実況パワフルプロ野球 鋳車和観編 (丸米)
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一章
出会い


妙なクロスオーバーで申し訳ないっす。ご興味があれば御一読して頂ければ。


壁に、何かが叩きつけられる音を聞いた。

叩きつけ、転がり、また叩きつけ――――その音は、一定の間隔を置いて鳴り響いていた。

音は、どうやら河川を繋いだ橋の下から聞こえてきているようだ。

「-------」

その方向を歩くと、そこには所々ほつれた衣服を着込んだ小柄な少年が一人、壁にボールを投げ込む姿があった。

土手の裏側から見えるその少年の表情は見えない。そこでは、ただただ淡々と壁に向かってボールを投げ込んでいる様子だけが垣間見えるだけだ。

それでも―――少年が、この投げ込みに何ら楽しさを見出していない事だけは何となく理解できた。ロボットの様に定間隔に投げ込むその姿からは、何も見出すことなぞ出来ない。

それを見て、感じたモノは憐れみだろうか、怒りだろうか、はたまた全く別の感情なのか、それは解らなかったけれど―――思う所はあったのかもしれない。

だから、こんな言葉をかけてしまったのだろう。

「ねえ」

少年は、振り返る。始めて見たその少年の顔は、何処までも見事な仏頂面で、実に話しかけにくそうな雰囲気を醸し出していた。一瞬、たじろぐ。それでも、喉奥まで出かかった言葉を飲み込むことは出来なくて、

「――――俺はパワプロ。皆からそう呼ばれているんだ。お前の球を打ってみたいんだ」

その口上ならぬ申し出を聞き、怪訝そうに表情を歪めて、

―――何だよ、お前。

そう、吐き捨てる様に眼前の少年は言ったのであった。

 

                          ★

 

鋳車和観。彼はただ一言、そう名乗った。

彼は申し出を断るでもなくだが歓迎している風でもなく、パワプロとの打席勝負を行った。

―――日が暮れるまで投げ続けてきた鋳車が放つボールは、同年代のものとはかけ離れた代物だった。手が振り下ろされる瞬間には、ボールはパワプロの背後の壁へと吸い込まれていった。バットを振る事すら叶わなかった。今までに、見た事すらないボールを、鋳車は平然と投げ込んだ。

その後も、最早スイングが間に合わなかった。ゾーンに投げ込まれるだけでバットに掠りすらしない。それ程、鋳車のボールは別格であった。結果は、見事なまでの三球三振。きっちりど真ん中にだけ投げ込んできたそのボールに、手も足も出なかった。

くそぅ、と一言呟いた。

久方ぶりに覚えた敗北感だ。悔しくって仕方がない。だから、思わずパワプロはこう言ってしまったのだろう。

「次こそは打つ!絶対だぞ!」

―――そんな、格好悪い捨て台詞。鼻で笑われる事すら思わず想定してしまう程、コテコテの負け犬の遠吠え。けれど、そんな台詞に、まるで豆鉄砲でも喰らったかのような表情を、鋳車は浮かべていた。

―――次も、またやるのか。

もう二度と会う事は無いと思っていたのだろうか。鋳車は呆けたようにそんな台詞を吐いた。信じられない、といった体だ。

こいつは、ナチュラルに勝ち逃げしようとしていたのか―――パワプロは、この態度をそう判断した。

カチンときた。

「当たり前だ!勝ち逃げなんて許さないからな!次は特大のホームランを打ってやる!絶対にだ!」

かくして、そんなパワプロの宣言の下、―――この対決は日々の日課となった。

鋳車和観とパワプロの物語は、そんな小さな土手の小さな橋の下から、始まったのであった。



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友達

あまりDDDの要素は多くないと思います。すいません。


速球を打とうと、上体を突っ込ませる。

―――変化球に対応できず、外のスライダーを無様に空振った。

ならばと、ボールを呼び込もうと待った。

―――すると速球を打ち損じてしまう。

幾度となく行った鋳車との勝負の積み重ねで、パワプロは今の自分では、到底このピッチャーを打つことが出来ないのだと知った。

何が足りないと言えば、全てが足りない。

速球に対応できるバッティングも、変化球に泳がされないフォームも、今のパワプロには持ち合わせていないものだ。幾度となくその球を空振り、その度に悔しさに何事かを叫んだ。

惨敗の後に、日が暮れて鋳車と別れると、たまらず庭に出て素振りをした。

―――毎日やっていたはずの素振りが、今のパワプロには違ったモノに見える。

庭の先には、シャドーが存在する。幾度となく対戦した、鋳車の影だ。

鋳車の形をしたそれが、パワプロの眼前で投球を行う。腕を振り上げて、小さなテイクバックから突如としてリリースされる直球とスライダー。今のパワプロには明確な目的意識を基に素振りを行っていた。鋳車の球を、打つ。ただそれだけだった。

―――それだけで、きっと十分だった。

毎日の様に戦っていく中で、パワプロのフォームは徐々に洗練されていった。無駄が削ぎ落とされる事でバッティングが速くなった。

一ヵ月が過ぎたころ、ようやくバットに当てられるようになった。

二ヶ月が過ぎたころ、前に飛ぶようになった。

三カ月―――ようやく、ようやく歓喜の声を上げる事が出来た。

直球をとらえて、ヒット性の当たりを出したのだ。

―――そこからは、早かった。

直球を呼び込んで打つことが出来るようになって、変化球も見ることが出来るようになった。それからは鋳車との勝負も互角に行えるようになっていった。

そうなってくると、次は鋳車の方も対応に手を加え始めた。

鋳車は球種を増やす事で駆け引きの幅を広げ、パワプロの進化に対応していった。球種を増やし、緩急を配球に取り入れ、完成に近づくパワプロのバッティングを何とか崩す為に技術を向上させていった。

たった二人だけで完結された勝負は、されど凄まじい勢いで彼等を成長させていった。プレーヤーとして互いの進化に目敏く気付き、それに対応するように自らを進化させていく。その余りにも出来過ぎた相乗効果が、彼等を果て無い進化へと導いていった。

―――鋳車も、いつしか無意識にこの時間を心待ちにしていた。

壁に投げ込んでいただけの自分が、生身のバッターに投げられる快感、打ち取った時の悦び、打たれた時の悔しさ。そのどれもが、パワプロによってもたらされたモノだった。

だから、この時間を手放す訳にはいかない。この素晴らしき日々を、喪う訳にはいかない。―――それ故、鋳車も必死になって、自己を研鑽し続けた。

 

                    ★

 

互いに中学生になっても、この勝負は続いていた。その頃から、大きく勝負の天秤がパワプロへと傾いていった。

成長期を迎えると共に、パワプロの体躯は大きく成長していった。体つきも徐々に筋肉質になっていき、それに伴いスイングが鋭くなっていった。

鋳車は、成長期を迎えても小柄なままだった。以前なら通用していた速球が、成長したパワプロには徐々に通用しなくなっていった。

―――もう、単純な技術向上では追いつかない存在になってしまった。ピッチングの根本を変えなければ、同じ次元で戦うことは出来ない

その事を自覚した瞬間に、覚えた感情は恐怖だった。

相手にならなくなったら、もうこの時間を喪ってしまうのではないかと言う、恐怖。

その恐怖が全身を蝕み―――一つの決断を下した。

「なあ、パワプロ―――俺、アンダースローに転向するよ」

「え------」

それは―――オーバースローからアンダースローへの転向だった。

「俺は、身体が小さい。多分この先、この身体じゃ豪速球を投げることは出来ないと思う。だから、」

アンダーへ転向する、と。そう鋳車は言った。

パワプロは、ジッとこちらを見た。身体が大きくなっても、その眼だけはいつも変わることは無かった。野球が好きで好きでたまらなくてしょうがない。いつまでたっても純真な野球小僧の眼だ。

―――けれど、その眼に写っていたモノは、どうやら野球だけではなかったみたいで、

「なあ、鋳車―――何か、無理してないか?」

―――息を飲むとは、この事だろうか。

「最近、お前が焦っているように見えるんだよ。とても、苦しそうだ」

野球馬鹿の眼は、どうやら対戦相手の心情まで読めるようになったみたいで―――そんな、確信を付く言葉を、あっさりと言い放った。

「焦ったっていい、苦しんだっていい。けど焦るのも苦しむのも、野球の事だけで十分だ。お前は、そうじゃないんだろう?野球の事だけで悩んでいるんじゃないんだろう?―――なあ、教えてくれないか?お前が何に苦しんでいるのか」

「そんな事―――」

言えるはずがないじゃないか―――という言葉を、喉奥に押し込める。こんな事、コイツに知られる訳にはいかない。コイツを喪う訳にはいかない。吐き出したい苦しみだってある。それでも、そんな事を知られる訳にはいかない。

その時、どんな表情をしていたのか鋳車自身には解らなかったが―――パワプロは、それを見て何かを察したようで、眼をキッと細めて、言った

「鋳車―――お前、友達って何だと思う?」

そう、鋳車の肩を掴んで、パワプロは尋ねた。ぎりぎりと、肩を掴む両腕に力を込めながら。

「一緒に野球をする人間か?一緒に遊びに行く人間か?一緒に飯を喰いに行く人間か?―――違う!」

鋳車が、始めて見る表情だった。目を吊り上げ、口元を歪ませ、顔面を紅潮させて、鋳車を見ていた。

―――怒っている。今まで空振りに悔しがることはあれど、決してそれをこちらにぶつける事はしなかったパワプロが、今はっきりと感情をこちらにぶつけていた。

「苦しい事も、嬉しい事も、一緒に味わう人間が、友達だ!都合のいい事だけを求めて、俺はお前を――――友達だと思っている訳じゃないんだよ!」

―――ああ、

自分は、この男を見誤っていたのかもしれない。そう鋳車は思った。

「俺には、夢があった。高校球児になって、甲子園で優勝する夢だ。けど、今はそれじゃ足りない。―――鋳車、お前と一緒に甲子園で優勝することが、俺の夢になった。俺には、お前が必要なんだ!だから―――苦しい事があるなら、話してくれよ!」

じわり、と目頭に熱が灯る。

―――必要とされている、という事がこれ程心地いいモノだと、知らなかった。パワプロの夢の勘定に、自分が含まれている―――そんな事が、これ程嬉しい事だと思いもしなかった。

けれど、

「なあ、パワプロ-----それは、無理だ」

パワプロの熱意にやられてか、遂に鋳車は口を割った。

 

「俺は、多分、高校に行けない」

 

 

 

 




DDD新刊はよ。中学で新刊買ってもう大学生の終わりに近づいてきてる現状を見て、生きている間で見ることが出来るのかしらん、と思う今日この頃でありんす


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告げられた真実

遅れてすいません。投稿します


「高校に、行けないって---どういう事だよ?」

「文字通りだよ。------なあ、パワプロ。どうして俺は、こんな場所でずっと投げ込みなんかやっていると思う?野球が好きなら、何処か別のクラブにでも行けばいい話じゃないか」

パワプロは―――改めて、鋳車の風体を眺める。

痩せぎすの身体、ボロボロの衣服にグローブ-----裕福ではないのだろうとパワプロは思っていた。しかし―――まさか、高校にすらいけない状況なのか

「俺の家は、単純に貧乏なんだ。親父が死んで、お袋が女手一つで俺を育ててくれている。―――高校に行きたい、なんて我儘が通る状況じゃない」

鋳車は淡々とそう呟いた。

―――貧乏。それは、あらゆる子供を強制的に大人に変える呪いに等しい。

あらゆる我儘が、この言葉の下封殺される。夢見る子供を切り裂く、死神の鎌。

―――そんな中、クラブに入る事もせずにただ一人土手で投げ込んでいた鋳車の心中は如何なるものだったのか、パワプロには計り知れない。

「俺の野球は、中学までだ―――だから、せめてこの間に、俺はお前を一流のバッターに仕立て上げててやる」

鋳車は、そんな事を言った。

「一人で投げ込むよりも、ずっと楽しかった。お前の成長が嬉しかった。だから―――俺はお前にそっぽ向かれるのが怖いんだ。お前のスイングはどんどん強く、速くなってきている。高校に上がれば、俺よりも速い球を投げる奴なんざごまんといる。今のままじゃあ、俺は―――」

鋳車は、ポツリ、ポツリとその心境を吐露していった。

もう一人にはなりたくない―――そんな子供じみた願望を、パワプロを目前にしてようやくつかむ事が出来たのだ。

打てずとも、パワプロはこの土手に来た。悔しくて、打ちたくて、ここに来ていた。

―――なら、打てるようになったら?

もう―――そうなれば鋳車に存在価値はない。そう、心の底から想っていたのだ。

「------鋳車。一つだけ聞かせてくれ」

「何だ?」

「―――野球は、好きか?」

初めて会った時、この男は実に楽しくなさそうに投げ込みを行っていた。

今―――パワプロというバッターを前に球を投げ込んで、どう思っているのだろうか。

無表情の仮面の底に隠した、感情は―――どう感じているのだろうか。

「好きに-----決まっている。当たり前だ」

鋳車はパワプロの眼を直視しながら、言った。

「お前をどう打ちとってやろうか。ずっとそれだけを考えていた。ただ壁にぶつけていただけの投球に、緩急が付いた。配球が付いた。打たれたら悔しい、三振にとったら気持ちいい。考える事が増えて、必死になって投げて、それに感情までついてきた―――そんな事の繰り返しが、たまらなく好きだった。俺は―――野球が好きだ。やめたく----ねぇよ---!けど、しょうがねえじゃないか----!」

鋳車は、唸る様にそう言葉を吐いた。

しょうがない―――その言葉が、パワプロにとってたまらなく悔しかった。

「言ったな!?野球が好きだって!だったら―――絶対に、もうお前を野球から逃げさせないからな!しょうがないなんて言い訳、もう二度と聞いてやらないからな!」

いいか、覚えておけ―――パワプロは宣言する様に、鋳車に言った。

「俺は、俺の夢を叶えるぞ。お前の為じゃない、俺の為に―――お前には野球を続けてもらう!」

パワプロはそう言うと―――荷を抱えて、走り出した。

「一ヵ月だ!その一ヵ月で―――アンダーのフォームを完成させろ!絶対だぞ!」

土手を去る間際、声を張り上げパワプロはそう言った。

―――その姿を呆然と見送った鋳車は、一つうわ言の様に口に出した。

―――何だよ、アイツ、と。



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猪狩守はプライドが高い

遅ればせながら、横浜のCS進出おめでとうございます。
四年前の先発陣と今を見比べてみてください。面白いですよ。涙が出るくらい


猪狩守という少年は、よくよく傲慢であると勘違いをされるが、別段そういう訳でも無い。

確かにプライドも高く、実力も無く努力もしない連中に対する態度は辛辣そのものであるが、それも彼の高い意識と彼自身の能力が表象しているだけであって、傲慢さの表れという訳ではない。

という訳で―――訳も解らず唐突に土下座をされるにあたって、戸惑いを覚えてしまうのも致し方ない。

「-----いきなりなんだ、パワプロ」

パワプロという男は猪狩守にとって業腹ながら一目を置いている男だ。

中学生ながら完成されたフォームと高いミートセンスを持つこの男は、猪狩との対戦成績において三割近い打率を残している。これは、弟の進よりも遥かに高い率であり、猪狩のアンデス山より高いプライドに楔を残すには十分な事実だ。

その男が、眼前で土下座をしている―――これは一体どういう了見だろうか?

「一つ、頼みを聞いてほしい」

「だから、何だよ」

「―――あかつき大付属高校の、奨学金。そこに再来年、一人分枠を空けてほしい」

あかつき大付属校―――県下において、有数の野球強豪校。

その奨学金のほとんどが―――OBである猪狩の父が社長を務める猪狩コンツェルンによって成り立っている。猪狩の父ならば、奨学金の枠を一つ枠を空けておく程度、造作もあるまい。しかし、

「嫌だね―――奨学金はリトルの実績か学業成績を基に判断される。ロクな実績も残せなかった奴の為に、どうして僕が父に頭を下げなきゃいけないんだ」

実力主義の猪狩ならば、そういうのも当然だ。パワプロはそう切り返される事は十分に予期していた。

「そいつは、リトルにも行けないくらい、貧乏だったんだ-----!それでも、アイツは腐らずにずっと努力してきた。ボロボロの服を着て、グローブだって自分で修繕して-----それ位野球が好きなアイツが、もう高校で野球を辞めるって言うんだ。俺は、どうにかしてアイツを止めなきゃいけない」

「下らない。そんな事情に僕が同情するとでも思っていたのかい?実力のない者をあかつき大付属に入れる訳にはいかない」

「―――俺がお前の球に付いていけるようになったのも、そいつのおかげだ」

ピタリ―――とその瞬間に、猪狩は眼を細めた。

「-------どういう事だ?」

「そのままその通りだ。俺はそいつとずっと、川辺の土手で打席勝負をしていた。アイツは、小柄だけど凄い投手だった。アイツと勝負し続けて、今の俺がある」

ほぅ、と猪狩は呟いた。

「俺は―――アイツに、野球を辞めてほしくない」

「----ふん。それで、ただ土下座するだけでどうにかなると思っている訳ではあるまい」

「ああ、そりゃあ解ってる。ようするにさ、猪狩。リトルの実績なんか霞むくらい、とんでもない実績を積んでしまえば、奨学金を渡したって構わないんだろう?」

「何の実績だ?」

「―――お前を打席勝負で打ち取れば、それが十分な実績になるじゃないか」

猪狩は、土下座するパワプロを睨み付ける。

―――天才投手であり、天才打者である猪狩。その実力のほどを知らぬパワプロではない。

そのパワプロが今はいた言葉は「その男ならば、お前を打ち取れる」と―――そう宣言したも同然なのだ。

「今アイツは、アンダーに転向して新たに武器を研いでいる。お前を十分に凌駕出来るだけの投手に、今なろうとしているんだ-----。それならば、文句ないだろう?一カ月後、お前はそいつと―――鋳車と勝負する。勝てばお前は恥を忍んで親父に奨学金をせびりに行き、敗ければ放置。それでいい。凄くわかりやすいだろう?」

「―――そんな約束、僕が守るとでも?」

「守るさ。絶対に。―――勝負に負けた上で、その相手に勝ち逃げされる程腹立たしいことは無い。鋳車が勝てば、お前は必ずアイツに野球を続けさせようとするはずだ。自分が、勝つまで必ず続けさせるだろう」

猪狩の表情が徐々に歪んでいく。まさしく図星も図星。この男は―――実によく猪狩という男を理解している。

「一カ月後だ-----まさか、逃げないよな?」

「ふん。誰に向かって言っているんだい?------僕が勝負を逃げるなんて、それは絶対にありえない事だよ」

そう、結局の所パワプロも猪狩も根っこの所では同じなのだ。

勝負師であり、野球人。

それ故―――挑戦から逃げる事はありえない。

「受けてやろう」

猪狩は、そう答えた

 

 

 



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サブマリンは猪を狩るか?①

戸柱は能力が聖ちゃんに似ている気がするんだ。うん。


一カ月後との指定をパワプロから受けた。

―――猪狩守。リトルリーグでは名の知らぬ者はいない天才の名だ。

投手としては二度のノーヒットノーランを達成し、打者としてはリーグ本塁打王を獲得。

掛け値無しの天才を、一カ月後に―――無名に等しい男が勝負に挑む。

成程―――これは、今の能力では勝てる相手ではない。

しかしこれが、分水嶺となる。

―――この勝負に勝てば、鋳車は奨学金を貰える。生活費まで完全保障され、返済の必要なし。

二重の意味で、鋳車にとっては負けられない戦いであった。

この奨学金は、間接的にも直接的にも母を助けられる。息子にかける金が必要なくなるうえに、母子奨学金として―――経済的困窮に晒されている父母にも、給付が受けられるシステムだ。

当然、厳重な審査にかけられるものの―――今まで真面目に女手一つで育て、必死に働いてきた母が、審査に落ちるとは思えない。母を助ける―――それが、まずもって一つの理由。

もう一つは、言うまでもない。

捨てる事を覚悟した野球が、今ここで―――まだ続けられるかもしれない。

負けるわけにはいかない。

「俺は、まだ子供だったんだ」

鋳車は呟く。

―――野球を捨て去る。その悲壮な覚悟をするには、まだまだ鋳車は子供だったんだ。

「俺は、まだ―――」

野球がしたい。

その執念を以て―――鋳車は投げ込んでいた。

 

 

遂に、その時が来た。

リトルが保有するマウンドで四人の男が対峙していた。

猪狩兄弟、パワプロ―――そして、鋳車和観。鋳車はもう投球練習を終え、各人がもう自らのポジションに立っている。

「ルールは単純。二打席勝負で、二度とも猪狩を打ち取れば鋳車の勝ち。ヒット性の当たりを打てば猪狩の勝ち―――本当は三打席だったけど、それ位のハンデはくれてやるとの事だ」

審判役のパワプロは、そう言った

「ふん。僕としては一打席で十分な位だ。―――あまり時間を無駄にしたくないんだ」

猪狩は挑発する様に鋳車にそんな言葉をかける。

「精々―――足掻いてくれたまえ」

その言葉と共に、猪狩は打席に立つ。

―――鋳車は、何処までも無表情だ。

雑念を捨て、眼前のミットに意識を集中させている。

―――成程、パワプロが言うだけの事はありそうだ。

佇むその姿には、何とも言い難い威圧感があった。

例えば、その眼が、

例えば、その表情が、

―――まるで眼前の標的を狩らんとする猟師の様だ。

かつてメジャーに渡った赤き大投手は、こう向こうのチームメイトに言われたという。

―――自分の家族がおなかをすかせている。獲物をバッターが持って行こうとしている。じゃあお前はどうするんだ? 徹底的に戦うだろう―――

今、眼前にいる痩せた小柄な男は―――こちらを完全な敵として認識している。その気迫が、あるいは殺意とでも言おうか----その執念が、渦巻いて猪狩を飲み込まんとしている。

「面白い」

ならば―――絶対に眼前の男を打ち砕いて見せる。

鋳車が、投球動作に入った。

左足が引かれ、浮く。

軸回転と共に、腕は―――遥か眼下へと降りていく。

右方向に流れた身体は地面すれすれまで右腕を運んでいき―――地面から弾かれるように、ボールはリリースされた。

「ボール!」

パワプロの声が、響いた。

地面から、猪狩の胸元まで浮かび上がったその球は、―――反応する事すら、許さなかった。

見慣れぬ軌道だから―――そう言い訳するには簡単だ。

しかし、軌道による幻惑よりも、単純に猪狩はこう思ってしまった。

―――速い、と。

球速はさほどでもないはずだ。それでも、速い。バットを出す事すらできなかった。

打席に立つ猪狩守が驚愕にその表情を染める中、―――捕手の進は冷静にその球を見ていた。

―――身体を沈ませ、右腕を左腰側に限界まで隠し、その上で腕を伸ばしてリリースする分、彼はオーバースローの選手よりもリリースが近いのだろう、と進は分析していた。

彼のフォームは、実に上下の変化に富んでいる。

フォームが上から下へ沈み込み、そして球は下から上へと浮かび上がる。

常に視点が上下に揺さぶられ、その分だけリリースと軌道に幻惑される―――捕手として一歩下がった進の視点から見てもそうなのだ。実際に打席に立っている守からすれば、視点も軌道も定まらぬ状態であろう。

この勝負―――まさかの展開もあり得るな、と進は考えた。

 



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サブマリンは猪を狩るか?②

ベイスターズが来年どうなるのか。
来季、 松本啓二朗外野手はレギュラーになれるのか。
神のみぞ知る。



結果から言えば、第一打席の勝負はキャッチャーフライという呆気ない終わりであった。

高めの直球とスライダーのコンビネーションで緩急をつけ、見事猪狩のバットに詰まらせた。猪狩は高めのボール球に手を出し、第一打席は終了した。

「-----」

猪狩は、ジッと鋳車の姿を見た。

―――アンダースローへの、転向。

それは、口にするほど簡単な事ではない。

投球フォームと言うのは、幾度となき反復の中で磨かれて行くモノだ。反復の中で無駄を削り、また足りないものを付け加えていく。投球の向上は、言うなれば螺旋階段を駆け上がっていくようなものだと猪狩は考えている。どれだけ投球が変わるとしても、その主柱だけは変わらないし、変わってはならない。

―――強くなったパワプロに勝つために、この男はアンダーへ転向したと聞いた。

その話を初めて聞いた時、実に情けない男だと思った。

今まで自分が信じてきたスタイルを捨て、あっさりと別のスタイルに転向する―――パワプロに勝つために、所詮借り物の付け焼刃の武器を手にして勝とうとしているのか、と。

だが、今打席に立って解った。

この男のアンダーフォームは付け焼刃なんかじゃない。

本物の―――アンダースロー投手だ。

慢心は、捨てる。

―――さっきの打席で、ある程度軌道は読めた。

読めた、というのはストライク・ボールの見極めである。オーバースロー投手の場合、球が落ちていく軌道を描く為、低めのストライク・ボールの判断が重要になる。

しかし、アンダースローにとってはこれが逆になる。浮き上がる軌道で訪れるその球は、常に高めのストライクゾーンからボールゾーンへと流れていく。この球に手を出した瞬間、空振りをするか、先程の様なフライになるかのどちらかでしかない。

―――この球に手を出してはならない。

猪狩は先程の打席の残像を頭に浮かび上がらせながら、再度打席に立つ。

―――来い。次で終わりだ。

 

 

一球目が、投げられる。外側のボールゾーンから切れ込んでくるスライダー。

先程見ていなかったボールの軌道に、猪狩は手を出せなかった。

「ストライク!」

パワプロのコールが聞こえる。

ワンストライクノーボール。

鋳車は二投目を放つ。

―――手を出すな。

猪狩は全身に指令を出す。この軌道は―――ボールゾーンへ流れる高めの直球だ。

「ボール!」

よし、と猪狩は一声上げる。

このボールさえ見逃していけば、いずれ必ずカウントを取るに辺り甘めのボールを放らねばならない時が来る。その球を、迎え撃つ。

もう一球同じような高めのボールが来て、猪狩はそれを見逃す。ワンストライクツーボール。ここで、ようやくもうその釣り玉は通用しないと相手は察したはずだ―――そろそろ、来る頃だろうと猪狩は思った。

一球目と同じような、ボールゾーンから切れ込んでくるスライダ―。

猪狩は、ここで初めてバットを振るった。

外目のボールを、無理矢理にしばき上げるように右方向に引っ張り上げる。ギィン、という金切り声を上げてボールは、彼方まで飛んで行く。

「チッ」

猪狩は一つ舌打った。

―――ボールはファウルゾーンへと吸い込まれて行った。もう少しタイミングが合えば、ホームラン級の当たりであろう。

ツーストライク、ツーボール。猪狩は追い込まれたが―――それでも勝利を確信した。

外目から切れ込んでくるスライダーか、甘めの直球。この二つに的を絞れば、次は打てる。

五投目を、鋳車が投げる。

低めのリリースから鋭角に投げ込まれる、高めの直球。―――ボールゾーンへ流れる軌道の球だ。当然猪狩はそれを見逃そうとして―――。

 

球が、消えた。

 

「え―――」

一声、そんな間抜けな声が猪狩の喉奥から響くと同時に―――パワプロの声から、隠し切れぬ歓喜の声が上がった。

 

―――ストライク!!!

 

恐る恐る、進のキャッチャーミットを見る。

丁度守の外角低めのストライクゾーンに、球は収まっていた。

パワプロは呆然と立ち尽くす守をよそに、鋳車の下へと走り出していた。

「進―――今、何が起きた」

眼前から消えた、今のボールを―――兄は、弟に訊いた。

 

「シンカー、です。兄さん」

 

―――シンカー。

アンダースローから放たれる浮かび上がる直球。その軌道をなぞりながら、急激に利き手側に落ちるそれは、ミスター・サブマリンと呼ばれた山田久志の決め球でもあった。

 

「兄さんは最初の打席を、高めのボール球で打ち取られています。だから、鋳車さんは―――その残像を兄さんの頭に残しながら、最後にその軌道から落ちる変化球を決め球にしようと、恐らく決めていたんだと思います」

 

ボールゾーンへ流れるだろうと決めつけていた、ボール。常に浮かび上がる軌道を見せ続けて、猪狩の視点は常に高めに固定されていた。

フォームで上下に視点を動かし、リリースで視点を上下に動かし、そして―――あの男はシンカーと直球で更に上下に幻惑した。

 

「成程―――僕は負けるべくして、負けたのか」

 

向こうより響くパワプロの泣き声を何処か他人事のように聞きながら、猪狩守はそうポツリと呟いた。

「何たる、恥だ。僕は―――慢心を捨ててなお、あの男を超えられなかったのか」

猪狩はそう呟くと、進に、帰るぞと言った。

「―――嫌な事は出来るだけ早い方がいい。これから父に会いに行く」

苦虫をかみつぶしたような表情で、猪狩守はそう言った。

 

 

 

 



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魔球、シンカー

僕は摂津投手や石川投手の様なオーバーからのシンカーも大好きです。


審判として勝負を見ていたパワプロは、全てが終わった瞬間歓喜の中にいた。

―――これで、鋳車は高校でも野球を続けられる。

いてもたってもいられず、泣きながら鋳車の傍へ駆けよる。

「やったな、鋳車!」

「ああ----何だか、まだ現実感がない」

鋳車はそうぼそりと呟くと、ジッと自分の右手を見る。

リトルリーグで天才の名をほしいままにしてきた、猪狩守―――今鋳車は、自らが積み上げた全てを込めて、その男に勝利した。

紙一重の戦いであった。

ツーストライクまで追い込む事―――これがこの勝負における勝利条件であると鋳車は確信していた。ただし―――決め球のシンカーは決して使わず。

第一打席は、きっと天才とてこの見慣れぬ軌道に惑わされるはずだ。だから―――勝負は二打席目だと決めていた。一打席目に打った布石を基に、鋳車は投球を組み立てた。

その結果、鋳車は勝利した。

見事―――浮かんで沈む、アンダー特有のシンカーを用いて見逃し三振を奪った。

これで鋳車は―――高校でも、野球を続けられる身となった。

「さて―――じゃあ、パワプロ。打席に立て」

「え?」

「え、じゃないだろう―――そもそも俺がアンダーに転向したのは、お前をコテンパンにするためだ。オーバーの時は散々やられてたし、一カ月勝負もしてないし。立て」

「え----ええ----こう、勝利の余韻に浸るとか、ないの----?」

「今の俺達に、そんなものはない。パワプロ―――投手の片手間で、猪狩はあのバッティングだ。お前は努力し続けなければ、アレを超えらないぞ」

「-----」

「今の所、お前が猪狩に勝っているのはミートセンス位なものだ。スイングの速さもパワーも、まだ及ばない。さて、やるぞ」

 

 

その後―――パワプロは三打席連続三振という見事な返り討ちにあう事となる。

「やっぱり、転向して正解だったな。こうもキリキリ舞いにできるなら気分がいい」

「-----何だよ、あのシンカー。反則だろ----」

パワプロは成す術もなく地面に横たわっていた。

見た事もない軌道から見た事のない変化をする魔球―――シンカー。今の所、パワプロは手も足も出ない、まさしく魔球だった。

「けど、直球の対応は猪狩よりも早かったな。そこら辺の対応力は凄まじいものがあるぜ」

「それは―――俺が、引きつけて打ってるから」

パワプロの打撃は、まずもって鋳車の投球に対応すべく生まれた。

身体が追いつけない程の速球と、容易に体勢を崩す変化球。それに対応する為、パワプロはフォームを崩さず、出来る限り引きつけて打つように打撃を作りあげてきた。

打つポイントを出来るだけ近く、近くと呼び込んだ上で、打つ。このフォームは確かに、打撃の正確性は増すものの―――猪狩の様に前のポイントでしばき上げて引っ張る、強い打撃は期待できない。

「その引きつけが出来るのも、才能だ。―――発想の転換だ、パワプロ」

「発想の、転換----?」

「強い打撃をしたいから、スタイルを変更するんじゃない。そのスタイルのまま―――ホームランを打ってみろ。それが出来るようになれば、お前は晴れて最強打者になれる」

フォームを崩さず、球を身体に引きつけて打てるパワプロの才能は本物だ。

―――だから、容易にそのスタイルを崩さないでほしい。

「俺はもう多分この先、このスタイルを変えるつもりはない。―――だから、お前も変えずに頑張ってみろよ。そのポイントで、ホームランを打つんだ。

再来年には、俺達はチームメイトだ。まずは、一年からでも試合に出してもらえるよう、頑張ろうぜ」

「そう-----だな」

眼前で、猪狩のスイングを目の当たりにして―――少し自信が無くなりかけていた。

けれど、このスタイルは鋳車との積み重ねによって作られたものだ。

簡単には変えられないし、変えない。

「取り敢えず、―――今度は、俺がお前の夢をかなえる番だな」

「ああ-----!頼むぞ、親友」

おう、任せろ―――そう答えた鋳車の声には、力があった。

仏頂面で壁に投げ込んでいた、あの頃の鋳車はもういない。

―――その事が、パワプロには無性に嬉しかった



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第二章 
帝王の天才


オープン戦がぼちぼち始まったので再開します。


―――消える魔球と形容される球は、高校野球界において二つ存在する。

一つは帝王実業、山口賢のフォークボール。

上体を大きく反らしたマサカリ投法から放たれる強烈なフォークボールは、視界から落ちるように消えていく。彼はこのボールを駆使し三振の山を築いていた。

もう一つが―――あかつき大付属の鋳車和観のシンカーであった。

アンダーフォームから放たれる、浮き上がる軌道を描く直球。そして、その軌跡をなぞりながら落ちていくシンカー。

リリースと球の軌道によって、バッターは自然と視点が上方へと移行していく。そこから急激にシュート回転と共に落ちていくシンカーに、空しくバットは空回る。

「今年のあかつきはやばそうだな」

帝王実業の部室内でそんな声が響いた。

「明日、練習試合だよな。ウチは当然山口さんが投げるとして―――あっちは、ジョーカー二枚持ってんだよな。何だよアレ。猪狩と鋳車二枚揃えているとか、ちょっと卑怯すぎるだろ」

鋳車和観。高校に入るまで全くの無名選手であったが、あかつき大付属に入学後二ヶ月で頭角を現した男だ。―――練習試合とは言え、彼は昨年の甲子園ベスト8の黒龍館を完封した事により知名度をあげた男だ。

サブマリン投法から繰り出される直球とシンカー。プロでさえ苦戦する特殊投法から、化物じみたシンカーを投げるその男は、一試合で一躍知名度を上げた。

「打線は、捕手の猪狩、投手の猪狩、そんでもってサードのパワプロ-----そんでもって、誰だっけ、あのメガネ?」

「矢部だよ。その面子並べて最後に出てきたのがそいつかよ」

「ああ、そうだったそうだった。前、確か石杖先輩が言っていたな。“味方にしたら絶妙に痒い所に手が届かずウザい。敵に回すと微妙に有能だから腹が立つ”って」

「あの人、中学の頃はあのメガネの先輩だったらしいな。チャンスで5回凡退するごとにパしらせていたらしい」

「-----その頃からチャンスに弱かったんだな」

そうだよ、と唐突に声がかけられた。

ガラガラと部室のドアが開けられ、―――白髪の男が泥まみれのユニフォームを纏って現れた。

「得点圏打率、脅威の一割六厘。あげた打点は0。―――下位打線が必死に出塁して送って作ったチャンスをフライで台無しにする天才だったぜ、アイツは」

「あ、石杖先輩チッス」

「―――多分、明日は鋳車が出るぜ」

「何で解るんですか?」

「三日前に、猪狩が投げているからだよ。そんでもって、炎上した。西京高校のゴリラ二人衆に決め球の直球を打ち込まれて。それでもマウンド譲らずに完投したんだから、流石に今回は引っ込むだろう。となれば次に出てくるのは鋳車だ」

三日前、猪狩はとにかく打ち込まれた。

決め球の直球を狙い打ちにされ、清本滝本コンビにそれぞれ一本を献上し、四回で六失点の大炎上。その後もマウンドを譲らず、そのまま九回まで投げ切ったものの試合は敗北。そんな次の試合に投げさせる意味も無い。

「明日は間違いなく投手戦になる。山口さんのフォークも、鋳車のシンカーも、初見じゃ打てん。ピッチャーの実力はほぼ互角だな。後は、どっちのクリーンナップが上手い事対応できるかにかかっている」

「------明日、キリスは出すんですか?」

「出すに決まってるだろ。あかつきとやれる機会なんぞこれから先、そうそう無いってのに、出し惜しみしてどうする」

「打順は何処にするんですかね?」

「さあな、そいつは監督が決めるだろ。けど、恐らく明日がキリスのデビュー戦になる。お前等、ぼやぼやしてっとどんどん席が埋まっていくぜ」

「へいへい―――さて、練習頑張りますか」

朗らかに笑いながら、一行は練習へと戻っていく。

―――しっかし、本当に化けモンだな

部室から出たその瞬間、見えたのは噂の一年生のフリーバッティングであった。

しなる腰と腕が駆動し、バットはインサイドから球の軌道に割り込むように入っていく。

大柄な肉体を柔らかにしならせ、バットに球を乗せていく。その全てが逆方向へと向かっていく。

そのスイングの過程は、どれもが石杖にも実現不可能なバッティングであった。

明らかに詰まっている。

ボールの軌道から遅れてバットが出ている。

なのに―――あの男はそれを悠々とスタンドに叩きこんでいる。

通常ならばファールゾーンにしか飛ばないそのタイミングで、あの男は―――ホームランが打てる。

人よりも早いスイングで、人よりも柔らかな筋肉で、―――人よりも長くボールを面に乗せることが出来る技術で。

“支倉の至宝”も、アレを見てしまえばもう形無しだ。

羨望すら浮かばない、一振りでその天賦を思い知らされる―――美しく、力強いバッティング。

明日が、楽しみだ。

―――きっとあかつきの連中も度肝を抜かされるに違いない。そう石杖は内心ほくそ笑んだ。



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帝王の天才②

キリスと石杖のポジションが思い出せないので、石杖→セカンド キリス→ライトとしました。もしポジションの記述がDDDにあったなら教えて頂ければ嬉しいです。


上体が反り返り、足が跳ね上がる。

跳ね上がった爪先が地面に叩きつけられる瞬間、その腕は大きくしなる。鞭の如く返された右腕が、その勢いを緩ませる事無く振られる。

―――打者が投げつけられたボールを判断する際、判断材料にする要素はいくつか存在する。その中で最も着目する点は、腕の振り、リリース、そしてボールの軌道と回転である。

腕の振りが緩いかどうか。

リリースが球種によって上下しているかどうか。

直球とボールの軌道と回転が違っていないかどうか。

こういった諸々の要素を勘案し、バッターはピッチャーのボールに対応する。直球か、変化球か。コンマ一秒を争う駆け引きの中、バッターは常にピッチャーの「直球との動作の差異」を読み取り、対応しなければならない。

しかして、山口に対して―――それは不可能と化す。

腕の振りも、リリースも、軌道も、回転も―――変わらない。変わらぬ腕の振り、変わらぬリリース、変わらぬ軌道。全てが同一の過程を経ながら、直球とフォークボールをあの男は投げ分けていく。

所謂、フォークピッチャーと呼ばれるピッチャーの厄介な点はここにある。直球と変化球の差異が、バッターに全く伝わらないのだ。バッターの手元に来るまで、直球か変化球か解らない。

更に―――あのマサカリ投法の視覚的効果が実に疎ましい。

足が跳ね上がり、その勢いを以て放たれるボールは、凄まじい球威が存在する。足が接地し、球が放たれるまでの時間が、一般のフォームと比べて恐ろしく速いのだ。上体を反り返している分、身体を沈ませる動作が速く、ダイナミックである。そして叩きつけられる様に投げられるそのボールは角度があり、凄まじい球威を孕んでいる。

霧栖弥一郎は、現在その男と対峙している。

フリーバッティングをしていた姿を一目見た山口が、自らバッティングピッチャーを買って出た。―――無論、バッティングピッチャーと言えど、手を抜く男ではない。その脅威をざまざまとルーキーに見せつけていた。

差し込まれる。空振る。

化物じみた落差のあるフォークボールと、ストレートのコンビネーションは、とてもルーキーの手に負えるモノではない。

―――このボールを前にして、大抵のルーキーは心折れる。それが解っているからこそ、段階を踏まない限り、山口は基本的にルーキーと対戦することは無い。

しかして、現在クリーンナップを打つ二人には、特別にそれを行った。

友沢亮。石杖所在。この両者には。

友沢は打てずとも折れぬ不屈の心があった。

石杖は打てなくばとっさにヤマを張れる狡猾さがあった。

―――そして、それから一年が経ち、眼前の男に山口は何を見出したのであろうか?

山口は見る。霧栖弥一郎の眼を。魂を込めた山口のボールを前に、この男の眼は何を写しているのかを。

その眼は、輝いていた。

山口のボールを前に、恐怖よりも、諦念よりも―――純粋な好奇と驚嘆の感情を浮かべていた。

凄いボールだ。故に打ってみたい。

そんな、シンプルな感情だけが、そこに在った。

―――野球小僧め。

ここまで純真な眼をしたルーキーは、久しぶりだ。

―――よろしい。ならば、見せてやろう。

―――山口賢のボールを、その真髄を。

自然と、山口の心にも火が灯っていく。静かな闘志に、蝋燭の様な熱が灯っていく。両者の勝負は静かに、しかして確かな熱を以て続けられていく。

―――そして、十五球目。

「おおう!!」

低めに決まったフォークボールを掬い上げ、霧栖は外野まで飛ばした。

―――ルーキーでこれが出来たのは、はじめての事であった。

そのボールを目で追いながら、山口はゆっくり、目を細めた。

 

 

「―――明日のオーダーを発表する」

あかつき大付属の部室内で、監督の声が木霊する。

ジッと、部員はその声に耳を傾ける。

一番 矢部(左)

二番 田井中(二)

三番 猪狩進(捕)

四番 パワプロ(三)

五番 横溝(中)

六番 柳(一)

七番 山岸(右)

八番 春山(遊)

九番 鋳車(投)

 

ざわめきが、起こった。

―――え、何で、と。

パワプロの隣にいた矢部がひそひそと話しかける。

「おかしいでやんす。何でパンチ力のあるオイラが五番じゃないんでやんすか」

「ちょっと黙ってろ」

空気の読まない駄眼鏡の言葉をピシャリと断ち切りながら、パワプロはそのオーダーを見ていた。

誰もが、いつものクリーンナップを予想していた。

進、守、パワプロのクリーンナップ。投手を別に出す時も、基本的には守は一塁の守備につく。それほどまでに、猪狩守のバッティングは天才的であるのに。

監督は、ゆっくりと口を開いた。

「―――少し、アイツには自分の投球を見直す時間が必要だと判断した。今回は守抜きでやってもらう」

たかが、一回の炎上。恐らくそれだけで信頼を落とすようなプレイヤーではあるまい。―――以前の西京高校との試合は、それ以上に致命的な欠陥を監督に見せてしまったのだろうか。

「相手ピッチャーは恐らく山口だろう。言うまでも無く難敵だ。一巡目は打てないものと思い、しっかりと球筋とタイミングを観察する事。勝負を仕掛けるのは二巡目からだ。それは恐らく相手も同じだろう。―――進。明日はお前がキーマンとなる。ピッチャーは互角だ。差をつけるならばバッテリーでしかつかないぞ」

「はい」

「パワプロ。今回初めて四番を打たせるが、別に何か変える必要はない。力んでバッティングを崩すなよ。お前はいつも通り、ランナーを返す事だけに集中しろ」

「はい!」

「鋳車。明日はロースコアの投手戦になる。お前が粘らない事には勝てん。頼むぞ」

「解りました」

「それじゃあ、解散だ。後片付けしたら速やかに帰宅しろ。隣県に行くから、明日は早いぞ。さっさと寝てさっさと起きろ。寝坊なんざしてみろ。即座に二軍に叩き落してやるからな」

 

 

「―――猪狩」

後片付けの後、一人の男が息を切らして河川敷の壁に向かって投げ込みを行っていた。

「ああ、パワプロか。丁度良かった。まだちょっと時間があるだろう?付き合え」

「あ、ああ-----」

事の真相を聞こうか聞くまいか―――悩んだが、今は申し出を受ける事にした。

以前、鋳車と河川敷にて打席勝負をしていたと猪狩に話すと、猪狩も何故かこの場によく来るようになった。曰く、河の音と車の音しか聞こえないから、静かで集中できるらしい。

バッターボックスに立ち、猪狩の球を打っていく。

―――その全てが、高めの直球であった。

パワプロはその全てをバットに当てた。ヒット性のモノもあれば、フライもゴロもあった。その割合はそれぞれ均等程度であった。

「-----空振りは、やはり取れないか」

猪狩は表情を歪ませ、その結果を受け入れた。

「鋳車の直球は、僕より十キロ以上遅い。それでも奴の高めの直球は悉くバットが空振る」

「ああ」

「-----僕が監督に言われた事は、たった一つだ。“プライドを以て相手に対峙するのがエースであって、プライドに拘る馬鹿はただの二流だ”ってね。僕は、直球で相手をねじ伏せる投球にプライドを持っていた。打たれても尚、そのプライドに拘った。三日前、清本に直球を打たれた時、僕はすぐさま配球を変えなければいけなかった。進だってそうしようとした。そうすれば、滝本の二本目は、防げたはずだった。あの時の僕は、相手と対峙する事にプライドを持っていなかった。―――アレは、背信と言われても仕方ない、情けないピッチングだった」

「------」

「だが―――僕はそれでも、直球に拘る。拘り続ける。その為には、今の直球は、一流のバッターには通用しないのだと言う、現実をまずもって受け入れなければならない」

だから、

「僕は、直球を強化する。沈まず、まるで浮かび上がるかのような錯覚すら覚える、直球を。如何なるバッターも、軌道より下を振ってしまうような、直球を」

「そうか----」

「これが完成するまで、エースは預けておく。そう鋳車に伝えておいてくれ」

付き合わせてすまなかった、と猪狩は言うと手早くボールを回収し、ランニングしながら家路へと帰って行った。

夜風が、やけに冷たかった。

 

 

 




WBC、よかったなぁ。個人的に、平野選手がとても好きになりました。緊急招集であそこまでやってくれるとは-------


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帝王VSあかつき①

まだまだ本調子とはいかないまでも、少しずつ夏の気配を取り戻しつつある五月の中旬。雲一つない空の下、帝王高校のグラウンドには涼やかな強風が舞い込んでいた。

ベースを挟み、青と黒のユニフォームを着込んだ球児達が審判の合図を以て互いに一礼。その後互いが互いのベンチに戻り、帝王高校の面々が守備位置につく。

「あ!でやんす!」

矢部はセカンドベース上でボールを回している白髪の男を見咎め、そんな声をあげた。

「パワプロ君!あの男には気を付けるでやんす」

「そりゃあ、気を付けているよ。帝王の三番バッターだろ。何を当たり前の事を言っているんだ」

「違うでやんす!そういう事を言っているんじゃなくて、あの男は悪魔でやんす!鬼でやんす」

「---進君、矢部君どうしちゃったの?」

「どうやら、矢部先輩は石杖さんと同じチームに所属していたみたいですね」

「チャンスで凡退するごとに、あの男はオイラをパシらせていたでやんす!この怨みは、絶対に忘れないでやんす!」

「---そうやっても、得点圏の悪さは改善できなかったのか----」

澄まし顔でボールを回すあの男も、この眼鏡外野手の得点圏での脆弱性には苛々させられていたのだろう。そうしたい気持ちはよく解る。痛い程。

―――俊足で、パンチ力もあり、広い守備範囲と強肩を持つものの、得点圏での脆弱性とエラー癖がいつまでたっても治らない。それが矢部というプレイヤーであった。

得点圏に弱い為そのパンチ力は上手く生かせず、ピンチの場面で強肩を生かそうにも致命的なエラーを演出する。持っている能力をことごとく台無しにしている男である。

恐らくは、この男は生来の目立ちたがりであるのだろう。

得点圏でのバッティングにおいて、打点を挙げて目立ちたい心魂がバッティングを逸らせ引っ掛けゴロにしてしまう悪癖を何度も何度も見てきた。能力が高い故に外すことも出来ず、常にこの男には監督の罵声が響いていた。

騒ぎ立てる矢部を尻目に、マウンドに目をやる

そこには、現在投球練習を黙々と行っている山口賢がいた。

ミットから聞こえてくる音が、重く、鈍い。

上体を大きく逸らしたフォームから繰り出される直球とフォーク。ベンチから見ても凄まじい迫力だ。

---ちょっと、ワクワクしてきた。

パワプロは自然と、口を綻ばせた。

―――今日の試合も、楽しいモノになりそうだ。

帝王高校対あかつき大付属高校の練習試合が、今始まろうとしていた。

 

 

一番バッターの矢部がコールされると同時に、ふんすと息巻きバッターズサークルから眼鏡を光らせる。

帝王高校のグラウンドは、やはり見物人は少なく、非常に静かであった。コールの声が、やけに響く。

矢部が、バッターボックスに入った。

山口はそれを見ると、すぐさま投球に入った。

大きく上体を逸らし、大きく振りかぶる。

ダイナミックなフォームから投げ込まれた直球は、唸りを上げて内角のミットへと収まっていく。

ストライク!

審判の声に一つ頷きながら、見逃した矢部は再度バッターボックスへ。

二投目が放たれる。

ここで、矢部が始動する。

踏み込みと共に、内角低めの球を捉える。

ギン、という金属バット特有の打撃音と共に、ボールは三遊間へと流れていく。捉えた当たりは強いゴロとなり抜け―――なかった。

深いゴロは、友沢のダイビングによってグラブに収められた。

―――マジでやんすか!

それを察知し、矢部は全力疾走からのヘッドスライディングを敢行する事に決めた。あそこまで深い当たりであるならば、内野安打ならば狙えるだろう、と。

―――友沢はボールを掴むと同時に、座り込んだ体勢のまま、上体だけで送球を行う。

その送球はまるで伸び上がる様に一塁手の胸元にまで到達する。

アウト、と一塁塁審の手が振り下ろされる。

友沢亮。両打ちのスラッガーであると同時に、強肩好守の遊撃手。元本格派ピッチャーであったが、肩の故障に伴いコンバート。現在はその強肩を遺憾なく発揮し、怪物遊撃手として帝王の四番を務めている。

その守備を眼前にし、あかつきのベンチは息を飲んだ。

 

二番バッターの俊足の田井中はボテボテの内野安打性のゴロを打った。しかして、またもや友沢の強肩の餌食となる。前に走り寄りベアハンドで打球を掴むと、体勢を大きく一塁側に崩しながらも腰の回転とハンドリングだけで送球を行い、これまたアウトとした。

とんでもない守備を二つ同時に見せつけた友沢は、一切の表情を変えず再度守備位置に戻っていった。―――あんなの、ファインプレーにも入らないと言わんばかりに。

 

三番、猪狩進がコールされる。バッターボックスへ向かう進の表情は、険しく歪んでいた。

 

データとして友沢の守備の凄まじさは知っていたが、いざ眼前で見せられるとどうしてもその姿が頭にチラつく。

こうなってしまうと、ショート方向へと打つ事に躊躇いが生じてしまう。

ボックスに立った瞬間、山口の鋭い眼光は進を見ていた。

そして、

一球目、二球目―――共にアウトローの直球を投げ込んだ。

 

―――見抜かれている。

 

左打者への外角低めのボールは、打てば自然とショート方向へと流れる。友沢の守備を見せつけ、その忌避感を利用したのだろう。外角のボールは絶対に打つまい、との確信の下、山口は外角へと二球を投げ込んだのだ。

三球目が、放たれる。

―――む。

コントロールミスであろうか、多少外角寄りだが、幾分甘いコースにボールが投げ込まれた。

―――見逃さない。

その軌道に気を急かされ、進はバットを振るった。

しかし、

「あ―――」

バットは、空回った。

バットの軌道からまるで消えるように、球は視界から落ちていった。打ち機のコースに投げ込まれた、完璧なフォークであった。

帝王側のベンチが大きく沸き立った。

二連続の好守に、三球三振。まさしく理想的な立ち上がりであった。帝王としても、盛り上がらざるを得ない展開だろう。

 

―――くそ。

 

考えうる限り最悪の打席を演出してしまった進は、歯噛みする。あれで、相手を初回から勢いづかせてしまった。

険しい表情のまま守備へと向かおうとする進の頭に、―――軽いグラブの衝撃がかかる。

「落ち着け―――ここで勢いを鎮火させれば関係ない」

鋳車であった。先程の拙攻を責める風でもなく、いつもの仏頂面で進に声をかけた。

「このイニング、三者凡退で行くぞ。一人でもランナー出せば、連中が勢いづいてしまう。リードを頼む」

そう言いながら、鋳車はマウンドへと走って行った。

その言葉に、一瞬で進は頭が冷えた。

そうだ、キャッチャーはイニングの表裏で、頭を切り替えなければならなかった。ピッチャーを打つ。バッターを抑える。二つの頭を交互に使わなければならないのだ。切り替えねばならない。

鋳車の投球練習に入る。

相手ベンチから食い入るように見られながらも、鋳車は問題なく投球をしていく。球の走りも、制球も上々。そうそう打たれる球ではない。

三者凡退で終わったならば、こちらも三者凡退をお見舞いすればいい。

成程。単純な理屈だ。それで、帝王の勢いも削ぐことが出来る。

それを出来るだけの能力を、あの男は持っている。

―――それを、引っ張って行けばいい。

一番バッターの名がコールされた瞬間、鋳車はセットポジションに入る。

 

あかつきが誇る右の技巧派エース、鋳車和観の、一投目が放たれようとしていた―――。

 

 

 

 




横浜初カード勝ち越し記念。パットン、神。ずっと横浜にいておくれ。


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帝王VSあかつき②

―――楽しけりゃいいんすよ。野球は。

やけにガタイの良い一年坊は、憎たらしい程ボールを飛ばしながらそんな事を呟いていた。

珍しく、共感できる言葉だった。

―――プロとか、甲子園とか。そういうのよりも、ワクワクしながら目の前のピッチャーと対峙したい、って気持ちが強いんですよ。だからですかね。俺、よく先輩から真面目にやれ、って言われるんすよ。真面目にやってんすよ。目の前にいるピッチャーに敬意も払ってるんすよ。でも、凡退するごとに死んだ眼しながらベンチに帰らなきゃいけないんすか?打席の中で全力で戦って、その後ホームラン打とうが、三振しようが、楽しいもんは楽しいんすよ。そいつが凄い投手だったら、そうである程。アリカ先輩、何かおかしいっすかね?

一目見た瞬間、この男の才能の底なしぶりは理解できていた。

そして、こいつと暫く先輩後輩として付き合っている内に、ふとこんな会話をしたことがあった。

霧栖弥一郎。

帝王の監督のジジイが三顧の礼を以て引き入れたというこの天才には、普通の球児とはまた違った独特の感性を持っていた。

ふむん、と石杖所在―――アリカはその言葉に、答える。

―――まあ、おかしいと言えばおかしいな。普通はさ、その「楽しい」って感情を持つ為には勝たなきゃいけねえんだよ、キリス。

―――勝ちたい、っすか

―――そうだよ。普通はな、勝つから楽しいんだよ。負け続ける勝負なんて、楽しくなんかねぇんだよ。ウチの部の連中のほとんどがそうだ。友沢見てみろ。アイツなんざ、凡退するごとに人殺しみてぇな目をしているぜ。勝てば楽しいし、負ければ悔しいんだよ。そういう連中からしてみればな、お前は不真面目に見えるんだろうさ。お前、負けても悔しくねえだろ。

―――うっす。

―――正直でよろしい。けど、こんな事言っている俺だってお前の気持ちは解るぜ。俺も、別にお前のバッティング見てスゲェ、と思っても悔しくはなかったからな。支倉の至宝だの何だのチヤホヤされても、やっぱり周りを見渡せば俺よりとんでもない化けモンは腐るほどいる。あまり劣等感を抱きにくい体質なんだろうな、お互い。

―――そっすか。

―――けどさ、お前は何処かで変われると思うぜ。

―――何でですか?

―――お前には、悔しがれる権利があるからだよ。才能もある。努力だってしている。ロクに才能も無ければ努力もしてねえ奴も、一丁前に山口さんのボール空振って悔しがっているけどな、ありゃあ見せかけにすぎねえよ。打てねえに決まってるって心の奥底で解ってるクセして、それを認めたくなくて悔しいフリしてんだ。

―――そんなもんすか。

―――けどな、お前は悔しがれる権利がある。お前は本気で高校を代表するピッチャーの球と対峙して、本気でそれを打てると心の底から思えている。だったら、多分変わると思うぜ。これから先、勝たなきゃ終わりの一発勝負が続いていく中で、その勝負に勝とうとしてチームがひりついていく中で、お前は変われる。ま、その時まで待っていればいいんじゃねえの。一つアドバイスするとしたら、フリくらいはしてりゃいい。そうすりゃ周りも何も言わなくなる。お前は誰より実力があるんだから。

 

 

一番、二番共に鋳車のシンカーの前にバットを沈黙させた。

二人共何が起こったのか理解できていないようであった。

―――まあ、しゃーないわな。

石杖は打席に向かう中、そんな事を思った。

あれ程完成されたアンダーフォームは、高校野球界においてもほとんどいまい。それだけでも厄介だというのに、あの男には決め球のシンカーがある。並のバッターでは当てる事すら困難であろう。

―――打てないにしろ、この打席で軌道は確認しとかねえとな。

石杖が、打席に立った。

―――さあ、来やがれ。

鋳車が、始動する。

左足が引かれ、上体が沈んでいく。そこから―――下から、ボールが弾き出される。

石杖はその初球を見逃す。

浮かび上がる軌道を描きながら、球は石杖のインハイへと吸い込まれていく。

ストライク、という審判の声を他人事のように聞きながら、石杖は変わらぬ表情で再度打席に入る。

次に放たれたボールは、今度は真ん中高めからボールゾーンへと逃げていく直球であった。石杖、これを見逃し次はボールカウントを手に入れる。

ワンストライクワンボール。

―――内角に投げ込むときと、真ん中に投げる時とで、微妙に軌道が違っていたか?

同じ様な高めのボールであったが、石杖はその差異に勘付く。

微妙な差であるが―――最初の直球と二投目の直球では、浮かび方が異なっていた。

―――多分、最初のはシュート系のちょっと沈むボールで、二投目はきっちり上方向の回転を与えた真っ直ぐか。一投目はあわよくば内角に詰まらせる意図で、二投目は高めで空振りを取るつもりだったのかね。

思った以上に、引き出しが多い。直球でも、微妙な使い分けがされているのか。

―――二つストライクを取れば、恐らくシンカーも使い始めるだろうな。

石杖はここで、狙いを絞る。

―――シンカーだ。シンカーを狙う。

直球の軌道があまりにも異質すぎる。浮かぶ直球なんぞ、今までの長い野球人生の中でも、そうそうお目にかかれた覚えはない。あれを最初の打席で打つ事は出来ないだろう。故に、シンカーに狙いを定める。

ここで石杖は、バッティングを修正する。

三投目。今度は外角へと逃げていくスライダー。

石杖はそのボールに反応しかけ、何とか踏み止まる。その様子に進は少し首を傾げた。

―――石杖選手は、こんなにもステップ幅が狭かったか?

外角へと踏み込み、ボールを呼び込もうとしたその瞬間、石杖はほぼノーステップでタイミングを取っていた。それ故、外角の変化球を何とか泳がされずに踏み止まったのだろう。タイミングを遅らせれば、バッティングも直前まで我慢できる。

―――そうか。粘ってカットするつもりか。

その意図に気付いた進は、今度は外角へと直球を要求する。

石杖はそのボールをファールゾーンへと飛ばした。

やはりか、と進は確信した。

石杖のバッティングは現在、手首を返すことなく固定し、ノーステップで球を呼び込んでいる。現在、この男はあえて振り遅れているのだ。振り遅れれば、当然フェアゾーンに飛ぶことは無いが―――当たれば全てがファールゾーンへと流れていく。この男は、文字通りミットの前でボールを当てている。フェアゾーンにも飛ばない程のギリギリのポイントで、ボールを打っている。

進は、その意図を考える。

―――恐らく、この打席で出来るだけボールの軌道を覚えようとしている。これがまず第一の目的。第二の目的は、こちらが空振り狙いで変化球を投げ込んだ時に、そのタイミングでボールを弾き返す為であろう。間違いない。現在、石杖は変化球に狙いを絞って打席に立っている。

そうはさせるか。

ツーストライクツーボール。ここで進は、鋳車にサインを出す。

そのサインに力強く鋳車は頷くと―――投球する。

 

―――ストライク!バッターアウト!

 

石杖は半ば呆然としながらその球を見ていた。

インローギリギリのコースに決まった、直球。手も出せずに、石杖はそれを見送った。

―――速い。

アンダースローにとって、低めのボールはリリースポイントから最短距離となる。高めのボールを見せられ続けた石杖にとって、低めのボールはタイミングすら取る事が出来ない程の体感速度が存在していた。まるで地を這うように、ミットに収まっていた。

 

「化けモンめ」

 

石杖ははぁ、と一つ溜息をつきながらそう一人ごちた。

―――この勝負、やっぱり予想通りのロースコア戦になるかねぇ。

しかし、次の回からは互いに四番からの打線である。

さて、どうなることやら。




両利きのアンダースロー選手と最近、高校野球部の知り合いが対戦したらしい。
その人がプロになったら、何だか夢が広がりそうですねぇ。


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帝王VSあかつき③

活動報告にてアンケートを実施しているので、よければ投票してください


「先輩」

三者凡退の後、溜息交じりにベンチへ戻った石杖に、霧栖が声をかける。

「あのアンダー、名前なんて言うんですか?」

「鋳車和観だ」

「そう、すか」

ジッと、霧栖は鋳車を見ていた。

何故だろうか。

会ったことも無いはずなのに。

対戦もしたことが無いはずなのに。

―――霧栖の胸奥から、チリチリと何かが燃え上がっていた。

―――アレは他人ではない、と脳が訴えかけていた。

浮かび上がる直球に、沈んでいくシンカーに、霧栖弥一郎は、目を離せずにいた。

 

 

―――あかつきの四番は、今日はいつもの男ではなかった。

バットをぐるりと回し、パワプロが打席に立つ。

山口はその様をじっくりと眺める。

構えは、実にシンプルであった。

オープンスタンスからバットがピン、と立っている。少々外寄りの立ち位置で、パワプロはボールを待っている。

―――成程、確かに評判通りのバッターではありそうだ。

パワプロの評価は、理想的なクラッチヒッター、というものであった。

この男には弱点と言える弱点が無い。猪狩守の様な出鱈目な長打力こそないものの、ボールの見極めも上手く、ポイントを自在に操る器用さがあり、球種によって打つ打てないの弱点もそれほどない。

それ故に、状況関係なく、また特殊な打球傾向も無いこのバッターは、猪狩の後ろに置いておくにはまさしく適任であった。

しかして、本日は四番である。

大炎上の責任をとってか、はたまた怪我でもしてしまったのか―――いつも四番に居座る猪狩守は今日の試合には帯同する事すらしていない。空いた打順が繰り下げられ、自動的にパワプロが四番に存在している。

―――いい眼をしている。だが、残念だったな。

打線とは、機能してこそ「線」となる。

今ここにおいて、あかつきは不動の四番を欠いている。

打線というメカニスクの中枢部分を失った状況で、急遽この男は四番に居座る事となった。

―――お前に、四番の仕事はさせない。

 

監督が猪狩守を外した理由の半分は、チームに伝えた通りである。エースとしての自覚を促す、そして投球の改善を促進させる。その為に敢えて守を外した。

―――もう一つは、守を欠いたチームが、打線を機能させられるかどうかをチェックする意図があった。

夏の戦いは、長く、厳しい。その中でエースと四番の両輪を一人に負わせてしまえば、その一人が調子を落としてしまえばチーム全体がガタガタになってしまう。

エースを担わせる目途はついた。鋳車和観―――とんでもない掘り出し物であった。パワプロと猪狩兄弟の推薦で入った無名の男は、瞬く間にあかつきのエースに駆け上がった。

ならばもう一人―――四番を担わせるに足る、人間が欲しい。

だからこそ、ここでパワプロに四番を経験させたかった。

相手は山口を擁する帝王。練習試合であっても、その相手に不足無し。この相手に「四番」を経験させてこそ、肥やしになってくれる。

 

―――山口は、迷いなく外角厳しめのボールを投げ込んでいく。

外角低めギリギリのコース。そのコースを軸に、山口は直球とフォークを投げ分けていく。

1-1、1-2とカウントがボール先行となっても、それでも構わずギリギリのコースへと。

―――何だよ、これ。配球がまるで違うじゃないか。

パワプロは、明らかに戸惑っていた。

外角一辺倒―――しかも、ボールカウントに関わらずそれでも厳しめのボールを投げ込んでいく。

要するにだ。この配球の意図はこの言葉に集約される。

『歩かせてもいい』

その意識が、常に根底にある配球であった。

―――くそ。

外角へと投げ込まれていく球は、常にボールゾーンギリギリ、もしくは大きく外れて投げ込まれていく。絶好球となる可能性が高い内角へは一切放らない。歩かせたって構わない。―――どうせ、後ろにはもう長打を打てる選手は存在しないのだ。

1-3からパワプロは外角の球をカットする。2-3のフルカウント。放たれたボールは、外角から落とされたフォークボール。

パワプロはそれを見逃し、一塁へと歩いて行く。

 

五番横溝がバッターボックスに立つ。

一塁のパワプロは、横目でセカンドを守る石杖を見ていた。

―――ん?

その動きに、何処か違和感を覚える。

ゲッツ―体制でセンターに寄った守備位置を守りながら、山口の球が放たれた瞬間、一瞬だけ石杖の身体がファースト方向に流れた気がした。

―――あ、そうか。

パワプロがその意図に気付いた瞬間に、横溝は一二塁間へゴロを放っていた。

石杖の左手側へ流れていくその打球は―――しかしてすぐに石杖によって正面に回り込まれていた。

そのままぐるりと体幹を回しながら二塁でパワプロを封殺。そして友沢の送球によりゲッツーが完成した。

―――石杖は、捕手のサインと要求を見て、そこから打球予測を行っているのだ。

だから、投球の瞬間にはもう一歩目が始まっている。正確な予測から迅速な走り出しが開始されていた。

 

―――ショートも、セカンドも、変わらず堅い。

友沢と石杖。この二遊間は、誇張なく帝王最高の二遊間かもしれない。

 

六番の柳がショートゴロに倒れ、二回の表が終了。

―――取られたアウトのうち、三振を除けばその全てが二遊間によって稼がれている。

山口の投球スタイルと堅守の二遊間は実に相性がいいのだろう。角度のあるボールとフォークの組み合わせはゴロを打たせやすい。その処理はキッチリ一流が仕事してくれる。まさしく「帝王」の野球であった。

 

 

友沢亮と石杖所在は実の所仲は良くない。

―――というより、友沢が一方的に石杖を嫌っている、というのが実際の所かもしれない。

二遊間を組む上で、その能力の高さを認めながらも―――石杖の何処か冷めた態度が、友沢をイラつかせていた。

友沢は、ある日後輩を叱っていた。

よくある話だ。一年が練習をサボって先輩に叱られる。そんな当たり前の事を当たり前にやっている時、その一年は反射的にこんな事を口にした。

―――ああ、クソ。友沢先輩かよ。石杖先輩は笑って見過ごしてくれてたのに。

 

「石杖」

友沢は、問い質した。

「何故、サボりを容認していた」

石杖はその問いかけにきょとん、と一度呆けると、変わらぬ口調で答えた。

「やらねぇ奴をやらせなくて別にいいだろ」

「士気に関わる。キッチリ締める所は締めないといけない」

「やる気ない奴を無理矢理参加させた方が士気に関わるだろ。それに連中、才能ないし」

才能、という言葉が友沢の耳に届いた瞬間―――明らかに不機嫌そうに、その顔を歪めた。

「才能が無いなら、努力させるしかないだろう」

「努力できるのも才能だろうが。神様は平等じゃないんだよ」

―――努力も、才能?

不機嫌の基が、溢れ出さんばかりに胸の奥に染み渡っていく。

友沢は努力の人間だ。不屈不断の権化である。貧乏な家庭の中で育とうと、肩の故障で投手を諦めても、それでも野球にしがみ付いた。その人間からしてみれば、その過程全てを「才能」の一言で片づけるこの男の言葉はひどく乱暴に思えた。

思えば、この男は―――友沢とはまさしく真逆の性質を持っていた。

実に、割り切りが早い。悪く言えば、諦めが早い。

この男は頭がいい。

だからこそ―――自分も、他者も、その才能を正確に判断できる。その比較の中で勝てないと思えば、瞬時に割り切れるのだろう。

諦めがいい男と悪い男。

―――相性は、最悪だろう。

それでも、二遊間を組むにあたってはしっかりと息を揃える辺り、流石といった所だが。

 

―――いつか、この男が変わる時が来れば。

―――この男も、果ての無い進化の中に組み込まれれば、

きっとこのチームは強くなる。それなのに、この男はまるで変わらない。

その事が、無性に友沢は腹立たしかった。

 

 




ウィーランド。勝っておくれ、勝たせておくれ。何で君は0勝なの?


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帝王VSあかつき④

アンケで要望がありましたので、あのキャラをちょっとだけ。


―――なあ、聞いたか。友沢の奴、肩壊したらしいぜ。

―――うわ、可哀想。中学で130出せる奴なんざ稀だってのに。あいつもつくづく運がねえな。

―――蛇島先輩も嘆いていたな。

―――噂だけどよ、肩、ぶっ壊されたらしい。ほら、一年後輩の瀬倉っているじゃん。あの左の変則。

―――え、マジかよ。だったら何で友沢は何も言わねえんだよ。

―――瀬倉の家は金持ち。アイツの家は貧乏。仮にぶっ壊されたって言ってどうすんだ。学校に言っても揉み消されるだけだし裁判する金も無い。泣き寝入りするしかねえのよ。

―――くそ、胸糞悪い話だ。

―――それでもよ。それでも、アイツに張り付いているスカウトがいるんだ。あのジャージは、帝王のスカウトだった気がする。まだ、ピッチャーは無理でも、野手の芽はあると判断されたのかもしれないな。諦めんのは、まだ早いよ。

 

「ピッチャーだけが、野球の全てじゃない」

山口賢は、そう友沢に笑いかけた。

「元ピッチャーがこんなバッティングできるなら、俺なんざもう形無しも形無しだ」

石杖所在は、そう溜息交じりに毒づいた。

―――かつて、ライオンズブルーのユニフォームに身を包んだ両打ちの名ショート。野球を始めたきっかけは、彼が放つ華やかさに魅かれたからだ。常にピッチャーの対角線上に存在するその姿、強肩を生かした力強い守備、そして唸りを上げて客席へ襲い掛かるホームラン。

彼の様に、なれるのだろうか。

―――いや。

そんな疑問によって、自問自答のサイクルに陥るような馬鹿な真似はしない。

なるのだ。超えるのだ。憧れが薄まらぬうちに、あのブラウン管の向こうにいたレジェンドの様なプレーヤーに。夢を夢のまま終わらせてしまえば、それこそ本当の「泣き寝入り」だ。諦めてたまるものか。如何なる障害も、踏み越えていける力が自分にはある―――そう信じさせてくれる存在が、いくらでもあったはずだ。ずっと自分を見てくれたスカウトも、支えてくれた仲間も、そして共にいてくれる家族も。彼等が自身にくれた期待という名の力を、大したモノなんかじゃないと吐き捨てたくない。その想いが、彼を作りあげていった。彼を―――帝王の四番という名の玉座へと運んで行ったのだ。

 

 

友沢が、打席に立つ。

彼は両打ちのバッターだ。故に彼は左打席に立つ。

 

―――右肩が壊れた友沢を、帝王はそれでも拾い上げた。

治療費とリハビリ費用まで捻出し、その復活のサポートまで行ってくれた。

しかし、現在帝王の打線の中枢にこの男が存在するのは、それだけが理由なのではない。この男には不断不屈の強靭な精神力があった。苦痛を耐え歯を食いしばり、人の幾倍もの努力を重ねられる野球人としての骨子が存在していた。

左の打席と、右の打席。彼はその二つをマスターするにあたり、当然人の二倍素振りをした。高校に入りアルバイトで家計を支えながら、それでもこの男は血が滲みかじかむ両手の痛みに耐え、振り続けた。

 

その姿を、鋳車は眺める。

自らと、同じ姿をそこに見た。

―――獲物を射止めんとする、獰猛な眼。

それは、野球だけにかけられる情熱ではない。それ以外に、様々なものを背負った眼だ

進のサインに、いつも通りに頷いた。

一投目が、放たれる。

 

 

両打ちの選手は、必然的にどちらかのバッティングを「作る」必要があると言われる。

右利きの選手であるならば左打席でのバッティングは、今まで培った右でのバッティングの感覚を捨て、一からバッティングを作らねばならない。

しかし、友沢は違う。彼は幼少の頃から両打ちに憧れ、投手の傍ら両打ちを行っていた。ピッチャーを諦め本格的にコンバートすると、初めから両打ちの選手としてバッティングを作りあげた。

だからこそ、左右の打席によってバッティングのズレが見えない。隙が無い。まさしく完成されたスイッチヒッターである。

―――先頭打者であるが、歩かせるのも一つの手だ。しかし―――

進はネクストバッターズサークルに佇む、巌の如き男を見やる。

一年、霧栖弥一郎。あの男が気味が悪い。データが一切ない上に、一年にして帝王のクリーンナップを打たせている程の実力者。出来るならば、あの男とは集中して対戦したい。だからこそ、塁に出れば足もある友沢の出塁は避けたい所だ。

進は外角に構えると、鋳車は球を投じる。

駒回しの如き腰の旋回と共に、友沢はバットを振るう。

金切り声の如き空振りの音が聞こえた。

外角外側から落ちるシンカーに、友沢は空振った。

―――友沢選手には、やはりシンカーが有効か。

基本的に両打ちの選手は外へと変化する球を体験しない。左右の打席で切り替える事により、基本的に彼等は内側へ切れ込む変化球の対応をすべくバッティングを作りあげる。

よって、外側の変化を伴う球―――鋳車の持ち球においてはシンカーが有効となってくる。友沢から見てみればシンカーは外側へと落ちていく変化球だ。対応が遅れてくるだろう。

ならば、もう一度投じる。友沢、次はしっかり見極めシンカーを見送る。ワンストライクワンボール。

―――初見でしっかり見極められるのは流石だ。けれど、もうここで絵図が出来た。

次の球、更に次の球。進は外角の直球を要求する。友沢は二球ともそれに差し込まれる。―――シンカーを警戒し、バッティングのポイントが若干後ろ気味になっている。

ここで、進は再度シンカーを要求した。

―――ストライク、バッターアウト!

打ち気を察した進の配球によって、鋳車はシンカーで三振を取った。

完封された悔しさか、静かに眼を瞑り怒りを抑えながら、友沢は去って行った。

 

そして―――

「五番、ライト、霧栖弥一郎―――」

その名が、コールされた。

 

 




次号、あの対決


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帝王VSあかつき⑤

ぐるりと肩を回し、軽くバットを振るうと、霧栖弥一郎は打席に入った。

―――岩。岩だ。巨大な岩石の如き威圧感が、バッターボックスに入った瞬間にヒシヒシと伝わってくる。

両足を沈ませ、身体を自然に開かせたフォームは、その巨躯と相まって恐ろしい程バッターボックスと調和していた。その姿から、隙が一切感じられない。

眼も、腕も、指先に至るまで―――全てが、眼前のピッチャーに対する集中に応え、静止している。

鋳車は―――その姿に、何故だか、胸の高鳴りを覚えた。

今までも、凄いバッターとは対戦してきた。その度に絶対に打ち取ってやるという思いを昂らせ、投球をしてきた。

しかし、この眼前の男には、それとはまた違った感情が浮かんでくる。

絶対に打ち取ってやる、という敵愾心―――それとは別に、

―――絶対に打ち取りたい、という自らの勝利を希求する感情が、別にある。

それは、久々の感情であった。

―――これは、パワプロとあの橋の下で打席勝負していた頃以来であった。

見た事もない。聞いた事も無い。それでも、その姿が、構えが、その全てが。その感情を湧き出していく。

打順は、五番。四番を凡退させたことで、下位打線に繋がるこの場面で無理をすることは無い。

だが―――ここで、何の実績も無いこの男との勝負を避ける事は何の意味も無い。あかつきの沽券にも関わる問題だ。

―――勝負します。

その意図を、進ははっきりと伝えた。

内角低めに、ミットを構えた事で。

そのサインに、迷いなく、鋳車は頷いた。

 

高く手を振り上げ、

低くその姿を沈めていく。

沈んだその身体から、上方向へとボールが来る。

上、下、上。

視界がばらつく。

球も、思ったより身体に来る感覚がある。

そういった諸々の感覚を、―――霧栖弥一郎は言語化するのではなく、感覚として受け取った。

この男の感覚は、ただ一つ。

「来た球を、感覚の応じるままに打つ」

球筋を瞬時に判別できる、天性の嗅覚を持つ男だからこそ―――この男は、初球から迷いなくその球に反応した。

左足を軽く上げ、しかして右足は根を張る様に動かさず―――右足から頭にかけて一切軸をブラさず、上方向へ流れ来る球を、呼び込んだ。

ギィン、と球が唸りを上げる。

内角に要求した球であるにも関わらず―――引っ張った打球ではなく、右方向へ飛んで行ったその球は、僅かにポールを逸れ、ファールゾーンへと切れていった。

もう少しタイミングが合っていれば、ホームランの当たり。

-----何だ、今の出鱈目なバッティングは!

進は、明らかに動揺していた。

この男は―――人生で幾度もないであろう、アンダーからのストレートに対して、初見であるにも関わらず、その軌道にバットの上に乗せていたのだ。本能的にバッティングの軌道を崩し、アンダーの軌道に修正していたのだ。

そして―――反対方向へと球が流れた、という事実。

内角の球に対して、前のポイントで外側から呼び込んでいるのではなく―――内側の球に対して、内側からバットを出し、後ろのポイントでこの男は打っているのだ。

窮屈に違いない。

常人が真似すれば、力の無いフライにしかならないであろう。

しかし―――この男は、それを、きっちりと長打にできる技術とパワーを持っている。

身体をスイングの形でもっていく際に、バットのグリップを出しながらも、けれどもヘッドを限界まで出さず―――ギリギリのポイントまで、待って打つ。超高校級のスイングスピードと、バットの面に長くボールをつかせる技術が無ければ、成立しないバッティングだ。長い手足を器用に折りたたみ、この男は実に見事に内角の球を反対方向へと捌いた。

そのバッティングに驚いたのは、何も進だけでは無かった。

鋳車も、パワプロも、その一打にてこの男の凄まじさが理解できた。

―――面白い。

鋳車は、自身の口元が大きく歪んでいる事を、自覚した。

―――ああ、そうだ。

執念に燃えるばかりで、忘れていた感情があった。

―――楽しい。

一人のバッターと、一人のピッチャー。内在する全てがこの両者に集約されたこの時間、この空間。その楽しさを、―――いつしか、忘れてしまっていた。

 

進が、外角へと構える。

内角へのあの凄まじいバッティングを見せられれば、外角へと逃げる球か落ちる球か、一度その反応を見たいと考えるのは当然であろう。

だが、鋳車はここで初めて首を振った。

その瞬間―――進は顔を顰めながらも、恐る恐る、もう一度、内角へと構えた。

頷く。

 

今度は―――先程の球よりも遥かに厳しいボールゾーンのコースへと投げ込む。霧栖弥一郎の身体ギリギリのコース。

しかして、霧栖は恐れる事無く足を引いて避ける。

外角が来るであろうと予測していたであろうに、踏み込んでいく様子もない。

―――手足が長い分、外角への踏み込みは浅く済むのだろう。内角へのボールで外角の踏み込みを制限することは出来ない。

外角のボールを打つ為には、通常深く踏み込んでその球を打たねばならない。その動きを阻害するのが、内角へのボールだ。しかし、眼前の男にはそれが通用しない。

ここで、鋳車ははじめて変化球を使う。

外角から落とすシンカー。これに、霧栖弥一郎は空振った。

―――内側からバットを出している分、外角のボールは僅かだが、内角に比べればバットの到達が遅れる。その分、変化球を空振る確率が増えるのだろう。

しかし、この状況も―――まずもって、内角というレッドゾーンに勇気をもって投げられたからこそ得られたものだ。

------何て、厄介なバッターだ。

それでも、この勝負に集中していく自分がいる。楽しいと思える自分がいる。

そのことが、無性に嬉しかった。

そして―――次の選択は、

ストライク、バッターアウト!!

危険ゾーンの内角から、更に内側へと落ちていく、魔球シンカー。この球で、鋳車は―――霧栖弥一郎を三振にとった。

―――危なかった。

一つの失投が、状況を変えたであろう。まさしく綱渡りの様な対決であった。それ故に、達成感も大きい。

ふとベンチに戻る男の横顔を見た。

その眼は、何処までも―――嬉しそうに、笑っていた。

―――打ち取られて笑っているなんて、ふざけた野郎だ。

それでも―――何故だか嫌いになれなかった。

 

 




次からは、もうちょい試合のペースを速めていこうかと。何か、グダグダしてすみません。


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帝王VSあかつき⑥

両エースによる投げ合いは、一歩たりとも譲らぬまま進んでいった。大方の予想通り、この勝負はロースコアの投手戦の様相を呈していた。

―――この勝負、回が進むごとに、両チームの厄介さが如実に表れていった。

帝王が誇る二遊間、そしてあかつきが誇る天才捕手猪狩進。球の軌道や配球面に慣れてきたが故に(・・)両チームともヒットを生み出す事に苦労している。

石杖と友沢の二遊間を避けようと、低めのボールを見逃す毎にカウントを稼がれ、決め球のフォークで三振を取る場面があかつきには数多く見られた。

それと同じように―――打者が一巡した事で、進の脳内ではある程度それぞれの打者のスイングの特徴が解って来た。それ故に帝王の打者のその多くが裏をかかれ、同じ様に三振の山が築かれていく。

二遊間の帝王。バッテリーのあかつき。それぞれがそれぞれの特色を活かしながら、互いの打者を封殺していく。

ヒットや四球が散発的に出るものの、一切の決定打が出ないまま、試合は6回にまで進んでいった。

 

「あ」

 

6回裏、帝王の一番が高めのボールを当てただけのバッティングは、悠々とレフトの矢部の方向へ流れ―――見事、落球した。グラブの底を弾くようにボールはぼとぼとと哀し気に、芝を叩いた。

 

「てへ、でやんす」

 

そう、何だか泣きそうな顔で、矢部はそう言った。その間に全力疾走でランナーは二塁まで進む。

―――ベンチから怒号が飛び交った。

 

 

二番が送りバントを決め、1アウトランナー三塁の場面で、三番石杖が打席に入る。

石杖所在。第一打席は見逃し三振。第二打席はサードゴロ。今の所、いい所はない。

しかし、こういう場面でこそ、石杖というバッターは力を発揮する。

―――これで、ある程度配球が読めやすくなった。

リードオフマンが三塁にいるという状況で、外野フライで打ち取ることが出来なくなった。その上で内野は前進守備。ライナーのヒット確率が格段に上がった状況下。

この場合、まず見逃していいのは高めの直球。ボテボテの内野ゴロでも十分に得点の可能性が高い上に外野まで飛ばされれば確実に失点となる。投げる意味がない。

バッテリーは当然三振を狙いに行くだろう。となると、直球系よりもシンカーに頼りたくなる。右バッターへのスライダーは確かに空振りを取るのに便利ではあるが、コースを間違えればバットに当たる可能性が高い。と、するならば、軸はシンカー。打ち気だと判断すれば、迷いなくそれを投げ込むに違いない。

その初球。ランナーを3塁においてクリーンナップの入り口で、打ち気にならないバッターがいる訳が無い。

「―――そら」

高めの軌道から、低めへと落ちていくシンカー。読んでいたが故に、幻惑はされない。

内側へと切り込んできたそれを、石杖は掬い上げた。

前進守備の内野を超え、しかして外野が届かぬ微妙な場所―――ものの見事な、ポテンヒット。ランナーは帰り、この試合初めての得点が追加される。

―――見えるぜ見えるぜ。顔面蒼白のお前の姿が。

エラーによるランナーを、一番最悪な形で返してしまった。そのダメージが一番大きいのは―――あのダ眼鏡であろう。

完ぺきな投球に水を差すミスに、味方すら冷ややかな目線を向ける。自責ゼロでの敗戦投手なんてなった場合には、どのような処刑が待っているのであろうか。石杖は心の底から手を叩いていた。

 

そして、友沢がバッターボックスに入る。

―――いいか、友沢。相手バッテリーはお前の弱点が解っている。外角から逃げるシンカーを軸に、絶対に攻めてくるはずだ。だが、お前がそれを当てることは出来なくても、見逃すことは出来る事も知っている。外角の直球。それだけにヤマを張ってみろ。カウントを稼ぐときに、絶対に使うはずだ。

そう石杖にアドバイスを受けた友沢は、初球―――ものの見事に訪れたアウトローの直球をセンター前に弾き返した。

ランナー一塁二塁のピンチ。訪れるは、―――霧栖弥一郎。

初回の打席で見事なまでの技術を披露した男が、ランナーを貯めた状況で打席に入る。

 

―――さあ、見せてみろ、キリス。

石杖はセカンドベース上から、その男を見る。

―――そのアンダーを、この場面で打ってみやがれ。

 

 

霧栖弥一郎は、ことバッティングに関しては、文字通りの「天才」であった。

フォームの根本部分は、小学生の頃に完成していた。

あらゆるバッターが、何とか自らのバッティングを反復し、無駄を削り、言語化し、作りあげていく中で―――この男は、ごく自然と、「このフォームが打ちやすい」と、感覚上でフォームを定め、以来そのままである。

トップが動く事なくグリップと自身の身体を旋回するバッティング。理想的な打球の角度。―――一つのフォームを貫く中で自然と出来上がったそのバッティングは、その恵まれた肉体と相まって、まさしく化物じみた精度とパワーを併せ持ったモノとなった。

そのバッティングが、動き出す。

インローに切れ込んでくる、ボールゾーンの直球。

自分の身体すれすれにやって来た球であるが―――丁度その場所は、霧栖弥一郎の両腕が届く所であった。

まるでゴルフスイングでもするかの如く、その球を―――弾き返した。

打球は鋭いゴロとなって一塁線を突き破り―――その間に、ランナー石杖がホームに帰る。

 

0-2。

 

試合が、大きく動いた瞬間であった。

 

 

 




戦犯だーれだ?


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帝王VSあかつき⑦

次の投稿でアンケは打ち切らせてもらいます。希望があるならば、お早めにお願いいたします。

※ミスがあったので修正。すみません。


その後―――後続を打ち取った鋳車であったが、それでも大きな大きな2点を追加されてしまった。

矢部のエラーから始まり、クリーンナップに連打を浴びた鋳車は、7回の表で代打を送られ、交代する事となる。

鋳車和観の課題を挙げるとするならば、その球数の多さだろう。

その投球スタイルの特異性故、投げる球はどれも被打率が低いけれども、その分三振が多くなる。それ自体は悪くないのだが、シンカーを主軸として使っている為か、直球を見逃される事が多く球数が多くなってしまう。

しかし、鋳車の投球はそれでも、その後に続くリリーフに大きな恩恵を与える。

その特殊な軌道を描く投球スタイルに二巡、三巡と付き合わされた相手打線は、明らかにバッティングが狂い、リリーフにその後正統派のピッチャーを放り込むと途端に打てなくなる。例えば、猪狩守から後続のリリーフにバトンタッチした際のデータと見比べてみると一目瞭然である。明らかに、鋳車の後のリリーフの方が結果が出ている。

七回裏、鋳車からバトンタッチした速球派の猪本は、高めの直球を武器にその後を三者凡退に抑えた。浮き上がる直球に見慣れた打者の視界には、オーバーからの高めの直球に、対応できなかった。

そして―――八回表。

三番猪狩進。

―――今、援護が二点入った状況で、僕を歩かせる訳が無い。

そうなると、四番のパワプロと勝負をせざるを得なくなる。折角打線の機能を完膚なきまで破壊していたというのに、ここで進を出塁させることはもう一度それを取り戻させる事になるかもしれない。

―――だったら、僕が狙うべき球は、一つだけだ。ストレートを狙う。そして、コースは、外角。

八回に入れど、その球威に衰えは見えない。フォークの落ちも全く変わらない。―――だが、この辺りから山口の直球が打ち込まれやすくなるデータがある。

疲労からか、リリースが若干縦から斜め方向にずれる事で、直球がシュート回転しやすくなるのだろう。映像で見た限りでも、その傾向が見られた。

―――シュート回転がある直球で、左打者の内角は攻めることは出来ないだろう。真ん中へ行きやすくなるし、それでもゾーンに投げ込もうと思えばデッドボールのリスクもある。ある程度、外角を中心に組み立てるに違いない。

ならば、

ギン、という音と共に―――進の打球は三遊間を破りレフトの前へと運んで行った。

―――内角を恐れず、外角に踏み込んでいけばいい。

進は、外角の球を押し込み強い打球を放つ事が得意な打者だ。その上で内角には投げないであろうと解った上であるならば、いくら山口相手でもやりようはあるのだ。

―――パワプロさん。後は頼みました。

 

 

―――お前を四番に据えるには、まだ長打が物足りない。

そうパワプロは監督に言われた。

―――お前は内角を前で捌き、外角の球をキッチリ後ろで捉える能力がある。それ自体は素晴らしい。そのバッティングがあるから、お前を守の後ろで打たせる分には何も文句はない。だが、ランナーが二・三塁にいない状況であれば、相手バッテリーは絶対にお前に内角には放らん。―――外角にさえ投げておけば、大怪我にはならないと解っているからだ。いいか、パワプロ。この夏の間に、外角の球を逆方向にぶち込める技術を手に入れろ。そうしたら、お前に四番を渡してやる。

 

昔からよく、外角の球に対して逆方向に引っ張る、という感覚があると言われている。

今まで、パワプロの感覚において外角は「流す」モノだった。

球に対してそのままバットを割り込ませ、球の反発を利用して、ヒットコースに流してやる-----それが、パワプロの外角の打ち方であった。

そして、今。霧栖弥一郎のバッティングを見た。

―――あのバッティングは、流しているんじゃない。間違いなく、押し込んでいる。後ろのポイントで球を流すんじゃない。バットの面にボールを長くつけて、ボールの勢いごと押し込んでいる。

それを、外角ではなく内角に(・・・)行っているのだから凄まじい。そのバッティングを、未完成の高校一年生が行使しているという事実に、ある種の衝撃を受けた。

―――軸足を意識しろ。

―――手首の返しは、限界まで我慢しろ。

眼前の山口を見る。配球は、変わらず外角一辺倒。

打つ。

打ってやる。

外角への球---それが、シュート回転し甘めに入り込んできた瞬間を、パワプロは見逃さなかった。

軸足へ、体重を限界までかける。

インパクトの瞬間、振り切るその瞬間まで、リストを固定する。

その二つが行使された瞬間―――外角への直球を、パワプロは打った。

打球は低めのコースからぐんぐんと伸びていき―――フェンス直撃のツーベース。俊足の進がホームに帰り、1点を返した。

セカンドベース上で、思わずパワプロは吠えた。

軸足が、重い。

手首が、痛い。

―――逆方向に押し込むバッティングとは、これ程までに負荷がかかるモノなのだ。体重をインパクトの瞬間まで支えた軸足も、球をインパクトしたまま固定した手首も、痛い。

そうか。まだまだ鍛え足りないと言う事か。

パワプロは新たに掴んだ手応えに―――思わず、口元を大きく歪めた。

 

1-2。

まだまだ、諦めるにはまだ早い。

 

―――そう思ったのも束の間、

 

八回裏、帝王の攻撃。

フォアボールで友沢を出塁させた、次の打席。

―――バゴン、というド派手な音が響き渡った。

ピッチャー猪本の、ど真ん中への失投。失投であれど、140後半の球威を伴ったその球を―――引っ張り上げて、凄まじいライナーにて観客席に叩きこんだ。

1-4。あかつきの希望を容赦なく打ち砕く、霧栖弥一郎の一発であった。



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帝王VSあかつき~試合終了後と、その談義~

 

試合は、1-4であかつきの敗北で終わった。

―――守がいれば解らない勝負だった。それ故に、守がいなければこの程度の地力でしかないともいえる。各々、反省点は解っていると思う。帰ってから猛練習だ。覚悟しておけ。

監督は、そうこの練習試合を締めくくった。

その通りであった。

守がいない打線は機能せず、結局パワプロが勝負を避けられれば機能を停止した。後続のリリーフはクリーンナップには相手にならない。

しかし、収穫もあった。

「パワプロ」

「はい、どうしました監督」

「―――お前、最後の打席、バッティング変えてたろ?どうやったんだ?」

「----帝王の五番のバッティングを、見て。本能的にああするべきだ、と考えました」

「ほう。具体的にどの部分を?」

「流す、ではなく、押し込む―――後ろのポイントで打つとき、あの霧栖って選手は常に軸足と手首を固定して、インパクトの瞬間だけ手首を返していた。だから、バットとボールがピタッとくっ付いてて、長くボールを接地出来ていたのだと思ったんです。だから、そうしてみました。軸足を固定して、手首は限界まで返さない。そうすることで、外角の球も、長打にできるんじゃないか、って」

「----それで、どうだ」

「滅茶苦茶、身体がキツイです。―――自分のバッティングが、どれだけ楽にしてきたのか痛いほど解りました」

「感覚は、掴めたんだな?」

「はい」

「だったら、大丈夫だ―――繰り返せば、じきに慣れる。きっちり素振りをしておけよ」

「はい!」

「そのバッティングをしっかり修得すれば、お前は守よりも上の打者になれるかもしれん。頑張れよ」

「はい―――それじゃあ、ちょっと帝王の人達に挨拶しに行ってきます」

―――こうして、何かを得た人間もいる。

パワプロも、アレはアレで才能ある人間だ。

あの男は、一つコツを掴めば一瞬でそれを習得できる。

だからこそ、あの男には何よりも経験をさせる事が重要となる。実戦の最中で感じるべきモノを、あの男は実に敏感に嗅ぎ取っている。

走り去るパワプロを眺め、一つ監督は息を吐いた。

 

 

人もまばらな観戦席には、目つきが実に悪い男がいた。

―――スカウトの、影山だ。

プロ球団専属―――何処の専属であるかは秘密事項―――のスカウトであるこの男は、練習試合であれど、速やかにその足を運んでいた。

「ふむ-----」

評価が変わった者と、変わらなかった者。この二つに分類し、後者に属する人間は―――帝王は友沢、石杖。あかつきは進、鋳車であろう。

強肩強打の大型ショートと支倉の至宝の二遊間―――タイプこそ違えど、この二人は現在の高校球界屈指の二遊間だろう。身体能力抜群のスイッチヒッターに、読み勘が攻守ともにずば抜けている石杖。まだ、石杖はドラフト上位の実力はないであろうが、友沢は何処も欲しがる逸材だろう。そして、進、鋳車のバッテリーもまた凄まじい。高校生ながらあれ程完成度の高いアンダーフォームとシンカーを投げる鋳車に、その球を一度たりとも逸らす事なく攻守に渡り安定感のあった猪狩進。今日だけでこのバッテリーで12個の三振を奪っている。これもまた、何処も狙う逸材に違いない。

そして、影山の中で評価が変動した人間は、パワプロと山口であった。パワプロは上方修正。山口は下方修正。

パワプロは、最終打席で外角への長打を放った。それだけならば、芯を上手くくわせたのだろうと静観する所であるが、明らかにバッティングが違っていた。あのバッティングが出来るのならば、一気に飛躍の可能性を秘めている。

そして本日無事完投を果たした山口は―――後半からの、球質の変化が気にかかった。

シュート回転する直球―――恐らくは、リリースポイントがぶれたか、身体の開きが早くなってしまったのか。山口は春大会以降、後半に直球が打ち込まれる場面が多くなった。元々、かなりスタミナがある方であるにもかかわらず、である。よって、下方修正。

 

そして―――掘り出し物が、一つ。

それは、言うまでもないであろう。

「霧栖弥一郎------」

あのバッティングに惚れないスカウトは、きっと三流以下だ。

アマチュア野球史上、最高級の素材かもしれない。

高校一年にしてあれだけの技術を詰め込んだバッティングが出来ているという事実に、思わず影山もつんのめってその姿を眺めていた。

「彼は、要チェックだな----どうせ、この先嫌でも注目されるだろうがな----」

影山はそれだけ言うと、そのまま荷を纏めてその場を去った。

 

 

その頃―――帝王側のベンチでは、パワプロと霧栖が談笑していた。

挨拶に向かったパワプロを見るや否やこの男は機先を制してパワプロと肩を組み、そのままベンチへと引っ張り込んだのであった。

「いやあ、スゲェっすね、パワプロさん。山口さんのフォークをあれだけ見逃せたバッターはじめて見たっす。アレ、文字通り視界から消えるってのに。どうやったらアレ、バット出すの我慢できるんすか?」

「いや、俺もギリギリだったよ。けど、ある程度配球が絞り込めていたから、フォークを警戒するカウントになったらポイントをギリギリにするんだ」

「絞り込みっすか。----ちなみに、どのカウントが怪しいと?」

「いう訳ないだろそこまで」

「あ、くそ。この手には乗らねぇか」

「にしても----君のバッティングも凄まじかったね。アレ、何を意識しているの」

「サード方向に身体が回旋しやすくすること。軸足は絶対に動かさない事。それだけは守れって爺さんに子供の頃に言われて、あとは自分が打ちやすいようにオープンで構えるだけっす。それだけ」

「そ、それだけ------」

「うっす。色々ごちゃごちゃ考えたってしょうがないんすよ。自分の中でしっくりくるフォームが出来上がったら、勝手に身体は覚えてくれるもんです。あとは肉付けて、苛めて、遠くに飛ばせるようになればいい」

「へ、へぇ-----」

―――いや、普通、勝手に身体は覚えてくれないから必死こいてバッティング練習するってのに。

「コイツとバッティングを語り合おうとしても無駄だぜ。ちょいと感覚が違いすぎる」

「あ、石杖君」

「ひっでぇ言い草っすねアリカ先輩」

「本当の事だから仕方ねぇだろこのゴリラ。なんで内角のクソボールを逆に打てるんだよ馬鹿じゃねえの」

「仕方ないじゃないすか。あの球をポイントずらして打てる訳ないんですから、身体よりの球も後ろで打たなきゃいけねぇんですから。俺なりに工夫したんすよ」

「工夫してできるなら練習いらねぇんだよ。あんなクソボールに手を出して一塁線抜くとか何処の三冠王だ」

ぎゃーすかと石杖と霧栖弥一郎は言い争っている------先輩後輩でも仲がいいのだなぁ、と妙に感心してしまう。

 

その様子を、鋳車は遠目で眺めていた。

―――霧栖弥一郎、か。

あの霧栖の一打は、鋳車にも確かな衝撃を与えていた。

シンカーの投げぞこないの失投を、あのコースで打たれた事はある。だが、あれは違った。コースも、球種も間違っていない。内角の、身体ギリギリの場所に投げてやろうという気持ちで投げ、それを打たれた。

それは、鋳車にとっても初めてのことであった。

―――とんでもないバッターだ。

そう思い下唇を噛みながらグラウンドを去ろうとした―――が。

声を、掛けられた。

「ちわっす。鋳車さん」

その男が、自分に声をかけてきた。

「----何か用?」

「いや、―――凄いモノ見せてもらったんで、挨拶でも、と」

そう言って差し出された右手を眺める。

ごつごつとした、皮が破れた痛々しい痕が残る右手であった。

自然と、その手を握った。

「鋳車和観だ」

「うっす。霧栖弥一郎っす」

こうして二人は―――何処か、理由の解らぬ親近感を覚えながら、対面を果たした。

いずれ、灼熱の太陽が焼くグラウンドで出会う事を、予期しながら―――。




練習試合はこれにておしまい。次からはドラマパートに入ります。


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母の想い及び、その軌跡

「はい、おばちゃん。あまり物だけど、一応持ってきた」

「----悪いねぇ。ありがとね、パワプロちゃん」

パワプロの眼前には、一人の女性がいる。

鋳車和観の、母親である。

まだ年齢的には中年もいい所であろうに、積み重ねた労苦がその肉体に刻んだように、老婆の如くしわくちゃだ。

奨学金により彼女にも給付が入る様になり、生活は多少とも改善した。しかし、彼女はそのお金に手を付けず貯金し、以前と同じように働きながら暮らしている。ただ、仕事場は猪狩コンツェルンの下請け工場を紹介され、そこで働く事となったが。

そこで、せめて生活費の削減にでも、と―――寮で余った食品や料理をパック詰めにしてパワプロは和観の母親に持っていたのだ。

「カズミは、元気かい?」

「元気です。あいつ、昨日は六回二失点でした。一点はウチの眼鏡のやらかしで失ったモノですから、相当な活躍でしたよ」

「へぇ。それはそれは----」

息子の事になると、彼女は例外なくその顔を何だか泣きそうな風に、笑う。

その顔を見る度に、何だか切ない気分になる。

「アイツにも、スカウトが付くようになりました。きっと、ドラフトでも上位候補だと思います。―――多分、アイツ、母さんを楽にしてやる、って張り切っていると思うんです」

「そうなのかい。----けど、アタシは、あの子のお金に手を付けるつもりはないけどねぇ」

「どうしてですか?」

「パワプロちゃんは、自分のご両親に感謝しているかい?」

「それは、はい」

「うん。とてもいい事だよ。パワプロちゃんを見れば、解るよ。きっと、愛情深く育ててもらったんだろう、ってね」

「----」

「アタシはね、一度、あの子の夢を壊しかけたんだ。お金が無いから。----こんなアタシの下で生まれてしまったばかりに」

「----」

「あの子、学校では苛められてたのさ。だから学校にも行かず、ずっとあの河川敷にいた。死んだおとんの形見のグラブと、そこらで拾ったボール片手にね。こんな惨めな人生を、送るべき子じゃないと、ずっと信じてた。その想いは、正しかった。今となっては解る。パワプロちゃんに出会えて、お金を貰って、ようやくあの子はいるべき場所に、いることが出来るようになった。そして、アタシは、あの子にとってはいるべきじゃない場所だ。こんな場所に、感謝をするべきじゃない」

ずっと、ずっと。謝り続けていたのだと思う。

生んでしまってごめんなさい―――ではない。

こんな私の下に生まれさせてしまって、ごめんなさい、が正しいのだろう。

あるべき場所があったはずだ。友達に囲まれて、笑顔のまま野球をして、お腹いっぱいの飯を食えて、―――そんな、ありふれた幸せな、日々が。あるはずで、あるべきで。なのに、それを阻害する何かが存在していて。その何かとは―――つまりは、母親で。

「お腹いっぱい食べさせることが出来たら、もっと大きな身体になったかもしれない。

もっといい家で生まれたら、もっと楽しく野球が出来たかもしれない。

色々なたらればが、あの子には多すぎる。あの子自体が、一切不満を言わないから余計に」

そうなのかもしれない。何か一つボタンを掛け違いていれば、また違った人生を、カズミは送れたのかもしれない。

それでも、とパワプロは思う。

「たられば、で言うなら―――おばちゃん。きっと、おばちゃんじゃなければ、カズミはもしかしたら別な道にいったのかもしれない、とも言えるんじゃないかな?」

「え?」

「アイツがあんなに大好きな野球を辞めようと思ったのも、それでいて今でも死ぬような練習を積み重ねているのも―――半分は自分の為で、もう半分はおばちゃんの為だと思う。

アイツ、絶対に泣き言言わないんですよ。味方がミスしても、理不尽な叱責を受けても、死ぬような練習を積み重ねても。―――多分、これはずっと何も不平を言わずに頑張って来たおばちゃんの背中を見てきたからだと思う」

「------」

「“勝ちたい”って気持ちも“負けてたまるか”って執念も、多分ただの野球好きじゃああんなに強く持てないと思う。ずっと諦めずに、歯を食いしばって頑張って来たおばちゃんの子だから、おばちゃんがお母さんだったから。アイツは諦めずに、ひたすらに、アンダーにフォームを変えてまで、頑張ってきたんだと思う。たられば、じゃない。全てが、巡り巡って、ここまで来ている。全てが無駄じゃないと、俺は思う」

「----そう、かね」

「うん、きっとそうだと思う―――だから、おばちゃん。アイツなりの不器用な親孝行くらい、受け入れてやってもいいじゃない」

そう言って、パワプロは笑いかけた。

----やっぱり、あの子にしてこの親あり。そう、涙を流す彼女を見て、そう心の底から思った。

 

 

何でだよ。

何でだよ。

何で俺の球が打たれるんだよ。

何で俺より速い球を投げれるんだよ。

欲しいモノは何でも手に入ったはずじゃないか。

なのに―――何で、一番欲しいモノが手に入らねぇんだよ。

勝ちたい。あのグラウンドの上で悔しがる雑魚共を、見下ろしたくて仕方ないのに。

なのに、見下ろされているのは俺の方で、

俺を見下す連中が―――俺より、能力を持っている。

そんな連中に我慢できずに、金で以てリンチした事もある。なのに、気分が晴れない。

そんな最中―――ピッチャー強襲のボールが左肘に当たり、ズキズキと痛んでいる。

「あの野郎-----雷轟とか言ってたっけか----絶対にぶち殺してやる----」

だが、この左ひじ―――大丈夫と言って病院に行っていないが、それでも痛いモノは痛い。

これがずっと続くのならば、本当に自分の野球人生は―――。

そう暗い予想をブンブンと頭を振って逃がす。

だが―――何だか、自分は行き詰っている。一人のピッチャーとして。

「―――ソコノ、オ兄サン。チョットイイデスカ?」

そんな中、何だか縁起の悪そうな白衣の男が、眼前に立っていた。

「―――左肘、痛ソウデスネ。チョット、コチラニ来マセンカ?」

その隣には、黒布に包まれた謎の生物。

「ゲドー君」

そう男が言った瞬間―――意識を、喪った。

 



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進化の道程

猪狩守は、パワプロのフリーバッティングを見た。

その顔面は、何処までも苦悶に満ちたものであった。

軸足をゴムチューブで固定し、思い切り負荷をかけながらバットを振り抜いて行く。

その全てが、外角に投げ込まれたボールであった。

軸足を動かさず、その上でしっかりと身体の軸を後ろに残したまま、ボールを打ち込んでいく。

バットも、金属ではなく、グリップが太い一本の棒の様なバットを使っていた。

その意図は、瞬時に猪狩守には理解できた。

―――外角のボールを押し込んで長打にする為の方法だろう。

軸足を動かさず背後のポイントを維持しながら、されど軸足はブラさず、それでいてしっかりと芯を打ち抜くために―――軸足を固定し、芯を食わなければまともに飛ばないバットを用いて、彼は練習しているのだ。

 

成程―――僕から四番を奪う算段が出来てきた訳か。

 

そうでなくては、つまらない。自分の球にあそこまで付いていける人間だ。打者の自分なぞ、早々に超えてもらわねば困るのだ。

そして、鋳車和観。

奴は奴で、夏の大会までを目途に新球の開発を行っているという。スライダーとシンカー以外に、もう一つゾーン内で勝負できるボールを用意するつもりらしい。

 

今、投打でしのぎを削り合っている両者は、間違いなくあの帝王との試合で前進した。

立ち止まっているのは、自分だけだ。

パワプロはバッティングの変化を、鋳車は球種の変化を、それぞれが着手している。

自分は―――直球を変化させんと足掻いているが、未だ足踏みしたままだ。

 

「パワプロ」

そして、今日も今日とて声をかける。

「放課後、付き合ってくれ」

 

 

鋳車、パワプロ、猪狩守の三人は河川敷の下にいた。

パワプロを打席に立たせ、両者が交互にボールを投げる。猪狩は高めの直球。鋳車は新球―――スローカーブを。

「猪狩。それは駄目だ。肩の開きが早すぎる。リリースの時、左肩の上がりが極端だ。それじゃあ球の威力は増しても、空振りはとれないし肩の負担がでかくなる。それに、変化球とのリリースの差異が解りやすくなってる」

「む---そうか。そうだな」

猪狩は素直にそう頷くと、今度はパワプロに声をかける。

「パワプロ。お前は高めの直球に空振りする時はどんな球だ?」

「基本的に、二つパターンがある。リリースが極端に高いパワーピッチャーの高めの直球は凄く打ちづらいから空振りする。逆に、リリースが極端に低いのも打ちにくい」

「ふむ。それはどうしてだ?」

「大抵、リリースが高いピッチャーは球持ちは短いけどその分直球に回転がかかっているしタイミングがとりにくい上に、高めに放られるとボールが落ちる感覚が無いから打ちづらいんだ。逆に極端に低いとリリースが身体に近くなるから体感的に早く感じる。前者は、リリースの時腕を隠す技術が無いと大抵打ちごろの甘い球になるけど」

前者の代表例が恐らく上原浩二で、後者は杉内俊哉などに該当するであろうか。両者とも、「通常のリリースで投げられたケースとのズレ」を利用して空振りを取っている。

「成程----リリースの、タイミングか」

一つ頷くと、―――猪狩はふむんと一声上げる。

「少し、やるべき事が見えてきたかもしれない」

そう一つポツリと呟いた。

 

 

猪狩が帰ったあと、鋳車は自らの新球種について話していた。

「元ロッテのアンダースローの選手の動画を見てな。これだ、と思った」

「それが、スローカーブ?」

「そう。―――カーブは基本、オーバーハンドで投げる場合、リリースの瞬間から少し浮いて、落ちる軌道を描いて変化する。基本的にカーブは打ち気を逸らす、もしくは緩急をつける為に行使されるボールだ」

「そうだな」

「だが―――アンダーは、基本が浮き上がる軌道だ。オーバーハンドのカーブとはそこが違う。緩急をつける目的は勿論果たせるが―――それより、シンカーと同じく、途中の軌道まで高めの直球かどうか判別しづらい点が重要だ」

「ああ、成程」

「ただ、その分ただ抜けていく軌道を描くせいで、あまり変化はしないがな。カーブというよりは、高めの直球と緩急をつけるチェンジアップに近いかもしれない」

「それは―――あの、帝王の一年生に触発されて?」

問いかけに、一つ頷く。

「直球とシンカーだけじゃ、アイツに通用しない」

ただそれだけだ、と鋳車は言った。

 

 

ウィークリーマガジンX号~球児特集第五回、瀬倉弓也~

 

海東学院高校一年サウスポーの若きエースが誕生した。

彼は二日前の北雪高校との非公式試合において、鮮烈なデビューを果たした。

左サイドから放たれる直球は、最速143を記録し、そのスクリューは対戦相手曰く「伸び上がって曲がって来る」とも評される程の切れ味を誇る。左の変則型ピッチャーとしてスカウトされた彼は、現在凄まじい速度で成長していっている

―――中学時代での最速は130前半でした。ここまで球速が伸びた秘訣は。

「身体が出来上がってきたというのもありますし、投げ方を少し変えた。それがうまい事合致しているんだと思う」

―――投げ方の部分で言うと、対戦相手が「腕が伸びてくるような錯覚」を覚えたとのコメントが入っています。どのように変えたのでしょう。

「肘と、腰の回旋の部分ですね。外回りに腕を振るんじゃなく、出来るだけ内旋させて腕を巻きつける様な感覚で投げるようにしています」

―――左サイドともあって、左打者に対して猛威を振るっているのはこれまでと変わりがないようですが、右打者に対しての指標が劇的に改善されています。

「球速が伸びた事で、右打者のインサイドに投げ込めるようになった。スクリュー以外を生かすも殺すも、直球ですから」

―――夏場でも、そう言えば長袖のユニフォームを使うのですね。去年はアンダーだけでしたが

「腕全体の使い方を変えたので、それを隠す意図でそうしています」

―――抱負をお願いします。

「海東学院をこの左手で、甲子園まで連れていきます」

 

以上、インタビューでした。




DDDと同じく、瀬倉は中ボスになる予定。帝王とあかつきのどちらにするかは未定。


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エースである事

蛇島桐人なる人間はとにもかくにも面倒な人間だ。

この男は、嫉妬深い。

嫉妬は、アスリートにとって重要な要素でもある。

自分に出来ない動きを当たり前の様に行使する他のプレイヤーを見て、嫉妬し、その感情を動作獲得のモチベーションにする。嫉妬は、ナンバーワンプレイヤー以外の人間にとって、何よりも重要な要素かもしれない。

しかし、この男は更にプライドが高い。

そのプライドは、傲慢の色が滲み出る、暗く淀んだ代物である。

自分以上に優秀なプレイヤーがいる訳が無い、という傲慢。

その傲慢は、現実に歪められていく。

自分より上の能力を持つ人間は、当たり前の様にいるのだという、現実に。

現実と傲慢な心が、齟齬を生む。

その齟齬は、埋めねばならぬ。

----鬱陶しい。

貧乏人のくせに。

常に泥まみれな不格好な男のくせに。

どうして―――自分よりも鋭い動きが出来る。どうしてそんな直球を投げれる。

ふざけるな。

ふざけるな。

―――こんなふざけた現実は、消さねばならない。

「―――そうだろう、瀬倉君」

君にとっても、邪魔なはずですからねぇ-----。

ねぇ。

そうだろう?

―――こんなふざけた現実、幻に消さねばならないのですよ-----。

 

 

「石杖さんは、プロに行くつもりですか?」

「行かねぇよ。つーか、行けねぇが正しいだろうな」

「どうしてですか?」

「どうしてもこうしてもねぇよ。無理なもんは無理だ」

石杖は、後輩と話していた。

案外、この男のくだけた態度は後輩にとっては付き合いやすい部類の人間に入る。だからだろうか。この男は他の二年よりもずっと、後輩との絡みの方が多かったりする。

「俺は、野球を楽しみたいんだ。プロになって、生活がかかるようになっちまったら、多分全力で野球を楽しめなくなると思う。それが、俺にゃ嫌だね」

「んな事言ってる割には、かなり真面目っすよね。石杖さん」

「別に矛盾してねぇだろ。楽しむために、頑張ってるし真面目にやってんだ。楽しけりゃ頑張れるし真面目にもなれるだろ?」

「そんなもんすか」

「そんなもんよ―――けど、プロ目指してやってる奴等を否定するつもりもねぇよ」

それが、石杖所在の野球に対するスタンスである。

全力で「楽しむ」

その先にある結果は、それほど拘らない。

ある意味で、このスタンスが最もこの男の強い所なのかもしれない。

結果に拘らないから、慌てない。常に冷静にゲーム全体を見ている。

「何か、キリスもそんな感じですよね」

「アイツは本質的には俺と同じだろうな。けど絶対的に違う所が一つある」

「---何なんすか?」

「多分アイツは、何もなければプロの世界でもそのスタンスでやっていけるだけの才能があるってことかね。俺には無い。それだけ。―――で、そのキリスは何処行った。まだ走り込みから帰って来てねぇのか」

「何か、山口さんを捜しに行くって言って、それっきり」

「ああ、成程」

全てを悟ったように、石杖は吐き捨てるように言う。

「あの馬鹿」

 

 

 

「山口先輩」

「ん?どうした、キリス」

山口賢は、一度そのマウンドを降り、野球帽を取れば一転爽やかな好青年となる。

このギャップに驚かされた下級生は数知らず、霧栖弥一郎もまたその一人であった。

「一つ、聞きたい事があるっす」

「何かな?」

キリスの眼は、何処か―――不可解な代物を見る様な、訝し気な色をしている。

「右肩、痛いんすか?」

その瞬間、時間が止まった様な気がした。

凍結したのだ。山口の意識が。

ばれるはずがない。―――そう思っていたのに。

「何で、そう思った?」

「試合後半にスタミナ切れで腕の振りが緩くなってシュート回転が発生するピッチャーなんざザラです。それだけなら別に大した問題じゃない。―――けど、先輩は明らかに試合後半になるにつれて、右肩を庇う動作をしている。肩の回旋を抑える為に、腕が横ばいになっている。だから直球がシュートしてんだ。アリカ先輩も、察していたけど黙っていやがった」

「よく-----見ているね」

「先輩。今でも遅くないっす。病院行ってください。じゃないと手遅れになる」

「駄目だ。それは駄目だ。できない」

「何でですか!この先右肩が上がらなくなったらどうするつもりっすか!」

「それでもだ。それでも―――私は投げなきゃいけない」

断固とした、口調。

ますます―――キリスは不可解に思ってしまう。

何故だ。何故なのだ。この先の野球人生をフイにしてでも、どうしてこの男は―――。

「ねぇ、キリス。―――あのマウンドに立てる人間は、たった一人なんだ」

「-----」

「その一人でいられる権利がここにあって、それを捨てる事は出来ない。その権利が無いと言われるまで、私は投げ続ける事しかできない。そうじゃなくちゃ―――エースではない。私はそう思う」

「何すか---それは」

「キリスも、多分次第に解ってくると思う。―――期待をかけられるって事は、とても嬉しい事なんだ。それを裏切る事は、胸が張り裂ける程に苦しいモノなんだ」

「俺には----解らないっす。何で、何で-----!」

「ごめんな。納得できないのも無理はない----だけど、それでも無理は承知でお願いだ。この事は、黙っていてくれ」

そんな言葉を、最後に吐いた。

 

「へぇ。こいつはいい事聞いたぜ」

物陰から、その様子を眺める男が一人。

彼は、帝王高校のベンチ枠からも外された一年。

「―――瀬倉さんなら、高値で買ってくれるだろうぜ。この情報」

その男は、瀬倉子飼いの間諜であった。

「はい、もしもし。瀬倉さんですか。いやあ、いい情報が入りました。ちょっと外で会えませんかね?」

携帯越しに、男はニタニタと笑いながら、そんな声を密やかにあげた。

 



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憎悪が宿る日の事

「山口----弁明はあるか?」

「------」

―――帝王高校部室内。朝練の準備を行っていた山口を捕まえ、監督は週刊誌の紙面を見せつけていた。

そこには、一年時から投げ続けた彼の“酷使”の軌跡。そしてそれに伴い肩の怪我を隠しながら投げている―――との、記事が書かれていた。

「------問答無用だ。これからお前は病院に行ってもらう。拒否するならば勝手にしろ。―――もう、マウンドには上がらせない」

「------」

「最低だと、思うならばそうしてくれ。散々投げさせて、こんな風にするのかと」

「いいえ----これは、俺が望んだ事です」

山口は下唇を噛みしめた。

監督は、自分を誰よりも信頼してくれた。その信頼に応える事が、確かな喜びであった。

だが、今それが崩されようとしている。その瞬間を―――まるでバベルの塔の倒壊を見届けるかの如き心境で、山口はその言葉を聞いていた。

「二年の夏---始めて県予選を勝ち抜きこの高校が甲子園でベスト8の成績を残せて、俺は浮かれていたのかもしれないな---」

監督の声が、震えていた。

「結局、俺は―――一人の子供を、こんな風にさせちまったんだから」

震えて、震えて、涙も浮かぶ。

―――今この男は監督ではなく、教育者としての心が自責の念を駆り立てている。

「監督、失格だ」

崩壊の音が、確かに聞こえた気がした。

 

 

「関節唇の部分損傷。―――もう、保存療法では治せない所まで来ているわ。手術は必須。勿論、県予選・甲子園出場なんてもってのほか」

平坦な声で、加藤理恵はそう言い放った。

「よく耐えていたわね。―――その肩で、あんな投げ方して、痛まないはずがないもの」

激痛に耐え、マウンドに立っていた。

耐える事は、何ともなかった。

山口という男は、一度マウンドに上がればスイッチが入る。

全力と全力のぶつかり合いを本懐とする、根っからの野球人。

「診断書、出しておくわね。日常生活を送る分には問題ないだろうから手術するかは自己判断。―――もう、そうなれば、野球は出来ないと思うけど」

出来る。

出来るはずだ。

痛みに耐えるだけじゃないか。痛みなんぞ、あのマウンドに立てるのならば関係はない。身を焦がすような熱に煽られ、強打者と真っ向勝負するあの時間が、あの空間が、痛みごときで奪われてたまるものか。まだまだ、俺は野球がしたいんだ。しなければならないんだ。俺達は「帝王」だ。友沢も、石杖も、そして今年から霧栖だって入った。奴等は強い。こんなに戦力が揃う年は今までだってなかったはずだ。甲子園優勝の為の、最後のチャンス。俺はその為に、戦い続けなければならないのに―――。

 

解っていた。

 

そんな事は、出来ないんだって。

 

もうこの状況でマウンドで投げるのは、迷惑でしかないんだって。今の自分に、マウンドに上がる資格なんて、無いんだって。

 

呆然と、―――山口は、虚空を眺めていた。

終わったのだ。

何もかもが。

 

 

霧栖弥一郎と石杖所在は、現在一人の部員を締め上げていた。

「―――走り込みの時間、お前は何処に行っていたのかね」

「おう。俺の“知り合い”が偶然写メって送って来てくれたぜ―――お前と、瀬倉がゲラゲラと馬鹿笑いしながら喫茶ではしゃいでいたことな。練習サボってティータイムとは優雅な身分だな」

その部員は、実に肝を冷やしていた。

嘘だ。

絶対に偶然なんかじゃない。

―――どんな手段を使いやがった。石杖は、基本的にサボる部員には無関心だったはずじゃないか。

「ま、ここでやれるのは精々こんな聞き込み位だがな。暴力事件起こして高野連のハゲ共に出場資格停止喰らう訳にはいかないし。腹立たしい事、この上ないがな。よかったなぁ」

「----うるせぇよ」

「才能が無いってのはそういうこったな。南京虫みてえに地面を這い回って寄生先を探すしかない訳だ。瀬倉は金持ちだからな。寄生するにはもってこいだろ」

「うるせぇ!!」

男は、逆上と同時に、石杖を殴りつけた。

石杖が顔面を下に向けたと同時―――すぐさま霧栖はその手を抑え、羽交い絞めにする。

「うるせぇんだよ!お前なんかに、お前なんかに、俺の気持ちが解るもんか!ベンチ枠にすら入れねぇ、惨めなプレーヤーの気持ちが!うるせぇんだよ!」

石杖は冷めた表情のままその声を聞き―――ポッケから、ICレコーダーを取り出した。

「はい、ツーアウト。―――ありがとありがと。無事犯行の証拠を頂きました」

男は―――涙目のまま、それを見る。

「どうする。スリーアウトの決め方だけはお前に任せてやるよ。これをそのまま帝王の教職連中にばらされてこの高校から追い出されるのか、そのまま速やかに部から消え去るのか―――好きな方を選べ」

 

 

「なにやってんすか?」

全てが終わり―――数日が経ち。

石杖は夕焼け沈む河川に黄昏ている男を見つけた。

「石杖か----。いや、やることがなくなってしまったからね」

男の眼は、死人のものだった。

光が無い。熱が無い。生きる全てを、奪われた―――そんな眼をしていた。

「俺は------何処までも自惚れた奴だった。その自惚れが、お前達に迷惑をかけてしまった」

「それで?」

「俺は、エース失格だ。監督に、あんな言葉を言わせてしまうような事は、あってはならなかった」

「だから―――それで、どうするんですか?諦めるんですか?」

「諦めたくはない―――だが、そうせざるをえない。迷惑をかけるわけには―――」

その瞬間、山口の顔面に衝撃が走った。

「ぐぉう!」

とてもとても―――慣れた感触が、思い切りその顔面にぶつけられた。

何をする―――そう思った瞬間、言葉は引っ込む。

「-----グローブ?」

「ただのグローブじゃないぜ―――左用の、グローブだ」

「------え?」

「諦めたくないんだろ?だったら無駄でも最後まで足掻いてみろよ。県予選まであと三週間。予選終わって甲子園までそれから一ヵ月もある―――のべ、二ヵ月。左で投げられるようにしてみたらいいじゃないですか」

「---無茶だ。利き腕の矯正なんて------」

「あ、そ。だったら好きにしてください。週刊誌に秘密をばらされて野球人生終わらされた悲劇の主人公で終わればいいっすよ」

「-----」

ムカついた。

その瞬間に―――山口の目にも熱が灯っていく。

「県予選は既存の戦力でぶっつぶしてやります。甲子園までが期限です―――まあ、精々足掻いてください」

 

 

石杖所在の野球のスタンスは、楽しむ事だ。

というより、この男は基本的に甲斐性無しの根無し草だ。

長いモノには平気で巻かれるし、―――例えこの先女のヒモとなろうとも悠々諾々と生きていける程には、その心根は享楽主義に染まっている。

だが、

だが、

―――それでも、その心根には在るべき感情だって、宿っている。

染まった感情は「憎悪」

傷ついた黒犬が如き、獰猛さを内に秘め、石杖は眼前を眺めた。

―――覚悟しておけ瀬倉弓也。

―――お前は、俺のルールを破りやがった。

ルール。それは―――自らを規定し、取り巻く身内。

それを傷付けたものには―――相応の報いを見てもらう。

覚悟しておけ。




展開がジェットコースター。すみません。


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覚悟と矜持と、脆弱な心

「県予選は、山口抜きでやる」

監督は部員全員をグラウンドに集め、開口一番そう言い放った。

皆が皆、疑問に思う。

―――県予選、まで?

関節唇が損傷した状態で、甲子園までに間に合う算段が立ったのだろうか。

「アイツは、左で再起を図るそうだ」

―――皆が皆、息を飲んだ。

「馬鹿な話だと思うだろ?実際馬鹿でしかない。アイツは左右のバランスを取る為に左の練習もしていたそうだ。無論、それだけでどうにかなる問題ではない。―――だが、アイツはこの手の事を有言実行しなかったことは無い。俺はアイツを信じる。ここまでずっと信じてきたんだ。今更裏切られる事はないだろう」

だから、

「県予選で、とにかく投手は使いまくる―――久遠。県予選はお前が中心となる」

「---はい」

「いいか。お前等。ここが正念場だ―――山口抜きで勝ってみて、はじめてお前等は“帝王”となれる。気合い入れていくぞ」

 

 

―――いいか、久遠。お前は何も気にせず家に帰れ。

そう、友沢亮は彼に言った。

中学の頃、匿名の名前が書かれた手紙を、久遠ヒカルは受け取った。

内容はごくごく単純なモノだった。

指定された場所に来い。そうでなければ、お前の選手生命を終わらせてくれる―――単純にして、明快な脅迫。

当時の中学で先輩にあたる友沢に、意を決して相談すると、ただ一言友沢はそう言い放ち―――代わりに自分が行くと言った。

そして、その後。

―――友沢の右腕が破壊され、投手生命が終わらされたのだと、聞かされた。

その頃からだろうか。

自分の精神が臆病になったのは。

打ち込まれる度、ピンチに陥る度―――最悪の結末しか脳裏に写らなくなってしまったのは。

自分は無力なのだと、自分の所為で尊敬する先輩の選手生命を終わらせかけてしまったのだと。

そんな積み重ねが、自分の心を脆弱にさせてしまった。

だからこそ―――久遠は、山口にも尊敬の念を抱いていた。

ピンチになっても動じない不動の姿。

三塁にランナーを置いた状態でも迷いなくフォークを投げ込むその姿。

圧倒的な技術と、不動の心が一致したその姿。

―――あれこそが、エースなのだと。心の底から思った。

それに比べて―――自分は何なのか。

ランナーを置くと心が焦る。変化球の制球が定まらなくなり甘くなった直球を打ち込まれる。そんな場面を幾度も幾度も繰り返してきた。

解っている。焦っちゃいけないんだって。普段通りに投げなければいけないんだって。

なのに、なのに。その意識がまた更に更に自分を焦らせる。

今、自分は山口賢の代わりを担おうとしている。

出来るのだろうか?

その疑問に、当然自分は出来るのだと自己暗示をかけようとする。

だが、出来ない。脳裏に写るのは打ち込まれる自分の姿と崩れ落ちるナイン、失望の溜息を吐きつけるスタンドの観客。

こんな想定しかできない。

出来るのか?

自分の右腕で、甲子園まで戦うことが出来るのか?

そのビジョンが、定まらずにいた。

 

 

一方、帝王高校クリーンナップ三人衆は、―――目下最大のライバルになるであろう、海東学院のビデオを見ていた。

そこには、左サイドのエースが登板している。

瀬倉弓也。

身体を軽くひねり、クロス気味に踏み込んだフォームから最速143キロの直球とスクリューを投げ分けるその男は、現在非公式試合含めて一点たりとも得点を許していない。

「右にはインサイドの直球とアウトコースからのスクリューを投げ分けているのか。クロスステップからインハイに投げられたら、そりゃあ打てんわな」

「元々左打者に対しては凄まじい能力を持った奴だったが、高校に入って球威と制球が格段に上がった。それで右のインサイドに投げ込めるようになって開花した、って感じか」

「スクリュー以外の持ち球は?」

「スライダーとパワーカーブかね。あまり肘を抜くタイプの変化球は使ってないみたいだな。ま、あんなフォームから緩い球投げたらそれだけで肩肘消耗しちゃうししゃーないか」

「とはいっても―――高校入ってからはあんまり使ってないな。余程決め球のスクリューに自信を持ってるんだろうな」

「と、いうかね。ちと、コイツのスクリューはおかしい」

「おかしい、―――というと?」

「球速表示―――直球が大体130後半から140あたりに推移しているが、このスクリューは130前半は常に球速が出ている。直球との差異が精々5キロ程度しか違わない」

「ふむ―――ちなみに、鋳車のシンカーだとどれ位の違いが出るんだ?」

「奴は直球が129~132でシンカーは大体そこから10から12は遅くなる。つまり、直球との差異は鋳車よりもないんだ、奴のスクリューは。それでいて―――奴のスクリューは、きっちり浮かんで沈む、二段階の変化を伴ってボールを落としている。変化量を抑えてボールの球速を速くしているタイプのボールじゃない」

「プロの選手の中には、直球と変化球との差異を抑える為に、あえて直球の球速を抑える選手もいるというが------」

「いるだろうな。だが、奴がそのタイプの選手ではない事は確かだな。そういうタイプは、基本的に変化球の曲がりも抑制している選手がほとんどだ。その分、フォームと腕の振りを一致させることで幻惑してバッターと相対するのがそのタイプ。奴の投げ方でそれをやってしまうと、折角のフォームの利点が失われてしまう」

「利点ってなんすか?」

「クロスステップしながら腰を捻って投げてるだろ?あの投げ方、腰の回旋をかけて負担をでかくする代わりに、その分腕をぶん回せる距離を稼いで球威を稼げるフォームなんだよ。わざわざ腰に負荷をかけてまで腕を思い切り振れる距離を稼いでるのに、振りを緩ませて直球遅くしちゃ意味無いだろ」

「ああ、成程-----」

「多分----相当無茶な肘の使い方しているんだろうな。そうでなければ、あのスピードを保ちながらあの回転かけたスクリューは投げられん」

「高校から夏でも長袖着てるらしいけど、そこら辺隠す為なのかもしれんな」

ふむん、と三人は一つ頷いた。

「対策はどうする」

「今の所出来そうなのは、クロスに入ってくるボールの対策だろうな。それさえ出来れば、一先ず奴の武器は一つ潰せる。スクリューは、現物を見ないとちょっと対策法が解らん。鋳車と同じで、曲がりとスピードが特殊過ぎる」

「中々、強敵っすね」

「おう―――だが、打ち崩さねえといけねえ。キッチリ、奴にはカタに嵌めてやる」

三人は、それぞれの顔を見渡す。

「奴の心をへし折ってやる―――少し、奴は調子に乗りすぎた」

三人は、ここで声を一致させた。

「ぶっ潰す」

 



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嫉妬とは?

何も思うことは無い、と言えば嘘になる。

右肩が破壊された時の絶望は今でも覚えている。

もう二度と野球が出来ないかもしれない恐怖。

あの時ばかりは子供の様に泣き喚きたい気持ちでいっぱいになった。家族の前では強がれていたが、それでも心には常に絶望で心が染め上げられていた。

だが、それでも。

あの“野球が出来ない”時間が、自分を見つめ直すきっかけとなったのも確かだ。

どれだけ自分にとって野球が大きいモノで、

どれだけ自分は周囲に支えられている存在で、

そして―――自分が目指すべきプレースタイルも。

決して許しはしない。あの男は許されるべきではない。

だが―――それでも、あの男と同じ下賤な手段を以て対抗したりはしない。

俺は野球人だ。

―――であるならば、この感情が向かう先はグラウンドのみ。

 

自分の仇。そして―――尊敬する先輩の仇。討つ手段も場も、野球というフィールド以外には存在しない。

友沢はそれ故、今日も変わらずバットを振るっていた。

泰然自若。

何事にも動揺せず、日々の積み重ねを行えばいい。

ただ、それのみだ。

 

 

「こんにちわ」

帰り道、石杖所在は声をかけられた。

目つきの悪いロンゲがそこに立っていた。高校球児にあるまじき姿だ-----それは別にこの男に限った事じゃないが。

「私の事を知っておいでですか?」

「蛇島なんたら。県予選でぶつかる相手の事くらい知ってるわ」

「ああ、ありがとうございます----以前は、ウチのエースが迷惑をかけたようだったので、詫びでもと」

「----詫び入れる眼じゃないな。別に謝らなくても結構だからさっさと帰れ」

「まあまあ、そう言わないで下さい。私は貴方に興味があったんですよ」

「俺は別に興味はないが」

「----恥ずかしながら、貴方と山口さんとの会話を聞いてしまいましてねぇ」

実に白々しい言葉だ。忌々しい経緯と胡散臭いオーラ全開なこの男のそんな言葉に、“偶然”なんてものがある訳が無い。

「ふーん。それで?」

「どうして、あんなことを言ったんですか?今更左ピッチャーへの転向なんて不可能に決まっている。貴方が一番知っている事でしょう?」

「はあ?お前何言ってんの?」

「む?」

「出来るに決まってんだろ。そんな事も解んねえのかよ」

両者の間にある空気が、瞬時に冷え込んだ。

「世の中、天才はいるんだよ。出来ねえことをやってのける奴がいるの。そのうちの一人はまさしく山口さんだ」

「―――何故それが解ると?」

「逆に何でお前は“出来ねえ”って解るんだよ。―――才能なんざないくせに」

蛇島の目が、吊り上がる。

その眼には―――確かな怒りの感情が芽生えていた。

「----結構な言い分ですねぇ」

「事実だろ。アンタのバッティングも守備も滅茶苦茶うまいけど、所詮“上手い”だけだ。天賦の足も肩もセンスもねぇ。泥臭くやってきた“凡人”の野球だ。俺と同じだよ」

「------」

「―――お前だって右肩ぶっ壊れた友沢がショートであれだけの活躍が出来るなんて思ってなかっただろう?瀬倉利用して友沢の肩をぶっ壊したのだって、アレでもう再起不能だとでも思ったからだろ」

「----何を言っているんですか?」

「別に、シラ切るつもりならそれでいいよ。アンタ、あの馬鹿と違って頭はいいみたいだな。瀬倉を焚きつけて邪魔者消していけばいいもんなぁ。-----知ってんだよ、海東学院の三年のセカンドが何故かお前が入学したタイミングで右足がぶっ壊されてんの。証拠も残さずそれできるってのは凄いぜ?アンタ、そっち方面じゃ間違いなく天才だ。野球の才能なんかよりずっとある」

「------」

その眼を、石杖は見る。

写る感情は“嫉妬”。

―――石杖には到底理解できない感情だ。

「-----貴方は、」

「あん?」

「邪魔だと、思わないのですか―――自分に出来ない事を、さも当然の如く行使できる連中を」

「思わないね」

「何故ですか?」

「何で思わなきゃいけないんだよ。自分にできない事が出来る奴のプレーをずっと見ていたいと思うのは不自然なのかよ」

「------」

才能がある者と、ない者。

両者に横たわる隔絶をこの男は素直に受け入れられる精神を持ち合わせているのだという。

何故だ?

何故だ?

何故―――そのような精神構造を保てる?

蛇島は、この男を同類だと思っていた。

この男のプレーは、全てが全て思索に溢れた代物だった。

配球を念頭に置いたバッティング。打球傾向に基づいた守備。

全てが全て、凡人が何とか這い上がろうと泥臭く計算し作りあげたプレースタイル------だと、勝手に思っていた。

それ故―――口八丁を用いて帝王の情報を与えてくれるとも。

だが、違った。

この男は「這い上がろう」なんて精神は持ち合わせていない。

ありのまま、つまりは凡人として―――自分より上の存在がいる事をさも当然に受け入れながら、この男は野球をしている。

蛇島程極端なものはともかく―――人は何かに嫉妬しながら生きているものだ。

出来ない事、持っていない物。

その全てにどこかしらの劣等感を持ち合わせながら、生きているはずだ。それは、アスリートに限った事ではない。

だが、この男はそうではない。

これは―――この男は、何処かしら壊れているのではないか?

蛇島は―――初めて、他者の才能以外の要素を、恐れた。

「------貴方とは、解り合えないようだ」

「あ、そ。俺は初めから解っていたぜ―――ま、いいじゃないか。どうせお前等の夏は早めに終わる事は決定してんだ」

その言葉に、蛇島は下唇を噛む。

覚えていろ。

―――県予選の二回戦。順当に上がれば、連中とぶつかる。

地獄を、見せてやる。

 

 

 




なんか、帝王ばかり書いててすみません---。主人公?そろそろ出ると思います----。はい。


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サブマリンの前兆

こうして―――様々な思いが交差する中、県大会が始まった。

各県の一回戦は特に波乱が起こった訳でも無く、順当な滑り出しとなった。

あかつき大付属は左右両エースを温存しつつ一回戦を勝ち抜き、帝王高校もまた山口を欠く中、一年の久遠ヒカルが試合を作りクリーンナップの猛打によりコマを進めた。

そして―――二回戦の相手が、それぞれ決定する。

 

あかつき大付属VS恋々高校。

帝王高校VS海東学院高校。

 

高野連に対する飽くなき署名活動により、初の女性プレーヤーを擁する恋々高校。

右腕サブマリン早川あおいと、六道聖の女性バッテリー。そして、広い守備範囲と強力なコンタクト能力を誇る女性遊撃手小山雅を擁する彼等は―――初戦のバス停前高校を粉砕した。

「油断ならん相手だ。女だからとなめてかかるなよ。あそこの主力は、間違いなくウチでも主力を張れる選手だ」

「というより、ありえないでやんす。このあおいちゃんって選手、鋳車君と同じアンダーフォームなのに球速がさほど変わってないでやんす」

「鋳車は、彼女より沈み込ませるフォームをしているけど---それにしても、脅威なのは変わらない。女の子なのに、って言い方は失礼だけど----本当に凄まじい」

「恋々高校には、鋳車さんを起用するみたいですね。サブマリン対サブマリン。かなり盛り上がる戦いになりますよ」

矢部、パワプロ、進はそれぞれこのように分析していた。

早川あおい。

まとまったコントロールに、精度の高い高速シンカーである「マリンボール」で奪三振の山を築いた初戦の戦いぶりは、全国でも衝撃を与えた。

今まさに、注目されているカードだ。

「-----オイラ達は、絶対に悪者でやんすね」

「それは仕方がないでしょう。―――審判の判定も、ちょっと辛くなる可能性がありますね」

「まあ、仕方ない。俺だって、観客の立場で言うなら頑張ってもらいたいのは強豪校より、署名集めしてまで出場した彼女達だろうし----けど、容赦はしない」

彼女達も―――生半可な覚悟でここに臨んできている訳ではない。

女だから、という遠慮を求めて、あれだけ必死な活動が出来る訳が無い。

彼女達も、他の出場校と変わらない。変わらぬ必死を求めている。きっと、そうに違いない。

だからこそ、容赦の二文字は無い。

全力で―――叩き潰すのみだ。

 

 

「----二回戦の相手は、あかつき大付属か。相手にとって、不足無し」

「----最初から、強い所と当たっちゃったなぁ」

「いずれ、戦わねばならない所だ。私達の目標は、甲子園にまでいく事―――その為の高い障壁が、後に来るか先に来るかの違いでしかない」

「うん、そうだね。実をいうと、凄く楽しみなんだ」

「その意気だぞ、あおい先輩」

恋々高校のグラウンド上、二人の女性がユニフォーム姿で喋っていた。

早川あおいと、六道聖。

バッテリーを組む彼女達は、練習を終えてグラウンドの整備を行っていた。

「みずきの新球の感触はどう?」

「制球がまだまだです。―――そして、恥ずかしながらまだ私の捕球も追いつかない」

「そっか。だったら、まだちょっとアテには出来ないかな」

「はい。残念ながら」

その向こうでは、未だ二人の部員が練習を行っていた。

小山雅。そして、橘みずき。

汗に泥に塗れながら、彼女達は何処までも必死に練習をしていた。

「―――恐らく、相手は鋳車和観選手になるらしい」

「僕と同じサブマリン投法の人だね。―――ビデオで見たけど、凄いピッチャーだったな」

「あおい先輩も、彼に負けていません」

「―――聖」

「はい」

「―――正直な所、勝算はどの位あると思う」

「-------」

「僕にだけでいいから、キャッチャーとして見た目から、教えてほしい」

「----二分もない、というのが正直な所です」

「----そっか」

「クリーンナップの差が、やはり響いている。猪狩兄弟とパワプロ選手がどかりと座ったあの打線は脅威です」

「----」

「ピッチャーは、五分だと思います。あおい先輩と鋳車選手。投げている球の力に、それほど差があるとは思えない」

「ううん、聖―――僕は、そうは思わない」

「というと?」

「ビデオで、見た。鋳車君のピッチングを。その時―――悔しいけど、もの凄く見惚れてしまった」

「----」

「僕よりもずっとずっと、投げている姿が堂々としていた。-----何だか、凄く、執念を感じたんだ」

「曖昧、ですね」

「うん。僕も凄く曖昧だと思う。けどね―――女である、っていう明確な欠点を持っている僕は、ずっとそういう曖昧な精神の部分で、誰にも負けてたまるものか、って思いながら野球をやって来たんだ」

「----」

「だけど、その部分でさえも圧倒的な存在感を持っている相手を見つけちゃって、凄く凄く今、悔しい」

言葉に反して―――あおいの口元は、笑っていた。

「それでも―――それでも、楽しみなんだ。そんなピッチャーと投げ合えることが。そんなことが出来る今の現状が。頑張ってきてよかった、って心の底から思う。―――ねえ、聖」

「はい」

「僕達が勝てる部分があるなら―――聖しか、いないと思う」

「私、ですか」

「うん。―――僕は、聖のリードを信じるから。頼んだね」

そう言って、あおいは笑った。

勝てないのかもしれない。相手はとても強大だ。

けれども、―――そんな世界に望んで入ったのは、自分自身の意思だ。

だったら、後悔なんてしない。

―――あかつき大付属高校。胸を貸して頂きます。

 

 

二日後、試合が開始される。

あかつき大付属高校VS恋々高校。

先発は鋳車和観と早川あおい。

―――全国が注目する、世にも珍しい「男女別サブマリン対決」が繰り広げられようとしていた―――。

 



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サブマリンVSサブマリン①

グラウンドには、たくさんのお客さんの姿があった。

たかが県予選の二回戦―――しかし、今この場においては、あまりにも人目を引きつける要素が多すぎた。

署名活動によって女性選手が混合したチームと、甲子園出場が有力視されている強豪チーム。

そして―――サブマリンVSサブマリンの戦い。

今やプロ野球の中でも片手に数える程しか存在しない、アンダースロー投手。両先発共に、この絶滅危惧種寸前の変則フォームのピッチャーである。

嫌でも、興味は引かれる。

お客さんだけではない。

報道用のネタにもってこいなのだろう。多くのカメラの姿もある。

―――多くの注目が集まる中、あかつき大付属高校VS恋々高校の試合が、今行われようとしていた。

 

ホームベースを境に、それぞれの選手が一列に集まる。

互いの帽子を取り鋭く一礼すると、それぞれが握手をしあう。

パワプロの眼前には、六道聖の姿。

「よろしく頼みます」

そう威厳ある声を聞きながらも、女性と握手しあう気恥ずかしさに負けそうになるが、思い切って手を掴む。

―――ゴツゴツした、手だった。

肉質で、骨ばった、―――アスリートの手。

「-----」

そうだ。

このグラウンドで一礼して互いにプレーする以上、男も女も関係ない。

ここは、野球人の世界だ。

だからこそ、全力を以て応えねばならない。

「よろしくお願いします!」

確かな敬意を持って、パワプロはそう答えた―――。

 

 

一回表、攻撃はあかつき大付属高校から始まる。

一番矢部がコールされ、打席に立つ。

早川あおいの、第一投が、放たれようとしていた。

ノーワインドアップから、身体が平行に沈む。

沈む角度は、鋳車よりも高い。

だからこそ、鋳車のように極端に角度が付いた球筋はない。

外角へ、球が走っていく。

矢部はその球を捉える。

球の勢いをそのまま背後のポイントにて捉え、一塁線へと打球を流す。

―――ファールボール!

その宣告を聞き、矢部は内心落胆する。もう少しタイミングがあっていれば、一塁線を抜く長打コースだったが為に。

―――直球は、それほど違和感が無いでやんす。

鋳車の異様すぎる球筋を見ていたからか、早川あおいの直球にはそれほど苦労する事無くタイミングが合っていた。

―――次は、仕留めるでやんす。

再度、矢部は打席に立つ。

次は、内角へと投げ込まれる低めのボール。

矢部はそのまま外側から引っ張り込もうとバットを振るう―――が、空打る。

バットの軌道から、まるで水切りの如く―――球が、膝元へと落ちていった。

ストライク、という宣告を他人事のように聞きながら、矢部は一瞬、何が起こったのかが理解できなかった。

―――球が、とんでもなくキレていた。

内角低めの直球と見紛い、バットを振るった。

矢部の感覚の中では、バットのヘッドを返すその瞬間まで、しっかり「直球」であると思っていたのだ。

しかし、空振った。

六道聖からボールを受け取り、彼女はテンポよく第三球を投げ込む。

外角へと、ギリギリ外れていくコース。

矢部はヘッドを返すギリギリで、その球を見逃す事にする。

ベースを掠るかどうか―――そのギリギリのコースに投げ込まれたボール。

判定は、

―――ストライク!

矢部は絶望の表情で背後を見やる。

ギリギリに決められたアウトローの球筋は、―――微妙な修正がなされていた。

六道聖の、フレーミングによって。

その動きを、同じキャッチャーである猪狩進は見ていた。

―――見事ですね。

六道聖の捕球は、一度地面にミットを置き、球の軌道に割り込むようにして捕球している。

その一連の捕球動作の「流れ」を利用して、彼女は微妙なストライク・ボールを修正しているのだ。

例えば、先程の外角低めのボール。ギリギリ外角に外れた判定としては微妙なボール。

彼女の捕球動作は、そのボールをより外側から割り込ませるように行っている。その動きはあまりにも自然で―――例えば、捕球した後にそのミットをストライクゾーンギリギリの位置に修正したとしても、審判にはばれないのであろう。

ましてや、アマチュアの審判でかつ、ムードは完全に敵側に存在しているこの場において、アレをボール判定するには勇気がいるだろう。

二番横溝は外角のボールをしぶとく外角のボールを流そうと粘ったものの、六球目のカーブを引っ掛け内野ゴロ。

俊足故に内野安打狙いで全力疾走を敢行したものの―――小山雅の華麗なフィールディングにより刺される。

一アウトを取る毎に、地鳴りのような歓声が沸き起こる。

―――結構、プレッシャーがかかりますね。

打席に向かいながら、猪狩進はそう感じた。

完全アウェイ―――文字通りの。

ここにいる人間だけではない。世間様全体が、自分達の敗北というドラマを望んでいる。その事が、ひしひしと伝わってくる。

野球に興味なんてないような人たちの黄色い歓声から、何台もこちらを見やるテレビ局のカメラ。それらの音が混じり合い、凄まじい圧となりあかつきに襲いかかっていた。

だが、関係ない。

あかつきは、そんな下らない代物に―――負ける様な、チームじゃない。

バットを構える。

早川あおいが投球動作に入る。

一球、二球とカーブが投げ込まれ、一球目は低めギリギリのコースに、二球目は高めに抜けていく。

そして、アウトローへと球が投げ込まれる。

そのボールに手を出そうとして―――キャッチャーの本能が、それに手を出す事を止めさせた。

そのボールは、低めへと落ちていく「マリンボール」であった。

水切りの如く突如として曲がり出すその球の軌道を、しっかりと彼は頭に入れた。

―――厄介なボールですね。鋳車さんのシンカーとはまた違った変化球だ。

鋳車和観のシンカーは高めへと至る経路から突如として低めへと落ちていく変化球だ。目線を高めに固定し、その変化量によって空振りを奪う魔球が、鋳車和観のシンカー。

彼女の場合―――いわゆる「スプリット」の様なシンカーだ。

変化量ではなく、曲がりの遅さと直球と軌道を重複させることによって、空振りを奪う変化球。

だからこそ、配球は低めが中心となる。鋳車の様に、積極的に高めの釣り玉での空振りを奪う配球はやりにくいだろう。

そうして目線を低めに固定されてきた時のアクセントとして、カーブを持っているのだろう。

―――強い。

この早川あおいというピッチャーも―――確かな技術に裏付けされた投手だ。

だが、それでも―――ここで少し甘さが出てしまっている。

カーブを二球続けた理由は、先程の二打席でマリンボールと直球のコンビネーションを意識して高めの球もある事をバッターにアピールしたかったのだろうが-----逆にそれが、「決め球は低めから落とすマリンボール」ですと主張しているようなモノなのだ。

直球を見送り、カーブを引っ張ってファウルにし―――ツーツーカウント。

予想通り、―――マリンボール。

ボールゾーンへと逃げ込んでいくそのボールに、猪狩進は当然の如く見逃す。

―――さあ、フルカウントになったぞ。

どうするのだ?

四番を後ろに置きながら、それでもまだボールとなるシンカーを投げるか?

長打のリスクを背負ってカーブを投げるか?

それとも―――ほぼ確実に張っているストレートを使うか?

このカウントに来た時点で、恋々バッテリーは猪狩進の術中に嵌まっていた。

そのまま―――マリンボールをアウトローへ投げ込み、フォアボールを選ぶ。

 

―――さあ、頼みましたよ、四番。

 

そうして、男は凱旋する。

四番の看板を引っ提げて。

「四番、パワプロ―――」

周囲の雰囲気なぞ何処吹く風、帽子を手にしながら―――男は打席へと向かっていった。

 




西武ウルフ、強い---。ああいうツーシームゴロピッチャーも、パワプロ作ってくれないかなぁ。


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サブマリンVSサブマリン②

男は、一礼し打席に立つ。

ぐるりとバットを回すルーティンをこなして。

バットが天に突くように立てられている。少しだけ開いた身体を、両膝がしっかりと支えている。

―――さて、どう考えるべきか。

あかつきの四番。その大役を猪狩ではなくこの男に変えた理由。

―――猪狩の負担を考えて打順を変更したのか、それとも、この男のバッティングに大幅な改善がみられた故に変えたのか。

どちらの可能性もありえる。

だからこそ、見極めなばならないと聖は考えた。

一球目。外角から切れ込んでいくような軌道を描くマリンボール。これをパワプロは鋭いスイングでファールゾーンに飛ばす。

二球目。インローのボールゾーンへ流れていく直球。これをさもありなん、と当然の如くパワプロは見逃す。

ワンストライク・ワンボール。

―――見えない。

聖は、微かな違和感をこの男から感じ取っていた。

―――バッティングの乱れが、見えない。

アンダースロー投手と相対する打者は、どうしてもバッティングを崩しながらそれに対応しようとする。理由は単純明快で、アンダースローの特殊軌道に対応する練習を積んでいないからだ。聖は、そのスイングの乱れを敏感に察知し、それを基に配球を組み立てていた。

しかし、この男は崩されている様子が無い。

アンダースローの球筋に、バッティングが乱れていない。今まで相対してきたどの打者よりも。

それは、ある意味で当然の事だった。

この男のバッティングの原点は―――鋳車和観を打つべく作りあげられたのだから。

幾度となく幾度となく繰り返された鋳車との積み重ねの中で、彼はアンダースローとの球の軌道を嫌という程頭に叩き込まれていたのだ。

だから、バッティングが崩れない。

―――ならば。

内角の見せ球を餌に、聖は外角に構えた。

―――踏み込みが浅くなるこの状況下で、アウトローは大怪我になりにくいだろう。直球とマリンボールを外角に集める。

そのリードに、あおいは一つ頷いた。

アウトローへの直球が、投げ込まれる。また、ボールゾーンへギリギリ流れるコースへと。

 

パワプロは、静かに左足を上げる。

バットのヘッドは、動かない。

動かさないまま、体軸を捻じる。回旋させる。手首を固定したまま、球の軌道にバットを乗せていく。

―――流すな。

―――押し込め!

インパクトの瞬間、その瞬間だけ、全身の筋肉をフル動員させ、その全てを軸足と手首に向かわせる。

外角に、引っ張り込む。

 

ギィン、というけたたましい音が聖の耳朶を打った。

球は、力強いライナーとなって低めのコースからぐんぐん伸びていく。

その殺人的なライナーは―――フェンスギリギリに叩きつけられる。

ガシャン、と派手な音が鳴り響く。

周囲の黄色い歓声が、一瞬静まり返る。

気付けば―――ツーアウト二・三塁の状況下。

ネクストバッターサークルには、猪狩守の姿。

 

―――そうか、これが、これが強豪校と呼ばれる所なのか。

全霊をかけたベストな投球すら、打ち砕く猛者がこうしてどかりと中軸を支えている高校。

 

―――聖は、あおいへ顔を向ける。

その顔は、悔しげでもあるが―――それでも、笑みを浮かべている。

そうだ。

こんな戦いがしたくて、自分達は進んでこの場に立っているのだ。

―――切り替えろ。

まだまだ、勝負は長いのだから。

 

 

―――女だから、男だから、じゃないんです。

彼女は全霊を込めて、署名活動の際に、言葉を張り上げていた。

―――女でも男に勝てる事を証明したいんじゃない。そんな崇高なお題目を掲げている訳じゃない。ただ、ただ―――僕等は、あの舞台に立っていたいだけなんだ。

言う。言葉を絞り出していく。

―――女も、男も関係ない。野球に、そんなもので分かたれる要素は無い。僕等は、一人の野球人として、一つのチームとして、彼等と戦ってみたい!

言葉は、広く広く浸透していった。

彼女の言葉は、何処か、普遍的な感覚に訴えるモノがあった。

諦めたくない。挑戦してみたい。戦ってみたい。

その思いが、その願いが、人々の普遍的な感覚と共鳴したのだと思う。

諦めを胸にしまい日々を生きている人間にとって、その存在はあまりにも痛々しくて、手を差し伸べたくなる存在だった。

いつしか、全校生徒が署名してくれるようになった。

周囲に点在する球児が、町内会の人間が、教師が、輪を広げるように署名してくれた。

その動きは地方新聞に取り上げられるようになった。

反響が大きく、いつしか地方テレビ局から、大手メディアまでこぞって彼女の姿を映すようになった。

その後、ウェブ署名も含め何十万という署名が掻き集められた。

そうして、彼女達はこの舞台に立った。

いくつもの人々の共感と、人々の想いを、受け入れ、力を借りて、この舞台へと。

自分達に、彼等に何かを返すことは出来ない。

―――それでも。

ひとえに全力で戦い続ける事こそ、彼等に出来る唯一の礼節であるのだと思う。

何処かで途切れるかもしれない道の途上を、ひたすらに上り続ける事こそが。その姿勢を全力で見せ続ける事こそが。

 

こうして、恋々高校はこの舞台に立った。

あらゆる障害を取っ払い、この場所へと。

―――負ける気はない。

 

五番の猪狩守を敬遠し、彼女は全球直球勝負を六番の田井中に挑んだ。

アウトローギリギリの直球を二球続け、インハイ高めのボールゾーンで空振り三振を取る。

三球三振を奪ったこの快投に、応援席が沸き立つ。

球速表示に―――自己最速の135が刻まれる。

彼女は両手を握りしめ雄叫びを上げた。

 

攻守が交代する。

相対するピッチャーが、マウンドに悠然と向かう。

 

鋳車和観。

昨年、彗星のごとく現れたサブマリンピッチャー。怪物じみたシンカーを軸としたピッチングスタイルで奪三振の山を築く、文句なしの県下最強サブマリンピッチャー。

 

その姿は、早川あおいの目にも強く焼き付いている。

小柄な肉体を以て大柄な相手に一歩も引かずに相対するその姿が。

決して速いとは言えないその直球で次々と空振りを奪うその姿に。

―――そして、何よりも。打者に対して猛烈なまでの執念を宿すその目に。

 

彼は、きっと諦めなかったんだ、と彼女は思った。

だから、あんな目が出来る。

だから、あんな投球ができる。

ならば自分はどうなのだろう?

諦めているのか?

―――女の身でありながら、それでも野球がしたくて、アンダースローになったのではないか。膂力で敵わぬ男相手にそれでも引きたくなくて、このスタイルにしたのではないか。

奇しくもそれは鋳車和観と同じ理由だった。諦めたくない、という意思が、スタイルの変更を促した。いわば、あの変則フォームは諦めを超えた先に何かを見出さんとした執念の結晶なのだ。

 

憧れた。

それ故に―――負けたくなかった。

 

鋳車和観はピッチング練習を終え、マウンドでセットを終わらせる。

相対する打者に鋭い眼光を放ちながら、打席に立つを待つ。

 

審判のプレイの宣告を聞くと同時―――彼は身体を沈ませていった。

鋳車和観との勝負が、今始まった。

 

 

 




濱口のチェンジアップが最近の私のお気に入り。何で左打者には投げないんだろ?不思議だなぁ。


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サブマリンVSサブマリン③

圧巻の投球であった。

二者連続三球三振。

高めのボール球に振らされ、シンカーで三振を取られた。

一球たりとも、ストライクゾーンに投げ込んでいない。それでも、あの男の球にバットは空回る。

三番小山雅がコールされる。

―――怖い。

打席に立った瞬間、異様な雰囲気を投手から感じていた。

これは、何なのだろうか。正体が解らずとも、やはり確かな恐怖を感じてしまう。思わず気圧されそうになってしまうが、

―――これが、強豪校のピッチャーなんだろうか?

そう自分の思考にケリをつけ、彼女の意識は眼前の投手に集中する。

身体を沈ませ、鋳車の一投目が放たれる。

その球は―――左打席に立つ彼女の内角を抉る綺麗な一等線を描くクロスファイアであった。

―――ストライク!

コールを宣告されてなお、彼女の身体は固まっていた。

まるで―――自身の身体に向かってくるような錯覚すら覚える、対角線上の角度が付いた、クロスファイア。

その硬直した様を、はっきりと進は見ていた。

 

―――成程。確かに鋳車さんの言った通りだ。

 

 

「進」

「どうしました、鋳車さん」

「今日の試合―――クリーンナップに対しては内角を中心に攻めていくぞ」

そう彼はベンチで進に言った。

ふむん、と進は頷く。

「理由をお聞きしてもよろしいですか?」

「簡単な話だ。―――練習試合を含め連中のビデオは見た。どいつもこいつも外中心の攻めをしている」

「まあ、そうでしょうねぇ」

内角を使うピッチングは、デッドボールのリスクと表裏の関係にある。デッドボールのリスクを恐れボールを置きに行って痛打を食らう場面も数多くあり、それ故内角をつくタイミングこそが“リード”の本懐なのかもしれない。

そんな状況下で、中々女子相手に内角を使って配球していく事は難しいだろう。デッドボールを与えたくない心理が、より強く働くのであろうから。

「奴等は恐れず外角に踏み込み入っているし、相手は何故か内角への要求の際は腕の振りが緩くなってど真ん中に球を置きに行っている。あれじゃあ打たれるのも当たり前だ。だったらこっちは遠慮することは無い。ガンガン内角を使って踏み込みを阻止する」

「それは、そうですけど―――大丈夫ですか?」

「何がだ?」

「万が一デッドボールを食らわせれば―――批判は免れませんよ?」

「それがどうした」

ふん、と軽く息をつき、彼はごく当然とばかりに言い放つ。

「長打を食らうより、デッドボールを当てた方が万倍もマシだ。男も女も関係あるか。批判なんか知った事じゃない。デッドボールが怖いのなら今すぐ野球なんざやめてしまえばいい」

ああ、そうか―――。

この男の強い所は、鋼の如く鍛え上げられた精神力だ。

動揺もしなければ、手段も選ばない。如何なる状況であろうとも不動でいられる心の強さ。

この男にとって―――女にデッドボールを与えるリスクなぞ心揺らす原因にもならないのだ。

解りました、と。そう進は一つ頷いた。

 

 

そうとなれば、容赦はしない。

内角を抉る直球を二球続け、膝元に大きく食い込むスライダー。これでカウントをツーストライクまで追い込む。

小山雅は、はじめての感覚に大きく動揺していた。

―――踏み込めない。

慣れない内角への球の対応に、彼女は無意識の内に身体を徐々に開いていった。その視点から眺める外角までの距離が、大きく開いていっているように感じられる。

その変化に目敏く進は気付いていた。

そして―――外角からシンカーを投げ込む。

内角を抉っていく配球から、唐突に現れた外角へ逃げながら落ちるシンカーに、バットは掠りもせずに空振った。

愕然とした表情のまま、小山雅は打席から立ち去って行った。

 

 

二回へ入っても、早川あおいの勢いはとどまる事を知らなかった。

下位打線二人を三振と外野フライに打ち取ると、続く9番鋳車の打席。

カーブと直球でカウントを稼ぎ、アウトコースからのマリンボールを投じ、これを鋳車は引っ掛けショートゴロとした―――が、

小山雅のまさかのファンブルによって、無事出塁が果たされた。

くそぅ、と彼女の喉から漏れる。

―――さっきの打席がまだ尾を引いているのか。

リードする聖はそう顔を顰めた。

―――次回の攻撃。かなり大事になる。このままだと、ずるずると悪い連鎖が始まってしまう。

 

 

四番は、六道聖。

彼女は一回の小山雅への配球の意図をしっかり読み取っていた。

―――内角への球に慣れていない事が、露呈してしまった。

あのバッテリーの間には筒抜けだったのだろう。女子故に内角への球を投げられず、それに対応して知らず知らずのうちに大きく踏み込んでバッティングをしていた事が。

だからこそ、あの執拗なまでの内角の球ははっきりとした「警告」なのだろう。

こちらは一切の容赦はしない。

内角への球を放らないなんて、手加減をするつもりはない。

そう、あの配球ではっきりと示していたのだろう。

―――恐れては駄目だ。

バットを握り、打席に立つ。その眼には一切の恐怖は浮かんでいない。

―――さあ、来い。

 

一投目。

インハイの、丁度バットの横を通り過ぎる様な球が到来する。

足を引き、避ける。ワンボール

二投目。

アウトローからボールゾーンへ曲がっていくスライダー。これをハーフスイングを取られ、カウントを稼がれる。ワンストライクワンボール。

三投目。内角から更に抉り込むボールゾーンへのシンカー。見逃す。ワンストライクツーボール。

―――成程。この人は肝が据わっている。

内角への攻めによって、バッティングの変化が見られない。

変わらず、踏み込んでいく。

―――けれども、配球は変えない。

変わらず進は内角へと構える。

四投目。シュート回転と共に抉り込むような球が、ゾーンギリギリを掠めるように放たれる。

思い切り引っ張り上げるようにこれを打つも、ファールゾーンへと流れる。

 

直球が、二種類ある。

シュート回転がかかった直球と、上方向へと少しジャイロ回転をかけた真っ直ぐ。右バッターに対しては、前者の直球を積極的に投げ、内角の球で詰まらせようとしているのだろう。

―――くそ。解ってはいたが、内角の球があると、こうも打席の景色が変わるのだな。

 

内角の球を警戒し踏み込みが浅くなる。その状態において、どれだけ外のボールを打つ事が難しいのか。

だが、恐れない。

四番を任されている以上、絶対に恐れてはならない。

そして五投目―――内角から落ちていくシンカーが聖に襲いかかる。

―――ぐぅ!

内角から落とされたシンカーは聖の足元に叩きつけられ、脛に当たってしまう。

 

デッドボールが、宣告された。

 

その瞬間―――観客席から凄まじい怒号と悲鳴じみたヤジが巻き起こった。

 

執拗な内角攻めならばいざ知らず、それが原因で女性選手へのデッドボールになったのだ。―――恐れていた事が現実となった。

聖は一塁へと向かう中途、チラリと鋳車の姿を眺める。

―――変わらぬ、無表情。

少しだけ、デッドボールを出してしまった自身への悔しさは一瞬醸し出しながら、しかし周囲の雑音を気にしている様子もない。

―――ああ、成程。

これが、あおい先輩が言っていた、彼の精神力というやつなのだろう。

こと、こう言った状況に陥ろうと、一切斟酌しない。この恐ろしく力強く形成された自意識こそが、彼のピッチングの原動力なのだろう。

 

その後―――五番の川星ほむらを併殺に打ち取り、六番を内角へのクロスファイア三球で見逃し三振で仕留める。

 

あの状況でも、一切惑う事無く内角へと投げ切った。その姿に、思わず聖は拍手をしていた。

 

ありがとう。

―――自分達相手に、一切わけ隔てる事無く「全力」であってくれて。

ならばこそ―――一切の手加減を排し、容赦なく叩き潰そうとしているこの相手だからこそ―――自分達は、全力を尽くせる。

 

全力対全力。そう。このグラウンドに立つ者は皆、この図式の下戦っているはずなのだ―――。

 




戸柱すごぉい。うわーい。


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サブマリンVSサブマリン④

そして、淡々と試合が進んでいく。

回を進むごとに両投手の球のキレが増していく。

内角を容赦なく抉っていく鋳車のピッチングに、低めに直球とマリンボールを集めていくあおいのピッチングに、互いのバットが空回っていく。

二巡目において、両バッテリーの攻め方も変化してきた。

恋々側は、パワプロへの配球は全て外角のボール球へ変えた―――事実上の敬遠である。

この配球は、当然五番に座る猪狩守に仕留められる可能性が高くなる訳だが、六道聖は彼の性格を完璧に把握していた。

自身の前で敬遠されるという状況を前にして、冷静でいられないその性格を。

ウイニングショットに使っていたマリンボールを初球から積極的に使い二連続の空振りを奪った後、インハイの直球で仕留める。

出鱈目な長打力を持つ故に空振り率も高い猪狩守。その特性と彼の性格を鑑みて、敬遠後の打席で冷静でいられる訳が無いと理解していたのだ。

そして、あかつき側においてはアウトコースへの配球の割合を二巡目より増やした。

執拗なまでの内角攻めは、外角へのバッティングも変化させる。

内角を意識しポイントを前にしていき、その過程でバッティングが崩されていくのだ。

前のポイントに修正していくと、それはすなわち上体が突っ込んでいく形となる。この形に陥ると、変化球の対応が出来なくなっていく。

そのタイミングを見計らい、あかつきバッテリーはアウトコースのスライダー、シンカーを多用し始めた。

面白いようにバットが空回り、四者連続三振などを挟みながら二巡目を完璧に抑えるピッチングを見せた。

 

―――そして、五回表。

先頭の鋳車を打ち取ったその時、既にあおいの球数は80球を超えていた。

 

早川あおいという投手の弱点は、スタミナである。

先発投手として、明らかにスタミナが不足している。80球あたりで制球が落ち始め、100球を超えた辺りで球威すら虫の息となる。

だからこそ、継投で繋いでいきたい所だが―――あかつき相手にまともにここから繋いでいけるピッチャーは数少ない。

 

しかし、次の先頭バッター矢部に、一二塁間を破るシングルヒットを打たれ、二番に送りバントを決められる。

―――相対するは、猪狩進。

一打席目は四球。二打席目はショートゴロであったがしっかりとらえていた。パワプロの次に、厄介なバッターである。

だが、パワプロの前にこの男を出塁させるわけにはいかない。

―――勝負せざるを得ない。

強力なクリーンナップは、打線から切れ目を無くしていく。逃げ道を塞いでいく。

考えろ。

―――どうすれば、この危機を乗り越えることが出来る。

スタミナが切れ始めたあおいに、迎え撃つはあかつきのクリーンナップ。

打ち取るビジョンが、浮かばない。

そうして苦々しく顔を歪めていく聖の姿を、あおいはしっかりと見ていた。

 

―――ごめんね。

 

本来であるならば、もう少し球数は抑えられるはずであった。

アンダーフォームからテンポよく低めにボールを集め、ゴロを量産するか、早いカウントから勝負を仕掛け三振を取る―――そういう戦略でこのバッテリーは戦い続けてきた。

しかし、いざ相手が強豪校になると、配球にズレが生じていく。

以前ならば振ってくれたコースを我慢する様になっていく。ゴロの勢いが強くヒットになる。完璧なコースでもしっかりバットに捉えられる。こうした個々の力量が、あおいの球数を更に更に増やしていったのだ。

 

―――悔しい、なぁ。

 

後輩の子を、あんな風に苦しめている現況が。つまりは自分の力の無さが。ふがいなさが。全てが全て、悔しい。

 

猪狩進が、打席に立つ。

その姿が、やけに大きく見えた。それは、きっと彼の存在感が増したのではない。自分自身の心が、自分を小さくさせているのだ。

―――ふざけるな。

男に比べて、身体も弱い。力も無い。体力も無い。そんな事解りきっていた事じゃないか。だから、決して心だけは折れぬ様にしてきたのではなかったのか。

そうだ。

自分は、このありのままの自分のまま、このグラウンドに立つ事を、望んでいたのではないか。

 

一つ、眼を瞑る。

ロジンバックを手に持ちながら、ゆっくりと自意識を暗澹たる底にまで下ろしていく。

呼吸を整え、踏み込みが弱々しい足腰にゆっくりと力を与えていく。

 

眼を開ける。

一つ穏やかな風が眼球に触れる。力強い夏の日差しが自分を焼いていく。砂塵が軽く舞い、端正な顔立ちの男が1バッターボックスに立っている。

 

最後の力を、振り絞れ。

心だけは折れぬよう、―――踏み込め!

 

 

投げられたボールは、浮いていた。

甘いコースに投げられたその球は、真ん中の高めへと吸い寄せられていく。

―――やはり、三巡目。ここで彼女の制球が悪くなるデータは本当だったのですね。

その確信の下、彼は思い切りそれを、―――振った。

ギィン、と音が鳴り、ボールは高々と―――打ちあがった。

あれ、と。打った彼はそう感じた。

完全にタイミングは取れていたはずだ。引っ張り上げたライナーが飛んでいるはずなのに―――何故に、フライが上がっているのか。

高々と打ちあがったフライは、ゆっくりとライトのグラブに収まった。

球速表示が、電光掲示板に映る。

―――137キロ。

この土壇場に来て、彼女の球速は上がっていた。

その事実に―――球場のボルテージが、何処までも上がっていった。

 

 

五回を投げ切り、さて継投か―――そう監督も考えていた。

しかし、今彼女の意地を垣間見た。

「あおい。次の回もいけるか?」

そう尋ねられた瞬間―――彼女は豆鉄砲でも喰らったのかと言わんばかりに、目を見開いた。

「いいんですか?」

「どうせ次の四番五番から続く打線を相手にできるのは、ウチの手駒じゃあみずきくらいしかいない。だが、ここから四イニング任せるにはアイツ一人じゃあちと重荷だ。だったら、今のピッチングが出来るお前に託す」

「監督----」

「いいか?もう細かい制球は気にすんな。全力で踏み込んで全力で腕を振れ。その結果打たれたなら何も言わん。さっきの球を、後一イニング投げてみろ。聖。荒れるだろうが、しっかり捕ってやれ」

「-----はい」

「それと―――いい加減、へっぴりごしのバッティングは見飽きた。踏み込むなら踏み込め。デッドボールが怖いなんぞ泣き言言ってんじゃねぇ。まんまとあかつきバッテリーの掌に転がされてんじゃねぇか」

その言葉に、小山雅が一番表情を歪めていた。

解っている―――誰に、その言葉を一番突き刺しているのか。

「お前等舐められてるぞ。あかつきはおろか、観客にまでな。あのブーイングはな、こう言ってんだぜ。―――内角使わんでも勝てるだろ卑怯モン。女相手にそんな危険なボール投げんじゃねぇってな」

「-----」

「お前等、女だろうが男と同じ土俵立たせろって要求したんだろ?同じ場所で戦いたいんだろ?だったら、内角の球にピーピー言ってんじゃねぇ。当たるのを怖がってんじゃねえ。野球をやっていれば、内角投げるのも当たり前だ。デッドボール食らうのも当たり前だ。女だからで済ませられねぇんだよ」

沈黙が、ベンチを支配する。

「―――いいか。勝負はこのままじゃもう十中八九決まっている。電池切れの投手陣がこれからもずっと無失点でいられる訳がねぇ。そんなへっぴり腰で打てる訳がねぇ。だったら、変えてみやがれ!恐れを捨てろ!じゃねぇと、勝てねぇぞ!」

監督の一喝が響き渡る。

―――顔つきが、徐々に変わっていく。

「さあ行って来い。せめて、一矢報いてみろ」

その声に、押忍、とけたたましい声で応えた。

 

後半戦が、始まる。




短気発動。150は流石に無理です。


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サブマリンVSサブマリン⑤

―――六回の表。

変わらず、早川あおいの姿がそこにあった。

「意外ですね」

「そうだな」

猪狩進と鋳車和観は、そう声を合わせた。

「アンダースローは投げ方によっても違いは出るが、筋肉よりも股関節周辺の柔軟性が重要となる投げ方だ。女が投げるスタイルとしては理に適っている。―――だが、疲労が肩肘よりも下半身に集まりやすい。だから、球数を重ねていくと踏ん張りが効かずに明らかに制球が悪くなる。そして、あの早川というピッチャーは明らかに80~90辺りがボーダーラインだった」

「ええ。僕もそう考えていました」

「だからこそ、低めのボールは見逃して、粘って、球数を稼いでさっさと降板させろと監督が戦略を立てた訳だが―――まだ投げられるみたいだな」

「恐らく―――制球の意識を消して、球威重視の投げ方に切り替えたのでしょう」

「投げ方が明らかに変わってたな。―――あれじゃあ、そのうち怪我するぜ。肩の上げ方がかなり無茶苦茶になってる」

「もう、この試合で燃やし尽くす気でしょうね。―――厄介ですね」

「早めに早川を降ろして、リリーフを燃やして、後は継投で俺を温存する予定だったらしいが、そうは楽にさせてもらえないみたいだな」

「ええ。―――今の所、鋳車さんの球数は65球。90球くらいで、七回の継投に入れれば一番いいでしょうけど」

「それまでに相手を燃やせればな。セーフティーになるまでは、流石に監督も変えないだろう」

「この回、ですね。四番から始まるこの回で、早川選手を下ろせるかどうか-----」

「まあ―――俺としては、投げられるなら本望だ。どっちでもいいさ。どっちにしろ、俺のやる事は変わらない」

 

 

対峙する。

先頭バッターパワプロ。聖は未だこの男の攻め方を編み出せずにいた。

内角と外角で違うポイントを持っている。そして、どちらも長打を編み出せる確かな技術がある。

低めのボールの見極めも上手く、アンダーの軌道にも全くバッティングに狂いを見せない。

―――だが、ここは勝負をするしかない。

後ろに控えるは猪狩守。先程の打席の様に低めのマリンボールでカウントを稼ぎたい所だが、今のあおいに正確な制球は望めない。甘い所への失投は確実に捉えられるだろう。と、なれば、今の守の前にランナーを出すなどやってはいけない。

 

イチかバチか。捉えられるかどうか。―――勝算の薄い勝負に、今飛び込もうとしていた。

一球目が、投じられる。

球は、パワプロの頭部付近へ迫る直球。

パワプロは背後へと飛び跳ねるようにして避ける。

 

―――中々の暴れ馬だな。

 

今、あらん限りの力を込めて早川あおいは投げているのだろう。リリースもバラバラだ。あれで制球が定まる訳が無い。

だが、それはそれで面倒であった。

球がばらつき、散る。目先も配球もてんでバラバラ。速球もまちまちのシュート回転が絡んで軌道すらもバラバラ。目先が追えなくなる。

だからこそ、バットの軌道をどう出そうか、迷ってしまう。ギリギリまで見定めようとしていては、差し込まれる程の球威があるから、余計に。

大きく外れたボールが二球。ゾーン内の球を打ち損じた球が二球。ツーストライクツーボール。パワプロはゆっくりと意識を集中させ、次のボールを待つ。

集中しているのは、六道聖も同じであった。

―――ここが、一番の集中所だ。

キャッチャーは、制球が定まり完璧な球を投げるピッチャーだけを受け続ける訳ではない。球速も変化球もパッとしないピッチャーこそ、優秀な捕手が必要となる。

 

今が、一番自らの力を発揮しなければならない場面だ。

―――集中だ、集中。

そうして意識の中にのめり込むに辺り、聖の中に不思議な感覚が蘇ってくる。

周囲の音が、聞こえなくなっていく。

パワプロの打席上での動きが、ひどくゆっくり見える。

―――今、限りなく六道聖は集中状態を維持している。

 

聖は、ミットを構える。

外角低めの、コース。

 

あおいは一つ頷くと―――投球した。

 

集中しているのは、パワプロとて同じ事。

―――六道選手のフレーミングは脅威だ。

だからこそ、外角のストライクゾーンをボール半個分、彼は感覚的に広げていた。そこまで、彼女はストライクゾーンに出来る技術を持っている。

そして、あおいの投球は―――微妙な低めのボールゾーンへと、行く。

手を出すべきか、否か。

パワプロは見逃しを選択する。バットを引き、その軌道を追う。

 

結果は、

―――ストライク!バッターアウト!

 

そう、聞こえてきた。

 

え、とパワプロは思わず審判を眺めた。これは誤審ではないか、とほんの少しの抗議を込めて。

しかし、審判は―――その様子からしても、誤審をした意識が無いように思えた。自信を持って、判定したのだろう。

どういう事だ―――そう思いながら彼はとぼとぼとベンチに向かう。

そこで、進が声をかけてきた。

 

「凄いですね。あのキャッチャー」

「----?」

「あんな技術、僕も始めて見ました」

「技術-----って?」

「彼女のフレーミングは、ミットは動かさずに、体軸を動かす事で審判の眼を欺いている。それを―――コースだけでなくて、高さにまで応用したのです」

どういう事だ、とパワプロは尋ねる。

だって、そうだろう。

身体が横に向かう動きで、ミットを動かす理論は理解出来る。ミットを動かさずフレーミングするには、ミットを持つ腕ではなく、身体そのものを動かさねばならない。それを実現する為に、彼女は捕球動作を体軸ごと割り込ませる形でストライクを取っていた。

しかし―――それは外角のコースだから出来る事。低めのストライクゾーンでそれをする為には、身体を浮かせるしかない。そうでなくば、ミットそのものを動かさねば成立しないし、その動きは審判にはばれてしまうはずなのに。

「浮かせたんですよ。文字通り。―――彼女は、自分の身体を、浮かせていた」

「浮かせていた?」

「両足の膝を、捕球の瞬間にだけ力を入れて、ミットを動かさずに高めに修正したのです。相当な瞬発力と、集中力と、足腰の柔軟性が無いとできない芸当です」

それは、かつて稀代の名捕手であった男が駆使していた、唯一無二のフレーミング。

低めのコースのボールを、捕球の瞬間と間断なく合致したタイミングで、腰を浮かせる。そうすることで、自然に捕球位置を高めに修正し、審判を騙す。

「―――ここぞ、という時にアレが出せる。僕も、勉強になりました」

そう言う進の顔面は、苦渋に満ちていた。

 

 

そして、五番の猪狩守は敬遠する。

四番を決死の覚悟で片付け、残る五番は塁に進める選択を行う。

守は冷静に一塁まで進むと―――六番の打席での初球、迷わずスタートを切った。

―――ぐ。

暴れるあおいの投球の捕球に手間取り、送球が遅れる。その間に彼は悠々と二塁まで進んでいた。

そして―――二球目を放るその瞬間、更に守が動く。

―――三盗!

かなりいいタイミングであったが、それでも十分に送球が間に合うタイミング。同じ轍を踏まぬよう捕球体勢からスローイングに速やかに移れるよう三塁方向に意識を置きながら、身体を浮かす。

六番田井中は、その瞬間に二塁方向へのプッシュバントを敢行する。

ほぼグラウンド上の全員が三塁方向へと意識が流れた瞬間に、見計らったようなそのバントにより転がされたボールに―――セカンドの捕球動作が一瞬遅れてしまう。

俊足の田井中は快足を飛ばし一塁へと向かう。

セカンドは田井中の内野安打だけは許すまじと、ベアハンドからのファーストへの送球を敢行する。

 

全てが全て、焦りによる悪循環が発生する。

上方への悪送球をファーストがとれず、サードへの意識が向いていた所為で、更に言えばカバーに遅れていた聖のミスの所為でランナーの動きを止めることが出来ず、―――猪狩守を悠々とホームインさせ、田井中をセカンドまで行かせてしまった。

 

セカンドのエラーが、記録され、失点1が刻まれる。

 

―――残念だったな。

 

ふん、と猪狩守は鼻を鳴らす。

 

―――戦いは、バッテリーだけの勝負じゃない。バックがザルならば、それを利用するまでだ。

 

1-0。

試合が、大きく動いた瞬間だった。

 




田井中は、モブに関わらず私がパワプロサクセスをプレイしていた時に二回連続でバント○と走力Aが付いていたので、そんな感じのキャラにしてみた。


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サブマリンVSサブマリン⑥

あかつき側の狙いは実に明確であった。

―――得点はどうでもいい。この回をもって確実に早川あおいを降ろす事を念頭にその後の下位打線は続いていく。

短いタイプのバットを更に短く持って、球数を稼いでいく。

球が暴れている現在、彼女に正確な制球は期待できない。だが彼女の球威と聖のフレーミングを以てして下位打線が芯を食らわせるのが難しい。ならば、前に飛ばさずとも粘っこく球数を稼いでいく。

明らかなデッドラインである100球を超えさせるために。

ボールゾーン側の際どい球も、甘めに入った球も、構わずファールゾーンへ。ねちっこく続けたその攻撃により、スリーアウトを取った頃には彼女の球数は108球となっていた。

肩が熱い。痛い。

心身ともに、あおいは限界に達していた。

「あおい」

「------はい」

「降板だ」

「解り---ました」

これから九番を挟んで上位打線に繋がる。ここで降板させるのは当たり前の話だ。

「さあて―――みずき。次からはお前だからな」

「はい!」

監督の呼び声に、水色の髪をした少女が応える。

「さあて、これからクリーンナップの打順だ。―――解っちゃいるとは思うが鋳車は強敵だ。残るチャンスは少ない。早く攻めていくぞ」

 

 

六回裏。変わらず小柄な男がマウンドに立つ。

―――打順は、クリーンナップを迎える所だ。

小山雅が、打席に立つ。

厳しい内角攻めにより、今まで二打席連続の凡退を喫している。―――その現状の原因は、よく理解している。

怖がっている。

あの投手が投げる球に。容赦のない雰囲気に。

きっと、二流投手が下手糞な内角攻めをする程度ならば、きっと甘めに真ん中に寄った球を迎え入れる準備が出来ていたと思う。

けれども、あの投手は明らかに―――内角の投げミスを一切しなかった。

甘目によって長打を打たれるならば、デッドボールを与えた方がマシだと、心の底から考えているのだろう。抜け球は真ん中ではなく、身体付近のコースに飛んでくる。

それだけの覚悟が、勝利への執念が、あの男から伝わってくる。

今も、そうだ。

異様な雰囲気の球場の様子に、それでも一切球質も制球も変わらない。それだけ、この試合に集中して臨んでいるのだと思う。

情けない。

実に情けない。

―――今眼前に本物の一流投手を眼前にして、恐怖を覚えるその心が、その恐怖を忘れられない自分自身が、そしてその恐怖を完全に見透かされている現況が。

全てが、情けない。

内角の球に思わず反応が一瞬遅れる。外角の球に踏み込めない。

恐怖が、自分自身が打てるコースを完全に消していく。

―――くそう。

次は、確実にアウトローから外へ逃げていくシンカーだ。絶対そういう配球をするはずだ。今、小山雅がこのコースを打てる訳が無い。だったら、百パーセントここに投げ込む。

ギリリ、と歯を食いしばる。

ざくり、と―――右足を踏み込ませた。

 

ギィン、と音が鳴る。

珍しく―――進の顔に、驚愕の色に染まる。

 

三塁線に、鋭い当たりが流れていく。

パワプロはその打球に飛びつく。

グラブに入ったその球は思った以上の威力があり、グラブを弾く。

それでも何とか前に転がしたパワプロは、その球を掴み、即座にファーストへと送球する。

 

―――間に合え。

その思いが、自然と彼女を飛び込ませた。

ヘッドスライディングを敢行しベース板へと指を届かせた瞬間にミットが鳴る甲高い音が同時に鳴り響く。

 

セーフ、というコールがしっかりとその眼に映した。

思わず、ベース上でグッと握り拳を作った。

 

 

四番六道聖が打席に立つ前に、進はタイムを取り鋳車へと声をかける。

「踏み込みが段々鋭くなってきた気がします。もう一度内角中心の配球に変えますか?」

「いや。無駄だ―――ようやく、三巡目になって内角への恐怖が薄れてきたんだろう。意外と相手の適応が早かった。それだけだ。だったら、これからは普通の敵として相手した方がいい」

「こうも簡単に、適応できるモノなんですね」

「意外だったか?」

「ええ」

「まあ、ここからは内角への意識からの外側への変化球の方式は一旦捨てろ。一人一人切っていくぞ。場合によっては新球を使ったって構わん」

「解りました」

ここで、バッテリー間において切り替えが行われる。

―――内角を執拗に攻めた事は、ここに来てその恐怖を克服させる事に繋がってしまったらしい。

そうなってしまえば、先程の配球はただの単調で、危険なものでしかなくなってしまう。

 

ここからが、言ってしまえば―――鋳車和観の真骨頂だ。

 

その様子を眺め、六道聖は―――配球がこれから変化するのだろうな、という予感がついた。

単調であれど凄まじい威力を誇った内角攻めの配球から、鋳車という投手の特異性をふんだんに詰め込んだ配球へと。

 

その予想は、当たっていた。

第一球、二球共に直球を投げ込む。真ん中高めから這い上がっていくような、特殊軌道による高めの真っ直ぐ。

―――ぐ。

ボールゾーンへと流れるその球は、浮き上がる軌道を描いていく。その軌道は、どうしてもゾーン内で収まるのか、収まらないかの判別がつきにくい。だから、思わず手が出てしまう。

高めの出し入れを繰り返し、そして―――その軌道から落ちていくシンカー。目線を高めに固定された状況下から、いきなり目線から消える魔球が放たれていく。

今までキャッチャーとしてアンダーの配球を知り尽くしている聖ですら、何とか食らいつくのが精いっぱいであった。六球目に、意表を突いたアウトローからのスライダーを放られ、思わず追いかけたその球に、見事に空振り三振を喫する。

そして、五番の川星ほむらを迎える。

 

―――凄いピッチャーっす。

 

小柄な体をぐるりと回して、彼女もまた打席に立つ。

 

―――けど、負けてやる気は一切ないっす!

 

心中でそう唱え、バットを構えた。

そうして―――インハイへの直球を投げ込んだ瞬間、一塁ランナー小山が動き出す。

即座に球を捕球すると、無駄なく進は二塁へと送球する。

 

―――セーフ!

 

進は一つ舌打ちをする。

―――くそ、面倒な事になった。

チラリと、打席に立つほむらの姿を眺める。

―――チャンスの時、彼女は一瞬で極限の集中状態を手にする。

 

バッターには、チャンスが苦手な者と得意な者が存在する。

当然、その大半が時の運が絡んでくる要素だ。プロの選手であれば、得点圏打率なんぞ毎年毎年一割前後上がったり下がったりする事も珍しくはない。

 

だが、それでも、明らかにそのバッティングが変わる選手は存在する。

例えば、ランナーがいる状況で併殺を恐れて低めの球を手を出せないバッターや、内野安打などの足で率を稼いでいくスタイルのバッターなどは、明らかに得点圏での選択肢が減っていく事となる。ランナーが置かれている状況は、明らかにそれまでのバッティングを変えてしまう要素となる。

そして、それが極端にプラスに働く者も、またいる。

 

それが―――川星ほむらというバッターである。

イニングが進めば進む程、試合が接戦であればある程、そして得点圏にランナーがいる状況であればある程―――彼女は、その集中力が飛躍的に増していく性質を持っている。

 

―――ここは、球数気にせず確実に仕留めます。

進はその意思表示として―――彼に、この試合初めてのサインを出す。

ずっと、ここ一カ月の間温めていた、新球を。

 

彼は、ゆっくり頷くと―――投球動作に入った。



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サブマリンVSサブマリン改め、サイドサウスポー⑦

―――俺は、感謝しなければならないのだろう。

野球に。出会ってくれたもの全てに。このろくでもない人生を劇的に変えてくれた、その諸々に。

野球が無ければ、俺の人生はどうなっていたのだろうか?

俺自身はおろか、母親すらこの手で救う事も出来ずに、惨めに生きていたのだろうか?

―――今、ここでマウンドに立てる事がどれだけの奇跡を繰り返して実現できたものなのか。それを理解できないほどに、馬鹿じゃない。

だから、手は抜けない。

 

―――さっさと打たれろこの卑怯モン!

 

―――何我が物顔でマウンドに立ってんだ!さっさと出ていけ!

 

周囲から、そんな声が聞こえてくる。やたら口うるさいヤジだ。こんな風に言っている奴はほんの一部だが―――それでも、周囲から感じられる敗北を望む空気は、しっかり解っている。

ヤジが聞こえる度に、パワプロが面白いようにその方向を睨み付けている。やっぱり、アイツは人がいい。別に自分の打席であるならば特に怒りも湧かないのだろうが、今マウンドに立っているのが仲間だから、奴は今怒っているのだろう。

別に、気にする事じゃない。

俺はそんな事よりも―――眼前のバッターをどう打ち取るかが重要だ。

 

不思議なモノだ。こんなにも暑いグラウンドの上なのに、何故か身体の芯から寒気が走る。

集中すればするほど、打たれる恐怖が湧き上がれば湧き上がる程、俺の身体から熱を奪っていく。体中の血という血が、強迫観念の如く「打たせるな」と喚き散らす。

この恐怖に比べれば、あんな連中のヤジなんぞ屁でもない。

―――やってやるさ。俺はあかつき大付属の鋳車和観だ。

身体を、沈み込ませた。

 

 

沈み込まれたフォームから、球が放たれる。

そのリリースから放たれた球は、浮き上がるような軌道を描く。

―――高めの直球っすね。

極限まで集中したほむらの意識が、その球を捉える。先程も随分と見せられた球だ。

迷うな。振り抜け―――。

そうしてバットを振り抜こうとした―――その瞬間、

―――まだ、っすか?

球が、来ない。

直球のタイミングで呼び込み、バットを振り抜いた。しかし、その軌道上に未だボールが届いていない。

浮き上がったボールが―――そのまま高めへと到達するのではなく、その軌道から外れるように曲がって来た。

 

何とかバットを届かせようと腰を砕かせ片手でバットを振り抜く。当然当たるはずもなく、そのまま派手に体勢を崩しながらくるりと一回転し膝から崩れ落ちた。

ストライクの申告を聞きながら、川星ほむらは愕然とした表情でその球を思い返した。

------カーブ、っすね。

ここにきて、この男は更なる球種を織り交ぜてきた。

―――何なんすか、あの球。

普通、カーブとはリリースの瞬間から浮き上がる軌道を描いて、その大きな変化によって緩急をつけるボールだ。それにタイミングが外される事があっても、リリースの瞬間にそれを直球と見紛う事はあるまい。

だが、この男のカーブは―――いざ曲がりはじめるまでその瞬間まで、直球だと思った。思ってしまった。

 

浮き上がる軌道は、上手投げのピッチャーにとっては特殊な軌道であるが、アンダースローにとっては何処までも普遍的な軌道だ。

だからこそ―――高めの直球と差異が解りにくい。その上カーブといってもそれほど曲がらない。故に、曲がりはじめも異様に遅い。

どちらかと言えば、高めに抜けたチェンジアップが、唐突にカーブの様に曲がってくる―――そんな、とかく変な球だ。

だが、その威力は凄まじかった。

その次に―――大きく高めに外れた直球を思い切り空振りしてしまう程度には。

空振り三振、バッターアウト。

その様を、何処か他人事のように川星ほむらは眺めていた。

 

 

六回裏の恋々高校の攻撃は、小山雅の内野安打があったものの結局その好機を生かせず、無得点で終わった。

「―――行くわよ、聖。このままじゃ、絶対に終わらせないんだから」

「みずき------」

実に気の強そうな女が、実に気の強そうな言葉を発した。

その声には、多少の気負いも見える。

「ランナー無しだったら、遠慮なくクレッセントムーン、使わせてもらうわよ」

「ああ。―――だからこそ、余計なランナーは出してはいけないな」

「そうね。この回は幸運にも9番からだし、確実に打ち取るわよ」

両者は互いのグラブを合わせると、マウンドへ向かう。

―――あおいさんが、あんなに頑張ってくれたんだ。

頑張ったのは、マウンドだけじゃない。

キャプテンとして、そしてこのチームが大会に出られるように―――その全てに、頑張って来た先輩がいる。

ここで終わる訳にはいかない。

―――見ていなさい。絶対に負けないんだから。

そうして、ピッチャー交代のアナウンスが告げられる。

―――ピッチャー、早川あおいに変わりまして、橘みずき―――

 

何処までも強い意思をその眼に宿しながら、橘みずきはマウンドに立つ。

 

 

バッターボックスには、鋳車和観が入る。

―――代打は、出さないか。当然だが、あちらも全力という訳だな。

点が入ったと言っても、まだ一点。このタイミングでは鋳車は引っ込めない。

―――上等じゃない。投げやってやるわよ。

 

足が上がり、左腕は大きく背後へと持っていく。

そのまま、腰の回旋と共に、大きく腕を振り回し、球を放る。

―――随分、ダイナミックなフォームだ。

そんな感想を抱きながら、鋳車はバットを振るう。

キン、と音が鳴り、球は後方のファールゾーンへと向かう。

随分、球威もある。多分130は出ているか。

俺より速いじゃないかと心中ぼやきながら、バットを短く持って、再度バッターボックスに。

二球目、三球目共に直球。鋳車、何とかこれに食らいつく。ツーストライクに追い込まれる。

―――さあ、お前の変化球はどんなのだ。

好奇心半分といった具合で、鋳車はバットを構える。

四球目、外角に投げつけられたボール。

それに食らいつこうとバットを出した瞬間―――外へと、逃げていった。

手元で大きく、逆方向へのカーブといった具合に-----大きな曲がりとキレを両立したそのボールは、バットはおろかミットすら通り抜ける。

振り抜いた瞬間、鋳車は即座に一塁へと走っていく。

素早く後逸したボールを取りに行きしっかり送球し、一つアウトを取る。

 

―――まだ、あんな隠し玉があったとはな。

 

鋳車和観は驚きながらも、だが一つ同情する。

 

―――とは言え、捕ってもらえないボールは、意外に脆い。十分、つけいる隙はある。

 

早川あおいが降板し、橘みずきがマウンドに立った。この系統は変則リレーとしてはこれ以上ない程有効だろう。右のアンダーから左のサイドへ。きっと目移りしてしまうに違いない。

 

けれども―――ここで、きっと打ち崩せる。そう鋳車は予感していた。

 

 

 



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決着、または開始の合図

一番の矢部がコールされ、打席に立つ。

橘みずきが、始動する。

腰を大きく捻る独特の動作からリリースされたボールは内角へと吸い込まれていく。

―――さっきまで散々やられたんだから、お返しよ。

鋳車和観による執拗な内角攻め―――それを非難するつもりはさらさらないが、それでもやられたらやり返すのも彼女の性だった。

角度のあるクロスファイアが続々と内角へと走っていく。

右打者にとって、それは見た事も無い軌道のボールだ。斜め上から叩きつけられる様に入っていくボール。バットの出し方がいまいち解らない。

 

―――直球の制球が、とてもいいでやんす。

恐らく、直球の制球力ならば早川あおいよりもあるのではないだろうか。内角のボールゾーンに、丁寧な出し入れを行っている。ただでさえ右打者からは遠く離れたリリースポイントから、斜めから入って来るような軌道でボールが来るのだ。ストライク・ボールの判定が、凄まじく解りにくい。

あっという間にツーストライクワンボールに追い込まれる。何とかファウルで粘っているものの、それができるのも時間の問題だろう。

しかし、追い込まれているのは、相手も同じ事だった。

―――使うのか、クレッセントムーンを。

これから一番から三番まで俊足の選手が並ぶ。先程パスボールしてしまった球種を、ここで使うのか―――。

試しに、通常のスクリューを外角から落とす。

矢部はバットのヘッドを出しかけ、戻す。

―――駄目だ。ここに来て通用する球じゃない。

あかつきの面々は鋳車のシンカーとあおいのマリンボールをずっと見続けてきている。この程度のちゃちなスクリューが通用する相手ではない。

もう一度外角からスクリューを落とし、それを餌に内角への直球を決め球にするか?

いや、駄目だ。スリーボールに追い込まれてしまえば甘い球が来るまで粘るはずだ。その果てにフォアボールで出塁させてしまえば、今度こそクレッセントムーンが使えなくなる。

 

―――使うしかない。

 

全霊の集中力を以て、聖はサインを出した。今度こそは、今度こそは捕って見せる。

そのサインに頷くと、橘みずきは投じる。魔球、クレッセントムーン。

 

―――しかし。

ギン、という音と共に―――魔球はあっけなく三遊間を抜けていった。

 

俊足を飛ばしてセカンドベースまで走っていく矢部の姿を恨めし気に見つめるみずきの眼には、驚愕よりも悔恨の感情があった。

―――パスボールを気にするあまり、橘みずきの腕の振りが緩み、魔球は十分な威力を内包せぬままど真ん中に放られた。それを、呆気なく弾き返された。

そら見た事か、と鋳車は思う。

―――魔球は、捕ってもらえてはじめて魔球になるんだ。

ランナーが出る。ピンチを背負う。―――もうこの状況下においてあのピッチャーは使い物にならない。自分が信用出来る球はもうないんだ。表情にも―――不安気な色がもう滲み始めている。

 

そこからはまるで怒涛のようだった。

焦りがボールに移り、内角要求のボールもスクリューも抜けるか真ん中への失投となる。それを狙い打たれ、連打を食らい、―――最後には猪狩守の本塁打によって試合の趨勢が決まった。

0-6

鋳車は監督から肩を叩かれ、交代が告げられる。

 

ようやくスリーアウトを取った時―――そこには、ぐしゃぐしゃに表情が歪んだ橘みずきの姿が写っていた。

 

周囲のヤジも、黄色い歓声も、徐々に萎んでいく。

―――これが、野球なのだと。

 

力無きものは、徹底して叩き潰される。アウト三つ取るまで、決して終わらぬ暴力的な攻勢を目の当たりにしてしまった。

 

ピッチャーが変わった瞬間に到来した攻防の崩壊に、皆が皆、黙りこくった。

 

 

2-10

緊迫した投手戦からの地力の崩壊―――ここぞとばかりにそれを見せつけられ、あかつきと恋々高校との戦いは、終わった。

崩れたみずきの姿を尻目にエースを降板。残りのイニングを控えのピッチャーに稼がせ、終わった。

終わった。

終わってしまった。

終わらせて、しまった。

その事実に―――橘みずきは打ちひしがれていた。

 

自分はああも打たれ弱かったのか?

連打を食らった自分の心は何処までも焦りで支配されていた。

「みずき」

泣き腫らした目を擦ると、そこにはいつも優しい先輩がいた。

「あおい先輩------」

「-----」

あおいは、何も言わなかった。

ただ、ゆっくりとみずきを抱きしめた。

「先輩------ごめんなさい、ごめんなさい--------」

「謝る必要はないよ、みずき―――この勝負は、僕達の負けなんだ。みずきだけの負けじゃない。悔しいし悲しいけど、それはみずきだけが背負うモノでも僕が背負っちゃいけないモノでもない。ここにいる全員が、背負うべきモノなんだ」

「-------うぅ----うぁ」

「だから―――ありがとう。僕の後に、マウンドに立ってくれて。それだけしか、僕は言えない」

「う-----うああああああああああああああああああああああああああああ!」

情けない。

情けない。

何もかもが、情けなかった。

そんな思いが、感情が、爆発してどうしようもなかった。

これが夏の終わりなのだと思い知らされて、そしてあおいはもうこの夏を二度と味わえないのだと実感して、泣いた。

 

遠く蝉の音が、彼方から鳴り響いていた。

 

 

「鋳車君」

球場出ようとした瞬間、そう声をかけられた。

早川あおい、小山雅、そして六道聖の姿があった。

「何の用だ?」

「お礼を言いたくて。―――最後の相手が、君でよかった」

「ぼ、僕からも。その-----怖かったけど、それでも、全力で戦ってくれてよかったと心から思うんだ。本当に、ありがとう」

「貴方の全力に、私は感謝している。四番として、誇らしかった」

「----全力で戦うのは、当たり前の事だ」

「うん、そうだね。でもね―――僕等はその当たり前が欲しくて、必死にやってきたんだ。たった二回だったけど、けどこの二回は僕にとって何よりの宝物だ。ずっと忘れる事は無いと思う。―――だから、お礼。球場のみんなが何を言っても、僕等はあの戦いに本当に感謝している」

そうニコリと笑うと、早川あおいは右手を出した。

その手は、震えていた。

「ご、ごめんね。今日のピッチングで----ちょっと上手く肩が上がらなくて」

「いや、悪い。だったらさっさと済ませよう」

その手を掴み、握手する。

力強い手だ。皮が破けた、硬質な感じがする、手。

きっと―――心の底からの本気をかけて、やってきたのだろう。

「絶対に―――この先、負けないでね」

「当たり前だ」

そう、ただ呟いた。

 

 

そして―――もう一つの戦いが、県を超えて今まさに始まろうとしていた。

帝王工業VS海東学院。

エースを欠いた事で一気に立場が逆転した二校が、早々と県予選二回戦で相対する。

 

「山口さん------」

久遠ヒカルは、ぎゅっと右腕を握り、ベンチに座っていた。

ここで負けてしまえば、比喩ではない。全てが終わってしまう。決着をつける事すらままならぬまま、自分はきっと負け犬の如き気分を抱えてこの先の人生を生きてしまうのだ。

 

「行ってきます-----!」

ならば、負けるわけにはいかない。

まだ誰も踏み荒らしていないまっさらなマウンドに、表情を歪ませ、走って行った―――。

 



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決別せよ

三夜連続のサヨナラ記念。うっほっほーい。


あの謎多き博士は、言っていた。

俺の左肘は特別製なのだと。肘と肘の間の間接部分が異常に柔らかく、それ故に様々な変異を起こせるのだと。

だが、肘の間が柔らかい事はその間に存在する骨が脆弱である事とイコールだ。

雷轟のピッチャー返しを食らった瞬間、その脆弱な骨が見事に叩き割られた。

―――ダカラ、治療サセテモライマース。

―――貴方ノ左肘ニハ“患部”ガ埋メコマレテマース。コレハ別ノキッカケヲ与エテシマエバ、タチマチ「呪イ」ヘ変ワッテシマイマース。

呪い?

呪いとは何だ?

―――人ノ心ニ付ケ込ム悪魔デース。貴方ノ心ノ脆弱性ヲ源泉トシテ、発現スル呪イデース。

心の脆弱性を源泉として、発現する-----呪い?

―――生物ハ、弱サヲ隠ス習性ガアリマース。心臓モ脳モ、脆弱故ニ様々ナ骨ニ覆ワレテ頑丈ニ守ラレテイマース。ソレト同ジデース。心ガ弱ケレバ、ソレヲ隠スベク、肉体ヲ変異サセテイキマース。

心の弱さが、------肉体を変異させる?

そうなのだろうか?

いや-----そうなのかもしれない。

ボクサーなどの格闘家のトップに至った人間は、幼少の頃に差別や虐めなどを経験した人間が意外と多いのだと言う。自身の弱さを覆い隠す為に、筋肉の鎧を纏い、相手を打ちのめす技術を習得する。これも、また同じだろう。自らの弱さを源泉として、彼等は肉体を変異させたのだ。

ならば、俺の心の弱さとは何なのか?

―――貴方ノ心ノ弱サガ何ナノカ、ワタシニハチットモ理解デキマセーン。ワタシハ、タダノ科学者デース。ケレドモ、貴方ノ左肘ガ、貴方ニトッテドウイウ存在デアルノカ-----ソコニ、ソノひんとガアルト思イマース。

俺の左肘が、どういう存在か。

それはごくごく当たり前の解が存在する。

俺が特別である事を証明してくれる存在だ。

この左肘が生み出す捻りが、回転が、―――スクリューが、俺を特別である事を証明してくれた。

親は金持ちだった。

望めば、何でも手に入った。

それでも―――それでも、俺が、俺の力だけで勝利できる場だって、この世にはあった。

砂塵が舞うグラウンドの上に。俺が生み出す直球に、スクリューに、相手は面白いように空振っていた。

見ろ。

見ろよ。

俺が生み出した、俺の球が、俺だけの力が、あのデカブツ共を切って捨てているんだ。

そうだ。俺の左肘が生み出した俺だけの球が、俺に、俺だけの勝利を運んでくれる。勝利が特別な者だけに与えられるモノなのだとしたら―――勝っている間、俺は特別でいられたんだ。

俺は勝たなくちゃいけないんだ。

俺が特別である為に。俺以外の塵屑共は皆俺より下でなければならないんだ。

だから、いてはならないんだ。

俺以外に―――勝者が、いちゃならないんだ。

 

ならば―――。

 

―――素晴ラシイデース。貴方ノ左肘ガミルミルウチニ変貌シテイキマース。

 

この「呪い」とやらも受け入れてやろう。

心の弱さ?馬鹿を言ってんじゃねぇよ。

俺は勝たなくちゃいけねえんだ。俺は特別でなくちゃいけねぇんだ。俺は、強くなくちゃいけねぇんだ。

だったら、この「呪い」とやらも弱さなんかじゃないはずだ。

その、はずだ。

 

 

帝王実業部室内。

打順が発表される。

1 有島(左)

2 木島(中)

3 石杖(二)

4 友沢(遊)

5 霧栖(右)

6 新垣(一)

7 宮出(三)

8 久遠(投)

9 福浦(捕)

 

「有島使うのか」

友沢が、驚いた声をあげる。

石杖は、その声に答える。

「霧栖に隠れてたけど、滅茶苦茶バッティングよかったろ?使って当然だ」

「-----おいおい、外野守備は大丈夫なのか?」

「知るか。ウチは伝統的に左翼は地蔵だったんだ。下手なりに動ける一年がいるだけまだマシだ」

「ぶっつけか。大丈夫か-----」

「まあ、しょうがない。ウチは打ち崩すしか勝つ方法がねーんだ」

そうして、前回試合での海東学園の打線を見る。

1 瀬倉(投)

2 富永(中)

3 蛇島(二)

4 渋谷(右)

5 中之島(遊)

6 柏木(一)

7 馬原(三)

8 相島(捕)

9 葛城(左)

 

「とにかくクリーンナップがえぐい。こいつらにランナーありで回ってきたら無失点で抑えようなんて色気を出したら終わりだ」

「渋谷秀喜-----予選でとんでもないホームランを打ってたな」

「この打線は三四番が出塁担当で五番の中之島が実質的なポイントゲッターだ。三番は広角に打ち分けてヒットを打って、渋谷が歩いて、中之島がしっかり長打を打つ。多分、試合の中でランナーを置いてこいつ等とかち合う場面が絶対に出てくる。その時は―――今の状態じゃあ、二失点で済めば上等。一失点で感謝。無失点なんてまずありえない位の意識でいかなきゃいけない」

「------久遠」

「いいか。友沢。この試合、早めに優位な試合展開にしとかねえと絶対負けるぞ。接戦で後半までいったら、確実に久遠は崩れる。まず間違いない」

「-----辛辣だな」

「どっかの元三冠王の監督も言ってたじゃねえか。―――心の中に恐怖を飼ってるピッチャーなんざ、本来は使い物にならないんだよ。けど、そんな使い物にならねぇピッチャー使うしかねぇんだよ。だったら、早めに勝負を決めるしかない」

「-------出来るのか?相手は瀬倉だぞ」

「出来るかどうかじゃなくて、そうしなければ負けるだけだ」

ギリリ、と友沢は奥歯を噛む。

―――久遠ヒカル。

奴が持っている球は、山口賢にも負けないはずだ。最速148キロの直球。そして、打者の外角を鋭く切り裂くスライダー。纏まった制球だって持っている。―――間違いなく、才能あふれるピッチャーのはずなのだ。

なのに―――過去の経緯から、精神的な脆さを抱えてしまった。

ランナーを抱えた瞬間、球が浮き始める。変化球が曲がらなくなる。ストライクが入らなくなる。まさしく悪循環だ。奴は打たれた後の未来を悲観し、自分の球をいずれ放れなくなってくる。山口との違いは、そこだ。山口はランナーを恐れぬ不動の心を持っているが、久遠はランナーに心を完全に殺されてしまう。

「------なあ、石杖」

「なんだ?」

「俺はな―――ここが、分水嶺なんだと思っているんだ」

「何の?」

「俺にとっての、そして久遠にとっての―――そして、お前にとっての」

「何で俺なんだよ」

「―――今は、割り切れる瞬間じゃないからだ。勝つ負けるじゃない。勝たなきゃいけないんだ。勝たなければ、俺達は何処までもみっともない負け犬も負け犬だ。過去の決着もつけることが出来ない。山口さんの花道も用意してやれない。ここで勝たなければ、俺達はただのゴミクズだ。だから、お前はきっと試合で割り切れない場面が出てくる」

「-------」

「-----キリスに、見せてやれよ。お前の“本気”を。なあ、支倉の至宝」

どん、と。右拳で胸をつかれる。

心臓に直接叩きつけられたかのような衝撃を感じた。友沢は満足気に一つ頷くと、そのままグラウンドへ走り去っていく。

「何だってんだ------」

一つ溜息を吐いて、その背中を見送る。

「------ガラじゃねえんだよ」

 

そうぼそりと一つ、呟いた。

 

 

久遠は、ひたすらに―――投球動作を反復させていた。

意識するな。

意識するな。

ランナーが帰る恐怖を。バッターへの恐怖を。

自分の弱点は痛いほど解っている。

―――今まで克服できなかった事が、今すぐに克服できるなんて甘い考えは持っていない。

でも、やらなければいけないんだ。

友沢さんの投手人生を狂わせ、山口さんのプライドを愚弄したあの連中に滅多打ちにされて、夏を終えたら―――もうきっと自分は立ち直れない。

練習が終わり、グラウンドが閉まると、今度は河原で。

 

血走ったような、または今にも泣きそうな目で―――彼はひたすらに、練習に明け暮れていた。

その時だ。

声が聞こえた。

「何をやっているんだい?」

「あ―――山口さん」

そこにいたのは、山口賢だった。

「山口さんこそ、何を?」

「君と同じだよ―――なあ、ちょっと休憩しないか?」

そんな提案を受け、二人は河原の土手に腰掛けた。

 

風が、二人の間を駆け抜けていく。

沈殿する泥の様な倦怠感に包まれていた久遠の身体の中に吸い込まれていくような、心地のいい風だった。

山口は何も言わない。何か、久遠の言葉を待っているかのようだった。

 

ポツリポツリと、久遠は言葉を放っていく。

自分の過去。心の弱さ。そして、自身のピッチング。余すことなく、その全てを。

山口はジッとその言葉を聞いていた。

 

「なあ、久遠」

「-----何ですか、山口さん」

彼はようやく口を開いた。随分と、穏やかな口調だ。

「私から言えることは、一つだけ」

「------」

「逃げるな」

「逃げるな、ですか」

「そう。逃げだ。恐怖から逃げるな。心の弱さから逃げるな。久遠。君は友沢が肩を壊されてから、ずっとずっと逃げ続けている。こればかりは誰の所為でもない。久遠、君自身の所為だ」

「------はい」

「久遠。明日は、勝つか、負けるかじゃない。久遠が、かつて逃げ出したものを前にして、逃げずに立ち向かえるかどうかだ。全力で、立ち向かえ。ここで逃げ出せば―――一生、逃げ続けの野球人生になる」

「-------」

「頑張れ、久遠―――ここを乗り越えれば、君はずっとずっと成長できる。過去と、決着をつけるんだ」

 

ざあ、と河原が風に凪いでいく。

―――しん、と心の奥底が静まり返った気がした。

そうだ。

逃げちゃ、駄目なんだ。

逃げ続けてきた人生だけど―――ここを逃げずに立ち向かえば、きっと取り戻せるはずだ。

 

そう思った瞬間に、心の奥底に燃える様な熱を感じた。

 

随分と、久しい感覚だった。

 

 




ダイジョーブもういや。予測変換がカタカナだらけでカオスになる。クソッタレめ。


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因縁は敵のみに非ず。

「帝王の山口-----残念だべ」

海東高校部室内にて、大柄な男がそう文字通りの残念そうな面持ちでそう呟いた。

少しガラの悪そうな男が、その声に答える。

「去年、アイツのフォークにくるっくるだったからな。お前もリベンジがしたかっただろう」

「だべ。このまま勝ち逃げってのも、オラとしちゃつまんないだよ」

そうやりとりするのは、海東高校四番五番コンビであった。

―――中之島幸宏と、渋谷秀喜である。

「俺は一応一本打ってるからそこまで心残りはねぇかな。―――ま、ラッキーっちゃラッキーだな。今年の帝王は打線だけみりゃ去年より遥かに強敵だ。鬼に金棒かと思ったら鬼がそのままいなくなっちまった。何の茶番だよ」

「ま、その分全国で大暴れするだよ。―――今年は、立派なエースがいるだべ」

「------エース、ねぇ」

中之島はふん、と少し息巻く。

「気に入らねぇな。アイツだけは、何か気に入らねぇ」

「どうしただよ、中之島?」

「俺には解るぜ。何でアイツが野球をやっているのか。―――アイツはな、きっと誰彼見下したくて仕方ねぇんだ」

「見下す?」

「“勝つ”為じゃねえ。“見下す”為だ。アイツの野球は。勝って、相手が自分より下である事を知って安心してぇんだ。アイツは、そういう奴だよ」

 

―――こうまで中之島が言い切る理由は、その過去にある。

期待の一年。瀬倉弓也。

中之島と瀬倉は、中学時代幾度となく対戦していた。

中学時代の対戦成績は、四割を超えていた。

左サイドから放たれる切れ味鋭いスクリューは、中学時代から健在であったが、しかし右打でかつずば抜けたミートセンスを持つ中之島にはひたすらに相性が悪かった。

打たれる度に悔しがる瀬倉を、内心で中之島は認めていた。

―――身体が出来上がって、球威が増して、しっかりと右のインサイドに投げられるようになれば、きっとアイツは化ける。そう心の中で確信していた。

 

そして、今年瀬倉が高校に入学し―――まるで別人になっていた。

球威も、スクリューも、凄まじい進化を遂げていた。

 

―――その進化は、果てしなくあの男を増長させていった。

自分より下の実力の者には傲慢さを。自分より格上の者には憎悪を。そしてすり寄ってくる連中のみ庇護を与えて、海東高校野球部にあからさまな「派閥」を作っているのだ。

その派閥は―――例えば、中之島や渋谷のような段違いの実力者ならばそれは例外となるが―――多少の実力差であるならば、レギュラーの優先権を与えられる程度には強力なモノであった。---渋谷に至ってはその存在そのもの知らない訳だが。

 

学校理事長の息子とあって、監督ですら口を出せずにいるこの状況下において、超高校級の実力を手にしたともなればもう誰も奴を止められるべくもない。

その姿を見て―――心底、中之島は失望した。

瀬倉弓也にとって―――野球は、所詮下らない自己承認欲求を満たす道具以外の何物でもないのだ。それが理解出来て、中之島は瀬倉を心底嫌っていた。

 

「―――おや、二人ともどうしたのですか?」

「お、蛇島だべ。どうしただよ?」

部室の扉を開き、現れたのは蛇島桐人であった。

泥まみれのユニフォームで額の汗を拭いながら、彼は部室内に置いてあったスポーツドリンクを喉元に流し込む。

「いえ。今ノックを終えたので休憩がてら寄っただけです。そろそろ、バッティング練習が始まりますよ」

「お、待ってたべ。今からオラは行くだよ」

「はい。試合は二日後ですからね。ド派手なのを頼みます」

「おう。じゃあ行ってくるべ」

渋谷秀喜はるんるんと嬉しそうに練習へ向かっていく。

「中之島君はいかないのですか?」

「------少し、疲れてんだ。もう少ししたら行く」

「解りました。サボらないようにお願いしますね」

そう彼は一言残すと、そのまま部室のドアを閉じて、練習へ向かっていった。

蛇島桐人。

歳の上下に関係なく物腰柔らかな態度を崩さず、それでいてしっかり周囲を見渡せるキャプテンシー溢れる好漢-----と、実に完璧に見える男だ。

けれども―――中之島は直感的にこう解釈していた。

物腰の柔らかさは、自分の腹の中を読まれぬ為に行っているものであり、周囲を見渡しているのはその猜疑心ゆえであると。

 

―――レギュラー争いもする暇もなく、当時のセカンドレギュラーが怪我をした。ただの偶然であると思っていたが、奴の姿を見てきて、実の所偶然でもなんでもないとも思えてしまう。

「くそ-------」

中之島はポツリとそう呟いた。

今の所―――中之島は部室内で誰も味方がいなかった。

瀬倉の金魚のフンに囲まれ、二遊間を組む男は腹の底が読めない。この状況は、自分がこの学校にいる限りずっと続いてしまうのだろうか。

その未来に悲嘆し―――がくりと中之島は肩を落とした。

 

 

海東高のグラウンドには、炎天下の中必死にバットを振るう姿があった。

何としてもレギュラーを取らんと、またそれを保持せんと―――皆が皆、その為にバットを振っていた。

それを尻目に、瀬倉と蛇島は物陰でひそやかに話し込んでいた。

「―――中之島君は、危険ですねぇ。彼は実に鋭い。貴方と私の関係が、もしかするとばれてしまうかもしれない」

「だったらぶっつぶせばいいだろ。―――今なら“兵隊”だって動かせる」

「いえいえ。今現状において彼の代わりはいません。悔しいですが、この甲子園が終わるまでは頼らざるを得ない。貴方も、流石にザル守備をバックに投げたくはないでしょう?」

「------ふん」

「瀬倉さん―――一つお尋ねしてもよろしいですか?」

蛇島の眼が、鋭くなる。

「何だ?」

「貴方は―――どうやってそれ程までに急激な進化を遂げたのですか?」

その問いが放たれた瞬間―――右頬に衝撃が走る。

どしゃり、と蛇島の身体が崩れ落ちる。

「身の程知らずが―――下らねえこと聞いてんじゃねぇ。テメエは所詮、俺の庇護で好き勝手出来ている事を忘れてんじゃねえぞ」

「ふ-----ふふふ。それはそれは、申し訳ない。聞いてはいけない事のようですねぇ。中学からの付き合いの私でも、話せない事ですか?」

「------話す義理なんてねぇだろ」

それっきり、瀬倉はプイっと蛇島に背を向け、グラウンドへと向かっていった。

 

-----ふ、ふふふふふふふふふふ。

 

蛇島は、思う。

 

------その態度が、もう仰っているようなモノじゃないですか。自分は、まともな方法でそこまでの力を手に入れた訳じゃない、と。

 

中学からの付き合いだからこそ解る。あのスクリューはあり得ない。以前使っていたものとは完全なる別物であろうと。

 

-------どんな方法なのですかねぇ。それはそうすれば手に入れられるのですかねぇ。絶対に突きとめてあげます、瀬倉さん。

 

さすれば、自分は―――瀬倉すらも支配し、そして自らも超常なる力を手に入れられるかもしれない。

この好機を、逃してたまるものか。

 

ふふふふふふふふふふふふ。

はははははははははははは。

 

物陰の中、誰にも聞こえない程に密やかな声で、蛇島はそう嗤っていた。

―――さあて、だが今は凡人なりに、練習しようか。

すくりと立ち上がり、蛇島はゆっくりとグラウンドへ向かう。

 

―――帝王高校。貴方達なんぞ、眼中にありません。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

そうして、両校が向かい合う。

帝王高校と、海東学院高校が。

県予選二回戦―――しかし、どちらも予選突破候補だからか、まばらに観客はいる。

 

ホームベースを挟み、互いに一礼。

その瞬間―――奇しくも、目が合ってしまった。

石杖と、蛇島。

友沢と、瀬倉。

 

一礼するその瞬間に、確かな敵意を交錯させながら、それぞれが解散していく。

 

一回表。海東高校先攻。

 

マウンドには、久遠ヒカルが上がる。

 

―――逃げるな。

まっさらなグラウンドを彼は見据える。

ここが、運命の分水嶺。

―――逃げず、立ち向かえ。さすれば―――

あんな連中に負ける訳がない。あんな奴等に、友沢先輩が、石杖先輩が、霧栖が、負ける訳がない。

自分さえ負けなければ。

自分さえ逃げなければ。

それだけなのだ。それだけが―――この勝負の命運を、分ける。

 

プレイボールのコールが鳴り響く。

第一投を―――今まさに彼は放とうとしていた。



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帝王VS海東学院①

両腕を胸の前に置き頭上へと振り上げるワインドアップモーションから、全身をバネに右腕が跳ね上がる。

斜め振りの腕の軌道から、低めへと真っ直ぐを投げ込む。

 

―――ストライク。

 

真ん中低めの真っ直ぐ。よく制球された、それでいて威力のある真っ直ぐであった。

球速は140前半。噂通り、高校生レベルであれば間違いなく本格派を名乗れるだけの力のある速球だ。

その球を実につまらなそうに眺め、再度瀬倉は構える。

二球目、三球目―――共にスライダー。ど真ん中の軌道から左打者である瀬倉の膝元に食い込む、変化球。曲がりも大きい。キレもいい。そうそう捉えられる球ではないだろう。瀬倉は二球目を見送り、三球目を空振る。

ツーストライクワンボール。追い込まれた瀬倉は、されど慌てる事無く打席に入る。

 

四投目は、外角の直球。バットの下っ面を叩きつけ、これを瀬倉はファールにする。

五投目、六投目。共にインサイドの真っ直ぐ。五投目は瀬倉の身体付近へ流れ、六投目は真ん中へと流れる。

六投目の甘めの直球を見逃さず、瀬倉は打ちにかかる。

 

ギィン、というけたたましい金属音と共に球は二遊間へと向かっていく。

センターへと抜けるかと思われたその打球は―――されど、そこに割り込む遊撃手によって阻まれる。

友沢だ。

スライディングしながらバックハンドでその打球を好捕。その後身体をファースト方向へくるりと腰を回しながら鋭く送球を行う。

 

アウトの宣告を恨めし気に聞きながら、瀬倉はしかし―――キッチリと久遠の実力を把握した。

―――決め球が、甘くなる。粘れば粘る分だけ、ボールが甘くなる。せっかくそれぞれいい球を持っているのに、メンタル部分が完全に雑魚のそれだ。

内角に投げ込んだ後に、吸い込まれるように直球が真ん中に来ていた。これだ。これこそが奴のメンタルの弱さの証左だ。

 

―――ゲームが進んでいく中で、ずっとこの調子でいられると思ったら大間違いだぜ。

 

 

二番富永は初球のカーブを引っ掛けセカンドゴロに終わり、相対するは―――蛇島桐人。

 

―――解りやすい。実に解りやすいですよぉ、久遠さん。

ツーアウト。ランナー無し。そしてクリーンナップの入り口。

 

―――「確実に」仕留めようとするでしょうねぇ、私を。

「確実に」とはつまり―――球数を使っても構わない。それよりも際どい所に投げ込み、こちらを打ち取る事を優先するような思考形態である。

―――本当に、馬鹿ですねぇ。確率のスポーツである野球において「確実」を求める事程馬鹿らしいことは無いと言うのに。

 

この思考形態に沿っていくと、実に配球は解りやすい。危険ゾーンに投げ込めないのだから内角は使わないのだろう。となれば外角での直球の出し入れとスライダーが中心----というか、それしか投げないはずである。カーブやシュートも投げられるみたいだが、「確実」を求めるのであるならば、中途半端な球は使えない。ほら、見た事か。「確実」を求めるが故に内角の選択肢を消し、他の球種の選択肢も消した。

 

第一投。外角の直球。ボールゾーンへ流れる。ワンボール。

第二投。外角から逃げていくスライダー。本来ならば右打者にとってまさしく鬼門となるであろうこの球も、読んでさえいるならば我慢できる。スイングを止め、ツーボール。

さあ、どうする?

カウントを稼がねばならないぞ。外角ピッタリにしっかり直球を投げ込めるだけの制球力がお前にはあるのか?それともゾーンにスライダーを投げ込めるだけの覚悟があるのか?

―――山口には、あったぞ。

 

第三投------蛇島の内角付近へと抜けていく、逆球。しかしベース板の上は通っていた為、カウントは取られる。ワンストライクツーボール。

 

制球が怪しくなってきた。

第四投―――外角の、しかし甘く入ったコース。

 

蛇島は一切迷う事無くしっかりと踏み込み、―――そのボールをしっかりと芯に食らわせた。

 

強烈なライナーが一二塁間を駆け抜けていく。

 

―――バシン!という強烈な音が響き渡った。

「―――む」

セカンド石杖が、一塁方向へかなり寄ったポジショニングによって、ライナーの軌道に何とかその身体を割り込ませていた。

見事なファインプレーを演出した男は、顔をしかめながらスリーアウトの宣告と共にベンチへと引き下がって行く。

「―――見事ですねぇ」

蛇島は、そう思わず口にしていた。

―――アレは、全てを理解できた上でなければ出てこないプレーであろう。

 

外角に偏った配球。そしてそれを蛇島が完全に読み切っているという事実。―――それらを完全に読み切って、あのポジショニングをとることが出来たのであろうから。

「―――本当に、勿体ないですねぇ」

まさしく―――自分のプレースタイルとあまりにも似つかわしい男に、心の底から嫌悪感が溢れ出さんばかりに湧き起こる。

 

―――やはり、潰したいですねぇ。貴方は。

くっくっ、と含み笑いを忍ばせながら、蛇島は打席を去って行った。

 

 

攻守交替。次にマウンドに上がるは、海東学院高校のルーキーエースである、瀬倉弓也であった。

投球練習を終え、打席には―――これまたルーキーの有島将吾であった。

 

―――いいか、有島。お前には打つ以外の事なんざ何も期待していない。

先輩一同、皆からそう有島は言われた。

―――初球からぶん回して来い。

うす、と返事をし、バッターボックスへ。

 

腰を大きく捻り、それと連動して身体全体を大きく捻じって行く。

そこから―――有島から見て背中側から、ボールが放たれる。そのリリースポイントは、このままボールがすっぽ抜ければ有島の背中に叩きつけられる事となるであろう。

反射的に恐怖を覚えるが―――しかし、有島には天性の度胸と思い切りの良さがあった。

 

放たれたボールに、初球から振り抜いていく。

―――結果は、ファール。ボールの上っ面を叩き、一塁方向から大きく外れてファールゾーンへと向かっていく。

 

―――打ちにくいったらありゃしねえな。こりゃあ。

大きく捻りが入るフォーム。背中側からクロスで入って来る軌道。恐ろしく速い腕の振り----130後半程度の直球だが、それ以上の速度が感じられる。

二投目は、インハイへの直球。今度は身体とリリースから近い部分へと向かっていく。

内角側へ外れたボール球だが、しかし有島は思わずその球を振ってしまう。

------自分の背中側にリリースポイントがあるという状況は、かなり感覚のズレが生じている。視界ギリギリから放たれる球の軌道予測とゾーンとを合わせる作業が、一打席だけでは追いつかない。だからこそ、選球に狂いが生じてしまう。

 

苛立たし気に再度打席に入る。

―――来るはずだ。絶対に来るはずだ。

あの男の代名詞が。しっかりと追い込んだ今、使わない訳がない。

 

足を上げ、腰を捻り、左腕が横手から放たれていく。

そのリリースに合わせ、有島将吾は球が放たれるタイミングと同時に、足を上げ、バットを振りだす準備を始める。

 

しかし、

―――球が、来ねえ。

まさしく、一瞬の差である。先程の直球を投げ込んだ際と、リリースのタイミングがほんの一瞬、違和感を覚えた。

 

だが、その一瞬が、命取りとなる。

リリースの瞬間には―――もう、ボールは手元にあった。

浮かび、沈む―――スクリューの工程を認識する間もなく気付いた時には有島はバットを振り、そしてアウトカウントを一つ稼がれていたという事実だけがそこに残っていた。

 

―――何が起こった。

有島将吾は、霧栖弥一郎程ではないが、それでもよくボールを見ることが出来るバッターだ。ピッチャーとのタイミングを合わせる天性の才覚があるからこそ、今まで迷いなく初球を躊躇いなく振ってこれたのだ。

 

だが、今回がはじめてであった。

自分が対面したボールの軌道を、認識できないという状況が。

 

まるで狐に包まれたかのような感覚のまま、有島将吾はバッターボックスを去った。



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帝王VS海東学院②

―――圧倒的であった。

二者連続三球三振。一番有島は直球とスクリューのコンビネーション。二番木島は三球スクリューを投げられ三振を喫した。

「-------やべえよやべえよ。何だよ、あの球」

有島はブツブツと、不平を漏らしながらバッターボックスを去って行った。

「球速表示じゃやっぱり130出てるなあのスクリュー---有島、どうだった?」

同級生のキリスは、ベンチに戻って来た有島に尋ねる。

「わ、わけが解んねえよ。普通、変化球投げるときって、直球より腕が緩む分、早くリリースされるもんだろ。アイツ、逆だぜ。スクリューを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「------なんじゃそら」

いや、それはあり得ない。

本来、変化球を投げるという行為は直球を投げる動作に何かを付け加えながら行う動作だ。捻って切ればスライダーになるし、肘を抜けばカーブになるし、指を挟めばフォークになる。その余剰動作分だけ、どうしてもリリースが緩み、早くなる。この緩みをどれだけゼロに抑えられるか、それをピッチャーは常に追求しているはずなのだ。

だが、直球よりリリースが遅れるとはどういうことだ?

そんな事をしてしまえば、すっぽ抜けか叩きつけるかの二択でしかないはずである。基本的に直球も変化球も「落ちる」球だ。ストレートはバックスピンによって落ちていく軌道を揚力で修正する事によってその落ちを抑制しているにすぎず、変化球は落ちながら別方向に曲がって行く。よってだ。自然と直球より変化球の方がリリースは早められるはずなのだ。「落ちる」のだから。落ちていく距離だけ、リリースで高めに修正していかねばならないのだから。直球と同じリリース、というならばまだ解る。だが、直球よりも「遅く」リリースされたボールは、ストレートの軌道よりも更に下方向へと向かう。その結果として、叩きつけられる帰結にしかならない。

「あり得ねえと思うだろ。けどありゃあ、マジだったぜ。直球待とうとタイミングを合わせてたら、球が来ねえ。タイミングが外された一瞬で、球がもう足元に来てやがった。打てねえよ、あんなの」

通常、バッティングはストレートを待ちながら変化球に対応していく。

一番早くミットに到達するであろうストレートのタイミングにまず標準を合わせながら、変化球が来ればそれに合わせて修正していく。相手投手の腕の緩みやリリースを観察し、放たれた瞬間にそのタイミングに合わせていく。それがバッティングの基本的な作業だ。

あり得ない話だが―――仮に直球よりも更に「遅く」リリースされる変化球がそこに存在するのならば、その根本が崩されてしまう。

直球が放たれるリリースのタイミングに合わせて、バッターはバッティングの準備を開始する。足を上げ、腰を旋回し、バットを振るうのだ。

そのタイミングから「遅れた」形で変化球が来ればどうなるのか?

はっきり言ってしまえば―――バッティングした後にボールが放たれている感覚なのだろう。

本来、直球のリリースより「早い」事はあれ「遅れる」事はあり得ないのだから。スクリュー自体の曲がりやキレやスピードもさることながら―――一番おかしいのは、このリリースのタイミングなのだろう。

 

―――どういうこった、こりゃあ。

 

キリスは三球三振しベンチに帰って行く木島と代わり、バッターボックスに立つ石杖をジッと見る。

―――まあ、アリカ先輩ならただじゃあ終わんないっしょ。

何かしらの手がかりを掴んで、帰ってくるはずだ。

------山口先輩の事もあって、バッティングの修正に本格的に乗り出したんだ。ここで終わる訳がねぇ。

―――頼むぜ、先輩。

 

 

「石杖先輩、何か不思議な左手の使い方してるっすね」

ある日の事、石杖アリカはキリスにそう言われた。

「どういうこった?」

「先輩、右利きっすよね」

「そうだが?」

「ちと、トスしますんで打ってみてください」

そう言うと、キリスは石杖をバックネットまで連れていき、トスバッティング練習をさせた。

20球ほど費やし、キリスはうんうんと得心あり気に呟いている。

「俺のバッティングがおかしい、って先輩言ってましたけど、俺から見れば先輩の方がおかしいっすよ」

「何がだよ」

「普通、バッティングは利き手で捉えに行きますよね。そんで、利き腕とは逆の手で押し込んでいきますよね。捉えに行く作業と球を押し込む作業は別々にしなきゃいけないんだから」

「----?まあ、意識はしてねえけど、多分そうなんじゃねえの?」

「アリカ先輩のバッティング見て、俺、最初左利きの両打ちなんかな、って思ったんすよ。先輩、打席じゃ右腕より明らかに左腕主体でバッティングしてるな、って。明らかに、左で捉えに行っている。けど、右利きだって言うじゃないっすか。よく解んねえバッティングだな、って思うんですよね」

そうなのだろうか?

実際、そういう風に言われた事は始めてだった気がする。

少年野球の頃より―――少なくともフォームに関して何かしら文句を言われた事は少なかった気がする。動きが少なく、シンプルでいいフォームだ、と。そう言われてきた。

 

―――ああ、でも。

 

小学校の時、左腕を骨折した事があった。

その時、麻酔もかけられて腕もガッチガチにギブスで嵌められた状況下の中―――アリカは瞼を閉じた時、確かに感じたのだ。

 

ギブスに嵌められ、動けないはずの左腕が、確かにそこに在って、暗闇の中自由に動かせるイメージが―――そこにあったのだ。

 

そうか。

それが、石杖所在の中にある唯一の「異質性」なのかもしれない。

自分の肉体部位の中でも―――「左腕」に関してだけ、その動作イメージが容易なのだ。

 

だからこそ、キリスの言う事は正しいように思えた。

―――左腕の方が、動作のイメージがしやすい。だから、球を捉える最初の段階を、利き腕だけでなく「左腕」でも行っていた。

その分だけ、ミートを容易にさせていたのだろう。

 

「先輩、スイングがめっちゃ綺麗な水平ですよね」

「まあ、ゴロ打たねえと俺の存在価値はねえからな」

「いや、インパクトまでバットを水平に出せるのはいいんすよ。けど、フォローまで水平にする必要はないっしょ」

「あ?何でよ?」

「左腕でタイミングが取れるなら、コントロールしやすい利き腕でインパクト出来る訳じゃないですか。なのに、低めの球をゴロ打つだけじゃもったいないっすよ。―――インパクトをもっと強くしましょう。打球を上げましょうよ。そうすれば、先輩はもっとアベレージが残せると思いますよ。勿論、ゴロが必要な時はそのままでいいんですけど」

「-----お前、どうした?」

アリカは、今のキリスに違和感を覚えた。

―――こういう風に、積極的に人の打撃に干渉して来るキャラじゃなかったはずだ。

いい意味で、この男は干渉しないキャラのはずだ。いい加減なようで、この男はしっかりと他者を見ている。下手な干渉によってバッティングが崩れる事をしっかりと考慮しているのだろう。

けれども、今のコイツは―――こうして、バッティングに付いてああだこうだと、言ってきているのだ。

 

「まあ、何というか------。俺も、色々思う事があったんすよ」

「何だよ、色々って?」

「―――あんな糞野郎に敗けるのは、とことんまで胸糞悪いんすよ。野球で勝った負けたの話じゃない。これは全力で売られた“喧嘩”なんすよ。決して勝負じゃない。負けてしまえば何の意味も無い、糞みたいな喧嘩なんすよ。勝負に負けるのはいい。けど―――喧嘩に負けるのだけは、ありえねぇ。奴等はキッチリカタに嵌めなきゃいけねえんだ」

キリスは、―――何処となく真剣な目で、呟く。

「山口先輩も、友沢先輩も、久遠も、仲間っすよ。仲間が糞みたいな目に遭ったんだ。だったら、し返さなきゃいけねえ。それが道理だ」

これは勝負ではない。

喧嘩であり、報復である。報復は―――徹底的にやらねば、意味がない。

「だから------」

「はいはい、解った解った。ちょっと見間違ってたよ、キリス。意外に、お前も熱い奴だったんだな」

「-----」

「解ったよ。―――俺も、出来るだけの事はする」

―――どいつもこいつも、変わっていきやがって。俺だけが、取り残されているじゃねえか。

別に取り残されても、気にはしなかったはずなのに。

―――解っている。解っているさ。

何を無視したって構わない。けれど―――心に宿った「憎悪」の感情だけは、どうしようもないのだと。

 

 

こうして、石杖所在は打席に入る。

―――さあ、来やがれ。

 

ツーアウトランナー無し。

相手は、明らかに傲慢なタイプの性格だ。

無理をせずとも別に構わない場面。二者連続三球三振中。

―――この場面で、初球から切り札を使うだろうか?

 

ない。

絶対に、ない。

余計なカウントを稼ぐことは、絶対にしない。

 

この予想に賭ける。

―――そら、来た。

 

左腕が、反応する。

ボールを、捉える。

 

バットは綺麗な最短距離を描きながら、インハイの球を捉える。

 

―――押し込め。

 

けたたましい金属音と共に―――ボールはレフト方向へ大きく流れていく。

あわやホームランか―――そう思ったのも束の間、ボールはポールフェンス際で切れ、ファールが宣告される。

 

瀬倉は―――プライドが大きく傷ついたのだろうか。悔し気に表情を歪めながら、石杖を睨み付ける。

 

―――ヘイヘイ、ピッチャー。まだ勝負は続いているぜ。

 

石杖はそう心の中で相手を嗤いながら、打席に入る。

 

―――ぶっつぶしてやる。早く投げ込んで来やがれ。

石杖と、瀬倉が対峙する。

不思議な静寂と共に―――第二投が投げ込まれようとしていた。




あんま進まなかった。すみません。


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帝王VS海東学院③

石杖と、瀬倉の勝負が続く。

 

―――奴が待っているのは、内角へのストレートか。

先程の目付けからしてそうだろう。何の迷いも無く、内角への直球に手を出していた。かなりの際どいコースだったが、それでも―――狙いを絞っているからこそ、手を出す事が出来た。

 

―――ならば。

二投目、三投目を、それぞれ外角への直球とスクリューを投げ込む。

石杖はしっかりとそれを見定め、見逃す。ボールカウント二つを稼ぎ、ワンストライクツーボール。

 

―――成程ね。

一方の石杖も、今の所上手くいっている感覚を持っていた。

始めて感じられる「異常」な感覚も、それはそれとしてすんなり処理出来ていた。

直球よりも遅れてリリースされるスクリュー。思わず直球と同じタイミングで始動しようとする身体を、左腕が司令塔となってまったをかける。

―――なんだ、ありゃあ。

あり得ないタイミングで放たれる、異様すぎるスクリュー。その異常性は、それをある程度反応で見切っている石杖だからこそ、肌身を以て感じていた。

ジッと、タイミングを待つ。

そのスクリューの真贋を見抜かんと。

 

―――その姿勢は、瀬倉にとって実に気に入らないものであった。

内角の直球を投げ込んでの、外角への直球とスクリュー。石杖はしっかりと踏み込みを行った上で見逃した―――その事実が、瀬倉には気に入らなかった。

奴は、この程度の直球では恐怖を覚えないようだ。

ならば、いいだろう。

―――特段の恐怖を刻んでくれる。

 

四投目が、投げられる。

大きく一塁側に寄ったリリースから、鋭角に叩きこまれる内角の直球―――その軌道のズレに、気付くのが一拍遅れてしまう。

 

ごしゃり、と。

ヘルメット越しでは聞こえるはずの無い、頭蓋が軋む音を石杖は感じ―――視界が、ブラックアウトした。

 

 

「瀬倉!!」

中之島が守備位置からずんずんと駆け寄って行く。

頭部死球によって倒れ伏した石杖の光景に、頭が完全に血が上ってしまったのだ。

なぜなら―――

「テメエやりやがったな!」

「------すみません。まさか頭に行くとは思わず------」

「どの口が言いやがる、テメエ―――!」

中之島は見ていた。

通常とは異なるリリース、身体の傾き。そして、サイドゆえに解りにくかった軸足の爪先の方向―――それら全て、しっかりと石杖の方向に向かっていた事を。

その事を指摘した上で「わざとである」と激昂しようとしたその瞬間、背後から口を押えられる。

「―――中之島さん!抑えて下さい!」

その犯人は、蛇島であった。

「―――ここで貴方がそれを指摘してしまえば、下手すれば退場になってしまう!」

「------!」

高校野球における規則には「危険球」の概念が無い。

プロ野球の様に頭部へのデッドボールがあったとしても、それを理由に退場にさせるルールは無い。ただ、背中であろうが頭であろうが、「故意である」と審判が判断すれば退場となってしまう。

そのボールの危険性よりも、故意の存在が退場か否かの判断になる。

ここで中之島が大声でそう主張してしまえば―――その様子から、審判が瀬倉を退場にさせてしまう可能性がある。

 

だから何だ。

ここで相手を殺しにかかる様な球を投げる様な人でなしに、マウンドを立たせるのか?まだ投げさせるのか?いっそのこと退場してしまえ。こんな糞野郎の投球で勝った所で、何が残ると言うのだ。

しかし、―――その主張も、喉奥に押し込められる。

 

ここで負けてしまう事も―――何も残さない事を知っているから。

「-------堪えて、下さい」

ことさら申し訳なさげに、蛇島はそう耳元で呟く。

―――ふざけんな。

石杖はベンチに下がり、治療を受け―――そのまま一塁へ走って行った。

「クソが-----!」

そう吐き捨てる言葉も、何故だか空しい。

―――何でこうなっちまったんだ。何で―――

 

 

四番友沢が打席に入る。

―――ふざけた事をしてくれる。

 

あの死球が故意であると、気付いたのは中之島ばかりではない。この男も、しっかりと気付いていた。

例え気に入らない奴であろうと、石杖は仲間だ。怒りを覚えてしまうのも無理はあるまい。

 

―――それに、最近の石杖は変わってきていた。

何処か達観したような、悪く言えば冷めた姿勢を貫いてきたあの男が、リスク承知でこの時期にバッティングを変えた。その為に血の滲むような練習をずっと繰り返してきた事を、友沢は知っていた。

その姿勢を―――友沢は、とても好意的に思っていた。

 

―――絶対に、ぶっつぶす。

お前には解るまい―――そう友沢は思う。

何かを「変える」力を。その存在意義を。

石杖も、霧栖も、山口も、久遠も―――そして友沢自身も。今自らを変えようとしている。変わり続けている。

肩が壊されても。

心にトラウマを埋め込まれても。

それでも人間は、変わる事が出来る。変わる事を、自らの心に要請し続けることが出来る。

 

変わってないのは―――お前だけだ。

変わる事が嫌で、自分の現況が嫌で、駄々をこねて駄々をこねて、出来上がったのが今のお前だ。

さあ、来い。

お前に「変えさせられた」人間が、お前の駄々を打ち砕いてくれる。

 

 

 

 

一投目。外角への直球から入る。

ほぼ内角を張っていた友沢は、これを見逃す。ワンストライクノーボール。

 

―――いいか。奴の狙い目は内角だ。それしかねぇ。

そう石杖所在は言っていた。

試合三日前。友沢と霧栖を呼び出した彼は、ピッチングマシンを前にこう宣言した。

―――今日から試合までの練習時間、俺達はこれで練習するぞ。

石杖はそう言うと―――ピッチングマシンをズリズリと一塁方向へ動かし、口を斜めに向ける。

―――これが丁度、瀬倉と同じ角度か。これで、内角の直球だけ投げさせる。これを一日三百こなす。疲れてまともにバットが触れなくても、せめて打席に立って目を慣れさせろ。これはクリーンナップのみにやらせる。他の奴等にやらせても、バッティング崩してしまうだけで百害あって一利なしだろうしな。

 

内角への直球―――その対策は、クリーンナップ全員がある程度対策をしていた。

最初の打席での石杖の初球の大ファールも、決して偶然ではない。

 

二投目、―――内角への直球。

きた、と思った。

振り上げる。

 

キッチリと芯を食らわせた打球は三塁線を破り、レフトへと向かっていく。

レフトが返球する間に、一塁ランナー石杖は三塁を蹴る。

 

中之島へ中継を挟み、ボールはキャッチャーへと向かって行く。

キャッチャーの捕球と同時に石杖はその間にベース板へと足を挟み込むようにスライディングを敢行する。

 

間に合わない―――そうキャッチャーは判断した。

なので、行動を変える。

タッチしにいき、そのまま体勢を崩す。

ホームへと向かうその足に、ミットを近づける行為の中途で―――体勢をわざと崩しながら、脛へと肘打ちを敢行する。

もらった―――そう笑みを浮かべた瞬間。

石杖もまた、笑みを浮かべていた。

 

肘に―――石杖の膝が、横合いから突き刺さる様に叩きつけられていた。

 

「へえ、それでもボールを零さねえか。根性はあるじゃん。―――けどなあ、流石に二回はやりすぎだよ、アンタ。同じの、ビデオで見たぜ」

そうニヤリと笑みを浮かべつつ、肘への痛みで強張るキャッチャーを見据えながらベンチへと石杖は戻って行った。

1-0。

先制点は―――帝王高校が手にした。

 

 




ギルメットつおい--------。


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帝王VS海東学院④

友沢がタイムリー二塁打を放った次の打席、霧栖弥一郎がバッターボックスへ入って行く。

―――瀬倉と同学年のこの男は、幾度か中学時代に対戦経験があった。

その結果―――10打数7安打2本塁打。実に滅多打ちにされていた。

 

この男の中学時代の公式戦記録を総計すると、通算打率は5割5分を誇っている。その上でさらに恐ろしい事に―――通算の三振数は一桁の枠に収まっている。

完成されたフォーム。球筋を瞬時に捉える天性の嗅覚。怪物じみたスイング。バッターとして必要な要素を敷き詰めた、まさしく“天才”。

勝負をしたい。

この男を打ち取りたい。

そのピッチャーとしての本能が一捻りで押し潰される程に―――瀬倉は、このスラッガーの異常性を身体の底から理解していた。

「------」

瀬倉は、歯噛みしながら―――勝負を避ける選択をした。

―――今は、勝負する時じゃねぇ。

外角に大きく外してフォアボールを与える。

もう随分と慣れているのだろう。表情一つ変えず、霧栖は一塁ベースへ走って行く。

―――クソッタレが。

そう心中で瀬倉は吐き捨てると、六番打者に向き直る。

―――恨みはねえが、テメェは全球スクリューで三球三振だ。覚悟しろ。

 

 

六番新垣と対峙した瀬倉の姿を、霧栖弥一郎はジッと見る。

―――リリースが「遅れる」という瀬倉のスクリューは、打席から見ることが出来なかった。

中学時代、霧栖弥一郎は瀬倉弓也と三試合ばかり対戦している。その当時の印象を言えば、完全な「変化球投手」であった。スクリューの曲がりとキレが凄まじい反面、直球の球威が無かった。スクリューを見逃し、カウントを整える直球に狙いを絞れば―――少なくとも、霧栖弥一郎にとってそれほど難しい相手ではなかった。左サイドのピッチャーは、右打者にしてみればリリースが丸見えになる。あとはその軌道に合わせ、リリースから直球かスクリューを見分け、直球を弾き返せばいいだけだ。このリリースから瞬時に見分けられる嗅覚を持つ霧栖弥一郎にとって、まさしく左サイドの技巧派ピッチャーは「カモ」でしかなかったのだ。

 

その印象と、今の瀬倉では、齟齬がある。

―――その齟齬が何処から発生しているのか。それを見なければならない。

 

振りかぶり、身体を捻じる。

捻じりと共に、腕が身体に巻きついていく。

そして―――捻じった腰を引き戻す動作と共に、左腕からボールを放つ。

 

スクリューだ。

新垣は全くタイミングが合わず空振る。

二球目も同じ。スクリュー。

何とかタイミングを合わせようと、新垣はステップ幅を変えバットを短く握り、振る。それでもタイミングが合わない。空振る。

 

―――根本から、タイミングが合ってねぇのか?

 

バッティングは、タイミングを合わせる事が大前提だ。そのタイミングは、リリースされた瞬間に合わせられる霧栖弥一郎の様な化物は例外として―――大抵は、自分の感覚と、相手のリリースのタイミングをすり合わせていくものだ。そして、「これ以上リリースを遅らせる事は出来ない」という閾値を、バッターは本能で感じ取る。これ以上リリースを遅らせれば、すっぽ抜けになるぞ。地面に叩き付ける事になるぞ。だからこれ以上は遅らせることが出来ないはずだ、と―――そのタイミングに、バッターは本能的に合わせていくものだ。

そのタイミングを、フォームそのものに緩急をつけて崩すピッチャーもいる。リリースを限界まで隠して外すピッチャーもいる。しかし、瀬倉はそういうタイプのピッチャーではない。

ならば―――奴は何を以てタイミングを外しているのか。

 

三球目。きっともう一球、同じボールを放つのだろう。

よく見ろ。

打席では解らない事が、ここからでは解るかもしれない。

 

そして三投目。

その挙動を、見る。

足を上げる。

腰を捻る。

巻きつけた腕を、思い切り振りかぶり、放つ。

 

霧栖弥一郎はタイミングを測っていた。

リリースされる瞬間を見計らって、心の中でパン、と一拍鳴らすイメージで。

 

―――ああ、確かに“ズレてる”。

 

そう、確信した。

瀬倉弓也は―――間違いなく、普通ならば大暴投間違いなしの「遅れた」タイミングから、あのスクリューを放っている。

 

―――どうやって?

 

つまり。つまりだ。―――ちゃんとコースに決まる球を、普通より「遅れた」タイミングで放っている訳だ。瀬倉は。

 

そんな芸当は、リリースの瞬間に物理的に腕が長くなってでもいなければありえない訳で。

 

大暴投間違いなしのタイミングで、コースに決める為には―――リリースの瞬間、腕が伸びたりでもして修正されなければあり得ない。

―――いやあ、まさかね。

 

どこぞの海賊王でもあるまいに。奴の腕全体がゴム製にでもならない限り、そんな事はあり得ない。

けれども―――そうでもしなければ、あの異常性をどう説明すればいいのか。

 

三球三振を喫し、悔し気にベンチへと戻る新垣を追いながら、そんな思索に霧栖弥一郎は耽る。

 

「―――ん?」

そういえば、と霧栖弥一郎は思った。

―――こんなクソ暑い中、何でアイツはアンダーの上に長袖なんか来やがっているのか、と。

 

 

攻守交替の間―――霧栖弥一郎は一連の疑問を石杖に伝えた。

石杖は、その一連の報告を受けて―――一つ思い出した。

「アイツ、得意気に以前インタビューを受けていたな。その時にも突っ込まれてたぜ。―――何で長袖着てんのか、って。腕全体の使い方変えたからって誤魔化してたけどな」

「そうっすか」

「なあ、キリス。―――ちと、馬鹿話だとでも思って聞いてくれ」

「うす」

「腕が“伸び上がって来る”感覚を覚える、って印象を受けたって他校の奴が言っていたんだよ。瀬倉の、投球」

「----それが、どうしたんすか?」

「これさ―――もしかしたら、もしかしたらだけどよ。比喩じゃなく、本当に“伸びて”るとしたら、どうよ?」

「へ?」

「いや、馬鹿な事言ってるのは百も承知だ。まあ、その上で聞いてくれよ」

「-------」

「奴が長袖で隠したがっている“腕の動き”。上腕は半袖で隠せるんだから、隠したいのは肘から下だ。前腕部位はただのリリース装置だから別に隠さなきゃいけない所は無い。となるとさ―――隠したいのは、“肘”という事にならねぇ?」

「なる------かもしれねぇっすね」

「-----次の下位打線での投球。もちっとそこら辺を観察してみようかね。ま、それはそれとしてだ。―――奴のスクリューの正体が判明するまでに、試合が壊れなきゃいいけどな。このゲームは、久遠にやっちまったわけだし」

「ま、そっちは大丈夫っしょ」

「何でだよ」

「アイツだって、情けねえけど男だぜ?アリカ先輩。―――この状況で何も感じねえなら、もうアイツは男じゃない」

「精神論だねぇ」

「そりゃあ、メンタルに関する事ですし」

「-----ま、信じますかね。オラオラ、こんじょー入れてくぞー」

「うぃーす」

力の無い声で、そんな事を言うと、両者共に守備位置へ走って行く。

 

―――二回の表が、開始される。

 

そして、

 

「あーあ」

二塁守備で棒立ちしながら、そんな実に情けない声が石杖所在の喉奥から漏れた。

渋谷秀喜への初球の外角から入って行く軌道のスライダーを―――無理矢理引っ張り込んで、ポール際に叩きこんでいた。

ホームランの宣告と共に、ゆったりとホームベースまでを走って行く。

その様子を一つ息を吐いて眺めながら、石杖は息を吐く。

 

―――まあ、一発は別に構いやしないが。

 

ここで余計な事を考え始めるのが、久遠ヒカルという投手だ。

さあて、どうなるかね―――。そんな事を、思った。

 

1-1。

試合は一発で、振りだしに戻った。

 




三上。


三上。


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帝王VS海東学院⑤

リクエスト部屋設置しました―。本作品の事でも、リクエストがあればどーぞ。


―――落ち着け。落ち着くんだ。

久遠ヒカルは、そう心中で自らに言い聞かせる。

慌てる時間じゃない。そんな場合でもない。自分は元々被本塁打が多いピッチャーだ。一発を放たれたからと今更な話だ。

だが、そう言い聞かせても、脳裏にフラッシュバックする。

 

久遠はスライダーピッチャーだ。

他の球種は目線を散らすのに使う程度。スラッガー相手にまともに勝負に行ける球種は、どこまで行ってもスライダーしかない。

右打者が相手ならば、外角に直球とスライダーを出し入れしていけば自然とカウントが整う。しかし、対左打者となればスライダーは打者の膝元に入れていくか、外角のボールゾーンから曲げてカウントを取るしかない。

 

コースも、高さも、完璧だった。完全なアウトコースを掠めるスライダーを投げ込んだはずだった。

 

―――だが、打たれた。

完璧なコースに曲げ込んできたスライダーを、そのまま外目に引っ張り込んで―――ライトスタンドへ。

 

このスライダーは―――過去に、憧れの先輩から伝授された。

今となっては、自分のバックでショートポジションを守る、先輩から。

 

全力で放って、文句ないコースに投げ込んだそれを叩きこまれた。

―――それは、予想以上のダメージがあった。マウンドでの心の支えが、グラつきそうになる。

 

それでも―――久遠は歯を食いしばる。

「五番、ショート中之島―――」

中之島幸宏が、バッターボックスへ入る。

今ここで自分がするべき事は悔恨をグチグチと反芻する事ではない。今眼前に立つバッターを抑える事に集中しろ―――。

 

しかし、その意識が更なるサイクルを生み出す。

一球目、ボール。ストレートがすっぽ抜ける。

二球目、ボール。外角のスライダーが見切られる。ツーボールノ―ストライク。

 

―――曲がり始めが早くなってるな。

中之島は久遠の異変に気付いていた。

力み、力んだ結果としてフォームが崩れている事を。

「ベストなピッチングで一発を打たれた」

このたった一つの結果から、久遠はならばとベスト以上の球を投げねばならないと力んでしまっているのだ。

 

三球目。

「ぐぉ!」

中之島はそんな声を上げ、背中側から発生した衝撃を受け止めた。

スライダーがすっぽ抜け、中之島の背中側に来てしまったのだ。

当然、デッドボールが宣告され、中之島は一塁へと歩いていく。その中途、帽子を丁寧に脱ぐ久遠を中之島は一瞥する。

―――何でそんなくたばりかけの目になってんだよ。

そんな事を、ただ思った。

敵だというのに、何故だか悔しかった。

 

 

試合は、異様な雰囲気に包まれていた。

一回での石杖所在への頭部死球。そして、その次の回での中之島への死球。―――無論、報復ではない事は明らかであるが、それでも互いの悪感情は空気に伝染する。

六番、七番と下位打線に対しても久遠はスライダーを連投。その甲斐あってか両者ともスライダーを引っ掛けフライに打ち取るも、八番に対しストレートのフォアボールを与えてしまう。ツーアウト一塁二塁。

そして、九番葛城を迎える。

その、初球。

まさしくセオリー通りだ。

スライダーの連投でフォアボールを与えた次の打席。ここで出塁させれば満塁で上位に回るというシチュエーション。そして、ここで抑えればチェンジという場面。

真っ直ぐを、投げ込む。

―――その真っ直ぐは、吸い込まれるようにど真ん中へと向かって行く。

 

キン、という音と共にバッター葛城の打球はライト前へと運ばれていく。

 

俊足の中之島はそのままホームへと向かう。

ライト霧栖は、ホームを諦め―――捕球と同時にサードへと送球する。

 

その送球は、まさしく矢の如き威力を以てサードへと一直線に向かって行く。

―――アウト!

僅差であったが、霧栖弥一郎の送球スピードが勝り、タッチによって一塁走者は刺殺。ホームに生還した中之島の得点は認められたものの、これにてチェンジとなった。

1-2。この回、結局久遠は逆転を許してしまった形となってしまった。

 

「おお、すげえ強肩だべ」

渋谷秀喜は、驚嘆の感情をその眼に浮かべ、そう素直に驚いていた。

それは、中之島も同じ事だった。

―――マジでとんでもねえ身体能力だな。

まだまだ外野守備そのものは稚拙だ。動き始めが遅いし、捕球動作も実に堅かった。あの動きを見れば、一塁走者も二塁を蹴る判断を下すのも致し方あるまい。

 

しかし、その諸々のマイナスを引っ提げてなお、あの送球が全てを打ち消した。

興味が、強まった。

―――あのクソッタレを散々ボコしたというバッティングも、早く見てみてえな。

そう中之島は思った。

実にムカつく試合であるが―――それでも、相手にとって不足は全くない相手である事は間違いない。ムカつきつつも、楽しめる部分も、確かにこの場には存在している。

 

 

二回裏。

七番から始まるこの回を、当たり前の様に瀬倉は三者凡退に抑えた。

その様子を、ベンチから石杖は見ていた。

―――何かカラクリがあるはずだ。そうでなければあり得ない。

石杖は見ていた―――「肘」を。

長袖のユニフォームに隠された腕の、中心部たる肘を。

―――わかんねえな。

どうしたって、何かしらの変化がそこに起こっているようには思えなかった。腕の確度も、フォームも、ベンチから見た限りにおいては変わらない。

九番福浦がショートゴロに倒れたその打席を見届け、一つ石杖は目を閉じた。

 

―――たった一つ、「仮説」ならばある。

 

だが、あくまでそれは現状「仮説」でしかない。

それを―――次の打席に、実証してみたい。

 

その為にも―――三回、平和に終わってくれればいいなぁ、と石杖は思った。

 

三回表。ピッチャー久遠。

先頭打者瀬倉と二番打者を直球主体のリードで抑え、迎える三番蛇島の打席。インサイドを狙った直球が甘めに入り、センターへ返される。ツーアウト一塁。

そして四番渋谷をスライダーの連投によってカウントを悪くし、フォアボールを与える。ツーアウト一、二塁。

そして迎える―――五番中之島。

インハイに抜けてきたスライダーを―――そのまま三塁線に弾き返し、走者一掃の二点タイムリー。

「--------」

その様子を、呆然と久遠は見つめていた。

1-4。一気に戦況は、海東学院へと確実に傾いていっていた。

 

 

三回裏。

先頭バッターから二者連続で三振を奪い、迎える三番石杖。

 

「------」

「------」

無言で向かい合う両者には、奇妙な緊張感があった。

互いが互いに、理解しているのだ。―――前の打席の出来事が「偶然」ではない事を。石杖はその故意に気付いているし、瀬倉もその事に気付かれている事に気付いているのだ。その間にあるのはピッチャーとバッターという空気感だけでなく-----言うなれば、互いが互いに刃を向けられているかのような、差し合いの如き緊張感。

 

両者が、向かい合う。

 

―――さあ、投げ込んで来やがれ、瀬倉。

お前のスクリューを。お前の決め球を。

―――お前の狙いは解ってんだよ。さあ、さっさと投げ込んで来い。

 

一投目。外角へと投げ込まれる直球。石杖、しっかり外角へと踏み込み食らいつく。ファールボール。ワンストライク。

二投目。今度はインハイへの直球。今度は、身体を動かさずこれを見逃す。判定はボール。ワンストライクワンボール。

三投目。高めへと抜けていく直球。当然見逃す。ワンストライクツーボール。

 

瀬倉は、この時点で―――恐怖混じりの、怒りを感じていた。

 

こいつは―――怖くないのか、と。

前の打席でわざと頭にぶつけたのも、決してただ気に喰わなかったという理由だけではない。

この男はインサイドの直球に、一切の恐怖を覚えている様子が無かった。左サイドから、角度をつけて放られる右打者への内角へのボールは、本能的にバッターは恐怖を感じるはずなのだ。自分の視覚の端っこから突如自分の身体に向けてボールがやってくる―――そのボールに、大抵の打者は腰が引けてくるはずなのだ。

だが、その様子がこの男には無かった。

だからこそ―――実際に、当てたのだ。一番ダメージが大きいであろう、頭部に。

 

なのに。なのに。

何故にこの男は―――今になっても、全く変わりなく自分のボールに対応しているのだ。

 

外角に踏み込む。内角のボールを腰を引かずに見逃す。この作業が―――何故、出来るのだ。

 

瀬倉は知らない。

この石杖所在という男が持つ奇妙な「鈍感さ」を。

 

実際の所、石杖所在は瀬倉のボールに恐怖を感じているのだ。

しかし―――「脅威」は感じていない。

 

結果から言えば、瀬倉がとった手段は全くと言っていいほどに悪手であった。脅威を感じない石杖にとって、例え頭部死球を与えた所で、それを引き摺る事が出来ないのだ。もう一度ボールに当たってしまう事の恐ろしさを感じていたとしても―――その恐怖に身を竦める機能を、石杖は喪っているのだから。

 

苛立たし気に、瀬倉は―――スクリューを投げる。

 

ここだ、と石杖は心の中で唱える。

 

石杖の左腕がスクリューのリリースに反応すると同時に―――バットを、ゾーン内に寝かせた。

「な」

瀬倉は、完全に意表を突かれる形となる。

ピッチャー前に転がされた、セーフティーバント。

 

タイミング的には、完全にアウト。ピッチャー前に転がされたそれは、捕球と同時に一塁へ送球できる、明らかに失敗したバントであった。

だが、瀬倉は捕球し、それを送球―――できなかった。

身体を翻し一塁へと送球しようとした瞬間―――それを、自ら止めたのだ。

海東学院のベンチが、ざわつき始める。

アクシデントか―――そう思われても仕方がない。内野陣が瀬倉に集まって行くが、何でもないと苛立たし気に言いながら、追い返す。

石杖が、呟く。

「解ったぜ―――お前の肘の正体」

そう言う石杖の表情は、しかし笑みは無い。

むしろ―――困惑しているようだった。

「と言ってみたはいいけど------これ、マジなのかねぇ?」

そうとも、また呟いていた。



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帝王VS海東学院⑥

信じがたい思いであった。

一塁ベース上、石杖はジッと瀬倉を眺めてみた。

敢えて、挑発的なニヤケ顔で。

瀬倉はこちらを一切見ない。しかし、―――次の打席に立つ友沢を見るその表情は、明らかに苛立っていた。

 

タネを明かせば、瀬倉は―――肘関節を伸ばしているのだろう。

信じられない話だが、それでもそうとしか仮定できない。

 

肘関節は、筋肉によって繋がれている。

肘の可動部分の間にある腱によって繋がれた筋肉が伸縮し、肘関節は動き出す。

スクリューを投げる場合、肘を捻り、シュート回転をかける事で初めて曲がり出す。握りによって投げる事も出来るが、瀬倉のような大きく曲げるタイプのスクリューならば肘の捻りなくして投げる事は不可能だろう。

 

スクリューを投げる時、真っ直ぐより“リリースのタイミングが遅れる”。

これが可能となる仮説を考えれば―――奴自身の腕が伸び上がる事が必須条件となる。

 

瀬倉は、あのスクリューを使いだしたタイミングで―――ユニフォームを長袖に変えている。

腕の使い方を変えたから、それを隠す為だと奴は言っていたという。

嘘は言っていない。

例えば。例えばであるが。―――外科的手術を用いて肘の間にチューブでも埋め込んだのかもしれない。人工筋肉に取り換えたのかもしれない。ここからは完全なる想像でしかないが、しかし考えられる可能性はこんなものだ。

 

「------ありえねぇ、よなぁ」

自分の想像力に、思わず苦笑する。

まあ、しかし何らかの要因によって「スクリューを投げる際にリリースが遅れる」という事象が起こっているのは間違いあるまい。あの霧栖であっても、実際に自分の感覚と完全にズレていたと報告していたのだ。ここだけは、実際の所どうしようもない厳然たる事実として存在している。

 

しかし、収穫はあった。

一つ。スクリューを投げた直後には、あの男はピッチャーゴロを処理できない。恐らく一塁ベースまで走り寄ってトスする位ならば出来るかもしれないが、間違いなくサード方向へのゴロ処理などの一塁へ素早い送球する必要が出来た場合には不可能になるだろう。

二つ。

「―――セーフ!」

―――やっぱり、アレは厳然たる魔球だ。しかし、魔球故にアマレベルのキャッチャーには荷が重い。スクリューが投げられた時点で捕球が精一杯であり、スチールには対応が効かない。瀬倉自身、あまりクイックが早くない事もあり―――塁を盗む事は然程難しくはない。

 

石杖所在のスチール成功により、ツーアウトランナー二塁の状況下となる。対峙するは帝王の四番、友沢亮。

―――うぜぇ。

ちょろちょろちょろちょろ。先程頭部死球をぶち当ててやった奴が、こっちの手を見透かしたようにごちゃごちゃごちゃごちゃ。ウザいったらありゃしない。さっきは戦略的な頭部死球だったが―――今度は、感情面で奴にデッドボールを与えたいくらいには、瀬倉は石杖にイラついていた。

 

―――はん。だからなんだ。

―――お前はしたり顔かもしれねぇな。弱点を見つけたってな。これで攻めの筋が出来たってな。よかったなぁ―――。

表情が、歪んでいく。

イラつく。ムカつく。頭が沸騰したように熱くなって目の先がチカチカする。

この程度の怒りですら、この男は我慢することが出来ない。いや、する必要なんてなかった。ムカつけば解消すればいい。壊せばいい。それが許される特別な存在こそが瀬倉弓也であるからだ。

「―――く」

インサイドの直球を二球。アウトサイドの直球を更に二球。その全てがファールゾーンに飛ばされ、ツーストライクワンボールまで追い込まれる。

―――ここに来て直球の球威が増してきた。

明らかに、ギアを入れてきた。その感覚が打席に立つ友沢にも如実に伝わってくる。

そして最後は―――外へと逃げるスクリューを外角から投げ込んだ。

タイミングを外され―――空振り三振を喫する。

 

―――けどなぁ、バットに当たらなきゃ意味がねぇんだよ。

 

三回裏をしっかりと抑えた瀬倉は、雄叫びを上げながらベンチへと帰っていく。

まるで、内にある靄を消さんとするばかりに。

 

 

ベンチに戻る時―――石杖を監督が呼び出し、あのプレーの真意を尋ねた。

だからこそ、石杖は自らの仮説を隠すことなく監督に伝えた。

「-----本当か?」

「うす。------何か肘の間に細工があるのは間違いないかと」

ううむ、と監督は一つ唸る。

当たり前であるが、にわかには信じられない話だ。

「しかし------あのピッチャーゴロ処理は、明らかに不自然なのは間違いあるまい」

「ねえ、監督」

「何だ?」

「ちょっとだけ、面白い事を思いついたんですけど―――聞いてくれません?」

 

 

四回表の海東学園下位打線の攻撃。しっかりと久遠が三者凡退で終えた、その裏。

「------」

霧栖弥一郎が三振を喫した次の打席。―――異変が、起きていた。

 

 

六番、新垣。

始めから―――バントの構えで打席に立っていた。

 

 

―――いいか、お前等。正直、瀬倉の変化球にまともに対応できる可能性があるのは、クリーンナップの三人だけだ。

監督が皆を集めて、開口一番そう言い放った。

―――だが、打つ手はある。

 

そう宣言し―――打ち出した手が、これである。

その意図が理解できない瀬倉ではなかった。

 

―――スクリューが来たら、全部こっちにバントするつもりか!

先程、露呈してしまった瀬倉の「弱点」。

それは、スクリューを投げてしまえば、その後のピッチャーゴロの処理が出来なくなるという弱点。

―――まさか。

さっきの「アレ」を偶然と片付けず、本気でこれをチームがかりで攻め立てるつもりなのか。

石杖には、何となくこの仕掛けが見抜かれた事を感じていた。

しかし、―――普通に考えればあり得ないその論理。スクリューを投げる時に肘関節を伸び切らせている所為で、まともな送球が出来ない―――そんな、常識はずれのカラクリ。

それを、信じているのか。このチームは。

ギリ、と瀬倉は歯軋りしながらセットポジションに入る。

―――舐めんな。

一投目。直球を投げる。

すると―――新垣はそのままバットを引き、振った。

あからさまなバスター打法だ。バントの構えからバットを引き、打撃へと転化する打法。

それを、新垣はやった。

当然―――バント構えからスイングへと移行する為、余計な動作が入り混じる。その為、瀬倉の真っ直ぐは打ち返せずファールゾーンへと飛んで行く。

同じ様に、二投目も真っ直ぐを投げ、同じ様にファールゾーンへと飛んで行った。

ツーストライク。一気に追い込まれる。

―――しかし、新垣のバスターは変わらぬまま。

「------」

三投目。真っ直ぐ。ファール。

四投目。真っ直ぐ。ファール。

五投目―――。

「-------」

遂に、瀬倉が折れる。

低めへと沈んでいく、スクリューを投げ込む。

当然、バントを行使し、ファールゾーンへ飛べばスリーバントによってアウトとなる。

しかし、新垣はそれでもバントを行使した。

バットの上っ面を叩いたその打球はフラフラとファールゾーンへ飛んで行き、アウトとなる。

 

新垣はアウトを宣告されると同時にベンチへ戻る。―――出迎える連中の全員が、バシバシと頭を叩いて「よくやった」と言っているようであった。

 

七番宮出が、打席に入る。

瀬倉は、ぞわりとした感覚に襲われた。

 

何故なら―――同じ様に、バスターの構えをしていたからだ。

 

 

「つまりだな―――俺達は、周囲にアピールするんだよ。“あいつのさっきのプレーは、インチキの匂いがする”ってな」

石杖は、作戦の意図を皆に説明する。

「真っ直ぐは振れ。スクリューはバントしろ。追い込まれてスリーバントの状況だろうがやる事は同じ。―――これでまぐれ当たりでスクリューのバントをあいつに転がすことが出来れば万々歳だが、そうじゃなくても別にいいんだよ。意図は二つ。奴にスクリューを投げにくくさせて、真っ直ぐを投げるように誘導する事。そんでもって―――周囲に、つまりは観客だとか審判だとかに、さっきの瀬倉のピッチャーゴロ処理の怠慢プレーは、偶然じゃないと想定して俺達は思っている、と。そう思わせる事だ」

「----どういう事だ?」

友沢が、石杖に尋ねる。

「見た所、アイツは相当イラつきやすいしプライドが高い。そういう奴にとって、周囲の空気ってのは結構敏感に感じ取れるもんなんだよ。―――アレ、アイツ何かがおかしいのか?そう周囲に思わせれば、それだけで冷静さを奪える。そして、ますますスクリューを投げ込みにくくなる」

要するに。

これは奴のスクリューをとことんまで封じる作戦であり、奴のイライラを誘う作戦だ、と石杖は解説する。

「だから、徹底してやるぞ。スリーバント上等。むしろ“スリーバントしてまで、バントしたいのか”と思わせればこっちの勝ちだ。無為に三振の山を重ねるよりこっちの方がいいだろ」

さあて、と石杖は締めの言葉を喉元へと持っていく。

「―――こっからが、俺達の攻めだ。徹底して、ぶちのめすぞ」




大和加入記念。ばんじゃーい。


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帝王VS海東学院⑦

この試合は、所詮は地方予選の二回戦でしかない。

そのはずなのだが、比較的観客の数は多い。

皆解っているのだ。―――この試合が、実質的なこの地方における決勝戦なのだと。

だからこそ、感じる。

違和感を。

―――帝王高校側の打線の不気味さに。

六番、七番と全員がバスターの形に拘り続けているという事実に。

 

「------」

 

審判もまた、この異様な光景に顔を顰め始めた。

周囲の者は気付き始めた。何に気付いたのかは、不明瞭であるが。それでもこの場所には何かがあるのだと。

そしてその何かは―――先程の石杖のプレーに伏線があるのだと。

 

―――何だよ。

―――何で、俺がここに立ってんのに、こんなに空気が悪いんだよ。違うだろ。今俺は勝っている側のピッチャーのはずだろ?何でこんなに、訝し気な空気を吸わなくちゃいけねぇんだよ。

 

曇天の中にいるような気色悪さが、辺りに満ちている。

 

―――クソが。こんな空気を吸いたくて、俺は―――

 

苛立ちが、投球を奔らせる。

―――バスターなんざ舐めたマネしやがって。俺の直球を舐めんじゃねえぞ。下位の雑魚が。

サイドから放たれるのは、全てインハイへ向かう直球。

二球ともバットに掠る事すら出来ず、三球目は手も出すことが出来ず、三球三振。

 

しかして、周囲には静寂だけが残された。

その事が―――ますます瀬倉を苛立たせた。

 

 

そして―――後半戦が、始まる。

九番バッターを初球のポップフライに打ち取り、一番バッター、瀬倉がコールされる。

 

―――なあ、何故なんだよ。瀬倉弓也。

久遠ヒカルは思う。

―――お前は、凄いピッチャーじゃないか。凄い才能を持った人間じゃないか。なのに、何故だ。何故あんな事をしたんだ。

きっと自分には一生解らない感覚なのかもしれない。もしかしたら、こういう人間だからこそ、瀬倉はこれだけのピッチャーに成れたのかもしれない。

他人を蹴落としてでも、自分を上に置きたいという欲求。それは、確実に久遠には存在しないモノだ。

 

―――だから、今となっては―――

 

これだけ投手としての差を見せつけられて、

こうして自らに立ち塞がっている現況が存在するのだろうか。

 

何が正しいのかは、久遠にだって解らない。

今の自分の状況や、これまでの軌跡が正しいものだとも思わない。

けれど、一つ確信している事がある。

 

―――少なくとも、久遠ヒカルはあんな風に成りたくない。

それだけで、十分なような気がした。

自分がどうなりたいのか。はっきりしたものは見えない。でも、ああなってはいけないという事だけは解る。

敗けたくない。

今はじめて―――その理由が、明瞭に見えた気がする。

 

 

瀬倉は三球目に投じられたカーブを引っ掛け一二塁間にへボテボテのゴロを放つ。

それをファーストが前に出て、捕球する。

ベースカバーへ向かう久遠と、瀬倉との競争となる。

 

瀬倉の頭には―――事故を装い、久遠とぶつかろうかと、頭によぎる。久遠はカバーに入る事に必死で、ランナーをそこまで意識しているようにも思えない。回避動作には入れないだろう。

しかし、

―――アウト。

出来なかった。

それは別に良心の働きかけによるものではない。

周囲の空気が、そうさせた。

今自分は―――あからさまに注目されているのだという、空気感。

これ以上何事かをやらかせば、更にこの空気感が強くなるのであろうという恐怖。

 

今、瀬倉は“恐怖”の中にいた。

自分の左腕の“異常”が周囲に勘付かれるのではないかという恐怖。

今自分が疑われているという空気感に対する恐怖。

 

その恐怖が、自分の意識を雁字搦めにしていく。

 

いつの間にか、瀬倉は次のマウンドに立つ事が恐ろしくなってきた。

恐怖は、遂にそこまで到達していた。

 

「-------」

蛇島は、その様子をジッと見ていた。

その表情は―――まさしく幻滅の色に染まっていた。

 

この程度だったのか。

内心、解ってはいたものの―――あの男は所詮、手に入れた力に振り回されるだけの器でしかなかったのだ、と。

 

―――私なら、そうはならない。

 

だからこそ、興味は瀬倉そのものではなく、瀬倉の「左肘」と移る。

どうやったのか。何を以てああなったのか。

それさえ解れば―――自分もより“特別”になれるかもしれない。

その秘密さえ知ることが出来れば―――お前は用済みだ。

蛇島の口元が、薄く歪んだ。

誰にも気付かれる事の無い、笑みの形を浮かべて―――彼はゆっくりとグラブを左手に嵌めこんだ。

スリーアウトチェンジの宣告を聞きながら、蛇島はグラウンドへ走って行った。

 

 

―――どうだ、瀬倉?

怖いだろう。

そのマウンドに立つ事が、怖いだろう。

しっかりと味わえ。

これは今まで―――お前が目を背けてきた恐怖だ。

その恐怖を誤魔化す為に必死に逃げてきたのだろう。

 

一番有島は、初球に投げられた高めの直球を難なくバスターから弾き返した。

今までの瀬倉の傾向からして、カウントがある程度整うまでは直球で押し込んでくることは解っていた。そうと解れば有島に怖いものはない。バスターは投球動作に入る直前に即座に解除し、ライト前に見事なライナーを放つ。

ランナー一塁。二番打者木島の場面で、有島は初球からスチールをかける。

投げ込まれたのは、アウトローへの直球。木島は身体を投げ出す様にその球に踏み込み、無理矢理にそれをショート方向に転がした。

ベースカバーに入った中之島の逆を突き、ボールは内野をボテボテと超えていく。有島は三塁まで到達し、ノーアウト一塁三塁のピンチを迎える。

 

瀬倉弓也は信じられない面持ちでその様子を眺めていた。

自分は幻覚でも見ているのだろうか―――本気でそう思っていてもおかしくない程に、呆けた表情をしていた。

 

―――ピッチャーは、恐怖を抱え込んだ瞬間に一気に瓦解する。

今瀬倉は間違いなく“恐怖”を感じているはずだ。

自分が一番自信を持っていた魔球への信用が揺らぎ、直球の割合を増やした。増やせばそれを見抜かれ、初球から打ち込まれるようになった。

 

ならば次は何を投げるべきだろうか?

直球は二連続で打たれている。

だがスクリューは以前の打席で石杖にバントを決められている。

 

そんな思考が―――まだ石杖が打席に立っていないにも関わらず、ぐるぐると思考が駆け巡る。

どれを投げても―――ロクな結末が待っていないような気がするのだ。

 

石杖は、はっきりと待ち球を決めて打席に入る。

次に投げる為を、石杖は確信を持っていた。

 

―――そら来た。

 

この試合―――というか、この大会で一度も使っていなかった他の球種が投げ込まれる。

バラついたリリースから放たれたボールは、石杖のインコースに投げ込まれた、パワーカーブ。

 

―――こういう時の対処法が解らねえと、他の武器に頼りたくなるのはピッチャーの心理よな。

そのボールを、石杖は迷いなく三塁線に引っ張り込む。

強烈なゴロがサードを貫きレフトの前へと転がっていく。

 

一点が入り―――少し薄めの歓声が巻き起こる。

ランナー一塁三塁は変わらず、迎えるバッターは友沢亮。

 

「―――ぐっ!」

あ、と瀬倉は声を出した。

初球―――直球がすっぽ抜け友沢の腰にデッドボールを与えてしまう。

本日二度目の死球に、球場がざわつき始めた。

―――うるせえ。このタイミングでわざとぶつける訳がねえだろ。

イラつき、心中瀬倉はそんな風に呟いた。

 

気付けば、ノーアウト満塁。

そこに立つのは―――霧栖弥一郎。

「-------」

逃げられない戦いを前にして、瀬倉は血が滲む程に唇をかみしめた。

 

霧栖弥一郎が、バッターボックスに入った。

 

 

“いいか、弥一郎。将来四番を張る様なバッターに成りたければな―――”。

今は亡き祖父の声が、脳内に響き渡る。

おう、解っているぜ、祖父さん。

俺が今何をするべきなのか。

何を以てこの勝負における“勝”を勝ち取れるのか。

今瀬倉はこの流れに、「納得」してねえはずだ。

チームぐるみで卑怯な手を使って自分のスクリューを封じ込んできた。その所為で直球が狙われた。だからこんな状況になった。

今奴は、言い訳をしているはずだ。

この状況は「実力」故ではないと。

こいつはそういった諸々すべて含めて「実力」だと言い切れるほどの殊勝な心なんざ持ち合わせていないはずだ。

 

このスクリューは誰にも打たれない。打たれるはずがない。

それを、心の拠り所にしているはずなんだ。

 

初球は―――やっぱりか。直球を投げ込んできたか。ボールゾーンぎりぎりの、インローの球。

 

どうだ瀬倉。お前なら解るだろう?

今の俺のボールの反応を見て、バントの可能性は無いって。

 

おう。来やがれ。

スクリュー上等だ。

 

二球目。今度はアウトローへの直球。三球目は、インハイ。二つとも見逃し、ツーストライクワンボール。

 

さあ、追い込んだな。

どうだ、直球三つ続けて、俺の頭はそのタイミングで頭がいっぱいだ。

次にブレーキが利いた変化球なんか投げられたら、空振りするかもしれねぇな。

 

それでも尚直球を投げるのか?

バントはしねえ、カウントも有利。こんな状況下でも投げられねえほど、今のお前は自分の決め球に自信を持てねえか?

そこまで頭がキてるってなら、それはそれで構いやしねえ。お前の心はアリカ先輩にメタ糞にへし折られた、って事だろうからな。

 

でもそうじゃないだろう?

来いよ。

 

―――四球目。

遅れてくるタイミング。

浮き上がり、高めからシュート方向に沈んでいく軌道。

 

すげえ球だな。

本当に、鋳車のシンカーにだって負けていないかもしれねぇ。

 

お前がどれだけクソ野郎でも―――やっぱり、このボールを作りあげた執念だけは、本物だと思うぜ。

 

さあ、バットを振ろう。

いつも通りだ。テイクバックから腰を捻って、あのボールを叩きこむんだ。

目指す先は、ただ一つ。

スラッガーの証明である、放物線を描こう。

 

だってよ。

四番に成りたければ―――相手の決め球を打てるようにならなきゃならねえんだ。




大谷選手、エンゼルス入団おめでとうございます。二刀流、出来ればいいなぁ。


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帝王VS海東学院⑧

今回、結構キツイ描写があります。最後あたり。苦手な方は、読み飛ばす事を推奨します。


―――誰よりも、球に当てる才能を持っていた。

―――誰よりも、球を飛ばす才能を持っていた。

 

そして、誰よりも努力する才能も持ち合わせていた。

巨大な原石が、誰よりも自己を研磨する事を怠る事をしなかった。

それが、霧栖弥一郎という男であった。

 

楽しかった。

眼前のピッチャーはどんな球を投げるのだろう。

どんな風に、自分に立ち向かってくれるのだろう。

どれだけ打った所で、打率が十割に達する事はない。中学時代、およそ半分をヒットにしたこの男だって、裏を返せば半分は凡退に終わっている。

成功と失敗がでんぐり返しのように繰り返す度に、彼はその記憶を忘れぬ様にバットを振った。

 

自分に立ち向かってくれたボールに、確かな敬意を持って。

別にこの男に高尚な野球哲学が存在する訳ではない。その敬意は、ただ一つの思いに集約している。

 

野球が、楽しい。

成功も失敗も。打つも守るも走るも。あらゆる全てを含めた上で、どうしようもなく楽しかった。

 

凡退する度に―――悔しさよりも、次にそのボールをどう攻略してやろうかという思索が優先された。

 

だが、今少しだけ理解出来る。

 

「勝ちたい」という気持ちが。

自分の野球ではない。チームとして、相手に勝ちたいという思いが。

 

―――少なくとも。今自分は許容できない。

この相手に敗けるという事が、一切許容できない。

例え自分が全打席ホームランをかました所で、チームが敗ければ意味がない。

 

そうか。

皆は―――こんな思いを抱えながら野球をやっていたのだ。

 

自分がどうこうではない。チームが勝たねば意味が無い。

だから、敗けて納得できないのだ。だから、敗けて怒るのだ。

 

ああ、そうか。

これが自分に無かったものなのだと―――認識した。

 

心地よくはない。

この心の在り方に如何ほどの価値があるのか―――それは、この試合が終わった時に解る事だ。

 

だから、―――俺は今ここで打たなきゃいけない。

そう心の底から思えた。

 

 

うねり、落ちていく瀬倉のスクリュー。

それはまさしく理想的な軌道を描いていた。

真ん中のゾーンから逃げていく様に外角へと滑り落ちていく。

 

しかし、瀬倉の目から見ても解った。

外角のボールに泳がされる事も、タイミングを外されている様子もない。

 

軸足に根が張り、リリースの瞬間にはバットのヘッドが後ろへと移行する。

同じだ。

中学の時に、ボコボコに打たれたあの時の記憶と、マッチする。

 

―――ああ、そうだった。

霧栖弥一郎は、こういうバッターだった。

タイミングをどれだけ外そうと、視界から消えるように変化球を投げ込もうと。

 

それでもこの男は幾度となく打ち砕いてきたのだ。

 

根が張ったように動かない軸足。

主柱のような体幹から回旋し、バットが駒のように回る。

 

外角に落ちていく、シュート回転のボール。

恐らく右バッターにとって一番飛ばしにくいコースのボールを、呼び込んで、打った。

 

弾けるような金属音。

それと共に―――反対方向へ、巨大な放物線を描いて消えていく。

 

 

―――なあ。

―――ここまで、俺だって、色々やってきたんだよ。

自分の才能と折り合いをつけてサイドスローにした時。

それが上手く嵌まって一気に才能が開花したように思えた時。

そしてそれが打ち砕かれた時。

―――それでも、俺はこんな結末を迎えてしまうのか?

 

怪しげな博士の力を借りて、こんな肘に変えちまって。

それでも―――。

 

歓声が響き渡る。

どうしようもない程の、歓声が。

その声が―――どうしようもない現実の狭間に、瀬倉を押しやっていた。

 

 

「ねえ」

「何デスカ?加藤先生?」

怪しげな地下室の中、二人は話していた。

加藤と、ダイジョーブの二人である。

「------瀬倉弓也君、だっけ?あの子の左肘、手術したの貴方でしょ?」

「ハイ、ソノ通リデース。トテモ貴重ナ、さんぷるデシタ」

「あれって-----?」

「言ウナレバ、“肉体変異種”ノ一種デース」

「貴方、また性懲りもなく肉体改造に手をかけたの?」

「オウ、アレハ違イマース。確カニ手ヲ加エタノハ確カデスガ、アレハ私ノ化学デハアリマセーン」

「じゃあ、何?」

「アレハ―――」

ダイジョーブは、説明する。

瀬倉弓也の、左肘について。その肘の合間に潜む、“何者”かを。

「成程ね。病的-----いえ、もう“病”に陥ってしまったと言っても構わない程の意思によって、肉体が変異する現象。それが、瀬倉君に------」

「いえす。彼ノ左肘ニハ、ソノ兆候ガモウ既ニ存在シテイマシタ」

“意思”もしくは“思い込み”。

それが肉体を変異させる。

「それって、プラシーボ効果のようなものなのかしら?」

「近イデース。ケレドモ、ぷらしーぼヨリカハ、モット深刻デスネー。ぷらしーぼハ“効果”ヲ発生サセル事ハアリマース。ケレドモ、肉体ソノモノヲ変エル事ハマズナイデース」

例えば、“水を飲まなくても死なない”と思い込んでいる人間がいるとする。

プラシーボは、水が枯渇している状態においてもその思い込んでいる効果を肉体を騙し、効果を発生させる。

この“病”は―――水がなくても生きて行けるように、肉体を変化させる。

成程、と加藤は思った。

思い込みによる肉体の変化。

 

―――ならば。

―――その思い込みそのものが打ち砕かれた時、その病に罹った人間は、どうなるのだろうか―――?

 

「ソノ時ハ―――」

博士は、その結末を加藤に告げた。

 

 

敗けた。

自分の全てを賭けて、このスクリューを形作った。

俺の。俺だけの。スクリュー。

 

なのに。それでも―――それでも。

あの輝きを放つスラッガーには、勝てなかった。

 

決め球を運び込まれてスタンドイン。ご丁寧に直球を見逃し追い込まれた状態からの―――この、流れ。

4-6。

一挙五点を奪われての、逆転劇。

 

言い訳無用の敗北。

それを受けて―――ただただ、呆然とする他ない。

 

この左肘から生み出されるスクリューはきっと打たれはしない。

俺よりも才能のあるやつでも。俺よりも体格のでかい奴でも。

きっと打てない。この魔球を打てはしない。

 

敗けたくない思いから生まれた瀬倉の左肘。そこから生み出されるスクリュー。

それを―――こんな風に、こんな見事に打ち砕かれて。

 

ああ、と思った。

結局、無理だったのだ。

 

この変化した左肘でも。

 

そう思った瞬間。

何か音がした。

 

ぼきり。

ごきり。

そんな骨が砕かれる音と共に。

ぐちゃり、とか。

ぎちり、とか。

肉が裂かれたり貫く音だったり。

 

「―――え?」

自分の左腕を見る。

肘から、何かが見える。

それは、どす黒いナニカ。

 

まるで何かに食い千切られたような、そんな色。それが長袖のユニフォームから垂れ流されて―――。

 

「あ-----あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

何かがぶり返すように、激痛の波が襲いかかって来た。

ぼたりぼたり、と零れる鮮血。

周囲が血相を上げて近付いて来る。

 

やめろ。

やめろ。

見るな。見るんじゃない。

 

違う。これはちょっと、ちょっとだけ何かが起きただけなんだ。解るだろう?こんな所でこんな風に成る訳がないじゃないか。そうだろう―――?

 

集まった連中に、ユニフォームが捲られる。

「やめ―――」

止める声も聞き入れず、隠されたその先にあったのは―――。

 

伸び切った関節が、伸び切ったまま―――骨を、左肘から露出させている光景であった。

開放骨折。

それも折れた骨ではない。関節が伸びて、骨と骨とがぶつかり合って、出来上がった―――ひしゃげ、“砕かれた”骨だ。

 

ああ、そうだ。

そうだった。

 

騒然とする周りの声すら耳を貸さず、彼は一人絶望の最中に血に濡れたマウンドを見る。

 

敗けたくないという思いから生まれた俺の左肘は―――敗けた瞬間、こうなっちまう運命だったんだ。

 

ひひひひ。

はははは。

瀬倉は―――もう、笑う事しか出来なかった。

 

これが、帰結だった。

これこそが、俺の。



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帝王VS海東学院➈

場内が、ざわめいていた。

観客席にいる数少ない女性客の悲鳴を皮切りに、次々と何だ何だと注目が集まっていく。閑散とした、静かな雰囲気だからこそ、そのざわめきは如実に辺りの空気を変えていた。

唐突に―――肘から大量の出血を始めた瀬倉。

涙を流して、彼は笑っていた。

笑いながら、その場に座り込んでいた。

 

その後―――担架で運ばれた瀬倉は、そのまま救急車を伴い付近の市民病院へと運び込まれていった。

 

何が起こったのか―――全く解らない。

霧栖弥一郎に本塁打を打たれ、その直後にああなったのだ。

 

 

つまるところ―――死んだのだ。瀬倉は。

敗けたくないという意思に呼応し、彼の左肘は変異した。

彼が理想とする、魔球を作り上げんと。肉体を変異させ、左肘の関節を増やした。

 

しかし、ピッチャーとして完膚なきまでの敗北を味わわされた彼は、肉体を変異させていた原動力となる病的なまでの「思い」が打ち砕かれてしまう。

その結果―――増えた関節は自壊し、付随する骨が砕かれ、ああいう結果となってしまったのである。

ピッチャーとしての「死」を迎えてしまった。

彼の命の証である左肘の損壊と共に。

 

―――人ハ、自分ガ何者デアルカヲ常ニ探求シ続ケル生物デース。

 

そう、あの博士は言っていた。

そして、―――自分は「こういう存在だ」と決着をつけた人間は、とても幸せなのだとも。

しかし、―――決着を付けれない人間もまたいる。こうあるべきなのに、出来ない。誰にも打たれないピッチャーでありたいのに、そうあれなかった瀬倉のような人間も。

そう言った人間が選ぶ道は二つしかない。

諦めるか、それとも食い下がるか。

食い下がって食い下がって、それでも成りたい自分に成れなくて。

自己を否定し、自己を変える事を要請し、自己を変異させる。

 

自らの弱さゆえに―――自己を、変えてしまう。

それはまるで―――心の弱さにつけこむ悪魔の如く。

 

―――彼ハ、悪魔ニ憑カレテシマッタノデース。

 

そう博士は最後に締め括った。

「悪魔------か」

ぼんやりとしたその言葉は、確かに―――このぼんやりとした現象には、当て嵌まっている気がした。

 

 

「なあ-----アリカ先輩」

「何だよ」

試合は、当然の如く一時中止となった。

「------何だったんすか?アレ」

「知るか。ホームラン打たれたショックで開放骨折なんか聞いた事ねえ。まだ脳の血管千切れてぶっ倒れる方が可能性としちゃあるぜ」

「だよなぁ」

信じられない思いは、試合当事者が一番如実に抱いているものだ。

「------ま、考えても仕方ねえさ。そんな事より、二点差だぜ。霧栖」

「もうここからは―――正真正銘の馬鹿試合かもなぁ」

これから―――クリーンナップと向き合う場面。

久遠ヒカルが、その相手をする。

今の所、残念ながらまともに抑えられていない。

「次のイニングだな。次のイニングを抑えれれば、あの三人に打席に回るのは終盤しかない。となれば―――」

「継投か?誰に?」

「だよなぁ-----」

誰に継投した所で同じ話だ。あの中でベストな選択肢として久遠を投入したのも、投手陣の薄さの証左なのだ。―――どれほど帝王が山口に依存していたのか、現在チーム全員が噛みしめている事だろう。

 

次のイニングが勝負どころである。

 

クリーンナップをキッチリここで仕留めきれれば、大量点に繋がる場面はこれから終盤にかけてやってこないだろう。

仕留めきれれば、の話であるが。

 

 

どういうことだ。

あれは―――一体どういう事だ。

 

蛇島は愕然とした思いで―――救急車に運ばれる瀬倉の姿を見ていた。

左肘が壊れた。

 

何故だ。

何故だ。

何故、ああなったのだ。

―――私が求めていたのは、あれ程に危険な力だったのか―――。

 

得た力は、死と隣り合わせ。

左肘の崩壊。それはまさしく―――ピッチャーにとっての、死と同義である。

 

あの男は何を差し出し、何によって、あんな事になったのだ。

 

―――何なのだ。

凡人が力を得ようと思うならば、あれだけの代償を払わねばならないのか?

死と隣り合わせの力。それを求める狂気。代償すら恐れぬ強固な意志。

 

試合が再開する。

 

次は、自分の打順からだ。

まだ試合は中盤。点差は二点。今の久遠ヒカルの出来ならば、まだまだ逆転の目はある。

 

―――こんな所で立ち止まる訳にはいかない。

自分はまだまだ、先を行く人間なのだ。

立ち止まれる人間ではない。立ち止まってはいけない。

 

動揺する心を静めながら、彼は―――瀬倉に変わったピッチャーが、下位打線を処理する様を見届けていた。

 

 

あの唐突な瀬倉の“終わり”を目の当たりにして―――久遠ヒカルの心に到来したモノは、憐れみでしかなかった。

ざまあみろ―――そう思いたくなるのだと、思っていた。

けど、思う。

 

―――自分はあの状況下で、それでも自分の決め球を信じて投げられるだろうか。

 

石杖に弱点を看破され、攻略され、塁を埋められ、迎えた打者は―――中学から滅多打ちにされている天才スラッガー。

自分の心の支えである決め球。

それが仇となり、彼は逆に追い詰められた。

それでも―――それでも、奴は自分の決め球を信じた。あの場面、あの打者に、しっかりと投げ切った。

 

それだけの覚悟が、今の自分にはあるのか。あの場面で―――キッチリ勝負に向かえる心が自分にはあるのだろうか。

 

瀬倉。

あの男は、確かにクソッタレの畜生だ。

 

けど―――例えどれだけその原動力が邪であろうとも、奴は勝利への執着心だけは何処までも本物であった。

 

自分は、どうだ。

―――勝利へ、執着しているか?

 

していない。

 

今の自分の心は、執着ではない。

「勝ちたい」という気持ちより―――「勝たなければならない」という義務感。それだけが、今の自分の心を支配している。

 

友沢先輩の、山口先輩の仇だから。自分のトラウマを打ち砕かなければならないから。そこに外的な理由がいくつもいくつも並びたてられている。

 

そうじゃない。

「自分が」勝ちたいからだ。

「自分が」投手として独り立ちしたいからだ。

 

―――エースに、なりたいからだ。

 

いつから忘れていたのだろう。

 

自分は、―――ただ、エースになりたかったんじゃないか。

 

きっと、瀬倉だってそうなりたくて、そう在りたくて、あれほどの球を手に入れたのだ。

忘れていた。

そして思い出した。

 

ならば―――やるべき事は、ただ一つ。

 

腕を振って―――自分のありのままを、ただただあのマウンドで表現するんだ。

 

 

マウンドには、久遠ヒカルが上がる。

帝王の下位打線は沈黙し、攻守交替。一挙六点の猛攻の後、海東学院の攻撃に入る。

ここまで許した失点、四点。もうこれ以上の失点は許されない。迎えるバッターは、凶悪クリーンナップ。

 

打席には、蛇島が入る。

 

―――さあ、かかってきなさい。

 

瀬倉の末路への動揺は、もう切り替えた。

どうであれ、何であれ―――ここで勝てば、甲子園には出場できる。

 

残りの地方戦は消化試合のようなものだ。瀬倉がいなくなり、甲子園本戦の勝ち残りの目は無くなってしまったが、それは仕方がない。今考えるべき事は―――目の前の帝王を、打ち果たす事。

 

二点程度、この久遠ヒカルというピッチャーにとっては頼りない点差だ。挽回は、十分に可能であろう。

そして、一球目が投げられる。

 

腕の振りが、鋭い。

真っ直ぐのタイミングで、蛇島はバットを出す。

 

しかし―――。

「ストライク!」

球は見事に―――外角へと逃げていった。

「な―――!」

思わず、声を上げる。

腕の振りが鋭い。コースを狙って緩んだリリースから放たれるスライダーは、もうそこにはなかった。

 

はじめて、久遠の目を見た。

迷いも、恐怖も、そこにはない。

 

―――何が起こった。

 

そう顔をしかめるも束の間―――二球目が、放たれようとしていた。

 

 



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帝王VS海東学院⑩

大晦日、三ヶ日全て腹痛と下痢で終わらせた私が通ります。久しぶりに更新させて頂きます-----。


海東学園ベンチの空気は、最悪と言っても過言ではないだろう。それ位、酷い有様であった。

頼りにしていたエースの突然かつ陰惨な終わり。

元々派閥が幅を利かせギスギスとした空気ではあったが、そう言った空気諸共暗黒の底に投げ出されたような空気感。

 

何となく、皆が感じているのだ。

 

あの瀬倉の有様に、あの瀬倉の結末に―――何処か、因果応報の気配がある事に。

根拠はない。

しかし、それでも―――そう思えずにはいられないシナリオが、そこに横たわっている。

 

派閥に属していた面々。そこから弾き出されながらも必死に媚びを売っていた面々。そのどれもが、何処か恐怖を刻んだ面持ちで瀬倉の結末を見届けた。

それに―――どうしようもない怒りと苛立ちを感じているのは、中之島だった。

「テメエ等-----なにボサッとしてんだ。次から攻撃が始まるぞ。さっさと準備しやがれ」

そう彼は声をかける。

しかし、反応は薄い。

水の底に声をかけているような感覚だ。音が濁って、届かない。

その不甲斐ない姿に、更に声を荒げんと拳をあげようとして―――その手が、掴まれる。

「-----渋谷?」

そこには、渋谷秀喜の姿があった。

いつもの、何処か能天気でマイペースな姿ではない。見た事も無い程、真剣な目をした姿だった。

ゆっくりと、口を開く。

「------オラは、瀬倉がどういう人間なのか、解らんだよ。怖い人間だったのか、卑怯な人間なのか、-------噂ばかりは聞いていたべ。オラ自身はアイツとそんなに仲良くなかっただよ。だから、どういう人間なのか、今でも判断は出来ないべ。でも、------あのマウンドで、逃げ出さずに勝負したって事だけは、解るべ」

あのイニングでの、瀬倉。

執拗な弱点(かどうかはこちらでも判別できないが)を突かれ、塁を埋めてしまい―――それでも尚、霧栖弥一郎と真っ向勝負を挑んだ瀬倉。

「まだ二点ビハインド。全然勝負できる点差だべ。それくらいオラが取り返してやる。―――だから、試合が終わるまで、必死に前を向こう。そうじゃなくちゃ、瀬倉に申し訳がたたないべ」

その言葉は、何とも意外な台詞だった。

何処までもマイペースだと思っていた男から発せられた言葉の数々は、”前を向け”という実にシンプルなメッセージだ。

 

でも、その言葉の端々で解る事もあった。

この男は空気が読めない訳ではない。

ただ、公平なだけなのだと。

この男は―――野球を通して見える人物というものを、ちゃんと見ている人間なのだ。

 

だから、「瀬倉に申し訳が立たない」などという、中之島では口が裂けても言えない事でも、何の恥ずかしげもなく言えるのだ。

 

「ふ------ははっはははははは」

思わず、中之島に笑みがこぼれてしまった。

「な、中之島?オラ、何か変な事言ったべか?」

「変な事って-----変な事しかいってねぇよこの馬鹿。ははははははは」

つられて、部員も―――小さく、小さく、笑みが浮かび始めた。

 

ただ、一人を除いて―――。

「-------」

蛇島桐人。

彼はその恐怖の真っ最中にいる人間なのだから―――。

 

 

幾重にも重なる敗北の記憶。

それは何処までも恐怖を煽っていく。

敗北の瞬間に生まれる、後悔。そして失望。それは常に投手が抱えている恐怖だ。

 

時に一点で勝敗を決する場面がある。勝負の分水嶺を分けるような瞬間がある。その時打者と相対するピッチャーは、その恐怖を押し殺し敵と相対せねばならない。

恐怖を叩き潰す方法は、いくらでもある。

しかし―――久遠ヒカルは持ち合わせていなかった。

自らの恐怖に駆り立てられ、ピッチングを崩され、更なる恐怖を味わわされる―――その悪循環の果てに、今の自分がいる。

 

―――コースなんて、関係ない。

何処に決まろうが、緩んだリリースから放たれるボールに価値なんてない。

―――ど真ん中でもいい。抜けてワンバンしたって構わない。それで打たれるならまだ心の内に納得が出来る。全力で投げてその全力を打たれるなら、それは自分の力不足だ。仕方がない。けれど逃げに逃げて、逃げた先で突き落されるような、そんなみっともない負けだけは、したくない。

 

心の奥底で憎み、怨み、蔑んでいた瀬倉ですら―――最後の最後、霧栖弥一郎から逃げずに、スクリューを放ったのだ。

今の自分は、瀬倉以下だ。

逃げ続けて、逃げ続けて、その果てにここにいる。

自分が打たれるかどうか、という事ばかりで―――相手打者と向かい合う気持ちを、忘れていた。

奇しくも―――それを思い出させてくれたのは、怨敵の瀬倉であった。

 

何も関係はない。

ここにおいて―――今自分は、全力を尽くすだけだ。

 

 

初球のスライダーを空振り、ワンストライクが入る。

蛇島は、見る。

相対する男の、姿を。

 

ノーワインドアップから足を上げ、腰を落とし沈ませボールが放たれる。

球は真ん中低めのコースに、唸りを上げるように向かって行く。

蛇島は、迷う事無くそのボールに手を出した。

しかし―――。

「ストライク!」

球はワンバウンドし、キャッチャーによってせき止められていた。

―――あのコースからも、更に曲がるのか!

間違いない。腕の振りが鋭くなっている。フォアボールと被弾を繰り返し、既に四失点を喫している眼前のピッチャーが。

三投目が、放たれる。

球は、アウトコースへ流れていく。

先程空振ったスライダーが、蛇島の頭に掠める。思わず―――スライダーのタイミングに合わせ、バットを振った。

「ストライク!バッターアウト!」

蛇島は―――ものの見事に振り遅れ、三球三振。

 

―――何なのだ。一体、何が起きているのだ。

 

不可解が、グラウンドに砂塵のように溢れている。

左肘が壊れた瀬倉。そしてまるで別人かとばかりに進化を果たした久遠。

この場で、一体何が起こっているのか。

その正体を掴む事の出来ぬまま―――いつの間にか、彼からいつもの笑みが消えていた。

 

 

―――えらい、違いだべ。

先程、一発をお見舞いしてやったピッチャー。しかし一目見ればわかる。今彼は間違いなく立ち直っているのだと。

不思議なものだ。

試合の中途で何もかも壊れてしまうピッチャーもいれば、こうして途中で立ち直れるピッチャーもいる。

 

―――こういう時、嘆くべきか歓迎すべきか。チームには悪いけど、オラは間違いなく歓迎するべ。

 

強靭なまでのパワーを誇る、生粋のスラッガー。そう生まれついたからには、まともな勝負というものは次第に減って来る。

そう言うバッターであればあるほど、彼等は勝負に飢えていく。

 

―――全力と全力のぶつけ合い。いいべ。本当に、これが望んでいた事なんだ。

初球の真っ直ぐを打ちに行く。

刺し込まれ、キャッチャーミットを打球が弾き飛ばす。ファウル。

 

―――でも。それでも。この場で相手の心を折るのも四番の仕事だべ。

 

さあ、来い。さっきの瀬倉の意趣返し。

―――決め球の、スライダー。万全のそれを、打ち砕く。

二球目―――スライダーが、放たれる。

 

途中まで真っ直ぐの軌道を描きながら急速に大きく曲がる、スライダー。

内角を抉っていくそれに―――そら来た、と渋谷は振っていく。

だが―――。

 

―――まだ、曲がるのか?

膝元に沈んでいくスライダーは、予想した軌道よりも更に大きく沈んでいき―――渋谷は困惑しながらも、無理矢理にバットを、軌道に入れた。

 

弾け飛ぶような、金属音。

跳ねる打球は―――一二塁間をライナーで飛んで行く。

 

そして、

「アウト!」

セカンド石杖の決死のダイビングキャッチにより、やむなくアウトに。

 

湧き上がる帝王側のベンチの声を聞きながら、一つ渋谷は溜息を吐いた。

―――そうだそうだ。帝王にはこの二遊間があったんだった。

 

当てれば打球の強さでヒットにできていた今までと違う。

予想以上に曲がったあの球に、無理矢理にバットを出した時点で―――自分の負けは、決まっていたのだ。

 

「-------」

何かを渋谷は言おうとして、けれども何を言うべきか結局忘れ―――何かを思い出したように一つがははと笑い、ベンチへと帰っていった。




次で試合は決着。長かったすねぇ-------。今度はもっとテンポよry


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決着、または因縁の区切り

ようやく終了。ここから暫くドラマパートに入ります。


その後の展開は、実に解りやすいものだった。

エースが倒れ、その後失点を重ねていく海東高校のリリーフ。

中盤から安定し、自慢のスライダーで次々とバッターを打ち取っていく久遠。

瀬倉を打ち崩した帝王の勢いを止める事が出来ず―――試合は終わった。

 

10―5。

 

145球5失点完投。

これが、久遠ヒカルがこの試合で残した結果であった。

様々な因縁が絡み合い、彼はこの場に立たざるを得なくなった。

全てを賭けるつもりでこの場に立った。

敗ければ、自分の野球人生は終わる。そんな悲壮な覚悟を以て挑んだつもりであった。

 

だが、こんな試合で―――こんなロクでもない因縁ばかりが頭をもたげる試合で、自分は今までどうしても見つからなかったものが見つかった。

この場に立つ意味。

勝負に賭けるという、その意味が。

 

だから―――久遠は。

「ありがとう―――ございました!!」

試合終了と同時、整列し、一礼する瞬間。その言葉が、瞼が涙で押しあがり、溢れ出した。

山口さんの無念が、チームの怒りが、少しでも晴れたのだろうか?

そんな事は、知らない。

それは自分が抱え込めるような代物だと思う事は、ただの自惚れだ。

自分の心に問いかけて、―――間違いなく、今このグラウンドが晴れやかに広がっている事。

それだけが、今の自分にとって重要なのだ。

だから―――ボロボロと景色を滲ませながらも、彼は前を向いた。

 

 

 

フラフラと、蛇島は試合場を後にしていた。

「クソ------何たる失態でしょう-------!!」

地方予選二回戦負け。

こんな結果では、注目なんてされるわけがない。

「こんな所で------何故-----!」

蛇島はギリギリと奥歯を噛みしめながら、呟く。

そうだ。

自分はこんな所で足踏みしていい人間じゃないはずだ。

なのに、今の自分は―――。

 

「よぅ」

 

そんな声が、聞こえた。

見上げればそこには、白髪の男がいた。

つい最近、会話しただけの仲の男であり―――本日、瀬倉を追い込んだ張本人。

石杖所在であった。

「-----何の用ですか?石杖さん」

苦渋の表情を必死に噛み殺しながら、蛇島は笑みを張り付け石杖に対面する。

「用?特にねえな。―――まあ、強いて言えば、お前のその表情を見物する事かね」

「------悪趣味ですねぇ」

「そりゃあお互い様だろ。お前には散々俺の身内を嬲られてんだ。ちっと仕返し位したい気分にだってなるだろ」

「------」

―――この男の所為だ。

そう、本能で理解できた。

今の自分がこんな場所でこんな風にあり得ざる地平に立たされているのは。

あのゲームの全てが。

何故、あの試合がああなったのか。

久遠が途中で立ち直った所為か?

それともあのスラッガーの所為か?

―――違う。

この、取るに足らぬ凡人の野球の所為で敗北したのだ。

あの男が、久遠の立ち直りを、霧栖の怒りを、意味のあるモノにした。

「------覚えておくことですね。石杖所在。私は、貴方を決して忘れません」

「へぇ。俺をどうするつもりなんだよ?」

「------言葉にするのもおぞましい、絶望を。絶対に貴方に与えてやります。それまで-------」

「絶望?お前が?」

石杖は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「お前が与えた絶望なんざ、全員乗り越えたぞ?久遠も、友沢も、そして山口さんも。―――まあ、仕方ねえか。お前みたいな小物にとっての絶望なんざ、本物にとっちゃあ絶望でもなんでもない。ただ、ちょっと長い野球人生の中で面倒で嫉妬深いお邪魔虫が噛み付いてきた程度のモンだ。ハナから、眼中にねえんだよ」

「-------」

奥歯が、軋む。

貼り付けた笑みが、無惨にも崩れていく。

その表情を見届け―――石杖は満足気にうんうんと頷いた。

「ま、ここからはお前に忠告だ。―――この先、絶望を与えられるのは間違いなくお前の方だからな。覚悟位は、しておいて損じゃないぜ」

「------私が?」

「おう。―――そろそろ自覚しろよ。後ろ盾のないお前なんざ、ただの小賢しい小物だってな」

じゃあな、と言葉を残し、石杖所在は呆然と立ち尽くす蛇島の眼前から去って行った。

 

 

「お―――アリカ先輩。何処に行ってたんですか?」

試合終了直後、姿を消していた石杖に霧栖はそう声をかけた。

「ああ、スマンスマン。ちと腹の具合がよろしくなくてな。試合が終わった後に駆け込んでいた」

「嘘はいけねえっすよアリカ先輩。緊張で腹の具合が緩くなるようなタマですかアンタ」

「失敬な。俺はこんなんでも人間だぞ」

「はいはい。―――ま、これで一番の障害は越えましたかね」

「おう。これでもう甲子園は確定だ。―――あとは、山口さんを待つだけだな」

―――この試合を通じて、それぞれのメンバーが、それぞれに、一つ壁を超えた。

過去の清算を終えた久遠と友沢。

そして勝利への執着を知った霧栖と石杖。

間違いなく―――今、帝王は強くなっていっている。

「甲子園か。―――なあ、キリス」

「何すか、先輩?」

「―――全国で、戦いたい奴とかいる?」

何となく。何となくだ。

石杖はそんな有体の無い質問をしてみた。

以前なら、きっとこの男なら「甲子園に出る様な化物だったら、どれでも歓迎だ」とでも言っていただろう。

しかし、今のこの男は、

「------実は、一人」

そう―――少しだけ照れ混じりに呟いた。

「へぇ。誰?」

「―――あかつきの、鋳車」

「鋳車って言えば―――あのアンダースローのシンカー使いか。へぇ。何で?」

「解んねえっす。本当に、解んねえ。―――でも、練習試合ではじめて対峙した時に、何だか他人じゃねえ気がしたんです」

「何じゃそら」

「小さいタッパも、大きく見えたんすよ。遅いはずの球も、死ぬほど早く見えたんすよ。―――何つうか、あの球を手に入れるまでの過程というか、軌跡が、対峙した時に見えちまうんですよ」

「-----ふぅん」

「だから、もう一回。もう一回だけ戦ってみたい。そう今本気で思うんす」

そうか、と石杖は一つ呟いた。

―――この男にも、キッチリと“ライバル”と言えるような人間が出来たのだな。

「その為にも、あかつきにはしっかりと出てもらわねえとな」

「うす。―――絶対に、次も打ってやるっす」

霧栖はそう宣言すると、照れくさくなったのかその場からそそくさと立ち去った。

―――何だ。ちゃんと熱くなれるじゃねぇか、と石杖は呟いた。

 

 

その後の顛末について、少しばかり話しておこうと思う。

この試合の後、ポツポツと高野連には匿名の告発状が届くようになった。

それは海東学園にて日常的に行われていた暴力行為及び、学校ぐるみでそのもみ消しを図っていたという内容であった。

最初は悪戯であろうと気にもしなかった高野連であったが、幾つも同内容の告発状が連日届く現状に無視を貫く事も出来ず、その主犯格であった瀬倉に聞き取り調査を行った。

 

そして―――心身ともに疲弊していた瀬倉は、全面的に告発内容を認めたのであった。

そうなると、さあ大変。理事長の息子であるという特権的身分を振りかざし好き勝手に振る舞っていたともなると、野球部だけでなく海東学院全体の問題となってしまう。

理事長は、必死に方策を考えた。

今更息子を庇う理由も無い。だが、自らの保身は守らねばならない。―――シナリオ上、別の黒幕を用意せざるを得なかった。

そこで用意された生贄。

それは―――。

「ふ-----ふははははははは」

蛇島は、腹の底から笑い声を上げた。

高野連からの聞き取り調査の為の呼び出し状を目にした瞬間、聡い彼は全てを理解した。

「はっははははははははは!うわははあはははははははは!」

彼は狂ったように笑った。

笑った。

自分の終わりを如実に向き合いながら、彼は涙しながら笑った。

 

終わりの際。それ位しか彼には出来なかった。

これが、顛末。

部活動の無期限活動停止処分。

そして―――蛇島という男が瀬倉と手を組み暴力行為を行っていたという公式文書が残された。

それだけの、顛末であった。

 

 

その時―――。

「君が山口賢君だね」

河川敷で投げ込みを行っている山口の前に、一人の男が訪れる。

中肉中背。何の特徴も無い、のっぺりとした顔の男。

「------そうですが」

山口は端正な顔を怪訝そうに歪め、そちらを見た。

「ああ。よかった。―――ねえ、山口君」

男は顔面を一度地面へと向け、彼に提案した。

「―――その右腕、治したくないかい?」




横浜首位記念。京山も飯塚もバリオスも神里も全員最高や!


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それぞれの命日

君が望めば、その右腕は治る―――そう眼前の男は言った。

何の特徴も無い、何の印象にも残らない、そんな男が。

 

―――望めば、治る。

 

酷使の果てに潰れてしまった、この右腕が。

「望むだけだ。それだけで―――君の右腕は、以前よりも素晴らしいものになる」

さあ、言ってみろ。

望みを。

言葉にするだけで、その望みは叶う。

山口は、ジッとその言葉を聞いていた。

 

何と怪しい男だろうか。

されど、山口は確かに感じ取っていた。

 

その言葉は、嘘ではないのだろうと。

 

―――さあ、どうする。そう男は言った。

山口は、迷う事無く―――言い切った。

 

「要らない」

 

何故だい、と男はあくまで穏やかに聞いた。

―――君には、その資格がある。君の思いは本物だ。君の野球に対する執念は本物だ。君のチームへの思いもある種病的だ。その願いを、その思いも、言葉にするだけでカタチにできるのに―――。

 

「カタチにするのは、あくまで私だ。この右腕の末路も、カタチにしたのはあくまで私だ。―――だから、ここからその思いも願いもカタチにするのはあくまで私じゃなければいけない」

穏やかな風が、両者の間に吹き渡る。

「私が積み重ねてきた今の私を、ただ願っただけで否定させてたまるものか。私は私だ。右腕が潰れたのもその上でサウスポーに転向するのも、あくまで私の意思だ。―――だから、要らない」

実にシンプルな言葉であった。

自分を形作るのは、あくまで自分。

自分の意思。自分の行為。自分の努力。

それを積み重ね、今の山口賢という人間を形作った。

―――否定させてたまるものか。

この右腕の犠牲を。右腕を潰してでもチームを勝たせたいと願い続けてきた過去を。

「後悔はしていない。―――だからもういい。私の願いは私にしか叶えられない。私はもう一度―――この左腕で返り咲く」

その言葉を聞いた瞬間に、男は一つ微笑んだ。

 

強い風が吹いた。

その時に―――男の姿は、もう消えていた。

 

 

夢を、見ていた。

自分が特別になる夢。

 

特別な才能を持った、選ばれた人間になるのだ。

誰も打てない球を投げて、どんな球でも追いつく様な守備をして、どんな球も打ち砕く。

そんな、才能あふれる人間に。

―――そんなもの、ないというのに。

自分には存在しなかった。

けれども、思う事だってあった。

努力すれば。

例え自分が持っているものが大した事の無くても―――塵でも積み重ねれば、いつか巨峰に辿り着くんじゃないかと。

けど、所詮は塵は塵だ。

風が吹けば、すぐに塵は塵として吹き飛ぶ。

 

認められなかった。

そんな当たり前の事実に。

 

だから―――。

 

 

蛇島は、夜の街を歩いていた。

高野連による調査、発覚していく自らの所業、そして―――居場所なぞどこにもなくなってしまった、男の末路。

 

「-----どうすればいい」

いずれ絶望するのはお前の方になるという石杖の言葉が―――呪いのように、今頭をもたげている。

しっぺ返し。因果応報。

そんな言葉は、準備を怠る阿呆にしか関係の無い言葉だとばかり思っていた。

 

―――誰か。誰かは解らない、誰か。

今自分はとにもかくにも特別になりたくて仕方がない。

特別になって、この状況を打破するのだ。

―――だから、あの瀬倉の左腕のような、力を―――。

 

されど、誰に会う訳でもなく。

ただ蛇島は夜の街を彷徨い続けていた。

 

―――君には無理だよ。

声が聞こえる。

―――君にはない。“病”の如き思いが。瀬倉君にはあったが、君には無かった。

まだ、声が聞こえる。

特別になりたい―――そんな願いを込める度に。

―――瀬倉君の最後に身を竦めるような“普通の”人間の君に、そんな資格はない。

うるさい。

うるさい。

ならばどうすればい。どうすればいい。

こんな“普通”の人間が―――どうやって救われればいい?

 

「------許しは、しない」

そんな言葉も、意味なんざない。

もう―――この男には、何もないのだから。

瀬倉が許せない。チームメイトが許せない。自分を負かせた奴が許せない。石杖が許せない。

だが、―――今の自分には、何もない。

自分という個体がどれだけ脆弱なのか―――絶望と共に、彼は理解できた。

 

 

「------帝王が勝ったでやんすか」

「え、本当に?」

「本当でやんす。ほら、見てみるでやんす」

恋々高校との試合を終え、帰りのバスの中。矢部はパワプロにスマホを見せつけた。

「えーと、なになに------うわ、海東学院のエース、とんでもない事になっているね」

そのスマホには、大々的に海東学院と帝王との試合の様子が記事になって書かれていた。

注目を浴びていた左腕エースが、突如として選手生命を終わらせてしまう程の大怪我をしてしまい、試合が一時中断してしまったからだ。

「左肘の開放骨折-----もう、選手生命は終わりでやんすね。ここまで来てしまったら」

「------」

パワプロは沈痛な面持ちで、その記事を見ていた。

「山口選手があんな事になって心配していましたが-----やっぱり強いですね。帝王。瀬倉選手が開放骨折する前に、彼を打ち崩していましたからね」

猪狩進がそう一つ頷くと、呼応するようにパワプロが呟く。

「-----やっぱり、キリス選手。ただものじゃなかったんですね」

霧栖弥一郎はこの試合において全打席出塁を果たしグランドスラムまで打っていた。------この日、対戦打者の半分以上を三振で切って捨てていた瀬倉の、その決め球を相手に。

「------」

「どうした、カズミ?」

「いや-----」

鋳車はいつものように、無表情のまま会話の中に溶け込んでいた。ジッと耳を傾けながらも、会話に介入する事無くただ何事かを考えていたようだった。

「------凄い奴だったんだな。霧栖弥一郎」

ボソリ、と鋳車はそう呟いた。

―――覚えている。

ボールゾーンに投げ込んだ球を、悠々と逆方向へと飛ばしたあのバッティングを。

あの瞬間に、理解できた。あの男は、只者ではないと。

だからこそ―――何となく、嬉しい。自分の目利きが、間違っていなかったようで。

「試合が終わったけど、今日も帰ったら練習だなぁ。------あ、そう言えばカズミは今日お休みだったっけ?」

「ああ。スマン。今日は休ませてもらう」

「どうかなさったんですか、鋳車先輩」

「いいや。大した事じゃない。まあ―――」

無表情のまま、鋳車は続ける。

「今日は親父の命日だ」

 

 

ぱしゃり、と水をかける。

夕焼けが、山道中腹にひっそりと佇む墓石を照らしていく。

―――かつて、鋳車和観は夕暮れが嫌いだった。

子供には辛い現実を忘れたかった時。パワプロと川辺で勝負していた時。いつも夕暮れになると現実に引き戻された。

夕暮れが来る度に、終わりがくるような気がしていた。

 

線香を供え、墓石の前に座る。

目を閉じ、諸手を合わせる時―――いつも、自問自答気な問いかけを鋳車は唱えていた。

 

―――なあ、親父。アンタが早死にしちまってから、俺達の人生散々だった。

いつもは心の中に閉じ込めている文句を枕詞に。

―――けど。それでも俺は好きな事をやれている。お袋も、何とか今日を生きている。それもこれも、俺以外の何処か知らねえ他人のおかげだ。

はじめて出来た友達。

そこから輪が広がる様に出来たチームメイト。

今、自分と自分の夢は、彼等に生かされている。

―――なあ、親父。アンタも無念だったな。愛した女をあんなヨボヨボのしわくちゃにしちまう位に苦労を掛けて。俺は、自分が生まれた事が申し訳なくて仕方が無かった。

自分は、好きな事をやれて。

でも―――母親は自分の幸せをなげうって。

この対比が、許されてもいいものなのか。

―――だからさ、親父。俺はこれを、死ぬ気でやり続ける。それでさ、プロになって、お袋がもう働かなくても生きていけるくらい稼いでやるんだよ。そこでも同じだ。死ぬ気でやってやるよ。何処の球団に入るかも解んないけど、お袋を近くに呼んで広い家でも借りてさ。大金叩いて旅行に行かせるのもいいかもしれないな。死ぬ前に、少しくらいいい思いをさせて、アンタの所まで送ってやるよ。それは、約束する。

グッと、合わせた両手に力を入れる。

―――俺の野球は、もう俺だけのものじゃない。あの川辺から始まった時に、二人のものになった。そして、今は、色々な人間のものになった。だから、敗けられない。だから、まあ、あの世があるならそこから時々覗いててくれ。頑張っているから。

 

手を離し、目を開ける。

夕暮れの赤橙が、ゆらゆらと影を薄めていた。

覚悟を、入れ直す。

その儀式を―――彼は毎年のように、この墓場で行っていた。

自分が生きている意味と、その為に努力し続ける事を、固く誓う為に。

 

無言のまま柄杓を掴み、元の場所へと戻す。

そうして山道の中腹から、寮まで戻ろうとして―――。

 

「あれ?」

山道の階段を、駆け上がって行く物が一人。

「鋳車----君?」

息を切らし、鋳車の眼前に立つのは―――一人の、少女だった。

早川あおい。

彼女は首を傾げながら―――その場に、立っていた。




飯塚君、今日も勝ち星つかず。本当に往年の番長の様だ-----。


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サブマリンの邂逅

パワプロ2018買いました。育成難易度はかなり上がってますねこぉれは------。

取り敢えずピーナッツ野郎と若菜は許さん。


よくここには走りに来るんだ、と彼女は言った。

「ここ、山道にかかって長い階段があるでしょ。家が近所だから、ランニングには丁度いいかな、って。-----鋳車君は、お墓参り」

「ああ。------今日が、親父の命日でな」

「-------」

親父、というワードを発した瞬間、早川あおいの表情が歪んだ。

「そっか-----。お父さん、亡くなられているんだね」

「ああ」

その後、早川あおいは暫し―――次に繋ぐ言葉を失った。

 

鋳車和観。

彼を見知ったのは、高校生になってからだ。

猪狩守と双肩を並べる右腕エースが、中学の頃まで全くの無名だったという事実。

リトルでもシニアでも、彼の噂は一つたりとも聞いた事が無かった。

 

改めて彼の姿を見る。

よれよれのTシャツとパンツ。汚れたシューズ。

試合の時に見た姿を思い出す。

つぎはぎだらけのボロボロのグラブに、異様な雰囲気の中でも動じなかった―――あの表情。

 

きっと彼は、いわゆる「普通」の人生を歩んで来れなかった人間なのだろう。

それが、何故なのかは解らない。推測ならば幾らでもできるが、それは触れてもいい問題ではない。

だから言葉を失った。

自分が吐き出す言葉が―――無神経なものになるかもしれないから。

 

その様子に勘付いたのか、鋳車は一つ息を吐く。

「別に気にする必要はない」

「あ-------うん」

その言葉に、少しだけ安心する。偶然とはいえ、父の命日の墓参りというシチュエーションを邪魔してしまったのは他ならぬあおい自身なのだから。

 

「ねえ、鋳車君。一つ聞いてもいいかな」

 

彼女は、どうしても鋳車和観に聞きたい事があった。

それは、シンプルな事だ。

 

「君は、―――女の子が、男の子の舞台に立った事を、どう思った?」

 

「女」が「男」の舞台に立つ。

甲子園という球児たちの祭典に、自らも立たんと、彼女達は必死にこれまで野球をやって来た。

どうしても聞きたかった。

―――あの時。迷いなく自分達を全力で叩き潰してくれた、張本人に。

あの時。恐怖すら感じる程の容赦のなさを感じ取った。周囲の雰囲気に流される事なく、徹底して弱点を突き続けた鋳車和観は―――自分達をどう思っているのだろうか。

 

その問いに、鋳車ははっきりと言い放った。

「どうとも思わなかった」

そう、変わらぬ表情で。

「―――マウンドに立つ事を選択したのなら、そこには『男』も『女』も関係ない。だから、俺は野球をしている」

「そっか。―――ねえ、鋳車君」

「何だ?」

「鋳車君は、何で野球を続けたいと思ったの?」

―――マウンドに立つ事を選択したのなら、そこには『男』も『女』も関係ない。だから、俺は野球をしている。

何が、『だから』なのだろうか。

マウンドに立つ事が、彼にとってはどんな意味がある事なのだろうか。

それが、どうして野球を続ける原動力になっているのだろうか。

それが―――どうしても、あおいは気になってしまったのだ。

「―――何で、か」

彼は下を俯きながら、ボソリとそう呟いた。

今度ばかりは、少し言い淀みながら、答える。

「―――多分、野球が俺を救ってくれたからだと思う」

言葉を選ぶようにして、彼はそう言った。

「親父が死んで、脛齧り持ちの子供を抱えた女が一人残されて。家も追い出されて学校にも居場所がなくなって。それでも野球を続けていたら友達が出来た。チームメイトが出来た。生活が変わった。―――野球が好きでよかったと、心の底から思えた」

だから、と彼は続ける。

「俺は、ようやく―――ようやく、野球で居場所を見つけた。もう手放したくない。だから俺は野球を続けている」

「------そっか」

―――野球で居場所を見つけた、か。

この人も、同じだったんだ。そう早川あおいは思った。

居場所が欲しくて、必死に足掻いて。足掻いてもがいてようやく見つけた居場所を守る事に必死になって。

だから、あんなに容赦が無かったんだ。

だから、いつもあんなに必死だったんだ。

 

マウンドに立った時に感じられる、異様な威圧感。それは―――真剣さと必死さの顕れ以外の何物でもなかった。

『男』も『女』も関係ないなら、『生まれ』も『境遇』も関係ない。

金持ちも貧乏も、あの場では関係ない。全てが平等な機会を担保してくれる。

その平等さに、彼は救われたのだろう。

「アンタは、どうなんだ?」

今度は、聞き返された。

「僕?僕は―――最初は、お父さんに復讐したかった」

家庭を顧みず、母親の葬式にすら出る事無く、そのまま自分を捨てた父。

憎かった。

だから―――プロ野球選手になって復讐を果たそうと。そう心から思っていた。

「でもね。気付いたんだ。あの子たちと一緒に野球をやってて―――野球は、憂さ晴らしの道具じゃないって」

野球をやってて、楽しかった。

一緒に努力して、一つの目的を持って皆で突き進んで。

その道がいざ途絶えてしまった時でも、それでも諦めきれない程度には―――野球が持つ引力に囚われてしまった。

「やっぱり―――僕は野球をやりたかったから、必死になってたんだと思う。僕だって、あの舞台に立ちたい。皆と一緒に野球がしたい。僕の全てを、あの場所で見せたかった」

その全てが、自分の高校生活を推し進めた原動力だった。

 

父への復讐。その台詞を聞いた瞬間に―――鋳車もまた、複雑気に表情を歪めていた。

 

「------これは、お前にとっては余計なお世話だろう。だから、聞き流してくれて構わない」

鋳車は、言う。

「―――親は、どう足掻いても親だ。憎んでも、愛していても、どうしてもついて回って来る。だったら、早めにケリをつけていた方がいい」

「------どういう事?」

「お前が父親を憎んでいる理由は解らん。けど―――死んでしまえば、ずっと恨み続ける事になってしまうぞ。だったら、早めに恨みだったら晴らした方がいい」

死ねば、死ぬまで恨み続ける事になる。

―――子供の頃。父親が死んだ所為で母親が苦労している事が理解できた鋳車だからこその、言葉だった。

「うん」

早川あおいは、少し微笑んで、

「そうだね」

と呟いた。

 

 

「ねえ、鋳車君」

「なんだ?」

やけにすっきりとした表情を浮かべた早川あおいは、鋳車に言う。

「鋳車君のシンカー、高めの軌道から落ちていくよね」

「ああ」

鋳車和観のシンカーは、高めの軌道から消えるように急激に落ちる。高めに浮きあがるアンダーの軌道を最大限に利用した変化球だ。

「凄い球だよね。―――でも、アレを活かす為には高めのボールがどうしても必要になる」

「------ああ」

鋳車の弱点は、恐らくそこにある。

高めの真っ直ぐ。そこから落ちるシンカー。高低差を利用するこのボールは、されど諸刃の刃でもある。

強打者相手に決め球のシンカーの為に高めの真っ直ぐを放らねばならないリスク。それは常に被本塁打の危険が付きまとう。

今回覚えたカーブも、どちらかと言えば“高め”のボールを更に活かす為のボールだ。より、配球が高めに集中する事になるかもしれない。

鋳車は、低めにボールを集められる制球力もある。されど、彼のスタイルとして低めのボールを活かせる球はスライダー位しかない。

ピンチに陥れば陥る程、頼らなければならないのは長打の危険が付きまとう高めのボール。当然、それこそが鋳車の強みでもある。されど、それを逆手に取られ石杖にシンカーを見切られヒットを打たれた事もまた事実なのだ。

「―――ここで、提案。鋳車君。同じサブマリンのよしみってわけじゃないけど」

「何だ?」

「僕のマリンボール―――覚えるつもりはない?」




そう言えば、気付かぬうちに感想がごっそり減ってる----。何か気に障る事しただろうか?何だか申し訳ないっす。


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二遊間、及びエース同士の心

松井選手も杉内選手も引退。
野球ファンとしては大好きで横浜ファンとしては(特に杉内選手)大嫌いな選手でした。悲しいなぁ-----。


「なあ、石杖」

「あん?」

海東学院との激戦を終えた次の日。帝王実業野球部は当然の如く練習が組み込まれた。

海東学園を下したことで、ほぼほぼ甲子園のチケットを手にしたと言える帝王学園。9回まで投げ切った久遠ヒカルは特別に休養日が設けられ、現在は内野練習が行われている。

控えの二遊間がヒィヒィ言いながらノックを浴び続ける中、軽々とこなし終えた友沢と石杖がベンチに戻って来た―――その時。

珍しくも、友沢が石杖に声をかけた。

珍しい事もあるものだと胡乱げに顔を向けると、友沢は何となしにまごついていた。

ますます訝しむ石杖に、友沢は話題を探す様に下を一瞬俯き、気を取り直し話題を口にする。

「------山口さん、本当に復活できるのか?」

「まあ、出来るだろ。------で、何だよ」

「え?」

「え、じゃねーよ。今更な話題だろ、山口さんの事なんざ。お前が俺に自発的に話しかけるなんて珍しいったらありゃしなくて怖いの。さっさと本題を話してくれ」

「あ、ああ-----。そうだな」

実の所、もう友沢は以前のように石杖を嫌ってはいなかった。

元々石杖の人間性そのものを嫌っていた訳ではなかったし、海東学院との戦いで見せた野球への姿勢は見直すには十分すぎる程のものであった。嫌う理由は、もう存在しない。

ただ、それ故に気恥ずかしい。改めて石杖に自分から話しかける事が。

------ただ、それでも聞きたい事があった。

「なあ、石杖。単刀直入に聞かせてくれ。―――お前、何で海東学院とのゴタゴタの時あんなに怒ってたんだ?」

「怒ってた?俺が?馬鹿を言え馬鹿を。そんなキャラクターじゃないよ俺は」

「そうだよ。そんなキャラじゃないだろ。―――山口さんのケツ叩いて、瀬倉の対策を必死こいて考えて、勝ちへの執念を恥ずかしげもなく見せた。間違いなくお前のキャラじゃない」

「------」

「何で、お前が怒ってたんだ?俺でも久遠でも山口さんでもなく―――お前が一番、怒っていた」

そう。

石杖所在という人間は、そんなキャラじゃない。

飄々とした皮肉屋。冷えているというよりは、乾いた心魂を持った男。掴みどころがないキャラクターこそが、石杖所在という人間のはずであった。

だが―――あの時に垣間見せた勝利の執念は、明らかに感情の栓から這い出たマグマだった。

「------まあ、何だ。友沢」

「うん?」

「山口さんから聞いたけどお前超がつくシスコンらしいな」

「な-----!」

「小さい妹と弟いるんだって?いいなー。俺もなー。可愛い妹がいればよかったんだけどねぇ。----俺もなぁ。妹いるんだけどなぁ。アレは何というか、アレなんだよ。うん」

「何だよ------」

「まあ、とにかくさ。お前、自分の身体ぶっ壊されんのとその可愛い肉親がぶっ壊されんの、どっちが腹立つよ?」

「そりゃあ、まあ----」

無論。そんな疑問答えるまでも無い。

「人間、自分の事に一番感情が動かされると思ったら、案外そうではないんだよ。自分の事は自分でしまい込めばそれで終了だけど、自分以外はそうはいかない。そいつの痛みとか苦しみとか、自分じゃ解んないし理解も出来ない。―――だから、どんだけ感情を振り回せばいいか解んないんだよ。解んないから、どれだけ怒ればいいか解んねぇんだよ」

全部を言い終えた後―――うっわ恥ずかしいと勝手に頭を抱え始めた。

「------とまあ。こんな風にキャラが変わることもまた人間の一つの側面と言う訳だ。以前捻挫でかかったドクターロマンの所為で死ぬほどクサい台詞を思わず吐いてしまう事もたま~にある。まあ、それでいいじゃない」

「誰だよドクターロマンって----。まあ、言いたい事は解った。要するにさ。お前―――」

「何だよ?」

「ツンデレなんだな」

「お前にだけは言われたくないな------」

ノックで足を縺れた後輩を叱り飛ばす監督の声と、チャイムの音が丁度重なった。

日暮れが落ちるように、友沢の心に少しばかり染み入る時間であった。

 

 

地区大会、決勝。

その相手は―――。

「パワフル高校、ですか」

あかつき大付属高校野球部部室内。ポツリとそう呟くのは猪狩進。

「まさに古豪の復活って感じだね。十数年前までは甲子園の常連だったんだろ?」

その声に、パワプロはそう返した。

「ええ。けれども相次ぐ不祥事で一時野球部が解体されて、そこからまた復活した高校の様です」

かつて幾人ものプロを輩出し、幾度も優勝旗をかっさらって行ったパワフル高校。

されどそれは軍隊の如き縦社会と強烈かつ理不尽な練習によって生み出された功績であった。時代と共に排斥され、消え去り、そのまま塵となったはずであった高校。

されど、時が経ち、甲子園へあと一歩の所まで歩を進めるまでにまた復活した。

「エースの館西と、四番の東條、五番の神宮寺。ショートの佐久間、セカンドの駒坂の鉄壁二遊間。―――館西は典型的なゴロピッチャーで、カチカチの内野陣と相性が実にいい。館西が粘っている間に、バランスのいい打線が大量得点を挙げて勝ち進んできたチームだ」

そう、ベンチで休息をとっていた鋳車が声を挟んできた。

「確かに----内野陣がどこをとっても穴が見えない」

二遊間は言うに及ばず、ファーストの神宮寺とサードの東條も非常に守備が安定している。そうなれば、至極当然ゴロヒットの可能性は非常に低くなる。そこに、コントロールと球種の多さがウリの館西が入った事で強力となったチームだ。

「戦い方は帝王と若干似ている。フライ率が非常に低い山口と、鉄壁の二遊間の組み合わせ。帝王ほど二遊間が突出している訳ではなく、サードとファースト含めて全体をカバーしている感じだな」

「------決勝投げるのは鋳車さんですか?」

「いや。猪狩に決まった。俺が新球種の調整中だと言ったら、すぐに猪狩が決勝戦を投げると監督に直訴してきたとさ。―――こっちのストレートはもう完成したから、俺を休ませろってさ」

「-----へぇ」

何と言うか、猪狩らしいというか。

「ここまで、あいつのストレートの調整の為に俺の登板が多かった事を結構気にしてたらしい。〝借りは返す”だとよ」

「本当、何処まで行ってもプライドの高い奴」

プライドが高くて単純な野球馬鹿。猪狩守はいけ好かないように見えて、何処までも解りやすい奴だった。

「まあ、アイツが本気出すならまず負けんだろ。左の好打者が並ぶ打線なら、俺よりも猪狩の方が相性もいいだろうしな。------後は任せる」

「------意外だな」

「何がだ?」

「後は任せる、なんて台詞。―――お前の口から出るとは思わなかったよ。カズミ」

パワプロは、少しだけ感慨深げにそう言った。

土手で投げ続けてきた孤独なピッチャー。それが、同格の天才ピッチャーとは言え今やマウンドを譲るほどまでの心の余裕を得られようとは。

今となってはそこまで不思議ではないが―――昔を思えば、随分と違う所に着地したなぁ、と思ってしまう。

「------俺も昔のままじゃないって事だよ。俺は別に猪狩の様なバカ高いプライドなんざ持ち合わせてないしな」

「そうか?」

「ああ。------俺は、試合に勝てるならベンチに引っ込んでいたって構わない。それが勝つために、勝ち続ける為に最善であるならな」

「------」

それは、つまり―――こういう意味でもある。

勝つために最善であるならば、自分がずっと投げ続けたって構わない―――という事でも。

「まあ、だから次は俺はお休みだ。アイツが投げるなら、意地でもマウンドは譲らないだろうしな。―――まあ、見てろよ」

鋳車は表情を変えずに、言葉を続けた。

「多分、アイツは捻り潰してくれる」




最近バッティングセンターでフォークを投げる練習をしました。中指が攣りました。もう二度としない。


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幕間 雑誌特集

軽く記事形式で選手講評を書くつもりが、結構な分量に。ストーリー一切進まないっす。すみません。


――パワフルスポーツマガジンX月号特集

~未来のドラフト候補たち~

 

 

いよいよ県予選が始まった。

夏の日差しに映える球児たちの姿が全国各地で躍動している。とうとうこの季節がやって来たのだ。

 

各予選、まさしく波乱の幕開けとなった。

エース山口を欠いた帝王実業の快進撃にはじまり、強豪・千秋楽高校を初戦敗退に追い込んだ謎に包まれたコアラヶ丘高の存在、そして様々な議論を呼び込んだ恋々高校の奮闘劇。

 

これまでの試合だけでも、様々な驚きと感動を我々に運んでくれた。私は確信している。きっと今年の甲子園も面白くなるはずだ。

そして――この予選の中で非常に驚嘆したのが、各校新加入戦力の強力さであった。

今年の予選は本当に予想できない。実績ある高校が次々と破れ、無名の高校が頭角を現し、予選を勝ち進んでいる。

その理由は――強力な一年、二年生の存在が大きいと私は分析している。

 

メイン戦力である三年生の実力は、昨年までの実績を見れば想定しやすいが、新戦力の一年生や、昨年より一気に実力を伸ばした二年生に対してはそうはいかない。予想もつきにくく、各校対策もしにくいのだろう。

今年、ジャイアントキリングを達成した各校それぞれが、どれも例外なく「メイン戦力の下級生」を取り揃えていた。

対策の出来ない、初見戦力。対策も効かないその力に翻弄され、多くの強豪校が涙を呑む事となった。

 

という訳で、今月の特集は「未来のドラフト候補たち」。

今年度ではなく一年後、二年後のドラフトにおいて、必ず候補に上がるであろう高校と選手たち――つまり、一、二年生を中心に幾人かピックアップし、紹介しようと思う。

 

 

 

④あかつき大付属 

あかつき大付属は県下最高の高校として名高いが、順調に決勝まで歩を進めるその姿に全く変わりは無かった。

されど驚くなかれ。強豪校であるにもかかわらず、あかつきのメイン戦力は一、二年生で埋められている。

 

昨年、ドラフト指名を得た一ノ瀬とダブルエースを張っていた猪狩守。長打力の向上に成功し、めきめきと実力を伸ばしているパワプロ。そして一年にして扇の要を司る猪狩進。

そして、恋々高校との試合において「サブマリン対決」を制した鋳車和観。

彼等全員が、一、二年生である。

野球エリート校であると同時に、完全なる実力主義を掲げる高校故の現象であろう。才覚と実力が認められれば下級生であれど関係なくメインの役割を全うさせる。その為に、これだけの下級生の戦力を揃える事が出来たのであろう。

そして、特に取り上げたいのは、現在猪狩とWエースを組む「鋳車和観」である。

 

彼の代名詞は、何と言っても高めの軌道から滑り落ちるシンカーと、それを活かす浮き上がる直球であろう。

直球の最高球速は130キロと、それほど速い部類ではない。

されど彼はここまで出場した試合全てにおいて10以上の三振を奪っている。奪三振率は、驚異の15.6。地方予選とはいえ、これはあまりにも脅威の数字であろう。

その分、どうしても高低を使った配球が多く、ボール球を多く使用してしまう難点があったが、恋々高校で見せたカーブを持ち球に加え、カウントを稼ぐ手段も備えるようになりいよいよ穴が無くなりつつある。

彼に関して、将来のドラフト評価がどうなっているのか中々に想像しにくい。

彼は身体が小さく、それをサブマリン投法という技巧でカバーしている。眼に見える形でその凄まじさというのが伝わりにくいのだ。この状況は「高校野球だから通用しているだけ」という否定意見を作り出されやすい。

その技巧がプロ野球でも通じるかどうかというのは、プロの世界で生きている人間からしても賛否が分かれる所だと思う。否定材料を打ち消すだけの数字的要素が存在しない。だから、どうしても彼を欲しがる母数は少なくなってしまうであろう。

けれども――もし彼がドラフトで入団し、プロの世界で活躍する日が来たのならば、きっと誰もが魅了されるはずだ。

いつの時代も、個性的なフォームのエースというのは恰好がいいものなのだから。

 

 

 

 

⑧帝王実業高校

昨年、甲子園ベスト8にまで歩を進めた原動力であり、精神的支柱であった山口賢の離脱。

誰もが甲子園出場は厳しいと評価する中、彼等は暴風雨の如き打撃力を以て対戦相手を蹂躙し、予想を大きく覆した。

一年生エースとして見事山口の穴埋めを果たした久遠ヒカルや、各選手のレベルの底上げなども元凶の大きな要因の一つであろうが――何よりも大きいのが屈指の破壊力を持つクリーンナップであろう。

三番石杖、四番友沢、五番霧栖。

今大会において、この三人だけで十発を超える本塁打を生み出し、三十に迫る打点を生み出している。

四番友沢の安定感は昨年に引き続いてのものだが、特筆すべきは三番石杖の成長と五番霧栖のバッティングの完成度の高さであろう。

石杖は、今大会における打率は4割後半にまで数字を伸ばし、出塁率は驚異の6割7分。打席数の三分の二以上をしっかり出塁している計算となる。

その上に――彼はここまで三振はゼロ。空振りすら一桁の範疇に収まっている。

四番友沢、五番霧栖の前に立ちはだかるこの男は、当然の如く各校の攻めも厳しくなる。

されど彼はボール球を容易くスイングしない。

彼は今年から左腕で拍を取る事で、打席の中でリズムを作る様にしたという。その結果としてゾーン内の反応が著しく向上したという。

厳しい攻めをいなしながらフォアボールを選び、甘く入ったボールは容赦なく叩きこむ。「支倉の至宝」と中学時代に呼ばれた男の打棒は、今現在においても進化をし続けている。

 

そして、新加入の一年生、霧栖弥一郎。

はっきりというならば、彼の打撃技術はプロのレベルにもう既に到達している。

守備も走塁も高校生レベルからしてもまだまだ荒いが、そんな短所など全く気にもならない程に、彼の打撃はとにかく全てが規格外であった。

 

打率五割前半。本塁打六本。

本塁打のうち、半分が反対方向へ叩きこんだものである。

 

変化球に全く泳がされないフォーム。そのコースであっても真芯に食らわせるバッティング。

彼の打球はとにかく凄まじく、ゴロであっても守備側が全く反応できない事すらあった。

 

石杖も霧栖も、必ずドラフト候補に上がるであろう。

石杖は守備走塁からも高いセンスを感じられる。その上に打撃ですら強力となったとなれば、二遊間が不足している球団は必ず手を挙げる逸材だ。

霧栖弥一郎に関しては――このまま怪我なく二年を過ごせば、どれ程の球団が競合するか。そのレベルの選手であろう。それほど、今大会における彼の打棒には度肝を抜かれた。

 

 

 

 

「オイラも二年でやんす」

矢部が、パワフルスポーツマガジンを手にそういきなり口にした。

「------どうしたの?」

いきなり何事かを口走った男に、パワプロは首を傾げながらそう尋ねた。

「どうした、って決まっているでやんす!おいらも二年生なのに、何でこの特集に乗っていないんでやんすか!将来のドラフト候補でやんすよ!」

おかしいでやんす!今すぐ出版社に抗議すべきでやんすよ!

そう涙ながらに必死に主張する悲しきメガネに、皆が皆生温かい憐れみの視線を投げかけていた。

「------だったら、今日の僕の試合で下らないエラーをしない事だな」

空気を切り裂く様な、冷たく鋭い声が部室内に響き渡った。

「この前みたいにトンネルをしてみろ。君のエラー場面を編集したビデオを24時間不眠不休でループさせて見せ続けてやるからな」

「拷問でやんす!」

「拷問でもしなければ、君の性根は治らないのならば喜んでやってやるさ。----いいから次の試合に集中したまえ」

そう言って、猪狩守は矢部の手から雑誌を取り上げる。

文句を垂れ流す矢部を完全に無視しながら――猪狩はあかつき大付属の紹介ページを読む。

「Wエースか」

その文言を見て――フッ、と笑う。

「悪くない言葉だ。強いチームは強いピッチャーが複数いなければいけない。――でも」

彼は雑誌を丸め、矢部の頭を叩いた後に返却する。

「エースのエースは、僕だ。――見ていろ、鋳車」

彼は闘志を胸に抱き、明日の試合に思いを馳せた。




プロ野球もそろそろ始まり。ウチの上茶谷選手には頑張ってもらいたい。


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狼煙を上げよ

球春到来。という訳で今日も更新。


かつてパワフル高校は常勝不敗の高校であった。

緻密かつ正確な野球をモットーとしたパワフル高校は、全国各地から才能あふれる選手たちを掻き集め、甲子園常連の強豪校に駆け上がった。

されど、その強さはあらゆるものを代償としたものであった。

 

理不尽かつ不合理な階級制度。練習中の上級生からの暴力を是とする体質。

学校側も甲子園出場効果による甘い蜜に溺れていった。全国から選手をスカウトする際にあたって、次第に強引な方法をとる事すら辞さなくなった。選手の経済状況を調べ上げ、多額かつ違法すれすれの額の奨学金を与える事など常套手段。時にOBを使った囲い込みや脅しすらも使う事を辞さなかった。

 

それが「伝統」であり、それがパワフル高校の「強さ」であると。彼等は二十年近くもの間、この考えに何の疑問も持たなかった。何も変える必要なんざないと、本気で考えていた。

故に、時代の流れに取り残され、置き去りにされ――ついに消え去った。

同県に、あかつき大付属高校が出来た。

次第に――県下における覇権はあかつきに移っていった。

あかつきも選手をランク付けする高校だ。ただしここには理不尽はない。実力を示せば誰もが好機を与えられる、平等な階級制度を持つ高校だ。

選手たちも、そちらに流れていった。

 

そして。

 

部活動で絶え間なく行われた暴力事件。それを高校ぐるみで隠していた事実。

幾つもの告発が届き、遂に高野連はパワフル高校の無期限部活動禁止の決定を下す。

その後――暴力事件によってコーチ数名が刑事告訴された事によって、部活そのものが消滅した。

 

忌まわしき昭和の残骸。

日本スポーツの悪癖の全てを抱え込んだ学校の末路――それがパワフル高校という学校の歴史であり、高校野球史の中での確かな位置付けだったのだろう。

 

その六年後。

 

パワフル高校野球部は復活した。

高野連に申請を出し、部活動停止処分を解除してもらい、彼等はひっそりと復活を果たしていた。

 

 

「――駒坂!足止まってるぞ!もう限界か!」

「いいえ!まだまだやれます!」

「OK!それじゃあ――ほれ!」

「------くっ」

パワフル高校野球部には、監督がいない。

部活顧問はいるが、指導者がいない。

 

だから、全てを選手たちが行わなければならない。

練習のプランニングも、こうしてノックを打つ事も。

 

そして――それを行っているのは上級生が中心だ。

現在ノックを打っているのは神宮寺である。

佐久間と駒坂へ、交互に、絶え間なく、ボテボテのゴロを打ち続ける。

「――おいコラ佐久間!飛びつくんじゃねえ!練習じゃいらねえんだよそういうのは!」

「-----はい!」

佐久間は悔し気にがくがくと笑っている膝を叩き、立ち上がる。

神宮寺のノックは、とにかくシンプルだ。

足を動かして取れる範囲に、遅いゴロを打つ。

ひたすらに打つ。

取れて当たり前のボールを打ち続ける――それが取れなくなったときイコール、体力の限界点に達している事と同じだ。

それでも打つ。

討ち続ける。

膝が泣いて動きが鈍くなろうが、苦渋の表情を浮かべようが、それでも打つ。打ち続ける。

いつ終わるのか。

それは――このグラウンドに立てば、誰もが自由にそれを決められる。

 

そして、佐久間博と駒坂瞬は誰よりも長く、このノックを耐えた人間である。

駒坂に至っては――倒れ込む寸前まで、定位置から離れなかったことすらあった。

 

人によっては、地獄という。

だが――地獄を通らねば、人は上手くならない。

しかして地獄に人を押し込むような愚挙を犯してはならない。

 

だから――地獄を自ら通り抜けられる者を選定するのだ。

それが、今のパワフル高校野球部である。

 

 

神宮寺光は、ヤンキーだ。

いかつい顔にいかついサングラス。決め手は古臭いパンチパーマのもじゃもじゃ頭。

でかい体を揺らしてわざとらしく肩を切って歩く姿はまさしく間違った時代に間違ったスリップをしてしまったタイム・トラベラー。

 

そんな男は、高い打撃センスを持ちながらも、何処の高校からも勧誘を受ける事は無かった。

素行が悪いとでも思われていたのだろう。そう言う噂が立っていた事も知っていた。

 

しかし、それ故にヤンキー魂にその時火がついたのかもしれない。

ならばゼロからはじめてやろうじゃないか。

ツッパった自分の性格を愛してやろう。出来る限り自分を貫こう。

 

だから彼は自宅から歩いて五分の地元の高校に進学した。

 

彼はツッパっていたが、根は真面目な人間だった。

そして曲がった事も大嫌いだった。

 

自分で部を作ったのだから、その責任は自分で負うべき。

その考えは当然のように持っていた。

 

だから――全部自分でやるのだ。

「おら、早く撤収しろ!次は素振りだ!」

彼はドスの利いた声でグラウンドに声をかける。

パワフル高校、三年。神宮寺光。

 

彼がパワフル高校の主将である。

 

 

「-----なあ、東條」

「なんですか?」

パワフル高校部室内。

佐久間博と――パワフル高校不動の四番、東條小次郎がそこにいた。

「今更なんやけどさ。どうしてここに来たの?君だったら幾らでも他の高校に行けたやろ?」

佐久間は、柔らかな口調でそう尋ねた。

――疑問と言えば、疑問だった。

東條小次郎。

TOJOインターナショナル御曹司にして――シニア最高クラスのパワーヒッター。そしてイケメン。

幾つもの強豪校からの誘いがあったにもかかわらず――されど彼はパワフル高校を選んだ。

「-----パワフル高校には、他校にはない魅力があったからです」

「-----なんなん、それ?」

こんな――弱小校どころか、一度死んでようやく蘇ったリビング・デッドのような高校にどんな魅力があったというのか。

「――猪狩兄弟とパワプロさんがいるあかつき大付属と、大会の度に必ず戦えることです」

東條は、そうはっきりと言った。

「俺はシニアにいた時、同じサードのポジションにいたのがパワプロさんでした。本気でどかしてやろうと思ってました。――でも、どかせなかった」

「そりゃあ、一年上の先輩どかすなんて簡単じゃないやろうしなぁ。ましてや、今やあかつきの四番やろ」

「あの人は俺に持っていないものを持っていた。あの人は、切っ掛けを掴むとすぐにそれをものにしてしまう。経験の積み立ての仕方が人とは違うんです。――俺は最後まであの人にかなわなくて、結局ファーストを守る事になった」

それもそれでいい経験でしたけどね、と東條は言い、続ける。

「その上で、シニア時代にいいようにやられた猪狩兄弟もいるあかつき大付属。――俺はどうしても、あかつきと戦いたかった。だからここに来たんです。猪狩さんの球を打ちたい。進の思考を上回りたい。そして――何より、パワプロさんを超えたい。同じチームにいた時は苦渋を飲まされたけど、俺は絶対に勝たなくちゃいけないと思ったんです」

「そうかぁ」

館西はその言葉を受け、微笑んだ。

「俺も同じや、東條」

「-----何がですか」

「ここに来た、理由。――俺も、あかつきぶっ倒したかったんや」

館西は、立ち上がる。

「さあて――それじゃあ練習しようや。じゃなきゃ勝てそうにないしなぁ。あかつき」

 

 

所変わって。

「―――」

河原の上。

一人の男が呆然と何かを眺めていた。

 

「で------きた」

左腕から放たれた、自らのボール。

それは――かつて右腕から放たれたボールと遜色のない威力を内包していた。

 

「-----直球は、戻った。後は――」

彼は人差し指と中指を、開く。

指関節の可動域を極限まで広げ、彼の両指はボールを挟み込む。

「-----フォークさえ戻れば、俺は」

挟み慣れていない彼の指が、悲鳴を上げる。

されど、構わない。

この痛みは、通らねばならない痛みだ。フォークを投げる者の宿命。故に――繰り返せば大丈夫だ。繰り返せば、過ぎ去ってくれる。

 

――県予選は既存の戦力でぶっつぶしてやります。甲子園までが期限です―――まあ、精々足掻いてください。

 

生意気な後輩の言葉が、脳裏によぎる。

そして――その後輩は、有言実行した。

見事――山口賢抜きの帝王で、海東高校を打倒した。

 

ならば。

「――解った。石杖。俺は――足掻き続ける」

左で、投げてやる。

石に齧りついてでも、こんなできっこない事を希望にしてでも――俺は野球を続けてやる。

 

もう一度、俺は俺を取り戻す。

俺の力で。

俺が作りあげた、俺を支えてくれた全てをかけて。

 

――俺はもう一度、帝王実業のエースである〝山口賢”を取り戻してやる。

 

 

N県、高校野球大会決勝戦

先行、パワフル学園

1 駒坂(二)

2 門倉(中)

3 佐久間(遊)

4 東條(三)

5 神宮寺(一)

6 矢坂(右)

7 鍵塚(左)

8 館西(投)

9 万代(捕)

 

後攻 あかつき大付属高校

1 猪狩守(投)

2 矢部(左)

3 猪狩進(捕)

4 パワプロ(三)

5 横溝(中)

6 種市(一)

7 山岸(右)

8 春山(遊)

9 田井中(二)

 

地方球場の電光掲示板に、打順が発表される。

 

その裏では――

 

「――さあ、構えろ」

ギリリ、とボールを握りしめる。

「ねじふせてやる。――完成した、僕の直球で」

猪狩守は――猪狩進が構えるキャッチャーミットに向け、腕を振るった。

 

――鋳車。パワプロ。感謝する。

 

鋭く、縦方向の軸に沿った軌道を描いて、

身体が前に向かう動きから、一拍遅れて、振る。

縦に。

 

腕の振り。指先へのボールへの絡み。そしてボールの角度。

その全てを、縦に向かう身体の動きに合わせる。

手首も肘も腰も膝も足先も。

縦に。

縦に縦に縦に縦に。

 

全ての動きを、リリースのタイミングに合わせて縦に直結させる。

 

ばあん!

 

進のミットに吸い込まれたその球は――。

「-----どうだ」

「-----間違いなく以前の球ではなくなりました」

「解った」

猪狩守は、闘志をその眼に宿し、真っ直ぐに自らの手を見つめる。

 

「――ならば後はもうマウンドで投げ切るだけだ。リードは任せた、進」

「了解しました。――やりましょう」

「当然だ」

自らの名がコールされるのを聞き、彼はグラブに一つ拳を入れ、走り出した。

 

もう、迷わない。

 

――僕は、エースだ。エースなのだから。

そう彼は、心中念じた。




暫し鋳車はおやすみ。


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成るべくして成るもの

おおう、何だか久々にランキングに乗ってますね。ありがとうございます。


「お、山口さん。まだいたんですか」

「-----石杖か」

「調子はどうっすか?」

「ぼちぼちだね。君の方は?」

「ぼちぼちです」

帝王実業すぐ近くの河原に、いつもの影が見えた。

山口賢(イケメンVer)が、壁に投げ込みを行っていた。

石杖は通り過ぎようかとも思っていたが――やはりというか、何というか。先輩相手にあれだけの啖呵を切って、実際にやり遂げた実績を少しばかり目前の男に提示してやりたい思いといいますか。とにかくあまり性格のよくなさそうな理由で声をかけた。

「-----久遠、勝ったんだね」

「勝ちましたねー。まあ五失点はあんまり擁護できねーすけど。アイツにしては頑張ったんじゃないっすかね」

「いいじゃないか。ここで勝てば、きっとアイツは成長できるよ。――君もね」

「ん?」

「成長しただろ?」

少し意地悪気に、山口は石杖に言葉を吐きかける。

「----どいつもこいつも、同じ事を言いやがりますね。俺は何も変わっちゃいませんよ。長いものに巻かれたボーイです。現代っ子の怠け者の極致っす」

「素直じゃない所は変わらないね。――じゃあ、お互いの進捗具合を確認しようか」

 

そう言うと山口は、グラブに球を入れ、セットモーションに入った。

「え。俺今練習終わって疲れてるんですけど」

「俺もそうだよ?」

ほらほらと催促を受け、石杖は顔を顰め、溜息を吐く。

石杖は心底嫌そうな顔で、背負ったバッグからバットを取り出した。

 

「――ん?」

意外そうに、山口はその光景を見ていた。

 

「石杖。君――木製バットなんか持っていたのか?」

「まあ、そうっすね。――素振りする時、軽いんで」

石杖は少しばかりバツが悪そうにそれを取り出し、構えた。

「キリスがくれやがったんです。バッティング改造するなら、金属よりも飛びにくい木製の方が効果が実感しやすいって」

「そうか。――じゃあ、構えて」

「うっす」

石杖は、構える。

「――へぇ」

そのフォームを見て、山口は気付く。

その、変化に。

ほんの微弱な、フォームの変化。僅かに左肩を前に出し、足先の開きを小さくした――石杖の新フォーム。

「フォーム、変えたんだね」

「あ、気付きましたか?」

「うん。――それじゃあ」

山口は、右足を引く。

大きなワインドアップから、大きく足を跳ね上げ――そして大きく身体を逸らす。

反り返った身体が前へ押し出される同時に――唸るような直球が石杖に放たれる。

 

石杖は、すり足のように左足を僅かに上げる。

それと連動する様に――入れた左肩から右への腰回転が連動し、バッティングが行使される。

 

ボールとバットがぶつかり合う音と共に――石杖は脱力した左手に、グッ、と力を籠める。

 

その瞬間――ボールが面に接地させたまま――バットを前に押し出した。

 

「――おお」

その声は、山口から放たれた。

石杖は見事、山口の直球を捉え――そのボールを引っ張り上げていた。

 

3、4秒ほどの滞空の後――ボールはぼちゃりと河へと消えていった。

「まだまだ復活には程遠いっすね」

「そうだね。――けど、驚いた。君、そんなに飛ばせるんだ」

石杖は今のような――滞空時間の長いフライを打てる打者ではなかった。

どちらかと言えば、ライナー型の打者だった。鋭い打球をあらゆる方向に打ち分け、ヒットを量産する。それが今までの石杖のバッティングだった。

「まあ、ちょっとだけコツを掴んだんすよ。俺の身体はどうやら、左手が一番利口に言う事を聞いてくれるんで。もうそっちにインパクトを任せる事にしました。左手側に上手く力が伝わる様に肩を入れて、タイミングの取り方を摺り足にしただけで――引っ張りの威力が格段に上がりました」

「-------うーん。よく解らないな」

「解んなくていいっすよ。これもキリスの受け売りすから。――まあアイツみたいに内の球を反対方向にぶっ飛ばせるようなアホな技術じゃなくて、真っ当な技術すよ。内だろうが外だろう真ん中だろうが引っ張り上げる。それだけ」

「そうか。――けど、それだとインパクトのポイントが前になるだろう。変化球の対応はどうする?」

「あー。それは大丈夫っす。肩を入れる時、外の変化球だったら()()()()()()()()()()()()()

「----え?」

「変化球だったら肩を入れるだけで、そこから一瞬身体を止めてくれるんすよね。で、止めた時変化球がボールゾーンに言ってくれたらそのまま。ゾーンに残るタイプの変化球なら、止めたバットを()()()()()()()()。そうすれば、前のポイントでも変化球に対応してくれるっす」

「-------」

今、石杖は気付いているのだろうか。

この男は――キリスのバッティング論以上にイカレた理論を自分で振りかざしているという事を。

足を上げ、腰を回旋させ、バッティングをする。

この三段階の中で――普通は、第一段階でバッターは直球か変化球の判別を行う。

第一段階で投げられたボールの判別を行い、直球なら直球の、変化球なら変化球の、タイミングに合わせバッティングを行使する。

 

それ故に――バッティングのポイントを前にしなければならない引っ張り系のバッターは、変化球に空振りをしやすい。

バットとボールを当てるタイミングを前にすれば、それだけバットを出すタイミングを早くしなければならない。その為――直球よりも遅く、更に曲がって来る変化球に対応できないのだ。第一段階を素早く終わらせ、さっさと第二段階に入らなければならないから。

 

だがこの男は――あろうことか第一段階が終わり、第二段階へ完全に移行したタイミングであっても、変化球が来た際にバットを止め、あろうことかゾーン内であれば対応が出来るとまで言っていたのだ。

キリスは、第一段階で直球か変化球を見極める嗅覚が異常発達しているが故に、あのバッティングが出来る。これも普通ではない事であるが――直球か変化球かを見極めるのは、タイミングを取る時という大前提は崩していない。

それだけに、石杖所在という男の異常性が際立つ。

「まあ俺はキリスみたいな出鱈目なパワーが無いんで、引っ張らねえと長打が打てねぇんですよ。だからまあこんな感じに――あれ、どうしたっすか、山口さん」

「いや」

――いや、参った。

山口は一つ――笑いながら、溜息をついた。

――俺は見縊っていたのかもしれない。

石杖所在という男を。この男の異常性を。

 

――そうだ。この男も中学時代は「支倉の至宝」なんて異名で通っていたんだ。

 

「俺も――頑張らなければな、と思っただけだよ」

そう言って、山口は河原を眺めた。

夕陽に映えて、水面が真っ赤に燃え上がっているようだった。

 

 

両軍が並び立ち、互いに一礼する。

空のように鮮やかな青模様のユニフォームのあかつき大付属。

対照的な燃える様な赤を基調としたユニフォームのパワフル高校。

互いが列をなし、一礼する姿は――実にグラウンド上で映えていた。

「パワプロさん。――お久しぶりです」

「あ、うん。久しぶり、東條君」

互いに握手を行う瞬間――かつてのシニアの後輩が、声をかけて来た。

「今度は、敗けませんから」

そう言い残して、彼はベンチに戻って行く。

「-----東條君」

クールに見えて、熱い魂を持つ選手――それが、東條小次郎という男であった。

その在り方が妙に――自分が追い続けてきた親友の姿と重なって、ずっと好ましく思っていた。

そしてその様は、今も変わっていないようで。

 

「----よし」

ならばこそ。

後輩に恥ずかしい姿を見せる訳にはいかない。

彼は――ずっとその手で守り続けてきたポジションへ走って行く。

 

プレイボール!!

 

その宣言を聞き――互いのチームの表情が引き締まった。

この日で、決まる。

甲子園行きの切符が、誰の手に渡るか。

 

猪狩守はゆっくりと腕を上げ、モーションに入った。

 

一番、駒坂。

その初球。

 

「――え」

思わず、そう呟いていた。

破裂音のような――空気が割れる音と共に、ミットが唸り声を上げていた。

そして、

――ストライク。

 

その宣告が響いていた。

 

――打てるものなら、打ってみろ。

 

猪狩守はボールを受け取り、また構える。

僕は敗けない。誰にも打たせやしない。これが、僕の解答だ。エースとは、何なのか。その問いの。

 

猪狩は投げる。

縦に倒した身体から。

縦軌道の腕を通して。

真っ直ぐなスピンを真っ直ぐに立てた指をかけて――縦回転と共に、押し出す様に。

 

空気が割れる。

風を切り裂く。

そして――破裂音のような鳴動と共にミットに突き刺さる。

 

「さあ――真っ向勝負だ」

そう言って――猪狩守は、笑った。

「ここはもう、僕のマウンドだ」




横浜のキャンプ情報が入る度に思う。仕事辞めたい。


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あかつき大付属VSパワフル高校①

ようやく試合が始まりました。でもあんまり進みません。


その瞬間の事はよく覚えている。

巨大な肉体から放たれる強烈な打球が、幾度も自らの背後を通り過ぎていった。

 

清本和重

滝本太郎

 

現在、二人して高校通算本塁打ランキングに名を連ねる強打者二人組にアベック本塁打を打たれた事を。

今まで対戦した強打者と一線を画す、あまりにも強大なパワーを持つこの二人組は、猪狩守のプライドを粉々に砕いた。

 

自分の中で最高と信じて疑わなかったボールが、まるでピンポン玉の如き風情で飛ばされていく様を見てしまった。

 

「――クソ!」

 

猪狩守は攻守交代と同時にロッカールームに入り、そのままグラブを叩きつけていた。

苛立たしかった。

何もかもが。

自分を誰より過大評価していた自分の盲目ぶりも、心配そうに見つめるチームメイトも、清元も滝本も。

つまりは――今ある眼前の現実が、苛立たしくて仕方が無かった。

怒りにチカチカする視界の中で――自分の眼前に立つ男がいた。

 

鋳車和観であった。

 

荒れた様子でロッカールームに入っていった自分を見かね、ついてきたのだろうか。

その様すら、――猪狩にとって苛々の対象でしかなかった。

 

「何だ?僕の無様を笑いに来たのか?」

皮肉ですらない、子供じみた言葉が吐き出される。

きっといつもであれば高いプライドがきっと許してはくれないであろう幼稚な言葉を。

そんな言葉を受けても、鋳車はただ猪狩を見つめるばかりだった。

その眼には、猪狩を心配する素振りなど一切ない。

そして、

「――よう自称エース。ここで立ち直らなきゃ本当に仮のエースで終わっちまうぜ」

そんな言葉を、口にしていた。

猪狩は何かを言い返そうとするエネルギーが脳内で一瞬湧き上がり、そのまま沈殿していった。

見事なまでに――鋳車の言葉は猪狩の崩されたプライド蹴飛ばしていたから。

「お前を笑いに来たかって?お前をあと2、3回で交代させなきゃならない。だからリリーフも準備しなくちゃならない。勝手にそんな妄想をしているお前程、ベンチは暇じゃないんだよ」

つつく。

つつく。

鋳車の言葉は――猪狩の山より高く海より深いプライドを見事に突いていた。

「――舐めた態度でマウンドに上がんな」

そう最後に言い残し、鋳車はそのままロッカールームを出る。

向かう先は、ブルペン。

「――君が投げるのか?」

鋳車は四日後に帝王実業との練習試合に登板予定だったはずだ。それ故に今日は出さないと決まっていたはずだ。

「練習試合は、相手との信頼関係で試合が行われている。お前がさっさと降板して一枚落ちのピッチャーを出しちゃ相手に悪い。西京高校だってエースを出してやっているんだ」

鋳車は、突き放したようにそう言い切った。

猪狩は――その瞬間に、自分を取り巻くすべてに恥ずかしく思えた。

何を自分は苛ついていたのだ。

本来投げるべくもない場面で投げなければならない鋳車こそ、その権利があるはずなのに。

 

「――待ちたまえ」

猪狩は、その姿に、思わず宣言した。

「この試合――僕が全イニングを投げ切る」

 

 

その後、猪狩は思い知った。

鋳車にとって猪狩は自分の命綱だ。

奨学金。母親の勤務先。その全てが猪狩家の財閥により提供されている。

 

その命綱に――多弁でない鋳車がわざわざあれだけ辛辣な言葉を投げかけた意味を。

このままでは、自称エースで終わってしまう。

その通りだ。

自信が打ち砕かれ、砕かれたそれらを掻き集め、もう一度作り直す。

その作業が出来なければ――自分はただの口先だけの男となってしまう。

 

――借りは、返す。

 

それから猪狩は、一度自分の投球を壊し、再構築する決意をした。

その結果が、これだ。

「――うぉ!」

全球直球を使っての投球を以て――三者連続三球三振。

三番佐久間は高めの直球にバットを掠る事すら叶わず、三振に終わった。

 

「悪いけど――甲子園は僕等が行く」

猪狩守は、成った。

自らが望む姿に。自らが思うエースに。

 

鋳車という存在によって。そして自分の決意によって。

生まれ変わった、その直球によって。

 

――口先だけでない事を証明してあげよう、鋳車。絶対に――『借りを返す』

ふ、と笑い――猪狩守は三振に終わった打者を一瞥する事も無くベンチへと帰っていった。

 

 

鋳車さーん、と声が響いた。

「----はい?」

「事務室に鋳車さんあての手紙が届いていまーす」

猪狩コンツェルン傘下のリサイクル工場内。休憩を取っていた鋳車母の下に、事務員の女性――嵐山美鈴が手紙を持ってきていた。

「ありがとうございます。帰った後に、確認しますね」

「鋳車さん今日早番でしょ?もう上がってくれてもいいですよ」

「いえいえ。そんなの申し訳ないですよ」

以前、一日の大半を空き缶集めに奔走していた時期を思えば、法定休日があるだけとんと楽になった。その上に有給まで使うとなると、どうしても尻込みしてしまう。

「そんな事言わないで下さい。ただでさえ鋳車さん働き者なんですから。――ほらもう、有給も振休も溜まりまくっているんですから、ちゃちゃっと休む時は休む」

ほらほら帰った帰った、と嵐山は鋳車の背中をぐいぐいと押していく。

「長期の休みだって別にとったって構わないんですから。有給使わないとこっちだって怒られるんですから―。――それじゃあ、また明日ね鋳車さん」

嵐山は切符のいい笑みを浮かべながら、鋳車母を工場外に追い出した。

とはいえやる事も無く、近場の業務用スーパーで買い物だけ済ませ、さっさと寮に戻る。

 

ここ一年。随分と生活に余裕が出て来た。

彼女は、この前ようやく携帯を購入した。

仕事に必要だから、という理由もあるのだが――目的は、今夏のあかつき大付属の地区予選の結果を見る事だ。

自分の息子が元気に投げているのだろうか。怪我でもしていないのだろうか。息子とは定期的に連絡を取り合っているものの、こと自分の事となると和観は信用が置けない。弱音を吐く事を絶対にしない性格をしている。

 

サブマリン対決で一躍メディアに取り上げられ、一部で批判の的とされている事もあった。その時ですら「別に何ともない」とそっけなく返したのみであった。

 

そして――7月の間だけ、ネットTV契約をしようと思っている。

息子の投げている姿を、携帯越しでもいい。見てみたかったのだ。

 

――あ、そう言えば。

手紙を受け取っていた。

その事に気付くと同時、彼女は差出人を確認する。

 

「-----猪狩守---君?」

 

鋳車母は、困惑と同時にその差出人を見た。

知っている。和観と共にチームを引っ張るエースで、そして和観があかつきに入る為に骨を折ってくれたという少年だったはずだ。

丁寧にレターナイフで便箋を開き、手紙を取り出す。

 

 ”鋳車和観のご母堂様。

 

突然のお手紙失礼いたします。

貴女様のご子息の返礼の品として、同封のものをお受け取り下さい。”

 

それだけが書かれた手紙を見ると、便箋を再度見る。

 

そこには、

「――ホテルのチケットに、-----甲子園特別指定席券?」

そのチケットの間にも、また一つ手紙が挟み込まれていた。

 

――我々あかつき大付属は必ずや甲子園に参ります。どうぞ、ご子息の雄姿を見る為にもお使いください。

 

「-------」

 

――ねえ。カズミ。

 

思う事は、一つだけ。

本当に、たった一つだけだった。

 

――本当に、良かったね。素敵な友達が出来て。

 

 

あんなものを送ってしまったのだ。

最早猪狩守に、退路は無かった。

どんな状況であれど――勝つ以外の未来はあってはならない。

 

――鋳車。お前がいなければ僕はここまで来れなかった。

だから。

だから。

――この場で僕が甲子園のチケットを手に入れる。それこそが――色々な意味において、お前への借りを返す事になると思うから。

 

 

――ホンマ、とんでもない投手やなぁ。

全球直球。

三者連続三球三振。

――一度でもいいからやってみたいわ、あんなピッチング。

マウンドに立つ館西は呆れながらマウンドに立つ。

 

一番に立つは――またしても、猪狩守。

 

――一番最初にマウンドに登って、で一番最初に打席に立つ。無茶苦茶カッコいいやん。

 

選ばれた天才。

それ故の行動。

 

本当に――現実から浮き出たあり得ざる存在だ。

 

――まあ、俺は俺のピッチングをするだけや。

まあ、見てくれや。

そら投手単品で見たら、アンタとは格が違うやろなぁ。

 

けれども、

「俺は――この9人全員で、アンタ等を叩き潰してやるわ」

左打席で殺気十分といった具合に構える猪狩守に――館西はニッと笑った。

 

第一投が、投げられようとしていた。




パワプロでペナントやっていたら、能見さんが0勝15敗とかいう悪夢の成績になっていた。どうしてそうなった。


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あかつき大付属VSパワフル高校②

――別に俺の球は遅いわけやないと思うんやけどな。

そう思っていた。

小学生の時も、中学生の時も、館西は野球で困った事なんて一度も無かった。

マウンドに上がって、敗北の味を覚える事も少なかった。

彼には武器がある。

――どのコースにも投げ分ける事が出来る、天性のコマンド能力。

中学に上がって、変化球を投げるようになった。

器用な彼は、握りを覚えればすぐに投げられるようになった。

天性のコマンド能力は、変化球であってもコースを選ばず投げ分け出来る能力を彼に付与させた。

 

そんな彼の最高球速は――138キロ。

速い方だ。130キロ投げられる高校生はそう多くはない。

けれどそれは、所詮地方大会レベルでの話。

甲子園という魔窟に入れば――140キロ越えはざらであり、トップクラスのエースであれば150は優に超えていく。

 

どうしても。

どうしても。

自分の能力に疑問が湧きあがる。

 

上のレベルへ行けば行くほど、実感する。

誰も自分の球に空振りしてくれない。

 

外にスライダーを投げても、内角にシンカーを落としても。彼等は振ってくれない。彼は色々な球種を投げ分けられるが、球を急激に曲げる類の変化球は投げられなかった。

 

どうすればいいのだろう?

その疑問が彼の頭に降り立った時――こう思った。

 

楽しい、と。

 

――憧れるんやけどなぁ。剛速球でバッタバッタと相手を薙ぎ倒していくピッチャー。

でも、別にそれだけがピッチャーの在り方じゃない。

スライダーを振ってくれないのならば、見逃しの道具にすればいい。シンカーはシュートと投げ分ければ、内角のコースにも上下の使い分けができる。カーブで緩急をつけ、直球でファールを取り、シュートで詰まらせてゴロでアウトを取ればいい。外のスライダーを見せ球にアウトローに直球を挟み込むのもいいだろう。外角のシュートでボールゾーンからストライクゾーンに入れる方法だって知っている。

幾らだって手はあるのだ。

アウトの取り方なんて、星の数ほどある。

彼は――その方策を考える瞬間が、一番自分にとって幸せで、楽しい時間だという事を自覚した。

だから彼は――目に見える球の威力に、それ程拘らない。

自分の頭の中で行われる思考の冴えこそ、自分というピッチャーを形作る個性なのだから。

球の威力で重ねていく三振もいいだろう。

けど。

分析に分析を重ね、思索に思索を重ね、頭を捻って捻って積み上げていくアウトも――きっとカッコいい。

そのカッコよさは、きっと自分以外解ってはくれない。

自分の思考なんて、誰も見る事なんて出来ないのだから。

でも構わない。

自分が自分に誰より自信を持っておけばいい。

派手な活躍なんてピッチャーにはそれほど必要ない。どうせ守備の時だけ咲く花だ。

だったら――他の守備に添えられる地味な花でも構いやしない。

それが――館西勉というピッチャーであった。

 

 

――さあて、これはどういう意図やろうなぁ。

館西はずっと考えていた。

あかつきが組んだ、この打線の意味を。

――まあ、猪狩守はんのモチベーション向上のため、というのもなきにしもあらずやろうけど。それだけでこの大幅な打線変更は無いんちゃうかなぁ。

一番猪狩守。二番矢部。三番猪狩進。四番パワプロ。

いつもはクリーンナップに居座る猪狩守がトップバッターに立ち、それから四番まで強打者を繋いだこの打線の意味を。

 

一番猪狩守が打席に入る。

――まずは一巡やな。そこを処理して打線についてはもう一度考えよ。

ひとまず、館西はそう思考にケリを付けた。

今は、全体を俯瞰するよりも一人一人の打者を斬っていくことに集中する。

 

眼前に立つ天才を前に、館西は第一投を投げる。

内角のコースから膝元に落ちていくスライダー。

 

猪狩は出しかけたバットを止め、これを見逃す。

 

第二投。今度は真ん中外よりのコースから外角ピッタリに曲がっていくシュートボール。カウントを一つ奪う。

内。外。

ストライクからボール。ストライクからストライク。

どのボールも、球種もコースもばらけている。

 

――成程。投げている球は凡庸だが、いいピッチャーだ。

 

バットを出そうと思えど、微妙に曲がってくる。ゾーンの出し入れが激しい分、この微妙に曲がるという性質が厄介になる。

球の威力は無いから、思わず手を出したくなる。

けれどもコースが絶妙でかつ、球が芯を外してくる。しっかり低めに制球されているが故に、何処に投げられようとコースを跨ぐ可能性が不意に頭によぎってしまう。

 

三投目。館西は外角に向け投げ込む。

先程よりもコースは寄っているが、されど浮いている。

無理矢理に引っ張り上げようとバットを出しかけ――しかし、止める。

 

それは――浮いた様に見えた軌道から、ボールゾーンギリギリに逃げ去るシンカーであった。

手を出せば、一塁線に転がるかファールボールになる未来しかない球だ。猪狩は一つ顔を顰め、一度ピッチャーを制止し、間合いを取る。

 

――大体解って来た。あの館西というピッチャーは、手を出したくなる絶妙なコースから低めへと向かう変化球を投げる事でゴロを奪うスタイルなのだろう。

 

一投目に厳しいコースからボールゾーンへと向かうボールを内角に投げつける。

それから緩いコースから隅へと向かう変化球を投げ込んでいく。

 

コースの緩急、とでも言おうか。

明らかに手は出せない厳しいコースと、手を出しても打てそうなコースを使い分け――その組み合わせを用いて相手のバットを出させる。もしくは見逃しを奪う。

空振りは狙えないであろう。バットを出せば当てられるだろう。もしかしたらヒット位は打てるかもしれない。

だが――ベターな打球ならば割と打てるチャンスがあるが、ベストなスイングを絶妙に阻害する投球術を持っている。

 

その結果、

「――く」

四投目にボールゾーンからストライクに入り込むスライダーを投げ込む、ツーツーカウントまで追い込まれる猪狩守。

五投目。

内角に投げ込まれた直球に――見事差し込まれる。

 

一二塁間にボテボテのゴロが放たれ、セカンド駒坂が難なく処理しアウトカウントが一つ灯る。

 

館西のピッチングは、要は――我慢比べだ。

打てるかもしれない球の中に厳しめの球を織り交ぜ、相手に我慢比べを強いる。

コントロールがいいピッチャーにありがちな、ただひたすらに厳しいコースに投げ込むことでボールカウントをいたずらに増やすスタイルではない。

様々な撒き球を餌に、ゾーン内でしっかりと打たせて取るピッチングが出来るピッチャーだ。

そして――このピッチングスタイルに、ガッチガチの内野陣の組み合わせはまさに凶悪の一言。

このピッチングスタイルは、どうしてもゾーン内で勝負を仕掛ける必要がある為、四死球は少なく被打率は高い。だが被打率は鉄壁を誇る守備陣により、カバーされる。

あのピッチングは――強固な守備陣あってのものだ。

コースを選ばず投げられるのも、どの方向に飛ぼうとも処理をしてくれる安心感あってのものだろう。バックがピッチャーを支え、ピッチャーの選択を無限に増やす。そういう正のサイクルを上手に回しているチームなのだろう。

 

「いいじゃないか」

パワフル高校、館西勉。

投球の渋さの中に、不敵な心を感じられる――いいピッチャーだ。

決勝戦に上がって来たのも、きっと偶然じゃない。

「こうでなくちゃつまらない。僕の復活戦に見合うに相応しい舞台だ。――楽しくなってきたじゃないか」

猪狩守はそう一言呟き、ベンチへと帰っていく。

――多分だが、この試合終盤まであまり得点が入らないだろう。その確信がある。

それ故に、

――今回は、一点もやれない。全力を以て試合に臨もうじゃないか。

引き上げる猪狩守の頭は、もう次のピッチングに切り替わっていた。




ああ、もう二月も中盤なのだなぁ。
あと一カ月とちょいすれば野球が始まるのだなぁ。

------でも見れないんだなぁ。あーあ。


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あかつき大付属VSパワフル高校③

二番矢部は、まさしく相手の術中に嵌まった。

内角へのシュートから外角のスライダー。共に厳しいコースを突かれた後に、ふと訪れた真ん中付近へ投げ込まれたボール。

当然それを打とうとして、――足元に微妙に曲がって来た。

 

バットの下っ面を叩き、ボールは三遊間に転がっていく。

ショートの佐久間が難なくこれを捌き、素早い送球で矢部をアウトにとった。

 

――成程。

ネクストバッターズサークルからその光景を見ていた猪狩進は、一つ頷く。

厳しいコースを連続させての甘いボール。

そこからバットを振らせ、微妙に曲げる事で芯を外しゴロを打たせる。

 

――確かに厄介なピッチャーだ。

 

兄の如き剛速球も、鋳車のような魔球も無い。

されどこの男は、はっきりとした投球の軸と、術を持っている。

 

高いコマンド能力と、コースを自在に操れるコントロール。その上に、バットに自らの球を()()()()()事に一切の恐怖を抱かない度胸。

ピッチャーは、大抵が三振を取ってアウトを奪いたいと願っている。

何故か。

答えは単純で、それが一番安心だからだ。

バットに当たらなければ何も起こらない。ヒットもホームランもエラーによる出塁もない。いざボールがバットに当たった瞬間に、様々な可能性がグラウンド上に発生してしまう。

それら全てを撲滅できる手段が、バットに当てさせない事である。

だから、どうにかピッチャーの心理はバッターが当てにくいコースへ投げ込まなければならないという心理が働いてしまうのだ。それも、追い込めば追い込む程に。

だがこの男は違う。

この男は敢えて甘いコースにボールを投げ込める。

 

バットに当てさせるために。

 

異質なピッチャーだ。

されど――こういった手合いのピッチャーの方が、進にとってはやりがいがある。

 

――三番、キャッチャー猪狩進。

アナウンスと共に、猪狩進は打席の中へ入っていく。

 

 

猪狩進、パワプロ。

この打順の流れを、最も館西は警戒していた。

 

この二人の打者は、ヒッティングポイントが他の打者よりも後ろにある。

後ろで捌く技術を持つ打者に対し、館西の「当てさせる」ピッチングは相性が悪い。

――猪狩弟に出塁された状態でパワプロを迎えさせたくない。

 

館西は、そう考えていた。

パワプロは元々広角への打ち分けに定評のある打者だったが、打撃改造により現在紛れもない強打者として成長している。

今大会でも遺憾なくその威力を発揮し、現在地方大会打点王として君臨している。

故に、猪狩進とパワプロ。

苦手なバッターが並ぶこの打順の流れが、一番点が入る可能性が高い。

 

――まあでも、結局の所考えるべきはただ一つやな。打たれるのはしゃーない。重要なんは、打たれても点に結び付けさせない事や。

 

打たれない場所を探る、のではなく。

打たれても長打にならない場所へ投げる。

 

それがこの両者に対し必要な事だ。

 

――取るべきリスクは取り、投げるべき場所に投げ込む。後は野となれ山となれや。

 

猪狩進が打席に入った瞬間、――守備陣が微妙に変わった。

センター方向にショートが守備位置をずらし、それに引っ張られるようにサードがショート方向にずれる。

 

その変化を、進は気付いた。

 

――三塁線を、開けた?

 

守備陣形は、完全に引っ張り対策の陣形を敷いてきた。

センターからライト方向の守備を固め、その代わり三塁線は開ける。

 

そして、キャッチャーは構える。

猪狩進の、内角に。

 

第一投。

直球が投げ込まれる。

 

インサイド中頃のコース。

これを打とうとバットを出しかけるが――止める。

ストライクが宣告され、進は一度打席から外れる。

 

――成程。

この一球で、相手の意図が理解できた。

 

守備を引っ張り対策の陣形にして、その上で徹底して内角攻めをするつもりか。

 

引っ張りを打ちやすい球を投げ込み、守備陣形でそれをアウトとする戦略。

それを今、パワフル高校は行っている。

 

――舐めるな。

内角に投げ込まれると解っている相手の球に、対処できないとでも思っているのか。

守備の頭を越せば、シフトなんて関係ない。外野まで球をもって行ってやる。

 

第二投が、放たれる。

内角へ向け、ボールが放たれる。

 

――狙い通り。

進は、そのまま駒のように腰を回旋させ、そのボールを捉えにいった。

ぐるりと回ったヘッドが芯を喰らわす――その瞬間。

 

更にそこから、内角へ曲がっていく。

 

あ、と思った瞬間には――ボールはバットの根元へ小さく当たっていた。

擦れるような金属音と共に、ボールは進の足元に叩きつけられた。

 

――スライダー、か。

 

ボール一個分、ゾーンの外へと曲がっただけのスライダー。

されど、内角へ狙いを定め振りに行った進にとって手を出さざるをえない球。

 

そして――見事ファールボールによってカウントを稼がれた。

追い込まれる。

 

――守備陣形までも、揺さぶりの道具にするのですね。

 

これは館西の能力と、パワフル高校の守備力あっての戦略だろう。

何処にだって、どんなボールだって投げられるピッチャーと何処を切り取っても安定した守備力を持つ守備陣。

それが組み合わさり、今進は追い込まれている。

 

どうする。

外を無理矢理に狙うか?いや駄目だ。内角低めの球をレフト線に持っていくだけの膂力を進は持たない。

ならばまた強く引っ張るか?

今の状況では、それが最善であるように思えた。

 

強く振る。

その上で、変化を見届ける。

 

それを両立したバッティングさえ出来れば、内角に来ると解っているならば対処できるはずだ。

進はバットを構える。

 

ジッと、次の球を待つ。

 

三投目。

館西は――またしても内角へと投げ込む。

 

直球か。

変化球か。

見極めんと集中した進の眼には――それはボールゾーンへと流れるような球に見えた。

 

ここはボールカウントを稼ぎに来たのか、と判断した進はバットを止める。

 

されど。

 

内角のボールゾーンへ向かう球は――そのまま、ストライクゾーンへと流れていく。

「え」

思わずそう口に出した瞬間、

 

――ストライク!バッターアウト!

 

そう宣告を受けた。

 

三球で、見逃し三振。

その球の軌道は――内角のボールゾーンから、ストライクゾーンへと流れていくシュートボール。

右ピッチャーから左バッターの内角へ投げ込んだ後に、更にゾーン内へと曲がるその球。

 

所謂、フロントドア、と呼ばれる球であった。

 

「---------」

チェンジが宣告され、進は今の攻防における情報を冷静にまとめていた。

直球、スライダー、シュートを用いて、館西は進の懐を広く使って攻め込んできた。

 

内角しかない、という意識付けを守備陣形で植えつけ、基本的にはアベレージ型の進のバッティングを崩した。

強く振らせ、その分ゾーンからのボールの動きへの意識を散らしたのだ。

 

ゾーンにボールがあると思わば手を出す。手を出せばボールゾーンへ流れる為に、球が前に飛ばない。

ボールゾーンへ流れていけばバットを止める。止めたらそこからストライクゾーンへと流れていく為、カウントを稼がれる。

 

変幻自在。

まさしく今、猪狩進は館西勉というピッチャーの掌の上で踊らされていた。

 

戦況を分析すれば、凡退の原因が何であるかは理解出来る。

だが、その対策を打とうとも、対策の対策が簡単に浮かんでくる。

 

バッティングをもとの形に戻した所で、内角攻めの中で外に流す事はできない。

引っ張りに行けばゴロならば高確率でアウトになる。

フライを打とうと強振すれば、先程と同じ様にゾーン内外の変化で結局凡退してしまう。

 

――ピッチャーと、バッターの対決。

だがパワフル高校はここに、鉄壁の守備陣という相手が前面に相手として立ちはだかる。

――どうすれば、いい?

先程の攻防で、頭が混乱しかける。

 

「進」

その時。

声が、かけられた。

「切り替えろ。大丈夫、安心しろ。――僕が0点で抑えておいてやる。その間に、館西の対策を考えろ」

 

兄、守の力強い声だ。

 

――そうだ。僕は何度忘れて、何度思い出させられたのだろう。鋳車先輩だって言っていたじゃないか。

自分は、キャッチャーだ。

キャッチャーは、ピッチャーを使って0点で抑える事でだって、貢献できる。

 

「――行くぞ」

守の声に、はい、と答える。

 

試合は、2回へと進んでいく。

 

 




上茶谷。
ああ上茶谷。
上茶谷。

最近、この音とまれ!がアニメ化されたみたいですね。おめでとうございます。大好きな漫画です。
来栖ちゃん可愛い。けど昌先生もっと可愛い。


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あかつき大付属VSパワフル高校④

あかつき大付属高校。

パワフル高校。

両校とも、1イニング目は3者凡退で終わった。

 

3者連続三振と、3者連続凡退。

対照的な結果は、そのまま互いのピッチャーの性質の違いを現していた。

 

そして、ここから――両校の四番からのスタートだ。

 

「パワフル高校、サードベース――東條小次郎」

眼光鋭く猪狩守を睨み付けると、東條小次郎は打席に入る。

 

――見せて下さい、猪狩さん。

 

天高く、ピン、とバットが空へ向けられる。

スクエアスタンスから身体を捻りピッチャーと正対し、そのままの姿で静止する。

 

それは、まるで立ち合い前の侍であった。

今まさに――獲物を切り裂かんと刀を構えた、侍。

 

それは、かつて北のサムライと恐れられた強打者の構え。

 

――貴方が自らの投球を進化させたように、俺もあの頃の俺ではないんです。

 

小柄な身体。

しかし――打席に立つや否や、どんな打者よりも大きく見える。

 

成程、と猪狩守は呟く。

「――面白そうだ」

セットポジションに入る。

四番VSエース。

第1ラウンドのゴングが今、確かに鳴らされた。

 

 

かつて、東條には親友がいた。

野球を介し絆を深めた、親友が。

 

されど、その親友は野球が出来なくなった。

 

共に練習をする最中に、大怪我を負ってしまって。

 

それが、東條の小学校の頃の記憶だ。

リトルで練習をした後、終わった後に自主練習をする中で――親友は、日常生活すら支障が出るレベルの怪我を、負ってしまったのだ。

もう二度とバットを手に持たない。

そう硬く決意した日々もあった。

親友はお前の所為じゃないと言ってくれた。

けれども――この自責の念を抱えたまま野球をし続けられる精神構造を、その当時東條は持っていなかったのだ。

 

けれど、結局戻ってきてしまった。

東條の心の中にある鬼武者が、そうさせた。

 

――俺の中にもあったんだ。こんな気持ちが。

はじめて、心が震えた瞬間があった。

 

小学校六年生だったとき。

帰り道の河原の土手の下で行われていた、たった二人で行われていた勝負。

 

ボロボロのパーカーを着込んだ少年と、全身泥まみれのユニフォームを着込んだ少年の打席勝負。

互いが互いに、真剣な目で、真剣な様相で、されど――何処か楽し気に。

 

勝負をしていた。

パーカーを着込んだ少年は、誰だか解らなかった。しかし、もう一人の打者の名前はすぐにも解った。

シニア首位打者の、パワプロだった。

同県の中学生で、野球をやっていれば必ず聞く名前であった。

猪狩守に匹敵する天才――そう言われて久しい男であった。

 

同じ、だった。

きっとシニアの練習が終わった後なのだろう。身体だってくたくたのはずだ。それでもパワプロは、変わらぬ集中力で、眼前のピッチャーの球を見据え続けていた。

それは、同じ。

かつての自分と、同じだった。

 

――ああ、そうか。

その時に、思ったのだ。

あの時、確かに親友は怪我してしまった。

けれども。

その結果だけを切り取って、悪しき思い出とあの日々を貶める事は――自分だけではなく、共に過ごした親友にとっても、失礼なのではないかと。

 

――そうだ。

自分は紛れもなく、野球が好きなんだ。

あんな土手の裏で一対一での勝負に思わず胸が熱くなるくらいに。

それ程までに。

 

――もう逃げはしない。

そう決意した日。

彼の中に、もう一人の自分が宿った。

 

 

ワインドアップから、大きく腕を後方へと。

腰回転と共に、宙に浮かせた足が接地する。

 

体軸を斜めに。

リリースを縦に。

角度をつけて。

身体を沈ませ。

 

まだ。

まだまだ。

 

リリースすれど、指先は離すな。

中指の爪先まで、ギリギリのギリギリまで、回転をかけろ。

鋳車のように、上方向への回転なんてかけられない。

だが。

縦に振る――それによって生み出せる回転だって、確かにあるのだから。

 

縦に振る事が出来ているから、その分だけ――縦軸への回転をかける事が出来る。

 

――第一投が、放たれた。

 

 

大きなワインドアップから足が接地した瞬間――東條は始動する。

ヘッドを後ろに、腰は前に。

上げた足先からバットを出そうとした、その瞬間。

 

――な-----!

 

東條は信じられない思いを抱いていた。

始動を終え、ヘッドを出さんとしたその瞬間――ボールはもうミットに吸い込まれる寸前の所にあったのだから。。

 

「――ストライク!」

審判の声が、後ろから聞こえて来た。

 

インサイドぎりぎりの、高めのコース。

完全にミットに収まった瞬間に、東條はスイングを行っていた。

 

――タイミングが、合わない。

リリースの瞬間、タイミングを測る瞬間。

バットを出さんと判断するその時間が、今この瞬間――東條の中から消え去った感覚があった。

 

タイミングを取る瞬間には、もう球が目前に来ていた――そんな感覚だった。

 

どういう事だ――そう思った瞬間には、猪狩はもう次の投球を始めていた。

ゆら、とした緩慢な動作からの大きなワインドアップ。

腕を回した瞬間に始動する腰と脚。

沈み、振る。

そして――。

凄まじい速さのリリースから放たれる、剛速球。

 

糸を引く様な綺麗な一等線を描き、放たれる。

 

――解った。

東條はその投球を見た瞬間に――すぐさま自らのバッティングを修正する。

 

――足先が接地してからリリースする瞬間の間が、滅茶苦茶短いんだ。

大きく後ろに持っていった腕を、腰回転が終わる瞬間にはリリースポイントまで持っていく。

 

腕の振りが強すぎて、またワインドアップからのフォームの変遷が余りにも緩やかすぎて――タイミングを取る間を完全に殺しに来ている。

 

故に東條は、一時的に足の上げを小さくし、摺り足のような形でタイミングを取る事にした。

これで、タイミングは合わせられる筈だ。

リリースも何とか見えた。軌道は外角側。

球の軌道に合わせ、東條はバットを出した。

この苦し紛れの打ち方じゃあ長打は望めないかもしれないが、何とか外野の前にでも落とせれば――。

そうして懸命にバットを出したものの――。

 

――あれ。

想定した軌道よりも、更に()へと、ボールは通り過ぎていった。

 

「――ストライク!」

気付けば、ツーストライクノーボール。

追い込まれていた。

 

猪狩守は進からボールを受け取り、テンポよく投球体勢に入る。

次に選んだ球は――。

 

「――ぐ!」

真ん中高め。ボールゾーンへの吊り球。

それを見事に大きくフルスイングをし、空振り。

 

「――ストライク!バッターアウト!」

 

これで、四者連続の三振となった。

東條は信じられない、といった面持ちでバッターボックスからベンチへと戻って行く。

その時、

「――東條」

ネクストバッターサークルからバッターボックスへ向かう神宮寺から、声をかけられた。

「しけた面すんじゃねぇ。四番だろうが」

そう一言告げられ、――渋面を、更に強める。

きっと、弱気な面が、表情に出ていたのだろう。

「安心しろ。取り敢えず俺も粘ってはみるからよ。――しっかり次の打席まで、あの球に食らいつける算段を立てとけ」

そう言い残し――神宮寺はバッターボックスへと、足を運んで行った。

 

 

この球は、一度自らの中にあるモノをバラバラにして再編成して作り上げたものだ。

清本と滝本に、ボコボコにされたあの日から。

 

プライドを大いに叩き壊されたあの日から。

もう一度、自らのプライドを取り戻す為に。

 

試行錯誤の果てに辿り着いた結論は、シンプルであった。

 

――縦に、強く、真っ直ぐに、回転をかける事。

 

猪狩守が目指した直球。それは――強く鋭いスピンがかかった、至極の真っ直ぐ。

 

その為、体軸の傾きを修正し、腕がミットに向け直角に出られるようにフォームを作り直した。

ワインドアップの予備動作で投球にリズムと勢いと緩急をつけ、貯めた力を一気に縦に解き放つ。

 

やっている事は、シンプルだ。

されど――シンプル故に、作りあげるのは困難を極めた。

 

縦に腕を出す。

その為に何をしなければならないのか。腕の可動域を拡げる為に、身体を大きく横軸に倒しながら投げ込まなければならない。

その為に、どれだけの強靭な下半身が必要か。

横に身体をずらしながら、されど制球力は落とさず、勢いのある真っ直ぐを投げる。

その為に――文字通り、猪狩守は血反吐を吐き垂らすような努力を続けて来た。

 

「――さあ、来い」

――そんな事が出来たのも、今まで公式戦で勝ち続けてくれた鋳車がいたからこそ。

鋳車がいなければ、ここまで思い切った改造は出来なかった。

 

だから――猪狩守は、心から鋳車に感謝している。

 

故に。

だからこそ。

 

――今度は、奴に報いる番だ。

奴はまた新球を作りあげるという。

また進化するつもりなのだ、あの男は。

 

「――五番、ファーストベース、神宮寺――」

誰が来ても構いやしない。

今はもう投げたくて投げたくて疼いている。

 

だから言う。

心の中で、何度でも。

 

――さあ、来い。

そう、何度でも。




今永----。濱口------。井納------。

おかえり-----。


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あかつき大付属VSパワフル高校⑤

眼前にスカした男がいやがる。

イケメンで、背も高くて、スタイルもよくて、――その癖に野球の才能はいっちょまえに持ち合わせていて。

 

――おい。ふざけんじゃねぇぞ。

 

神宮寺は、心の中で怨嗟の声を上げる。

 

――お呼びじゃねぇんだよ、テメェは。

 

神宮寺は、打席に入る。

腰を落とし、屈むようなフォームで。

 

――待ってろよこの野郎。お前なんぞさっさと滅多打ちにして引き摺り降ろして、出させてやるよ。

その眼には、殺意のような執念を宿していた。

 

――お前じゃねぇ。鋳車を出せ。

 

 

神宮寺光は、引っ込み思案の子供だった。

親の言う事に逆らう事なんてなかった。自分の欲望を吐き出す事すらなかった。

そんな自分が、嫌いだった。

 

野球が大好きだった。

けれども、それでも親のいいなりを続けていた。

 

――反吐が出る。

かつての自分を思うだけで、気分が悪くなる。

 

 

親が怖かった。

理由なんて解らなかった。

 

お勉強しなさい、という声に身体が硬直してしまう。

親に見捨てられる事が、何よりも怖かったのかもしれない。

漫画のキャラに憧れて、幾世代も前の不良のナリをした。中学受験もわざと失敗した。親へのささやかな反抗。されど、その程度でしかなかった。面と向かって真っ向から親と喧嘩した事なんて一度も無かった。

 

それでも――知ってしまった。

 

貧乏。

死別。

絶望。

 

――その全てを背負いながらも、それでも尚野球を続けている執念の男を。

 

それに比べればなんだ。

親が怖くて野球が出来ない自分は何なのだ。

 

かたや――人生の底の底で、それでも足掻きながら野球にしがみ付いている男だっているというのに。

 

中学生になった後、人生ではじめて親と大喧嘩した。

野球がしたい。

その一心で。

 

そんな実は繊細な男、神宮寺光はそうして野球人生の壁を一つ乗り越えた。

だからこそ、思う。

叶う事なら――壁を超えさせてくれた男と、勝負したいと。

 

 

――解ってんだよ。どうせ直球だろ。

 

神宮寺は、心中で一つ鼻を鳴らす。

 

――そりゃあそうだ。そんな直球持ってたら変化球なんざ使う必要なんざないだろうな。だが俺にはそんなもん通用しねぇ。

神宮寺は、じぃと猪狩の投球フォームを観察する。

 

――本当にあかつきの連中はフォームで緩急をつけに行くピッチャーが多いな。

ゆらりとしたワインドアップの動作。

ゆっくりとした腰の回旋。

 

この一連の動作で、対応するバッターにはゆったりとしたリズムが生まれる。

タイミングの取り方も、どうしてもそのリズムに合わせてゆっくりとなる。

 

そこから、猪狩はフルスピードで足先の接地とリリースを行使する。

徐行していた車が、一気にアクセルを踏み込むような感覚というのだろうか。

想定していた投球のリズムと、ズレが存在する。

ボールをリリースするその前段階で、猪狩は既に緩急を生み出している。

 

――だが、こと俺はそういうフォーム上のタネの対応は得意なんだよ。

低い重心から、神宮寺はバットを打ちおろす。

 

神宮寺の眼には、一本の線が見える。

 

――ボールは、そのボールだけを見るんじゃねぇ。その軌道に線を通して、線の間にバットを出すんだよ。

 

点と、線。

神宮寺は前足を踏み出し、自らの身体を軽く前へ出す。

 

――ま、俺はそこから()()()()()()ぶつけにいくんだけどな。

ニッと笑って、彼はバットを出した。

 

ギィン、という金属音と共に、ボールはレフト方向へと向かう。

「ち」

神宮寺は、舌打った。

バットの上方部分に擦る様に打ち放った打球は、三塁線を超えファールとなった。

 

――合わせたつもりだったんだがな。やっぱりフォームのカラクリとは別に、単純なボールの質そのものもちと違うみてぇだな。

 

フォームによる緩急。それと同時に――恐ろしく綺麗な縦回転軸の真っ直ぐ。

回転軸が縦に真っ直ぐで、その上回転量そのものも大きい。

 

――成程。こりゃ難敵だ。

 

神宮寺は、素直にそう認めた。

直球を打つにしても、猪狩守には二つの関門がある。

一つ。緩急をつけたフォームのタイミングを合わせられる事。

二つ。縦回転軸の真っ直ぐにバットを合わせられる事。

 

一球、ボールを見ただけで神宮寺はここまで看破した。

 

――大丈夫。次は合わせる。

 

ゆら、とまた重心を下に落としながら神宮寺はまた構えた。

 

 

猪狩守は二球目を投じる。

インハイボールゾーンの直球。

神宮寺はそれを見逃し、カウントは平行となる。

 

三投目。

「--------」

進のサインは、外角のスライダー。

真っ直ぐにしっかりと合わせてきており、高低のゾーンを見極めているバッター。

ここで外角の揺さぶりをかけたい弟の意図は、正しく守は認識していた。

見逃そうとも、空振ろうとも、外角に変化球の残像を残し見逃しを誘いやすくする上でスライダーは有効だろう。今、眼前のバッターを打ち取る事に注視するならばベストな選択であろうことも。

 

だが、猪狩守は首を横に振った。

 

――真っ直ぐで攻める。

それをしっかりと、進に目で伝えた。

 

三投目は、アウトハイへの真っ直ぐだった。

これも神宮寺は見逃す。

際どい場所であったが、審判はボールを宣告する。

ワンストライク、ツーボール。

 

四投目。

今度はインへと放たれた直球。

 

――やっぱりそう来たか。

神宮寺は、このコースを待っていた。

 

左ピッチャーからのインコース。

それは神宮寺が得意とするコースであった。

 

神宮寺は足を上げ、接地する。

接地は、先程よりも若干一塁側に寄せた方向に。

 

その結果――インサイドへバットを出すスペースを生み出し、そのまま引っ張った。

身体を若干前へ差し出しながら、――まるで身体ごとボールへぶつかる様な特異な動きで。

 

擦る様な金属音と共に、打球は三塁線上に鋭いライナーとなり落ち、ヒットとなった。

ライトからの送球の間に神宮寺は二塁を陥れ、――この試合初のヒットとなった。

 

 

その後――。

六番、七番を連続で三振を奪い、パワフル高校は結局無得点のまま終わった。

「――今の攻防で解った。この勝負の肝はあの如何にも頭の悪そうなヤンキーの前にランナーを出さない事だ。アイツだけは、僕の真っ直ぐに対応できていた」

猪狩守はイニング終了後、そう進に告げていた。

「そうですね。-----それと同時に、真っ直ぐ一本に絞っても一発の可能性が薄い事も解りました」

先程の打席を進は思い浮かべる。

打席での神宮寺の打撃は、軽く衝撃であった。

 

彼は打席内を自由に動き回っている。

足を上げ、接地する場所が、四球それぞれの対応ごとに違っていた。

それに――インパクトの直前、彼は身体を前へスウェーしバッティングを行っていた。

 

普通の技術ではない。

バッティングは、ほんの数インチのズレが存在するだけで打球が変わる。だから皆、バッティングフォームを固め、出来るだけ最小限の身体の動きでバットを出せるように血の滲むような努力でバッティングフォームを固めるのだ。

 

しかし、彼はそうではない。

一球一球。それぞれのコースや球種に合わせ、一定の動作を付加する事によって自由自在にバッティングを変えている。

 

足先の接地場所の変更によって打撃のスペースを作る。自らの身体ごとバットを出す事で――恐らくは、自らのバッティングに相手の球を合わせに行っているのだろう。そういう、常識外の技術によって、神宮寺のバッティングは成り立っている。

それ故に――身体を自由に動かす分、バッティングそのものは綺麗なレベルスイングを堅持している。そもそものパワー自体もそれほどない為、ホームラン自体は守の球威であればそうそう生まれないであろう。

「二回り目から変化球を解禁する。何を投げさせるかはお前に任せる。駒坂からの上位打線は基本線は三振を取りに行くぞ」

守は淡々と、弟に指示を出す。

「解りました」

そして、それに素直に進は頷きを返す。

「恐らく、ロースコアの投手戦になるだろう。館西が思ったよりもいいピッチャーだったからな。――九回を投げるにあたっては、変化球をあまり相手に見せたくない。基本線は直球での勝負でいく」

「はい。――ねぇ、兄さん」

進は、微笑む。

「何だ」

「――楽しそうですね」

その言葉に、少しだけ守は虚をつかれたように表情を固めると――

「ふん」

そう言って、仏頂面を作った。

「下らない事を言っていないで――パワプロの打席を見るぞ」

四番パワプロが、打席に入る。

その眼は――ゆらゆらと揺れる炎のように、静かに、燃え盛っていた。

「お前の成長も、見せてもらおう」

そう――守は呟いた。




上茶谷、負けちゃったか。まあ仕方なし。ここまで上手くいってたんだから失敗するのなんて当たり前。それにしても筒香大丈夫かな-----。


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あかつき大付属VSパワフル高校⑥

テンポ悪いなぁ---。すみません------。
そろそろDDD勢も書きたい----。


四番サード、パワプロ。

 

その名が、コールされる。

 

――来たか、と内心館西は思う。

この男の打席内での仕草を、観察する。

審判に一礼し、打席に入る。

 

オープンスタンスからバットのヘッドを立たせ、そのまま静止する。

 

見れば、解る。

この男に、――半端なコースのボールは通用しない。

 

 

館西は、あかつきはどちらかと言えば投手力のチームだと判断していた。

鋳車和観。猪狩守。全国のエースクラスのピッチャーが、二人いる。

単純な戦力というだけでも厄介だが、それ以上に二人のうち調子のいいピッチャーを選んでマウンドに送れるという利点があまりにも大きい。

基本的に、エースクラスのピッチャーは連戦が当たり前であり、消耗していくことも当たり前である。連投に次ぐ連投で、調子を落としていく。そうして、普段ならば隙の無いピッチャーであっても、どうしても連戦の中で隙が出来てしまう。

だが、あかつきは二人でサイクルを回せる。

今回の地方選であってもそうだ。調子がいい鋳車を中心に予選を戦い、猪狩守を決勝まで温存していた。

その結果として、今現在パワフル高校はキレキレの猪狩の投球に四苦八苦している。

 

あかつきは、当然打線は悪くない。猪狩兄弟にパワプロの上位打線は非常にハイレベルであり、他のバッターを見ても極端に打てない選手はいない。打線としての完成度は非常に高い。

だが、あくまでハイレベルなだけであり、前述の「投手力」と比べ突出している訳ではないと感じている。

 

猪狩守は出鱈目な長打力を持つが、その分空振りも多いという弱点を抱えている。猪狩進は長打力に少々難がある。強力であるが、つけ入るスキはよく見れば見つかるチームだ。

 

だが、ことパワプロに関して言えば――もう、穴が無くなりつつある。

高めも低めも内角も外角も打てる。

ボールゾーンの見極めもずば抜けて高い。

 

元々――穴はないが、外角を長打にする技術が不足しているとの評だった。

穴という程の穴ではない。一二塁間に外角を流せる事は出来ていたのだ。外角が打ちにくいのは当たり前であり、パワプロだけが持つ欠点ではなかった。

 

だが――猪狩守をどかし、四番の座に君臨したパワプロは、もうかつての打者ではなくなっていた。

外角のボールを、外角のコースに引きつけたまま――ライトスタンドに叩きこむだけの技術と膂力を持ち合わせたバッターとなった。

 

現在、パワプロは地方リーグ戦ダントツの打点王となっている。

 

――館西は、バッターの穴を徹底的に突くピッチャーだ。

故に。

穴が無いバッターに対しては――無理矢理でも穴をこじ開ける必要がある。

 

館西は、笑った。

内心、恐れを抱きながらも――それすらも凌駕するほどのワクワクを胸に。

 

はじめて対峙する怪物の前に、思考が駆け巡る。

――まずは、バッティングを崩す。

そこからが、スタートだ。

 

 

パワプロは、練習や試合が終わった後、欠かさず行っているルーティンが存在する。

練習でベストだった動きを確認する為、毎晩素振りを行った後、バットを握ったまま軽い瞑想を行う。

 

その中で、この男は自らが得た経験という糧を、自らの身体に落とし込む。

 

掴んだコツを決して忘れぬよう。

いくつも得た経験を、自らの腹に叩きこんでいく。

 

この男は努力の天才だ。

 

自らが重ねた経験という糧を、正しく、効率的に、自らの身体の内に落とし込む――そんな能力に富んだ、天才。

 

この男は――かつて霧栖弥一郎のバッティングから着想を得て、下半身の強化とバッティングの改造に着手した。

そして――わずか一ヵ月であらゆる数値を飛躍的にアップさせた。

 

下半身の強化はスピードの上昇にもつながり、また守備面の向上にも繋がった。

 

打席に立った瞬間、パワプロの世界はバッターボックスとピッチャーとの間に凝縮される。

幾重にも重ねた経験が――思考すらも切り離した、無我の世界へとパワプロを誘う。

 

――キリス君の言う通りだ。

自分が信じられるフォームが出来上がれば、もうそこから思考は必要ない。

ただ、何も考えず、ピッチャーを迎えに行けばいいだけ。

何が来ても、自分のバットはきっと対応してくれる。

それが出来なくなれば、相手がどうこうではなく、自分の身体と対話すればいい。

どうして対応できなかったのか。

どうすれば修正できるのか。

 

結局は幾百もいるピッチャー一人一人に思考を割くよりも――自分のバッティングと向き合って、自分へ問いかけていく方が結局上手くいくのだ。

バッティングは、相手との戦いではない。

自分の力をそこですべて出し切れるかどうか。その打席の中でやるべき事を全て行えたかどうか。それだけを考えればいい。

 

無の境地。

パワプロはこの大会を通し――自らの世界を得た。

 

 

一投目。

外角のストライクゾーンからボールゾーンに流れるスライダーを投げ込まれる。

パワプロは始動の時点で変化球を見抜き、そのまま見逃す。ワンボール。

 

二投目。

真ん中のコースから内角のコースに鋭く落ちるシンカー。

パワプロはリリースと同時に始動を始める。

 

上げた足を設置し、半拍ほどヘッドを出すタイミングを遅らせる。

その結果――インパクトを、完全に変化球のタイミングに合わせていく。

インローへバットを出しかけ――まだ機ではないと判断したのか、バットを止め、これも見逃す。

 

ワンストライク、ワンボール。

 

――いいコースだ。

小さく、されどブレーキが利いたボールが続く。

確かに、少しでもバッティングのタイミングが狂えば、ボールの下っ面を叩いてしまうであろう。

 

だが。

それでも今のパワプロには、完全なる自負があった。

 

――俺のバッティングは、絶対に崩れない。

如何なるタイミングで投げ込まれるピッチングであろうが、目を見張るほどの剛速球だろうが。今の自分のバッティングの形が崩される事はない。

やって来たことはシンプルな事の積み重ね。

後ろのポイントでボールを叩く。インパクト時に力を解放し、しっかりと強く打つ。これらの動作を、自分のフォームを崩さずに行使する。

 

その積み重ねを、親友と積み重ねてきた。

あの河原での打席勝負。

緩急自在の魔球を操る、チームメイトと。

 

――崩せるものなら、崩してみろ。

パワプロは、ジッと打席の中でただ待つ。

――カズミとの日々の積み重ねで出来上がった俺のバッティングは、生半可なボールで崩れない。

 

 

館西は、冷静に――自分の心を落ち着かせる。

 

――駄目や。狙いが全く解らん。

そして、仕方ないとあっさりと負けを認めた。

 

インハイの直球、内角へのシュート。そして低めのカーブ。

それら全てボールゾーンへ投げ込み、あっさりとパワプロにフォアボールを与えた。

 

――この試合、一点も与えられんのや。崩れる雰囲気の無いバッター相手にゾーン勝負できる試合状況じゃない。

絶対に許されないのは、一発。

 

――取り敢えず、種を撒く。歩かせたるわ。

館西は、勝負師だ。

故に、引く時はしっかりと引く。

 

――ま、ランナーが出てからがうちのの真骨頂や。しっかりとこの回抑えるで。

 

特に表情を変えず、館西はパワプロを見送った。

その姿を見て、パワプロもまた、思う。

 

――ここまでは、想定通り。ここからだな。

 

 

「対戦ピッチャーの館西の対策について話す」

監督は昨夜のミーティングで、そう切り出した。

ミーティングが行われた部室には、先週行われたパワフル高校の試合がテレビから流れており、それを囲む形で選手が集まっている。

「館西は、緩急主体のグラウンドピッチャーだ。低めに変化球と直球を織り交ぜながら、ゴロを打たせる。これが、パワフル高校の守備力と合わさりかなり厄介なピッチャーとなっている。――では、進。この手のピッチャーに有効な対策は何だ?」

三連続で内野ゴロを打たせた場面を再生しながら、監督は進にそう尋ねる。

「-----フライ率の高いバッターを上位に固める事でしょうか」

「ああ、そうだな。これがまず第一の策だな。そもそもゴロを打たなければ守備でアウトを取られる事も無いからな。だがな――もう一つ、館西の厄介な点がある」

監督は、ビデオを早送りする。

「この場面。――相手校のクリーンナップを、ランナー一二塁で迎えた時のピッチング」

監督は、再生ボタンを押す。

ビデオの中で館西は――三番バッター相手に低めの変化球で平行カウントに持っていった後に、アウトハイとインハイの直球を投げ込み内野フライを打ちあげていた。

その後、四番バッターを内角のシュートで詰まらせゲッツーを奪っていた。

「館西は、低めの変化球でカウントを稼いだ後にインハイ、アウトハイの直球を織り交ぜる配球をよく使う。――これをやられると、大抵のフライバッターは内野フライになるんだ」

フライバッターは、基本的にアッパースイングによって打球を上げている。

そういったバッターは、腰より下のボールに対して滅法強いが――高めのボールに対しての対応に苦慮する場面が多い。

「館西は、本当にコマンド能力に富んだピッチャーだ。基本線はゴロアウトを狙いながら、フライバッターに対しては高めのボールで仕留めに行き、内野フライでアウトを稼ぎに行く。対策の対策までしっかり練り込まれている」

よってだ、と監督は続ける。

「館西への対策は二つ。一つ、打線は繋がりよりも長打が出やすい状況・環境の整備に重きを置いて組み替える。二つ。上位から下位への打線の流れの中で出来うる限り館西を丸裸にする事。館西というピッチャーの特性上、連打が余り期待できないからな。出来れば長打で一気に点を取ってしまいたいのでな――という訳で、守」

「はい」

「トップバッターは、お前だ」

「------え?」

さしもの守も、その言葉に困惑の色を示した。

「館西というピッチャーにはもう一つ特色がある。下位打線の被打率が比較的高い事だ。多分、ゴロを狙って低めのコースにボールを集める単調な配球にしているからだろう。連打は難しいが、芯を喰らわせてぽつぽつとヒットが出る事はままある。まあ、その流れからのゲッツー奪取率も高いのだがね。下位打線は、ヒットを打たれる事よりも球数を費やさない事を重視して投げているのだろう」

「-----ああ、成程」

進は、その意図に気付いた。

「-----完全に、兄さんに有利な状況を作る為に打線を組む訳ですね」

「正解だ」

監督は、言葉を続ける。

「後ろに守をトップバッターに据える事で強力なバッターを四番まで控えさせる。これにより、守にフォアボールを出させたくない心理を館西に植えつける。そして、下位打線を出塁させた状況で守を出させたくない心理も植えつける。そうする事で――館西を下位打線で疲弊させ、守と真正面からの対決をさせる事が出来る」

空振り率の高さに比例して、極めて高い長打力を持つアッパースインガーの猪狩守。

このバッターと館西を嚙み合わせるにあたり――ある程度ゾーン内で勝負を仕掛けさせることが、勝負の肝なのだ。

「館西は、パワプロとの勝負を避けるだろう。こればかりはどうしようもない。館西にとって一番苦手なタイプがパワプロだろうからな。ならば、――パワプロとの勝負を避ける、という状況を上手く利用する」

それは二つの効果だ、と監督は言う。

「パワプロの前の打者を出塁させたくない、という意識を高めさせる効果。そして、パワプロを歩かせた後の下位打線への危機感を高めさせる効果。この二つの意識が上手にサイクルに乗せる事が出来たなら、――館西の攻略は出来る。という訳で、パワプロ」

「はい!」

「お前はランナー無しで歩かせられる事が多くなる。なので、怪我防止の為に抑えていた盗塁をこの試合で解禁する。――盗塁は失敗してもいい。館西を揺さぶれ。その分下位打線への集中力を下げさせろ。それがお前の明日の役割だ」

「はい、解りました!」

「で、守。――文字通り、明日の試合は全部お前にやる。お前に有利な状況をしっかりと整えた。お前が抑えて、お前が打てば、この試合は勝てる」

「------」

「なに。簡単な話だ。――お前がピッチングで0に抑えている間に、一点でもお前の手で稼げればそれで試合は勝てる。簡単だろ?」

明日の試合は、文字通り――守次第。

勝つも負けるも。

こんな言葉に。こんな作戦に。――燃えない、猪狩守ではなかった。

「そうですね」

フ、と笑う。

「実に――簡単だ」

そう、目を見開き――楽し気に、言った。




十連休、楽しみ。横浜に行こうかなぁ----なんて思っていたけど、もうハマスタのチケット売り切れみたいすね。うえーん。結局ネットで見る事になるんすねぇ。


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閑話 帝王、砂の栄冠へ

更新します。
終わっちまったGW-----と横浜。




地方大会決勝戦が各地で行われる中――帝王もまた、最終戦を戦っていた。

 

相手は、ダン&ジョン高校。

本格派速球投手須藤零人に、兼倉洋平とバット=円島のクリーンナップを擁するダン&ジョン高校は順調に決勝までその歩を進めていた。

 

須藤は、最速155キロの速球を投げる。

150キロを超える須藤の速球は、それだけで脅威だ。高めに放り投げているだけで、スピンするその速球は幾つもの三振を奪っていた。

大会でも屈指の奪三振数を誇るピッチャーであり、海東高校に次ぐ甲子園出場候補であった。

 

で、あったのだが。

 

――ぎぃ!ぃ――-----ん。

 

その音は、非常に耳障りの悪い音であった。

それは――石杖所在のバットから放たれた音であった。

バットとボールがぶつかり合っている音というよりも――まるでボールを金属のやすりで磨り潰したかのような、そんな音。

 

石杖のバッティングは、明らかに変化していた。

フォームそのものはそれ程の変化はない。少々左肩をベース寄りに入れている程度の変化。バットを水平に寝かせ、利き腕とは逆の左腕で拍を取り、構えている。

 

そのフォームから放たれた石杖のバッティングは、まるで小枝を振るかのように軽いものだった。

最小限の腰回転。最小限の腕の動き。最小限の軌道。

インパクトの時間も、ほんの一瞬。

霧栖弥一郎のように、ボールを押し込むような動作もしない。

 

が。

 

その一瞬のインパクトで――石杖のバットからは不協和音のような金属音が響きだす。

そして、打球は弧を描くように打ちあがり――スタンドへと入り込む。

 

それは他の強打者のような叩きこむような弾道ではなく――ふわりと浮かび、静かに落ちていくバルーンのような軌道の本塁打。

 

撫でる様な軽いスイング。そこから放たれる不協和音の如きインパクト。そして――レフトスタンドに放り込まれるボール。

 

最初はインサイドに投げ込んだ。

次の打席は、アウトサイド。

 

共に同じだ。全く同じ弾道のボールがレフトスタンドへ叩きこまれる。

中も外も、共に同じ。同じポイントで叩き打っている。

 

須藤は、大いに動揺した。

自身が磨き上げた、真っ直ぐ。

そのボールが――あんなにも軽々としたバッティングに乗せられスタンドに放り込まれたのだ。

 

あれは――バッティング自体のスピードや威力とは違う場所から得たパワーを以て行使されている。

 

第三打席。

須藤は――ここで自らの信念を曲げ、カウント球に変化球を使用した。

アウトコースからボールゾーンへ向かうカットボール。

低めのコースから落ちるスプリット。

 

振らない。

ポイントが極端に前であるのに、バットはフォローの前にピタリと止まる。

 

真っ直ぐは放り込む。

ボール球の変化球は振らない。

 

なら。

ゾーン内に投げ込まれた変化球は?

 

真ん中のコースから、アウトコースへ向かうカットボール。

それを投げ込んだ第三打席。

 

見えた。

石杖というバッターの、異常性を。

 

左肩から入り込み、行使されるバッティング。

振りに行く形は先程までと全く同様。

 

されど。

バッティングそのもののスピードに、変化が現れた。

足を上げ、接地し、バッティングを行使。

行使されたバッティングのスピードが――明らかに、真っ直ぐの時と比べて緩くなっている。

 

まるで――変化によって遅くなったボールを迎える為に、バットが意思を以て遅くしているかのよう。

 

第三打席。

変わらぬ不協和音が、グラウンドに響き渡った。

 

 

影山は、各地方の決勝戦の中で、――帝王の試合を見る事を選んだ。

彼には二つ目的があった。

一つ。スーパールーキー霧栖弥一郎のバッティングを見る為。

本日は三番に座るこの男の打棒は本日はあまり見れなかった。二つ四球を選び、残るはライト前ヒットとショートライナーという結果に終わった。

 

二つ目の目的。

それは――急激に進化を遂げたと言う、石杖所在のバッティングを見る事。

二つ目の目的は、叶った。

------まさしく、衝撃の瞬間だった。

 

力感の無い、撫でる様なバッティング。

そこから繰り出される、軽々とした円弧を描く本塁打。

 

中も外も変化球も全部引っ張り。全く同じ、前のポイントでスタンドに叩き込んだ。

 

見ると言う目的は叶った。

されど――謎は深まるばかり。

 

何故あれだけ極端な前捌きのバッティングで、あれだけ完璧にタイミングを合わせられるのか。

何故あれだけ軽いスイングで、ホームランを打つ事が出来るのか。

何故――変化球に全く身体を泳がせる事無く、バッティングを行使できるのか。

 

霧栖弥一郎のバッティングは、あらゆる全てが規格外故の強さがある。規格外のスイングスピード。規格外のバッティング技術。シンプル故に解りやすい強力さ――まさしく、強打者のバッティングだ。

ならば、石杖は?

前捌き。見た感じへなへなの力の無いバッティング。そこから弾き出されるホームラン。

解りにくく、複雑で、怪奇。

規格外、ではない。

最早規格が無いのだ。

 

前例が無い。

プロのスカウトと言えど――選手ではない影山にとって、前例のないバッティングの解析は不可能に近かった。

 

――しかし。

「-----三打席連発、か」

須藤は、非常に運が悪かった。

ここまで順調だったが故に。

 

決勝のステージで――6回ノックアウト。

被安打10の猛攻に晒され、――また本日は四番に座った石杖に三打席連発のホームランを食らい、8失点の大炎上。

あの不可解なバッティングは――景山の眼には、まるで悪魔のように映った。

 

 

15対5。

決勝戦は――帝王高校の大勝利で終わった。

 

「アリカ先輩」

「何だよ」

霧栖弥一郎は試合後――実に神妙な顔をしながら口を開いた

「いや------先輩、昨日何処かで女抱きましたか」

「-------」

真面目な顔してそんな台詞を吐く後輩の頭を、割と力を込めて殴った。

「何だって?」

拳を握りしめ、石杖は実に冷たい声音でそう聞き返した。

「いや、ほら。都市伝説。女を抱くとホームランが出やすくなるってやつ。――人生枯れているどころか、もう無毛地帯が広がっている感じな先輩がそれほどに燃え上がったからあんなイカれたバッティングしてたのかな、って」

「残念。俺はまだ何者も貫けていない無窮の矛だよ。――おい」

「なんすか先輩」

「甲子園出場決定だってのに、何だこの会話は」

「何なんすかね----」

「ほら。あっちの友沢なんか涙目で喜びを噛みしめているってのに」

「まあ、俺達二人なんか甲子園出場でギャースカ言うガラじゃないでしょ」

「一年で活躍したら間違いなくモテるぞ。気合い入れろ」

「いいっすよ。もう三人いるんで」

さらりと衝撃的な話題を提示した後輩に、今度は石杖が神妙な表情を浮かべる。

「-----カキタレか?」

「違うっす。全員真剣に付き合っているんすよ」

「いや。もういいや。お前は一度死ね」

石杖がそう吐き捨てると、霧栖はあっはっはと笑った。

笑って、また次の言葉を吐いた。

「――実際、何なんすかあのバッティング」

「さあ?俺も解らん。――まあ解ってんのは、あのポイントとあの角度でバットを入れれば、あとはボールが飛んでくれるって事だな。それ以外は知らん。だから最短でバットを出してあのポイントであのフォームでバットに当てるだけ」

「------」

「何だよ?」

「いや。------なぁ、先輩。アンタ、やっぱり色々とおかしいわ。俺、ずっと見てたぜ」

「何を」

「アンタの左手----バットがボールとインパクトした瞬間、もう訳解んねぇ動きしてたんすよ。パッ、と見た感じでも、肘を抜く、手首を捻る、返す――位の動きをインパクトの時にやってたっすよ。先輩は自覚してなさそうですけど」

「----マジ?」

「マジ。――それに、変化球のタイミングでバッティング遅らせたのも、左腕主体でしょ?構えて、打ちにいってんのに、何故か左肩だけがピクリとも動かねぇ。で曲がり始めのタイミングでようやく左手がバットを出し始めて、スイングが遅くなって、結果的に変化球とタイミングが合う。先輩がこれっぽッちもタイミング合わせる気が無いのにっすよ」

「不思議だよなぁ」

「思うに――先輩。アンタの左腕って何か別の意思でも持ってんじゃないすか?」

「そんなもんあるか馬鹿」

「解んねぇすよ。――だって左肘の関節を伸ばしてたやつだっていたんですから」

「-----」

まあ、確かに。

ああいうびっくりどっきりパンドラボックスのような奴だっていたんだ。自分にも、まあもしかすればその内の一人である可能性はなきにしもあらず。

「まあいいや。取り敢えずウチにとっては先輩のバッティング強化は何の損にもならない訳ですし。――さあて、他はどんな所が甲子園に上がって来るかな、と。――お」

霧栖はスマホから流れてきたニュースを確認する。

「-----パワフル高校対、あかつきか」

「パワ高?へー。高野連が嬉々として血祭りにあげた高校なのに、ここまで勝ち上がって来たのか。で、どっちが勝ってる?」

「えーと----おお」

霧栖弥一郎と石杖所在は、スマホの画面を見つめる。

周囲が甲子園出場に騒ぎ立てる中――次のステージを、しっかりと見据えて。

 

砂の栄冠。

彼等二人は――もうその道だけを見つめていた。

 




私の中学生の時のあだ名は五股野郎でした。
それは私が五股していたからではなく、五股していた事が週刊誌でばらされたデブの実業家に顔がそっくりだったからでした。

どうでもいい話をすみません。


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あかつき大付属VSパワフル高校⑦

更新します。相変わらずテンポが------。


ノーアウト一塁。

 

通常であるならば、この状況では幾つもの選択肢がある。

バントで一塁走者を進めてもいい。盗塁を仕掛けてもいい。ランエンドヒットも、場合によってはあり得る。

 

だが――今ここにおいてはむしろこの状況が枷になっている。

 

守備が硬い。

この事実があるだけで、一塁走者はむしろ打者の打撃を制限する存在と化してしまう。

 

サードには強肩の東條。二遊間には駒坂・佐久間の守備陣が敷かれ、一塁の神宮寺も十分な守備力を持っている。

余程勢いを殺さなければ、内野ゴロは即座に併殺の餌食となる。

ならばバントの選択肢が浮かび上がるが、館西は今大会において一人もバントを成功させていない。

優れたコマンド能力を駆使し、ファールゾーンへ転がるようアウトコースへシンカー・スライダーを投げ分け、結局ツーストライクまで追い込む場面が実に多かった。更に館西自身のフィールディングも悪くない。正面付近に来たボールは、難なく捌く事が出来る。

 

バントも、ゴロも、常に併殺の危険がチラつく。

そうして――併殺を打ってはならない、と打者が自分のバッティングを崩す事まで見越して、館西は配球を考えているのだろう。

 

ならば、この場の最適解とは?

 

――俺が走らなければいけない。

パワプロは、そう解を出していた。

ここで自分が二塁に進む事――すなわち、盗塁を成功させる事こそ、この場における最適解。

 

だが。

 

館西に意識を集中したその瞬間――ヒュン、と投げ込まれる白球が見えた。

セットポジションに入る前、館西はこちらにしっかりと牽制球を投げ込んできた。

 

――まあ、そう簡単にさせてはくれないよな。

 

恐らく、盗塁を仕掛ける気配をバッテリーが感じ取ったのだろう。事前に走る事を念頭に置いたパワプロは、自らも気が付かぬうちに塁上で違う所作をしたのかもしれない。

――重心の置き所一つ違うだけで、ランナーは違う姿に見える、ってカズミも言ってたなぁ。

 

パワプロは純粋な走力で言えばチームでも早い方に入る。猪狩守よりも早く、矢部よりも遅い程度。

だが、こと盗塁に関してパワプロは突出して上手い選手ではない。

投手のクイックが遅かったり、キャッチャーの送球が甘かったり、そういうマイナス要素を相手が持っていた時にようやく盗塁を狙える程度のレベルだ。

 

――ふふん。パワプロ君は頭が悪いでやんす。

 

そう言えば、その辺りであの眼鏡が鬼の首を取ったかの如き見事なマウント取りで馬鹿にしていた事があったなぁ。

――盗塁する、ってなったらすぐにリードを大きくする。重心を進塁先に傾ける。もう走るぞ、って全身で主張しているみたいでやんす。それじゃあ走れるわけ無いでやんすよ。

 

あ、なんか腹が立ってきた。

けど、言っている事は解る。

 

今の自分は、盗塁を警戒されている。盗塁をする気配を読まれている。

 

――でも。それでも、走らなければ。

 

 

――ここに来て、色々と動く気配がある。

館西は、そう感じ取っていた。

 

――手の内が読まれている感覚がある。あかつきの作戦が段々と解って来た。

パワプロがスチールを仕掛けようとしている。

五番横溝も、それとなく目線が塁間とベンチに向けている姿が見える。

 

――パワプロは一塁釘付けが理想。せめてアウト一つ取るまではスコアリングポジションに向かわせてはならない。

パワプロがあかつきに勝つ為の条件は、館西がイニングを稼ぐことがまず第一である。

今日の猪狩守の出来具合を見れば、投手戦に持ち込む以外の勝ち筋が見えない。延長も全然あり得る。

現在はルールが改正され、延長時はタイブレーク方式となる。イニングスタート時に一塁二塁に走者を置いての勝負となる。

この場合、パワフル高校は大きく不利となると館西は想定していた。なにせ、あかつきにはもう一人のエースがいる。延長に入っても、消耗していないエースを更に投入できるのがあかつきの強みだ。

勝負をつけるならば、猪狩との一騎打ちに打ち勝たねばならない。その為には、館西は出来るだけ多くのイニングを稼がなければならない。

 

点を与えてはならない。

だが、長丁場を想定してスタミナも温存していかなければならない。

 

だからこそ――下位打線相手に、余計な力を使う訳にはいかない。

スコアリングポジションにパワプロが行ってしまっては、館西も本気で打ち取りに行かざるを得ない。それは、館西の体力の消耗を推進させてしまう。

 

――成程。この打順の意図がようやく解って来たかもしれない。

トップバッターに猪狩守。

一番から四番まで主力を固めている。

「上位打線」の前に「下位打線」を出してはならない――という館西の意識と共に。

「下位打線」の前には高確率でパワプロの出塁が存在している――という事実がある。

 

この二つと、先述のあかつき戦での勝負条件が組み合わさると、こういう結論になる。

――館西は、下位打線相手でも手を抜く訳にはいかない。

 

パワプロという走者がいる。そこから下位打線に打たれたら失点。

下位打線の打者を出塁させたら、その後に待っているのは恐怖の上位打線が待っている。

 

この流れの中で、失点を許さない投球が続く訳だ。

どの打順においても、力を入れざるを得ない。

 

――そうはさせへん。

館西は心の中で苦渋を飲みながら、更に一球パワプロに牽制を入れる。

 

――前の恋々高校と同じ作戦やな。ピッチャーの体力を削って、降板させて、そこから投手力で制圧していく。いやらしい作戦すきやなぁ、あかつき。けどなぁ。

 

館西は、ここでようやくピッチングを行う。

セットポジションからゆっくりとした間を置いて、一拍して、クイックモーションで内角への直球を投げ込む。

 

――このタイミングを、見ていろ。

 

今度はセットポジションを作って間もなく牽制を入れる。

次に、セット前の牽制を入れる。

 

牽制は、二種類。

セット前と、セット後の二つ。

 

館西は特別牽制がうまい訳でも、クイックが早い訳でもない。牽制でアウトを取る事は考えていない。

だから――せめて、盗塁がうまくもない選手を走らせない。その為の工夫は用意している。

 

次に、セットポジションに入って拍を入れる事無く投げ込む。

外角へのシンカー。

球速も遅く、落ちる球だ。走るにはぴったりの球。

――だが、走れない。

なぜなら、投球のタイミングを意識的にずらし投げているから。

スチールを仕掛けるタイミングを掴ませぬよう、セットからの静止時間と、そこから投げ込むタイミングを自分の中でずらしていく。相手が意図しているタイミングを看過した上で盗塁を仕掛けるには、余程のセンスが必要であろう。

 

二種類の牽制。

そして、一球ごとにずらすタイミング。

 

この二つさえあれば、そうそう走られる事はない。

館西は一球ずつ呼吸を入れ、落ち着き払って、投げる。

 

ランナーを意識しようとも、身体の動きは同じように。ただ呼吸をして、間を設けてタイミングをずらす。

 

カーブを投げ込む。

次に外角へ外した直球。

 

そして――外角へ投じられたスライダーが放たれる。

 

横溝は、それを実に窮屈そうなバッティングで当てた。

当ててしまった。

――ゲッツーシフト真正面の、セカンド守備位置の真正面に。

ゴロゴロと転がるそれを駒坂が落ち着いて佐久間に送球し、流れるように神宮寺のファーストミットに収まる。見事なゲッツーが完成された。

 

「-------」

横溝は実に悔しそうに、ベンチに引き揚げていく。

 

 

――強い。

パワプロは、如実にそう感じた。

今のワンプレーを切り取っても、チームすべてが一丸となって打者に圧をかけている事が解る。

守備でヒットゾーンを狭め、的確な投球でゴロを打たせ、出したランナーもしっかりとピッチャーが釘付けにする。

守備側の選択肢を最大限に拡げ、逆に打者側の選択肢を狭めていく。

これまで戦ってきたチームの中には、パワフル高校以上に強力な打線や投手陣を持っている高校もあった。

だが――ここまで明確なコンセプトを以て戦っているチームは無かったように思う。

 

――油断していたつもりは微塵もないけど。それでも、少し気持ちを入れ直さねばならない。

 

パワフル高校。決勝戦に相応しい相手なのは、まず間違いない。

だからこそ――あかつきも、総力で叩き潰す。




交流戦が順調すぎて怖い。怖すぎる。
-----と思ったら、ロッテ戦終わると待っているのはソフトバンクと楽天のカードかぁ。ふふ。


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あかつき大付属VSパワフル高校⑧

今回、DDD側からもう一人キャラを追加しました。


地方予選の決勝戦には、まばらにであるが人が集まっている。

一般のお客さんが大半を占める中、他校の野球部員やスカウトなどもちらほらと見られる。

そして、その中には予選を敗退した高校の選手も含まれていた。

あかつき大付属対パワフル高校。

早川あおいは、その試合を見ていた。

 

ーー予想通り、ここで猪狩君を持ってきたか。

 

ここまでの試合、猪狩守の登板数は2。そのどれもリリーフでの登板。大差がついた試合で2〜3イニングを消化させる、という明らかに調整目的のものであった。その調整は、この決勝の舞台でしっかりと力を発揮させるためのものだったのだろう。

 

ーー鋳車君は、延長戦にでもならなければ出てこないのだろうなぁ。

 

ここまで、2試合を先発登板した鋳車はベンチでいつもの仏頂面で試合を見守っている。自分にはもう出番はないと悟りきっているような様子だ。

 

正直、あおいの内心ではあかつきの勝利を疑っていなかった。

あかつきはとにかく投打の「投」が強力すぎて、並みの高校では歯が立たないレベルにまで達している。二枚看板のエースに、天才捕手。それに加えて全国でも屈指の強打者に成長したパワプロを擁したあかつきに対抗できるだけの戦力が、一見してパワフル高校にはないように思えた。

 

だが。ここに来てーーパワフル高校の厄介さがはっきり見えてきた気がした。

守備に穴がない。それを前提とした戦術を組み込み戦っているパワフル高校は、実力のあるチームと戦った時こそその強さの芯の部分が見える。

今までヒットになっていたであろう打球がゴロになる。

だから打線が繋がらない。

ポツポツとヒットが出ても、連打にならない。一塁ランナーには常に併殺の危険が付き纏う。これほどバッターにとって嫌なことはないであろう。無駄なランナーばかり出て、得点に繋がらず残塁ばかりが目立っていく。

ーー仮に。仮にだ。かなりの歯車が噛み合って、館西が完封を続けることが出来たのならば、パワフル高校に勝利の芽が見えてくる。

ロースコアの投手戦は、1点を争ういわば綱渡りのようなもの。どれほど強力な戦力があろうとも、一つのミスでくるりと足下を掬われる。そんな危険が付き纏う勝負となってしまっている。

 

早川あおいはジッ、と真剣な眼差しで勝負を見届けていた。

願うは、当然ーー最後の夏を彩ってくれた、あかつきの勝利。

周りの雑音を全てシャットアウトし、あおいは試合に目線を釘付けていた。

 

・・・その、はずだった。

 

「あー!何でそこで半端に当てに行くんですかそこで!振り切るかせめて叩きつけないと!いけません!」

 

結論を言うと。

クソやかましい男が隣にいつのまにか座っていた為、試合への集中は一気に霧散してしまった。

 

「いやー。それにしてもパワプロ君も動きが中途半端ですよ。動きたくてうずうずしているのに結局何もしないとか君はチェリーボーイか!チェリーボーイなのか!動けよ走れよ若者なんだからさぁ!」

 

うるさい。

本当にうるさい。

 

あまりのうるささにあおいは思わずグラウンドから隣の声の方へ視線を移した。

 

「ん-----あ。すみません!思わずテンションが上がってしまいまして!------く!まさか俺の方こそチェリーっぽい振る舞いをしてしまうとは!もう本当にすみません、すみません!」

 

うるさい。

謝罪すらうるさいその男をジト目で睨みつけ、その姿を観察する。

その男はまるで旧世紀のパンクロック風の格好をした男であった。

脱色した長髪。黒のロングコートにサングラス。長身痩躯で彫りの深い顔面。もう夏とか関係なくビジュアルが暑苦しくうるさい男であった。

 

「ん-----ああ、貴女はアレか!マイヤー・オブ・サブマリンではないか!」

何やら奇妙な名称を叫びながら、男はそう言った。

サブマリンはまだしも何だマイヤーって。

「見た-----俺は見ていた。丁度俺も試合の日だったから、その日は見れなかったけど、確かに見たんだ。YOU・TUPAで上げられていたやつの孫動画の孫動画でさ。いや、本当に感動したんだ。あの爆裂シンカー君との投げ合い。あんな出来すぎな投げ合い、プロ野球でも中々見られんよマジで」

違法動画で感動するな。

「いやぁ。やっぱり気になるものなんだ。自分を負かせた対戦校の具合は」

「-----貴方、誰ですか」

思わず尋ねる。

いや。本当に。

誰だこいつ。

「お。ごめんごめん。そういえば言っていなかったっすね。――俺の名前は、人呼んで------何だっけ?まあいいや」

何がいいんだ。

「俺の名は!――コアラヶ丘高校二年野球部、日守秋星でーす!ポジションはキャッチャー!よろしく!」

なんと。

何故かこの場所に――昨日N県代表に決まった高校のキャッチャーがそこにいた。

 

 

「けど面白い試合しているね。-----今回俺は猪狩兄弟を見物しに来たんだけど。予想外にパワ高が喰らいついている」

「-------やっぱり、そういう見方になるんだね」

「うっすあおい先生。まあ地力でいえば月とすっぽんですよあの二つは。でもすっぽんはすっぽんで滅茶苦茶甲羅が固い。中々壊れてくれない」

いつの間にやらこの男に先生呼ばわりされることとなったあおいは、もう突っ込みをする気も起きなくなった。

「まあ、一つヒビが入れば瓦解するのはパワフル高校の方ですな。きっちりしっかり壊れないようにコーティングしているけれども。それにしたって――ちょっとあの坊ちゃんが崩れる気配がなさすぎる」

坊ちゃん、と称された男がマウンドに上がる。

猪狩守。

 

マウンドに上がり、ボールを貰う。

3イニング目も何も変わらない。全球直球で三振を奪い、上位に戻っても一球カーブを挟んでだけで残り全部を直球。一番駒坂はキャッチャーフライに終わる。

「あおい先生は、どう?猪狩君と館西君。攻略しやすいのはどっちだと?」

「------館西君でしょうね」

「その心は」

「直球を当てられないピッチャーに、そもそも攻略法が見つからないからです」

「だよねー」

そもそも――投球の基本線である直球ですらまともに当てられないのなら、攻略のしようがない。

工夫や対策でどうにかなる問題でもない。

当たらない球をひたすらに投じる。

そういう理不尽を押し付けるような投球を、今猪狩守は行使している。

「理不尽よねー。あの投球。いや、まさしく天才ですわ」

日守はそう言うと、と笑う。

「だからこそ――野球は楽しい」

そうぼそりと彼はつぶやく。

その言葉だけは、飄げた様相の中でも、ひときわ楽し気な声音であった。

 

 

その後。

5イニングまで互いに無得点のまま進んでいった。

 

猪狩進の圧倒的な投球と館西勉のグラウンドピッチの投げ合いは、あまりにも対照的な結果であった。

5回71球12奪三振2被安打無四球

5回65球1奪三振5被安打1四球。

 

被安打すら許さない投球を続ける猪狩と、ランナーを出しながらもホームにまで到達させない館西のピッチングは。攻守交替ごとに別のスポーツでもしているかのような様相であった。

とくに館西はこの5イニングだけでも3つの併殺を奪い、また四イニング目のパワプロの盗塁をバッテリーで阻止している。ランナーを出してなおしっかりと封殺していくそのスタイルは、まさに綱渡りのような投球であった。

 

――ここまで65球の球数で済んでいる。それはいい。

されど。

この身体には、泥のような疲労が襲い掛かってきている。

 

――やっぱりあかつきやな。球数は抑えられても、しっかりと神経が削れていっている。

 

ほかの高校に投げる60球と、あかつきに投げる60球は――はっきりと、刻まれた疲労の質が、違った。

「まだまだや。まだ、ここで折れる訳にはいかん」

さあ。

攻撃を見よう。

 

そろそろ――何か希望を見出してくれるかもしれないじゃないか。

 

 




いつも通り話が進まずすみません------。

横浜、まさかの2位ターン。サンキューラミレス。



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