とあるで転生もの (ぺぺろー)
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導入

バイトに行ってたら、死にました。

冗談めいた事柄だけど、嘘偽りは一切無い。

それを証明するためにも、事の顛末を説明させてほしい。

俺は業務用スーパーでバイトをしていた。

学校ではバイトは禁止されていたはずだけど、クラスの奴らも皆無視していたし、まぁ気にしてなかった。

そのスーパーに行くために交差点の上の歩道橋を渡るんだが、結構年季の入った歩道橋だったんだろうな、もたれ掛かった手摺が根元から外れやがった。

落ちて行く瞬間は別にスローモーションじゃなかった。

走馬灯とか、ありゃウソだとは言わないが、とにかく俺にそういった類の事は起きなかったね。

でもはっきり頭の中で『死んだ!』って思った、車道の真ん中に落ちるまでね。

めちゃくちゃ痛かったけど、俺はその時まだ生きてたんだ。

まぁその後何か言う間も無くトラックだかダンプだかでかい車に轢き潰されてしまったんだけど、俺に恐怖を与えるには充分な時間だったと思う。

今思い出しても、あの光景には背筋が凍る。

で、さっき死んだってのになんでこんな話を落ちついてできるかって言うと、実は俺が生き返る事のできるチャンスがあるからなんだ。

 

「そういうこと」

 

悪びれもせず喋ったそいつは、全身ぼやけた白で塗りつぶされていた。

男なのか女なのか分からない、結論から言うと人間ではないらしい。

神。

そいつはさっきそう自己紹介をして、事の顛末を俺の代わりに俺に聞かせたのだった。

神が言うには、俺の死は些細なミスで起こってしまった事らしい。

いや、実際はもっと因果律だとか時間の非連続性だとかの難しい言葉で話されたけど、判る言葉を断片的に繋いでそう解釈した。

 

「言わばお詫びって訳ですよ。お前にたいしてのね」

 

神は続けてそう言った。

お詫びとか言っちゃあいるが、本当に神なのか怪しいものである。

大体神ならどんな小さなミスもしないはずじゃあないのか?

 

「だって私、全知ではあるけど全能じゃねぇし。ん?『ねぇし』?まいったな、口調が安定しねぇですね」

 

ようするに、なんでも知ってるけどなんでもできるわけではない、と。

だから俺の頭をこうやって覗けても、小さな見落としくらいはあると。

 

「うむ、そゆこと」

 

それで、さっき言った生き返るチャンスの話だけど。

 

「そうそう、いわゆるオヤクソクだな。転生ものとか言うんでしたっけ?」

 

他の世界に転生するってやつか。

なんかの能力のオプション付きで。

ありきたりだけど実際起こると凄い嬉しいな。

 

「そう言ってもらえると嬉しいわ。でもよ、いいのか?」

 

何が?

 

「元の世界に生き返る事もできますけど、ってこと」

 

俺は少し神を見据えた。

『睨む』と『眺める』の中間くらいの視線を送る。

こいつは思ったよりいやな奴だ。

全知なら分かっているくせに。

両親は早逝、育ての親だった祖父母も最近ぽっくり逝ってしまった。

爺ちゃんたちが死んじまったのは悲しいけれど、もうあの世界に未練はない。

友達もいなかったし、どうせあとは消費するような人生しか残ってなかったんだろ?

 

「まぁな。でも本人の口から聞きたかったってのが理由かな」

 

やっぱり、いやな奴だ。

 

「そう言うな。では、君の希望を聞こうじゃないか」

 

スタンドが欲しいな。

とびきりのやつ。

 

「電気スタンド?」

 

ぶっ殺すぞ。

何が悲しくて転生の特典が電気スタンドなんだよ。

地区のビンゴ大会じゃねぇんだぞ。

 

「冗談ですよ。ジョジョのスタンドな。種類はこっちで決めてもいいのか?」

 

俺が決めてもいいのか?

じゃあそうだな…。

やっぱりスタープラ…いやキングク…いやクレイジーダイヤモンドも…。

うぅむ…。

 

「一個だけだぞ。早く決めねーとサバイバーにすんぞ」

 

やめろ!

…世界。そうだ、ザ・ワールドがいい!

強くてかっこいい、どの世界に行っても時止めなんて最強クラスだろう。

うん。決めた。

 

「了解しました。それで、転生先なんですが…原作ありとなし、どっちが良いのだ?」

 

ありだな、原作あり。

危険人物とか分かるし、おいそれとまた死ぬことは無いだろう。

あとはゲスい欲望叶えられそうだしな。

 

「もっぺん死ぬともう無理なのは知ってんのな。では世界の基盤になる原作はあなたの記憶から見繕っておきましょう」

 

うん……うん?

ちょっと待てよ、決めさせてくれないのか?

 

「そりゃあ面白くないからだろ」

 

誰が?

 

「私だ」

 

お前だったのか。

 

「まぁ半分ぐらいマジで暇を持て余した神の遊びな部分あります」

 

ちょっと笑った。

まぁいいよ、世界に関してはそれで。

俺の知ってるものの中から選ぶんだろ?

 

「そう。あと、同じスタンドが存在してしまうと世界に欠陥的矛盾ができてしまうので、ジョジョは除外な。申し訳ねぇです」

 

そっかー…了解。

 

「それともう一回聞きますが、『スタンド』の概念はジョジョと全く同じものでいいのか?」

 

それは、スタンドといえばジョジョのそれだろ。

変に改変されて電気スタンド持たされちゃあたまらないしな。

 

「オッケー。それじゃ送るけど、最後に一つ。私のことは誰にも喋れない。無理に知らせようとすると今度こそ普通に死ぬ」

 

死ぬという言葉とその語気に、俺は背筋に寒気を感じた。

あんな恐ろしい思いは二度とごめんだ。

 

「そんなにビビんないでくださいよ。セーフティロックはかけさせてもらうからよ」

 

セーフティロックってなんだ、と聞く前に、全身が溶けていくような感覚があった。

じわじわと世界に滲んでいくようなその感覚は、死の瞬間と比べると存外悪いものではなく、身を委ねるのに抵抗感は無かった。

神は俺に手を振りながら言った。

ほとんど視覚は無かったのだが、なんとなく手を振っているような気がしたのだ。

 

「胎児、乳児の時間くらいは飛ばしておいてやるよ。特に前者なんか、気が狂っちまいますからね」

 

聞き終わるや否や、俺の意識はテレビの電源が切れるように無くなった。



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目が覚めた所は保健室だった。

いや、記憶の中で一番イメージと合致したのが保健室だっただけで、実際にそうなのかは知らない。

俺は白いベッドに寝かされており、体には白いシーツがかけられていた。

体の両側には視界を遮るカーテンが並んでおり、そのせいで見える物は対面の白いベッドだけだった。

シンプルでいかにも保健室といったベッドだ、恐らくは俺が寝転んでいるのも同じようなデザインなのだろう。

部屋の外からは話し声が聞こえた。

少し遠くて、聞き耳をたてても単語すら拾えなかった。

カーテンに遮られて姿も見えないし、どうやらしばらくはここでじっとしてる他ないようだ。

部屋には話し声と何かの機械が動いている音が断続的に続いている。

何もせず天井をひたすら見つめ続けていると、ふと淋しさが襲ってきた。

じいちゃんの葬式の次の日の朝もこんな気持ちだった事を思い出した。

そうか、俺はこの世界で一人なんだな。

間抜けにもようやく気づいた俺は、少し目頭が熱くなったのを感じた。

情けない、くそ。

せめて泣いてなるものか。

気分を紛らわせるために、違うことを考える。

そうだ、神から貰ったザ・ワールドがあるじゃないか。

今のうちにスタンドの操作に慣れておくのも悪くないだろう。

手を動かさずに、手を動かすように脳に命令する。

体を動かさずに、シーツをめくり取る…。

どれくらい念じていただろうか、鼻息も少し荒くなっていたその頃ようやっとそれは現れた。

特にドラマティックな演出もなく、淡々と。

薄く発光しているような、黄色い手。

シーツをめくると徐々に、その全体像が明らかになっていった。

まるで黄色いギリシャ彫刻のようなその姿は、間違い無く俺の知っているザ・ワールドそのものだった。

しかし、何か違う。

何と言うか、その、スゴ味が無い。

迫力とか、圧力といったものが、このスタンドからは一切感じられなかった。

スタンドなんて、こんなものなのか?

ザ・ワールドは何も言わず、凛々しい瞳を俺に向け続けていた。

俺は続いてザ・ワールドにカーテンを開けさせた。

体から見て右側のカーテンから開けさせると、大きな窓から日光が室内へ差し込んできた。

どうやら今は朝、もしくは昼らしい。

次いで左側のカーテンを開けさせようとした時、突然話し声が近づき、足音が室内へ響いてきた。

俺は慌ててザ・ワールドを戻そうとするが、やり方が分からない。

俺の慌てようがザ・ワールドに伝わったのか、ザ・ワールドもカーテンからぱっと手を離した。

ブレザーを着た女が俺の目の前に現れる。

もうダメだ、見られたーー。

そう思った瞬間、世界が止まったような感覚に襲われた。

いや、感覚ではない。

俺のザ・ワールドを中心に起こったその現象は、確かに世界を止めていた。

俺はこれを知っている。

ザ・ワールドのスタンド能力、『時を止める』能力だ。

止まった時の中で、俺は落ち着きを取り戻した。

よく考えれば、スタンドは同じスタンド使いにしか見えないはずだから、そもそも慌てる必要すら無かったのに気付く。

ジョジョ世界が選択から排除されている今、このザ・ワールドが見える人間はいないという事になるからだ。

 

「あら、起きたみたいよ」

 

と、止まっていたはずブレザーの女が呟いた。

ウソだろ?と俺は内心で驚いた。

女の言葉にではない、ザ・ワールドの能力にだ。

時が止まっている時間が短すぎるのだ。

本来の、完全な状態のザ・ワールドなら9秒、最低でも5秒は止められたはずなのだが、さっきはせいぜい一秒程しか止まっていなかった。

下手をするともっと短いかもしれない。

もしかして、迫力が無い事といい、ザ・ワールドが初期化しているんじゃないか?

あの神が変に手心を加えたって事は…あり得る。

出会ってーーと表現していいものなのか知らないがーー、間もないあれの事を信用しきるほど、俺はお人よしではない。

いや、面白い、面白くないで人の生きる世界を決めるやつだ、面白半分でデチューンしかねない。

そう思うと、一気に気分が冷めてきた。

怒る気力も無いと言うか、がっかりしたのだ。

俺は深いため息をついた。

すると目の前の女は勘違いしたようで、

 

「人の顔見てため息とは、随分とふてえガキが来たもんね」

 

女は口角を僅かに痙攣させながら、俺の顔を睨みつけた。

その様子を見てか、開けきられていないカーテンの陰から人影が慌てて飛び出してきた。

いかにも人の良さそうな、若い男だった。

 

「やめてくださいよ先輩。大人げない」

 

男が言うと、女はふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。

そんなつもりは無かったが、どうやら俺の第一印象は悪いようだ。

男は不機嫌そうな態度の女を少したしなめた後、俺の顔をのぞき込んだ。

 

「どこか痛いところはない?気分が悪いとかは?」

 

なれなれしい男だな、どう見ても俺の一つ上か二つ上程度だろうに・・・・・、と思った瞬間、俺はやっと自分の立場を理解した。

本当ならシーツをめくった時に理解するはずと思える辺り、やはり俺は相当な間抜けらしい。

俺の手足、体は生前に比べ異様に小さかったのだ。

神は別れ際に『胎児や乳児の期間は飛ばす』と言っていたことから考えると、今の俺は少なくとも自立歩行が可能な年なのだろう。

俺自身の推測では、4,5歳とみた。

俺がそうやって黙っていると、男が心配そうな顔でこちらを見ているのに気付いた。

慌てて返事をする。

 

「大丈夫です、ハイ。体調が悪いとかは無いです」

 

「そう、良かったよ。今まで何をされても起きなかったから・・・」

 

ちょっと待て、何をされてもって言ったか?

何かしたのか?

俺の知ってる創作物にはR指定の物もたくさんある。

それこそ子供に気軽にメスを入れるような物が・・・・・。

そんな考えが表情に出ていたのだろう、男は慌てて胸の前で手をぶんぶん振った。

 

「違う違う!揺らしても軽く叩いてもって意味だよ、安心して」

 

「さて、どうかな。最近は妙ちくりんな都市伝説も飛び交っていることだしね」

 

男の後ろでブレザーの女がくっくっと笑う。

先ほどの仕返しのつもりだろうか。

声色からは子供を怯えさせる為の悪戯心がひしひしと感じられた。

わざと怯えたふりをしてやろうかとも思ったが、何だか癪なのでやめた。

 

「ちょっと、先輩。やめてくださいよ」

 

「冗談だよ、ジョーダン」

 

「子供に変な恐怖心を与えないでください。だいたいあなたは僕の先輩だというのにーーー、」

 

男と女は再び話し始めてしまった。

ほっとくと永遠に話してそうだな、この人達。

時間はたっぷりあるんだろうが、状況が進展しないと現状を確認できないじゃあないか。

 

「あの」

 

俺は強めに声を出して二人の話を遮った。

 

「ここはどこなんでしょう」

 

もちろん、今俺がいるこの場所はどこか、という意味だ。

素直に世界の事情を聞いても良かったが、それだとかなり『おかしな』子供と見られてしまうだろう。

俺のその問には、女の方が答えた。

その声色に先程のような悪意は無く、大人が子供に言い聞かせるような優しい含みだけがあった。

 

「ここはあすなろ園。君みたいな置き去り(チャイルドエラー)を保護する場所さ」

 

「先輩」

 

女が言うと、男が短く戒めるように呟く。

また始まったか、と思ったが、男の語気は静かだが今までで一番強いものだった。

しかし、女の方は堪えてないようだった。

 

「何を怒ってる?置き去りは置き去りだ。下手な言葉でごまかしてこの子の親が帰ってくるとでも思ってるのか?」

 

「それは・・・」

 

男が言いよどむ。

なるほど、そのチャイルドエラーとかいうのはこの世界における捨て子、孤児のような意味合いを持つらしい。

確かに、今の俺ぐらいの子供に『君は捨て子だ』などと告げるのはいささか酷な話ではある。

しかし女が言うように、一度捨てた子供を迎えにくる親はいないだろう。

あるいは既に死んでいるとか。

と、考えただけで優しかった祖父母の顔が脳裏を過ぎって切なくなってきた。

これじゃあいかんと、また別のことを考える。

はて、そういえば、チャイルドエラーなんて言葉が出てくる創作物が俺の記憶にあっただろうか。

記憶の隅に追いやられているだけなのかもしれないが、いまいちピンとこないぞ。

そもそもここが日本なのかどうかも分からない。

いや、日本語は通じてはいるが、果たして俺の知っている国家なのかどうかも。

ごちゃごちゃと複雑に考えてしまう思考を振り切るべく、俺は一気にベッドから上半身を起こした。

 

「あ、まだ寝ててもいいよ」

 

と、男の方が俺の頭を撫でた。

その腕に緑色の腕章が留められていた。

見れば、ブレザーの女の方にも同じような腕章が留めてあった。

見たことないデザインだが、どこにでもありふれていそうなデザインだ。

何かこれがヒントになるかもしれない。

 

「その、腕のやつは」

 

俺が指を指すと、男は少し探した後ああ、これかと腕を持ち上げた。

 

「僕達は風紀委員(ジャッジメント)。そっちのお姉さんもそうだよ」

 

ジャッジメント?ああ、くそ。

答えが喉でつっかえて出てこない、聞き覚えはあるのに。

俺が唸っていると、男は拍子抜けした顔をして腕を下ろした。

その反応からして、この世界ではそのジャッジメントは有名なものなんだろう、俺も知ってる辺りな。

 

「あれ、もしかして知らない?…案内のパンフレットにも載ってるはずだけどな…今時見ないのかな?」

 

得意げに言ったのが恥ずかしかったのか、男は下ろした手を居心地悪そうに揺らしていた。

僅かな顔を紅潮させ、わざとらしく俺から目を背ける。

そんな男とは対照的に、ブレザーの女は怪訝な顔をして俺に近づいてきた。

 

「ヘンなことを質問するようだけど、君、ここが『日本の何処か』分かる?」

 

やっとまともに状況を把握できそうだと、俺は内心胸をなで下ろした。

さて、どうするか。

適当に答えてもいいが、間違っていたら要らぬ疑いをかけてしまうかもしれない。

ここはやはり正直に、

 

「すみません・・・分かりません」

 

俺がそう答えると、男はぎょっとした表情を浮かべた。

女は何か確信を得たようで、俺に更なる質問を投げかけた。

 

「君、自分の名前言える?」

 

ああ、なるほど、分かってきたぞ。

何て簡単な設定なんだ、もっと早く思いつけば良かった。

この『役割』を演じていれば、容易に知識を得られるはずだ。

俺は質問に答える。

 

「分かりません」

 

素直に自分の名前を言っても良かったが、折角新しい人生を歩んでいるんだ、何もかも一新したいと思うのは悪い事じゃあないだろう?

どうせ顔も覚えていない親からつけられた名前だし、呼んで貰える祖父母はもういないんだ。

俺が名前も言えないと知ると、男は目を丸くした。

 

「記憶喪失・・・」

 

「外傷は認められなかったけれど、病院で検査した方が良さそうね」

 

ジャッジメントの二人は真剣な面持ちで顔を見合わせた。

当の本人である俺が何でもないような顔でそれを眺めている。

記憶喪失の捨て子、というのが、俺のこの世界における立場のようだった。

 

 



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その日の内に、病院に連れて行かれた。

そこかしこが大きな建物ばかりで、外にいても閉塞感を感じることすらあるほどだった。

道ばたではドラム缶のような機械が忙しなく動いており、側にいる風紀委員に聞いたところ、あれは清掃ロボらしい。

病院へ行く道すがら、俺は二人にいろんな事を聞いた。

とは言っても、世間話ではない。

記憶喪失という特権を利用して、当たり障り無い程度の社会事情を聞いたのだ。

それほど多くの言葉は交わさなかったが、それでもはっきり分かった事は幾つかあった。

まず、一番重要な『この世界』の事。

ここは学園都市、総人口は230万人、及びその8割が学生だという街。

先進技術の塊のような街で、都市の『外』と『中』では技術力が数十年レベルで違うらしい。

そして俺はその都市の学生のどのIDにも合致しない、つまり正規の入学手順を踏んでない特殊な置き去りであるらしい。

話が逸れたがつまりは、ここは『禁書目録』の世界だという事だ。

しかし色々と分からない事があったのは、俺がその原作を『1巻すら半分も読んでいない』からである。

雑誌とかのあおりで紹介ぐらいは見たことがあるが、知識が圧倒的に足りていない。

これでは危険人物はおろか、起こる大きな事件すら分からないのだ。

そもそもこれは原作開始時の時系列なのかどうかすら分からない。

どうやら俺は何かやばい事件に巻き込まれないことを祈るしかないようだ。

次に、スタンドのこと。

これは会話に関わることではないが、その途中途中で何度も試してみて分かったことだ。

ザ・ワールドの迫力の無さは相変わらずだったが、移動範囲は半径約10mの半球体内に限られているようだった。

その距離をザ・ワールドは決して越えることができない。

何度も範囲内を移動させていると、操作の方法も掴めてきて、だんだんとこのスタンドが元から自分の物であったかのように思えるのを感じた。

恐らくはザ・ワールドが俺の精神に馴染んできているのだろう、もっと訓練すれば更なる上達も見込めそうだ。

そして、スタンドを発動している間は感覚が鋭敏になることも分かった。

頭が冴え渡るというのか、思考がいつもより研ぎ澄まされ、普段は気付かないような洞察力を発揮することができた。

今思えば、保健室の中で冷静でいられたのもスタンドのおかげなのかもしれない。

更に、時を止める能力についても理解してきた。

これはあまり輝かしい内容ではなかったが。

まず止められる時間は1秒限り。

これは大いに不満だった。

その1秒の中でもザ・ワールドは数十発のパンチを繰り出せたが、如何せん短すぎやしないだろうか?

俺はこの短さはザ・ワールドの迫力の無さに起因していると推測しているが、実際は分からない。

そして能力発動の為のインターバルは10秒。

1秒止めるために10秒使うのだ。

なんだかはっきり理解できた分能力が弱体化した気がする。

俺は今度は誰にもばれないようにため息をついた。

 

 

病院では様々な検査を受けさせられた。

脳波や脳の断面図とかも調べられたし、心理テストの類も受けさせられた。

そうやって検査が進むにつれ、主治医だと思われるカエルのような顔の医者の表情が険しくなっていったのが印象的だった。

本当に俺に何か重い疾患があるのかと心配になったが、検査終了後に言われた言葉は『異常なし』だったので安心できた。

しかしそれを告げるカエル顔の医者の表情は未だ険しく、付き添ってくれた風紀委員の二人にしきりに何か話していた。

要約すると、『ある一定の期間からエピソード記憶が無くなっている』『心的なストレスで自分から記憶を放棄した可能性がある』『記憶を完全に消去したわけでは無いかもしれないので、カウンセリングで徐々に思い出す可能性もある』『そして、現状で完全な治療は難しい』ということだった。

恐らくはこれが神の言っていた『セーフティー』とか言うやつなのだろう。

あれ、でもよく考えると他人に神の事を知られると俺は死んでしまうんではなかったっけ?

そう思うと一気に冷や汗が体から吹き出た。

室内にいるにも関わらず、俺の脳裏には迫り来る大型車の光景がフラッシュバックする。

手先の震えを他の人達に見られないようにするのに必死になるほどだった。

その努力の甲斐あって動揺を悟られる事は無かったものの、その事実は俺の心に何か暗いものを落とし込んだ。

 

 

俺の身柄はあすなろ園に保護してもらう事になった。

園内には俺と同じような(と言ってもいいのか分からないが)置き去りの子供が十数人暮らしていた。

子供は好きでも嫌いでもなかったが、ここで暮らす生活は苦痛に近いものがあった。

幼稚園課程の学習を一からやり直す行為が、ここまで精神的疲弊をもたらすものだとは知らなかった。

眠くもないのに昼寝の時間を申しつけられたときは、よくこっそり抜け出してザ・ワールドを的確に操作する練習をしていた。

しかも何が一番嫌かって、この状況においては異常なのは俺の方だということだ。

子供は子供らしくするのが当然であって、そうできない俺に問題があるからだ。

しかしそういうのを除けば、このあすなろ園は非常に親しみすら持てる施設だった。

世話をしてくれる人は優しく、周りの子供達も俺のことを快く受け入れてくれた。

子供の方はどっちかって言うと、構っていたうちに懐かれてしまった感じだったが。

職員と呼べる人は一人で、園長先生と呼ばれている中年の女性だけだった。

他は日替わりでボランティアと思われる人が手伝いに来ていた。

あの風紀委員の二人もちょくちょく姿を見受けられたが、園長先生に聞いたところ、あの二人は俺が入園してから来るようになったのだという。

それはそれで悪い気はしなかった。

そして、俺はその園長先生から新しい名前を貰った。

翌桧 十三(あすなろ じゅうぞう)という名前だった。

学園都市の『第13学区』の『あすなろ園』にいた子供だからだそうだ。

ちと安直すぎやしないか?俺はこれでもゲームとかで名前を入力するときに凝る方の人間なんで、他人に名前をつけられたことに初めの方は少し抵抗感があった。

尤も、初めの方は、と記したように、1年も経った今では抵抗感は無い。

そう、あれから1年ちょっとの時間が経過していた。

園長先生からは『小さいけれどしっかりもの』というイメージが固定化されてきたし、よく泣いてるときに慰めてやった女の子からは曖昧な結婚の約束もされた。

俺が前の世界の未練を僅かずつ断ち切っていた頃、その変化は起きた。

ある日、いつものように昼寝をすっぽかしてスタンドの訓練をしていたときの事だ。

ザ・ワールドの無機質だが凛々しい瞳に、僅かだが光が差し込んだ気がした。

ほんの少しだが、我がスタンドに力が湧いてくるような気がして、能力を使用してみたのだ。

止まった時の中をザ・ワールドは軽やかに動き、いつも通り鋭い拳を繰り出す。

すると、どうだ。

時が1秒を過ぎても止まっている!

2秒だ、2秒きっかり止まっていた。

俺は踊りたい気分だった。

いつもは恥ずかしがって歌えない歌の授業だって、今は進んでやれるとすら思えた。

しかし能力のインターバルは相変わらず10秒だったが。

ともあれ、何がきっかけだったのかは分からないが、ザ・ワールドが成長したのは事実。

つまりはまだ成長する可能性があるということだ。

言葉を借りるつもりはないが、いずれは10秒、1分、1時間と止めることだって不可能ではないはずだ。

そうなれば、この世界で俺に敵うものはいなくなる。

あの薄ら寒い『死』からもっとも離れた生活を送ることができるようになるのだ。

その日を境に、俺は一層スタンドの操作に時間を割くようになった。

 

しかし、それ以降スタンドの変化は訪れなかった。

 

何も起きないまま数年が経過した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十三くん」

 

園長先生の声に呼ばれ、俺は彼女の方を振り返った。

時間は昼下がりで、昼寝前の子供に本を読み聞かせた後の事だった。

あいつらはもう寝ているだろう。

彼女の顔には俺が入園した時より多くの皺が刻まれていたが、柔和な笑みは昔と変わらないままだった。

なんでしょう、と俺が返事をすると、園長先生はどこか遠い目をして話した。

 

「君がここに来てずいぶん経つわね。どれくらい経ったかしら」

 

「さぁ、どうでしょう。生まれたときからいるような気がします」

 

俺がそう言うと、彼女はくすりと笑った。

彼女がこうやって話をするのには訳がある。

俺が明日をもってここを卒園し、別の学区の中学に入学するからだ。

他の友人は時期はバラバラだったが皆この園から出て、どこかの付属の初等部の寮に行ってしまった。

俺を最初に保護した風紀委員の二人は就職して教師になり、警備員として過ごしているらしい。

なのに俺はというと、現状に甘えて園にとどまり続けていたのだった。

俺にとっての世界はこの園だけで、何というか、外はぼんやりとした不安に包まれている気がした。

しかし園長先生は日頃から俺に進学を勧めており、12歳の時に決断を迫られた。

因みに誕生日は保護されたあの日である。

彼女は『君には本当に助けられているけれど、きっとこの園のことは君がやりたい事じゃないわ』と言うので、『他にやりたい事なんか無い』と言い返すと、『じゃあ考えの幅を広げるためにも、もっと良い教育を受けてみるべきだと思う』と笑われた。

多分あれはRPGで言う無限ループ、『いいえ』を選ぶと選択前に戻されるようなものだったのだろう。

とにかく園長先生の熱意というか、本当に俺を想って言ってくれているのが分かったので、俺は進学を決めたのだった。

あまり勉強していないのもあって、普通入試で受かったのはただの1校だけだったけど。

いや正直、中学の試験だからといってなめていたのは事実だが、それ以前にここが学園都市だと言うことを忘れていたのだ。

俺の思う高校課程の勉強はどうやら進学校の初等部が習うことらしいので、前世の成績も中の下だった俺は上等な学校に行けるはずも無かったのである。

そのため期待していた園長先生には苦笑いをさせてしまう結果となったが。

 

「きっとうまくやっていけるわ。君面倒見がいいもの」

 

先生ほどでも、と言おうとして、声がうまく出ないことに気付いた。

目頭が熱くなり、鼻の奥がつんとするのを感じた。

慌てて園長先生に背を向けた俺を、後ろから彼女は優しく抱きしめてくれた。

全身が言いようもない暖かさに包まれる。

やがてそれは俺の心にも到達し、心も包んだ後は瞼の隙間からあふれ出してきた。

誰もいないプレイルームには、ひたすら俺がしゃくり上げる声が静かに響いていた。

ガキの頃、学校の卒業式で泣く奴らを酷く鬱陶しく思っていた。

別に二度と会えなくなるわけでもないのに、何をそんなに泣くことがあると。

そんな事を考えていた俺は、みっともなくわんわん泣いている。

祖父母が亡くなった時も散々泣いたが、胸はあの時ほど痛まなかった。

 

この時初めて、俺はこの世界の一員になれたのだと思えた。



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学園都市はその名の通り、様々な教育機関の集合体である。

そのどの学校でも外部の学校とは一線を画した教育がなされており、学士並みの知識を持つ中学生等という眉唾物の話もよく聞く。

つまりはいつか記したように、俺のごく一般的、もしくは劣っている知能では底辺の普通校に通うのが精一杯だったということである。

情けないことに、ザ・ワールドを使ってカンニングしたこともある。

が、隣の奴も頭が悪かったのか、安心していた問題が実は外れていたのかは知らないが、勧められた進学校は軒並み全滅だった。

しかし幸いなことに、学園都市にも学校のランクというものがあるようで、こんな俺でも無事合格できた学校もあった。

柵川中学、という第7学区の中学校だった。

校風は俺のよく知った一般的な中学校と類似しており、訳の分からん科目なんかを除けば普通に生活できそうな学校だ。

入学した時点で学生寮への入寮を義務づけられており、後から聞いたがこれはどの学校でも一律で定められている条例のようなものらしい。

前世で通っていた高校の学生寮はまるで便所のような狭さと聞いたので、入寮の時はひたすら心配していたが、普通に生活できるスペースはある一人部屋で安心できた。

そのため生活に不自由はない、とはいえ、嗜好品や娯楽品を安易に購入できないほど生活は切り詰めたものだったが。

というのも、学園都市では生徒にレベルに応じた生活費を支給しているからだ。

学業のレベルではなく、レベルそのものだ。

学園都市には先程記したように訳の分からん科目が多くある。

『能力開発』もそのうちの一つだ。

生徒の脳に開発を施し、いわゆる『超能力』を人為的に目覚めさせる授業。

これは前世でもなんとなく知っていた知識だったが、実際に見ると想像とのギャップがかなりあった。

スプーンを曲げたり持ち上げたり、裏返したカードの絵柄を当てる授業風景は見ていて若干頭がどうかなりそうだった。

その能力の強度に応じてレベルが各生徒ごとに与えられており、最低のレベル0から最高のレベル5までが割り振られている。

特にレベル5は単独で軍隊との戦闘が可能と言われるほどの超能力があり、現段階では7人しか存在しないという。

しかし能力は大抵の場合知能と比例するようで、この柵川高校には強くてレベル2の生徒しかおらず、また殆どの学生はレベルが0で固定されてしまっていた。

クラスのどんな奴に聞いても、能力に関しては羨望と落胆の二種類の言葉しか返ってこなかった。

そして俺はというと、レベル0。

どうやら身体検査とやらでは俺のザ・ワールドは検出されないらしく、また能力開発も意味をなさないようだった。

いや、勿論ザ・ワールドを使えばスプーンを飴細工のように曲げることもできたし、時を止めてカードの裏側を確認することもできた。

しかしそれをしなかったのは、ひとえにあの神のせいである。

以前病院で記憶喪失を装った時に自分の不用心さを思い知ったので、なるべく不審な行動は行わないよう努めていたのだ。

誰が何をきっかけにして俺の異常性に気付くか分からない状況で、俺の能力を全て晒すのは危険だと判断したためである。

しかし、親しい者には真実をぼかして能力を告げることもあった。

すなわち学校内で披露することは無かったという程度の事である。

尤も、今までに話したことのある人間はあの園長先生だけだったが。

とにかく、その点をふまえた上で俺は友人もほどほどに、適度に快適な学校生活を楽しんでいた。

俺は生前友人と呼べる者はほぼいなかったと以前記したと思うが、あすなろ園での経験もあり、こと年下に関しては親しくなることは難しくなくなっていた。

いや外見や年齢的には同い年だが、精神的には彼らと俺には長男と末っ子くらいの差はあると思う。

そんなある日だった。

 

 

いつもの通り授業を終え、寮にすぐ帰宅するのではなくコンビニへ向かっていたときの事だ。

そのときは金を下ろすがてら立ち読みでもしようかと思っていたのだが、いかんせんタイミングが悪かったらしい。

コンビニより少し手前、背の高いビルのせいで日の光もあまり届かず、薄暗い影のみをたたえているような路地裏。

数人の男が一人の小太りの男を囲んで立っていた。

囲んでいる方も小太りの方も高校生くらいだろうが、どちらが弱いかは考えるまでもなかった。

小太りの学生は見るからに怯え、壁を背にやっと立っているような状態だった。

囲んでいる学生はそれを見て下卑た笑いを浮かべ、髪型だけでなく頭もキマっちゃっているような風貌をしている。

話し声も通りに僅かに漏れてきており、どうやらカツアゲと呼ばれる行為をしているようだった。

ここまで確認できたのは、俺の洞察力が優れているとか観察力が素晴らしいとかといった話ではない。

単純に、その姿は通りからもよく見えるからだ。

俺の他にも道を行く人は多くいる。

その誰もが、路地裏を見つけて暫く眺めて何か考えた後、やっぱり見なかったことにして歩き去っていった。

こういうところは、前世の世界と何ら変わりない光景だった。

俺が以前と違いすぐにその場を離れなかったのは、この世界に来て何らかの心境の変化があったからなのだろう。

しかしやはり俺も、通行人と同じように何もできずにいた。

俺にはザ・ワールドという能力がある、あるが、今はその指一本動かせずにいた。

きっとこの力を使えば目の前のチンピラを蹴散らして、囲まれた学生を助けることができるのだろう、しかし、体はまるで自分のものではないように動かなかった。

例えば拳銃を自分が持っているとして、目の前に丸腰の犯罪者がいるとしよう。

はたして犯罪者に恐怖を感じず、躊躇無く撃てる人が何人いるだろうか。

そういう訓練や経験を積んできたのならまだしも、俺はただ生まれ変わっただけの人間だ。

犯罪者どころか、目の前のチンピラにさえブルってしまう人間なのだ。

どんな強力な能力を持っていたって、結局俺はみっともないいち人間にすぎない。

そうだ、俺は弱い人間だ、だから仕方がない。

こうやって他の人と同じように通り過ぎても、仕方がない。

きっともっと別の相応しい誰かがやってくれる、だから俺がやらなくてもいいんだ。

そう言い聞かせて路地裏から顔を背ける。

すると、鈍い音と共に小さな悲鳴が聞こえた。

路地裏に向き直ると、囲まれた学生の顔には打撲痕が浮かび、口元からは僅かに血が流れていた。

もうダメだ、見てられないと思い、コンビニも無視して寮に帰ろうとしたとき、

 

「風紀委員ですの」

 

背後から声がして、俺はみっともなく驚きつつも慌てて振り返った。

振り返ると、そこには俺より幾分か背の小さい女学生が立っており、その右袖には緑色の腕章が留められていた。

しかしその視線は俺を見ておらず、路地裏に向けられていた。

彼女は続ける。

 

「暴行未遂のーー、ではありませんわね。暴行の現行犯で拘束しますわ」

 

彼女はチンピラが自分より遙かに背が高いことや、袖から除く腕が筋肉に包まれていることなんか全く気にしていない様子だった。

彼女は憮然とした様子でチンピラに詰め寄り、どこからか手錠を取り出した。

しかし、彼女がチンピラに脅威を感じていないように、チンピラの方も彼女を脅威とみなしていなかった。

二言三言、彼女たちの間で言葉が交わされた後、一番手前にいたチンピラがポケットからナイフを取り出した。

声を上げる暇もなく、決着はついた。

チンピラの全滅を以て、だったが。

突き出されたナイフは彼女の服も掠らず、逆にその勢いを利用されて投げ飛ばされて一人は気絶した。

他も似たようなものだ。

壁に叩きつけられたり蹴り飛ばされたり方法はまちまちだが、とにかく文字通り『あっという間に』事態は収束した。

全て終わった後の路地裏を俺は暫く呆然と眺めた後、風紀委員の女学生がこちらを振り向く前に急いで立ち去った。

金も下ろさず、立ち読みもせず、半ば転がり込むように寮に逃げ帰った。

望んでいたとおり、『相応しい誰かが』彼を助けてくれたというのに、俺の心は全く晴れなかった。

悔しいような情けないような腹立たしいような、あるいはその全ての感情が俺の頭の中で渦巻いていた。

もし俺が見たときすぐに助けていれば、あの学生は殴られずに済んだのではないだろうか。

助けを請うあの目が脳裏に焼き付いて離れなかった。

その日はそれから何もせず、ベッドに倒れてひたすら眠るよう努めた。

 

 

その日から、俺はザ・ワールドを使わなくなった。

クラスの奴に言わせると、俺は最近暗くなったらしい。

それを聞いて、俺は根拠もなく納得し、同時に不思議な居心地の良さを感じていた。

俺が元々どんな人間だったか思い出せたからだ。

馬鹿は死ななきゃ治らないと言うが、あれは嘘だ。

正しくは『死んでも』治らない、だろう。

一度や二度生まれ変わったぐらいでは俺の人間的な本質に変化をもたらすことは無いのだろう。

俺はめでたく負け犬の座に返り咲いたわけだ。

しかし俺はどこかひねくれた諦めを感じると共に、それから抜け出したいという欲求も感じていた。

自分はろくでもない人間だと思う反面、そうでない立派な人間になりたいと思う心もあったのだ。

いっそのこと開き直ってクズになれたらいいのに、と思うほど、その良心の呵責は俺を静かに苦しめた。

だがその良心も俺を実際に行動に移らせるだけの効果は持たず、俺は以前と同じ消費するような毎日を送っていた。

 

そんなある日だった。

 

 

 

 

俺はいつも行くコンビニではなく、銀行で金を下ろしていた。

その日が休日で、またATMの手数料すら節約したいような状態だったと言えば分かって貰えるだろうか、とにかく俺は銀行で金を下ろしていたのだ。

たまたまその日に、通帳を作ってから初めて銀行で金を下ろしに行ったのだが、それがどうも拙かったらしい。

結論から言うと、金を下ろすこと自体は成功した。

しかし金を下ろすやいなやその銀行が1人の覆面の男に占拠されてしまったというのが、事の顛末である。

本当にたまたま、その日だけ、その銀行に行ったのだ。

すると窓口に覆面の男が近づき、拳銃を懐から取り出し、天井に1発だけ射撃した。

客は悲鳴を上げて逃げようとしたが、降りてきた防犯シャッターのせいでそれは叶わなくなった。

男が命令したのだろう。

覆面の男は野太い声で窓口の銀行員を脅しており、その額に拳銃を押しつけていた。

強盗は拳銃を押しつけたのとは別の銀行員に金を持ってくるよう命令し、俺を含めた一般客に妙な真似はするなと釘を刺した。

客の中には子供もいた。

老人も、赤ん坊を抱いた母親もいた。

しかし俺の役立たずの体は再び硬直し、視界に拳銃が入る度に胃が痙攣して胃液が逆流した。

ヘドを吐く一歩手前というやつだった。

同時に目の前に迫る大型車がフラッシュバックし、思わず声を上げそうになる。

俺はどうしようもなく怯えきっていた。

強盗は銀行員が命令したとおりに金の詰まった鞄を持ってきたことを確認すると、わざとらしく拳銃を振り回し、大きな声で言った。

 

「誰か一人、俺に着いてきて貰おうか?」

 

人質の要求だった。

しかし、どう考えてもさっさと逃げた方がいい状況のはずだ。

なぜ余計な人質など欲したのだろうか?と俺が考えた瞬間、強盗がぐるりと首をこちらに向けた。

 

「何か疑問に思ったな?」

 

銃口が同時にこちらを向き、体が意図せずびくりと跳ね上がった。

強盗は続ける。

 

「そりゃ俺だってここから一刻も早く離れたい。だけどよ、外にもう警備員のやつらがきてるんならよぉー、一人で逃げ切るのは難しいってことだ」

 

どういう事だ、と考える前に、男は窓口に向き直り、鞄を持ってきた銀行員に再び銃を向ける。

 

「お前、『まさか通報してねえよな?』」

 

銀行員が慌てて首を振った。

すると強盗はにやりと笑い、鞄を持ってきた銀行員の肩を撃ち抜いた。

俺は喉の底が干上がるのを感じた。

乾いた音の後に、女性客の誰かから悲鳴が上がる。

撃たれた銀行員は肩を押さえてその場に倒れ込んだ。

押さえた指の隙間から血が滲む。

 

「お前が余計なことをしなけりゃこんな事しなくて済んだんだけどな。バレねーと思ったんだろうが、そういうの通じない能力なんだわ」

 

恐らくはあの撃たれた銀行員が鞄を持ってくる間にどうにかして通報したのだろう。

そしてそれを強盗が察知したーー、恐らくは、超能力で。

さっき俺が疑問を抱いたときに気付いたのも同じ理屈なのだろう。

 

「あんまり詳しい事は分かんねーがよぉー、この銀行にいる奴らは皆小便ちびりそうなほどビビってるのは分かるぜ」

 

強盗は低レベルの精神感応系の能力者だったのだ。

強盗はうずくまった銀行員を二、三回つま先でつつくと、再び銃口をこちらに向けた。

 

「そんで、だれが俺とデートしてくれる?そっちのババアか、ガキか、それとも」

 

銃を向けられたのか、誰かの小さな悲鳴が上がる。

 

「その赤ん坊か?」

 

強盗が赤ん坊を抱える母親の方へ歩き出した。

母親は逃げようとはしないが、泣きながら必死で子供を強盗から守ろうと覆い被さるように抱きしめた。

母親のその姿が、いつかの路地裏と被る。

しかし強盗のその姿が、迫る大型車と被る。

半ば反射的に強盗から顔を背けてしまい、そちらを再び向く事ができなくなった。

強盗の足音を振り払うように、自分に必死で言い聞かせる。

あの時だってそうだったんだ、きっと今度も大丈夫だ。

そうさ、俺が飛び出てもし死んじまったらどうするんだ。

必ず助けられる保証は無いし、ここでじっとしているのが正解のはずだ。

誰かがやってくれるって皆思ってんだ、俺は悪くない。

誰かが、誰かが、誰かが、誰かが。

 

「…誰か…」

 

それは消え入りそうな女の声だった。

子供を抱える母親が、叫ぶ事すらできずに呟いた声だった。

 

 

強盗の手が、とうとう泣く母親の体に触れた。

 

 

 

 

 

その瞬間、強盗の手はひしゃげて潰れた。

 

「⁉‼⁉」

 

いや、俺が潰した。

強盗は誰に何をされたのか全く分からないだろう。

恐らくは能力ですら理解できないはずだ。

なぜなら、俺はまだゲロ吐きそうなほどビビってるし、緊張で足がガクガク震えていたからだ。

つまりあの強盗が簡単な心の機微しか察知できないのなら、この俺の小指の先ほどの決意なんざ分からないだろう、という事。

俺はガタガタ震える足を無理やり動かし、頼りなく立ち上がった。

恐らく他の人達から見れば、俺はこの上なくみっともない姿をしているだろう。

だが、理解した。

誰かがやってくれるって事は、誰かがやらなくてはならないという事なのだ。

奇声を上げながら、腕を押さえてうずくまる強盗の傍に、俺の半身は佇んでいた。

そこにはギリシャ彫刻のような美しい体が黄色い光をたたえ、一種の芸術のような美しさがあった。

初めて見たときとはまるで違い、その顔には内側から光り輝くようなスゴ味が確かにあった。

ザ・ワールドとこの世界がまるで歯車のように噛み合うのを感じる。

恐らくは本来あるべき姿に戻ったのだろう。

体の震えは止まらなかったが、目の前のクソ野郎をぶちのめすという確信はあった。

強盗は俺が立ち上がっている事に気づいたようで、無事な手で銃をこちらに向けてきた。

何か言いたそうに口がパクパクと動いていたが、聞いてやる余裕もない。

拳銃から弾が吐き出される前に、ザ・ワールドの拳が拳銃を握る手ごとメチャメチャに叩き潰す。

強盗はカエルのような呻き声を上げてのけぞった。

人を殴って怪我をさせるのは初めての事だったが、罪悪感なんてものは微塵も湧かなかった。

正直いっぱいいっぱいなのだから。

銃という目に見える凶器を排除した事で、みっともない体の震えも少し引き、声を出すだけの余裕が出てくる。

 

「手加減は…見ての、通り…で、できそうにない。もしこれ以上怪我をしたくなければ、警備員にこ、拘束されるまでそこでじっとしてろ…」

 

緊張と恐怖でろくに声が出ない。

我ながら最低の脅しだと痛感した。

俺はこれで強盗が言う事を聞いてくれれば儲け物だと思ったが、どうやら逆効果だったようだ。

強盗は度を越した混乱と恐怖で動転したか、母親から赤ん坊をひったくって俺の前に突き出した。

そしてひしゃげた手で無理やり懐からナイフを取り出し、赤ん坊の頬に近づける。

赤ん坊の頬から紅い雫が垂れ、甲高い泣き声が響いた。

 

「とっととシャッター開けろ、コラァッ!!!ガキ殺されてぇか‼」

 

強盗が銀行員に大声を上げる。

しかし彼らも何が起こっているか理解していないようで、怯えて見ているだけで命令に従おうとはしなかった。

その姿に業を煮やした強盗は、ナイフを握る手に力を込めた。

 

「ナメやがって、こいつは殺すーーー!」

 

母親の叫び声が響く。

赤ん坊の頬にナイフが僅かに刺さった。

俺の体から今度こそ完璧に震えが消える。

俺は力の限り叫んだ。

 

 

 

ーー世界(ザ・ワールド)

 

 

 

たったそれだけで全てが停止した。

地面に落ちようとする血の雫、宙に舞う埃の粒、バラバラになった拳銃の部品。

そして、銀行内にいる人間。

俺を除いた全てが停止したそこは、まさに俺だけの世界だった。

しかしその持続時間は最長で2秒。

今は体に力が満ち、もっと止められるような不可思議な気がしていたが、2秒だけでも充分だった。

1秒以内にザ・ワールドは強盗に何発かの拳を叩き込み、赤ん坊をその手から奪い返す。

そして優しく元の母親の腕の中へと返還した。

全て終わってもまだ時は止まっていたので、ついでだと駄目押しに顔面に拳を叩き込む。

へし折れた歯が血しぶきと共に空中で静止し、強盗の顔が不細工に歪む。

と、そろそろ時間のようだ。

 

「時は動き出す」

 

その言葉と同時に、強盗は吹き飛んで壁に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから事態は速やかに終息した。

銀行員達は吹き飛んだ強盗を数秒間呆然と眺めた後、何かに弾かれたように急いでシャッターを開けた。

その瞬間銀行の前に列を成していた警備員が視界に入る。

彼らもまた、既に無力化された犯人と思わしき人物が寝転がっているのをしばらく唖然とした様子で見ていた。

俺は未だ肩を押さえてうずくまる銀行員に近寄ると、耳元で小さく言った。

芝居がかった動きだったがそんなつもりはなく、単に大きな声で言うだけの気力や勇気が無かっただけの話だった。

内容はこんな感じだった。

 

「すみません、最初ビビって動けませんでした」

 

実際にはもっとどもって伝えていたが、要約するとこういう事を言いたかった。

それを聞いた銀行員は何も言わず、ただ苦しそうにくぐもった息を漏らすだけだった。

多分恨んでいるのだろう、俺が直ぐ動きさえすればこの人は撃たれずに済んだのだから。

しかし銀行員は、俺が思ってもいなかった言葉を口にした。

 

「いや、君はそれでも皆を助けてくれた。君は立派な男だよ」

 

俺は顔が熱くなるのを感じた。

銀行員がそれ以上の言葉を発したのを無視して、俺は身を翻した。

彼に対して酷い罪悪感はあったが、もはや以前感じたようなぼんやりとした不安感は無かった。

だがやっぱり凄く後ろめたい事でもあったので、俺はそのままザ・ワールドを使って時を止め、銀行から急いで逃げ出した。

連続して時を止める事はできなかったので、恐らく見られてしまったのだろう、後ろから誰かが呼び止める声が聞こえる。

俺は立ち止まらず、10秒経ったのを確認して再び時を止めた。

 

 

 

俺は自室の扉を閉めてからベッドに寝転がり、一息ついた。

疲れたような清々しいような不思議な達成感が体を包んだが、それも最初だけだった。

やがて足先から羞恥心や自責の念が頭まで這い上がってきて、耳が熱くなるのを感じた。

なんて無鉄砲な行動だっただろう!

結果的に強盗に勝てたから良かったものの、確実にそうできるという保証はあの時どこにも無かった。

下手を踏めばあの銀行内はもっと凄惨な事件現場になっていたかもしれない。

それに加えて、去り際のあの態度はなんだ、十三。

まるでこそ泥じゃあないか、そもそも逃げ帰る必要があったのか?

俺は必死で現場を離れたあの時を思い出して、情けなさのあまり枕に顔を埋めた。

と、そこで思い出した。

そういえばあの時確か、後ろから呼び止める声がしたはずだ。

今思い出せば、あれは女の声だった気がする。

警備員の誰かにしては、声が幼すぎたような。

一体あの声は誰だったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始業のベルが校内に鳴り響く少し前、教室内は眠そうな学生達でにぎわっていた。

様々な顔をした生徒が男女それぞれ教室内にはびこっていたが、その中でも一際個性輝く生徒がいた。

その女学生は大きなマスクをしていたが、先程記した個性とはその事ではない。

彼女の髪の毛の上には、まるで花壇のように花が咲き乱れていた。

さながら花瓶のようであったが、造花なのか、生花なのか知る者は校内にはいない。

彼女にその事を聞こうとすると、間が悪くそれを阻害する出来事がたびたび起きるからだった。

彼女はマスクの内側でくぐもった咳をしながら、小さな情報デバイスを弄っていた。

デバイスには先週起きた強盗未遂事件の報告が表示されていた。

ある精神感応系の能力者が銀行へ強盗に入り、たまたま居合わせた高レベル能力者がそれを鎮圧した『というだけ』の内容だったが、その高レベル能力者はすぐにその場から離れてしまったらしく、その素性も特定できずにいた。

警備員はその逃げ去る人物を目撃したようだが、いずれも『空間移動系の』能力者であったと話しているという。

確かに防犯カメラにも、フラッシュ写真のように一瞬で十数メートルを移動する男性(実際にはもっと幼いと報告されていたが)の姿が確認されていた。

しかし銀行内での事情徴収によると、誰もが口をそろえて『念動力系の』能力者だったと話したそうだ。

事実拘束された強盗は両手を複雑骨折しており、体にも幾つか殴打された痕があったらしい。

警備員や風紀委員の間では、一般客は恐怖のあまり何らかの見間違いをしてしまったのではと結論づけられていた。

そうしてその『多重能力者』の捜査への打ち切りが決定されたのである。

超能力は一人一つ、という常識的な思考に則った判断だったが、何だか腑に落ちないものを彼女は感じていた。

そうやって真面目に考えていたため、彼女は背後からの影に気付くことができなかった。

 

「初春」

 

名前を呼ばれた彼女は振り返るより前に、下半身の開放感に気付く。

気付いたときにはもう遅く、スカートという名の防御力の低い布は重力に従って緩やかに元の位置へ帰ろうとしている最中だった。

教室内の大半の視線が彼女に向いている事に気付くと、彼女は顔を真っ赤に染めた。

背後からはまた声がする。

 

「今日は淡いピンクの水玉かー」

 

「佐天さん!いつも挨拶代わりにスカートめくるのやめてくださいって言ってるじゃないですかー!」

 

振り向いた初春はスカートを押さえ、デバイスを持ったままの手でスカートめくりの犯人をぽかぽか叩いた。

犯人は特に悪びれた様子もなく笑っていた。

長い黒髪の上に、花の髪留めが初春とは違い一つだけ光っている。

 

「ごめんごめん。お詫びにあたしのパンツでもーーー、って」

 

と、突然佐天と呼ばれた女学生は初春の手からデバイスをひったくり、興味深そうにのぞき込んだ。

その様子を不思議に思った初春も、一緒になってデバイスをのぞいた。

 

「どうかしましたか?」

 

「これアレでしょ。『謎の多重能力者』!」

 

「はぁ?」

 

目を輝かせる佐天とは対照的に、初春は間の抜けた声を返した。

彼女はどうも噂好きなきらいがあることを初春は知っていたので、今回もその類なんだろうと思ったのだ。

彼女が早口で事態を事細かに、多少の脚色をこめて伝えてくるあたり、噂話が広がるのは非常に早いのだと初春は考えた。

だが、どうしてそんなに詳しく調べたのかと初春は訪ねた。

すると佐天は胸を張り、ポケットから携帯電話を取り出した。

彼女がそれを数回操作して、初春の鼻先へ突きつける。

画面には僅か数十秒足らずの動画が流れていた。

内容は、銀行から現れた短髪の少年が目の前を横切って行くだけの動画だったが、そこに隠れた佐天の本心を悟った初春は目を見張った。

 

「まさか、これ」

 

初春が言いかけると、佐天はそう、と言葉を遮った。

 

「偶然撮影しちゃったんだ。ね、どう思う?」

 

「どう思うって・・・」

 

佐天は初春の肩を抱き、耳元で芝居がかった声でささやいた。

探してみない?と。

その瞬間、教室に始業のベルが鳴り響いた。

教師は既に入室しており、手を叩いて着席を促している。

佐天は初春の肩から手を離し、さっさと自分の席に行ってしまった。

初春の席は彼女のすぐ前なので、続きは授業中に話す気なのだろう。

教師が黒板にチョークを走らせ始めると、それはすぐ再開した。

背後から、小声で佐天が話してくる。

 

「風紀委員の設備かなんかでさ、探せないかな?この人」

 

「それは、できないことはないと思いますけど・・・」

 

佐天とは違い、この件に関して初春は消極的なようだった。

それは彼女の常識的な一面が赤の他人への詮索をためらったせいでもあるし、また得体の知れない人物への恐怖のせいでもあった。

しかし初春の明確な拒否反応を目にしても、佐天は全く諦めなかった。

両手を顔の前で合わせ、初春を拝むように頼み込む。

 

「いいじゃん、お願い!今度何かおごるからさ」

 

その言葉に、とうとう初春の耳がぴくりと動いた。

勝った、と佐天は思った。

もとより初春が頼み事を断り切れない性格だというのを佐天は知っていたが、またやや食い意地が張っていることも知っていた。

風紀委員という業務上、自由にゆっくり食事をとる場面が少ないせいである。

そしてとうとう交渉の甲斐あって、放課後に検索をかけてくれるとの約束をこぎつけたのであった。

 

 

 

 

 

 

「本当はいけないんですからね、こういう事」

 

「ごめんごめん」

 

放課後の教室。

ぶつぶつ言いながら初春は、鞄から取り出した少し大きな端末を指先で弄っていた。

他の生徒は殆ど皆下校してしまったようで、少なくとも彼女たち以外に教室に人影は無かった。

この状況は意図的なものではなく、自然的なものであったが、彼女たちにとっては図らずもプラスな結果になっていた。

端末の画面には佐天から転送された動画の一場面、短髪の少年が目の前を通り過ぎる瞬間が映されていた。

初春は少年の顔の部分だけを拡大し、ソフトを使って解像度を上げる。

二回、三回と同じ作業を繰り返すと、次第に少年の顔が細部まではっきり分かるようになった。

どこにでもいるような、特に特徴の感じられない顔だった。

その横顔を佐天と二人で暫く見つめ続けたが、共に自分の記憶には無い人間だと判断した。

次に初春は、データベースに該当する顔であるかどうかを調べることにした。

このデータベースとは学園都市の学生全ての指名と人相が記憶されており、風紀委員では『書庫』と呼ばれているものである。

初春が動画にあった人間を書庫で検索すると、黒髪短髪の男子学生が数十人画面に表示される。

それを見て、佐天が彼女の後ろでため息を漏らした。

情報は横顔の写真たった一枚だったので、可能性のあるものとして候補が複数になってしまったのだ。

 

「・・・儚い希望だった」

 

がっくりと肩を落とす佐天を見て、初春はくすりと笑った。

佐天はこういう都市伝説的な事件に憧れを抱いている面があるらしく、今回は期待も大きかった分落胆も相応なものなのだろう。

うなだれる佐天に対して、初春はまだデバイスをしまおうとしなかった。

この友人にもう少しつきあってもいいだろうと思ったのだ。

 

踵を返して帰ろうとする佐天を、そんな初春が呼び止めた。

 

「待ってください。ほら、この人」

 

「?」

 

振り返った佐天の目の前に、初春のデバイスが突きつけられる。

画面には先程の短髪の少年の内の一人が表示されていた。

 

「この人が何?」

 

「この人、うちの学校の人ですよ」

 

佐天がデバイスを覗き込むと、なるほど在籍校にはしっかりと『柵川中学校』と記されている。

 

「身近なトコから、ってこと?」

 

「そうですね。まぁ、宝くじでも引くような感覚でいいんじゃないですか?」

 

悪戯っぽく片目を閉じる初春を見て、佐天も小さく笑った。

励まして貰っているのが分かったからだ。

よし、と佐天は拳を固めた。

 

「じゃー明日この人探してみよう!待ってろよぉー、えーと、誰だっけ」

 

「名前は、と・・・」

 

初春はデバイスを再び操作し、画面に表示された文面をそのまま読み上げた。

 

「翌桧、十三さんですね」

 

 

 



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始業のチャイムが鳴り、十三は扉へ目を向けた。

先生が出席簿を持って教室へ入ってくるのが見えた。

1限目は数学だと、後ろの席の奴が言っていた。

酷くこの時間が憂鬱に感じる。

十三は数学が嫌いだった。

これはこの世界に限ったことではなく、生前も数学を苦手としていたためだ。

しかしながら、彼が朝っぱらから憂鬱に浸っているのは数学のせいではなかった。

始業前の号令に紛れて、後ろの席の奴が十三の肩をつつく。

後ろの奴とは、おしゃべりで、買い食いと少しの校則違反が好きな、どこにでもいる男子生徒のことである。

 

「おい、知ってるか」

 

そんな台詞が後ろから聞こえてきたので、十三は彼から見えないように顔をしかめた。

知っているかと言われれば、知っている。

今週に入ってその話を幾度となく様々な生徒から聞かされたからだ。

『謎の多重能力者』というのが、その噂話につけられた名前だった。

聞けば、その人物は悪党をひたすらに叩きのめし、何も言わずに去っていく通り魔的存在であるらしい。

その能力はデータに残らないほど多彩であり、学園都市にいる全員の能力を所持しているとか。

真っ赤な嘘である。

『知ってるよ』と声を荒げるのは簡単だが、話し好きの級友の機嫌を損ねる意味もないので、十三は適当に興味のあるふりをしておいた。

が、話された内容は概ね把握している情報と同じだったので、十三は再び顔をしかめた。

生前もそうだったが、なぜ人はこうも噂話が好きなのだろうか、と十三は考えた。

しかもそれは大げさであればあるほどいいらしく、事実先程の話にも多くの尾ひれがついている。

呆れるより先に、恐れが立った。

噂が広がるということは、それだけ皆が興味を持つということだ。

となれば、いつ誰が十三自身に目をつけ、そのスタンド能力を看破するか分かったものではない。

もしそこから神の存在がばれれば死、神のことをぬきにしても、こんな物珍しい能力を持っていれば研究室送りは妥当だろう。

実験室送りにされるのはまっぴらごめんだった。

 

しかしながら、そんな消極的な思考とは矛盾して、十三のクライムファイターまがいの行動は増えていた。

銀行強盗のような明確な犯罪者を処理したのは先の一回だけだったが、恐喝やゆすり、暴行などの軽犯罪者は数回程処理していた。

初めの方はまだ恐怖で体が震えていたが、最近は落ち着いて対処できるようになった。

『できて当然』だと思うようになったのが、大きな要因だったのだろうと、彼は考えている。

とは言え、心に余裕ができると、考えることも多くなっていった。

人を殴ることに対して、幾らかためらいができはじめたのだ。

最初こそ無我夢中だったが、問答無用で殴りつけることに意味は無いように思う。

なので彼は最近なるだけ警告をし、相手に無茶な怪我をさせないように注意をしている。

が、まぁ、骨の一本や二本は折ってしまうのだが。

要するに、十三は自らの『もてはやされたい願望』と『力の責任』の折り合いをつけるのに必死なのだった。

 

後ろの奴の話が終わると、十三はふうんと気の抜けた返事を返した。

 

「噂じゃあさ、そいつにやられた奴らが仕返しをもくろんでるって話だぜ」

 

十三は、少し胃が縮こまるのを感じたが、表情をつくって級友に返した。

 

「そうか、それじゃあその何とかって奴もひとたまりもないな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休憩になってから、同じ話をもう一度された十三は、昼休憩を寝て過ごすことに決めた。

ここまで同じ話をされると、もう誰かが自分に目星をつけているんではないかと錯覚する。

顔は何かで隠しているし、制服を着ていた訳でもないので、自分に対象を絞ることは難しいと分かっているのだが。

毎度のごとく十三は臆病な自分に嫌気がさし、自らの腕の中で自嘲気味に笑った。

十三はこの時間帯が好きだった。

昼食をとり、教室内がぼんやり暖かくなってくるこの時間帯では、そんなことも忘れて微睡むことができたからだ。

難しいことは忘れて、夢の世界へ緩やかに落ちていく感覚が、幸せで・・・。

 

「おい」

 

幸せで。

 

「おーい、十三ー」

 

「はいはいはいはい。なんでしょーか」

 

級友に体を揺すられ、むりやり現実に意識を戻される。

十三にとってそれは好物に泥をぶちまけられることに等しく、生来の温厚なキャラ付けを無視し不快感を露わにして立ち上がった。

起こした級友もまさかこんな事でこの友人が怒ると思ってなかったらしく、僅かに慌てている様子が見受けられた。

 

「俺じゃねーよ。ほら、呼んでっから」

 

級友が顎を向ける先に目を向けると、女子生徒が二人、扉の前に立っていた。

一人は長髪、一人は短い髪をしていて、どちらも見覚えのない女子生徒だった。

というか、一人はいいとして、短髪の方は一度見たら忘れるはずがないような見てくれをしていた。

十三はふん、と級友に向けて鼻を鳴らし、扉へ向かってわざとらしくずんずんと歩いていった。

 

「何か用?」

 

打って変わって、声や態度に苛立ちを混ぜないように気をつける十三。

彼は別にフェミニストではないが、実際には年下である女の子を怯えさせるのは彼の趣味ではない。

髪の短い子が、十三の問に反応する。

が、髪の短い女子生徒は大きなマスクをしており、そのせいか言葉が良く聞こえなかった。

十三が聞き返すより先に、髪の長い女子生徒が十三の手を掴んだ。

 

「ちょっとだけ、話、聞いてもらえない?」

 

手を引かれるままに、十三は廊下の隅に連れてこられる。

人気のないこんな場所で何をするんだと、十三の中で一瞬下卑た想像が浮かんだが、馬鹿かと自分でかき消した。

髪の長い少女が立ち止まり、十三に振り返った。

長い髪が揺れ、白い花の髪飾りが良く映える。

 

「『謎の多重能力者』って知ってる?」

 

またその話か!と十三は思わず声を上げそうになった。

が、必死でその言葉を飲み込み、代わりの言葉を紡ぐ。

 

「まぁ、話ぐらいならな」

 

そう言って目をそらした十三の鼻先に、携帯電話が突きつけられた。

画面には銀行を遠巻きに囲む警備員と、目の前を通り過ぎる短髪の男が表示されている。

十三は胃が以前にも増して縮こまるのを感じた。

撮られていたのか、なら最後に聞いたあの声もこの女子生徒のものだったのだろう。

しかし映像は解像度が悪く、これだけで十三本人だと断定はできなかった。

十三は震える手先をポケットに突っ込み、できるだけ平静を装って答えた。

 

「これは?」

 

十三が聞くと、長髪の少女は得意げな顔で胸を張った。

 

「いやー偶然撮っちゃったんだよね。で、検索かけたら、ウチの学校に似てる人がいるなーってことになって」

 

ふむ、と十三は口を結んだ。

どうやらこの少女達は確信を持っているわけではないらしい。

カマをかけているにせよ単純な好奇心にせよ、ここでしらばっくれてまずいことはないだろう。

 

「悪いがね、身体検査でも無能力者って結果が出てるし、ヒーローって見てくれじゃあないだろ?」

 

「データに残らない能力なんだって話もあるよ」

 

「そりゃあいいな。でもよ、俺がそいつだとしたらそんな能力を隠しておくつもりはないね。めちゃくちゃ自慢するね」

 

「んー、それもそうかあ。ちぇっ、残念」

 

少女はあからさまに落胆した顔をした。

何だか子供の夢を壊したような気がして、十三の心が少し痛む。

と、そこで昼休みが終わる合図であるチャイムが校内に響いた。

短髪の少女が長髪の少女の袖を引く。

 

「ほら佐天さん、もう行きましょう」

 

「はーい」

 

くるっと振り返る彼女らの背中が小さく見えて、幼少の頃より培ってきた面倒見だとか保護心だとかそういったものが、十三の中で悲鳴を上げた。

いや、別に裏切ったわけではないし、十三は特に彼女らに実害をもたらしたわけではない。

だがまあ黙っておくことと同じぐらい、彼女らに希望を持たせることも悪くはないだろう。

かの有名な蜘蛛男だって、病床の男の子の前ではマスクを外したくらいだし。

 

「なあ、おい。ちょっと」

 

十三が声をかけると、女生徒二人が振り向く。

 

「いや、あれだ。ほら、探すんなら、人数が多い方がいいだろ?」

 

「?」

 

彼女たちは回りくどい言葉の真意を理解していないらしい。

きょとんとした顔をしていた。

 

「その動画だよ。俺にもくれたら、ウチのクラスでも興味出る奴もいるかもじゃん」

 

女生徒二人は、まだきょとんとした顔をしていた。

しまった、これだとナンパか何かをしているみたいだな、と十三は内心で舌打ちした。

そうしたところで、彼女らは顔を見合わせ、咲くような笑顔を見せた。

 

「マジ?手伝ってくれるの!?」

 

「まあ人捜しくらいならな。それに、都市伝説に迫るって感じがして面白いじゃん」

 

十三がそう言うと、長い髪の少女が嬉々として携帯を弄り始めた。

暫くしてから、十三の前に再びそれを突き出す。

ああ、アドレスかと気づき、十三も携帯を取り出し、操作を済ませて同じように差し出した。

空間を通じて情報が交換され、携帯の画面に完了を意味するメールアドレスが表示される。

 

「あとで動画添付して送るから、またね。いこ、初春」

 

初春と呼ばれた短髪の子の手を引いて、長髪の少女は小走りで行ってしまう。

先程よりは、幾らか大きな背中に見えた。

その背中に手を振りながら、十三はアドレスを携帯に記録した。

と、そこで十三は自分の間抜けさに気付く。

名前を聞いてないので、アドレス帳に何と登録すればいいのか分からなかったのだ。

 

「・・・適当に登録するか」

 

「登録はいいから、さっさと教室戻れよー」

 

その声に振り向くと、目の前に初老の教師が立っていることに気付く。

午後一番の授業の担当教諭だった。

授業中に眠っていればすぐ起こされる程度には、真面目な教師である。

十三は完全に寝そびれたことを嘆くばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室に帰ると、早速クラスメイトに冷やかされた。

ナンパ野郎だとかジゴロだとかそういう肩書きは十三には好ましい物ではなく、苦笑いで適当に乗っかるぐらいしか対応もできなかった。

しかし実際女子のメールアドレスを初対面で手に入れてしまった男の印象など、そんなもんだとは彼自身も思っていたが。

とにかくその評価は嫌々ながら納得済みで、彼が授業もそっちのけで考えているのは他の事だった。

それは今後自警活動をする時の注意である。

昼休憩にあの女生徒から見せられた動画は、既に彼の携帯に記憶されていた。

約束したとおりにクラスの皆に見せて回ったところ、概ね好評だったが、あの日に銀行に行っていた人は一人もいなかったらしい。

そのことをメールで送ると、彼女は文面越しにも分かる落胆を見せた。

因みに、メールを通じて送られてきたその際に、名前を聞いてなかった旨を伝えると、快く名前とクラスも教えてくれた。

ともかく佐天涙子というらしい彼女は、あの動画から当てずっぽうで十三に辿り着いたらしかった。

今でこそ実際に記録に残っているのはあの動画のみだが、今後ああいうものが残されないかと言うと、その可能性は薄いだろう。

つまりは単純に顔を隠す必要があるのではないかということである。

アメリカのヒーローよろしく全身タイツとは行かないまでも、マスク程度ならする必要はあるかもしれない。

今日あたりどこかの店で布でも買って、自分で裁縫しようかと十三は考えていた。

手っ取り早くマスクやお面を買わないのは、購入する行為自体から身元が割れそうだからである。

彼がここまで正体を秘匿するのに、一応は明確な理由はいくつかあった。

第一に神の存在を感付かれないためと、モルモット扱いをされないためである。

しかし後者は特に確証があるわけではなく、言うなればこの世界に対する猜疑心、彼の生来の捻くれた性格がもたらす暗鬼としての一面を持っていた。

それと、噂にも上がっていた報復のことである。

十三が処理した相手が彼にいい感情を持っている筈は無く、その復讐として正体を探すのは十分にあり得る話だからだ。

いかにザ・ワールドといえど、本体はただの人間である故に、不測の事態は起こりうると十三は考えていた。

十三は息を吐き、窓の外を眺めた。

外には連なる大きな建物と、遠巻きにぽつぽつとそびえ立つ巨大なビルが見える。

建物の隙間の暗がりから、誰かが睨んでいるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園都市にある廃工場は少ない。

大量生産と品質の折り合いをつけた生産的テクノロジーの塊である工場は、親会社の倒産と共に設備ごと他企業に吸収されるためである。

そのため、学園都市、こと第7学区で『廃工場』と言えば一種の合い言葉のようになっていた。

スキルアウトではなく、単なる不良のたまり場という意味である。

スキルアウトと呼ばれる一種の武装集団は、第7学区ではある人物によってまとまりを見せていた。

が、それに所属しないいわゆるチンピラ達が、こぞって何かをするための場所が、その廃工場だった。

廃工場の中は広く汚く、屋根に穴の開いている部分もあった。

どこぞの誰かが持ち込んだのだろう汚いソファーやテーブルが散乱しており、アウトローな雰囲気を醸し出していた。

工場内には人影が多数あった。

大柄だったり中肉中背だったり太っていたり痩せていたりとそのシルエットは多種多様だったが、彼らの目的は皆一様である。

その中で、古い革製のソファーに腰掛けた男が口を開いた。

 

「それが例の物か?」

 

話しかけられた人物は、工場の入り口に立っていた。

女であった。

糊のきいたスーツを着込み、清潔で整った姿は、この廃工場に全く似合わないものだった。

彼女の背後には、黒いバンが停まっていた。

 

「ええ、そう」

 

彼女はバンの背後を撫で、男達に答えた。

 

「注意事項は特に無いわ。強いて言うなら、なるだけ長時間使って欲しいことかしら」

 

「なんだっていい」

 

ソファーの男はそう吐き捨てて歯を剥き、怒りを露わにした。

この場にいない人間に対しての怒りである。

そして、工場内の何人かが同調するように身動ぎした。

 

「俺達はあの野郎にコケにされたんだ。その落とし前はつけさせなきゃなんねぇ」

 

「そう」

 

感情が満たされた声色に、スーツの女は一言で答えた。

酷く興味のなさげな声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休日のその日、十三はいつもより早く目が覚めた。

もとから早い時間に目覚まし時計は設定してあるのだが、その日はそれの更に1時間ほど前に目が覚めたのだった。

起き出して背伸びをすると、枕元からパサリと音を立てて何かが落ちる。

見ると、白い麻布と茶色いロープ、それに太めの針と糸が袋詰めになって落ちている。

十三はそれらを少し眺めて、先日自分が百貨店で購入した物だと思い出した。

時刻は午前7時過ぎで、僅かな寒気で目が冴えてくる。

今日は予定があるが、出発するには早すぎる時間だし、二度寝する気も起きない。

ならいっそ今作業を済ませてしまおうと、十三はベッドから抜け出した。

物入れを開き、木製の箱を引っ張り出す。

中身は昔から使っている裁縫道具だった。

いつかの日に園長先生にもらった物だ。

十三にはあすなろ園で子供の世話をしている内に、園長先生の助けもあって磨かれた裁縫技術がある。

それがこんな形で活かされるとは、先生も思ってなかったことだろう。

部屋の電気をつけ、この住居で唯一のテーブルの前に座る。

テーブル上の電気スタンドを付けると、十三は裁縫道具もその上に置いた。

ベッド下に手を伸ばし、購入した品を引き寄せる。

結果から言うと、ものの10分で作業は終わった。

それもそうだろう、何しろ精密な動作とスピードが売りのスタンドが、彼には備わっているのだから。

出来上がったのは、ただの麻袋だった。

目や口の部分を薄く削り、呼吸や視界をなるだけ邪魔しないように作り上げた。

が、見てくれは酷く悪い。

言わば被る巾着袋だ。

装着して洗面台の鏡で確認したものの、死刑執行前の囚人にしか見えなかった。

これはヒーローじゃあないな、と十三は独り言ちた。

が、もとよりそんなつもりはなかったのだ、と自分に言い聞かせ、とりあえずはこの覆面で我慢することにした。

覆面を脱ぎ捨て、顔を洗うと、今まで以上に意識がはっきりした。

これなら今日の予定にも差し支えなさそうだ。

彼は二週間に一度程、心掛けている用事があった。

あすなろ園でのボランティアである。

彼からすれば里帰りなのだが、てきぱきと業務をこなし子供の世話をする姿は、どう見ても里帰りをしに来た子供ではない。

ゆっくりと団欒することも無いが、十三はこのボランティアがとても好きだった。

本当なら毎週のように休日中来たいものだったが、園長先生には二週に一度程度に止められている。

十三に学校でのつきあいを大切にして欲しいのと、それと彼の勉学が心配だったらしい。

十三も後者にはぐうの音も出ず、こうして大人しく従っているのである。

彼にとって園はこの世界における唯一の寄る辺であり、また帰る家であるための依存だったのだが。

ともかく、たまの里帰りを良きものにするべく、十三は準備を始めた。

小振りな鞄を壁から引っぺがし、慣れた手つきで荷物を放り込んでいく。

と、しばらくして彼の手が止まった。

脱ぎ捨てられた麻袋に、視線が向いたせいだった。

これは持って行った方がいいだろうか。

十三は少し迷ったが、道中何もないとは限らないと考えたのでとりあえずはと同じように鞄に放り込んだ。

時計を見ると、時間は7時30を回ったところだった。

出るにはまだ少し早い時間だと思ったが、そもそも別に早く着いても問題は無いはずだと、十三は考えた。

先生はそんなことを気にする人ではないからだ。

寮から園に行くには、電車に乗って行かなくてはならなかった。

容易に行ける距離ではない微妙な距離がもどかしかったが、十三には苦になるほどでもなかった。

電車の中から見える景色は、その間に緩やかに変化する。

商業地区から工業地区、いかにも未来都市といった外観の学区を通り抜け、視界に小学校や幼稚園が多くなると、13学区に入ったことが分かるのだ。

13学区の駅で降りて、十三は携帯電話をちらと見る。

時刻は9時を回ったところだった。

15分ほど駅から歩くと、その建物は見えた。

園は2年ほど前に改修され、十三が入園した時より大きく清潔になっていたが、どことなく可愛らしい雰囲気はそのままだった。

園の外には柵に囲まれたプレイスペースがあり、様々な遊具が立ち並んでいた。

今日彼の目についたのは、カラフルなジャングルジムだった。

色こそ塗り直されているものの、そのものは以前のままだった。

昔ザ・ワールドでへし折ってしまった部分は、修理されていたけれど。

遊具で遊ぶ子どもたちの姿はまだない。

日が照って暖かくなるまでは、確か朝礼を園内で行っていたはずだからだ。

代わりに、地面を平している背の高い男性がいた。

緑色のエプロンをしてしゃがみ込み、小石をせっせと拾っているからには、彼もボランティアなのだろう。

 

「ボランティアの方ですか?」

 

十三が話しかけると、男性ははっとして彼の方を向いた。

 

「そうだけど、君は?」

 

「俺も、同じですよ」

 

「うわ、今日は十三の日か!」

 

十三が言い終わったところで、園から小さな影が飛び出してくる。

その影は帽子を逆に被った男の子で、十三の腹部に肉声の効果音と共に突進してきた。

十三のよく知った子供で、その元気さも知っている。

思わず十三の口からうめき声が漏れた。

その子に次いで園からは次々に子供達が駆け出してくる。

いつもより早い時間なのは、このボランティアの男性のおかげなのだろうと、十三は考えた。

やがて十三の周りに子供達は集まり、彼の手を引いたり体によじ登ったりした。

 

「鬼ごっこしよーぜ!十三鬼な!」

 

「えー、ドッジボールがいいな。十三をみんなでねらうんだ!」

 

「いい度胸だなお前ら。なら足腰立たなくなるくらい遊んでやるよ」

 

十三は背中にしがみついていた男の子を引っぺがして、ジャングルジムに引っかける。

彼がわざとらしく怒って手足を振り回すと、子供達は笑ってちりぢりに逃げ出した。

その様子を見て、ボランティアの男性はくすりと笑った。

 

「君が、十三君か」

 

「あ、聞いてるんですか」

 

「うん。子供達や、園長先生からもね」

 

その言葉を聞いて、十三の顔が僅かに綻ぶ。

 

「あれ?ってことは、今日初めてじゃないんですね」

 

「そうだね。君に会うのは初めてだけど、以前からここには数回来させてもらっているよ」

 

素直に、十三はありがたいと思った。

昔からこの園は園長先生ひとりで切り盛りしていた節があったからだ。

ボランティアの数も限られている現状、彼のような男性は非常に助かる。

十三は笑顔で、彼に手を差し出した。

 

「じゃあ、改めまして。十三です、よろしくお願いします」

 

「うん。僕は大圄。よろしく、十三君」

 

そう自称して、大吾は十三の手に応えた。

後ろで子供の呼ぶ声がする。

挨拶も程々に、十三は振り返って『業務』に戻ろうとした。

するとそこで、ズボンのポケットに入れた携帯電話が震える。

駆け寄ってきた子供が、彼女か、なんてはやし立ててきた。

それを適当にあしらい、携帯を開くと、メールが一件届いているのが分かった。

差出人の欄には『佐天涙子』と書かれていた。

しかし、内容は十三の知る彼女の物ではなかった。

 

 

件名:多重能力者へ

 

内容:廃工場に来い

   一般人はこのメールをできるだけ多くの人間に見せろ

   警備員や風紀委員が来れば人質は殺す

 

 

添付された写真には、襟首を掴まれ首筋にナイフを突きつけられた、怯えた表情の人が数人並んでいた。

男女様々な外見の人だったが、年齢は皆学生程度だった。

そしてその写真の中には、見知った顔の少女がいた。

 

十三は血の気が引くのをはっきり感じた。

 



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5

学園都市でも学生が休日にやることは外とあまり変わらない。

友人と遊びに行ったり、1人で過ごしたり、まあ、勉強したり。

狭まった選択の中から佐天涙子がその日選んだのは、調べ物だった。

例の噂に関する、調べ物である。

とは言っても、ネットでまことしやかに囁かれるグレーな噂を、掲示板から断片的に拾って来る程度だが。

彼女のシンプルなデザインの寮には、年頃の女子らしい雰囲気の小物や家具が気持ちばかり置かれていた。

その部屋の隅に置かれた机の上では、パソコンのディスプレイが淡く光を放っている。

学園都市内で構成されている掲示板でも、内容は外と大差は無い。

くだらない冗談、罵倒、まがい物の情報。

佐天はそれを流し読みしながら、疲れたように息を吐いた。

様々な情報の全てが、彼女の満足するものではなかったからだ。

『謎の多重能力者』。

唯一手の届きそうな、身近な都市伝説とでも言おうか。

とにかくそれは、その身近さゆえに情報の虚偽性を高めていた。

嘘の報告ならまだしも、多重能力者を自称する書き込みまでもが掲示板にはあった。

少しで良いから、真実味のある情報に触れたい。

と、そこまで佐天が都市伝説や噂にこだわるのには、彼女も把握しきらない理由があった。

学園都市の住民の八割は学生である。

そして、その内六割弱は無能力者である。

多くの学生が超能力に憧れて都市を訪れ、無能力者という事実に少なからぬ落胆を抱くことになるのだ。

そして、佐天涙子もその類に漏れない人間だった。

押された無能の烙印。

消えることのない苦しみをひたすら誤魔化しながら生きようとも、能力への憧れは簡単に断ち切れるものではなかった。

だからこその、都市伝説。

この科学が蔓延した世界でも起きる何らかの超常的な事柄に、佐天は反射的に期待してしまうのだ。

勿論そういう噂が形成されている以上、同じような感性の人間は掃いて捨てるほどいる。

彼女が今覘いているネット掲示板も、そういう人間で賑わっていた。

適当に更新ボタンを押し、その回数が増す度に、佐天の体からどんどん熱が抜けていく。

意味のない情報はそれだけで彼女を現実に引き戻そうとするからだ。

部屋の中に感情のないクリック音が静かに響く。

が、突然ふと、それが止まった。

彼女の目は一つのレスポンスに釘付けになっている。

それはわざわざ目立つように、大量の改行とともに書かれていた。

 

『第7学区の廃工場で【多重能力者】処刑予定。拡散希望』

 

呆けたように眺めた後、佐天はもう一度だけ更新ボタンを押した。

 

『【多重能力者】が正午までに来なければ人質は殺す。警備員や風紀委員が来ても殺す。見物人は歓迎』

 

端的に書かれたその文の下にはURLへの直接リンクがペーストされており、クリックすると大きな画像が貼り付けられたページに飛ばされた。

そこには、白い袋を被せられ、椅子に縛り付けられた人間が映っていた。

数人の人間に人質が囲まれ、わざとらしく拳銃を突きつけられている画像だった。

喉が根本から干上がるのを佐天は感じた。

しかし同時に、僅かに高揚する感覚もあった。

佐天は風紀委員の友人にメールを送ろうとして、その手を止めた。

もし自分のせいで『人質』が死んでしまったらどうしよう。

他人の命だからと割り切れるだけの胆力は彼女にはなかったのだ。

その書き込みを皮切りに、水を得た魚のように掲示板は騒ぎ始める。

『通報した』という旨の書き込みが多数だったが、見物を志願する書き込みもぽつぽつと沸いていた。

我ながら、どうかしていると佐天は思った。

人というのは、他人の生き死にをどうにかする覚悟は無い。

しかし、ただ見るだけの図々しさは備えているものなのだ。

彼女の名誉の為に記すなら、佐天涙子という人間はごく普通の、善良な中学生でしかない。

魔が差した、というのが一番的確だろうか。

下卑た打算など無く、ただ純粋に、噂の真相に近づきたいと思ってしまったのだ。

佐天は外行きの服をクローゼットから引っ張り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「立てこもり事件ですか?」

 

寝ぼけ眼を擦りながら、初春は精一杯真面目に言葉を反芻した。

せっかくの休日に制服を着込んでいるのは、ひとえに風紀委員という仕事のせいであった。

事件物騒な言葉を平然という辺り、この街の治安の悪さが透けて見えるようでもある。

本来彼女の所属する風紀委員という組織は、こういった犯罪行為を取り締まることが業務内容である。

しかし、構成員の全てが学生であることもあり、業務に含まれるのは軽犯罪の取り締まり程度であった。

刑事事件のほとんどは、警備員の仕事である。

もちろん、この立てこもり事件も。

 

「随分と落ち着いていますのね」

 

初春の目の前の少女は、大した戒めも込めずに言った。

彼女は事務机の前に座っており、机上にはパソコンと小さなデバイスが置かれている。

椅子を左右へ回す度、彼女のツインテールが僅かに揺れた。

 

「だって、もう警備員が到着してるって白井さんが言ったんじゃないですか」

 

白井は初春の言葉に応えず、つまらなそうにパソコンの画面を眺めた。

そして同じくつまらなそうに、表記された文面を読み上げる。

 

「人質のみを盾に警備員を牽制、犯人グループに組織力は無し、おまけに要求は顔も知らない都市伝説。お粗末な限りですわね」

 

白井の言葉を聞いて、初春はどう反応していいか分からず苦笑いした。

結論から言うと、犯人グループにはもう退路はない。

報告によれば、犯人達を刺激しないために距離こそとっているものの、現場は包囲済みで、狙撃班も待機しているらしい。

仮に彼らの要求が通ったとして、そこから進展することは無いだろう。

彼らの中に相当な知能犯がいれば可能性はあるかもしれないが、そもそも知能犯はこんな犯行に及ぶはずもないだろう。

留意点があるとするなら、やはり人質だろうか。

報告には人質は複数いると知らされているだけで、その身元や詳細は伝えられていなかった。

初春は顔も分からぬ人質に心を痛めながら、再び口を開いた。

 

「私達にも、何か出来ませんか?」

 

その言葉を聞いて、白井は面食らった表情をした。

そして僅かに微笑み、諭すように言った。

 

「現場で体制が組まれている以上、私達が向かっても混乱させるだけですのよ。気持ちは分かりますけれど、今は警備員の方々を信じましょう」

 

そう言われて、初春は少し恥ずかしげにうつむいた。

白井はそれを見てまた微笑んだ後、パソコンに向き直る。

口では初春にああ言ったものの、白井自身この事件に納得がいっているわけではなかった。

勿論人質は心配だが、また別のことである。

当初この事件は、通報を受けた警備員七十三支部が受け持つことになっていた。

が、別部署に指揮権を奪われたのだ。

『より的確な処理を行えるため』という曖昧な理由で現れたその部署は、事実迅速で的確な行動を行っている。

しかし、わざわざ出張る理由が分からないのだ。

単なる点数稼ぎなら良いが、何か目的でもあるのだろうか?

 

「・・・考えすぎですわね」

 

「?何か言いました?」

 

「いいえ」

 

言うや、白井はおもむろに椅子から立ち上がった。

要らぬ心配を、初春にはかけたくないと思ったからだ。

まさか警備員の中で軋轢があるなんて事を、彼女が好んで知りたいとも思えない。

そんな白井の心情に気付かず、初春は何の気なしに呟いた。

 

「来ると思いますか?」

 

「え?」

 

「多重能力者」

 

その言葉に、白井はああ、と相づちをうつ。

 

「さて、来ないんじゃありませんの?」

 

「そんな適当に・・・、来なかったら人質の方が危ないんですよ?」

 

「そもそもこの事件が伝わってない可能性もありますのよ。まぁ来なければ、適当に警備員から誰か偽物見繕って、機を見て突入ですの」

 

そんなもんなんですかねえ、と初春が呟く。

この子も結構、噂好きな類なんだろうか、と白井は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃工場は、朝にもかかわらず薄暗い。

ぼろぼろの屋根の亀裂から差し込む光のみが、内部の光源になっているからだ。

黒塗りのバンが、工場の奥に停まっていた。

バンパーの前には三人の人間が座らされており、それを囲むように、ナイフを持った数人の男達がただ立っていた。

そこから少し離れた場所に、煤けた古いソファーがあった。

それに座った男は、神経質そうに携帯を何度も確かめている。

まるで初デートだなと、工場内の何人かは思った。

つられてそのうちの一人が、同じように携帯を取り出す。

時刻は10時過ぎだったが、工場には誰も入ってくる気配は無い。

本当にあの男は来るのだろうかと、誰かが呟くのが聞こえた。

その声を聞き、誰かが小さな引きつった悲鳴を上げた。

神経質な男は悲鳴を聞いて、人質がいたことを思い出した。

その時はその時だと、男は吐き捨てた。

辺りを見回すと、様々な風貌の男達が佇んでいる。

顔や腕に痛々しく湿布を貼っている者もいた。

ここに集まった人間はいずれも、あの都市伝説とやらに面子やプライドといったものをズタズタにされた(と思っている)人間だ。

仲間意識や信頼なんてものはさらさら無いが、敵意は同じ場所へ向いている。

そして目的も同じ、その都市伝説に泥を塗ってやることだ。

何も物理的な行為で痛めつけなくてもいい。

奴がここに来ず、人質を見殺しにしてまで逃げ出したとあれば、失われた自分たちの尊厳も奪回できる。

だがこの大人数、それに例の装備もある。

一番なのはやはり、直に叩きのめしてしまうことだ。

神経質な男は、多重能力者のことを思い出して拳を握った。

彼がそれにあったのはつい最近のことだ。

彼がいつものように、仲間達と『募金』を募っているときだった。

通行人を吟味し、手頃な人間を捕まえて、あとは脅すだけ。

今時珍しくもない、スキルアウトなら誰でもやっているような行為。

彼も毎日のようにやっているが、誰一人として咎めようとはしない。

ひと睨みするだけで、通行人は弾かれたように逃げてゆく。

何だか自分が誰よりも強く強かになった気がするような、不思議な自信を彼は心地よく思っていた。

だがその日、彼は怯えて地面を這いずり回ることになった。

何をされたのか全く分からなかった。

脅している最中に、いつの間にか近くに人間がいたのだ。

帽子を深く被り、更にフードを被っていたので顔はよく分からなかったが、小柄な体躯だったのを覚えている。

彼はいつものようにそいつを睨みつけた、が、そいつは逃げ出さない。

更にそいつは、彼に『募金』をやめるように言ったのだ。

今すぐどこかに行けば、見なかったことにすると。

彼は酷く驚いた。

これまでそんなことを言ってくる人間などいなかったからだ。

彼の仲間が、その言葉に苛ついたのか、そいつに無言で近づいていった。

並ぶと頭一つ分ほどの体格差があることがわかり、また風貌も相まって、ライオンの檻に迷い込んだウサギのようなイメージが湧く。

このままいけば、数秒と持たずにボロぞうきんのようになってしまうだろう。

フードの人物が呟いた。

手荒な真似はしたくない、どうかそのままどこへなりとも消えてくれ、と。

彼は思わず吹き出した。

今何て言った、こいつ。

するととうとう仲間が激情し、太い腕をフードめがけて振り下ろした。

鈍い音がして、彼はわざとらしく目をそらす。

と、そらした先に、何か白い塊が幾つか落ちていた。

よく目を凝らすと、知っている形なのが分かる。

歯だった。

慌ててフードの人物の方へ向き直ると、殴りかかったはずの仲間が地面に倒れ伏しているのが見えた。

フードの人物は健在で、ふてぶてしく首を回している。

その様子が何とも言えず不気味で、彼の顔からどっと汗が噴き出た。

そいつはゆっくりと彼の方向へ歩き始める。

勘弁してくれ、と彼は震える唇で口走った。

生まれて初めてだった。

その言葉を発したことで、彼が今まで培ってきた尊厳は粉粉に砕けて散った。

フードの男は、譲るように横に避けて言った。

だから『そう』言っているじゃあないか。

言われて、彼は半泣きでその場を飛び出した。

あんなに惨めな思いをしたことは、生まれてこの方一度もなかった。

だから奴を叩きのめし、自分が優位だということを証明しなくてはならない。

そうしなければ、もう二度と自信を取り戻すことはできないのだと、彼は激しく思う。

そのための人質、そのための人員、そのための装備。

噂目当てに現れた野次馬を捕まえて盾にする作戦は、彼が考えたものだった。

人質は三人。

女子学生が一人に、男子学生が二人。

その全てが、彼に睨まれただけで怯えて目をそらした。

彼はそれを見て満足そうに笑い、ポケットに携帯を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人質の一人の女学生は目を伏せたまま震える。

首元に突きつけられたナイフを少しでも目から離そうとしたからだ。

その女学生、佐天涙子(犯人達は名前などに興味はなかったが)はひたすら後悔していた。

なんでこんな所にのこのこと来てしまったのだろう。

叶うなら1時間ほど前の自分を怒鳴りつけてやりたかった。

佐天の隣で同じように震える二人も、同じように思っていることだろう。

彼女がここに来たとき、既に他の二人は拘束されていた。

が、そこに写真で見たような格好の人質はいなかったのだ。

やばい、と思ったときにはもう手遅れだった。

抵抗する間もなく、佐天は羽交い締めにされ、同じように拘束されて床に転がされた。

乱暴に髪を掴まれて上体を起こされ、気付くと首に刃物が押し当てられていた。

緊張がピークに達し、悪寒と吐き気がこみ上げてくる。

ヘドを吐く一歩寸前、彼女の耳に聞き慣れた電子音が届いた。

よく知っている音、彼女の携帯のカメラのシャッター音だった。

どうやら、スキルアウトの一人が佐天の携帯で佐天達を撮影したらしかった。

意味不明な行動にようやく少し落ち着きを取り戻し、やっとの事で声を絞り出す。

何をしているんだと、佐天は震える声で聞いた。

無視されるかと思ったが、意外にもスキルアウトは口をきいてくれた。

 

「お前の知り合い中に送るんだよ。その中に『あの野郎』がいるかもしれねーからな」

 

多重能力者のことだと、佐天は理解した。

 

「いいか、知ってると思うけど、12時までに野郎が来なきゃお前らを殺す。精々来るように祈ってろ」

 

殺す、という言葉には何のためらいも込められていなかった。

少なくともその男は、彼女らのことを虫けらでも見るような目で見ていた。

男はそれだけ言うと、工場の隅にあった古いソファーにどかっと座った。

あれからどれだけの時間が経っただろうか。

携帯を奪われているため佐天には正確な時間は分からないが、とにかくあれからさっきの男はずっとソファーに座ったままだった。

男が携帯を取り出す度に、体が恐怖で動かなくなる。

いつ首元のナイフが自分の喉をかき切るかと考えただけで、気が狂いそうになった。

もはや彼女達人質にできることは、言われたとおりに祈ることだけだった。

佐天は既に観念していた。

ナイフにではなく、抗うことのできないもっと大きな流れに対してだ。

あれからどれだけの時間が経っただろうか。

突然男がソファーから立ち上がった。

佐天は体を震わせつつ男の様子を窺った。

男はこめかみに血管を浮かび上がらせ、ぎらついた目を一点に向けていた。

見れば、背後のナイフを持った男も同じようにしていた。

廃工場の入り口に、その人物はいた。

外にはスキルアウトの見回りがいたはずなのに、その人物は一人で立っていた。

 

「来やがったな」

 

男が凄んだが、その人物に怯んだ様子はなかった。

外から差し込む光を頼りに、佐天は改めて人物の姿を確認した。

無地のシャツに、濃い色のジーンズを着ていたが、何より目を引く物があった。

スキルアウト達も気付いたようだった。

自分の記憶と格好が違ったのだろう、動揺した声が上がった。

その人物は、覆面のような物を着用していた。

覆面と言っても、真っ白な袋を縄で結んだだけの歪な物だったが。

覆面のせいで表情が分からず、何も言わないので、佐天達人質にすら不気味に見えた。

 

「今すぐ人質を解放すれば、何もしないと保証する」

 

と、覆面が唐突にくぐもった声でそう言った。

スキルアウトの男が舌打ちする。

周りの男達も、口々に汚い悪態をついた。

覆面は続けながら、ゆっくりと歩き出す。

 

「とっとと消えろ。手荒な真似はしたくない」

 

「おっと、動くなよ」

 

男が覆面にそう言うと、ナイフが佐天の首にぐいと押しつけられた。

彼女が小さく悲鳴を上げると、覆面が歩を止める。

それを見て、男はにやりと笑った。

周りのスキルアウト達も、下卑た笑い声を上げる。

 

「お前が悪いんだぜ。お前がいなけりゃ、こいつらもこんな思いをすることもなかったってのによぉ」

 

聞いて、佐天は眉をひそめた。

噂通り、こいつらは逆恨みで仕返しを目論むただのチンピラだったのだ。

そう思うと急にスキルアウト達が小さい存在に思えてきて、恐怖の代わりに怒りが湧いてきた。

そんな器の小さな男達に良いようにされていると思うと、自分にもスキルアウト達にもむかっ腹が立った。

 

「まぁお前が大人しくボコられてくれりゃあ、言われたとおりにカイホーしてやるよ」

 

「・・・ここは」

 

覆面がまた、くぐもった声で呟いた。

 

「あ?」

 

「10mちょいってところか。少し遠いな」

 

「何言ってんだお前?」

 

「なんでもない。とにかく、さっさと人質解放しろって。そんなんいなくても、いつでも相手してやるから」

 

スキルアウトの男の顔は、まるで地殻変動が起きたかのようになっていた。

馬鹿にされたと思ったらしく、目からは正気が失われている。

何を次に言ったところで、返ってくるのはパンチかキックだろう。

 

「テメェ、状況がわかってねーようだな」

 

男は上着のポケットから、何かの機械を取り出した。

ポータブルオーディオに似たその機械を男が操作すると、佐天の後ろのバンからけたたましい音が鳴った。

キーキーと小動物が喚くようなうるさい音だったが、佐天はそれ以上異常を感じられなかった。

男は正気を失った目のまま、ニタリと笑みを浮かべる。

これが切り札だと言わんばかりだった。

 

「『相手してやる』だとかそういう問題じゃあねーんだよ。テメェの仕事はサンドバッグだ」

 

男がそう言うと、覆面の背後に人影が現れた。

スキルアウトの見回りが金属バットを振りかぶり、今まさにスイングしようとしている最中だった。

 

「後ろ!」

 

「!!」

 

佐天が反射的に叫ぶと、覆面は振り返り、両腕を使ってバットをガードした。

鈍い音が工場内に響く。

小柄な覆面男はそれこそボールのように吹っ飛び、地面でゴロゴロ転がった。

その姿があまりにも惨めで、工場内のスキルアウト達は栓を切ったように馬鹿笑いした。

 

「どーした、ご自慢の多重能力はよ!俺たちのように、テメェにも惨めな気持ちを味わってもらうぜ!!」

 

バットを持った男が、倒れた覆面に近づく。

追い打ちをかけるつもりなのだ。

再び男がバットを振りかぶる。

頭がたたき割られる光景が脳裏に浮かび、佐天は思わず目を閉じた。

すると、くぐもった声が耳に届く。

今まさにリンチされそうになっている人間の言葉とは思えないほど、落ち着き払った声色だった。

 

「これで10m。『世界(ザ・ワールド)』」

 

 

 

 

がきん、と甲高い音が聞こえて、佐天はびくりと体を震わせた。

まるで固い物が地面にぶつかったような音だった。

地面に?

 

「・・・?」

 

佐天は恐る恐る目を開けると、そこにはさっきと全く違う光景が映っていた。

全く違う、とは文字通りの意味だ。

首元にナイフはなく、背後に黒いバンもなく、目の前には覆面男の後ろ姿。

何より覆面は何事もなかったかのように立っており、その足下ではバットを持っていたはずの男が崩れ落ちている。

からから、とバットが転がる音が響いた。

工場の中では相変わらず、黒いバンから流れる音が鳴り響いていた。

覆面の男はそれを気にした様子は無く、ただ億劫そうに首を捻った。

 

「もう一度だ。無駄でも何度だって言うぜ。とっとと消えろ」

 

覆面が呟く。

その姿は自信に満ちあふれていて、どこか光り輝いているような印象を受けた。

対照的に、スキルアウト達は狼狽えていた。

『妙な音』『人質』の二つものカードが無効化されてしまったのからだ。

スキルアウトの中から、誰かが弱気なことを口にする。

それを機械を操作していた男が恫喝した。

 

「ビビんな!こっちに何人いると思ってんだ!それに奴は人質を護りながら闘わなきゃなんねー、有利なのは俺たちの方だ!」

 

そう言われて、スキルアウト達は皆それぞれ武器を取り出す。

ナイフ、パイプ、バットに警棒、木刀なんかがガチャガチャ音を立てて現れた。

覆面は動じず、佐天達に「下がって」と小さく言った。

元人質の三人は身を寄せ合うようにして少し離れる。

覆面がそれを確認して一歩だけ踏み込むと、スキルアウト達が一斉に飛びかかってきた。

結論から言って、彼らは覆面男に触れることすら、その服を掠めることすらできなかった。

それより先に、『何か見えない力に』吹き飛ばされ、叩きつけられ、投げ捨てられたからだった。

蹂躙なんてものではなかった。

覆面男はそれが『当たり前のように』立ち振る舞い、力を行使し続ける。

彼に殴りかかろうとした者が、体をくの字に折り曲げて後方へ数m吹き飛んだ。

人質に近づいた者は、蠅のように地面に叩きつけられた。

彼に迫ったナイフが、文字通り空中で丸めて投げ捨てられた。

まるで台風のように、都市伝説はその姿を露わにしたのだった。

その姿を見て唖然としながらも、佐天は僅かに高揚した。

 

 

やがて工場に立っているスキルアウトは、あの機械を操作していた男だけになった。

男は目に見えて狼狽していて、始めに比べて幾らか年をとったように思えた。

相変わらずバンからは騒音が鳴っていたが、不可視の力にバンが叩き潰されるとそれも止んだ。

ゆらり、と覆面男が動くと、男は女の子のような悲鳴を上げた。

 

「わ、分かった!もうなんもしねえから、ここから消えるから勘弁してくれ!」

 

両手を挙げて喚くその姿が酷く惨めで、佐天は男が少し可愛そうに思えた。

覆面男は動きを止め、深く息を吐いた。

佐天はそれが『no』のサインだと思ったが、覆面は道を譲るように一歩横へ引いた。

その動きのせいで、ジーンズのポケットから携帯がこぼれ落ちる。

カシャッと音を立てて佐天の目の前に落ちたが、覆面は拾おうとしなかった。

覆面が何もしないことを確認して、男は弾かれたように飛び出していった。

工場から男がいなくなったのを確認し、覆面男はようやく携帯を拾ってポケットにしまい込む。

彼は屈んだまま、くぐもった声でぽつりと呟いた。

 

「勘弁してやるとも。外の警備員は知らんがね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元人質達は、ようやく去った嵐を前にして口をぽかんと開けていた。

覆面の多重能力者は立ち上がり、いきなり佐天達に頭を下げた。

再び彼女らは唖然とする。

すまなかったと、彼は言った。

自分の軽率な行動の為に、迷惑をかけてしまったことを彼は短く謝罪した。

真っ当な行為ではあったが、佐天には誠意はあまり感じられず、寧ろ彼の自己満足的な行動のように思えた。

それだけ告げると、さて、と多重能力者は頭を上げて言う。

 

「もうこんな所に用はないだろう。外には警備員が待機している、保護を願い出るといい」

 

そう言われて、佐天以外の二人は彼に二言三言礼を言い、そそくさと出て行ってしまった。

そのため工場に残っているのは、自然と物言わぬスキルアウトを除けば佐天と多重能力者の二人だけになる。

多重能力者は暫く何か確かめるように、地べたに転がるスキルアウトを足先でつついていた。

が、突然、ぐるりと首を回して佐天の顔を凝視する。

どうしてまだここに留まっているのか。

そう問うているような様子だった。

そう、佐天は自分の意思でここに残っていた。

一つだけ、たった一つだけのことを確かめるためだ。

助けてくれた礼を告げた後で、佐天は少し震えた声で、多重能力者に話しかけた。

 

「携帯…取ってくれない?そこに落ちてる…あたしの携帯」

 

能力者はああ、と声を上げて、開いたまま投げ出されていた携帯を拾い上げた。

それを佐天に差し出すと、能力者は腕を組んでくぐもった息を吐いた。

いいかげん呆れているのかもしれない。

しかし佐天はそれを気にせず、ボタンを幾つか押して、自分の携帯の無事を確かめた。

少し傷こそ入ってしまっているが、メールや音声通話する分には問題は無かった。

佐天はぐっと息を飲み、メールの送信画面を開いた。

彼女の確かめることとは、先程目の前に落ちた多重能力者の携帯のことだった。

あの携帯には見覚えがあった。

特に最近見たことのある形の携帯だった。

同じ型番の携帯なんてこの学園都市中に溢れているだろうけど、佐天の知る中であの携帯を持っているのは一人だけだったのだ。

その持ち主のアドレスへと、メールを送信する。

 

能力者のジーンズのポケットから、バイブレーションの振動音が小さく鳴った。

白い袋に包まれた顔が、狼狽に歪むのが佐天の目に見えた。

袋の中から「しまった」とくぐもった声が出たのを、彼女は聞き逃しはしなかった。

 

「翌桧君?」

 

佐天はその名をおずおずと口に出した。

覆面男は何も言わなかったが、それはささやかな抵抗でしかなかった。

そのような対応をした時点で、もはや返答したことと同じようなものだからだ。

覆面は何も言わずに、佐天の顔をただ見つめていた。

次の言葉を必死で吟味しているように、彼女は思えた。

その様子が噂で聞く冷静なクライムファイターとしての姿とは真逆に見え、佐天は思わず口元が緩んだ。

と、覆面がくるりと背を向ける。

まるで表情を見られまいとしているようだった。

 

「俺が誰かなんて、重要なことじゃあないはずだ」

 

誰だっていいだろう、と多重能力者がそう話す。

その言葉を聞いて、佐天はほとんど確信した。

彼は――、多重能力者は、翌桧十三であると。

とても下卑た感情だと彼女自身思ったが、佐天は喜びを抑えきれなかった。

誰も知らない噂の正体を、自分だけが知ったのだ。

その時ばかりは、十三がどんな事情を抱え、なぜ正体を隠しているのか慮ることなどできなかった。

まるで自分が特別な存在になったような気がした。

 

「あのさ、もし嫌じゃなかったらでいいんだけど…。話とか…聞かせてくれない?」

 

佐天が言うと、多重能力者は深くため息を吐いた。

正直、彼は白を切ることもできる。

何も言わずにここを立ち去ることも。

しかしこの少女は、『噂の正体は翌桧十三』だと確信しているのだ。

どのような行動をとり、言動を試みても、その考えは変わることがないだろう。

それこそマスクを取り、違う顔を晒さない限り。

ならば口止めも兼ね、話し合いをする他ないと、少なくとも彼はそう結論づけた。

 

「ここじゃあなんだ、そういうのに向かないだろう。ファミレスにでも行こう」

 

そう言って、多重能力者は覆面を脱ぎ捨てた。

想像通りの素顔を見て、佐天はとうとう体裁も気にせず声を上げた。




書き直し済みです。
原作キャラを動かすことがこんなに難しいとは知りませんでした。
とりあえずはこれぐらいで勘弁してください。


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進撃の巨人面白いわー。
ss書きたいけどすぐエタりそうだわー。


「改めて、助けてくれてありがとう」

 

目の前の少女にそう言われ、十三は思わず背筋をぴんと伸ばした。

逃げるように目を背けると、ガラス越しに通り過ぎる通行人や乗用車がちらほらと目に入った。

休日の昼過ぎだというのにこのファミレスには客は少なく、彼女の言う『話し合い』には図らずもぴったりの状況になっていた。

我ながら、ファミレスは隠しごとには向いていなかったなと十三は思った。

十三は苦笑いを浮かべる。

その顔は、もうあの覆面には包まれていなかった。

今は彼の足もとの鞄に突っ込まれている。

十三はあの事件が終わってからというもの、なんとかうまくごまかす方法を探したが、最強のスタンドといえどそれは不可能だという結論に陥った。

しらばっくれることも不可能、力ずくで口止めなど論外だ。

故に、仕方なく彼は佐天涙子の前で覆面を脱いだのだった。

あの時の彼女の喜んだ顔が忘れられない。

それから彼女をこのファミレスに連れこみ現在に至る、というわけである。

しかし、正体が看破されたからといって全てを話すことはできない。

十三の出生や能力の正体、その入手経路なんかを知られた暁には、十三は文字通り死に至るだろう。

そう考えるだけで、十三の背筋に久しぶりに寒気が走った。

冗談じゃあない、と彼は思う。

だが、彼にはまだ逃げ道と呼べるようなものがあった。

それは、佐天涙子が何を真実とするか判断できる手段を持っていないということである。

つまり、十三が何を言ったところで、それを信じるかは彼女に委ねられているのだ。

根本的な話、佐天は十三が『多重能力者』であるという事実さえ確認できれば良いはずだ。

だから、自分が神様について話題にあげる必要はない。

そこまで考えて、十三は寒気がやっと引いていくのを感じた。

しかし、代わりに足先から這い登るような恥ずかしさを感じ始めた。

あれだけ格好つけた後にこうして顔合わせしているとなると、これは想像を絶する恥ずかしさがある。

佐天はそのことが分かっていないのか、やや緊張した面持ちだった。

さっきまで人質にされていたのだ、無理もないだろう。

こんな状態では面白半分に十三を強請ることなどできはしないだろう。

もちろん彼女に十三を貶めようという気は微塵も無いのだろうが。

すると、佐天がとうとう口を開いた。

 

「あの、怒ってる?」

 

そう言われ、十三は面食らった表情になった。

そして言葉の意味を理解し、慌てて片手を左右に振った。

確かに佐天の先程の態度は好奇心丸出しだったが、それはあくまで年相応のものだと十三は理解している。

精神的には既に三十路になろうかという男だ、そのことに目くじら立てることはない。

十三が怒ってないぞと否定すると、佐天はほっと胸を撫で下ろした。

 

「良かった、さっきから何も言わなかったから」

 

下手に口を開くといつボロが出るか分からないから、という言葉を十三は飲み込んだ。

それより、と十三は口を開く。

 

「俺がやばい人間だったらどうするつもりだったんだ。口止めがてらひどい目に遭わされてたかもしれないんだぞ」

 

「それは…その、そんな人間なら人助けはしないかなって」

 

明らかに今考えられた理由だった。

さっきまでそんなことは考えもつかなかったのだろう。

十三は溜息を吐いた。

と、佐天が何かもぞもぞと動いているのに気づく。

質問か何かかと聞くと、彼女は小さく頷いた。

十三も頷き、許可を出す。

 

「それじゃ、まず、能力のことを聞いてもいい?」

 

小声だったがはっきりと聞き取れる、最初の質問だった。

許可を出しておいてなんだが、さっそく十三は返答に困る。

だが、その様子を彼女に悟られてはいけない。

嫌だね、と突っぱねることもできる。

が、その場合、彼女は一層十三に絡んでくることだろう。

十三は慎重に、しかし迅速に答えを紡いだ。

 

「正直俺もよくわからん」

 

は?と佐天が素っ頓狂な声を上げた。

 

「生まれ持った能力なのは知ってるんだが、能力の詳細なんかは、何とも」

 

「『原石』みたいなものってこと?」

 

そのニュアンスが一番近いな、と十三は答えた。

能力開発を受けずに、何らかの環境下で超能力を発現する者を学園都市では原石と呼んでいる。

その中には自身の能力を知らずに使用している者もいるという。

自分もそういうやつなのかもしれないと、十三はつぶやいた。

 

「でも超能力とは違うんだよね?」

 

十三はぐっと言葉に詰まった。

そうなのだ。

彼の能力は時を止めるスタンド能力、ザ・ワールドの他に能力開発によって目覚めた能力がある。

もちろんレベルは0、戦闘に堪える能力ではない。

『多重能力者だから』と一括りにしてしまえばいいかもしれないが、それだと他の能力が判別できない理由にはならないのだ。

そうらしい、と十三は頷いた。

あすなろ園の園長先生にも同じ説明をしたことがある。

しかしこの説明で納得してくれたのは彼女と十三の信頼関係、及び園長先生の生来のお人好しさによるところが大きいのだ。

そのため、十三はこの説明を佐天にするべきか困ったのだ。

佐天は腕を組んで小さく唸った。

こういう反応をするということは、少なくとも冗談の類だとは思われてないのだろう、と十三は解釈する。

彼は再び店内を見回した。

ちらほらと客がいたが、こちらに気を配っている者はいないようだった。

うん、と佐天の声が聞こえた。

納得したかのような口振りだったが、表情はいまいち理解していない人間のそれだった。

仕方が無い、と十三は思う。

超能力すら科学的に説明できるこの学園都市で、超科学的な現象を信じろと言うのが無理な話だろう。

納得してくれたかと、十三は話した。

 

「うん、まあ、とりあえず。翌桧君の言うことが嘘だとか、あたしには判断できないし」

 

歳の割に聡明な子だと、十三は少し感心した。

手放しで信用してくれた訳ではないが、少なくとも十三がこれ以上能力について追求されることは無いだろう。

もちろん、彼がミスをしなければの話だが。

そこで佐天は気分を切り替えたか、そうだ、と表情を明るくして口を開いた。

 

「超能力じゃないんなら、あたしにも使えるかな?」

 

幾分か緊張はほぐれたかのような声色と表情だった。

笑顔の佐天とは対象的に、十三は苦い顔をする。

彼女にはきっとスタンドを扱えないだろうという事実にではない。

佐天はおそらく無能力者、あるいは低レベルな能力者なのだろうと、十三が理解したからだった。

彼女もまた、科学的に才能が無いとレッテルを貼られた人種なのだろうと。

十三はそれが失礼なことだとは分かっていたが、日頃から無能力者に同情してしまっていた。

自分もまた、能力にしか価値が見出せていなかった人間だったのだから。

だが、自分もそうだったのなら、誰にでもチャンスはあるべきなのに、と十三は考える。

期待に目を輝かせている佐天の目の前に、黄色に輝く腕が突き出される。

やがて腕だけでなく、同じように黄色の上半身が十三の背後から露わになる。

ギリシャ彫刻のような芸術性を孕んだ、魂を削り出したような姿だった。

ザ・ワールド。

まるで背後から流し込まれるようなパワーを十三は感じた。

だが、目の前の佐天はザ・ワールドの姿を視認できてはいないようだった。

今も十三の肌を震わせている凄みの欠片すら、彼女は感じ取っていない。

十三は溜息をつき、ザ・ワールドを引っ込めた。

 

「誰にでもできることではないらしい……、悪いけど」

 

そう言うと、佐天はそっか、と酷く残念なような声を上げた。

十三の胸の奥がちくりと痛む。

話し合いをすると決めたのは自分だというのに、自分は彼女をむやみに落胆させ、あまつさえ嘘をついている。

徹底できない中途半端な自分の気質を、十三は少し呪った。

両者の間に、しばしの沈黙が流れた。

ガラス越しに、道路の音が聞こえてくる。

しばらくして、佐天が再び口を開いた。

 

「…なんで隠してるの?」

 

「何を?」

 

「顔とか、能力とか、いろいろ」

 

十三は何度目かの溜息をついた。

一番言うことのできない質問だった。

 

「…自分の能力を把握してないのに、隠すもクソもないだろう」

 

「それならそれでさ、そういう研究所とかあるじゃん」

 

佐天が何気なく言った一言に、十三の眉がピクリと動いた。

 

「俺にモルモットにでもなれってのか?」

 

言葉の節に、剣呑な雰囲気が漂う。

十三の思考が、直情的なものに一気に塗りつぶされた。

その一言だけで、佐天はびくりと体を震わせた。

脳内に先ほどの光景がよぎる。

あの力をほんの少し行使すれば、佐天の細い首など簡単にへし折ることができるだろう。

彼女は慌てて否定した。

 

「そんなつもりで言ったんじゃないよ!ただ、その…単純に疑問に思っただけだってば」

 

十三は答えず、そっぽを向いた。

へそを曲げたからではなく、少し気を落ち着けるために。

小心者め、と彼は内心で毒づいた。

彼女に悪気が無いことくらい分かっているというのに。

十三には少し神経質なところがあった。

そのくせ考えなしなので、自分の行った行動を後で思い返して後悔するということがままあった。

今回の覆面もその一つである。

正体を隠そうと『顔』というファクターを重要視するあまり、足がつく私物を現場に持ち込むという愚行に至ってしまったのだ。

そもそも、身の丈に合わない能力を望んでしまったのが事の発端なのだが、十三はそのことをなるべく考えないようにしていた。

しばらくして、ようやく頭から血の気が引くのを感じると、十三は小さく「悪い」と呟いた。

 

「顔を隠すのは、仕返しが怖いからさ。今日のような」

 

続けて答えると、佐天は不思議そうな顔をした。

 

「あんなに簡単にやっつけられるのに?」

 

「そりゃ俺はな」

 

そこまで聞いて、佐天はああ、と声を上げた。

 

「家族とか知り合いとかいるもんね」

 

「そういうことだ」

 

これは嘘ではなかった。

もし今回のような連中が園長先生に危害を加えるようなことになればと考えただけで、自分のことのように背筋が凍る。

十三はスタンドを持っているものの、彼女は能力すら無いのだから。

十三はあえて、施設出身だということを話さなかった。

むやみに同情されるのも嫌だったし、何より聞かれてもいないことを話すことはないと考えたからだ。

いつどこで、今までの嘘に不整合さが出るか分からない。

本当は、十三も園長先生のことを話したかったのだけれど。

 

「でもさ」

 

佐天が口を開く。

わずかに憂いを含んだ表情だった。

 

「翌桧君が沢山の人を助けてるのに、その人たちは翌桧君の顔も知らないんだよね」

 

そういうのって、ちょっと悲しいよね、と彼女が言うのを聞いて、十三は目を丸くした。

今までそんなことを考えたことがなかったからだ。

クライムファイターとしての姿を格好よく見られたいという願望はあっても、翌桧十三という個人として褒められたいという願望はない。

なるほど、確かに今まで助けた人物の中で自分の名前はおろか、顔すら知っている者はいない。

そもそも十三がさっさとその場から立ち去ろうとするのがその原因だったが、とにかく今まで正体を隠せていたということはそういうことだ。

十三は佐天の顔を再び見た。

彼女は本気で残念そうに言っているように見えた。

十三はふむ、と息を吐く。

 

「別にほめられたくてやってることじゃないしな」

 

「…すごいね」

 

佐天がため息交じりに言う。

自分とは違う、と一線を引いたような声色に、十三は少し考えた。

ザ・ワールドという能力がなければ、自分はこんなヒーローまがいの行動はとっていないであろうことを。

しかも、一度は見て見ぬふりをしていた。

つまるところ、強い能力を持てば誰だって同じようなことができるのではないかと、彼は考えたのだ。

自分のような一市民にできたのだから、と。

しかし無能力者である佐天に『大切なのは能力』などとのたまうことはできない。

とはいえ耳触りのいい言葉だけ並べるのも、彼のほんの僅かなプライドが許さなかった。

どう答えていいか分からず、十三は適当に相槌をうってお茶を濁した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼がちらと時計を見ると、ファミレスに来てからだいぶ時間がたっていることが分かった。

別段急いで用事があるわけでもないが、できれば今日中にあすなろ園に戻って先生たちに弁解がしたかった。

佐天ももう質問をするそぶりを見せない。

本当に話がしたかっただけかと、十三はやや呆れた。

と、そこで言い忘れていたことを思い出す。

 

「わかってると思うけど、誰にも言わないでくれよ」

 

「うん、了解」

 

ていうか、殆どの人は信じないと思うけどね、と彼女はおどけて見せた。

と、そこで彼女の動きが止まる。

彼女の視線は一点に、窓の向こうへと向いている。

十三もそちらに目を向けると、そこにはガラス越しに手を振っている少女がいた。

頭には花壇のような髪飾りが乗せられており、それを見て佐天も手を振り返した。

十三にも見覚えのある少女だ。

以前佐天と一緒にいたのを見たことがある。

少女は小走りで店内に入ってくると、十三たちの前まで歩いてきた。

少女は休日にもかかわらず制服を着ており、腕には緑色の腕章が留められていた。

彼女はニコニコ笑って口を開いた。

 

「偶然ですね、佐天さん」

 

「だねー。あ、翌桧君、もう会ったっけ?」

 

「ああ。名前は、確か…」

 

「初春です。初春飾利。よろしくです、翌桧さん」

 

初春が手を差し出す。

十三は腕章に少し目を向けながら、素直に握手に応じた。

彼女は風紀委員だった。

もう少しタイミングが悪かったらと思うと、彼の胆が少し冷える。

 

「そういえば、初春なんで制服着てんの?」

 

佐天が初春に疑問を投げかけると、彼女は腕章をいじりながら答えた。

 

「今日は仕事があるんですよ。ほら、こないだ佐天さんが言ってた『多重能力者』の」

 

「へ、へぇー」

 

初春に言われ、佐天が十三をちらりと見る。

こっちを見るんじゃあない、と十三は心の中で叫んだ。

しかし彼も、無意識のうちに顔を伏せている。

初春はそのままで続けた。

 

「近くでスキルアウトの立てこもり事件があったらしいんですけど、それを『多重能力者』が鎮圧したらしくて。でも現場から人質ごと消えちゃったから、風紀委員が周辺警戒をしてるんです」

 

「それが本当なら…」

 

必死で表情を作りながら、十三が聞く。

質問した時点で、彼も答えが分かっているようなものだったが。

 

「まあ下手すれば未成年者略取誘拐の疑いもかけられますね。正当防衛とは別物ですし」

 

「そうか。俺用事あったんだったわ、帰る」

 

「え、ど、どうしたんですか?」

 

突然席を立った十三に、初春が慌てる。

さっさとここから離れたいのだということを、佐天も理解した。

ここで佐天が説明することもできたが、いくらなんでも恩人を売ることはできない。

佐天が一種の共犯者になってしまったことを、オロオロする初春は知らない。

何か気に障ったのかとうろたえる初春に、十三は「ほんと気にしないでいいから」とひたすらに作った表情を浮かべていた。

不思議な能力と、噂のせいで、どこか超然とした印象が彼にはあった。

しかしこうしてそばで見ていると、表情も豊かで感情のある、愛嬌のある人間なんだなと佐天は思った。

 

「ほら初春。急いでんだから、あんまり邪魔しちゃだめだって」

 

佐天はそう言って、初春の襟をちょいと引っ張った。

初春がバランスを崩しているうちに、十三は文字通り逃げ出した。

十三は口パクで『悪い』と佐天に伝えると、急いでファミレスを後にする。

駆け足で。

覆面の入った鞄を忘れて。

佐天はとっさに呼び止めようとしたが、十三は既にファミレスから遠くへ行ってしまったらしい。

能力を使ってしまうほどに、せっぱつまっていたのだ。

 

「あれ?この鞄…」

 

「あ、翌桧君が忘れてったみたいだね、もー、しょーがないなー」

 

そう言われて、初春はその鞄に手を伸ばした。

明らかに善意からの行動だったが、佐天は慌ててひったくるように鞄を手に取った。

その鬼気迫る態度に、初春は面食らった表情になる。

 

「大丈夫!あたしが!届けるから!」

 

「いや、まだ何も言ってませんよ」

 

午後のファミレスは、相変わらず人が少なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐天にメールで事の次第を伝えられ、十三は再び自分に嫌気がさした。

どうして自分ってやつはこう、いつも抜けているんだろうか。

いくら最強のスタンドを持ったところで、本体がこれではどうしようもない。

そうした感情がすぐ態度に出てしまうところも、彼は嫌っていた。

十三は動揺を、感情の機微すら悟られないようなタフな人間になりたかった。

助けてくれる人物が、拳銃に怯えて指先を震わせていたら、決して安心などはできないだろうから。

それに、恐れや動揺で力加減を間違えてはならない。

ザ・ワールドには、簡単に人一人を殺害できる能力を有しているからだ。

それこそ、パンチ一発で人間の腹に風穴を開ける程度には。

しかし今までに一人の死亡者も出していないのは、このスタンドが併せ持った精密性のおかげだった。

素早く、かつ精密に、しかし手加減をして攻撃できるザ・ワールドを選んだことは、間違いではなかったと彼は信じている。

だが、扱っているのはあくまでも十三自身で、ザ・ワールドはその精神体なのだ。

自分の動揺のせいで誰かを過剰に傷つけることがあってはならない、と彼は思う。

そのためには、強靭な精神力、ひいてはザ・ワールドを強化することが必要なのだと。

しかしその未熟な心内を佐天に吐露しなかったのは、彼女への信頼がそれほど構築されていなかったからではない。

彼の親代わりである園長先生にすら、話したことはなかった。

その理由は、彼にとって最も青臭く唾棄すべきものの一つ。

恐れられたくなかったからだ。

力加減すらろくにできない獣と思われたくなかったからだった。

言うなれば、今の十三は巨大な不発弾のようなもの。

個人が振るうには大きすぎる力を、十三は面白半分に手に入れてしまったのだ。

そのため、全てを打ち明けるのは、ザ・ワールドを完全にコントロールできるようになってからにすると、彼は心に決めていた。

とはいえ、彼も最初に比べて成長していない訳ではなかった。

ヒーローまがいの行動をとるようになってから、ならず者に怯えなくなってから、少しづつザ・ワールドが力を増していくのを彼自身感じ取っていた。

事実、今のザ・ワールドの停止可能時間は5秒まで延長されている。

だが、助ける人を経験値のように考えてはいけない、と彼は自分に言い聞かせていた。

いつもこうして考えるところも小市民らしくて彼は情けなく思っているのだが、この思考時間が彼に目的と手段を逆転しないようにさせていた。

日々の反復のおかげで、あくまで力を手に入れるのは助けを求める人のためであり、力のために人を助けるのではないということを、彼は無意識化で理解できているのだ。

誰かがやらなくてはならないことなら、準備は必要なのだから。

 

「おい、5万だと?てめーなめてんのかよ」

 

こんな時のために。

声が聞こえてくるのは、ありきたりなビルとビルの隙間からだった。

ザ・ワールドを使用するために、人通りの少ない場所を選んで移動していたからこそ、遭遇してしまった現場だった。

僅かに体を緊張させ、声の方へと静かに移動する。

ビルの陰からザ・ワールドを先行させ、その様子をうかがう。

よく見る、しかし見飽きない光景だった。

3人のガラの悪い男たちの前で、痩身の男が狼狽していた。

ガラの悪い男の一人―――バンダナを頭に巻いた男が、手元の札束で痩身の男の頬をぴたぴたとぶっている。

 

「これっぽち持ってこられても困んだよ。こっちだって苦労したんだ」

 

「そうは言ってももう今週15万も払ってるじゃないか」

 

十三は周囲に他の人間がいないことを確認する。

辺りに人気はなく、足音もしない。

これ以上会話を聞く必要もないなと、十三はビルの陰から歩み出ようとした。

 

「一体いつになったら売ってくれるんだ!?」

 

痩身の男の一言で、その歩みを止める。

恐喝じゃあないのか、と十三はつぶやいた。

彼らは何らかの取引をここで行っているのだろうか。

だとすれば、それは安易に暴力で片付ける問題ではないのではないか、と十三は考えた。

 

バンダナの男が答える。

 

「ガタガタうるせーな。いつから口答えできるような身分になったんだ?」

 

バンダナの男が睨むと、痩身の男は小さく悲鳴を上げた。

バンダナが小さく顎を動かすと、他の2人が痩身の男にじりじりと近づいてくる。

薄ら笑いを浮かべながら、彼らは腕を回したり、関節を鳴らしたりしていた。

バンダナの男は、上着の胸ポケットから煙草を取り出した。

 

「俺ちょっと一本吸ってくっから、そのうちに教育済ましちまえよ」

 

それを聞いて、他の2人がにやにや笑いながら頷いた。

おとなしく金だけ出してりゃいいのによ。

その分殴られてくれるんだから、勘弁してやれよ。

そんな声が聞こえ、痩身の男は頭を抱えてうずくまった。

その姿が酷くみっともなく見えたのだろう、男達は失笑した。

そのうち、一人の男が笑いながら腕を振り上げた。

痩身の男は思わず目をつぶった。

路地裏に、湿った音と、人が地面に転がされる音が反響する。

 

「事情は知らんがね。そういう教育の仕方は今時はやんないぜ」

 

背後からのくぐもった声に、ガラの悪い男たちは振り向いた。

見れば、先ほど煙草を吸いに行ったバンダナの男がうつぶせになって倒れていた。

しかし、その頭にバンダナは巻かれていなかった。

 

「ああ、これか。ちょっと借りてるだけさ。後で返すから、気にすんなよ」

 

代わりに、ビルの陰から現れた十三が、顔をぐるりと覆うようにして巻いていた。

男達はたじろぐ。

最近噂の『多重能力者』ではないかと思ったからだ。

十三はそのまま、できるだけ芝居がかった口調で続けた。

 

「一応みんなに聞いてるんだが、その人を置いて今すぐ家に帰るんなら…何もしないと約束しよう。ああ、勘違いすんなよ。こいつにも聞いたんだぜ」

 

そう言って、十三は足もとで転がる男を指さした。

そして腕を組み、男達に問いかけた。

どうする?と聞くと、男達は一目散に路地裏から逃げ出した。

これは名前が売れてきたからなのか、相手が賢かったからなのか、彼は知らない。

十三は自分の横を素早く逃げ去ってゆく背中を、特に感慨もなしに眺めていた。

彼は足もとでダウンしている男の脈を確認し、ほっと胸を撫で下ろした。

今回もうまくいった、と。

彼はバンダナを顔に巻いたまま、今度は痩身の男の無事を確認しようと、そちらへ目を向ける。

すると、いつの間にか男は目の前にいた。

男は必死の形相で元バンダナ男の衣服をまさぐっている。

金を探しているのかと思ったが、札束は財布とともに地面に散らばっていた。

しかし男は、そちらに目も向けようとはしない。

 

「おい、あんた何か探してんのか?」

 

十三が聞くと、痩身の男は彼に目もくれずに答えた。

 

「そうだ…こいつ、音楽プレーヤーみたいなもの、持ってなかったか?絶対あるはずなんだ…どこかに」

 

そうか、と答え、十三はゆっくり立ち上がった。

すると突然、痩身の男の体が宙に持ち上がる。

ザ・ワールドが彼の胸ぐらを掴んでいるのだが、痩身の男にはその姿を認知することはできない。

十三は、やや語気を強めて言った。

 

「助けたのはよお、俺の勝手にやったことだから、あんたに貸しを作ろうなんて思ってない。だけどよ、気絶した奴から物を盗ろうとすんのは、どうかと思うぜ」

 

「ぼ、僕はこいつから買ったんだ!なのにそいつが渡そうとしなかったから、悪いのはそいつだろ!」

 

そう言われ、十三はザ・ワールドに手を離させた。

どさりと音を立てて男が尻餅をつき、わざとらしく咳き込む。

そうだな、それはこいつが悪い。

十三は呟き、男に歩み寄った。

 

「だから何を買おうとしたのか言え。まともな市販品とかならよお、通販とかで買おうとするよな。高い金出して、ゴロツキまで頼って、何がそんなに欲しかったんだ?」

 

不必要に顔を近づけ、わざとぼそぼそ声でしゃべった。

痩身の男は、小さく悲鳴を漏らしながらも、絞り出すような声で答えた。

 

幻想御手(レベルアッパー)…」

 

「レベルアッパー?」

 

十三が聞き返すと、男は急に彼を睨みつけた。

恨めしそうな視線だった。

むき出しの感情に、十三も一瞬たじろぐ。

 

「使うだけでレベルを上げる機械さ。あんたみたいなのには必要ないんだろうけどさ!」

 

言うや否や、男も路地裏から駆け出した。

呼び止める暇もなく、男の姿はすぐに見えなくなってしまった。

今の男を締め上げて、レベルアッパーについて問いただすこともできた。

が、最後の言葉のせいで、とっさに動くことができなかった。

この力を疎まれたのは、初めてだったからだ。

十三は頭にかかった靄を振り払うように、別のことを考えようとする。

 

「使うだけで、レベルが上がる…?」

 

もしそれが本当なら、それは素晴らしいものだ。

ややこしい能力カリキュラムも無しに、才能の壁すら取っ払って、強い能力を与えてくれる機械。

表ざたになっていないということは、それなりの後ろめたい理由があるのだろう。

しかし、わかっていても飛びつかずにはいられないだろうな、と十三は考えた。

それに、幾らか自分のケースに似ていることも。

この能力だって、自分の能力で勝ち取ったものではない。

文字通り、これはギフトだったからだ。

借り物の力を行使する自分に、果たして今の男を戒める資格があったのかと、十三は顔をしかめた。

学園都市の学生のほとんどは、低レベル能力者なのだから。

 

 

 

 

「風紀委員ですの」

 

少女の声が、路地裏に響く。

その声で、十三の思考は中断させられた。

 



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7

テレポーター同士はお互いに干渉できないというルールを失念しており、大幅に書き直しをさせていただきました。
ご指摘ありがとうございました。


路地裏には、しばらくびゅうびゅうと風が吹き込む音が静かにこだましていた。

背後からの声に、十三は少し身を硬くする。

この時間にこんなところまで風紀委員が来るのは珍しいことだった。

もしかしたら逃げ出した奴らの誰かが通報したのかもしれない、と考え、十三は小さく舌打ちした。

いや、もしそうだとしても早すぎないか?

そもそもの話、十三は路地裏に近づいてくる足音にも気を配っていたはずだった。

それなのに、今、真後ろまでの接近を許してしまっている。

まるで氷を背中に貼られたように、十三の胆は冷えていた。

声の主に動揺を悟られないように、彼はゆっくりとバンダナを取り直した。

再び顔に巻きながら、背後へと気を配る。

背後の気配は、まだ動こうとはしていなかった。

バンダナを巻き終え、十三はやおら振り向く。

目の前にいたのは、髪を頭の両端で留めた、一般的にツインテールと呼ばれる髪形をした小柄な少女だった。

その腕には予想通り、緑の腕章が巻かれている。

どこかで見たことのある顔の娘だったが、十三には思い出せなかった。

少女は口を開く。

 

「貴方が通報にあった『多重能力者』で間違いありませんわね?」

 

「まあ、呼び方は勝手だが」

 

十三は曖昧な返事を返した。

 

「穏便に任意同行、という形をとらせて頂けるのなら、手荒なことは致しませんの」

 

少女は十三を見据えながらそう言った。

敵意、とまではいかないが、少なくとも好意的な声色ではなかった。

十三は足下で伸びている男を見下ろして、努めて落ち着いて話した。

 

「なにか、誤解してるんじゃあないか」

 

「何を、でしょうか?」

 

少女は僅かに十三へと詰め寄った。

逃がさないようにと距離を詰めているのかもしれないが、そこは既に十三の射程だということに彼女は気づい

ていないようだった。

十三は続ける。

 

「こいつのことだよ。俺はこいつに恐喝されそうな奴を助けただけで」

 

「ほう。で、その方は何処に?」

 

言い切る前に、少女がそう遮った。

少し間をおいて、十三が辺りを見回す。

ビルの間に風が吹き込む音と、それに何かが吹き飛ばされるかさかさという音が微かに聞こえた。

この路地裏には日の光は差し込まなかったが、それでも夏前ということもあってか、あまり肌寒いと感じるようなことはなかった。

にもかかわらず、十三はどこか寒気を感じた。

先ほどの痩身の男など、もうどこにもいなかった。

返事を求めるように、少女が首を傾げる。

両者の間に、気まずい沈黙が流れた。

 

「よし、探してこよう」

 

と、十三は少女へ再び背を向ける。

その瞬間、十三の視界が一瞬で変わった。

凄いスピードで移動しただとかそういうのではなく、まるで別の風景写真に挿げ替えられたような、とにかく一瞬で十三は移動したのだ。

どこへ、というと、先ほどの位置から10数m上方に。

地面から一瞬にして上空へと移動した十三は、当然重力に従い下降を始める。

いくらザ・ワールドで時を止めたところで、重力という力は常に十三に働いている。

今時を止めても、待っているのは地面との熱烈なキスだろう。

今の十三には、時を止める余裕すらなかったが。

地面までの僅かな距離が、歩道橋のあの光景と重なる。

文字通り喉が干上がり、胃が痙攣した。

声を出すことすらままならなくなり、同時にザ・ワールドの制御も不可能になる。

死ぬ、という予想のみが、彼の思考を支配していた。

 

だが、ある高度で下降が止まった。

服が体重で喉を絞め、思わずカエルのような声が喉から出る。

見れば、自分はビルの壁面に何か杭のようなもので縫いとめられているではないか。

 

「探す必要はありませんの」

 

その声に彼が下を向くと、先ほどの少女が佇んでいた。

と、次の瞬間、突然十三の目の前に少女が姿を現す。

声を上げる間もなく、彼女は再び消え、十三の隣の窓が開け放たれる。

中から身を乗り出したのは、やはり先ほどの少女だった。

 

「署の方でゆっくり話を聞かせてくださいまし」

 

言うや、彼女は十三の手に銀色の手錠を嵌める。

実際に手作業で嵌められた訳ではなく、十三の手首に手錠が瞬間移動したのだ。

何やら普通の手錠とは違い、丸みを帯びた独特のデザインをしている。

おそらくは高レベルの能力者用の手錠なのだろう。

その効果が十三に意味があるかは分からないが。

そこまで考えて、十三は自分がやや落ち着きを取り戻していることに気づく。

好んで下を向く気にはなれないが、体が固定されているために心に余裕ができたのだろう。

彼はゆっくり深呼吸をした。

傍らには、ザ・ワールドが佇んでいる。

やはりこの手錠はスタンドになんら効力を持たないらしい。

しかし風紀委員の少女のいる窓まではやや距離があり、ザ・ワールドで身体を支えたまま掴まるのは難しいだろう。

そうだと言って、大人しく捕まるわけにもいかないが。

もう落下に対する恐怖は殆ど無い。

逃走経路は既に計画したからだ。

ならばあとは、タフな態度を崩さないことだけ。

十三は態とらしく、少女に見せつけるように手錠の嵌った手首を掲げた。

彼女は僅かに身構え、どこからともなく銀色の杭をその手に出現させた。

恐らくは、あれが十三の身体を壁面に縫い付けているものなのだろう。

十三は杭には興味を示していないようなふりをし、ゆっくりと余裕あり気に掲げた手を振った。

少女が注意深く手錠を見ると同時に、ザ・ワールドの黄色い剛腕が一息に振り下ろされた。

優美さと芸術性が伴った一動で、銀色の手錠が粉々に砕け散る。

少女の目が驚きに見開かれる。

彼女には何が起きたか全く理解できないだろう。

十三は彼女に、拘束は不可能だと知らしめる必要があった。

無駄だ、と十三は小さく呟いた。

その一言で我に返ったのだろう、少女は慌てて新しい杭を取り出した。

手錠を取り出さなかったことは評価できるだろう。

しかし彼女が何か行動を起こすより先に、ザ・ワールドが時を止めた。

静寂が訪れ、十三とザ・ワールドだけの世界が完成する。

止まった時の中で、ザ・ワールドは速やかに、かつ正確に行動する。

十三の服に突き刺さった杭を引き抜き、そこらに投げ捨てた。

投げ捨てられた杭は空中でピタリとその動きを止め、それぞれが別の方向を向いて日光を淡く反射する。

杭を抜くごとに身体が自由になり、同時に重力が十三へ重くのしかかった。

しかし十三の体が落下するより先に、ザ・ワールドがその黄金の拳をビルの壁面へ叩き込んだ。

凄まじい音を立ててコンクリートの壁が砕け、拳大の穴が空く。

そして十三は、ザ・ワールドが空けた穴に手を掛けてぶら下がった。

ザ・ワールドは次々に壁に穴を空け、十三もそれを伝って壁面を降りて行く。

足が地面に着くと同時に、空から銀色の杭が彼の頭上から降り注いだ。

時が動き始めたのだ。

ザ・ワールドがその杭の内の数本を摘み取る。

投げナイフよろしく、何かに使えそうだと彼が思ったからだ。

と、十三の頭上で少女の声が聞こえる。

突然男が消えたことに戸惑っている様子が、簡単に想像できた。

しかしカッコよく決めゼリフを言っている暇も無い。

そう思い、十三はそのまま路地裏を走り去ろうとした。

が。

 

「訳のわからない能力ですのね」

 

彼の目の前に、再び少女が姿を現した。

表情には戸惑いの色が見て取れ、体運びが戦闘に対するそれへと変わる。

その言葉に、能力の一端の片鱗を感じ取られた可能性があるのではないかと十三はひやりとした。

しかし彼女はそれっきり、能力に関しては口を開かなかった。

その目にはもう油断の色は無く、剥き出しの敵意が見て取れた。

少女が口を開く。

 

「どうしても、任意同行という訳にはいきませんの?」

 

その言葉に、十三は僅かに微笑んだ。

しかしその笑みは、バンダナのせいで彼女には見えていない。

十三は静かにザ・ワールドを少女の背後へと移動させた。

時間停止可能まで、あと7秒。

 

「こっちにも理由があってな」

 

6。

 

「ご自身にどれだけの容疑がかかっているか、ご存知ですの?」

 

5。

 

「三億円事件は俺じゃないぜ」

 

4。

 

「これで最後です。怪我しても知りませんわよ」

 

3。

 

十三は、肩を竦めてそれに応えた。

直後、十三は後頭部に凄まじい衝撃を感じた。

蹴られたのだと分かったのは、地面に突っ伏した後だった。

いつものように、ザ・ワールドを相手の近くにおいていたのが拙かったのだ。

そう状況判断をしている間に、少女の靴底が十三の顔面に迫る。

慌ててザ・ワールドを引き戻し、片腕でガードさせる。

バンダナの手前十数センチで止まった足を見て、少女が酷く驚いた表情を上げた。

その隙に彼女の驚いた顔を目掛けザ・ワールドの拳を振るうが、十三はそれもぴたりと止めてしまった。

何もしないバンダナ男に首を傾げつつ、少女は瞬間移動し、倒れた十三の側頭部を踏みつけようとした。

しかしそれも、バンダナの手前で何かに防御されてしまう。

十三はバンダナの下で苦い顔をした。

相手が公的機関になった途端、これだ。

たとえ自分が害されていようと、向こうは法に則って動いているだけ。

そう思ってしまうからこそ、彼はスタンドの剛腕を振るえずにいた。

しかしこのまま良いようにされる謂れもなければ、そのつもりもない。

既に時間は経過しているからだ。

風紀委員の少女は、とうとう最終手段の鉄杭を手にとった。

今度は壁に縫い付ける為でなく、体内に直接転移させる為に。

しかしその腕が、ピタリと止まる。

ザ・ワールドの腕に阻まれた訳ではない。

世界中のあらゆるものが、彼女と同じように静止した。

その中で唯一、十三だけが動いていた。

彼は速やかに立ち上がり、服の埃を掃って少女に向き直る。

十三はバンダナを顔から剥ぎ取りながら、誰へともなくつぶやき始めた。

 

「全部見て見ぬふりができればいいんだけどな。俺はそういうことすらできない性分なんだ」

 

彼はバンダナを外し終えると、今度はバンダナを少女の顔に取り付け始めた。

 

「君は正しいことをしていると俺も思う。だけど俺は間違ったことをしているつもりはない」

 

少女の顔にバンダナをきつく結び、十三は先程ザ・ワールドで空けたビル壁面の穴を伝って、今度は上へと登って行った。

追加で幾つか穴を空けつつ、彼はビルの屋上に上がる。

 

「君が最初に見せてくれた時のように、誰かがやらなきゃならないんだから」

 

そう呟くと、彼はザ・ワールドにしがみつき、時間が動き出すのも待たずに走り去った。

ザ・ワールドの跳躍力でビルからビルへと飛び回り、頃合いを見て再び地面に降り立つ。

今度は壁面伝いではなく、ちゃんと外階段を使う。

階段を降りていると、通りから賑やかな声が聞こえてくる。

その中に先程の少女の声は聞こえなかった。

既に時間が動き始めていることに、十三はやっと気づいた。

改めて地面に足が着くと、彼の額からどっと汗が噴き出した。

地べたにも拘らず、疲労と安堵からその場に座り込む。

何にも覆われていない顔を手で覆い、深い息を漏らした。

訓練している、していないで、ああも体術に差が出るものなのだろうか。

初動からして十三と風紀委員の少女の間には明確な差があった。

そもそも、高レベルの能力者との戦闘はこれが初めてだった。

今回こそ逃走が目的だったものの、これが鎮圧や撃退、防衛ならどれほどの苦戦を強いられただろうかと、十三は頭を抱えた。

それに、『多重能力者』の扱い。

分かってはいた。

分かってはいたが、ああも猜疑心剥き出しの扱いをされると、さすがに心にくるものがある。

かの有名な蝙蝠男や蜘蛛男もこういう気持ちだったのだろうかなどと、十三は気晴らしに適当なことを考えた。

この学園都市では、無名の学生が犯罪者の鎮圧にあたることはそう珍しい訳ではない。

にも拘らず風紀委員の彼女らが敵意剥き出しで補導しに来るのは、単に十三の匿名性にあった。

正体を明かして自警活動をすれば単なる一学生の暴走で済むものを、なまじ顔を隠したりするから要らぬ推測を呼び、結果こうしてお尋ね者扱いされてしまうのだ。

正体を隠す為の覆面が、正体を暴かれる理由になっていることを理解し、十三は皮肉っぽく笑った。

いずれ正体を明かす日が来るのだろうか。

しかしそれでも過去のことは話せない。

佐天にも、とうとう全てを話すことはなかった。

そこまで考えて、十三は再び深い息を吐く。

猜疑心を剥き出しにしてるのは、俺の方じゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初春飾利は、挙動のおかしい友人とファミレスで別れてから、見回りを終えて風紀委員支部へと帰還していた。

とあるビルの一室に所在するその詰所には、現在初春しかいない。

初春と交代で、同僚にあたる風紀委員が見回りに出かけているせいだ。

それほど広いとも言えない支部内には、キーボードをカタカタと叩く音が響く。

マッシブな機械が部屋の一角を陣取っており、そこだけ見れば立派な警察的組織の本部らしい雰囲気がある。

しかしそのそばの机上の、食べかけの菓子袋や可愛らしいデザインの小物入れが、所属しているのが学生だという事実を醸し出していた。

何の変哲もないファイル整理をしながら、初春はパソコンのデスクトップ上のデジタル時計をちらと見た。

いささか遅い、ような気がする。

彼女の同僚がいつも見回りから帰ってくるのはもっと早い時間だった。

もしや何かに巻き込まれたのか、と初春は眉をひそめたが、それは無いなと一人で首を振る。

事件性のある事柄に遭遇したのなら、彼女が既に鎮圧の一報を入れてきているはずだからだ。

苦戦しているにしてもやはり一報いれるはずだし、単に自分と同じように知人と話し込んでいるだけなのだろう。

尤も、彼女が苦戦する人物などそうそういる訳がないが。

そう考え、再びキーボードに手を伸ばしたところで、支部の扉が勢いよく開け放たれた。

びくりと体を震わせ、初春は首を傾ける。

そこには、酷いしかめっ面の同僚がいた。

手には何かの布きれのようなものが挟まれており、腕を組んでいるところを見るに、扉は足で開けたのだろうか。

もしそうなら、日頃からしとやかさを重んじる彼女らしからぬ行動だと、初春は驚いた。

 

「遅かったですね、白井さん」

 

初春は不機嫌そうな同僚に声をかけた。

すると白井は、何が気に障ったのか、一層眉間の皺を深いものにした。

 

「逃げられましたわ」

 

開口一番、脈絡もなく白井はそう言った。

当然初春は首を傾ける。

何にです、と彼女が聞くと、白井はふんと鼻を鳴らした。

 

「『多重能力者』ですの」

 

そう言うと、彼女は菓子袋などが散乱した机に布きれを叩きつけるように置いた。

そこで初春は、布きれがバンダナだったことに気づいた。

 

「多重能力者、ですか」

 

にわかには信じがたい話だった。

が、そのための見回りだったこともあるし、何より彼女が嘘をつくとも思えなかった。

それより、彼女が取り逃がしたという事実に、初春は驚きを隠せなかった。

彼女、白井黒子はレベル4の空間移動能力者だ。

自身を長距離転移させることすらできる彼女から逃げ切ることは容易ではない。

徒歩はもちろん、車両やへたをすればヘリコプターで逃げたとしても、彼女は追いつくことができるだろう。

そんな初春の様子を察してか、白井は口を開く。

 

「あの覆面男、妙ちきりんな能力でしたわ」

 

白井は忌々しげに呟いた。

彼女の優秀な風紀委員としてのプライドというか沽券のようなものが、傷つけられたように感じたのだろう。

彼女は聞かれることもなく、まるで蛇口を捻ったように愚痴を吐く。

 

「空間移動能力者である私の干渉を受けているにも拘らず転移をする、一瞬で壁に十数個の穴を開ける、蹴りは空中で阻まれる」

 

白井は指を折りながら、段々と語気を強めて言う。

探さなかったんですか、と初春が聞くと、白井はそんなわけないでしょう、と怒鳴った。

 

「私も探しましたわ。周囲はビル群、視界は狭くて逃げられる場所は少なかったはずですの」

 

「でも逃げられた、と」

 

白井は大きな音を立てて事務椅子に腰かけた。

 

「そのバンダナは?」

 

初春が聞くと、白井はバンダナを一瞥して言った。

 

「『目隠し』」

 

ああ、と初春は声を漏らした。

空間移動能力者にとってその座標演算のために必要なものは視覚情報なのだ。

もし何か物体がある場所に転移してしまえば、大惨事になりかねない。

白井もその程度のことでいちいち行動不能になるほど無能ではないが、空間移動能力者特有のほんの一瞬の隙を突かれてしまったのだろう。

事務椅子を左右に揺らしながら、白井は腕を組む。

 

「警備員には既に連絡してありますので、風紀委員の他支部に報告お願いしますの」

 

はい、と了承し、初春は再びパソコンに向かった。

彼女がキーボードを叩く中、白井は独り言のように呟きはじめる。

 

「攻撃してこなければ、かと言って捕まりもしない。腹立たしい限りですの」

 

それほどまでにコケにされたのだろうかと、初春は少し心配になる。

 

「民間人の治安維持なんて、今に始まった話じゃないじゃないですか」

 

「それだけなら確かに問題はありませんの。ではなぜ覆面を?なぜ書庫に該当する能力が無いんですの?なぜ頑なに正体を隠しますの?」

 

そう言った白井の顔は、既に不機嫌なそれではなく、自問して推理を固める風紀委員としての表情だった。

 

「後ろめたいことが無ければ、素直に正体を明かせばいい。そうは思いません?」

 

「うーん、でも、単純なナルシズムやヒロイズムの可能性もありますよね」

 

「名声を得たいのであれば、顔を晒す方が合理的ですのに?」

 

白井は呟き、鞄の中から鉄杭を一本引っ張り出した。

あのあと現場から回収したものだ。

 

「犯罪者扱いされているのを分かった上で、弁解する様子もない。明らかに正体を明かせない理由があるはず…」

 

白井は鉄杭を見つめる。

鈍く光が反射して、彼女の視界を綺麗に二等分した。

 

「そして恐らくは、『多重能力』そのものにその理由があるはずですの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いな」

 

「気にしないでいいよ」

 

十三は自宅、つまり学生寮の前で待ち合わせをしていた。

こういう時、同じ学校同士だと便利でいい。

佐天は彼に鞄を丸ごとよこした。

開いた形跡は無いことを確認し、少し罪悪感に浸る。

もちろん彼女には既に正体を知られているのだが、形跡を確認したのは十三本来の神経質さにあったからだ。

佐天はいつも通り元気に笑っており、十三の様子に気づいたそぶりはない。

昼過ぎにもなると、かえって周辺の人通りは少なかった。

寮から遊びに出かけるならもっと早い時間だろうし、今寮内にいるのは休日を自室で過ごすことを決めた連中だけだろう。

十三はせめてもの信頼の表れとして、鞄の中身を大して確かめずに肩にかけた。

それにも彼女は気づいた様子はない。

少しの沈黙が二人の間に流れる。

幾ばくかの気まずさを感じ、十三は口を開く。

あの、と発した声が、佐天の声と重なった。

出鼻を挫かれ、お互いにおたおたしながら発言を譲り合う。

その様子がなんだか可笑しくて、十三はくすりと笑った。

十三に笑われたのが気に入らなかったのか、佐天は少し頬を膨らませる。

 

「聞きたいことがあったんだ」

 

「聞きたいこと?」

 

彼女が聞き返すと、十三は頷いた。

 

「レベルアッパーとかいうモノを知ってるか?」

 

その言葉を聞いて、佐天は面食らった表情をした。

十三の口からそんな言葉を聞くとは思わなかったらしい。

 

「使うだけでレベルが上がる機械があるって…噂だよね」

 

それがどうしたの、と聞くと、十三は肩を竦めた。

言葉を選んでいるのであろうことは佐天にも分かった。

いくら人通りが少ないとはいえ、事の顛末をそのまま語るのはどうかと思ったのだろう。

十三としては、ファミレスの一件で思うことが少しばかりあっただけなのだが。

言葉を選ぶあまり、一言も発せないでいる十三に、佐天の方から声をかける。

 

「まさか、持ってたり…」

 

その言葉には、十三は首を振って否定した。

それをきっかけに、彼はやっと口を開く。

結局、十三は佐天に事の次第をぼかさずに伝えた。

さすがに風紀委員に補導されそうになったことまでは言えなかったが、佐天は疑うことなく話を聞いてくれた。

 

「どう思う」

 

十三がそう言うと、佐天は腕を組んでうーんと唸った。

 

「単なる詐欺の可能性もあるよね」

 

彼女はすぐに肯定してくると思っていたので、その言葉には十三も少し驚いた。

確かに彼女の言う通り、レベルアッパーという噂をダシにした詐欺事件だったという可能性は大いにある。

しかし、あの男ははっきりと『オーディオプレイヤーのようなもの』と話していた。

佐天はそこまで知らなかったし、噂ではなく本物を知っているからこその言動とは思えないだろうか。

だがやはり想像の域を出ず、十三は佐天にそう言いかねていた。

ひとしきり考えた後、佐天はよし、と何やら決心した声を上げた。

 

「あたしの方でも調べてみるよ。そーいうの好きだし」

 

翌桧君には『パトロール』があるしねー、と佐天が悪戯っぽく微笑む。

十三は苦笑いで応えた。

実際のところ、パトロールなどしたことがないからだ。

学園都市は、学区にもよるが、基本的に治安が悪い。

一日どこかに出かければ、それこそ事件にぶつかることは珍しいことではないのだ。

とはいえ、彼女が情報を集めてくれるのことに関しては嬉しいことだ。

十三の正体に誰より先に近づいたことといい、彼女には何か神がかり的な情報収集能力があるのかもしれない。

 

「頼むよ」

 

十三がそう言うと、佐天は突然嬉しそうに笑った。

 

「どうした?」

 

「いや、なんか…頼りにされるのって嬉しいな、って思って」

 

彼女の顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。

無邪気さと、優しさと、そして危うさを感じた。

佐天にこのまま協力を仰いでいいものなのだろうか。

この子は普通すぎる、と十三は内心で呟く。

何の超能力も無いからこそ、不可思議に憧れ、そしてその片棒を進んで担ごうとする。

だが何の超能力も無いからこそ、いずれは打ちのめされ、死の恐怖を知り、全てを吐露してしまうのではないだろうか。

今日の立てこもり事件で心が折れなかったのは、相手のチープさによるところや、十三が迅速に行動したところが大きいだろう。

しかしいつか佐天が、『多重能力者の件で』『本業に』脅されないとも限らない。

十三はそう考え、同時に自分が一度死んだあの光景を思い出した。

心配なのは、自分の正体だけではない。

死への恐怖は、何もそれ自体だけが問題なのではないのだ。

彼女がもし脅しに屈し、十三の正体を話せば、彼女はきっと罪悪感に苛まれるだろう。

自らが卑しく、自分のために他者を犠牲にする人間だと、彼女は考えてしまうだろう。

十三自身、そういう人間だったのだから。

彼女にはこのままでいてほしいと、十三は切に願った。

そのためには、脅威から佐天を遠ざけなくてはならない。

守る対象が増えたのだと、十三は気を引き締めにかかった。

 

 

 

しかし、そこまで考えたことのほぼ全てで、佐天涙子という人間を全力で見下していることに、十三は気づいていない。

能力のあるものは強い。

そうでないものは弱い。

そう決めつける癖が、もともと何の能力も無かった彼に潜在的に染みついてしまっているためだった。

彼にその自覚はない。

十三は知らず知らずに、彼の望んだヒーロー像から離れつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明かりをすべて消した一室で、パソコンの処理音だけが静かに響いていた。

まばゆく光を放つデスクトップが、その持ち主の顔を不健康そうに照らし上げている。

画面に映っているのは、音楽ソフトのダウンロード画面だった。

アーティスト名は無し。

タイトルは『LeveL_UppeR』。

彼の思考は、今ただ一人に向けて働いていた。

多重能力者。

その人物のことを考えるだけで、自分のどこにこんな感情が眠っていたのかと思うほど怒りが湧いてくる。

彼はレベル3の能力者だった。

何不自由ない生活を送ってきたし、挫折らしい挫折も味わってこなかった。

それ故に、今日のようなことになるとは思いもしていなかったのだ。

後ろから頭に一発、続けざまに腹部に数発。

たったそれだけの不意打ちで、レベル3はレベル0の人質と化した。

それが堪えられなかったわけじゃない。

そのあと、乱入してきた覆面男のせいで、彼のプライドは打ち砕かれた。

覆面男はスキルアウトを歯牙にもかけずに、あっさりと鎮圧してのけたのだ。

あの男にとっては、レベル0も3も同じなのだ。

人質は『守ってやるべきか弱い存在』に過ぎないとでも言いたげな振る舞いが、彼には我慢ならなかったのだ。

ふざけるな、見下しやがって。

お前のせいでこんなことになったのに、助けてやったから感謝しろってか。

あてつけがましい謝罪なんかしてくるな。

気づけば彼は、その内心を口に出していた。

何としても、あの男の正体を暴いてやると、彼の肩に力が入った。

彼の中で既に計画は立っていた。

このレベルアッパーを使うのは多重能力者と戦うためではない。

脅すため。

多重能力者の近しい人間を、力で脅すためだ。

その近しい人間とやらは、彼だけが知っている。

あの廃工場で、最後まで残って覆面男と会話していた女生徒。

顔が分かっている分、多重能力者より探すのは容易だ。

加えてあの書き込みに反応したということは、自分と同じ第七学区に在住している可能性が高い。

なら、パワーアップした自分の能力を使えば、簡単に捕まえることができるだろう。

 

ダウンロードが、完了した。

 

 



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