【Original】藤野夫妻で小説の練習(リハビリ) (つきしろ)
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パン屋と騎士と
1話


 

 うららかな午後、という言葉が酷く似合う日だった。天気が良ければ反比例して彼女の機嫌は悪くなる。レジ前の定位置に置いた椅子に深く腰掛けながらガラス張りの扉の向こう側を見る。

 

 暖かな陽気に照らされて平日の昼間から暇そうな人たちが歩いている。彼女の居る店の中を覗く人もいれば、店の存在にすら気付かない人たちも居る。いつもどおり、気まぐれな人と常連たちが何人かやってきてパンを買っていくのだろう。

 

 彼女は両手を伸ばして大きくあくびをこぼすと壁際と部屋の中央に並べられたパンを眺めた。店主は得意先へ配達に向かっている。一個くらい食べても、そう思い重い腰を上げた瞬間、この時間にしては珍しく扉の開いた鈴の音が鳴った。

 

 目を向けるとこの陽気にもかかわらず、真っ黒な装束に身を包んだ赤い髪の男が店の中を見回している。首元までを覆う黒い服。どこか宗教を思わせる白いラインの入ったその服に覚えがある。

 

 なんで騎士が真っ昼間からこんなところにいるの。

 

 彼女は無意識に思い切り眉を寄せた。入ってきた男は彼女の表情に気付いたのか表情を緩めるように穏やかに笑う。

 

「店主は居るかな、オネエサン」

 

 思ったよりも丁寧な口調で男はレジに近付いてくる。

 

 外の陽気とは違う白い光に彼の瞳の色がさらされる。深い紫の。

 

「留守よ。今はパンを配達中」

 

 彼女が答えると男はまいったな、とわざとらしく肩をすくめた。慣れているな、と感じる。こうした人と話すことに。

 

「多分、もうすぐ帰ってくるけど、どうするの? 待つなら椅子くらい貸すわよ」

 

 そう声をかけると彼はまた大袈裟に驚いたように表情を固めた。自分の姿に全くいい顔をしなかった女性が歓迎するような事を言っているのだから当たり前といえば当たり前だ。

 

 彼はすぐにまた穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、じゃあそうす――」

 

「もちろん、パンは買っていってね」

 

 負けじといい笑顔を浮かべて言い放ってやると彼は一瞬動きを止め、少しうつむいたかと思えば肩を震わせ、大声で笑い始めた。

 

 やっぱり、さっきのは外向きの笑い方か。

 

 彼女は自分の座る椅子の横に備え付けた椅子をずるずると引きずる。

 

「ああ、椅子はいいよ。パンだけ買って行こうかな。オネエサンのおすすめは?」

 

「貴方仕事中でしょ、匂いの少ないパンならそっちに並んでるわ」

 

「んー、ありがと」

 

 先程までよりも幾分か砕けたような口調に彼女はレジの前に座り直した。警戒するほどの人じゃない。

 

 赤い髪の男は言われたとおり、壁際のパンをいくつか選んで精算用のトレイに乗せている。自分の分だけとは思えない。部下か、同僚か。誰かの為に買っているのだろう。それが大事あ人のためであれば少し嬉しい、とらしくもないことを考えて彼女は溜息をつく。

 

「仮にも客の前で溜息かよ」

 

 幾つかのパンが乗ったトレイをレジ横へと置いた男はそう言って彼女に笑いかけた。

 

「騎士が好きじゃないの」

 

 慣れた手つきでパンの料金を打ち込み、合計金額を提示する。男は小さく笑いながら提示された金額ピッタリの金を出す。高給取りのくせに細かいお金もあるのね、なんて嫌味を言うが彼はあまり気にしていないらしい。

 

 袋に入れられたパンを受け取り笑う。

 

「嫌いな奴に売ってもらって悪いね。店主によろしく言っといてくれるか、今回はこのパンでいいよ、ってな」

 

 じゃあ、またね。

 

 その黒い姿に似合わないファンシーな袋を片手に引き下げ、彼は他の客がそうするようにゆっくりと店の扉をくぐった。

 

 何アレ。らしくない騎士が居るんだ。

 

 レジに肘を付け、手のひらで頬を支える。

 

 今の騎士は皆、腐りきったようなやつだと思っていた。権力と腰に下げた剣を盾に好き勝手をするような、気まぐれで仕事をするような。ああいやでも。真っ昼間からこんな郊外のパン屋にクルような騎士だ、まともに仕事をしていないのかもしれないな。

 

 ふふ、と思わず声に出して笑い、笑った自分に驚いた。

 

 なんで笑った? 騎士を思い返して笑う要素があったのか。

 

 考え事をしていると扉の鈴が鳴る。見れば店主が疲れた顔を引き下げて立っている。

 

「ただいま、遥さん」

 

 名を呼ばれて彼女はいつもの様に不機嫌な表情を返した。

 

「さっき、貴方にお客が来たわ。赤い髪に紫の目のちょっと偉そうな騎士」

 

「げ、龍騎の奴店に来たのか」

 

 いつも柔和な店主がこんな顔をするなんて珍しい。

 

「『今回はこのパンで良い』っていくつか買っていったけど」

 

「え。珍しい。まあ、それでいいならいっか。あー、アイツとは昔からの腐れ縁で、物の貸し借りとかしているんですよ。今は借りを作ってんでいたんですけど……」

 

 ほんとうにパンで良いのか。店主は悩み悩み店の奥にある休憩室へと向かっていった。

 

 ただのパン屋が騎士と腐れ縁なんて、珍しい。

 

 彼女、遥は新たにやってきた客に気を取られ、考え事を止めた。

 

 

 龍騎は片手に持った買い物袋を部下に渡した。

 

「うっわ、すげーいい匂い。これ食べて良いんすか?」

 

「俺の分も多少残せよ」

 

 少年のようなあどけなさを持った龍騎の部下はパンの袋を持ったまま騎士の隊舎へと走りこんでいった。これで俺の分がなかったら俺の分の報告書も書き上げさせよう。

 

 龍騎はフワリと香った食欲をそそるパンの匂いを振り払うように自分の部屋へと歩みを進めた。思い出すのは腐れ縁の友人を訪ねた店に居た無愛想な青い髪の女性。

 

 短い青い髪、快晴の空を思わせる空色の瞳。我ながらあの短時間でよくそこまで覚えているものだ。

 

――騎士が好きじゃないの。

 

 事も無げに言い放たれた言葉に多少なり揺れた。パンを買う客の目の前でため息をついたかと思えば客の職業が好きではないという。

 

 だが何故だろうか。

 

 龍騎は彼女が嫌いではない。

 

 腰に下げた剣を机の横に立てかけ、少しだけ不在をしていただけで机の上に貯めこまれた書類を手にとった。手荒な仕事が無いのは良いことだ。ただ忙しいことに変わりはない。

 

 明日も簡単な食事で済ませてしまいたいところだが、思い出すのは先程のパン屋。

 

 小さなパンから惣菜になるパンまで、色々あった。あの場所は龍騎が巡視を担当する区域からそんなに離れていもいない。巡視途中で立ち寄ることは出来るだろう。

 

 彼女の無愛想な顔が不機嫌にゆがむのを見るのも、悪くない。

 



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2話

 

 それから、彼は何度もパン屋にやってきた。時に早朝、時に昼間、時に閉店間際。来る度に店主は良い顔をせず、遥もまた騎士は暇なのかと彼をなじった。何度なじっても彼が来なくなることはなかった。

 

 遥と言葉を交わしながらパンを選び、軽口の応酬をしながらお金を払う。

 

 遥の思いはともかくとして、龍騎はこの時間を好んでいた。来れる機会を探すことを含め、面白いと感じていた。

 

 もっとも、こうして何度も来れるのは今のように仕事が安定している時だけだろうけれど、パンも美味いし、部下たちの受けも良い。部下によっては龍騎がパンが買ってくる事を楽しみにしているほどだ。

 

 遥は、店の扉が音を立てる度、一種の期待を持って視線を向けた。

 

 あくる日。今日はうだつのあがらない曇り空。機嫌のいい遥は残り物のパンが入った袋を片手に抱えて帰り道を歩いていた。日は暮れ、街灯が照らす道に人は少ない。

 

 薄い暗がりを望んだ店の前では艶やかな格好をした男が、女が、暇そうにする待ち人を誘う。

 

 だが、誰も遥に声はかけない。

 

 誰も片足が不自由で杖をつく女が金を持っているとは思わないからだ。まして、空いた片手に庶民的なパン屋の袋を抱えていればなおさらだ。

 

 実際、夜に遊ぶようなお金などは持ち合わせていない。必要もない。手元にパンがあるだけで、生きていくことは出来る。

 

「あれ、オネエサン。外で見かけるなんて珍しい」

 

 後ろから聞こえた声には知らぬふりを決め込んだ。知った声だ。今日は聞かなかった。

 

 知らぬふりをして背を向け歩き続けた。だが声は追いかけてくる。

 

「良い客を無視するなよ。おねーさーん」

 

「うるさい」

 

「お、良かった。聞こえてないのかと思った」

 

 カラカラと笑い、隣りに並んだ彼はいつもと色が違った。

 

 見れば淡い栗色のトレンチコートを身にまとい、赤い髪は帽子で隠されていて、目元には黒縁の眼鏡がある。

 

「今日は非番でね。似合ってるだろ?」

 

 答えずに居ると、不意に片手の重さが無くなった。

 

 パンの袋が隣の男に奪われていた。かち合った紫色は満足気に細められている。何が楽しいんだ。

 

「杖つきながらだと大変だろ、近くに着くまで持ってやるよ」

 

 荷物を急にとるからバランスが悪くなった、と悪態をつくも彼はやはり笑うだけ。

 

 不自由な右足側を歩き、特に用もないのか話すこともないが彼は満足気に笑っている。

 

「いい匂い。なあこれ、一個もらっていい? 遊んでたら昼飯食いっぱぐれたんだ」

 

 返事をする前に龍騎は袋の中からパンを取り出して口に咥えていた。

 

 話題も無く、ただ歩くだけ。街灯も少なくなる道のりの中、このまま家までついてくる気なのか。龍騎は何も気にしていないように見える。

 

「私の家、下町なんだけど」

 

 歩きながら遥がそう言うと龍騎はパンをかじりながらふうん、と大して興味も無さそうな返事を返した。この騎士は本当に分かっているのか。

 

 上の町とは違う。そんなところに高名な騎士様が来るつもり?

 

 盗みが正当化されるような場所。いくら腐っていても街の治安を護る騎士、騎士が来るような場所じゃない。

 

 直接的に言うと彼は口の中のパンを飲み込んでからやはり笑った。

 

「俺の家、下町なんだけど?」

 

 先ほどの彼女と同じ言葉。とても冗談とは思えない。

 

 嘘だ。という言葉すら出てこない。

 

 今の騎士がそんな言葉を吐くこと自体、驚くべきことで。今の遥には考えられないこと。想定外の答えに遥の思考は停止し、龍騎はしてやったりという顔をしている。

 

 普段店では口で敵わないからこういうことでも勝てて嬉しいよ。

 

 うわあムカつく。遥の言葉も今だけは負け惜しみに聞こえるほど。とても苛立ったから、遥は右足を庇うための杖を振った。

 

 鈍い手応えと、小さなうめき声。人を馬鹿にするからよ。先に馬鹿にしたのはどっちだ。

 

 遥は小さく、声を出して笑った。

 



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3話

 

 ここ数年の間、騎士という役職は腐りきっていた。元は民に慕われ、民のために剣を奮うのが騎士だった。だが今は違う。彼らが剣を奮うのは私欲のため。そう言われるほど。

 

 だが腐った騎士の中にも序列はある。大隊長を上に据え、隊長から隊員へ。

 

 大隊長ともなればこの腐りきった騎士を元に戻せる、はずだった。

 

 龍騎は目の前の紙束を前に溜息をつく。彼がそう考えるのには理由がある。先々代騎士団大隊長は一人であの、良き時代の騎士を作り上げた。その次代、一人で堕落させた大隊長も流石だとは思うが。

 

 毎日の紙束の相手をしているだけで部下と関わる時間も少なくなる。周りに居るのは隊長となる前から友好のある者ばかり。変わるはずもない。

 

「隊長、今日はパン無いんですか?」

 

 ノックもなしに彼の部屋に入ってきた部下の一人が書類を机に置きながら何かを探すように視線を彷徨わせる。

 

「欲しいなら買いに行け。暇ならお貴族様の出迎え変わるか?」

 

「あはは、冗談。絶対ゴメンです。大体あの人のお気に入り隊長なんですもん。ボクらが行ったら睨まれちゃうし」

 

「明日香様にも困り者だな、俺は結婚する気など無いのに」

 

 あははは。少年のようなあどけなさを残す部下はさも楽しそうに笑い声だけを残し、自分の部屋を出て行く。龍騎は残されたまま、部屋にひとつかけておいた時計を見やる。

 

 あと一時間で貴族を迎えに行かなくてはならない。

 

 今の騎士に貴族の護衛は任されないが、迎えに行く程度は許される。迎えに行き、挨拶を済ませ、護衛の兵たちを連れたまま会合の場所まで案内する。

 

 今日迎えに行くのは城での会合に参加する貴族とその娘だ。貴族の姓は日向。この国の中でも重鎮と言われるほどの力と影響力を持った貴族の一人。

 

 娘の名前は明日香。騎士団大隊長である龍騎――の、おそらく身分――をいたく気に入り事あるごとに龍騎を呼びつける。そして、婚礼の話を持ち出すのだ。腐ったとはいえ騎士団の大隊長。価値を見出しているのかもしれないが、龍騎本人にとっては迷惑な話だ。

 

 彼は婚儀を上げるつもりなど毛頭ないのだから。というより、彼は明日香のような人が苦手だった。やたらと積極的に近付いてくる女性にはいい思い出がない。

 

「ねえ龍騎さま」

 

 父親は会合に出ており、娘本人としては暇なのだろう。隊舎を案内して欲しいという言葉の通り、手を引いて騎士隊舎を案内している。何が楽しいのか、貴族の娘である明日香は龍騎の片手を強く退く。

 

 腕に当てているのか、胸が鬱陶しい。ここまで積極的に来られると嫌気がさす。

 

「何でしょうか、明日香様。やはり隊舎の周りは退屈でしょう?」

 

「いいえ、『貴方』の隊舎、とても素敵ですわ」

 

 俺の隊舎じゃない。

 

 龍騎は溜息を抑えるのに必死だった。

 

 

 対して遥は上機嫌だった。雨の日は客が少ないから。

 

 いつもより少なめに焼き上げたパンのひとつをレジ前でかじる。美味しい。今日は珍しく店主も営業時間中店に居るらしい。さんざん嫌味を言っていると店主は疲れきって休憩室へと引っ込んでいった。

 

 雨の日は好きだ。あの日とは全く違うから。

 

 客が少ないのも良い。座っているだけで仕事が終わる。

 

 残ったパンを廃棄処分するのは気分が悪いが、それはこの仕事上仕方ないことだ。腐りかけたパンを客に出す訳にはいかない。

 

 頬杖をついたまま眠ってしまおうと目を閉じた時、店の扉が開いて鈴が鳴る。

 

「おい、寝るなよ、店員」

 

 龍騎だった。

 

「何よ、雨の日も暇なのね」

 

「っはは、今日は気分転換。ついでに夜食をね」

 

 レジ前に来た彼から香る似つかわしくない匂い。思わず眉を寄せると彼は気付いて一歩だけ下がった。

 

「仕事で匂いの強い奴と会ってたんだ。悪い、ある程度は消したつもりだった」

 

「パンが、不味くなる」

 

 包んだパンを渡すと香る、気持ち悪いほどに自己主張をする華の匂い。

 

 ふ、と遥は動きを止めた。なかなかパンの袋から手を離さない彼女に首を傾げるも、彼女は険しい顔で何かを見ている。おそらく、ここではないどこかだ。

 

 龍騎は急かさず、パンの袋が手元に落ちてくるのを待った。時間にすると短いがそれは確かに彼女が何かを思い、憂う時間。

 

 普段軽口を言っている彼女からは想像出来ない、どこか泣きそうな顔。

 

「げ、龍騎来てたのか」

 

 休憩室から顔を出した店主の声でパンの袋は彼女の手を離れ、龍騎の手の中へ落ちる。

 

「悪いか? ちゃんと金払ってるだけありがたいと思えよ。お前にはまだ貸しがあるんだからな」

 

 荒い口調。遥はいつもの無愛想を貼り付けて顔を上げた。

 

「……、また来るよ。オネエサン」

 

「二度と来るな暇人」

 

 死んでしまえ。と。いつもより酷い言葉に思わず笑うことしか出来なかった。

 

 片手を振ってもいつものように応える姿はない。いつもどおりであるところに少しだけ安心した。

 

 購入した幾つかのパンが入った袋を片手に外へ出ると相変わらず酷い雨が降っていた。龍騎は雨の日が嫌いだった。あの日と違いすぎるから。

 

 店の前に置いておいた傘を広げ、雨からパンを庇う。部下たちもこれで満足だろう。

 

 この大雨は三日に渡って振り続け、その間、龍騎がパン屋を訪れることはなく、代わりに強い香水の匂いが龍騎を訪ね続けた。

 



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4話

 

 パン屋で働いている、といっても彼女の仕事は少ない。幾つかのパンを作るのは確かに彼女の仕事だがほとんどのパンは店主が作る。彼女は店主が居ない間店番をし、パンを売るためにレジを叩く。

 

 暇だった。どうしようもなく。ただ、店主に恩があった。恩を返したいといった時、彼はじゃあ店番を頼むと言ってきた。その足でも、座っていることと少しだけ歩くことは出来るだろうと。

 

 振り続ける雨を眺めて溜息をつく。

 

「暇ね」

 

 最近、二日に一度は彼が来ていた。それは確かな退屈しのぎ。

 

 けれど雨が降り続いている間、彼は来ない。来ない所で問題はない。売上が一人分減っても問題ないほどに上客は居る、らしい。

 

 正直なところ店主であるあの人がどこにパンを売りに行っているのかは遥も知らない。

 

「こんにちは……」

 

 扉の鈴の音と、聞いたことのある声。

 

 目を向けて驚いた。

 

 『彼』は雨に濡れていた。髪はしとどに濡れて水滴を店に落としていて、非番の日に来ていたような淡い栗色のコートも水を吸って色が変わっている。

 

 どうしたの。そう聞きそうになって口を閉じた。

 

 大して知った仲でもない。心配するほど仲が良いわけじゃない。

 

「ねえ、床が濡れるんだけど」

 

 少し間を開けたがいつもの様にそう言えば、彼は困ったように笑ってコートを肩から落とした。

 

「悪いね。店主、呼んでくれるかな?」

 

 いつもより、粗暴。呼んでくるといえば彼はじゃあ外にいる、といって店を出て行く。

 

 休憩室で仮眠をとっている店主の肩を叩くと酷く不機嫌そうな店主が薄く目を開ける。いつも温厚な店主でもこうなることがあるのか。

 

 外に来客があることを告げると店主は弾かれたように起き上がり、椅子を倒した。倒れた椅子を直すこともせず適当なタオルを引っ掴むと勢い良く店を出て行く。

 

 二人してわけがわからない。

 

 見ると雨の中、店先の屋根のある場所で何かを話している。何を話しているかは分からないが、二人とも珍しく酷く真剣な顔をしているように見える。

 

 タオルを叩きつけられた龍騎は髪の毛の水気を絞り、拭き取りながら店主の話を聞いている。話の内容までは聞こえてこないが笑顔ではないところを見るとどちらにとっても良い話ではないのだろう。

 

 そのまま龍騎は帽子の中へ赤い髪を収めると店を離れ、店主は濡れたタオルを片手に苦々しい顔で店に戻ってくる。

 

「何か企みごと?」

 

 そう、声をかけると店主は目に見えて驚く。

 

「何で、あ、いや、企みごとというより、ただ……世間話です」

 

「ふうん? 隠し事が下手なのね?」

 

 怯えたように視線をそらすから、それが真実だと言っているようなものなんだよ。口には出さないが、遥は笑った。

 

「遥さん、アイツのことは、その、あまり……」

 

「興味ないわ。警備の人ならともかく騎士なんてどうでも良い」

 

 からん。店の扉が開き、二人の意識は騎士から逸れる。いかにもパンを食べ無さそうな体格のいい黒い服を着た男が無表情に店内へと入ってくる。

 

 いらっしゃいませ。店主が人の良い笑みを浮かべる。

 

 どこかでみたことのある黒い服。男は店の中を一瞥するときびすを返して立ち去った。何だったんだろう。

 

 龍騎を店を離れてすぐ空から雲は退き、空は青く染まった。

 

 その日の夕方、パン屋の主人はパンの配達に出かけ、パン屋に戻った時。店番をしているはずの遥は居らず売り物のパンと遥の体を支えるはずの杖が床の上に転がっていた。

 

 

 ずぶ濡れになったコートを適当にハンガーへ引っ掛ける。これだけ濡れているのにも関わらず、外では日が差している。にわか雨だったのか。傾きかけた日は赤く騎士隊舎の壁を染める。

 

 晴れると機嫌が悪くなるからな。

 

 不思議な感性を持つ彼女を思い出して笑う。日を嫌い雨を好いて、騎士を憎む。

 

 あとは、少しパンを焼くのが下手だ。店の棚に並んだパンを何度か見ていると分かる。少し形の歪なパンが混ざり込んでいる。

 

 貴族の案内があって上機嫌では無かったが、様子を見ることが出来たのは楽しかった。

 

 くしゅっ、と小さくくしゃみを漏らしてようやく外が黒くなっていることに気づいた。雨に濡れたままろくに乾かすこと無く仕事に入ってしまったからか、体が芯から凍えているような気すらする。

 

 さっさと体を温めて寝よう濡れたコートを腕に引っ掛け、別のコートを背中に羽織る。

 

 隊舎の外は黒く、街灯も敢えて少なくしているため少し先の風景も見えない。誰かが、何かが潜んでいたとしても気づくことはない。

 

 彼のように余程気配に聡くなければ気付かないだろう。

 

「制服を脱いだが、得物は持ってるぞ。この場所で襲ってくるつもりなら相応の覚悟をしてもらおうか」

 

 暗闇に笑いかける龍騎に、潜んでいた影はびくりと体を震わせた。

 

「りゅ、龍騎!!」

 

 影は切羽詰ったような声で叫んで隠れていた物陰から飛び出し、龍騎の仕合の及ぶ場所まで駆け寄る。

 

 だらしなく見える格好に少し跳ねた髪。

 

「お前……こんな所で何してる。隊舎には近づくなと言ってるだろ」

 

「それどころじゃないんだよ! 遥さんが――」

 

「お前煩い、こっち来い」

 

 知った名前に一瞬龍騎の表情が変わるが男はそれに気づかず、ただ強く握られた手を引かれるままに更に暗い暗闇の中へと足を進ませる。

 

 連れられている間もどうしてそんなにも冷静なんだ、と龍騎へ文句を送る。

 

 騎士隊舎から離れ、建物の影に身を隠すように入り込んだ龍騎はようやく男の手を離し、かすかに街灯の光が届く場所で男に向き直った。不機嫌にすら見える、やけに真剣な表情だった。

 

 彼の表情を見て男は初めて口を閉じた。

 

 落ち着いたか? 龍騎の言葉にひとつ頷く。

 

「それで、あの人がどうしたって?」

 

「ああ……、配達から戻ったら、遥さんが、居なくて」

 

「……気まぐれなサボりじゃないのか?」

 

 彼女ならそういうこともしそうだが。そういう意味で言うも、男は首を振った。少なくとも自分があのパン屋を営んでいる間、彼女の勤務態度は真面目とは言えないが前触れも無く居なくなるような人ではない。

 

 それに、店のパンを床に散らかし傷付いた杖を置いていくような人でもない。

 

 男の言葉に龍騎はひとつ頷いた。

 

「じゃあお前は帰れ」

 

 龍騎の言葉に男は間の抜けた声を返す。

 

 帰れ。二度目の言葉は笑顔のおまけ付き。

 

「なんでっ!」

 

「お前に表立ってそういう動きをされると困るんだよ。……明日の朝、いや、昼までにはもとに戻してやるから」

 

「っー、わ、かった」

 

「分かってない顔だな? 絶対に動くな、俺を信用しているなら、絶対にな」

 

 最後に男の肩を小突き、龍騎は笑った。

 

 だが、内心は穏やかなものではない。男からパン屋の鍵を譲り受け、ひとつくしゃみをした彼は未だ片付けが済まず散らかったままの部屋に足を踏み入れた。

 

 思わず舌打ちをひとつ。静かな場所に龍騎の不機嫌だけが染み渡った。

 

(2016/11/04 00:13:31)

 



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5話

 

 ずっと『昔』から気に食わなかった。

 

 自分よりも身の回りに気を配らないくせに、ガサツなくせに、女らしさなんて欠片もないくせに、誰よりも好かれる青い髪の女。大した努力すらせず上に気に入られた、ただそれだけでトップに上り詰めた青い瞳の女。

 

 一度地の底を知ればいい。

 

 あの、晴れた日。護衛の仕事と言って女を油断させ、休憩と言って崖際へ誘い込んだ後崖下へ蹴落とした。噂では女は死に、騎士の大隊長は自分が思う人間になった。その後、大隊長の座が龍騎という男に移ったのは想定外だったが、彼は好みだから自身で懐柔する。

 

 だが、またしても青の女が現れた。

 

 死んだはず女はどこで知ったのか大隊長の龍騎に取り入っていた。やはり、気に食わない。だから、先代の大隊長が居る時に手に入れた力を使って女を閉じ込めた。今は部下の男たちが好きに痛めつけているはず。

 

 明日香は上機嫌で朝の紅茶に口をつけていた。

 

 こんこんこん、扉が叩かれる。この時間、彼女の部屋に来られる人間は限られる。

 

「お父様?」

 

「明日香……、お客様だ。騎士団の大隊長が話をしたいと」

 

「龍騎様が!? 今行きますわ!」

 

「――その必要はありませんよ、明日香様。おはようございます」

 

 はしたなくも走り、勢い良く扉を開けば見えたのは父親の姿と父親の後ろにいる赤い色の髪の、騎士団大隊長。

 

 いつものように満面の笑みを浮かべて見せれば彼はどこか困ったように笑い返す。いつもと、同じ。

 

 

 龍騎は明日香に聞こえないよう小さく二言三言を彼女の父親と話した。その言葉の一つ一つに不満を覚えながらも『どうすることもしてはいけない』自分の眉間にしわを寄せ、部屋を後にする。

 

 二人になり、明日香は笑う。いつものように。

 

「明日香様」

 

 酷く優しく名前を呼ぶと明日香は嬉しそうに笑った。ようやく自分の思い通りになる、と思っているのか龍騎も思わず笑う。そのバレバレな思惑を隠して欲しいところだ。

 

 片手を差し出すと何を『勘違い』しているのか、明日香は喜んで自分の手を差し出す。

 

「返してもらえますか」

 

 笑顔とは裏腹に随分低い声が出た。我ながらこれは怖いな。

 

 龍騎は笑みを深くする。そしてもう一度、返してもらえますか、と言った。二度も言ってようやく龍騎の意図することに気付いた明日香が喜び差し出した片手を引いた。

 

 だがその手はかつて望んだ者に強く掴まれる。

 

 体を強く引かれ、暖かな体に倒れ込む。

 

「貴女の頼みの綱であろう父上様は来ませんよ。俺も、騎士である以上貴女に手を出せはしない。だからお願いしているんです。俺が騎士であるうちに、ね」

 

 一切鍛えていない明日香が体を鍛え、剣を握る男の力に敵うわけもなく、ただ龍騎の言うそれを認めてしまうわけにもいかない。

 

「私には龍騎様が何を言っているのか」

 

「――、何年か前、敬愛する騎士団大隊長が崖から落ちたと俺たちは悲報を聞いた。覚えは?」

 

 腕を引き剥がそうと体を離したまま首を振った。そんなの知らない、と言うように。

 

「そうですか。では話だけ聞いてもらいましょうか」

 

 小さく、咳をするような音の後、少し掠れた声で龍騎は語り始める。

 

 数年前、騎士団を束ねる大隊長が『不慮の事故』で命を落とした。後に来た大隊長は今までとは全く違う大隊長だった。貴族生まれのやる気のない騎士を擁護し、前の大隊長を慕う実力のある騎士たちは大隊長の権限で排斥されていった。

 

 自分も、排斥されそうな騎士の一人だった。

 

 だがだからこそ、急に現れた大隊長の裏をかくことに必死になることが出来た。

 

 変わらず優しい笑顔で龍騎は言う。

 

 知っていましたよ。前大隊長の裏に居た人を、好きだった騎士の時代を終わらせた人を、貴族を。

 

 片手で強く明日香を捕らえたまま。

 

「俺が……俺達が何も知らず、何もせず、慕った騎士団長を突き落とした貴族を好くと?」

 

「っ、わたし、は」

 

「掴む尻尾が見付けられなかった。貴女の父上様は賢い方だ。けれど貴女は違う。貴女はもう少し自分の力を知るべきですね」

 

 過ぎた力は、ただの足かせですよ。

 

 手を離すと彼女は掴まれていた片手をもう片方の手で擦る。赤く、凹んだような錯覚すら有る。それだけ『強い力』で掴まれていた。

 

 顔を上げれば彼は変わらず笑みを浮かべている。

 

 今までに見たことがないほど、優しげで恐ろしい笑み。

 

「これが『騎士』である俺の最後の言葉です。一般人であるパン屋の娘を、返してください」

 

 

 貴族の館にふさわしくない地下牢がある。この場所は罪人を捕らえるという名目で作られた場所。何に使っているかは定かではないが、こういうことなのだろう。

 

 龍騎は廊下の壁に備え付けられた少しの明かりを頼りに石の階段を降りていく。

 

 場所の目星はついていた。だが、いい加減彼女に付きまとわれるのもこれ以上好き勝手をされるのもウンザリだった。だからまどろっこしい方法ではあったがこうして『公式』に許可をもらって

 

 階段を降りきった先にある地下牢。火に照らされたその場所には誰も居なかった。は、と思わず間の抜けた声が出る。檻の中には何人かの人が倒れているが全員男。予想していたような女性の姿はない。

 

 誰かが先に、と思ったが思考は地下牢へ繋がる階段から聞こえる音に遮られた。

 

 かつん、かつかつん。みっつの音をひとつの組み合わせとして鳴る音はどこかで聞いたことがある。

 

「――、驚いた。こんな所でパンは売ってないわよ?」

 

 剣を杖代わりに歩いてくる女性が居た。

 

 暗くてよく見えないが、いつもよりも少しだけゆっくりと歩く彼女は珍しく上機嫌な笑みを龍騎へ向ける。

 

 思わず笑い返しそうになるが、龍騎は表情を引き締める。

 

「怪我は――」

 

「店の方で頭を打ったのと、ここに来て一発殴られたけど問題ないわ。縛られてもいなかったから」

 

「……はっ、はは。流石です、ここに留まる理由を伺っても?」

 

 急に敬語を使う龍騎に驚くこともなく、女性は、遥は上機嫌に言葉を返す。

 

「勝手に逃げれば変に目をつけられて店に迷惑がかかる。だったら適当な状態にして警兵に見つけてもらったほうが良いでしょ。どうせ、あの臆病貴族はここに降りても来ないから」

 

 ふん、と鼻を鳴らして笑った彼女は階段を完全に降りて龍騎の正面に立つ。

 

「さて、久しぶりと言うべきかしらね?」

 

 笑う彼女に彼は小さく頭を下げる。

 

「俺のような一騎士を覚えておいていただけるとは光栄です、大隊長」

 

 良き時代の騎士を作り上げた敬愛する前騎士団大隊長を前にすることはない。

 

 名を知らずとも自身のことを覚えていたことが光栄で、同時にここに閉じ込めたような存在にいらだちを覚える。

 

「今は貴方が大隊長でしょう」

 

「俺にとってはいつまでも貴女が大隊長です」

 

「はー、相変わらず甘えん坊ね。さて、甘えん坊ちゃん、剣を持って出ると問題だからエスコートしてくれるかしら?」

 

 剣を捨てて差し出された片手に、腕を差し出して応える。

 

 喜んで。

 

 石の階段を上がり、外へ出ると日は高く二人は眩しさに目を細めた。

 

「遥さん! ああ良かった、無事で」

 

 貴族の屋敷から出た途端に駆け寄ってきた男を見て、遥は安心したような笑みを浮かべた。パン屋の主人が息を切らして彼女の名を呼ぶ。

 

 龍騎から手を離した遥は大袈裟ね、と男を笑う。

 

「け、怪我は、体調は!?」

 

 心配して伸ばされた手を片手で払う。正規の訓練も受けていないような人たちに負けるなんて思っていないくせに。

 

 相変わらず尊大な態度。

 

 遥は空を見上げた。雲一つない晴天。けれど、気分は良い。あの日、雲一つない晴天の日崖の下から自分を突き落とした女を見上げていた嫌な記憶はまだ残っているがそれ以上に気分がいい。

 

 そう言えば、自分を助けに来たらしい甘えん坊の騎士団大隊長は。

 

 やたら静かな背後を振り返った瞬間だった。

 

 騎士服を着た男の姿がまるで滑るようにゆっくりと、小さくなる。正確には、うずくまった。

 

 は、と間の抜けた声を出すと道の真中で片膝を立ててうずくまった男は顔だけ上げて笑った。情けないような、呆れたような、見たことのない顔だった。彼と話したことは少ないけれど、らしくないことは分かる。

 

 息を切らしたままの男が近付くと龍騎は荒く息を吐きだす。

 

「お前! 雨の後そのまま仕事したな!?」

 

 見れば顔が赤い。

 

「なあ、手、貸してくれよ」

 

 蹲った状態から弱々しく差し出した手を掴んだのは小さく力強い手だった。困惑する前に強く引き寄せられ、龍騎は自分より小さな影に向かって倒れ込んだ。

 

(2016/12/07 22:30:59)



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6話

 

 見慣れた天井だった。自分の家の布団の中、上半身を起こして外を見る。窓の外は赤く、夕暮れ時であることが分かる。今朝から何をしていた? 今朝は朝から嫌いな貴族の館に行った。何のために? 龍騎は立ち上がろうとした体を縮めた。思い出した。立てた膝を片手で抱え、大きくため息をつく。

 

 朝からと言うよりも昨夜から動いていたのはとある一人の人のため。敬愛する全騎士団大隊長。今は、パン屋の店員である一人の女性を貴族の手から取り返すため。

 

 取り返すことには成功した。失敗はない。想定外なことはあったが彼女は大きな怪我もなく貴族の屋敷を出た。問題はその後だ。龍騎は昨日雨に濡れた体を乾かすことも温めることもなく夜まで仕事をして、続きで拐われた彼女を探した。

 

 貴族の屋敷から出た時、龍騎の体は熱に侵されて一人で立つこともままならない程だった。パン屋の主人に助けを求め手を伸ばしたが、その手を掴んだのは思いの外小さく、力強い手に引き寄せられた。

 

 自分より小さな体に倒れ込んだ後の記憶はない。もしあのまま意識を失ったのであれば、そんな情けないことはない。

 

「あら、起きたの」

 

 さも当たり前のように遥が寝室に入ってきて、寝床の隣に腰を下ろす。目の前に迫った彼女の背中を見ていて違和感に気づく。

 

 彼女が普段持っているものが近くに見当たらない。

 

「杖は?」

 

「ん? ああ、戦う時に軸足に出来ないだけで普段は問題ないわ。店では、油断してたわ。こっちを軸足にしちゃってね」

 

 ぱたっ、と頭上から何かが落ちてくる。冷たいそれはまだ少し熱を持つ龍騎には心地よい。

 

「料理は嫌いなの。食べ物は自分で用意して」

 

「……、助かりました」

 

 情けないやら嬉しいやら、龍騎は遥の背中へ笑いかけた。

 

「必要なかったし、すごく情けない姿を見たけれど」

 

 くるっと勢い良く振り返り、遥は笑った。

 

「助けに来てくれて嬉しかったわ、ありがとう」

 

 過去も、今も。

 

 屈託なく笑う彼女なんて見たことがない。

 

 情けないと言われているのになぜだか妙に照れくさくなった龍騎は緩みそうになる表情を抑え、無表情を装う。

 

 きゅるる、とその場に似つかわしくない間の抜けた音が聞こえる。聞こえたのは目の前から。

 

 彼女は恥ずかしがるでもなく、朝から飲み物だけで過ごすのは流石につらいわ、と笑った。

 

「適当に作りましょう。少しかかりますが、待っていてくださいますか」

 

「私は肉が好きよ」

 

 間髪入れずに放たれた言葉に立って応える。

 

「知っていますよ」

 

(2016/12/12 21:52:50)



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高校生藤野
7話


 

 何で好きになってくれないの。そう言って俺を叩こうとした手を難なく掴むと顔を真っ赤にした女――残念ながら名前は記憶にない人――が離しなさいよ、とヒステリックに叫んだ。耳が痛くなって思わず手の力を緩めると女は走り去った。まただ。

 

 藤野龍騎はため息をついた。こんなことは彼にとっては定期的に訪れる日常だった。

 

 容姿が良く、成績も上位レベル、加えて魔法実践も難なくクリアする。彼に憧れて付き合ってくださいという女の子は多い。さして興味のない彼は時間が潰せれば、と毎回それを承諾する。

 

 そして、今のように女の子から断りを入れられる。

 

 女の子の手を掴んでいた片手を見て、それから空を見た。

 

 話したいことがあるという女の子に呼び出されて夜の駅に居た。魔列車が空を照らして走り出す。人通りもある場所、周りの人は勝手な推測を話しながら龍騎の隣を歩きすぎていく。

 

 どれもこれも『どうでもいい』と思えた。興味がない。

 

 龍騎は欠伸をひとつだけこぼして、駅に背を向けた。一人で住んでいる家は駅から歩いて数分だ。帰宅したら寝てしまおうか。無駄なことに寝る時間を奪われた。

 

 明日は半日魔法無しのスポーツ授業で埋められていたはずだ。あれほど体力を使う授業は他にない。だから早く寝たかったんだが。

 

 ぐ、と両手を天井に向かって伸ばして龍騎はベッドへ横になる。掛布をかぶれば心地よい暖かさが彼を包んだ。

 

 できれば自分の他に誰も出てこないような、そんな素敵な夢を見せてくれ。

 

 

 手のひらよりも大きなボールを床に弾ませながら走り、高い位置に備えられたゴールポストへボールを投げ込む。魔法に寄る妨害や身体強化は禁止。単純な身体能力と、作戦のみで勝て。

 

 身体能力の底上げと魔法に頼り切らない考え方を学ばせるための授業。五日に一度、学園はこういった授業を持たせる。

 

 龍騎にとってはさしたる問題ではない。

 

 普段の鍛錬を怠っているわけではないのだから基礎体力は在るはずなのだ。本来なら。

 

 動きの鈍いクラスメイトを抜いてシュートを決める。

 

 隣で同じ授業を受けている女子組から黄色い歓声が上がる。だが、いつもと雰囲気の違う。

 

 何だろうか。自分に当てられた歓声ではないような。

 

 汗を拭くついでに女子側へと目をやった。

 

 蒼い、何かが見えた。

 

 それは防御のために立ちふさがる女子たちを壁とすら認識していないのか、緩やかな曲線を描くように動くその蒼はボールを誰に渡すこともなくシュートまで一人で決めた。

 

 汗すらかいていない彼女は次、と言って酷く無邪気に笑った。

 

 誰かが呆ける彼の名を呼んだ。おい龍騎、と大きな声で呼んだ。

 

 龍騎は振り返って授業へと戻り、蒼の彼女は大きな声で名を呼ばれた彼を見ていた。

 

「りゅうき、龍騎って言うんだ……ふうん、話したいなあ」

 

 ボールが行ったよ落ちこぼれ、酷い言葉とともに投げ込まれた攻撃的なボールを片手で受け止める。反則覚悟で自分にぶつかってくる同級生たちを避けてゴールへ向かう。

 

 簡単過ぎる。相手が自分に敵意を持っていれば持っているほど。

 

 そう思った所で足下がパキン、と音を立てる。ただこういう。

 

 『魔法』を使った妨害が鬱陶しい。

 

 少し濡れた氷で足下を凍らされた。蒼の彼女はボールを味方チームへ投げ渡した。自身の体は勢いのままに滑り、壁に向かう。ご丁寧にも氷の床は壁まで続いている。

 

 教師が何かを言っているが上手く聞こえてこない。

 

 強い衝撃に備えた彼女の体は酷く柔らかな羽毛に包まれた。

 

 燃えるような紅い翼。違う、その翼は本当に燃えている。

 

 熱くはない炎を身にまとった大きな鳥の胸元に飛び込んでいた。鳥は大きな二枚の翼で彼女を気遣うように包み込み、空いた小さな二枚の翼を畳み込んだ。

 

 助けるために飛んできた。だが、誰の。

 

 周りの声を聞いていると、彼のだ、と小さな声が聞こえてくる。

 

 動きを止めた周りの女子は男子側の試合を見ている。見れば自分を気遣った鳥と同じ赤い髪の男が点を取るところだった。君、あの男の?

 

 背中にいる暖かな巨鳥に問いかけると鳥はチチ、と口を鳴らして彼女へ顔を寄せた。擦り寄るようなその行動が答えのように思えて、彼女は男子側のしあいを見やった。

 

 自分よりはきっと動けない。けれど強く、周りに目を向けることが得意な彼ならば。

 

 

 試合が終了し、同級生たちが声をかけてくる中で一瞬青い瞳と目が合った。

 

「なあ、向こうの青髪のやつって」

 

 声をかけてくる比較的仲の良い男に聞いてみると答えはすぐに返ってくる。あの生意気な『落ちこぼれちゃん』な、と。

 

 この学校で久しぶりにそんな言葉を聞いた。

 

 比較的全員が同じように成長出来るよう計らう授業をしているのだからそういう、置いていかれるような学生は少ない、はずだ。秀でるものは居たとしても。

 

「そう、落ちこぼれ。魔法がほぼ全く使えなくてこういう授業だけ得意な奴だよ。魔法実践の成績は全てほぼゼロ。顔は良いんだけどな、性格も男勝りって話」

 

 へえ、とテキトウに言葉を返した。

 

 感覚で小さな頃から使ってきた魔法。何故それが使えないのか。

 

 ほんの少しだけ、興味があった。

 

(2017/02/05 22:00:47)



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8話

 

 一学期に一度、学園では学生たちの実力を測るため、より実戦に近い模擬戦闘を行う。二人で一組のペアを作り、トーナメント戦を勝ち上がる。優勝者にはそれなりの単位と副賞として売店で使える引換券が渡される。

 

 らしい。

 

 彼は、龍騎はこういった催し物にとことん興味がなかった。人が集まるのも嫌だし、無為に体力を使うのも嫌だった。

 

 机の上で尾羽根と冠羽の長い紅い鳥がパタパタと羽ばたく。空を眺めていると時間が経っていたらしい。教室内に人は残っておらず、空は赤くなっている。

 

『お疲れですか、ご主人様』

 

 小さな鳥から送られる声に首を振った。別にそういうわけじゃない。ただ、そろそろ断りを入れるのにも疲れてきただけだ。

 

 魔法実践においても良い成績を残す彼は男女問わず模擬戦闘へと誘われる。

 

 だが、やはり面倒だった。参加したら良いのに、という鳥の声には無視を決め込んだ。いくら自分の『召喚獣』であっても、言うことを聞いてやるつもりはない。

 

 学園の単位は授業を聞いていれば問題ない。なのに何故怪我を負うことも有るほどの努力をしてまで模擬試合に出なければならないのか。

 

「あー!見つけたあ!!」

 

 バン、と扉が壊れんばかりの勢いで開かれる。

 

 そこに居たのは青い髪の女。

 

 龍騎を見つめ、ヅカヅカと大股に近寄ってくる。教室にいるのは龍騎のみ。用があるのは龍騎なのだろう。何の用だ。そう聞く前に彼女は片手で強く彼の机へ叩いた。

 

 座った姿勢の彼は必然的に立っている彼女に見下される。

 

「ねえ、お願いがあるんだけど。あ、やっぱりその子アナタの子なんだ。この前はありがと」

 

 ころころと話題の変わるやつだ。

 

 頼みがあると言った直後に龍騎の机に乗っていた鳥を見つけると笑いかける。

 

「で、さ。アナタ毎期模擬戦に出ないって聞いたけど何で?」

 

 急に変わった話題に龍騎は視線を上げて青い髪の女を見やる。冗談を言っているような顔には見えない。むしろ、真剣にすら見える。

 

 この女も自分を模擬戦闘のコンビにならないかと誘いに来たのだろうか。他と、変わらないのか。

 

「……話す必要があるのか」

 

 思わず不機嫌な声が出る。

 

「あるわ、私が知りたい」

 

 表情を一切変えず、ただただ自信を持ってそう言う彼女。

 

 思わず、笑った。

 

 あざ笑うような小さな笑いだったが確かに笑った。嘲笑われても彼女は表情を変えず、再度どうして、と龍騎へ詰め寄る。嘲笑われることに慣れているのだろうと推測できる。

 

 だが、嘲笑ったのは何も彼女のことではない。

 

 龍騎は顔を上げる。酷く真剣な表情が似合わないと思えてしまうのは何故だろうか。まだ彼女のことは名前しか知らないというのに。ああでも。間違っていない気がする。

 

「面倒だからだ。それ以外に理由なんて無い」

 

「そう、じゃあ一緒に出ましょう。楽しませてあげるから」

 

 今度は、笑っていられない。

 

 代わりに彼女が酷く嬉しそうに笑った。何が楽しいのか龍騎には分からない。

 

「面倒なのが嫌なんだよね、だったらそれ以上に楽しませてあげるから一緒に出て」

 

 理屈がおかしい。常識が通じないと言えば正しいのだろうか。違う、自分勝手だ。そんなおかしな理論に付き合う必要は龍騎にない。首を振る。

 

「断る。何なんだお前、急に来て急にそんなこと言いやがって出るなら他のやつを誘うか一人で」

 

「足りないのよ。一人じゃ魔力を動かせないし、他のやつの力量じゃ私の分はカバー出来ない」

 

 ああ。思わず納得してしまった。模擬戦に参加するには一定以上の魔力操作の力が要る。二人で、一定以上の力だ。中途半端に弱い力は怪我の元なのだからと学校側が定めた規約の一つだ。

 

 だとしたらお前は参加すべきではないだろう。怪我を売る。

 

 そう言葉を返したが、遥はもう一度同じ言葉を言う。模擬戦に一緒に参加しよう。楽しませることが出来るから。

 

 酷く、必死なようにも見える。

 

 近くに居る召喚獣に目をやると彼女はこちらの考えを読んだのかチチチ、と鳴いた。長年一緒にいるから彼女のわざとらしい行動が何を意味しているのかはよく分かっている。

 

 任せた、と言われているのだ。

 

「……俺に相手の攻撃がかすりでもしたらすぐにリタイアする」

 

 本来は二人共が倒れるか動けないほどに魔力の消費をした時、そして本人たちが負けを認めリタイアした時に試合が終了する。

 

 たとえ大怪我をしたとしても続く模擬試合、攻撃がかすった程度でリタイアする人間は参加しない。だが、参加する意志を見せた途端彼女は顔を緩めた。

 

 先程までよりもずっとずっと幼く、屈託のない顔。

 

 直視しているのが何故か気恥ずかしく、龍騎は視線を召喚獣へと落とした。紅い鳥は羽繕いに忙しく龍騎に視線すら寄越さない。

 

「じゃあ自己紹介、私は青野遥(あおのはるか)。魔法はほとんど使えないけど、近接で同年の人たちに負けることはないわ」

 

「俺は……藤野龍騎。戦い方に得手不得手はない。お前が近接特化だというなら俺は後方に回ろう。それで良いんだろ?」

 

 彼女、遥は大きく頷く。それ以上に何を話すことなくじゃあ大会が近くなったらまた来るから、申込みとか面倒なことは任せた、大きな声でそれだけ言って教室から出ていった。

 

 どちらがめんどくさがりなのか。

 

 召喚獣の鳥が呟いた言葉にいらつき、指で鳥の頬に当たる部分を強く突くと硬い嘴で突かれる。じぶんの発言には責任を持ちなさい、とまるで母親のような言葉にまたイラつく。

 

 お前は俺の母親か。龍騎の言葉に鳥はまさか、と笑う。貴方のような子供を持ったら私は親としての自信をなくします、とまで言う始末。本当に、召喚獣らしくない。

 

 溜息を一つ。

 

 模擬戦闘の参加申請申し込み締切日は明日、今から書いて出してギリギリ受理されるか。そもそも、申請用紙をもらいに担任のもとまで行かなければならないのが億劫だ。

 

 あの担任は、お節介だ。

 

 現に、紅の鳥と共に教務室を訪れ模擬戦闘の申請用紙がほしいと言えば担任は一瞬驚いた後、嬉しそうに気持ち悪い笑みを浮かべている。龍騎にとって気持ち悪い笑みを浮かべている。

 

「で、申請書はいただけますか?」

 

「ああ、うん、もちろんもちろん! 嬉しいなあ、で、お相手は? やっぱり女の子なのかな?」

 

 事情を話すのが面倒で、その場でコンビを組む二人の名前を書いて担任の目の前の机に投げた。ひらりと揺れて担任の前に落ちた紙を見て担任はまた驚く。

 

 では対応をお願いします、龍騎が背を向けると慌てて呼び止める。

 

「ちょちょっと、これほんと? だえ、だって青野さんって魔法を使えないっていう」

 

「参加資格の魔力検知に関してなら俺がなんとか出来ます。幸いにも不必要なほどに魔力だけはありますから」

 

「いや、そうじゃなくて、いや――そういうことなのかな?」

 

 栗色の髪をガリガリと引っ掻いて龍騎の担任はなんとか冷静になろうとする。

 

「ううん、とりあえず申請は受理させてもらうよ。ただ、なんて言おうかな、大丈夫なんだね? 僕ら教師も監視はするけど全ての怪我を避けることは出来ないよ?」

 

 それは、どちらの心配をしているのか。

 

「――、大丈夫ですよ? 怪我をするのも、面倒ですから」

 

 もう、何も言わせない。この受け答えすら、面倒だから。

 

 担任も、背を向けた龍騎を止めることはなかった。ただ、担任の言葉を聞いて周りの教師たちにまで知れたことが面倒で、寄せられたキモチワルイ視線に苛立つ。

 

 教務室を出て口元を片手で抑える。

 

 大丈夫かという紅い鳥の言葉に大丈夫、と返す。

 

「対人戦は、久しぶりだ」

 

『……ええ、そうですね。また、鍛錬をしておかなければ。護るものも護れなくなってしまいますね』

 

「わかってる」

 

 鍛錬をしなければ、勝てるものにも勝てない。するのとしないのでは違う。勝つのと負ける、負けないのと負けるのでは意味が違う。

 

 せめて負けないように。

 

(2017/03/26 23:26:33)



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9話

 

 魔法とは自分の中にあるわずかな魔力を世界に存在する魔力と混ぜて属性値と魔力を増幅させた上で術式や魔法陣で発動させたい魔法の事象に魔力を固定化する。自身の魔力が多ければ多いほど、世界に存在する魔力を取り込めば取り込むほど強く大きな魔法を使うことが出来る。

 

 逆を言えば自身の魔力が小さければ魔法の威力も小さい。だから彼女は、青野遥と名乗った彼女は自分の中に持っている魔力が小さいのだと思った。

 

 だが、どうなのだろう。どんな簡単な魔法すら使えない人間というのは聞いたことが無い。

 

 紅い鳥の持つ魔力を借り、自分の魔力と空気中にただよう魔力を混ぜ合わせる。魔力を制御する魔法具の力で殆どの力を抑えられている中で最大の力を持つ魔法を、自分の目の前にある泉へ放つ。

 

 泉の水が噴き上がり、噴き上がった水がその場で凍りまるでオブジェのようになる。

 

 こんなもの、水が無ければ意味は無い上に攻撃には使えない。ただ、魔力を抑制した状態でこれだけの魔法を放つための魔力操作の良い訓練になる。後方戦闘に集中できるのであればいかに早くいかに強い魔法を放てるかが重要だ。

 

 たとえ、彼女が言うほど強くないのだとしても出の早い魔法は身を守る盾になる。

 

「へえ、すごい。そんなこともできるの」

 

 不意に声をかけられ、龍騎は勢い良く振り向いた。

 

 青い髪。どうしてここに、そう聞こうと思ったが紅の鳥が先んじて青い髪の近くへ飛んでいき、肩に留まる。自分以外に懐くとは珍しい。授業中にこちらの意志も伺わず助けに行ったほどだ。初めて見かけたときから気に入っていたのだろう。

 

「ねえ、魔法って授業でやってるようなことが出来ると思って良い?」

 

 唐突に、今更な質問をされる。

 

 誰とも共に戦ったことが無いと言うなら仕方ないか。

 

「座学授業でやるような大規模かつ強い魔法はそうそう使えない。使うなら集中する時間が要るからな、およそ戦闘中で出来るものではないだろ」

 

「逆を言えばそういうのは邪魔をしたら良いのね」

 

「……まあ、そうだ。出の早い魔法を魔法で潰すには余程の力がいる。だから、そういう魔法は避けるか潰すしか無い」

 

 一時であれ共に戦うのであれば怪我はしてほしくない。あの担任が心配するからという理由もあるが何より自分の力不足が知らしめられるようだから。

 

 自身の魔力もある程度使ってしまった。回復には時間がかかる。

 

 時間つぶしに遥の話に付き合ってやると彼女は戦い方に関しての話を好んで龍騎に強請った。子を持ったことはもちろん無いが物語を強請られる親とはこんな気持なのだろうか。面倒で仕方ないが、同時に楽しそうに聞く相手の姿が庇護欲を誘う。

 

 庇護欲とは失礼な話か。

 

 適当な所で話を切り上げて立ち上がると遥は草地に腰を下ろしたまま、溶け始めた泉の氷を見ていた。

 

「実際使ってみないと分からないこともあるのよね」

 

 独り言のように。魔法のことを言っているのだということは嫌でもわかる。そのとおりだな、と言葉を返すと彼女はへへ、と呑気に笑った。

 

「知識もろくにない状態で優勝できたら、カッコイイよね強いよね」

 

 年齢不相応に幼い言葉で彼女は笑う。

 

 何故強さが要るんだ、と聞こうとした自分が居た。だが、その情報は自分にとって不要なものでしか無い。

 

 彼女の近くで遊んでいた紅い鳥を呼び寄せる。模擬戦まではあと数日。張り切りすぎて倒れるなよ。声をかけると彼女は立ち上がり、虚空に向かって身構えた。

 

「アナタに攻撃を当てない、それでいて相手を倒す」

 

 遥の見ている場所には既に龍騎の存在はない。ただ虚空に作り出した自分の敵と戦うのみ。

 

 

 チチッ、と紅い鳥が龍騎の頬を突ついた。

 

「うるさいな、何を言われても模擬戦参加の条件を覆すつもりはない」

 

 鳥の言いたいことには察しがついている。もっと心配してやれ、話をしてやれ、真剣にやれ、ということ。お断りだった。女だから何だというのか。戦うと言ってきたのだから、模擬戦に参加するのだから、参加する意志のないやる気のない人間を誘ったのだから。

 

 学園には不要なほど大きな中庭から校舎へと続く道を歩きながら龍騎は未だ頬を突付いてくる紅い鳥を片手で払った。

 

 妙に胸がざわついていた。まるで、間違ったことをし続けているようで。

 

 今までに無いことが苛立たしい。

 

 模擬戦までに時間がない。対人戦を意識した訓練は授業では出来ない。できれば、誰かを使って訓練をしたいが――。

 

『誰を誘えるというのですか?』

 

 聞こえた鳥の声に一つ頷く。鳥にとっての皮肉であっても龍騎にとっては事実でしか無い。

 

 そう在るように行動してきた。そう在ってしかるべきと考えている。

 

 これからもそうしていくつもりだった。模擬戦になど参加するつもりもなかった。

 

 龍騎は誰もいない廊下で自分の片手を見やり、握った。

 

「模擬戦後はいつもどおりだ」

 

『……これを機会に』

 

 小鳥の小さな声は誰の元にも届かず、廊下の壁に吸い込まれて消えた。

 

(2018/01/02 18:24:03)



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10話

 

 模擬戦当日、出場者は一様に講堂へ集められる。参加資格があるかどうかを示すために。龍騎は人の多い講堂内で辺りを見回した。

 

 予想通りと言うべきか。遥と名乗った女の姿はない。魔力は殆どないというのであれば関係ないと考えているのが目に見えるようだ。

 

 ペアの人は。教師の言葉を無視して彼は一歩を踏み出す。野次馬も多くいる中で、彼は片手を差し出した。眼の前には魔力量を推し量るための水晶。この水晶には魔力に応じて色を変える特性がある。正式には水晶ではなく、魔水晶。

 

 だがそれは、彼にとっては『どうでもいい』知識。

 

 体内に巡る血を集めるような感覚を手のひらへ。

 

『手助けは――』

 

 声をかけてきた紅の鳥は途中でため息をつく。必要なさそうですね。

 

 水晶は丸いその形の中に青い色を滲ませた。ああなんだ、この程度で良いのか。

 

 龍騎は参加資格を与えよう、という教師の声を確かに聞き届けた後背中を向けた。

 

 声をかけて止めたのは担任だった。

 

 おせっかいな、担任。

 

 嫌々と振り返れば別の組が水晶の色を変えられず泣く泣く諦めているところ。

 

「ね、ねえ。青野さんは?」

 

「……知りません。必要ないと思って居ないんじゃないんですか?」

 

 思い浮かぶのは静かな場所で戦いの訓練をする女の姿。

 

 ああ、あの場所にいるかも知れない。なんて。彼は自分でもらしくないことを考えて少しだけ笑った。自分でも気付くことがないほど小さな笑いだったが、それを見た担任は安堵したようにため息をつく。

 

 そして良かった、と言葉を返して龍騎を解放する。笑ったことに気付いていない彼はいつもはしつこい担任が早々に退いたことを不思議に思いながらも今度こそ外へ足を向けた。

 

「あんな奴が」

 

 背後で漏らされた汚い言葉を『いつもの』モノだと決め込んで。

 

 

 青野は学園備え付けの図書室に居た。手に持った本は魔法全集。初歩的な魔法から高度なものまで、一般的に使用される魔物は全て記載されている。人が使用できるもの、という本に書かれた前提を見て眉を寄せる。

 

 模擬戦闘に参加する学生の殆どは彼のように使い魔を従えている。

 

 彼らの行動、魔法がわからない以上後手に回る。今まで模擬戦闘は『視て』きた。ある程度は頭に入っているが、実際に戦うとまったく違うものだということは『よく』知っている。せっかく参加者を捕まえたんだ、これでは駄目だ。

 

 目的を果たせなくなる。

 

 しかし。彼女は本に顔を隠して小さく吹き出した。

 

 よく捕まえられたものだ。普段は一人で居るから押せばイケるかもしれない、そう思って勢いよく声をかけた。うまくいく保証はなかった。だが、魔力量も多いと有名な彼ならきっと参加資格も得てくれるのだと思った。

 

 実際、彼は参加資格を得ていた。彼女がそれを知ったのは翌日、参加者全員に渡される注意事項を記載した資料を担任から受け取ったから。

 

 どちらに信頼も、友好も無かった。でも、だからこそ。お互いに何も考えず戦いに集中できる。彼は後衛に徹すると言った。気を回す必要はない。自分が全ての攻め手を潰せば良いだけだから。

 

 当日のことを考えながら手に持った本を元の場所へと戻す。

 

 未だ見ぬ『敵』と、知ることのない『味方』

 

 そして模擬戦闘を見に来るであろう『大勢』の人。

 

 心躍るのも仕方ない。彼女は長い時間この日を待っていた、ずっと。

 



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