結界に入っていた時から時間に対しての危惧はしていたけども」

「ワルプルギスの夜が訪れるのは今日だってことだね」

「ええ、Markerの破壊で終わるならと思っていたけど、まさか前兆も無いのにアレが一緒に出てくるなんて思ってもみなかったわ」

 

 立ち上がったほむらの目には感情らしき色は見えない。

 ただ冷たく、倒れ伏して気絶している杏子を見下しながら同じく置物のように動かないアイザックへ視線を向ける。

 

「ここまで引っ張って来れたのは奇跡に近いわ。全員の協力を取りつけて、最も厄介だったインキュベーターの動きが此方側に回ってきた。アイザックの登場で懸念していた美樹さやかの暴走は免れ、例え魔法少女の仮面がある間に限られても鋼鉄の精神を持った戦士となり続けられる。巴マミは砲撃によるソウルジェムの汚濁の心配が無く、佐倉杏子は後少しもすれば目を覚まして全力で戦える……」

「ここまで、全て計算だったと言うのかい?」

「いいえ、確かに彼らに絆されたことはあるわ。アイザックにも恩義を感じている。そしてこれまで私が見殺しにしてきたまどか達の想いを背負っている以上、この世界において誰もかれもを駒として見ることはできないわ」

「駒、随分な言い回しだね。君がどれほどの世界を渡ってきたかはまったく想像がつかないけども、ただ一つ言える事がある。―――君は感情に流されやすい性質のようであり、それでいて一度決めたことはやり遂げようとしてしまう。その時の心情に関わらず」

「あなたと此処まで話したことは無かったけど、心についての研究は随分はかどっているようだね」

「理解はできなくとも利用はできるさ。さやかが僕達の立場から攻めたようにね」

「本当……美樹さやかには感謝するべきかしら」

 

 ほむらは踵を返す。

 カシャッと響いたプラズマカッターのリロード音はやけに小気味の良い音を出した。

 

「アイザックには感謝しているわ。これほど強力な武器を渡してくれた。火力の足りない私でも、魔力コーティング一つで巴マミの全力を越える様な威力を発揮する事ができる」

「コンタクト・ビーム。形態型の小惑星破砕に用いられる工具だったね」

「ええ、出力次第ではあの大きさの化け物にも通用するのはアイザックの体験談で実証済み」

 

 盾から取り出したソレを、再び撃てるようにしてから仕舞い直す。

 他にもフォースガンはワルプルギスの使い魔を散らすには有効な戦闘手段と足り得るし、ワルプルギスだってほとんど無敵であっても視界や聴覚と言った感覚は魔女と同じだ。

 ただ巨大で、力が強い。シンプルだが強力なポテンシャルが壁となる以上、それさえ抜いてしまえば魔女特有の能力と言うものはワルプルギスには無い。

 

「ありがとうアイザック。でも、あなたから結果的に全てを貰う結果になったことには謝るわ。この言葉も届いていないでしょうけど、個人的にはここまで事を進める事が出来て本当に良かった。だから―――安全なところで全てが終わるまで待っていて」

 

 ほむらの姿は一瞬だけぶれた。

 まるで幻影の様なソレは一瞬画面の止まった動画が再開したようだったが、一つ違うのはアイザックの体がその場から消えていた事。そして、ほむらの額から顎へと一粒の汗が流れていた事。

 

「キュゥべえ、グリーフシード6つよ」

「やれやれ、数は多いと言っても限られている。その方が効率的だと思うけどね」

「乗りなさい。彼女達のサポートはあなたの同類がやってくれるんでしょう?」

「元々気付いていて、それを待っていた僕も随分と可笑しな思考をする様になった。今回の戦いが終われば、フォーマットを受けに行くとするよ」

「多少愛嬌が残っていた方が都合がいいわ」

「まったく、訳が分からないよ」

 

 言いながら、キュゥべえは耳毛のリングを光らせた。

 また此方へと飛んできた巨大なものは、今度はHiveMindの触手では無い。不可思議な力で浮かされていた高層ビルの一つ。それを元の持ち主に投げ返すも、事もなげに影の様な夜空の様な空間の帯で弾かれる。

 そしてスーパーキネシスの反動によってキュゥべえの肉体がまた一つ砕け、暗がりから新たな肉体へ宿ったキュゥべえがほむらの肩へと飛び乗った。

 

「まるで二大怪獣決戦ね。マスコット付きなんて、私は大きな蛾になるのかしら」

「日本の特撮映像作品かな? なるほど、人間は比喩表現が豊富で不可思議だね」

「少しくらい調子に乗らないとやってられないの。そろそろ黙らないと、舌をかむわよ」

 

 タンッ、と踏み出した彼女が向かうのは、見滝原の港付近にある大橋方面。開発途中地で暴れまわるHiveMindはワルプルギスの夜にとってどんな扱いになるのだろうか? そんな実もない事を考えながら、ほむらは決死の思いを胸に風を頬に感じる。

 彼女が目を向けた先では、魔女結界程度では抑えきれない空間の歪みが渦巻いていた。

 

 策謀の繰り広げられた場で、ようやく回復を遂げた紅槍の少女が目を覚ます。

 無言で展開した槍に込められていたのはどのような想いだったのだろうか? それを知る術を知らないまま、全ての魔法少女は戦いの場へと赴いた。

 

 

 

 

「……アイザックさん? どうして、ここに」

 

 最後の波乱を、決戦地の隣で引き起こしながら。

 




どうしよう、思い描いていたエンディングと124度離れてきた。
ラストを目前にバイオ6のシモンズみたいにダラダラと続けるつもりは無いけど、一気に書くのもアレなきがする。

心理描写がおざなりになってたから補足と回収兼ねてからラストを飾ります。
波乱は引き起こすに限る。


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case32 Diver

OpenOffice 使いにくい


 見滝原住人の避難所はほんの一分にも満たないうちに騒然とした。

 目の前に現れた近代的な鎧の人物。こんな非常事態で、ネクロモーフという恐怖の根源でもあるような化け物が徘徊する様な時勢になっている時に、突如として自分達の「未知の存在」である彼が現れてしまったのでは異質なものをよりいっそう警戒するに決まっている。

 ざわざわとこの場が懐疑的な感情一色に染まりきる前に、それからずっと離れようとしないとある少女が、彼が現れたと同時に自分の手に収まっていたメッセージを読んで、それをポケットに入れながら男の肩をゆすった。

 

「アイザックさん、大丈夫ですか?」

「……何故こんな目にあわなければならない。何をしたというんだ」

 

 まどかはかろうじて耳にした彼の弱々しい言葉に、ほむらに「彼を任せる」というメッセージを残された意味を悟った。いったいどのような事があればアレほどに頼もしかった人間が心を打ちのめされてしまったのかは分からないが、彼をこの安全な場所でどうにか元に戻してやってほしい、というほむらの気持ちよく理解していたと思う。

 肩を貸して持ち上げようとしたそのとき、報を聞きつけたのか恭介と仁美が並んで走ってきた。この未曾有の被害を食い止めるための立役者として顔が知られていた二人を見つけた人々は、つまりいきなり出てきたこの鎧の何かは非常に重要なことだと感づいたらしい。

 

「まどかさん、お手伝いしますわ」

「志筑さんは左手持ってくれ。僕が体重支えるから」

 

 たかが子供二人を通すために、しかし人々はモーゼの奇跡を髣髴とさせるように道を明け渡した。女子中学生一人の腕力では到底持ち上げられないアイザック+スーツの重さを三人で支え、まだブツブツと何やらを呟いている彼を一般人の集まっている場所から遠ざけさせるのだった。

 

 避難所となっている場所は町の住人全員が退避できるほどの大きさであると同時に、何人かの個室としての機能を果たせる部屋、VIP席にも近しいもの、その他の生活機能を持った増設地などが設置されている。これもひとえに恭介ら財閥家の人間が動いた結果であって、来ると確実に分かっている大災害(ワルプルギス)に対する備えは万全であったがゆえの成功点とも言えよう。

 そのうちの個室としての機能を果たせる部屋に、子供三人がかりで運ぶにも苦を要したアイザックの成人男性らしいしっかりした体が降ろされる。何かにとらわれたかのようにブツブツと呟く彼は、どう見ても正気ではないと三人は判断を下した。

 

「彼はいったいどうしてしまったのか分かるかな?」

「ほむらちゃんからのメッセージは、その、アイザックさんを任せるって」

「任せるって、それだけかい?」

「うん」

 

 この正気を無くした人間の扱いなんて心得ているわけが無い。生憎と大人たちを頼ろうにも、突如としてネクロモーフをも飲み込んだ有機質の物体が壁を地面を伝って侵食してきているとの法があってからは、有権者や医師としての役割を果たせるような人たちは負傷者の手当てなどに駆り出されてしまっている。

 だから今この場でアクションを起こせるのは事情を知る自分達しかない。家族に対してはまどか、恭介、仁美三名ともにこの件に対して首を突っ込むことを許されているが、こういった精神的なことばかりは付き合いのある人物、つまり自分達ではないとならないのでは? そうした子供心な考えが三人の頭には浮かんでいた。

 とは言えども、どうすべきかという疑問こそあれどそこに至る方程式すら思いつかない状況下。アイザックが呪われた人形のように同じ言葉をブツブツと繰り返す気味の悪い空気を打ち破ったのは、すっと耳の辺りまで挙手を示した志筑仁美という少女だった。

 

「ひとつ、よろしいでしょうか? まずアイザックさんを何とかする以前に、アイザックさんが此処に来た理由がどうかお聞きしたいのですが」

「理由…確かにそうかもしれない。アイザックさんが持っている工具は魔法少女(かのじょ)達が使ったほうが協力だけども、アイザックさん自身がそこにいたほうが戦う意味がある。でも」

「えぇっと……ほむらちゃんが此処に送ったって事は、つまりアイザックさんの役割も終わったって言うこと、かな?」

 

 いいながら、ふっと喉から出てきた自分の言葉にまどかは驚いた。

 自分は、トロくさいはずだった自分はこんなにも何か突拍子も無いことに気づけただろうか、と。

 

「でも、自衛隊の人たちが焼いてるあの肉塊は魔女、じゃ無いんだよね?」

(わたくし)も又聞きでしかありませんが、あれはネクロモーフのほうが明るいかと思われますわ。さやかさんと連絡を取っていたときは吐き気を催すほど聞かされましたもの。しかしそうなるとアイザックさんがネクロモーフ関連で弾き出されるのは少々おかしな気も―――」

「ようやく見つけたよ。一般人から魔力の名残をなぞるのも中々に手こずってしまったね」

「っ!? あなた、キュゥ……べえ?」

 

 推論を並べ立てる中、突如として白い獣が姿を現した。

 真っ先に声を上げたまどかが声を張り上げたが次第に小さくなっていくのには、ちょっとした理由があった。なにもそんなに大げさにすることでもないが、あくまでインキュベーターという個体の中でキュゥベえしか見てこなかったまどかには、少し馴染みが無いという程度の驚愕だったのだ。

 

「あれ、なんか…違う」

「これは僕の劣化複製品さ。搭載された人格もすぐさま破棄される程度のものだから手短に彼について話そう。それから仁美、恭介、君達にも()()()()()()()()だろうから、よく覚えてほしいんだ」

「……あなたが、キュゥべえさんですのね」

「まどか以外、大した因果も持たない君達に視認できる肉体を作るのは本来是とすべきことじゃないんだけどね。契約は契約だ、履行するためにこちらから条件を整えてあげたよ」

 

 契約、というのは個人的なつながりを法律以上に深める行為を指すが、その内容次第では上下関係というのもはっきり存在する。今回さやかが持ちかけたのは彼女自身理解しつつも「インキュベーターに助けてもらう」という旨を形にしたものであるからか、この複製型キュゥべえの言葉は節々が上から目線にも聞こえた。

 もちろん、さやかが土壇場で交わしたインキュベーターとの取引や契約内容はまどか達にも伝わっている。一時的なものもあって恒久的な搾取関係を築かなかっただけ次第点ではあるが、大人たちに無計画さを怒られたさやかが一晩中起こられ続けたという裏話もあったりする。詳細は省かせていただくが。

 

「―――と言ったところだね。恐らくアイザックに刻まれたMarkerの呪いは消えることは無いだろう。もしかしたら、ここまで因果が絡みついた彼ならば僕たちを視認できる可能性もあるだろう」

「話は分かったさ。でもひとつ聞かせてくれ」

 

 そんな状態のキュゥべえからアイザックの現状に関して説明を受けた後に、恭介から意見が飛び出した。

 

「君達インキュベーターとしては、これから僕達にどう動いてもらいたいんだ?」

「この地球を破棄せず使い続けるために手を貸すという契約を履行する上での前提になるけど、やはり見込まれるのはアイザックの復活かな。Marker Killerとしての権限を持った彼がいることで、現在猛威を振るうHivemindの脅威を退けるのも容易くなるだろう。そうすればワルプルギスの夜に単身立ち向かっているほむらにもさやか達が向かえるし、余裕ができるはずだからね」

「それじゃあ、アイザックさんがこのような状態になっている原因そのものに関して話してくださいませんか?」

「手短に答えよう。恐らくアイザックは先の結界内部でMarkerに精神的な焼印を押されているはずだ。ほむらは魔法少女として魂が物質化されていたから免れたけども、アイザックは魂にそれを刻まれている。その呪縛さえ解けば、前進はするだろうね」

「キュゥべえ、立ち直るとしたらどれくらいの……」

「アイザックがこのままの精神状態なら、印を消したところで30%以下さ」

「……ねぇキュゥべえ、もし私が契約したら」

「ひとつ言っておこうまどか」

 

 意を決した、そんな雰囲気が見て取れるまどかの意気込みを正面から叩き潰すかのように感情無き声が降りかかる。はめ込まれたビー玉のように無機質で美しいその瞳からは、呑み込まれそうな威圧感が発せられていた。

 

「僕達インキュベーターは今後の決定として、鹿目まどかとは一切の契約を持ち掛けないということを協議で決定した」

 

 もしほむらがこの場にいれば、自分のもっとも厄介だった目標を終わらせることができたのだと狂喜乱舞しながら、それを何度もキュゥべえに確認しただろう。それほどまでの、衝撃だった。

 

「君が契約した際に生じる願いが何であれ、君の魂に縛り付けられた因果の量は測定値を大きく超えている。時間遡行者であるほむらがどれほど繰り返してきたのかは分からないけど、君と契約したとしても僕達インキュベーターは契約直後の魔法少女まどかの魔女化を止められず、そして魔女となった君の行動による宇宙全域の破滅を避けることはできない」

「…破滅? どうしてまどかさんが、そんな事に?」

「大きな魔法少女の才能を持った者は、絶大な力を持つ魔女を生む。あのワルプルギスの夜だってそうだ。せいぜいがスーパーセルと同程度の被害しかもたらさないワルプルギスに比べて、まどかの魔女は一秒とかからず僕らの母星がある宇宙まで破滅を送るだろう。つまり、ソレほどまでに君という存在は危ういのさ」

「じゃあ、もし契約したら」

「言ったとおりだよ。君の持つ因果がエネルギーとなってまどか自身を押し潰し、魔女という破滅を生む。そこに君の意思が介在する余地は無い。君は、放り込まれた砂の一粒が太陽で燃やし尽くされるまでの間に止めに入ることができるかい?」

 

 一瞬、という問題ではない。もちろん不可能だ。

 だから、「まどかの願い事を使う」という全魔法少女が持つはずの権利は今この瞬間からまどかの手から零れ落ちた。願いは叶えられるだろうが、その直後に宇宙全土を巻き込む終わりが来るのならばどのような願いであっても意味は無い。

 ある意味で、食事という目的すらないただの破壊であるまどかの魔女は、The Moonよりも恐ろしい。

 

「でもまぁ、僕の話はちゃんと最後まで聞いたほうがいいよ。君たちに聞かれたからには答えるしかないけど、そんな時間ももう無いはずだろう?」

 

 まず最初にキュゥべえの話を遮って質問をした恭介がまずその通りだと口を結ぶ。

 残る二人もまた、キュゥべえの提案に耳を傾け始めた。

 

「前置きが長くなったようだけど、君たち三人にはこれからアイザックの精神世界へ入って、Markerが精神へ齎す影響を弱めてもらいたいんだ。それから、彼が持っているいくつかの武器を携帯していったほうがいいね。もう時間も無いから、入るか入らないかはすぐ決めてくれ」

「そんなの、迷いなんてしないよ。ほむらちゃんがアイザックさんを任せるって言ったんだから、わたしはアイザックさんを助けたい」

「僕もさやかには負けていられないし、それに男なんだ。覚悟くらいは決めてるさ……志筑さんは?」

「わたくしは、遠慮させていただきますわ。恐らく皆さんの足を引っ張ることになるでしょうし、わたくしにもやることを見つけましたの。ですので行ってらっしゃいませ、御二人とも」

 

 やるべきことというのが気になったが、仁美の判断に異を唱える気もなかった。

 二人がアイザックの両隣に座り、キュゥべえの指示を待つ体制になる。

 

 そしてキュゥべえも時間が無いという言葉通り、その借り物の体はぎこちない動きになっていた。油を差していないのに無理やり動かしているような、そんな不自然な形。恐らく劣化した体とコピーしただけの人格では、劣化キュゥべえ自身も限界が近いようだ。

 

「当然ながら、君たちも精神をMarkerに曝す事になる。それだけは気をつけてくれ」

「分かってるよ、そんなこと。じゃあお願い」

「僕達は精神世界でどうすればいいのかな?」

「行けば分かるさ。武器を持つのは、恭介だけでいいんだね」

「ああ」

「それじゃあ、送るよ」

 

 キュゥべえのキネシスを搭載していたリングが怪しく光り始め、その光を見つめていた二人はガクンッと首を落として意識を失った。傍から見れば異常としか思えないような光景であっても、こうなる事をあらかた予想できていた仁美は冷静にその様子を見守り、精神世界に旅立った二人への激励を心の中で送る。

 そして力を使って崩れかけたキュゥべえへと向き直り、仁美は人生最大の緊張のあまりごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「大方の予想はできているよ、仁美。後で僕の同族をこっちに送るから待っていてくれ」

「分かりましたわ」

 

 そう言って、劣化模造品のキュゥべえだったものはドロドロと内側から溶けて行った。

 一般人の目にも見える個体だったからだろう、証拠隠滅も兼ねて白い水溜りになっていたキュゥべえの遺体は、常温でそのまま気化して跡形も無く消え去った。

 ただただ、呪詛のようにアイザックが後悔と負に塗れた自傷の言葉を呟く不穏な空気の中、仁美はただただ、自分のすべき役割について、心の中で両親への謝罪を送っているのであった。




学校関連のゴタゴタと、ほかの小説もいくつか執筆進めてて遅れました。
真っ先に出来上がったのはやはりこれでしたけども。

予想していたよりも長くなりそうです。スッキリ終れる展開まで持っていくのが中々つらい。


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case033 Mind out

遅れて申し訳ありません。
新生活が忙しすぎて全く書く時間が取れていません。

遅筆ながらも、完結はさせるつもりです。


「これで私たちインキュベーターは見滝原の魔法少女に懐疑の目を向けられるわけか。あの子もこれからの面倒が引き起こすような事をしでかしてくれたものね。こちらとしては回収量も普通の子より少ないし、旨みの少ない話だったわ」

 

 この町に来た、キュゥベえとは別の個体のインキュベーターが、その変わることのない蒼玉の瞳で光を反射する。女性的な口調で話すこの個体は、インキュベーターとはまた違った人の精神を揺らす手法を持っているのだろうか。

 

 そんな彼女にとってキュゥべえ経由で任された志筑仁美の頼みごととは、本来なら契約にするに足りえない、無視すべき依頼であったともいえよう。

 だが現在の魔女システムを取り込んだネクロモーフ大量発生によるグリーフシードの量産、そして回収量はこれまで地球が経験してきた戦争の時代より、ずっと多くのエネルギーを回収することができている。本来ならば戦時で起こる悲劇から生まれた因果と契約のエネルギー総量は相当なものであるが、現在はその量をたったの1週間かそこらで回収できているという異常さだ。戦場を上回る何かしらの発展など、それがどれほどの厄介ごとであるかを如実に表している。

 無論、その分にまわすインキュベーター技術のエネルギーや宇宙の寿命の延びは類を見ないほどに上がっている。他の惑星の総量と合わせても、目覚しい伸びを見せている現状は多少のリスクはあれど最高潮とも言えるだろう。

 

 だが、インキュベーターはこのネクロモーフ事変を早々に決着をつけるつもりであった。そのためならば、どれだけ因果の量が少ない人間であっても契約させ、戦力に加えるつもりでもあった。

 たかが地球というひとつの「飼い殺しにしている惑星(植民地)」ごときに、何故こうまで熱を上げるのか? そんなもの、答えは諸君であらばとっくのとうに気づいているはず。そう、The Moonがインキュベーターという存在に気付く可能性があるからだ。

 あの意思を持った、暴食の星命(せいめい)が。

 

 

 

 

 場所は変わってアイザックの精神世界内。

 キュゥべえ達が持つ、魂をもマテリアルに変える技術力では、人の精神に直接介入するなど容易いことであるというのか。まどかと恭介、彼らはまるで見滝原の魔法少女がMarkerの幻想世界に取り込まれたときのごとく、精神世界に着の身着のまま突入することができていた。中でも、唯一武器を持った恭介、細身で病み上がりの頼りない彼の手では、無骨さを主張するアイザックのプラズマカッターが赤いドロドロとした光を反射させている。

 そんな精神世界の中は、アイザックの心のうちへと進入した彼らにとってはまさに地獄のようであった、といえるのかもしれない。

 

 男の怨嗟の声が耳を打つ。すると、助けてほしいと狂ったように叫ぶ女の声が響き渡る。直後に肉が割かれ、血が飛び散っては滴る音。怪物の咆哮は耳どころか心を直接ゆさっぶった。むわっと広がる生臭い臓器の匂いと共に、怪物の腐臭が漂う世界は吐き気を助長させる醜悪さを増していく。

 

 世界は肉塊(有機体)鉄材(無機物)が混ざり合った、半分は均衡が取れて半分は混沌を呈す惨状。アイザックの精神を探索する彼らが進む道は、一歩踏みしめれば鉄材に見える部分から肉袋を踏みつけたようなおぞましい感覚が足の裏から襲い来る。

 気の狂いそうなほどに赤々しく、頭がおかしくなりそうなほど断続的なフラッシュが焚かれている先の光景は、ただの少年少女でしかない彼らにとって正気を失いそうになりそうな程。世にまかり通り得ない超常的な凄惨を凝縮された異界。

 胃の奥から込み上げる酸っぱさと熱さを覚えた彼らが、手を口で覆うことに何の罪があろうか? いや、ありはしない。それが正常な人間としての反応であり、正気を保った善人の行動として当たり前である。

 ただただ、そんな直接的に見ているだけでも狂いそうな光景を精神の中に植えつけられたアイザックこそが、この時において最も哀れであると言うべき者であろう。

 

「恭介くん、どっちに行けばいいのかな…?」

「分からない」

 

 歩く二人は、そんな会話を交わしている。不安げに、されど歩みを止めず。

 彼の背に従うようにして、必死に会話で気を紛らわせようとしたまどかが尋ねるも、そもそも視覚と聴覚から感覚に訴えてくる嫌悪的な光景を紛らわせようとするのは恭介も同じ。ただただ、感情の込められない声で己の無知を口にするしかない。

 それでも前進は止めなかったのは、彼らが己のすべき役割を理解していたからなのだろうか。びちゃびちゃと鉄骨を踏み鳴らし、カツカツと肉床を歩く彼らはどんなに不快な思いを抱こうともただただひたすらに歩き続けた。もうそれしか道が残っていないということは、彼らだって本能で理解していたのだから。

 

 そもそも、不完全な劣化クローンの体を使ってきたキュゥべえに送ってもらったこの精神世界、戻る方法などは聞かされていない。技術的にも、ファンタジーな人外の力を操る術すらも持たないただの人間であるまどかと恭介には、この世界からどう帰還すればいいのかすら想像にもできない。

 単に言われたことを実行するため、まずはその理由から探すことを強いられている。打ったことも無い不慣れな「武器」を持ちながら、上下左右という概念すら存在しない無重力なのに足が地に着く空間を探索することしかできていない。

 不思議な空間、人の精神とはかくも不可思議であり、他人には理解できないということの表れなのだろうか? いや、このように捻じ曲がったのはアイザックという人物の性根が齎したのではない。狂人のように変えてしまったのは、まぎれもないMarkerの仕業であると言える。

 そう考えると、キュゥべえへの質問中にアイザックが一度Markerの作った空間に入ったということで、あえて壊されるために……いや、アイザックの精神へより深い軛を打ち込むためにMarkerはわざと大きく存在を自己主張したのではないかとも考えられる。事実、細心の注意を払いながらも他人の機敏には中々に聡いものを持っているまどかは、そうであるとちょっとした確信のようなものを持ち合わせていた。

 だからといって事態が好転するわけでもないのが現状。これから起こりうるのは、おそらくアイザックの精神世界へと入り込んだMarkerとの戦いであろう。頼りない、それもヴァイオリンくらいしかもったことのない脆弱な男子、恭介一人では心もとないにもほどがある。たとえ、その手に握られているプラズマカッターが数多のネクロモーフを葬り去ってきた実績を持っていたとしても、その選定が必要な英雄の剣を農民が使いこなせるかどうかは話が別だというのと同じ理屈である。

 トリガーを引く、という行為をたとえ遊びの範疇でもしたことのない上条恭介。所謂お坊ちゃんと呼称されるような身分に甘えていた結果が、現場に駆り出された時の弱さを露見させる原因となっている。だが、彼はそこで引くつもりも気兼ねすらも持ち合わせてはいなかった。彼は、ただひたすらに混沌と化した肉塊のこびりつく鉄製の砂の床板をギシギシと軋ませながら歩き続ける。矛盾の先にこそ、アイザックの精神が造りだす本当の姿があるのだと信じているから。

 そしてこの騒動を解決する役割の一つを、自分が担っているのだという責任感から。

 

「……いたよ」

 

 ぽつりと彼がこぼしたその言葉。彼はアイザックのかき乱された世界の中で、ようやく「らしき」物体等を見つける。そう、あくまでもそれらしきもの「等」であった。そういえるのは、アイザックだと思わしき強化スーツの残骸が散らばっているから。そして、そのスーツは一着ではない。すべてにアイザックだった肉塊が入っており、未だ血液らしき液体をまき散らしている中身入りのヘルメットだけが転がっていたりしている。

 これらはすべてアイザックの死体だった。それも、ネクロモーフが原因の他殺や彼の経験した石村での事故死の可能性、それらすべてを肯定し反映した死に化粧。叩きつけられたように胸部から四肢が爆散したものや、損傷を負った後に背後から一突きされたのか、胸から噴水のように赤い液体と肉片を吹きだし続ける右手のない像。首が近くに転がっている、四肢すらも全てもがれた不可解な状態なものもあれば、逆に挟み撃ちにされて潰されたのか原型はスーツでしか判別できないほどにぐちゃぐちゃになったものさえある。

 一体いくつの人型だったものが転がっているのだろうか。恭介は、それらを見るたびに吐き気を催しながら数えていたが、およそ30以上のカウントののちに無駄なことだと思考から消し去った。ネクロモーフの散乱現場を見ていたからこそ、吐き気で収まったのがまだ幸運といえただろう。少なくとも、敵の懐に入り込んでいる状態で油断という感情を見せなかったのだから。

 しかし、まどかは違った。彼女の役割は、恭介よりもかかわりがあり、尚且つアイザックの直接の協力者であるほむらの保護対象であるという接点から、役割を思い出させてアイザックの精神を復帰させること。だからこそ、それだけだった。

 心優しい、と呼ばれるくらいには彼女の人柄は温厚で、少なくとも争いごとに首を突っ込みなれているというわけではない。それどころか、重症の患者すら見たことのない一般人の中の一般人である。通常の少女らしい感性を持つものに、このようなグロテスクな光景を見せたらどうなるか? 結果はお察しの通りである。

 死体の現場にて甲高い悲鳴が響き渡った。それは、息をひそめてここまで来たという事実を破壊するには十分な要素であり、精神世界とはいえ殺されれば自分の精神が破棄されるという事実と同義。

 

 放心。あまりにも無防備な彼女が晒した隙は、命を奪われても全くおかしくはない時間を作る。そう、そしてあまりにもあっけなく、主人公になれたかもしれない彼女の命は脅かされた。死角を把握する知性無き化け物の爪によって。

 

 

 

 同時刻、なおも肥大化を繰り返すHiveMindは人間一人を磨り潰すのに必要十分な質量を兼ね備えた触手を生産する。魔法少女たちがその身を空で躍らせながら切りかかり、脆く体液が凝縮された弱点となりうる部分を抉って撃破するも、魔力の供給が速いのか、町を飲み込み無機物すらも栄養分と変えているのか、心の総体の名を持つ肉の塊は街へネクロモーフを解き放っては自らがそれを飲み込むという矛盾を繰り返し肥大する。

 その外では、対応の仕様がない自衛隊などがとにかく試作量産されたプラズマカッターの原理を応用した武器を乱射するも、いかに怪物専用に出力を上げたその武器があろうと既存を上回る質量は破壊よりも素早く己の大きさを増していく。

 圧倒的な絶望が人間たちを襲う中で、その町の中心部を狂ったように乱舞する。怪物たちと似たような、疲れを常に癒し、欠損をその場で再生させることのできる怪物モドキ。しかし、それでも彼女たちの心の疲労だけは、すぐに癒せるものではなかった。

 

 ここで話は変わるがネクロモーフ、いやMarkerの関連する敵対する怪物たちには共通点が存在することが多い。それは、大型になればなるほど一つだけ変わらないことがある。それは、敵に「弱点」が存在しているということだ。黄色く、膿の集まったように醜悪な肉膨れ。しかしそこには生命……と呼ぶべきかも不明な、とにかく肉体を動かすのに必要なエネルギーを供給するような構造でもしているのだろうか。そういったものがある。

 

 ここで話をもどそう。当然、この魔法少女たちもアイザックに教えられ、そして共に点在したMarker魔女結界を今日に至るまで破壊し続けてきたがゆえに、彼女たちもまたHiveMindの中核と呼ぶべき黄色い6つの目のような弱点を狙っていた。普通の人間とは違い、まるでお伽噺の中の英雄のように空中を跳ね回ることのできる彼女たちは、獲物に違いはあっても普通の人間と違って銃でしかその高い位置にある弱点を狙えない……ということもない。しかし、だからこそだ、その弱点が分かっているから、何よりもひどい心労が重なっていく。

 

 そう、狙えないのだ。手に届きそうなところにあって、すでにいくつかその弱点を破壊している。時には足を囚われて宙づりになったさやかから、未だ負傷の言えないマミが自由落下しながらも弱点を狙い撃ち、すでに半分ほどは破壊に成功している。だが、それまでだ。

 それ以上は、敵の肥大化する速度が勝っていた。

 どれだけその弱点をカバーしようとする触手を倒しても、あまりにも巨大に過ぎる肉塊は破壊したとしてもその巨大さ故に逆に鉄壁の守りを固める一つの壁となってしまう。こうなっては、もはや全体的な面破壊に特化したマミの砲撃は意味をなさない。だからと言って貫通力で言えば杏子の槍が挙げられそうなものだが、そもそも槍一本分のリーチでは人の肉に爪楊枝が刺さるようなもので、貫通するにも届かない。ほむらが託されたコンタクトビームだって、チャージしてもせいぜいが一本を破壊する程度。次のチャージを終えるころにはまた新たな触手(かべ)が生成される。

 つまるところは、終わりの見いだせないイタチゴッコ。

 よって、戦いは更なる混迷を極めていた。

 

「……くそ」

 

 ひときわ、青色の髪を揺らす者が少女らしくもなく舌を弾いた。

 これまでに破壊された身体部分はすでに自分の肉体数十個分にも到達するだろうか。避けきれず、奪い返せず、どうしても腕一本単位で絶えず肉体を損傷する怪我を負ってしまうのは、魔法少女になって日が浅く戦闘経験による身のこなしを覚えきれていないからだろう。

 だが、このネクロモーフもビックリなゾンビ戦法はもうあまり意味をなさない。回復した分、ソウルジェムを侵食する範囲はそれなり以上である。加えて完治していない先輩魔法少女を背負っている分、普段の動く速度を出せないのだからどうしても被弾は多くなってしまう。

 そうしている内に、貯めに貯めたはずのグリーフシードは尽きかけてきていた。返信後のマントに括り付けるように、まるで一時期流行ったジャラジャラのシルバーアクセのようにマントの内側へ縫っていたグリーフシードも残りわずか。背負ったマミの言葉によれば、残るはたったの10個らしい。

 

 贅沢なものだ。普通の魔法少女が、1週間~1ヵ月をグリーフシード1つで乗り切るのに対し、現在は大盤振る舞い。魔女化ネクロモーフが落としたものも、普通の魔女が落としたグリーフシードでも、その回復という名の消費量は変わらない。つまり、自分はそれだけの燃費の低さを誇っているということになる。誇りどころか汚点であり、致命的なのが救いようがない。皮肉、とでも言ってやりたいものだ。

 そして何より、マミもまた砲撃を繰り返すうちに魔力を消費し、その魂の器へ穢れを集めている。前の、結界の中のMarker狩りならばネクロモーフが無限に落としてくれていたけれども、今となってはそのネクロモーフを吸収してしまっているのがこの敵だ。

 

 また一つ、触手を避けて体を回す。ようやく足の治ったマミが離脱し、自分は唯一の武器である白銀の大剣を取り出した。

 

「いままでありがとう! すぐに決めるわ!」

「無理しないでください病み上がりなんですから!」

「玉砕覚悟は―――」

 

 剛、と。図太い触手が振り下ろされる。風の音が先輩の声をかき消した。

 構わずあたしはそれを蹴って、反対方向へ身を繰り出す。何もない中空へとのがれたあたしを愚かとでも思ったのか、あのデカブツは顔をこちらに向けながらいつの間にか無数に増えていたそれらを集中させてきた。

 でもね?

 

「よくやったわ、美樹さやか」

 

 か細く、それでも確実に届いていた。赤黒く、巨大な有機体としか言いようのない触手で包まれ、肉を絞り潰される彼女が一時的に意識を失う直前に聞こえたのはいけ好かないと思っていた転校生の声。

 

「ほら、行きな!」

 

 隠していたのは佐倉杏子。よしとしなくなったはずの幻術はここにきて復活した。

 現れてなお長い黒髪をはためかせ、明かりの落ちた夜の街に溶け込むように彼女は走る。盾から零れ落ちたのは、魔力で強化された「独創的な芸術作品」。それらを敵の窪んだ一部へ放り込み、あっという間に離脱する。岩石雪崩渡りを彷彿とさせる立体的な機動によって敵の体を足場とし、再び夜の空へと溶け込んだ彼女は光り輝く太陽のような光へ一撃を任せた。

 碌な作戦も立てていないのに、まるで流れるようなコンビネーション。青から赤へ、赤は黒を包み、黒は金へと手を変える。最後に任された黄金の徒は、さやかから譲り受けた3つの漆黒に染まったグリーフシードを投げ捨てながら砲の火を灯した。

 曰く、其れは太陽の炉心。

 曰く、其れは我らの心。

 曰く、其れは希望。

 本来ならば扱うことも、拝むこともできそうにはない。究極にて至高の魔力は我々の理解を超え、共に戦う魔法少女の期待を受けながら暴発したのではないかとも錯覚できる暴虐の音にて世界を波打たせた。

 

 ―――ティロ・フィナーレ

 

 まさしくそれは敵の「最期」。

 弱点なんてどうでもいい、そういう結論に達した者たちが送る荘厳さを欠くグランドフィナーレ。質量を持った光という、ありえない表現が似合いそうな極太の炸裂閃光は、眺めるだけで敵の網膜を焼き切った。あまりの威力に、危険さを感じた砲手その人すらも他の魔法少女を率いてその場を逃げ出していく。

 それは、弾着。

 音をかき消す新たな騒音。光を上塗りに鞣す閃光。ドーム状の炸裂は、一瞬のうちにカバーを失った球体の水のようにあふれ出した。灼熱の魔砲にて、キャパシティを超えながらも穢れを癒し続けた矛盾の一撃。ソウルジェムにひびが入りそうな痛みを堪えた砲手はいかなる精神を以て撃ったか。

 しかしその願いは報われた。恐るべき轟音は見滝原を超え、周囲の避難民たちの網膜と鼓膜をも震撼させ、最高潮に上り詰めた花火のように掻き消える。その存在を消し去ったかの光は、敵をも道連れに無の境地へと連れ去ったのである。

 

 道路に残る、知性無き有機体。ビルにへばり付く、制御されぬ肉片。ネクロモーフにすらなれなかった、Markerの操作権限を外れた有機物(ゴミ)を残して、Hivemindはその身を消した。

 




今回地の文だらけだった。
さて、アイザックさんの到着を待たずに倒されたHivemindですが、これはどのような展開になるのか。
まだまだ残したフラグ回収もあるので、頑張りたいものです。


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case34 Trans

一年近く経ってた(喀血


「やっと、倒した……!」

 

 小さく、とても小さなつぶやき。唇からこぼれた音の波を拾ったものはいなかったが、その脅威の撤退に大きな達成感というものがあふれていたのは、その場にいる全員が共通して持つ感情であった。疲労して、へとへとになって、ようやく脅威を退けたことに実感を持つ。段階的に訪れた感情の波に揺り動かされた、未だ齢幼き少女たちは安堵の息を吐き出した。

 だがそれは、まだ「段階的なもの」でしかない。そう覚えていたのは何人だっただろうか。完全に消し去った、ビルにへばりついた有機体もが魔法少女の攻撃で浄化されていく魔女のように消滅する中、ズワンッ。そんな形容しがたい「重さ」が空から降ってくる。

 

 やつの襲来だ。

 

「来るわ! 体制を整えて出現予想ポイントに移動!」

 

 ほむらの掛け声で、我に返った戦うものたちは無言で表情を引き締めた。重症を受けた者もまた、無理な魔力行使で肉体の損傷を癒しながらグリーフシードを使い捨てて付近のインキュベーターがそれをキャッチする。さやかのマントに残るグリーフシードは残り3。他魔法少女が持つ残量も片手で数えられる程度。

 唯一魔力の消費量が少ないほむらは9つのグリーフシードを見てペース配分を計算し直す。だが、これから相手するのは自分がよく知った相手であり宿敵。あの本来戦うはずではなかった敵、HiveMindよりかはマシだろうとは思考を向けながらも、それ以上に油断はすぐさま捨て去った。

 皆が皆、ビルの上や鉄橋の上に立って空間の歪みを見つめ、その手に握った武器を構え直す。最後の気力を振り絞ろうとする少女たちは、すぐさま足を揃えて移動を開始する。各々の武器に血をしたらせる後姿は、くたびれた戦乙女のそれに違いなかった。

 両手で持った大剣を正位置に構え直し、切っ先に魔力をまとわせ両足で地面を踏みしめた。槍を振り回しながら、その柄を長く長く伸ばし続けて長大な獲物が作り上げられていく。既存の銃を廃棄し、アンティークな意匠の大砲が少女の後方に控え号令を待った。

 少女の姿は掻き消え、一瞬の間に収納空間より取り出された過去から持ち越したミサイル兵器群が海岸線に設置される。それら全ては魔力の起爆スイッチ(ほむらの号令)によって今にも火を吹かんと冷たい光沢を怪しげな光に輝かせた。

 この世界に最もふさわしく、異物の介入がない最終決戦がようやく訪れようとしていた。

 

 

 

 切り裂かれ、肉片が舞う。

 恭介が認識したその瞬間、すでに事は成されてしまっていた。

 もうひとつ、何かが舞う。

 それは彼女が認識した瞬間、痛みを生み出した。

 学生服の長袖に包まれた、不恰好な断面をさらしたそれが地に落ちた瞬間、まどかからは声にならない悲鳴が上がる。強烈で、実感のないあまりにも突発的な激痛は、さやかたちのように感覚が離れた魔法少女でなければ精神崩壊を起こしてもおかしくはない。ましてや、ここはアイザックの精神世界。精神そのものに傷をつけられたというのは、神経でバイオリンを引かれるよりも性質が悪い。

 おおよそ、少女らしくない惨めで醜い這いずり回るような悲鳴と嗚咽が漏れた。そして、転がったまどかにもう一度命を絶つ鎌を振りかぶろうとした化け物、ネクロモーフのスラッシャーは、大きく振り上げたがゆえにその命を散らすこととなる。

 

「う、ッァあああああああああああああああ!!」

 

 てんで素人で、両手を伸ばすように持つという銃の常識を知らない者の射撃。それは恭介の間接部へ非常に大きな痛みを与えながら、偶然にもまっすぐと狙いをつけた先へプラズマの刃を飛ばさせた。

 今度は切り飛ばされたネクロモーフの腕が舞い、落ちるとき回転速度がよほどであったか、もうひとつの自分の腕を巻き込みながら切り裂き落下。まどかの腕があった場所にネクロモーフの二の腕が着地し、本体は生命力源となった四肢のうちの二つを失いただの肉塊へと変えられる。

 

「っ、鹿目さん!」

 

 どぅっ、と倒れ付したその化け物に目を配らず、恭介は両腕の痛みを無視してまどかを抱き起こす。血は出ていない、不思議な精神世界だからこそ助かったのか、失血死という可能性はないらしい。

 ただしその痛みは現実のものに勝るとも劣らない。この精神世界はむき出しの自分が他人の夢に入り込んだようなもの。痛み、辛さ、恨み、後悔。感情とともに吐き出される負の感情は鹿目まどかという少女のイメージされる人格よりもより鮮明に、発露してしまうのだろうが、それでも彼女は泣き言だけで抑えこもうと歯を食いしばった。

 それは何よりも強い負の感情。「自責」の念からくるもの。

 

「こ、こんなのっ…さやかちゃんに比べたらっ!」

「そんな、無理を」

「だめだよ、だって……じゃないとッ、わたしは」

 

 伸ばした手は、払いのけられる。そして恭介は、その痛みに呻くか弱い少女であったはずのまどかを見て、目を覗き込んで、思い知らされた。否、哀れだという嘆きを抱かずにはいられなかった。

 決意は固い、固すぎた。こんな、日常的におおよそありえない損傷を負ってなお、前に進もうとする意思は途絶えていなかった。たとえ、痛みの増す異常な精神世界だとしても、その片腕を失った痛みは我々のように軟で安全な暮らしをしている人間では絶対にわからないほどの激痛。表現のしようのない喪失感であるに違いない。恭介は当事者でないからこそ、そうした強さを持つまどかに少し嫉妬を覚える。

 短くなった息を荒げ、こひゅ、こひゅっ、と痙攣する身体を抑えながらまどかは立ち上がった。死体と、ネクロモーフと、アイザックを模した残骸が散らばる中で、彼女は何よりも輝いているのだと、恭介が錯覚させるほどの気高さで。日常のシンボルであったはずのまどかが立ち上がるというのは、すなわちそれほどの異常であるという事を証明するようなものだった。

 そんな時だった。いや、だからこそ、なのかもしれない。

 まどかは、この代わり映えのしない絶えず変わり続ける異形の空間で、先ほどまではまったく感じられなかった「流れ」を感じ取ることが出来るようになっていた。それは、彼女が精神としての死を迎えそうになったことへの報酬か、それともMarkerの誘惑だったのかはわからない。

 しかし、それは―――

 

「恭介、くん。こっちに、道が」

「鹿目さん!? そっちは崖―――!?」

 

 引き留めようとした恭介は、しかし何もない空間に足をつけてよろよろと歩いていくまどかの姿を見て己の正気を疑った。だからと言って、そこにとどまり続けるのは下策だということも分かっている。ああ、もう。そんなどうしようもないつぶやきを零しながら、覚悟を決めた彼は一歩踏み出し、そこに床があるようで無いような奇妙な感触を靴から感じながら見えない道を歩き、まどかの後を追って行く。

 奇妙な感覚は収まるのをやめない。人の精神に入り込むと言うのはこれほどまでに罰を与えなければ許されないとでも言うのだろうか。暗い感情を謳う詩人のように思えてしまうのは、やはり異常事態の中に囚われているからか。

 

 歩いて、歩いて、歩く。まどかは終始無言で、恭介もネクロモーフの襲来を恐れてかわずかな音をも聞き逃さぬよう周囲へ警戒をまき散らす。ほとんど敵意に近いような警戒態勢にもかかわらず、足取りのおぼつかないまどかの足元からザリザリと地面をするような音が響き渡っているにもかかわらず、あの赤茶けた肉片の大地からネクロモーフたちは動けないようでもあった。

 明確に血の匂いを嗅ぎつけてくるサメでもなければ、弱った敵を仕留めてじっくりと味わう猛禽類でもなかったのは幸運か、はたまた不運か。道なき虚空を踏み固めて歩くまどかの指示に従っていけば、ようやく恭介にも分かる道しるべが見えてきた。

 

 白く輝く光の塊。死に満ちた心の中で唯一アイザックという人物の人間性を残したかのような温かさ。問題解決にいそしむ、現実世界での彼の人情を直に感じ取れるような光がそこにあった。

 まどかがそれに手を触れた瞬間、光が世界を覆い尽くすように広がり―――

 

 幾何学的な記号と数式と、全体的に琥珀色に染まった風景が網膜にはりついた。

 図形のような言葉の意味。捻じれ双角を成す黄金のオブジェ。統括する頭脳の巨大な精神汚染を厭わぬ意志。死の淵に瀕し一体化されていくことで幸福として感情が据え置かれる非道。文字であった、Markerであった、HiveMindであった、Unitologyであった。

 

 「底」に至り、やがてすべてはただの熱エネルギーへと変えられていく。

 食だった。ただひたすらに生きるためにすべてを食らう。

 食らうために料理する。

 変わらない、人間と同じ。生物として正しい姿。

 月はいつでも我々を見ていた。

 

 多少の非現実に触れてきても、それでも当事者たりえない彼女の脳内には宇宙を超えて繰り返された悲劇が刻まれる。ただ、その隣に立つ男の姿はいつの間にか精神世界から消えていた。ただただ、刻まれた烙印のようなものが熱さを発してまどかを襲う。

 永劫にも続くかと思われた、心臓が引き裂かれそうな痛み。腕を失ってなお、まどかはそれを上回る痛みに気が狂いそうになりながら、正気を保つ。それが決定づけられている事項であるかのようにして。

 

 光がほどけていく。その先には、倒れ込む黒い肌の男。

 刈り上げられた髪は必要性と作業に適したスタイル。今は閉じられた瞳の中には、かつては強い意志の光が宿っていただろう。駆け寄った彼女は、その片腕で男の肩に手をおいた。

 

「アイ、ザック……さん」

 

 かぼそい声は遠くに、かの男は目を開いた。

 精神世界のその果てに、奥へ奥へと引きずり込まれたその男。世界が脈動し、我々の考える限りの想像力を働かせた絶叫が彼の精神世界を震撼させる。悲痛なる人ならざる叫びは人のようでもあり、空虚な死体から作られたネクロモーフの絶叫のような鳴き声にも似ていた。

 どくん、どくん、どくん。這いずりまわる地面の血管は、青っぽい筋の入った管を盛り上がらせては、また鼓動とともに引いていく。一度鳴いてはアイザックから遠ざかり、一度動いてはまどかから遠ざかる。

 まどかはもう一度、両目を涙で濡らし、首筋までその血を滴らせながらに胸を叩いた。強く、強く、力のある限りに泣き喚いた。その嗚咽の混じった叫びの中に、アイザックの名を忍び込ませながら。

 

「アイザックさん、起きてよ、アイザックさん!」

 

 自分たちが何のためにココに来たのか。自分がなぜココへ導かれるようにして来たのか。それは決してわからない。ほむらたちのようにMarkerを見たわけでもない、その数式のような信号を脳へと打ち込まれたわけでもない。だけども、言葉に言い表すことのできない感情が心を叩いた。力になれない悲しみと、力になれるはずの人物が動かないことへの怒りが。

 叩きつけられた心の痛みは、理不尽な願望へとすり替わった。されどそこにキュゥべえが望むようなものはない。彼女自身のもたらした悪意混じりの汚い汚い、人間らしい感情の中。決して何も失いたくない、そんな欲張りな自分自身を感じながら、もう一度だけ。

 アイザックの鼓動をもう一度だけ、強く叩かせた。

 

 光に触れて、まどかに続きようやく恭介がその後を追う。ぞわりとする感覚の後に、少しだけ優しげな。父親に見守られているかのような暖かさが風となって彼の頬をかすめていく。

 かの精神世界に住まう陰鬱な肉塊は、アイザック・クラークの心の奥底までも犯していたMarkerの残骸は、少なくとも、彼の心の最後の砦に巣食っていた分は塵も残さず吹き飛んだようにも見えた。

 

 

 

「……お待ちしておりましたわ」

「君が志筑仁美だね。仲間から話は聞いている」

 

 キュゥべえ、にも似通った生物らしきもの。その目に宿る、無機質な感覚だけであれと同類であるということは確認できた。話を切り出そうとしたところで、仁美の躰が建物ごと大きく揺れた。

 ワルプルギス出現の余波である。大質量の魔女が実体化した時に、空気が押しのけられ膨大な勢いの暴風となったのだろう。

 見れば窓の外に侵食していた肉塊は少しずつその身内から弾け、血液のような残骸を残すばかりになっている。HiveMindの脅威は去ったようだが、と目の前のインキュベーターが同胞から同期された情報を仁美へと伝えた。それと同時に、スーパーセルと言う偽りの情報が真になるほどの大嵐が訪れる。比較的安全であるはずのこの部屋にも、建物の軋む音が聞こえてきた。

 仁美の視線はものとも言わなくなったアイザック、そしてその両側に手を置いて意識を飛ばしている2人へと向けられる。唇を噛みしめるように、心の震えを落ち着かせた。

 そうしてこの時、未来は分岐する。志筑仁美という少女は、今この場において膨大なる異常事態の役者の一人となった彼女には、どうしようもないほどの因果が絡みつき始めているのだ。異世界と交わり、外宇宙の脅威に晒され、その騒動の中心人物となり行動を決意した、その瞬間から―――

 

 

 

「……私、は」

 

 痛みが頭を駆け巡っている。それを外から抑えこむように手を当て、心ばかりに力を込める。指の間からは、避難所の硬質な壁が見えた。建物の軋む音が、嫌に心の奥底に不安という感情を与えさせている。

 現実だ。戻ってきたんだ。そう考えるのに時間はかからない。あまりにも空気が澄んでいたからだ。同じ異形の者が現実、精神世界共に現れていたとしても、それでも地球という星の空気は陰鬱な1人の精神よりもよほど澄み渡っていた。自らの懐に住まう生物を受け入れる酸素を彼女に供給させていた。

 

「お気づきになられたのですね。よかった」

「仁美ちゃん…?」

「はい、上条さんも既にお目覚めです。事の顛末は彼から聞きました」

「おはよう、鹿目さん」

 

 一番アイザックと対面していたのがまどかだったから、一番ダメージを受けていたのもまどかだったから、そんな理由で目覚めるのが少し遅れたのではないだろうか、と少し疲弊した様子の恭介が語った。

 ハッと気がついて腕を見れば、精神世界で斬られていた片腕は、当然ながらそこにある。ただその瞬間を思い出してしまったせいか、どうしようもない小さな違和感が腕を襲ったが、体の異常といえばその程度。帰ってきたという実感を抱きながら、まどかはようやく安堵の息を吐いた。

 

 力が抜けてソファに座り込んだまどかは、そこでふと足りない物があるように感じた。それはどうやら間違いではなかったらしく、周囲を見渡せばあの近未来的な宇宙服の様相をしたスーツの男がいなくなっている。

 

「アイザックさんは?」

「彼なら、既に行ったよ。HiveMindの脅威は去ったからあとはさやかたちに任せればいいんじゃないかって言ったんだけど……」

「嫌な予感がする、と言って出て行ってしまいましたわ」

「ああ、うん。そうだけど」

 

 何を思ったか、少し言いよどんだ恭介の代わりに仁美が答える。

 恭介は少し悩んだあとに、普通じゃなかったんだ、とつぶやいた。

 

「普通じゃない、って?」

「なんて言うか、何かに突き動かされてたみたいで。すぐにヘルメットが覆い隠したんだけど、アイザックさんの目がかなり揺れてたんだ。それから慌てたようにテーブルに置いておいたプラズマカッターを持って行ってさ」

「でも、なにがあったのかな」

「わからない…」

 

 ひとまずは脅威が去ったはずだ。今はおそらく、ワルプルギスの夜が出現しているのだろう。倒しきれずHiveMindと合流するようなこともなく、そして予想外の脱落だったアイザックも戦線に戻れるようになった。

 だけど、それでも彼の取った行動が残った三人へと不安な気持ちを抱かせる。

 もはや、戦う力なきものとしてできることは全てやりきったと言ってもいいだろう。アイザックの助けが無くとも片付けられる問題は全て片付いたはずなのだ。あとはこの過剰とも言える戦力でワルプルギスの夜を完封するだけ。それもまた困難な道には違いないのだろうが、それでもほむらからしてみれば単身で立ち向かうよりも純然な魔力攻撃を持つマミ、機動力に優れたさやかと杏子、そして何よりも経験によって的確な指示をだすことが出来る彼女自身と言った風に、雪辱を果たす最大の機会を与えられていると言える。

 それでもどこかに、小さな黒いシミが心に引っかかっている。志筑仁美という少女が決意するにはあまりにも、決定的すぎる嫌な予感が。普通の人間では漠然としかわからないはずの嫌な予感が、現実的な重圧となって訪れている。

 だからこそ彼女は、決意したのだ。まどかがダメでも、自分がいるのだからと。

 

「…鹿目さん、恭介さん。なんと申し開きをすればいいのやら、私には今それを言うしかくはありませんの」

「仁美ちゃん?」

 

 唐突な切り出しに、まどかと恭介は即座にその言い回しが隠すものを見ぬいた。

 それでも認めたくはなかったのだろうか、どうしたんだ、と疑問を声に出さずには居られない。この日は何度、このようなしなければならない感情に引っ張られたのだろうか。そんなどうでもいいことが頭を過るほどには現実逃避の思考が働いていた。

 

(わたくし)、恋敵との条件は平等でなければならないと、改めて思いましたの」

 

 彼女が浮かべた笑顔は、いっそ清々しいまでに美しいものだった。

 懐から取り出したのは、ライムグリーンのソウルジェム。黄金の台座に縛られた魂は、輝かしいまでの光を放っている。小さな小さな物質に閉じ込められた魂に、語りかけるように片手を重ねた。

 

 優しい光が仁美を覆う。両手にはめられた新緑の指ぬきグローブ、大地に根付くような深緑のハイヒール。上半身から行動を阻害しない程度のミニスカートドレスを引き締めるコルセットはその引き締まったボディラインを強調させる。魔法少女というよりは、ファンタジックな意匠の格闘少女というべきか、それらしい武器のないインファイターな魔法少女・志筑仁美がそこに立っていた。

 

「きっと損はありませんわ。私の願った奇跡はそれほどに現実的ですもの」

 

 美しい動作で令嬢にふさわしい一礼を見せた彼女は、ギチギチとグローブから音が鳴るほどに拳を握りしめてから窓の外を見やった。契約して初めて分かった未知の感覚も、まるで体に慣れ親しんだかのよう。これまでにない万能感を押さえつけて表情を引き締める。

 もう、全ての決意は胸の内で行った。ここからは体が、行動が、全ての結果を出す。持つべき常識を全てかなぐり捨てた仁美は静かに心を燃やしていた。

 

「それでは、ごきげんよう」

 

 きっとどこかで分かっていたのだろう。ここまで行動を起こした恭介とまどか、そして外に残った責任感の強い仁美が何を選択するのか。ただ祈るというのはあまりにも、彼女のイメージにそぐわなかった。

 諦めたような、それでいて仕方ないよね、という感情を一度見せながらも、二人はいってらっしゃいと仁美を送り出した。暴風吹き荒れる窓から去っていく彼女を見送って、今度こそ戦う力を持てないまどかと恭介はただただ、祈りを捧げる。

 神様にではない、この自体を収めるべく動く者たちへの必勝祈願を。

 

「とにかく、これまでの情報を皆に伝えよう。僕達も少しでいいから動かないといけないからさ」

「うん、そうだね」

 

 無線のスイッチを入れて、彼らが請け負えるもう一つの戦いを再開する。

 報告は、ひとまずの勝利。HiveMind撃破の吉報からだ。

 




ほとんどフェードアウトせずに視点置いたままなの初めてかもしれない。
それにしても、ようやく書ける時間とれるからって書いた結果がこの展開だよ。
ひとりよがりでも燃えれるならいいよね……


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case35

3000ほど加筆修正して上げ直し
一応case37が最終話になるのかな


 HiveMind撃破の一報は見滝原に応援に来ていた自衛隊、そして住民たちを歓喜に沸かせた。だがこの後待ち受けているのは最後の魔女。今度こそ普通の人間でしかない者達には見ることも叶わない非現実的ながらも実在する幻想だ。

 空間を裂いて、引き連れた道化師やグロ華やかなパレードとともに現れたのは、逆さまになった魔女。人らしい上半身と舞台装置の名に恥じない大きなコマのような歯車の下半身。作りかけて放置されたかの如き様相は、やはり不定形な負の感情の権化たる魔女に相応しい姿だった。薄気味の悪い塗られた唇の絵は口に張り付き、絶望を携えて狂喜の笑みを轟かせる。

 

 圧倒的、そして超弩級のサイズを誇る「彼女」はまるで太陽のように空間を歪ませ、存在する周囲を白く濁らせていた。それは存在感の大きさゆえか、はたまた別の何かか。

 HiveMindとはまた違った、魔法少女たちが立ち向かうべき原点。その太古より存在し、ありとあらゆる魔法少女の討伐を免れ生き延びてきたであろう文明の破壊者。だがそれでも人類が存続しているのは、その度にこの魔女の力を抑えるものが居たからだろうか。

 

「こんどこそ、眠らせてあげるわ」

 

 黒い髪をなびかせながら、彼女自身の因縁をつけてほむらは言う。

 もはやその手に持つのは人を殺す程度の威力しかないハンドガンや、人の創りだしたものを想定した兵器ではない。宇宙を開拓する時代にて、その広大なフロンティアに手を出した人類が生み出した対物工具。あらゆる障害を取り除き、人類が足を踏み入れる場所を作るためのそれは、ただ殺すことを目的としたただの兵器とはまた違う感触を、彼女の手に与えていた。

 ちらりと横目に見れば、先の言葉に頷き剣を握りしめる仲間や、地面に突き刺した槍に器用にもたれかかる協力者。そしてあらゆる困難と事実を乗り越え、再び戦場に立つことを決意した守護者。

 その誰も彼もが、この戦いに臨むにあたって覚悟を決めている。そう、生還する覚悟を。

 

 更に、今回ばかりはありえないはずの協力関係になったものもいる。

 それぞれの戦士たる彼女らの足元に、ひょっこりと現れたそれらはまるで双子。クローン技術によって生み出された仮の体に、コピーして貼り付けられた意志を持つ宇宙の調停者を自称する生命体。

 

「驚いた。まさかHiveMindを退けるなんて。簡易とはいえシステムを利用したMarkerも破壊する。君たち感情を持つ人間の、可能性というものを見せてもらったよ」

「あいも変わらずの上から目線ね、キュゥべえ。少しは遠慮を覚えてはどうかしら」

「だからこそ惜しい。もっと早く、君たちの中に力を持つものが現れてくれれば良かった。The Moonを倒すことすら出来そうな人間という種族の可能性を見出すことが出来た」

「いつだって世界は、手遅れになってから進化を提示するわ。私たちは運良くそれを掴む事ができただけ」

「追い詰められた末の進化は、どの星でも変わらない。だけどそれゆえに僕たちは滅びを回避した種族には見切りをつけなければならない。僕ら自身が滅ぼされる火種になるからね」

 

 キュゥべえの背中の模様。そこが蓋のように開き、大量のグリーフシードが吐き出される。ある程度までエネルギーを吸われてなお、まだグリーフシードとしての形を保っているのは彼らがそういうふうに扱ったからであろう。

 総数は10個ずつほどか。ばらつきはあるが、それらが埋められた同一デザインの黒いベルトとして受け取った魔法少女たちは、迷いなく各々の好きなようにそれを体に巻いた。

 

「本来なら、そんな未来を回避するため僕はここで君たちを魔女にする必要があるんだ。でも、さやかとの契約もある。加えて宇宙のエネルギーを浪費して、補填もできない災厄の月たちを駆逐する可能性がある種族は、とても貴重だ。これからは簡単に使い潰すことはできなくなった」

 

 ワルプルギスの夜が生き延びて、そしてこの地球が滅びずにいたのは、インキュベーター本星にて行われた最高峰の演算、その出力結果に基づいたインキュベーターたちの行動と、それに踊らされた魔法少女の活躍があってこそだ。

 こうして現出するだけのエネルギーを吐き出させ、魔法少女は魔女に変え、そして貴重なエントロピーを凌駕するエネルギー産出元たる人類を生き延びさせる。それをずっと繰り返していたからこそ、この時までワルプルギスはインキュベーターの都合のいい舞台装置――デウス・エクス・マキナ――として使われ続けてきた。

 だが、それももう終わり。

 

「正直なところ、100年期の予定に無い行動が起きている以上、プログラムの変更もできていないから君たちの勝機は少ない……と言いたいけれど」

 

 破壊の波動はまだ放っていない。

 敵を認識していないワルプルギスは、魔女の祭りの準備段階にある。

 

「今回ばかりは勝ってもらわなければ困る。そのグリーフシードも無駄にはしないでおくれよ」

「上等ッ!」

 

 杏子が攻撃的な笑みを浮かべて、槍を引きぬき構えた。大剣を握り直したさやかは使ったグリーフシードをキュゥべえに投げ捨て、マミは一本のマスケット銃を磨きながら可笑しそうに笑みを浮かべる。

 準備万端。戦うものは全て―――いや、まだ役者は残っているだろう?

 

「さて、さて、みなさん血の気があるようで。野蛮の限りですわ」

 

 やけに響いたセリフのあとに、はるか上空から飛来したのは緑の髪を持つ少女。

 容姿端麗、頭脳明晰、文武両道。お嬢様として育てられ、余すこと無くその才能を発揮し、家柄からの習い事の全てをそつなくこなす。されどその友人が如何に平凡であろうと、その差を感じさせぬ残念な性格。

 拳にアンティークな文字が記された包帯を巻き、ふわりと広がるフリルの服、足の動きを阻害しないよう、ぴっちりと張り付いたスパッツと。ゲームから飛び出してきたような彼女は笑う。

 

「主役は遅れてやってくる、ですわ!」

「この場合主役はほむらじゃないの? 仁美」

 

 まどかに代わって、第五の魔法少女―――ここに見参。

 

 

 

 

 ガシャガシャと金属板の擦れる音がやかましい。吹き荒れる暴風の音にも負けず、廃墟同然の街となったそこを無様に駆け抜ける男が一人、脂汗を滲ませて、ワルプルギスの夜がいる場所とは()()()へと駆け抜ける。

 もはやアレはほむらたち魔法少女が片付ける問題だ。そして、自分が持ち込んだ問題はすでに片付けてもらった。何よりも、これから先を生きる強い意志を分けてもらった。絶望を与えて、希望をもらった。この不釣合いで一方に傾ききった天秤は、もはや覆すことは出来ないだろう。

 

 罪深き自分という存在は、これ以上この世界にいてはならない。たとえ災厄の可能性がすでに存在していたとしても、自分の理から持ち込んだソレは、せめて自分で拭う必要がある。

 

「アイザック、君がなぜ僕を視認できているのかはわからない」

 

 その男、アイザック・クラーク。彼はついに、キュゥべえを見て、聞くことができるようになっていた。その理由のほどは、もはや究明するまでもない。大きく、そして一つにまとめられたアイザックから持ち込まれた災厄たるHiveMindが討ち滅ぼされ、アイザックが乗っていた脱出艇は修復された。ならば、何の手違いか迷い込んだこの過去の可能性の世界から、はじき出されようとしているのだろう。

 彼の立つ世界がずれかけているから、同じくズレた認識の外に存在するキュゥべえが解るようになった。ただ、それだけのことだ。

 

「そしてアレはもはや彼女たちにとっては相手にもならない。むしろ、生身の君が相手取ることは非効率的だとすら言える。多少放置したところで、閉鎖されたこの街で侵食される者も居ない。それでも君は挑むのかい?」

「そう、そうさ。その通りだ」

 

 だれとも知れぬ路地裏は、最初に彼がHunterを解体した場所。

 そしてさやかが見つけた、最初のネクロモーフ結界が生成された路地裏だ。

 

 そこは怪しげな結界が再生していた。だが、奥から感じる嫌な気配は……度々入り込んだあのMarkerの意志が感じられない。まだ出来立ての、ネクロモーフが増えることもない、たった一匹のソレを投資として、機械設備が動き出す前の建物としての役割でしかない結界。

 だが入り込んだのは、彼の世界から何の因果か迷い出た、不死身の怪物。幾度殺されようともバラバラになろうとも、妄執に取り憑かれた狂科学者のように己の存在をやめないHunterの逃げ場だった。あの時破壊したと思われた結界は、その実破壊を免れコピー元としてあり続けたのだろう。だから見滝原各所にMarkerのある結界が増えた。

 これを再度発見したのはキュゥべえで、それを教えたのはアイザックだけ。

 

「それでも私はやらなければならない」

「やっぱり、理解できないね」

 

 感情を持たないというよりは、持てないのか。このいびつな知的生命が発展した歴史や背景がどんなものであったのか、すこしばかり気になったアイザックは、今となっては全てが無駄なことだと首を振った。

 幾度の戦いで破損したスーツはもはや使いものにならない。性能もよく、ネクロモーフの肉片に挟まっていたクレジットをかき集めて購入した石村屋特性の強化スーツはすでに廃棄し、アイザックが今着ているのは初めてUSG石村を訪れた際の、作業用エンジニアスーツ。宇宙空間や突発的な事故を考えられて簡易的な防御力はあるが、これまで着ていたものに比べればそれは雲泥の差。

 

 闇夜に浮かぶ青い光。

 顔面を覆う三本の発光線。

 無骨で、ところどころに年季の入った小さな傷が目立つ金属フレーム。

 防護の金属板は古いもので、錆ついている。

 脇下や関節部分は簡素な作り。ネクロモーフの爪は容易く貫通するだろう。

 

「じゃあ、開けてくれ」

「彼女たちに伝えることはあるかい?」

「いいや、残せるものは残したつもりだ。俺が死んでいた時はまぁ、無様だと笑えばいい」

「そんなことで感情が発露できる訳がないよ」

「は、ははははは……そうだな。ははは」

 

 ひとしきり笑って、アイザックは結界の中に消えていく。結界に沈みゆく彼の姿を最後まで見届けたキュゥべえは、何も言わずにその場を去った。

 

 結界を抜けてすぐ。アイザックは待ち受けていたスラッシャーのような黒い肉塊を発見。Hunterの成れの果てなのか、再生能力もすでにほとんど失っているのか、もはやそれらは定かではない。

 

「Fuck!!」

 

 だがそんなことはどうでもいい。アイザックはすぐさまプラズマカッターを連発する。ただの弾丸よりも高速で飛来した青白いエネルギーがHunterの残骸に直撃し、その首をはねようとした瞬間―――アイザックの見ていた肉塊のような視界は一転する。

 Hunterを中心として背景が吸収され、無機物と有機物が融合した十数メートル程度の小さな足場が出現。この小さな世界の中心には真っ黒なMarkerが聳え立ち、そこからぞわぞわと、輪郭もおぼろげな影のようなバケモノが生まれる。

 化物はスラッシャーよりも脆く見えるが、発達した鋭い爪は肉体どころか精神ごと切り裂いてしまうようなプレッシャーがある。

 

「チッ!」

 

 だがアイザックはすぐさま気づいた。荒々しく発光するモノリスのようなMarker。それが鼓動のような音を立てて先ほどのバケモノを創りだしたことに。

 

「あれか!」

 

 化物はプラズマカッターの照射を受けるが、一発では手も千切れなかった。舌打ちを一つ追加して、倒すことよりも行動不能にすることを選択。もやのような薄い存在だと言うことから衝撃波を発生させるフォースガンをRIGから出現させ、片手で抱えて引き金を引いた。

 しかしモヤのようなネクロモーフはほとんど吹き飛ばず、多少その歩みを止めただけ。唸り声のように響く咆哮を上げて手を振り上げたネクロモーフはアイザックに刃を振り下ろして来たが、効き目が薄いとわかった瞬間アイザックは回避行動に映っていた。

 一瞬の判断が怪我や不利に繋がるということを知っている。それに加えて、これまでと違い完全に一人での戦闘でアイザックの精神は張り詰めた糸のように鋭くなっていた。この程度の事態など予測の外にはならない。

 

 不格好なローリングだったが、すぐさま態勢を立て直したアイザックはフォースガンの出力を最大にする。そして吹き飛ばした瞬間、フォースガンはスパークを起こし故障した。

 震えてきたフォースガンをネクロモーフのモヤモドキに投げつけて、オーバーヒートを起こしたフォースガンをプラズマカッターで狙い撃つ。

 エネルギー同士が作用して、大爆発を引き起こす。今度こそのけぞってモヤが散り散りになって消えたネクロモーフが再生されないうちに、アイザックは発光するMarkerを狙い撃った。

 

「Ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!」

 

 腕にかかる負担を無視して、新たに取り出したラインガンと同時にプラズマカッターを引き絞る。大きさの違う2つの青白い光がMarkerに直撃し、その堅牢な構造に少しの罅を入れ、破片を少しばかり撒き散らすに留まった。

 

「まだ足りないだと……!?」

 

 一撃で壊すつもりだったが、今まで戦ってきたMarkerよりもずっと硬いそれにファックと吐き捨てて、発光が収まったMarkerは再び先ほどの化物を生み出した。輪郭もぶれている怪物であるくせに、鋭い眼光ばかりが光っているのはなんとも不気味だ。

 精神世界と物質世界が混じったような空間での戦いに、アイザックはいつもどおりだとこれまでどおりに行動を開始する。不活性状態のMarkerにプラズマカッターをもう一度放つが、破片も飛び散ること無く無傷にてそびえ立つ。

 となれば、これまで戦ってきた大型のネクロモーフのように、発光している間が勝負の決めどきだと判断する。ラインガンのマガジンを装填しなおしたアイザックは一度プラズマカッターを仕舞い込んで、モヤのようなネクロモーフを再び攻撃する。

 

 持久戦が続き、RIGの生命補助も生来の体力も尽きてきた頃だった。対するMarkerはついに外郭を吹き飛ばされ、その内側の構造が見えるまでに破壊されている。だが、それでも最後のあがきと言わんばかりに網膜を焼くような閃光を放つ。

 もやで作られたネクロモーフは2体。ヘルメットの中からそれを睨みつけ、感覚の無くなった左肩から手の先まで、エンジニアスーツの補助機能で左腕部分の空気だけを排出し、締め付けるように固定する。

 

「クソッタレがァ!!」

 

 まどかたちには決して見せないような汚い言葉で立ち上がったアイザック。もはや装填も難しいラインガンを連発して、奇声を上げて飛びかかるネクロモーフにカウンターをぶちかました。飛びかかってくる以上、地面で踏ん張るよりも容易く吹き飛ばされた。

 ラインガンを放り投げたアイザックは、最後に残ったパルスライフルの残弾を全て消費して、モヤのネクロモーフにとどめを刺す。

 邪魔者も全て排除されたことに気づいた、Hunterが無理やりMarkerになったそれは焦るように強い発光と点滅を繰り返す。しかしアイザックにほとんど破壊されている以上、さきほどの二体の邪魔者が最後だったのだろう。このMarkerを守るものは何もない。

 

「ぉ、ぉ……」

 

 先ほどのネクロモーフの処理に精神が疲れきったのか、頭のなかで聞こえたブツンと言う音と共にほぼ立ち上がることもままならない状況に立ち尽くすアイザック。ガタガタと震える手を動かすたび、耳から血が吹き出そうな嫌な感覚を味わう。

 そのフォーカスをMarkerに合わせた瞬間、アイザックの人差し指が少しだけ動かされた。

 

 それで、終わり。

 

 ――――キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 

 

 

「……あっけないわね」

 

 髪をかきあげて、ほむらは半ば砲身がはじけ飛んだハンドガンを盾に戻す。

 彼女たちの目の前には、装飾の全てに裂傷と弾痕。頭のような装飾は片方が消し飛んでいる。そう、完全に沈黙したワルプルギスの夜だ。

 

 魔法少女たちの全身全霊をかけた最大の一撃ばかりを受けた結果がこれ。それこそ、ソウルジェムがグリーフシードに変わる直前まで濁ってしまうほど。そんな魔力と命を天秤にかけた一撃を放った魔法少女は無事に済むわけもなく、その精神の反転も考えられる。

 と言っても、この見滝原の魔法少女はもはや人外と死を幾度も乗り越えてきている。そしてアイザックという大人や、仲間内での強い絆がソウルジェムの濁り程度で反転に至るわけもない。

 

「あー……ぅあぁ……」

「仁美? 仁美~? あー、だめだこりゃ」

 

 憔悴しきった約一名を除いて、である。

 そんな志筑仁美をさやかが背負いこんだ。

 

「これならHiveMindのほうが強かったわね」

 

 立てたマスケット銃に両手を重ねて、その上に顎を乗せたマミがいかにも眠そうに言う。大規模な結界を連れてきた割には、あんまりにもあっさりと倒されたワルプルギスは彼女らの目の前で、その歯車のようなスカートの中身から徐々に消滅を始めていた。

 地面に墜落した最強の魔女の最後。これまでインキューベーター敷いてきた情報統制から、たった一人二人の魔法少女では傷すらつけることが出来なかったという実績も、一撃に捨て身を重ねるようなアホらしい戦法の前には通用しなかったようだ。

 

「とりあえずそこの緑色回収して避難所に行こうぜ。キュゥべえがまたなんか言ってくれるだろ」

「それもそうね。それじゃあ戻りましょう」

「はいはーい」

「ぅぁ~……」

 

 崩壊して粒子になったワルプルギスの夜。

 されど、最大であり、最強の魔女を倒すことが出来たほむらだけは、少しだけ違和感を感じている。強大な力を持っていたのは認めよう。それに値する一撃が死につながる攻撃をしてきたのも今までどおりだ。

 だが、それにしたって……脆くはないだろうか?

 

「でも、すべての時間軸が一緒なわけではない……わね」

 

 ほむらのつぶやきは、自らを無理やり納得させるようなもの。だが、倒した以上はもう事実は覆せない。もっとつよくなってから出なおしてこい、何て事をいう訳にはいかない。不謹慎にも程があるからだ。

 

「ほむら、何してんの?」

「なんでもないわ。今行く」

 

 害意の込められたスーパーセルが去り、見滝原町には平和が訪れたのだった。

 見滝原町、には。

 

 

 

 

 

 

 Markerは光り輝く。Markerは発信機。

 もはやこの件に関わったもの全てが知る当然の知識である。

 それによって大いなる月が目覚め、食事をするために訪れる。

 これもまた、知られている。

 

 さて、先ほどのアイザックたちの最後の戦い。

 一体何が起こっていただろうか。すぐに、分かるはずだ。

 




予定にはなかったんですが、やっぱり原作の脚本家様が気になったので。
ほんのちょっとした試練を付け加えてみました。


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case36

 魔法少女にとっての危機は去った。ネクロモーフの結界から当たり前のようにばら撒かれた大量のグリーフシードも、魔女のシステムを乗っ取った形で安定したため、キュゥべえの母星でも問題はないとのことだ。

 むしろ、当面のエネルギーは確保。広がる宇宙と、逆に維持するためのエネルギーを宇宙へと還元することで数千年分は保つのだという。最も、この広大な宇宙において数千年など光であればすぐさま追いつく程度の年月。絶望の質も弱く、若年の少女ではなく普通の一般人から感情の不明瞭な赤ん坊までが犠牲になっただけのグリーフシードは、純正のそれと同じ効力でありながら秘めるエネルギーはMarkerで補われただけの粗悪品としてすぐさま処理される。

 

 そして、あの激動から一ヶ月の時が過ぎた。

 

 我々の知る魔法少女たちは、その誰もが欠けること無く活動を続けている。そして災害の源。スーパーセルではなく未曾有の大被害を及ぼした巨大な魔女の姿は、破壊されること無く生き残った人間たちの口と手によって広まりかけた。それに対してさやかという個人の契約を交わしたキュゥべえは、インキュベーターの代表として情報統制を行った。

 やがて真実は虚構となり、知る者は世間に否定されて徐々に鳴りを収めていった。ワルプルギスの夜は、ただの被害妄想として一般的な認識が広まりつつある。洗脳を得意とする魔法少女が映像・及びに多くのテレビに出演する専門家からでまかせを言わせた事で世界全体に広がりそうになった真実も全ては蓋をされた。

 

 誰もが幸せな嘘を信じて生きる世界に戻ったのだ。ただ、その一部に不幸な真実を抱えるものが増えただけで……。

 

 また、スーパーセルの被害では、全面ガラス張りという狂気に満ちた見滝原の校舎が最も酷かった。当然のごとく床以外の壁(ガラス)は全て破損。近未来的な机から職員室のサーバーも損壊し、デザインではなくこうした大被害を予想された従来通りの、それでいて最新技術を用いられた校舎が新しく建築される事に。

 それまでの間、恭介や仁美といった財閥や富豪が快く提供した仮校舎で生徒たちの学校生活は再開された。見滝原中学校の面々は、その中でも上条恭介の別邸を新たな校舎として通うことに。

 

 少々形は違うが、また新たな生活が戻ってきたのだ。

 

「おっはよーう! まどか!」

「おはようさやかちゃん。今日は早いね」

「うんうん、魔女も出なかったし楽なもんだよ!」

 

 別邸の一室を改造し、アンティークで高級そうな机が立ち並ぶ仮教室。かつての大災害を乗り越えた少女たちは1ヶ月という時間で傷を癒やし、彼女たちの新たな日常を謳歌していた。

 そこでまたカランカランと扉が開き、新たな人物が入ってくる。

 

「おはよう。ちゃんと宿題はやったの?」

「もっちろん。ほむらは?」

「帰る前に済ませておいたわ。何度もあの1ヶ月の授業やってたんだもの。基礎は完璧よ」

「あはは……3桁越えてたんだっけ。凄いなぁほむらちゃん」

「そうね、そう、そうよね……」

 

 なぜか遠い目になっていくのは仕方がないだろう。暁美ほむらの繰り返した数は、それこそ数えきれるものではない。故にインキュベーターはこの世界を宇宙ごと吹き飛ばす核爆弾以上の代物としてまどかを認識して絶対に契約しないとブラックリストに載せている。図らずもほむらの「まどかを魔法少女にさせない」という願いは叶えられている。当然、ワルプルギスの夜を乗り越えるという目的も果たされている。

 ある意味で全てが万事上手く行った時間軸に、ようやく辿り着くことが出来たのだ。アイザックと宇宙の未知の怪物という不安要素はあれど、現状の幸せに至れた余韻は未だほむらの中に渦巻いている。

 

「それはそうと、さやか」

「なにさ?」

「あなた告白はしたの?」

「うっ」

「あっ、ほんとだよ! そういえば恭介くんに言うって言ってたよね」

 

 この言葉に、クラス一同の会話が一瞬止まった。直後にざわめきは別の色に染まり、話し合う内容と一部の生徒の聞き耳がまどか達のほうに集中する。

 

「えーっと、それはねぇ……ってあたしに何言わせようとしてんのよ!? それくらい心のなかに秘めておいたって良いじゃない!」

「ダメよ。前に一度言ったじゃない。“しっかりと事を伝える”って」

「う、ううう……そうだけどさぁ……」

 

 魔法少女となっても、体の成長が止まるわけではない。魔法少女としての契約は肉体の寿命を迎えるまで続くし、寿命はかなり長い。それこそ、生き残った魔法少女は120歳が平均寿命だと言われている。しかも死ぬ直前まで元気なのだとか。

 結婚して普通の子供を産み、インキュベーターも見切りをつけてソウルジェムを携えたまま一般生活に戻る道としては、さやかと仁美が一番近い位置にいる。だからこそまだお相手も考えてない思春期の二人は、歳相応にこの話題に食いついているのだ。

 

「…お」

(お断り? それともオッケー…?)

 

 絞り出したさやかの言葉に教室がシンと静まり返る。

 もう後はないと判断したさやかは真っ赤な顔を手で覆いながら叫んだ。

 

「お付き合いさせていただくことになりましたっ!!」

『おおおおおおお!?』

 

 色めきだった教室はてんやわんやの大騒ぎである。彼の右手が治る前から献身的なお見舞いを続けていた彼女の行動はそれなりに知れ渡っているし、見滝原大災害の日から仁美というライバルの登場でこの話題は持ち上げられていた。

 そしてついに、その気になる決着がついたのだ。興味を持たない15歳前後の少年少女など、ポーズを取っているだけか単なる中二病だろう。

 

「おめでとうさやかちゃああん!!」

「ふわぷっ! く、くるしいよまどか……」

「俺、あっちが付き合うかと思ってた」

「某も某も。ゆりゆりですな」

「ちょっとそこ男子うるさい!」

 

 ピンク髪の少女は他人の幸せを最大限祝っているつもりだが、その行動がいささか過激である。ここ2ヶ月で交友関係もぐっと広がり、あの訳の分からないアイザックの病的な精神世界を歩き続けた鹿目まどかという少女は、すこしばかり感情の振れ幅が大きくなったようである。

 

「そ、おめでと」

「あんたは相変わらずクールだね転校生!」

「その呼び方懐かしいわね。2ヶ月もしたら転校生って適用されるのかしら?」

「事実はじじつ…ホワァ!?」

「さやかちゃああああん」

「タップ、タアアアアップ!」

 

 騒がしい学校生活は幸せな始まりを告げた。

 ここで、彼女らは時に縛られない自分だけの生き方を学んでいくことになる。そう、ようやく彼女らにも普通の生活が戻ってきたのだ。「普通」という、何よりも尊い彼女らだけの日常が。

 

 

 

 夜

 

「やぁ仁美。傷心というやつだね?」

「煩いですわ」

「いい加減このボディが破裂しそうなんだけどね」

「今はぬいぐるみに甘んじててくださいなっ」

 

 魔法少女としての格好で、頬をふくらませながら目元に涙をためた仁美の姿があった。ワルプルギスの夜では新人でありながらも憧れそのままの戦いをキメた彼女は、今ではお嬢様としての様々な習い事を十全に活かした万能系パンチファイターとして見滝原の平和を守っている。

 上条恭介に選ばれなかった。その失恋のショックで魔女化する者も少なくはないが、生憎とそんな弱い心を彼女は持っていなかった。

 悔しさはある。悲しみもある。なにより怒りもある。

 だけど、それでも志筑仁美という人間は純粋にさやかの幸せを祝うことが出来た。それでいて自分の足りない所を性格に把握して、前を向くことが出来た。今はただ立ち止まって休憩中。歩き始める頃には、キュゥべえというぬいぐるみをベシャリと床に捨てることだろう。

 

「ここにいたのね」

「巴先輩! 嫌ですわ、こんな姿を晒してしまって……」

「いいのよ。私も恋はしたけど、話もせずに諦めちゃったもの。きっぱりと断られることが“わかってて”告白。それで堕ちなかった貴女のほうが羨ましいわ」

 

 魔法少女仲間という意識だろう。排他的な各地のとは違って、ここ見滝原の魔法少女同士の交流は厚い。それこそ多少の年齢の差はあっても、呼び方ばかりは先輩後輩であっても友達としての壁は無いに等しい交友関係だ。

 だから、こんな恋愛事なんかも遠慮なく話すことが出来る。死線を乗り越えて戦った仲間は、確かな絆を形作っていた。

 

「へへーん、さやかちゃん登場!」

「あら、いらっしゃい」

「恋敵さん。いらっしゃいですわ」

「……根に持ってる?」

「いいえ、まったく」

 

 そして魔法少女である彼女らが集まるのは、とある電波塔のアンテナの上。ちょうどよく広がった丈夫な作りのそこは、数人で集まるには調度良い景色・広さを持っている。だからといって乗っていいところではないが、監視している職員らにしてみれば巴マミが魔法少女となってから数年だ。慣れきったもので、目をつぶるのが習わしとなっていた。

 

「やぁさやか」

「よっキュゥべえ。顔がぐにゃぐにゃに潰されてるけど大丈夫?」

「仁美はパワータイプの魔法少女だからね。破裂寸前だけど力加減が上手くて微妙なラインだよ」

「痛覚無くてよかったわね……」

 

 とんでもない事をのたまう感情なき生物。その言動も、真実と現状の関係を見なおしてみれば慣れたものだった。むしろ、見た目可愛らしさをアピールしたものであるのだからある意味で心の清涼剤。最初感じていた無機質な恐怖も薄れている。

 

「それより、そろそろ出現するよ。結界の位置はここから東北にある交番の近くだね」

「ありがとう。じゃあほむらにも伝えといて」

「了解したよ。それじゃあ、無事に戻ってきてくれ」

「はいはい。行ってくるわね」

「ごきげんよう、キュゥべえさん」

 

 シュッ、と残像を残して魔女退治に向かう魔法少女たち。それらを見送ったキュゥべえはすっかり満月になった月を見上げて、紅玉が嵌めこまれたようなルビーの目を光らせた。

 彼が思うはあらたなる危惧。そしていつの間にか消え去ったアイザックのことだ。

 

「アイザック、君がどうやって世界の壁を超えてきたのかはわからない。それこそMarkerの無限のエネルギーに流されたのかもしれない。母星でも演算結果は不明なままだ。だけど」

 

 意味のない独り言何て、インキュベーターらしくもない。

 もっと機械的でなければならないその種族の一端末は、思うのだ。

 

「地球人類と魔法少女の力は見せてもらった。感情があるからこそ、僕らでは到底思いつかない無茶をするし、無駄なことをする。でも、それこそが僕ら感情を捨てたものとは違う発想を生み出すんだ。無駄なことから何よりも生産的なことまでね」

 

 彼はそれ以外の表現を知らない。搾取・生産・処理・加工。どこまでも機械をモチーフとして進化した種族は、かつての生まれ授かる発想を忘れてしまったから。

 

アイザック・クラーク(Marker Killer)。消えた君にもう一度問いたいよ」

 

 だから、彼の手には負えないこの事態に答えを求めたかった。

 

「The Moonはどうやったら退けることが出来るんだい?」

 

 まどかが魔女となったクリームヒルト・グレートヒェン。それをも凌駕し、物体から非実体のエネルギーをも喰らい尽くす最悪の月の兄弟。ただそこにあるだけで銀河系を食い荒らす暴食共は、確かに目をさましていた。

 

 

 

 

 

「……HA」

 

 長い夢を見ていたようだった。肉塊とは違う、精神的な怪物の魔女。それらに対抗する大人に頼ることを忘れかけた少女たち。■というネクロモーフたちの親玉を思い浮かべては、アイザックは自嘲気味に笑ってみせた。

 

「What a hell are you doing!」

「I know,Karver」

 

 相棒に叱責される。それもそうだ。今まで立っていた大地――惑星そのものが襲いかかってくるなんて誰も思わないだろう。だが、こっちからは豆粒くらいにしか見えないがアイツはよく見えているようだ。

 

「It behind!」

「Thanks!」

 

 後ろから湧いてきたネクロモーフの一体。あの糞でかい月が次々と飛ばしてくる破片の中から、肉塊でしかなかったものが急速にネクロモーフへと変異して襲い掛かってくる。幸いにもキネシスを体が軋むまで強化してくれるコイツが足場にあるおかげで、その爪を生きながらに引っこ抜いて返してやれば、宇宙の藻屑となってあのプラネット級など迫力の怪物に喰われていった。

 

 ぎょろりと睨みつけてくる巨大な目。距離感も何もかもがおかしくなっている現状、苛立たしさを助長させる眼球に無限のエネルギーとやらを内包したクソッタレMarkerを射出してやる。すると、奴は嬉しそうに身悶えてみせた。ザマァミロだ。

 

 ―――Giiiiiiiiiiiiiiiiiiii!

 

 これで、3つ目。ここから見える弱点らしい眼球は破裂した。壊れたヘルメットを脱ぎ捨てたせいで、頭の深い所までイッちまった傷に体液が振りかかる。ああ、嫌なものだ。ここからネクロモーフへと変異したらどうしてくれるんだクソッタレ。

 

 それからやつは「機械」を取り込もうと無駄な事をかましてきたが、この原住民であろう異星人のキネシス増幅をしてくれる機械のおかげで内臓ごと「機械」を返してもらった。余分なものは宇宙のゴミに捨てたところ、足場同士が接触して大きく揺れる。

 ここも限界か。舌打ちを一つかまして、こちらに近づいてきた「機械」のある足場に乗り込む。一瞬御馳走になったが、Carverが伸ばした手のおかげで何とかくだらない落下死は回避できた。

 

 そうだとも、命を使うのはこの一瞬後だ。クソッタレめ……。

 

「Come on…! So this is it,huh? We use that Codex?」

「Yeah…」

 

 もういいんだ。

 ここまでよくやったさ。

 歳もいい具合に食っているんだ。

 今更命なんざ惜しくも無い。

 

 閃光が目を焼いた。あの糞野郎はこんどこそ、封印どころか崩壊してやがる。

 だけどそんなことはどうでもいいんだ。なぁ、エリー……?

 

 

 

 

 その日、地球全土……いや、宇宙全域で危機が発生した。

 次元を超えて目覚めの波紋が広がり、多次元の宇宙の月もまた感じたのだ。同胞の死と、食事の時間のために彼らは長い夢から覚めた。彼らにとっては重要な目覚めだが、多くの知的生命体にとっては永遠に覚めなくても良かったのに。それでも無慈悲に、感情とは程遠い本能的なソレらは地球をもターゲットにしてみせた。

 

「一難去ってまた一難。繰り返そうかしら」

「こ、今度こそ取り返しの付かない世界になると思うけど……」

「冗談よまどか。最後まで足掻いてみせるし、何よりもう巻き戻せないわ」

 

 見滝原どころではない。地球全土の魔法少女・ただの人間にもそれ―――「The Moon」の存在は伝えられた。今まで自分たちを見守っていたはずのそれが、ガガーリンが旗を立ててみせた宇宙への第一歩が、何よりも自分たちを脅かす敵だったのだ。

 インキュベーターもこれを知らなかった。というよりも、活動する前の月はインキュベーター達ですら見分けをつけることは出来ない。何より、この地球の月が感じ取ってしまった以上、これまでの「月」を避けていたインキュベーターの目論見も全てが水の泡だ。数十年の航海の末、彼らの母星にも月の魔の手が及ぶだろう。

 

「正念場というやつだね。だからこそ君たちには頑張ってもらいたい」

「これ、使えってこと?」

「対抗手段が無いんだ。巨大なロボットは鈍いから動力を真っ先に食われる。だからといって生物兵器ならネクロモーフへ変異する。君たちみたいに小さな種族がジャイアントキリングを成し遂げるしか、方法はない。あと魔法は身体能力に留めないと食われる危険性が高いね」

 

 収集された見滝原の魔法少女の前には、アイザックが使っていたステイシスとキネシスの機材が一式。そしてキュゥべえ自身にはこれまでのボディには見られなかった、複雑な文様と機械のようなセットが背中のグリーフシード取り込み口から覗いていた。

 

「なぁキュゥべえ、そりゃなんだよ?」

「とある惑星の技術を応用した、それらの機材を増幅する設備さ。君たちもアイザックの戦いを見ていたからには分かるだろう。僕のスペアを君たちにつけるから、あれを更に強力にして、あの月を殺してもらいたい」

 

 京子の質問に応えたキュゥべえもせわしなく見える。インキュベーターも切羽詰まっているのだ。だからこそ、Markerキラーであったアイザックの装備を模倣し、強化した。Markerを超えた月をも破壊するという確率はこれらを用いたアイザックがこなす、という結果が最も高かったのだ。

 であれば、せめてその装備の模倣からでも入ろう。過去の結果も何もない模索状態では、インキュベーターという優れた技術の異星人も手の付け所は限られていたということだ。

 

「そもそも宇宙行っても平気なの?」

「君たちは水の魔女の結界に入ったこともあるだろう。そのようなものだと思えばいいよ」

「無理難題……初めて戦う魔女との緊張以上じゃん」

「Hivemindみたいに分かりやすい弱点があればいいんだけれど。あってもあのサイズだとどうすればいいのよ……」

 

 マミのつぶやきは、あえて誰もが話したくなかった事実だ。かつてのHivemindという脅威も、魔法少女の一撃が効く魔女とのサイズ差はせいぜいが2~3倍。だが今回はそれの数百倍はくだらない。いや、正確な桁は教えてもらったところで意味もない。

 広い宇宙といえど、惑星そのものを敵に回す何て事がありふれているわけでもない。未知、未知、何もかもが未知の世界。同じ戦うという言葉でも、土木作業員にクラッキングをやらせるくらいに土台が違うのだ。

 

 1ヶ月前の見滝原のように、ゴーストタウンというわけではなかった。全世界へのどこへ逃げても意味が無いという発表と、情報操作による「全世界が協力して作った打破の策」というバックストーリー。何より打破は可能という可能性が1も見えてこない現状の嘘が人々の心を何とか押しとどめている。最も、大半は信じたくないという現実逃避だが。

 

「僕らの方でも、奴らを封印するための方法を探るよ。興味があるのはここから遥か遠くにある氷の惑星、そこの住人たちの技術かな?」

「それまで何日戦えばいいっていうのよ? ネクロモーフの対処は?」

「前回の事態でネクロモーフの反応は完全に捉えたよ。さやか、そして仁美と杏子。君たちには主にネクロモーフの撃破をお願いしたい。月は遠距離攻撃の手段がないと厳しいだろうからね」

「役割、ということですわね。承りましたわ」

「チッ、しゃーねえなあ。大物は譲ってやるよ」

「……はあ」

 

 さやかとしてもため息を付く以外に選択肢はない。アイザックと一緒に戦ったおかげで、メンタル面は恐ろしいほど図太くなったと言えるが……それとこれとはまた別だ。

 

「誰も引き返せないのよ。やれるんだったら精一杯やりましょ。結果としては早く死ぬか遅く死ぬかの違いかもしれないけど」

「マミさん、それちょっと言ってほしくないことだったんだけどなあ」

「雰囲気読めよな」

「ええっ! ここ責められる所!?」

「茶番するだけ余裕あるのねあなた達……」

 

 各々のテンションを維持しながら、彼女らは事に向き合った。

 現実は現実だ。握る場所などどこにもないのだと、盛大ないら立ちを心に抱えて。

 




次回最終回


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case37 Convergence

駆け足気味の最終回。

何か色々はあとがきで書きます


「クッソ、このおおおおおおお!」

 

 弾き飛ばされるが、上手く空中で身を捻って着地。ビルを足場にして飛びかかる。

 あれからまた時間が経って、この見滝原に限らず全世界に月から降下してきたネクロモーフ入りの隕石が夜の間に降り注ぐ大増殖が発生してしまう。おかげで魔法少女は人目に触れることも守秘義務もクソもない。むしろ自分と親しい人が生き残るために異能の力を発揮せざるを得ない状況になってしまった。

 

「GuiiiiiiiiiiAaaaaaaaaa!!」

「うっさいさっさと死ね! っとぉ!?」

 

 そこで戦う彼女―――見滝原の魔法少女、さやか。彼女は新種であろう二本の腕が肥大化したネクロモーフに押されていた。跳びかかりからの両手の振り下ろしに、渾身の力を込めて大剣を盾にしたはいいが、防いだ瞬間横から絡みついた触手が大剣の柄ごとさやかの手を包んだせいで身動きが取れない。

 他の魔法少女とは違って、替えの効かない一本物だ。だが肉体には代えられない。さやかはすぐさま振り払うため、勢いよく引き剥がし、手首から先を置き去りにしたまま後退。骨から神経、神経系から筋肉。そして皮膚を順序立てて再生させる。

 

「こんの化物がああああああ!」

 

 再生中も、飛び蹴りをかまして剣を離させる。

 

「よっと、トドメェ!」

 

 そして、空中でキャッチした大剣を黄色い弱点へ振り下ろす。パンッと血肉を振りまき活動停止したそれを念入りに踏み潰したさやかは血を振り払いながら、目指す先―――豪邸へと足を踏み入れた。

 バリケードの一部が壊れた部分に立つと、それを補強している女の子に、さやかは話しかけた。

 

「まどか! みんな! 大丈夫!?」

「さやかちゃん!」

 

 ここは上條家の別邸、つまりは仮教室だった場所だ。ただしそこはネクロモーフの脅威にさらされており、死人はまだ出ていないが重症を追った生徒は少なくない。幸いにもキュゥべえの診断では細胞が変異する様子は見えないが、このまま死なせれば死体は怪物になって起き上がるだろう。

 そうならないために、ネクロモーフについてある程度の知識があるまどかが主導となってクラスや学校の皆を導いていた。ただ、その混乱はほんの一部分しか収まっていないが。

 

「思っていたより目覚めが早いね」

「キュゥべえ、あなた何か知ってるの?」

「少し前から惑星Tau Volantisの住人……君たち風に名前を言うならロゼッタ(Rosette)という人物がこの事態の対処に当たっているんだ。彼女とコンタクトを取った僕たちは事態の収束に動いていたんだけど」

 

 キュゥべえはそこで口をつぐんだ。解決策は確かに見つかった。

 

「足りないんだ。エネルギーが」

「はぁ!? あんたあたしらからどれだけ取っていったと……」

「違うよ。向こう無限に“月”を停止させるだけのエネルギーをどうやって創りだすんだい?」

「……」

 

 この地球におけるエネルギー搾取は、もはや魔法少女が魔女と化したもの以外の方法……つまり運良く生き残った使い魔が成長したものを使う方針になっている。だからといって別の惑星でインキュベーター的エネルギーの生産をしても、月を封印するためのエネルギーを供給するよりも、消費のほうが早い。だからといって宇宙存続のためのエネルギーを回せば、今度はこの宇宙の崩壊が始まる。

 

「だったら、Markerのエネルギー使おうよ」

「まどか?」

「どうせ目覚めないなら、Markerの無限とかいうエネルギー使ったほうが」

「でも、それだと君たちの側でMarkerは量産される。それこそ発せられる信号が無駄になるだろうけど、君たちの星の精神汚染は避けられないよ」

 

 キュゥべえもできるだけ地球の人類は存続するための方針を取っている。今はそれどころではないかもしれないが、さやかと交わした契約を履行するためにその方針を曲げたことはない。そして何より、一時しのぎでしかない方法は段階的に必要とはいえ、数百年程度しか持たない状態で終わる可能性も高いため、あまり取りたくないのだ。

 とはいえ、取りたくないと取らなければならない事態は違う。

 

「君たちの言うとおり、最後は敵の力をそのまま使うしか無いのが現状だ。ロゼッタたちは自分たちの命運を掛けると言っている。彼女らの策を使うから、今から全魔法少女にはネクロモーフの討伐とこれまで通り魔女の討伐をメインに動いてもらうよ」

「へ、じゃあすぐそこにある月の覚醒はどうするの?」

「残念だけど、まだあれと退治して完全に駆除する方法は無い。これまで君たちの数え方で数千年避けてきた相手だ。こんな短時間じゃ完全な解決法を思いつくなんて無理さ」

「仕方ない、か」

 

 さやかは目線を移して、教室の隅で震える者。怪我の治療のため駆けまわる者、蛮勇を犯して外に行こうとする自殺志願者を見る。

 何も準備ができていない人類は、このままだと自壊する。そんな未来を示唆しているかのような光景だった。誰も彼もが、自分のことばかりで他を見ていない。こうして訳の分からない会話をしているはずの自分たちに、誰も話しかけようとしない。さやかの血だらけの姿と、剣に疑問を投げかけようともせずに目をそらしている。

 

「未来は暗いね」

「安心してくれ。こうなった以上は必ずやり遂げてみせるよ」

「あの世ってのがあるならそこから見守ってるよ。じゃ、あたしはまた行ってくる。まどか……ここをお願いね」

「わかった」

「僕は最悪の事態を避けるため、まどかを守っておくよ。契約以外にも月以上の脅威を捨て置くわけには行かないからね」

「あ、あはは。そういうことだから、安心して行って、さやかちゃん」

 

 まどかも、本当は不安でたまらない。だが彼女のバッグの中には万が一に備えたプラズマカッターが入っているし、なにより不慣れな彼女の周りには2体、キュゥべえの仲間がそれぞれキネシスとステイシスを備えたボディで救援に来ている。

 上條も既にネクロモーフ発生を自衛隊に伝えに行っているため、ここがセーフティエリアになるのも時間の問題だろう。あとはここ以外の住民がどれだけ避難してこれるか。

 

「街行って切り捨ててくる! だから自衛隊の人ら来るまで待っててよ!」

 

 仮教室の全員に聞こえるように言い放ち、さやかはバリケードを戻して教室を出た。

 外に出た途端、近くに血だらけとなったバンテージを拳に巻いた仁美が降り立つ。ここに来るまでに魔女とネクロモーフを次々と屠っていたようで、その顔には疲労が見えた。

 

「お疲れ様ですわ。ここはフットワークの軽い私が守っておきますので、さやかさんは大物の撃破を」

「サンキュー仁美! 任せたよ!」

 

 魔女から取ってきたのだろう。グリーフシードを投げ渡して、仁美は仮教室となっている別邸の屋根に立った。スーパーキネシスで幾つかの木片や、周囲の残骸になった瓦礫を引き寄せると、それらが壁になるよう隙間なく積み込んでいく。どうせ登ってくるネクロモーフも居るだろうが、所詮は格子の外壁。埋められるなら越したことはないという判断からだろうか。

 

 町中に降り立ったさやかは、目覚めかけた月から落下してきた隕石によってほぼ壊滅した見滝原を見回した。Hivemindが暴れた時よりも広範囲に、かつ全世界規模で降り注ぐ衛星攻撃にも等しいそれは、更にネクロモーフのゆりかごとして機能している。

 ほんの一週間。たったそれだけで壊滅しかけた地上の光景に、彼女は拳を握って悔しさを表した。

 

「悔しがっててもどうにもならない、か」

 

 ここらで生きている人間はさやかか、隠れ逃げている生存者だけ。だからこそ狙いやすいさやかを目指して四方八方からネクロモーフが湧いて出てきていた。よりどりみどりのただの的。そうであると判断して、まだまだ人の面影が残りすぎている、半変異状態の敵を切り捨てる。

 本人の意識は残っていることもある。だがもう助からないし、彼らの意志ではなくネクロモーフの殺害と繁殖の本能で肉体の支配権はもう無い。言わば自動車に乗っていて、両手両足を切り落とされた状態で助手席に置かれ、壁に向かって全力でアクセルペダルを押しこむ他人が運転席に座っているというようなものだ。

 死ぬしか無いし、死んだ後も救われない。だったら光が見えているうちに殺したほうが、他への被害も広がらない。

 

 

「小を切り捨てて多くを救う。難儀な事態ね。好きじゃないわ」

「ほむら!」

「キュゥべえから聞いたわ。討伐はひとまず諦めて封印するらしいわね」

 

 キネシスモジュールを一番上手く扱えているのは、やはりほむらだろう。最もアイザックとともにいた時間の長い彼女は、肩に乗せたインキューベーター型増幅器の力を借りながらもスーパーキネシスで順序良く爪をもぎ取り、空中に巻き上げたそれらを時間停止で一つ一つ別の個体に射出。そして停止世界から戻る頃には爪を抜かれて絶命したネクロモーフと、その爪に貫かれた遺骸が一瞬にして量産される。

 時間停止を代わりに使い、ステイシスに割いているエネルギーが無いためか、キネシスはアイザックよりもバリエーションに富んだものであった。

 

「このままじゃ地球は滅ぶし、目をつけられた以上インキューベーターもなりふりかまっていられないみたい。魔女の発生をどうやってか抑えて、全部のネクロモーフ殲滅に魔法少女が駆りだされてる」

「でも、どうやってあんなの封印するのかわかんないよっ! もう!」

 

 言葉を交わしながらも、辺り一帯のネクロモーフはあらかた殲滅し終える二人。インキューベーターの判断でこの区域の異形も狩り終えたと見たか、杏子・仁美・マミとそれぞれの魔法少女も集まってきた。

 どこからともなく、キュゥべえも暗闇の中から現れる。ひときわ異彩を放つ真っ白な体と無機質な目。しかし、どこか焦りを含んでいるようにも見えるのは決して彼女らの見間違いではない。感情とはまた別の、生物的な焦りを覚えているのはこの種族も一緒だということだろうか。

 

「集まったようだね。一応、君たちにも言っておいたほうがいいだろうか」

 

 円卓(キュゥべえ)を囲むように立った魔法少女たちは頷く。

 辺りを見回したキュゥべえは語り始めた。

 

「先に言ったロゼッタについてだけど、彼女とは通信でしか話したことが無かったんだ。だけど、彼女からのアドバイスや技術提供は大いに役に立ってくれている。ただ、少し口を濁した表現があってね。核心に触れようとするとのらりくらりと躱されていた。でも、もうそんな必要も無いからと言って話してくれたよ」

 

 インキューベーターらしくはない、前置きが語られる。

 それから、少しだけ声が震えたように彼は言った。

 

「彼女らの済む星。それこそがThe Moonの全てが反応する親のようなものだったようだ。彼女らは独自に捜査を進めて―――共に氷の中に封印される道へ辿り着いた。安心していいよ。あちらの月が眠れば、連動してこちらの月も眠る。永い眠りか、それともうたた寝かはわからないけどね」

 

 だが、何らかの外的要因で外れるような急遽創りあげたシステムである。生物を対価にしながら、抜き差し自由な鍵とも呼べる機械。これ一つで封印後のタウ・ヴォランティスは氷の惑星では無くなってしまう。

 再度の目覚めが確約されたシステム。だからこそ、ロゼッタは全てが完成してからインキュベーターに全ての技術を譲り渡した。きっと、自分たちの種族では成し得なかったこの技術を進化させ、この脅威でしかない破滅の月に並ぶ者共を屠ってくれると信じて。

 

「それでも、月があるかぎりMarkerは生成されてしまう。そして壊してしまえば魔女結界を取り込んだネクロモーフ何かとは比較にならない規模の被害が巻き散らかされるだろう。Markerは無限のエネルギーを生み出すんだ。一時的なブラックホールの生成に、この惑星が耐えきれるはずもない」

「あんたはソレにどう対応すんのよ?」

「生成されたMarkerはそれ一つで見逃そう。TheMoonの行動原理がわかった以上、Markerが一つある程度じゃ奴らは目覚めない。だから、汚染された人間とMarkerを信奉する宗教を作って、そこに一纏めにして管理する。君たちは、もうこの件に関わらなくていい。これまでどおり魔女と、それに加えて優先的にネクロモーフを殲滅してくれればいい」

 

 キュゥべえたちも完璧ではない。人類は多いし、惑星も多い。知的生命体が存在する彼らが管理している惑星で生成されるであろうMarker。これを未然に防ぐのは不可能だ。だからこそ、衝動的に必ず一つは創りだされてしまうMarkerをあえてひとつ放置する。そしてそこに精神を汚染された生物を押し込め、監視の目が行きやすいように変える。

 そして、地球は大きく技術を進歩させるだろう。今でこそインキュベーターの特権になっているモジュールの技術は普及し、Markerから読み解かれた進歩も同時に。The Moonに喰われて一つの生命体の餌に成り果てる哀れな犠牲者たち。それが必ず出るやり方で決定したキュゥべえは、やはり感情とは程遠い生き物であると魔法少女たちは認識する。

 

「……その宗教の名前は? 私達の知り合いがそんなのに含まれないよう知っておきたいから」

「この地球での名称は―――ユニトロジー。一体化を促進する彼らの行動原理に合わせたものだよ」

 

 

 

 

 数年後、倒すべき強大な敵……The Moonはタウ・ヴォランティスが氷の惑星になることで永い眠りに付くことになった。インキュベーターたちの姿が魔法少女の前に現れることは少なくなり、やがてネクロモーフもとある一国を除いては見なくなっていった。宇宙全土を巻き込んだような大騒動もある程度収まった平和な日々が戻ってきたとも言えるだろう。

 また、インキュベーターは人類の中でもユニトロジーに参加する人間に魔法少女の技術を乗っ取られないようにするため、あのThe Moonが目覚めかけた日々の記憶を薄っすらと忘れさせていく。魔法少女の正体を晒し、賞賛された少女や逆に遠ざけられた少女。それらの武勇伝と悪意のある噂も消え去り、多少の新たな魔女を生み出しながらも、人類の魔法少女は平常運転に戻っていったとも言える。

 

 そんな、平和でとりとめもない日常の中で生きる彼女たちは―――

 

「……各国で相次ぐユニトロジストによる殺人事件。ネクロモーフ出現からの速やかな対処。宇宙航行技術また前進か、前代未聞のワープ航法実現まであと一歩」

 

 新聞の見出しを読み上げる少女は、肩にかかってくるツインテールを払って息をつく。ここの所、世界は急変してきていた。技術的な成長は圧倒的進化を遂げて、そしてこの見滝原のような最新技術を取り入れた試験都市開発は日本全国で行われ始めている。

 車は空を飛び始めたものもある。都会の高層はきらびやかに。反対に、地面に近い場所は近未来SFのイメージでよくあるような小汚さに。

 

 そのどちらでもないが、確実に白い外観が増え始めた見滝原に住む高校生―――巴マミはガラスの三角テーブルにティーカップを置いた。

 

「キュゥべえ。なんで人類の技術を上げたの?」

「アイザックから一度、彼の時代について聞いたことがあったよ。もし、平行世界ではなく時間だけを跳んできたのだとしたら……彼がまた現れるように技術を整えておかないといけないからね」

「アイザック・クラークさん……彼が?」

「MarkerKillerは簡単に言えるようなものじゃない。魔女結界を利用したモドキは多く生成されたけど、あれの汚染は相当悲劇を背負った人間くらいにしか反応しない。本当のMarkerに精神を汚染されながらそれを跳ね除け、そして精神世界で打ち勝つ強靭な意志を持つ生命体。それは感情を持たない僕らでは不可能だ」

 

 希薄な意志しかない彼らでは、汚染された肉体を放置して切り離し、精神を逃がすという堂々巡りしかできない。意志の無くなった肉人形は自壊させる事でネクロモーフにはならないが、それだけだ。彼らの資源が尽きてしまえばその方法すら取れなくなる。

 

「いっその事まどかに願いを具体化させて因果のエネルギーを上手く扱おうという案もあったけれど、どうめぐっても魔女化したまどかが全宇宙を消滅させる未来しか無かったからね。結局今の僕らは、The Moonを殺せる武器を作って、そしてそれを扱える人間を待つしか無い。技術を託してくれたロゼッタの願いは僕らだけでは叶えられない」

 

 インキュベーターの限界がそれだ。万能な悪魔は、しかし全能には程遠いということ。

 

「そう……」

 

 すべてを聞いたマミは、あまりにも壮大な話しに自分がどれだけちっぽけなのかを自覚する。やれることはやってきた。普通の生活を両立させて、それでいて彼女は壁を作ることをやめて、普通に同年齢の友人も多く出来た。だが、それだけだ。

 魔女は相変わらず苦戦するものも多いし、ネクロモーフは殺せるにしてもHiveMindのようなものが再び現れれば、無事で済むとは言えない。これらにしても仲間を手を取り合っての話。アイザッククラークが語るようなたった一人の英雄譚には程遠い。

 

「私は、私に出来ることを続けるわ。それだけ……それだけよ」

「……何にしても、君の一生が6回終わるくらいには時間はある。僕らは、それまでにこの宇宙を救えるような地球人が生まれることを祈るだけだ」

 

 それでも時間が足りなければ、今度はインキュベーターがもう一度タウ・ヴォランティスの「機械」を作動させるだけだ。

 

「ままならない世の中になったものね」

 

 カップの中身は飲み干された。

 底には、一滴の紅茶が残っていた。

 

 

 

 

 そして数十年後。この時代の魔法少女は人間としての死を迎える。老いさらばえた体と、魔女化する前に砕かれたソウルジェムが彼女らの死後の姿。納棺される彼女らの遺体の周りには、彼女らの血筋を受け継ぐ人間は確かに存在していた。

 そして、これまでに様々なことが起こった。

 

 ユニトロジーは世界最大の宗教となったが、相変わらずインキュベーターの手のひらの上で転がされている。地球人類としては手に負えないほど政治的な高い立ち位置の人物が本物のユニトロジストになった際は、インキュベーターが情報操作で処理していたため表面上の平和は維持されてきた。

 そしてさやかの嫁いだ上條家は、ユニトロジストとネクロモーフ問題について最も貢献した名家として世界で取り上げられる。人類差別という形にはなったが、ユニトロジストのトップ層はインキュベーターの手を借りずとも一箇所に押し込められ、強く制限された。

 志筑仁美は、逆に最新鋭の技術を開発する研究者たちのバックとして名を馳せた。そのおかげで、プラズマカッターを中心としたプラズマ技術が発達。Markerの力を借りずともキネシス技術などにも手を出し始めている。

 

 上記のように政治的な発言力の無い魔法少女たちは、各々の役目を果たして一生を生き抜いた。そして、大量のインキュベーターと親族に見守られながら「鹿目まどか」という膨大な爆弾も、爆発すること無く安らかな死を迎える。

 そして魔法少女に匹敵する火力を出せる技術が出回り始めたことで、インキュベーターは地球をエネルギー生成場から、月を殺すための実験場として立ち位置を見直した。魔法少女契約を迫るインキュベーターは消え、代わりに日夜最新技術の引き上げに没頭。やがて魔女は消え、魔法少女は寿命で逝き、科学技術のみが支配する世界へと変わっていった。

 

 全ての要素は、その歴史に入り込んだたったひとつの異物によって収束する。

 

 

 2465年。

 宇宙船の建築家であるポール・クラークとオクタヴィア夫妻の間に子供が生まれる。

 男児には、アイザック・クラークと名付けられた。

 

 彼は機械工学に関心を寄せるが、母オクタヴィアのユニトロジスト化による家財の売り払いと財産の寄付により極貧の生活を強いられる。よって、マイナーな学校に進学するがそこでの奇跡的な出会いにより、学校側から支援される形で良い友・良い師に恵まれた日々を過ごした。

 就職後は、海兵隊に入隊。そこでエンジニアとしての頭角を現し、類まれな才能によりわずか2年で主要航路に携わる地位に。除隊後、サラリーマンとして上級エンジニア・通信技師として働き始める。そこで恋人ニコールとの同棲を始めていたが、数年後、彼女の働く職場からの映像ログによって動き始める。

 

 ……あれから約4世紀。待ち望んだ人物の誕生だった。インキュベーターたちは進学時以外関わっておらず、それからは定められているかのように彼の運命は滑り始めた。

 

 地球人類の見る世界は既に拡散し、火星や土星のコロニーにもユニトロジストとMarkerは生成されてしまっていた。だが、それでも待ち続けたインキュベーターは彼が初めて本物のネクロモーフと接触するそのタイミングで、介入を行う。

 インキュベーターも、この長い年月の中で人類側には知られていた。だが彼らお得意の情報統制と、そのために生み出した魔法少女の手によって表面上は友好的な異星人として世間では認識されている。

 当然、このアイザックもそういう認識だった。

 

 2508年。USG石村へ到着した宇宙船内にて、彼らは邂逅する。

 

「あー、つまりはだ」

 

 刈り上げられた髪を掻いた男性。アイザック・クラークはためらうように言った。

 

「私しか見えていないと、そういうことか」

「アイザック、本当に……その、そこにインキュベーターがいるのか?」

「そうらしい、ハモンド。本当に見えていないのか? 白くて、もふっとした尻尾。それから変なリングと長い耳毛。赤色の目をした変な生物なんだが」

「ああ……どこにいるんだ?」

「私の前の椅子さ。ほらっ、今回っただろう」

「信じられんな。だが、これがインキュベーターか」

 

 まるで珍獣を見るような視線に晒されているが、このインキュベーター……キュゥべえはそれを気にした様子はない。手近なコンソールを操って彼の言葉に目を向ける人物へと文字を表記すると、アイザック自身にもその耳で聞き取れるように同じ内容を語り始める。

 

「これから向かうUSG Ishimuraではネクロモーフが蔓延している可能性が高い。君の恋人ニコールは、あの映像にあるように死亡している可能性もある。それでも君たちには、その中に行ってもらいたいんだ」

「……なんてこった」

 

 キュゥべえがこの艦内にいると発覚したのは、彼らが乗艦して地球圏内を出た頃だった。キュゥべえはそれまで多くを語らなかったが、此処に来て真実の一端をアイザックに告げる。そしてMarkerの汚染領域に入った今、彼らには戦いを促していた。

 

 全てはアイザックにMarkerを殺させるため。実にインキュベーターらしくも、自分で行動に出るというインキュベーターらしくない矛盾した行動。だが、それはかつてアイザックと触れ合ったキュゥべえだからこその判断だった。彼もまた、この500年で内面が大きく変化していたのだ。

 

「名乗っていなかったね。僕のことはQBとでも呼んでくれればいい。これからよろしく」

 

 だが、この時キュゥべえは知る由も無かった。

 アイザック・クラークがこれからの永い友となることを。

 

 

 

 彼女らの物語は、この果てへとたどり着いた。

 たった一つの不確定要素は、いつの間にか世界を変革している。あやふやだったはずの認識は、インキュベーターの認識をも書き換え、確かに存在している脅威として確立された。

 そして彼らが歩むのは、それらの要素が混ぜ込められた新たなる世界。誰が死に、誰が生き、誰が事をなすのか。インキュベーターも未来は見通せない。人類は過去を隠された。

 すべての条件は整っている。

 

 だけどそのオハナシが語られるのは、また別の機会。

 魔法少女たちの歩んだ世界は、こうして収束を迎える。

 




これまで読んでくださりありがとうございました!

以下は色々と描いたもの。
余韻を壊す可能性があるので注意 行間空けます





















ということで完結しました。
一応当初の予定通りの結末を迎えたわけですが、書きだした頃に発売された3の存在どうしようかめっちゃ悩んで、結局絡ませることにしました。といってもほんのちょっとですし、この世界は純正デッドスペースじゃないから結末も違うと思う。

アイザックとほむら。
アイザックとキュゥべえ。
世代が変わってこの世界に生まれた彼らを相棒みたいな感じにしたかったけど、できなかったですね。申し訳ない。

まぁまどかの契約フラグはこうしたほうが折りやすいってのもあって、ああいう潰し方シました。エントロピーどころか宇宙再誕生してインキュベーターも死にたくはないわけです。

さやか達は道中輝くけど、物語が終わってからはある意味で普通の生活というか普通の人間として終わらせてあげたかったので、壮絶な死に方とはかけ離れた、あえて「肩の力が抜ける」ような死に方です。まぁ、名家のお二人は話の関係上色々と持って行きやすかった。あ、描いてないけど恭介くんはヴァイオリンもちょっとは名が売れてます。


そして打ち切りENDっぽい感じについてですけど、この出だしまで持っていくつもりはなかった。
「この世界のアイザック」が誕生した文で締める予定だったけど、キュゥべえとアイザックの相棒要素どうしても入れたいからちょっとだけ文字数追加。まぁ蛇足中の蛇足ですね。


他にも矛盾とか色々抱えてましたけど、私そこまで考えてません。というか考えられません!無責任ですけど、物語なんて所詮ご都合の世界だと割りきって描いてます。リアルを追求したら、それこそ伝記とかエッセイでいいしね!


まぁ長くなったけどこれにて終幕です。今までありがとうございました。
評価とか黄色くなったけど、まぁ仕方無いね。3年もうつらうつら描いてたらそりゃ設定もブレる。今から修正する気力もない!

書くもの終わったんで、今度は新しいの一本だけに絞って今までの反省しながら書こうと思います。就活成功したら安定して何かしだすかもね。大学4年の未来は長いから。


とにもかくにも、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!


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