英雄の裏に生きる者達 (無為の極)
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第1話 闇に蠢く者

 連続して聞こえる発砲音と同時に、周囲に薬莢がこれでもかとばら撒かれていた。

 既にここが戦場になってからどれ程の時間が経過したのかをその男は判断する暇が無かった。

 突然、深夜とも明け方ともつかない時間に、破滅が襲い掛かっていた。時は第二次世界大戦末期。

 これまで順調に攻め込んでいたにも拘わらず、それまでの戦果など最初から無かったかの様に一気にひっくり返されていた。

 幾度となく発砲する銃撃を、まるで何も無かったかの様に防がれた瞬間、周囲の仲間は皆が横一文字に斬りつけられたのか、瞬時に絶命していく。

 ここまでは確実に勝利目前の状況だったはず。今の男にとってま正に悪魔の再来を予感させていた。

 気が付けばありったけの銃弾を撃ち込む為に無我夢中で引鉄を引いて行く。その瞬間、兵士が見えたのは煌めく一筋の剣閃だけ。その瞬間、これまでの同士と同じ様に胴体が上下に離れこの世から去っていた。

 

 

「しっかし、まだ抵抗するかね」

 

「だが、ここで見逃せば、今度はこれが俺達の明日だぞ」

 

「幾ら戦争だとは言え、早く終わって欲しい物だな」

 

 この場に生存しているのは二人の男だけだった。お互いが手に刀を所持し、先程斬って捨てた兵士の血を振り捨てると同時に周囲の様子を伺っていた。

 既にこの戦場に生存者の確認は出来ない。気が付けば周辺にあるのは、築くかの様に残された死体の山だけだった。

 

 

「まだこんな所で愚図愚図やってるのか。我は全ての任務を履行した。後は貴様らの鈍刀(なまくら)でも何とかなるだろう」

 

「おいおい。随分な物言いだな」

 

「勘違いするな。貴様らがここで戦っている間に、この基地の制圧の準備は完了している。我は貴様等とは違う。受けた任務に不履行は無い」

 

 後世に英雄と呼ばれる事になるサムライ・リョーマこと《黒鉄龍馬》と、闘神と呼ばれた《南郷寅次郎》の背後で大きな破壊音が衝撃と共に響いていた。

 先程まで堅牢だったはずの要塞の壁が跡形も無く消し飛んでいる。男の言葉通り、当初の任務は何も問題無く完遂されていた。

 

 残す所はここだけが唯一の戦場。本来であれば抵抗勢力は降伏するのが通例ではあったが、ここを護る司令官はその通告を無視し、現在に至っていた。

 軍部は当初上空からの爆撃による破壊を提案していたが、事実上の勝ち戦である兵士をそのまま送り込み、万が一にも負傷しよう物ならば、後々の禍根になると考えていた。

 負け戦となった側が既に自分の命などどうでもいいと考えているからなのか、見えない何かが宿っているかの様に抵抗を続けている。一方の勝利している側も態々危険を冒してまで自分の命を使いたいと考えているからなのか、どこか熱量を感じる事はなかった。

 だからと言ってこのままここだけを放置する訳には行かないだけでなく、万が一敵方の士気にまで影響が出れば、今後は違う意味で厳しい戦いが待ち受けている。

 幾ら戦局は決したとは言っても完全に終わった訳では無い。だとすれば極秘裏に制圧する事が現時点での最善策だった。

 堅牢な守りの要塞は、本来であれば攻略する為には最大の要因でもある城壁が立ち塞がっている。しかし、そんな堅牢な物は無慈悲の内に炸裂した何かによって本来の用途を完全に失っていた。

 既に破壊された事で守るべき物が消失している。ここから先をどうすれば良いのかは考えるまでも無かった。

 

 

「どうした。何を呆けている。貴様ら英雄と呼ばれた者がやらないとなれば、これはとんだお笑い種だな。無理ならば我がやるぞ。勿論、報酬は別途頂戴する事になるがな」

 

「けっ。誰に物を言ってるんだ。要塞の壁面破壊はお前の任務だろうが。……ったく人遣いが荒いのは相変わらずだな。寅次郎、俺達もさっさと行くぞ」

 

「応よ。誰がお前に報酬を払うと思ってるんだ。大局は決してる。だとすれば余計な払いは無用だ」

 

「ならば口よりも先にさっさと行け」

 

 男の言葉に二人は要塞があった場所に向けて一気に距離を詰めていた。

 破壊された要塞の跡地とも呼べる地点までは通常であればそれなりに時間が必要とも取れる距離。しかし、今の二人に取って、その距離は事実上無に等しい物でしかなかった。

 

 極めた歩法は目測でも遠いと思わせる距離を一挙に縮めて行く。お互いの姿が見えなくなる頃、同じ様な大きな衝撃音と共に要塞は完全に爆散し中破から大破へと変わっていた。

 敵国の兵士が完全に全滅しただけに留まらず、既に跡形も無く消滅した様子は直ぐに全国民が知ると同時に、対峙した国々に対し降伏の使者が派遣されていた。

 これまでは圧倒的不利な状況だった戦局は一瞬にして覆る。非常識とも取れるその異能はすべからく世界中が知る事となっていた。

 

 

 

 

 

「これで終わりか」

 

「ああ。一時はどうなるかと思ったがな」

 

「お前ら盆暗の世話は我にとっても面倒な物だ。これを機に少しは己を見つめ直せ」

 

「ったく少し位は言葉を選べよ。小太郎」

 

「莫迦が。事実を述べただけだ」

 

「そんな事よりも先ずはそれだろ?」

 

 黒煙を今だ上げながら既に近くに待機した部隊が次々と要塞があった場所へと向かい出していた。

 事実上の破壊活動の結果は見るまでも無く、生存者の姿は確認出来ない。

 眼下に見下ろす兵士の目的は近作戦の確認でしかなかった。

 既に基地内に残る命は微塵も存在しない。そんな結末を知っているからこそ、どこからか用意した日本酒を片手に三人は宴とばかりに杯を傾け任務完了の美酒を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに約定した金子は受け取った。我々との契約はここで終了だ。次に会う時はまた戦場となるかは貴様等次第だな」

 

「何だと。傭兵の分際で口を慎め!」

 

「何か勘違いしてるようだな。我々は我々の意志で動くだけだ。報酬はその対価と同時に覚悟を図る物でもある。たかが戦闘機15機にも満たない金子で勝ったのであれば安い買い物だと思うが。最後の分は盆暗二人の名誉の為に負けてやったに過ぎない。それと忘れている様だが、今回は互いの利害が一致しただけに過ぎない。次に会う際には敵同士であれば、その首は遠慮なく貰い受ける。その事実をゆめゆめ忘れるな」

 

「何だと!」

 

「念の為に言っておくが、これはお前達の情報の口止め料も含まれている。我に取ってはどうでも良いが、折角勝った戦いの後で裁判沙汰にはなりたくは無かろう?何だったら今回得た情報を公表するが、どうする?戦場だからと何でも好き勝手して良いなどと戯けた事を宣うのは誰だ?」

 

 小太郎の言葉に幹部はそれ以上の言葉を発する事は出来なかった。幾ら戦争だとは言え、勝てばそれなりに恩賞が出るだけでなく、周囲への影響力は甚大な物となる。幾ら規律に厳しい軍人とは言え、己の利益を見す見す見逃す様な連中ではなかった。小太郎が言う口止め料はそこに起因していた。隙あらば利権に群がるのは何時の時代も同じ事だった。

 

 

「………」

 

「所詮はその程度の人間の分際で、我々と対等だと思わん事だ。報酬はあくまでも我々と口を聞ける様になるだけの要素に過ぎん。勘違いするな」

 

 政府軍から用意された報酬を受け取った小太郎は既にこの場から姿を消え去っていた。

 それと同時に漸く軍部の人間も深呼吸をする様に一息ついていた。最凶で最狂。言葉の通り、歴史の裏から支えるその集団の事は、これまでに一部の高官にだけ伝えらえていた事実ではあったが、こうまでの戦果をもたらすとは誰も予想だにしなかった。

 事実、この集団の諜報と破壊活動は常に敵の急所をついていた。どれ程に凄まじい装備であっても、使い方を知らないのであれば持っていないに等しいだけでなく、補給の為に準備した物資も瞬時に消滅していた。

 

 今作戦に於いて黒鉄龍馬と南郷寅次郎が基地内部に足を踏み入れたまでは良かったが、そこに残っていたのは大量に残された死体だけ。二人はただその基地を破壊しただけに過ぎなかった。

 何の抵抗も無く無残に死だけが残されている。

 これでは兵士の士気が上がる所か、次は自分達だと言わんばかりのメッセージだけしか残らない。

 最後の抵抗も虚しく殺害された兵士の死体は、目が見開いたまま涙の痕だけが残されていた。

 

 この報告を聞いた政府と軍の高官達は何に依頼をしたのか、ここで漸く理解していた。

 死神の軍団との契約の結果がこれであれば、報酬として用意された金子では安上がりだとも後々検証されている。

 二人の英雄の名で完全に霞むが、政府が面々として伝えられた言葉。『風魔』の集団には手出しは無用。どれ程政府の人間が変わろうとも、この言葉だけは後世にまで伝えられていた。

 

 

 

 

「何だ。これで帰るのか?」

 

「当然だ。我々は元からこの戦いに参加するつもりは無かった。一部の馬鹿な者が勝手に起こした戦の尻拭いをこれ以上する必要は無い。暫しの別れに何も言うつもりも無かろう」

 

「ふん。本当に表には出てこないのか?」

 

「我々は戦国の時代より影となって住まう者。名を残す事に利は無い。それよりも、今後のお前達の方が苦労するだろう。もし乞う様な場面があれば合力しようぞ。ただし、我々の利にかなわぬ時はその命は身を持って払う事になるがな」

 

「そんな事にはならなんさ」

 

「そうか。ならば貴様らのやった行為が今後どうなるのか……考えただけでも笑えるな」

 

 旋風が舞った瞬間、小太郎の姿は完全に消え去っていた。歴史の表舞台に出るそぶりは一切無く、ただ己が欲する物を報酬としたその後の姿は事実上の闇に紛れていた。

 政府は今回の大戦の勝利の立役者でもある二人の名を世間に喧伝する事で、未だこの国に仇成す物への牽制を図っていた。その結果、この国に対する反撃の目を完全に封じると同時に最大の戦勝国となる事に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大戦の結果が及ぼした物はあまりにも大きかった。二人の英雄が残した戦績と同時に、その異能は各国にも伝えられる事になっていた。

 戦闘機や戦車をものともせず、真正面から叩き伏せるやり方に、対戦した国の全てが自国でも新たな育成に力を注いでいた。

 近代兵器すら意にも介さない攻撃は戦いに於いての強大な剣でもあり盾でもある。事実の一部だけを切り取り、公表をした日本政府の発表に『風魔』の存在は微塵も存在していなかった。

 その世界大戦から数十年が経過。既に当時の時点で機密扱いだったそれに関しての記録は殆ど残されないまま現在に至っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東南アジアの辺境で国際魔導騎士連盟が派遣した鎮圧部隊と、反政府ゲリラが激突していた。

 当時、反政府ゲリラの攻撃に政府軍は国際魔導騎士連盟に対し助命を求めていた。元々国際魔導騎士連盟は加盟国の嘆願に対し、場合によっては戦力として異能を持った集団。『伐刀者(ブレイザー)』と呼ばれる精鋭を派遣していた。

 一時は伐刀者の投入によって戦線は政府軍へと傾いていたが、反政府ゲリラも同じく合力を得ようと外部へと増援の要請を出していた。莫大な費用はかかれど、絶対の結果を残す集団。その内の数人がここに姿を現していた。

 

 

「ではお願い出来ますか?」

 

「確かに金塊50キロは受け取った。約定に従い合力しよう」

 

 反政府ゲリラのリーダーの言葉に、面を付けた男は確認を終えたのか、表情が分からないままに周囲を眺めていた。

 ここは反政府ゲリラの本拠地。周囲にはこの男を警戒しているからなのか、常に緊張感が部屋の中に漂っていた。

 仮に銃口を向けよう物ならば瞬時にこの場に居る全員の命が消し飛ぶと同時に、この反乱は瞬時に鎮圧されてしまう。この戦いに於いて、どちらが正しいのかは男にとってはどうでも良かった。

 目の前にある事実と、求められる結果。それが今の軍団の有り方でもあり、生き方でもある。

 本来であれば日本の地から離れるはずがないと思われたそれが、どれ程の結果を残す事が出来るのかは、このリーダー以外に一部の側近だけが知りえる事実だった。

 

 

「……そうか。これで我々の勝利は確実の様だな」

 

「今回の契約に沿うならば戦局を覆す程の内容とは思えんが、それでも勝てるのか?」

 

「ああ。それに我々の手でやり遂げなければ意味が無い。それに小太郎殿。言い方は悪いが、そちらに任せればどうなるのは想像できるんでな」

 

 面を付けた小太郎と呼んだ男の言葉に何か思う所があったからなのか、反政府軍のリーダーはニヤリとした笑みを浮かべていた。

 

 

「我々は請け負った仕事だけを成す。後は勝手にするが良い」

 

 その一言だけを残して報酬と共に男の姿は消え去っていた。

 

 

 

 

 

「あんな得体の知れない者に高額な報酬など渡さなくても良いのでは。これでは後々出資者からも糾弾が来るのではありませんか?」

 

「それに関しては問題無い。裏の世界の中でも飛び切りの連中だ。さっきはああ言ったが、このまま奴らの派遣した伐刀者が戦線に出続ければ、今度は俺達の方が危険になる。仮にこのまま政府軍が勝てば俺達だけじゃない。残された連中も最後は粛清されるしかないんだ。俺もそれだけは避けたい。でなければ、これまで死んでいった者達に申し訳が立たない」

 

「……貴方にそう言われれば、私としてはそれ以上の事は言えません」

 

 この戦いは世界中から見ればよくある内乱でしか無かった。

 事実、政府軍についているのは殆どが国民から吸い上げた利益を私腹に肥やした連中だけ。今の反政府軍はそんな圧政に耐えきれなくなった住人が元となっていた。

 既に伐刀者が投入されてからの被害は一気に加速している。そんな苦境の中で出資者から出たのはとある傭兵部隊の話だった。

 当初は訝しく思う部分の方が多かったが、対面してからはそんな感情を持つ事すら許されなかった。

 先程まで対峙していた小太郎と名乗った人物と同席した人間の全てが死を覚悟していた。濃密な死を身に纏っているにも拘わらず、それが当然だと言わんばかりに座っている。

 仮面で表情は分からないが、威圧感を感じさせない事からも異質な存在でしかなかった。

 既にその姿が消え去った後には全員が嫌な汗をかいている。自身が戦場で銃を持つ以上の緊張感だけがそこに残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「所詮はこの程度か。だとすれば、鎮圧まではそう時間はかからんだろうな」

 

「ですが、ここは戦場です。油断する事は危険では」

 

「嬢ちゃん。俺を誰だと思ってるんだ。これまでにもこれよりも苛烈な戦場は幾つもあった。闘神リーグもだ。そう考えれば楽勝だろ」

 

「ですが……」

 

「ここまで苦戦する様な事は殆ど無かったんだ。これだけの伐刀者が召集されてるなら、戦線は直ぐにこっちに傾く。実にイージーな仕事だ」

 

 国際魔導騎士連盟からの要請で貴徳原カナタと東堂刀華は特別招集として派遣されていた。

 これまでにも数度戦場に赴いた事があった為に、確かに目の前の男が言う様に、今回の作戦はこれまでの中でもそう厳しいと感じる事は無かった。伐刀者から見れば、来ると分かっている銃弾はそう怖い物では無い。むしろ同じレベルの人間が居た場合のみ警戒していた。

 事実、ここまでの戦いの中でゲリラの攻撃はどこか散発的な物が多かった。本来であれば油断する事は無いが、ここは戦場。世界で一番命が軽いこの場所ではどこか異様なテンションになる事が多く、男もまた同じだった。

 既に勝利の美酒と言いたくなるほどに酒を飲んでいる。余りにも油断しすぎだと思った瞬間だった。

 

 

「嬢ちゃん、何だったら俺にお酌の一つもしてくれよ。偶には良い………」

 

 カナタに言い寄った男はそれ以上の言葉を発する事が出来なかった。目の前に起こったのは血が詰まった風船が破裂したかの様に脳漿がぶち撒かれている。

 突如起こった事実に誰もが一瞬だけ我を忘れていた。

 

 

「なん事なん!」

 

「敵襲よ!」

 

 一発の銃弾に騎士団が逗留していたキャンプは蜂の巣をつついたように慌ただしくなっていた。

 ここに来るまでに幾つもの結界を通り抜ける必要がある。しかも、物理的な物ではなく、伐刀者の伐刀絶技を駆使した物までもすり抜けた結果。あり得ない事実に誰もが正しい判断を下す事は出来ないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが今回の作戦だ。各自、頭の中に必ず叩き込め。それと青龍。今回の役目はお前次第だと言う事を忘れるな」

 

 小太郎の言葉に全員が用意された作戦の内容を頭に叩きこんでいた。

 今回、自分達がやるべき内容は派遣された伐刀者の数を減らす事。元々今回の要請に対し、予算との兼ね合いから派遣したのは小太郎と青龍と呼ばれた青年。それと他の部隊の工作員の取り纏めとして白虎以下2名が派遣されていた。

 戦場に於いてやるべきは敵の殲滅が多く、今回の様に国際魔導騎士連盟の要請で伐刀者が呼ばれた為に急遽依頼された結果だった。

 

 

「それは問題無い。だが、肝心の内容が分からない。相手が相手なだけに慎重な戦術が要求される事になるが、これを見ると殲滅はしない事になっている。本当に大丈夫なのか?」

 

「この件に関しては既に調べはついている。本来であれば殲滅が一番だが、生憎とクライアントは自分達が勝ち取った結果が欲しいのだろう。我々としても困る様な内容ではない」

 

「そうか。参考に聞くが、今回の騎士団の中で遠距離での索敵をする人間はいたはずだが、有効範囲はどの程度だ?」

 

「こちらで把握してるのは700メートルだ。誤差はあるかもしれんが、1000メートル以上の探索は無いと考えてくれ」

 

 傭兵の集団は事前に用意された資料を基に、それぞれの活動の為のブリーフィングを重ねていた。

 今回のミッションは殲滅ではなく、厄介な人間から順次始末する内容。何から先に潰すのかは考えるまでも無かった。

 

 

「ならば狙撃は問題無い。狙撃と同時に任務開始なんだな」

 

「そうだ。今回は参加人数はそう多く無いが、これまでの()()()()()によって気が緩んでいるのは間違い無い。やるならば今夜が決行になる」

 

 小太郎の言葉にその場にいた誰もが作戦の内容を理解していた。

 既に用意された内容に沿うべく、次々と散開していく。そんな中で小太郎と青龍と呼ばれた青年だけがこの場に残っていた。

 

 

「青龍よ。それと一つだけ別のミッションがある。今回の俺達の作戦は殲滅ではない。だからこそ、別件での依頼を受ける事にした。これが今回のターゲットだ」

 

 小太郎が渡したのは簡易的に書かれた内容の紙だった。詳細までは知らされていないが、内容は明らかに今回受けたミッションとは真逆の内容。だからなのか、珍しく驚きが声になって出ていた。

 

 

「おい、親父!これじゃ完全にマッチポンプじゃねぇか。何でこんな依頼受けたんだ!」

 

「ここで親父と呼ぶのはよせ。それと今回の件は北条からの依頼だ。恐らくは当人の肉親が依頼したんだろう」

 

「だが、この情報が正しければこれまでに戦場には何度も出てるぞ。処女じゃあるまいし、考えすぎじゃないのか?」

 

 青龍と呼ばれた青年の言葉は正しかった。

 この内容を見るからに、今回の戦場が初めてではない。ましてや伐刀者である以上、不殺で生き残れるはずが無い。だからこそ今回の依頼に違和感があった。

 

 

「何。簡単な話だ。我々が今回出張ってる事を知ったからだろう。恐らくはそんな情報を()()から掴んだと考えるのが妥当だ」

 

「なるほど。で、条件は本当にこれで良いのか?心情を考えれば生きてるのが望ましいと思うが?」

 

 青龍の持っている紙に書かれているのは生死は問わない(dead or alive)の一文だった。本来であれば生還するのが望ましいが、それはどうやら問題無い。恐らくは行方不明のままになっている事が最大のリスクだと判断した結果だと考えていた。

 

 

「もちろん、生還すれば更に上乗せでボーナスが出る。だが、証が残れば問題無いのが今回の依頼だ」

 

 小太郎はそう言いながら人差し指を立てていた。これまでの依頼報酬の単位は最低限で千万単位。指一本が意味するのは億を表していた。

 

 

「因みに死亡時は?」

 

「十分の一だ。単なる回収に過ぎんからな」

 

「了解。折角のボーナスだ。満額頂く事にするさ」

 

 そう言いながら青龍は改めて自分の任された内容を確認していた。

 傭兵である以上、報酬額によっては精査する必要があるが、今回の情報はソースがしっかりとしている。だからなのか、そのままテントの内部から消え去っていた。

 

 

 

 

「各自配置についたか」

 

《青龍問題なし》

 

《白虎問題なし》

 

《急襲チーム問題なし》

 

《青龍。カウントに入る》

 

 耳朶に聞こえる通信が準備完了を意味していた。既に狙撃地点に移動した青龍から騎士団の駐屯地までの距離は1200メートル。

 抜刀絶技(ノウブルアーツ)を使用したとしても感知して言葉にするまでは着弾する距離に全員が待機していた。

 

 

「3」

 

───狙撃対象となるターゲットを確認する

 

 

「2」

 

───僅かに動かす事で周囲の状況を確認

 

 

「1」

 

───息を止め心臓の鼓動さえも抑える

 

 

「0」

 

───ライフルの引鉄が僅かに動いた

 

 

《着弾確認。直ちに決行せよ》

 

 スコープに映ったターゲットは既に頭部がライフルによって狙撃されたからなのか、その場で力無く倒れている。それが合図となったからなのか、それを合図に襲撃が開始されていた。

 

 



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第2話 襲撃

 着弾した瞬間、ここが狙われていた事を全員が察知していた。

 周囲からの反応はどこにも無かったはず。事実、広範囲にわたって索敵をしていた伐刀者の顔は青くなっていた。

 つい数秒前までは戦勝ムードに浸っていたはずが、一転した事によって理解が追い付かない。だからなのか、眼の前の惨状はどこか現実離れしている様にも見えていた。

 何かが聞こえた瞬間、男の頭部が弾け飛んだのか脳漿をぶちまけたままその場に倒れたのは、これから始まる戦いの合図。

 気が付けば、目の前には六尺以上の背丈の男が仮面を被ったまま、一人の人間の心臓部を貫く様に四指の抜き手が胸から背中へと突き抜けていた。

 

 

「何だ。この程度か。所詮は雑魚の集まりか」

 

 仮面の男の声は戦闘中にも拘わらず、低い声が通るかの様に響いていた。

 抜かれた抜き手の箇所からは血が噴水の様に盛大に噴き出すと同時に、重力のままに膝から崩れ落ちる。確認するまでも無く死んでいるのは間違い無かった。

 突然起こった事実に頭の回転が誰一人追い付かない。周囲の時間が停止したかの様にその場に居た誰もが男を凝視しながらも行動を起こす事は出来ないでいた。

 

 

「くたばれ!」

 

 仮面の男の背後から大太刀を振りかざし、上段の構えから一気に斬撃が振り下ろされる。気が付くのが遅かったからなのか、仮面の男の反応は僅かに鈍かった。

 

 

「一々声を出しながらとは…この素人が」

 

 振りかざした男の顔面には、仮面の男は振り返る事も無く裏拳が入ると同時に、そこを起点に空中で回転していた。

 地面と接触していれば確実に吹き飛ばされる攻撃は威力が強すぎたのか、足場が無いからなのか、その場で回転しながら落下する。

 そんな地面に仰向けで倒れた男の喉元に、ゴミでも踏み潰すかの様に仮面の男は踵を入れていた。メキリと音をたて頸椎が砕かれる。

 既に呼吸はおろか、生命活動の確認すら出来ないそれを一瞥した後、再び行動に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、俺もそろそろ動くか。このままだと小太郎の独り勝ちになる」

 

 青龍と呼ばれた青年は着弾した事を確認しながら、もう一発だけ銃弾を放っていた。

 今回の襲撃の目的は広域攻撃を可能とした伐刀者の始末だった。広範囲の攻撃を出来るのであれば、当然その範囲までは索敵も可能となっている。全員が全員ではないが、やはり戦場に於いては万全を期すのが当然の対処だった。

 着弾した瞬間に踏み込んだ小太郎の襲撃に、誰もが止まっている。二発目の銃弾の意識が無かったからなのか、青龍が放った銃弾はもう一人の頭蓋を同じ様に破裂させていた。

 

 

「お前達が誰に依頼したのかを、この場から眺めておけ」

 

「あ、ああ」

 

 青龍は放ったライフルを背後にいたゲリラの男に放り投げていた。ここから目的地までの距離は一二〇〇メートル。スポッターが居ない状況での通常の狙撃ではあり得ない距離を難なくクリアしたその腕前に思わず呆然とするしか出来なかった。

 渡した瞬間、同じく青龍はその姿が消え去ったかの様にこの場から離れている。

 気が付けば既に崖を駆け下りているからなのか、その姿は随分と小さくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ!まさかこうまでとは」

 

 伐刀者の一人は思わず声を上げていた。

 先程の襲撃で散った命は四。今回の招集に関しては国際魔導騎士連盟からの指令は速やかな解決だった。これまでの常識を考えれば、単なる内戦に伐刀者を二十名を派遣するのは極めて異例の話でもあり、今回の内乱は事実上の政治的な要素を含んでいるからこその結果だった。

 事実、ここまでの戦いに於いて伐刀者の能力は正に無双とも取れる活躍で、戦線は一気に政府軍へと傾きかけたはず。にも拘わらず、目の前に起こった惨劇に伐刀者が次々始末される事実に理解が追い付いていなかった。

 仮面の男は武器らしい物を一切持っていない。伐刀者の能力を考えれば相手も同じ伐刀者である事は何となく理解しているが、肝心の武器となる固有霊装を展開している様には見えなかった。

 無手でありながら繰り出す手刀は刃と何ら変わらない。余りにも異質すぎた戦い方に冷静になれるまで時間を必要としていた。

 

 

「ここは私が!」

 

 一人の少女が居合いの様に刀を鞘に納め、身体には僅かに雷を纏っていた。

 自身の持つ必殺の一撃。これならば如何な襲撃者と言えど何らかの負傷を与える事は可能だと判断していた。

 薄く開いた目に何が映っているのかは分からない。しかし、その意識だけは仮面の男へと向けられていた。

 鞘から走る白刃は射程距離内に入った男に向けて放たれる。刹那の時間と共に疾る刃は自身の純然たる意志だった。

 

 

「愚か者が」

 

 必殺の間合いにも拘わらず、男はまるで意にも介さないとばかりに向けられた刃に向かって拳を突き出していた。

 本来であれば斬り飛ばされるのは男の拳。雷を纏った斬撃が完全に放たれる瞬間だった。

 

 

「う……そ…」

 

 少女は目を見開き驚いていた。疾る刃は完全に抜かれる事無く、不発に終わると同時に自身の拳が潰されていた。

 刃を狙ったのではなく、その持ち手を狙う。神速の抜刀の刃よりも握った拳の方が分かり易かったからなのか、その部分を完全に狙われていた。

 

 刃とは違い、拳の描く軌道と範囲は最初から限られている。幾ら間合が読めない居合とは言え、最初から見える拳だけは別物だった。

 陶器が割れた様に聞こえる音は完全に骨が折れた証拠。利き手でもある右手が潰された以上、攻撃の手段は限られる。

 そんな状態を見たからのか、他の伐刀者が仮面の男へと刃を振るっていた。

 

 

()った!」

 

 下段から振り上げる手斧の一撃は、直撃すれば衝撃と斬撃が同時に発生する。

 この至近距離であれば外れる可能性は無い。仮面の男の意識が完全に少女の方へと向いているのであれば完全な不意討ちのシチュエーションだった。

 下段から来る攻撃は視界の範囲外。未だ気が付かないと悟ったのか、男の口元は歪んでいた。

 

 

「おいおい。俺の事を忘れるなよ」

 

 下から降り上がった手斧は新たな仮面を付けた男の脚によって阻まれていた。

 横から鋭く襲った蹴りが手斧へと直撃する。それによって男は完全に態勢は崩れていた。

 死に体となった今、やれる事は何一つ無い。乱入した男は腰に取り付けてあったガンベルトからハンドガン(M92F)を素早く向け、そのまま引鉄を引く。

 炸裂した二発の銃撃音と、その銃弾が無慈悲に胸部と眉間を貫く。蹴り込んだ体制から放たれた銃弾は体内を突き抜けたのか、小さく無い穴を開け、血が噴出しながら倒れていた。

 

 

「遅かったな。待ちくたびれたぞ」

 

「莫迦言うな。俺だけあの距離だぞ。同時は流石に無理だ」

 

「そうか。それとダブルタップは止めろ。銃弾が勿体ない」

 

「了解だ」

 

 死体となった男を無視し、二人の仮面の男はそのまま会話を続けていた。既に周囲にはゲリラがアサルトライフルで撃ち込んでいるからなのか、戦線は既に崩壊している。右手を潰された少女は初めてここが死地である事を理解していた。

 

 

「とにかくあいつらが殺すまでにターゲットを奪取だ」

 

「そうだな。折角のボーナスだ。遠慮はしないぜ。それと、そこの女はどうする?」

 

「もう使い物にならん。捨てておけ。ゲリラの連中が何かするだろ」

 

 蹲る少女など眼中に無いとばかりに二人の男はそれぞれ散開していた。つい数分前までの光景が全て偽りの世界だと言わんばかりに塗りかえられている。

 あまりにも隔絶した戦闘能力に少女は膝から崩れ落ち、呆然とするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、この後はどうするんだ?」

 

「まだ残党が居る。依頼通りお膳立てするだけだ。それと白虎。準備は出来てるか?」

 

「既に周辺地域での準備は完了している。後は何時でもやれる」

 

「そうか」

 

 襲撃した戦闘は時間にして十分足らずで完了していた。

 今回の役割は伐刀者の数を減らす事と同時に、裏の任務の遂行。既にターゲットを確保したからなのか、小太郎達は自分達が居る前線基地で今後の予定について考えていた。

 既に戦闘そのものが不可能に近いのは当事者が一番理解しているはず。とれば次に取る行動は撤退の二文字だった。

 もちろん予測出来る事実を見逃す程に手緩い訳では無い。纏めて始末する事すら計画の内だったからなのか、既に政府軍の司令部にはC4が隙間なく詰められていた。

 戦闘による陽動は本部の警戒を僅かに歪める。出先とは言え、派遣された伐刀者の事実上の壊滅はまさに想定外の出来事でしかなかった。

 

 

「で、あれどうするんだ?」

 

「俺達はまだやる事がある。青龍。お前が面倒を見ておけ。もうお前の出番は無いからな」

 

「ちょっと待てよ小太郎。俺はそんな話は聞いてない!」

 

「当然だ。今初めて言ったからな。それと破壊工作はお前の担当では無い。今後の幕引きはクライアントの要望を優先する。先の襲撃でお前の出番は終了だ。それとも単機で政府軍本部を襲撃するか?」

 

「………分かったよ」

 

 小太郎の言葉に青龍はそれ以上は何も言えなかった。既にC4が取り付けられているのであれば、後スイッチ一つで終わる。

 小太郎が言う様に青龍の出番はもう無くなっていた。

 

 

「伐刀者だ。何をするかは分からん。何かあったら責任重大だぞ」

 

「了解だ。ここでお留守番にするさ」

 

 会話が終わると同時に静寂が訪れていた。目の前の少女は既に目隠しと猿轡をし、手は後ろ手になっている。仮に固有霊装を出した所でどうしようもない状態へと陥っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な!そんな訳あるか!」

 

 国際魔導騎士連盟の日本支部にある一室では、今回の戦闘に対する結果が届いたからなのか、珍しく怒声が響いていた。

 何時もは感情を表に出さないはずの支部長の声に、外にいた職員や秘書は肩を竦め驚きの表情を浮かべている。飛び込んで来た情報を未だ知らないからなのか、誰もが戸惑ったままだった。

 

 

「当然だ。なぜそんな事態になっているんだ………分かった。これからだな。……ああ、こっちの予定は全てキャンセルする」

 

「支部長……何かあったんですか?」

 

 扉を開けて入って来たのは秘書の一人だった。先程の怒声が何を意味するのかは分からないが、状況を察すれば尋常では無い事は間違い無い。だからなのか、感情を表に出さず敢えて事務的に聞いていた。

 

 

「あと1時間後に、ここに北条内閣官房長官が来る。人払いをしておいてくれ」

 

「北条官房長官がですか……しかし、この後は外部との打ち合わせが三件入っています」

 

「緊急の要件だ。今日の予定は大小問わず全てキャンセルしてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 支部長でもあった黒鉄巌の言葉に秘書は言われるがまま予定の変更をすると同時に、人払いを敢行していた。

 本来であれば魔導騎士連盟と今の政府の仲は決して良い状況とは言い難い部分が多分に存在していた。

 それぞれが主張する権利の事を考えれば当然ではあった。お互いの意義がぶつかれば、どちらかが折れるしかない。ここに居る職員であれば誰もが知りうる事実。そんな中で政府の実質ナンバー2がここに来るとなれば異常事態だった。

 時間にはまだ余裕がある。今やるべき事を優先する為に、秘書は己の作業を再開していた。

 

 

 

 

 

「態々すまないね」

 

「そんな挨拶はどうでも良い。先程の話は本当なのか?」

 

 きっかり1時間後に現政府の官房長官でもある北条時宗(ほうじょうときむね)は黒鉄巌と対峙していた。

 通信越しでは盗聴の可能性が高いからと、時宗は端的に事実だけを伝えていた。現在派遣されている内戦に派遣した伐刀者二十名のうち殉職者十名。行方不明者一名。残り九名の内、負傷者五名と言う結果は驚愕でしかなかった。

 事実上の壊滅に驚いたのは魔導騎士連盟だけでなく、現政府も同じ事。そんな事実があったからこそ情報の共有化と称してお互いが膝を突き合わせていた。

 

 

「間違い無い。事実、伐刀者の現状は悪化の一途を辿っている。このままでは残りの人間も討ち死にだろうな」

 

「伐刀者が二十名も居て、どうしてそんな結果になるんだ。あり得ない」

 

 巌の言葉は尤もだった。今回送り出した伐刀者の殆どはBランクと限りなくBに近いCランクの人間。本来であればその半分でも過剰戦力だと思った程の内容だったはず。

 にも拘わらず、事実上の壊滅に近い戦局に今は事実確認を優先していた。

 

 

「今回の件だが、実に簡単な話だ。『あれ』が裏で動いている」

 

「あれ……だと。あれはお前の子飼いだろう。何故そんな勝手な行動をしている?」

 

 時宗の言葉に巌は疑問だけしか浮かばなかった。

 あれが裏で動いてるのが事実だとすれば、送り込んだ精鋭の壊滅はある意味では当然の結果でしかない。

 少数精鋭の存在がどれ程の戦果をこれまで上げてきたのかは時宗以上に巌の方が理解していた。

 

 第二次世界大戦の実質的な立役者でもあり、これまでに起こった内乱の元凶でもある。

 黒鉄家としても、その存在は無視出来る物では無かった。

 戦闘だけでなく情報の取り扱いも超一流。表ではそれ程名は知れていないが、裏の世界では絶大だった。表面的には単なる傭兵。戦力として考えれば敵に回せば最悪の結果を呼び、味方にすれば絶大な信頼となる。そんな存在が時宗の口から出た以上、巌がやれる事は知れていた。

 

 傭兵とは言え、実際には目の前に居る北条時宗の私兵だと言う認識の方が強いのも事実だった。

 そもそも歴史の紐を解けば、戦国時代の北条早雲からの付き合いが今に至る。それは北条時宗と言う人間を熟知していれば当然の様に入る情報。それがあるからこその言葉だった。

 巌は厳しい視線を投げつけるも、肝心の時宗の顔に変化はない。まるで当然だと言わんばかりの表情に巌は苛立ちを覚えていた。

 

 

「巌。いや、魔導騎士連盟日本支部長の黒鉄巌。あれは俺の私兵ではない。俺にそんな制御を期待するのは間違ってる」

 

 元々この二人は大学時代からの友人でもあった。お互い違う道を歩んでいたが、黒鉄家の事を考え、巌は伐刀者から政治への道を選んでいた。

 一方の時宗は最初から政治の道を歩み、現実として若き懐刀として現政権の内閣官房長官を拝命している。お互いが親しいからこそ、その言葉の意味が何なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「だが、『風魔』が絡んでいるなどとは聞いていない。今回の派兵ににはあの貴徳原の娘も行ってるんだぞ。それが耳に入ればどうなるのか位想像出来るだろうが」

 

「ああ。その件なら問題ない。既に別件で依頼済みだ」

 

「どう言う意味だ?」

 

 時宗の言葉に巌は何となく理解理解していた。今回の派兵は元々は国同士の決定によって決められていた。

 しかし、内乱が発生しているあの地域は少しでも政治に明るければどちらに非があるかは考えるまでも無かった。

 悪政を長年続けてきた結果、今回の内乱で遂に破裂した結果だった。事実、一部の国では反政府軍を支持する国もある。本来であればこの国もどちらを支持すれば良いのかは考えるまでも無かった。

 

 

「なに、あちらの総帥が別件で『風魔』に依頼しただけだ。今回の任務内容は戦力を削ぐ事が目的らしいからな。依頼内容に齟齬が無ければ動くだろう」

 

 時宗の言葉に巌はやっぱりかと言った表情をしていた。

 『風魔』とコンタクトを取るとなれば、誰かが介在する必要があった。幾ら傭兵だとしても、誰の依頼でも簡単に受ける訳では無い。表の顔として受けるのであれば、精々が個人SPか、施設のガード程度。当主でもある小太郎が出てくる事はあり得なかった。

 そんな中で依頼を受けたのであれば、それは目の前に座っている北条時宗自身が介入する以外に無かった。

 

 端的に出た事実に巌は背中に冷たい汗をかいていた。事実上のマッチポンプに近い依頼にはなるが、厳密には内容に絡みは無い。そこに金と契約があるのであれば、それ以上でもそれ以下でも無いと言う事実だけだった。

 しかし、そうなると疑問が出てくる。まさかとは思うが、果たしてそれを聞いても良いのだろうか。半ば非人道的な内容は間違い無く政治マター。だからなのか、一介の支部長でしかない巌はそれ以上の言葉を告げる事はしなかった。

 

 

「巌。友人として言っておく。時には()()()()()()()も必要になるんだよ」

 

「生贄だとでも言うのか?」

 

「人聞きが悪いぞ。今回の件は現政権の考えにも追い風になる。それを知らない訳ではあるまい」

 

「だが、幾らなんでもそんな事実が公表されたら日本の地位が落ちるぞ」

 

「馬鹿馬鹿しい。今の現総理は脱退したいとさえ考えてる。だとすれば多少の犠牲は仕方ないと考えるのは当然じゃないのか?お前だったらどっちの方が重いのか位の判断が出来るはずだと思ったが。それに世論もそちらに傾きつつある。事実、侍局の上層部も同じ考えだ」

 

 時宗の言葉に巌はそれ以上の言葉を告げる事は出来なかった。

 現に今回の派兵にはこの国からの伐刀者の比率が一番多い。幾らゲリラ戦であっても敗戦となればそれだけの責任を負う事になり兼ねない。誰がその責任と取る事になるのか。そんな考えが過ったからこそ言葉が何も出なかった。

 

 

「だが……」

 

「何度も言わせるな。今回の件は高度な政治判断だ。総帥もそれを知ったからこそ依頼したんだろ」

 

 時間ともに巌も冷静になっていた。既に起こった事実を覆す事は出来ない。結果がここに届くのは時間の問題だった。刻一刻と過ぎる時間にこれまでの事実をどう公表するのかを考え出す。

 練られてくシナリオが固まりだしたのか、二人の間には僅かな沈黙だけが存在していた。

 

 

「誤解の無い様に言っておくが、そんな程度の事でうろたえるのであれば、お前はこれ以上の地位を目指すのは止めろ」

 

 永遠に続くと思われた沈黙を破ったのは時宗だった。既に何かを言いたげな表情が如実に出ている。そんな空気を察したからなのか、巌は敢えて口を挟む事は無かった。

 

 

「言っておくが、政治の世界はそんな生易しいもんじゃない。お互いの弱みを握り、己のやりたい事を主張するんだ。今みたいに青臭い考えを持つのならばすぐに足元を掬われるぞ」

 

「俺はそんなヘマはした覚えが無い」

 

「そうか……だとすればお前の子息……確か破軍に通っていたな。知らないとは言わせないぞ」

 

 時宗は何が言いたいのかを巌は理解していた。

 己の家から落ちこぼれを出す訳には行かないからと学校に対し圧力をかけていた。表面的には一定以上の水準を伴うなどと大義名分を掲げていたものの、それが特定の生徒にだけ向けられているとなれば話は別。表情にこそ出さないが、時宗がそこまで掴んでいるとは思ってもいなかった。

 背中に冷たい汗が再び流れる。それを口にした当人は当然とばかりの表情を浮かべていた。

 

 

「まぁ、俺にとっては迷惑さえ掛からなければどうでも良いが、何も知らない人間からすれば随分と傲慢にも見える。上に行きたいのであればそんな事も考える事だ。青臭い気持ちは捨てろ。でないと……足どころか、お前の爺さんの築き上げた名声も地に堕ちるぞ」

 

 時宗は巌を肩を叩き、囁くように告げると同時に、退出していた。言われた事実を覆す事は出来ないが、それを知られている事実に変わりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと。お嬢さん。ご機嫌は如何かな?」

 

「貴方に話す様な事は何もありません」

 

 貴徳原カナタは意識を回復した瞬間、拘束されている事実に気が付いていた。幾ら伐刀者とは言え、後ろ手に繋がれた以上固有霊装を出しても振るう事は出来ない。

 周囲を見れば、自分に話かけてきた男以外に誰も居なかった。

 

 

「…そうか。本当の事を言えば、お前の事などどうでも良い。この内乱が終わるまではこのまま大人しくしてくれればそれで良いだけだ」

 

「……内乱が終わる?」

 

 仮面の男の言葉にカナタは違和感を覚えていた。今回の戦いは既に開戦してからかなりの時間が経過し、反政府軍の負けが事実上確定していた。

 この件に関しては極秘ではない。純粋に今回の内乱は世界中でニュースになっている為に誰もが知っている情報でしかなかった。

 事実、今回の派兵の際にも同じ様な事を聞いている。だからこそ仮面の男の言葉に違和感を感じていた。

 

 

「ああ。直に終わる。それまではここで過ごしてもらうだけだ」

 

「この戦いは既に決まっている様な物よ。内乱が終わるなら貴方達は逃亡以外に道は無いはずよ」

 

「ふ。ふ、ははははははは」

 

「何がおかしいの」

 

 カナタが言うのは当然だった。正しく理解していればどちらが勝つのかは誰もが理解出来るはずだった。

 伐刀者が戦場に投入された以上、戦力差は隔絶した物になる。

 事実、今回の要請は国際魔導騎士連盟の名で招集されている。確かに自分の記憶では何人かは命を落とした記憶はある。

 しかし、その後がどうなっているのかは知る由も無かった。だからなのか、仮面の男の笑いに対し、理解できないままだった。

 

 

 

「何も知らないとは滑稽で哀れだと思ってな。お嬢さん。今、派遣された連中が何人残ってるか教えてやろうか?」

 

 仮面越しの為に表情は分からないが、その言葉には愉悦が感じ取れていた。

 強く否定したいが、それが出来ない。なぜならこの目の前に居る仮面の男こそが自分の意識を奪い去ったからだった。

 あの時の自分は奇襲は受けたが、油断はしていない。

 既に抜刀絶技すら展開した状況下で気が付かれる事無く懐に入られた事実がある。自分はBランクである事は認めるが、それが元で驕る様な事はしない。

 常に研鑽し続けたそれをいとも簡単に上回った事実が今に至るだけだった。

 そんな人物が態々虚言を吐くとは思えない。だからなのか、カナタは男の次の言葉を待っていた。

 

 

「残りは十人。ただし、まともに動けるのはその半分以下だ。尤も、残された連中も後二日で全滅だ」

 

「そんな……そんな事…あり得ない」

 

「どうして初対面のお嬢さんに嘘を言う必要がある?事実、この内乱はそれで幕引きが決定してるんでな。派遣された伐刀者はその場で生き埋めだ」

 

 仮面の男の言葉にカナタは自分と同じく派兵された友人を思い出していた。『雷切』の二つ名を持つ少女。まさかあんなゲリラと戦って討ち死にするとは思えなかった。

 自身も含め、これまでに何度も戦場には出ている。それを考えると仮面の男の言葉を安易に信用する事は出来なかった。

 しかし、命が極めて軽いこの戦場に絶対は存在しない。もし、自分が自由に動けるのなら直ぐにも確認したい。そんな気持ちが表情に出ていた。

 

 

 



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第3話 内乱の終結

 徹底的にゲリラ戦を強いられた伐刀者の部隊は既に疲労困憊のまま移動を続けていた。

 あの襲撃から既に時間は三日が経過している。本来であれば伐刀者の能力を考えれば、こんな戦争は直ぐにでも終結するとさえ当初は考えた結末だった。

 だが、現在はそんな甘い考えを持つ者は誰一人存在しかった。伐刀者は戦闘のプロだが、戦争のプロではない。あの襲撃からはまるで今までが子供騙しだと言わんばかりに苛烈な戦いを強いられていた。

 

 ベースキャンプは直ぐに破壊されると同時に真っ先に食糧と水が狙われていた。食べなくても人間はそれなりに生きる事は出来るが、水は飲まねば三日で死ぬ。こんな暑いジャングルではそれが顕著だった。

 僅かに湧いた水辺も、どんな物が潜んでいるのか判断する事は出来ず、仮に飲んだ所でどうなるのかが判断出来なかった。

 本来であればキャンプ地には水を濾過する機材が積まれていたが、それもまた直ぐに破壊されていた。

 一撃の下で沈む仲間と表情すら判断出来ない仮面の人間。既に隔絶した技量は反撃を考える前に即時撤退を余儀なくされていた。

 しかし、逃亡すら読まれていたからなのか、二十四時間心が休まる暇もなく戦闘は続いていた。

 

 睡眠を欲求される様な時間帯を狙いすましたかの様に襲い掛かるアサルトライフルの銃声だけでなく、時折大火力を齎すグレネード弾。如何に伐刀者と言えど回避せざるをえない状況が常に続く。少し前までの戦闘が明らかにブラフである事をこの場に居る誰もが理解していた。

 休息を取れない状況は伐刀者のパフォーマンスを奪い去る。不眠不休で常に警戒したままの移動は既に限界に近づきつつあったのか、一部の人間は既に自身の固有霊装を展開する事すら困難となっていた。

 

 

「誰か水持ってないか?」

 

「んなもんある訳ないだろ!」

 

「嘘だ!隠してるんだろ!さっさと出せよ!」

 

 最初の襲撃で拳を破壊された東堂刀華は今、目の前に起こる惨状に目をやる事はなかった。

 事実、あの瞬間までは確実に自分達が勝っている戦い。幾ら戦勝ムードが蔓延していたからと言って、ああまで覆るとは思ってもいなかった。

 二十人居たはずのメンバーは既に半数以下。自分も含めればまともに戦えるのは片手にも足りない数だった。固有霊装を持つが故に戦闘に関しては恐らく問題ないが、それ以外の物を誰一人持つ者は居なかった。

 襲撃された時点で水と食料は既に失っている。各々が携帯している物が全て。その影響なのか、既に部隊内の空気は最悪とも取れる程だった。

 

 それだけではない。道なき道を彷徨いながら行方不明になった自分の友人の事を考えれば、それもまた絶望しか浮かばない。

 女の身で戦場に出た以上、囚われた後に待っているのは考えるまでも無かった。女として終わった末に始末される。そんな未来しか少女には浮かばなかった。

 拳は無理に動かせば戦う事は可能だが、あの時と同じ様には出来ない。今ここに居る人間の殆どは気が付いていないが、至近距離で眼前の男の脳漿が撒き散らされた事を考えると絶望の二文字だけが明確に浮かび上がる。誰もが口にしないが、今回の戦闘は完全に自分達の敗北だった。痛みが現実に引き戻したのか、改めて自身の右手を見る。利き手の骨が破壊された為に、仮に抜刀した所で逆に始末される未来しか浮かばなかった。

 

 

「おい、女。お前こそ隠し持ってないのか?」

 

「私も持っていません」

 

「本当か?ただでさえ役立たずなんだ。それ位は貢献しろよ女のくせに……ったく『風魔』の連中が出てくるなんて聞いてないぜ」

 

 刀華を見る目は既に仲間ではなく、単なる奴隷かそれに近い眼差しだった。

 事実、このメンバーの中で唯一まともに戦闘が出来る人物。それが分かっているからなのか、誰もがその横暴に異を唱え様とはしなかった。

 この場に生き残った伐刀者の中には自分以外にも女性は要る。しかし、そんな事すら意に介さないとばかりに悪態をつきながら睨みつけていた。

 

 

「すみません」

 

「ちっ!どいつもこいつも使えねぇな!このクソ共が!」

 

 項垂れながらも刀華は戦った相手の事を思い出していた。

 自身もこれまでに何度も派兵され、その都度人を斬ってきた。もちろん、戦場に絶対は無い。慢心が無かったと言われれば言葉に詰まるが、それでも渾身の一撃を完全に迎撃された事実は少なからず動揺を誘っていた。

 一対一での戦い。そこにイレギュラーは何一つ介在しない結果は、今の悲惨な状況から意識を飛ばすだけのインパクトを持っていた。

 少なくとも小太郎と対峙し生きている事自体が望外の幸運でしかない。恐らくは今のメンバーで小太郎と対峙して生き残っているのは自分だけ。少なくとも刀華が見た中では誰も居ない事は間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした?お前がそんなのと相手するとは珍しいな」

 

「小太郎か。で、作戦はもう決定なのか?」

 

「ああ。このままやつらの誘導は続いている。あの調子なら本部に着くのは明日の昼過ぎだろう」

 

「そうか。漸くこの国とは終わるのか」

 

「後はやつらの都合だ。我々には関係無い。それ以上でもそれ以下でも無い」

 

 カナタと仮面の男が居た部屋に小太郎と呼ばれた人物が入ってきた。

 あの瞬間見た力はこれまでに見た記憶が無い程の物。詳しい事は分からないが、一撃で胸を貫かれていた人物もそれなりに力があったはず。

 にも拘わらず、まるで当然だと言わんばかりの光景は今もまだ目に焼き付いていた。

 

 

「あの……内乱が終わるって、どう言う事ですか?」

 

「青龍。まさか、しゃべったのか?」

 

「いや。作戦までは何も言ってない」

 

 何気なく話した内容が問題だったからなのか、小太郎は青龍に向けて厳しい態度を取っていた。

 冷静になって見れば、お互いの面には何か模様が掛かれている。今まで自分と居た男は黒い仮面に蒼で龍らしき絵が小さく書かれている。それに対し、小太郎と呼ばれた人物の仮面は無地の漆黒だった。目の部分だけが見えるその眼差しには隠すつもりが無い程に意志が宿っている。

 目に見えない何かに圧された感覚がカナタを襲っていた。

 

 

「まぁ良いだろう。お嬢さん、折角だ。今後の結末だけを教えてやろう。今回の結末は反政府軍のクーデターによる勝利で幕引きされる。その際に今まで追いやってきた伐刀者の部隊も、もれなく始末する事になるだろう。ここで禍根を残せば再び内乱が起こるからな。既に時間の問題だ」

 

 小太郎と呼ばれた人物から出た言葉にカナタは言葉を失っていた。

 先程の青龍の言葉とは違い、語句の一つ一つが事実である事を告げている様に感じている。

 結末が決まった戦いの終わりはどの時代も同じ。なまじ力が突出した人間を大人しくさせておく程、この戦いは穏やかな物では無かった。既に内乱によって国そのものが疲弊し、国民は現政権に憤りを感じたまま。そんな状況下で劇的な勝利を収め、どんな結果が出るのかは誰の目にも明らかだった。

 

 

「そんな事……」

 

「下手に戦力を残すのは未来への禍根でしかない。事実、依頼主はそれすらも考慮している」

 

 内乱で疲弊した中で新たな火種はその国の終わりでしかない。今回の反政府軍の最終目的は投入された伐刀者の殲滅も視野に入れていた。

 あれからそれなりに時間が経過している。既に伐刀者の能力を振るう事すら困難な状況の先に待っているのは単なる蹂躙だった。

 戦争に命の大小は関係無い。それを理解しているはずだった。

 

 

「依頼って事は貴方達は傭兵なんですか?」

 

「そうだ。依頼と金があれば内容次第だがな」

 

 この時カナタは一時期、僅かに話題に出ていた会話を思い出していた。

 先程の青龍と呼ばれた男が発した小太郎の名前。非道とも取れる手段を駆使し、依頼を遂行する何かがあった事を思い出していた。

 

 

「依頼なら、私がします」

 

「お嬢さん。依頼料は高くつくが、払えるのか?言っておくが、我々は端金では動かんぞ」

 

 小太郎の言葉にカナタは思わず息を飲んでいた、自分の記憶が正しければ、この仮面の男達の正体は風魔。まさか戯言だと思っていた会話が事実だとここで初めて理解していた。

 自身の身体を蝕むかの様に纏わりつく空気が重く感じる。一言依頼を口にするだけににも拘わらず、言葉を発する為に思わず深呼吸をしていた。

 

 

「依頼料は必ず払います。ですが、その前に確認したい事があります」

 

「何だ?言ってみろ」

 

「貴方方の立てた計画に破綻の可能性はありますか?」

 

 言葉を出した瞬間、カナタは自身の命の危機を感じていた。

 噂通りであれば計画が破綻する事はあり得ない。だとすれば今言った事は完全に喧嘩を売っているのと同じだった。

 こんな状況では自分の命は瞬きした瞬間に終わる。言葉を放った瞬間、カナタは自分の心臓が止まったかと思える程だった。

 

 

「ある訳が無い……良いだろう。その気骨に免じて今回の最終だけ教えてやろう」

 

「小太郎!」

 

「慌てるな」

 

 小太郎の言葉に青龍は思わず声を荒らげていた。

 綿密な計画を教えるのは本来であればルール違反。仮に計画が漏れ、阻止されれば自分達の看板にまで泥を塗る事になる。

 当然、当主でもある小太郎とて知らない訳では無い。にも拘わらず教えるとなれば誰もが驚くのは当然だった。

 

 

「本部は既にゲリラ達が完全に包囲している。そこに今回疲弊した伐刀者の部隊が合流した時点で内乱は終わりだ」

 

「生存者は?」

 

「ある訳無かろう。仮にあっても始末するだけだ」

 

 小太郎の短い言葉にカナタは改めて息を整えていた。既に先程までとは違って自分の意識を保っている。

 そんなカナタを見たからなのか、小太郎は改めてカナタの目を見ていた。

 

 

「全滅が必至なら、私の友人を助けて下さい」

 

「ほう……救出なのか。高額任務だな。既に我々の計画が確定している。払いは良いのか?これが終わると同時に回収しに行くぞ」

 

 仮面越しに眼が細くなったのをカナタは見ていた。そこにあるのは事実確認をしようと覗き込む視線。

 値踏みされていると分かったからなのか、カナタは続けざまに言葉を放っていた。

 

 

「私も貴徳原の一族に名を連ねる者です。嘘偽りは申しません」

 

 本来であれば貴徳原の名を出すのは愚策だった。既に身を拘束された今、身代金を要求される可能性すらある。

 幾ら誰かの依頼によって今の状態があるとは言え、それに確証は無い。勿論、そんな事を理解した上でカナタは宣言するかの様に声にしていた。

 

 

「……良かろう。ならば交渉成立だ。それと今回の依頼料は身の安全までとなればこれだけ頂く」

 

 そう言いながら小太郎は握られた手の人差し指と中指を立てていた。その意味を知っているからなのか、青龍は思わず口笛を吹く。果たして本当に理解しているのだろうか?そんな思惑があったからなのか、青龍は敢えて独り言を口にしていた。

 

 

「雑魚一人に二億か……悪く無いな。流石は貴徳原。太っ腹だな」

 

 青龍の言葉を聞いてもなおカナタの表情が変わる事はなかった。

 既に負けが決定した以上、やれる事は命の保持。自分がここに囚われた理由を何となく感じたからなのか、先程とは変わって強い意志がそこに現れていた。

 

 

「お嬢さん、契約成立だ」

 

「追加任務か。最後の最後に楽しませてくれるぜ。で、誰なんだ?」

 

「名前は東堂刀華。私と同じ女性の伐刀者です」

 

 カナタはそう言いながら刀華の面相を説明していた。戦闘方法までは言わなくても、固有霊装は今回のメンバーで重なる事は無かったからなのか、説明は簡単だった。

 

 

「ああ。あの小娘か」

 

「知ってるのか?」

 

「小娘の割に良い目をしていたな。だが、肝心の攻撃はまだまだだ。あんな程度で戦場に出るのはまだ早い。どうやら魔導騎士連盟に人材は居ない様だ」

 

 小太郎の言葉にカナタはやはりと思っていた。『雷切』の二つ名は伊達ではない。これまでに必殺の攻撃で数多の人間を斬捨ててきた抜刀絶技。

 しかし、小太郎からすれば児戯にも等しいと宣言された言葉に、違う意味で期待していた。

 

 

「ターゲットは俺が認識している。青龍…行くぞ。それと白虎。後は任せた」

 

「了解だ」

 

「御意」

 

 二人の姿が消えると同時に、今度は違う人間がここに現れていた。先程の様な圧力は無いが、それでもかなりの力量があるからなのか、今度は黒地に白で虎の絵が描かれた仮面の男がこの部屋に留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ本部に近いはずだ」

 

 伐刀者の部隊はゆっくりと時間をかけながら本部のある場所へと移動を開始していた。

 これまでに何度襲われたのか数える事すら出来ないままに移動したからなのか、ポツリと出た言葉に対し、誰もが口を閉ざしたままだった。

 ここに来るまでに、常に気を張りながら移動するのは尋常ではなかった。疲弊する肉体と同時に、精神までもがガリガリと削られている。元々固定した装備を持っていない事が今回の事実上の逃走を決定していた。

 

 伐刀者の命とも取れる固有霊装は己が万全の状態から程遠くなればなるほど展開する時間だけでなく、その威力もまた影響を及ぼしていた。

 命の源でもある水と食料は根こそぎゲリラに奪われると同時に、熱帯雨林のジャングルではそれ以外からも身を護る必要があった。

 森林に潜む動物や疫病を運ぶ虫など、これまでであれば考えた事も無い環境。これまでに何度も戦場を経験した伐刀者から順番に消された事も影響したからなのか、既にコンディションも最悪だった。

 ゆっくりと警戒しながら部隊は少しつづ歩を進める。気が付けば、これまでの追い立てるかの様に飛び出す銃弾が部隊に向けられる事は無くなっていた。

 

 

「ああ。俺達は助かった…のか……」

 

「ここで一息付けば、反撃に移れる。そうなればゲリラどもは殲滅だ。何一つ残さない…」

 

「畜生。このままだと思うなよ」

 

 これまでにやられた事をやり返す事だけを一念にしたからなのか、既に部隊とは言えない人数にまで落ち込んでいた。

 負傷者を含めてまともに動けるのは六名のみ。そんな中で刀華もまたゆっくりと歩を進めながら他の人間とは違う事を考えていた。

 

 行方不明になった友人の事も去る事ながら、今回のこれはあまりにも周到に練られた策の様に思えていた。

 人間が常時活動出来る時間はそう長く無い。ましてや多大な集中を必要とする伐刀者であれば、固有霊装が無ければ丸腰同然。そんな今が最大の好機でしかない。

 まるで何かを誘導するかの様に薄々感じていた。確かにこのまま行けば本部のある場所に到達する。

 果たしてこれ程までに苛烈な攻撃を仕掛けてきたゲリラがそう易々と見逃すのだろうか。半ばボンヤリとしながらもそれだけが気がかりだった。

 ノロノロと進む足取りに誰も気が付かないからなのか、刀華は少しだけ部隊から距離が離れていた。

 

 

 

 

「お前、東堂刀華だな?」

 

 僅かに聞こえたからなのか刀華は思わず顔を上げ、周囲を見渡していた。疲労による幻聴なのか、それとも先程まで考えていた結果なのか。聞かれた質問の答えとばかりに行動がそれを表していた。

 

 

「誰!」

 

「貴様の身柄はここで預からせてもらう」

 

 それ以上の返事をする暇は無かった。気が付けば腹にこれまでに無い程の衝撃を受け、意識が朦朧とし始めていた。

 通常であれば意識を失う事は無いが、完全に疲弊した今、それに抗う程の体力は存在しない。瞬時に消えた視界によって神隠しに合ったかの様に部隊からその姿を消し去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ……は?」

 

 刀華が意識を取り戻したのはそれからそれなりに時間が経過していた。

 密林の中を彷徨ったからなのか、時間の概念は既に無い。見知らぬ景色に混乱しながらもゆっくりと思い出そうとしていた。

 あの場所で襲撃を受けてからの記憶が何処にも無い。既に後ろ手に縛られているからなのか、漸く自分が捉えられた事に気が付いていた。

 固有霊装を出したとしても動く事が出来ない以上、脱出は不可能。この部屋には誰も居ないからなのか、薄汚れた床の上に横たわった自分の身体を起こす事だけで精一杯だった。

 

 

「目が覚めたか?」

 

 漆黒の仮面を付けた男が音も無く入って来ていた。

 これだけの至近距離にも拘わらず気配を感じる事が出来ない。刀華自身これまで色々な人間と対峙した事があったが、こうまで気が付かないままに接近を許した事は一度もなかった。

 気配を感じさせず接近出来るのであれば、それは自分の師匠でもある南郷虎次郎レベル。自分が真っ先に戦った人間が自分より格上レベルである事を理解していた。

 

 

「貴方は?」

 

「風魔小太郎。依頼によってお前の命を我々が保護しただけだ」

 

「依頼?」

 

「ああ」

 

 小太郎の言葉に刀華はそれ以上の質問が出来なくなっていた。戦場に赴く際に僅かに利いた風魔の名前がどれ程の物なのかを知っている。最凶で最狂。確実に依頼をこなす傭兵の名は裏の世界ではビッグネームだった。

 その男が動いたのであれば、依頼人の名を明かす事は無いはず。それ以上に、濃密な殺気の様な物を身に纏っていると判断したからなのか、それ以上の言葉が口から出る事は無かった。

 

 

「今回、お前の命の嘆願依頼が我々にあった。だからそれを実行しただけに過ぎん」

 

「嘆願依頼……」

 

「友人に感謝するんだな」

 

友人の言葉に刀華は誰が依頼したのかを直ぐに理解していた。今回派兵された中で顔見知りの人間が居ない訳では無い。しかし、友人となれば話は大きく変わっていた。この場に居ないはずの人物。貴徳原カナタの顔が不意に浮かんでいた。

 

 

「カナちゃ……カナタは生きてるの?」

 

「それに答える義理は無い」

 

 刀華の言葉を一刀両断の如く斬捨てる。

 刀華は気が付いていないが、今回の依頼は極めてイレギュラーの中で発生した依頼に過ぎなかった。

 本来であれば相反する依頼を受けるなどと言った暴挙とも取れる内容は信用問題に大きな影響を及ぼす可能性があった。しかし、この内乱の依頼内容ははくまでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 厳密に言えば伐刀者の抹殺の依頼では無いだけだった。仮に抹殺依頼であれば貴徳原からの依頼すら受ける事はしない。そんな裏事情を知らないからこそ刀華は疑問を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員本部の建物の中だ。準備は良いか?」

 

《こちら白虎。既に準備は完了している。何時でも問題無い》

 

《こちら青龍。周囲の気配は無い。完全に警戒していないとは言い難いが、それでも哨戒は見えない》

 

 小太郎は双方からの通信を聞きながら、今回の依頼の仕上げへと移行していた。

 既にターゲットだけでなく、追加の依頼も完遂している。人知れず建物の周囲に囲んだC4は既に起爆の準備を終えている様だった。

 

 

「こちらの準備は完了した。用意の程は大丈夫か?」

 

《ああ。大丈夫だ》

 

 既に別で待機していたゲリラ部隊も、いつでも行動に移す準備が出来ているからなのか、言葉短めな返事だけだった。

 周囲に哨戒の姿は無く、このまま一気に破壊しても問題になる事は無いはず。そんな状況を察していたからなのか、小太郎はそれ以上の事を言うつもりは無いままだった。

 命がけで逃走しながら建物の中へと全員が入っていた。恐らくは命が助かった事によって完全に警戒心は薄くなっている事は容易に想像出来ていた。

 そんな千載一遇の好機を見逃すつもりが無いのは風魔だけでなく、ゲリラもまた同じだった。今だ建物から何かが出る気配は無かった。

 

 

《着火》

 

 ゲリラのリーダーの短い言葉と同時に、建物の隙間と言う隙間に詰め込んだC4は一気に派手な音を立て、周囲の建築物を破壊していた。

 計算された設置だからなのか、崩落した壁面は頭上から内側に向かって大きく崩れる。

 先程までは完全に壁と盾の役割を果たしたものの、これ程まで多量に破壊されたそれは内部の人間を圧殺する為の重しでしかない。それだけに留まらず、設置された指向性の爆弾は壁面の一部を銃弾代わりに内部へと激しく飛び散っていた。

 

 頭上だけでなく側面からの攻撃に回避するだけの空間は存在しない。阿鼻叫喚とも取れる空間は完全な死地へと変化させていた。圧倒的質量は人間の肉体をただの肉塊へと変えていく。そこに生命が生きる気配は無くなっていた。

 瞬時に響く爆発音は周囲一帯に轟くと同時に、それがどんな意味を持つのかを知らしめる様にも聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《周囲に敵の反応は無い。念の為に暫く様子を見る》

 

「そうか。では周囲を確認後ここに来る様にしてくれ。それと帰還後、直ちに撤収する」

 

《了解》

 

 通信機から聞こえる声だけが何も無い部屋に響き渡っていた。

 破壊した瞬間に聞こえた轟音は既に確認するまでもなかった。

 本部を破壊した時点で政府軍の戦力は事実上の壊滅。それと同時に派遣された魔導騎士の壊滅もまた決定されていた。

 幾ら超人的な力を持つ魔導騎士であっても、圧倒的な質量体の前には何も出来ない。万全であればまだ回避出来た可能性もあったが、本部の建物に入った事によって完全に集中力も切れている。

 

 既に別件で依頼された件は達成したのであれば、後はこの地に長く留まる必要はどこも無かった。その後どうするのかは考えるまでも無い。既に現時点で依頼は達成されている。ここから先の事に関しては小太郎も感知するつもりはどこにも無かった。

 これまで実行した出来事は当初の計画でしかない。だからなのか、瓦礫から生き残りが居ないのを確認した事によって、漸く長きに渡って繰り返された内乱はここで幕を下ろすと同時に新たなステージへ進む事になっていた。

 

 

 



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第4話 報酬の行方

 これまで長きに渡って続いた内乱は一瞬にして解決したと思う程にあっさりと現政権は白旗を上げる結果となっていた。

 そもそも今回の内乱で投入された伐刀者の部隊は死者十八名、行方不明者二名のまま幕を下ろしている。しかし、その事実知っているのは日本支部長の黒鉄巌だけだった。

 しかも行方不明者に関しては内閣官房長官の北条時宗の言によって生存は確定している。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 元々現政権だけでなく、与党全体が魔導騎士連盟の加入に関して懐疑的な部分を持っていた。事実、現在の世界情勢はこれまでとは違い大きく変化している。

 日本を中心として国際魔導騎士連盟には旧時代では大国と呼ばれた国の一部は参加せず、自分達が立ち上げた組織を運営している。これに関しては悪い訳では無いが、何かしらの依頼があった際にはトラブルの元に発展する可能性が高かった。

 元々大国ではなく、小規模な国程魔導騎士連盟に対し依頼するケースが多く、今回のケースもまたそれに近い物があった。

 報道では規制によって何も明かされていないが、一方的な全滅は日本にとっては大打撃を受ける事になっていた。その事実が一部の与野党に情報が流れた為に、非公式での国会党首討論会では物議をかもしていた。

 

 負担だけがのしかかる。従来の兵器とは違い、伐刀者は人材であり人財。伐刀者自体の数はあっても戦場に赴くとなれば適性が必要とされる。

 そんな貴重な伐刀者を一気に減らした事は与党にとっては厳しい材料ではあるが、世界情勢や世論からすれば態々負担だけを追う必要は無いとの議論に傾きつつあった。

 本来であれば内乱は現政権の一部の実力者の元でゲリラ一掃を目論んだ結果だが、反政府ゲリラの依頼した相手によってその思惑が完全に覆されていた。

 如何に与党と言えど一枚岩ではない。

 その結果、極秘裏に官房長官の北条時宗の手によって情報漏洩を起こしたと目される一部の政治家は与党の中心から密かにはじき出される結果となっていた。

 

 

 

 

 

「やっぱりニュースには書かれてませんでしたね」

 

「そんな事よりカナちゃん。この状況になじみ過ぎじゃ……」

 

 タブレットで海外のニュースサイトを眺めながら貴徳原カナタは横に置かれた南国特有の果物をふんだんに使用したジュースを口にしていた。

 見た目にそぐわない甘酸っぱさはここの雰囲気にもマッチしている為に、バカンスに来ている。そんな錯覚すら覚える程だった。

 既に内乱からは一週間が経過し、カレンダーは四月に差し掛かろうとしていた。

 本来であれあば、そろそろ学園で新入生に関する準備をしているはず。しかし、今の状況はそんな雰囲気は微塵も存在していなかった。

 ニュースを見ていた貴徳原カナタはこの季節に似合わない様なサマードレスを身に纏い、一方の東堂刀華もまた同じ様にワンピースタイプの大きな花がプリントされた服を着ていた。

 

 

「ですが、私達が出来る事は何も無いですよ。彼等の日程が全てですから」

 

「でも……」

 

「刀華さん」

 

「そう……だね」

 

 カナタに言われた事で刀華は既に諦めの境地へと達していた。一週間前までは混沌とした命のやり取りを戦場でしていたはず。しかし、今の二人の目の前にはそんな事すら虚構だと言わんばかりにリゾートホテルのプールが広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで我々の依頼内容は完遂だ。この後は少しだけ休息を入れて戻るぞ」

 

「小太郎。偶にはあそこに行かないか?」

 

「……そうだな。偶には良いだろう」

 

 カナタと刀華は拘束されたままではあったが、目の前で起こる事実に頭がついていかなかった。

 先程までの命のやり取りとは違い、既に終わったからなのか誰もが厳しい空気を剥がしていた。

 本来であればまだ警戒する必要はあるのかもしれない。しかし、これまでに見た鮮やかな行動がそれを一蹴していた。

 

 

「さて、お嬢さん達。暫くの間、我々に付き合ってもらおうか」

 

 小太郎の言葉に二人は頷くよりなかった。そもそも拘束されている時点で異論を挟む事は出来ない。

 これから連れられる所が一体どこなのかすら分からないままに、只着いて行くだけだった。

 

 

 

 

 

「お待ちしておりました小太郎様。既に用意は済んでおりますので」

 

「そうか。済まないな」

 

「いえ。小太郎様あっての我々ですから」

 

 初老とも取れる執事風の男性に声を掛けられたからなのか、カナタだけでなく刀華もまた驚愕の表情を浮かべていた。

 刀華は気が付かないが、カナタはここがどこなのかを瞬時に理解していた。記憶が確かならここは社交界でもトップクラスの人間しか利用できないリゾート島。

 幾ら財力があろうが審査に通過しなければ利用する事が出来ない事で有名な場所だった。

 しかし、ここと風魔の接点がどこにも繋がらない。既に解かれた拘束だけでなく、この場所にどんな用事があるのかすら判断出来なかった。

 

 

「あの……私達が言うのも何ですが、拘束を解いて反撃し、逃亡するかもと言う考えが無いのですか?」

 

 これまでに見た事が無い光景だったからのか、刀華は思わず疑問を口にしていた。

 自分達がどんな扱いをされるのかが全く予測出来ない状況下でここに連れられている。

 身の安全に対する警戒だけでなく、命を簡単に消し去る様な人間がどうしてここに来たのかを疑問に感じた結果だった。

 

 

「反撃?逃亡?寝言は寝てからにしろ。ここに居る連中は皆が精鋭だ。貴様ら小娘二人の制圧など容易い。それに、ここの従業員もほぼ全員が伐刀者だ。嘘だと思うなら試しに挑むと良いだろう。それとも何か?腕や足の一本程度惜しく無いのであればそうするが」

 

 小太郎の言葉は独善の様にも聞こえるが、自分体が肌で感じる圧力は紛れもなく正しい事を証明していた。

 これまでに来た事があるはずのカナタでさえも、ここの施設を十全に知っている訳では無い。リゾート地である事は理解しているが、まさかこんな施設があるとは思ってもいなかった。

 

 

「そんなつもりではありません。ただ疑問に思った事を口にしただけですので」

 

 カナタは小太郎に関して一定の信頼を置いていた。

 戦場はどんな人間でも過度なストレスをため込む事が多く、また捕虜となった際に、どんな扱いを受けるのかは当然理解していた。

 

 そもそも戦場で捕虜を取るのは良策ではない。最悪は自分達の足枷になる可能性が高く、戦場に於いては役に立たないケースが殆どだった。

 それだけではない。女が戦場で囚われた後の末路は兵士の慰み者になるのがこれまで。幾ら世間や政府が否定しようが、戦場に出た人間であれば、むしろ当然とさえ考えていた。

 カナタも最初は気丈に振舞っていたが、内心ではその感情がいつ自分に向くのかと恐れていた。

 伐刀者とは言え、まだ高校に在学する一学生でしかない。今回の様な特別招集でこれまで戦場に出た事はあったが、自分がこうなるなどと思った事は殆ど無かった。

 そんな中での今回の状況は少なからず自分が戦場で生き残れたのは偶然に過ぎないとさえ考えていた結果だった。

 これまでにゲリラに属する人間からは下碑た視線を向けられる事はあったが、風魔に属する人間からはそんな視線は一度も感じていない。それが結果として一定以上の信頼を置く結果となっていた。

 

 

「ここには暫く滞在する事になる。今回の連盟が派遣した部隊の事実上の全滅は、恐らく国がその事実を隠蔽する事になるだろう。今戻ればそれすらも面倒事になり兼ねない」

 

 小太郎の言葉に今回の舞台裏を垣間見た瞬間だった。

 今回の当別招集は最初こそこれまで同様ではあったが、作戦が開始されてからは徐々に様相が異なり出してた。

 相次ぐ作戦の変更とそれに伴う部隊の再編。突如として変わった命令系統。今思い出せば違和感だけが残る結果。それはカナタだけでなく刀華もまた同じ事を感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、あれの交渉はどするつもりなんだ?」

 

「あれとは?」

 

「友人の件だ」

 

 周囲がリラックスしている傍らで、青龍は小太郎と例の救出に関する報酬の件で話し合っていた。

 元々貴徳原からの依頼は自分の娘の救出依頼であると同時に出来高払いだったからなのか、今回の報酬に関しては珍しく後払いとなっていた。

 傭兵である以上、報酬の回収は必須。青龍の目から見ても幾ら貴徳原とは言え、友人に自分が依頼した金額以上の報酬を出すとは思えなかった。

 

 

「その件ならばある程度の話は既にしてある。後は相手がどう考えるかだ。どちらに転んでも我々に損は無い」

 

「そうか……なら良いが」

 

 小太郎の言葉が絶対だったからなのか、青龍はそれ以上の言葉を出す事は無いままに、現在の国内の情報を確認していた。

 本来であれば伐刀者の派兵は殆どがニュースに取り上げられる事が多い。既存の戦力を意図も容易く打ち破り、如何な兵器とて役には立たないと言うイメージを植え付けるからなのか、小隊程度の出動であっても取りざたされていた。

 しかし、今回の依頼に関してはそんな事実はどこにも無い。どれだけ確認しようが、そんな痕跡すら無いままだった。

 

 

「で、帰国してからはどうするんだ?」

 

「その件に関しては既に問題無い。後は時間だけが解決する事になるだろう」

 

 任務とは違いこの場には親子としての会話だったからなのか、何時もとは違った表情を浮かべた小太郎に青龍は僅かに疑う事を覚えていた。

 元々風魔はこれまで単独で大きくなった組織では無い。戦国の世から太平の世となった際、一度は断絶の寸前にまで落ち込んでいた。

 平和な世界に騒乱の元は不要でしかない。事実、一部の人間以外は時の権力者から迫害された事実がそこに存在していた。

 

 それは風魔だけではない。伊賀者の中忍以下、甲賀者、甲州素破、軒猿など平和になってから恩恵を受けたのは一部の上忍だけ。それ以外の者は全て切り捨てられた経緯があった。

 そんな人間をまとめ上げたのが自分達の祖先とも言える当時の風魔小太郎だった。

 元々小太郎の名は襲名する物でもあり、風魔の棟梁としての名でもある。

 破壊と暴力だけでなく、権謀術数にすら長けた人間が初めて成れる称号。幾ら自分の実の親だとしても小太郎の名を冠する以上、言葉を額面通りに受け止める事は出来なかった。

 

 

「時間ね……で、あのお嬢さん達はどうするんだ?」

 

「取敢えず磨いてからだ。その方がありがたみがあるだろう」

 

 どこか嬉々とした表情を見た様にも思えるが、こんな顔をしている時の小太郎は碌な事をした事がない。

 それはこれまでに小太郎に関わってきた人間であれば誰もが理解していた。それ故に青龍もまたそれ以上の事は口にはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではこちらにどうぞ」

 

 穏やかな笑みを浮かべた女性の前にカナタだけでなく刀華もまた困惑していた。

 ここに来た当初は汚れた軍服のままだったが、気が付けばそれらの服は全て処分され、現在に至っていた。これから何が行われるかを正しく理解しているのはカナタだけ。

 同じく連れて来られた刀華はただ困惑だけしていた。

 

 

「では、ここからは私達がさせて頂きますので」

 

「あの……これから何を……」

 

 途中でカナタと別れたからなのか、刀華の困惑はピークに達していた。

 呼ばれた際に用意されたのは一枚の薄いタオル地のガウン。着替えはしたものの、何が起こるのかすら分からないままだった。

 これが自分の見知った場所で無い為に、一瞬だけ霊装を取り出そうとする。

 しかし、そんな気配すら察知されたからなのか、刀華は自身の『鳴神』を呼び出す事は出来なかった。

 

 来た当初に小太郎が放った言葉が蘇る。穏やか笑みを浮かべる目の前の女性は明らかに自分達よりも上の存在。まだ風魔と対峙する前であれば自身のBランクがどれ程のレベルなのかを誇る事もできたのかもしれない。

 しかし、今となってはそんなランクに何の意味も無い事を無理矢理教え込まれた気分だった。

 そうなれば既に抵抗するのが空しくなってくる。だからなのか、これから何が行われるのかだけは確認しようと女性に訊ねていた。

 

 

「我々が依頼されたのは貴女様を磨く事だけです。それ以上でもそれ以下でもありませんので」

 

「磨……く?」

 

「はい。それでは開始しますので」

 

「ひっ!」

 

 漠然とした言葉だったからなのか、刀華は気が付くとガウンを一気に脱がされると同時に暖かいオイルを全身に塗られていた。

 これまで自分の経験の中でされた事が無い行為。同じ女性だった事もあったからなのか、下着はショーツ一枚の姿でそのまま用意されたベッドに横たわるしかなかった。

 敵意を感じないからなのか、今は何も考える事無くそれを受け入れる選択肢を取っていた。

 ゆっくりと動く手は背中を最初に肩や腰、大腿へと全身をくまなく解きほぐしていく。

 戦場で溜まった疲労感だけでなく、緊張によって凝り固まった筋肉はアロマオイルの効果がもたらしたからなのか、刀華は少しづつ夢現の状態へと陥っていた。

 

 

 

 

 

「ではこれで終わらせて頂きますので」

 

「ふぇ……」

 

 僅かに漏れた声と同時に漸く終わりを告げられていた。気が付けば全身が言われた様に磨かれているのか肌に艶がある。

 改めて着替える為に用意された服は明らかに先程までのそれとは明らかに異なっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらにどうぞ」

 

「あ、はい……」

 

 僅かに引かれた椅子に座ると、同じく自分と同じく着替えたカナタもまた隣の椅子に座っていた。改めて見れば先程まで来ていたサマードレスではなく、胸元が開いたフォーマルなドレス。髪型すらも整えられたからなのか、何時もとは違う雰囲気が醸し出されていた。

 同じテーブルに用意された椅子は全部で五脚。未だ来ていないからなのか、空席の椅子を見ながらも刀華はカナタに疑問をぶつけていた。

 

 

「ねぇカナちゃん。これって一体……」

 

「私も分かりません。ですが、ここに来てからは何かしらの意図があるのは理解出来ますが、それが何だと言われると私にも……」

 

 刀華と同様にカナタもまた疑問だけしかなかなかった。

 自分達の待遇がここに来て急激に良くなっている。何か思惑がある事は分かるがその意味が理解出来ない。

 自分達が一体何の為にこうしているのかは誰の口からも語られていない。精々が『お待ちしておりますので』の言葉だけだった。

 どれ程の時間が経過したのだろうか。気が付けば空席を埋めるかの様に三人の男性がここに来ていた。

 

 

「待たせて済まなかった」

 

 男性の声に気を取られたからなのか、振り向いた先には二人の男性が正装し、もう一人の男性はスーツを着ている。そんな姿を見て最初に驚いたのはカナタだった。

 本来であればこんな場所に来るはずが無い人物。自分の父親でもあった貴徳原財団の総帥。まさかの人物に珍しく驚きの表情を浮かべていた。

 

 

「お父様。どうしてここに!」

 

「そう驚くな。今回の件はこちらが依頼した結果だ。まずは座りなさい」

 

 父親の登場にカナタだけでなく刀華も驚いたままだった。

 本来であれば貴徳原財団の総帥がここに居るはずがなく、また面会をするにも埋まったスケジュールの先となれば確実に数カ月先でなけば面会すら不可能とも取れる程だった。

 勿論ここに居るはずが無い人物が居れば驚く以外の選択肢は存在しない。自宅ならまだしも、こんな場所に現れた事自体が異常でしかなかった。

 

 

「分かりました」

 

「お見苦しい所恐れ入ります。小太郎殿」

 

「いえ。今回の件で依頼された以上、我々としても全力で保護するのは当然の事ですので」

 

 父親に気が行っていたからなのか、改めて正装した人物に二人は視線を動かしていた。

 先程の言葉が正しければ、この男性が風魔小太郎である事に間違いは無い。しかし、もう一人が誰なのかが分からないままだった。

 

 

「青龍。挨拶だ」

 

「お二人には、いえ、総帥も併せて初めてお目にかかります。今回の作戦の実行を担当した青龍です。この場ですので、名前ではなくコードネームとさせて頂きます」

 

 青龍の言葉にカナタだけでなく、刀華もまた同様に反応を見せていた。

 仮面を付けていた為に詳細は分からないが、戦場で小太郎と同様に苛烈に攻撃した人物でもあり、自分達を捕縛した直接の人物。

 年齢は分からないが、どう見ても自分達と同年代にしか見えなかった。

 戦場での荒々しい言葉ではなく、しっかりとした言葉で自己紹介するそれは全くの別人の様にも見える。青龍と名乗らなければ小太郎のお付きの人物にしか思えなかった。

 

 

「まずは食事でも如何かな」

 

 小太郎の言葉に既に用意されていたからなのか、背後から給仕達が一斉にテーブルに料理を置いて行く。

 オードブルの皿が全員に行き渡った事を確認したからなのか、用意されたシャンパンを皮切りに五人だけの食事会が開催されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このたびは真に感謝以外の何もでも無い。無理を引き受けてくれた事に感謝します」

 

 食事会が終わり、別室へと移動した瞬間だった。これまで殆ど細かい話をしてこなかった貴徳原の総帥が頭を下げ感謝していた。

 

 

「我々は依頼を遂行しただけですから。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

「ですが、本来であればそちらの依頼内容にも大きく影響が出たはずでは……」

 

 突然の自分の父親の行動にカナタは驚きながらも様子を伺っていた。

 そもそも依頼の意味が理解出来ない。自分の父親がここに居る以上、何らかの依頼があった事だけしか分からない。

 聞きたい事は山の様にあったが、一先ずは全てを聞いてからにしよう。そんな思いがそこにあった。

 

 

「今回の依頼内容と相反する内容では無かったから受けたまでの話。我々は傭兵集団故に報酬によってお互いの利害が一致しただけに過ぎませんので」

 

「そうでしたな。ですが、風魔と呼ばれた貴方方とこうやってめぐり合わせ出来た事は私にとっても望外の幸運。これを機に是非お付き合いを考えたいと思っています」

 

「それは今後の内容にもよりますので」

 

 どれ程の時間が経ったのか、今回の依頼内容の全貌がここに来て漸くカナタだけでなく刀華にも理解出来ていた。

 今回の内乱に関しては不明だが、どうやら風魔が反政府軍に合力する事を掴んだからなのか、自分を助命する為に依頼した事実に驚きを覚えていた。

 風魔が請け負った依頼の達成率はほぼ100%。

 余程の内容でない限りはその結果は約束された物だった。もちろん傭兵である以上、金のやりとりは必ず付いて来る。

 既に聞き及んでいたからなのか、小太郎は差し出された小切手を確認し、封筒に入れる。そのまま隣に居た青龍へと渡していた。

 

 

「確かに受け取りました。ここでの費用は我々からのサービスです。明日には戻れる手配がしてありますので。ですが、一つお聞きしたい。今回の費用に関してはオプションが付いている。その件に関してはどうするおつもりで?我々は第三者からの払いは受け取りませんが」

 

 小太郎の言葉にカナタは漸くここに刀華も同席させた理由を理解していた。

 あの時提示された金額は二億。しかも先程の言葉をまともに受け取れば財団ではなく、カナタ自身が払う事になる。先程までアルコールが入っていた為に熱を帯びた身体が急に寒くなる。

 それが何を意味するのかを刀華はただ黙って見守るしか無かった。

 

 

 

 

「ちょっと待ってください。それならカナちゃ……カナタではなく私の責任です!」

 

 自分の助命依頼を聞き及んだ刀華は思わず立ち上がっていた。

 そんな依頼が裏であったとは思ってもいなかったが、まさか自分の大事な友人がそんな契約を交わしているとは思ってもいない。

 当時の状況がどんな物なのかは分からないが、自分の命と親友の人生を天秤にかける事が許される行為では無い事だけは感じ取っていた。

 

 

(さえず)るな小娘。これは我々が交わした契約だ。一々口を挟むな」

 

 これまでの紳士然とした小太郎は既に居なかった。そこにあるのは戦場で相対したそれそのもの。静かに気圧された圧力に刀華はそのまま勢いを無くしたのか、力なく椅子に座る。

 既に先程までの緩やかな空気は一気に冷たい物へと変化していた。真剣が自分の首筋に当てられたかの様な圧力に、刀華はそれ以上の言葉を告げる事は出来なかった。

 

 

「では改めて問おう。貴徳原カナタよ。以前にも言ったが、我々が動いた報酬はどうやって払うつもりだ?まさか自分の親を当てにしていた訳ではあるまい?」

 

「もちろんです。私も自分の意志決めた以上、それを覆す様な真似はするつもりは有りません」

 

 明確な意志を持ったカナタの視線は小太郎を射抜くかの様に鋭い物となっていた。

 元々依頼したのは自分。それがどんな結果をもたらすのかは知らない訳では無い。

 自分の親に頼ると言った考えはあの時は微塵も無かった。純粋に助けたい。それだけが自身の願う事だった。

 

 

「では、報酬を頂こう」

 

「その件に関してですが、お願いがあります」

 

「報酬の減額は認めんぞ」

 

「それは当然です」

 

「では、願いとは何だ?」

 

 小太郎とカナタのやりとりに刀華はただ見る事しか出来なかった。元を正せば自分の実力が無かった事が起因している。

 仮に自分に実力があれば今頃こうなっているはずがない。そんないたたまれない気持ちだけが先行していた。

 

 

「私はまだ学生の身です。まともに考えれば自身の能力で財を成す事は不可能とも取れます。貴徳原財団はあくまでも父親が管理する物であって、私の所有物では無い。せめて時間の猶予を頂きたいのです」

 

「ほう……」

 

 カナタの言葉は誰が聞いても暴論にしか聞こえなかった。

 事実、隣に座っていた青龍は既に殺気が漏れだしている。言葉一つ間違えればここに居る人間は血の海に沈む事は確定だった。

 今回の本来の報酬は既に風魔の手に渡っている。このまま会話が続くのであれば命を消し飛ばせば契約は存在しなくなる。そんな明確な意志が殺気に混じっていた。

 一方で殺気に気が付いたからなのか、刀華もまた臨戦態勢に入りつつある。間違い無く自分の命だけなくカナタの命も消し飛ぶ可能性は高い。

 カナタの言葉と同時に部屋の空気は氷点下に落ち込むかと思われていた。

 

 

「お父様。私からお願いがあります」

 

「何だね?」

 

 突然の言葉に部屋の空気が僅かに緩む。しかし、お互いの視線の刃は既に向けられたまま。何時でも飛び出す可能性があるかなのか、今はカナタの言葉を待つより無かった。

 

 

「先程の言葉の通りです。このままでは卒業後に直ぐにお相手に迷惑がかかります。今進んでいる縁談の件ですが、時間の猶予は頂けませんでしょうか?」

 

「相手にはどう伝える?まさか借財があるから待ってくれと?」

 

「それには及びません。私の言葉で直接話をします」

 

 カナタの言葉に刀華は疑問だけが浮かんでいた。自分の身の上の話と今の報酬の話が全く繋がらない。疑問が疑問を呼んでいるからなのか、その視線はカナタへと向けられていた。

 

 

 



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第5話 驚愕の事実

 ヘルメットのバイザーに映った景色はまるで融けるかの様に横へと流れていた。

 迫り来る車はまるで停止しているパイロンの様にこちらへと迫ってくる。

 余りにも違い過ぎる速度差は高速道路を走る乗用車を瞬時に後ろへと置き去りにしていた。

 モーターを使用しているからなのか、二輪車特有のエンジン音や排気音は何も聞こえない。ヘルメット越しに聞こえるのはバイクに取り付けられたカウルが大気を切裂く音と同時に、タイヤが道路から発生さえるロードノイズだけだった。

 

 

「これなら実用性も高そうだな」

 

《そうか。取敢えずは試験走行だ。こける様な事をして大破させるなよ。それと速度を出すのは勝手だが、警察には捕まるな。後々面倒になる》

 

「もっと早く言ってくれればこんな事にはならないと思うんだが。で、目的地ではやっぱりやるのか?」

 

《当然だ。その為に北条に頼み込んで無理矢理ねじ込んだんだ。無様な真似はするな》

 

「……了解」

 

 ヘルメットの内部に取り付けられ機材から聞こえた通信が切れると、バイクに乗った青年は改めてアクセルを吹かすかの様に、今の速度から更に加速を続けていた。

 メーター速度は既に220キロを示している。そんな速度域から加速を更にするべくモーター音が僅かに高く聞こえた瞬間、そこにあった全ての景色を置き去りにしていた。

 

 

 

 

「ここがそうか……無駄にデカいな」

 

 青年が乗ったバイクが向かった先は国内でも七つしかない伐刀者育成専門機関の一つ『破軍学園』。

 音も無く止まったバイクを確認したからのか、黒いスーツを着た一人の女性が出向かえていた。

 

 

「ようこそ……と言いたい所だが、生憎と今回はイレギュラーなんでな。来て早々に済まないが、この後試験を受けて貰いたい」

 

「試験?そんな事は聞いてないが」

 

「そうか……だとすれば連絡の行き違いかもしれん。話しは聞いているが、無条件でここに向け入れる訳には行かないんでな」

 

 青年の言葉など意に介さないとばかりに、麗人と言う言葉が似合いそうな女性は背後を振り返る事無く真っ直ぐに目的地へと歩いていた。

 背後から見るその姿に歪みや隙は一切感じられない。元々青年がここに来たのは偏に少し前にあった内乱の報酬回収の件が事の発端だった。

 当初は辞退も考えたものの、報酬が事実上のゼロでは何かとトラブルが起こる可能性が出てくる。そんな事を言われた事が最初だった。

 半ば強引ではあったが、報酬額を考えればそれは当然の話。

 前を歩く女性を眺めながらも青年はこれから起こる事をどうした物かと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、時間をくれとは具体的に何時までを示すつもりだ?時効などと戯けた事を言うつもりはあるまい?」

 

「せめて在学中ではなく、卒業して一年以内ではどうでしょうか?」

 

「都合二年待てと?随分と悠長な期間を提示したな。算段は立っているのか?」

 

 小太郎の言葉は完全に冷え切っていた。

 口約束とは言え、強引に取り付けた契約を一方的に延期しろなど、明らかに暴論である事は誰もが理解していた。

 そもそも、この場で刀華の首を撥ねればカナタからの依頼は無かった事になる。だからと言って、誰もがそれを望んではいない。しかし、目の前に居る小太郎から迫るプレッシャーを跳ね返すには並の胆力では不可能だった。

 精神的に冷たくなる部屋の空気は一向に変わる気配は無い。今出来る事はカナタの考えを待つ事だけだった。

 

 

「無い訳ではありません。今この場で良い案が浮かぶとは思っていません」

 

「ほう。無策だと……」

 

 小太郎の言葉にカナタだけなく刀華もまた、立つ事さえ厳しい程のプレッシャーを全身に浴びていた。無意識の内に足が小刻みに震えている。

 一触即発。ここから先の答弁は、まさに切れそうな糸を綱渡りする様な物だった。

 

 

「小太郎殿。少しだけ良いだろうか?」

 

「これは総帥。先程も言ったが、当人からの報酬が契約の全て。まさか口出ししようとは思っておらぬだろうな」

 

「いえ。このままでは一介の高校生が払える額ではない。我々としても不払いである事が周囲に広がれば信用を無くしかねない。そこでですが……」

 

 総帥が提案したのは、今回の報酬に関しては在学中に払う場合のみ正規の金額とし、一年の猶予期間での場合は倍額にすると言う提案だった。

 事実上の保証人となる為に報酬の回収は確定している。風魔側からすれば今回の内容は破格とも取れる内容だった。

 

 

「なるほど。それならば良いだろう。青龍、丁度お前も近い年齢だ。監視ついでに学校に通え」

 

「はぁあああ!何馬鹿言ってんだ。冗談も休み休み言えよ!何で俺が!」

 

「これは我々と貴徳原財団との正式な契約だ。それにお前はどのみち学校に通わせる予定だったんだ。だとすれば丁度良いだろう」

 

 小太郎と青龍の言葉の応酬にカナタと刀華は少しだけ呆けていた。

 先程の言葉の意味が正しければ、青龍と呼ばれた青年は自分達と同年代かそれに近い年齢でしかない。ましてや自分達は生徒会の役員をしている以上、学園の内部の事には精通している。

 既に応募はおろか、試験すらも終わっている今、どうやって学園に送り込むのか理解出来ないままだった。

 

 

「こんな時期に試験も何も無いだろう。どうやって?」

 

「無論、手は打つ。やる事に抜かりは無い」

 

 小太郎の言葉に絶句したのか、青龍はそれ以上反論した所で無駄だと悟っていた。

 既に風魔として決定した以上、反論の意味はどこにも無い。行けと言われた以上、青龍は任務だと割り切るより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に宜しかったのですか?」

 

「ああ。倅にも少しは世間を見せん事には今後困る事になりかねん。元々予定していた事だ。そちらが気にする必要は無い」

 

 全員が退出した際に、小太郎と総帥だけがこの部屋に残っていた。

 あの時点ではそう言ったものの、既に報酬の件は総帥がここに来るまでに話合いが終わっていた。

 今回用意された小切手にはその金額も含めた額が記載されている。確認後、封筒に入れた為に渡した総帥と受け取った小太郎以外に確認は出来なかった。

 

 

「ですが、我々としては今回の件に不利益はどこにもありませんが?寧ろ利益だけの様にも思えます」

 

「いや。我々も元より計画があった。そちらの話があったから渡りに船だと判断しただけだ。それと、箱を用意したのであればそれで構わんさ」

 

 ここに来るまでに極秘裏に話合いが行われていた。

 元々貴徳原個人として、風魔との繋がりがどんな意味を成すのかを一番理解していた。

 絶対的な暴力装置として風魔の名は絶大だった。純粋な暴力だけで言えば、『解放軍』も同じ様な物。しかし、風魔に関しては犯罪行為が表沙汰にされる事は一度も無いままだった。

 

 裏の世界でのイメージが絶対的な暴力であると同時に、政財界では権謀術数に長けた集団の認識が強い。

 事実、内閣官房長官でもある北条時宗が政治の場に出てからは、全ての選挙でダントツでの当選をしているだけでなく、風魔との付き合いが囁かれているからこそ色々な意味で一目置かれている。

 現に内閣閣僚の殆どは北条に対し、妬みを持つ事すらない。自身の能力だけでなく、その情報収集能力によって、これまで内閣の危機や各自のスキャンダルすらも解決している。

 その結果、野党が個人攻撃をする材料はどこにも無く、現政権はそれなりの長期政権となっていた。

 

 今回の依頼に関しても貴徳原財団としては分が悪い賭けではあったが、お互いが協力するからとの一致によって仲介されていた。

 そんな中で偶然とは言え、直接的な付き合いが出来るチャンスを財団の総帥としては見逃すつもりは毛頭無い。

 今回の件に関しても知らない者からすれば一触即発だが、知る側からすれば只の茶番劇でしかなかった。

 

 

「そう言えば、娘のカナタだったか。相手は確か欧州かどこかの実業家では無かったのか?」

 

「よくご存じで。我々も利益を追求するのは当然ですが、今回の縁とそれを天秤にかけるには余りにも釣合いが取れません。あの程度の規模の人間を縁戚を付けなかったとて、我々の基盤が揺らぐ様な事はありませんから」

 

「そうか……そちらがそれで良いと言うのであれば我々には関係の無い話。今後の厄介事の種にならないのであればそれで良いだろう」

 

「そう言ってもらえれば助かります。それと……例の件ですが、こちらからの圧力をかけるのは吝かではありますが、出来ればそちらからも助力して頂ければ助かります」

 

「成程……その件に関しては承知したとだけ言っておこう」

 

 誰も居ない部屋では二人で酒を酌み交わしながら談笑していた。

 元々お互いの接点が無いとは言え、何も知らない訳では無い。そんな二人だからなのか、お互いが利になる事だけを優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破軍学園理事長の新宮寺黒乃は背後に歩く青年の姿を察知しながらも、険しい表情を浮かべながら歩いていた。

 元々昨年の十月より既存の教員全てを一旦解雇し、詳細を確認した後に再雇用する事で今の体制へと作り上げていた。

 そこにあるのは純粋な伐刀者としての能力だけを考えた選考基準がある。そんな状況だからなのか、背後を歩く青年の事を聞かされた際にはかなりの反抗をしていた。

 

 

「何故、今頃になってそんな話しが出るのですか?いくら月影先生とは言え、横暴がすぎます」

 

「いや。君が決めた選考基準に対し、何か言いたい訳じゃない。ただ、我々が推薦したい人物の審査をしてほしいだけだ」

 

「ですが、今の時期では既に何も出来ません。幾ら先生が推薦したと言っても、他がどう思うのかは分かるはずです。それに、横槍によって入学したと分かれば今後の学園の運営にも支障が出ます」

 

「それには及ばん。彼の実力は折り紙付きだ。そんな戯言が起こるはずもない」

 

 入学間近の学園内はこれから部屋決めをするだけでなく、黒乃自身の尽力もあってか、とある公国からの留学生の獲得に成功していた。

 ここ数年の破軍の成績は衰退の一途を辿っている。このままでは地に堕ちたままだと判断したからこそ、黒乃が理事長になった際には一切の口出しはしない事が前提だった。

 しかし、そんな前提は月影と呼ばれた人物からの連絡で容易く崩壊する。それが一人の生徒の入学試験を半ば強引に受けさせる事になった全ての原因だった。

 

 

「確か、君は……」

 

「自己紹介がまだでしたね。風間龍玄(かざま りゅうげん)です」

 

「風間か……一つ聞きたいが、いつ今回の事を知った?」

 

 黒乃が確認するのは当然だった。こんなイレギュラーな事を早々認める訳には行かないのと同時に、今回の試験に関しては取り敢えず受けさせるだけ受けさせて審査の結果、不可だと告げるつもりだった。

 合格基準に満たないのであれば、幾ら横槍を入れようと実力不足の一言で切り捨てる事が出来る。それならばお互いに角が立たないだろうと判断した結果だった。

 もちろん一方的に下した所で内容が外部に漏れなければ確認のしようが無い。だからなのか、風間と名乗った青年にいつ聞かされたのかを確認していた。

 

 

「昨晩です」

 

「そうか、昨晩……待て。昨晩だと?」

 

「ええ。それが何か?」

 

 簡単に答えた風間の言葉に黒乃は頭が痛くなりそうだった。幾ら何でも前日に試験だと言われれば準備する時間すら無い。

 ここは国が認めた伐刀者の養成学校。実力が無いとなれば全く意味を成さないだけだった。

 

 

「いや。通常であれば前もって準備などすると思ったんでな」

 

「……成程。だが、自分はここに居る。それ以上は何も言いようが無いのでは?」

 

「ふっ。違いない」

 

 この時点で黒乃はこの人間を不合格にしようと考えていた。口ではああ言ったが、こんな状態で何が出来るのはタカが知れている。今回、試験を受けさせるに当たっては一つだけ条件があった。

 能力を測定するのではなく、あくまでも実戦形式。伐刀者ならばそれが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「さて、今回の試験に関しては能力の測定ではなく、実戦形式とさせてもらう。既に入学に関する手続きが全て終わっている以上、それなりに実力を示す必要があるからな。因みに今回の対戦相手はここの職員だ」

 

「ほう……貴女では無かったんですね。てっきりそうだと思ったんですが」

 

「冗談も休み休み言え。こっちはそれどころでは無いんだ。時間も勿体無い。直ぐに始めるぞ」

 

 風間の言葉に黒乃は内心鼻で笑っていた。今は一線から身を引いているが、『世界時計(ワールドクロック)』と当時呼ばれたその実力は伊達ではない。

 自分の事を知らないが故なのか、それとも大言壮語とばかりに口を開いたと判断したからなのか、それ以上の関心を持つ事は無かった。

 アリーナは今回の件で関係者以外は全てシャットアウトしている。

 元々入学試験であるとは公表していない。仮に野次馬が居た場合、何かと面倒になるからと判断した結果だった。

 黒乃はゆっくりとアリーナの観客席へと移動する。既に準備が済んでいるからなのか、職員もまた戦闘モードに入っているのか、今はお互いの姿だけがそこにあった。

 

 

 

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 

 

 

「来い。風神」

 

 青年の言葉に導かれるかの様に固有霊装でもある篭手が両腕に現れていた。

 見た目は何の装飾も無いからなのか、気になる様な外見ではない。既に装備した事を確認したのか、開始のアナウンスが無機質にアリーナに鳴り響いていた。

 

 既に職員は自身の固有霊装を装備していたのか、5メートル程あった距離を一気に詰めんと疾駆していた。霊装は西洋のククリナイフの様に刀身が若干湾曲気味になっている。

 アナウンスされてからも動く気配が無かった風間龍玄と自己紹介した青年は未だ動く事は無かった。

 

 対戦相手の職員は既に手加減をするつもりが無いからなのか、その行動と攻撃するであろう箇所に僅かながらに殺気が混じっていた。何を言われたのかは分からない。しかし、迫り来る刃を見て龍玄は動く素振りは微塵も無かった。

 神速とまでは行かないものの、教員をするに相応しい攻撃は周囲の反応を見るまでも無かった。一撃必殺。まさにその言葉が体を成すかの様に龍玄に向けられていた。

 

 

「所詮はこの程度か。つまらん」

 

 首筋に向かう刃を躱す事無く龍玄は来るであろう軌道へと手を動かすに留めていた。

 対戦相手の視線や筋肉の動き。何よりも隠すつもりが無い殺気が何処を攻撃しようとしているのかを雄弁に語っていた。

 態々動くまでも無い。自身が経験してきた中では下から数える程度の攻撃は生温いとしか言い表せない程度でしかなかった。

 

 首筋に迫る斬撃はその瞬間、目標から大きく逸脱していた。左拳で往なされた攻撃によって職員の態勢が大きく崩れる。

 力が籠っていたからなのか、攻撃のベクトルは大きく変化していた。

 完全に死に体となったからなのか、こちらの攻撃を躱す術は既に失われていた。態勢が崩れた隙を態々見逃す道理は無い。半ばカウンター気味に鋭い右拳はそのまま職員の胴体へと向かっていた。

 一撃必殺の拳は相手の肝臓の部分へと突き刺さる。元々幻想形態での戦いではあったが、衝撃までもが完全に消えた訳では無い。

 無防備な体内を貫く衝撃は内臓を護るための肋骨を砕き、容易く肝臓を破裂させる。周囲から見ればすれ違いざまの攻撃にしか見えなかった。

 

 

「あんた、このままだと死ぬぞ」

 

 龍玄の目の前には職員が立ち上がる事が出来なかったのか、腹部を押さえながら激しく吐血していた。一撃の下に喰らった攻撃の影響なのか、それとも意識を飛ばされたからなのか、龍玄の言葉に返事が無い。

 これ以上は無駄だと悟ったからなのか、この戦いを見ていたスーツの女性。新宮寺黒乃に改めて口を開いていた。

 

 

「このままだとこいつは死ぬが良いのか?所詮は試合中の事故だ。俺はどっちでも良いが?」

 

「何だと?」

 

 龍玄の言葉に理解が追い付かなかったからなのか黒乃は改めて職員の様子を確認していた。

 横たわった先では吐血の影響なのか、鮮血が飛び散っている。確かにこれならば重症である事に違いは無いが、死の言葉の意味が分からないままだった。

 

 

「肝臓が破裂してるぞ。このままなら出血死するが良いのか?」

 

 龍玄の言葉に黒乃は改めて職員の顔を覗き込んだ。既に出血量が体内で激しいのか、顔色は既に土気色となり出している。このままでは助からない。そんな思いが黒乃自身の固有霊装を取り出していた。

 周囲の時間が止まったかの様に動かなくなっている。それと同時に医療チームも出動させたのか、その後すぐに職員を運んでいた。

 沈黙がアリーナを覆っている。そんな中で一人の女性の声だけが響き渡っていた。

 

 

 

 

 

「いや~折角面白い物が見れたと思ったのに……間に合わなかったか」

 

 声だけ聴けばまだ二十代。誰も居ないと思われたはずの会場に響く声は完全に想定外だったからなのか、黒乃は思わず振り向いていた。

 

 

「寧音。どうやってここに?」

 

「嫌だね。ちょっと面白い話を聞いたからここに来たんさね。それにしても、君は一体………え?……嘘……なん…で……」

 

 黒乃の言葉に返事をするかの様に寧音と呼ばれた着物を着崩した女性は対戦相手の男を見た瞬間だった。

 先程までの軽口を発する事は既に出来ない。こんな場所に居るはずが無い人間が居たからなのか、それ以上の言葉が出なかった。

 

 

「ちょっと用事を……」

 

 それと同時に、直ぐに来た道を戻ろうと出口に向かって走り出す。

 時すでに遅し。そんな言葉がピッタリの状況だった。

 

 

「西京寧音だな。こんな所で油を売ってるとは手間が省けた」

 

 寧音の姿を確認した瞬間、龍玄はこれまでに見た事が無い程の速度で寧音との距離を詰めていた。

 瞬間移動したのかと思う程の速度で寧音の着物の襟首をつまみ上げる。突然の出来事に冷静なはずの黒乃は珍しく呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「詳しい話を聞かせて貰おうか」

 

 黒乃はこめかみに青筋を立てながら寧音に強い視線を向けていた。この風間龍玄と名乗った青年と、どんな付き合いがあるのかは何も知らない。しかし、先程の交戦と寧音を捕獲した際の移動速度は、数ある伐刀者を見てきた黒乃に取っても異常としか言えなかった。

 

 

「うちのプライベートなんか聞いてどうするのさ」

 

「それが関係してるのであれば聞くのは筋だろう。事実、この男は今年の新入生だ」

 

 黒乃は審査と言いながらも寧音を捕獲した時点で合格である事を認識していた。

 現A級リーグ三位は伊達では無い。戦いの場では無いにしてもこうまで簡単に捕獲するのは並大抵の技量では不可能でしかない。

 既に逃亡防止の手錠を龍玄によってかけられたからなのか、寧音は不満を隠す事無く黒乃と話をしていた。

 

 

「しゃーねーなー。くーちゃん、ラスト・リゾートって知ってる?」

 

「ああ。それがどうかしたのか?」

 

「実はうち、あそこの会員なんよ。で、今回ちょ~っとだけ忘れてて年会費と一部の支払いをしてないんさ」

 

「お前ならそれ位の払いが出来る程の金ならあるだろ?」

 

「まぁ、そうなんだけど。ちょっとここん所忙しくてね」

 

 寧音の表情には悪気は無かった。踏み倒すつもりは無かったが、時間の都合で間に合わなかっただけの話。

 しかし、それとこの青年とのつながりが何処にも無い。未だ関係性が見えない話に黒乃は痺れを切らしたのか、龍玄に単刀直入に聞いていた。

 

 

「で、どんな意味があるんだ?」

 

「おい寧音。お前、もう手配書の手前だぞ。忘れたなんて言い訳が通じると思ってるのか?」

 

「そ、そんな事無いさね。ちょっとした手違いなんだって」

 

「そうか。だったら親父の前で同じ事が言えるんだな。惜しい人物を亡くすとはな……実に残念だ」

 

 黒乃の質問を完全に無視したのか、龍玄はそのまま寧音に話を続けていた。

 龍玄の言葉に寧音の顔色は一気に青褪めていた。ラスト・リゾートは完全会員制の施設なだけではない。

 完全に秘匿された空間が故に一部のVIPしか利用する事が不可能だった。

 会員は個人に対して発券される為に、幾ら身内でも利用は出来ない。今回、龍玄が動いたのはオーナーでもある小太郎からの命があっての結果だった。

 勿論、会員は誰がオーナーなのかを完全に理解している。風魔を相手に逃げ切れるなどと懸想を抱く者は誰も居なかった。

 既に名前が遠回しに出た以上、寧音にとっては死刑宣告にも等しい。ここは直ぐに支払って回避する以外に何も出来なかった。

 

 

「……因みに期限は?」

 

「今直ぐだ。無理なら口座を差し押さえると同時に会員権の資格は剥奪になる」

 

「ちょっと……直ぐに払うから!」

 

 黒乃の言葉を無視してまで行われたやりとりは既に怒りの沸点を超えていた。

 元々気苦労の根源でもあるこの友人は、黒乃にとってもかけがえの無いはず。

 しかし、あまりにもずぼら過ぎたやり取りに頭が痛くなる方が先だった。

 

 

「お前ら、漫才はその辺にしろ。で、こいつとはどんな関係なんだ?」

 

「あれ?知りたいんだ。そっか~」

 

「二度目は無いぞ」

 

「………」

 

 黒乃の言葉に寧音は珍しく悩んでいた。本来であれば風魔の名がどんな意味を持つのかは業界内では常識だった。

 仮にうっかりと漏らそう物ならば自分の命が対価となる。幾らA級リーグに所属する者としても勝てるビジョンは全く無かった。

 そんな葛藤をしながらも寧音は龍玄に視線を向けていた。既に退路は何処にも無いが故の結果。

 それを察したからなのか、龍玄もまた溜息を吐きながら黒乃へと話す事を決めていた。

 

 

「あんた確か理事長さんだったな。風魔の名は知ってるな?」

 

「……ああ。それが?」

 

「ならばそれが答えだ」

 

 風魔の名が出た瞬間、黒乃は激しく後悔していた。

 自分達を知ろうとするのであれば身内以外には知らせるつもりは無い事は裏事情に多少でも知っているならば常識だった。

 単独での戦力であれば何とかなるかもしれないが、厄介なのは、自分以外の人間でさえも関係者と認識されれば簡単に的にする点だった。

 

 一族郎党を完全に消し去るやり方は完全な見せしめだけでなく、その恨みを絶やす事が目的となっている。

 幾ら一騎当千の実力があったとしても、それは自分だけであって、周囲までもがそうではない。自身が関与して人間が次々と消え去れば、当人は罪悪感に苛まれる。そんな集団だからこそ裏の世界では絶大だった。

 『解放軍』の様に自分の身勝手で行動するのではなく、一つの意識の下に統率された集団は、確実に自身を付け狙う。

 犯罪の度合いからすれば『解放軍』のやっている事の方がまだ可愛いのかもしれない。

 証拠一つ残さない『風魔』の言葉に黒乃もまたそれ以上は聞くつもりは失せていた。

 

 

 



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第6話 騒乱の前触れ

 重苦しくも際どい会話はそれ以上続く事はなかった。寧音はその場で自分のカードを差し出すと、直ぐに龍玄に渡していた。用意された端末にカードを通し、確認する。

 既に番号の認識が終わったのか、カードは直ぐに返却されていた。そんな中で龍玄の端末に支払い完了の簡易メッセージが届いていた。

 

 

「命拾い出来て良かったな。だが、次は無いと思え」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 棒読みとは言え、言質を取った以上、寧音がここに居る必要は無くなっていた。

 元々寧音の立場は非常勤講師。毎日顔を出す義理が無かったが、今回は偶然に過ぎなかった。

 そんな中でのやり取りに黒乃としても言いたい事は山の様にあったが、これ以上踏み込むのは愚策だと判断したのか、寧音だけを理事長室から叩き出していた。

 

 

 

 

 

「さて、色々とあったが、今回の試験でお前の入学は決定だ。だが、どんな目的を持ってここに来た?」

 

「……お前には関係の無い話だ。ここに来たのは半ば偶然だからな」

 

「そうか……」

 

 理事長だと分かったからと言って龍玄の態度は何か変わる事はなかった。

 風魔の言葉を聞いた以上、黒乃としても学園を護る必要があったと同時に、直前に連絡があった師でもある月影の話を思い出していた。

 元々学生の試験は異能の測定が殆どの為に、態々戦闘と条件を付けてきた事自体異常でしかない。事実、取り寄せた異能の測定値は限りなくFに近いE。

 ここの生徒も同じ様な境遇ではあるが、それよりももっと大事な事は入学の理由。下手に騒ぎを起こされるだけならまだしも、最悪は何かしらのトラブルで死者が出る可能を考えた末の言葉だった。

 

 

「要件が無ければもう用は無いはずだが?」

 

「ああ、そうだな。今後はここの生徒である以上、むやみに騒ぎは起こさないでくれ」

 

「心配しなくても、敵対さえしなければ手は出さない」

 

 風魔の関係者と分かった以上、口にした所で理由を言うなどとは思ってなかったからなのか、黒乃は改めて今後の予定だけを口にする事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異例の入学試験から丸一日が経過していた。既に馴染んだかの様に一人の青年は日課でもあるランニングを開始している。

 伐刀者育成の施設でもある破軍学園は広大な敷地の中に校舎だけでなく学生寮やアリーナが完備されている。

 世間一般から考えれば、これほどの設備を建設する為には膨大なコストが必要とされる。

 しかし、この破軍学園に限った事では無く、全国にある伐刀者育成機関はどれも似たような環境だった。そんな広大な敷地を利用しているのか、一人の青年は息を弾ませながら常識が外れた速度で走り続けていた。

 流れる景色は走る速度が意味するからなのか、周囲からは目に留まる事は無い。

 気が付けば右の視界には本来あるはずがない地面が見える。青年が走っているのは道路ではなく、建築物の壁面。壁走りと呼ばれる技術を駆使しながら平坦ではない場所を走っていた。

 壁面だけに留まらず木々の枝や時には水の上など、完全に足場が安定しない場所だけを走り切る。時折水面に出る波紋は既にその場から消え去った証でもあった。

 

 

「取敢えずはこれで全部だな。随分と豪華な物だ」

 

 敷地内を確認したからなのか、独り言を言いながらも青年は休む事もなく次の工程へと進んでいた。

 疲労が一番溜まった状態で武術の型を繰り出す。一番肉体が厳しい時こそやる価値があるからと型をやりながら息を整えていた。

 ゆっくりとそれぞれの筋肉や関節の稼動領域を確かめるかの様に決まった動きを繰り返す。

 時折重力を無視するかの様な型は見ている人間が居れば確実に驚きを見せる。しかし、そんな特異な型すらも当然だからなのか、気にする事無く続けていた。

 ゆっくりと吐く息と共に血流が激しさを増すからなのか、全身はこれまで以上の熱量を生んでいた。先程まで走った事によってにかいた汗は一気に蒸発してく。それがまるでオーラの様にも見えていた。

 

 

「で、俺に何か用か?」

 

「黙って見ててゴメン。余りにも洗練された型だったから、つい、見とれちゃってね」

 

 龍玄は背後に感じた気配に振り向く事無く型を続けていた。

 ゆっくりと動いているだけに見えるがその実は細やかな重心の移動を繰り返している。悟られない様に動く事で常識の枠を超えた動きを可能としていた。

 

 

「こんなゆっくり動いているのを見て洗練とはね」

 

「いや。あれを見て何も感じない方がおかしいよ。僕もどちらかと言えばそっちに近いからね」

 

 背後から来た青年も龍玄と同じ考えを持っていたのか、自身の固有霊装を取り出し、素振りを繰り返していた。決められた型を丁寧になぞるのは、偏にミリ単位での動きの確認の為。

 会話が途切れた事によって改めてお互いがお互いの事をやっている。既に時間もそれなりに経過したからなのか、走った以上に汗が噴き出ていた。

 

 

「そう言えば、名前聞いてなかったな。俺は風間龍玄。今年の新入生だ」

 

「僕の名は黒鉄一輝。同じく一年だよ。宜しくね」

 

 お互いが自己紹介をすると同時に握手をしていた。お互いの握った手には鍛錬の証なのか固いマメが幾つも出来ている。

 龍玄に至っては拳も強化されているからなのか、どこかゴツゴツとした岩の様な感触があった。

 

 

「僕の事は一輝で良いよ。黒鉄だと仰々しいからね」

 

「そうか。だったら俺も龍で言い。龍玄だと年齢不詳だからな」

 

 お互いが似た者同士だと感じたからなのか、初対面の割には打ち解けた印象を持っていた。

 一年同士であれば気にする要素は何処に無い。一輝は気が付いていないが、仮に俺は先輩だと言わんばかりに高圧的に対応すれば、この場は血の海になっていた可能性があった。

 元々実力が全ての世界。そんな世界で生きてきたからなのか、龍玄の目に留まる一輝は剣に対する技術は確かな物ではあるが、その反面どこか儚さを持っている様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鍵が開いてるのか……」

 

 ドアノブを触った瞬間、出る前に施錠したはずの鍵が開錠されている。まだ時間が早いからなのか、こんな時間に人が来る可能性は何処にも無かった。

 これまでの経験から慎重にドアノブを回す。音を立てる事をしなかったからなのか、隙間からは侵入者らしき姿が見える。

 徐々に高まる集中と同時に、このまま一気に葬り去る。それだけを考えていた。

 行動を注視しながら隙を探る。こちらには気が付いていないからなのか、未だ何かをしている様に見えていた。

 侵入者の行動を確認しながら自身の中でカウントダウンを開始する。既に臨戦態勢からの一連の攻撃は完全にイメージされていた。

 

 

 

 

「この部屋に何の用だ?」

 

「私も今日からここの部屋を使うの……聞いてなかった?」

 

 後ろ手に関節を取ると同時に足を拘束したからなのか、侵入者は小さな悲鳴を上げながらうつ伏せの状態になっていた。

 体格と声で女ある事は理解しているが、だからと言って手加減するつもりは毛頭無い。

 命を狙うに性別は関係無い。当然だと言わんばかりにそのまま女の腕を捩じ上げ、反撃を防ぐ為に延髄の部分に自身の肘を当てていた。

 

 

「そんな話は知らん。で、何の用事があって来た?」

 

「……疑り深いのは性分なのね。もう忘れたのかしら。私は貴徳原カナタ。今日から貴方の同居人よ」

 

 名前を告げた事によって時間が止まったかの様に感じていた。

 貴徳原カナタは今回の状況を作り上げた張本人でもあると同時に、現時点では未だ支払われない報酬を回収すべく監視名目を持った人間。

 色々な葛藤があったにせよ、未だ拘束を外す事はしなかった。

 

 

「ならば問おう。この部屋割りを決めたのは誰だ?」

 

「私は知らない。理事長からここだと聞いただけだから。それよりも拘束を解いてくれないかしら」

 

 カナタの言葉に龍玄は漸く拘束を解こうとしたその瞬間だった。

 

 

「カナちゃん。引っ越しなら手伝おう………か。ってなんばしよっとね!」

 

 闖入者として部屋に入ったのはカナタの友人なのか、女性の声であると同時にその語気が強い物だった。

 今の状態を見れば龍玄がカナタに襲い掛かっている様にも見える。こちらの顔を見ていないからなのか、部屋に入った闖入者は龍玄に対し攻撃をしようと固有霊装を展開していた。

 

 

「賊の分際で偉そうに!」

 

 殺意が僅かに滲んだのか警告とばかりに放たれた斬撃を察知した龍玄は拘束したカナタをそのまま放置すると同時に、迫り来る刀身を足で払っていた。

 元々殺気は僅かにあるが、それに威力は感じられない。恐らくは牽制の意味合いが強いからなのか、今の龍玄にとって回避ではなくカウンターを放つのは容易だった。

 逸れた斬撃の影響なのか、僅かに刀華の態勢が崩れる。女だろうがこちらに対して攻撃する以上、容赦するつもりは一切無い。龍玄は態勢が崩れた女に対し拳を向けていた。

 

 

「待ってください!」

 

 カナタの言葉にお互いの動きが止まる。この時点で漸くお互いが誰なのかを理解していた。

 闖入者の正体は以前に見た少女でもあり、今回の間接的な原因でもある東堂刀華。メガネこそかけているが、その顔に見覚えがあった。

 

 

「あんたは確か……東堂刀華だったな。どうしてここに?」

 

「それは私の台詞。なぜ貴方がここに居るの?」

 

「俺はこの女の監視だ」

 

 カナタの言葉で攻撃がお互いに止まりはしたが、最初の出会いが戦場なだけに、その力量は知っていた。

 『特別招集』で対峙した際には既に隔絶した差がそこに存在している。カナタの監視と言われた瞬間、刀華の顔は僅かに歪んでいた。

 元々自分にもっと実力があればあんな事にはならなかったはず。冷静になるよりも先に自身の不甲斐なさが先に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を勝手に思うかはそっちの自由だが、自分の部屋に侵入者が居たから拘束しただけだ。それとも何か?ここの生徒会役員は一生徒の部屋に勝手に乱入して攻撃をするのは実戦の力を養う為とでも言うのか?」

 

「そんな訳じゃ……」

 

 朝の鍛錬の後だったからなのか、龍玄が汗を流した後に改めて確認の為に口を開いていた。

 どちらが悪い訳では無いが、一生徒に対し固有霊装を展開して良い訳ではない。事実カナタの言葉が無ければ刀華の顔面は確実に破壊されていた可能性が高かった。

 通常であれば女の顔にと文句の一つも言いたくなるが、正当防衛だと言われれば何も言えなくなる。それが分かっているからなのか、刀華は完全に言葉に詰まっていた。

 

 

「で、そんな事よりも何であんたが俺と同室なんだ?本来は同学年の同ランクが基準じゃないのか?少なくとも俺はそう聞いてるが?」

 

 元々龍玄に取って先程の攻撃は普段の訓練と同じかそれ以下だと感じたからなのか、気まずさを覚えている刀華の事は敢えて無視していた。

 勝手に落ち込むくらいならやらなければ良いだけの話。そんな事に一々目くじらを立てる必要性は何処にも無いと考えていた。

 

 

「詳しい事は私にも分かりません。ですが、理事長からはそう聞いています」

 

「成程。だったら問題無い」

 

 そう言うと同時に龍玄は立ち上がっていた。既に時間もそれなりだからなのか、二人を尻目に朝食の準備を開始する。ここの寮にも食堂があるが、基本的に自分で作る事が殆どだからなのか、特に気にする事も無く自分のペースで行動していた。

 

 

「あの……先程はごめんなさい」

 

「何で謝る?」

 

「だって、突然攻撃したんだし……」

 

 朝食の準備をしながら聞いた謝罪の言葉に龍玄は疑問しか無かった。自分の置かれた環境からすれば生温い攻撃を受けたに過ぎない。日常茶飯事の出来事以下の状態に対し少しだけ考えていた。

 

 

「ああ、あの程度の攻撃なら問題無い。あれならまだ普段の生活の方が厳しいからな。あれで傷なんて作ったら笑われるだけだ」

 

 本来であればこの程度の攻撃など生温いと暗に言っている様にも聞こえる。恐らくは龍玄の正体を知らなければ刀華は確実に憤慨していたに違いなかった。

 しかし、目の前で食事を作る青年は風魔の幹部『青龍』のコードネームを持っている。当時の状況を知っているからこそ、それ以上の事は何も言えなかった。

 

 

「あんたらはメシは食ったのか?」

 

「まだですが」

 

 何気なく言われた言葉にカナタも思わず普通に返事をしていた。その返事を聞いたからなのか、フライパンに新たな食材を投入する。焼けた音と匂いが先程までの殺伐した空気を一掃していた。

 

 

「ほら、遠慮するな。これは報酬とは関係無い。折角同居するんだ。これ位の事はするさ」

 

 出された食事はごく普通のメニューだった。ご飯に味噌汁。玉子焼きに魚の切り身と見慣れた食事。元々この後は食堂に行くつもりだったが、出された以上は断るのも申し訳ない。そう思ったからなのか、三人での食事となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、カナちゃんは本当に良かったの?」

 

 食事の後は生徒会の用事があるからと、刀華とカナタは部屋を後にしていた。

 お互いに何を考えているのかは分からないが、先程の食事の後は穏やかな空気が残されていた。

 しかし、監視と言われればどうにも申し訳ない気持ちが優先してしまう。そんな思いから刀華はつい言葉にしていた。

 

 

「良いも何も、この部屋割りは私の一存でどうにかなる訳ではないですし」

 

「でも、異性と同じ部屋なんだよ。やっぱり理事長に説明した方が……」

 

「その件については理事長から説明は受けました」

 

 今の理事長でもある神宮司黒乃が就任した際に告げられたのは常に競い合う環境作りの一環として同等レベルの人間との同居だった。

 常日頃から切磋琢磨する事でお互いの実力を磨いていく。それが自身のレベルアップに繋がるとの方針だった。その際における性別の区別は無い。事前にそんな説明を受けていた。

 

 

「そうだよね。でも学年が違うのは何でなんだろ?」

 

「その辺りは私にもさっぱり……」

 

 疑問に思う刀華に対し、カナタは返答をはぐらかす事しか出来なかった。

 元々今回の部屋割りは自分の置かれた環境が大きく関与している。説明を聞かされた当時も理事長の黒乃の表情は苦々しい物が浮かんでいた。

 それが何を意味すのかは不明だが、何となくその理由が判断出来る。本来であれば教育機関に介入出来るはずがない。誰もが当然の様に思う疑問だった。

 

 

 

 

 

「貴徳原カナタ。お前はあの風間龍玄と、どんな関係なんだ?」

 

「どんな関係と言われましても…」

 

 理事長でもある新宮司黒乃の顔は僅かに曇ってる様にも見えていた。

 今回の部屋割りに関しては学園内部ではなく外部。しかも政府筋から指示されていた。

 黒乃も当初は疑問を感じたが、入学試験での寧音とのやりとりを見ていた為に、余計な詮索をするつもりは毛頭無かった。

 風魔の関係者とカナタの個人ではなく、その背景に有る物を考えると触れない方がマシだと判断出来る推測が幾つも立つ。教育者としては反抗したいが相手は国家。幾ら元A級リーグ三位とは言え、一つの事例で喧嘩を売るには分が悪過ぎた。

 だからと言って何もしない訳では無い。出来るかぎり力になろうと、まずは本人の意向を確かめる為にここに呼んでいた。

 

 

「そうか……相手が相手だからな。詳しい事はこちらからは聞かん。だが、困った時は遠慮なく言ってくれ。力にはなるぞ」

 

 下手に詮索されるとカナタも返事に困る事になっていた。元々特別招集によって起きた出来事でもあり、自身が蒔いた種でもある。

 結果的には悪くは無いが、誰にも口外出来ない以上、察しが良かった黒乃の応対に内心安堵していた。

 

 

「お気遣いありがとうございます。私としては不満はありませんので」

 

「そうか。時間を取らせて悪かったな」

 

「では、私はこれで」

 

 一言告げると同時にカナタは理事長室を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、そうなると七星剣武祭の最大の敵になるかも」

 

「それはどうでしょう?少なくとも今の所はそんな事を考えてるとは思えませんが」

 

 二人はまだ誰も居ない生徒会室で入学式の準備に追われていた。

 風魔の青龍と名乗った人間が学生相手に戦うとなれば多少以上の何かが起こる可能性が極めて高かった。

 只でさえ、今年からはまだ公表されていないが、参加資格が完全実力制となる為に純粋な魔導騎士の能力よりも戦闘能力の方が重要視される。その最有力である事に間違いは無かった。

 

 

 

 

 

「カナタよ。今回の件だが、幾ら戦場だからとは言え随分と迂闊な契約を結んだものだな。あれがどんな存在なのかを知っていたのか?」

 

「それなりに、です。ですが、後悔はしてません」

 

 リゾート島では久しぶりの対面となったからなのか、先程までの様に緊張した空気は薄くなっていた。

 風魔がどんな存在なのかを知っている人間は案外と少ない。裏の事情を理解するだけでなく、その組織の内容から一時期は嗅ぎつけるかの様に自称ジャーナリストと呼ばれる人間が何度も調査をしていた。

 

 誰もが都市伝説の様に扱うそれをすっぱ抜けば、確実に自分の名声は高い物になる。そんな思惑を持つ人間が殆どだった。

 しかし、そんな人間が掴んだ情報は全てが無駄でありながら一度でも調べに回った瞬間、自身のジャーナリストの生命は絶たれていた。

 幾ら原稿を書こうが、どの出版社も扱う事をせず、また、自費で出版をしようとするならば媒体として手伝う会社でもさえも掌を返していた。

 それは会社だけでなく印刷業者にまで及ぶ。原稿を印刷しようと依頼した瞬間、一気に手を引く会社が殆どだった。

 元々都市伝説的な意味合いが強い為に、ネットで公表した所でネタとして扱わるだけに終わる。命こそ取られないが、外部に発信する術を失えば、自称ジャーナリストは社会的に死んだも同然だった。

 それ程情報を統制する人間に近づく為には幸運にかけるしかない。それがどんな意味を持っているのかを理解していなからこそ出た言葉だと父親でもある総帥は考えていた。

 

 

「そうか……だが、今回の件に関しては望外の幸運かもしれん。カナタよ。先に自分が言った婚姻の件は正式に白紙だ」

 

 父親の言葉にカナタはかろうじてポーカーフェイスを保つ事に成功していた。自分の歩み続ける騎士道の中には貴徳原としての責務がある。

 まだ自分の年齢からすればあり得ないと言いたくなるかもしれない。しかし、これまでに培ってきた教育と自身の誇りが自身の我儘を無くし役割を認識していた。

 もちろん、自分もやりたい事は沢山ある。そんな中での婚姻の白紙の言葉は何かしらの意味合いが隠されている様にしか思えなかった。

 

 

「それは……どんな意味が」

 

「望外な幸運だ。カナタ、出来る事ならあの風魔との繋がりを作るんだ。ましてや青龍は次期小太郎とまで呼ばれている。無理にとは言わない。だが、あの本質は決して暴力だけに留まらない事を覚えておくんだ」

 

 父親の真意が全く見えない。一度白紙にした状態で新たに関係を構築しろと言われてもカナタとしてもどうすれば良いのか判断に迷っていた。

 

 

「一つだけ聞いても宜しいですか?」

 

「何だね」

 

 カナタの中では大よそながら言葉の意味を理解していた。婚姻によって作れる関係を破棄する事で新たな関係を築けと言われれば誰もが何を求められているのかは直ぐに理解出来る。

 自分の人生は自分で決める事が半ば出来ない事はこの家に生まれた瞬間から理解している。だからと言って自分はあくまでも人間。愛玩動物では無い以上、最低限の確認は必須だった。

 

 

「私が風魔との関係を築き上げる事と貴徳原の家とは密接な関係があるのですか?」

 

「当然だ。でなければ態々こんな事は言わない」

 

 さも当然の様に返って来た言葉にカナタは確信していた。自分の努力で何とか出来るはず。誰もが言っていないが、そんな風に言われた様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間にして僅かではあったが、カナタは不意にあのリゾート島でのやりとりを思い出していた。

 黒乃からは何も言われていが、今回の部屋割に何らかの意図が見え隠れしているのは明白だった。特別招集の件は何も知らないが故の言葉である事は想像出来る。しかし、自分が求められた役割を果たそうと考えた場合、今回の内容はこれまでとは真逆の内容だった。

 あの言葉を考えれば自分からアプローチするしかない。やり方は知識としてはあっても実行した事が無いからなのか、方法が思いつかない。

 カナタは思わず作業の手が止まっていた。隣に居る親友に聞く事も憚られる。今のカナタにとっては違う意味で頭が痛くなりそうだった。

 

 

「カナちゃんどうかしたの?」

 

「いえ。何でもありませんよ」

 

 生徒会室で暫く留守になったツケを払うべく、二人は書類の処理に追われていた。

 ここの役員でもある他のメンバーも居るには居るが、戦力として考えると疑問しかない。元々自分達の招いた結果。

 一週間の空白の代償は余りにも大きかった。だからなのか、お互いがそれ以上は何も言わないままにそれぞれの作業をこなしていた。

 

 

「あれ?もうやってたの?」

 

「うた君こそ早いですね。どうかしたんですか?」

 

 沈黙の空気を破ったのは生徒会副会長の御禊泡沫だった。

 何かしら用があったからなのか、それとも暇を持て余したからなのか、扉を開けた瞬間に飛び込んで来た二人の姿に少しだけ驚いていた。

 つい先日まで何かしらの用事があった事は理解しているが、詳細については分からないがどこか雰囲気が違う様にも見える。そんな取り止めの無い事を思ったからなのか、その考えが不意に言葉になって出ていた。

 

 

「特に何も。でも、二人こそ何かあったの?この前と随分と雰囲気が違う様にも見えるけど?」

 

「そう…かな?特に何も無かったけど」

 

「本当に?」

 

 普段は適当な泡沫も今に至っていは随分と厳しい追及をしている様に感じていた。何時もとは違い、僅かに細める目に刀華は少しだけ嫌な汗をかいている。

 同じ施設で育って来たからなのか、刀華は泡沫の追及を躱しきれないと感じていた。

 

 

「それはこの休みで少しだけ旅行に行ってきたからですよ」

 

「そ、そうなんよ」

 

「え~それだったら僕も一緒に行きたかったよ。どうして誘ってくれなかったの?」

 

「突発的な物でしたので。……恐らくはそこで人生初めて磨かれた経験をしたからでしよう」

 

「え?磨くって……」

 

 横から出たカナタの助け船に乗ったまでは良かったが、どうやら泥船の様だった。

 カナタの言葉に偽りは確かに無い。事実あのリゾート島ではそれなりに過ごしただけでなく、人生で初めて刀華はエステを受けたのもまた事実。

 磨くと言われれば確かにそれに近い感覚があった事は否定できない。しかし、それをこの場で言う必要はどこにも無かった。

 気が付けば泡沫の表情は先程の追及する顔から驚いた顔に変化している。取敢えず回避に成功した事に間違いは無かった。

 

 

「ちょっとカナちゃん……」

 

「嘘は言ってませんよ」

 

 一先ずは自分の事だけでなく親友への嫌疑も晴れたからなのか、生徒会室の空気は何時もの空気へと戻り出していた。

 これまでに無い波乱が起こるのは間違い無い。しかし、今のこの状況でそれがどう転ぶのかは誰にも分からなかった。

 

 

 



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第7話 意外な一面

 まだ学校が始まっていないからなのか、それとも突発的に組まれた戦いだったからなのか、魔導騎士として訓練をする場所でもある訓練場にはまばらな人影があった。

 大きな大会ではなく、純粋に個人間のやりとりに近い戦いだからなのか、どこか静かな空間は今の状況を表している様だった。

 そんな空間の中で一人の青年と、一人の赤髪の少女が対峙している。片方は面識があったが、もう片方はニュース等でしか見た事が無かった。

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 無機質なブザー音と同時に互いは自身の持つ固有霊装を展開し、交戦を開始していた。

 赤髪の少女の名はステラ・ヴァーミリオン。今年の留学生として破軍学園の理事長でもある新宮寺黒乃が獲得に成功した生徒。ヴァーミリオン公国の第二皇女と言う事もあってか随分とVIP待遇で迎えられていた。

 黄金に輝く大剣は自身の魔力の高さを示しているからなのか、装飾が施された大剣には気品を感じる。一方の青年はFランクにも拘わらず自身の能力の無さを工夫しながら戦いを続けていた。

 黒く光る日本刀の固有霊装は無駄な物を一切感じさせない。だからなのか、少女が繰り出す攻撃を往なすその姿はどこか頼りなさを感じる程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はありがとう。何だか付き合ってもらって悪いね」

 

「気にするな。こちらも一人よりは対戦した方が何かと都合が良いからな」

 

 龍玄と一輝はお互いのトレーニングの時間帯が似ているからなのか、結構なタイミングで顔を合わせる機会が多かった。

 最初こそはお互いに遠慮している部分も多分にあったが、少しだけ見るお互いの姿は一切の隙を感じる事は無かった。

 刀と篭手では本来であればまともな戦いになる事は無い。『剣道三倍段』お互いの間合いが圧倒的に異なるが故の結果だった。

 しかし、横目とは言え、互いに実力の程を知りたいと言う欲求に勝てなかったからなのか、最近では苛烈な組手までは行かないにせよ、対峙する事が多々あった。

 

 

「確かに。一人だと比べる物が無いから、丁度良かったよ。それよりも一つだけ聞きたい事があるんだけど、さっきまで使っていた足運びって何?」

 

「ああ、あれの事か。詳しい事は言えないが、あれは歩法の一つだ。ここだと縮地や抜き足と呼ばれる技術だな」

 

「縮地か……どこかで聞いた事はある。確か、相手の意識から逸らす事で間合を瞬時に詰める方法だっけ?」

 

「……少し違うが、まぁ、そんな所だ」

 

 一輝の言葉に龍玄は、敢えてはぐらかす事にしていた。抜き足は大戦の英雄でもある『南郷寅次郎』が開発した歩法。

 実際にはこれまでに縮地と呼ばれた事もあれば、今回の様に抜き足と呼ばれる技術へと昇華していた。

 元々戦場では銃を構える事が殆どの為に、遠距離呼攻撃が出来ない人間はその間合を如何に詰めるかに腐心していた。

 幾ら超人的な力を発揮する伐刀者と言えど、全ての銃弾を弾く事が出来る訳では無い。

 仮に一度でも失敗して足が止まった瞬間、自身の身体は蜂の巣へと変わる。そうならない為に編み出した産物でもあった。

 しかし龍玄が取ったそれは抜き足の上位互換とも取れる歩法だった。

 風魔に伝る『斬影』と呼ばれるそれは、これまでの様な物とは一線を引いていた。抜き足の様に遠目から見れば移動するのが分かるそれとは違い、『斬影』はその視覚情報すら困難となっている。

 戦場は一人だけと戦う訳では無い。対人の最中に他から撃たれる様な事があれば無意味でしかないと言う考えの下に編み出された物だった。

 

 

「まぁ、一輝ならそのうち覚えるだろ。どうせ見て盗むって感じみたいだしな」

 

「知ってたの?」

 

「ああ。これまでの剣筋を見れば大よそにはな。一太刀振るう事に色々な剣術が混じってるのが見える。悪いとは言わないし、それが昇華すれば最後は自分だけの業になるから、盗むのは当然の結果だ」

 

「まさかそんな事言うとは思わなかったよ」

 

「今どき門戸を叩いて教えてくれなんて所の殆どは大した事は無い。そんな事で生き残れるのかと言われれば疑問だけだからな」

 

 龍玄の言葉に一輝は少しだけ驚いていた。これまで自分一人でやってきたからなのか、自分の剣術には芯が無いと思う部分が多分にあった。

 どんな道場でも自分達がこれまで培ってきた歴史が後世にも伝える。そんな悠久とも取れる時間がバックボーンとなっていた。

 もちろん、自身の生家でもある黒鉄家にも伝わる業がある。自分の能力の低さを知っているからこそその業が自分には知らされず、盗み見る様な真似でこれまでやって来たと言う思いがそこにあった。

 そんな葛藤とも呼べる様な内容にも拘わらず、龍玄は当然だと言い放つ。そんな言葉に一輝は僅かに救われた気がしていた。

 

 

「確かにそう言えばそうなんだけど……」

 

「勘違いするなよ。どんな流派だって最初の真祖や開祖と言われた人間は自分の業を昇華させた結果だ。それに綺麗も汚いも無い。俺から言わせれば見てくれだけの流派なんぞ滅びの道をゆっくりと進んでいる様にしか見えん」

 

「ははは。手厳しいね」

 

「そもそも魔導騎士の本質は戦う事。それが何の為なのかは人ぞれそれだろ?それに弱ければ待っているのは死だからな。本当の事を言えば戦場ではランクなんて物は何の目安にもならない。正々堂々なんて物は無意味だ。時折そんな事を言う人間もいたが、そんな人間に限って真っ先に死んでいくもんだ」

 

 龍玄の言葉に一輝は少しだけ考えていた。先程の言葉だけを聞くと、これまでに何度も戦場に出ている様にも思える。確かに学生の身分で戦場に赴くには特別招集で派遣されればその可能性はあるが、それも一部の人間だけが依頼されるだけ。

 だからなのか、龍玄の言葉を聞きながらも一輝はどこか漠然とした考えだけが広がっていた。

 

 

「俺が言うのも何だが、これだけは覚えておくと良い。戦いは自分の望む望まないは関係無くやってくる。そしてその時、伐刀者に求められるのは明確な結果だ」

 

 龍玄の言葉に一輝もまた表情が引き締まっていた。元々互いに色々と何かをする様な間柄ではないが、それでも互いの技量を見たからなのか、芯の部分は同じであると感じ取っていた。

 詳しい事は横にしても今の一輝にとっては今年の七星剣武祭は自分の存在価値を問われる事になる。常在戦場。恐らくはそんな事を言いたいんだと一人考えていた。

 

 

「確かに。今のままで良いとは思ってないからね。これからは正々堂々と龍の業を盗むよ」

 

「そうまで清々しく言われるとな……少しは遠慮しろ。それに無手と得物を持ってるのだと違いが大きいだろ?」

 

「それは無いよ。だって重心の移動の仕方や、そこまでに至る行程は僕が知らない行動原理があるから。これは僕の推論だけど、龍は固有霊装以外の武器もそれなりに使えるんじゃないの?」

 

 一輝の何気ない言葉に龍玄はニヤリと笑うしか無かった。確かに無手が基本だが、得物を持った攻撃が苦手ではない。むしろその攻略をする為に極める程の力量を持っている。

 同じレベルであれば戦いの引き出しが多い方が有利に事が運ぶ。これまでにそんな話はおろか、素振りすら一輝の前では見せた事は無かった。にも拘わらずそれを看破する眼力は素直に賞賛する内容だった。

 

 

「俺のは大した事は無い。精々が嗜む程度さ」

 

「そうかな」

 

 お互いがそう言いながら早朝のトレーニングを終了するとお互いが自室へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「有言実行すぎるだろ」

 

 龍玄の呟きが今の状況だった。確かに望む望まないに限らず戦いの火の粉は自分へと降りかかる。経緯は分からないが、何せ互いがそれぞれ何かしら思いがあるからこそ今に至っていた。

 詳細は不明だが、今の龍玄にその内容を知る術は無かった。

 互いの攻撃は技術的には同じレベルにあるのか、一向に有効打が当たる気配はなかった。

 その最たる要員はこれまでの短い期間で龍玄が見せた歩法の影響だった。大剣を振るう少女の攻撃はこれまでに無い程の重攻撃。炎を纏い、リングの石に亀裂を入れる為には生半可な攻撃では不可能だった。

 そんな攻撃に対し、一輝は攻撃を往なし空間を切り取るかのように間合を変化させ、連撃を防ぐ事に成功している。そんな姿を見たからなのか、少女の表情には僅かに驚愕が見えていた。

 その一方では恐らくは何かしらの攻撃を待っているのか、防御に徹しながらも一輝の視線に弱さは感じられない。

 周囲からはランクの違いにどこか失笑めいた物も聞こえるが、所詮は何も理解出来ない盆暗ぞろい。目の前で行われている攻防がどれ程高度な物なのかを理解出来る人間は居ない様にも思えていた。

 

 

「風間君はこの戦いをどう見てるんですか?」

 

「実にシンプルだ。弱い人間が負ける。それだけだ」

 

 観客席で互いの戦いを見ていると、不意に声を掛けられていた。

 記憶が確かならこの声の持ち主は自分と同室の人間。振り返る事無く返事をしたが、気配はやはり貴徳原カナタの物だった。

 『紅の淑女(シャルラッハフラウ)』の二つ名を持つ者が現れた事に周囲も僅かに注目する。そんな視線を無視するかの様に、隣を見る事無く龍玄はただ今の状況をジッと見ている。

 これ以上の声はかけない様にオーラを出したつもりだったが、そんな事はお構い無しとばかりに続けられていた。

 

 

「それは当然です。元々AランクとFランクでは話になりませんので」

 

「そりゃそうだ。あくまでも魔導騎士として……ましてやそれが()()であれば当然の話だ」

 

 元々戦いが始まる前に互いのレベルが電光掲示板に公表される。元々魔導騎士は高ランクの方が戦闘に於いては有利であるのは否めない。魔導騎士が繰り出す異能はこれまでの間合いの概念を大きく覆している。それは世間も認める常識だった。

 しかし、これが純粋な戦闘であればどちらが勝つのかは言うまでも無かった。

 

 

「と言う事は、純粋な戦闘は同じ位だと?」

 

「馬鹿馬鹿しい。お互いの戦いのスタイルが違うんだ。同じな訳が無い。それにあの皇女様は既に心技体が崩れてる。(なまくら)の一撃が直撃する可能性はゼロだ。彼奴は確実に見える隙を逃す程、そんなに甘い人間じゃない」

 

「そうですか。では、お相手の方が勝つと?」

 

「元々戦闘は負ければ死だけが待っている。今の一輝は自分の持てる引き出しの数が圧倒的に多い。今は互角でも、そのうち剣技の差が出るだろうな。それが答えだと思ってくれ」

 

「となれば先程の結果とは違うのでは?」

 

「だからこそ()()()()()()()()話だ。そもそも戦いに様式美を追い求めるなど無用だ。開幕早々に決着をつけるのが優良であって態々口上を宣う連中なんぞ下の下だ。少なくとも俺なら開幕で言葉通り一撃必殺だ」

 

 龍玄の言葉を思いだしたのか、近くに居ると思われたカナタはそれ以上の言葉を見つける事は出来なかった。

 戦場での事を思い出せば、それがどんな意味を持っているのかは自分が一番理解している。実際に魔導騎士としての戦闘ではなく、あれは戦争の中での戦い。

 如何に不意を突こうにも、お互いが対峙した中でどれ程の戦闘力を有するのかは未知数でしかなかった。

 生徒会だからなのか、生徒の情報を集めるのは然程苦労する事は無い。

 事実、自分のランクと龍玄のランクには隔絶した差が存在する。にも拘わらず自分の身は抜刀絶技を行使している事すら問題にせず、簡単にこの男に意識を奪われ囚われている。それがどんな意味を持つのかカナタは少しだけ興味があった。

 

 

 

 

 

「つまらん。やっぱりこうなったか」

 

 龍玄の視線の先には一輝が自身の霊装を少女の肩口に斬り付けた瞬間だった。これまでの様な斬撃と太刀筋はそこで止まっている。剣技では勝てないと悟ったからなのか、遂に自分の土俵へと赤髪の少女は引きずり込んでいた。

 幾ら力を籠めようが、固定されたかの様に切っ先が進まない。膨大な魔力を持って自身の身を護っているのが誰の目にも明らかだった。

 

 

「魔導騎士としては当然なのでは?」

 

「所詮は試合だから……だろ?俺は試合をするつもりは毛頭ない。こちらに向ける物が戦意であれ殺意であれ、瞬時に終わらせる。お互いが高めあうのはある意味では理想だが、戦場でそんな事は無駄でしかないからな」

 

 人がまばら故に発言したに過ぎなかった。膨大な魔力を幾ら持とうが策略を講じる事でそれが封じられれば末路は決まってくる。

 カナタは気が付いていないが、刀華はそれを体感している。戦場では如何に効率よく安全に倒すのかを優先する。今の様に補給を可能とするのであれば最大級の攻撃を行使するのは問題無いが、それが適わないとなれば工夫を凝らすしかない。

 そんな事を考えた末の言葉だった。当然だと言い張る龍玄の言葉に、カナタも少しだけ同調する。生きる世界が違いすぎる。そんな当たり前の価値観の違いでしかなかった。

 

 

 

 

天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)

 

 

 

 

 これまでの様な剣技での戦いを放棄したのか、自身の能力を最大限に活かすべく魔力を込めた攻撃がこれから起こるであろう出来事を周囲に伝播していく。

 赤髪少女がそう口にした瞬間、巨大な龍を象った炎が幾重も噴出し、天井をも貫いていた。

 既にその勢いを見た一部の生徒は避難すべくその場から逃げ出している。Aランク騎士が放つ抜刀絶技。その炎が今の心情を表している様にも見えていた。

 幾重にも噴出した炎は迷う事無く一輝へと振り下ろされる。このままでは全てが一瞬にして蒸発する。正にそう思わせる重攻撃だった。

 

 

「なるほど。そう来たか」

 

 既に殆どの生徒が逃げ出したからなのか、この観客席には殆ど人は居なくなっていた。

 誰もが目にする事の無い炎。周囲に及ぼす影響を考えていないからなのか、誰もが対戦相手の事を一瞬だけ忘れていた。

 

 

 

 

 

『一刀修羅』

 

 

 

 

 一輝もまた同じくして自身の抜刀絶技を行使していた。

 元々ランクが低い人間が放つ事が出来る抜刀絶技には限りがある。龍玄の目に映る一輝のそれはまさにその言葉そのものを体現している様だった。

 これまでに無い程の移動速度は、全ての剣戟の威力を向上させる。幾ら防御に優れた異能であっても、確実にそれを凌駕する。

 一合二合と振りかざす刃は完全に少女の体躯を捉えている。今の龍玄は珍しく一輝の行使した抜刀絶技の事を目に焼き付けていた。

 速度が生じる攻撃は既に少女が動きについて行けない。何も知らない人間からすれば異様な光景の様にも見えるが、龍玄の目からすれば当然の結末だった。

 勝つための刃なのか、自身を誇示する為の刃なのかで意味合いが異なる。少女が持つ自身の能力を存分に活かす攻撃は確かに豪快ではある。だが、それだけの話。

 豪剣は一撃必殺が故に隙も大きい。地面を叩きつける間に一輝は自身の能力を存分に振るった瞬間、一気に斬りつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石としか言えんな。でも、あれがまぐれだと抜かす連中も多いのも事実か」

 

 自室へと戻った龍玄は改めて先程の戦いを自分に重ねてシミュレートしていた。

 ニュースでもあった様に、あの赤髪の少女はヴァーミリオン公国の第二皇女、ステラ・ヴァーミリオン。A級ランクだけでなく、通常の潜在魔力も常人の三十倍を誇る化け物。まともに戦うとなればどんな攻撃が効果的なのか。そんな考えを基に改めて考えていた。

 

 無手と剣では既にリーチの違いが多分にある。そもそも剣道三倍段の言葉はそれが由来となっている。

 元々接近戦で戦うのであればお互いの有効な間合いを如何に構築するのかが最優先。基本は篭手の自分では考えるまでもなく最接近する以外に手段は無かった。あの試合だけでは分からないが、あれ程の炎を扱う以上、周囲に対する攻撃も可能である事に間違いは無い。

 だとすればどのタイミングで懐に飛び込むのが最良なのだろうか。そんな考えがあった。

 座禅をしながら自身の脳内で何度でも対峙する。周囲に対する警戒を忘れるかの様に龍玄は自身の中で未だ戦う事が無いステラ・ヴァーミリオンと対戦していた。

 

 

「何だ。あんたか」

 

 そんな思考は直ぐに何時もの状態へと戻っていた。先程まで没頭していたものの、ドアの開放音が意識と元へと戻す。

 振り向くまでもなく、その部屋に入ってきたのは同居人でもあるカナタだった。

 

 

「私の方が先輩なので、あんたは止めて下さい」

 

「そうか。ではお嬢さん。何か用事でも?」

 

 お嬢さんの言葉にカナタは僅かに怯んでいた。

 その言い方は内乱の際に小太郎が呼んだ呼び方。名前は知っていても態々呼ぶつもりが最初から無い言い方は、カナタにとっても良い思いはしなかった。

 

 

「お嬢さんも禁止です。せめて名前で呼んで下さい。ここは学園内ですから私の方が先輩です」

 

「そうだったな。貴徳原でも良いが、それでは何かと面倒だ。カナタで良いな」

 

 せめて先輩位は付けて欲しい。カナタは内心そう考えていた。

 元々同部屋になった際に言われたのは、『この人物と何とか()()()()()()()()を結べ』と言うかなり高度な任務の様なものを自分の父親から言われている。

 内容はともかく、それが何を意味しているのかを理解出来ない程カナタは子供ではない。

 これが通常であれば人身売買や人権などと青臭い言葉も出てくるのかもしれない。しかし、カナタ自身の歩むべき騎士道の中には自分の事ではなく一族の思いが最優先となっていた。

 

 事実、欧州の実業家との婚姻でさえも自分の意志は含まれていない。そんな事からすれば、同居人でもある龍玄との信頼関係を築く為には、自身が何らかの形で動くしかなかった。

 あの後自分の父親から聞かされた話と用意された資料を見た際に、カナタは見た目こそ何時もと変わらない笑みを浮かべたが、内心ではどうしたものかと焦りだけが浮かんでいた。

 元々風魔の人間が社交的だとは最初から考えていない。本来、初めて部屋に入った際に普通であれば声をかけるが、いきなり背後から襲われていた。

 延髄にかかる肘は自分の意識と場合によっては命を絶たんと突付けられ、両足も逃げる事が出来ない様に拘束されている。

 刀華がこなければどうなっていたのだろうか。顔見知りであればそんな事はしない。それがカナタにとっての当たり前だった。

 だからなのか、自分の課せられた物があまりにも重すぎる。この状況は間違い無く自分の父親が学園に何らかの圧力をかけた末の結果であると内心睨むも、その証拠や思惑を感じ取るまでには至らなかった。

 

 

「それで結構ですよ」

 

「ならば、これからはそう呼ぼう」

 

 既に諦めが入っているからなのか、カナタはそれ以上の事を言うつもりは無かった。

 気が付けば龍玄は食事の準備をするのか、冷蔵庫から何かを取り出している。手際が良いそれはカナタにとっても驚くべき光景だった。

 

 

「ここは食堂もありますが、どうして自炊を?」

 

「食堂があるのは知っている。だが、時間的にも余裕があるのであれば、自分で作る方が効率的で味もマシだからな。誰だって食事位は旨い物を食いたいだろ?」

 

 龍玄の言葉にカナタは朝食で出された物を思い出していた。

 シンプルではあったが、確かに言うだけの物に間違いない。まだ同居して数日しか経過してないが、カナタの中で龍玄の評価は真っ二つだった。

 一緒に住んで分かる事が幾つかある。一つは警戒心がやたらと高い点。これはこれまでの経緯を考えれば当然の事だが、問題なのはそれ以外だった。

 これまでのイメージからすれば傭兵は粗野なイメージが多分にあるが、龍玄はそのイメージを大きく覆していた。襲撃に近いあれは初日だけ。それ以外では殆どと言って良い程にそんな素振りは見えなかった。

 実際に朝も早い時間から出ているからなのか、カナタが起きるのは龍玄が朝食と作る匂いにつられている部分が多分にあった。実際に出された食事も質素に見えるが滋味深く、味わい深かった記憶がある。

 余りにも違い過ぎるイメージはカナタの思い描くそれとは大きく逸脱していた。

 

 

「それに演習では碌な食材が獲れないからな。偶に取れる蛇や兎は格好の食材なんだ。だったら尚更だろ」

 

「蛇……ですか」

 

「ああ。ああ見えて癖は殆どないからな。案外と食えるぞ」

 

 当然とばかりに調理をしながらもカナタは蛇の言葉に驚いていた。

 兎はジビエ料理としても割と存在するだけでなく、自身も口にした事がある。しかし蛇は無い。だからなのか、それがどんな意味を持つのかをイメージする事は困難だった。

 

 

「で、カナタもここで食うか?」

 

「頂けるのであれば」

 

 そんなそっけない言葉と同時に新たな食材がフライパンへと投入される。食堂で食べるにしても既に時間は思う程残されていない。

 外食も考えたが、折角提案されている。それならばここで食べればいいだろうと判断した結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご馳走さまでした」

 

「お粗末様でした」

 

 カナタは最後のお茶を飲みながら内心驚きの連続だった。

 戦場での態度とは真逆なのか、自分が勝手に思い描いていたそれは遥か彼方へと追いやっていた。

 一緒に作ってもらった料理に関してもここまでのレベルの食事は早々有りつけない。刀華は自身のこれまでの事から自炊するのは問題無かったが、カナタ自身はそれほどする機会は多くは無い。

 自宅であれば料理人が作り、ここであれば食堂に行けば事足りる。学生寮なだけに味よりもどこか量を考慮している部分は多分にあるが、それでも及第点が付く程のレベルではある。

 しかし、そんな食事でさえも先程食べたそれに比べれば格段に下である事は理解出来ていた。

 プロの料理人と変わらない腕前をどうやって身に付けたのだろうか。今のカナタにとって、これまで持っていたイメージが根底から崩れる。自分は一体何を考え、何を見てきたのだろうか。そんな取り止めの無い考えがカナタの思考を支配していた。

 

 

「何だ?不味かったのか?」

 

「いえ。そんな事はありません。ただ驚いただけですから」

 

「……念の為に言っておくが、俺達は普段からあんなんじゃない。傭兵である以上は自身の命が長く無い事を理解しているからこそ自分達がやりたい事をやっているだけだ。報酬の件では監視の名目なのは当然の事だ。お互いが口にした契約を反故に出来る立場では無い。それだけは頭の中に入れておいてくれ」

 

「分かりました。以後そう考えておきます」

 

 まるで自分の考えが見透かされたかの様な言葉にカナタは少しだけ驚きを見せていた。

 元々監視が名目である以上は当然の措置。事実、そんな理由がなければ寮が同室である訳が無い事はカナタ自身が一番理解している。

 同部屋が嫌ならさっさと払え。言外に示された様な気分になっていた。これからどうやって接近すれば良いのだろうか。そんな思考がカナタの脳裏を占めていた。

 

 

 



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第8話 個人技

 入学式は何の問題も無いままに、つつがなく執り行われていた。本来、学園のトップの話をまともに聞く様な人間はそう多くは無い。しかし、そんな中で昨年とは決定的に違ったのが、昨年の途中から変わった理事長でもある新宮寺黒乃の言葉だった。

 これまでの様に資質だけで決めていた七星剣武祭の選考基準が大幅に変わった点を発表していた。既に今の破軍の立ち位置がどんな状態になっているのかは一年よりも三年の方が理解している。今の序列一位でもある生徒会長の東堂刀華はベスト4どまり。それもここ数年の中では一番の成績だった。

 だからなのか、黒乃の口から出た今年の選出方法は在校生の動揺を大きく誘う事になっていた。

 

 

「事前に聞いてはいたけどやっぱり改めて発表されたら、ざわつきは凄かったね」

 

「そうですね。完全実力制。しかも学年問わずですから」

 

 刀華はカナタと生徒会室で紅茶を飲みながら先程まで行われていた入学式の内容について話していた。

 元々自身のランクも高い事だけでなく、特別招集される程の実力がある為に、予選会の事に関しては然程気にする様な部分は無かった。

 しかし、完全実力制となれば話は変わってくる。入学前の模擬戦でもあった、黒鉄一輝とステラ・ヴァーミリオンの一戦は学内でも賛否両論だった。途中までしか見ていない生徒からすれば茶番や八百長にしか考えていないが、最後まで見ていた人間からすればあの抜刀絶技が脅威とも考えられていた。

 

 最低限の身体能力の底上げだけでステラの防御を斬捨てる勢いは完全にどちらが上なのかを雄弁に物語っている。それだけではない。今年に限って言えば風間龍玄が最大の目玉になる可能性があった。

 冷静に考えれば幾ら戦場でも自身の固有霊装を展開もせずに自分達の意識を沈める実力は未だ未知数のまま。時折朝のトレーニングで訓練をする場面を見る事はあったが、そのやり方すら常軌を逸していた。

 常在戦場を地で行くそれを知っているのは自分達だけ。あの事に関して後日、魔導騎士連盟日本支部長から直々に公表しない様にと釘を刺されていた。そんな事もあってなのか、今年の予選会は大荒れになる所か、自分達も組み合わせによっては出場すら困難になる可能性を秘めていた。

 

 

「参考に聞くけど、勝てると思う?」

 

「そうですね……本当の事を言えば、今の自分では間違い無く無理でしょう。あの時の私は既に抜刀絶技を展開していました。それすらもすり抜けているのであれば、新たな何かを開発するしか無いでしょうね。そう言う刀華さんはどうですか?」

 

「……私も…かな」

 

 カナタとは違い、刀華の場合状況が状況だった為に一概にこうだとは言えなかった。

 元々小太郎によって自身の抜刀絶技は物の見事に粉砕されていた。これまでに中距離や遠距離で躱した結果負けた事はあっても、自身の得意とするあの距離でも見事に粉砕された事はまだ記憶に新しい。

 世間が考えている世界ではなく、自分の知っている世界はあまりにも小さすぎている事を実感したからなのか、刀華は無意識の内に自分の右腕を左手が握っていた。

 力が籠るが故に制服に皺が寄る。勿論、小太郎と龍玄が同じだとは思わないが、伊達に風魔の中でも青龍のコードネームを冠する以上、凡庸なはずが無い。

 今の時点でやれる事は自身の技能を高める事だけ。まだ誰も居ない生徒会室には少しだけ重苦しい空気が漂っていた。

 

 

「どうしたんだい?少し空気が重いみたいだけど」

 

「う、うた君。い、何時の間に来たの?」

 

「へ?今さっきだけど。随分と深刻な表情だったから声はかけなかったんだけど……」

 

 そんな空気を払ったのは同じ生徒会副会長の御禊泡沫だった。何時もと変わらない表情だからなのか、先程までのシリアスな空気が消えていく。

 理事長の発言からまさかこうなるとは思わなかったからなのか、二人は珍しく動揺していた。

 

 

 

 

「この前から少し変だよね。本当は何かトラブルにでもあったんじゃないの?」

 

「そ、そんなごとなかよ」

 

「だって、あまりにも挙動不審なんだけど」

 

「ちごうとるっち言うてるやろ」

 

 半ば疑いをかけたままではあったが、確かに違うのは間違いなかった。先程までの完全実力性による選伐試験はこの学園にも少なからず隠れた実力者を探す意味合いも含まれている。

 例え魔力が低くても実力が伴えば、自分達とて安泰ではない。だからこその話だった。

 

 

「今年は予選会を開催するに当たって、隠れた実力者が居るかもしれないって話ですよ。現にあの模擬戦の結果が全てではありませんか?」

 

「あ~確かに言われればそうだね。あの一戦って確かカナタはリアルタイムで見てたんだよね。実際にはどうだったの?」

 

「そうですね……一言で会えばAランクが故にの部分があったのは否定しませんよ。ですが、黒鉄君のあの力も侮れないですね」

 

「ふ~ん。そっか」

 

 あの一戦は確かにそれを象徴していた。これまでの様に魔力だけに頼った戦いは自分の想定外の戦術を取られれば敗北は必至。事実自分達がそれを体感しているからこそ、先の戦いの感想で出た一言だった。

 カナタの言葉に泡沫も若干驚いている。それがどんな意味を持つのは一人を除いて誰も分からないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室でのやとりとりはまるで無縁だと言わんばかりに1-1のクラスは随分と異質な空気を放っていた。

 入学式の後に行われたHRでまさかの吐血を起こした担任の介抱と同時に、次から次へと色々な事が龍玄の目の前で行われている。これまでに無い光景は少なからず龍玄の好奇心を高める役割を持っていたからなのか、気配を消すかの様に目の前で起きている事実を嬉々として眺めていた。

 

 

「たかがFランクがAランクに勝てるなんてどんなイカサマ使ったか知らねぇが、俺は騙されねぇぜ」

 

「そんな事はしてないんだけど」

 

「口だけならどうとでも言えるだろ」

 

 一輝に絡むかの様に五人の男は固有霊装を顕現させる。既に自分に酔っているのか、それとも目の前の一輝に実力を理解していないからなのか、どこか妄信している様な眼に龍玄はもう少しだけ眺める事にしていた。

 そもそも戦いに於いて卑怯などと言うのは競技をする人間が発する言葉でしかない。戦場でそんな事を言う暇が有ればさっさと命を絶つのが絶対のルール。元々破軍の生徒がどれ程の実力があるのかを見るにはある意味では良いチャンスでしかなかった。

 

 男達はそれぞれの霊装を展開している。お互いが邪魔にならない様に一輝に対し刃を向けた瞬間だった。

 教室と言う限定された空間では全員が一同に攻撃をする事は事実上不可能に近かった。

 周囲に何も無ければ可能かもしれないが、やはり机や椅子によって攻撃の方向は限定される。本来であれば一輝も自身の霊装を展開するかと思われていたが、そんな事すら無いままだった。

 

 無手でやれる事は限られてくる。元々自分の攻撃も同じだからと一輝がどんな行動を取るのか。ただそれだけを注視していた。

 真正面から来る白刃は既に一輝の頭頂めがけて振り下ろされている。武術の心得が無い人間からすれば驚愕の一言かもしれないが、魔力では無く、武に力を入れた人間からすれば(ぬる)いとしか言えない斬撃。

 そんな斬撃を一輝は受ける事無く掌を使い、刃を流す様に弾くと同時にそのまま体勢を崩す事に成功する。一方の斬撃を繰り出した男はそのまま力の方向性を完全に制御出来なかったのか、そのまま倒れ込んでいた。

 二人目の男に関しても一輝は冷静だった。先程の流す様な行動ではなく、今度は距離があったからなのか体重かかった軸足に対し、素早く力の方向を変えるべく刈る様に自らの足を利用し、相手の足を弾いていた。

 全体重がかかった軸足がその場で踏ん張る事は出来ない。故に先程と同様に床にダイビングする事になった。

 僅かに聞こえる声に誰もが既に意識を向けていない。そんな事よりも次の男に対する意識の方が優先されたいた。

 

 

「テメェ!」

 

「このままくたばれ!」

 

 同時攻撃は一輝の回避先を完全に消失させていた。

 このままではどちらかの攻撃が直撃する可能性が高い。龍玄はそう感じた瞬間、少しだけ手を出す事を決めていた。

 近くに落ちた消しゴムを千切り、そのまま指弾として弾く。誰もが一輝と襲い掛かった男に視線を向けていたからなのか、龍玄の行動を関知した人間は居なかった。

 消しゴムとは言え、弾丸と同様の速度で放たれたそれが眉間に直撃する。一人の男が怯んだ瞬間を一輝は見逃さなかった。

 初撃を当てにきた男は先程と同様に攻撃を往なされ、追撃をするはずだった男の霊装は地面に一輝の足によって縫い止められていた。見た目にそぐわない強靭な足腰はそれ以上の攻撃を行使出来ない。誰もが完全に終わったと思われた瞬間だった。

 

 

「このまま死ね!」

 

 日本人としては珍しいタイプの固有霊装でもあったリボルバー型銃器の固有霊装は既に一輝に向けられていた。幾ら固有霊装とは言え、今の状況が幻想形態か実像形態かどうかは誰にも判断出来ない。瞬時に見えた未来に誰かの悲鳴が上がっていた。

 

 

 

 

 

「こんな所で馬鹿やるとはな……つくづく平和な国だ」

 

 誰にも聞こえない程の声と同時に龍玄は再び落ちていたシャープペンを二本持っている。先程の指弾とは違い、完全に殺意を持っているのか、それとも逆上した上での攻撃なのかは分からない。

 上がる悲鳴を合図に素早く二本のシャープペンは銃を持った男に放たれていた。

 消しゴムすら弾丸と同様の速度で放つ業は少なからずそれなりの殺傷能力を持っている。

 殺傷能力は消しゴム以上。半ば暗器に近いそれは一本は銃口に、もう一本は男の額へと放たれていた。誰もが気が付かない中での凶行。この場でそれに気が付いたのは一人だけだった。

 眉間に当たる直前に男の目の前には何かを握った手が飛び出す。誰もが何を意味しているのかを理解するには多少の時間が要していた。

 

 

 

 

「これはやり過ぎだよ」

 

「そうか?銃を向けてるんだろ?それが幻想形態だって証拠がどこにあるんだ?」

 

 男の目の前に飛び出た手に握られていたのは一本シャープペン。ただの筆記道具にしか過ぎないそれは誰もが知りえない速度で飛来していた。

 このまま直撃すればそれなりにダメージが出る代物。まさか自分に向けられていたとは思ってなかったからなのか、銃を出した男はその場で崩れる様にへたり込んでいた。

 

 

「それでもだよ。誰にも被害が出てないんだ。だったらそれで良いんじゃないのかな」

 

「まぁ、お前がそう言うなら良いがな。だが、あまり甘い事は言わない方が良い。何かあれば完全に上げ足を取られるぞ」

 

「肝に銘じておくよ」

 

 一輝の言葉に龍玄は甘い考えである事を直ぐに口にしていた。実力があれば問題無いのは当然だがそれでも人間は誰もが自分より下の者がいれば、それに対し攻撃を平然としかける。

 優しさは必要だが、使う場面を間違えれば大火傷は必至。だらかなのか、何かを思い出したかの様に龍玄は一輝ではなく、先程霊装を展開した人間に一つだけ言葉を口にしていた。

 

 

「そうだ。これだけは覚えておけ。激情して攻撃するなんて者は下の下だ。固有霊装を展開した時点で問題なんだ。お前、確か死ねなんて言ってたが、自分が殺される可能性を考慮したのか?まさかとは思うが無責任な発言なら問題だぞ」

 

 龍玄の言葉に誰もが何も言えなかった。静まり返った教室に先程までの熱量はどこにも無い。戦場に赴く人間からすれば当然の事ではあったが、ここに居る全員がそれを経験している訳では無かった。

 事実、伐刀者とは言っても誰もが戦いの場に身を置く訳では無い。自分達が持っている力がどれ程の物なのかを理解していない人間にそれほどの価値があるとは思えなかったからこそ出た言葉。その場にいたステラでさえも一輝が飛んできたシャーペンを掴まなければ何が起こったのかすら分からないままだった。

 

「それ位にしなよ。皆驚いてるよ。それに僕も少々独断過ぎたからね。誰だってそんな経験あるから」

 

「だったら最初から実力を出せば良かったんじゃないのか?下手に誤魔化そうとするからこんな事になるんだよ。加減なんかするから助長する輩が出るんだ」

 

「手厳しいね」

 

「単なる事実だ」

 

 一輝と龍玄の言葉に誰もが驚く。先程の瞬時の攻防がまるで児戯だと言っているに等しい言葉。これが何もなく口論だけで終われば禍根も残るが、実際の力を見たからなのか、誰もがその実力に口を開く者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生徒同士の乱闘?」

 

「はい。出来ればすぐに来て貰えればと思いまして」

 

 1-1で起こった悲鳴はすべからく生徒会の耳にも届いていた。新入生特有のちょっとした言いがかりからの戦闘は今に始まった事ではない。事実これまでにも何度かそんな話は聞く事があった。

 しかし、今回のそれはこれまでのそれとは明らかに違う。数人の悲鳴は少なからず周囲にまで及んでいた。

 

 

「刀華、どうする?」

 

「念の為に、うた君とカナちゃんもお願い」

 

「分かりましたわ」

 

「直ぐに行こう!」

 

 生徒会室を飛び出したと同時に一つの懸念事項が刀華とカナタの頭に浮かんでいた。

 元々の経緯を考えれば、何かしらのトラブルを起こす可能性があのクラスには有り過ぎていた。

 一つは落第した黒鉄一輝。それと模擬戦を行ったステラ・ヴァーミリオン。そして風間龍玄。特に龍玄に関してはこの学園内でもその正体を知っている人間は極僅か。教員とて知らされていない事が殆ど。

 悲鳴が出た以上、何らかの負傷の可能性も高い。瞬時に考えた末の人選だった。ここから教室までそれほど時間は必要とはしない。ものの数分で教室の付近まで到着したその瞬間だった。

 

 

「何、この重圧……」

 

「何が起きてるんでしょう」

 

「何してるんだろう?」

 

 正体不明のプレッシャーが教室から漏れ出たかの様になっている。これまでに感じた事が無い程のそれが何なのかを正しく理解したからなのか、刀華だけでなくカナタと泡沫もまた足が止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら貴女とは考えが合わない様ね」

 

「それはこちらの台詞です。久しぶりの逢瀬を邪魔するだけでなく、あまつさえ自分が下僕だと言いながら主人を束縛するなんて言語道断。ここは下僕が何たるかを教える必要がありそうですね」

 

 既にお互いが一触即発の様相を呈していた。お互いに譲れない物があるからなのか、先程の言葉にあった固有霊装の無断使用が当然とばかりにお互いがそれを握り対峙する。

 既に先程の乱闘ではなく、お互いの鋭い視線と殺気だった空気が周囲を覆う。お互いが学年の首席と次席。激突のキッカケを作った本人はどうしたものかと判断に迷っていた。

 

 

「ここは教室なんだし、このままだと拙いよ」

 

「イッキ。気持ちは分かるけど、ここで引く訳には行かないのよ」

 

「あら、奇遇ですね。私も同じ事を考えていました」

 

 狭い教室で固有霊装を展開するだけでも大問題だが、問題なのはそれだけでは無かった。

 皇女が放った抜刀絶技は教室に居る人間を一瞬にして蒸発させる程の高温を持つ一撃必殺の業。方やもう一人はどんな抜刀絶技を繰り出すかも分からない。

 お互いが探り合っているからなのか、ジリジリと間合いを詰める。まるで時代劇を彷彿とさせるそれに誰もが固唾を飲んでいた。

 重苦しい空気が周囲を支配する。既に両者共に理性が働いていないのか、何かのキッカケ一つで教室内は大参事になると思われていた。一人の生徒が緊張のあまり、後ずさりする。その衝撃を受けたからなのか、机の上に置かれたシャーペンが音をたて床へと落ちる。僅かに響いた音が両者の攻撃開始の合図となっていた。

 

 

「残念だがそこまでだ」

 

 黄金に輝く大剣と太刀にしてはやや短めの小太刀は一人の人間の手によってそれ以上の行動を阻まれていた。

 お互いが振り下ろした刃は確実に自分の明確な意志によって向けられた物。先程の様に半ば勢いに任せた攻撃ではないからなのか、お互いが止められた事に驚きの表情を浮かべていた。

 それぞれが霊装を握った手を完全に掌握されているからなのか、幾ら攻撃をしようとも僅か程にも進まない。ステラと一輝の妹と名乗った珠雫はただ見るしかなかった。

 

 

「ちょっと何勝手に止めるのよ。貴方に何の権利があるって言うの?」

 

「権利?その言葉はそのままそっくり返すぞ。お前らがやってるこれこそ何だ?いつからここは幼稚園になった?」

 

 ステラの言葉に龍玄は何の感情も乗せる事無く淡々と喋る。会話をしながらも虎視眈々と攻撃の隙を見つけようとしているが、強靭な肉体が持つ力はステラだけでなく珠雫の動きすら封じている。未だ冷静になれないのか、ステラは先程よりも強い視線で抗議しているようだった。

 

 

「どうでも良いが、もう生徒会の人間がそこに居るぞ。精々弁明に終始するんだな」

 

「えっ!」

 

 それまで停止していた力を往なす方へと変化させ、互いの霊装は地面に向かう。そんな龍玄の言葉を聞いたからなのか、教室の入り口には刀華とカナタの姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、何か申し開きしたい事はあるか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「今回の件だが、惨事は免れたが固有霊装を無断で展開した事に変わりない。幾ら本年度の首席と次席だと言っても簡単に許す訳には行かない。特にヴァーミリオン。お前は皇女としての立場もあるんだ。下らない事は止すんだ。ここは政治の場では無いが、場合によってはそれ相応の罰を受ける事にもなり兼ねない。下らない事で自国の評判を下げたくはなかろう?」

 

「……すみませんでした」

 

「反省大いに結構。それと、懲罰として全校のトイレ掃除を一週間やってもらおうか。勿論、黒鉄。お前もだ」

 

「……はい」

 

 刀華からの報告によって直ぐにステラと珠雫は理事長室へ直行する羽目に陥っていた。

 冷静に考えれば考える程、自分達が行った行為がどれ程の物なのかを理解していく。幾ら激情に伴う攻撃とは言え、罰則規定には逆らえない。そんな事実があったからなのか、お互いは視線こそ合わせないが、内心穏やかにはなれなかった。

 

 元はと言えば、一輝に対するやっかみから発生したトラブルが起因のはず。しかし、その事実を口にすれば一輝にも何らかのペナルティがあるのではとお互いが瞬時に判断したからなのか、互いに対峙した行為のみで終始していた。

 奇しくも先程まで睨み合っていた二人が同じ人間に対する思いからの判断が同じになった瞬間だった。

 

 

「それと、お前達を止めたのは確か……風間だったな。お前達の目から見てどう感じた?」

 

「どうと言われても………」

 

 黒乃の言葉にステラだけでなく珠雫もまたあの時の事を思い出していた。

 幾らお互いしか視界に入らないとは言え、気が付けばその中心で自分達の手首を完全に掌握している。未だに違和感があるからなのか、お互いの利き手は僅かに傷んでいた。

 そんな中での黒乃の言葉。何を言いたいのかはまだ理解出来ないままだった。

 

 

「ヴァーミリオン。言っておくが、今年からここは完全実力制で優劣を決める。Aクラスであるだけでなく、相応の努力をしているのは認めるが、世界は広い。精々が(かわず)の様にはなるなよ」

 

「それと黒鉄。お前も今年の実力と数値だけ見れば事実上の首席だったかもしれない。だが、激情に身を任せた剣は果たしてお前が望むべき結果が付いてくるかな」

 

 まるでお互いの経緯を全て知っている様な顔に二人も何かを悟ったのか、それ以上は何も言えないままだった。しかし、それと先程の風間の名前にどう繋がるのかが分からない。事実、黒乃の表情にはどこか探る様な雰囲気が浮かんでいた。

 

 

「参考に言っておくが、先程聞いた風間の件だが彼奴はあれでもかなりの実力を持っているだろう。魔力こそ低いが、恐らく接近戦はこの学園でも上位に入る。実際に試験の際に、一人の教員を幻想形態にも拘わらず意識不明の重体にまで落とした位だ」

 

「意識不明……まさか」

 

 黒乃の言葉にステラは何の事なのか分からないと言った表情を浮かべたが、珠雫は驚愕の表情を浮かべていた。

 破軍の試験では魔力の発露からその発動までで適性ランクと入学の基準を判断する。そんな中で自身の兄もである一輝が取った行動は当時の担当者との模擬戦。結果的に実力を示した事によって入学が許されていた。当時は何も知らなかったが、珠雫が破軍に入学する事を連絡した際に聞かされた事実。実際にここの教員のレベルは低くは無い。そんな教員を意識不明の重体になせるのは確かな実力が要求されている。それが何なのかを言外に黒乃は示していた。

 

 

「まぁ、この話はここまでだ。先程の話は他言無用。さっさとトイレ掃除に行け。時間が勿体ないぞ」

 

 言いたい事を言いきったからなのか、黒乃は自分のポケットから出した煙草に火を付ける。黒乃の言葉にステラと珠雫は素直に理事長室を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、事の真相は何だったんですか?」

 

「なぜそれを聞く?」

 

 既に裁定が下ったからなのか、カナタは寮の自室へと戻っていた。

 元々トラブルが起こったのは間違い無いが、実際に処罰を受けたのは当事者でもある二人だけ。最後の場面を見ていたからこそ、同居人でもある龍玄に事の真相を聞いていた。

 余程の事が無ければ悲鳴など上がらない。事実、あれがあったこそ自分達が駆けつけたに過ぎなかった。

 理事長の介入に生徒が真相を知る術は無い。だからなのか、事実上の当事者でもある龍玄の言葉をカナタは待っていた。

 

 

「あれだけ外にも圧力が漏れていた空気なら誰だって気になります。事実、刀華さんだけでなく他のメンバーも話題にしてましたので」

 

「……なるほど。特段大した事は無い。一言で言えば痴情のもつれなだけだ」

 

「ち、痴情ですか……でもどうして?」

 

「さあな。それ以上は一輝に直接聞くと良い。俺も態々友人の個人情報を売りたいとは思わんからな」

 

 そんな事を言いながらも龍玄は既に夕食の準備を開始していた。元々食堂を使用した事が無いからなのか、キッチンの前で手際よく材料となる野菜を切っていく。

 既に見慣れた光景だからなのか、それとも龍玄の性格を漸く理解したからなのか、カナタもそれ以上聞く事は止めていた。

 

 

 



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第9話 動き出す刻

 今までは偶然に過ぎなかった早朝のトレーニングは、何時しか龍玄と一輝の二人からステラを含めた三人へと変化していた。

 当初は鍛えているとの弁からステラも同じ様に参加していたが、一輝の二十キロにも及ぶ速度を変えたランニングはこれまで経験した事が無い程の負荷を与えたからなのか、体力に自信があると豪語したステラは即時撃沈していた。

 

 

「ちょっと……待って……少し……休ませて」

 

「やっぱり距離は最初は短い方が……」

 

「良いの!私が決めた事なんだから」

 

「だそうだ。これ以上は皇女様に逆らわない方が身の為だぞ。一輝、折角の奴隷を失いたくないだろ?」

 

「あれは、言葉のアヤであって……」

 

 息も絶え絶えのステラを横目に何時もと変わらない態度の一輝と龍玄は息一つ乱れていなかった。元々ランニングをしていた一輝に対し、未だ龍玄はどこを走っているのかを教えないからなのか、二人は何も分からないままだった。

 

 

「そう言うあんたは……どこ走ってるのよ…私、見た事無いわよ」

 

「当然だ。ルートが全く違うからな」

 

「どうせ……その当たりを適当に……走ってるんじゃ……ないでしょう…ね」

 

 ステラの言葉に一輝もこれまでずっと疑問を抱いていた。

 元々一緒になったのは偶然の結果であって、これまで一緒に走った記憶は無かった。

 そもそも破軍の敷地内は広大ではあるが、ランニングをするコースとなれば必然的に限定される。余程の事が無い限り、どこかですれ違うだろうと思った事は何度かあったものの、実際にそんな事は一度も無かった。

 走る一輝も大よそながらコースの全貌は知っている。だからなのか、ステラの質問に答えようとする龍玄を今は見ていた。

 

 

「何でそんな軟な場所を走る必要がある?俺のルートはこの敷地全域に決まってるだろ?場所も全部覚える事が出来るし、一石二鳥じゃないか」

 

「ちょっと待って。ここは走れる場所は限られたはずだよ。それに、全域って、ここは校舎の様な建物もあれば多少は森林の部分に池の様な場所もある。それを走ってるって事?」

 

 何気無く話した言葉ではあったが、一輝からすればあり得ないと判断するに等しい内容だった。

 建造物が邪魔になれば当然ルートの変更は必要不可欠でしかない。ましてや水がある場所はそれなりに大きい。迂回以外にルート無い事を知っているからこそ驚いていた。

 

 

「水の上を走るなんて簡単だろ?まさかとは思うが、お前達走れないのか?」

 

「そんな非常識な事出来る訳ないでしょ。忍者じゃあるまいし」

 

「そうか……皇女様は出来ないのか。残念だ。こんな物は只のパルクールと同じなんだがな」

 

 忍者の言葉に龍玄は僅かに反応はしたものの、冗談めいた言葉だと判断し、そのまま流していた。

 元々ランニングだけではゲリラ戦になった場合、平衡感覚を失えば自分の命が無くなるからと、同じ行動を一つするにも常にあらゆる可能性を想定した動きを取っている。それだけではない。

 仮に苛烈な動きを使用とすれば精神と肉体の結びつきが弱ければ、最悪は自身の肉体にダメージが帰ってくる可能性もある。精神が幾ら優れようとも、肝心の抜く体がそれについて行けない時点で無意味でしかない。

 その一環としての行動が故に、その動きを異常だと考えてはいなかった。

 

 

「流石に僕も水の上は走れないかな」

 

「慣れると案外と簡単だぞ。因みに魔力なんて物は使わんがな」

 

「あんたが変なだけでイッキは普通なのよ。それと私の事は皇女様じゃなくてステラで良いわ。何だか馬鹿にされてる気分になるから」

 

「そうか。でも良いのか?一輝以外の人間が名前呼びなんて」

 

「そ、そんな事…今は関係無いでしょ」

 

「そう言うなら俺としては構わんが」

 

 漸く呼吸が戻ったのか、ステラは何時もと同じ様になっていた。それを見たからなのか、一輝だけでなく龍玄もまた同じく次の工程へと移る。龍玄の手には珍しく見た事が無い物が握られていた。

 

 

「龍、それって日本刀?」

 

「そうだ。刃引きはしてあるから殺傷能力はそれ程でも無い。真剣だと何かと手続きが面倒なんでな」

 

 龍玄の手には一振りの日本刀の様な物が握られていた。漆黒の鞘に簡素な鍔と柄が付けられたそれは美術品ではなく、どちらかと言えば実戦的な代物。龍玄の固有霊装が籠手であった事を考えれば、日本刀はどこか不自然にも見えていた。

 

 

「前に言ったろ?嗜む程度だって」

 

 そう言いながら龍玄は少しだけ場所を移動していた。周囲にあるのは雑木林特有の生い茂った木々。少しだけ蹴りを入れた事により、上空から数枚の葉が落下していた。

 自然体から居合いの体制へと移る。その瞬間だった。龍玄の周りの空気がまるで停止したかの様に重苦しくなっている。これから何が起きるのかを知っているのは本人だけだった。

 膨大に膨れ上がったはずの龍玄の気力はまるで萎んでいくかの様に小さくなり、やがて周囲と同化したかの消え去っていく。これから何が起こるのか。二人はこれから何が起こるのかを確認する為に、見るだけに留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステラが一輝と同じ様にランニングをしているのは色々な意味を持っていた。

 一つは自信を打ち負かした黒鉄一輝と言う人間をもっと知りたいと言う感情。自称妹のお蔭で色々と痛い目にあったのは黒歴史だが、それと同時に、もう一人の男の存在が気になっていた。

 自称妹と名乗った珠雫と対峙した際に乱入された事はステラにとっても驚愕の一言だった。幾らお互いが睨むように対峙しているとは言え、周囲の行動を感知出来ない訳では無い。

 事実、自身の魔力を身に纏う事が出来るように周囲を探索するのは然程難しい芸当ではない。ましてや、あれ程の距離であれば尚更だった。

 しかし、事実は事実。自分が気が付かない間にそれぞれの中心に乱入され、手首を掴まれてからは動かす事すら困難となっていた。

 あの後、一輝から聞かされたのは手首の関節を極められた結果だと言う事実。

 

 身体能力を倍加させる事は魔導騎士によっては当然の内容ではあったが、倍加して効果をはっきするのはあくまでも肉体の稼動に関する内容。その為に関節を極めると言った行為はその倍加の内容には当てはまらなかった。

 それと同時に、自身が体験した事が無い速度領域へと簡単に動かせる事は困難を極めていた。それを決定付けたのが理事長の言葉。

 日本に来る際に勉強した言葉の『井の中の蛙大海を知らず』を地で行くそれはステラにとっても面白い物ではなかった。自身のAランクの能力は一般的には歴史に名を遺す程の逸材であると言うのはこの世界に魔導騎士の概念が出来てから常に言われ続けている言葉。

 ステラ自身、驕るつもりはないが、それでも自身の魔力量の多さはそれなりに自信があるが故の能力。だからこそ、一輝とは違った考えと能力を持つ龍玄がどんな人間なのかをこの目で見たいとも考えていた。

 そんな中で早朝に会うからと言う言葉も踏まえ、自身の思惑も踏まえつつステラも参戦していた。

 

 

「本当にそれで嗜んでるって言うの?」

 

「当然だ。この程度の業、恥ずかしくて見せれるレベルじゃないからな」

 

「……そう」

 

 その言葉にステラはドン引きしていた。居合いがどれ程の技量が必要なのかは知識としては理解している。

 抜刀術の中でも一撃必殺の刃は万が一失敗すれば大きな隙が出来る。これが戦闘中であれば命を失う可能性すら孕む物。

 しかし、瞬時に放たれた抜刀と同時に、納刀すらも神速とも言えるからなのか、鯉口の鋭い音が二度響くだけ。その結果、二枚の葉は一番太い葉脈を中心に切断されていた。

 龍玄の持っていた刀は刃引きされている。勿論完全な日本刀では無いからと言われればそれまでかもしれないが、その技量は感嘆に値する物だった。

 ヒラヒラと数枚の葉が舞い散る中で、龍玄は瞬時に落下する葉を一刀両断している。

 ステラとて自身の剣術には自信があったが、今のそれは明らかにそれを凌駕していた。

 

 周囲に溶け込むかの様に自分の存在を打ち消すと同時に放たれた刃は息をする事も許されないと思える速度。これが通常の抜刀であれば、距離を置くなど対抗手段はあるかもしれないが、問題はこれが暗闇の中で行使された場合だった。無意識の内に斬られるとなれば既に対峙した瞬間、自身の命の灯が言える事を意味している。

 余りにも見事な抜刀故に誰もが気が付かないが、これが暗殺の場であれば、この業がどれ程規格外のなのかを思い知る羽目になる。

 気配を感じさせない本来であれば自身の固有霊装に馴染む獲物であれば納得できるが、龍玄の霊装は篭手。所謂無手の状態を得意としている。にも拘わらずあれ程の技量をどうやって学んだのか、ステラは純粋にそんな気持ちを持っていた。

 

 

「やってみるか?」

 

「えっ?」

 

 そんなステラの考えは瞬時に霧散していた。気が付けば先程の刀は一輝の手に握られている。恐らくは何かしら思う部分があったからに違いないが、自身の思考の海を彷徨っていたステラにはその過程が分からない。だからなのか、今はただ見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

「これは……」

 

 一輝は龍玄から渡されたそれの重みを初めて理解していた。元々日本刀はその製造の過程から、それなりの重量を有している。

 どんなに軽くても九〇〇グラム。下手をすればその五割増し程の重量を誇る。

 しかし、手渡されたそれは明らかにそれ以上の重量。仮に自分がこれでやれば先程と同様の事が出来るのだろうか。そんな考えが自身の思考を埋めていた。

 改めて僅かに鯉口を切り、僅かに見える刀身はまるで本身の様にも見える。刃引きしているのであれば、どちらかと言えば斬るでのはなく叩くに近いはず。しかし舞い落ちた葉には明らかに切断された形跡が残されていた。

 抜刀速度が早く無ければ不可能な現象。だからなのか、一輝は自身の口元に無意識の内に笑みが浮かんでいる事に気がつかなかった。

 自身の腕だけが全て。これまでに色々な剣術を盗み見て糧としてきたが、これはその範疇を逸脱している。これで葉が斬れなければ自身の抜刀速度と技量は龍玄よりも数段遅い事を証明する。一輝は無意識の内に居合いの構えを作っていた。

 

 

「準備は良いか?」

 

「ああ。いつでも!」

 

 一輝の声に龍玄は近くの樹木に蹴りを入れ、再び葉を散らす。数枚の葉は無軌道を描きながら一輝の視界の下へと映った瞬間だった。

 瞬時に疾る剣閃はヒラヒラと舞い散る一枚の葉を真っ二つにする。先程の龍玄と同じ光景が繰り返されていた。

 

 

「す、凄い」

 

「ほう……初めてにしては中々の物だな」

 

 ステラの感嘆の声と龍玄の関心した様な声が聞こえる。本来であれば凄い結果ではあったが、肝心の一輝の表情は浮かないまま。それが何を意味するのは直ぐに理解していた。

 

 

「これ……手首にかかる負担は尋常じゃない。龍の強さがあったのはこれのお蔭だね」

 

「流石に分かるか?」

 

「当然だよ。こんなに負荷がかかるなんて初めての経験だからね」

 

「どうかしたの?」

 

 ステラだけが疑問を持っているが、龍玄と一輝は実際にやったからこそ分かる内容。

 重量が有る物を加速させ、一瞬にして静止させるには手首に多大な負荷がかかる。

 元々、固有霊装を使った鍛錬であればこの重量感を体感する事は殆どない。だからなのか、一輝も切断するまでの加速が何時もと同じだったが、静止までは力の配分が合わなかったからなのか、僅かに抜刀後の姿勢が流れていた。

 

 

「実際にここの連中はどう考えているのかは知らんが、魔力だけが全てだと思うなら実戦では即死だな。戦いだけじゃない。魔力が枯渇する場面も有り得るならば、結局は己の身体だけが残された武器になる。鍛えるのはその為だ」

 

「でも、そうならない様に戦うのが戦術なんでしょ?」

 

「普通はそう考える。だが、考えてみるんだな。相手は魔導騎士がいるのであれば、真っ先にそれを潰そうと考えるだろう。そのやり方に綺麗も汚いも無い。仮にだが、ステラは自分の身内が捕えられた状態で十全の力を振るう事が出来るのか?」

 

「それは……」

 

「ステラ。戦いとはそう言う物だよ。だからこそ僕はなりふり構わず力を使う。それが一刀修羅であり、自分の剣術なんだ」

 

 龍玄の言葉の意味を一番理解しているのはステラではなく一輝だった。

 己の魔力の総量が少ない為に、伐刀者としては落第するレベル。しかし、己の身体だけの言葉の意味は直ぐに理解していた。

 今では完全な興業となっているA級リーグの選手には魔力だけで戦う人間は殆ど居ない。

 誰もが抜刀絶技を持つが、万全の状態で行使出来る可能性はそう高く無い。となれば、どこかで決定的な隙を作り出し、その瞬間に行使するのが最大の安全策。

 だからと言う訳では無いが、やはり上級者は体術や剣術などの肉体を行使する業も一流だった。

 

 

「取敢えずはここまでだな。俺はこのまま戻るが、一輝とステラはどうする?」

 

「時間なのはお互い様だからね。僕もこのまま戻らせてもらうよ」

 

「私もそうするわ」

 

 このまま早朝の鍛錬は幕を下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業はつつがなく終了し、既に時間は放課後になっていた。

 本来であればこのまま自由な時間を過ごす事が殆どだが、携帯端末に届いた一通のメールによって、今日の予定は決められていた。差出人は小太郎。

 秘匿回線での通話ではなく、メールである事から内容そのものは簡素ではあったが、問題なのはその場所だった。

 破軍学園から少し距離があるそこは自分が良く知っている場所。既に龍玄ではなく青龍としての雰囲気だったからなのか、その表情は何時もとは違っていた。

 

 

「カナタ。俺は今日は用事で出かけるから遅くなる」

 

「奇遇ですね。私も予定があるので、大丈夫ですよ」

 

 自室に戻ると同時に龍玄は直ぐに制服から着替えていた。指定された時間を考えれば、ここで悠長に時間を過ごす訳には行かない。だからなのか、部屋に戻ってきたカナタにも、今日の予定を口にした矢先の話だった。

 

 

「そうか。ならば良いだろう」

 

「何かあったんですか?」

 

「お前には関係の無い話だ」

 

 その言葉と雰囲気にカナタは風魔の用事である事を理解していた。

 ここ数日の間、一緒に生活を共にして分かった事が一つだけある。普段の龍玄と風魔の青龍では考え方は同じでも、その経過が全く異なる点と、その雰囲気だった。

 傭兵集団が故に常時警戒し生活をしているが、その差はあまりにも歴然としていた。

 触れれば切れる様な雰囲気は明らかに任務か何かがあるはず。あの時と同じ空気を纏っていたからなのか、カナタもまたつられる様に自然と厳しい雰囲気を身に纏っていた。

 

 

 

 

 

 都内の一等地にある料亭は周囲の喧噪などまるで無かったかの様に静寂に包まれていた。

 小太郎の名で呼ばれた以上は何かしらの任務が入っている事になる。これまでであれば自室に招く話も、今は全寮制の学校に行っている為に何かと面倒な部分が多分にあった。

 何も知らない人間からすれば電話なり他の回線を使って連絡すればと考えるが、内容によっては機密を扱う事になる。だからなのか、内容は極めてシンプルな文言だけだった。

 時間の指定があるからなのか、急いで来た物の周囲にその気配は感じられない。バイクのモーターの僅かな音だけが料亭の一区画に僅かに響いていた。

 

 

「小太郎に呼ばれて来た」

 

「お聞きしております。どうぞこちらへ」

 

 元々料亭の人間は風魔の事を知っていたからなのか、来た人間が青龍だと認識した為にそれ以上の事は口にせず案内だけをしていた。

 ここは色々な人間が極秘に使う事が多く、また数多のセキュリティ対策が施されているからなのか、ここを使う人間は限られていた。

 周囲からのイメージは一見様はお断り。如何に身分が高かろうが、有名人だろうが一切関係無かった。身元が確実に知りえる人物と数回同席して初めて自身で予約できる場所。

 だからなのか、使う人間の殆どが自然と身分の高い者に限られていた。

 

 

「青龍です。今回は如何様な内容で」

 

 襖を開け、そのまま座礼をすると、そこには小太郎だけでなく、北条時宗も同席していた。

 青龍とてこれまでに何度も時宗の事を見た事があるからなのか、驚く事は無い。当然とばかりにそのまま部屋へと入っていた。

 

 

「そう畏まるな。今日、ここに呼んだのは今後の事についてだ。その件に関してはこの後ゲストがここに来る。詳細は来てからにする」

 

「で、本当の用件はなんだ?こんな態々手の込んだ事して。俺も暇じゃないんだが」

 

 この場は既に小太郎と青龍ではなく親子の会話となっていた。

 元々任務があるならば周囲の空気はもっと刺々しくなっている。それに、この場に時宗が居る時点で何らかの厄介事がある可能性も含まれていた。

 未だ来ないが座布団が二つ用意されている。そこに誰が座るのかを知っているのは小太郎と時宗の二人だった。

 

 

「それよりも、破軍学園に入学おめでとう。本来であれば電報の一つでもと思ったんだが、生憎と法律に背く訳にもいかないからね。遅ればせながらと思ったんだ」

 

「いえ。気にしてもらう必要も無いですから」

 

「……相変わらずだね君は」

 

 政治家としてではなんく、どこか身内の様な空気を纏いながら時宗とは僅かに話をしていた。元々の繋がりは有名ではあるが、実際にそれを見た人間は数える程しかいない。

 殆どが人伝でしか知りえないものの、数々の実績がそうさせるからなのか、それ以上の詮索をする者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父様。今日はどんな用件で?」

 

「いや。カナタの今後についての話し合いだ」

 

「では、やはり……」

 

「そう固くなるな。既に先方には話はついている。今日は顔合わせに過ぎん」

 

 自身の父親からの言葉にカナタは何となく想像が出来ていた。

 しかし、何故今になってその話が出るのかが分からない。事実、今のカナタを取り巻く環境は少し前に比べて変化のふり幅が大きすぎていた。

 これから行く場所は自分も見た事が無い場所。喧噪が聞こえそうなビル群を無視するかの様に車はその場所へと走り続けていた。

 少しづつ外の景色は変わり出す。ビル群があるのは当然だが、徐々に森の様に木々が目立ち始めていた。

 それから数分後。一台の車が止まったのは、ここが本当に都内かと思える様な場所。目の前には広大な日本家屋がその存在感を示す様に建っていた。

 

 

「貴徳原様ですね。既にお待ちになっております。こちらへどうぞ」

 

「ああ。済まない」

 

 女中の言葉にカナタは父親の後を着いて行く事しか出来なかった。

 ここは都内でもかなりの料亭。誰もが安易に入れる店では無い事だけは知っていた。

 事実、カナタも存在は知っているが、来た事は一度も無い。ゆっくりと歩きながらもこの先には誰が居るのだろうか。元々の縁談の相手なのか。そんな思いが胸中を漂っていた。

 

 

「合図をしてから入ってくれ」

 

「分かりました」

 

 そんな取り止めの無い言葉を聞いたからなのか、カナタは襖の向こう側の内容を何も知らされないままに、その場で待機する事になっていた。

 何時もとは違い、父親もどこか緊張している様にも思える。相手が誰なのかは分からないままに、聞こえる声だけを拾っていた。

 

 

「遅れて申し訳ない。何かと予定が立て込んでいてね」

 

「いえ。お互い予定がある身です。これ位の誤差は些事ですから」

 

 歳は自分の父親よりも若い。明らかに聞こえる声の質はそれだった。記憶を辿るとどこかで聞いた記憶がある。しかし、それがどこで聞いたのかを思い出す事はなかった。

 時間にしてそれ程経過していない。少なくとも自分が予測していた人物と違っているのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「娘の貴徳原カナタです。以後、お見知りおきを」

 

 呼ばれた事もあってか、カナタは襖を開けると同時に挨拶をしていた。洋間ではなく和室だったからなのか、開けた瞬間に深々とお辞儀をする。だからなのか、その場にいた人間を確認する事は無かった。

 

 

「そう畏まらなくても良いんだよ」

 

 不意に言われた事でカナタはそのまま頭を上げていた。深々とお辞儀をしたからなのか、視界に入る景色を目にするまでに僅かに時間を必要としていた。

 そこに居たのは父親を除けば三人の男性がいる。その内の二人は見覚えがあり過ぎる人物だった。

 

 

「驚かす様で済まないね。君の事はお父上から聞いているよ。僕の名前は……」

 

「存じ上げております。内閣官房長官の北条時宗様ですね」

 

 二人の男性に驚きながらもカナタはしっかりと声をかけた人物を見ていた。

 口にした様に、こんな場所にまさか居るとは思わなかったからなのか、現政権の官房長官を目に内心驚きながらも平静を装っていた。

 それと同時に謎が湧いてくる。自分と風魔との関係に何故、この人物が居るのだろうか。

 理解しようにも材料が足りなさすぎるからなのか、理解が追い付かない。ポーカーフェイスを装いながらもその表情を読まれたからなのか、その説明を受ける事になっていた。

 

 

「そう固くならなくても良い。僕の事はそう気にしなくても大丈夫だから。それに彼等とは顔見知りでね。偶々この席で話をする予定があっただけなんだよ」

 

 政治家の言葉を真に受ける人間は早々多く無い。自身の立場がそうさせるからなのか、カナタも普段から政治や経済についてのニュースは殆ど網羅している。

 現政権の懐刀でもあり、次期総理の呼び声も高い人物。そんな人物がこの場に居れば何かしらあるだろう事だけは理解出来る。だからなのか、時宗の言葉を鵜呑みにする訳にはいかなかった。

 

 

「小太郎。彼女は僕の事を信用出来ないみたいだ」

 

「当然だ。どこの世界に政治家の言葉を真に受ける輩が居ると思ってるんだ?ましてや貴様は官房長官。実質内閣の二位の立場だろうが」

 

「……連れないね。その辺はもっとフレンドリーに行って欲しかったんだけど」

 

 時宗と小太郎のやりとりにカナタはただ見ている事しか出来なかった。それと同時にこの場に居るもう一人の青年。少しだけ視線を動かせば寮を出た時と何も変わらないままだった。

 

 

「このままでは互いに話す事も碌に話せないだろうから、ここは一度食事をしてからにした方が良いだろう」

 

 既に準備は終わっているからなのか、小太郎の言葉と同時に女中は準備した物を次々と用意していく。一流だけあって、その見た目と味わいはこれまでに感じた事が無い程の料理だった。

 そんな中でこの味にどこか覚えがあった。しかし、カナタ自身はこの店に来た記憶は無い。舌が覚えていたからなのか、焼き物の魚を口にした瞬間だった。

 最近食べた記憶が蘇る。まさか自分の部屋で食べたそれと同じだとは思いもしなかったのか、その表情が珍しく顔に出ていた。

 

 

 



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第10話 それぞれの思惑

 どんなに表面上は華やかに繕った世界でも、その裏は常にドロドロした物が蠢いている。それが誰の日常でも存在し、また非日常でも同じ事だった。

 周囲にはこんな機会は早々無いと踏んだからなのか、常に人の対応に追われている一人の少女。これまでにも同じ社交界で生きてはきたが、今回に限ってはこれまでとは別世界の住人が殆どだった。

 常に値踏みされるか、何らかの下心を持った人間ばかりが擦り寄って来る。カナタは既に精神的な疲労で一杯だったが、そんな表情はおくびにも出さずに主催者としての役割を果たしていた。

 

 

「どうした。ここはお前の主戦場では無かったのか?」

 

「社交界に出る事はあっても、今回の様にかなり上の人間が来るケースは余り無いですから」

 

「仕方あるまい。自分が今日の主役である以上、それは当然だろう」

 

 カナタは少しだけ息をつけたからなのか、出されたノンアルコールのスパークリングを口にしていた。本来であれば純粋なスパークリングワインを口にする事も吝かではなかったが、今日に限ってはそんな事は出来なかった。

 今日、ここに集まっているのはこの国の事実上のトップばかり。これまでにカナタ自身がこの様な集まりに顔を出した事はあっても、自分が主役になる事は一切無かった。

 そんなメンバーを相手にアルコールで麻痺させるような下策は尤も忌避すべき行為。それを理解しているからこその対応だった。

 既に何人もの人間の対応をしたからなのか、精神的な疲労はピークに達している。しかし、自分が主催者である以上は、退出出来るはずが無かった。

 

 

「でも、どうしてここまで」

 

「それは自分の父親とあそこで話している時宗に聞くんだな」

 

 龍玄は今回のパーティーのガードとしてこの場に立っていた。

 主催者とガードが一緒になる事は有り合えないからなのか、お互いは視線を交わす事無く話している。

 休憩である事をアピールしたからなのか、今はカナタに寄ってくる人間は誰も居なかった。

 流れる音楽がこの場を非日常へと変えていく。龍玄の言葉では無いが、その原因を作ったのは結果的には自分が全て絡んでいたからに他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナタ。今後、風魔に対する報酬の事だが、このままにする訳にはいかない。そこでだが、これを機にカナタの名義で会社を一つ作る。そこで収益を上げて返済の原資に充てると良いだろう」

 

「私が経営ですか?」

 

「そうだ。勿論、事務方はこちらで数人派遣させよう。既に手は打ってあるんだ。特にカナタが気にする様な事は何も無いだろう」

 

 父親の言葉にカナタはどうすれば良いのかを考えていた。

 個人的には確かに経営学は学んだが、それを実践する場面に出くわす様な事はこれまでに一度も無かった。

 本来であれば個人の借財。これでは何となく筋が違う様な気がしたからなのか、カナタは思い切ってその事実を当事者にぶつけていた。

 

 

「この様な返済方法でも良いのですか?」

 

「愚問だな。我々はどんな手段を用いようが結果だけを見る。まさかとは思うが、金の綺麗、汚いや出所をお前は一々気にするのか?」

 

「そんな事はありません。ですが、これでは自分ではなく、財団からの支払いになるかと思っただけです」

 

 小太郎の言葉にカナタは改めて自分の考えを示していた。

 元々後先を考えて依頼した訳でも無かったからなのか、報酬の支払いの条件が緩和された事実は驚き以外に何も無かった。

 報酬で繋がれた縁ではあっても、小太郎はその依頼を完遂している。となれば、次はカナタがそれを示す番だった。

 

 無策では何も出来ず、また一年延長した所で実質的は自分では無く親が払う事になる。もしそうなれば、カナタとの信頼関係はその時点で崩れる事になるのは明白だった。

 だとすれば、自分が父親から言われた任務を果たす事も出来なければ、自分がこれまで誇ってきた矜持さえも否定された事になる。

 だからなのか、カナタはそれ以上自分の考えを口にする事は無かった。

 

 

「お前が代表であれば、後は自分の才覚だけのはずだ。それにこの会社は上場する訳では無い。株主とて自分である事を含めれば、結果的には自分が支払った事になるのではないのか?」

 

「……分かりました、この件、謹んでお受けします」

 

 小太郎の言葉にカナタは改めて深々と頭を下げる。この時点で漸く停滞していた事実が前に進もうとしていた。

 

 

「それで、会社はどんな内容を?」

 

「その件で、今回小太郎殿と時宗殿に来て貰った。今回の会社は警備関係。しかも、通常のではなく特殊な警護を基本とする予定だ」

 

 カナタと総帥が話す内容を事前に聞いていたからなのか、龍玄は特に驚く事は無かった。

 しかし、肝心の内容までは聞いていた訳では無い。警護と聞いたからなのか、龍玄はこれまでの戦場の勘が働いたからなのか、嫌な予感だけが漂っていた。

 

 

「平たく言えば、今回の会社に関しては個人向けのシークレットサービスだと思ってくれれば良いよ。勿論、僕の立場では警察の方からも出てるんだけど、それ以外となると中々出せなくてね。個人で設立しても良かったんだけど、そうなると国会でも揉める原因になる。だから今回の件に至ったんだよ」

 

 時宗の言葉に誰もが一定の理解を示していた。

 表には出ていないが、ここ最近になってから『解放軍』の活動が活発化し始めていた。

 元々内部には最低限の統制はあるものの、実際にその機能を果たしているのかと言われれば誰もが悩む部分が多分にあった。

 事実、逮捕した所で何かの情報が出る訳では無く、仮に裁判まで行っても、今の法律に基づく判断しか出来ない。その結果、下手に目を付けられて恨まれる様な真似をすれば、自身の命が危ないからと判断するケースが多々あった。

 そんな事も勘案したからなのか、最近では議員の中でも個人的に警護を付けるケースが多くなっていた。

 

 

「それに政界での実績があれば、それ以外からの指名もあるだろうし、それなら報酬の支払いには影響が無いと思うんだけどね」

 

 これが今の内閣の懐刀かと思える程に軽い発言ではあるが、その内容には一定以上の納得が出来ていた。

 元々SPの様な特殊警護を使用とした場合、それなりに身元がしっかりとしていなければ依頼が来る事は無い。しかし、設立したのがどこなのか。その顧客が誰なのかを考えれば、後は実績があってに後押しする。現役の国会議員の警備をする様な会社を怪しむとなれば、それ相当の調査をする必要が出てくる。本当に自分の命が危ういと判断すれば、自ずとどうすれば良いのは言うまでも無かった。

 だからなのか、時宗の発言には不明瞭な点は何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とにかく今はお前が主役だ。俺はあくまでも護衛に過ぎん。これ以上はここで油を売る暇は無いはずだ」

 

 任務中だからなのか、龍玄はカナタに視線を移す事は全く無かった。

 ここでの警備責任を負っているからなのか、その視線は怪しい行動をする人間へと向けられる。既にカナタの事など興味すら無いとばかりに視線は常に会場内を動いていた。

 

 

「少し位は私の事も見てくれても良いとは思いますが?」

 

「そんな事よりも、少しだけ怪しい人間が紛れ込んでいる様だ。其方は其方のやるべき事をやれ。此方は此方のやるべき事をやるだけだ」

 

「え……それって」

 

「視線を動かすな。怪しまれる」

 

 龍玄の言葉にカナタも少しだけ会場に視線を動かしていた。元々今夜のパーティーは完全招待制。怪しい人物がいるはずが無かった。

 周囲を見ればそんな気配はどこにも無い。だからなのか、龍玄の言葉の意味は分からなかった。

 

 

「ここを少しだけ離れる。程なく他の人間がここに来るはずだ」

 

 カナタの返事を聞くまでも無く龍玄はこの場を離れていた。表情こそ変わらないが、雰囲気は既に青龍となっている。

 気配を感じる事無く移動したからなのか、カナタもまた気を取り直し、己のやるべき事に専念していた。

 

 

 

 

 

「まさかこんな所に薄汚い鼠が紛れ込んでいるとはな」

 

 会場の外では既に青龍が怪しげな動きをしている男の背後に立っていた。

 男は傍から見ても只の紛れ込んだ一般人の様にしか見えない。しかし、着ているスーツにはどこか違和感があった。

 胸のあたりが僅かに膨らんでいる。男は反射的に懐に手を伸ばした瞬間だった。

 

 

「さて、どこの手の者なのか、吐いてもらおうか。幸いにも時間は十分すぎる程にあるからな」

 

 男の手はそれ以上動く事はなかった。

 手を拘束されたまま、懐にあった拳銃が取り出される。青龍が持っていたのは市場には流通するはずのないそれだった。

 

 

「グロッグか。中々良い趣味をしてるみたいだな。早速で悪いが、このまま情報を吐いてもらおうか」

 

「誰がそんな事を……」

 

「気にするな。吐きたくなる様にするだけだ。玄武、好きにしろ。壊れても構わん」

 

「玄武……まさか、お前、風魔…なの……か」

 

 玄武の言葉に男の顔は完全に青褪めていた。玄武の言葉から思い出されるのは風魔の名前。

 裏社会筆頭の名前が出たからなのか、その瞬間、腹部に激しい衝撃を受ける。男はそれ以上何も言う事は無いままに意識を刈り取られていた。

 

 

「雇い主が誰なのか位は吐かせろよ」

 

「分かってる。情報は必ず吐かせるさ」

 

 男を捉えた玄武は既に姿を消していた。

 会場では音楽が鳴っているからなのか、この場に相応しく無い様にも思える。周囲に感じる気配が無いからなのか、取り上げたグロッグを懐に忍ばせ、青龍は再び会場へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 設立を記念したパーティーは既に佳境へと突入していた。

 元々今回の主催が貴徳原財団である事から、それなりの立場の人間が来る事は予想されていたが、今回に関してはそれだけでは済まなかった。

 財界以外にも政界の人間が数人見える。恐らくは時宗の関係者であるだろう事は予想されていたが、彼等の目は何かを伺っている様にも見えていた。

 

 カナタとて詳細までを知っている訳では無い。だからなのか、その目に映る目的が見えないままだと思われていたその時だった。会場の空気が僅かに騒めく。カナタも思わずその向かっている意識へと視線を動かしていた。

 

 

「今日はお忙しい所、我らの会社設立の為に参加頂きありがとうございます。今回の件で皆様同様に特別なゲストを迎えています」

 

 司会の女性の言葉に全員が注目を集める。そこに居たのは先だって話を聞いた北条時宗。そしてその隣には漆黒の仮面姿の男だった。

 

 

「やはり、あの噂は本当だったのか………」

 

「確かめに来たかいがあったが……」

 

「今後は何かとやりにくいな……」

 

 ざわついていたのは政界の人間だった。漆黒の仮面の姿が意味するのは、今回の会社に関しては北条だけでなく、風魔も関係している事に他ならない。元々噂レベルだったそれが事実になった瞬間だった。

 風魔の名前を聞いたからなのか、今晩の招待客の殆どがそれぞれ何かを口にしている。

 この会社に下手な横槍を入れれば、どこに歯向かうのかを痛感した瞬間だった。

 

 

 

 

 

「これはカナタ嬢。招待頂き有難う御座います」

 

「いえ。折角の門出ですので、私としても実に喜ばしい事ですから」

 

 お互いが社交界の仮面を被りながら挨拶を交わしていた。

 元々来る事は知っていただけでなく、その場に居たからなのか、カナタは完璧な仮面を被っている。

 一方の時宗はどこか剥がれている様にも見えるが、やはり政治家だからなのか、表面上には何の変化も無いままだった。

 

 

「……どうやら良く無い招待客が外に居たらしいね。もう排除したみたいだけど」

 

「……そうでしたか。態々ご報告有難うございます」

 

 誰にも聞こえない程度の小声で聞かされた事実は先程龍玄が話した通りだった。

 排除と言われた以上、カナタが何かする事は無い。それよりも先程の小太郎の出現と時宗の件で、誰もが再びカナタとコンタクトを取ろうと躍起になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら『解放軍』が動いているみたいだな。で、どうする?」

 

「雑魚ならそのまま放置すれば良い。所詮、この辺で捕まる程度の連中だ。知れた者だろう」

 

 パーティーの部隊裏では先程捉えた男が口を割ったからなのか、すぐさま小太郎と青龍の下に寄せられていた。

 元々今回の警備だけでなく、小太郎が姿を現す事で余計な妨害を排除するのが目的だった。

 同業他社からすれば自分達の領域に入る新参者。商売敵がどれ程の力量を持っているのかを見る為に今回の設立パーティーへの参加をしていた。

 勿論、オーナーが貴徳原財団である以上はそれなりの規模を展開するはず。仮に商売敵として勝利しよう物ならば業界内部の評判は確実にうなぎ登りになる。

 しかし、そんな淡い期待も小太郎の登場と共に崩れ去っていた。

 

 絶対的な暴力装置を所有する以上、下手に手を出せば手痛いだけでは済まない。

 誰もが我が身が可愛いのはある意味では当然だった。下手に商売敵として敵対する位ならば、逆に提携した方が理に適う。奇しくも会場入りした経営者の殆どが同じ様な事を考えていた。

 今頃はかなり慌てているに違いない。確実にその真相を聞くべくカナタに確認する事は容易に想像出来ていた。

 

 

 

 

 

「それとこのグロッグだが、思ったよりも高度な改良が施されているが、何かあるのか?」

 

 青龍は言葉を口にすると同時に先程の男から徴収したグロッグを小太郎へと渡していた。通常の物よりも軽いそれは明らかに何かしらの改良が施されている。

 詳しい事は分からなくても何かしらの情報を持っているのではとの判断の結果だった。

 

 

「まだ何も聞いていない。詳しい事は時宗を使うのが一番だろう」

 

「珍しいな。小太郎が知らないとは」

 

「勘違いするな。背後に居るのは何なのかは知っている。ここに来た目的の真意がなんだったのかだ」

 

「成程な」

 

 小太郎の言葉に青龍はそれ以上話す事を止めていた。

 小太郎が知っているのであれば、それ以上は何も聞く必要はない。時宗に確認するのは今後起こりうる可能性の話でしかなかった。

 依頼によっては今夜の様な警護よりも傭兵としての本分の方が全う出来るだけでなく、実入りも大きい。背後が割れればやるべきは一つだけだった。

 気が付けば既に音楽は終わりを告げる最終楽曲。短い任務がここで幕を閉じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これについてはやはり背後に解放軍が居るのは間違い無いな。ただ、目的がまだハッキリしない。暫くは時間をくれ」

 

「公安でも内調でも掴めない訳があるまい。また例によって情報の統制でもしてるんじゃないのか」

 

「今回の件に関してはそれは無い。ただ、色々と流れる情報が多すぎるんだ。ブラフの可能性もある。詳細は分かり次第連絡しよう」

 

 パーティーの翌日、小太郎は時宗からの連絡に少しだけ何かを思う所があった。

 あの場面で幾ら尖兵代わりと言えど、風魔が出張っている情報を知らないとなれば大きな抗争になる可能性は低いと判断していた。

 そもそも昨晩のあれはここ最近では中々なお目にかからない程に大物の招待客が多すぎていた。

 

 『解放軍』の資金集めで手っ取り早いのがVIPの誘拐。恐らくは手ごろな人間を人質にとって身代金でもせびるつもりだと判断していた。

 本来であれば今回程度の事ならば気にも留めない。しかし、自分達が態々顔見世までしているのであれば、誰に喧嘩を売ったのかを知らしめる必要があった。

 闖入者の処分は既に済んでいる。

 解放軍の出先機関ならば、何かしらの物資があるのであれば、行きがけの駄賃程度で徴収するのも悪く無い。そもそも傭兵は常に資金とのせめぎ合い。それならば演習代わりの襲撃は問題無いだろうと判断していた。

 

 

「いや。それには及ばん。どうせあの程度の輩なら一晩で十分だ。誰に何をしたのかを知らしめるならそれで十分だ。精々情報統制をしておけ」

 

「……了解だ。せめて日程だけは教えてくれよ。でないと、こっちもそれぞれの顔を立てる必要があるからな」

 

「調整役は大変だな」

 

「そんな事は無いさ。目障りな物が一つ、人知れず消えるだけだ。内調も公安も押さえておくさ」

 

 時宗と小太郎が居る一室には誰も足を運ぶ者は居なかった。

 元々秘匿事項であると同時に、本来であれば法治国家に許される行為ではない。しかし、お互いがお互いの抗争で一般市民にまで影響が出るのであれば問題視するが、小太郎が言う様に一晩で殲滅するのであれば情報統制は簡単だった。

 小太郎の言葉に時宗は既に準備していたからなのか、どこかに連絡をしている。お互いがやるべき事が決まれば特に問題になる様な事は何一つ無かった。

 

 

「そう言えば、一つ面白い噂を聞いたんだが、今年の破軍に青龍を潜り込ませたらしいが、何を狙っているんだ?」

 

「狙い?そんな話は知らんな。俺がやったのは倅に世間を学ばせる事と、とりあえず資格として魔導騎士になれればそれで良いとだけだ」

 

 時宗の言葉に小太郎ははぐらかして話をしていた。元々風魔とのつながりを作りたいと考えてる人間はごまんと居る。だからなのか、そんな話は時宗の耳にも届いていた。

 

 

「そうか。貴徳原の総帥が裏で動いているって評判だぞ」

 

「それも有りかもしれんな」

 

 そう言いながらお互いは杯を交わしていた。噂と言うのはあくまでも時宗が言いやすく言っただけの話であって、実際には確信を持っている。

 それがどんな意味を持つのかは別としても、自分の立場からすれば完全に把握する必要があった。

 万が一何かしら動くにせよ、影響力はあまりにも大きすぎる。そんな事を知っているからこそ小太郎に確認しただけだった。

 

 

「あそこは確か娘が居たと記憶しているが?」

 

「詳しいな。何かあったのか?」

 

「いや。ちょっと財界で話題になっているだけだ。政界の連中よりも目鼻は効くからな」

 

「支援者に泣きつかれたのか?選挙まではまだ時間があったと思うが」

 

「話のついでだ。それに向こうだって俺に何かを頼む以上はそれなりに対価を求められる事も理解しているからな。俺としても正しい情報を与えるだけだ。それに青龍も世間では元服してるんだ。多少の羽目を外した所で困る事は無いだろ」

 

 何時もの飄々とした雰囲気を持ちながらもその目には僅かに何かを思う意志が含まれていた。

 元々青龍だけに限った話では無い。傭兵を名乗った瞬間から風魔の一員として生きて来た為に、少しだけ世間とズレがある事を時宗は認識している。

 自分の息子に近い年齢だからなのか、その目に映る意志が何を意味するのかまでは小太郎も分からない。色々な意味で良い影響を与えてくれればそれで良い。そんな思いがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう………」

 

「カナちゃん。どうかした?」

 

「少し疲れただけですよ」

 

 生徒会室では役員によって色々とやるべき事が幾つもあった。

 生徒からの要望だけでなく、個人的な話や学園からの折衝など、数え上げればキリが無い。ましてや今年からは七星剣武祭の選考基準まで変更になった事で、これまで幾つか棚上げしていた物をこなす必要があった。

 会長の刀華だけでなく、副会長の泡沫は事実上の幼馴染。だからなのか、この場に砕城雷と兎丸恋々が居ない場合は何時もとは違った空気が流れていた。

 

 

「やっぱり刀華が何かしでかしたんじゃないの?」

 

「私はなんもしとらんよ」

 

「え~この前だって申請書類間違ってたんじゃなかった?」

 

「あ、あれはちょっと忙しかったから」

 

「心配させてご免なさい。ちょっと昨日、家の事で色々とあったので」

 

 カナタの言葉に刀華と泡沫はお互いの顔を見合っていた。普段から家の付き合いがある事を知っているからこそ、それが原因になるとは思ってもいない。にも拘わらず、それが原因だと言った事に軽い驚きがあった。

 

 

「でも、カナタがそんな事言うなんて珍しいね」

 

「顔ぶれが顔ぶれでしたので、やはり気疲れはしますよ」

 

 政財界のトップが出る懇親会は早々ある訳では無い。魑魅魍魎の世界を生きる為には相手がどんな事を考え、何を思っているのかを瞬時に判断する必要があった。

 それはある意味では戦いに近い。己の肉体を酷使するのではなく、頭脳を酷使すれば蓄積する疲労は尋常ではない。

 幾ら鍛えているとは言え、学生でもあるカナタからすればかなりの重圧だった。

 その結果、精神的な疲労感は完全には抜けきっていない。事実、起床した時間は何時もよりも遅い時間だった。

 

 

「あまり無理しちゃダメだよ」

 

「そうそう。刀華の言う通りだよ。僕らでは出来ない事もあるかもしれないけど、愚痴なら聞くから」

 

「だったら美味しい物でも食べに行かない?それなら多少は気分転換にもなるだろうし」

 

 そんな些細な話をした時だった。

 

 

「あれ、さっきご飯食べに行くような話をしてた様な……」

 

「恋々。何でも自分を基準にするな。ほら、他の先輩方も呆れてるだろうが」

 

 扉を勢いよく開け放ったのは庶務の恋々と書記の雷だった。詳しい経緯までは知らないが、声が漏れていたのか最後の部分だけをクローズアップしている。

 聞こえた以上は否定しても仕方ないと判断したからなのか、刀華は少しだけため息を吐いていた。

 

 

「別に食事に行く位なら問題ないんだけど、その前に仕事だけはしようね。この前も結局は何も手が付かないままだったんだし」

 

「了解であります!とにかく仕事を優先します!」

 

 敬礼もかくやの勢いで恋々は自分の仕事をこなしていた。元々破軍の寮には食堂も整備されている。特に細かい決めはないが、各自で自炊する事も可能となっている。

 しかし、美味しいものと限定されれば話は別。だからなのか、恋々は期待を胸に黙々と作業をこなしていた。

 

 

 



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第11話 分不相応

 日常すら忘れさせる様な庭園を横に、男女五人は目の前を歩く女中の後ろを言葉を発する事無く、付き従うかの様に歩いていた。周囲は完全にプライバシーを配慮しているからなのか、人の話す声すら聞こえない。

 まだ春の色が見える整備された日本庭園は、喧噪渦巻く日常とは完全に切り離れていた。

 

 

「本当に大丈夫なの?ここ、どう考えても高級店にしか見えないんだけど」

 

「カナちゃんがここにしたみたいだから、私に言われても…」

 

「でも、僕はそんなに持ち合わせていないよ」

 

「いざとなったら何とかするしかないかも」

 

 前を歩く女中を尻目に泡沫と刀華はヒソヒソと小声で話をしていた。つい一時間前には、まさかこんな店に来るとは思っても居なかったからなのか、恋々を中心にテンションはかなり高い状態を保っていた。

 しかし、来た場所がそれを許さないからなのか、自然と小声になっていく。三人の後ろを歩く恋々と雷もどこか緊張したまま、周囲をキョロキョロと眺めていた。

 

 

「こちらにどうぞ」

 

 女中が止まると、その部屋は完全な座敷になっていたのか、襖を開けると明らかに高級料亭を思わせる調度品が飾られている。

 床の間にある掛け軸には詳しくは分からないが、見た事も無い花の絵が描かれ、その前にある花器にも彩が添えられていた。活けられた花や樹が広がりを見せるかの様に枝を伸ばしている。華道には詳しくは無いが、恐らくは調和がとれた広がりは明らかに一流の作品である事を暗に示していた。

 完全に場違いだと判断したからなのか、誰もがこの場所に連れてきたカナタを見ている。それぞれの思惑があるからなのか、一先ずは案内された席に各々が座っていた。

 

 

「あの……こんな事を聞くのは失礼だとは思うんですが、お値段はかなりの物だと思うのですが。それに私達、そんなに持ち合わせが無いんですが……」

 

「その件でしたらお気になさらなくて結構ですよ。既にお話は聞いておりますので」

 

 確実に聞かなければならないと刀華は思い切って女中にその事実を伝えていた。

 学生が来るには分不相応な店に誰もが緊張していた。

 ここに来る前はどんな店なんだろうと意気込んでいたはず。気が付けばカナタの後ろを歩く人間は皆キョロキョロしながらも動揺している。

 泰然自若としているカナタも内心は驚いていた。まさか気軽に言われた事から来ただけの話。刀華が聞かなければ今頃はどうなっているのかすら分からない状況に冷や汗をかいていた。

 

 

「……そうですか」

 

「お会計に関しては既にお聞きしてますので気になさらないで下さい」

 

 女中はそれ以上は何も言う事無く柔らかい笑みを残し、部屋から出て行く。何時ものメンバーだけになったからなのか、雷は思わず深呼吸していた。

 

 

「ここって、かなりの高級店じゃ?」

 

「そうだよ。せめて事前に聞かせてくれても……」

 

 刀華と飛沫のどこか恨めし気な視線をカナタに投げかけたものの、カナタとしても今回の件は完全な想定外だった。

 まさかこんな事になるとは誰も思わない。しかし、自分が主導で来た以上、どう答えて良いのかを迷っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナタか。これからどこに行くんだ?」

 

「生徒会のメンバーと食事にでも行こうかと」

 

「食事?珍しいな」

 

「何でも私が疲れてるみたいだから、美味しい物でも食べようって話になったので」

 

 仕事が終わったからと、カナタは一旦自室へと足を運んでいた。

 元々制服では無い為に、そのままの格好でも良かったが、学園の外に出る為に、少しだけ着替えるつもりで戻っていた。

 部屋にはこれから外出するつもりなのか、龍玄はライダースジャケットを身に纏いこれから外出する様子だった。

 実際にここに龍玄が居る時間は驚く程に短い。精々が寝る時と食事の時位だけ。それを知っているからなのか、カナタはそれ以上聞くつもりはなかった。

 事実上の一人に近いからなのか、カナタも遠慮している様子は少ない。この時間に珍しく見たからなのか、少しだけ自分の予定を口にしていた。

 

 

「そうか、旨い物か。だったら、一つ俺が知っている店を予約しておこう。もし、和食が嫌なら止めれば良い。少なくとも俺の一押しの店だ」

 

 カナタの言葉に龍玄は自身の端末から予約を入れていた。

 龍玄は元々普通の生活を送っている訳では無い。自分がこれまでに築き上げた実績の上で今に至っている為に、他の生徒とは少しだけ常識の範囲が異なっていた。

 自分達であれば精々がファミレスか、小洒落たカフェを意味するが、こと龍玄に関しては全く予測出来ない。

 しかし、何かしらの思惑があってこそ予約を入れてくれるのであれば、それ位は聞いても良いだろう。折角の好意は素直に受ける方が良い。そんな些細な考えがそこにあった。

 

 

「予約しておいた。店で俺の名前を出せば良い。料金は極力安くしてくれと言ってある。あと遠慮はしなくても良い。あそこの料理はかなりの物だからな」

 

 そう言いながら龍玄はカナタの端末に場所のデータを送信する。送られてきた場所は都内でも割と自分達も行く範囲の場所。

 本来であれば事前に確認すれば良かったが、既に龍玄は部屋を出た為に碌に聞く事も出来ない。ここで場所を調べれば良かったが、既に時間が押しているからなのか、カナタもまた手早く着替えをしていた。

 

 

「で、どこに行こうか?」

 

「それなら既に予約してありますので、大丈夫ですよ」

 

「カナタ先輩が予約した店ってどこなんだろう」

 

「恋々。俺達は後ろを着いて行くだけだ。それ以上の詮索は野暮になる。きっと良い店に違いない」

 

 既に学園の入り口にあるバス乗り場にはそれなりに生徒が待っていた。

 元々寮はあるが、それほど厳しい門限がある訳では無い。時間に余裕があれば外出した所で問題無かった。

 今のメンバーが生徒会の人間で構成されているからなのか、他の生徒からは少しだけ距離を置かれていた程度だった。時間だからなのか、路線バスが来る。それぞれが目的地に向かって乗り出していた。

 

 

 

 

「ねぇ、カナちゃん。一体どこの店を予約したん?」

 

「厳密には私ではありません。ですが、美味しい物を食べるならと勧められたので」

 

「せめてどんな店なのか位は教えて」

 

「それなら、和食の店だと聞いていますよ」

 

 龍玄に言われたとカナタは言わなかったからなのか、刀華は少しだけ疑問を浮かべながらも聞いてきた。既に目的地に向かっているからなのか、他のメンバーも外を眺めている。

 詳細を確認していない為に、カナタも知っているのは場所と店名だけだった。

 

 

 

 

「あの……一つ聞いても良いかな。僕も詳しい事は分からないんだけど、ここってかなりの高級店の様に見えるんだけど……」

 

「うた君に同意かな。カナちゃん、本当にここなの?」

 

「場所と名前からすればここですね。一度確認してみれば良いかと」

 

 五人が来たのは大きな門構えがそびえ立つ料亭の様な店だった。

 どこか古さを感じるが、所々真新しい部分も見える。後ろに立っている二人は言葉を失ったかの様に立っていた。

 

 

「貴徳原様ですね。ご予約有難うございます。風間様より承っています。どうぞこちらへ」

 

 着物姿の中年女性の声に既に退路は断たれていた。ここまで来たら腹を括るしかない。

 最悪は自分が払えば良いだろう。そんな気持ちを持ちながらもカナタを先頭に皆が中へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、龍玄。いや、青龍。これから任務内容の確認だ」

 

 カナタ達が料亭で固まっている頃、龍玄は小太郎に呼ばれ、某所に集合していた。

 元々今回の任務は先だっての貴徳原のパーティーに紛れ込んだ闖入者の処理とその背後にある物の確認。その事前情報を聞いた上で小太郎が放った言葉に、呼ばれた誰もが自然と厳しい表情を浮かべていた。

 

 

「例の闖入者の事か?」

 

「ああ。どうやら連中は近日中に大きな事を起こすらしい。それに伴って今回の件で奴らが誰に粉をかけたのかを知らしめる必要性が出てきた」

 

 小太郎の言葉に誰もが理解を深めていく。誰に何をしたのかを分からせる一番最良の手段としての報復が計画されていた。

 相手が通常の企業や暴力団であれば何かしら問題はあるが、相手が解放軍であれば気にする必要性はどこにも無かった。

 元々反社会勢力の最有力のアジトが一つ程度壊滅した所で世間が驚く様な事は無い。

 それだけではなく、懸念事項が一つでも少なければ、それだけ頭を痛めるか回数が減る事にも繋がっていた。

 

 

「だが、警察の介入はどうするんだ?確か都内にあったと記憶しているが?」

 

「その件なら問題無い。既にこの件は時宗からも依頼が来ている。それと事前に調査した結果、幹部の一人でもあるビショウがいるかもしれんが、それ以外に伐刀者は居ない。精々が雑魚程度なら、警察が知る頃には終わるだろう」

 

 時宗の言葉に青龍だけでなく、他のメンバーもまたそれ以上の確認をする必要は無かった。

 事実上の内閣からの依頼であれば警察だけでなく公安や内調にも手が回っている。そもそも伐刀者が不在になっているのであれば、襲撃に対する時間すら殆ど必要無くなる。そんな意図がそこに隠れていた。

 

 

「了解した。それで決行は?」

 

「それに関しては現在調整中だ。今回の報酬は襲撃した中身次第だが、基本は丸取りだ。折角なら最大限に収益を取れる方が効率的だろう。その為に緊急で呼び出す可能性がある。総員、それを念頭に過ごしてくれ」

 

「御意」

 

 小太郎の言葉に誰もが頷くと同時にその場から離れていた。既に用件は終わっているからなのか、このまま食事をして帰れば良いだろう。龍玄はそんな事を考えていた矢先だった。

 

 

「そう言えば、貴徳原の娘はどうだ?」

 

「どうだの意味が分からんのだが」

 

「……何だ。まだ手を出していないのか?」

 

「は?何言ってんだ親父。もう痴呆が入ってるのか?」

 

 既に誰も居ないからなのか、風魔の棟梁としての顔ではなく、小太郎は一人の父親としての顔をしていた。周囲からみれば違いは殆ど分からないが、息子でもある龍玄からすれば明らかに何かしらの揶揄が混じっている様にも見える。

 この顔をした自分の親は正直面倒臭い。カナタとは同室ではあるものの、日常生活のリズムが異なっているからなのか、接点はそう多く無かった。

 

 

「酒の席で時宗とも話をしていたんだが、今回の件は色々な意味で注目されているらしいぞ」

 

「俺には関係無い話だろ?だとすれば何時もの事じゃないのか」

 

 小太郎の言わんとする意味を龍玄は測りかねていた。

 唐突に出た言葉にどんな思惑が含まれているのかは不明だが、少なくとも自分にとっては有用な話で無い事に違いない。元々の部屋割りに関しても、当初は違和感しかなかったが、今となっては然程気にする必要すら無くなりつつあった。

 

 

「相変わらずだな……もう少し、今時と言う物を学んだらどうなんだ?」

 

「今時って……破軍に行って思ったんだが、殆どの連中がつまらん思想を持っている事だけは分かった。彼奴らは何も分かっていない」

 

「所詮はそんな程度だ。誰もが伐刀者になったからと戦場に立ちたいとは思っていない。お前の言いたい事は分からないでもないが、少なくとも1年位は通うんだな。そうすれば物事の側面も見えるだろう」

 

 元々風魔だけでなく、A級リーグや闘神リーグで生き残れる人間は誰もが一定以上の体術の技量を有していた。

 しかし、それ以外となれば殆どが予備役になるか、その異能を活かした就職をするケースが殆どだった。

 昨年までの破軍であれば小太郎も通わせるつもりは毛頭無かった。たかが異能を使えるからと言って、現地で使い物になるのかは本人の資質による所が多すぎる。やる気と能力は必ずしも一致しないのは今に始まった事では無かった。

 しかし、理事長の解任に伴う新たな上層部の考えはこれまでの様に異能だけに拘らず、実戦に重きを置いた方針にシフトしていた。

 

 龍玄を学園に送り込むにあたって、これまでの経緯は既に調べ上げている。前任の理事長は黒鉄家にすり寄る者だったからこそ、半ば言いなりになっていた。

 国益としての立場から考えれば、たかが一家人の言葉だけで方針を変更する程度の学園であれば将来的には解体すれば良いだけの話。事実、その思惑を引き摺ったからなのか、ここ数年の破軍の立場はゆっくりと低い物へと変化していた。

 そんな中での新たに就任した理事長の新宮寺黒乃の方針は小太郎としても感心する部分が多分にあった。

 そんな経緯があったからこそ、今回の貴徳原の報酬の回収と言う名の名目で龍玄を送り込んでいたに過ぎなかった。

 

 

「俺は特に何も考えるつもりはない。ただ、やるだけの事をするだけだ」

 

「……まぁ、良いだろう。今はとにかく普段とは違った生活を送る事だけにしておくんだ。それと避妊だけはしておけよ。後々面倒になるからな」

 

「だから、意味が分からんと言ってるだろうが」

 

「元服して色事に感心無しか。一度朱雀に頼むか?」

 

「やめろ。あれと一緒になるのは御免被る」

 

「そうか、残念だったな。あれなら一も二も無く直ぐに来るがな」

 

 喉を鳴らして笑う小太郎の、朱雀の言葉に龍玄は少しだけ顔を顰めていた。

 元々風魔の中でも朱雀の部隊は諜報を主としている。

 その中には女を活かした歩き巫女と呼ばれた技術を活かしたハニートラップや暗殺も含まれていた。そんな人間に依頼すれば面倒事しか起きない。それならば自分達の部隊でもある青龍の荒事の方が幾分か気が楽だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これは……まさに真の大トロ。口の中で融ける様だ」

 

 口に入れた途端、まるで融けるかの様に脂肪を蓄えた身は口の中で消えていた。これまでに食べた事がなかったのか、雷は思わず目を見開いて固まっている。

 一方の恋々もまたそんな雷を見たからなのか、同じ様に出された大トロの刺身を口にした途端、うっとりとした表情を浮かべていた。

 

 

「こんなの、初めて食べた……」

 

「そんなに慌てなくても……」

 

 恋々を見ながらも刀華も同じく出された物を口に運んでいた。

 既に店内で料理を出されている以上、心配した所でどうしようもない。事実上の開き直りに近い心境だった。

 出された料理はどれもこれも厳選された材料を使用している。まさに一流の素材と仕事だった。

 

 

「これはかなりの物ですね。私もこれ程の物は早々口にはしませんね」

 

「だって、あの恋々と雷が何も言わないんだよ。でも、本当に大丈夫なの?」

 

 カナタの平然とした言葉とは裏腹に、どこまでも心配しながらも泡沫も同じく出されたお造りを口にしていた。

 大トロだけでなく、出された刺身の全てが完全に食べ頃である事を意味しているからのか、それぞれの歯触りが異なっていた。

 

 締まった身に見えるが、口に入れた途端にねっとりとした旨味が広がっていく。白く透き通るかの様な烏賊はこれまでに食べた記憶がどこにも無かった。

 懐石だからなのか、順番に用意された物が出てくる。

 そんな中で元々雷を見たからなのか、本来であれば最後の方に出てくるであろうご飯と椀物は最初の段階で出されていた。

 既に用意されたはずのお櫃の中のご飯は半分程減っている。ご飯もまた炊き立てを用意されたからなのか、刺身だけではなく米の旨味も完全に引き出されているからなのか、噛めば噛むほど米の旨味が口の中に広がっていた。

 

 

「気にしなくて良いと仰ったのであれば、言葉通り受け止めるしかありませんよ」

 

「でもさ……」

 

「うた君。それ以上はカナちゃんに悪いよ。折角美味しい物を食べようって言って、ここに来たんだから」

 

「そう言われればそうなんだけど……」

 

 カナタの言葉に泡沫もまた開き直るしかなかった。

 既に食べている以上、支払いに関しては気にした所で事態が打開される訳では無い。カナタの堂々とした態度を見たからなのか、泡沫も心配する事よりも出された食事を味わう事を優先していた。

 

 

 

 

 

「これって大丈夫なの?」

 

「ええ。ですが、端の方を火に近づけますと燃えますのでご注意下さい」

 

 泡沫の言葉に女中は笑顔で説明をしていた。お造りの後に出てきたのは定番の鍋料理。

 しかし、各自に出されたそれはこれまでに殆ど見る機会は無い物だった。

 厚めの和紙で作られた鍋の上には丁寧な仕事をしたブリと飾り切りした人参が鎮座している。身は既に適度な脂がのっている為にどこか光っている様にも見える。鍋料理とはなっているが、これもまた刺身としても十分すぎる一品に誰もが目を見張っていた。

 

 下には固形燃料が炎を上げているが、紙の鍋が燃える事は無かった。

 本来であれば肉類を煮れば必ず灰汁が出る。しかし、その灰汁が紙に付着するからなのか、その出汁が濁る事は無かった。

 固形燃料の火が消える頃、破れる事を恐れたからなのか、刀華はゆっくりと箸を伸ばす。

 口に入れたそれは魚の旨味を十分に引き出していた。魚の旨味と出汁の味わいの後から柚子の香りが鼻孔へと抜ける。

 学生であれば肉に走りたいと考えるが、今はそれよりも目の前のこれのインパクトの方が大きすぎていた。

 

 

「刀華、どうしたの?」

 

「……これは美味しい」

 

 刀華の言葉に泡沫だけでなく雷や恋々もまた箸を伸ばす。誰もが無言のまま黙々と箸をすすめていた。

 

 

 

 

 

「いや~こんなに美味しい物は初めて食べたよ」

 

「確かに。まさかここまでのレベルだとは思わなかった」

 

 満足気な恋々と雷を尻目に刀華と泡沫の表情は徐々に暗くなりつつあった。

 食事が終われば次に待っているのは清算。

 当初は開き直って味わっていたものの、やはり清算となれば嫌が応にも現実を見せられる気分になっていた。

 既に魔法が解けたかのように刀華だけなく泡沫もまた現実を直視している。

 女中の言葉を真に受けていたからなのか、後輩二人は気にした様子は無かったが、カナタ以外の二人はそうではなかった。

 欝々とした表情なのか、それとも未知なる金額に耐性を付けているのは分からない。

 既に食後のお茶も飲んだ為に、今待っているのは会計伝票だった。ゆっくりと高まる緊張感。その空気はまるでこれから戦いに赴く兵士の様でもあった。

 そんな緊張感を破るかの様に襖が開く。女中の手には御愛想として書かれた請求書だった。想像出来ない金額の予想に刀華と飛沫は思わず息を飲んでいた。

 

 

 

 

 

「あの………この金額間違っていませんか?」

 

「え?」

 

「へ?」

 

 カナタの言葉に刀華だけでなく泡沫も素っ頓狂な声を出していた。

 恐らくは高額請求を予想したからなのか、カナタの声には違う意味での驚きが混じっている。

 一体何なのだろうか。刀華はゆっくりとカナタの背後から請求書を眺めていた。

 

 

「あの……」

 

「これが今回の請求額です。税金等も含まれていますので」

 

 そう言いながら渡された請求書の金額はこの人数で一五〇〇〇円。誰がどう見ても一人分の値段の様にしか見えなかった。

 

 

「ですが、どれもそれぞれ美味しかったです。そんな金額では……」

 

「貴徳原様のおっしゃりたい事は重々承知しております。ですが、これは風間様より申し付けられた事ですので、我々としてもそれを無視する訳にはいけませんので」

 

 これ以上は女中としてもどうしようも無いのだと判断したからなのか、カナタだけでなく刀華もまた同じ事を考えていた。

 出された素材はどれも一流品。少しだけ見たお品書きにはブランド素材がふんだんに使われている事が確認出来ていた。

 ちょっとした料亭であれば、確実に行くであろう金額の半分以下となれば呆気に取られる以外に無かった。

 既に領収書を切ろうと女中は準備している。このままここに居ても、お互いに良い結果にならないからと生徒会のメンバーは店を後にしていた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、あの店の本当の金額ってこれらしいよ」

 

 泡沫は念の為にと自身の生徒手帳で先程の店を検索していたからなのか、刀華に見せていた。

 出ている画面には明らかに学生が行く様な店では無い事だけが直ぐに理解出来る。先程食べた大トロの刺身も冷凍物ではなく、大間産か若しくは近海物。明らかにこれまでに食べた事が無いそれは改めて泡沫だけでなく、刀華やカナタも驚いていた。

 まともに行けばあの金額でさえも一人分には届かない。これがこの人数で行ったとなれば、実際の所はどうなんだろうか。口にこそ出さないものの、三人は奇しくも同じ事を考えていた。

 

 

「ねぇ、本当にカナちゃんが予約した店なん?」

 

「………まぁ、そんな所です」

 

 刀華だけでなく泡沫もまた同じ事を考えていたのか、カナタに向ける視線はどこか力が入っていた。

 幾ら財団に属する人間であっても、これまでの様に強引に事を運ぶ様な真似はした事が無い。だからなのか、明らかに先程の店は自分達が気軽に足を運べるような店では無かった。

 それと同時に風間の名前が聞こえた気がする。泡沫は気が付かなかったが、刀華だけは誰が何をどうしたのかを理解していた。

 

 

「次は僕が予約するからね」

 

「……そうですね」

 

 泡沫の笑顔にカナタはそれ以上の言葉を発する事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日程は来週の日曜に決定した。その際に内部にある物の殆どは丸取りとなる。任務可能時間は約三〇分だ」

 

 突如として出された小太郎の言葉に、集まった青龍以下、風魔の人間は改めて今回の任務の概要を確認していた。

 元々襲撃の計画はあったものの、実際に結構される日程は不明のままだった。しかし、一度日程が決まればあとは当日に粛々と実行するだけ。

 小太郎から告げられる内容を誰もが聞き洩らさない様に耳を傾けていた。

 

 

「小太郎。確認したい事がある。当日の敵の動向はどうなってる?」

 

「その件に関してはこれから詰める予定だ。個人的にはビショウが居ても居なくても何ら問題ないだろう」

 

 青龍の言葉に小太郎はこれまで調べ上げた内容を公表していた。

 元々解放軍とは言え、伐刀者が豊富に居る訳では無い。その実態は伐刀者を頂点に配下には武装した集団が集う、一つのテログループに過ぎなかった。

 事前の調査しただけでも銃火器の数は軍隊とまではいかないが、暴力団以上に所有している。

 以前の接収したグロッグからも分かる様に、背後には何らかの武器の販売元が見え隠れしていた。それと同時にビショウの能力も公開される。

 油断をするつもりは最初から無い。だからななのか、その攻撃方法を見た際には既にどうすれば良いのかと言った対策が立てられていた。

 

 

「この程度なら問題無い。ここで一旦解散。集合は前日の夜に集合だ。それと今回は現金だけでなく銃火器も接収する予定だ」

 

「御意」

 

 小太郎の言葉に全ての姿が瞬時に消え去る。日程が決定した以上、あとは決行を待つだけだった。

 

 

 



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第12話 掃討戦

 漆黒を彩った空のキャンバスはゆっくりと暁の光を帯びながら黒から赤へと変化を見せていた。

 本来であればまだ覚醒すらしない時間帯。そこには二台の車両と一台の単車が音も無く走り続けていた。

 通常であれば誰もがこの車両の異様さに気が付く可能性が高い。しかし、時間帯がそうさせたからなのか、計三台の車両はそのまま目的地まで止まる事無くただ走り続けていた。

 

 

「そろそろ目的地だ。ここで一旦ブリーフィングを開始する」

 

 小太郎の言葉に車両は一度停止する。既に中では武装した人間が数人スタンバイ状態で待機していた。

 

 

「ここから目標地点まではそれ程時間はかからない。今回のケースは殲滅だ。それとボーナスは各自で掴め」

 

「で、中はどうなってる?」

 

 青龍の言葉に小太郎は改めて情報を端末に提示していた。

 今回の内容は事実上の内閣からの依頼に近い物があり、その証拠に風魔の突入時には周辺一帯は一部の公安と内調の手によって封鎖される手筈だった。

 本来であれば両者が踏み込むのが通常だが、相手は『解放軍』。どんな状態になっているのかが分からないからと、そのまま委託していた。

 元々用意された情報だけを鵜呑みにするつもりが無いからなのか、誰もが青龍の言葉に注目する。小太郎もまたそれを察していたからなのか、改めて今回の内容を説明していた。

 

 

「確認出来ただけで銃火器はそれなりに用意しているらしい。これはまだ確認していないが、近日中にどこかに襲撃に行く予定の様だ」

 

「今回は伐刀者は不在なのか?」

 

「いや。こちらで確認しているのは、幹部でもあるビショウが居るらしい。だが、ここの支部にはやつ一人だけだ。今回の件ではどちらでも問題ないが、気になるならそのまま処分しろ。掃除の連中は後で来る事になってるからな」

 

「また随分と気前が良いな。だが、本当に大丈夫なのか?」

 

 小太郎の処分の言葉にだれもが意に介する者は居なかった。

 元々傭兵として戦場を歩く以上、命のやり取りは今に始まった事では無い。仮に自分が躊躇すれば、その刃は確実に自分へと向けられる。そんな当たり前の日常を過ごしたからなのか、小太郎の言葉を誰もが当然だと言わんばかりに聞いていた。

 事実上の生死を問わない作戦の意味する事は一つだけ。だからなのか、小太郎の言葉を聞きながらもその場に居た全員は無意識に冷たい表情へと変化していた。

 

 

「大丈夫とは?」

 

「生死に関してだ。掃除の連中を出す以上はコストもそれなりにかかる。だとすれば、今回の報酬に影響は出ないのか?」

 

「その点なら問題は無い。先程も言った通り、邪魔だと思うなら処分して構わん。

 元々今回の作戦は時宗の絡みだ。報酬の件も掃除の費用も全て含まれている。元々ここは基本的に中継地点としての役割を果たしているだけの施設だ。我々が気にする様な要素は無い。短時間で一気に決めるだけだ。各自の武装の最終チェックをやっておけ」

 

「了解した」

 

 小太郎の言葉にこの場に居た全員の集中が一気に高まる。既に内部の調査は終わっているからなのか、息を殺しながら突入のチャンスを図っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて。お前ら、今日はこのまま待機状態だ。襲撃の予定時効は明日の一一〇〇。各自時間が許す限り搾り取れ。我々の行く手を邪魔する者は始末しろ」

 

 支部の内部では配下を鼓舞するかの様に幹部のビショウは激を飛ばしていた。

 元々襲撃の予定地でもあるショッピングセンターは週末だからなのか、人が集まりやすい。今回の最大の目的は身代金の搾取である為に、武装に関しては既に用意周到だった。

 本来であれば、今回の襲撃は元々予定には無いはずだった。少し前に開催された貴徳原財団が主催するパーティーの方が集まる人間の室は明らかに上等な者。そこから取れる身代金は皮算用ながらに巨額な物を予定していた。

 

 しかし、計画は皮算用で終わっていた。最大の要因は会場に放ったはずの斥候が誰一人戻らない点にあった。通常であれば見つかったとしても拠点に戻る程度の技量は最初から持っている。

 最悪は一人でも戻ればその警備状況がどんな物なのかを推測するのは容易なはずだった。しかし、想定外の事実が計画を大きく変更させている。誰一人戻らないとなれば確実に警備は自分達が想定している以上の物。だとすればあまりにもリスクに対し、リターンが期待出来なかった。

 となれば撤退も止む無い。そんな経緯があったからこそ、今回のショッピングセンターでの襲撃で以前の作戦の穴埋めを計画していた。

 既に上納する為に用意された資金はあと僅か。未だこの計画を感づかれていないからなのか、周囲には警察はおろか、公安の人間の姿も見えないままだった。

 既に配下の人間は明日に向けて英気を養っている。そんな配下を見たからなのか、ビショウもまた同じく、僅かに酒を口にしていた。

 

 

「ビショウ様。明日の件ですが、斥候はこれまで同様にしますか?」

 

「そうだな。万が一もある。最悪は伐刀者も出張る可能性があるなら、明日の仕込みの前に一般人に誰か偽装させろ。そうだな……男よりは女の方が分かりにくいだろう」

 

「では、その様にさせますので」

 

「明日は祝杯を上げようではないか」

 

「そうですね。我々の未来に幸あらん事を」

 

 一人の男は明日の最終確認の為にビショウの下へと歩いていた。

 元々今回の件に関しては伐刀者が出動する可能性が高いのは最初から織り込み済みだった。

 如何な異能を発揮する伐刀者と言えど、緊急時の固有霊装の展開には複雑な許可を必要とする。ましてや相手が刃物に代表される霊装であれば自身の『大法官の指輪』を行使すれば良いだけの話。

 実際に日本国内に於いて拳銃型の固有霊装を展開する人間は皆無に等しい程しか居なかった。遠距離であれば攻撃の威力を吸収する事は厳しいかもしれないが、近接攻撃であれば大半の物は吸収、反射が可能となる。それがあるからこそ、配下の目の前でもゆったりとした態度を崩す事は無かった。

 

 既に銃火器だけでなく、銃弾も存分に使用できる。一番良いのは1発も無駄弾を作らない事だが、やはり戦場の空気がそうさせるからなのか、その事については指摘する事は無かった。

 既に明日の事を考える事によって愉悦に入っているのか、手に持ったワイングラスをゆっくりと回す。

 この時点でまさか自分達が逆に襲撃に遭うなどと言った考えを持つ者は一人も居なかった。 

 

 

「まずは手筈通りに………何が起こった?」

 

 気付けば照明が突然落ちた事にっよって、周囲は騒めいていた。

 元々この場所は都内ではあるが、どちらかと言えば辺鄙な場所に居住を構えていた。

 万が一の事を考えれば周辺に何も無い方が何をするにせよ、次の一手が打ちやすい。

 その為に停電になった際には直ぐに予備電源へと切り替わる様になっていた。一瞬であれば問題なかったが、生憎と停電が復旧するにはなかりの時間を要していた。

 先程までの安穏としていたはずの空気が一気に切りかわる。それが何を意味するのかは直ぐに知れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「銃火器を持っている人間は複数になる。それと以前に接収したあれは、予想以上に手が入った物だ。豆鉄砲に当たる様な人間はいないとは思うが、各自気を引き締めてくれ。それと襲撃の有効時刻は三〇分。各自キビキビと動け」

 

「応!」

 

 小太郎の言葉に全員の気持ちは一つになってた。

 元々今回の襲撃メンバーは風魔の中でも一部の対象に絞られていた。

 大人数で行けばどうしても索敵の網にかかる必要が出てくる。元々公安と内調の連携の隙間を狙った襲撃計画に於いて、有効時刻の短さはそのまま難易度に直結する。

 だからなのか、誰もが一人残らず配置に付いていた。

 気配を完全に殺しているからなのか、誰もがお互いの気配を察知出来ない。襲撃の際に起きる現象を誰もがまだかと待ちわびていた。

 

 

「各員時刻の修正を急げ」

 

 小太郎の言葉にそれぞれが侵入すべき箇所へと配置に付くと同時に、腕に巻かれた時計の時刻を調整していた。

 

 

「────3」

 

 全員が自分の銃器を改めて確認する。

 

 

「────2」

 

 気配を殺し、窓際へと寄り出す。

 

 

「────1」

 

 手の中にある物の安全装置を除去。

 

 

「────0」

 

 その瞬間だった。安全装置を外されたスタングレネードが窓をかち割り、そのまま室内に投入。突然の出来事に中に居た人間が何が起こったのかを完全に理解する事は無かった。

 これまでに感じた事すら無い程の強烈な白い閃光は周囲に居た人間の行動を不能にしていた。強烈な音と光によって中の人間全ての感覚が瞬時に奪われる。間髪入れずに青龍だけでなく小太郎もまた一気に室内へと飛び込んでいた。

 

 

 

 

 

 小太郎と青龍は事前に確認した配置図が頭の中に残っていたからなのか、白い闇の中でも日常と変わらない様に動いていた。

 閃光と騒音は視覚と聴覚を完全に潰している。事前に防止の処理をしている風魔からすれば特段問題は無かったが、やられた解放軍はその限りでは無かった。

 突如として起こった事実を確認する前に命は完全に断たれている。先程の祝杯を挙げた空気は既に霧散していた。

 時折聞こえるのは配下のうめき声と悲鳴だけ。時間にして数秒しか経過していないにも拘わらず、白い闇が消え去った後に残されたのは横たわった肉塊だった。

 倒れたそれはどこれもこれも頸が尋常では無い方向に曲がっている。一撃でへし折られた頸椎がイメージするのは明確な死。

 気が付けば目の前には黒い仮面を被った男達が立っていた。

 

 

「貴様等、何者だ!」

 

「愚かな……」

 

 怒声と同時に飛んだ質問に返って来た答えは一瞥した返事だけだった。

 蒼い龍が描かれた仮面の男は既に所有している拳銃の引鉄を間髪入れずに引いて行く。

 無言のままに引かれた後に残されたのは、眉間に銃弾を撃ち込まれた配下の人間。既に事切れたそれは物言わぬ肉塊へと変貌していた。

 射撃の的撃ちの様に次々と倒れていく。我に戻ったのは弾切れを起こした際に発砲が完全に終わった頃だった。

 

 

「お前ら、敵は二人だけだ。撃ち殺せ!」

 

「このまま死にやがれ!」

 

 部隊長と思われる男の声に誰もが正気に返る。既に倒れた人間の事は記憶の外に放り出したからなのか、直ぐに龍の仮面の男へと発砲を開始していた。

 拳銃だけでなく、アサルトライフルも所持していたからなのか、誰もが碌に狙いを付けずに引鉄を引いていた。

 

 無数の銃弾が一斉に襲い掛かる。仮に伐刀者と言えど無傷で回避する事は不可能と言える弾幕。しかし、そんな事すら織り込み済みだったのか、小太郎と青龍は倒れた人間を盾にそのまま銃弾を全て回避していた。

 防弾チョッキを着た肉の塊は盾としての機能を果たすからなのか、肉に何かがめり込む音は聞こえるが、それを貫通する銃弾は一発も無かった。肉の盾は全ての銃弾を受け止める。心臓が既に停止しているからなのか、血が噴き出す事は無かった。

 突然の出来事と非常識な展開に、テロリストとして名高い解放軍の人間でさえも引鉄を引く事を忘れ、ただ呆然としていた。

 

 

「動きを止めるとはな……」

 

 既に声があった場所に人影は無くなっていた。

 確実に距離があったはずにも拘わらず、気が付けば目の前まで接近を許している。

 青龍から放たれた手刀はまるで鋭利な刃物の様にそのまま一人の男の喉笛を掻き斬っていた。

 頸動脈を切断した為に、血液が噴水の様に周囲を濡らす。斬られた方は最初の一撃で絶命したからかのか、何の抵抗も無く腕がダラリと下がり、地面へと沈み込む。既にここが死地である事を理解するまでに然程の時間は必要とはしなかった。

 

 

「余所見する暇があるのか?」

 

「何だ……と…」

 

 余りにも非現実的な光景を見たからなのか、誰もが僅かに意識を逸らした瞬間だった。

 小太郎の手が他の男の首筋へと延びる。

 人差し指と親指で摘まんだのは喉の筋肉。斬るのではなくペンチで摘み、抉るかの様に引き千切ったそれもまた同じく頸から噴水の如く赤い血液が噴出していた。

 至近距離での戦闘に銃を向ける事が出来ない。下手に撃てば仲間に当たるからなのか、誰もが引鉄を引く事は出来なかった。

 既に間合は二人の物。元々接近戦に適う者が無い風魔を相手に余りにも分が悪すぎた。

 そこに残るのは蹂躙されるだけの運命を待つ事だけ。既に死神に魅入られた人間の末路は決まっている。

 気が付けば殆どの人間がうめき声と悲鳴と共に血の海へと沈んでいた。

 

 

 

 

 

「さて、貴様らが保管している金庫はどこにある?」

 

「なぜ、そんな事を言う必要がある?」

 

「無理に言わなくも良いぞ。どうせ、お前達は今日で人生が終わる。無駄が無い様に使わせてもらうだけだ」

 

「は……?何だ……と」

 

 男が言葉を発したのはこれが最後だった。既に青龍の撃った銃弾は男の心臓部を直撃したからなのか、そのまま絶命している。

 事前に配置を確認している為に、とりあえず聞いたに過ぎなかった。

 目を見開いたまま絶命したからなのか、動かなくなった肉塊をそのまま床へと放り投げる。気が付けば他の場所から侵入した部隊は金庫の場所を探り当てていた。

 

 

 

 

 

「さてと………小太郎。これは聞いてないが、どうするんだ?」

 

「そうだな。彼奴の手土産にすれば良いだろう。事実上の手土産があればあいつらの面子も立つ。少なくとも我々には無用の長物だ」

 

 金庫は何の抵抗もなくそのまま開錠されていた。

 元々準備していたからなのか、金庫の中には現金以外にも幾つかの白い粉と複数の錠剤が入っている。幾ら風魔と言えど、それまで入手する事は全く無かった。

 仮に販売した所で手間の割に利が薄い。元々そんな面倒な事をするつもりは無いからなのか、誰もが白い粉と錠剤を取ろうとはしない。

 中にあった現金と、周囲に落ちている拳銃やライフル銃だけを回収する。既に手を打っているからなのか、小太郎はどこかに連絡をしていた。

 

 

「ああ。後の始末はこちらでする。だが、白い粉と錠剤だけはそっちで始末してくれ。此方がやっても面倒だしな。で、どっちが来るんだ?……そうか。ならば一時間後にしてくれ」

 

 通信の相手が誰なのかは聞く必要が無かった。既に物言わぬ肉塊となった物は掃除屋が運び出し、血で染まった部屋も瞬時に拭い去って行く。

 気が付けば他の部隊の人間もまた終わったからなのか、小太郎の下へと集結していた。

 

 

「そう言えば、幹部のビショウはどうした?」

 

「あれなら既に始末した。所詮は下っ端の幹部。我々の相手にもならん」

 

「そうか。手間をかけさせたな」

 

「次はもう少しまともなのとやりたいものだ」

 

 小太郎の言葉に答えたのは黒字に白い虎が描かれた仮面の男だった。風魔の幹部でもある白虎は、今回の破壊工作の担当を担っていた。

 既に準備は完了しているからなのか、焦る様子はどこにも無い。気が付けば背後では撤収の準備を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《了解しました。直ちに回収に向います》

 

「直ぐではなく一時間後にしてくれ」

 

《了解しました》

 

 小太郎の言葉を聞いた時宗の判断は素早かった。

 元々『解放軍』がどんな物を扱っているのかは、完全に知られている訳では無かった。

 これまでの状況から現金や銃火器は出る事は知っていたが、まさか覚醒剤に代表される薬物までとなれば話は大きく変わっていた。

 元々暴力団の資金源になっている為に、警察と公安の一部は既に尻尾を掴んでいる。

 そこまでであれば問題は何も無かった。何時もと同じく摘発して終わり。それだけの話だった。しかし、小太郎からの通話でこれまでの思惑はすべて瓦解していた。

 

 覚醒剤や薬物を扱っている時点で既に取り締まりの対象となるのは勿論の事、今後の摘発の事を考えると頭が痛くなる思いだった。内定によって調べた結果、海外からの輸入ではなく、国内からの仕入れ。初めにその情報を掴んだマトリや組対の人間は頭が痛くなりそうだった。輸入の事実は無いが、『解放軍』からの仕入れは魔導騎士連盟にまで情報が及ぶ。そうなれば内定の結果が漏れるのは時間の問題だった。

 今回の襲撃によって、そこまでの応援要請を避ける事は出来たが、今度は別の問題が浮上していた。

 末端価格にして約十億円。それがどれ程の物量になるのかは考えるまでも無かった。

 これまでに無い程の大捕り物。珍しく時宗はどちらに手柄をたてさせるかを迷っていた。

 どちらにも自分の子飼いが存在する。自分には問題が無くても、周辺への影響力は無視する事は出来ない。それ故に判断に迷った結果だった。

 

 

「小太郎。悪いが、警察の人間をそこに派遣させる。1時間後には到着するはずだ」

 

《そうか。ならば、それ以外の物は全て回収させてもらう》

 

「その辺は任せる。どうせ始末したんだろ?」

 

《当然だ。態々証拠を残す必要は無い》

 

 小太郎との通信を切ると同時に、時宗は改めて自身の子飼いの人間に連絡を入れていた。

 末端価格で十億であれば、下手な組織の流通量に匹敵するだけでなく、マスコミを上手く使う事によって完全なテロリストとして世界的にも喧伝する事が可能だった。

 小太郎からの連絡が終わった時点で既にシナリオは出来ている。後はこちらの都合の良い様に情報操作をするだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも良い物使ってるな。この前のグロッグでも思ったが、どこかに何かを仕掛ける予定でもあったのか?」

 

「さぁな。そんな事は我々には関係の無い話だ。時宗の話だと一時間後には組対の連中が来る。直ぐに行動に移せ」

 

 接収した銃火器の中でも目についたのはアサルトライフルだった。M4A1カービンと呼ばれた銃は明らかに室内の近接戦闘用として軍や警察が使用すべき物。従来のそれよりも更に軽量化されたそれは明らかにテロ組織が持っているはずの無い物だった。

 死亡した兵士全員ではないが、三割程が所持している。旧型のそれはそのまま放置し、新型のそれは全て回収していた。

 

 

「で、これは結局どうするすんだ?」

 

「これから来る組対の手土産だそうだ」

 

「なるほど……末端価格から考えれば勿体無いが、仕方ないな」

 

 十億はあくまでも販売時の価格。もちろん、そんな物を流通させるつもりは風魔と言えど毛頭無かった。

 自身の身体を蝕む者は自分達の趣旨に反する物。通常でも襲撃の際には火にかけるか、水に流すかの処理を行っていた。

 しかし、今回のこれは自分達ではなく政府筋からの依頼。それ故に表沙汰にするつもりも、懐に入れるつもりも最初から無かった。

 

 

「その分、別からはボーナスがあるらしいぞ」

 

「何だ、裏金か?」

 

「だろうな。まさかこれを押収したからと言って販売価格をそのまま転用する訳には行かんだろう」

 

「確かに。そろそろ時間だな」

 

 既に回収が完了したからなのか、死体も殆どが始末されていた。時間にして約三十分。警察が来る頃にはここで何が起こっていたのかを知る術は何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、そろそろ学内では選伐予選会が始まるらしいな」

 

「ああ。だが、何で知っている」

 

 一仕事終わったからなのか、一同は既に撤収先で寛いでいた。元々予約していたからなのか、既に仕事の雰囲気は微塵も無い。

 金曜の夜だった事もあってなのか、戻りは翌日の予定にした矢先の話だった。

 元々学内での予選会は対外的な物だけではない。現在の破軍学園の状況を重く見た理事が黒乃の宣言をそのまま外部にも伝える計画を立てていた。

 もちろん、それがどんな影響を及ぼすのかは分からないでもない。しかし、まだこの時期に小太郎の口からきかされた事に龍玄は少しだけ訝し気な視線を送っていた。

 

 

「時宗から聞いた。で、どうするつもりだ?」

 

「どうとは?」

 

 小太郎の言葉に龍玄は敢えて確認する事はしなかった。

 元々風魔である事は秘匿するが、個人の力量までは隠す必要は何処にも無かった。

 事実、普段のミッションでは常に仮面を被っているからなのか、それが誰であるかと特定する事は困難となっている。ましてや普段の任務で龍玄だけでなく小太郎や他の幹部もまた抜刀絶技を使う様な事は殆ど無かった。

 仮に使う様な場面になるのであれば、それは即ち殲滅を意味する。下手に情報を統制する位ならば最初から根切した方が早いとの判断だった。

 特に誰から言われた訳では無い。龍玄もまたコードネームを持っている以上、秘匿するのが当然だと考えている。だからなのか、どうするの意味が何処にあるのかを確認していた。

 

 

「言葉の意味に裏は無い」

 

「知れた事だ。俺としては特段隠すつもりは毛頭無い。それに学生風情に使う必要は無いだろう。あそこだと精々が寧音か理事長が敵対した時位だ。その場合、他の人間は根切するだけだ」

 

「そうか。確か、今年皇女が入学したが、どうだった?」

 

「磨けば光る。それだけだな」

 

 ヴァーミリオン公国からの留学は破軍に居る生徒であれば誰もが知っている情報ではあるが、それ以外にも時宗からの情報を既に入手していた。

 皇族が留学する意味合いは、少なからず政府にも何らかの責任は発生する事になる。

 仮に何かに巻き込まれた場合、最悪は国際問題にまで発展する。時宗から聞いているのはその可能性だった。

 事実、今回の襲撃に関しても武器の流れは少なからず内調が調査した結果だった。

 幾ら極秘に動かした所で武器の所存は隠せても、輸送した情報までは隠しきれない。厳重にすればするほど怪しいですと公表しているに等しかった。

 その結果が今回の襲撃に繋がっている。そんな裏事情がそこにあった。

 

 

「お前の事だ。色々と画策する事もあるだろう。だが、予選会の最中でも任務があれば、何時もと変わらない事だけは頭に入れておけ」

 

「当然だ。どちらを取るんのかは考えるまでも無い」

 

 話が終わると同時に、部屋には料理が運ばれていた。

 元々ここは風魔の息がかかっているからなのか、小太郎や青龍が使用する際には必ず人払いされていた。

 元々今回の様に事前に予定が決まっているケースでは全ての予約は入れる事が出来ないかキャンセルとなるのが通常だった。今ここに居るのは今日の襲撃を行った人間だけ。

 人知れず行われた任務は本来の情報は知らされず、警察のは大本営による発表だけが翌日の新聞に載る事になっている。

 ひっそりと終わった任務の事実を知る者は、一部を除いて殆ど居なかった。

 

 

 



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第13話 予選会開催

 七星剣武祭の予選会は理事長の黒乃が嫌ったからなのか、特段イベント的なアナウンスすら無いままに開催されていた。

 実際に予選会にエントリーしているのは、昨年出場した経験を持つ者を中心に、二年と三年が中心となっている。まだ入学したばかりの新入生では実力的には厳しいと判断したからなのか、クラスの中でもそれ程大きな話題になる事は一部の人間を除いて無かった。

 

 

「ステラと一輝は出るのか?」

 

「勿論よ。だって約束したんだから」

 

「ステラ。少し声が大きいよ」

 

 龍玄の質問に当然だと言わんばかりにステラは答えていた。元々それが目的と言う訳では無いが、黒乃は戦力としてステラの実力を求めた結果が今に至る。

 だからなのか、龍玄から聞かれた言葉に対し、ステラが当然だと思うのは既定路線でしかなかった。

 

 

「何よ。別に隠す様な話でもないんだし、予選会に出た時点で対戦相手や結果が分かるんだから問題無いはずよ」

 

「それはそうなんだけど……」

 

「そう言う一輝もじゃないのか?」

 

「それは当然だよ。僕も目標があるからね」

 

 休み時間が故にそれぞれが思い思いの事をしているからなのか、龍玄達の会話を一々聞いている人間は誰も居なかった。

 元々入学式の当日に起こった出来事によって、それぞれが力量を大よそながらに把握している。

 ステラに至ってはランクが物語っているが、一輝や龍玄に関しては体術などの魔力とは違う部分で一目を置かれていた。

 それが功を奏したからなのか、一輝の下には剣術を学ぶ人間が何人か居る。龍玄もそれを知ってはいたものの、それに関しては特に口を挟む様な事は何一つしなかった。

 

 

「そんな事よりもリュウは出るの?」

 

「ああ。俺も出る。この学園の人間がどれ程の物なのか少し知りたいと思ったからな」

 

 ステラの質問に答えた龍玄の何気ない言葉に一輝は僅かに息を飲んでいた。

 ステラは気が付いていないが、龍玄の力量は明らかに学生が身に付ける様なそれではない。体術や刀術の力量はさる事ながら、時折死の臭いを感じさせる事があった。

 

 勿論それは集中するが故にとは聞いてはいたが、抜刀する速度や、それ以外に見る槍術などは既に達人と言っても過言では無い。一輝もこれまでに色々な流派を見たものの、龍玄が放つ動きは常に人体の急所を的としている様にも見えていた。

 そんな人間が予選会に出る。未だ他の出場者の事は不明だが、少なくとも自分が出場する為の障壁になる事だけは間違いと肌で感じ取っていた。

 そんな中、対戦相手の決定した人間に対し、生徒手帳が僅かに音を立てる。鳴ったのは二つ。まさかと思いながら一輝は対戦相手の名前を確認していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよ始まったね」

 

「そうですね。特に今年はどうなるのかは全く分かりませんから」

 

「その割には何だか楽しそうだね」

 

 生徒会室では三年の役員三人が始まった予選会の事で話をしていた。

 これまでの様に魔力によるランクだけで決められた結果は大よそながらに理解はしたが、それはあくまでも学内の話だった。

 

 戦いに於いてはじゃんけんの様に必ず相性という物が存在する。実際に昨年の七星剣武祭で成績を残した刀華はこの中でそれを一番理解していた。

 対戦相手のデータは探そうと思えば幾らでも出てくる。ましてや二年より三年になれば学内での戦いも記録されている為に、それがより顕著だった。

 当然の如く対策を立ててくるのが前提で試合に臨む。それが実力者としての矜持だった。

 しかし、今年に関してはそれだけでは済まない可能性が最低でも二つ。黒鉄一輝と風間龍玄がどう対戦するのかだった。

 一輝は昨年の実績は無いが、ステラとの模擬戦をこの目で見ている為に、大よそは見当が付くが、龍玄に関しては何も無いままだった。

 風魔だと知らなければそれ程気にする要素はどこにも無い。しかし、予選会から事実上の本番と同じルールで戦う以上、命のやりとりをどこかで覚悟する必要がある。

 恐怖よりも楽しみが勝るのは刀華もカナタもそれぞれの実力が裏打ちされているからだった。

 

 

「組み合わせ次第ではってのもあるし、私とカナちゃんが対戦する可能性だってあるんだよ。当然ちゃ」

 

「でも本当にそんな実力者って居るのかな?」

 

「少なくとも私が知る限りでは居ます。本当の事を言えば、絶対に当たりたくない相手ですね」

 

「カナタ程の実力があっても?」

 

「ええ。最悪は瞬殺されるでしょう。それも文字通り」

 

「それって例の皇女様?」

 

「そう。と言いたいですが、残念ながら違いますので」

 

「そんな人……」

 

 カナタの言葉に泡沫は驚きながら話す。勿論、それが誰なのかは知らないが、刀華は直ぐに理解したからなのか、表情は強張っていた。

 仮にの話を今しても仕方ない。しかし、全力で戦うには不足は無い。そんな考えが不意に浮かぶ。その瞬間、少しだけ思った部分があった。

 

 

「ねぇカナちゃん。そう言えば、抜刀絶技って見た事あった?」

 

「そう言われれば………」

 

 刀華の言葉にカナタもまた、改めて思い出していた。戦場では抜刀絶技はおろか、固有霊装すら顕現していない。最近になって少しだけ目にしたが、あれはどう考えても武器ではなく防具の類。

 これが何らかの武器であれば予測出来ない事も無いが、篭手では何が起こるのかすら判断出来ない。

 事実、魔導騎士とは言え、全員が等しく武器を顕現する訳では無い。中には全く戦いには無関係な物を顕現するケースもある。だからなのか、抜刀絶技の事は完全に頭から抜け落ちていた。

 事前に知らない方が良いと考える人間もいるが、それはあくまでも実力が拮抗、若しくは勝ってる状態の話。抜刀絶技を使わずに屠る実力は、驕る以前に何一つ手を出す事さえも出来ず地面に伏す可能性があった。

 

 

「ねぇ、さっきから誰の事言ってるの?僕も知ってる人?」

 

「うた君は知らない人」

 

「そっか。でも、予選会に出るなら見る機会だってあるんじゃないの?幾ら何でも全く出さないなんて事は無いだろうし」

 

「だと良いのですが………」

 

 何も知らないからこそ言えるが、二人からすれば可能性は零では無かった。

 実際に固有霊装は顕現させても、本当に使う可能性は恐らくは無い事は予測している。

 あれだけの技量を躱しながら懐に飛び込むのは相当なプレッシャーでしかない。虎穴に入る為に極上の餌を持ったまま入ればどうなるのかは考えるまでも無かった。

 少なくとも戦場で相対したカナタだけは、口にはしないが、その考えを曲げる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~俺は一輝の後の試合か。で、対戦相手の桐原静矢って出来るのか?」

 

「そうね、昨年の七星剣武祭の出場者ね。確か二つ名は狩人。案外と今の一輝にとっては厄介な相手かも」

 

 龍玄の呟きの様な言葉に答えたのは一輝の友人でもあった『有栖院凪』だった。

 当初は誰かと警戒したものの、一輝の妹でもある珠雫のルームメイトであると聞かされたからなのか、警戒の度合いは少しだけ下がっていた。

 元々人嫌いな訳では無いか、本人の特殊事情からくるそれがどうしても警戒の度合いを低くしにくかった。

 既に対戦相手の桐原にはファンが居るからなのか、黄色い声援が聞こえている。それに対し、一輝はどこか何時もとは違う様にも見えていた。

 

 

「厄介とは?」

 

「彼の異能は姿や気配を完全に消し去る事。去年はそれで対人戦に於いて無傷だったわ」

 

「無傷?だが、優勝はしてないだろ?」

 

 凪の言葉に疑問を持ったのは当然だった。

 仮にその言葉が文字通り正しければ、負け無しの優勝になる。しかし、優勝していないのであればその言葉の意味が分からない。

 それを見越したからなのか、凪は笑みを浮かべながら続きを説明していた。

 

 

「彼は広域攻撃を持っている人間には早々に降伏するの。だから昨年もトーナメントの一回戦はパーフェクトゲームだったけど、二回戦ではその力を持ってる人間に当たったから棄権したって訳。だから彼の名は騎士ではなく狩人なの」

 

「要はお山の大将程度って事か?」

 

「あら?随分と辛口ね。確かにそう言われれば、そうかもしれない。けど、その実力は本物よ」

 

 そう言いながら凪だけでなく、珠雫とステラもまた一輝を見ている。

 恋する乙女の力なのか、それとも親愛が成せる業なのか、二人も僅かに一輝の身体に異変を感じている事を悟っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一輝は開始直前から少しだけ落ち着きが無くなっていた。

 初めての公式戦でもあり、今回の予選会を突破する事が最低限の結果。

 昨年の因縁の相手ではあったが、今はそんな事は関係無い。それが緊張から来る物なのか、それとも単に興奮した結果なのかは自身にも理解が出来なかった。

 実際にここに来るまでにかなりの労力だけでなく、精神的な部分と抱える物が増えている。それがどんな方向に作用するのかは一輝自身も分からないままだった。

 会場に入ると、既に観客の生徒が所狭しと座っている。ここから始まる。先程まで持っていた感情を強引に封じ込め、今は戦いのただそれだけを考える様にしていた。

 

 

「やぁ。こうやって対峙するのは随分と懐かしいね。嘗てのクラスメイトじゃないか。少しくらいは懐かしさもあるんじゃないのかい?」

 

「懐かしい…ね。言われてみればそうかもね。だけど、今はお互いそんな事を言う為にここに居る訳じゃ無い」

 

 桐原静矢の言葉に一輝は神経がざらついた様にも感じていた。

 元々去年のあれは前理事長の差し金である事は容易に想像が着いていた。乱闘騒ぎを起こし、そのまま弁解の場を設ける事無く即退学に追い込む。実に子供騙しの計画だった。

 勿論、そんな思惑を最初から理解したからと言って、完全に許す事は出来なかった。

 狩人と呼ばれる様に自身の能力をただ愉悦に浸るだけに使用する事に一輝は我慢の限界を超えていた。

 

 ただ魔力が高いだけ、ただランクが高いだけ。一年と言う時間をかけて一輝に襲い掛かったそれは、力の渇望と言う感情をゆっくりと育てていた。その影響もあってなのか、心を人知れず蝕んでいく。本来の様な冷静さは、既に失われつつあった。

 

 これまでに仮想敵として何度もシミュレーションを繰り返している。個人的に許せないと言うよりも、寧ろ、自分の歩むべき未来の為には桐原が使う抜刀絶技は自分との相性が最悪である事を悟ったが故の結論だった。

 これまでに何度か手合わせした事によって龍玄の使う歩法の一部は既に盗む事が出来ている。

 出来る事なら開幕速攻で胴体に一撃を入れよう。それを合図に一気雪崩れ込む様に攻め込む作戦だった。

 見た限りではこちらに対し油断をしている様にも見える。このまま自身の精神を逆なでしている事を横にして、そのまま今の状況を悟られない様に愚者を演じるしか無かった。

 

 

「そうかい。でも、僕はこう見えて昨年の七星剣舞祭では二回戦まで行ってるんだ。今の君に僕の所まで本当に届くかな?」

 

「さぁね。やってみなきゃ分からないんじゃないかな」

 

「へぇ。どこにそんな自信が。ああ、そう言えばあの動画僕も見たよ。Aランクに勝っただなんて凄いね。どうやって皇女様を買収したんだい?」

 

 桐原の言葉に一輝は既に愚者の仮面を被る事を忘れていた。

 動画の内容はともかく、あの戦いを陥れる人間は自分だけでなくステラまでも貶める事になる。自分の事だけならまだしも、ステラの事まで言われたからなのか、既に一輝は冷静さに欠けていた。

 まるでその瞬間を図ったかのように合図のブザーが鳴り響く。既に一輝は理性の半分失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの馬鹿。逆上してやがる」

 

「え?」

 

 龍玄の呟きは思いの外大きかったのか、隣に座っていたステラは驚きのあまり一輝ではなく龍玄に向いていた。

 少しだけ一輝の様子が変だとは思っていたが、実際に口に出された事によって感じているのは事実だと気が付く。

 ブザー音と同時に一輝はそのまま静矢へと突進していた。

 何時もであれば『抜き足』とまでは行かなくてもその歩法は距離と詰める事だけに考えれば一級品に近い物だった。しかし、今の一輝は精彩さに欠けている為に『心・技・体』の心の部分が抜け落ちている。

 通常よりも僅かに早い程度の突進は桐原からしても単なる的に過ぎなかった。まるで狙ったかの様に一輝の胴体と右足の太ももに向って矢が放たれる。瞬時に放った矢はそのまま一輝へと吸い込まれていた。

 

 

 

 

 

「そんな見え見えの攻撃なんて僕には無意味だ!」

 

 一輝は飛来した矢をそのまま叩き落とすべく自身の隕鉄で振り払う。

 目視出来る矢であれば一輝にとっては払うのは造作も無い事。このまま一気に距離を詰めるべく矢を碌に見る事無く、その来るであろう場所に向けて刃を向けていた。

 見える矢はそれ程の速度が出ている訳では無い。弾丸すら回避出来る程の動体視力からすれば静矢の放った矢は止まっているのと同じだった。来るであろう場所に向けて刃を向ける。

 叩き落とされた矢はそのまま地面に沈んだと思われた瞬間だった。

 

 

「な……なんで。全部払ったはず」

 

 一輝の言葉に偽りは無かった。

 隕鉄の刃は飛来したはずの矢を全て叩き落としている。しかし、現実には一輝の太ももと胴体には矢が刺さっていた。

 太ももを刺された事により、先程まで突進した動きはその場で停止する。予測した事実と異なっているからなのか、一輝が戦闘中にも拘わらず呆然としていた。

 余りにも分かり易い隙は単なる的でしかない。その瞬間、桐原は再び矢を射ると同時に自身の抜刀絶技を行使していた。

 ピアノの鍵盤をたたくかの様に虚空を叩く。その瞬間、周囲には桐原を覆い隠すかの様に森が広がっていた。

 

 

「残念だったね。そんな単純な事すら気が付かないなんて。やっぱり落第するだけの要素はあったって事なんじゃないのかい。やっぱり君には落第騎士(ワーストワン)がお似合いだよ」

 

 嘲り笑うかの様に声は広がるが、肝心の本人の姿は完全に消失していた。

 既に周囲を探知し様にも関知する事が出来ない。まるで獲物を甚振る肉食獣の様にあらゆる方向から間断無く矢が射かけられていた。動揺し、動く事を忘れているからなのか、放たれた矢の全てが一輝の躯体に赤を作り出す。直撃ではなく、態と掠める攻撃は完全に甚振っている証だった。

 

 

 

 

 

「馬鹿が。一人前に緊張なんてするからだ。そもそもあの言葉を聞いても流せば良かったんだよ。そうすれば最初のあれが何なのかは彼奴なら理解出来たはずなんだ」

 

「リュウ。私にも分かる様に説明してくれないかしら?」

 

「説明って何をだ?」

 

「あの正体不明の矢の事よ!」

 

「何だ?ひょっとして分からないのか?」

 

「だから聞いてるんでしょ!素直に教えなさいよ」

 

 一輝の想定外の負傷が影響しているからなのか、ステラは既に冷静さを失っていた。

 元々あれは暗器を使う人間であれば当然のやり口であり、尤も警戒すべき物。

 そもそも飛び道具を主体とすれば命中率は生存率に直結する。だからなのか、龍玄にとっては当然の物も、ステラにとっては未知の物でしかなかった。

 

 

「隠す程の物じゃない。あれは態と注目させる為に放った矢の背後に隠すかの様にもう一本放っただけだ。影矢になっているから気が付かずそのまま叩き落とせば今の一輝みたいになるだけだ」

 

「何よ。それって卑怯じゃない」

 

「卑怯?そんな訳無いだろ。どの世界に正々堂々と戦ったから負けても仕方ないなんて考える輩が居る?この戦いは生存競争なんだ。生きる為の戦術に卑怯なんて言葉は存在しない。仮にそれを口にするならば、一輝を馬鹿にするのと同じ事だ。彼奴の抜刀絶技はまさにそれを体現しているんだからな」

 

 龍玄の言葉にステラだけでなく、その隣に座っていた珠雫も驚いたのか驚愕の表情を浮かべている。そんな中で珠雫の隣に座っていた凪は何時もと変わらないままだった。

 

 

「だが、本来の一輝ならあの程度の事は看破すると思ったんだがな。余程何か言われたのかもな」

 

「余程って何よ」

 

「そんな事は知らん。本人に聞けよ。それと、俺は解説じゃないんだ。一々聞くな。一輝を信じるなら黙って見てろ」

 

「分かったわよ」

 

 龍玄の言葉にステラだけでなく珠雫もまた会場をジッと見ていた。

 一旦視界から消え去ったからなのか、目視で追跡する事が出来ない。一射ごとに一輝の制服は破れ、その下からは鮮血が迸る。

 傍からみれば棄権してもおかしく無い程の出血は会場の中を少しだけ冷え込ませていた。

 傍からみれば一方的な攻撃。このままではそのままレフリーストップの可能性もあると思い出した瞬間だった。

 

 

「しかし、大変だね君も。確かここを卒業する為には七星剣舞祭で優勝しないと出来ないんだよね。そんな弱いままで予選会を勝ち抜く事も出来ないなら、一生このままだね」

 

 静矢の嘲笑と同時に聞こえた言葉に観覧席に座る生徒が騒めく。本来であればそんな事をしなくても卒業するのは可能なはずだった。

 試合である以上、トラッシュ・トークの可能性も否定出来ない。しかし、本人の思惑とは別に何も知らない不参加の生徒からすれば随分と面白い話の内容にしか聞こえなかった。

 ざわつく観覧席。それと対照的に血を流す一輝の姿。誰もが桐原の言葉が事実だと思い込んでいた。群集心理を巧みに操るのか、たった一言の言葉が会場を歪に沸かせていたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を逆上してるんだか。たかがあの程度の言葉位で」

 

 龍玄は隣に居るステラにすら聞かれない程の小さな声て呟いていた。

 元々一緒に訓練をする様になってから感じていた違和感。あまりにも儚い様に感じた正体を垣間見た瞬間だった。

 

 一輝は一言で言えば自分に対する悪意に慣れずぎたからなのか、他人を貶める言葉に過剰に反応していた。

 人の考え方に決まりは無い。勿論、このやり方が正しいとも間違っているとも思わなかった。

 そもそもトラッシュ・トークを使う時点で、自分は二流以下だと喧伝しているも同じだった。純粋に、気配や音を遮断する抜刀絶技がこの人間の生命線を握っているだけ。

 特別な業など何一つ無いままだった。

 

 一輝が留年している事は以前に聞かされている。だとすれば当時の近しい人間の可能性が高いと考えていた。だからこそ、あの程度の言葉に逆上する一輝を見て龍玄は少しだけつまらないと感じていた。

 自分を見失しなう事さえ無ければあの程度であれば瞬殺出来る。それが龍玄が下した評価だった。

 

 血塗れた姿は依然として良くなる気配は感じられない。このまま出血量が増えれば必然的に敗北の色が濃くなるのは当然の帰結だった。

 既に会場には一輝を貶める《ワーストワン》の大合唱。自分は安全な場所から他人を嘲笑する様な輩しかいないのかと思った瞬間だった。隣からはまるで全てを燃やし尽くすかの様な炎のオーラを感じる。それが何を意味するのかは考えるまでもなかった。

 

 

「私の好きな騎士を馬鹿にするな!!」

 

 

 まさに紅蓮の如く赤く光る魔力はステラを覆うかの様に光っていた。本人も魔力を開放しているつもりは恐らくは無い。ただ感情のままに放った言葉に沿うかの様に魔力が漏れたに過ぎなかった。

 隣にいた珠雫だけでなく、凪もまた驚愕の表情を浮かべている。ステラの放った一言は会場の空気を完全に一変させていた。

 

 

「一輝。いい加減遊ぶなよ。そんな三下にやられる程、お前は無様だったか?」

 

 静まり返った会場に響く言葉。それを発したのは龍玄だった。

 元々桐原は昨年の出場者。三下扱いする程実力が無い訳では無かった。

 再び騒めきだつ会場。そんな龍玄の言葉に呼応するかの様に、先程までとは違ったのか、一輝は改めて自分を取り戻していた。

 

 

「遊んでなんか無いんだけどね。でも、お蔭で冷静になれたし、もう問題無いよ」

 

 既に一輝の目には先程まで無かった冷静さが宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場の観客席から聞こえた声に一輝は漸く冷静さを取り戻すと同時に、龍玄の言葉に苦笑するしかなかった。

 元々桐原との対戦で一番最初にやらなければならないのは開幕速攻での一撃。

 昨年のクラスメイトが故に、その攻撃方法と同時に抜刀絶技を使用されればどれ程厄介なのかは身を持って理解しているはずだった。しかし、何気なく言われた一言は一輝の神経を逆なでするには十分過ぎていた。

 自分とステラの戦いを汚す様な心しか持てないのであれば間違い無く、それなりのレベルまでは行けるかもしれないが、所詮はそこまでの程度。

 自分はあの時の戦いでステラであればどれ程の高みを目指せるのかを無意識の内に考えていた。

 

 当時の動画をこっそりと見た際に自覚した事実。恐らくは殆どの人間はそんな事に気が付かないと思うが、確かに自分は笑っていた。

 勿論、戦闘時にそんな事をした記憶は一度も無い。だが、無意識であれば自分がどれ程それを望んでいるのかを改めて実感していた。

 そんな戦いを汚す言葉は一輝としても許容する事は出来なかった。

 何も知らず、適当な言葉で濁す。あの瞬間、一輝は間違い無く桐原に対し明確な殺意を抱いていた。

 

 強すぎる感情は冷静さを失わせる。それがあったからこそ、ここまで一方的に攻撃を受ける結果となっていた。そんな中、ステラの言葉と同時に龍玄の言葉が会場に響き渡る。

 漸くこれまでの攻撃を受けながら姿を見せない桐原の足取りを掴む事が可能となっていた。

 

 

「どうやら君はまだ自分の置かれている立場を理解していないようだね」

 

「立場なんて最初から考えた事すら無かったよ」

 

「だったら、もう一度理解させてあげるよ」

 

 未だ姿を視覚に捉える事は出来なかった。事実、桐原の抜刀絶技は姿だけでなく気配やあらゆる物を完全に隠す。

 一輝もそれを理解しているからこそ、これまで一方的に攻撃を受けていた。

 しかし、冷静になった今、一輝は改めてこれまでの状況を思い出していた。これまで自身が受けた傷がそれを雄弁に物語る。

 無意識の内に自分の内なる物と対話するかの様に精神を集中させていた。

 

 

 ────もし、自分が桐原静矢だったら、どこを狙うのか

 

 ────もし、自分が桐原静矢だったら、どうするのか

 

 一輝は無意識の内に中段の構えを取っていた。元々攻撃にも防御にも有効な構え。

 まるで自身の持つ『隕鉄』までもが自分の意識の様に周囲を探る。僅かに揺れる大気。

 何が飛来するのか考えるまでもなかった。

 

 

「桐原君。君の事はもう見切ったよ」

 

 見えない何かがまるで見えているかの様に大きく刃で払う。

 外部からみれば何を意味するのかは分からないが、払った瞬間に聞こえた音が全てを物語っていた。

 影矢をも警戒したからなのか、先程とは違い敢えて大きく刃を振るう。その影響もあって、聞こえた音は二つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝負あったな」

 

「まだ終わってないわよ」

 

「もう一輝が負ける可能性は無い。それと、次は俺の番なんでな。面倒だが決着がそろそろ着く」

 

 突如立ち上がった龍玄に対しステラは何となく疑問を口にしていた。

 気が付けば既に一輝は『一刀修羅』を使用し、会場を縦横無尽に移動している。

 姿は見えなくても自分が感知しているのであれば既に姿を隠す事に意味は無い。そんな理屈すら気が付かない人間を相手に負ける可能性を見出す方が困難だった。

 

 

「じゃあな」

 

「次は頑張りなさいよ」

 

「程々にするさ」

 

 既に龍玄は会場に視線を向けるつもりすら無かった。会場を出る頃には既に文字通り決着がついたのか、大歓声だけが聞こえていた。

 

 

 



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第14話 驚愕の結末

 静まり返った通路は既に先程までの熱くなった空気すら完全に冷却した様だった。

 これまでの通例からすればFランクがCランクに勝つのはある意味では大番狂わせとも言える内容。確かに異能のレベルだけ見ればそれは一つの側面でしかない。しかし、今回からの実戦ルールではランクの格付けは殆ど無意味でしか無かった。

 

 

「風間龍玄さんですね。確認が終了したしたので、少しだけ説明させて頂きます」

 

 受付カウンターに居る女性はこれまでの選手と同様に、龍玄に対し説明をしていた。

 元々予選とはいえ、幻想形態ではなく、実像形態での実戦。当然ながら負傷するケースもある事を訥々と説明していた。

 元々龍玄からすればそれが当然の世界で生きている。そんな当たり前の説明をされた所で、特に何かを期待する様な事は無かった。

 

 

「とう言う事は、仮にこの戦いで死んだ場合は事故として処理される認識で良いんだな?」

 

「え……まぁ、そうなりますね」

 

 これまでの説明をしてきた中で明確に死を意識させる言葉を聞いた事が無かったからなのか、これまで流れる様に説明してきた女性職員が僅かに固まる。

 実戦形式であればその可能性は否定できない。実際にこれまで説明をした後で辞退するケースも見てきた為に、まさか真逆の質問をされるとは思ってもいなかった。

 

 当初は予選会を提案された際にその話も職員の中では少なからず出ている。しかし、本戦でもある七星剣武祭ですら、時として不幸な事故を回避する事は不可能であるとの言葉に誰もが頷く結果となっていた。

 説明の中で担当の職員が会場で待機している。万が一の可能性を口にしただけだと自身に言い聞かせたからなのか、どもりながらも返答をしていた。

 

 

「了解した。そうならない様になると良いな」

 

 不敵な笑みを浮かべながら龍玄が生徒手帳のYESのボタンを押す。既に了承したからなのか、職員もまたそれ以上の言葉は発しなかった。

 

 

「まさかとは思うけど、学び舎の中ではやらないでほしいね~。後が面倒だからさ」

 

「寧音か。お前には関係無いだろ?」

 

「ほら、うちもここの臨時とは言え職員なんだし、面倒事はね~」

 

「俺には関係無い。それにお前はここの職員ならば契約に従うのは当然だと思うが、間違ってるか?」

 

「随分と冷たい事言ってくれるね」

 

「冷たい?寝言は寝てから言え」

 

 龍玄との会話をしながら寧音は少しだけ嫌な予感を持っていた。

 あの職員との戦いを見たからではない。風魔の『青龍』としての技量を理解しているからこその会話だった。

 実際に寧音は青龍はおろか、小太郎とも戦った経験がある。A級リーグ三位とは言うものの、実際には上位三位まではそれ程差は無い。寧ろリーグ戦の状況と自身の体調によって勝敗が決まる事が殆どと言える程に僅差だった。

 そんな世界の上位に入る人間に対し、小太郎はまるで子供を相手にするかの様に寧音をあしらっている。一方の青龍は、まだ今よりも技量が低い頃に、ギリギリではあったが寧音は負けている。

 当時の差はそれこそ運命の天秤が僅かに傾いた結果でしかない。しかし、入学試験のあの時点でほぼ完成されている様にも思えていた。

 一撃必殺。文字通り一撃で相手を死に追いやる技量を持つ人間が手加減をするとは到底思えない。そして先程の確認の言葉。

 間違い無くこの予選会で下手をすれば何人か死人が出ると予想するのは、ある意味では当然の帰結だった。

 

 

「そう言われるとね~。とにかく頼むよ」

 

「報酬も無く、面倒な事する訳無いだろ」

 

「それでもだよ。宜しく~」

 

 それ以上は無駄だと判断したのか、龍玄は寧音との会話を強引に打ち切った。時間が押しているのであれば、これ以上は無駄な時間になる。そんな意志の表れだった。

 会場の入口まで気負う事なくゆっくりと歩く。寧音の目には命を刈り取る大鎌を持った死神の様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなるんだろうね」

 

「さぁ。私にも予想は出来ませんね」

 

 先程までの会場は見物する為の人間がかなり居たが、今ではその人の波は完全に引いていた。

 元々桐原静矢の親衛隊の様に居た女子はあまりにも情けない負け方に嫌気を差したからなのか、人の波が引いた様に会場から去っていた。

 事実、周囲を見渡せば会場に居るのは満員時の二割程度。ガラガラの席に座る人間が誰なのかすら判断出来る程だった。

 

 そんな中で生徒会の人間が居る。当初は疑問を持つ者も居たが、結果的には全体の把握だろうと考えたからなのか、誰もがそれ以上の事を考える事はなかった。

 僅かに聞こえた会話の内容も、恐らくは先程のFランクとCランクの戦いでFランクの一輝が勝った事を踏まえた上での話。聞こえた人間の誰もがそう考えていた。

 

 

「刀華とナカタが居るなんて珍しいね。そんなにこれから始まる戦いに注目してるの?それだったらさっきの方が見応えあったと思うけど」

 

「さっきの戦いはあれはあれで見応えもありましたし、やはり実戦形式であればチェックするだけの内容だったと思います。ですが、これから始まるのはそんな物じゃないはずですから」

 

「そう言えば、うた君は見た事が無かったんだよね。詳しい事は見れば多分……分かると思うよ」

 

 二人の言葉に泡沫は疑問だけが先行していた。

 選手の紹介を見た限り、方や一年のEランク、方や三年のCランク。しかも三年は昨年の本戦出場者。

 魔力のランクだけでなく、実戦としての実力を見ても、見る価値がありとは思えない。実際に周囲を見ても、事前の選手を紹介されたからなのか、半ば消化試合程度にしか思っていないようだった。

 試合開始の時間が近いからなのか、二人が会場へと足を運ぶ。この時点で戦闘の結末を正確に予想した人間は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

「相手は昨年の本戦出場者か。少しは楽しめると良いがな」

 

 龍玄は気負う事すらなく、何時もと同じ様に会場入りしていた。天井には選手紹介の電光掲示板に自分のデータと相手のデータが表示されている。

 元々()()()()()である事を知っている人間はこの学園には誰一人居ない。そんな前情報を見たからなのか、会場に向けられる視線はそれ程でもなかった。

 

 対峙した男の視線もどこかこちらを見下している様にも見える。事前情報の信用度がどれ程なのかを理解していないからなのか、身に纏う雰囲気は既に緩んでいた。

 お互いが試合が出来る距離へと近づく。元々審判は存在せず、試合開始のブザーで始まるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この試合の審判と同時に、救護を担当したのは珍しく西京寧音だった。

 元々臨時が故にこの予選では解説をする為に来ているだけのはずだった。しかし、突如として立候補した為に他の職員もまた訝しむ部分が多分にあった。

 そもそもあの試験の事を知っているのは理事長の新宮寺黒乃と西京寧音の二人だけ。

 直ぐにIPS再生槽で治療した為に、周囲は何も知らないままだった。だからなのか、黒乃と寧音以外にその事実を知るのは試験をした人間の三人だけ。余りにも異様な雰囲気に職員の誰もが疑問を持っていた。

 

 

「あの……理事長。この試合に何かあるんですか?」

 

「あると言えば……あるのかもしれん。我々は事故が無い様に安全に勤めるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「そ、そうですよね……」

 

「それとIPS再生槽は直ぐに利用出来る様にしておいてくれ」

 

「……分かりました」

 

 黒乃の言葉に質問を投げかけた職員は大人しく退散するしかなかった。

 先程までの一輝と静矢の戦いでさえ、こうまで緊張感が高まる事は一度も無かった。しかし、これから始まるそれには、周囲すら気にしない程の緊張感が漂っている。

 事実、黒乃と寧音の醸し出す圧力に場当たりしたからなのか、数人の職員の顔色は少しだけ青褪めていた。

 試合開始時間が徐々に近づく。眼下ではお互いが固有霊装を展開していた。

 

 

 

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 

 

 会場にブザーが鳴り響いた瞬間、誰もがその異様さを理解するのに時間を必要としていた。

 対峙した生徒は昨年の本戦出場者。まごう事無き実力者のはずだった。

 会場内には二人と一つの物体だけが舞台の上に存在している。一人の男はその場に佇み、もう一人の男は赤い液体をとめどなく流しながら仰向けになって動く事すらしない。

 そして同じく赤い液体を流しながら、もう一つは会場の壁に棄てられたかの様に落ちていた。会場の空気が固まる。

 佇んだ男はゆっくりと仰向けになった男の下へと歩を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺すのは面倒だから、戦意を奪うまでにするか」

 

 開始のブザーが鳴った瞬間、龍玄は四割程度の力で、対戦相手の下へ一気に距離を詰めていた。

 風魔の歩法でもある『斬影』縮地や抜き足などと比べる事すらあり得ない速度は瞬時に懐に入っていた。

 相手の固有霊装は青龍刀なのか、大型の刃が湾曲している。幾ら大きかろうが切れ味が良かろうが、使用する人間が盆暗であればまるで意味を成さない物だった。

 

 龍玄は瞬時に相手の手首関節を叩きつけて破壊すると同時に、そのままの勢いで青龍刀を持った手首を強引に下から回転させる。

 大型の刃はそのままの勢いで脇から一気に右肩を切断していた。斬れた瞬間、固有霊装を持った腕は弾き飛ばすと同時に、無防備になった男の右肺に痛烈な肘を入れる。

 衝撃はそのまま体内を浸透したからなのか、その衝撃で右肺は完全に破裂していた。

 右肺の破裂を意識した瞬間、そのまま全身を弾き飛ばされている。地面に叩きつけられた体躯はそのまま大きくバウンドし、意識を完全に飛ばしていた。

 

 

「所詮は雑魚か。ついでに始末する……面倒なのが出てきたな。寧音、仕事が出来て良かったな」

 

 寧音が出た事によって事実上のレフリーストップとなっていた。

 戦闘時間は一秒。まさに刹那の戦いだった。右腕は固有霊装を握ったままだからなのか、そのまま勢い良く液体をまき散らしながら壁にぶつかっている。

 衝撃と共に意識を失ったからなのか、固有霊装はそのまま消滅していた。

 その際に数人の顔に何かがかかったからなのか、突如として起こった悲鳴に会場はカオスとなっていた。

 敗者には何の価値もない。まるでゴミでも見るかの様に龍玄の視線は冷たい物だった。

 

 

 

 

「何、あれ………」

 

 泡沫が口に出来たのはその一言だけだった。

 先程の戦いとは違い、刹那のやりとりを完全に理解した人間は会場の中には一人もいなかった。

 本来であれば放送した人間が実況するはずだが、あまりの光景に声が出ない。聞こえたのは女生徒が飛び散った血液が顔にかかった事を理解し、悲鳴を上げたからだった。

 恐らくは対戦相手は何も感知する間もなく意識を失っている。常識を逸脱した光景は会場の空間を完全に凍結させたかの様だった。

 

 

「やっぱりでしたね」

 

「そうだね。まさかとは思ったけど……」

 

「二人はあれが誰なのか知ってるの?」

 

 刀華とカナタの言葉に泡沫は改めて確認するしかなかった。

 これ程の実力を持っているのであれば少なからず噂にはなるはす。ましてや戦闘力だけ言えば確実にこの学園でも上位に入るのは明白だった。にも拘わらす、その存在は知らされていない。衝撃の光景から現実に戻るにはそれなりの時間が必要だった。

 

 

「知ってますよ。元々今回の台風の目になるのは確実ですから」

 

「少なくとも私も感知できるかと言えば怪しいですね」

 

 気が付けば刀華はメガネを外していた。『閃理眼』は刀華が持つ抜刀絶技の一つ。

 人間の体内にある電気信号を読み取る事によって相手の行動を読む物。電気信号を読み取る事が可能なそれでさえ怪しいとなれば、どれ程規格外の実力なのかは言うまでも無かった。

 会場を見れば職員は既に整理が完了したからかのか、元に戻っている。何が起こったのかすら理解できない現実を他所に、本日の予選会は終了していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風間。あれはやりすぎじゃないのか?」

 

「何故そう思う?」

 

 龍玄は直ぐに理事長室に呼ばれていた。内容は聞くまでも無く、明らかに先程の件。事前に判断した結果だからなのか、龍玄が理事長室に入ると、そこには黒乃だけでなく寧音も同室していた。

 

 

「あれは明らかに過剰だ。少なくともお前の技量であれば、そこまでする必要はなかったはずだ」

 

「所詮は実力も無いくせに粋がるから起きた事故だろ?現実を理解させた事に対してそんなに目くじらを立てる必要は無いはずだが?」

 

 黒乃の質問に対し、龍玄はいつもと変わらないままだった。

 既に風魔の人間である事は黒乃も理解している。少なくとも自分が知る中でも最狂、最凶を地で行く人間には無駄とは理解したが、教育者である以上は確認するつもりだった。

 そんな質問に対する答えがそれだからなのか、黒乃はそれ以上は何も言えない。実際に本戦でも事故で死傷者が出る事はこれまでに数回あった。それと同じであればこの結果を詰問するのは最初からお門違い。それを分かった上で確認するしかなかった。

 

 

「言っておくが、肩口から切断したのは俺からの温情だ。本来ならば、あのまま頸を刎ねる。そうしないだけも有難いと思え。それと受付でも確認したんだ。それ以上言われる筋合いはどこにも無いはずだ。それとも何か?俺だけはルールを適用しないとでも言うのか?」

 

「そう言ってる訳では無い」

 

「だとすればこれ以上は時間の無駄だ。仮に文句があるならいつでも受ける。ただし、理論が破綻している場合、全うな生活は送れないと思え」

 

 正論を言われたからなのか、黒乃の言葉に力は無かった。龍玄も最初からそうするつもりは毛頭無かった。

 ただ、直前の一輝の試合と自分の対戦相手の顔を見た際に、予定していた方針を変更したに過ぎなかった。そもそも全力ですらない。

 これならば自身の配下と訓練した方がはるかにマシ。その程度の認識しか無かった。

 

 

「一つ良いかな?あれって、全力?」

 

「……あの程度の相手に全力を出すだけ無駄だ。精々が四割程度。寧音、お前も同じならそうだろ?」

 

「そうさね……確かに言われればそうかもね」

 

「だとすれば、それが全てだ。そうだな。生徒会レベルなら少し位は力を出しても消える事はないよな?」

 

 龍玄の言葉に黒乃はどう答えて良いのか判断出来なかった。あれで四割だとすれば全力でどれ程なのかが想像出来ない。

 仮に今、自分が現役だったと仮定した場合、どうやるのだろうか。既に引退した身にも拘わらず、自分の中に眠る血が騒ぐ様な気がしていた。

 

 

 

 

 

「寧音。一つ確認したい。あれはお前と戦えばどうなる?」

 

「そうさぁね~。どうだろうね~」

 

「茶化すな。まさかあれ程危険だとは思わなかったぞ」

 

 龍玄が理事長室を出た後、黒乃は無意識の内に煙草に火を点けていた。

 ゆっくりと立ち上る紫煙とは裏腹に、煙草を持つ黒乃の手は僅かに震えていた。

 自分がまだ現役の頃であっても、ああまで厳しいプレッシャーを受けた記憶は数える程しかない。今の状況でその素性を知っていると考えたからこそ黒乃は寧音に確認するかの様に聞いていた。

 

 

「本当の事を言えば、状況次第じゃないかな。その代り、どちらかの命が確実に消し飛ぶけど」

 

「A級のお前でもか?」

 

「あのさぁ、オフレコでお願いしたいんだけど、くーちゃん。風魔の事ってどれ位知ってる?」

 

 龍玄の事にも拘わらず、突如として風魔の話をした寧音の思惑が黒乃には分からなかった。

 あの一件で龍玄がそうである事は明言こそしないが、言動で理解出来る。しかし、今寧音が行ったのは間違い無く『風魔』の単語。何時もの様にふざけた雰囲気は既に無くなっている。友人であるが故に、今の寧音は何かを伝えようとしている事だけは理解出来ていた。

 

 

「知るも何も、世間一般的な事だけだ」

 

「だよね。でもどうしてああ言われてるのに、警察や騎士団が動かないか知ってる?」

 

 寧音の言葉に黒乃は改めて考えていた。確かに『解放軍』程では無いにせよ、ここまで戦闘力が知られて法律に基づく規制が出来ないのかは不思議だった。

 世間には確かに例外と言う物もある。しかし、傭兵である事は裏の人間や、情報に詳しい人間であれば誰もが知りうる事実。寧音の言葉から予測出来るのは一つだけだった。

 

 

「まさか、あいつと同じなの……か?」

 

「大正解だよ。くーちゃん、因みに言っておくけど棟梁の小太郎は多分、私レベルは歯牙にもかけない。事実五分と持たなかったから。本当の事を言うとね、次に対戦する事があれば私の命なんて簡単に消し飛ぶさね」

 

「それは……だが、それと風間とどう関係がある?」

 

「詳しい事は言えないけど、少なくとも私は一年以上前に戦って負けてる。さっきの戦いだって殆ど手抜きだよ。ここの序列一位って確か東堂刀華だよね。本気で戦えば一方的に血の海に沈むだけさね」

 

 寧音の独白に近い言葉に黒乃はそれ以上の言葉は出なかった。

 確かに試験の際にも自ら動く事無くその場で終わっている。後々考えれば、一歩も動く事無く血反吐を吐いたとなれば、事実上の武力は天地程の差があるのは間違い無かった。

 既に理解しているつもりではあったものの、やはり近しい人間の言葉の方が実感したのか、黒乃は今後の事を少しだけ考えていた。

 

 

「そうか……だが、予選会は既に始まっている。対戦相手はランダムだ。私もどうなるのかは分からん。ここで介入しよう物なら信用も信頼もこの学園から無くなるだろうからな」

 

「死なない程度にってお願いすれえば良いんじゃない?ほら、依頼って形式だった受けると思うよ」

 

「何も知らないと言っても風魔に依頼するには最低はこれだけ要るのだろ?そんなくだらない事で出せる訳がない」

 

「それなら学園の予算をちょっとだけ」

 

「寝言は寝てから言え。それとも何か?お前が支払ってくれるなら問題無いぞ」

 

「それが臨時職員に対する言葉かね」

 

「お前だからだ」

 

 黒乃の指は既に五本開いていた。百万単位で依頼を受ける事は絶対に無い。事実、依頼を受けるかどうかは依頼料と内容によって大きく変動する。それならば自分達で何とかした方が随分と簡単だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事実上の一撃は相手の闘争心を完全に鎮火させていた。

 身に纏う雷は自身の闘争心の表れなのか、対戦相手の事など歯牙にもかけない程だった。

 予選会は対戦相手の年代を一切問わない。幾ら相手の学年が上だろうが、下だろうがそんな事は一切関係無かった。生徒手帳に届く対戦相手の名前は自分がよく知らない相手。驕っているつもりは最初から無いがそれが相手にも伝わったからなのか、舞台に上がった時点で決着は事実上着いたも同じだった。

 

 固有霊装の『鳴神』をゆっくりと抜き、威圧するかのように刃は雷を纏っていく。本来であれば刀華は居合いを使う事から最初から刃を見せるケースはそう多く無かった。 刀身から繰り出すそれは従来の戦法とは明らかに違うからなのか、刀華を良く知っている人間からは疑問だけが浮かんでいた。

 何時もの如く一刀両断を旨とするはずが、それすらもしない。誰もが疑問と違和感を抱きながらも、その戦いぶりを見ていた。

 

 

「戦法を変えたんですか?」

 

「そんなんじゃないんだけど、あの戦いを見たから居合いだけでも困るかと思って」

 

「確かに言われてみればそうかもしれませんね」

 

 具体的にどの戦いなのかを言うつもりは最初から無かった。元々戦場で相対した時点で居合いを完全に防がれたのは誤算であると同時に、利き手を潰された時点で居合いは放てないのと同じだった。

 確かに雷を纏った攻撃は通常よりも殺傷能力は高いかもしれない。しかし、それだけだった。

 実際に自分の剣の師でもある『南郷寅次郎』からも使い手としては上である事は遠回しに言われている。しかし、不意にその話をした際に、師からは厳しい一言を告げられたばかりだった。

 

 

 ──風魔と全力で闘うならば何かを失う事を躊躇するな。さもなくば己の命だけが瞬時に砕け散る。その覚悟はあるか?──

 

 

 戦場で対峙していなければ言葉の意味は間違い無く分からないままだった。

 しかし、一度小太郎と対峙した今なら完全に師の言葉を理解する事が出来る。

 生きて返れたのは僥倖でしかなく、結果的には生かされただけに過ぎない。そもそも路傍の石を気遣う必要は最初から何処にも無かった。

 

 自分は単なる石ころ程度の存在。精々が蹴られて終わるだけでの存在だったと。

 直接言われた訳ではなかったが、自分でそう理解していた。小太郎がそのレベルならば龍玄はそこまでではない。そんな気持ちで観戦したのが全ての間違いだった。

 

 刹那の中で繰り出された攻撃は自身の眼では完全に追いきれない。厳密には理解出来るものの、その動きに対応出来ないが正解だった。

 幾ら認識しようにも自分の体躯が動かなければ何の意味も成さない。他の人間は惨劇だけに目を奪われていたが、少なくとも自分と友人だけはその危険性を理解していた。

 

 

「でも、自分を高める物が身近にあれば、随分と良い環境にあった。そう考えるのも悪くは無いかもしれませんね」

 

「そう考えたいんだけどね。まだまだだよね……」

 

 汗一つ書かない戦いを終えた刀華を出迎えたのはカナタだった。

 この後が対戦相手との戦いだからなのか、控室から既に出ている。普段は変化が無い様にも見えるが、カナタの眼もまた力が籠っていた。

 

 

「高みを目指す人間がそれではいけませんよ。少なくとも普通の鍛錬では届かないですから」

 

「そうだよね。そう言えば、カナちゃんは見た事があったの?」

 

「ええ。何度かあります。ですが、それを私も実行しろと言われれば間違い無く無理でしょうね」

 

 カナタの言葉に刀華は僅かに息を飲んでいた。あれだけの動きをする以上はそれなりに何かをしているとは思っていたが、まさかカナタの口から出た言葉に刀華は驚いていた。

 魔力だけでなく自身の力もあっての今の立場。だとすれば普段はどんなことをしているのだろうか。そんな取り止めの無い感情が刀華を支配していた。

 

 

「そろそろ私も出番ですので、これで失礼します」

 

「頑張ってね」

 

「ええ」

 

 これから舞踏会にでも行くかの様にカナタは歩を進めていた。

 刀華だけではない。カナタもまた新たな戦い方を模索するのは当然だった。自身の抜刀絶技を展開した状態で懐に入るとなれば幾らかは被弾しているはず。しかし、当人は傷一つ無いままに攻撃をしていたのはおぼろげながらに覚えていた。

 友人だけではなく自分もまた更なる高みを目指す。僅かながらでも事実上の自由になった未来は今のカナタにとって少なからずそんな思いをさせていた。

 

 

 

 



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第15話 それぞれの過ごし方

 メガネのレンズに映るのは、先程まで行われていた予選会の映像だった。

 事前の下馬評では圧倒的に昨年の七星剣舞祭の出場者でもあった桐原静矢の圧倒的な優勢のはずだった。元々一輝は一年ではあるが、厳密には二度目の一年生。少し記憶にある人間であれば、昨年までのやり取りを理解した上での予想結果が出るはずだった。

 ランクの違いと当時の経緯。それを無視してまで一輝に期待したのは、極一部の親しい生徒だけだった。

 

 事実、今映像として映っている画面では一方的な攻撃によって一輝の制服がズタズタに切り裂かれ、それと同時に皮下からも多量の出血をしている。

 白いはずの制服は流れる血液で赤黒く染まり、結果を知らない人間からすれば、このまま敗北するのは時間の問題とまで思える程だった。

 そんな流れを変えたのは一人の少女の叫び。それがきっかけに自身の持つ抜刀絶技の『一刀修羅』が炸裂していた。

 瞬時に変わる立ち位置は既に肉眼で追う事は困難となっていた。しかし、メガネに映る画像はスロー再生だったからなのか、一輝が桐原を追い詰める動きが逐一映されている。

 少女は肉眼で捉える事が困難なその行動が逐一見て取れていた。

 

 

「やっぱり凄い。まさかあれ程の窮地から逆転するなんて」

 

 先程まで見ていた端末から目を離すと、メガネをかけた少女は大きく伸びをしていた。

 少女の名は『日下部加々美』新聞部所属のジャーナリスト志望の少女だった。

 元々同じクラスになったのは偶然ではあったが、一輝の事は入学の手続きを行った際に偶然耳にしたステラとの戦いが最初だった。

 

 当然の様に考えれば、AランクにFランクが勝てる道理はどこにも無い。何も知らなかった当初はどこかそんな目で見ていた。

 しかし、戦いの序盤からの攻撃は明らかに一輝が優勢に立ち、ステラが常に劣勢に立たされていた。所々逆のケースになる事もあったが、剣技だけを見れば完全に一輝が圧倒していた。事実、ステラもそれを認めている為に試合中に口にしている。

 

 ステラのやや強引ながらも自身の抜刀絶技『天壌焼き焦がす竜王の焔』を回避してからは戦いの流れは一気に加速していた。実質的なブーストとも取れる一輝の抜刀絶技は剣技の速度を加速させ、一気にステラを劣勢に追い込んでいく。

 最後はやはり一輝の『一刀修羅』が決着の決め手となっていた。そんな過去のデータを思い出しながら加々美は新聞の記事に手を付ける。

 部室には誰も居なかったからなのか、加々美はゆっくりとした動きで用意した紅茶を口にしていた。

 

 

「だけど、あの後の方がインパクトが大きすぎるよ」

 

 不意に出た言葉が全てだった。桐原静矢と黒鉄一輝の試合は会場の観覧席が満席の中で行われ、逆転劇と不様な結末によって観客の殆どはそのまま退出していた。

 事実、残っていたのは事務的な人間ばかり。そんな中で生徒会の人間が残っていた事が妙に記憶に残っていた。

 

 事実上の消化試合と思われた次の一戦は正にそんなつまらない結末では無かった。

 試合開始僅か一秒と言う、予選会始まっての最短の終了。しかも対戦相手は事実上の戦闘不能。

 幾ら破軍にはIPS再生槽があるとは言え、右肩切断と右肺挫傷は余りにも危険な結末。刹那の攻防がどれ程の物なのかを映像に捉えていたのは学園内でも加々美だけだった。

 

 

 

 

 

「そう言えば、加々美はあの試合って見てたんだよね?」

 

「映像にも残してるよ」

 

「見ても良い?」

 

「良いよ」

 

 違うクラスの同じ部員から聞かれた質問に加々美は特に気にする事もなく答えていた。

 予選会場から聞こえた悲鳴と職員の動きによる救命措置。元々実戦であれば当然の結末ではあったが、ああまで酷いとは誰も予測していなかった。

 実際に目で見た人間はかなり少ない。そんな事実も手伝ってか、加々美と同じ部員は映像に残ったそれを確認したいと聞いていた。

 試合ごとにフォルダ分けされているからなのか、問題の試合映像を見る。そんな中、あの結末を見たからなのか、加々美に対して不思議な質問が飛んできた。

 

 

「ねぇ加々美。ちゃんと設定は間違ってないんだよね?」

 

「その前の試合から弄ってないよ」

 

「これ、どう見ても変だよ」

 

「え?」

 

「だってほら」

 

 試合を見ていた為に画像は改めて見ていなかった。刹那の戦闘を文字に書けと言われれば確実に返事に困る。

 事実、あの風間龍玄が近づいた瞬間を肉眼で見た人間は皆無に等しかった。

 突如消えたと思った瞬間に右腕が血を流して吹き飛ぶと同時に、その身体は地面に叩きつけられている。あまりの衝撃に弾んだそれは明らかに尋常ではない衝撃を叩き込んだ証拠だった。

 見えない物を憶測で書く訳には行かないからと、一先ず映像は後回しにして一輝の記事を優先した結果だった。

 加々美も初めて見たが、確かに映像は『変』の一言だった。

 移動した瞬間はスローで再生してはいるものの、まるでコマ落ちしている様に飛んでいる。

 それだけでは無い。良く見れば全体の輪郭までもが歪んでいる為に、これは明らかに残像だった。

 設定そのものは間違っていない。事実、抜刀絶技を使った一輝の行動はスローでは完全に捉えている。しかし、目の前に映る映像はそうでは無かった。

 

 

「スロー再生してるよね?」

 

「うん。でも処理落ちしてるんだよね」

 

「おかしいな。そんなはず無いんだけど……」

 

 そう言いながら加々美は映像の処理速度を見ていた。24fps(24フレーム)の処理速度。設定を見た瞬間、加々美はまさかと思い改めて設定を変更していた。

 

 

「だったら、これならどう?」

 

「……さっきと変わらないかな」

 

 設定は30fpsだった。改めて見ればそれでも処理落ちしているからなのか、残像の様にも見えている。

 少なくとも自分が知る中でこうまで早い動きをする伐刀者は見た事が無かった。これでこうならば少なくとも60fpsは必要かもしれない。しかし、手持ちのカメラではそこまでの性能は無かった。

 だとすれば当然記事を書くにも殆どが想像になってしまう。ジャーナリストを目指す立場からすれば到底容認出来る内容では無かった。

 

 

「これだと流石に記事には出来ないよ。それに、この結末は流石に削除対象だよ」

 

「だよね」

 

 そんな取り止めの無い言葉に加々美も同意するしかなかった。腕が吹き飛ぶ映像は流石にショッキング過ぎた。幾ら学生とは言え、魔導騎士でもこうまで派手な結果は年に数える程しかない。分かり易い未来に、少しだけ溜息を吐きたくなっていた。

 

 

「一度、本人に突撃取材するのが手っ取り早いかも」

 

 事実上の証拠とも取れる映像が役に立たない時点で加々美が記事にする事を諦めていた。

 憶測で書いたとなれば万が一の際には自分の信用問題だけでなく、ひいては新聞部全体の問題にも発展し兼ねない。しかし、これ程の結果を記事にしないのも癪だった。

 出来る事はただ一つ。既に加々美の手は止まる事は無かった。同じクラスであれば接点は簡単なはず。そう加々美は考え筆を走らせていた。

 

 

 

 

 

「風間君は本日から三日間の休みが出ています」

 

「み、三日ですか?」

 

「そうですよ。事前に申請が出てますので」

 

「そうですか……」

 

 担任の折木有里は自身の持っているハンカチを赤で染め上げ、一言だけ告げる。

 昨日の結果では無く、事前の申請である以上は元から入っていた予定でしかない。それと同時にそれだけ時間が空けば、今度は新たな試合の結果を記事にする事になる、この時点で加々美の希望は見事に砕け散っていた。

 

 

「日下部さん。どうかしましたか?」

 

「いえ。何でもありません……」

 

「困った事があれば私を頼っても良いんですよ」

 

「いえ、大丈夫です。お手数おかけしました」

 

 内心愕然としながらも表面上は笑顔でいるしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員室で色々と複雑な空気が漂う頃、その問題の人物でもあった龍玄は何時もの制服ではなく、黒のタキシードを身に纏っていた。

 ここは学園ではなく、政治家が集まるパーティー会場。身元を特定されない様に、黒髪ではなく灰色に染め上げ、カラーコンタクトをする事によって完全に身元が分からない様にしていた。

 本来であれば政治家の警備は警察の中でも『備』の管轄。

 民間企業に委託すると言うのはあり得ないはずだった。しかし、今回の政治家は時宗であると同時に、来賓は以前の内乱でクーデターが成功した国だった。

 

 当時の反乱軍の若きリーダーがそのまま国の代表になっている。そんなつながりがあったからなのか、今回のパーティーは事実上のお礼と今後の国交の回復だった。

 元々首相が来るのが本来の筋ではあるが、先方の指名であると同時に立場が官房長官である為にそのまま依頼される流れだった。

 

 

「これで漸く全ての依頼が完了した訳だ。やっぱり仲介なんてするもんじゃないよ。龍もそう思うだろ?」

 

「そんな事は親父にでも言ってくれ。それは俺の管轄外だ」

 

「手厳しいね。だが、これで例の派遣の一件は完全に終了だ。下手に長引かせるのは大変だからね」

 

「そうか。だとすればこれで暫くは暇が出来そうだな」

 

「残念ながらそうは行かないだろうね」

 

「どう言う意味だ?」

 

 会談を終えたからなのか、時宗は休憩とばかりにグラスを片手に壁に寄り添っていた。

 護衛として来てる為に、龍玄は視線を動かさず、草擦れレベルの会話を続けている。周囲から見れば単に休憩している様にしか見えなかった。

 

 

「実は今回の護衛以外にも幾つか依頼が僕経由で来てるんだよ。で、小太郎には伝えたんだが、早々に例の会社経由で依頼が来るはずだよ」

 

「そんな話は聞いてない」

 

「そりゃ、今さっき決まった話だからね。今回の依頼が終わればカナタ嬢から話が来ると思うよ。報酬は割と高めだし、悪くは無いと思もうけどね」

 

 サラッと伝えた言葉に龍玄は表情を変える事無く愕然としていた。

 元々あれは自分達が報酬の回収の為に設立した様な会社。だとすれば風魔には関係無いはずの物だった。

 しかし、設立パーティーの際に時宗と小太郎までもが顔を出している。冷静に考えれば、時宗が持ってきた依頼はある意味では当然の結果だった。

 

 

「まぁ、良い小遣い稼ぎ程度で良いよ。破軍は確か日常生活に費用は掛からなかったはずだからね」

 

「それは全てが学園に居ればの話だ。実際には幾つかの食材などで金はかけてる。無いよりはマシ程度に考えておくさ」

 

「相変わらず食に対するこだわりは凄いね、僕なんて食べれれば良いと思うだけなんだけどね。それと、そう言ってくれると助かるよ。近日中に小太郎からも話が来ると思うから宜しく」

 

「分かった。留意しておこう」

 

 頃合いを見計らったからなのか、時宗は再び空になったグラスをウエイターへと返し、新たなグラスを片手に談笑の輪へと消えていく。

 普段は適当でも、事実上の国家間のやりとりを蔑ろにする事は無い。先程とは違い、既に政治家としての仮面を被っていた。

 

 

 

 

 

 予定されたパーティー会場での不穏な動きは結果的には無いまま終了していた。幾ら小国とは言え、外交に関する内容に最初から不備は無かった。

 仮にあったとしても、全てがが内々で終了する。今回の招聘されたメンバーを見ればある意味では予想出来る結末だった。パーティーが終われば警備の仕事は解除となる。明日からの予定を考え、龍玄は帰る為の準備を進めていた。

 

 

「これで例の一件は完全に終了だ。暫くは大きな仕事は無いだろう」

 

「時宗の話を聞く限りでは、そんな事は無いと思うが?」

 

 龍玄の背後から聞こえたのは小太郎の声だった。

 今回のパーティーで直接現場に出向いたのは『青龍』としてだが、全体の管理は小太郎が取り仕切っていた。

 本来であれば民間の護衛が外交の場を仕切る事は無い。しかし警察や侍局の警備の前に先方から指名された事が一番の要因だった。

 事実、上層部はこの会社の実態を良く知っている。幾ら国としての組織があっても風魔を敵に回したいとまでは考えていなかった。

 仮にやったところで同じだけの安全を保障できるかと言われれば何も言えない。

 事実、霞が関でもかなり大モメではあったが、最後は内閣からの依頼と言う事で幕引きを図っていた。

 

 

「それに関してはどれも時間の制約は無い。だったら問題無いだろ?」

 

「そう言われればそうなるな。取敢えず、学校の件があるから俺は帰る。後の処理は頼んだ」

 

 契約解除の時点でやるべき事が終了している。明日は自分の試合がある為に少しでも早く戻ってコンディションを整えたい。だからなのか、龍玄は着替えると同時に自身のバイクにまたがりそのまま寮へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、そろそろシャワーでも浴びようかしら」

 

 カナタは事前に聞かされたスケジュールから、ここ数日は独りの生活を少しだけ満喫していた。

 元々破軍学園は寮生活を送る前提での入学ではあるものの、生徒の状況によっては一部それが免除されるケースがあった。

 特にカナタの様に家の絡みで不在にするケースが多ければ、寮よりも自宅の方が都合が良いケースが多く、また実力もある事から一部はゆるやかになっていた。

 しかし、今年は早々の出来事から家の用事よりも学業を優先する事になっていた。最大の理由が『風魔』とのパイプの構築。自身の結婚の話までもが白紙となってでさえ実行するとなれば、当然ながらその先の事は考えるまでもなった。

 

 しかし、入学してから今に至るまで、同じ空間で生活はしているものの、実際に顔を合わせるのは朝と夕方のみ。殆どはカナタが就寝してから戻る事が殆どだった。

 普段から音を消す生活を送っている為に、寝ている際にも気にした事は一度も無い。だからなのか、今日もまた何時もと同じだと完全に油断していた。

 

 

「そうだ。久しぶりにあれを使おうかしら。最近は結構疲れも溜まってるから」

 

 カナタの手にあるのはアロマエッセンシャル。自宅では良く使っていたが、寮に入ってから使う事は殆ど無かった。

 基本的にアロマを使用するのは自身が完全に疲れ切った時だけ。少なくとも去年までは使用する事は殆ど無かった。

 しかし、ここ最近の自分に降りかかる仕事の量は予想を遥かに越えていた。

 あのパーティー以来、仕事の依頼は通常では考えられない程に膨れ上がり、実際には幾つか断っている事態にまで陥っていた。

 最大の要因な時宗と小太郎の存在。誰もが政府の中枢や圧倒的な暴力装置に近寄りたいと考えるのはある意味では当然だった。

 事実、情報収集能力は群を抜いている。産業スパイを撃退するだけでなく、報復措置として逆に仕掛けるなど手痛いしっぺ返しなど、言い出せばキリが無い程だった。

 

 そんな人間は本来であれば正規のルートで依頼は出来ない。しかし、貴徳原財団が設立した会社であれば誰もが大手を振って依頼出来る事が最大の要因だった。

 顧客が顧客を呼び、そのルートで依頼が次々と舞い込む。勿論、通常の依頼に風魔の人間を駆り出す事は出来ないが、それでも政財界のパーティー等では断る事は出来なかった。

 本来であればカナタにまで決済が来るケースはそう多く無い。しかし、想定外の数によってカナタもまた学生の身でありながら実業家としての側面を見せていた。

 思い出す度に溜息しか出ない。そんな事を思いながらカナタは用意した物をお湯へと溶かす。一気に広がる匂いはカナタの心を癒す様だった。

 

 

「やっぱりシャワーよりはこっちの方が良いかも」

 

 お湯に溶けた香りは浴室の中へとゆっくり広がる。肌にも潤いの効果を持っているからなのか、珍しくカナタはゆっくりと浸かっていた。

 身も心もゆっくりと解きほぐされる感覚は先程までのささくれた精神を癒す。時間を忘れたかの様に存分に楽しんでいた。

 

 

 

 

 

「さてと……何だ?風呂か」

 

 龍玄は自室へと戻ると、そこには何時もとは違った光景が広がっていた。

 これまでの記憶の中では無かったはずの物。実際に同じ部屋になったからと言って、良く考えれば食事以外に一緒に過ごした記憶は殆ど無かった。

 もちろん、寝る際には既に部屋の照明は落ちている為に、気にした事はなかった。気が付けば浴室からは鼻歌の様な物が聞こえて来る。

 まさか他人が使用しているはずがない。だからなのか、龍玄は気にする事なく冷蔵庫から冷えた炭酸水を取り出し、そのままラッパ飲みで飲んでいた瞬間だった。

 

 

「………え?」

 

「何だ?」

 

 普段であればこんな光景を目にする事は無かった。何時もであれば常に綺麗にしているカナタが珍しくバスタオルを身体に巻いてそのまま出ている。

 頭はトリーメントの関係なのか、タオルをグルグルに巻いている。風呂に入ると同時に身体のメンテナンスをするのは当然だからと考えたからなのか、龍玄も特に気にする事は無かった。

 まるで何時もの光景とばかりにそのまま炭酸水を飲んでいる。一方のカナタはまさかの同居人に対し、固まったままだった。

 

 

「何かあったのか?」

 

「そう言う訳ではありませんが……」

 

 この状況の中でも龍玄の態度は何も変わらないままだった。

 それに対しカナタは今の置かれている状況をどうやって回避しようかと逡巡していた。

 このまま浴室に戻っても何も変わらない。龍玄の状況を見れば恐らくは帰ってきたばかり。

 だとすれば、少しだけ時間が欲しいと言えば、『どうして』と確実に聞かれる。バスタオル一枚から着替える為の手段は既に存在していなかった。

 無意識のうちに視線は着替えに向いていく。冷静に見れば着替えもまた、服の上に下着がそのまま置かれていた。

 

 

「ああ。着替えか?ほら」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 当然の様に渡された事によってカナタはそのまま浴室へと戻っていた。本来であればこんな場面では悲鳴の一つも上がるが、生憎と同じ部屋の人間である為にどうしようも無かった。そのままゆっくりと扉を閉める。本人は気が付いていないが、顔は完全に赤く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

「今日、戻ってきたんですね」

 

「ああ。漸く目途が立ったんでな」

 

 先程の光景を無かったかの様にカナタは何時もと同じ様に話しをしていた。

 カナタの記憶が正しければ、ここに戻るのは明日の朝だったはず。それを覚えていたからこそ、最後に少しだけ羽を伸ばしたはずだった。

 しかし、想定外の事態によって先程までの癒された感情が羞恥へと変わって行く。

 自宅では無いにせよ、まさかあんな場面を見られたとなれば、決して気持ちの良い物では無かった。

 本当の事を言えば忘れてほしいは思う。しかし、それを言った所で願いが叶うはずも無い。だとすれば先程までの事を話題にしなければ良い。その思考が先に出ていた。

 

 

「そうだったんですか。ですが、予定よりも早かったのは意外でした。何か問題でもあったんですか?」

 

「いや。特に無いな。今日は最終日ではあったが、外交の兼ね合いで少しだけ予定が繰り上がっただけだ。だから帰ってきただけだが」

 

「そうだったんですか」

 

 既に時間が時間だったからなのか、龍玄は簡単に作った食事をしながらカナタに説明をしていた。元々今回の予定は風魔としてではなく警備の仕事。

 カナタの会社を経由した為に、カナタもまたスケジュールを把握していた。

 

 

「そう言えば、時宗から聞いたが、近々依頼が幾つかあるらしいな」

 

「ええ……確かにありますね。お蔭で暫くは随分と厳しいスケジュールでしたので」

 

 龍玄の言葉にカナタは少しだけ現実を見せられていた。

 元々破軍の生徒会活動はそう多い訳では無い。殆どが会長の刀華に来るが、実際には雑用が殆どだった。

 これまでであれば、カナタは生徒会室で優雅に紅茶を楽しむ事が出来たが、ここ一週間に関してはそんな事すら危うい物だった。

 社内で捌ききれない案件が次々とカナタの手元に届く。本来であれば学生のカナタまで仕事が来る可能性は殆ど無いはずだった。

 しかし、来た案件の殆どが重要な内容。学生の前に企業の代表でもあるからなのか、日程の調整やそれに対する手配など、学内の予選会が始まっていなければ完全に手が回らない状況だった。

 予選会がある日は授業は半日で終わる。自分の対戦相手は瞬殺すると同時に、直ぐに仕事にとりかかっていた現実があった。

 

 

「そうか。偶に羽を伸ばすのも悪く無いだろう。俺に気を使わなくても風呂位は好きに使えば良いぞ」

 

「……分かったわ。今後はそうするから」

 

 完全に回避したと思った瞬間、先程の状況が改めて思い出されてしまった。

 それと同時に父親の言葉が過る。自分がどうすれば良いのかは考えるまでも無い。

 しかし、先程の様子を見れば、目の前の男とは少しの動揺も見えなかった。勿論、カナタとて恥ずかしい気持ちが無い訳では無い。

 せめて、多少の反応位は見えても良いのでは。そんな思考が脳内を占めていた。

 

 

「別にバスタオルのままでも俺は気にしないからな」

 

「今日は油断していただけですから」

 

「そうなのか?それとこれからはこれまでの様に遅くなる事は暫くは無いから、ゆっくりしたいなら言ってくれ。部屋から出る位の配慮はするぞ」

 

「そうですか。それであれば事前に連絡しますので」

 

「そうだな。今日は少しだけ目の保養になった」

 

 本来であればセクハラに近いかもそしれない言葉。しかし、元々着替えを持たずに入った為に、龍玄には何の非も無い。

 これ以上この話題は良く無い気がする。しかし、先程の言葉に少しだけ思う部分があった。

 実際に龍玄は自分の事をどう考えているのだろうか。不意にそんな考えが口に出ていた。

 

 

「そうでした?でもその割には何時もと同じ様に見えましたが?」

 

「護衛の任務にはそんな場面に遭遇するケースも多々あるからな。一々感情を昂ぶらせても仕方ないだろ?それとも何か考えでもあるのか」

 

「色々と私にも思う所はありますので」

 

「そうか」

 

 まさかの言葉にカナタは言葉に詰まっていた。まるでこれではこちらが誘っている様な会話。そんなつもりは元々無かった。

 ただ、どうしても自分の父親の言葉が過ってしまう。まるで風魔との関係を作る為には自分の女を利用すればと言われた様な言葉。

 これまでの見ず知らずの男の下に嫁ぐ事を決めた時とは違った感情がそこに乗ってくる。

 実際に目の前に居る龍玄が何を思っているのかは分からない。先程の衝撃から完全に立ち直っていないからなのか、カナタの思考はかなり迷走していた。

 

 

「参考に言っておくが、俺達は色事の訓練もする。色仕掛けに関してはそう気になる事はない」

 

「そうなんですか?」

 

 まさかの言葉にカナタは少しだけ驚くと同時に納得する部分もあった。

 暴力の一面だけが何かとクローズアップされるが、実際には諜報活動もかなりこなしている。そんな中で一々反応すれば任務に影響が出るのは当然だった。

 元々風魔に関しては父親から聞いているだけなので、詳細までは知らない。カナタが持っているイメージは世間一般と大差無かった。

 

 

「この前の件で知っているとは思うが、幾つかの部隊に分けられている。その中に諜報用の部隊もある。少なくとも幹部連中は耐性をつけさせられてるんだ。あんな半裸程度では心も動かん」

 

「……そうですか」

 

 龍玄の言葉にカナタは先程まで迷走しかかっていた自分自身を漸く立ち直らせる事に成功していた。

 それと同時に、少しだけムッとする部分もあった。その言い方からすれば、自分には魅力が無いと遠回しに言われた様にも思える。

 少なくともカナタの女の矜持に少しだけ火が付いたのは、紛れも無い事実だった。

 

 

 



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第16話 別次元

 朝の鍛錬は何時もと変わらないままなのか、龍玄は一通りのランニングを済ますと、型の動きをなぞっていた。

 ここ数日の任務は、本当の事を言えば龍玄が出るまでも無い任務。ただ、先方からの依頼があった為に動いたに過ぎなった。

 そもそも外交の護衛に関しては基本的に襲撃者が来る可能性は高く無い。これが大国同士や、裏で色々とつながりがある国であれば可能性は高かったが、今回に関しては有り得なかった。

 

 そもそも対外的には、あの国は内部のクーデーターによって成り立っているのは既に知られているが、問題なのは、その過程だった。

 本来であれば魔導騎士をあれだけ投入するならば鎮圧は一日程度で完了する。実際に周辺の国や資源の調査をしている国の殆どは同じ事を考えていた。

 しかし、その戦局が一転した際には何か外部の協力が無ければ物理的にも戦術的にも不可能なのは間違い無かった。

 

 そんな中、周辺国が察知したのは些細な情報だった。何かを手配している。当初はそれは新たな武器の購入だとばかり考えていた。しかし、その情報を精査するにつれ、その全容が次第に明らかになっていく。

 この時点で周辺国は誰が何をしたのかを把握していた。こんなクーデターで大量の金が動く事は無い。通常は明らかに敗戦が濃厚になった際に持ち出す為が一般的だったが、明らかにそれは異なっていた。

 そしてそれが後々発覚する。魔導騎士連盟は否定しているが、誰もがその意味を正しく理解していた。

 それほど密接に関与している国に手を出すテロリストは早々居ない。それが周辺国の考えだった。仮にこちらから手を出せば、待っているのは明確な組織の壊滅と自身の死。

 誰もがそんな国に対し、何かをしようとは考えなかった。

 

 

「今日からまた出るの?」

 

「ああ。暫くは身体をまともに動かせなかったからな。今日からは通常だ」

 

 同じく走り終えたからなのか、僅かに息が弾んだ一輝とステラが龍玄の下に来ていた。

 

 

「そう言えば、リュウは不戦勝になってたけど良かったの?」

 

「仕方無いだろう。それにそんな事を一々気にした所で戻る訳でも無い。こっちにも用事があるからな」

 

「どんな用事かは知らないけど、これだって立派な用事よ」

 

 龍玄の言い方が気になったからなのか、ステラは珍しく反論していた。

 元々自分だけでなく一輝もまたこの予選会を勝ち抜き、七星剣武祭の出場を狙っている。まるでそんな事などどうでも良いと暗に言われた事が気になったが故の言葉だった。

 

 

「それは優先順位の違いだ。参考に聞くが、ステラが皇国に戻らなければ国際問題になると言われたら、どっちを取る?」

 

「それは……」

 

 龍玄の言葉にステラはそれ以上何も言う事は出来なかった。

 元々ここには留学で来ている。実際にどんなやりとりがあったかまでは分からないが、ステラの立場はどこまで行っても留学生でしかない。

 それと同時に皇族の直系の系譜であれば、本来であれば護衛が付いてもおかしく無いはずの立場。そこまで言わればステラとしても詰問する事は出来なかった。

 

 

「まぁ、それ位にしようよ。ステラだって悪気があった訳じゃないんだし」

 

「そんな事分かっている。俺はただ、俺にも譲れない物があると言いたかっただけだ」

 

 一輝が助け船を出した事により、この場は収まっていた。

 確かに龍玄の言葉に一輝も多少は考える部分はあったが、七星剣武祭に出る事とそれとは個人の思い入れが違う。詳しい事は分からないが、今回の件に関しても事前に届け出が出ている事を知っている。

 だとすればそれ以上は勇み足になると判断した結果だった。

 

 

「ステラも、分かっただろ?」

 

「まぁ、一輝がそう言うなら………」

 

 

 一輝の言葉にステラは頬を赤らめている。関係性は分からないが、少なくとも以前よりは少しだけ踏み込んだ関係である事は間違いない。二人の間に交わされる空気はそれを如実に表していた。

 

「お前ら、それはここでするんじゃなくて部屋に戻ってからにしてくれ。流石に俺も愛の巣まで行く気は無い」

 

「あ、あああ愛の巣って………そんな、まだ私は……」

 

 龍玄の言葉にステラは突如として顔を赤らめクネクネとしだしていた。

 何を考えてるのかは知りたいとは思わないし、知りたくも無い。それ以上は時間の無駄だとばかりに、何時もの日本刀ではなく、今度は槍と思われし物を手にしていた。

 本来であれば自身の鍛錬を開始するが、それを見た一輝も何か思う事があるのか、龍玄に少しだけお願いをしていた。

 

 

「ねぇ、龍。それで僕と模擬戦してくれないかな?」

 

「構わんぞ。じゃあ、早速やるか?」

 

 未だうねるステラを他所に、二人は少しだけ距離を開けて対峙していた。

 一輝の持つ『隕鉄』と龍玄がもつ槍では明らかに間合が異なる。幾ら距離を開けようともその差は尋常ではなかった。

 

 龍玄は知らないが、実際に一輝は加々美に頼んで取材の対価とばかりに龍玄の試合の映像を見ていた。明らかにコマ落ちしていると思われる映像は明らかに自分が『一刀修羅』を使うよりも早く動いている証でもある。

 そんな体術を使う人間に対し、この間合いは下手をすれば攻撃の前に一方的に攻撃だけを受ける可能性があった。

 これまでに何度も対戦したからなのか、どんな得物を手にし様が正中を常に意識し、視線に殺気はおろか、闘志すら感じない。

 初めて対峙した際に比べれば多少はマシかもしれないが、それでも何を考え、どこを狙うのかを判断出来ない攻撃は厄介以上の何物でもなかった。

 構えた槍は先端が丸くなっている。一挙手一投足を見逃さずに一輝はそれだけに集中していた。

 様子を見ているからなのか、距離は一向に変わらない。そんな事を思った矢先だった。

 

 

「イッキ!ダメ!」

 

「うぉ!」

 

 ステラの声に一輝は驚きのあまり、声を出しながら大きく回避していた。それと同時に、先程の声が無ければ自分は今頃意識を完全に飛ばしている可能性があった。

 気が付けば槍の穂先は自分のすぐそばまで迫っている。何が起こったのかを理解するまでに時間を要していた。

 

 

 

 

 

「最初はイッキが動かなかったからどうしたのかと思ったわ」

 

「全く気が付かなかったよ。まさかああまで接近されてたなんて」

 

 模擬戦と言うよりも、その時点で一輝は降参し、そのまま休憩となっていた。

 一輝が全く動かない事に疑問を持ちながらも当初は見学するつもりだったが、ギリギリまで接近しても動かない事にステラは本能のままに声を出していた。

 殺気も何も感じさせない。まるで風景に溶け込んだかの様に感じたそれは、今になって漸く疑問に至っていた。

 

 

「あれってどうやったの?」

 

「そんな難しい話じゃない。長物は距離感を狂わせるには最適な武器になる。それと一輝の眼の良さも利用したから当然だ」

 

「見過ぎてたって事だよね?」

 

「ああ。一挙手一投足を見逃さないと言うのは賞賛するが、見過ぎた事によって距離感を狂わせていたのも事実だ。だが、あれはあくまでもフェイント。実戦では使えん技術だ」

 

 事も無く話す龍玄の言葉にステラは絶句していた。

 幾ら眼が良いとは言え、完全に距離感を狂わせるには意識をどこか一点にむけさせる必要がある。技術云々よりも、最初にそこに至る方が難しい。

 恐らく現時点で自分がそれを出来るかと言えば否としか言えない事はステラも理解している。それと同時に、仮に自分が対峙すればどうなるのだろうか。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

「リュウって時々変に偉ぶらないわよね。普通ならそこまで出来れば多少は誇れる技術だと思うけど」

 

「所詮はこの程度の技術は子供騙しだ。実戦に出れば使えん技術。競技に使ったとしても一度種明かしすればそこまでの物に過ぎん」

 

「そんな物なのかしら?」

 

「そんな物だ」

 

 これ以上は話す気が無いからなのか、龍玄は答える事もなく、槍を持ちながら型を続けていく。実戦を重視した型のはずが、動きはどこか演舞の様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナタ。今日の昼は良ければこれを持って行ってくれ」

 

「これは、お弁当ですか?」

 

「ああ。丁度、冷蔵庫の食材を入れ替えたかったんでな。残った材料を使ったんだ。嫌なら別に構わないが」

 

「いえ。頂きます」

 

 あの後、一輝達と別れた龍玄はそのまま自室へと戻っていた。

 何時もの様に朝食を作り、カナタと食べる。そんな何時もの一コマの最中だった。

 突然言われた事にカナタも少しだけ疑問を持つも、特にお昼に関しては特別何かを食べる事はなかった。

 

 全寮制が故に食堂は学内にも併設されている。食そのものに拘りがある訳ではないからなのか、龍玄の提案にカナタは素直に受け取っていた。

 これまで一緒に食べてきた事により一つだけ間違い無い事がある。

 龍玄の作る食事は間違い無くここの食堂よりも遥かに上である事だった。

 魚一つ焼いても表面はカリッとしているが、中はふっくらと焼き上がっている。以前に生徒会で行ったあの店と同じ様な食感は、かなりのレベルである事を意味していた。

 中身は不明だが、共通して使う冷蔵庫の中には決して男子学生が使う様な中身ではない。

 色々な野菜類に肉類など、それはどこかの店と大差ないと思える程だった。そんな龍玄が渡した弁当の容器はどう考えても小さい物ではなく、それなりの大きさ。

 元々そんな事を想定していないからなのか、風呂敷に包まれたそれを見ながらカナタは少しだけ考えていた。

 

 

「何か気になる事でもあったか?」

 

「少し大きいと思ったので」

 

「適当な入れ物が無かったからな。あれだったら誰かとシェアすれば良い」

 

「では、そうさせて頂きます」

 

 龍玄から言われた事でカナタは少しだけ自分が考えていた事とは違う言葉を口にしていた。

 当初は昨日のあれのお詫びかと思ったものの、冷静に考えるとあれは完全に自分の落ち度でしかなかった。確かに着替えや下着を見られた事は恥ずかしいが、それだけの話。

 改めて龍玄を見れば既に自分の分を用意していたからなのか、同じ物が用意されていた。

 

 

 

 

 

「カナちゃん。お昼、どうする?」

 

「私はこれがありますので」

 

 今日は元々対戦が無い日だったからなのか、破軍の学内は少しだけ穏やかな空気が流れていた。

 予選会の当日は基本的には三日に一度のペースで開催されている。これが全学年の総当たりで対戦すれば期間は更に伸びる可能性があるものの、やはいり学生の身で実戦形式となった事は少なからず出場に関しての躊躇する要因となっていた。

 誰もが戦闘用の固有霊装を展開する訳では無い。既に何人かは出場を表明していたが、事前の念押しの段階で棄権するケースも出ていた。

 そんな事から予選会に参加しているのは一部の生徒だけ。予選会が無い日は殺伐とした空気はどこにも無かった。

 それは生徒会も同じ事。元々役員も飛沫を除く全員が出場していた為に、何も無い日は穏やかに過ごしていた。そんな中、刀華の誘いにカナタも普通に答える。

 用意したそれはどう考えても女生徒が一人で食べる様な物では無かった。

 

 

「随分と大きくない?」

 

「どうやら冷蔵庫の中身を一度入れ替える為に作ったらしいので、私も中身が分からないんです。でも良ければシェアすればと聞いていますので」

 

 用意したそれは風呂敷に包まれている。厳重な包装が返って何だろうかと期待させる。それと同時に刀華はカナタの同居人が誰だったのかを思い出していた。

 

 

「だったら私も興味あるから生徒会室で食べない?」

 

「でも良いんですか?刀華さんはそこで食べる予定では」

 

「気になるからと言った方が正解かも。私は買ってくるからカナちゃんは先に行ってて」

 

 既に予定は決まっていると言わんばかりに刀華は購買へと向かっていた。

 確かにこの大きさと重さから考えればかなりの内容の物が入っている。流石に一人で全部を食べる事が不可能だと思ったからなのか、カナタは一人生徒会室へと移動していた。

 

 

 

 

 

「これっていつ作ったんだろうね」

 

「まさかこんな内容だとは思いませんでした」

 

 用意された箱を蓋を開けると、そこにはどこかの料亭で頼んだかの様な料理が並んでいた。

 ご飯は勿論だが、肉類、魚類、煮物などまるでプロの調理人が作ったかの様に鎮座している。

 まさかこれ程の物だとは思ってなかったからなのか、カナタは表情にこそ出さないが、内心では驚いたままだった。

 目に留まる魚の照り焼きを少しだけほぐし、口に入れる。少なくともカナタの記憶の中で弁当のカテゴリーでこれほどの物を口にした記憶は無かった。

 一口だけ食べたは良いが、どう見ても一人分の様には見えない。取り敢えずは刀華にもおすそ分けで分けよう。それだけが最初に思いついた事だった。

 

 

「刀華さん。これどうぞ。私一人では食べきれませんので」

 

「ありがとうカナちゃん」

 

幾つか取り分けた物を刀華もまた口にする。弁当ではなく、ちょっとした食事処レベルのそれに刀華は少しだけ負けた様に感じていた。

 

 

「どうかしましたか?」

 

「ううん。何でもない」

 

 これを作ったのが誰なのかを知っているからなのか少しだけ表情が強張る。

 まさか自分の腕よりも上だとは思ってもいなかったからなのか、今度会う事があれば何か一つ位は言わなければ気が済まない。そんな感情が支配していた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、初戦は勝ってるのに、次が棄権するとは思わなかったよ。今回の目玉だとは思ったんだけど」

 

「その件に関しては私の口からは少々言い辛いと言いますか……」

 

 何気に口にした刀華の言葉にカナタは少しだけ申し訳ない表情を浮かべていた。

 元々今回の件に関してはカナタの会社が大きく関与している。

 外交における護衛任務を民間企業が請け負う事は本来であれば有りえない事実。カナタも業務として携わっていたた為に、どうしようも無かった。

 

 本来であれば自分が止めるべき立場。風魔の人間がどれ程いるのかは知らないが、少なくとも学内での大きな行事を休ませる事は決して得策ではない。ましてや自分が関与した結果であれば有る程申し訳ないと考えていた。

 

 

「詳しくは分からないけど、何かの仕事なんだよね?」

 

「そうですね。これ以上は流石に企業としての守秘義務もありますので」

 

 用意した緑茶を飲みながら、少しだけ考える事があった。

 今回の予選会の中で間違い無く戦闘能力は上から数えた方が早い人間がいたとしても、勝敗で見れば確実に弾かれる可能性があった。

 まだ初戦と次戦を終えただけなので、これから先の状況は何も分からない。

 しかし、この二戦だけでも実力を持っている人間が誰なのかは理解出来ていた。今年の一年に関しても黒鉄一輝やステラ・ヴァーミリオンを筆頭に何人もの実力者が居る。

 勿論、二年や三年、少なくとも自分達とて負けるつもりは毛頭無い。今後は確実に星のつぶし合いになるのは間違いないが、それでもやはり意識を完全に排除するには余りにも存在感が大き過ぎていた。

 

 

「取敢えずは対戦もランダムですし、今後どうなるのかは誰にも分かりませんから」

 

「そうだね。気にしすぎても疲れるだけだろうし」

 

「でも、今日は確かその日だったよね」

 

「そう聞いています」

 

 その一言は先程までの穏やかな空気を一変させていた。

 初戦は自分の目でとらえ切れる事すら出来ない程の速度と業の切れ。会場全体を底冷えさせる戦いは、確実に大きな障害となるのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は流石に流血沙汰にはならなそうだね」

 

「だからと言って気を抜く要因にはならんだろう。万が一の事もある。頼んだぞ」

 

「人遣いが荒すぎるよくーちゃん。臨時で何か出ない?」

 

「出る訳ないだろう。さっさと配置に付け」

 

「へいへい」

 

 対戦相手はランダムではあるが、試合の順番はこちらでも操作が可能だった。

 基本的には誰もが試合を見る事は可能だが、それと同時に、どこまで見せて良いのかの判断に迷っていた。

 本来であれば、同年代の試合の内容は見学する生徒全員に教材となる可能性がある。

 一年であれば試合運びや流れ、二年になればその対処の方法。三年は偏に上級生の実力がどれ程の物なのかを知らしめる事だった。

 

 しかし、龍玄の試合だけはあまりにも異質だった。

 前回棄権しているのは事前に休みの届け出が出ているから敗戦となっているだけで、実際に闘えば初戦の二の舞になるのは間違い無かった。

 刀剣類の固有霊装は余りにも相性が悪すぎる。相手を斬りつける刃物が瞬時に自分を斬り裂くとなれば、待っているのは流血の結果だった。

 今回の他対戦相手の固有霊装は刀剣類ではなく棒。棒術に代表されるそれならば何も問題は起こらないはずだった。

 

 

 

 

 

「リュウ。貴方の試合を見させてもらうから」

 

「何だ?暇なのか」

 

「違うわよ。イッキも関心してたから、私も見たいと思っただけよ」

 

「特段つまらん試合だぞ」

 

「それを決めるのは私よ」

 

 龍玄としても応援に来た事は分かったものの、実際に口した様に態々見世物の様に時間をかけるつもりは毛頭なかった。

 出来る事なら瞬時に終わらせる。それが一番手っ取り早い方法だった。

 初戦の戦いを知っているならば、どんな結末が待っているのかは言うまでも無かった。

 そんな中、今回の対戦相手がどんな人間かは知らないが、折角来るなら少しだけ見せても良いだろう。不意にそんな事を考え、口にしていた。

 

 

「そうだな…折角だから見えやすい戦いをしよう」

 

「見えやすい?」

 

「ああ。始まってすぐに終わるのはつまらんからな」

 

 龍玄の言葉に一輝は少しだけ何かを思う事があった。

 龍玄には言ってないが、自分が初戦の桐原静矢を下した後、新聞部の日下部加々美から色々と雑談と言う名のインタビューを受けていた。

 自分の抜刀絶技『一刀修羅』は全ての力を出し切る為に、その後の意識は完全に失っている。それ故に部外秘と言われ見た映像は驚愕の一言だった。

 

 処理落ちしたかの様な画像と同時に、対戦相手の腕を斬り飛ばしたやり方は、ある意味では合理的な攻撃だった。

 相手の攻撃方法を完全に封じると同時に、それすらも武器へと変える。固有霊装は通常の武器とは異なり、自身の意識でどうにでも出来る為に、理論上は可能だが実際にそれを実行できるかと言えば何とも言えなかった。

 接近しただけでもコマ落ちしてるが、それぞれの攻撃もまたコマ落ちしている。右肩から腕が飛んだ後の動きが最後に見えたのは、完全に肘が肺に刺さった後の映像だった。

 そんな事実があったからこそ、龍玄の見える戦いがどんな物なのかは大きな意味を持つ。

 ステラは何も見てないが、それを見た一輝は観客席からは仮想敵としてどう動けば良いのかを考える事にしていた。

 

 

 

 

 

「ちゃんと待機してるみたいだな」

 

 龍玄は僅かに周囲を見渡していた。

 観客席に居る人間を確認したのではなく職員の待機場所に視線が移っている。恐らくは初戦の事がチラついているからなのか、何時もは適当な寧音の表情は少しだけ真剣味があった。

 瞬時に鳴り響く開始の合図。余所見をしているつもりではなかったが、鳴った事によって漸く対戦相手の方へと視線を向けていた。

 見た目はともかく持っている固有霊装は棒。全体を見ればそれなりに鍛えているからなのか、表情には自信が溢れていた。

 恐らくは対戦の結果だけを見たからなのか、少しだけ口元が歪んでいた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、あれってどうやってるの?」

 

「詳しい事は本人に聞かないと何とも言えないけど、相手は確実に意識は飛んでるだろうね」

 

 ステラの質問に答えたまでは良かったが、あまりの光景に一輝もまた固まるしかなかった。

 合図と同時に動いたのは龍玄ではなく対戦相手。棒は槍と変わらない位にリーチがある得物だった。

 棒と篭手。自分の間合いを確実にすれば、攻撃のリーチは一方的になる。相手はそれを利用するはずだった。

 

 合図と共に龍玄が緩やかに動いた様に見える。ぬるりと動く行動に迷いは無かった。

 それと同時に対戦相手は龍玄の姿を捉えきれていない。傍から見れば実に不思議な光景だった。

 開始の合図と同時に近寄れば、誰もが通常は警戒する。しかし、龍玄の対戦相手はまるで気にもしないかの様にそのままだった。

 距離が一気に詰まると同時にそのまま脇腹に拳が突き刺さる。何も知らない人間からすれば異様な光景でしかなかった。殴られた対戦相手はその場でのたうち回る。

 すぐさま試合はその場で終了。余りにも呆気ない結果は盛り上がりを見せる事無く終了していた。

 

 

「でも、あの原理って……」

 

「あの時と同じだよ」

 

 ステラの言葉に一輝は少しだけ龍玄の事を勘違いしていた様に感じていた。

 これまで戦っている場面をこの目で見た事はなかったが、肉眼で見て初めて違和感を感じると同時に槍を持った際に対峙した事を思い出していた。

 幾ら目が良いとは言え、一輝も完全に集中した事で視野が狭くなる事は無い。にも拘わらず一気に距離を詰められたのは、偏にその存在感が完全に無い事を意味していた。

 あの時の言葉からすれば、今の使用方法がどれ程脅威なのかが肌で感じ取れる。

 僅かに寒く感じる背筋と同時に、仮に自分があの場に居れば、どうやって対処出来るのだろうか。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、ああまで洗練されてるなんて……」

 

「えっ?あれってまさかとは思うんだけど、刀華のやってる抜き足と同じって事?」

 

 刀華の呟きを泡沫は聞き取っていた。

 傍から見れば何故動かないのかと疑問だけが残る戦いではあったが、見るべき人間が見れば脅威でしかなかった。

 元々抜き足は人間の意識の外れた所から命の危険を感知できるまで接近する事によって強烈な一撃を当てる業。

 直前で気が付いた所で至近距離からの必殺の一撃はそう容易く回避は出来ない。それがあるからこそ有利な立場に立てる代物だった。

 

 しかし、今見せた攻撃は攻撃を食らった時点で漸く気が付く。試合でこれならば実戦では自分が気が付く前に死んでいる事にしかならなかった。

 どんな人間でもギリギリまで接近すれば気が付くはず。完全に気配を消しているからこそ可能な攻撃に対抗策を練る事は、まさに雲をつかむ様な感覚さえ感じていた。

 

 

「……そう。でも私のそれより……ううん。現時点であれを回避できる人間は殆ど居ないと思う」

 

「一体彼は何者なんだろうね。確かに面白い存在ではあるけど、ちょっと不気味だよね」

 

 泡沫の言葉に刀華はどう答えれば良いのかを少しだけ考えていた。

 圧倒的な暴力に違いはないが、その純粋な技術は紛れもなく一級品だった。学生の試合ではありえない実戦は間違い無く今後の人生でも数える程しか経験できない程の戦い。

 恐らくは対峙した人間は何一つ感じる事無く医務室に送り込まれてる事実は一輝に対して付けられた『無冠の剣王(アナザーワン)』よりもゆっくりと学園内の実力者の脳裏に刻み込まれていた。

 

 

 

 

 



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第17話 災禍

 見る目がある人間以外には単なる凡戦でしかなかった予選会は最終試合だったからなのか、その後は潮が引くかの様に観客は居なくなっていた。

 お互いが距離を詰めたはずの攻撃は一方的なカウンター攻撃となり、そのまま意識を失い試合終了。試合を見た殆どの人間はそれで終わっていた。

 

 実際に観客として来る人間の殆どは予選会に参加しない人間。精々が余興程度にしか考えていない連中だった。

 一部の実力者も見ている可能性はあったものの、あれが実際にどれ程異常な攻撃であるのかを理解出来ないのであれば、他の観客と大差無かった。

 元々高度な駆け引きをする必要もなければ、態々殺害する必要もない。寧ろ準備運動にすらならない戦いは龍玄の中で消化不良を起こしていた。

 

 初戦は様子見だった為に然程気にならなかった。しかし、今回の戦いでは明らかに自分よりも格下の戦いに時間を費やすのは無駄だと感じていた。

 それが証拠に龍玄は新たな食材を仕入れに学園内から街中へと移動している。バスの様な公共の交通機関ではなく、自前のバイクを使用しているからなのか、フットワークは随分と軽い物だった。

 軽く流しながら目的地を目指す。今の龍玄にとって学内の予選会の事はどうでもよくなっていた。

 

 

「これ、中々の出物だな。これとこれを頼む」

 

「おっ、良い目利きしてるな。これは今日上がったばかりの品だ。折角だ、これもついでにとうだ?」

 

「そうだな。だったらこれも買うから配送してくれ」

 

「毎度あり!」

 

 破軍に来てからは時間に余裕があれば新たな市場開拓とばかりに出歩く事が殆どだった。

 元々ここに龍玄の地盤は存在しない。貴徳原の会社があるからここに居るだけ。単純にそんな認識しかなかった。

 時間をかけて新規の店を開拓する。今来ている店もまた龍玄が捜し歩いて発掘した店舗の一つだった。

 次々と指定した物を店員が配送の準備をしながら梱包していく。顔さえ見せれば大量購入が当たり前なのか、店員は終始笑顔のままだった。

 

 

「あら、こんな所で会うなんて久しぶりね。仕事はもう良かったの?」

 

「ああ、この前の依頼はもう完了した。後は細かい仕事が幾つかあるだけだな」

 

「折角ここで会ったんだし、偶には食事に行かない?」

 

「お前と行くと面倒事しか湧かない。それなら一人で食った方がマシだ」

 

 龍玄の背後から聞こえた声は妙齢の女性の声だった。

 龍玄は誰が声をかけたのかを理解した上で振り向く事無くぞんざいに扱っている。一方の店員は声をかけた女性に見とれていたからなのか、先程までせわしく動いていた手が完全に止まっていた。

 龍玄に声をかけたのは『十六夜朱美(いざよいあけみ)』長い黒髪は誰が見ても艶やかなのか、光の加減で輪が綺麗に見える。まるで当然だと言わんばかりに龍玄の背中に添える様に手を当てていた。

 

 

「ちょっと酷くないかしら?折角私も時間があったからここに来たんだけど」

 

「最近はストーカーみたいに後をつけるのが流行なのか?」

 

「何だ。気が付いてたの。相変わらず周囲の気配には敏感なのね」

 

 十六夜朱美は風魔の中での諜報を担当する『朱雀』の名を持っていた。

 元々風魔の中での異質な存在である朱雀は基本的には諜報活動がメインではあるものの、いざ戦闘となればそれこそ一線級の能力を秘めている。

 戦国の世より、戦争は常に情報を制する者が上に立つ事が殆どだった。勿論、当時だけでなく現代に於いても情報戦がどれ程苛烈な物なのかは当事者以外には分からない。

 事実、風魔も戦争までは行かないにしろ、幾つかの密偵や草は周囲に放っている。その取り纏めをするのが朱雀の役目だった。

 背中に当たる手をどかすと同時に小さなメモが手に握られている。緊急時の内容では無いが無視する訳にも行かない。

 そんなやり取りをしながらも、龍玄は常に周囲の気配は探っていた。

 

 

「で、今日は朱雀が何の要件だ?」

 

「つれないわね。偶には相手をしてあげるって言ってるでしょ」

 

「そんな物は要らん。時間が勿体ない。さっさと要件を話せ。こんなメモで何が分かる」

 

 しなをつくりながらもその言葉は誘いをかけている。これが並の男でれば確実に虜になる程だった。

 妖艶な笑みは常に誘い続けていく。既に慣れているからなのか、龍玄は無視するかの様に次の場所へと移動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社長、この後のスケジュールですが………」

 

 学内の予選会が終わると同時にカナタは急遽会社へと向かう事になっていた。

 元々設立した当初は現場に出るつもりは毛頭なかった。そもそもは風魔への報酬の支払いの為に作られた会社ではあるが、想定外の収益をもたらしたからなのか、すぐさま財団の末端から中核へと昇り上がっていた。

 事実、車内で秘書から聞くスケジュールは会社の内容に違いはないが、殆どがあいさつ回り。今日も本来であれば学内で過ごすはずの予定が、気が付けば会社に出向く羽目になっていた。

 

 

「もう少し予定は抑える事は出来なかったのですか?」

 

「申し訳ございません。これでもかなり厳選したのですが、流石に我々としても財界や政界に関しては無碍にする訳にも行きませんでしたので」

 

「それなら仕方ありませんね。ですが、せめて今後はもう少し時間の調整をお願いします」

 

「以後その様にします」

 

 カナタの言葉に秘書は頷きはするが、現状を回避する事は出来なかった。

 既に今日だけで二件のアポイントが入っている。実際には顔を出す程度ではあるが、やはり財界は自分の父親の名代も兼ねている為に回避する事は出来なかった。

 

 

 

「え………」

 

 不意に車の窓から外を見る。偶然ではあったが、カナタの視界に飛び込んで来たのは自分が在籍する学園寮の同居人だった。

 普段はお互いのプライバシーを重視する為に、何をしているのかを知る機会は殆どない。仮に知った所でどうにか出来る事では無かった。

 何時もは何処か冷たい雰囲気が漂っているが、今の姿は普段とは大きく変わっている。親し気に話す相手はカナタがこれまでに一度も見た事が無い女性だった。

 

 

「社長、どうかなさいましたか?」

 

「いえ。知人に似た人を見かけただけですので」

 

「そうでしたか」

 

 片や車内から、片や店舗だからなのか、龍玄の姿は一瞬にして消え去っていた。

 お互いが良く知っている様で実際には何も知らない。これが今のカナタと龍玄の現時点での関係だった。

 出会いは最悪の環境下ではあったものの、実際にここ一ヶ月程で何となくだが人となりを見てきたはずだった。少なくともカナタの記憶の中であんな表情を見た記憶は一度も無い。

 だからなのか、移動する車内の空気は僅かに重苦しさを含んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、実際にはどうなんだ?」

 

「そうね。今の所は目立つ様な動きは無いと言っても良い位ね。流石に表立って動く様な人間は居ないでしょ」

 

「しかし、態々報酬を回収する為だけの会社に小太郎はどうしてこれほど手間をかけるんだ?」

 

「さぁ?私に聞かれても棟梁の考えている事なんて分からないわ。朱雀としては報酬が出てるからやってるだけだし」

 

 朱美は龍玄の言葉をはぐらかしながら出されたコーヒーを口にしていた。

 貴徳原の会社はカナタ自身は気が付いていないが、随分と周囲の会社からやっかみを受けている。

 一番の要因は他の企業の様に殆どの依頼が民間企業によるものではなく、政財界からの依頼が圧倒的な点だった。

 

 財界であれば民間企業に属する事になるが、この財界の場合は殆どが大企業であると同時に、それなりに上位の企業との関連が殆どである点だった。

 やっかみはともかく、カナタとてこの依頼が異常である事は重々理解している。それを前提としているからこその多忙だった。

 それと同時に、風魔が企業防衛の一翼を担っている。面倒事が向こうから来るならば、それはこの国の政治家と力に喧嘩を売ると同時に、企業そのものが消滅する可能性を含んでいた。

 現に数社は半ば見せしめの様に破滅と衰退の一途を辿り、その行く先は消滅しかない。誰に喧嘩を売ったのかを知らしめると同時に、それが基で迎える結末を周囲に知らしめる。そんな思惑も存在していた。

 本来であればそれで終わる。しかし、朱雀が動いている以上、他の企業の情報集と同時に幾つかの企業機密を抜いていた。

 

 

「報酬が出てるのか?」

 

「ええ。知らないなんて事無いでしょ?」

 

 朱美の言葉に龍玄は改めて思い出していた。

 ここ最近の任務の関係でいくらかの報酬が振り込まれていた事実は確認している。しかし、それはあくまでも直接仕事を請け負ったからであって、今回の様な形で貰っている訳では無い。

 龍玄も青龍のトップである為に大よそは知っているが、まさか朱雀が正式に動いているとは思ってもいなかった。

 

 

「報酬が出てるのは知ってるが、まさか正規の任務なのか?」

 

「正規かと言われれば答えにくいわね。知っての通り風魔として動く以上は依頼主の事は言えないのよ。そんなに知りたいなら棟梁に聞いてみたらどうかしら?」

 

「いや、面倒だから聞くつもりはない。それに何を画策しているのか分からんからな」

 

 小太郎に確認したとしても、まともに話す可能性は零である事は龍玄が誰よりも理解している。任務中は悪鬼羅刹の如き働きをするが、それ以外では案外と適当な部分も存在していた。

 仮に聞いた所ではぐらかされて終わるだけ。ならば、このまま己の時間を過ごした方がマシだと判断していた。

 それと同時に少し冷めたコーヒーを口にする。冷えた事によって先程まで飲んでいたそれよりも僅かに苦味が口の中に広がっていた。

 

 

「あら、そう。そろそろ時間みたいね。お嬢さんはこれから商談があるみたいよ」

 

「カナタのスケジュールは俺も知っている」

 

「あら?随分と気にかけてるみたいね」

 

「馬鹿言え。報酬のとりっぱぐれが無いように見張ってるだけだ。それに西京寧音の料金も回収してる。特段問題は無いだろ」

 

「それもそうね。暫くは大きな任務は無さそうだから、何かあったら連絡して。直ぐに駆けつけるから」

 

 お互いに言いたい事を言い終えたからなのか、朱美はウインク一つしてこの場から立ち去っていた。

 元々どんな用事があったのかは分からない。しかし、メモと会話からは会社に対しての悪意が何も無かった事実だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中々羨ましいですな。我々も是非参加させて頂きたい。どうでしょうか、今後のお互いの発展を兼ねて業務提携など」

 

「いえ。この会社は私の才覚でやる様にと父より仰せつかっています。勿論、株式を発行している企業ですので私の一存でどうこう出来る訳ではありませんので」

 

「そうですか。今回は残念ながらふられていましましたが、次回、お互いに話す事があれば、良しなに願います」

 

 商談の後の話にカナタはまたかとの思いが先に出ていた。

 実際に今回の様な話は今に始まった事ではない。一番の理由は碌な営業もせずに大物からの依頼が引っ切り無しである点だった。

 当然地道に営業している企業からすれば面白い事は何一つない。それならば逆に業務提携をして自分達にも利が乗る様に働きかけるだけだった。

 ほぼ毎回同じ話題が出るからなのか、カナタの表情は仮面を被っている様にも見える。

 元々表情を表に出さない様に生きてきたからなのか、その鉄壁とも言える仮面が崩れる事は何一つ無いままだった。

 

 

「そうですね。機会があれば是非」

 

 口ではそう言う物の、実際には単なる社交辞令でしかない。それと同時に一つだけ確実にカナタにとっても理解できる事があった。

 この会社の代表はカナタではあるが、実際には飾りでしかない事実。幾ら貴徳原の名前が出ているとは言え、既に成熟した産業に入るにはそれなりの軋轢を生じる可能性は多分にあった。

 事実、この会社を立ち上げてからの業務内容は多岐に渡り過ぎている。その殆どが貴徳原カナタと言う人物を見定める為だった。

 幾ら財団の管理する一企業だとしても、競争原理には抗えない。

 これ程までに仕事を回しているとしても、実際にはどこまで持つのかを高みから見物しているとしか言えなかった。

 口では何も言わないが、眼と態度が如実に語っている。だからなのか、普段以上にカナタも精神的な疲労が滲んでいた。

 

 

「あんなのを相手にするとなると大変ね」

 

「え?」

 

 まるで自分の意識が一瞬だけ途切れた瞬間を狙ったかの様にカナタの背後から一人の女性の声が聞こえていた。

 周囲を見渡すも、誰もがこちらを気にしていない様にも見える。それ程までにカナタに声をかけた女性は同性の眼から見ても美しかった。

 

 黒髪をまとめ上げた髪型には煌びやかな飾りなど何一つ付いていない。寧ろ黒髪の存在が返って邪魔をするのだろうと思える程に艶やかだった。

 それと同時に、来ている服も会場に相応しいドレスなのか、身体のラインがハッキリと浮かび上がっていた。まるで絞り込まれた様なウエストは明らかに自分よりも細い。

 だからなのか、それ以外の場所の主張はかなり激しく見えていた。一言で言えば男好きする身体。それがカナタの第一印象だった。

 

 

「ごめんなさいね。私は十六夜朱美。貴女とは面識は無いわ。でも、共通の知人がいるでしょ?」

 

「あの……まさかとは思うんですが」

 

「それ以上は口にしない方が良いわ。ここでは誰が耳を立てているのかも分からないから」

 

「そうですね」

 

 見た目とは違い、どこかサバサバとした性格なのか、カナタもそれ以上の事を口にするつもりは無かった。

 顔は動かさないが、目線は周囲を探っている。こちらを意識していると思われる人間の姿は皆無だった。

 

 

「龍がお世話になってるみたいね。貴女の事は多少なりとも言ってたから」

 

「……そうですか」

 

 その言葉にカナタはここに来る前に見た龍玄の姿を思い出していた。

 自分が知らない表情を見たからなのか、カナタは少しだけ嫌な気分になっていた。

 本当の事を言えば、龍玄とはそれ程接点がある訳では無い。勿論、今の自分と龍玄の関係は極めて歪だった。

 報酬を待ってもらう側と取り立てる側。誰が何をと言わなくとも当人が一番理解している。そんな事があったからなのか、カナタはそれ以上は何も言えなかった。

 

 

「ああ、気にしなくても良いのよ。あれとは同僚なだけだから」

 

「同僚……ですか?」

 

「ええ。単なる同僚よ。少しは安心したかしら?」

 

 同僚の言葉にカナタはまさかと思う気持ちの方が強かった。

 龍玄が青龍である事は一部の人間が知っているだけだが、その中に自分も入っている。

 それと同時に、棟梁でもある小太郎もまた知ってるのは、ある意味では奇跡に近い物があった。

 

 風魔そのものは、名前は知ってるが実体を知らない人間の方が殆ど。そんな中で当代の小太郎は色々な意味で規格外の人間である事は最近になって教えられていた。

 残虐と暴力を取れば風魔の歴史の中でも五代目が一番のその代名詞に近い。その五代目の再来と言われているのが当代だとは以前に話す機会があった時宗から聞かされていた。

 そんな風魔の中でも四神と言われる青龍・白虎・玄武・朱雀は紛れもなく小太郎の片腕と呼ばれる人間。龍玄が青龍である事実を知っている側からすれば同僚であると言った朱美の言葉は、偏にその四神の誰かでしかなかった。

 

 

「今日は顔合わせだけね。詳しい話は会社から話があるはずよ。機会がありましたらその時に再びお話しましょ」

 

「は、はい……」

 

 切れ長の目元にある黒子がやけに印象的ではあったが、まるで子供にでも話すかのようにウインク一つだけしてその場から去って行く。

 周囲の喧噪とは裏腹に、カナタの心中は複雑な物となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱美とカナタが邂逅する頃、龍玄はやるべき事を終えたからなのか、先程のカフェで一人寛いでいた。

 基本的には毎日鍛錬と繰り返す日々を送ってはいるが、今日の様に何かの用事があれば鍛錬は自動的に短い物になっていく。

 元々決まっていた予定だった為に、朝の鍛錬を重視し、残りは予選会で何とかするつもりだった。

 しかし、予選会の戦いは事前の準備運動にすらならない。事実上の瞬殺に近かったからなのか、龍玄からすれば完全に不完全燃焼だった。

 そんな中での朱雀とのやり取りはそんなささくれだった気持ちに拍車をかける。これなら手ごろな何かで鬱憤を晴らすのも悪くはない。そんな考えが支配し始めていた。

 今の龍玄は言うなれば抜身の刀と同じ状態。些細な衝突があれば一瞬にしてなます斬りにでもするかの様だった。

 

 

 

 

 

「おい、これって見た事無い車体だな」

 

「確かに……」

 

 声は実際にはそれ程大きな物ではなかった。殆どは龍玄が所有している車体が珍しいからと少しだけ足を止める人間が何人か居た。事実、龍玄もその意図が何なのかを理解しているからなのか、そのまま放置している。

 実際に龍玄の運転するそれはどこのメーカーでも無い珍しい車体だった。

 好きな人間からすれば物珍しいそれは確実に視線を奪う。そんな中で少しだけ系統の異なる声もまた聞こえていた。

 

 

「スゲェなこれ。見た事無いぞ」

 

「そうだな……随分と金がかかってそうだ。ここにあるって事は持ち主が近くに居るって事だよな」

 

 先程までと違う会話は、少しだけ含みを持っているようだった。

 これまでの純粋な視線から、どこか邪な物が混じっている。臙脂色の同じデザインの服を着ている事から、可能性があるとすれば他の学生の様にも見えていた。

 白と黒を基調とした破軍とは違うそれは、龍玄が知る中では貪狼学園のはず。そんな制服を来た男二人組が龍玄の目に留まっていた。

 

 

 

 

 

 二人組を見た龍玄は少しだけ周囲を見渡していた。元々カフェの中から外を見渡すのはそれ程難しい話ではない。

 他にも誰かが居れば色々とストレスが解消できると考えたからなのか、少しだけ冷めたコーヒーを口にしながらも、内心は喜びに溢れていた。

 このまま直ぐに出ていくのは勿体ない。そんな事を考えたからなのか、先程とは違い今は他の獲物が居ないのかを待っている狩人の様だった。

 

 

「そこのカス共。人の単車に何してるんだ?」

 

「お前がこの単車の持ち主か?」

 

 少しだけ周囲を見渡したものの、それから人が来る気配は無かった。

 この二人だけなのか、それとも別件で居ないのかは分からない。少なくともこの二人の力量では自分のストレスの解消にはならないと龍玄は判断していた。

 制服が表す様に基本的にこの貪狼学生の生徒の質はかなり悪い。それと同時に伐刀者である意味を示すからなのか、龍玄の言葉に強い憤りを感じていたのは少なからず実力者の可能性を秘めていたからだった。

 

 

「もう一度言う。カスの分際で人の単車に触るとは些か頭が悪いんじゃないのか?」

 

「お前こそ何頭の悪い言葉を使ってるんだ?お前の方こそ、この単車の鍵を渡せよ。俺達が有意義に使ってやるぜ」

 

「有意義?実にくだらん。言葉の意味を知って使ってるのか?そもそもそれに鍵なんてついていない。どうやって動かすつもりなんだ?」

 

 龍玄の挑発めいた言葉に男達は少しだけ顔が歪んでいた。初めてこれを見た際に、一通り確認をしている。

 通常の単車の様に鍵穴はどこにも見当たらなかった。それと同時にどこのメーカーなのかすら分からない。可能性があるとすればどこかの企業の試作品かとも思えるが、残念ながら二人組はそんな事は頭では考えもしなかった。

 龍玄の挑発によって徐々に怒りのボルテージが上がっていく。こんな人間にそこまで言わる筋合いは無い。二人の思いはそこにあった。

 

 

「だったらお前に直接聞くさ。ボコボコになっても同じ事が言えるのか楽しみだぜ」

 

「それ以上の口は開くな。それ以上開くとただのチンピラか雑魚にしか見えない。面倒だから、この際、お前達のツレも呼べよ。どうせ後から出てきたら何か言うつもりなんだろ?」

 

 何時もと変わらない口調。何時もと同じ雰囲気。殺意はおろか、闘志すら感じさせない淡々とした物言いが癪にさわったのか、既に臨戦態勢に入りつつあった。

 それと同時にこちらに向かう気配が幾つか感じる。その中で一つだけ強大なイメージを持った人間が来る。それを感じ取ったからなのか、龍玄は内心喜びながらもその表情を崩す事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、お前がこいつらのボスか?」

 

「お前こそ何者だ?」

 

 下らない時間を過ごすと同時にここに向ってきている人間を待つべく龍玄は時間を稼いでいた。

 元々こんな雑魚程度一秒もあれば殴り倒せる。明らかに隔絶した実力差があると感じているが故の余裕だった。

 それとは別に、男達は歪み切った笑みを浮かべると同時に違う事を考えていた。このまま話を長引かせる事で警官が来るのを待っている。そう考えていた。

 カフェの駐車場はそんな空気を感じ取っているからなのか、誰も近寄ろうとはしない。そんな中、一人のサングラスをかけたリーダーらしい男が到着していた。

 

 

「何者だと?人の物を強奪しようと考えていたから説教の一つでもと思っただけだ。それにこの程度の輩ならそれ程時間は要らん」

 

 龍玄の言葉に男達だけでなく、サングラスの男もまた状況を理解していないのかと言った表情を浮かべていた。

 自分達は伐刀者である。それがどんな意味を持つのかを理解させた方が良いだろう。そう考えた瞬間、周囲の雰囲気は一気に変貌していた。

 刹那の間に冷たい物が首筋に当てられた様にも感じ取る。この場でそれを理解したのはサングラスの男だけだった。

 

 

「テメェ、かなりやるみたいだな?」

 

「かなり?雑魚がその程度の事しか認識できんか……まぁ、当然か」

 

「お前、蔵人を馬鹿にしてるのか!」

 

「誰だそれ?ひょっとしてお前の名前か?生憎と雑魚の名前を覚える程俺は暇は無いんでな」

 

 龍玄の言葉にこの場にいた全員の目つきが瞬時に変わっていた。既に数人は固有霊装を展開している。一触即発の空気が周囲を重くしていた。

 

 

「そうか。俺の名は倉敷蔵人。貪狼学園の三年だ。貴様の名は何だ?」

 

「風間龍玄。これでも破軍の一年だ」

 

「破軍…ねぇ……」

 

 蔵人と名乗った男はまるで値踏みでもするかの様に視線を上から下まで見渡す。

 そもそも外出の際に龍玄は制服を着る事は無い。その為にそれが本当なのかすら不明だった。

 未だ止まらない舐めまわす視線に龍玄は僅かに目を細める。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「そんな事はどうでも良い。そうだ。もう少し暴れる事が出来る場所の方が良いんじゃないのか?ここだと他の客の迷惑と同時に、このままだと警察が来る。折角だ。存分にやり合いたいだろ?」

 

「そんな事言って逃げるつもりだろ!」

 

「おい。雑魚に話す口は持っていない。で、お前はどうする?何だったらお前の居る学園でも構わんぞ」

 

 龍玄の言葉に蔵人ではなく他の人間が叫んでいた。

 そもそも龍玄もストレスを解消する為に事実上絡んだに等しい。折角かかった獲物を逃すつもりは無かった。

 だからなのかこちらかも提案をする。それが何を意味するのかを汲み取ったからなのか、蔵人はサングラス越しの眼に愉悦が浮かんでいた。

 

 

 



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第18話 隔絶した差

 都会の特有の喧噪がまるで嘘だと言わんばかりの静寂の中で一つの荒い息遣いの音だけが響いていた。

 元々この場所はそんな音だけでなく激しい打撃音も考慮できる程の場所にある為に、日常がどんな物なのかが意図も簡単に想像出来ていた。

 そんな内部とは裏腹に、周囲はまるでそんな事すら関係無いとばかりに穏やかな風が吹いているだけだった。本来であれば激しい打撃音が聞こえるはずのそこは、熱気にあふれてるはずが、今はそんな熱気など最初から無い程に重苦しい空気だけが漂っていた。

 

 

「おい。デカい顔して、たったそれだけなのか?もう少し奮闘してくれよ」

 

「テメェは……化け物か……クソッたれが!」

 

 既に戦闘は誰が見ても結果が見えていた。

 満身創痍で振るい続ける剣には最初の頃の鋭さが完全に消え失せている。本来であれば十分に取り込めるはずの酸素は欠片程度しか取り込めない。脳にまで酸素が行き渡らないからなのか、視界は少しづつ失われている様だった。

 致命的な一撃を食らった事によってなのか、自身の能力の過失した結果がもたらしたからなのか、それとも隔絶した戦闘力の差に圧されているからなのか、対照的な二人を見守る観客は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つだけ聞きたい。どうして着いて来た?」

 

「これから戦うのに理由を探すのか?見かけに寄らず随分と面倒な性格だな」

 

「俺はそこまで狂犬じゃねぇ。ただ純粋に戦いに興じたいだけだ」

 

 サングラスの男、倉敷蔵人は少しだけ龍玄に疑問を持っていた。あの状況下でも変わらない態度は明らかに胆力が備わっている事は容易に想像できる。それと同時に歩く姿勢から確実に何らかの達人クラスである事は確信していた。

 

 通常であれば、それクラスになれば殆どが争いを避ける傾向になる。単純に言えば、弱い者いじめをしたく無いだけなのか、それとも面倒事を背負いたくないと考えるからなのか、少なくともそのどれかに該当する。しかし、今はそんな事すら気にしない事を考えていた。

 本来であれば適当な事を言ってその場を回避する。少なくとも蔵人が戦って来た相手の殆どはそれだった。

 

 人道的には間違っていない。しかし、それと実際に戦闘になった場合の状況ではどうなるのかは別物だった。

 以前に戦った相手も当初は蔵人に対し相手にしようとしなかった。半ば強引な手を使った事は自覚しているが、その戦いの結果に関しては弱い方が悪いとの結論に達している為に、それ以上の事は考えていない。

 そんな自分の経験とは明らかに異なる目の前の男は明らかに自分と同類なのかもしれない。そんな考えから口にしただけだった。

 

 

「随分と殊勝な考えだな。負けた時の良い訳を最初に探しておきたいのか?」

 

「闘う前から随分と余裕だな。だったらこの後でもう一度聞かせろや!」

 

 合図も何も無い状況で蔵人は自身の固有霊装でもある『大蛇丸』を展開すると同時に、一気に斬りつけていた。

 この間合いであればこれから固有霊装を展開しても絶対に間に合わない。自分が予想した未来を確信したからなのか、鉈特有の幅広の刃は流言の肩口へと振り下ろされていた。

 

 

「何だ?随分と雑で遅い斬撃だな。こんなんで良く闘おうと思ったな。余りにも遅すぎてあくびが出るぞ」

 

「んだと……」

 

 本来であれば肩口から袈裟懸けに斬り落とされるはずの刃はそのまま床に直撃していた。

 それとと同時に強靭な足腰によって刃を踏まれ地面に縫い留められている。本来ならばそのまま振り上げる事で態勢を崩す事が可能だったが、生憎と蔵人が動かそうにもビクともしなかった。

 刃は床を叩き割り、半分ほどめり込んでいる。上げる事が不可能だと悟ったからなのか、刃を短くする事でそのまま引き寄せていた。

 

 

「中々面白い機構だな。蛇腹剣みたいなものか?」

 

「テメェに言う必要なんざねぇよ」

 

 時間に刹那の攻防で蔵人は漸く目の間の龍玄がそれ程の力量なのかを悟っていた。

 蔵人は基本的に口では嘲り笑う事はあっても戦闘時にそれを適用する事は無かった。仮にやった場合、それが致命傷になるだけでなく、自分が手痛い反撃を食らう可能性を考えたからだった。

 自身の身体能力でもある『神速反射(マージナルカウンター)』から繰り出す一撃は何となく攻撃が来ると察知出来たとしても、ああまで正確に捉えられた事は一度も無かった。

 足で踏みつける行為そのものは可能かもしれないが、その前提はこちらの攻撃が見えている事になる。剣筋を見切り、ギリギリで回避しながら踏みつける。その力強さは自身の肉体にも感じ取れていた。

 それと同時に未だ相手は固有霊装を展開していない。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 龍玄の言葉を無視しながら蔵人は数度斬りつける。肉体の反応速度を凌駕する攻撃は本来であれば脅威でしかなかった。

 未だ動く事が無い龍玄に三条の剣閃が疾る。全力では無いが、それでも牽制代わりと七割ほどの力で振るった刃は全てが反応できる箇所では無い部分を狙っていた。

 

 

「速さは認めるが、それだけだな」

 

 幻でも斬りつけたかの様に斬撃は龍玄の肉体をすり抜けていく。その瞬間を目にしたからなのか、蔵人は今よりも更に警戒を強めていた。

 

 

「お前、まさか……」

 

「どうした?もう終わりか?」

 

 先程まで構えすらしたなかった龍玄は改めて無手である事を意味する様にゆったりと半身になりながら行動する為に構える。

 それと同時に差し出された右手の掌を上に向けると、そのまま四指を揃え手招きしていた。

 

 

「さっきから舐めやがって!」

 

 蔵人の攻撃は先程と全く同じ展開になっていた。

 荒れ狂うかの様に展開した刃は自身の最大の攻撃を思わせるように八条にまで膨れ上がっていた。ここまでやれば完全に回避は不可能。それは蔵人だけでなく、周囲にいた取り巻きの人間もまた同じだった。

 八方向から生き物の様に襲い掛かる刃を回避する手は無い。自分を舐めた代償がこれだと蔵人は考えていた。

 まるで固有霊装の名の様に蛇を彷彿とさせる八条の刃は龍玄に襲い掛かる。これで終わるはずだった。

 

 

 

 

 

「クソッたれ……が……」

 

 八条の刃は既に龍玄の躯体を捉える事は無かった。その瞬間、蔵人の口からは漏れた酸素と同時に血液が飛沫となって溢れ出る。

 それと同時に蔵人の肋骨には先程まであり得ないはずの拳が突き刺さっていた。

 蔵人の攻撃した瞬間、龍玄の姿をまともにとらえた人間は誰一人居なかった。気が付けば龍玄は蔵人に最接近していた。

 カウンター気味に放たれた拳の衝撃はそのまま内臓にまでダメージを与える。既に右第七、第八肋骨は完全に粉砕されている。

 それが何を意味するのかは考えるまでもなかった。衝撃はそのまま肺に達する。心臓に向わなかったのが幸いしたのか、右肺だけが辛うじて破裂した程度だった。

 一度萎んだ肺は空気を取り入れる事は出来ない。その結果、呼吸は一気に苦しくなる。事実上の勝負の結果に蔵人は膝をついていた。

 

 

「どうする?まだやるか?それとも他の連中をけしかけるか?」

 

 龍玄は周囲を見渡すと同時に、少しだけ殺気をまき散らしていた。

 仮にここに刀華やカナタ、一輝が居れば何らかの反応をするかもしれない。しかし、蔵人の取り巻きはそれ程武に通じている訳では無かった。

 精々が蔵人の力のおこぼれを貰う程度の存在。そんな人間に対し、濃密な殺気を放った瞬間、誰もが立つ事も出来ずにその場にへたり込んでいた。

 

 

「あいつらが適う訳無いだろ。俺は生憎とまだやれる」

 

 固有霊装が未だ展開されているのであれば、少なくとも心は折れていない証拠だった。

 よろめきながら立ち上がるも既に呼吸は片肺でしか出来ない。このまま戦闘を続ければ最悪は死を招く必要があった。

 しかし、蔵人のプライドなのか、それともこれ程の実力を持った人間と戦う機会に恵まれなかったからなのか、この場で気を失う事を許すつもりは無い。

 静まり返った空間に蔵人の荒い息遣いだけがやけに響いていた。

 

 

「このままだと死ぬが、それでも良いか?」

 

「そんな事を…恐れてるなら伐刀者なんぞやらねぇよ」

 

 そこからの戦いは既に戦闘と呼べる物ではなかった。

 十全に呼吸をする事が不可能になっている為に、振るう刃は当初の見る影も無かった。

 よろめきながら振るう刃は既に龍玄の居る場所にまで届かない。これ以上は蛇足でしかない。

 だからなのか蔵人の刃を躱す事もせず、周囲のへたり込んだ取り巻きの方へと意識を向けていた。

 

 

「この場からすぐに立ち去れ。でなければ貴様等の命は保証しない」

 

「た、助けてくれ!俺達は関係無い」

 

 鋭さを失った刃は既に脅威ではない。簡単に刃を往なすと同時に蔵人の踏み込んだ右足を蹴り飛ばす。それを皮切りに取り巻き達ははいつくばりながら、この場所から逃げ出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朱美。お前は今どこに居るんだ?」

 

《どこってカナタ嬢と面会しただけよ》

 

「って事は抜けられないって事か」

 

《今回は何したの?》

 

「大した事はしていない。少しだけ治療が必要になっただけだ」

 

 龍玄の足元には完全に意識と飛ばした蔵人が横たわっていた。

 右肺が破裂しただけでなく、左大腿骨と右橈骨が折れている。幾ら満身創痍のままに来ても龍玄は手を抜く事は無かった。

 そもそも戦いの場に温情は不要でしかない。仮に演技であれば、気を抜いた瞬間この立ち位置は逆転する。

 残心とも言える状況から幾分が過ぎた頃、龍玄は朱美に連絡を入れていた。

 

 

《取敢えずは、生きてるって事で良いのよね?》

 

「こんな場所で殺しはしない。IPS再生槽にでもぶち込んでおけば死にはしないだろ」

 

《了解。頼んでおくわ》

 

「世話になる」

 

龍玄の耳朶に響く声の後ろは少しだけ騒がしく聞こえていた。

カナタの名前が出た時点でどこにいるのかは何となく分かる。お互いがそれ以上言うつもりが無いからなのか、龍玄は一言だけ告げると同時に、そのまま通信を切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここ…は」

 

「病院だ」

 

蔵人は目が覚めると同時に見知らぬ天井が目に飛び込んでいた。

気が付けば受けたはずの怪我は既に治癒しているのか、僅かに痛みは残るも、見た目には何も無かった。それと同時に聞こえた声の先に視線を向ける。そこには龍玄が当然とばかりに壁際に立っていた。

 

 

「俺は…負けたのか?」

 

「そうだ。あのままでも良かったが、あそこで死なれても面倒だからな。仕方なくここに連れて来た」

 

「助けられたって訳か……」

 

 今の立ち位置が全てを物語っていた。

 それと同時に蔵人の思考が徐々にクリアになっていく。事実上の一撃によって沈んだからなのか、少なくともここから何か足掻くつもりは無かった。

 純然たる戦闘行為で決定した勝者と敗者。今の蔵人にとってはそんな事などどうでも良いと感じていた。

 それと同時に、一つだけ確認したい事実がある。戦闘の前に口にした疑問。それが何なのかを確かめたいと思っていた。

 

 

「一つだけ聞きたい事がある。お前は戦う前に何を考えていた?」

 

「聞いてどうする?」

 

「俺はただ知りたいだけだ」

 

 既に蔵人の中では折り合いはついているのか、初めて会った頃の視線は無くなっていた。

 純粋に聞きたいだけなのか、視線が龍玄に向いたまま外れる事は無い。強い意志を感じ取ったからなのか、龍玄もまた溜息と突きながら本当の事を話していた。

 

 

「単なるストレス解消だ。それ以外に何も無い」

 

「ストレス解消……だと。お前ふざけるな!そんな理由で俺は負けたのかよ」

 

「事実だ。それにお前が俺に勝とうだなんて未来永劫あり得ん。生かされた事実だけを噛みしめるんだな」

 

 龍玄の言葉に蔵人の視界は真っ赤に染めあがったかの様だった。自身の攻撃を容易くすり抜け、事実上の一撃で粉砕したそれの結末が単なるストレスの解消とは思ってもいなかった。

 それと同時に、自分との間には確実に越えられない壁がある事も理解していた。元々蔵人は自身の『神速反射』によって相手の事もある程度は見えている。これまでに見切れなかった者は誰一人居ないと思ったが、龍玄はその先を行っていた。

 踏み込んだ瞬間を感じさせず、一瞬にして最低限のやるべき事をこなす。それはある意味では不可視の攻撃だった。

 脳が攻撃だと意識出来ない以上、如何に反応が早くても動く事は叶わない。この敗北は当然の結果である事を強引に理解させられていた。

 

 

「参考までに聞くが、お前は俺の動きをどこまで見ていた?」

 

「どこまで?あんなスローモーションでか?」

 

 蔵人の言葉に龍玄は何も考える事無く事実だけを述べていた。

 厳密に言えば、蔵人の動きはそれ程遅くは無かった。敢えて言うならば太刀筋が力任せだからなのか、かなり乱れている点だった。

 仮にあの速度で鋭い太刀筋であれば龍玄としても多少は楽しめると考えたものの、最初の動きの時点で単純に自分の力を磨く事無く素質だけで戦っている事を理解していた。

 

 元々風魔として見れば蔵人の力量はか辛うじて中の下。それも固有霊装を展開しての評価だった。

 霊装の動きは通常の武器とは違い、自身の思い描く動きを見せる。一輝やステラの様に純粋な刀剣を意識すれば、それ以上のはならないが、蔵人の様にややトリッキーな動きは自分の一番分かり易い動きをしているに過ぎない。

 そんな生温い斬撃を態々受ける必要性は最初から無かった。

 

 

「……俺の『神速反射』は人間の反応出来る速度を超える。仮に見てたとしても反応出来ないはずだ」

 

「そうか。そこまで過信してるとは随分とおめでたいな。俺が見たのはお前の速度じゃない。剣筋だ」

 

「剣筋?」

 

 龍玄は態々自分の反応できる速度を公表するつもりは無かった。

 確かに初見であの対応は難しいかもしれない。しかし、汚い剣筋は攻撃の予測を簡単にする。龍玄が見たのはその際に反応する筋肉と視線。

 自分の配下でも無い人間に教えるつもりは無かった。

 

 

「糞餓鬼が棒キレを振り回して喜ぶ程度の攻撃を受けるなんて正気を疑う。お前のそれはただの暴力だ。それも知れたレベルのな」

 

 龍玄は蔵人に敢えて挑発めいた言葉をかけていた。元々誰からも師事していない人間のレベルであれば、間違い無く上位にも行けるはず。

 こちらとしてもスカウトするつもりが最初から無い為にストレスの発散だと言っている。言外に雑魚扱いした事に何かを感じたのか、蔵人はそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「それと一つ確認したい。今回の件はお前の仲間がこちらに対し金品を要求した事が発端だ。それに対し、俺はお前に勝った。さて、お前は何を俺に差し出すつもりだ?」

 

「差し出す……だと?」

 

 龍玄の言葉に蔵人は全身に氷水をかけられた様に冷えていた。先程とは違い、既に雰囲気は違っている。自分達の戦った相手がどれ程危険なのかをここで漸く理解していた。

 

 

「二千万。明日の夕方までに用意しろ。出来ないならあの仲間を売り飛ばす。俺としては払おうが払うまいがどちらでも良いがな」

 

「巫山戯るな!そんな金どうして用意する必要がある。んなもんねぇよ!」

 

「そうか……ではお前達は分不相応な物をチップにかけた訳だ。だとしたら命を貰っても問題無いな」

 

 先程までの会話とは明らかに違う雰囲気が部屋の中に充満する。明確な死。それは誰もがそう感じる程に重苦しい殺気となっていた。

 

 

「だったら殺せ!その方が清々する」

 

「お前の命など関係無い。俺が取り立てるのはお前の仲間だ。敗者には一円の価値も無い」

 

 路傍の石の様に蔵人を見る龍玄の眼は既に人では無いと錯覚する程だった。現時点で蔵人は龍玄が風魔である事実は知らない。間違い無く知ればどうなるのかは考えるまでも無かった。

 

 

「あいつ等は関係無いだろ」

 

「俺には関係無い。時間はそれ程無いがどうする?」

 

 既に退路が断たれた状況で蔵人は現状を打破すべく頭を回転させる。

 只の学生にそんな大金を用意できるはずがない。しかし、ここで何を言おうが自分が原因で死なれるのは面白くは無かった。

 元々の付き合いなど最初からない。互いが面白可笑しく過ごすだけの希薄な関係でしかなかった。

 しかし、戦って負けた以上は責任が発生する。社会人でも用意できない金額に蔵人は一つの可能性が浮かんでいた。

 

 

「だったら、あの時闘った道場はどうだ?あれなら対価に相応しいはずだ」

 

「お前は真正の馬鹿か?あれはお前の持ち物ではない。少なくとも法律上は他人の持ち物。お前との接点はどこにも無い」

 

 事前に確認した時点で所有者の名前は綾辻海斗となっていた。現代において私闘は禁止されているが、その中でも例外は幾つかあった。

 その中の一つが道場主の許可。詳しい権利関係は抜きにしても本来であれば他人の道場で勝手に戦う事は出来ない。

 蔵人が出来たのは、偏に所有権は無いが使用権があったが故の結果だった。

 それと同時に戦いにはそれなりに対価を払う必要が出てくる。それを見越した上での請求だった。

 仮に蔵人の友人を攫ったとしても価値は殆ど存在しない。だとすれば蔵人が口にした方法以外に落とし所は存在しなかった。

 

 

「それでもだ。今の俺にはそれ位しかねぇんだよ」

 

「相手の力量もわきまえない馬鹿の言葉に相応しいな。だとすれば、今後は俺が優先して使用する。お前達は退去するんだな。居座っても良いが、命は大切にするもんだ」

 

「今さら抵抗する気は無い」

 

 事実上の封殺に近い結果に蔵人としてもそれ以上何も言えなかった。それと同時に気が付いた事もあった。

 命を懸けると口にはしても本当に自分の命をチップとして戦った経験はこれまでに殆ど無かった。精々が七星剣武祭で戦った程度。

 しかし、今回の戦いはそんな物すら陳腐になる程の衝撃を持っていた。正体は分からないが、事実上の命がけの戦いは本当に自分がただ生かされただけに過ぎない事を自覚している。

 生き残れたのは奇跡に等しかった。そんな人間が破軍に居る。生きながらえたのであれば目の前の男を目標にするのも悪くは無い。蔵人は胸中でそんな事を考えていた。

 

 

「現場には明日にでも顔を出す。部外者がいた時点で排除する。怪我は殆ど治ってるんだ、点滴が終われば治療は完了する。精々仲間に連絡するんだな」

 

 既に興味を失ったからなのか、龍玄はそれだけの言い残すと部屋から去っていた。先程の圧力は既に無くなっているが、蔵人の全身には病院には似合わない程の大量の汗をかいていた。

 あのまま意見が合わなければ自分の命だけではなく他の人間にも影響は出る。事実、蔵人がこれまで世間で問題を起こしても特段の処分が無かったのは、偏に監視されている事実があったからだった。

 詳しい事は分からないが、何となく張り付いている事は理解している。そんな人間と比べても龍玄の存在はあまりにも異質だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 カナタは自分の課せられたノルマとも言うべき会合が全て終わったからなのか、珍しく車内で溜息を漏らしていた。

 元々予定されていたと同時に予測できる内容ではあったが、やはり海千山千の相手は精神がガリガリと削られる思いがそこにあった。

 設立の経緯はともかく、現時点では一企業の代表であるカナタが出るのは既定路線。本当の事を言えばそんなストレスの塊の様な場所に飛び込むのはそれ相応の気持ちが必要だった。

 何気ない会話一つに気を置けない。その結果が溜息となっていた。

 そんな中で朱美と会えたのは色々な意味で僥倖だった。基本的に朱美はどの場所に居てもその存在を自由に出来るからなのか、カナタが厳しい時には手を差し伸べ、そうで無ければ存在感がまるで無いかの様に振舞ってい居た。

 こんな場所で同年代の人間と会うのであれば、それは違う意味を持っている。現時点で貴徳原財団としてはカナタを外部に差し出すつもりが無い為に、そんな存在も見当たらなかった。

 

 

「今日はお疲れでしたね」

 

「事前に分かっていたとは言え、それでも厳しいのは確かですから」

 

「ですが、まだ社長はお若い。世間ではままごと程度に思われているのかもしれませんね」

 

「私が飾りなのは否定しません。本当の事を言えば、あの会社は異端ですから」

 

「異端……ですか」

 

「ええ」

 

 運転手からかけられた声にカナタは現実に戻ったかの様に錯覚していた。

 運転手は本来であればカナタの補佐役として行動するはずの人間ではあったが、今回の様なケースでは何かと角が立ちやすいからと最小限度で行動していた。

 補佐役兼運転手だからなのか、カナタもまた自分の考えている物を態と口にする。それは一つの信頼の証でもあった。

 

 

「事実上の期間限定みたいな部分があるから、今はただ物珍しさで近寄る人間が多いだけね。尤も、いつまで続くのは分からないけど」

 

「……それは幾らなんでも無いかと思いますよ」

 

「そうかしら?」

 

 その言葉にカナタは少しだけ疑問を持っていた。

 周囲から見ても、この会社は貴徳原財団の末席にある事は理解しているが、それはあくまでも風魔に支払いをする為に設立した物であって、その目的が完遂した時点で解散する物だと考えていた。

 しかし、反対の言葉を聞いたからなのか、それがどんな意味を持つのかが分からない。

 まずはその真意を聞きたいと考えたからなのか、カナタはミラー越しに運転手に向けて視線を送っていた。

 

 

「会社単位だけで見ればそれ程ではあるませんが、財団全体で見た場合、その収益は如実に出ている様です」

 

「この会社が何か影響でも?」

 

「そうです。一番の理由は会場に居た風魔の存在でしょう。事実、財団に枝なす企業の殆どは経費が削減できていますので」

 

 その言葉にカナタも辛うじて他の企業の内情を思い出していた。

 それぞれにメリットとデメリットの両方があるが、一番の問題はやはり競合企業からの妨害や工作が出なかった事だった。

 感情と事実は時としてどちらかを選択するケースが出てくる。今回の一件はそれが噴出したに過ぎなかった。

 風魔の手が入ってる企業に何らかの妨害をすれば、その対価は余りにも膨大すぎていた。

 自分のプライドと企業はどちらに天秤が傾くのは言うまでもない。その結果として他の企業からの産業スパイに代表されるそれは全て余剰資金として残す結果となっていた。

 

 

「事実、総帥は喜んでいましたので」

 

「そうだったんですか……」

 

 身も蓋も無い言葉にカナタは先程よりも気疲れが数段上がった様に感じていた。

 全体を見ればこのまま目的を果たして撤退する可能性は完全に消えていた。

 となれば、自動的にこれからの未来が見えてくる。だからなのか、この気苦労をどうすれば良いのだろうか。

 そんな取り止めの無い事を考えながら、後ろに流れる景色をボンヤリと眺めていた。

 

 

 



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第19話 舞台裏

 先日まで一方的なストレス解消の舞台として選ばれた道場は、蔵人の言葉がそのままだったからなのか、人の気配は微塵も無かった。

 通常、道場主がしっかりと手入れしているのであれば、幾ら古めかしいとしても、どこか神聖な空気が漂う。しかし、今の龍玄の目に映る道場は道場ではなくただの空間にしか見えなかった。

 先日の戦闘によって床の一部が損傷し、壁も落書きとも言える物で埋め尽くされている。ここに来る際にも見た外壁も、本来であれば白を基調としたはずが、同じように落書きによって汚されていた。

 それは少なくとも昨日今日やった物ではない。それなりに時間が経過している様にも見えていた。

 

 

「どうだ?どれ位で出来る?」

 

「そうだな……道場込みで半月から一ヶ月は欲しい。急ぐならもう少しかかる」

 

「多少の費用はかかるのは仕方ない。出来るだけ半月程度で仕上げてくれ」

 

「随分と急ぐな。何も目的でもあるのか?」

 

「いや。使うなら早々に使いたいだけだ。青龍としても動ける拠点があれば楽だしな」

 

 龍玄の言葉に隣に居た男は不意に疑問をぶつけていた。

 元々この道場の所有者は龍玄ではない。綾辻海斗なる人物の所有物件だった。

 本来であれば所有者の意志を確認せずに勝手に事を進める事は出来ない。しかし、道場の所有権をかけた戦いをしていれば話は別だった。

 詳細までは知らないが、龍玄はあの後、この道場が蔵人に映った経緯を調べている。当時の経緯はともかく、それが分かれば話が実に簡単だった。

 道場の所有権云々はともかく、道場主でもある綾辻海斗は倉持蔵人に倒され、今に至っていた。

 

 道場主が道場破りに負けた事によってその財産が奪われる。今では聞く事が殆どなかったが、当時はそれを是としていた。そしてその結果が今に至る。

 その理屈からすれば、蔵人が道場主だった際に負けて献上したからこそ、所有権が龍玄に移譲されている。現代でも早々ない事案だった。

 

 

「確かに……最近はあの会社の関係もあるからな。少しは配置が多すぎるとは思うが」

 

「実際には報酬も出てる以上は無理に言う必要も無い。先日も朱雀がそんな事を言っていたがな」

 

「そうか……頭領にも頭領の考えがあるんだろう」

 

「ふん……親父の考えなんて早々分かる訳ないだろう」

 

「相変わらずだな。だが、このままだと、いざという時に人が足りなくなるぞ」

 

「その対策も含めてるんだがな」

 

「成程な……早々に昇格させるつもりか」

 

「そんな所だ。だが、実力に満たない者を引き上げるつもりは無い。あくまでも実力を見てからになるがな」

 

 龍玄の言葉に男もまた少しだけ納得した部分があった。

 風魔の中でも青龍の部隊が実際には大多数を占めている。純粋な戦力としてだけでなく、何かと派遣する場合もまた青龍の領域だった。

 風魔と言えど、全員が精鋭ではない。まだ一人前と呼べない下忍レベルの人間はひたすら鍛錬を続ける以外に無かった。

 

 

「とにかく費用をかけても良いなら半月で終わらせるさ」

 

「ああ。頼んだぞ」

 

 既に状況を確認しているからなのか、何人かが草臥れた道場を隅々まで確認している。元々風魔の工作機関部門でもある玄武の人間だからなのか、仕上がりに関しては心配する必要は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうしてそんな回りくどい事をする?正式に戦えば良いだけの話ではないのか?」

 

 普段は人気が無いはずの理事長室には三人の人影があった。

 この部屋の主でもある新宮寺黒乃、その友人の西京寧音、そして生徒会役員の貴徳原カナタ。

 誰が何の為に来たのかを改めて言うつもりはない。事実、理事長室の中で黒乃と寧音の前には湯飲みが置かれていたが、カナタの前には置かれていない。それが意味するのは実に単純な話だった。

 

 

「最初はそのつもりでした。ですが、こちらにも都合がありましたので、敢えて今回の様に出来ないかと相談に参った次第です」

 

「そうは言うが、ここでは私が決める事だ。基本的には特例扱いはしない」

 

 黒乃の言葉は当然だった。以前の理事長であれば多少なりとも外圧を加えれば簡単に折れる事はカナタも知っている。事実、とある機関支部からの外圧を受けている事は生徒会でもカナタと刀華、泡沫の三人が知っていた。

 

 本来であれば規定が無い事を理由に、もっともらしい内容をでっち上げた時点でそれなりに問題を孕むが、実際にはそれ程大きな問題にはならなかった。

 規定が無いから新たな基準を学園側が設けたと言われれば、その内容がどうあれ建前は成立する。そうなると幾ら内容に問題があったとしても、生徒会側としても学園に対し何も言う事は出来なかった。

 

 事実、Fランクの生徒が黒鉄一輝しかいないのであれば、学園の運営そのものには問題は無い。そんな経緯があったからこそ、今の黒乃が理事長になった際に大鉈を振るっていた。

 当時の役員や上層部は軒並み排除。これまでの様にランクだけに囚われた選考内容やカリキュラムから一転して、基本的な内容以外の全部を実戦主義へと舵を切っている。

 幻想形態を主体にしていた模擬戦を実像形態へと変更していく。これが全員に適用されるとなれば反発は起きるが、生憎とそれに関しては希望者のみとなった事から、異論が起こる事はなかった。

 そんな事は生徒会役員でもあるカナタが一番理解している。しかし、今後の事を考えれば確実に無理だと言う事も予想出来ていた。

 そもそも相手はこの七星剣武際には何の関心も持っていない。この予選会に関しても精々が暇つぶし程度の認識しかないのは、この中ではカナタが一番理解していた。

 

 

「私は特別扱いしろと言ってるわけでは無いんです。ただ、日程が合わないからずらしてほしいだけです」

 

「……で、本心はどこにある?このままだとお前の勝ち星は堅く、相手の黒星も確定する。態々不利になる必要はないだろう」

 

「私は勝ち負けを意識している訳ではありません。事実、今戦っても私が負けるのは確実でしょうから。これは私の我儘だと言う事は理解していますので、この戦いに関する戦績は黒星でも構いません」

 

「そうか……」

 

 黒乃の言葉にカナタが怯む事は無かった。元々今回の対戦相手の事を考えれば、どちらが勝つのかは口にするまでもなかった。

 黒乃だけでなく、寧音もまたあの男を止める事が出来る人間が学園内に居るとは考えていない。

 事実、黒星が先行しているのは偏に試合当日が棄権扱いになっているからだった。それと同時にその正体を考えれば頷けるのは必然でしかない。

 ましてや今の部屋割りや状況を遠回しにでも聞いているからこそ、黒乃はそれを口にしなかった。

 態々生徒を風魔に縁がある人間に対峙させて、魔導騎士としての高い資質を持った人生を終わらせたいとは思っていない。ましてやカナタは学園の序列二位。それがもたらす物は何であるのかすらも理解していた。

 

 

「……先程の言葉に偽りは無いな?」

 

「はい。でなければそんな話しはしませんので」

 

「分かった。特例として認めよう。だが、戦績に関しては互いに黒星となる。それが最低限の条件だ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 黒乃の言葉にナカタはゆっくりと頭を下げ、その後退出していた。

 先程までのやりとりを他所に寧音は少しだけ面白い表情をしながら黒乃を見ている。それが何を意味するのかを知っているからなのか、黒乃は寧音の事を意図的に無視し、誤魔化すかの様に煙草に火を点けていた。

 

 

「いや~青春だね。見てるこっちが恥ずかしくなりそうだっさね。そう考えるとくーちゃんも年取ったね」

 

「何が言いたい?」

 

「前までならあんな暴挙許さなかったと記憶してるけど、まさかそう来るとは……良い物が見れたよ」

 

 揶揄うかの様な物言いではあるが、その件に関しては内心色々と思う事が多かった。

 一番の問題はカナタが序列二位である事と同時に、次の対戦相手が誰なのかだった。

 対戦相手は互いに知っている。勿論、教員側が知らない訳ではない。次の対戦カードは『貴徳原カナタ対風間龍玄』出来る事なら衝突してほしくない内容だった。

 

 事実、カナタに関しては何の問題も無いが、龍玄は少しだけ問題があった。これまでの戦績は三勝四敗。数字だけ見ればよくある数字だった。

 しかし、詳細を調べれば内容は直ぐに分かる。

 負けは基本的には学園を休んだ日だった。突発的な物であれば逃げたとも言えるが、元々スケジュールが決まっていたかと思う程にその日程に該当していた。

 当然、棄権扱いの為に黒星が進む。今回の件に関しても、仮に互いが出なかったとしても龍玄からは既に休む旨の書類が提出されていた。

 

 

「馬鹿な事を言うな。貴徳原の言う事は分かる。だが、学内の序列二位が秒殺で負ける事実はあまり望ましい物じゃない。お前も知ってると思うが、風間の勝っている時の対戦時間は知ってるだろう」

 

 余程思う事があったからなのか、黒乃は無意識の内に二本目の煙草に火を点けていた。肺に入った煙がゆっくりと体内から抜けていく。紫煙をくゆらせるその姿は少しだけ疲労が滲んでいる様にも見えていた。

 

 

「確かに、総試合時間が一分にも満たないとなれば、誰だって考えるってもんさ。でも、それと序列とどう関係があるって?」

 

「私が理事長を務めてからはその傾向が顕著になってきたんだが、それでも学内の序列が治安と生徒会のメンバーの抑止力になればと思って黙認している。それが根底からひっくり返れば面倒事しか湧かないだろう」

 

 黒乃の言い分は確かに利があった。学内の序列は有体に言えば純粋な力でもあり、魔導騎士としての格付けとも取れている。しかし、序列が実力でないと判断すれば、今度は面倒事が起こるのはある意味では当然の事だった。

 学内の選伐によって序列の変更が起こるとすれば、それは全ての予選会が完了した時点でしか出来ない。仮に今の状況下で無視した行動を取れば、学内は混沌と化するのは当然だった。

 

 

「だったら予選会が終わってじゃなくて、常時変更すればいいんじゃね?」

 

「寧音。お前がやってくれるのか?」

 

「嫌。面倒しかないのは御免さ」

 

 対案があるものの、いざ実行となればこれまた面倒な事が多くなっていた。

 一番手っ取り早いのは当事者と対戦した時点での序列の変更だが、仮にそうなると下位の人間が偶然勝ち上がると自動的に序列も上がっていく。

 そうなれば今度は下から狙われる事になる為に、普段から管理し続ける必要があった。

 ただでさえ盆暗を排除した事によって教師としての人員が不足している。事実、黒乃も本来であれば寧音をここに呼び寄せる事は良しとはしていなかった。

 

 現役のA級選手を呼ぶのはある意味ではステータスかもしれない。しかし、それと同時にある程度の現実もまた見せる事になるのも事実だった。

 ましてや寧音はスキャンダルの女王とも呼べるほどの数を週刊誌が攫っている。理想か現実か。どちらも必要ではあるが、全員が等しく戦う訳ではない。

 気が付けば火を点けた煙草の半分は碌に吸う事も無く半分が灰となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、明日がそうだと言うのか?」

 

「はい。ですが、スケジュール的には問題ないはずです」

 

 自室で食事を取っている際に、カナタは不意に龍玄に明日の予定を伝えていた。

 元々試合当日は予定が入ってる為に動かす事が出来ない。それに、会社としてではなく風魔としての用事があったからこそ、学園には事前に申請を出してある。

 だからなのか、カナタの言葉に龍玄は少しだけ訝しく思っていた。

 

 

「それは構わんが、理由は何だ?」

 

「一度、試合として戦いたい。それだけでは不満ですか?」

 

「不満……それしかないだろ。参考に聞くが、どうして俺とそうまでして闘いたいと思ってる?結果なんて見るまでも無いだろう」

 

「そうですね。少なくとも今の私では勝てるとは思えませんし、戦略を練ろうが間違い無く瞬殺でしょう。ですが、私にも私なりの矜持があります。それではいけませんか?」

 

 カナタの言葉に龍玄は少しだけ考えていた。

 何をどう考えているのかは分からない。しかしどんな策を練ろうが龍玄とカナタは固有霊装と抜刀絶技の関係上、相性が圧倒的に悪かった。

 カナタの抜刀絶技でもある『星屑の剣』は、一度その刀身は破壊する必要があった。

 もちろん、レイピアとしての性能もあるが、剣技だけを見た場合、カナタは決して上位に食い込むとは言い難いレベル。

 

 序列二位は偏に抜刀絶技による攻撃を用いた結果だった。どんな状況下であっても一旦は破壊すると言う行為がある上はその隙は致命的だった。

 幾ら距離を離そうが、『斬影』による移動は全ての距離を瞬時に潰す。

 知覚すら出来ない接近からの一撃は死神の一撃だった。かと言って剣技だけで対抗するだけの技術もまたあるとは言い難い。それは龍玄が口にせずともカナタ自身が理解している内容だった。

 

 

「ダメだ。そんなくだらない事で有用な時間を潰す必要は無い。それに俺には何の益も無い」

 

「ですが……」

 

「驕るつもりはないが、そんな矜持を粉砕されたら、お前はどうするつもりだ?」

 

 龍玄の言葉にカナタは答えを持ち合わせていなかった。

 それと同時に一つだけ気が付く。今回のそれはカナタにとっては利があっても、龍玄にとっては何の利も益も無かった。そもそも予選会の勝敗に関しては全く気にしていない。

 そもそも自分が戦うレベルに値する人間がどれ程いるのかすら危ういとまで考えている。現状でさえ三割以下の力でやってる現実に、カナタは少しだけ早まったと理解していた。

 

 

「……どうしてもやりたいと言うのであれば風間龍玄としては断る。だが、青龍としてであれば受けよう。その代わり報酬は要求する事になる。それが妥協点だ」

 

「話は分かりました。では、それでお願いします」

 

「そうか。だが、一つだけ覚えておけ。報酬の支払いは試合終了から二十四時間以内。金額は追って伝える。俺は小太郎とは違うから、支払いの猶予は無い。それで良いな」

 

 食事中だったからなのか、それ程圧力を感じる事は無かった。しかし、今回の件に関しては風魔としての話となった為に、一つだけ問題が発生していた。

 学内の予選会ではあるが、風魔として動くのであれば命の危険性もまた予想されていた。

 事実、カナタも戦場で初めて会った際に、どれ程の力量なのかは何となくしか理解していない。これが元になって本来の力量で戦闘となればどんな結末になるのかを正確に予想出来るのは当事者でもある龍玄だけだった。

 

 

 

 

 

「親父。明日の件だが、青龍としての仕事を受ける事になった」

 

《随分と唐突だが、何があった?》

 

「破軍の学内選抜は知ってると思うが、明後日に貴徳原カナタと対戦する事になっていた。だが、用事もある。その為に明日は風間龍玄ではなく青龍として闘う事にした。それと同時に何時もの報酬も発生する。その報告だ」

 

《また随分と簡単に決めたものだな。で、報酬と今回の件はどうする?》

 

「報酬は二十四時間以内。金額はまだ決めていないが何時もの最低ランクで考えている」

 

《そうか。だとすればお目付け役が必要になるな。誰かしら向かわせよう》

 

「了解した」

 

 短く切れた通信に、龍玄は少しだけ溜息を吐いていた。

 元々個人で請け負った依頼は個人で終わらせる事も出来るが、基本的に下忍程度しかやらなかった。

 中忍以上になれば正規の任務が発生すると同時に、色々と制約がかかる。それと同時に報酬の確認や見届けなどの事も考えれば、事前に報告した方が何かと面倒事は無かった。

 今回のこれもそれに準じた報告。何時ものやりとりに龍玄だけでなく小太郎もまた平常の対応をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当日の朝、龍玄は気負う事無く何時もの行動に出ていた。

 本来であれば同じ部屋の人間同士が戦う事は早々無い。仮にどちらが勝とうが禍根が残る可能性があるからだった。

 本来であれば龍玄にも同じ事が当てはまるはず。しかし、事実上の結論が出ているに等しいと判断したからなのか、朝の鍛錬の後は何時もと同じだった。

 お互いがテーブルに相対して朝食を取っている。何も知らない人間であれば、まさか放課後に戦うなどとは思えない程穏やかだった。

 

 

「カナタ。青龍として一言だけ言っておく。結果がどうあれ俺は俺の思ったようにしかやらん。それで良いな」

 

「はい。それで構いません。そうでなければ理事長に無理に頼んだ意味がありませんので」

 

「そうか……」

 

 形式的な会話の様だったが、その裏では言外に手加減するかどうかは対峙して決めると言われているに等しかった。

 元々今回の対戦は明らかにイレギュラーでしかない。もちろん、それがどんな意味を持つのかは言うまでもなかった。

 下手に観客を入れるのであれば、かなりの手加減が必要になる。それと同時に依頼された任務はあくまでも対戦する事であって全力ではない。

 事実、龍玄が全力で対峙出来る人間の数はそう多く無い。風魔の中であっても小太郎を筆頭に数人程度だけだった。

 驕る事はしないが、まだ先の報酬は回収すらしていない。命を奪う事はしなくとも、それなりの結末が起こるのは最早既定路線だった。

 

 

「それと今回の件だが、こちらからお目付け役を出す。それに関しては誰になるかは分からんが、それは構わないな?」

 

「それは構いませんが、大丈夫なんですか?」

 

「それは俺が考える事じゃない。事実、誰が来るのかすら聞かされていないんだ」

 

「そうですか。無様な姿を見せない様にする必要がありますね」

 

 完全に日常会話だった。

 元々お互いが思う所があった末に戦いであはあるが、敢えて気合を入れる必要が無いと言わんばかりの空気にカナタは少し以外だった。

 あれ程の技術を持っているのであれば、精神状態すら最高に持って行くと思ったが、目の前で食事をする龍玄を見ればそんな事はおくびにも出さない。

 余裕なのか、平常なのかは分からない。少なくとも淡々としたそれを見たからと言って、カナタが何か思う様な事は何一つ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、今日戦うの?」

 

「はい。ですが、元々は明日の予定を今日にしてますので、明日はお互いが黒星が付く事になりますが」

 

「でも、それだと……」

 

「刀華さん。言いたい事は解りますが、それでもです」

 

 カナタの言葉に刀華は驚愕の表情を浮かべ固まっていた。

 元々この予選会は現状を見れば無敗の人間がまだ多数存在していた。

 ただでさえ今年に関しては去年までとは違い、戦績が全てを物語る。そんな中で星の取りこぼしは致命的だった。

 本来であればそのまま出れば良いだけの話。にも拘わらず、態々変更したのであれば重篤な問題があるとしか考えられなかった。

 それと同時に一つの可能性が浮かび上がる。まさかではなく完全に間違い無い事実。それを唐突に理解したからなのか、刀華はカナタに敢えて確認していた。

 

 

「ひょっとして対戦相手って……」

 

「はい。風間龍玄です」

 

 予想が合致したからなのか、刀華はそれ以上の言葉が出なかった。

 これまでの戦績を見れば凡庸ではあるが、問題なのはその内容だった。

 戦闘総合時間は合計で三十秒もかかっていない。それと同時に試合内容もまた異質だった。

 全てが事実上の一撃によって終了している。三戦の平均時間があまりに短いからなのか、一部の人間はその異様な数字を何度も確認していた。

 本来であれば全勝、若しくはそれに準じた数字を出していれば確実にその名は学内にも広がるのは間違い無い。

 事実、今年の台風の眼は一年の戦力でもある『黒鉄一輝』を筆頭に数人が無敗を保ったままになっていた。

 

 七星剣武祭出場のパイはそれほど多く無い。しかし、自分達が知っている人物が仮に対戦したとして、どれだけの人間が立っている事が可能なのかは予測すらでいない。誰よりもその力量を知るが故の決断に、幾ら刀華と言えど、カナタの決意を揺るがす事は出来ないと悟っていた。

 

 

「でも、どうして明日じゃなくて今日なの?会社の予定はなかったはずじゃ……」

 

「ええ。会社としての用事は無いとは聞いています。事実、事前にそれを私も知ってましたので」

 

 会社の用事ではないが、それ以外となれば一つしかなかった。

 気軽に口には出来ないそれが正しく意味するのは当然の事だった。

 元々風魔に関して緘口令が出ている訳では無い。ただ、その凄惨な状況を知る者は自然と口をつぐんでいた。

 それが今となっては暗黙の了解となっている。だからなのか、刀華だけでなく、カナタもまた無意識のうちにその名を口にする事は無かった。

 沈黙だけが支配する空間は時間だけが過ぎ去っていく。まるでカナタの精神状態を表している様だった。

 

 

「って事は完全に非公開って事なの?」

 

「詳しくは聞いていません。ですが、今回は青龍として対戦しますので、ある程度はその部分もあるかとは思います。ですが、最終的には理事長の胸先三寸かと……」

 

 まるで他人事の様に振舞うカナタではあるが、持ち上げたティーカップを持つ手は僅かに震えていた。

 命の危険はなくとも青龍として戦う以上はそれ相応のプレッシャーがるのは当然だった。

 実戦を経験しているとしても、対峙する人間が誰なのかを考えれば恐怖心が沸き起こる。ある意味では究極の心理戦だった。

 

 

「もし……ううん。何があっても絶対に行くよ」

 

「そう言ってもらえるだけも嬉しいですよ」

 

 戦いに殉ずる人間であれば悲壮感もあるが、本当の事を言えば、それすらも一つの試練の様にもおもえていた。

 それと同時に刀華は少しだけカナタに思う部分もあった。

 今回の様なケースになった場合、自分であればどうするのだろうか。これが他の一年や対戦相手、若しくは昨年の七星剣武祭で対峙した人間を相手取るとなったのとどれ程違うのだろうか。

 幾ら自分が研鑽しても、風魔と名が付く人間が立っているその傍には自分が血塗れになって横たわている景色しか見えなかった。それが仮に生死の狭間にあったとしても文句の一つも言えない。

 事実、幾つかの戦略や戦術はあるが、それの悉くが粉砕される未来は絶望だけが支配する。

 にも拘わらず、カナタは絶望する事なく自分の前をすすむ道だけをただひたすらに見ている事に刀華は少しだけ嫉妬しそうな感情を持っていた。

 

 

 



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第20話 目指す先

 夕方までの喧噪がまるで嘘だったかの様に訓練場の中は静まり返っていた。

 ここには予選会特有の熱狂的なアナウンスも無ければ観客も居ない。精々が数人の人影があるだけだった。

 そもそも事の発端は個人的な要望にしか過ぎなかった。

 本来であれば正規での戦闘をすれば問題ないが、生憎と当事者の予定が付かない事実が今の状況を作り上げていた。

 事実、この閉鎖された空間には都合三人と当事者二人の計五人だけ。それが何を意味するのかは言うまでもなかった。

 耳が痛くなるほどに静まり返った空間。関係者以外立ち入り禁止のはずのこの場所に、突如として二人の男女が姿を現してた。

 

 

「今回の見届けをさせてもらう」

 

「どうやってここに?」

 

「貴様に答える義務は無い」

 

 突如として現れた男女は漆黒の仮面を付け、まるで暗闇から滲み出たかの様にその姿を現していた。驚きを見せながらも黒乃は一言だけ言葉を発する。

 慇懃に返って来た返事と同時に、黒乃の隣にいた寧音と刀華は冷や汗をかいていた。

 

 

「何だ?貴様みたいな人間でも教員をやれるとは、ここはどうなってる?」

 

「いや~何となく?」

 

「そうか……だとすれば今回の貴徳原カナタは貴様が指導した訳では無いと言う事か?」

 

「私は……何もしていないさ」

 

 完全に冷え切った会話に、寧音は何時もとは完全に雰囲気が違っていた。

 漆黒の仮面を付けているのは風魔小太郎と四神の一人でもある朱雀。身体のラインがギリギリ分かる衣装と同時に、姿は視認出来るが、気配はまるで感じられない。

 これがまだ幻だと言われた方がマシだとばかりに、周囲にも伝わるかの様に冷え切った雰囲気を作りあげていた。

 

 

「小娘か。なぜここに?」

 

「私は……カナちゃん、カナタの友人ですから」

 

「そうか……今宵の戦いは青龍であると理解しているのだな」

 

「もちろん…です」

 

 刀華はあの時の事を思い出したのか、少しだけ身体が震えていた。

 普段は決してそんな事を感じる事は無い。明確に感じる死のイメージは嫌が応にも当時の事を記憶の底から引き摺り出していた。

 対応を間違えれば待っているのは死の一文字だけ。どれだけ努力をしようが小太郎の前では無意味でしかないと思える程の考えだけが過っていた。

 

 

「我々は見届けるだけだ。貴様等には用は無い。邪魔をするなら容赦はしない」

 

 漆黒の仮面の男は一言だけ告げると同時にそのまま姿を消し去っている。突如現れたかと思った矢先に消えた気配は二人の深い深呼吸と共に現実に戻していた。

 

 

「寧音。まさかとは思うが……」

 

「正解だよ、くーちゃん。下手な会話してたら頸と胴体が永遠に離れてたかもね」

 

「そうか。で、見届けとはどう言う意味だ?」

 

「それは私にも知らない事さね。何でも知ってる訳じゃ無い。だったら当事者に聞いたらどう?」

 

 黒乃とて何も知らないままに過ごしてきた訳ではない。先程の人物が誰なのかは考えるまでもなかった。

 『風魔』の頭領でもある風魔小太郎その人。誰もが知る人物像そのままの人物に黒乃もまた全身の鳥肌が粟立ったままだった。

 それと同時に先程の言葉に引っ掛かりを感じている。

 小太郎の言葉を正しく理解するならば今日の対戦相手は風間龍玄だったはず。にも拘わらず『青龍』と告げた言葉の意味は一つだけだった。

 不意に隣を見れば寧音だけでなく、刀華もまた同じ表情を浮かべている。

 これからどんな対戦が始まるのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが脳内を駆け巡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂だけが周囲を取り巻く環境にカナタは独り精神を集注していた。

 こちらかの申し出とは言え、対戦相手が風魔の四神。自分の今の因縁の相手にカナタは今日のこの時間まで時間が許す限り脳内でシミュレートを繰り返していた。

 しかし、何をどうやっても自分が明確に勝つ事はおろか、有効打を当てる事すら想像できない。何度やろうが見えるのは明確な敗北だけだった。

 何も知らない人間がからすれば、今のカナタは殉教者か自殺志願者。そう捉えられてもしかたないとさえ思われていた。

 事実、今日に至るまでカナタは何度も自問自答した結果だった。しかし、それ以上に自分が当時よりもどれだけ高みを目指しているのかの目安にはなる。

 自分の決められた未来がどうなろうと、今はただ純粋に時間が来るのを待つだけだった。

 

 

「あら?少し固くなってないかしら?」

 

「え……朱美…さん?」

 

「今日は私が見届けに来たのよ」

 

 まさかの登場にカナタは少しだけ驚いていた。

 カナタの記憶の中では、この控室には人の気配は何処にも無かった。

 事実、今回の戦いに関してはほぼ秘匿に近い状態になっている。ましてや朱美は完全な部外者。本来であれば即退出すべきはずだった。

 そんな中での見届けの言葉にカナタは全てを理解していた。

 今宵の戦いが何を意味し、そして誰の為の物なのかを。

 ハッキリと認識したからなのか、先程まで緊迫していた空気は更に高くなっていた。

 

 

「一つだけ良いかしら?どうして貴女はこうまでして戦おうと思ったの?」

 

「どうしてなんでしょうね……本当の事を言えば、私にも分かりません。事実、先程まではどうしてなんて考えもありましたから」

 

 朱美の質問にカナタは極自然に答えが出ていた。

 確かに自身の高みを目指すのは魔導騎士としては立派な考えに間違いは無い。しかし、それと今回のこれとは意味合いは大きく違っていた。

 朱美が聞くまでもなく、青龍と対峙して勝てるビジョンは未だに見えない。下手をすれば自身の命すら失う可能性の方が圧倒的だった。

 今回の件に関しては十全に闘うつもりは無い事位はカナタも理解している。だからなのか、朱美の質問にカナタは改めて自身の考えを深く考えていた。

 

 

「そうね……本当の事を言えば風魔の四神の中でも青龍は一段、いえ二段は私達よりも上よ。それでも戦うと考えるのならば、何かしら思う所があるのかと思っただけよ。

 それと先に言っておくわ。今回の報酬の件だけど、これが終わってから二十四時間以内に三千万の支払いが請求される事になるわ。私と頭領が来たのはその確認の為。貴女にとっては良い話では無いかもしれないけど、万が一の事があってからでは遅いから。

 心を乱す様でご免なさいね」

 

「いえ。それには及びません。元々こちらの我儘ですから。それに、多分ですが、私自身がもっと知りたいと思ったからこそ臨んだんだと思います」

 

「あら……そう」

 

 カナタの言葉に朱美は何かしら満足したのか、少しだけ目が細まっていた。

 元々同性から見ても惚れ惚れする美貌が少しだけ深い物に変わる。カナタが何を考えた末の言葉なのかを考えたからなのか、朱美はそれだけを告げると、そのまま控室から外に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どうなるんだろうね」

 

「お前は気楽で良いな。こっちは胃が痛くなりそうだよ」

 

「いや。今回の件は本当に傍観者だって。多分だけど、ここに見届けで来てるのは何らかの思惑があっての事だし、少なくとも問題があれば止めるのは確実さね」

 

「成程な」

 

 寧音の言葉には説得力があった。傭兵である以上、タダ働きをするとは思えない。見届けと言う以上は最悪の事態だけは避けるだろうと予測しただけだった。

 時間が来たからなのか、静寂と保っていた訓練場に扉が開く音だけが響いていた。

 既に決まっているからなのか、審判すら居ない。黒乃と寧音の視界に入ったカナタは覚悟を決めた武人の様な表情を浮かべていた。

 それと同時に反対側の扉もまた重い音と共に開いて行く。そこにはあるはずの姿がどこにも無かった。

 

 

「あれ?」

 

「どうした寧音」

 

「姿が見えないと思って……」

 

 寧音の言葉は最後まで語られる事は無かった。暗闇の向こう側には姿こそ見えないが、圧倒的な存在感だけが漂っていた。

 平和なはずの学園内にも拘わらず、どこか死の匂いがする戦場に足を踏み込んだかの様に空気が重くのしかかる。まとわりつくそれが何なのかは考えるまでもなかった。

 暗闇から浮かび上がるのは漆黒の仮面に龍が描かれている。風魔の四神『青龍』の姿が浮かび上がっていた。

 誰もが思わず息を飲む。話には聞いていたが、まさかこれ程の圧力を持っているとは思わなかったからなのか、黒乃のスーツのパンツには不自然な程に皺がよる程に握りしめていた。

 

 

 

 

「さて、今回の件だが自分が誰と契約をしているのかを身を持って知った方が良いだろう」

 

 静寂の中で青龍が放った声だけが響いていた。勿論、カナタ自身がこの言葉に憤りを感じる事は何処にも無い。我儘を押し通した結果がこれであると同時に、自分の力量がどこまで通じるのかの試金石だと考えたからだった。

 本来であれば戦う前に負けるなんて事を考える必要は何処にも無い。しかし、目の前の人物と対峙した瞬間からそんな気持ちすら持つ事はなかった。

 純粋に戦いたい気持ちだけが浮かび上がる。それが開始前のアナウンスの代わりだった。

 

 

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 機械的に鳴った音声がここに戦いの幕を切った思った瞬間、突如として硬直した時間が動き出していた。

 まるで決まっていたかの様にカナタの躯体は横に弾け飛ぶ。大型トラックに撥ねられたかの様にカナタは地面に叩きつけられ地面を滑っていた。

 誰が何をしたのかを考える必要は何処にも無い。青龍の一撃を自分の目で捉える事が出来た人間はこの場には誰もいなかった。

 

 

「貴徳原カナタ。これでも手加減してるんだ。早々に意識を飛ばす様な事はするな」

 

 青龍の言葉にカナタの身体は少しだけ動いていた。

 少なくともこれまでの戦い方を知っている人間からすれば、カナタが動き出す可能性は零に近いはず。にも拘わらず、目の焦点が碌に合わないままにヨロヨロと立ち上がっていた。

 気が付けば、試合開始の前に展開したはずの固有霊装が少しだけその存在感を失いそうになっている。

 先の一撃がそれほどのダメージを負わせている事実に観客席にいる全員が間違い無く目を見開いていた。

 

 

「当然……です。でなければ、ここまでお膳立てした意味がありませんから」

 

 未だ焦点が合わない目を無視するかの様にカナタは立ち上がっていた。

 衝撃を伴った一撃は誰も反応する事すら出来ない。対峙したカナタもまたブザーの音が鳴り止むと思った瞬間に青龍を見失っていた。

 

 気が付けば衝撃だけを一方的に受けただけ。以前のままであれば、この時点で戦意は完全に失っていたはずだった。

 青龍が追撃してこないのは何の為なのかを考える事もなく自身の肉体がどれ程の損傷を受けているのかを確認していく。

 先程の衝撃で左上腕骨と橈骨が破壊されたのか、動かす事すら困難な程に痛みが走る。

 これまでの事を考えれば、一撃で葬り去るかの如き攻撃ではなく、確実に力を抑えた状態での攻撃であることに間違いなかった。

 既に痛みはカナタの精神を犯すかの様に訴える。それがこれから続く何かの合図の様にも思えていた。

 

 

「そうか……何かを決意した様だな」

 

「……ええ」

 

 泰然自若の様に立っているはずの青龍はまるで隙を作って誘いをかけている様にも見えていた。

 しかし、対峙しているカナタからすれば、それは大きな誤認だと思えていた。

 自然体の立ち姿は無駄なく攻撃する事を可能としている。刹那の戦いを考える人間からすればその無駄に見える隙こそが最大の要点だった。

 

 既に見えない程の攻撃を繰り出せる人間が追撃する事無く立ち上がるのを待っている。

 完全にどちらの実力が上なのかは考えるまでもなかった。

 無意識の内に言葉数が少なくなる。完璧な先制攻撃を直撃したカナタにとって青龍は自身の最大の壁の様にも見えていた。

 待ってるのであればこちらも慌てる必要は何処にも無い。ゆっくりと立ち上がると同時に、まだ顕現している固有霊装の刃をカナタは自身の身体を使ってゆっくりと手折っていた。

 

 

「では、改めて」

 

「精々楽しませるんだな」

 

 カナタはそう言いながら自身の抜刀絶技でもある星屑の剣から発生させた粒子を周囲にばら撒いた。

 元々粒子レベルのそれを肉眼で把握する事は不可能に近い。勿論、目の前の青龍にそんな事が通用するとは思っていないからなのか、カナタは先程以上に警戒を高めていた。

 自身の魔力を活かすと、見えない粒子は自身の周囲を包み込む。攻撃ではなくまずは防衛を優先したからなのか、少しだけ落ち着きが戻りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかあれ程とは……」

 

 黒乃は先程の行為にただ茫然とするしかなかった。

 これまで伝聞でしか聞いていない存在であると同時に、数度の戦闘しか見ていない。

 勿論、全ての戦闘が全力で無い事位は認識していたが、まさかこれ程の差があるとは思っていなかった。

 

 貴徳原カナタは学園序列二位の実力を誇っている。本来であれば一位の刀華を除いて理論上は負ける要素がどこにも無いからこその立場のはずだった。

 試合開始と同時にピンポン玉の様に弾かれた姿は、少なくとも黒乃が破軍にきてから見た記憶は一度も無かった。

 完全実力主義を打ち出した予選会でも常に危なげない戦いで全てを完璧に下している。

 しかし、今の戦いはこれまでの物などすべて置き去りにするかの様に一方的だった。

 

 気が付けば隣に居る寧音もまた、何時ものおちゃらけた雰囲気が微塵も感じられない。

 恐らくは自身が対峙したと仮定してのシミュレートをしているのかもしれない。そんな考えが過っていた。

 隔絶した差があまりにも大きすぎる。それと同時に少しだけ後悔した部分もあった。

 戦績だけで決めた場合、青龍と対峙したカナタはともかく、風間龍玄と対峙した人間は間違い無く敗北の一途しか辿る事が出来ない。少なくともこれまでに無傷で勝っている人間のほぼ全員は敗北にまみれるのは決定事項だった。

 

 異能と言うべき魔力を行使すれば、その集中した瞬間を狙われる。仮に剣技だと仮定してもその差はあまりにも一方的だった。

 既に賽が投げられている以上、黒乃がどうこうする事は出来ない。始めたばかりではあったが、これ程の差が開いているとなれば確実に頭が痛くなる結果しか思い浮かばなかった。

 

 

「当然だよ……それに、前よりも早くなってるさね。少なくとも生徒が勝てるレベルは無いだろうね」

 

「だろうな……だが、黒鉄やヴァーミリオンなら多少は変わるんじゃないのか?」

 

「くーちゃん。言いたくないけど、目の前のあれは五割も出して無いんよ。幾ら気配を追おうが、察知した時点で攻撃は完了している。だとすれば同じ世界の住人でなければ無駄なんよ」

 

 黒乃の考えを読んだかの様に寧音は事も無げに話していた。

 純粋な速度だけ見ても既に視覚で追えないだけでなく、致命的な一撃を与える攻撃は既に約束された未来と同義だった。

 まだ尻に殻が付いたままのヒヨコと、完全に自分の世界を生き続け、その生存競争に勝ち続けた猛禽類が同じ立場で無い事は言うまでもない。

 ある意味では絶望でもあり、ある意味では希望でもある。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「可能性の一つとしてなら、あの御姫さんならばって事は言えるけど、現時点で言うならば、瞬殺だろうね。態々実力の差を見せて絶望の淵に叩き落とすのは少し過激かもね」

 

「だが、あれも自分の力を過信せずにここまで来ている。可能性と言う点であれば零ではあるまい」

 

「詳しい事は知らないけど、それは希望が高すぎるさね。少なくともA級リーグでも上位の人間でギリギリ可能性が見込めると考える方が正しいと思うけど」

 

 寧音の言葉に黒乃は改めて舞台を見ていた。

 お互いが動く気配は無いものの、見えない部分ではどうやって攻撃をするのかを考えている様にも見える。

 既に抜刀絶技を行使した為に星屑の剣は視認できない。このままでは時間だけが悪戯に浪費する。誰もがそう考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、ここまで違うとは……」

 

 カナタは内心で思った事が少しだけ口から漏れていた。

 元から隔絶した差があるのは理解していたが、自分が視認する前に攻撃を受けるとは思っていなかった。

 今回の戦闘までに自分で出来る限りの事をしてきたにも拘わらず、最初からそんな事を感知しない程に攻撃を加えた事は想定外だった。それと同時にまるで存在感を示すかの様に左腕は痛みを訴えている。

 自分の感覚では少なくとも左腕を動かす事は出来ないとだけ理解していた。

 これまでにカナタは刀華から抜き足による一連の攻撃を体験している。

 自身の知覚外からの攻撃を察知出来たのはこの戦いの前日だった。いざ対峙した瞬間、青龍の姿を捉える事は不可能だった。瞬時に繰り出された攻撃は確実にカナタの肉体に多大な損傷を与えている。それと同時に放たれた言葉は明らかに自分に対して手加減をしていると言外に伝えていた。

 

 

 

「さて、ここで選択肢だ。ここから地面に沈むのか、それとも抗うのかを選べ。どちらにしても抗うのであれば苦痛だけが残る事になるがな」

 

 青龍の言葉はこれまで暮らしていた龍玄の言葉とは大きく異なっていた。

 何も知らない人間からすれば別人とも取れる程の違い。事実、青龍は未だ固有霊装を顕現すらしていない。

 本来であれば有りえない行為ではあるが、今の状況でそれを口にすれば、自分は明らかに格下であると公言するのと同じ。それと同時に、そこまでの価値は無いと言われているのと同義だった。

 此方の都合に合わせているからなのか、攻撃の意思は殆ど感じられない。だからこそカナタは抜刀絶技を行使する事によって、反撃を試みていた。

 

 

「地面に沈む選択肢はありません。ここから反撃させて頂きますので」

 

「そうか……だとすれば、瞬時に楽にしてやれる事だけがこちらの温情だな」

 

 既に周囲には粒子化した刃を展開している。このままこちらに突っ込んでくるのであれば微粒子は体内へと侵入し、内側から喰い破る。その結果として大量の吐血と共に地面に沈むのは既に定番の戦闘法だった。

 本来であれば多少なりとも躊躇するはず。しかし、目の前の青龍はそんな事すら気にしないと言わんばかりに行動を開始していた。

 

 気が付けば構えた先にある拳に視認できない程の圧力を感じる。少なくともカナタだけでなく、学園内の人間でその行為が何を意味するのかを正しく理解した人間はいなかった。

 

 

 

 

 

「このまま沈め」

 

 青龍は一言だけ吐き捨てるかの様に呟いた瞬間だった。

 先程構えていた拳は何もない空間に突き出される。本来であればそれが意味する事が何なのかを理解する事は出来なかった。

 しかし、青龍が態々無意味な行為を戦闘中にする事は無い。それを悟ってのは大気が破裂した様な感覚を捉えたからだった。

 防御の様に展開した星屑の剣は対象が大気だった為に、反応する事無くそのままカナタへと通してしまう。

 幾ら防御の為とは言え、粒子に隙間が無い訳では無い。全てをすり抜けたそれは威力を落とす事無くカナタへと襲い掛かっていた。

 大気の塊はそのまま反応出来ないカナタの腹部へと直撃している。

 大気すら攻撃手段に成り代わる。青龍が放ったのは単なる体術でもある『遠当』だった。

 直撃した事によってカナタの躯体は再度呆気なく弾き飛ばされる。先程と同じ様に見えるそれは明らかに異質な光景だった。

 

 

「まだまだ………」

 

 大気の塊を直撃した事によってカナタの口からは一筋の赤が流れていた。

 本来であれば粒子化したそれは成人男性を軽く持ち上げる程の能力が存在する。しかし、青龍が放った大気の塊は通常の攻撃とは違い、隙間があればそのまますり抜けていた。

 完全な壁であればそのまま弾けるが、隙間がある以上、多少の速度が落ちる程度。それと同時にただでさえ見えにくい大気はすり抜けた事によって散弾の様に襲い掛かっていた。

 よろめきながら立ち上がるも、カナタは事実上の満身創痍となっている。

 気が付けば身に着けている服も散弾となった大気の影響で幾重にも斬り刻まれていた。

 

 何をしたのかを理解は出来なくとも、その攻撃が何をしたのかだけはかろうじて理解している。不可視の攻撃と自身の防壁を容易く抜けられた事で思考が硬直する。

 青龍の前での思考の停止は死に繋がっていた。

 

 

「ほう……まだやるのか?」

 

「折角ここまでしたんです……から」

 

 息も絶え絶えにカナタは辛うじて今の態勢でいる事しか出来なかった。

 どれだけ思考を続けても、勝てるのはおろか攻撃すらまともに与えるビジョンが一切浮かばない。自分は一体どれほどの相手に対しそう考えたのだろうか。カナタの心中は徐々に後悔に苛まれ様としていた。

 

 

 

 

 

「一つだけ聞こう。何故そうまでして戦いたいと思った?」

 

「何故……」

 

「考え無しに戦うはずが無い事は理解している。当然何かしらの思惑があっての事だろ?」

 

 青龍の言葉にカナタの中で少しだけ後悔の感情が薄れ始めていた。言われるまでもなく、本来のスケジュールであればカナタの白星で終わる。

 にも拘わらず、今回の戦闘に於いてはどちらが勝とうがお互いに黒星が付くのは既定路線。冷静に考えればカナタには何一つ利が無い事は明白だった。

 そんな経緯を青龍が知る由も無い。その質問に対し、カナタは改めて自身の中での感情を思い出していた。

 

 

「私は……私の騎士道はこれまで家の為だと信じてやってきました。勿論、その考えは今も変わりません。ですが、その内容は大きく変わりました。私自身が私と言う物の価値をチップにどこまでやれるのか……ただそれだけが知りたかったんです」

 

 カナタの中に後悔の文字は既に消え去っていた。思いを口にした事によって改めて自分の掲げた目標に向けただ只管に進むのみ。どれだけ泥臭くなろうが、どれ程みすぼらしくなろうが、自分の決めた道を愚直に歩む。その先に障害があったからそれに挑む。それだけの話だった。

 

 

「そうか……ならば真の意味での世界を知ると良い。これで終いだ」

 

「させません!」

 

 カナタの言葉に何かを見出したのか、青龍は再度姿を消すかの様にその場から姿を消し去っていた。

 『斬影』による移動はカナタの想像が正しければ目の前に障害があれば自滅するはず。半ば無意識の内に、粒子化した刃を全て自身の前に壁として立てる。カナタだけでなく、観客席にいた黒乃や刀華もまた同じ事を考えていた。速度が出た移動術はその速度によって身を滅ぼす。カナタの乾坤一擲の攻撃を予測したのか目を見張ったままだった。

 

 

「中々良い判断だったな。だが、思い込みは命取りだ」

 

 姿を消し去る程の速度を出した事によって半ば自滅を誘ったまずの攻撃は、まるで事前に予測したかの様に完全にすり抜けられた感覚だけが襲い掛かっていた。

 カナタの目の前に出した防壁に手応えは感じられない。僅かに聞こえた声はカナタの左耳から聞こえていた。カナタが意識と保っていたのはここまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カナタと青龍の戦いを見た刀華は全身が粟立ったかの様な感覚に支配されていた。

 結果的には防戦一方ではあったものの、その戦いを見れた事に感謝していた。

 それと同時に、お互いの状況はまるで異なっている。かたや満身創痍、かたや何も無かったかの様に。あまりの差にどれ程上を見れば良いのかを少しだけ考えていた。

 

 事実、破軍に限らず学園を卒業した後の進路はそれぞれの置かれた立場によって大きく異なる。戦闘系の技能を持つのであれば、目指すのはKOKのA級を頂点としたリーグへの参戦。もしくは他の闘神リーグや、魔導騎士へとなる事が事実上の既定路線だった。

 事実、刀華もまた同じ事を考えていた。しかし、今回の戦いを見る限り、本当に自身がその頂きを目指す事が可能なのかを改めて考えていた。

 

 冷静に考えても風魔の人間は間違い無くどちらのリーグでも頂点を狙う事が出来る。しかも、今回の戦いですら抜刀絶技を一切見せていない。

 それどころか固有霊装すら顕現していないのは、単純にそこまでする必要が無かった事の裏付けだった。

 冷たい汗が形の良い顎を伝って地面へと垂れる。元々隔絶した差があるとは思っていたが、まさかこれ程だとは思わなかったからなのか、刀華は自身が考えていた頂きがどれ程高い位置にあるのかを改めて考えなおしていた。

 

 

「流石にあれだけの差を見せられれば考えるのは当然だろうね」

 

「西京…先生……」

 

「因みに言っておくけど、A級リーグでもあれとまともに闘える人間はそう多く無いから、安心しなよ」

 

刀華の意識を現実に寄せたのは寧音の一言だった。驚きのままに刀華は寧音の顔を見る。直接の関係は無いにせよ、事実上の同じ師である為に他人の関係ではない。だからなのか、刀華は寧音の浮かべた表情に疑問を持っていた。

 

 

「あの……それは……」

 

「実に簡単な話さ。あれと私達を同じ土俵で考えたらダメって事さ。事実、私も青龍には勝てない。こう言う言い方は好きじゃないけど、KOKは命の保証はされてる。勿論、過酷だと言われる闘神リーグでさえも最低限の規律はあるんよ。

 でも、あれらにはそんな規律は何一つない。事実上の裏に生き、裏に消えていくんよ。一緒だと考えない方が身のためかもね。誰もが水面に映った月を取る事が出来ないのと同じって事」

 

 寧音の表情は少なくとも学園内でも見た事が無い表情だった。幾ら上を見ようが、その上は実在するのかと言われれば何も言えなかった。目標にするにしても高すぎれば自身の立ち位置を見失う。まだ学生の刀華は知る必要が無い。それをやんわりと忠告していた。

 



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第21話 戦闘の後で

 事実上の観客が不在となった戦闘は、時間にしてそれ程経過するまでも無いままに終了していた。

 元々時間外である為に、長時間の訓練場の使用は、流石に黒乃が許可したとしても安易に使用する事が躊躇われる。

 そんな立場にあっても規律を正しく守るからこそ利用する事が出来る。そんな思いを考えれば、青龍とカナタの試合時間は予想を遥かに下回る時間だった。

 横たわったカナタはそのまま医務室へと直行する。既に時間も遅い事から、そのまま解散となっていた。

 

 

 

 

 

「……ここは、医務室ですか」

 

 これまで閉じていた瞼が開いた先にあった光景は学園内の医務室の天井だった。

 ゆっくりと上体を起こしながら、カナタは少しだけ物思いにふけっていた。どれ程の時間を戦っていたのかは分からないが、少なくともカナタが経験した中でも確実に一番だと言える程濃密な時間を過ごしたと考えていた。

 

 少なくとも、これまでに知覚外からの攻撃がどんな物なのかは刀華の使う抜き足からも理解している。しかし、青龍が使用したそれはそんな業すら陳腐だと思える程だった。

 抜き足の様に人間の潜在的な知覚を外す事によって仕掛けるそれは、最悪でも命の危機が迫る直前の段階で気が付く物。しかし、オープニングで食らった攻撃はそんな命の危機すらも感じさせない程に圧倒的だった。

 

 初撃を防いだのは偶然に過ぎない。右手に自身の固有霊装でもある『フランチェスカ』を持ち、構える様に左腕を曲げた部分に衝撃を受けただけだった。

 本来ならばその一撃でさえ、攻撃のタイミングを読む事によって攻撃の力を分散、若しくは逃がす事で最小限度に被害を抑えるはず。しかし、青龍が放ったそれはそんな事すら許さないとばかりに直撃を受けていた。

 

 上腕の骨が折れると同時に、その衝撃は体内にも襲い掛かる。不可避の攻撃を受けた時点で勝敗は決していた。

 痛みを抑えながら動くにも完全に左腕は死んでいるのと同じ。動かないそれは単なる弱点でしかなかった。

 時間の経過と共に記憶が徐々に蘇る。確かに負けを前提で戦うのは言語道断だが、あの戦闘技術を考えればそれも仕方ないと考えさせられる内容だった。

 気が付けばカナタの手にはポタポタと雫が落ちている。それが自身の涙であると分かるまでにそれ程時間は必要無かった。

 

 

「あら?もう起きてて大丈夫なの」

 

「え……朱美さん?どうしてここに……」

 

 突然の声にカナタも思わず流れた涙が引っ込んでいた。

 ついさっきまでこの部屋には誰もいなかったはず。幾ら精神状態が不安定だとしても気配の一つ位は察知出来るはずだった。突如現れた事に驚くも、カナタのその表情は先程まで落ち込んだそれとは違っていた。

 

 

 

 

 

「なるほどね………」

 

 朱美の声にカナタは改めて自身が何も出来ないままに敗れた事を実感していた。

 こちらから挑んだにも拘わらず、何も出来ないままの完封負けは屈辱以外の何物でもなかった。

 勿論、自分と青龍の戦闘力がかけ離れている事は理解している。しかし、今回戦った事によってその隔絶した差がどれ程開いているのかを確認する事すら出来なかった。

 関係者が殆ど居ないから、外聞を気にする必要は無いと考える事も出来るが、少なくともカナタの胸中にはそんな考えは微塵も無かった。

 

 初めて対峙した際には何も分からないまま捉えられた為に、実際にどれ程違うのかを図り知る事は出来なかった。しかし、今回の件に関してはその内容は大きく異なる。

 これまでの様に想像の域を越えなかった事実が白日の下に晒された以上、その差を埋める事が不可能であると本能的に感じ取っていた。

 不意に過る父親の言葉。どんな目的があるのかは考えるまでも無いが、それでも出来る限り、対等の状態でいたかった事は紛れもなく事実だった。

 そんな思いが口から零れる。そんなカナタの独白に近い物を聞いたからなのか、朱美は端的に返事をするしか出来なかった。

 

 

「朱美さん。少しだけ教えて欲しい事があります。青龍の立ち位置は風魔の中ではどうなんですか?」

 

「立ち位置?」

 

「はい」

 

 カナタの言葉に朱美は少しだけ思案していた。

 元々風魔の内情を話すつもりは毛頭無い。事実、今ここに居るのも偏に今回の報酬の件で来ているだけであって、メンタルケアの為ではない。

 今回の報酬に関しては確実にカナタの会社から出るのは決定しているが、最終決裁者でもあるカナタにも念の為に耳に入れておこうと考えただけに過ぎなかった。

 そんな中でカナタの心中を察した朱美も、どう返事ををすれば良いのかを考えていた。

 下手に事実を隠した所で、恐らくは何らかの手段で調べる可能性が高い。

 勿論、風魔の中でも情報を扱う朱雀の立場から考えれば一般の中で手に入る情報は誰もが知る程度の中身。今後の事を考えれば、完全に秘匿するよりも多少の情報を後悔した方が信用されるであろうとの判断もまたそこにあった。

 

 

「そうね……立場と言うならば、『四神』と呼ばれるのはあくまでも組織の長としての記号って事ね。実際にはそれぞれの役割があるから一概には言えないけど、青龍はそんな中でも現場の担当。こう言う言い方は好きじゃないけど、少なくとも学生程度、いえ、闘神リーグ程度なら引けはとらないでしょうね」

 

「そう……ですか……」

 

 朱美の言葉にカナタは自身の想像の範疇を簡単に越えていた事を実感していた。

 元々隔絶した差があるのは理解していいたが、闘神リーグを例に出された事によって、漸くその言葉の意味を理解していた。

 

 元々KOKと闘神リーグは内容は大きく異なっている。洗練され、全てに於いて十全の実力を発揮できるようにお膳立てされたKOKとは対照に、闘神リーグは完全に己の実力だけが全てとなっている。

 戦いは常に決められた場所だけではない。夜討ちや策動など、勝つためにはありとあらゆる事を想定する為に、ある意味では能力ではなく、純粋な生存と戦闘能力を誇る事が出来る人間だけが許される場所。

 そんな過酷な内容すらも凌駕するのであれば、その実力の一端は簡単に見て取れていた。

 

 

「最近だと、貪狼学園の倉敷蔵人だったかしら。事実上の一撃らしいわよ。思ったよりつまらなかったって聞いているわね」

 

「倉敷蔵人がですか……」

 

「詳しい事は知らないけど、私が見た時には既に満身創痍って感じだったかな。本当の事を言えば、七星剣舞祭の上位陣程度は子供扱いね」

 

 朱美の言葉にカナタは自分の友人の事を思い出していた。

 元々昨年の七星剣武祭で刀華が上位に食い込んでいる。勿論そこには戦術も存在する為に、一概に優勝した=一番強い訳では無い。

 それぞれの戦い方を研究し、常に進化を続けている。だからこそ、その対戦相手によっては己の順位も異なるのがそれぞれの見解だった。

 

 血が滲む程の努力を続け、それでもなお子供扱いとなれば、それが何を意味するのかは言うまでもない。それと同時に昨年のベスト8を一撃で終わらせるとなれば、それがどれ程の物なのか。

 そんな朱美の言葉にカナタは少しだけ言いようの無い雰囲気を纏っていた。

 

 

「でも、詳しい事は本人から聞いたらどう?」

 

「えっ………」

 

 まるで来る事を予測したかの様に医務室の扉が開く。まさかここに来るとは思わなかったからなのか、扉の向こう側に居たのは風間龍玄だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだった?」

 

 龍玄は医務室に来てから殆ど口を開く事は無かった。元々青龍として戦った以上、いきなりこんな状態になれば誰もが気分が良いとは言えない。

 ましてや圧倒的な実力を見せた後なだけに、お互いが無言のまま時間だけが過ぎ去った時だった。

 

 

「そうですね……予測を遥かに越えた高い頂でした」

 

「朱美が何を言ったのかは知らないが、俺達はそもそもこんな場所に留まる必要は無いからな。今回の件に関しては依頼だったからそれなりに見せたが、本来であればそこまでする事は無い」

 

 龍玄の言葉をカナタはただ黙って聞くしかなかった。何か反論するとかではなく、純粋に話しを聞く。

 これまで身近に居たにも拘わらず、実際には何も知らなかった事を鑑みた結果だった。

 

 

「俺達は傭兵だ。幾ら戦場で戦う力があっても、それだけが全てではない。当然命を狙うのであればその逆もまた然り。人数を常に絞る以上は一つの所に留まる事はしない」

 

「だったら……愚問でしたね。一つだけ聞いても良いですか?」

 

 龍玄の言葉にカナタは自身の事があったからこそ今に至る事を一番理解している。言われるまでもなく任務を依頼し報酬が必要とされるのであれば、ある意味では当然だった。

 幾ら契約と言えど、戦場での口約束であればその限りではない。その中に自身の都合が一切含まれていない事にカナタは少しだけ残念だと思う部分があった。

 あくまでも報酬の回収先が偶然この学園の生徒であって、それ以外は無駄だと切り捨てている様にも思える。自分の置かれている環境も影響しているからなのか、カナタは居た堪れない気持ちだけがそこに存在していた。

 だからこそ、その真意が知りたい。カナタの口から出た質問はその思いそのものだった。

 

 

「何だ?」

 

「仮にですが……仮に今直ぐ報酬を回収したらどうするつもりですか?」

 

「それこそ愚問だな。今回の件は未払いの報酬の回収が優先されている。小太郎からの命は回収だけだ」

 

 本当の事を言えば最低でも一年はここに居る必要があったが、今のカナタにそれを説明する必要は無かった。

 そもそも小太郎の目算では回収の最短の目途は十ヶ月程。今の会社の経営状態を考えての結論だった。仮に時間がかかったとしても精々が二年。

 時間の制限に関してはカナタも知っている為にそれ以上言うつもりは無かった。

 

 

「それは、学園を去ると言う事ですか?」

 

「当然だ。ここに俺が学ぶべき物は何一つ無い。時間の無駄だ」

 

 切って捨てた言葉にカナタの表情は少しだけ曇った様にも見えていた。元々戦場での邂逅が無ければお互いの道が交差する事は無かった。

 かたや貴族の令嬢。かたや傭兵。裏の世界で名が通る人物との接点など、本来であればありえないはずだった。互いの利が交わった今が現在である以上、交差した道は互いが離れるのは道理だった。

 

 

「ですが、ここでは価値ある出会いもあるはずでは?」

 

「価値があるかどうかを決めるのは俺自身だ。お前が決める道理は無い」

 

 どこか拒絶された様な物言いは少なくとも先日までの様子とは異なっていた。戦いの後で昂ぶったままなのか、それともこれが本当なのかを知る術は無い。これ以上の会話を続けるのは、どこか危険な様にも感じていた。

 

 

「分かりました。ですが、私も同じ部屋に住んでいますので、明日からはまた同じ様にお願いします」

 

「気にするな。元より今回の件に関しては試合や死合だとは思っていない。まずは寝る事で体力の回復を優先させる事だな」

 

 龍玄の言葉に本来であれば憤りを覚えるはずだった。しかし、初撃の時点で確実に生かされているに過ぎない事はカナタ自身が一番理解している。

 隔絶した戦力差と同時に手加減させている事実が、あの戦いの雄弁に物語っている様だった。

 龍玄はそれだけを言うと医務室から去っている。残されたカナタは夜空に浮かぶ月を見ながら少しだけ物思いにふけっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかああまで一方的になるとは思わなかったな……」

 

「う~ん。普段を知ってるだけにその言葉は何とも言えないね」

 

 あの戦いを見た黒乃もまた寧音と改めて感想とも取れる内容を思い出していた。

 元々学生でも戦場に出る事が可能だからこそ特例措置としてこれまで魔導騎士連盟から要請があった際に送り出していた。しかし、世界の広さを改めて実感すると同時に幾つかの気がかりな事もあった。

 あれ程隔絶した実力を持つにはどれ程の研鑽を積んだのだろうか。それと同時に戦いの最中、青龍が攻撃をするしないに関係無く、一切の攻撃をする意志を感じる事が出来なかった事実に黒乃は驚きを覚えていた。

 幾ら戦闘力に大きな差があろうとも、攻撃の瞬間程度は自分の明確な意志が見え隠れする。事実、それが闘志となって表れ、脳内からもドーパミンが大量に出る。

 その結果として集中力が高まる事実があった。しかし、青龍はその戦いの最中であっても、高揚したり興奮する事無く冷静に対処している。

 あれでは幾ら先読みが可能だと言う人物であっても苦戦するのは予測出来ていた。

 それと同時に初めてあった風魔小太郎の存在に黒乃は心底恐怖感が先に出ていた。動く物は赦さんと言わんばかりの気配に誰もがその場で立ち尽くす。それが黒乃が抱く風魔小太郎と言う人物像だった。

 

 

「なぁ、寧音。私が仮に現役だったと仮定してどうだ?」

 

「……どう…ね…」

 

 黒乃の真剣な表情に寧音もまた何時もと違い真面目な表情となっている。黒乃が言う所のどうだが意味する事は分からないでもなかった。

 仮に何かしらの介入があった場合、確実にここの教員では太刀打ちはおろか、攻撃すら与える間もなく殲滅されるのはある意味当然の事だった。

 本来であれば学園内に侵入した時点で黒乃は排除する必要があった。しかし、小太郎だけでなく隣にいた人物から感じたのは気配などと生易しい物ではない。

 死を身に纏う様な存在に対し、今の黒乃には勝てるビジョンが全く浮かばない。今回の様な件があった場合、果たしてまともに太刀打ちできるのかすら怪しいと感じていた。

 

 

「遠慮する事はない。私とお前の仲だ。忌憚の無い意見が知りたい」

 

「まぁ……無駄だろうね。ねぇくーちゃん。これから言い難い事言うけど、怒らない?」

 

「怒る要素なんて無いさ」

 

「……秒殺さね。小太郎は『魔人(デスペラード)』の領域に住んでいる。少なくとも理知的に暴力を振るうだけでなく、相手の痛い所を確実に突いてくる。

 今のくーちゃんが仮に現役だとして、大事な物を天秤にかける事が出来る?それも確実にどちらかを失うとなったら?」

 

 寧音の言葉に黒乃は何を指しているのかを理解していた。

 天秤にかけるのは己の家族か学園の維持か。相手が風魔小太郎と言う人間であれば少なくともこちらの弱点を知った上で攻撃していくるのは当然だった。

 天秤にかけるとなれば、幾ら力があろうともどちらを取るのか厳しい選択を余儀なくされる。それを知っているからこそ寧音は珍しく前置きをしていた。

 

 それと同時に黒乃には言っていない事実。片方だけが助かる事案は結果として両方とも失う。如何なる状況下であろうと、自分達に何らかの刃を向ける可能性がある物は確実に根切で対処する。それが自分達の安全を確実にする手段でもあり、当然の処置。

 その時点で最初から詰んでいる事実は言わない方が良いだろう。少なくともそう考えていた。

 

 

「成程な。言いたい事は分かった。少なくとも私にはどちらも大事だ。選択肢を取る時点で負けだろうな」

 

「少なくとも、こちらから何かをしない限りは大丈夫。私はそう考えてる」

 

「そうか……済まない。参考になった」

 

 照明が点いていないからなのか、何時も以上に月明りが眩しく感じている。時間は既にそれなりの時間に差し掛かってはいたが、今はそんな明かりだけでも十分だった。

 寧音の言葉に改めて黒乃は今後の事を考えていた。

 元々イレギュラーな試合ではあったが、お互いが決められた戦いでしかない。序列二位が子供扱いであれば、一位の刀華はどうなんだろうか。

 そんな取り止めの無い考えだけがぼんやりと浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの時とは全く違っていたんだ……」

 

 青龍とカナタの戦いを見た後、刀華は人知れず自身の固有霊装でもある鳴神を顕現し、少し身体を動かしていた。

 元々カナタの固有霊装との相性が悪い事は予測していたが、まさかああまで一方的だとは思ってもいなかった。

 手折る時間を与え、抜刀絶技を繰り出してもその上を易々と超えていく。元から差があった事は理解したが、まさかあれ程だとは思っていなかった。

 

 素振りをした事によって額に汗が滲んでいる。しかし、あの戦いを見た後ではその熱も直ぐに冷たい物へと変化していた。

 圧倒的な実力を垣間見ただけでなく、少なくとも青龍よりも小太郎の方が格段に上であるのは間違い無い。自身の渾身の抜刀術があれ程簡単に撃ち落とされたのは偶然ではなく必然。

 それと同時に、カナタから聞いた話を統合すれば居合い術の様に相手にも見る時間を与える攻撃は全て自分に跳ね返ってくる。

 一撃必殺の刃は敵に向くはずが気が付けば自分に向くとなれば、もはや攻撃としての価値は失われているのと同じだった。

 

 

「あの戦いを見て何を感じた?」

 

「……風魔小太郎。何故ここに?」

 

 突然聞こえた事に刀華は直ぐに意識が戦闘モードへと切り替わっていた。

 幾ら暗闇で見えないとは言え、こうまで接近を許す事はこれまでに殆ど無い。常に周囲に張り巡らした意識を飛び越えた人物は漆黒の仮面を付けた人物だった。

 思わず漏れた名前に刀華は冷たくなった汗が一気に噴き出る。

 小太郎は構えすら見せていないにも拘わらず、刀華が攻めるだけの隙はどこにも見えなかった。

 

 

「態々お前如き人間の為に来た訳では無い。自惚れるのもいい加減にするんだな。それとその程度の剣技では傷一つ付けることは不可能だろう」

 

 歩みが止まることなく小太郎は当然と言わんばかりに刀華へと近づく。

 仮面を付けている為に視線がどこに向かっているのかは一切分からない。刀華の意志など最初から無いかの様に一歩一歩澱みなく近づいてくる。

 気が付けば既に刀華の必殺の間合いに完全に侵入していた。

 

 

「だったら試してみますか?」

 

 既に刀華は鳴神を腰だめに、いつでも抜刀出来る態勢を作っている。

 自身の抜刀絶技を叩き込めば幾ら小太郎と言えど傷の一つ位は着くはず。そう思いながら視線を小太郎に固定したまま右手はそのまま左にある柄へと伸びていた。

 

 

「別に構わん。そんな鈍刀が届くとでも思うのか?」

 

「やってみないと分かりませんよ」

 

「…愚か者が……相手の力量すら判断出来ん者がどうやって生き残れる。やるならば命を賭けてくる事だな」

 

 本来であれば小太郎の口上を聞く前に抜刀すれば良いはずだったが、刀華はまるで金縛りにでもあったかの様に動く事は出来なかった。

 相手から感じるはずの気迫が一切無い。まるで周囲に溶け込んだかの様にも感じるからなのか、刀華は僅かに迷いを持っていた。

 

 既に間合は致命傷を当てる距離まで接近している。ここで何も出来なければ自身が更なる高見を目指す事が出来ないと自身を鼓舞していた。

 瞬時に脳内で勝利へのシミュレートが繰り返される。幾ら攻撃を繰り出そうが待っているのは自身の胴体が横一文字に切り離れる未来だけだった。

 心臓の音がやけに煩く感じる。本当に大丈夫なのか、それとも回避されるのだろうか。今の刀華には無情な選択を余儀なくされていた。

 

 

「どうした?まだ不様な抜刀術に頼るのか?」

 

 刀華の視界に入る小太郎は未だ構えすら作っていない。仮にここから仕掛けたとしても絶大な自身があるからなのか、刀華の事など最初から視界にすら入っていなかった。

 

 

「不様かどうかは一度、自身の目で確かめたらどうですか?」

 

「見え透いた挑発は命取りになる。こちらとしては構わんが、大事な物は失いたくは無かろう。で、どうする」

 

 その瞬間、まだ距離があったはずの小太郎の腕は既に刀華の右手を握っていた。

 瞬時に近寄った事実を感じる事が出来ないままの接近。柄を握ろうにも小太郎の力の方が強いからなのか、刀華の右手が動く事はなかった。

 

 

「人生の中で命を賭ける戦いは一度きり。未熟なままに死を選ぶのならばそれでも構わんが、どうする?」

 

 再度同じ質問をしながら右手を封じられた刀華は何も言葉を発する事が出来ないままだった。

 漆黒の仮面の向こう側の表情をうかがい知る事は出来ないが、その口調と未だ動かす事が適わない力強さは刀華の戦意を失わせる。

 このまま強引に持って行く事も不可能ではないが、その次に待っているのは自身の明確な死。どれほど研鑽しようが、まるで無意味だと言わんばかりの動きだった。

 

 

「………まだ己の力量を把握していないのか。師でもあるあれも老いたか」

 

 自身の師でもある南郷虎次郎の名前が出た瞬間、刀華はやり過ごす選択肢を放棄していた。

 右手ではなく左手に力を入れ、刀を抜くのではなく鞘を引く。煌めく刃が見えたのはそこまでだった。

 突如刀華は腹部に激しい衝撃を受ける。空いている反対側の手はそのまま刀華の腹部を貫く寸前だった。

 拳から発生した衝撃が刀華の内臓にダメージを与える。本来であれば衝撃を受け止めるのではなく流す事を優先する為に、敢えて後ろに飛ぶはずだった。

 しかし、完全に右手を握られている時点で衝撃はそのまま刀華の体内で暴れ狂う。

 鍛え上げられた腹筋など無意味とばかりに衝撃は完全にダメージへと転化していた。

 口から出る赤はどこからの出血なのかすら判断出来ない。しかし、完全に逃げる事を封じられたからなのか、刀華は睨む事しか出来なかった。

 

 

「貴様が激情にかられ刃を振るった所で、所詮はその程度の存在だ。あれと比べるつもりは最初から無い。今回の件は特別に見逃してやろう」

 

 拳が刀華の腹部からゆっくり離れると同時にまるで自分の言う事など聞くつもりは無いと言わんばかりに膝から崩れ落ちる。

 元々小太郎の氣に当てられた結果ではあったものの、隔絶した差は刀華の失っていく意識の向こうで感情を持ちながら消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃の夜が過ぎ去り、本来であれば有るべき試合は元から無かったかの様にお互いが棄権によるドローは、学園内部でも色々と物議をもたらしていた。

 風間龍玄はこれまでに経過を考えれば既に欠席である事実は誰もが知る部分ではあったが、それよりも問題だったのは貴徳原カナタの棄権だった。

 

 表面上は自己都合による棄権ではあるが、実際には昨晩の中で決着が着いていると同時に、特別に開催した試合の対価として互いに黒星が付く事が発表されていた。

 これまでに棄権で星勘定が動く事はあったが、カナタの場合はこれまで無敗であったと同時に、ここで黒星が付いたとなれば今後の出場権を賭けた戦いは更に激化するのではと予測されていた。

 一部の人間はその事実探るべく色々と調べる事を優先したものの、肝心の当事者が互いに居ない時点でそれ以上の追及は不可能になっていた。

 それは出場者にも影響が出る。候補の人物が脱落したとなれば少なくとも現時点で無敗の人間が出場に大きくリードしているのと同じだった。

 

 

「…………」

 

「イッキどうかしたの?」

 

「大した事じゃないんだけど、今回の予選会って従来よりも一試合少なかったから、念の為に誰の対戦だったのかを知ろうかと思ってね」

 

「そんな事してどうするの?」

 

「何となく気になったんだ。少なくともこれまでの試合は常に同じ数が大戦カードとして組まれていたんだけど、今回に限っては試合数が少なかったから気になったんだ」

 

 一輝の言葉にステラも改めてこれまでの事を思い出していた。

 元々一輝もステラも今日は試合が組まれていない。詳細はともかく、それが誰なのかを知る必要があった。

 基本的には予選会は三日に一度の割合で組まれる様になっている。となれば一つのサイクルが出来上がっていると一輝は判断していた。

 それと同時に、そろそろ勝敗の多寡ではなく、無敗の人間の数が増えている現状は、今後は負ける事を許されない戦いに雪崩れ込むのと同じだった。

 幾ら恋人同士であっても戦いの場に於いてはステラもまたライバルとなる。

 特に自身の卒業に於いては七星剣武祭の優勝が最低条件となっている為に、情報の収集は必然だった。

 生徒手帳を眺めながら対戦数を確認していく。その中で一人の名前に目が止まっていた。

 

 

「イッキ。どうかした?」

 

「……可能性としてなんだけど、恐らく今日のあったはずの対戦カードが分かったんだ。でも、どうしてなんだろう……」

 

 一輝が懸念したのはある意味当然だった。これまでに行われた試合数から割り出せば、そこに浮かんだのは一人の名前。貴徳原カナタの名前が浮かび上がっていた。

 これまでに一度も負ける事無く予選会を勝ち抜いている。この現状では学園序列二位の人間が黒星を持っているのは大きな意味合いを持っていた。

 現時点で負けが付かない人間も試合が進めば互いに星を潰し合う。その時に黒星がついているとなれば即脱落の可能性もあった。

 理由はどうであっても一輝にとっては僥倖でしかない。少なくとも今のままの状態が続くのであれば自身の未来もまた大きく前進するのは当然だった。

 

 

 



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第22話 再戦

 幽玄を思わせる様に、蝋燭に灯された炎は小さく蠢いていた。

 一定の間隔で設置されているそれは全部で十本。本来であれば明かりの為の物であったが、用意されたそれは本来用途に使用するのではなく別の事で使用される。まるでそれを示唆するかの様に一直線にメートル間隔で並べられていた。

 その前にそびえ立つのは一人の男。僅かに足を広げ、普段であれば構えすらしないはずのそれは、珍しく集中していた。

 半身に構え、拳に全てのエネルギーを凝縮するかの様に何かが集まっていく。時間にして然程必要とせずに、男は全身を発条の様に連動させ、その運動エネルギーを余すことなく拳へと連動させる。

 まるで当然だと言わんばかりに突き出した拳は全ての蝋燭の炎を瞬時に消し去っていた。

 

 

「相変わらず出鱈目なやり方ね」

 

「遠当はまだ未完成だ。まだ時間がかかり過ぎる」

 

「それでも十分過ぎると思うんだけど」

 

「現状で満足は無理だな。停滞は衰退と同義だ。少なくとも如何なる状況下でも出来ない事には無意味だ」

 

 誰も居ないはずの道場に突如として女性の声が響いていた。

 本来であれば警戒するはずだが、声の主を知っているからなのか、何時もと何も変わらない。改めて龍玄は消え去った蝋燭を見ながら用意した一振りの刀を持ち出していた。

 

 

「そう言えば、あの後はどう?カナタちゃん、元気にやってる?」

 

「……お前には関係無い事だろ」

 

「そう?折角あれだけお膳立てしたのに?」

 

「何がお膳立てだ。お膳立てしてたら涙がどうして流れる」

 

「それは私の口からは言えないわね」

 

 声の主は十六夜朱美だった。道場は以前に接収した物を改装したからなのか、まだ龍玄以外の人物がここに足を運ぶ事は無かった。

 改修工事が完了したのはつい先日。未だ目覚める事がない道場の所有者を尻目に龍玄は多額の費用をかけ、改修していた。

 朱美との話をしながらも、龍玄は先程と同じ位置に立つ。納刀された刀は普段から鍛錬に使用している物と同じ物。通常の刀とは違い重量があるからなのか、手に持った重みは存在感を示している様だった。

 

 居合いの構えを取ると同時に、龍玄は自身の内なる力を呼び起こすかの様に構える。気配すら感じさせないそれはまるで周囲と同化したかの様に感じた瞬間だった。

 瞬時に放たれる閃光。まるで事前に切られたかの様に蝋燭は七本までが真横に切られ、音を立てながらそのまま床へと転がっていた。

 

 

「で、今日は何の用件だ?」

 

「大した事は無いわ。ただ改修が終わったって聞いたから顔を出しただけよ」

 

「そうか……で、そっちはもう良いのか?」

 

「私は今日は休暇よ。他の人間と交代したのよ」

 

 龍玄は朱美と話をしながらも剣閃で蝋燭を切断したまでは良かったが、残りに関しては斬れる事無く倒れていた。

 遠当と同じ様に斬撃を飛ばす事が出来れば、戦いに於いては多大なアドバンテージを誇る。固有霊装が刀であれば魔力を込める事になるが、生憎と龍玄のそれは刀ではない。

 純粋な技量と僅かに纏う魔力を融合させた物。この場には朱美以外の人間が居ない為に軽く流されたが、何も知らない人間から見れば、驚愕の場面だった。

 その状況を確認し、改めて納刀する。静まり返った空間に響くのは龍玄と朱美の声だけだった。

 

 

「で、本当の所は?」

 

「少しだけカナタちゃんの様子を探ろうかと思ってね」

 

「随分とカナタにご執心だな。どんな風の吹き回しだ?」

 

「…特に気になった訳じゃないわ。ただ、彼女が健気にやってるから少しは力になりたいと思ってね」

 

 朱美の言葉に龍玄はそれ以上何も言わなかった。

 実際に朱雀が正式に依頼を受けたのは設立した会社ではなく、貴徳原財団の総帥からの直接の依頼。幾ら財界に身を置く環境にこれまで居たとしても、間接的な環境と直接的な環境は大きく意味が異なる。

 事実、カナタもこれまでに幾度となくパーティー会場に足を運び、会合に顔を出している。

 肉体的な疲労は直ぐに回復しても、精神的な疲労は早々癒される事は無い。会合は無理でもパーティー会場であれば可能だと判断したのか、総帥は朱雀に対し依頼をしていた。

 当然その事実はカナタも知っている。父親の純粋な気持ちを受け取ったからなのか、カナタもそれ以上口を挟む事無く、現状に甘んじていた。

 

 

「そうか……あまり過度に構い過ぎるなよ」

 

「貴方も大概ね。情でも移った?」

 

「さぁな。だが、この前戦った事によってこれまでとは少しだけ雰囲気が変わったのも事実だ。それ以上の事に関しては俺の範疇を超える」

 

「あら……これを機に女心も学んだら?」

 

「お前がそれを言うのか」

 

「当然じゃない」

 

 お互いがそれぞれの長だからなのか、軽口程度の会話が続いていた。ここ最近は顔を合わせる事が多いが、普段は依頼される任務が重なる事は早々無い。そんな事もあって、内容はほぼ近況報告に留まっていた。

 話をしならがも自身の鍛錬が止まる事はない。まるで日課の様に龍玄は散らばった蝋燭を片付け、次の工程へと進もうとしていた時だった。誰も来ないはずの敷地に人間の気配を感じる。

 龍玄だけでなく、朱美もまた同様に感じ取ったからなのか、少しだけ口元には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、今日は何の用件だ?」

 

「るせぇ!この前の続きをやりに来たんだ」

 

「敗者が何を語っても惨めなだけだ。負け犬の遠吠えに付き合う暇は無い」

 

 静まり返った道場に響く声。本来であればここに居るはずの無い倉持蔵人の声だけが大きく響いていた。

 既に時間もそれなりに経過しているからなのか、空は少しだけ茜色に染まりつつある。この場所に再び来るとは思っていなかったからなのか、龍玄は少しだけ思案していた。

 

 

「……ああ、確かに負けたのは事実だ。だが、あれで終わりだとは思わねぇのも事実だ。俺ともう一度戦え」

 

「…で、対価はどうする?」

 

 蔵人を見ながら龍玄は少しだけ未来の事を考えていた。

 前回戦った際には単純なストレス解消に近い物があった。事実、龍玄の前に蔵人は本当に手も足も出ない程に打ちのめされている。

 この場所は破軍からも距離があるだけでなく、何かと都合が良い場所だった。

 

 密かに考えているのは青龍としての部隊修練の場。その場所に部外者が混じるのは情報漏洩の観点からも良いとは言えなかった。

 仮にこのまま相手をした所で時間は然程必要とはしない。しかし、前回の件を鑑みて今に至るのであれば、今後の事も視野に入れる必要があった。

 

 

「対価だと?」

 

「当然だ。貴様はそれなりに勝とうが負けようが恩恵はあるかもしれん。だが、こちらにとっては貴重な時間をロスしているんだ。対価を求めるのは当然だと思うが?」

 

「……金なら無ぇよ。前みたいな金、どうやって手に入れるんだよ」

 

「だとすれば無意味だな。用意してから出直せ」

 

 前回の請求を思い出したからなのか、蔵人の声に力は無い。幾ら魔導騎士と言えど、学生の身でもあるので用意できないと睨んだ末の言葉。敗者にかける慈悲は何処にも無かった。

 

 

「それじゃ、つまらないわね。どう?以前よりも強くなったと思ったらってのはどう?」

 

「何だ手前ぇ」

 

 突然の朱美の声に蔵人は最初に反応していた。少なくとも蔵人が道場内に入った際には龍玄の気配しか感じられなかった。

 事実、周囲を見渡しても朱美の声はすれど姿は見えない。蔵人は改めて周囲に視線を振る。道場の壁面には腕を組んだ朱美の姿がうっすらと浮かび上がっていた。

 

 

「貴方を助けた者よ。でも、その程度の気配探知じゃ無理かしら?」

 

「なん……だと……」

 

 朱美の嘲笑ともとれる言葉に蔵人もまた怒りが湧いたのか、全身に力が漲っていく。本来であれば、何も感じる事が出来ない程の隠形を身に着けている人間を相手に警戒するのは当然だが、既に怒りに支配された蔵人はそんな思考は既に失っていた。

 時間と共に朱美の姿が浮かび上がる。諜報を得意とする人間からすれば、この程度の隠形は朝飯前とも言える程だった。

 

 

「そうね……龍。鉄砲玉程度には使えないかしら?それなら許可も出ると思うけど」

 

「鉄砲玉か。だが豆鉄砲に必要性は無いだろう」

 

「確かにそうね……でも、その性能を見てからでも遅くないんじゃないかしら?」

 

 最初から蔵人の存在を無視するかの様に龍玄と朱美は会話を続けていた。

 そもそも蔵人がここに来た瞬間をお互いが察知している。だからなのか、まるで最初から居なかったかの様に話を進める。自分の事を完全に無視されたからなのか、蔵人は既に限界を超えていた。

 

 

「お前ら、俺を無視するな。だったらそこの女。俺と勝負しろ!」

 

「あらあら。私は別に良いわよ。龍みたいに金銭のやりとりなんてしないから。それに躾も多少は必要みたいだしね」

 

 怒りに染まった蔵人を見ながら朱美は少しだけ視線を動かしていた。

 元々風魔の人間が通常の伐刀者に負けるはずがない。まるで子供でも相手するかの様に、ただ見ているだった。

 

 

 

 

 

「そうね……私の身体の何処かに攻撃が当たれば、再戦させてあげるわ」

 

 朱美の声に蔵人は激昂したままだった。どれ程の力を持っているのかは分からないが、どんな攻撃も良いと言うのであれば、幾らでもやりようはあった。

 蔵人自身が繰り出す固有霊装『大蛇丸』であれば、通常の刀剣類とは違い、間合は自在に変更できる。ましてや対峙している朱美の手に握られているのは緋色の鉄扇の様にも見える固有霊装。

 銘までは不明だが、少なくとも攻撃の間合いが有利なのがどちらなのかは、考えるまでも無かった。

 

 

「お前みたいな女にそれ程時間をかけるつもりは無ぇ。さっさと終わらせるだけだ」

 

 血気盛んの言葉が似合うかの様に蔵人は大蛇丸を握る力が格段に強くなっていた。

 元々誰かを師として仰ぐ事はしていない。本当の事を言えば高度な技術は何も知らない人間からすれば不可思議な現象程度にしか思えていない。

 ギリギリで見極める際には後少しだけ近寄れば攻撃が当たる認識を持っているが、技術がある人間からすれば完全に見切られている証拠でもあった。

 

 隔絶した差を感じる事が出来るのかどうかが命の天秤を一方に傾ける。あれから時間が然程経過していないからなのか、蔵人はまだ朱美の力量を把握する事は出来ないまま戦いに望んでいた。

 

 

「これでも喰らえ!」

 

 神速反射を存分に活かし、上段から袈裟懸けに一気に振り下ろす。少なくとも剣速は龍玄と戦った頃よりも早かった。

 未だ反応を見せない朱美の姿に蔵人の口元が自然と歪む。歓喜を含んだそれが驚愕になるのにそれほど時間を必要とはしなかった。

 

 

「あら、随分と勝手な妄想してるのね。私も随分と見くびられた物ね」

 

 袈裟懸けに振り下ろす刃は直撃すれば肉の一部すらも抉り取る刃。迫る斬撃に対し、朱美はその場から動く事は無かった。

 自身の手に握られた鉄扇だけが直ぐに防御の為に開きだす。

 大気を切り裂くそれがその程度で止まるとは誰もが思う事は無い程だった。

 

 盾とは違い、鉄扇はあくまでも扇でしかない。固有霊装である為に、そう容易く破壊される事は無いが、少なくとも斬撃がそこで止まるはずが無かった。

 小さな防御など、無きに等しい。蔵人はそう考えた直後だった。愉悦を浮かべた表情が瞬時に変わる。それが事実を表していた。

 

 小さなそれが完全に大蛇丸の刃を防ぐ。それと同時に蔵人の手にもその衝撃が伝わっていた。

 まるで鋼鉄に斬りつけたかの様な手応えは完全に刃が届いていない証拠。手応えだけを判断したからなのか、蔵人はやはりと思いながら、すぐに間合を離していた。

 

 

「逃げ足だけは早いのね」

 

 朱美の言葉に蔵人は怒りこそすれ、それ以上の行動を感情のままに起こす事はしなかった。

 斬りつけた刃が防がれた事による反作用は蔵人に事実上の警告を促している様だった。

 固有霊装は当人の魂の根源とも考えられている。詳しい理論は分からないが、今の蔵人にとって、ただの女ではなく一人の強大な力を持った敵である事を認識していた。

 その証拠に蔵人の視線が朱美から外れる事が微塵も無い。完全に警戒している証拠だった。

 

 

「少し位のお喋りも無いのね。貴方詰まらないわ」

 

 無言の蔵人に対し、朱美はさも当然と言わんばかりに悠然と近寄っていた。

 これまでの様に全力で走り出す事も無ければ警戒した様子で近づくでもない。純粋にただ歩くだけだった。

 右手に持つ緋色の扇は既に閉じられている。花魁が歩くかの様に独特の歩法で距離を詰めていた。

 

 

 

 

 

 朱美と蔵人の戦いを龍玄は純粋に見ていた。元々風魔と言う組織は色々な特色を持った組織の集合体でもあり、また各里によってその特徴は大きく異なっていた。

 名前こそ風魔ではあるものの、実際にはあらゆる集合体の名称以外に内部の事は意外と知られていなかった。

 勿論、龍玄もその例には漏れず、他の四神の事を完全に理解している訳では無い。龍玄が朱美を苦手としているのはその抜刀絶技にあった。

 ここから見る限り、蔵人はまだ気が付いていない。しかし、詳細を見れば既に術中に嵌っている事だけは間違い無かった。

 本人は気が付いていないが、眼の瞳孔が僅かに変化を見せている。朱美の抜刀絶技でもある『魅了遊戯』は確実に蔵人を捉えていた。

 

 

 

 

 

(どうして満足に動かねぇんだ)

 

 蔵人は自分の身体が思うように動かない事に苛立ちを感じていた。

 対峙してから朱美の攻撃を一切受けた記憶は無い。かと言って、何か特別な術が発動した様にも思えなかった。

 自身の力の根源でもある神速反射はまるで靄がかかったかの様に反応が鈍くなっている。その結果、これまでの様に自分と相手に生じるであろう時間差が完全に潰されていた。

 鉄扇は無手に近い間合でしか攻撃が出来ない。余程得物の長さがあるか、飛び道具で無ければ攻撃が届くはずがない。口にこそ出さないが、蔵人はそんな取り止めの無い事を考えながら対峙したままだった。

 繰り出される攻撃は隙こそないが、躱しきれない訳では無い。しかし、これまでの動きが完全に封じられた今、反撃の糸口を見いだせないままにズルズルと泥沼に引き込まれる思いだった。

 

 

「ねぇ、貴方は攻撃の仕方を忘れたの?随分と不様ね」

 

「んだと!一々喋ってんじゃねぇ!」

 

 苛立ちをそのままに蔵人は大蛇丸の刀身を伸ばし、一気に攻め立てる。明らかに攻撃の間合いが異なるミスマッチは傍から見れば蔵人を有利にさせていた。

 攻撃が届かない訳がない。そんな根拠の無い考えだけが支配していた。

 自身の膂力を活かし、四本の剣閃が朱美へと向かう。仮に鉄扇で受け止める事は可能でも、あの動きは龍玄程ではない。

 ならばどれか一つ位は当たるだろう。その思いだけが蔵人を支配していた。

 

 

「まだ気が付かないのかしら?ここまで来た割に随分と甘い考えの持ち主ね」

 

 朱美は大きく動く事もなく蔵人が放った四本の剣閃全てを受け止めていた。

 本来、蔵人は放つ事が出来る剣閃は最大で八本。しかし、その攻撃は速度だけで威力に関してはそれ程高い物ではなかった。

 小さい威力も数を当てる事によってダメージを増幅させていく。完全に動きを封じながらダメージを与える攻撃を蔵人は選択していた。

 しかし、事無げに防がれた事実は蔵人の思考を僅かに止める。これ程の距離であれば相手の攻撃も受ける可能性は高い。完全にその事実を失念していた。

 

 反撃とも取れる緋色の鉄扇は閉じているにも関わらず、蔵人の制服を鋭く切り裂く。鉄扇とは思えない切り口に蔵人は僅かに汗が滲んでいた。

 それと同時に理解する。目の前にそびえ立つ女もまた一流の腕を持っている。驕った代償はあまりにも高額だった。

 制服のジャケットの一部がスッパリと斬られている。何でもないはずの光景に蔵人の警戒は最大限まで高まっていた。

 

 

「女ぁ!何やったんだ」

 

「戦いの最中に教えるとでも?」

 

 何でも無い言い方に龍玄は既にこの戦いの結末を見ていた。

 蔵人がどう感じているのかは分からないが、蔵人は戦い始めてから見た目だけは何の変化も無かった。

 既にまともな視界ですら無いのか、剣筋も完全に乱れている。刀身を伸ばす事無くただ振り回すそれは、誰が見てもお粗末だった。

 

 魅了された事によって虚構と現実の境が徐々に曖昧になっていく。

 朱美は既に仕留める為の行動へと移っていた。既に現実を失った蔵人に朱美の攻撃を防ぐ手立ては無い。まるで興味を無くしたかの様に閉じられた扇はそのまま蔵人の水月へと放たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうするんだ?」

 

「そうね……少しだけ評価を改めても良いかもしれないわね」

 

 水月に放たれた突きによって蔵人は完全に意識を飛ばしていた。

 元々今回の戦いに関しては龍玄は闘うつもりは毛頭なく、朱美の単なる興味から来た物だった。

 実際に戦いながら精神を狂わされる攻撃は近接戦闘を得意としている人間からすれば最悪の相手でしかない。

 何かを身に着けている訳では無く、自身から放たれた魔力は確実に精神を汚染させていく。その結果、数分もすれば平衡感覚は狂い、まともな思考すら危うくなっていく。

 蔵人は気が付いていないが、朱美と対峙した瞬間から既に勝敗は決まっているも同じだった。

 しかし、このやり方にも欠点はある。

 業の中身を知っている人間からすれば距離を開けて闘うか、全身に回り切るまでに倒す事が最善だった。

 勿論、この欠点を朱美も理解している。それがあるからこそ鉄扇で防御に回りつつ、全身の思考能力を失わせる促進の為に近接格闘で挑んでいた。

 龍玄も対峙するが、勝ち越しはするものの、勝率はそれ程高い物ではなかった。精々が七割弱。これが龍玄の勝率だった。

 そんな朱美が改めて再評価する。上がるのか下がるのか。それを判断したのであれば龍玄もまた今後に向けて考える為の材料と判断していた。

 

 

「で、結果は?」

 

「そうね……前回よりはマシ。って所ね。でも、及第点には遠く及ばないわ」

 

「だろうな。今のを見ても身体能力だけで来てるのは明白だ。だが、その前に性根が悪い。あんなに簡単に激昂してる時点で鉄砲玉以下だ」

 

「中々厳しい回答ね」

 

「少なくとも指揮官として考えるなら妥当だな」

 

 横たわる蔵人の事は既に意識から排除していた。

 ここから襲撃出来るだけの気骨があればまた評価は変わったのかもしれない。しかし、未だに動く気配が無いのは何を考えているのだろうか。

 そんな些細な感情から二人は蔵人が意識を持っている事を確認した上で話を続けていた。

 

 

「あれだけ殺気を振り撒けば、どこを攻撃するのかを言ってるのと同じだ。そもそもテレフォンパンチみたいな攻撃を態々受ける必要は無かったんじゃないのか?」

 

「気が付いてたの?」

 

「当然だ。気が付かない方がどうかしてるだろ」

 

 朱美の言葉に龍玄もまたため息交じりに話しを続けていた。既に意識が回復している事は確認している。

 二人の意識は改めて蔵人へと向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(完全に油断したが……このザマなら当然か……)

 

 水月に放たれた攻撃は蔵人の意識を瞬時に奪っていた。

 当初は何も考える事無く攻撃だけを続けていたが、まさかあれ程的確に防がれるとは蔵人自身思ってもいなかった。

 

 以前に対戦した際に龍玄から受けた攻撃は蔵人の価値観を良い意味で破壊していた。

 自身の持つ神速反射は少なくとも掠る事すら無かった。

 これまで何度も戦った伐刀事実上の一方的な攻撃は蔵人の攻撃をゆっくりと歪めていく。

 

 元から身体能力だけで戦ってきたのは偏に貪狼学園内に蔵人と対等に叩ける人材が居なかった事が一番だった。

 これが拍車をかけるかの様に取り巻きだけが次々と増える。自重する事無く自分のやりたい様にやって来た結果があの道場だった。

 元々この持ち主でもあった綾辻海斗は伐刀者ではないが、かなりの実力者。

 勿論、最初はそれ程攻撃的に話しをするつもりは無かった。しかし、如何に何を言おうがこちらの挑発には乗ってこない。だからなのか、蔵人もまた短絡的に直接的に仕掛けていた。

 流派の技術は基本的には外部に漏れる事は無い。

 当然道場を掲げる以上は面子と言う物があった。実際に弟子レベルを襲撃したものの、手ごたえはまるで無い。これならば学園内でやっていた方が遥かにマシだった。

 身体的な瑕疵があろうが、蔵人にとっては関係ない。実際に弟子を襲撃し、そのまま道場に行く事によって初めて主でもある綾辻海斗と対峙する事に成功していた。

 

 伐刀者ではないが、その名に偽りは無かった。

 蔵人自身がこれ程戦いを楽しめると思ったのはどれ程だろうか。そんな気持ちだけが沸き起こっていた。

 結果として海斗は胸を抑えそのまま意識不明となった事により、自身がこの道場の使用権を取得している。それは偏に道場を賭ければ意識を戻した当人か、、若しくはそれ以上の人間が来るだろうと判断した結果だった。

 そんな中、破軍の一年である風間龍玄と対峙した際には戦いですらなかった。

 大人と子供の戦い。いや、大人と赤子の戦いだと言われても仕方ないと思える内容だった。

 初撃によって内臓が破壊され、後は自分の能力を実質封印されたままだった。

 これまで自身の屋台骨でもあった神速反射は見る影も無い。事実上の完敗に蔵人は色々な意味で規格外の人間と出会う事が出来ていた。

 

 実際に破軍学園は今年から能力値ではなく対戦結果だけで出場を決める実戦方式にシフトしている。

 本来であれば学内の内容ではあったが、その結果は案外と誰もが知ろうと思えば簡単に知り得た事実だった。

 蔵人もその例には漏れず戦った相手でもある龍玄の勝敗を確認する。まさかの負け越しに、まるで自分もまた同じく弱い存在だとかってに判断していた。

 そこであの道場に行けば再戦すると同時に本当の力がどれ程なのかを再度確認出来る。蔵人はそう考えた末の行動だった。

 十六夜朱美と呼ぶ女に負けた事実とその過程。先程の攻撃を受けた者が回復したからなのか、蔵人は息を殺したまま二人の会話を聞いていた。

 

 

「いつまでそうしてるつもりだ?いい加減そんな事をしてもこれ以上は何も出んぞ」

 

「気づいてたのかよ」

 

「気づくも何も、そんな分かり易い行動をする方が驚きだ」

 

 最初から気が付いていたかの様な物言いの龍玄に、蔵人もまた忌々しい口調で返事をしていた。

 幾ら厳しい一撃とは言え、いつまでも意識が飛ぶ事は無い。それに関しては蔵人も感情的になったものの、僅かに聞こえた会話に少しだけ興味がった。

 あの話からすれば、少なくとも身体能力だけで戦うのは限界が見える。今の蔵人にとってはその程度の情報だとしても僥倖に近いレベルだった。

 人間誰もが何も分からない状況で口にした所で素直に聞く事は無い。自身が打ちひしがれた結果の今だからこそ素直になっていた。

 

 

「だったら何で俺に聞こえる様に話をしてたんだ?」

 

「聞いた所で俺には関係の無い話だ。そもそもお前に評価などするつもりも無い。それに、貴様みたいな糞餓鬼にはお前が住んでいる世界の一端を見せた方が早いだろ?」

 

「だったら俺が強くなる可能性もあるだろうが」

 

「強くなる?誰がだ?そもそも身体能力だけでやってた人間など、掃いて捨てる程見てきた。そのどれもが道半ばで消えて行ったがな」

 

 龍玄の言葉に蔵人は激昂しそうになったものの、改めて龍玄を見ていた。

 最初にあった際にはそんな言葉尻だけと捉え、それ以上の警戒を見せる必要は無いと判断していた。

 そもそも龍玄の視界に自分は一切映っていない。当初に感じた路傍の石のイメージが変わる事は無かった。

 実際に自分から仕掛けた戦いもまた完封負けに等しい内容。隔絶した差があると、ここで漸く自身が納得していた。

 

 

 



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第23話 アルバイト 前篇

 何も知らない人間からすれば、何を考えているのかその思いをうかがい知る事が少ない一人の少女は少しだけ今の状況に対し、少しだけ窮地に追い込まれていた。

 勿論、その状況を打破するのは簡単ではあるが、実際にそれを実行するには些か手持ちの駒が完全に不足していた。

 事前に何故確認をしなかったと言われればそうかもしれない。しかし、急にこんな依頼が来るとは誰も予測する事は不可能だった。

 

 

「カナちゃん、どうかした?」

 

「刀華さんですか。どうかと言いますか、少しだけ困った事になったのでその対処をどうしたものかと」

 

 カナタの言葉に刀華はカナタの目の前に有る物に視線を動かしていた。

 破軍の学生であれば些細な調べものやその他の事に関しては生徒手帳一つで片が付く。しかし、カナタの目の前にあるのは一台のノート型のモバイル端末だった。

 詳しい事は分からないが、少なくとも教室や自室ではなくこの生徒会室で使用している時点で切羽詰っている証拠でもある。

 カナタの本当の部分を知る人間はそう多く無い。しかし、今の刀華の目に映るカナタはどうしようもない程に困り果てている様にも見えていた。

 

 

 

 

 

「そう……でも、そんなに難しい話?」

 

「内容そのものは問題は無いんです。ですが、簡単にそれを実行できる人間が居ないのもまた事実なので」

 

 先程から幾つかの画面が切り替わると同時に指示を出す為に、カナタの指はキーボードの上を舞うかの様に動いていた。

 カナタの立場がどうなのかを知っている人間は破軍の中でもそう多くは無い。生徒会役員の中で言えば、刀華と泡沫がギリギリ知っている程度だった。

 経緯に関しては刀華は事実上の当事者。そして困っている内容は聞くまでも無かった。

 時折止まる指と同時に珍しく眉間に皺が入る。こんな表情のカナタを見るのは珍しいからなのか、刀華は自分で入れた紅茶を飲みながらその様子を見るしか無かった。

 

 

「あんまり根を詰めすぎるとダメだよ。少しは休憩したら?」

 

「そうですね……幾らやっても肝心の人材が居ないのであれば、どうしようもありませんね」

 

 普段であれば自分で淹れる紅茶ではあるが、刀華の淹れたそれは同じ茶葉でも自分とは味わいが異なっていた。

 香りは少し薄いがそれでも味はしっかりとしている。飲んだ事によって落ち着きだしたのか、カナタもまた刀華に今回の顛末を少しだけ口にしていた。

 

 

 

 

 

「確かにそれだと限定されるのは仕方ないかもね」

 

「はい。ですが、肝心のあてにしていた人が不在なので、回らないのも事実なんです」

 

「詳しい事は分からないんだけど、なんでそんなに居ないの?」

 

 刀華の疑問は尤もだった。カナタの話によると、来週末に行われる会合の警備依頼が今回の最大のネックだった。

 元々カナタの会社に来る依頼は、どちらかの言えば身分が高い人間の集まりが多く、実際にカナタの立場も影響するからなのか、その手の依頼が途切れる事は無かった。

 

 今回求められているのは伐刀者か若しくはそれに準じたレベルの力量を持つ人間。それでいて礼儀を弁えた者が対象だった。

 会合の警備は基本的には物々しい雰囲気ではなく、限りなく正装に近い格好で問題が無い人物が要求されている。

 勿論、カナタの会社にもそんな人材は多数登録されている。本来であれば困る要素は何処にも無いはずだった。

 

 

「実は、緊急の依頼があったとかで、予定していた人達がごっそりと居ないんです。こちらも事前に聞かされたので対処はしてますが、実際にはあと数人の手配が足りないんです」

 

 緊急の依頼の言葉に刀華は誰の事を言っているのかを何となく理解していた。

 元々風魔との接点があるのはカナタの経営する会社しかない。表からの依頼であれば頭を抱える要素はどこにも無かった。しかし、要求されている内容を十全にするとなれば人材は確実に限られていた。

 そんな中でのこの状況。少なくとも刀華には大よそながらその意味を正しく理解していた。

 

 

「……それは仕方ないよ。そもそも向こうにだって予定はあるんだし」

 

「それを理解しているからこそこちらも何も言えないんです……」

 

 そもそも風魔の人間を護衛や警備につかせるのはカナタとしても本当の部分では良いとは思わなかった。

 それに頼れば今度は居なくなった際に現場が回らなくなる。いつまでこの会社を経営するのかは不明だが、少なくとも報酬を払った後も続く可能性だけは多分にあった。

 カナタがどう考えているのかは経営には関係無い。実際に細かい契約関係がどうやって結ばれているのかすら知らない。

 本来であれば経営者にあるまじき由々しき事態ではあったが、今それを追及した所で現状はどうにもならない。

 目先の事ばかり追いかける必要は無いかもしれないが、未来に向ける為に目先が完了しない事にはどうにもできないのも事実だった。

 

 

「因みに、どんな人が望まれてるの?」

 

「実際には数人で問題無いんですが、少なくとも人付き合いの中で違和感を持たせず、周囲の状況を把握出来るか方です。それでいて万が一の際にはその状況を回避出来る実力がある方が望ましいですね」

 

 カナタの言葉に刀華もまた一緒に考えていた。数は無くとも男女のくくりが無ければ何とかなりそうな気がしないでも無い。しかし、現実問題としてそこまで出来る人間が早々居ないのもまた事実だった。

 

 

「因みに、風間君は?」

 

「違う場所に入る予定なんです」

 

「……そうなんだ……」

 

 一番最初に浮かんだ名前ではあったが、恐らくはカナタもそれを既に勘案していたはず。にも拘わらず、事実上の即答に刀華もまた悩んでいた。

 それと同時に一つの考えが浮かぶ。だからなのか、最初にカナタに確認する必要があった。

 

 

「カナちゃん。それって学生でも大丈夫なの?」

 

「条件さえ満たせば問題はありません。ですが、基本的には荒事の可能性も考慮する必要がありますので、学生の場合はそれなりに力量は要求される事になります」

 

「だったら、一度確認してみても良いんじゃないかな」

 

 刀華の言葉にカナタもまた改めて考えていた。

 現時点で当たれる人物には全て当たっているものの、実際に快い返事が来る事は無かった。

 商売敵に塩を送る様な真似は基本的にはあり得ない。少なくともビジネスの世界では無償の提供ほど怖い物は無い。

 そんな事が当然の様にあるからこそ返事にも期待していなかった。そんな中での刀華の言葉。

 可能性を考えれば最悪の状況下でも動く事が可能な人物を探し出す必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。こちらとしても特段規制がある訳じゃない。経験を積むと考えれば多少なりともその環境に慣れる事も必要だな」

 

「でしたら……」

 

「ああ。学園としては特段問題は無い。だが、あくまでも本分は学生であるのは違いない。だが、ある意味で言い経験にはなるだろう」

 

「有難うございます」

 

 カナタと刀華が最初に向ったのは理事長室だった。実際に極秘裏で行っても問題にはなりにくい。

 それが今までの考えではあったが、今回の件に関しては事実上のアルバイトをするのとは多少なりも事情が異なっていた。万が一に際に伐刀者は自衛手段としての固有霊装の展開は許可されている。しかし、学生の身分である以上はある程度の情報公開は必要だった。責任の所在を明らかにしない事には最悪の展開のあり得る。その可能性を回避する為だった。

 万が一の事を考え黒乃の許可を取る。これで漸く前に進ませる事が可能となっていた。

 

 

「で、肝心の内容と人選はどうするの?」

 

「その事なんですが、出来れば刀華さんにもお願いしたいと思います。今回の内容はちょっと気が張るので」

 

「私は構わないんだけど、後はどうするの?」

 

「それなら考えはありますが、実際にはお願いしないと分かりませんので」

 

 刀華の質問にカナタも答えを用意していたからなのか、直ぐに返答が返ってくる。

 人員が少ないのは向こうも知っているはず。多少は協力して貰っても問題無いだろうと、カナタは独り考えていた。

 

 

 

 

 

「お願い出来ますか?」

 

「確認するだけなら構わない。だが、その結果がどうなるのかは保証し兼ねるぞ?」

 

「その時はまた考えますので」

 

 ここ最近は、夕食の時間は割と固定される事が多くなったからなのか、カナタは思い出したかの様に龍玄に確認をしていた。

 今回の件では生徒会の人間にお願いしようかとも考えたものの、場所と内容を考えると流石に厳しい事に間違いはなかった。

 

 泡沫は基本的には荒事には向かない。だからと言って雷や恋々もまた性格を考えれば適切では無かった。

 出来る限り目立たない様に出来れば最良。となれば、龍玄の伝手を頼るのが一番だった。

 龍玄もまたカナタの意図を理解しているからなのか、話だけはしてくれる。結果はともかく、自分の頼みを聞いてくれた事が少しだけ嬉しく感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?アルバイト?」

 

「ああ。無理にと言う訳じゃないが、時間に余裕があれば手伝って欲しいと思ってな」

 

 龍玄の言葉に一輝は僅かに驚きの言葉を上げていた。

 元々破軍はアルバイトそのものを禁止している訳では無いが、その学園の特性によってアルバイトに関しては事実上生徒の主導による自粛を促していた。

 

 一番の理由は周囲の目。KOKに代表されるように、伐刀者そのものに忌避感は無いが、それでも自分の周囲にそんな人物が居れば、何らかの思惑が発生する可能性は否定できない。

 事実、世間が持つ伐刀者のイメージはどこか粗野で暴力的なイメージも少なからずあった。

 武器を所持していなくても固有霊装を展開すれば、それが瞬時に身に降りかかる可能性もある。

 仮に罰則規定はあっても、それとこれは違うからと余計な事を思われる位なら最初からする必要は無いとなっていた。現時点では伐刀者だから刑罰が重くなる法律は存在しない。

 しかし、突然所持した物が凶器となるのであれば、伐刀者と一般人の間には埋まらない溝が出来る可能性があった。だからこそ律する事を学園では優先して教える。それはある意味では当然の事だった。

 そんな中での龍玄の言葉。突然出た話に一輝は無意識の内にステラの方を眺めていた。

 

 

「僕でも出来る内容?」

 

「要求されている条件は厳しいが、一輝は問題無いと判断しただけだ。実際に誰もが出来る内容ではないからな」

 

「……そっか。だったら、ステラもどう?」

 

 龍玄の言葉に一輝はステラにも同意を取ろうとしていた。

 決して尻に引かれているわけではなく、純粋に今回の様な話は早々ある物ではなく、寧ろ特異なケースとも言えた。

 それと同時にステラも留学生として来日しているのではれば、何かしらの経験をしても良いだろうとの考えもあった。純粋な気持ちを察したからなのか、ステラもまた同じく龍玄に視線を向ける。

 直接言われた訳では無いからなのか、その視線に龍玄は改めて今回の内容と日時を伝えていた。

 

 

「……ごめんなさい。話は嬉しいんだけど、その日は都合が悪いの」

 

「確か、大使館のレセプションだったよね」

 

「うん」

 

 改めて日時を聞いた際に、一輝もまたその日の事を思い出していた。

 少し前に予定を聞いた際にあった日程。流石のステラも母国の絡んだイベントを無視する訳には行かないと、事前にその話を一輝に伝えていた。

 

 

「そうか……一輝はどうする?」

 

「僕は構わないよ。それにそんな事なんて今までした事なかったから」

 

「そうか。場所は改めて伝える。色々と済まないな」

 

「気にしなくても良いよ。こんな事も経験だから」

 

 一輝の快諾に龍玄は内心ほくそ笑んでいた。

 一輝には伝えていなかったが、今回の内容はとある大使館主催の会場警備。本来であればカナタが伝えるべき内容ではあったが、龍玄もまたその内容を知っている。

 ステラの予定に事実上ねじ込まれる一輝がどんな反応をするのかを考えながらも、悟られない様に話を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが今日の会場だ。既に準備は整っている。悪いが後ろを着いて来てくれないか」

 

「ああ。でも、ここって……」

 

 まるで何事も無かったかの様に時間は経過していた。

 既に決まった以上はキャンセルする事は出来ない。そんな取り止めの無い事を考えながら一輝は龍玄の後ろを歩いていた。

 

 事前に聞かされたのは会場警備。しかも、外と中の警備のうち、一輝が割り当てられていたのは会場内の警備だった。

 元々、大使館レベルの警備は常に外部委託する事はない。当然ながら自国の人間を中心にするのが当然ではあったが、今回の件に関してはその限りではなかった。

 元々国内には様々な大使館が存在している。大国と言われる国であれば立派な建築物の中にあるが、小国レベルではビルの中に間借りするのが一般的だった。

 当然、今回の大使館もまた後者に近い。一輝も事前に聞かされたのはとある小国とだけしか言われなかったのは、偏にその内容が機密に近いからだった。

 

 

「見ての通りだ。ヴァーミリオン公国の大使館新設レセプション会場だ」

 

「ちょっと待って。そんな事、聞いてないんだけど」

 

「当然だ。大使館レベルの話を学内で言える訳無いだろ」

 

「それでもだよ。だって、ここって事は……」

 

 龍玄の当然だと言わんばかりの言葉に一輝は珍しく狼狽していた。

 学内で聞いたのは会場警備のアルバイトであって、まさかこんな会場だとは思ってもいなかった。

 普段は冷静になれるはずの一輝も、流石にこの会場に関しては驚く以外の表情が出来ない。

 ヴァーミリオン公国である以上は当然、その第二皇女でもあるステラもここに居るはずだからだった。

 

 

「とにかく、時間は早々無い。それと、会場警備だからって制服なんて物は無い。取敢えず、これにさっさと着替えてくれ」

 

「ちょっと……もう少し説明してくれよ」

 

「残念だが時間がもう無いんでな。とにかく急いでくれ」

 

 龍玄が用意したのは略式のタキシードだった。

 本来であれば黒のスーツでも良かったが、今回の件に関しては当然の様にドレスコードが存在している。

 外部の人間は完全にスーツだが、会場内は物々しい雰囲気を取り払う為に今回の関係者と同等の扱いとなっていた。

 一式を手に取るも困惑は止まらない。元々ここが会場では無い龍玄にすれば、ここで戸惑う一輝をずっと眺める事は出来なかった。

 不意に部屋のドアの向こうからノックが聞こえる。当然とばかりにドアを開けた先に居たのはドレスアップしたカナタと刀華だった。

 

 

 

 

 

「あの……本当に僕で良かったんでしょうか?」

 

「はい。風間君が推薦したのであれば、私は疑う事はありませんので」

 

「ここは破軍学園じゃないから、そんなに緊張しなくても良いよ」

 

 目の前のカナタと刀華に一輝は先程以上に戸惑ったままだった。

 破軍学園の中でも序列一位の東堂刀華と、同じく二位の貴徳原カナタ。まさか今回の件にこの二人も絡んでいるとは思ってもいなかった。

 部屋を開けて紹介した後、龍玄もまた他の場所へと移動している。既に着替え終わったからなのか、自己紹介と同時に今回の件の内容を打ち合わせていた。

 

 

「黒鉄君は会場内の警備なんだけど、基本的には壁際から周囲を見てほしいのです。中心部は私達が招待客に紛れてする形になるから、連絡時はこれを使って下さい」

 

 カナタから渡されたのは耳につけるタイプの通信機だった。元々今回の警備はそれ程会場が大きく無い為に人員は然程多く無い。

 しかし、大使館レベルとは言え今回の内容は明らかに外交に近い性質を持っている。龍玄から聞いた際にはまさかこれ程の内容だとは予想すらしていなかった。

 

 

「それと、これだけは最低限守るべき事ですが、ここで起こった内容を外部に漏らしてはいけません。仮に漏れた場合はそれなりに処罰の対象になりますので。

 それと仮に親しい方が居てもなるべく一緒になる事は避けて下さい。警備と招待客が一緒になる事は好ましくありませんので」

 

「はい。分かりました」

 

 カナタの言葉に一輝の表情は自然と引き締まっていた。

 大使館の中は事実上の外国でしかない。カナタが注意したのはここに誰が来るのかを知っているからだった。

 一輝とステラが同室であることは知っているので、当然目にすれば何となくでも意識が向いて行く。これがただの招待客であれば問題は無いが、実際にはステラの立場はホスト側に近い。主催者と警備は等しく話すのは何かと問題を孕む可能性がある事を示唆する為だった。

 一輝に説明をすると同時に刀華もまた自身の役割を果たそうと、何かを考えている。先程まで悪戦苦闘していた光景は中々に楽しい物だったが、ここではそんな雰囲気は微塵も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大使館のレセプションと言う名のパーティーは大きな問題も無く開催されていた。

 元々小国の大使館レベルであれば招待客はそう多くは無い。本来であればカナタにしてもこれ程悩む必要性は何処にも無かった。

 しかし、今回の内容に関してはこれまでの状況を大きく覆していた。

 一番の要因は本来であればありえない招待客。皇族でもありステラの存在だった。

 対外的には留学として来日しているが、その皇族が来ているにも拘わらず何もしないのは外交上、決して良いとは思えない事だった。

 ステラ自身が数少ないA級の魔導騎士としている以上、本人に余程の落ち度が無い限り、身の安全を危険視する事はない。

 元々は期間限定の留学である以上、大事にするつもりは毛頭無かった。

 

 しかし、ここでヴァーミリオン公国の人間であれば誰もが予測しながらも実現する可能性を考えない訳では無かった事態が浮上する。

 まさかの父親でもあるシリウス・ヴァーミリオンの鶴の一声だった。

 

 幾ら魔導騎士としての技量を信頼しているとは言え、それと父親としての心情は別物だった。

 実際に破軍学園におけるステラの事は大よそながらにも聞いているが、やはりそれだけは物足りないと判断した結果だった。

 幸いにして日本とは多少なりとも親交はある。だとすれば最低限の期間位は愛娘をサポートする必要があると判断した結果だった。

 対外的にはそれっぽい内容で設立されているが、実際には単なる娘可愛さ故の身びいき。それだけの為に今回の大使館設立に至っていた。

 

 本来であれば外交になる為に外務省が動く可能性が高い。しかし、元から今回の件に関してはそれ程重要な位置付けであるとは政府も考えていなかった。

 知人でもある黒鉄巌の言と、官房長官でもある北条時宗の意見が一致した結果だった。

 外交のつながりが薄くても対外的にはそれなりの対応をする必要があった。

 政府から動かすよりも民間を利用した方が何かと都合が良い。これまでの実績と個人的なつながりを持っている為に、今回の話はカナタへと舞い込んでいた。

 

 

「刀華さん。周囲の様子はどうでしょうか?」

 

《今の所、問題無しよ》

 

 耳朶に響く音声でカナタは周囲の状況を確認していた。

 今回の会場警備は会場内部には男二名、女三名。外部には男四名が派遣されいてた。

 今回の警備に於いて一番苦労したのは会場内の警備に関してだった。

 会場の空気を壊す事無く自然に対応できる人間はそう多く無い。本来であれば風魔からの人員を当てにしていたものの、依頼が急遽入った事によってその目算は泡となって消えていた。

 しかし、龍玄の普段の話と予選会での内容を見る限り、今回の黒鉄一輝の人選は中々の物だった。

 見た目も威圧される事はなく、実力も予選会で裏打ちされている。

 咄嗟の状況では分からないが、最悪は自分が対応すれば問題無いと考えていた。事実、今回の会場内部の警備には朱美が派遣されている。

 カナタ付きであれば自然とその内容にも及ぶために、今回の件に関しては大いにその力を発揮していた。

 

 

「ですが、少し疲れた様にも感じますが?」

 

《それは……例のあれのせいだから》

 

「そうでしたか。ですが、今回の件では必要でしたので」

 

 刀華からの通信を聞きながらカナタは内心面白がっていた。

 刀華が疲れた様な声を出したのはあのリゾート島以来。今回の警備に関しては朱美と面合わせをした際に唐突に朱美が提案した事がキッカケだった。

 

 

 

 

 

「今回の警備のお手伝いをする東堂刀華さんです」

 

「急遽でしたが、今回はよろしくお願いします」

 

「私は十六夜朱美よ。今回の会場警備を担当するわ」

 

 どこか緊張した面持ちの刀華を見ながら朱美の視線は刀華の頭頂から足元まで動いていた。

 カナタが短い期間とは言え、朱美と一緒に動く事になって分かった事が幾つかある。それはその人の魅力を引き出すと同時に、その変化を楽しむ点だった。

 元々朱美の諜報能力は自身の見た目にも影響している。

 自分の見た目がどれ程の価値を持っているのかを完全に理解した上で利用している点だった。

 元々朱美の能力はそれに由来する部分が多分にある。先祖の能力が歩き巫女だった事もあるからなのか、対人関係の踏み込んだ部分にまで近寄る能力は天性の物だった。

 そんな朱美が刀華と言う素材を目にして何もしないはずがない。これから刀華の身に何が起こるのかを予測したからなのか、カナタは静観する事を決めていた。

 

 

「あの……どうかしましたか?」

 

「ねぇカナタちゃん。この子、会場内の警備なのよね?」

 

「はい。その予定です」

 

「だとすれば当然、野暮ったい服なんて用意してないわよね」

 

「当然です」

 

 カナタと朱美の会話に刀華は何を言っているのかを理解していなかった。

 会場内の警備である事と、その場所が大使館である事は聞いたが、そこから先の展開が何なのかが理解出来ない。

 会話だけ聞けば、ある意味ではそうだろうなとは思いながらも下手に口にする事はしなかった。

 

 実際に表面上は穏やかではあるが、刀華とてこんな会場に足を運ぶ機会はこれまでに一度も経験していない。カナタは自身の事がある為にそれ程気にしないが、刀華からすれば今回の内容は未体験だった。

 心臓の鼓動がやけに大きく感じる。カナタと朱美の会話には何の違和感もなかった。

 しかし、自身のこれまで鍛え上げた伐刀者としての感性が危険だと警鐘を鳴らす。撤退が出来ない以上、今は俎板の鯉でしかなかった。

 

 

「刀華ちゃん。早速行きましょうか。時間は有限なんだから」

 

「あの、これからどこに……」

 

「女は時間がかかるのよ。幾ら警備とは言え、見た目が浮くのはちょっと良くないわね」

 

 刀華の質問に答えるつもりがないからなのか、刀華の手を引きながら朱美は移動を開始していた。

 確かに時間的にはまだ余裕がある。それはカナタからも聞かされた為に刀華はそれに従っただけだった。

 未だ要領を得ないままの刀華を見ながらカナタは僅かに笑みを浮かべる。これから何が起こるのかを知っているからこその笑みだった。

 

 

 

 

 

「あの……これから一体何を?」

 

「身だしなみを整えるのよ。折角素材が良いんだから、少し位は磨かないとね。今回は特に外交の問題もあるから」

 

「あの…それって……」

 

「任せて。とびっきりに仕上げるから」

 

 外交の言葉に刀華は少し身構えていた。確かに大使館レベルであれば外交問題に発展する可能性は否定できない。

 ましてや今回の件はカナタの会社の問題もあるからなのか、刀華もまた下手な事を口にする事は無かった。

 

 仮に自分の動作一つ、言葉一つで国際問題に発展するとなれば、流石に刀華と言えど何も出来ない。本来であればカナタに詳細を聞けば良かったが、自分がキッカケを作った手前、何も言う事は無かった。

 近づく朱美に刀華はなす術も無い。迫り来る朱美の姿に刀華は少しだけ気合を入れ直すしか出来ないままに時間だけが過ぎ去っていた。

 

 

 



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第24話 アルバイト 後編

 一輝の人生の中で華やかな場所に来た事はこれまでに一度も無かった。

 実家でもある黒鉄家では何らかの行事はあったが、伐刀者として事実上の無能扱いされた一輝からすれば、こんな場所に居る事そのものが興味深かった。

 

 会場内の警備と口では簡単に言えるが、実際には安穏と出来る程に穏やかではない。

 大使館の設立パーティーは日本の事では無くヴァーミリオン公国のそれ。自身の恋人でもあるステラの母国である以上、一輝としても気を抜く事は出来なかった。

 今回の件に関しては、なるべく身元を知られない様に髪型を変え、メガネまで用意されている。本来であれば素のままでも良かったが、やはり体面的には黒鉄家の人間がここに居るのは好ましくないとの理由によって現在の様相になっていた。

 

 

《黒鉄君。周囲に異常はありませんか?》

 

「今の所大丈夫です」

 

《荒事になる事は無いとは思うけど、気を緩めない様にお願いします》

 

「了解しました」

 

 周囲に気が付かれる事無く視線は常に動き続ける。

 実際に外交であるにも拘わらず、一学生がこんな場所に来る事は無い。龍玄によって半ば騙された様な形ではあったが、これもまた一つの経験だと言わんばかりに周囲の警戒を続けていた。

 

 実際に見ていると、幾つかの動きが他の参加者とは異なっている。大使館側の人間ではあったが、少なくとも周囲には気が付かれない程度に動きが洗練されていた。

 立ち話をしているも、その立ち姿には隙が感じられない。恐らくは大使館側の護衛か何かなのか、そんな隙の無い動きに一輝の視線は自然と向かっていた。

 

 そんな中、一輝の目に止まったのは一人の女性だった。これまで一輝は剣術については直接教わった事は一度も無い。何をするにも常に見取りで技術を盗むか、或いはその(ことわり)を暴く事で自身の血肉としていた。

 実際にその能力は予選会での桐原静矢との戦いで十分すぎる程に発揮している。

 そんな一輝の眼に止まったのは偶然では無かった。

 歩く姿は常に体幹に一本の太い芯があるかの様にも見え、立ち振る舞いに隙は見えなかった。

 事実、周囲に気を配っているのと同時に、耳には通信機が付けられている。風景に融け込みながらも実際には一歩引いた場所から全体を見ている様だった。

 他の人間は分からないが、少なくとも一輝はそう理解していた。

 

 実際に会場そのものはそれ程大きくは無い。しかし、人の動きはランダムな為に壁際からは何度か死角が発生していた。

 そんな状況すらも観察するかの様に視線は動いている。目立たない動きではあったが、練達した技量を持っている事だけは理解していた。

 本来、会場警備の任に就いた側からすれば決して良いとは言えない行為。

 実際に会場警備の一人に態々視線を動かす人間は居なかったからなのか、一輝の視線は黒髪の女性に集中していた。

 

 

「……ッキ。イッキ聞いてる?」

 

「え………っと」

 

 一輝にとっては珍しい程に自身に近づく気配を察知する事を忘れていた。

 警備が一人の人間にのみ視線を動かす事は愚策でもあり、褒められた行為ではない。

 視線そのものに質量は無いが、流石に男が女をジッと見る姿が良いとは言えなかった。呼ばれた事によって声の主が居るであろう場所へと視線を動かす。そこに居たのは普段から見慣れた姿ではなく完璧にドレスアップされた自分の恋人だった。

 紅蓮ともとれる紅い髪は何時もの様に下ろしているのではなく、上げた状態で綺麗に整えられている。普段は見せない姿に一輝も少しだけ反応が遅れていた。

 

 

「………他の女性に見とれるなんて、信じられない」

 

「ゴメン。そんなんじゃないんだけど」

 

 ステラの表情は何も知らない人間からすれば変化を感じる事は無かったが、一輝からすれば表情にこそ変化は無いが、眼は完全に怒っているのが見て取れた。

 事実上のホストが一警備人に話す事はあり得ないからなのか、声もまた、悟られない様に小声になっていた。

 

 

「やっぱり一輝は黒髪の方が良いの?」

 

「へ?」

 

「だって……」

 

 ステラの唐突な質問に一輝もまた返事に困窮していた。元々黒髪の女性を見てはいたが、実際には体幹やその姿勢を優先していただけだった。

 それと同時にステラの黒髪の意味が分からない。視線は流石に向ける事は出来ないが、それでも意識だけはステラに向っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々来て頂きありがとうございます」

 

「いえ。今回の件に関しては私も嬉しく思いますので」

 

「そう言って頂けるとは……感謝の極みです」

 

 既にこのやりとりが何度続いたのかすら分からない程にステラは同じ会話を続けていた。

 事の発端は些細な事だった。これまでにヴァーミリオン公国と日本に正式な国交に関する事は無かったとステラは記憶していた。

 勿論、あの『サムライ・リョーマ』が居る国である以上、変な先入観を持つ事も無ければ忌避感も無い。そんな程度の認識だった。

 事実、ステラは自国で判断されたAランクを誇りにしていた。

 常に歴史に名を残す可能性を持つ資質であれば、ステラだけでなく、国民もまた同じ事を考えていた。

 しかし、実際にはAランクとは言え、自分の能力を完全に制御出来ている訳では無い。

 幼少の頃より研鑽した事によって今に至るだけだった。

 元々ヴァーミリオン公国はそれ程大きく無い国だからなのか、そんな皇族の事も一般的なニュースとして知れ渡っている。

 詳細までを知らしめるつもりは無いのと同時に、ステラもまた努力をひけらかすつもりは毛頭なかった。

 様々な思惑を持ちながらも日本に来日し、色々なやりとりを経て今に至る。

 一輝との関係は未だ秘匿してるが、それはある意味では当然だった。

 

 

 身分違いの恋。

 

 

 確実に話題に出るだけでなく、これが知れれば醜聞にしかならない。ましてや皇族をこよなく愛する自国民だけでなく、自分の父親も確実に何らかの干渉をするのは当然だとさえ考えていた。

 そんな最中での大使館の設立。派遣されているのは政府の中でも中堅の人間が送られてくる。

 幾らステラと言えど、送られた人間に対する背後など何も知らないままだった。

 これまでに無い自国の大使館の設立である以上は最低限の顔だしは必要だった。

 

 そんな会場を楽しむ程にステラは楽観的でもなかった。自分の身近に居るならば話は弾むが、今回は相手が一方的にこちらを知っているに過ぎない。だからなのか、誰もが初対面でもあり、誰もが親しみを持っている。

 ここでは何も思う事は無かったが、今のステラは嫌が応にも自分が皇族である事を再度理解させられている様だった。

 

 

「ステラ皇女殿下。飲み物は如何ですか?」

 

「有難うございます」

 

 まるで助け舟を出されたかの様にステラは一人の女性から差し出されたグラスを手に一口だけ口を付けていた。

 ステラの立場はホストでもありながら実質はゲストでしかない。しかし、大使館の職員からすれば実質的な上司の様にも思われていた。元々この国での皇族の人気はかなり高い。

 そんな事情があるからなのか、当然ステラの下には自国の人間が殺到していた。

 そんなステラを見かねたからなのか、差し出されたそれを口にした事によって、周囲もまた少しだけ距離を置いていた。

 

 

「大変でしょうが、自分のペースで話された方が良いですよ。私も経験しましたので」

 

「え……」

 

 ステラは一息ついた事によって改めて女性の方に視線を向けていた。

 向けた瞬間、内心驚きを見せる。グラスを渡したのは同じ学園の序列二位『貴徳原カナタ』だった。

 実際にカナタとステラには面識が殆ど無い。お互いが予選会を通じて見た程度でしかなかった。

 まさかの人物にステラは表情にこそ出さなかったが、思わず見開いた目は如実に感情を表していた。

 

 

「今回の件、お招きと依頼を頂き有難うございます」

 

「え……あ、はい」

 

 どこな他人行儀ではあるが、実際にカナタは学園では先輩にあたる。この場ではステラの方が立場は上だが、ステラは社交界にそれ程顔を出す事は無かったからなのか、完全に仮面を被り切れなかった。

 それと同時に今夜の招待客を思い出す。大使館レベルの為に政界、財界からも多少なりとも参加していた。

 そんな中でカナタは財界の、延いては自身の父親の名代として来ている。それと同時に。今回の警備に関しては請け負っている事を思い出していた。

 面識は無くとも大使館の人間に比べれば遥かに気楽になる。ましてやカナタはカクテルドレス姿だった事からも一層その雰囲気が強かった。

 

 

「実は今回の件は破軍からも少しだけお願いしてますので」

 

「そうだったんですか……って事は……」

 

 カナタの言葉に感心しながらも、それと同時に一つの事を思い出していた。

 先日の朝の鍛錬の際に龍玄と一輝が話をしていた事。アルバイトの件だった。

 あの時点でどんな事をするのかを詳しく聞いた訳では無い。事実、一輝もまた何も知らないままだった。しかし、今回のカナタの言葉とあの時の会話が一致するとは思わかなかったが、ステラの中では何か確信めいた事があった。

 龍玄が態々アルバイトを条件付きで持ってくる。だとすれば、一輝もまた来ているはず。そんな確信めいた事がステラの中にあった。

 

 

「因みに黒鉄君も来ています。ですが、会場警備ですので、なるべく話をしない様にお願いしますね」

 

「はい。分かりました」

 

 カナタの言葉には警告も含まれていた。

 会場警備の際に知人に会ったからと言って、意識をそちらに向ける事は仕事して許されるべき内容では無かった。

 仮に知人だとしても精々が二言三言を交わす程度。それがギリギリの条件だった。

 個人の問題ではなく企業としてのリスクも知らしめる。カナタのそれは言外に表していた。

 勿論ステラもそんな事は理解している。しかし、こんな会場であればすぐに見つかるだとろうと、既に視線は移り気な様にも見えていた。

 

 

「あっ………」

 

 ステラの視線を捉えたのは一人の男だった。

 限りなく正装に近いフォーマルではあるが、どこか着なれていない雰囲気と同時にステラの記憶には無い髪型。

 メガネをかけている事によって何となくボカした雰囲気ではあるが、よく見れば一輝である事に間違いは無かった。

 何時もと違う格好にステラもまた硬直している。余りの違いに単に見惚れただけだった。しかし、そんな硬直は直ぐに解ける。それは一輝の視線の先にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事前にカナタから忠告が無ければ確実にステラは一輝を問い詰めた可能性があった。

 小声とは言え、ホストが外部の無関係の人間と長々と話をする訳にはいかない。

 只でさえここはヴァーミリオン公国の内部そのもの。ここで色々と勘繰られて楽しい思いをする事は何も無かった。

 

 

「イッキ。後で話を聞くから」

 

「分かった。また後で」

 

 一輝への態度をそのままにステラは済ました表情のままに会場の中心へと戻る。既に代わりのグラスを持った事から周囲は然程に気に留めた様子は何処にも無かった。

 

 

《黒鉄君、どうかしましたか?》

 

「いえ。何でもありません」

 

《そうでしたか。それと少しだけ不穏な空気を感じます。警戒だけはしておいてください》

 

「了解しました」

 

 ステラが去った後に響く声。恐らくは先程の一件を心配したのか刀華の声が耳朶に響く。

 それと同時に届いた不穏な言葉。一輝もまた周囲を探知するも、刀華の言う不穏が何なのかまでは判断する事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……とりあえず顔だけは出すようにしようか。悪いけど会場まで頼んだよ、龍」

 

「本当に行くのか?」

 

「当然さ。留学生を預かる側でもあるし、大使館の設立をした以上は…ね」

 

 大使館での一件とは別行動をしていた龍玄は北条時宗を乗せ、車を運転していた。

 流れる景色とは裏腹に龍玄は僅かにバックミラーに視線を動かす。

 先程までは内閣の一員としての話を極秘裏に進めていたからなのか、口調こそ軽いが僅かに険しい表情を浮かべていた。

 

 元々官房長官の職では本来やるべきはずの無い業務。今の内閣にとっては大きなスキャンダルが無い事から国会での論戦も純然たる法案の内容に終始していた。

 元々内閣の官房長官の身であれば外部のSPを雇わなくても中で調整する事が出来る。

 本来であれば龍玄を護衛に就かせる道理は無かった。

 しかし、内閣の裏の仕事になれば当然の事ながら何かしらの情報が必ず漏れる。実際にSPを就けるとなれば少なくとも警察や侍局には情報が確実に流れるのは、ある意味では当然だった。

 

 実際に内容は分からなくとも、どこに向かい、どれ程の時間を要したかによって内容は大よそながらも判断が出来る。

 今回のケースもまた外部に漏らす訳には行かない内容だった。

 どれだけ総理や官房長官の人気が高く、また政策そのものが良いとしても他からの足の引っ張り合いは多々あった。

 

 長期政権になればなるほど、他の議員が就けるポストは少なくなる。如何に事前の身辺調査が良好だとしても、事実上の擦り付けに近い醜聞までは対処できないのも事実だった。

 実際に護衛につけたのも時宗と風魔の関係を理解した上での決定。実際に報酬に関しても機密費から捻出していた。

 そんな極秘行動に近いそれにも関わらず、まるで子供が玩具を見るかの様に先ほどまでの鬱積した目は成りを潜めている。ストレスの限界だからなのか、龍玄の視線すら物ともせず、時宗は次の行動へと移していた。

 

 

「そうは言うが、実際には別の思惑もあるんだろ?」

 

「まぁ、そうだね……実際には事務方に任せれば良いんだけど、折角ならこの目で直に見た方が良い事もあるだろうしね」

 

「護衛は今日一日だ。好きにすれば良いさ」

 

「頼んだよ」

 

 車内に他の人間がいれば確実に驚く様な会話だった。

 実際に時宗と龍玄は事実上の親戚の様な扱いでこれまで接している。本来であれば護衛が対象者に口を開く事は早々ない。しかし、今は誰の目も無いからなのか、時宗もまた口調が完全に何時もの様になっていた。

 そんな中、龍玄の通信機が鳴り響く。通常の任務では無く青龍としての音だった。

 

 

 

 

 

 会場を眺めていた朱美は周囲を見ながらも外から感じる不穏な空気を感じ取っていた。

 会場内にはそんな怪しい素振りをする人間がいないのかを探知する役割をはたしているも、そんな人物は見当たらなかった。

 実際に今回の招待客は会場内に入る際に半ば無意識の内に調査されていた

 。面通しだけでなく、銃器や武器になりそうな物をもっていないのか、それとも害悪を持つ様な感情を持ち合わせていないのかは毎時確認されている。

  そんな中ですり抜ける事は不可能に等しかった。事実、外部では僅かに緊張した空気が張り出している。それが何なのかを感じ取ったのは、朱美と刀華の二人だけだった。

 

 

「刀華ちゃん。気が付いてる?」

 

「はい。ですが、この件は……」

 

「知らせる必要は無いわ」

 

「ですが……」

 

「大丈夫よ。もう終わるから」

 

 ウインクしながら話す朱美の言葉に、刀華は何が起こるのかを理解出来なかった。

 実際に何かあってからでは遅いのは間違い無い。しかし、会場内を放り出してまで動く事は出来なかった。

 会場責任者でもある朱美が何もしなくても良いと言う以上は動く事も出来ない。その言葉の意味を理解するまでに少しだけ時間が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時宗。どうやら銃器を持ったゲストが大使館の方に移動してるらしいぞ」

 

「そりゃ面倒な事になるね。取敢えずは周辺に問題が無いようにしてくれると助かるね」

 

「そうか。ではこちらで勝手に処分する事にしよう」

 

 羽虫が舞い込んだかの様に軽い言葉ではあったが、その一言が全てだった。

 大使館襲撃をこの国でさせるとなれば事実上のテロ行為。銃器を用立てている時点で大よその見当はついていた。

 以前に襲撃した解放軍。恐らくはその残党か、若しくは他の支部の人間の可能性が高かった。

 既にこちらも大使館に向けて移動している。だからなのか、時宗もまた気軽に話をしていた。

 

 

「そうそう。念の為に組対には連絡しておくから、生かしておいてもらえると助かるね」

 

「相手にもよるな。まだ現段階では詳細が分からん。銃器を持っている以上、全員は難しいだろうな」

 

 時宗が携帯で連絡を入れると同時に龍玄もまた指示を飛ばす。恐らくは朱美だけでなくカナタも知るはず。少なくとも会場に動揺を作る事だけは避けるしかなかった。

 

 

「時間はどうする?」

 

「そうだね。一時間後には到着する予定だから、それまでに頼むよ」

 

「それだけあれば十分だ」

 

 龍玄は言葉を発すると同時にハンドルを予測地点へと切る。

 幾ら龍玄が青龍として動くとしても、このまま時宗を同伴させる事は出来なかった。

 実際の現場に官房長官が居るとなれば色々な憶測を呼びやすい。だとすれば、現地の人間と交代するか、他の人間と交代する必要があった。

 朱美に指示を出した事によって交代の人員と合流する。既に襲撃者は捕捉されているからなのか、後は時間との闘いだった。

 

 

 

 

 

 大使館の周辺は何も知らない人間からすれば、今日は無人なのかと思う得る程に静寂を作り上げていた。

 防音している事が原因だからなのか、内部の音を拾い上げる事は難しい。

 事前に情報を察知しているからこそ、今日の襲撃はギリギリまで知らされる事は無かった。

 

 大国ではなく小国の大使館。これが名も知れない国であればそれ程気を使う事は無かったが、この国には現在留学中のA級魔導騎士ステラ・ヴァーミリオンがゲストとして来ている。

 そのステラが来る事によって集まるであろう財界人からの資金の強奪を目論んでいた。

 

 周囲を確認するも、熱探知には何もかからず、気配もまた感じる事は無い。本来でれあれば外部の護衛が居るかと思われたものの、本当に何もいない事に襲撃者たちは疑問を持っていた。

 既にめぼしい拠点は正体不明の何かに壊滅させられている。

 仮にこのまま他の支部に向かったとしても待っているのは粛清だった。

 

 交渉するにも材料が無ければ何も出来ない。既に男達は追い詰められていた。

 このままでは最悪は身内から命を狙われる。起死回生の逆転をする為には、既になりふり構わず行動するしか無かった。

 

 

「周囲の状況はどうなってる?」

 

《こちらは異常無い》

 

「中はどうだ?」

 

《ここからは不明だ。だが、事前情報だと数人の警備は要るらしい》

 

「どんな様子だ?」

 

《窓から見えた感じだと、壁際に何人かいるみたいだが、大した事は無さそうだ》

 

 男はかなり慎重になっていた。

 実際に襲撃するのは簡単だが、問題なのは来賓とこちらが必要な人質をどうやって分けるかだった。

 実際に伐刀者相手にこれまでにも何度か交戦した経験があるからなのか、手口そのものは手慣れている。しかし、伐刀者を人質にした場合、何かと面倒な事が起こるのは間違い無かった。

 緊急時には固有霊装の展開は法律で認められた行為。防衛の為の身の保証は自分でするのは当然の事だった。

 それと同時に伐刀者がどれ程理不尽な行動を起こすのかも良く知っている。

 だからこそ、人質には見えない鎖の代わりになる人間が必要とされていた。

 招待客の殆どは事前に調査が完了している。これが何時もの任務だと判断したからなのか、通信機越しの声も下手な緊張感に包まれている様には感じなかった。

 だからこそ時間がくると同時に何時もと変わらない行動を起こす。たったそれだけの話だった。

 

 

「そうか。時間は予定通りに決行する。準備は良いな?……おい、どうかしたのか?」

 

 本来であれば来るべきはずの返事は返ってこなかった。

 元々それ程親しい訳では無いが、任務そのものは何度か一緒になっている。当然お互いの実力を知るからこそ、返事が無い事に違和感を覚えていた。

 見えない何かが迫り来る。男はそれを感じる事無く、暗闇から突如として生えた腕にそのまま意識を刈り取られていた。

 

 

 

 

 

「時宗。全員を捕縛が完了した。直ぐに向かわせてくれ」

 

《相変わらず仕事が早いね。こっちはまだ準備中だよ》

 

「そんな事は知らん。元々時間は決めてあるんだ。さっさと人間を寄越す様に促してくれ」

 

 龍玄は足元に倒れた男に視線を僅かに動かしながらも依頼主でもある時宗に状況を伝えていた。

 既に意識を完全に失っているからのか、倒れた男が動く様子は無い。龍玄はまるで何もなかったかの様にジャケットの襟を正していた。

 

 

「それと、今回の襲撃は単独犯だろう。裏には恐らく何も無いはずだ」 

 

《へぇ……そうなんだ》

 

「持っている銃器は古臭い。以前に接収した物からすれば、可能性は限られる。後の事は勝手にすれば良い」

 

 時宗の言葉に龍玄はそれ以上言うつもりは無かった。

 後の事は組対の人間が勝手にやる。龍玄としては戦闘の範疇にすら含まれていなかった。

 今更だったからなのか、時宗もまたそれ以上いつつもりは無いからなのか、そこで通信が途切れる。このまま会場で合流すればそれで終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解したわ。後はこっちでやっておくから」

 

 朱美は耳朶に響く声に、事の顛末を確認していた。

 既に襲撃者は捉えられ、後は時宗の子飼いの部下にやらせるからなのか、龍玄の合流まではそのまま護衛を引き継いでいた。

 詳細は不明だが、元々場外の戦闘に関して一々口を挟むつもりは毛頭ない。自分が与えられた任務をこなすだけだった。

 

 

「朱美さん。どうかしましたか?」

 

「いえ、特に何も。それとゲストが来るから少しだけ宜しくだって」

 

 朱美の言葉にカナタは何も分からないままだった。

 実際に会場内の警備に関しては純粋な戦闘力だけ言えば朱美が一番であることはカナタも理解している。

 特に通常の服であればある程度は戦力としてもカウント出来るのは刀華もだったが、普段は着なれないドレスだからなのか、その力は半減しているはず。

 目の端に止まるのは僅かに戸惑いながらも警備をしている姿だった。

 気が付けば既に連絡を受けているからなのか、何も知らないスタッスが慌てふためいている。

 元々予定になかった人物の来訪だからなのか、カナタは朱美から聞いた事によって理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、これはバイト代だ。受け取ってくれ」

 

 警備はその後、滞りなく完了していた。

 何時もの早朝の鍛錬の時間に龍玄は一輝に封筒を渡していた。元々アルバイトだった為に、報酬は当然発生する。一輝としてはそれ程意識していなかったからなのか、龍玄からもらった封筒の中身を確認する事なく何時もと変わらない日常を迎えていた。

 

 

「龍。これ多く無い?」

 

「そうか?それでも安い位なんだがな。嫌なら遠慮なく受け取るぞ」

 

 一輝が驚くのも無理はなかった。

 一晩のアルバイトにしてはかなりの金額が封筒の中に入っていた。幾ら世間の相場が分からないとは言え、一輝の予想を上回る金額に少しだけ慌てていた。

 

 

「そんなんじゃないんだけど、これって思ったよりも多いかと思ったんだよ」

 

「世間の相場は知らんが、あれはある意味では口止め料も含まれてるんだよ。実際に国賓と変わらないだけでなく、仮に漏洩すればその責任も発生する。そう考えれば安い物さ」

 

「そっか……」

 

「それでも気になるなら、ステラでも誘ってどっか行けば良いだろ?」

 

 当然とばかりに龍玄は一気に軽口を叩いていた。本来であればこの場にはステラも居るはずではあるが、昨晩の予定はそのまま今日の午前中まで詰まっている。

 本来であれば一日だったが、まだ予選会の最中。だからなのか、それまでには間に合うように事実上の公務が残されていた。

 

 

「そうだね。少し考えておくよ」

 

それ以上の事を考える事を放棄したからなのか、一輝はそのまま鍛錬を再開していた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、カナタ。その写真どうしたの?」

 

「これは少し時間に余裕があったので撮ったんですよ」

 

「でも随分と珍しい格好だね」

 

「強力な援軍が居ましたから」

 

 泡沫の言葉にカナタは微笑を浮かべていた。

 カナタが見ているのは刀華のドレス姿。普段はこんな格好をする刀華を見る事がなかったからなのか、泡沫もまた物珍し気に見ていた。

 写真は先日のドレスの打ち合わせの為に数枚撮った物。刀華のどこか恥ずかし気な表情は泡沫にとっても珍しい表情だった。

 

 

「昨日は大変だったの?」

 

「いえ。それ程ではありませんでしたよ。何時もと同じですから」

 

 生徒会室に刀華の姿は無かった。何か用事があったからなのか、刀華は理事長室に居る。その為にこの部屋にはカナタと泡沫以外には誰も居なかった。

 

 

「因みに話位は大丈夫?」

 

「それ位なら」

 

 泡沫が何を目的に確認したのかを理解したからなのか、カナタもまた笑みを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。

 まだ小さな子供の頃から良く知っているからなのか、その写真が何かのネタになるのは間違い無い。

 非日常的なそれは話題を提供するのは十分だった。お互いが何を考えているのは言うまでも無い。泡沫はまだ来ぬ刀華に何を言おうかと表情に笑みを浮かべていた。

 

 

 



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第25話 思惑

 伐刀者と一般人の違い。単純な異能としての差が現代に於いて大きな差を明確に着けていた。

 事実、世間の目は色々な意味で肥えている。純粋な技量だけを至高の域にまで高めたとしても、その技量がどれ程高度で厳しい修行を積んだ結果なのかを知る術はない。

 実際に達人同士の戦いは常に刹那的だった。

 互いが交差した瞬間決着が着くのは、偏に互いの技量を知り、如何に隙を突くかが全てとなる。当然ながらその戦いは地味だった。しかし、その対極とも取れるのは伐刀者達の戦いだった。

 

 自身の異能を使う事によって大気を裂き、雷を呼び、氷雪や紅蓮の炎を呼び起こす。傍から見れば派手な攻撃である為に、見る側も十分すぎる程に分かり易かった。

 事実、今の世界においてKOKの興業収益は天井知らず。学生騎士による七星剣武祭もまたそれに準ずる程だった。放映権が高額になるだけでなく、またそれを目指す事によって自身の未来が切り開かれる。上位の人間は必然的に名が売れ、またその実力を見込んだ未来が予測されるのは当然の事だった。

 

 

「くっそたれが。どいつもこいつも話にならねぇ」

 

 サングラスをかけた男もまた一人の伐刀者だった。事実、昨年の七星剣武祭ベストエイトは伊達ではない。本来であればこんな場末でたむろう必要はないはずの実力を有していた。

 学生の頂点でもある武祭の上位は当然ながら学生だけでなく、大人のレベルでも中堅以上の実力を有している。にも拘わらず、日の当たらない場所で男は鬱屈としながら自身の能力を行使していた。

 

 その原因を作ったのは破軍の学生とその関係者。本来であれば負けるはずがないと思われた戦いは、ものの見事に完敗となっていた。

 一人は伐刀者にも拘わらず固有霊装の展開はせず、またもう一人は近接攻撃ではあったが、その戦い方は確実に相手を仕留めるやり方だった。

 術中に嵌った時点で負けが決定されている。惜敗ではなく完敗だからこそ男はある意味では潔く、またある意味では負けず嫌いだった。

 場末特有の喧噪は先程までここで何があったのかを完全に隠蔽している。それはあの時の帰り際に言われた言葉が原因だった。

 

 

 

 

 

「貴方は弱いのよ。その程度で粋がるのは見っともないわよ。折角の才能が泣いてるわ。せめて剣の(ことわり)位は学んだ方が良いわ。出直しなさい」

 

「………んだと」

 

「このまま負け犬のまま過ごした所で、私達には関係無いのよ。命があるだけでも感謝する事ね」

 

 女に言われた通り、蔵人自身が事実上の負けを悟ったのは倒され、意識が戻ってからだった。

 女の攻撃は感知されない程の微量な何かによって行動を妨げ、その結果負けを期している。まだ学生だからではなく、純粋な殺し合いの場では死でしかなかった。

 女が言う様に命があっただけありがたい。認識したくない現実を突きつけられていた。

 

 

「負けるのが嫌なら鍛える事ね。でも、次があるとは限らないから」

 

 笑みが零れながら放たれた一言。鋭利な刃物の様な言葉はそのまま蔵人の自尊心を完全に切り裂いていた。

 実際に戦った時の感情と今の感情は確実に異なっている。

 僅差で躱されているのは、完全に蔵人の攻撃が見切られた証拠だった。

 ミリ単位となれば剣筋も確実に見えている。剣の理の意味は分からないが、少なくとも現状のままに再戦すれば、次に待っているのは完全なる死だった。

 学生とは言え、実戦を積んだ人間であれば実力の差がどれ程離れているのかは何となくでも理解出来る。

 実際に蔵人も元々の原因を作った風間龍玄に意識が向き過ぎた為に、対戦相手の十六夜朱美の事は全くと言って良い程に無視していた。

 互いに近接攻撃を繰り出しはしたが、全てがことごとく躱される。その結果が今に至っていた。

 それと同時に、このままでは自分自身が納得できない。そんな思いからこんな場所での事実上の乱闘に近い事を繰り返していた。

 

 これまでに倒した相手は数える事も無い。雑魚ばかりかと思われたが、時折手練れの人間が居た為に、蔵人は自身の修行の一環としてやっていただけだった。

 これまでは何も思わなかったが、今なら分かる。自分よりも隔絶した格下の人間と戦った所で得る物は何も無い事実。それは奇しくも蔵人自身が龍玄に放った言葉の真意だった。

 

 

「くそっ。やっぱりこのままは拙いか」

 

 蔵人の悪態に返事をする人間は居なかった。

 実際に魔導騎士連盟が主体となって作られた学校は全部で七つ。その中でも関東圏にあるのは破軍学園と貪狼学園の二校だった。

 

 同じ関東圏にあって、この二つの学園の校風はなかり異なっている。

 破軍学園の様にある程度の規律が整った学校であれば朱美が言った剣の理を学ぶ事も可能だったかもしれない。しかし、蔵人が所属する貪狼学園はそんな事を真剣に考える人間は極少数だった。

 

 実際に基本のカリキュラムは同じでも、そこから派生する内容は学園によって異なっている。その結果、貪狼学園は蔵人以の様に身体能力が高い者が上位になる事が殆どだった。

 事実、蔵人もまた自身の神速反射による恩恵を受け、今の地位に至る。だからなのか、少数の人間に話を聞いた所で、自分よりも弱い人間の理論を受け入れるつもりは毛頭無かった。

 それよりも自身が学びたいと思える物を探す。そんな思いがあるからこそ、蔵人は場末のここで学ぶべき物を模索していた。

 

 

 

「剣の理……か………」

 

 身体能力が高いが故に、先人から学ぶと言う概念が蔵人には無かった。

 実際に学生のうちは特段問題は無いかもしれないが、少なくとも学園を卒業すれば嫌が応にも自身と向き合う必要が出てくる。

 幾ら魔導騎士としての認可が出たとしても、少なくとも自分よりも強者が多いのは蔵人も理解していた。

 これまでの様に驕る気持ちは毛頭無い。今出来るのは自分がどれ程の位置にいるのかを確認する程度でしか無かった。

 力任せの獣の攻撃は優秀な狩人によって始末される。今の蔵人はまさにその狩人そのものだった。

 誰も居ないこの場所からゆっくりと離れる。今後の事を改めて考えながら蔵人はこの場から立ち去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの……イッキ。週末って空いてるかしら」

 

「今週末の事?」

 

「そ、そうなんだけど……少しだけ、は、話がしたいなって…」

 

 ステラの意を決したかの様な言葉に一輝は少しだけ予定を思い出していた。

 元々週末の予定は自己鍛錬の為に過ごす事が多く、前回の様なアルバイトが入る事は稀でしかなかった。

 実際に会場内で一輝を見たステラも少しだけ驚く部分があったからなのか、二言三言交わした程度で終わっていた。

 実際には帰るべき場所は同じだが、ステラは次の日はそのまま予選会が始まる直前の授業まで破軍には居なかった。

 予選会は授業の参加は関係ない。純粋に決められた時間に決められた場所に居る事が最低条件だった。

 着替えの為に戻りはしたが、慌ただしい為にゆっくりとは出来ない。僅かな休み時間も、そのまま授業に突入した為にもう少し改まった話が出来ないまま今に至っていた。

 

 

「別に部屋でも良いんじゃないの?」

 

「そう言われればそうなんだけど……」

 

 授業は既に終わり予選会は開始した直後だったからなのか、ステラと一輝以外には教室は誰も居ない。

 白昼の空白だったからなのか、ステラは少しだけ頬を赤くしながら一輝に確認していた。

 基本的に一輝がステラ関連で断る事は殆ど無い。だからなのか、自室でも問題無いと思ったものの、ステラにとってはそうは言えない内容だった。

 

 

「一輝。折角ステラが何か言いたげなんだ、改まった場所で良いんじゃないか?」

 

「ひっ!」

 

 もじもじしたステラはこの瞬間、心臓が大きく跳ねていた。この教室には人が居なかったはず。そう確認したからこそ一輝に対して言葉にしていた。

 突如として背後から聞こえる声に心臓だけでなく、全身が驚きで跳ねる。思わず振り返った先には龍玄が当然の様に立っていた。

 

 

「あれ?どうかしたの?」

 

「ちょっと忘れ物をしただけだ。で、一輝。ステラが折角そうやって言うんだ。バイト代も入ったなら少しはデート位したらどうだ?」

 

「で、ででででデートだなんて、私と一輝はそんなんじゃ……」

 

「何言ってるんだ?昨日だって色々と話したい事があったんだろ?」

 

 龍玄の言葉にステラだけでなく、一輝もまた少しだけ龍玄に聞きたい事があった。

 会場内に居た黒髪の女性は紛れもなく実力者。芯が通った立ち姿は少なくとも一輝の目を引いていた。

 恋愛や見とれたのではなく、あくまでもその立ち振る舞いから何らかの業を持っているはず。そんな事を思い出していた。

 しかし、隣に居たステラは全く違う事を考えていたからなのか、顔は一気に熱を帯びた様に赤くなる。自分達の事は何となく知られているからなのか、龍玄の言葉にステラはそれ以上の反論をする事は出来なかった。

 

 

「そうだね。僕も少しだけステラと話したい事があったんだ。でも、その前に龍にも少しだけ聞きたい事があるんだけど、良い?」

 

 赤くなるステラをよそに、一輝もまた確認したい事があった。

 確かにバイト先がヴァーミリオン公国の大使館だったのは驚いたものの、それ以上に驚いたのは警備している人間の質だった。

 自身の観察眼に自信があるからこそ、あの異常とも取れる警備内容は違和感の塊だった。

 

 外部の警備に関しては何も分からないが、内部にいた数人の警備の中でも特に一輝の目に留まったのは一人の女性。

 異性としての意識ではなく、純然たる戦闘能力を看破したが故の視線だった。

 ステラには誤解されたが、一輝自身には疚しいと思う部分は一切無い。それを理解したからなのか、龍玄は一輝の質問に答えられる範囲の中で説明しようと考えていた。

 

 

「今回の警備なんだけど、結構な手練の人が多かったんだけど、龍は知ってたの?」

 

「半分は知ってたが、半分は知らん。実際にあの現場を仕切ってたのはカナタだからな。俺は別の現場に出てたんでな」

 

「そっか……」

 

 龍玄の言葉に一輝は、やはりと思う部分があった。詳しくは知らないが、大使館を警備する人間の技量が未熟である可能性は皆無でしかない。仮に襲撃を許せばテロ行為に屈した事にもなりかねない。幾ら詳しい事は知らないとは言え、そこから先に何が起こるのかは考えるまでもなかった。

 少なくとも一輝の知る中では破軍の関係者以外の人間は、誰もが一騎当千とも取れる強者の集まり。龍玄の実力を理解しているからこそ一輝は確信していただけだった。

 当然ながら半分と言った事に該当するかもしれない。そんな事を考えたからなのか、一輝はそのまま言葉を続けていた。

 

 

「実は会場を見てた際に、一人の女性の立ち振る舞いが目立ってたんだよ。芯が一本入ってると言うか、自分を完全に律してると言うか……とにかく気になったんだ」

 

「ああ……成程な」

 

 一輝が言う人物は誰なのかは龍玄も理解していた。

 実際に自分達から出ているのは朱美だけ。それ以外は下忍クラスの人間が大半を占めていた。

 元々下忍と言えど実力はかなり高い。少なくとも解放軍程度に負ける要素は何処にも無かった。

 実際に表の部分は公表した所で問題になる事は無い。何よりも一輝自身が直接戦う事にならなければ、龍玄としては特段問題視する必要は無かった。

 

 

 

 

 

「なるほど……言われてみればそうかもしれないね」

 

「だが、基本的には公言は避けて貰いたい。何と面倒な部分が多いんでな」

 

「龍が言うなら特に何も言わないよ」

 

 龍玄からの説明に一輝もまた思い当たる部分があったからなのか、それ以上の事は言わない事を約束していた。

 基本的に武術や剣術の世界には失われた業と言う物が幾つかある。一輝が確認の為に聞いた女性が誰なのかは龍玄も直ぐに当たりがついていた。

 元々風魔の殆どが、今となっては失われた技術の集合体でもあり、隠密性を考えると技術が表に出るのは良い方向ではない事を理解している。

 幾ら一輝がその洞察力で技術を盗もうと考えた所で、肝心の奥伝と呼ばれる部分まで到達するのは不可能だと判断した結果だった。

 ステラの存在がある為に、ある程度の事はボカシながらも簡潔に説明する。ある程度納得できたからなのか、一輝もまたそれ以上聞く事は無かった。

 

 

「本気になって戦った場合は俺も正直な所、勝率はそれ程良くは無い。相性の問題もあるんだが、概ね事実だ」

 

「そうなんだ……出来る事なら一度位は戦ってみたいんだけどね」

 

「機会があればって所だな」

 

 これ以上の会話は危険だと判断したのか、龍玄だけでなく一輝もまたステラの下へと戻る。既にお互いの予定があったからなのか、龍玄もまた自身のやるべき事の為にこの場から離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら?メス豚が珍しく浮かれてるみたいですが、どうかしたんですか?」

 

「何!……ってシズク」

 

 一輝との週末の予定にステラは珍しく浮かれていた。

 それと同時に背後からかけられた声に僅かに戦慄する。声をかけたのはステラの事何かと敵視する珠雫だった。

 何を考えているのかは分からないが、少なくとも現時点で今後の予定を嗅ぎつけられるのは拙い。そう判断したからなのか、ステラは今はやり過ごす事に専念していた。

 

 

「何時もよりもその太い脚が更に太くなってる様に見えますが、キチンと訓練はしてるんですか?」

 

「言われなくともやってるわよ。それこそ大きなお世話だわ………って、どうかしたの?」

 

 何時もの様な喧嘩腰の口調ではあったものの、表情は確実に違っていた。

 実際に予選会が始まってからは上位陣に食い込む為には一敗の負けも許されない状況は、該当する選手にも想像以上に心理的な負担を強いていた。

 

 今年に限って言えば、昨年の代表者の殆どが一敗以上している。そんな中でも最近の出来事でもあった貴徳原カナタの不戦敗が更に拍車をかけていた。

 何も知らない人間からすれば楽観視出来るが、一定以上の力量がある人間からすれば、ある意味では危険な心理に陥っていた。

 

 手負いの獣程危険な物はない。一敗でもしている人間が食い込む為にはそれ以上に貪欲に勝ち続ける必要があった。

 対戦相手は機械的に決められている為に、誰に当たるのかは分からない。しかし、後半に差し掛かった頃から対戦相手の傾向がより顕著な物になり出していた。

 その最たる物が勝利者同士の争いと、一定以上の技量を持った人間との戦闘。カナタだけでなく、その中には龍玄も含まれていた。

 

 まだ如実に数字には出ていないが、確実に星取の読み合いが複雑になりだしている。

 既に当初の負け無しの人数は両手未満片手以上になりつつあった。その中の一人が一輝の妹でもある珠雫。

 当然の様にステラと一輝もまだ無敗のままに勝ち進んでいる。だからなのか、浮かない表情の珠雫の心情を悟ってステラが気にかけていた。

 

 

「貴女には関係無い話です。元から対戦相手としてのシミュレーションはやっていましたので」

 

「ちょっと待って。貴女の対戦相手って……」

 

「学園序列一位の東堂刀華です」

 

「……そう」

 

 刀華の名前にステラもまた思案する部分があった。

 学園序列一位は伊達では無い。実際に大使館でもその姿を見たが、実際に見て良かったと考えていた。

 耳で集めた情報と実際に予選会で見た情報に齟齬は無い。しかし、実際に話をしたり様子を見る事によってステラはその認識を変えていた。

 実際に対戦しなくとも、どれ程の力量なのかは言うまでもない。だからなのか、珠雫が警戒するのは当然だと考えていた。

 実際にステラもあの時会わなければ同じ感覚を持っていたに違いない。そんなステラの考えを珠雫もまた読んでいた。

 

 

「貴女に同情される謂れはありません。貴女の存在が忌々しいのは承知ですが、今はそれよりも大切な事があります。僅かな安穏とした時間を過ごすと良いでしょう」

 

「シズク、もう少し何か言う事ってないの」

 

「そんな暇はありませんので」

 

 今の珠雫の反応を見る限り、一輝との予定を邪魔する事は無いかもしれない。

 事実、七星剣武祭でもその内容を確認すれば一つの事実が浮かび上がる。

 昨年優勝した人間は確実に刀華の間合いの外からの攻撃によって勝利している。当然そうなれば攻撃は一方的になるのは必然だった。

 実力者同士の戦いの場合、間合の違いは致命傷になる。そう考えると間合の外からの攻撃はある意味では刀華の天敵と言えていた。

 そんな人物と戦うと考えているからなのか、珠雫の雰囲気もまた剣呑とした空気を纏っている。先程まであった浮かれた空気は既にステラの中に内包していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……今日はありがとう」

 

「いや。これまで大した事はしてなかったし、ステラにも迷惑をかけた見たいだからね」

 

「迷惑って……だってあれは私の一方的な誤解だったんだから、それ以上は言わないで」

 

 一輝との事実上のデートにステラは少しだけ自分の過去の言動に反省をしていた。

 元々大使館でも少しだけ話題に出た人物は、一輝だけでなくステラもまた気が付いていた。

 一定上の技量を伴う人間特有の動きは一輝だけでなくステラの視界にも入ってくる。

 卓越した動きがあった訳では無く、純粋にその人物の呼吸や間合いを把握した事によって入る技術は到底真似出来る物ではなかった。

 一輝もまた龍玄から聞いた話をそのままステラに告げる。だからなのか、ステラも少しだけ反省していた。

 

 

「でも、やっぱりステラって皇女なんだって改めて感じたよ。あんなに似合うとは思わなかった」

 

「そうかしら?私は何にも感じる事は無かったんだけど」

 

「それは、ステラがその世界で生きているからだよ。僕からすれば十分に凄いから」

 

 一輝の言葉にステラは改めて当時の状況を思い出していた。

 確かに皇女として求められているのは皇室の人間であれば当然の事だった。

 人間は誰しもが産まれを選ぶ事は出来ない。持って産まれた資質は変える事は出来ないが、それでもまた資質に胡坐をかいて生きていくのは個人の自由だった。

 実際にステラもまた人知れず多大な努力をして今に至る。そんな事は一輝とて理解いているはずだった。そんな一輝の感情にステラは何となく気が付く。

 一輝の根底にある考えが何なのかはステラにも理解出来なかった。

 

 

「イッキ。言っておくけど、産まれは私が好き好んで選んだって訳じゃ無い。実際に産まれた場所によってその資質がどうなるのかはその人の努力の結果だと思う。だから、イッキが私に気兼ねする事なんて無いわ」

 

「……そんなつもりじゃなかったんだけどね。確かに少しだけ場違いな空気が漂っていたのは事実だったから」

 

「でも、イッキは私の事を皇女として見てなかった」

 

「それは…………」

 

「だからイッキ。私は私なの。一人の女として見てほしい。それに……イッキは私の………こ、恋人なんだし」

 

 オープンカフェに居た為に周囲は常にざわついていた。

 実際に週末だからなのか、客数が多く常に末状態が続いている。事実、この場にステラが居たとしても気が付く人間は皆無だった。

 だからこそ、自室ではなくこんな場所で気軽に会話をしている。特殊な環境ではなく日常のごくありふれた一幕だった。

 

 

 

 

 

「意外ね。まさか一輝がこんな店を知ってるなんて」

 

「知ってると言うよりも、龍に教えて貰ったんだよ」

 

 デートの最後に差し掛かったからなのか、一輝がステラと一緒に向ったのは少しだけこじんまりとしたレストランだった。

 元々一輝がこんな店を知っているとは思っていなかったからなのか、ステラの驚きの言葉に複雑な表情を浮かべていた。

 実際に一輝がこれまでに外に対して意識を持つのは修行以外には無い。

 娯楽そのものは多少なりとも理解はするが、実際にこんな場所を知っているはずがなかった。

 

 元々今回のデートの原資となったアルバイトの費用も龍玄からの紹介。だからなのか、その際に龍玄から色々と聞く事になっていた。

 ステラの境遇を考えれば、カフェ程度であれば多少の目も誤魔化す事は可能だが、本格的な食事ともなれば話は別。

 何処にどんな目があるのか分からない。そんな事情を反映した様な店だった。周囲にも喧噪はあるが、この路地だけはまるで異空間に切り離された様にも感じる。路地裏までは行かないが、店そのものが知る人ぞ知る店だった

 

 

「出来ればその言葉が無ければもっと良かったかも」

 

「実はとは言いたかったんだけどね。ステラに嘘を吐くのも心苦しいからね」

 

 まるで一見の客は入店禁止だと言わんばかりの重厚な扉がその存在を主張している。

 バーの様な雰囲気をしているが、実際には完全個室型のリストランテ。お忍びで使うケースもあるからなのか、店内もまた完全に誰が入店しているのかが分かりにくい構造だった。

 テーブルに置かれた蝋燭の焔が二人を歓迎するかの様にゆっくりと揺らぐ。防音もされているからなのか、誰の目も気にする事なく二人の時間を楽しんでいた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、今回のシズクの対戦が東堂刀華だったけど、そんなに強いの?」

 

「そうだね。少なくとも昨年の七星剣武祭のベストフォーは伊達じゃないよ。実際に手合わせはした事が無かったけど、この前のアルバイトの際に少しだけ話をしたんだ。詳しい事はともかく、戦闘時の隙は殆ど無いだろうね」

 

 食後のコーヒーを飲みながらステラは不意に珠雫の事が気になっていた。

 実際に二言三言は話したものの、実際にどれ程の実力があるのかをステラは理解していなかった。

 

 この予選会に於いて本来であれば事前に分かる対戦相手の内容を調べるだけの時間は用意されている。対戦相手の過去の情報を解析する事によって、得意な攻撃やそのパターンに対する策を構築するだけの時間を意図的に学園側は与えていた。

 勝率を上げ、対戦相手の内容を確認すれば当然ながらその戦略も必要となってくる。今回の予選会は純粋に一番力がある人間だけが生き残れる内容になっていた。

 

 既に後半に突入した時点で概要の推測は完了している。実戦を重んじるが故にステラはこれまでに対戦相手の事を一度も調べる事無く来ていた。

 勿論、自分の能力を過信している訳では無い。

 この国に来た時点で自身の力を高めよう研鑽を積んできていた。だからこそ珠雫の表情が気になっている。対戦相手が誰なのかを理解しているからこそステラだけでなく一輝もまた何も出来ないままだった。

 

 

「ねぇイッキ。この予選会なんだけど、後半は前半とは違う構成をしているって気が付いてた?」

 

「その件なら、大よそながらだけどね。星取が読みにくくなってるけど、これまで無敗だった人間が軒並み厳しい戦いを強いられてるから」

 

 一輝の言葉にステラは自分の考えが確信めいた物へと変わっていた。

 事実、後半戦に突入してからの対戦は、上位陣になればなるほど厳しい戦いへと変わっていると感じているのは現時点では少数だった。

 無敗の人間同士の潰し合いを、すればするほど無敗の人数は減少している。実際に気が付いた所で自分達に出来る事は負けない様にする事だけ。それを理解しているからこそ珠雫の表情が強張るのは当然の事だった。

 作為的な物があれど、実際に負けた時点で言い訳にしか取られない。これが何を意味するのかが分からないからこそ、ステラは自分だけでなく一輝にも確認の意味で聞いただけだった。

 

 

「本音として聞きたいんだけど、シズクとトウカが戦ったらどっちが勝つと思う?」

 

「間違い無く東堂先輩だろうね。今の珠雫だと経験が足りない。でも、負ける前提で珠雫が考えるとは思わないから、実際にはこの目で見ないと分からないだろうね。珠雫も過去の対策は見てるだろうし、その辺りの対処によると思う」

 

「明言はしないのね」

 

「確かに身贔屓したいけど、こればっかりはね……」

 

 ステラの問いに答える一輝の表情は曇ったままだった。

 実際にどちらが勝つのかは蓋を開けてみない事には分からない。まさにその言葉以外に何も言えなかった。

 珠雫の魔力の容量とその操作能力は一輝が知る中でも一年ではなく破軍全体で見ても上位に入るのは間違い無いと考えている。実際に東堂刀華その人を見て居なければ、間違い無く珠雫が勝つと一輝も考えていた。

 実際に昨年の状況を考えれば近接攻撃をせず、遠距離からの攻撃をすれば可能性は高い。少なくともそう考えていた。

 

 しかし、現実を見た際に感じたそれは一輝の予想を大幅に上回る結果となっていた。

 少なくともアルバイトで見た刀華はある意味では警備の面では完璧だった。

 音と存在を極限まで少なくすることによって、本来のホストを際立たせ、自分の存在を押し殺す。純粋に影が薄いのではなく、意図的にそれを行っている点だった。

 刀華程の実力者になれば過去の映像の入手は容易い。当然一輝もその映像を目にしていた。

 

 過去はどこまで行っても過去でしかない。本人の成長率がどれ程なのかが読めない以上、ステラの質問に迂闊に答える事が出来ないでいた。

 そんな取り止めの無い会話をしながら裏路地に近い場所を歩く。その瞬間、一輝だけでなくステラもまた先程とは打って変わって急激に緊張を高めていた。

 

 

 



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第26話 成長の度合い

 人通りが少ない路地とは言え、それでも一定量の人影はあった。

 実際に裏路地と言ってもそれ程危険な場所ではない。厳密にはメイン道路から一本だけ脇に逸れただけの路地が故にこれ程の緊張感を滾らせる必要は何処にも無いはずだった。

 僅かに聞こえる声と同時に、ほのかに臭う鉄錆の空気。紛れもなくこの近隣で何らかの戦闘が行われている証拠だった。

 

 

「ステラ、少しだけ良い?」

 

「私は平気よ。でも、これって………」

 

 一輝の言葉にステラも同意はしたものの、こんな場所で何故これ程まで緊張感が高まるのかが分からなかった。

 しかし、感じるそれは紛れもなく狂暴な剣氣。喧嘩と言うには余りにも酷い物だった。

 周囲に対し耳を澄ます。僅かに聞こえたのは僅かに聞こえた声。恐らくはこの裏手か、それよりも奥からだった。

 

 

「ああ。間違い無くどこかで乱闘してるんだろうね。喧嘩のレベルは超えてるみたいだから」

 

 一輝の言葉にステラも改めて周囲を意識する。確かに言われればと言う気もするが、実際には喧噪もある為に明確に聞く事は出来なかった。しかし、一輝が言う様に周囲に撒き散らす剣氣は明らかに尋常ではない。それが危険な行為だと分かっていても、一輝の中では見捨てると言う概念は存在しなかった。

 改めてその方向へと足を向ける。折角の週末が最後の最後で締まらない。そう考えながら、現場と思われる場所へ向かい出していた。

 

 

 

 

 

「イッキ………」

 

 僅かに聞こえた声を頼りに二人は目的の場所に辿り着いていた。二人の目に飛び込んでいたのは蹲りうめき声を出す男達。予想はしていたものの、その光景は想像を超えていた。

 服装や雰囲気から、明らかに一般人の様には見えない。寧ろ、暴力を糧として生きている様にも思えていた。

 それと同時に不可解な点もある。喧嘩であれば何かしら殴られた痕跡があるはずだが、目の前に居る人間は誰もがそんな部分が見えなかった。

 殴るのではなく、何か棒状の様な物で叩き付けられている様にも見える。それが何なのかは近づいた瞬間、判明していた。

 

 

「ステラ。多分だけど、これは霊装の幻想形態かもしれない」

 

「でも、動かないし、打撃痕もあるわよ」

 

「恐らくだけど、限りなく死に近いイメージを叩き付けたのかもしれない。それなら可能性はあるから」

 

「って事は魔導騎士が……」

 

 一輝の言葉にステラもまた自身が同じ状況になった事を思い出していた。

 幻想形態は肉体にダメージを与える事はなく、純粋にそのイメージだけを鮮明に脳に叩き込む。その結果として脳が肉体に錯覚させるやり方だった。

 確かにこれであれば命に別状は無いかもしれない。しかし、このまま放置すれば最悪は何らかの危険性が高い可能性もあった。

 時期的には問題ないが、これが真冬であれば凍死する可能性もある。一輝としてはそのやり方も去る事ながら、こうまで一方的に出来る事に驚きを浮かべていた。

 

 実際に魔導騎士と一般の差は霊装の違いしかない。ここで派手に異能を使えば明らかに使用方法で罪に問われるのは当然の事。だとすれば、純粋に技量だけで叩きのめした事になる。

 目の前で蹲る人間がどれ程の技量なのかは分からないが、少なくとも鍛えられたと思われる体つきは、何かしらの武道か剣術を嗜んでいる可能性もあった。時間にしてそれ程も経過していない。そう思った瞬間だった。

 

 

「お前、剣客だな。隠したって俺には分かる。一勝負しないか」

 

 背後から聞こえた声に一輝だけでなくステラもまた振り向いていた。

 僅かに逆光になるからなのか、詳細までは分からない。しかし、その口調や雰囲気は明らかに何かしらの技量を持っている事だけは間違い無かった。

 

 

「ここで戦う意味も必要性も無いんだ。それに僕達は偶然ここに来ただけだから」

 

 一輝はそう言いながらゆっくりとステラを自分の背後へと移動させていた。勿論ステラ自身もかなりの戦闘力はあるが、ここで何かしらの問題を孕めば何かと面倒な事になるのは間違い無かった。

 仮に自分がキッカケで醜聞になればそれは個人間の問題だけでは終わらない。

 下手をすれば外交問題にまで発展するからだった。

 それと同時い疚しい事は無くても、面白おかしく書き立てられる。自分の事は問題無いが、ステラに関しては最低限守る必要があった。

 

 

「そうか……それは悪かったな。何て言うとでも思ったか。俺の目にはお前は飛び切りの剣客にしか見えない。少なくともあいつ等に比べれば数段は落ちるがな」

 

 男はそう言いながらゆっくりと距離を詰めていた。

 一歩一歩近づくにつれ、その姿もまた少しづつ見え始める。距離にして三メートルを切った時点で漸く男の全貌が見えていた。

 記憶が確かなら一輝も顔だけは見た事がある。貪狼学園所属の倉敷蔵人その人だった。

 

 

「確か……倉敷蔵人」

 

「何だ。俺の事を知ってるのか?そいつは光栄だな。だが、今の俺は過去の俺とは違うんでな。今は只のロクデナシだ」

 

 一輝の口から出た名前に蔵人は無関心だと言わんばかりに掃き捨てる様に口にしていた。

 仮に違うと言えど、その実力は昨年の武祭ベストエイト。こんな場所で戦う様な人間では無かった。

 それと同時に先程口にしたあいつ等の言葉。それが何なのかは分からないが、少なくともこの場所で何らかの形で交戦するのは限りなく拙いと本能で理解していた。

 その瞬間、先程までとは空気が変わる。気が付けば一輝の眼前に固有霊装特有の刃が一輝の首を狙っていた。

 

 

「一体何を……」

 

「流石だな。この距離で防ぐのか。流石は剣客。今日の俺はついてるみたいだな」

 

 一輝はほぼ無意識の内に自身の『隕鉄』を展開し、首に飛ぶ斬撃を防いでいた。

 それと同時に疑問もあった。一体いつ攻撃を仕掛けたのだろうか。少なくとも蔵人が予備動作をした場面は視界には入っていない。

 一輝が護る事が出来たのは、何となく殺気が自分の首筋に向いていると言う勘が働いただけ。単に運が良かったに過ぎなかった。

 戦慄を覚えながらも既に思考は戦闘へと向いている。

 狭い路地だけでなく、ステラを背にしたままの戦いは圧倒的に一輝に不利な状況を強いている。下手に戦うよりも、この場は一旦離れた方が良いと判断したからなのか、一輝は一計を案じていた。

 

 

「そう……だったらこっちも態々守りに徹する必要は無いみたいだね」

 

「……やっぱりそうこないとな。随分た滾ってるみたいだな」

 

 一輝の剣氣を見たからなのか、蔵人もまた自身を昂ぶらせる。

 ここ数日の中で一番と思われる相手を見つけたからなのか、それとも記憶が危うい中で言われた剣の理を見つけたからなのか、獰猛な笑みが自然と浮かんでいた。

 これまでに無い極上の相手。一輝は知る由も無いが、今の蔵人は完全なる手負いの獣でしかなかった。

 お互いがまるで測ったかの様に距離を取る。先程とは打って変わり、大気が互いが発する剣氣によって震えるかの様に緊迫していた。

 

 

「ステラ。僕の後を一緒に走ってくれない?」

 

「えっ?」

 

「少なくともこんな場所で戦ったって誰もメリットが無いんだ。だったらここは退却した方が良いよ」

 

「分かった。イッキに付いて行くわ」

 

 蔵人に聞こえない程の小声にステラもまた小声で返事をしていた。確かにこんな場所で戦った所で誰もメリットが生じないだけでなく、自分の事も考えればデメリットしか無かった。

 しかし相手は昨年の武祭ベストエイト。単純に逃げる事が難しいと判断したからなのか、戦うと見せかけて逃げの戦術を選択していた。

 

 ここからは純粋な駆け引きになる。この先の事を考えたからなのか、一度だけゆっくりと深く息を吐く。

 止まった瞬間が、全ての合図だと思った瞬間だった。

 

 

「お前ら、こんな場所で何してるんだ?」

 

「手前ェこそ、何でここに?」

 

「負け犬に答える義理はない」

 

 突如聞こえた声に真っ先に反応したのは一輝ではなく蔵人だった。それと同時に一輝もまた違う事を考えている。

 確かにこの近くのリストランテを紹介したのは間違いないが、それでもこの場に居るはずのない人物だからなのか、先程とは違い、少しだけ様子を伺っていた。

 

 

「んだと………」

 

「同じ事を何度も言わせるな。何も分からない素人が一端の剣術家気取りとはな」

 

 静かな口調にも拘わらず、その真逆の様に存在感がゆっくりと拡大していく。言葉を放った本人でもある龍玄は、緊張する事も無く当然だと言わんばかりの態度を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、詳しい内容はまた改めて確認する」

 

「そうしてもらえると助かりますので」

 

 龍玄はカナタの会社のオフィスで打ち合わせをしていた。

 元々同じ部屋に住んでいるのであれば、そこで話をする方が効率的ではあるが、今の内容は幾ら学園内の部屋と言えど、迂闊に話す内容ではなかった。

 元々カナタが経営する会社の情報は他社からすれば垂涎の的だった。

 企業の護衛や警備を担当するのであれば、当然ながらその企業の情報を数多く握る事になる。

 誰がどこで誰と会っているのか、どんな事を企画しているのか。言い出せばキリが無かった。

 基本的には守秘義務は発生するが、元々風魔の肝煎りとも言える企業からすれば、それ程重要とは言えなかった。企業防衛も担うのであれば、その逆も然り。そんな重要な内容を只の学生の部屋で行うにはあまりにもリスキーだった。

 

 

「それと、前回の件で政府からも報酬が出ていますが、何をしたんですか?」

 

「ああ。時宗の依頼だ。例の会場警備の際に賊が居たんでな。その捕縛報酬だろう」

 

「それって朱美さんが言ってた件ですか?」

 

「何だ。知ってたのか」

 

 カナタの言葉に龍玄は少しだけ感心していた。元々朱美の性格は社交的だが、以外にも人の付き合いはそれほど深い物にはなり難い部分があった。

 諜報は色々な意味でリスクを孕む。下手に懐に入れた場合、何かと問題が発生する可能性があった。

 幾ら別件での個人任務を受けているとは言え、まさかカナタと朱美がそれ程近しいとは思ってもなかった。

 

 

「あれは破軍からも人員を招集してますので。幾ら魔動騎士だとしても学生の場合は責任の所在が曖昧になりやすいですから」

 

 カナタが言う様に、いくら元服しようが、企業として雇った以上はその責任はハッキリとさせておく必要があった。

 理事長の黒乃はそれほど大きく考えていないかもしれないが、カナタからすれば当然の措置だった。

 でなければ高額の報酬を払う事は出来ない。諜報のプロフェッショナルが居るからこそ、一定以上の情報の共有は必須だった。

 

 

「そうか。とにかく人員の件はあまり俺達を当てにしない方が良い。忘れてはいないと思うが、基本的には傭兵だ。依頼と報酬で仕事は選ぶ。少なくとも今回の様に当てにすれば、痛い目に合う可能性もある」

 

「それは忘れていませんよ。実際に今回の件に関しても、事前に知らせてもらっていましたので。ただ、同時に入った依頼が同じだけの重要度を持っていただけです」

 

 先程迄目を通していた書類をテーブルに置き、用意された紅茶を口にする。淹れたばかりだからなのか、鼻孔から抜ける芳香はカナタが好んで飲んでいる銘柄だった。

 気が付けば時間もそれなりに経過している。これ以上は時間的に厳しいからなのか、龍玄もまた思い出したかの様に時計を見ていた。

 

 

「そろそろ時間だ。食事はどうする?」

 

「そうですね。簡単に済ませた方が良いかもしれませんね」

 

 気が付けば既に時間はそれなりになっていた。これから寮に戻ったとしても、準備から始めればそれなりに時間がかかる。今回の予定は事前に分かっていた為に、手早く済ます事も厳しい状況だった。

 だからといって簡単に摘まむだけの食事で済む程龍玄は燃費が良い訳ではない。任務中ならともかく、普段に関してはそれなりに食べる事が多かった。

 

 

「いや。それだけでは持たん。カナタ、時間があるなら一緒に行くか?」

 

「私は特に問題はありませんが、良いんですか?」

 

「顔を突き合わせて俺だけが食べるのも流石にな。それ位は奢るさ。その格好なら問題無いだろ?」

 

 龍玄の言葉にカナタは改めて自分の服装を思い出していた。

 学園内や、家の行事など何かにつけてドレス姿である事が殆どではあったが、今回に関しては珍しくパンツスーツのいで立ちだった。

 実際に会社の中ではこの格好で過ごす事が多い。幾ら貴徳原の名前があったとしても、ビジネスの場ではそんな服装さえも足元を見られる可能性がある。それはこれまでのカナタの矜持を根底から覆す行為であると同時に、一つの覚悟だった。

 何も知らないで済む程にビジネスの世界は甘くない。一度でも下に見られれば、当然そのパワーバランスは後々にまで響く。

 小さな会社とは言え、自分の事で問題になる位ならと考えた末の格好だった。

 スーツに合せるかの様に長い髪もまた後ろに束ねるかの様に括られている。これならば移動の際にもそれ程問題になる事は無いと判断した結果だった。

 

 

「今日はバイクでしたか。では後ろに失礼させて頂きますね」

 

 それ以上の事を言わなくても既に理解しているからなのか、カナタは笑みを浮かべながら動き出す。既にやるべき事が終わったからなのか、龍玄もまた同じく自分のバイクの下へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はご馳走様でした」

 

「臨時の報酬があったからな。そんな事を気にするな」

 

 二人が入った店は龍玄が見つけた寿司屋だった。基本的に自分で作るからなのか、破軍に来てからは時間にゆとりがあれば食べ歩く事も多々あった。

 龍玄は風魔として行動しているからなのか、平均的な魔導騎士の年収を遥かに凌駕する程の資産を持っている。元々高額なだけでなく、実際には金銭を使うだけの時間が余り無い。そんな時間を縫うかの様に使うのが食に関する事だった。

 

 珍しい物を食べれば、その味が自分の料理の中にフィードバックする。そんな事もあってなのか、カナタと一緒に入った店もまた値段の割にはかなりの腕を持った良心的な価格の店だった。大通りに面した店ではなく、敢えて立地条件を少しだけ外した店を好むからなのか、今日の店もまたこじんまりとした雰囲気を持っていた。

 会計を終え、店から出る。そんな僅かな時間だった。

 不意に感じた何かが龍玄の中に響く。記憶が正しければこの気配は一輝の物。それと同時に、少しだけ面倒な予感があった。

 

 

「カナタ。少しだけ時間があるか?」

 

「まだ大丈夫ですよ」

 

「ちょっとだけ面倒事がありそうなんでな」

 

「私も同行した方が良いですか?」

 

「それは任せる」

 

 カナタに確認すると同時に龍玄は先程の気配の下へと歩き出してた。

 この周辺は以前に一輝に薦めたリストランテがあった場所。時間的にはまだ食事中かとも思ったが、感じるそれがあり得ないと否定していた。

 歩を進めるにつれ、その気配はより鮮明になっていく。

 この時点で龍玄は一輝とステラの気配を感じ取っていた。それと同時に、もう一人その場に居る事も理解している。以前に少しだけ関わった倉敷蔵人のそれだった。

 走る事無く周囲の様子を探りながら気配の下へと歩み続ける。

 周囲に感じた気配はそれ以外には感じる事は無かった。不意に曲がった角。

 龍玄の視界に飛び込んで来たのは一輝とステラと対峙する倉敷蔵人の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ何も理解していないみたいだな」

 

「理解ならしたさ」

 

「仮に理解してそれなら、とんだお笑い種だな。全く理解していないのと変わらないぞ」

 

 一輝とステラの存在を確認しながらも龍玄は敢えて無視するかの様に蔵人に話しかけていた。

 この場面を構築した過程は不明だが、少なくとも何らかのトラブルに巻き込まれた事だけは間違い無い。それと同時に一輝の心情もまた理解していた。

 

 仮に一輝がここで暴れた場合、ステラの存在が嫌が応にもクローズアップされる事だった。

 内容はともかく、留学先での皇族のトラブルは明らかに外交上に何らかの問題を孕む事になる。この場合であれば蔵人の意識を奪えば事足りるかもしれないが、龍玄の目に映る蔵人は以前とは少しだけ何かが違った様にも見えていた。

 可能性は一つだけ。世界の一端を見た事による自覚があった点。

 自分だけでなく朱美とも交戦すれば自分の実力がそれ程大したことは無かったと自覚すると同時に、今まで積み上げてきた物が容易く崩壊したかもしれない事だった。

 

 実力が無い中で自覚したのであれば今後の成長には期待できる。しかし、その前に絶望を覚えれば待っているのは自身の魔導騎士としての死だった。

 これまで暴力で生きてきた人間からすれば敗北は屈辱かもしれない。しかも、子供の様にあしらわれたとなれば尚更だった。

 目にはどこか剣呑とした感情が浮かんでいる。少なくともこの場に居る一輝とステラだけは何とかする必要があった。

 

 

「どうだ。こいつよりも俺と一度だけやってみるか?その方が分かり易いだろ?」

 

 日常的な会話をしてるつもりだが、その言葉に乗る感情は随分と冷淡な物だった。

 蔵人が何をどう考え、その結果として行動した事に責任を持つつもりは毛頭無い。弱いから、力が無かったから負けただけの存在に手心はかけない。この場での最適解はこの二人を隔離する事だった。

 だからなのか、龍玄は口にはしなくても話すかに動く事によって一輝達を誘導する。ここから先は出来る事なら一輝に見せたいと思う内容ではなかった。

 

 

「何だ?どんな心境の変化だ」

 

「ただの気まぐれだ。連れも居るんでな。それと、一輝。悪いがこの場は任せてくれ」

 

「分かった」

 

 一輝とステラがこの場を離れる。少なくともこの時点で周囲には目撃者を感じる事はなかった。

 それと同時に龍玄が蔵人に関心を持ったのは気まぐれでは無い。実際に以前の蔵人のままであれば確実に気にする事は無かった。

 しかし、今の蔵人の目には以前には感じる事が無かった光が見える。居姿だけを見れば剣の理を学んだとは到底思えないが、少なくとも何らかの成果があった事だけは間違い無かった。

 それが何なのかを少しだけ確認したい。そんな感情が出ただけの話だった。

 

 

 

 

 

「一つだけ確認したいが、まさか路地裏でやっていただけじゃないだろうな」

 

「何を根拠に?」

 

「少しだけでも成長したのかと思ったからな」

 

 龍玄の言葉に蔵人は僅かに怪訝そうな表情を浮かべていた。実際に何をどう考えているのかを判断するだけの材料が全くない。少なくとも蔵人からすれば龍玄が付き合うと言うのであれば渾身の一撃を決める事しか頭に無かった。

 虚空から自身の固有霊装でもある『大蛇丸』を取り出す。試合などと着飾った戦いではなく、あくまでも路地裏の戦闘だからなのか、蔵人は何の前触れもなく龍玄の胴体めがけて斬撃を飛ばしていた。 

 

 

「面白いかどうかは自分で確かめな!」

 

 大蛇丸の射程距離である以上は防御か回避しか手段は無い。ましてやここは路地裏の為に回避する事は困難な状況だった。

 自身が誇る最大の神速反射を活かし、自分の持てるだけの膂力で斬撃を放つ。少なくとも現時点では学生レベルでは回避出来るの人間は限られる程だった。

 

 

 

 

 

「まだ緩いな」

 

 人間の反応速度の枠外の攻撃を龍玄は事前に分かっていたかの様に往なしていた。

 幻想形態ではなく、実像形態の攻撃は明らかに殺傷を確実にする為の物。これがその辺りのチンピラレベルであれば確実に胴体が上下に分離するはずだった。

 勿論、蔵人もまたこれだけの攻撃で攻撃が当たるとは思ってもいない。お互いが刹那に相対した事によって何となくでも理解していた。

 

 

「相変わらずの化物め」

 

「負け犬のままかと思ったが、実際には少しだけ骨があったみたいだな。少しだけ上方修正しよう」

 

 上からの物言いに蔵人は苦々しい表情を浮かべていた。

 実際に蔵人が放った斬撃は自身が現時点で出来る範囲の最大の攻撃。龍玄に放った言葉通りの一撃だった。

 弾け飛んだ斬撃はそのまま速度が落ちる事無く壁のコンクリートに傷を作る。この斬撃すらも日常の様に言う龍玄に蔵人もまた実力差がある事を悟っていた。

 自身がこれまで力で押さえつけていた事が、そのまま自分へと降りかかる。

 元から隔絶した差を理解しているからこそ、蔵人はそれ以上は何も言わなかった。

 

 

「何を考えているのかは知らんが、このままだと、いずれは壁に当たって砕けるだろうな」

 

「どう言う意味だ?」

 

「言葉の通りだ。理とは突き詰めた理想。少なくともこれまでに積み重ねた分だけ効率良く斬る事に特化する。それが無いのであれば早晩にも不様に散るだけだ」

 

 龍玄の言葉に蔵人は意味を理解出来なかった。実際にこれまで壁の様な物は龍玄と朱美以外にはなく、また七星剣武祭でも負けはしたが、実際にはそれ程の差を感じる事はなかった。

 負けを喫したのは純粋にあの場所での経験の差だけ。蔵人の中では実戦と訓練程の違い程度にしか考えていない。

 しかし、龍玄と朱美との戦いは明らかに実戦そのものだった。

 刹那の攻防の際にも感じる命の儚さ。自分の手でどうにかしようとしても決定打すら与える事無く相手の術中に沈んでいく。命があっただけでも僥倖としか言えない内容は蔵人にとっても膨大な経験を積んだ様にも感じていた。

 そんな相手からの言葉に蔵人は改めて思考する。少なくとも自分よりも弱い人間の薫陶を受けるつもりもなければ、学ぶべき事も無い。

 そんな状況で壁に当たって砕け散るのであれば、ある意味では現状ですら手緩いだけだった。

 

 

「何をどうしようが俺達には関係無い。精々死なない様に精進するんだな」

 

 龍玄の言葉に蔵人は反論の余地すら無かった。

 僅かに見えたはずの道程。しかし、その僅かな光さえもが虚構であると言われたからなのか、蔵人はただ只管に考えるより無かった。

 今はまだ学生であると言う免罪符がどれ程の威力を持っているのかは分からないが、少なくとも現状のままに卒業した所で未来は完全に閉ざされている。

 元々蔵人も最初からこうなっていた訳では無い。自身が歩むべき先がどこに向かっているのか。

 その回りくどい道を最短で走る為に模索していただけだった。この時点で何をどうすれば良いのかは蔵人も理解している。あとは自身との折り合いをつけるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったんですか?」

 

「何がだ?」

 

 戻った先にはカナタがバイクに寄り添うかの様に待っていた。

 実際には時間はそれ程経過している訳では無い。そもそもあれが戦闘だと言う認識すら持っていなかったからなのか、カナタの質問に龍玄はその意味を見出す事は出来なかった。

 

 

「先程の相手は貪狼の倉敷蔵人ですよね。あれ程の剣氣を発してるのであれば、そこそこのレベルの魔導騎士ならすぐに察知できますから」

 

「何時ものじゃれ合いだ。雑魚が雑魚以上になりえるのかは俺の関与すべき事じゃないんでな」

 

 カナタは龍玄に何気なく話しただけだった。

 実際に感じた剣氣は僅かな時間。恐らくは僅かに激突したであろう事実を察知しただけだった。

 それと同時に、龍玄の今の状況を見れば、蔵人との差がそれ程開いているのかが何となく分かる。少なくとも七星剣武祭のベストエイトは伊達では無い。

 それが子供扱いとなれば、今の龍玄の態度が何となく理解出来ていた。

 

 

「態々敵を鍛えなくても」

 

「鍛えたつもりは毛頭ない。実際に強くなるのかは本人の資質と気概だけだからな。そのまま、のたれ死んだならそれまでの輩だったって事だ」

 

「厳しんですね」

 

「他人からはどう思われているのかは知らん。だが、俺達もそれ程違いは無いんでな」

 

 それ以上は会話を打ち切るつもりなのか、龍玄は改めてヘルメットを被る。

 刹那の間に何が起こったのかは当事者以外には判断する事はできない。

 カナタもまたそれ以上の事を口にするつもりが無いからなのか、同じくヘルメットを被り、後部のシートに跨いでいた。

 

 

 



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第27話 大きな壁

 苛烈になった予選会の状況は殆どの生徒が知る事になっていた。これまで無敗だった人間は既に数える程。予選会に関心が無い人間でさえも、今が異常事態になっている事は直ぐに理解出来ていた。

 そんな中、無敗の人間が今年入学したばかりの一年に偏っているからなのか、今日の目玉でもある黒鉄珠雫と藤堂刀華の一戦はこれまでに無い程の注目を集めていた。

 予選会の最終戦にも拘わらず、その話題は朝から尽きる事は無かった。

 

 

「ねぇイッキ。シズクの状態はどうなの?」

 

「どうだろう。対戦相手が決まってからの珠雫は鬼気迫る様子だったからね」

 

 一輝の言葉にステラは少し前に聞いた珠雫の話を聞いていた。

 予選会が始まってからは学園内部の訓練室は一般生徒にも開放されている。常に上を目指す為の技術向上を目的としているからなのか、今年は例年に無い程に利用頻度が多くなっていた。

 

 一年よりも二年、それよりも三年の特に戦闘技術を磨いている人間は更にその傾向が顕著になっている。基本的にはオープンになっている為に学年による制限は無い。そん中で珠雫は上級生に対し、事実上の宣戦布告をした事によって一番大きな訓練室一帯を凍結させていた。

 魔力制御が学内でもトップクラス。誰もが当初言われた事によって怒りを覚えていたが、珠雫が周囲一帯を凍結させたその光景を見た生徒は誰もが絶句していた。

 これまでに無い程の精密な制御と膨大な魔力量。Bランクの実力を如何なく発揮した結果だった。

 

 

「今でもその評価に変わりは無いのよね」

 

「そうだね。でも戦いに絶対は無いんだ。どんな戦法で来るのかも考えれば、諦める必要は無いよ」

 

 授業は午前中で終わったからなのか、一輝の周りには何時ものメンバーが集まっていた。

 入学当初に見せた一輝の技量は同じクラスの人間を魅了する程だった。

 最近になってからは一輝の予選会での内容を知ったからなのか、その数は少しづつ増えている。これまでの才能と言う名の漠然とした物差しではなく、純粋に戦闘に関する技量を持っているからなのか、一年だけでなく、上級生にもこれまでの認識がゆっくりと改められていた。

 事実、今年の予選会で異能だけで勝ち残った人間が誰一人居ない。それぞれが唯一ともとれる戦闘能力を発揮し今の状況になっていた。

 

 

「身内のイッキがそう言うなら私はそれ以上の事は何も言わないけど………」

 

 ステラの言葉に一輝もまた苦笑いで誤魔化すよりなかった。

 一輝と珠雫の決定的な違いでもある魔力量や制御に関しては実際問題として一輝も何も言う事が出来なかった。

 最低限の能力でもある身体強化だけの一輝は必然的に戦闘技術を高める以外に手段がない。

 一方の珠雫からすれば、戦闘技量はそれなりではあるが、魔力と言う理不尽な力をどうやって活かすのかによって戦局が大きく変わる可能性を秘めていた。

 応援はするが、口には出来ない。一輝がそれで苦労してきた事はどうしようも無い事実。ステラの様に膨大な魔力を持っている側からすれば、戦略の多さはそのまま勝敗にも影響を及ぼすのは当然だった。

 

 

「そう言えば、龍はどう思う?」

 

「お前の妹の件か?」

 

「うん。僕の場合はどうしても身贔屓になるからね。龍の立場ならどうかと思ったんだけど」

 

 一輝が龍玄に聞いたのは色々な思惑があったからだった。

 純粋な勝敗だけ見れば龍玄の現状は既に候補にも残れない程に敗北をしている。しかし、その内容は全てが不戦敗によるもので、純粋な勝敗だけ見れば事実上の瞬殺だった。

 つい先日の戦闘に於いても、龍玄が放った攻撃はたったの一度だけ。それも致命的な一撃だった。

 予選会では最低限の命の保証はされているが、それは絶対ではない。龍玄の攻撃は常に致命傷を匂わす程の攻撃が殆どだった。

 少なくとも五体満足で負けた人間を見た記憶が無い。そう考えれば龍玄の評価は何らかの物差しになる可能性の方が高かった。

 

 

「客観的に見れば東堂が勝つだろうな」

 

「ちょっと、リュウ。少しは考えても良いんじゃないの?」

 

「考えるまでも無い。それにステラは大きな勘違いをしている」

 

「勘違いって?」

 

 龍玄の迷いのない言葉にステラは少しだけ驚いていた。

 それと同時に、龍玄が適当に言葉を口にしない事も理解している。だからなのか、その次の言葉を待っていた。

 

 

「誰もが持っている雷切のイメージだ。当然ながら、ここの三年であれば情報は誰よりも多く、またその戦法も知られている。そんな人間が何の対策も立てる事無く戦う事は無い」

 

「だったら、シズクも対策するんじゃ」

 

「その前提が()()()()()()()()()そうかもしれない。だが、思い込みは思った以上に厄介なんだ」

 

 ステラと龍玄の会話に一輝は違う事を考えていた。

 確かに雷切と呼ばれる謂れは誰もが知っていると同時に、その二つ名に相応しい戦いをしている。

 代名詞の通り、完全なクロスレンジで負け知らすなのは既に常識となりつつあった。当然ながら誰もがそれを考える。しかし龍玄が言う様に、その前提が本当に正しいのかを誰もが知っている訳では無かった。

 

 

「龍。だとすれば次の戦いでは戦法を変えてくる可能性があるって事?」

 

「それは本人に聞け。俺が言うのはあくまでも可能性の話だ。負け無しもそれはそれで重圧があるだろうからな」

 

 一輝にそう言いながらも龍玄は以前に刀華の事を小太郎から聞いていた。

 戦場での経緯はともかく、まさか小太郎と交戦しているとは思ってもいなかった。結果は聞くまでも無いが、刀華の性格を考えれば当然ながら自身が誇る最大の攻撃をするのは見るまでも無かった。

 これまで色々な対策を練られた所で、それを無理矢理ねじ伏せた以上は自身の攻撃スタイルにプライドを持っているはず。

 しかしながら戦場でのそれは自殺行為でしかない。戦局を読めない人間は確実に狙い撃ちされ、そのまま戦場に散る。しれが戦場の摂理だった。

 刀華はその点では小太郎と二度、交戦している。実際には交戦とは言えない物だとしても、自身の最大の攻撃を児戯と変わらない捌き方をされれば、戦法を変えるのはある意味では当然だった。

 これは龍玄だけが知る内容であり、一輝はおろか珠雫も知らない事実。待ちを主体とする後の先が本当に正しいのかを考えるのは本人だけだった。

 

 

「とにかく絶対は無い。そう言えば、あの晩にあった貪狼の倉敷蔵人だって武祭のベストエイトだったんだ。あれよりも上が全員強者である可能性は無いからな」

 

 龍玄はあの時の蔵人の事を口にしていた。一輝が仮にあの場で戦えばどんな結末になったのだろうか。ステラの事があった為に半ば強引に退避させたものの、あの時の剣筋が当初見た時よりも僅かに洗練されていた。

 仮に同じ戦法を使ったとしても敗北を知った人間がどれ程強いのかを理解しない事には分からない世界があるのも事実だった。

 だからこそ蔵人もまた自身の技量を更に高めようとしたに違いない。少なくとも龍玄はそう考えていた。

 それと同時に、背後から気配を感じる。振り向けば、そこに居たのは一人の少女。綾辻絢瀬の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所で見てなくて、実際に会場に行けばよかったんじゃないの?」

 

「ふん。この目で見る事実に変化があるなら足は運ぶが、今回のあれはそうならないだろうな」

 

 理事長室の中で紫煙をくゆらせ、用意したモニターを眺めていたのはこの部屋の主でもある新宮寺黒乃と臨時講師の西京寧音だった。

 画面に映る光景はこれから始まる戦いを中継している。学内で何かと話題になった一戦。刀華と珠雫の戦いだった。

 

 

「くーちゃんは相変わらずだね。こう、もっと応援しようとか思わないかな」

 

「何を馬鹿な事を………そもそも下手をすれば戦いにすらならないかもしれない物を予測するのは不毛だろ」

 

 寧音の言葉に黒乃は既に決着が着いたかの様な言いぐさで眺めていた。

 生徒間での話題は十分ではあったが、実戦経験を考えれば、それすらも必要無いと考えていた。

 

 生徒は何も知らないが、刀華はこの学園で完膚無きまでに負けている。相手が悪いとは言え、それでもそれに刃を向けた事実に黒乃だけでなく寧音もまた驚いていた。

 雷切の異名を持つ居合いを真正面から潰され、挙句の果てには完膚なきまでに叩きのめされている。黒乃も本当の事を言えば、命があったとだけマシとさえ思った程だった。

 手が潰され自慢の居合いは不発に終わる。一撃の重みに対し、完全に無防備な状態で胴体に突き刺さっているとなれば、心が折れた可能性もある。間違い無くこの学内では刀華が最大の手負いの獣だった。

 それも簡単に反撃すら許されない程のダメージを肉体と精神の両方に負っている。

 表面は何時もと同じでも、その感情が剣筋に出ている。恨み言は言わなくとも乱れた剣筋は刀華の気持ちを雄大に代弁している様だった。

 

 

「でもさ、いきなり初年度からはやりすぎじゃない?もう少し時間をかけても……」

 

「愚問だな。私がここの理事長に呼ばれたのはたった一つ。この破軍を過去の栄光以上に頂きに輝かせる事だけだ。だったら純粋培養して逆境に弱い人間よりも、寧ろ手痛い反撃を常に考える人間を育成した方が事は単純だ」

 

「確かにそう言われればそうなんだろうね。でも、今年は色々な意味で大変だろうね」

 

「既に最悪だ。寧音。少し位は私の立場になってみるか?」

 

「冗談。そんな事考えたくもないさね」

 

「………少なくとも黒鉄の卒業を考えれば、どうしようもない程の高みだな」

 

 黒乃の言葉に寧音も僅かに同情したくなる部分があった。

 一輝の卒業の条件が七星剣武祭の優勝。当然ながらその最大の敵が同じ学園に居るであろうことは間違い無かった。

 風魔としての実力を示す事は無いかもしれないが、少なくともこの予選会の時点で龍玄に攻撃はおろか、反撃する事なく対戦相手全員が地に沈んでいる。

 現役のKOKの選手でさえも相対すればどうなるのかを考える必要が無い結果を学生に求めるのは余りにも酷だった。

 一輝の戦闘能力の高さを知っている身としても、今回ばかりにはどうしようも無いかもしれない。少なくとも黒乃はそう考えていた。

 無意識の内に漏れるため息。それが今の黒乃の心情を如実にしていた。

 

 

「念の為に言っておくが、黒鉄の環境に関しては多少なりとも同情しないでもないが、それをものにするかは本人次第だ。教育者としては間違っているのかもしれないが、それでも私個人としてはそれなりには期待もしてるんだよ」

 

「ハンデ戦とは言え、負けた事を根に持ってる訳じゃないんだ」

 

「寧音。何が言いたい?」

 

「何でも無いさね」

 

「一応は言っておくが、私とて人間だ。多少なりとも考えもするさ」

 

「分かってるって。くーちゃん」

 

 これ以上の会話は危険だと察知したのか、寧音はそれ以上の事は何も告げなかった。

 この空気を一掃するかの様に様されたディスプレイをのぞき込む。これからその戦いが始まろうとしているのか、周囲に留めく歓声はこれから先の未来を映し出すかの様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よしっ!」

 

 刀華は自分の頬を軽く叩くと当時に、今回の作戦を考えていた。

 あの夜の一戦から刀華は改めて自分の戦法を考え直していた。

 これまでの後の先のやり方は学生の中では通用するかもしれない。しかし、世界の一端ともとれる技術で迎撃された経験は少なくとも刀華の中で何らかの変化を促していた。

 刀華自身、今年で三年になる。当然ながらその先の未来を考えると、小太郎との戦いは僥倖だった。

 今回の対戦相手でもある黒鉄珠雫は少なくともこの破軍の中で考えても実力は上位になる。カナタや生徒会の面々はともかく、現時点でまだ一年と言うのは色々な意味で脅威だった。

 だからこそ気合を入れる。そんな刀華の言葉に反応したかの様に、別の方向から声が掛けられていた。

 

 

「刀華さん。今回はやはり……ですか」

 

「うん。遅かれ早かれ分かる話だし、相手を考えれば少なくとも自分にもメリットがあるから」

 

 カナタの言葉に刀華は当然の様に答えていた。

 実際問題として今回の戦法に戸惑いが無い訳では無い。

 本当の事を言えば七星剣武祭の本番に披露した方が今やるよりも格段に良い結果をもたらす事は理解している。しかし、未完成とは言え、これからやろうとする相手の事を考えれば、良い意味での実験になる。実験台になる珠雫には悪いが、刀華はそう考えていた。

 

 

「そうですか。ではご武運を」

 

「ありがとう。カナちゃん」

 

 カナタもまた刀華の性格を理解しているからなのか、止める事はしない。そもそも個人戦での戦いである以上は、組み合わせによっては自分達も対戦する可能性はある。そうなれば、刀華がやろうとしている事はカナタにとっても対策を練る為の材料でしかなかった。

 幾ら友情があろうが、予定される席の数は決まっている。現時点ではカナタもまた龍玄との戦いの件で一敗している為に、その為の対策は必須だった。

 

 

「何をしようとしているのかは大よそは理解しますが、無理はしない様にして下さいね」

 

「そうだね」

 

 取り止めの会話をしていると、開始時間に差し掛かっていた。

 既に刀華の表情は完全に戦うそれへと変貌している。刀華とて伊達に学内最強と呼ばれている訳では無い。

 下からの圧力も平然と受け止める事もまた三年である自分の役割だと考えていた。足音だけが響く廊下。向かった先に待っているのはお互いが無敗の対戦相手。

 ゆっくりと刀華は扉を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 珠雫は一人黙想しながら対戦相手の事を考えていた。

 学内最強でもあつ東堂刀華。少なくともこれまで珠雫が戦って来た中では一番の難敵だった。

 対戦相手の情報は態々こちらが探す事に苦労する必要のない相手。当然ながら珠雫は今回の予選会だけでなく、これまでの戦いの記録の殆どを網羅していた。

 

 後の先から来る二つ名の代名詞『雷切』

 必殺の居合いをどうやって凌ぐのかが問われていた。

 少なくとも昨年の情報を見れば、ミドルからロングレンジの間合いを常に維持しながら攻める事が定石となっている。

 兄の一輝とは違い、黒鉄家から小太刀の運用については学んでいるが、実際には運用レベルは並だった。

 今の珠雫を構成するのはその類稀な魔力制御。本来であれば不純物が混じる水を純水に変える事によって雷の導電をシャットアウト出来る。少なくとも珠雫からすれば、雷の遠距離はそれ程対処は難しくは無かった。

 となれば、必然的に決着の為には最接近する必要がある。

 だからこそ珠雫はその間合を十全に利用する戦略を考えていた。

 自分を囮にしながら罠をしかけ止めを刺す。今の珠雫に出来る事は間断なき連携だった。

 

 

「珠雫。行く前に深呼吸をした方が良いわ。気負いすぎるのは良くないから」

 

「ありがとう。アリス」

 

「相手は強いけど頑張ってらっしゃい」

 

「うん」

 

 凪の言葉に珠雫は目を開き、一点を集注するかの様に視線を動かす事無く会話していた。

 視線の先にあるのはまだ見ぬ東堂刀華の姿。そんな事を考えていたからなのか、珠雫の思考に少しだけ違う意思が忍び込んでいた。

 

 

「どうかしたの?」

 

「……杞憂かもしれないけど、ひょっとした相手は何らかの作戦を用いるかもしれない」

 

「どうしてそう考えたの?」

 

 珠雫の言葉に凪は少しだけ疑問を口にしていた。

 元々珠雫は洞察力が高い。今回の予選会の中でもこの戦いにはこれまでに無い程に集中し、情熱を注いでいた。

 これまでの中で事実上の一番とも言える相手。少なくとも珠雫の中ではそう認識していた。

 だからこそ、不意に感じた思考と違和感。確証は無いが、それでもまたどこか認めたい何かがあった。

 

 

「少なくとも、今回はこれまでと同じだとは考えない方が良いかもしれない。何となくだけど、そう感じた」

 

「戦場の勘は意外と馬鹿に出来ないから、珠雫がそう感じたならその意識は持ったままの方が良いわね」 

 

 珠雫の言葉に凪は否定する事なく聞いていた。

 実際に凪の目からみても、ここ最近の刀華の戦い方には違和感が僅かにあった。

 誰もが気が付かないであろう、細やかな変化。それに珠雫は気が付いている以上は自分が横から口を挟む必要は無いだろう。そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程までとは打って変わって、周囲の目はこれから始まるであろう戦いに固唾を飲んでいた。

 一年と三年の違いこそあるが、共に負け無し。かたや抜刀術を基に、もう片方は異能を基にした戦いでここまで来ていた。

 お互いの視線が僅かに交差する。それが何を意味するのかは考えるまでもなかった。

 ヒリつく様な空気に誰もが言葉を発しない。高まった緊張感を解き放つかの様に対戦を知らせるブザーだけが無情に鳴り響いていた。

 

 

《Lets' Go Ahead》

 

 

 ブザーが鳴り響いた瞬間、刀華の姿は誰の目にも留まる事はなかった。

 鳴り響いた瞬間に消え去った事実に観客は戸惑っている。一方の珠雫は虚を突かれたかの様にそのまま棒立ちだった。

 まるで予定調和を思わせる様な斬撃。刀華の姿が視認できたのは珠雫の目の前だった。

 速攻で放つ斬撃はそのまま珠雫の胴体へと襲い掛かる。誰もがその先に映る未来に視線を背けようとしていた。

 

 

「まさかとは思いましたが、開幕速攻ですか。随分と焦ってるみたいですね」

 

 珠雫を象った肉体は予想を裏切る事なく派手な音を立て崩れ落ちる。刀華の放った斬撃は珠雫を象った氷像だった。

 刀華もまた当然の様に残心で周囲の気配を探る。手応えで予測していたからなのか、驚きは存在していなかった。

 

 

「あの程度の攻撃位はかわせない事には話にはなりませんでしたから」

 

「ならば私は合格と言う事ですか?」

 

「さぁ、どうでしょうね」

 

 刀華の背後に立った球雫はそのまま当然の様に刀華に向けて氷弾を放つ。

 刀華もまた予測したかの様に珠雫が放った氷弾を全て叩き落としていた。

 刹那の攻防に観客が漸くその事実を理解する。ハイレベルなオープニングに誰もが言葉を失っていた。

 

 

 

 

 

「開幕は予想通りか」

 

 刀華と珠雫の衝撃の開幕を見た龍玄は何気に呟いていた。

 実際に刀華がやった攻撃方法は、この予選会で龍玄がやっている戦法だった。初撃を回避できない人間が対等に戦えるはずがない。気配すら察知できない程度の人間は最初から論外であると言う認識だった。

 察知できないままに戦うのであれば、当然ながらその実力差は大きく開いている。

 龍玄もこれまでに初撃を回避なり、防御できたのがカナタだけであるのはある意味当然だと考えていた。

 お互いの事を何となくでも理解しているのであれば対策を立てる事は不可能ではない。

 刀華もまた、珠雫が自身と闘うだけのレベルにあるのかを測っただけだった。

 

 

「リュウは何でそう思ったの?」

 

「あれで自分との実力差がどれ程あるのかをふるいにかけたんだろうな。それと同時に、戦法を変える事が攪乱にも繋がる。少なくとも今の珠雫は多少なりとも混乱してるだろう」

 

 龍玄の言葉にステラは改めて珠雫の方へと視線を向けていた。

 開幕の攻撃を回避したまでは良かったが、その後の攻め手に迷いを持っている様にも見える。少なくとも刀華の事は完全に理解したつもりだった事は明白だった。

 そんな対策をたてた状況下での想定外の攻撃。刀華は狙っていた為に問題は無かったが、珠雫は動きに精彩が無かった。

 迷いを持てば動きにもキレが無くなる。その結果、待っているのは被弾の未来だった。

 

 

「確かにそうかもしれない。少なくとも東堂先輩は今回に限っては戦法を明らかに変更している。珠雫は直ぐにでも立て直さないと厳しいだろうね」

 

「でも、そんなの直ぐには………」

 

 一輝の言葉にステラは少しだけ戸惑っていた。兄妹が故に、絆があるのは理解している。それと同時に今回の件に関してもまた一輝は珠雫よりの考えだと考えていた。

 しかし、一輝の口から出た言葉は冷静な回答。

 少なくとも戦いに関してはステラよりも一輝の方がリアリストだった。

 希望を持つのは構わない。しかし、それが出来るのは自分が戦っている時だけ。

 自分自身を信じる事が出来なければ、すぐに敗北を喫する。それは当然の事だった。

 

 本当の事を言えば一輝として珠雫の側に立って応援したい。しかし、そんな肉親への思いやりよりも、今は一秒でも長く東堂刀華の戦いをこの目に焼き付けたいとも考えていた。

 これまでの戦法を捨て、新たな戦い方を披露する。少なくとも刀華をライバルだと考える人間にとってはこの一戦を見逃す訳にはいかなかった。

 

 

「戦いに作戦の変更をするのはよくある事。それに僕等が応援する事も大事だけど、実際には珠雫本人がとう感じているのかだよ。ステラも忘れてないとは思うけど、この予選会では誰もが敵になる。情報を手に入れる事によって如何に自分にとって有利に物事を運ぶのかは必須なんだよ」

 

 一輝もステラの気持ちを汲みながらも、実際にはその通りだと自分の言葉に同調していた。

 特に一輝に関しては予選会はおろか、本戦での優勝がこの学園を無事に卒業出来る条件となっている。

 使えると思った情報は無駄なく使う。今の一輝にとってはそれだけだった。

 固定されたかの様に止まった視線は二人だけを見ていた。

 

 

 

 

 

「まさかそう来るとは……」

 

「予想とは違いましたか?」

 

 刀華には強気で放言したまでは良かったが、珠雫の内心は焦りを生んでいた。

 現実の攻撃は珠雫にとっても厄介だった。斬撃が飛んだ瞬間、珠雫は完全に回避する事に成功していた。

 回避が一瞬も遅れれば氷像ではなく、自分が横たわっていた可能性がある。それと同時に分かったが事が一つ。少なくとも刀華の視線の先に居るのは決して自分では無い事実だった。

 

 世界の一端を知っている人間と知らない人間に大きな隔たりが存在する。

 実際にこれが小太郎や龍玄であれば、手痛い反撃などと生温い言葉ではなく、瞬時に意識を刈り取られる事にも繋がる。少なくとも刀華はそう考えていた。

 自身の最大の攻撃でもある雷切を迎撃する。自分で驕るつもりは無いが、それ程の物だった。

 それがどれ程困難な事なのか。刀華は無意識の内に、口の端が笑みで歪んでいた。

 

 

「ならば!」

 

 珠雫は叫ぶように声を発していた。牽制の代わりに幾重にも放つ氷弾。マシンガンを連想させるかの様に刀華の動きを止めにかかっていた。

 ばら撒かれた事によって刀華は少しだけその場に縫いとめられる。本来であればこの瞬間に頭上から特大の氷塊を落下させるつもりだった。

 しかし、何かを隠している様にも感じる。少なくともこのまま終わるなどと言った考えは当の前に棄てていた。

 

 これまでの異能一辺倒の攻撃から切り替える。少なくとも今の刀華はまさか自分が攻撃しながら突撃するとは思ってないと考えていた。

 周囲に気づかれない様に細かい氷を漂わせる。ダイアモンドダストを思い出させるそれは自分の姿を映し出す為の舞台装置だった。

 再度牽制代わりに氷弾を撃ち出す。先程よりも若干大きくしたからなのか、刀華の意識は全部そっちに移っている様だった。

 突如珠雫の身体が四体に分裂する。即席の分身の術だった。

 

 

 

 

 

「さぁ来い!」

 

 刀華は先程とは珠雫の雰囲気が変わった事を察知していた。

 これまで接近戦を恐れてこちらに来ない事に何となく違和感を感じていたが、僅かに変わった雰囲気が止めとなっていた。

 それと同時に刀華の視界に映ったのは四体に分裂した珠雫の姿。襲い掛かってくるそれが何なのかを確実に理解していた。

 驚きよりも先に刀華は内心ほくそ笑む。珠雫は気が付いていないかもしれないが、今の自分にとってそれは攪乱にすらならなかった。

 

 刀華はこの戦いに於いて最初からメガネをかけていない。半目になりながら珠雫を見る事によって次の行動を予測していた。

 『閃理眼』によって体内の電気信号を見る事が出来る刀華からすれば幾ら攪乱しようが、どこに何があるのかはを大よそながらに掴んでいた。

 分裂したそれの動きは読みにくいが、迎撃出来ない訳では無い。

 仮に直前になって気が付いた所で、待っているのは神速の抜刀術。

 来た物を順番に斬り捨てるだけだった。

 

 まるで本当に生きているかの様に自分の四方から刃が襲う。

 刀華は焦る事無く自分の眼を完全に閉じていた。

 攻撃によって動く大気の揺らめき。刀華は自然体で感じた場所へと刃を向けていた。

 襲いかかる珠雫が瞬時斬り捨てられる。すべてが囮だったのか、その全部が全て消え去っていた。

 

 

「まだまだね」

 

「まさか………」

 

 珠雫が斬捨てらてたと思った瞬間、刀華の刃は何も無いはずの虚空に向けて放たれていた。

 何も無ければ刃はそのまま空を切る。しかし、刀華の刃はその途中で停止していた。

 先程まで見ていなかったはずの珠雫の姿がゆっくりと現れる。刀華の前に出現した珠雫の表情は驚愕のままだった。

 

 

 



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第28話 激突の後で

 連続して撃ち込む氷弾に意識を向ける事によって、珠雫は流れる様に次の行動に移っていた。

 周囲に対し攪乱する為に何かを出した所までは観客の目からも見えていた。しかし、そこから先はボヤケたかの様に見えにくくなっていた。

 その後に分かったのは四体に分裂した珠雫の姿だけだった。

 

 

「イッキ。シズクって本当はニンジャなの?!」

 

「ステラ興奮しすぎだよ」

 

「でも、分身の術よね。あれって」

 

 衝撃の展開に驚いたのはステラだけではなかった。観客はおろか、放送している人間でさえも絶句している。想定外の攻撃はただ茫然と見るしかなかった。

 

 

「そんな訳ないだろ。あれは周囲に自分の群像を映し出しただけだ」

 

「って事は、あれ全部が虚像だったって事だよね」

 

 若干興奮したステラの言葉を遮るかの様に龍玄は先程の現象を説明していた。

 実際にああ迄自分を鮮明に映し出すには相応の技術を要する。しかもそれと同時に自分の身体すらも隠蔽する技術は龍玄の目からしても賞賛に値する程だった。

 これが同じ風魔の人間でもやれるのかと言えば、恐らくは否としか言えない。それ程までに珠雫が行ったそれは高度な術だった。

 

 

「そうなるな。だが、短時間であれ程の事が出来るのは大した物だな。少なくとも、かなりの修練は必要になるだろう」

 

「そうなんだ……でも、龍がそこまで言うのは珍しいね」

 

「別に俺は常に辛辣な訳じゃない。ただあれは純粋に凄いとは思っただけだ。だが、戦いに於いては別だがな」

 

 龍玄の言葉に一輝もまたそれ以上の事は何も言えなかった。

 実際に刀華の鳴神は珠雫が作る氷の盾の様な物に阻まれている。一方の珠雫もまた驚きはしたものの、その後は直ぐに元に戻っていた。

 

 

「でも、ここまではシズクの方が優勢じゃないの?このままなら押し切れると思うんだけど」

 

「それは無理だな。少なくともあの瞬間にお互いの方針は決まったも同然だ。少なくとも珠雫が東堂を斬り伏せる事は出来ない」

 

「そう言われればそうだけど、でも魔力でなら」

 

「それが無理なんだ」

 

 ステラは決して珠雫を嫌っている訳では無い。寧ろ、一輝の妹が故に多少でも距離を詰めたいとさえ考えていた。

 お互いが相反するのは一輝が間に絡んだ時だけ。だからなのか、龍玄の言葉にステラは少しだけ眉尻が逆立っていた。

 

 

「ステラ。龍の言う通りなんだ。珠雫はステラ程魔力量が多い訳じゃない。少なくとも今の交戦でかなり消費しているはずなんだ。幾ら制御が出来たとしても、回復は別問題なんだよ」

 

「確かにそうかもしれないけど………」

 

「後は、決め手なんだよ。炎とは違い氷は時間が少し必要になる。そんな隙を東堂先輩が見逃すとは思えないんだ」

 

「確かにそうだけど………」

 

 刀華の二つ名でもある雷切は伊達では無い。電磁式の神速抜刀術から繰り出される居合いは、傍から見れば時間そのものを切り取った様にも見えている。

 居合いである以上は溜めが必要ではあるが、刀華の場合は自身の魔力を鞘の中で発生させることによってその溜めそのものを作る必要は無かった。

 事実上の射出に近い抜刀術はある意味では脅威でしかない。魔力を撃ち出すのと、抜刀術で斬り捨てるのではどちらが早いのかは、このメンバーの中ではステラが一番理解していた。

 だからこそ龍玄だけでなく、一輝の言葉も理解出来る。今の珠雫にとって、求められるのは致命傷を与える事が出来るだけの攻撃か魔力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさかこれ程とは)

 

 珠雫は渾身とも取れる攻撃を止められた事に少しだけ戦術を変更していた。

 東堂刀華は色々な意味で情報を収集するにはもってこいの人物だった。

 七星剣武祭ベストフォーだけでなく、学内の序列一位ともなれば、少し調べただけで溢れる程に情報が手に入る。

 一年の頃の情報は無いが、翌年の二年次からの情報を珠雫は見落とす事無く調べていた。

 クロスレンジでの戦績は無敗。黒星を付けたのは七星剣武祭での最中だった。

 相手の戦術は刀華の攻撃レンジに入れる事無く自分の間合いだけで戦うやり方。見方によっては卑怯だと罵る人間もいるかもしれない。しかしながら、その戦術は極めて合理的な物だった。

 

 事実、槍と刀の間合いはかなり違う。クロスレンジで無敗は少なくとも噂だけの話では無かった。だからこそ珠雫も今回の戦いに於いては徹底的に間合の制御を優先していた。

 自分にだけ有利に運ぶ事が可能であれば、少なくともこちらの方が有利になるはず。そう考えた末の戦術だった。

 しかし、蓋を開ければ開幕直後の攻撃は珠雫もただ驚いていた。これまでの刀華の戦術は『後の先』。相手の攻撃を最大限に活かした戦法だった。

 殆どの攻撃が至近距離から発動する。そうなれば、当然ながら自分の攻撃の一部もまた自分に牙をむく事になる。

 自爆でダメージを受ける訳にはかない。そうならない様に最新の注意を払っていた。

 だからこそ気が付けた一撃。まるでこちらの攻撃を事前に知っていたかの様に、速攻でのクロスレンジを凌げたのは僥倖だった。

 

 

「まさかとは思いましたが、開幕速攻ですか。随分と焦ってるみたいですね」

 

 刀華に向けた挑発の言葉は、まるで何も無かったかの様に返されていた。それと同時に、珠雫の中で勝利に向けての可能性を常に考える。挑発もまた時間稼ぎに過ぎなかった。

 感情を切り離し、思考は常に三手先を考える。今の刀華に対し、十手先までの戦術を考える事は事前予想よりも厳しい状況だった。

 コンマ数秒ごとに勝利と敗北のプランが次々と浮かんでは消えていく。後の先だけが刀華の持ち味だと勝手に妄信したツケがここで重くのしかかっていた。

 

 

 

 

 

(さて、ここからどうする)

 

 珠雫の攻防に刀華も当初は焦りを生んでいた。

 しかし、その攻撃の由来が魔力であると同時に、四体の幻影はどれもがフェイクである事は直ぐに知れていた。

 

 『閃理眼』は体内の電気信号を視覚化する。本来、人間が何らかの行動を起こす際には電気信号が起こり、その後で行動に移る。

 本来であればこれが生きる物の基本のはずだった。しかし、小太郎との戦闘はその概念さえもが覆されていた。

 閃理眼で捉えるまでに行動に移る。生命体であれば当然の事すら、小太郎が行った行動はあり得ない事実だった。

 それと同時に刀華はその理屈を正しく理解していた。

 幾ら見えたとしても、それを認識するまでには必ずタイムラグが存在する。

 視覚から脳へ情報が行き、その後、肉体に対して信号を送るまでに既に動いているのであれば、結果的には見えていないのと同じだった。

 

 事実、自身の雷切とも言える居合いが完全に潰されたのは、刀華自身が完全に理解していなかったからだった。無意識の過信。小太郎はそれを突いた結果だと考えていた。

 小太郎と対戦していなければ珠雫との戦闘でも苦戦した可能性があった。しかし、その無意識の過信が無い以上、今の刀華からすれば珠雫との交戦は、後の先としての動きだけで捌く事が可能となっていた。

 驕る事無く自身の出来る最大の事を最小限で行う。たったそれだけの話だった。

 出来る限り脱力し、その瞬間を待つ。納刀した刃は既に迎撃態勢に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この対戦を傍から見れば誰もが予想しない展開になりつつあった。

 少なくとも今回の予選会の中で刀華の試合を全て見ている人間からすれば違和感だけが残っていた。

 その最大の理由は刀華がまだ二つ名の由来でもある居合いを一度も行使していない点だった。

 ミリ単位の体捌きを行使し、攻撃を常に回避する。対戦相手からすれば悪夢以外の何物でもなかった。

 ミリ単位ともなれば攻撃を完全に見切らないと行使する事は出来ない。それ程までに刀華の動きは洗練されていた。

 当然ながら対策を誰もが考える。それはこれまでの戦績を考えれば、ある意味では当然だった。

 クロスレンジ最強であればその反対にミドルレンジロングレンジでは対策を立てている。誰もがその考えの下に戦っていた。

 しかし、珠雫はそうは考えなかった。最初から事実上のクロスレンジに入る為に幾つもの戦略を練っている。それが今回の分身にも繋がっていた。

 視界から自身の体躯を排除する事によって死角を突く。まさかその戦略さえもが敗れた事に観客の殆どが、これから先がどんな展開になるのかを考えずにはいられなかった。

 

 

「思ったよりもやりますね」

 

「そうですか。少しは上級生としての役割も果たせそうですね」

 

 挑発めいた珠雫の言葉を刀華は何事もなかったかの様に受け流す。先程までの激しい動きとは変わり、今はお互いが静寂を保っていた。

 舌戦にすらならないまでも、お互いが次の行動を読みあっている。それから先に繋がるのは一筋の細い道。それを如何に踏み外さない様に動けば良いのかをお互いが探っていた。

 

 

「そうでしたか。ですが、それもここまで…です」

 

 珠雫は刀華の動きを読む事を放棄していた。厳密には放棄したのではなく、敢えて目標を決めずに適当に攻撃を放っていた。

 一流の伐刀者はその視線だけで攻撃の意図を読み解く。一輝が相手の動きを観察し、それよりも早く行動する事を妹でもある珠雫も理解していた。

 そうでなければクロスレンジで勝ち続ける事は出来ない。珠雫はそう考えていた。

 

 故に散弾の様に飛ばした氷弾は刀華にだけ向けて発射されていない。一見、無意味だと思われる箇所にまで放っていた。それと同時に、異なる攻撃を加える。

 先程放った散弾代わりの氷弾の弾幕の後ろでは新たな攻撃をすべく、氷点下にまで下げた水球を放っていた。先程までの様に直接的な攻撃ではなく、搦め手として攻撃を続ける。

 

 魔力の消耗度合いが激しいのは仕方ないが、今の珠雫にとって刀華を相手取ってのクロスレンジでの攻防は厳しい結果だけが待っているのは間違いない。

 だとすれば、確立を僅かでも引き上がる事によって勝利を手繰り寄せる。この搦め手が完全にきまるかどうかによって珠雫の今後の戦略がどうなるのかを裏付けていた。

 

 

「同じ手は通じない!」

 

 放たれた散弾を刀華は先程と同じ様に捌いていた。

 少なくとも最初の段階で飛来した氷弾を全て弾き飛ばしている。その事実を前提にすれば、明らかにこの攻撃は悪手だった。

 一点だけを集注させるのではなく散弾にする事によって被弾率を上げる。これが残された手段だと考えれば完全に自分を馬鹿にしている様にも思えていた。

 散弾を防ぐことによって次の攻撃の意図が見えない。

 少なくとも刀華は今、この瞬間までそう考えていた。

 

 最後の氷弾を叩き落とす。次の攻撃を意識していたはずのそこには何も無かった。

 しかし戦いの最中に集中を切らす訳にはいかない。だからなのか、不意に飛んできた水の塊に刀華の反応は僅かに遅れていた。

 氷とは違い水を切った所で何も変わる事は無い。精々が少しだけ濡れる程度に考え、そのまま水球を斬りつける。当然の様に塊はそのまま破裂しただけだった。

 

 

「何……これ」

 

 刀華が驚くのは無理も無かった。先程までただの水だと思った物が瞬時に凍結し始めている。

 珠雫が放ったのはただの水球ではなく、氷点下にまで温度を下げた物だった。本来であれば水を氷点下にまで下げれば凍結する。しかし、液体を保ったものは衝撃を受けた瞬間に凍結し始めていた。

 これが只の水であれば凍結した所で問題にはならない。しかし、珠雫が作り上げたそれは、これまでの常識の範囲から外れた程の物だった。

 濡れた刀華の足元から急速に凍結が襲い掛かる。ブーツの上の部分まで凍結するのに然程の時間を要しなかった。

 あり得ない事実に刀華もまた意識が足元へと向かう。千載一遇の好機。珠雫は刀華の意識が自分から離れた瞬間を逃す程愚かではなかった。

 

 

 

 

 

(ここが最後の正念場!今しかない!)

 

 刀華の意識が足元に向った瞬間、珠雫は一気に勝負を仕掛ける事に躊躇しなかった。

 これだけの魔力操作をするとなれば、当然ながらそれなりの代償を払う事になる。

 魔力量が多く無いのであれば、より細かく緻密に操作する事によって、これまでの自分の攻撃方法を一変させていた。

 

 直接攻撃を放った所で回避される可能性が高い事は事前の段階で確認している。

 だとすれば自分の出来る範囲の事で考えれば今回のやり方はある意味では有効だった。

 

 渾身の幻影を使った攻撃が防がれた事は流石にショックだったが、珠雫の中ではあの攻撃を防いだのは偶然だと自分の中で消化している。

 仮に悩んだ所で事態が急転する事はない。

 詳細に検証するのはこの戦いが終わった後でも問題無いだろうとの判断だった。

 

 散弾の様に放った氷弾を餌に、全く異なる攻撃を混ぜる。あの瞬間、刀華は確実に迷った様に見えていた。

 見知らぬ攻撃を自ら受けようなどと思う人間は早々居ない。だからこその水だった。

 珠雫の予想通り、刀華はこれを容易く切断する。そこから先の珠雫の判断は皆無に等しかった。

 凍結も通常の物ではなく自身の魔力を多分に含めている為に、速度とその強度は尋常ではなかった。

 行動を開始した為に刀華の詳細までは見ていないが、少なくとも二秒ほどで膝下までは完全に凍結する。動きを封じさえすれば、後は作業と変わらない内容。珠雫は固有霊装でもある小太刀を逆手に、そのまま刀華へと疾駆していた。

 

 

「やぁああああああ!」

 

 珠雫の声に刀華もまたここが正念場だと判断していた。自然現象では片付ける事が出来ない現象は明らかに魔力由来の攻撃。

 凍結の速度が速い事からこれが明らかな攻撃か、若しくはそれに近い物だと判断していた。

 それと同時に一つの決断を下す。逡巡するまでもなく珠雫から来るのであれば、そのまま迎撃すれば良い。刀華の思考は実にシンプルだった。

 既に決着をつけるべく動いている以上は遠慮はしない。

 まだ完全に物にした業ではないが、これもまた実戦だと思い、まだ完全に凍結していない足を強引に動かし、そこから脱却していた。

 迫る珠雫に対し、刀華は改めて納刀したまま腰だめの構えを取る。

 これまでに幾度となく構えたそれに澱みは無かった。

 その瞬間、全身に身体強化以上の魔力を込める。足腰に満たされた雷はそのまま刀華の姿をかき消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程まで互いの攻防が繰り広げられた会場は静寂を保っていた。先程までとは違い今はお互いの姿だけがその場に残されている。

 お互いに握られた霊装は既に役目を終えたと言わんばかりにその姿をゆっくりと消していた。

 その瞬間、珠雫の体躯が地面へと崩れ落ちる。刹那の攻防に何が起こったのかを理解出来たのは会場内のごく少数だけだった。

 珠雫が倒れた後で刀華もまた膝をつく。それぞれの攻防が高度だったからなのか、その瞬間会場内は堰を切ったかの様に湧いていた。

 

 

「あれは一体…………」

 

「恐らくは肉体に何らかの負荷をかけたのか、それを一気に放出したんだろうな。それと同時に抜刀している。今の珠雫は自分がどうやって斬られたのかも理解していないだろう」

 

「龍は見えてたの?」

 

「ああ。すれ違いざまに二度抜刀している。幻想形態にしてた様だから命に別状は無いだろうな」

 

 一輝の言葉に答えるかの様に龍玄は先程の攻防を視認していた。

 あれ程の速度を出した為に肉体の限界を超えた可能性が高い。恐らく膝をついたのはその為だとは予測していた。

 それと同時に、二度抜刀した事もまた龍玄の意識を改めていた。

 少なくとも龍玄の知る東堂刀華は、居合いによる抜刀は一度だけだったはず。にも拘わらず、先程の光景はそれを凌駕していた。

 キッカケは小太郎との交戦。それを元に対策を立てた事だった。

 

 

「まぁ、誰もが同じ場所で停滞してる訳じゃない。昨日よりも今日の方が状況が良くなる可能性があるのは当然だな」

 

 無意識の内に握り込んだ一輝の手を見たからなのか、龍玄はさも当然だと言わんばかりに答えていた。

 実際にあの光景を見て対戦するのであれば、更なる選択肢が増えた事になる。

 予選会はまだ続いている以上は、刀華の存在を無視する訳には行かなかった。

 

 

「確かにそうなんだけど………龍だったらどうする?」

 

「俺か?別に気にする程じゃない。あの程度の攻撃なら()()()()()()

 

 攻略法を聞いた一輝の眼が大きく開いていた。

 元々龍玄がどれ程の技量を持っているのかは何となく理解している。

 先程の刀華の攻撃を考えれば、何らかの対策もあるはずだと考えていた。

 しかし返って来た答えはその程度の認識。龍玄が居るのはどれ程の世界なのだろうか。一輝はそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東堂の最後の攻撃は中々見事だったな」

 

「それは認めるけど、あれはまだ未完成も良い所さね。少なくとも実戦ではまだ使えないって所だね」

 

 理事長室のモニターに移っているのは倒れた珠雫を搬送している場面だった。

 元々今回の戦いがどれ程の物になるのかを予測していた側だった為に、結果そのものに波乱はなかった。

 しかしその内容には多少なりとも目を見張る部分があった。それは珠雫の魔力制御とその使用方法。

 少なくともこれまで刀華と対戦した相手はいかに自分の間合いで攻撃を続けるのかに腐心していた。

 それは昨年の七星剣武祭でも同じ事。オープニングの攻撃を見なければ、よくある戦いの一つでしかなかった。

 しかし、いざ蓋を開ければ珠雫の間合いはどちらかと言えばクロスレンジよりの攻撃が多かった。

 目くらましや搦め手で刀華の間合いと行動を潰し、その間に自身が一気にケリを付ける戦法は、少なくともこの二人が見た事は無かった。

 

 

「だが、着眼点は悪く無かった。ただ、絶対的な経験が足りないのかもしれないな」

 

「確かに黒鉄家と言えど、何でも出来る訳じゃないし」

 

 改めて煙草に火を点けゆっくりと吸い込む。

 肺にまで充満した煙をゆっくりと吐き出すと、黒乃は今回のやり方に手応えを感じていた。

 実際に会場に足を運んだ訳では無いので観客の様子は分からないが、少なくとも先程の戦いは本選に負けるとも劣らない攻防であったことは間違いない。

 だからこそ、今後の組み合わせが波乱を呼ぶのかは何となく予測していた。

 

 

「黒鉄妹は出来る事なら実戦経験を踏めばさらに上のステージに行けるかもしれんな。寧音、お前ならどう見る?」

 

「どうって?」

 

 黒乃の言葉の意味を寧音は正しく理解していた。しかし、寧音の立場からすれば今の珠雫はまだまだ話にもならないレベル。仮に当時の自分と比べても隔絶した差があるのは今更だった。

 今の珠雫には決定打が無い。恐らくは最後の決め手となった攻撃も、代替え案が無かったから故に出ただけの話。

 決め手がない人間との対峙など、最初から眼中にすら無い。黒乃とてそれを理解した上での質問ならば寧音も本音を言った方が良いだろうと考えていた。

 

 

「だから経験をどうするかだ」

 

「今のあれの家では不可能だよ。そもそも、あの当主が何を考えているのかは知らないけど、純粋な戦闘力だけを見れば黒坊の方が上。乱戦に持ち込む前に勝敗を付ける様なレベルに仕上げるのが基本だよ」

 

「お前が面倒を見てもか?」

 

「それこそ無意味。そもそもそんな時間が私にもある訳じゃないし」

 

「だろうな。聞いてみただけだ」

 

 現時点で実戦経験をこなしている人間は公式には二人。東堂刀華と貴徳原カナタだけ。

 非公式では風間龍玄だけ。黒乃の立場でも昔の伝手を頼れば魔導騎士連盟が秘匿している一部の事実を知る事は出来る。

 

 実際に公的なアナウンスは無いが、刀華とカナタは戦場で一度は苦杯を舐めている。戦場が故に聞いている事が奇跡でしかなかった。それを実行したのは風魔の人間。それも同じ学園に通う生徒だった。

 風魔の内容はともかく、実際にどれ程の経験を積めばああなるのかは分からない。

 そんな人間に並ぶまでは行かなくとも、そんな高みに行く為の手段と素材を考えれば、良い意味で今年はタレントが揃っていた。

 比べる前提さえ間違えなければ、今回の本戦は優勝かそれに近い所までは行けるはず。既に何も映さない画面をぼんやりと見ながら、そんな取り止めのない事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは小太郎の対策をした結果か?」

 

「そうだとしたら?」

 

 人気が無い通路を歩く刀華を待っていたのは龍玄だった。

 壁にもたれ刀華が来るのを待っていたからなのか、刀華の表情は先程の勝利の余韻を持つ事は無かった。

 それと同時に何故ここにいるのかすら悩む。しかしながら、今の刀華には何かをするだけの余力はそれ程無かった。

 

 

「まぁ、あれなら多少は見れた物だな」

 

「お眼鏡に適ったと?」

 

 龍玄の傲慢とも取れる物言いではあるが、刀華はそんな感情を持つ事は無かった。

 刀華の知る側からすれば、あの業は龍玄が普段から使う物と酷似している。業そのものを真似たのではなく、自身の力だけで来たからなのか、刀華は内心では自信を持っていた。

 

 

「あれが異能を使わないなら、そうかもしれんな」

 

「……そうですか」

 

「ならば早急に完成させるんだな。その上で新たに挑むと良いだろう」

 

「立場的には良いんですか?」

 

「あの程度で粋がるな小娘。試合ではなく死合なら存分に構ってやる。尤も意識が残るかは知らんがな」

 

 僅かに細まる龍玄の目は既に何時もとは違い、風魔の任務で見るそれだった。

 不用意な発言をした事により、冷ややかな空間に刀華も改めて自分が対峙した人間が誰なのかを実感している。

 

 先程までの空気は既に沈黙し、今のこの空間を支配しているのは紛れもなく小太郎と同じ物だった。

 余りにも違い過ぎる雰囲気に刀華は思わず息を飲む。迂闊過ぎた言葉が意味するのは明確な死。カナタを通じてどこか身近なイメージを持っていたが、それはあくまでも一方的にこちらが譲歩した結果だった。

 風魔の詳細は分からなくても、小太郎の技量がどれ程の物なのかは何となく理解したつもりだった。

 しかし龍玄の言動に、それすらも及ばない事を理解している。風魔と並ぶのは偏に同じ道を歩む事を意味する。

 刀華もまた人知れず修羅の道を歩んでいた事を理解させられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イッキ。シズクの所には行かなくても良いの?」

 

「今は行かない方が良い。色々と頑張って来たんだ。自分の中で消化する時間も必要だよ」

 

 劇的な決着であると同時に、あの間合は完全に珠雫が支配していた。これが刀華で無ければ確実に珠雫の頭上に勝利が輝いていたはず。にも拘わらず、事実上の真正面から刀華は反撃をしていた。

 

 それと同時に瞬時に放った二度の斬撃。速度が乗った抜刀術は通常以上の威力を有していた。

 一輝が口にする前に龍玄が放った言葉。一輝もまた最後の攻撃が事実上の特攻ではなく、何らかの中距離攻撃か若しくは高火力の攻撃があれば今の状況になっていなかったと判断していた。

 口には出さなくとも何らかの感情には出る。それをステラよりも一輝の方が理解しているからこそ、今はただ静観した方が良いと判断していた。

 

 

「そう………でも、最後のトウカの攻撃も厄介よね」

 

「そうだね。まるで龍の攻撃を見ているみたいだったから」

 

「そう言われればそうだけど……」

 

 ステラの言葉に一輝は一つの可能性を考えていた。

 刀華は自身の異能を使用する事によって、あの速度を維持している。しかし、龍玄に関してはその限りではなかった。

 これまでの予選会で一度も異能の力を使用した形跡はなく、寧ろあの速度でさえも体捌きや純然たる肉体だけで維持している。

 身体強化すらしていない状態であれだと仮定した場合、本来の力はどれ程になるのだろうか。

 未だ一輝は龍玄とは対峙していない。そんな事を考えていたからなのか、一輝は少しだけ物思いにふけっていた。

 

 

「イッキ。どうかした?」

 

「いや。僕ならどうした物かと思ったんだよ」

 

「そう。その割には少し表情が暗かったみたいだけど」

 

「大丈夫。大した事じゃないから」

 

 一輝が気が付いた時にはステラの顔は至近距離にまで近づいていた。あと少し近寄れば互いの唇が振れる距離。それ程までに近寄るステラに気が付く事無く一輝は思考の海へと潜っていた。

 

 

「イッキ。悩むなら私にも教えて欲しいの。私だけが何も知らないのは……」

 

「そんなつもりは無いんだけどね。でも、考える事があればステラには必ず相談するから」

 

 同じクラスで朝の鍛錬も同じ事をする時間が増えたからなのか、龍玄の事を知っている気にはなっていた。しかし、刀華の一戦で改めて本当の意味で理解していない事を理解する。

 一輝の胸中には少なくとも最大の難敵は刀華ではななく、親しく友人でもある龍玄である事を認識していた。

 

 

 



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第29話 取り戻すべき場所

 まるで周囲から切り離されたかの様に周囲からは雑音が聞こえる事は無かった。

 本来であれば何かしらの音が聞こえたとしてもおかしくは無い。まるで来る者を拒絶するかの様に閉ざされた門扉はその存在感を十分に示していた。

 

 

「えっと………本当にここなんですよね?」

 

「はい。ボクの記憶では間違いありません。だけど……」

 

 尋ねられた質問に答えたまでは良かったが、少なくとも自分の記憶とはかけ離れた風景に少女は僅かに困惑していた。

 最近までの記憶が正しければ、壁には下品な落書きが描かれた記憶だけが残っていた。しかし、眼前に広がる光景にはそんな風県は微塵も無い。それどころか時折感じる気配は紛れも無く一流の武芸者が発する剣氣だった。

 

 それだけではない。剣氣以外に聞こえるのは打ち込みの際に発する気合とも取れる声。少なくとも自分の記憶の中で、これ程までに全力で放たれた気合と剣氣は感じた事は一度も無かった。

 一歩一歩近づくに連れ見れてくる道場は、少なくとも自分の知りうる物とは大きく異なっていた。

 記憶にある道場は掃除こそ絶やさなかった為に、汚いイメージは無いが、それでもどこか汚れた雰囲気があった。しかし見えてくるそれは、まるで新築されたのかと思う程の白亜の鮮やかな壁。僅かに見える道場の屋根もまた漆黒の屋根瓦が当然だとばかりに鎮座している。

 これが本当に自分がかつて剣術を学んだ地なのだろうか。青年の言葉に少女は場所を間違えたのではと思う程だった。

 

 

「詳しい事は分からないけど、感じるそれは純粋な剣氣みたいだけど……」

 

 少女から聞かされた内容と大きく違いがあるからなのか、少女と共に来た青年でもある一輝は困惑していた。

 一輝自身も子供の頃に剣術を盗むべく、色々な道場や修練場に潜り込んだ事はあった。

 どの道場も一線級の規模だった事もあってか、そこから感じる剣氣は少年でもあった一輝にも感じる物はあった。

 しかし、ここから感じるそれは一輝の記憶の中でも一度も感じた事が無い。まるで鍛錬と言う名の実戦を行っているかの様に感じるそれは一輝の肌を粟立たせていた。

 

 

「イッキ。この国の道場はこんなに苛烈なの?」

 

「いや……僕が知る中ではこうまで激しい物を感じた事は殆ど無いかな」

 

 気が付けば一輝だけでなく、ステラともう一人の同行者でもある綾辻絢瀬の三人。激しく迸るそれを察知してからは、無意識の内に脚を止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、話って何?」

 

「実は先程の話を少しだけ聞きました」

 

 既に時間は放課後に差し掛かる頃、一騎は唐突に絢瀬に呼ばれていた。

 どこか真剣な表情を浮かべ、冗談では済まない雰囲気。突然呼ばれた一輝からすれば絢瀬の表情を作った原因が分からなかった。

 記憶の中を探し出しても絢瀬とそれ程会話をした訳では無い。だからなのか、絢瀬が何か言いたげな表情を察知しその口から告げられる言葉を待っていた。

 

 

「今日の昼の時間に風間君と話していた事ですが、あの貪狼学園の倉敷蔵人とは知り合いなんですか?」

 

「知り合いじゃないよ。一度だけ顔を見ただけだから」

 

「そうですか………」

 

「本当の事を言えば、僕じゃなくて龍に聞くと良いよ。僕も龍が間に入ったから、その場から離れたんだ」

 

「それって……」

 

 一輝の言葉に絢瀬は困った表情を浮かべていた。

 絢瀬が何を考えているのかは分からないが、少なくとも先程の話に出た倉敷蔵人に用事があるのは間違いと思っている。

 正直な所、一輝もまた龍玄と蔵人の関係性がどんな物なのかは理解していない。あの時はステラの事もあった為に、なるべく穏便に過ごす事が出来れば良い位にしか考えていなかった。

 その後の件は特に何も聞いていない。仮に聞いた所で何一つ話す事は無いと考えていたからだった。

 

 

「僕で良ければ話は聞くよ。その……倉敷蔵人と何があったの?」

 

「………ここで話しをすれば君を巻き込むかもしれないんだ。そんな簡単には……」

 

 絢瀬が言い淀むのはある意味当然だった。

 一輝との付き合いはそれほど長い訳では無い。実際にあの予選会の初戦を見てから絢瀬の中では一輝の存在は自分にとっても大きな物となっていた。

 魔力が低くても格上との戦いに、自らの信念を持ち撃破する。その確固たる意志は少なくとも自分の中には無い物だった。

 

 破軍学園は良くも悪くも旧制度の色が未だに残っている。黒乃が就任してまだ半年程。

 だからなのか、魔力の技能が高く、結果的にはランクが低い物は辛酸を舐めたままに状態が続いていた。

 そんな旧制度に風穴を開けたのが目の前に居る黒鉄一輝の存在だった。

 理事長でもある新宮寺黒乃が提唱する実戦重視はこれまで注目されにくかった剣術などの純粋な戦闘技能。魔力が劣れどそれをカバー出来る物があれば挽回できる。絢瀬はそう考えたからこそ一輝の元で剣術を学びたいと考えていた。

 

 そんな一輝に話しをすれば、確実に何らかの形で介入するのは明白だった。一輝とは同じ志を持つ同士なのかもしれない。だからこそ、ここで話をすれば一輝は間違いなく動くと考えていた。

 絢瀬にとっては本望ではない。確かに打算が無いとは言えない。それでも、この件は絢瀬個人の事。他人を巻き込んで良い話では無かった。

 

 

「でも、話をすれば多少は気持ちの整理もつくかもしれない。それに、龍が間に入った際にはそれ程危ういとは思わなかったんだ」

 

 あの晩、仮に互いが激しく戦闘すれば、離れた場所に居た一輝とステラにも何かを感じたはず。にも拘わらず、そんな気配すら無かったからなのか、一輝もまたそれ程気にする事はなかった。

 しかし、絢瀬の言い淀む表情を見れば、何らかの因縁があるのかもしれない。一輝はそんな事を考えていた。

 

「だったら龍にも聞いてみるよ。それなら絢瀬さんの話の信憑性もあるだろうし」

 

「いや、そこまでしなくても………黒鉄君。僕の話を聞いてくれないかな」

 

 元々絢瀬が呼び出した以上は何らかの説明は避けて通る事は出来なかった。

 実際に倉敷蔵人との関係は気が付けば一時期程では無くなっていた。

 

 一番分かり易いのは蔵人の周りに取り巻きの姿が見えなくなっている点だった。

 同じ関東圏内にある破軍と貪狼は、生徒間でも何となく分かる部分があった。全国の中でもこの二校だけが近隣にある。そうなれば生活圏内は自ずと交わる部分も多々あった。

 絢瀬もまた、これまでに何度か蔵人を見た事はあった。事の発端は蔵人が父親の海斗に道場破り紛いに戦いを挑み、勝った事が原因。

 その結果として絢瀬だけでなく、かつての門下生もまた道場から追いやられていた。

 

 これまでに絢瀬もまた道場の周辺に足を運んだ事が何度かあった。白い壁には下品なイラストがスプレーで書かれ、神聖な道場の面影すら無くなっていた。

 隠れて中の様子を見れば、掃除すらせずゴミが散乱している。まるで自分達のたまり場と言わんばかりの使用に絢瀬は憤っていた。

 しかし、自分と蔵人の力量は比べるまでも無い。それ故に常に歯噛みする部分が多分にあった。

 それと同時に向こうがこちらに気が付くと常に絡んでくる。なまじ実力があるからなのか、絢瀬も反抗する事なく、なすがままに心無い行為をされていた。

 怒りのあまりに内心は憎悪の焔が心身を焼き尽くす。

 反骨心はあれど、現状は何も出来ず、今の状況になっていた。

 事実、まだ父親である海斗は目を覚ます事無く病院のベッドに縛られている。行き場の無い悔しさも相まって、自身の綾辻一刀流を更なる高見に上る為に一輝の元を訪ねていた。

 

 

「………確かにあの剣氣は尋常じゃ無かった。でも、今のままで良いとは思わなかったからこそ、僕の下に来たんだよね」

 

「勿論。騙すつもりだって無い。ただ、僕の父さんの……綾辻一刀流を貶されたまま過ごす事はしたくないんだ」

 

 己の信念が揺るぐ事は無いと言わんばかりに絢瀬の言葉には力があった。

 本来であれば蔵人の事を態々聞いたのであれば一輝を利用する方が手っ取り早い。絢瀬の脳内にも僅かにそんな考えが過っていた。

 しかし、これまで一つ一つ丁寧に教えられた技量を考えれば、一輝をけしかける必要が無い。それ程までに絢瀬は黒鉄一輝の人物像を見抜いていた。

 

 

「話は分かったよ。だったら尚更確認した方が良い。何がどうしてそうなっているのかを理解出来ないままに行動するのは悪手だと思う」

 

「……黒鉄君がそう言うなら」

 

 一輝の言葉に絢瀬は折れるしか無かった。

 確かに何も分からないままに行動した所で、原因が分からなければ時間を無駄に過ごす事になる。

 実際に倉敷蔵人の実力がどれ程なのかは横にしても、あの晩の邂逅からすれば、かなりの実力者である事は間違い無かった。相手を知らずに戦う程、一輝は愚かではない。

 今の段階で分かるのであれば、情報は多いにこした事は無かった。

 

 

 

 

 

「結局、リュウとは話が出来なかったわね」

 

「授業は居たんだけどね。休み時間になると常に居なかったのは痛いかもね」

 

 一番の情報源もあった龍玄は不思議と捕まる事が無かった。

 授業には出ているが、休みの時間になれば必ずと言って良い程に姿が見えない。何時もはそれ程に気にした事は無かったが、冷静に考えれば明らかに異様だった。

 今日に限っては昼の時間すら会っていない。

 自分達の予選会の事も考えれば、行動は早めに起こした方が良いだろうと判断した結果だった。

 

 

「取敢えずは様子を見るだけで終わらせるのはどうかな。それなら最悪の事態になる可能性は無いだろうし」

 

「要は偵察って事ね」

 

「そうなるんだけど、どうしてステラがここに?」

 

「……良いじゃない。私も全くの無関係じゃないんだから。それに二人っきりで行くなんて………間違いがあってからだと遅いんだし……」

 

 一輝の言葉にステラは横を向きながらボソボソと話す。最後の方は声が小さかった事もあってか一輝に聞こえる事は無かった。

 ステラも当初はそれ程気にした事はなかったが、実際に一輝と絢瀬の二人だけでとなった際には自分も当事者である事を主張していた。

 あの晩の事は横にしても、自分と二人じゃない部分にステラとしては面白く無かった。

 自分と一輝だけなら話は違ったのかもしれない。しかしながらステラもまた当時の蔵人の剣氣を僅かに感じ取ったからなのか、男女としての仲だけでなく一個人の伐刀者としてのプライドもまた刺激されていた。

 

 

「あの……ボクの為に本当に良かったの?ステラさんだって忙しいんじゃ」

 

「私の事は気にしなくても良いから。それに破軍以外の伐刀者がどれ程の実力を持っているのかも知りたかったから」

 

 申し訳ない態度にステラもまた全部ではないが、実際に感じた事を伝えていた。

 二人きり云々はともかく、今後の事を考えれば他校の実力を感じた方が自分が目指す頂きに近づける。そんな事を考えた結果だった。

 

 

「……じゃあ、お願いします」

 

 絢瀬の言葉に一輝とステラもまた、道場のある場所へと移動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここへはどの様な用件で」

 

 三人が入口付近で立ちすくんでいたと思われた途端、一人の男性から声を掛けらえていた。

 元々今回の予定は情報収集であって、直接乗り込む事が目的ではない。当然ながら三人は周囲の様子を見てから忍び込む予定だった。

 しかし、突然声を掛けられた事によって、当初の予定が容易く瓦解する。声を掛けられるまで気が付かない程に気配を察知できなかった事実に三人は言葉に詰まっていた。

 

 

「……あの…ボクの名前は綾辻絢瀬と言います。元々はここの道場主の娘です」

 

「成程。ならば貴殿は綾辻海斗殿のご息女になると」

 

「はい。その通りです」

 

「貴殿の言い分は分かった。だが、証拠も無くそのまま鵜呑みには出来ない。一度こちらで確認させて頂きたい。こちらに付いて来て貰えるか」

 

 男性は道着を来たままだった。

 見た目にそぐわず、その雰囲気は圧倒的な武を追及する求道者の様にも感じていた。

 実際に絢瀬が応対しているその後ろで一輝だけでなく、ステラもまた同じ事を考えていたからなのか、真剣な表情をしている。

 この時点で仮に強引に入ろう物ならば、確実にこちらが排除される可能性があった。

 

 どんな状況であったとしても、所有者でもある綾辻海斗よりも立会にて勝った倉敷蔵人の方が優先される。未だ時代がかった法律であるが、魔導騎士の根本に武士(もののふ)としての矜持が存在する為に、絢瀬だけでなく一輝もまたその言葉に従うより無かった。

 仮に異能の力を僅かでも行使すれば、自分達に非がある事になる。それに伴って幾つかの法律を犯すとなれば国際問題にまで発展する可能性もあった。

 

 

「ステラ、僕達も行こう」

 

 一輝の言葉にステラもまた頷くと男性の後を歩いていた。

 門の中に入ると絢瀬から聞いていた光景とは大きく異なる。

 落書きはおろか、周囲にはゴミ一つ無い。整えられた庭に道場と思われる場所までは整えられた石畳が続いている。

 絢瀬も同じ事を考えていたからなのか、三人の視線は止まる事なく周囲を常に眺めていた。

 

 

 

 

 

「確認が終わるまでこの部屋で待機して下さい」

 

 男性はそう言うと同時に襖を開けていた。目の前に広がるのはまるで歴史を感じさせる程の掛け軸と花器が飾られている部屋だった。

 洋室ではなく和室だった為に、誰もが靴を脱ぐ。一輝と絢瀬は気にする事はなかったが、ステラだけは僅かに戸惑っていた。

 

 

「ステラ、ひょっとして………」

 

「だ、大丈夫。私の事は気にしなくても良いから………」

 

「無理する事は無いよ。これは私の問題なんだから」

 

 ステラが戸惑うのは無理も無かった。

 ステラが日本に来てからはそれなりに時間は経過しているが、こうまで立派な和室を見た事は一度も無かった。

 それと同時に敷いてあるのは座布団だけ。椅子が無い為に、その場に留まる為には正座をするしかなかった。

 慣れている一輝と絢瀬はともかく、ステラが耐えられるとは思えない。

 こんな時で無ければ色々と対策も出来るが、残念ながら今はそんな事をする事は出来なかった。

 

 恐る恐る一輝のやっている事を横目にステラは座布団の上に正座する。出来ないのであれば膝を伸ばせば良かったが、誰もそんな雰囲気では無かった。

 時間と共にステラの脚が限界を訴える。座ってそれ程時間は経過していないが、既にステラは苦悶の表情を浮かべていた。

 これは一体何かの拷問なんだろうか。そんな取り止めの無い事を考え出してはや数分。これ以上は限界と思われた矢先、閉ざされた襖は僅かに音を立て開けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、要件は何だ?綾辻海斗の関係者だとは聞いていたんだが」

 

 三人の驚いた表情さえも無関心だとばかりに道場に居たのは、結果的には今日は一度も捕まらなかった龍玄だった。

 同じ様な道着を着て、他の人間に何かを指導していたのか、他の人間は誰もが肩で息をしている。三人の姿を確認したからなのか、その指導を止め用件だけを述べていた。

 

 

「あの。龍は何でここに?」

 

「ここは俺が倉敷蔵人から権利を譲り受けただけだ。それがどうかしたのか?」

 

「いや。実は綾辻さんから話を聞いたからここに来たんだけど……」

 

 龍玄の言葉に一輝もまた軽く混乱していた。

 元々絢瀬から話を聞いた際には何かと問題があるから様子見がてら来るはずだったが、いざここに来れば、余りにも違い過ぎる環境に戸惑っていた。絢瀬が嘘を言うはずも無ければ龍玄が一輝達を騙す必要も無い。

 お互いの食い違いが大きすぎるからなのか、一輝だけでなく絢瀬もまた固まったままだった。

 

 

「さっきも言ったが、ここの道場が綾辻海斗縁の物である事は認識している。だが、ここの使用権に関しては使用者当人から権利を譲り受けている以上は、正式な権利として認識している。気に入らないのであれば立ち会う事になるが?」

 

 龍玄の言葉に一輝もまたここが道場破りの末に使用している事実を理解している。

 時代遅れの法律ではあるが、基本的に法が存在する以上、龍玄の言葉は事実だった。

 最近ではあまりにも道場側がリスキーな為に、どの道場でもやる事は無い。しかしながら、綾辻海斗と倉敷蔵人の一戦はそれを実行している。

 仮に龍玄の言葉が正しいのであれば、龍玄は蔵人に勝ったと言う意味もあった。

 

 

「ぼ、ボクは……」

 

「悪いが、くだらない会話をする程暇じゃないんだ。気に入らなければ実力で奪い返せば良い。その方がお互いの為じゃないのか?」

 

 聞き様によっては傲慢とも取れるが、事実はその通りだった。

 正式な所有者でもある綾辻海斗は未だ病床に臥せったまま。絢瀬は娘である為に、法定代理人の意味でも当事者になる。

 そうなれば、お互いの同意の元で戦って取り戻せば良いだけの話だった。

 

 

「ちょっとリュウ。せめて話位は聞いたって……」

 

「悪いが部外者は黙ってくれ。それと法律で認められた権利を部外者は認めないからと言って、こちらがはいそうですかと戻す訳が無いだろう」

 

「それでも………」

 

「ならば、ステラ。俺と立ち会って、お前が負けたらお前はヴァーミリオン公国を差し出すのか?」

 

「そんな事出来る訳ないでしょ!そんな法律があったら大変じゃない!」

 

「ならば同じ事だ。気持ちは分からないでもないが、今のステラにはその権利が無い。だから部外者なんだよ。文句があるならこの国に言うんだな」

 

「でも……」

 

 龍玄の言葉にステラはそれ以上の事は何も言えなかった。それだけではない。龍玄は態々立ち会う事を是としている。

 言葉を交わす位ならば、立ち会って結果を示せば良いと言外にしている。本来であれば絢瀬がそのまま受ければ良いだけの話だった。

 

 

「で、どうする?時間が必要ならば多少は待てるが」

 

 改めて周囲を見れば、全員の視線が四人に向けられていた。時間的にはそれ程遅くは無いが、その圧倒的な視線に絢瀬は萎縮する。その先にもたらす物が何なのかを考えれば、結果は火を見るよりも明らかだった。

 

 

「龍。僕らは今日は現状を見に来ただけなんだ。ここですぐに返事をする事は出来ない」

 

「そうか。ならばこの時点で現状は把握出来たはずだ。それも踏まえて一つ聞くが、一輝。厳密にはお前も部外者だ。それでも尚、加担するのか?ならば相応の代償を払う必要があるぞ」

 

「それは………」

 

 到底即答できる内容では無かった。只でさえ龍玄の実力がどれ程なのかを一輝は完全に理解した訳ではない。

 これまでに何度も手合わせはしたが、そのどれもがどこか一歩引いた様な感覚があった。

 これまで絢瀬の指導したからこそ分かる。今の絢瀬では確実に龍玄に勝つ事は不可能だと言う現実。そうなれば道場をどうこうするレベルでは無くなっていた。

 龍玄の言葉に一輝だけなく絢瀬もまたこの場に呑まれたかの様に動く事が出来ない。客観的に見てどちらが正論を吐いているのかは言うまでも無かった。

 

 

「それに、言いたくは無いが、綾辻海斗氏の法定代理人が負けたとなれば、次に差し出すのはこの道場の権利だ。それに同意するのか?」

 

 認めたくない現実を突きつけられた事により絢瀬だけでなく一輝とステラもまた固まるしかなかった。

 失う物が無いのであれば、それを盾に挑み続ければ良い。しかし、お互いの差し出す対価が合わなければ、結果的には一方的な言いがかりになる可能性があった。

 道場の使用権を失えば、次に待っているのは所有権。絢瀬としてもそれだけは避けたい内容だった。

 この時期にはあり得ない程に冷たい汗が背中を伝う。既に偵察ではなく、事実上の宣戦布告の様な内容に、退却すべきタイミングは失われていた。

 

 

「それと、悪いがその程度の力量で挑むのは褒められた話ではないな。犬死したくないならさっさと帰れ」

 

「そ、そんな事……」

 

 龍玄の言葉に絢瀬はそれ以上は何も言う事は出来なかった。実際にここに来てから感じるそれは少なくとも自分のレベルを超えた人間が多い事を遠巻きに理解していた。

 伐刀者かどうかは分からない。少なくとも、ここでの話合いの結果がもたらす未来がどんな結果をもたらすのかだけは確実だった。

 

 

「……だったら一度、自分の力量を知った方が良さそうだな。ならば選べ。どちらにするんだ?」

 

 そう言うと同時に龍玄は木刀と掌を差し出していた。木刀を持てば、剣術家として。掌を選べば伐刀者として。逃げる事を事実上放棄した以上、絢瀬は選ばざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道場に響くのは僅かな呼吸音。既にお互いが臨戦態勢に入っているからなのか、僅かに聞こえる呼吸音以外には何も聞こえなかった。

 お互いの視線が避ける事無く交わる。立場を理解しているからなのか、それ以上は微動だにしなかった。

 

 

「では、始め!」

 

 怒号の様に響く声と同時に二人は一気に距離を詰めていた。

 木刀を握るその手には自分の未来がかかっている。幾ら当人では無いとは言え、それでも歴戦の猛者である事に違いはなかった。

 

 少女はこれまでに感じた事が無い程の剣氣を全身に浴び、僅かに動きが鈍る。時間にしてコンマ数秒の世界。しかし、当人にとってはそれ以上の時間の様にも感じていた。

 先程まではまだ構えだったはずの木刀の切っ先は既に少女の眼前にまで迫っていた。

 迫り来る斬撃は命を奪い去る程の圧力。元々外部の人間が道場破りに来た以上は仮にその場で命を失ったとしても罪には問われない。これは古来より綿々と伝えられた事実である。

 故に少女は全力で避けるよりなかった。破軍の予選会でさえ命を失う程の危機感は感じた事が無い。しかし、今自分に迫る圧力は紛れも無く死神のそれ。

 木刀とは言え、打ちどころが悪ければ命は容易く散る。だからなのか、少女でもある絢瀬は回避だけに専念していた。

 

 

「避けるだけで勝てるとでも?」

 

「…………」

 

 殺人に対し忌避感を持つ様な相手では無かった。

 死が隣に同列している様な斬撃は戦場の剣。ぬるま湯につかる人間であれば確実にこの世から去って行く程の斬撃だった。格下と言えど油断が感じられない。このまま続けば、体力が尽きた瞬間に待っているのは死と言う名の敗北。故に少女は全力で回避せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

「木刀を選んだか」

 

 龍玄の言葉に絢瀬は無言で頷くだけだった。

 恐らく掌を選べば伐刀者としての戦い。木刀であれば純粋な剣術家としての戦い。絢瀬は本能的にそう感じ取っていた。

 龍玄から出た言葉は絢瀬にとっても僥倖だった。

 今回に限り互いの水準がどれ程なのかを理解する為と言う名目の為に、負けが許されていた。

 そうなればこの戦いで相手の情報を出来るだけ引き出す。それが戦術でもあり、生き残れる為の道だった。

 木刀を選んだ事で龍玄の態度は何も変わらない。だからこそ龍玄もまたその意図を感じ取っていた。

 

 

「ならば俺は傍観しよう。そうだな………やれるか?」

 

「是非」

 

 龍玄の言葉に一人の男が礼をする。絢瀬の相手は龍玄ではなく、道場で修業していた一人の男だった。

 道着を着ている為に肉体がどれ程鍛えれれているのかは分からない。がしかし、歩くその姿に隙は微塵も無かった。

 

 

「ちょっとリュウ。貴方が相手するんじゃないの!」

 

「綾辻の実力は知っているつもりだ。それに俺と対峙するのであれば掌を選択すれば良い。どうする?」

 

「いや。ボクはそれでも構わない。一度だけは負ける事を許されるなら、これまで学んだ物を全部使うつもりだ」

 

 龍玄ではない誰かだったからなのか、ステラは感情を露わにしていた。

 これまでの流れからすれば、龍玄が相手をするはず。しかし、その予想を大きく覆し、結果的には道着を来た人間だった事から出た言葉だった。

 しかし肝心の絢瀬が応諾した以上はステラが口を挟むのは筋が違う。だからなのか、それ以上の言葉が出る事はなかった。

 

 迫り来る斬撃は絢瀬の予想を大幅に裏切っていた。

 少なくとも自分の父親が伐刀者に勝った話は聞いたが、対峙する男はそれ以上だった。

 

 常に意識の外からくる攻撃は起こりの瞬間が一切見えない。当然ならが無拍子の攻撃を捌く程絢瀬の剣術は熟成されていなかった。

 迫り来る斬撃を恥も外聞も無く回避に専念する。

 相手の攻撃疲れを待とうにも、それすらも許されなかった。

 命を狙う攻撃は確実に絢瀬の精神を疲弊させていく。まだ開始してそれ程時間は経過していないが、体感的には数時間以上戦っている様にも錯覚していた。

 

 

 



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第30話 力の差

 実力がどれ程違うのかは当人ではなく第三者の目で見れば当然の結末だった。

 木刀を選んだ時点で要求されるのは己が剣技のみ。しかし、命のやり取りを常にしている側とそうで無い側では圧倒的に差があった。

 本来であれば互いに数合の手合わせをすれば実力は大よそながらでも推測できる。しかし、この結末によってそんな事すら推測できないままに戦闘は終結していた。

 

 

「愚か者が。未熟故に見逃したが、次は無い」

 

 男の言葉に絢瀬はそれ以上の事は何も言えなかった。自身が短いながらに人生の大半を賭け、一輝の手によって改良された綾辻一刀流は児戯だと判断されていた。

 本来であれば憤る場面なのかもしれない。しかし、この戦いに於いては明確な結果を出してしまった為に、それ以上の抗弁は適わなかった。

 

 相手は完全に実力で上を行っている。一度は負けが許されると言われたのは、偏に絢瀬の技量が圧倒的に未熟なだけだった。

 これが実戦であれば絢瀬の頸は最初の一合で胴体と別れている。道場に来ている人間であれば師範よりも実力が低いのは予測できたが、まさかこれ程だとは思わなかった。

 精神だけでなく肉体もまた完全に冷え切っている。誰が何と言おうとも絢瀬の完敗だった。

 

 

 

 

 

「で、再戦はするのか?」

 

「それは………」

 

 肩で息をする絢瀬に対し、龍玄は当然の様に聞いていた。

 元々絢瀬の技量を知っている側からすれば、今回の結末は最初から予測出来ていた。

 今回の対戦相手は下忍ではあったが、中忍になれる位の実力を持っている。少なくとも命を懸けた実戦に於いては、下忍の命など塵芥に等しい物だった。それ程までに力の差は大きかった。

 

 風魔としても人材を失いたいとは考えていない。その結果として、今回の道場の使用権を所得した事によって更なる技量の上昇を予定していただけだった。

 ぬるま湯とは言わないが、命が掛かった戦場と試合では意味合いは大きく異なる。当然ながら絢瀬が出た時点で龍玄は勝利を確信していた。

 

 

「悪いが、ここは俺が今後も使用させてもらう。文句があるなら対等になった時点で挑むんだな。その代り、次は無い」

 

「勝てば良いんだよね」

 

「己の命を天秤に乗せる事が出来るのか?今回はレベルを示す為にそれなりで対応したが、次は命の保証は出来んぞ」

 

「それは………」

 

 余りにも冷たい言葉に絢瀬はそれ以上は何も言えなかった。

 一輝の元で鍛錬を重ねはしたが、この戦いに於いては何一つ敵わない事だけは間違い無かった。

 武士(もののふ)の世界からすれば、弱者こそが罪悪。当初の予定でもあった偵察を第一としている側と、全力で相対する側の意識の差が明確に表れていた。

 

 それと同時に絢瀬もまた唐突に理解する。

 一度は問題無く対戦すると言った時点で、どれ程の実力があるのかを冷静に理解すべきだった。

 伐刀者が一般の人間に負ける可能性は極めて低い。あったとしても自分の父親位だろう。そんな取り止めの無い事を考えた末の言葉だった。

 余裕が慢心を生む。少なくとも挑戦者のはずの絢瀬が思い違いをした事実は、既にどうしようもない事態に発展した後だった。

 

 

 

 

 

「己の矜持だけは達者だとはな……実につまらん。それとも何か?己の実力があるからこそ無精したとでも?」

 

 対戦相手の男の言葉は事実だった。自分は少なくとも綾辻一刀流を長きに渡って学んでいる。有象無象の人間に負けるなんて概念はなかった。

 学内ではそれ程でも無いかもしれない。しかし、一般人と伐刀者がどれ程違うのかは絢瀬自身が身を持って知っている筈だった。にも拘わらず、過ぎ去った結果に何も出来ない。

 短絡過ぎた結末は既にどうしようも無い程に分水嶺を通り越していた。

 

 

「そんなつもりは……」

 

「ならば立ち去れ。貴殿にここを任せる程の責務はあり得ない」

 

「それでも………」

 

「生半可な物言いだけで過ごせるとでも?それとも貴殿の学んだ剣術はその程度の物なのか。ならば更にありえん。この道場が泣くぞ」

 

 吐き捨てるかの様な言葉に絢瀬はそれ以上は何も言えなかった。

 自分の都合だけで挑んだ戦いの結末は自分でつけるしかない。ましてや相手は伐刀者としての能力ではなく、純粋な剣術家としての技量で負けている。どちらの言葉が真意なのかは考えるまでも無かった。

 冷たく言い放つ言葉に道場の空気は一気に冷え込む。この空気を払拭するのであれば相応の胆力が必要だった。

 

 

「…幾ら何でも、それは言い過ぎじゃないかな」

 

「何か問題でもあったか?」

 

 これ以上は見てられないと判断したのか、絢瀬に手を差し伸べたのは一輝だった。

 数合を合わせた時点でどれ程の差があるのかは一輝も直ぐに理解している。しかし、その後の応対が余りにも冷たすぎた。

 敗者に鞭を打つ様な辛辣な言葉。これがそれ程親しくない関係であれば一輝とて何か言うつもりは無かったが、絢瀬の心情を聞いている今、このまま放置して良い問題では無いと判断していた。

 

 

「敗者に権利が無いのは分かるんだけど、もう少し言い様があるんじゃないかと思ったんだけど」

 

 男の身に纏っている圧力は戦いを終えたばかりだからなのか尋常ではなかった。

 殺気ではなく純粋な剣氣。少なくとも伐刀者の端くれでもある一輝からしても純粋な剣術家に近い人間への発言には一歩引いていた。

 

 自分が同じ立場だと仮定した場合、明らかに自分の方が負ける可能性があった。

 異能を使う事によって身体能力を嵩上げするからこそ剣技もまた活きる。だからこそ、純粋な剣技だけで勝てる力量を持った人間の発言には尊さがあった。

 にも拘わらず、能力を一切使用していない人間が暴言とも取れる発言は流石に目に余る行為だと考えていた。

 

 

「なぁ、一輝。真剣にそんな事を言ってるのか?」

 

 そんな一輝の事を見下すかの様に言ったのは龍玄だった。

 この場に於いては友人ではなく、一人の道場主としての話。ならば横から口を挟んだ一輝こそが出しゃばっている事になる。

 それを重々承知しているからこそ、一輝もまた力強く言うよりなかった。

 

 

「当然だよ。勝ち負けは仕方ないにしてもそれは明らかに言いすぎだと思う」

 

「一輝。改めて聞くが、その考えは変わらないんだな?」

 

「そのつもりさ」

 

「そうか……ならば今の状況を理解した上で口を挟んでると考えても良いんだな」

 

 互いの間に漂う空気は濃密な物だった。

 突如として変化していく状況に、絢瀬だけでなくステラもまたどうしてこうなったのかと考えている。ステラとしては一輝の考えが分からない訳では無い。しかし、当事者の認識で考えれば一輝の言っている事には、かなりの無理があった。

 

 当事者ではなく第三者。ステラが冷静に見れたのはその立場だったからだ。一触即発を感じる空間には、先程とは違った緊張感が漂う。

 ここで下手に何か言おう物ならば、即座に何かが起こるのは明白だった。

 

 

「……一輝。道場主として問うが、お前が道場破りとなる事で良いか?」

 

「そのつもりは無いけどね。龍がそう言うなら僕は何時でも構わない」

 

「是非も無し……か」

 

 まるで何かを決意したかの様に龍玄は改めて一輝と向かう事を決めていた。

 一度決めた以上は間違い無く動く事は無いはず。ならばここである程度知らしめた方が良いだろうと判断していた。

 

 良き友人ではあるが、手の内を晒した事はこれまでに一度も無い。時折互いに模擬戦じみた事はするが、それでも普段の力をかなり抑えている。

 一輝の性格を考えれば天狗になる事はないかもしれないが、それでも今の一輝の実力ではどこか危うい物があるのも事実だった。

 だとすれば、この格の違いを身に刻ませれば認識は変わるかもしれない。龍玄はそう考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな所で互いに闘う事になるとはね」

 

「そうだな。お互いが伐刀者ならば実力を示した方が早いかもしれんな」

 

 お互いが握る木刀の切っ先には視線がぶつかった様にも見えていた。

 これまでに互いが対戦した事は数える程しかない。だからなのか、ステラだけでなく絢瀬もまた息を飲み、その視線が揺らぐ事は無かった。

 

 先程相対した男よりも龍玄の方が得体が知れない。一輝がまるで自身を鼓舞するかの様に闘志を露わにしているが、一方の龍玄はまるでこの場から居ない様にも感じる程に気配が希薄だった。

 静と動。まるで対極にある存在が如く、お互いは微動だにしなかった。

 

 

「では、始め!」

 

 

 道場に響く声に、堰を切ったかのように一輝は龍玄に突進していた。

 少ない情報ではあるが、龍玄の速度がどれ程なのかは一輝とて理解している。そうなれば、開幕速攻のやり方が妥当だと判断していた。

 

 一気に吐き出す息と共に一輝の動きはこれまでに無い程俊敏に動く。まだ学園内では一度も披露した事が無い自身の秘剣『犀撃』だった。

 瞬間的に放たれた事によって確実に龍玄の範囲の外から攻撃を仕掛ける。初見が故に一輝もまたこの業で様子を見るつもりだった。

 大気を切り裂くかの様に出た突きは、自身までもが刀身になったかの様に錯覚する。

 伐刀者の能力でもある身体強化を使用しない中での最大の攻撃だった。

 

 

「中々に鋭いな」

 

 木刀の切っ先は龍玄が居たと思われる場所を通過し、そのまま空を切っていた。

 零距離ではない為に多少なりとも見切る可能性はあったが、それでも肉迫すると考えた攻撃はその突進した力をそのまま放出していた。

 

 その瞬間、一輝は後悔する。空を切った事によって解放された力が緩む僅かな隙は反撃や防御する事が許されなかった。

 

 

「ぐっ………」

 

 腹部に激しい衝撃を受ける。

 龍玄が一輝に対し仕掛けたのは、木刀の柄で腹部を突いただけだった。

 一輝が放った突進の威力をそのままに、龍玄が差し出した柄が内臓にも届かんと深く突き刺さる。

 事実上のカウンター攻撃に一輝は呼吸すら忘れる程だった。

 

 

 

 

 

「イッキ!」

 

「だ、大丈夫だから……」

 

 ステラの声に一輝は心配させない様に言うだけで精一杯だった。

 本来『秘剣』を使用する際には身体強化が大前提になってくる。他の業も似た様な部分はあるが、やはり身体強化が無い通常の業は龍玄にとっても脅威にはなり得なかった。

 この一撃だけで、自分と龍玄にどれ程の差があるのかがはっきりと分かる。

 単なる敵だった場合、確実に突きではなく胴を薙ぐのは容易いと言っているのと同じだった。

 

 

「攻撃の種類は良かったが、前提を間違えたみたいだな」

 

「やっぱり気が付いてたんだ……」

 

「当然だ。あの攻撃は本来は奇襲で使う様な業じゃない。止めや追撃の際には絶大な効果を発揮するかもしれんが、何も無い今なら無駄だ」

 

 伐刀者としては身体強化を使うのは呼吸をするのと同じだった。

 魔導騎士が何故圧倒的な攻撃力をもっているのかは、偏にこの能力が前提だからだった。

 

 常人よりも膨大な力は攻撃や移動にも使用される。その結果として一呼吸で尋常ではない距離を詰める事も可能にしていた。

 一輝とて理解していない訳では無い。

 絢瀬との件がキッカケかもしれないが、今の自分が龍玄とどれ程違うのかを体感したい気持ちもあった。

 これまでに幾度となく交わした剣戟は全てが予定調和の様に終わっている。ステラは気が付いていないかもしれないが、一輝は龍玄に時折致命的とも取れる一撃を放っていた。

 本来であれば何かを察し、一言でもあるのかもしれない。

 しかし、龍玄はそれも当然だと言わんばかりに受け流していた。

 模擬戦が故に全力で相対する事が出来ない。だからこそ、自身の中でもこれが適しているであろうと考えた結果だった。

 

 

「やっぱり知った上でって事なんだね」

 

「そんな緩い攻撃を態々食らう必要性は無いからな」

 

 一輝の回復を待つかの様に龍玄は追撃をする事も無く会話を続けていた。

 少なくとも追撃の一つもあれば、この戦いは瞬時に終わる。にも拘わらず、このまま継続するのは何らかの思惑がある可能性があった。

 

 

「折角だ。やれるものならやってみろ」

 

「そうせてもらう……よ!」

 

 起き上った直後にも拘わらず、一輝は全身を発条(ばね)の様に使い足腰からの力の伝達を上腕へと移行する。

 先程の一撃は無かったかの様に疾る斬撃はステラだけでなく絢瀬もまた目を見張る程だった。

 

 木刀とは思えない斬撃に、誰もが無意識に息を飲む。激しく聞こえた音の後に待っていたのは一輝が蹲る姿だった。

 

 

 

 

 

「リュウ!イッキに何をしたの!」

 

「見ての通りだ。それとも、何をしたのかを一々説明しないと分からないのか?」

 

 龍玄の言い放った言葉にステラはそれ以上は何も言えなかった。

 先程までの攻撃は明らかに龍玄を捉えていたはずだった。事実、一輝の木刀が薙ぐつもりだったのは膝関節。

 避けるにしても受けるにしても厳しい場所。少なくとも奇襲に近い攻撃は何らかのダメージを与えるはずだった。

 

 

「態々種明かしは必要ないだろう。それともステラは一輝の心意気を無視するのか?」

 

「そんな事は……」

 

 未だ蹲ったままの一輝が動く気配は無かった。

 膝関節を狙うのは良策かもしれない。しかし、それはあくまでも通常の戦いに於いての話だった。

 

 腰よりも下を狙う場合、必然的に全身は沈み込む必要が出てくる。一輝の攻撃は確実に決まるのであれば、好機を手繰り捺せる事も可能かもしれない。しかしながら一輝の不意討ちとも取れる初撃でさえも回避する人間に対しては完全に悪手だった。

 

 頭上にぽっかりと開けた隙を態々逃す道理はない。一輝とてそれを理解しているはずだった。だからこそ龍玄は一輝を罠に嵌めていた。

 回避ではなく態と受ける事によって次の攻撃を防ぐ。その際には丁寧に受けた衝撃を逃し、こちらから木刀越しに寸勁を叩き込んで来た。

 龍玄の鍛えあげられた筋肉によって叩き込まれる寸勁は一輝も完全に受け流す事は出来ない。

 本来であれば完全に動きを止めるやり方を、敢えて鈍らせる程度に留める。刹那の攻防での動きの低下は致命的だった。

 故に一輝は龍玄の攻撃を回避できない。頭上から叩き込まれた拳によって一輝は地を舐める事になっていた。

 

 

「弱かったから負けた。それだけの話だ。それと綾辻、今の攻防を見ても尚やるのであれば容赦はしない。それが武士に対する礼儀だからな」

 

 魔導騎士として、伐刀者としてではなく、純粋な剣術家として敗北したのであれば事実上の完敗だった。

 異能により上昇させた力ではなく、純粋な技術が劣っているとなれば完全なる否定でしかない。それが分かっているからこそステラだけでなく絢瀬もまた何も言う事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら負けたみたいだね…………」

 

 一輝が目を覚ましたのはそれから十数分が過ぎた頃だった。

 気絶していた為に、その後のやりとりは不明だが、自身が負けた事によってどうなったのかは考えるまでもなかった。

 競った上での敗北であればまだしも、この戦いの敗北は完敗と言って良い内容。

 それと同時に、龍玄は普段の使い付き合いでは完全に手加減している事も唐突に理解していた。

 

 膝関節への攻撃を防がれた際に感じた衝撃は自身の持つ秘剣『毒蛾の太刀』に似ていた。

 膂力だけでなく、寸勁によって全身の体重を刀身へと伝わせる事によって相手の動きを封じこめるやり方。自分が使うよりも洗練された動きはまるで手本の様でもあった。

 身体能力を使わない攻撃は本来であれば一輝の独壇場になるはずが、気が付けば掌で転がされた程度だった。

 緻密に計算された訳では無く、ただ来たから跳ね返した程度。一輝は自分と龍玄の差がどれ程開いているのかを改めて考えていた。

 

 

「もう大丈夫なの?」

 

「……ああ。大きな問題も無さそうだよ。それと僕が負けたせいで……」

 

「ううん。ボクの事よりも君の身体の方を心配するよ。まさかあんな結末になるなんて思わなかったから……」

 

 少しだけ物思いにふけっていたからなのか、ステラの言葉で一輝は現実へと戻っていた。

 

 

「目が覚めたか」

 

「リュウ!」

 

「ちょっとステラ」

 

 龍玄の言葉にステラは僅かに警戒していた。

 短い期間ではあったが、風間龍玄の人物像は何となく理解していたつもりだった。

 しかし、この戦いの本質を見たからなのか、ステラは無自覚のままに警戒する。一輝がステラを諫めた為に、少しだけ空気が緊迫したままだった。

 

 

「言うまでも無いとは思うが、この件に関しては当事者が考える事だ。今後は一輝だけでなくステラも口出しは無用だ」

 

「分かってるよ。今回の件だって、実際にどれ位の力量があるのかを示しただけなんだよね」

 

「口で言うよりも、体感した方が分かり易いだろ」

 

「まぁね。まさか、ああまで一方的だとは思わなかったけど」

 

 既に一輝の中では蟠りは解消されていた。

 一番の要因は隔絶した差を口頭であれこれ言うのではなく、目に見せると言った事で分かり易くした点だった。

 半ば一方的な戦いではあったが、刹那の攻防に意味を見出す事が出来なければ口を挟む資格すらない。だからこそ龍玄は半ば挑発めいた言い方をしていただけだった。

 

 

「一輝、お前の剣は引き出しは多いが、それだけだ。少なくとも俺が負ける要素は何処にも無い」

 

「理由を聞いても?」

 

「簡単だ。色々な剣術があるが、基本はそのどれにも芯と呼ばれる物がある。その剣術を紐解けば、基本となるべき物があって初めて応用へと移る。だが、お前のそれには()()()()()での芯が無い。剣の理を理解すれば、もっと高みに行けるはずだ」

 

 龍玄の言葉に一輝は内心やはりかと思う部分があった。

 幾ら相手の剣術を解析しようとも、その根底にある物までは理解出来ない。全員がそうでは無いが、卓越した技術を持つ人間と対峙すれば、必然的に浮かび上がる事実だった。

 

 先程の戦いに於いても秘剣が躱されたのは、同じ環境ではない事を無視した結果。その次に関しても、同じく基本的な物を理解していないからだった。

 自分で作り上げた剣術は色々な流派の物を吸収し、それを自分なりに噛み砕いた結果。

 秘剣と呼ばれるそれも全てが十全に使用できる訳では無い。事実、幾つかの秘剣はこちらが相当意識しなければうまく活用できず、その結果として運用が難しくなっていた。

 剣の理が何であるのかは一輝とて理解している。基本に忠実になればなるほど、その意味は深く表れていた。

 

 

「リュウ。一つだけ聞きたいんだけど、どうしてそんなに冷徹に言えるの?」

 

「逆に聞くが、剣の道を歩く人間を甘やかしてどうするつもりだ?」

 

 質問に質問で返されたものの、龍玄の言葉はある意味では真意だった。

 元々ステラは一輝の境遇を本人から聞いている。実家から疎まれてもなお、歩む事を止めずに、只ひだすらもがき続ける。それは一輝に限った話ではなく、剣術、武術を目指す人間にとっては当然の事だった。

 

 歩みは早かろうが遅かろうが止めた時点で終わる。才能の有無ではなく、愚直に進もうとする意志だけしかない。

 剣を極めたと言った人間が過去にそれ程居たのだろうか。自分は本当に十全に理解したと胸を張って言える人間が未だ居ないのは言うまでも無かった。

 

 

「これが実戦なら頸は落とす。武士道ではないが、慢心は死と同義だ。綾辻も最初はそう思ったんだろ?」

 

 突然言われた事で絢瀬は思わず下を向いていた。

 図星までは行かなくとも、慢心があったのは間違い無い。改めて冷静に考えれば、油断した自分が悪いだけで、自身の学んだ流派が悪い訳では無い。

 道場を取り戻す事は叶わないかもしれないが、少なくともここに剣氣が絶えない以上は昔以上の何かがあるのは間違い無かった。

 

 

「だったらリュウはどうなの?」

 

「俺か?俺なんてまだまだだ。比べる事すら烏滸がましいさ」

 

「あれだけのレベルでも?」

 

「下を見ればキリが無いが、上を見てもキリが無い。自分が何をどうやって目指すのかの違いだ」

 

 これまでに見た予選会での戦いは全て事実上の瞬殺だった為に、ステラの中では龍玄の実力がどれ程なのかが見えないままだった。

 偶然ではあったが、先程の一輝との対戦で何となく見えたつもりではあったが、それでも概要すら見えない。

 にも拘わらず、その遥か上があるとなれば、一体どれ程の高みがあるのだろうか。世間で言えばKOKや闘神リーグが有名だが、それもまた違う様な気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕はまだ弱い。ステラ、これからも一緒に鍛錬しない?」

 

「ええ、勿論よ。まさかリュウがあれ程だとは思わなかったから」

 

 道場を後に、ステラ達はそのまま帰路へとついていた。

 少なくとも今回の戦いで見えた物が何なのかははおぼろげながらに見えた。しかし、実際に何も解決していないのも事実だった。

 前を歩く一輝とステラは前を向いている。勿論、絢瀬としても無いも思わない訳では無いが、やはり足取りは重かった。

 現時点だけでなく、この先の事をどう考えても取り戻せるビジョンが一切浮かばない。

 

一体どれ程の修練を積めば挑む事が出来るのだろうか。今回の件もまた一輝を利用した罰でしかない。絢瀬はそんな事を考えていた。

 

 

「あの、綾辻さん。良かったら三人で夕食も兼ねて食べに行こうかと思うんだけど、どうかな?」

 

「あの……ボクが居たらお邪魔なんじゃ………」

 

「気にしなくても良いよ。それに今回の件は僕も迷惑をかけたんだし」

 

「いや。やっぱりボクのせいで険悪な空気になってたから……」

 

絢瀬は三人が何となくだが、良き友人である事は理解していた。その前提を考えた場合、今回の件は考えられる中での悪手だった。

人間関係は思った以上に複雑になっている。だからなのか、絢瀬は一輝に対して申し訳ないと考えていた。

 

 

「良いの。リュウは案外と気にしないんだから。それに、この国の男性は殴り合う事で友情を深めるのよね」

 

「……ステラ、参考に聞くけど、一体何を見たらそうなるの?」

 

「ほら……マンガとかアニメとか……」

 

「…………そう」

 

「……え、何か変な事言った?」

 

「それはちょっと……」

 

全く無い訳では無いが、幾ら何でも早々に殴り合って友情を深める関係は一輝だけでなく絢瀬にとっても無い物だと考えていた。

 しかし、当の発言をしたステラは本気でそう考えている。仮にそれが事実だとしたら随分と物騒な友情だと、取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、ヴァーミリオンさん。そんなに食べても大丈夫なの?」

 

「私?これなら平気よ。それに食べる事も重要なんだし、私は結構燃費が悪いから」

 

 絢瀬は目の前に起こっている状況を理解するまでに、それなりの時間を要していた。

 次から次へと運ばれる食事は、まるで掃除機にかけたかの様にステラの口腔へと消えていく。

 隣に居る一輝は既に慣れているからなのか、驚く様な素振りは無かった。

 どれ程食べても外見上に変化は見られない。絢瀬は自分とステラを見比べたからなのか、あまりの違いに絢瀬は少しだけ引いていた。

 

 

「あの……本当にごめんなさい。ボクの個人的な事だったのに」

 

「さっきも言ったけど、負けたのは純粋な技量なんだ。本当の事を言えば、龍の技量がどれ程なのかを僕は知らないからね」

 

「でも。朝も一緒にやってる事はあるんだよね」

 

「確かにそうなんだけど、正直な所僕らはあの運動量にはついて行けないんだ」

 

 絢瀬の質問の意図を察知したからなのか、一輝はこれまでに何度か龍玄のトレーニングを目にした事があった。

 通常であればランニングの距離が長かったり、効率の良いトレーニングを考えるが、そんな生易しい物ではなかった。

 

 水面を蹴り、壁面を駆け上がる。異能を一切使うことなく純粋な技量として培った運動量は絢瀬だけでなく、初めて見た際には一輝とステラもまた驚いていた。

 水面を蹴っている時点で尋常ではない。

 厳密には幾つかの木の葉も利用して池を渡っていた。

 

 重力を無視するかの様に、体重をかけずに移動するのは困難を極める。実際に一輝も似たような事はした事があったが、程なくして水面に沈んでいた。

 水への抵抗を活かす事で移動を続ける。その時点で絢瀬は食事の手を止める程の内容だった。

 知っている様で知らない事だけではない。

 冷静に思い出せば絢瀬自身の対戦相手もまたこれまでに感じた事が無い程の実力を有しているのは間違い無い。視野狭窄に陥ったからこそ物事の本質は見えない。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

「そうね。予選会で対戦する事があれば確実に最大の壁になるかもね」

 

「それって東堂先輩よりも?」

 

「……断言は出来ないけど」

 

 言い淀んだのは珠雫との一戦を見たからだった。

 刀華の瞬時に動くと同時に抜刀した攻撃はこれまでに無い程最悪の攻撃能力を有している。

 あれが完成した業なのかは分からないが、少なくともこれまでの後の先だけで戦って来た考えは無いようにも感じていた。

 しかし、それよりも龍玄の攻撃の方が遥かに厄介だった。

 気配を完全に消した攻撃は感覚で捉える事が出来ない。

 一輝の最後の攻撃も何時防御したのかを理解できないままに意識を飛ばしている。

 

 固有霊装以外の得物を使った業もまた見事だった。仮に一輝が同じ事を出来るのかと言えば否としか言えない。だからこそ、見えない実力がどれ程なのかを測りかねていた。

 

 

 



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第31話 嵐の前の静けさ

 鳥の囀りすら聞こえない時間に、道場の周辺は異様な雰囲気に包まれていた。

 朝焼けにすら染まらないからなのか、まだ乳白色の夜明けが闇色を溶かそうとしている。

 人の営みが始まろうとする頃、大元でもあった道場は既に最高潮を迎えようとしていた。

 

 

「龍よ。まだ甘いな」

 

 目視すら困難な大気の塊は、まるで拳銃の弾丸の様に一人の男へと襲い掛かる。

 これが実戦であれば確実に致命傷とも言えるダメージを与えるが、その男はまるで何事も無かったかの様に一言だけ告げると、見えているかの様に僅かに首を傾けるだけに終わっていた。

 大気が巻き起こす乱流を気にするでもなく視線は動かない。だからなのか、龍と呼ばれた男もまた苛立つ事無く次の動作へと移行していた。

 

 通常であれば誰かしらいるはずの道場には二人以外の人影は無かった。

 既にどれ程の時間を費やしているのかを判断する事すら困難になっている。

 二人のうち、一人は戦っているような雰囲気を感じさせる事はなく、もう一人の方は普段であれば余裕がある戦いをするが、今に関してはそんな気配は微塵も無かった。

 時折漏れる鋭い呼吸音と同時に繰り出す拳は、常に大気を弾き、切り裂いている。

 僅かでも当たろう物ならば、その人間は確実に致命傷を受ける程だった。

 幾ら凶器になったとしても当たらなければ話にならない。連撃を繰り出すも、全てが最初から見透かされたかの様に的確に裁かれていた。

 

 

「何とでも言え!」

 

 二人が対峙する距離は僅かに一メートル程。互いの動き一つ一つが完全に間合いに入っていた。

 僅かに呼吸と意識がズレれば確実に手痛い反撃が待っている。距離を取ることを許されていないからなのか、龍と呼ばれた男は自らの意識を内なる深淵へと沈めていた。

 

 

 『三昧(ざんまい)の極致』

 

 

 思考を深海に潜るがごとく深く沈めると同時に、この戦いの五手先を読む。

 相手は自分の父親でもあり、自らも所属する組織の棟梁。下手に小細工をしようものならば、確実に己が痛い目に合う可能性が高かった。

 拳の連撃の間に目と肩の筋肉だけを動かし、虚構を混ぜる。

 本来であれば、このフェイントだけでも殆どの人間を吊り上げる事が可能なはずだった。

 しかし、目の前に対峙する男にはそんな物は一切通じなかった。

 元から虚構を混ぜるとは言え、隙を作る事に変わりは無い。僅かコンマ数秒の隙間すらも破壊せんと、動きを織り込んだ一撃が男に襲い掛かっていた。

 

 最接近した状態からの鋭い膝蹴り。至近距離での攻撃の中でも威力は上位に入る物。

 距離が開いた状態では役に立たないが、これ程まで最接近した状態のそれは致命的だった。 

 歓喜によって僅かに鈍る感覚。その後で待っていたのは屈辱の一撃だった。

 

 

「中々今の攻撃は良かったな」

 

 男は出された膝を左手で受け止めた瞬間、すぐさま自身の右猿臂が額を襲う。鋭い一撃を紙一重で回避したまでは良かったが、結果的にはそれが致命傷となっていた。鋭く切る為に繰り出した猿臂はそのまま拳を握った状態で戻ってくる。

 既に回避していた為にそれ以上動く事が出来ない。そのまま戻った裏拳は龍と呼ばれた男の頬に直撃していた。

 

 

 

 

 

「まだ甘いな。もう少し三昧に潜る時間を増やした方が良いだろう」

 

「そうは言うが……」

 

「身体強化を使わないのであれば、最低限でも後三十分は持たせろ。でなければ身を亡ぼすぞ」

 

「分かったよ。俺もまだまだだな」

 

「当然だ。青龍の名を持てば終わりではない。だが、先程のあれは悪くはなかった」 

 

 先程までの殺気だった雰囲気は既に霧散していた。裏拳が直撃した事によって頬はまだ熱を持ったままになっている。直撃はしたものの、脱力した状態だったからなのか、そのうちの幾分かの衝撃は逃がしていた。

 その為に終わってからも直ぐに動く事が可能だった。

 

 

「そうか」

 

「随分と淡泊だな。もう少し喜んでも良いんだぞ」

 

「ぬかせ。あの程度で喜べるか」

 

 言葉そのものは褒めている様にも聞こえるが、小太郎の言葉を真に受ける程龍玄は楽観的ではない。

 この組手でまともに攻撃が通った事は一度も無く、出来る限りの未来を読んでも僅かに掠った程度の内容だった。

 小太郎の見た目に変化は無い。幾ら何を言おうとも、龍玄からすればそれ程内容的に良かったとは思えなかった。

 

 

「精進を続ける事だな」

 

「当然だ」

 

「あのさ、終わったならいい加減朝食にしないかい?腹も減ってきたんだけど」

 

 二人の会話を終わらせたのは、北条時宗だった。

 官房長官であるにも拘わらず、この道場にSPを付ける事も無く佇んでいる。何も知らない人間からすれば問題かもしれないが、この場に於いてはその限りではなかった。

 

 

「そうだな。そろそろ時間も頃合いだ。お前も学校があるんだろ?」

 

「当たり前だ。今日はまだ平日だ」

 

 道場を取得してからは、事実上の風魔の前線基地に近い扱いをする様になっていた。

 本来の所有者でもある綾辻海斗は未だ意識不明のまま。

 紆余曲折あった結果として龍玄が使用者として利用していた。

 

 実際に費用をかけただけあって、道場内部の仕様は以前とは比べ物にならなくなっている。

 全面改修した事によって人が生活する事が可能になっているだけでなく、ここにも幾つかの銃器も隠されている。

 万が一の際にはここが前線基地になり、あらゆる作戦に対する使用が前提となっていた。

 

 

 

 

 

「で、学園生活はどうだい?」

 

「特段何も無いぞ」

 

「予選会やってるんだろ?その辺りの事を知りたい物だね」

 

 まるで当然だと言わんばかりに龍玄が作った朝食を小太郎だけでなく時宗もまた口にしていた。

 詳しい事は分からないからなのか、時宗は純粋に聞いてくる。

 何かを期待している時宗には悪いが、龍玄からすれば、予選会と言えどそれ程話題になる様な事は無かった。

 

 

「特に無い。そもそもあんな場所で負ける事は考えていないがな」

 

「そりゃ……風魔の青龍が学生に負けるとは思わないんだけど、あそこにはヴァーミリオン皇女殿下も居るだろ?」

 

「ああ……そうだな。だが、今のところはそれほど気になる様な事は無いな。幾らA級を名乗っていたとしても実戦経験が乏しいなら才能の持ち腐れだ。余程の事が無ければ今のところは波乱は無いはずだ」

 

「随分と手厳しいね。仮に事実だとしても、もう少しオブラートに包んだらどうだい?」

 

「包むも何も、ここでそんな話をする意味が無いだけだ。少なくとも魔力に依存しないのは良いが、肝心の剣技はまだ甘い。で、それと、どう関係があるんだ?」

 

 時宗の質問の意図が分からなかった。態々皇女殿下と言う位であれば、何らかの外交の問題があるのかもしれない。幾ら風魔が情報を知る事が多いとは言え、国内にある情報の全てを網羅している訳ではない。

 何を目的としているのかは分からないが、少なくとも何らかの問題が孕んでいる事だけは間違いなかった。

 

 

「そうか……ここだけの話にしてほしいんだけど、実は最近になってちょっと厄介な事が発生してね。今はそれ程大きな問題にはならないんだけど、万が一の事があったら頼むよ」

 

「時宗。それは例の事か?」

 

 小太郎の言葉に時宗もまた少しだけ真剣味のある表情になっていた。

 小太郎が指す例の件は、事実上の外交問題に発生する可能性があった。

 当然ながらその程度の事ならば小太郎とて知っている。風魔は傭兵である為に、もたらされた情報の裏をある程度は取る必要があった。

 

 虚偽の問題だとしても報酬があれば問題は無いが、国際問題にまでなれば何らかの確認は必須だった。

 傭兵は金さえ出せば何でもやる訳では無い。事実、風魔の組織力を使えば小国程度であれば陥落させる事は容易い。要人の殺害に始まり、破壊活動まで平然とこなす。テロリストとしても一流だった。

 そうなれば戦争の道具として使われる可能性もある。傭兵としての立場は利用する側からすれば体の良い駒になるのは当然だった。

 風魔そのものは人数が多い訳では無い。だからこそ、演習などの特殊事情が絡まなければ、そう簡単に動く事は無かった。

 

 そんな中での唐突なステラの話題。本来、外交問題が発生する事案であればこんな場所で不意に口にする事は早々無い。仮に知っていたとしても知らないふりをするのがこれまでだった。

 そんな中での時宗の呟き。この場には三人しかいないが、それを口にした時点でそれ程大きな問題に発展する事は間違い無い証拠だった。

 

 

「まだ調査中でね。せめて海外からの問題なら良かったんだけどね。国内に関して言えば面倒な案件になる可能性があるんだよね」

 

「面倒?いつからお前はそんな殊勝な考えを持つ様になったんだ?政治家ならもう少し感情を隠せ」

 

 小太郎の言葉に時宗は少しだけ自分の顔を触っていた。

 政治家であれば冷徹なまでに感情を押し殺す場面が多い。ましてや官房長官にまでなれば、それは最たる物だった。

 

 実際にこの国の政治家は全員が清廉潔白では無い。一般的にはあまり知られていないが、時宗はある意味では今の内閣にとって伝家の宝刀に近い存在となっていた。

 これまでに政敵や、敵対する人間を幾人も誅殺しているのは、一部の人間からはある意味有名だった。

 実際に内閣を支えているのは総理では無い。

 時宗の番記者が総理を超える数になっているのはそんな理由があった。

 だからこそ、笑顔を見せる以上は何らかの対抗手段を既に持ち合わせている証拠でもある。

 それを察したからこそ小太郎もまた、それ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「上手く隠したつもりだったんだけどね。小太郎からすればそれ程でも無かったって事みたいだね」

 

「何を考えているのかは予測出来るが、それをどうするかは俺には関係の無い話だ。確実な情報は我々も収集している。後はお前が決める事だ」

 

 朝食の席とは思えない程に寒々しい会話だった。

 実際に時宗の子飼いとして風魔が存在する訳では無い。

 歴史を遡れば確かに北条家との付き合いは長いが、実際にはそれ程蜜月な関係では無かった。

 当主が無能であれば態々配下になる必要はない。実際に時宗の先代は風魔との付き合いは皆無に等しかった。

 窮地の際には多少なりとも手は差し伸べるが、今代の時宗程では無い。

 今の関係は純粋に時宗の人間性を小太郎が好ましく思っただけの話だった。

 

 

「少なくとも僕の仕事の邪魔にならないなら手は出さないつもりなんだよね。でもね……頭が悪い連中はこちらの事なんて最初から度外視しているから。少しはこっちの苦労を知ってほしい位だよ」

 

 味噌汁を啜りながら時宗は今後の予定を考えていた。

 実際に吸い上がってくる情報量は莫大な物となっている。官僚で吸収できる部分は丸投げだが、それでも尚高度な政治判断を求める際には時宗が判断する事も多かった。

 官邸では現総理の月影漠牙は単なる神輿の扱いをしている者すら居る。

 それは時宗の扱う量と速度が桁違いである事が原因だった。

 普段は飄々としているが、頭は常に回転し続けている。その本質を正しく理解しているのは、小太郎を含めた風魔の上位の人間位だった。

 

 

「今の所はこちらも大きな依頼は無い。やるなら迅速に出来るぞ」

 

「有難いね。大局的には大きすぎる力は害悪にしかならないんだし、こちらの都合を無視するなら早々に退場してもらうだけさ」

 

 まるで羽虫を潰すかの様に言う時宗の表情はやはり喜色が浮かんでいた。

 実際に世界大戦に勝利してからの問題は根が深く、未だに続いている。

 少なくとも魔導騎士の今の待遇がどうなのかを考えれば、この問題はある意味では避けて通れなかった。

 しかし、この問題をクリア出来れば今後は何かとやりやすくなるのはある意味では当然の話だった。

 ここには三人しか居ないからなのか、時宗もまた思った事をそのまま口にする。

 この事実がもたらす結果がどうなるのかは、小太郎だけでなくその場に居た龍玄も大よそながらに予測出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?ここに来るなんて珍しいね」

 

「偶にはここでも良いかと思いまして」

 

 寮の食堂の中で一番混むのは朝食の時間だった。

 夕食とは違い、朝食は始業の時間の兼ね合いもあって限定される。その為に自炊しない生徒でごったがえしていた。

 普段であれば刀華も自炊するが、今日に限っては珍しく寝坊したからなのか、朝食の為に来ていた。

 何時もと変わらないはずの光景にも拘わらず、食堂の中の雰囲気が僅かに変化している。

 普段は見る機会が無いはずのカナタがここに居るからなのか、誰もが食事をしながらも遠巻きに刀華とカナタを眺めていた。

 

 

「あれ?何時もは確かカナタの同居人が作ってるんじゃなかった?」

 

「今朝は用事があるらしいので」

 

「あれ?カナちゃんも確か作れたんじゃ」

 

 刀華の言葉に後から来た泡沫もまた同じ事を考えていた。

 幾ら財閥の令嬢とは言え、寮生活をするにあたって最低限の家事は出来た記憶があった。

 朝食に限った話ではなく、夕食もまた部屋で取る事が多く、寮生の殆どが意外にもカナタを見る機会は早々無かった。

 そんなカナタが食堂に現れたからなのか、何時もよりも少しだけ空気がざわついていた。

 

 

「出来ますが、偶には食堂で食事をするのも良いかと思いましたので」

 

「なるほどね……偶には良いかもしれないね」

 

 カナタの言葉に刀華は何となく察していた。刀華が知る中でカナタが料理をしているのを見た記憶は一度も無い。偏に龍玄の方が明らかに腕前が上である事が最大の要因。

 それと同時にそれに慣れれば必然的に自分の力量が明確に出る。恐らくはそれが原因なんだと考えていた。

 生徒会の三年が一つの集団となっている為に、自然とその周囲には溝が出来ていた。

 実際に忌避感がある訳では無い。学内での序列の上位の人間が集まる為に遠慮していると言った方が正解だった。

 

 

 

 

 

「で、実際には調子はどう?」

 

「そうですね……今の所は問題無いですよ。ですが、私よりも刀華さんの方を気にされてはどうですか?」

 

 折角だからと口を開いたのは泡沫だった。

 予選会は既にそれなりに進んでいるからなのか、大よそながらでも出場できる人間の数は自然と絞られていた。

 当初はブロックごとに始まった予選会は後半戦に突入した途端、苛烈なサバイバルへと変貌していた。

 これまでに全勝の人間が少なからずいたが、既に全勝の人間は殆ど居ない。

 少し前にあった刀華と珠雫の戦いもまたその渦中にあった結果だった。

 それ以降、白星が先行している人間が一気にふるいにかけられている。その結果として、普段の授業は然程でも無いが、予選会の時間が近づくにつれ緊張感と共に殺伐とした空気が漂う事が増えていた。

 本来であれば学園で止めるのが筋かもしれない。しかし、今回の様にしたのは学園の理事長でもまる黒乃だからか、異論は出なかった。

 窮地における冷静さの育成と大義名分を掲げられた以上は文句は言えない。

 ここで何か飛び出そう物ならば、自然と脱落したと思われるからだった。

 

 成績の上位の人間はそれなりに矜持も持っている。実際に現時点で上位に食い込んでいる人間の殆どはランクがC級以上の人間だった。

 そんな中でFランクの一輝やEランクの龍玄に負けた人間は最初こそ何かと言われはしたものの、今となってはそんな事を口にする人間は居なかった。一輝は未だ無敗のまま。龍玄に関しては出場さえすれば、負け無し所か瞬殺で終わらせている。そんな中で実力のある序列上位の人間がどうやって対処するのかは色々な意味で憶測を呼んでいた。

 

 

「私?私は今の所は問題ないよ。とは言っても、今後の対戦にもよるけど」

 

「へ~、そんな事言うなんて珍しいね。で、実際にはどうなの?」

 

「油断はできない。それだけですよ」

 

 泡沫の言葉を交わしながら刀華はご飯を食べていた。

 少なからずこの会話の流れを聞いていた一部の人間は何かをしているからなのか、晴れた表情と憂いた表情を浮かべている。そんな生徒を横目でみながらも泡沫は更に会話を続けていた。

 

 

「なるほどね。僕の目から見れば脅威になる人間が居る様にも見えるんだけど」

 

 口調は穏やかだが、その目は真剣だった。実際に泡沫は刀華と同じ部屋だからこそ、その心情を理解している。

 以前に生徒会に依頼された件で、泡沫は偶然にも一輝と話をした事があった。

 穏やかな口調と性格ではあるが、その剣技は既に破軍の上位陣には引けを取らない程になっている。

 昨年までの選抜方法であれば確実に弾かれるが、今年に関しては寧ろ一輝の方が圧倒的だった。

 

 泡沫は剣技に関しては然程詳しい訳では無い。ただ、同じ施設の出身でもある刀華には勝って出場してほしいとの願いだけしかなかった。

 今の所は無敗の人間は一番その場所に近いが、これまでの対戦と数字を見れば確実に一敗の人間も対象に入ってくる。

 決して貶めるつもりは無いが、それでも身内には勝って欲しいと思う純粋な気持ちから確認したいだけだった。 

 

 

「否定はしません。ですが……ランダムに決まる対戦相手ではどうしようも無いですから」

 

「それはそうだけどさ……」

 

 これ以上は話の方向性が分かると思ったからなのか、泡沫もまたそれ以上は何も言わないままに食事を続けていた。

 ささやかな一幕ではあるが、今後の事を考えると楽観視は出来ないままだった。

 残された試合数はそれ程多く無い。ここから先の負けは脱落を意味するからなのか、無敗の刀華だけでなく一敗のカナタもまた同じ事を考えていた。

 

 今の対戦は完全に相手を潰す事を優先している。教育の観点からすれば愚策の様にも思えるが、実際には逆境から這い上がる為にはどうすれば良いのかを判断する為だった。

 幾ら自分が有利な立場に居たとしても、その状態がひっくり返されれば対策を考える必要が出てくる。

 それだけではなく追われる側の心情も加味した上でのシステムの変更だった。

 当初は刀華達も色々と思うと所があったが、一定以上の数字が出た事によって漸く変更した意味を理解していた。

 刀華やカナタの様に序列が上位の人間はおぼろげながらに理解するが、それ以外の人間は何も分からない。今回意味を正しく理解すれば、学園が七星の頂きを本気で狙っている事が分かったのはつい最近の事だった。

 

 

「泡沫君。それ以上の事は刀華さんに言っても仕方の無い事です。それに、今の時点でも黒鉄君やヴァーミリオンさんが残っている。無警戒なはずがありませんので」

 

「何だか一人だけ美味しい所を持って行った様にも聞こえるんだけど……」

 

「それは違います。既に私も一敗まみれています。上位陣の事を考えるのは当然ですから」

 

 泡沫とは違い、カナタは予選会に参加しているからなのか、その言葉には重みがあった。

 泡沫は序列こそ上位だが、荒事は得意とはしていない。

 今回の予選会に関しても参加ではなく観客としての立場に居る。

 伐刀者は全員がプライドが高いとは言わないが、参加していない人間がこれ以上何かを言うのは野暮でしかない。泡沫もまた、そう判断したのか、沈黙していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何事に於いても凶事は人知れず忍び込む。

 穏やかな空気を破壊するには余りにも唐突だった。

 回避しようにも既に手段は失われている。それが意味するのは一つの混乱だった。

 

 

「あの………」

 

 1-1のクラス内は重苦しい空気が漂っていた。

 担任でもある折木有里は自分で出来る限りこの空気を払拭しようと考えたものの、一向に晴れる雰囲気は無かった。

 本来であれば予選会も佳境に入り、同じクラスの黒鉄一輝とステラ・ヴァーミリオンが共に無敗のままで来ている為に盛り上がるのは当然だと思われていた。

 しかし、そんな感情すらも最初から無いと言わんばかりに、教室の中はお通夜の様な空気が漂っていた。

 

 

「皆さんが色々と思う事は分かります。私もまた同じですから。ですが、その空気を肝心の黒鉄君が良しとするでしょうか?今出来るのは私達が平然としている事です」

 

「でもよ有里ちゃん………」

 

 一輝と親しくしていた真鍋の言葉が事実上のクラスの総意だった。

 それ以上は何も言わないが、その視線は本来居るべきはずの人間の席。

 これまでの授業態度から無断欠席すら無いと思わる人物が居ない事に担任でもある有里もまた内心では溜息交じりだった。

 

 

「真鍋君。私達がここで何を言っても事態が変わる訳では無いんです。何時もと同じ様にしている事が周りにも良い意味でアピールできると思いますよ」

 

 青白い顔は元々からの色なのか、それとも今回の事態が招いた結果なのか。激しく吐血しないだけマシではあるが、実際にはそれに近い物があった。

 事態が急激に動いたのはつい先日。それはどこにでもあるスポーツ新聞の一面記事だった。

 

 

 

 

 

「全く……なんて事をしてくれるんだ」

 

「くーちゃんがそんなに苛立っても仕方ないさ。でも、随分と鮮明に写ってるね~」

 

 理事長室では黒乃は件の新聞を目の前の机に叩きつけるかの様に投げ捨てていた。

 記事の内容はどこにでもある三文記事。よくある熱愛のネタだった。

 

 本来であれば男女の仲がどうなった程度の内容ではあったが、問題なのはその内容だった。

 留学生でもあるステラと一輝が一緒になっている写真。それだけなら未だしも、問題なのはその場所だった。

 二人が歩いている先にあるのはホテル街。二人の様子は写真を見れば関係性を疑う事は無いが、片や一国の皇女。

 一輝に関しても、国内では有数の家でもある黒鉄家。誰がどう見ても特大の醜聞だった。

 

 肝心の記事もまたステラの事には一切触れず、ただ只管一輝の人間性だけが悪辣に載せられていた。これが学園でも一年であれば一輝の人間性だけでなく、ステラとの関係も何となく察しているからなのか、記事の内容を信用する人間は居なかった。

 しかし、人間性を良く知らない側からすればそれはある意味では一つの事実。

 幾ら違うと訴えた所でそれを否定出来るだけの材料は持ち合わせていなかった。

 当然ながら破軍学園に在学している事実は、ステラが来た当初にニュースとなって知られている。黒乃まで直接話しが来る事は無いが、事務職の人間はその記事に関する電話対応に追われていた。

 

 

「こんな時まで茶化すな。お前じゃあるまいし」

 

「それ、ちょっと酷くない?私ならもっと上手くやるよ」

 

「そんな事を言いたいんじゃない」

 

「わーってるって」

 

 黒乃の言葉に寧音もた茶化す事によって場を和ませようとしたものの、結果は失敗に終わっていた。

 実際にこの記事が出たのはつい先日。何時もであれば胡散臭いと思われるスポーツ新聞の見出しにはこれでもかと記載されていた。

 

 事実無根な事は黒乃だけでなく寧音も理解している。少なくともこの大事な予選会の最中にそんな事をする人間ではない事が間違い無いのは折紙付きだった。

 寮生とは言え、生活を完全に把握する事は不可能に近い。

 これが一輝ではなく他の生徒であれば黒乃も調査をするが、一輝に関しては自身の置かれている立場を考えるとそんな愚かな事をするはずがないと考えていた。

 仮にこの写真が捏造だったとしても、既に一般にも流通している。

 幾ら何を言おうが、世間の目に晒された時点で黒乃が何とかする事は不可能だった。

 

 

「でもさ、ちょっとあいつらの行動も早すぎたんじゃない?」

 

「ああ。あの糞狸なら簡単にやるかもな」

 

「でも、普通はここまではしないんじゃない?」

 

「そんな事は知らん。だが、あの態度を見れば疑うのではなく、間違い無く実行の側だな。あんな醜悪な顔を直視しなければならないのは業腹だがな」

 

 当時の事を思い出したのか、黒乃は苦々しい表情を浮かべると同時に、あまりにも早すぎる動きに裏があると考えていた。

 本来ならば、記事が出てから少なくと一両日はかかるはずの動きが、まるで予見したかの様に世間に出た瞬間、倫理委員会が動いている。

 幾ら黒乃が抗弁しようにも、手続きとそれを説き伏せるには時間も材料も無さ過ぎた。

 

 突然の事態に学園が騒がしくなったが、結果的には一輝が大人しくしたがった事によって何とか鎮静化を図っていた。

 改めて思い出すだけではらわたが煮えくりかえる。悪態をつきたいが、今はそんな事をした所で事態が好転するとは思えなかった。

 

 

 

 

 

「イッキ………」

 

 休み時間になってもステラの周りに人が集まる事は無かった。

 渦中の人物であると同時に、実際に何を言えば良いのかが分からないのが本当の部分だった。

 醜聞によって世間がどんな目で見るのかは考えるまでも無い。

 問題なのは、その記事の根拠となった写真だった。

 鮮明に写ってはいるものの、そんな場所に足を運んだ事は一度も無い。捏造であるのは間違いないが、ステラは当事者。

 幾ら何を言おうともそれをそのまま信じるはずがなかった。

 

 実際に現時点でステラにも自国の大使館から連絡が入っている。

 事実無根である事は大使館の人間も信じたが、それがそのまま世間が納得する要因ではない事に違いは無かった。

 時間だけが悪戯に過ぎ去っていく。今のステラの心情を無視するかの様に生徒手帳は小さなアラームが鳴っていた。

 

 

 



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第32話 蠢く策動

 眼下に見えるのは一人の青年だった。何らかの形で自分の疑いを晴らそうと考えているからなのか、自分の言葉を述べようとしている。

 元々今回のこれは事実上の茶番劇であると同時に、自分の中で既に決定事項として結論が決まっていた。

 当然ながら青年の言葉に耳を傾ける必要も無ければ、その言葉の意味を汲む必要もない。こちらからやるべき事はただ時間を引き延ばし、正常さを失わせる事だけだった。

 

 

「君の言いたい事は理解した。だが、写真に関してはどう弁解するつもりかね?」

 

「ですから、それは誤解だと先程から」

 

「君ね。誤解誤解と言っているが、これは明確な証拠なんだ。潔白を証明したければ、その根拠となる材料を用意したらどうかね」

 

「用意するなんて……」

 

 審議官の言葉に青年はそれ以上何も言う事は出来なかった。魔導騎士連盟日本支部の中にある一室はこの時期には似合わない程に冷え切っていた。

 誰もが自分に問われた罪を簡単に認める人間は居ない。ましてや今回の様に完全なる証拠を提示している以上は、それを覆す事は不可能だった。

 どれ程まで抗弁しても、正当な事由を出せない事は当人も理解している。元々限りなく言いがかりに近い事が発端となっている為に、それを覆す事は不可能だった。

 仮にその証拠があったとしても、今の青年に用意する事は出来ない。それが今の置かれている現状だった。

 

 幾ら年齢的には成人になっているとは言え、所詮はただの学生にしか過ぎない。抗弁する材料を用意するとなれば弁護人だけだった。しかし、これは裁判ではない。弁護人を付ける事は赦されていなかった。

 そんな表情を見たからんのか、中央に座る男は内心ではほくそ笑んでいた。

 

 

「これ以上の審議は良くない。今日の所は一旦お開きにしようじゃないか」

 

「赤座委員長がそう言われるのであれば……黒鉄君。君の審議は明日改めて聞こう。せめて、もう少し理論だった口上を述べてもらえると有難いね」

 

 一輝の返事など最初から期待していなかの様に審議員の一人が言い捨てる。

 表面上は分からないが、その表情には生気を感じる事は無かった。拘束は予想以上に精神を摩耗させる。その言葉と同時に審議は閉会していた。

 退出の際に俯く一輝の姿を最後に見たからなのか、赤座の口元は僅かに歪んでいた。

 

 

 

 

 

 審議が終わったからなのか、赤座は自室へと戻っていた。

 元々今の職は望んで着いた物ではない。魔導騎士とは言っても、権力の中枢を駆け上がる事は困難を極めていた。

 元々この組織は従来の完了組織とは異なる。

 それは純粋に伐刀者の捌きを非伐刀者が裁く事が困難である事が要因だった。

 異能の力を持たない人間が持っている人間を裁こうとした場合、どうしても証言の理解度は低くなる。法律は等しく平等ではあるが、その感覚は平等ではない。

 故に異能の暴走が仮に起こった場合、それを理解出来ない人間が判断出来ないからと言った部分があった。

 当然ながら政府としても力を認めはしても、無暗に振るえば何が起こるのかは分かっている。その結果として倫理委員会が設置された経緯があった。

 

 犯罪そのものは通常の裁判ではあるが、量刑に関しては倫理委員会の裁量になる。その結果、通常の裁判であれば微罪であっても、倫理委員会からの内容が加味されれば、必然的に重罪になっていた。

 今回の内容に関しては一輝の罪状に問える物は何一つない。本来であれば赤座の中ではそのまま投獄まで行けば良いだろうと考えたものの、本家の体面を考えた結果、倫理委員会による尋問に落ち着いていた。

 

 

《で、どんな状態なんだ?》

 

「思った以上に強情ですから、時間はかかりそうかと」

 

《そうか……くれぐれも過ちは犯すなよ》

 

「はい。今回はあくまでに事実認定による尋問ですので、前科が付く事はありません。ですが、本人の口から真実が述べられないのであれば暫くの間は拘束する形になるかと」

 

 赤座の言葉に電話の先の声はどこか満足気にも聞こえていた。

 赤座は所謂黒鉄家の中では傍流の末端に近い物があった。

 黒鉄家は今の当主でもある黒鉄巌の祖父でもある龍馬が事実上の近代祖となっている。

 世界大戦後はその活躍が認められた事によって政治の中枢ではなく、魔導騎士の中枢を常にリードする事になっていた。

 事実、それ以降の魔導騎士連盟の支部長は黒鉄家縁の人間が常に要職を占めている。

 本家がある以上は当然ながらそちらが優先になる為に分家がその椅子に座る可能性は皆無だった。

 

 当然ながらそれが長きに渡って続けば一族の中でも不満が出る。その為に、本筋ではなく倫理委員会の様に外郭の部門には分家筋が就く事が殆どだった。

 赤座も当初はその流れにいたものの、権力と言う名の魔力は人を狂わせる。赤座もまたその例外に漏れず、外郭だけで終わる事は無く、本筋の中枢に入る野望を持っていた。

 勿論、当主でもある黒鉄巌には言葉には出来ない。ならばその覚えを良くする為に、率先して裏仕事に手を染めていた。

 電話が切れると当時に、用意したワインの栓を抜く。誰もいない委員長室にはワインの芳香がゆっくりと漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、風間君。そちらで何とか状況は分かりませんか?」

 

「状況とは?」

 

 突然の言葉に龍玄は少しだけカナタの表情を伺っていた。

 現状がどうなっているのかは龍玄も何となくは理解しているからなのか、カナタの質問の意図は十分に理解している。それと同時に、何故自分に聞くのかが分からなかった。

 

 

「黒鉄君の事です。今回の件に関してはあまりにも出来過ぎている様に思えましたので」

 

「それと俺がどう関係するんだ?」

 

「それは………」

 

 龍玄の尤もな言葉にカナタも言葉に詰まる。

 カナタが聞いたのは些細な考えでもあり、それと同時に風魔の持つ情報網であれば何かしらの内容が分かるのではと考えた末の言葉だった。

 しかし、龍玄の言葉にカナタもそれ以上の事は何も言えなかった。

 詳しい事は分からないが、少なくとも一輝とステラの持つ雰囲気は単にルームメイトだけでは及ばない雰囲気がある。

 本来であればカナタと一輝の接点は何処にも無い。しかし、龍玄と言う人間が間に入った事から、少なくとも生徒会の人間は一輝とステラの人間性を知る機会があった。

 だからこそ友人として何らかの行動を起こすかもしれない。そう考えていた。

 

 

「仮に何かを知っていたとしても、お前に言う必要性が無い。依頼だと言うならば吝かではないが、依頼料はかかるぞ。新たに依頼したいなら、まずは前回の依頼の清算する事だな。それとも他の人間が払うのか?」

 

 幾らカナタが会社を通じて依頼する事が出来たとしても、この件に関してはカナタが首を突っ込む必要は何処にも無い。

 非情な考えを持つのであれば、一輝がここでリタイアすればカナタにもその座が回ってくる可能性が高くなる。通常であれば、これを機にステラも叩き落とす事が可能ではあったが、カナタの中ではそんな考えは微塵も無かった。

 

 龍玄に話したのは単純に生徒会の内部でもそんな話が出たからだった。

 龍玄の正体からすれば情報の一つも掴んでいるかもしれない。そんな程度の考えだった。

 未払いの依頼の事を言われた以上はカナタも何も言えなくなる。間違い無くこれ以上の事を頼むのは不可能だと思えていた。

 それと同時に先程の言葉の内容を改めて精査する。風魔として依頼を受けるとなれば何らかの形で達成する可能性を秘めていた。

 

 

「それはありません。ですが、先程の話からすれば依頼を受ければやってくれると言う事ですか?」

 

「何だ、カナタはそんなに一輝に執着してるのか?相手は公国の皇女殿下だぞ。張り合うには厳しいんじゃないのか?」

 

「ご心配なく。そんな事は絶対にありえませんので大丈夫です」

 

 龍玄に言われた事によってカナタも少しだけ冷静になっていた。

 確かに一輝とカナタの接点は微々たる物でしかない。当然ながら安くない身銭を切るのであれば、そこには何らかの思惑があると考えるのは当然だった。

 カナタからすれば一輝には何の感情も無い。

 生徒会で話が出たのは、突然の内容であると同時に、これまでの戦い方から見た一輝が到底そんな事をするとは思えないと言った戸惑いの感情が多かったからだった。

 だからと言って内容が内容なだけに、生徒会が何か出来る案件ではない。そんな考えもそこには含まれていた。

 

 

「………まぁ良い。カナタの一輝に対する熱い気持ちに一つだけサービスだ。あの写真は合成だ。それを証拠にするなら何かあるかもしれんな」

 

「それって………」

 

「この話はこれで終わりだ。これ以上足を踏み込むのは返り血を浴びる事になる」

 

 龍玄の思わせぶりな言葉にカナタは先程の言葉の意味を考えていた。

 実際に何を考えているのかを分かる人間はこの学園には居ない。恐らくは理事長でさえも今回の事態の顛末がどこにあるのかが分からない以上、龍玄の言葉が何らかのヒントになる事は間違い無かった。

 それと同時に言われた返り血の意味。カナタがこの言葉の意味を改めて理解するにはそれなりの時間が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一輝に対する尋問は翌日からも続いていた。実際にやっていない事はこの中で赤座自身が一番理解している。そうなれば一輝の抗弁が単純になるのは当然だった。

 幾ら事実を言おうが、初日と同じ事だけを述べるだけならば誰もが改心の余地なしとしか判断出来ない。まだ学生のうちから権謀術数に長ける様な人間は早々居ない。

 ましてや赤座は黒鉄の系譜に名を連ねている。当然の如く一輝の性格を正しく理解しているからこそ、抗弁すればする程、蟻地獄の様に深み嵌っていくのを感じ取っていた。

 

 

「この後はここで予選会を実施する。一先ずは休憩したまえ。何、我々も鬼では無い。厳しい環境で戦うのであれば、それなにりに対処をしようじゃないか。下手に我々のせいだと言われても困る」

 

「流石は赤座委員長ですね。黒鉄君、委員長の温情に感謝するんだな。今日はこれで閉会だ」

 

 赤座を持ち上げるかの様な言い分に本来であれば憤るケース。しかし、今の一輝にはそんな感情を持つ事すら困難だった。

 僅か数日しか経過していないにも拘わらず、その環境は過酷だった。

 食事は生きる上でギリギリのカロリーを計算した簡易食。しかも、毎回偶然が重なるかの様に水が無かった。

 乾燥した簡易食は口腔内の水分を奪っていく。幾ら頑強な人間であっても、水分が無ければ生きるのは困難になる。

 更に追い打ちをかけるかの様に、一輝の滞在する部屋の空調は故障していた。

 

 密閉された空間での水分不足は嫌が応にも体力を削る。

 時折トイレに行くと言って、手洗い場にある水道の水を飲む事によって何とか現状を保っていた。しかし、それも限界が来る。理由は不明だが、短期間で衰弱しているからなのか、一輝の意識は朦朧とし始めていた。

 こうなると一輝の精神も徐々に弱っていく。自分は何でこんな場所に居るのか。自分が一体何をしたのか。取り止めのない考え全てが原因の様にも考え出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今回の件だがどうやって後始末するつもりなんだ?」

 

「後始末とはどういう事だ?」

 

 魔導騎士連盟の支部長室には珍しい来客があった。

 本来であればこんな場所に居ることすら珍しい人物。支部長でもある黒鉄巌の友人でもあった北条時宗がそこに居た。

 学生時代からの友人ではあったが、この場に於いては友好を深める様な雰囲気は微塵も無かった。

 何時もであればどこか掴みどころが無い雰囲気を持つはずの人間が、この場に於いてはそんな雰囲気を微塵も見せない。これまでに幾度となく過ごした巌からしても、今の時宗の表情は一度も見た事が無かった。

 

 

「まさかとは思うんだけど、何も考えていないなんて事は無いだろ。今回の幕引きに関しての結末についてだ」

 

「幕引きとは何を意味するんだ?」

 

「なぁ、巌。友人として一度だけ忠告する。それは本心から言ってるのか?」

 

 普段とは違う時宗の態度は流石に巌としても戸惑う部分があった。

 しかし、この場に於いては自分は魔導騎士連盟の支部長でもある。幾ら友人としてと言われても、安易に返事をする訳には行かなかった。

 

 

「そうか……では、政府の人間として言おう。今回の件に関しては、既に政治的判断に委ねられている。知っての通り、お前の息子の件だ。それ位は理解してるだろ?」

 

「当然だ。あれの処遇に関しては、こちらでも困っている。幾ら息子とは言え、それなりの処罰を課すつもりだ」

 

「巌……もう一度言う。それは本心なのか?」

 

 巌に対する時宗の表情は完全に政治家としての表情だった。

 元々時宗は一度決めたら後は幾ら何を言おうが、必ず実施する。抵抗勢力があれば誅殺し、搦め手で来る人間には徹底的に調べ上げた上で、社会的な制裁を与える事をしていた。

 その結果があって、政治家の中では現政府の懐刀と言われている。事実、時宗に対し、何らかの問題があれば即座にその問題そのものが無かった事になっていた。

 幾ら国会で追及する為の証拠を作っても、それ以上に質問者の罪をあぶり出す。その結果として、追及した瞬間その人間の政治生命は完全に絶たれていた。

 

 少しでも機微に敏い人間は時宗に逆らおうとはしない。どんな手段を使っているのが分からない事に、政治の世界に於いて時宗の個人的な件に関してはアンタッチャブルになっていた。

 当然ながらその源流には何があるのかは巌も理解している。時宗の表情を見る限り、巌が回避する事は不可能になっていた。

 

 

「当然だ。それ以外に何かあるとでも?」

 

「最後通牒はした。少なくともお前は事の事態を読める人間だと思ったんだがな………実に残念だ」

 

「待て。それはどう言う意味だ?」

 

「巌。俺を舐めるのはいい加減にしろ。俺が何も知らないとでも思ってるのか?」

 

 何も知らない人間からすれば穏やかな表情にしか見えない。しかし、これまでの付き合いを知っているからなのか、巌の背中には冷たい汗が流れていた。

 時宗の言いたい事が何なのかは大よそながらに想像出来る。

 しかし、巌もまたそれなりに裏付けがあっての行動だからなのか、今は時宗の出方待っていた。

 

 

「……しかし、どこの家が名家なのかは知らんが、随分と面白い話だよな。たかが一道場の師範程度の田舎者の成り上がりの末裔が名家だとは恐れ入る。なあ、巌。お前もそう思うだろ?」

 

「何が言いたい?」

 

「はっきり言わないとまだ理解出来ないのか?」

 

 明らかな侮蔑と同時に、それが何を示しているのかは巌には直ぐに理解出来ていた。

 実際に黒鉄家の元は関東地方にあった道場の一つが出自だった。

 江戸時代後期より奉行所に勤務するまでは良くある道場の中の一つに過ぎなかった。

 それが名家にまで発展したのは動乱の明治時代以降の話。

 そして今の状況になったのは、巌の祖父でもある龍馬の大戦の活躍による名声だった。

 

 『サムライ・リョーマ』の築き上げた名声は海外にまで鳴り響いている。

 所謂今の黒鉄家を作り上げた『近代祖』となっていた。大戦の英雄を権力の中枢に入れる事が出来れば国民にも対外的には名分が立つ。戦争の経験をいち早く払拭する為の手段だった。

 

 実際には龍馬は中枢には入る事無く、その血筋の人間が何人か入り込んでいた。

 戦勝国の立役者の一族を利用した事によって黒鉄家は更に権力を高める事に成功する。

 政治の中枢に入るとなれば政治の部分が強いが、魔導騎士の中枢に入るのであれば『サムライ・リョーマ』の名声は絶大だった。

 事実、魔導騎士連盟の支部長や侍局の殆どは黒鉄家縁の人間が代々継承している。

 その事実は当主となった巌もまた知りうる内容だった。

 それに対して時宗の血筋は関東一円を納めていた北条家の直系に当たる。純粋な血筋だけで言えば、巌よりも時宗の方が遥かに上だった。

 当然ながらその意味もまた巌は理解している。問題なのは、どこからその内容が漏れたのかだった。

 

 

「まぁ、お前の立場なら少しは考えれば分かるはずだ。参考に言っておくが、お前と総理の考えは似て非なる物だ。そこを勘違いするな。でなければ、こちらもそれなりの対処をする事になる」

 

 巌は僅かに背筋が寒くなっていた。

 何時もの飄々とした雰囲気も無ければ、政治家としての表情でも無い。純粋に異分子を排除する様な表情だった。

 この表情をした時宗はまさに冷酷そのもの。これまでの友人としての付き合いで数度見たそれが待つ結末は巌も理解している。

 それが自分に向けられている事実。その目が何を意味しているのかを大よそながらに理解していた。

 

 

「まぁ、俺からはそれ以上の事は無い。そろそろ会議の時間だ。これで失礼させてもらうよ」

 

 先程までの雰囲気は既に無くなっていた。何時もの飄々とした雰囲気を身に纏ったかと思うと、そのまま立ち去る。突如として現れた時宗に巌はその意味を見出す事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……支部長。良かったんですか?」

 

「何がだ?」

 

「……いえ。失礼しました」

 

 時宗が去った後の巌はまるで厳しい直面にあった様な表情をしていた。

 時宗がどれ程の情報を握っているのかは分からない。しかし、ここに乗り込んだ事によって釘を刺しに来た事だけは間違い無かった。

 気が付けばかなりの時間が経過している。時計の端は既に短針が隣へと移動していた。

 そんな中、不意に聞こえるノック音。現実に引き戻された巌は改めて今日のスケジュールを思い出していた。

 元々今日はそれ程の予定は無かったはず。来客の予定も無いからなのか、巌は何時もと同じ返事をしていた。

 

 

「支部長。そろそろ時間です」

 

「今日は何も予定は無かったはずだが?」

 

「ええ。ですから、今入れました」

 

 部屋に入ってきたのは女性秘書。しかし、その顔に巌は見覚えが無かった。

 一見すればどこにでもある顔。にも拘わらず、その視線が女から動く事は無かった。

 それと同時に今出た言葉。それが何を意味するのかは直ぐに理解させらていた。

 

 

 

 

 

「黒鉄家の子倅。久しいな」

 

「風魔……小太郎………」

 

 先程までこの部屋には自分と、この秘書しか居なかったはず。しかも、ここに来るまでにはかなりの場所を移動する必要があった。

 ここまで来れば誰かしら気が付くはず。そんな混乱した巌を無視するかの様に小太郎は再び話を続けていた。

 

 

「単刀直入に聞くが、倫理委員会の赤座守は貴様の一族に連なる者か?」

 

「……何が言いたい」

 

 突然の小太郎の言葉に巌は確認の意味を口にしながら頭の中ではあらゆる可能性を考えていた。

 風魔小太郎がどんな人物像なのかは、時宗からも聞かされている。これが通常であれば多少は強く出る事も出来たが、今の小太郎にそれをすれば自分の命が簡単に消し飛ぶであることを予測していた。

 事実、小太郎は既に赤座の名前を口にしている。そこから考えれるのは一つの事実だけだった。

 

 

「言葉通りの意味だ。既に今回の件、裏付けは終わっている。首謀者が誰なのかを聞いたのではない」

 

 小太郎の言葉に巌の背筋は一気に寒くなっていた。

 裏付けはともかく、今回の件が何なのかは巌が一番理解している。

 恐らくは確認の為である事は間違いない。それと同時に小太郎がこの場に居るのは間違い無く時宗の差金である事も理解していた。

 

 

「それは、我々には関係無い話だ。倫理委員会は魔導騎士連盟とは袂が別れている。それにどんな意味があると?」

 

「言葉遊びは止せ。聞いた事だけに答えろ。でなければ同じだとみなす」

 

 既に抗弁する事すら危ぶまれる所か、内容に関しては決定事項だった。

 それと同時に小太郎がここに来たのであれば、意味は一つだけ。だからこそ、巌もまた安易に答える事は出来なかった。

 緊迫した空気が支部長室内に充満する。そんな中、沈黙を破るかの様に巌の携帯電話が鳴っていた。

 

 

 

 

 

《やぁ、さっき言うのを忘れたんだけど、例の証拠となったあれは偽造された物らしいね。で、今回の件なんだけど内閣としても、実は困った事になってね》

 

「どう言う意味だ?」

 

《簡単な話さ。今回の件、ヴァーミリオン公国の大使館経由で抗議が来てる。こちらとしては問題の品を鑑定した所、背景が合成だった事が分かってね。

 残念ながらこの首謀者は国内に於いて多大な問題を引き起こしたと言う事で、国家反逆罪に該当すると、今さっき内閣で閣議決定されたんだよ。

 本来ならば裁判なんだけど、事が事なんでね。早急に対処する為に超法規的措置にさせてもらったよ。因みに、公安を使っても良かったんだけど、面倒だから小太郎に頼んだんだよ》

 

「……それと俺がどう関係がある?」

 

 通話の相手の口調と話された内容には大きな隔たりがった。

 それと同時に、一つだけ気になる点もあった。

 少なくとも魔導騎士連盟の中軸にこの国はある。その結果、彼の国にも巌は顔つなぎ出来ると考えていた。

 しかし、大使館経由での抗議はすなわち、そんな巌の人脈など役に立たないのと同じ意味を持つ。それが示す先にあるのが何かは直ぐに予測出来ていた。

 

 

《残念ながら証拠は全部風魔が握ってるんだよ。当然、()()()()()()()()()()()()()ね。で、どうする?近代祖が作り上げた功績が実は虚構で、君の代で完全に潰す事になるけど?》

 

「………何が言いたい」

 

《今回の落としどころさ。君も痛い腹を探られたくは無いだろ?》

 

 既にこの時点で結論は出ていた。

 それは即ち個人を護るのか、家を護るのかの選択。時宗が風魔に依頼しているのは目の前に小太郎が居る事によって間違い無い。

 証拠が何かは分からないが、今の巌には選択肢すら事実上存在しなかった。

 

 

「そうか………よく理解したよ」

 

《助かるよ。こっちも態々騒動を更に大きくしたくは無かったからね》

 

 既に言いたい事を言ったからなのか、携帯電話は通信が切れていた。

 巌の視界に入っていたのは小太郎だけでなく、秘書だと思われたはずの人間がいつの間にか違う人間に変わっていた。

 

 

「どうした?先程の質問に答えろ。次は無い」

 

 部屋の温度は変わらないはずだが、その空気は更に冷たさを増してた。

 真剣が首筋に当たっている様に寒々しい物が感じる。これ以上の引き延ばしは無駄だと巌は悟っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるでこの状況を望むかの様に空には煌々と照らす月だけが漂っていた。

 既に周囲には準備が完了したからなのか、後は一斉に雪崩れ込むだけの状態。

 風魔によって完全に包囲された屋敷から脱出する事は不可能だった。

 時間はまだ宵の内。本来であれば外部からの来客があってもおかしくない時間帯だった。

 

 

「準備は完了しました。対象者は既に捕捉してあります」

 

「そうか。楽な任務だからと気を抜くなよ」

 

「承知しております」

 

 漆黒の仮面に描かれた蒼い龍はまるでこれから獲物を喰らいつくさんとするかの様だった。

 既に部下が言う様に対象者は完全に捕捉されている。事前にキャッチしているのはそれだけではなく、屋敷の中に居る護衛の情報だった。

 

 

「ですが、根来衆が本当に?」

 

「相手も能無しじゃない。今回の策動はそれなりに纏まった組織が必要になるからな。それよりも数に間違いは無いな」

 

「はっ。それに関しては事前情報と相違ありません」

 

 先程とは違う返事に青龍は改めて情報の確認を共通化していた。

 既に対策が出来ているだけでなく、今回与えられた任務はたった一つ。屋敷の主でもある赤座守の護衛を殲滅する事だった。

 

 本来忍者と言われる大半は情報収集をメインとする。しかし、その中でも風魔だけでなく一部の忍は戦闘を生業とする組織もあった。

 今回対立するであろう根来衆もまたその一つだった。

 古くは雑賀衆にも近い物があったが、動乱の時代に幾つかが人知れず統合されていた。

 平和の世が突如として混乱に陥った際に求められたのは確実性。この時代に於いては既に伊賀も甲賀も忍びでは無くなっていた。

 数少ない組織が統合される。その当時の名残が今もなお受け継がれていた。

 その流れは風魔もまた同じだった。しかし、江戸時代よりも前に作られた事によって、他からの統合は余り無かった。

 だからこそ他と会うケースが少ない。そんな感情の端から出た言葉だった。

 通常であれば中忍以上が扱う任務ではあるが、主となって動くのが青龍である以上、従うのは中忍間近の下忍が主体となっている。

 この任務が達成できれば昇進する事になる。だからなのか、誰もがそのモチベーションが高いままだった。

 

 

「再度任務の確認だ。今回の対象は赤座守を守護する人間の殲滅。確認された護衛は全部で三。それと、屋敷の中に一族の人間が居れば同様に始末しろ。女子供であっても同じだ」

 

 小太郎から出た指示は一族の根切。これは決定事項であるからなのか、青龍の言葉に誰もが静かに頷くだけだった。

 漆黒の空はこれから始まる惨劇を照らす様な事はしない。

 薄明るく光る月光は、これから起こるであろう惨劇から現実に目を瞑るかの様に雲に隠れつつあった。

 

 

 



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第33話 襲撃と結末

 倫理委員会に所属する赤座守の邸宅は都内の中でも一等地に近い場所に建てられていた。

 本来であれば、赤座の役職ではそこに邸宅を持つ事は難しい。それは魔導騎士連盟の職員であれば誰もが知っている事実だった。

 

 倫理委員会は伐刀者の量刑を図るのが主だった仕事になる。元々この組織が出来た当初は、伐刀者が故に理解出来ない部分や、一般人に対しての問題を解消し、更生の為に裁量を図るのが目的だった。

 しかし、この組織そのものが一部の一族が代々歴任している為に、当初に出来た際の考えは徐々に失われつつあった。如何に清らかな水を注ぎこんでも、淀んだ池が浄化する事は有りえない。戦後の恩賞だったはずの組織が、気が付けば汚職の温床になりつつあった。

 

 裁判には関係ないとは言え、その量刑に関しては一定上以上の口出しは可能となっている。

 同じ傷害でも、倫理委員会で取った採択は少なからずとも裁判にもかなり影響していた。当然ながら伐刀者の中でも資金力がある人間は、それ相応の交渉を委員長に持ちかける。その結果、赤座には本来であれば有りえない様な大金が流れ込んでいた。

 不正に手を染めれば相応のコストが発生する。そんな事を理解しているからなのか、赤座の邸宅には裏から手を回した事による護衛が常駐していた。

 

 

「しかし、こんな程度の任務で報酬があれだけあるとはな。ある所にはあるんだな」

 

「おい、下手に依頼主の事は口にするな。秘匿する内容も報酬に含まれているんだ。こんな所で油を売る暇は無いだろ」

 

「少しは楽にしたらどうです?幾らなんでも俺達が出張ってるんだ。下手に侵入する人間は居ないでしょう」

 

 緊迫した空気を感じる事は殆ど無かった。実際に邸宅の警備をする場合、その殆どは警備会社を通じて依頼される。本来であれば、それで良かったはずだった。

 しかし、赤座はその状況を良しとはしていない。それは単純にこれまでに仕事の兼ね合いで吸い上げた金の絡みが要因となっていた。

 

 実際に倫理委員会の採択をするのは委員長が殆どになる。建前上は審議官が複数居るが、その殆どは委員長に対し、意義を申し立てる事はしなかった。

 役所と同じく、ここもまた上からの引き上げによって出世が出来る。ましてや、今の委員長が名家でもある黒鉄家の流れを汲んでいる事から、周囲もまた引き上げられる事を望んでいた。

 当然ながらそれを知る者は確実に恨みを抱き、相応に恨まれる事も出てくる。それを警戒したからなのか、赤座は自身の伝手を使って根来衆を雇入れていた。

 

 

「だからと言って、何もしなくても良いはずがない。……そろそろ時間だ。巡回するぞ」

 

 一人の男の声に、もう一人もまた嫌々ながらに返事をする。実際に根来衆はその腕前から銃火器を得意とする忍。本来であれば警備の仕事を受ける様な組織では無かった。

 実際に平和になれば忍の役割は殆どが諜報活動に終始する。これが戦国の世であれば他の組織もまた動く事はあったが、一度覚えた平和の味は依頼主となるはずの人間に二の足を踏ませていた。

 そうなれば実際に待っているのは、組織の穏やかな崩壊。一部の組織を除くと、残っている組織は最早数える程だった。

 一部の大手は既に忍ではなく武士となっている。だからこそ、人間性が劣っているとしても、その戦闘力を買われる事が多々あった。

 これまでにも何度か侵入者を撃退している。そんな経験があるからなのか、今の三人は口でこそ実績がと言っているが、実際にどうなのかを知る者は当事者以外には居なかった。

 

 

 

 

 

「月の明るさも無いのは少し不気味だ……」

 

 男はそれ以上の言葉を口にする事は出来なかった。

 既に事切れたからなのか、そこに生命の輝きは残されていない。僅かな闇には何一つ映し出される事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はやつらの始末をする。それと、お前達は家の中に居る人間の処理をしろ。それまでに根来衆を見つけたら同じく始末するんだ」

 

「はっ」

 

 赤座の邸宅から少し離れた場所で青龍は部下に指示を出していた。元々根切であるのは当然だが、やり方に関しては小太郎から指示が出ていた。

 今回の依頼は内閣、厳密に言えば時宗から出ている。そうなれば表面上は、何かしら偽装する事が条件として出ていた。

 何をどうするのかは、あくまでも青龍の判断に委ねる。部下への指示が的確であれば、青龍もまた今後の行く末を判断する為の試練として出されていた。

 

 

「それと、家人が居た場合はこれを使え」

 

 青龍が用意したのは、二振り幅広の鉈の様な物だった。

 実際にそれが何を意味するのかを下忍は詮索する事は無い。上忍からの指示が絶対である為に、各々がそれを受け取っていた。

 

 

「騒ぎは起こすな。それと何をするにも必ずそれを使え。それ以外での攻撃は処断の対象とする」

 

 青龍の言葉に二人はそれを腰の部分へと括りつける。確認が完了したからなのか、青龍は再度邸宅の壁面へと視線を動かしていた。

 

 

 

 

 

 邸宅の壁面は目視で三メートル程の高さ。元々外部からの侵入を防ぐ為に作られた物ではあったが、風魔からすれば無に等しかった。

 僅かに助走をつけると同時に片足を壁面に着ける。

 その瞬間、男達は直ぐにその場から消え去ったかの様に壁面を乗り越えていた。

 音も無く着地すると同時に、指示の通りに行動を開始する。明かりが無い庭先は風魔の支配下の様だった。

 

 一度侵入が出来れば後はそれ程問題は無かった。事前に確認している見取り図では大よそながらにどこに居るのかが予測出来る。

 青龍からすれば赤座の存在など気にする程でも無かった。

 現状でやるべき事は根来衆の抹殺。それさえ終われば後は児戯と同様だった。

 人知れず移動を続ける。目前に見えたのは根来衆と思われる人間だった。

 

 

「こちら異常無し。これから次の場所へ移動する」

 

 青龍は気取られる事無く一人の男の傍へと接近していた。

 通信機を使っている為にこちらに気が付く事は無さそうに見える。元々が殲滅であるからなのか、青龍は背後から一気に襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

(こいつらは下忍か。あまりにも杜撰なはずだ)

 

 物言わぬ骸に視線を動かし、念の為に確認をする。持ち物を見れば大よそながらに予測が可能だった。

 基本的には夜間のみの契約だからなのか、戦闘服をそのまま着ている。見た目には判断出来ないが、一度表面の服をめくると、そこには階級を示した物が付けられていた。

 

 根来衆は忍ではあるが、その本質は戦闘傭兵。同じ傭兵でも風魔の様に色々な部隊がある訳では無かった。

 実際に既存の組織を吸収して大きくはなっているが、特段銃器以外に得意とする事は無い。当然ながら周囲に対する警戒はするが、それはあくまでも通常よりは上と言うだけで、それ以外に特筆すべき部分は何も無い物。

 厄介なのは、中忍以上が組織的に居た場合だった。

 

 銃火器は青龍とて使用するが、一つ一つの業に対する洗練に度合いは根来衆に軍配があがる。しかし、今屠ったこれは、そんな事すら出来ないレベルだった。

 めくった先にあったのは、本来であらばあるべきはずの証。根来衆は対外的な階級以外にも、分かり易い場所に刺青をする点だった。

 詳しい事は分からないが、これまでに根来衆と何度か対峙した際にはそれらしい物があった記憶がある。

 それがあった人間はどれもが戦いに対し、手慣れた様なイメージがあった。だからこそ、それが無い為に青龍もまた下忍であると認識していた。

 僅かに時間を確認する。先程の通信の先に居るのは間違い無く指揮官クラスなのは確定だった。

 それが中忍なのかは分からない。

 それだけでは無く、移動がどの場所なのか分からない。恐らくは通信が途絶えた事を確認すれば騒がしくなるのは間違い無かった。

 

 本来であれば、このまま放置しても問題無いが、ここで下手に見つかると面倒事が発生しやすい。そう考えたからなのか、青龍は横たわった骸を茂みへと放置する。

 残りは二人。青龍は再度闇の中へと溶け込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、何かおかしくないか?」

 

「何がだ?」

 

 巡回した場所が場所だったからなのか、出会ったのは偶然だった。

 元々今回の依頼は長期に亘る任務の為に、常に人員は入れ替わっていた。

 同じ人間が同じ場所に居続ければ、色々な思惑が絡んでくる。その結果、組織が崩壊しようものならば問題になるからと、根来衆としては定期的に人員を変更していた。

 

 傭兵はあくまでも金銭と契約が間に介在する。当然ながら依頼主は報酬を払う為に、それなりに有利な立場にあった。気に入らなければ契約は即時解除される。当然ながら報酬が期待できるはずが無かった。

 元々根来衆は傭兵ではあるが、国内では思ったよりも活躍出来る場は少ない。特に伐刀者が絡む案件に関しては最たる物だった。

 異能を使う事によって、自分達の仕事が次々と失われて行く。当然ながら根来衆に待っているのは穏やかな衰退だった。

 

 国内を見れば大きく活動しているのは風魔しかない。他の優秀な組織は、傭兵や忍ではなく、魔導騎士の立場で表に出る事が多くなっていた。

 勿論、根来衆全部が劣っている訳では無い。伐刀者には無い巧みな戦い方は、色々な意味で戦場を支配出来る程だった。

 しかし、それが可能なのは中忍以上の場合のみ。

 下忍であればそこまで業が熟達している訳では無い為に、今回の様に直接的戦闘にはなりにくい依頼が多かった。

 だからこそ、時事上の哨戒としてだけではなく、それ以外の有効性を見出す為に今に至っていた。

 そんな中で不意に感じた違和感。それが何なのかを理解できないままに互いに顔を合わせていた。

 

 

「空気が違う。少なくとも、この感じはどこか戦場に近い様にも感じる」    

 

「だが、それだけでは……」

 

 そこから先の会話は続く事が無かった。

 まるで示し合わせたかの様に闇の中から一人の賊の姿が浮かび上がる。

 漆黒のボディアーマーに、同色の仮面。その仮面に描かれた模様は龍そのものだった。

 死を呼び寄せるかの様な雰囲気を纏い、時間の経過と共にその全容が浮かび上がる。その瞬間、根来衆の人間は厳戒態勢に入っていた。   

 

 

「風魔だ!」

 

「くそっ!よりによって青龍かよ!」

 

 仮面を見た瞬間、即戦闘が始まっていた。

 風魔の四神の中でも青龍の名は死神の代名詞だった。

 これまで対峙した人間が生き残った確立は限りなく無となっている。仮に生き残れたとしても、それは最早人間とは言えない状況だった。

 精神を破壊され、四肢も全てが欠損となっている。噂が広がったのはそれが原因だった。

 頭領でもある小太郎の存在は既に周知の事実だが、青龍もまた同等だった。

 その事実を他の組織が知らないはずがない。だからこそ、龍の仮面を見た根来衆は本能のままに行動を開始していた。

 根来衆の持つ銃器は警備用に改造されている。

 所有する全てのそれにの銃身には消音器が付けられていた。早撃ちの要領で行ったからなのか、相手の動きを僅かに見た瞬間、大気が圧縮された様な音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 青龍の視線の先には根来衆が何かを話していた。

 既に一人を屠り去っている為に、このまま時間だけが経過すればいずれそれが明るみに出る。時間が限られているのであれば、今は色々な意味で好機だった。

 態と気配を濃密にし、異常な雰囲気を作り出す。それは獣が威圧するのと同じ行為だった。

 幾ら下忍と言えど、気配を探れば対応は早い。

 既に根来衆の手に持っている銃器は青龍の胸を狙っていた。

 

 強引に小さくしたような発射音。その瞬間、青龍は当然の様に左腕を銃口の延長上に差し出していた。

 元々戦闘がある時点で武器は所有している。しかし、防御にはどれも適さないからなのか、自身の展開する固有霊装を利用していた。

 大気が圧縮した様な音が出た瞬間に、続けざまに金属が弾け飛ぶ音が響く。銃弾を青龍が弾いた証だった。

 突如として始まった戦闘を察知する人間はこの屋敷の家人では誰も居ない。闇の住人同士の戦いは直ぐに始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「反応だけは良かったんだがな」

 

「化物が!」

 

 青龍の言葉に根来衆は一言だけ吐き捨てる様に口を開いていた。

 早撃ちの技術は少なくとも他の忍や傭兵に負けるとは思っても居ない。事実、これまでに屠った人間の全てが早撃ちの前に沈んでいた。

 しかし、風魔の青龍にそれが通用する事は無かった。

 僅かに聞こえた金属音は着弾していない事を示している。本来であれば驚愕のあまり動く事も難しいと思われていたが、やはり相手が相手だからなの、逡巡する事無く根来衆は逃走していた。

 

 

「逃げ足だけは早い……か。まぁ良い。当初の予定通りにするか」

 

 お互いが距離を取っただけではなく、根来衆は青龍に対しそれぞれが味方同士当たらない様に移動していた。

 実際にはまだそれなりに距離がある。そうなれば幾ら風魔と言えど、こちらに分があると考えていた。

 先程の弾かれた銃弾は偶然にしか過ぎない。技術的に可能である事は敢えて考えず、今出来る事を実行するだけだった。

 その結果が今に至る。良案か愚策なのか。根来衆はその考えの回答を身を持って知る事になっていた。

 

 

 

 

 

「まさかあれ程だとは………」

 

 根来衆の一人は後ろを振り向く事無く前だけに意識を向けていた。

 これまでに風魔の話は聞きはするが、実際にこの目で見たのは今日が初めてだった。

 忍の領域は余程の事が無い限り、交戦する事は多く無い。事実、戦闘に関しては根来衆や風魔位が精々だった。

 伝聞でしか事実が明かされていないのは、これまでに敵対して生存した人間が少ないのが実情だった。

 

 表の戦いではなく裏の戦いでは、どちらかの命が一方的に散る事が多い。それは自分もまた経験し、そうしてきたからだった。

 下手に生き残りが居ると、今度はその情報を活かした上で攻め入る事になる。何も知らない状態とは違い、万全の準備をした組織を相手にするのは、かなり厳しい結果になりがちだった。

 そんな事から、その殆どの組織が風魔に対して情報を持たないまま戦闘を繰り返してきた。

 その結果、名前と戦果だけが先行していく。実際に噂は噂でしかない。男もまたそう考えていた。

 しかし、風魔を相手に逃げ切れるのだろうか。男はふと忍び込んだ思考を無視するかの様に、目的の場所へと一心不乱に移動していた。

 

 

「ここで死ね!」

 

 男の声と同時に聞こえたのは銃火器の作動音。侵入者が強敵だった場合、事前に仕込んだ罠によってそのまま殲滅する予定の場所だった。

 根来衆は移動しながらも弾倉を素早く交換し、作動した銃火器を使用する。その為に、この場所におびき寄せていた。

 如何に風魔と言えど、幾重にも放たれる銃弾から逃れる術は無い。少しだけ先の未来を予見したからなのか、男の表情は愉悦に浸っていた。

 手元にあるスイッチへ指が伸びる。多少の誤差をもろともしないそれを押せば、全てが瞬時に終わるはずだった。

 

 

「お前、遅すぎるぞ」

 

「何……だ…と……」

 

 確実に距離を取ったはずだった。この後待っているのは横たわった風魔の死体のはず。にも拘わらず、男は驚愕しながら自分の腹部を見ていた。

 本来であればありえない場所からは手刀で貫いたからなのか、四指が見える。背中からの致命的な一撃。

 ゆっくりとそれが抜けた後は夥しい赤が地面へと流れていた。

 

 全身が脱力したかの様に力が抜けたのか、男はそのまま膝から崩れ落ちる。本来であれば、確実に反撃されるはずがない距離を保ち、万全の態勢だったはず。そんな事を考えながら目に映るのは腹から出た四指。

 どこで何を間違ったのかは現実を直視出来ないままに男の目からは生気が抜け、そのまま骸へと変化していた。

 

 

「た、助けてくれ」

 

「それは俺に言う言葉じゃないな」

 

「なん……で……」

 

 青龍の言葉の次は既に無くなっていた。同じく崩れ落ちたその背後には風魔の人間が立っている。

 霊装を展開していたからなのか、直接の原因となった直刀の刃は直ぐに消え去っていた。

 

 

「家人の始末は完了しました」

 

「例の物を使ったか?」

 

「はっ。仰せの通りに」

 

「では、最後の仕上げに入るか」

 

「承知しました」

 

 先程まで人間だった物には目もくれず、青龍と配下の人間は今回の対象の下へと移動を開始していた。

 既に根来衆が居ないのであれば、後は絶やすだけ。最後の仕上げを残す所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん。気のせいか」

 

 赤座は僅かに何かが聞こえた様に感じていた。

 元々自分の職種を考えれば、ある意味では報復措置を考える輩が出る可能性があるからと、特別な伝手を使って今回の自宅警備を依頼していた。

 

 通常であれば気にする必要は無い。しかし、今回の件に関しては最悪は何かしらの圧力がかかる事が予想されていた。

 捏造した証拠を基に、自身の管轄でもある倫理委員会と懇意にしているマスコミに、リークと言う形で情報を流す。

 世論の形成さえ出来れば、後は容易く出来るはず。自分が考えた計画に絶対の自信を持っていた。

 当主でもある巌から依頼されたのは、愚息の一輝を予選会で潰す事。これまでの官僚組織を絶大な物にする為には、幾ら身内であっても同じだった。

 

 直接何かを言われた訳では無い。あくまでも自分が感じた事をそのまま実行しただけだった。

 他の審議官は何も知らない連中。既に一輝に与えている食事にも緩和的な毒物を使用している為に、そろそろ結果が出る頃だった。

 そんな取り止めの無い事を考えながらワイングラスをゆっくりと揺らす。先程聞こえた様な音は恐らくは気のせいだと考えていた。

 香りを楽しみ、グラスの中の物を口に含む。芳醇な香はこれからの自分の未来を歓迎するかの様だった。

 誰も居ない書斎だからなのか、聞こえるのは微かなエアコンの音だけ。赤座は少しだけ目を閉じた瞬間だった。

 

 

「お前が赤座守だな?」

 

「貴様は誰だ?」

 

 目を見開いた先に居たのは一人の男だった。

 漆黒のボディアーマーに、同色の仮面。そこに描かれた龍が何者なのかを示していた。

 

 

「貴様に名乗る名は無い」

 

 その瞬間、赤座は自身の固有霊装を即時展開していた。厳しい態勢ではあるが、やれない事は無い。椅子から立ち上がり、そのままハルバートを横なぎにするだけだった。

 態勢を整える為に僅かに逸れた視線の先には先程の男の姿は存在していなかった。

 視線を切ったのは刹那の出来事。気が付けば自身の顎に感じた衝撃が赤座の意識があった最後だった。

 

 

 

 

 

「おい、これから何をするつもりだ!」

 

「見ての通りだが?」

 

 赤座が目覚めた先にあったのは一振りの短刀とグラスだった。

 それが何を意味するのかは分からない。しかし、この現状であればどうなるのかだけは予測が付いていた。

 しかし、何故自分がと言う思考だけが先行するからなのか、その先が見えない。

 少なくとも自分は当主の要望に最大限に尽くしたはず。当然ながらそこから待っているはずの未来が輝かしいものになるはずだった。

 しかし、今の置かれている状況はその真逆の物。余りにも簡潔に言われた言葉に、赤座の理性は崩壊寸前だった。

 

 

「お前ら、こんな事をして黒鉄家からの報復があるぞ!それでも良いのか!」

 

「黒鉄家がどうかしたのか?」

 

「赤座の一族は黒鉄家の本流に連なっているんだ!その当主に手を出す意味が分からないのか!」

 

 言い叫ぶ言葉の意味は青龍だけでなく、他の人間もまた理解している様に見えていた。

 ここで黒鉄家の名前を出せば、まだ生きる望みがあるはず。少なくとも自分がやった行為に関しては問題が無いはずだった。

 幾ら叫ぼうが、既に自身の体躯は拘束されている。ここで異変を起こせば警備の人間が来るはず。だからこそ高額の依頼料を払ったはずだった。

 

 

「言っておくが、根来衆は既に全滅したぞ。金額を渋って下忍なんかに依頼するからだ。それと、この件に関しては既にお前は黒鉄家の一門ではない。何しろ、当主自らがそう宣言したんだからな」

 

 仮面越しの発せられた言葉に赤座の顔色は一気に青褪めていた。

 一門では無いとはどう言う事なのか。自分はこれ程までに尽くしたはずなのに。そんな取り止めの無い言葉だけが赤座の脳裏を過る。

 それだけではない。大枚を払ったはずの護衛が全滅している状況もまた悪夢だった。

 既に自分には生存の道は残されていない。拘束されている為に逃亡すら許されていない。この状況に、赤座は己の未来がどうなるのかが見えていた。

 

 

「馬鹿な……ならば、これまでやって来た事は何だったんだ……」

 

「そんな物は知らん。おい、時間も無いんださっさとやるぞ。武士なら武士の一門らしい終わりにしてやるぞ」

 

 赤座の口に強引に何を飲ませると同時に、直ぐにその効果は表れていた。

 拘束を解いた所で逃走は出来ない。既に意識は薄らいでいた。

 赤座の為に用意した短刀を自分で持った様に握らせる。武士の終わり方らしい幕引きをさせる為に、青龍と風魔の下忍はただ決まった行為をするだけだった。

 

 

 

                                                                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この度は誠に申し訳ございませんでした。既に責任者は辞任。担当部署に関しても上位の人間は全て引責辞任させましたので」

 

「ですが、貴国が我が国に対し傷つけた名誉はその程度でしょうか?ステラ皇女殿下が受けた物はそんな軽々しい物ではない」

 

 ヴァーミリオン公国の大使館の中では時宗と大使が面会を果たしていた。

 今回の件に関しては魔導騎士連盟の支部長でもある黒鉄巌は3カ月間の一割減給処分、倫理委員会の上位でもある侍局もまた、事務次官を筆頭に幹部陣は全て解任となっていた。

 幾ら捏造された写真とは言え、その様子は全国民が知る事となっている。

 大使が言う様にステラの名誉は色々な意味で傷つけられていた。

 本来であれば外務の担当者が大使と面談し、今後の件に関して調整を果たすが、今回の件に関しては時宗が内閣の代表として訪れていた。

 

 

「その件に関しても翌日には掲載した新聞社から誤報である旨の全面記事を一面にし、それ以外の件に関しても一切合切が事実無根である事も公表します」

 

「しかし、当事者が辞任程度では……」

 

「ええ。ですので、当事者は責任をとる為に、割腹自殺をしましたので」

 

「………え?」

 

 突然の時宗の言葉に大使は二の句を告げる事は出来なかった。

 割腹自殺の意味が分からない。責任をとっての辞任は実際にはどの国でも同じ事だった。

 実際に解任された人間が再び統治の下に来る事は無い。大使が時宗に発した言葉のそれはある意味ではポーズだった。

 しかし、その時宗から予想外の言葉が出た事によって思わず硬直する。

 言葉の意味を正しく理解出来なかったと判断したのか、時宗は改めて言い直していた。

 

 

「そうですね。貴国に分かり易く言えばハラキリですか。流石は武士の系譜。己の所業を恥じた故の結末です。お疑いになるならば証拠も見せますが」

 

 お互いが座るソファーの前に置かれたテーブルの上には警察が撮ったであろう写真が数点残されていた。

 当事者でもある赤座守だけでなく、その家族もまた惨殺されている。

 余りにもショッキング過ぎたからなのか、大使の顔は青褪めていた。

 

 

「警察の見解では気が振れた本人が家族を惨殺し、その後自らの腹を斬ったとの事です。家族の痕跡もまた、本人の固有霊装を展開した結果であると記されています」

 

 冷静に出された写真の意味を伝える為に、時宗は細部まで大使に伝えていた。

 余りにも苛烈な結果。まさかこれ程の内容を示されたのでは、これ以上の抗議は死者に鞭を打つ行為であると大使は考えていた。

 

 

「そうでしたか……流石は侍の国。実に苛烈ですな」

 

「此度の件は貴国の名誉を考えれば、まだ手緩いかと」

 

「いえ……この件に関しては本国に余すことなく伝えさせて頂きますので」

 

「我が国は今後も友好を保ちたいと考えていますので」

 

「そうですな。我が国も今後の未来を共に歩み続ける事が出来ます故に」

 

 時間にして小一時間程の会談はそれ以上続く事は無かった。

 実際に渡した写真が全てを物語る。この場で偽物を提出する意味が無いからなのか、この件に関しては大使館側から何かが出る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと………面倒な事してくれたと思わない?こっちも仕事がまだ残ってるんだけどね」

 

「私の口からは何とも言えませんので」

 

 公用車を運転していた人間はバックミラー越しに時宗を僅かに見ていた。

 大使館の中で何を話していたのかは分からない。少なくとも最初の段階で時宗が何時もと変わらない事実は運転手の目から見ても違和感しかなかった。

 突如として起きた醜聞は瞬く間に収束に向かっている。運転手は前を見ながらも変化の少ない時宗を眺めるだけだった。

 

 

「そっけないね。()()()()()()()()()()()。それだけなんだけどね。で、済まないけど、この後すぐに総理官邸まで頼むよ。まだやるべき事があるから」

 

 時宗の言葉に運転手が思い出したかの様に出発直前の状況を思い浮かべていた。

 侍局の事実上の粛清は確実に混乱をもたらす事になる。当然ながらその後釜に座ろうとする人間は完全に黒鉄家以外の者から選出されるのは間違い無かった。

 

 本来であれば、権力闘争などと非生産的な行為に暫くの間走り回る事だけは間違いないと考えていた。しかし、一介の運転手からすればそんな事は何の意味も無い。

 だからなのか、時宗の指示通り総理官邸へとハンドルを切っていた。

 

 

 



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第34話 試金石

 太陽すら感じる事の無い独房では、時間の概念は完全に失われていた。

 時間を知る術はないが、定期的に呼び出される査問と言う名の尋問は、事実上の丸一日を要している。その中で数度予選会の試合をした事で漸く今が何曜日なのかを理解していた。

 食事は愚か、住環境すら整えられていない部屋。外で過ごす以上に過酷な環境で追い込むはずの計画は、意図も容易く終焉を迎えていた。

 

 

「黒鉄一輝。嫌疑不十分の為にこれで終わりだ」

 

「終…わ……り」

 

「そうだ。三十分後に迎えが来る。それまでに身支度だけはしておけ」

 

 監視官の吐き捨てる様な言葉に、一輝は未だ理解が及ばなかった。

 実際に何が起こったのかが理解出来ない。少なくとも、これまでの内容はこちらの都合を聞く事も無く、ただ同じ内容を延々と繰り返したに過ぎない。

 裁判や査問の事は分からなくとも、これがどうなった結果なのかだけは分かる。少なくとも自分の言い分が認められた。ただ、それだけを考えていた。

 

 

 

 

 

「やぁ、大変だったね」

 

「あの……貴方は?」

 

「あれ?僕の事知らない?僕もまだまだだなぁ。これからは若い有権者にもアピールする必要があるか」

 

 長い廊下を歩いた先に居たのは一人の男性だった。

 口調こそは軽いが、身体から発せられる雰囲気は一般人とは思えなかった。

 実際に何が起こっているのは分からないが、少なくとも目の前の男性が自分と敵対していない事だけは本能的に理解していた。

 

 

「僕の名前は北条時宗。今回の君の件に関しての謝罪をしたいと思ってね」

 

「謝罪……ですか」

 

「ああ。実に愚かしい事なんだけどね。君の件に関しては、公式に政府として謝罪すべきだとなったんだよ。まさか捏造された証拠で外交問題にまで発展しかけたんだからね」

 

 時宗の外交問題の言葉に一輝の肩は僅かに動いていた。外交と名がついて思い当たるのは一つだけ。それはステラの事だった。

 

 

「それが、僕とどう関係が?」

 

「あ、誤解させる様な言い方でゴメンね。外交問題になりかけただけで、実際には水面下で終わったんだよ。そもそも君とヴァーミリオン皇女殿下がどうなろうと関係無いからね」

 

「へ?」

 

「だって、君、皇女殿下と同じ部屋なんでしょ。成人間もない男女が同じ部屋に居れば多少は手が出ても仕方ないから」

 

「あ、あの……」

 

「いや、仮に男女の仲だとしても、政府は関係無いって事だよ」

 

「はぁ………」

 

 時宗の言葉に一輝はただ茫然と話を聞くしかなかった。

 詳しい事は分からないが、少なくとも今の自分の話をしている様には思えない。一体何を考えているのかを思案するよりなかった。

 

 

「あの……それで、僕は一体……」

 

「今回の件に関しては倫理委員会の勝手な暴走でね。委員長以下、審議官は全員職務から外れて貰ったんだよ。本来であれば君にもそれ相応の償いをしなければいけないんだけど、流石に学生の君には何をすれば良いのかが思いつかなくてね。我々としては今回の報道は全て誤報だった事にさせてもらったよ。本当なら君にも意見を聞いた上でやらなければいけないんだけど、君の調書を見ると言い分が一環してる事に間違いは無さそうだったからね」

 

「じゃあ、僕はこれで戻れるんですか?」

 

「もう何時でも戻れるよ。僕が君に個人的に会いたかっただけだからね。それと学園までは送らせてもらうよ」

 

 あまりの事態の変化に一輝の思考はついていけない。元々ここに来た時点で、世間からの情報は全て遮断されていた。

 実際には時間の概念さえも分からない。だからなのか、時宗の言葉をどこまで信用すれば良いのかが分からなかった。

 

 

「因みに、これが今日の新聞だよ。念の為に見て見るかい?」

 

「ありがとうございます」

 

 渡された新聞には今回の騒動の件の一部始終書かれていた。

 実際に無い物を掲載した部分での謝罪が一面に載せられている。一輝は普段からこんな新聞を読む事は無いが、少なくとも書かれた新聞が起こした騒動である事だけは記憶に残っている。

 実際に詳細の記事を読むまでもなく、一輝は時宗の言葉をそのまま信用していた。

 

 

 

 

 

「そろそろ学園の着く時間だね。君の件は内閣からも学園に対しての要望を出してある。君が拘束されている件も含めてね」

 

「あの、どうしてそこまで」

 

「それを君が知る必要は無い」

 

 話しやすい人物ではあるが、どこか信用できない部分を一輝は感じていた。

 実際に時宗が内閣官房長官である事は、今乗っている車を見て理解している。通常のハイヤーだけでなく、周囲を囲む護衛は少なくとも何かしらの武術を学んでいる事は間違い無かった。

 気配を絶ち、周囲の警戒を続けている。以前にアルバイトで護衛をしたからなのか、一輝もまた、目の前の人物が相応の人間である事を確信していた。

 振動を感じさせない運転はただ只管学園に向っている。見た事がある景色だからなのか、一輝もまた無意識の内に安堵に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件は何かと迷惑をかけた様だね」

 

「いえ。我々としては黒鉄の事は信じていましたので。学園内でも特に問題になる様な事もありません。所で今日はどの様な件で?」

 

 理事長室の主でもある黒乃は、珍しく畏まった様子で来客と話をしていた。幾ら学園内であっても、目の前に居るのは政府の中枢に居る人間。ましてや破軍学園そのものが国営である以上は、何時もの様な態度で接する事は出来なかった。

 出されたお茶で喉を潤しながらも、目の前の男の真意を読もうとする。

 しかし、生来より権謀術数の世界で生きてきた人間からすれば、黒乃の眼力程度では何も読む事は出来なかった。

 

 

「大した事じゃない。偶々黒鉄君とは政府の代表として話をしたいと思っただけでね。折角だから、ここで予選会の様子も少し見せて貰おうかと思ったんだよ」

 

「その程度であれば、我々も特に問題はありませんが……」

 

「確か、今日は皇女殿下が対戦するんだったね。今回の件もあったから、一度はA級と呼ばれた人間を見るのも今後の見極めには必要だからね」

 

 時宗の言葉に黒乃は食えない男だと判断していた。

 元々学内の対戦カードは外部には知らされていない。何かしらの伝手を使ったのであれば知る事は容易いが、問題なのは、ステラに関する言葉だった。

 見極めとは何を意味するのかが判断出来ないだけでなく、万が一の際には政治のカードとして使われる可能性を含んでいる。

 今回の件に関しても、学生のやる事で本来は済むはずの内容。しかし、相手が皇族である以上はある意味ではやむなしと考える部分もあった。

 

 

「ああ、特に皇女殿下の事を政治のカードに使うつもりは無いから安心してくれても良いよ。何を考えているのかは知らないけど、我々を舐めてかかるのはどうかと思うよ」

 

「……いえ。そんな事を考えていた訳ではありませんので。ただ、今回の件もありましたので、私の立場としては生徒を護るのは当然ですから」

 

 先程とはまるで別人であるかの様に時宗の雰囲気は一変していた。

 これまでに幾度となく戦って来た為に、黒乃もまた人の感情の機微には敏感になる。常に穏やかに見えるこの男こそが、現内閣の懐刀であるのは周知の事実。

 怒気なのか殺気なのか。僅かに混じったこの気配は少なくとも黒乃に警戒心を持たせるには十分だった。

 そんな中での意を突かれたあまりの変化に、黒乃は僅かに気後れしていた。

 

 

「とにかく、今回の件は学園としても色々思う所はあったかもしれないが、既に解決してるからね」

 

「我々としても政府の、官房長官の任についている方がここで嘘を言う必要も無いと考えていますので」

 

「そう言ってもらえると有難いね。済まないが、案内してくれないかい」

 

 気が付けば時間もそれなりになっていた。

 既に一輝はここに来てから医務室に直行となっている。衰弱した肉体を作り上げた毒物は完全に排出された訳では無い。一刻も早い解毒作業の為に、これから明日にかけては絶対安静となっていた。

 既に知っている事実には何も口は出さない。今回の件も恐らくは何らかの事があっての話だと黒乃は内心考えながらも会場へと案内していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまでに幾度となく聞いたアナウンスだからなのか、始まった瞬間YESのボタンを押す。既に予選会の終盤になって怖気づく様な人間が居ないからなのか、そのアナウンスもどこか形骸化していた。

 ボタンを押した事によって目の前の扉が開く。訓練場まで続く廊下の先に居るのは、これまでに無い程の強敵である事を認識しているからなのか、一歩づつ歩きながらも時間を惜しむかの様に脳内では色々な対策を練っていた。

 

 

「来たか。まさかここで当たるとはな」

 

「そうね。でも可能性はゼロじゃなかったわ」

 

 これまでに無い程の圧力がステラの全身を襲い掛かる。

 これまでに一輝と一緒に鍛錬をした事はあったが、実際にこうやって対峙した事はこれまで一度も無かった。

 元々ステラはこの予選に於いては相手の情報を見る事もなく、戦う事を信条としてきた。

 

 常在戦場。誰もが知っている人間だけと戦う事は無い。しかし、その考えすらも目の前の男は覆す程だった。

 改めて見たデータはまさに脅威的。前半の不戦勝を除けぼ、対戦相手の全てが事実上の秒殺だった。

 

 五体満足で返って来た確立は零。何らかの損傷を伴ったドクターストップが全てだった。

 今回に限ってだけステラが見たデータはまさに異質。恐らくこの学園の中では刀華を凌ぐ最悪の相手だった。

 今のステラにとって、国際基準でもある魔導騎士ランクなど最初から無い物だと考えていた。

 事実、恋人でもある一輝はF級。龍玄に関してもE級でしかない。これが学園に来る前のステラであれば油断したかもしれないが、今のステラに慢心する気持ちは無かった。

 闘う前の気持ちで負ける訳には行かない。そう無意識に考えたからなのか、ステラは対戦相手でもある龍玄をねめつけていた。

 

 

「そうだな。幾ら知り合いだと言っても遠慮はするなよ」

 

「当然よ」

 

「ならばA級の力とやらを見せてくれ」

 

 ざわついていたはずの会場は突如として静まり返る。先程までは事前のアナウンスによる会場のボルテージは高まっていたが、お互いの発する闘氣が周囲に広がる事によって、会場内は強制的に静まり返っていた。

 

 

 

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 無機質なアナウンスが流れる。これから始まるのがどんな戦いになるのかを誰もが予測出来ないからなのか、会場内の観客は思わず息を飲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステラの目の前に立っている風間龍玄はある意味では異常としか言えなかった。

 少なくともこれまで戦ってきた相手はステラの事を一定以上は警戒していた。魔導騎士ランクA級は伊達では無い。歴史の流れに名を刻む人間の殆どがA級であったのは事実であると証明されている。

 勿論、ここに来るまでの本国ではそれが半ば当然の扱いとなっていた。戦う前は勇ましい事を言っても、結果的には『才能が』の戯言で終わる。それを嫌ったからこそ、ステラはサムライの国でもあるここに来ていた。

 価値観を壊したのは黒鉄一輝。F級である事を盾にする事無く自身の能力だけを只管高め、学生の頂点を目指している。ステラに対しても特別な事を言った事は一度も無く、またそんな事すら関係無いと互いに同じ道を歩んでいた。

 それがあるからこそ慢心は無い。少なくともステラはそう考えていた。

 

 しかし、今回の対戦相手でもある風間龍玄はその対極と言っても過言では無かった。

 A級である事は何も気にしない。ここまでは一輝と同じだが、そこから先は決定的に違っていた。

 対峙する龍玄の目には、自分は何も映っていない。恐らくはその辺に居る有象無象と同じ扱いをしている様に感じていた。

 これまでに何度か見た剣技や槍術はステラの目から見ても一線級だった。にも拘わらず、本人の固有霊装は篭手。()()()()()()()の剣ではなく拳が主体であっても変わらない業は、ある意味では畏怖を抱く程だった。

 固有霊装を顕現する。その瞬間、目の前の龍玄からは濃密な殺気が漂っていた。

 これまでは気配すら感じさせない隠形が主体だったはず。僅かではあったが、ステラの思考はそちらに流れていた。

 

 

「が、はっ……」

 

 試合開始のブザーが鳴った瞬間、濃密な殺気が霧散していた。

 気のせいでは無く、確実に龍玄が解いただけの話。認識を改めた瞬間に待っていたのは、あり得ないはずの拳が自分の腹部を貫かんとした事だった。

 消え去るかの如き移動速度はステラも認識すら出来なかった。幾ら身体強化で補ってもなお有り余る衝撃。これが通常の状態であれば確実に内臓の幾つが破裂する程だった。

 腹部に受けた衝撃が全身に広がり背部へと突き抜ける。

 開幕速攻を理解していたにも拘わらず、龍玄の攻撃はステラの予測の上を軽々と超えていた。

 

 

「これで終わりじゃないだろ?」

 

「と、当然よ」

 

 まるでステラが立ち上がるのを待っているかの様に龍玄は何もしなかった。

 何時、どのタイミングで懐に飛び込んで来たのかが分からない。ステラの脳裏には何時か聞いた抜き足の技術だとは思ったものの、本当にそうなのかと言われれば答えはどこにも存在しなかった。

 胃の内容物が出る事は無かったが、肺に入っていた空気は一気に吐き出される。

 まるで鉛でも仕込んだかの様な拳は、まさに凶器としか言い様が無かった。

 

 本来であれば、巫山戯るなと言いたい所だったが、生憎とそんな事を言うつもりは無かった。

 下手に言葉を口にすれば待っているのは容赦ない追撃。実際にこれまで対峙した相手の殆どがこの一撃で沈んでいた。

 ステラもまた、少しだけ意識が飛びそうになっている。予想を遥かに上回る攻撃に、今までイメージしてきた戦略が全て無意味な物へと成り下がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら龍も見極めをつけるつもりみたいだね」

 

「相手がA級ですから、間違い無いでしょう」

 

「って事は皇女様は呆気なく負ける事は無さそうだね」

 

「初撃をまともに受けたのであればそうなりますね。ですが、あれを完全に躱せる人間は我々も早々いません、精々が小太郎様位かと」

 

「なるほどね……龍も全力は出して無さそうだしね」

 

「ここで全力を出す様なレベルは無いでしょうから」

 

 時宗は蹲るステラを見ながら独り言の様に呟いていた。

 実際に龍玄の初撃を見切る事が出来た人間は片手も居ない。ギリギリ見えたのは寧音と黒乃位だった。

 今回の戦いを見学しに来ていた刀華やカナタもまた見えていない。これまで見知ったそれであるからなのか、時宗は背後に居る秘書にだけ聞こえる様に言葉にしていた。

 

 

「ですが、折角国交をとしたのに、ここでこんな事をして良かったんですか?」

 

「対戦相手に関しては何も言えないね。それにA級が負けただなんて喧伝するはずも無いさ」

 

 秘書の正体は朱美だった。元々学園内部に護衛を入れると、何かと目立つ可能性が高い。だったら、朱美が秘書と兼任した方が目くらましになると考えた末の行動だった。

 気配を感じさせない存在はまさにうってつけ。時宗は龍玄がこの学園でどんな戦いをしているのかを笑みを浮かべながら見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさか、こうまで違うなんて)

 

 ステラは先程の攻撃から未だ回復しきれていなかった。

 身体強化を施してなお、この攻撃。常識から外れたこれは、あまりにも理不尽だと思える程だった。

 衝撃を受けた瞬間、全身の骨がバラバラになる感覚はこれまでの人生の中で感じた事は一度も無い。

 母国に居た際は勿論の事だが、一輝と対峙した際にもこうまでの衝撃を受けた事は無かった。

 視線の向こうでは、未だに視界がチカチカする。龍玄の攻撃力の高さは理解したつもりだったが、実際に攻撃を受けた事によって、これまでの予想を大幅に上方修正していた。

 

 

「顔見知りだからと言って油断でもしたか?」

 

「そんな……訳、無い……でしょ」

 

 睥睨する視線に、ステラはかろうじて返事をする事だけは出来た。本来であれば追撃があるはずが、そんなそぶりは微塵も無い。これが万全の状態であれば確実に憤るが、今のステラにはそんな事すら出来なかった。

 これまでに幾度となく流れたはずの警告のアナウンス。この予選会で命の危機を感じたのは初めてだった。

 

 

「折角だ。それなりのレベルで相手をしてやる。それが嫌なら全力で抗うんだな」

 

 観客には聞こえない程の声だからなのか、お互いがその場から動かない事に観客は疑問を浮かべていた。

 かろうじて何かを言ってる事を理解しているのは時宗と朱美だけ。刀華とナカタはこれまでの龍玄の性格から考えて推測の域に留まっていた。

 未だに微動だにせず、ステラから視線を動かさない。今の龍玄はステラが動くのを待っている様だった。

 

 

 

 

 

「この程度で上を目指そうとしてるのか?」

 

 ステラは意識を正常にし、自身の固有霊装の『妃竜の罪剣』を正眼の位置へと構える。

 龍玄に言われるまでも無く、上を目指そうと鍛錬を続けているのは言うまでも無い。あの道場での出来事の後も、ステラは一輝と共に鍛錬を続けている。

 時折龍玄と一緒になる事はあるが、それは偶然による所が多かった。

 基本となるべき動きを基に、その意味を正しく理解した型を執り行う。本来であれば応用できる動きを取る方が良いかと思われたが、基本を崩してまで応用に染まろうとは考えていなかった。

 

 本当の事を言えばステラもその考えが無い訳では無い。しかし、龍玄と一緒になった際に聞いた話が記憶に残っていた為に、派生よりも基本に忠実である事を優先していた。

 それと同時に、これまで意識した事が無かったゆっくりとした動きをステラもやってみると、意外な発見もあった。

 緩やかに動く事によって筋肉の動きを把握出来るだけでなく、自分自身が気が付かない程度のレベルの剣筋の乱れも発見していた。

 漫然とした動きをした事はこれまでに一度も無い。ある意味では龍玄が師とまでは言わなくとも、その考え方に共感したのは事実だった。

 基本こそが全ての根源。それは対峙している龍玄が一番理解している。先程の一撃に反応出来なかったのは自分の鍛錬がまだ甘いのだと認識していた。

 

 

「私の今出来る事を身を持って知る事ね!」

 

 ステラは力む事無く重力に身を任すかの様に動き出していた。

 無拍子に近い動きに観客の一部から驚きの声が聞こえる。本来であればステラが学ばない限り知らないはずの動き。本人は何度か龍玄の動きを見ていたからなのか、半ば無意識に近い行動だった。

 

 事実上の無拍子からの一撃。大剣は無駄な動きを省き、そのまま龍玄へと襲い掛かっていた。

 大気を斬り裂かんとする刃は袈裟斬りの様に肩口から龍玄の胸部へと向かっている。

 これまでの対戦相手であれば確実に斬り裂いたそれはステラの攻撃の中でも最大級の物だった。

 

 

 

 

 

 スリークォーター気味の斬撃は龍玄に多大なダメージを負わせると思える程だった。

 無駄の無い斬撃は最短を疾る。何もしなければ確実に鮮血が舞うのは当然だった。

 

 

「この程度なのか」

 

 呟きとも取れる程の声量だったからなのか、この場で聞こえたのはステラだけだった。

 迫り来る斬撃を目に、動揺する色すら見えない。構えすら作っていない龍玄にステラの刃は空を切っていた。

 確実に届いたと思った刃はそのまま地面を叩く。ミリ単位で見切ったからなのか、ステラの放った刃はまるで龍玄の体をすり抜けた様だった。

 ステラだけでなく、その場にいた観客の誰もが驚愕の表情を浮かべている。

 誰もが直撃したと思った光景が、ものの見事に裏切られた事に会場からは声一つ聞こえる事は無かった。

 

 

「一流の剣なのは間違いないが、それだけだな。怖さが無い」

 

 地面に叩きつけた事によって生じた隙を龍玄は見逃す事は無かった。

 地面を叩いた衝撃が僅かに手に残る。時間にしてコンマ数秒の世界。

 先程までステラの間合いの外だったはずの体躯は既に攻撃の範囲にまで潜り込んでいた。

 

 剣を戻すよりも早く龍玄の猿臂は再度ステラの腹部に直撃する。

 幾ら身体強化をしても、全てが完全に護れる訳では無い。

 絶対的な隙でもある、攻撃した瞬間の緩んだ筋肉は龍玄の放った攻撃を余すことなく自身の体躯に刻み込んでいた。

 

 苦悶の表情を浮かべ、ステラはそのままたたらを踏む。そこに待っていたのは止めと言わんばかりの蹴りだった。

 回し蹴りの様に弧を描くのではなく、直線的なそれをステラは自身の霊装で辛うじて防ぐ。決して使ってはいけない防御の方法は今のステラにとって完全に悪手だった。

 剣の腹を見せたのであれば、そこから攻撃に転じるにはそれなりの手順が必要とされる。

 僅かに刀身に視線を向けた瞬間、ステラの視界は反転し、体躯は宙に浮いていた。

 防御に集中しすぎた為に、それ以外に意識が向いていなかった。

 手首を取られた事によってそのまま自然とステラは何も出来ないまま放り投げられる。幾らステラと言えど空中で動く事は不可能だった。

 

 

「自身で味わえ」

 

 移動する事無く地面へと向かう体躯を幾ら動かそうとしても出来るのはその軌道が僅かに動く程度。今のステラは完全にただの的だった。

 一言だけ告げた龍玄は届かないはずの空間に向けて拳を繰り出す。

 学園内でこれが何なのかを理解しているのはカナタだけだった。

 

 大気の塊が銃弾の様にステラの下へと突き進む。これが物理的な銃弾であればステラも反応出来たはずだった。

 しかし、初見の今は何が起こっているのかを理解出来ない。認識できたのは数多の大気の塊が自身の体躯に着弾した後だった。

 物理法則を無視するかの様にステラの体躯は縦方向から横方向へと虚空で弾け飛ぶ。

 大型車に撥ねられたかの様に弾け飛んだ光景に、会場は再度静まり返っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、ひょっとしてかなり手加減してる?」

 

「当然です。幾ら予選会でも事故死は拙いですから。そうで無ければ、()()は無駄死にした事になります」

 

()()は別にどうでも良いんだよ。実際には、こちらの()()()()()()()()()交渉が楽になった程度なんだし」

 

「あまりこの様な場で言う内容ではありませんので」

 

「あれ、君が振ってきたんだよね」

 

 互いに軽口を叩きながらも、龍玄とステラの戦いを時宗は何時もと変わらない態度で眺めていた。

 事実、時宗が口にするまでもなく龍玄は予選会用に従来の力の大半を制限している。

 幾らA級の魔力で身体強化をしたとしても、龍玄の一撃はそれすらも貫通する程だった。

 血を吐く事も無く何とか動ける以上はステラの防御を褒めるのか、それとも龍玄の制御を褒めるかのどちらかだった。

 一般の生徒はステラの防御に意識を向けているが、龍玄の本来の能力を知っている二人からすれば上手く制御している程度でしかなかった。

 お互いの動きが止まったかと思った瞬間に繰り出された攻撃は、以前にも鍛錬を続けていた『遠当』の亜種。

 必殺の一撃ではなく牽制用だと理解しているからこそ、この戦いはある程度の目的を持っている事が知られていた。

 

 

「さて、皇女殿下はどっちなんだろうね」

 

「さぁ。私では計り知れない部分の方が多いですから」

 

 A級が歴史に名を刻むとは言うが、正しくはそれが全員に当てはまる訳では無い。

 これまでにも何人ものA級の人間が現れたが、実際に名を遺したのはほんの一握りだけだった。

 そもそもランク付けは、対外的な目安でしかなく、運命を従える事が出来るのは類稀なる魔力の恩恵に近いと時宗は考えている。運命の枠組みをたかが人間如きが判断出来るはずがない。少なくともそれが持論だった。

 そこから弾かれた人間は全てが自分の能力だけで生きる。それを見ているからこそだった。

 

 故にステラの力が本当の意味での金剛石なのか、それともただの硝子珠なのか。ここに来たのは、一輝を送る為ではなく、どちらかと言えばその見極めの為だった。

 色々と言葉を紡げば、怪しまれる可能性もある。しかし、ついでと言われれば断るにも相応の理由が必要だった。

 最初から勝ちが決まっている結末。自分の目で確認出来るからこそ、今回の戦いの結末によって今後の考えを左右させる試金石としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ終わりだ」

 

「……まだやれるわ!」

 

 口ではそう言うが、既にステラは満身創痍だった。

 力ではなく業で翻弄されると同時に、この戦いに関しては完全に魔力の事は置き去りにされていた。

 抜刀絶技を使用する為には、僅かながらでも集中する必要がある。しかし、常に至近距離で攻撃を出される事によって、それは完全に封じ込まれていた。

 僅かでも意識を離せば、待っているのは致命的な一撃。これまでに培ってきた剣術が何一つ通用しない事実にステラも内心では迷いがあった。

 幾度となく腹部に撃ち込まれた攻撃によって口の中には鉄錆の味が残っている。既にスタミナも残っていない。

 辛うじて構えが出来るのはステラ自身の矜持による物だった。

 それに対し、龍玄は試合当初と何も変わらない。攻撃の全てが無力化された事実を突きつけられていた。

 

 

「そうか。だが、これ以上は無駄に過ぎん。これで沈め」

 

 そこから先は会話にすらならなかった。

 目の前に居たはずの龍玄の姿が捉えきれない。ステラが気が付いた時には既に強烈な足払いによって自身の体躯は宙にあった。

 その瞬間、強烈な拳がステラへと降り注ぐ。事実上の死に体の状態にステラは反撃すら許されなかった。

 何度目かすら分からない衝撃によって地面に叩きつけられる。その時点でステラの意識は完全に途切れていた。

 

 

 



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第35話 戦いの後で

 驚愕の試合内容に誰もが言い表せない感情を持っていた。

 これまでのステラの戦いからすれば、龍玄が成したのは大物喰い(ジャイアントキリング)。A級のステラを倒すのがどれ程厳しいのかをこれまでの予選会で散々目にしてきた。しかし、この戦いに於いてはそんな言葉すら陳腐であると同時に、ある種の脅威が含まれていた。

 ステラの能力を完全に殺しきった攻撃は、偏にこれまで培ってきた鍛錬による物。これまでの常識だと思われた魔力の多寡によるランク付けが全て無意味だと言わんばかりだった。

 そんな沈黙の中、会場内に一つだけ響く拍手。その音の主は時宗だった。

 

 

「中々良い戦いを見せて貰ったよ。確か、風間君とか言ったね。ランクが低い事など無意味だと言わんばかりの戦いは賞賛される物だよ」

 

 時宗の声に龍玄は内心舌打ちしたい気持ちが勝っていた。

 敢えて他人行儀に言うのは、ここが学園内部であると同時に、他の人間からもその関係性を知られたくない事があったからだった。

 学内で大よそながらに事実を知っているのはカナタだけ。それも完全に理解している訳では無かった。

 気が付けば隣には朱美もまた居る。表情にこそ出さないが、その目に浮かぶ感情が何なのかは敢えて考えない事にしていた。

 龍玄としてはこの場から早く立ち去りたい。ただそれだけを考えていた。

 時宗の拍手によって凍り付いた様な会場の空気が徐々に弛緩する。ここで漸く従来と同じ様な空気が漂い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理事長室の中はこれまでに無い程、重い空気が漂っていた。今回の目玉とも取れる予選会はある意味では満足できる内容ではあったが、一方では想定外の結果が出た事に黒乃は頭を痛めていた。

 これまでの戦績からはじき出された結果に問題はない。しかし、その過程が色々と問題だった。

 まだ予選会は完全に終わっていないが、少なくともこれまでの結果を見れば無敗の人間は三人しかいない。当然ながら上位の人間から取れば問題無いが、今回の最終戦で龍玄がステラに圧勝した事で、それが時宗の目に留まってしまった事だった。

 

 

「ヴァーミリオン皇女殿下がA級だという触れ込みだったけど、対戦相手の風間龍玄君だったかな、彼もまた学生とは言えない技量だったね。僕もこれまでに何人もの魔導騎士やKOKの選手を見たけど、ああまで隔絶した戦闘技能は初めて見たよ」

 

「そうでしたか。官房長官の目にもそう映りましたか」

 

「ええ。ランクの低さではなく、技量によって相手に勝った事を考えると、一概にランクだけに拘るのはどうかと思ったくらいだね」

 

「そうですね。実際に我が校には他にも黒鉄一輝も居ます。彼もまたF級ではありますが、これまでに未だ土が付いた事はありませんので」

 

「成程。という事は、貴君の考えた予選会はある意味でははこれまでの基準に囚われない発掘が出来たと言う事になるね。実に興味深いよ」

 

 屈託のない時宗の言葉に、黒乃の内心は穏やかではなかった。

 友人でもある寧音の言葉が正しければ、龍玄の正体は風魔。詳しい事は分からなくとも、それを基準に考えられてはある意味では困る事の方が多かった。

 これが秘匿した状態であればまだ良かった。しかし、内閣の事実上のトップが視察したいと言われた時点で黒乃に拒否権は無かった。下手に言葉を濁せば何かと問題も生じる。

 態度が変わらない時宗とは裏腹に、黒乃は今後の対応に苦慮していた。

 

 

「理事長。少し宜しいでしょうか?」

 

 そんな会話が不意に途切れたのは、学園の事務方の言葉がキッカケだった。

 口にはしないが、内容は大よそに予測出来る。事務員もまた詳細を口にはせず、分かり易いようにしたメモを黒乃に渡していた。

 

 

「……そうか。明日の午前中には問題ないんだな?

 

 

「はい。今の所、回復に関しては順調です」

 

「そうか。では、目途がたったらで良い。経過報告を頼む」

 

「では、その様にさせてもらいます」

 

 事務方が来た事によって時宗との会話が途切れたまでは良かったが、それは一瞬の出来事だった。

 用意されたメモに軽く目を通す。そこに書かれていた内容は黒乃の想定の斜め上を行く物だった。

 学園の責任者としてだけでなく、この戦いは色々な意味で問題を孕んでいた。

 

 口にはしないが、黒乃だけでなく、寧音もまたステラが勝てるとは最初から思っていなかった。幾らA級と言う才能に溢れた人間であっても、凄惨な戦場を経験した人間と比べるのは最初から無理があった。

 完全に確定した訳では無いが、少なくとも実戦経験が無い人間と、その対局にある人間を同列で考える程、黒乃は節穴ではない。

 只でさえ官房長官がここに来ているだけに留まらず、新たな火種を作るのは得策では無かった。

 一度の敗北で全てを悟る程にステラはこの国の詳細に造形がある訳では無い。

 本来であれば要件さえ終わればこのまま終わるはず。誰もがそう考えていた。

 

 

「これ以上お邪魔しても時間の無駄みたいだし、我々はこれで退散させてもらうよ。今回の件は中々見どころがあって良かったよ。この調子だと次回も楽しめそうだね」

 

「お気遣いも出来ず申し訳ありません」

 

「では、また機会があれば」

 

 黒乃が頭を下げた事により、時宗もまたソファーから腰を上げていた。一輝を送ってきたのはどう考えても口実に過ぎない。そんな取り止めの無い事を考えながら黒乃は見送っていた。

 

 

 

 

 

「しかし、これ程違うとはな………」

 

 紫煙を燻らせながら黒乃は独り言の様に呟いていた。

 事務員が持ってきたのはステラの容体に関する内容だった。

 軽く目を通しただけでもかなりの部位に損傷が出ているだけでなく、上腕部と下半身の骨は見事に骨折していた。

 上腕右側の橈骨と左側の尺骨が亀裂骨折。肋骨も左右共に第七、八に亀裂骨折。

 下半身もまた同様に、脛骨の下の部分に亀裂が走っていた。

 臓器に関しては臓器不全手前までになっている。IPS再生槽が無ければステラの命は完全に消えている程のダメージだった。

 

 従来の様に刀剣類による切傷であれば血が出る事で、怪我の度合いが正しく図れるが、打撃によるダメージは目に見えない事が殆どだった。

 当然ながらステラは身体強化を使用している為に、ダメージがそれ程残っていない様にも見える。しかし、龍玄が使用した攻撃の殆どが発勁や寸勁の類だった為に、全てのダメージは隠蔽されていた。データだけ見れば完全に殺しにかかっている様にも見える。

 当人の意識が無いのであれば確認のしようが無い。意識が無い為に直ぐに運ばれたのが功を奏した結果となっていた。

 

 

「いや~まさかあれ程違うなんて、驚きだよ」

 

「寧音。なぜお前がここに居る?」

 

「いや、あの戦いを見てたら喉が渇いてね。折角なら美味しいお茶でもごちになろうかと思ったんよ。あっ、このお茶菓子中々だね。流石は内閣の人間に出すだけの事はある」

 

 鬱屈とした考えを払ったのは寧音の言葉だった。先程までは気配すら無かったはず。そんな感情が払われたのは今の寧音の姿を見たからだった。

 素でやっているのか、それとも気を使っているのかは分からない。言葉通りお茶菓子を頬張る姿を見たからなのか、先程までの感情が黒乃から消えたのも事実だった。

 

 

 

 

 

 

「で、何が目的なんだ?」

 

「いや。特に無いね」

 

 あっけらかんと言い放った寧音の言葉に黒乃のこめかみには青筋が僅かに浮き上がっていた。

 只でさえ、内閣の人間と話をしたばかりの状態で寧音の相手は何かと疲れる。しかも時宗は何も触れる事はなかったが、あの言い方では龍玄が七星剣武祭に出場するのは当然の様な言い方をしていた。

 学内の事に対し、態々国が介入する事は無い。黒乃もまた当然の様にそう考えていた。

 だからと言って、下手な事を言う訳にも行かない。幾ら黒乃自身が学園に請われた事によって理事長に就任したとしても、相手が国である以上は、当然他の理事にも影響が出る。

 理事長はあくまでも指針を出すのであって、学園の運営全体を任されている訳では無い。見えない重圧を吹き飛ばす為には、相応のロジックが必要だった。

 

 

「だったらさっさと出ていけと言いたい所なんだがな」

 

「何かあった?」

 

「まぁ、色々とな」

 

 今更寧音に何を言った所でどうしようもないのもまた事実だった。

 実際に旧陣営の教員は軒並み解雇している為に、今は人材が圧倒的に足りない。通常の教員としてであれば過不足は無いが、問題なのは実習に対する人員の問題だった。

 予選会は午後から集中的にするのは、偏に人員不足をカバーする為の物。これが終われば当然ながら教員は通常の業務に戻る。

 しかし、ただでさえ不足している人材を補うにも相応の実力が必要だった。

 本来ならば現役の選手を呼ぶ事も不可能ではない。しかし、通常の試合と同等の報酬を払えるはずも無く、この構想は直ぐに却下となっていた。

 寧音が臨時とは言え、破軍に来ているのは偏に黒乃自身の人脈の賜物だった。

 そんな状況下で内閣の人間の言葉が黒乃にのしかかる。何をどう考えたとしても、詰んでいる様な状況に黒乃はこれまでに無い程の溜息が漏れていた。

 

 

「そんなんだと、幸せが逃げて行くって」

 

「私には幸せはあったんだろうか」

 

「ねぇ、くーちゃん。今考えた所で、どうしようも無いんじゃない?」

 

「どう言う意味だ?」

 

「言葉の通りさ」

 

 そう言いながら既に寧音の口にあったお茶菓子は完全に胃の中へと納められていた。

 既にお茶をすすりながら改めて黒乃の顔を見る。まるで悪戯でもするかの様な笑顔に、黒乃は内心構えていた。

 

 

「だが、そんな程度でも良いのか?」

 

「当然。それが最初に決めたルールなんだし」

 

「……確かにそう言われればそうかもしれんな」

 

「流石はくーちゃん。女の中の女だね。国家権力に逆らうなんて中々出来ないさね」

 

「巫山戯るな!」

 

 寧音が黒乃に言ったのは一言だけだった。

 元々今回の件は特例の様だが、実際には完全なるルールが存在している。龍玄がどうではない。純粋に勝ち残った人間に対する当然の措置だった。

 運も実力のうち。そう考えたからなのか、黒乃は先程は違った意味で生き返る様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「刀華さん。少し入れ込み過ぎではありませんか?」

 

「だけど、あの戦いを見てたらそうも言ってられない」

 

 誰も居ないと思われた訓練場では刀華が一人『鳴神』を手に黙々と素振りをしていた。

 厳密には素振りではなく、仮想敵をイメージしたトレーニング。何となくここに来たカナタの目には刀華が誰と戦っているのかが直ぐに分かっていた。

 

 幾度となく放たれた斬撃は色々な意味で空を切っている。

 見切りによる回避は刀剣を主体とした人間からすれば、悪夢に等しかった。まるで児戯だと言わんばかりに延々と回避されれば、どんな人間であっても心が折れる。それはあの試合を見ていた全ての人間に共通する事実だった。

 一体どれ程の経験を積めばあの域に行けるのだろうか。刀華はそんな取り止めの無い事を考えた瞬間、あの当時の会話を思い出していた。

 

 

「……そうか。そう言う意味だったんだ………」

 

「刀華……さん?」

 

 突如として止まった行動にカナタは疑問を持ちながらも刀華の様子を見ていた。

 呟きながらも何かを確認するかの様に集中する。一振り、二振りしたかと思った矢先に刀華はその動きを止めていた。

 

 

「カナちゃんも恐らくは知ってると思うけど、私は以前に風間君にお願いした事があったの………」

 

 刀華の独白とも取れる言葉にカナタはただ聞くよりなかった。

 カナタとて十全に知っている事はそう多く無い。しかし、刀華からすればカナタは風魔に近い事を理解していると判断したからなのか、その当時の状況を改めて話していた。

 風魔の頭領でもある小太郎の技量がどれ程なのかをカナタだけでなく、刀華もまたあの時の特別招集で痛い程に理解している。

 伐刀者であれば当然の様に使用する身体強化は、常人の能力を容易く超える事が出来る反面、目先の力の大きさに自力を鍛える事はそれ程した訳では無かった。

 勿論、刀華やカナタもそんな事は理解している。魔導騎士のランクが高くなればなる程、その恩恵が大きい事も理解している。

 当然の事ながら、能力を強化するにあたっては基礎とも取れる自力が底上げ出来れば、更に大きな能力を得る事が出来るのは上位の人間であれば常識だった。

 

 しかし、あの状況下ではそんな身体強化は使えない。それは自力での戦いを意味していた。

 小太郎が使っていたのかは分からない。しかし、攻撃を封じれられたのは紛れも無い事実だった。

 あれから鍛錬を繰り返し、龍玄を通じて小太郎に話を持っていった矢先だった。本来であれば自分の属する組織の長に、単独だったとしても挑ませるのはあり得ない事実だった。

 しかし、龍玄はまるで気にする素振りを見せる事無くそのまま流した。

 当時はその意味が解らなかったが、今なら分かる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に過ぎなかった。

 何も知らない状態であれば憤るが、今日の戦いを見れば嫌でもそう思ってしまう。

 高い技量に支えられたそれを、今の自分が打ち破る事が出来ないだろうと結論付けたからこその理解だった。

 

 

「ですが、それでは何時までも囚われる事になりませんか?」

 

「ううん。それは違う。私自身は少なくとも囚われたとは思っていない。この学園を去った後の事を考えれば、目標は高い方が良いと思ったの」

 

 どこか決意したかの様な言葉にカナタはそれ以上は何も言えなかった。

 お互いの立場はあれど、各々が目指す先が何なのかは大よそながらに見えている。これまでは良い意味での目標が定まっていた為に道を違える事は無かったが、今の刀華は当時の道を本当に辿っているのかは、カナタですら分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは………」

 

「ステラ。大丈夫?」

 

「イッキ、そうだ、私は………」

 

 IPS再生槽から出たのは既に夜の帳が完全に降りた頃だった。

 再生槽によって、傷や内臓の損傷は既に無くなっている。戦っている当時は何も感じなかったが、今考えればあの時は脳内麻薬による麻痺がステラの体調を一時的に隠していた。

 これが通常の治療であればステラは未だにベッドから状態を起こす事すら許されないはず。しかし、再生槽の能力はステラの体躯を十全に癒していた。だが、それはあくまでも肉体に対する物。戦闘によって消耗した精神力はそう簡単に癒える事は無かった。

 未だ気怠さが全身を襲う。疲労感が抜けきらないと判断したからなのか、ステラは上体を起こしたままぼんやりと外を眺めていた。

 そんな時、不意に声をかけたのは既に回復していた一輝だった。周囲には他に誰も居ない。だからなのか、ステラは対戦した後の事を思い出していた。

 

 

「まだ疲れは取れていないんだ。無理はダメだよ」

 

「そうね……ねぇイッキ。私、負けたのよね」

 

「そうだね」

 

 現実と幻を行ったり来たりしている様な感覚を他所に、ステラは客観的に理解出来る様に敢えて一輝に確認していた。

 時間が経つと同時に、戦いの記憶が鮮明に甦る。伐刀者としての実力を全く出す事も碌に出来ず、実際には手の上で踊らされた様な感覚だけが残っていた。

 それでも口にしたのは、自分の口が発する言葉を脳が正しく理解させる為の行為。一輝もまたその行為を確認したからなのか、口数が増える事は無かった。

 

 

「……私はまだダメなのかな」

 

 ステラの独白とも取れる言葉に一輝が掛ける言葉は何も無かった。

 実際に龍玄とステラが戦った場面は、一輝もまた画像ではあったが、目にしていた。

 お互いが対峙したまでは良かったが、その後は余りにも一方的過ぎていた。

 ステラの放つ斬撃が龍玄の体躯を斬裂く事は無く、全てが完全に見切られた様に見えていた。

 本来であれば魔力を霊装に纏わす事によって攻撃の間合いを騙す事も出来たはず。しかし、実際にそれが可能かと言われれば不可能だとしか言えなかった。

 

 至近距離から放たれた攻撃は実に厄介極まりない物。ゆったりとした攻撃の様にも見えたが、それは龍玄の側で見た場合の話。

 攻撃を受けているステラの側で見れば、確実に体重が乗った攻撃は明らかに厳しい物だった。

 可能性があるとすれば、寸勁や発頸の類なのは間違いない。それは一輝が道場で戦った際に受けたそれが物語っている。寸勁が自在に使える以上は刃は必要ない。自身の拳がそのまま直撃すれば良いだけの話だった。

 攻撃の能力が高ければ、ステラも何らかの攻撃を受けていると判断するはず。しかし、それが感じないのであれば、身体強化の力を逆手に取った攻撃なんだと考えていた。

 毒の様にじわじわとステラの肉体をダメージを蝕んでいく。恐らくはそれが敗因だと考えていた。

 ステラは実際にそれを感じ取っているのだろうか。そんな取り止めの無い考えが一輝を支配していた。

 

 

「どうしてそう思うの?」

 

「だって、どれ程努力してもリュウには追い付けなかった。それどころか子ども扱いされてる様に感じたから………」

 

 これ程までに落ち込んだステラを一輝は見た事が無かった。確かに傍から見ても、あの戦いはステラの完敗でしかない。接近され、投げ飛ばされた時点で全ての決着は完全についていた。

 これまでの戦いの中で無手の対戦経験はあったかもしれない。しかし、そんな経験ですら陳腐だと言わんばかりの攻撃は、一輝とて同じ結果になるかもしれなかった。

 

 

「多分だけど、ステラと龍の考え方が違うのかもしれない」

 

「違う?それって……」

 

 縋る様なステラの表情に一輝もまた口にした事が本当に正しいのかを図りかねていた。

 過去に一度だけ道場で戦ったからなのか、これはあくまでも自分の主観による考え。それが正しいと言う保証はどこに無かった。

 それと同時に、もう一つ思い浮かぶ事がある。本当にそれを口にしても良いのだろうか。一輝は逡巡した後、改めて口を開いていた。

 

 

「これは僕の主観なんだけど、戦い方の質の違いだと思う。少なくとも僕自身もまた道場で戦ったからこそ、そうかもしれないと思う程度の話なんだけど」

 

 前置きを置いた一輝は、自分の考えを改めてステラへと伝えていた。スポーツと武術の違いでもあり、また、そこに到達するまでの過程。少なくとも一輝でさえも経験した事が無い内容だった。

 それが本当に正しいのかは本人だけが知っている。少なくともこれまでの戦いの中で、龍玄はその考えを持っているのは間違い無かった。

 

 

「……でも、それが本当ならばって事よね?」

 

「うん。本人に聞いた所で何も言わないだろうけどね」

 

「私達、いえ。私には少なくともそれを口にする資格は無い。負けたのは事実なんだから」

 

 一輝が感じ取ったのは、少なくともこの予選会で龍玄が全力で戦っていない可能性が高いと言う事実だった。

 実際に全ての戦いを見た訳では無いが、少なくとも龍玄は固有霊装を顕現させはするが、それ以外の事は何一つやっていないのは間違い無かった。

 

 身体強化をすれば、当然ながら魔力の奔流を感知する事は可能となっている。それは魔力の潜在能力が低い一輝であっても感じる様な物だった。

 しかし、これまでの戦いを見た限りでは、龍玄が身体強化を使用しているとは到底思えない。となれば、これまでの戦いは全て自分の純粋な能力だけで戦って来た事になる。

 

 それと同時に、この考えはある意味では的を得ていると考えた部分だった。

 身体強化はあくまでも補助的な要因が強い。一輝はその能力を昇華させることによって自身の抜刀絶技でもある『一刀修羅』を作り上げている。時間制限があるのは純粋に一輝の魔力の資質が少ないからだった。

 これがC級以上のランクになれば身体強化は事実上、無意識の内に行使している。それが攻撃や防御にも影響している点だった。

 

 画面で見た龍玄はその気配は微塵も無い。一時期、一輝もまた無手の対策としていくつかを齧った事があったが、それのどれもが会得するのは困難な業が多かった。

 ステラを空中で弾き飛ばしたのは魔力ではなく、ただの(わざ)。言い換えれば、それを行使するのに魔力を必要としていない点だった。

 そんな技量があれば当然ながら魔力を行使する必要性は何処にも無い。だからこそ、一輝は龍玄が意図的に自分の力を制限していると考えついていた。

 少なくとも龍玄の性格を考えれば、簡単に話すとは思えない。

 それを理解したからこそ、ステラもまた自分には資格が無いと感じ取っていた。

 

 

 

 

 

「それと、この予選会の試合数はもう殆ど残されていないんだ。だから、ステラはまだ勝ち残れる可能性がある」

 

 この時一輝とステラは気が付いていないが、理事長室では黒乃が同じ事を考えていた。

 純粋な数字だけを見れば無敗から順番にすれば何の問題も無い。しかし、内容となれば話は別だった。

 前半は失格が多かった龍玄は、後半は全試合に出場している。そして、それの殆どの試合が秒殺で終わっている点だった。

 実力の不均衡から来る結果は誰もが色々な思惑を持ったままに進んでいる。数値だけ見れば、現時点で出場できる人間は少なくとも一敗までは許されている状況だった。

 龍玄との戦いがステラの最終戦。当然ながらステラはこれから起こる結果を見守るしかなかった。

 自分の手ではどうしようもない事実は、ただ祈る事だけしか出来ない。実力があるステラからすれば、この状況は随分と歯痒い物だった。

 

 

「そうね。もう試合が無いなら、私は見守るしか出来ないのよね」

 

「ステラには歯痒いかもしれないけどね」

 

「でも、これもまた経験だと思うの。一輝と会う前、ううん。その後もそうだけど、少なくとも私はこの予選会で負けるイメージは持っていなかった。A級がどうとかなじゃい。私自身がこれまで学んだ剣技を持って勝ち続けてきたからだと思う。でも、それだけでは間違いだった」

 

 ゆっくりと自分の記憶を整理するかの様にステラは自分の思いを吐き出していた。

 無意識のうちに手の力が入り、シーツに皺が出来る。口では落ち着いているが、内心は怒りに染まっているのが一輝も見て取れていた。

 

 

「ねぇ、私はこの国に来たのはサムライリョーマの故郷だったのもあったけど、それよりも自分を高める事が出来るのかを体現したかっただけなの。前にも言ったかもしれないけど、A級だからって、才能があるからだって言われてるのが辛いのよ。だからこそ、自分なりに努力してきた。才能なんて言葉だけで片付けられない程に………でも、リュウはそんな風には感じる事が無かった。これまで私がしてきたのは本当に努力だったのかな」

 

「それは紛れも無く努力の成果だよ。確実な結果だけを望むから努力したじゃなくて、努力した末にあるのが結果なら、無駄な事をしたとは思えない」

 

「でも………」

 

「それと、一つだけ勘違いしてる事があると思う。努力をしたら、必ず報われる訳じゃないんだ」

 

 龍玄との戦いはある意味ではステラの考えを破壊する程の威力を持っていた。

 これまでステラが散々言われた『努力は才能の前には適わない』の言葉。母国に居た頃、散々聞かされた内容だった。

 ここに来てから初めて才能を持った事に感謝はしたが、実際にはそれ以外の収穫もあった。

 しかし、そんなステラが経験して来た事を一輝は何の躊躇も無く言い捨てる。

 

 才能だけでなく、これまで積み重ねてきた努力すら違うと言われた様な戦いはある意味では衝撃的だった。弱気になりたい訳では無い。手も足も出なかった一方的な戦いは自分のアイデンティティすらも奪い去ろうとする程だった。

 だからなのか、突然言われた一輝の言葉にステラは顔を見るだけに留まっている。その言葉の真意が何なのかは一輝の話を聞くしか無かった。

 

 

「僕はこれまでに色々な道場に忍び込んで、奥伝と言われた物なんかを模倣してきた。でも、その奥伝が本当なのかと言われれば何とも言えない。龍には言われたんだ。剣の理が未だに分からないんだ。ひょっとしたら間違った方向に進んでいるのかもしれない。でも、それだけが本当の意味で正しいとは思わないんだ。短時間で身に付ける事が出来るのは本当の意味での奥伝じゃないんだと思う」

 

 一輝の言葉にステラは改めて自分と言う者を客観的に見ていた。これまで身を焼かれながら身に付けた物は本当に正しい道を歩んでるなんて考えてやってきた訳では無い。

 一度決めた道を只管突き進む。その先にあるのが自分が求める道なんだと改めて思い出していた。

 そんな一輝の言葉にステラの目には再度光が戻っていた。

 

 

 

 



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第36話 強襲

 まだ陽光が世界に姿を現すまでには少しだけ時間が必要だと思う頃、刀華はまだ眠っている部屋の相方でもある泡沫を起こさない様にひっそりと準備をしていた。

 あの戦いを見て理解したのは、自分の実力や存在がそれ程大した事は無いと言う事実だった。

 

 確かに今の刀華にとってKOKや闘神リーグの上位は手が届く存在ではない。魔導騎士ランクのクラスだけが誇れるのは上位ではなく、下位や中位の一部だけ。冷静に考えれば『特別招集』に集まった人間の大半はそうだった。

 

 戦場と整えられた闘技場ではそもそも前提が大きく異なる。幾ら不意討ちや騙し討ちが可能な闘神リーグであっても、自身が体験した戦場からは遠く離れた存在だった。

 まだ七星剣武祭が終わっていないが、実際に三年次の人間はそろそろ卒業後の進路も視野に入れる時期に差し掛かっていた。

 当然本戦での成績が良ければ更なるステージに行く事も不可能ではない。刀華自身もまた似たような事を考えていた。

 それだけではない。自身が育った『青葉の家』の人間もまた刀華には期待していた。

 

 昨年の成績から鑑みれば、今年は更に上を目指す事も不可能ではない。そんな期待もまた背負っていた。

 そんな中で最大の障害となるのは、間違い無く風間龍玄の存在だった。風魔四神の一人でもある青龍。裏の人間であれば誰もが知る程のビックネームだった。

 まともに戦って五体満足で生き残れた人間は皆無。仮に生きて戻れた人間もまた廃人となっていた。

 そんな人間に対し、これからやるのはある意味では無謀な物。戦場では無いが、それでも今の刀華にとってはある意味では戦場に赴く心境となっていた。

 まだ暗い時間帯ではあるが、日の出の時間まではあと十分程度。場外乱闘の戦いがどんな物になるのかは分からないが、今の刀華は既にそんな事すら無意味とばかりに龍玄がいるであろう場所へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナちゃん。風間君って普段はどんなスケジュールで動いてるか知らない?」

 

「刀華さん。まさかとは思いますが………」

 

 誰も居ない事を確認したからなのか、刀華はカナタに徐に確認していた。

 実際にステラの戦いを見た後の刀華の心情は穏やかではなかった。

 幾ら鳴神を振ろうが、ステラを翻弄したイメージは頭の中にこびりついている。実際に自分が同じ立場だったらどうなんだろうか。そんな取り止めの無い事だけがぐるぐると渦巻いていた。

 

 破軍学園序列一位や昨年の七星剣武祭ベストフォーの肩書は全く意味を成していない。本当の意味での強者が居ない戦いは無意味だと思う程だった。

 昨年の負けた相手は結果的には優勝したが、それはあくまでも自分の間合いから完全に外れた所からチマチマと攻撃した結果だった。

 クロスレンジから逃げながらの勝利。当然ながら幾ら刀華が何を言った所で試合の結果が全てを物語る。だからこそ、今年はその復讐(リベンジ)と言わんばかりにロングレンジからミドルレンジの間合いの対策を練っていた。

 しかし、その対策でさえもあの戦いを見た後では陳腐にしか思えない。対戦した相手には申し訳ないが、刀華もまたこの予選会で相対すればと考えていた。

 しかし天の配剤か悪魔の悪戯なのか、龍玄と対峙出来たのはカナタだけ。実際にカナタもかなりの手練れではあるが、そこから先に関しては敢えて何も考えなかった。

 

 

「私の最後の相手は風間君じゃない。だからと言って、黒鉄君には手を抜く訳じゃないから」

 

「ですが、場外乱闘が知れれば刀華さんは………」

 

 カナタが心配するのは当然だった。

 刀華自身がこの戦いをどれだけ渇望しているのかはカナタとて理解している。当然ながら本戦に出場する為には相応の勝ち星もまた、必要だった。

 実際に今の刀華の立ち位置であれば本戦の出場は見るまでも無い。

 残された試合は後一つ。仮に負けたとしても最後の星取でクリア出来るのは間違い無かった。

 だからこそ、カナタとて態々場外乱闘の様な戦いを望む刀華を諫めるしかない。仮にこれが元で処分されればその出場すらも危ぶまれる。態々危険を冒してまで龍玄との戦いを熱望する意味が解らなかった。

 

 

「カナちゃんには悪いけど、これはある意味では私の個人的な物なの。心配してくれるのは有難いけど、私は今のまま前に進む訳には行かない」

 

「………その気持ちは変わらないのですね」

 

「ごめんなさい。我儘を言ってる自覚はある。そしてその結末もまた……」

 

 刀華はそれ以上口にする事は出来なかった。実際に口にしようとしたのは龍玄との戦いの結末。全力で闘うのかは分からないが、それがどんな結末をもたらすのかを口にすれば本当にそうなる予感がしたからだった。

 誰もが負ける前提で戦いを起こす事はしない。相手が強大だと認めているからこそ、刀華はその先を言わなかった。

 

 

「………分かりました。であれば、私が話したと言って下さい」

 

「有難う。カナちゃん」

 

 刀華の表情はこれまでに無い程真剣な物だった。

 実際に予選会でも真剣に戦っているが、少なくともこんな刀華の表情をカナタは見た事が無かった。その結果がどうなるのかは大よそながらに予測出来る。

 だからなのか、カナタもまた人知れず手を打つ事を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何時もと変わらないはずの運動量はまるで周囲を気にする必要が無いと思える程の内容だった。二本の脚がしっかりと掴む事が出来る場所であれば、龍玄の行動を妨げる様な事は無い。それが水面だろうが壁面だろうがそこに差は無かった。

 既に手慣れた行動だからなのか、その動きに澱みは無い。準備運動代わりに動いた後に待っていたのは武器を使用した鍛錬だった。

 毎回無手ではなく、刀や槍も使う。手に馴染む程に繰り返す事によって、一つの動きを完成させていた。

 時折舞う木の葉は無抵抗の如く裁断される。本来であれば従来の刀とは程遠いはずのそれは、今の龍玄にはどこか似合っている様だった。

 

 

「俺に何の用だ?」

 

 誰も居なはずの空間に龍玄は呟くかの如く声を発していた。

 周囲を見た限り、人の気配は何処にも無い。ここに誰かが居れば、独り言をつぶやいている様にも思える程。その言葉の後にも拘わらず、人が出てくる気配は何処にも無い。だからなのか、龍玄は敢えて隙を作るかの様にゆっくりとした動きで相手を誘っていた。

 

 何も無いはずの空間から飛び込んで来たのは雷をイメージさせる斬撃。物理的な攻撃では無い為に、これに対しては回避するしか手段は無かった。

 断罪するかの様な刃はそのまま龍玄へと向かっている。

 一方の龍玄もまた同様に、不可視の刃をそれに向って放っていた。

 互いが作り出すエネルギーは反作用するかの如くそのまま消滅する。未だ消える事の無い気配に、龍玄もまた視線を動かす事なくある一点だけを見ていた。

 

 

「賊か………」

 

 まるで納得したかの様に龍玄は再度、不可視の刃を先程放たれたと思われる場所へと飛ばす。その瞬間、龍玄の姿は消え去っていた。

 

 

 

 

 

(まさかとは思ったけど)

 

 刀華は自身が放った雷の刃がまさかあんな形で消滅するとは思ってもいなかった。

 少なくとも自分が知る中では龍玄があれ程刀を使いこなすとは思っていない。だからこそ奇襲をかけるかの様に攻撃し、回避した瞬間に飛び込むつもりだった。

 互いの刃がそのまま消滅した瞬間、刀華の首筋には冷たい物が疾る。それは勘による危険察知だった。

 油断する事無くいつでも同じ攻撃が出来る様に納刀し、態勢を整える。その瞬間、飛び込んで来たのは不可視の刃だった。

 自身の服が汚れる事も構わないとばかりに地面に転ぶように回避する。その瞬間、刀華の視線の先には龍玄の姿は見当たらなかった。

 

 

「くっ!」

 

 息が漏れたかの様に出た言葉は今の状況を物語っていた。

 視界から消え去った龍玄がどこに向かうのかは刀華にも予測出来ない。本来であれば直ぐにでもその場から移動し、索敵するはずだった。

 しかし、先程と同様に再度首筋に冷たい物が疾る。鳴神を防御に使うように首筋に這わせたからなのか、その近くでは必殺の刃が停止していた。

 

 重く鋭い衝撃に声が漏れる。この時点で誰が襲撃したのかはバレていた。

 次に待つのはこちらの反撃か相手の追撃。その選択肢を選ぶ事もなく、襲撃者はその場から退避していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか序列一位ともあろう人間が、こんな俺に奇襲をかけるとはな」

 

 刀華の視線の先には既に龍玄が納刀したままの刀を手に佇んでいた。既に交戦状態である以上、その場に留まるのは愚策でしかない。それは刀華よりも龍玄の方が理解しているはずだった。

 一度の交戦で互いの存在は既に知っている。その真意を確かめるべく龍玄は動く事無く刀華の前に立ちはだかっていた。

 

 

「まともに話しても戦ってはくれないでしょ」

 

「当然だ。俺に何の利がある?」

 

「だからよ!」

 

 お互いが対峙した距離はそれ程開いている訳では無かった。距離にしておよそ五メートル程。一足飛びで動くにはそれなりの距離だった。

 刀華は固有霊装である為にその所在は簡単に変更する事が出来る。それに対し、龍玄の持つそれは霊装ではなく純粋な刀。

 納刀した状態である以上は、それなりの手順が必要となっていた。

 

 一旦消滅させたかと思った瞬間、再度顕現した霊装は既に納刀状態となっていた。ここからやるべき事は自身が珠雫と戦った際に使用した業。抜き足からの飛び込んだ抜刀術だった。

 龍玄の反応速度がどれ程なのかは刀華は何も知らない。少なくとも自分と同等レベルだと当たりを付けたからなのか、その体躯は一気に最高速へと加速していた。

疾駆した瞬間を見たにも拘わらず龍玄は何の反応も見せない。このまま終わるはずは無いとは思っても、何も動かないのであればこのまま斬り捨てるだけだった。

 

 詰まる距離と同時に鞘の中には雷を応用したかの様に電磁誘導させていく。ここから放たれる抜刀術は自身の二つ名の語源ともなった雷切だった。

 鞘から白刃が煌めく。まさにその瞬間、不自然だと本能が察知していた。

 抜き足からの加速をした体躯を強引に動かす。無理矢理動いた為かその態勢は完全に死に体だった。

 その瞬間、先程まで自分が居た場所に予測不明の斬撃が飛ぶ。それは刀華自身が予測しない程の速度だった。

 

 

「へぇ、よく躱せたな。あのままだったら右腕が吹き飛んだはずだったんだが」

 

 龍玄はそう言いながらも再度納刀していた。刀華が回避出来た事を賞賛はするが、その目に笑みは無い。既に討伐対象だと判断したからなのか、刀華を映すその目には既に光は無かった。

 

 

()が誰に刃を向けたのかを知るんだな」

 

 言葉に感情が乗る事は無かった。まるで死人の様な雰囲気に刀華は僅かに気圧されていた。

 これまで特別招集の名の下に幾度となく戦場に足を運び、その都度敵を屠って来た。中には手練れの人間もいたが、それもまた全てを斬り伏せていた。

 初めて敗北を味わったのは小太郎と対峙した時だけ。二度の敗北は刀華の矜持を傷つけたかの様に思っていた。

 しかし、小太郎の技量がどれ程なのかを理解したからなのか、その遠い背中は近づくのはおろか、確実に離されて行く。だからこそ、自分の立ち位置がどれ程なのかを確かめるべく刀華は半ば奇襲じみた戦いを龍玄に挑んでいた。

 

 それに対し、龍玄もまた小太郎と同様だった。それどころか、既に状況は最悪の状態に変化している。完全に敵として認定したからなのか、龍玄の中で刀華はその辺の有象無象と同じだと判断していた。

 

 

「思い通りにはさせない」

 

 刀華もまた学内の序列の事など完全に頭の中から離れていた。自身が持つ最大の攻撃が事実上潰された事に違いは無い。しかし、戦いは最後までその場に立っていた人間が勝利する。だからなのか刀華もまた龍玄の攻撃を迎撃すべく、白刃を龍玄に向けていた。

 互いの中間距離で剣戟だけが鳴り響く。寮からは距離がある為に周囲に響く事は無い。それを分かった上で強襲した為に、刀華もまた遠慮する事無く自身の力を発揮していた。

 一合、二合と互いの刃が交差する。本来であればこのまま一気に押し切れると判断するが、刀華は剣戟をこなしながらも冷静だった。

 先程の初撃を忘れた訳では無い。あの抜刀速度は少なくとも自分と同等か、僅かに下の様にも感じていた。しかし、今はどちらかと言えば互角に近い。違和感を持ちながらもそれが止まる事は無かった。

 

 

「この程度か?」

 

 音だけを聞けば激しい剣戟ではあるが、実際にはまるで演武の様にも見えていた。

 鋭い一撃は全て回避され、反撃の刃もまた紙一重で回避する。傍から見れば事前に打ち合わせていた殺陣の様にも見えていた。そんな中での龍玄の言葉。まるで刀華の秘めた内情を覗き込まれたかの様な感情が背中を疾っていた。

 それと同時に今の状態が膠着しているとは思えない。刀華は本能に従うかの様に最後の攻撃を態と大きく取る事によって距離を取っていた。

 

 

「何だ?ままごとは終いか?」

 

 まるで獲物を見るかの様な視線に刀華は龍玄の持つ刃に視線を動かしていた。先程までの剣戟であれば刃こぼれの一つもあるはず。少なくとも自分の固有霊装では刃こぼれはしないからなのか、こちらが優位に立てるのかを確認していた。

 しかし、それは刀華にとっての最悪の回答。龍玄の持つ刃に刃こぼれはおろか、先程までの剣戟すら無かったかの様に煌めいたままだった。

 

 

「まさか」

 

 短く発した言葉と同時に刀華は再度攻撃の手段を組み替えていく。こちらの見立てが間違っていなければ先程の攻撃の全てが文字通り鎬で凌がれた事になる。その時点で龍玄の技量が自分よりも上である事を理解していた。

 抜刀術ではこちらに分があるはず。少なくとも刀華が持っていたイメージはそれだった。確かに襲撃前の抜刀術を見ればかなりの技量である事は伺しれている。しかし、それだけでは判断出来ないのもまた事実だった。

 

 刀身を見ればその技量は嫌が応にも理解出来る。ここに来て完全な情報不足のままに挑んだ事を刀華は後悔していた。だからと言ってこのまま見逃してもらえる道理は何処にも無い。刀華は再度攻撃の手順を考えながらも間合を計っていた。

 

 

 

 

 

「改めて聞くが、死ぬ覚悟は出来てるだろうな」

 

 死神の声の如き言葉は刀華の心臓を握るかの様な錯覚を覚えていた。

 風間龍玄と対峙するのは即ち風魔と対峙するのと同じ行為。勿論、刀華もまたその事実を間違い無く理解していたつもりだった。

 

 実際に伐刀者の殆どは自身の固有霊装と同じ武器を得意とし、それに関しての研鑽を積んでいる。当然ながら刀華もまた同じ感覚だった。

 二兎追う者は二兎を得ず。それはある意味では不変の考えでもあり、伐刀者としての常識だった。

 

 時に常識は邪魔をする。今の龍玄はその常識の枠からはみ出た存在だった。

 基本となるべき体術がどれ程のレベルなのかは理解している。しかし、それ意外の技量もまた枠からはみ出ているのは完全な想定外だった。

 少なくとも、この数合で技量は自分と同等、若しくはそれ以上である事は間違い無い。本来であれば穏やかな平和を象徴するはずの学園の裏は、人知れず戦場と化していた。

 目の前の相手は最悪の敵。この場に於いて手加減されるなどとは思う事すら無かった。

 

 

「自殺願望なんて持ってないから」

 

「成程……覚悟は出来てるんだな」

 

 お互いが対峙しているからなのか、不意に龍玄の雰囲気が変化した様に刀華は感じていた。

 これまでと何が違うのかまでは分からない。少なくとも殺気を纏う様な雰囲気は微塵も無かった。

 閃理眼で見る龍玄には大きな変化は見られない。しかし、視覚情報だけに頼るのは悪手だと考えているからなのか、刀華は視覚よりも自分の伐刀者としての本能を優先していた。

 対峙してからそれ程時間が経過する事は無かった。実力が拮抗しているのであれば様子見もまた戦略ではあるが、実力に差がある場合はその限りではない。

 刀華は視覚情報ではなく本能に従って徐に抜刀していた。

 

 白刃が僅かに煌めいた瞬間、刀華は先程の様に冷たくなる感覚ではなく、全身が総毛立つ感覚に支配されていた。

 本来であれば抜刀する事によって攻撃を凌ぐ。これがこれまでの刀華のスタイルだった。

 事実、龍玄もまた行動はしているが、その抜刀速度は自分よりも若干遅い。少なくとも視覚情報ではそうなっていた。

 しかし本能を優先した事によって鳴神は抜刀する事無く途中で止める。

 気が付けば刀華を狙う白刃は既に眼前にまで迫っていた。

 先程までとは違い、この斬撃は不可視の刃を纏っていない。刀華はそう判断したからなのか、振り下ろされる刃をギリギリで見切っていた。

 ここからは自分の番。再度刀華は鞘から抜きかけた瞬間だった。

 

 地面を叩くはずの刃が自分の顎先に向かって跳ね上がる。まさかの攻撃に刀華は自身が着ていた服の全面が完全に切り裂かれていた。

 逆袈裟の様に斬られた先には自身の鮮血が舞う。辛うじて止まったからなのか、服は下着まで完全に斬られていた。

 赤を生み出した刀傷はそのままの勢いで体内から噴出する。鮮血が舞った事によって刀華の胸を中心とした前面は赤く染まる。反応出来たのは単なる偶然だった。

 

 

 

 

 

「……えっ」

 

「何を驚いている?」

 

 刀華の返事を待つ事無く龍玄は更に斬撃の回転数が上がり出していた。

 これまでは互角だったはずの剣戟は完全に押し込まれている。今の刀華に出来るのは襲い掛かる斬撃を回避か防ぐ事だけだった。

 それと同時に、疑問だけが脳内を過る。何一つ変わった事をしている訳では無い。身体強化すら使用しない攻撃は完全に刀華を封じ込めていた。

 止まらない斬撃。今の刀華にとって死の舞踊は既に終焉を迎えようとしていた。

 実像と虚像を混ぜた剣戟は胸の部分だけでなく大腿をも斬り裂く。動脈までは達してはいないが、浅いとは言えない。

 動き続ける事によって噴き出す血液は刀華の体力だけでなく気力もまた奪い去っていた。

 

 

「誰にしかけたのかを後悔して死ね」

 

 同じ抜き足の技術でも龍玄のそれは完全なる一級品だった。

 隙を完全に無くす事が抜き足を防ぐ唯一方法ではあるが、今の刀華にはそこまで気を配る事は出来なかった。

 既に閃理眼の効果を期待する事は出来ない。気配すらも完全に遮断したからなのか、刀華の網膜に龍玄の姿は映っていなかった。

 刹那の攻防に見失うのは、完全なる敗北を意味する。少なくともこの戦いに於いては死と同列だった。

 刀華の白い首筋に白刃が迫る。未だ気が付かない刀華の命の灯はここで潰えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい。どう言う意味だ」

 

「水を差す様で悪いけど、ここはこれで終わりよ」

 

「言葉の意味を理解しているのか?」

 

「分かってるわよ」

 

 刀華の首筋に刃が届く直前、その斬撃を止めたのは一つの鉄扇だった。

 甲高い音を出した瞬間、これまでの死の臭いが嘘の様に消え去っていく。

 刀華は覚悟していたからなのか、その場で足から崩れ落ちていた。

 

 

「風魔に敵対する人間は鏖殺のはずだが?」

 

 龍玄を止めたのは朱美だった。

 鉄扇は朱美の固有霊装。それを見たからなのか、龍玄もまたそれ以上の攻撃をする事を止めていた。

 当然ながら逆らう人間を処分するのがこれまでのやり方だったはず。だからなのか、龍玄の朱美を見る視線は厳しい物だった。

 

 

「小太郎様からの命令よ」

 

「あの、糞親父がか?」

 

「ええ。私はただ頼まれただけだから」

 

 この場には刀華を除けば龍玄と朱美しかいない。本来であればこのまま処分するのが当然のはずだった。

 しかし頭領でもある小太郎の名が出た以上は引くより無い。自然と龍玄の視線は説明しろと言わんばかりに変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの女は何を考えてるんだ?」

 

「少なくとも私達ではあり得ない感情に間違いないわね」

 

 朱美の説明は極めてシンプルだった。今回の戦いを止めたのが小太郎である以上はそこには何らかの思惑が存在する。

 龍玄は何も聞いていない為に詳しい事は分からない。事実、同じ風魔の組織の中でも全ての情報が完全に統一されている訳では無かった。

 基本的に四神は独自の判断で動く事が殆ど。その為に、互いの利が絡めば共闘するが、それ以外に関しては驚く程に冷淡だった。

 これが普通の組織であれば確実に空中分解する。しかし、小太郎に限らず、今代の代表はそれなりに話せば通じる部分があった。

 だからこそ、朱美の取った行動の裏には小太郎以外の何かが関与しているのは間違い無い。大よそならがに理解したからなのか、龍玄は再度朱美に詰め寄っていた。

 

 

「で、本当の部分では?」

 

「決まってるでしょ。嘆願されたのよ」

 

「また、生かされたって事か」

 

 極秘裏に運ばれたのは貴徳原財団が経営する病院だった。今回のこれが何を意味しているのかは分からなくとも、朱美の言葉に龍玄もまた理解していた。

 嘆願と言うのであれば誰かが依頼している。それが誰なのかもまた言うまでも無かった。

 

 

「そうね。でも、私も今回の件に関しては本当に聞かされていないのよ。私だって急遽駆け付けたんだから。責任とって欲しいくらいよ」

 

「俺に言うな。こっちは賊を始末するだけなんだからな」

 

 実際に刀華の症状はIPS再生槽に入ればそれ程時間がかかる様な物ではなかった。

 刀華がどう思っているのかは分からないが、龍玄はある程度手加減をしていたからだった。

 

 通常の戦場であれば即座に頸を落とすが、今回に関しては刀華が仕掛けた事による第三者の可能性を考えたからだった。

 万が一操られているのであれば、その背後関係を調べる必要が出てくる。何も知らないと仮定しても、最低限の情報は手に入る。その為に龍玄は様子を見る事にしていた。

 事実、不可視の刃が発動したのは最初と最後だけ。背後に何も無ければそのまま終わらせるつもりだった。

 その為に、最後の攻撃は直撃こそ朱美によって阻まれていたが、不可視の刃はそのまま消滅する事無く刀華の首筋を襲っていた。

 衝撃がそのまま肌に伝わった為に、運ばれる際には首筋からも赤いそれが刻まれている。

 朱美が止めなければ完全に胴体と別れていたはずだった。

 

 本来であれば伐刀者の負傷に関しては一定以上の場合、届ける必要があった。一般人とは違い、安易に人の人生を終わらせる事が出来る。だからこそ殺傷沙汰の場合には即時報告をしなければ被害が拡大する可能性があった。

 本来であれば学内の再生槽を使用するのが一番だが、場外乱闘が知れれば確実に刀華には何らかの罰則が付く。仮にも学内序列一位。当然ながらその処分が重い物になるのは当然の帰結だった。

 だからこそ極秘裏に事を運ぶ。普段であればどこか余裕を持っている筈の朱美もまた、少しだけ機嫌が悪かった。

 

 

「お手数をおかけしました」

 

「で、何のつもりだったんだ?俺の行動パターンを知ってるのはお前しかいないはずだが」

 

 二人の言葉を遮る様に出た謝罪の言葉はカナタの物だった。

 龍玄が言う様に朝の鍛錬のジスケジュールは本人以外にはカナタしか知らない。

 厳密にはカナタでさえも詳細を知っている訳では無く、偶然出た話の中からの推測による物だった。

 場所が場所なだけに三人以外の人の気配は存在しない。突然のカナタの言葉に龍玄は内心またかと思っていた。

 

 

「それに関しては申し訳ないと思います。私とて風魔に敵対するのがどれ程危険なのかは理解しています。それでも尚、そうしたのは……」

 

「待て。それ以上はお前の口から聞く必要が無い。あれが目覚めたら聞くつもりだ。で、今度は何を契約したんだ?」

 

「それは…………」

 

 カナタの言葉を遮った龍玄の質問に、カナタはどうした物かと考えていた。

 恐らくは確実な回答をしない事には今後の信用にも関係する。

 しかし、その内容をそのまま口にするのはカナタにとっても憚られる。時間を考えれば刀華の治療はそれ程時間がかからない事は医者からも聞いていた。

 言い淀めば淀む程カナタもまた立場が悪くなる。自身もまた理解しているからなのか、カナタの視線は不意に朱美の下へと動いていた。

 

 

「詳しくは契約よ。知っての通り、小太郎様から下知が来た以上は直接聞いてみたら?特に実害は無いんだし」

 

「朱美。まさかとは思うが、お前も契約の内容を知っているのか?」

 

「さっきも言った通りよ。急遽来る事になったんだから知る訳がないじゃない」

 

「……………まぁ良い。糞親父に聞いた所で素直に言う訳が無いからな」

 

 朱美の態度を見れば何らかの形で関与しているとは思うが、契約である以上は龍玄もまたそれ以上何も言えなかった。

 既に時間がそれなりになり出している。朝の鍛錬の時間がまだ早かった事から、今から戻れは朝の時間には間に合う頃だった。

 

 

「………カナタ。お前はどうするつもりだ?」

 

「刀華さんの治療が終わるまではここに居ます。学園には私用で遅れると言えば問題ありませんから」

 

 カナタは会社と自身の立場を事前に破軍にも伝えてあった。

 事実、特別招集による出動が絡めば必然的に単位の問題が出てくる。それと同時に、家の用事もまた時には平日の昼間になる事もあったからなのか、会社を設立した時点で届けてを出していた。

 本来であれば認められるはずがない内容ではあるが、カナタの個人的な事情を黒乃もまた汲んだ結果だった。

 今回の件に関しても既に根回しが終わっているはず。でなければ刀華の件もまた問われる可能性があったからだった。

 

 

「そうか。何をどう考えているのかは知らんが、次は無い。自身の命を対価にするなら死人となって来るとあの女には伝えておけ。でなければ住む世界が違い過ぎる」

 

「分かってます。それに手加減していた事も」

 

「……そうか」

 

 刀華の容体がどうなろうと龍玄にとってはどうでも良かった。

 実際に先制した物を迎撃しただけの話。刀華には無数の刀傷があるが、龍玄は何一つ無い。それが互いの示す技量の違いだった。

 これまでにも敵対した人間は何かと篭絡しやすい戦術を取ってきている。

 カナタや刀華は知らないが、これまで幾度となく死線を潜り抜けているのであれば当然の行為。これが学内での試合であれば気にするのかもしれないが、龍玄にとってはごく日常とも言える内容だった。

 足音と共に遠ざかる。姿が見えなくなったからなのか、カナタも少しだけ溜息が漏れていた。

 

 

 



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第37話 反省

 ぼんやりした目の焦点は徐々に周囲の状況を明確に映し出していた。

 自分が知る中ではこんな天井を見た事は一度も無い。当初は夢か幻かと思われたが、上体を起こした瞬間に出る激しい倦怠感がそれを否定する。

 時間と共に思い出す記憶。自分は龍玄に襲い掛かかったまでは良かったが、ものの見事に反撃された事がまだ鮮明に残っていた。

 

 

「気が付きましたか?」

 

「えっと……うん。大丈夫かな」

 

「外傷は全て治療が終わっています。ですが、今回の件は極秘裏でしたので、失った血液の補充は無理でした」

 

「ううん。私の我儘なんだから、カナちゃんが気にする必要は無いよ」

 

「ですが………」

 

 カナタの表情を見た刀華は少しだけ罪悪感が過っていた。

 龍玄を襲撃したのは完全な私事。本来であれば、この命が無くなる可能性があった事実は間違い無かった。

 実際に刀華が龍玄と戦った際に感じたのは、自分のやって来た事がまるで児戯であると思い知らされた事だけ。本来であれば自身の固有霊装以外の武器の使用が、あれ程の技量だとは思ってもいなかった。

 確かに居合いの瞬間は見た。あれが固有霊装以外の物である事を考慮しても、賞賛される程の物。だとすれば、自分が襲撃すれば嫌が応にも霊装を顕現するものだと考えていた。

 

 しかし、その刀華の思惑は直ぐに打ち砕かれる。少なくとも自身が対峙した記憶の中で、あれ程の使い手と対峙した経験は一度も無かった。

 実際に特別招集によってそれなりに戦場で戦った経験があり、その中には大剣や細身の剣の使い手とも戦って来た。

 勿論、全てを屠ったからこそ今の自分がここにある。当然ながら、それが刀華自身が持っていた矜持だった。

 しかし、そんな矜持は最初から龍玄の中では打ち勝つ為の要因にはなり得なかった。

 自分の霊装よりも早い剣戟は確実に自分よりも上の物。重量を感じない刀身よりも、本身の刀身を持つ龍玄の方が早いのであれば、刀華が勝つ道理は何処にも無かった。

 

 

「悪いのは私。それに朱美さんが出ているって事は私は風魔に敵対したとされてるのよね。カナちゃんにはこれ以上の迷惑をかける訳には行かないから」

 

「その件であればもう問題ありません。刀華さんが気にする必要は無くなりました」

 

「それって………」

 

 カナタの言葉に刀華は言葉に詰まっていた。

 風魔と敵対した今、それを抑える行為が何なのかは刀華自身が一番理解している。特別招集で戦った戦場で、誰よりも一番その言葉の意味を理解しいてるのは刀華自身だった。

 当然対価は要求されているはず。自分の起こした事案にカナタを介入させる事がどんな意味を持つのかは考えるまでも無かった。

 

 

「でも、それってカナちゃん自身に…………」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ある意味では当初の目的でもありましたし、私自身がそれを望みましたので」

 

 カナタの住む世界がどんな物なのかは刀華は知っている様で知らない事が殆どだった。

 実際に刀華自身が過ごしてきた若葉の家も貴徳原財団の経営によって成り立っている。

 『高貴なる者の義務』以前に一度だけ聞いた記憶があった。当時は少しだけ困った様な表情をしていた記憶が刀華にもある。当時の表情が不意に思い出されていた。

 

 

「まさかとは思うんだけど……」

 

「刀華さん、これ以上は必要ありません。今回の件は我々貴徳原財団と風魔との契約によって成立した事ですから」

 

 普段とは違う雰囲気に刀華はそれ以上何も言えなかった。

 事の発端は自身の未熟さと迂闊さによって起こっている。当然ながら、自分が動く事によって起こる可能性を全く考慮しなかった結果だった。

 伐刀者ではなく、武芸者としての単純な摂理。弱い人間が強い人間に歯向かうには相応の力を示すよりない。たったそれだけの話だった。

 

 

「それに風間君は本気で刀華さんを排除するつもりでした。今回の件ですが、状況を見ますか?」

 

 そう言いながらカナタが渡したのは運ばれた当初の容体の所見表。専門用語ではなく、誰が見ても直ぐに分かる内容の物だった。

 裂傷は鎖骨付近から脇腹にかけて大きくあっただけでなく、大腿部の刀傷には動脈付近ではあるが重篤な問題ではないと書かれている。そして極め付けは首筋の刀傷だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の所見は最悪の内容だった。

 衝撃波によって裂かれはしたが、命の別状をもたらす可能性は低いと書かれている。その所見が正しければ、刀華は最後の攻撃まで手加減された事になっていた。

 

 

「………私は焦り過ぎてたのかな」

 

「どうでしょう。私には分かりません」

 

 書類に目を通した刀華は先程とは僅かに違っていた。何も考えない人間であれば舐めた真似をで憤るかもしれない。しかし、生き残ったのではなく生かされたとなれば既に自分の事など最初から眼中に無いのと同じだった。

 無意識で行う行為の事まで誰もが気にする事は無い。

 龍玄はただ飛んできた火の粉を容易く手で払っただけの話だった。

 龍玄でそれならば、小太郎は最初から相手にすらしない。こちらが幾ら気炎を上げようとも互いの意識には大きなかい離があるだけだった。

 だからこそ刀華は改めて今までの意識を元に戻す。それが出来たからこそ険が取れ、穏やかな表情となっていた。

 

 

「それと、今回の治療の件ですが、刀華さんはそれなりに血液を失っています。本来ならば増血する処置を取る事も出来ましたが、生憎と非公開を望まれると思いましたので、その処置はしていません」

 

「それは構わないの。私が望んだ結果だから」

 

 カナタの申し訳ない表情に刀華は今回の処置にをしてくれただけでも有難いと思っていた。

 伐刀者に治療を施す場合、本来であれば病院はそれなりに手順を踏む必要があった。

 固有霊装を展開すれば容易く命を奪う事が出来る。となれば、その人間が犯罪行為をしている可能性を秘めているからだった。

 

 幾ら国防における役割があろうとも、何をしても良い訳では無い。IPS再生槽は伐刀者だけでなく一般人の治療にも役立つ為に解放はするが、伐刀者に関してだけは常に使用状況を報告する義務があった。

 例外は学内の使用のみ。しかし、それは理事長が許可した場合のみの話だった。

 当然ながら場外乱闘である為に使用する事は出来ない。ましてや今は一番神経が尖る時。

 それを考えたからこその処置だった。

 カナタの言葉から察すれば、この病院から国への報告は何一つされていない。それを理解したからこそ刀華はカナタに礼をしていた。

 

 

「では、やはり明日の試合には………」

 

「勿論、出るつもり。でなければ黒鉄君に失礼になる」

 

 迷いの無い言葉にカナタはそれ以上は何も言えなかった。

 実際に戦うのは自分では無い。それと同時に若葉の家の子供達も刀華が七星剣武祭の頂点に立つ事を期待しているのを知っているからだった。

 

 

「分かりました。では直ぐにここから出る事が出来る様に手配しますので」

 

「有難うカナちゃん」

 

 既に刀華の頭の中に龍玄だけでなく風魔の事は一旦は排除する事にしていた。

 だからと言って完全に忘れる訳にも行かない。カナタが何らかの取引をした結果、自分が生かされていると自覚している。

 恐らくは自分の未来の一部を切り払ったのかもしれない。既に退出したからなのか、病室には刀華だけが残っていた。

 そんな病室の外から不意に人の気配を感じる。返事はしないが、それが誰なのかは直ぐに分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「刀華。まさか風魔に敵対するとはな………」

 

「申し訳ありません。私が浅慮でした」

 

「まぁ、その事は過ぎた話だ。で、今後はどうするつもりだ?」

 

 刀華の病室に来たのは『闘神』と呼ばれた南郷寅次郎その人だった。

 まさかの来訪に刀華もまた驚きを隠せない。ここには極秘に運ばれたはず。様々な可能性が浮かんでは消えるが、今はそれよりも先に寅次郎の話を聞く事が先決だと判断していた。

 だからこそ突然の問いかけに答えが出ない。今後は何を意味するのだろうか。ただ戸惑うしかなかった。

 

 

「どう……とは」

 

(じじい)。その質問は漠然とし過ぎてるぞ」

 

「えっ…………」

 

 寅次郎の来訪だけでは無かった。声の主に間違いが無ければ、この声に該当する人物は一人だけ。

 既に外にまで来ているからなのか、すりガラスの向こう側には一つのシルエットが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「何だ?ちゃんと質問しただろうが。何が分からん」

 

「今後は何を意味するんだ?それを言わねば判断できんぞ」

 

「……そう言う事か」

 

 刀華の許可など取る事も無いと言わんばかりに男はそのまま部屋に入って来ていた。

 声の主は風魔の頭領でもある小太郎。まさかの登場に刀華は身動き一つ出来なかった。

 

 

 

 

 

「若いうちは腕試しをしたいと考えるのは間違いではない。だが、相手の力量を見誤るのは悪手だな」

 

「そうですね。今回の件で身を持って感じました」

 

 寅次郎の言葉に刀華は改めて自身の中で驕りがあった事を自覚していた。

 本来であれば学生の段階で戦場の派遣する特別招集は早々無い。破軍に限った話では無いが、他の学園からも戦場に出るのは稀だった。

 

 一言で伐刀者と言っても全員が戦闘要員として運用出来る訳では無い。

 仮に戦闘向けの固有霊装を展開したとしても戦いには向き不向きがあった。

 刀華もまた自身の努力の結果、今に至る。努力した結果が常に付いてくるのであれば、自分が困難を脱出出来れば更なる高見を望めると考えていた。

 事実、七星剣武祭での結果を見れば、それは明らかだった。

 自分が戦闘狂に近い事は自覚している。今回の顛末はこれまで歩んだ過程から来ていた結果。

 素直になればなる程、結果を渇望する。自覚はしていないが、刀華もまた戦いに魅入られた事によってその考えに歪みを生んでいた。

 

 

「刀華よ。才能にほれ込んだのは儂だが、だからと言って奢りは禁物だ。やはり、まだ戦場に出るには早かったのかもしれんな。お前は前回の戦場で何を学んだんだ?」

 

「それは…………」

 

 寅次郎の言葉に刀華はそれ以上は何も言えなかった。

 実際にその原因を作ったと思われる人間は寅次郎の隣に居る。しかし、冷静に考えれば小太郎は何も関係無かった。

 互いの立場から来る敵対はそれ以上でもそれ以下でもない。

 戦場で一度でも厳しい戦いを経験すれば身を持って学ぶ事になるが、生憎と類稀なる才能と努力によって構築された刀華の技術は常に昇華し続けていた。

 だからこそここに来て致命的なミスを犯す。それが単に遅いか早いかの違いだけだった。

 

 

「爺。偉そうに言うが、助長させた責任はお前にもある。そもそもなぜ特別招集を許した。こんな小娘が戦場に出るから奢りが生まれる。ならば当然の結果だろうが」

 

「それを言われるとな…………本当の事を言えば、こちらには何の話も無かったんだ」

 

「ほう………『闘神』を無視する様な輩が居るのか?小娘は爺の弟子なんだろ」

 

「……その件は迂闊だった。まさか黒鉄の倅がそうするとは思わなかったんでな」

 

「相変わらず、視野の狭いやつだな。あれが連盟の支部長とは彼奴も苦労するな」

 

「そう苛めるな。あれもまた気苦労が絶えんからな」

 

「あの……師と、そこの人は一体………」

 

 あまりの展開に刀華は何が起きているのか理解出来なかった。

 厳密には理解はしているつもりだが、事実を脳が拒絶している。

 自分の師でもある寅次郎と、恐らくは小太郎だと思われる人物が余りにも親しい事に驚いていた。

 関係性が全く分からない。だからなのか、二人の会話を遮る形で口を開いていた。

 

 

「こいつは、小太郎だ。お前が散々やられた…な」

 

「なぜ、師と………」

 

「こやつの先代からの付き合いだ。周囲には言うな。何かと面倒になるんでな」

 

 寅次郎の言葉に刀華はそれ以上は何も言えなかった。

 自分の師がまさか風魔と付き合いがあるとは全く知らない。これまでに自分が取っていた行動は一体なんだったのだろう。そんな取り止めの無い考えだけが渦巻いていた。

 

 

「小娘、そんな事はどうでも良い。お前がやった事に対してどうするのかと聞いたんだ。これからは何を目指す?」

 

「…………まだ、分かりません」

 

「心技体が揃わない未熟者の分際で色を出すからだ。そもそもお前程度の人間など掃いて捨てる程居る。羽虫程度の存在の一つが何を悩む」

 

 龍玄を強襲した事で分かったのは、自分とは明らかに何かが違うと言う事実だった。

 自分もまた戦場に赴き、生存した事で伐刀者としての経験を積んでいる。しかし、対峙した龍玄は更にその上を行っていた。

 人を殺める行為が精神に及ぼす影響は大きい。これが学生の範囲であれば決定的な差を生むはずだった。実戦経験の差は余りにも大きい。

 しかし、自分以上に死線を潜り抜けた人間からすれば刀華の経験など無に等しかった。

 当然、精神的優位に立てないとなれば、後は己の技量が全てとなる。しかし、その優位性もまた砂上の楼閣に等しい内容でしかなかった。

 そうなれば互いの優位性は消滅する。となれば、刀華には最初から勝ち目など存在しなかった。

 

 

「刀華よ。お前はまだ戦いだけに身を置くには早すぎる。焦った事によって心の部分が無いのであれば、そこに矜持は無い。お前が手に持つそれは何なんだ?ただの人斬り包丁か?」

 

「それは…………」

 

 寅次郎が何を言いたいのかは直ぐに理解出来た。実際に自分がやった事はただの自己満足の世界であり、そこにはそれ以外には何も存在したない。

 人斬り包丁と言ったのは、刀華の考えた先に何があるのかを説いた結果だった。

 激しく叱咤するつもりが無いからなのか、虎次郎の口調は穏やかな物だった。これが厳しく言われればまだ良かった。穏やかが故に刀華は自分が愚かであった事を悟っていた。

 

 

「恐らくはもう二度と無いかもしれんが言っておこう。周囲に迷惑をかけたと思うならば自分の事を改めるんだ。特に貴徳原の嬢ちゃんは心配していた。普段のお前はあんな状態なのに、どうして戦いになると視野が狭くなるかを知るが良い」

 

「……………はい」

 

 心が完全に折れたからなのか、寅次郎の言葉は刀華の心に染み渡る。

 自分の考えが幼稚だと理解したからなのか、そこに異論は無かった。

 刀華の双眸から無意識の内に透明な物が流れ落ち、シーツに染みを作る。後は自分との中でどうやって折り合いをつけるのかだった。

 

 

 

 

 

「爺。茶番はここまでにしろ。どんな形であろうと弟子の不始末は師が拭うのが当然だ」

 

「お前な……折角ここは良い場面なんだ。少しは遠慮したらどうだ?」

 

「阿呆が。少なくとも小娘と周囲の被害を止めたんだ。当然だろうが」

 

 小太郎の言葉に刀華の肩は不意に動いていた。先程の言葉に出た周囲の意味は何なのか。少なくとも風魔の伝聞だけを聞けば、今回の件は自分自身だけに留まらない。まさかとの考えと同時に視線は小太郎へと向いていた。

 

 

「我々に歯向かった代償が小娘の命一つなはずが無かろう。貴様の犯した代償の大きさを知るんだな。爺。俺は外で待つ。後は好きにしろ」

 

 それ以上は何も言うつもりは無かったからなのか、小太郎はそのまま病室を出ていた。

 元々寅次郎と小太郎が来た時点でカナタもまた退出している。この場には二人以外に誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風間君。刀華さんの件ですが………」

 

 既に帳が落ち、食事も終えた頃。カナタは唐突に龍玄に刀華の事を話しかけていた。

 実際に非があったのは間違い無い。その場にはカナタは居なかったが、病院から聞いた情報では刀華の病室にはそれなりに居た事は聞いていた。

 当然ながら誰が来ているのかを知っている。そうなれば話の内容が何なのかは考えるまでも無かった。

 

 刀華の事は師が何かをしているはず。そうなれば次に気になるのは当事者の一人でもあった龍玄の思惑だった。

 襲撃された事実を否定する事は出来ない。幾ら何の問題も無く下したとはいえ、殺意を持ったのは事実。

 だからこそ、カナタは龍玄がどう考えているのかを知りたいと考えていた。

 

 

「何が聞きたい?」

 

「今日、刀華さんの下に師でもある南郷寅次郎様()が来ていました。恐らくは今回の件での話だと思われます」

 

「で、俺とどう関係がある?」

 

 刀華の事を話題に出したものの、肝心の龍玄は何も変わらないままだった。

 実際にどんな戦いだったのかは分からないが、カナタの知る範囲で、互いの技量の差がかなり開いていた事だけは間違い無かった。

 あの後、カナタは朱美にも聞いたが、朱美もまた最初から居た訳では無い。

 呼び出された結果として戦いを止めただけだった。

 予選会の様な内容ではない。当然ながら互いにしこりがあると判断した結果だった。

 

 

「風間君は刀華さんの事をどう考えているのかと思ったので」

 

「……どうもこうも無い」

 

 テーブルの上に置かれた湯飲みを持つと、龍玄はそのまま淹れた緑茶を飲んでいた。

 カナタの表情は未だ強張ったまま。恐らくは龍玄とではなく風魔に対し、敵対した事実をどう考えているのかを知りたいのだろうと考えていた。

 

 部屋の空気に緊張感が漂う。恐らくは自分の見解を知りたいが為に切り出したのは、ある意味では当然の事だった。

 事実、刀華に限った話では無いが、自分の周辺に関連する人間の身辺調査は最初の段階で完了している。仮に何らかの問題が浮上した場合、速やかに全てを処分する為だった。

 

 下手に温情を残せば禍根は自分へと返ってくる。ならば最初から無かった事にすれば良いだけの話だった。

 事実、一輝の件で赤座の一家を根切にしたのはこれが主な理由だった。下手に人間を残せば未来に何が起こるのかが分からない。たかが任務の一つの中で起こった事に対し、いつまでも監視する事は不可能だからだった。

 当然ながら今回の件でも刀華の身辺調査は完了している。後は小太郎の思惑一つで実行するだけの話だった。

 しかし、肝心の小太郎が下した結果は一時預かり。組織の長が下したのであれば、龍玄と言えど早々に抗弁する事は無かった。

 そんな事実があるからこそ龍玄は刀華に対し、何の感情も抱いていない。一方のカナタはそんな実情を知らないからこそ、龍玄に確認する以外に方法が無かった。

 

 

「ですが、敵対した以上は何らかの措置があるはずです」

 

「措置……確かにそうだな。だが、今回は既にその件は終わっている。そもそもカナタが当事者となって糞親父と交渉したんだろ。俺がその内容を知らないのであれば動きようも無いんだが。

 それに、何を交渉したのかは別に知りたくはない。あの話からすれば朱美も何らかの事は知っているとは思うが、肝心のこっちにまで下知が無いならそれまでの事だ」

 

「ならば風間君自身は刀華さんに対し、蟠りは無いと言う事で良いんですか?」

 

「蟠りなんて最初から無い。自分より格下の人間とじゃれた程度で持つ程の物でも無い」

 

 龍玄の言葉に、カナタは内心はやはりと考えていた。学内では刀華が序列一位である為に、実質的には最強となっている。しかし、それが本当の意味で正しいのかと言われれば否としか言えなかった。

 龍玄は未だ予選会で抜刀絶技を使用していない。それ所か、今回の襲撃の際にも一切使っていなかった。

 得物として持っていた刀は鍛錬用の為に通常の物よりも重量がある。これで刀華の斬撃を凌ぐのであれば、実際に(かな)うはずが無かった。

 カナタもまたあの刀身がどれ程の重さなのかを知っている。

 以前に一度だけ持った際にはかなりの重量だった記憶があった。

 それを小枝の如く振るう。固有霊装と同等でやってのける斬撃は刀華をも凌ぐ程だった。

 だからこそ()()()()と表現した内容にカナタは反論をしない。それが誇張されたものではなく、単なる事実である以上は当然の事だった。

 

 

「気にされてないのであれば、特に問題はありません。幾ら三年とは言え、まだ夏ですから。今後はまだ顔を合わせる機会もあるかと思っただけです」

 

「そうか……ならばそう伝えておくんだな。それと言伝も頼めるか?」

 

「言伝……ですか?」

 

 突然の言葉にカナタは少しだけ考えていた。実際に何を話すのかは本人しか知らない。先程の言葉を正しく理解するのであれば言伝が何を意味するのかが解らなかった。

 

 

「ああ。大方ステラとの戦いで触発されただけだとは思うが、どちらにせよ力が足りないんだよ。その気も無いのに無暗に挑むな」

 

「その気………ですか」

 

「そうだ。それ意外には無いな」

 

 龍玄の言う、その気が何なのかはカナタにも分からなかった。

 実際に刀華だけでなくカナタもまた学生の身でありながらに特別招集の名目で戦場は何度か経験している。殺意が蔓延る現地では自信の命が脅かされる。

 当然、自分だけでなく相手もまた同じ事を考えるからこそ、戦場は多大なストレスがかかり、また弊害も多い。

 死線を潜り抜けた人間に対し、その気が指すのは大よそながらに何なのかはは分かるが、それもまた完全な正解では無い様な気がしていた。

 

 

「伝えるに当たって教えて下さい。その気とは何を意味するのですか?」

 

「そこからか…………その気は殺意と狂気だ。自分が戦っても生かされると思ってるから、あんな無謀な事が出来るんだよ。本当の意味での命のやりとりをしているならば選択肢としてはあり得ないんだがな」

 

 龍玄の言葉にカナタは自身の考えが正しい事が証明されていた。しかし、生かされると言う言葉の意味が分からない。戦場を知らなければ、言葉の意味は分からないでもないが、それでもやはり真意が何なのかはカナタとしても知りたかった。

 

 

「私達も戦場ではその気ですが」

 

「違う。前回の戦場でお前達は何を感じたんだ」

 

 龍玄の指す前回の戦場は、春先に起こった内乱の件だった。実際に刀華とカナタは特別招集で派遣され、結果的には生き残っていた。

 捕縛された当時は色々と思う部分もあったが、周囲の視線が自分達にあまり向いていなかった記憶だけがあった。

 だからこそ、言葉の真意を知りたくなる。カナタは龍玄が話の続きをする事を待っていた。

 

 

「戦場は綺麗ごとだけじゃない。命の危険は常に孕む。それにお前は女だ。その扱いがどうなるのかは分かるはずだ」

 

「ですが、国際法では……」

 

「ストレスの高い局地戦で法を護る人間がどれだけ居る?問題があれば始末するだけで終わるんだぞ。そんな場所で捕虜を護るなんて言葉は存在しない」

 

 事実、カナタも初めて敗北したのは春の特別招集だけだった。当時は覚悟はしたものの、結果的には何も起きていない。それは偏に法に護られていると判断したからだった。

 実体験がそれだけであれば誤認するのは無理も無い。だからこそ龍玄は警告とばかりに口にしていた。

 

 

「ですが………」

 

「ならば身を持って経験するんだな」

 

「え?」

 

 カナタが口を開いた瞬間、視界は一気に天井を向いていた。

 突然の景色に自分がどうなっているのかは分からない。気が付けば自分の使うカップは中身を零して床に転がっていた。

 僅かに視線がそちらに向く。その瞬間、カナタは一気に押し倒されていた。

 

 何が起こったのかが理解出来ない。完全に動揺したからなのか、気が付けば龍玄は自分の身体の上に跨っていた。

 腕は手を挙げた形で完全に拘束され、足もまた龍玄は器用に自身の脚で拘束している。声を出そうにも押し出された威圧で喉が機能を失った様に感じていた。

 カナタは突然の出来事に呆然としている。一方の龍玄はまるで気にする事なくそのままカナタの服を引き裂いていた。

 引き裂かれる布の音とボタンが床に落ちる音によって自分がどうなるのかが直ぐに分かる。龍玄の目は何時もとは完全に違い、狂気が宿っていた。

 強引に引き裂かれた服は既に意味を失っている。今のカナタは完全に無防備だった。

 これから起こる事を想像したからなのか、カナタの目には雫が浮かんでいた。

 龍玄の手が自身の下着へと動く。カナタは恐怖のあまり思わず瞑目していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少しは分かったか?」

 

 龍玄はそれ以上何もするつもりは無かった。

 戦場での女の扱いがどうなるのかは良く知っている。余りにもカナタが知らな過ぎたと考えたからこそ、身を持って教えただけだった。

 未だカナタは瞑目したまま身体が硬直している。完全に恐怖心を抱いたからなのか、龍玄は拘束と解いた後も暫くはそのまま放置していた。

 

 

「口で説明してくれれば良かったんじゃ………」

 

「言って理解しないからやっただけが」

 

「だからと言って………あんな、ご、ご、強姦紛いな事をしなくても…………」

 

 何時もの淑女ではなく素が出ているからなのか、カナタは少しだけ頬を膨らませていた。

 これが演技だと思えない程の迫力があったからなのか、カナタの心臓は未だに早鐘を突いた様になっている。

 口ではああ言ったものの、カナタもまたここに来て漸くその意味を理解していた。

 

 

「狂気を孕んだ人間に理を説くのは不可能だ。幾ら理知的な人間も戦場では正気を失う。お前達がこれまで経験したのは別物だ」

 

 龍玄はそれ以上は言っても仕方ないと判断したからなのか、転がったカップを片付けていた。

 まるで自分達が経験した事が無意味だと言わんばかりの態度。カナタは少しだけ憤っていた。

 

 

「俺達だって戦場では満足に戦えない事もこれまで何度もあった。油断だけが問題じゃない」

 

「え………」

 

 龍玄の言葉にカナタは思わず声を上げていた。

 少なくともカナタの中では風魔の人間が負傷する場面を想像出来ない。嘘だとも思ったが、龍玄の目に偽りは無かった。

 

 

「覚悟が無いなら戦場には出るな。今回は偶々依頼があったから保護しただけの事だ。

 あの件も実際には対象者の状況は考慮されていない。お前達は単純に運よく助かっただけの話だ。それをあれは勘違いしたんだろうな」

 

 龍玄の言葉にカナタは改めて思案していた。自分達では想像もつかない世界を龍玄は生きている。それを垣間見た瞬間だった。

 

 

 



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第38話 冷静な開戦

 陽光が大地を照らす頃、初夏の色合いが強い時期にも拘わらず、どこかひんやりとした空気は少しだけ冷静さを呼び起こしていた。

 普段であれば然程気になる事は無い。しかし、今日に限ってはその冷たさが自身の体温を冷ますかの様にも感じていた。

 何時もは二人で行う鍛錬も、今日だけは何時もより早く目が覚めたからなのか、自身の固有霊装『隕鉄』を振るう力は何時もよりも力が入っていた。

 

 

「何だ。珍しいな」

 

「おはよう。龍は何時もこの時間なの?」

 

「ああ、俺は大体はこの時間帯が多いな」

 

 何時もよりも早く起きて動いたはずの一輝だったが、目に入った龍玄は既に自身の肉体にはかなりの熱が入っていたからなのか、その汗の量は尋常ではなかった。

 実際にはどれ程早いのかは分からない。しかし、流れ落ちた汗の量は少なくとも三十分程度の運動では出ない程の量。気が付けば手に持っていたのは何時もの日本刀だったからなのか、一輝もまた龍玄同様に霊装を手に素振りを繰り返していた。

 

 龍玄の動きを模倣するかの様に、自分もまた同じく動きを確認するかの様にゆっくりと動く。当初はこれがどんな意味を持つのかを全く理解しないままに始めていた。

 毎日同じ事を繰り返すにつれ一つの事実が浮かび上がる。

 自分が思っている動きと、肉体が動かすそれには僅かにブレがあった。当然ながら自分の肉体を自分自身が制御出来ていない。これが適当な戦いであれば問題にはならないが、ギリギリの戦いをするとなれば話は別だった。

 

 無意識の内に発生する隙は、ある意味では厄介以外の何物でもなかった。自分が予測した剣筋と実際に動く軌跡が異なれば、結果は大きく変わっていく。

 達人同士の戦いでは完全に致命的だった。

 自分の肉体のブレを確認したからなのか、確実に修正を入れていく。これまでに感じた事が無い感覚に一輝は少しだけ自分が上達している事を実感していた。

 

 

「どうしたの?」

 

「いや。やけに気合が入ってると思ってな」

 

「気合ね………それは当然だよ。今日で最終日なだけでなく、僕自身の将来にも影響が出るからね」

 

「今日の対戦相手は誰なんだ?」

 

 突然の龍玄の言葉に一輝は今までしてきた素振りを止め、改めて龍玄を見ていた。

 予選会の対戦相手は基本的には公表されている。当然ながら対戦相手が誰なのかを知っているのであれば、その対策を取るのは当然だった。

 しかし、龍玄が一輝に聞くのであれば対戦相手が誰なのかを知らないと言っているとの同じだった。

 ステラの様に自分の能力を信じて相手の情報を遮断するのではなく、龍玄のそれは完全に知る必要性が無いからだった。

 既に終わっているだけでなく、勝敗数だけ見れば龍玄が予選を勝ち残る権利は最初から無い。自分の様に無敗を保っているのではないからと判断し、素直に答えていた。

 

 

「東堂刀華さんだよ」

 

「東堂………ああ、なるほどな」

 

 一輝の言葉に龍玄な内心では色々な事を考えていた。先日の襲撃に関しては学園の上層部が未だ知らないからなのか、対象者に関するアナウンスは無かった。

 実際に龍玄は襲撃された側ではあるが、傷一つ負っていない。それどころか、対峙した刀華の方が重症だった。

 動脈こそ斬らなかったが、そこに近い場所は斬っている。仮にIPS再生槽を使用したとしても失った血液を増血する事が出来ない事を龍玄は知っていた。

 魔力の由来はどこにあるのかは未だ解明されていない。諸説色々あるが、伐刀者であれば誰もが使える身体強化の概念を考えれば、魔力の循環は血液を媒介として循環するのではとの説が今は最有力だった。

 当然ながら増血の為には特別なプログラムが必要とされる。幾ら貴徳原の息がかかった病院と言えど、国を相手にする事は無い。そうなれば傷だけは消えた所で血が足りない事実に変わりはなかった。

 そう考えれば随分と迂闊な事をしたのだろう。刀華に同情するつもりは無いが、ここまで鍛錬をしてきた一輝が何も知らないままに戦うのは少しだけ気の毒だと考えていた。

 

 

「それがどうかした?」

 

「いや。なぁ一輝。東堂への対策は出来てるのか?」

 

「あの人のクロスレンジは結界みたいな物だ。だからと言って僕もクロスレンジ以外に攻撃の手段は持っていない。だから、やれる事は一つだけだよ」

 

 心の昂ぶりがそのまま出たからなのか、一輝の口調は何時もよりも荒くなっていた。

 何も知らないのであれば態々口にする必要は無い。先日のあれがどんな影響を及ぼすのかすら分からないのであれば、下手に口を挟まない方が良いだろう。龍玄はそう考えていた。

 

 

「それが妥当だろうな」

 

「自分のたった一つの物なんだ。実際にここまでこれたのは、自分の事を信じた結果だと思ってるから」

 

 そう告げると、一輝は再度素振りを開始する。これまでとは違い、ゆっくりと動く事によって自分の型を再確認するかの様だった。

 

 

 

 

 

「一輝。お前は雷切を体験した事があるのか?」

 

「体験って、雷切を?」

 

「そうだ」

 

「………無い」

 

「一度味わえ」

 

 ゆっくりと動いたはずの一輝の身体が不意に止まっていた。

 突然の龍玄の言葉に何の意味があるのだろうか。言葉の意味は確かに理解したが、その真意は分からない。しかし、雷切の名を口にする以上は何らかの考えがあるのは間違い無かった。

 

 だが、ここで疑問が一つある。

 龍玄と刀華が戦った事はこれまでに一度も無い。少なくとも一輝が知る中では皆無だった。

 事実、予選会に龍玄が姿を現したのは数える程しかない。当然、一輝の様に過去の試合を見た痕跡も無かった。

 体感できるのであれば有難い。だが、体感と言う以上は誰が何をするのかを考える必要があった。

 まさかとは思う。しかし、以前に見た居合いは尋常ではなかった。

 実際に抜刀絶技は固有の異能を活かした業ではるが、それを模倣出来ない物ではない。純然たる能力では補えない物は不可能だが、刀華の持つ抜刀絶技でもある雷切は居合い。

 人智を超えた斬撃ではあるが、決して模倣は不可能では無かった。

 だからこそ龍玄が口にしたのであれば可能性は一つ。見知らぬ攻撃よりも一度でも同じかそれに近いレベルの物を体感できるのはある意味では僥倖だった。

 

 

「因みに聞くけど、どこで?」

 

「ここでだ」

 

「だよね………」

 

 それ以上の返事は聞かないとばかりに龍玄は居合いの態勢に入っていた。

 元々腰だめに構えはするが、理論上はそれ程厳しくする必要性は無い。抜刀速度を高める為にには自然とそうなるだけの話だった。

 全身の筋肉を発条の様に使い、その速度を神速の世界にまで引き上げる。その結果としての構えだった。

 一方の一輝もまた自然と距離を取り、隕鉄を脇構えのへと動かす。早朝の清々しいはずの空気は瞬時に澱み出していた。

 抜刀すれば戻す事は叶わない。勿論、龍玄は固有霊装ではなく真剣である為に必要以上の距離を取っていた。これが実戦であれば確実にどちらかの命が散る。まさに一触即発の空気が辺り一面を覆っていた。

 

 

 

 

 

「一度だけだ」

 

 鍛えられた体幹は如何な体制になろうとも体の中軸を狂わす事はなかった。

 本来であれば裂帛の気合いが飛ぶかもしれないが、龍玄にはそれが無い。一輝の眼に映ったのは煌めく白刃が自分へと向けられる行為だけだった。

 通常の居合いよりも更に半歩だけ足を前に出す。まるで音速を思わせる斬撃は一輝の頭頂部の髪を僅かに切り飛ばし、背後の樹にはビシッと音を立てながら大きな傷跡が残っていた。

 

 

 

 

 

「一つだけ良いかな?」

 

「何だ?」

 

「あれって、ひょっとして僕の頸を狙ったら胴体から別れたよね」

 

「だから頭上に外したんだが」

 

 不可視の斬撃が飛んだ瞬間、一輝の全身からこれまでに無い程の冷や汗が出ていた。

 雷切とは違うが、ある意味では更に恐怖を感じる程だった。

 飛んでくる斬撃に殺気が一切籠らない。これが何かしらでもあれば無意識の内に反応したかもしれない。

 しかし、純粋に飛んでくるそれは常識ではありえない程だった。一輝の視界に映ったのは完全に抜刀した後の態勢だけ。

 五感をフルに動員しても斬撃の瞬間は一切感じる事は無かった。

 背後の樹がどうなっているのは見るまでも無い。あれ程の音がしたのであれば間違い無くその痕跡が残っているはずだった。

 

 

 

「いや………体感できたんだ。お礼は言わせてもらうよ。でも東堂先輩のそれとは違うと思うよ」

 

「そうか?だが居合いがどんな物なのかは体感出来たろ?」

 

「……まぁ、そうだね」

 

 謝る事も無く龍玄はそのまま何時もの様に動いていた。

 実際に一輝が感じとったのは違う意味での業だった。雷切と同じかと言われれば違うかもしれない。しかし、これまでの人生の中で居合いを見た事はあっても受ける側として体験した事は無かった。

 遠目から見るそれと自分に向けられたそれではあまりにも違う。

 ステラとは一緒に鍛錬をしているが、大剣と日本刀では意味が違っていた。

 叩き潰すのではなく、ただ斬る事だけに特化しただけの物。刃そのものは同じかもしれない。しかし、その意味合いは確実に異なっていた。

 冷や汗が辛うじて止まったものの、身体は少しづつ冷えていく。それと同時に一輝はかつて道場で対峙した事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も居ない控室には一人の少女が、この予選会ではした事が無い座禅を組んでいた。

 何時もであればウォーミングアップを兼ねて刀を振るうが、生憎とそれをする事すら惜しいと肉体ではなく精神を鍛えていた。

 先日の凶行は学園には完全に伏せられていた。上層部の中で知られる可能性があるとすれば、姉弟子の西京寧音。しかし、午前中はおろか、午後からになってもその話が出る事は無かった。

 あの戦いで自分が行った行為は褒められた物ではない。しかし、あの命のやりとりをした経験は刀華にとっても膨大な経験を積む結果となっていた。

 

 競技では無く、互いの命のやり取りだけがそこにある。戦場ですら得る事が出来なかった経験を、刀華は今追体験していた。

 既に当時の様な険は無い。戦場に赴く兵士と競技者ではその存在は重なる事は無かった。

 事実、戦いになっても競技者にはどこか精神的な奢りがある。自分達が負けるはずがないと考えるだけでなく、万が一の際には何らかのケースで自身の保全がされると勝手に判断していた。

 その為に国際法があり、戦場に於いても一定のルールが存在している。それに対し、命を懸けた兵士には、正々堂々名と言った考えは無かった。

 

 自分の命を護る為だけに相手の命を奪う。そこにあるのは純然たる自然の法則だった。

 刀華もカナタからその話を聞くまでは思い違いをしていた。自分達は自分で身を護れなくなった時点で命じは無い物となっている。その事を聞いた際にはただ頷くだけだった。

 しかし、ここは戦場は無く競技者としての舞台。相手は同じく無敗の黒鉄一輝だからこそ、刀華は肉体では無く精神を沈めながらも集中を高めていた。

 思いつく限りの攻防を幾つも描く。その戦いに最後まで経っているのは誰なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「刀華さん。そろそろ時間ですよ」

 

「分かった。有難うカナちゃん」

 

 呼びに来たカナタもまた刀華を見ていた。先日の怪我そのものは治っているが、血は短期間で増える事は無い。

 増血用のタブレットを口にはしたが、それはあくまでも気休め程度の物。何時もの様に静かに燃え盛る闘志はなく、只管集中だけをしている。

 僅かに青い顔色をしながらも瞑目している刀華はこれまでに一度も見た記憶が無い物だった。

 カナタの言葉に刀華の目はゆっくりと開かれる。肉体に熱を入れる事も重要ではあるが、それ以上に精神を先にしなければ、肉体の不調に引っ張られる可能性もある。

 戦いの前にやるべきとを淡々とこなしただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?ここに来るなんて随分と珍しいね。そんなに気になるのかい?」

 

「この勝敗で俺がどうにかなる訳じゃないんだ。ただ純粋に見たいと思っただけだ」

 

 これから始まる戦いを見るべく龍玄は観客席に足を運んでいた。

 これが最終戦であると同時に互いが無敗のままに挑む最後の戦い。学内の序列を抜きにしても、この戦いはある意味では注目の一戦だった。

 既にこれまでの戦績が電光掲示板に流れている。本来であれば、こうまで盛大にするつもりは無いが、この戦いで春から始まった予選会が終わる事も見込んだ結果だった。

 周囲にはどちらが優勢なのかと様々な声が聞こえる。何かを決めるにしても大がかりすぎる光景に龍玄は目に留まった寧音の隣に座っていた。

 

 

「珍しい事もあるもんだね。そう言えば先日、この近くを爺が誰かさんと一緒に歩いていたって噂があるんだけど」

 

「爺?知らんな。何の話だ」

 

 寧音の言葉に龍玄は何となく察しはついたが、実際に本当の部分を知っている訳では無かった。

 知っているのは自分の父親が何かしら動いた事実だけ。寧音の期待に応える様な事は碌に知らなかった。

 

 

「またまた。で、本当の所は?」

 

「爺が誰かは分かるが、俺は何も知らん」

 

「……本当に?」

 

「嘘を言って何か意味はあるのか?」

 

 寧音は龍玄が嘘を言っている様には見えなかった。

 寧音が龍玄に聞きたいと思った真実は妹弟子の事だった。最近では見る事は少なくなった自分の師がこの周辺に来ている。当初はそれ程疑問にも思わなかった。

 人間であれば何かしらの(しがらみ)があるのは当然の事。寧音は少なくともそう考えていた。

 

 しかし、問題は対象者が他の人物と居た事に疑問を持っていた。

 風魔小太郎。この名前が出た瞬間、どうにもならない程に嫌な予感だけが全身を駆け抜けていた。

 実際に刀華が小太郎に対し、何らかの感情を持っている事は薄々と気が付いていた。

 『闘神』と呼ばれた南郷寅次郎は、剣客としての技術と同時に口が酸っぱくなる程に精神の重要性を説いていた。

 『心・技・体』この三つが揃って初めて剣客として剣を振るい、またそれに対する責任がある事を明言していた。

 寧音もまたその教えを常に説かれている。今の私生活を鑑みれば、その対極ともとれるかもしれないが、それでもKOKの試合では出来る限りその精神は遵守していた。

 そんな寧音から見れば、刀華のバランスは危うい物があった。

 本来であれば口にすれば済むだけの話かもしれない。これが道場の様に閉鎖された空間であれば忠告は出来たが、学園と言うある意味では公共の場でそれを注意する事は憚られていた。

 

 臨時職員とは言え、自分はあくまでもKOKのトップ選手。それが何も問題が無い一介の学生に見えない部分を説くのは少々厳しい物があった。

 それが最も顕著だったのが風間龍玄とステラ・ヴァーミリオンの試合。事実上の大人と子供の様な戦いは、見る目がある人間であれば技術の差がどれ程あるのかは一目瞭然だった。

 そうなれば確実に何らかの手段を取るはず。少なくともそう考えていた。

 事実、刀華は先日の授業を欠席している。理由は伏せられていた為に知る由は無かった。

 何かがあったのかもしれない。それは今朝の刀華の顔色が全てだった。

 生徒や職員は気が付かないかもしれないが、あれは明らかに()()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 顔色はそれ程悪くはないが、何時もよりは白かった。昨日の今日で変わるのであれば何らかの理由が発生する。

 刀華の状況を何となく察したからこそ寧音は隣に座った龍玄に聞いただけだった。

 

 

「何も無いさ………」

 

「俺じゃなくて本人に聞けば良いだろう」

 

「はぁ?学内予選はクローズなんよ。そんな事出来る訳無いさ」

 

「じゃぁ、あれは何だ?」

 

 龍玄は視線だけを動かし、該当する場所へと誘導していた。寧音もまたその視線の先を見る。そこにはここに来るはずの無い人物が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『闘神』南郷寅次郎は大戦期の英雄として、現代史の中でも数少ない未だ生存している人物。

 これまでにも政府からも褒章等の話はあったが、どれも全て断ってきていた。

 戦場での戦果は言うまでもない。しかし、それを良しとしないのは後半の戦果は当時の司令部と政府が創り出したプロパガンダによる物だったからだった。

 当時の状況を知っている人間は事実上皆無に等しい。当人以外で知る事が出来るのは限られた人間だけだった。

 事実、創られた云々は今の総理でさえも知らない事実。

 確実に知っているのは当人以外では当代の風魔小太郎位だった。後は精々が改竄された書類だけ。

 『闘神』と呼ばれた今でも政府からの話に応じる事は無かった。

 当然ながら極秘情報が一般に知れ渡る事は無い。だからこそ、本人が沈黙すれば肯定されたと判断されていた。

 大戦を勝利に導いた生きた英雄。それが寅次郎を取り巻く今の環境だった。

 当然ながら伐刀者であれば、一般人よりも更に影響が大きい。だからこそ、寅次郎自身が無理に言わなくとも便宜を図る事が発生していた。

 

 

「久しいな寧音。相変わらずの生活の様だな」

 

「ふ、ふん。そんな事を言って師匠面なんて……」

 

「爺さん。久しぶりだな」

 

「お前さんもな」

 

「私は無視か!」

 

 寧音の叫びとは別に、寅次郎と龍玄は対面していた。

 お互いがそれなりに面識があった。実際に龍玄が青龍である事を寅次郎も知っている。小太郎絡みとは言え、寧音と同等位の関係はそこにはあった。

 

 

「で、今日は何の用だ?」

 

「不出来な弟子が試合と聞いてな」

 

 龍玄の言葉に寅次郎もまた詳細を言う事無くそのまま近くに座り出していた。

 不出来な弟子は誰なのかは龍玄も理解している。それと同時に先程の寧音の質問の意味もまた理解していた。

 

 

「成程な。まぁ、結果は自分の目で確かめるのが手っ取り早いんじゃないのか?」

 

「勿論だ。これに関してはそうさせてもらうとする」

 

 既にお互いの紹介が終わり、舞台となった場所の中央で互いが対峙している。

 刀華の顔色が多少悪いのは自業自得でしかない。龍玄だけでなく寅次郎もまたそれを知っている為に、驚く様な事は無かった。

 試合開始のブザーを待つのか、両者は己の固有霊装を顕現させる。光の粒子が質量を持ち、それぞれの武器が握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隕鉄を持つ一輝は改めて目の前に立つ東堂刀華を見ていた。

 これまでの相手とは格が違う。珠雫との戦いを見た際にはまだ力を隠している様にも見えていた。

 昨年の本戦ベストフォーは伊達では無い。焔の様に沸き立つ闘志が自分を焼き尽くす。そんなイメージをこれまで抱いていた。

 事実、一輝は刀華の試合をこれでもかと見ている。少なくとも一輝の持つイメージはそうだった。

 しかし、目の前に立つ刀華はそんな闘志は微塵も感じない。どちらかと言えば、波一つ無い水面の様なイメージだった。

 闘志も無い訳では無く、どこか凪いだ様な印象を受ける。これまでに感じた事が無い違和感。

 今の一輝にとって、対峙している刀華はまるで別人だと思う程だった。

 自分と同じ日本刀を顕現する。今にも飛びかかろうとする様な気配はなく、ただただ自然体だった。

 

 

《Lets' Go Ahead》

 

 

 無機質な音声が会場中に鳴り響く。この二人の戦いは恐らくは厳しい戦いになるはず。開幕が一つの決め手になるだろう。会場の観客の誰もがそう考えていた。

 

 

「あれ、動かないよ」

 

「互いに様子見か?」

 

 会場がざわついたのは無理も無かった。

 観客の事前予測は大きく裏切られていた。開幕速攻と言わんばかりに動くはずだと思った攻防は予想外の展開となっている。

 お互いが構えながらも微動だにしない。想定外の開幕に会場は困惑していた。

 

 

 

 

 

(隙が何処にも無い)

 

 ブザー音が鳴った瞬間、瞬時に攻め込む。一輝の中ではそう考えていた。

 実際に抜き足を使えば隙は必ず出来るはず。満足気に使える訳では無かったが、それでも勢いで何とか出来ると考えていた。

 事実、一輝は開始直後に動けるように重心を僅かに前へと動かす。

 視線は刀華を捉えたまま。互いの状況を見る為の措置だった。

 それに対し、刀華は刀こそ握るが両腕ともだらりと降りたまま動かない。隙があると言うよりも、寧ろ自然体だった。

 

 固有霊装に重量の概念はそれ程大きくはない。どんな態勢であっても抜刀には問題は無かった。

 自身の中でカウントダウンを開始する。方針を決めれば後は動くだけだった。

 一輝は再度刀華に意識を向ける。その瞬間感じたのは踏み込んだ先に待っている一つの斬撃の予測だった。

 これでは踏み出す事が一切出来ない。だとすれば一輝もまた同じく様子を窺いながら刀華へと視線を切る事をしなかった。

 ここで僅かでも視線を動かせば確実に踏み込まれるのは間違いないと判断していた。

 

 

 

 

 

(やっぱり予想以上)

 

 刀華もまた一輝から溢れる闘志を一身に受け止めてた。

 学内では既定の魔力量に満たさないと、適当な理由で落第を余儀なくしていたが、今年の予選会からはそんな誰かの都合に合わせた内容は無くなっていた。

 刀華が知る一輝は異能に依存しない戦い方。『一刀修羅』でさえも身体強化に毛が生えた程度の物だと認識していた。

 

 仮に剣技が同等であれば勝敗を決めるのは異能の力。それがある為に、刀華もまた一輝に対する認識が多少なりともねじ曲がっていた。

 これが体調が万全であれば、確実に開幕速攻をしかけている。しかし、今は血をかなり失った為に、激しい動きは禁物だった。

 

 肉体を動かさないのであれば精神力で戦う。今の刀華にとってはそれしか選択肢が無かった。

 隙を無くすことによって一輝の動きを封じ込む。その結果、刀華は一輝への評価を一変させていた。

 異能の力はあくまでも添え物程度。これまでに培ってきた厳しい鍛錬の結果によって今の一輝が形成されている。

 お互いの異能が同じ総量となった今、一輝から立ち上るかの様に湧きだす闘志を刀華は肌で感じ取っていた。

 剣技が同等ではなく、一輝の方が恐らくは上かもしれない。肉体に欠陥を持つ今の状態が知れれば、半ば力任せでも押し込まれるのは明白だった。

 だからこそ、こちらからではなく相手の力を活かしたカウンターで斬りおとす。これが今の刀華に出来る最大の攻撃だった。

 その為には気取られない様に隙を意図的に作るのがベター。刀華の取った判断はそれだった。

 奇しくも互いが取った行動はそれぞれが観察する事に集約されていた。互いが見えない部分で戦いを開始する。それが開始後に動かない原因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう………どうやら教えを思い出しのかもしれんな」

 

 未だ動かないままの二人を見たからなのか、寅次郎は不意に声が漏れていた。

 何も分からない人間からすればお互いがお見合いの様に動かない程度にしか見えない。しかし、熟練した人間から見れば既に戦いは始まっていた。

 一輝は僅かに身体を動かし、フェイントをかけながら様子を伺う。一方の刀華は敢えて正眼に構え、そこから先は微動だにしなかった。

                                         

 

 

 

 普段から口にする『心・技・体』が揃っている。互いの取った方法は伐刀者による現代の戦いではなく、まだ異能すら発見されなかった時代の戦いだった。

 当然そこには異能すら無い純粋な剣技での物。どこか懐かしさを覚えたからこそ出た言葉だった。

 

 

「そうか?俺には互いに打つ手が無いだけにしか見えんぞ」

 

「お前は少々特殊だからな。だが、不可視の攻防は見えてるのだろ?」

 

「当然だ。あの程度の事も出来ない人間が生き残れる道理がどこにある」

 

 ざわつく観客の事など無視するかの様に龍玄もまた二人を見ていた。

 互いの間にある空間に何かが圧縮されていく様な気配が渦巻いている。このまま膠着するはずがないと考えているからなのか、龍玄だけでなく寅次郎もまたこの後の展望を予測していた。

 

 

「そろそろだな」

 

 試合開始から既にどれ程の時間が経過したのかすら分からなくなるほど、互いは動かない。これが審判が居る様な場面であれば確実に促される程だった。

 何時しかざわついた空間が静まり返る。お互いが異様な雰囲気を纏っている事を察知したからなのか、お互いを中心に観客席まで重苦しい空気が流れだしていた。

 

 

 



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第39話 ギリギリの攻防

 試合開始直後の硬直した時間は、それ程長くは続かなかった。

 実際に何を考えてるのかが分からないままに時間だけが経過すれば、どちらに軍配が上がるのかは判断できない。少なくとも、これまでとは明らかに違う刀華の様子を見た一輝はそう考えていた。

 このまま窺うよりも、ある程度揺さぶりをかけるのも一つの手かもしれない。少なくとも一輝は自分が感じる違和感を払拭する事が出来ると考えていた。

 躰の重心を僅かに動かしながらも、刀華への視線を区切る事はしない。些細な行動ではあったが、大きな一手だった。

 

 

 

 

「何だか違う様な………」

 

「どうかした?」

 

「何だか東堂先輩が何時もとは違う様な気がするんだよね」

 

「確かに言われればそうだよね」

 

 新聞部に所属する日下部加々美は眼鏡越しに映る光景に違和感を持っていた。

 隣には同じ部の人間が座っているからなのか、加々美の呟きの様な言葉に辛うじて返事をしていた。

 これまでの戦闘方法からすれば、今日の刀華のやり方は明らかに異質と言うよりも違和感だけしか感じ取る事が出来ない。実際にこれまでのやり方は、一気に燃え盛る焔の様に苛烈な戦いをしている。それに対して今回の様に明らかに『待ち』の姿勢で始まるそれは確実に違っていた。

 

 お互いが睨み合う光景はそれ程珍しい物ではない。互いの出方を伺う事が、これまでにも何度かあったからだった。しかし、東堂刀華に関してだけはそれが一切適用されていない。

 自身の能力を過信する事無く、自信を持った戦いはある意味では王者の風格があった。

 しかし、今回に限ってはそんな雰囲気は微塵も無い。だからこそ、今回の様な立ち上がりに二人も違和感を持っていた。

 

 

「何だろう。本戦に向けての予行なのかな」

 

「黒鉄君相手にそれは無謀だと思うけど」

 

「って事は、何かの戦略なのかな」

 

 これまでに一輝が対戦した相手はその殆どは完封に近い勝利を収めていた。敢えて言うならば、初戦の桐原戦が一番苦戦した程度。それ以外に関しては見ている側からしても安定した物だった。

 これまでの様な能力だけで判断するのではなく、実戦能力を重視したからこその結果。そう考えれば、刀華が一輝を侮るはずが無かった。

 だからこそ、戦法の変更には違和感だけが残る。これが何時も接している人間であればそれが何なのかは気が付くのかもしれない。しかし、只の観客からすればその違いが何なのかは知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(自分で言っておいて何だけど、本当に厳しいな)

 

 一輝は今朝がた龍玄と話した事を改めて思い出していた。刀華の基本的な攻撃はクロスレンジによる斬撃を得意とする。一部には中距離攻撃を仕掛ける事もあるが、基本的には牽制程度の使い方をしていた。

 当然ながら中距離の攻撃に態々当たる必要性はなく、本人も牽制だと割り切っている為にそれ程恐怖を感じる事は無かった。

 

 牽制をしながら一気に間合を詰め、そのまま一撃必殺とも取れる斬撃で斬り捨てる。これが刀華の戦術(スタイル)だった。

 対戦相手が誰であったとしても、そのやり方は一様に変わらない。

 不変の攻撃を理解して、尚上回る攻撃を仕掛ける。対峙するまではそう考えていた。しかし、いざ開戦した途端、その動きは一転する。動ではなく静の動きを見せた事によって一輝は慎重にならざるを得なかった。

 

 フェイントをかけながら不可視の攻防が続く。小細工をするはずがないと考えていた相手の行動は、単なる思い込みの産物だったと改めて考えさせられていた。

 刻一刻と過ぎ去る時間。この戦いに時間制限は特に設けられていない。しかし、何も無いままが続けば最悪は没収試合になる懸念もあった。

 本戦出場だけを見れば一輝は仮に引き分けであっても出る事は可能。それは、これまでの星取を見れば直ぐに分かる話だった。

 これが一輝以外の人間であればそう考えたに違いない。しかし、自分の実力を信じてここまで来た側からすれば、それは望まない結末だった。

 『待ち』の状態の相手と闘うのは相応の技量が要求される。一輝もまた、同じ事を考えた末の行動だった。

 

 正式に習った訳では無いが、恐らくと言った概要を用いて抜き足の様な行動へと移行する。この技術が完全に自分の物になっていなくとも、ある程度の間合いを詰めるには最適だと考えていた。

 刀華を見据えるが、現時点では隙が殆ど見当たらない。事実上の特攻にも似た行動ではあるが、一輝はそのまま果てるつもりは毛頭無かった。

 無意識の中で自分の心が沈んだ様にも感じていく。その瞬間、一輝は後の事を色々と考える事を放棄していた。

 三、二、一メートルと距離が詰まる。一輝は既に自分の態勢に都合の良い部分だけを完全に受け入れていた。

 不安を持ったままの斬撃が届く道理は何処にも無い。一輝は迷う事無く一本の放たれた矢の様に疾駆した。

 

 

 

 

 

(やっぱり血が足りない……でも!)

 

 自身に迫る一輝を前に、刀華は昨日の自分をなじりたいとさえ考えていた。

 実際にあれがあったからこそ、今の自分が居る為に簡単に考えるのは性急かもしれない。しかし、血が足りない今、刀華が出来る事は限られていた。

 迫る一輝との距離を正しく目測する。自身の斬撃が届くまで、あとコンマ数秒だった。

 

 これまでの様に力を込めた斬撃は確実に弾かれる。力が足りない事を嘆く前に、刀華は敢えてこれまでとは対極になる行動に出ていた。

 力ではなく、業のキレだけでの対応。只でさえ血が足りない今、下手な事をすれば直ぐにガス欠にまで追い込まれるのは考えるまでも無い。

 だからと言って、刀華もまた一輝に勝ちを譲るつもりは無かった。

 

 力が足りないのであれば、キレだけで凌ぐ。それが刀華の出した答えだった。

 実際に業のキレがどれ程なのかはこの身を持って体感している。正確に飛ぶ斬撃に、添えるかの様に迫る白刃に対し、脱力からの一撃を繰り出していた。

 完全に攻撃に入れば弾かれるのは言うまでも無い。だからこそ、まだ攻撃の起点のままを狙っていた。

 この状態であればまだ力の差は存在しない。奇しくも、これまで刀華が小太郎にやられた事を実践していた。

 鋭く響く金属音。脱力からの一撃は、一輝の突進を完全に止める事に成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、それしか無いか」

 

「あ、何か言った?」

 

「いや、何も」

 

 一輝と刀華の激突に誰もが思わず息を飲むほどだった。

 少なくとも伐刀者同士の戦いの殆どがKOKに代表される様に、どこか激しい物が殆どだからだった。

 しかし、目の前で繰り広げられるそれに、KOKの華々しさは何処にも無い。敢えて言うのであれば剣豪同士が互いの間合いを確保すべく剣戟を合わせていたからだった。

 実際に互いの霊装が交差する回数は極めて少ない。少なくともお互いの技量を大よそでも知っている人間からすれば疑問に思う程だった。

 龍玄が呟いたのは互いの状態、特に刀華がどんな状態であるのかを理解したからこそ出た言葉。隣に居た寧音ですら拾えない程の音量。龍玄の目に映る二人の姿を見て何を思うのかは誰にも解らなかった。

 

 

「まさかとは思ったけど、こんな展開になるとはね」

 

「こっちの方が面白いだろ?」

 

「それは玄人が思うだけさね。素人からすれば地味な戦いだよ」

 

 お互いの視界に映る攻防は寧音の言葉通りだった。

 一輝の斬撃は刀華へと向かうも、その大半はどこか不完全なままに出されていた。

 勢いはあれど、キレが無い。これまで一輝の戦いを見てきた人間であれば、この戦いは明らかに何らかの不調を抱えているのでは、と思う程だった。

 キレが無い斬撃は受け流す必要すらない。刀華もまたそれを見切る事によって連続して攻撃する事を阻んでいた。

 

 起点を潰されずに攻撃をするとなれば、自分が描く理想の状態から大きく逸脱するしかない。その結果得られるのは攻撃したと言う結果だけだった。

 これが格下相手であれば問題にはならない。しかし、刀華クラスまでなればそれは致命的な隙でしかなかった。

 一輝もまた、それがもたらす結果がどうなるのかを理解している。その結果、強引な態勢からの攻撃はどこか腰砕けな印象を与えていた。

 

 

「だが、目が肥えた人間からすればハイレベルだと思うんだろうな」

 

「良く言う。そんな事、微塵も思ってないくせに」

 

 周囲に聞こえない程の会話だからか、寧音と龍玄に視線を向ける人間は誰も居なかった。

 互いに大技を使う程の隙を与えるとは思わない。まるで一瞬でも見逃した瞬間に決着が着くのではと思う程の攻防は、会場の特定の人間以外の視線を引きつけていた。

 

 

「さぁな。俺がどう思おうと勝手だろ?」

 

「違いないね。だけど、なんで一気に昇華したんさ?」

 

「そんな事、俺が知るか」

 

「けち臭いね」

 

 寧音の目から見ても刀華の今の状態が、明らかにこれまでとは違っているという事だけは分かっていた。

 自分の能力を過信する事無く、冷静に分析出来れば戦場で命を散らす事は無い。勘違いした実力によって自惚れた瞬間、死を迎えるのは良くある話だった。

 これまでに学生の身で特別招集によって戦場に赴くそれは、ただ単に人を斬る事だけを重視した結果。そこに人間性は一切考慮されていなかった。

 その結果、歪に育った感情は誰にも気が付かれる事無く刀華自身をひっそりと浸食していた。しかし、今の刀華にはそんな感情は何処にも無い。純粋に自分の技量を損失無く打ち出し、ただ一輝にぶつけているだけだった。

 

 幾ら戦場を生き抜いた人間であっても、何らかの形で歪みは生じる。それを如何に修正するのかは各自の技能次第だった。

 今の刀華は確実に淀む事無く純然たる技量だけで一輝を迎撃している。この短期間で何があったのかを寧音は知りたいだけだった。

 小太郎に並々ならる感情を持つのであれば、それに近い龍玄に何らかの影響を及ぼす。それを見越したからこそ話しかけただけだった。

 短い会話をしながらも寧音もまた妹弟子の技量を余す事なく見ている。内面が異なる剣筋は確実に良い方向へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際に一輝の斬撃は刀華にまで届こうとする程だった。

 既に幾度となく放った斬撃はことごとく刀華によって撃ち落とされている。本来であれば悔しいと嘆き、憤る場面でもある。しかし、当の一輝はそんな感情は何処にも無かった。

 これまで抑圧されたかの様に何処か相手の様子を伺う事無く振るった斬撃は、どこかボケている様にも感じていた。

 遠慮をすれば勢いがなくなり、また剣筋が鈍る。その結果として手厳しい反撃を受けるのは当然の事。

 しかし、目の前に戦う東堂刀華に関してはその括りには入らない。研鑽した刃を振るおうにも、鋭い攻撃によって起点は潰されている。

 仮に斬撃が入ったとしても斬る事は出来ても、それだけで終わる可能性の方が高かった。

 

 だからこそ、今の自分が持つ力量を遠慮なく叩きつける事が出来る存在は極めて貴重だった。

 決してステラが不満ではない。その根底にあるのは純粋な技術だけに特化した戦闘であるからだった。

 一合、二合と鋭くなり続ける剣閃は、やがて自分を捉えるかもしれない。本来ならば危険だと判断するかもしれない。

 本能が叫ぶかの様な取り止めの無い感情を一輝は無意識の内に押し殺していた。

 

 

(まさか業のキレだけで抑えられるなんて!でも何かが変だ)

 

 内心では感嘆しながらも一輝の刃が止まる事は無い。幾らランクが上の伐刀者と言えど、体力の限界は必ず来る。今日の刀華の顔色が僅かに違う事に当初は何の違和感も持つ事は無かった。

 しかし、戦闘が始まり互いの刃が幾度となく交わった際に、一輝は不意に思う部分があった。

 何となく刃が脆い。刀華と対峙したのはこれが初めてではあるが、手に持つ刃にはどこか儚げな様に感じていた。

 固有霊装は魂の強さとも言われている。幾ら表面上は取り繕う事が出来ても、肝心の固有霊装を誤魔化すまでは出来なかった。

 そう考えると、今日の刀華の動きの違和感が徐々に繋がっていく。何故と言った疑問は持たず、今はただ現状を理解するだけに留めていた。

 荒唐無稽かもしれない可能性。恐らく刀華は何らかの事由によって体調が完全ではないかもしれない。そんな感覚が一瞬だけ過っていた。

 

 

(ならば!)

 

 これまでの連撃を狙った攻撃を一輝は完全に放棄していた。

 だからと言って、それを刀華に言う必要は何処にも無い。見えない刃は見えないからこそ意味がある。既に一度見せた刃は脅威ではない。刀華は業のキレだけに特化しているのではなく、そうせざるを得ない状況にある。一輝はこれまでの経験を紐解くと同時に、その可能性に光明を見ていた。

 これまで以上に隕鉄を持つ手に力が入る。まるでそれが合図だと言わんばかりに一輝はこれまでとは明らかに違う剣筋を見せていた。

 隕鉄の刃がまるで一輝の持つ気迫をそのまま顕現したかの様に一瞬だけ煌めく。その姿は獲物に喰らい付かんとする獣そのものだった。

 

 

 

 

 

(まさか、気が付かれた!)

 

 一輝のこれまでの様な連撃を重視した攻撃が一転し、正反対の攻撃へと切り替えていた。

 業を出し惜しむのではなく、出す素振りだけを見せそれをフェイントの一つとして動き出していた。

 重い一撃。考えられる可能性は、こちらの状況をしれた事しか考えられない。こちらに迫る一輝の眼が、刀華の予感が真実である事を確信していた。

 横薙ぎに迫る刃はこれまでとは違い、明らかに体重が乗った一撃。何時もの体調であれば鎬を使った受け流しか、そのまま受けて止める選択肢があった。

 

 しかし、今は明らかに通常とは異なる。大よそながらに感付かれたとして確証される訳には行かない。

 誰よりも理解しているからこそ刀華はあまり使いたくなかった魔力を視力に込めていく。閃理眼による電気信号の視覚確認が一輝の方針変更を物語る様だった。

 これまで見た事が無い程の強い電気信号が一輝の全身を駆け巡る。

 完全に刀華の状態を見切った証左なのか、刀華の目に映るそれに澱みは一切見えなかった。

 当然ながら刀華も無為無策のままに斬られる筋合いは無い。反撃の一手を探るべく、見切りを使って回避するしかなかった。

 

 

 

 

 

(やっぱり間違い無い!)

 

 一輝がこれまで持っていた違和感が確信に変わるまでにそれ程の時間は必要とはしなかった。

 たった数合合せただけで分かったのは、明らかに力が足りない点。攻撃の起点を潰されはしたが、それでも攻撃に繋げる事が出来たのが何よりの証拠。

 これが万全であれば起点を潰された後に待っているのは手痛い反撃だった。

 それが無いのであれば答えは一つ。仮に手負いだと分かっていたとしても一輝の置かれている立場では手加減をする余裕は何処にも無かった。

 

 だからこそ、早い決着で全てを終わらせる。手品はタネが分からないからこそ神秘性を持つが、それが分かればそのまま終わる。

 幾ら刀華のクロスレンジが結界だと言っても、これまで龍玄と何度か立ち会った一輝からすればある程度の計算が成り立っていた。

 

 

 ──────結界は防御の面では堅牢なのかもしれない。しかし、逆の言い方をすればこちらから攻め込めなければ手痛い反撃を受ける事は無い。

 

 

 一輝がこの刹那の攻防で感じた感覚から出たのは、そんな取り止めの無い事。

 結界は護る事に関しては一級品かもしれない。だが、それだけの事。

 そこからは一切怖いと思う感情は湧かない。だからと言ってそれを放置すれば試合は一向に終わる事は無く、また時間の経過と共に自分の方が不利になるかもしれない。

 一輝はそんな取り止めの無い事を考えていた。

 実際に手負いだとしても刀華と一輝には決定的に異なる点があった。

 

 実戦による、戦闘経験の差。

 

 幾ら自己鍛錬を続けたとしても、戦闘によって養われた経験は見ただけでは手に入らない。

 対外的には刀華は既に特別招集によって戦場を経験している。安全に守られた試合ではなく、命の直接のやり取りをする経験を持つ方が最悪の場合には有効だった。

 幾ら欲しがっても手に入らない物は仕方がない。無い物ねだりが身を滅ぼす事がある訳には行かないが、だからと言って油断出来るものでも無かった。

 些細な事で、内容が容易くひっくり返る。今の刀華を見たからなのか、一輝はそんな事を視野に入れながら一気に勝負に出ていた。

 振りぬくだけでなく、常に残心を作ることにより反撃を防ぐ。

 渾身の力を込めた攻撃は確かに威力はあるが、その分隙も大きい。それを防ぎ、早期に決着をつける為の行動に迷いは無かった。

 

 

(まだまだ!龍はこんな物じゃなかった!)

 

 一輝は身体強化の為に魔力を行使し、自身の抜刀絶技でもある『一刀修羅』を行使する。それは自身の持つ魔力量が他に比べても圧倒的に少ないから。

 ならば高効率化する事によって自身の持つ身体能力をより高みへと乗せ、昇華した先にあった物。当然ながらそこには魔力と言う触媒が必要不可欠だった。

 しかし、今の一輝は既に魔力を使う事無くそれに近い水準にまで達しようとしていた。

 

 一合、二合と加速する斬撃。既に一輝は自身の事後の事など完全に脳内から捨て去っていた。

 龍玄とは数える程しか一輝は対峙した事が無い。実際にはそれが本当の意味での戦いだったのかと言われれば首を傾げるしか無かった。

 事実、龍玄は異能を使う事無く、それに近い攻撃を繰り出してる。これが伐刀者と一般人の違いであれば賞賛するのかもしれない。

 しかし、お互いが伐刀者である以上はそれ程の差異は無いと考えていた。

 多少は違うかもしれないが、明らかに不可視の刃が飛ぶ時点で尋常ではない。刀華のクロスレンジの様に一定量の距離を置けば安心だとは決して思えなかった。

 

 

 ──────獲物を狙う虎口の中に手を突っ込める事は可能なのか。餓狼の群れの中心に飛び込む事は出来るのか。

 

 

 生か死の二択しかないと思わせる程に龍玄との対峙はある意味では恐怖だった。

 接近しなくとも相手の意志さえあれば、自分の命は簡単に散る。それが自然だと思える程だった。

 殺気すらなく、まるで周囲を漂う空気の様に龍玄は対象者に攻撃を仕掛ける。あって当然の空間にあるそれは、明らかに異質だった。

 それに触れたからこそ距離さえ取れば安心出来る。そんな緩い考えをこれまでに一度も持った記憶は無かった。

 無意識の内に全身に魔力が流れ始める。半ば無意識に近い感覚で一輝は攻撃を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「焦り過ぎだ。馬鹿が」

 

 一輝の攻撃は少なくとも会場の誰もが純粋に凄いと思える程だった。

 剣術の剣の字すら分からない人間であっても思わず息を飲む程の迫力。そんな雰囲気に呟いた龍玄の越えは隣に座っていた寧音の耳にも届いていた。

 この空間でそう感じたのはこの二人だけ。それ程までに一輝の攻撃の凄まじさを、会場の人間はただ見るより無かった。

 

 

「思ったよりも短慮だね。まだまだ未熟か」

 

 集中力の高さがそうさせるのか、攻撃する一輝の全身には魔力が漂いだしている。一気の抜刀絶技でもある『一刀修羅』それが行使されているのと同じだった。

 実際に意識して使っている訳では無い。だからこそ、その効果は弱い物だが、持続時間は長くなっていた。

 

 

 

 

 

(ここで決める!)

 

 一輝の剣質が徐々に変貌すると同時に、刀華もまたこの戦いの終焉が見え始めたと考えていた。

 一刀修羅は自身の魔力を垂れ流すかの様に制御する事無く爆発させる。その結果、待っているのは意識の喪失だった。

 今の時点で一輝の攻撃がそれに近い事は何となく分かる。しかし、ここで気が付いたとしても従来のそれと同じ効果を発揮する事は無いと考えていた。

 

 瞬間的に爆発させようにも、今の時点で魔力は僅かに漏れている。少なくとも今の刀華にとって一輝のこの攻撃は僥倖だった。

 事実上の抜刀絶技を出した攻撃を凌げば、勝ち筋が見える。だからこそ、ここが一つの勝負所だった。

 これまで閃理眼だけで留めた魔力ではあるが、血が足りない現状では何時もの様には振舞えない。自分の中にある魔力量の残りが視覚化出来る訳では無い。己と向き合った感覚が全てだった。

 

 ここが勝負の分かれ目。

 

 刀華もまた残り僅かな魔力を爆発的に燃焼するしか無かった。

 迫る刃を見切ると同時に、一輝には悟られない様に魔力を練り上げる。所々に見える反撃の箇所を見逃しながら、刀華はこの後に起こるであろう結果を放棄していた。

 殺気も闘志も燃やす事無く虎視眈々とその瞬間を見定める。刀華は自身の中でカウントダウンを開始していた。

 

 

 

 

「イッキ…………」

 

 互いの戦いを知る者が居れば、終焉は間近である事は容易に知れる。

 お互いがこの後の事を考える必要は無いと思える攻撃は、見る者全ての視線を一気に奪う。それ程までに一輝と刀華の戦いは重苦しい物だった。

 どんな理由があって刀華がそうしているのは分からない。

 見る側からすれば疑問を抱き、また、他の視点からすればお互いが技量を確認するかの様に戦っている様にも見える。それはステラもまた同じだった。

 一輝の攻撃が何時もよりも荒々しくなっているのはステラには直ぐに分かった。

 決して戦いに呑まれ訳では無い。純粋に集中していたが故の結果だった。

 

 当然ながら一刀修羅に近い魔力が一輝の全身を覆っている。無意識の発動だと感じたからなのか、ステラはそれ以上何も出来なかった。

 これが戦場であれば、自分が一輝のフォローをしたのかもしれない。一旦は冷静さを作り出す事が出来るかもしれない。

 しかし、この場は一輝と同じ場所でではなく観客席の一つ。声を出しても届くとは思えなかった。

 二人を取り巻く空気が重苦しく周囲を支配する。ステラもまたその空気に呑まれつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまで一輝が繰り出した斬撃は回避が出来ない物を除いて刀華は全て見切っていた。

 ミリ単位では無理だが、少なくとも三センチ程度であれば見切る事が出来る。閃理眼を使用せずともその位は可能だった。

 しかし、ここに来て一輝の斬撃の質が大幅に変化する。

 これまでに無い程の圧力を持ったそれは、刀華から見切りの能力を奪うかの様だった。

 

 目測を誤れば自分の躰に斬撃が入る。純粋な武技から、伐刀者らしい戦いへと変化しつつあった。

 従来の刀華であれば望むべき展開だが、今に至っては完全に不都合でしかなかった。

 霊装の強度が落ちている今、下手をすれば叩き折られる可能性がある。

 そうなれば瞬時にして終了となるだけだった。

 だとすれば、やるべき事はただ一つ。己の残った力を全て出し切るだけだった。

 

 

「黒鉄君。そろそろ終わりにしませんか?」

 

「奇遇ですね。僕も同じ事を考えていました」

 

 刀華の肩口を狙った斬撃を紙一重で回避する。

 既に腹を括ったからなのか、刀華の口からは自然と言葉が出ていた。

 それに呼応するかの様に一輝もまた同じく距離を取る。奇しくも試合開始と同じ場所での再開だった。

 

 

 

 

 口ではああ言ったものの、実際には互いに満身創痍に近い物があった。

 凶行に及んだ戦いで反撃を受けた事により、多量の血を失っている刀華には、残された物はそれ程多くない。

 魔力にせよ体力にせよ、実際にはギリギリだった。

 

 一方の一輝もまた同じだった。

 半ば無意識の行動とは言え、魔力垂れ流しの状態になった事で抜刀絶技でもある『一刀修羅』をまともに使用する事が出来なくなっている。

 実際に残った魔力はほぼ一撃を振るう程度だけだった。

 

 互いの言葉が互いの状況を助け合う。ある意味では助かった部分はあったが、実際にはそれをどう活かすかが勝敗の要。

 互いの言葉が出ると同時に、この一撃が全てを終わりへと導く。無意識の中での合致を知る者は誰も居なかった。

 序盤とは違い、互いに牽制は必要ない。ここから出されるそれは、両者の矜持を賭けたそれ。準備は終わっているからなのか、既に言葉すら惜しいと言わんばかりの空気になりつつあった。

 

 一触即発。

 

 まさに今の空気はその言葉を体現している様だった。

 お互いの視線が僅かに交差する。それが終焉の引鉄だった。

 

 

「いやぁああああああ!」

 

「うぉおおおおおおお!」

 

 両者が獣の咆哮の様に叫ぶと同時に、一気に距離を詰めていた。

 限界の中の一撃。咆哮の先に会ったのは夥しい赤が撒き散らされた後だった。

 

 

 



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第40話 予選会終了

 理事長室では今回の予選会の結果が総ざらいされていた。

 結果的には完全実力制度と言う厳格な基準で判断された物。その結果をもって七星剣武祭の本戦に赴く選手が決定される運びだった。

 前年とは正反対の結果に、本来であれば理事会を開催し散々協議した結果をもたらすのが通例。しかし、乞われた結果として就任した新宮寺黒乃からすればそれは些事でしかなかった。

 本戦での長きに渡る体たらくによって今に至る。当然ながら古参の理事に発言力は無い。

 結果をもたらす為の手段だと言う大前提の前には、くだらない矜持は無きに等しい結果でしかなかった。

 

 

「今回の件ですが、私にその資格はありません」

 

「……そうか。参考までに聞きたいのだが、どうしてそう考えた?」

 

「今の私では実力以外にも劣る部分が多分にありますので」

 

「例の件か?」

 

 黒乃の言葉に刀華の肩は僅かに揺れていた。

 例の件が指す行為は一つしかない。それを言外に理解していると言う表情を見せている以上、刀華に反論の余地は無かった。

 

 

「その件であれば、非はこちらにあります」

 

「誰もそんな事を一々言うつもりは無い。ただ、それを除外したとしてもか?」

 

「はい。今の私には師からも言われましたが、完全に力不足です。自分の行動を優先する様な人間に全体を纏める事は出来ません」

 

「………そうか。そこまで言うのであれば、他の人間にするしかないな。因みに誰ならば良いと思う?」

 

 黒乃の表情には怒りは無い。実際に刀華の状況を知ったのは、最終戦の怪我の治療の為に全身をスキャニングした結果、程なく発覚していた。

 怪我の度合いと失った血液量に大きな隔たりがあった。実際に会場内に撒き散らした量と、これまで学園が保管したデータに明らかな差異がある。当然ながら治療をしながらもくまなく調べた結果、導き出されたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()可能性だった。

 これまでに伐刀者としての側面を持つ生徒のデータは学園にも保存されている。万が一の際にはそのデータを基に治療計画を立てる為だった。

 

 当然ながらイレギュラーがあれば、その可能性を自動的に見出す。余程の事が無い限り、貴重な伐刀者を学園が失うのは国の利に反する事だからだ。

 本来であれば貴徳原の病院で治療したものの、届け出をしないのは明らかな違反。今回に限ってだけ言えば、刀華の命に別状が無ければ問題視する必要も無かった。

 しかし、試合の結果もたらされた状況は確実に救命措置を要求している。刀華のバイタルデータが危険水準にまで落ち込んだからだった。

 だからこそ、一命を取り止め現場復帰できる今、事実が何なのかを黒乃もまた知りたいと思ったからだった。

 

 

「黒鉄君が適任かと思います」

 

「ほう。それは本心なのか?」

 

「はい。それ以外には無いと思います」

 

 刀華の強い意志が籠った視線は、黒乃を射抜くかと思う程だった。

 口にした事実はこれまでの数字と予選会の結果を純粋に考えた末の判断。それが正しいのか、それとも間違っているのかを判断するのではなく、純粋に自分の戦績を考慮した結果だった。

 

 

「そうか………てっきりお前の事だから、他の人間の名前が出るかと思ったんだがな」

 

「理事長が何を考えているのかは分かりません。ですが、予選会の全てが終わった今、誰かを代表として推薦するのであれば必然的に決まりますので」

 

「つまらない事を聞いたな」

 

「いえ。我が学園が頂きを目指すのであれば、当然ですから」

 

 黒乃が何を言いたいのかは刀華とて理解していた。実際に予選会の数字だけ見れば確かに刀華の言葉が正論だった。

 しかし、内容を吟味すればその意味は大きく異なる。それは教育者として考えれば間違いではあるが、伐刀者として見ればその限りではない。

 黒乃の真意は刀華とて理解している。しかし、純然たる数字を出されれば、それ以上の言葉は野暮でしか無かった。

 

 

「そうか。忙しい所済まなかったな」

 

「いえ、ではこれで失礼します」

 

 刀華は頭を下げると同時にそのまま理事長室を退出していた。

 元々呼ばれた内容が内容だった為に、それ以外の事に関して言及する事は何もなかった。

 扉が閉まる音だけが廊下に響く。これまで長きに渡って繰り広げられた予選会は完全に終了していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返った空間に、誰もが息をする事すら忘れたかと思う程に静寂だけが漂っていた。

 咆哮の先にあった刹那の攻防をまともに見た人間は数える程しかいない。その過程がどうであろうとも、観客席の眼下に広がる光景は互いの状況を示していた。

 

 横たわる二つの躰。撒き散らされた赤の中心にあったそれは、辛うじて息が残る程だった。

 これまでに伐刀者同士の戦闘がどんな物なのかは、学園の生徒に限った話ではなく、一般の人々も画面を通じて見ていた。

 派手に繰り出される異能を武器に、見た目のインパクトはまさに圧巻と呼べる程。ましてやこの学内の予選会であっても、その限りでは無かった。

 

 実際に予選会上位の人間の大半は類稀なる才能を活かすかの様に抜刀絶技を繰り出し、対戦相手を下す。それが今の主流でもあり、またKOKにおけるプロも同じだった。

 しかし、その中で異彩を放った人間が二人だけ居た。

 黒鉄一輝と風間龍玄。この二人に関してだけはその限りでは無かった。

 

 純然たる戦闘能力だけで相手を下し、抜刀絶技もまた身体能力の嵩上げしかされていない。もう一人に関してはその異能すら使う事無く相手を下していた。

 そんな戦いを頭の片隅に置いたとしても、目の前で先程まで行われた戦いは異質だった。

 黒鉄一輝は仕方ないが、相手となった東堂刀華はその限りではない。

 雷を使うそれは『雷切』と呼ばれる程。当然ながらその対比がどうなるのかも注目の的だった。

 しかし、そんな思惑は最初の段階で崩れ去っていた。お互いが同じ行動に出たからなのか、静かな開戦はお互いの様子を牽制しあっていた。

 そこに派手な演出は何処にもなく、近代では早々無い剣技のみの戦い。異能の欠片は所々にあったものの、この戦いが初めて見る人間からすれば伐刀者の戦いであると判断出来ない程だった。

 

開幕から始まった戦闘はお互いの隙を常に狙うからなのか、剣戟すらも起こらない。

目の肥えた人間であれば互いの攻撃が見切りをつけている事を理解するが、素人然としていた人間からすれば地味な物だった。

 互いの醸し出す重圧に、中間にある空気が重く感じる。そんな刹那の攻防の結果が今の状態だった。

 

 

「直ぐに治療をするんだ!」

 

「早く運び出せ!」

 

 静まり返った空間を維持出来たのは、僅かな時間だった。

 瞬間を捉えた画像は無いが、今の両者が沈んでいる赤を作り出しているのは紛れも無く互いの体内から出た物。だからこそ早急な治療が必要とされていた。

 静まり返った空間に怒号が響く。ここで漸く目の前の事態が認知され始めていた。

 

 

 

 

 

「あれの正体を考えれば当然の結果………か」

 

 黒乃は誰も居なくなった理事長室で、紫煙をくゆらせながら独り言のように言葉にしていた。

 本来であれば刀華がやった事は重大な違反とも取れる。しかし、現場がどこであるかすらも分からない以上は追及をしても無意味でしかなかった。

 お互いが合意の上でやっているのであれば未だしも、明らかに一方的なそれは加害者ではなく、寧ろ被害者。

 刀華と一輝が対峙している際に黒乃は突如現れた寅次郎の対処に追われていた。『闘神』の異名は伊達ではない。

 年齢を重ねれば確実に衰えがくるはずの剣は、寧ろ年齢を重ねた事によってさらなる昇華へと至っている。黒乃もまた寅次郎の剣氣に当てられた一人だった。そんな人間が目の前で戦う弟子の話ではなく、一人の青年の事を口にする。

 だからなのか、虎次郎の発した言葉がどれ程の意味を持つのかを改めて考えていた。

 

 

 ───あれ程までに武に愛された人間は見た事が無い。少なくとも学生如きが適う相手ではない。闘神リーグの上位であっても足元にも及ばんだろう

 

 

 龍玄の正体が風魔の人間であると仮定すれば、ある意味では当然の事だった。

 学生の間に戦場を経験する事はある意味では貴重な物。実際に学生が投入される場面は、ほぼ勝利を約束した様な状況が殆どだった。厳しい戦いの中で投入すれば、万が一が起こった際には派遣を決めた連盟に批判が集中する。実際に刀華とカナタが鹵獲された一報は、一部の人間以外に知らされる事は無かった。

 

 部隊全滅と同時に身柄は保全されている。それが誰の手によってではなく、生存している事に大きな意味があった。

 刀華の口から該当人物の名前が出れば一笑に伏して突っぱねたかもしれない。しかし、実際に出たのは黒鉄一輝の名。

 星取の数だけを見れば妥当な話だった。

 自分は私闘の末に敗れている。だからこそ資格が無い。言外に出た感情はそのままだった。

 幾ら理事長と言えど、憶測で物事を進める訳には行かない。仮に強引に押し込めば待ってるのは絶望の未来。

 不意に寧音の言葉が蘇っていた。

 自分がその立場になった場合、本当の意味で冷静になれるのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが過っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「理事長は何だったの?」

 

「うん。例の件の打診」

 

「やっぱり断ったんだ?」

 

「うん…………って、何でうた君が知ってるの!」

 

 生徒会室には珍しくカナタと泡沫以外の役員は居なかった。恐らくは雷と恋々は気を利かせたからなのか、刀華が呼ばれる前には席を外していた。

 実際には何を思っているのかは分からない。結果的には両者KOの為に引き分けが対外的な結果となっていた。

 そんな状況で呼ばれたとなれば可能性は一つだけ。刀華に鎌をかける必要も無く、単純に考えれば分かる話だった。

 

 

「いや、何となくだよ。それに試合前に顔色が悪かったんだから、大方体調不良か何かを悔やんでかと思ったんだけど」

 

「まぁ………そんな所かな」

 

 泡沫の指摘に刀華の目は僅かに泳いでいた。実際に泡沫の言っている事に間違いは無い。ただ、その原因を誰が作ったのかは横にしてだった。

 

 

「でも引き分けだったなら問題無かったんじゃないの?何で辞退したの?」

 

「まだ未熟だって分かったから」

 

「ふうん。本当に?」

 

 何時も以上に泡沫の追及は厳しかった。それは罪を断定する為なのか、それとも他の何かがあるからなのか。本人以外にそれを知る術は無かった。

 

 

「泡沫君。それ以上は刀華さんも困りますよ。それに、今回の件で刀華さんが意見をしたとしても、決定するのは理事長ですから」

 

「ひょっとして、カナタも一枚何か噛んでる?」

 

「いえ。ただ事実を述べただけですよ」

 

 刀華とは違い、カナタは完璧なポーカーフェイスだった。学生とは言え、企業の代表を務め、魑魅魍魎が住まう社交界に身を置く側からすれば泡沫の言葉はまだ優しかった。

 声から感じる感情は疑念ではなく、どちらかと言えば拗ねている様にも感じる。

 泡沫の能力を使えば、間違い無く刀華は万全の状態で臨める。それを考慮しなかったからだとカナタは何となく考えていた。

 

 

「でも、カナちゃんが言う通り、理事長が最終判断をするんだから、それでも言われれば提案は受けるよ」

 

 黒乃の性格からすれば自分が辞退すれば、その役目は一輝に向かう事は容易に想像出来ていた。

 一年とは言え、実際には二年次の生徒。昨年の置かれた環境であったとしてもそこから這い上がるその精神は、どちらかと言えば好まれやすい物。

 打算はあるかもしれないが、その方が何かと都合が良いとも考えていた。

 実際に自分の私怨で他の人間の手を借りる訳には行かない。本当の事を言えばカナタの手助けもまた不要だと考えていた。

 しかし、自分の友人が倒れている場面で何もしないはずがない。私怨から来る決闘じみた戦いで周囲を巻き込むのは刀華にとっても避けたいと思うからだった。

 

 

「僕は別に責めている訳じゃ無いんだけどね」

 

「うた君の気持ちは有難く受け取っておくよ」

 

「そう……だったら形で示してもらおうかな」

 

 突然の提案に刀華は珍しく狼狽えていた。

 実際に泡沫がそんな事を言う事は、これまでに一度も無かった。当然ながらその言葉に何となく含みがある事は分かる。しかし、その真意が何なのかを判断するだけの材料は何も無かった。

 

 

「それって…………」

 

「心配かけたんだから、偶には刀華の奢りで食事でもどうかと思ったんだけど」

 

「……そう」

 

「ほら、以前に行ったあの和食の店はどう?」

 

「……えっ。それって………あの店だよね」

 

「他にどこがあるの?」

 

 泡沫の笑顔に刀華は僅かに口元を引き攣らせていた。食事と言うからにはそれなりになるのは当然の事。ただし、それが学生が行くと考えるには適切かどうかは別の話だった。

 この笑みは刀華だけでなくカナタにも覚えがあった。

 以前に生徒会で言ったあの店は実際にはかなり高額の部類に入る。勿論、単純に高いだけの店とは違い、値段と質は相応の物。口ではああ言ってたが、泡沫は随分と気に入っていた。

 当然ながら値段は小遣いで行くような所ではない。刀華もまた値段を考えないのであれば再度行ってみたいと考えた事もあった。

 基本的に刀華はカナタの所でアルバイトをしている事もあり、全くダメではない。

 しかし、気軽にそうだと言える程に懐に余裕がある訳でも無かった。

 確実に大きな札が数枚、瞬時に飛んでいく。そんな事を知っているかの様に泡沫は笑顔のままだった。

 

 

「……あの、うた君。冗談だよね?」

 

「冗談にしたい?」

 

「出来れば」

 

 そこには生徒会役員と言った雰囲気は全く無かった。

 まだ小さな子供の頃からの繋がりそのままの流れは、どちらかと言えば『若葉の家』に近い雰囲気を持っていた。

 だからこそ、心が僅かに緩む。だが、その雰囲気はそれ程長続きはしなかった。

 

 

「刀華。僕には本当の事を言って欲しいんだけど、何か途轍もない相手と戦っていない?」

 

 泡沫は笑顔のままで刀華に質問していた。

 途轍もない相手が何なのかは予想するまでもない。だが、それとこれがどう繋がるのかは何も分からなかった。

 緩んだ空間が瞬時に冷徹な環境へと変化する。先程の笑みとは違う種類のそれは、刀華の身を引き締めていた。

 

 

「どう言う事?」

 

「……刀華は気が付いてなかったみたいだね。実は数日前から僕の周辺に嫌な雰囲気が漂っていてね。隠形と言うには少しばかり様子が違ったてから、気になってたんだよ」

 

「隠形………」

 

 泡沫の言葉に刀華の心臓は大きく跳ねていた。

 隠形で予測出来る事に心当たりがあり過ぎていた。だからと言ってそれが本当に正しいのかは分からない。完全な正解を求めるのであれば当人に聞くよりなかった。

 苦々しい記憶と自分がやった事による代償。予感だけはしたからなのか、刀華は自分の考えが正しいのかを確認する為に泡沫に聞くよりなかった。

 

 

「実際には自分達の存在を敢えて知らせている様にも思ったんだけど、僕自身には心当たりが無くてね。正直な所、暫くは生きた心地はしなかったよ」

 

「い、今は…………」

 

「それはもう感じない。まるで最初からそうする事を目的としたんじゃないかと思うんだけどね」

 

 泡沫の言葉に刀華はある意味では正解を導いていた。

 敵対したが故に監視していたとなれば泡沫だけの話ではなくなる。恐らくは『若葉の家』にも同じ事が起きている可能性があった。

 因果干渉系統の異能を持つ泡沫の力はある意味では未知の部分が多く、また結果として発揮する事が出来る珍しい物だった。

 当然ながらその範囲は幅広い。自分の中で可能な物は問題無いが、確実に出来ないとなれば話は別。

 態々そう言うのであれば、仮に襲撃するならば泡沫の存在は完全に無くなっていた可能性が高かった。心臓の鼓動が僅かに早くなる。刀華の視線は無意識の内にカナタへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「参考までに教えてくれませんか?」

 

「何をだ?」

 

 唐突な質問に、龍玄は訝しげにカナタに目線を移していた。

 本当ならばこんな状況で聞くべき話ではない。しかし、あの時の刀華の表情を思えばカナタとて事実を聞くよりなかった。

 幸いにもこの空間には自分と龍玄だけしかいない。それならば思い切って聞いた方が早いと判断した結果だった。

 

 

「御祓泡沫君の事です」

 

「ああ。あの生徒会役員の人間の事か。それがどうかしたのか?」

 

 龍玄がカナタに視線を向けたのは一瞬だった。二人は今、移動の為に車内に居る。

 移動しているだけでなく、密閉された空間だからこそ周囲に気を使う事無く話をしていた。

 運転中だからなのか、龍玄が再度カナタに視線を向ける事は無い。ただ前だけを見ながら話を続けるだけだった。

 

 

「ひょっとしてですが、周囲に監視を付けていたんですか?」

 

「監視?ああ、その件か。監視と言えばそうかもな」

 

「何故そんな事をしたんですか?」

 

「愚問だな。それをお前に言う必要は無い」

 

「どうしても知りたいんです。教えてくれませんか」

 

 実際にはそれ以上言うまでもなく風魔が関係しているのは直ぐに分かっていた。

 口にしなくとも何となく予想出来る。しかし、刀華は元々孤児院の出身の為に肉親と言う概念は無い。

 確かに泡沫は身内の様な物だが、実際には違う。少なくともカナタはそう理解していた。

 だからこそ疑問が生まれる。

 何をどうしたのかを考えるのはある意味当然だった。藪を突く様な真似はしないが、出てくるのが只の蛇ならまだしも、確実に死を招く猛毒を持っているのであれ話は別。

 聞くのが当然だと考えたからなのか、カナタの口調は少しだけ厳しくなっていた。

 

 

「部外者に言う必要は無い。どうしてもと言うならば小太郎にでも聞くんだな」

 

「どうしてそんな事を言うんですか。私はただ、知りたいだけなんです。でないと…………」

 

 元々風魔が一般との接点を持つ事はこれまでに一度も無いと言っても過言ではなかった。

 事実、カナタとてその存在を知ったのは戦場から帰ってきてからの事。自分の父親は知っている様だったが、あの反応を見る限りそれもまた完全とは言い難い物だった。

 だからこそ、龍玄の冷たい言い方がカナタに疎外感を持たせる。小太郎の名前が出た時点で、カナタが話をしている相手は風間龍玄ではなく、風魔の四神『青龍』だった。

 

 

「勘違いするな。お互いにメリットがあるからこその関係の人間に、我々の事を詳しく言う必要は何処にも無い。そもそも身内以外には言うつもりは無い。恐らくは朱美に聞いても同じだ」

 

 見えない何があるかの様に言い方にカナタは少しだけショックを受けていた。何かと近く親しい関係のつもりが、今の言葉で明確に線引きされている。

 当然ながら今の青龍に話す為にはカナタが今のままではダメであると言われた様にも思えていた。

 

 

「朱美さんもですか?」

 

「当然だ。あれはあんな性格だが、基本は同じだ。交われない人間と深く繋がらないのであれば表面的な関係にしかならない」

 

「表面的……なんですか?」

 

「少なくとも俺はそう考えている。気になるなら本人に聞いてみるんだな」

 

 カナタはこれまで風魔との付き合いの中で朱美は少しだけ毛色が違う扱いをしていた。元々同性である事もそうだが、なによりも話をしても楽しかった。

 実際に護衛に就くケースも多い為に、割と気軽に話をしている。まるでそれすらも嘘だと言わんばかりの言葉ににカナタは少しだけ混乱していた。

 しかし、そんな話の中で時折感じる疎遠感の意味もここで漸く理解出来る。

 話と性格からすれば随分と懐が広い様に感じるのは演技なのか素なのか。カナタは少しだけ寂しさを感じていた。

 

 

 

 

 

 流線形を描くボディに誰もが一度は視線をそれに動かしていた。周囲の目が捉えたのは一台の車。

 音も無く動くそれは、ある意味では特別な物だった。

 高級なクーペを予感させるそれは、少なくとも国内で見る事は早々無い。普段であれば無関心を装う人間でさえも、一瞬だけでも視線を奪われている。珍しいそれに誰もが遠くから見ていた。

 停止した車から降りたのは一組の男女。お互いが見られる事に慣れているのか、それとも眼中に無いのか、平然と停止した店の前からそのまま中へと入っていた。

 

 

 

 

 

「どうでしょうか?」

 

「それでも良いと思うが?」

 

「折角ですから選んでくれませんか?」

 

 会話だけ聞けば普通のカップルが服を選んでいる様にしか聞こえなかった。

 実際にその通りではあるが、少しだけ普通とは違っていた。この店はカナタが普段から利用するプレタポルテを主力とする店。特別な装いをするオートクチュールとは違うが、それでも金額は桁が違っていた。

 既に店員は慣れた手つきで次々と候補の服を持ってくる。常に開け閉めが続く更衣室の前には面倒な感情を隠す事無く立っていた龍玄の姿があった。

 

 

「あれは普段着だったんだろ。だったら似たような物で良いんじゃないのか?」

 

「……風間君。女心が分からないなんで野暮ですよ」

 

「俺には分からん世界なんでね」

 

 そんな取り止めの無い事を言いながらもカナタは幾つかの候補を眺めている。恐らくは迷った末の選択を決めて欲しいのかもしれない。

 幾ら分からないとは言え、龍玄もまたその意味は理解していた。

 今日のこれはデートではななく、以前に引き裂いた服の代わりを購入する為に来ていた。当然ながら龍玄が負担する事になる為に、カナタは珍しく悩んでいた。

 

 

「カナタ様でしたら、どれもお似合いかと」

 

「店員さん。面倒だからそれ全部にしてくれ。これ以上時間をかけても結果は出ないみたいなんでな」

 

「本当に宜しいのですか?」

 

 店員が確認するのは当然だった。カナタは貴徳原財団の人間でもあり、本人もまたVIPの部分がある。しかし、龍玄に関してはどちらかと言えばその辺りに居る学生と大差無かった。

 表に止まっている車を見れば少しは対応が変わったのかもそれない。しかし、それとこれが同じかどうかを判断するには材料が足りなさ過ぎていた。

 だからこそ、値段も確認せず試着するカナタの服がどれ程なのかを教える必要がある。気を利かせたつもりなのか、店員はそれとなく電卓で金額を示していた。

 

 

「問題無い。それと、これで払ってくれ」

 

「お買い上げ有難うございます」

 

 

 手渡した一枚のカードの色は黒だった。発行しているのは世界でも有名な会社。見れば直ぐに店員も理解する。だからなのか、そのまま恭しく奥へと消えていた。

 

 

 

 

 

「でも本当に良かったんですか?」

 

「俺がやった結果だ。詫びも入ってるんでな」

 

 重苦しい車内の空気は既に無くなっていた。実際に風魔の身内となる条件は小太郎に認められるかどうかでしかない。

 カナタ自身がどう思うかは埒外でしかなかった。

 此方が出した条件の事を一切言わないのは、龍玄が知らない可能性もある。ならば折角の状況を楽しもうと前向きに考えた結果だった。

 

 

「ですが、あの食事はそれなりだったと思いますよ」

 

「それは俺が食べたかっただけだ」

 

「だったらそうしておきます」

 

 既に食事を終えたからなのか、車内の空気はかなり弛緩していた。

 実際にはそれ程大きな変化はないが、当初に比べれば雲泥の差。カナタもまた少しだけ酒が入ったからなのか、機嫌は良くなっていた。

 今回の店もまた、どちらかと言えば隠れた名店の様な感じが漂っていた。会合で食べるそれは幾ら口にしても食べた気にはならず、飲んでも酔う事は無い。

 刀華達とは別でリラックスできたのは随分と久しぶりだった。

 隣を見れば運転をしているからなのか、前を向く龍玄の横顔が見える。そんな雰囲気だからなのか、カナタは少しだけ聞いてみたい事があった。

 

 

「予選会が全部終わりましたが、実際にはどうだったんですか?」

 

「予測通りの結果だ。面白味は無いな」

 

「でも、今のままだと本戦には出場出来ませんよ」

 

「所詮は学生だ。俺は一時的にここに居るだけの人間。そんな物を考える事は無いだろうな」

 

 冷たく感じる返答ではあるが、実際にその通りだった。

 予選会が始まる前に刀華が一番気にしていたのは龍玄との対戦だった。

 序盤こそは派手な戦いが続いたが、ふとした事から戦闘方法が大きく変わっていた。

 

 最小の行動で最大の結果をもたらす。それがまさに体現したかの様な結果だった。

 最小の行動で与えられたダメージは肉体の奥底にまで響く。本来であれば躰へのダメージは時間がかかるが、龍玄の攻撃は即時効果が出ていた。

 緩やかな動きから繰り出す致命的な一撃。だからこそ誰もが首を傾げる結果となる。

 正確にその意味を理解した人間は学園の中では殆ど居なかった。

 

 

「でも、多少は未練もあるんじゃないですか?」

 

「雑魚をどれだけ倒してもメリットが無い。ならば小太郎と戦った方がかなりマシだな」

 

 憤るはずの台詞を聞いても、実際には事実である為に、それ以上の言葉は何も出てこなかった。

 今回の戦いは事前の段階で黒鉄王馬が出る事が発表されている。国内A級の実力を持つ人間が戦う結果はある意味では注目の的。しかし、予選会でステラを下した龍玄もまた尋常ではなかった。

 ランクと実戦は別物。まさにその言葉が示す戦いはある意味では強烈な印象を残していた。

 

 

「恐らく私も本戦には出場すると思います。その際には手伝ってくれますか?」

 

「時間に余裕があればだな」

 

 昨年までのスケジュールを周到するならば、この後は壮行会が開催される。その際に今後の予定と、学内の代表の発表が控えていた。

 詳しい事は分からないが、刀華は黒乃に出場そのものも辞退を申し出ている。しかし、それが受け入れられるはずがなかった。一番頂きに近い人間を排除する可能性は限りなくゼロでしかないあ。実績を見ない方がどうかしていると考えるのは当然だった。

 恐らくはこれまでの事を考えれば本戦に出場はするが、団長は一輝がそうなる可能性が一番高かった。

 龍玄の負けが多かったのは、仕事が殺到した結果。カナタもまたそんな事情に一枚噛んでいた為に少しだけ申し訳ないと考えていた。

 過ぎ去った事はどうしようもない。今はただ前を向いて行動するより無いと、カナタは改めて自分に鞭をうつかの様に前だけを向く事に専念していた。

 

 

 



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第41話 事前合宿

 普段であれば慌ただしいはずの空間は、完全な静寂を作り上げていた。

 元々はまだ国会の開催では無い為に、その隙間を縫うかの様に幾つもの細かい案件が時宗の元に届けられていた。

 国会対策は勿論の事、それ以外にはここ最近起こった外交問題など言い出せばキリが無い。世間が思う程、官房長官の役職は暇では無かった。

 積み上げられたファイルに片っ端から目を通す。既に首相でもある月影獏牙は自身の選挙区に居るからなのか、総理官邸のコントロールは事実上、時宗が仕切るよりなかった。

 一向に減る気配がないファイル。これが何時もであればそのまま流すが、ふとした違和感がそこにあった。

 ファイルの発信元は内閣情報調査室。その中でも非公然情報に時宗の目は留まっていた。

 

 

「官房長官。どうかされましたか?」

 

「少しだけ気になる事があったんだけど、このソースって実際にはどうなの?」

 

「それですか?私としては特に感じる物はありませんが………」

 

 時宗の言葉に情報官は少しだけ考えた素振りを見せていた。

 時宗が指した情報は誰が見てもそれ程気になる事ではない。事実、内容もまた一部の重工業の部品関係が活発に活動している程度の事だった。

 情報官が気になる要素は何処にも無い。事実、時宗もまた初見ではそう考えていた。

 しかし、内容を更に読み込めばそこには僅かに歪さが感じられていた。

 重工業が活発に動き先にあるものが何なのかを知れば、ある意味では当然の結果が予測されていた。

 周囲には感じる事が出来ない程に時宗の胸中が苦々しい物になる。目の前にいる情報官もまた時宗の心中を察する事が出来ない一人だった。

 

 

「気にならないなら構わないんだけどね。時間を取らせて済まないね」

 

「いえ。そろそろ時間ですから、私はこれで失礼させて頂きます」

 

 情報官の言葉に時宗は改めて時計に視線を動かしていた。

 気が付けば既に短針は十を指している。気のせいとは言ったものの、内心は穏やかでは無かった。

 

 

「そうだね。こんな時間までお疲れ様」

 

「お疲れ様でした」

 

 時宗もまた大きく伸びをして躰をほぐす。誰も居ない静まり返った空間に、時宗は自身の携帯電話からとある番号をコールしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水中を見渡す限り、視界に飛び込む物は何一つ無かった。

 既にかなりの時間を水中で過ごすが、体力に限界を感じさせない程に泳ぐ速度が落ちる事は無い。一かき事に鍛えられた体躯は瞬時に前へと進んで行く。何も知らない人間が見れば、その速度は脅威としか取れない程だった。

 プールの壁面に手を付けるのではなく、その場で回転し、脚でそのまま蹴りつける。勢いを増した速度を維持するかの様にひたすら動きが止まる事は無かった。

 

 

「随分と苛め抜いたのね。何かあった?」

 

 水面から顔を上げた先に会ったのは黒のビキニを纏った朱美の姿だった。

 元々は鍛錬の為に来ていたプールだが、時間帯が微妙だったからなのか、周囲には誰も居ない。泳ぐ事を重視していた龍玄は競泳水着だったが、朱美は鍛錬をするつもりは無いからなのか、プールサイドに置かれたチェアに腰を下ろしていた。

 

 

「特に何も。久しぶりに泳ぐのも悪くは無いと思ったんでな。で、お前こそ何でここに?」

 

 龍玄の問は尤もだった。元々今回の予定では朱美率いる朱雀は周辺の情報収集を行っているはず。部隊での単独であればまだしも、今回の件は小太郎から直接指示を受けている内容だった。

 頭領の指示であるならば反故にする道理はない。龍玄もまた、青龍として部隊を率いているからこその疑問だった。

 

 

「私がここに来ているのは任務よ。頭領からの指示だしね」

 

「頭領がか?」

 

 普段であれば、公共の場所で小太郎の名を出す事はこれまでに一度も無かった。

 世の中に絶対と言う言葉は無い。当然ながらここでも誰が聞き耳を立てているのか分からない。本来であれば隠語を使用するが、幸いにもこの場には人の気配は感じられなかった。

 

 

「ええ。実際には内閣からの忠告と言った方が正解かしら」

 

「何があった?」

 

「あれで話すわ」

 

 朱美の言葉に龍玄もまた先程とは違った意味での緊張感を高めていた。

 内閣が絡むのであれば依頼の可能性が高い。事実、朱美がもたらすのであれば情報の大半は機密事項だった。

 周囲に視線を動かす事無く気配を探る。誰も居ない場所だと認識したからなのか、朱美もまた単語を出す事によってその重要性を示唆していた。

 

 『葉擦れ』と呼ばれる技法は周囲に気が付かれない様に互いの会話を成立する話法。盗聴防止の意味合いが多い為に、公共の場でも活躍する事は多かった。

 幾ら周囲に人の目が無かったとしても、会話の内容を把握されていないとは限らない。

 だからこそ、無意識の内にそれを利用していた。

 

 

 

 

 

 

「成程な。って事は、近日中に大きな何かが起こると判断してるのか?」

 

「そうね。これまでの事を考えれば可能性は高いわね。でも、最終的には頭領の決定よ」

 

「あれがこんな依頼に遠慮するはずがない。勿論、時宗だって理解してる。毟り取れる好機を態々逃すとは思えんがな」

 

「そうね。偶には高額依頼も必要よね」

 

 時宗個人ではなく、内閣が絡むとなれば内容は限りなく極秘扱いだった。

 実際に伐刀者で編成された軍を動かすとなれば、関係各所に根回しが必要となっていくる。しかも、今回の内容は下手をすれば内閣が転覆する可能性もあった。

 そうなれば関係各所に情報を渡せば渡す程に漏れるのは間違いない。しかし、今回に限ってはそれだけでは無かった。

 

 警察では何かがあった場合に火力が足りない。かと言って、傭兵に依頼するのは憚られる内容。

 しかし、見方を変えればある意味では使い勝手は良かった。

 万が一があったとしても容易に見捨てる事が出来る。人的な意味では有効だった。

 勿論、その全てが良い事づくめではない。万が一鹵獲された場合、多大なリスクを負う可能性があった。

 最悪は情報流出の危険性もあった。世間から見れば傭兵は報酬が全て。場合によっては報酬の多寡であっさりと翻される危険性もあった。

 しかし、風魔に関してだけはその限りでは無かった。風魔小太郎と言う人物がどんな性格をしているかと言うよりも、北条家との繋がりを考えればある意味では強固な関係性であるとも考えられていた。

 

 内閣に組閣された際に、一部の近代史が先代より引き継がれる。それは大戦の暗部とも取れる内容だった。

 何も知らない人間はその事実に疑いを持つが、機密文書の中にも記されている為に、信憑性は高かった。

 大戦の英雄と呼ばれた南郷寅次郎もまだ健在の為に、裏取りをする必要も無い。内閣ではなく、寧ろ戦勝国としての急所を握られているからこその対応でもあった。

 事実、傭兵の中でも伐刀者と非伐刀者で混成された組織はある意味では特異な存在。

 時の権力者がどちら側でも配慮出来る点は極めて有効でもある。ましてや、現時点で官房長官を時宗が勤めている間は信頼関係は確実だった。

 だからこそ厳しい内容の依頼が集中する。小太郎もまたそれを理解しているからなのか、報酬額は常に高止まりしていた。

 

 

「今はまだ調査中なんだけど、少しだけ厄介な事もあるのよ」

 

「今度は何があるんだ?」

 

「少しだけ私達にも関係があるのよ」

 

 何時もとは違った表情をしていたからなのか、朱美の表情に龍玄もまた訝し気な表情となっていた。

 自分達に関係があるとすれば、それは抜けた人間に関係する物。それが意味する事は何なのかは言うまでも無かった。

 

 

「まだ確認中なんだけど、厄介な部分があるのよ。今はまだ情報の検証が必要なんだけど、今回の件に乗じる可能性は高いのよ」

 

「参考に聞くが、今回の件とどう関係があるんだ?」

 

「そうね………」

 

 龍玄の言葉に朱美もまた少しだけ思案顔をしていた。現在調査中ではあるが、内容はかなり厳しい部分にまで及んでいた。

 仮にこの情報が正しいと仮定した場合、かなり厄介な火種になるのは容易に素想像出来る。

 人的な被害が無かったとしても、信用と言う意味ではかなり厳しい物。当然ながら依頼されるとすれば厳しい内容になるのは当然だった。

 だからこそ朱美もまた慎重にならざるを得ない。口から出た内容に龍玄もまた思案するより無かった。

 

 

 

 

「また、面倒な事になりそうだな。だが、何で今頃?」

 

「それは分からない。でも、既に入国してるらしいのよ」

 

「………で、小太郎はどうするって?」

 

「今は静観。まだ目的がはっきりとしない以上はこちらから動く必要は無いだろうって」

 

 朱美の言葉に龍玄もまた眉間に皺が入っていた。

 ここ最近になって、ブラックマーケットの動きが活発化し始めている事は朱美から聞いただけでなく、自身もまたニュースを見ながら何となくでも予想していた。

 しかし、今回の情報が本当であれば厄介な火種が向こうから飛び込んで来た事になる。以前の様な根来衆とは違った来襲は、少なからず自分達にも大きな影響を会与えるのは必至だった。

 

 

「小太郎がそうなら俺達も同じだ。ただ、警戒態勢は一段だけ上げておこう」

 

「そうね。こちらも動きが分かれば直ぐに知らせるわ」

 

「そうだな」

 

 面倒事そのものは嫌いではない。しかし、今回のそれに関してだけは例外だった。

 敵対するとなれば確実に骨が折れる。戦闘狂の自覚はしているが、それでもやはり来るべき戦闘を考えれば面倒以外の何物でも無かった。

 心情がそのまま出たのか、僅かに溜息が漏れる。重い話はここまでだと言わんばかりに朱美は少しだけ笑みを浮かべて話題転換を図っていた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、この前のデートは楽しかった?」

 

「デート?何の事だ」

 

「ほら、車貸したでしょ。相手はカナタちゃんじゃないの?」

 

「ああ、あれか。あれはそんなんじゃない。少しだけ教え込んだ際に問題があっただけだ。この前のあれは、ただのフォローだ」

 

「へぇ。そんなんで態々あの店で買うの?」

 

 朱美の言葉に龍玄は少しだけ警戒していた。朱美は恐らくはカナタから何かを聞いている可能性があった。

 元々詫びとして引き裂いた服の代わりを購入しただけの話。金額の多寡はともかく、一着だけではとの考えがあっての事だった。

 勿論、龍玄自身が朱美に話をした記憶は毛頭ない。だからと言って朱美を見た記憶も無かった。

 少しだけ嫌な予感がする。予測は出来たが、朱美が何を考えているのかまでは判断出来なかった。

 

 

「普段から自分が着ているブランドの方が馴染むと思っただけだ。それがどうかしたのか?」

 

「何を考えているのかは知らないけど、普通はあんな店で買わないわよ。カナタちゃんだってそう考えてるわ」

 

「そうか?俺はそう思わなかったんだがな」

 

「………これだから貴方は」

 

 まるで残念な人を見るかの様な視線を朱美は投げつける。それと同時に一つの言葉を投げかけていた。

 

 

「いい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。相手が誰であろうと同じ事よ」

 

「それこそ無いな。そもそも債務者に絆されるなんて事が一番あり得ない」

 

「本当にそうかしら?」

 

「………どう言う意味だ?」

 

 何気ない会話ではあったが、朱美の言葉に龍玄は改めて訝しく思い出していた。

 事実、報酬をまだ貰い受けていない時点で、カナタはまだ債務者でしかない。期限こそ決められているが、その意味合いはほぼ同じだった。

 当然ながら債権者としての意味合いで龍玄はカナタの下に送り込まれている。それが解決しない時点で、龍玄がカナタに対し何かをする事は無かった。

 だからこそ、朱美の意味深な言葉に警戒する。そんな龍玄の感情を図ったからなのか、朱美もまたそれ以上は深く追求される事を嫌っていた。

 

 

「まだ秘密。そんな事よりも、先にやるべき事があるんじゃないの?」

 

「まだ俺の所にまで情報は降りてきていない。出来る事は限られるだけだ」

 

 強引な話題転換ではあったが、龍玄もまた同意したからなのか、問題となる部分を優先していた。

 実際に何が起こるのかは予測出来ないが、それでも用心に越した事は無い。それ以上は言うべき事も無いからなのか、龍玄は再びゴーグルとキャップを被り、そのままプールへと飛び込んでいた。

 水しぶきがそれ程起こる事は無くとも、その速度は常軌を逸している。水の抵抗など最初から無かったかの様にただ泳ぎ続けていた。

 

 

 

 

 

 

「だって。残念ねカナタちゃん」

 

「私はそんなんじゃありませんよ」

 

 朱美の背後に居たのは競泳水着に着替えたカナタだった。

 本来であればカナタはここではなく、七星剣武祭に向けての合宿に同行する予定だった。

 しかし、学生でありながらも経営者であるからなのか、カナタだけは他のメンバーとは日程を変更していた。向かった先がまだここから近いからなのか、カナタもまた明日の朝一番から移動する予定だった。

 

 

「でも、服は嬉しかったんでしょ」

 

「まぁ………それはそうですが」

 

「あいつはね、基本的には自分の事にしか拘わらないのよ。破軍に通う様になってからは少しは変わったのかもしれないけど。まさかカナタちゃんにお金使うなんて初めて聞いた時には驚いたわよ」

 

「そう……なんですか?」

 

「そうよ。私だって払って貰った記憶は殆ど無いのよ」

 

 朱美の何気ない言葉にカナタは少しだけ驚いた表情を見せていた。

 確かに龍玄は風魔としての稼ぎがあるのは知っているが、自室の冷蔵庫に詰める食材以外に何かを買う様な素振りは殆ど見た事が無かった。

 以前に隠れ家的な店に行った際に聞いた話も、あくまでも一人で行くだけの話であって、誰かが追従する様な事は一切無い。

 基本的に風魔の人間がどんな生活しているのかはカナタとて何も知らない。普段は早朝から鍛錬をしている事は知っているが、それだけだった。

 

 これまでの同居生活で何とか知れる程度。だからこそ、朱美の言葉にカナタは驚く。

 独善ではないが、それでも自分以外の事に眼中が無いと思われた人間の意外な行動はただ驚愕するだけだった。

 だからなのか、カナタの顔は自然と赤身を帯びていく。これまでの様に令嬢としての役割を果たすべく生きてきたのではなく、どちらかと言えば一人の人間としての感情を持つカナタに、朱美はただ笑みを浮かべて眺めるだけだった。

 

 

「折角来たんだし、少しは泳いだらどう?」

 

「そうですね。時間もそれ程ありませんし」

 

「帰りは送ってあげるから安心して」

 

 カナタにウインクを一つ飛ばし、朱美もまた同じくプールへと飛び込んでいた。

 龍玄の様に速度を活かすのではなく、ゆったりと時間をかけて泳ぐ。

 肉体の疲労を抜くかの様な泳ぎにつられたからなのか、カナタもまた同じ様にプールへと飛び込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだまだ精進が足りんな」

 

「まだやれる!」

 

 壮年とも取れる程の年齢を重ねた男は、まだ若く荒々しい斬撃を容易く防いでいた。

 青年の日本刀に対し、壮年の男が持つのは薙刀を彷彿とさせる一本の槍。穂先が異常に長く、周囲には穂先を囲むかの様に刃が付けられている。

 刀と槍の絶望的な間合だけでなく、扱う力量もまた天と地程の差があった。

 自分の持てる力を出さんと、鋭く放つ斬撃を男は容易く防御する。槍の持ち手でもある部分は木製であるのは理解出来るが、防がれた際に感じる手ごたえは金属に近い物だった。

 

 傍から見れば一方的な攻撃。しかし、防ぐ男の表情にはまだ余裕があった。

 タイミングだけでなく、角度も変えながら幾重にも斬撃を重ねる。しかし、そんな青年の努力を嘲笑うかの様に男は全て防ぎ切っていた。

 穂先を使う事無く石突の部分で反撃を繰り出す。事実上の死角となった地面スレスレからの攻撃を辛うじて防ぐ事が出来たのは僥倖としか言えなかった。

 

 元々槍は刀に比べれば間合は遥かに大きい。当然ながら近づく事が困難であると同時に、接近戦に置いてはそれ程脅威は無いはずの物。

 しかし、それはあくまでも通常の形状であればの話。

 穂先をギリギリまで引きつけると同時に、カウンターを入れる為に接近すれば刀にも勝機はある。一輝とてそれは当然の様に理解していた。

 だが、今はそんな緩い考えを持つ事が出来ない。

 尋常ではない速度で来る刺突をギリギリで避ければ、待っているのは横に出た刃が斬りかかる未来。しかも、戻しがある為に今度は背後にも気を配る必要があった。

 『宝蔵院流槍術』十文字槍の恐怖を一輝はまさに身を持って体験していた。

 

 

「踏み込みがまだ甘い。その程度の斬撃など遅い!」

 

「あ、ありがとう……ございました」

 

「まだまだ精進が足りん。小手先の業に頼るな。その程度の人間は掃いて捨てる程に居る。地力が足りないならば基礎を忘れるな」

 

 まるで児戯だと言わんばかりの言葉ではあったが、その言葉には重みがあった。

 恐らくは、こうまで厳しい戦いをした事はこれまでに一度も無い。周囲を見れば他も同じだったのか、誰もが肩で息を弾ませていた。

 

 

「それと、黒鉄とか言ったな。貴殿は我らの流派と戦った経験があるのか?」

 

「いえ。一度もありません」

 

「その割には手慣れた様にも感じたが」

 

 男の言葉に一輝はここ最近の事を思い出してた。予選会の中で槍を主体とした人間と対戦した記憶は無かった。

 確かに男が言う様に槍の間合いは一気にとっては厳しい物ではあったが、初見では無かった為にそれ程のダメージを受ける事は無かった。

 記憶をそれなりに遡る。何かを思い出したのか、一人の名前を出していた。

 

 

「そう言えば、龍とやった記憶があった」

 

「龍?ひょっとして風間龍玄の事か?」

 

「はい。あの……ご存じなんですか?」

 

 龍玄の名前が出ている事に一輝は驚いていた。

 それもそのはず。ここがどこなのかを正しく理解すれば、龍玄の名が出た時点で異常としか言えなかった。

 ここはKOKではなく、闘神リーグの出場者であれば誰もが知る場所。槍の強豪でもある興福寺の子院。既に失われていると思われた流派の総本山だった。

 

 

「そうか。あやつなら仕方がないな。そう言えば、最近もここに顔を出していたな」

 

 壮年の男性は流派の師範代。本来であれば一手指南すらも憚られる人間だった。

 闘神リーグの二位。そんな人間が顔を憶えている事実に一輝だけでなく、今回参加したメンバーもまた驚いていた。

 

 

「あの、実際の所はどうなんですか?」

 

「あやつは、ああ見えて流派の奥伝まで習得している。あれ程の才を持ったのは久しいな。リーグに出れば確実に上位は間違い無いだろう」

 

 男の言葉に一輝は内心やはりと言った感情を持っていた。

 最初に会った際には嗜む程度と聞いている。にも拘わらず、奥伝を使えるとなれば最早嗜むどころの話では無くなっていた。

 

 

「まだ上があるんですね」

 

「お前達はまだ入り口にすら立っておらん。伐刀者として異能の才は必要なのは間違いない。だが、それを前面に出せば確実に自分達の首を絞める事になるだろう。常に整えられた環境下で戦えるはずがない。それに気が付くかどうかが重要だ」

 

 今回の参加者は事前の行動とは異なった為にメンバーは少数精鋭だった。

 異能を中心として戦う人間は今回の合宿の趣旨には合わない。真っ先に体力を失うのが目に見えるからだった。

 

 

 

 

 

 都内某所では破軍学園の要請を受けた事により、急遽強化合宿を開催していた。

 本来であれば学園が持つ所有地での合宿ではあったが、事前にあったトラブルにより今回の使用は禁じられていた。

 元々七星剣武祭は他の学園との交流もまた側面として持っている。

 本来であれば使えないのであれば他の学園との合同合宿も考えられていたが、今年に限っては手の内を晒す訳には行かないからと、各所に打診をかけていた。

 

 当然ながら伐刀者と非伐刀者では戦闘方法は大きく異なる。ましてや今年の出場者もまた武技ではなく異能寄りの戦闘方法が多かった。

 当然ながら万が一の事があれば責任問題にまで発展する。その為に目的地の選定は難航していた。

 そんな中、提案をしてきたのは理事長の黒乃ではなく寧音だった。それぞれの持ち味を活かしながらも問題視する必要が無い場所。心当たりがあったからなのか、黒乃のまた寧音に選定場所を一任していた。

 決まったのは関東圏にある某所。あまり名の知られていない寺だった。

 場所だけ聞けば誰もが疑問に思う。しかし、寧音から出た言葉に誰もが異論を挟む事は無かった。

 

 

「寧音。我らは良かったが、お前達は本当に良かったのか?」

 

「当然さね。ここなら他に迷惑も掛からないし、何かがあっても安心出来る。ならば使うのは道理さね」

 

「相変わらず豪胆だな。仮に断られたらどうするつもりだったんだ?」

 

「ほら、そこは……師繋がりって事にさ」

 

「相変わらず適当だな。だから風魔にも目を付けられるんだろうが」

 

「あ、あれは……ただ忘れてただけだったんよ」

 

「そうか。だが、業界では割と有名だぞ」

 

「マジ……で?」

 

「そんなくだらない事で嘘を言う必要があるのか?」

 

 

 西京寧音は誰も知るKOKのトップ選手。基本的にはKOKの選手が他の団体で戦う事は早々無かった。

 当然ながら寧音の隣に座る男性は寧音とは顔見知りでは無い。そうなればこの場所の提供の可能性はあり得ない。

 それを繋げたのは寧音の師でもあった寅次郎だった。

 『闘神』の異名は伊達では無い。過去の人になれば栄光が忘れられないと思われるが、寅次郎に関してはその前提が異なっていた。

 既に第一線から身を引いてかなりになるが、それでも当時の状況は今もなお語り継がれている。

 苛烈な攻撃と冷徹な判断。寅次郎の前に立つ者は無いとまで言われた存在感は、今もなお健在だった。

 当然ながら、ここでも闘神の名は轟いている。寧音が依頼する前に寅次郎からも事前に話だけは聞かされていた。だからこそ突然の要請にも異論を挟む事無く破軍の生徒を受け入れていた。

            

 

「さて、今日はこれ位にしよう。この後は食事をとって今朝の続きだ」

 

 男の言葉に一輝だけでなく他の人間の顔も引き攣ってた。ここが寺である為に、出てくる食事は全てが精進料理。

 朝のお勤めから夜のお勤めまでの間に鍛錬を行っていた。お客扱いではなく、同じ修行僧として扱う。

 実際には細かい部分での規約はあるが、それ以外に関しては案外と大らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかここまで厳しいなんて聞いてないんだけど」

 

「でも、学生同士よりは良いと思うけどね」

 

 ステラの呟きか愚痴とも取れる言葉に一輝もまた内心ではステラと同じ事を考えていた。しかし、これが鍛錬であると考えた場合、極上の環境だった。

 KOKではなく、闘神リーグの苛烈さを考えれば、どれ程の実力が必要なのかが自然と分かっていた。

 学生であれば未来を見据えるのは当然の事。漠然と歩む事を考えれば多少の暗さはあっても照明があった方が何かと分かり易かった。

 

 今回のメンバーの中で一輝と刀華だけが頭一つ抜きんでていた。

 実戦による戦闘方法では異能は使わない。ここに居る数人もまた同じ事を考えたからなのか、純粋な戦闘技能を高める事を優先していた。

 学園の中での訓練は基本的な事が多く、戦闘技能に関しては異能の得手不得手がある為にある程度の妥協が必要だった。

 しかし、ここではその妥協は一切無い。寧ろ、脱落を速める様に思える程の過酷な物だった。

 

 健全な肉体を作り上げる為に健全な精神を養う。早朝からの鍛錬に慣れている一輝としても、厳しいと思える程だった。

 一輝でこうなら当然ステラは更に厳しい。ここに来てまだ二十四時間も経過していないにも拘わらず、既に長くここで修業している気分を味わていた。

 

 

「さて、そろそろ食事の時間だ。貴殿らも直ぐに支度をしてくれ」

 

 一人の男の声に、誰もが移動する。ここでの食事は事実上の憩いに等しかった。

 周囲には何も無い。だからこそ食事だけが癒される基となっていた。

 ステラもまたその言葉に少しだけ機嫌が良くなる。

 それだけ抑圧された環境は学生にとっても過酷な物だった。だからこそ食に対するこだわりは強いはずだった。

 

 

「ステラ。僕達も行こうか」

 

「………そうね。行きましょう」

 

 寺であるが故の事情。少なくとも精進料理をステラはそれほど好んではいなかった。

 基本的には何でも食べるが、やはり肉が恋しい。だからなのか、足取りは少しだけ重い。そんなステラに、一輝もまたフォローを入れる事は困難を極めていた。

 

 

 



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第42話 世界の一端

 強化合宿も三日目。既に生徒の殆どは疲労のピークを迎えていた。通常の鍛錬であれば子ほど疲弊する事は無い。しかし、この環境がそうさせるからなのか、誰もが肉体だけであく精神にまで及んでいた。

 明らかに上位者との戦いは常に肉体を酷使するだけでなく、思考までもが戦闘時に並行しなければ直ぐに弾き飛ばされる。この時点でついてこれる人間は一輝とステラ、刀華の三人だけだった。

 

 

「何だか本当の意味での苦行よね。これって」

 

「でも、今回のこれはかなり有意義だと思うよ」

 

「それはそうだけど……」

 

 ステラが言い淀むのは無理も無かった。

 実戦形式での訓練は常に自分の身をすり減らす。精神が乱れた瞬間に待っているのは容赦無い連撃だった。

 槍には非殺傷用に鞘が被されている。当然ながら安全面を考慮した結果だった。

 しかし、それはあくまでも槍単体で考えた場合の話。少なくとも戦闘時には殆ど役には立っていなかった。

 

 刃が無くともその(わざ)のキレだけで容易く皮膚が裂ける。既に貸し出された道着は初日でズタボロだった。

 殺気を感じさせず淡々と攻撃が繰り出される。少なくとも槍を武装した伐刀者との経験が無ければ初手で意識を飛ばされるのは当然の結果だった。

 かと言って、その技術が無駄になる訳では無い。闘神リーグの雰囲気を肌で感じる事が出来るのは、ある意味では貴重な経験だった。

 

 

「そろそろ時間だ。本堂に行こうか」

 

「私、あのメイソウだっけ?あれ苦手なのよね」

 

「そう言えば、結構やられてたよね……」

 

 二日目になって行われた坐禅の時間にステラかかなり苦労をしていた。

 これまでに足を組んだ事が無い為に、常に焦りを生んでいる。当然ながら穏やかとは正反対の状況は誰が見ても落ち着きは無かった。その結果、短時間で幾度となく警策で叩かれる。

 叩かれた瞬間に感じる痛みに精神は拍車をかけて不安定になっていた。話では聞いた事はあっても、実際に経験するとその限りでは無い。ステラが突出して目立ちはしたが、他の生徒もまた幾度となく肩を叩かれていた。

 

 

「流石は精神が不安定なだけはありますね。やっぱり落ち着かないのは性格以外にも邪念があるみたいですね」

 

「何よ。シズクだって叩かれたじゃない」

 

「私は最初だけです。それに、あれは憎くて叩くのではなく、寧ろ頑張る様にとの励ましなんです。そんな住職の思いを無駄にするなんて考えられません」

 

 珠雫の正論にステラは何も言えなかった。実際に精神を落ち着かせる事によって、いかなる状況下でも冷静になる事を主とした鍛錬は誰もがそうだと感じていた。

 幾ら超人的な能力を行使しても、意味が無ければ徒労に終わる。実際に戦闘時に求められるのは冷徹とも追われる程の合理性だった。

 一か八かの戦いは所詮はギャンブル。自分の命だけをベットするならまだしも、何かを護る為の行為となれば話は別。専守防衛とまでは行かなくとも戦場に於いてはそう言った場面は度々遭遇するからこそのこれだった。

 本来であればしっかりと説明をする事は無い。しかし、今回のこれはあくまでも学生であるからとの前提が立つ為に、簡単ではあるが事前に説明が為されていた。

 

 

「あの……二人ともそれ位にしないと」

 

「そうですね。折角本山に来たんですから、その技術は全て体得する位のつもりが良いかもしれませんね。さぁ、お兄様。こんな脚が太くてあぐらも組めない女なんて、ここに放置して行きましょう」

 

「ちょっ………待ってよ。私も行くわ。それに言っておくけど、あぐらは慣れてないだけだから」

 

「出来ない為の良い訳ですか。本当に浅ましい」

 

「何でシズクにそんな事言われないといけないのよ!」

 

 既に時間が押し迫っていたからなのか、珠雫の言葉にステラもまた急ぎだす。決められた時間がどれ程貴重なのかを知らしめる為に、遅れた人間に対する制裁は厳しい物だった。

 気が付けば既に一輝達以外は全員が居る。ステラもまた軽く深呼吸をすると同時に坐禅の為にあぐらをかいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返った空間に漂うのは張りつめた空気。坐禅の時間はそれ程長い訳では無いが、精神修養の一環として組まれたスケジュールの観点からすればかなり重要な物だった。

 戦いでは冷静になれなかった人間から脱落する。一輝もまた、当時監禁された様な環境下でも勝利してこれたのは、偏に自分を見失わなかったからだった。

 時には勢いが必要な事は否定しない。しかし、それが必要なのは一瞬の事。戦いは常に自分を有利な展開に持って行く事が肝心だった。

 だからこそ、この時間を大切に考える。そんな中で思い出すのは昨日の師範代の言葉だった。

 

 

 

 

 

「あれがここに来た際には一手指南からだな。最初はよくある話だったんだがな」

 

「そんなにあるんですか?」

 

「そうだ。ここがどんな場所なのかを考えれば無い話ではない。事実、ここが今の総本山であるならば最低限でも拍が付く。我らもまたそれを容認しているんでな」

 

 これまで認められながらも中々やる事が無い道場破りは形骸化していた。

 事実、余程の実力が無い所は禁止されている程だった。これまでに一輝の記憶の中で受けたのは龍玄が使っている道場だけ。ましてやここが簡単に受けるとは思ってもみなかった。

 

 

「万が一があった場合はどうするんですか?」

 

「万が一がある訳がない。ここで出てくるのは師範代の自分か最高師範だ」

 

「………ですよね」

 

 師範代の言葉に一輝も納得するしかなかった。

 まだ少ししか指南を受けていないが、十文字槍の脅威は言葉では言い表せない。事実、今回の合宿で来ている暮葉姉妹に限って言えば、槍の固有霊装である為に、一輝達以上に絞られていた。

 学園でも基本の型は学ぶ事が出来る。しかし、そこに専門性は無かった。

 

 基本は基本として重要ではあるが、そこから派生する駆け引きまでは教えられない。後は自分達の努力に期待するより無かった。

 当然ながら槍を振り回すよりも突く事を重視し、払う事によって牽制をする。刺突一つとっても刺す行為よりも引き戻す行為を重視するからなのか、二人に関しては鍛錬の後は無残としか言えなかった。

 刀であっても結果は同じ。一輝や刀華、ステラに関して言えば、槍の穂先を活かした攻撃は最悪の一言だった。

 薙刀とまでは行かないが、その攻撃範囲はかなり広い。世間が言う所の薙刀が女子供の武器だと言うが、本当の意味は違う。

 

 

 『女子供でもひとかどの武者を斃せる武器』

 

 

 当然ながらそれ程の威力がある武器を熟練した人間が持てば、結果は見るまでも無かった。

 近寄ろうとすれば穂先だけでなく、横に付いた刃が襲い掛かり、懐に入り込んだ瞬間に来るのは穂先の反対にある石突の部分。それに油断した瞬間に蹴りが飛んでいた。

 しなやかに動く体躯は体幹が鍛えられている証拠。少なくとも学生が適う相手ではなかった。

 仮に異能を行使すれば、待っているのは強烈な反撃。異能を行使するだけの隙を逃すはずが無かった。

 当然ながら純粋な武技だけで凌ぐより無い。過去に対戦経験があった刀華もまた一輝同様に弾き飛ばされていた。

 闘神リーグの二位は伊達では無い。一輝にとって初めて職業伐刀者(プロ)と呼ばれる人間と対峙した結果だった。

 

 

「言い忘れたが、明日からは少しだけ難易度を上げる。遅れずについて来るんだな」

 

「あの……因みに龍玄はどうだったんですか?」

 

「あやつは最初から全力だ。あれもまた槍の心得はあったからな」

 

「………知ってます」

 

「実際に戦えば分かるが、あれはある意味では物事の道理でもある真理を理解している。世間が言う所の奥伝は、流派は違えど同じ場所にある様な物だからな」

 

「同じ………それがなんですか」

 

「そうだ。あれはそれを理解している」

 

 以前に龍玄から言われた理が何なのかを一輝はおぼろげに見た様な気がしていた。

 これまでに考えたイメージは口伝で行われる業の継承だとばかり考えていた。実際に流派ごとに何かがあるのは理解している。しかし、その本質が同じだとは考えた事も無かった。

 その言葉に一輝もまた新たな道が開けた様にも感じる。この合宿に来て良かった。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 一輝の肩に不意に堅い物が触れていた。これまでに何度か感じたそれは警策の証。恐らくは昨日の事を考えた故に乱れがあったんだと判断していた。

 首をゆっくりと右に傾ける。その瞬間、一輝の肩にはこれまでに無い程の衝撃が走っていた。

 

 

「うっ!」

 

「黒鉄君。精神が乱れてますよ」

 

 本来警策の後に話かけられる事は無い。しかし、今回に限ってだけは話かけられていた。

 しかし、この声に聞き覚えが無い。黙想を続けている為にそれが誰なのかは分からないままだった。

 不意に漏れたのはある意味では当然だった。

 叩かれた衝撃が肩の表面に拡散する事無く、そのまま体内にまで及んでいる。研ぎ澄まされた一撃が故の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ。僕がここ最高師範でもある宝蔵院胤栄(ほうぞういん いんえい)。話は師範代から聞いてるよ。僕らの技術が役に立てば良いけど」

 

「今回の件、ありがとうございます。破軍学園生徒会長の東堂刀華です」

 

 お互いが笑顔での邂逅だった。今回の合宿先を聞いたのは出発の前日。寧音の怠慢ではなく、純粋に師範でもある胤栄に連絡が付かなかったからだった。

 結果的には師範代の許可が出た事によって今に至る。話は届いているとは言え、直接本人に会ったのは今日が初めてだった。

 胤栄はこれまでに会った事が無いタイプの伐刀者だった。純粋な技量を持つだけでなく、実際に寺院も同時に経営をする。その影響もまるからなのか、初見ではどうしても穏やかさが前面に出ていた。

 

 

「確か、七星剣武祭の強化合宿だったよね。実際にはどうかな?」

 

「はい。随分と勉強になっていると思います」

 

「そう。それ程構う事は出来ないけど、身になると良いね」

 

 握手をした瞬間、刀華は胤栄の手にかなりのまめが出来ている事に気が付いていた。

 少なくとも伐刀者の殆どは自身の固有霊装を使用した鍛錬を積む事が殆どの為に、手にまめが出来る事は早々無い。自分の肉体と同等であれば違和感は生じない。しかし、胤栄の手から分かる事は、固有霊装以外の手段を同等レベルでも身に付けている事の証左だった。

 先程のイメージとは違い、改めて視界に飛び込む全身は作務衣に隠れて分からない部分以外は完全に鍛え上げられていた。

 強靭よりもしなやかさを優先した様な筋肉は、筋量による重攻撃よりも、寧ろ速度を活かした戦い方を得意としている様にも見える。龍玄と対峙した際に感じられた強者の風格を胤栄からも感じ取れていた。

 

 

「ですが、基本的な事が多いので少し変化が欲しいですね」

 

「……成程。では、どうでしょうか?私と手合わせしてみませんか。寅次郎氏からも聞いてますので」

 

 穏やかな表情ではあるが、その周囲を取り囲む雰囲気は既に戦闘時へと変化しつつあった。実際に刀華もまた以前とは違った意味で自分の実力がどれ程の位置にあるのかを知りたいと考えていた。

 卒業後の進路だけではなく、世界の頂上から見た自分がどれ程のレベルなのか。そこにあるのは戦いに対する渇望の様でもあった。

 

 

「私で良ければ。それともう一つだけお願いがあります。世界の一端を教えて下さい」

 

「成程。我々と同じ領域を望むと言う事ですね」

 

 内包した熱量が表面に現れたかと思う程だった。

 師範代がリーグ二位である事は知っているが、最高師範の胤栄はどれ程なのかは案外と知られていない。

 知る人間からすればある意味では半ば常識めいた内容だが、刀華の様に一般的な人間からすれば、力量は理解するが全容が見えない為に判断すべき材料は何も無いと同じだった。

 だからこそ、刀華の放った言葉の意味を胤栄は正しく理解する。それが闘神リーグなのか、KOKなのかは分からない。名か実力のどちらを選ぶのは各自の自由だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、随分と珍しい事をしてるみたいね」

 

「どうかしたんですか?」

 

 移動中の車内では朱美が何かを察知したからなのか、呟きがそのまま口に出ていた。

 既に目的地までは目と鼻の先まで来ている。だからなのか、記憶にある氣の流れが少しだけ違っている事を察知した結果だった。

 

 

「目的地で珍しい事をしてるみたいね」

 

 フロントガラスの映る景色は少なくとも常識の範囲を超える速度で後方へと流れていた。

 車内は防音が効いているからなのか、外の世界とは完全に切り離されている様にも感じる。隣に座るカナタもまたそんな景色を眺めながらも朱美の真意が何なのかを知りたいと考えていた。

 

 

「珍しい……ですか?」

 

「ええ。これから行く場所が何処なのかは知ってると思うけど、普段はあまり居ないのよ」

 

「ですが、最高師範がここに居るのは当然なのでは?」

 

 朱美の物言いにカナタもまた誰の事を指しているのかを直ぐに理解していた。

 突然決まった強化合宿の先は興福寺。言わずと知れた宝蔵院槍術の総本山。当然、待っているのは最高師範のはずだった。

 カナタもまた事前に調べたからこそ、その疑問が出る。そんな些細な事でも教えるかの様に朱美はカナタに改めて教えていた。

 

 

「建前はそうね。でも、全国に幾つもの子院がある以上は、ある程度見て回る事になるわ。それに普段は寺としての役割もあるのよ。忙しいのは本人だけじゃないわね」

 

「そうだったんですか。ですが、今回の合宿であれば滞在している可能性も……」

 

「学生であればそうかも。実際に他の学園はプロの魔導騎士を招聘している訳だから、そう考えるのは当然ね。でも、それは前提が間違っているわ」

 

「前提が?」

 

「ええ、そうよ。かなり違うわね。学園の場合は国の管理下。その行動には何かと制限が付くのよ」

 

「そう言う事ですか」

 

 朱美の言葉を正しく理解すれば、学園の最高責任者は国になる。国営の学校である為に、その権利はより顕著だった。

 常人以上の戦力を保持する関係上、国防の一翼を担う可能性もあった。

 実際に警察からの特別要請もまたそれに該当する。以上の事から学生でありながらも実態は軍の予備役と大差なかった。

 しかし、宝蔵院に限った話では無いが一部の団体に関してはその限りではない。枠外の範疇に出た人間を制御すべき手段は無に等しかった。

 

 

「それに、プロだけが常に最前線に居る訳じゃ無いしね。今回の件に関しては、ある意味奇跡見たいな物よ」

 

「あの、それは……」

 

 朱美の正確な言葉の意味をカナタは測りかねていた。

 KOKではなく闘神リーグの本質はただ勝つ事だけ。KOKの様な洗練された物ではない。

 特に七星剣武祭に関してはプロと同等程度の放映権が発生している。

 財団でも一時はその話が出た記憶があった。しかし、放映権に関しては視聴率もかなり高い事から、参入に関してのハードルはかなり高い。特にスポンサードの費用は青天井に近い。一般的な選手ではなく、裏側を知るカナタだからこそ奇跡の意味を何となく理解していた。

 

 

「カナタちゃんが実際にどこまで知っているかは分からないけど、ある意味では良い顔はされないのよ。騎士連盟だって自分達の目の届く範囲で色々とやってもらった方が都合が良いんだし」

 

「確かにそうですね」

 

 反目している訳では無いが、ある程度形式的な物を七星剣武祭は選手に求める。当然勝つ事だけを優先すれば、その先にある未来もまた予測出来なくなるのは当然だった。

 しかし、興福寺の様に国内でも最高峰の場所であれば話は別。寺である為に、精神修養としての側面を認めるのは教育機関としての建前を構築するからだった。

 今回のカリキュラムに関しても破軍からは大よその内容が届けられている。

 その結果、破軍学園の行動に対し、政府から横槍を入れる様な真似は無かった。

 

 

「………どうやら、お互いがぶつかり合ってるみたいね」

 

 現地に到着し、車から降りた途端感じたのは激しい剣氣。互いにぶつかり合うからなのか、大気が何となく震えている様にも感じる。それが意味する行為はただ一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(これが世界の頂上!)

 

 刀華は既に疲労困憊だった。

 これが何試合目なのかは数えていないが、そのどれもが開始から数十秒以内の出来事だった。

 鍛錬とは違い、お互いが固有霊装を展開している。

 只でさえ隔絶した実力の差があったにも拘わらず、霊装展開した途端、全くの別人と戦っている様だった。

 

 十文字槍はその特性上、回避し辛く攻撃の範囲は広い。

 突くだけでなく引いた後の事も考え無ければ、自分の首が斬り飛ぶだけ。

 その結果、行動が大きくなり隙が生じる。動けば動く程に泥沼に嵌るかの様に刀華を蝕んでいた。

 

 これまで刀華自身、槍の固有霊装を持った隠元とも対峙してきた。

 事実、昨年の準決勝で戦った諸星雄大もまた同じ槍の固有霊装。しかし、形状が異なる為に難易度は更に高くなっていた。

 学生の様な甘さは微塵も無い。

 幻想形態でで無ければ、今頃刀華の周囲は血の海と化していた。それ程までに槍術の差は隔絶している。

 苦手意識を持ったつもりは無かったが、間合の遠さに刀華は軽く絶望していた。

 

 

「何時までも睨めっこでは終わりませんよ」

 

 刀華に対し、胤栄の持つ槍の穂先は完全に正中を捉えていた。

 動きを完全に捕捉されているだけでなく、穂先の隣から出ている刃は最悪の一言だった。

 下手に交錯すれば絡めとられる。霊装である為に手放したとしても問題は無いかが、一瞬の無手で凌ぐだけの(すべ)を刀華は持ち合わせていない。

 当然ながら集中して鳴神を出すだけの時間すら与えられなかった。

 

 なす術も無い。

 

 これがある意味では世界なんだと理解させられていた。

 既に試合以上の運動量をこなしている為に汗が全身から滴り落ちる。それが熱を持つのか、冷たいままなのかは本人だけが知っていた。

 だからこそ、一矢報いる為に穂先へと視線が集中する。既に胤栄の術中に嵌っている事を刀華は気が付かなかった。

 

 

 

 

 

「あれって………」

 

「そう。あれだよ」

 

 刀華と胤栄との戦いを参加者全員が見学と言う名目で観戦していた。

 世界の頂上に座する人間と、自分達が知る学園の序列一位の戦い。事前の段階ではある程度の手加減がされると思った人間が殆どだった。

唯一違ったのは一輝だけ。

 ステラもどちらかと言えば前者に近かった。

 しかし、いざ開始した瞬間、幻想形態の穂先は刀華の首筋へと吸い込まれて行く。

 開始直後に反応する事も出来ない程の速度て突かれたと気が付くまでにはそれなりの時間を要していた。

 刀華の髪の一部が風圧でなびく。その瞬間、攻撃さらた事実を初めて感じていた。

 態と攻撃を外された事に憤りは無い。そこから先は刀華自身も異能を全開に戦闘を開始する。

 

 刃に疾る雷。反撃の狼煙が上がろうとした瞬間だった。

 刃が届く直前に攻撃の全てが叩き落とされていた。

 後の先を究極に突き詰めたそれは刀華の攻撃は愚か、刃を振るう事すら許さなかった。

 攻撃の起点を潰されれば出来る事は何も無い。まさに言葉通り、世界の一端を見た瞬間だった。

 誰もが驚愕のあまりに息をする事すら忘れる。僅かではあったが、洗練された動きに誰もが魅了されていた。

 時折、刀華が攻撃するも完全に大人と子供の様な様相。既に戦いではなく実戦形式の教えだった。

 

 そんな中、一輝とステラは一つの型に注目していた。

 それは奇しくも龍玄も使ったあの型。構えこそ違うが、その目的が何なのかは言うまでも無かった。

 蛇に睨まれた蛙の様に刀華は動く事をしない。周囲もまた訝しく思ったのか、口には出さないまでも何がくりだされるのかとジッと注目していた。

 

 

「えっ!」

 

「何で!」

 

 誰が言ったのかすら分からないの程に呆気なく終わっていた。初戦と同じく喉元に鋭く入った突きにより再度刀華の体躯は弾き飛ぶ。

 唐突な終わりに誰もが予想外の声を出していた。

 

 

「まさか、こんな所でやるんなんて………」

 

 胤栄の動きを見取ったからなのか、驚嘆としか取れない言葉が出ただけだった。

 模倣剣技(ブレイドスティール)による動きの把握の為と見学したまでは良かったが、実際に一輝がその動きを完全に盗み取る事は出来なかった。

 宝蔵院槍術に限った事では無かったが、ここに来てからの動きは基本として誰もが取得できる程度の物だった。

 当然ながら特異な歩法も無ければ体捌きも無い。そこにあるのは純然たる基本の動きを行使しただけだった。

 敢えて言うのであれば、基本の動きにしては歪みが無い。無駄を完全に切り取った動きはこれまでの鍛錬が昇華した先にある物だった。

 一輝もまたその意味を正しく理解する。それは師範代から言われた言葉の意味に通じる物だった。

 表面的な部分だけを見れば、あの領域にまでは到達出来ない。そこにあるのは才能ではなく、純然たる努力の一言だった。

 

 

 

 

 

「でも、イッキならあれは躱せるんじゃないの?」

 

「こうやって傍観者としてであれば……かな。戦闘中にあれをやられたら、正直な所分からないよ。

 それに、ただ、あれだけで完了している訳じゃないから。そこに至るまでの全ての行動が布石になってる。多分、戦闘中の看破は無理だと思う」

 

 周囲は未だ刀華がやられた理由を解析する方に意識が向いていた。

 傍から見ればなんて事が無い、只の突き。繰り出されたそれも、ありふれた程度の速度でしかなかった。

 だからこそ、安易に攻撃を受けた事が不可解に映る。一輝とステラに関しては、事前にそれを体験したからこそ理解出来る現象だった。

 

 

「案外と上手く行く物ですね」

 

「胤栄さん、あれは宝蔵院槍術の何かなんですか?」

 

「いいえ。あれは流派には無い業です。そう言えば、貴方達は風間君とは同じ学園でしたね」

 

 突然の問いかけに一輝だけでなく、ステラもまた内心驚いていた。

 先程まではあそこで戦っていたはずの人間が、突如として自分達の背後に居る。少なくとも人の気配に敏感だったはずの一輝は驚くしかなかった。

 それと同時に流派には無い業を行使し、龍玄の名前がここで出る。可能性は一つだけ。

 まさかとは思いながらも一輝は思わず確認したくなっていた。

 

 

「あれは彼が我々にやった物です。お恥ずかしながら、初見であれを破った人間は思ったよりも少なかったんですよ」

 

 以前に聞いたあれは手品の様な物だと聞いた記憶があった。

 (じつ)を求める相手に(きょ)を用いるのは並大抵の精神では出来ない。

 一か八かではないが、種が知られればそれ程難易度が高い物ではない。寧ろ、それに特化する為に、集中が必要になる分だけ厄介な物でしかなかった。

 そんな物をこんな状況下で使用する。その判断に二人は驚くよりなかった。

 

 

「僕もあれは一度だけ見ました。ですが、あれはあんな風に使う様な代物では無かったと記憶しています」

 

「……確かにそうかもしれません。ですが、あれはここぞと言うときに使うからこそ意味があるんです。少なくとも我々と対峙する人間が槍術に対する対抗策を考えないはずがありませんからね」

 

 胤栄の言葉に一輝も頷くしか無かった。

 実際に槍術=攻撃範囲の広さは誰もが知る常識でしかない。当然ながらそのイメージは他の武術に比べてより顕著だった。

 誰もが対策を立てる程に厄介な武器。それが今の伐刀者が持つ槍術のイメージだった。

 相手が対策を立てると同じく、槍術もまた進化していく。今回のそれもまた進化の中で発生した小手調べの様な物。

 虚を混ぜた為に、刀華もまた戦闘中にも拘わらず呆気に取られていた。

 

 

「そう言えばヴァーミリオン殿下は日本の文化には詳しいですか?」

 

「え、ええ。とは言っても世間並だけど」

 

「敢えて言うならば、その道を究めると言うのは事実上、あり得ないと私は考えています。特に守破離の精神があれば尚更でしょう」

 

「はあ…………」

 

 胤栄の言葉にステラは何となく理解した様な顔は作ったものの、実際には言葉の意味は解っていなかった。

 ここに来てからの鍛錬の殆どは、どちらかと言えば伐刀者である前に、一つの武芸者や修験者の様な意味合いが強かった。

 古くから伝わるだけでなく、それを時代と共に進化させる。それが今の宝蔵院槍術の根幹だった。

 古い物だけに固執しない。その意味として使用した単語だった。

 

 

「そうですね……簡単に言えば、皇女殿下が使用するそれは最初に出来てから今に至るまで変化は一度もありませんでしたか?」

 

「………そう言う事なのね。何となく分かった気がする」

 

 ステラがこれまでに鍛え上げた皇室剣技もまた、時代と共に改良が続けられていた。

 古き物が新しき物を常に駆逐できる訳では無い。その時代に応じて最適化された結果が今に至る。

 胤栄の言葉の意味は理解出来ないが、例えられた事によって理解していた。

 それと同時に、ここの師範代が闘神リーグの二位。当然ながら最高師範の名前はこれまでに聞いた事が無かった。

 これが凡愚であればなじるかもしれない。しかし、短い期間ではあるが、最高師範と師範代にある差がどれ程隔絶しているのかを肌で感じ取っていた。

 

 

 



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第43話 動き出す欲望

 山寺とも取れる場所に来る人間の大半は関係者か、若しくはとある目的の為に訪れる人間が殆どだった。

 周囲一帯は緑が濃い為にここ以外に人の気配は少ない。その為に、周囲に聞こえる程の音が出たとしても、迷惑に感じる様な事は無かった。

 刀華と胤栄が対戦した後、希望者全員と対戦する。

 

 今回の参加者は気が付いていないが、そもそも宝蔵院槍術の最高師範からの教導、若しくは模擬戦などやりたくても流派意外の人間が手合わせする事は厳しかった。

 事実、槍術とは言うものの、他の武器に対する造形が無い訳では無い。最低限の対策を立てる為にも一定以上の技量を持った人間が殆どだった。

 その武器の事を深く理解するからこそ、その対策を練る事が出来る。そんな事もあってか、学生チームは無尽蔵とも取れる驚異的なスタミナを持つ僧侶相手に延々と戦っていた。

 

 

「今日はこれ位にしましょう。ここでの合宿も時事上、今日が最終日ですから」

 

「あ、ありがとう……ございました」

 

 道場内を一言で表せば死屍累々の言葉がまさに適切だった。

 これがプロの中での絶対的上位者だと誰もがその身に刻んでいる。当初こそはまだ対戦しても形にはなっていたが、最後の方は完全にスタミナが切れた状態となっていた。

 肉体だけでなく、精神を完全に削り取る。ギリギリまで追い込んだ肉体と、完全にすり減った精神は既に悲鳴があがる程だった。

 

 

「そう言えば、今日は顔出しですが学園からお客さんが来る予定でした。私はこれで失礼させて頂きますね」

 

 既に幾度となく骨身に刻む戦いをしたにも拘わらず、胤栄は息一つ切れた様子は無かった。

 体捌きに更なる技術を加え、昇華する事によって最小限度の動きだけで相手を制す。幾ら実力があろうとも、連続して戦う事を完全に理解していないのであれば、この光景は当然の結果。

 事実、道場内で転がっているのは破軍の学生ばかり。他の弟子達もまだ余裕が有る程だった。

 当然の様に道場の床を掃除する。世界の一端に触れる事が出来たからなのか、誰もが望む未来は容易い物では無い事だけは実感していた。

 胤栄が去った事で、周囲の空気は僅かに弛緩する。漸く長きに渡った戦闘が終結していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな場所まで態々お越し頂き恐縮です」

 

「いえ。今回の件は貴徳原財団としてではなく、あくまでも貴徳原カナタ個人として来ていますので」

 

 先程までは鬼神の如き戦いを見せた胤栄ではあったが、ここではそんな素振りは微塵も無かった。

 普段はあまり使わない応接室には、これまた慣れていない弟子がお盆を持ちながら湯呑み茶碗に注視している。胤栄の分はともかく、客人のまでの粗相は如何なる理由があろうとも許されない。それが誰であっても同じだった。

 

 今回の経緯に関しては、元々は西京寧音からの話が発端だった。しかし、当人でもある胤栄が不在の為に師範代の判断でどうこう出来る案件ではない。

 時間も押し迫った事もあってか、寧音の師でもある南郷寅次郎から直接話が届いた経緯があった。

 勿論、全員では無いが高弟レベルであれば誰もが理解している。今回カナタにお茶を用意した人間もその一人だった。

 責任者が不在とは言え、もっと早く連絡すればそれ程大事にはならなかったはず。

 しかし、興福寺側の不手際もあった為に、今回の様に、急なゲストに対しても細心の注意を払っていた。

 

 

「いえ。我々としてはそう言う訳には行きませんから」

 

 下手に出ると言うよりも、寧ろ胤栄の性格による側面が強かった。

 勿論、この場に居るのはカナタだけではない。風魔の四神の一人、『朱雀』の十六夜朱美が居る事も要員の一つだった。

 胤栄の視線が僅かに朱美へと向く。幾ら精強な興福寺としても、風魔相手に無傷ではいられない事実があった。

 

 

「私は特に何も無いわ。そうね……敢えて言うなら青龍からお布施ってとこかしら?時間的にはそろそろだと思うんだけど」

 

 胤栄の視線に気が付いたからなのか、朱美もまた改めて今回の目的を口にしていた。

 元々ここには龍玄が用事で来ただけであって、朱美には関係の無い場所。ましてや頭領でもある小太郎もまた無関係だった。だからこそ、個人的な意味合いで朱美が説明する。そろそろの意味が分かったのは、この後十分後の話だった。

 

 

 

 

 

「態々申し訳ありませんね。我々も建前上は仏僧ですので」

 

「でしょうね。でなければこんな形で用意はしないはずだだから」

 

「折角ですので、滞在している学園の生徒にも幾分かは出そうかと思います。恐らくは精進料理だけでは厳しいでしょうから」

 

 厳密に言えば破戒僧とまでは行かないが、肉類を口にする事は度々あった。建前と称したのは、偏に山中である為に時折保管している食料をあさりに来る獣を始末しているからだった。

 当然来る獣はそのまま放置する訳には行かない。その結果として供養と称し、その日の食卓の彩となる事があった。

 だからこそ、今回の様に直接的な物資がお布施となっている以上は拒む事はしない。龍玄もまたここに来て修行した事もあるが故の措置だった。弟子の一人が大きな荷物を運んでくる。その中にあったのは、ブランド牛の精肉だった。

 

 

「そうして下さい。その方があれも喜ぶでしょうから」

 

「成程。そう言うのであれば、例の噂は真実だと言う事ですか?」

 

「さあ。それは私では分かり兼ねますわ。それに頭領はまだ何も伝えておりませんので」

 

 胤栄の言葉を朱美は遠回しに肯定していた。

 実際に裏社会の中でも風魔に関しての情報は然程出る事は少ない。仮に出るのであれば意図的に流している可能性があった。

 傭兵としての戦果はあらゆる筋から探る事は可能だが、それ以外に関しては案外と知られていない事の方が多かった。

 実際に風魔に限った話では無い。幾つかの忍に関しても情報の取り扱いがどれ程重要なのか理解している為に、鵜呑みにするのは些か問題もあった。

 朱美もまたその意味を理解しているからなのか、笑顔ではあるが気を許している訳では無い。言葉の裏側の意味を正しく理解出来たのは朱美と胤栄の二人だけだった。

 

 

「我々としても態々虎口に手を突っ込む様な真似は致しませんので」

 

「そうね。敵対するには少しだけ骨が折れるものね」

 

 この朱美の言葉が全てだった。風魔としての戦力はどれ程なのかを十全に知る人間は居ない。しかし、ここに来た龍玄の実力を見ればどれ程高いのかは容易に想像が出来ていた。

 実際に青龍よりも小太郎の方が力量はまだ高い。当然ながら伐刀者としてではなく、純粋な武芸者としての話。これで抜刀絶技が加われば、どんな結果になるのかは胤栄だけでなく寺としても考えたくはなかった。表と裏が交わる事は基本的にはあり得ない。だからこそ貴徳原の様に一部でも交じり合う意味が何なのかは考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「訓練は厳しいけど、これだけは良いわね」

 

 ステラは常に苛められた肉体を開放するかの様に大きな伸びをしていた。ステラの動きと同時に豊かな双丘がその存在を大きく示す。その動きにステラの周囲は視線が釘付けだった。実際にここに来てからの鍛錬は母国はおろか、一輝と続けたそれよりも苛烈な内容だった。

 ズタボロになる道着の下は幾つもの痣が浮かんでいる。IPS再生槽を使えば消える物ではあったが、興福寺にはそんな物は無かった。その結果、水を使う事が出来る珠雫が破軍の人間を癒していく。

 その結果、女性陣の肌はここに来た当初と同じだった。

 

 

「全く、無駄につく脂肪がどれほど治療に手間をかけたと思ってるんですか。少しは痩せたらどうですか?」

 

「……そりゃ、やられ過ぎたのは申し訳ないとは思うけど、私は太ってなんて無いから」

 

「ふっ。最初は皆そう言うんですよ。まったく駄乳をそんなにひけらかして……少しは自重したらどうですか」

 

 珠雫の言葉には明確な敵意ともとれる程に棘があった。

 ここが何も無い所であれば愚痴の一つも出るが、生憎とここには周囲に誇れる程の大浴場があった。

 温泉ではないが、割と場所の特性上あつらえられた物。ここを初めて見たステラは思わず感動の声を上げたほどだった。気が付けば珠雫だけでなく、暮葉姉妹もここに居る。気が付くメンバーで不在だったのは、刀華位だった。

 

 

「誰が駄乳ですって!それを言うならシズクはどうなのよ」

 

「私のは無駄に大きいだけを誇る貴女とは違います。世間が言う所の美乳です。貴女の様に脂肪だけが詰まっている訳ではなく、夢と希望が詰まっていますので」

 

「その割には随分と慎ましい様だけど」

 

「どうやらわびさびの精神が分からないみたいですね」

 

 ステラの言葉を鼻で笑いながら、周囲に異性の影が無いからなのか、浴室の中ではあけすけな話が繰り広げられていた。

 実際に何がどうと言った話は既に初日の段階で出ているからなのか、今は違う意味での話が繰り広げられていた。

 だからと言って互いに嫌悪感を出している訳では無い。初日の段階でそれを見切ったからなのか、他の人間は完全に二人の事をスルーしていた。

 

 

 

 

 

「今日も精進料理か………」

 

「寺に来たなら、ある意味当然だよ」

 

「でも、せめて動物性タンパク質の欠片位は欲しいわよね」

 

 既に風呂場でのバトルなどおくびにも出さず、ステラは一輝と共に食事をする場所へと歩いていた。

 強化合宿も残す所は後僅か。実際に一輝もまたステラの様に口にはしないが、内心は同じ様な事を考えていた。

 純粋な栄養価の面だけで言えば、似たような部分は多分にある。

 同じカテゴリーの物質ではあるが、両者には決定的な違いが幾つかある。実際には自分達が感じる差はそれ程では無かった。

 厳密に言えばここでも動物性タンパク質は摂取している。ただ、今回の様に絶対量を出すだけの量が無いだけだった。そんな事実は誰も知らない。ブツブツ言いながらも歩くステラの鼻に少しだけ何時もとは違った匂いが届いていた。

 

 

「今日は皆さんにお出ししている物はお布施として頂きました。折角ですのでこの様にお出しさせて頂いています」

 

 胤栄の言葉に誰もが感謝の念を示していた。口には出さないまでも、高校生の食欲には不可欠な食材。誰もがその言葉の裏を考える事無く、その料理に舌鼓を打っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりにここに来たが、変わらないな」

 

 闇夜とも取れる程に暗い夜はある意味では侵入するには絶好の日和。

 元々今回の入国は予定していないだけでなく、事前に察知した情報を確認したからこそ今に至っていた。

 正式な入国ではなく密入国。元々巡回も少なかった港には一人の人間の影だけが蠢いていた。

 男の眼下には二人で行動する警備の人間が周囲を警戒している。これが通常の警備であれば巡回も切れ目が無い程の人数を導入するが、生憎と今回の積み荷はそれ程高価な物は積み込まれていない。

 仮に何らかのトラブルがあったとしても、被害額はそれ程にはならない証左だった。

 一言だけ呟く男の言葉はそのまま闇夜に消えていく。男はまるで子供が玩具を見つけたかの様な表情を浮かべながら、今後の予定を考えていた。

 

 

 

 

 

「周囲に異常は無いか?」

 

「今の所は特に問題はありません」

 

「そうか。暫くはこのまま巡回だな。交代の時間まで後少しだ」

 

「そうだな。でも、ここまでやる必要ってあるのか?今回の積み荷はそれ程重要な物じゃなかったと思うが」

 

「そう言うな。荷主の指示だ。俺達は言われた事をただやるだけだろ」

 

「違いない」

 

 取り止めの無い事を言いながらも暗闇の中で異常が無いかをゆっくりと確認していた。

 ライトを照らす先にあるのは巨大なコンテナ。今回の警備は本来であればそれ程重要な物ではなかった。

 ありふれたどこにでもある物資。仮に盗んだとしても扱うには困る様な物だった。

 荷主の思惑は巡回先には伝えられていない。依頼された仕事をただ淡々とこなすだけの内容でしかなかった。

 それなりに距離は離れているが、周囲には誰も居ない為に会話には困らない。そんな一時だった。

 

 

「そろそろ交代の時間だ。………おい、返事位しろよ」

 

 先程までは直ぐに返って来た返事が突如として沈黙していた。

 周囲には人の気配はおろか、動物の気配すらない。当然聞こえるのは自分達の声と歩く足音だけのはず。にも拘わらず、まるで耳鳴りでもするかの様に聞こえない空間に巡回していた男は僅かに警戒を高めていた。

 周囲を見渡した瞬間、不意に感じた気配。自分の後ろから感じたからなのか、男は振り向いた瞬間、そのまま意識を完全に失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君。これは何時届いた?」

 

「先程確認した限りでは、昨晩の様です」

 

「で、現在はどうなっている?」

 

「既に現場は所轄にて現地を封鎖し、現在は捜査の途中です」

 

「そうか……無いとは思うが、手がかりは?」

 

「いえ。今はまだ何も」

 

 

 霞が関にある一室には秘書からの情報を聞いた長官が情報の裏取りを急いでいた。

 実際に起こった事件はごく一般的にある様な事件のはずだった。

 しかし、その場にあった死体には幾つかの不可解な部分がある。一つは死因となった原因が目視では見当たらなかった点。二つ目は毒物等による死因では無い点だった。

 この時点で犯行に及べるのは伐刀者しかいない。恐らくは幻想形態による意識の遮断を知った後に何らかの形で殺害したと思われる点だった。

 

 それだけではない。被害者の身元が直ぐに判別できない程に情報減としての部分は完全に排除されていた。

 両手両足の指は完全になく、口腔内の歯も完全に損失している。それ以外の部分が綺麗な為に、破壊された部分は対比するかの様に凄惨だった。

 写真を見ただけでも吐き気を催す。既に事案は警察レベルだけでなく侍局や検察、公安までもが動き出している。

 あり得ない死因だけに犯人の予見は出来ないままだった。

 

 

「……仕方ない。既に伐刀者による犯罪に切り替えて捜査を続行してくれ。最悪は軍にも要請する事を視野に入れろ」

 

「了解しました」

 

 伐刀者による犯罪は今の国にとっては軽視出来ない事が殆どだった。

 最近になって随分と成りを潜めているが、『解放軍』の様なテロになればそれだけでも対処が難しくなっている。

 特に今の時期は七星剣武祭の時期もあり、世界からも様々な人間がこの国に来る。その中には一部危険視される伐刀者も含まれていた。

 

 この時期特有の現象。これまでが穏便だからと言って、今回もまた同じである確証は何処にも無い。

 ただでさえ厄介な時期に起こった事件は、その関係者の精神をゴリゴリと削り取っていた。

 秘書もまた同じ意識なのか、長官の指示に手早く通信を開始する。

 一般的にはまだ知られていない水面下では様々な思惑が交差していた。

 

 

「それと、念の為だが、騎士連盟にも連絡しておいてくれ」

 

「承知しました」

 

 長官の言葉に秘書は連絡を入れる為に退室する。机の上に置かれた所見内容に書かれていた物が事実だった場合、厄介事になる可能性は確実だった。

 

 過去にも同じようなケースが数度あったが、そのどれもが今回の内容と同じ。同一犯で間違いはないが、本当の意味でこの事件が解決しない事だけは長官の中でも確定していた。

 仮に伐刀者だった場合、何かと面倒になる事が多々ある。

 一つは当事者で間違いと判断したにも拘わらず、その証拠が一切見当たらない点。幻想形態では理論上は当人に危害を与える事は出来ないとされている。しかし、その前提が覆されるケースがあった。

 幻想形態と言えど、ダメージそのものはある程度は感じる。その結果として場所によっては一撃で昏倒する。しかし、その際に脳に強烈な死のイメージを叩きつけた場合はその限りではなかった。

 仮に刃物が自分の躰を貫通した場面を直視した瞬間、脳に強烈なイメージを叩きつけられると、脳は直接的な危害を受けたと誤認する。その結果、その躰はまるでそれが事実であると勝手に判断し、肉体にまで影響が及ぶ事だった。

 

 当時は荒唐無稽であると言われたが、実際に検証した結果、それが事実である事が確認されていた。

 当然ながら肉体はおろか、直接的な損傷は一切与えていない。犯罪だと仮定した場合、立件が極めて難しい物だった。

 検察が立証しようにも、相応の技量を持った伐刀者が居なければ、結果的には証拠がなく、実況証拠だけで終わる。いざ実証しろと言われてもやった本人の技量が全ての為に、その瞬間に手を抜けばそれで立証が不可能でしかない。

 他の証拠を積み上げるとなれば、最初から凶器すら無い為に、法曹界でも物議を醸していた。

 

 どこまでの線引きをするのかはそれぞれの判断に委ねられる。当局もその事実を知っている為に、結果的には剣技不十分で釈放になるしかなかった。

 もう一つの点は実にシンプルだった。

 純粋に捕縛出来るだけの能力が無い。この一言に尽きていた。

 表向きは指名手配をすれば問題ないかもしれないが、そのレベルにまで達する人間は殆どが指名手配を何とも思わない。下手に通報などしよう物ならば報復措置を受ける可能性もある。そもそも法の番人が当事者を捌けないのであれば、結果的には当人を監視するより無い。

 まだ人数はそれ程でも無い為に、大きな問題にまで発展していないだけの話だった。

 司法だけでなく現場でさえも厳しい状況となれば、残る手段はただ一つ。それよりも上位の伐刀者を使った即断裁判しかなかった。

 捕まえる事が出来ない時点でどうしようもない。ある意味では完全に実力が隔絶するが故の結果だった。

 長官もまたその事実を憂う一人ではある。

 理想と現実。この乖離を埋める為には同じ伐刀者を派遣するより方法が無いのは、ある意味では当然の事だった。

 

 

「………嫌だが、仕方あるまい」

 

 長官は机の上にある回線端末のスイッチを押す。そこに繋がるのは、時事上の内閣の中心人物の端末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都内の道場では興福寺にも劣らない程に熱気があふれていた。

 元々の性質がそれを構築しているからなのか、まだ早い時間にも拘わらず、一組の男女がもたらす激しい戦いか神聖な空気を震わせている。

 男は常に余裕を持っているが、女は終始追い込まれていた。

 本来であれば無手を細剣。どちらが有利なのかは言うまでも無かった。

 細剣が織り成す鋭い突きは全てが自分の狙った場所に到達する事は無い。

 元々の武器としての特性を考えればあり得ない光景。しかし、女は最初からそれを想定している為に、一つ一つ躱されても気にも留めない。

 寧ろその程度で攻撃が疎かになるならば苦労はしないとさえ考えていた。

 

 

「ハッ!」

 

 一息の間に三本の剣閃が疾る。これが通常の相手であれば致命的ともとれる程の業のキレ。しかし、その剣閃が当人に届く事は無かった。

 

 

「まだ甘い」

 

 三本目の剣閃が疾った瞬間、女の体制は完全に崩れていた。

 完全な死に体。それを待っていたかの様に視界の端に浮かぶのは、一瞬で意識を刈り取る程の鋭い蹴り。

 防御出来ないこの態勢、女に出来る事はその場から不様でも地面を舐めるかの様に転がるしか無かった。

 女の素性を知っている人間であれば、あり得ない光景。

 泥に塗れてさえも勝利の執念を絶やさない姿勢はある意味では闘争本能が働いている証拠だった。

 間一髪で回避した視界の前を、刃を彷彿賭する程に鋭い蹴りが通過する。何も知らない人間であれば致命的な隙になるはずだった。

 ここで一旦態勢と整える。時間にして刹那とも取れる程の時がそのまま勝敗を決していた。

 地面に横たわる体躯をまるで当然の様に先程とは異なる蹴りが女の腹部を直撃する。

 体制が低かった為に飛ばされる事は無かったが、それでも完全に敗北を決定付けるには十分すぎた攻撃だった。

 男は油断なく残心のままに女を注視する。幾ら鍛えているとは言え、通常でさえも弟子を吹き飛ばす程の威力を持つもそれを直撃した為に、女はそれ以上動く事は無かった。

 

 

「それまでだ。誰か、別室へ運べ。それと治療をしてやれ」

 

「はっ」

 

 油断する事すら無かったからなのか、男は汗は滲むが呼吸が乱れる事はなかった。

 自身の肉体を研鑽する事により、既に拳の一つ、蹴りの一つが凶器となっている。治療を指示したのは、対面的な都合だった。

 本来であれば態々付き合う必要が無い戦い。それを容認した以上、ある程度のケアは必須だった。

 運ばれた事を確認したからなのか、男はそれ以上意識を向ける事はしない。まだ途中だった鍛錬の続きを黙々とこなしていた。

 

 

 

 

 

「で、その情報の精度は?」

 

「まあ、間違いは無いだろう。本当の事を言えば我々に言う必要すら無い情報なんだがな」

 

「だが、どうして今頃?」

 

「それは知らん。どうせ気まぐれだろう。だが、彼奴は俺と直接争った人間だ。油断は出来ん」

 

「それが俺とどう関係がある?」

 

「近々高額報酬の任務が来ると睨んでいる。例の一式は用意しておくんだ」

 

 小太郎の言葉に龍玄は正確にその意味を理解していた。

 例の一式とは青龍として行動する際に利用する装備一式。伐刀者だからと言って固有霊装頼りでは無く、万が一の事も兼ねた武器の一揃えだった。

 本来であればこの道場の武器庫に保管しておくはずの物。それを寮の自室にとなれば、自ずとその意味は察していた。

 

 だからと言って、態々自分から何かを行動する事はしない。専守防衛ではないが、何かが起こる前に処理すれば報酬が入らないからだった。

 小太郎の言葉を理解したからと言って、龍玄が理事長の黒乃に進言するつもりもない。歯向かう人間は全て叩き潰す風魔だからこその考えだった。

 

 

「学内か近隣って事だな」

 

「具体的にはまだ調査してるが、その二択で間違いは無い。お前の事だ。手入れはしてるとは思うが、念には念を入れてくれ」

 

 既に道場ではなく、和室一室だったからなのか、周囲に人影は無かった。

 元々前線基地としての役割を果たしている為に、ここに小太郎が居ても違和感は無い。弟子達もまた時間だからなのか、既に道場は清掃作業へと移っていた。

 

 

「了解した。今日にでも準備しておこう」

 

 既に鍛錬の時間は終わった為に龍玄もまた汗を始末していた。

 気が付けば時間は既に一般的には動き出そうとする朝の時間帯。了承の意味で発した言葉によって、既に部屋の中には剣呑とした空気は霧散していた。

 

 

「なあ、せめて少し位は手加減した方が良かったんじゃないのか?」

 

「まさかだろ。死合とまでは行かなくても割と真剣にと言ったのは向こうだ。俺は要望をただ叶えただけだ」

 

「女の腹に蹴りは無いだろ?」

 

「阿保か。そんな分かり易い所で違う所を狙えば手抜きだと言われるのがオチだろ」

 

「…………だからお前はダメなんだよ。朱美からも言われてるんだろ?」

 

「大きなお世話だ」

 

 その空気は紛れも無くただの親子だった。

 小太郎に限った話ではないが、割と四神の誰もが任務と普段のギャップの差が大きい。

 筆頭でもある小太郎もまた、裏家業の人間が思う部分だけしか知らないのであれば、これ程までに気安く絡む姿は呆気に取られる。

 任務とは違った一面を始めて見た人間の殆どは驚きの余りに言葉に窮する程だった。

 

 

 

 

 

「そろそろ着く」

 

 一言だけがギリギリ聞こえる程の声量に女もまた、返事ではなく頷く事で了承していた。

 これが車であれば朝のラッシュに飛び込むかもしれない時間帯ではあったが、バイクである為に褒められた行為ではないが、常に道路をすり抜け学園までの道程を短時間で走っていた。

 実際に道場から学園まではそこそこの距離がある。

 行きは車が殆ど走らない為に問題は無いが、この時間帯はそれなりの数が道路を走っていた。

 先程までの戦闘での剣呑さは既に無い。本来であれば自室でこれから朝食を取るのが何時もの予定だが、今日は既に道場で済ました為に、登校まで時間が少しだけあった。

 

 

「私の我儘に突き合わせてしまったみたいでごめんなさい」

 

「俺は特に問題にはしない。小太郎がそう言うから時間を作っただけだ」

 

 何時もの場所にバイクを止め、龍玄だけでなく、女もまたヘルメットを外す。

 豊かな金色の髪が解放されるかの様に肩まで流れる姿を見るのは龍玄以外には誰も居ない。そこには少しだけ申し訳ない顔をしたカナタの表情があった。

 

 

「ですが……」

 

「他の人間があそこまで行ってるんだ。自分だって何らかの訓練をした方が良いと判断した結果なんだろ。だったら気にする必要はないはずだ」

 

 龍玄とカナタの組手はある意味は完全に教える様な内容となっていた。

 刀華の様に殺気立った攻撃ではなく、純粋にカナタの技量を見切った上でギリギリの攻撃を仕掛ける。その結果として回避に失敗した為に強烈な蹴りを食らったに過ぎなかった。

 直ぐに治療された為に痣になる事も無い。予選会とは違った内容ではあったが、カナタにとっては満足できる内容だった。

 

 

「とにかく、俺の事は気にするな。そんなに気にするなら本戦で勝ち上がるんだな」

 

「そうさせて頂きます」

 

 バイクの充電を開始したと同時に、何時もの場所へとヘルメットを片付ける。その言葉に反応したからなのか、カナタの表情には先程までの憂いた表情は無かった。

 

 

 



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第44話 襲撃

 本戦に向けた精鋭達が興福寺で励んでいる頃、理事長でもある黒乃もまた学園ではなく、とある場所へと移動していた。

 元々理事長が現場に介入するケースはそう多くは無い。殆どの場合が高度な判断が必要である場合のみ、現場に出るのが殆どだった。

 それは黒乃が最初に学園の理事長を務める際にはしっかりと説明を受けている。しかし、それが適用されるのは学内に関する事だけだった。

 本戦が近くなった事により、細々(こまごま)とした打ち合わせの数が増えていく。当初はそれ程でも無かったが、今は完全に無用の長物と化していた。

 当然ながら作業すべき事が一つ増える事に、それに付随する項目が二増える。それが通信越しであった為にタイムラグは黒乃を更に苛立たせる。結果的には自分が直接現地に赴いた方が早いと言う結論に達していた。

 本戦が関東では無い為に、現地に移動する必要性が出てくる。ここ数年の大会運営を見る限りでは、これまでにそれ程気になる点は何一つ無かった。

 見えない何かが自分達に干渉している事に間違いは無い。だが、それが何なのかは判らない。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

「済まないが、これから私は現地入りする。問題が無ければ二、三日で終わるはずだ」

 

「分かりました。ですが、今回に限ってはどうしてそうなったんでしょうか?少なくともここ数年は大きな変化は何も無かったと記憶していますが」

 

「詳細に関しては私も正直な所分からない。単純に参加するだけだった立場と、それを纏める立場では決め事が色々と違うかもしれん」

 

 理事長室には黒乃以外に、今回の引継ぎ事項として折木有里が呼ばれていた。

 学園は国営ではあるが、ある程度の自治権は認められている。ましてや理事長でもある黒乃が不在となるのであれば、ある程度の権限委譲する必要があった。

 本来であれば純粋な戦闘力を鑑みれば寧音が適任であるのは間違いない。しかし、当人もまたKOKの試合がある為に黒乃に先駆けて学園から離れていた。

 

 

「その可能性もありますね。私で務まるかは分かりませんが、その任をお受けします」

 

「だが、身体にはくれぐれも気を付けてくれ」

 

 既に一度は大量吐血をしたからなのか、有里の顔色は何時もよりも青白かった。今さら吐血云々を言った所でどうにか出来る物ではない。

 仮に今回の件が明らかに何かを狙ったとしても、教員以外にも戦力となる者は多数いる。

 口には出せないが、黒乃は内心そう思っていた。

 明らかに今回の件は自分をここから排除する為の口実の様にしか思えない。幾ら疑った所でその根拠は自分の勘である為に、一度は自分の感情に蓋をするより無かった。

 気が付けば有里もまた引き継いだことにより理事長室から退出する。黒乃もまた自分の準備を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「興福寺での鍛錬は予想以上に大変でしたね」

 

「厳しいのは確かだったけど、その分の収穫はあったと思う。少なくとも自分の先はどうなるのかの道筋だけは着いたかな」

 

「興福寺って、あの興福寺だよね」

 

 強化合宿を終えたからなのか、生徒会室には珍しく三年だけが集まっていた。

 実際に今回の強化合宿は色々な意味で学園にとっても有益な内容になっていた。

 宝蔵院流槍術の総本山との繋がりは世間が思う以上に有益な物。実際に実戦となれば既存の団体の中でも頂上グループに属する。純粋な技量だけでなく、その思想や行動に対する内容など言い出せばキリが無い。そんな中でも精神を鍛える項目は色々と迷いやすい学生からもある意味では好評だった。

 

 如何なる戦いに於いても冷静さを失った者から脱落する。その考えは実戦だけでなく競技でも同じ事が言える内容。本来であれば学内でもカリキュラムに導入したいと思ったものの、直ぐに変更が出来る程に破軍学園は身軽ではなかった。

 その結果、今は強化合宿に出向いた人間は各自が感じた事をレポートにして学園に提出作業を実施している。生徒会室を刀華が使うからと、カナタと泡沫もまた同じ場所に来た事が始まりだった。

 

 

「最高師範の宝蔵院胤栄氏は基本的にはメディアにもあまり出なかったと記憶しているけど、実際にはどうなの?」

 

「優しい中に厳しさがある人かな。でも、その全部に意味があるから誰もが真剣だったよ」

 

「って事は刀華は卒業後の進路はもう決めたって事?」

 

「……そうなるかな。でも、世界は予想以上に広く高かった。寧音先生だってKOKの三位なんだから、少なくともその背中が見える所はクリアしたい」

 

「そっか……刀華がそう考えるんだったら僕は応援するよ」

 

 この時期になると三年の誰もが卒業後の進路を考えていた。

 実際に学園を卒業した後の選択肢は多い様で意外と少ない。戦闘系伐刀者であれば大半は国の組織に属する事が多く、その枠内に入らなかった人間が競技者の道を進む事が殆どだった。

 刀華もまたその例には漏れず、組織に属する事無く自分だけの道を歩く事を既に決めていた。

 まだ破軍に入った当初は漠然とした考えでしかない。しかし、特別招集による戦場と、風魔に挑んだ事により自分以外の人間にも多大な迷惑を与えた事は刀華の今後を決定付ける要因となっていた。

 

 

「そう言えば、カナタも興福寺には行ったんじゃなかった?」

 

「私はただ挨拶をしただけです。実際には私事で参加は難しかったですから」

 

「最終日の夕方だったよね」

 

「ええ。予想はしてましたので、ある程度は覚悟してましたから」

 

 最終日にカナタが来た事は刀華も知っていた。予定ではもう少し早く来るはずだったが、実際には想定外の仕事が入った為に一緒に鍛錬する事が出来なかった。

 刀華が見たのも偶然に等しい。カナタの隣に居る朱美を見たからなのか、刀華もまた少しだけ遠慮していた。

 

 

「って事は自主的にやってたんだ」

 

「ええ。お蔭さまで無理を聞いてもらえましたから」

 

 カナタが最近になって早朝から外出している事は泡沫も知っていた。元々寮生活をしている人間が、普段であればあり得ない時間帯に外出の届け出を出している時点で何らかの用事があるのは間違い無い。

 これが仕事であればそんな不自然な時間に出る必要は無い。泡沫もまた外出届の存在を知ったのはつい最近だった。

 

 

「カナタが無理を言うって事は相当な人物って事だよね」

 

「そうですね。刀華さん達の様に、()()()()()()()()()()()()()()()()()でしたが」

 

 純粋な疑問だったからなのか、泡沫の言葉にカナタは言葉を濁すしかなかった。

 確かにある意味では興福寺に行くよりも厳しい内容であることに間違いは無かった。ダメ元ではあったが龍玄に確認した際に、小太郎からも許可が出た際には普段ではありえない程にカナタも驚いていた。

 

 

 完全なる実戦。

 

 多少の手加減はされた事は事実ではあったが、それでも尚、命の危険を本能が幾度となく感じ取っている。死は全ての前に等しく、また無意味な未来を生む。命と言うそれを主体にするからこそ苛烈な内容だと予測した結果だった。

 

 

「でも、お互いが良ければ今年は期待出来そうだね」

 

 カナタの心情を察したからなのか、泡沫は敢えておどけた雰囲気で話を逸らす。伊達に付き合いが長い訳では無い。詳しい事は分からなくともそれが何を意味するのかだけは何となく想像が出来ていた。

 生徒会室に僅かに緩んだ空気が流れる。その瞬間、不意に聞こえたのは小さな悲鳴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に良かったんですか?」

 

「何がだ?予断出来る様な事は何一つ無いはずだが。それとも何か?俺の聞いた内容は嘘だとても?」

 

「いえ。自分の身分ではそれ以上の事は何も」

 

「だったらこの話はこれで終わりだ。全員準備は出来たな」

 

 部隊を取りまとめる様な雰囲気を持った一人の男は言葉の端々から異様な空気を纏っていた。

 本来であれば今回の様な突発的な招集はあり得ない。事前に幾度となく裏付けを取り、確認した上で行動に移していた。

 

 事実、最近までは国内ではそれ程大きな問題にあはならなかったはず。当然ながら今回の様な事例は以前であればあったが、現状を認識すればあり得ない行為。

 突然の事だった為に不意に口した質問はそのまま握りつぶされて終わっていた。

 幾ら当人が強大だとしても組織の決定までも覆す様に動く事は無い。しかし、そんな組織の体面よりも、目の前の事象がそれを許す様には見えなかった。

 

 男の言葉に全員が改めて装備している物を確認する。正規の軍隊の様に合同で訓練をした事はこれまでに一度も無い。にも拘わらず、誰もが一糸乱れない整列はある意味では異常だった。

 

 

「では、今回の作戦について説明する。内容は極めてシンプル。対象先の人間の()()だ。少しでも多くの凄惨な現状を作り出せ」

 

 男の言葉は麻薬患者の様に澱んだ目をした兵士全員に染み渡っていく。時折ブツブツと聞こえる小さな声もあったが、誰もがその内容に異論を挟まない。

 先程質問をした兵士もまた、何処か焦点が合わない様な目線で、ただ前だけを見ていた。

 

 

「では総員乗車し、作戦を開始せよ」

 

 一言だけ告げると同時に全員がそのまま用意した車へと乗り込む。本来であれば指揮官とも取れる人間が真っ先に乗るはずだが、この男はそんな素振りは全く見せなかった。

 誰もが乗り込む所を見て口元が歪む。正気を保った人間が一人でも居れば、この男が何を考えているのかは想像出来たはずだった。

 全員が乗ったからなのか、車はゆくりと動き出す。警察の犯人護送車に偽装しているからなのか、走る車に誰もが違和感を持つ事は無かった。

 

 

 

 

 

「全員その場で待機。命令があるまで動くな」

 

 指揮官の言葉に誰もが車から降り、そのまま気配を隠しながら周囲に潜んでいた。男達の視線の先にあるのは破軍学園の校舎。とある計画を掴んだが故に起こした行動は、当初の予定を容易く崩壊させる物だった。

 

 

「行くぞ」

 

 男が呟いたのは一言だけだった。本来であれば有りないはずの破壊音。それが一つのキッカケとなっていた。

 突然の音で誰もが浮足立つ。そこを襲撃するかの様に男は自身の持つ銃の安全装置を外していた。

 狙いを付けるべく照星の先にあるターゲットに視線を移す。素人であれば確実に葛藤する様な場面であっても、男はまるで日常だと言わんばかりに引鉄を軽く引いていた。

 一発の銃声と同時に照星の先にあった人間が赤く染まり、その場に倒れる。それが事実上の合図となり、その場にいた全員が学園内部へと雪崩れ込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「官房長官!」

 

 官邸の中は突如として飛び込んで来た情報に蜂の巣を突いた様な状態に陥っていた。

 破軍学園襲撃。国営の、それも魔導騎士養成の教育の場にテロリストと思われし集団が侵入した一報は官邸内部を駆け巡っていた。

 本来であれば伐刀者が大量に居る場所に行動を起こす事がどれ程危険な行為なのかは言うまでも無かった。

 只でさえ破軍学園には『世界時計(ワールドクロック)』と呼ばれた新宮寺黒乃や、『夜叉姫』と呼ばれた西京寧音が在籍している。そんな場所に襲撃をするのはある意味では自殺行為と同じだった。

 だからこそ飛び込んで来た情報に時宗も驚いた様子を浮かべている。何時もの様な表情ではなく、焦りから出た表情にその場に居た誰もが状況の深刻さを知る事になっていた。

 

 

「警察と軍は?」

 

「それが………」

 

「まさかとは思うけど……」

 

 時宗の言葉に情報官は言葉を濁していた。本来であれば有事の際には真っ先に動くはずの組織が沈黙している。

 本来であれば政治家は民主主義に基づき選出されている。当然ながら国民の代表でもあり、万が一の際にはそれなりの権利を行使する事も出来る。その組織の事実上の頂点に入り官邸の指示を拒むのは、公僕の立場では容易な話ではなかった。

 

 如何に官房長官としての権利を行使したとしても肝心の命令組織が麻痺すれば、全てに意味が無くなる。これまでに内偵をしていた為に何となく動きがある事は知っていたが、まさかここまでだとは思っても無かった。

 

 

「警察庁長官と軍の長官は何と答えた?」

 

「……その……本件に関しては、総理から訓練であるとの辞令が出ているとの事です。伐刀者であれば実力で排除できるはずだとも聞いているそうですので」

 

 情報官の言葉に時宗は目を細めていた。普段はおどけた言動が多いが、真っ先に行動に移す際には容赦という概念が消える。そんな時宗を良く知るからこそ、情報官もまた無意識に躰が震えていた。

 容赦しないのであれば、後に残るのは死屍累々とした光景だけが残される。今回の件に関しても、幾ら事前に情報が来ているからと言って一切の確認すらしないのは、完全な職場放棄。

 これが何のかは考えるまでも無かった。情報官の脳裏には粛清の二文字が浮かんでいた。

 

 

「伐刀者ね………主戦力が不在の学園には、事実上の素人しか居ないのに、どうやって排除するんだろうね」

 

 時宗の言葉に誰もが返事をする事は出来なかった。実際に寧音がKOKの関係で移動するのは少しでも関心があれば誰もが知りうる事実。それと同時に、七星剣武祭の件で何かと煩わしい事がある事も知っている。そうなれば万が一が起こっても手を施す事は出来ない。

 当たり前の対応すら出来ない組織に、口調こそは何時もと同じだが時宗は内心激怒していた。

 

 

「まぁ……職務怠慢の件は後日にしよう。それと、警察と軍は無理でもマスコミだけは対策しておいて。色々と面倒な事になり兼ねないからね」

 

「承知しました」

 

 時宗の言葉に情報官は慌てて外へと走り出していた。この部屋には時宗以外には秘書官しか居ない。先程までの騒乱は嘘の様に静まり返っていた。

 

 

「さて……と。どうやら小太郎の言う通りになったみたいだ。悪いけど、直ぐに頭領に連絡してくれる?」

 

「報酬はどうされますか?」

 

「そうだね………折角だし、警察と軍の予算から少し貰おうかな。報酬は……五十億。既に被害は出ているだろうから、特化B対応で良いかな?」

 

「被害の度合いにもよりますが、現在は破軍に動ける人間に限りがあります。B対応となったのであれば報酬の上積み、若しくはC対応で無ければお受け出来兼ねます」

 

「君も中々やるね。風魔じゃなくて、僕に仕えてくれないかな。こう見えて無能が多すぎて大変なんだよ」

 

「申し訳ありませんが、そのお応えに応じる事は出来ませんので」

 

「そう。ふられちゃったか。じゃあ、報酬は七十億。対応はBで。無理ならCでも報酬は変動なし」

 

 時宗が言うのも無理は無かった。元々ここまで情報を深く知るには相応の力が必要だった。

 当然ながら官僚程度にそんな能力は無い。偏に風魔の草による情報収集能力による物だった。

 既に秘書官は隠し持っていた通信機で通信を開始している。警察も軍も動きが鈍いとは予想したが、まさか動かないとは思っていなかった。

 内調が掴んだ情報からすれば、今回の思惑には想定外の何かが関与している可能性もある。責任論が噴出する前に、一刻も早い処断が時宗に要求されていた。

 

 

「承知しました。現在、直ぐに派遣出来るのは『青龍』だけとの事です。なお、小太郎より条件についての変更があります。一部、こちらとの依頼に被る案件がある為に、場合によってはそちらを優先させるとの事です。なお、報酬に関してもランクに関しても問題は無いとの事です」

 

「了解。そっちにも都合があるなら優先してくれれば良いから」

 

 仮に最悪の展開になったとしても、それを切り抜ける方法は幾らでもある。実際に時宗からすれば学園には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 届いた情報が正しければ、それなりに被害が出るのは間違いない。世間に対してどうやって取り繕うかを優先したからなのか、時宗の感情には先程までの怒りの感情は消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解した。直ぐに現場に急行する」

 

 龍玄が一言だけ告げるとそのまま通信は切れていた。突如として飛び込んで来た情報は以前に小太郎と朱美からも示唆されていた内容。高額報酬の名の通り、七十億は高額だった。

 本来であれば学内に居る予定だったが、今日は急に入った予定の為に龍玄は破軍から離れた場所に居た。

 加速の為にバイクのアクセルをワイドに開く。エンジンではなくモーターだった為に、その速度を瞬時にトップスピードにまで達していた。

 限界値まで振り絞るも、モーターの回転音だけが僅かに聞こえる。既に装備したからなのか、今の龍玄は誰もがバイク用のツナギを着ている様にしか見えなかった。

 

 

《緊急依頼を受託しました。追加報酬は十億です》

 

「追加依頼か。内容は何だ?」

 

《要人の護衛です。先程の報酬に関しての内容になります。対象者は貴徳原カナタ。財団よりの緊急依頼となります》

 

 オペレーターの言葉に運転をしながらも龍玄は疑問を浮かべていた。

 伐刀者でもあるカナタの護衛の意味が分からない。ましてや情報が正しければカナタは護衛されるのではなく、寧ろ前線に出る側のはず。緊急依頼と言うのであれば相応の内容である事に間違いは無かった。

 

 

「詳細を教えろ」

 

《現在、破軍学園にはテロリストと思われる集団による襲撃を受けています。現時点で判明しているのは伐刀者が六、それと一般の兵士は十二です。用意された銃器は詳細は不明ですが恐らくは自動小銃(M4カービン)を使用していると思われます。現時点では交戦中ですが、このままでは最終的に押し込まれる可能性があります》

 

「これも特化Bか?」

 

《本件に関してはBで問題ありません。その為に、先に出た依頼に関してはBもしくはCでの対応で問題は無いとの事です》

 

「そうか。了解した」

 

《ではご武運を》

 

 無機質に響く音声に龍玄は今後の予定を少しだけ変更していた。

 元々今回の依頼は緊急ではあるが、予測された物。当然準備も万端だった。

 唯一面倒なのは寮の自室にある武器の取得だけ。仮に相手が所有している物が自分達の求める水準をクリアしているのであればそのまま利用すれば良いと考えていた。

 そもそも特化B条項は負傷しても構わないが、命だけは助ける事が前提の内容。Cに関しては生死を問わずだった。何も知らない生徒からすれば今回のケースは相応のトラウマを生むかもしれない。しかし、元々が予備役に相当する様な部分がある為に生徒が今さらどうなろうと龍玄からすれば大した問題ではなかった。

 寧ろ、カナタの護衛B条項の方が確実に面倒になる。立場を考えれば生徒会役員は率先して今回の襲撃の収拾をする事が予測出来るからだった。

 

 これが何時もと同じ様に動いていれば確実に依頼は不履行になるが、幸か不幸か龍玄が直ぐに移動できる最中での内容。既に依頼が出たからには『青龍』としての役割を果たすだけの話。

 そんな取り止めの無い事を考えながら龍玄は運転に集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破軍学園襲撃は当初の予定通りにスムーズに行われていた。

 恐らくは警察や軍が出動する事は無いはず。それが事前に聞かされた情報だった。

 自分達の力を示す為に襲撃をする。その結果を持って自分達が七星剣武祭に堂々と出るはずだった。

 その前提にあるのは被害が殆ど出ない程度の結果。そんな計画はものの見事にぶち壊されていた。

 

 

「餓鬼だろうが関係無い。出来る限り生かすだけで良い。後の事は考えるな」

 

 指揮官と思われる人間は確かに自分達の後方支援として来る事は事前に聞かされている。その役割は最悪の展開での陽動。それが主目的のはずだった。

 しかし、現実はそんなに甘くはない。指揮官の言葉に兵士然とした人間は持っていた自動小銃をそのまま撃ち込んでいた。

 生徒の大腿に激しい損傷を作り、大量の赤を撒き散らす。そこにあったのは単なる惨状だった。

 血の臭いが周囲にゆっくりと充満する。時折教員と思われた人間も見たが、その殆どは胸や腹部から夥しい赤を散らし地面へと沈んでいた。

 

 

「そこのお前。命令には無かったはずだが?」

 

「命令?蹂躙する事が命令として下っている。お前達の事と我々との事は関係ない」

 

「誰が言った?」

 

「貴様には関係の無い話だ」

 

 今回の襲撃の手引きをした平賀玲泉は無機質に答えた兵士の言葉に疑問を持っていた。

 元々今回の襲撃で人的被害を出さない事が前提であったはずが、これでは完全なるテロ行為でしかない。幾ら行政を抑えたと言っても、この惨状で大人しくする様な国では無い事を誰よりも理解していた。

 気が付けば周辺には学園の制服を着た生徒が横たわっている。当初の計画から大幅に狂ったのが何なのかを知る必要があった。

 

 兵士の様子に澱みは無い。自分の様に糸を使えば、確実に何らかの痕跡が残るはず。しかし、この兵士にはそれが一切感じられなかった。

 自分の理解が及ばない何かが今回の計画を歪ませている。道化師として出たはずの役割は既にテロの首謀者となっている可能性が残っていた。

 

 

「因みに人数を聞いても?」

 

「必要無い」

 

「依頼したのは我々だったはずでは?」

 

「それは聞いていない」

 

「今回の目的は?」

 

「貴様らが知る必要は無い」

 

 玲泉はそれ以上の会話をする事は出来なかった。

 突如として兵士は自分に銃口を突きつける。威嚇射撃など生温い行為は最初から無かった。向けた瞬間に光るマズルフラッシュ。玲泉は三発の銃弾をその身で受け止めていた。

 銃撃の衝撃でそのまま後方に吹き飛ばされる。本来であればそれで終わり背中を見せるはすだった。

 

 

「それは伐刀者の様だな」

 

「はっ」

 

「息の根を完全に止めろ」

 

 通信機から聞こえる音声は死刑執行。衝撃の余りに飛ばされたその体躯には連続して銃弾が撃ち込まれていた。

 大腿ではなく胴体に幾度となく撃ち込む銃弾。地面に横たわった体躯は幾度となくその衝撃で跳ねていた。

銃声が止むとそのままこちらを注視ながら移動する。確実に息の根を止めたと判断したからなのか、玲泉の死体をそのまま放置し、兵士はその場から去っていた。

 

 

 

 

 

「どうにも分からない事が多すぎますね。どこで今回の事が漏れたんでしょうか」

 

 銃弾を撃ち込まれ、絶命したはずの冷泉はゆっくりと起き上っていた。その身には胴体に幾つもの弾痕が残っている。

 本当の意味で人間であれば確実に死亡している量。まるで先程の行為が無かったかの様にゆっくりと周囲を眺めていた。

 

 

「作戦の検証はこれ位にしましょう。さて、私もこれから少しだけ働きますか」

 

朽ちた肉体をそのままに、再度周囲を確認する。校舎の内部がどうなっているのかは分からないが、時折聞こえる悲鳴が現状を物語っていた。

 

 周到に用意された作戦が正体不明のイレギュラーで崩壊している。

 ここからどうやって修正するのが得策なのだろうか。

 味方だと思ったはずの後方支援は自分達にとっても敵でしかない。厄介事はその時に考えれば良いとばかりに当初の目的を果たさんとしていた。

 しかし、玲泉はここで致命的なミスを犯していた。

 この後数分でもこの場に居れば、今回の去る程度の未来が予測出来ていた。

 二つのイレギュラーによる作戦の大幅な変更。未来を予測出来ない以上はある意味では仕方の無い判断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなってるんですか?」

 

「いえ。私達もわかりません」

 

 職員室では情報の収集の為に数人の教員が集まっていた。

 実際に校舎にはまだ被害は無いが、少なくとも現状は最悪の一言だった。

 黒乃や寧音が居れば打開策の一つもあったかもしれない。しかし、戦場の様になった今、自分達が下した作戦がそのまま生死を分けるかと思うと、胃の辺りが締め付けられる程だった。

 一人の職員が無意識の内に有里に視線を向ける。何時も青白い顔色は、更なるストレスを与えたからなのか、命の炎そのものが消えそうに見えていた。

 

 

「外部への連絡は?」

 

「電話線は繋がりません。それと外部への信号も邪魔されているからなのか、繋がる様子はありません」

 

「となれば警察や軍への連絡は困難だと言う事になりますね」

 

 有里を含めて職員達は何も知らなかった。

 仮につながった所で要望のそれが動く事は無い。元々教員の殆どは実戦経験を持たない人間が殆どだった。

 幾ら教育としての実戦をしても、戦場に於ける実戦は大きく異なる。遠くから聞こえる銃声と続く悲鳴。教員らに出来る事は限られていた。

 

 

「………襲撃してきた人数を知っている方は居ますか?」

 

「折木先生。まさかとは思いますが………」

 

「このままここに居ても意味はありません。それに生徒達の悲鳴が聞こえるこの現状で我々が何もしない訳には行きません」

 

「ですが………」

 

 突然の有里の言葉に教員の殆どは言葉を濁していた。

 伐刀者としての経験の中で銃撃に対する防衛の仕方はこれまでに何度か経験している。

 当然ながら一対一であれば恐らくはどうにでも出来る内容のはず。しかし、今回に関してはその前提が大きく違っていた。

 一ではなく複数。それも襲撃者全員が銃火器で武装している。自分の知覚の範囲外からの攻撃をされれば待っているのは自身の死。

 夥しい銃撃の中に飛び込むのはある意味では自殺行為でしかない。誰もが有里の言葉の意味は察するが、おいそれと動けなかった。

 刻一刻と時間が経てば被害は確実に拡大する。一時間程前までは平和そのものだったはずの学園は突如として、その空間を容易く破壊されていた。

 

 

 



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第45話 絡みつく思惑

 平和なはずの日常が一転した事によって学園内は混乱の極致となっていた。

 響く銃声は誰もが死を容易く想像させる。まだ校舎の中には侵入されていない為に、生徒は辛うじて冷静さを保つ事が可能となっていた。

 

 

「侵入者は伐刀者と一般兵士。少なくとも、このままの状態を継続する訳には行かない」

 

「それは同感だね。でも、どうする?確かに伐刀者は平時で無い場合は戦力としてはカウントされてるけど、この状態は正直厳しいと思う」

 

 刀華の言葉に泡沫もまた現状を端的に口にしていた。

 幾ら予備役の扱いを受けているとは言え、実戦の経験は皆無でしかない。

 仮に戦時中となった場合、学生の殆どは後方支援をさせ、一部の生徒が前線に出るのが常だった。

 刀華やカナタの様に前線に出る事が出来る生徒は限られている。だからこそ、今後の立ち回りをどうするのかを判断する必要があった。

 

 

「ですが、それ程時間は残されていません。少なくとも兵士の方は、音から察するに自動小銃を持っています。最初にそれを何とかする必要がありますね」

 

「…………カナちゃんと私でそれを何とかするから、伐刀者の方は何とか出来る?」

 

「僕個人としては荒事は流石に厳しいかな」

 

 刀華が下した判断は、ある意味では間違いでは無かった。

 まだ被害状況を確認していないが、自分達が知りうる中では伐刀者は幻想形態で戦っているのか、致命的な負傷をした情報は入っていない。

 それに対し、自動小銃を持った兵士に関してはまだ死者こそ出ていないが、負傷者は多数に上っていた。

 伐刀者の様に理性的ではないのかもしれない。幾ら学内の再生槽を使うにしても許容範囲は存在する。

 一刻も早い鎮圧を求められる中での判断は最早時間との戦いになっていた。

 

 

「会長!我々も出ます」

 

「そうそう。生徒会役員なんだから、私達も皆を護らないとね」

 

「砕城君、それに恋々も」

 

 生徒会室に来たのは二年の役員、砕城雷と兎丸恋々の二人だった。

 予選会の出場者の中でもこの二人は序列の上位に入る。現時点で上位の人間がどうなっているのかは分からないが、動ける人間が増えた事によって今後の対応が幾分かは軽減されていた。

 一刻も早い対応。学園の教員や職員もまた動いてはいるが、情報が錯綜した中ではその信頼度は低い物。信用できないのであれば、結果的には自分達が動くしかなかった。

 

 

「刀華。今後の動きだけど、僕も含めて砕城君と恋々は伐刀者の足止めをする。その間に、兵士の方を何とかしてほしい。幾らなんでもいきなりの実戦はどうなるのか分からないから」

 

 泡沫の言葉に誰もが異を唱える事は無かった。確かに実戦経験の有無は大きい。

 伐刀者である以上は何らかの経験はするかもしれないが、今回に限っては完全に悪手なになる可能性があった。

 銃弾が飛び交う場所に安全地帯は存在しない。そう考えれば、刀華とカナタがそれを制圧出来れば、後の事はどうとでもなると考えていた。

 この答えが正しいのかも違っているのかは誰も分からない。しかし、一度決めた事を覆すだけの時間的余裕は無かった。

 

 

「皆、頼んだ」

 

 刀華の言葉に生徒会室に熱が起こる。それはこれから起こるであろう戦いの為の鼓舞なのか、それとも恐怖を振り払う為のそれなのかを確かめる手段は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きなだけ暴れろ。後の事は彼奴らがやってくれる」

 

「どこまでも、ですか?」

 

「ああ。だが、最初だけは殺すな。いきなり相手があたふたするのはつまらない。そこそこになれば好きな事をしても構わん」

 

「好きな事ですか?」

 

「そうだ。我々は選ばれた人間だ。下等な人間に何をしても問題は無い」

 

 兵士の指揮官と思われた人間の声にその場にいた兵士の誰もが下碑た笑みを浮かべていた。

 元々今回の件に関しては、上からの命令だと尤もな話として降りてきたが、実際にはやや異なっていた。

 元々学園の一つを襲撃する事は薄々ながらに情報が漏れていた。

 ここ最近になって、一つの支部が壊滅したばかり。当然ながら上級の人間だけでなく、下級の兵士もまたその事に激しいストレスを抱えていた。

 

 自分達は選ばれた人間であり、それ以外の人間が自分達とは対等な関係では無い。この場に居た誰もがそう考えていた。

 言葉で理解出来ないのであれば、その力を振るう。ましてやその矛先にあったのは、伐刀者の存在だった。

 異能を有し自分達を導く存在ではあるが、誰もがその思想を持っている訳では無い。

 同じ伐刀者であっても、どちらに就くのかでその対応は変わっていた。

 

 当然ながら、今回の襲撃先は伐刀者の養成施設でもある学園。自分達に劣る人種が伐刀者であると言う事が許されるはずが無いとさえ考えていた。

 指揮官の言葉に誰もが疑う事も無く士気を高める。

 最後の言葉が終わる頃には、完全にその思考は特定の方向に誘導されている事を、誰一人知る事は無かった。

 

 誰もが用意した銃器を担ぎ、これから先に起こるであろう事象に胸を焦がす。好きにしろとは、戦場での有り方そのままである事と同意。欲望を燃料に、これからすべき内容を誰もが再認識していた。

 伐刀者と言えど、戦場を知らないひよっこ達。自分の欲望をぶつけるには最適だった。

 一つの号令に、一糸乱れぬ行動を起こしたからなのか、学園の内部で気が付く人間は誰も居なかった。

 

 

「一つだけ言っておく。抵抗する人間は容赦をするな。その代り、こちらに恭順する人間は命だけは助けろ。それと、制服を着ていない伐刀者はこちらの味方だが、万が一の可能性もある。自分達で判断した結果、敵勢力だと判断した場合には直ぐに射殺せよ」

 

 指揮官の言葉に再度頷く。ここで声を出せば気取られると判断したからだった。

 

 

「総員、作戦を開始せよ」

 

 その言葉を聞くと同時に動き出す兵士達。誰もがその際に指揮官を見る事が無かったからなのか、指揮官の歪んだ笑みをその目で見た者は無かった。

 

 

(さて、久しぶりに暴れたいが、無理をすれば奴らが来るかもしれん。面倒だが、偶にはこれも良いだろう)

 

 指揮官だったはずの男は直ぐに歪んだ口元を修正し、自動小銃を手に自らも動き出す。

 幾ら裏で動かない様に抑えたとしても、時間とも共に面倒なのが来るのは既定路線。

 自分が知る組織が当時と変わり無ければ、その答えは自ずと出てくる。残された時間の短さは残念ではあるが、どのみち、この兵士達もまた生き残れる可能性は無いはず。精々が自分の行動を隠蔽する為の捨て駒でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったより厄介だよ。どうする?」

 

「まともに対応するのは不可能です。恐らくは他の人間が周囲に居るはずですから」

 

 兵士への対応を担う刀華とカナタの視線の先にあったのは、まさに戦場のそれに近い物だった。

 横たわる人間は、誰もが学園の制服を着用している。ここに来るまでに、血の臭いを大量に嗅いでいるからなのか、その惨状は予測出来る内容だった。

 動きを制御する為なのか、殆どの人間は大腿から夥しい赤が流れている。

 具体的にどうなっているのかを判断出来ない為に、二人は物陰から様子を伺っていた。

 

 時折一人になる状況はあったものの、完全にお互いの位置を理解しているからなのか、奇襲をかけるにも明確な隙は何処にも無かった。

 兵士の一人が女生徒を盾にするかの様に自分の前方に突き出している。事実上の肉の壁にしているからなのか、誰もが遠距離攻撃に戸惑いを見せていた。 

 

 

「でも、この場を何とかしないと、増援が来る可能性がある」

 

 「ですが………」

 

 刀華の指摘にカナタもまたそれ以上は言えなかった。

 自分の抜刀絶技で兵士だけを倒す事は理論上は可能だが、だからと言って、すぐ傍に居る生徒が無傷でいられるかと言われれば厳しい物があった。

 見えない程に細かくなった刃は周囲から一気に対象者に襲い掛かる。その為に、見た目はそれ程大雑把では無い様にも感じるが、実際にはそうではなかった。

 対象範囲を幾ら小さくしても限度がある。その結果、密接した人間もまたダメージを受ける可能性があった。

 

 幾ら微調整をした所で、対処すべき人間が動き続けている為に、精細な攻撃が出来ない。物陰から狙うにもやはり正確な状況を把握できない為に、それもまた安易に攻撃する事を躊躇っていた。

 刀華とカナタが倒す事が出来た兵士は二人。それも事実上の奇襲に近い物だった。

 

 本来であれば、このまま制圧すべき内容。しかし、兵士もまた練度が高かったからなのか、その後は回避に専念するよりなかった。

 銃撃の隙間を狙って攻撃をしようにも、相手もまた姿を隠しているからなのか、銃撃は間断無く襲い掛かる。少なくとも目くらまし程度の腕では無く、精鋭のそれだった。

 

 その結果、校舎の角で様子を伺うだけとなっていた。

 このままでは盾になった生徒もまた危うい状態になる。既にどれ程の血が流れているのか分からない為に、残され時間が無い事だけが正確に認識出来ていた。

 膠着しかけた状況を打開するにも、刀華だけでなくカナタもまたその経験が不足していた。

 

 

「ですが、このまま一気に襲い掛かるのは悪手です」

 

「じゃあ、どうやって?」

 

 刀華の疑問にカナタもまた答えを見いだせなかった。

 問題なのは兵士の動向では無く、その場所。盾となっている生徒は既に一部切傷がある為に、血が止まらないままになっていた。

 可能性としては動脈を切っているかもしれない。だからと言って突撃しようにも周囲にあるブッシュが完全に邪魔だった。

 ブラインドになっているのであれば、自分達を始末する為に罠があるはず。これまでに攻め入る好機は幾度となくあったが、見えない罠が気になるからなのか、慎重にならざるを得なかった。

 ここに来ての経験不足。防衛した経験が無い為に画期的な意見は何も無かった。

 

 

「いやぁああああぁああ!」

 

 二人の思考を停止させたのは一つの悲鳴だった。

 それが誰なのかは考えるまでも無い。盾にされた女生徒のそれだった。

 気が付けば大腿の切創だけでなく、腹部にも銃弾を受けたからなのか、夥しい赤が流れ落ちる。制服は本来生地が厚く作られている。にも拘わらず滲む色はその原因が最悪である事を物語っていた。

 ここから先は時間との戦い。自分を取るか、人質を取るか。経験が無い二人にとって厳しい選択を迫られた瞬間だった。

 

 

「カナちゃん伏せて!」

 

 刀華はカナタに指示を出すと同時に直ぐに地面へと伏せていた。

 自分達の居る場所が索敵された訳では無いはず。しかし、伏せなければならない事態が何なのかは考えるまでも無かった。

 自分達への攻撃。奇襲だと判断した矢先の行動だった為に、その瞬間の事実は何も見えなかった。

 

 

「おぁあああああ!」

 

 先程とは違う悲鳴が響く。改めて先程の場所を見ると、その光景は一変していた。

 漆黒の細長い棒状の物が兵士の右目に突き刺さっている。兵士は突然起こった事実と発生した痛みに、獣の様な雄叫びを上げる事しか出来なかった。

 その瞬間、伏せていた二人の上を一陣の風が通り過ぎる。その先にあったのは先程まで女生徒を盾に暴れていた兵士が横たわった光景だった。

 既に生命の炎が消えたからなのか、僅かに見える兵士の首はある得ない角度に曲げられていた。

 僅かに見えたのは、先程放った何かを回収している姿。それが何者なのかはお互いが良く知っている。振り向いた先には蒼い龍が描かれた仮面の男だった。

 

 

 

 

 

「お前らは直ぐにこの場から離れろ」

 

「待って。どうして貴方が………」

 

「依頼だ」

 

「だったら私達も」

 

「足手纏いは要らん。下手に出て貰っても困る」

 

 以前に見た戦場の姿そのものではあったが、その様子は明らかに異様だった。

 その正体が誰なのかは理解はしているが、それが本当の意味で同一人物なのかと言われれば判断に困る程だった。

 少なくとも自分達が知るそれは単なる防具の様な篭手だったはず。しかし、仮面の男が身に纏うそれは明らかに異質な物だった。

 

 中世の鎧を彷彿とする様なデザインだが、よく見れば薄い板が幾層にも重なる様だった。

 肘から指先にかけて続くそれは、明らかに防具ではなく、重攻撃を目的とした物。磨かれた金属の端は触れれば如何なる物も斬り裂く様な意匠となっている。

 それだけではない。膝下つま先にかけても禍々しい雰囲気を持っていた。

 良く見れば篭手と同様に触れる物を拒絶すかの様に鋭利な刃が付いている。当人の実力を知る人間からすれば、その固有霊装は明らかに最悪の一言。

 体術による攻撃だけでなく、霊装の武器としての使用を考えれば対峙した人間に待っているのは純然たる死。

 自分達が知るそれとは明らかに違ったからなのか、端的に言われた言葉の内容を理解するまでに少々の時間を有していた。

 

 

「そ、そんな事は」

 

「……どうでも良いが、その女は見殺しにするのか?」

 

「それは……」

 

 仮面の男が指さした先に居るのは先程の女生徒。大量の出血をしたからなのか、既に意識は失っていた。

 大腿の動脈からの出血だけでなく、腹部を撃たれた事によって出血性ショックに陥っている。幾ら学園内にIPS再生槽があったとしても、予断は許されない状況になっていた。

 既にどれ程の時間が経過したのかは分からない。刀華だけでなくカナタもまた、目の前の女生徒の意識が完全に向いていた。

 

 

「東堂刀華。お前達が何をどうしようが勝手だ。だが、こちらは依頼を受けて動いている。邪魔をするならお前らも抹殺対象としてみなす」

 

 男の感情が籠らない言葉に刀華は抗弁する事は出来なかった。

 事実、目の前の女生徒がこんな状態である為に、このまま見殺しには出来ない。一刻も早い処置をしなければ、最悪の未来が待っているのは間違い無かった。

 優先するのは個人か集団か。刀華は個人的な感情よりも集団としての役割を優先するしかなかった。

 

 

「それと、貴徳原カナタ。お前は直ぐにこの場から離れろ」

 

「ですが、私は」

 

「くどい!同じ事は二度言わん。お前の身柄は既に依頼主から保護する事を要望されている。お前に選択権は無い」

 

 男の言葉に、刀華以上にカナタの方が内心驚いていた。

 これまで何となくでも距離が近くなったと思った距離が、今は完全に離れている。少なくとも先程の状況を作り出したのは自分達の判断の遅さに起因いしていると考えたからなのか、それ以上は何も言えなかった。

 

 

「もし、ここで無理矢理でも動けば?」

 

「その時は実力行使に出るだけだ。依頼の件もある。命までは取らんがな」

 

「まさかとは思いますが、依頼人は………」

 

「傭兵が依頼人を明かすはずが無いだろ」

 

 そのやり取りだけで、カナタは誰が目の前の男に依頼をしたのかを直ぐに察していた。ここに風魔四神の一人『青龍』を派遣するのは一人しかいない。まさかとは思いながらもやっぱりかと言った表情が僅かに浮かんでいた。

 

 

「因みにその依頼をキャンセルなんて………」

 

「随分と面白い冗談だな。だがその前に、お前はそれ以上の報酬を即金で用立て出来るのか?お前が個人的に持つ負債など優に超える金額になる。その前に、これまでの物を全て返済してから言え」

 

 男の言葉にカナタだけでな刀華もまたそれ以上は言えなかった。

 二億の負債を未だ待ってもらう状況下にも拘わらず、即金で依頼を覆すだけ払う事は出来ない。具体的な数字は分からないが、この学園の内部の事を考えれば端金でない事は間違い無かった。

 それと同時に、まだ周囲には何らかの音が聞こえている。二人にとってはその状況を良しとしないのは当然だった。

 

 

「どのみち、今回のこれは鎮圧だ。さっさと引込め」

 

 既にそれ以上の会話は煩わしいと考えたからなのか、青龍は男から装備を解除する。

 既に所有している自動小銃を横たわる肉体に向けて引鉄を引く。三発の銃声は響くと同時に、兵士は完全なる亡骸へと変化していた。

 試射した事によって銃の状態を確認したからなのか、呆然とした二人を横目にその場から姿が掻き消えていた。                                                                                                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                 自身すらも容易く斬り裂くかと思える程に厚みのある刃は一人の青年に向けられていた。

 上段から繰り出すのは速度と重量が乗った攻撃。これを回避する為にはその場から大きく離れるしか無かった。

 仮に地面に叩きつけたとしても、余波は周囲にも影響を与える。だからなのか、刃を振るわれた青年はその場から大きく回避すると思われていた。

 

 

「見た目だけ……か。随分とつまらんな」

 

 肉厚の刃が地面は愚か、攻撃の対象となった肉体を破壊する事は無かった。本来であれば受け止める事は出来ない程に増えた重量は自信が出来る最大の攻撃。にも拘わらず、攻撃は完全に停止していた。

 片手で止めるには似つかわない体躯。しかし、自身に来る反作用の手応えは紛れもなく事実であることを証明していた。

 まるで鉄の塊に叩きつけた様な衝撃によって持ち手が僅かに痺れる。

 その見た目からは想像も出来ない程の筋肉によって完全に受け止められていた。

 

 

「何だと!」

 

「同じ事を言わせるな。その程度の攻撃を態々回避する必要は無い」

 

 受け止めた青年はそれ以上の言葉を発する事はなかった。

 完全に攻撃を見切ったからなのか、刃の部分を手で受けて止めている。

 世間が一時期騒がせた『風の剣帝』

 その言葉に恥じないそれに、攻撃をしかけた砕城雷は戦場ではあるまじき冷たい汗が背中を伝っていた。

 どれ程力を込めようとも、その先へと刃が進む事は無い。本来であれば、自分の持てる能力を最大限に活かす為に走りながらも刃を振り回していた。

 回転する度に増える重量は、既に人間が如何こう出来るはずの次元を超えている。それが完全に封じられたからなのか、これがA級が持つ能力なのだと本能が悟っていた。

 

 

「それ、返すぞ」

 

 強引に動かされた事によって自分の態勢が大きく崩れる。相対した戦いの中では致命的な隙だった。

 当然ながらその隙を逃す程に、青年は愚かでは無い。追撃とばかりに野太刀の固有霊装でもある『龍爪』を手加減する事無く横に薙いでいた。 

 

 

 

 

「ほう。その程度なら対処出来るか。俺の前に立つなら当然か」

 

 青年は僅かに驚いた様な表情を見せながらも、声に驚きの色は無かった。

 自分が世間からどう言われているのかを知ってなお、驕る事は一度も無い。まるで求道者の様に鍛え上げた体躯から繰り出す攻撃はどれもが一撃必殺とも取れる威力を誇っていた。

 事実、横に薙いだ瞬間に刃からは不可視の衝撃が飛んでいる。なまじ通常の武器であれば、そのまま両断される程の鋭さを持った攻撃も、霊装であるが故にそのままの状態を維持していた。

 

 

「これでも学園の序列四位なんでな。こんな所で寝る程ヤワじゃねぇ」

 

 

 雷は内心では驚きながらも、去勢である事を悟られない様に振舞っていた。

 確かにここ数年、目の前の青年が表舞台に出た事はこれまで一度も無かった。

 諸説色々とあったが、実際の所は本人しか分からない。仮に体調に何らかの問題を抱えたのであれば対処のしようもあったが、先程の一撃がその可能性を否定していた。

 

 少なくとも公式記録として知る事が出来る当時の情報から、大よそでも現在の実力を推測する事は出来る。しかし、一薙ぎで飛んだ斬撃は自分では倒す事は出来ない事実を突きつけていた。

 国内でも数える程しか居ないA級。映像ではなく、対峙した事によって分かったのは絶望だけだった。

 本当の事を言えば、このまま退却したい。しかし、この場を離れると言う事は、自分の存在そのものを否定するのと同じだった。

 生徒会に居るのであれば、その責は果たさなければならない。

 仮に自分一人ではどうしようもなくても、他の誰かが来れば戦局は大きく変化する。

 それを考えたからこそ、雷自身は己を鼓舞するかの様に感情を口にしていた。

 

 

「そうか………ならば下手に抵抗させずに楽にしてやろう」

 

「何……だと」

 

 自身の魂の根源とも言える固有霊装は破壊されればその状態が当人の肉体にも直接作用する。

 『風の剣帝』黒鉄王馬が再度放った斬撃は、そのまま雷の固有霊装を粉砕していた。

 まさになす術も無いままに倒される。抗う事すら許されないやり方は尋常ではない。

 雷はそのまま意識を遮断し、自身の体躯を大地へと沈める。

 刀華に任されたたはずの戦場は、なす術も無いままに唐突に終わりを告げていた。

 

 

「破軍の生徒の質も落ちたものだ。いや、ここには確か、一人A級の人間が居たな」

 

 横たわる雷を尻目に王馬は一言だけ呟いていた。

 事実、今回の破軍学園の襲撃に当たっては発起人とも言える平賀玲泉からもたらされた物。元々この学園がどうなろうが、王馬自身には関係の無い話だった。

 事実、襲撃直前に顔合わせした際には解放軍の一員である事は告げられている。しかし、自分の歩むべき道の前には些細な事として処理していた。

 自分が突き詰める先にあるのは自身の屈辱を晴らす為。

 その為にはどんな手段も選ぶつもりは無かった。

 

 だからこそ、横たわる人間に止めを刺す様な事はしない。仮に意識を取り戻し、襲い掛かるならばそれに反撃をすれば良いだけの話。

 その結果、何らかの事由で命を落としたとしてもどうでも良い話だった。

 だからこそ次の関心へと意識を向ける王馬が望む次のターゲットはステラだった。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

 

 

 

 

 

「何かが変ですね。何が起きてるんですかね」

 

 玲泉は一人ごちると同時に自分の肩に背負う物に視線を動かしていた。

 肩に乗っているのは意識を失った有栖院凪。

 自分が提唱した暁学園の戦士の一人として予定していた人間だった。

 

 元々は解放軍のメンバーの中でも裏に携わる人間を使う事によって内部から食い荒らし、その存在を示すはずの計画。

 確かに計画の大半は成功したが、凪の予定外の動きと同時に、自分の預かり知らない兵士の存在が計画の歯車を狂わせていた。

 同じ組織のメンバーとは言え、幹部の人間が全員の素性を知らないのと同じで、兵士もまた同じ。

 本来であれば二言三言口にすれば良いだけの話のはずが、突如として発砲した為に、ずっと違和感を持っていた。

 

 だからと言って悠長に考えるだけの時間は無い。

 こちらが依頼した人間はともかく、イレギュラーな兵士が今後、どんな動きをするのかが全く予測出来なかった。

 となれば、出来る事から確実に実行する。その為に玲泉は動いていた。

 反逆を防ぎ、このまま来日している男に引き渡せば勝手に始末してくれる。ある意味では見せしめの意味合いで攫っただけだった。

 周囲にこちらを追う気配は二つだけ。にも拘わらず、何か違和感とも取れる物が自分の周りを纏わりつく感覚だけが残ってた。

 

 

「少なくと追いかけてくる人間が居ないのであれば気にする必要は無いかもしれません。計画の一部が少し狂った所で大勢に変化は無いですから」

 

 誰かに聞かせるのではなく情報の整理の一環ととして情報に齟齬が無いかを確認していた。

 既に当初の目的を果たす事が出来たのは間違いない。そもそも裏の人間からすれば、幾らランクが高かろうとも、学生など有象無象でしかない。

 成功して当たり前の計画の内容が狂った時点で修正する必要もある。

 当初の計画から逸脱した兵士がその最たる物。ここで一定量の結果を残す事が出来れば、今後予定する事実を公表すれば事実となりうるのは自明の理だった。

 

 

「どのみち、この先に居る人間を超えるのは不可能でしょうから」

 

 玲泉はこの先に何が待ち受けているのかを知っている。

 元々予定していた事ではなかったが、結果的にはその存在が保険の代わりとなっていた。

 少なくとも世界最強の一角を崩す事など余程の事が無い限りあり得ない。

 仮面越しが故にその表情を伺い知る事は出来ないが、その声は愉悦に浸っていた。

 

 

 



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第46話 それぞれの役割

 平時では無かった為に、学園内部に生徒の数はそれ程多くは無かった。幸か不幸かその殆どが自主鍛錬の為に時間を割いている者ばかり。当然ながらそれなりに技量があると自負する者ばかりだった。

 当然の様に訓練室を使用する為に、誰もが固有霊装を展開している。突発的な事象にも対処できるはずだった。

 

 

「まさか、こんな事になるなんて………」

 

「そんな事言っても解決なんてしないぞ」

 

 一発の銃弾が世界を大きく変えていた。

 伐刀者と言えど、まだ戦闘そのものを経験した事が無い人間からすれば、突然の襲撃は最悪の展開だった。

 訓練施設は元々対個人としての場所の為に、遮蔽物は一切無い。一人の青年の腹部に撃ち込まれた銃弾によって、突発的な開戦となっていた。

 幾ら固有霊装を装備しようが、飛び道具に対処できる人間は数える程しかいない。

 その肝心の人間もまた、この場には居なかった。

 七星剣武祭に出場する人間は、ここではなく他の訓練室で合同で鍛錬を行っている。ここに居たのは半ば自主的に行動していた者ばかりだった。

 

 

「でも、このままだと最後は私達も………」

 

「向こうだって銃弾が無限に有る訳じゃ無い。その隙を狙うしかない」

 

「でも、このままだとあの人は見殺しになる……」

 

 横たわる躰からは少しづつ赤い液体が広がりだしていた。

 どれ程の出血なのかは、ここからでは分からない。少なくともこのままの状態が続く様であれば、確実に命が失われる事だけは間違い無かった。

 

 生存確率は時間ともに低くなる。だからと言って、この場から離れる事をしようとする人間は皆無だった。

 一人であれば銃撃の隙間を縫うように攻撃する事は可能かもしれない。しかし、この場に居る兵士は全部で三。半ば弾幕の様に撃たれた事によって、辛うじて遮蔽物の代わりになる場所から動く事は出来なかった。

 

 

「でも、もう少しすれば誰か助けに来てくれるかもしれない」

 

「期待はしない方が良いと思う。仮に来るなら既に来ているはずだから」

 

 誰が言ったとも分からない言葉ではあったが、、実際にはその通りだった。

 少なくとも訓練室を無断で使用する事は出来ない。担当の職員が常に確認をしていたからだった。

 当然ながら今の現状は知られているはず。自分達もさることながら、横たわった生徒もまた、時間との戦いを余儀なくされていた。

 だからこそ、救援と称した誰かがここに来るはず。柄も言えぬ不安を胸にしながらも、自分達を鼓舞するよりなかった。

 

 

 

 

 

「幾ら何でも遅すぎる」

 

「だからって、俺達だけでどうにか出来ると思うか?」

 

「でも………」

 

 先程よりも銃撃の数は少なくなっていた。

 純粋に誰かが倒した訳では無い。此方が様子を伺う様に、向こうもまた同じ行動をしているからだった。

 物陰に隠れて反撃でもすればまだしも、只隠れるだけであれば無用の銃撃は不要だった。

 

 相手が何の目的をもってここに居るのかが分からない。

 銃撃が散発になっても、未だ誰も来る気配が無いこの状況に、隠れていた誰もが不安を覚えていた。

 そんな中、不意に小さな金属音が響く。跳ねた音が何を示すのかは分からない。しかし、それが新たな局面に差し掛かる何かであることに間違いは無かった。

 物陰から見えるそれが何なのかは分からない。これが手榴弾だった場合、待っているのは明確な死。誰もがその転がった物に意識を奪われた瞬間だった。

 

 

「目を瞑って伏せろ!」

 

 誰の声とも分からないものの、その場にいた全員がその声に従っていた。

 床に転がった金属の塊はそのまま白い闇を作り出す。

 

 

 『フラッシュバン』

 

 

 非殺傷能力のそれではあったが、周囲の動きを止めるのは十分すぎる代物。

 兵士が投げ込んだのは、偏にこれ以上の消耗を防ぐ為だった。

 動きを止める事が出来れば伐刀者と言えど、只の人。その先に待ち構えているのは明確な未来。

 応援や救援が来る前に始末する為の手段だった。

 数秒だけ轟音と共に周囲を激しく照らす。それを合図に、兵士達は一気に行動に出るはずだった。

 

 

 

 

 

 

「あれ…………」

 

 先程の影響なのか、その場に居た全員の聴覚が完全にマヒしていた。

 辛うじて目を瞑った事により視覚にはそれ程影響はないが、聴覚は機能を果たしていない。

 本来であれば待ち構えるのは侵入者による殲滅の銃弾だが、生憎とその可能性は皆無だった。

 遠目に見えるのは先程までこちらに銃弾を撃ち込んだ兵士。立っているのはなく、完全に横たわっていた。

 万が一、それがブラフであればこちらの命が危なくなる。誰もがそう考え、少しだけ様子を伺っていた。

 

 

「なあ、これって………」

 

「ああ。でも、結果的には俺達は助かったんだ。念の為にこいつらの武装は全部解除させた方が良いだろう」

 

「ちょっと待って。これって………死んで…るん…じゃ」

 

 横たわった兵士の顔には完全に生気が失われていた。

 動かない兵士にゆっくりと近づく。そこにあったのは先程までこちらの命を奪わんとする存在そのもの。

 一人の生徒の言葉に、この学園内が命のやり取りを当たり前の様に行う戦場になった事を表していた。

 

 突然の出来事に全身の力が一気に喪失する。

 膝から崩れたのは、自分の命が助かった事による安堵なのかそれともあまりに違い過ぎる世界なのか、誰も判断する事は出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それなりにここに居たからなのか、校舎内部を確認する必要は何処にも無かった。

 既に先程の一件は自らの手で始末したものの、校舎内にまで侵入している状況は良好とは言えなかった。

 

 ここに来るまでに四人。先程刀華とカナタと合流した際には二人が倒されている。残りは六人。正体不明の伐刀者だけでなく、兵士の存在が余りにも厄介だった。

 本来であれば幾ら屈強な兵士と言えど、事実上の無抵抗の人間に向って銃を向けるのはかなり精神的に厳しい物がある。

 これが通常の戦闘行為であれば自身の生存本能とも呼べる考えを押し切る為に、どうとでもなるが、今回の様なケースでは余程の事が必要だった。

 

 だからではないが、先程と、自分が最初に手をかけた兵士の事を思い出す。まるで殉教者の様に、どこか妄信的で常識的な物が失われた様子はまともでは無かった。

 実際に伐刀者の中には糸を使って操る事が出来る者が居る。しかし、その殆どは人形の様に意思が無いケースが多く、今回の様に明確な意志を持つのは極めて稀。

 状況が状況だった事もあり、龍玄としては気にする事は無かったが、今になって違和感だけが残っていた。

 催眠術の様に自分の意思とは無関係に動いている様にも思える。

 今回の件が色々な意味で偶然なのか必然なのか、まだ正確に判断する事は出来なかった。

 

 

「オペレーター。当初の想定よりも状況が悪い。最悪の可能性がある」

 

《どの様な件でしょうか?》

 

「伐刀者とはまだ交戦していないが、兵士に関してはかなり厄介な事になっている可能性がある。()()の事も踏まえて、再度情報の確認と契約内容の変更をしてくれ」

 

《了解しました。では至急依頼主との調整を行います》

 

 龍玄が危惧したのは、完全に思考が一定方向に誘導されていると判断したからだった。

 単純に発砲するだけならだましも、先程のケースは明らかに殲滅を意識していた。

 フラッシュバンを使用し、突入するのであればその先は考えるまでもない。生徒の生死に然程関心は示さないが、これが基で契約が色々と拗れるのは良いとは判断出来ないからだった。

 訓練室を出ると同時に、銃声の下へと移動する。先程あの二人には引っ込めとは言ったものの、その言葉をそのままにする様な人間ではない。

 刀華に関しては分からないが、少なくともカナタの性格からすれば、兵士の居る場所には行かないが、伐刀者の居る場所には向かう可能性があった。

 そうなると依頼の難度が更に高くなる。

 短い期間ではあったが、龍玄もまたカナタと同じ部屋に過ごした事によって、何となくでもその性格を詠む事が出来ていた。

 

 

 

 

 

 

《先程の件ですが、抜けの可能性はかなり高いと予測されます。まだ表には公表されていませんが、我々が知るやり方と同じ手口の事件が発生しています。

 既に時間がかなり経過している為に現在の潜伏先や、その経路に関しては不明です。その為、万が一接触した場合に関しても、依頼内容の変更はありません。

 以上の事から、難度は僅かに軽減されました。ですが、依頼主からは極力その可能性を減らしてほしいとの事です》

 

「そうか。ならばその意向に沿う様に努力しよう」

 

《では、その様に伝えておきます》

 

 耳朶に届いた機械的な音声が切れると同時に、次の場所へと移動が完了していた。血の臭いはするが、まだ命の灯が消えた様な雰囲気は感じられない。

 高額報酬特有の面倒事は次々と起こると同時に、解決までそれ程の時間が残されていない。この状況に龍玄は一気に裁く事を決め、そのまま行動に移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナちゃん。もうすぐ皆の所に着く。場合によっては救助を優先して!」

 

「そうですね。何があるのか分かりませんから」

 

 龍玄の予想通り、刀華とカナタは兵士の事を全て忘れるかの様に、この場所とは反対側に居るはずの皆の所へと移動していた。

 途中、職員室の事が頭をよぎるが、そもそも生徒よりも屈強な教師陣を助けると言う概念は最初から無かった。

 

 決して見殺しにしようと考えた訳では無い。

 少なくともまだそこまでに至っていないと判断した結果だった。

 仮に職員室が鎮圧されれば、今の様な状況にはならないはず。それと同時に、風魔の青龍が動いた時点で自分達が横からしゃしゃり出るのは無駄だと判断した結果だった。

 

 明らかに実力が劣る自分達が戦場に出ても足を引っ張るだけの存在でしかない。ましてや相手は自分達の命など、最初から勘案していないとさえ考えていた。

 伐刀者の固有霊装とは違い、兵士が放つ銃弾は一度引鉄を引けば後戻りは出来ない。

 命を奪う為に作られたそれは、生か死の二択だけ。

 最初こそは大腿を傷つける事によて機動力を奪う事にしていたと考えたが、腹部に撃ち付けた銃弾によって何かが変化した事に間違いは無かった。

 

 その瞬間、二人の思考は春先の戦場へと意識が引きずられる。

 戦場特有のまとわりつく殺意は、実戦を経験しない生徒にはあまりにも重い状況だった。

 だからこそ、青龍の言葉に二人は直ぐに思考を切り替え行動に移す。

 恐らくは後で何か言われる可能性があるかもしれない。だが、自分達はこの学園を纏めあげ、護る事を信条としている。

 今出来る事は、後顧の憂いが無くなった事による意識の向こう側。普段は走らない廊下を一気に駆け抜けていた。

 

 

 

 

 

「刀華さん。まさかと思いますが……」

 

「私も同じ事を考えてた。こっちもやっぱり厳しいかもね」

 

 廊下を駆け抜け、学園を中心に反対側へと進んだ瞬間だった。

 これまでに無い程の濃密な魔力の奔流。これ程までに感じるのであれば、少なくとも襲撃に来た伐刀者のランクは最低でもB級を意味していた。

 それは偏に戦闘になった際には決して優位に立てるだけの担保を有しないのと同じ。

 事実、破軍にはステラを除けば刀華やカナタが最上位となる。それと同時に、生徒会のメンバーだけでなく、実際には現状がどうなっているのかすら何も分からないままだった。

 当然ながら襲撃者の人数が未だはっきりしていない。

 本来であれば生徒手帳を使ったネットワークで確認する事も出来るが、何故かそれも使用できない。

 不確定要素が強いままでの戦闘がどんな状態になるのかは言うまでも無かった。

 油断出来ないだけならまだしも、肝心の情報が何一つ無い。

 事実上の陸の孤島に近い状態で戦う事がどれ程困難なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「ですが、このまま本当に何もしないと言うのは愚策です。我々が先頭に立つ事によって他の士気が上がるかもしれませんから」

 

「確かにカナちゃんの言う通りだね。このまま何もしないで居るのは流石に…ね」

 

 部隊の全滅を経験したからこそ情報の有用性と同時に、戦略が活きる事の重要さを理解していた。

 仮にあのまま勝利を収めれば今回に関しても無策のままに突っ込んだ可能性が高い。

 負けはしたが、それを糧に出来ない人間は三流以下。参戦する事は事実ではあったが、ここで求められるのは確実性だった。

 

 

「高ランクがどれだけ居るかは分からないけど、余程の事が無ければ二手に分かれた方が生存確率は高いと思う。本当の事を言えば一緒に動くのが理想的だけど」

 

「無理はしない前提の方が良いかもしれません。これは私の予想ですが、兵士の処理は恐らくは早いと思います」

 

「確かに………」

 

 カナタは敢えて誰がとは言わなかった。

 言わなかったのは秘匿する為ではなく、口にする必要が最初から無かったからだった。

 あの時の青龍の言葉は依頼。少なくとも外部の人間はこの状況を知っている可能性があると言う事だった。

 

 外部からの援護を期待するのではなく、最初から内部に居る人間を当てにする。少なくとも自分達が知りうる中では最上の伐刀者である事に間違いは無かった。

 殺意を持った人間を態々生かすとは思えない。

 文字通り殲滅すれば、次はここがその最たる場所になるのは確定だった。

 

 勿論、戦力としては信頼出来るかもしれない。だからと言って、それと自分達の矜持が同じだとは思わなかった。

 だとすれば、介入されるのは当然であると仮定し、二手に分かれる案が出ていた。

 間違い無くもたらされるのは殺戮と破壊。

 自分達が愛着を持って過ごした学園が、これ以上被害が拡大しない様にする為には自分達が率先し手動くしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでも本当にA級なのか?仮にそうだとしたら笑止千万だな」

 

 襲撃者の一人でもある黒鉄王馬はステラに視線を向けながらも、まるで周囲にある空気に対して話をするかの様だった。

 今回の襲撃の主体が何なのかは王馬は聞いていない。元々、今回のブレーンの役割を果たしていた玲泉の言葉だけを聞きこの場に来ていた。

 詳しい事は何となくでも察しているが、それは自分には関係の無い話。

 自分の役割だけを果たせば良いだけの話だった。

 

 事前に聞かされた趣旨はこの破軍学園の価値を低くさせ、この後釜として自分達が七星剣武祭に参戦する事。その為には主力の人間を一定以上に減らす事だった。

 政治的な役割を果たさず、自分の役割だけを理解すれば黒鉄王馬と言う人間は最適でしかない。

 自分の進む道だけを見据え、それ以外の事に関しては歯牙にもかけない。ある意味では王者として歩むやり方だった。

 そんな王馬が意識したのはこの春から破軍学園に留学しているステラ・ヴァーミリオンの存在。

 類まれな才能と努力をし、常に上を目指す姿勢に王馬はある意味では戦いに興じたいと考えていた。

 だからこそ自分の放った斬撃の行方で相手の技量を図る。その結果、どうするのかを考えた末の行動だった。

 

 

「私が嘘を言うだけのメリットは無いわ」

 

「成程。だとすれば、貴様のそれは単なる異能のお蔭か。戦うに値しない」

 

「何ですって!」

 

 王馬の言葉にステラは激怒していた。

 これまでに聞いた才能とは言葉の内容は同じだったが、意味合いは大きく違っていた。

 ステラ自身、才能に胡坐をかいてこれまで来た訳では無い。

 並々ならぬ努力を積み、今もなお、その歩みを止める事は無い。

 当然ながら、それが今のステラを支えるバックボーンとなっており、才能と努力を積み上げた結果が今に至る。当然ながらA級だからと言った考えは微塵も無かった。

 

 

「自分の事をまだ理解していないのか?お前の能力が本当にそれだけなら、今直ぐにでも伐刀者として歩むのは止めた方が良い」

 

 

 ────傲慢

 

 

 まさに王馬が吐いた言葉は言い捨てる程度の話。

 伐刀者に限った話ではないが、常に十全の力を発揮できないのであれば無意味だと王馬は告げていた。

 これが通常の試合であれば間違い無くステラの動きも鈍くはならない。

 それは偏に自分の中で今の状況を完全に消化できていないからだった。

 

 幾ら競技者として優れていても、実戦さながらの戦いの場に於いては圧倒的に経験が物を言う。この戦いに関しても、まさにそれが如実に現れた結果だった。

 ステラと王馬を囲むのは熱狂的な観客ではない。周囲に木霊するのは銃声と悲鳴だけだった。

 嫌が応にもここが戦場である事を認識させる。それがステラの動きを鈍らせた原因だった。

 

 

「貴方、確かイッキのお兄さんなのよね。自分の事だけしか見ていないくせに、自分だけが偉そうな口を聞かないで」

 

 ステラの感情に呼応するかの様に黄金色に輝く『妃竜の罪剣』が熱を帯びる。先程までとは違い、その力を誇示するかの様に眩く輝きを見せていた。

 

 

「確かに自分の事だけだ。それは当然の事だろう。お前は自分の力が何の為に有るのかを正しく理解していないのか?」

 

「正しく?理解してるからこそ、こうやって貴方と対峙してるわ」

 

「……やはり何も分かっていない様だ」

 

 王馬もまた自分の固有霊装でもある『竜爪』を正眼に構える。先程とは違い、明らかに今のステラの方が圧倒的な存在感を示していた。

 これで少しは自分の血肉になりえるかもしれない。王馬は内心そう考えながら、ステラの一挙手一投足に注目していた。

 

 大剣と野太刀。

 形状こそ違うが、その意味合いはそれ程違っては居なかった。

 互いに間合を図り、隙を常に伺っている。僅かな気の揺らぎすらも攻撃のキッカケになるからと互いの呼吸はほぼ無呼吸に近くなっていた。

 呼吸をする事によって生まれる隙を逃すはずがない。互いにそう考えたからこそ一定の距離を保ちながら様子を伺っていた。

 

 

 

 

 

「どうした?お前のそれはただの飾りか?」

 

 王馬の言葉がまるで耳に入らないと思える程にステラの動きが止まっていた。

 厳密に言えば止まっているのではなく、目の前の男に集中した結果。

 言葉そのものを受け入れるだけの余裕が無い。

 

 言葉による舌戦ではなく、自らの力量を示す場面では、幾百の言葉よりもただ一つの行動に重きを置く。

 ここが闘技場でもなければ訓練場でもない。学内にある広大な敷地の一部である事が全てだった。

 

 キッカケは既にどうでも良い話。ここでステラに求められるのは、この襲撃者を排除する行為だけ。

 それも自身が愛する一輝の兄でもあり、国内でも少数になるA級の伐刀者。

 ステラの中でも、同じクラスの人間と対峙する事の意味を無意識のうちに理解していた。

 事実、ここでステラが敗北する様な事になれば、この学園がどうなるのかが予測出来ない。

 情報が何も無いままで下手に動く事がどれ程愚策なのかは頭では理解している。

 しかし、それ以外に選択肢が無いのも事実だった。

 まだここに来た当時のステラであれば、既に戦いの結果は見るまでも無い。しかし、ここに来るまでに経験したそれが今の状況を作り上げていた。

 

 自身の霊装を構え、視線は対峙した王馬へと向ける。言われるまでもなくステラもまた脳内で幾つもの行動を基にしたシミュレーションを繰り返していた。

 一輝の様に技巧派ではなく、純然たる身体能力を活かした重攻撃。

 奇しくも似たような攻撃スタイルだったからなのか、ここから先に踏み込む一歩が随分と重い物になっていた。

 

 

「そう言う貴方の剣こそ、どうなのかしら?身体能力にかまけて剣技そのものは未熟だと聞いてるわ」

 

「ならば、その伝聞の真偽はその身で感じるんだな」

 

 ブラフとも取れる言葉が終わると同時に、王馬の体躯が僅かに揺らいだ様だった。

 神速の踏み込みによる上段からの斬撃。

 まともに受け止める事は幾らステラでも厳しい物だった。

 

 身体強化で受け止める事が出来るケースは、あくまでも自分の肉体にプラスアルファしたもの。

 最初の段階から隔絶した相手には通しない物だった。

 

 残像の様にぼやける躰から繰り出される攻撃を予測し、自身の左足を引き半身になる。

 真っ直ぐ振り下ろされる攻撃であれば攻防一体となる足さばきはこの上ない反撃の証。

 少なくともステラの中ではここからの反撃は予定通り。だからと言って安穏とは出来ない。

 自身が受ける圧力に恐怖心が顔を出す。

 その感情を無理矢理押し殺すと同時に次の行動への準備に入った瞬間だった。

 

 

「その程度で私が負けるとでも」

 

 上段からの攻撃を回避する事を織り込んでいたからなのか、王馬の攻撃はそのまま止まる事は無かった。

 初撃を最大限に見せる事によって次撃を回避させない攻撃。

 少なくとも一流と呼ばれた人間でさえも、この連撃を完全に受けきる事は出来なかった。

 

「その程度。予測してないとでも思った?」

 

 上段からの斬撃が終わった瞬間、胴を薙ぐ様な斬撃をステラは自身の刀身で完全に受けきっていた。突如として沸き起こる激しい高音。それは互いの霊装が刃を交わした瞬間だった。

 これが本身の刃であれば一瞬にして使い物にならない程の斬撃。しかし、自身の能力を活かした固有霊装は刃こぼれはおろか、腰が伸びる事も無くその姿を維持していた。

 

 

 

 

 

「あれを躱すか。口だけでは無かった様だな」

 

 先程の斬撃を受け止めた事を確認したからなのか、王馬は僅かに笑みを浮かべていた。

 あの攻撃でこれまでの伐刀者は一部を除いて皆が地面に伏している。それを見切り、受けきったのであれば、それなりに技量を持つ証。

 それが自分を昇華させる材料だと判断したからなのか、それが感情になって出ていた。

 

 だからこそ小手先ではなく自分の能力を余すことなく使った一撃をステラに見舞う。

 王馬からすれば、まだ自分の最低限の基準をクリアしただけにしか過ぎなかった。

 事実、力負けした記憶はこれまでに一度も無い。

 王馬自身は敗北した事はこれまでに数度あるが、そのそれもが正当な力による物ではなく、完全な技量による物だった。

 当初はステラもまた小賢しい事をする小物程度の認識が、先程の攻防で評価を一団引き上げる。だからなのか、先程と同じ様に再度上段からの構えを見せていた。

 

 

「また同じ業?二番煎じは通じないわよ」

 

「愚かな」

 

 ステが放った皮肉めいた言葉は王馬には届かなかった。

 これから繰り出す攻撃が同じだと思えば待っているのは完全なる敗北。

 実像形態ではなく幻想形態だと仮定しても、確実に意識が途切れるのは間違いない。

 それ程までに渾身の一撃を繰り出す事をステラに悟られる訳には行かなかった。

 

 全身の筋肉を余すことなく使う事によって繰り出す斬撃。

 上段からの斬撃は、まるで断頭台(ギロチン)の刃を連想させる程の圧力だった。

 まともに受ければ完全に力負けする。先程とは明らかに異なる斬撃にステラもまた意識を瞬時に切り替えていた。

 

 半身になった事でステラは直撃だけは避ける事に成功していた。

 しかし、王馬の言葉通り、そこから先の行動は想定外だった。

 地面を激しく叩くと同時に、その衝撃波が周囲に拡がる。

 カウンターの為に半身になったステラは事実上の爆心地に近かった。

 

 僅かに揺れる大地に拡がる大気。時間にしてコンマ数秒の出来事ではあったが、命のやりとりが行われている状態では致命的だった。

 無防備な状態で衝撃波をもろに受ける。

 地面を叩きつけたはずの刃は、そのままステラの胴体へと襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珠雫。参考に聞くけど、何があったのか知ってる?」

 

「詳しい事は何も。ですが、()()()があの様な賊にさらわれている時点で何か問題があるはずですから」

 

「姉……ね」

 

 珠雫のぶれない回答に、一輝は内心では溜息を吐きながらも視線の先にある人物を見据えていた。

 実際に何が起こったのかは分からない。

 単純にステラと一緒に襲撃されているであろう場所へと移動する瞬間に、珠雫と有栖院凪を担いだ賊の姿を目にしたからだった。

 

 本来であれば、真っ先に襲撃された場所に向かうのが正解なのかもしれない。しかし、自分の見知った人間が拉致されている場面を見れば、自ずと優先順位がどちらなのかは言うまでも無かった。

 一緒に行動したステラもまた同じ考えだったからなのか、一輝の言葉に手短に返事だけを済ましている。

 仮に襲撃者が伐刀者であれば、ステラの能力から勘案すれば負ける未来は予測出来なかったからだった。

 だからこそ、ステラを信用し、自分もまた先程の状況を理解する。

 その後で珠雫の姿を見たのは、単なる偶然に過ぎなかった。

 

 

「そう言えば、あの女は大丈夫なんですか?今回の襲撃はそれなりに規模が大きい様ですが」

 

「僕は心配なんてしてないよ。ステラの力量は分かっているつもりだし、それに何かあっても対処できると思うから」

 

「珍しく過大な評価ですね」

 

「そうかな。少なくとも今回の予選会でステラも学ぶべき物があったみたいだからね。僕も身近で見ていたから分かるけど、今のステラがかなりの物だと思うよ」

 

「なら良いですが。ですが、少しだけ気になる気配があったので」

 

 珠雫はそれ以上は言わなかった。

 凪が拉致されて冷静になれなかった部分はあったが、一輝と合流してからはその落ち着きを取り戻していた。

 その瞬間、感じたのはここ最近では感じる事が無かったはずの魔力。

 それも他人では無く身内によるそれだった。

 

 黒鉄家(ゆかり)の人物は自分達以外にはここに居ない。となれば可能性は一つだけだった。

 ほぼ戻る事無く風来坊の様に自分の能力の向上だけを見る兄。

 既に家の内部でも最初から居なかった者だと思われる存在。

 仮にその気配が正しいと感じた場合、予測されるのはステラの敗北の可能性だった。

 

 本当の事を言えば、あの女がどうなろうと珠雫には一切関係の無い話。寧ろ、居なくなれば自分の方に意識が向くだろうとさえ考えていた。しかし、その考えは直ぐに否定される。少なくとも自分が愛情を向けたもう一人の兄が良しとはしない事だけは間違い無かった。

 言葉には出来ない嫌な予感だけが脳裏を過る。珠雫もまた認めたくない事実。

 自分よりもステラの方が一輝には良いのかもしれない。そんな口にも出来ない入りまじった感情を一輝に知られる事無く凪を拉致した賊を追いかけていた。

 

 

 



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第47話 襲撃の最中

 学園が襲撃されてから、実際にはそれ程の時間は経過していない。しかし、その環境下に置かれた人間からすればその限りでは無かった。

 無数の銃弾が飛び交う場所に待っているのは命の選択。嫌が応にも生死の概念が叩きつけられていた。

 

 当然ながら、実戦を経験しない生徒は恐怖で感情が塗り固められている。仮に学園を卒業したとしても、本当の意味で使い物になるのかは未知数だった。

 予備知識も心構えも何も無い。突如として放り出された環境に、恐慌に陥らない事だけが僥倖だった。

 

 

「もう……大丈夫なのかな」

 

「でも、万が一があるかも…………」

 

 先程まで聞こえたはずの銃声は突如として止んでいた。

 無差別に命を奪う銃器は脅威でしかない。幾ら自分達に戦うだけの力があったとしても、肝心の心が付いてこなければ一般人と同じ。だからこそ、突如止んだ銃声に戸惑っていた。

 気が付けば、止んだ音に誰もが少しだけ正気を取り戻す。だからなのか、今になって漸く周囲の状況を見るだけのゆとりが発生していた。

 

 

「確認しないと前には進まないんだ。俺が見てくる」

 

「おい。大丈夫なのかよ」

 

「ここでじっとしてても変わらないんだ」

 

 一人の青年の声に誰もがその場から動く事は出来なかった。

 万が一が起こる時は自分の命が無くなっているかもしれない。生き物としての恐怖が勝っているからなのか、誰もがついて行こうとはしなかった。

 静かに教室の扉が開き、左右を確認しながら音を殺して外に出る。僅かに待っている時間が、まるで長時間の様にも感じていた。

 

 

 

 

 

「これって一体誰が………」

 

「下手に触らない方が良い。何が起こるのか分からないんだ」

 

 兵士が居ると思われた場所にあったのは夥しい血溜まりと周囲に飛び散った赤だった。

 兵士の姿は無くとも、ここで何が起こったのは考えるまでも無い。戦闘行為による結果だった。

 

 

「先生の誰かがやった……のか」

 

「だったら、こんな凄惨な状況にはならないんじゃないのか?」

 

 誰が言ったとも分からない言葉ではあったが、それに対する明確な返事は何も無かった。

 仮にこの場に兵士の死体があれば何となくでも予測出来るが、この場には戦闘行為があったと言う事実のみ。仮に学園の教師が戦闘行為を行ったと仮定すれば、幻想形態で倒す物だと考えていたからだった。

 とは言うものの、肝心の物が無ければ全てが憶測でしかない。この場にいた誰もが今はただ生きていると言う事実だけを感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学内の鎮圧が確認された頃、その周辺にあった戦場は更に激化していた。

 生徒会役員でもある砕城雷と兎丸恋々はまさかの人物によって敗北を下されていた。

 只でさえ学内での実力者の喪失は手痛いだけでなく、万が一の際には自分達の代わりとなってもらうはずの人物。その二人が戦線離脱している今、これ以上の人員を減らす事は許されなかった。

 味方が少なければ、その分の負担は他のメンバーにも及ぶ。だからなのか、今対峙している人間ては確実に何らかの形で納めるよりなかった。

 

 

「どうして貴女がここに?」

 

「どうして?何をそんな戯言を。我がここに居るのはただ一つ。我が覇道を邪魔する輩の抹殺だ」

 

 カナタは目の前に居た風祭凛奈に話かけていた。

 貴徳原カナタと風祭凛奈はこれまでにも学園ではなく財界のパーティー会場で何度か顔を見た間柄。当然ながらその性格や信条も何となく理解していた。

 自分が知っている少女であれば、態々こんな事をするだけの理由が何処にも無い。本当の事を言えばここで激突する事による消耗をカナタは避けたかった。

 

 この現場に近づくにつれ、周囲の状況をつぶさに観察した結果、先程の兵士とは別行動している伐刀者の数はかなりの物。各個撃破しようにも、圧倒的にその数はこちら側にとって不利でしかなかった。

 それと同時に、凛奈の隣にはネコ科特有のしなやかな体躯の一匹の獣。対人ではなく、獣が相手となればカナタにとっても苦戦する可能性があった。

 

 野生の本能とも取れる行動は予測する事が出来ない。どうしても自分の反応速度よりも獣の方が早いからだった。

 そうなれば固有霊装を展開するのは問題無いが、抜刀絶技を行使するだけの時間が圧倒的に足りなかった。

 凛奈の持つ固有霊装『隷属の首輪』は、装着した物や者を固有霊装として使用できる為に、明確な対策を取る事が難しかった。

 当然ながら抜刀絶技を展開するだけの時間を作ろうと思えば、この場所は随分と不利な場所でしかない。

 だからなのか、カナタもどうやって戦うのかを会話をしながらも模索していた。

 

 変則的な二対一。それだけならば未だしも、問題なのは、この戦場に居る青龍の存在だった。

 実力がある為に、直接的な心配をする事は無い。それよりも厄介なのが依頼の内容だった。

 依頼主がどんな事を考えているのかは分からないが、仮に味方の消耗を一切考えないやり方だけを実行するとなれば、損傷を無視したやり方を行使するだけ。

 凛奈の性格を考えれば、この場に於いては撤退させるだけの策が無い事には激突は免れなかった。

 

 

「覇道………その先に見えるのは何かしら?」

 

「愚民に言う言葉など、我は持ち合わせておらん」

 

「………そう。仕方ないのかもね」

 

 独特の言い回しをしながらも、凛奈の表情や視線が揺るぐ事は無かった。

 恐らくは現時点の状態を鑑みれば、どちらに勝利の天秤が傾いているのかは考えるまでも無い。

 幾ら鍛えられた肉体と精神を持つ伐刀者と言えど二対一の状況下であり、一体が巨躯の肉食獣である事実から予測される結果は考えるまでも無かった。

 既に自分の意識を会話から戦闘へと切り替える。

 この場には何時も居るはずのも一人の姿が見えない事は気になるが、それでも今はこの状況で如何に自分が勝ち残るのかを考えるしか無かった。

 カナタの意思が表に出たかの様に、手にしている固有霊装『フランチェスカ』がその存在を示す。既にここから先に会話が続くとは思えない状況になりつつあった。

 

 

 

 

 

「行け!スフィンクス」

 

 凛奈の声にしなやかな肉体は一気に爆ぜるかの様に飛び出していた。

 獰猛な獣は人間では知覚出来ない程の速度でカナタへと襲い掛かる。人智をも超える動きを人間が捉える事は困難極まりなかった。

 

 

 ────魔獣使い。

 

 

 これが風祭凛奈が使う抜刀絶技から出た力でもあり、自身の刃。

 只でさえ瞬発力に長けた種が、凛奈がもたらす魔力によってその能力は更に増大している。

 当然ながらそれがもたらす結果は考えるまでも無い。

 人間とは違う絶対的な力に口元は歪んだままだった。

 

 漆黒の巨躯から繰り出される一撃は人間では知覚出来ない程の速度を持っている。

 カナタもまたこれまでの自分であれば致命的な一撃を自身の身に受けるはずだった。

 肉球によって疾駆した音が限りなく零へと近づいていく。その双眸は完全に獲物を捕らえた視線だった。

 襲い掛かる爪がカナタの胸元へと向かう。刺突用片手剣は幾らそれが固有霊装と言えど強度は限定的だった。

 特にカナタの霊装はマンゴーシュの様に防御には向かない形状をしている。出来る事が限られている事を理解した未来は既に戦うまでもないはずだった。

 

 

 

 

 

「何………だと」

 

「ご自慢の攻撃が回避された事がそんなに珍しいとは。もしかして、その程度の攻撃で、私を仕留める事が出来るとでも?」

 

 互いの距離が一気に消失し交差した瞬間、待っていたのは凛奈が予測していなかった未来だった。

 肉食獣特有の力と迫力。そしてその体躯から繰り出される攻撃は殆どの場合で回避する事は出来ない物のはず。

 本来であればスフィンクスがそのままカナタを捕食するかの様に押しとどめて終わるはずだった。

 しかし、現実は違っていた。

 すれ違った瞬間、カナタは来るであろう攻撃を予測し、そのままカウンターで胴体を斬り裂いていた。

 幾ら俊敏な動きをしたとしても、所詮は直線的にな動きでしかない。達人とまでは行かなくとも、ある程度の予測は可能だった。自分に向けられた攻撃の為の行動パターン。それを理解して尚、相手の攻撃を受け止めようとする程カナタは愚かでは無かった。

 

 元々刺突用の霊装。当然ながら斬り裂くと言う概念はないはずだった。

 しかし、攻撃した体躯には明らかに斬り裂いたと思われる攻撃が残されている。

 幾ら能力を持った獣と言えど、痛覚は存在する。先程の攻撃を受けた事により、漆黒の胴体からは横一直線に赤い筋が刻まれていた。

 

 

「あの程度の攻撃に態々抜刀絶技を使用する必要はありませんのよ。それとも、その隙を狙おうとか考えてましたか」

 

 カナタの躰には毛ほどの傷すらもついていなかった。

 それどころか、普段から来ているドレスにも傷らしい物が見当たらない。そこから考えられるのは、完全にその動きを見切り回避した事実。先程までの愉悦に浮かんだはずの凛奈の感情は一気にその正反対に変化していた。

 

 

「成程。少しは鍛錬をしたと……流石は我が宿敵…か」

 

「そんなんじゃありませんよ。私はただ、()()()()()()()に傷を負う訳には行きませんので」

 

 睥睨する凛奈の視線をカナタは軽く流しながら先程まで振るったフランチェスカを軽く振っていた。

 行為としてはそれほど大した物ではない。しかし、カナタを事を良く知る人間であれば、誰もが確実に驚く程だった。

 血糊を飛ばす事によって起こる風切り音。少なくともこれまでのカナタであれば発生するはずが無い音だった。

 鋭く聞こえる風切り音が増大してるとなれば、当然ながら剣速も威力も高くなっている事を示す。

 本来であれば凛奈もまた気が付いているはず。しかし、自身が万全の状態で出したはずのスフィンクスが攻撃を受けた事に意識が優先した為に、些細な行為に気に留める事はなかった。

 

 

「スフィンクスを愚弄する気か?だとすれば、ここから先は引けなくなるぞ」

 

「お構いなく。それよりも良いのですか?この場にはもっと怖い物がやってきますよ」

 

「どこにそんな物…………が」

 

 カナタは凛奈と対峙しながらもここに迫る一つの何かを無意識の内に感じ取っていた。

 少なくとも学園の生徒でもなければ教員でも無い。あの兵士を壊す程度の作業にそれ程の時間がかかると思っていなかった。

 だからなのか、本当の事を言えば自分の手で凛奈を倒し、拘束する事によって事態の終息を図る。仮に何かあったとしても交渉で何とか出来るはず。カナタはそう考えたからこそ凛奈を早く倒す必要があった。

 しかし、迫り来る気配はカナタの想定など嘲笑うかの様に無視している。既に経験したからなのか、カナタの躰は本能で僅かに震えていた。

 

 

 

 

 

「賊の一人か?」

 

「何者だ貴様!」

 

「生憎と名乗る名など持ち合わせていない」

 

 カナタと凛奈の間に突如として立ち塞がったのは漆黒の仮面を付けた男だった。

 蒼の龍を描いた仮面に漆黒のボディスーツ。本来であればこの装備を見れば裏の人間は誰もが直ぐに予測出来る人物だった。

 風魔の四神『青龍』。カナタもまた先程顔を見ていなければ確実に驚く存在だった。

 

 僅かに発した言葉と同時にその姿が蜃気楼の様に揺らぐ。その瞬間、待っていたのは獣の悲痛な断末魔だった。

 魔力で強化され、本来の肉体を考えればあり得ない光景だった。

 少なくともこの襲撃の中でカナタに傷つけられた時点で想定していないが、今の凛奈に映る光景はその事実を根底から覆す程だった。

 

 スフィンクスの腹部に刺さるのは仮面の男の腕そのものだった。幾ら篭手を装着しているとしても、肘の辺りまで完全に埋まっている事実は現実でしかない。腹部に致命的な一撃を受けたスフィンクスは一気に弱りだしていた。

 腕の周囲にあった装甲の部分は鋭利な刃物と化している為に、付近の傷口がズタズタになっている。

 当然、手刀を先端に肘まで入り込んでいる時点で、命が散るのは時間の問題だった。

 厳密に言えば人間ではなく獣である為に生命力は高い。今ならまだ間に合うと思われた瞬間だった。

 

 

「──────────────!!!!」

 

 獣の咆哮は周囲一帯に響いていた。

 それもそのはず。青龍の腕には太い何かが握られていた。

 引きずり出したそれは、明らかにその内臓。小腸の一部が飛び出ていた。

 男は躊躇する事無くその腸を引き千切る。幾ら強靭な肉体を持つ獣と言えど、内臓を激しく損傷してまで生きる事は出来なかった。

 腕を抜いた場所からは決壊した堤防の様に夥しい赤が吹き出ている。

 その光景に誰もが動く事すら忘れたかの様に硬直してた。そんな二人を無視するかの様に次の行動へと移る。この時点でやるべき事は獣の完全なる処理だった。

 

 間髪入れずに頸の部分へと手刀を突きつける。

 巨大な刃の様にそろえた五指が抵抗も無く貫いている。どこか非現実的な光景に二人の意識は完全にこの惨状に向いていた。

 

 

 

 

 

「スフィンクス!………貴様!何をしたのか理解しているのか!」

 

「獣を駆逐しただけだ。それとも、あれはお前の大事な何かなのか?」

 

 感情を伴わない物言いに激昂した凛奈は僅かに押されていた。

 感情をそのまま叩きつける様な言葉であれば、普通は多少なりとも怯む事が多い。しかし、この仮面の男からすれば、の程度の怒声は涼風と変わらなかった。

 

 邪魔だから駆逐しただけ。自分に対して害であれば排除したと言う、半ば当然の事をしだけの事。

 腕に纏わりつく赤が不浄だと言わんばかりに腕を振り、それを捨てる。

 まるで最初から眼中にすら無い様に感じたからなのか、凛奈は完全に冷静さを失っていた。

 男の向こう側に見えるのは先程までその存在感を存分に示していた獣。しかし、今となってはただの肉塊でしか無かった。

 自分の手足だけでなく、何かと一緒になってこれまで動いてきた仲間。ある意味では家族ともとれる存在は既に天へと召されていた。

 

 

「当たり前だ。あれは我の家族と同じだ。それを貴様如きが勝手にして良い存在ではない」

 

「そんなに大事なら首に縄でもつけて檻にでも入れておくんだったな」

 

「何だと!」

 

 無二の存在でもあるスフィンクスがやられた事により、凛奈には既に冷静さは無かった。

 先程までの言い方ではななく、寧ろ素が出ている。既にカナタが何をどうこう出来る時間は完全に失っていた。

 

 

「これ以上雑魚に時間を使う訳には行かないんでな。さっさと退場して貰おう」

 

「待って下さい。まさかとは思いますが………」

 

青龍がこの後どう動くのかは分からないが、カナタは嫌な予感だけはしていた。

 依頼の内容が分からない今、青龍を敵に回す愚策はあり得ない。幾ら依頼を受けたとは言え、自分の身が絶対的に安全ではなかった。

 敵対すれば自分もまた獣と同じ未来を辿る。しかし、幼少の頃より知っている凛奈の命だけは少なくとも何としてでも護ろうと考えていた。

 

 

「何をどうしようがお前には関係ない。さて、小娘。お前はここで終わる」

 

「な…………」

 

 その瞬間、凛奈の体躯は容易く宙に浮いていた。

 青龍の放った攻撃は目に留まる事無く、そのまま腹部を貫く勢いで衝撃を与える。

 両足が完全に宙に浮いた瞬間、凛奈の運命は確定していた。

 

 本来であれば貫く事すら容易い拳をそれなりに手加減した事によって衝撃を僅かに緩めていた。

 その結果、拳を起点とした衝撃が内臓全体にダメージを与える。多臓器不全にまで至らない程度の衝撃は、意識を絶ち切るには十分過ぎていた。

 鎮圧が当初の依頼である以上、命だけは最低限取る事はしない。それよりも先に、カナタと対峙した女の姿に青龍は見え覚えがあった。

 

 記憶が正しければこの女は風祭財閥の総裁の娘。そうなれば更なる報酬の追加と称して営業をかける事が可能となっていた。

 今回の依頼と別口の内容。仮面を付けている為に、その表情をカナタが知る術は無かった。

 固有霊装が無い伐刀者は素人と然程変わらない。今の青龍にとっては、凛奈など赤子の手をひねるのと同じだった。

 先程の一撃で完全に意識を飛ばしたからなのか、既に動く気配は無くなっている。後はこの女をどうやって隠すかだった。

 

 

 

 

 

「あの………その………」

 

「何故ここに居る?」

 

 青龍の放った言葉に温度は一切無かった。

 突き放たれた言葉にカナタの全身は僅かに震える。邪魔はしていないが、完全に言葉とは正反対の行動を取った結果だった。

 

 

「わ、私は生徒会の人間です。生徒の安全の確保をするのは当然ですから」

 

「未熟な人間が、ここでか?」

 

「はい。未熟なのは重々承知の上です」

 

 重くのしかかるかの様な言葉はカナタの全身を蝕むかの様に纏わりついていた。

 実際に先程の獣の攻撃を回避できたのは、偏に龍玄との組手を散々した結果だった。

 尋常ではない速度で迫った爪も、龍玄の攻撃に比べれば僅かに余裕を感じる事も出来た。その為に、獣と対峙しても怯む事は無かった。

 しかし、今カナタの目の前に居るのは漆黒の獣ではなく、その人そのもの。

 邪魔をすればどうなるのかは、この学園では誰よりも理解していた。

 

 

「同じ事は言わん。ここは既に戦場と同じだ。伐刀者の中に、お前の実力では届かない人間が居た場合、どうするつもりだ?」

 

「何も出来なくても最低限、時間を稼ぐ事す位は出来ます」

 

「その結果が無駄に終わっても……か」

 

「それでも……です」

 

 青龍の言葉にカナタはそれ以上の言葉を持ち合わせていなかった。

 生徒会としての役割と同時に、自分の価値を考え場合、どちらが重いのかは比べる事は出来なかった。

 人間としての価値に差は無くとも、その人の持つそれは等しくはない。

 事実として、風魔の四神がこの学園に介入している時点で既に生徒会としての役割は求められていないのと同じだった。

 実際に兵士の始末は終わったとしても、伐刀者がどれ程なのかは未だ分からない。

 青龍の言葉に反論出来なかったのは、偏にその前提となる情報が完全に抜け落ちていたからだった。

 

 

「戦場で相手はこちらに向けて明確な殺気を出した以上は、その代償は互いに払うべき物。自分の自己満足の為に周囲の人間に迷惑をかける事がお前の矜持なのか?」

 

「それは…………」

 

「事実、この女の事も口で言った所でどうにかなったのか?」

 

「…………」

 

 致命的な言葉だった。カナタが説得に出たのは、青龍がそこに来る事が前提だったからだった。

 これが援軍も何も無いのであれば、そんな悠長な事は出来ない。戦場で温情をかけた人間が大人しくしている保証はどこにも無い。だからこそ、その先に出るはずの言葉はカナタの中には無かった。

 

 

「これ以上は時間の無駄だ。お前は大人しく校舎の中で隠れてる生徒の事を何とかするんだな。少なくとも、職員は命だけは恐らくは大丈夫だろう。だが、死なない保証は出来ない」

 

「待って下さい。今、校舎の中はどうなってるんですか?」

 

「先程言った通りだ。銃撃戦で回避出来なければ待っている結果は決まっている。依頼とは無関係な行為まで責任は取らん」

 

 衝撃の言葉にカナタはここで選択を迫られていた。このまま戦場の中に飛び込むのか、それとも学内の状況を確認するのか。今のままでは何も分からない事だけは間違い無かった。

 事実、刀華と一緒に動いていた際には完全に人質の概念は無くなっている。だとすればそこから考える事が出来る未来は限られていた。

 ここで意地になって前線に出るのか、それとも後方支援の為に動くのか。どちらも同じ生徒に変わりはない。カナタに迫られた選択肢の内容は単純だった。

 

 

「一つだけ聞きたい事があります。今回の依頼は殲滅ですか?」

 

「依頼内容は明かせない」

 

「だとすればお願いがあります。向かった先に居る私達の仲間を救って下さい」

 

 カナタはこの言葉の返答で予定を決めていた。仮に後方支援となった場合、鎮圧出来ない状況では治療すらも出来ない。幾ら再生槽があっとしても治療中に襲撃される可能性は捨てきれなかった。

 そうなれば一刻も早い鎮圧の方が結果的には助かる可能性が高い。仮に何を要求されても、この場では飲むより無かった。

 

 

「それは当初の予定から決まっている事だ。無理に変える必要はない」

 

「そうですか……で、あれば私はこのまま後方へと移動します。出来れば、その方の身柄も確保したいのですが」

 

「出来ない相談だ。これは今後の依頼の内容に関する証人として利用させてもらう。この女の近くに寄れば、命の保証はしない」

 

「では、命は助けると認識すれば良いのですね」

 

「ああ。()()そうしよう」

 

 それ以上の会話は無用だと判断したのか、先程までの空気は既に霧散しその姿もまた消えていた。

 一撃で倒した獣の骸に関心は無いからなのか、その場にはカナタ以外に物言わぬ赤く染まった骸が一つあるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも動きが早い」

 

 誰にも聞こえない程の呟きを出しながら刀華は移動速度を落とす事無く目的の場所へと向かっていた。

 ここにくるまでに見たのは周囲の環境が戦闘によって破壊された場所。少なくとも伐刀者の侵入が予想以上である事だった。

 本当の事を言えば、風魔が介入している時点で依頼した人間の予測は出来ていた。

 少なくとも学園に対する依頼であれば、最悪は国もまたこの状況を理解しているはず。にも拘わらず、時間がそれなりに経過した今も軍や警察が来ない状況に内心は苛立っていた。

 

 放たれた弾丸の様に疾る刀華に近寄る者は誰も居ない。時折、ガサッと音がするも、それが何なのかを確かめる事はしなかった。

 間違い無く兵士は全滅しているはず。ある意味では風魔と言う存在を違う意味で信用した結果だった。

 尋常ではない速度で変わる景色。恐らくはそろそろ目的の場所に届くはずだった。

 まだ戦闘を続けているのであれば間に合うかもしれない。そんな淡い期待を持ちながら視線を動かした瞬間だった。

 突如として刀華の加速がそこで終了する。今の刀華の視界に映ったのは、横たわる自分の幼馴染だった。

 

 

「うた君。しっかりして!うた君ってば!」

 

「と……刀華。僕なら大丈夫だか……ら」

 

「でも、こんなになって」

 

「幻想形態だった……みたいだから。大丈夫……だって」

 

 無理矢理躰を動かす事無く刀華は泡沫に声をかけていた。

 元々泡沫は非戦闘員に近い。因果干渉系の能力は明らかに戦闘には不向きだった。

 幾ら幻想形態と言えど、完全に無傷ではない。

 こんな状況でなければ刀華も多少の冷静さを持っていたが、先程までの状況を経験したからなのか、どこか平常心は失っていた。

 ゆっくりと開く目に命に別状は無い事だけが理解出来る。無理に動かすのではなく、この場の置いておくより無かった。

 幸いにも周囲には敵対する様な気配は感じられない。僅かに張りつめた気が緩んでいた。

 

 

「でも………」

 

「僕の事よりも、今は襲撃…者の事を優先して……ほしい。少なくとも……数はそれなりに居るはずだから」

 

 気怠さを押し殺しながらも、泡沫もまた刀華に最低限の情報を与えていた。

 実際に泡沫もまた直ぐに中心から離れた為に詳細は何も知らない。既に他の人間の様子を探る術を持ち合わせていなかった。

 今出来るのは、刀華を少しでも落ち着かせる事だけ。動けない躰に鞭うって泡沫は刀華に伝えるだけだった。

 

 

「僕の事なら大丈……夫だから」

 

「でも………」

 

「刀華は生徒……会としての役割を……果たして」

 

 泡沫はそのまま意識が完全に途切れていた。

 呼吸をしている事を確認した事によって、命に別状が無い事だけは間違いない。兵士の様に命を脅かす存在は、まだこの周囲にの追っているはず。刀華はそう考えたからなのか、ゆっくりと泡沫の躰を芝生の上に置いていた。

 戦場の様に見知らぬ人間ではなく、見知った人間のこの状況は誰の精神もまた同じ感情を持ちえたに違いない。

 元々この状況がどんな意図で引き起こされたのかすら、未だ判断する事を赦すだけの時間は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(これが、黒鉄王馬の実力なの……)

 

 王馬と対峙したステラは既に満身創痍となっていた。

 自身の燃え盛る炎は、王馬から発する風によって完全に遮られたままだった。

 少なくともこれまでステラが対峙した人間の殆どは自分の炎の勢いを更に加速させるだけしかない。となれば更に巨大な炎となって相手に襲い掛かるはずだった。

 

 しかし、黒鉄王馬と言う人間はそんなステラの経験を軽く上回る。

 自身の起こした炎がいとも簡単に消された事に衝撃を受けていた。

 同じレベルの才能であれば、次にまっているのは互いの技量。自分が培ってきた剣術によって対峙する事だった。

 

 

「この程度とはな。些か失望したぞ」

 

 王馬はステラを前に、改めて構える事は無かった。良く言えば泰然自若、悪く言えば無防備の姿に隙が無い。本来であれば構えすらしないのは致命的なはずだった。

 だからと言ってステラの打ち込みを許すはずも無い。

 これまでに対峙した事が無い存在に、ステラは戦略の立て直しを余儀なくされていた。

 ここから先は僅かな動きと言えど、致命傷になり兼ねない。その柄も言わぬ重圧にステラは身構えるより無かった。

 

 

 



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第48話 未知数の戦い

 母国で培った力を手に、ステラはこの国へと来ていた。

 当初はA級ランクとしての触れ込みであると同時に、自身が更に上を目指す事が出来るのではとの思いが叶ったからだった。

 実際に魔力依存による名ばかりではなく、皇室剣技も磨いた結果が今に至る。本来であれば、今の学内の総力を見ても、ステラは上位に入っているのはある意味では当然だった。

 しかし、上位に入ったからと言って、安穏とした事はこれまでに一度たりとも無い。事実、破軍学園に来た当初、自分の迂闊さはあったものの、黒鉄一輝との模擬戦で敗退している。

 それだけではない。

 予選会の中に於いてはもう一人。風間龍玄にもまた土をつけられていた。

 

 一輝との戦いの様に慢心した事は全くない。それどころか、完全に自分と同等の実力者として望んでいた。しかし、その結果は完敗。しかも抜刀絶技すら使う事無く純粋にその体術だけに負けていた。

 何も知らない観客がどう言おうが、龍玄のそれは一輝とは明らかに趣旨が異なっていた。

 最小の力で最大の結果を生み出す。当時は解らなかったが、最近になった漸く理解していた。

 力に酔い、力を従えるのではなく、その力を有効活用する。この国に来てからステラは色々な意味で学ぶ物が多かった。

 そんな中で、一人の人間の存在がチラつく。それが自分の最愛の恋人である一輝の兄、黒鉄王馬。国内でも数少ないA級であると同時に、世間に出回る情報は余りにも少なかった。

 

 それこそ幼少の頃のデータは多いが、最近の物に関しては皆無に等しい。ある意味A級同士の戦いが早々無い為に、ステラもまた最初に関しては警戒をしながらも、どこか戦闘に対して様子を伺うよりも先に自分の力が前に出ていた。

 慢心でもなければ余裕でも無い。王馬と対峙した瞬間、無意識のうちに出た行動はステラにとっても僥倖だった。

 

 

「どうして、こんな事をするの!」

 

「ここの襲撃に関してか?それともお前に対してか?」

 

 中段に刃を構えながらも、ステラは純粋に今回の経緯に関して王馬に問いていた。

 事実、王馬が沈めた人間が既に戦線離脱している為に、今は学内がどんな状態になっているのかは全く分からないまま。しかも、この場に一輝は居ない。

 凪が拉致された事から一刻も早い奪還の為にステラにこの場を任せた結果だった。

 

 

「襲撃に決まってるでしょ。態々こんな場外乱闘なんてしなくても、本戦には出れるんでしょ。無駄じゃない」

 

 王馬に話をしながらもステラは一刻も早い回復に全力を務めていた。

 実際に、最初の段階で感じた圧力はある意味で流石だと言える内容。ステラ自身もまた、これまでに感じた事が無い圧力に内心ではドキドキしていた。

 

 幾ら自分の才能があったとしても、それだけで戦いを優勢に続ける事は不可能でしかない。

 数多い魔導騎士の中での、本当の意味での上位陣との戦いはある意味では命がけ。戦闘狂ではない為に、ここで強敵が現れたとしても、現状を如何に打破すべきなのかは当然の事。だからこそ今の状況に甘んじるなど考えるまでも無かった。

 始まる時は突然でしかない。一言一言告げるたびにステラは全身に魔力を循環させていた。

 

 

「無駄かどうかはお前ではなく、自身が決める事。そもそも弱者の言葉に従う必要がどこにあると」

 

 構える事無く言葉を発した王馬の体躯からは更なる圧力が湧き出ていた。

 魔力に呼応するかの様に周囲の大気もまた震える。先程までとはその雰囲気は一変していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「口だけは達者の様だな」

 

「…………」

 

 王馬の言葉にステラは何も言えなかった。完全に地面にひれ伏した訳では無い。幾度となく重ねた剣戟によってステラの体力は一気に消耗した結果だった。

 幾ら百の訓練を続けても一の実戦には適わない。それも、相手が自分と同等なら未だしも、完全な格上であれば尚更だった。

 ステラが起こす炎は王馬の風によってかき消されている。

 純粋な魔力による為に、これだけであれば本来はそれ程消耗する事は無かった。

 ここまで違った原因の殆どは、魔力ではなく純然たる剣技の差。幾ら膨大な魔力を持つステラと言えど、常に肉体的な消耗と同時に、精神も摩耗すれば、魔力の維持は困難だった。

 

 王馬と対峙するに当たって、ステラは半ば無意識の内に身体強化の魔法を行使している。これは単純な性差から来る物だった。

 幾ら鍛えているとは言え、男と女の筋肉の付き方は決定的に違う。ステラもまたそれを理解しているからこそ、そうなっていた。

 しかし、一合だけ剣を合わせた際に、王馬から感じるそれはステラにとって体験した事の無い剣の重さがあった。

 実際にこれまでの経験からすればステラが身体強化を使用して力負けを感じた事はこれまでに一度も無い。それ程までに濃密な魔力を全身に循環させていたからだった。

 

 しかし、この初撃に関してはそんなステラの経験を一蹴する。

 王馬自身の攻撃が純然たる力なのか、魔力に由来する物なのかの判断が出来なかった。

 戦いの最中で色々な可能性を考える事は度々あるが、それはあくまでの戦略上の話であり、また対峙した者とそれなりに距離があればの話。近接戦闘の最中となれば、実際には不可能に近い物があった。

 戦闘をしながらも魔力を維持し、相手の状況を確認する。言葉で表せばそれだけの事。勿論ステラとてその程度の事は出来ていたはずだった。

 

 

───ただし、相手が自分よりも格下であるならば

 

 

 これがこれまでの内容と唯一異なる点だった。

 一合一合迫り来る斬撃はステラにとっても回避し辛く、その結果反撃の目が見えない。試合ではなく戦場に近い今、圧倒的にステラの方が不利だった。

 攻撃する側は意識をどこに向けるのかは自分の都合で出来る。がしかし、防衛側にとっては相手の様子を常に伺う必要があった。

 これが戦場であれば、恐らくは今回の様な遭遇戦はあったかもしれない。ギリギリの戦いを経験した人間は、仮に僅かな時間だとしても確実に糧になるからだった。

 

 自分の生命が脅かされれば嫌が応にも成長するしかない。生憎とステラはその機会には恵まれていなかった。

 膨大な魔力を誇ろうが、肝心の使用する人間が先にへたばれば膨大な魔力は無となる。その結果が今に至っていた。

 口にこそ出さないが、ある意味では生命の危機。誰よりもステラ自身が自覚していた。

 

 

「所詮はままごと。このままここに散れ」

 

 肩で息をし、明らかに今のステラにはスタミナが消失していた。ここで無理に動いた所で事態を好転させる事は無い。

 幾らか身に縋ろうが、慈悲が降りてくる事すら無い。王馬の動きにステラは観念するしか無かったからなのか、『ごめんさいイッキ』思わず一言だけ漏れるかの様に呟いていた。

 

 

 

 

 

(あれ?何も来ない……)

 

 思わず目を瞑り、これから来る斬撃にステラは備えていた。

 幻想形態なのか実像形態なのかは分からない。少なくともこれまで幻想形態である事は間違いなかったが、事実上の止めを刺す為には何をしてくるのかは分からなかった。

 それと同時にステラは瞑目した為に、その先の事が分からない。間違い無く来るであろう斬撃が来ないままだからなのか、疑問に思いながらもゆっくりと目を開いていた。

 目の前にあったのは王馬の固有霊装ではなく、一人の男。全身が漆黒に包まれた背中だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍玄が感じたのは魔力の奔流だった。

 既に兵士を始末している以上、異様な何かは確実に襲撃者である可能性が高かった。

 元々鎮圧であるが、既に生死は問わずで動いている。先程の凛奈以外にも、もう一人だけ襲撃者を確保していた。

 目的は鎮圧だが、最低限の襲撃者の確保はこの任務には必須だった。

 依頼主が時宗である事実を知っている為に、ある程度の証拠が居るのは言うまでも無い。

 距離が近づくにつれ、それが誰なのかが判別される。互いの能力が高かったからなのか、下手な人間ではないと龍玄は当たりを付けていた。

 だからこそ、細かく確認をせずにそのままお互いの中心点へと突っ込む。霊装を活かした防御と共に、再度任務を開始していた。

 

 

「何だ。襲撃者が誰かと思えば、まさかお前だったとはな」

 

「……そうか。貴様がここ居たとはな。これは好都合だ」

 

 龍玄だけでなく王馬もまた、この闖入者が何者なのかに気が付いていた。

 漆黒の仮面に蒼き龍。王馬自身が過去に土を付けられた人物その人だった。

 

 

「好都合?当時あれ程までに惨敗した人間が、そんな言葉を口に出来る程強くなったとは思えんがな」

 

「いつまでも当時のままだと思うな」

 

「勝手に言ってるんだな。次は命の保証はしないと言ったはずだが」

 

 

 互いに様子を伺いながらも僅かに距離を取る。これから何が始まるのかは考えるまでもなかった。

 互いの間にある空気が徐々に濃密な物へと変化する。そこから先は正に互いの命を賭けた物だった。

 

 

 

 

 

 野太刀の最大の特徴はその刀身を活かしたリーチと、その破壊力にある。王馬の持つ固有霊装『龍爪』もまた、その刀身は一メートルはある物。片や無手であれば、そのリーチの差は絶対的な物だった。

 当然ながら間合いの重要性は考えるまでも無い。事実、ステラが王馬とそれなりの戦いが出来たのは、偏にその間合が似たような物だから。

 しかし、青龍の持つ霊装に刃は無い。それが意味するのは何なのか。既に傍観者となったステラが分かるのはそれだけだった。

 

 

「疾っ!」

 

 僅かに漏れる呼気と同時に、王馬が放ったのは上段からの攻撃ではなく横に薙ぐ物。

 元々野太刀の様に重量のある得物は上段からの攻撃が一番効率が良いはず。にも拘わず、その利便性を捨てる様な斬撃はステラに限った話ではなく、それなりに武芸に通じる人間であれば首を傾げる様な内容だった。

 うねりを上げながら大気を斬り裂き、狙うのは胴体。良く言えば確実性を求め、悪く言えば無難でしかない。魔力の籠らない一撃。考えられるのは一定の距離を取った回避のはずだった。

 

 

 

 

 

「進歩の無いやつだな」

 

 青龍の僅かに呟く声を拾う事は誰も無かった。

 互いが対峙する空間にステラの介入する余地は何処にも無い。横薙ぎに飛ぶ斬撃もまた、尋常では無い速度だった。

 まともに受け止めれば確実に吹き飛ばされる勢い。回避の選択しか無いはずの行動は誰の予想をもはるかに上回る物だった。

 来るであろう斬撃の距離を瞬時に読み取ると同時に、青龍は一気に王馬に向けて加速する。まともにぶつかればどうなるのかはか言うまでもなかった。

 

 

「…………ここで、だと」

 

 漏れた様に発したのは王馬だった。誰が見ても必殺の斬撃を放ったはず。にも拘わらず、今は完全に王馬の脇腹には、青龍の掌底がぶつかっていた。

 拳ではなく掌底である意味。疑問を感じる間もなく、王馬は徐に片膝と付いていた。

 

 

「まさかこんな手段に出るとはな。だが、過信のし過ぎだ」

 

 低い態勢から放たれた攻撃に、青龍は事も無くつぶやく。本来であればそのまま追撃を加えるのが当然ではあったが、何かを警戒したからなのか、その場から大きく距離を取っていた。

 

 

 

 

 

(何なの、今のは!)

 

 刹那の攻防を見たからなのか、ステラは驚きを隠せないでいた。

 それなりに距離が離れたからこそ分かる先程の攻防。まさか胴体を狙った斬撃の下を掻い潜った状態からカウンターで攻撃を仕掛けるとは想定していなかった。

 

 単純に距離だけを考えても斬撃よりも先に躰が至近距離に近づく時点で尋常ではない。

 体術そのものは分からなくとも、あれがどれ程攻撃なのかだけは理解していた。

 完全に捩じった為に筋肉は違う意味で緩んでいる。あの掌底にどんな意味があるのかは分からないが少なくとも自分が攻撃してもなお、傷一つ負わなかった存在が片膝を付く。

 どこか非現実的な光景にステラは呼吸をする事も忘れ、ただ視界に収めていた。

 

 突如として現れた人間。少なくとも学園の人間でない事だけは間違いない。少なくともあれ程の力を持った人間にステラは覚えが無かった。

 可能性であれば風間龍玄。しかし、ステラが知っている龍玄と今の仮面の男では明らかに違い過ぎていた。

 最初に来た際には気が付かなかったが、今になって思えば纏っていたのは血の匂い。こんな状況下でそれを纏うのであれば、真っ当な人間ではない事だけが理解出来ていた。

 それと同時に、先程の攻防を自分に重ねる。恐らく、自分が同じ事をすれば確実に片膝を付く所か、確実に吹き飛ばされる程だった。

 

 数合合わせただけで王馬の身体能力が、どれ程なのかはステラでも理解出来る。自然界の中で長い時間を積み上げた巨木や岩石の様な巌のイメージを感じたからこそ、今の状況が信じられなかった。

 たった一度の攻撃で片膝となれば、どれ程の威力を秘めているのか。ステラはこれまでに積み上げた自分の努力がちっぽけな物になるのを感じていた。

 武器の特性を考えればある意味では比べる事の方が酷なのかもしれない。しかし、目の前で起きた事実は看過出来る物では無かった。

 

 

 

 

 

「まだ王道に拘ってるからそうなるんだ。いい加減現実を認めたらどうなんだ?」

 

「抜かせ。貴様のやってる事は邪道に過ぎん。王道を持って駆逐するだけだ」

 

 王馬の言葉に、青龍は内心呆れていた。王馬の言葉にではない。先程の放った掌底から感じたのは尋常ではない筋肉量。見た目からは一切感じないそれは、少なくとも違う意味で化物と呼んでも差し支えが無い物だった。

 鋼の筋肉と比喩するのではなく、ほぼ同じに近い性質。そして、その尋常ではないそれを支えるのが骨であれば、それもまた同じ様な物だった。

 詳しい事は分からないが、発勁が届くはずの内臓にまで完全には届いていない。手応えから感じるそれは明らかに人間のそれとは異なっていた。

 以前に対峙した際には、この一撃で倒れている。どんな研鑽を積んだのかは分からないが、少なくともそれなりに対処できるレベルである事に間違いは無かった。

 

 元々時間の制限がある任務。しかし、この王馬もまたステラと戦っている時点で襲撃者であることに間違いは無かった。

 既に伐刀者そのものは証人としてだけでなく、自分達の都合の良い存在として確保している。今の自分にとっては少しだけ面倒な生き物である認識だけが起きていた。

 距離を取った事によって相手の様子を伺う。ここで抜刀絶技を出せば、自分がやるべき事が何のかは考えるまでも無い。

 態々相手に付き合う必要は何処にも無い。確実性を見極める為に距離を取ったに過ぎなかった。

 

 

「王道……。だが、それはあくまでも生きていればの話だな」

 

 王馬の言葉に最初から思う部分は何も無かった。

 幾ら声高に言おうが、死ねば全てが無意味でしかない。王道に拘るのであれば、その思いを胸に散れば良い。命のやりとりの前には些細な矜持など無意味でしかなかった。

 漸く立ち上がった王馬もまた先程の一撃が致命的はなくとも、自分の行動を妨げる要因になっている事は理解していた。

 

 幾ら肉体を鍛え上げた所で、内臓までが同じになる事は無い。事実、先程の掌底からの攻撃は王馬の体表ではなく、体内に向けられた攻撃だった。

 衝撃が体内に激しく拡散している。ある程度は体表で散らしても尚、その威力はこれまでに味わった事の無い物。だからこそ王馬もまた、このままで良いとは考えていなかった。

 精神力で自身の肉体の悲鳴を押し殺す。まさかの相対に悲鳴を上げる体躯とは裏腹に、精神はこれまでに無い程に高揚していた。

 

 

「あの時の敗北。ここで返させてもらう」

 

 口上では厳しくは言うものの内心は極めて冷静だった。

 戦いの中で自我を乱せば待っているのは死。しかも風魔の人間が見逃す事などあり得なかった。

 以前に対峙した際には、単純に見逃された結果。屈辱とは言え、圧倒的な実力差があった。

 あれから今に至るまでに本当に血反吐を吐きながらも肉体を強化している。

 ステラとの戦いは完全に自分よりも下の人間に対する物だったが、今は完全に自分よりも格上との戦い。

 腰から下がまるで別物の様に感じるものの、今はそんな事など気にするだけの意識は失っていた。本来であればここで抜刀絶技を繰り出せば多少なりとも戦いの変化が起こるのかもしれない。

 これが凡人であればそれでも良かったが、青龍が相手では悪手でしかない。時間にしてコンマ数秒だけ、集中する為に意識が体内に向く。本来であれば絶対に届かない距離のこれでさえも命取りでしかない。僅かな溜めの部分を意図的に狙う。ある意味では伐刀者にとっての天敵だった。

 だからこそ、王馬は安易に使う事は無い。視線を切る事無く体内の魔力を全身に循環させていた。

 

 

 

 

 

「敗北を返す?必死だったそれをか。小僧が粋がるな」

 

 青龍は言葉が完全に追わる前に、その姿を歪ませていた。距離にして五メートル

 本来であれば視覚で捉える事が可能な距離のはずだった。

 

 

「くっ!」

 

「どうした三下。生憎とこっちも暇じゃないんでな」

 

 王馬の防御が間に合ったのは偶然だった。通常の縮地や抜き足の技術であれば、王馬もまた見失う事はしない。しかし、青龍の移動に関しては完全に見失っていた。

 意図的に視界を広げた所で捉える事が出来ないそれは、不可視の刃と同じ事。しかも、触れた物を斬り裂く霊装の目的は純粋な攻撃を意味する。

 野太刀を持ったままの防御出来る範囲はたかが知れていた。肘を使ってギリギリの部分で直撃を避ける。肘にはこれまでに無い程の衝撃が走るが、その損傷を図る余裕は無かった。

 ここで意識を映せば自分の意識は完全に断ち切られる。それを本能で理解しているからこそ、攻撃の一部を捨ててまで防御に専念していた。

 先程の衝撃で右肘から先が痺れたまま。攻撃をしようにも、この戦いの最中での回復は絶望的だった。

 本来であれば攻撃した瞬間を狙うのが定石。しかし、その定石はあくまでも自分の肉体が万全である事が前提となっている。しかし、今の王馬には反撃するだけの材料は絶たれていた。右がダメなら左だけでも。深く食い込んだ衝撃を他所に、自分らしくない反撃であはるものの、今はそんな余裕すら無くなっていた。

 

 

 

 

 

(何てデタラメなの)

 

 ステラはそれ以上の言葉が見当たらなかった。

 詳しい事は分からないが、王馬と対峙している人間は明らかに伐刀者としての能力を超えていた。

 実際には当事者にしか本当の事は分からない。しかし、明らかに劣勢になっているのが、自分では傷一つ付ける事が出来なかった相手なだけに、心中は千々に乱れていた。

 これが上限ではなく、まだ道半ばか入ったばかり。少なくとも世間が言う所の『比翼』と呼ばれたそれと同等の様に見えていた。

 それと同時に、疑問も起こる。

 『何故、黒鉄王馬は抜刀絶技を使わないのだろうか』抜刀絶技がどんな物なのかは分からなくとも、王馬が風の剣帝と呼ばれた事は知っている。

 それを使わないのは、あまりにも不自然としか言えなかった。

 実際に身体強化の様に無意識で出来る物は使用しているのかもしれない。しかし、それ以外が全く見当たらないのは違和感だけがあった。この戦いの中で何が起きているのだろうか。ステラはこの戦いの全てを見逃さんとただ集中だけをしていた。

 

 

 

 

 

(思ったよりも損耗が激しいか)

 

 王馬は仕方がないとは思いながらも、それでも多少なりとも後悔はしていた。

 幾ら鍛え上げたと言っても、関節までは鍛える事は出来ない。今の肉体になってからの唯一の弱点とも取れる部分だった。

 幾ら鍛えてその箇所を小さくしても、攻撃するのであれば、それだけあれば十分。この戦いに於いても王馬自身が、青龍を相手に速度で勝てる道理はなかった。

 まだ開始してそれほど時間は経過していない。にも拘わらず、体躯だけでなく、精神の摩耗も激しくなっていた。

 

 裏の正解の頂点に立つ集団。王馬もまたジュニア時代より表舞台から姿を消したのは、偏に自分よりも強者に出会う為だった。

 世間的にはどんな風に自分の事が伝わっているのかは分からない。実際に表舞台から忽然と消え去れば、どんな風に噂が流れるのかは誰もが予測しえる事。しかし、ジュニア世代とは言え、当時の王馬には興味を惹かれる様な存在は一切無かった。

 

 黒鉄家のブランドを使えば、相応の実力者であっても対戦相手として戦う事は出来る。事実、用意された伐刀者には傷一つ負う事無く全てに勝利している。

 驕る気持ちは無くとも、周囲はそれを良しとする。そんな環境に嫌気が刺したからこそ、王馬は世間と言う物を学ぶ為に放浪する事を決めていた。

 多くは無いが蓄えもある。事実上の武者修行の末に出会ったのが今に至る最大の要因だった。

 

 裏社会に生きる人間。王馬自身、放浪の中で何度かそんな人間と戦った経験はあった。裏で生きる人間の殆どは正々堂々と言う言葉から程遠い世界で生きている。当然ながら、その戦い方もまた何も知らない人間からすれば卑怯だと言わんばかりの物だった。

 これが世間にある伐刀者であれば確実に負ける戦いであっても、王馬の様な資質の優れた伐刀者から見ればそれ程でも無かった。

 背後や多数で襲いかかるのは当然とばかりに来た相手を一刀の下に斬り捨てる。

 時折、目測を誤って傷を負う事もあったが、そのどれもが全て糧となり自身の血肉へと昇華させていた。

 その結果として王道こそが最善である。その結論に達していた。

 当然ながら一度そうだと考えれば後は実に容易い。己が見据えた先に何があるのか。ただそれだけを考えていた。

 そんな中、裏の中でも頂点に居る集団の話を聞きつけていた。

 

 風魔衆。

 戦国の世より今に至るまで常に時代の裏を生き続け、その実力もまた表には引けを取らない程。王馬もまた、その伝聞を基に探した結果だった。

 相対したのはまだ自分よりも背が低く、そしてまだ自分よりも確実に劣っているであろう人間。それを見たからこそ王馬は内心では、所詮は噂だと判断していた。

 しかし、ここまで来た以上は自分の血肉に変えるのも吝かではない。そう考えた末の戦いだった。

 

 戦いの結果は一言で言えば屈辱。自分よりも格下だと判断した相手に触れる事なく敗北していた。

 しかも、伐刀者かどうかすらも怪しい。戦闘時にただの一度も抜刀絶技を使用していなかったからだった。

 純粋な技量だけで敗北している。王馬もまたそれからは風魔の影に憑りつかれていた。

 

 

「こっちも暇じゃないんだ。三下はさっさと消えろ」

 

 意識を自分に向けたのはほんの一瞬の出来事。しかし、青龍からすれば十分すぎる程だった。

 態々戦いの最中に意識を切った人間に待つ道理は何処にも無い。ましてや野太刀程の攻撃範囲を持つのであれば半端な距離こそが命取りだった。

 構えから発動するであろう業を無視するかのようにお互いの距離が瞬時に零になる。そこに待っていたのは一方的な蹂躙とも呼べる内容だった。

 王馬は無意識に先程のダメージを受けた場所を庇うかの様に動いていた。

 

 蓄積したダメージを与えればスタミナを奪うだけでなく、戦いの結果をも導く。

 幾ら意識を切ったとしても本能がそうさせていた。

 青龍もまたその本能を利用したからなのか、素振りだけを見せる。

 狙う場所は先程とは正反対の箇所。既に戦いに興じるでのはなく、純粋に叩きのめす事に意識を向けた結果だった。

 強靭な筋肉を持とうが、無限に緊張させる事は出来ない。呼吸をした瞬間や、躰の向きを変えた瞬間。筋肉が緩む隙間は幾らでもあった。

 ステラが苦戦したのは偏に全体だけを見た結果。今の青龍の眼に映るのは全体的な物では無く、単純に致命傷を与える事が出来る場所だった。

 蜂の一刺しの様に、ピンポイントで弱い部分だけを狙う。最接近したからこそ出来る芸当だった。

 

 繰り出したのは掌底ではなく、膝蹴り。単純な攻撃ではなく、十分に練り込まれた氣から繰り出された寸勁だった。

 王馬は気が付いていないが、勁はそもそも躰のどこを使っても発動出来る。先程の一撃を警戒したが故に掌底ではなく膝だからと引き締めた瞬間だった。

 早くも無い動きから繰り出された一撃は、再度内臓にダメージを拡散させる。

 強靭な肉体は完全に無視されていた。

 僅かに崩れる態勢。先程と決定的に違うのは青龍はその場に留まっている点だった。

 

 

───暴力の嵐

 

 

 この状況を見れば誰もがそう思う程だった。

 ショートレンジから繰り出す攻撃の全てに寸勁が使われる。拳から始まる連打を止める術は無かった。

 小さく回転するかの様に叩き来れた拳と蹴り。固有霊装を装着している為に、その周囲にはあっという間に血飛沫が舞っていた。

 野太刀に限った話では無く、長物を持った全部に対応できる攻撃。人知れず王馬の体躯は僅かに浮いていた。

 懐に入られた時点で事実上なす術など存在しない。剣術でも至近距離に入られた際には距離を置く手段は幾つもある。しかし、そのどれもがこの攻撃の前には無意味だった。

 圧縮された嵐に自分の躰を差し出すかの様に激しく打ち揺すられる。上下左右。平衡感覚すら失わせる連撃は自慢の肉体を破壊させる勢いだった。

 血の匂いが周囲にも広まる頃、嵐は唐突に終わっていた。頭上から繰り出すのは一つの脚。まるで断頭台の様に振り下ろされた踵は、そのまま王馬の右肩へと落ちる。質量のある体躯は地面へと倒れる。見た目以上のそれは大きな音を立て、地べたを舐めていた。

 

 

 



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第49話 闇に生きる者

 先程までの戦闘は既に終わったからなのか、まるで音が消えたかの様に静まり返っていた。

 自分があれ程苦戦したはずの相手がまさかの子供扱い。それも攻撃を受ける事無く、一方的だった。

 仮面を付けている為に、その表情はこちらから窺い知る事は出来ない。がしかし、事実上助けて貰ったのもまた事実。

 本来であればお礼の一言も言うのが筋かもしれない。だが、今のステラにとってはそれが本当に正しいのかは判断出来なかった。

 

 何故なら、ステラの本能は今直ぐにでもここから逃げろと訴えかけている。少なくとも自分が対峙した際には確実に負けるのは必至だった。

 ランクがどうとかではない。純粋に自分と相手の技量が隔絶している。仮に攻撃したとしても一瞬で意識が刈り取られる事が容易に想像出来た。

 少なくとも先程の戦いは、まさに圧巻だった。

 

 お互いの戦っているはずの空気、いや、生きている時間の流れが余りにも違い過ぎていた。

 此方が一手動く前に、相手は既に五手以上動いている様にも見える。少なくともステラの眼に先程の動きを捉える事は出来なかった。

 それと同時に違和感もまた解消していた。あれ程の動きを見せる相手に、上段からの攻撃はカウンターの餌食にしかならない。

 攻撃の威力はともかく、少なくとも斬撃を放った後は完全に死に体にしかならない。下手をすれば全力で放った攻撃の全てがカウンターによって阻まれる程。

 表情にこそ出さないが、ステラの背中には先程までの戦いで出た熱い物ではなく、寧ろ自分を冷やす程に冷えた汗が滲み出る。それと同時に、まだこの国に来る前に勉強がてら見た映像の一幕が蘇っていた。

 

 

─────敵の敵は味方。だが、それが無くなった場合にはどうなるのだろうか。

 

 

 襲撃者を撃退すると言う目的はお互いの共闘の道標にはなる。しかし、三者が対立するか、若しくは各々の事情があればが大前提だった。

 事実、王馬を倒したまでは良いが、目の前の男は何処かと通信している様にも見える。所属が不明であるからこそ、今の内にどうすれば良いのか。そこにステラの葛藤があった。

 お礼もせずに立ち去るのは構わない。がしかし、仮に味方だった場合、その後はそれなりに面倒になる可能性があった。今の自分の立場。それが全てだった。

 だからと言って、敵だった場合は確実に今のそれは大きな隙となる。負ける事を良しとはしないが、少なくとも命の保証はされるかもしれない。今はまだお礼の部分での理性が勝っているが、本能は一刻も早くこの場から立ち去れと警告していた。

 

 

 

 

 

「そうか。了解した」

 

 通信を切ったと同時に龍玄は改めて王馬とステラを見ていた。既に意識を失っている今、恐らくはステラが何を考えているのかは直ぐに分かる。

 所属不明の人間。しかもこの状態を知らない者からすれば明らかに警戒するのは当然だった。

 他国の皇族が裏の人間や組織の事を理解しているとは思えない。自分でも確実にそうするだろうと考えていた。

 仮面から見える光景に敵性の気配は感じない。だからなのか、龍玄は何時もの任務と同じ様に接する事に決めていた。

 

 

「女。此奴はこのままここに放置しておく訳にはいかない。こちらで回収するが、今見た事は他言無用だ。仮に何者かにでも話せば、その命は保証しない。それが仮に外交問題になったとしてもな」

 

「何故なの。黒鉄王馬に勝ったなら誰かに言っても問題ないはず」

 

「こんな雑魚相手に喧伝した所で何のメリットがある?お前も見たはずだ。此奴と俺にどれ程の差があったかをな」

 

 男の言葉にステラもまたそれ以上は何も言えなかった。

 確かに言う様に一方的な攻撃を加えると同時に、無傷のままに終わるのであれば戦闘能力に大きな差があるのは明白。しかも周囲には漏らすなと言われたのも何となく理解していた。

 雑魚かどうかは横にしても、今のステラでは到底攻撃が届かない可能性もまた本能で理解していた。

 抜刀絶技を繰り出す瞬間を狙われれば、如何にステラとて無傷ではいられない。国際問題になる事を厭わないと公言した時点で、抗弁するだけの材料は何も無かった。

 気が付けば、男は倒れた王馬を引き摺る様に運んでいる。そもそもどんな目的がるのかも分からない今、呆然と見るより無かった。

 

 

「じゃあ、お礼だけは言っておくから!」

 

「無理はするな。そんな警戒した表情で言っても無意味なだけだ。それにこれは依頼だ。お前を助けた訳じゃない」

 

「それでもよ!」

 

 冷徹とも取れる言葉ではあったが、それ以上は言うだけ無駄でしかなかった。

 実際には国際問題にならないと言うのはこの国の政治家や官僚の話であって、現場には一切関係の無い話。ましてや学内に襲撃者が入り込んだ時点で、それを言うのはお門違いだった。

 今はまだ完全に混戦状態が終わった訳では無い。ステラもまた偶然王馬と戦っただけであって、この混乱に関しては局地的な事しか分かっていなかった。

 

 当然ながらこの場の戦闘が終わったのであれば、次に向かう事になる。この件に関しては色々と考える部分は多分にあるが、それを口にした所で何も変わる事は無かった。

 ならば先程の戦いを胸に秘め、自分を更に高める事へと思考を切り替える。

 ステラの双眸に映った男は、自分に色々な意味で衝撃を与えていた。

 視線が強めても男が振り向く事はない。まるでこちらの事など路傍の石だと言わんばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ……は」

 

 王馬は意識を取り戻すと同時に周囲を見渡すかの様に視線を動かしていた。

 暗闇の中で少しだけ光が見える。時間の経過と共に、ここが閉ざされた空間である事を理解していた。

 

 

「漸く気が付いたのか。手加減してあれとはな」

 

「貴様。よくも…………」

 

「本来ならあの時に命を消し飛ばした方がこっちも楽だったんだがな」

 

 暗闇が湧いたかの様に仮面の男の姿が徐々に鮮明になっていた。

 蒼き龍が描かれている。それは青龍である事の証。先程の事を言われたからなのか、王馬もまた憎悪の籠ったかの様な視線を投げつけていた。

 

 

「だったらさっさとこの命を奪えば良い。弱者は強者に従うより無いからな」

 

「お前程度の命を奪った所でそれ程の効果があるとでも?それとも、お前は道路を歩く際に、態々地面を見ながら歩くのか?」

 

 自分が拘束されてる事は直ぐに理解していた。後ろ手になって両方の親指が合わさる様に固定されている。幾ら強靭な肉体を持つ王馬と言えど、簡単に外す事は出来ない代物だった。

 

 

「俺が蟻だとでも言いたいのか?」

 

「お前を処分するなと態々話があったんでな。喜べ。()()()()()()()()()()()()()んだ。自分の産まれに感謝するんだな」

 

「あの家など、とうに見限っている。それがどんな意味がると」

 

「それ以上は守秘義務があるんでな。勝手に考えるんだな。それと、今回の襲撃に関してはほぼ鎮圧している。後は身柄を引き渡すだけだ」

 

 青龍の言葉に王馬はそれ以上は言うだけ無駄だと考えたのか、それ以上は何も言う事は無かった。

 実際に自分は完膚なきまでに敗北している。それも、自分の攻撃が届く事も無く。

 それは即ち自分と青龍の間にはまだ大きな差があるだけなく、その目的がはっきりと露呈したからだった。

 自分の力だけの話ではなく、その背後にある物まで。

 今の王馬には背負う事が無い物。その差が今回の件に至ったのだと考えていた。

 

 

「そうか………」

 

「俺はお前には毛ほどの価値も見出さない。王者がどうだととか言う前に、もう少し考えるんだな。世界はお前が考える以上に広い」

 

 それ以上の会話をするつもりが無かったからなのか、青龍はそのまま姿を消し去っていた。

 紛れも無く自分の技量を容易く超える。誰も居ない空間に王馬は静かに目を閉じると、そのまま動く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園がまだ混乱の中に叩き込まれている頃、まるで最近になって出来たからと思われた建物の中に倉庫の様な物が建っていた。

 周囲には人気配は何処にも無い。まるでここが張りぼてかと思える程に違和感があった。

 その違和感の原因は当事者以外には誰も分からない。しかし、そんな事など今の状況からすればどうでも良いとさえ思える程だった。

 そこに居たのは三人。そのうちの一人は完全に意識を失ったままだった。

 

 

「では、この裏切り者は貴方が直接処分すると言う事で良いのですね」

 

「当然だ。折角手塩にかけて技術を学ばせたにも拘わらず、こんな体たらくを招くとは。裏の人間にあるまじき行為だと思わないか?」

 

 お互いが話をしている場所に人気が無いからなのか、声を荒らげる事も無く、ただ壊れた玩具を見るかの様な視線を横たわる一人に投げかけていた。

 『解放軍』の重鎮、十二使徒の一人でもあるヴァレンシュタイン。本来であれば国際的にも指名手配される程の大物がこんな辺鄙な場所に居る。そんな人物と対等に話をしているのは、今回の襲撃を主導した平賀玲泉。あまりにも不釣り合いな組み合わせだった。

 

 

「その矜持はこちらには分からない感覚です。そもそも襲撃そのものは成功しているので、大きな問題は無いはずでは?」

 

「襲撃の成否など俺には関係無い。これはあくまでも師弟の中での事だ。他人が口出しをする必要はあるまい」

 

「そうでしたか。では私はこの後の処理があります。運んだ物を助けるもよし、供物にするもよし。好きにしてくださって結構ですよ」

 

 物を売買するかの様に二人の視線に熱は無かった。

 元々の予定では、横たわっている有栖院凪が主力を異能で縫い留め、こちらが一方的に蹂躙するはずだった。

 しかし、直前になっての有栖院の裏切りによって事態は僅かに修正する事になっていた。

 今の破軍がどんな状態になっているのかは、この二人には分からない。しかし、あの兵士の事もあったからなのか、玲泉はヴァレンシュタインに少しだけ確認したいと考えていた。

 

 

「その前に、一つだけ確認しておきたい事があります。破軍に襲撃をした際に、私の与り知らない兵士が居ましたが、それは貴方の仕込みですか?」

 

「俺がそんな手下など使う必要があるまい。何よりもそれを貴様が一番理解していると思うが?」

 

 感情のこもらない声の返事もまた同じだった。

 元々この場所に潜伏する様な人間が手勢を使うとは考えにくかった。

 疑問に思ったのは僅かな違和感あら来た物。幾ら作戦の詳細を知らされていないとは言え、無暗に発砲する必要性は何処にも無い点。ましてや今回の襲撃に関しても自分が主として動く以上は何らかの形で指示が下りてくるのは当然だった。

 

  指示系統など最初から無かったかの様に発砲したのであれば、自分が何らかの不慮の事故で亡くなって欲しい人間だけ。解放軍もまた一枚岩では無い事を理解しているからこそ、目の前に居る人間がそんな面倒な事をするのかと考えていた。

 当然ながら、その答えは無。違和感を拭いきれないままに時間だけが過ぎていた。

 

 

「………まあ、良いでしょう。そろそろ時間ですから私もこれで失礼させて頂きますよ」

 

「後はこちらでやる」

 

「当然です。態々師弟関係の事にまで口を挟む程野暮ではありませんから」

 

 

 一言だけ残すと、玲泉の姿はその場から消え去っていた。

 静まり返った空間。既にこの場にはヴァレンシュタインと有栖院凪しかいない。幼少の頃より仕込んだ数々の技術を生かした潜入は、ある意味では有用だった。

 本来の予定では先程別れたはずの玲泉が主導する計画にそのまま乗るはずだったが、結果的には今に至る。自分の人生の中でもそれなりに結果を出したはずの人間がまさかの欠陥品だった。

 そうなれば処分するのは当然の事。只でさえ、国に喧嘩を売る様な真似をした以上は、生きた証拠は不必要でしかない。

 温情を与えた結果、手痛い裏切りはこの世の常。だからこそヴァレンシュタインは横たわる凪を抹殺する事に躊躇いは無かった。

 光の様に集まる粒子は一本の剣へと変化する。隻腕でありながらも『剣聖』と呼ばれる程の技量であれば細首の一つ程度、断ち切る事は容易い。握られた剣を上段に構えようとした瞬間だった。

 

 

「そこに隠れてこそこそするのは止めろ!」

 

「何だ。漸く気が付いたのか。随分と詰まらない茶番劇を見させてもらった」

 

 ヴァレンシュタインは何もないはずの空間に向って言葉を吐いていた。

 ここはまだ公にはならないはずの場所でもあり、実際に日の目を浴びる可能性が少ない建物。当然ながらこの場所を知っている人間は皆無のはずだった。

 上段に構えようとした剣は既に中段へと変化している。突然の闖入者に警戒したが故の行動だった。

 何も無いはずの空間が僅かに歪む。先程までとは違い、そこに出てきたのは『鳶』の文字が描かれた仮面の男だった。

 

 

「茶番?部外者には関係の無い話だ」

 

「俺は確かに部外者だな。折角実力者がこの国に密入国したと聞いたから楽しめると思ったが、案外と拍子抜けだ。実に詰まらない」

 

 ヴァレンシュタインの言葉に嘲笑を交えながら仮面の男は話していた。

 元々ここに居たのかどうかすら分からない。少なくともヴァレンシュタインが気が付いたのは凪の頸を刎ねようとした瞬間だった。

 全身を突き刺すかの様な殺気。少なくともここ数年は感じた事が無い感覚だった。下手意識を向ければ、こちらの命が危険に晒される。そんな感覚があったからこそ、そこに何かが居る事を理解したからだった。

 

 

「それは貴様の価値観だ。この出来損ないを処分するだけの話。それよりも先程の話を聞いていた方が危険だ」

 

「おお、怖い怖い。弱者ほど吠えるのは何時の時代も同じ事か。さあ、俺の事など気にするな。さっさとその首を刎ねるが良い」

 

 男は最初から見ていたからなのか、ヴァレンシュタインと話をするつもりは毛頭無かった。

 まるで、間近で見る事が出来るショーの様に泰然としている。敵対したつもりは無かったが、今のヴァレンシュタインにとっては、快い物ではなかった。

 元々暗殺者としての生き方しか知らない。当然ながらその生き方は日常にも表れていた。

 気配を殺し周囲の状況を常に探る。これまでに襲撃された際には全て返討にしてきた人間からすれば、目の前の男は異様としか言えなかった。

 心なしか首筋に僅かに寒気が疾る。それが意味する事が何なのかは考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 密閉された空間での戦いは考え方によっては厳しくもあり、また、違う考えを持つのであれば有利な場所でしかない。

 限定された空間を自由に移動できる人間からすれば、この空間はある意味最高の環境だった。

 お互いがぶつかり合えばどんな結果になるのかはまだ分からない。しかし、自分の能力を考えれば、それは大きな問題になる程ではなかった。

 突如として現れた男は少なくともこちらの側ではない事だけは間違いない。自分達が関与している内容であれば、知らないはずがない。しかし、先程の玲泉との話の中で想定外の事実が発覚している。

 本来であれば解明すべき事案ではあったが、ここから移動する頃には既に襲撃計画そのものが完了している可能性の方が高いと考えていた。

 

 少なくともあの場には相応の実力者が送り込まれている。本来であれば、ここで横たわっている弟子もまた同じはずだった。

 明確ではないが、どこか歪な雰囲気で予定している歯車が狂い出している。本来であれば直ぐにでも原因の解明をしたい所だが、目の前に居る男が素直にさせてくれるとは思わなかった。

 仮面越しの為に表情は分からない。だが、確実に自分達を同じ裏の住人である事だけは間違いないと感じ取っていた。

 

 

「貴様に言われる筋合いは無いんだ。貴様こそこの場からさっさと消えて貰おうか!」

 

 ヴァレンシュタインは『隻腕の剣聖』と呼ばれているのは伊達では無い。

 本来であれば両腕ですら厳しいと思える程の剣速で相手を一気に屠り去る。一撃必殺のスタイルはまさに圧巻する物。

 幾ら相手の出方が分からないとは言え、手加減をする様な人間では無かった。

 

 

 肩から担ぐかの様に放たれる斬撃は示現流を思わせる程の勢い。一撃必殺を信条とするその方法とはどこか似通っていた。

 自身の膂力と魔力を一気に放出する。空間すらも斬り裂かんとする斬撃に仮面の男は何の素振りも見せなかった。

  このままならば脳天から一気に分断する。これまでに幾度となく見た光景だったからなのか、この後に起こるであろう結果に疑問すら持たなかった。頭上に届く瞬間、感じるはずの手応え。ヴァレンシュタインは何時もと同じだと思った瞬間だった。

 

 

「貴様、何をした?」

 

「何を?勝手に外したのは貴様だ」

 

ヴァレンシュタインが驚くのも無理は無かった。本来であればコンマ数秒語に感じる手応えはそこに無く、手に感じたのは地面を叩きつけた感触だった。大剣はそのまま地面を斬る。斬撃の痕はまるで今のヴァレンシュタインの感情を表しているかの様だった。

 

 

「そんなはずはない。今の斬撃は確実に貴様の頭蓋に向けた物。外す道理は何処にも無い」

 

「そうか………」

 

 会話をするつもりが無いからなのか、男の返事は簡潔だった。

 これから死にゆく者への(はなむけ)は不必要。そう言っているかの様な素っ気ない物だった。その瞬間、男の左いてには一振りの刃が現れる。限りなく短刀に近い長さの小太刀はどこか血の匂いを思わせる物だった。

 順手ではなく逆手。少なくとも剣術でどうこうするつもりが無いからなのか、まるでこの戦いを楽しむかの様な感情が流れ込む。

 未だ表情は分からないが、今のヴァレンシュタインには嗤っている様にも感じていた。正体がわからないが確実に自分と敵対している。だとしれば生きて返す必然性は既に失われていた。

 お互いの成長を確かめるかの様な剣戟ではなく、一方的に制圧する為の剣戟。それを意識したからなのか、ヴァレンシュタインは直ぐに思考を切り替えていた。

 

 

「少しは楽しませてくれ。でなければ興覚めだ」

 

まるで戦いを楽しむかの様に男の声は、この狭い空間に僅かに響いていた。

 

 

 

 

 

 僅かに聞こえる剣戟の音は少しづつ有栖院凪の意識を覚醒へと導いていた。

 ここにどうやって来たのかは分からないが、少なくとも破軍学園で自分は背後から刺された記憶だけは残されていた。

 詳細までは分からない。しかし、当初の予定とは大幅に何かが狂っていた事だけは間違い無かった。

 

 伐刀者による襲撃をする事によって破軍学園の出場を阻み、自分達が表舞台に躍り出る。これが当初の予定だった。

 実際に凪もまたその通りに動くはずだった。しかし、事態は思わぬ方向へと動き出す。

 元々予定に無かったはずの兵士の襲撃は瞬く間に学園内を混乱へと陥れていた。

 血と硝煙が混じる臭い。紛れも無く戦場のそれと同じ物。この瞬間、凪は逡巡していた。

 このまま当初の予定通りに動くのであれば、最悪は死者が出る可能性もあった。

 元々擬装用に用意された戸籍の為に、自分さえ問題が無ければ本当はどうでも良いはず。少なくともここに来るまでの自分であればそう考えていた。

 しかし、同室になった黒鉄珠雫との邂逅は嫌が応にも自分がまだ幼かったころを思い出させる。

 孤児の為に毎日の食事にもありつけず、事前に用意された仕事の報酬は正当な対価が貰えない。勿論、その事実を知る人間は限られていたが、それでも尚肩を寄せ合って明日に向って生きていた。しかし、事態は唐突に終わる。

 自分が守るべき物は最初から無かったかの様に惨たらしい結果だけが残されていた。

 昨日まで僅かでも笑い合って生きてい来たはずの仲間が、今はただの肉袋になっている。余程怖い思いをしたからなのか、目を見開いたまま絶命している子も居た。

 

────自分はなんて無力なんだろうか

 

 少なくとも凪にとっての家族の様な物はこの瞬間、完全に消失していた。そんな絶望を胸ぬ街中を歩いた際に拾われたのが、自分の師でもあるヴァレンシュタインだった。

 自分の気持ちを押し殺し、日々の努力と同時に根源となった感情を胸に抱く。そうして時間をかけて作り上げたのが、今の自分だった。

 本来であればこの件が終われば直ぐにでも学園を去るはずの予定。それをとどめたのは珠雫の存在だった。

 幾ら伐刀者と言えど、全員が確実に銃弾を防ぐ事は出来ない。これが単独で銃を乱射するだけであれば問題は無かった。

 しかし、襲撃した兵士は統率が完全に取れている。まだ銃器だけだから被害はそれ程では無いが、まともな装備をしていれば、学園内の生徒の大半は死傷している可能性があった。

 本人には言えないが、珠雫は以前の凪を思い出させる程に過ごしている。

 理性か本能か。その結果が今に至っていた。

 だからこそ、意識が覚醒したのであれば自分の命はまだ残されている。

 たとえ刺し違えても、襲撃は終わらせるつもりだった。

 意識が覚醒すると同時に、聴覚もまた元に戻り出す。片方は自分の師でもあるヴァレンシュタイン。しかし、もう一方に関しては記憶にすら残されていない人物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は言う程の実力は無いみたいだな。どうやら俺の買い被りだったか。それとも誰かと勘違いしたか…だな」

 

 仮面の男は相対する男を見ながらもひどくつまらないと言った感情を口にしていた。

 『解放軍』の十二使徒。隻腕の剣聖とまで言われた人間の攻撃は随分と単調になりつつあった。

 最初の斬撃は楽しめたが、それ以外は大したほどではない。ならば、まだその辺りに居るであろうチンピラを甚振りながら血達磨にした方が格段に面白かった。

 今の相手はただ剣を振るうだけ。異能が何なのかはともかく、この程度の玩具は直ぐに壊れる。そう考えていた。

 中段からの斬撃は確実性を高める為に胴体を狙っていく。攻撃の手順としては間違っていなかった。

 仮面の男は僅かに右足に体重をかけた瞬間、違和感を感じていた。

 まるで氷の上を歩くかの様に足の裏が僅かに滑る。それを察知したからなのか、ふわりとその場から跳躍していた。

 素早く左右の壁に苦無を投げつける。突き刺さった苦無は最初からそこにあったかの様にひっそりと存在していた。

 

 

「そんなちんけな代物とはな。解放軍の底の浅さが透けて見える様だ」

 

 仮面の男は既に興覚めしていた。

 足裏に感じた違和感は何らかの障害が発生している証拠。戦いの最中に調べる事はしないが、大よそながらに見当はついていた。

 足裏から感じたのは、この場所にも拘わらず、氷の上を歩く感覚。範囲がどこまでなのかは分からないが、少なくともそれが異能による物である事は予測していた。

 これが何も知らずに一気に動けば確実に足元は掬われる。致命的な隙を逃さずに刃を振るうのは児戯と同じ。男はそれをいち早く予測したからこそ先手を打っていた。

 四方に放たれた苦無の先には、目視でが難しい程に細い糸が付けられている。その為に地面に足を付ける事は一切無かった。

 跳躍したはずの躰は地面に着く前に空中で停止する。完璧な体重移動から為された行動によってヴァレンシュタインの異能は無効化されたのと同じだった。

 互いの足場に不備が無ければ、後は技量を比べるだけ。その未来が見えるからこそ男はつまらないと判断していた。

 

 

「まさかその程度の事で剣聖などと二つ名が付くとでも思ったか!」

 

 重力を感じさせず、また霊装特有の剣は本身のそれとは先らかに斬撃の速度が異なっていた。

 横薙ぎに振るう際には隻腕ではバランスを取る事は難しい。しかし、長年に渡る鍛錬により、両腕がある人間よりも鋭い斬撃を可能としていた。

 空中に浮く躰に向けた斬撃はこれまでの中でも最速を誇る。仮にこれまでの剣速で慣れたのであれば確実に幻惑される物。

 渾身の一撃がもたらす未来。だからこそヴァレンシュタインは叫ぶ様に口にしていた。

 

 狙われた躰の部位がどこなのかは予測出来る。しかし、動く速度がそれなりであれば、確実にその刃は回避された先へと向かうのは必至。だからこそ二の太刀要らずの一撃必殺が成立していた。

 剣閃が大気を斬り裂く。その先にあったのは先程まであったはずの男の躰ではなく、幻術の様に空を切ったに過ぎなかった。

 

 

「やはり紛い物は紛い物か。実に詰まらん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ヴァレンシュタインの唯一の腕は自身の躰から離れていた。

 肩口から斬れたからなのか、一呼吸だけ時間を置いて赤が夥しく噴出する。

 ベチャリと音を立てながら落ちたのは紛れも無く先程斬撃を振るったはずの腕だった。

 

 何時斬られたのかすら分からない。がしかし、ヴァレンシュタインが驚愕するだけの時間は与えられなかった。

 気が付けば自分の胸からは刃が生えたかの様に飛び出している。切っ先から滴り落ちる赤い液体は紛れも無く自身の物だった。

 

 

 



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第50話 戦いの残滓

 なかば覚醒したからなのか、有栖院凪は何となく今の状況を理解しようとしていた。

 自身がまだ子供の頃に教えられた暗殺や戦闘に関する技術を教えてくれたのは、紛れも無くこの場に居るヴァレンシュタイン。解放軍の十二使徒と呼ばれ、また、類まれな戦闘能力から『隻腕の剣聖』とまだ呼ばれている。

 

 二つ名は自分が取ってつけた名前ではなく、外部から呼ばれている物。当然ながらその能力を弟子でもあった凪自身が一番知っているつもりだった。

 この場に居たのは自分を始末するつもりであるのは容易に想像出来る。少なくとも今回の計画に反旗を翻す行動をしている以上は、その結末は当然だと思っていた。

 そんな状況だったはずが、突如として事態は一変していた。仮面の男が何者なのかは分からない。がしかし、一撃とも取れる攻撃で命を散らせる技量は尋常な能力では無い事だけは間違い無かった。

 意識が覚醒したまでは良かったが、四肢は僅かに痺れた様にも感じる。自分の意識がどうやって途切れたのかは分からないが、少なくとも今直ぐに動く事は出来ないでいた。

 

 

 

 

 

「所詮はこの程度。解放軍とは名ばかり……か」

 

 ヴァレンシュタインを貫いた刃をそのまま仮面の男が引き抜くと、糸が切れた人形の様に力なく倒れ込んでいた。

 折角の戦いだと言うにも拘わらず、この程度の技量では喜びを感じる事は何も無い。仮に横たわる人間を屠った所で、その感情が満たされる事は何一つ無かった。

 折角元の場所から移動したにも拘わらず、内容は最低の物。ならば先程少しだけ相手をした眼鏡の女生徒の方が少しだけマシの様にも感じていた。

 まだこの時間ならば終わっていないかもしれない。人知れずそう考え、行動しようとしたその時だった。

 

 

「何やら面白そうな物がここに来ているみたいだな。折角だから少しだけ遊んでみるか」

 

 呟くかの様に出た言葉ではあったが、既にその意識は扉の向こう側へと向いていた。

 何者かは分からないが、興醒めした自分を少し位は楽しませてくれる存在。そんな期待を胸に、男は行動する事を止め、少しだけ留まる事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まだ大丈夫なはず)

 

 珠雫は自分にそう言い聞かせながらも、目的の場所へと急いでいた。

 実際に到着後に直ぐに如何こう出来るとは思えない。少なくとも一定の距離を置きながらも移動しているのであれば、仮に最悪の状態となっていても自分の技量ならば、何とか出来ると考えていた。

 事実、刀華に予選会で敗北してからの珠雫は直接的な戦闘方法そのものよりも、異能による攻撃に力を注いでいた。

 

 自分の体躯から繰り出す攻撃は固有霊装の影響もあってか、それ程重い攻撃には出来ない。兄の一輝の様に、例え異能の力が劣っていても純然たる攻撃能力があれば違う意味で戦う術があるのを理解していた。

 ステラの様に爆発的な魔力も無ければ、卓越した戦闘技能も無い。自分が非力である事を理解しているからこそ、今よりも更なる昇華をすべく鍛錬に励んだ結果だった。

 合宿の影響もあるのかもしれない。今の凪がどんな状態になっているのかは分からないが、少なくとも自分が間に合いさえすればと考えながら疾駆していた。

 時間の経過と共に、周囲の景色が徐々に変わり出す。

 人気が無くなった先にあったのは見た事も無い建造物。それが何であるのかを考える前に、珠雫は周囲を確認していた。

 

 

(これって………)

 

 周囲を確かめるかの様に珠雫は警戒していた。まるで何かの学校の様にも見える建物ではあるが、問題なのはその中身だった。

 外観は立派だが、中はまだ工事中なのか、それともこの時点で建設が頓挫したかの様にも見えていた。

 中身が全くない建物。少なくとも追跡した先にあった人工物がこれしかない為に、珠雫もまたゆっくりと歩を進めていた。

 静寂な空間に珠雫の足音だけが響く。本来であれば直ぐにでも走り出して場所の特定をしたいとさえ考えていたが、ここは間違い無く敵地。嫌が応にも慎重に行くより無かった。

 固有霊装を顕現すると同時に周囲の気配を探り歩く。効率が悪い事は理解しているが、何が起こるのかが読めない以上、自分の中にあるはやる心を押さえつけていた。

 

 

(これは…戦闘音)

 

 不意に聞こえた音。珠雫のは一気に警戒の状態を戦闘時にまで引き上げていた。

 仮に自分が襲撃されるのであれば戦闘音はある意味では囮の役割を果たす。しかし、自分の襲撃でないのであれば、誰かが戦っている事になる。

 今の状態で戦えるとすれば、意識を取り戻した凪の可能性が高い。そう判断したからなのか、珠雫はその音の発生場所へと駆け出していた。

 

 

 

 

 

 戦闘音が響いた先にあったのは、横たわる骸と仮面の男。先程の戦闘音がそれ程長く無かった為に、どれ程の力量なのかを推測するのは不可能だった。

 幻想形態ではなく実像形態。仮面の男が握る刃には、まだ赤い液体が滴り落ちていた。

 後姿の為に、何者なのかは分からない。本来であれば何らかの接触をする方が良いのかもしれない。しかし、今の珠雫にはそんな余裕は無かった。

 それが当然であるかの様に大気から水の塊を瞬時に生み出す。

 警告の為の威嚇射撃ではなく、完全に屠り去る為の攻撃。珠雫は躊躇う事もなくそのまま水の塊を針の様に形状し、そのまま一気に放っていた。

 

 

「血風惨雨」

 

 一言だけ告げた瞬間、弾丸の様にそれぞれの針が一斉に放たれる。

 仮に味方だったとしても、最悪は家の力で強引に収めれば良い。一輝が仮にこの場に居よう物ならば確実に卒倒する考えだった。

 それ程広く無い部屋であれば、この一撃で全てが終わる。珠雫はそう考えていた。

 

 元々は水の塊。放たれた針は目標に向けて一気に着弾していた。

 形を維持できなくなった針はそのまま霧散するかの水しぶきを上げて消えていく。回避されたとしても何割かは喰らうはず。数秒の未来を予測したからなのか、珠雫は油断する事無く警戒をしながらも視線は目標へと向けていた。

 水煙が晴れる。珠雫の網膜に映ったのは、何かの黒い塊だった。

 

 

 

 

 

「小娘の分際で奇襲とはな。中々面白い趣向だ。折角だから楽しませろ」

 

 珠雫に放たれたのは拳だった。

 正面から突いたのではなく、横に薙いだ物。裏拳を飛ばしたかの様にその拳は珠雫の頬に直撃していた。

 警戒をしたとは言え、直撃した事により珠雫の意識は混濁する。小柄な体格故に、その体躯は簡単に弾き飛ばされていた。

 勢いよく叩き付けれた体躯は、そのまま更に地面に激しく叩き付けられる。

 この時点で意識は完全に途切れていた。

 

 

 

 

 

「……この程度で終わりか。ならばこれ以上は無駄だな」

 

「……ちょっと待ちなさい!」

 

 仮面の男を止めたのは気絶していた有栖院凪。徐々に回復していたからなのか、目には力が宿っていた。

 先日までは自分を慕っていたはずの珠雫を裏切る事による罪悪感で苛まれていた。しかし、自分の為にここまで来てくれた事だけでなく、先程の一撃によって意識を失ったのであれば、自分がここで時間を稼ぐしかないと判断していた。

 妹分の様に慕うのであれば、罪滅ぼしとまでは行かなくとも多少の時間は稼ぐ。相手が自分の師を一撃で屠る様な人間であっても、その意志が削がれる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「裏の人間だと加味してもこの程度か。やはり解放軍の連中は所詮は二流か」

 

 仮面の男は一瞥すると同時に横たわった凪を蹴飛ばしていた。

 実際に戦闘になったのは初手だけ。その後は一方的な蹂躙だった。

 元々凪の持つ抜刀絶技は直接的な攻撃をする物ではなく、戦闘の補助的な要因が殆どだった。

 

 相手の動きを拘束してからの攻撃か、背後に回ってからの奇襲。どちらかと言えば暗殺向けのそれは、今の時点では無駄な物でしかなかった。

 初手に関しては自分の攻撃を意識付ける為にしている物。意識を態と自分の攻撃に向けて影を狙い撃てば、何とかなるはずだった。

 横に薙いだ刃は男に存在を意識付ける。ここまでは何も問題は無いはずだった。

 元から回避される事を前提としている為に、慌てる要素は何処にもない。二の太刀を狙って放つ攻撃のはずが、そこで思考が完全に止まっていた。

 

 

(どうして!)

 

 異能の力が働かない。これまで当然の様に発動したそれが、完全に沈黙していた。

 まるで最初からそんな事は出来ないかの様に魔力を集められない。自分は何もされていないはず。戦いの最中に逡巡する事は致命的だった。

 驚きはそのまま動きに現れる。これが凪がこれまでに対峙した人間であれば問題は無かったが、この男の前では致命的だった。

 

 囮同然の二の太刀に動揺が生まれれば、それは漫然と攻撃したのと同じ事。腰が入らない攻撃は反撃する為の材料としては絶好の的だった。

 薙いだ腕を捕まれた瞬間、そのまま腕の動きは加速していた。

 

 本来であれば止めるのかもしれない。しかし、今の攻撃ではそれは叶わない。完全に死に体の状態になった凪に待っていたのは無慈悲な一撃だった。

 流れた体躯の先にあったのは鉛の様に堅い拳。完全に動きを止める為に下から上に浮き上がる程の一撃は、そのまま第六、第七肋骨を粉砕していた。

 無防備な体躯はそのまま弾け飛ぶ。地面に叩きつけられるまでは行かなくとも、完全に流れは男の物だった。

 

 

「そうね。私は二流よ。対象者に情を持った時点……でね」

 

「ほう……自覚はしていたか。ならばここで散るのか?其の方が潔いと思うが」

 

「これまでならそうした……かもね」

 

 肋骨が粉砕した時点で、凪の機動力は完全に失っていた。詳しい事は分からないが、呼吸の為に動く肺によって痛みは嫌が応にも意識させられる。

 少なくともこの場に於いては自分の身よりも珠雫の方を優先したいと考えていた。

 自分の手は既に血に塗れている。相手が誰であろうとも、自分の身で珠雫を汚す訳にはいかないと誓っていた。

 

 吐血こそしないが、先程の一撃で内臓もまた悲鳴を上げていた。

 出来る事ならこの場で倒れれば楽になれる。少なくとも自分の知識の中でこれほどの相手が存在するとは思っていなかった。

 十二使徒でさえも児戯と戯れる程度。明らかに裏の人間であるのは間違いないが、それでもやはりその正体に覚えは無かった。

 有名どころであれば風魔。しかし、仮面に絵は無く『鳶』の文字だけ。朦朧としながらも意識を絶ち切る事無く思考を続けていた。

 

 

「生憎と半端な人間と戯れるつもりはない。その命は貰い受ける。仮に生き残れれば多少は考えてやっても……だがな」

 

 その瞬間、男の姿は消えた様に感じていた。

 厳密には消えた訳では無い。人間の眼で追えない速度で移動したからだった。

 均一に動いていれば多少なりとも追えたかもしれない。しかし、男は零からの急加速をした事によって眼に映る間もなく移動していた。

  この状況下での急加速。狙うのは目の前の命。よろよろと立ち上がった凪に待っていたのは死神の鎌の役割を持つ刃。先程の肋骨への攻撃を受けた反対側には刃が突き刺さっていた。

 焼ける様に感じる鋭い痛み。仮面ごしとは言え、どこか愉悦が混じった様な感情はそのまま凪へと襲い掛かっていた。

 

 

「このままここで果てるが良い」

 

 まるで動物を解体するかの様に向けた刃は既に赤に染まっていた。その元は自分の体内にあったもの。本来であれば反撃の糸口を探すが、未だ異能が使えないのであればその芽は完全に摘まれていた。

 異能を中心とした戦術で戦う事は、ある意味では伐刀者らしい物。純粋な技量だけを持ち合わせた時代であれば、ここから反撃する事も考えられる。

 しかし、その前提が崩れた今、凪に出来る事は何一つ無かった。

 

 

(このままここで終わるのも悪くはないのかもね。裏切った代償なもの)

 

 既に凪には諦観だけが漂っていた。純然たる技量で勝つ事が出来ず、逃げる事も敵わない。

 仮にここで逃げれば珠雫の命がどうなるのかを考えた末の判断だった。

 勿論、自分だけで終わるのかは分からない。だが、自分の命がここで散れば、ある意味では辛い事から逃げる事も出来ると考えたからだった。

 迫る凶刃。今はただ来るであろう未来を待つより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ここは………確か、私……アリスを追って…………)

 

 混濁した意識は時間共に回復し始めていた。

 先程の攻撃が予想以上に重い物だった為に、万全とは言い難い状況であるのは間違い無かった。

 警告無しの攻撃をした瞬間はこちらに意識は向けていない。攻撃に関しても、水を調整する事無くそのまま放った為に、タイムラグすら無かったはず。

 しかし、自分は対象者から攻撃を受けた。

 どうやって防いだのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが脳裏を過る。

 時間の経過と共に考えだけでなく、現状もまた少しでも見え始めていた。

 ゆっくりと閉じた目蓋が開いてく。珠雫の眼に飛び込んで来たのは、刃を向けられた凪の姿だった。

 

 

(アリス!)

 

 その瞬間、これまでの思考が一気に吹き飛んでいた。珠雫は再度ノータイムとも取れる速度で先程と同じ業を放っていた。

 先程の様な全体にではなく、襲撃者に向けての点攻撃。一部の水はあふれ出た魔力によって氷結し始める。明確な殺意を持った攻撃は一気に襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

(回復が早い。水の使い手か)

 

 男は有栖院凪に視線はあったが、気配を探る動きは珠雫へと向けていた。

 この場に居る伐刀者は二人。しかし、目の前のそれは既に自身の放った抜刀絶技によって一時的に異能を封じ込めていた。

 瞬間催眠とも言えるそれは、ある意味では伐刀者の天敵。

 仮面に空いた小さな視界には潜在的な催眠状態になっている事が確認出来る。攻撃を放つ気配を感じているにも拘わらず、動くつもりは毛頭無かった。

 数多の針は自身へと襲い掛かる。本来であれば多少なりとも回避行動に移るが、それすらもしない。寧ろ、それを待っていたかの様だった。

 

 

「盾になれ」

 

 男の声は凪に届いた瞬間、自分の意識とは無関係に仮面の男の前に立ちはだかっていた。

 この時点で珠雫が何をしようとも、一度決定された攻撃が戻る事は無い。まるで自らがそれを受けいれるかの様に両手を広げて立ちはだかっていた。

 数多の針が凪に肉体に次々と突き刺さる。夥しい赤は制服を赤く染め上げていた。

 

 

 

 

 

「これ位は役に立ったか。まあ、面倒だった処分をする手間が省けたな」

 

 仮面の男は当然の結果に愉悦を浮かべていた。

 それもそのはず。攻撃の向こう側ではまさかの行動を起こした姿を目撃した珠雫の姿がそこにあった。

 確実に命を散らせる為に、相応の魔力を込めている。本来であれば横たわるはずの人間が無傷で佇み、助けようとした人間が血の海に沈む。想定外の動きだったからなのか、完全に混乱していた。

 

 

「小娘。お仲間と同じ場所に行くかね?」

 

「ひっ……」

 

「命を奪う為に来たんだろ。ならば、自分も同じ目に合う可能性は考え無かったのか?」

 

 珠雫は完全に混乱していたからなのか、仮面の男が近づくと無意識の内に後退りしていた。

 自分の攻撃をまともに受けただけでなく、伐刀者であれば身体強化は無意識でも発動できる。

 少なくとも有栖院凪はそれが可能な人物のはずだった。

 にも拘わらず、そんな事実が無いと言わんばかりにゆっくりと倒れた躰からは赤い液体が広がり出していた。

 

 仮面の男ではなく自分が放った攻撃によって凪が倒れている。

 自分のやった事を完全に理解出来ない様になっていた。そうなれば幾らBランクの伐刀者と言えど、ただの小娘にしか過ぎない。そこに待っている未来はただ一つだけだった。

 女子供と言えど、戦場では関係無い。男もまたそう考えているからこそ、錯乱した状態とは言え、伐刀者を見逃すつもりはなかった。

 仮に反撃されたとしても、この程度の人間であれば制圧は容易い。あとはその頸を刎ねるだけだった。

 

 

 

 

 

「もうそれ位にしたらどう?」

 

 珠雫まで後一メートルにまで近づいた瞬間だった。

 これまでに感じた事が無い程の重圧が周囲に漂う。何も知らない一般人や、ランクが低い伐刀者であれば確実に意識を失う程の圧力。そこに居たのは純白の戦乙女『比翼』の二つ名を持つエーデルワイスの姿があった。

 

 

「有る程な。あの圧力は貴様だったか。折角だ。俺と一当てするか?」

 

「まさか。こんな場所で戦う必要はない。それに貴方に有利な場所で戦うと考える方がどうかしてる。違ういますか?加藤段蔵」

 

「ほう……世界最強とまで呼ばれた貴様にまで名が知られているとは光栄だな」

 

「そんなつもりなど微塵も思ってないしょう。この場は引いてほしい」

 

「随分と偉そうだな。俺は雑魚とは言え、既にこいつらから攻撃を向けられている。このまま何もせずに引くと思うか」

 

 エーデルワイスの言葉など最初から無かったかの様に仮面の男は当然の様に言い放っていた。

 実際の事はエーデルワイスには分からない。しかし、この現状を見ればどうなっているのは考えるまでもなかった。

 意識はあるが混乱している少女と、未だに出血したままの青年。少なくともエーデルワイスにとっては有栖院凪は見知った仲でもあった。

 実際にそれほど会話をした記憶は無い。ただ、平賀玲泉の主導とは言え、同じ組織に一瞬でも属していると考えれば、庇うのは当然だった。

 

 今回の件に関してもエーデルワイス事態は直接の関与はしていない。ここに部外者が来ない様にするだけの役割だった。

 しかし、何の因果かここに加藤段蔵が居る。幾ら何を言われようとも圧倒的に不利な立場に居るのは間違い無かった。

 威圧すらも、そよ風だと言わんばかりに受け流す。一時期は風魔に属していた事を知っているからなのか、エーデルワイスは慎重に事を運んでいた。

 

 

「ならばどうしろと?」

 

「手土産をよこせ。ならば退いてやろう」

 

「手土産か………幾らです?」

 

「その値段はお前が付けろ。俺が退くに値する金額であれば、そうしよう」

 

「でなければ?」

 

「手付は貰った」

 

その瞬間段蔵の姿は一気に失せてた。エーデルワイスの左腕に裂傷が疾る。その瞬間、少女からは悲鳴が上がっていた。

 

 

「手付は貰った。さあ、対価は…残りはどうする?」

 

 段蔵の手に会ったのは小さな肉片の様な物だった。それが何なのかは分からない。段蔵もまた見せるつもりが無いからなのか、そのまま握りつぶしていた。

 握った事によって透明な液体が滴り落ちる。その間もエーデルワイスは段蔵から目を離す事は一切無かった。

 それと同時に一枚の紙に何かを記入し、段蔵へと投げる。難なく受け止めたからなのか、その紙を見た瞬間、段蔵の気配は僅かに緩んでいた。

 

 

「見知らぬ人間にこれだけ出すとはな。随分と今回の依頼は太い様だな。商談成立だ。ただちに、この場から立ち去ろう」

 

「次にあった際には容赦はしない」

 

「容赦……面白い。実に面白い回答だな。暫く見ない間に随分と冗談が上手くなったみたいだな」

 

「契約が完了したならさっさと消え失せろ」

 

 まるでさっきまでの出来事が幻だったかの様に段蔵の姿は消えていた。

 風魔の一員でもあり、最狂の名を欲しいままにした人間。それが加藤段蔵と呼んだ男の正体だった。

 厳密に言えば、エーデルワイスとて確実に勝てる相手ではない。ここに来る前に一人の青年と少しだけ手合わせしたが、あれはまだ多少なりとも熱くなれる要素があった。

 しかし、裏の人間でも頂点の一人となれば話は変わる。

 詳しい事は分からないが、少なくとも目の前で横たわる青年の状態を見れば確実に何らかの攻撃を受けた事だけは間違い無かった。

 

 自分の左腕の裂傷を見ながら少しだけ考えていた。自分の動きだけを見るのではなく、相手の動きすらも誘導する。ある意味では裏家業には適切な技量だった。

 結果的には多額の報酬を渡したが、あれはあくまでも必要経費でしかない。

 これが終われば再度交渉する必要があるかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えながらエーデルワイスは青年と少女の下へと動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対象の鎮圧は完了した。後は、幾人か捉えたので、直ぐに回収部隊を用意していくれ」

 

《了解しました。任務開始の時点で既に準備か完了しています。到着まで大よそ十五分程度になります》

 

「そうか。それと直ぐに営業をかける。場所と人員の手配は可能か?」

 

《その件に関しては既に小太郎様より命を受けています。場所の確保は問題ありません。尋問に関しては別部隊より要請が出ていますので、そちらに任せる予定です》

 

 太陽は既に頂点から少しだけ傾いていた。

 周囲には未だ硝煙の臭いが漂うが、既に戦闘状態は完了していた。元々の依頼が依頼だった為に、それ以上の手出しをするつもりは無い。

 内容的に達成そのものは困難を極めるはずの依頼は、ある意味では好き勝手に出来る部分が多分にあった。

 何故なら依頼とは別口で何かをする場合、依頼人に不利益な事をもたらす事は無い。高額報酬がかかっていれば尚更だった。

 だからこそ、イレギュラーな依頼は自由度が高くなる。ギリギリの戦いを見極める事が出来ない人間はそもそも依頼すら出来ない状態だった。

 

 

「小太郎がやるのか?」

 

《詳細までは聞いておりません。ですが、介入する以上は何かしらの予定があるかと思われます》

 

「そうか。ならばこれで依頼は完了だ。依頼主にもそう伝えておいてくれ」

 

《承知しました。周囲に問題が無い様であれば今回の依頼に関しては完了したと伝えておきます》

 

 通信が切れると同時に龍玄は再度周囲を確認していた。

 少なくとも討ち漏らしがあれば問題もあるが、現時点では周囲に伐刀者の気配は感じられなかった。

 元々鎮圧するのが目的の為に、態々追跡する必要はない。周囲には未だ黒煙が上がる箇所もあるが、それは自分とは関係ないと判断し、この場からの離脱を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。有難う」

 

 官邸は既に人払いされているからなのか、何時もであれば数人のスタッフが居るはずの部屋には誰一人として居なかった。

 本来であれば総理を護るはずの人間ですらも除外されている。時宗の前には、この部屋の主がソファに悠然と座っていた。

 

 

「さて………弁明であれば取敢えずは聞かせて頂きますが、必要ですか?」

 

「いや。今回の件は完全に我らの想定外の部分があった」

 

「だから、今回の件は自分達とは無関係だと?」

 

「そんなつもりは無い………と言った所で信じるはずは無さそうだね」

 

 総理の執務室には官房長官の北条時宗と総理の月影獏牙がお互いに座っていた。

 実際に破軍学園の襲撃の際に時宗が真っ先に確認した警察と軍は事前の情報を受けているからと言って、全く動く気配は無かった。

 実際にどんな内容を聞いているのかは分からない。しかし、破軍学園襲撃の真相が徐々に分かるにつれ両方の上層部は激しく混乱していた。

 

 治安を守るべきはずの組織が目の前で起きているテロ行為を半ば黙認していると思われれば、確実に国民からの信頼は失われる。そうなれば、今後の組織運営が厳しくなるのは確実だった。

 税金を食みながら動かない組織は不要となる。只でさえ、この国には三つの大きな組織がそれぞれ鎬を削っている。特に今回の件に関しては完全に警察だけでなく軍にも大きな失態となっていた。

 

 

「当然です。このままだと確実に国会では取り上げられるでしょう。それも我々ではなく貴方自身が」

 

「操られたのかと聞かれれば『そうです』と彼等は言うだろうからね。彼等は何よりも失態を嫌う。それは予測出来る事だ」

 

「力を見せつけるのは結構ですが、政治家の頂点がテロリストを先導する国などありますか?」

 

「確かにあれは想定外の出来事だった。だがね、北条君。僕は自分がやった事に関しては一切の後悔も無いんだよ」

 

「貴方はそれでも良いかもしれない。勿論、今回の件は過去の確執による物だと言う事も理解している。それに貴方が予測した未来。動くには十分過ぎた。

 だが、今更何をどう言おうが現実は違う。貴方には潔く責任を取ってもらうしかない」

 

 時宗の言葉を月影は真摯に受け止めていた。

 これが矮小な政治家であれば色々と弁明をするかもしれない。しかし、事態は誰の予測もつかないままに終息した為に、次に待っているのは責任論だった。

 

 実際に、この国はある意味では権力の闘争は水面下では激しく行われている。

 経済的な部分では魔導騎士連盟がKOKの興行権を持っている。一方の軍に関しては、あくまでも防衛の為に存在しているが、実際には騎士連盟と内容はほぼ同じだった。

 違うのは人道的な支援も軍が行うだけ。実か(ほまれ)か。求める物は違っても、伐刀者を組織の中に組み入れている以上は、ある種の対立があった。

 そして警察。まだ戦時中の侍局が騎士連盟に変化するにあたって、名称こそ同じだが、構成されている物は別物だった。ある意味では一つの確執。異能を持たない人間もまた色々と問題になっていた。

 只でさえ犯人を検挙しても騎士連盟の中にある倫理委員会の意向によっては無罪放免とまでは行かなくとも、刑罰がかなり軽減される事もあった。

 当然ながら現場で現行犯逮捕した所で事実上の無罪であれば、治安維持など事実上不可能でしかない。そんな複雑に絡み合った今を確実に理解しているのでば、今回の件に関しては時宗で無くとも誰もが蛮行であると考える内容だった。

 

 

「では、総理を辞任しろと?」

 

「総理では無い。議員もだ。少なくとも我々は今回の件に関しては全てが破軍学園を襲撃したテロであると発表する。それと同時に、貴方がこれまで子飼いとしてきた生徒にも霞が関から退場してもらう事になる。仮に再度出馬しようとするならば、それすらも潰す事になるだろう」

 

「彼等は僕の言葉に従っただけなんだが」

 

「それが真っ当な人間の命令ならば。だと思いますよ」

 

「そうなると、君は事務方から恨まれるんじゃないかな」

 

 時宗の言葉に月影は焦りを生んでいた。今回の件だけであれば自分の身を引く事によってどうとでもなる。しかし、子飼いまでが外されるとなればこれまで築いてきた全てが失われる事になる。

 そうなれば、本来この国が無能とも思える魔導騎士連盟脱退の大願を果たせなくなるのと同じだった。

 月影とてこれまで魑魅魍魎が住まう政治の世界で長く生きていきた訳では無い。

 回避しようと思えば幾らでも出来るはずだった。

 しかし、目の前の男が容易くそれを許すとは思えない。決意の籠った目を見た以上は、既に弁論するだけの分水嶺は当の前に越えていた事を悟っていた。

 

 

「その点に関してはご安心を、既に手は打ってありますので」

 

「当然……だろうな。君がまさかそんな適当な事をするとは思えない」

 

「では、ここで」

 

 時宗は既に用意してあったのか、一枚の白紙を目の前に置いていた。

 内容は既に記載されている。あとは月影自身が自分の名前を書くだけだった。

 月影もまたその紙を一瞥すると、淀む事無く署名をする。ある意味ではここで漸く一連の事態が人知れず収束していた。

 

 

 



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第51話 裏事情

 周囲を見渡す限り、外の光が見える事は無かった。

 殺風景とも取れる室内。仮に、ここに人が住むとすれば何も無さ過ぎる程だった。

 天井には申し訳無いと思える程の電球が一つだけ。まるで何かを入れる倉庫の様な場所は、完全に密閉された空間だった。

 

 

(ここは………私は確……か)

 

 これまできつく閉じていた目蓋が開いた景色は異質の一言。自分の記憶では先程までは破軍学園に攻め込んでいたはずだった。にも拘わらず、この閉鎖された空間に自分が居る違和感。

 未だぼんやりとしたままだからなのか、現状を認識するまでに少しだけ時間を擁していた。

 

 

「ちょっと!誰か居ないの!これって何なの!」

 

 違和感の正体は自身の手足が完全に拘束されている事を理解したからだった。

 幾ら叫ぼうとも、周囲には窓一つ無い。大声で叫んでも返ってくるのは反響音の様な自分の声だけ。

 よくよく見れば、室内の壁は全てコンクリートに覆われていた。少しだけジメッとした空気がやけに気に障る。

 少なくともこの現状が何なのかを理解したいと考えたからなのか、この部屋に唯一居る風祭凛奈は喉が裂けんばかりにありったけの声を出していた。

 

 

 

 

 

「貴様が風祭凛奈だな」

 

「そうよ。さっさと拘束を解きなさいよ」

 

「まだ現状を理解していないのか?」

 

 凛奈の前に現れたのは仮面の男だった。これと言った大きな特徴は無いが、そこには白い虎が描かれている。

 裏の人間であればその素性は直ぐにも理解するが、生憎と凛奈はそんな知識を持ち合わせていなかった。

 

 

「現状ですって?そんな事どうでも良いわ。早くこの拘束を解きなさいよ。それと私付きのメイドはどうしてるのよ」

 

 端的に話した事により、凛奈は仮面の男が救出に来たのだと勝手に判断していた。実際に話をしたのは名前を確認しただけ。詳しい事は何一つ話さないのであれば、そう考えるのは当然だった。

 救助が来たと勘違いしたからなのか、凛奈の思考は更に加速する。

 自分の可愛がっていたスフィンクスは先の戦いで失っていたが、もう一人の自分に仕える人間、シャルロット・コルデーの事が気になっていた。

 

 

「……まだ分からないのか?貴様は破軍学園を襲撃したテロリスト『解放軍』の人間。拘束するのは当然の事だと思うが?」

 

「テロリスト?そんな訳無いでしょ。何でそんな根も葉もない事を言ってるのよ」

 

「現状を認識した方が良さそうだな。仕方ない。これを見ろ」

 

 互いの現状認識に齟齬があると判断したからなのか、仮面の男は呆れながらも事実を伝える事にしていた。

 元々ここに運ぶまでの情報収集の中で、破軍学園の襲撃そのものは元から計画されていた物ではあったが、問題なのはその中身だった。

 当初の予定では、伐刀者が破軍学園を襲撃する事によって魔導騎士連盟主導の学園の生徒よりも実力が上であると知らしめる。その結果として七星剣武祭に新たに出場する予定となっていた。

 

 しかし、現実は予想外だった。実際には伐刀者以外に現れた兵士が生徒に向って発砲している。武装した勢力は解放軍の人間である事が既に公表されている為に、その計画は完全に頓挫した状態となっていた。

 互いに情報交換があったかどうかは分からない。しかし、襲撃した事実と人物が特定されている以上は知らなかったでは無理があった。

 先程の話から情報が互いに交換された可能性は皆無に等しい。

 只でさえ、これから営業を仕掛けるにあたって自覚していないとなれば、少しだけ面倒になると判断した結果だった。

 

 

 

 

 

「では、今回の破軍学園襲撃に関しては、解放軍による襲撃と見て間違いは無いと政府は認定したのでしょうか?」

 

「そうだね。今回の件に関しては、政府内では解放軍によるテロ事件として既に捜査している。だが、伐刀者に関しては未だ捜査中だね。何せ手がかりらしい物が何一つ無いんだから。逆に君達の方が詳しかったりするんじゃない?」

 

「実際に被害の程はどうなんでしょうか?」

 

「現在治療中の教職員、生徒に関しては死者こそ出ていないが、負傷者はかなりの数になっている。現時点では負傷者に関しては直ぐに治療出来た人間も居る為に、詳細までは分からない。ただ、今もなお意識の回復が見込まれていない人間も居る。少なくとも現状を把握する為には少しだけ時間が欲しい」

 

「この国に対する戦線布告の様な物があったと懸念されていますが?」

 

「それに関しては各国にも確認したものの、その事実は無いね。仮にそんな事実があれば真っ先にどうなるのかは、君達の方が分かると思うけど」

 

「今回の件に関しては軍と警察の初動が鈍かったと言われていますが、その辺りはどうなんでしょうか?」

 

「その点に関しては現在調査中だね。結果が出れば事実は公表しよう」

 

 

 

 

 

 

「そ、そんな………だって、私が聞いたのは…………」

 

「貴様の都合など知らん。だが、襲撃犯がテロリストであると国が認めている以上、救出に来る道理はあるまい」

 

 事前に聞いた事実とは明らかに違った事によって凛奈は呆然としていた。

 元々平賀玲泉から聞いた計画は自分達の実力を世に示す行動であって、その為に近くにあった破軍に目を付けただけの事。それ以外に他意は無いとの話だった。

 しかし、これが政府の公式見解とした時点で凛奈は愚か、あそこに居た伐刀者は事実上のテロ集団であると認定されたも同じだった。

 先程までの勢いが完全に消える。突然の出来事にどうすれば良いのかを理解するだけの余裕は無くなっていた。

 

 

「安心しろ。まだ国は貴様達を見つけた訳では無い。我々が先に保護したんだからな」

 

 仮面の男の言葉に凛奈は少しだけ光明が見えた気がしていた。犯人が分からないのであれば、まだ自分にも生きる目が生まれる。しかし、その後に続くのが何なのかがここで漸く理解出来ていた。

 

 

「まさかとは思うけど、金銭でも要求するの?」

 

「察しが良いな。そうだ。お前はこれから交渉にあたっての質となってもらう。政府が発見していないのであれば、言葉の意味は分かるな?」

 

「そんな犯罪、認めると思うの?」

 

「貴様は馬鹿なのか?テロリストと国は本来は交渉しない。仮に公表すれば、貴様の人生は終わるだけだ。それともこの場でひっそりと始末されたいのか?」

 

 表情が見えないはずの仮面の向こうから感じる威圧は明らかに凛奈に襲い掛かっていた。

 肉食獣の様な獰猛な威圧の前に凛奈は震えあがるしかない。自分の命が金で決着が着くのであれば、後は大人しくするよりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう。取り合えず第一段階は終了ってとこだね」

 

「お疲れ様でした。早速ですが、両方の長官が来ています」

 

「そう。じゃあ、通して」

 

 会見が終わったと言えど、時宗にはまだやる事が幾つもあった。既に月影の辞任は国会次第ではあったが、実際に国会が拒否する事は無かった。

 本当の事を言えば国会が紛糾するのは間違い無く、また下手に情報を出せば次は強硬論が浮上する可能性もあった。当然ながら月影が予言した未来に進むつもりは毛頭ない。

 そもそも未来は今の時点では未定であり、確実にそうなる訳では無い。

 当然ながらその先に進まない様にする為には、今の内に膿を完全に出しきる必要があった。

 事務方は基本的には現場の事など何も知らない。それは政府の中だけでなく、騎士連盟もまた同じだった。

 今回の件に関しても、本来であれば軍と警察が動かない時点で騎士連盟が率先して動く必要があった。

 実際には、それなりに時間が経過すれば事案の終息に向けて組織が動くかもしれない。しかし、時宗が小太郎に依頼した時点で事態の収束は約束されていた。

 そうなれば、待っているは無能者の排除。月影に心酔するだけならまだしも、これまでに幾度となく内偵した結果、不穏な未来に関与する可能性がある人間の排除をこれ幸いに一気にやるつもりだった。

 税金を食みながら力を示さないのであれば、そんな組織は不要でしかなない。月影に辞職を迫った時点で、それに与する事務方の未来は決まっていた。

 

 

 

 

 

 

「さて、今回の件に関してなんだけど、君達は職務放棄による懲戒免職処分になる」

 

「待って下さい。今回の件は元々総理からの肝煎りでの訓練ではなかったのですか?」

 

「肝煎り?君達はそれでもこの国の防衛と治安を守るトップの自覚はあるのかな。何処の世界にテロ行為がそのまま見逃されて平然としている国がある?」

 

「我々は()()()()()()()()()今回の件に関して聞かされています。であれば、官房長官の貴方では話になりませんな。総理には確認されたんですか?」

 

 それ程広くない部屋に呼びだされたのは、警察庁長官と軍の長官だった。

 今回の件に関しては元々月影から直接聞いている為に、仮に連絡があっても訓練であると下に事前に知らせていた。

 万が一、通報があったとしても訓練であればその時点で納得する。そもそも負傷者が出ないのであれば、その処置は当然の事だった。

 

 既に負傷者が出ていたとしても、それは訓練による結果でしかなく、万が一の際にはIPS再生槽を使えば良いだけの話。軍や警察もまた同じ事を経験しているからこそ、今回の騒動に関しての認識はその程度だった。

 勿論、ここに来るまでに時宗が行った談話の放送は確認している。テロ行為があったとは言え、事実上の調査中であれば、不確定な結果になる可能性が高い。少なくとも呼び出された二人はそう考えていた。だからこそ警察庁長官は多少は驚くが、軍務長官に関してはこの程度の認識で捉えていた。

 更には自分達には後ろ盾もある。完全にそれを認識した言葉だった。

 

 

「君達の言う総理だが、当の前に議員を辞職したよ。まだ国会では承認されていないけど、正式な文章で受理している。党としても既にその方向で動いている」

 

「北条官房長官。失礼ですが、我々を謀るのは止めて頂きたい」

 

「面白い冗談だ。何故、僕が君達を謀る必要があると?目の前で市民が血を流し、助けを求めても何もしない組織であれば無いのと同じだと思うけど」

 

「我々はあくまでも訓練である。内閣総理大臣よりその命を賜っています」

 

「内閣総理大臣……ね。で、証拠の提示は?」

 

 あっさりとした時宗の言葉に、自分達の後ろ盾が既に消え失せていた事は直ぐに理解していた。

 幾ら事務方とは言え、最終決断は総理自身が行い、それを現場が実行する。当然ながらそうなれば命令である事実が必要となっていた。

 元々予測したからなのか、軍務長官はその証拠を持参している。どちらが下手に手を出したのかを理解させる。そんな事を考えていた矢先の事だった。

 

 

「因みに、総理が辞職したのは襲撃の前なんだ。残念ながら総理は極秘裏に入院していてね。公務が無い日は基本的には病院なんだよ」

 

「そんなはずは………」

 

 時宗の言葉に、二人ともそれ以上は何も言えなかった。

 実際に証拠として出すつもりだった日付よりも前に書類が出されれば、依頼の信憑性が疑われる事になる。

 ましてや今回の件に関しては、限りなく怪しい部分が幾つもあった。

 本来とは異なる結果は組織の長として考えた場合、限りなく最悪の結果なのは明白。

 死者こそ出ていないが、明らかなテロに対し、何一つ有効的に結果をもたらさないままの収束は、自分達への存在意義にまで及んでいた。

 

 銃弾に倒れた生徒を見殺しにする組織に、市民からの尊敬の念は無い。これが身内の中で話す内容であれば想定外の言葉で終われるが、生憎と目の前に居るのは身内ではない。

 互いの全身が、まるで氷水を浴びせられた様に寒くなる。そこから先に出る言葉は何となく予想出来ていた。

 

 

「改めて言うけど、君達は予測出来たであろう事実に目を背け、一般人とは言い難いが、未来ある青少年を見殺しにしたのと同じ。それぞれが責任を取るのは当然じゃないかな」

 

「ですが、我々として大きな組織の中の出来事を完全に把握する事は困難。全てを掌握するなど不可能です」

 

「……君らは本当に馬鹿だね。良いかい。組織の長は、()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。そうで無ければどうしてそんな無駄に権力を持たせてると思う?」

 

 あからさまに責任逃れを口にしたからなのか、時宗の感情は僅かに歓喜していた。

 元々責任を回避する事は時宗に限った話では無く、誰でも容易く予測出来る。

 だからこそ次に繋がる一手を打つ事によって、今後の不穏の下になるであろう物を一気に排除するつもりだった。

 

 

「そうだね………だとすれば、今回の件に関する人間の処分を、直接君達にしてもらおう。その方が後腐れも無さそうだし。因みに処分者のリストはこれだから」

 

「な………」

 

 何気なく渡された内容に、二人は固まるしかなかった。処分者の大半が懲戒免職。緩いと思われても最下級への降格だった。これまで局長級の人間でさえもが一番下へ降格される。それがどんな意味を持つのかは言うまでもなかった。

 

 

「それと、今回の破軍学園の補修費用と、派遣した部隊への報酬はそれぞれの組織に均等に請求する事になる。因みに各自三十億程だね」

 

「待って下さい。既に予算は決定してます。そんな状態で支払う原資はありません」

 

「気にしなくても大丈夫。君達がこれまでに着服した裏金と出る予定の退職金、それと来年の予算からも捻出してもらうからね。既に財務に関する事は通達してあるから」

 

「それは横暴では!」

 

「横暴……成程。確かにこのままではそうかもしれない。ならば、こうしよう。今回の襲撃に関して相応の被害を被った家族に対して、相応の手続きをしてもらおう。全ての家族からの了承が貰えれば、規定に準じた物を出す。これが妥協案だね」

 

 官僚の言葉を鵜呑みにするつもりが無いからなのか、時宗の言葉に絶句するよりなかった。

 裏金は組織の維持の為に使用される物。幾ら何を言おうが、無い袖は振れないとこれまでは突っぱねていた。にも拘わらず、平然とその事を口にした時点で、既に裏は取られているのと同じ。

 只でさえ今回の件は痛恨の極みではあるが、追い打ちをかける様に予算と金銭を吐き出させるのは自分達の立場をも危うくする物。

 そこに来ての幹部から最下級への降格。それから予測出来る未来は決して明るいとは言い難い物だった。

 当然ながらこれ程の不祥事を作った当事者が天下りする事も出来ない。冷徹とも取れる時宗の言葉に二人が崩れ落ちるしかなかった。

 

 

「で、反論するなら聞くけど?」

 

「……いえ。何もありません」

 

「一応は言っておくけど、名誉の為じゃなくて治安維持の為に見殺しにした云々は公表しないから」

 

 あっけらかんと話す時宗の言葉の裏にはこれまで自分達が行ってきた事全てが無に帰す事を暗に伝えていた。

 本当の意味で事実を話せば、今後の組織運営は厳しい物になる。それは残された人間が膨大なツケを払う事になるから。それならば、一定上の情報は態とボカす事によって少しだけ事実を歪曲にする。内部では厳格な処分をし、対外的にはそれなりに済ませる。

 本来であれば政治家が役人に対する人事をする事はないが、今回の様な事態に陥ればある意味では仕方がないとも取れる。これ以上の抗弁は不可能だろ二人は判断していた。

 

 

「人事案に関しては明日には出す。それまでに内部調整はする様に」

 

「……承知しました」

 

 力無く二人は部屋から出るしかなかった。

 幾ら自分達の恩人とは言え、今回の件に関しては完全に公私混同していた。

 自分達もまた権力と言う名の力をかざし、目的にまい進してきた。

 結果的には思う部分があるが、被害が多きなったのも事実。仮にその計画が第三者によって立案され、実行されたとしても自分達の本分を全う出来ないのであれば、無意味でしかない。

 事実上の決定に対し、余りにも危険予測が緩すぎていた。

 自分達の未来は終われども、残された人間はまだこれからも続く。

 覆水盆に返らず。浅はか過ぎた代償は余りにも大きすぎていた。

 騎士連盟からの独立。その野望は今を持って完全に潰えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総裁。明日の予定の件ですが、一旦予定は全てキャンセルとさせて頂きました」

 

「何があった」

 

 不意に出た秘書の言葉に財団の総裁は僅かに疑問を浮かべていた。

 記憶が正しければ、明日は財界の会合が予定されているはず。グループの会議もまた入っていたからこそ、この日程の調整をする為に幾つもの仕事をこなしていた。

 訝しく思いながら秘書を見る。その答えは直ぐに知らされていた。

 

 

「お嬢様の身柄が確保されています。相手からの接触がありました」

 

「身柄?何の事だ」

 

「お嬢様に関する事とだけ」

 

 秘書の言葉に総裁は僅かに思案していた。

 身柄の確保から想像出来るのは学園の襲撃に関する事由。その襲撃に自分の娘が関与している事実だった。

 

 

「察しが悪いな。まだ意味が分からないのか?」

 

 突如部屋に響くのは秘書の声ではなく、どこかくぐもった様な男の声。気が付けば目の前に居る秘書もまた先程とは違い、僅かに笑みを浮かべていた。

 ここは風祭財閥の総裁の部屋。容易く侵入出来る様な場所では無かった。

 声が止んだ瞬間、仮面の男の姿が浮かび上がる。そこに居たのは漆黒の仮面を着けた男の姿があった。

 

 

「まさか……風魔……小太郎…か」

 

「そうだ。お前には先程言った件でここに来ている。用件は一つ。お前の娘の身柄は我々が拘束している。

 既に今回の作戦に関しては失敗に終わり、既にこの件に関しては内閣預かりとなっている。実行犯に関しても他に拘束している」

 

「そうか……で、要件は金か?」

 

「察しが良いな。実に単純な話だ。このまま放置すればお前の娘は今回の襲撃に関する実行犯として身柄は移される。恐らくは今回の首謀者扱いになるだろう」

 

「そんな事は知らん。あれは解放軍絡みの事案だと聞いている。我々とて情報網は持っているんでな」

 

 突然の言葉に総裁は可能性の一つである未来が嫌な結果として的中した事を悔やんでいた。

 元々今回の襲撃に関しては、娘からは碌に話を聞いていない。がしかし、配下にある重工業には銃器の部品に関する依頼があった。

 武器の製造に関しては公にはしていないが、幾つかの細かい形で指定された場所に運搬していた。

 

 銃器を扱うのは軍と警察だけではない。あるとすれば純粋な買い付けによる物。勿論、総裁はその依頼主は誰なのかを理解した上で製造販売をしている。

 仮に情報が漏れたとしても、絶対に分からない様に偽装されているはずだった。

 そんな事すら吹き飛ばす程の情報。それが風魔小太郎からとなれば、内容は間違い無く事実でしかない。

 不意を突かれたからなのか、心臓の鼓動は僅かに大きくなる。これまで海千山千の場を乗り越えてきた為に表情にこそ出ないが、内心はかなり動揺していた。

 

 

「そうか。ではこれを見るんだな」

 

「これは…………」

 

 小太郎は準備していた端末を総裁に向けていた。

 そこに映るのは自分の娘。目を塞がれ、手足は椅子に拘束されているが、声は間違い無く娘そのものだった。

 

 

「拘束している。で、どうする?別に誘拐犯だと警察を呼んでも構わんぞ。既に証拠もある。困るのはどちらになるのか分かるはずだ」

 

「……少しだけ考えさせてほしい」

 

「それは出来ない。既に時間はそれ程残されていないんでな」

 

「どう言う意味だ?」

 

「もう一度画面を見ろ」

 

 小太郎は再度画面を見る様に促していた。

 元々画面が小さい為に詳細まで見た訳では無い。改めて見ると、凛奈の右腕には何かが取り付けられていた。

 詳しくは見えないが何か細いチューブが付けられている。その先にあったのは何かの容器に落ちる赤い雫だった。

 

 

「貴様!何をしてるのか理解しているのか!」

 

「直ぐに答えを出せば命に別状はない。下手に時間をかけても、お互いメリットは何処にも無い。それに致死量近くになれば止める。そうなればそのまま直ぐに警察に行く事になるがな」

 

 理不尽とも取れる内容にそれ以上は何も言えなくなっていた。元々非公式ではあるが、風祭として総裁自身が解放軍とは一定の付き合いがある。世界秩序の安寧に賛同した事が始まりだった。

 事実、今回の件に関しても偽装して命令を自分自身が下している。当然ながら資金提供の裏には相応の対価もあった。

 

 元々暴力を得意とする側が出来る事は力による制圧。少なくともこれまでに幾度となくその力を行使していた。

 非合法な組織と付き合うのは相応のリスクを負う事になる。しかし、それを覆すだけのメリットもまた存在していた。

 解放軍の力で強引に抑えた取引はこれまでに幾つもある。当然この事実が公表されれば、自分だけでなく組織そのものが瓦解する。

 自分だけが知っている筈の事実に、気が付けば娘もまた関与している事は最悪の展開を招くだけだった。

 

 

「部屋では自分とお前、組織の事は全て吐いていたぞ」

 

「…………分かった。で、幾らだ」

 

「金額はお前が決めろ。我々はその件に関しては関与はしない」

 

 娘の事実を公表しないのであれば相応の対価を求めると総裁は考えていた。

 これまでに聞いた噂から考えれば、最低でも数億の費用が必要になる。ましてや内容が内容なだけに、こちらにボールが渡されたのは意外ではあったが、ある意味では厳しい選択を迫られていた。

 自分が決めるのはあくまでの娘に関してではなく、グループに対する信頼を金額にした物。価値を自分が決めると言う事だった。

 安ければ破談となり、高ければ相応の痛みを負う。どちらに転んでも厳しい未来しか無かった。

 直ぐに動かせる金額はたかが知れている。迫る選択肢は総裁をゆっくりと追い詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある週末。経済界には一つの噂がまことしやかに流れていた。

 情報の出所がどこなのかは分からない。がしかし、用意周到に添付された証拠は余りにも現実的過ぎていた。

 これが事実であれば、週明けのマーケットが大混乱になる。当然そこにあるのは経済界の仁義なき戦いの予感。

 既に耳が早い人間は休日にも拘わらず週明けの対策に時間を割くより無かった。

 下手をすれば国内の経済が大きな転換を迎えるかもしれない。そうなれば待っているのはこれまで膨れ上がった資産の破裂。

 これがただの不祥事であればまだしも、内容が内容なだけに無視する事は出来なかった。

 何も知らされない人間は自分の資産が確実に吹っ飛ぶ。そうならない為にも、この噂が事実なのか、虚偽なのかの確認をせざるを得なかった。

 

 

────風祭財閥。解放軍に関与か

 

 

 月曜の情報媒体の全ての一面がこのニュースで示されていた。

 一企業ではなくグループとしてテロ支援をしている事実。破軍学園の襲撃のタイミングを考えれば最悪の情報だった。

 既に株式市場は関連会社の株価が軒並みストップ安に張り付いている。どの番組もまたその事実を最初に持って来ていた。

 当然ながら株式市場は大混乱となっていた。

 実際に財閥の関連企業そのものはそれ程大きな数がある訳では無い。しかし、その会社のどれもが国内における主要産業の一翼を担う規模。

 当然ながらその情報は余りにも破壊力が有り過ぎていた。

 

 

 

 

 

「思ったよりは稼げたな」

 

「全く……事前に言ってくれたから助かったけど、次はもう少し考えて貰いたいね」

 

 普段であれば何組かの客が居るはずの料亭には、今日はこの一組だけが客として来ていた。

 元々利用するのが政財界の人間が主立っている為に、今の混乱でそれ所では無かった。

 噂や嘘ではなく、れっきとした事実は数日間、コントロール不能の状態にまで追い込んでいた。

 主要産業を束ねる存在の企業が国を滅ぼそうとする組織と手を組む。これ程まで大規模なマッチポンプは国民にとっても問題を提起していた。

 当然ながら内容が内容なだけに民間だけで事態の収束が出来るはずも無く、また、政府が異例の記者会見をしたものの、完全に鎮静化する事は無かった。

 

 結果的には警察と検察による大規模な合同調査を行うな事によって事態はゆっくりと収束されていた。

 本来であれば完全に世間から切り離される可能性もあったが、実際には手助けする企業もあった。

 その筆頭が貴徳原財団。国益に叶う企業に関しては、全てとは言わなくとも一定の企業に対しての力添えを行っている。当然ながらそれが事態の鎮静化に一役買っていたのは考えるまでも無かった。

 

 

「我らが何も知らないとでも思ったか?」

 

「……こっちも少しだけ助かったけどね」

 

 経済面でのショックがまだ冷め止まない最中に、時宗もまた月影の議員辞職をコメントしていた。

 内容はともかく、発表の際には病気療養を理由としていた。

 如何に力がある議員と言えど、病気による辞職の場合、その殆どは再選する事は出来なかった。

 病気であれば先は短い。後援会も解散すれば、結果は見るまでも無かった。

 落選すれば只の人。政治家の末路はどの時代も同じだった。

 それだけではない。事務方の粛清もまた速やかに終了していた。

 

 本来であれば国会審議で確実に話題が出る内容。しかし、野党もまた今回の事案に踊らされている為に、そこまでの意識は完全に無くなっていた。

 仮に言われた所で、対処方法は既に決まっている。余りにも今回の事案は各方面にとっても大きな物となっていた。

 

 

「そんな事より、あの騒動には段蔵が絡んでるらしいんだけど」

 

「知っている。だが、あれは我々から抜けた()()の存在だ。敵対しないのであれば、態々追う必要も無い」

 

「本来ならば抜け忍の存在は処分じゃないのか?」

 

「何時の時代の話だ。そもそも今の我々も色々な物の集合体だ。機密が漏れないのであれば、始末する道理は無い。それに、あれは機密そものものに関心を持たん」

 

 小太郎は何かを思い出したかの様に言葉にすると、それ以上は語る事は無かった。

 事実、今回の騒動で出た利益は優に百五十億を超える。元から最後までの道筋を操っているからこそできた芸当だった。

 実際に貴徳原に対して話をしたのも小太郎が手引きしている。企業を救うだけでなく、自分にも旨味があるからこそ乗ってきた話。

 

 娘の金額が見合わなかった事に対する不足分の補填程度にしか考えていなかった。

 だからこそ段蔵が仮に絡んだとしても、自分達に影響が無ければ放置する。それが今の小太郎の方針だった。

 何事も無かったかの様にお猪口の中にある清酒を飲み干す。

 時宗もまた、ひっそりと情報公開が出来た為に政界でも大きな問題になる事は無かった。

 それが意味する事を理解するからこそ、互いにそれ以上はこの話をするつもりは無かった。喧噪から閉ざされた空間では、今回の事件の顛末がひっそりと完結していた。

 

 

 



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第52話 提示された条件

 普段であれば人が訪れる事が少ないはずの部屋には、既にそれなりの人数が居るからなのか、部屋の空調はいつもよりも強めに稼働していた。

 ここが自らの部屋だと主張するかの様に窓を背に大きな机が置かれ、その前には多少の人数が増えても対応できるかの様にソファーセットが鎮座している。ここに居るのは襲撃事件の当事者とも言える破軍学園の理事長、新宮寺黒乃と教員の代表として西京寧音。そして目の前に泰然自若に座るのは、この部屋の主でもある内閣官房長官の北条時宗だった。

 

 

「忙しい所、済まないね。今回の件に関しては、君達はその場には居なくとも当事者である事に間違い無いんでね」

 

「いえ。ですが、我々がここに呼ばれたとなれば大よその察しは着きますので」

 

「そう言ってもらえると助かるよ。実は今回の件に関してなんだけど、学園の選抜した選手はどうするのかな?」

 

「……現在は職員の中でも協議中です」

 

 時宗の言葉は予想していなかったからなのか、黒乃は僅かに返事に窮していた。

 今回の襲撃に関する内容は黒乃が知る中でも最悪の展開。それも事実上の奇襲攻撃による物だった為に、生徒が受けたダメージは余りにも大きすぎていた。

 学園を卒業し、警察や軍に入る前提の人間であれば実戦経験を積む良い機会だと取れたかもしれない。しかし、実際にそんな軽口を言える様な状態では無かった。

 学園内部には数多の銃弾が飛び、何人もの生徒が被弾している。

 幾らIPS再生槽があるとは言え、肉体的なダメージではなく、精神的なダメージを癒す事は出来ない。

 

 それだけではない。元々主力として考えていた生徒会のメンバーもまた貴徳原カナタを除く全ての人間が未だ病院に伏している。どう考えても時宗の言葉を取り繕う事は不可能でしかなかった。

 そこから予想される言葉は何となく予想出来る。このままではどう考えても破軍学園の出場は厳しい物になると思われる。だとすれば、それに抗弁するだけの材料が必要になる。

 事前に用意出来る物は何一つ無い。どうすれば覆す事が出来るのだろうか。少なくとも黒乃はそう考えていた。

 

 

「実は今回の件で、破軍学園の出場そのものを止めたらどうだろうかって話が出たんだよね」

 

「………それは」

 

「出場選手の選定に関しては、確かに各学園によって色々と決められているとは思うけど、流石に戦場同然になった学園でまともに出場出来る生徒が早々居るとは思えないんだよ」

 

 時宗の言葉に黒乃だけでなく、寧音もまた歯痒い思いを抱いていた。

 本来であれば襲撃された以上は当事者となる。しかし、今回の件に関しては当事者であっても、詳細は一向に知らされる事は無かった。

 幾ら黒乃が警察に確認をしても、魔導騎士連盟に問いただしても、返ってくる回答はどれも同じ『機密事項により情報開示は不可』だった。血を流し、未だ病院から出る事が出来ない生徒も居る。仮に犯人捕縛における情報開示は無理でも、概要位は知る権利があるはずだった。

 

 幾ら学園の責任者であっても、KOKの上位に居ると言っても、明らかに立場が違う。国家や組織を相手取った際には、個人の力など微々たる物でしか無かった。

 だからこそ、時宗の言葉に机の下にあった黒乃の拳に力が入る。このままでは皮膚が裂け、血が流れるかと思う程だと思われた瞬間だった。

 

 

「今回の件に関しては我々政府だけでなく魔導騎士連盟にも非がある。当然ながら七星剣武祭の支持母体でもある魔導騎士連盟から近日中に通達が来る事になってる。因みに内容はこうなる」

 

 まだ完全に決まった訳では無く、水面下での話合いがされている最中ではあったが、内容は概ね次の通りだった。

 一、今回の襲撃に対し、政府及び騎士連盟が初動を遅らせた事によって出た被害を数値化する事は出来ない。

 二、今回の襲撃に対し、数人の有志が協力した事により、学園の枠を取り払った出場を認める。なお、その生徒が他の学園より出場が決定されているのであれば、その補充はしない。

 三、特例により出場者の選定が必要となる為に、開催を一週間延期する。

 以上が今回の趣旨だった。

 

 

「ちょっと待った。それだとKOKの試合と重なる。それはどうするのさ」

 

「勿論、今回の件を優先させるからにはKOKもまた試合の延長はするだろうね」

 

「そんな事は………」

 

「心配は無用。既にこの件は決定したんだ。君達選手には申し訳ないとは思うんだけどね」

 

 寧音の言葉に時宗は悪びれる事も無く、当然の様に口にしていた。

 七星剣武祭もKOKと同様にそれなりの利権が絡んでくる。当然ながら運営する騎士連盟からしても、スケジュールの変更は容易ではない。

 既に販売されたチケットや会場のキャンセルなど、一般には分からない程の費用負担が発生する事になる。

 時宗の言う様に選手もまた日程の変更によって不利益が生じるのは当然の事。しかし、組織が一度決めた決定に多少の恨み言が出るかもしれないが、基本的にはそれに従うよりなかった。

 

 

「だけど…………」

 

「西京寧音君。そこから先は政治の話になるんだよ。君は何も知らない。それで良いじゃないか。…それとも深淵を覗いてみるかい?」

 

 これまで数多の相手から勝利した寧音は時宗の醸し出す迫力に呑まれていた。

 決して油断した訳ではない。純粋な物理で考えれば、時宗に害する事は容易いはず。しかし、この場に於いてはそんな事をする必要が無かった。

 気が付けば周囲を完全に囲まれている事だけが辛うじて確認出来る。

 元々ここに来た時点で巣に飛び込む真似をした認識があったが、その巣が虎か龍の顎だとは考えていなかった。

 時宗の出す迫力も相まったからなのか、部屋の空気が一気に重苦しい物へと変化する。結果としては破軍に配慮した形を取っている為に、それ以上は何も言えなかった。

 

 

「それと夏休み期間には学園の補修はする事になるから、通達は頼んだよ」

 

 言う事を全て伝えたからなのか、時宗は二人の反応を見る事はなく、改めて自分の仕事へと戻っていた。

 気が付けば周囲の気配もまた時宗が部屋から出た時点で霧散している。無意識の内に二人は冷たい汗を流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは幾らなんでも………」

 

 官邸で時宗が話をしている頃、魔導騎士連盟の支部長室もまた予定された人間を相手に話が進んでいた。

 破軍学園の襲撃事件は他校からすれば関係が無い話だと思われるが、実際には大きく内容が異なっていた。

 襲撃事件の犯人の一人は解放軍であると言う事実を洗い浚い吐いている。当然ながらその結末が経済の大混乱にまで発展していた。

 元々どの学園も建前としては国営の形を取っている。しかし、国に所属する全員がそのまま教育に走るとなれば、瞬間的な戦力は激しく減少する。その結果、最低限の技術だけに特化した訓練を積むしか無かった。

 だからこそ、魔導騎士連盟からの講師の派遣を受けざるを得ない。今の学園はある意味では二重構造となっていた。

 器を国が、中身を騎士連盟が。歪ではあったが、ある意味では適材適所としか言えなかった。

 

 

「勿論、我々も君達の立場と言うものは理解している。だが、今回の件に関してはそう簡単に物事が運べるものではない。

 事実、政府からの提案では、破軍学園の襲撃に立ち会ったのは有志からなる学生である事。それが結果的には事態の鎮静化を図ったと言う事になっている」

 

「黒鉄殿。貴殿の言うべき事は理解出来る。だが、我々には結果的には何の実利もない。それに関してはどう考えているのですか」

 

 学園の理事長の一人の言葉に、この場にいた他の代表者もまた同じ事を考えていたからなのか、全ての視線が黒鉄巌へと集まっていた。

 世間から見れば七星剣武祭は学生の実力を見るべき機会と考えているが、学園を経営する側からすれば、自分の出世の為の手段でしかなかった。

 

 当然ながら上位に食い込む学園は更なる立場の強化を。下位の学園は落ち目とは言え、それなりに実力を有する学園が落ちるのは有難いと考えていた。

 只でさえ、今年はA級のステラ・ヴァーミリオンが破軍学園に留学している。実力の程は分からなくとも、国内にも同じA級である黒鉄王馬が一つの参考になる。そうなれば破軍学園は完全に今年に関しては脅威となるのは当然だった。

 だからこそ、内心では襲撃に関してはどちらかと言えば利があるとさえ考えていた。ならば数を減らされればこちらも不利になり兼ねない。その為には相応の布石が必要だった。

 

 

「……言いたくはなかったが、そこまで言うのであれば本当の事を言おう。

 今回の襲撃に関しては解放軍がやったとなっている。だが、実際には兵士だけでなく、伐刀者もまた襲撃に関与している。

 その主たる襲撃者は()殿()()()()()()()()()()()()だ。因みに襲撃者の身元は既に政府も確認している。我々としては学園の講師はある意味では相応の派遣先になる。騎士連盟が持つ実利を手放す事を考えれば、今回の措置は寛大だと思うが?」

 

「ですが、それはハッキリと判明している訳では…………」

 

 黒鉄巌の言葉に代表者の言葉尻は徐々に小さくなっていた。

 理事長と言えど、相手取るのは完全なる組織。自分達が所属する騎士連盟からだけではなく、国そのものもまた、その存在を知っている。この時点で言い逃れをする事は不可能だった。

 

 

「テロリストを幇助した事による処分をする事も可能だ。対象者の素性が完全に知られている時点で、貴殿らは無関係であると喧伝するか?因みに、その素性は全て偽造された物。本来であれば真っ先に確認すべき事案であり、結果的には入学の容認をしたのは貴殿らだ。

 仮にテロリストだと理解した上で容認したとなれば、我々は君達の粛清に動く事になる。七星剣武祭の前に貴殿らが血祭に上がるのを望むかね?」

 

「そ。それは………」

 

「では今回の件はこれで決定事項とする。異論があるのであれば我々ではなく本部に直訴したまえ。本部が我が国に起こった出来事に対して関与するとは思えんがね。それとも、貴殿らには抗う事が出来るだけのチャンネルをお持ちか?」

 

 既に抗弁する事は誰一人出来なかった。幾ら自分達も犠牲者だと言い張った所で世間が納得するはずが無い。そもそも偽りの素性でそのまま学園に入学した時点で管理責任を問われる事になる。そうなれば理事長以下、殆どの人間は何らかの処分を受けるのは間違い無かった。

 幾ら実務で騎士連盟が幅を利かせた所で、テロリストを養成した事実は変わらない。

 その際に真っ先に責任を取らされるのは、間違い無くこの場に居る者達。それを明確に理解したからなのか、部屋の中は完全に沈黙していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幾ら猶予があったとしても、我々がやるべき事は何も変わらんと言う事か」

 

 破軍学園の理事長室には重苦しい空気が漂っていた。

 今回の襲撃に関する事だけでなく、元々起こるであろう可能性が結果的には暴発した事がそもそもの原因だった。

 

 幾ら政府が秘匿しようとしても、人の口には戸が立てられない。今回の件に関しては表面上は何となくで終わったが、内包された熱量はこれまでに無い程の状態になっていた。

 世界大戦が終わってから真っ先に行ったのは秩序をどうやって保つのか。その結果として戦勝国でもあった自国が世界に向けて管理する機構に入るのは他の国に対しても十分すぎるアピールとなった。

 

 結果的にはその流れに付随するかの様に他国もまた機構に組み込まれたものの、実際には時の政府の強引な手法が問題となっていた。

 その結果、国内では未だにその判断が間違っていると言った声が燻っている。今回の発表に関してもまた、そんな思惑があったのは明白だった。

 犯人が誰などと言う低俗な話ではない。

 

 相応の地位に居る人間が関与しない事には、今回の襲撃事件は実行されなかっただろう。少なくとも黒乃だけでなく寧音もまた似た様な事を考えていた。

 しかし、今はそんな国内の思惑を考えるだけの余裕は無い。幾ら期日を伸ばしたと言っても、該当する人間に対して、今回の襲撃事件は余りにもショッキング。当然ながら代表を辞退する事も黒乃の下には届いていた。

 

 

「でも………人選は慎重にしたいが、生憎と駒が少ないのはな」

 

「でも、時間の猶予はあったんだから、予選の順位から引っ張ったらどうさね」

 

「それが出来れば苦労はしない」

 

 既に何人もの生徒に打黒乃は打診をかけていた。元々実力主義を謳う以上、選手と成れる人間は限られている。しかし、何の覚悟も無いままに銃弾の洗礼を浴びた生徒は、一様に恐怖心を抱いていた。

 そうなれば、試合に出る以前にカウンセリングが必要になる。事実、熟達した伐刀者であっても、戦場での体験は精神の異常をきたす。ましてやただの生徒であれば、それはより顕著だった。

 目ぼしい該当者が居ない。厳密には一人心当たりはあるが、数字から考えれば限りなく縁遠い。出場させるとなれば大義名分が必要になると考えていた。

 

 

「くーちゃんが何を考えているのかは想像出来るけど、折角だから一度は当たってみたらどうさ。砕けたら砕けたで次を考える。それしか無いと思うけど」

 

「そうか。いや……面倒かけるな。まさかお前の口から言ってくれるとは。では時間の都合だけはしておく。交渉は任せた」

 

 寧音の何気ない言葉に黒乃は黒い笑みを浮かべていた。

 互いの認識の中で該当する人物は風間龍玄ただ一人。しかし、交渉と言う様に、物事は簡単に動く事は無い。

 何せ勝敗だけで見れば、該当する人間はまだまだ存在するはず。勿論、そんな事はこの場に居る二人よりも龍玄が一番理解している。正論で返されれば、どうやって切り崩すのか。そんな事を考えていたからこそ、黒乃は敢えて言葉にはしなかっただけだった。

 

 

「ちょっ…………私がやるなんて聞いてない」

 

「当然だ。何も言ってないんだからな。だが、お前からそんな話が出たならば早い。厳しい結果になるかもしれんが、骨は拾ってやるぞ」

 

 懸念事項が完全に外れたからなのか、黒乃の手に持つ煙草は何時にもまして旨かった。

 勝敗でなく、純粋な技量であれば、負ける可能性は微塵も無い。子供の試合に大人が出る以上にある理不尽を考えれば、その考えは有りだった。

 しかし、それと同時に一人の生徒を交わした約束が反故になる可能性がある。少なくとも現時点で対峙した際に勝てる道理は全く見つからない。

 黒乃とて理不尽な場面はこれまでに何度も経験をしてきている。少なくとも自分の場合はこれまでに培った経験と実力を基に相手を下していた。

 そう考えると今回のこれに関してはどう考えても理不尽の言葉だけで終われるはずが無い。寧音に任せはしたが、どんな結果になったとしても自分が多少なりとも骨を折る必要があるだろう。

 煙草を咥えながらもそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良いだろう。だが、俺よりも上の連中はどうしたんだ?まさかとは思うが尻尾を巻いて逃げたのか?」

 

「………その通りさね。まだ何も知らない学生がいきなり戦場に放り込まれたんだ。尻込み位は当然。でも、本当に良いのかい?」

 

「ああ。特段予定が入っている訳でもないんでな。だが、依頼が入ればその限りでは無い。どちらを優先するのかは考えるまでも無いんでな」

 

「因みに、まともに出場して欲しいと言ったら?」

 

「依頼としてならば受ける。相応の費用は請求させてもらう事になるがな」

 

 寧音は内心では驚きながらも龍玄が出した内容に少しだけ戸惑っていた。

 実際に龍玄の実力であれば、確実に優勝をもぎ取るのは容易いのかもしれない。

 事実KOKの上位陣でさえも手玉に取れる程の実力を有する人間が、態々格下の大会に出場する。少なくとも大人と子供の試合の様な状態になるのは当然だった。

 本来であれば、優勝を約束するのは学園にとっては有難い話だった。

 

 本当の意味での世界順位(ワールドランク)は誰もが知っている訳では無い。世界最強と呼ばれた存在は居るが、それすらも本当なのかは誰も分からない。

 しかし、あのエーデルワイスであっても相応に警戒するのが風魔衆。寧音自身も、実際にはどこまでが本当の実力なのかを知っている訳では無い。

 整えられた舞台での戦いであればそれなりに戦う事は出来るが、これが盤外戦にまで及べば敗北は必至だった。

 それは小太郎だけに限った話ではなく、目の前に居る龍玄もまた同じ。

 青龍として名乗る以上は、余程の事が無い限り敗北を匂わす事すら不可能であるのは寧音自身が経験しているからだった。

 単純な戦いではなく、あらゆる策動を絡めた盤外は自分の命が対価となる。通常の戦闘であっても隙が無い人間がそこまでするからこそ風魔は最狂、最凶の名を欲しいままにした存在だった。

 だからこそ()()の言葉に逡巡する。それを見越したかの様に龍玄は何時もと変わらない態度で接していた。

 

 

「学生の本分なんだから、それ位は」

 

「ならば俺よりも成績が上位の人間を出せば良かろう。何故、俺に拘る?」

 

「肉体の強化は簡単でも、精神を鍛えるのは難しいんよ」

 

「それを教えるのが、お前達教師の役目じゃないのか?」

 

「そうは言われてもさ………」

 

 龍玄の正論に寧音もまた答に窮していた。

 魔導騎士養成学校でどんなカリキュラムを組んでいるのかは教員であれば誰もが知りうる内容。実際に精神論に近いそれは、どちらかと言えば学内で指導するよりも対外的に教える物。

 戦場に関しても大よその事を伝えはするが、それでも実戦を経験する人間は数える程だった。

 歴戦の猛者に言うべき内容ではない。誰よりも理解しているからこそ、言葉には出来なかった。

 

 

「学生として出るのと、職業として出るのは違う。俺達は一つ一つの戦いが全てであって、それ以外には何の価値も見出さない。

 実戦で負ければ明日が無いのと同じ。だとすれば、俺が依頼として何らかの対価を求めるのは当然だと思うが?」

 

「それに関しては私の一存では決められない。その辺は要相談って事で」

 

「だろうな。少なくとも学生としての俺にはそれ程の価値はない。実際に、七星剣武祭の頂点を取る為に、今の理事長が据えられたんだろ。非常事態なのは理解するが、中には邪推する人間もいるかもしれない。態々火の粉大きくする様な事をするのは面倒なだけだ」

 

 自分が任されたのは、あくまでも出場に関する事だけ。条件までは何も聞かされていない。だからなのか、寧音もまたそれ以上の言葉を出す必要は何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水面下で動いたからなのか、破軍学園そのものは何時もと同じだった。

 違うのは周囲が当時の惨劇を残している点だけ。当時、その場に居なかった人間もまたこの状態を見たからなのか、誰もが他人事ではなく、事実であった事を認識していた。

 それと同時に、生徒会の人間もまた一人を除いて全員がダウンしている。既に意識を回復した人間も居たが、刀華と泡沫に関しては未だに意識が戻っていなかった。

 そうなれば、その負担は残された人間に行くだけ。

 生徒会役員の中で唯一、まともに動けるのは貴徳原カナタだけだった。

 当然ながら仕事が全て一点に集中する。生徒会役員室には何時もの優雅さは何処にも無かった。

 

 

「………これで一息着けそう」

 

 カナタの言葉を聞く者は誰も居なかった。

 既に、用意された書類の殆どをこなした事によって、漸くここに来て休憩を入れる事が可能となっていた。

 未だ戦闘の傷から立ち直れない人間が居る以上、生徒会としても何らかのフォローをすべきだとカナタは判断していた。

 その為に学園にもある程度の申請を出す事によって、自分達でも出来る事を少しづつ行う。今のままの状態を引き摺ったままでは回復の余地は無い。だとすれば、強引でも良いから何かをした方が良いだろうと考えていた。

 その結果が校舎や敷地内の現状回復。業者が入る事は聞いているが、それでも何かしら学園に対してする事によって、立ち直るキッカケがあればと考えた末の行動だった。

 勿論、全員の強制参加では無い。それを周知徹底させる為にも、カナタは孤軍奮闘していた。

 

 

「何だ。こんな所にいたのか?」

 

「私に何か用かしら?」

 

 誰も居ないはずの部屋に響いたノックは返事をするまでもなく、一人の青年の侵入を許していた。

 同じ部屋の住人でもある風間龍玄。態々ここに来てまで話す事があったのかとカナタは考えていた。

 何も見えないからこそ理由もわからない。がしかし、用事も無くここに来るとも思えなかったからこそ、疑問だけがそこにあった。

 

 

「一つだけ確認したいんだが、黒鉄一輝と理事長はどんな内容の約束をしているんだ?お前なら知ってるだろ」

 

「約束ですか」

 

「そうだ。先程西京寧音から七星剣武祭の件で打診があった。俺個人としては出る事に特別問題は無いが、どうにも気になる事がある。知らないなら知らないで構わないが、知ってる事があれば教えてくれ」

 

 龍玄の言葉に、カナタもまた記憶の糸を手繰り寄せていた。

 元々学園にとって一輝の存在はある意味では特別だった。

 これまでにあり得ない事を突如として学園が行った事実は、当時の生徒の殆どが疑問を持ちながらも、それ以上突っ込む事は無かった。

 実際に用意された条件はランクによる制限のみ。

 Fランクは事実上一輝しか居なかった為に、大半の人間はそれ程気にしていなかった。

 

 特にカナタ達三年であれば、その内容はより顕著になっている。当時、刀華が調べた内容は何となく耳にした記憶があったが、カナタが完全に知っていた訳では無かった。

 精々が学園と個人的に何かをした事だけ。予選会で桐谷静矢が行った様に本戦で優勝出来ない限り卒業は出来ない位の話だった。

 

 

「すみません。私も詳細までは聞いていません。ですが、予選会で言っていた言葉に間違い無いのは事実です」

 

「予選会か。例の話の事だな」

 

 龍玄の言葉にカナタは頷く事しか出来なかった。当時の流れがどうなっているのかは当事者にしか分からない。しかし、予選会だけでなく本戦での優勝まで含むとなれば話は大きく変わって来る。

 自分が打診されたのは本選の出場。仮に一輝と対峙したとしても、負けるつもりは全く無かった。

 慢心している訳では無い、今の一輝の戦闘能力を考えると未だに技術面での粗が多分にあるからだった。

 先の襲撃で相応に活躍したと仮定しても、自分の足元にも及ばない。これまで裏の世界で生きてきた龍玄からすれば至極真っ当な評価でしかなかった。

 だからこそ、その内容と自分が出場する事によってもたらされた結果で一人の人生が変わる。

 お互いが合意した内容にまで手を及ぼそうとは考えていない。がしかし、何も知らないよりは、多少なりとも知った方が何らかの打開策があるのではと考えた末の行動だった。

 

 

「ええ。ですが、あの時と今は状況が大きく違います。仮にですが、風間君は黒鉄君と対峙した際には手心を加えるつもりですか?」

 

「そんな事はしない。敵対する以上は相応に叩きのめすだけだ」

 

「でしょうね。だとすれば、私よりも直接理事長に聞かれた方が早いかもしれませんね。それと、今回の出場に関してですが、私も本戦の出場は取りやめましたので」

 

「理由を聞いても?」

 

 カナタの突然の言葉に龍玄は少しだけ考えていた。

 今回の件で相応にダメージを追っているのは、現有戦力の中で最大でもある東堂刀華。対外的な傷は既に癒されているが、問題なのは心情面だった。

 

 学園が把握しているのは、刀華はその場で血だらけで倒れている場面しか見ていない。当然ながら襲撃者が誰なのかよりも治療を優先した結果だった。

 実際に襲撃にあった生徒の中でも伐刀者と対峙した人間は幻想形態である事が判明している。本当の意味で怪我をしているのは兵士による銃弾を浴びた人間だけのはずだった。

 しかし、刀華に関しては兵士が居た場所とは正反対の場所で倒れている。

 だからこそ、理解する前に行動していた。

 治療は完了しているが、意識が未だ回復していない。只でさえ生徒会の仕事と同時に自分の会社を回しているが、今はそのどちらも輪をかけて忙しくなっていた。

 そうなれば自分を鍛えるだけの時間が残されていない。同じ部屋には居るものの、最近に関してだけ言えばお互いの顔を見る事も無くなっていた。

 実際にカナタともまともに話したのは久しぶりの状態。だからなのか、カナタもまた休憩代わりに棚にあった紅茶を取り出し、少しだけゆったりとした時間を過ごしていた。

 

 

「その件だが、犯人の可能性はこちらで掴んでいる。だが、手は出すな」

 

「まだ犯人の特定は出来ていないはずじゃ…………」

 

「政府や警察の見解と、我々の調査が同じなはずがあるまい」

 

 手は出すなの言葉にカナタは何となく犯人が風魔に関連するのではと唐突に考えていた。

 実際には違うのかもしれない。しかし、これまでに少なくない程に接触したカナタだからこそ、龍玄の言葉の真意が何となく分かった様に感じていた。

 手は出すなではなく、出せば命の保証はしない。何となくだが言外にそうなんだと考えていた。

 

 

「それは私にも言えない事ですか?」

 

「そうだ。()()()に言う必要は無い」

 

()()()……ですか」

 

 あの時と同じ疎外感。確かに自分と龍玄の関係は身内ではなく、債務者と債権者に近い関係でしかない。それと同時に、まだ自分とは距離感があるのだと認識していた。

 事実、今は生徒会室に来た時と雰囲気が異なっている。

 それがある意味では答に近い物だった。

 距離を縮める為にはどうすれば良いかではなく、恐らくは信用度の問題なのかもしれない。気が付けば自分が用意した紅茶の熱は完全に失われていた。

 

 

 



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第53話 動き出す歯車

 静けさが漂っていたはずの道場は、直ぐに何時もの空間を醸し出していた。

 剣氣だけなく、時折殺気も混じる。これが街中であれば尋常ではないと誰もが感じるが、ここではそれが当たり前だった。

 時折聞こえるのは打撃音。道場の中で行われている行為を考えれば、それは当然の事だった。

 何時もと同じ空気を周囲に撒き散らしている。

 そこにあるのは生存競争の様な戦い。己の持てる全勢力を傾ける必要があった。

 だからこそ、乾坤一擲とも取れる一撃。今求められるのは、相手を倒す為の絶対的な斬撃。本来であれば次の行動を考える必要があるにも関わらず、その未来を完全に捨て去っていた。

 それでなければ、床に横たわるのは相手では無く自分。示現流の蜻蛉の構えを彷彿とさせるそれは、正に自身の放つ渾身の物だった。

 

 

「りぁああああああああ!!」

 

上段から繰り出す斬撃をまともに受ければ、本来であれば攻撃した側がよろめく程の一撃。しかし、裂帛の気合いと共に出たそれは、明らかに異様だった。攻撃する側ではなく受ける側の方が負傷する可能性が高い。そこにあるのは紛れも無い必殺の空気だった。

 

 

「緩い」

 

 一言だけ出た言葉と動じに、脳天めがけて放たれた斬撃は予定していた方向を容易く変更していた。

 正面からそのまま真下へと向かうはずの斬撃はそのまま角度を付けて床へと向く。

 決して強引に動かした訳では無い。ただ来るであろう攻撃を往なされた結果だった。

 その瞬間待っていたのは重く鋭い一撃。まるで巨大な槍をまともに喰らったかの様に攻撃した男の腹筋には鍛えられた足が突き刺さっていた。

 

 当事者ではなく第三者からみれば前蹴りであることは分かるが、問題なのはその速度。

 往なされた事によって出来た死に体では踏ん張る事は出来ない。

 幾ら鍛え上げられた腹筋と言えど、相応のダメージを受けるよりなかった。

 床に一度だけ跳ねると、勢いは死ぬ事無くそのまま壁に激突する。そこで漸く一連の流れが止まっていた。

 

 

 

 

 

「幾らフェイントを入れても態勢が崩れなかったら無意味だ。それに上段からの攻撃は威力は高いが隙も多い。余程の事が無い限りは早々に出番は無いぞ」

 

「上手くやったつもりなんだけど」

 

「あの程度の動きはフェイントとは呼ばん。ただの無意味な動きに過ぎん」

 

 壁に激突したにも拘わらず、男は気を抜く事無く淡々と話をしていた。

 残心。

 戦いの物事に絶対は無い。実際に吹き飛ばされたのか、自ら後ろに飛んだのかは攻撃をした人間が一番良く理解している。先程の前蹴りの感触は前者だった。

 だからと言ってそれで終わると考えた事は一度も無い。故に構えこそしなくとも、その意識は完全に戦闘状態を維持したままだった。

 

 

「中々難しいんだよ」

 

「当たり前だ。どこの世界に態々フェイントだと知らせて動く馬鹿が居る。お前の蜃気狼だったか。あれ位の物を当たり前の様に出して一人前だ」

 

「一応は秘剣なんだけど」

 

「そんな物は知らん。そもそも普通の動きに組み込まない時点で無意味だ。学生の様なアマチュアなら未だしも、もっと上の人間からすれば児戯と同じだ」

 

 七星剣武祭の日程の変更はすぐさま各学園だけでなく、世間にも周知されていた。

 元々今回の襲撃事件に関しては、一時はマスコミがかなり騒いだものの、今は既に何もなかったかの様に穏やかな物になっていた。

 

 実際にテロ行為があったが、結果的には直ぐさま鎮圧されている。

 当事者の中では色々な意味で長引くが、世間一般からすればそれ程大きな事件には発展してなかった。

 下手に扇動する様であればすぐさま鎮静化される。それはマスコミに対してだけでなく、ネット社会でも同じ事。

 情報を完全に遮断する事は不可能だが、結果的にはそれを逆手に取った方法によって、世間は程なくしてその内容を忘れそうになる手前まで来ていた。

 

 幾ら物騒な事が起こっても、直ぐに鎮圧される。そうなれば安全が担保されているのと同じ事。だからこそ、今は特段大きな問題を抱える事は無かった。

 そんな中、元々予定していたスケジュールが伸びた事によって破軍学園の内部もまた様々な変更にゆとりを持つ事が可能となっていた。

 一部の選手は既に辞退しているが、それ以外の人間に関しては完全に気持ちを切り替えている。自分の時間が取れるのであればとの思いで各々が鍛錬に勤しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍。僕との鍛錬に付き合って欲しんだ」

 

「俺がか?朝のそれだけでも十分だと思うが」

 

「……それだけじゃ足りない。僕にはそれ程時間も無い。だとしら短期間で経験を積みたいんだ」

 

 龍玄の下に訪れたのは一輝だった。

 今回の襲撃に関しては学園にこそ居ないが、外部で交戦している。

 実際には龍玄もまた依頼で学内には居たが、それは青龍としての活動であり、風間龍玄としてではない。突然の出来事に、何となく気持ちは分かるが龍玄にとっては受けるメリットはどこにも無かった。

 

 

「だったらステラとでもやれば良いだろ。どうして俺なんだ?」

 

「ステラは剣技じゃなくて、もっと…異能の強化をするみたいなんだ。だったらボクは戦力外だから」

 

 一輝の言葉に龍玄もまた納得していた。

 そもそも伐刀者としてのランクの全ては魔力を主体とした能力であって、戦闘そのものにおける数値は一切考慮されない。

 だからこそ、一輝もまたFランクと言われても実戦における結果を残す事が出来る。

 だとすればステラの鍛錬と一輝の鍛錬の方針は真逆でしかない。

 学内で一輝の相手になれる人間が現時点で居ないのであれば、龍玄の所に来るのは自然な流れだった。

 

 

「成程な。だが、その程度の事で此方の時間を消費するとなれば割に合わないと思うが?」

 

「………それは済まないと思っている」

 

 龍玄の言葉に一輝もまた申し訳ないと考えていた。

 ここが学園であれば話はまだしも、生憎と道場の一角。それも、他の人間も居る中での話である為に今の一輝にとっては完全にアウェイと同じだった。

 

 以前に来た際にはそれ程気にならなかったが、今なら分かる。周囲を取り囲む雰囲気が全く別世界だった。

 平和とは真逆の、命に直結する様なヒリヒリした感覚が肌を撫でる。ここは競技やスポーツと縁もゆかりも無い世界。

 これまでのそれなりに鍛錬を続けてきたはずの一輝にとっても、長時間のこの空気は確実に精神が摩耗すると思える程だった。

 今までであれば、恐らくは学園に戻ってから再度話をしたのかもしれない。しかし、今回の襲撃は一輝にとっても色々と思う部分が多々あった。

 その中で一番の収穫は『比翼』の二つ名を持つエーデルワイスとの戦い。実際には戦いと言うには烏滸がましいとさえ思える内容だった。

 

 明らかに加減された攻撃。相応に実力がある人間からすれば憤るのは当然だと思える程。しかし、突き抜けた実力を持つ側からすれば、本気で戦う必要性すら無い物。

 事実、一輝は知らないがエーデルワイスが受けた内容は襲撃ではなく、万が一の際に防ぐ事。

 結果的にイレギュラーとして加藤段蔵が来たのは仕方ないが、それ以外に関しては特に気にする様な内容でもなかった。

 視界にとらえる事すら困難な歩法は一輝の眼をもってしても厳しい結果となっている。

 実際のあの場でエーデルワイスと対峙した事実を知っているのは当事者でもある一輝だけだった。

 

 確かに歩法に関しては見る事が出来た。しかし、見たからと言って使えるかどうかは別の話。

 それと同時に開催の期間が延長した事によって改めて自分の力の嵩上げをするだけの時間もまた生まれていた。

 ステラが居ない今、一輝は龍玄しか自分の相手を出来る人間を知らない。ましてや、自分も対峙した際には碌に相手も出来ないままに終わっている。だからこそ、一輝は龍玄に頭を下げて頼るよりなかった。

 

 

「一輝。時間は誰もが平等に過ぎる。お前と俺では時間の活用方法は異なる。だとすれば、差し出す対価が必要になるんじゃいのか」

 

「対価って…………」

 

 龍玄の言葉に一輝は少しだけ冷静になっていた。

 本来であれば友人なんだからと言えば良かったのかもしれない。事実、入学からこれまでにそれなりに人間関係を築き上げた自負はある。しかし、この場に於いてはその言葉は最悪の未来を迎える物。

 周囲の空気が醸し出す様に、自分を見る眼はかなり冷たくなっている。

 全員が伐刀者かどうかは分からないが、少なくとも一般の能力しか持っていないと仮定しても、ここに居る人間の持つ圧力は尋常ではなかった。

 以前に行った宝蔵院の合宿と同じかそれ以上の空気を感じている。

 誰がどう見ても邪魔をしているのは自分である。そう自覚しているからこそ、今の一輝にとって対価が何なのかが分からなかった。

 

 

 

 

 

「まあ、良いだろう。お前の意気込みを買おうじゃないか」

 

「親父!」

 

「え?」

 

 冷え固まった空気は一人の男の声で破壊されていた。龍玄の言葉どおり、許可を出したのは風魔小太郎その人。道場の中も、まさか来るとは思わなかったからなのか誰もが驚いていた。

 

 

「確かに、こいつの言葉が分からないでもない。それに一つだけ聞きたい。何をもってそこまで上を求める?」

 

 普段とは違う口調なのは、明らかに今は任務が絡んでいない証拠。ましてや、ここが事実上の前線基地である事は誰よりも理解している。

 本来であれば適当な事を言って追い払うのが当然だとさえ考えていた。

 だからこそ、真逆の回答をした小太郎の意図が分からない。龍玄がこの道場の主ではあるが、組織の面から見れば小太郎の考えを重視せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからと言って、あれが物になるかは分からんだろうが」

 

「今の時点ではそうだろうな。だが、あのままにしておくのも勿体無いかと思ってな」

 

 小太郎が許可した事によって、一輝は少しばかり実戦形式での模擬戦を繰り返していた。

 時間の無い場面で無理矢理型を押し付けてても、それが有効かどうかは分からない。となれば、短期間で鍛え上げる手段はシンプルになっていた。

 元々教えるなどと甘い考えを持った訳では無い。今から何をどうした所で時間が足りないのは当然だった。

 だからこそ龍玄が取った手段は、ひたすら実戦を繰り返すだけの行為。無手で戦う事もあれば、時には槍や刀、剣などと多種多様に扱っていた。

 既に学園にも届け出が出ているからなのか、一輝はそのまま道場の敷地内にある居住スペースへと移動している。

 時間的にはまだ寝るには早いが、心身共に疲れ切っているからなのか、最低限の事だけをして今は眠りについていた。そうなれば道場には小太郎と龍玄しか居なくなる。だからこそ龍玄は小太郎が許可した意味合いを聞いていた。

 

 

「勿体ない?それは、あれの足さばきの事を言ってるのか?」

 

「何だ、気が付いていたのか」

 

「当然だ。あれだけ鍛錬をした人間が今日に限ってやたらとチグハグな動きを見せている。可能性があるなら自分よりも格上の何かを学んだんだろう。あれから察するに比翼じゃないのか?」

 

 龍玄の言葉に小太郎は僅かに笑みを浮かべていた。

 実際に一輝がエーデルワイスとどこで戦ったのかは分からない。しかし、その動きの所々は見た記憶があった。

 比翼の名にふさわしい動きは、自分達が使う歩法によく似ている。

 決定的に違うのはその使いどころと性能。

 距離を瞬時に潰すと同時に剣戟を叩き込むやり方は剣士であれば当然の行為。

 一撃必殺とまでは行かなくとも深手を負わせる事が出来れば、結果は後からついて来る。だからこそ最短を疾る為の技術。

 一輝の得意とする模倣剣技(ブレイドスティール)はある意味では眼にする事すら困難であるそれを見た事になる。今はまだ蕾の状態ではあるが、近い将来花開く可能性が見て取れていた。

 

 

「そうだろうな。で、今回の件に関してだが、理由は大きく分けて二つある。一つは会場内での監視。それともう一つは始末だ」

 

「始末?依頼があったのか?」

 

「違う。我々が純粋に脅威だと感じた場合に限るだ」

 

 小太郎の言葉に龍玄は僅かに訝しく思っていた。何時もであれば明確に始末すると明言するが、今回に限ってだけはどこか濁した感じがあった。

 事前に入念な調査をし、その上で結論を出す。これが今まで自分達が淡々と行ってきた行為。当然ながら濁すだけの何かがあるとしか言えなかった。

 

 

「因みに、誰をだ」

 

 龍玄の言葉に、小太郎は懐から一枚の折られた紙を渡していた。

 内容は今回の襲撃に関する情報と同時に、その襲撃者の内容が詳細に書かれている。一人一人の能力を完全に調べ上げたからなのか、そのどれもが詳細まで書かれていた。

 詳細を見た事により、理由を直ぐに理解する。放り出された内容を考えれば、それ以上は言うまでも無かった。

 

 

「方法はどうするんだ?」

 

「特段無い。だが、それに関しては我々の利益にも絡む。一人で終わらせる様な可能性は低いかもしれんな」

 

「だからあれを囮として使うのか」

 

「そうだ。折角の目立つ駒を使わないなど、考える必要が無かろう」

 

 先程の龍玄が目を通した紙はそのまま小太郎の手によって始末されていた。

 この内容が正しければ始末するのは当然。

 龍玄自身が七星剣武祭に出る事は伝えていないが、恐らくは何らかの手段を持って知ったからこその計画。そう考えたからこそ、龍玄よりも一輝を鍛える事によって、少しでも龍玄の認識を薄くする必要があった。

 今年に関しては、A級のステラもまた参戦する。お互いがそれなりに戦う事が出来れば、意識がそこに向かう。その空白を活かすのは決定事項だった。

 

 

「さしあたっては、明日からはもう少し高い目標を持った方が良さそうだな」

 

「下手に低い場所で固まられても困る。それにあの歩法を初見で破る事は厳しいだろう。ましてや学生であれば尚更にだ」

 

「かもしれん」

 

 最初の頃に比べれば、一輝の動きは少しづつではあるが動きは良くなりだしていた。

 どんな技術も学んだ瞬間から十全に扱う事は出来ない。ましてや体術や歩法は機械の様に単純ではない。

 自分のリズムと感覚だけが頼りになる為に、その習得に関してはそれなりに時間が必要だった。

 死の直前まで追い込めば本来は良いのかもしれない。しかし、一輝は部外者であり、風魔衆とは関係すら無い。

 だとすれば、それなりにやる事によって後は自分の才覚で何とかするよりなかった。

 本人の与り知らない所で自分の末路が決まっている。その事実を一輝が知った場合に何と言うのだろうか。

 明日からの鍛錬が更に苛烈になる事だけは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々済まないな黒鉄。今回の呼び出したのは例の件に関する事でだ」

 

 まだステラに会った初日以来、一輝はここに来た事はこれまでに一度も無かった。

 実際に理事長室に只の生徒が来る用事は早々無い。

 仮に来るのであれば、余程の問題を起こしたか、相応の実績を残す位だった。

 以前に来たのはまだ記憶に新しい。だからこそ一輝は若干の懐かしさを思い出しながらもその視線は理事長の新宮寺黒乃へと向いていた。

 単刀直入に言う黒乃が言う例の件が何なのかは一輝とて理解している。本来であれば余程の事が無い限り口にするはずのない言葉。だからなのか、一輝もまた緊張した面持ちで黒乃の言葉を待っていた。

 

 

「僕の卒業に関する件ですね。それが何か?」

 

「だらだらと話しても仕方ない。結論だけ言おう。今回の件に関しては、本年だけその限りではない。それと勘違いしない様に言っておくが、優勝はあくまでも卒業であって進級とは違う」

 

「理由を聞いても?」

 

「簡単だ。今年に関しては特例がある。お前の気持ちも実力も理解した上で言おう。トーナメントの山がどうなろうと目指す頂きは一つだけ。当然ながらお前では勝てないと踏んだからだ」

 

 黒乃の言葉に一輝はその時点で何となく察していた。今回の襲撃に関しては明らかに人為的な思惑があるのは誰の目にも明らか。当然ながら出場に関する通達を見た瞬間、そうだろうと予測していた。

 口では厳しい言い方をしているが、黒乃の表情は何時もと変わらない。恐らくは自分から聞かない限り、言わないのだろうと予測していた。

 

 

「出場者に変更が出たんですね」

 

「そうだ。今回の襲撃は誰もが知る様に、かなり厳しい結果になった。それと同時に、既に内定していた人間の殆どは辞退を申し出ている。それ以外にはまだ病院から抜け出せない。

 我々としても苦肉の策ではあったんだがな。変更に関しても先日の職員会議でそう決定した」

 

 黒乃が言う様に、職員会議では出場選手に関しての意見申し出とも取れる内容で生徒を吟味していた。

 実際に破軍学園が受けた傷は並大抵の物ではない。

 事実、職員もまた完全に治療を終えた訳では無かった。

 幾ら万能と呼ばれるIPS再生槽と言えど、数に限りはある。そうなれば傷の度合いで優先順位が決まるのは当然だった。

 基本的には生徒を優先し、職員は後回しか他の病院へと運び込む。相応の犠牲が出たからこその結末だった。

 勿論、外傷が癒えても精神までが癒えるとは限らない。

 夥しい銃撃を受けた生徒の大半は、軽いPTSDを起こしていた。そうなれば実戦でもある本戦を戦い続ける事は難しい。

 実戦を経験し、それでも尚前に進める人間が少ないからこそ、一刻も早い選出が求められていた。

 

 そんな中で真っ先に名前が挙がったのは風間龍玄。勝敗数こそ平凡ではあるが、その相手と勝ち方、所要時間を考えればダントツだった。

 生徒個人への思惑がある事は職員も何となく理解している。

 幾ら前任者のやった悪しき慣行だと知っても、一度は生徒と学園が決めた以上は行使するしかない。しかし、職員に求められているのは一生徒の人生ではなく、学園としての有り方だった。

 今年が駄目でも来年がある。誰もがそんな温い考えを持っていない。

 狙える時に確実に狙う。当然の様な回答に職員からの不満や疑問は何一つ出てこなかった。

 事実、今の職員は理事長就任時に各自が目を付けられた結果の人事。そこにあるのは純粋な結果を求める集団だった。

 一輝の担任でもある折木有里でさえも何も言わない。内心では何かしら思う部分があるかもしれないが、それはあくまでも襲撃前の話。

 生徒には言えないが、求められた結果は自分達にも反映される以上、ある意味では当然の事だった。

 

 

「って事は、龍……じゃなくて、風間龍玄が出場すると言う事ですね」

 

「そうだ。それと同時に純粋な戦力として考えた場合、黒鉄。お前が勝てると言う確証は我々は持つ事が出来なかった。だからこそ、今年に限っては、仮にどこかで戦った場合には、その条件は行使したと同じ権利を有する事にした」

 

 本来であれば黒乃の言葉に憤るのが当然だった。

 教育者であれば有りえない言葉。言外にお前は弱いと言われたのと同じだった。

 勿論、一輝としても考える所はる。しかし、これまでに肌で感じた感覚は明らかに自分との戦いに関しても、どこか抑えた様に戦っていると感じていた。

 本当の意味で全力で戦えばどうなるのか分からない。戦いには常に勝敗は付き物であるると同時に絶対は無い。

 戦う要素がどんな影響をもたらすのかは、その一瞬でしか分からない事実がある。そんな言葉など陳腐だと思える程に隔絶しているのも事実。

 それを誰よりも一番自分自身が理解しているからこそ、反論が出なかった。

 

 

「そうですか」

 

「随分と素直だな。本来なら憤っても良さそうだと思うが?」

 

「以前に非公開で戦いました。結果は惨敗です。それに相手は本気でもありませんでしたので」

 

「ほう…………」

 

 一輝の言葉に黒乃は少しだけ一輝の事を見直していた。

 何も考えない人間であれば、根拠のない反論をしたのかもしれない。しかし、今回の措置に関しては一輝にとってメリットしかない。そうなれば態度や言葉に何かしらの反応が出るはずだった。

 目を見据えたその先にある一輝には利己的な感情は一切浮かんでいない。己を良く理解したからこその態度なのだと考えていた。

 

 

「確かに僕はハンディキャップ有りで理事長とも戦いましたが、恐らく風間龍玄はそんなハンディキャップなど無くても問題無い程の実力を持っていると思います」

 

「その根拠は何だ?」

 

「明確な根拠と呼ばれる物ではありませんが、何となくです」

 

「何となく……ね」

 

 一輝の言葉に黒乃は少しだけ興味を持っていた。

 風間龍玄がどんな生徒なのかは寧音を通じて大よそながらに理解している。

 実際に本人に確認した訳では無いが、寧音が自分のプライドを全く考ずに話した内容からすれば、黒乃としては疑う必要は無かった。

 仮にそれが事実であれば、風間龍玄は紛れも無く裏の人間であると同時に、KOKはおろか、闘神リーグでも確実に上位に君臨するだけの実力を持っている事になる。

 そうなれな、七星剣武七星剣武祭は大人と子供の戦いでしか無くなる。それがもたらす未来もまた同じだった。

 だからこそ反論する事無くその事実を受け入れた一輝は予想以上にドライなのだと黒乃は考えていた。

 

 

「分かった。今回の件に関しても、我々の決定した事にお前の事情は考慮されていない。勿論、勝てるのであればそれに越した事はない。お前にも矜持はあるだろうが………済まないな」

 

「いえ。条件がどうであれ、自分に求められるのは勝利だけです。それに、完全に負ける戦いと言うのはありませんから」

 

「そう言ってくれるのであれば、私の方も助かる。だが、無理はするな」

 

「では失礼しました」

 

 一輝が扉を閉めると同時に、黒乃はそのまま煙草に火を点け、思いっきりそれを吸い込んでいた。

 火が付いた煙草は一気に灰へと変化する。ああは言ったものの、一輝の矜持に傷がついたのは間違い無かった。

 力無き教育者にどれ程の価値があるのだろうか。冷静に考えれば、学園の事情と一人の生徒の事情。比べる必要が有るはずが無い。

 幾らそう言い聞かせても、本音では自分自身もまた納得する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではお帰りになる際には声をかけて下さい」

 

「お手数おかけします」

 

 カナタは珍しく病院へと足を運んでいた。

 本人に問題があるでのはなく、また刀華のお見舞いでもない。訪れたのは風祭系列の病院だった。

 特別病棟のフロアにあるナースセンターから入る為のパスを受け取る。その先にあったのはこの病院の特別室に唯一入院している風祭凛奈のお見舞いに行く為だった。

 

 

「入りますね」

 

「ヒッ…………」

 

 カナタの顔を見た一人の少女は完全に怯えたままだった。

 詳しい事は分からないが、ここに運ばれた際には色々な意味でギリギリの状態だった。

 肉体だけでなく、精神までもが破壊されている。最初にここに来た際には聞かされた事実にカナタは驚きを見せていた。

 肉体は修復出来るが、精神は簡単には出来ない。今の凛奈の状態は常に何かに怯えていた。

 

 

「私は何もしませんよ。少しだけお話したいだけなので」

 

「…………でも、最後は何か……するんでしょ」

 

「どうしてですか。私と貴女は良き友人だったはずですよ」

 

「………信用出来ない」

 

 カナタの言葉に返事はするが、凛奈の視線は常に落ち着かないままだった。

 詳しい事は分からないが、襲撃者の一人が風祭凛奈である事に間違いは無い。それと同時に、風魔に拘束された事実も知っている。

 恐らくは何らかの事があった事だけは予想出来るが、その内容までは分からないままだった。

 

 ここに来る際に聞いた話では、壊れたと言ってもそれ程危険な状態では無く、それなりに時間が経過すればゆっくりと元に戻るはずだと聞いている。

 カナタもまた、その言葉を信用するからこそ、少しでも事実が分かればと思って足を運んでいた。

 未だ会話はままならない。今回の件に関しては、カナタは完全に蚊帳の外。

 当然ながら、普段はかなり親しくしている朱美でさえも、カナタには何一つ話さなかった。

 幾ら風魔と言えど人間である。感情がそこにあるからこそカナタもまたこれまで少しだけ心を許していた。しかし、今回の様に任務が絡めば厳しい態度に変化する。そこに有るのは完全な職業としての矜持だけ。

 龍玄が言う様に、部外者には関係の無い事実だった。

 疎外感はあっても、これまでの事を考えれば致し方無いとさえ考える。

 そう考えたからこそ、凛奈の放った一言がその事実を表していた。

 

 

「今は何も聞きません。少しでも力になれればと思っただけですから」

 

「そんな言葉……信用出来ない。帰って」

 

「では、また気が向いた際に足を運ばせてもらいますね」

 

 病室の外でカナタは大きく息を吐いていた。

 詳しくは分からなくとも、何かしらあったのは想像出来る。勿論、カナタ個人として考えれば、ここまでする必要は無いはずだった。

 

 本当の事を言えば、未来に係わるからこその欺瞞行為なのかもしれない。

 何故なら自分もまた、同じ立場なら同じ様になっていた可能性があったからだった。

 嫌が応にも戦場に出向いた当時を思いだす。

 凛奈を見て思ったのは、僅かな違いで自分もまたああなっていた未来があったのかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

「有難うございました」

 

「風祭さん、人の話を聞かなかったでしょ。私達にもああなんですよ」

 

「そうなんですか」

 

「余程辛い状態だったのかもしれません」

 

 何気ない看護師の言葉にカナタもまた相槌を打つしか無かった。

 恐らくはここの病院が系列だからそう言っているのかもしれない。実際にカナタもまた凛奈が襲撃者の一人であるとと知っている為に、心中は複雑だった。

 やりすぎと言えばそれまでだが、風魔と風祭の間に交渉が決裂した事実が今に至る。

 だとすれば、自分もまた顔を見せない方が良いのかもしれない。重苦しい空気がカナタの胸中に宿っていた。

 

 

 



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第54話 目指すのは

────世界最強とは

 

 この言葉を口にすれば、誰もが各々の思うべき人物の名を挙げるのかもしれない。

 KOKや闘神リーグの頂点を指すのかもしれない。

 それとも実際には分からないが噂程度でしか聞いた事が無い人間の名かもしれない。

 それ程までに曖昧でもあり、また明確ではないのは間違い無かった。

 

 一般からすれば、伐刀者の持つ能力は既存の軍を遥かに凌ぐ。

 本当の意味での一騎当千。

 戦闘能力の高い伐刀者であれば、通常武装した一個連帯すらも灰塵へと導く。少なくとも大戦の英雄でもある黒鉄龍馬と南郷寅次郎はそれ程迄の結果をもたらしたからこそ、今のこの国がある。近代史であれば教育課程の中で誰もが一度は目にした情報。

 当然ながら、自分の目で見た事がある物こそがそうなのかもしれなかった。

 

 しかし、それは一般の目から見た判断であり、実際にそうだと言う訳では無い。

 伐刀者。それもとりわけ限りなく上位に居る人間からすれば、ある意味ではエーデルワイスの様に純粋な力を持つ物こそがそうだとも言える。

 きっかけは一人で一国の軍隊を退ける程の実力を示した事。これがまだ大戦の最中であれば頷けるが、現代に於いては軍の中にも伐刀者は在籍している。

 過去と比べるのは無理があるが、少なくとも既存を伐刀者でそれを可能とする者は皆無に等しい。

 その結果、犯罪者でありながら、誰もが捕縛しようとすら出来ない。仮に強引に捕縛した所で直ぐに抜け出せるのであれば、それは人的資源の無駄遣いとしか言えなかった。

 だからこそ、その内容を知るにつれ、比翼の二つ名と共に浸透していた。

 そんな人物と敵対すれば、待っているのは絶対的な死。少なくとも彼女を良く知らない人間は誰もがそう考えていた。

 当然、生き残れた人間は辛うじて遠目から見た程度の感想。それが世間が思う事実だった。

 

 

「少年。その技術はまだ拙い。上を目指すのであれば過酷な未来だけが待っています。それでも尚、上を見続けるつもりですか?」

 

「当然だ。僕はこんな所で終わるつもりは毛頭ない」

 

 女性の冷たい言葉に青年は自分の持てる力の限りで応戦するしかなかった。

 相手は比翼。自分の実力からすれば、生き残れる可能性は皆無かもしれない。

 だからと言って、これ程までに最上の相手の業を受けきれれば、自分の力は更なる階梯を登れるのは間違い無かった。

 

 力を惜しむ事無く一気に決める。対峙するだけでも精神が削られる感覚は、最早異常としか言えない。

 短期決戦。それだけが青年に残された唯一の手段だった。

 これ以上の会話は無駄でしかない。青年は直ぐに気持ちを切り替え、自分が出来る最大限の事だけに集中していた。

 無意識に沸き起こる感情。それを押し殺しながらも瞬時に切り替え集中していた。

 

 

「そうですか。ですが、私もここを素直に通す訳には行きません。申し訳ありませんが、ここで沈んでもらいます」

 

 その瞬間、先程まであったはずの姿は無くなっていた。距離にして約五メートル。一呼吸程度は出来るはずの距離。

 本来であれば確認してから反応するが、相手の動きを完全に信用したからなのか、青年はただ一刀だけを全力で振るっていた。

 何も無いはずの空間。本来であれば完全に空振りするはずのそこに、突如として衝撃は疾る。

 青年は気が付いていないが、比翼の二つ名を持つ彼女の攻撃はまともに受ける事が出来る人間は限られていた。

 一刀で斬り捨てられる未来に抗う。最初のエンカウンターは青年に事実上軍配が上がっていた。

 

 

「思ったよりも出来る様ですね。どうしてそこまで?」

 

「貴女には関係の無い事。僕はその先へ行く為に、ただ押し通るのみ」

 

 会話をするつもりすら無いからなのか、青年は獣の様にしなやかに動きながら常に相手の出方を見ていた。

 事実上の世界最強。比翼の二つ名を持つのは尋常ではない。だからこそ、青年もまた己の犠牲を考える事無く、目の前の頂きにただ挑むのみだった。

 固有霊装の漆黒の刃が僅かに煌めく。まるで青年の意思を感じ取ったかの様に、その存在は確かな物となっていた。

 

 

 

 

 

「どうやら行動に澱みは無いようですが、些か練度が足りない様ですね」

 

 エーデルワイスの声に青年は反論する事は出来なかった。

 互いに交差する剣閃は当初の予定を覆すかの様に互角の様相だった。しかし、互角だと思われたのはその瞬間だけ。その後は一気に劣勢に追い込まれていた。

 青年が互角だと判断出来た訳では無い。実際に初撃を防ぐ事が出来たのは、偏に相手の出方を探り、その練度がどれ程なのかを確認する為。

 エーデルワイスと実力が並ぶ人間であれば確実にその行動は悪手だった。

 しかし、エーデルワイスと並ぶ人間は早々居ない。勿論、ここに来た時点で何らかの機微に敏いのは予想出来るが、それがそのまま実力と同じでは無い事は間違い無かった。

 

 元服したとは言え、戦場の習いも知らない少年。それがエーデルワイスが判断した結果だった。

 だからこそ、初撃の様子を見る為に、それなりに加減した行動で一当てしたに過ぎなかった。

 そこから得られた回答は一つだけ。まともに叩けばそのまま即時終了する未来だった。

 練度が足りないのは、本当の意味で自分の限界ギリギリを知らない証拠。

 本来、自分よりも上位の人間と対峙したのであれば、様子を見るのではなく、自分のでいる事を優先する。それがある意味では戦場で生き残れる秘訣だった。

 しかし、ここは戦場では無い。

 生き残りをかけた戦いの前には綺麗も汚いも無い。死は自分の主張を覆されたのと同意。だからこそ、本来であれば第一に考えるのは逃走だった。

 明確が理由があるから引かない。その青臭い理論に、エーデルワイスは少しだけ考える部分があった。

 

 そもそも伐刀者を相手に魔力や異能を使わずに戦おうとする人間は限られている。

 当然ながら学園に行く人間であればそんな手段を選ぶはずが無い。

 己を理解出来ない人間に未来を感じる事は無いとさえ考えていた。だからこそ、断罪するかの様に言い放つ。

 これで心が折れるのであれば、ここでの任務はそれで終わるはずだった。

 

 

「練度が足りない?そんなの最初から知ってる!」

 

 エーデルワイスの声を打ち払うかの様に青年は出せるだけの声で感情を露わにしていた。

 これまでに疎まれた事など数える事すら放棄している。自分にとって学ぶべき師はおらず、外から見える光景だけが全てだった。

 だからこそ、照魔鏡の如き洞察力をもって今に至る。

 エーデルワイスの放った言葉など今更だった。

 初撃の攻防は既に脳裏から消え去っている。あれは単なる偶然に過ぎず、その結果を鑑みず、今出来る限りの事をするしかなかった。

 ここで抜刀絶技を使えば珠雫を追う事は出来なくなる。だからこそ、異能を使わない最大の攻撃を選択していた。

 

 

「その気負いは良いですが、もう少し現実を見るのも悪くは有りませんよ」

 

 子供に諭すかの様にエーデルワイスは青年に話しかけていた。

 まだ練度が足りず、粗削りな面は言い様の無い事実。しかし、常に上を見定める姿勢はひょっとすれば何かしら化けるのかもしれないとさえ思える程。

 少なくともこれまでに一度も感じた事がない感情だった。

 だからと言って、放置はしない。

 仮に将来性があろうが無かろうが、今この場に於いては決定的な敵性でしかなかった。

 未来があるかどうかなど関係無い。先程までの考えを消し去るかの様に、この瞬間一気に勝負に出ていた。

 音も立たない二刀から繰り出す斬撃。その先にある未来は考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

(来る!)

 

 エーデルワイスの動きは一気に変化を遂げていた。先程までの様に何となく感じるそれではなく、既に動きすら感知出来ない程のそれ。

 青年もまた自身の動く速度域とは明らかに違うことだけは理解していた。

 しかし、音もなく来る斬撃を回避出来る技量など持ち合わせていない。今出来る事はただ前に進むだけの力を残すのみだった。

 その瞬間、不意に全身の力が脱力する。完全にとまでは行かなくとも相応の脱力状態からの動きはこれまでに無い程の速度を孕んでいた。

 勘なのか、偶然なのか。青年はだらりと下げた刃をそのまま大腿へと向かわせる。

 本来であれば、ただそこに動いただけの行動。その瞬間、待っていたのはこれまでに感じた事が無い程の衝撃だった。

 鋭く重い音と同時にこれまでに感じた事が無い衝撃。確実に偶然だと思える事によって、一瞬での決着とはならなかった。

 

 

「まさか、あの斬撃を防ぐとは思いませんでした」

 

「偶然ですよ」

 

 対峙しているにも拘わらず、会話をするだけのゆとりがあった。

 僅かに驚きの色があるからなのか、エーデルワイスも想定外だったのは間違いない。

 青年にとっても偶然出来た事に虚勢を張っても無駄だと思ったからなのか、ただ事実だけを口にしていた。

 

 

「そうですか。偶然ですか。狙ってやった訳では無いのですね」

 

 エーデルワイスの言葉に青年は少しだけ疑問に思っていた。

 あれ程の斬撃を狙ってと言うのであれば、過去に同じ事があったのかもしれない。少なくとも自分にはあの斬撃を見切る事は不可能。だからこそ、それを可能にするだけの技量がどれ程なのか興味が湧いていた。

 本当の事を言えば、今直ぐにでも戦いを止め、その事実を聞きたい。しかし、今となってはそんな事は不可能だった。

 お互いに譲れない物がそこにある。それがあるからこそ、今こうやって対峙しているに過ぎなかった。

 

 

「本当の事を言えば、もう少しやりたかったのですが、仕方ありませんね。ここで終わりです」

 

 まるで獲物を取る獣の爪の様に二刀は大きくその存在感を示す。

 元々これ程の時間を要するつもりは無かった。楽しい時間はここで幕引き。それを思わせるかの様な優雅な動きに青年は少しだけ意識が逸れていた。

 その瞬間、先程までの形が瞬時に消える。青年の前にあったのは斬撃を繰り出した後の残滓だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ゆ、め…………か」

 

 不可視の斬撃を喰らった瞬間、一輝は見慣れない天井を見つめていた。

 先程までの攻防がまるで実際にあったかの様に感じる。

 気が付けば全身から汗が滲み、心臓の鼓動はまだ早いまま。

 破軍襲撃の際に戦ったエーデルワイスの様にも感じたが、戦いの内容は極めて異なっていた。

 随分と話し込んだ様にも感じる。あの時は必死に戦った為に記憶そのものは曖昧ではあったが、結果的には惨敗どころか、歯牙にもかけない程だった。

 圧倒的な実力。これがある意味、世界最強の一旦である事をその身で感じ取っていた。

 

 無拍子から繰り出す斬撃を回避する事は簡単には出来ない。

 肉を切らせて骨を断つ前に、骨ごと断たれた結果。そこにあったのはただ負けた事実だけだった。

 本当の事を言えば、一輝にとって自分が弱い事実を既に受け入れている。黒乃から今回、龍玄の出場を言われた事も、本当の事を言えば悔しい感情が無い訳では無い。

 憤ったところで結果が好転するはずが無い事だけ。そんな感情に一々リソースを割く必要が無かったに過ぎなかった。

 

 実際に純粋な技術だけで終わらせる人間は、破軍にはほぼ居ない。誰もが異能の力でサポートし、人外の能力を行使する。それはある意味では教科書にも載る程に基本的な考えだった。

 伐刀者であれば相応の魔力も持ち合わせている。当然ながら一輝のスタイルに合う人間は誰一人いなかった。

 刀華でさえも、実際には異能を行使する。純然たる身体能力で戦おうと考えれば、宝蔵院まで足を運ぶ必要があった。

 だが、宝蔵院槍術は天下にその名が広まっている。合宿の様に宝蔵院胤栄に手ほどきを受けて貰う事は出来ない。

 どれ程の人間がその門を叩き、激しく打ちのめされたのかを知っているからこそ、あり得ない結果だと考えていた。

 そうなれば、自分の事を理解している人間で実力があるのはただ一人。自分がどう思われているのかを知った上で一輝は龍玄に頼み込んだ結果、ここに来ていた。

 やってるのは常に実戦。そこに安息はなく、常に戦いを意識させられていた。

 油断をすれば一瞬で意識が刈り取られる。それがどれ程過酷なのかを身をもって体験していた。

 

 

(まだ早いか)

 

 近くにあった時計は四時少し前。

 これが何時もの鍛錬であればあと一時間もしない内に動く時間。これから寝るには既に神経が昂ったまま。

 このままボンヤリするのではなく、改めて身を引き締める為には、少しだけ身体をほぐそう。そう考えて、動き出した瞬間だった。

 何となく感じる氣の奔流。明らかに自分の知る人間のそれではなかった。

 

 

(これは…戦っているのか)

 

 半端な時間だったからなのか、一輝はこのまま再度寝ると言う選択肢を取る事はなかった。

 と言うよりも、明らかに尋常ではない気配に興味が優先する。

 この道場が通常のそれとは違う事は知っているつもりだったが、まさかこんな時間から既に全開で戦う事をする様には思えなかった。

 

 

(何だ、これ………)

 

 氣を辿ると、そこは道場だった。どれ程の時間が経過したのかは分からないが、少なくとも室内の気温は外に比べれば段違いに高くなっていた。

 幾ら夏の朝とは言え、気温はそれ程高くは無い。にも拘わらず、そこだけはまるで切り取られた空間の様だった。

 膨大な熱量の正体は氣の昂ぶりだけでなく、尋常ではない運動量がもたらす熱量。

 巨大な熱源はそのまま拡散する事無くその場に留まっていた。

 その中心には二人の男。一人は友人でもある龍玄。その相手は父親だと紹介された小太郎だった。

 

 

(この距離であの……攻防)

 

 一輝が驚愕するのは無理も無かった。実際に互いの距離はそれ程離れていない。

 目測でも精々がニメートル程。その狭い空間にあったのは互いの交差する拳と蹴り。自分もクロスレンジでの戦いにはそれなりに自信を持っていたが、今の目に飛び込む光景を考えれば、自分の持っていた自信など塵芥に等しかった。

 狭所での攻防はある意味では危険を孕む。至近距離から繰り出す攻撃の速度はあり得ない体感速度を持っている。それがどれ程危険なのかは、一輝もまた理解していた。

 何も知らない人間から見れば、どこか殺陣の様にも見える程に動きが洗練されている。

 目が肥えたはずの一輝でさえも、尋常ではない攻防に思わず息を飲む。気が付けば、その攻防に見惚れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍。お願いだ。一度で良いから全力でやらないか?」

 

「別に構わんが、本当に良いのか?」

 

「ああ。今の自分がどんな状態なのかを知りたいんだ」

 

 早朝の攻防を見たからなのか、一輝は龍玄に本当の意味で全力で戦って欲しいと考えていた。

 あの戦いに魔力は存在せず、純粋な技量だけの物。少なくとも、これまでに見た戦いの中でも一番だと言っても過言では無かった。

 学内の様に異能を活かした戦いに不満がある訳では無い。実際に本戦ではそうなるのが当然の事。

 確かに刀華と戦った際には戦闘面の方が充実はしていたが、最終的には異能有りきだった。

 戦いの経験と言う意味では有難いが、自分に置き換えれば無い物ねだりの戦法でしかない。だからこそ、出来ない事を悔やむのではなく、出来る事を昇華させた方が遥かに良い結果をもたらすと考えた結果だった。

 

 

「知りたい………まあ、良いだろう。直ぐに準備するんだな」

 

「ああ」

 

 龍玄の言葉に一輝は改めて自分を鼓舞していた。

 実際に龍玄がどれ程の戦闘力を持っているのかは誰も知らない。これまでに見た予選会を全てが事実上の瞬殺で終わるのは、偏に対処するだけの余裕すら与えない攻撃が起点となるからだった。

 勿論、試合数が進めば対策の一つも誰もが考える。しかし、そんな対策など最初から無であると言わんばかりに終わるとなれば、その底は全く見える事すらなかった。

 勿論一輝とて無策ではない。

 夢にまで出たエーデルワイスとの戦いの様に、ある程度は戦えると踏んでいる。

 勝ち負けよりも重要な物を確かめる。今はまだ負けても問題無いと考え、お互いの戦う場所へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

「さて、本当に良いんだな」

 

「ああ。僕も全力でやる」

 

 道場の中ではなく、外に出たからなのか周囲の空気はまだひんやりとしたままだった。

 これまでであれば、これから起きて動き出す時間。何時もよりも早い時間ではあったが、今の一輝は、先程の攻防を目にしてから既に臨戦態勢に入っていた。

 目算が間違っていなければ、エーデルワイスとまでは行かなくとも、それに近い事だけは感じ取れる。

 根拠は無いが、一輝は何となくそう考えていた。

 龍玄の言葉に軽く返事をする。互いの間は僅か三メートル程の空間があった。

 一輝は隕鉄を正眼に構え、全方位からの動きに警戒する。一方の龍玄は構える事無く自然体のままだった。

 

 

 

 

 

(隙が何処にも無い)

 

 互いに戦闘態勢が整った瞬間、一輝の目に映ったのは、あらゆる攻撃が無力化される未来。少なくとも自分の持つ技量では確実に反撃を受ける事だけは間違い無かった。

 龍玄は構えすらしていない。

 自然体が故に、そこから繰り出される攻撃の速度がどんな未来をもたらすのかがはっきりと見えていた。

 

 このまま膠着状態が続いたとしても何ら問題は無い。しかし、一輝が自らそう言ったにも拘わらず、手も足も出ないのは完全に想定外。

 焦りそうな気持をギリギリでコントロールする。視線はそのまま龍玄に向けながらも一輝はどうやって攻略すべきなのかを必死に考えていた。

 

 

「どうした?自分から言っておいて何もせずか?」

 

「………残念ながら今の僕には勝ちの目が見えない」

 

「ならば、ここで終わるのか?」

 

「いや。全力で当たらせてもらうよ」

 

 一輝の言葉と同時に戦いは始まっていた。

 勝ち目は無くとも何らかの結果は出す。一輝もまたそんな事を考えた瞬間だった。

 

 

「えっ」

 

 どこか気の抜けた様な声が出た瞬間、一輝の体躯は宙を舞っていた。

 攻撃を受けた訳では無い。自身の肉体には未だ衝撃を受けた形跡は何処にも無かった。

 分かっているのは意識が僅かにそれた瞬間に決着がついた事実。しかも、自分の躰にも拘わらず宙を舞った躰は動かす事すらかなわない。

 当然ながら受け身を取る事も許されない時点で、一輝は背中から地面に叩きつけられていた。衝撃の余りに肺の空気が強制的に吐き出されていた。

 

 余りの出来事に未だ意識が追い付かない。自分は確かに視線を切るとなくそのまま見ていたはずだった。

 しかし、今の自分は完全に地面に叩きつけらた事によって、視界は蒼穹を映している。何が起こったのだろうか。一輝はただ茫然とするよりなかった。

 

 

 

 

 

「どうした?お前はそれだけの事しか出来ないのか?」

 

「もう一度頼む」

 

 一輝の思考を現実に戻したのは龍玄の声。何が起こったのかすら理解出来ない決着はあまりにも衝撃が大きすぎていた。

 エーデルワイスとの戦いでさえもそこそこに相対したはずが、今は完全に触れる事はおろか、その姿すら認識する前に終了している。

 龍玄の言葉に思わず反応こそしたが、実際にはショックを隠しきれなかった。

 

 

「構わんぞ。それに一方的に嬲るのはつまらん」

 

 上からの物言いではあったが、それも仕方がなかった。

 自分の技量よりも上である事は薄々理解していたが、まさかこれ程だとは思ってもみなかった。

 距離を一気に詰めただけでなく、その攻撃方法が全く見えない。衝撃も無いからなのか、そこに至るまでの過程ですら不明のままだった。

 防御の一つでもと思った事すら過信していたのかもしれない。だからなのか、一輝は再度龍玄と対峙していた。

 

 

「先手は譲ってやる」

 

 手招きするかの様に掌を上に四指が動く。完全なる挑発行為ではあったが、一輝はここで逆上する事無く冷静に判断してた。

 相手の動きが見えない以上は、幾ら鉄壁の護りの能力があっても無意味でしかない。だとすれば後の先ではなく、先の先で動くより無かった。

 先程とは違い、今度は腰だめに刃を構える。

 速度差を補うには抜刀術で行くしか無かった。

 

 お互いの技量差は不明だが、実際に自分もまた戦いに勝つための手段を選べる程に戦術は広くない。

 挑発だとは分かっていても、一輝は敢えて引っかかる事によって勝利を手繰り寄せようとしていた。

 自分タイミングに合わせるのであれば、そのタイミングを最初から無くせば良いだけの話。抜刀術から繰り出す斬撃であれば、多少なりともどうにか出来るだろうと勝手に判断していた。

 刀身を鞘から抜くのではなく、鞘そのものを引く。無駄な動きを排除する事によってコンマ零零秒の世界を歩く決意をした。

 煌めく刃が起こす現象に一輝は先程までの無駄な思考を捨て去る。ただ斬る事だけを意識していた。

 

 

 

 

 

(まだ甘いな)

 

 居合いの構えに龍玄は一輝の気持ちを読んだかの様に見えていた。

 神速の抜刀をしたとしても、その意識と筋肉の動きは狙いを完全に定めている。幾ら無心を装っても、肉体は雄弁でしかない。

 狙いが分かるのであれは、後は只の作業でしかなかった。

 鞘を引く事によって抜刀速度を上げる工夫は関心するが、ただそれだけだった。

 

 龍玄もまた小太郎と同じ様に居合いの抜き手を潰しにかかる。

 一輝の腕の筋肉が僅かに膨張した瞬間、龍玄の右拳は一輝の右手を破壊していた。

 小枝が折れたかの様に軽い音が響く。カウンター気味に入ったからなのか、一輝の右手の三指は完全に潰れていた。

 幾ら強引に動こうとしても、躰の反応は正直になる。僅かに鈍った動きの前に、龍玄は拳ではなく左手の掌底を一輝の腹に叩き込んでいた。

 問答無用で勁の衝撃が一輝の全身に拡がっていく。

 その感触からは見るまでも無く、一輝の躰はゴム毬の様に弾け飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世の中は広い。俺なんかよりも強い奴はごまんと居る。武の道は果てしなく遠いぞ」

 

「でも、世間からは英雄と呼ばれたんでしょ」

 

「所詮は造られた紛い物だ。本当の意味なんかじゃない。少なくとも本物の強者と会えたならその出会いに感謝するんだな」

 

 まだ幼い頃の記憶なのか、自分の声は完全に当時のまま。

 目の前に居るのは自分が今の道を進む事になったきっかけを作った、曾祖父でもある黒鉄龍馬。世間からは大戦を終わらせた大英雄と呼ばれた人物だった。

 完全にこれが自分の過去の記憶だと理解している。だからと言って自分の意識下にも拘わらず、当時の状況をただ見ている様な感覚だった。

 自分の事でありながらどこか映像を見ている様な感覚。なぜこんな場面を見せるのかが分からなかった。

 

 

「誰に造られたの?」

 

「あ~まだお前には早い。だが、俺や寅次郎なんかすら相手にならないのが居る。良いか、慢心すればその時点で成長は止まる。今は分からなくとも努々忘れるな」

 

「うん。分かった」

 

 その言葉と同時に頭を撫でられる。どこか懐かしい感覚だけがそこに残されていた。

 

 

 

 

 

「ここ……は」

 

 まるで夢から覚めたかの様な感覚。先程までの動きがどうなったのかすら理解出来なかった。今の一輝の周囲には水がぶちまけられたかの様になっている。そこに居たのはバケツを持った龍玄の姿だけがあった。

 

 

「これで終わりだ。意識と飛ばした時点で終了だ」

 

「そっか………」

 

「指を潰したんだ。治療だけは先にしておけ」

 

 龍玄の言葉に一輝はそれ以上何も言う事が出来なかった。気が付けば自分の右手の三指は完全に潰れている。ここで漸く痛みを実感していた。

 自分から言い出した事ではあったが、結果的には惨敗。しかも、こちらの攻撃が何一つ届く前の結果だった。

 夏とは言え、かけられた水によって体温は奪われている。その瞬間、一輝の躰は僅かに震えていた。

 それが水なのか、先程の戦いでの感覚なのかは分からない。予想以上の差に少しだけ気分は落ち込んでいた。

 

 

 



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第55話 戦いの前

 表向きは只の道場でしかないこの場所は、ある意味では武の頂点に近い物があった。

 実際にここに来る人間の全てが一流と呼ばれる程の技量を持っている。

 当然ながら外部からの影響を一切受けるつもりが無いからなのか、ここでの内容は基本的に知る人間は限られていた。

 郊外に近い為に、余程の事があっても周囲の邪魔にはならない。だからなのか、苛烈な鍛錬をしても何の制限も無かった。

 

 

「この程度なら二度と来るな!」

 

「まだまだ!」

 

 怒声に近い声は、何も知らない人間からすれば思わず身構える程の迫力を持っていた。

 伐刀者に限らず、流派を持つ道場からすればあり得ない。

 本来であれば門下生を必要とすれば、多少なりとも手心が加わる。しかし、ここに関してはそんな物など最初から存在しなかった。

 怒声を上げるのは無理もない。この道場の本質は風魔の前線基地となる為に、全てが組織に属する人間ばかり。当然ながら伐刀者だけでなく、それ以外の人間もまた組織の中には存在していた。

 

 世間的には魔導騎士連盟の様に伐刀者だけで構成された組織は存在しない。当然ならがその武力を考えれば、ある意味ではそれが最強の組織であることに変わりなかった。

 しかし、伐刀者と言えど人間である。疲労感が続けば固有霊装を展開する事は難しくなり、その結果として伐刀者で無い者にも負ける可能性がある。

 元々伐刀者は異能を使用する前提で動く為に、武を極める概念は薄かった。

 当然ながら同じ土俵に立てば、単純な技量の問題でしかない。それを誰よりも体現しているからこそ、風魔は己の肉体を極限まで鍛え上げる事に終始していた。

 非能力者でそれならば、伐刀者となれば実力は段違いになる。それを分からせる為なのか、道場の中では休憩する事無く次々と戦うより無かった。

 

 

「何だ?伐刀者がこの程度とは片腹痛い。さっさと去れ」

 

 男は当然だと言わんばかりに刃を振るう。刃引きされた模造刀ではあるが、その威力をすれば骨を叩き折るのは簡単だった。

 肉体を苛めるのではなく精神を折る。それによって面倒な事をする必要が無くなると思っているかの様だった。

 襲いかかる剣閃をこのまま受ければ待っているのは明確な意識の途絶。既に開始からそれなりに時間が経過しているからなのか、相手となった青年の意識は途絶える寸前だった。

 横薙ぎに来る斬撃を辛うじて回避する。本来であれば、ここから反撃になるが、既に体力は限界寸前。回避するだけの体力しか残されていなかった。

 そうなれば、やれる事は限られてくる。何時もよりも距離をとって一呼吸着ける。ここで流れを断ち切る予定だった。

 

 

「甘いぞ!」

 

 男は回避される事を前提としていた。

 初撃を放った瞬間、一気にその距離を詰める。先程まであったはずの空間は瞬時に潰されていた。

 待っているのは二連撃。大きく回避した為に完全な死に体だったからなのか、そのまま連撃は鈍い音をたて直撃していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一輝。今日からは経験を積む事を優先する。お前はこれまでの戦いで、それ程対人戦の経験は無い様に感じたんだが、気のせいか?」

 

 龍玄の言葉に一輝は何も言えなかった。

 実際に対人戦の経験は破軍に来てからが殆ど。それも今年に入ってからだった。

 一度は留年したが、その時は旧経営陣の策略によって半ば飼い殺しに近いまま無為に時間を過ごしていた。

 幾ら見取りで学んでも、肝心の間合いの取り方や攻防における戦略は実戦による経験が物を言う。

 幾ら想像したとしても実戦における経験不足はどうしようも無かった。

 

 

「いや。本当の事を言えば実戦に関しては事実上今年に入ってからが殆どかな。でもそんなに不足してる様に見える?」

 

「見えるも何も、極限の中で生き残れる経験は、他に比べれば何よりも代えがたい物だ。単純な技量だけを見ればそれなりだとは思う。が、それだけだ。

 身体強化は確かに有効ではあるが、基本値が低くてもそこそこ戦える。厄介なのは、()()()()の部分だ」

 

 龍玄の言わんとする事は一輝も理解していた。

 実際に苦戦した数が少ないのは、偏に異能に重きを置いている現実があるから。剣技に重きを置いた人間であれば厳しい戦いになるのは当然だった。

 事実、一輝は龍玄の抜刀絶技をまだ見た記憶が無い。予選会の全てが純粋な技量だけの戦いだった。

 自分と戦った際にも、その兆候は感じ取れない。基本となるべき基礎の部分が自分と比べても異様だった。

 底が見えない技量に身体強化が加われば、その結果は考えるまでも無い。ましてや自分の一刀修羅はその典型的な物。だからこそ、一輝はそれ以上の抗弁は出来なかった。

 

 

「厳しい経験は本当に辛い時にその意味を成す。日程的には厳しいが、これからはあらゆる事態を想定してやってもらう」

 

「因みに内容は?」

 

「取敢えず百人組手からだな。相手は道場の人間だ。各自の武器の特性は違う。十分に味わうんだな」

 

「……そりゃどうも」

 

 百人組手の言葉に一輝の表情は引き攣っていた。只でさえ厳しいにも拘わらず、ここに来て更に武器の特性までも違う。

 当然ながら戦えば戦う程に最適化する事が出来る一輝からすれば、厳しいの一言しか出ない。

 武器が変われば間合も変わる。

 要求されるのは純粋な強さの中に肉体の強靭さと冷静な思考能力が要求される。

 肉体だけでなく精神も追い込まれれば、今度は判断力すらも鈍くなるのは当然だった。手も足も出ず、自分に出来る事をやる以外に退路が無い。一輝はその提案に頷くよりなかった。

 スパルタなのは当然の事。ここで要求されるのはただ生き残れる手段と技量を身に着ける以外の選択肢が無いだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初回はこんな物だな」

 

 冷水をかけられた事によって一輝の意識はクリアになっていた。

 何人と闘えたのか数えていない。ここで明確な人数が判明すれば凹むのは間違い無かった。

 実際には最初から濃密な内容だった。

 宝蔵院で学んだ為に瞬殺ではなかったが、間合と攻撃の瞬間を潰すやり方は狡猾と言うよりも上手いとしか言えなかった。

 

 攻撃の瞬間に僅かに呼吸が深くなる。人体の構造上、息を吐く瞬間に行動する為に、ある意味では分かりやすかった。

 攻撃のタイミングが解れば潰すのは造作も無い。常に先手を取られた攻撃は一輝に攻撃の芽すら作らせなかった。

 鋭い一撃に精神は常に摩耗していく。

 一人一人に集中すればするほどに一輝の動きは単純になっていた。

 駆け引きの無い動き程単純な物は無い。一人目を倒しただけにも拘わらず、疲労と倦怠感は全身を駆け巡っていた。

 

 休憩時間など設けられていない。二人目からは最初から必死だった。

 槍の様の様に攻撃の間合いは広く無いが、その分攻撃の回転は尋常ではない。

 小太刀を持った人間は最初から一輝に張り付いたままの攻撃を執拗に続けていた。

 振り切ろうにも、行動を予測しているのか振り切れない。そうなれば隕鉄の様な武器では反撃は難しかった。

 至近距離からの攻撃方法が無いだけではない。だが、常に行動を予測されたのであれば、それをするだけのゆとりすら無かった。

 そこからの記憶はかなり怪しい。気が付けば一輝の意識は完全に飛んでいた。

 

 

「もう少し抑えたやり方って……」

 

「ぬるま湯が希望なのか?ならばその辺の道場にでも行くと良い」

 

 突き放す言い方に一輝は何も言えない。厳密には厳しいのではなく、余裕を作る事が出来ない程に追い込まれているからだった。

 これ程までに厳しい攻撃を一輝は経験はおろか、見た記憶すら無い。

 世間が言う達人に近い技量を持つのであれば、一輝の技量など無と同じだった。

 時間があれば良いが、既に日程は決定している。ここで止めれば自分が自分を許せるとは思えなかった。

 

 

「冗談。参考に聞いてみただけだよ」

 

 口では強がりとも言えるが、肉体は正直だった。

 百人組手とは言うものの、実際に対峙出来たのは数人程度。これが普通の道場であれば苛める様にも感じるが、今回に関しては本当の意味での実戦だった。

 躰のあちこちから悲鳴が上がる。本来であれば相応の回復させるのが通常だったが、この組手に関してはその限りではない。

 

 戦いに於いては常に万全の状態である事は無く、その殆どが厳しい環境下での戦いを要求される。少なくとも一輝の中にこれ程までに厳しい状態で戦った記憶は無かった。

 辛うじてあったのは倫理委員会に拘束された中での戦闘。しかし、それであっても一定時間の休憩は認められていた。

 衰弱した肉体であっても回復出来る時間があればどうとでも出来る。しかし、この組手に関してはそのゆとりすら無かった。

 態と間合が大きく異なる武器での戦いに脳は常に解析を要求され、肉体は損傷を抑える様に動く。追い詰められれば当然ながらその動きは鈍くなっていく。

 その結果、待っているのは容赦ない一撃。

 着ている道着の下には至る所に大きな痣が生まれていた。

 少し動くだけで痛みが走る。常人であれば確実に心が折れる内容も、これまでに膨大な戦闘経験を蓄積出来なかった一輝にとっては、こんな程度の事は些細な事でしかなかった。

 

 

「どのみち残り時間は少ない。まだ動けるなら続きをするが?」

 

「望む所だ」

 

 龍玄の言葉に一輝の眼には力が溢れていた。

 これだけの目が出来るのであればまだ心が折れる事は無いはず。今回のこれに関しては接待にクリア出来ない事は間違いない。

 そもそも一輝は知らないが、これは中忍の昇格試験と同等の内容。クリア出来れば大した物だが、今の一輝にとってはこれをクリアするにはあらゆる物が不足していた。

 厳密にこれで何かが養える要素は何も無い。しかし、自分の持つ経験と覚悟に向き合えるだけの要素だけはあった。

 後はどのタイミングで気が付くのかだけ。この試練を超えた人間にのみ備わる物は最初から持ち合わせていた物が顕現するだけの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一輝。そろそろ時間だ。これが最後の戦いだ」

 

 どれ程熱望しようが、時間は誰にも平等に流れていく。既に予定された期限の最終日となっていた。

 これまでに組手で倒す事が出来たのは精々が十人。そのどれもが全力を出し切らなければ勝つ事はおろか、その場に立つ事すら厳しい内容だった。

 満身創痍の状況での戦いは確実に肉体だけでなく精神も蝕む。

 常に戦いに意識を向け、対峙した瞬間から勝利への道筋を立てていく。これまでの様に相手の動きを観察してからでは敗北は必至だった。

 事実、そのやり方で勝てたのは最初だけ。幾らフェイントをかけようが、空間を活かして距離を取ろうが、その全てがあっさりと潰されていた。

 攻撃の起りが分からない為に、様子を見る事が出来ない。それを理解するまでに相応の時間が必要だった。

 だからこそ、お互いが対峙した瞬間だけが解析出来る唯一の時間。そこに要求されたのは筋肉の付き方による攻撃範囲の把握だけ。後は殆どが本能に近い物だった。

 だからこそ一輝は今の自分の状態がどうなっているのかに気が付かない。

 最初の目的でもある戦闘経験の蓄積は予定通りに進んでいた。

 

 

「分かった。相手は?」

 

「俺だ。遠慮はするなよ」

 

 不敵に笑う龍玄の言葉に、一輝はここで漸く理解していた。

 これまでに手も足も出ない状態で負けた原因をはっきりと理解する。お互いが対峙する空間の間合いが圧倒的に異なっていた。

 元々武器と無手では有効範囲はかなり違う。勿論、一輝とてそんな基本は理解していた。

 しかし、理解しただけであって、それが本当の意味で実践出来ていない。何故ならばその有効範囲は無手の龍玄の方が圧倒的に上だったからだった。

 組手の際には攻撃の起りは何となく理解出来た。しかし、今の龍玄に関しては攻撃だけでなく、動きのほぼ全てに起こりが見えない。

 無拍子からなる動きはある意味では最悪だった。

 距離を詰められた瞬間、待っているのは明確な敗北だけ。それがお互いの距離を取った瞬間に理解していた。

 

 

「最後なんだから、やれるだけやると良い」

 

 嘲る事も無く、ただ事実だけを淡々と話す。そこにあるのはこれまでの自己鍛錬に裏打ちされた実力だった。

 改めてお互いが対峙する。そこに待っているのは考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでここでの工程は全て終わる。明日からは大阪入りの準備をするんだな」

 

「……………そうだね。色々と有難う」

 

「礼を言われる様な事をしたつもりは無い」

 

 道場に大の字になって一輝は天井を眺めていた。お互いが対峙した瞬間、イメージ出来たのは自分の明確な敗北。それを強引にでも払拭しようとした瞬間だった。

 本戦と同じだけの距離が瞬きした瞬間、零になる。待っていたのは全力でと言った後の戦いの模倣。自分が空中に浮いている時点でどうしようもなかった。

 手首の関節が決まり、人間の本能とも言える反射によって態勢が崩れた所を投げられていた。

 以前と同じであればそこで終わる。しかし、待っていたのは容赦ない追撃だった。

 手首関節が決まったまま固定されている以上、固有霊装は何の役にも立たない。至近距離で攻撃を往なす技量を一輝はまだ持ち合わせていない。

 剣術の流派の中には至近距離でのやり様もあるが、本職からすれば児戯に等しい行為。結果的には一方的に攻撃を受けて終了していた。

 

 組手をした事で、本当の意味で龍玄の実力の底が見えなかった。

 深淵を覗くかの様に何も見えない。そんな人間を容易く裁く父親の小太郎の技量もまた何も見えなかった。

 エーデルワイスとは明らかに違う。そこにあるのは生存競争に勝つ為だけに積まれた鍛錬の成果だけだった。

 圧倒的な差があったからなのか、一輝の中では蟠りも無い。それと同時に仮に本戦で対峙しても、どれ程醜態をさらしたとしても出来る限りの事をしようと心に誓っていた。

 

 

「参考までに言っておく。お前の実力はそれ程捨てた物でも無いぞ」

 

「気休めって事?」

 

「阿呆。気休め程度でそんな事は言わん。ただ、少しだけ落ち着け。俺から言える事はそれだけだ」

 

「そう………気に留めておくよ」

 

 互いにそれ以上の会話が続かなかったのか、道場は静まり返る。未だ一輝は気が付いていないが、この言葉の意味を理解するには少しだけ時間が必要となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七星剣武祭は学生の試合ではあるが、ある意味では色々な団体の青田刈りの側面があった。

 基本的にここで上位に入る人間の殆どは卒業後、それなりの所に就職する事が多かった。

 KOKの様にプロになる人間、魔導騎士連盟に所属する人間。または国の組織に属する人間と多種多様。ある意味ではここでの結果は強烈な自己アピールの場だった。

 学園側は、その立場から明確に認めないが、生徒の誰もがその事実を知っている。

 それと同時に、その年代の伐刀者の頂点とも言える結果もまた色々な意味で注目される要素だった。

 それはこの国だけに留まらず、騎士連盟のほぼすべての支部も見ている。その結果、ここで作り上げた圧倒的な知名度は人生に於いても相応のアドバンテージが存在していた。

 そして、それは大会を彩る一つのイベントへと発展していく。

 本戦の前には各選手のお披露目の意味を持って、簡単な懇親会も開催されていた。

 

 

 

 

 

「でも、学生の試合でこんな事までするなんて知らなかった」

 

「それだけこの七星剣武祭は注目されているんです。代表になるだけでも、それなりに実力が求められる訳ですから」

 

「でも、幾ら何でもこれはやりすぎじゃないかな」

 

「ここではドレスコードがあるのは当然です。ここは選手の控えですが、隣は各団体の招待客が来てますから」

 

 完全に場違いだと言わんばかりに一輝は周囲をキョロキョロと眺めていた。

 以前にヴァーミリオン公国大使館のレセプションに行った際にはアルバイトではあるが、会場の雰囲気と確認している。企業だけでなく国の首脳までもが来る大使館とは格は違うが、それはあくまでの自分の立ち位置から来る物。黒子と主役ではその意味は大きく違っていた。

 ドレスコードがある時点で要求されるのは正装。学生であれば制服もまたそれに準じるが、実際には建前でしかなかった。

 部屋が違うとは言え、要人もまた同じスペースに存在する。そうなれば相応の振る舞いが要求されていた。

 武だけに留まらず、文も求められる。特に今回に関してはこれまで以上に厳しい警戒態勢を取っていた。

 破軍を襲撃したのであれば、この国に喧嘩を売っているのと同じ事。そうなれば最悪は戦争に発展する可能性もあった。

 そうなればこの場に居る人間の全ての身体検査が要求される。

 その結果、懇談会に参加する人間全てに事前に着るであろう服のチェックが要求されていた。

 寸鉄を帯びた時点で排除される。特に伐刀者であれば尚更の事。万が一が起こらない様にとの配慮でもあった。

 

 

「招待客ね…………」

 

「そんな事よりもお兄様。中々お似合いですね」

 

「そう?以前に一度だけ着ただけだったから、それ程でも無いと思ったんだけど」

 

 珠雫の言葉に一輝は改めて周囲を眺めていた。

 実際にフォーマルな場に学生が顔を出す事は早々無い。当然ながら今回の様な場面では着慣れる様な事が無いからなのか、数人の人間はどちらかと言えば着るのではなく、着せられていると言った言葉の方が正解だった。

 学年でも三年、それもこの大会に過去にも参加している人間であれば多少な慣れているのかもしれない。そう考えれば一輝が着慣れているのはある意味では違和感があった。

 

 

「いえ。十分に着こなしています。そんなお兄様が私は……」

 

「珠雫。どうかしたの?」

 

 何故か頬が赤くなる珠雫に一輝は疑問を持ちながらも周囲を確かめる。

 何となくだが、こちらを伺う様な雰囲気を感じる。それが何を意味するのかは分からなかった。

 珠雫は横に居るが、視線は何となく自分に向いている。一輝は気が付いていないが、周囲から見るその雰囲気は明らかに異様だった。

 タキシードを着こなすだけでなく、その雰囲気から感じるのは学生では有り得ない程のオーラ。魔力の様な物ではなく、どちらかと言えば生命力と言った方が分かりやすいのかもしれない。

 実際に道場で叩き込まれたそれは一旦休息を取った瞬間、一気に開化したかの様だった。

 追い込まれた環境下での生存はそれに対応するかの様に能力を底上げする。ある意味では異質な者が紛れ込んでいるだった。

 

 

「い、いえ。何でもありません」

 

「そう。そう言えば珠雫もそのドレスは良く似合ってるよ」

 

「お、お兄様………」

 

 何気ない言葉に珠雫の目は徐々に潤んでいる。もしここに人が居なければどうなっていたのだろうか。珠雫の目に映る一輝は少なくともここ最近とは大きく変わっていた。

 短期間で何があったのかは分からない。がしかし、今の一輝には紛れも無く自信が滲んでいた。

 

 

 

 

 

「ちょっとシズク。こんな所で何してるのよ!」

 

「まさかここに来るとは………」

 

「今、舌打ちしたでしょ。私だって参加者なんだからここに来るのは当然よ」

 

 先程までの潤んだ眼差しは瞬時に消え去り、それと同時に感情は一気に氷点下へと変化していた。

 本来であればステラはこの会場ではなく、隣に居るはず。しかし、何がどうなったのか、ここに顔を出していた。

 

 

「皇女殿下は外交を担うのではありませんか?」

 

「そうね。でも、優秀なスタッフが居るから、私は出場者としての親交を温める事を優先しただけよ」

 

 二人の下に視線が集まったからなのか、突如として穏やかな会話へと切り替わる。

 ステラはその立場がそうさせ、珠雫はその出自からそうさせている。変に目立てば一輝にも迷惑がかかると思った結果だった。

 会場そのものはざわついている為に、二人のやり取りもまたそのまま消えていく。口にこそ出さないが、互いの視線はぶつかりながら火花が起こるかの様だった。

 

 

「そう言えば、イッキ。修行の成果は……かなり出てるみたいね」

 

「あれが修行だとすれば……かな」

 

 ステラの言葉に一輝は苦笑いするしかなかった。

 確かに自分から言い出した事ではあるが、あれを本当の意味で修業だとは考えたくなかった。

 永遠に終わらないと錯覚する程に組手だけが続けられる。

 攻撃する人間が同じであれば、最終的にはその思考を読み取り勝利に導く事は可能かもしれない。しかし、相手は常に自分の予測を容易く超えてくる。

 しかも、ご丁寧に一人の人間が同じ武器を使う事無く攻撃する為に、一輝もまた思考を読む事を最後はしなかった。

 

 同じ人間であれば武器が違えど思考回路は変わらない。これがこれまで自分が積み上げた経験に基づく対処方法だった。

 しかし、あの組手に関してだけを言えば、最初からあからさま癖を作る為に、行動が読み切れなかった。虚と実が混然となっているのと同時に得物まで変わる。終わりの方になってようやく間合に対する対処方法だけは辛うじて身に着けた程度だった。

 だからこそ、気が付かない。ステラが言い淀んだのは本当に同じ人なのかと思える程。

 自分もまた西京寧音の下で修業したが、それでも一輝の伸び率を考えれば、心中は穏やかではなかった。

 

 

「修行の間は完全に消息不明みたいな物でしたから、私も何も知りません。良ければ教えて頂きたいです」

 

「それに関しては流石に今は言えない。ここは懇親会の会場ではあるけど、一から十まで口にして良い場所じゃないから」

 

 一輝の言葉に珠雫だけでなくステラもまたさり気なく周囲を見やる。確かに会話はしているが、意外と意識はここに向いているのが直ぐに分かった。

 ここでは一輝の実力をブラフだと考える人間は誰一人居ない。明確に実力があるとだけ考えている。これまでの破軍であれば一笑したかもしれない。

 しかし、ここは本戦会場。誰もが一輝の事を噛ませ犬だとは考えず、自分達の勝利の障壁の一つだと認識していた。

 

 

「別に口にしても構わんぞ。その程度の事で修業だと言われればこっちも困る」

 

「リュウ。貴方、どこに居たの?」

 

「ちょっと野暮用だ。それにここいこれ以上居てもそれ程身になる事は無さそうだしな」

 

 龍玄もまたタキシードに身を包んでの会場入りをしていた。

 元々警備の関係で着る機会が多い為に、この場では一番身についている。場慣れから来る態度にはそれなりの貫禄があった。

 だからなのか、少しだけ疑問が湧く。これ程の存在感を示せる人間がどうして気が付かなかったのだろうか。誰もが余りにも自然に表れた為に、その特異性に気が付く事は一切無かった。

 懇親会会場は少しだけ喧噪が強くなる。そろそろいつ部の招待客による来賓の挨拶が始まる。

 既にこれからのスケジュールを知っている人間はゆっくりとその方向へと視線を向けていた。

 

 

 

 

 

 

「貴女は仮にも一国の皇女ですから、大人しく隣の部屋に居れば良かったんじゃないですか?」

 

「私も参加者よ。あんな所じゃなくても問題無いわ」

 

「どうやらもう少し世間と言う物を理解した方が良いんじゃありませんか」

 

「あの、二人共そろそろ抑えないと」

 

 ここは何時もの学園内ではなく、格学園が来る代表者が集う場。そう考えればこの二人のやり取りは余りにも危険だった。

 品格を下げるだけでなく、見えない何かもまた失われていく。珠雫だけでなく、ステラも相応の立場だけに、仲裁に出た一輝もある意味では必死だった。

 

 

「お二人共、そろそろ止めにしませんか?」

 

「十六夜さん。どうしてここに?」

 

 一輝の言葉に珠雫とステラの動きは停止していた。十六夜朱美の事を一輝だけでなくステラもまた知っている。今の状況で知らないのは珠雫だけだった。これが何時もであれば反論の一つもするかもしれない。しかし、弥生から出る雰囲気が完全に黙らせていた。

 

 

「今日は要人の護衛よ。そろそろ来賓の挨拶もあるし、このままでも面白そうだけど、品位を疑われる事になるわ。黒鉄君が注目されてるみたいなんだから、ここはお淑やかに…ね」

 

「そうですね。ここで品位を落としても良い事は何一つ無いようですから」

 

「そう。分かってくれると助かるわ」

 

 その言葉に、会場内の空気は少しだけもとに戻りつつあった。突然現れた人間が誰なのかは、ここに居る人間の殆どが知らない。仮に知った所でどうしようも無かった。

 まるでそのやりとりを事前に知ったかの様に、会場内にアナウンスが響き渡っていた。

 

 

 

 

 



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第56話 大会前夜

 挨拶が終われば基本的に来賓は会場から立ち去るのがこれまでの通例だった。

 実際に選手同士の親睦の目的が一番である為に、態々緊張する様な空気を作る必要が無い。そんな思いやりの一環だった。

 主催者の関係上、来賓もまた政治家や騎士連盟の関係者が殆ど。本来であれば総理の挨拶もまた含まれていたが、突然の総理降板に代役は官房長官の北条時宗が行っていた。

 政治の思惑をここに持ち込む必要がなく、また、選手も明後日からの戦いに意識が向いている。だからなのか、会場の空気もまた少しだけ熱が籠っていた。

 

 

 

 

 

「まさかここに来るとは思わなかったぞ。あの時の屈辱は忘れてねえんでな」

 

「負け犬がもう遠吠えか。随分と早いんだな」

 

「んだと………あれから俺はこれまでに無い程に鍛えた。本戦で戦う際には吠え面かくなよ」

 

「……雑魚に用は無い。俺も忙しいんでな」

 

 今回の懇親会は少しだけ毛色が違っていた。

 破軍学園襲撃の事実は既に誰もが知っている。本来であれば真っ先にその話を誰もがしたいと考えていた。

 何故なら今回の襲撃の際に偶然居合わせた人間がそれを解決したと考えるのは、無理がありすぎた。

 確かにそれぞれの実力が相応にあるのは分かる。ましてや、黒鉄王馬は国内のA級。それ以外の人物もまた一癖も二癖もありそうな人間ばかりだった。

 しかし、誰もが好奇心はあれど、口には出来ない。本戦に入るまでにどの学校もまた情報収集をしたものの、今年の破軍に関しては出場者全員が一年だったからだった。

 

 同じ学校の人間や、見知った人間であれば話のとっかかりは容易い。しかし、誰もが見知らぬ人物でもあると同時に、昨年のビックネームが軒並み不参加なのは異様としか言えなかった。

 黒鉄一輝が王馬の弟でもあり、魔導騎士連盟の支部長の息子でもある。実際の内容は兎も角、世間の持っている情報はその程度だった。

 それだけではない。F級と言う低ランクであるにも拘わらず、上位の人間を押しのけた実力を持っている。そうなれば、ある意味では今回の大会の目玉に間違いは無い。

 それと同時に王馬と同じくA級のステラ・ヴァーミリオンもまた出場するとなれば、僅かであっても情報を入手するのは当然だった。

 

 そんな中、異質の人物が一人。それが今回出場した風間龍玄だった。

 学内の成績は一言で言えば凡俗。可も無く不可もなくの成績でここに居るのであれば、数合わせ程度に過ぎないと考えていた。

 もう一人の黒鉄。一輝の妹の珠雫はB級だけあって情報はそこそこ手に入る。会場内の視線がその三人に向けられたと思った矢先の出来事だった。

 

 

「いい加減、俺を下に見てると足元攫うぞコラ」

 

「ちょっと蔵人君。そろそろ止めないと警備の人が来るよ」

 

「……分かってる。だが、これだけは言っておく。以前の俺と同じだとは思うなよ」

 

「そうか…ならば期待しない程度に気にしておこう」

 

 異様な雰囲気をぶち壊すかの様に蔵人の声は会場に響いていた。

 実際に昨年の順位はベストエイト。今年に関しても相応の警戒が必要な人物だった。

 そんな人間の口から出た言葉に一部の人間は警戒する。どこまでが本当なのかは分からないが、仮にそれが事実であればダークホースとなる可能性が高いと判断したからだった。

 その言葉をきっかけに周囲もまた少しづつ情報を収拾する為なのか、会話が始まる。最初とは違った意味で喧噪が復活していた。

 

 

 

 

 

 

「龍。あの人って確か貪狼の倉敷蔵人じゃないの?」

 

「そんな名前だったか。一々くだらない戦いしか出来ない人間の名を覚える必要は無いんでな」

 

「でも昨年のベストエイトなんだからさ」

 

「所詮はその程度だろ。だったらお前はもっと誇れば良い。ベストフォーの東堂とは引き分けたんだ。そう考えれば問題無いだろ」

 

「それはちょっと違う様な………」

 

「去年の順位は去年の話。今年とは顔ぶれは違う。一々気にするだけ無駄だ。それとも、お前は周囲に配慮して戦い方を決めるのか?」

 

 相手を下に見る様な物言いではあったが、ある意味では事実でもあり、そうでも無かった。

 昨年の優勝者でもある武曲学園の諸星雄大は昨年は二年だった事もあり、今年も問題無く出場している。下馬評では断トツだった。

 しかし、龍玄の言葉も間違いではない。二年で優勝であれば、今年も出来ない訳では無い。少なくとも龍玄の目から見て、気になる選手は一部を除いて皆無だった。

 

 非公式で黒鉄王馬を簡単に下している以上、余程のイレギュラーが無い限り、大よその順位の当たりはつく。自分の場合はこの戦いにそれ程価値を見出している訳では無い。

 小太郎からの話がどこで始まるのかだけ分かれば良いだけの事。勿論、理事長にもそう言っている以上、誰がどんな結果になろうが同じ事。

 それがそのまま口に出ただけの話だった。

 

 

「それは無いよ。誰だってここに来ている以上は頂点を目指すだけだ」

 

「ならば自分で答えを出しただけだ。それが全てだろ」

 

 余りにもあっけらかんと言われた言葉に一輝もまた何とも言い難い気分になっていた。

 道場で対峙したからこそ分かる。少なくとも龍玄の実力はそんな生易しいレベルでは無かった。

 常に一手以上先の動きを読まれ、全ての攻撃が自分へと跳ね返る。その結果、一輝は自分の実力が本当の意味で分からないままに終わっていた。

 龍玄もまた、それ程息が切れる事無く一輝に付き合っている。

 自分の棲んでいる世界とは明らかに違う事だけが分かった程度だった。

 だからこそ、名前を憶えていないのであれば、それ程手間がかからなかっただけに過ぎない。あの短い会話で一輝は何となくその事実を理解していた。

 

 

「俺は少し用事がある。確か退出は任意だったな」

 

「もう帰るの?」

 

「ああ。野暮用だ」

 

 会場に十六夜朱美の姿があった時点で何らかの用事があるのは間違いない。しかし、それが何なのかまでは分からないままだった。

 龍玄が会場から去った後、一輝やステラの周囲には見えない壁の様な物が何となくある様に感じる。それが何なのかを理解出来ないままに、時間だけがただ流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しい所悪かったね」

 

「大した話ではないんだ。問題は無い」

 

「そう言ってもらうと助かるよ。時間も勿体無いから、早速だけど今回の要件を伝えるよ」

 

 龍玄が向かったのは時宗が別で取った部屋だった。

 本来であれば主賓であると同時に総理の代役としてこの会場に来ている。立場的に考えれば、ある意味今回の重要な人物だった。

 にも拘わらず、周囲にはSPが存在しない。確実に特殊な要件がある為に、それを無視したのは間違い無かった。

 姿こそ見えないが、この周囲には風魔の人間が何人も隠れている。それを知っているからなのか、時宗は何時もと同じ口調だった。

 声を潜める必要も無い。だからなのか、今回の趣旨を改めて伝える事にしていた。

 

 

 

 

 

「了解した。だが、この大会に関しては我々にも思惑がある。その件に関しては何か聞いているのか?」

 

「小太郎の件の事かい?それなら聞いてるよ。

 実際にさっきの件もそれに少しだけ関わっているんだ。

 今回の例の五人のうち、黒鉄王馬とサラ・ブラッドリリー。この二人に関しては監視対象から外しても問題無いよ。だけど、平賀玲泉に関しては要警戒だね。少なくともこの国のデータベースには存在していないんだ」

 

「戸籍が無い………他国の工作員でも戸籍はあるのにか?」

 

「そうなんだよ。僕も念の為に、所属している部署にも確認を取ったんだけどね。生憎と月影氏に雇われた所までだね。その前に関してはきれいさっぱり何も無い」

 

 月影獏牙が失脚した際に、時宗は小太郎に依頼して今回の顛末を確認する為に表と裏の両方の観点から探りを入れていた。

 実際に総理は伊達では無い。幾ら議員からの選挙で成れるとは言え、その権力もまた相応にあった。

 

 これまでに分かってるのは私財で解放軍に依頼をしていた事。それの中で、破軍学園の襲撃をもって新たな団体でこの戦いに参戦する計画も発覚していた。

 そうなれば自国の教育機関にテロを仕込むと同時に、大きな計画の一歩を踏み出す。これがこれまでに分かって居る内容だった。

 

 本当の事を言えば、直ぐにでも公安を動かし根こそぎ抑えるのが筋なのかもしれない。しかし風魔の青龍を投入した時点で、その予定は無となっていた。

 事実、実行犯を既に捕縛した時点で情報はそこから得れば良いだけの話。時宗もまたその内の一人、シャルロット・コルデーから情報を引き摺り出していた。

 失脚させた月影獏牙の情報と齟齬が無いかを突き合わせる。その結果、八人の中で平賀玲泉の情報だけが実体が無いまま浮かび上がっていた。

 元々国内の伐刀者養成学校としては身元の調査は徹底的にするのが通例。にも拘わらず、何も無い人間をそのまま入学させた時点で異常としか言えなかった。

 各学園の経営者に確認をしても、回答に対して歯切れが悪い。

 元々調査が甘かった事を隠す為なのか、自分の立場を護る為なのか、真相は分からないままに時間だけが過ぎていた。

 

 

「だとしても、態々衆人環視の元で何かをするとは思えんがな」

 

「そうだね。一応は襲撃の際に合力した人間の参加としてる。だとすれば何かあっても責任は早々上がってこないだろうね」

 

 誰も知らないままの出場程危うい物は無い。本当の事を言えば、時宗もまた強権を発動させて出場をさせない様にしようとも考えた事もあった。

 しかし、風魔の青龍でもある龍玄が出場するのではあれば、最悪の事態だけは免れるかもしれない。そう考えたからこそ、この場に於いて最終的な確認をしていた。

  この時点で参加させた人間に何かが起こっても、大よその事ならば誤魔化せる。そう考えていた。

 

 

「それと、試合の盤外で何か起こった際にはこちらも何らかの動きを見せる事になると思う」

 

「そう。余り大事にはしてほしく無いんだけどね」

 

「それは俺が決める事じゃないんでな。これ以上は厳しいだろう。先にここから出る」

 

 話し合いは終わったと言わんばかりに龍玄は直ぐにこの部屋から姿を消していた。

 実際に一選手と閣僚が密会となれば勘繰られる可能性は否定できない。幾ら周囲は完全に固められているとは言え、万が一の事もあった。

 その言葉通り、部屋には時宗しかいない。時宗もまたこの大会で何かが起こらなければ良いがとの思いを持ったからなのか、人知れず溜息を付いていた。

 

 そんな中、携帯端末から一つの情報が流れてくる。それを見たからなのか、時宗は再度深い溜息をついたまま一言だけ言葉が漏れていた。

 

 

「面倒な事にならなければ良いんだろうけど、絶対に無理そうだね」

 

その言葉を確認する人間はこの部屋には誰も居なかったからなのか、そのまま宙へと消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「所詮はこの程度の実力とはな……大陸から来た魔人はつまらんな」

 

 仮面越しに聞こえる声には明らかに侮蔑が込められていた。

 この七星剣武祭はある意味では学生の大会ではあるが、この期間中には様々な人間がこの国に入っていた。

 正面を切って入国するのであればそれ程問題にはならないが、中には非合法なやり方で入国する人間も居る。実際に後者の場合は殆どが何らかの組織に属しているケースが殆どだった。

 大きな大会は人間の動きは自然と大きくなる。そうなれば絶好のテロの標的となる。

 実際に七星剣武祭の会場周辺は、騎士連盟の所蔵する団体が会場を警備している為に、そうそう実行される事は無かった。

 しかし、そんな厳しい警備を掻い潜れる人間もまた存在していた。

 伐刀者の中でもその上位の存在ともいえる魔人。世界中で確認されている人数はそれ程多くは無かった。

 実際に表立って公表している人間は居ないが、世界中の政治家の頂点に居る人間はその存在を確認している。当然ながらその確認かれ漏れている人間も存在していた。

 

 

「貴様………誰に手を出したのか知っているのか?」

 

「さあ?お前はこれまでに闘った雑魚の事など記憶してるのか?それとも弱いから一つ一つ覚えていないと怖いのか」

 

「何だと………ならばその身をもって知るが良い!」

 

 仮面の男の言葉に対峙した男もまた激昂していた。

 伐刀者が世界で確認されてから、その上位の存在として『魔人(デスペラード)』の存在もまた確認されていた。

 元々人間は生まれ持った素養を超える事は無い。それがこれまで伐刀者における実情を表していた。

 異能は成長しない為にランクを決める。その結果として組織を運用する際の目安として考えられていた。

 実際にこの国だけでなく、世界各国で伐刀者と言う者はこれでもかと思う程に研究されている。

 今の現状を決めたのは当時の研究者の論文。そこから更なる発展を見せる事が無かった為に、その内容は今日に至るまで採用されている。

 しかし、どんな物にもイレギュラーが存在する。

 

 既存の数値を超え、確実にその能力が上昇する人間が少なからず存在している。絶対数から見たサンプルでは論文の発表に至るまでには及ばない。

 しかし、元々あった自分の器を超えた能力を持った人間をそのまま『魔人(デスペラード)』と称して、世界に発表する事無く、所属する特定の国にだけ公表していた。

 そんな異常な人間の能力に限界は無い。伐刀者の戦いは異能を中心としている以上、異常な数値はそのまま戦力としてカウントしている。

 だからこそ、男もまた言葉を発すると同時に、仮面の男へと一気に距離を詰めていた。

 

 手にするのは刃渡り三十センチ程の幅広のダガー。しかし、その正体はそうだと思わせた六十センチ程の直刀を握っていた。

 得物の長さはそのまま攻撃の殺傷範囲に直結する。幻術程ではないが、武器の認識を狂わせた攻撃は脅威だった。

 非合法な入国をするのは裏の組織に属する証。男は裏社会に於いての名うての暗殺者だった。

 身体強化を限界までしたからなのか、僅かに地面を蹴った音だけがそこに残る。男の持っている刃の先には仮面の男の喉笛があった。

 頸動脈を斬り裂く事で時間をかける必要が無い。これまでに幾度となく行ってきたルーティンだった。

 

 

「怖い怖い。流石は裏社会に響いた人間だな。殺気位は消してほしい物だ」

 

 疾駆しながら向かった刃は喉笛はおろか、仮面の男まで届く事は無かった。

 気が付けば自分の肉体にも拘わらず、まるで自我を持たない機械の様に突然動きを止める。

 何が起こったのかを理解出来ないままに、男はそのまま地面を舐めていた。

 

 

「貴様、俺に何をした!」

 

「何を…寝言は寝てから言え。気が付かないままに突っ込んだ時点で勝負はついてる。お前はそれでも本当に魔人なのか?」

 

 仮面の男の言葉に倒れ込んだ男は冷や汗をかいていた。

 先程も魔人だと口にはしたが、それが本当の意味で理解しているのか分からなかった。しかし、再度尋ねたそれには明確な疑問が見える。その瞬間、色々な違和感が一気に浮上していた。

 誰にも気が付かれないはずのこの場所に居たのは本当に偶然だったのか。少なくとも自分の持つ能力であればそれを見分ける事は難しいはず。しかし、この仮面の男は最初からそうだと判断していた。

 魔人の持つ異能の力は分かる人間には分かるが、それ以外には判断は出来ない。仮に自分の身元が割れているとしても、疑問を浮かべるはずが無かった。

 だとすれば、答えは一つ。相手もまた自分と同じ可能性だった。

 

 

「まさか……貴様も同じ………なのか」

 

「それに答える義理はあるか?」

 

 その言葉が全てだった。原因が分からないままに自分の脚だけでなく、気が付けば全身が動く事を止めている。麻痺毒を盛られた訳では無い。こんな外で散布した所で効果が見えるはずが無い。少なくとも自分の知るうる中ではそんな技術は何処にも無かった。

 

 

「死後にゆっくりと悩め」

 

 その言葉が告げた瞬間、男の頸からは鮮烈な赤が噴き出していた。

 僅かに肉を絞めるかの様に皮膚が動いた瞬間、その頸は胴体から離れる。その表情は苦悶を浮かべ、目は見開いたまま。それが当然だと言わんばかりに仮面の男はその場から離れていた。

 先程まで闇夜だったはずの場所には雲の切れ間から月の光が漏れている。

 離れた瞬間とは言え、僅かに光った仮面には鳶の文字だけが描かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段であれば静かなはずの病棟に、一人の女性の弾んだ息の音だけが響いていた。

 本来であれば注意するはずの看護師もその内容を知っているからなのか、見て見ないふりをする。

 連絡があったのは本当に唐突だった。肉体の損傷は完全に治癒出来たものの、肝心の意識は戻らないままだった。

 事実、治療に当たった医師もまた頭をひねる症状。仮に頭部に損傷や衝撃があるならばまだしも、運ばれた時点ではそんな部分は一切見当たらない。

 当初は戦闘による疲労から来る物だと思われていたが、時間の経過と共にその可能性は少なくなっていた。

 現時点で医師が出来る事など何も無い。ただ目を覚ますまで経過観測するしかなかった。

 そんな中、突如目覚めた事に関係者は直ぐに連絡を入れる。その結果が今に至っていた。

 弾む息を一旦は落ち着かせ、何事も無かったかの様に扉をゆっくりと開く。ベッドの上に居たのは意識を失う前の知った表情だった。

 

 

「刀華さん。大丈夫なんですか?」

 

「うん。まだ少しだけぼんやりとはしてるけど、問題は無いよ」

 

 カナタの心配気な声など最初から無かったかの様に刀華は何時もと変わらない口調で話しかけていた。

 実際に破軍襲撃の際に一番状況が見えず、運ばれた生徒の中でも一番に厄介な状態で運ばれていた。

 銃撃戦があったにも拘わらず、そんな傷は何処にも見当たらない。可能性としては伐刀者と戦ったのではとの憶測もあったが、場所が場所なだけにその可能性はかなり低かった。

 

 銃弾を躰に受けた人間はある意味では分かりやすく、今回の襲撃は既にテロとして認定している。医師からすれば、そちらの方がある意味分かりやすかった。

 目に見える怪我なだけに、治療方法に澱みは無い。当然ながらIPS再生槽も並行して使う為に、それ程大事には成らなかった。

 しかし、東堂刀華に関してはその限りでは無い。

 下手に外傷が無い為に、治療方針が一向に定まらなかった。

 IPS再生槽を使用しようにも、肉体面での損傷は一切無い。可能性があるとすれば精神の問題だけ。

 当然ながらその前提があったからこそ、刀華が目覚めた瞬間、カナタにも連絡が届いていた。

 

 

「でも、大会には間に合わなかったけどね」

 

「それは…………」

 

「気にしなくても良いよ。仮に少し前に目覚めたとしても本戦でまともに戦えるのかは分からないから」

 

 カナタの曇った表情から察したのか、刀華はフォローとも取れない様な言葉しか出す事は出来なかった。

 実際に目が覚めないままにエントリーする事は理論上は可能となっている。しかし、試合に間に合わなかった場合、問題を指摘されるのは本人だけでなく、経営陣もだった。

 大会出場選手は体調管理など片手間で行う。一つの行為だけに全力を傾けるのは無意味だからだ。

 最低限の事すら出来ずに体調不良を理由に不戦敗となれば、今だけでなく未来にまで名が残る可能性があったから。

 だとすれば、不名誉な名は永遠とまでは行かなくても長きに渡ってしまう。そうならない為に、今回の襲撃を活かしてそのまま参加せずと変更していた。

            

 

「それに、気がかりな事もあるし………」

 

「確かにそうですね」

 

「そう言えば、一つ聞きたいんだけど、学園外の出場選手って事になってるけどあれって………」

 

「その件ですか……」

 

 刀華の言いたい事はカナタも理解している。

 少なくとも学園の襲撃実行犯が何故選手として出場しているのか。それと同時に、当時の正確な人数は分からないが、風魔が介入した事案である以上、何らかの都合がある事だけは予測していた。

 ただ、それが何なのかは分からない。だとすればその風魔に近いカナタに聞くのが一番の近道だと考えた末の言葉だった。

 

 

「今回の大会に関しては色々と政治的な思惑もある様です。詳しい事は私も知りませんが、少なくともある程度の意図がある様に思えます」

 

「それって…………」

 

 言葉を濁したカナタの表情を見たからなのか、刀華はそれ以上は聞く事が出来なかった。

 自分の意識が回復するまでに時間はかかっている事は理解している。しかし、その間に何が起こっているかを知っている訳では無かった。

 詳しい事は簡単に調べれば分かる話ではない。何よりも風魔が態々痕跡を残すとは思えなかったからだった。

 

 

「私も何となく程度しか知らない。と言うのが本当の事です。それよりも、少しだけ確認したかったんですが、刀華さんが戦った相手は今回の出場選手に居たんでしょうか?」

 

 露骨な話題転換ではあったが、刀華が倒れた原因を知りたいと考えていたのも事実だった。

 一度は風魔に刃を向けている過去があるだけに、それがどんな結果となっているのかが分からない。

 自分達と風魔との技量が絶対的に違うのは分かるが、刀華とて何も考え無しで動くとは思えない。

 だとすれば、そこにあるのは第三者としての勢力があったとしか考えられなかった。

 血だまりが出来た訳でも無ければ、目だった外傷も無い。そうなれば誰が何の為にと考えるのが自然だった。

 だからなのか、カナタの視線は自然と強くなる。それを察知したからなのか、刀華もまた隠すつもりは無かった。

 

「居ない。と言うよりも、私が戦った相手は仮面をつけてた。勿論、風魔かどうかは知らない。でも、あの雰囲気は私が知るそれじゃなかった」

 

「と言う事は別の組織がって事でしょうか?」

 

「組織的な感じは無かったと思う。でも、対峙してからどうやって意識を失ったのかまでが分からないの。その間がどうなったのかも含めてだけど」

 

 刀華の言葉にカナタの表情は僅かに曇っていた。仮に相当な実力があった人間があの場に居たと考えた場合、それがどんな結果をもたらすのかが全く読めなかった。

 仮面をつけた人間が早々居るとは思えない。だとすれば、龍玄に聞くよりは朱美に聞いた方がまだ良いかと考えていた。

 自分達の庭で好き勝手な事をされて嬉しいはずが無い。刀華が手も足も出ない状況が想像出来ないのであれば、相手もまたかなりの手練れの可能性が高かった。

 だからこそ、刀華の記憶の中から情報を精査し万全を期す必要が有る。目的が何なのかによっては更に何らかの措置を取る必要があったからだった。

 

 

「でしたら詳しい事は知っている人間に聞いた方が早いかもしれませんね。そう言えば、本戦の観戦はどうしますか?」

 

「そうだよね……確かチケットが必要だったんだよね」

 

 カナタの言葉に刀華は渋面を作っていた。

 ここで小さな画面で観戦する事は不可能ではない。しかし、今回の大会はある意味では破軍に喧嘩を売っている様な物だった。

 表向きではない、本当の事実。カナタの言葉を信じるのであれば、その相手を直接見たいと思うのは当然だった。

 しかし、そのチケットの入手が簡単でない事は明白。幾ら関係者と言えど、その数に限りがあった。

 

 

「その点は問題ありませんよ。私の方で手配しますから」

 

「……我儘言ってゴメン」

 

「気にしないで下さい。私も刀華さんの意識が戻ったのであれば会場へと向かう予定でしたので」

 

 刀華に気が付かない様にカナタはそのまま話を進めていた。刀華と対峙した人間が、今後どんな影響を与えるのかを考えれば、その対策を取るのは当然だった。

 身近になった事で忘れそうだが、風魔は自分達に敵対する人間に関しては容赦はしない。事実、経済界で未だ話が消えない風祭ショックはその舞台裏を聞いているからこそ、迅速な対策を取る事が出来たに過ぎない。

 

 本当の事を言えば風祭凛奈がどうなったのかも知りたいとは思ったが、それに関しては何一つ知る事は無かった。

 少なくとも学園が狙われているのであれば、自分に出来る対策を取るのは当然の事。

 大会中であれば、少なくともここに居るよりは動きやすいのは考えるまでも無い。そんな思惑があったからこそカナタは刀華の言葉にそのまま乗っかる事を決めていた。

 

 

 

 



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第57話 水面下

 普段の様子を知っている者が見れば、有りえないと思わず口にするかの様に一人の男は真剣な表情を見せていた。

 ここは総理官邸ではなく、ただのホテルの一室。本来であればこんな場所で話をする様な事では無かった。

 男の前に座っているのは、内閣情報調査局の審議官。

 本来であればこんな状況で話をするはずが無い物。しかし、内容を精査した結果、一刻も早い判断が必要とされた結果だった。

 

 

「身元は未だ不明ですが、少なくとも今回の内容は到底公表出来る物ではありません。下手をすれば大きな混乱を呼ぶ可能性があります」

 

「だとすれば、君は何をする為に態々こんな場所まで来たんだい?公表出来ないと判断したなら関係各所に連絡するだけのはずだけど」

 

 当然だと言わんばかりの言葉に審議官もまたそれ以上は何も言えなかった。

 未だ公表されていない事実。それは昨晩の伐刀者の殺害現場にあった。

 只でさえ今回の七星剣武祭は色々な意味で注目されている。破軍学園の襲撃テロ事件は関係者が思う以上に世間のインパクトは大きかった。

 

 国防の一翼を担う若き資質は意外な程に想定外の出来事に弱い。

 実戦を何も知らない生徒であれば当然の事ではあったが、本当の意味で学園の異議を理解していない人間はそんな風には取らなかった。

 税金と言う名の公費を投入して作り上げたシステムではあるが、予想を上回る所か落胆さえ思わせる結果に、ある意味では国防におけるこの国の存在と言う物を改めて考えさせられていた。

 

 今のこの国を取り巻く環境はある意味では混沌としている。表面上は穏やかではあるが、内部は随分とキナ臭くなりつつあった。

 これまでにも幾度となくあった解放軍のテロは、最近になってからは随分と目立ち始めている。現時点では直ぐに鎮圧されている為に、世間的には大きな話題にはなっていないが、治安を預かる側からすれば、決して楽観し出来る様な物ではない。

 下手な鉄砲を数撃てば、その内に国民は気付く事になる。自分達の取り巻く環境がどれ程危ういのか。だからこそ、失脚した月影の思惑は一刻も早い魔導騎士連盟からの脱退を予定していた。

 

 事実、党の方針もまたそれに沿った形で動き、支持を集めている。実際に魔導騎士連盟が考える組織の在り方は、今の保険に近い相互扶助。しかし、その実態は日本を中心とした実力のある国からの派兵が全てだった。

 相互扶助であれば困った時にはお互いが助け合う。それが建前である事は国民もまた知っている。

 今回の襲撃関しても結果的には鎮圧はしたものの、その存在意義が本当のに正しいのかが疑わしくなりつつあった。相互扶助を声高に叫ぶ割に、他国は何もしない。その為に、不満もまたゆっくりと溜まりつつあった。

 戦力の派兵には膨大なコストが必要となる。騎士連盟からも多額の助成はあるものの、それでもやはり、持ち出す部分が余りにも多くなっている。

 恩恵を受けるのではなく、支出のみとなれば、自国の屋台骨が大きく崩れる。国防と経済の観点からすれば看過出来る内容では無かった。

 そんな状況と今回の事件にどう繋がりがあるのか。審議官の言いたい事は何となく理解しているものの、敢えて口にする事は無かった。

 

 

「……官房長官。少なくとも、あの殺害された伐刀者が正規の手続きで入国していないのは間違いありません。本当の事を言えば、我々としては最初から事件は無かった物としたいのです」

 

「それが正しいのであれば、そうすれば良いんじゃいのかな?」

 

「それが出来ないから、こうやって時間を頂いたんです」

 

 苦渋の決断だと言わんばかりに審議官の表情は苦々しい物となっていた。

 密入国者が殺害されたとしても、国としては完全に放置しても問題にはならないはずの事。しかし、問題なのは、その男が珍しく所持していた物だった。

 密入国で入ったからと言って、直ぐに何かが起こる訳では無い。これまでにも幾度となく密入国者を捕縛した際に、その殆どが直ぐに生活できる様に幾つかの日常品と紙幣を所持しているのが大半だった。

 他の国とは違い、完全に経済は完成されている。物々交換ではなく、貨幣経済であればその程度で十分だった。

 しかし、遺体にはこれまでにあった通貨の類よりも厄介な物を所持していた。

 

 

 『大国同盟(ユニオン)』の証となる所持品。

 

 これが今回の最大の厄介事の元凶だった。

 通常の密入国であれば直ぐに入国管理局によって排除できるが、これが本物だった場合は更に面倒になる可能性があった。

 実際に世間には余り知られていないが、この世界は微妙なバランスで成り立っている。

 世界大戦が残した最大の瑕疵。それはこの国が勝ちすぎたが故に起こった内容だった。

 

 世界中が戦争に明け暮れた際に、一番のよりどころはその戦力になる。

 近代兵器を備えた他の国に対し、この国は異能を使う人間を優先的に軍事運用していた。

 航空機の様に大きな姿をさらしながら膨大な燃料を使う兵器とは違い、人間の場合は燃料を必要とはしない。精々が移動する際に使用する程度。

 戦闘行為さえしなければ、燃料は幾らでも節約できていた。

 

 レーダーにも映らず、気が付けば敵の懐の奥深い所から一気に破壊する。特攻の様に己の死を前提にするのではなく、敵の懐に潜り込んでからの殲滅をもって終了するやり方はある意味では恐怖でしかなかった。

 ゲリラ戦の様に神出鬼没に動き、大量破壊兵器の様に一気に殲滅する。その結果として、資源の無い島国が大戦を制していた。

 そうなれば、後は実に簡単に事が進む。

 大国と呼ばれた国は敗戦した事を世界に伝え、戦争はそのまま集結する。それが今の歴史だった。

 しかし、それはある意味では今のシステムを作ったキッカケになっている。

 

 敗戦国はこれ以上の損害を受ける前に何とかするしかなく、その結果として幾つもの国を巻き込んだ巨大な組織を作り上げていた。

 それが今の『魔導騎士連盟』や『大国同盟』となっていた。

 当時は対抗措置の為に作られたものの、時間の経過と共にその意味合いは大きく変わっていた。元々戦勝国がこの組織に加入した際には、政治的な駆け引きによって血が流れている。

 一つの国だけではなく、複数の国によって作り上げられた組織。それは結果的に参加した国を自分達の組織の下であると錯覚させていた。

 支援される目的で作られているが、実際には支援する側になっている。そうなれば大きな利権を生む土壌もまたそこに存在していた。

 

 その結果、気が付けば巨大な組織はそのまま一つの国家と同じ権利を持つまでに成長している。

 当然ながら組織を作った国は支配される側へと転落していた。

 本来であればそのまま互いの組織が対立を深めるだけに終わる。そうならなかったのはもう一つの組織『解放軍』の存在だった。

 

 

「仮に殺害された人間がそうだと仮定した場合、何らかの接触はあるだろうね。だが、我々としては密入国者の管理までは責任を負う事は出来ない。それ位の事は相手だって理解してるさ」

 

「ですが………」

 

「君の言いたい事は分からないでもない。だが、現時点で出来る事は何一つ無いんだ。あれが仮に本物だとしても、()()()()()()()所持者かどうかは不明だからね」

 

「……確かにそうです。……分かりました。此方もその方向で各所に調整します」

 

 時宗の言葉に審議官も漸く理解をしていた。

 仮に当人だと言い張ってとしても犯罪を行ってまで入国したのであれば、政府としてもそこまで情報を確認する必要は無い。

 寧ろ、それを基にこちらから追及すれば良いだけの話。

 犯罪者が極秘裏に消されたとしても、司法の手を煩わせる必要性が無い事を正々堂々と口にすれば良いだけの話。少なくとも他国がこの件に関与するとなれば、必然的に主導した事を同意した事になる。

 態々火種を作ってまで何かをするとなれば、相応の説明責任が必要だった。 最悪は世界に向けての宣戦布告。そんな事をしたいと考える国は現時点では存在していない。

 それを理解したからなのか、審議官の表情は少しだけ明るくなってた。

 

 

(ああは言ったけど、実際にはこちらに接触するのは当然か。学園のテロはある意味では国防の揺らぎを示した様な物。あの人も厄介な置き土産を残してくれたものだ)

 

「あの………」

 

「ああ。済まないね。何かあればこちらも直ぐに対処する様にしよう。それまでは、この本戦を楽しむと良い」

 

 その言葉に審議官は退出する。少なくとも侵入した人間は、これ程混雑する時期を狙ったのであれば、何らかの意図が透けて見えるのは当然の事。誰も居なくなった部屋で時宗は再度深いため息をついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが本戦…………」

 

 七星剣武祭の開会式は厳かに始まっていた。

 元々学生同士の祭典の様な意味合いではあるが、それはあくまでも外部から見た話。出場する人間からすれば大戦の前の静けさに過ぎなかった。

 昨年の優勝者でもある武曲の諸星雄大が優勝旗を返還する。その瞬間、会場内に雷鳴の様に鳴り響く拍手に一輝は珍しく高揚していた。

 

 

 

 

 

「どうしたのイッキ」

 

「いや。少しだけ感慨深いなと思って」

 

 既に会場は挨拶を終え、各自が控室へと移動していた。

 入学当初、この大会に臨むべく努力をしたものの、歪んだ悪意によってその行程は容易くは無かった。

 無理矢理捻じ曲げられたカリキュラムによって、自分の未来は完全に閉ざされていたあの頃。そう考えれば、今のこの場所は自分が望むべくして起こった結果だった。

 だからこそ、開会の場の空気に一輝は感動に近い物を感じ取っている。

 それがステラにも伝わったからなのか、一輝への言葉をかけた結果だった。

 

 

「そう……でも、それは最後まで残れたらの話じゃない?」

 

「そうだね。少なくとも僕はステラに当たるまでは負けるつもりは無いよ」

 

 そう言いながら一輝は改めてステラの様子を窺っていた。

 自分が龍玄の下で修業をすると同じくして、ステラもまた、自身の更なる向上の為に臨時職員の西京寧音の下へと行っている。

 当時は解らなかったが、今ならそれが分かる。少なくともステラの能力は予選会終了後に比べて大幅に変わっていた。

 見た目にはそれ程の違いは無い。しかし、内包される魔力のケタが確実に違っていた。

 

 以前であれば多少は魔力の揺らぎの様な物が見えたが、今は完全に見えない。完全に制御され研ぎ澄まされた事によってなのか、ステラから滲み出る何かが決定的に違っていた。

 一輝自身には望めない力。それを誰よりも理解しているからこそ、自分の技量を高める事を優先していた。

 

 

「そうね。イッキも以前に比べれば何かが違ってる様に感じるけど、実際には何をしてたの?」

 

「……まあ、色々と…かな」

 

「本当に?」

 

「何でそう思うの?」

 

「だって私が居ない間は完全に誰も居ないのよ。シズクが何かするんじゃないかと思ったんだけど………」

 

 ステラが寧音の下に行く際に一番懸念した事だった。

 今は同じ部屋ではあるが、ステラが不在となれば一輝は完全に一人になる。肉親ではなく、一人の女としての感情を理解しているからこそ、ステラもまた悩んでいた。

 しかし、一輝の目標を考えればそれは信用していないのと同じ事。だからこそ、多少の釘は刺した物の、それ以上の事に関しての言及はしなかった。

 

 

「そんな暇は無かったよ。朝から晩まで、とにかく時間が惜しいと思える程に詰め込まれたから………」

 

「リュウの所に行ったのよね?」

 

「うん。それが今に至るんだけどね」

 

 ステラの言葉に一輝は何かを思い出したかの様に遠い目をしていた。

 実際にお客さん扱いは最初からされていない。寧ろ、事ある事に常に戦いを強いられていた。

 

 常在戦場の心構えは日常から養う。その結果として鋭敏な感覚を掴まざるを得なかった。

 攻撃の雰囲気とその動きや感情の揺らぎを読まなければ組手で生き残る事は出来ない。事実、一輝と対戦した人間は全員がそれを当然の様に使っていた。

 常時見切りの状態が続く為に、僅かに漏れた呼気と筋肉の動き。それがどんな影響を及ぼすのかは言うまでも無い。

 最終日まで安穏とした生活を送る事は不可能だった。

 

 ギリギリ生活を送るだけの体力は残るが、そこから何かをするだけの余裕はない。肉体を休ませている時間でも、脳内では常に戦いに浸るしか生き残れる道は無い。

 実際に何があったのかを口にする事は可能だが、その意味を正しく理解出来る人間は誰一人居ない。

 帰って来てからも多少の取材を受けたものの、詳細を一度も口にする事は無かった。

 

 

「詳しい事は分からないけど、以前よりも一回りも二回りも成長してると思う。何をどうしたらそうなのかは分からないけど、今のイッキは強いわよ」

 

「ステラにそう言われると嬉しいかな。今は兎に角一回戦をどうやって勝ち抜くかだよ」

 

「モロボシ・ユウダイって去年の優勝者よね」

 

「ああ。相手にとって不足は無いよ」

 

 ステラとの話で一輝の感情は平時に戻っていた。

 先程までは興奮なのか、それとも昂ぶっているのかは分からないが、少なくとも平常心がある様には見えなかった。

 ステラは母国でも大きな戦いを経験している為に、それ程緊張する事は無い。

 しかし、一輝はこれがある意味では初めての戦い。学内での予選会はあったが、あれと同じだとは思えなかった。

 

 だからこそ無意識に出る緊張感はある意味では厄介だった。

 幾ら鍛えても心身のバランスが取れなければ、本当の意味でのパフォーマンスを発揮する事は無い。事実、予選会の初戦で戦った際に経験したそれを理解しているからこそだった。

 何気なくステラの顔を見る。ステラもまた一輝の表情が少しだけ変わった事を理解したからなのか、お互いの時間が僅かに止まっていた。

 

 

 

 

 

「少しでも目を離せばすぐにこれですか。本当に嘆かわしい。それとも発情期なんですか?」

 

「は、発情期って……べ、別にそんなつもりじゃないわよ!」

 

「だったらどんなつもりですか?ここは己の力の限りを振り絞り、互いの生存本能を最大限に活かす事によって優劣を決める場所ですが」

 

 珠雫の言葉にステラはそれ以上は何も言えなかった。

 事実、お互いが見つめ合った訳では無いが、少なくとも数分はその場に止まっている。一時期のスキャンダルの事が蘇ったからなのか、関係者は誰もがそれに対し口を開く事は無かった。

 唯一それを壊したのは珠雫だけ。幾ら抗弁しようとも、珠雫の冷めきった眼が温かくなる雰囲気は皆無だった。

 

 

「それは分かってるわ。ただ、イッキがあの時みたいになってないかと思っただけよ」

 

「………そう言う事にしておきます。ですが、大会中はなるべく接触は慎んでください」

 

 一輝の為と言われた事により珠雫もまたそれ以上の事は何も言えなかった。

 実際に予選会の一輝を知っているのであれば、心配するのは当然だった。

 確かに鍛錬によって強靭な肉体を持つ事が出来たとしても、精神はその限りでは無い。ステラに言われるまでもなく珠雫もまた同じ事を考えていた。

 学園としても体面も大事かもしれない。しかし、一人の女として一輝の事を気遣うのは当然だとも考えていた。

 ステラにこそあの場は攫われたが、珠雫とてステラをそのまま放置するつもりは無い。

 今はただ良い女を演じる為に、物分かりが良いフリをしたに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、初戦から最大の相手だな」

 

「確かにそうなんだけど…………」

 

 ステラと珠雫が言い合いをしている頃、一輝もまた龍玄と話をしていた。

 トーナメントの関係上、一輝が龍玄と闘う可能性があるのは決勝。その間に、幾人もの実力者との戦いが挟まれている。

 幾ら道場で厳しい時間を過ごしたとしても、一輝は結果的には目に見える成果を残す事は出来なかった。

 だからなのか、言葉に何となく力が無い。ステラからはああ言われたものの、実際に自分がどうなっているのかを理解出来ないままだった。

 

 

「弱いくせに一々気にするな。道場の人間は、少なくともこの場に於いて勝てる人間は早々居ない。異能を横にすれば、確実に勝てる人間は一握りだけだ」

 

「え……そう…なんだ」

 

「お前がどう思うかは勝手だが、紛れも無い事実だ。初戦の相手にはある意味相応しいだろうな。修行と言う程ではないが、己が積み上げた物を実感するんだな」

 

 余りにもあっさり言われた事によって一輝は少しだけ硬直したままだった。

 少なくとも道場での戦いで余裕はおろか、全てが全身全霊で戦わない限り、一瞬で終わる。幾ら血反吐を吐こうが、そんな事すら考慮する事無く濃密な時間だけが過ぎていた。

 肉体が完全に癒えたのは最終日で再生槽を使ったから。それ以外では余程の事が無ければそのままだった。

 変に癖が付く可能性もあったが、それはあくまでも長期化した場合の話。

 分かりやすく躰を庇った時点で、そこを徹底的に狙われた記憶が蘇っていた。

 

 

「それでも不様を晒すなら、俺がお前を介錯してやる。潔く腹を斬れ」

 

「手厳しいね」

 

「分かってる結果を知るだけの話だ」

 

 言葉こそ荒いが、龍玄の言葉に一輝もまた改めて自分の事を見つめ直していた。

 厳密に言えば力云々が問題になっている訳では無い。先日、夕食に誘われた諸星雄大の話を聞いた事が少しだけ気になったからだった。

 七星剣王になる為には実力だけではなく、運も必要となる。トーナメント方式である為に対戦相手に恵まれる要素は絶対。しかし、そんな事よりも問題なのは心意気だった。

 

 自分はあくまでも自分の為に戦う。少なくともそれが他の選手にとっても当たり前だと考えていた。

 しかし、これから対戦する相手は自分の事も去る事ながら、妹の、肉親の為にと言う感情を持ち合わせていた事。単純に責任と義務を比べれば自分よりも相手の方が遥かに重い。

 ましてや今年が三年であれば、その想いは尚更。自分の薄っぺらな感情で本当の意味で勝つ事が出来るのかと考えた。

 これが龍玄であれば、そんな想いは無駄だと言い捨てるかもしれない。しかし、一輝にとってはそれが大きな意味をもっていた。

 だからこそ、先程の言葉によって自分の迷いは僅かに消える。試合会場で戦うのは妹でも無ければ応援してくれる人間でも無い。誰よりも自分が自分を信じるよりなかった。

 一度だけ大きく深呼吸をする。一輝の眼に迷いは完全に無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珍しいわね。試合直前に檄を飛ばすなんて」

 

「あの程度がか?どうせくだらない考えを何時までも引き摺ってるだけだ。幾らその状況を目にした所で所詮は盤外戦に過ぎない。

 そんな事よりもあれが目立てばこっちも楽が出来るんだかな。多少はそう言った事もするさ」

 

「確かにそうかもね。それと、頭領から少しだけ情報よ。極秘裏だけど、最近になって、賊を一つ葬ったらしいんだけど、どうやら段蔵が絡んでるかもって」

 

「段蔵が?」

 

 一輝と別れた後、龍玄は少しだけ会場から離れていた。

 実際に戦いが始まったとしても、忙しいのは運営と当事者だけ。出場者に関しては各々が自分の足るべき事をしていた。

 龍玄自身は態々緊張をほぐすつもりは毛頭ない。時間を潰す様に少しだけ離れた公園のベンチに座った瞬間だった。

 背後からは微かに女の声が飛んでくる。時宗の護衛として動いていた朱美の姿がそこにあった。

 

 

「検視はしたけど、該当する裂傷は分かりにくいって。当時の時系列が全く不明だそうよ」

 

「そうか。で、俺達に絡んでくる可能性があるって事なのか?」

 

「その辺りは分からないわね。でも『大国同盟』の人間らしいわよ」

 

「って事はもう切り崩し工作が始まってるのか?」

 

「可能性は大かもね」

 

「結果は同じなんだがな」

 

 龍玄の言葉に同意しているからなのか、朱美もまた同じ様な感情を持っていた。

 裏の事情に詳しい人間であれば、風魔は傭兵であると言う認識は確かに持っている。

 基本的に報酬有りきで依頼をこなすのであれば、当たり前の事。しかし、傭兵だからと言って、全ての依頼を受ける訳では無い。

 時には高額な費用を提示される事もあるが、それを簡単に蹴る事もある。

 内容に関しては頭領でもある小太郎が全て調整する為に、下の人間にまで話が来る頃には既に内容は固まってから。小太郎が何を考え、依頼を受けるのかを知るのは四神と呼ばれた人間だけだった。

 だからこそ、今回の様にキナ臭くなった場面での切り崩しの意図は龍玄だけでなく朱美も読める。

 段蔵が始末したのは偶然だが、こちらに対し、何らかの接触を図る為であるのは明白だった。

 

 

「って事はあのジジイの命は然程残っていないって事になるな」

 

「既に本部の人間も所在を正確に知る人は居ないらしいわ。定時報告があるから存命だって話だけど」

 

 誰が聞いてるのか分からない場所での明確な単語は色々な憶測を呼ぶ。勿論、周囲には誰も居ない事は二人も理解しているが、万が一を考えた末の会話だからなのか、ジジイが誰をさしているのかを口にする事は無かった。

 

 実際に、今の状況が辛うじて保たれているのは解放軍の存在があっての事。しかも、その組織の長でもある『暴君』は大戦の頃から今に至るまで未だその存在を保っている。

 奇しくも歴史の中にあった三国志と似た様な状況になっているのは風魔の中では周知の事実。それが今の仮初の平和を作り上げた要因だった。

 

 只でさえ解放軍は一人のカリスマによって組織の体を成しているが、実際には破落戸(ごろつき)の寄せ集めに過ぎない。幾ら銃器で武装し様が、所詮は弱者に対する蹂躙程度だった。

 しかし、今回の破軍学園襲撃でそのイメージが確実に覆ったのも事実。魔導騎士連盟はその件に関してのアナウンスは出していないが、実際にはかなり厳しい選択を迫られていた。

 国家と組織に対し、事実上の宣戦布告と同じ行為を受けている。結果として短期間で鎮圧されたものの、襲撃された事実が消える事は無い。

 それと同時に、短期間で終息した理由もまた朧気ながらに知られていた。

 

 政府からの依頼で風魔が動き、その結果として多額の報酬も受けている。

 表面上はスクリーニングされている為に資金トレースは出来ないが、あの時点で解決できる組織が限られている以上、その答えは明確だった。

 今の時期に動くのは、大国同盟は魔導騎士連盟を歯牙にもかけていない証拠。それと同時に、政府の影の刃として使う風魔を取り込めば、最悪の展開になったとしも被害状況は軽減できるだろうとの予測が立っていた。

 だからこそ、今回の切り崩し工作。小太郎が頷かない事を理解しているからこそ、龍玄だけでなく朱美もまた今回の件に関しては自ら積極的に動く事はしなかった。

 

 

「崩壊寸前の組織ってのは色々と面倒なだけだな」

 

「少なくともこの国が取れる選択肢はそれ程多くないし、実際に月影が失脚した時点で大よその目論見もそのまま消滅。だとすれば、あの人も苦労するかもね」

 

「……偶には本腰を入れて動くのは当然だろ。俺は当初から予定された事だけを実行する。後の事は上が勝手に考えるだろう」

 

 肥大化した組織の舵取りは容易ではない。

 トップの意識は下にまで完全に浸透する事は無い為に、急な変化は混乱を招くだけ。解放軍が今になって動くのはそんな意味合いがあった。

 この国がどうなろうが、自分達には関係ない。だからなのか、余程の厳しい内容でない限り、未定の未来について考えるつもりは無かった。

 朱美の言うあの人は時宗の事。少なくとも襲撃事件から今に至るまでに世間が気が付かないままに厳しい状況に追い込まれている事に間違いは無かった。

 

 

「そうね。私達も色々と任務が入ってるから、忙しくなるわ」

 

「任務?時宗の護衛じゃないのか?」

 

「それもだけど、色々あるのよ。貴方は少しだけ大会に集中しないさい。初戦はあれなんでしょ」

 

「あの程度に負ける要素は最初から無い。目立たない様に()()に勝つだけだ」

 

「地味……ね」

 

 朱美の言葉に龍玄は再度対戦相手の事を思い出していた。

 懇親会でも少しだけ羽目を外したのは知っているが、あれ程堂々としているとなれば話は別。

 少なくとも風魔の人間であれば目立つ様な真似はしない。実力を誇るのはある意味では盤外戦に近いかもしれないが、そんなくだらない行為で自分を知らしめるのは無策としか言えない。

 まさか学生の大会に裏の人間が参加するとは考えていなかったのだろうか。

 

 現時点で龍玄の対戦相手に関する情報はくまなく調べ上げている。裏の人間に対し、自分の情報が丸裸になっている事実を知らないのであれば敗北は必至。未だ気が付かないのであれば所詮はその程度だと言っているのと同じ事。

 だからこそ龍玄は慢心する意味では無く、完全に調べ尽くした相手だと言う認識を持っていた。

 

 

 

 

 

「あら?どうやら終わったみたいね。予想外の結果に少しだけ空気が違うのかも」

 

「当然だ。それなりに力は入れたからな」

 

「珍しいわね」

 

「これも任務の一つなんでな」

 

 朱美の言葉通り、会場での試合が完了したからなのか、少しだけ空気が違っていた。

 ドーム会場は音を遮断する造りになっている。にも拘わらず、聞こえるのであれば会場の中は更に大きな声になっているはず。

 時間的に誰が戦っているのかを知っているからなのか、龍玄の口元は僅かに吊り上がっていた。

 

 

 



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第58話 初戦

 会場内は開会式とは違った空気に包まれていた。

 既に会場内からは割れんばかりの歓声と応援しているであろう選手の声援が聞こえる。

 本来、選手の控室には集中出来る様な防音施設が設置されているが、この試合に関しては無意味でしかなかった。

 会場の異様な空気の原因は分かっている。ここが大阪であり、そして自身の対戦相手の地元。ましてや昨年の七星剣王となれば当然だった。

 これが普通の選手であれば圧倒的なアウェー会場に実力を出す前に負けるのかもしれない。しかし、今の自分はそんな空気よりも自分自身を求めれている対戦相手の存在感の方に意識を向けていた。

 何時もであれば何も思う事が無いはずの時間。檄を飛ばされたからなのか、今の自分の意識は完全にこれから始まる戦いに集中していた。

 

 

「では、黒鉄選手。入場をお願いします」

 

「はい」

 

 余りにも落ち着いた表情に、呼び出しに向ったスタッフは内心驚いていた。

 少なくともこれが初出場の一年生の心情なのか。これまで幾度となくこの控室に呼び出しの為に足を運んだが、ここまで落ち着いた雰囲気を見せた選手を知らなかった。

 だからなのか、今回の戦いの未来に少しだけ関心を示す。これまでに一度もそんな感情を持った記憶がなかったのは、偏に自分に感覚にピンとくる人間が居なかったから。

 自分の後ろを歩く選手がどんな背景を持っているのは知っているつもりだが、少なくともそんな情報は何の役にも立たない事だけは実感していた。

 

 背後から来る圧倒的な存在感。にも拘わらず、気負う雰囲気は微塵も無い。一歩一歩と歩くにつれ、観衆の声は次第に大きくなる。これからどんな戦いが始まるのだろうか。呼び出しのスタッフもまた、これまでに無い程に気持ちが高揚していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ程大きな歓声って、早々無いんじゃないかな。少なくとも私の時は無かったよ」

 

「今年は波乱が前提ですから、ある意味仕方ないかもしれませんね。それに建前上は実力者が集まっている事になってます。その中での優勝であれば、相応に価値はありますから」

 

「建前上……ね。こんな中ではやりにくく無いのかな」

 

「それに関しては大丈夫ですよ。この程度の歓声で気圧されるなら、所詮はその程度でしかありませんから」

 

「手厳しいね」

 

「事実ですから」

 

 刀華の言葉には僅かに含みがあった。破軍学園襲撃事件以降、今大会の発表の際に出された内容は当事者であれば、到底許せる様な言い方では無かった。

 しかし、会場に来る観客からすれば、そんな裏事情は碌に知らない。それを分かっているからこそ、それ以上の感情を持つつもりは無かった。

 どんな説明をしたとしても、結果が全て。ましてや自分も選手だったにも拘わらず、試合会場ではなく、観客席に居る事が全てだった。

 自分は今回の襲撃者と対峙していない為に、気持ちの行き場は何処にも無い。だからと言って、学園の優勝を願う事に変わりはない。

 そうなれば、自分の感情を一旦押し殺すしかない。カナタの言葉に刀華もまた少しだけ冷静になっていた。

 

 会場の湾岸ドームは既に決勝戦かと思える程だった。

 観客席に居る刀華とカナタは隣同士に座っているが、その声すらも聞き取りにくい。お互いが至近距離で話す事によって漸く会話が成立する程だった。

 刀華が言う様に、既に会場のボルテージは尋常では無かった。

 昨年の準決勝でもこれ程の歓声が上がっていた記憶は何処にも無い。既に対戦相手を知っているからこそ、刀華は少しだけ一輝の心配していた。

 一方のカナタはこの大会が始まる前、一輝がどこで何をしていたのかを正確に理解していた。

 元々朱美と話をしたのがキッカケではあったが、その内容はカナタから見ても厳しいとさえ考えていた。

 

 実際に破軍学園は事前合宿で宝蔵院槍術の門を叩いている。あの時もまた厳しい内容ではあったが、その中には多少の優しさも含まれていた。しかし、風魔の前線基地でもある道場ではそんな優しさは最初から無かった。

 常に戦いに明け暮れ、睡眠の中でさえも戦いを欲しなかれば、目の前の相手を倒す事は困難でしかない。得物もまたバラエティに富んでいるからなのか、じっくりと様子を見た時点で負けが決定されていた。

 神速ではなく最速で動く体捌き。それに対応出来ない時点で意識が飛ぶ環境は既に大会前の調整の概念ではない。寧ろ、これからが本番だと言わんばかりだった。

 だからこそあの重圧に耐えうるのであれば、この程度の歓声は雑音でしかない。

 カナタもまた少しだけその事実を知っているからこそ、眼下で対戦相手を待っている諸星雄大には何の重圧も感じていなかった。

 

 

「でも、実際にはそうなんだろうね」

 

「したり顔の人間であれば、昨年の刀華さんとの再現の様に感じているかもしれませんね」

 

 カナタの言う昨年はまさに間合を完全にコントロールされた結果だった。

 クロスレンジでの接近戦を避け、常に自分の間合いで攻撃を続ける。何も知らない素人からすれば面白くない戦いかもしれないが、対戦している選手や玄人からすれば、ある意味当然の戦術だった。

 自分の得意な間合いで相手を封殺するのは一番リスクが少なく、効率的なやり方。

 態々自分の身を晒してまで厳しい戦いをする必要性は何処にも無い。

 それをするならば映画をみれば十分だと言える程だった。

 カナタの言葉に当時の事を思い出したのか、刀華は少しだけ眉根を寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初戦で戦えるのはある意味ツイてるかもな」

 

「それは同感です。それなりに試合が進んでいれば案外と詰まらない結果になるかもしれませんから」

 

「昨日とはエライ変わり様やな。流石はと言った所やな」

 

「買い被り過ぎですよ」

 

 諸星雄大のやや挑発めいた言葉を一輝はそのまま受け流していた。

 実際にセレモニーとも呼ばれる会場ではなく、昨晩の諸星の実家での食事では随分と踏み込んだ話を聞かされていた。

 自分の思いと相手の重圧。持つべき物が何なのかを何も考えなければ、自分のこれまでの思いなど軽い物だと考えていた。

 しかし、龍玄の言葉に一輝もまた改めて自分のこれまでの道程を思いだしていた。

 

 黒鉄一輝と言う人間が認められる為には、この大会での優勝が必須条件となる。

 幾ら問題を抱えたとしても、それは単なる障害でしかない。寧ろ、Fランクと言う世間が持つイメージを払拭しなければ、自分は魔導騎士はおろか、伐刀者としても認められていないのと同じだった。

 そう考えれば対戦相手の諸星雄大は随分と恵まれている。

 自分は七星剣王と言う学生の頂点に立ち、妹は声こそ出ないが、命が無くなっている訳では無い。

 当時の状況に関しては同情はするが、それは自分にも当てはまる事。だとすれば、大会で優勝出来なければ、伐刀者としての自分の命は絶たれる事になる。

 認められない自分を誰よりもこのまま一生許せるはずが無かった。

 

 自分のアイデンティティを維持する為には目の前の男をどうやって下すのか。ある意味ではそちらの方が重要だった。だからこそ、挑発だと分かっていても、自分もまた言葉が止まらない。

 昨年の全試合を確認し、その対策も練っているからこそ一輝は何時もとは違った獰猛な笑みを浮かべていた。

 これが龍玄と対峙すれば『感情を見せるな』と一喝されたかもしれない。しかし、そんな事すら気にならない程に戦いに向ける情熱が高くなるのとは逆に、深い水底に沈むかの様に冷静になっていた。

 その根拠は、この戦いが始まるまで命がけとも言える戦いを繰り返した結果。それがあるからこそ、冷静になれるだけの材料がそこにあった。

 

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 機械的なアナウンスが流れた瞬間、これまでの空気は一変していた。

 実際にお互いが様子を見るからなのか、その間に漂う空気は重くなっていた。

 これまでの戦いを知っている人間であれば、誰もが確実に驚く程の出だし。本来のお互いの持つ得物のリーチを考えれば当然だった。

 

 一輝は正眼に構え、諸星は槍を中段に左構えに対峙する。既に戦いは見えない部分で始まっていた。

 互いが動くのは僅かに躰が揺れる程度。僅かに動くそれを見て常に幾つものフェイントが入っていた。

 実際に間合の違いは馬鹿には出来ない。それが持つ意味をこの会場に来ている人間が知らないはずが無かった。

 事実、この立ち上がりに驚いているのは観客ではなく出場選手。少なくともこの戦いは、お互いの持つ有効空間としての間合を瞬時に潰す事が戦いのセオリーだと思っているからだった。

 勿論、それは出場する選手であれば誰もが理解している。だからこそ、序盤から動かない一輝が何を考えているのかが分からなかった。

 戦術を理解しているのであれば様子見。何も考えていないのであれば手が出せない。それがそれぞれの判断でもあり、また各々が持つ技量の差だった。

 これまでに積みあげてきた物が何かを理解している人間は最初から驚く事はしない。

 何故なら、それがこれまで一輝が積み上げてきた戦術だったからだった。

 

 

 

 

 

(思った程じゃない……か。いや、何らかの策があるはずだ)

 

 一輝は正眼に構えながらも諸星から出る氣の大きさを本能で感じ取っていた。

 実際に過去の試合は全て目を通したものの、実際に対峙した事が無かっただけでなく、そこから更なる成長があると考えていた。

 それと同時に、初手から攻め込まれる事が無かったのも冷静になれた要因。少なくとも道場では開始直後の突きは銃弾よりも早く、また起こりが一切見えなかったからだった。

 後半になってから、何となく感じる事が出来た為に辛うじて開始一秒で敗北となる事は無かったが、対戦相手は当然の如く無拍子だった。

 視るよりも早く感じる以外に対策が無く、回避も常に先の事を見据え無ければ敗北までの時間が余分に数秒の伸びただけに終わる。そう考えれば挑発はある意味、こちらの動きを誘導する意味があったのかも知れなかった。

 

 実際に幾度となく見た映像での戦いは驚く程に堅かった。

 まず崩れる事が無い為に、常にこちらが攻めているはずが、気が付けば追い込まれている様な場面が幾つもあった。

 猪突猛進ではなく、完全なる搦め手。それが一輝が下した諸星の選手像だった。

 挑発にのれば動きは単調になる。そこをカウンターで落とすのは簡単だった。

 だからこそ、戦いでやれる事を完全にやり切る。それを感じた為に、様子を見ていた。

 体幹に一本の巨大な柱が入るかの様に微動だにしない。一輝は僅かに半目になりながら動きを察知するかの様に見定めていた。

 

 

 

 

 

(流石やな。雷切とは引き分けと聞いてたけど、あれはブラフやな)

 

 挑発めいた言葉ではあったが、その程度で動くとは諸星もまた考えていなかった。

 実際に今年の大会では東堂刀華への対策として業を磨いていた。

 基本的に自分の異能が単純である事から、諸星もまた派手な物では無く、淡々と自分の持つ槍の技術だけを磨いていた。

 途中で破軍学園が宝蔵院槍術の門を叩いた事は驚いたものの、それ以外に関しては極力雑音を入れない様に鍛えていた。

 

 自分の環境に関しては多少の事は口にしたが、それはあくまでの他人には関係の無い話。それと同時に、自宅の店に招いた事によって一輝の性格と言うものを観察していた。

 抜刀絶技でもある一刀修羅は身体強化の上級版。それ以外に特徴らしい物は何一つ無い事は事前に知っていた。

 Fランクの人間はそう簡単に異能を使いこなす事は出来ない。となれば、結果的には魔導騎士連盟が定めるランクの範囲外での評価をするしかなかった。

 同じメシを食べ、馬鹿話が出来れば為人は分かる。少なくとも諸星は一輝の事を朴訥な青年ではあるが、戦いでは別人の様に熱くなるのだと判断していた。

 黒鉄一輝は学内での戦いは基本的には非公開となっている為に詳しい事は分からない。しかし、少なくとも幾つかの情報が上がった際には自分と同じ匂いがすると考えていた。

 

 異能ではなく、自らが鍛え上げた肉体と業だけで勝ち進む。その結果がFランクにも拘わらず、代表にまで上り詰めた結果だと判断している。

 そうなれば、ここで求めらるのは純粋な戦闘による技能。お互いの鍛錬の結果だけだった。

 だからこそ、今の一輝の状態がどうなっているのかを見抜く。少なくとも簡単に事が運ぶなどと甘い考えを持つ事は無かった。

 

 

 

 

 

 お互いの動きがまるで静止したかの様に見える程、時間だけが悪戯に流れていた。

 実際にお見合いをしている訳ではなく、互いの動きを予測している。これが選手同士であれば理解出来るが、観客からすればまるで面白く無かった。

 圧倒される程の動きを見せた戦いをするのだと考えていた人間は予想外の展開にただ茫然と見るしかなく、ゆっくりとストレスが溜まっていく。

 一度沸き起こった感情はまるで周囲を巻き込むかの様にそんな感情に支配されつつあった。

 先程までの緊張とは違った感情が会場内に伝播する。それは観客だけでなく、選手にまで伝わり出した瞬間だった。

 

 

「えっ…………」

 

 誰が口にしたかもわからない程に出た小さな言葉。まるで堰を切ったかの様に突如として時間が動き始めていた。

 先程までの沈黙は嘘だったかの様に変化する。気が付けば諸星の持つ固有霊装『虎王』の穂先が僅かにブレていた。

 自身の鍛え上げた肉体から繰り出す神速の三連突き。そのどれもが一輝の胸元へと吸い込まれるかの様に疾る。

 まるで観客のストレスを察したかの様な攻撃が、静かな立ち上がりを破壊していた。

 目で追うには難しい。少なくとも昨年までの諸星雄大の攻撃にまともに対処出来た人間は数える程だった。

 目で追えない攻撃を回避するには、その槍が持つ間合から大きく逸脱するしかない。当然ながらこれまでに善戦で来た人間の殆どがそれだった。

 その攻撃が何なのかを観客もまた理解している。

 高速で突かれるそれをまともに見ようとすれば、それこそスーパースローで見るしかなかった。

 

 

(やってもうた!まさか、あないな方法を取ってくるとは)

 

 神速の三連を繰り出した瞬間、諸星は激しい後悔をしていた。

 少なくとも自分の人生の中で後悔しながら攻撃をした事はこれまでに数える程しかない。

 しかも、その殆どがまだ学生になったばかりの事だった。

 最近になってからはそんな感情を持って攻撃をした事は一度も無い。

 諸星がそう感じたのは当然だった。

 観客の雰囲気が変わり出したのは手に取る様に知っていた。実際に諸星とて伊達に七星剣王になった訳では無い。ましてやここは自分の地元でもある為に、相応の戦いをするのが当然だと感じていた。

 

 事実、対戦相手の一輝を同じ高さで見るまではそう考えていた。しかし、お互いが試合開始に見たそれは諸星の思惑を容易く崩壊させていた。

 正眼に構え、半目になった姿に隙は何処にも無い。まるで全ての攻撃を何時でも迎撃出来ると思わせる姿勢を保っていた。

 余計な物を見る必要は何処にも無い。会場の空気がどうだとか、相手がどうだとかではなく、ただ純粋に目の前に来るであろう攻撃に備えているだけだった。

 実際に何時でも攻撃に転じる事は可能だと言わんばかりに体躯は常に細やかに動いている。それが膠着を作った理由だった。

 勿論、諸星とて会場の空気に圧されたから攻撃した訳では無い。純粋にその空気と連動したかの様に僅かに一輝の姿勢が崩れたからだった。

 そこから先は半ば無意識と同じ。諸星は反射的に攻撃を仕掛けていた。

 自分の意識ではなく、相手の土俵で戦いを仕掛ける。それがどれ程愚かな行為であるのかを理解していたからだった。

 幾ら意識を変えようが、既に動いた以上はそのまま次の動きに繋げるしかない。

 アドバンテージを失った攻撃程脆い物は無いからだった。

 

 

 

 

 

(確かに速い。だけど!)

 

 鋭く襲い掛かる突きは全て自分の胸元に向っている事を一輝もまた理解していた。

 実際にここまで膠着した展開を見せるとは一輝自身も予測していない。少なくとも自分が対峙してきた人間は誰もが自分よりも格上にも拘わらず、増長する様な事は一度も無かった。

 目で追えない攻撃を回避するには、間合から大きく外れれば良いだけの話。しかし、厄介なのはその間合がどこまでなのかだった。

 握る場所によって槍の間合いは常に変化し、また、指の力を使う事によって破壊力も大きく変化し続ける。

 少なくとも道場の人間程ではなく、普通の武芸者と同じだと考えていたからなのか、鋭く襲う突きに対し、精神的にはかなり余裕があった。

 三連突きの最大の特徴は突くよりも引き戻す速度。幾ら突きだす速さが神速だとしても引く速度が凡庸であれば、結果的にはただの突きと同じ。だとすれば、漬け込むのはその一点だった。

 初撃を往なすか回避するかは一瞬の判断。本来であれば往なしてカウンターを取るのがこれまでの培ってきた経験から来るそれだった。

 しかし、自分の予測が大きく外れた場合その代償もまた計り知れない程に大きくなる。ここで一輝が選択したのは往なす事。引きの速度を見る事によって、これまでの状況をアジャストする必要があった。

 十文字槍の様に、引く際には攻撃能力は無い。その特徴を理解するからこその選択だった。

 

 何時もと同じ感覚で臨んでも問題は無いが、最終的に自分が窮地に追い込まれかねない。その為の布石が必要だった。

 隕鉄の切先をセンサーの様に働かせ、穂先の動きをコントロールする。

 最小の動きで最大の効果を発揮させるのは並大抵の事ではない。少なくとも七星剣王にやるべき行為ではない。

 残像とも取れる動きを一輝は冷静に対処する。神速の突きの最後を確認したからなのか、一輝もまた自然と攻撃の組み立てを開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが黒鉄君の実力………こんな短期間でどうやって」

 

 刀華は思わずその言葉を口にしていた。

 実際に自分も昨年戦った相手なだけに、その実力がどれ程なのかを理解していた。

 自分もまた予選会の最中であっても諸星を仮想敵に見立てて戦術を構築した事もあった。しかし、今の状況を見る限り、諸星の技量よりも一輝の技量の方が僅かに上ではないのかと思い始めていた。

 幾ら映像に残っているとは言え、諸星の持つプレッシャーは尋常ではない。少なくとも普通の伐刀者であれば、先に潰れるのが落ち。

 そうなればまともに戦う事すれ出来なくなる程。刀華もまた、初見で戦った際にはそう感じていた。

 しかし、今の一輝の姿にそんな部分が全く見えない。初撃とも取れる三連の突きを往なした時点でそう考えていた。

 

 

「確か、本戦が始まるまでは道場でしたから、恐らくはそれが影響してるのだと思いますよ」

 

「道場って、まさかとは思うけど……」

 

「はい。そのまさかです」

 

 刀華の呟きの答えを知ってたからなのか、カナタは事も無く答えていた。

 実際にカナタ自身もそこで何度も鍛錬をしている為に、良く知っている。

 風魔の前線基地とも言える場所に集まるのは下忍ではなく、中忍以上。少なくとも全員がかなりの手練れだった。

 カナタもまた、龍玄以外と戦った先にはまるで大人と子供程に違っている事を嫌と言う程に理解させられていた。

 事の起りが見えない状態からの攻撃を回避するのは困難でしかない。

 仮に回避できたとしても、その後は厳しい追い打ちが待っていた。

 幾ら場所を有効に活用しようとしても、攻撃の最初の段階で躰と精神の動きが誘導されている。

 最終的には回避出来ない場所にまで追い込まれる未来しかない。待っているのは絶望。

 それを身に染みて分かっているからこそ、今の一輝の状態がどうなっているのかの予測が出来ていた。

 

 

「だとすれば、この結果は誰も予測出来なかったのかもしれない」

 

「どうでしょう。黒鉄君は彼等では無いですから、それは早計かもしれませんよ」

 

 二人だけでなく、観客もまた先程までとは打って変わって大きく動いた状況に目が追い付かなかった。

 諸星から繰り出した攻撃は一輝の躰を掠めはしたが、そのどれもが惜しいとは思えなかった。

 まるで予定していた場所に誘導したかの様に、全ての穂先が外れていく。

 事の起りを完全に見切ったが故の結果。それを正しく理解出来た人間はいなかった。

 ここに龍玄が居ればまだまだだとこき下ろしたかもしれない。しかし、誰もがそんな武を極めて居るかの様な人間ばかりではない。

 一方、初撃を外された瞬間は諸星も確かに驚きはしたが、それだけだった。

 あらゆる可能性を考慮し、予定された未来へと近づける。その結果として戦いの決着が着くのは当然だった。

 未だ様子見でしかない戦いではあるが、観客の殆どがその動きを驚愕のままに見ている。

 まだ始まったばかり。この後の展開をどうやって繋げるのか。これが風魔の人間であれば予測可能かもしれない。

 しかし、一輝は風魔衆ではない。今はただその先の戦いを見るより無かった。

 

 

 

 

 

「イッキ………」

 

 ステラもまた開始早々の動きをただ見るよりなかった。

 自分が更なる高見に上る為に西京寧音の下に行く際に、一輝もまた龍玄にダメ元で行く事は聞いていた。

 実際に一輝の異能を伸ばす事は不可能。だとすれば、ランクの要素から外れた純粋な技能を高めるのは当然の流れだった。

 実際に自分がやってきたのは自分の力を正しく理解する事。その結果として、自分の持つ能力がまだ一割程度だと理解していた。

 一度理解すれば、後は簡単だった。

 それを高めた事を確認したからこそ万全を期して会場入りしていた。

 

 しかし、一輝もまた違う意味で鍛えられていた。

 内包する熱量は同じ様に見えるが、その雰囲気は少しだけ違っていた。

 これまでも少し様子を見る部分があったが、今は完全に違う。

 何となく周囲を見ながらも自分の持つ存在をその中に紛れ込ませている様にも感じていた。

 

 相手と同化するかの様に同じになれば、何となく考えている事が分かる様な気がする。

 少なくとも最初の交錯した攻防ではそれを如実に感じていた。

 それと同時に自分ならどうしただろうか。恐らくは相手を飲みこむかの様に膨大な魔力で一気に押し込んだかもしれない。

 確かに愛しい人ではあるが、この大会に於いては敵でしかなかった。

 だからこそ、全体を巻き込んだ攻防をステラは考える。それが正しいのか間違っているのかではなく、自分ならどうするのか。少なくとも先程見せたそれと同じ事をやれと言われても出来ない事だけは間違い無かった。

 ゆったりとしている様に見えるが、実際には違う。ステラの目に映る一輝の姿は何となく龍玄に近い物だと判断していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 序盤の動きが嘘だったかの様に舞台の上は時間軸が異なっていた。

 異能を使わない攻撃を信条としているからなのか、お互いの動きは伐刀者では無く武芸者のそれに近い。

 しかも、互いの技量を高めあうかの様にその速度は徐々に上がっていた。

 

 攻撃を往なす事を前提に組み上げた戦術は嵌まれば強いが、外れれば脆い。

 槍術を理解しているからこそ、一輝は同じ動きをする事は無かった。

 槍術の大半の動きは突きではなく叩くか払うにある。実際にこれまで戦ってきた相手は当然の様にその攻撃を使用していた。

 槍術の間合いを正確に測る事は難しい。これまで幾度となく戦ってきた相手であれば何となく理解出来るかもしれない。

 しかし、初見の人間であればそれは不可能に近い。

 幾ら照魔鏡の様な洞察力を持っていたとしても、それはある程度の実力差が必要となる。

 

 自分にゆとりがあれば可能だが、それが自分と同じかそれ以上になった時点で不可能だった。

 実際に道場での戦いでそれを可能とした事は一度たりとも無い。

 回避出来る様になったのは、相手の氣の流れを何となくでも読む様になったからだった。

 だからと言ってそれが出来たのは最初だけ。以降、誰もが氣を放出する事無く攻撃を繰り出していたからだった。

 一輝が出来たのは諦めないと言う意思だけ。小細工をせず、ただ己の体躯にそれを刻み込んだからだった。

 刀と槍では攻撃が交錯する事は早々無い。お互いの間合いを如何に潰し、自分の領域を広げるかを優先していた。

 有利な間合いがどこにあるのか。それが本当に正しいのか。戦いながらに一輝の思考はフル回転したままだった。

 

 

 



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第59話 勝負の行方

 お互いの間合いを見極める事が完了したからなのか、その後の展開は観客でさえ呼吸を忘れる程だった。

 幾度となく放たれる諸星の突きは既に一輝の眼に記憶されたからなのか、その殆どは回避されている。一方で、一輝の攻撃もまた完全に見切ったからなのか、突きの後で出される反撃を完全に封じ込めていた。

 お互いの立ち位置は常に変わり、同じ場所で留まる事が無い。それはある種の型を見せているかの様だった。

 

 

(やっぱりこの人は上手い。思った以上だ。でも……)

 

 鋭く襲いかかる突きは常に一輝の行動を読むかの様に胸元だけでなく、胴体や喉元など狙いを特定する様な事は無かった。

 散弾の様に狙いを集注させず、そのどれもに裂帛の気合いが入る。一撃で勝負をつける様な攻撃ではあったが、その攻撃方法に少しだけ疑問を持っていた。

 

 槍の基本でもある突きは一級品。しかし、それ以外の攻撃が一切ない事はある意味では警戒すべき状態を維持させていた。

 少なくとも一輝がこれまでに受けた攻撃の殆どが、突く行為を意識付けている。幾ら一級品だと言っても、同じ行動が続けば目が慣れるのは明白だった。

 事実、初撃よりも今の方が捌く事が容易になっている。だからこそ目が慣れる事を警戒し続けていた。

 動きを阻害しない程度に大きく呼吸を一つだけする。全身に酸素を取り込んだ瞬間、諸星の雰囲気は僅かに変化していた。

 

 

 

 

 

「まさか、これを躱すとは思わんかった」

 

「偶然ですよ」

 

「阿保ぬかせ。あの動きはそれを知っている動きや。俺を見くびるな」

 

 先程までの動きが僅かに停止していた。

 観客は突然止まった二人の動きに何が起こったのか理解出来ない。先程までの動きが完全に鳴りを潜めた瞬間に聞こえた会話に、誰もが疑問を浮かべるより無かった。

 

 

「初見では無いのは間違いないです……よ」

 

「そうか。ならもっと遠慮せんと、味わってくれや!」

 

 先程までと同じ行動。そこから出てくる答えもまた同じはずだった。

 諸星の放った突きを一輝は完全に見切っているからなのか、そのどれもが紙一重とも取れる程の回避。しかし、今の一輝はそんなギリギリを見極めた回避ではなく、確実に安全だと分かる距離を残した回避をしていた。

 

 ギリギリであれば、カウンターで攻撃を仕掛ける事が可能となる。これまではそれが当然の様に出来ていた。

 しかし、先程の攻防によってそれが完全に封じ込まれていた。

 幾ら長さを求めて刀身を突き出しても、隕鉄と虎王の間合いは絶望的に異なる。それが如実に現れた証拠だった。

 

 一輝が完全に見切ったのは直線の動き。しかし、槍の最大の特徴でもある払いが無い時点で何らかの攻撃方法があると考えていた。

 実際に面制圧できる攻撃は脅威となる。刃がある穂先だけが槍の全てでは無く、太刀打ちと呼ばれている部分での攻撃は熟達した人間であれば相応の攻撃を持つ。

 実際に一輝もまた、この攻撃をこれまでに幾度となく受けてきたからこそ、その威力を嫌と言う程に理解している。

 それが無いとなれば、目くらましになる様な何かがあると考えるのは自然な流れだった。

 だからこそ、僅かに深く呼吸をした瞬間に放たれた突きに違和感を感じていた。

 同じ回避はしない。これまでに培ってきた勘がそれを叫んでいた。

 ゆとりを持ったはずの距離で回避した瞬間、その穂先は方向を変え、一輝自身に襲い掛かる。獣の爪の様に動くそれは完全に従来の物とは一線を引いていた。

 同じ方向からではなく、その全てが完全に違う。一輝が回避できたのは、偏にその変則的な攻撃も経験していたに過ぎなかったから。諸星の言葉に答えた理由がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、ここで使ってくるなんて」

 

「あれが何なのかを知ってるんですか?」

 

 先程の動きが止まった瞬間は設置されたディスプレイでも分からない程だった。

 実際に何が起こっているのかを知っているのは、当事者以外には少数しか知らない。その一人が昨年対戦した東堂刀華だった。

 

 

「あれは、初見だと回避が難しいの。多分、黒鉄君は回避した先に槍の穂先が襲い掛かってきた様に見えたんじゃないかな」

 

「何かの異能ですか?」

 

「それは無いとは思うんだけど、実際に私もあれを見たのは戦いの後半だったから、詳細までは分からない。でも、回避し辛いからその間合をどうやって潰すのかに苦心したの」

 

 刀華の言葉にカナタもまた二人を凝視していた。

 何が起こったのかまでは分からないが、少なくとも一輝の動きは先程とは明らかに変化していた。

 完全に距離を見切った最小限の回避は既に鳴りを潜め、そのどれもが一定以上の距離を開けている。

 その結果、これまでの様に諸星の攻撃の間隙を突く反撃は無くなっていた。

 

 

「となると、今後の戦術は再度構築する必要が有りますね」

 

「確かにそうなるんだけど……ただ、思ったほど苦戦している訳でも無さそうなのよね」

 

 刀華が指摘するかの様に、一輝の動きがぎこちなかったのは最初だけ。その後は完全に元の冷静さを取り戻していた。

 一度受けた攻撃をきっちりとアジャストする部分は賞賛出来る。しかし、それはあくまでも自分の経験則に基づく前提があるからだった。

 あらゆる流儀の動きをつかみ取れば、自ずとその動きは予測できる。実際に一輝の洞察力はそれを可能としていた。

 勿論、我流の人間も存在する。だが、武器は見た目こそ違えど動きそのものは幾つかの共通点が存在している。

 剣術を突き詰めればその理が何なのかは大よそでも理解出来ていた。共通点が見えれば対処に迷いは一切無い。

 それが分かれば後は同じ作業でしかない。

 しかし、今回の諸星のそれは、その共通点がどれも存在しない物だった。だからこそ一輝は初見で驚きを見せている。それが今では完全に落ち着いた雰囲気を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(改めて思うけど、これって結構面倒)

 

 襲いかかる突きを見極め様にも、諸星もまた一つとして同じ軌道から攻撃する事は無かった。

 常に動きの先回りをするかの様に穂先は一輝を掠めていく。

 実際にしなる様な攻撃だけでなく、時折混ざる直線的な動きは完全に一輝を惑わせていた。

 精神的な余裕を取る為に距離を開ければ従来の突きの射程距離に入る為に、次の回避行動が完全に遅れる。その為に幾つかの突きは一輝の躰だけでなく制服をも切り裂いていた。

 突きの点攻撃の弱点を補う攻撃。それが諸星が取った戦術だった。

 まるで測ったかの様に二人の距離は一定を保つ。このままでは自分の方が先に消耗するのは目に見えて分かる。だからこそ一輝は次の攻撃を仕掛けるしかなかった。

 

 

「どうした!それで終いか!もっと面白くしてくれや!」

 

 諸星の言葉に会場は更にヒートアップしていく。事実上の一方的な攻撃に、会場の雰囲気をそのまま利用していた。

 先程は一輝が利用した会場の空気を今度は諸星が利用する。

 目に見えない圧力を使い、諸星は一輝を精神的にも追い込んでいた。

 それと同時に、少しづつ一輝を追い込む様に攻撃を組み立てる。一輝もまた回避に専念していると思ったからこその策略だった。

 

 

 

 

 

(まただ。多分、気が付いていないはず)

 

 可変的な攻撃によって防戦一方ではあったが、その中の幾つかの攻撃に甘い物が入っていた。

 会場の雰囲気は既に諸星雄大をコールしている為に、それが影響していると判断する

 。会場の熱量を活かしているからなのか、その攻撃もまたゆっくりと乱れていた。

 

 鋭さに変わりはないが、時折混じる半端な攻撃。実際にここまで戦って未だ突きしか無いのであれば、確実に払いや叩く攻撃が無い事だけは間違い無かった。

 それがどんなタイミングで訪れるのかは分からないが、人間である以上はどこかで必ずミスが起こる。だとすれば、それまでは常に集中を維持するしかなかった。

 再度距離を見極め、ギリギリの回避を心掛ける。後はお互いの我慢比べだった。

 

 

(ここ!)

 

 遂に一輝の予想通り、若干甘く入った攻撃は直線的な突き。ここが勝負の剣が峰。そう判断したと同時に一輝は隕鉄の刃を滑らせてそのまま懐の奥深くへと潜り込む。

 必殺の太刀を撃てばこのまま勝負は終わる。そう判断していた。

 槍の穂先と太刀の物打が互いに交錯する。その一点だけに集中した瞬間だった。

 全身に嫌な予感が走る。これまでの中での最大の感覚。だからなのか、一輝は態勢が大きく崩れようともその場から一気に離脱する勢いで距離を取っていた。

 

 

「何や。随分と良い勝負勘してるんやな」

 

 獰猛な笑みを浮かべた諸星の言葉に、一輝は僅かに絶句していた。先程まで漆黒の刃を誇っていたはずの隕鉄の刀身が目に見える程に一部が消失している。

 

 

爆喰(タイガーバイト)

 

 

 七星剣王の諸星雄大が持つ抜刀絶技。一輝はその存在を完全に忘失していた。

 七星剣王の諸星雄大の抜刀絶技『爆喰』は伐刀者からすれば最悪の業。

 伐刀者の誇る固有霊装は本人の純粋な魔力で構成されている。事実、その根源は魂にも影響を与える程。それが消失などしよう物ならば即時敗北は必至だった。

 少なくともこの抜刀絶技に関しては確実に注意を払う必要があった。

 一輝もただ、忘失していた訳では無い。これまでの戦いを考えれば、序盤から中盤に差し掛かった今の段階で仕掛けてくるとは思っていなかったからだった。

 

 

「……偶然ですよ」

 

「謙遜も過ぎれば嫌味やで。少なくともこれを初見で回避出来たやつは、そうおらん」

 

 会話の最中に一輝は全身の力が一気に抜けた様な感覚が襲っていた。

 実際にまともに受けた訳では無い為に、影響そのものは限定されている。

 しかし、固有霊装への直接的な影響は初めての感覚が故に、会話をしながらも、何とか最低限の回復だけは優先していた。

 

 負傷による物であれば、多少は誤魔化す事も不可能ではない。しかし、直接的な影響はその限りでは無かった。

 この厳しい戦いに、この状態は大きな痛手以外に何も無い。只でさえ自分の魔力容量が少ない為に、無駄に消耗する訳にはいかない。どんな手を使ってでも、今は僅かでも時間を稼ぐ必要があった。

 

 

「まあ、良いわ。それ位にしとこか」

 

(やっぱ無理か)

 

 諸星もまた一輝の状態を理解しているからなのか、時間稼ぎに付き合うつもりは無かった。

 元々情報は少ないものの、それでもこれまでの言動から一輝自身も自分と同じ様に武技を主体に戦う事は直ぐに分かっていた。

 今のランク制度は魔力を中心にしたもの。その範囲から外れた人間はもれなく低ランクのレッテルを貼られていた。

 

 事実、一輝の選手紹介の際にFランクである事は明言されている。

 自分のランクを態と下げる様な真似をしても、碌な結果をもたらす訳では無い。そう考えれば後は簡単な事。この本戦に出場している時点で相応の実力を有している事だけは間違い無い。

 バラエティに富んだ異能を発揮されるよりも、ある意味ではこっちの方が厄介極まりなかった。

 

 純粋が故に誤魔化す事は困難を極める。

 これが何らかの能力を使うのであれば、確実にその中で決定的な隙を見せる。これまでに対峙した人間の殆どがそうだった。

 元来、人間は自分の躰で制御出来ない物を御する方法は持って無い。

 機械であればまだサポートする事も可能だが、自分の肉体だけとなれば話は別。幾ら自分の能力で起こした現象であっても、純粋に自分の躰で止める事は出来ない。

 そうなれば自分が気が付かない部分での致命的な隙を自然と発生させる。それが諸星にとっては絶対的な隙に見えていた。

 当然ながら碌な能力を持たない黒鉄一輝にそれは該当しない。だからこそ、色々と細かい部分での戦略が必要となっていた。

 僅かと言えど『爆喰』を喰らった今、攻める絶好の機会。ここが諸星にとっても剣が峰となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここで使うなんて」

 

 刀華の言葉に、カナタもまたこれまでの諸星の戦い方を思い出していた。

 抜刀絶技はある意味では個人における奥義とも呼べる業。少なくとも序盤の段階で出す物ではない。

 例外としては開幕速攻で対策を取らせる前に倒す時だけ。しかし、その殆どは技能に準じた内容ではない。

 

 実際に刀華の持つ雷切もまた同じ意味を持つ。

 幾ら神速の抜刀術と言えど、序盤で出せば試合中に対策を取られるのは当然の事。だからこそ、相手の動きを封じ込めながら最大の効果を発揮できるタイミングを完璧に計る。

 言うなればそれを回避された時点で勝ちの目はかなり薄くなるのと同じ事。

 ましてや、諸星のそれは学生であれば誰もが知る程の代物。何時、伝家の宝刀を抜くのかを見せながら自分の有利な状態に持ち込むのが定石だった。

 しかし、それをあえて外した時点で勝利を捨てているとも考える事も出来る。そう考えると序盤とも取れる時点で出したのは悪手だと考えるのは当然だった。

 

 

「ですが、今後の戦術の布石なのかもしれませんよ。実際に昨年に比べれば今年の方がかなり巧く立ち回っている様にも見えます」

 

「確かにそうなんだけど、実際には厳しいと思う。あれを出した時点で、精神的な圧力はかなり軽減される。確かに何らかの手段を見出していると考えれば、妙手だろうけど……」

 

 人間は誰もが自分の持つ感覚を優先する。それを考えずに動くのは、あり得ない行為だからだ。

 誰もが自分の持つ感覚を優先するからこそ読みあいが生じ、その結果として番狂わせが起こる。

 完全に全ての流れをコントロール出来るであれば、ある意味では人間では無いとさえ思える程。

 膨大な実戦経験を持っていれば、現状を正しく理解出来るかもしれない。しかし、今の状況がそうで無い事だけは間違い無かった。

 厳しい戦闘時における抜刀絶技は、確実に思った以上の魔力を消耗する。

 精神的な物からくるのかは分からないが、少なくとも簡単に連発する様な物では無い。

 一度タメを作ろう者ならば、消耗の度合いは更に加速する。

 諸星の爆喰もまた消耗の度合いは激しい部類の業だからなのか、遠目では分かりにくいが、大外面では僅かに息が切れている様にも見えていた。

 

 

「黒鉄君も恐らく警戒はしていると思いますから、我々もそれを見るより有りませんね」

 

 カナタの言葉に刀華もまた同じ事を考えていたからのか、それ以上の言葉は何も無い。今はただ見守るしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ここで使ってくるなんて……もう少し警戒が必要かも)

 

 一輝もまた、この時点で諸星が抜刀絶技を使ってくるとは思っていなかった。

 可能性があるとすれば戦いの後半。それも、集中力が完全に低下してから。そう考えていた。

 当然ながらこの抜刀絶技がどれ程危険なのかを身をもって経験している以上、今は距離を取りながらも突きの予備動作に集中していた。

 少なくとも一輝の知る諸星雄大に意表を突く攻撃は無い。

 それは一輝だけでなく、会場に居る人間の殆どがそう考えていた。

 だからこそ、誰もが諸星の術中に嵌る。

 どちらが現時点で劣っているのかを正確に判断出来る人間は居なかった。

 

 諸星の使う抜刀絶技『爆喰』は使う瞬間、黄金の色を周囲に示す。その為に、その攻撃がそうなのかを判別するのは簡単なはずだった。

 事実、今の攻撃の殆どは常にその光を帯びている。その為に一輝は諸星の攻撃を防ぐ為には回避するよりなかった。

 往なす事を封じられた時点で、相手の体勢を崩してからのカウンター攻撃は出来ない。

 それどころか、諸星の攻撃のほぼ全てが致命的な物へと変化していた。

 

 幾ら肉体に問題が無くとも、肝心の魔力が枯渇すればそれで戦いは終わる。だからと言ってそれを見極め回避するにも、追尾型の突きは更に一輝の行動を厳しい物へと追い立てていた。

 このままでは緩やかに消耗し、敗北する未来だけが残る。

 只でさえ七星剣舞祭は短期間の日程を組んでいる為に、自分の抜刀絶技『一刀修羅』の使用も躊躇っていた。

 二十四時間で一度きりの抜刀絶技。しかし、その抜刀絶技とて爆喰の前には厳しいとしか言えない。

 魔力を喰らうそれに対抗するには、自分の武技だけしか残されていなかったからだった。

 先程とは違った形での防戦。確実に一輝の肉体だけでなく精神と魔力もまた摩耗していた。

 

 

 

 

 

(ああは言ったが、やっぱり消耗の度合いは早いか)

 

 諸星もまた、優勢に事を進めながらも自分の事を冷静に判断していた。

 少なくとも抜刀絶技は戦いの後半にまで取っておきたかった。

 これまでに幾度となく強敵と戦った経験を持つからこそ、この黒鉄一輝と言う人間は純粋な戦いで仕留めたい気持ちの方が勝っていた。

 実際にこれまでに闘ってきた人間も戦闘に於いてはそれなりに自力はある。しかし、自分が望む未来の事を考えれば、それはある意味では歯痒いとさえ考えていた。

 

 学生の間は未熟で済ませる事が出来ても、実戦に於いてはお荷物でしかない。

 厳しい状況下で自分の能力を十全に発揮する為には相応の力が必要だった。

 

 

 ────伐刀者ではなく武芸者の考え。

 

 今の魔導騎士の流れから考えれば傍流なのかもしれない。だが、自分の使える物を考えれば当然だった。

 だからこそ、黒鉄一輝と言う人間に負ける訳にはいかなかった。

 ある意味では自分と同じ匂いがする。その為にはこれまでの様な綺麗な戦い方ではなく、泥臭い戦い方も必要としていた。

 

 

(しゃあない。ここで博打やな)

 

 時間がどれ程経過しようとも、諸星の突きの勢いが衰える事は無かった。

 事実、穂先に輝く光を維持しながらの攻撃はかなりの消耗を起こす。

 その為に時折フェイクで光を纏い、敢えて攻撃のリズムを作っていた。

 どんな凡愚でも一定のタイミングで動く事を知れば、確実にその動きを利用する。

 幾ら自分の中でコントロールしていたとしても態々反撃の隙を与える以上はリスクは避けて通れなかった。

 その為に確実性を増す必要がある。諸星の突きは既に一輝の上半身だけでなく、下半身。とりわけ機動力を奪う事を優先していた。

 タイミングをずらしながら意図的に攻撃を見せる。

 既に一輝の眼に映る自分のモーションは完全に盗まれている前提で動く。

 だからなのか、一輝の眼の輝きが徐々に変わる事は手に取る様に見えていた。

 

 

 

 

 

 

(誘ってる……それとも…)

 

 独特のリズムではあるが、諸星の攻撃は何となく一定の様にも感じていた。

 既に攻撃の対象は自分の全身にも及んでいる。少なくとも機動力を封じる事を優先しているのは間違い無かった。

 槍の間合いを防ぐ為に回避はするが、諸星はその距離を取るのが抜群に上手かった。

 既に大腿には幾つもの裂傷が浮かび、制服の生地には赤が滲む。

 機動力を奪われた時点でそれは敗北である事を理解するからこそ、一輝は虎視眈々と反撃の糸口を狙っていた。

 浮かび上がるタイミングと同時に、先程の攻撃が頭にチラつく。

 体力の消耗の度合いを考えればここが勝負の分水嶺だった。

 トーナメントの日程を考えれば全力の攻撃は避けたい。かと言って、それなりの力で勝てる相手では無かった。

 残された手段はもう僅か。一輝もまた違う意味で追い詰められていた。

 

 

(弱気は禁物だ。厳しいけど、ここが勝負の時!)

 

 これ以上長引かせる事が今後どれ程影響を与えるのか。既にそんな考えを持つ時間は残されていなかった。

 大腿部の赤は動き続ける度に常に外部へと流れだす。

 幾ら外傷を回復させる手段があり、増血も可能とは言え今後の悪影響は免れなかった。

 一度決めた以上はそれに集中し、結果だけを求める。一輝は本能から来る危険信号に蓋をし、短期決戦に望んでいた。

 

 

 ────誘いであれば新たな手段を。

 

 ────虚を突いたならば止めの一撃を。

 

 集中した事によってその意識は完全に諸星そのものに向けられていた。

 今の中で出来る事だけをやる。そこに悲壮感は一切無かった。

 連撃で飛ぶ刺突を強引に喰い破る。三連突きの内の二つまでが頬を掠める。それすらも無かったかの様に一輝は諸星の懐へと飛び込もうとした瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

(わいの勝ちや!)

 

 諸星はここで初めて突きの概念を完全に捨てていた。

 幾ら綺麗事を言おうが、敗北の前では何もかもが言い訳に過ぎない。実際に抵抗が無かったと言えば嘘であるも、敗北に比べればと、これまでの矜持を捨て去っていた。

 二撃までは回避される事は自分の中では決定事項。最後の突きこそが諸星の狙いだった。

 突進する一輝から視線を外さない。これからどうなるのかを考えたからなのか、僅かに口元が歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

「お兄様!」

 

 珠雫の叫びが会場に届く事は無かった。

 誰もがどよめいたのは、これまで突きしか使わなかった諸星が、初めて槍を払ったから。

 驚愕を示すかの様に会場の空気は異常だった。

 事実、一輝の隕鉄の半分は爆喰によって失われ、横に薙いでからの連撃はそのまま一輝の顎を撃ち付けていた。

 衝撃によって一輝の体躯は弾け飛ぶ。

 珠雫同様に破軍の人間は誰もが驚きを隠さなかった。

 完全な死に体。ギリギリの戦いの中で、これ程の致命的な隙はそのまま敗北までの一直線。だからこそ、誰もが諸星の勝利を確信していた。

 このまま追撃で場外に飛ばせばそれで終わる。会場内がそう考えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(このままだと負ける!)

 

 視界は既に天井を映した瞬間、一輝は来るであろう追撃に備える事は出来なかった。

 完璧なカウンター。これまで一切警戒しなかった払いを思考から捨てた事によって、己の敗北も感じ取っていた。

 慢心から来る敗北に言い訳は出来ない。

 誰よりも自分自身が一番理解していた。

 

 これまで爆喰は穂先の部分だけに集中していた。

 幾ら魔力を喰らうとは言え、その部分が小さいのであれば、確実に回避すればそれ程問題になる事は無かった。

 当然一輝だけでなく、これまで諸星と対戦した人間であれば、皆が同じ事を考えていた。

 しかし、最後に払った攻撃はそんな概念すらも打ち壊してしまう程のインパクト。

 穂先だけでなく、太刀打ちまで光る黄金の刃は一輝の持つ隕鉄の半分近くまで消滅させていた。

 固有霊装への直接のダメージ。

 淀んだ意識の中で一輝が確認できたのは自身の体内から何が抜けていく感覚だけ。

 一刀修羅を使った際に生じる消耗とは違う何かを感じていた。

 魔力の容量が小さい自分でも分かる程の減少は確実に自分の攻撃力を奪い去る。

 仮に霊装が無くとも攻撃は出来るかもしれない。しかし、自分の持つ技量の中に無手の選択肢は最初から無い。

 だとすれば、今出来る事をやるよりなかった。

 失った魔力は戦いの最中では簡単には回復しない。何時も以上に回転しない思考に歯痒いを思いをするより無かった。

 このまま敗北まで待つ運命を受け入れるのか。その瞬間、一輝の視界は僅かに赤く染まっていた。

 

 

(出来ないはずは無い!)

 

 一輝の脳裏に突然浮かんだのは破軍襲撃の際に対峙した一人の伐刀者。

 両手には小太刀程の刃が握られ、まるで羽の様な存在感を纏っている。

 比翼の二つ名を持つ女性。彼女が使った歩法が突如として浮かび上がっていた。

 確かにその理屈は理解している。しかし、理解したからと言って十全に使えるかは別問題だった。

 しかし、この状況下でやれる事は限られていた。既に逡巡するだけの時間は無く、今の状況を打開する為には手段を選ぶ暇は無かった。

 それを思い知らせるかの様に浮かんだ体躯はそれ程時間が経過する前に数度地面にぶつかる。本来であれば追撃が来るはずのそれは何も無かった。

 

 

 

 

 

(糞が!ここでガス欠か!)

 

 これまでに無い程の魔力の放出は諸星自身にも襲い掛かっていた。

 本来であれば、消耗する量をコントロール出来るからこそ長丁場の戦いにも備える事が出来る。それは諸星にとっては当然の技術。

 しかし、一輝に対しての最後の攻撃は事実上の思いつきによる物。

 当然ながら消耗の度合いは分からず、あの一瞬の為に残された力を全て放出していた。

 

 当初の予定では最後の止めの分は残したつもりだった。

 だが、これまでに無いやり方は諸星自身の予測を大きく逸脱していた。

 無意識の全開。

 膝こそつかないが、内心ではギリギリだった。

 一輝を吹き飛ばしたまでは良かったが、追撃を行う事が難しい。本音と言えばそのまま場外に落ちてくれても良かったとさえ考えていた。

 僅かに流れる弱気の思考。それが今の一輝の状況を怠った要因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心臓が自分の物では無いかの様に大きく一度だけ鼓動する。

 それと同時に、手にした霊装を再度顕現させる。

 既に最初の様な長さに維持する事が出来ないのは、偏に残存量がそれ程無いから。

 一刀修羅を使う事は難しくとも、一度脳裏に浮かんだそれは今の一輝を精神的に支えていた。

 出来るのかではなく、やる。

 追撃が来ない時点で一輝もまた改めて自分の状態を瞬時にチェックし、態勢を整える。

 心臓の鼓動が大きく感じるのは、この攻撃を失敗すれば確実に自分の体躯は地面を舐めるから。

 それがどんな結末になるのかも理解した上での判断。

 だからこそ、一輝は最初の一歩を踏みしめる。零から百までの極限の動きは既に観客の視界から一輝の体躯を消し去っていた。

 

 

 

 

 

「ここで終い………か」

 

 諸星の絶え絶えの声に会場は静まり返っていた。

 何が起こったのかを正確に判断出来た人間は両手で事足りる。それ程までに刹那に起こった出来事に誰もが何も言えなかった。

 一輝が態勢を整えた瞬間、諸星もまた迎撃の態勢に入っている。

 距離がある為に、どんな行動をしようとも必ず視界には入るはず。にも拘わらず、先程起こった出来事が完全にその瞬間だけが抜け落ちていた。

 その場に立っているのは黒鉄一輝ただ一人。

 そして地面に横たわるのは諸星雄大。歴然とした決着を受け入れるまでに数秒の時間を要していた。

 会場も凍り付いた時間が解けると同時に万来の拍手が沸き起こる。決勝戦ではなく、一回戦の幕がここで下ろされていた。

 

 

 



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第60話 暗躍

 湾岸ドームでの激突を映している映像は国民の七割以上が見るとさえ言われている程のコンテンツだった。

 事実、七星剣舞祭の映像には高額な放映権が要求される。ある意味では天文学的な金額になるが、そんな金額を放送会社はこぞって支払っていた。

 国民の七割が見るのであれば、当然それに伴うスポンサー料金も跳ね上がる。その為に、試合が終わってからも戦いに関する考察や、その内容を改めてダイジェストにするなど番組としては豪華な仕上がりになっていた。

 

 実際にKOKの舞台に上がる魔導騎士をゲストに、先程の諸星雄大と黒鉄一輝の事を自分の経験を交えてなのか、色々と解説している。この戦いを興味深く見る人間であれば誰もが齧りつく様な内容を無視するかの様に、液晶画面はその役割を果たすかの様に電源が切れていた。

 

 

「遅れて済まない。前の会合が思ったよりも立て込んでしまってね」

 

「こちらこそ、突然の訪問なのでお気になさらず。それよりも有意義な話が出来そうです。ミスター北条」

 

 先程とは違い、ホテルの一室は少しだけ緊張感に包まれていた。

 この部屋に居るのは、本来であれば居るはずが無い人物。ましてやこの国とはある意味敵対している様な組織の人間だった。

大国同盟(ユニオン)』の幹部、モーリス・ガードナー。『超人』エイブラハム・カーターの右腕と呼ばれた男だった。

 

 官房長官でもある北条時宗との面識は全くない。

 本来であれば、国際魔導騎士連盟の支部長でもある黒鉄巌と話をするはず。にも拘わらず、モーリスは時宗との会談を望んでいた。

 事実上のトップ会談に近い話合いを察知している人間は誰一人居ない。

 今回の様に国民が熱狂しやすいイベントがあるからこそ、極秘裏に実現した様な物だった。

 

 

「有意義……一体どちらにとっての事なんだろうね」

 

「お互いにとってですよ。それに、今の内閣の中核は貴方だ。我々としても有益な話をしない事には申し訳ないですから」

 

「僕は総理大臣じゃないんだけど」

 

「あんな神輿をですか……仮初の総理など、我々からすれば無意味ですよ」

 

「中々手厳しい意見だね」

 

「あれをそのまま信用する人間は居ませんよ」

 

 何時もの様な飄々とした雰囲気を持ちながらも、時宗のその言葉には力があった。

 実際に今回の七星剣舞祭に伴い、内閣総理大臣は今の所副総理が代行している。

 本来であれば時宗にもその話はあったが、今の所は政界再編の可能性を捨てきれないからと、表舞台に躍り出る事は無かった。

 しかし、この内閣を事実上話回しているのは時宗。本当の意味での実力者が誰かを知っていると言わんばかりのモーリスの言葉に、時宗は改めて今回の話の趣旨を探ろうとしていた。

 

 

「僕もスケジュールの隙間を縫って時間を作っている。本当ならば、お互いに近況を話ながらと言いたい所なんだけどね」

 

「余計な会話は時間の無駄です。我々も貴方と同じ考えですから」

 

「じゃあ、早速本題に入ろうか」

 

 時宗の言葉にモーリスもまた単刀直入に今回の話の趣旨を切り出していた。

 実際にお互いが直接の代表では無い為に、今回の話の内容が漏れる様な事は無い。仮に漏れたとなればそれは、その時点でお互いの信用を損ねたと判断出来るから。

 当然の様に話を進める。歓談の様にも見える内容は、実際には穏やかな物では無かった。

 

 

 

 

 

「成程。だが、そちらは勘違いをしている。僕は確かに小太郎とは知己だ。だが、それだけの関係だよ。それに彼らは傭兵だ。依頼があれば内容を吟味した上で判断するんじゃないのかい?」

 

「勿論、我々もそれに関しては同感です。ですが、彼らは貴方とよしみを通じている以上、その言葉は無視出来ないと考えています」

 

「そこが最初から違うんだよね」

 

 半ば呆れる様な内容に、時宗もまた少しだけ疲れた様な様子を見せていた。

 今回の最大の内容は風魔衆を大国同盟に引き抜く事。その為に時宗もまた同じ様に扱う内容だった。

 

 現在の世界情勢は少しづつ混沌とし始めていた。

 一番の要因は解放軍の長『暴君』の存在。

 表面上はテロリストの集団となっている為に、何も知らない一般人はそれ程大きな認識をしていなかった。

 事実、国際魔導騎士連盟の中でもその存在を軽く見ている人間が居るのも事実。実際に幹部の一部がそれを口にしていた事が何よりの証拠。しかし、それはあくまでもごく一部。本当の意味で水面下で色々と動く人間の認識とは完全に異なっていた。

 

 変則的な三つ巴によって世界の均衡が辛うじて保たれている。そんな中で魔導騎士連盟の中軸を担うこの国の引き抜き。厳密に言えば、極大的な戦力を引き抜く行為は、ある意味で宣戦布告に近い物があった。

 魔導騎士連盟の日本支部所属の伐刀者はそれなりに実力がある。だからこそ有事の際には日本を中心として派兵される事が殆ど。

 本来であれば風魔衆とは何ら関係が無いはずだった。

 

 しかし、モリースだけでなく、大国同盟の幹部はそんな風には考えていなかった。

 武力と簡単に言っても、物事には必ず光と影が存在する。ましてや常に最大の勢力を派兵した場合、守りが手薄になる事を防ぐためにその分の力が必要だった。

 

 実際に政府と騎士連盟の考えはかなり違う。政府はこの国を護る義務があるが、魔導騎士連盟にはそれが希薄になっていた。

 国民である為にある程度は協力は出来るが、実際には本部の意向が大きかった。

 その象徴が破軍学園襲撃事件。一番最初に魔導騎士連盟が動くはずの事案を、時宗の一存で風魔に依頼した為に、その関係性はかなり悪化していた。

 

 事案発生から本部に伝達し、指示が出るまでに相応の時間が必要とされる。

 確かに一定量の裁量は支部長にあるものの、内容によってはその限りではなかった。

 本来であれば、支部長でもある黒鉄巌の失態ではあるが、その名声を政府が押し付けた為に、本当の解決者を知る人間は限られている。

 風魔を知る人間そのものが早々居ない事も拍車をかけていた。

 

 

「ですが、学園襲撃の際に風魔が動いた。当然貴方からの依頼であると考えます。我々としては、固定された正規運用出来る組織を必要としている訳では無いのです」

 

「傭兵だから扱いは適当で良い……と?」

 

「いえ。それは逆です。扱いに関して雑にすれば、私の頸など当の前に胴体から離れているでしょうから。本来であれば先ぶれの人間に調整してもらう手筈でしたが、想定外の事に私がここに来ています」

 

「ああ……例の件」

 

「大国同盟の諜報部門の人間でも、かなり上位でしたが………」

 

 変死体の事を思い出したからなのか、時宗は敢えてその事を口にしていた。

 実際には小太郎から話は聞いていたが、その詳細までを聞いた訳では無い。

 殺り方に特徴があった為に、そこに至るまでの状況を確認する必要があった。

 しかし、態々そんな証拠を残す程に下手では無い。小太郎からすれば、あくまでも時宗から依頼されたから現場を見たに過ぎず、実際に本格的な調査を警察がしたにもかかわらず証拠は何一つ出てこなかった。

 そんな裏事情を知っているからこそ時宗も口にしたものの、まさか諜報部隊の人間だとは思っていなかった。

 内心では驚くも、表情には一切出ない。情報の精度を確かめるかの様に、相手も話していると考えていた。

 

 

「だけど、裏の運用をするとなれば理由が弱いのでは?それに、そんな事を僕に言うメリットも無いはずだけど」

 

「……そうですね。本来であれば態々言う必要は無いでしょう。ですが、今回の件は情報を開示する必要があると判断した上での事ですので」

 

「大国同盟が動く事案が起こると?」

 

「今直ぐではありません………ですが……」

 

 時宗の言葉に、モーリスはそれ以上の言葉を完全に濁していた。

 実際に今の現状を正しく理解している人間は早々居ない。

 この国で言えば、政府と与党の一部だけ。危ういながらにバランスが取れているからこそ今に至っている。

 それが壊れる理由など、最初から一つしかなかった。

 

 

「『暴君』の命がそう長くない……って事だね」

 

 時宗の言葉にモーリスの目は僅かに見開く。元々この情報はかなり秘匿された内容だった。

 既に解放軍の中でも存在は知るが、実際に目にした事が無い人間の数は少しづつ増えている。

 今は定期的に連絡があるものの、本当の意味での生存確認では無い。

 幹部が誤魔化している可能性もあった。そんな秘中の秘を時宗が口にしている。自分達でも極秘情報だと考えていたからなのか、僅かに動揺が走っていた。

 

 

「そこまで理解しているのであれば、この後の話は早いです。

 我々はそれが確認出来た、若しくはそうだと判断した場合直ちに動く用意があります。実際に魔導騎士連盟との対立する可能性もあるでしょう。そうなった場合、我々としては安心が欲しいんですよ。攻めている間に物言わぬ骸にはなりたくないので」

 

「だったら尚更、僕には関係無いのでは?」

 

「ミスター北条。我々は貴方と風魔衆が、そんな浅い付き合いをしているとは考えていません。実際に我々も今回の接触の際に色々と調べされてもらいました。

 貴方の祖先でもある北条家は戦国時代の、あの北条家。ましてや貴方は事実上の直系に当たる。五代目風魔小太郎との付き合いを考えれば、君主でもある貴方を優先させるのは当然の事ではありませんか?」

 

 北条時宗の祖先が戦国時代を生き抜いた北条氏政の子孫である事は半ば事実として公表されていた。

 しかし、戦国時代から江戸に変遷する中で、表面上は北条家は滅んだ事になっている。

 だが、実際にその命脈を完全に閉ざす事は出来なかった。

 その背景にあったのが風魔衆の動き。小田原城での戦いの最中に豊臣方の攻撃を全て防ぎ、歴史の中では秘中とされているが、秀吉の寝込みを襲い、その存在を完全に秘とする事を誘導した実績を持っていた。                                                                  表に出ないのは忍が寝所に侵入した事実を隠したから。

 結果として氏政の死体の代わりを用意し、小田原征伐が問題無く終わった様に偽装していた。

 当然ながら命を生かす代償として戦乱の時代には表に出ない事を確約している。

 戦乱の火種にならない様に直系である事を完全に伏したまま今に至っていた。

 時宗の実家にはその証拠となる物はあるが、それを完全に表にした事は一度たりとも無い。そんな事実を知っていると口にしたのであれば、何となくでもその関係性を理解したのかと判断していた。

 

 

「だとしても、それは僕には関係無いだろうね。それに、そちらは本当に動くつもりがあるのかすら危ういんじゃないかな」

 

「それはどう言う意味ですか?」

 

「仮に本当に動くのであれば、そんな事は口にするべき物ではない。それに、貴方は確かに参謀の様な立ち位置にあるかもしれない。

 だが、果たしてエイブラハムは本当に動くのかな?だとすれば、それは国際情勢を無視した上で再度世界大戦の戦端を開く事になると思うが?」

 

 時宗もまた今回の件に関してはまだ月影獏牙が総理の際に『月天宝珠』が映し出した光景を見ていた。

 実際に自国に災いが起こる前に回避する。その為の準備として今の与党は水面下で魔導騎士連盟からの脱退を模索していた。

 本来であれば月影をトップに動くべき内容。だが、そのやり方があまりにも杜撰で早急過ぎた為に、時宗が引導を渡していた。

 

 脱退するのに解放軍を使った時点で、国際的にに非難される可能性がある。だとすれば、そうならない様に仕向けるのが本来のやり方だった。

 当然ながら、今は失脚した為に急遽新たな総理を立てる必要がある。その為の党内の調整を今までしていた。

 そんな中で事実上の宣戦布告に近い内容は看過できない。大戦ともなれば、この国が真っ先に狙われる可能性があるからだった。

 

 当時とは違い、今では特質的な戦力を日本は持っていない。幾ら伐刀者と言えど、その実力には差が開いていた。

 只でさえ、この国の非公式ながら持っている『魔人』の数はそう多くない。

 既に大国と呼ばれた国々から見ても、日本と言う国と戦う為には決定的な血を流す必要は無かった。

 島国故の事情。

 必要不可欠な資源を封鎖すれば、勝手に干上がるのは自明の理だった。

 兵站を無視した戦いをすれば敗北は必至。それを避けたいからこそ、一刻も早い離脱を検討していた。巻き込まれた結果、都市が壊滅する事を望む為政者は居ない。

 その為には風魔の離脱は痛手どころか、敗北の引鉄を引く可能性が高い。だからこそ、時宗もまた最悪を回避する為の手段を模索していた。

 

 

「我々が大戦の戦端を開く事は無いでしょう。それ所か圧倒的な戦力を持って叩き潰すだけです」

 

「後は後顧の憂いを絶つだけ……って事だね」

 

「その通りです」

 

 モリースの言葉に偽りは無かった。

 少なくとも外部に出した時点でほど準備は完遂しているのと同じ。それと同時に今後の解放軍の動きによってはかなり厳しい判断を強いられる事になるのは間違い無かった。

 

 元々大国同盟を作った時点で目的が何なのかは予測出来たはず。

 当時、時宗が政治家として居れば確実に潰すべき事案である事に間違いは無かった。

 かと言って時間を遡る事は出来ない。時宗もまた厳しい判断を迫られているのと同じだった。

 

 

「残念だが、これ以上の時間は僕も厳しいんでね。それに、この場で即答は出来ない。少しだけ預からせてもらうよ」

 

「良い返事を期待してますよ」

 

 これ以上は堂々巡りになるのが予測出来たからなのか、時宗だけでなく、モーリスもまた同じ事を考えていた。

 今回はあくまでも最初の接触であって、この場で判断する様な内容では無い。

 本当の事を言えば、時宗の口から日本が魔導騎士連盟から脱退する様な示唆を引きだせれば最良だったが、政治家がおいそれと結論を出すとは考えていない。

 一方の時宗はこの時違う事を考えていた。

 

 既に準備が出来ているのであればそれを潰せば再度時間が必要となる。

 その為の一手を打つ事を考えていた。

 しかし、日本が世界大戦の引鉄を引くのは些か拙い。如何に自然にそうなったのかと錯覚させる手段が必要だった。

 お互いが胸に一物を抱えながら握手する。既に七星剣武祭の熱狂などそこには存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ステラと黒鉄妹は順調みたいだな」

 

「相手が誰だろうと俺には関係無い。ただ勝つだけだ」

 

 時宗とモーリスが極秘会談する頃、龍玄もまた小太郎と話をしていた。

 一回戦から熱い戦いが繰り広げられ、その結果どんでん返しの様に決まった結末を作った会場からは熱気を感じる。

 元々今回の戦いをそれ程重要視していないからなのか、龍玄は緊張する事も無く何時もと変わらないままだった。

 

 

「勝敗に関しては特にどうでも良い。それと例の件だが、調査した結果が出た。一度目を通せ」

 

 小太郎はそう言いながら一枚の紙を龍玄へと投げていた。

 苦も無く受け取ると直ぐに目を通し、火を点ける。

 焼却した事によって証拠を完全に隠滅していた。

 

 

「それと、お前の対戦に関してだが、今回に関しては時間制限を設ける事になった」

 

「時間制限?そんな事はこれまでに一度も無かったはずだが」

 

 小太郎の突然の言葉に龍玄は少しだけ訝し気に見ていた。

 これまでに戦いの中で作戦上の指示が出た事はあったが、今回の様に私用に近い戦いで出た事はこれまでに一度も無い。だからなのか、その意味を正す事を優先していた。

 ここでそのままなし崩しにすれば問題が生じる可能性が高い。下手に何かをする事を考えれば、今の時点で確認した方が何かと都合が良かった。

 

 

「そう構えるな。ちょっとした小遣い稼ぎだ」

 

「小遣い……ああ、そう言う事か」

 

 七星剣舞祭程の規模となれば色々な部分で盛り上がりを見せていた。

 一番の要因は合法、非合法での賭け。国内であれギャンブルは認められていないが、国外となれば話は別。実際に誰が優勝するから、一つの戦いまで幅広く取り扱っている。

 元々都合もある為に優勝者の予想までは出来ないが、大会としての勝者に賭ける程度であれば問題は無かった。

 そうなれば情報を握る人間の勝率は跳ね上がる。

 今回の小太郎の意向はその部分を完全に利用していた。

 学生の力量と裏社会での頂上では実力の差は言うまでも無い。賭けとは言うものの、実際には完全なる掛け金の草刈り場を成していた。

 

 

「因みにオッズはこうなってる。時間を優先するんだ」

 

 そう言いながら小太郎は龍玄にオッズを見せる。今回の対象は自分の対戦相手との結果だった。

 勝敗だけでなく、その時間まで細かく区切られている。トータルで見れば自分ではなく、対戦相手の方が数字は小さくなっていた。

 

 

「この数字の根拠は何だ?幾ら相手がそれなりに活躍したって事になっているが、こうまで開く事は無いと思うが?」

 

「数字に関しては一応は根拠は存在している。実際に学園内での予選会の数字を裏で流したからな」

 

「成程……で、俺の勝敗を考えれば破軍の中では一番の格下扱いになってるって訳か」

 

「だから、この倍率なんだ。それにやるのは今回一度きりだ。仮に次もやろうと思えば稼ぐ事は可能だが、旨味は全く無いだろうな」

 

 小太郎の言葉に龍玄もまた納得していた。

 実際に破軍学園襲撃事件は広く知らされ、その結果として今回の大会には別枠で選手が出場している。

 しかも、襲撃事件を食い止めたとの前情報までが出回っている為に、それ以上情報を確認しようと思う人間は誰も居なかった。

 

 事実上のテロと同じ内容なだけに、伐刀者の競技ではなく完全なる戦場での戦い。それを止めるだけの実力があるのであれば、勝敗だけ見れば龍玄は完全に咬ませ犬と同じ扱いになっていた。

 当然、テロをした張本人である事を知っているのは当事者と一部の人間だけ。

 実際にどれ程隔絶した差があるのかを知るとなれば、完全に限定されていた。

 既に対戦相手の名前が事前に記されている以上、倍率もまた徐々に変化している。

 幸か不幸か会場は黒鉄一輝の勝利に伴い、これまでの様な安定した結果にはなっていない。

 それだけではない。破軍にはステラ・ヴァーミリオンと黒鉄珠雫の両名もまた一回戦を勝ち上がっていた。

 その二人に関してはかたやA級、片やB級なだけにオッズもまた安定していた。

 幾ら一輝が諸星を相手に大金星を取ったとしても、世間の印象が変わる事は早々無い。

 ランクを重視するからこそ龍玄が対外的に出しているランクと勝敗を参考にした結果だった。

 

 

「で、幾ら突っ込むつもりだ?」

 

ブロック一個(一億)だ」

 

「もう少し、いけるんじゃないのか?」

 

「それ以上は胴元が飛ぶ可能性が高いんでな。国営レベルならもっとやれるが、実際にはこれが上限だろう」

 

 今回の大会に関するオッズは龍玄が五倍の配当が付いていた。

 ブロックを倍率で賭けたのであれば五個になって返ってくる。仮に現金を大量に動かすとなればそれ位がリスクとして許容出来るギリギリだった。

 賭けは結果が出た時点で即時清算となる。

 流石に五億の配当となれば動かすのは色々と面倒だった。

 仮に飛んだとしても、回収の際には組織が一つ確実に壊滅するのは既定路線。それが裏で仕切る賭博の実態だった。

 一度でも配当に対し不備を出せば、その組織は二度と同じ真似は出来ない。

 配当は即時清算だからこその信頼だった。

 

 

「だったら俺への配当は?」

 

「そんな物有る訳無いだろ。自分で用意しろ。まだ時間はあるんだからな」

 

 厳しい試合の前の雰囲気は無くなっていた。

 実際に今直ぐに用意出来る資金には限りがある。当然ながら事前に用意した小太郎とは違い、龍玄は精々がレンガ一つ(一千万)だった。

 端末を叩きながら自分に賭ける。受付が完了したメールが届いた事を確認した時だった。

 

 

「どうやらお前に客が来たようだな。お前の試合では緊急の呼び出しは無いから安心して戦え。制限時間だけは間違えるなよ」

 

 言いたい事だけを伝えた瞬間、小太郎の姿は景色に溶け込む様に消えていた。

 気が付けばこちらに向かっている足音は全部で二つ。その音の大きさから男ではなく女である事だけは理解出来ていた。

 試合前であれば来るべき人間の可能性は予測出来る。だからなのか、龍玄もまた気配を探りながらも警戒する事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次の試合、出来れば相応の実力で戦ってもらえませんか?」

 

「理由を聞いても?」

 

 龍玄の下に来たのはカナタと刀華だった。

 元々刀華は出場の権利があった。しかし、襲撃の際に受けた事によりそのまま出場するのは出来ないとドクターストップを受けていた。

 競技ではなく完全なる実戦。刀華自身これまでに特別招集で戦場に立った事はあるが、それはあくまでもこちらから出向いた状況での話。

 奇襲を受けたと同時に尋常では無い攻撃を受けた事から外傷そのものは回復しているが、精神的な物までは医者と言えど判断出来なかった。

 

 事実、刀華が受けたダメージは、他の生徒よりもかなり深刻な状態だった。

 命に別状は無いが、それはあくまでも人間として生きる事が前提での話。

 戦う事を生業とした場合には確実に何らかの致命的な欠陥を生む可能性があった。

 

 破軍に限った話ではないが、伐刀者育成学校に従事する医療関係者は相応の能力を持たないと仕事が出来ない。

 実際に当たり前の様に使う異能でさえも、本当に解析出来ている訳では無い。

 これまでの経験と実績から来る情報の蓄積によって今に至る事の方が多かった。

 だからこそ、その状態を刀華自身が聞いた際には表面上は冷静に話を聞いたものの、精神面ではかなり動揺していた。

 漠然としなかがらも自分の描く未来を考えれば、医者の一言は絶望を招く。だとすれば今年で最後の七星剣舞祭よりも、自分の未来を優先するよりなかった。

 実際に本戦が始まってからは一輝の勝利から始まり、ステラと珠雫もまた危なげなく勝利をもたらしている。

 本来であれば龍玄の相手が誰であっても気にする必要は無かったはずだった。しかし、対戦相手が分かった際に、これまで押さえつけた感情が少しづつ前に出る。

 その結果が今に至っていた。

 

 

「対戦相手が例の関係者と分かったので………」

 

「仇を討てと?」

 

「そうじゃありません。確かに相手にそんな感情が無いと言えば嘘になりますが、実際に破軍はそれ程弱くは無いと証明したいんです。勿論、黒鉄君やステラさんの実力を疑っている訳ではないんです」

 

 刀華の言いたい事は、龍玄も何となく理解していた。実際にあの襲撃に関しては、表面上はテロだが実際には用意周到に計画された物だという事を知る人間はそれ程多くは無かった。

 実際に龍玄もまた鎮圧の際に何となく聞いた程度ではあったが、詳細を聞けば随分と納得できる部分の方が多々あった。

 当然ながら刀華だけでなく、カナタもその事実を知らない。

 恐らく考えられるのは自分達の護るべき学園をそのままにしたくないとの一心から来る物だと察していた。

 

 

「お前達の考えている事や言いたい事は理解した。だが、俺にも俺の事情がある。その為には勝手な行動を取る訳にはいかないんでな」

 

「では依頼ならどうですか?」

 

「金額による………と言いたいが、生憎と今回の件に関しては如何なる理由であっても受ける事は無い。仮に横紙を破るなら十億用意しろ」

 

「そんな法外な金額は………」

 

 龍玄の提示した金額に刀華だけでなくカナタもまた絶句していた。

 実際に報酬の相場は分からないが、相応の実力を示すだけの依頼はそれ程難しい話では無い。にも拘わらず提示された金額は二人の予想の範疇を遥かに超えていた。

 だからこそ、その真意が分からない。今はただ龍玄の言葉を待つしか無かった。

 

 

「負ける理由は何処にも無い。ただこっちの都合があるだけだ。それとさっきの金額は俺の一存で決める話では無い。小太郎が絡む以上は相応の費用が掛かる。それだけの話だ」

 

 小太郎の名前にカナタはその意味を何となく理解していた。

 小太郎が絡む以上は風魔として動いている可能性が高い。それと同時に先程の負ける理由は無いの言葉の意味を正しく理解すれば、それはある意味では確実に勝つのと同じ事。

 だとすれば態々こちらから波風を立てる必要は無い。

 ただあるがままを受け入れるだけで同じ結果になる。唐突にそう理解していた。

 

 

「分かりました。では、私達も観客席から試合を見る事にします」

 

「カナちゃん………」

 

「詳しい事は分かりませんが、恐らくは何らかの動気があるのだろ思います。であれば態々何かを言う必要はありませんから」

 

「……分かった。風間君。先程の話は忘れて下さい。負けるなどと考えた事はありませんが、お願いします」

 

「……勝手にするんだな」

 

 刀華の言葉に龍玄もまた詳しい事を話す事は無かった。

 そもそも相手が誰であっても負けるつもりは毛頭ない。

 只でさえそれなりの金額が動く以上は相応の戦いをするよりない。

 他の選手とは違い勝敗の事よりも戦いの事を優先して動く。ただそれだけの話だった。

 二人が離れた頃には控室に行く時間になっている。これから始まる戦いに、龍玄は少しだけ酷薄の笑みを浮かべていた。

 

 

 



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第61話 一回戦

 湾岸ドーム内に設置された会場は既にボルテージが頂点に付こうかと思う程に熱狂していた。

 ここまでの試合の中で大きな波乱はただ一つ。地元の雄でもあり、昨年の王者でもあった諸星雄大を下した黒鉄一輝の存在だけ。それ以外の戦いに関しては、事前の予想通りの結果となっていた。

 その中で襲撃事件を鎮圧したと称された一団もまたそれぞれが順当に勝ち進んでいる。

 テロ行為を良しとしないのは、国民であれば当然でもあり、また、その力量がどれ程なのかを今大会で知る結果となっていた。

 

 トーナメントは一発勝負ではあるが、実力に差があれば波乱は少ない。一部、不戦勝はあったものの、どの試合も観客の満足度が高いからなのか、それ程重要視される事は無かった。

 気が付けばこの試合が一回戦の最終戦。事前に出された情報は観客の誰もが知っている。

 襲撃事件の立役者と言われた一団の一人、多々良幽衣と破軍の最後の選手、風間龍玄の対戦だった。

 

 

「なあ、あの多々良って選手は例の襲撃事件の一人だろ?って事は実力はかなりあるんだよな」

 

「だろうな。実際の実力は分からんが、少なくとも他のメンバーを見る限り、弱いって事は無いだろう」

 

「だとすれば、対戦相手の風間って選手の負けは決まりじゃねえの」

 

「固有霊装も篭手なんだよな……って事は、決めてが弱い可能性もあるかもな」

 

 七星剣武祭程の規模になれば少なくともそれなりに目の肥えた観客が多いのは当然だった。

 実際に、七星剣王の名は伊達では無い。ある意味ではその時代の覇者ともとれる実力を有する事を誰もが知っているからだった。

 実際にここからKOKに参加する人間も少なくない。そう考えれば、ランクこそ低いが諸星を下した黒鉄一輝もまたその一翼を担う可能性が高かった。

 

 元々大会前に各学園から提出されるデータは、事前の発表の為の情報源として利用される。

 勿論、戦い方等は記されていないが、各々の固有霊装から何となく戦術が読めていた。

 実際に、今回の大会に関してもそれは変わらない。

 多々良幽衣の固有霊装は刀剣類では無く、チェーンソー。

 刀剣の様な精密な動きはそれ程必要ではないかもしれないが、一度攻撃を受ければ破壊力は今大会の中でも上位に入るレベル。

 それに対して、風間龍玄の篭手は余りにもチェーンソーとは相性が悪かった。

 何せ斬るのではなく、破壊し引き裂く。となれば、篭手で受けきれる道理が何処にも無かった。

 だとすれば、態々細かい部分を見なくても戦いの結果は大よそながらに予想出来る。それが観客の一致した考えだった。

 

 しかし、観客は何も知らない。

 学内で起こった本当の事実。

 そして風間龍玄の実力からすれば一輝はおろか、A級のステラでさえも学内の予選会で簡単に敗北した事実。それをキャッチしていれば色眼鏡で見る事は無かった。

 本当の実力を知った時点でどう考えるのか。情報を持たないままに戦う事がどれ程危険な行為なのかを知る者は関係者以外に一人も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今回の戦いですが、敗北は許されません。それを頭に入れた上でお願いしますよ」

 

「今さら何をくだらない事言ってる。アタイがあんな小物相手に負けるとでも?事前の情報だと中の下か下の上程度じゃねえか」

 

「小物かどうかは分かりませんが、あの風間龍玄と言う人間の情報を鵜?みにしない方が良いですよ。幾らあの戦いが結果的に終結したとは言え、二人が相手の手の内に落ちています。

 依頼者でもあった月影獏牙も内閣総理大臣の椅子から落ちているのであれば、無意味な事をする必要は無いですから」

 

「おいヒラガ。それ以上の口は開くな。アタイが何をしようが、ここは七星剣武祭なんだ。既に依頼とは無関係だ」

 

 平賀玲泉の忠告とも取れる言葉を多々良幽衣は強引に言葉で制していた。

 実際に平賀玲泉が口にした情報は裏を取る為に関係各所から引っ張り上げていた。

 調べれば調べる程、内容そのものは平凡極まりない。恐らく諜報と言う物を考えなければ、そのまま信用するのは当然だった。

 しかし、問題なのはその情報の信用度。

 あらゆる部分で調べても、出てくる内容は全て均一の物だけ。

 ある意味では事前に用意された物ではないのかと錯覚する程だった。

 

 平賀が思ったのは余りにも綺麗すぎた内容。

 篭手が固有霊装であると同時にランクもまたそれ程高くは無い。今年の破軍の出場者を見ても何となく見劣りする程だった。

 事実、Fランクの黒鉄一輝は事前の懇親会の中で相応の実力を有している事は何となく理解していた。

 当然ながら噂と実際の内容がこれ程合わない人間もまた珍しい。

 その結果として、大会の本命でもあった諸星雄大を下した以上は、誰の目にも劣った人間ではない事を理解させていた。そう考えれば風間龍玄の情報を見る限り、目新しい物はなく、また懇親会の中でも目立つ事は一切無かった。

 

 固有霊装が籠手であるならば、当然使ってくるであろう攻撃方法もまた予測出来る。それを理解しているからこそ多々良は自信を伺わせていた。

 ここが戦場であれば慢心を生んだまま死に至る。だが、ここは戦場ではなく七星剣武祭の名を持つ大会。奇襲攻撃も無ければ罠をしかける事も無い。これ以上は無駄だと平賀は悟っていた。

 

 

「……そうですね。貴女の実力は私も理解しています。では、存分にその実力を発揮して下さい」

 

「ったく最初からそう言えよ。お蔭でテンションがだだ下がりだって」

 

「ではご武運を……」

 

 平賀の言葉など最初から聞くつもりがなかったのか、多々良は吐き捨てるかの様に会話をぶった切っていた。

 実際にここでどんな話をしようが、戦うのは自分ではない。

 人間性は別として多々良は幽衣の持つ抜刀絶技『完全反射(トータルリフレクト)』は色々な意味で伐刀者の天敵とも取れる能力だった。

 如何なる攻撃であっても、自分に来た攻撃はそのまま相手へと跳ね返る。その結果、待っているのは盛大な自滅だった。

 幾ら篭手とは言え、相応の攻撃を返す事が出来るのであれば負けは無い。仮に最悪の事を考えれば、最低限の情報だけでも自分の目で確かめれば良いと考えて、そのまま控室を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの話からすれば、水面下で何か作戦があるのかな」

 

「どうでしょうか。私も直接の事は知りません。ですが、あの実力で負ける未来が予測出来ないのも事実です」

 

「……それは否定できないけど」

 

 控室での一件が何なのかを刀華は疑問に考えていた。

 これまでにも何度か厳しい話が出た事はあったが、今回の様な内容はそれ程大きな問題になるレベルではなかった。

 依頼に近い物ではあったが、最初の段階で報酬の話が出ず、それどころか更に高額の話が飛び込んでいる。だからなのか、あの会話の内容が少しだけ気になっていた。

 

 相手がテロリストである事を刀華とカナタは知っている。

 幾ら実行犯がこいつらだと声高に叫んだ所で、事態は何も変わる事は無い。

 それだけではない。実際に懇親会の会場でもまるで当然だと言わんばかりの態度で参加していた。

 詳しい事は何も知らされていないが、あの作戦の風魔が出ている為に、相手にも何らかのダメージがある事は想像できる。だからと言って、それを龍玄に聞いた所で事実が分かるはずが無かった。只でさえ依頼の内容を口にする事をしない人間が、こんな事程度で口にするはずもなく、また、会場内に於いても何の反応も示さない。

 

 実際に風魔に限った話ではなく、裏の仕事を受ける人間はほぼ間違い無く依頼人の事を口にする事は無い。でなければ非合法の任務をこなし、信用を得る事が出来ないから。

 しかし、裏の事を何も知らない二人にそんな事実を知る術は何も無い。

 精々が、これまでに短いながらもそれなりに付き合いがあったカナタが龍玄の態度を何となく理解していた。

 基本的に風魔として動く際、幾ら知人であっても他人と同等レベルで会話をする事が殆どだった。

 本人から直接聞いた訳では無いが、龍玄だけでなく朱美も似た様な反応をしている。

 下手に関係性を持たれれば面倒な事しか起こらない。

 ましてや、仮に人質になろうものならば、足手まといの存在に成り下がるからだった。

 当然ながら人質になった所で風魔からすれば、その価値は最初から無いの同じ。あくまでも推測ではあるが、あの対応から見れば確実に何らかの任務についている事だけは間違いないと考えていた。

 だからこそ、カナタは刀華にその考えを伝える。刀華もまたそれを聞いて理解したからなのか、疑問こそ持つもののそれ以上は考えない様にしていた。

 

 

「実際に今回の大会に関しては色々な思惑は有る様に思えます。ですが、今年に関してはイレギュラーな状況ではありますが、昨年以上の結果をもたらすのではないかと思いますよ」

 

(あなが)ち否定出来ない……か」

 

 カナタの言葉に刀華は内心複雑な思いがあった。

 昨年までの状況下で、刀華は事実上単独で上位に入ったのと同じだった。

 昔とは違い、今は伐刀者としての技術は大よそながらに公開されている事が多くなっている。そうなれば幾ら秘匿したとしてもその対策を練ってくるのは当然だった。

 その結果、異能に力を入れてきた学園は表彰台からは遠のき、異能よりも実技を重視する学園が表彰台を飾る事が増えていた。

 それがある意味では今の破軍の現状となっている。

 

 昨年の秋に改選された理事長の変更に伴う事になり、漸く今年は表彰台に手が届くまでになっていた。

 その結果としてランク外の人間が参戦している。

 去年までの学内の規定であれば諸星雄大を下すと言った大金星を挙げる事は出来なかった。

 刀華自身、今年の諸星の戦いを見て驚いた部分が多分にあった。

 あの最後の払いに関しても、刀華はまさかそんな事をするなんて微塵も考えていない。

 思い込みが招く敗北こそ手厳しいのだと観戦をしながらに思っていた。

 

 

「それに、刀華さんは今年で卒業です。仮に来年以降の事を考えれば、実力が底上げした方が、学園としては嬉しいでしょう。勿論、刀華さんの感情も含めてですが」

 

「ありがと。カナちゃんがそんな風に思ってくれてたなんて」

 

「当然ですよ。私だって、まだここの生徒ですから。でる事が出来なかったのは少々残念ですが」

 

 カナタの言葉に刀華もまた少しだけ申し訳ない気持ちを持っていた。

 自分だけが本戦に出場出来ないのではない。ましてや自分とは違い、カナタ自身は負傷していない。

 本来であればメンバーの中で真っ先に出場する権利があったはずだった。

 しかし、自分の看病と生徒会の役目。それを閑雅て出場を辞退している。

 敗北の経験もなく出場出来ない悔しさを考えれば、自分の思いなど些細な事でしか無かった。

 

 

「それに、今年に関しては私は楽観視とまでは行きませんが、何となく波乱がある様にも思えます。それが何なのかは分かりませんが、少なくともそんなに難しく考える必要は無いと思いますよ」

 

「そっか………」

 

 カナタの言葉に刀華も改めて気分を切り替えていた。

 多々良の本当の力量は不明だが、それでもテロリストに風魔の四神が負ける可能性は皆無。そう考えれば気が楽だった。

 一輝だけでなく、ステラと珠雫も順調に勝利している。

 龍玄が負ける姿を想像出来ない以上、あと数回勝てばお互いが潰し合う戦いになるのは必至だった。

 そこまですれば順位的には事実上の破軍だけで独占出来るかもしれない。そんなとりとめのない事を考えながらこれから始まる一回戦の最終試合に臨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「意外と賑やかなんだな。で、あそこに時刻が表示か。都合のいい事に開始からのスタートになってるな」

 

 龍玄が控室から選手の入場する場所へ移動する際、僅かながらに会場の様子を伺っていた。

 七星剣武祭そのものに関心がある訳でも無く、この出場に関しても結果的には自分の任務にも影響があるから出ただけに過ぎない。

 当然ながら一輝やステラの様に優勝を狙うなどと言った感情もまた皆無だった。

 

 今回の戦いの相手が、解放軍の一員でもある多々良幽衣である事は事前に知っていたが、大会の会場で確認出来る端末からはそれ以上の情報に関しては確認すらしなかった。

 元々この戦いに勝ち負けを見出すでのはなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 本当の意味で相手を負かすのであれば開始一秒で事が足りる。しかし、圧倒的過ぎるかちには何かと面倒な事があるんのも事実だった。

 

 非合法の賭けともなれば八百長の可能性もまた示唆される。仮に何らかの横槍が入るのであれば、組織事叩き潰すのが一番簡単ではあるが、その事後処理を考えると面倒以外の何物でも無かった。

 当然ながら受け取る金額と手間が合わない。ならばこの戦いで相応の内容であったと印象付ける方が遥かに簡単だった。

 事実、あの襲撃事件で龍玄は容易く二人を確保している。戦場に於いては結果だけを重視する為に、内容に関しては何の制限も無い。その結果として生きたまま確保し、結果として多額の収益を上げる事が出来ていた。

 当然ながら今回の戦いもまたその一つ。だからなのか、龍玄の中で戦いに関しての高揚は一切無く、精々が時間の確認の為に時計のある場所を確認する程度だった。

 

 

「では、ここから入場して下さい」

 

「ああ」

 

 会場までの案内人の後を歩きながらも気負う事は一切無かった。

 これから始まる戦いに関しての情報は詳細まで理解している。事前に集めた情報に齟齬が無いのであれば、後はいかに見る戦いをするかに考えが集約されていた。

 だからなのか、かけられた言葉に短く返事だけをする。

 案内人が何を考えようとも龍玄の気持ちが揺らぐ事は何一つ無かった。

 ゆっくりと開く扉からは会場の照明が煌々と照らされている。

 ある意味では見世物の様にも思えるが、これが大会の趣旨である事を考えれば、当然の事だった。

 一歩一歩扉に向けて距離が縮まる。その先に居るのは紛れもなく自分の対戦相手でもある多々良幽衣の姿があるはずだった。

 

 

 

 

 

(ヒラガがどうしてあれほど警戒するのかが解らん。戦績はパッとしない。ましてや霊装が籠手なら攻撃手段が限られるに決まってる。その程度なら憂さ晴らしにもならんだろうが)

 

 控え室を後にしながら、多々良は少しだけ先程の平賀玲泉の言葉を思い出していた。

 実際に襲撃計画を依頼された際に、初めて顔見世したものの道化師の仮面と服装によってその素性が一切見えなかった。

 自分に連絡を付けた時点で解放軍のメンバーである事は何となく理解しているが、実際に多々良として解放軍の全てを把握している訳では無い。

 特にこの国に関しては、解放軍の拠点は他国に比べれば格段に少ない。一時期はかなりの数があったとされているが、その殆どが何らかの理由で廃棄していた。

 

 本来であれば理由を探るのが筋かもしれない。しかし、多々良はそんなチマチマした事を好んでする性格ではなかった。

 自分の存在意義は敵対する人間の殲滅であって、色々とする裏工作では無い。

 全てを自分一人で出来るなどと奢った気持ちを持っていない為に、その考えは徐々に先鋭化していた。

 その結果として、情報は情報として最低限記憶に留めるが、それ以上の事を深く考えるつもりは無かった。

 仮に考えた所で自分に出来る事などたかが知れる。だとすれば、今以上に自分の力を積み上げる事を選択したに過ぎなかった。

 その最たる内容が月影から依頼された破軍学園の襲撃。多々良自身は襲撃の際には自分の力を最大限に発揮していた。

 殺す事は不可であっても、相応の痛みを与える事は契約上問題ない。細かい内容を横にして、その条件だけで引き受けていた。

 実際に襲撃そのものは成功の裡に終わっている。自分の見える範囲の中でそう考えていた。

 そんな状況の中、合流予定地での結末はまさに想定外の結果。

 襲撃の中で二人が捕縛され、それと同時に一体の獣が死んでいる。幾ら情報を収集しようにも、肝心の中身に届く内容は何一つ無いままだった。

 

 結果として考えた所で何かが変わる訳では無い。その時点で多々良は考える事を止めていた。

 依頼を果たした以上は報酬を受け取りそれで終わり。そのはずだった。

 しかし、契約の内容は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その結果としてこの大会に出場する事になっていた。

 他のメンバーとは違い、自分の相手はEランク。恐らくは学内で何らかの事情によって間に合わせの要員だと判断していた。

 慢心した積つもりはないが、明らかに格下の相手。最初にそう考えた為に、それ以上の興味を持つ事は一切無かった。

 自分の前を歩く案内人がゆっくりと扉を開ける。その瞬間、多々良の思考はどうやって相手を屠るかに集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタが相手か。精々楽しませてくれ」

 

「それは難しい相談だな。楽しむ暇があれば良いが」

 

「何だ?口だけは達者なんだな。合図が鳴ったら精々逃げきるんだな」

 

 僅かに殺気を込めながらも多々良は龍玄の様子を伺うべく言葉を発していた。

 僅かながらでも言葉に殺気を混ぜれば、大半は怯む。しかし、この風間龍玄と言う人間はそんな事など気にする事無くそのまま会話を続けていた。

 この時点で考えるのは殺気を混ぜた事に気が付かない可能性。

 本来であればその時点で何らかの対処方法を持っていると判断するはずだが、生憎と人間の持つ思い込みはそんな異常を感知する事が出来ない。

 まるで肉食獣が草食動物を甚振るかの様な視線を向けながら、試合開始の合図を待っていた。

 お互いが一定の距離を保ち相対する。

 開始直後に一気に勝敗を決めるのではなく、じっくりと楽しんだ方が良いかもしれない。多々良はその時点で龍玄の事を完全に見くびっていた。

 

 

《LET's GO AHEAD!》

 

 

 試合開始のブザーが鳴った瞬間、会場の誰もが龍玄の状況を冷静に判断出来た人間は居なかった。

 先程までお互いが対峙し、共に固有霊装を顕現させる。開始の合図と共に戦いが始まるはずだった。

 機械音が無機質に鳴り終わった瞬間、多々良は龍玄が動いた事を理解していなかった。

 

 まるで一人だけ時間の流れが異なっているかの様に微動だにしない。その一方、龍玄はまるでそれが当然だと言わんばかりにそのまま多々良に向って最短を疾っていた。

 龍玄の左足は地面のフロアを破壊すかの様に強く踏みしめる。『震脚』を彷彿とさせる踏み込みを持ってそのままエネルギーを相手に叩きこむはずの攻撃はまるで予定調和の様にも見えていた。

 踏み込んだ左足をそのままに脇腹に突き刺さる左拳。本来であれば完全にその勢いが体内を貫くと同時に、衝撃を持ってそのまま吹き飛ばされるはずだった。

 

 

「お前……卑怯だぞ」

 

「何がだ?」

 

 呟く程の声を発していたのは多々良だった。開始直後の攻撃を考えていたのは龍玄だけではない。多々良もまた同じ事を考えていた。

 言葉では卑怯だと言ったが、実際には違う。瞬きをした瞬間、龍玄が既に至近距離で攻撃態勢に入った姿を見ただけ。それと同時に、踏み込んだ左足が完全に自分の右足のつま先を粉砕した事を知ったのはその後だった。

 末梢神経が集中するつま先が粉砕した事によって、これまでに経験した事が無い程の痛みが多々良の全身を駆け巡る。

 油断していた訳では無いが、開始早々の攻撃が綺麗に決まった事で多々良は直ぐに自分の警戒態勢を最高レベルにまで引き上げていた。

 

 

「既に戦いは始まっている。貴様が知るまで待つ程暇じゃないんでな」

 

 試合開始直後にまさか機動力を封じられるとは思っていなかったからなのか、多々良は言葉以上に内心は動揺していた。

 瞬きをする時間など刹那程も無い。

 目測で三メートルほどあった筈の距離が一瞬にして潰された事実に舌打ちしたい気持ちがこみ上げる。

 序盤での怪我は確実に今後の戦いに於いて不利になるのは歴然だった。

 

 だからと言いて時間が巻き戻るはずが無い。既に最大レベルで警戒する以上、ここからは自分のターンであると考えていた。

 固有霊装でもある『地擦り蜈蚣』を構え様子を伺う。自分の間合いを維持したからなのか、多々良は少しだけ冷静になっていた。

 

 

(どうしてあれが目に入らなかった!アタイの目を欺く事なんて出来ない。さっきの攻撃はどうやったんだ……)

 

 多々良の二つ名でもある『不転』は伊達では無い。元々多々良の産まれは一般のそれとは大きく異なっていた。

 生まれながらの兇手の一族。幼い頃より鍛えられたその感覚が完全に効果を発揮していない事実を疑問に感じていた。

 元々『完全反射』は自分に来るであろう衝撃を、言葉通り反射させ、そのまま相手に放つ物。その為には如何なる状況であっても確実にそれを感知できる能力が要求されていた。

 ギリギリまで見極め、回避が出来ない状況を確認して攻撃のエネルギーを相手に返す。その為に幼き頃より視線や殺気の類には敏感になっていた。

 三歳から始まった鍛錬は既に鍛錬の域を超え、日常へと変化する。その結果、多々良はいかなる攻撃ををも跳ね返す鉄壁の護りを身についていた。

 その結果として解放軍だけでなく裏の人間からも職業兇手として一目を置かれている。それ程までの自信を持つからこそ、理解の範囲を超えた攻撃を理解出来なかった。

 

 

 

 

 

(まずは機動力を封じ込めてから、次の戦術だな)

 

 震脚と同等レベルで足の骨を粉砕した事を龍玄は感触から判断していた。

 実際につま先が痛めば、思う存分実力を発揮する事は出来ない。

 脚の骨を砕いた瞬間、多々良の表情が僅かに歪んだ事を確認していた。

 幾ら強力な攻撃力を持っていたとしても、それはあくまでも万全の状態である事が前提となっている。

 既には破壊された時点で確実にその攻撃力だけでなく、機動力も失っている。そうなれば後は実に簡単に終わらせる事が可能となっていた。

 そうなると、事前に用意された内容でもあった多々良幽衣の個人情報。圧倒的な勝利でも良いが、折角の賭け試合を多少なりとも盛り上げる必要があるだろうと考えていた。

 

 

「テメエは殺す!」

 

 龍玄の思考と止めたのは多々良の叫び声。先程の一撃を受けた事によって完全にキレた様にも見えていた。

 合図と同時に繰り出した攻撃を避ける事も無く直接被弾した事によって、肉体の損傷は想定を超えていた。

 本当の事を言えば、オープニングでの攻撃は完全に手を抜いたそれ。龍玄は多々良と戦いながらも本当の敵は時間であると考えていた。

 始末するだけならいつでも出来る。そもそも矮小な存在を一々警戒するつもりは最初から無かった。

 

 開始直後の一撃は多々良自身の想像を遥かに超えた一撃だった。

 これまでに幾度となく死線を経験したが、お互いが対峙した中での奇襲攻撃はこれまでに一度も経験した事が無い。実際に何をどうやったのかすら判断する時間すら与えられないままに、戦いは開始されていた。

 直撃した攻撃を受けた多々良は対戦相手の龍玄の事情など何も知らない。

 分かっているのは開始直後の攻撃が極めてギリギリのタイミングだと勝手に判断していた。

 確かにブザーが鳴った瞬間に最接近された事は理解はするが、感情が追い付かない。

 これまでに自分が鍛え上げた殺人兇手としての矜持なのかもしれない。声に出したのは威嚇ではなく自分の意思表情の為。

 刹那の攻撃を受けた事によって多々良は競技ではなく、戦場での思考へと切り替えていた。その意志を示すかの様に固有霊装の『地擦り蜈蚣』が反応する。

 燃料を注入されたチェーンソーは、敵対す人間の肉を引き裂かんとその存在を高めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、寧音。あれで奴は全力なのか?」

 

「んな訳無いさ。理由は知らないけど、何かを企んでるのかもね」

 

 オープニングでの攻防がまるで嘘の様に龍玄と多々良の試合は様変わりしたかの様に進行していた。

 少なくとも黒乃だけでなく、寧音もまた龍玄の戦いを予選会の中で幾度となく目にしている。当事者は分からないが、開始直後のあの動きを見る限り、会場の観客は誰一人理解していない様だった。

 

 一輝がやった歩法の様な派手な動きは無く、寧ろ粘体物質が動いたかの様にヌルっとしたような動きだった。

 通常、戦いの最中ではなく最初の段階で動きを見失う可能性は早々無い。当然ながら誰もがそう考えていた。

 しかし、その考え完全に否定する程に多々良は動く事は無かった。

 当然ながら意識していないのであれば回避はおろか、防御する事すら無い。それがそのまま直撃した結果となっていた。

 

 それだけではない。

 龍玄が意識外からの攻撃を意図的に弱めている原因もまた分からない。これまでの予選会の中では事実上の一撃必殺とも取れる結果を示していた為に、この光景は違和感だけしか無かった。

 強烈な踏み込みで相手の脚の甲を粉砕し、そのまま拳の追撃が入る。本来であれば確実にドクターストップが入る程。結果的に踏み込んだ事によって足が縫い留められ、身体が吹き飛ぶ事は無かった。

 審判が止めなかったのか、それとも気が付かなかったのか。実際に会場で解説をしている人間もまたその事実を口にしていない。

 只でさえこの七星剣武祭には解説としてプロが呼ばれている。プロが気が付かない攻撃を観客が知る術は一切無かった。

 何を考えて戦っているのかを黒乃は知らない。

 既に引退した身であるからこそ、寧音を自分の解説代わりに引っ張り出していた。

 そんな寧音もまたその攻撃の意図が読めていない。だからなのか、黒乃は己に課せられた使命を全うしながらも、この戦いの行方を見守るしか無かった。

 

 

「企むとはなれば実力差がかなり開かないと難しいだろう」

 

「実力差だって?はん。あの程度と同じな訳ないさね」

 

「じゃあ、実際にはどれ程あると言うんだ?」

 

「それはくーちゃんでも答える事は出来ない」

 

 多々良は決して無能ではない。裏の住人の目から見ても、それなりに実力がある事は分かっていた。

 抜刀絶技を考えた場合、殆どの伐刀者はその能力に畏怖を抱く事になる。

 自分の力が余すことなく自分に向けられる。ある意味では究極の理不尽とも取れる内容に、回避する事は不可であると語るのと同じ事。事前の情報でもある程度は予測出来るからこそ脅威に映っていた。

 

 この時点で黒乃は寧音の言葉を完全に信用した訳では無い。何故なら実際に相対しない限り、本当の意味で理解出来るはずが無かった。人間は誰しもが自分の経験を基準に判断する。それが相応の実力を持てば尚更だった。

 これまで、風魔の話を聞いてから黒乃もまた独自で調べはしたが、そのどれもが眉唾レベル。学内で唯一寧音が知るであろう実力もまたその口から直接聞いた事は一度しかない。

 だからこそ今の寧音の一言が全てを語っている様にも黒乃は考えていた。

 

 

 



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第62話 実力の差

 仮に会場に審判が居れば、確実に何らかの異変を感じる程にばの空気は緊張に包まれていた。

 厳密に言えば、緊張感を露わにしているのは多々良だけ。一方の龍玄は完全に自分にせまる氣を何事も無かったかの様に受け流していた。

 まるでお互いが決められたかの様に距離が縮む事無く一定を保っている。

 途中で変化するのは多々良が龍玄を攻撃する時だけ。龍玄はまるで何処に攻撃が来るのかを分かっているかの様に完全に回避していた。

 

 

(黒い家の一族だと聞いていたが、この程度の業か)

 

 龍玄が完全に多々良の攻撃を回避出来るのは相手の動きを見るからでは無い。

 動く瞬間の呼吸や筋肉の微妙な動き、それと同時に攻撃する瞬間に発生する氣の揺らぎを視ている。その結果として来るであろう攻撃箇所を予測していた。

 如何なる人間であっても無呼吸で動く活動時間は限られている。

 幾ら長時間の活動が可能だとしても、それは自分が完全に肉体をコントロールできる状態になっているから。

 当然ながら攻撃を受け、肉体が損傷すればその限りでは無い。ましてや多々良は筋肉が少ない箇所を激しく損傷している為に、肉体を完全にコントロールする事が出来ない状態を龍玄が作り上げていた。

 

 それと同時に、同じ裏の人間であっても決定的にその深度は異なる。

 表から見ればそれ程違いは無いかと思っても、実際にはかなりの違いがあった。

 表層から見えるレベルと深淵に近い物。その違いを感じ取れない時点で結末は完全に決定されている。

 ましてや多々良は最初の攻撃で冷静さを完全に失っている以上、龍玄がどの世界に居るのかを知ろうとすら考えていなかった。

 傍から見ればギリギリで回避している様にも見える攻撃。だが、龍玄からすれば素人丸出しのテレフォンパンチと同じだった。

 

 

「どうして当たらねえんだ!」

 

「お前はそれでも本当に職業兇手なのか?」

 

 多々良が肩口めがけて攻撃したものの、その攻撃もまた掠る事無く悠々と回避された瞬間だった。

 態と必要以上に近づいた瞬間、本人にだけ聞こえる様に呟いた声。その言葉の意味を誤解する事無く多々羅は正確に理解していた。

 表情にこそ出ないが、一瞬だけ氣が乱れる。余程驚いたからなのか、多々良の視線は先程よりも強くなっていた。

 

 

「……どこでそれを」

 

「言う必要があるとでも?」

 

 裏の人間にとって、己の所属する物を知られるのはある意味では死に近い物があった。

 仮に失敗すれば待っているのは組織の滅亡。仮にそこまで行かなくとも、それに近しい事が起こる可能性は多分にあった。

 幾ら依頼とは言え、それ以外の平時にまで狙われ続ければやがて疲弊するのは間違い無い。その結果として自分の命が散る可能性もあった。

 特に兇手として生きる人間は、それ程白兵戦での戦闘能力は高くは無い。

 幾ら伐刀者と言えど、その理は同じだった。

 

 力があったとしても、対抗するだけの力が無ければより強大な力に蹂躙される。その結果、人間として扱われない人生を送った所でそれが表に出る事は無かった。

 歴史の日陰に生まれたそれは、誰かに知られる事も無くそのまま日陰の中で消えていく。その定から逃れる事は出来なかった。

 だからこそ、その言葉の真意を多々良は想像する。

 自分の所属する組織を理解するならば相手もまた同じ側に立つ者。その考えに至ったからなのか、多々良の思考はこれまでに無い程に冷静さを取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(これで少しはマシになったか)

 

 先程までとは違った感じを受け取ったからなのか、龍玄は態と多々良に伝えた事実に内心嗤っていた。

 冷静さを失った人間を屠るのは通常の任務。しかし、ここでのそれを誰も求めてはいなかった。

 時計をチラリとみてもまだ時間には余裕がある。そうなればこのままの戦いは目の肥えた人間にとってはまるで八百長だと思われるかもしれないと判断していた。

 

 元々から戦闘速度の差があり過ぎている。自分と同じ速度で動く人間が限られているとなれば、何らかの手合いでそのまま終わる可能性が高いと考えていた。

 実際に龍玄が全力を尽くす人間は限られている。だとすれば、このまま相手をするのは馬鹿馬鹿しいとさえ考えた末の言葉だった。

 

 

「自分から攻撃したらどうだ?」

 

「はあ?さっきからしてるだろうが」

 

「自分の状況をまともに理解してるつもりか?」

 

 龍玄の言葉に多々良だけでなく会場の誰もが疑問を浮かべるかの様だった。

 実際にオープニング以外の攻撃を一方的にしているのは多々良であって龍玄ではない。

 実際に何をしているのかも正しく理解した人間は限りなく零だった。

 それを理解出来た人間であればその言葉の意味を正しく理解する。

 それが理解出来ていない時点でお互いの力量がどれ程違うのかを分かっていないのと同じだった。

 

 

 

 

 

「ねえ、イッキ。さっきのリュウの言葉の意味って?」

 

「ステラは龍が何をしてたのか見えなかった?」

 

「何となく程度には」

 

 会場の外では一輝とステラもまた先程の言葉の意味を考えていた。

 しかし、何となく違和感は感じるものの、それが何なのかが分からない。ひょっとしたら一輝であれば気が付いているのではと考えた為に聞いていた。

 

 

「あら?ステラさんは何も分からなかったのですか?」

 

「何よ。そう言うシズクだって」

 

「だそうです。お兄様。折角ですから教えてはどうですか?」

 

 ステラだけが理解出来ないと言わんばかりに一輝の隣に座っていた隣から珠雫の声が飛んでいた。

 実際に選手であれば観戦できる場所がある。一輝を中心に互いが左右から挟んだ状態になっていた。

 珠雫もまた龍玄が何をしているのかを理解していない。ただステラに少しだけ絡んだだけだった。

 その証拠に自分の事を言う前に一輝に答えを求めている。

 一輝もまた何となくお互いがどんな状態になっているのかを察したからなのか、珠雫の言葉に答える事にしていた。

 

 

「龍は攻撃を受けた瞬間、相手の状態を探っているんだよ。その証拠に紙一重で回避しているのは完全に攻撃を見切っている証拠だよ。それと、僅かながらだけど攻撃はしてるよ」

 

「そんな様子は見えないわよ」

 

「そりゃそうだよ。だって、あれは攻撃と言うよりも寧ろ何かを探ってるみたいだ。まるで医者の触診みたいにね」

 

「ですが、それ程の技量を持つのであれば、どうしてまともな攻撃に転じないのでしょうか」

 

 一輝の言葉にステラは驚いた表情を見せていた。

 珠雫もまた本当は驚いているが、巧みにその感情を隠している。それと同時に疑問もあった。 

 実際にカウンター攻撃が出来るはずが、何故それをしないのか。その理由が全く見えなかった。

 

 

「それに関しては本人に聞かない限り分からないかな。終わってから聞くしかないと思う」

 

「ですが、それが可能だとすればお互いの実力差は…………」

 

 珠雫はそれ以上の言葉を口に出来なかった。

 まるで甚振るかの様な姿勢で攻撃するとなれば、その実力差は考える必要が無い。

 言い方を変えれば、ただ倒すだけならば何時でも出来ると態度で示すのと同じ事。敢えてしないのであれば何らかの事情がある。それが何なのかは分からないが、珠雫は龍玄の本当の実力がどの程度なのかを判断出来なかった。

 

 

「実は誰にも言ってなかったんだけど、大会が始まる直前まで龍の所で修業していたんだ。一回だけ本気で戦って欲しいと言ってやったんだけど……手も足も出なかったよ」

 

「イッキ。それは謙遜しすぎじゃ……」

 

「そんな事に謙遜はしないよ。それに龍の実力はステラだって知っての通りだから」

 

「それは……そうだけど」

 

 諸星との戦いを見たからなのか、ステラだけでなく、珠雫もまた一輝の言葉に驚くしなかなかった。

 実際に一輝の動体視力は尋常ではない。

 相手の動きを即時トレース出来る程に鍛えらえている。にも拘わらず、手も足も出ないとなれば、完全にその力量は違う事を意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 攻撃の隙間を縫うかの様に龍玄は多々良が攻撃した瞬間に龍玄は僅かながらに攻撃を加えていた。

 『完全反射』がどこまで作用するのか。それと同時に、その異能が発揮できるタイミングがどうなのかを探る為だった。

 衝撃を反射するのであれば衝撃を与えずに攻撃をすれば良いだけの話。それが可能かと言われれば可能だと口にするだけの攻撃方法は幾らでもある。

 しかし、物事はあらゆる側面から確認をする必要があった。

 

 瞬殺するのではなく敢えて時間稼ぎをする以上、こちらが常に主導権を握る必要があった。

 下手に長引かせても何かと面倒にしかならない。だとすれば確実性を取るのが一番だった。

 その為には最低限度の状況で確認をするのが一番リスクが少ない。

 常に攻撃する際の意識の隙間を狙う為に、本人が気が付いていない可能性もある。

 本来であればこんな面倒な事はしないが、時間があるだけに、龍玄は敢えてその能力を丸裸にする為に、何時も以上に手間をかけていた。

 

 

(やはり攻撃の瞬間は無理みたいだな)

 

 多々良の固有霊装が派手な音を立てて龍玄の脇をすり抜ける。

 元々チェーンソーそのものは殺傷能力こそ高いが、その取扱いに関しては色々と難も多かった。

 剣や刀の様に洗練された動きを取るには、その構造は決して良い方向には働かない。そもそも攻撃する為に造られた物では無い為に、攻撃をする前には余計な動きが必要だった。

 

 当然ながらその隙を逃す程に龍玄は甘くない。派手な音で威嚇するはずのそれもまた何の効果も発揮する事は無かった。

 すれ違いざまに速度だけを重視し、威力を殺した蹴りが幾つも入る。本来であればその勢いは反射だれるはずが、その感触は一切無かった。

 考えられるのは自分の意識が向かない場合には何の効果も発揮しない。無意識では使えない可能性が高かった。

 奇しくも一輝が触診と口にした様に龍玄の攻撃は常にあらゆる状況下で繰り出される。

 多々良も多少は気が付くも、威力が弱いからなのか、それ程気にする様子は何処にも無かった。

 データが揃った時点で、次のステップに移る。ここからは自分もまた多少の被弾をする覚悟を持ったからなのか、龍玄の動きは更に洗練されていた。

 

 

 

 

 

(アイツは一体何なんだ!)

 

 多々良もまた龍玄への攻撃をしながらも徐々に焦りを生み始めていた。

 先程の一言で心胆から冷静になったが、未だ攻撃が確実に届くとは思えなかった。

 これまでに幾度となく戦った記憶はあるが、これ程までに攻撃が届かない事は経験に無い。

 幾ら自分では冷静になってるつもりでも、肉体はその限りではなかった。

 攻撃が届かないのであればこちらが勝てる道理は何処にも無い。仮に勝つのであれば抜刀絶技で対応するしかなかった。

 時折微弱な攻撃を受ける事はあるが、それ程脅威になるとは思えない。その影響なのか、多々良の脳内には龍玄の攻撃力はそれ程ではないと無意識の内に刷り込まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ頃合いだな」

 

 龍玄は敢えて聞こえるかの様にその言葉を口にしていた。

 既に時間は四分を経過している。ここからがある意味では本番だった。

 既に蓄積したデータから推測すれば、それなりに時間をかける必要はなく、また、リスクを負う事無く勝利を収める事が可能となる。後は如何にして料理するかだった。

 放った言葉と同時に躰からは余分な力が完全に抜ける。傍から見れば戦う事を諦めてのかと思う程だった。

 

 

「何が頃合いだ」

 

「この戦いの終わりだ」

 

 多々良の言葉を返した瞬間、龍玄はオープニングと同様に一気に多々良への距離と詰めていた。

 この原理は当事者でさえも理解出来ないからなのか、既に多々良の懐に龍玄は侵入していた。

 ここから打撃が来るのであればそれ以上の力を返せば良い。異能があるが故に多々良は間合に関しては甘い部分があった。

 打撃を貰うつもりなど毛頭ない。その瞬間、多々良の視界は一気に天地が反転していた。

 

 

 

 

 

「何であんな……………」

 

 一輝が僅かに口にした言葉は会場内の全ての総意の様でもあった。

 懐に侵入した時点で間合は完全に自分の中にある。となれば、ほぼ全ての攻撃を直撃させるのは容易なはずだった。

 しかし、龍玄はそんな予想を大きく裏切る。

 まるで多々良の躰を一陣の風が吹き流れるかの様に素早く後ろへと回っていた。

 その瞬間、多々良の体躯は軽々と地面から離れ、そのまま勢いが衰える事無く離れた地面へ真っ逆さまに向かっていた。

 

 

 ────裏投げ。

 

 

 柔道やプロレス、サンボにもある業。

 多々良の躰は完全に自由を失っている為に逃れる隙は無かった。

 その為に投げた勢いは衰える事をしない。

 まるで決められた動きの様にそのまま地面に叩きつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程……そうでしたか」

 

「あれに意味があるの?」

 

 カナタの呟きに刀華は反応していた。

 実際に襲撃の際にカナタは少しだけ多々良と対峙した経験を持っていた。

 その中で感じたのは違和感。まるでに自分の攻撃を反射するかの様に攻撃を後で必ず自分にも同じ様な衝撃を受けていた。

 一度手合わせした事によってカナタは警戒していた。

 反撃にしてはモーションが無く、罠の可能性も少ない。

 だとすれば異能による攻撃の反射の類であると判断した。

 

 理想としては攻撃を受ける前に攻撃をするか、若しくは守りに徹するか。

 カナタは後者を選んでいた。

 その当時の記憶が言葉になって漏れる。刀華はカナタの言葉にこれまでの龍玄の動きの一端があった様にも感じていた。

 

 

「私は襲撃事件の際に少しだけ対峙しました。手応えがあまりにも変でしたので守りに徹していましたが、あれは反射の類だと思います。恐らく彼はその事実を知っていたのだと。それで地面に激突させる事によって何らかの可能性を見出したのだと」

 

 カナタの推測は龍玄の考えそのものだった。

これまでに確認したのはこちらに対して反射するのではなく、あくまでもダメージを与える対象物に対する攻撃である事。そうなれば無機物に激突すればどうなるのかを試す必要があった。

その結果として龍玄が選んだのは裏投げ。頸椎を損傷させるのではなく態と肩を選んでいた。

多々良の体躯が綺麗な円弧を描く。

 ぶつかる瞬間、龍玄は多々良の体躯を放り出していた。

 至近距離で離れた為に多々良は回避すら出来ない。その結果として多々良の肩は激しく激突していた。

 

 

 

 

 

(くそっ!完全にやられた)

 

 多々良は己の抜刀絶技『完全反射』のある意味弱点とも言える部分を完全に突かれていた。

 幾ら攻撃を受けたとしても無機物に激突したエネルギーを対象物以外に移す事は出来ない。あくまでも反射する物であって攻撃の手段ではないからだった。

 裏投げをされた時点で時間的には余裕はある。しかし、攻撃する物が地面である以上、多々良の受けた攻撃を龍玄に流す事は不可能だった。

 

 強烈に叩きつけられた事によって肩の感覚が完全にマヒしている。この時点で完全に龍玄の事は意識の外に出ていた。

 それだけではない。投げられた瞬間、身体強化を使用した為に、ダメージそのものはそれ程ではないとさえ最初は考えていた。

 しかし、それは只の都合の良い妄想。地面に激しく打ち付けた事によって肩の関節は外れている。

 確認した訳では無いが、ダメージはそれだけではない様な気がしていた。

 投げられた速度とタイミング。破壊と言う名の目的だけで言えば、この結果は完璧だった。

 多々良の右肩は完全に動かなくなっていた。ただ外れただけならば、無理矢理元に戻す事も可能かもしれない。だが、それをするには相応の時間が必要だった。

 ましてや先程の言葉でもある様に龍玄が多々羅を待つ道理は何処にも無い。既に頃合いであると宣言している以上、出来る事は限られていた。

 

 

「まだ左腕がある!」

 

 固有霊装は重さを感じる事はそれ程無い。当然ながら多々良もまた右腕が動かないのであれば左腕でも攻撃は出来ると判断した上で口にしていた。

 実際に攻撃は出来てもそれがまともに通じるかどうかは別の話。只でさえ攻撃に向かない霊装が更に扱い辛くなった事によって事実上の攻撃方法は失っていた。

 

 

「残念だが時間だ」

 

 多々良の心を完全に折るかの様に龍玄は一言だけ告げると、再度懐へと侵入していた。

 既に態勢が崩れた為に多々良には為す術も無い。気が付く頃には既に動かなくなった右腕が龍玄に捉えられていた。

 尋常ではない握力によって多々良の細い腕は悲鳴を上げる。

 幾ら身体強化を施したとしても既に外れた関節が治るはずが無い。しかも攻撃を受けた訳では無い為に、反射する事すら不可能だった。

 

 そこから先はまさに一方的。

 多々良は握られた腕を中心に完全に振り回されていた。

 肩を中心に痛みが常に神経を逆撫でする。これまでに兇手として戦った事はあったが、こうまで一方的になった記憶は無かった。

 まるで自分の事など最初から眼中にすら無い。そんな意思を感じ取っていた。

 振り回す勢いは衰える事すら無く回転数が上がっていく。既にここから先の展開が何なのかを多々良は冷静に判断していた。

 このまま場外に放り出されればそれで終わり。自分の持つ技量などまるで無関係だと言わんばかりの行動だった。

 

 

「何時までも……テメェの好き勝手にさせると思…」

 

 その瞬間、多々良の体躯は地面に激しく叩きつけられる。まるで反撃をするタイミングを理解しているかの様に完璧な動き。まさかここで叩きつけられると予測していなかったからなのか、多々良は肺にあった空気を全て吐き出していた。

 僅かに呼吸が止まる。

 当然の様に自分の体躯は再度叩きつけられると同時に場外へ放り出されていた。

 まるで邪魔な荷物を棄てるかの様に数度地面を跳ねながら舞台の外に落ちる。その時点で戦いは終了していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの野郎……随分と適当な真似しやがる」

 

「それって………」

 

 蔵人の言葉に同じ学園の仲間が不意に聞き直していた。

 実際に今回の破軍学園に限った話ではないが、他の学園でも今回の件に関しては色々と思う部分が多分にあった。

 一番の要員は、事実上の実戦に放り出された事によって如何に自分を見失う事無く、何時もと同じ様に動く事が出来るのかだった。

 学生のうちで実戦を経験するケースは皆無に近い。精々が特別招集が行われた場合だけだった。

 それには勿論、蔵人も該当する。

 以前に龍玄と戦った際にも手も足も出ないままではあったが、本当の意味で命のやりとりをした訳では無い。

 

 命のやりとりが行われる場所では戦いに綺麗も汚いも関係無い。そこにあるのはただ生きているかどうかだけ。

 それを肌で実感するかどうかだけだった。

 蔵人もまた自分の技量が全く足りないままに一方的に負けている。それと同時に、その戦い方もまた敵を排除する為だけに特化した様なやり方だった。

 洗練された無駄の無い動きそのものがどれ程危険な物なのかを強引に刻まれている。そう考えれば今の戦いは明らかに遊んでいるか甚振っている様にしか見えなかった。

 今後の事を考えればある意味では他の選手を欺くための手段だと言われてもおかしくない戦い。だからこそ無意識の内にその言葉が出ていた。

 何も知らない生徒からすれば蔵人の呟いた言葉に疑問しか持たなかった。

 

 

「あれは無駄がある動きは一切しない。だが、今のやつは明らかに無駄しかない」

 

「そうかな?そんな風には見えなかったんだけど」

 

「認めたくは無いが、俺は既にあれに負けている。勝つ事はおろか、まともに相手になってたかすらも分からん」

 

「それって、かなりのレベルなんじゃ………」

 

 蔵人の言葉に、隣に居た仲間もまた難しい立場へと変更していた。

 蔵人が自分の口から負けた事を認めた事も驚きだったが、それだけでは済まなかった。

 誰もが参加する事に意義があるのだと高尚な思考を持ち合わせていない。参加する以上は頂点を狙うのは当然だった。

 

 学園に対する貢献度ではなく、純粋に自分の実力が当代で一番である事を世間に知らしめるのはこの大会は一番手っ取り早い。

 力を示す事が伐刀者の本分だと考える人間も少なくない。

 蔵人もまたその中の一人。だからこそ忌々しい表情をしながらも事実だけを述べたに過ぎなかった。

 実際に一回戦で、今大会の大本命の諸星雄大が消えている。それがこの大会の象徴だった。

 昨年までの戦績は何のあてにもならない。それが想像出来たからなのか、この時点で何の情報も持っていない学園は色めきだっていた。

 名目上、多々良は破軍学園襲撃事件の立役者として周知徹底されている人物。それを手玉に取った時点で波乱の未来だけが予見されていた。

 他校の中でも数少ない龍玄の実力を知る人間。それが倉持蔵人だった。

 

 

「ああ。それを知ってるから適当な戦いなんだよ。糞が……巫山戯やがって」

 

 忌々しいとさえ思う程の蔵人の口調は荒くなっていく。どれ程悔しいのかは分からないが、最近の蔵人を知る人間であれば驚く程だった。

 以前の様な粗野な部分はそれ程変わらないが、戦う事に関しては貪欲な程に相手を求めている。

 見方によっては以前の方が良かったとさえ思えるが、傍若無人な面がかなり少なくなっている為に印象はかなり変わっていた。そんな人間が感情を表にしている。だからこそ、その言葉に信憑性は高くなってた。

 

 

 

 

 

「予選会とは大違いだな」

 

「あの程度なら余裕なんだろ。幾ら何でもあれはミスマッチ過ぎる」

 

 龍玄の戦いを見ていたのは観客だけではない。関係者もまた戦いの一部始終を見ていた。

 特に破軍の新宮寺黒乃と西京寧音は万が一が起こった際のバックアップ要員として待機している。その為に画面越しではなく、自分の目でその戦いを見ていた。

 傍から見れば一部接戦の様にも見えた戦い。だが、その本質は圧倒的な実力差を知らしめただけで終わっていた。

 詳しい事は何も聞かされていないが、何となくあの出場選手達が真っ当な人間ではない事位は理解出来る。生徒と同じ年代であれば実力があればそれなりに話の一つも出てくるはず。にも拘わらず、そんな話はこれまでに一度も聞いた事が無かった。

 

 相応の実力を持ちながら隠すのは組織に属する人間だけ。何も知らない学生であれば隠す必要が無いはずだった。

 各学園によって選手の選出方法は異なっている。その為に、詳しい事までは分からないが、他の理事長に会った際に聞いた話では、一定以上の実力がある事だけ間違い無いという事実だけだった。

 分不相応な実力で出場すれば、個人だけでなく、学園にもそれなりにダメージを受ける。当然ながら理事長がそんな酔狂な事をするはずが無い。

 詳しい事はわからなくとも、大筋それで間違っていないと思える程だった。

 

 二人は本当の意味での実力は知らないが、学内の予選会の事を知っている為に、これほど実力差が開いているとは思っていなかった。

 その根底に、あるのは本当の意味での龍玄の実力を知らないから。

 寧音が何となく知っているのは昔の情報。当然ながら今の状態を知らなくとも、今回の様な戦いの予想だけは可能だった。

 

 

「しまった!それなら……どうして今頃気が付くかな!」

 

「どうしたんだ?何か問題でもあったのか」

 

「大ありさね。どうして今頃気が付くかな!」

 

「どうでも良いが、分かる様に説明しろ」

 

 寧音は唐突に何かを思い出したかの様に言葉にしていた。突然の出来事に、黒乃のもまた寧音に問いただす。しかし、黒乃の質問にまともに答えるつもりが無かったからなのか、黒乃から拳骨がおりるまで寧音は同じ言葉だけを発していた。

 確実に実力が開いている事を理解しているのであれば、今回の様な戦いは寧ろ都合が良かった。

 国内では無理でも、他の国であれば対応は可能となる。ならば海外のブックメーカーを考えなかった自分の無知をさらけだしていた。

 

 

「ったく。何も殴らなくても………」

 

 余程厳しい攻撃だったからなのか、寧音は自分の頭をさすりながら改めて考えていた事を口にしていた。

 今回の様な七星剣武祭はかなり大掛かりな体制になっていく。当然ながら海外のブックメーカーサイトはどこも大盛況だった。

 オッズはともかく、勝ちが見える戦いであればその結果もまた然り。今になってどうしてやらなかったのかに考えが今頃向いていた。

 

 

「少しは自重しろ」

 

「でもさ………」

 

「何だ?文句でもあるのか?」

 

「いえ、有りませんから」

 

 黒乃は溜息交じりに寧音を見るしかなかった。

 実際に職員とは言え、寧音の立場は曖昧な物。そうなれば本当の意味での規律など有って無いのと同じ事だった。

 寧音の言葉に黒乃のもまた何となく分からないでもないと思うのは当然の事。呆れながらもそれ以上突っ込む事はしなかった。

 

 

 

 



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第63話 水面下での動き

 湾岸ドームで戦いが繰り広げられる頃、ここでもまた一つの戦いが終結していた。

 実際に勝者と言う者が居るのかと言われれば答えには詰まる。事実、時宗との会談が終わったからなのか、大国同盟(ユニオン)のモーリスと側近は周囲に嗅ぎ付けられる事無く会談のホテルを後にしていた。

 

 

「モーリス様。どうしてあの様な事を。我々の立場からすれば、幾ら政治家と言えど無碍に断るはずが無いのではありませんか」

 

「ほう。貴殿にはそう見えたのかね?」

 

「忌憚なく言わせてもらえば、私にはその様に見えましたが」

 

 既に移動しているからなのか、乗り込んだ車には運転手以外に誰も居なかった。

 元々からそういう役目なのか、運転手は後部座席で話をする二人に視線を動かす事もせず車を運転する。

 只でさえ、組織の上層部の人間が非公式に会談をする時点で尋常ではない。本来であれば事前に何らかの情報を伝えた上で動く事が当然のはず。

 にも拘わらず、こうまで隠すのは何かしらの思惑があるのは当然だった。

 

 どんな内容があるのかは不明でが、それでも内容をおいそれと口にする事は出来ない。

 それが漏れた時点で自分だけなく、周囲の人間がどうなるのかを考えれば最初から聞かない方が精神的にも良い。

 長年の勤務によって、運転手から二人の会話を聞く事を止めていた。

 

 

 

 

 

「そうか………貴殿は確か、まだこの部署に配属になって浅いんだったな。私が前にどんな仕事をしていたのかを知ってると思うが」

 

「それは勿論。だからこそです。何故あれ程までに遜るのかが分かりません」

 

 大国同盟は建前としてはその名の通り、大国の外郭組織として伐刀者の管理を一任されている。しかし、その実態はどこにでもある権謀術数の世界の延長に過ぎなかった。

 事実、組織のトップでもある『超人』エイブラム・カーターは米国の所属でもあり、また同国の『超能力部隊(サイオン)』の長を努めている。

 その結果として、大国同盟でも同じ様なポジションについていた。

 

 当然ながらトップだけが表に出る組織は外的要因に問題があった場合、共倒れになる確率が極めて高い。事実、『解放軍』はここに来てそのジレンマに陥っていた。

 一人だけが突出した実力で支える組織は、常に前を走り続ける間は問題は無いが、それ以外となった場合に問題しかなくなる。

 事実、各国も暴君の年齢から逆算すれば、最悪は組織崩壊の可能性を簡単に予測できる。

 世界を相手に暴れる割に、その次となるべき人材が居ないのは周知の事実。そう考えればまだエイブラムは二十代の為に、今後の長期に亘る支配も不可能ではなかった。

 事実、解放軍が崩壊する前提で幾つかのミッションが発令されている。その中には国際魔導騎士連盟に関する事案も含まれていた。

 

 元々日本は騎士連盟に所属したのは組織設立以降、時間がかなり経過してからだった。

 本来であれば戦勝国が最大の発言権を持つのが当然だが、設立から相応に組織が出来上がった状態からの加入は完全にそんなポストは無かった。

 だからと言って、そのまま放置する程に組織もゆとりがある訳では無い。

 戦勝国として持ち上げる必要があるからこそ、本国は日本と言う国を重視しているポーズを取る為に戦勝の立役者でもあった黒鉄一族を各国の支部中でも重要なポストに組み込んでいた。

 誰もが過去の実績だけで簡単に就ける訳では無い。だが、黒鉄一族は幸か不幸か相応の実力も持ち合わせていた。

 その結果として末端の一支部の動きがどうなろうと、本国はそれ程気にしていない。

 KOKのランキング一位でもある『白髭公』アーサー・ブライトからすれば些細な出来事に過ぎないからだった。

 大国同盟としても対抗組織に対する情報は常に調べている。

 その中で支部長でもある黒鉄巌ではなく、政治家としての北条時宗の下に出向いた理由が分からなかった。

 

 

「本来であればもっと歴史と戦略を……と言いたい所だが、あれもまだ開示するだけの時間が経っていない。これはあくまでもオフレコとしてだが」

 

 モーリスは不意に運転手の方に視線を向けていた。

 機密事項は米国の法律で、最低でも五十年は開示されない。だが、関係者が口を開く事にまでは及んでいなかった。

 だからなのか、モーリスは視線をバックミラーへと移す。

 僅かに映る運転手の反応は随分と穏やかだった。

 ここで耳を傾ける様であれば当の前にレイオフされている。上層部の専属だからなのか、後ろを気にする事もなくそのまま前を向いて運転に専念していた。

 

 

 

 

 

「そんな………だとすれば、我々はたったそれだけの人間に負けたとでも言うのですか」

 

「そうだ。当時の軍部の証拠もデータも、通信の記録でさえもそうなっている。本当の意味では脅威以外の何物でもないと言った所だ」

 

「ですが、今は当時とは違うはずです。何なら部隊そのものを前線に出せば……」

 

「その虎の子の部隊が殲滅されないのであれば………が注釈に着くだろう。貴殿は今年の春にあった事案に記憶は無いのか?」

 

「今年の春………あれは確か、反政府軍の戦術がそのまま嵌まっただけだと」

 

「対外的にはそうなってるな」

 

 モーリスの言葉に側近もまたその当時の事を思い出していた。

 ゲリラ戦で苦戦していた政府は魔導騎士連盟に部隊派遣を依頼していた。

 本来であれば、そのまま鎮圧されるはずの結果が、まさかの敗戦。実際に派遣された魔導騎士の殆どが物言わぬ骸となった件だった。

 事実上の全滅の事実は未だ公表されていない。当時のゲリラ側が、どこかの組織に依頼した事までは大国同盟の諜報部も掴んでいた。

 

 魔導騎士のランクにもよるが、その殆どは五人から十人程度で鎮圧が可能な戦力を有している。表には出ていないが、大国同盟もまた同じ様な依頼を何度か受けていた。

 だからこそ、当時その情報を察知した際には諜報部の誰もが直ぐに信じる事が出来ないでいた。

 しかし、時間と共にその情報をゆっくりと持ち帰っている。そこで漸く判明したのが一握りの伐刀者の組織だった。

 完全に相手が格下である事を理解したと同時に、魔導騎士のストレスを常に上限まで追い込んでいく。幾ら非現実的な能力をもっていたとしても伐刀者もまた、所詮はただの人間でしかない。

 兵站が壊滅し、完全にその動きを制限している。今でこそ、その内情は大よそながらに判別されているが、それが戦場であればと考えれば末恐ろしいとさえ思える程。

 それが自分の身に起こったとすればどんな結末が待っているのだろうか。

 

 優秀な人間程、脳内とは言え自分の身に置き換えてシミュレートする。

 生命維持ですら厳しい状況下で戦うには人間を辞める以外の選択肢が何処にも無い。

 それをリアルに想像したからなのか、側近のシャツは冷たい汗に晒されていた。

 

 

「ですが、それがどうして今回の件と」

 

「我々とて何も知らないままに戦場に出る訳には行かない。もし、そんな事を考えない者が我々の組織……部隊を預かる上官としているならば、その者は真っ先に粛清の対象だろうな」

 

 

 側近の言葉に簡潔に答えると同時に、モリースは徐に葉巻を懐から取り出し、そのまま火を点けていた。

 煙草ではないからなのか、葉巻独特のゆっくりとした紫煙が立ち上る。本来であれば禁煙のはずの車内。しかし、先程の会話の気分転換の為だと理解しているからなのか、二人は止めるつもりは一切無かった。

 窓の外には景色が流れている。

 元々の予定が終わったからなのか、誰もが不意に緊張を解いていた。

 漆黒の天空には普段とは違う色の月が赤く光る。普段はそれ程気にならないが、今夜に限っては何故かその色が気になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、肝心の取り分だが念の為に確認だけはしておけ」

 

 伐刀者としての戦いではなく、どちらかと言えば一般人の競技に近く、またエンターテイメントの観点が非常に高かった一回戦の最終戦は人によっては判断が難しい展開で終わっていた。

 これまでの七星剣武祭の中では異端に近い戦い。片方は当たり前の様に抜刀絶技を使用したが、もう片方はそんな気配すら無かった。

 事実、周囲の人間は龍玄が予選会から一度も抜刀絶技を使った姿を見た者はいない。固有霊装を展開している為に辛うじて伐刀者だと認識する程だった。

 これが洗練された動きで終始戦い続けていれば評価は違ったのかもしれない。しかし、煌めきを視れた人間は本当の意味で一握り程度。それ以外の人間はただの格闘程度にしか思っていなかった。

 それは一般の選手だけではなく、賭けをする胴元もまた同じ。既にブックメーカーサイトでは次の試合のオッズは大荒れだった。

 実際の戦闘力が全く見えない。下手をすればその試合だけオッズすらつかない可能性もあった。

 それに対して裏ではかなり調整されている。

 次の試合では確実に最低限でしかつかない事だけは間違い無かった。

 だからこそ初戦に大きく張る。その対価は小太郎を通じて龍玄の手にも届いていた。

 無造作に投げれた紙袋の中身を確認する。元の掛け金の五倍の金額が袋の中に入っていた。

 

 

「確かに受け取った。だが、今回だけだろうな」

 

「当たり前だ。次は無理ではないが、旨味は無い。小遣い稼ぎはここで終いだ」

 

 多々良を倒した情報は色々な意味で確認されていた。

 元々画面に出る時点で本来の力を発揮するつもりは龍玄には無い。下手に観衆の下で発揮すれば何かと問題を孕む可能性もあったからだった。

 時間稼ぎの観点からかなり加減したままで戦っている。それでも尚、一方的な戦いは戦力を図るにも情報が足りなさ過ぎていた。

 

 

「で、その金で何をするつもりだ?」

 

「道場の改造費用にそこそこかかったからな。まずはその補填だな。どうせ出すつもりは無いんだろ?」

 

「……そうだな。あれはあくまでも個人所有出る事が前提なんでな。それに完全に接収するには時間も手間もかかる」

 

 龍玄もまた、最初から小太郎から費用を貰おうとは考えていなかった。

 実際に前線基地としての役割はあるが、あくまでも個人の所有でしかない。実際には果し合いの報酬となっている為に使用者としての権利はあるが、所有にまでは至っていなかった。

 本来であれば所有者に話をつけて完全に接収するのが望ましい。だが、そうなれば長きに渡って管理する必要があった。

 元々報酬の取り立ての為に自分が鍛える場所が必要だからと考えた結果。そう判断している為に龍玄はそれ以上先の事を考えていなかった。

 まだ学生の身で大金を動かす事は早々無い。だが、これまでの報酬を考えれば龍玄の懐が早々に痛む事は無い。何となく自分が利用された事が嫌だと考えた部分の方が多かった。

 金額の多寡は重要ではあるが、直ぐに必要ではない。だからなのか、小太郎の言葉にそれ以上の事を考える事を放棄していた。

 

 

「そもそも報酬の取り立ての為の時間稼ぎなんだ。そこまでする必要は無いだろ?」

 

「あれはあれで使い道は色々とあるんだ。だからと言って何かを考えている訳では無いがな」

 

「適当だな」

 

「まあ、そう言うな。こちらにも色々と都合があるんでな。余剰金があるならパッと使うのも一つの手かもしれん」

 

 そう言いながらも小太郎の雰囲気は何時もとは違っていた。

 任務以外では身内に関してはどこか砕けた雰囲気があるが、今日に限ってはそんな事は微塵も無かった。

 何がそうさせるのか。だからなのか、龍玄は不意に小太郎に確認していた。

 

 

「その割には様子が違うが。ひょっとして例の件か?」

 

「それは関係ない。ただ、何となく気になる事がある。それだけだ」

 

 大会は始まる前に聞いた作戦は本来の自分達の内容からすれば緊張を高める程の物では無い。

 勿論、油断する様な真似はしないが、それでもここまで緊張感が高まる事は任務以外では無い。何となく聞いた返事が曖昧なまま。

 戦場で培ってきた勘がそうさせているからなのか、龍玄もまた紙袋をしまうと同時に、無意識の内に周囲を警戒していた。

 

 

「そこまでする必要は無い。これから時宗の所に行く。何かあれば直ぐに連絡しよう」

 

 

 小太郎は一言だけ残すとそのまま姿は周囲に溶け込むかの様に消え去っていた。

 既に賭けの事は記憶の彼方にでも追いやったからなのか、龍玄もまた僅かに厳しい表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々済まないね」

 

「野暮用もあったんでな。特に問題は無い」

 

 小太郎を出迎えたのは時宗だった。

 既にモーリス等大国同盟との非公式の会談が終わっている為に、それ程周囲を警戒する事は無くなっていた。

 本来であれば時宗の立場であればSPが就いている。にも拘わらず、周囲にはそんな気配は何も無かった。

 会談にも使われる程にセキュリティが高い為に、廊下で誰かと鉢合わせになる可能性は低い。それを知っているからこそ小太郎もまたそれ程高い警戒をしていなかった。

 開かれた扉の向こうに見えるのは湾岸ドームの照明。熱狂に包まれている会場とは違い、この場所は静謐を保っていた。

 

 

「あまり時間をかけるのも何だし、単刀直入に言うけど、大国同盟からの接触はあったかい?」

 

「無いな。それにあの組織が何故今頃になって関与するのかも、な」

 

「詳しくはまだ掴んでいないみたいだね。そろそろ接触してくるのは時間の問題かもしれないね。それと、少しだけキナ臭いのも事実だ。知っての通り、奴らは覇を表に出そうとしている。僕の立場としてはそう簡単に呑みこむ訳にはいかないんだけどね」

 

 時宗の言葉の裏付けは小太郎も同じく調べていた。

 実際に国際魔導騎士連盟と大国同盟は外見上は似た様な立ち位置になっている。

 伐刀者による世界の治安維持の為の組織。それと同時に伐刀者が絡んだ紛争に関しては、お互いがお互いの国を監視しながらもその機能を健全に運用していた。

 大戦から学んだのは、圧倒的な戦力をもって戦争を止めるのではなく、その前段階として抑止力として伐刀者を前に出し、戦争を起こさない。それがそれぞれの国家で学んだ最適解だった。

 事実、大戦以降大きな紛争は以前に比べれば格段に減少している。幾ら近代兵器を開発しようが、兵站がそれ程必要としない伐刀者の部隊を派遣させた方が結果的には良い事が多かった。

 

 人的な被害が出たとしても兵器を運用する訳でない為に、純粋な費用だけが計算できる。

 純粋な兵器としての単価で考えれば伐刀者を運用した方が十分だった。それと同時に個人的な接触があった今、ここからどんな出方をするのかが読めない。

 覇を唱えると言っても、各国ではそれなりに伐刀者の数もある。仮に戦闘を仕掛ければ、他の国から叩かれるのは当然だった。

 

 

「誰か阿呆が居るのか。だが、それと我らとどう関係があると?」

 

「簡単な事だ。奴らは風魔を恐れている。襲撃の際には寝首をかかれたくないらしい」

 

「我々がこの国に忠義を持っているとでも考えているとでも?」

 

「どうだろうね。そこまでは分からないね」

 

 時宗の言葉に小太郎は呆れていた。

 風魔に接触する際にはそれなりに伝手があればそれ程難しい話ではない。ただ、その内容を吟味した上で小太郎自身がどうするのかを決めるからだった。

 当然がら傭兵としての立場はあるが、必ず依頼を受ける訳では無い。少し調べれば分かる話も、態々時宗を通じた時点で不可解な物となっていた。

 

 

「依頼内容の是非は我々が常に精査している。恐らくは時宗、お前の立場を警戒しているのかもしれんな」

 

「僕の?それこそナンセンスだよ。政治家は選挙に負ければ只の人だよ。それはどの世界でも当然の不文律だ」

 

「だが、選挙で落選するつもりは無いんだろ」

 

「当然さ。それだけの事をこれまでしてきたんだ。実際にこれまで通過させた法案や方針も漸く実を結び始めている。折角の収穫をせずに退場なんて詰まらないだろ」

 

 実際に時宗の選挙区では他の候補とは常に圧倒的な大差で選挙に勝っている。

 年齢からすればあり得ないかもしれないが、その年齢の壁を打ち壊す程度に結果を出している。

 実際にその法案によって様々恩恵を受けてきた人間は少なくない。

 政治の世界ではなく、一般の世界から見れば時宗がやってくた事は国民に対して誠実だった。だからこそ誰もが時宗に期待する。

 元々今回の首班指名でも時宗の名前は出ていた。しかし、これから先の事を考えると自らが神輿となるよりも軽いそれを担いだ方が何かと楽だった。

 万が一の事があれば自分が出向く。今の総理にはそう説得して出馬させていた。

 

 

「政は我々には関係無い話だ。それにこんな日には何が起こってもおかしくは無い。警備はするがそれ以上に気を付ける事だな」

 

「何か掴んでるのか?」

 

「いや。何も掴んではいない。ただ何となく気になるだけだ」

 

 小太郎はそう言いながら外を眺めていた。

 既に空に浮かぶ月は何時もとは違い、どこか赤身を帯びている。黄金に輝くのではなく、まるで血を溶かしたかの様な赤色をした月は周囲を煌々と照らしていた。

 それと同時に時宗もまた、小太郎の勘をある意味では信用している。

 何が起こっているのかではなく、これから何が起こるのか。詳しくは言わないのは何かから警戒をしている証拠だった。

 

 

「そうか……万が一の時には頼むよ」

 

「報酬次第だな」

 

 それ以上は言葉にする必要は何処にも無かった。

 これまでに時宗の件で小太郎は拒否した事は一度も無い。報酬云々に関しても時宗もまた理解しているからだった。

 今の段階で軍や騎士連盟に話を持って行く事は出来ない。お互いがお互いに関係する部分があるからこそ口にしただけの事。

 熱狂渦巻く大会に波乱が起こるのか。それを今の段階で知る者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風間君。お疲れ様でした」

 

「特に疲れる様な内容でも無かったがな」

 

「そうでしたか。ですが、周囲はそうは思っていない様ですよ」

 

 既に小太郎と別れた為に龍玄は時間を僅かに持て余していた。

 元々大会に出たのは何らかの任務が入るからであって、破軍の為では無い。

 実際にこの大会の結果がどうなろうと自分とは全く関係が無いとさえ考えていた。

 

 事実、実力を隠した戦いである事は風間龍玄と言う人間を理解しているのであれば直ぐに分かる。明らかに手を抜いた様に戦う様であっても、周囲はそんな風には見えていなかった。

 カナタはそんな龍玄の実力を知る数少ない人間の一人。

 声をかけたのも、何らかの思惑があるからだと考えたからだった。

 実際に試合中はピリピリした空気を纏っているが、それが終われば以外と気楽になっている事が多い。

 事実、他の学園の人間との交流はこんな部分で現れている。

 常に研ぎ澄まされたままの殺伐とした空気を纏い続ければ精神的にも疲弊する。そうならない様に自然と気分転換をするかの様に交流するのが当然の様になっていた。

 只でさえ選手は同じホテルに泊まっている。だが、龍玄の性格からすれば交流するつもりが最初から無かったのか、カナタが訪問するまでは殺風景な部屋に来客は無かった。

 

 

「で、何の用だ?」

 

「つれないですね。まずは一回戦突破の事で声をかけさせて頂こうかと。それ以外では来客も無いでしょうから少しだけ話し相手でもと」

 

 カナタの言葉に龍玄は改めてカナタを見ていた。

 実際にここでの食事は選手用と言うだけあって殆ど人間が満足できるレベルを誇っている。本来であれば外に出る事も可能ではあるが、実際には外で食事をする人間は早々居なかった。

 仮に何らかのトラブルが起こった際には、選手本人だけでなく学園にも迷惑がかかる。まだ大会が始まった当時はそんなトラブルがあった為に、今の状態になるまでにそれ程時間はかからなかった。

 事実上の選手の専用となっているだけに一般人の宿泊はない。その為に普段であればあるはずのメニューの一部が無くなっていた。

 去年出場したカナタもまた、その事実を知っている。だからなのか、手に持っているのは一本のワインが入る程度のクーラーだった。

 

 

「そうか……何も無くて良ければだが」

 

「では遠慮なく」

 

 カナタが入った事を確認したからなのか、扉はそのまま閉ざされていた。

 実際に何の為にここに来たのかは本人以外に知る由も無い。

 本当にただ話し相手として来たのか。

 龍玄にとってカナタが何を考えてるのかを知るに為には話をするより無かった。

 

 選手の為のホテルなだけに調度品の類は置かれていない。

 基本的には上位に入るホテルではあるが、今回に限って言えばそれなりの部屋だった。

 実際にただ寝泊まりするだけの為に、内装に凝った所で何も変わらない。仮に部屋が気に入らないのであれば追加料金を払ってアップグレードするだけの話。

 カナタとてそれを理解しているからこそ、部屋の中を色々と見るつもりは無かった。

 

 

 

 

「で、本当に何の要件があるんだ?」

 

 カナタが持ってきたのは低アルコールのワイン。微発泡だからか、フルートグラスの中では僅かに注がれた際に出た泡が躍っていた。

 本来であればアルコールを大会中に摂取する様な人間は早々居ない。

 酔いは判断力を鈍らせると同時に、翌日にも残る可能性があるからだった。

 それを勘案したからこそカナタは低アルコールを選んでいる。

 飲酒程度で負けるなどと思っていないからなのか、それ程気にする様な素振りは無かった。

 そんな中での龍玄の言葉。特段話が弾む事は無いと判断したのか、今日の要件を先にしようと考えていた。

 

 

「いえ。純粋に一回戦突破にと思っただけです。それと少しだけ確認を」

 

「何も隠す様な事は無いはずだが」

 

「あの対戦相手、多々良幽衣は学園の襲撃者の一人です。それと同時に私も少しだけ対峙しました。あの伐刀者のは攻撃の反射の類だと考えましたが、私の杞憂でしょうか?」

 

 カナタの言葉に龍玄は漸くカナタが来た意味を悟っていた。

 襲撃事件の結末は生徒には何も知らされていない。事実、あの事件に関しては完全に政治マターとなっていた。

 そうなれば事件の概要を知る術は何処にも無い。生徒が交戦した事実はあれど、その内容に関しても箝口令が敷かれる程だった。

 既に終わった事と切り捨てるのは簡単な事。だが、カナタの様に生徒会の役員であれば詳細を知りたいと考えた可能性の方が高かった。

 破軍の中で一番詳細を知るであろう人物。風間龍玄であれば何か知っているだろうと判断した末の行動だった。

 

 

「反射の事か。あの程度の異能は珍しい訳じゃないな。ただ、反応速度は尋常ではないな」

 

「だからあの戦い方だったんですか?」

 

「当然だ。勿論反射である前提で此方も戦術を組む。それを同時に確認する必要もあったんでな。戦いの中で情報を持たないのは視覚を潰されているのと同じ事。真っ先に対策を立てるのは当然の事だろ」

 

「確かにそうですが………」

 

 まさか龍玄が素直に話をするとは思っていなかったからなのか、カナタは少しだけ驚いていた。

 実際にこの程度のアルコールで前後不覚になるはずは無い。実際に龍玄の顔を見ればその予測はほぼ的中だった。

 本来であればもっと詳細を聞きたい部分もある。しかし、緘口令が出た事態を考えると、これ以上は軽々しく話を出来る物ではなかった。

 

 

「それに、あれは完全に裏の人間だ。表に立つ人間が早々関与して良い物では無いが?」

 

 裏の言葉にカナタは何となくそうだと思った認識が正しかったと考えていた。

 実際に襲撃者たちは連携こそしなかったが、個人でもかなり上位に入る程に洗練されていた。

 実力の差が大きいのではなく、ただその経験が多かった。まさにこの一言だった。

 龍玄の言葉にカナタもまた喉の渇きをを抑える為に、用意したワインを口にする。赤みがかった微発泡のワインは少しだけ優しい味の様だった。

 

 

「それだけで十分です。実際の実力がどうなのかは知りませんが、私達の実力が及ばなかっただけではないと分かっただけでも僥倖です」

 

「だろうな。裏の人間ならば命を奪うのが本来のやり方。それをしなかった時点で依頼した人間はそこまで深くは考えて居なかったんだろうな」

 

「もう、同じ事は無いと考えても良いのでしょうか?」

 

「既に表舞台に出た以上は無いだろうな。それに裏の人間が表に出た時点で既に無意味な存在になる。所詮はその程度の連中だ。襲撃は余程の事が無い限り無いだろう」

 

「それを聞いて安心しました」

 

 龍玄の言葉にカナタは安堵していた。同じ裏の人間であっても風魔の様に半ばその存在すら危うい者であれば対処のしようもない。

 がしかし、既に何らかの正体を匂わせながら表に出た以上は裏の世界での仕事は困難でるのと同じだった。

 だからなのか、不意に龍玄自身はどうなのかが気になる。折角だからとカナタは改めてその事を口にしていた。

 

 

「それならば風間君も同じでは無いのですか?」

 

「本当の意味での実力は見せていない。それに伐刀者の特定をするならば、固有霊装と抜刀絶技を見るのが一番早い。固有霊装ならば同じ様な物はあるが、抜刀絶技を組み合わせれば特定は可能だ。

 それと、俺はこの程度の大会で力を見せるつもりは毛頭無い。どうして素人の大会に玄人が本気を出す必要がある?」

 

 何も知らない人間であれば不遜だと思える言葉。だが、龍玄がそれを口にした事によってカナタもまた納得していた。

 実際に戦場でさえも龍玄は抜刀絶技を使用していない。それと同時に、固有霊装でもある篭手ですら、本当にその形状をしているのかすら疑わしいと考えていた。

 仮に同じ物を装着していると仮定すれば、これまで学内の予選会でも散々見せている。

 ならば、それ以外の姿があるのではと考えていた。そんな中、不意にあの襲撃の際の姿を思い出す。あの時の両手足に付いたあれは一体何だったのだろうか。カナタの中でそんな疑問が過る。だからと言って口にした所で明確な答えが来るはずが無い。

 それと同時に、これ以上の詮索をしても意味がない事だけは間違い無かった。今回はこれ以上破軍への襲撃が無い事を何となく確かめる事が出来ただけで良しとするしかなかった。何も知らなければその言葉に納得するだけの要素は無い。だが、これまでの事を考えれば不思議とその言葉に説得力があった。

 

 気が付けば随分と長居をしたと思える程に時間が過ぎている。これ以上は明日に差し障るだだろうと判断したからなのか、ここで終わろうと考えていた。

 

 

「確かにそうですね。私達もそれは身をもって経験したましたから。大丈夫だとは思いますが、明日以降もご武運を祈ってますので。では、私はこれで」

 

「そうか」

 

 カナタがそう言うとそのまま部屋を出ていた。その瞬間、龍玄の雰囲気もまた少しだけ変化してる。

 小太郎は口にはしなかったが、何らかの異変が起こる可能性が高いのかもしれない。口にしない以上はまだ確定していないだけの話。

 カナタにはああは言ったが、本当の意味で大会に最後まで参加するつもりは最初から無い。

 事前に言われた特殊任務がある以上、決勝はおろか、精々が二回戦程度のはず。

 躰こそ休ませるも、その内情は臨戦態勢に入りつつあった。

 

 

 



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第64話 暗躍

 紅い月をまるで祝うかの様に一人の男は周囲を警戒する事無く佇んでいた。

 これまでの様に単純に戦いを望むのではなく大火の如き大きな流れを作る。その為にはどうすれば良いのかをただひたすらに考えていた。

 

 個人が出来る事は限られてくる。

 殺戮の望むのではなく、純粋に混沌とした世を望んでいた。

 既にこの時代はある意味では平和と言う名の停滞を作り上げ、またその停滞を本当の意味で望んでいる訳では無いと言った矛盾が孕んでいた。

 何かしらのきっかけがあれば、これまで溜め込んでいたエネルギーが一気にあふれ出す。それこそが男が望んだ未来だった。

 

 

「面白い物があるな…………」

 

 男の眼下に有るのは一台の車。

 周囲にも護衛するかの様に一般車両に擬態した車が何台も走っている。

 擬態している為に周囲は何も感じていないのかもしれない。だが、男の眼には明らかに魔力が練り上げられた様なオーラが見ていた。

 少なくともこの国の伐刀者ではない。そうなれば外国籍の何かだった。

 それが何なのかは分からないが、少なくとも面白い材料になるのは間違い無い。

 喚起から来る呟きを聞いた者はこの場には居らず、護衛もまた、こちらに気が付いた素振りは微塵も無い。

 だからなのか、男は気配を完全に遮断したまま走行する車を追いかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙の車内ではモーリスが外を眺める程度にしならがも、内心はこれから起こるであろう可能性を考えていた。

 『大国同盟』は対外的には米国・中国・ロシア・サウジなどその名の通り大国が作り上げた組織である。しかし、その組織の中は外からは分からない程の派閥が存在していた。

 

 どんなに小さな組織でも三人集まれば派閥は出来る。ましてや、それが国ともなればより顕著だった。

 実際に組織の内部には穏健派と呼ばれる派閥と過激派と呼ばれる派閥、そして中立を掲げる派閥がそれぞれのバランスで成り立っていた。

 当然の事ながらその国の事情が反映されている為に、組織の中でもとりわけ上層部は権謀術数の嵐となっていた。

 

 モーリスは基本的には中立の立場で今回の極秘会談に臨んでいた。

 大戦時の敗北した理由を知れば知る程、下手に手を出せば手痛いしっぺ返しが待っている事を誰よりも理解している。

 大戦時にあった異能者の集団。それが英雄と呼ばれた者が所属していた部隊だった。

 

 しかし、詳細な情報を調べれば調べる程に不可解な部分が幾つも出ていた。

 殆どの戦果はその部隊であはるが、その趨勢は事前に決まっていた。

 弾薬に代表される戦争の為の物資が完全に枯渇した状況での厳しい戦いは、防衛する側の士気は最低の状態になっている。

 幾らその場所を占拠したとしても、周囲に有る物資の殆どは完全に無くなっていた。

 

 当然ながら事前に何らかの事情があった事に間違いは無い。だが、その詳細を知る事は出来なかった。

 幾ら戦争だとしても国際上の最低限のルールは存在する。降伏した相手を拷問したり、斬捨てるなどの行為は基本的に禁止となっていた。

 そうなれば、総力戦で戦ったとしても生き残った人間が最低でも一人位は居るはず。そうなれば何があったのかを調べる事は可能だった。

 

 しかし、蓋を開ければ生存率は零。完全に情報統制を強いていた。

 その結果、敗北した理由が分からないままに戦争は継続される。その結果が、たかが島国の小さな軍隊に降伏する結果となっていた。

 当時の軍部の記録には結末だけが残されている。唯一あったのは敗北を決定付けた破壊工作をした際に、偶然外に出ていた人間が居た事だった。

 

 唯一の生存者が語ったのは、聞くのも無残な生活を強いられた事だけ。食料物資は火にかけられ、飲料水には毒が混入されている。望むべき希望。

 届くはずの物資が送られてに来る事は一切無かった。

 本来であれば最前線の戦場には真っ先に送られるはずの物資が届いていない。本部では送った形跡があり、また最前線では届いた旨の連絡がある。そうなれば誰もが物資が滞っているなどと考えるはずが無かった。

 幾ら鍛え上げられた兵士と言えど人間である。食料も水もなく、飢餓感が常に襲い掛かる。そんな中での戦闘行為は寧ろ拷問と同じだった。

 ここが落ちれば国の負けは確実となる。その思いだけが支えだった。

 しかし、そんな思いすら破壊するかの様に、砦は跡形も無く内部が破壊されていた。

 そんな資料を目にすれば、誰もが何らかの特殊部隊が動いている事位は予測出来る。それが何なのかを調べる為にモーリスはかなり苦労していた。

 

 国の部署だけでなく大国同盟の組織まで動員し、戦闘記録や最近の事案までを加味した結果が一つの可能性に辿り着く。

 日本では、古来より忍者と呼ばれる諜報組織があり、その殆どが表に出ない活動がメインである事。それと同時に、その可能性を加味すれば自ずと答えが出ていた。

 完全なる諜報活動と破壊工作のプロフェッショナル。自国でもそんな部隊はあるが、当時の状況下でそれを完璧にこなせるかと言えば否としか言えない。それ程までに徹底された工作だった。

 

 今年の春に起こった事案もまさにそれに該当する。

 戦時中とは違い、今の世だからこそ諜報活動が可能となっている。

 一歩先すらも見えない中で不意に見えた光は、ほんの僅か。まさにそんな組織が存在すると判断出来たのは僥倖だった。

 当然ながらその先を辿る事は出来なかったが、それでも噂や大胆な予測を立てた事によって現政府の官房長官でもある北条時宗の名前が漸く出てきた。

 会談の際には、その組織の事をはぐらかすかと思ったが、実際には違っていた。

 相手は傭兵。資金さえ積めば動く可能性がある集団だった。

 

 だとすればこちらが予定されている行動の前に何とか動きを制限させることができるのかもしれない。

 既に大国同盟の上層部は一枚岩ではなくなっている。

 解放軍の様なカリスマが長として君臨はしているが、それでも全ての人間が忠誠を誓っている訳では無い。

 

 ────己の私利私欲を表に出す者。

 ────争いが起これば懐が潤う者。

 

 モーリスの目から見ればそれらに違いなど最初から無い。本音を言えば、どうなろうともどうでも良かった。

 だが、この組織をここまで大きくした自負はある。愛着があるからこそ、下手な行動で潰されたくないと考えた末の会談だった。

 

 

「モーリス様。そろそろ予定の場所に到着します」

 

「ああ。色々と済まないね」

 

「いえ。これが任務ですから」

 

 気が付けばどれだけの時間が経過したのだろうか。少なくともモーリスの眼に映るのは大阪の中心地からそれなりに外れた場所だった。

 外交であれば完全に愚策とも言える場所ではあるが、極秘である以上人の気配が少ない方が何かと都合が良かった。

 その結果として今に至る。既に隣に座っていた側近もまた目的の場所に近づきつつあったからなのか、手元の端末をしまい込んでいた。

 

 

 

 

 

「明日はどうされますか?」

 

「まだ決定ではないが、もう少しだけ交渉の余地はあると思う」

 

「モーリス様の考えは分からないでもありませんが、少々警戒しすぎなのでは?実際に大戦から既にかなりの時間が経っています。当時の様な状況ならまだしも、今であれば我々の組織は魔導騎士連盟に負けるとは思えません」

 

「気持ちは分かる。だが、今回の件はあくまでも可能性を考えた結果だ。仮に上手くいかなかったとしても問題が起こらないならそれで良いとさえ考えている」

 

「それでは我々の行為は無駄でしかない!」

 

「口を慎みたまえ。何事に於いても完全にその機能が効率よく使える訳では無い。どんな策であっても完璧では無い以上、適当な事は出来ないのは道理だろう」

 

 側近の言葉にモーリスは内心溜息を付いていた。

 実際にモーリスは戦闘よりも内部の調整に長けた部分があった。

 その為に交渉事の殆どが一任されている。本来であれば独断だと思われる内容であっても、その結果が組織に不利に働く事が無かった為に、今ではその方針に異を唱える者の方が珍しいとさえ考えていた。

 だが、所属する派閥を考えれば当然なのかもしれない。

 自分自身は中立だが、側近は過激派と穏健派から出ている。

 この側近に関しては完全に過激派の側。当然ながらその集団が見えさえすれば後はどうとでも出来る。そんな薄暗い気持ちを持っているのは明白だった。

 

 

「ですが………」

 

「一度しか言わない。貴殿は何も分からない状況下で勝手に動く事を良しとするのかね?」

 

「…………いえ。情報収集に努めた後に行動をする。当然の事………です」

 

「ならば我々がやるべき事は何かね?」

 

 モーリスの言葉に側近の表情は忌々しいと思える程に変化していた。

 これが交渉の場であれば完全な下策。それどころか完全に足元を見られるのは間違い無かった。

 実際にモーリスが対峙した北条時宗は日本の政府の中枢にいる人物。政治家であると同時に、政治家特有の権謀術数ではなく、国防やそれ以外に関しても完全に掌握する人物。

 だからこそ、ある程度無駄だと分かりながらもモーリスは時宗と胸襟を開いた話が先決だと考えていた。

 

 進攻するのは簡単だが、その最中に寝首をかかれる訳にはいかない。

 仮に自分が掴んだ情報が本当に正しかった場合、壊滅する可能性すらそこにあった。

 残念ながらこの側近はそんな事実を想像すらしていない。

 そもそも大国同盟の長だからと言って、何でも思い通りに出来る事は早々無い。今回の件に関しては上層部の中で立案し、実行される物。大戦の苦杯を理解するからこそ、安全と確実性を優先しただけの事だった。

 そう考えればこの人選は悪手ににもなりえる。

 内心では溜息を付きたいが、そんな事はおくびにも出さなかったのは職業病の一つだと考えていた。

 

 

「……自分の考えが浅はかでした」

 

「そうか」

 

 反省の言葉は告げている。だが、その本心までは分からなかった。

 実際に組織は肥大化すればする程、色々と面倒な事が加速度的に増えていく。

 事実、今回の件に関してもまさにその弊害が如実に現れていた。

 

 穏健派の大半が大戦時に日本に苦渋と辛酸を舐めた記憶を残している。だが、過激派の殆どはそんな歴史を軽んじていた。

 側近の考えに代表される様に、その殆どが大戦の内容を知らない者ばかり。

 良く言えば勇気ある若者だが、悪く言えばだたの愚者。今回の件に関しても大国同盟としては、日本と言う国をどう考えているのかの試金石の様な部分があった。

 

 実際にモーリスのよりも側近の方が立場的には危うい物があった。

 大国が故に傲慢さが滲み出ている。今回の件での根底にあるのは魔導騎士連盟の箔を排除すると同時に、利益を自国にもたらす事。

 表立ってそんな話は出ていないが、本音の部分ではそれが一番だった。

 魔導騎士連盟が世間から支持されるのは、偏に何かがあった際に純然たる武力介入でこれまで信頼を勝ち取ってきたから。

 その原動力の源泉がこの日本と言う国である事だから。それに尽きていた。

 

 事実、近年の派遣の大半は日本国籍の魔導騎士が占め、他の国の魔導騎士の数は少ない物だった。

 本来であれば早期に日本も加盟すれば今の様な状態になっていなかった可能性が高い。

 実際に他国では伐刀者としてのランクは平均的に見ても低いケースが殆どだった。

 A級に関しては言うまでもないが、それ以外に関してはCランクが殆どだった。

 時折Bランクの伐刀者が出る事はあるが、国防の観点から見れば魔導騎士連盟に所属こそするが、他国への派兵は一切していない。

 本来であれば組織としての自浄作用が働くはずだが、それでも希少なランクである為にその作用が働く事はなかった。

 

 そう考えると日本ではA級こそ少ないが、B級になればそれなりに数がある。全員が必ずしも軍や正規の魔導騎士としての登録をする訳ではなくとも、他国からすればかなりの数が登録する事実に変わりは無かった。

 覇を唱えるのであれば日本と言う国がダメージを受ければ魔導騎士連盟に対しての多大な牽制になる。その為の準備段階だった。

 それと同時に正体不明の組織が日本にあり、正規の魔導騎士が事実上の壊滅に追い込まれた時点でその力量は考えるまでも無い。

 部隊配備にも限界がある。そんな中で脅威が身近に有る以上は、介入の可能性を限りなく排除するのは当然の措置。

 実際に頭では理解している。だが、本国から常にさらされる重圧は側近の思考を蝕んでいた。

 表面化しないのはそれが出た時点で自分が組織の本流から一気に退場に追い込まれるから。

 尻に火が付く状況である事に変わりは無かった。

 

 

「このままの状態では明日に障る。どうだね。一度ゆっくりと食事でもして気分を入れ替えては?明日で全てが決まるとは思わない。ならば、いきなり慌てた事によって互いに不幸な結果をもたらすのは愚策じゃないか?」

 

「……そうですね。一度落ち着いてみます」

 

 窘められた感はあるが、モーリスの言葉は真理だった。

 実際に足元を見られたままの交渉が碌な結果にならないのは側近とて理解している。

 本当の事を言えば、相手はこっちの思惑など関係が無い。

 互いが対等に話をするのも、どちらからも自分達の話を一方的に言うのはある意味では宣戦布告と同じだから。

 幾ら組織間の問題だと言っても、一度動き出した歯車をそう簡単に修正する事は困難でしかない。それを誰よりも理解しているからこその助言だった。

 側近もまた同じ事を考えたからなのか、ゆっくりと席を立つ。

 この時まではこの先の未来を正しく予測出来た人間は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「糞が!ここで何も出来なければ俺はもう終わりじゃないか!」

 

 側近は併設れたバーで珍しく酔っていた。

 本来であれば交渉をしている最中のアルコールの酩酊状態は褒められた話ではない。

 本来であれば自分が今回の件に関して主導するはずだった。

 元々事前に調べた結果、日本はある意味では魔導騎士連盟からの脱退の機運があった。

 何がどうなっているのかは不明だが、少なくとも今回の件に関してはある程度の威圧を賭ける位の事は確実に出来るはずだった。

 

 今回の話が出た際に、あらゆる角度から検討した結果、確実に何らかのアクションがあるはずだと考えていた。

 既に大戦時の国としての威厳は殆どなく、実際に魔導騎士連盟の実働部隊に派遣されているのが日本であれば、多少の鼻薬を嗅がせればそれで終わるはずだった。

 契約が纏まれば本国へ帰国した際に相応の地位が約束されている。その為には確実な実績が必要だった。

 だが、まさかのモーリスの言葉に側近が描いた絵図は脆くも散っていく。

 あの態度ではどちらが上なのかすら分からない程。既に話が一定以上進んでいる為に、ここから自分が挽回するのは不可能だった。

 だからと言って話を壊せば責任は自分に降りかかる。

 その為には外部からのアクションが必要だった。

 

 実際に大国同盟の内部はなかり歪になっている。

 本当の事を言えばまだ魔導騎士連盟の方が遥かにマシ。勿論、正確な内容は知らないが、少なくとも今の組織は色々と問題も多かった。

 そんな中で一番手っ取り早い策は魔導騎士連盟の乗っ取り。その中でも一番の軍事力を持っている日本を切り崩せば後はどうとでもなる。それが組織の統一見解だった。

 確かにモーリスの口から出た言葉に驚きはあったが、本当の部分は分からない。

 一介の傭兵如きがそこまでの戦果を挙げるはずが無かった。

 

 可能性があるとすれば、各国の軍部に所属する特殊部隊。それも伐刀者で構成された物。

 それならば話は分からないでもない。

 大国にとっては軍事力こそが正義だった。

 既に大戦からはかなりの時間が経過している。今となっては日本国と言えど二流国家でしかない。そんな浅い考えが根底にあった。

 

 

「おや。随分と酔ってるみたいだが、何か面白いそうな話だな。俺にも教えてくれないか?」

 

 気が付けば、側近のすぐ隣の椅子には見知らぬ男が座っていた。

 見た感じ東洋系の顔立ちではあるが、それ以上に関しては正確には判断できない。

 只でさえ東洋人は分かりにくいにも拘わらず、ここは公共の場所。そんんあセキュリティの概念すら無い場所では幾ら酔っているとはいえ、警戒をするのは当然だった。

 隣に座った男はまるで十年来の友人の様に接してくる。だが、この程度の酒でどうでも良くなるほどに思考は淀んでいはいなかった。

 

 

「悪いが、お前には関係の無い話だ。それに仮に知人だったとして、簡単に機密など口にするとでも?」

 

「それは無いな。俺だって同じ事をするだろう」

 

「とにかく、俺はお前には関係ない。悪いがさっさと離れてくれ。折角の酔いが悪酔いになりそうだ」

 

 にべもなく出た言葉に、男はそれ以上の言葉告げる事は無かった。

 ここで下手に探られる訳にはいかない。だが、ここで自分が離れれば何かを隠していると思われる可能性もあった。

 となればこの男を遠ざければそれで済む。そう考えた末の行動だった。

 

 

「そうかい。実に残念だ。折角の縁だ、少しだけ開放させてやろう」

 

 先程までの穏やかな雰囲気が一瞬だけ変化する。

 その瞬間、男の眼が怪しく光った様にも感じる。だが、それはほんの一瞬の事だった。

 側近もまた何かをされた様にも感じたが、違和感は感じられない。

 酔った末の感覚だと思い、それ以上は気にする事無く過ぎていた。

 気が付けば先程の男の姿は何処にも無い。何かの気の迷いだと判断し、新たに出されたグラスを傾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都心部にしては人の通りはかなり少なくなっていた。

 一番の要因は開催されている七星剣武祭。殆どが大会開催中は自宅や大画面がある飲食店に入る事が殆どだった。

 時間が経過している為に選手の戦いのダイジェストやその戦術。珍しい戦いをしていればその解説など、高額の放映権を払う以上はその元を取る為に様々な番組を構成していた。

 そうなればそんな施設が無い店は閑古鳥が鳴く。

 その中に一際浮いた店があった。

 常日ごろから高級感を醸し出す店は人が来ない事を理解しながらも営業をしている。

 事実、カウンターの席に客の姿は無かった。

 だからと言って厨房までが暇にしている訳でない。その奥では普段であれば中々人が入らない部屋の客の為に熟練の板前が腕を振るっていた。

 

 

「これでお出しした物は全てです。用事があれば申し付け下さい」

 

「そうか……ならば冷酒をもう一つ頼む」

 

「畏まりました」

 

 女将は注文を受けると同時に音も無く襖を閉める。そこは日本庭園を思わせる様な庭がある個室だった。

 普段であれば商談に使われる事が多い部屋だが、今日の客は純粋に料理を楽しむ為だけに来ていた。

 

 

 風魔小太郎。

 

 その名はそれなりに知られているが、その素顔を正確に知る人間は少ない。

 本来であればこんな場所に来る事は無いが、今日に限ってだけ言えばその限りではなかった。

 料理を楽しみ、出された酒を口に含む。その瞬間、一陣の風が周囲に舞った。

 

 

「珍しいな。まさかこんな場所に一人で居るとはな」

 

「……久しいな段蔵」

 

 小太郎の言葉に段蔵もまた何も無かったかの様に縁側に腰を下ろしていた。

 元々この二人はそれぞれが旗頭となって今の風魔を作り上げた過去があった。

 今では互いの道が完全に逸れているが、それでも根の部分は同じ物を持ってた。

 

 戦乱とは程遠い今の時代に咲くあだ花は、常に血を欲していた。

 互いが身に着けている武技は人の命を確実に散らす物。幾ら伐刀者が世に出たとて、今の世が平和であることに変わりなかった。

 小太郎と段蔵の違い。

 その世に身を任せ、その中で出来る事を模索する小太郎と、混沌を作り上げ、その中で更なる技術を昇華させようとする段蔵。そこには大きな隔たりがあった。

 お互いが口にする事も無く、互いに一献だけ酒を交わしていた。

 

 

「何にせよ、お前がここに居るのであれば何かあると考えるのは当然か」

 

「ああ」

 

 小太郎の言葉に段蔵は一言だけ告げていた。互いに口を開いた所で何かが起こる訳では無い。そこにあるのは互いの存在を確認するだけだった。

 

 

「今、随分と面白い輩が来てる様だな。ついでと言っちゃなんだが、種は蒔かせてもらった」

 

「そうか……また懐が温かくなりそうな話だな」

 

「どんな芽が生えるかは知らん。だが、少しばかり楽しめそうだ」

 

「抜けてからは随分と生き生きとしてるんだな」

 

「それが性分だ」

 

 そう言いながら段蔵はそこにあった徳利から酒をお猪口につぐ。短いながらにその会話だけで何となく成立していた。

 互いの道は交差しなくとも、塞ぐのであれば力づくでも排除する。それがお互いの矜持だった。

 

 

「こちらに攻め入るのであれば容赦はせん」

 

「そうだな……面白い事になれば、それも忘れるやもしれんな」

 

 小太郎に一言だけ告げると、並々と入ったそれを喉に流す。段蔵はそのままお猪口を徳利の傍に置く。その瞬間、段蔵の姿は消え去っていた。

 

 

「嵐が来そうだな」

 

 小太郎の呟きを聞いた者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七星剣武祭は既に二回戦へと突入していた。

 一回戦の波乱が影響したからなのか、既に観客の状態は最高潮に達していた。

 地元の雄でもある諸星雄大の敗戦は残念ではあったが、伐刀者としでではなく純粋な実力者として下した黒鉄一輝にその分の声援が送られる。

 一輝自身がこれ程までに声援を送られた記憶が無かったからなのか、どこか気恥ずかしさが前に出ていた。

 

 

「流石は地元の雄を倒しただけはあるな。この声援の大半がお前に向ってるぞ」

 

「そ、そうかな。でも、声援にこたえる様な戦いにはしたいかな。そう言えば、あの戦い方に意味はあったの?」

 

 選手控室ではなく、選手用ロビーに一輝だけでなく龍玄もそこに居た。

 実際にここでは試合のモニターがある為に内容を確認する事が可能となっている。

 事実、他の選手もまたこれから戦うかもしれない選手のデータを取る為なのか、それなりの人影があった。

 一輝の対戦相手は『天眼』と呼ばれた城ケ崎白夜。当人に限ってはモニターではなく、一輝に視線を向けていた。

 詳しい事は分からないが、対戦相手の為人を調べ、その相手に尤も適した戦い方をする人物。だからなのか、その視線が刺さるかの様に向かっていた。

 勿論一輝もそれに関しては理解している。だが、敢えて無視をしていた。

 

 

「意味か……特には無いな。ただ、抜刀絶技に関しては何となく気になったから様子を見た。その程度だ」

 

「でも、彼女は襲撃事件の立役者なんだよね。やっぱり実力はあったって事?」

 

「さあな。仮に俺の戦い方に違和感があったなら、そんなやり方をした程度って事だ。それに奴みたいな人間は珍しくない。情報を態々開示する必要は無いだろう」

 

「確かに………」

 

 龍玄の言葉に一輝もまた渇いた笑いしか出なかった。

 一目の憚る事無くただ一身にこちらに視線を向ける姿はある意味ではストーカー。だが、城ケ崎白夜がとなれば話は別だった。

 偏執的な情報集をする事を知られているからなのか、誰もがその行為に関して口を挟む事は無い。

 仮に何かを言おうものならば、妨害されたと言われる可能性すらあった。

 伊達に昨年の準優勝者ではない。

 だからこそ誰もが違和感を持ちながらも行動に出る事は無かった。

 そんな中、モニターからは僅かにざわめきが聞こえる。誰もがその内容に疑問を持っていた。

 

 

 

 

 

「二回戦の本試合ですが、薬師キリコ選手の辞退により、紫乃宮天音選手の不戦勝となります」

 

 会場の空気は混乱に陥っていた。

 実際に実戦さながらの戦いをする為に、不戦勝になる可能性は零ではない。

 だが、近年の大会に於いてはIPS再生槽を設置している為に、その可能性は皆無に近くなっていた。

 仮にあるとすれば急病になった場合。これに関しては流石に医療設備のある場所での治療が必要だった。

 大会中に急病になる可能性は限りなく低い。ましてや昨日も勝ち上がった以上はその可能性ですらあり得ない。

 未だ状況が改善される事は無い。それを理解したからなのか、大会の運営委員から正式な内容に関しての回答があった。

 

 

 

 

 

「……本当なのかな?」

 

「何がだ?」

 

「辞退の理由がだよ」

 

 運営委員会からの内容に一輝は疑問を持っていた。薬師キリコは伐刀者としての実力は高い物を有している。その反面、医者としても役割も持っていた。

 詳しい事は大会前の時点で話を聞いたが、その後珠雫から聞いた話では名医と呼ばれる程だった。

 患者の容体が急に悪化した為に病院に戻る。それに関しては理解するが、余りにもタイミングが良すぎた。

 あの時聞いた話では、大会に合せるかの様に患者には状態維持を務める事が出来る様にしてきた事。

 仮に何かが起こっても対処でいる様な措置を施した事。そんな取り止めの無い事を思い出していた。

 だからこそ、計ったかの様なタイミングは疑問だけが浮かび上がる。

 それと同時に大会前に聞かされた事実。一輝は僅かに戦慄を覚えていた。

 

 

「そうか……詳しい事は知らんが、何かしら知っているなら、それで良いだろう。このままだとトーナメントで対戦する可能性があるのは分かるが、その前に目の前にいる対戦相手の事に意識を持ってく方が良い。慢心はしないとは思うが、思わぬところで足元は掬われる事になるぞ」

 

 次の対戦相手を無視するかの様な態度に龍玄も少しだけ言葉にしていた。

 一輝の性格を考えればその可能性は無いのかもしれない。

 だが、戦いの最中で起こる偶然は些細な事を積み上げた末の必然となる場合がある。

 本当の事を言えば一輝が負けた所で龍玄には関係は無いが、それでも気分が良くなる訳でもない。

 これ以上はお節介だと考えた瞬間、龍玄の持つ携帯端末が震えていた。

 電話が鳴ったのではなく、メールで一言だけ記載された短い文章。それを見たからなのか、龍玄は一輝が気が付く前にその姿をここから消していた。

 

 

 



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第65話 明かされた能力

 七星剣武祭の出場者の中で、ビッグネームになれば自然と二つ名が着くのはよくある事。

 自分が名乗るのではなく、周囲から来るとなれば、ある意味実力が認められているに等しい事。

 事実、二つ名を持つ殆どが相応の実力を有している。だからこそ大会の中でも優勝候補に挙がるのは、ごく自然な成り行きだった。

 

 その中で唯一、戦闘面ではなく、それ以外の部分で実力を評価されている人物。それが廉貞学園に所属する薬師キリコだった。

 『白衣の騎士』の名は医療の面でその名を博している。水を自在に操る異能を利用し、患者の体液などを自在に操る事によって病に侵された者を癒す。そんな尊敬を現す二つ名だった。

 勿論、医療面に特化したからと言って戦闘面が劣る訳では無い。人体を破壊するのと癒すのは表裏一体。そう考えれば、優勝争いのレースに食い込んでもおかしくは無かった。

 だが、その本当の意味での能力を表に出す前に退場する事になる。

 何故なら戦いよりも前に医者であるから。その対象は刃を向ける物でなく、目に見えない病原菌だからだ。

 

 

「患者さんを優先したって事なのね」

 

「医者なら当然だよ。でも、あれ程慌てる事って早々無いと思うんだけど………」

 

 突如として飛び込んできたアナウンスに困惑しているのは観客だけでなく、選手も同じ事。事実、今大会に参加する為に万全を期しているとなれば、余程の事が無い限り慌てる可能性は無い。

 一輝やステラは医者ではない。当然ながら医療の知識を持ち合わせていない。

 これが本業として勤めている人間であれば疑問をもったのかもしれない。だが、それでもこれまでの彼女の実績を考えれば有り得ないとしか言えなかった。

 勿論、個人の都合の為に大会本部もまたそのまま出場辞退を粛々と受け止める。

 確かにある程度の説明は必要かもしれないが、本人の意向に寄る為に、本部もまたそれ以上の事は何も出来なかった。

 

 

「あれって………」

 

 不戦勝になった以上、次の試合の為に選手もまた移動をするよりなかった。

 大会の予定時刻は公表されているが、その殆どは目安でしかない。

 実際に戦いの時間制限はある為に、後ろにずれる事は無いが、前倒しになる事は多々あった。

 当然ながら選手もまたそうなる可能性がある事を事前い聞かされている。そうなれば次の試合の為に移動するのは当然だった。

 一輝とステラは互いに次の為に控室へと向かおうとした際に、限りなく怒声に近い声が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思うけど、紫乃宮君。貴方、私の患者に何をしたの?」

 

「やだなあ。そんなの言いがかりでしょ。僕がそんな事出来るはずが無いでしょ。それに薬師さんの病院までどれだけの距離があると思ってるんですか?幾ら伐刀者と言えど広島と大阪の距離はちょっと無理じゃないです?」

 

 薬師キリコと紫乃宮天音の会話は珍しく響いていた。

 本来であれば、キリコはそれ程声を張り上げる事はしない。医者は常に冷静さを要求される。その結果、普段は穏やかな表情こそするものの、表立って感情を見せる事はしなかった。

 だが、自分がこれまで心血を注ぐ程に見てきた患者に対して何らかの害悪が発生しているからなのか、そんな温厚な雰囲気は吹き飛んでいた。

 周囲に人影は無い。それもまた、そうなった一因だった。

 

 

「貴方は確か因果干渉系だったわよね。貴方と戦う直前でそうなるなんて出来過ぎてる。誰だって疑うのは当然だわ」

 

「困りましたね。僕の異能が因果干渉系なのは認めますけど、それは未来予知であってそんな事が出来るはずが無いですって」

 

 キリコの鋭い言葉に紫乃宮は飄々と答えていた。

 因果干渉系統の異能に関しては未だ完全に理解の及ばない事が圧倒的に多い。

 事実、破軍に在籍する泡沫もまた、同じ因果干渉系の異能を持っているが、本当の意味で解析されてはいなかった。

 自分の中で何となく分かっているが、詳細を知る為には相応の研究が必要となる。

 異能が顕現してから既にかなりの時間が経過しているが、その絶対数が少ない為に解析までは遠く及ばなかった。

 

 その名の通り、因果干渉系は運命や宿命でさえも歪にさせる。その為に理論上、統計上、説明が困難だった。

 当然ながら肉眼では発現した事が確認出来ない。分かるのは結果だけ。伐刀者でありながら医者でもあるキリコもまたその事を重々承知していた。

 

 これまでに発表された論文ですら、因果干渉系に関しては碌な内容が書かれていない。 ある意味では正確に理解出来るのは、その能力を持っている人間だけだった。

 医者であれば理想論を振りかざすよりも現実を重視する。確かに理性では紫乃宮の言葉は理解するが、感情は違っていた。

 患者に手をだすのは医者に喧嘩を売るのと同じ事。ましてや因果干渉系能力者だと知っているのであれば当然だった。

 

 

「本当に未来予知なのかしら?」

 

「いやだな~疑ってるんですか?確かに不戦勝は僕にメリットがあるかもしれませんけど、それ以外のデメリットの方が多くありません?

 仮にですよ。僕がそんな能力を持っていたとなれば、今回の件に関しては僕はただの犯罪者だ。そんなリスクを負ってまで勝ちたいとは思いませんから」

 

「…………そう。だったらそう言う事にしておくわ」

 

 これ以上は無理だとキリコは判断していた。

 ここで口論をしたところで患者の容体が回復する訳では無い。事実、連絡を貰った際には担当の看護師は既に涙交じりだった。

 ついさっきまで安定していたはずの容体が、何の前触れも無く急変する。しかも患者の誰もがキリコの担当だった。

 実際に病院内は急変患者で大混乱になっている。担当出来る人間が少ないのが原因だった。

 病院もまたキリコの事情を理解した上でこの大会への参加を認めている。だが、そんな事すら今の状況では無意味でしか無かった。

 病院や自分の面子ではなく、患者の容体が一番。内心では燃え盛る炎の様な激情を持ちながらも、表情では冷静さを保っていた。

 今となっては一分一秒が惜しい。ここに来るであろうヘリを内心では今か今かと待っていた。

 

 

「薬師さん、ヘリが到着しました!急いでください!」

 

「分かりました」

 

 既にキリコの視界の中に紫乃宮の姿は映っていなかった。

 職業病とも取れる気持ちの切り替えによってキリコの意識は全てが病院の患者へと向いている。だからなのか、紫乃宮の表情を見る事は無かった。

 仮にあの表情を見れば確実に糾弾するのは間違い無い。皮肉にもその顔を見たのは偶然ここに来ていた一輝とステラだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選手控室から離れた龍玄は端末に送られたメールを見ながら今後の予定を考えていた。

 実際に送られた内容は、大会中における任務の確認。以前に言われたタイミングがここにあった。

 どんな任務であっても自分の勝手な予測を立てる事はしない。何故なら人間の思い込み程厄介だからだ。

 自分の考えが正しいと判断した人間には躊躇が一切無い。それは自分が全て正しいと言う妄想に駆られた結果であると同時に、一種の視野狭窄に陥るから。

 正しいという認識を捨て去り、間違った認識を正しいと理解する。そうなれば後は実に簡単な話。

 都合が良いように思考誘導するだけ。たったそれだけの事だった。

 こうなれば小太郎のからの任務は実に簡単なものになる。ある意味では演習よりも容易かった。

 

 

 

 

「一輝。どうかしたのか?」

 

「いや。何でもない。ちょっとだけ気になる事があったけど、解決したよ」

 

「そうか。そう言えば、そろそろ時間じゃないのか?」

 

「ああ。僕はそろそろ行くよ」

 

 龍玄の言葉に一輝は少しだけ力無く答えていた。

 実際に龍玄がここから離れた瞬間、何が起こったのかが分からない。周囲を見ても何があったのかを分かっているのはステラだけだった。

 だが、そのステラもまた少しだけ様子が異なっている。だからなのか、龍玄はそれ以上詮索するつもりは無かった。

 一輝の姿徐々に小さくなっていく。何があったのかは分からないが、影響が起こる様な事があった事実だけは間違い無かった。

 

 

「ねえ、リュウ。運命って大事なのかな?」

 

「何だ突然?」

 

 沈黙を破るかの様にステラが龍玄に言葉を投げかけていた。

 ステラの言いたい事は分かるが、あまりにも突拍子が無さ過ぎる。可能性があるとすれば自分がここから離れた際に何かがあったのだろうと考えていた。

 

 

「ちょっと……ね。自分の努力なんて、まるで無意味だと分かったら、そこから前に進むにはどうすれば良いのかしら?」

 

「さあな。努力と運命が何を意味するかは知らんが、その程度の事で揺らぐ努力なら、たかが知れているだけだ。本当に努力した人間は外的要因には何の影響も無い。己の血肉を己が制御する。それだけの事だ」

 

「そう……よね。リュウの言う通りよね。自分が自分を認められないとなったら何も分からないものね」

 

 何気ない会話ではあったが、龍玄の言葉にステラは少しだけ先程とは雰囲気が違っていた。

 実際に何があったのか分からないが、薬師キリコが辞退した事の意味だけは知っていた。

 本来であればあり得ないと思える程に異常な能力を持つ。恐らくはそれが何なのかを知ったからだろうと判断していた。

 勿論、それが嘘である可能性は否定できないが、裏付ける為に残された結果を調べれば分からないでもなかった。

 『過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)』その存在を知ったのであれば当然の反応だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさか、あんな能力があるなんて)

 

 控え室へと足を運びながらも一輝は先程までの事を思い出していた。

 実際の所は分からない。しかし、本人が自らの口でそう言う以上はそれを信じるよりなかった。

 あらゆる願いが叶う異能。それが本当であれば、自分の今までの理不尽な状況ですら覆すのが容易い物。一瞬だけその能力に羨望を持っていた。

 だが、冷静に考えればそれは自分を破滅へと追い込む可能性も秘めている。

 結果は確かに重要かもしれない。だが、あの時の紫乃宮の目はこれまでに見た事が無い程に黒く淀んでいた。

 そこにあるのは無。あらゆる感情が失われ、光を感じる事すら無い程に虚無感に溢れている。

                                                                                                                                                                                                         まさかあの場で自分達に能力を詳らかに説明するとは思わなかった。

 事前情報も無く耳にした事実は、自分の持っていた常識を打ち壊す。それを同時に自分がどうして無意識の内に嫌悪感を持つのかも理解していた。

 努力を無駄と切り捨てた瞬間、自分とは相反する存在であると同時に、自分を否定している。

 幾ら口では良い事を告げようが、その全てが虚構でしかない。それが本心であっても信じるに値しない。無意識にそう考えていた。

 気が付けば控室の扉が目の前にある。一輝は先程までの事を忘れるかの様に(かぶり)を振っていた。

 対戦相手はある意味厄介な相手。今はそんな事を考えるゆとりすら無い程だった。

 改めて意識を切り替える。そこにあったのは一回戦で諸星雄大と戦う寸前だった黒鉄一輝のままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ?体調でも悪いのか?」

 

「いえ。そんな事はありません」

 

「そうか。今日の会談は先方の都合で夜になる。それまでに体調を整えておくんだ」

 

「分かりました」

 

 モーリスの言葉に側近もまた理解したからなのか、素直に頷くしかなかった。

 実際に昨晩何があったのかの記憶が怪しくなっている。少なくともバーで飲んだ所までは定かだったが、そこから先の記憶が完全に失われていた。

 

 深酒をしていないのは自分の臭いを嗅いで分かっている。

 仮に自分では気が付かなかったとしても、モーリスが確実に注意するから。

 交渉の場に於いて相手の心証を害すれば纏まるものも纏まらない。最低限の身だしなみだった。

 それが無いのであれば、自分の体調不良が何なのかが分からなかった。

 予定が決まっている以上、自分のすべき事も決まっている。

 

 元々今回の会談に関しては、それぞれの各派閥から一定の裁量を受けていた。

 結果が伴わなければ自分の身がどうなるのかは考えるまでも無い。

 お互いがその時間まで同じ時間を過ごす事が無いからなのか、側近は自分の予定を考える為にホテルの喫茶スペースへと足を運んでいた。

 出されたコーヒーの匂いを鼻孔に漂わせながら、改めて自分がやらなければならない事を思い出す。何時もであればクリアになるはずの感覚はどこか靄がかかった様にも感じていた。

 理由は分からない。だからと言って何もしない訳にはいかなかった。持ち込んだ端末から指示と現状をそれぞれに報告する。その数分後には了解の文字だけが届いていた。

 

 

 

 

 

「なあ、今日って積み荷の船が来る予定ってあったか?」

 

「特に聞いてないな。でも、あそこで停泊してるって事は予定よりも早かったからじゃないのか?」

 

「かもな。台風が来るような話だったけど、結果的には来なかったからな。その内何か来るんじゃないか?」

 

「って事は、あれはそのままか」

 

「今の所は大きな積み荷が来る予定は無さそうだしな。それよりも………」

 

 湾岸ドームが見える港湾エリアには未だ接岸していない船が一隻だけ停泊していた。

 普段であれば積荷の関係で常に賑わうここも、この時期だけはそれ程船が来る事は無かった。

 元々七星剣武祭は国内の行事ではあるが、海外でもそれなりに放映されている。特に今年に関してはヴァーミリオン公国の第二皇女でもあるステラが参戦している関係で、外国籍の入国者がかなり増えていた。

 そうなれば、当然ながらに積荷よりも人間の方を優先する。事実入国管理局は荷物の事は一時的に置いておく事にし、人員の入国に精力を傾けていた。

 その結果、外国船籍のそれは必然的に接岸できなくなる。その結果、港湾関係者は一時的に暇になっていた。

 

 

「そうだな。普段だと中々この時期は見れないからな。それよりも誰が優勝するかだって。まさか本命が一回戦負けなんてな」

 

「だが、あの黒鉄一輝だったか?伐刀者じゃなくて純粋な技術だけで戦ってるんなら少し位は応援しても良いんじゃないか?」

 

「ダメだな。黒鉄って、例のあれがあったろ?お姫様に近い人間なんて応援出来ん」

 

「お前、本当に好き過ぎるな。お前相手が手に届くなんて事ないだろ?」

 

「うるせえ。妄想位好きにさせろよ」

 

 一輝がこの話を聞いていたら確実に乾いた笑いしか出ないであろう会話は、ここだけの話では無かった。

 スキャンダルとして出た情報はその後確かに撤回はされている。

 勿論、そのどれもが真実かどうかは判断出来ない。だが、ステラの見た目に寄せられた好意は意外と多かった。

 そうなれば当然ならがその相手と目された一輝に敵意が向くのは仕方ない事。勿論、その言葉のどれもが本気ではないにしろ、軽口を言われるのは本命を倒したが故の宿命だった。

 

 

「なあ、真面目な話だけど、あの船に関する事どれ位知ってる?」

 

「あ~確かに言われればそうだな。こっちとしても下手に動かれると面倒なんだよな」

 

「でも、あれおかしくないか?コンテナが殆ど見えないんだぞ」

 

「空で来るのは珍しいな。補給で寄ったのかもな」

 

 作業員もまた何となく気になっていた。だが、接岸していない以上はこちらにもやれる事は何一つ無い。

 仮に接岸したとしても入管の許可が出ない以上は何もする事は出来ない。それに、何かを使用としても海上からの移動手段は皆無だった。

 停泊している為に様子は分からない。何となくそうは言ったものの、違和感だけが漂ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一気に勝負に出るとはな………」

 

「相手を考えれば当然かもな」

 

 会場の誰とも言えない声は宙に消えていた。

 画面の向こう側に映るのは、一人の青年が会場の中央からやや端によった場所に立っている姿。

 その一方で横たわったのは昨年の準優勝をした城ケ崎白夜の姿だった。

 試合開始直後の結果に誰もが何が起こったのかを理解していない。

 本来でればこれから厳しい戦いが始まるはずの結果が瞬間的に終わった事だけが漸く飲み込めていた。

 

 少なくとも大会の運営委員会に提出された一輝の情報はそれ程多くない。

 只でさえF級である事により、使える異能の種類は一つだけしかない。当然ながらその内容も誰もが当たり前に使う身体強化だけだった。

 だが、どんな異能であっても極限まで鍛えればそれはただの異能とは違った効果をもたらす。それが一輝の抜刀絶技『一刀修羅』だった。

 データの採取をしていた城ケ崎白夜からすれば黒鉄一輝は異能でなく、純粋な剣技に重きを置いていた。

 

 唯一とも取れる抜刀絶技は一日に一度。しかも最低でも二十四時間の猶予が必要だった。

 脆弱な魔力を一気に昇華させると同時に、その威力をそのまま力に転嫁させる。その結果として常人ではありえない程の攻撃力を有していた。

 備わった技量を考えれば厄介以外の何物でもない。だが、制限があるとなれば使いどころは限定される。

 戦術を組み上げると同時に一輝の未来が垣間見える。現時点では紛れも無く勝利を疑う余地は無かった。

 

 更に、本来であれば一年の際には抜刀絶技がある事は知られているが、詳細までは知られていないケースが殆ど。だが、城ケ崎の調査はそんな事すら無い程に詳細にまで亘っていた。

 勝利が絶対的になっている。疑う余地すら無い事実のはずだった。侮る事もなく戦いに臨む。それが今の心境だった。

 対峙した瞬間、城ケ崎の視界は一気にブラックアウトする。何が起こったのかを知るのはその場にいた本人と観客だけだった。

 

 

 

 

 

「だが、ここであれを使ったとなれば明日以降の戦いがどうなるのか、だな」

 

「確か制限があったんだよな?山を見た限りだと時間的には間に合わないんじゃないか?」

 

「だが、次の相手はあれだろ?本当に戦いになるのか」

 

「さあな。流石に何時までも不戦勝なんて事はあり得んだろう」

 

 一方の出場選手に関しては、全く別の事を考えていた。

 一回戦で派手に勝利をした為に、他の選手もまた一輝の情報を収集していた。

 トーナメントの関係上、反対側の人間はそれ程でも無いが、それでも一輝はまだ一年である為に、今年限りで終わるとは誰も考えていない。

 諸星雄大に勝利をした事実は周囲からの警戒心を高める役目を果たしていた。

 その結果、一輝の抜刀絶技『一刀修羅』は二十四時間の冷却時間を要する事が判明している。

 

 今の時間を考えれば次の戦いまでの時間は完全に満たしてはいなかった。

 それと同時に、ここに来て初めて紫乃宮天音が如何に異端であるかも判明する。

 異能がどんな能力なのかは分からなくとも、一度も戦う事も無く勝ち進むというのは明らかに異様な事態。ましてや次の対戦相手が、たった今城ケ崎白夜を下した黒鉄一輝である為に、注目度は更に高くなっていた。

 決め手を持たない伐刀者であれば、勝敗の先は考えるまでも無い。だが、それを補えるだけの技量がある以上は、対策さえ間違わなければある意味では堅い結果が待っているだけだった。

 トーナメントである以上は各自が来るであろう対戦相手の対策を立てる。既に一輝はこの大会の中でも限りなく注目すべき人物へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさかそんなバカげた能力だなんて)

 

 珠雫は先程の一輝と紫乃宮天音のやりとりを偶然聞いていた。

 自分の願いが必ずかなえられる能力。何も知らずに聞けば確実に一笑に付す内容。

 しかし、その言葉が現実であるのは薬師キリコの様子を見れば当然だった。

 幾ら高ランクの伐刀者で医者だとしても、自分の見立てが本当に間違っているのかと錯覚する程に患者の容体が急変する事は素人目からしても異様だった。

 これが一人なら話は別。そう考えると同時に一つの爆弾発言が更に混迷を齎していた。

 

 紫乃宮天音の口から黒鉄一輝の優勝を願う言葉が本当に出れば、優勝は恐らくはするだのろう。

 傍から見れば幸運かもしれない。だが、これまで一輝が積み上げてきた努力など不要だと言わんばかりの結果は誰にも幸福をもたらす事は無い。

 一輝の性格を考えれば確実に辞退するかもしれない。そうなれば今の一輝の立場が衆人環視の下で不味くなるのは当然だった。

 願いが叶うのであれば、それを願った優勝は唾棄すべき結果。事実上の八百長ともなれば今後の選手生命や伐刀者としての生命が断たれる可能性もあった。

 自分が愛すべき人物が不遇のままに人生を過ごす。そう考えれば自分の対戦よりも先にあれをどうすべきなのかを考える必要があった。

 

 

「あら?どうしたの珠雫?怖い顔になってるわよ」

 

「ねえアリス。少しだけ聞きたい事があるの。仮にだけど、自分以外の力があって、それを勝手に使われた結果についてどう思う?」

 

「随分と突然な話ね。そうね……私なら少なくともそれを声高にするんじゃんくて、無かった事にしたいかな。だって自分の実力かどうかなんて分からないんでしょ。私ならそうするわ」

 

 珠雫の言葉に有栖院は何となく言葉の意味を理解していた。

 伐刀者の異能、少なくとも因果干渉系の能力に関しては何も分からないのが今の状況。

 それと同時に、珠雫の言葉から察するに、何となくそれが誰の事を指しているのかを理解していた。

 

 紫乃宮天音の能力『過剰なる女神の寵愛』はあらゆる因果をむりやり捻じ曲げる。その結果が本人にとって最良の物を齎すと同時に、その過程については全く把握出来ない物だった。

 有栖院は実際に破軍学園襲撃が解決した際に、自分の事を明かしていた。

 自分が関係しているからこそ解放軍が動いている。確かに何もせず、寧ろ裏切ったに近い行為をしている為に学内での影響は皆無に等しかった。

 勿論、襲撃者が解放軍の一員であり、龍玄が倒した多々良幽衣もまたその一人である事は関係者は知っている。そんな中でも異質だったのが紫乃宮天音だった。

 

 かつては同じ仲間であったと考えれば、能力がどれ程なのかを知る事もある。だが、紫乃宮天音に関してはその限りでは無かった。

 結果だけが分かりやすくなっているだけで、その途中の事に関しては全く予測出来ない。

 解放軍からすれば有難いと考える人間も居たが、部隊を動かす人間からすれば厄介な物でしかない。

 過程がどうなるのか分からないままに作戦を立てるのは無理がある。

 幾ら結果が約束されたと言っても、それは紫乃宮自身だけに限った話であり、それ以外は対象にすら含まれていない。

 損耗を考えれば承服出来る内容では無かった。

 その為に完全な個人で動く事しか出来なくなる。その結果、誰もが名前こそ知るが異能については不明になっていた。

 珠雫の言いたい事は何となく理解している。だが、有栖院もまた、詳細を知らない為に答えは歯切れの悪い物となっていた。

 

 

「あと、あれには近づかない方が良い。結果が本人の臨んだ物になるのは当然だけど、その過程が本人ですら把握出来ないの。貴女の気持ちは分かるけど、物騒な事は止してほしい」

 

 珠雫もまた有栖院の言葉に僅かに感情の色が歪んでいた。

 実際に他人の能力で掴んだ栄光など、一回戦で敗北した人間よりも質が悪い。下手をすれば、最初から出場が無かった事になる可能性もあった。

 本当の事を言えば有栖院の口からは何かしらの情報の一つでも出ればとさえ考えている。だが、有栖院もまたその感情を見越した回答をした為に、僅かに冷静さを取り戻していた。

 

 

「でも………それじゃお兄様は報われない。必死になって鍛えて、あの予選を戦い抜いた。なのに……なのに、あんな訳の分からない言葉を投げかけられたらどうしようもない!」

 

 珠雫の慟哭の様な叫びに有栖院は頭を撫でる事しか出来なかった。

 本当の事を言えば分からないと口にした方が良いかもしれない。しかし、それを口にした所で本当に納得するのかは別問題。ましてや能力が完全に本人の口から出た以上は警戒、若しくは何らかの対策を考えるのは当然だった。

 

 

「大事な人もだけど、今は貴女の試合の事も考えなさい。このままの気持ちを引き摺っても良い結果は生まないわ。まずは気分を入れ替えて目の前の事に集中しなきゃダメよ」

 

「でも………」

 

「私も協力するから。このままの気持ちを引き摺ったままに戦う姿を見せたら、あの人はどう思うかしら?」

 

 有栖院の言葉に珠雫もまた少しづつ何時もに戻る。このまま戦ったとしても、動きに問題があれば一輝が間違い無く心配する。

 確かに紫乃宮天音の事は気になるが、自分もまたこんな所で弱い姿を見せる訳にはいかなかった。

 有栖院から少しだけ距離と取ったと同時に顔を乱暴に拭う。

 ここで涙を流したとしても現状が打破される事は何も無い。折角一輝自身が渇望した大会を自分の感情だけで乱すのも申し訳ないと考えつつあった。

 珠雫の思考はゆっくりと戦いへと移行する。先程までの潤んだ瞳には新たな力が宿っていた。

 

 

「そうね……お兄様にこんな不様な姿を見せる訳にはいかないものね」

 

「頑張ってらっしゃい。終わってから対策を考えましょう」

 

 軽くウインクをした有栖院を見たからなのか、珠雫もまた控室へと足を動かしていた。

 このまま行けば珠雫の対戦は三回戦を迎えた辺りで山場を迎える。その為には今の精神状態は好ましくない。

 決定的な案は何一つ無いままに有栖院もまた見送るしか無かった。

 

 

 



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第66話 それぞれの戦い

 大会の進行が進むにつれ、代表される選手の顔が揃いつつあった。

 実際に一回戦でさえ、かなり見応えのある戦いが繰り広げられていたが、それが進むにつれ大会の苛烈さがゆっくりと表に出始める。

 既に二回戦もまた、実力と言う名の絶対がその結果を打ち出していた。

 ステラは持ち前の総魔力量を活かした攻撃は既に対戦相手を圧倒していた。

 只でさえA級と言う触れ込みによって周囲にも大きな影響を与えている。既に対戦相手となっていた巨門学園の鶴屋美琴はステラを前に呆然とするよりなかった。

 

 『氷の冷笑』と呼ばれるだけあって、自身の異能は冷却能力に長けている。自身の抜刀絶技『死神の魔眼(サーティン・アイズ)』は瞬時に絶対零度にまで温度を低下させる物。だが、それはステラにとってはそれ程大きな問題では無かった。

 温度の低下は絶対零度、即ちマイナス二百七十三度を下回る事は無い。そこまで温度が低下すれば生物は活動を停止し、やがて死に至る。

 幾ら大会と言えど、意図的な殺害は推奨される訳では無い。だが、これまでに感じた事が無い低温を体験すれば人間であれば確実にその前に何らかの行動を開始する。その結果が敗北の宣言であり、自らの命を護る事を優先させた結果だった。

 事実、昨年はその恩恵を受けた事によって大会のベストエイトに食い込んでいる。そんな自尊心もまた、ステラの前では無意味だった。

 

妃竜の羽衣(エンブレス・ドレス)!」

 

 鶴屋はステラに何のためらいも無く絶対零度にまで温度を低下させた瞬間だった。

 本来であれば体表は氷に覆われ、生命反応すら危うくなるはず。そんな未来が最初から存在しなかった。

 

 ステラを覆う低温の霧は直ぐに蒸発する。炎を操るステラの周囲は高温によって歪められていた。

 極低温の霧は周囲を漂う事無く蒸発した事により、鶴屋の攻め手は完全に封じ込められていた。

 元々鶴屋の固有霊装は武器では無い。片眼鏡(モノクル)はあくまでに視線を焦点に狙いを定めるだけの効果。そうなれば大剣を持つステラからすれば無手と同じだった。

 これが以前のステラであれば確実に無手である事を慢心し、そのまま一気に攻め上がっている。事実、観客の誰もがそう考えていた。

 氷点下の温度よりも天井知らずの燃焼温度の方が遥かに高い。それは態々検証するまでも無い事実だった。

 そんな前提があるからこそ勇猛果敢に来るはず。鶴屋もまた同じ様な事を考えていた。

 

 

(警戒してる?でも、どうして?)

 

 ステラは妃竜の羽衣を展開したと同時に、極低温を完全に防いだ事までは良かった。

 それは誰もが考える想定。鶴屋もまた同じだった。

 だが、そんな思惑に反するかの様にスタラは動かない。自分の能力がステラに影響を与えているとは考えていなかった。

 仮にあるとすれば、カウンターを仕掛ける可能性。鶴屋の霊装が武器であれば、ありえるだろう可能性に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

(一先ず無手での攻撃は無さそうね。リュウみたいな人間が早々居るとは思わないけど、警戒はしておくに越したことは無いはずだから)

 

 破軍学園での予選会でステラは龍玄に事実上のシャットアウトで敗北していた。

 攻撃を幾ら仕掛け様が確実に回避されるだけでなく、時折態勢を崩す為の受け流しをされる。

 幾ら実力がある伐刀者と言えど、自分の立ち位置を完全に見失っている状態での戦いは推奨するものではない。

 拳銃の様な固有霊装であれば未だしも、刀剣類であれば完全に腰の無い斬撃程度しか繰り出せない。その程度であれば本来であれば身体強化の恩恵を活かす為に、それ程気にする様な内容では無かった。最悪は負けなければそれで良い。そんな感情がそこにあった。

 だが、この戦いはトーナメント制。幾ら時間を空けているとは言え、肉体は万全でも、精神は消耗したままになる。消耗した精神はIPS再生槽でも出来ない行為。

 ましてや、一度でも土がつく様で有ればそこで終わり。それが今の警戒を物語ってた。

 だからこそ警戒する。勿論それだけではなかった。

 全身を流れるかの様に蠢く魔力を体外に僅かに放出する。その瞬間、周囲の空気が僅かに重くなった様に感じ取っていた。

 ステラから発する魔力の奔流はゆっくりと舞台の空気を上昇させる。それがどこまでも上昇するかと思われた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「降参します」

 

 鶴屋の言葉を審判が正しく理解するまでに少しだけ時間を有していた。

 傍から見ればお互いが対峙しているだけにしか見えない。それは審判も同じだった。

 突然の言葉に会場の観客もまた言葉を失っている。

 まさかこんな早くに決着がつくと誰もが予測していなかったから。

 鶴屋の言葉からゆっくりと一拍を置いて漸く会場にもアナウンスが流れる。呆気ない結末ではあったが、ある意味では当然の結果に番狂わせにもならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、遠慮なく行かせてもらいます」

 

 珠雫はあの出来事から物の見事に立ち直っていた。

 実際にあの状態のまま戦ったとしても、苦戦はするが負ける可能性は皆無だった。

 対戦相手の隙を逃す様な真似はせず、詰め将棋の様に相手の行動を制限する事によって完全に追い込んでいた。

 水だけでなく、氷を使う事によって攻撃の種類を特定させる事をさせない。

 小太刀の固有霊装を携えている以上、接近戦になっても一方的になる事は無いかもしれない。

 幾ら通常であれば体格差が生じるとしても、伐刀者特有の身体強化を使用すればその限りではない。

 だが、珠雫にとっては接近戦は避けたい物があった。幾ら身体強化を使用しても身長差までフォローされる物ではない。そうなれば、ある意味では厄介な部分もあった。

 接近戦に於いてリーチの差は、ある意味では致命的な物を作り出す。そうなれば幾ら異能が発動しても万が一の可能性があった。

 当然ながら、そうなると珠雫の体躯では圧倒的に不利になる。その結果、戦術として採用されたのは中距離からの間断無き攻撃を仕掛ける事だった。

 

 

「一年如きが偉そうに!」

 

 珠雫の物言いに対戦相手は憤っていいた。幾らランクが高いとは言え、実戦経験は然程ある訳では無い。それが一番の理由だった。

 実際に学年が上に上がるにつれ、伐刀者としての、魔導騎士としての戦い方を学んでいく。それはどの学園も同じカリキュラムとなっているからだった。

 確かに破軍学園は襲撃にあった事によってある意味では実戦を経験していると言えるかもしれない。だが、その殆どが今回のゲストと呼ばれる伐刀者によって解決した為に、精々が物陰で震えあがっているだけに過ぎない。そう判断した結果だった。

 瞬時に加速する事により、身体強化を遣わせずに終わらせる。その戦術に問題となる箇所は無かった。

 

 

「何の警戒も無く突っ込むだなんて……実に残念でしかたまりません」

 

 突進してくる相手の事など珠雫は最初から眼中になかった。

 実際に破軍の予選会でも似た様な攻撃を仕掛ける人間は居た。だが、その殆どがそれ程気になる物では無かった。

 幾ら身体強化を使っているとは言え、その速度には限界がある。抜き足の様な技能が無ければ迎撃するのは簡単だった。

 焦る事無く、自分のやるべき事だけを淡々と行う。冷静な思考は既に戦いの終焉までを完全に予測していた。

 

 

「では……」

 

「この程度、躱せないとでも」

 

 広範囲の水流を活かすと同時に、舞台全体に水を撒いていた。

 水流そのものはそれ程の勢いを持っている訳では無い。鉄砲水を思わせるそれもまた突進する側からすれば回避出来る程だった。

 だからこそ、珠雫がその先に考えている攻撃を予測出来ない。七星剣武祭に出場する人間のデータを頭に入れたとしても、それはあくまでも得意であると思われる異能の種類だけ。そこに異能を発する人間の思考は考慮されていなかった。

 

 

「軽挙妄動は自分に返りますよ」

 

 氷を使う事によって周囲に撒かれた水は突如として氷結する。その結果、舞台の上は足元が不十分な状態へと変化していた。

 足元がおぼつかない状態での移動は慎重になら有るを得ない。幾ら慣れた人間であっても急な行動をするのは不可能に近かった。

 

 

「あ、足元が………」

 

 普段から移動速度が速い人間でも氷の様な不安定な場所ではゆっくりと動く的でしなかい。

 これが歴戦の猛者であれば対策も立てる事が可能かもしれないが、学生にとってはそんな対策を立てる程、冷静にはなれなかった。

 氷の飛礫が弾丸の様に襲いかかる。当初は防戦一方だった相手は舞台の端に追い込まれる形でそのままリングアウトとなっていた。

 本来であればそこからの復帰はルール上は可能である。だが、生憎と舞台の上に安全地帯は何処にも無かった。

 為す術が無いのであれば降参するしかない。ある意味では伐刀者らしい勝ち方に観客もまた歓声を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろか……」

 

 観客席からの声が僅かに聞こえるのか、控えている龍玄の耳には僅かに聞こえていた。

 実際に破軍学園の襲撃によって脚光を浴びた人間はゲストとしてこの大会に出場している。

 本来であれば予定していた人間は全部で六人。その内の一人は早々に捕縛し、もう一人もまた龍玄が危なげなく下していた。

 元々このゲストが密命を帯びて襲撃し、その勢いのままに出場すると言う、半ばマッチポンプの様なやり方は、風魔が介在する事によって完全に瓦解していた。

 

 実際に依頼をしていた月影獏牙もまた政界から失脚した事により、詳細の情報を入手している。その中で黒鉄王馬とサラ・ブラッドリリーに関しては、従来の依頼とは異なっていた。

 今回の依頼内容は解放軍による物ではあったが、そこには二つの思惑が存在していた。

 元々から魔導騎士連盟を脱却したい政治家側と、過去の栄光を基に改めて歴史の表舞台に出たい行政側。

 厳密に言えばお互いの目指す道は異なっている。

 だが、その途中までは確実に同じ道だった。

 

 そうなればこの行方を阻む者は居ないはず。それが月影と黒鉄巌が選んだ方法だった。

 だが、その前提が既に覆っている。実際に捕縛した風祭凛奈は詳細までは知らなかったが、情報を一元管理しているのが平賀玲泉である事を最後に語っていた。

 となれば、今回の実質的な指導者はこれから自分が戦う相手となる。

 これが大会ではなく、何処かの路地裏であれば確実に情報を吐かせる為に拷問すら辞さないやり方をする。だが、衆人環視の下ではそんな行為は出来ない。その為にはどうするのが最良なのか。龍玄はそんな事を考えていた。

 

 

「風間選手。そろそろ時間です」

 

「そうか」

 

 案内の言葉に龍玄の意識は改めて戦いへと向かう。

 戦場であればあり得ない行為。だが、ここはルールに基づいた戦いである為に場外乱闘が起こる可能性は皆無だった。

 だからこそ深く思考の海に潜る事が出来る。

 浮上した以上、今はただ目の前の事に対処するだけの話だった。

 一回戦同様に会場の扉が開く。既に準備を終えたのか、そこには既に平賀玲泉の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

「初めて見る顔ですね。貴方が破軍の代表選手だとすれば、随分と層が薄いみたいで」

 

 平賀の挑発めいた言葉。それは偏に学内での予選会の数字を知っているより外ならない。でなければ、そんな言葉が出るはずが無かった。

 声が当人同士の会話だけに留まっていた為に、周囲には聞こえていない。この言葉が挑発である事に間違いは無いが、その内訳までは知らない様だった。

 

 純粋な数字だけ見れば確かにそうかもしれない。だが、内容を見ればそんな言葉が出るはずが無かった。

 予選会に出ない時点で敗北になる為に数字は凡庸。だが、勝利の内容だけ見えれば事実上の完勝だった。

 これまでにかかった戦闘時間の平均は一分にも満たない。それも殆どが全力を出しているのかすら危うい程。本当の実力を図れた人間は誰一人居なかった。

 これが只の生徒であれば多少なりとも感情の色が変化したのかもしれない。だが、龍玄にとってはそんな数字の事などどうでも良かった。

 勝ち負けは常にあるのは当然の事。それが最初の段階で決められたルールであれば尚更。

 大会に出場し、その勝利に価値を見出す人間であれば激昂もするが、龍玄は最初からそんな感情は持ち合わせていなかった。

 無関心を誘うかの様な視線を投げるも、そこに感情は見いだせない。平賀が口にしたのはそんな不気味な存在を嗅ぎつけたからに過ぎなかった。

 相手の心情を揺さぶる事によって自分の土俵へと導く。トラッシュトークを仕掛けたのもその為だった。

 

 

「そんな事はどうでも良い。一つだけ確認したいんだが、何時からこの大会は()()の利用が可能になったんだ?」

 

「ほう……私の事を()()()()だと言うのですか?」

 

「言葉遊びでは無い。もう一度聞く。何時からここに()()のままでの出場が可能になったんだ?」

 

「君達。試合前の会話は禁止している。これ以上するなら没収試合とする」

 

 龍玄の言葉が聞こえたからなのか、審判からの警告が飛んでいた。

 これまでにも会話が全く無かった訳では無い。単純に相手に対して鼓舞する為の会話は認めているが、侮辱の為の言葉は認められていない。その為に平賀の最初の言葉は聞こえない程の音量だった。

 

 

「ですから、私は木偶のぼ…」

 

 平賀の口からそれ以上の言葉が出る事は無かった。

 何故なら既に平賀の頸は胴体とは完全に別れているから。一瞬の出来事に何が起こったのかを完全に把握出来た人間は誰一人居なかった。

 

 

 

 

 

「………風間選手。君のやった行為は反則だ。それと、命を奪った事に関しても大会である事を主張出来ない。よってここに負けを宣言する」

 

 時間と共に漸く時間が動き出していた。

 既に命の炎が消えた胴体と頸。道化師の仮面をしている為に、そこには感情は見えなかった。

 だが、不意討ちによる死亡は大会の中でも最悪の出来事。警告はしたものの、龍玄の動きについて行けた人間はこの会場には誰も居なかった。

 

 

「命か。最近の大会は木偶にも命を認めるか。随分と甘い規定なんだな。それで反則負けならそれで結構。ならば失礼する」

 

 悪びれる事も無ければ謝罪すらもない。何よりも不遜な態度に誰もが唖然としていた。

 だからこそ、横たわる平賀の状態に気が付かない。仮に生物が首を刎ねた時点で大量の血液が出るはず。にも拘わらず、そこには何の形跡も無かった。

 そこあったのは剥き出しになった部品と配線。龍玄の姿が消えた事によって漸く事態が呑み込めていた。

 

 

「おい、あれ変じゃないのか?」

 

「確かに。普通、ああなったら血が出るよな」

 

「なあ、あれって本当に人間なのか?」

 

 偶然にも巨大画面の端に移った平賀の体躯は余りにも異質だった。

 動く気配が無いのは兎も角、観客もまたその異常な光景に気が付く。

 血が流れずにそのまま横たわるのは人間ではない証拠。ここで漸く審判もまた気が付いていた。

 慌てて近くまで走り出す。会場からはどんな状態にになっているのかを判断する事は出来なかった。

 既に巨大画面に映像は映っていない。気が付けば審判と思われし人間が一人、また一人と平賀に近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、先程の件ですがどうしますか?既に誤審によって負けは宣言しましたが?」

 

「だが、あの場では仕方ない。今さら撤回も出来ん」

 

「だが、あれは紛れも無く人間ではなく人形。何時から変わっていたのかは分からんが、仮に最初からなら出場資格すら無い事になる」

 

 龍玄と平賀の試合が二回戦の最終であった事が功を奏したからなのか、審判団の控室で意見が紛糾していた。

 本来であれば確認をしてから判断すべき内容が脊髄反射の様に口に出ていた。これが誤審だと公表出来るのかとなれば話は別。

 実際に七星剣武祭の審判は通常であればKOKでも活躍している。今大会も普段であればKOKの審判をしてる人間だった。

 更に運が悪かったのは、確認をせずそのまま宣言した事。それと同時に龍玄の姿が会場内に無かった事だった。

 本来であれば誤審だと公表して龍玄をそのまま繰り上げる事で事無きことを得られるはず。だが、その人間が会場内に居ないと分かった時点でややこしい事になっていた。

 

 

「それと風間選手の姿が無い様だが、その件に関してはどうするつもりだ?」

 

「復帰させ様にも姿も無い。それに反則による負けを宣言した以上はそのまま帰ったと言われればそれで終わりだ」

 

「だが、前提が違う。確認をせずに判断したんだ。明らかな誤審だ。大勢の観客が居る会場には何と説明するつもりなんだ?」

 

「………」

 

 場外乱闘ならまだしも、会場の中で起こった事案である為に、未だ明確な方針が打ち出せていなかった。

 何をするにも既に時間はかなり経過している。既に何を言おうが良い訳にしか聞こえない状態になっていた。

 時計の針が動いても、審判団の行動は一切無い。保身に走ろうにも有効的な打開策が何も無かった。

 

 

「それなら一度破軍の方にも確認してもらうのはどうでしょうか?」

 

「だが、それに応じるのか?」

 

「応じるも何も、あるがままに説明するしか無いでしょう。誤審で負けにしたのであれば、我々も相応のダメージを追うのは当然です。それに七星剣武祭でのこれは既に隠蔽する事すら不可能ですから」

 

 一人の審判の言葉に誰もがそれ以上何も言う事が出来なかった。

 大体的に放送している関係上、先程のやり取りは完全に放送されている。只でさえショッキングな場面に近い物があったにも拘わらず、審判の落ち度で下した結果は既に撤回の方向では動けなくなっていた。

 審判は確認していないが、先程の一連のやり取りは既にネットではお祭り騒ぎに発展していた。

 

 

 ────碌に確認もせず、一方的に判断した審判。

 ────KOKでもやっている業務がここでは出来ていない。

 ────本当にこの人間に任せても、平等に判断する事が出来るのか。

 

 そんな内容が次々と上がっていた。

 

 

 

 

 

「で、私にどうしろと?」

 

「ですから、風間選手を出来るだけ早く再召喚して頂きたいのですが………」

 

 審判団代表の力無き言葉に召喚された黒乃は少しだけ考えていた。

 元々この大会に関して、黒乃は龍玄に結果を求めては居なかった。

 そもそも個人の要件を優先する事を大会に先駆けて口にし、黒乃のまたそれを了承している。既に見当たらなとなれば恐らくは会場内には居ないのだろう。

 黒乃の表情を見た審判団もまた頭を悩ませていた。対処すべき方法が見当たらないからだった。

 

 

「私としては抗議こそすれ、力を貸す道理は無いのですが?それに最初から人間ではなく、人形である事を見抜けなかったのであれば、盆暗と言われても仕方無いのではありませんか?」

 

 黒乃の物言いに審判団の表情が僅かに歪む。

 これが他の学園の理事長であれば何らかの言葉が出たかもしれない。だが、黒乃に関しては既に引退しているとは言え、元KOKの三位。

 『世界時計(ワールドクロック)』の二つ名さえ持つ魔導騎士。少なくとも自分達よりも確実に上の存在であるのは間違い無かった。

 しかも正面を切っての正論。既に審判団には打つ手が残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場では未だ紛糾した状態のままが維持されているが、選手にとってはそんな事はどうでも良かった。

 関心があるとすれば、次の対戦相手がどうなるのかだった。

 既に前半に関しては特段問題は無いが、後半に関しては未だ不明のままだった。

 最大の焦点は平賀玲泉が本人ではなく、機械人形が出場した事。考えられるとすれば最初から出場が無かった事になるか、それとも失格となるかだった。

 勿論、そうなれば次の対戦が龍玄である事に間違い無い。ここまでが選手の知る現状だった。

 当然ながら龍玄が既に会場から姿を消している事を知らない為に、それ以上の感情は何も無い。

 だからなのか、可能性がある選手にとっては審判団に一刻も早い裁定を望んでいた。

 

 

「お兄様。少しだけお時間を頂けますか?」

 

「時間なら大丈夫だけど、どうかした?」

 

「ええ。実は次の対戦に関してなんですが…………」

 

 珠雫の歯切れの悪さは一輝も直ぐに理解していた。

 このままであれば珠雫の対戦相手は龍玄になる可能性があるからだった。

 だが、その龍玄に関しては現時点では正式な回答が未だ出ていない。

 特に、問題となった最後のあの場面に関しては詳しい事は分からない。

 実際にお互いが対峙した場面までは映っていたが、その後に関しては全く分からないままだった。

 会場に居たと思われる人間からの言葉だけを聞けば何となく状況が分からない訳では無い。

 ただ、その内容に関して言えば、余りにも荒唐無稽過ぎていた。

 実際に観客ですら何が起こったのかを判断出来ない。それ程までに鮮やかな手際だった。

 それと同時に珠雫が一輝に話をしたかったのは次の事に関して。少なくともこの大会の中ではかなり厳しい相手になる事だけは間違い無かった。

 

 

「まだ結果は出てないんだよね。それでもかな?」

 

「絶対ではない。となれば、対策の一つも考え様かと。ただ、私自身はそれ程見知った訳では無いので……であれば、是非にと」

 

「それは構わないんだけど………」

 

 珠雫の懇願するかの様な表情に一輝もまた頬を掻きながらどうしたものかと考えていた。

 実際に珠雫の身近な人間の中では一輝が一番理解している。だからこそ自分を頼ったのだと考えていた。

 だが、言われるまでもなく答えは出ている。

 今の珠雫では絶対に勝つ事は出来ない。ただそれだけだった。

 

 

「本当の事を言えば私が勝てると思えるだけの勝算はありません。恐らくはまともに戦えば瞬殺でしょう。

 ですが、私もただやられたくはありません。相手が誰になるのかが分からないからと言って対策を立てる必要性が無いと思うのは些か不用心ですから」

 

「確かに。だったら正直に言うよ。残念だけど今の珠雫では勝てないのは間違い無い。下手をすれば自分が負けた事すら理解する前に終わると思う」

 

「……そうですか。勝てませんか」

 

 落胆の表情を見せながらも珠雫もまた龍玄の実力を把握していた。

 予選会での戦いを見ればどれ程の実力を有しているのかは考えるまでも無い。

 初戦に至っては会場の誰もがその姿を見失う程の動きを見せていた。

 諸星との戦いで一輝がやったエーデルワイスの歩法とはまた違うそれ。

 一定の距離をお互いがとっていると言っても、あれだけの動きを見せる人間からすれば零距離と同じ事。だとすれば事の起こりが見える前に何らかの措置をとるしかなかった。

 

 

「攻撃の……いや、動きの起りが見えない以上は回避は出来ないと思う。距離があれば迎撃が可能だと思った瞬間に攻撃を貰って終わり。となるだろうね」

 

「そんな………」

 

「勿論、やり様が全く無い訳では無いと思う。少なくともこれまでの事を思いだせば、初撃を防ぐ事が出来た人間であれば、何らかの戦いは可能だろうね。少なくとも龍はそんな事を考えているんだと思う」

 

 一輝の言葉に珠雫は僅かながらに光明を見出していた。

 初撃がどんな攻撃になるのかは本人以外には分からない。だが、相手が自分と戦う事を認めれば、そこから先は完全な対等な土俵に上がれるのと同じだった。

 今出来る事はその為の布石を敷く事。珠雫に求められているのは完全な戦略だった。

 だが、ここで大きな問題が一つ。龍玄の攻撃がどれ程の物なのかだった。

 珠雫は改めてこれまでの事を思い出していた。

 実際に龍玄が戦っている場面を見た記憶は殆ど無い。当然ながら該当する人物に聞くより無かった。

 

 

「参考までにお聞きしたいのですが?」

 

「本当に参考にしかならないと思う。実際に目視で反応するのは不可能に近いんだ。僕が防げたのは半ば偶然に近いからね」

 

「それ程ですか………」

 

 珠雫も実際には異能ではなく武技に関してもそれなりに戦う事は出来る。だが、前提が異能である為に技量はそれ程では無かった。

 牽制程度に動きを制限させながら異能で決着をつける。ある意味は模範的であはあるが、言い方を変えれば熟練者の凡庸な戦術だった。

 

 戦いにはお互いの相性が存在する。

 一輝の様に近接戦だけのケースもあれば、ステラの様に万能型もある。

 だが、龍玄はそのどちらに対しても自分にはダメージを受ける事無く下していた。

 

 ステラと戦っている際に見たのは完全に体術だけであり、異能の気配が何処にも無い。一回戦での戦いもまた同じだった。

 霊装が籠手である為にある程度は仕方ないのかもしれない。だが、傍から見た印象と対峙した印象は違う事だけは間違い無かった。

 何故ならその話をする一輝の表情が複雑な物になっているから。少なくとも自分との戦いに於いてはある程度の予測は立っているのと同じだった。

 

 実際に身内だからこそ一輝もまた言葉を告げるが、これが友人であればもっと現実的な言葉になってるかもしれない。それ程までに差があるのだと言外している様だった。

 だからこそ珠雫には覚悟が求められる。

 自分の体躯では攻撃を受け止める事が出来ない以上、それに代わる何かが必要だった。

 手だてが全く無い訳では無い。ただ、集中出来る時間を与えてくれるのかが問題だった。

 大会のルールでは事前に魔力を込める事は禁止されている。固有霊装を顕現するまでが許容されているに過ぎなかった。

 事実上の詰みに近い状態。珠雫の頬には知らない間に冷たい何かが流れていた。

 そんな中、珠雫だけでなく一輝の携帯端末が僅かに振動する。運営からの案内だった。

 

 

『運営委員会より案内です。予定されたトーナメントに関してですが、一部変更が行われます。それに伴い対戦相手の変更がある場合がありますので、追って通知させて頂きます』

 

 無機質に送られた文。誰もが驚きながらも何故そうなったのかを知る事は無かった。改めて送られたメールに記載される。その事実をまだ誰も知らなかった。

 

 

 

 



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第67話 見えない蠢き

 龍玄の起こした騒ぎによって周囲の状況は慌ただしくなっていた。

 出場選手の一人が本人ではなく、機械人形である事。それだけなら選手も騒ぐ事は無かった。

 一番の問題はその行為に入った瞬間がテレビ画面には映りはしたが、その姿が完全に捉えられていなかった事だった。

 少なくともあの動きを視認出来るのかと言われれば、誰もが唸るよりなかった。

 事実、諸星雄大と黒鉄一輝が戦った際に、後半で使った一輝の歩法を見切った人間が誰一人居ない。あれが『比翼』のエーデルワイスと同じであればある意味では当然の事だから。

 事前に破軍学園襲撃の際に、黒鉄一輝とエーデルワイスが対峙した噂は出ていたが、一輝の動きを見て誰もがそれで納得していた。だが、ここきて更に一人。風間龍玄に関しては何の情報も無いに等しかった。

 

 無手で戦う事は一回戦で分かっていたが、その戦いが余りにも分かりにくい物だった。

 粗暴の様に見える行動の一つ一つが常に先の動きを見据えている。実際に何手先までの動きを読んでいるのかすら分からないそれは、同じ山に居る選手からすれば異様だった。

 実際に審判の口からは失格の言葉が出ている。これが通常であればそれで終わる為に気にする必要は無いが、問題はそこではなかった。

 見方を変えれば失格している事を教える為に動いた可能性がある。少なくとも、戦う前に何らかの会話をしている時点でその可能性が濃厚だった。

 これまでに七星剣武祭に誤審は無い。本来であればそのはず。だが、未だその正式な結果が出ていない。周囲はそんな異様な空気に包まれたままだった。

 だからこそ、一人の人間の動向を一々気にしていない。そんな白昼の空白が生まれていた。

 

 

「意外だった。まさか機械人形だったなんて……この後はどうするつもりなんだろう」

 

 会場の周囲に人影は無かった。だからなのか、紫乃宮天音の呟きを聞く人間は誰も居ない。尤も紫乃宮もまた確認したからこそ呟いていた。

 実際に出場の際には襲撃事件の立役者の触れ込みで出場している為に、平賀の件を聞かれた事に問題は無い。だが、その関係性を問われるのは間違い無かった。

 同じ括りをされれば返事をするには少しだけ困る。既に一回戦で多々良幽衣が敗退している為に、ここでのこれは少しだけ面倒になる可能性が出てきた。

 少なくとも自分がこれまでに、まともに戦わずに勝ち進んでいる事を訝しげに思う事も多少なりとも耳に届いている。

 幾ら有象無象が何を言おうとも気にする要素は無いが、それでもうっとおしい事に間違は無かった。

 言葉と同時に少しだけ溜息も漏れる。まさにその瞬間だった。

 

 

「紫乃宮天音で間違い無いな?」

 

「そうで…」

 

 背後からの声に紫乃宮は来たかと思った。

 少なくとも自分には無関係であると言う事位は言っておいた方が良いかもしれない。ある意味では仕方ない事。だからなのか、面倒な空気を出しながら返事をした瞬間、視界から景色が消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫乃宮天音の行動は既に捕捉していた。

 実際に調べた結果、因果干渉系統の中でも現時点では最大に厄介な能力である事に間違いは無かった。

 仮にそれが自分達に適用される事になれば何らかの影響が確実に出る。これが一過性であれば問題が無かったのかもしれない。だが、調査した結果内容によっては永続的に何かが起こる可能性を秘めていた。

 当然ながら物事に絶対は無い。だからこそ粛々と処分するのが得策だった。

 気配を殺したままに一声だけかけ、確認をする。後は何時もと同じ行動だった。

 

 

「そうで…」

 

 言葉が続くであろう雰囲気を無視するかの様に紫乃宮天音の頸椎を破壊し、頸を完全に捩じ切る。それと同時に心臓にも止めとばかりに一突きで刃を差し込んでいた。

 この周辺に監視カメラはなく、また、人影も無い。ある意味では完全な空白を作り上げていた。

 その原因を作ったのは指示を出し、結果を作り上げた青龍。白昼堂々の仕事を小太郎な何の苦も無く成し遂げていた。

 紫乃宮の体躯を突き刺した刃はそのままに、素早く行動に移す。周囲の気配を探知したからなのか、何の躊躇も無くそこにあった窓から一気に外へ飛び出していた。

 

 

 

 

 

《周囲に人影は有りません。あと五分で回収班が到着します》

 

「分かった。合流地点まではこちらも警戒しながら向かう」

 

《了解しました》

 

 耳朶に届く通信に小太郎もまた端的に返事だけをしていた。仮に見つかった所で全てを駆逐してしまえば問題は特にない。ただ、今がまだ日が明るい状態である事だけが懸念事項だった。

 これから日が沈めば移動は更に容易になる。だが、回収班が動く以上はここに留まる訳には行かなかった。

 事前に用意したケースに骸となった紫乃宮の体躯を無理矢理詰め込む。血を流す事無く始末した為に痕跡は皆無だった。平然とそこから移動を開始する。これで任務は終わるはずだった。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。唐突ですが、そのケースの中身を見せてもらえませんか?」

 

 女の声に小太郎もまた何も知らない様に振り返る。そこに居たのは金髪の妙齢の女性の姿だった。

 

 

「突然何を言ってるのか分からないんだが?」

 

「そんな事はどうでも良いんです。ただ、そのケースの中身を見せて頂きたいのです」

 

 感情の籠らない声に小太郎もまた少しだけ思案顔をしていた。

 突然の話に警戒するのは当然の事。事実、表情が見えない仮面を付けている人間を怪しまない道理は何処にも無い。

 これが警察であれば手帳の一つも見せたかもしれない。だが、女はそんな事すらしなかった。

 

 

「断る。名乗る事も出来ない人間の言葉を聞く道理がどこにある?」

 

「ならば実力行使でも構いませんよ」

 

 女が言葉を発した瞬間、周囲の大気は僅かに震えていた。表面上は穏やかなまま。だが、周囲を纏う空気は既に臨戦態勢の様になっていた。

 これが常人や犯罪者であれば何らかの警戒をしたのかもしれない。だが、女が話した相手は風魔小太郎。

 裏社会で生きる人間であれば確実に名前を知った瞬間、逃げに入る程の人物。そんな人物に対して何も知らないのであれば、ある意味では勇気ある言動だったのかもしれない。

 だが、それを確認するだけの情報は何処にも無かった。

 

 本当の事を言えば小太郎もまた窓から飛び出した時点で気配を察知していた。通信上では気配を感じなかったのはセンサーを誤魔化していた証拠。だが、これまでに培った経験を持つ小太郎には通用しなかった。女が持つ内包されたエネルギーは並みの伐刀者ではない。

 少なくともKOK程度に出場する様な人種ではない。声をかけられた事によって、それが誰なのかも正確に判断していた。

 

 

「寝言は寝てから言え。自分の手に負えない物を勝手に放逐した分際で、今更何をのたまうつもりだ?惜しくなったから今になって保護する。それこそ神にでもなったつもりか」

 

 小太郎の言葉に女の表情が僅かに歪む。実際に小太郎が放った言葉は事実だった。

 自分ではどうしようも出来ない事を知ったからこそ、紫乃宮を解放軍に任せた。

 『過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)』因果干渉系統の中でもこれまでに無い異様な能力。少なくとも自分の目が届かない状況で使用されればどんな影響をもたらすのかは本人でさえ予測不可能。

 可能性があるとすれば魔人による運命の枠を超えた者の傍に置く事。それをする事によって異能の影響を最小限に留めたかった。

 勿論、そこあるのは能力だけでなく、当人の精神状態も含まれている。少なくとも初めて見たそれは世界を完全に憎んでいるかの様にも感じていた。

 

 憎しみを持ったままに能力を使えば、どんな影響を及ぼすのかすら判断出来ない。一つの可能性を求めた結果に過ぎなかった。

 小太郎から出た言葉はまさにその事実だけを告げていた。故に、その事実は間違い無く覆す事は出来ない。それと同時に、一つだけ驚く事があった。

 その事実は特定の人間以外に知るはずが無い物。それが名も知らない第三者の口から出た事が脅威だった。

 これがブラフである可能性は否定出来ない。だが、その内容は余りにも正確だった。

 だからこそ驚愕する。自分から声をかけたまでは良かったが、その先にあったのが本当に人間なのかと思いたい程だった。

 

 

「それとも何か?言いがかりでも付けたいのか?」

 

 小太郎の言葉に女はそれ以上の言葉を発する事が出来なかった。

 事実を言われた以上は、こちらの事はかなり知っているはず。道理を考えればこちらが無理を言っている自覚はあった。

 だが、女もまた、自分の信条に基づいて行動している。その結果がどうなるかは不明だが、少なくとも自分の技量であればどうとでも出来るはずだった。

 気配を感じさせる事無く周囲の状況を把握する。まだこちらに気が付いた人間は誰も居ない。だとすれば、この瞬間で決着を付ければ何とかなるかもしれない。そんな淡い期待がそこにあった。

 

 

「待て。それ以上は割に合わん。たかが腕一本と命を天秤にかける必要は無い」

 

 突然の言葉に女は一瞬理解が出来なかった。少なくとも自分の確認した中では人の気配が何処にも無い。これがブラフなら強引にでも動く事は可能だった。

 だが、その言葉は紛れも無く事実。自分の広背筋に感じるそれは紛れも無く刃物の先端。その瞬間、得体の知れない感覚が襲い掛かっていた。

 間違い無く自分に刃を向けた人間に対しては何らかの対抗措置は可能かもしれない。だが、その先に待っているのは自身の死。それと同時に感じたのは、自分に刃を突き立てていたのは伐刀者では無い事だった。

 

 少なくとも自分の記憶の中で周囲の気配を見逃した経験は無い。まさかその気配を感じさせないのが非伐刀者であったのは完全に予想外の事だった。

 だがその瞬間、女の脳裏には一つの可能性が過る。自分が知る中でこの国特有の存在がある事。

 少ない情報の中で、可能性を一つ一つ浮かび上げる。そこは一つの明確な答え。仮面をつけた人間。自分が感知出来ない程隠形に長けた者。導き出されたのはたった一つの答。

 忍びの者。世間では忍者と称される集団の事だった。

 

 

「ですが……」

 

「この程度の人間とは言え、魔人である事に変わりない。精々が腕一本だ。それと貴様の命を天秤にかける程、耄碌した覚えはない」

 

「…御意」

 

 小太郎の言葉に女の背後に回っていた人物は直ぐに姿を消していた。

 完全に遮断したからなのか、遠ざかった事すら判断出来ない。

 仮に直ぐに背後に意識を飛ばせば、今度は目の前の人物がこちらに襲いかかるのは必然だった。

 それを理解するからこそ、意識を背後に避けない。これまでに幾度となく戦いの中に身を置いたが、ここまで鮮やかに背後を取られた事は今までに一度も無い。

 それ程までに卓越した技術だった。

 

 

「さて、もう一度言おう。その自慢の両翼をもがれ、宝珠の様な頸を晒す事によって我々の懐を温めてさせてくれるのか?ならば遠慮はせんぞ」

 

 冷たく言い放つと同時に、漆黒の仮面によって表情が一切伺えない。事実、この人間が忍者である事は間違い無い。だが、それは自分の師が偶然話をしたからに他ならなかった。

 自分の素性が漏れた所で気にする事は無い。これまでと同じ様に排除するだけだった。

 だが、この男に関しては間違い無く自分が生き残れる未来は見えなかった。

 死を纏い、その臭いを隠すつもりすら無い。

 自分と同じ存在。金髪の女、エーデルワイスが判断出来たのはその程度だった。

 

 

「態々殺害する必要など無いはずです。どうしてそんな事をするんですか?」

 

「我らにとって邪魔だから排除しただけだ。お前とて同じ事をしているだろう。一人の命と国の存在。天秤を傾けるに釣り合うとでも?」

 

「それは私には関係の無い話です」

 

「ならば我らとて同じだ。やはり面倒だなお前は」

 

 小太郎の言葉にエーデルワイスは珍しく狼狽えていた。

 今に至る過程の中で、自分はただ飛んできた火の粉を払ったに過ぎず、その結果として無国籍状態になった自分の住処があるだけだった。

 事実、これまでに幾度となく自分を狙う賞金稼ぎが来ている。それが同じだと言われればそれ以上は何も言えなかった。

 

 まるでつまらない様に話す男の言葉に、エーデルワイスは僅かに緊張と集中を見せる。その瞬間、自身の右上腕部が突然裂けていた。

 合間を置かずに鮮血が飛ぶ。その瞬間、以前に破軍を襲撃した際に同じ事をした人間を思い出していた。

 これまでに自分の殺気を当てて同じ様な事をした事は幾度となくある。だが、それは自分の魔人としての能力を活かした物であって特殊な技能ではない。

 仮に出来るとすれば、自分と同じ存在。だが、エーデルワイスはそれに該当する人物に心当たりがなかった。

 世界的に有名な人間はかなり知っている。だが、幾ら記憶を遡っても該当する人物に心当たりはなかった。

 相手がどんな存在なのか。何の情報も無いままに攻撃を仕掛ければ、少なくとも自分にも大きな被害を受けるのは間違い無かった。

 だからこそ、これまでに感じた事が無い経験が全身を襲う。

 冷たく流れた汗は気が付けば自分のブラウスに張り付くかの様になっていた。

 

 

「意外だな。流石は世界最強。この程度では攻撃するつもりすら無いか」

 

 表情は分からなくとも愉悦混じりの言葉に感情が滲み出る。勿論、小太郎がエーデルワイスに対してブラフなど使う必要性は感じていなかった。

 言葉遊びをしたのは、配下がここに来るまでの時間を潰す行為。このままここに居ても何の問題も無かった。

 逆に、時間の経過と共に困るのは間違い無くエーデルワイス。既に指名手配されている時点で長期の滞在は困難だった。

 それと同時に懸念が頭の中で持ち上がる。

 目の前の男が本当に全てを分かった前提で話をしているのか。そうで無ければ、何らかの取引材料が必要だった。

 

 

「そんなつもりはありません」

 

 捻り出た言葉はこれだけだった。

 幾ら裏の人間だとしても情報が該当しないのは異常だった。自分に自信があれば苦も無くやれる。それがエーデルワイスが知る同じ立場の人間だった。

 それに対してこの仮面の男はそんな感情すら浮かんでいない。今の距離であれば何らかの攻撃も出来る程だが、それでも本能は最大級に警戒していた。

 

 

「ならば押し通る。そこから去れ」

 

 自分の事など最初から眼中にすらないと言わんばかりの言葉ではあったが、エーデルワイスはその言葉に無意識の内に従っていた。

 心は自分の意見を押し通すと考えていても肉体は違う。下手に戦おうものならば血の海に沈み、先程の言葉の未来になる可能性が高いと感じている。

 既に何を語ろうが、黄泉路に旅立った人間が戻る事は無い。最後はそう言い聞かせていた。

 まるで最初から何も無かったかの様に小太郎は悠々と去る。エーデルワイスはそれをただ見るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 審判の下した判断と同時に姿を消した龍玄を見たからなのか、カナタは滞在しているホテルに向かっていた。

 これだけの観衆の目がある中での行動はある意味ではかなり厳しい物がある。

 ましてやそれが普段から姿を安易に晒さない人間であれば尚更だった。

 何も知らない人間であれば不可解だと思う事は無い。だが、これまでに短くない程の時間を過ごしたカナタからすればあり得ない行動だった。

 

 そこから考えられるのは何らかの事情があったから。それが何なのかが分からない。

 悠然と会場から去っているからなのか、会場内の空気は異様な雰囲気に包まれていた。

 何故なら審判が下したのは明らかに誤審であるから。本来であれば周囲の状況を正しく確認すべき所を何の警戒も無く口走った為に、誰もがそこに意識を集注している。

 本能的に何かを判断したからなのか、カナタは隣にいた刀華に僅かに断ると同時に、移動していた。

 

 

「済みません。ここに滞在している風間龍玄ですが、チェックインはしていますか?」

 

「失礼ですが、どの様なお話でしょうか?」

 

「関係者です。私は破軍学園の生徒会役員をしている貴徳原カナタです。確認したい事があったのでここに来ました」

 

 幾らここに滞在しているのが七星剣武祭の選手だけだとしても、ホテル側もまた徹底している。仮に関係者であればその前に何らかの接触が出来るからだった。

 事前にそんな事を言われる事を理解している為に、カナタは生徒手帳を見せる。そこに行くのではなく、あくまでも来たのかを確認する為だった。

 選手と所属する人間では対応が異なる。勿論、カナタもまたそれを理解していた。

 昨晩と同じ人間がフロントに居れば違ったのかもしれない。だが、今は交代した事によって人員は誰一人事情を知らなかった。

 だからこそ、自分の身分を明かして端的に聞く。会うのではなく、確認だと言われればフロントの人間もまたそれだけならと告げていた。

 

 

「まだチェックインはされておりません」

 

「そうですか。有難うございます」

 

 本来であれば次の目的地に行くのが筋かもしれない。だが、ここから先に行くであろう場所をカナタは知らない。

 お礼を言い、その場からゆっくりと去ったのは淑女としての行動ではなく、純粋に目的の場所が分からないから。

 姿を消した事そのものはそれ程気にしないが、何となく嫌な予感が胸中を走っていた。

 時間だけが過ぎ去っていく。気が付けば既に太陽は水平線の彼方へと沈みだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が降りる頃、府内の某所では再度極秘裏の会談が進められていた。

 元々話があったのは大国同盟の側からである為に、本来であれば国が関与する事は無い。

 事実、大国同盟の使者でもあるモーリスもまた、隠す事無く自分達が望む展望を口にしていた。

 だが、国と一組織が正式に会談する事は出来ない。世間的にはどんなイメージがあろうとも内情を知る人間からすれば大国同盟の内部は色々と問題を抱えていたからだった。

 大国同盟が国を支配下に置こうと考える者。また従来の様に本当の意味で国を守護する為に動く者。世界に向けて実力を喧伝しようとする者。そんな思惑が孕んでいた。

 

 一方、国際魔導騎士連盟にも同じ事が言える。だが、内情は大国同盟程荒んでいる訳では無かった。

 一番の要因が大戦の戦勝国でもある日本が何の口も挟まない点。それと同時に何かが起こった際には主戦力として人員を投入する点だった。

 統治する側からすればこれ程楽な組織運営は無い。当時はそんな事を考えず、ただ感謝の念をもって運営されていた。

 だが、時間が経過すると共にその感謝の念は徐々に薄れる。それに気が付かないままに時間だけが経過していた。

 

 当然ながら、それを当たり前だと言われて面白いはずが無い。人員と費用が加速度的に出ていくとなれば国力が低下する。小さな国々では無理な事も日本であれば可能である。そんな認識が徐々に生まれつつあった。

 そうなれば大きな組織を有するのはどちらになるのか。その事前の切り崩し工作の為にモーリスは側近と共に事実上の当事者でもある北条時宗の所に訪れていた。

 事前情報が正しければ、日本は国際魔導騎士連盟に何らかの思惑を抱いている。ならば主戦力を出さない様に交渉するのが最短距離だと考えていた。

 

 

「その点に関しては現内閣や党としても考える余地があるでしょう。ですが、今この場で何らかの手段を発するにはまだ早すぎるのでは?」

 

「勿論、我々とてその点に関しては承知しています。ただ、何かが起こった際に、少しだけ政府から日本支部に対しての提言をして頂きたいのです」

 

「要は時間稼ぎをしろ。と言いたいのですか?」

 

「現時点ではそう捉えて頂いて構いません」

 

「ですが、我々にはそれ程大きなメリットになるとは思えませんが?」

 

 密室とも取れる場所に居るのは大国同盟のモーリスとその側近。政府側からは時宗と秘書がその場に居た。

 本来であれば時宗ではなく黒鉄巌に言うべき話。だが、相手の方に飛び込むには余りにもリスキーだった。

 

 仮に真実だとしても、虚偽かどうかを判断する為には黒鉄巌一人では判断が出来ない。

 実際に本部ではなく、支部である事が全てだからだ。

 当然、窓口としての役割は弱く、また大国同盟の思惑が完全に見えてしまう。そうしない為には時宗の方が何かと都合が良かった。

 仮に漏れたとしても魔導騎士連盟が信じるかどうかは別問題となる。

 一支部では判断出来ない為に当然ながら本部で精査する必要があった。

 仮に侵攻した場合、完全に後手に回る。そうなればどちらが有利に持ち込めるのかは言うまでも無かった。

 仮に本部から指示が出たとしても魔導騎士を派遣する為には政府の力も必要となる。

 事実、日本が魔導騎士連盟に参加する際には、その部分を完全に分離していた。

 

 連盟の暴走によって国力の低下が起きたとしても、連盟は何もしない。それが当時の内容だった。

 そうなれば何らかの安全装置が必要となる。その結果として、派遣する際には政府の承認が必要となっていた。

 幾ら魔導騎士が人外の動きを可能としても距離があればそれだけで疲弊する。国内であれば未だしも、その大半は海外。政府が提言すればその分だけ時間を稼げる寸法だった。

 

 

「当然です。だからこそ、我々は日本国に対して何もしない。そう考えています。今の魔導騎士連盟がどんな状態なのかは私が言う必要は無いでしょうから」

 

「よくご存じで。我々としてはこの話を一旦持ち帰って精査したい。だが、この様な極秘会談で得た内容は基本的には何の効果も無い。正式に何らかの形で時間を取ると言うのはどうでしょうか」

 

 モーリスと時宗の会談を横で見ていた側近は自分の思惑とは完全にかけ離れている事を実感していた。

 日本のやり方では何かが起こってからでは完全に遅い。本来であればこの場に於いてある程度の仮調印をすべき事。少なくともそう考えていた。

 本来であれば自分が要件を告げ、それを強引に迫れば何の問題も無い。

 少なくとも自分が思い描いていたのはそんな未来だった。

 だが、このまま話が進めばそれ所では無くなる。その瞬間、側近の心臓の鼓動が大きく跳ねていた。

 

 

 

 

 

 

「我々の言う事が聞けないのか矮小な者が!」

 

 突如として獣の咆哮の様な声と同時に、側近の手には一丁の銃が握られていた。

 元々大国同盟の上層部の殆どが伐刀者でる為に、武器の携帯に関する部分はチェックしていない。

 これはお互いが対等である事を示すと同時に、固有霊装を使用した時点でそれは対等では無く脅迫となる。いくら非公式の場であってもそれは同じだった。

 まるで正気を失ったからの様に銃口を向ける。その先には時宗ではなく、モーリスの姿があった。

 固有霊装の銃は火薬を使用しない。ある程度は音はするが、実際のそれよりも格段に小さい物。だからこそ、咆哮の様な声にその音はかき消されていた。

 数発の弾丸が何の抵抗も無くモーリスの腹部に着弾する。

 次はお前の番だと言わんばかりに銃口から出た弾丸は時宗の胸部へと飛んでいた。

 

 

「朱美!」

 

 時宗が叫んだ瞬間、突如として現れた鉄扇が銃弾を防ぐ。

 本来であれば至近距離から放たれた銃弾はそのまま鉄扇を弾く程だった。だが、開かれた鉄扇を飛ばす事はおろか、そのエネルギーは完全に失っている。固有霊装で作られた銃弾はそのまま重力のままに落下しながら消滅していた。

 

 

「困った坊やね」

 

 朱美は一言だけ告げつると同時に鉄扇を縦に振り下ろす。何が起こったのかすら分からない程に側近の手首から先がポトリと落ちていた。

 

 

「き、貴様。何をしたのか分かっているのか?」

 

「勿論よ。貴方がモーリス殿を凶弾にかけた。それだけよ」

 

「何だと!」

 

 目が血走ったのか、側近の眼球は全体的に赤く染まっていた。完全に眼球の血管が膨張し、既に見えているのかすら危うい。それと同時に本人の霊装が銃である為に、警戒をせざるを得なかった。

 これが刀剣類であれば距離を取れば良いが、銃であればそうはいかない。

 その為に護衛で来ていた朱美の警戒が解ける事は無かった。

 

 

「取敢えず、今後の事もあるから拘束だけはしてくれるかな」

 

「分かりました」

 

 時宗の言葉に朱美もまた了承だけすると同時に行動する。

 風魔の朱雀として動くのであれば指示を受けるまでも無い。だが、今は時宗の護衛。

 態々自分の意見を押し通す必要性は何処にも無かった。

 

 

 

 

 

「貴様……こちらがどれ程譲歩しているのか理解してるのか!」

 

「少しは大人しくしてもらえるかしら」

 

 まるで先程までの事は一切無かった言わんばかりの言葉に、視線は側近へと集中していた。

 既に充血した目だけでなく意識も若干混濁している。対処したのが警察や軍であれば間違い無く何らかの措置を施す程。だが、朱美の目にはそうは映っていなかった。

 何らかが介入した証が残っている。少なくとも対象者の立場を考えれば、相手はかなりの術者。証拠こそ無いが、出来る人間は限られていた。

 だからこそ、術者が誰なのかは考えるまでも無い。これまで幾度となく戦場で働き、限りなく人体を破壊したが故に分かる事実。当然、その術者が誰なのかは感がるまでも無かった。

 だが、朱美はそれを口にする事は無かった。

 既に起こった事案をどうこうする事は出来ない。本来であればそれで終わる筈だった。

 

 

「既に計画は発動している。大人しく我々の軍門に下れば良かったな。ならば命ま…」

 

「それ以上は不要よ」

 

 鉄扇から繰り出された不可視の刃はそのまま側近の頸を刎ねていた。

 これから起こる開始の合図の様に頸の無い胴体からは鮮血が吹き上がる。計画が何なのかは分からないが、これまでの言動から起こる事実が何なのかは考えるまでも無かった。

 人払いした事によって静かになった空間。朱美だけでなく時宗もまた先程までの穏やかな雰囲気は完全に抜けていた。

 

 

 



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第68話 侵攻する悪意

 北条時宗の襲撃が知れた総理官邸は、事務方一同驚愕に包まれていた。

 今回の会談に関しては、全てが時宗の独断ではない。元々国際魔導騎士連盟からの脱退すら視野に入っていた政府与党側からすれば、今回の内容である程度大国同盟の動向が見えるはずだった。

 実際に大国同盟の不穏な状況は様々なルートから確認している。当然、その挙動によって自分達の国の行く末もまた決まるはずだった。

 

 だが、交渉時における最悪の展開。相手からの襲撃は最悪の結果をもたらしたのと同じだった。

 交渉時の状況を完全に知る秘書は元々時宗の個人秘書。当然ながら時宗自身が情報開示を好まなかった為に、詳細を知るのは一部だけに留まっていた。

 本来であればあり得ない事実。だが、官僚だからと言って、完全に秘匿するのは困難だった。実際に国家を運営しているのは政治家ではなく、官僚。そんな思想を持った人間であれば、口の軽い人間が居てもおかしくはない。

 現時点で仮に噂レベルだとしても対処に困る可能性があった。誰もが自分の失態で国家の緊張を高めたいとは考えていない。

 漏洩防止の為の苦肉の策として護衛兼個人秘書を使っていた。

 

 不幸中の幸い。まさに時宗の襲撃の一報が飛び込んだ瞬間、誰もがそう考えていた。負傷も大国同盟の人間であればもみ消す事も不可能ではない。

 ここで下手に喧伝するとなれば色々な問題が噴出する。そうならない為にも、最後に側近が口走った言葉の意味を完全に理解するしかなかった。

 

 

《本当に無事なのかね?》

 

「ええ。お蔭様で問題は特にありません。ですが、最後の言葉には少し慎重にならざるを得ないでしょう」

 

《だが、明確な時間は不明なんだね》

 

「まあ、可能性とすれば既に引鉄を引いた以上はどのタイミングで動くのかでしょう。それよりも、警察庁と軍はどうなってますか?」

 

《現在は緊急対策を立てている。警察庁からは想定される地域の県警に指示が飛んでいるはずだ。既に軍部にも連絡はしてある。至急行動する事になるだろう》

 

「そうですか。念の為に魔導騎士連盟にも通達をしておいてください。恐らくは動かない可能性が高いでしょうが」

 

《……そうだろうな。分かった。此方も動かない事を前提にしよう》

 

 時宗の言葉に総理もまた少しだけ思考を巡らせていた。

 実際に動かないのではなく、動けない。恐らくはそれが正しい表現になるのは間違い無かった。

 大国同盟と魔導騎士連盟が対立した事は過去に一度もない。事実上の冷戦に近い物こそあるが、それは偏に伐刀者同士の対立関係でしかないから。

 世界の人口から考えれば、伐刀者は一握りの存在でしかない。建前上は国よりも立場が低い為に表立って動く様な事は無かった。

 あるとしても精々が小競り合い。それも国家の代理として動く程度だった。

 

 これまでの事を考えれば、少なくとも国際魔導騎士連盟本部は伐刀者を直ぐに動かそうとは考えない。

 戦力的には七星剣武祭を開催している為に周辺を固めているのは紛れも無く魔導騎士。仮に何かが起こったとしても問題は無い。すぐさま鎮圧する事も可能だった。

 だが、物事は単純では無かった。

 

 放映権と言う莫大な費用が動くと同時に、所属する各国の思惑もまた存在する。ましてや今年に関しては、ステラ・ヴァーミリオンの存在が拍車をかけていた。

 見目麗しい皇族の姫。世界を見ても早々居ないA級は世間が注目するに値していた。その恩恵を受けての莫大な放映権収入。それが如実に出ていた。

 

 そうなれば国際魔導騎士連盟と言えど、強引に物事を進める訳には行かなかった。下手に騒動が起これば最悪は大会そのものが延期は中止となる可能性が高い。

 幾ら周辺を固める魔導騎士が居たとしても、膨大な利益の前には些事でしかない。

 そうなれば幾ら相手が大国同盟の上層部の人間であっても、正確な状況が分かるまでは動かずに静観する。そうやってお茶を濁すかの様に処理をするよりなかった。

 

 時宗の報告によってモーリスの命に別条は無い。だが、穿った見方をすれば紛れも無く宣戦布告とも取れる内容だった。

 口調こそ冷静だが、総理の内心はたまったものではない。時宗が是非にと推挙した上で総理となっている為に、実際の指揮権は時宗が持っていた。

 平時であれば誰もが羨む政治家の頂点。だが、混乱を招いた時点でそれが俊英か凡愚かは歴史の中で評価される。少なくとも現時点ではそう考えていた。

 下手に大戦が起きれば間違い無く歴史上の汚点となり、また、戦犯になる可能性が高い。華々しい経歴も戦争の前には無意味でしかない。

 だからなのか、時宗の言葉に今は安堵するしかなかった。

 

 

《だが、何故今頃になって大国同盟が我が国に接触を?》

 

「詳細までは分かりませんね。ですが、今の状況を考えれば何となく透けて見えますが」

 

《成程。あくまでも噂だとばかり思っていたが、実際には本当だった訳か》

 

「まあ、今の状況を考えれば多少の驕りは仕方ないでしょう。既に大戦からかなりの時間が経過してますから」

 

《違いない。当時の事を正確に伝えた所で信用はしないだろう。でなければ、今頃動く道理が無い》

 

 時宗の端的な言葉に総理もまた溜息が漏れそうになっていた。

 元々大国同盟の内部が不穏になりつつあるのは政府以下、霞が関の上層部では決定事項だった。

 実際に大戦の戦勝国とは違う意味で大きな勢力を持つ国々は、ある意味では悩ましい現実があった。

 幾ら現時点では最大級の戦力を有しているとは言え、実際には大戦以降大きな軍事衝突は無い。

 一時それらしい事はあったが、それもまた、とある個人の介入によってそこからの発展はしていない。寧ろ、国が個人に屈するという事実の方が重かった。

 事実、国際指名手配をかけた所で捕縛出来るなどと考える者は少ない。その証拠に指名手配をしてから、その後の経過を耳にする事が無かった。

 今でも高額な報奨金が用意されているが、結果的に誰一人としてその話をする事は無かった。

 そうなれば、経済で優位性を見せた所で大戦時の事を持ち出されれば黙るしかない。大国同盟の名が示す様に殆どが経済的に大国と呼ばれる国ばかりが加盟していた。

 

 

「既に対策本部の設置も完了しています。後は一刻も早い確認が必要になるでしょう。今となってはですが、月影元総理のあれが現実になる可能性も否定出来ませんので」

 

《一つだけ聞きたい。君は何時までが目安だと考えている?》

 

 明確に何かが起こるとは言えない。それが現時点での状況だった。

 これが一般人のテロ行為であれば、余程の兵器を用意しない限り脅威とはなりえない。

 だが、伐刀者は違う。たった一人でも都市部を制圧する事は理論上は可能だった。

 検問にかけた所で武器は自分が創り出す。余程指名手配がかからない限り、追及する事は難しかった。

 そうなれば、包囲網を作る意味が無くなる。それ以外にも物々しい雰囲気を感じ取られたとすれば、ある意味では平穏から遠ざかるのと同じ事になる。それが経済にまで打撃を与えるのは当然だった。

 出来る事なら極秘裏に排除したいとさえ考える。少なくとも目の前にいる北条時宗はそれが可能な人物だった。

 

 

「少なくとも二十四時間以内かと。ああまで口にした以上は、相応の準備をしている。少なくとも歩兵基準で一個大隊以上でしょう」

 

《一個大隊……厳しいな》

 

 総理の言葉の意味を正しく理解するれば、伐刀者の一個大隊は悪夢でしかない。

 これが戦時中の中であればまだ対処のしようもあるが、平時の今に限っては厳しいとしか言えなかった。

 実際に一個大隊を送り込むのであれば、最悪は上陸した箇所が完全に制圧されるのは目に浮かぶ。それと同時に被害がどれ程拡大するのかが全く分からなかった。

 

 只でさえ緊張下の経済状況は悪くなる事はあっても、良くなる事は無い。当然ながらそれが短期間で済めば良いが、長期に亘れば国内の情勢は一気に悪化するのは明白だった。

 事実、風祭ショックの際には早い対処をしたものの、結果的に回復したと実感できたのはつい最近になってから。未だ完全に立ち直っていないこの状況でのそれは最悪の一歩でしかなかった。

 時宗が言う様に、魔導騎士連盟に要請した処で相応の時間がかかる。

 本来であれば自国の事は自国で処理したいが、それはあくまでも通常の兵士の話。

 伐刀者ともなれば、完全にどちらの戦力が上なのかは考えるまでも無い。臨時の会議での軍部の試算は予想以上に悪い。国家を運営する側からすれば、今回のこれは完全な悪夢でしかなかった。

 

 

「こちらとしても手は打ちます。ですが、期待はしない方が良いでしょう」

 

 通信越しではあるが、総理の狼狽する姿が見えるかの様に声は沈んでいた。実際に側近の背後になる国がどこなのかを考えれば全てが伐刀者ではない可能性もある。だからと言って楽観視する事も出来なかった。

 

 

《とにかく、連絡を密にして動くよりあるまい》

 

「そうでしょうね。こちらもモーリス殿の容体を確認しますので」

 

 その言葉と同時に通信が切れる。周囲には何も無かったからなのか、時計の針が動く音だけがやけに大きく聞こえる。

 既に賽は投げられている。後はその結果を受け止めるよりなかった。

 

 

 

 

 

「朱美君。小太郎に繋いでくれ」

 

「了解しました」

 

 部屋にその姿は無いものの、返事だけが時宗に返る。

 詳細が分からないままに作戦を執るのがどれ程過酷なのかは時宗として理解している。

 幾ら黒鉄巌が窓口となっていたとしても動くには時間がかかり、仮に動きがあったとしてもその頃にはどれ程の被害が出るのかが分からない。

  小太郎に連絡を繋いだまでは良かったが、最悪は何人かの犠牲が出るだろう。時宗は疲れ来た表情を隠すと同時にそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまん。俺としてもこんな場面では正直やりたくはなかった」

 

「構わん。我らは所詮、闇に生きる輩だ。光を浴びる側は気にする必要は無い」

 

「だが……」

 

「くどいぞ」

 

 小太郎の言葉に何時もとは明に異なる雰囲気を持った時宗はそれ以上の事は何も言えなかった。

 実際にどれ程の戦力を持っているのかも分からない状況下での戦場は命が散る可能性が極めて高い。戦時中であっても数が減らなかったのは偏に事前の調査による戦術の結果の賜物。

 今回のこれは目隠しをしたままに戦場に死にに行けと言う様な物だった。

 

 事実、モーリスを撃った側近は既にこの世から去っている。あの時点で朱美が盗った行動は当然の処置。

 特に銃の固有霊装は万が一を生み出す。クライアントを優先する際に護衛の命を蔑ろにする訳には行かなかった。

 仮にその場で命を散らしたとしても、次の行動で護衛対象者に何かあれば犬死でしかない。だとすれば即刻排除するのは当然だった。

 

 風魔の四神の一人が判断した事を時宗が覆す事は無い。風魔が護衛するのはSPよりも遥かに安心できるだけでなく、その後の行動にまで影響を及ぼすから。それを誰よりも理解しているからこそ時宗は何も言わなかった。

 だが、死地に送るのとそれは違う。戦闘を知らない素人でさえも簡単に予測出来る未来に適切な言葉は何も無かった。

 

 

「……分かった。今回の件に関しての報酬は気にするな。俺に出来る事なんてその程度だ」

 

「そうか。だが青天井と言う訳にも行かんだろう。今回の依頼に関しては相応の出費は必要だろうな。少なくとも桁はかなり変わるぞ」

 

「当然だ。事実上の死地に送り込む様な内容だ。他が反対しても飲ませるさ」

 

 小太郎の言葉を当たり前の様に時宗は飲みこんでいた。実際に正規の軍をぶつければ小太郎が提示する以上の費用がかさむ。

 これがまだ戦国時代の話であればこんな話は出なかったはず。だが、今は何をするにもコストがかかるのは当然だった。

 それだけではない。最初の段階で死ねと言われて納得できる人間が誰一人居ない事だった。

 ましてや相手は大国同盟。その被害は考えるまでも無く甚大である事は決定している。誰もが好き好んで命を天秤にかける人間は居ない。そう考えると必然的に答えは出ていた。

 

 

「そうだな。だが、我らにも限界はある。現時点ではここと関東にだけだ。後は知らん。それでも良いのか?」

 

「上出来だ。少なくともあのやりとりを考えれば、関東よりもここの方が確立は高い。ましてや七星剣武祭は金の卵を永遠に産む。だったら考えるも無いだろ?」

 

「正確に理解するか。だとすれば当然の結果だな」

 

 経済を握れば後はどうとでも出来る。それが偶然にも今である。ただ、それだけの話だった。

 事実、時宗の言葉を小太郎もまた理解しているのがその証拠。

 本当の狙いが何なのかは分からなくとも、相応に何かを取得するのであれば実に分かりやすい物だった。

 

 

「なあ、小太郎。参考までに聞くが、攻めるとなればどれ位の規模だと考えてる?」

 

「規模か。春のあれを考えれば少なくとも伐刀者規模で最低でも百から。一般兵士で二百程度だな」

 

「根拠は?」

 

「あの情報が完全に漏れている前提で考えればある意味当然の数だ。あれはランクこそ、そこそこ高いが戦闘面においては素人と変わらん。

 戦場の真っただ中に学生を出した時点で上はそう考えた。と考えるならば、その内の半分は我らと同じ様な部隊を用意している可能性の方が高いだろう」

 

「暗部か……」

 

 小太郎の言葉に時宗もまた考えるしかなかった。

 実際に大隊と言ったのは大よそそれ位までならギリギリ情報を隠しきれると考えたから。

 伐刀者の能力の中で隠形系の何かがあれば、それ以上にもなりえる。だが、場所が分からない。これが通常であれば何らかの対策を立てる事が可能だったが、生憎と七星剣武祭の影響によって外国人の数が正確に把握しきれていなかった。

 只でさえ浮かれやすい状況下の中で一つ一つを精査するのは入国管理局にとっても多大な労力を払う事になる。

 今回の件に関しても完全にその状況を知った上で来ているのであれば、計画はなかり綿密に練られていた証拠だった。

 小太郎が居なければ確実に舌打ちしたい状況。だが、目の前に居る小太郎は泰然自若のままだった。だからなのか、時宗もまた少しだけ冷静になっていた。

 

 

「少なくともここが本命なら朱雀と青龍も居る。負けはせんよ」

 

「そうか。頼んだ」

 

 その瞬間、小太郎の姿が周囲に溶けるかの様に消えていく。極秘裏に動く策動は国民が七星剣武祭に酔いしれる中で決行されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、これで全員だな」

 

 時宗との会談を終え、小太郎もまた集合地点へと移動していた。

 小太郎の命によって動けた人員は驚く程に少ない。実際に風魔の実働部隊の数を考えれば妥当な人数。ここに居たのは青龍、朱雀を除いて中忍が二人、下忍が五人の計十名だった。

 

 

「では、これから依頼の遂行をする。相手は伐刀者。人数に関しては不明。なお、今回の内容は通常の様に情報が完全に網羅されていない。その為、全員に撃破褒賞が出る」

 

「撃破褒賞……」

 

 小太郎の言葉に少しだけざわめきが起こる。

 元々風魔の内部に於いて、与えらている依頼は上忍が基本的に振り分ける。元々誰もが最初は下忍から始まり、依頼の達成の状況によって少しづつ上になれる事が可能だった。

 この状況は青龍や朱雀であっても同じ事。下から這い上がって今の地位にいる為に、内部は完全実力制だった。

 そうなれば報酬の高い依頼から順に無くなっていく。高額になればなる程、達成率が困難になるだけでなく、危険度も高い。高額報酬にはそんな側面があった。

 その為に同じ風魔であっても資産の差は大きかった。そんな中での撃破褒賞は階級の差が無く、同じ様に分配される。ある意味では高額報酬を取れると同時に、階級が上になれる可能性も含まれていた。

 

 

「襲撃の時間に関してだが、相手の出方を考えれば昼間の可能性は無いだろう。あるとすればこれから。最悪は明日の夜になる。各自警戒を怠るな」

 

 小太郎の言葉に誰もが静まり返る。厳密に言えば襲撃の時間帯は深夜から早朝間際になる。それが周囲を巡回する人間の集中力が一番緩くなるからだった。

 

 

「それと、装備に関しては各自で用意した物を使え。何時もと同じく痕跡は残さない様に後詰めもある」

 

「御意」

 

 その瞬間、青龍と朱雀を残して全員の姿が消えていく。既に可能性があるとすれば湾岸にあるこの倉庫街の可能性が高いからだった。

 少なくとも公共の交通機関を使えば足が直ぐにつく。伐刀者であれば多少でも海を渡る手段を持っている事を前提に考えれば、この倉庫街はある意味では理想的だった。

 中忍以下が配置の為に消えた事を確認する。それが分かったからこそ、小太郎は残った二人に改めて声をかけていた。

 

 

「青龍、朱雀。今回の件に関しては殲滅だ。それと一つだけ懸念事項もある。既にこの周辺地域に段蔵が居る。如何出るかは不明だが考慮しておけ」

 

「小太郎。どうして段蔵が?」

 

「偶然会った。それと今回の件では恐らくは大丈夫だとは思うが、他国の『魔人』も来ている。下手に嗅ぎ付けられると面倒になる可能性が高い。したがって、伐刀者に関しては可及的速やかに殲滅してくれ」

 

 そこに親子や親愛の情は微塵も無かった。既に仮面をつけた段階で龍玄は青龍として、朱美は朱雀として居る。

 小太郎もまた仮面を付けている為に何時も とは完全に違っていた。

 

 

「攻めるなら拙速だろう。斥候が来るならば、後に続くのは暗部だ。気を抜くな」

 

「俺が油断すると?」

 

「念の為だ。我らが出張って未達では格好がつかん。後々の事を考えれば当然だ。後は段蔵が居たとしても無理はするな。お前は直ぐに突っかかる」

 

「もう餓鬼ではない。心配のし過ぎた。俺も配置に着く」

 

 姿が消える青龍を見ながら小太郎は少しだけ口元を歪めていた。

 仮面をつけている為に感情が見える事は無い。実際に大国同盟の伐刀者そのものには感心は無いが、段蔵に関しては別だった。

 青龍もまた、その実力を認めている。仮に依頼中に交戦すれば未達になる可能性を秘めていた。だからこそ、ここで釘を刺す。短くも長い夜が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、我らも動く。幾ら平和ボケしているとは言え、万が一の事があってからでは遅い。斥候を出し部隊のそのまま上陸。制圧後は直ぐに後方部隊を上陸させろ」

 

「了解」

 

 狭い空間には人がこれでもかと詰め込まれていた。

 全員が銃器を手に、顔にはバラクラバによって表情が分からなくなっている。元々予定された強襲だった為に、周囲には動揺は見られなかった。

 部隊長とも取れる人間の言葉に誰もが何も口にしない。後は決められた作戦と淡々とこなすだけだった。

 号令に従い全員がキビキビと動き出す。その場に残されたのは一つの小隊だけだった。

 

 

「今回の作戦に関しては特に問題はない。だが、周辺には大物の姿もある。我々としても無駄な戦闘を避け、制圧を優先してくれ」

 

「大物?比翼の事か?」

 

「あれだけではない。裏と表。厄介なのが会場に確認されている。我々も魔導騎士程度なら負けはせんが、魔人となれば話は別だ。今回の戦いで介入しないとは思えん。それを頭に叩き込んでおけ」

 

「部隊長殿は心配性ですな」

 

「全くだ」

 

 軽口を叩くも、その目に油断は浮かんでいなかった。

 実際に極秘裏に動くのは世間が気が付く前に制圧する為であり、場合によっては軍や騎士連名所属の伐刀者が動く可能性もある。ある意味ではここが苛烈な戦場になる可能性を秘めていた。

 事実、大国同盟の中に於いても実働部隊が直接動く事は少ない。これまでは暗部による暗躍によって地ならしを終えた上を歩くからだった。

 当然ながら部隊としての働きは一番重要ではあるが、その扱いに関しては低いままだった。

 地ならしをする為には情報も何も無いままに攻め入る事になる。その結果、反撃を受ける可能性も高かった。

 一番命を散らす可能性が高い部署が何も知らない部署から蔑まれる事もある。暗部もまた歴史の闇に生きる者達だった。

 

 

 

 

 

「隊長。予想通り、騎士連盟は動く気配は無さそうです」

 

「だろうな。日本支部の支部長は腰抜けだ。あんな小物が軽々しく指示など出すはずが無い。この戦い、我らの実力を久しぶりに示すには好都合だな」

 

「そうだな。そろそろ訓練ばかりも飽きてきた。我々もそろそろ動くか」

 

 強襲に於ける援軍の有無はある意味重要な情報だった。

 仮に厳しい戦いになった場合、その場で命を散らす事になり兼ねない。それは偏に自分達の所属を残すのと同じだった。

 下手に証拠が残れば今度は面倒な事案が幾つも浮かぶ。そうならない為には確実な情報は必須だった。

 

 元々魔導騎士の組織は腰が重く、反応が鈍い。ましてや夜間強襲であれば尚更だった。

 本来であれば緊急時には支部長の責任が拡大される。だが、黒鉄巌と言う人物は即断する様な人間ではなかった。

 自分の地位を脅かす事無く反乱を鎮める。言葉にすればそれだけだが、現場からすればたまったものではない。

 秒単位での時間を惜しむ状況で数時間の時間を無駄に浪費する。それの結果がどうあれ、自分に火の粉がかからない様にする政治力を黒鉄巌は持っていた。

 一人の人物が移動する事を決めた事を皮切りに全員がこの場を後にする。既に投げられた賽の目が示すのは任務の成功。誰もがそれに疑う余地は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇がまだ周囲を支配している時間。それ故に誰もがその姿を視認する事は叶わなかった。

 良く見れば多少は何かが分かるのかもしれない。それ程までにおぼろげな姿だった。

 そもそも海上を渡るのは何らかの器具が必要になるはず。だが、海の上を疾るそれが人間であるとは誰も思わなかった。

 動いた瞬間に生まれる波紋は、波によってかき消されて行く。昼間であれば間違い無くわかるそれも、夜間であるからこそ判断する事は不可能だった。

 一つ二つとその数は増えていく。斥候ではなく、襲撃の為なのか、目的の場所に出るまでの総数は既に百を超えていた。

 

 

「この数は多すぎるのでは?」

 

「いや。この人数で最低限、上陸の為の拠点を制圧する必要がある。戦力ではなく純粋な数の問題だ」

 

「そうでしたか。では、今後の計画は?」

 

「まずは監視等を防ぐ為に拠点の襲撃。その後は周囲に悟られない様にこの港湾エリアを完全に制圧しながら封鎖だ。

 事前の情報では現時点で接岸の予定は無い。全てを制圧した事を確認してから、拠点の船を接岸させる。我々はその為の地ならしだ」

 

 口ではそう言いながらも男の視界に映るのは凄惨な未来。

 港湾エリアは基本的に商業だけでなく、密入国をさせな為の防衛施設も設置されている。

 全部を制圧するとなれば、当然ながらそこに詰める人間を始末する必要がある。

 そこにあるのは血がゆっくりと浮かぶ光景。只でさえ大国同盟の中は色々な意味で混沌としていた。

 その結果、部署事に特色が現れ、時には衝突もする。表には見えない内情はかなり歪んでいた。そんな中でも唯一と言って良いのが暗部だった。

 

 大国同盟の中でも戦闘力が高く、矜持ではなく純粋な戦闘だけに特化した人間が所属している。事実、この中には一時期指名手配された人間も居た。

 大きな組織によって些細な内容は情報を完全に書き換える。その結果、暗部には常に死の臭いが充満していた。

 今回のミッションに関しても同じ事。餓えた狼の前に特大の肉を置いた様な物だった。

 殲滅が前提のミッションに躊躇はない。寧ろ、解き放たれた事実に対しての喜色だけが浮かんでいた。

 会話が辛うじて理知的だったのは、ただ暴れるだけの内容ではないから。それすらも無ければ最悪は港湾エリアだけでなく周辺の湾岸エリア全体にまで戦火が広がるからだった。

 流石にそこまで行けば完全に治安維持部隊が出動する。自分達のリスクが全く無いのはこの港湾を落とすまでだった。

 静かに拡がる危機を察知した気配は何処にも無い。既に全員の視界に映るのは上陸するであろう係留施設の一つの岸壁だった。

 

 

 



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第69話 遭遇戦

 海上を照らす為の照明が無いからなのか、百を超える集団を目視出来る術は無いはずだった。

 事実、港湾エリアには敷地内を確認目的の監視カメラはあるが、海上に対しては何の措置も取っていない。精々が接岸できる僅かな部分だけ。そうなればカメラが向く場所さえ分かれば接近は容易かった。

 事前に下調べしただけでなく、用意した図面でも確認をしている。そうなれば、今回の制圧は実に簡単なミッションになるはずだった。

 目測であと百を切る距離。事前にミーティングで各々が確認している為に、そこから先の行動に澱みは無かった。確実に縮まる距離。まさにその瞬間だった。

 

 

「うっ」

 

「何…だ…」

 

 短く聞こえたのは、今まさに向かっているはずの仲間。気が付けば速度が落ちただけでなく、そのまま海上に沈んでいく。

 海に沈んだ体躯は、その場には時間を置いてから真紅の華を浮かべていた。

 

 

「総員強襲だ!無理なら散開!」

 

 紅い華が浮かんだ瞬間、それが何なのかを確認する前に声が出ていた。

 本来であればここで声を出すのは得策ではない。相手からも自分達の位置が判明するからだった。だが、突然の強襲である以上は既にこちらの行動は完全に見えている。だからなのか、そこから先の判断を誤れば海中に浮かぶ紅い華は自分の体内から出る事になるからだった。

 

 怒声に近い指示に誰もが完全にその場から散開する。既にこちらの位置が割れている以上、隠す必要は何処にも無かった。ここから先は完全に実力行使するのみ。

 仮に魔導騎士連盟が動いたとしても、自分達が負ける要素は何処にも無かった。

 それだけではない。襲撃するとなれば部隊を配置する必要が出てくる。実際にここに来るまでに幾つもの情報ルートを確認したが、部隊派兵の痕跡は見られない。

 だからこそ、準備が終えてるとなればその先は考えるまでもないはずだった。

 仲間を殺られたよりも先に、この襲撃を完璧な物にするには直ちに排除する必要があった。

 感情が籠らないはずの眼に驚倒の色が浮かぶ。既にこの作戦が楽に終わるなどと言った思惑は完全に消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、そろそろ仕事の時間だ。総員配置に就いたか?」

 

 本来であれば小太郎の言葉は周囲に聞こえるはずが無かった。

 静寂に包まれたこの場に於いて小太郎の言葉が響くとなれば、自分達の伏せている場所が知られるのと同じ事。だが、小太郎の言葉が実際に聞こえる事は無かった。

 言葉に限らず、音は大気の振動によって周囲に届く。だが、小太郎の発した言葉は周囲に響く事は無かった。

 まるで指向性のスピーカーの様に特定の場所に向っている為に、周囲の人間が聞こえる様な事は無い。静寂に包まれた空間は無音の為に返って耳鳴りがする程だった。

 だが、小太郎の言葉だけが明確に届く。だからなのか、既に自分達の決められた場所に伏せた者は誰一人として異論を唱える事は無かった。

 

 

「後、百八十秒で接岸する。撃破褒賞は既に決定事項だが、誰一人として生かすな」

 

 一方的な内容ではあったが、この件に関しては事前に聞かされた内容そのままだった。

 だからなのか、誰の心情にも響く事は無い。下忍だろうが中忍だろうが、既に全員が臨戦態勢に突入している。

 小太郎の短い言葉に誰もが改めて自分の手荷物得物に視線を僅かに動かしただけだった。

 

 

「接岸まで後十秒」

 

 誰の声とも取れないそれに青龍は冷静になった視線を海上へと動かしていた。

 事実上の暗視の状態であれば、手にしたスコープは殆ど役には立たない。実際に暗視スコープをしている訳では無い為に、狙撃に関してはほぼ肉眼となっていた。

 まだ日が昇る前だけでなく、海上を照らす照明が一切無い。だが、青龍の眼に映るのは僅かに動く人の気配だった。

 幾ら暗部の人間とは言え、忍びの様に気配を殺した訓練を受けているのは分からない。だが、遮蔽物の無い海上を移動するのであれば特定は容易かった。

 

 スコープは役に立たなくとも、その気配はまるで隠れていない。青龍からすれば格好の的でしかなかった。

 だからなのか、これまでの様な緊張感は若干霧散している。だが、青龍にはそんな事は些事でしかなかった。 

 構えたライフルの照準を海上めがけて狙いをつける。人知れず始まった戦いは既に風魔へと天秤が傾いていた。気負う事無く引鉄を引く。轟音と共に発射された弾丸はまるで意志を持ったかの様に対象物の眉間を貫いていた。

 

 

「着弾確認。対象は散開する。各自気を引き締めろ」

 

 演習ではなく実戦の場合、司令は必ず気を付ける事を前提に動く。本来であればそれが当たり前ではあったが、風魔の演習は実戦でしかない。

 決定的に違うのは、それに対するコスト面だけだった。

 依頼があって動く以上は経費もまた依頼主が持つ事になる。ましてや今回の様に事実上の戦争に近いそれは、明らかに報酬の面でも群を抜いていた。

 だからこそ、気にする事無く攻撃を仕掛ける事が出来る。目標が向かう先を理解しているからこそ、中心部に向かって放った弾丸の結末は、誰の眼にも明らかだった。

 一個の大群が散開した事によって小さくなっていく。事実上の各個撃破を前提とした戦略だからなのか、誰もが気にする事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさか魔導騎士連盟が動いた?いや。それだけはあり得ない)

 

 海上を駆け抜けるかの様に疾駆しながらも銃弾の洗礼を浴びた暗部の人間は誰もが驚いていた。

 実際にこの場所に侵攻するのは事前に決めた訳では無く、直前になっていから。幾ら暗部の人間と言えど全員が戦闘能力に長けている訳では無い。本来であれば斥候を放ち、その確認をしてからがこれまでのやり方だった。

 

 だが、今回の作戦に関しては斥候を放つまでも無い。

 実際に作戦の公表時には誰一人として異論は出なかった。

 緊急事態に陥ったとしても、軍や騎士連盟が動くまでには相応の時間が必要となる。事実、組織が大きくなるにつれ、それはより顕著になっていた。

 

 複雑に枝分かれした指揮系統を纏めるだけでなく、派兵の際にはそれぞれの部署に指示を出す。その結果として致命的になる程に時間のロスがあるはずだった。

 今回の作戦に関しても同じ事が言える。

 暗部が動く段階となれば後は早いが、そこに至るまでには相応の時間を有していた。

 勿論緊急時ではない為に、関係各所への調整は避けられない。事前に入念ややり取りを行ったが故に今に至るから。それを考えれば電撃戦は確実に自分達に有利に働く。その為の短時間での作戦実行だった。

 だが、その前提が完全に崩れている。実際にどれ程の人数がここに集結しているのかは分からないが、完全に後手に回った事だけは間違い無かった。

 既に散開した時点で、各部隊長へと指揮系統が移っている。自分に出来るのは最後の見極めだけ。

 部隊全員の命を預かるのであれば、今以上に努力をする必要があった。だが、それはこの戦いが終わってからの話。少なくともこの人事で大量の兵士を引き入れている。それをうまく活かす為には一瞬だけでも虎口に飛び込む必要があった。

 だが、この暗闇の中では視界が全く役に立たない。もう少し時間が経過するならば視力は戻るかもしれないが、現時点ではどうしようもなかった。

 暗部が動く以上は相応の結果を求めるより無い。他の人間は分からないが、自分の部隊を持った以上、部下の命を預かったのと同じ事だった。

 この戦いには何かがある。少なくともそう考えた瞬間、耳朶に飛び込んだ情報が完全に想定外だった。

 

 

 

 

 

「まさか俺達の襲撃が漏れたのか?」

 

「それは無いだろう。直前のミーティングの際に初めて聞いたんだ。どうやってそれを知る事が出来る?それに仮にそうだとすれば伝達の速度が速すぎる」

 

「どうやら少しは楽しめそうだな。悪いが一番乗りは貰っ………」

 

 散開しながらも接岸できる場所に移動したはずの相方の言葉はそれ以上出る事は無かった。

 襲撃された時点で見晴らしが良い場所からの上陸はあり得ない。当然ながら完全に死角となる場所からの上陸が必須だった。

 だからこそ、事前に調べた場所から動くはず。まさにその瞬間だった。

 突如として頸だけでなく胴体の一部もまた微塵斬りにあったかの様にバラバラになる。

 

 幾ら暗闇に目が慣れたとは言え、完全に視界がクリアになった訳では無い。襲撃であれば警戒しながら移動するのが必然だが、海上で止まれば沈む以上、出来る事は限られていた。

 声にならない悲鳴があちらこちらから上がっている。襲撃ではなく罠である事に気が付くまでにはそれなりに時間が必要だった。

 良く見れば誘うかの様にその場所だけがポッカリと開いている。実際に上陸するにはそこ以外に場所は無かった。

 不自然な程に岸壁ギリギリまでコンテナが設置されている。罠だと気が付いたのは偶然だった。

 何も無いはずの空間に液体が浮かんでいる様にも見える。声にならない悲鳴と静寂が司る空間。そこには極細の何かが設置されていた。

 

 

「罠だ。上陸する瞬間に刃を前面に出せ!さもなくば頸が飛ぶぞ!」

 

 一人の言葉に上陸寸前の人間が、刃を縦に構えそのまま突っ込んでいくかの様に飛び込む。本来であれば音も無く着地するはずが、何んらかの罠があるからと、出るであろう音を無視していた。

 音が出た所で既に襲撃はバレている。ここから出来る事は完全な白兵戦だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも馬鹿ではなかったか」

 

「偶然だろ?俺もそろそろ本格的に動く。折角の稼げるチャンスを逃す手は無いんでな」

 

「そうか。ならば、朱雀は予定通り反対側へ行け。我はここから行く」

 

「御意」

 

 小太郎と青龍、朱雀の三人は事前に仕掛けた罠が発動した事を眺めていた。

 実際にライフルからの狙撃はあくまでも散開を促し、罠がある場所へと誘導する為。その思惑が完全に達成されていた。

 生き物の様なそれは海上から綺麗に分かれていく。事前に用意した罠の後ろには中忍以下、下忍が組みになって潜んでいた。

 手負いの状態であれば命を刈り取るのは容易い。仮に白兵戦になったとしても遅れを取る様な実力しか持たない人間はこの場には居なかった。

 上忍が三方向に分かれる事になって完全に襲撃を防ぐだけでなく、殲滅までも行う。これが当然だと言わんばかりに小太郎が指示を出した瞬間、青龍と朱雀の姿はその場から消えていた。

 

 

「さて、時間をかけるのは無粋だ。あの程度ならばそれ程手間はかからんだろう」

 

 呟くかの様に出た小太郎もまた戦場となるであろう場所へと移動していた。

 本来であればこの場から動くのは得策ではない。だが、本来であれば監視するはずのカメラに細工した事によってその姿が見られる事は無かった。

 溶けるかのその姿がその場から消える。既に移動を開始した青龍や朱雀同様に、小太郎もまた戦いの場に身を委ねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な!それでは我々の存在意義は何処にも無いでは無いか!何故、派兵が出来ない」

 

「現時点ではまだ襲撃された事は確認出来ていない。それに今回の件に関しても、日本支部がではなく本部からの指示がまだ来ていない。勝手に動く訳にはいかん。それとも貴殿は本部の意向を無視して勝手に動くつもりか?」

 

 国際魔導騎士連盟日本支部の派生でもある大阪支所の中にある支部長室には怒号が飛んでいた。

 実際に黒鉄巌が言う様に襲撃はまだ確認されていない。だが、政府からは既に情報が届いていた。

 それを皮切りに軍と警察は極秘裏に行動を開始している。それを知っているからこそ、魔導騎士連盟の一部の人間が支部長の黒鉄巌に詰め寄っていた。

 

 

「勝手……だと。どこの世界に自国が襲撃を受けて静観する部隊があると言うんだ!それに政府が態々虚偽の情報を流す所以は無い。せめて警戒態勢の為に直ぐに動ける人間を召集すべきだ!」

 

「何度も同じ事を言わせるつもりか?先程から既に手は打ったと言ったはずだ。こちらにもこちらの都合がある。これ以上の憶測は懲罰の対象となるだけは済まんが」

 

 威圧するかの様に黒鉄巌の視線は厳しかった。

 実際に本部へ今回の事を伝えたのは紛れも無い事実。本当の事を言えば目の前の男が言う前に行動するはずだった。

 だが、ここに来て厄介な情報がもう一つ。それは今回の襲撃は()()()()()()()()()()()()()()()()()事だった。

 

 実際に大国同盟の動きをただの一支部だけで確認する事は出来ない。当然ながら本部に連絡をする事によってその情報を精査しているのが正しい内容だった。

 当然ながら警戒体制を作る為には相応の情報開示が必要となる。その為に大国同盟の名を軽々と口にする訳にはいかなかった。

 下手に何らかの漏洩があれば、色々と面倒な事だけでなく国際問題にまで発展する可能性もある。本当の事を口にすればこの程度の抗議は一発で終わるが、現時点では本部からの回答待ちだった。

 

 

「下手に警戒体制を作ったとして、どうやって士気を保つつもりだ?憶測だけで物事を動かす事は出来ない。それすらも分からないのか?」

 

「そんな建前はどうでも良い。せめていつでも動けるだけの準備はするのが筋だ」

 

「そんな事は分かっている。だが、襲撃の場所も分からないままでどうしろと?それにここだけではない。今は湾岸ドームで七星剣武祭も開催している。

 あの状況下で警戒など無理だ。下手に警戒すれば世界中が知る事になる。

 政府が動かした名目はあくまでも治安維持の強化による物だ。軍に関しても今は基地内での待機だ。一般人と我々を同格に考えるのは些か問題があると思うが?」

 

 黒鉄巌の言葉に男はそれ以上の言葉は出なかった。実際に軍の人間と魔導騎士とでは単体の火力が違い過ぎていた。

 D級程度であれば同じかもしれない。だが、C級の上位以上ともなればその戦力は比較出来ない程だった。

 それだけ魔力に由来する身体強化による恩恵だけでなく、固有霊装もまた脅威だった。

 仮に遠距離型だとしても銃の様に弾の制限がある訳では無く、個人の魔力が相応にあれば、それは事実上の無制限と同じ事。近接型の武器だとしても、携帯している訳では無い為に、緊急時であっても直ぐに行動する事が可能だった。

 事実、緊急時の伐刀者の固有霊装の展開は法律で認められている。その結果としてこれまでに幾つもの事件が速やかに解決していた。

 そう考えれば黒鉄巌の言葉に偽りは無い。自分達が出来る事など最初から決まっているだけだった。

 

 

「……そこまで言うならば今は理解しよう。だが、先程の言葉は宜しく無いな。我々は特権階級の人間ではない。偶然その能力を持っているだけに過ぎない。いい加減、その考えを改めたらどうなんだ?」

 

「貴殿の言葉は抗議して聞けば良いのか?少なくとも先程の言葉は純然たる事実を述べたにすぎん。貴殿こそ冷静さを失ってはいないのか?」

 

 これ以上の会話は無駄だと悟ったからなのか、男は黒鉄巌の言葉に返事をする事は無かった。

 時間が遅い為に、本来ならば職員が事前に確認をした者だけが入室する。だが、深夜とも早朝とも取れない時間の為に、そんな面倒な事は何も無かった。

 だからこそ、直情的な言葉が直ぐに出ていた。政府からの情報に間違いが無ければ、襲撃者は確実に作戦を実行しているはず。にも拘わらず未だ何の情報も無いのであれば、行動するのは困難だった。

 そもそも伐刀者が緊急で動く事が出来るケースは限られている。

 一番は当人がその場面を直視し、許可を取る時だけ。ましてや今は七星剣武祭の真っ最中。国内に不穏な動きがある可能性が高い事を態々喧伝する必要は無い。そう考えたからこその発言だった。

 

 先程までの荒れた空気は改めて静寂を作り出す。個人で動く事は無いにせよ、どこから何が起こるのかが全く分からない。だとすれば静観するよりなかった。

 仮に本部からの情報が遅れ、この国に損害が生じればそこから先は自分の領域となる。政治的な事を考えればそろそろ動くには熟した頃だと考えていた。

 

 日本支部の中でも本部のやり方に疑問を持っている人間は少なくない。事実、先程ここに来た男も同じだった。

 支部から情報を上にあげ、その結果として支部が動く。何も無い状態であればそれが最適なのは分かっているが、これが緊急時であれば明らかに後手に回る。

 ましてやこの国が襲撃に遭うとは本部は微塵も考えていない。実力者が多ければその分制圧は簡単だと考えているのかもしれない。黒鉄巌の置かれた状況で勝手に動く事になれば自分の立場が危うくなる可能性も高い。それを理解するからこそ、今は何もしなかった。

 支部長室の椅子が軋み音を立てる。背もたれに躰を置くと同時に、今は本部からの情報を待つより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか今晩の風は少しだけ嫌な感じだねぇ」

 

 グラスを片手に寧音は無意識の内に言葉が漏れていた。

 実際に七星剣武祭のスタッフとして動く関係上、深酒はしないものの何となくアルコールを口にしていた。

 何時もであれば浴びるかの様に飲むそれが、今夜に限っては口を湿らす程度しか進まない。その理由は自分の中にあった。

 KOK以外で高ランクの人間が動く場合、その殆どは治安維持による緊急招集が殆ど。そうなれば幾ら酔っていようがお構いなしに行動するのが義務付けられていた。

 当然ながら寧音もまたその立場にある。普段であれば泥酔しても問題無いと思う程だったが、今夜に限ってはその限りではなかった。

 何となく嫌な胸騒ぎがする。それは偏に今回の大会による得体のしれない運行が原因だった。

 

 

 

 

 

「………仕方ない。風間選手の行方が分からない以上は不戦敗にするしかないだろう。その際に我々の誤審も認める。それに相違ないな?」

 

「今さらだろう。それに、こちらとしても手の打ちようがない」

 

 難航した内容ではあったが、決定したのは既に弁解の余地が無い事が全てだった。

 幾ら何を言おうが、碌な判断もしないままに下した結果。KOKであればビデオ判断も出来るが、七星剣武祭にそれは無い。

 下手に映像で判断する事が重なれば、進行が遅れる可能性があるからだった。

 

 七星剣武祭は完全な興行ではない。あくまでも若き伐刀者の実力を世間に知らしめる為の大会の為に、微妙な判定を下す可能性は無いと勝手に考えていたからだ。

 事実、これまでにそんな判定をした事が一度も無い。だからこそ今回のイレギュラーは紛糾していた。

 即断した為に言い逃れはは出来ない。誤審を下したレッテルが張られたとしても、ある意味仕方のない事だった。

 これで龍玄の姿があればまた状況は変わったのかもしれない。だが、幾ら探してもその姿を捉える事は出来なかった。

 足取りが追えない以上は粛々と進める。それが事実上の全会一致。ざわつく会場には審判の謝罪と理由が述べられていた。

 

 それだけではない。その誤審騒動の裏でもう一人の選手が行方をくらましていた。

 『紫乃宮天音』彼もまた行方が知れなくなっていた。

 碌な戦いをする事無く勝ち続ける姿に違和感はあったが、何らかの小細工をした訳では無い。ある意味では盤外戦があったかと邪推したものの、これまでの要因は本人とは無関係の部分が全てだった。

 そうなれば今は結果として受け止めるよりない。困惑はしたものの、それもまた一致した意見だった。

 問題を孕んだ選手が連続して消えている。既に審判団の誰もが顔色を悪くしていた。

 戦いの中で重篤な怪我をしているのであれば誤魔化しは可能だったかもしれない。だが、紫乃宮に関しては戦いすらしていない。そうなればカバーストーリーを作るのが難しくなっていた。

 そんなイレギュラーが常に重なる。どう考えてもまともでは無かった。

 誰もがこの大会には何か見えない何かが働いているのかもしれない。そんな取り止めのない事を考えていた。

 

 

 

 

 

「嫌な感じか……確かにそうだな」

 

「くーちゃん。どうしてここに?」

 

「何だ?私が来ちゃ悪いか?」

 

 何気ない呟き。本来であれば返事など来るはずが無い言葉に寧音の心臓は一瞬だけ激しく鼓動していた。

 この大会に於いての自分の役割は選手からの攻撃を観客席に届かない様にする事が一番の目的。本来であればKOKのトップ選手がする様な仕事ではなかった。

 だが、今の寧音の立場は破軍学園の臨時講師。その為に寧音もまた、大会役員に駆り出されていた。

 

 

「いんや。悪くは無いさ。ただ驚いただけ」

 

「何。今日のあれは明らかに何かあると言ってる様な物だ。それに風間の件なら気にしていない。あれは元々そう言う事が事前に起こる前提だったからな」

 

 突然現れた黒乃の言葉に寧音は瞬時に平時に戻っていた。

 実際に龍玄に出場の打診をした際に、自分の事を優先するとまで言われている。本来であれば学生の栄光を勝ちとれる可能性を持てる程の実力を有するのであれば、絶対に出ない言葉だった。

 だからこそ、突如として姿をくらましたと聞かされても驚く事は全くない。

 それ所か、そうだろうなと言った感情が先に出ていた。

 

 誤審をするかどうかは別問題として、何となくその行為そのものが作為的に感じていた。

 本人の口からは直接聞いた訳では無い。黒乃は横に居る寧音から何となく話を聞いたに過ぎなかった。

 寧音の所に向ったのは気まぐれでは無く、本当は何が起こったのか。その部分を知りたいと考えた末の行動だった。

 

 

「でも強引に押し切る事も出来たんじゃいの?」

 

「理論上はな。だが、それが本当に正しいのかと言われれば、分からないと言った方が正解だ。あれは余りにも異質だ。黒鉄もそうだが、特に風間は学生と同じ次元じゃない」

 

「そうだね」

 

「何せ、お前が何の抵抗も無く捕まる程の技量だ。多少の後ろめたい物もあるだろう」

 

 既に注文したからなのか、黒乃が席に着いた瞬間、間髪入れずに透明な液体が入ったグラスが置かれていた。

 日本酒独特の香りが鼻孔を擽る。飲まなくてもそれが上質である事は間違い無かった。

 ゆっくりと出されたグラスを傾ける。米を主体とするはずのそれは何故かフルーティーな味わいが口の中で広がっていた。

 

 

 

 

 

「済まんな。それほど飲まない客で」

 

「いえ。大会の開催中はどこも似た様な物ですから」

 

「そうか。結果的には貸し切り気分を味わせてもらった。機会があればまた来させてもらおう」

 

「そう言っても貰えると嬉しいですね。またのご贔屓を」

 

 黒乃のもまた寧音と同様にそれ程飲む事は無かった。

 精々がグラス二杯程度。摘まむ物もお造り程度だった。

 角がたった刺身は鮮度が高く、また板前の技術が高い事が分かる。店に入ったのは偶然だったが、寧音の気配を少し感じたが故に来た店だった。

 学園の理事長と言う職種とは違い、寧音の本業はKOKの選手。そうなれば、ここはある意味では地元と同じ場所だった。

 どこか気難しそうな雰囲気の佇まいではあったが、店の雰囲気は悪く無い。本音で言えば、出張で来る事があれば寄ってみるのも悪く無い。そう思わせる店だった。

 

 

 

 

 

「まさか、お前があんな店を知ってるとはな」

 

「知ってるさ。あの店も系列だから」

 

「系列?」

 

「そう。『ラスト・リゾート』のね」

 

 その言葉に黒乃は僅かに反応していた。

 龍玄が入学試験を受けた際に取り立てしたのが確か会員の費用。寧音が会員である事を龍玄との関係性がどこにも見えなかった。

 だからなのか、黒乃の中では疑問だけが残る。それと、どう関係があるのか。寧音の口から出ない限り知る由も無かった。

 

 

 

 

 

(まさか何も無いなんて)

 

 寧音は歩きながらそんな事を考えていた。

 ラスト・リゾートはただの会員制の組織ではない。色々な意味で会員へのサービスが充実していた。

 一番の目的は情報収集。依頼した際には高額の費用がかかるが、そのどれもが通常ではありえない物ばかり。現代に於いてその情報一つで経済が揺らぎ、場合にそっては戦争にまで発展する。そんな極秘の物ですら調べ上げる事が可能だった。

 事実、この会員は完全に会員数が決められている。寧音が加入できたのは偶然だった。

 年会費は馬鹿みたいに高いが、その恩恵は十分すぎる程の物。そんな組織を使っても現状動いている物に対しては出てこなかった。

 店を出てからも何となく嫌な雰囲気だけが残る。

 念の為にと端末で自分宛てのメールも確認したが、送られてきた物は何一つなかった。

 戦場特有の雰囲気が僅かに香る。だが、今の寧音にそれを確認する術は何も無かった。

 

 

 



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第70話 知られざる戦い

 静寂な空間に僅かに響くのは何らかの打撃音とその後に続く声。湾岸エリアは基本的に事務所建物が無い場所に照明は殆ど無かった。

 僅か荷物を運ぶのであれば必要だが、ここにあるのは巨大なコンテナ。盗難の可能性も無い為に、周辺を映すカメラも無かった。

 仮にあったとしてもその状況をまともに映す事は不可能。それ程までに周囲を動く物体は尋常はでなかった。

 一つの影が動いた後には無機物となった骸だけが転がっている。既に命が灯らない眼球はただ漆黒の闇だけを映していた。

 

 

(思ったよりも数が多い。少なくとも百は超える)

 

 表情が全く見えない仮面越しに映る景色は、漆黒の闇のまま。照明を所持して漸くまともに歩く事が出来る程の光景。

 だが、仮面の男達はそんな空間に警戒する事無く縦横無尽に動き回っていた。気配だけを頼りに、何も無いと思われる空間に弾丸の様に棒状の物質が飛ぶ。

 音も無く発射されたそれの先にあったのは、バラクラバで覆われた中で剥き出しになっている眼球だった。

 人体の中で数える程しかない柔らかい箇所の一つ。まともに確認出来ない中でのそれは、眼球を容易く貫通し、そのまま脳髄にまで達する。その瞬間、兵士の生命はそのまま絶たれていた。

 反撃するでもなく、躱す事すらしない。下手をすれば自分の認識を感じる前に生命の灯は消え去っていた。

 

 銃撃ではなく、体術によって放たれたそれは確実に命を刈り取る。少なくともこの状況は今に始まった事ではなかった。

 気が付けば手持ちの数はそれ程多くは無い。元々闇の中からの攻撃に、拳銃は不利な状況を作り上げるだけだった。

 火薬が燃焼する際に僅かに光が漏れる。マズルフラッシュと呼ばれる現象は、この闇の中での位置を教えるのと同じ事。当然ながら迎え撃つ側からすればその装備が襲撃としては完全に不適切だった。

 だからこそ、棒状手裏剣の様に自身の体躯を使った武器だけを使用する。そこに上忍や下忍と言った違いは無かった。

 伐刀者であれば、当たり前の様に使う身体強化も完全に制御できるのであれば問題はない。だが、周囲を見ても視界に何も映らない状態ではただ魔力だけが垂れ流しになるだけだった。

 当然ながら魔力には限界がある。完全に枯渇した場合、自身の肉体にも顕著に影響が出ていた。戦場に於いて、それは致命的な隙でしかない。

 動けない者から順次刈り取っていく。風魔衆から見ればこの暗闇は普段のそれと同じだった。動く事によって起こる大気の流れには血の匂いが混じる。手慣れた光景が故に誰もが怯む事は無かった。

 

 

(このままが続く事は無いだろうな)

 

 時折顔面に近い場所に届く攻撃は、僅かに顔を逸らすだけで回避していた。

 接近戦での攻撃であれば確実にカウンターを決める事によって絶命させる。既に青龍の固有霊装は夥しい紅で彩られていた。その発生源は自分の体躯ではない。明らかに返り血であった。

 時折振り捨てる事によって元の鈍色が顔を出す。だが、それも束の間の事だった。視界に映らない大気の揺れがこちらに向かって来る。不可視の物体が何なのかを判断するまでも無かった。大気と気配が僅かにぶれる。殺気だけは上手く誤魔化しているが、それ以外はそのままだった。

 中距離からの攻撃は明らかに固有霊装が長物である証拠。そうなれば無手との間合いは絶望だった。

 だが、闇雲に振りかざす程度の攻撃であれば、距離を縮めるのは刹那で十分過ぎた。一足で間合を縮めた瞬間、四指の手刀は相手の喉笛を突いていた。

 指先に感じる感触は、咽頭から頸椎を確実に破壊する。命を奪う事に躊躇などする必要は無かった。

 一人に時間を費やせば、他の人間が襲撃する。逡巡した瞬間、待っているのは自身の死。それを誰よりも理解しているからこそ、その動きが止まることは無かった。

 

 

(だが、今は数を減らす。それを優先するだけか……ほう。面白い)

 

 実際に上陸した人間の殆どはそれ程攻撃力が高いイメージが無かった。

 ライフルで狙撃をした瞬間に動いた統率力は見事だが、肝心の能力に関しては全く話にならなかった。周囲の詳細までは分からないが、少なくとも下忍でさえも攻撃を受けた報告は上がっていない。可能性があるとすれば斥候である事だった。

 そう考えた瞬間、上空には曳光弾の様な物が打ち上がる。それは一発の照明弾だった。

 時間にして僅かではあるが、視界がクリアになれば立て直す事が可能になる。恐らくはそう判断した結果だった。

 だが、視界がクリアになるのは一方的ではない。双方の視界が明確に分かる。戦局を理解していないからなのか、それとも焦りが生んだ結果なのか。事実を確認する事は出来なかった。

 頂点に達した瞬間、閃光が周囲を照らす。時間にして約七十秒。この瞬間、その場に居た全ての人間がこれまでとは異なった動きを見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一体に何が起こってる!)

 

 トラップを掻い潜った瞬間、一人の仲間の頸が一瞬にして胴体から離れていた。事前情報ではこの場所に軍や騎士連盟が動いた事実は報告されていない。寧ろ、こちらからの一方的な蹂躙になるはずだった。

 だが、最初の段階でそれが躓く。海上を疾駆しながら接近した瞬間、数発の着弾が確認されていた。

 距離と間隔から考えれば、狙撃である事に間違い無い。これが何らかの遮蔽物があればそこに隠れるか、止まるかで回避する事が可能だった。

 だが、ここは海上。止まれば確実に海へと沈む。暗闇の海に一度でも沈めば浮上は困難だった。

 事前に情報を察知していればこんな方法は使わない。無音で動ける船を用意しての上陸にするだけだった。

 だからこそ、突然の行動に誰もが迷いを持っている。散開できたのはその場に留まる事が出来ない為の緊急措置でしかないからだった。

 

 

戦闘指揮所(CIC)!敵部隊が岸壁付近に居る!何故言わなかった!」

 

《こちらでも情報は確認されていません。レーダーに映る物はありません。生体的にも機械的にも物体の存在は確認出来ません》

 

「そんな事は聞いていない!何らかの部隊が居るのかと聞いている!」

 

 混乱しているからなのか、先程と同じ質問をするだけだった。

 実際に混乱しているのは一人だけではない。疾駆する殆どの人間が同じだった。

 回線は全員が分かる様になっている為に、やり取りは一人だけ。だが、事実上のオープンチャンネルが故に誰もが同じ事を考えていた。

 上陸した人間もまた、うめき声に近い物だけを残してその後の通信が途絶えている。トラップが設置されている事に間違いは無い。

 だが、部隊が何なのかが分からない以上、対策を練る事は不可能だった。

 

 事実、上陸前の事前情報の段階で部隊の配置はされていない事が報告されている。これが上位の人間だけの話であれば大きな問題に発展する可能性は皆無だったはず。

 だが、現実はそんな想定など最初から無かったかの様に苛烈な物だった。暗部の人間は通常の伐刀者とは明らかに異なる技量を身に着ける必要がある。その結果として水面を疾る技量や、暗闇での戦い方など、通常ではあり得ない程の膨大な量の経験は必要だった。

 基本的に暗部の人間は裏の世界で生きる存在ではあるが、闇の住人ではない。その為に、今の状況を正確に把握しきれなかった。

 耳朶に届く情報は、仲間や部下のうめき声や断末魔。必然的に何らかの部隊が存在するのは明白だった。だが、その正体が把握できない。幾ら闇に近い暗闇だとしても、こうまで正体が分からないのは尋常はない。

 現場の状況を正確に把握出来ない指揮所からではその逼迫した小隊長の言葉を正確に理解出来なかった。分かるのは危機に陥っている事実のみ。だからこそ、次なる一手を打つしか無かった。

 

 

《リスクはありますが、上陸専用の照明弾を打ち上げます。なお、場所の特定をされない様に発射後はこちらも移動をします。それで対処をお願いします》

 

「ああ、頼む。このままだと只の犬死だ」

 

 それ以上通信が繋がる事は無かった。元々オープンチャンネルにしている時点で情報漏洩の可能性が出てくる。幾ら無人に近いエリアだとしても、傍聴される可能性は否定出来なかった。

 その為に最低限の情報のみを伝えた瞬間、発射シークエンスが起動する。カウントが始まったからなのか、周囲を警戒しながら男達はそれを待っていた。

 低空飛行で飛ぶ曳光弾。本来であればもっと上空に打ちあげる物だが、それをすれば確実に怪しまれる。その為に低空のままにそれは発射されていた。

 時間にして七十秒の自由。暗部の人間の誰もが、それだけあれば十分だと内心考えていた。

 僅かな音と共に数秒と立たずに閃光が広がる。意識を持って確認できたのはそこまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と面白い事を始めた様だな」

 

 遠目で見る曳光弾を見たからなのか、男は僅かに口元が歪んでいた。

 周囲に人影はなく、またそれの存在を確認すべき物も無い。少なくともここに小太郎が居ただけでなく、大国同盟(ユニオン)の人間が居た為に何らかの動きがるとは思っていたが、その予測は自身の思惑を大きく超えていた。

 起点となるべき処置をしたのは半ば偶然だった。

 少なくとも自分が見た限りでは、あの男がどれ程の地位にいるのかは分からない。だが、少なくともバーとは言え、あんな言葉を多少でも口にしてのであれば、相応の立場である事は間違い無い。少なくともそう考えていた。

 何らかの火種があれば面白い。それに(いくさ)が加われば尚更だった。

 

 

「血の匂いを発するか………少し興じてみるか」

 

 まるで玩具を与えられた幼子の様に男の笑みは深く、そして残忍だった。

 そこに戦があれば待っているのは命のやり取り。そこに小太郎が関与しているのかは分からないが、少なくとも自分の欲望が満たされるだけの何かがあるのは間違いない。

 手に持った仮面を少しだけ手で拭い、改めてそれを装着する。命のやり取りに生を見つける事を生きがいとする男は既にその場から消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(久しぶりに使うか)

 

 閃光を見たからなのか、青龍は直ぐに思考を切り替えていた。

 幾ら視界が僅かに回復したとしても、下忍がそのまま討ち取られるとは思っていない。

 事実、伐刀者の身体強化は自身の体躯を文字通り強化する事が可能となっている。だが、それは基準があっての事。勿論、相手が暗部の人間であれば通常よりも鍛えられている事は理解しているが、だからと言って一般的な能力であって、それ以上の効果をもたらす事しかない。当然ながらそれ以上に鍛えた人間にはそれ程脅威では無かった。

 風魔に限らず、忍びの者はすべからく自らの肉体を限界まで鍛える事に余念は無い。伐刀者であろうがなかろうが素人に毛が生えた程度では容易く討ち取られる。

 忍びの者のメインは諜報活動。それが当たり前の意義だった。だが、風魔はそんな活動だけではない。常に戦場での働きが要求され、それと同時に諜報活動もこなす。一人でその全てをこなす為に、ある意味では厳しい状況下での鍛錬が当然だった。

 伐刀者である前に、一人の忍び。寧ろ伐刀者が持つ異能をの方がおまけに近かった。だからと言って異能を使用しないでのはない。純粋にそれを使う状況に至る事が少ないだけ。だからこそ異能を使い過ぎて意識を失う様な不様な事は無かった。

 そんな桁外れの鍛錬とは別で異能を使う。その時点で風魔以外に並ぶ者は極僅かに限られていた。

 閃光によって周囲の状況が改めてクリアになる。青龍の視界に捉えたのは、こちらを捕捉した男達だった。

 バラクラバによって表情は不明だが、その眼には怒りが浮かぶ。これまで一方的だった環境から解放されたからなのか、それとも漆黒の仮面の龍に気が付かないからなのか、得物を手に突進していた。

 身体強化だけに頼った動き。そこには僅かな遊びすらない。直線的な動きに青龍もまた僅かに言葉を口にしていた。

 

 

「刻め」

 

 僅かに出た言葉とは裏腹に、その瞬間、世界は一変していた。

 自分以外の動きがまるで水中にいるかの如く鈍い物へと変わり出す。それはあまりにも異質だった。

 水中で自分だけが当たり前の様に動き、相手は鈍い。青龍の使った抜刀絶技の効果だった。

 それと同時に周囲の状況から不要な物が意識から抜け落ちる。不必要な情報を脳がシャットアウトしていた。

 風魔の歩法『残影』によって疾駆した体躯は更に加速する。最初の一足で相手と最接近する。只でさえ、加速した状況からの一撃は致命傷だった。

 

 

「このまま散れ」

 

 掌底によって相手の右側頭部を強打する。本来であれば頭蓋骨は人体の骨の中でもかなり強度が高いはず。にも拘わらず、まるでそんな物など最初からなかったかの様に衝撃は反対方向から突き抜けていた。

 その為に左の側頭部からは、衝撃と共に中身までもが飛び出す。赤を混ぜた液体は周囲に飛び散っていた。

 その結末を確認するまでもなく、青龍は再度新たな獲物に向って移動する。

 突然の出来事に呆然としているからなのか、完全に足が止まった人間から順次破壊していた。死と言う結果だけを残す行為。そこあったのは戦いではなく、ただの鏖殺。

 人間ではなく、そこにあるのはただの赤い液体が詰まった肉袋だった。

 

 

 

 

 

 

(き、消えた…)

 

 相手から見れば青龍の動きは本当に見失っていた。先程までは視界に捉えたはずの存在。

 漆黒の仮面をつけた人間が今回の襲撃者であるのは容易に判断出来た。だが、その仮面の人間の姿が幻の様に消える。照明弾を打ちあげた以上、完全にその場から消えるのは困難なはずだった。

 幾ら素早く動いても、この場所では完全に動きが読める。閉ざされた空間は相手だけでなく自分達にも同じ状況を与えていた。

 だからこそ、消えた事が認識はすれど理解が出来ない。戦闘中にそれ以外の事に意識を奪われる事は死と同意であるのは認めるが、それでもそう思う程に目の前の状況は異様だった。 

 その瞬間、自分以外の人間の頭蓋は風船の様に弾け飛ぶ。飛び散る脳漿に何が起こったのかすら判断出来ない程に非現実的な光景が広がる。

 何らかの幻術なのかもしれない。そう思いたくなる程に目の前の事象は異常だった。だが、それ以上の詮索は出来ない。何故なら自身もまた仲間と同じ道を辿ったからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう。珍しく使ったな」

 

 迫り来る刃や弾丸を最初から無かったかの様に小太郎は僅かに躰の位置を変える事によって回避していた。

 迫る刃を持った人間にはカウンターでの攻撃による死を、銃弾を発射した人間には同じ様に手にした棒状手裏剣での投射を。そのどれにも待っているのは同じ結果だった。

 周囲の確認をした訳では無い。ただ、空気の流れによって送られてくる情報を感知しただけだった。

 普段とは違い、緊急案件の為に詳細にわたる情報は何も無いままだった。

 

 迫る気配を辿れば、襲撃したのが何なのかは容易に想像できる。事実、普段から常に鍛えあげられた部隊がこの程度の伐刀者に討たれる可能性は微塵も持っていない。それ程までに卓越した技術を完全に持っているからだった。

 そんな中、一つの魔力の反応を確認する。普段であれば使う前に終わる為に、余程の事が無い限り感じ取れない魔力だった。

 青龍の持つ抜刀絶技は純粋に時間の概念を大きく狂わせる事が出来る。時間の停止までは行かなくとも、それに近い能力はある意味危険な物。

 対峙した瞬間、自分の意識の範囲外からの攻撃を受けるのは尋常ではない。

 加速した体躯からの攻撃はそのまま純粋に威力へと変換される。その為に、些細な攻撃であっても致命傷を負わせる事は可能だった。

 それを使うとなれば、自分の周囲には思った以上の数があったという事。予測以上の数だった事だけが誤算だった。

 

 

「それで気配を殺したつもりか?」

 

 背後からの攻撃を察知した小太郎はまるで当然だと言わんばかりに反対に背を向ける。

 背後からの強襲のはずが、気が付けば真正面からの襲撃へと変わっていた。手に持つのは湾曲した巨大な刃。ククリナイフの様なシルエットの刃は小太郎の体躯に当たる事なく、虚しく空を切っていた。

 

 

「バケモノが!」

 

「獣の分際で口を開くな」

 

 致命的な隙を逃す程のこの状況を楽しむつもりは無い。今小太郎がやっている事はただの蹂躙でしかない。

 内容だけを見れば襲撃だが、実際には児戯にも劣る攻撃だった。幾ら闇の中から気配を殺して攻撃しても、揺らぐ大気までを消す事は出来ない。

 素早く動けばその分だけ大気が揺らぐ。当然ながら小太郎はそれを察知していた。

 来るであろう方向からの攻撃に当然とばかりに刃を置く。襲撃した男はまるで刃に吸い込まれるかの様にその場所へと動くと同時に、頸が胴体から離れていた。

 噴水の様に吹き出る紅に一瞥すらしない。それ程までに小太郎の攻撃は常軌を逸していた。

 

 

「騒げば災いも来るだろうに………」

 

 先程のやり取りを気にする事無く小太郎は懸念事項を口にしていた。

 照明弾が放たれた事によって、ここに何かがあると示した様な行動。この闇の中での行動に何の意味があるのかが分かれば、やって来るのは災厄のみ。

 既に邂逅しているからなのか、これから何が起こるのかを何となく察していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで突風が吹いたかの様に一つの質量体は目的の場所へと移動していた。

 既に何かが起こっている以上、終わりもまた見える。折角種を蒔いたのであればその成果を確認するのは当然の事だった。

 未だ目的地まではそれなりに距離がある。これが何もない平原であれば時間はそれ程かからない。

 だが、都心部であればその限りではなかった。大小さまざまな建造物や走る交通機関はその目的を馳せる為には邪魔な存在でしかない。だからと言って破壊しながらでは尚更時間がかかる。

 誰よりもそれを知っているからこそ建造物を破壊する事無く、敢えてそれを足場に人であればあり得ない移動を繰り返していた。

 しなやかに動くそれを肉眼で見た者は誰も居ない。建物を足場にしたその場所に居た人間ですらその気配を感じる事無かった。

 まるで空中を歩くかの様に影が動く。気付けば目的の場所まであと僅かだった。嗅覚に感じるのは紛れもない鉄錆の匂い。時折吹く血風はまさに戦場(いくさば)の証だった。

 

 

「俺も混ぜてくれ」

 

「誰だ貴様は……」

 

 姿を確認した瞬間、バラクラバの男の頸は胴体から離れる。まだそれなりに距離があっただけでなく、手には武器らしい物は何一つ持っていない。

 無手の様にも見えるそれ。下手をすれば伐刀者ですら無いと思える程だった。

 

 

「せめてこれ位の攻撃は躱せるかと思ったが、どうやら異国の兵士は余程(のろま)ばかりなのか」

 

 男の呟く様な声を聞いた者は居なかった。

 周囲を見れば横たわるのは、先程自分が殺めたのと同じ格好の人間ばかり。そのどれもが事実上の一撃で終わっていた。

 交戦と言うよりも一方的な虐殺に近い。数を鑑みると戦闘対比はかなり開きがある様だった。

 小さな子供が興味本位に小さな虫を殺すかの様に倒れた人間には何の感情も持ち合わせていない。久しぶりのこの国での戦場は、男の興を削ぐには十分すぎていた。

 

 

「近くに感じるのは……どうやら、はなたれ小僧か。さて、あれからどれ程成長したのか確認する方が面白そうだ」

 

 瞬間的に膨らんで消えた剣氣は男の探知する能力に反応していた。

 実際に相対するのはかなり久しぶりになる。当時はまだ下忍から中忍に上がる頃だったはず。

 あの成長度合いを考えれば今頃は上忍になってもおかしくないはず。だとすればこんな雑魚を始末するよりも余程面白い展開になる。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 だからなのか、先程感じた場所へと視線を向ける。そこに待ってるのが何なのかは、考える必要も無かった。

 障害物となっている大型コンテナを足場に、男は大きく跳躍する。一度上空に上がれば本来であれば確実に捕捉されるが、今夜は生憎と厚い雲に空は覆われていた。

 地面よりもは僅かに空は明るい。暗闇の中で動くそれは再度目的の場所へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現場は一体どうなってる!」

 

 

「……現時点ではまだ情報を掴む事は出来ません」

 

 貨物船に偽装した軍船の作戦指揮所では、今の状況がそれ程危険なのかを理解していた。

 大国同盟の暗部は表に出ない仕事を専門に請け負う為に、基本的には伐刀者としてのランクはそれ程高い人間は()()()()()居ない事になっている。

 それは偏に外部からの横槍が入らない様にするための措置であり、また、同じ組織でありながら完全に報告しないのは暗部そのものが上層部しか知らない事実。下部の人間は自分達の能力で成り立っていると考えていたからだった。

 

 どんな組織であっても、時には汚れ仕事が必ず出る。魔導騎士連盟の内部は分からないが、少なくとも大国同盟そのものは穏健では無かった。

 そうなれば必然的に幹部が表に出ない仕事を受け付ける。それを一手に引き受けるのが暗部の役割だった。

 当然ながら裏の仕事には色々な痕跡が残る。下手をすればお互いの恥部を握る事になる為にパワーバランスの観点から中立を保っていた。

 

 だが、誰もが喜んでその仕事を受ける訳では無い。

 不満は澱の様にゆっくりと溜まり、既に限界を超えようとしていた。そんな中でのとある幹部からの入れ知恵。表だった内容でない事は今更だが、それを完遂する事はが出来れば自分達の向上にもつながるはずだった。

 

 

 ───情報を制する者が戦局を制す。

 

 そんな言葉が出る程だった。実際に、日本の沿岸部とは言え、ここまで侵入出来たのであれば、後は実に容易いミッション。そこに失敗の二文字は無かった。

 だからこそ、今の状況を冷静に把握出来ない。戦闘指揮所から分かるのは侵入した人間の使う生体信号だけだった。

 一つ二つならば交戦の結果と言える。だが、突如として複数の信号が途絶えた時点で状況は大きく変わっていた。

 現場が言う様に、レーダーには何一つ映らない。勿論、現場が嘘を言う必要性は何処にも無い以上、その内容を信じるより無かった。

 ここで分かるのは、ぼんやりとした戦局のみ。百を超える人員を僅か十人で対処しているなどとは誰も思わなかった。

 

 

「そうか。周辺海域に、こちらに意識付いた物はあるか?」

 

「いえ。今の所は確認されていません」

 

「上陸作戦の隊長格で、B級はどれだけ残ってる?」

 

「確認出来るのは二人です。撤退させますか?」

 

「馬鹿言うな。B級まで投入している時点で既に問題だらけだ。ここで引けば今後の我々がやりにくくなる。それ位は察しろ」

 

 オペレーターの言葉に指揮官もまたそう言うしかなかった。

 実際にB級までとなれば実質的な正規軍と殆ど変わらない。ある意味最大限の戦力を投入していた。

 二人だけが確認されたという事は、それ以外の人間は全て討ち取られている事になる。通信回線からも会話そのものが聞こえない以上は、その予測が間違っていない事を表していた。

 気が付けば指揮官の手には汗がじっとりと滲んでいる。少なくとも暗部のほぼ全部を投入した戦いは、嘗てこれまでに無い物だった。

 全滅は無いかもしれないが、間違い無く大打撃である事に変わりない。そう考えれば既に指揮官の現状は安泰ではない。

 相手が自分達と同等レベルであれば、まだ話はどうとでも出来る。だが、聞こえてくる音声データから見れば、それは希望的観測でしかなかった。無意識の内に胸ポケットをまさぐる。本来はそこに煙草がはいいてるはずだったが、作戦実行中は手にしない様にと取り出した事を思い出す。それ程までに指揮官の動揺は隠せなかった。

 

 

 

 



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第71話 人知れぬ戦い

 防衛戦と呼ぶには相応しくない景色が広がっていた。

 照明弾を使った事により、周囲は一時的にクリアになっている。本来であれば攻撃する側の一方通行のはずの攻撃は想定を完全に覆していた。

 青龍の行使した抜刀絶技によって、青龍の周囲にあるのは横たわる骸のみ。生命の音は何処にも無い。周囲を見渡しても、増援が来る気配すら無かった。

 当然の様に周囲に気を配りながらも同じ場所に留まる必要は何処にも無い。新たな獲物を見つける為に移動を開始していた。

 

 そんな中、不意に浮かんだのは作戦前の小太郎の言葉。間違い無くこの近辺に段蔵の姿があったと考えていた。照明弾を打ちあげた事によって、この場所で何らかの戦闘行為があるのは明白になっている。そうなれば作戦がどうだと言うだけの余裕は無いのと同じだった。

 

 『鳶加藤』の名は伊達では無い。風魔衆と似た様な部分はあるが、実際に段蔵が同じ(たもと)であった事は殆ど無い。

 実際に所属したのは精々が数ヶ月程度。本来であれば抜け忍としての認識持つのであれば、余りにも短すぎていた。内部での認識は間違い無く抜け忍。だが、小太郎に限らず、今の四神の感覚では抜け忍としての認識は殆ど無かった。

 元々所属したと言うよりも何となく居た。そんな印象が強く、また風魔としての組織や拠点に関しても、驚く程に関心を持っていなかった。

 不意に現れたと思った瞬間、不意に消えている。それが事の真相だった。だが、現代に於いてなお、その名前を受け継ぐだけの実力は紛れも無い事実。まだ自分が青龍を名乗る前は手も足も出なかった。

 仮に今であればどうだろうか。そんな取り止めの無い思考が過る。だが、仮定はあくまでも仮定でしかない。それ以上は不要だとその考えを抹消し、再度可能性に向けていた。戦場が日常の人間がここに来ない道理は無い。来る前提で今後の行動を改めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「官房長官、港湾エリアで正体不明の閃光が発生したと報告が上がりました。軍と警察にはどの様に?」

 

 秘書からの報告に時宗は少しだけ考える素振を見せていた。実際に何が起こっているのかを正確には理解はしていないが、少なくとも間違い無くそこが戦場となっている事だけは確定している。今の秘書もまた風魔の草として時宗の傍に居る為に、何が起こっているのは十分に理解していた。だからこそ指示を仰ぐ。事実、軍と警察を動員させた本人だからだ。

 

 

「両方はその事実を確認してる?」

 

「いえ。情報に関してはこちらに第一報が入る事になっていますので」

 

「因みに、出ているのは何人かな?」

 

「こちらの情報では十名と」

 

「だったら、まだ入れる必要は無い。それに警察は警戒を高めているだけだし、軍は待機中。そうだ、軍に関しては照明弾を発射した何かが近くにあるはずだから、それを捜索する様にしようか。相手が何らかの武装をしているとなれば警察では厳しいだろうから」

 

「黒鉄支部長への連絡はどうなされますか?」

 

「無視だ。どうせ動かない」

 

 時宗の言葉に秘書もまたそれ以上は何も聞かなかった。

 実際に時宗と黒鉄巌は大学の同期でもあり、ある程度の親交もある。そうなれば人物像にも予測が立つと判断した結果だった。

 慎重と言えば聞こえは良いが、実際には何かの問題が起こった際、所詮は支部長程度では何も出来ない。だとすれば一旦は本部に伺ってからになるのが道理だと考えているから。それが時宗の考えだった。

 幾ら目の前に居るのが自分付きの秘書であっても、そんな情報を出す必要は何処にも無い。それ所か、今回の件に関しては時宗の中でも何らかの手段を用いる為には()()()()()()()()()()()()側面もあった。

 既に国会に限らず党内や政府内でも魔導騎士連盟のやり方にはかなりの不満が出ている。表に出ないのはそのキッカケが無いから。今回の様な事案は確実にそのキッカケに値する。だとすれば何も知らなかったで終わった方が何かと都合が良かった。

 

 

「それに、動員させるとしても大義名分が何も無い。幾らこちらが大国同盟が相手だと言っても、それを信じる事は無いさ」

 

「確か、今のトップは………」

 

「そう。KOKの一位だ。そもそも、ここまで大きくなった組織を個人の技量だけで決めるなんて、全くナンセンスだ。幾ら側近が優秀でも簡単に足元を掬われるだろう。今の大国同盟の様に」

 

 時宗はそう言うと、椅子の背もたれに躰を委ねていた。事実、今回の件に関しては完全に大国同盟の側近の暴走で起こった事実。それもとびっきり最悪な結果だった。

 事実上の宣戦布告と同時に侵攻した以上、秘密裡に物事を進めなければ国際問題にまで発展する。伐刀者と一般人では表向きは排他的な感情は出ていないが、組織の中では色々と漏れていた。

 魔導騎士連盟と大国同盟、そして国連。お互いが不可侵を状態になっているが、実際には細かい所で衝突している。

 既に国連の常任理事国と大国同盟の大元が同じ国である時点で異常事態で間違い無い。世間はまだお互いが同じ土俵になっていると勘違いをしている為に余計な感情が出ないだけで、それ以外に関しては驚く程に冷淡だった。

 世界中の治安維持の為には相応の力を時には見せる必要が出てい来る。一番手っ取り早いのは伐刀者を中心とした部隊の派兵。誰もが知りえる最高戦力を投入すれば紛争の大半は無くなるはずだった。

 

 だが、現実はそれ程甘くは無い。大国同盟にしても魔導騎士連盟にしてもその件に関しての介入は一切しなかった。

 態々自分達の内容を相手に伝える義理が無い為に、本当の意味を知る者は少ない。当然ながらその両方は国連に対して何の説明もしなかった。

 そうなれば力を持ち、自分達の都合だけを優先して介入する。そんな印象を強く与える事になる。その結果が今の現状だった。只でさえ、近年にもロシア帝国が揉めた際には大戦の再来かとまで言われている。その結果、たった一人の伐刀者を優先し国は完全に放棄している。一個人によって国家が負けたとなっている為に、組織として対立するのは当然だった。

 たった一人ではあるが、表向きの世界最強であると喧伝すれば多少なりとも同情の余地があるとの思惑があったからなのか、本当に不可能だったのかは分からない。誰もが自分で自分の首を絞める真似をしない以上、その真相は闇の中。

 火薬庫の中で煙草を吸う様な真似はしたくない。恐らく黒鉄巌はその先を読んだ上で行動しているはずだった。

 仮に問題が起こっても自分達はあくまでも本部の指示に従った結果であり、国が窮地に追い込まれた事とは無関係を装う。それが考えられるシナリオだった。

 

 

「それに、小太郎の事は信用している。今回の件に関しては相応の報酬を用意する事になる。出来ればそう伝えてほしいものだね」

 

「では、政府としての公式見解と捉えて問題はありませんか?」

 

「当然だ。自国の生命線を担う人間に対し、報酬を惜しむなんて事はあり得ない。今回の件はそれ程までに政府が注視しているんだ」

 

「承知しました。では、その言葉通りに報告します」

 

「頼むよ。でないと、この国は滅亡に向かう事になり兼ねないから」

 

 既に時宗の表情には剣呑とした物は失せていた。少なくともその十名の中で小太郎を除けば青龍と朱雀が出張っている。仮にそれ以外が下忍だとしても戦力的は過不足は無い。そんな考えが根底にあった。

 それだけではない。仮に今から情報を流した所で戦闘は集結している可能性が高い。下手に動かして結果が残らなかったと言うのも問題は起こる。少なくとも世間には納得させても国会内ではそうはいかない。有事であれば一丸となるかもしれない。だが、今は有事にまで発展させるつもりが無い以上、何らかの土産は必要だった。

 

 

「やっぱり警察……海上保安庁に連絡して付近に不審船や何らかの装置が無いのかを確認する様に、長官に連絡させてくれ。それと海保は発見まで。その後は速やかに軍へと指揮権を移譲する指示も追加で」

 

「承知しました」

 

 秘書は恭しく頭を下げ部屋から退出する。本来であれな緊急で閣議決定すべき事案。だが、ここは総理官邸ではない。危機管理の観点からすれば被害を最小限度に留める必要があった。

 だからこそ時宗は自分の地位を利用して指示を飛ばす。事後報告ではるが、万が一の対策の為にも時宗は総理にも一報を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場となったその場はほぼ決着が着いたと思える程に戦闘音は無くなりつつあった。大国同盟の伐刀者がどれ程の技量を持つのかは分からないが、少なくとも自身の鍛錬よりも異能を中心とした戦い方はある意味では脅威だが、それ以外では然程でもなかった。

 単純に戦うと言うのは簡単だが、そこには戦闘時の思考や技術が加わる。幾ら超人的な力を持とうが、その力が十全に発揮されていない時点で無駄しかない。仮に何の遮蔽物も無く、明るい場所であれば風魔衆と言えど無事だと言い難い結果になる可能性が高かった。

 

 だが、今回に限ってはそんな状況下ではない。闇の中で生きる側からすれば、無駄に力が籠る戦いはそれ程厳しい物ではなかった。

 抜刀絶技を使用したくても闇の中では無駄撃ちする事になる。直撃するのであればまだ対処のしようもあるが、閉ざされた中では完全に的になる可能性が高い。暗部の人間もまたその程度の事は理解していた。

 仮に上陸作戦の中で罠が仕掛けられた情報を持っていれば暗視スコープの一つも用意したのかもしれない。だが、事前情報に何も出なかったからこそ用意はしなかった。一般人の能力では伐刀者に叶うはずが無い。そんな甘い考えを持っていたからだった。

 

 視界不良の中での戦闘。結果的には一方的に終息しつつあった。そんな中、一つ強大な意志がこの地に襲いかかる。それが何なのかを理解したからなのか、誰もがその気配の元を探っていた。

 

 

「総員、その場から退避。こちらの戦局は無視しろ。残存兵を残すな」

 

 青龍の命令に誰もが逡巡する事無く即座に行動に移る。その瞬間だった。上空からの使者は予想通りの人物。仮面に書かれた『鳶』の文字が名乗りを必要とはしなかった。

 

 

 

 

 

「どうやら乗り遅れた様だな」

 

「小物程度を甚振った所で面白味など無い。それよりも、どうだ?久しぶりにやらないか?」

 

「生憎と今は作戦の実行中だ。貴様に構う道理は無い」

 

「もう殆ど終結したろうに」

 

 段蔵の言葉に青龍もまた内心では舌打ちしたい気持ちになっていた。

 指摘するまでもなく、既に戦闘のほぼ大半は終わりを迎えている。本来であれば生かして情報を得るのが本来のやり方だが、対象が暗部である以上、正確な情報が手に入るとは思えなかった。

 だとすれば、身元不明のままに始末するか時宗の回して政治的な材料として活かす。その選択肢しか無かった。

 

 本当の事を言えば段蔵との戦いは、青龍にしても半ば一つの物差しになると考えている。だが、それは平時であってここでは無い。だが、生憎と目の前に佇む男にそんな道理は通用しない事は重々承知していた。

 だからこそ中忍以下に指示を飛ばした。その時点で青龍もまた鏖殺の意識から対個人の戦闘へと変えていた。思考が深海に引きずられるかの様に深く沈み込む。仮面越しであっても気が付く程に劇的に変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人影すらない中での戦闘は突如として始まっていた。実際に何らかの合図があった訳では無い。純粋にお互いの緊張感と戦局が自然とそうさせていた。お互いに思う所は色々とあるかもしれない。だが、そんなちんけな思惑など最初から無に等しかった。

 

 

「ほう。少しは成長をしたようだな」

 

「ぬかせ。貴様の記憶違いだろう」

 

 周囲は事前に人払いをした為に、被害を生む事は無かった。お互いが得物を持たないのは偏にそれだけの隙を与える余地が無いから。持っているのは精々が短刀程の長さしかない苦無だけだった。

 忍びの戦闘はそれぞれが所属する組織によって大きく異なる。それがある意味では一番の特徴だった。

 

 実際に固有霊装や武器を使う際、一般的な作戦ではなく完全なる近接戦闘になった際、得物の間合いは参考程度でしかなかった。実際に槍や刀は確かに無手であれば脅威かもしれない。だが、それはあくまでも一般的な武芸者にとっての間合いであって、忍びの者の間合いではない。

 常に三手から五手先を詰め将棋の様に予測しながら動きを見せる。そこにあるのは互いに死地ともとれす程の空間だけ。僅かに拡がった隙間があればそこから必殺の一撃が侵入してくる。奇しくも七星剣武祭の様な派手さは皆無だった。

 お互いの動きや手の内は完全に割れている。当然ながらそれをクリアする為にには相応の速度と技量が要求されていた。

 

 僅かに聞こえる打撃音。常に互いの隙から除く致命的な物を探るそれは、あたかも舞踊を見せるかの様だった。互いの隙はそこに無く、映画の殺陣の様に紙一重の攻防が続く。

 幾ら仮面を付け、ボディアーマーで体躯を覆っても、尋常ではない速度から繰り出す攻撃は確実に頑丈なそれを切り裂いていた。

 何も知らない人間からすれば、聞こえるのは大気を斬り裂く音と地面を蹴る音だけ。それ程までにお互いは姿を肉眼で確認出来ない程に高速世界の住人となっていた。

 至近距離で放たれた攻撃は常に苦無を持つ為に、その長さまで見極める必要が発生する。僅かでも目測を誤れば、待っているのは黄泉路への旅立ち。それ程までに高度な攻防が繰り出されていた。

 

 

 

 

 

「やはり、成長はまだまだ完全ではなさそうだな」

 

「当然だ。何時までも餓鬼ではない」

 

 至近距離での攻防はお互いの腕が届く範囲で繰り出されていた。手に持つ苦無はほぼ腕の延長でしかない。その為に、互いの攻撃は常にギリギリの部分を完全に見切った上で繰り出されていた。

 仮面越しであれば視界が狭いと思われるも、二人にとってはその視界が日常でしかない。普段から常にあらゆる事態を想定しているが故に、戸惑いは無かった。

 青龍の持つ苦無は段蔵の視界を潰す事を優先したのか、切先は右目を突いていた。勿論、この程度の攻撃が直撃するとは最初から考えていない。意識をそちらに向ける事を優先した行動だった。

 青龍の攻撃の意図は段蔵とて理解している。だからと言って態々青龍の策に乗るつもりは無かった。

 これが格下であれば確実に反撃の意図を持つ事が出来る。が、青龍が相手となれば話は別。既にこの攻撃の先を見通した行動を余儀なくされていた。

 

 視界を潰すのは偏に段蔵の抜刀絶技が瞳術(どうじゅつ)であるから。それが実行されるとなれば厄介以外の何者でも無かった。

 瞬間催眠と言った非戦闘術で使う様なそれは、戦闘時に於いては最悪でしかない。集中した戦闘中はある意味では戦いのみに意識が注がれている為に、意外と無防備になる部分があった。誰もが自分だけはと言った感覚は持っている。だが、それはあくまでも自分の主観による物だった。

 無意識の内に深層心理にまで及ぶ術は、最悪は自分自身への攻撃になる可能性が高い。攻撃を意識した時点で体躯は硬直し、相手から見れば十分過ぎる程の隙を生む。

 特に生死がかかった戦闘であれば、その隙は完全に致命的だった。自らの命を差し出す真似をすれば、待っているのは自身の死。スポーツや競技の様に負けても良いなどと言う考えはそこに無かった。

 互いに闇の住人である事を理解すれば、自ずとその末路は決まっている。それが是か非なのかはどうでも良かった。 

 

 

「少しばかり狙いが露骨だな」

 

 段蔵もまた青龍の攻撃の意図を理解している為に、その攻撃を捌くしかない。勿論、段蔵の中でこの戦いに於いて瞳術を使うつもりは毛頭ない。それ程までに、血が滾る様な戦いを熱望していた。

 少なくとも国内に於いて段蔵の相手をまともに出来る人間は数える程しかいない。KOKであれば『夜叉姫』の西京寧音も居るが、段蔵からすれば完全に興味の無い戦いでしかなかった。

 鉄扇を使うとは言え、その戦闘技術には雲泥の差がある。事実、近接戦闘に於いては段蔵もまた世界的に見ればかなりの上位に食い込んでいる。

 仮に禁呪指定されている『覇道天星』を使用したとしても、着弾するまでの時間で血祭に上げるのは容易かった。接近する速度は尋常ではない。だからなのか、あらかじめ分かり切った戦いは完全に興醒めだった。

 そうなれば確実に対戦できる人間は数が限られている。本来であれば小太郎と戦うのが一番ではあるが、そうなれば確実にどちらかの命が確実に消し飛ぶのは明白だった。

 それだけではない。お互いが抜刀絶技を使う様なそれはもはや純粋な戦いとは呼べないと段蔵は考えている。そうなれば、結果的には段蔵の戦闘欲求はそこで終わる。身勝手と言われればそれまでだが、それで終わりたくないと言う考えを自身もまた持っていた。

 決して青龍を下に見ている訳では無い。お互いの技量を考えれば今の青龍は段蔵と同じステージに並んでいる可能性が高いと判断した結果だった。勿論、負けるつもりは無い。だが、余裕で勝てる訳でもない。ある意味では微妙なバランスになっていた。だからこそ自分が望む戦いに興じる事が出来る。そこにあるのは互いの命を賭けた遊戯と同じ物だった。

 

 

「そのつもりが無い事位は理解してるだろうに」

 

 距離にして僅か七十センチ。それがお互いの距離だった。コンマゼロゼロ秒の世界で互いの攻撃が交差する。拳ではなく刃物だからこそ、その攻撃をどうやって往なすのかが焦点だった。完全に読み切った動きに澱みは無い。互いの繰り出す攻撃は最小限度の動きによって回避されていた。

 

 

 

 

 

 互いに斬り傷と言っても良い程にボディアーマーは斬り刻まれていた。これが只の布であれば確実に鮮血で染め上がる程。それ程までに両者は逼迫していた。

 常に相手の動きを予測する為に、見切る距離は常にギリギリ。この戦いに於いては多少のかすり傷程度は気にする必要は無い。仮にそれを気にした時点でその顛末は簡単に予測できる。そう考えた末の行動だった。

 

 

(これは想定外……だが悪くはない)

 

 この時点で段蔵は自分の予測した成長速度を青龍が上回っている事を実感する。初撃で何となく感じたそれは、今では確実な物となっていた。

 元々風魔衆は忍びの中でもかなり異質な存在となっている。それはこれまでに多様な忍びを配下に収めてきた事による物だった。

 実際に風魔の本領は荒事。諜報活動や扇動に関する事はそれ程巧者ではなかった。だからこそ新たに取り込んだ者達を尊重する。お互いが欠ける部分を分かち合っているからこそ、未だに本当の意味での正体を知る者は限られていた。

 そんな本筋以外の事は間違い無く風魔の十八番。まだ段蔵が風魔に在籍した当時、小太郎と並ぶ二大武力は一時期忍びの世界でも噂になっていた。

 一騎当千ではなく一騎当国。下手をすれば小さな国程度であれば簡単に滅亡へと向かわせる事すら可能とする。『比翼』のエーデルワイスの様に純粋な武力ではなく、あらゆる搦め手を使った上での滅亡はある意味では最悪だった。そこには矜持も無ければ尊厳も無い。ただの結果として残るだけ。それ程までにあらゆる面を凌駕していた。

 

 比翼の様な分かりやすい目印は目標となるだけでなく、周囲にも牽制の意味が働く。その結果、一人が突出しても周りが自然とフォローする形で統制されていた。高額な懸賞金がかけられた所で、全てを撃退すれば問題は無い。それが今の世界での当然だった。

 その一方、風魔に関してはそれ所ではない。卓越した情報操作によって大筋は分かっても、その経緯までは不自然な程に何も無かった。その結果、指名手配などと言った凡俗な手続きは一切されていない。その中には段蔵も含まれていた。

 

 

「確かにな。研鑽をかなり積んだ様で安心したぞ」

 

「相変わらずの上からだな」

 

「事実だ」

 

 近接が故の下半身への攻撃は皆無に等しかった。実際に膝程度であれば繰り出す事は可能かもしれない。だが、一か八かの攻撃に頼るよりも、寧ろ、片足だけになるリスクの方が多すぎた。

 体重移動ができないだけでなく、安定性も落ち機動力も低下する。一定の距離があれば可能かもしれないが、今は互いの腕がお互いに届く距離。そんな状況下では自殺行為と同じだった。

 お互いの苦無の先端が常に交差する。既に思考は深淵の如き深さにまで達し、その先にあるのは究極の未来。本来であれば外部からの妨害が発生するであろう戦いにそれは無かった。当事者はお互いが戦闘速度が合致している為に気が付かないが、周囲から見れば尋常ではなかった。

 

 コンマゼロゼロ秒の世界になれば既に攻撃の手段すら残像となる。目視出来る速度の限界を容易く超え、その先に待っていたのが何なのかを考えるだけの余裕は与えられていなかった。

 攻撃の都度沸き起こる衝撃波は巻き込まれれば無事でいられる可能性は極めて低い。お互いがそれに干渉しないのは自らもその速度域の攻撃と動きをするからだった。

 互いに防いだところで漏れた衝撃波は減衰しない。戦いを職業と捉えている風魔からすれば、青龍と段蔵の戦いは自らのそれとは無関係だった。

 下手に介入する位ならば、傍観するか他の任務に赴く方が余程効率が良い。そんな現実的な思考をしていた。勿論、青龍が負けるとは思っていない。これまでに鍛錬に次ぐ鍛錬の先にあった人物が地べたを這いずる姿を予見出来ないのと同じだった。

 実際にどれ程の時間が経過したのかすら分からない程に濃密な氣はゆっくりと膨張する。まるで限界にまで膨れ上がった風船の様にお互いが発した氣は周囲にも影響を及ぼし始めていた。

 

 

 

 

 

(まだ届かないのか!)

 

 刹那の戦いは肉体だけでなく精神までもが激しく摩耗する。実際に青龍もまたゆっくりと限界に近付きつつあった。

 段蔵は事実小太郎とそれ程違わない実力を有している。それはこの中で誰りも一番理解していた。

 だからこそ、この先の結末が視えてくる。今はまだ辛うじて均衡を保てているが、僅かにでも揺らぎがあればこの戦いはそれで終わる。それは最悪の未来だった。

 このまま手を拱くだけの暇もなければ油断も無い。何も知らない人間からすれば完全な展開ではあるが、青龍の目からすれば僅かに押されている。だからなのか、その瞬間、青龍は段蔵の意図が見えたかの様に感じていた。

 

 

「段蔵!何の真似をした!」

 

「真似?そんな事を思うとはな」

 

 既にお互いは一定の距離を取っていた。それは会話をする為の措置でもあり、また様子を見る為の手段でもある。事実、段蔵の動きにキレはあったがその先は感じなかった。常に獲物を狙うかの様に鋭い意識は何処にも無い。それ程までに異常だった。

 まるで師が弟子に稽古をつけるかの様に動くそれ。そこには毛ほどの殺気も存在しない。だからこそ青龍は珍しく激昂したかの様だった。

 

 

「まだ貴様は未熟なままだ。ここで止まられると困るんでな。せめて俺の居る場所までさっさと昇って来い」

 

「待て!」

 

「待たぬよ」

 

 まるで準備したかの様に、これまでの戦闘は突如として終わりを見せた。まるで時間を稼いだかの様に段蔵の姿は消え去っていく。景色と同化したかの様にその姿は完全に消えていた。

 気が付けば、上陸した人員の命は全て刈り取られている。ここで漸く闇での戦いに終わりを見せていた。

 

 

 



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第72話 謀の崩壊

 時計の針が動く音だけが静寂な空間に響いていた。時間は既に深夜から早朝に近い物へと変わり出している。作戦らしき物が発動した時間から逆算すれば、そろそろ何らかの結果が出ると思われていた。

 

 

「そうか………ああ、分かった。少しだけこっちで時間を稼ぐ事にする」

 

「……ああ。だが精々が業務開始までになる………それなら簡単だ。直ぐに連絡しておこう」

 

 不意に時宗の持つ携帯端末からの着信音はまるで存在を示すかの様に鳴り響いていた。

 事実、着信を知らせた相手は登録されていない番号。本来であれば未登録の番号など無いはずのそれは、誰なのかを語っているかの様だった。

 二言三言だけ話をすると通信はそのまま消える。その相手が誰なのかを考える必要は何処にも無い。小太郎からの話は極短い物だった。

 

 

「さて。済まないが、警察の方には少しだけ規制をかける様に指示を出す。それと、君経由で構わないから、今回の件に関しては追加の依頼を頼む事にするよ」

 

「承知しました。ですが、それは別になりますが宜しいでしょうか?」

 

「当然だ。それに、今回の様な危険度はそれ程でも無いと思うから」

 

 目的を口にしないままに会話だけは進んでいた。幾らここが魔導騎士連盟の支部関連の施設だとしても、万が一の可能性は否定出来ない。本来であれば事前に何らかの確認をするのは望ましいが、時宗は敢えてそれをしなかった。

 下手に出てこよう物なら何かと問題が発生する可能性が高い。常駐する職員の部屋ではなく、明らかに上位の人間が滞在する部屋からとなれば信用問題にまで発展するから。黒鉄巌の性格を考えればあり得ないと言い切る事は出来なかった。

 権力と容易く人をたぶらかし、その認識を大きく歪める。これまでの歴史を見れば当然の事。時宗もまたその魅力がどれ程なのかを理解していた。

 

 事実上の腹心に近く、そしてその暴力は当代一。政府の中でも極一部の人間しか確認していない『魔人』の中でも上位の人間は数える程。本来であれば時宗もまたその権力を使う側ではあるが、風魔との関係はそれ程近しい物ではない。

 今の関係は時宗の思考を小太郎が気に入ったに過ぎず、また、その力を正確に利用するからでもあった。私利私欲におぼれた瞬間、風魔はその掌を容易く返す。それを誰よりも知るからこそ、時宗は正常でいられた。

 だが、自らも伐刀者でもある人間はそうはいかない。

 幾ら自分が正しく律する事が出来たとしても、その周囲までもが正しくは無い。

 既に魔導騎士連盟の外郭団体でもあった倫理委員会は事実上の利権となっていた。現に処分した今でさえも完全に浄化されたとは思っていない。多少は自浄作用が働いているがそれでも完全とは言えなかった。

 信用はすれど信頼はしない。それが今の政府と魔導騎士連盟の距離間だった。

 

 

「そうそう。例の海上保安庁の件はどうなってる?」

 

「湾岸エリアで一隻だけが検索されています。ですが、今の所は令状が無い為に強制的に調べる事は出来ないと下から上がっています。我が国の中ではありますが、外国船籍である為に、調査は出来ないかと思われます」

 

「君なら?」

 

「距離がありますので、正規での手続きをされた方が賢明かと」

 

「何か掴んでるのかい?」

 

「完全ではありません。ですが、例の飛来物はその船からの可能性が高いでしょう。予測と観測された情報から一致していますので」

 

 淡々と時宗の質問に答える秘書もまた、あらゆる可能性を考えた末の回答だった。

 既に時間が経過しているだけでなく、仮に小太郎と言えど海上を移動するには余りにも距離があり過ぎていた。

 移動が出来ないのではなく、見つかる可能性が高い。遮蔽物が無い海上故の結論は、時宗もまた納得できる内容だった。

 

 

「少しだけ助けてくれると助かるんだが」

 

「では、その様に伝えておきます」

 

 当然とばかりに秘書は自分の持つ端末から何かを指示していた。その内容は知るまでも無い。時宗の言葉を正しく理解すれば、それは国籍が偽装された船の制圧に過ぎなかったからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、この後の予定についてだが追加の依頼が入った。直ぐに動くぞ」

 

 周辺に敵勢力の影響が無くなった事を確認した瞬間、小太郎から新たな指示が飛んでいた。

 既にこの周辺は戦域ではなく、今はそれを隠蔽する為の作業へと移行している。

 周辺に飛び散った血糊を除去剤で落とし、骸となったそれは順次ボディバッグへと積めていく。元々風魔の組織の中でも後方支援を専門とする部隊は手慣れた様子で作業を続けていた。

 そんな中での新たな依頼。間違い無く今回の戦いの続きだった。既に戦闘は終了したとは言え、誰もが集中を切らしていない。だからなのか、小太郎の言葉に九人の視線は一気に向けられていた。

 

 

 

 

 

「制圧か。また随分と面倒な事をするんだな」

 

「仕方ないだろう。今必要なのは生きた証だ。交渉一つするにも、ある程度の材料は必要だろう」

 

 外国船籍に近づくのは一隻の巡視船。元々事前に許可が下ろされた船なだけに強引に侵入するのは困難だった。

 勿論、海上を走り抜けるのも一つの手段かもしれない。だが、何の遮蔽物も無い環境下での移動は丸腰で死地に飛び込むのと同じだった。当然ながらそんな物は作戦とは言わない。憂国の感情も無ければ、最初から無駄だと分かっている作戦をするつもりも毛頭ない。その結果、時宗からの依頼によって一隻の船が用意されていた。

 

 車とは違い、海上を疾る船はそれ程速度が出る物ではない。ましてや相手は武装している可能性が極めて高い。その為に、海上保安庁の船に限りなく偽装した物を時宗は用意していた。

 まるで跳ねるかの様に船底は小さく上下に揺れる。本来であればこれ程の速度を出す船を海上保安庁は持っていない。並々ならぬ関心を持った人間であれば真っ先に気が付く可能性があるが、生憎と外国船籍の船の乗組員には違和感すら感じる様な部分は無かった。 

 未だ沈黙をしたままの船は間違い無くこちらの存在を理解しているはず。だが、対外的にこちらへの攻撃はおろか、通信をする事は簡単には出来なかった。

 ここは間違い無く日本の海域。急遽立ち入り検査があったとしても拒むだけの要素はどこにも無かった。

 当然ながら、近くにまで寄った所で反論もまた難しい。それを理解しているからなのか、最接近したにもかかわらず沈黙を保ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海上保安庁の船と思われし物が接近しています。どうしますか?」

 

 オペレーターの言葉に指揮官は表面上は冷静沈着を保っていたが、内心では焦燥に駆られていた。元々今回の作戦に関しては、何時もの様に入念に下調べをする事もなくそのまま実行されていた。

 大国同盟の中でも暗部は特に破壊活動を中心に、非合法な手段を取る事が殆どだった。勿論、表に出来ない様なやり方は褒められた物ではない。一度でもその内情を知れば誰もが眉をひそめる程だった。

 敵対すれば苛烈なまでに相手に喰らい付き、そのまま攻め滅ぼす事は今に始まった事ではない。だが、味方からすればある意味頼もしい物だった。

 絶対的な力で蹂躙する。だからこそ暗部は大国同盟の中でも独立した機関となっていた。今回の作戦もまたこれまでと同じ結果になるはず。指揮官もまたそんな程度の考えしかなかった。

 

 大戦の勝利者でもあるこの国は、歴史の観点からすれば圧倒的な勝利者ではあったが、今は戦時中ではない。大戦が終わってからの数十年。敗戦国もまた着々と地力を高めていた。

 純然たる武力だけでなく、搦め手の要になる経済力。その両輪を激しく回す事によって今日の状況が出来上がっていた。

 

 気が付けば、大戦の戦勝国だった日本は国際魔導騎士連盟の一会員でしかなく、自分達とはかなり異なった立場に立っている。只でさえ判断が遅い組織が、今回の様な事案に対して腰をそう簡単に上げるとは思っていない。最大戦力を差し出す国に対し、他の加盟国は明らかに一段階は下の戦力しか出せない。そうなれば結果的にはこの国は独自で防衛するしかなかった。

 戦局を作り上げるのは現場ではなく、上層部の判断による物。幾ら素早く意思決定をしたとしても、そこから戦力を抽出し、出動させるには相応の時間が必要だった。

 僅かな時間すら惜しむ程に厳しい状況の中での体制の遅さは致命的。軍にしても同じだった。

 警察に関してはこちらが気にする要素すら存在しない。これが冷静な場面であればもっとまともな対処をするはずも、今は完全に冷静さを失ったままだった。

 

 

「そのまま放置しろ。何らかの放送があれば時間を稼げ。その間に、踏み込まれても大丈な様に隠せる物は直ぐに隠せ。奴らも適当に対応するはずだ」

 

 指揮官の言葉に全員が理解する。それと同時に関係各所にもまた通達が走っていた。

 その言葉に誰もが急ぐかの様に行動を開始する。伊達に厳しい局面での作戦を経験した訳では無い。淀みない動きに指揮官もまた僅かに明るさが出始めたモニターから視線を外す事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に良いんでしょうか?」

 

「今さらだろ。それに報酬はもう貰ってる。俺達の仕事はあの船に近づくだけなんだ」

 

 目視でも細かい部分まで確認で居る程に巡視船に偽装した船は近づいていた。

 この船はあくまでも偽装した物であって、決して本当の所属ではない。多額の報酬によって今回の件を依頼された者だった。

 当初に聞かされた条件は明らかに良すぎる。高額の報酬であれば有る程危険度は青天井の様に高くなるのは世の常だった。

 勿論、依頼された内容は船の操縦のみ。相手の船に何らかの事をするのではなく、純粋に近づくだけの内容だった。

 それだけでない。素性は分からないが、明らかにこの船に乗船している人間は堅気ではない事だけは間違い無い。勿論、詮索をしよう物ならば自分達の命すら危ういと感じる程だった。

 第六感を働かすまでもなく感じる空気。触れた瞬間に容易く切れるかの様な感覚に船の操縦をした二人の男は僅かに震えていた。

 

 

 

 

 

「ここまでで良い。後はこちらが勝手にやる」

 

「あの……帰りはどうするんで?」

 

「無用だ。貴様等はそのまま引き返せば良い」

 

 沈黙を破るかの様に小太郎の声が響いていた。相手の船に乗り込むのであればまだ接近する必要があるはず。ここからでは何をどうしても不可能だった。

 だが、その考えもまた否定された以上、男達もそれ以上は何も言えない。只でさえ危険な橋を渡るのであれば、依頼主の言葉は絶対だった。

 ここならば接近していない為に命は護られるのかもしれない。碌な会話もしていないが、何となく乗り込んだ人間の存在が危険なイメージを抱かせる雰囲気は無かった。

 

 

「全員が下船してから、一分後に離れるんだ」

 

「は、はい……」

 

 否応ない言葉に男達は頷くよりなかった。何が起こるのかを判断出来ないが、具体的な指示を出している時点で何らかのやり方があるのだろう位の感覚だけがあった。気が付けば、言葉を発した人間以外の九人が艦橋の裏側へと移動する。その瞬間、信じられない光景が広がっていた。

 

 

「行くぞ」

 

 端的にでた言葉と同時に、誰もが海上を走り出していた。ゆっくりと起こる波でさえも障害物の様に回避しながら最短を疾る。本来であれば動いた際にはっせいする波紋もまた波によってかき消されていた。

 突然の出来事を瞬間だけ呆然とする。人間が海上を疾る光景が珍しかったからなのか、小太郎の指示を思い出したのは予定の時間ギリギリだった。

 

 

 

 

 

 明け方に近いとは言え、それでもまだ闇の方が勝っている時間帯。その僅かな時間で戦端は再度開かれていた。

 至近距離とまでは行かなくとも、目視で約五十メートル。その程度であれば風魔の者からすれば気が付かれる前に接敵するのは容易い物だった。目視で約ニメートル。その瞬間、十の影は素早く飛び上がっていた。

 壁面に足をかけると同時にそのままの勢いで乗り込んで行く。幾らレーダーを確認しようとも、既に内部に侵入した時点で無意味だった。音もなく目的の場所へと移動する。必要な人数以外はそのまま排除する事が今回の要点だった。

 どんな組織でも上位の人間以外が任務の正確な内容を把握しているはずがなく、また、それを捉えた所で何の意味も無かった。目的の艦橋まではそれ程距離が離れている訳では無い。誰もが自らの任務を理解しているからこそ、何の指示も無くその場から散開していた。

 

 

 

 

 

「なあ、この後はどうするつもりなんだ?」

 

「さあな。だが、向かった全員が確認出来ないんじゃ、生存は無いだろ」

 

「それって本当なのか?」

 

「上は隠してるみたいだが、どうやら本当らしい。事実、艦橋のメンバーは誰一人居住区に姿を見せていないんだぞ」

 

 館内をパトロールするかの様に二人組となった男達は当たり前の様に会話を続けていた。本来であれば小銃を肩にかけているはず。だが、この船に近づくそれが海上保安庁の船の可能性が高いからと、一旦は武装を完全に解除していた。

 万が一の事を考えれば精々が護身用にナイフを持つ程度。この船が外国船籍である以上、その可能性もまた低いと判断したからなのか、完全に警戒心は弛緩していた。

 

 

「だとすれば、少しヤバくないか?それに俺達の立場は……」

 

「さあな。俺達の様な下っ端が知り得る情報なんてたかが知れている。仮に責任を被ったとしても俺達には関係の無い話さ」

 

「違いないな。さっさと終わって欲しいぜ」

 

 人の気配すらも感じない廊下は男達の軍靴の音だけが響く。この場所で襲撃を受ける可能性を最初から排除した時点で命運は決まっていた。

 突如として背後から差し出された手によって、男の意識は一気に失う。それをやったのは下忍達だった。

 影に引きずると同時に装備をはぎ取る。周辺に人影が無い事を確認したからなのか、手にした苦無はそのまま心臓へと吸い込まれていた。物言わぬ骸に用はない。万が一でも浮かび上がらない様な処理をされた後、窓から生ゴミを放り出すかの様にそのまま音を立て、海中へと沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなってやがるんだよ!」

 

 船内の状況は不安という名の空気に汚染されていた。当初は気が付かなかったが、何となく船内の雰囲気が異様な物へと変わっている。本来であれば館内放送で一斉に指示が出るはず。にも拘わらず未だそれが出ないのは異常だった。

 何となく気が付いたのは命の危機が迫ったが故の勘。生存本能とも呼べるそれが今の状況を作り出していた。

 

 

「まさかこんな場所まで来るなんて」

 

 悲観に開けるれるのは当然だった。まさかの丸腰の状態を作り上げた上で接敵するなんて考えを誰も考えていなかった。

 未だ何が起こっているのかを完全に把握した者は居ない。だが、これまでに無い程の緊張した空気は船内に居る全員に伝播していた。

 

 

「直ぐに武器庫に急ぐぞ」

 

「大丈夫なのか?幾ら何でも命令違反は洒落にならんぞ」

 

「そんな事言ってたら俺達はあっと言う間に終わりなんだよ」

 

 誰が何を言った訳では無い。高まった緊張感が爆発したかの様に誰もが各自の装備を取りにその場所へと移動し始めていた。足音の数が徐々に多くなる。既に船内の統制は無きに等しくなっていた。

 

 

 

 

 

 

「どうやら戦闘配備につきそうだな」

 

「ああ。こっちも目的地まであと僅かだ」

 

 船内の動きは青龍と小太郎も察知していた。下忍と中忍の部隊には臨時で朱雀を付けている。事実、今回の役割は極めてシンプルだった。

 船内の武装を一度解除させたと同時に確実に数を減らす。混乱を招いた隙を青龍と小太郎が一気に制圧する作戦だった。

 船内の様子は監視カメラでも確認は出来る。だが、始末した現場の全てがカメラの死角でも出来事が故に艦橋は気が付く事はなかった。

 不穏な空気を機械越しに確認は出来ない。気が付く頃には二人の目の前には艦橋の厳重な扉が存在していた。

 

 

「隔壁だがどうする?」

 

 艦橋の手前が故に窓は無く、周囲には迂回する様なルートは無い。可能性の一つとして立て籠もる事を前提としているからなのか、天井にもダクトらしい物は無かった。

 仮に引き返すとなれば無駄な時間が発生する。青龍の思考を遮ったのは小太郎の言葉だった。

 

 

「ならば、向こうから開けさせる」

 

「成程。それが一番か」

 

 小太郎の言葉に青龍もまたこれから何が起こるのかを理解していた。小太郎の持つ抜刀絶技は大気を操る事が可能となっている。暗闇での指向性を持った会話もまたその能力の一端だった。

 幾ら頑強な扉であっても、異能までを防ぐ事は出来ない。頑強な扉はそれ程時間を必要としないままに自動的に開け放たれていた。酸素が減少していたからなのか、扉が開いた瞬間、大気が吸い込まれるかの様に流れる。

 その隙を逃す事無く密集した空間に二つの影が一気に躍り出る。

 そこには慈悲の言葉は存在しなかった。

 

 

 

 

 

「貴様!我々がどこの所属なのかを知ってるのか!直ぐに拘束を解くんだ」

 

「大国同盟の暗部の連中だろ。何を今さら言ってるんだ。それともお仲間と同じ場所に行きたいのか?」

 

 青龍と小太郎を止める事が出来る人間は誰一人居なかった。艦橋(ブリッジ)とは言え、大型船ではなく、中型船に近いこれはそれほど大きくはない。司令官と情報官が二人、それと技術員と思われる人間が三人の計六人だった。

 技術員に関しては最低限の事が出来れば問題無い為に一人を残して斬り棄てている。情報官もまた同じだった。

 目の前の惨状に理解が追い付かないからなのか、二人は共に捕縛されている。指揮官もまた為す術もないままに捕縛されていた。

 

 

「我々の任務は貴様の始末ではない。それは別の人間が考える話だ。そこの女。今回の通信のログと情報を全て開示しろ」

 

 指揮官の言葉を無視するかの様に小太郎は情報官に指示を出していた。戦場に於いては男女の性差は存在しない。本来であれば何らかの言葉が出るのが普通だが、技術員の命を散らした業はあまりにも鮮やかだった。

 銃器を持ってはいたものの、それに手を伸ばす前には喉笛が斬り裂かれている。既に倒れた肉袋からは夥しい赤が広がっていた。

 

 

「ですが………」

 

「ならば消えろ」

 

 反論する事や、逡巡する時間すら与える事なく女の命はそのまま消え去る。気が付けば、もう一人の女が座っていた場所からは黄色い液体が広がっていた。

 元々情報官を失った所で端末さえ生きていれば情報を吸い上げる事は容易い。小太郎が口にしたのは、その手間を省くだけだった。

 情報さえ完全に吸い上げる事が出来れば証人の生死はどうでも良い。時宗からは生かしてと依頼されたが、完璧な情報があれば本当の事を言えばどちらでも良かった。

 

 

「さて、もう一度だけ聞こう。やるのかやらないのか、どちらだ?」

 

 仮面越しの言葉には明らかに殺意が乗っていた。幾ら鍛え上げられているとは言え、目の前で同僚が惨殺された時点で返事は一つしかない。情報官は無言のままに首を縦に振るよりなかった。

 手慣れた操作によって端末からは今回の件に関する通信ログと命令書が浮き上がる。既に隣で捕縛された指揮官もまた口を開く事は無かった。

 画面の情報を全て確認する。この時点でこの船は大国同盟の中でも一部の人間から依頼された事が明白になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「官房長官。例の船より情報を入手したとの連絡が入りました。それに伴い、生存者は二名。指揮官と情報官との事です。それと何らかの形で火事が起こる可能性が高いとの事です」

 

「そうか……ありがとう。直ぐに海上保安庁に連絡してほしい」

 

「承知しました」

 

 冷静な秘書の言葉に時宗もまた小さく溜息をついていた。こちらが裏から手を回せる事は全て完了している。後は完全に政治の話となっていた。

 秘書が言う火事もまた脱出の際に火を点けて退却する為の囮。すべてに於いてが完全に風魔の手の内で行われていた。

 

 

「まだ少しだけ時間があるから、二時間程仮眠を取るよ。それと官邸にも同様に伝えておく様に」

 

「では直ぐにそうさせて頂きます」

 

 既に時間はそれなりになっていた。未だ周辺では何が起こったのかを把握した人間は居ない。日程が滞って居なければ今日が七星剣武祭の決勝となる。これまでであれば優勝に向けたセレモニー等に関する事に費やした時間は、全てが事件の収束に向けられていた。

 官邸では優勝者に関する準備をしながらも今回の事案を同時に処理している。既に時宗の中では誰が優勝しようがどうでも良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件ですが、こちらとしても正式ではなく、極秘裏に動く事にします」

 

「そうだな……下手に大事にするには少し荷が勝ちすぎたか」

 

「情報に関してはどうなってます?」

 

「既に公安に回している。大国同盟も一枚岩では無い事は分かっているが、まさかこれ程(いびつ)になってるとはな」

 

 総理の部屋では人払いをしたからなのか、総理以外には時宗と外務大臣の三人だけがここに居た。

 今後の処理を考えれば何らかの抗議をしない事には次も同じ事が起こらないとは限らない。だが、今回の作戦に関しては表立っての動きは一切無かった。

 海上保安庁からの情報では火災が発生した船には人影あったものの、全てが完全に消し炭となっていた。検視をするにしても死因の特定が出来ない。本来であれば更に細かい検査や原因の特定が急がれるが、今回に限ってはそれ以上の詮索は許されなかった。

 

 

 ────暗黙の了解。

 

 

 それが今回の現場に携わった人間の総意。それ程までに奇異な状況だった。

 緘口令を特別に敷いた訳では無い。事実湾岸エリアに接岸する船がこれだけでなく、焼け残った後から辛うじて分かったのは、この船が何らかの武装船籍であった証拠だけ。下手に情報開示すれば誰かが何らかの責任を追わされる事になるのは必須だった。

 情報流出の懸念に関しては時宗だけでなく外務大臣も心配はしていない。誰もが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだった。

 

 

「実際にはどこの国が?」

 

「例の国ですよ。毎回の事ながら碌な事をしませんがね」

 

「今回の件、大国同盟のエイブラハム・カーターはどう動く?」

 

「まともに返事をするかは知りません。それに右腕のモーリスがまだ療養中です。まともな返事を期待するのは不可能でしょう。なので、今回の件に関しては十分すぎる程に楔を打ち込む事にしました」

 

「……君が言うならそうなんだろうな」

 

 時宗の言葉に総理も外務大臣も口を挟む事は無かった。只でさえ時宗の持つ権力は内閣の中でも最大を誇る。卓越した話術や優れた交渉術。それが世間が感じた印象だった。

 だが、内部から見ればそのどれもが正解でもあり、不正解でもある。それ程までに有言実行していた。事実、総理だけでなく外務大臣もまた時宗の恩恵を受けている。その一端がここにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返った室内には一人の男の寝息だけが聞こえていた。

 本来であればこの寝所に侵入する事は不可能に近い。それ程までに周囲の警戒は凄まじい物があった。

 一国の首席であれば国内外からも狙われる可能性が高い。歴代の誰もが同じ事を考えた末の結果だった。

 周辺に近づくだけでも膨大な数のボディチェックが行われ、顔見知りであっても同じ事。それ程までに厳戒態勢が備えられていた。

 侵入者には容赦はしない。それがこの国のスタンスだった。

 

 

(さて、仕上げとするか)

 

 僅かに空間が揺らぐ。そこから滲み出るかの様に一人の仮面の男が懐剣を手に一枚の紙を手にしていた。書かれた内容は警告文。本来であれば暗殺すらも可能だが、下手に混乱を招くよりはとの考えによって、今回の作戦が実行されていた。

 至近距離にも拘わらず、未だ気が付いた様子はない。事前に強い睡眠性の気体が充満している事もその要因の一つだった。

 一枚の紙を枕元に懐剣で突き刺す。一瞬だけ呼吸音が止まった様にも見えたが、呼吸は直ぐに元に戻っていた。

 その状況を確認したからなのか、再度その姿は消え去っている。起きた際には一度騒動起こるのは当然だった。

 だが、この騒動が外部に漏れる事は一切無かった。そこにあったのは極秘裏に出した命令の一部。通信ログの一部も添えられていたからだった。

 国家主席が知るかどうかはどうでも良かった。その紙を見れば誰なのかは明白だったから。

 遠回しに今回の事件の首謀者が誰なのかを示唆する。この時点で外交に於いての主導権は完全に失われていた。

 

 

 



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第73話 後始末

 

 奇襲攻撃に近い任務は、まさに電光石火の如き動きによって極秘裏に終結していた。当事者でもあった国はまるで何も無かったかの様に静観を決め込んでいるが、実際には恐れの方が大きかった。

 完璧だと豪語したはずの厳戒態勢の警備を掻い潜り、本来であれば命さえもが奪う事を可能だと言わせる程の行為は当人の目覚めと共に発覚していた。枕元にあったのは懐剣に突き刺された一枚の紙。その内容に当人もまたそれが何なのかを理解させられていた。

 これが何も知らない人間であれば怒声や悲鳴の一つも出たのかもしれない。だが、その男は辛うじてその声を止める事に成功していた。

 経緯はともかく、今回の件が明るみ出れば間違い無く世界から袋叩きに合うだけでなく、その地位もまた完全に失墜する程。それ程までに今回の件に関しては極一部の人間だけに内容は留められていた。

 

 

「ですが、今回失った戦力は大きすぎます。批難の一つもしないのは我が国の名声が落ちるのでは?」

 

「貴殿の気持ちは分かる。だが、それを我が国がするのは少々拙い。既に相手は今回の状況を完全に知っている。下手に批難をすれば、今回の一件は間違い無く世界にも広がるだろう。そうなれば我が国は世界の孤児になり兼ねん」

 

「それ程までに警戒する必要があるのですか?」

 

「……間違い無く近い内に接触がある。外務の人間に対策を講じる様に指示するんだ」

 

 明らかに話題が逸らされた事で、それ以上の事は話すだけ無駄だと悟ったからなのか、側近はそれ以上の事は口にはしなかった。仮に口にした所で自分よりも上の人間である以上、自分にも何らかの問題が発生するかもしれない。そんな取り留めの無い事を考えていた。

 だが、ある意味では仕方ないのかもしれない。それがもし自分の身に起こったと仮定した場合、果たして今の様に正気を保つ事が出来たのだろうか。それ程までに衝撃的な事実だった。 

 だからなのか、先日までの勢いは完全に失われていた。今は幸か不幸か全人代の時期ではない為に、今の状況が周囲に与える影響は限定的だった。

 

 たった一晩。それも寝室での出来事が尋常では無い。

 これまでにも命を狙われた事は何度かあった。だが、その全てが未遂で終わっている。

 権力は使う事に意味がある。これまでに計画を掴んだ瞬間に最善の手段を取ったからなのか、本当の意味での襲撃は皆無だった。

 そんな前例を容易く変えたのは今回の件。命の天秤が偶然にも生きる方に傾いただけのそれは、奇跡でしかなかった。生きているのではなく生かされている。その言葉の方が寧ろしっくりとしていた。

 余りの変わりように言いたい事は何となく理解出来る。だとすれば、今回の件に関してはある程度の工作が必要だった。

 幾ら国の頂点とは言え、大国同盟に話を付けるには相応の対価が必要になる。今回の件に関しては完全にあちらの失策の為に、追及される事は無いかもしれない。だが、突然の変節に対してはある程度の説明は必要だった。

 そうなれば、どんな状況であっても当事国と対話が出来るのであれば渡りに船となる。それを大義名分に説明をするしかなかった。

 

「では、何らかのアクションが来た場合、直ちに時間を取る様にします」

 

「そうしてくれ」

 

 気が付けば先日までの自信に満ちた顔はあっさりと狼狽や恐慌にまみれた物へと変化していた。やろうと思えば暗殺すら可能な行為が男に恐怖を叩き込む。完全に精神がへし折られた状況は当然の結果だった。

 

「現時点であの国への侵攻はしない。我々の息がかかった人間にも即刻指示を出すんだ」

 

「……承知しました」

 

 未だに権力にしがみつく有様に、側近はそれ以上の口を開く事は無かった。この国の最高権力者が日和った事を知られれば、それに付随した人間全てが何らかの被害を被る事になる。それだけではない。これまでに多額の資金に物を言わせた政治工作全てが水泡に帰す可能性もあった。

 誰もが完全に従っている訳では無い。これまでの権力の恩恵を存分に受ける人間は少なくない。面従腹背を是として動く人間が殆どだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、早急に動く事にします。今回の件に関しては外務大臣も動く事になるかと思いますが、それで大丈夫でしょうか?」

 

「そうだな。流石に事実上の宣戦布告と同じ行為をされて何もしないのは世界情勢から見れば良い結果にはならないだろうな」

 

「ですが、本当に大丈夫なんでしょうか。確かに動くには十分な証拠ですが、少々勇み足ではありませんか?」

 

 世間の七星剣武祭の騒動は全くと言っていい程に内閣の臨時閣議は荒れていた。今回の件に関しては各大臣に報告されたのは、一部を除けば完全に事後報告だった。危機管理の点から考えれば明らかに悪手でしかない。だが、今回の件に関しては完全に情報統制が為されていた。

 警察と軍に関しては一部の上官を除けば完全のその全容を知る者は誰一人居ない。そう考えれば独断だと言及される可能性もあった。だが、それをやったのが官房長官の北条時宗。

 未曾有の危機を回避したのは偏に情報が完全に足りなかっただけでなく、下手に会議をすればその間に攻め入られる可能性が高い事が公表されていた。当然ながら大臣と言えどただの政治家に過ぎない。高度な判断を自分達に要求された場合、果たして今回の様な解決は可能なのかすら危うかった。

 誰もが今回の決着に関しては容認している。だが、全面的にそれをする訳には行かないからと自分の面子を立てる為の会議でしかなかった。臨時が故にマスコミも今回の事は何も知らない。それ程までに緊急だった。

 

 

「既に首謀国がどこなのかも、立案したのが誰なのかも判明しています。ですが、我が国がそれを名指しすれば今の国民感情は戦争に向かうかもしれません。それ程までに今の情勢は厳しいかと。それと事後報告になりますが、既にある程度の楔は打ってあります。緊急ではありますが、一両日の内に閣僚レベルでの会談も申し込んでありますので」

 

「お言葉ですが、相手は乗ってきますか?無視するのが関の山ではありませんか?」

 

「それは無いでしょう。確実に提案には乗ってきます」

 

 他の大臣が困惑気に話すも、時宗は自信に満ちた表情で言い切っていた。寝所に忍び込んでの証拠を突きつけた事は流石に口には出来ない。だが、何時でもその命を奪うのは簡単だと身をもって分からせた以上、下手に拒否すれば自分が次の日には冷たくなってる可能性が高い。野心に満ちた人間である以上、確実にこちらの言葉に乗ってくるのは当然だった。

 面子を完全に潰したからには、国内の政治基盤にも多大な影響をもたらす。失地から回復する為には極秘裏に会談を受けるのは間違い無かった。

 

 

「それと今回の件は大国同盟の一部の組織も関与しています。そちらの対処も必要でしょう」

 

「ならば騎士連盟の黒鉄巌から経由するのかね」

 

「いえ、あれでは無理でしょう。特に今回の件に関しては我が国から騎士連盟には正式に要請をしたままです。結果的には回答が来るまでに解決はしましたが、我が国の立場から考えれば明らかに権利を放棄した。そう考えるのが妥当でしょう。

 騎士連盟にはこれまでに幾度となく義務を果たした。その結果がこれでは信用は出来ないと考えるのが妥当でしょう」

 

「で、肝心の騎士連盟は何と言い訳をしているんだ?」

 

「事実確認に時間がかかったとだけ」

 

 今回の件に関しては時宗の立場からは正式に騎士連盟に依頼をした結果、間に合わなかった事実だけが残っていた。

 要請をしてから数時間で騎士連盟が判断出来るはずがない。これが小国であれば即座に派遣したはずの戦力も日本と言う国であるが故に判断が遅れていた。

 只でさえ相手が大国同盟であると分かった時点で慎重になる事は分かっている。自分達が動いた事によって大戦の引鉄を引く行為だけはしたくないのが本音だった。そうなれば戦力の派遣には時間を必要としている。だからと言って相手も待つ様な事をするはずが無かった。

 

 結果的には何もせず傍観しただけの存在。それが日本の国から見た騎士連盟の印象だった。勿論、この事実は公表出来ない。下手にそれをすればあっと言う間に国内の大きなうねりとなるのは当然だった。

 これが単純に脱退するか否かであれば問題無い。だが、騎士連盟の活動には経済的な側面もあった。仮に依頼を受けて任務を完了した場合、多額の報酬が個人の懐に転がり込む。

 命を天秤にかけた報酬は意外と簡単に使われる事が多かった。戦場でのストレスは尋常ではない。多額の報酬の大半はそれを発散する為に使われていた。

 魔導騎士の使う金額は一般に比べれば桁が違う。そんな個人消費と同時に、もう一つの経済効果もあった。

 七星剣武祭の経済効果は尋常ではない。放映権から始まり、各種の恩恵は国内の隅々にまで行き渡る。その結果、経済は驚く程に順調に回っていた。

 その結果、税収も跳ね上がる。それもまた今回の頭を痛める原因となっていた。

 

 

「その件に関しては私が騎士連盟に行って交渉します。実際に指揮を執ったのは私ですし、今回の経緯を一番理解していますので」

 

 時宗の言葉に閣僚の誰もが異議を唱える事は無かった。

 当事者が行くのが一番望ましい。それだけではない。今回の交渉に関してはかなりデリケートな部分にまで足を突っ込む可能性があった。

 幾ら加盟国の傘下に騎士連盟があるとは言え、相手は武力を簡単に行使出来る存在。下手な結果で終われば政治生命が断たれる可能性もあった。勿論、確実な結果を残す事に成功すれば確固たる地位に登れるのも事実。だが、あまりにもハイリスクハイリターンである為に、誰もが積極的に動くつもりは無かった。そんな思惑があるからなのか、否定的な言葉を口にする者は誰一人居なかった。

 

 

「そうか……では事務方に指示を出して直ぐに頼む」

 

 総理の言葉に誰もがそれに従っていた。今の内閣であれば時宗が出向く方が良い結果をもたらすかもしれない。そんな期待がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。いや、こっちは問題無い。既に用事は済ませたんだ。チケットが取れたら明日にでも帰国する」

 

 どこか雑多なイメージを持った都市は誰もが一人の青年に視線を向ける事は無かった。これが七星剣武祭の優勝者であれば多少は顔も売れているかもしれない。だが、ここでは東洋人の顔は然程珍しい物ではないからなのか、関心を持つ者は居なかった。

 オープンカフェの為に目の前には策の様な物はあるが、実際にはそれ程防御力がある訳では無い。雰囲気造りの一つとして用意されていた物だった。気が付けばオーダーしたコーヒーがテーブルに置かれている。青年はそのコーヒーの匂いを嗅ぐと、そのまま口にしていた。苦味の中に微かに感じる酸味が主張してくる。名だたるブレンドはこの店の看板メニューだった。

 

 

「ハイ。隣良いかしら?」

 

「何がハイだ。お前の用事は終わったのか?」

 

 青年に近づいたのは一人の女性。青年とは違い、周囲からの視線を浴びるかの様にその存在感を示していた。当然とばかりに追加でオーダーする。ウエイトレスもまた当然の様に青年と同じ物を運んでいた。

 

 

「当然よ。それと色々と動きがあったみたいね。まだ決定ではないけど、政府も動くみたいよ」

 

「そうか。だが、俺達に依頼は無いだろ?」

 

「流石に国の大臣に襲撃する様な馬鹿はいないと思うわ」

 

 本来であれば国防の争点ともなるべき内容。だが、二人の会話を聞いた人間は誰も居なかった。

 まさかこんな場所で国家機密に相当する会話が為されているとは誰も思わない。そんな常識の隙間を突く様な会話だった。

 

 

「幾ら報酬が高いと言え、これ以上はオーバーワークだろう」

 

「そうね。今回の依頼に関しては国防の部分も多いし、個別の撃破褒賞が絡むから結構な資金が動く事になると思うわ」

 

 二人の言葉には重みがあった。今回の作戦は精密よりも速度を重視している。本来であれば騎士連盟が動く案件。だが、騎士連盟が動く可能性が限りなく低い事を時宗は読み切っていた。

 連盟の内部がどれ程混乱しようが、政府や風魔には何の関係も無い。その結果がどうなろうとどうでも良かった。

 だからこそ、細かい部分は然程気にする必要性が無い。自分達がやるべき事がシンプルなのは今に始まった事では無かった。

 

 

「詳細は聞いてないが、今回のはかなりの収益に繋がるんじゃないのか?」

 

「結論は出てるみたいね。後は分配の部分らしいわね」

 

 女の言葉に青年もそれ以上は何も言わなかった。幾ら組織運営をしていないとは言え、今回の報酬はこれまでに無い程の高額になるのは間違い無かった。

 強大な組織の壊滅となれば相応の金額が提示される。下手に軍を動かすよりは安価ではあるが、今回の作戦に関しては動く額面だけ見れば尋常では無かった。

 国防の観点から見れば、明らかに侵略行為でしかない。それを完全に防ぐとなれば支払うべき報酬は軽く三桁の億が必要だった。

 本来であれば確実に国会でも揉めるほどの金額。だが、今回の報酬の為の拠出金に関しては宛てあった。だが、その前提はこれからの交渉に由来する。それを知っているからこそ、誰もが口にする事は無かった。

 

 

「となると時間がかかりそうだな」

 

「そうね。個別の金額もこれまでに無い額になりそうって事は間違いないわね」

 

 当然の様な物言いではあるが、間違い無く事実だった。前回の破軍学園襲撃事件の際にも割と時間がかかったのは、その資金をどうやって捻出するのかが全て。仮に出所がどこであれ、そのお金に綺麗も汚いもない。依頼の対価として貰う側にとってはどうでも良い話でしかなかった。そんな事を考えながら少しだけ熱を失ったコーヒーを口にする。僅かに風味が飛んでいるからなのか、バランスの良かったブレンドは苦味が勝っていた。

 

 

「そう言えば、七星剣武祭の優勝者だけど、黒鉄一輝になったらしいわね」

 

「一輝がか?ステラはどうしたんだ?」

 

「決勝で戦ったらしいわよ。詳しい事は興味が無いから詳細までは知らないけど」

 

 そう言いながら女は手元にあった端末を青年に見せる。そこには大きく結果が掲載されていた。詳細に関しては記事を読めば分かる。だが、青年もまたそれ以上の関心を持つ事は無かった。

 

 

「でも、仮に貴方がそのまま出場してたらどうなるのかしらね」

 

「さあな。元から興味すら無かったんだ。それ以上の事は知らん」

 

「そんな事言うとカナタちゃんが怒るかも。ほら、友人の刀華ちゃんだったかな。結構な実力があったと思うんだけど」

 

 その言葉に当時の事を思い出していた。実際に襲撃された際には割と驚いたが、結果的にはそれまでだった。

 実戦を経験しているとは言え、本当の意味での極限状態を経験していないのであれば、結果は同じ事。ましてや春に邂逅してからはまだそれ程時間も経っていない。初心者であれば何らかの要因で急激に伸びるかもしれないが、それなりに実力を有すると、その伸び率は格段に落ちる。それが全てだった。

 

 

「表の世界の出来事はむこうで勝手にやれば良い。俺達は俺達のやり方がある」

 

「確かにそうかもね」

 

 報酬の回収がまだだから居るだけの存在。それが主の考えだった。回収後に関しては小太郎からも特段何も聞いていない。事前の話では精々が一年程度は在学する事だけを聞いていただけだった。決して一輝の事を貶めているつもりはない。ただ住む世界が純粋に違うだけの事だった。

 

 

 

 

 

「そうそう。彼、『魔人』の世界の住人になったらしいわよ」

 

「……は?何だそれ」

 

「どうやら決勝戦での流れみたいだけど」

 

 『魔人』の言葉に青年もまた珍しく驚いた表情をしていた。実際になれるかどうかは横にしても、そこに至るまでにはまさに血反吐を吐く様な鍛錬を嵩ね、それでなお自らの願いを昇華さえる必要がある。血反吐に関しては無くも無い。だが、願いを昇華するとなれば並大抵の事では無かった。

 

 

「これで同類になったわね」

 

「それでも俺には関係ないだろ」

 

「何か思う所はあったんじゃない?」

 

「無いな」

 

 驚いたのは数秒の事だった。既に冷静になっているからなのか、それ以上の動揺は見えない。女もまたそれ以上は崩せないと知ったからなのか、その話題を口にする事は無かった。

 

 

「報酬に関しては近実中には方針が固まるわ。今、政府も他国と連盟に対話を持ちかけてる。その結果次第ね」

 

「結果も何も、ほぼ決定してるんだろ」

 

「あの人が前面に出てるんだし、当然よね」

 

 ぼかした言い方ではあったが、それが時宗を指している事は間違い無かった。何らかの難交渉になった際、要求されるのは話術ではなく、胆力が要求される。こちらの言い分を一方的に出す以上、結果ありきだった。

 今の政府の中でそれが出来るのは時宗だけ。大国同盟の上層部の人間を助けた事もその一因だった。護衛の話が無い以上、荒れる可能性は皆無。女の言葉を全て察したからなのか、それ以上の会話は無くなっていた。

 

 

「じゃあ、私はこれで。カナタちゃんに宜しくね」

 

 一言だけ告げるとそのまま残ったコーヒーを飲み干して席を立つ。取敢えずの情報共有が終わったからなのか、青年もまた程なくして店を立ち去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件に関しては既に知っての通りですが、大国同盟の侵攻は当方で防ぎました。その件に関してはどの様にお考えですか?」

 

 遠い異国の地で、時宗は場違いと思われる場所で会談をしていた。国際魔導騎士連盟本部。華美とは言わなくともそれなりに豪華な造りとなっている部屋では、その頂点に居る人物『白髭公』と名高いアーサー・ブライトと対談していた。本題は加盟国に対する義務と権利。その意味についてだった。

 

 

「詳細はこちらでも確認している。だが、結果的には何も起こらなかったと聞いている」

 

「それは個人としての言葉ですか?それとも組織の本部長としての言葉ですか?」

 

「どちらに取って頂いても構わん」

 

 自分こそが正しいと言わんばかりの物言いは何も知らない人間であれば確実に戦意を失う程の圧力があった。

 幾ら年嵩を重ねているとは言え、現時点でもKOKの頂点に君臨する力は尋常ではない。衰えた肉体の力を精神が超越するかの様な存在はある意味では今回の役割を明確に果たしていた。

 だが、時宗からすれば所詮はそこまで。権謀術数だけでなく、時には純粋な暴力すらも振るわれる可能性は政治家になってからは数えるのを止める程にあった。

 権力を行使した時点で反対勢力は当然の様に対抗措置を取る。その結果、時宗にまで及ぶケースはこれまでに何度もあった。

 弁論が立たないのであれば直接的な行使で脅しをかける。そうなれば折れるのは政治の側がこれまでだった。だが、時宗はそんな妨害に屈した事は一度たりとも無い。それが今に至っていた。

 

 

「では遠慮なくこちらの言い分だけを。今回の件に関しては公式に要請した事実を加盟国に公表し、我が国としては残念ながらその権利を行使する事が叶わなかった。その為、今後の供託金に関しては来年から二年間を無回答とし、それ以降に関しては従来の額の三割を上限、また、派遣する人材は政府の管理下に置く者とする。なお、内容に関してはその都度吟味し、不可と判断した場合、拒否する事をここに明言する」

 

 これが日本が国際魔導騎士連盟に対しての公式回答だった。事実、起こったかどうかではなく、情報を政府が統制している時点で漏れる事は無い。それと同時に騎士連盟もまた今回の襲撃の数を正確に把握していなかった。

 本来であれば日本支部が情報を収集するのが建前で、実際には依頼する側がそれを示す。だが、今回の件に関してはその情報を掴んでいない為に、要請に関しては厳しい結果となっていた。

 仮に大国同盟の襲撃が百を超えると分かった場合。確実にその国が沈むのは明白だった。それ程までに魔導騎士の能力は隔絶している。それを知らない時点で話合いは最初から不可能だった。余りの物言いにアーサーも僅かに目を見開く。まさかの言葉に即座に言葉が浮かばなかった。

 

 

「それだと日本はどの組織にも属さない事と同じだ。そんな事が許されるとでも思ってるのか!」

 

「許される?言葉を間違えるな。許すかどうかは此方が考える話だ。権利を行使出来なかった事を説明するのは我々だ。内容が内容なだけに公表はしない。だが、今回の顛末に関しては一定以上の人間全てが知る事になっている。仮に我が国で何かが起こった場合、其方は何が出来るのかね?」

 

 この状況下で接触する以上は何らかの抗議である事は本部側も事前に予測していた。だが、その予測は結果的には甘すぎた。只でさえ義務を一番果たした国が権利を受け取れないとなれば報復措置は当然の事。今回に関しても、何とか煙に巻くやり方で一旦は時間を稼ぐつもりだった。その最中で互いの妥協点を作り出す。そのつもりだった。

 

 

「安心してくれ。我が国は組織から脱退するつもりは無い。ただ、これまでの義務を果たした分の回収をするだけだ。それと今回のこれはお願いじゃない。政府としての決定事項なんだ。その辺りを間違えないでほしい」

 

 国際魔導騎士連盟は加盟国からの拠出金で運営されている。仮に戦力を派遣する際には派遣元の国から報酬を得る事が出来る。だが、肝心の運営そのものには関係が無かった。運営費に関しては各国の資金で賄っている。その中で日本が加盟国での最大の支援国だった。それが事実上の手を引くとなれば運営そのものが立ち行かなくなる。本部長をしているが故にその事実はハッキリと見えていた。

 

 

「何が目的だ?」

 

 突然の言葉ではあったが、時間の経過と共にアーサーも冷静になっていた。今の話が正しければ何らかの目的がある様にも感じる。これが一端の政治家であれば時宗の思惑に気が付いたのかもしれない。だが、アーサーは魔導騎士であって政治家ではない。思惑が何なのかを確かめるには直接聞くより無かった。

 アーサーの問いかけに、時宗もまた僅かに表情を崩す。本当の目的が何なのかを漸く口にしていた。

 

 

「今回の事の発端が何なのかを知っているかね?」

 

「大よそながら……だな」

 

「では単刀直入に言おう。今回の件を未然に防げたのは相応の戦力に依頼したから。悪いが、ここに所属する魔導騎士など比べものにならない位にだ。

 それと現場の判断を一旦委ねたやり方は緊急時には対応できない。未然に防いだのではなく完璧な防衛に基づいた結果に過ぎない。今回の件で我が国はこの組織運営の方法に疑問を持った」

 

「我々のやり方が拙いとでも?」

 

 先程とは違い、アーサーの躰からは覇気が吹き上がるかの様だった。これまでに治安維持の一翼を長きに渡って担ってきた自負はある。これが素人の戯言であれば気にする事は無い。

 だが、時宗の立場は事実上の最高位と同じ。そんな立場からの物言いにアーサーもまた憤るだけの矜持があった。

 無意識の内に吹き出る覇気。一介の政治家であれば確実に驚くそれを時宗は容易く流していた。

 

 

「だからそう言った。今回の顛末は大国同盟の中での権力闘争による物。それに伴う侵攻だ。我が国からすればそんな事はどうでも良い。この組織の腕の長さが短いのであれば足りない分を伸ばすしかないだろうと言う話だ」

 

「どう言う事だ?」

 

「実に簡単だ。国際魔導騎士連盟の中での我々の立場が一段低いからこうなった。であれば迅速な対処が出来る地位に置くのは当然だと思わないか?」

 

 時宗の言葉にアーサーもまた考えていた。大戦の結果からすれば確かに日本が時事上の代表になってもおかしくは無い。だが、組織が立ち上がり時間の経過からすれば日本の加盟は完全に遅すぎた。

 当時でさえも揉めた内容。ましてや今は大戦の結果など重視する要素はどこにも無かった。

 

 

「それは無理だ。自分の一存では決められない」

 

「当然だ。だから実感してもらうんだよ。緊急時に配備される事無く防ぎ切った国。加盟国の中で一番血を流す国を蔑ろにするのであれば、他の加盟国もまた同じ事をするのが当然だと思わないか?

 ああ、間違いの無い様に言えば、今回の事案は我が国が独自で解決した。だから、理事国の国も独自で対応してくれって話だ。勿論、要請があれば考え無くは無い。だが、それだけの権力を誇示するんだ。実力は言うまでも無いと思うが」

 

 時宗の言葉にアーサーは内心歯噛みしていた。日本は全体の中でも質と数が共に充実している。その結果として派遣する際には真っ先に連絡を入れていた。

 だが、時宗が言う様に実績を前面に出した場合、理事国の質と数は完全に劣っていた。そうなれば他の加盟国からも不満が噴出する事になりかねない。そうなれば完全に組織が崩壊するのが目に見えていた。

 そんな中、時宗のスーツの中から携帯端末の音が響く。事前に予測していたからなのか、時宗の表情は笑みを浮かべていた。

 

 

「どうやら他の国も我が国の主張を認めるらしいよ。特に米国、中国、ロシアがね」

 

「まさかとは思うが………」

 

「そのまさかだ」

 

 時宗の言葉にアーサーは完全に狼狽していた。今回の騒動の中心的な国だけでなく、大国同盟の主要国が容認している。その時点でアーサーが出来る事は時宗の主張を飲む事だけ。仮に日本が大国同盟の組織に組み込まれた時点で魔導騎士連盟の力は弱体化は免れない。『解放軍』の一部に接触している情報があるとは言え、それよりも日本が離脱する事の方が大きかった。

 既にアーサーが打てる手は何一つない。そこから導き出されるのは一つの事由だけだった。

 

 

 



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第74話 想定外

 

 北条時宗とアーサー・ブライトが非公式に会談を行う少し前、大国同盟の主要国のトップを中心とした会議は熾烈を極めていた。

 これまでであればこんな状況になる事は早々無い。精々がどこかの国に攻め込む為の組織運営をする位だった。だが、現時点ではそんな予定は何処にも無い。にも拘わらず、部屋の空気は緊迫感に包まれていた。

 一番の問題は中国が何の了承も無く勝手に日本に攻め込んだ事に対する措置だった。当然ながら誰もが好き好んで再度世界大戦の引鉄を引きたいとは考えていない。以前にロシアが行った際にも何かと問題視された事が要因だった。

 

 今の世界情勢は色々な意味で混沌となっている。本来であれば世界の秩序を正すのが目的の組織も、気が付けば世界の覇権を握る方へとシフトしつつあった。

 最大の問題は『解放軍』の扱いについて。世界的に見てもテロ集団である事に変わりは無いが、その内容は完全に解明された訳では無い。精々が組織の頂点に『暴君』が君臨し、それがカリスマとなって補佐するかの様に『十二使徒』が組織を拡大していた。

 だが、その栄光が長きに渡って続く事は無い。

 人間に限った話ではないが、生命であれば寿命は必ず存在する。当然のながら世界大戦時から存命しているとなれば、残された時間がそれ程無い事は周知の事実。

 一般的に知られている訳では無いが、同じ世界に生きる者であればそれの存在は絶大だった。混乱のカリスマによって肥大した組織はそのカリスマが没する事になれば空中分解する。大国同盟もまた、そのおこぼれにあやかる為にと様々な工作をしかけていた。

 当然ながらその情報は大国同盟だけではない。国際魔導騎士連盟もまた同じだった。解放軍の中でも比較的話が出来て、実力がる個人や組織には砂糖に群がる蟻の様に人が寄せられる。その結果が、今の解放軍だけでなく、他の組織にも事実だと喧伝するのと同じだった。

 当然ながらその行方を見据えた動きを示す組織もある。だが、自ら動く組織は残念な程に小粒だった。組織を拡大化する為にはある程度は仕方ないのかもしれない。だが、それだけで満足するはずが無かった。

 

 人財の草刈り場となった今、出来る事なら自分達の能力を示した方が他の組織にも名と力を見せつける事が出来る。その中で白羽の矢が立ったのが日本国だった。

 世界大戦の雄でもあり、未だ実力者をかなり排出する国。その国を従える事が出来るのであれば、今後の話にも色を付ける事が出来る。そんな俗な内容が発端となっていた。

 非合法だろうが何だろうが、結果さえ示せば後は如何とでも出来る。それ位の対価は当然だとばかりに極秘裏に作戦は開始されていた。

 だが、その作戦は程なくして崩壊する。魔導騎士連盟の情報を抜く為にも数人の密偵を忍ばせはしたものの、結果的に魔導騎士連盟が動かない事が確定していた。

 幾ら実力者を排出しているとは言え、仕掛けるのは奇襲攻撃。しかも騎士連盟が主催となっている七星剣武祭の開催中となれば動揺は大きいはず。経済と武力。どちらも重要ではあるが、優先順位はかなり難しい物だった。

 そうなれば多少の被害が出ても益はとれる。そんな考えがそこにあった。だが、そんな甘い考えは簡単に崩壊する。

 まさかの結果に手痛い反撃は完全に想定外だった。その結果、会議が紛糾するのはある意味では自然の摂理とも言えた。

 

 

「我々とて、まさかあんな行動を許すとは思わなかったんだ。これで責任を取れと言われても困る!我が国は宣戦布告などした覚えは無い!」

 

「馬鹿を言うな。元を正せば貴国が勝手に侵攻したんだろうが。我々は然るべき手順を踏むつもりで交渉したんだ。こちらに出た被害に対しての責任逃れは止めろ!お蔭でこっちの計画も大幅に狂ったんだ!」

 

「何が宣戦布告だ。この通信ログが本当ならば、それをしたのは貴国だろう。我が国は無関係だ!」

 

「誰もが揃って負け犬の発言とはな。実にくだらない」

 

「事実上の寝首をかかれた事実をどう言い逃れするんだ。開き直れば良いとは言えんぞ!」

 

 奇しくも日本から放った影は中国、米国、ロシアの頂点に同じ事をしていた。幾ら警備体制を厳しくしても、そんな物など児戯だと嘲笑うかの様に全てを無にし、枕元に懐剣と共に紙を差し込む。これにそれなりに時間が開いていれば何らかの警戒も出来たのかもしれない。だが、ほぼ同日にそれが起こった時点を誰もが完全に虚をつかれていた。

 自分の命は誰もが惜しむ。ましてや国の政治の頂点であれば尚更だった。権力の亡者とも取れる人間だからこそ同じ様にシンパシーを感じているのかもしれない。偶然にも刺した後がある紙を中国以外の首脳が用意した時点で、今回の件に関しては紛糾は想定内だった。

 

 

「だが、こんな真似が出来る人間を抱えている組織に覚えはない。誰も知らないのか?」

 

 想定外の出来事ではあったが、この場には各国の代表者しかいない。お互いが言いたい事を言い合ったからなのか、既にこの場の内容はざっくばらんな物へとなりつつあった。

 大国同盟が誇る暗部でさえも確実に葬り去る事が出来、かつ自分達の寝所にも易々と侵入する。この場に居た誰もが口にしないからなのか、お互いに詮索する事は何もしなかった。

 誰とも付かない言葉に、その場にいた誰もが沈黙する。そんな中、一人の男が何かを思い出したかの様に口を開いた。

 

 

「……今回の件とは関係ないかもしれないが、一つだけ心当たりがある」

 

「ほう。ひょっとして騎士連盟以外にそれ程の戦力を抱える第三者があるとでも?」

 

「第三者と言う点であればそうかもしれん。この場に居る誰もがそれぞれ責任ある立場だ。これからは話す事はオフレコで頼む。それと、これはあくまでも事実だが、若干の憶測も入っている。我が国の諜報部でも極秘事項なんでな」

 

 突然の言葉に誰もが一旦は話を聞く事にしていた。下手な情報であれば簡単にその整合性を確認出来る。ましてやこんな状況下で嘘を言った所で仕方がなかった。だからなのか、何の予断も無く男の話を聞く。それは最後に行われた作戦での出来事だった。

 世界大戦からもたらされた現在の中で、一つの国が自らの恥部とも言えるそれを公表する。当初は信じる事は出来なかったが、話が終盤にさしかかるにつれ、それぞれの顔が何らかの感情によって歪んでいく。誰もが口にはしなかったが、それが何なのかは言うまでも無かった。

 何故なら今回参加した国でも同じ事が起こった事実があるから。歴史の闇とも言える事実が故に誰もが揶揄する事無く聞き入っていた。

 

 

 

 

 

「少なくともその話が事実だと仮定した場合、近日中に何らかのアクションはあるだろうな」

 

「少なくとも大国同盟が勝手に暴走した事にしたとしても監督責任は追及されるだろう」

 

「後はどんな要求が来るのかだな」

 

 話の後、誰もが予想した国は一つだけ。しかも、今回の件も同じレベルであれば確実に何らかの接触があるのは当然だった。勿論、正確に各国が関与した訳では無いと言い張る事は出来る。だが、未だ眠ったままの獣を起こす真似だけは誰もがしたくなかった。

 仮に突っぱねた所で、次に待っているのは永遠の眠りへの旅立ち。一度眠れば二度と目覚めない可能性だった。

 そんな中、場内の各々の端末がまるで一斉送信したかの様に小さく鳴る。それは万が一の際に届く緊急時のアラームと同じ音だった。

 誰もがはばかる事無く確認する。送られた内容は微妙に異なるが、それぞれの内容は同じだった。日本からの緊急会談の開催。まさかの行動に、この場に居た誰もが思わず息を呑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんな簡単に事が進むとは思いませんでしたね」

 

「事前の予想通りだったからね。とは言ってもあまりの拍子抜けに事が進んだのは驚きだったな」

 

 一機の飛行機が太平洋上を優雅に飛んでいた。本来であれば政府専用機を使用する事が多いが、今回に関しては敢えてそれは使わなかった。元々今回の襲撃に関してはマスコミでさえもキャッチできない程に極秘裏に進んでいた。

 これで時間がかかれば動く所もあったのかもしれない。だが、その企みもまた一瞬と言っていい程の時間で完了していた。

 周囲の警戒が高くなっていたのは七星剣武祭における治安維持を高める事を目的とする大本営発表。本来であれば何らかの裏があると考える人間も居たはずだったが、今回に関してはその限りではなかった。

 

 幸か不幸か今大会の優勝者は破軍学園所属の黒鉄一輝。決勝の相手は同じ学園のステラ・ヴァーミリオンだった。一輝が世間が言う所のF級でありながら国際的にも数少ないA級のステラを下した事。それと、以前に捏造記事が飛んだ事による、様々な憶測がマスコミを集中させる結果となっていた。

 試合を見ずに飛ばし記事を確認であれば、今大会は八百長だと口にするかもしれない。だが、生憎と決勝戦は公共の電波で流れ、試合もまた常に二転三転する事から、それが八百長を疑うレベルでは無かった。

 お互いが満身創痍の中で戦った決勝は、少なくともここ近年の中でも一・二位を争う程のベストバウト。一旦は魔力が枯渇したものの、再度復活した場面は驚いたが、それもまた主催者から本人のコメントと言う事で発表されていた。

 興行が盛況になれば、それ以外への意識は完全に低下する。その為に、今回の件に関してもあっさりと動く事が出来ていた。

 

 

「しかし、あまりにも鮮やかな展開は予想しなかったが、この件に関しては官房長官の手腕をあるだろうな」

 

「そうなんですか……ですが、どうして北条官房長官は総理を目指さないのでしょうか?今回の件に関しても、僭越ですが我々が動くよりも、もっと良い結果を我が国にもたらすかと思いますが」

 

「……そうか。やはり官僚からすれば疑問か」

 

「いえ。そう言う訳では無いんです。ただ、何となくそう思っただけなので」

 

 補佐官の言葉に大臣もまた苦笑するしかなかった。この補佐官はある意味では若いが故に物事の道理や官僚の社会をあまり深くは考えていない。だが、それはある意味では真理だった。

 政治家を長くやればやる程、それが当たり前の様になり、気が付けば上を目指す人間の殆どが権謀術数の世界に引きずり込まれる。当然ながら言葉の裏には常に何らかの意図があり、その結果として自分に有利な展開に持ち込むのが常だった。

 

 北条時宗と言う人間は傍から見ればそんな世界とは無縁の存在だった。だからこそ選挙でも負けた事はこれまでに一度たりとも無い。それ所か常にダブルスコア以上の差をつけていた。政治家であれば何らかの裏に一つや二つあってもおかしくはない。政治の世界では若手と呼ばれる人間が官房長官の座に居る事すら前例がなかった。

 一般人からすれば時宗を選んだのは先見の明があったと思おうかもしれない。だが、実際にはこの世界の中でも一番権謀術数に長けた存在だった。だからこそ党の中でも時宗の提案した人事に口を挟まない。今回の総理に関しても同じだった。

 国会の首班指名では野党からの対立候補も出るが、いざ投票となった際に、野党の大半もまた与党へと投票していた。何も知らない人間からすれば人望があるとさえ思える。だが、実際には裏工作による結果だった。

 

 

「世の中には色々な政治家が居る。仮に同じ党に所属していたとしても、それぞれの政治に対する理論は違う。ただ、官房長官のやり方が非現実的に見えて、一番確実にやっていた。それだけだ。それに、好奇心に溢れて近寄れば手痛いしっぺ返しがあるかもしれんな」

 

 大臣の言葉に補佐官もそれ以上の事は何も言わなかった。好奇心は猫をも殺す。まさにそんな言葉がピッタリだった。補佐官もまたその空気を読んだからなのか、それ以上の事は何も言わない。誰が政界の主導者なのかを漸く理解していた。

 事前にあれだけ緊張した空気が、今はこれまでに無い程の成果をもたらしたからなのか、ゆったりとした時間だけが流れる。まだこの仕事は始まったばかり。寧ろこれからが本番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……案外と知られていないか」

 

 独り言の様に呟いた言葉ではあったが、その言葉を聞いた人間は誰も居なかった。

 時宗からの緊急的な依頼は下忍や中忍では対処出来ない為に、必然的に青龍や朱雀の元へと舞い込んでいた。幾ら厳しい警戒体制を敷いているとは言え、所詮は素人に毛が生えた程度の防衛体制。少なくとも風魔の眼から見れば警備など無に等しかった。

 忍びの本分とも言える対象者への攻撃は日常茶飯事の出来事。やろうとすれば暗殺など児戯と同じだった。

 だが、今回の件に関しては時宗の依頼を小太郎が受けている。その結果とし対象者の暗殺ではなく、警告に留まっていた。

 

 

「多少の事は知っている。その程度だろうね。仮に気が付いた所でどうしようもない。下手に口にすれば今回の件は確実に世界に広まるんだ。

 誰だって歴史に於いて最低最悪のレッテルを貼られたくは無いだろうしね。それに、知られたからと言ってどうにでも出来るんだろ?」

 

「当然だ。あの程度で暗部なら他の忍びと戦う事の方が面倒だからな」

 

 小太郎の言葉に時宗はうっすらと笑みを浮かべるよりなかった。

 事実、暗部と風魔の戦いは一般的な常識から考えれば明らかに逸脱していた。

 伐刀者の戦闘力に加え、暗部特有の戦い方は、真っ当な戦いしかした事が無い人間程確実に嵌る戦法だった。人間の感知できる範囲外からの攻撃がどれ程なのかは誰もが想像できる。だからこそ暗部との戦いは熾烈を極めるのが当然だった。

 そんな厳しい内容であっても風魔に限らず忍びの者からしれば児戯と変わらないのは、偏にこれまでの長きに渡っての経験が圧倒的だったから。

 策動と謀略。暴力に明け暮れ、只管それを昇華させる行為を延々と繰り返した一族からすれば、当然の結末でしかない。忍びの方が厳しいと思うのは、偏に同じだけの歴史があるから。

 同族程厄介な物は無い。小太郎に限らず、忍びの世界に生きる者は皆が同じ考えを持っていた。

 

 

「だが、我らが戦場に出向くとはしない。我らにとってメリットは何処にも無いんでな」

 

「それは知ってるさ。今回の件に関しては、元から政治マターなんだ。あの程度の組織を潰すだけなら簡単だ。だが、あの程度の組織と言えど影響は大きい。この国の理を追及してから改めて考える事にするさ」

 

 あっけらかんとした時宗の言葉に小太郎もまたそれ以上の事は何も言わなかった。事実、国内の中では風魔が一番の勢力となっている。実際に風魔は都市伝説に近い程に情報を完全に掌握している。世間の中でも本当に一部の人間のみが何となく知っているだけだった。傭兵として動く際には、風魔としての名は伏せてある。明るみに出ないが故に勝手に想像し、自滅する。そんな策略がそこにあった。

 

 

「政の世界には興味は無い。我らとしては対価さえ貰えればそれで良いだけの話だ」

 

「今回の件に関しては既に内々には話はついてる。後は決定させるだけになってるから」

 

 大国同盟とその背後にあった国との対話は既に完了していた。

 元々後ろめたい思惑を持って行動した結果が今に至る為に、事実だけを伝える事は最早折衝ですらなかった。こちらが再度世界の覇者を目指すならともかく、今の世界情勢ではありえなかった。だからこそ時宗の提案に騎士連盟だけでなく、他の国も縦に首を振るだけ。既に水面下での決着している以上は、世間に対して公表するだけだった。

 

 

「それに、今は動くには丁度良いタイミングなんだよ。ほら、例の彼が優勝したから」

 

「ああ。魔人になったって話だったな」

 

「相変わらず耳が早いね」

 

 これまでの流れからすれば七星剣武祭の記事は一週間ほど一面を飾る傾向が強かった。実際には優勝者へのインタビュー記事から始まり、各試合の検証など国内はそれに染まる。マスコミもまた金になる情報を優先する為に、今回の機密を知る機会は全くなかった。

 なんな中で黒鉄一輝の魔人としての覚醒は一部の実力者が知る事になった。運命の輪から外れた存在。裏を返せば自らの行動によって世界の因果律すら返る可能性すらある。それを可能とする程の力を有するからこそ、どの国も秘匿していた。

 当然ながらデメリットもまた存在する。運命が決まっているのであれば、ある程度逸脱した際、修正力が働く。その結果として自分の命が守られる事もあった。

 だが、因果律から外れた時点で対象外となる。ある意味では完全な事故責任の世界。仮に力を行使しようとすれば、場合によっては命すら狙われる可能性もあった。

 

 

「生き残る為には情報収集は当然だ」

 

 本来であれば酒の一杯でも酌み交わすのがこれまでだった。だが、今回そんな事までいたらなかったのは、偏に時宗が多忙を極めているから。小太郎には全く関係の無い話しだった。

 僅かな時間に生まれた隙間。それが僅かに休息を呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七星剣武祭の喧噪が終わる頃、各新聞やニュース媒体には一つの事実だけが記載されていた。誤報であればこれ程までに大量の情報が流れるはずがない。一つの国と言う観点から見れば些細な情報かもしれない。だが、その立場に居る人間からすれば驚愕の内容だった。

 

 

「寧音。今回のこれは何がどうなってるんだ?」

 

「さあね。本当の事を言えば、今回のこれに関しては上だけが知る極秘情報って事だけさね。勿論、魔導騎士としての義務を果たす側からすれば、本当の情報は降りてこないだろうね。兵隊が司令官の考えを知った所でどうしようもないんだし」

 

 

 ────日本が国際魔導騎士連盟の主要理事に就任。それに伴い、副本部長人事は現日本支部の黒鉄巌氏。

 

 

 ニュースのトップ記事にはでかでかと書かれていた。詳しい事は分からないが、これまでの境遇から一気に変更されたからなのか、これまでの上位理事国に日本が初めて就任する内容だった。記事だけ見れば確かに大した物だと言える。だが、これまでの一連の内容を知る側からすれば、今回の件に関しては完全に寝耳に水だった。

 一輝の件から見た黒鉄家では本来なれるはずがない立場。にも拘わらず、就任するのは異様としか思えなかった。

 

 

「ただ、噂程度なら流れてるかな」

 

「噂?今回の件が絡んでいるのか?」

 

「クロ坊の優勝は関係無いさ。ちょっとばかり裏交渉が為されたらしい」

 

 寧音の言葉に黒乃もまた少しだけ表情が歪んでいた。

 裏交渉となれば誰かが何らかの交渉を持ちかけた事になる。政治の話であれば分からないでもない。だが、今回に限っては完全にそんな事は無かった。

 幾ら交渉をしようが、今の流れを変える事は出来ない。大戦の戦勝国がどうかは既に建前にもならない程に風化している。可能性があるとすれば何らかの失態を本部がした以外になかった。

 

 

「どうやら七星剣武祭の開催中に何かトラブルがあった。そんな噂」

 

「大会が隠れ蓑にでも?」

 

「隠れ蓑じゃなくて、大会そのものを利用されたって事」

 

 寧音の言葉に今回の大会の不自然さを黒乃は思い出していた。襲撃事件から突如として特例措置での選手の出場に始まり、かつてない失格者と誤審。それと同時に一人の選手が失踪した事だった。

 決勝戦が盛り上がった為に、その部分をクローズアップしたマスコミは少なかった。だが、大会の関係者からすれば違和感だけが残っていた。

 これまでに無い事実と今回の発表。どんな考えがあったのかは分からないが、関連性は少なからずあったと誰もが考えていた。勿論、情報操作した訳では無い。偶然の一致によるミスリード。だからなのか、真実に触れた人間は誰一人居なかった。

 

 

 

 

 

(まさかこんな手で来るとは!)

 

 公式発表後、黒鉄巌の周辺には色々と激励と賞賛の連絡が途絶える事は無かった。政治に限らず、伐刀者の悲願に近い内容。それも『サムライ・リョーマ』の孫が関与しているとなれば尚更だった。

 事実、国際魔導騎士連盟の公式発表が同じだった為に、誰もがその情報を鵜呑みにする。これが自分の努力の末であれば黒鉄巌個人としても鼻が高くなるはずだった。だが、実際に提示された内容は発表とは真逆の内容。表面上は笑顔で対処したものの、内心はドス黒い感情に晒されていた。

 

 

 

 

 

「今回の件に関してだが、我々の落ち度である事に間違いは無い。実際に他の理事国とも協議した結果だ。君はそのまま日本支部の支部長を兼務しながら、新たな業務もこなしてくれ」

 

「ありがとうございます。では、今後の件に関してのレクチャーが近日中にあると?」

 

「いや、その件に関しては不要だ。業務内容はこれまでと同じで構わない」

 

「同じとは?」

 

 アーサー・ブライトからの言葉に黒鉄巌もまた疑問を持っていた。発表に関しての事前通知が無く、また業務に関しても直接の関与はしない。レクチャーをしないのは、そんな意味が含まれていた。言外に伝えらえれた事を理解したからなのか、黒鉄巌の表情には困惑だけが浮かび上がる。それを理解したからなのか、アーサーもまた、続けて今回の人事の事を説明していた。

 

 

「……それでは傀儡と同じでは」

 

「どう取るかは君の自由だ。我々はそう判断した結果だ。それが嫌なら退任したまえ」

 

 屈辱。一言で言えばその感情が最初だった。今回の件に関しては完全に自分の判断が間違ってはいないが、配慮が無かった事が要因だった。

 大国同盟の組織に関しては伏せられていたが、今が何の変化も無い以上、問題が無いと考えるのは当然だった。だからこそ下された内容に納得できない。そんな感情で支配されていた。

 

 

「副本部長の椅子が嫌なら辞退しろ。辞表ならいつでも受け付ける。我々にとっては貴国そのものは大切に思っている。だが、窓口として考えた場合、どちらが大事なのかは言うまでも無いからな」

 

 慈悲すら無い言葉を告げると、アーサーは既に退出していた。黒鉄巌に言われた内容は、奇しくも時宗がアーサーに対して持ちかけた内容そのものだった。公表すれば世界的にも大きく動揺する可能性が出てくる。それは大国同盟への牽制に限った話しではなく、それ以外にもだった。

 

 魔人の持つ特徴は明らかに通常の伐刀者からは逸脱しているだけでなく、その殆どが何らかの意志を持って活動していた。穏やかに過ごす人間は片手ほど。それ以外となれば数える事すら拒否したくなる程だった。

 混乱を招かない様にしているのは、偏に騎士連盟と大国同盟による捜査の結果。同じようなコンセプトで作られた組織故の結果だった。

 当然ながらその人事権を握れるからこそ、意味がある。だが、今回の件に関してはその枠組みから完全に外されていた。

 緊急時に蹴る人事権が完全に本部長から外されている。当然ながら副本部長にすら権限は無かった。なぜなら今後日本からの派兵には内閣の承認が必要となる。承認されなければ他の国から派遣するしかなかった。

 数と質が勝っているからこそ派兵の意味がある。最初から全滅が前提での派兵は確実に信用低下を招くのは当然だった。只でさえ厳しい戦局に最初から劣る戦力。結果は考えるまでも無かった。その人事権が完全に封印されている。今の巌にとっては苦渋の選択を迫られていた。

 

 

 

 

 

 「くそが!」

 

 アーサーが居ないからなのか、巌は既に激昂していた。感情の赴くままに目の前にあったテーブルに握りしめた拳を叩き込む。激しい打撃音はしたものの、その音を聞いて駆けつける人間は居なかった。

 

 

 名を取るか、実を取るか。

 

 

 元々巌の中では騎士連盟からの脱却が一番の目的だった。

 黒鉄の家は近代祖とも言える龍馬の存在が今の状態に連なっている。勿論その事に関しては恩恵を受けている為に気にする事は無かった。

 だが、時代の流れと共にその恩恵は薄れている。ランクが低い一輝を遠ざけたのはそんな部分があった。

 

 実力があるからこそ、その恩恵は当然となる。その結果として自分の地位も確保するはずだった。

 今回の件に関しても、そんな思惑がそこにあった。ここで大きな成果を出す事が出来れば、自分もまた近代祖に負けない程の名声を得る事が出来るはず。巌もまたそのつもりだった。

 だが、そんな思惑など最初から無視するかの様なアーサーの回答。この時点で巌の野望は潰えていた。

 静まり返った空間に聞こえるのは感情によって乱れた呼吸音だけ。そこから先の感情がどうなるのかを理解する者は誰も居なかった。

 

 

 



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最終話 影に生きる者

 気が付けば既に暦は新たな年を迎えた事により、学内の雰囲気は大きく変わり出していた。特にこの一年に関しては、近年に無い程に濃い年となっている。

 これまでのランク偏重主義とも取れる内容によって出場していた七星剣武祭は、前代未聞のF級と言う辛うじて伐刀者と呼べる程度の力の青年が、これまた過去には必ずと言って良い程に英雄となったA級の少女を下して優勝している。当然ながら学内の於いては優勝した事実に祝賀ムードが漂っていたが、他の学園ではそんな空気は何処にも無かった。

 

 これまでにない程のイレギュラーが続いた試合の中で、一定上の実力を有しながらも誤審によって反則となった青年。本質が分からないままに行方をくらました青年など、波乱に満ちていた。

 これまでの試合であれば確実に不満が出たのかもしれない。だが、今大会に関しては、そんな不満は結果的には出る事は無かった。

 大会出場者の中には、それ以外の実力者が居た事によって負の部分を払拭している。そうなれば多少の不満もまた解消されていた。その結果、大会会場を激しく破壊せんとばかりの力と力のぶつかり合いによる決勝は、その試合を観戦していた人間を魅了していた。

 その結果、マスコミもまたその結果だけに意識を向けられ、その裏で蠢いていた策略にまで意識が回っていない。

 戦争突入すら懸念された事項は極秘裏に回避されていた。

 

 その後に続いたのが大きな火種ともなったヴァーミリオン戦役。これに関しては様々な要因が含まれている。本来であれば完全に国際魔導騎士連盟の主導の下で行われる戦争のはずが、気が付けば裏の勢力との戦いへと発展していた。詳細に関しては大本営での発表以外に知る術は無い。

 国際指名手配された人間が参加した戦争は何も知らない国々の不安を煽る可能性があったからだった。事実、学園で該当した人物は二人だけ。お互いの関係性を考えれば当然の事だった。

 

 国際魔導騎士連盟が介入したものの、日本の国の観点では大きな問題に発生する事は無かった。何故なら騎士連盟の中でも日本支部の内部は大きく変化したからだった。

 魔導騎士は派兵させる場合、その指揮権は国ではく組織が管理する。これまではそれが当然のやり方だった。

 だが、一定の期間が過ぎてからはその管理体制は大きく変わる。これまでの様に騎士連盟の主導から政府主導へと変わっていた。当然ながら緊急時にはこれまでと変わらないやり方ではあったが、それ以外に関しては驚く程に拒否する場面が目立っていた。

 

 魔導騎士はある意味では抑止力としての側面を持っている。当然ながら何らかの紛争が起こった際には真っ先の派兵される事が殆どだった。だが、実際には争いこそ起こるが、そこから先に発展する事は無く、その結果として派兵が決定した時点で有耶無耶になるはずだった。

 しかし、現実はかならずしもでそうでは無かった。表には出ていないが大国同盟の暗躍が確認されている為に、派兵にはかなり慎重になっている。それは偏に自国の戦力を育成するのではなく最初から他国を当てにするやり方に疑念を持たせたからだった。

 権利と義務を果たす際に、どちらかが行使されないとなれば不公平感が出てくる。解消するのであれば、如何なる状況下であってもある程度の解決は自分達でやる必要があった。当然ながら国際魔導騎士連盟に対し不満が高まる。本来であれば日本に対しても何かしらの問題を提起するはずが、そんな空気さえ無くなっていた。

 

 加盟国としての権利と義務。どちらかだけを一方的に享受するのは未来における不平不満を作り出す。そんな考えがそこにあった。

 人を出すか、金を出すか。そのどちらも困難な場合はどうするのか。そんなイレギュラーな状態をも考慮した結果、ここに来て漸く日本の於かれた立場を誰もが理解していた。

 従順に見えても実際には分からない。その結果としての未来を受け入れる事が出来るのは各国の懐の深さによる物だった。これまでの実績を改めて確認させる。その結果として本部の英国以上に日本を重視する様になりつつあった。

 当然ながら加盟国の各伐刀者にもその事実がアナウンスされる。高ランクになる者から事実だけがストレートに告げられていた。

 そこで漸く大よその事実が発覚する。本来であれば文句の一つも出るはずが、そんな事すら起こらなかった。

 

 キルレートが十対一。本来であればあり得ない数字。当初は誰もが信じなかったが、その数値に関しては誰からも異論は出なかった。

 本来であれば実力を偽ればどんな事が起こるのかは考えるまでもない。だからこそ異論が出ないのであればそれが事実である裏付けにもなっていた。

 事実を確認するにつれ、一つの可能性が浮かび上がる。その戦力が公表されていないのであれば、何時その刃が自分達に向くのかだった。死地を思わせる中での結果。

 勿論、そんな状況下で戦いを挑むと言う概念すら危うい。少なくともまともな精神であれば即時撤退する程の脅威。それを被害無しで撃退した事実はそのまま伐刀者の中だけで話が進み、それ以外に関しては完全に隠蔽されていた。だからこそ、その事実を知る数少ない人間はそれぞれの感情に向き合うしかなかった。

 

 

 

「随分と濃い一年だったよ。出来ればこんな事は二度と御免なんよ」

 

「今年度の様な事が早々あってたまるか。こちらとて関係各所から色々と言われているんだ。その程度なら簡単だろうが」

 

「それがくーちゃんの本来の仕事じゃないの?」

 

 独り言に近い言葉に返事をしながらも、この部屋の主でもある新宮寺黒乃は火が点いた煙草を咥えていた。確かに濃い一年であった事に変わりはない。F級の人間が優勝した事もそうだが、実際にはそれだけでは無かった。

 事実上のもう一人のイレギュラーもまた黒乃の頭を悩ませていた。少なくとも現役の寧音を下に見ると同時に、それ以外の事に関しては驚く程に淡泊だった。その正体もまた薄々とは感じていたが、それを直接聞いた訳では無い。だが、それが本当であると仮定した場合、完全に問題児になるのは既定路線だった。

 当初こそ危惧した物の、結果的にはそれ以上の事は何も起こらなかった。唯一想定していなかったのは、一足どころか二足も早い卒業だった。

 

 

「なあ寧音。恐らく二度とこんな事は起こらないとは思うが、実際にはどうなんだ?」

 

「……それ以上詳しい事は分からない…かな。下手に口にしても碌な事が無いからさ。でもくーちゃんとしてはどうなのさ」

 

「それこそ愚問だ。アイツの実力はある意味ではここでは不十分だ。それに裏の人間が表に係わる事など早々無いだろう」

 

「おっ。流石に言い切ったね。あたしでもそんな事はおいそれと口には出来ないんだけど」

 

「茶化すな。事の発端はお前だろうが」

 

 二人が口にしたのは風間龍玄に関してだった。七星剣武祭の途中辞退以降は、実際に学園に顔を出す事はかなり少なくなっていた。最低限の出席はするものの、直ぐに姿が見えなくなっている。

 寧音が何となく事情を知っている様にも見えたものの、その全容は掴めないままだった。

 本当に裏の人間だった場合、学園そのものも多大なリスクを負う可能性がある。元々龍玄が入学試験を受けたのも上からの指示だった。その上がこの生徒に関しては関与しない事を消決めた時点で黒乃のまたそれ以上の干渉はしなかった。

 

 通常の学校とは違い、ここは卒業後には魔導騎士の資格を有すると同時に、戦役の際には戦争に参加する可能性もある。そうなれば結果的には完全に実力制となっていた。

 黒乃が決めた方針もまた当時は物議を醸しだしたが、一輝が七星剣武祭に優勝してからはそんな物議すら起こらなかった。

 才能が劣った者を批判するのであれば、その対象者よりも結果を出す必要が有る。それが出来ない時点でそれ以下になるのは当然だった。

 既に学内で一輝を貶める人間が居ないのは周知の事実。ある意味では真っ当な内容になっていた。

 東堂刀華を含め、有力な三年が卒業する。この時点で学内のランキングもまた大きく変動していた。

 

 

「本当の意味での実力は知らないよ。あたしも命は惜しいから。それに、もう居なくなるんだ。頭痛の種が減ったなら良しとしないと」

 

「相変わらず他人事だな」

 

「事実だし」

 

 黒乃の努力など無視するかの様に寧音は用意されたお茶菓子に遠慮する事無く手を付けていた。理事長室から見えるのは卒業に向けた準備をしている光景。偶々目にしたからこそ思った事を口にしていただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段であれば余程の事がない限り、この部屋に滞在する人間は限られていた。貴徳原財団の総裁室。そこにはこの部屋の主とその娘。そして契約の対象となった人物とその組織の頭領がソファーに座っていた。

 

 

「………確かに、金額は確認した。だが、こちらが求めた金額よりは些か多いが?」

 

「それはこれまで待って頂けた誠意と、それに伴うお礼です」

 

 用意されたのは一枚の小切手。本来であれば現金で用意するのが筋だが、今回の件に関しては小切手となっていた。

 支払いが履行されるのが当然の様に銀行の保証が為されている。本来であれば何らかの確認が必要になるが、この取引に関してはその様な事は起こらなかった。

 仮に踏み倒せば苛烈な制裁が待っている。少なくとも財界の人間であれば風祭の二の舞になりたいと思う奇特な実業家は居なかった。

 それ程までに緻密な情報取集と、都合が良いように思考誘導する技術。そしてそれがもたらす結果。噂では無く事実を知るからこそ誰もが謀る事は無かった。

 

 

「そうか。ならば素直に受け取ろう」

 

 組織の頭領は一言だけ告げると、そのまま小切手を懐に忍ばせていた。本来であればそのまま換金すれば何かと不都合が起こりやすい。だが、この取引に関してはその限りでは無かった。

 

 資金に関しては特定の企業が正規の報酬として支払う事になっている。それを経由した上で現金化出来る様にしていた。本来であれば直接現金を渡す方が都合がいい。だが、折角近づく事が出来る機会を総裁が逃すはずが無かった。

 結果的に近づけるだけの何かを残す事に成功している。だからなのか、総裁もまた規定以上の金額を払った割に表情は明るくなっていた。

 

 

「それで、今後の件ですが」

 

「ああ。例の件だな。それなら我らも断る理由は無い。だが、当人がどう思うかだ。此方からは強制はしない。当然だが、その結果に関しても感知しない」

 

「当然です。それもまた(えにし)ですから」

 

 歪んだ笑みを浮かべながら告げた小太郎と総裁の言葉の意味を正確に理解出来た人間は当事者だけだった。娘はその環境から理解しているが、対象となった人物は理解していない。本来であれば多少なりとも察する事もあるが、この件に関しては完全に理解の範囲から外していた。

 小太郎が任せたのは対象者の監視であって、それ以外の要件は伝えていない。だからこそ同室になってもそれ程関心を示す事は無かった。

 不穏な動きを見せるだけの道理が無い。そう判断した結果だった。組織の長からの命令はたとえ血縁関係であってもその限りではない。特に風魔に関してはその辺りがシビアだった。

 

 一般的な組織であれば、長の血縁がそのまま引き継ぐのは良くある話。だが、風魔に関してはそんな関係すら無意味だった。

 実際に風魔は実力があると同時に、相応の数の敵対者もある。血縁関係にあると分かった時点で襲撃される事は日常茶飯事だった。

 だが、それを容易く排除できるだけの実力を持つからこそ血縁が続く。これまでの歴史の中で血縁者ではなくそれ以外の人間が就く事も多々あった。

 当代は隔絶した実力を持っている為に問題ににはなっていない。また次代と目される人間も同じだった。

 その結果、血縁であっても頭領になれるのかは別問題となる。それを理解しているからこそ、何らかの思惑がある事は予測しても任務に関して私情を挟む事は無かった。

 

 

 

 

 

「これで監視の任務は破棄する事になる。以前にも言ったが、学園には一年だけ在籍をしろ。それ以降に関しては特に何をしようが関知しない」

 

「……そうだな。特段気になる様な物は無い。魔導騎士の資格も不要だしな。俺も適当な所で辞めるさ」

 

「そうか。それと拠点に関してはどうするつもりだ?」

 

「暫くは継続する。後は今後の状況次第になるだろうな。だが、時宗の方は良いのか?」

 

「今に始まった事ではない。それに動くとなっても、それ程面倒な依頼は早々無いだろう」

 

 総裁と娘が退出したからなのか、先程までの緊張感に満ちた空気は霧散していた。元々龍玄に課せられた依頼はこの報酬を回収するまで。それ以降に関しての制限は無かった。

 予定では年末かそれ以降。これが小太郎が予測した期限だった。

 だが、その予測を上回る結果になったのは、偏に騎士連盟の噂だった。

 

 支部長そのものは変わらないが、内容は事実上の左遷。地位こそ向上したが、実情は最低の内容だった。支部長としての存在はあれど権限が無い。

 当然ながら武力を当てにしていた人間は真っ先にその対象を変更していた。報酬を払う事によって安全が保障されるのは当然の事。だが、その派兵に関しての人事権が政府に移管された時点で、ある程度の小競り合いに関しての可能性は完全に潰れていた。

 

 個人に対する運用であれば本部に照会する必要は無い。そんな制度を生かした結果だった。

 その結果、黒鉄巌の権力は相応に高くなっていた。だが、それは旧組織での話。肝心の権力の源泉が既に枯渇した以上、必要以上に付き合う必要性は無くなっていた。

 ゆっくりと人が離れる。それが財界での専らの実情だった。

 その反対に貴徳原が抱える企業にはこれまでに無い程に問い合わせが殺到していた。一部警備の人間が伐刀者であったり、その実力が伐刀者の中でも上位に入る事を誰もが知っていたからだった。

 本来であれば個人契約すら結びたいとさえ考えたものの、相手が貴徳原財団が故に、暴走する者は居なかった。その結果、契約に次ぐ契約によって会社の業績は跳ね上がる。その結果として支払いが当初の予定よりも前倒しになっていた。

 

 

「何ならカナタ嬢に手を出しても構わないんだが?契約も切れたんだ」

 

「阿呆。そんな事しねぇよ。突然関係性が変わったからと言って、態度までは変わらないだろうが」

 

「……本当にそう考えてるのか?」

 

「何が言いたい?」

 

 既に厳しい雰囲気は完全に消え去っていた。そこにあるのはニヤつく表情の一人の男。先程までの厳格など当の前に消え去っていた。

 

 

「その話はおいおいとしてだが、本当に良いんだな?」

 

「卒業に意味が無いんだ。だとすれば無駄だろ?」

 

 龍玄の意識は完全に固まっていた。本来であれば二月か三月にでも決める事柄。学園には話をしなくとも、自分のスタンスだけは既に決めていた。

 

 

 

 

 

「そうか………まあ、お前の実力ならそうかもしれんな」

 

 理事長室ではこれまでに無い空気が漂っていた。元々魔導騎士を排出する為の教育機関であるが故に、その殆どは魔導騎士としての資格を有する。ある意味では将来の先付かもしれない。だが、あくまでもしっかりとした卒業資格を持っている事が前提だった。

 当然ながら中途退学した時点でその資格は所持出来ない。それ所か世間から見れば脱落者としての意味合いもあった。

 多少なりとも厳しい目を向けられるかもしれない。だからこそ誰もが努力し続ける。そんな側面があった。

 

 

「俺が言うのもなんだが、思ったよりも中身はあった。ただ……俺には関係無かった。それだけだ」

 

 青年の言葉に、理事長の黒乃もまたそれ以上の事は何も言えなかった。全容を理解しているとは言わないが、少なくともこの学年の中では事実上の頂点に近い立場である可能性はあった。七星剣武祭の決勝で魔人となった一輝。それに対等に戦えたステラ。そう考えれば青年の実力は本来であれば並べる事は出来ないはず。だが、友人でもある寧音よりも上であれば少なくともその実力は隠しているとも考えられる。それが黒乃の持つイメージだった。

 そう考えていた人物からの言葉。黒乃もまた龍玄を引き止めるだけの材料は持ち合わせていなかった。

 

 

「参考までに聞かせてくれ。ならばこの一年はどうだった?」

 

「さっきの言葉通りだ。だが………ランクだけに拘る人間は今後は大成しないだろうな」

 

「ほう。中々興味深い言葉だな」

 

 

 何気ない言葉。黒乃からすればその程度だった。だが、実際に龍玄から出た言葉は黒乃の自尊心を満たす結果となっていた。

 黒乃が就任した当初、この学園は傍から見ても魅力の欠片も無いと思える程に能力だけを尊重していた。体面的には分からないでもない。だが、実戦経験がある人間からすれば実にくだらない物だった。

 能力が高ければ何かにつけて作戦の成功率は高まるかもしれない。だが、本当の意味でギリギリの経験をしていないのであれば、それは張りぼてと同じ事。

 事実、KOKに限らず、世界のトップランカーの大半は能力に頼る事はしない。本当の意味で自分の命を助けるのは魔力の様な曖昧なものではなく、それまでに培ってきた技術だから。

 魔力にせよ体力にせよ、それぞれに限界はある。だが、魔力の方が消耗の度合いは大きかった。

 常に安定した環境下でしか戦った事が無い人間であれば、戦場では真っ先に始末される。それを体感しているからこそ、数値では表していない部分を黒乃は求めていた。

 その結果が黒鉄一輝の優勝。純然たる実力だけで勝ち取ったそれは、確実にこれまでに無い程の価値を持っていた。そう考えると目の前に居る風間龍玄もまた黒鉄一輝と同じ場所に立っている事だけは辛うじて理解していた。

 

 

「何はともあれ、俺の事はそのまま処理してくれれば良い」

 

「……そうか。黒鉄とも良いライバルになると思ったんだがな」

 

「……ライバル、か」

 

 龍玄はそれ以上答える事は無かった。実際に魔人となった一輝と戦えば、大よそでも自分もまた実力の一部を出す必要があるかもしれなかった。戦場であれば相手を屠り去る事で情報を秘匿出来る。だが、ここでそんな事をする訳には行かなかった。

 下手に力量を図られる事になれば今後にも多大な影響を及ぼす。現時点では龍玄もまた一輝に負けるつもりは無かった。人気が無ければ多少のぶつかり合いは出来るかもしれない。ただ、それが今でないだけだった。

 それ以上の事を告げる事無く理事長室を出る。後ろにあった二人の表情を龍玄が知る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍。本当に辞めるのか?」

 

「ああ。元からその予定だったんでな」

 

 三年の卒業式が終わる頃、龍玄の後ろから聞こえたのは一輝の声。龍玄が改めて振り返ると、そこには一輝だけでなくステラの姿もあった。その表情は互いに困惑だけが浮かんでいる。怒りでも悲しみでもない不可解な感情。まさにそんな表現がピッタリだった。

 

 

「このままだと魔導騎士としての資格も取れないわよ。本気なの?」

 

「ああ。最初からその程度の物に固執するつもりも無かったからな。それに、ここにこれ以上居た所で俺が学べる事は無い。一輝、その話は誰から聞いたんだ?」

 

「ネネ先生よ。一年次の過程が終わったらここを辞めるって聞いたから」

 

「成程な」

 

 一輝に出した質問をステラが答えたが、回答が出た為に気にする事は無かった。

 ステラが言葉にした事によって何を言われようが龍玄の表情が変わる事は無かった。実際に一輝に限った話ではないが、ステラもまた夏に起こったヴァーミリオン戦役以降、その実力は格段に向上していた。

 本来であれば学生の間に戦場や大規模な戦闘を経験する機会は早々無い。特別招集がかからない限りは当然だった。だが、ヴァーミリオン戦役はその名の通り、かなり厳しい戦いであった事に変わりはない。自分の命をギリギリまで昇華させる事によって実力は大幅に向上する。二人もまたその通りだった。

 

 七星剣武祭以降、龍玄は一輝とステラに対して直接戦闘をした事は一度も無い。クラスの人間や予選を見ていた人間であれば何となく分かっているが、本当の意味で理解している人間は皆無だった。

 分かっているのは休み明けの二人の状態が激しく変化している事。誰もが七星剣武祭での事を予測していたからなのか、多少は驚くも、誰もがそうだと考えていた。

 唯一、違う雰囲気を纏っている事を理解したのは龍玄だけ。七星剣武祭とは違った極限状態の戦いが急成長をもたらしたと予測していた。

 

 

「学べる物が無いって……随分と傲慢だね」

 

「事実を述べたに過ぎん。それとも、実力が上がった事に慢心でもしたか?魔力が乱れてるぞ」

 

 一輝の言葉に龍玄は鋭利な刃物の様な言葉を投げかけていた。事実、一輝が魔人である事を知っているのは極限られた人間だけ。この場に於いては当事者以外に知るのはステラだけのはずだった。

 龍玄が他人の実力を見誤る事はこれまでに一度も無い。確かに鍛えられた事はあったが、当時と今は違う様にとらえていた。だからこそ、龍玄の言葉は一輝に突き刺さる。有言実行を地で行く人間である事を一輝も理解しているからこそ、その言葉に対しての返事が詰まっていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、始めるぞ。お互い死なない程度に頑張れよ」

 

 何となくやる気の無い声だけが閉鎖された空間に響く。本当の事を言えば一輝とて龍玄を引き止める事は出来ないと思いながらも、敢えて挑発めいた言葉を投げかけていた。

 一輝自身は魔人になったからと言って驕った事は一度も無い。寧ろ、これまでに無い魔力操作とその感覚がこれまでとは違っている事から、それを調整する事に集中していた。魔人になったからと言いて戦闘技術が格段に上がる訳では無い。

 一つ一つの動きそのものが底上げされた結果が戦闘力の上昇につながっている。当然ながらそのステージまで上がれば、相手の事も自然と見える。一輝の眼に映る龍玄もまた、これまでに感じた事が無い程を圧力を持っていた。

 

 構える事無く自然体で立っている。何も知らない人間からすれな無防備の様にも見えるが、今の一輝にとっては最悪の相手だった。

 以前の様に圧倒的な重圧も無ければ殺気も無い。そこあるのは大気と同じ自然と調和した雰囲気だけだった。

 寧音の合図と同時に、互いが様子を伺う。視界に映るそれはまるで自分を映していないかの様だった。

 

 

(自然体だけど………)

 

 一輝は内心驚くより無かった。これまでは一度も感じた事が無かったが、相対する空気に覚えがあった。『比翼』と呼ばれた女性。世界最強の一人。その人物と同じ空気を龍玄は纏っていた。

 以前であれば気が付くはずがない事実。この状況になって一輝は漸く龍玄の異様さを実感していた。

 自然体であるが故に隙は無い。本当の事を言えばこうやって対峙する事すら厳しいとさえ考えていた。

 

 どこに打ち込んでも待っているのは絶対的な反撃。それも致命傷と思える程の物だった。

 これまでに死線に近い状況で戦って来たが故に慢心は無いと自負している。だが、そんな事すらまるで無意味だと言われているかの様だった。ゆっくりと互いの距離が縮まる。

 一輝に限った話では無く、龍玄からしても距離を縮める必要が無い程の距離。にも拘わらず、距離を縮めたのは一輝に対して重圧を与える為だった。

 互いの距離がゆっくりと狭まる。

 お互いの間にあった空気が徐々に圧縮されるかの様だった。

 

 

 

 

 

 

「イッキ!」

 

 ステラの悲鳴の様な声が響いたのはその瞬間だった。お互いの距離がニメートルを切った瞬間、互いの姿が残像となって消え去る。まさに電光石火とも呼べる攻防は龍玄へと天秤が傾いた結果だった。

 尋常ではない程の衝撃を受けたからなのか、一輝の制服は前面ではなく、背面がズタズタになり、口からは夥しい赤が白い制服を染め上げている。ステラは何が起こったのかは分からなかったが、遠目で見ていた寧音だけが何となく見えた程度だった。

 

 お互いの攻撃が交差する瞬間、龍玄は一輝の利き手を狙っていた。神速の如き抜刀術を繰り出しても、その利き手までもが神速であるはずが無い。居合いの原理を理解するからこそ、その対策は万全だった。

 事実、剣術の面に関しても一輝よりも龍玄の方が遥かに上を行く。完全に攻め手を理解するかこそ、その弱点もまた知っていた。

 切先に比べれば抜き手はそれ程早くは無い。本来であれば察知される前に斬り伏せるやり方が正解。だが、その前提は一定の距離が必要だった。

 躊躇ない踏み込む事によって生じる力を体幹が余すことなく伝える。その結果として利き手が効果を発揮するはずだった。

 

 剣術を極めればそれもまた不可能では無かったのかもしれない。一輝もまたその高みまで登っていた。だが、龍玄は歯牙にかける事無くその更に上を行く。剣術に限らず体術までもを応用するからこそ神速の抜刀術以上の速度を作り上げていた。

 それだけではない。居合いを潰した瞬間、龍玄は一輝の体躯をも破壊する為の動きを見せていた。

 意識の外からの攻撃を防ぐ術は無い。一輝は自分が関知出来ない攻撃を無防備に受けていた。

 意識の外が故に攻撃を受けた事を感じたのは遅れてきた痛みによって。ここで漸く攻撃を受けた事を認識していた。

 時すでに遅し。一輝の全身に衝撃が走る。内臓はこれまでに無い程のダメージを受けた事によって機能不全手前まで陥っていた。

 絶命する寸前での手加減。龍玄が口にした訳では無い。ただ本能がそう感じただけだった。

 

 一輝は知らなかった事だが、龍玄はあの戦い以降、小太郎と段蔵に対し一度だけ戦いを挑んでいた。小太郎に関しては何時もの事だが、段蔵に関しては完全に偶然だった。

 忍びの戦いは常に詭道ばかりではない。どんな状況でも仕掛けられたそれを完全に食い破るだけの力量もまた必要だった。

 当然ながらその力は龍玄を遥か上回る。高みに上っているのは自分だけでは無かった。龍玄もまた一輝同様に更なる高見へと昇っていた。

 

 

「命までは取っていない。気に入らないなら、お前も相手をするか?」

 

「……悔しいけど私には無理。一輝があれなら同じよ」

 

 完全に気絶した一輝を支えながらもステラもまた自分の思いを口にしていた。A級がどうではない。魔人がどうではない。純粋に龍玄の立っている場所が自分達とは明らかに違っていた。

 一撃必殺の拳を歪め、命を残したのはそれだけ実力に格差があるから。本当の意味で均衡などしていなかった。

 魔力に物を言わせればステラにも勝ち目はあるかもしれない。だが、魔力を練るだけの時間を龍玄が許すとは思えなかった。

 

 あの瞬間、あらゆる感覚でさえも龍玄を捉える事が出来なかった。第三者としてそれならば、当事者であれば尚更顕著となる。ステラもまた龍玄の実力を素直に認めるしか無かった。

 本当に同年代なのだろうか。ステラはそんな取り止めの無い事を考えていた。

 実際に自分もまた厳しい戦いを経験している。百の訓練よりも一の実戦。それが母国を賭けた戦いであれば尚更。にも拘わらず、龍玄に届かないと感じたのは初めてだった。

 これが本当の実力であればここに居る価値が無いのは無理も無い。一輝との刹那の交錯で本質を唐突に理解していた。

 

 周囲には寧音以外には誰もおらず、またその寧音もこちらの言動に介入するつもりも無い。あくまでも訓練室を借りる為の形式的なそれだった。

 

 

「ならば、気が付くまで介抱するんだな。またどこかで会える事があるかもしれない」

 

 気絶した一輝をそのままにする選択肢はステラには無かった。龍玄もまたこちらを気にする事すらしない。当然だと言わんばかりに、訓練室の重い扉はゆっくりと開いていた。

 

 

 

 

 

(怖ぇえええ!マジかあれ。もうバケモンじゃん!)

 

 何事も無かったかの様に終わった戦いではあったが、その全容は寧音を驚愕させていた。

 一輝が魔人となった事によって身体能力が向上したのは知っている。当時の戦いの中でも成長していくそれは常識の範疇を超えていた。だが、そんな一輝を一撃の下に下した龍玄は更に最悪だった。

 風魔が桁外れだと認識はしていたが、本当の意味での実力を寧音は知らない。本当の事を言えば龍玄と一輝が良い戦いをするとさえ考えていた。

 だが、その結果は見るまでも無い。それ程までに力量が隔絶していた。何気ない攻撃の様に見えたのは偏に無駄な動きが無いから。背中から弾け飛んだ衝撃はそれを如実にしていた。

 

 仮定ではあるが、もし風魔が表舞台に出ればどうなるのだろうか。命の保証がされているKOKでも、試合の流れで命を落とすのは事故として処理される。

 命を奪う事が前提で対峙すれば、その場は試合ではなく死合となる。そうなれば末路がどうなるのかは考えるまでも無かった。

 確実に自分の命が消し飛ぶ未来だけが予測できる。下手をすればアーサーであっても同じ結果になるかもしれない。

 裏の人間が表舞台に出なとは分かっていても、寧音の冷や汗は止まらなかった。

 競技では無く実戦でランクを突ければ自分など一気にランクが落ちていく。それ程までに厳しい世界だった。

 

 影が影のままでいる事がどれ程平和なのかを嫌と言う程に体感していた。頬に一滴の冷たい汗が流れる。それが何なのかを理解するまでに、寧音はそれなりの時間を擁していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────数年後

 

 

 

 

 

 

「黒鉄。行けるか?」

 

「はい。何とか」

 

 東南アジア某所ではゲリラ戦とも散れる戦いがそのまま泥沼化していた。

 奇しくも何かと介入を懸念した騎士連盟の日本支部からの派兵はそのまま容認されている。その結果、一輝もまた戦場へと赴いていた。

 KOKの様に整えられた場所での戦闘ではなく、何でもありの遭遇戦。常に精神が休まる雰囲気はなく、休憩をするのも一苦労だった。

 

 あれから魔導騎士の運用方法は大きく変わってた。以前であれば何かにつけて日本からの派兵が殆どだったが、今ではそんな環境は無くなってた。

 各国からの派兵によって魔導騎士は多国籍になっていた。当然ながら連携を取るのも事前に入念なチェックが行われていた。だが、戦場に於いてはそんな事前準備を嘲笑うかの様な事態が常に起こる。その結果、派兵チームは窮地に追い込まれていた。

 見えない圧力による消耗は試合とは比べものにならない。以前に経験したヴァーミリオン戦役でさえも、こんな事は無かった。常に厳しい環境下で最高のパフォーマンスが要求される。

 既にチームもまた、満身創痍だった。一度だけ落ち着く為に一度だけ深呼吸する。元々ここを突破しない事には活路は見いだせない。今回に限ってはそれ程までに追い込まれていた。

 

 

「……無理はするなよ」

 

「了解です」

 

 既に心が凪いでいるからなのか、精神状態は穏やかだった。最終局面が故にやる事は目的の達成と生き残る事のみ。内容は実にシンプルだった。

 死地とまではいかないが、それに近い物があった。一輝とて生き延びる事を当然だと考えている為に最悪の事は考えない。だからなのか、不意にステラの表情が浮かんでいた。

 

 

「行くぞ黒鉄!」

 

「はい!」

 

 周囲にも仲間はいるはずだが、それを期待する事は無かった。厳しい局地戦での甘えは死に繋がる。誰から聞いた訳では無い。ただこれまでの戦いによる本能から来る結果だった。

 事前にどの地点を襲撃するのかは確認している。それさえ陥落すれば、後は実に簡単な事になるはずだった。

 戦役を終えた事によってこれまでに無い程に魔力に運用は高効率化している。にも拘わらず、追い込まれたのは偏に今回の戦場が想像以上に苛烈な事だった。

 肉体だけでなく精神までもが摩耗する。これが軍の特殊部隊であればその対策ともとれる訓練をしていたかもしれない。だが、魔導騎士はその火力が故にそんな前提は無かった。

 慣れない空間と慣れない環境。今から慣れる事が出来ない以上、やれる事は一つだけ。この戦いを終わらせる事だった。

 自身の持つ技術をフルに活かして行動する。そこにはこの戦いを終わらせると言う明確な意志があった。

 

 

 

 

 

 

「何だ……何がどうなってる」

 

 辛うじて出た言葉ではあったが、一輝もまた同じ考えだった。作戦指揮所と思われる場所を急襲したものの、そこには反撃の色すら見えなかった。

 周囲を警戒しながらも探索をしたが、人影はどこにも見えない。時折大量の血痕と思われる物を見つけたが、それ以外は何も無かった。

 がらんとした部屋の中では各部署へと指示を出す為の通信機はあるが、破壊されたのか、通信機器に光は無かった。

 その先が繋がっている事も無い。事実上の陥落している事を漸く理解していた。

 

 

「これって………」

 

「ああ。俺達の前に誰かが来てやったんだろうな」

 

 一輝の言葉に、男もまた答えに詰まりながらも口にしていた。血痕がある以上は何らかの戦闘があった事は間違い無い。だが、ここに来るまでにもかなりの苦労を強いられていた。

 敵に会わない様に動くのがどれ程難しいのかは理解出来る。ましてやこの場所が要であれば相応の警戒はしているはずだった。

 だが、現実はそうではない。事実上の陥落を確認したからこそ、一輝達もまた本部へと連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、あれは何だったんだ?」

 

「確かに不自然でしたね」

 

 帰国の途に就く途中、一輝だけでなく作戦についていた仲間と少しだけ話をする機会があった。決死とも取れる戦いのはずが、気が付けばあっさりと終わっていた事だった。

 幾ら気配を探っても、周囲には何の反応も感じられれない。それ程までに静寂としていた。

 精々聞こえたのは風の音だけ。そんな中、僅かに何かの音が聞こえた瞬間だった。

 漆黒のボデイスーツを着た人間が二人。その姿を捕捉したのは偶然だった。

 お互いに仮面をつけていた為に素性は分からなかった。だが、その動きには僅かに覚えがあった。まだ学生だった頃、一度たりとも土を付ける事すらしない敵わない相手。確証はないが、そんな気がしていた。

 

 

「だが、生き残ってなんぼだ。今回の作戦は最悪だった。最初の段階で話が違うのは、な」

 

「ええ。そうですね」

 

 今回の作戦がどれ程危うい状況だったのかは全てが終わってから判明していた。用意周到なそれは確実にこちらの戦意を喪失させる為の罠。依頼の内容もまた虚偽が発覚していた。

 味方だと思った人間が敵の可能性を含む。それ故に今回の作戦は熾烈を極めていた。

 そんな不穏な空気を吹き飛ばすかの様に男は少しだけ一輝を揶揄うかの様に話していた。ヴァーミリオン戦役の英雄。F級の魔導騎士ではなく、世間の印象はそちらの方が強くなっていた。

 団体戦とは言え、その内容は苛烈を極めている。純粋な戦いであればKOKなども含まれるが、あの戦いに関してはその限りでは無かった。

 

 代理戦争が故に敗者に残される者は何一つ無い。これが自国の人間で戦えば、国民感情も違ったのかもしれない。だが、実際にはステラだけが自国の代表として出場している。その結果として一輝の事が認められていた。

 既にそれ以降の事に関しても発表されている。本来であれば仲間を弄るのは良くないとは分かっていても、今の二人の共通点が無い以上はそれしかなかった。

 

 

「そう言えば、お前、そろそろなんだろ?」

 

「まあ、そうです……かね」

 

「何だそれ?あれだけ情報が出てもまだ恍けるのかよ」

 

「違いますって」

 

 仲間からの言葉に一輝は笑って誤魔化すしかなかった。実際にステラとの仲はそこそこ進んでいる。だが、完全にゴールしたのかと言われれば微妙だった。

 母親や姉妹は問題無いが、父親だけが未だに厳しい対応をしたままだった。

 既に父親を除く全ての人間。国民も含めて祝賀ムードが広がっている。既にマスコミにまで伝わっているが、実際には父親が最後の抵抗勢力だった。だが、多勢に無勢。その抵抗もまた風前の灯だった。

 

 

「でも、国葬にならないだけマシだろ」

 

「縁起でも無い事言わないで下さい」

 

「冗談だ。生きて帰れた。それだけ十分だろ」

 

 出発とは違い、帰りの空気は完全に弛緩していた。厳しい戦いが故に緩める事が出来るなら最大限にする。それが戦場に赴く者のメリハリだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさい」

 

「珍しいな。こんな所まで出迎えなんて」

 

 一輝達とは違うルートで、二人の男もまた帰国していた。今回の依頼は派兵された魔導騎士の護衛。それも黒鉄一輝が対象者だった。

 本来であれば魔導騎士に対してする措置ではない。精々が遠目に監視するだけだった。

 元々今回の件に関しては受けるはずが無い依頼。ただでさえ風魔に関する内容は様々な調査をした結果でなければ応諾する事は無い。今回の依頼に関してはそんな調査すら最初から無かった。

 時宗を経由する依頼。実際には政府からではなく、ただの仲介だった。それが表向きの企業へと依頼され、風魔の元へと届く。今回の様に青龍を指名する依頼は更に違っていた。

 

 

──現在東南アジアに派兵された黒鉄一輝の護衛依頼。必ず生還させる事

 

 

 最初にこの話を耳にしたのは貴徳原カナタだった。企業の代表だけでなく、一輝の実力と素性を理解しているからこそ、今回の依頼がおかしい事に気が付いていた。

 七星剣武祭の覇者だけであればそうかもしれない。だが、戦役を得た以上あり得ないとさえ考えた瞬間、カナタの手が止まった。

 

 今となっては懐かしい記憶だが、ゲリラによる不正規戦は想像以上に厳しい状況を作り出す。事実、カナタだけでなく刀華もまた、当時はそんな事を考えていなかった。

 真綿で首を締めるかの様に襲い掛かる圧力は知らない間に肉体と精神を摩耗させる。その結果として捕縛されていた。

 当時は風魔が相手だった事も影響したが、今回の件に関しては風魔は何も関知していない。だからこそ違和感だけが残されていた。仲介役の時宗に確認する。依頼主は分からなかったが、その出所が国際魔導騎士連盟を経由した事実だけが浮かび上がっていた。

 

 国際魔導騎士連盟は当時とは違い、今は完全に派兵に関しては厳しい条件が突付けられていた。肉体だけでなく、精神も過酷な環境に置かれても変わらない者はそれ程居ない。

 そんな中で一輝もまた該当する数少ない魔導騎士だった。そんな派兵を決めた人間の護衛。そうなれば誰が依頼をしたのかは考えるまでも無かった。救国の英雄が野垂れ死にとなれば何かと問題が起こるかもしれない。となれば護衛も表立ってではなく影からになるのは当然だった。

 そうなれば出来る人間は限られる。だからこそカナタもまた龍玄に依頼していた。

 

 

「今回の依頼からすれば多少の労いも必要かと思いましたので」

 

 龍玄と同行した人間は空気を読んだかの様に姿を消していた。元々龍玄一人でも問題無い内容。それでも一人付けたのはカナタの思惑があったからだった。

 

 

「何時もと同じだ。それに一輝とて阿呆ではない。此方が何をしたのかを理解してるだろう」

 

「良かったんですか?」

 

「俺達は影だ。表に出る必要は何処にも無い。それに、今回の件に関しても報酬が高額なんだ。多少のサービスはしたさ」

 

 龍玄の言葉にカナタもまたその言葉の意味を理解していた。

 風魔の四神でもある青龍が戦場に出た時点で捕捉する事が、どれ程困難なのかは言うまでもない。神出鬼没でありながらもその力は尋常ではない。今回の件に関しても一輝達が踏み込んだ時には完全に戦闘指揮所が壊滅した後だった。

 証拠を残す事が出来ない為に、同行した一人が処理をする。仮に見つかったとしても、そこから死因を特定するのは不可能だった。

 風魔の誇る『掃除人』。痕跡を殆ど残さないそれは明らかに尋常では無かった。

 

 

「そうですか。随分と気前が良いんですね」

 

「今回だけだ。折角の(はなむけ)だ。それ位の事はする」

 

 生死が絡んだ場所からの帰還ではあったが、その会話は随分と弛緩しているとさえ思える程だった。どんな歴戦の魔導騎士であっても戦いの後は気持ちが昂っている。その為に現地で女を買う事も多々あった。

 だが、既にこれが当たり前だと考えている人間からすればそこに至る材料は無い。その事を理解しているからこそカナタもまた気にする事は無かった。

 仮にそうだとすれば、あの時点で自分もまた純潔を散らし、慰み者となれば女としての存在が崩壊している。それが無かったからこそ信頼に繋がっていた。

 

 不意にカナタが龍玄との距離を縮める。だが、そこに拒絶は無かった。お互いの距離が近いのはこれまでにそれなりの関係性を築いた結果。

 それを証明するかの様にカナタの指には鈍く光る指輪がはめられていた。送り主が誰なのかはカナタに近しい者しか知らない。当然ながら経営者としての側面しか知らない人間は相手の事は知らなかった。

 貴徳原財団の中でも異質な企業経営者。若く、美貌があるその人間に近づく者は減る事は無かった。

 当初は男避けとさえ思えるそれ。だが、時間と共にそんな風に思う人間は皆無だった。送り主の事を話すカナタの表情に嘘は無い。それが本心だった。

 お互いが寄り添うかの様に通路を歩く。その姿をまともにとらえた者はいなかった。

 

 どれ程の力を示そうが、その力が正当な結果には至らない。それは偏に風魔に限らず忍びとしての生き様だった。

 歴史の影に生き続ける。龍玄もまたその世界の住人であるからだった。

 

 

 

─── 完 ───

 

 

 




今回を持って英雄の裏に生きる者は完結とします。
原作ではまだ先の展開が読めませんが、今回のこれで区切らせて頂きました。
評価を入れて下さった皆さん。お気に入り登録してして下さった皆さん。長らくありがとうございました。




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