深海生まれのバガボンド (盥メライ)
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近海警備のエレゲイア

 

 無作為に砲弾の雨を降らす同族達を私はどこか冷めた目で見ていた。海の上にどれほどの未練があるのだろう。その想いを伝える手段として戦うことを選んだ同族は次から次へと沈んでいった。沈められて生まれ変わって浮かび上がってまた沈んで。水底の想いは海の上の彼ら、あるいは彼女らにどれほど伝わっただろうか。返って来る言葉はなく、砲火が答えだったことからして、きっと少しも伝わっていないのだろう。力ある者達ですらそれに気づくのは沈められてから。鎮められてからだ。

 私にも彼女達のような激情があった。身を焦がすような、心を燃やすような、そんな想いがあった。帰りたい場所があった。時が経ち、それが叶わないことを悟った私は戦うことをやめた。気の向くままに海を漂う漂流者になった。時折人間に見つかって面倒なことになったり、艦娘に見つかって雨霰と砲弾のプレゼントを貰ったり、ひたすら空を眺めてみたり、身体を海に投げ出して波に揺られてみたり。命を投げ出そうと思わなかったのは、自分でも不思議に思う。自分の願いが叶わないことを悟って、どうして私はそれでもまだ生きていようと思ったのだろう。私は確か、絶望したはずなのだけど。

 

 

 物想いに耽っていた私の耳にぶうんと風を切る音が聞こえた。見上げれば空の青を切り取って飛ぶ黒い影があった。深海の艦載機は不可思議な挙動で空を飛ぶ。風も切らずにぬらりと飛んでいく。背筋の凍る空の快音は艦娘の艦載機である証拠だ。

 近くに島影なんて見当たらない海に浮かんでいたつもりだったのに、いつの間にか彼女達の拠点の近くまで来てしまっていたらしい。波間に身を任せていると思わぬところに辿りついて面白くはあるのだけど、とても笑っていられない場所まで流れついてしまうことも間々ある。

 あの艦載機はどこに向かっているのだろう。まさか私を探しに飛んできた、なんてことはあるまい。無意識に動いていたとはいえ、一応警戒を解いてはいない。となれば、私以外に同族が来ているのだろうか。だとしたらその子の行いは思慮に欠けている。あるいは情念が行き過ぎている。どちらにせよ、行き着く先は同じだ。

 艦載機が島に戻ってからすぐに艦娘達が海上に現れた。彼女達の向かう先には黒い影が一つ。単独で艦隊を迎え撃てる強大な戦闘力を持つ同族………ではない。人間達がイ級と呼称している小さな同族だ。六隻で編成された艦隊相手では当然ながら勝ち目はない。

 小さな影は一瞬で海中に没した。ここに来た理由も目的も語ることなく、末期の言葉を残すこともなく、跡形もなく、海に沈んだ。警戒を絶やさない艦娘の目は離れて佇む私の存在を捉えたようで、即座に舵をこちらに取りつつ耳に手を当てて何事かを叫んでいる。恐らくは旗艦であろう長いサイドテールの艦娘の叫びを聞くに、どうやら私は彼女達にネ級と呼ばれているらしい。

 私に攻め込むつもりはない。黙って撃たれるつもりもない。彼女達と打ち解けるつもりもない。選ぶは逃げ一択だ。

 踵を返した私の背中を艦娘達の声が叩く。逃げていればそのうち追跡を諦めるだろう。艦娘達は基本的に海域制圧を目標としている。はぐれの一隻二隻、気にはするだろうけれど追いすがってまで沈めはしない。

 

 たった一隻で艦娘達の拠点に入り込んだ同族。彼女達は瞬く間も無く沈めてしまったけれど………あの子も、帰りたかったのだろうか。

 

 

 

 

 

 波間に揺られながら、想う。私の漂流は永遠には続かない。いつか終わりが来る。私が私である限り、艦娘との対立は避けられない。私達はわかりあえない。顔と一緒に主砲を向けあい、言葉の代わりに砲弾を交わす。そうしていつか、私は沈んでいくのだ。それがいつになるかはわからない。水平線に沈んでいく太陽を、夜闇をそっと遠ざける月を、私はあと何回見られるだろう。

 

 

 わかっている朝が来ますように。願わくば、夜の海に沈みたい。私の身体が煌々と燃えて、それはそれは綺麗な夜になるだろう。

 

 

 

 

 




思いついたものを好き勝手に書き殴っております。ちまちま続けられたらな、と。





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珊瑚姫様のラクリモーサ

 珊瑚礁が欠けた輪を象る海にいたころは、私は真面目に戦っていた。ちゃんと主砲を撃って、ちゃんと魚雷を放って、しっかり狙って空をゆく艦娘の水上爆撃機を撃ち落としていた。

 当時は仲間達と肩を並べて戦っていたものの………「仲間達」と言いはしたものの、私達の間に仲間意識というものは正直なところあまりなかった。あるにはあったけれど、優先してはいなかった。庇いはするが、助けもするが、そういった行為は意識的に行うものではなく、気づけばそういう風に身体が動いていたという程度のものだった。

 それはつまるところ、私達の無意識下には「仲間を助ける」という想いがしっかりと刻み込まれていることを示すのかもしれないけれど………そんな考えに至ったところで仲間を置いて一人で放浪している私の現状を鑑みるに、果たして私にそんなものがあるのだろうかと考えると、とてもじゃないが胸を張って是という答えを返せそうにはない。

 

 ここにまだ同族がいるならば今頃は私が襲うべき敵かどうか判別していることだろう。同じ海を歩く存在である艦娘と私達の区別をどうやってつけているのか私にはわからないが、もう少しして撃って来なければ仲間と認識されたと判断しよう。

 もしも撃たれたら………その時は撃たないでと懇願しようか。

 

 ………私がまだ戦う意思を持っていたころ、ここに来る艦娘達に私の装甲を貫ける者はほとんどいなかった。それが良かったのか、あるいは悪かったのか。きっと良くはなかったのだろう。

 

 彼女達は私を避ける航路を取るようになった。この海域の奥に漂う同族を直接仕留めるために私との接触を避け、そして見事に目的を果たした。気づいた時には、もう終わっていた。駆けつけた時には、もう誰も立っていなかった。

 憂いを湛えた無表情で月を眺めていたあの子は、月が綺麗と泣いた。それが最期の言葉だった。

 

 

 

 

 

 艦娘達がすでに制圧してしまった海域ではあるけども、しかし同族達は姿を消したわけではなかった。気まぐれに私が訪れたように、海面にひょっこり顔を出している同族の潜水艦がいるように。すぐに海に引っ込んでしまったけれど。

 警戒しているということは、警戒する必要があるということ。今でも艦娘達はここを訪れるのだろう。あの頃より力をつけているとしたら私の装甲も過信してはいけないかもしれない。

 あの子が最期に浮かんでいた場所はどの辺りだっただろうか。あの夜は、月が綺麗な夜だった。

 

 

 どれくらいの間ぼうっとしていただろう。私にはもう戦う意思はないけれど、この海は四六時中戦場だ。いつでもどこでも誰かが戦っている。どこに艦娘がいたって不思議ではない。だから私の目の前に艦娘がいても、それは至極当然のことなのだ。

 砲を向けられてなお呆けていられるほど私は無気力ではない。しかしながら、交戦の意思がないことをわかってもらおうなどとは最早思ってもいない。背中を見せればきっと撃たれる。さて、どうしたものだろう。

 少し遠くで同族と戦っている彼女達は上手く連携の取れる錬度の高い艦隊のようだ。五隻の艦娘と五隻の同族。艦娘は通常、六隻で一つの艦隊を組むはずだけれど。

 あと一隻はどこに………あぁそうだ、私の目の前にいるのだった。小さな主砲を突きつけてくる駆逐艦がいたのだった。何故か艦隊を離れ、私の前に一人で立つ駆逐艦が。

 

 黒を基調とした制服に真っ白な帽子。緊張が抜けきらないのか、私を睨みつける表情は固い。………あの子にもこんな顔が出来たのだろうか。

 

 歓喜か懐古か、それとも他のなにかが背中を押したのか。私はほとんど無意識に彼女に近づいた。無遠慮に、無防備に。

 無言で放たれた砲弾はしかし、私の肩を掠めるだけだった。緊張からか、あるいはわざとか。

一歩近づくと一発、もう一歩近づくと更に一発。私はなにもしていないのに、彼女は一つも当てられなかった。弾切れを告げる金属音が連続で響くと引き締めていた表情が一気に青ざめた。

 そんな彼女の目の端に光るものが見えた気がして、思わず手を伸ばしてしまった。逃げればいいのに、彼女は動かなかった。もしかしたら動けなかったのかもしれない。恐怖故か、驚愕故か。

 額や鼻先にも同じ光るものが見えて、それが涙ではなかったことに胸を撫で下ろした。指で拭うと見間違うこともなくなった。

 聞こうと思った。あなたの眼に映る月はまだ綺麗ですか、と。でもやめた。代わりに月が綺麗ですよと言おうと思ったけれど、それもやめた。残念ながらと言うべきか、今日は新月だった。

 いつもより闇の深い夜。いつもより星がよく見える夜。星空。夜景。綺麗かどうかなんて、言うまでもなく、聞くまでもない。

 今更なにをやったって、あの夜に誰も助けられなかったことがなかったことになりはしない。それでも、私の指を汗で濡らした彼女の眦に、再び涙が零れることがありませんようにと願うことくらい、どうか許してほしいと思うのだ。それを請うべき相手は、もう海の上にはいないのだけれど。

 

 

 戦いを終えて集まり始めた艦娘から離れるように私は踵を返した。気まぐれでも起こしたのだろうか。背中を撃たれることはなかった。

 

 

 




タイトルを考えるのがどうにも苦手でなんとか捻り出しているのですが、そんなに深い意味はなかったりします。


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破邪顕正の無慈悲なマーチ

 フードを被ったシンカイセイカンに気をつけて。

 いつだったか、艦娘達の無線を偶然傍受した時に聞いた言葉だ。シンカイセイカンという言葉が何を指しているのか最初はわからなかったが、フードを被っているという特徴でそれが誰を指しているか私にはすぐにわかった。

 狂気の笑顔だとか、破壊の権化だとか、艦種詐欺だとか、いろいろ言いたい放題言われていたけれど、どれもあの子を正確に言い表しているとは思えなかった。確かに砲戦や航空戦で凄まじい火力を発揮していたけれど、でもだからと言ってあの子は戦うことに楽しさを見出していたわけではない。

 ………まぁ、それらは私の思い込みかもしれないし、勘違いかもしれない。そうであって欲しいという願望かもしれない。そうあって欲しいという希望を押しつけているだけかもしれない。ただ、そう考えるに足るだけものがあの子にはあった。砲火を介してしか向き合わない艦娘達は知らないだろう。肩を並べて戦っている同族達も知らないはず。もしかすると本人でさえ知らなかったかもしれない。あの子の笑顔はとても可愛いのだということを。

 

 

 

 私とあの子は少しだけ似ていた。尾のように伸びる艤装はあの子と私以外に持つ同族はいなかったように思う。似ているのはそれだけで中身は全く似ていないのだけど、あの子にはなにか思うところがあったようで妙に懐かれた。四六時中一緒、とまではいかないがあの子が腰を据える海域にいる間はほとんどずっと一緒にいたように思う。

 きっと私しか知らないのだろうけれど、普段のあの子は柔らかい笑みを浮かべる。私達を沈めることに時間も労力も惜しまない人間達をして狂気と言わしめるあの笑顔は、戦いを離れれば全く見られない。なんというか、あの笑顔は戦いに臨む仲間達のために浮かべるものなのだ。

 おそらくだけど、あの子は自分の強さを自覚していた。それがどう思われているか、どう振る舞えば相手が自分を恐れて攻め込む足を止めてしまうかわかっていた。だからこそ威嚇の為の笑顔を浮かべていたのだろう。狂気だなんてとんでもない。あの子は全くの正気で、そして仲間思いだった。

 

 

 

 あの海には特異とでも呼ぶべき同族があの子の他にもう一人いた。あの子と一緒にたった二人で空を埋めてしまえるほどの暴力的な戦力を持つ、空母に類する同族だった。全て自分に任せろと言わんばかりの存在感を発揮するあの子とは対照的に、個で持つ戦力にまるで見合わない儚い雰囲気を纏っていた。

 彼女は戦いを避けようとしていた。戦わずに済む道を探すかのように。戦いさえしなければ手を取り会える日が来ると信じているかのように。

 あの子はそんな彼女を守ろうとしていた。彼女に寄りそう同族も、同じ海域に漂う同族も、みんなまとめて守ろうとしていた。あまりの強さに同族にすら恐れられ、遠ざけられても。誰も隣にいなくなってしまっても。

 あてのない放浪に戻る私を引き留めようと思えば出来ただろうに、あの子は何も言わず静かに私を見送った。別れ際に浮かべていた笑顔は少しだけ寂しそうだった、気がする。

 あの子の顔を見たのはそれが最後。もう随分と前の話だ。

 

 

 

 

 

 戦いを避けていたはずの彼女が艦娘達の前に立ちはだかり全力を振るう姿に自分の目を疑った。私の知る限りにおいて最強と言ってもいいくらいに強い艦隊だったのに、再び彼女達の海を訪れた時にはその勢力を大きく削られていた。黒く覆い尽くしていたはずの空は眼が眩むほどに青かった。

 彼女は膝を折らなかった。艤装を破壊され戦う術を失っても。ただの一人も仲間がいなくなっても。儚さの面影もない鬼のような表情を浮かべていた。吊り上がった左目から零れる燐光が涙のようだった。艦娘達にその顔は見えていただろうか。

 戦いの終わりを告げたの小さな砲声だった。最後の一発を放った小さな艦娘は撃った体勢のまま静かに笑みを浮かべていた。達成感からだろう。安堵からだろう。強者が犇めく海域の、困難極まる攻略を成し遂げたのだ。勝者には笑顔が似つかわしい。歓声があり、凱歌があってしかるべき。故にその笑顔は至極自然で当然のもの。だけどどうしたことか。私にはその笑顔こそが狂気に見えるのだ。

 

 

 

 私達ですらよくわかっていない私達のことを人間はどうして悪いものだと決めてかかるのだろう、などと被害者ぶるつもりはない。私も同じ立場になれば同じことをするだろう。あの艦娘の矮躯にどれほどの命が背負われているのか、一応は知っているつもりだ。撃って壊して沈めるしか能のない私にも人間側の事情を察することくらいはできる。彼ら彼女らにとって私達がどれほどの脅威なのか十分理解できている。

 でも、だけど。思わずにはいられない。考えずにはいられない。

 連戦により激しく消耗していた艦娘達は私への警戒を絶やすことなく、かけらのほどの油断もなく撤退していった。新たに現れた私を、不倶戴天の敵であるシンカイセイカンを見つけても戦わず撤退することを選択できるのなら、彼女達を放っておいてくれたってよかったじゃないか。

 

 

 

 絶望の理由を思い出す。私の願いはどうして叶えられないのか。それはとても簡単な話で、私の帰りたい場所に私の居場所はもうないからだ。そこはもうおかえりという言葉が私を出迎えてくれる場所ではない。海に還れと撃たれるだけだ。

 それならそれで静かに漂っていられる場所があればいいと思っていたけど、人間達はそれすらも許してはくれないようだ。正義の味方は正義にしか味方する余裕はないらしい。悪と見なされた私達に味方してくれる誰かさんはいないものだろうかと考えて、あの子の顔が思い浮かんだ。強くて可愛くて心優しい深海のヒーロー。

 一つくらい救われる話があってもいいのに、私達は沈むばかりだった。




レ級さんが首に巻いてるやつ、ずっとマフラーだと思ってたけどよく見たらネックウォーマーっぽい。
画面見てない証拠ですね。だから中段も見えない。


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焼け落ちた海と鉄錆のアリア

 艦娘達、ひいては人間達の生命線、鉄や油といった資源の多くは海を渡らなければ手に入らない。私達と違って必要な物が多い艦娘達はともすれば戦闘以上に気にかけなければならない。物資の補充が滞れば簡単に戦線は崩壊する。そうなってしまえば後に待つのは惨劇だ。

 対して私達は補給や物資の補充に関してほとんど気を払う必要がない。私達にとって海は庭のようなものだ。どれだけ荒れようが歩くのに苦労することはない。艤装の修理だってさして気にする必要はない。私達の身体は朽ちた鉄と澱と不穏な何か、ようは海に沈んだ物で出来ている。言ってしまえば身体は海で出来ている。修理に必要なものはそこら中に転がっている。

 気を払わなければならないのは弾薬くらいのものだ。例えそれが尽きてしまってもすぐに戦線崩壊したりはしない。艦娘のように一々拠点に戻らなくてもちょっと下がれば補給出来てしまうのだから。

 

 

 私達の出現と合わせてかやや遅れてか、なにもなかったはずの海域に突如として島が現れるという現象が世界各地で発生した。不思議で都合のいいことに、そこには豊富な資源が眠っていた。艦娘ですら踏み入ることのできない島が私達の資材庫だ。そこから補給艦によって各地の同族に届けられる。艦娘達が捕捉している補給艦は全体のごく一部でしかない。故に私達はどこにでも、いくらでも遊弋していられる。

 艦娘にとっては悪夢のような事実だろう。この海に存在する全ての島を制圧しなければ私達の補給線を絶てないのだから。

 同時に、考えようによっては大したことではないとも言えるだろう。どんな海域でもほぼ無限に補給できる状況にありながら、私達は敗北を重ね続けているのだから。

 

 

 新たな島の出現によっていたるところで海流の変化が起きた。場所によっては船の進行を妨げるほどの大きな変化だ。艦娘ですらその影響からは逃れられないらしく、四苦八苦している様子を見たことがある。

 何度も翻弄される内に乗り越え方もわかってくるもので、艦娘達が海流の影響を受けてまともに戦えなかったのはごく最初期だけだ。人間達はさほど長い時間をかけることなく海流の踏破と私達の打破を並行して行うのに最適な編成を編み出した。

 私達とてただ攻め込まれるのを黙って待っていたわけではない。大小様々な島や複雑な海流を盾に、艦娘達に不利を押しつけられるよう作戦を立てて布陣した。これがただの艦船であったならば結果は一方的だったろう。戦闘とは名ばかりの蹂躙戦が繰り広げられていたはずだ。それだけのものを私達は練り上げた。

 結果だけを見れば確かに一方的ではあった。私達の連敗記録は今も伸び続けている。

 

 

 私達の資材庫である島には少なくない戦力が常駐している。空母よりも遥かに戦闘機運用に長けた同族が配置されているため、いかに歴戦の艦娘であろうと簡単には落とせない。遊弋しているいくつもの艦隊のおかげで島に近づくことすら容易ではない。

 仲間意識というものが薄い私達にしては本当に珍しい、協力して築き上げた防衛線だった。明確な目的を持たずに海を彷徨う私達が真面目に戦うことに備えをしていた集団だった。

 私の知る限りで最も長く抗戦していられた艦隊だ。敗北の記録はいまだ途切れていない。

 

 

 強力な艦隊を組んで攻め込んだ同族は悉く撃破された。守りを固めた同族は堅いはずの守りを貫かれて資材庫ごと吹き飛んだ。この目で見たわけではないけれど、かつて同族がいたはずの海が、島が、それを教えてくれる。なにもかもがなくなったことを、嫌というほど、嫌になるほど。

 艦娘が海を取り返しきれないのは私達があまりにも強いからではなく、絶対数が尋常でなく多いからだ。私達は個々の力では勝っていても組織としての力はどうしようもなく負けている。戦う前から敗北している。まともな思考能力のある人間なら白旗を振る状況だ。

 残念ながらと言うべきか、私達は人間ではないし、そもそも勝ち負けなんてどうだっていい。ただそれぞれに叶えたい何かがあるだけだ。

 

 

 

 仰向けのまま身じろぎ一つせず波に揺られている艦娘を見つけた。戦いの後のようで衣服はぼろぼろで艤装もほとんど脱落していた。同族の姿がないということは、勝利したのは彼女なのだろう。

 周囲に他の艦娘の姿はない。彼女だけが流されてしまったようだ。波に揺られ続けて幾分冷えてしまっている上に意識もないけれど、息はある。触れた頬から命の温かさを感じた。私達にはないものだ。

 艦娘は彼女一人。私も一人。いまだかつてない、二度と来ないであろう状況に少しだけ好奇心が疼いた。

 固く抱き締めた左手にはなにがあるの。心臓でも頭でもなく、その手を守っているのはどうして。

 聞いてみたい。答えてほしい。なんの為に戦っているのか。この問いに返ってくる答えを、私は知っていた。

 

 

 

 

 向き合えば撃ち合うしかないと言ったのは私だ。これはただ、その通りになったというだけのこと。

 艦娘と私を引き離す砲弾は腕をかすめて海に消えた。不思議なことに、撃たれた腕よりも胸の方が痛かった。




じっとりする時季ですが、梅雨は結構好きです。洗濯物さえ乾いてくれれば。


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雷声の凍みるスケルツォ

 私達は温かさというものに馴染みがない。反対に、冷たさというものはよく知っている。

 海は私達の母で、揺り籠で、庭で、永の寝床。生まれ落ちてから死に沈むまでずっと海にいる。そのためだろうか、寒さに身体を蝕まれたことはない。生き物らしからぬこの身体でもって海の果てに逗留していれば砲火の巷から逃れられる。他の海と比較すればほんの少し長く、という程度だけれど。

 極寒の海にも艦娘は現れる。それも全くと言っていいほど防寒具を着用せずにだ。きっと戦闘の邪魔になってしまうのだろう。寒さには強い私達だけれど、氷山を背景に見る薄着の艦娘は少しばかり目の毒だ。

 震えながら海を走る艦娘はとても恨みがましい目でこちらを睨みつける。それは彼女達が敵意以外でぶつけてくる数少ない感情。なんて寒いところに来させるんだという自己本位の感情だ。そういう姿を見ると、少し安心してしまう。

 同じ海に在った想いから生まれた彼女達にはたくさんの心がちゃんとある。水底は仄暗いだけではないのだと、他でもない彼女達が教えてくれる。

 そんな彼女達の姿はとても可愛らしいと思う。とはいえ、怒声と一緒に砲弾を飛ばすのは出来れば遠慮してほしいと思う。

 

 

 私達は温かさというものに馴染みがない。熱さなんて尚更だ。

 撃たれた腕を海に浸していると痛みが少しずつ和らいでいく。じわじわと身体を苛んでいた熱が引いていく。戦っていた頃より治りが遅いのは艦娘達の性能が向上しているということだろうか。あるいは私が鈍ってしまったか。

 そんな私の様子を少し離れたところで眺めている同族がいた。私の腰ほどにしか背丈のない、人型の小さな同族。心配して見に来たというより、自身が身を置く海に異物がやってきたから様子を見に来たといった風だ。

 いつだったか、彼女と話をしたことがある。小さな胸に抱いた願いは海の平穏。いつかいつかと願うささやかなもの。冷たい海に温かな時が流れる日が来るのを待っている。

 傘と呼ぶには歪で無骨な鉄塊を携えた姿に違和感を覚える。私達に雨具は必要ない。濡れたからといって身体が不調を来たすことなどない。雨の中でも傘を差さずに撃ち合うのが私達だ。雨粒が身体を濡らす暇もないほどの砲火の熱さを押しつけ合うのが艦娘だ。雨なんて戦場を彩る舞台装置にすぎない。

 もしかすると彼女なりのお洒落なのかもしれない。厳寒と風雪に苛まれながらも身だしなみに気を遣う艦娘の姿に感化されたのだろうか。もしそうだとしたら、それは良い傾向だと私は思う。

 撃って撃たれて。焼いて焼かれて。そうして沈んでいくのが私達だけれど、戦う以外に出来ること、やりたいことを見つけられたなら。

 想像する。綺麗な服を着て海を走る艦娘のように、お洒落に着飾った私の姿。暗い鉄の黒じゃない、煌びやかな色に身を包んだ姿を。

 似合わないと自嘲するよりも先に、水面に映る深淵の怪物があり得ないと嗤った。

 

 

 私達は温かさというものに馴染みがない。沈められた鉄が私達の体温。冷たくて、死んでいる。

 この身体には最初から命が宿っていない。脈を打っていない。血が流れていない。それでも私達は生きている。

 身を焦がすような、心を燃やすような、そんな想いがあった。私の激情は何処にいったのだろう。

 ひとつ瞬きをする間に水平線が九十度傾いていた。不意に長く続いた暗転と予想もしていなかった明転。撃たれたと気づくまでに何秒もかかった。驚いたけれど痛くはない。

 遠くに艦娘の姿が見えた。随分と遠くから当ててくるものだ。相当に良い腕をしているらしい。当てずっぽうだったと思えないのは、私を撃ったであろう艦娘があまりにも鋭い眼をしていたからだ。偶然が生んだ不運などではなく、当たるべくして当てられたとしか思えなかった。傷をつけるには至らなかったけれど体勢を崩すには十分だった。

 立ち上がろうと海を踏む足元が覚束ない。頭部への直撃弾は私の身体を傷つけはしなかったが、大きな影響を残していた。視界が揺れる。手も足も上手く動かせない。

 蹲る私に送られたのは慈悲ではなく、次なる砲撃でもない。もちろん救いの手でもない。幾条もの航跡。小さな艦娘が大物喰いを成し遂げるための必殺の雷。

 揺れる視界を掠める古い記憶。在りし日の最期。私の残映。

 小さな同族は上手く逃げられたのだろうか。そういえば、あの子に言い忘れていたことがあった。

 私には帰りたい場所があるんだ。今はもう、叶いそうもないのだけれど。

 

 

 

 私達は温かさというものに馴染みがない。馴染むことはない。

 きっと、永遠に。




先日、初対面の方に「世の中を斜に見てそうな目をしてる」と言われました。どんな目してたんでしょう、自分。


覚えている限りの他人からの評価やなんやをまとめると「世の中を斜に見てそうな目をした初対面で絶対友達になれないと思った高機動ツンデレモアイ」となります。
新しい敵でしょうか。


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轍を踏む鉄靴のポロネーズ

 目を開けるという簡単な動作すら億劫なほど身体が重かった。波に揺られる度に鈍い痛みが全身を巡る。

 存在を丸ごと塗り潰すかのような雷撃の斉射を受けながらも私は沈まなかった。悪あがきのように撃った魚雷が爆発を上手い具合に相殺でもしたのだろう。一方的に攻撃されていた状況から逃げ切れたのは僥倖と言うほかない。無事に、とはいかなかったけれど。

 脚部艤装はほぼ全壊。腰部から伸びる艤装は主砲が一基吹き飛んでしまっている。辛うじて航行可能ではあるけれど戦闘に堪え得る状態ではない。今の私は動く的だ。

 海にいれば治るはずの身体は全くと言っていいほど回復が進んでいなかった。以前撃たれた腕は痛いまま、新たな傷は治る気配を見せない。更によくないことに、私がいるのは同族の補給艦の航路の一つだった。資材を満載して彼方の同族の許へと運ぶ補給艦はこの海域を越えた先に姿を現したことはない。それが意味するところは、今の私にとって死の宣告のようなものだ。

 八方塞がり。絶体絶命。孤立無援。絶望を意味する言葉ならばなんでも当てはまる状況だ。どんな奇跡が起きればこの状況を打開できるだろうか。

 近くの島に身を潜めようにもここは艦娘の制海圏と言ってもいいような海だ。身を隠す場所があるかどうかも疑わしい。上手く隠れられたところで救援なんて来るはずもない。

 手詰まり、ないしは王手というやつだ。王なんて柄ではないけれど。

 

 

 いつか来るだろうと思っていた最期はすぐそこに来ていた。傷ついた身体ではロクに動くことも出来ず、無闇に動けば見つかる可能性が高まる。一度でも見つかればそれでおしまい。本当に、どうしようもない。

 もう、いいや。ここで眠ろう。全てを海に投げ出してしまおう。別に構わないはずだ、生き延びる意思もないのだから。一人ぼっちの航海にしては長く持ったじゃないか。

 不貞腐れているうちに、私は自分にずれが生まれていることに気付いた。

 これでいいやなどと本当に思っているのなら、私の行動には矛盾がないか。水面に映る私は遣る瀬無さを眼に滲ませていた。

 

 

 生き延びる意思がないのなら、どうして私は抗った。何故傷の治りを待っている。あの雷撃を耐える必要なんてなかった。あの場で沈んでしまえばよかったのだ。

 終わりを先延ばしにしたのは、まだ沈みたくなかったからではないのか。

 今更沈むのが怖いなんて言わない。もっと生きていたいなんて言わない。死ぬるべき時節はすでに訪れている。

 絶望したと言いながらその実、まだ諦められずにいるのではないのか。

 

 

 濁る思考とは裏腹に、冷たい身体が熱を持った気がした。

 私の漂流は永遠には続かない。どうせ終わりは来るのだから、いっそこちらから迎えにいってやろう。

 いつだったか、死に化粧に炎を望んだ。いいじゃないか、今際の望みが一つ増えるくらい。

 

 

 これは生きようとする意思ではない。終わりに向かっていく意思だ。とても後ろ向きな前進だというのに、私の心は未だかつてないほどに晴れていた。

 生き延びてやろうと思わなくなったのは随分と前のことだ。かといって死を避けるでもなく、のんべんだらりと漂っていた。

 私は今、死んでいくことを決めた。治らない身体を引きずって進む死に損ないの行軍を始めよう。

 

 

 誰にも受け入れられなくていい。誰も迎えてくれなくていい。最後まで敵として在り続けよう。海を蝕む悪魔で在ろう。そして、人間の望む平和の礎になろう。

 壊れた艤装がしっかりと海を踏んだ。痛みは消えないけれど、気にならなくなった。

 状況は何も変わっていない。いつ艦娘が現れるかもわからないし、身体は全く治っていない。それでも不思議とこの状況をなんとか出来てしまったような気がしてしまっている。

 これが全くの勘違いの産物でも、自棄を起こした思考の結果でも構わない。パンドラの壺の底に残った偽りの希望でもいい。諦めきれない絶望も喜んで享受しよう。

 おそらくは柔和に歪んでいるだろう私の目が雷跡を捉えた。艦娘の姿は見えない。おそらくは潜水艦だ。うだうだと悠長に思い悩んでいるうちに捕捉されていたらしい。

 歴史は繰り返すと言うけれど、知ったことか。私が沈むのはこの海じゃない。

 

 

 悲鳴のような砲声を響かせながら大きな水柱が空を衝く。長らく使っていなかった上にまともな状態ではないけれど主砲はなんとか作動してくれた。壊れてしまってもいい、今この瞬間さえ持ってくれれば。

 波濤を砕き、事のついでのように迫る魚雷を吹き飛ばし、姿の見えない艦娘を追い払うように手当たり次第に海を撃った。傷ついた足の三拍子。片欠けの砲の四拍子。型もあったものではない、火薬に塗れた独りぼっちの舞踏。

 この海域に現れる艦娘はこんな砲撃に巻き込まれるような手緩い相手ではない。無差別に撒き散らされる砲弾に少しは難儀したようだけれどかすり傷もなく撤退していく背中が見えた。

 長い漂流の間に帰りたい海がどこにあるのかわからなくなってしまっていた。今の私は手を引いて貰わなければ行きたい場所にも行けない迷子だ。案内人は追い払った艦娘が務めてくれるはず。

 退いていく彼女達の背中に裾をつまんで気取った礼を捧げる。どうか彼女達が私の八咫烏になってくれますように。

 

 

 願い叶って目的の場所に辿りつけたら。その時になにを言うか、もう決めている。返って来るものもわかっている。

 起死回生の遠い親戚。数手後には詰んでしまう反撃の狼煙。会心の悪手を打ちに行こう。

 故郷に帰るんだ。私の漂流は、そこで終わる。




空気のみっちり入った風船は今にも割れてしまうかもしれないし、手を離せばどこに飛ぶかわからない。ターゲットランダムの空飛ぶびっくり箱。傍迷惑。
風船に他意はない。空気が尽きるまで飛んでるだけ。



このネ級さんはそんな感じかもしれない。


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神の戸に浮かばれぬ音のレクイエム

 天候に恵まれない不運は何年経っても健在らしい。

 灰色の空を映して海は鈍色。思い立ったが吉日と足を向けてようやく辿りついたと言うのに。

 しかし不運は私の命までは奪えなかった。それどころか、内海に入り込んでいるのに誰にも気づかれていないという凄まじい幸運を手にしているのだけれど、素直に喜ぶことが出来なかった。

 私を出迎えたのはまるで他人のような港だった。緩く曲線を描く不可思議な建物。その形状で立っていられるのか不安になるような大きな塔。

 踏みしめる海の温度を私は知らないし、髪を揺らす風は私を知らない。

 それでも胸が懐かしさで軋む。ここが私の故郷なのだと、私だけがわかっていた。

 

 

 停泊している船のなんと大きなこと。戦うための船ではなさそうだけれど、あまりの大きさに圧倒されてしまう。煌びやかな意匠に目が眩む。鮮やかな白に溜息が零れる。この時代の船はなんて綺麗な姿で生まれてくるのだろう。羨ましい限りだ。

 内海にあるが故に平穏を保つ港には多くの人間達が歩いている。生きているのが楽しそうな顔。誰一人として戦う者の顔をしていない。

 目を凝らせば建物には多くの照明が設置されているのが見える。曇り故の薄暗さではなく夜闇の下であったなら、それはそれは絢爛たる眺めになっていただろうに。色とりどりの光が、今は勿体ない。

 少し離れたところには空を裂くような大きな橋がかかっている。あの上に何隻の船を並べられるだろう。そんな益体もない考えが浮かぶほどに巨大な橋だ。

 

 

 かつての生まれ故郷は記憶にある姿と大きくかけ離れてしまっていたけれど、それに悲嘆する必要なんてない。私は何を不貞腐れているんだ。知らない顔を見せる海も楽しんでしまえばいい。

 もっと見たい。もっと知りたい。ここには何があるのか。夜が更ければ海はどんな顔を見せるのか。朝焼けの海にはどんな風が吹くのか。どんな人間がいて、どんな風に育っていくのか。故郷の美しさを語るには、どんな言葉を並べればいいのか。

 私は帰ってきた。長い航海を経て、満身創痍ながらも。郷愁の横たわる僅かな距離。手を伸ばせば、届いてしまいそうで。でもそれが叶わないことを、私は知っていて。

 僅かな距離を警報が遮って、二度と届かなくなった。

 泣いてなんかいない。私は楽しんでいるのだから。

 

 

 海沿いを歩く人間達が海に立つ私の姿を捉えた。大半が恐怖に顔を引き攣らせてすぐに踵を返してしまった。

 建物から光が消えた。同時に、避難を呼びかける声が響いた。

 大きな船からもたくさんの人間が出て行った。積荷を運んでいた人間も作業をやめて逃げ出してしまった。

 穏やかな海を引き裂く波折り。両手の指ではとても数え切れない。

 故郷との再会を許してくれた深海の奇跡は、その代償に人間の希望で海を埋め尽くした。

 

 

 たくさんの知らない顔が並んで私を睨みつけている。私の後ろに浮かぶ人間の船が砲撃を躊躇わせていた。せっかく綺麗な船なのに傷つけてしまうのは勿体ないから、少しだけ歩こうか。

 足を引き摺る私に合わせて艦娘達もゆっくり移動する。逃げられないように、あるいはどこを撃たれても庇えるように、私を包囲しながら。心配しなくても私の砲はもう動かないのに。

 知らない顔の中に紛れこんでいた知っている顔を見つけた。珊瑚の海で見たあの子。元気そうでなによりだけれど、その眼は少々優しすぎる。あの夜のように毅然と睨みつけるべきだ。隣の艦娘と何をお喋りしているのかはわからないけれど、砲を下ろすのはお勧めしない。私はあなた達の、ひいては人間の敵なのだから。

 彼女のお喋りを皮切りに動揺が広がっていく。何故撃って来ない、どうして何もしない。そんな言葉が聞こえてくる。

 人間の巻き添えを考えなくていい場所まで離れても艦娘達は撃って来ない。私が敵だとわかっているのだろうか。

 不意に当てられた光に目が眩む。ようやくか、と身構えても砲弾は飛んで来なかった。どうしたことかと目を開けると飛び込んで来る柔らかな正体。曇り空に一筋の切れ間があって、光芒が私を照らしていた。

 使い所を間違えた奇跡に思わず頬が緩んでしまう。そんな綺麗な光で私を照らしてどうするんだ。

 

 

 たくさんの知らない顔の中に一人だけ、どうにも初対面だとは思えない艦娘がいた。白藍の長い髪。輪を抜けて私に近づいて来る。名前を呼びながら、縋るように。

 不思議と懐かしさのようなものを感じるけれど、これはどちらにとっても勘違いだ。私に名前なんてないのだから。

 長い髪を引き留めようとする者と迷って動けない者。私が腕を上げると皆が揃って身構えた。指揮者にでもなった気分で少しだけ胸が躍る。お見送りの楽団は恐縮してしまうほど豪華な顔触れだ。かつての古兵でも私ほどの贅沢が出来た者はいないだろう。爆撃の余波を考慮してか、空母に類する者はいないけれど。

 私の身体はもう限界のようで、腕を上げているのも辛い。そろそろ、終わりにしよう。

 構えるがいい、艦娘達よ。私はあなた達の絶望だ。

 

 

 油断するな。隙を見せるな。手負いとて甘く見るな。瞬きの間があれば一捻りで黙らせてやれるのだから。

 手加減も遠慮も容赦もいらない。救いの手など必要ない。引き鉄にかけた指は何があっても外してはならない。

 目を閉じるな。目を逸らすな。深海を相手に優しさは美徳とは限らない。私を、敵を睨み続けろ。

 あなた達の背中に何があるのか思い出せ。優先するものを間違えるな。

 何も想うな。私一人に拘るな、拘うな。敵は敵であって敵でしかない。

 砲を向けられて身を竦ませるな。恐怖は身を滅ぼす毒だ。撃たれる前に撃ってやれ。ちょうど今、あなたを守ってくれた仲間のように。

 

 

 仲間想いの砲撃は私の胸を正確に撃ち抜いた。力の入らなくなった身体がひとりでに空を仰ぐ。港はもう目に入らない。

 堰を切ったように続いた砲撃は全て過剰で無駄な攻撃だったけれど、それは残酷な行為ではない。仲間を守る為ならば一も二も無く行動を起こせるのは、きっと素晴らしいことだ。

 夜ではないし、炎の彩りを添えることも出来なかったけれど、故郷に帰りたいという私の願いは叶った。思い残すことなど何もない。

 海は人の涙で出来ているなんて話があるけれど、だとしたら艦娘の涙は何になるのだろう。なんにせよ、私の身体はもう動かない。拭ってあげることはできない。

 遠ざかる水面に白藍が滲んでいく。伸べられた手も、見えなくなる。

 

 

 

 

 

 そうだ、大変なことを忘れていた。まだ言っていないことがあった。これを言いに来たというのに。

 眠ってしまう前に。物言わぬ鉄になる前に。

 故郷に。ずっと帰りたかった海に。

 

 

 

 




たった四文字の言葉は間に合わなかった。






あと一話続きます。


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カーテンコールと惹かれ者の小唄

 どっこい私は生きていた。

 

 

 

 死に至る痛み。その痛みも緩やかに失われていく最期。撃ち抜かれ、撃ち砕かれ、指一本すら動かなくなったあの瞬間を私は覚えている。

 二度と開くことのないはずの目を湿った夜風がやんわりと撫でる。何とはなしに月へと伸べた手にはほんのわずかな傷もなかった。

 見渡す限り何もない。誰もいない。月だけが私の呆けた顔を見ていた。

 命と引き換えの帰郷は失敗に終わってしまったようだ。生きることも沈むことも下手だなんて、私はどれだけ不器用なのか。

 

 

 誰かが私に生きていてほしいと願ってくれたから私はまた海を往ける。そんな風に考えるなら、涙の行方が今の私であるなら、それはとても素敵な話だろう。私以外の誰かにとっては。

 珊瑚の海。仲間想いのヒーロー。頬を濡らした青い燐光。生きたいと望んでいたのは私ではない。死に場所を求めたのは彼女達ではない。

 海に投げ出した身体には命を感じない白さがあるばかりで、どこにも傷の痕はない。仄暗い鉄の艤装には一つとして損傷はなく、深い海の滲みた服もまた同じ。穿たれた胸でさえも、まるで何もなかったかのように。

 沈みたいと願った私は一度沈んで、望んでもいない奇跡に救われた。浮かない顔をしている私の身体は浮いたまま。

 なんて、笑えない冗談。相も変わらず奇跡は使い所を間違えたまま。神様がいるとしたら不器用具合は私といい勝負だ。

 

 

 逃げ惑う人間。空が割れて落ちるようなサイレン。白藍の滲む水面を仰いだ。あの日の記憶は鮮明に残っている。全部、なかったことにされてしまった。胸に穴でも空いたような気分だ。

 私の生を願ったのは誰だろう。余計な事とは言わないまでも、勿体ない事をするものだとは言わせてもらおう。その奇跡で私の命一つ分だけ、他の誰かを救えただろうに。

 

 

 艦娘も私達も同じ海から生まれた。人の形に人ならざる力を持ち、異形の鉄を背負い、撃ち出す砲火は同じ色。月を見て綺麗だと思う心も、きっと同じ。けれど私達は同じ海を見ることができない。向かい合ってしか同じ海にいられない。

 綺麗な眼は時に澱の舞う水底のように濁り、海色に滲む眼は時に蒼穹のように透き通る。私達はあまりにも違っていて、少しだけ似ていた。

 彼女達は最期をどこで迎えるのだろう。やはり海に還るのだろうか。それとも沈まない最期があるのだろうか。願わくば、私達にはない選択肢がありますように。

 昇り始めた太陽に背を向けて、馬鹿の一つ覚えのように足は故郷へと向かう。私達の最期は一つしかないけれど、終わり方を選ぶ自由だけは残されている。

 

 

 

 

 

 射抜くような光が私の姿を浮かび上がらせる。夜闇に紛れた帰郷は、今度は見逃されなかった。

 黒鉄の葬列は誰も列を乱したりしない。月明かりに柔く浮かぶ顔に迷いは見られない。奇跡はもう誰にも望まれていない。

 二度目の葬送曲も指揮は私だ。舞台照明に焼かれながら腕と主砲とを振り上げればそれが始まりの合図になって、轟音と共に夜が砲火に彩られる。

 数拍の後に訪れる衝撃を、ただ待った。今度こそ沈めますようにと祈りながら。 

 

 

 言い損ねたままの言葉はもう言わないままでいい。誰も聞いてはくれないだろうし、聞きたくもないだろう。

 別れの言葉も必要ない。海の悪魔はただ沈めばいい。誰もがそう望んでいて、私もそう望んだのだから。

 赤く熱を帯びた光は私の顔を貫いて、どんな顔をしていたのかわからなくしてしまうだろう。こんな幽鬼の顔に誰かの面影を見出すようなこともなくなるはずだ。

 

 

 彼女は。私を見て涙を流していたあの人は。

 もう泣いていないだろうか。どこか懐かしく思えたあの顔は、涙に濡れていないだろうか。

 あの涙が私のためだったと自惚れていいのなら。あの手が深海に差し込む光だったなら。

 悲しくない。寂しくない。水底にも救いがあってくれるなら、これ以上のことはない。

 断末魔の声など挙げるものか。死に際の怨嗟など吐くものか。泣き言など誰が並べるものか。私の航海は最高だ。故郷の海で終わりを迎えられるのだから。

 口の端から息が漏れる。夜を裂く鋼鉄に身を委ねて。もう何も、望むことなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ、でも。本当は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おかえりって、言ってほしかった。





当話で完結です。
読了ありがとうございました。


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