太陽と焔 (はたけのなすび)
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短編版
太陽と焔


ハーメルン様にて、初投稿です。


むかしむかし、大きな戦がありました。

西にあった小さな国が敗れ、大勢の女子供が連れ去られて、南の国で奴隷にされました。

その中の一人に、金髪に青い眼、白い肌の美しい女性がおりました。

彼女は、自分を捕らえた将軍の妻になり、自分と同じ眼の色、肌の色、顔形を持つ子を産みました。

けれど、拐われてきた異国の地で、好きでもない男と添うことで、どうして幸せになどなれましょうか。

女性は、自らの子どもに、故郷に帰りたいと言うことを子守唄の代わりに言い続け、程無く亡くなりました。

遺されたのは周りの人々と違う瞳と肌と顔形を持つ、幼い女の子一人と、その子供の中に呪いのように巣食った、見もしない故郷への想いだけでした。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

少女はずっと、ここではないどこかに帰りたかった。

物心ついてからは常に、寝ても覚めても、心のどこかに穴が開いていた。郷愁というにふさわしい想いが、いつも彼女の心に巣くっていたのだ。

他のすべての感情は、薄布一枚隔てた向こう側から沸き上がるもので、結果として表情に乏しく、感情が希薄に見える少女として育っていった。

帰りたい、返りたい、還りたい、かえりたい。

わたしのいるべき場所は、いたはずの場所は、ここではないのだから。

彼女は日々生きているだけで、焦燥の焔で心が炙られているようだった。

しかし、それならどこへ帰りたいのか、と聞かれたら、答えられなかった。

だって、彼女にも分からないのだ。ただ胸の奥が焦げ付いているだけ。

胸の中で、そうして燻る焔があったせいだろうか、何故だか、少女は炎を自由に操ることができた。言葉にせずとも、ただ思うだけ見つめるだけで、自由自在にモノを燃やせたのだ。

父と周りの人々は、その焔を見て、少女に神からの加護があるといって喜んだ。

その中で義母だけは、得たいの知れないモノを見る眼で少女を見た。

義母が、他とは違う自分の青色の瞳と白い肌、顔形の違いを疎ましく思っていたのは知っていたから、少女は何も言えなかった。

反対に、父はお前が男であったら何れ名だたる武門に加えてもらえただろうに、と至極残念そうに、少女の頭を撫でながら言った。

少女はそれなりに父を愛していたから、努力します、ごめんなさい父様、と言う他なかった。

 

燻る心を抱え、それでも少女は生きていた。

彼女の家は、裕福ではないが家柄こそ良かったから、年頃になれば、縁談のひとつも舞い込むはずだった。しかし、縁談がやって来るのは、二人いる腹違いの妹たちばかりで、少女にはほとんど来はしなかった。

炎神アグニの娘。

そう少女を呼んでいた世間からすると、彼女は遠巻きにして噂し会うならまだしも、妻にするには物騒に過ぎるというのと、もうひとつ、異国の血の混じった少女の顔形が、異相であるとされたのが理由だった。

もし、悋気を起こした異相の妻に焼き殺されでもしたら、笑い話にもならない。

そういう思いが男たちに二の足を踏ませ、たまに訪れる求婚者といえば、アグニの娘を征服してやろうという気概に満ちた、頼んでもいない支配欲を持ち、目をぎらつかせた狼ばかり。

 

少女はほとほとうんざりし、狼たち全員を焔でもって追い返した。

我が焔を越えられた方に私は身を捧げましょう。そうでない方は、お帰り下さい。

そう言って築いた焔の壁を越えてくる猛者は、現れなかったのだ。

 

彼女の父母は、妹たちの婚礼に忙しく、彼女に背を向けたままだった。

娘の振る舞いを止めようとはしなかった。というより、口すら挟んでこなかったのだ。

それに寂しいという感情しかわかず、少女は一人、家を離れ、焔と戯れて暮らしていた。

 

 

 

 

このまま己は何も為せずに、いずれ燃え崩れる薪のように生きて死ぬのだろうか、と少女が思うようになった頃のこと。

珍しく家に帰っていた少女の元に、父が縁談を持ち込んだ。

何でも、父が仕える一族の長から持ち込まれたものらしく、断りづらいという。相手はその長が最近迎え入れた武将。

彼は素晴らしい技量を持つのに家柄が低く、少女の家は力はないが家柄はいい。

要するに、相手の家柄を上げるために結婚しろ、ということか、と少女は思った。

親の気持ちを考えてみなさいな、ととうの昔に嫁いだ上の妹に、姉さんもいつまでも遊んでいるものじゃないわ、と縁談を探している末の妹に諭された。

それなら貴女が結婚すれば良いのではないか、と末の妹に言えば、御者の息子風情などごめんだ、と言われる。

末の妹がこの調子だから、こちらにお鉢が回ってきたのだな、と少女は察した。

己の心に正直な妹を少し羨ましく思いながら、少女は気の進まないまま、ひとまず相手に会うことになった。

 

 

 

 

着飾り、優れない顔色のまま相手と会った少女は、彼を見て、珍しく心底驚いた。

生まれたときから身に付けていたという黄金の鎧と、それに反して黒く染まった幽鬼のような細い体躯。胸元に埋め込まれている赤い宝石と、真っ白な髪。

こんな、地上に降りてきた太陽みたいなヒトが、この世に存在しているのか、というのが正直な感想だった。

 

そのまま、少女は彼の妻になった。

少女にも相手にも、断るという意志が乏しかった以上、当然の結果だった。

焔の試練はいいのか、と夫となった彼に聞かれ、太陽の御子たる貴方に火花を投げつけて、意味があるのですか、と少女は返した。

そう、彼女の夫は、太陽神の息子だった。

世間では眉唾物とも言われていたが、焔を操れるからか、少女にはその鎧が紛れもない太陽の恩寵であると言われずとも理解していた。

結局、それは公正ではない、オレも同じように貴女に挑むべきだ、という彼に言われて実行したが、予想通り、黄金の鎧を纏う彼は、涼しい顔で焔の壁を打ち破った。

 

愛しているとも、好いているともお互い言わないまま、少女と彼は結婚した。

ただ一言、お前の焔は美しい、とだけ言われたから、少女はそれを告白ということにして、胸の奥に刻んだ。

 

夫婦と言うからには、母のように仕えなければならないのだろうな、と少女は思っていたのだが、夫となった彼は特に何も言ってこなかった。

ひょっとして嫌われているのかと思ったのだが、どうやら違った。

彼はただ、万事に公平に当たっていた。

道理にあっていると思えば、どれだけ見返りのない願いでも叶えてしまう。己が身を削ることに、躊躇いがなかったのだ。

逆に少女が、彼に何も願わなかったから、彼は彼女に何もしなかった。それだけのことだったのだ。

どうしてそういう生き方をするのか、と理由を聞けば、人より多くのものを戴いた自分は、人より優れた生の証を示すべきだ、そうでなければ、力無き人々が報われない、と返された。

 

それでは、いつか貴方は薪のように人に暖かさを与える代わりに、燃やされ尽くして消えてしまう、そうなるのは私には悲しい、と少女は言った。

 

彼は、そうか、と言っただけだった。

 

彼はまた、多く敵を作った。

何が原因なのだろう、と少女は考え、これもほどなくして理由が分かった。

彼は、観察力に長けていた。一目で相手の嘘、欺瞞、隠していたいことを見抜き、真っ正直に、率直にそれを伝えてしまう。相手のことを思いやるが故に。

いくら根本に相手への気遣いがあろうとも、これでは口を開くだけで敵を作りかねない。誰しも、言われたくない本質は抱えているものなのだから。

おまけに、彼も少女に負けず劣らず表情が乏しかったから、相手はさらに悪感情を高めるのだ。

少女は彼に、貴方の言葉はいつも足りない。美辞麗句で己を偽れとは言わないから、せめてもう少し柔らかな物言いを身に付けてほしい、と頼んだ。

 

それは何故かと逆に聞き返され、少女は困った。

彼は、自分の評価など気に留めない。己が嫌われても蔑まれても、何とも思わないのだ。

自分の心に疚しいことなど一つもないから、疚しいものを抱えて生きざるを得ない凡人の気持ちも、それを指摘されたときに生じる恥辱から来る怒りが、理解できない。

いや、正確に言えば、理解はできても実感できないのだろう。

 

悩んで、少女は次のように答えた。

ヒトには、誰しも隠しておきたいことがある。

女が人前で化粧をするのは自分を飾るためでもあるけれど、相手へ己の欠点を晒させない、礼儀のためでもある。

余分に見えるかもしれない言葉でも、一切を飾らない言葉は、相手の急所を突いて痛みを与えるときもあるのだ。

貴方の真摯な対応は何にも変えがたい宝ではあるけれど、四六時中宝を持ち出して話をしていては気忙しいのだから。

 

その答えに、彼は何を思ったのか、そうか、と言っただけだった。

 

結局、彼の言動はあまり治らなかったが、少女は彼を知れて少し嬉しかった。

無いことに、彼のことを考えている間は郷愁が少しだけ薄れていた。

 

 

 

 

そんな、無欲の化身のような彼にも一つだけ執着していることがあった。

 

それは、さる武術に優れた五兄弟の戦士との戦い。そのうち、三男の戦士とは、是が非でも雌雄を決したい、決さねばならない、と珍しく熱のこもった口調で彼は言っていた。

 

これは浅ましい我欲だろうか、と問われたから、貴方のそれが我欲なら、ヒトは皆欲に囚われて身動きすら覚束なくなっていますよ、と少女は呆れて返した。

武人として好敵手を得られるのは何よりの誉れでしょう、貴方が心に命じられるまま戦うことを、わたしは止めませんから、と付け加えた。

 

彼は、特に何も言わなかった。

頷いて、微笑んだだけだった。

 

 

 

 

 

一度、機会があって、その好敵手という戦士たち五人と、少女も顔を会わせた。

彼の者の妻です、と名乗れば五兄弟の次男に彼をけなす言葉をかけられたので少女は、久方ぶりに感情の赴くまま次男の髭を燃やしてやった。

噂の三男は、目を丸くしてそれを見ていた。

 

それから、事態を知った夫に珍しく怒られた。危ないことをするな、と。

少女は軽率な行いだったと後悔して、それ以上に爽快な気分になった。

郷愁がまた薄れ、心の穴が小さくなったのを感じた。

 

そう言えば、と一通り怒られた後に少女は、思い付いたことを言った。

少女はいつもは、熟慮してから口を利く方だったから思い付きをしゃべることは滅多に無い。だけれど、そのときだけは感じたことが口をついて出てきた。

 

三男の方は、生きづらそうな方ですね、と少女はつい言った。

 

あの男ほど栄光に包まれ非の打ち所のない者はいないのにか、と問う夫は驚いているようだった。

そうでしょうか、と彼女は彼に異論を唱えた。

 

何というかあの方は、周りに英雄としてそうあれかしと望まれ求められ、それに一心に応え続けているように見えました。

あの方が比類無き器を持ち、人としても優れているのは間違いありませんが、あの生き方は疲れるときもあるでしょう。

貴方との勝負の行方に凝るのも、その裏返しかもしれません。

 

所詮は推測で、本当のところは分かりませんが、と少女は肩をすくめて言葉を結んだ。

 

彼は何も言わなかった。

ただ、初めて会う人を見たように、少女をまじまじと見つめただけだった。

 

 

 

 

 

 

それから時が経ち、少女は成長した。

もう少女という年齢でもなかったのだが、何故か見た目がさほど変わらず、幼さを残す少女と、成熟さを持つ女性の境界に立ってふらついていた。

 

焔の力のせいかもしれないな、と夫に言われた。彼女も、多分そうだろうと思っていた。

 

胸のくすぶりは、もうずいぶん前から小さくなっていた。

例えば一日の終わり、地平線に沈む夕日を一人で見ているときなどには、思い出したように帰りたい、という気持ちがわくこともあったが、それはごく短い時間だった。

自分が一体、どこへ帰りたいのか少女はそれを考えるのを止めていた。

自分の心の揺れが何処から来るかを突き詰めてしてしまえば、何かが壊れてもう二度ともとに戻らない予感があったから。

それに自分の帰る場所は、もう、この大地にちゃんとあったから。

 

 

しかし、少女の心に平穏が訪れたのと入れ換わるように、世間は騒がしくなっていった。

少女の夫が仕える王と、件の因縁の五兄弟とが、王国の支配を巡っていよいよ争うようになっていたから。

 

その戦いの中で、五兄弟と少女の夫とは何度もぶつかっていた。

特に三男とは会うたび激突していた。というよりもこちら側には三男に抗するだけの英雄が、彼以外にいなかった。

 

貴方に黄金の鎧がある限り、貴方が死なないとは思いますが、気を付けてくださいね、と少女は言った。

誰に請われても、それをヒトに与えてはいけませんからね、と念を押した。

 

分かった、と彼は言った。

 

 

 

 

そのすぐ後に、彼は神に請われて鎧を自らの体から引き剥がした。

血塗れで帰った彼を見て、少女は生まれて始めて魂かけて激昂し、手加減なしで彼をぶん殴ってから、浄化の焔で彼の傷を癒した。

 

お前がそこまで怒るのは初めてだな、と彼はどこか嬉しそうに言い、誰のせいだと思っているのですか、と彼女は、もう一度彼をぶん殴って思いきり泣いた。

 

 

 

 

鎧をなくしても、彼が戦いに参加しないということはあり得ない。

少女は、癒し手であって生粋の戦士ではなかったから、前線からは退けられていた。

分かっていたことだ。

彼の側にいても、少女には何もできない。どころか、彼女自身が弱点にすらなりえる。

彼は無敵の戦士だったから、相手は手段を選ばなくなっていたのだ。

そもそも、鎧を奪ったのも五兄弟のうちの一人の父である、神インドラであった。

神の依怙贔屓にはさすがに少女も憤ったのだが、鎧を奪われた当人の彼が、あまりに泰然としているので、少女の怒りも長続きしなかった。

 

前線に程近い、けれど彼の姿を見ることはできない地で、来る日も来る日も浄化の焔で運ばれてくる兵士たちを癒した。

負傷した者たちから、彼の消息を聞くたびに離れているしかない我が身がもどかしかった。

 

 

 

 

双方長引く戦いに疲れ、そろそろ大決戦が行われるか、というときになった。

一目でただ者ではないとわかる武士が、一人の年配の婦人を伴って、少女の元へ現れた。剣呑な雰囲気を感じ、少女は身構えたまま彼らを出迎えた。

 

婦人は、少女を義理の娘と呼んだ。

訳がわからず首をかしげる少女に、婦人は己の素性と、やってきた理由を明かした。

自分は五兄弟の実の母であり、また、少女の夫の母であること。

つまり五兄弟と彼とは異父兄弟であるから、彼が元の身分を取り戻すように彼を説得してほしいということ。

彼の最愛の妻の貴女なら、その説得ができるはずだ、と婦人は言った。

 

それら全てを聞き、少女は星の瞬く夜空を仰ぎ見た。

それから、口を開いた。

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

空気が変わった。

パーンドゥ五兄弟の母、クンティーと共に、カルナの説得を試していたパーンドゥ側の武将、クリシュナはそう思った。

 

目の前に一人座るのは、澄んだ青い瞳と病人のような白い肌をした、華奢な女性。

その装束は血と埃にまみれ、身を飾るものと言えば、髪をまとめている赤い宝石のついた黄金の小さな輪だけ、というほどにみすぼらしく薄汚れてこそいたが、瞳は焔のように蒼く煌めき、歴戦の勇者クリシュナをして、全身から気圧されるような熱気を発していた。

それもそう。野にひっそりと咲く小さな花のような外見とは裏腹に、彼女も女だてらにパーンドゥを苦しめているのだ。

そもそも、パーンドゥとカウラヴァの最終決戦の地、クルクシェートラに程近い地に留まり、負傷兵たちを治療し続けている女が、ただ者であるわけがない。

おまけに、カルナにかけられていた呪いのうち、いくつかは彼女がその浄化の焔を持って、打ち消しているのだ。

なるほど、彼女は紛れもなくカウラヴァ最強の戦士、『施しの英雄』カルナの妻だった。

 

―――――貴方たちのお話はよくわかりました。我が夫、カルナは本来はパーンドゥの長兄であり、今こそ本来の場所に立ち返り、肉親からの愛と名誉を得るべきだ、と仰るのですね。

 

ええ、とクンティーは返答し、炎神の娘はいっそ優しげとさえ言える笑みを浮かべた。

 

―――――それは、無理な話でしょう。この戦の終わりに、一体何を血迷われたのですか。

 

焔を瞳の奥に燻らせたままの炎神の娘の言葉に、何故ですか、というクンティーの声がひび割れた。

 

―――――何故も何も、カルナがそのような話を受けるわけがありません。これまでずっと、目をかけてくれたドゥリヨーダナ様を裏切り、すがってくる味方を切り捨て、一度も手を差し伸べて来なかったパーンドゥに与しろと?

 

貴女には、この地の声が聞こえないのですか、と炎神の娘は両手を広げ、後ろに広がる野営地を示した。

まだ生きている者の呻きと、死に行くものたちの声なき声で溢れる、夜の大地を。

 

―――――お聞きください。今、ああして呻いている者のうち、一体何人が、明日の太陽を拝めるかも分からないのです。

カウラヴァの者たちのうち、どれだけがカルナにすがっているのか、分かりますか?

彼らをすべて見捨てろと、己だけが栄光の中に戻れと、そんな酷なことを貴女は息子に頼むのですか?これまで省みることすらなかったというのに?

いえ、これ以上私の口から貴女に言うのは控えます。それはカルナが言うでしょうから。

 

―――――お帰り下さい、クンティー様。

私は、カルナを説得などしようとも思いません。

けれど、貴女は私を一度だけでも義理の娘と呼んでくれました。故に、今宵のことを私は誰にも漏らしません。

お帰り下さい、クンティー様。クリシュナ様に守られ、貴女が望んで得た幸せの中に、一人きりで戻るのです。

 

そう言った、炎神の娘から熱気がふっと消え、彼女は背を向けて振り返りもせず、立ち並ぶ天幕の海の中へと消えていった。

彼女の姿が完全に見えなくなってから、クンティーはクリシュナを促して帰った。

二人は、ここに来る前、すでにカルナの説得を試みて失敗していた。

カルナに、アルジュナ以外のパーンドゥ兄弟は殺さない、という誓いを立てさせたのだから、失敗とも言い切れないが、ともかくカルナをカウラヴァ陣営から引き離すことは、できなかったのだ。

頼みの綱だった炎神の娘も、あの調子である。

小さく萎んだように見えるクンティーを守りつつ、パーンドゥの陣へと戻るクリシュナはもう別な手を考えていた。

 

カルナを、カウラヴァの陣営で戦わせない。

そうするためには何が必要か、どんな手を使うのか、答えはもう出ていた。

幸い、本分が癒し手である炎神の娘は、ひとかどの武術は心得ているがそれはあくまでひとかどであって、最強には程遠い。

 

 

訪問から二日後の夜、クリシュナはパーンドゥ側の武将、ガトートカチャと十数人の兵を伴い、野営地を再び訪れた。

 

が、そこにいたのは、数多の篝火を背にして立つ炎神の娘、ただ一人だった。

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

―――――ああ、やはりこの結末ですか。

 

そう呟いて、物々しく武装した男たちを出迎えたのは、一人の女性だった。

二日前まで野営地だったはずの場所は、見事に何もなくなっていた。

 

何をした、というクリシュナ。

炎神の娘はゆらりと俯いていた顔を上げた。

 

―――――貴方が、私を捕らえに来ることは分かっていましたから、ここにいた私以外の者は皆、遠い地に逃がしました。

 

それならどうして貴様は逃げなかった、と聞くのは、クリシュナの連れてきたガトートカチャ。

 

―――――私が逃げて、それで貴殿方が諦めますか?諦めないでしょう。ならば、迎え撃つ以外に選択肢がありましょうか。

 

そこで炎神の娘は、クリシュナたちの後ろに控える兵を見て、うっそりと笑った。

 

―――――女一人を捕らえるのに、ずいぶんとまあ、手間をかけるものですね。それほど、カルナが怖いのですか?

 

そう、とも違う、ともクリシュナは言わなかった。

ただ、無言でガトートカチャに合図して、炎神の娘の周りを取り囲む。

兵の一人が、手荒に彼女の髪を掴もうと手を伸ばし、そして次の瞬間、吹き飛ばされたように地面に転がった。

炎神の娘は、焔を身に纏っていた。

赤でも青でもない、白い炎が夜の闇を切り裂き、娘を中心に丸い炎の輪が広がる。

一瞬で、クリシュナたちは炎の篭の中に閉じ込められていた。

 

その焔が、彼女の命を削って生み出されているのを看破したクリシュナは叫んだ。

貴様、死ぬつもりか、と。

 

―――――ええ、そうです。

 

と炎神の娘は笑う。

戦場に相応しくない、恋する少女のような声で。

 

―――――私、愚か者ですから、あの人が何をしてほしいか、分からないのです。

だから、あの人のために貴殿方を止めると決めました。あの人の足手まといにならないために、自分を殺すことに決めました。

 

正気か、と目をむくクリシュナとガトートカチャに、炎神の娘は謳うように応える。

 

―――――クリシュナ様、貴方は、そこのガトートカチャ様を煽り、カルナにインドラ様の槍を撃たせようとしていましたでしょう?

アルジュナ様を勝たせるためにそこまでおやりになる貴方がいなければ、カルナも本懐を遂げられるかもしれないじゃありませんか。

 

クリシュナは、ここで己の間違いを悟った。捕らえる、などというのでは生温い。この女は、この場で殺さなければ止まらない。

槍を手に、クリシュナは炎神の娘を指し貫かんと走る。

その様を見て、白き炎を纏い凄絶に笑う炎神の娘は、囁くように言う。

 

―――――逃がさない。

―――――貴殿方は、ここで、私と共に死になさい。

 

クリシュナの槍が、炎神の娘の心臓を抉るのと、白き炎が爆発し、辺り一面を吹き飛ばしたのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして気がつくと、少女、炎神の娘、と呼ばれていた『彼女』は、何もない空間にいた。

乳白色の霧の中に入ってしまったようで、辺りはろくに見えない。

前、後、上、下、右、左、と辺りを見てから、少女は自分が一人きりだと認識する。

 

もしかしてここが地獄なのでしょうか、と少女は呟いた。

 

―――――違う。

 

と、空間に、重々しい声が轟く。

それから、感情の読み取れない声は、少女を糾弾した。

 

―――――炎神の加護を得ていながら、お前はその力を欲望のままに振るった。

神の化身を焼き殺そうとし、彼処で死ぬべきでなかった羅刹の子を焼き殺した。

変えてはならぬ法に背き、運命を覆そうとしたお前は、罰を受けねばならない。

 

なるほど貴方は神々のお一人ですか、と少女は嘆息した。

彼女が燃やし尽くそうとした、パーンドゥ側の武将クリシュナは、ヴィシュヌの化身、アヴァターラである。

彼は、神の敷いた法通りの結末をもたらすためにパーンドゥ側にいた。

彼を殺そうとしたこと、つまり運命に抗おうとしたことは、神々の法に照らしあわすと、罰を与えねばならぬほど、いけなかったようだ。

八つ当たりではないのか、とは少女は思ったが、口にはしない。どのみち神の前で思考を偽り隠すことなど無理なのだ。

 

というか、あれだけやってクリシュナ様は生き延びられたのですか、と少女はさっきとは別の意味で嘆息した。

ガトートカチャは道連れにできたようだが、それにしても理不尽に思える話である。あれは、己の命を捧げた焔だったのに。

はぁ、と己の失策、力不足だけを嘆く少女に、神とおぼしきナニものかは、重々しく裁定を下す。

 

―――――我らは、お前から名を奪おう。

お前が生きた時代は、英雄たちの物語として人々の間で記録される。だが、そこにお前の名はない。お前の夫以外、お前の名を覚えていた、ありとあらゆるモノから、お前の名を消そう。

人類史有る限り、お前は永劫、誰かに呼ばれることのない、名も無きモノとして、ヒトの世から離れた場所に、存在し続けるがいい。

 

記録と名を奪う、ということはつまり、少女はこれまで生きていたすべて、死んでからのすべてをかき消されたことになる。

彼女の死と生は、何の意味もないものとされ、彼女に墓があったとしても、そこに涙を注ぐものはいない。

声は黙し、少女の反応を待った。

泣くか、怒るか、嘆くのか、いずれにしろ、彼女に下されたのは重い罰だった、呪いだった。

 

―――――そうですか。

 

しかし、少女の答えは簡潔だった。激しい感情は少女の中に無い。彼女はただ、凪いでいた。

 

―――――分かりました。貴殿方の裁定に従います。私の記憶は、これまでに死した、数多の名も無き人と同じく消されましょう。

そんな当たり前の結末を、罰と呼ぶのですね、貴殿方は。

 

どころか、少女はせせら笑った。

白い空間が怒りを覚えたように震えるが、少女は何も感じないように肩をすくめただけだった。

 

―――――何をお怒りですか、神々よ。

ヒトの歴史に呑まれて消えた、数え上げるだけでも気の遠くなる人々の中に、私は沈められるだけなのでしょう。

ただ一人、忘れてほしくない方に覚えていただけるのなら、私は幸せ者です。

それのどこを、恐れ戦けと申されますか。

神々よ、私には私の名がどうなるかなど、どうでもいい。

私の生きて為したこと、それが消え去らないのなら、それを為した者の名が、別人に置き換えられても、我が名が貶められても、構わない。

私は名誉を求め、誇りに命をかけられる武将ではないから。誉れが汚れることを、躊躇いなどしないから。

 

―――――尤も、自らの目に留まった英雄にだけ気を配り、自らの敷いた法を守らせることに腐心し続ける貴殿方には、分かるはずもないでしょうが。

 

今度こそ、空間に怒りが満ちる。

怒りは重圧となり、少女を押し潰した。

押し潰されたまま、少女は端から順に体の感覚が消えていくのを感じていた。

 

―――――癇癪ですか、大人げない。

 

こんな激情家の、沸点の低い存在にいいように踊らされたのかと考えれば、怒るより悲しくなって少女は目を閉じる。

これから自分が、どこへ飛ばされるかは分からないが、もう二度とカルナには会えないのは確からしかった。

 

―――――嗚呼、それは悲しいが仕方ない。受け入れよう。

―――――けれど、あの別れが永遠になると知っていたら、最後の挨拶のときに、もう少し気の利いたことを言ったのに。

―――――人生とは、儘ならないものですね。

 

それを最後の言葉として、この空間から彼女は消えた。

名を奪われ、記録を根刮ぎにされ、炎神の娘の一生は、こうして終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 




初めまして、はたけのなすび、と申します。

長らく読み専でしたが、思いきってやってみました。

そしてやってみてわかりました。書くのは難しいです。

連載をするかは未定です。連載した場合、この壊れ主人公がどう動くやら……。
ちなみに、出せなかっただけで、主人公の名前はあります。



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設定

主人公の設定です。
宝具が多すぎですかね?

連載希望と言ってくださり、感無量です。
皆様の声にお応えして、連載版の1話も近日中(週末まで)には投稿する予定です。



キャスター

・性別:女

 

・身長/体重:163㎝/50㎏

 

・真名:*****

 

・パラメータ

筋力:D 耐久:D 敏捷:B 魔力:A+ 幸運:D+ 宝具:A

 

・属性:秩序・善

 

・出典:無(マハーバーラタ)

 

・イメージカラー:青みの強い灰色。

 

・特技:人間観察・根競べ

 

・好きなもの/嫌いなもの:花火、日光浴/後ろ向き思考

 

・天敵:人の話を聞かない夫の上司、セミラミス

 

・スキル:呪術A 直感C 神性C 炎神の加護B

・炎神の加護:彼女の父ともいわれた、アグニ神に与えられた加護。これにより、彼女は炎があれば、そこから魔力を得ることができるので、魔力の少ないマスターに優しいスキル。また、炎系の攻撃は、ほぼ無力化できる。

 

・クラススキル:陣地作成D 道具作成B

 

・宝具

焔よ、我が敵を焼き尽くせ(マハーアーグネーヤ)

ランクBの常時発動型宝具。青い色をした呪いの焔。一度燃え移ると、対象が灰になるまで焼き尽くす。発動者の意思によって鎮火も点火もできるので、広範囲に焔をばらまいて、敵だけを燃やす、ということもできる。サーヴァントなら魔力値により、一度燃え移っても振り払えるが、人の魔術師にはできない。

 

焔よ、祓い清めたまえ(アーグネーヤアムリタ)

ランクBの常時発動型宝具。赤の混ざった橙色をした、癒しと浄化の焔。呪いを消す、傷を癒す、などの効果がある。しかし解除できる呪いは、B+ランクの呪詛までで、万能ではない。尚、死霊系の敵には攻撃手段としても有効。

 

我が身を燃やせ、白き焔よ(サフェード・ガーンデーヴァ)

ランクAの真名開放型宝具。発動すれば即死、というほど使い勝手は悪くないが、リミッターを外して全力で発動すると使用後に消滅するし、全力でなくとも一度使うと霊核が壊れていく。

白い焔で敵と自分とを囲い込み、爆発させる。一度真名開放すれば、使用者が倒れても爆発はするので、逃げるには、空間転移する以外方法がない。

 

 

 

・その他

マハーバーラタの大英雄、カルナの妻。炎の神、アグニの娘とも言われていたが、本人にも本当のところは分かっていなかったし、分かるつもりもあまりない。

黒い髪に青い瞳、白い肌をした、細身の少女。

普段は、膝まで届く灰色の風よけ布を被って顔を隠し、弓矢と短剣を持っているので、あまりキャスターらしくない。

生前、クリシュナとガトートカチャを殺そうとしたため、神々の怒りを買って、呪いをかけられた。このため、カルナ以外の周囲の人間は彼女のことを忘れており、マハーバーラタにも名前は残っていない。

呪いの内容は、彼女が生きていた時の記憶と名前が、すべて無くなるもの。彼女と関わりがあった者でも、その記憶では、彼女は《記憶するに足りない誰か》になっており、名前を憶えられていない。

彼女が為したことのうち、後世に残りそうなこと、他人に影響を与えたことは、他の誰かがやったことになるなどして、齟齬が無いような記憶の改竄が成されるため、誰も違和感を覚えない。

例外的に、カルナはあったことをそのまま覚えているため、アルジュナなどとの間で、記憶違いが発生する。

このため、キャスターには知名度補正というものが一切なく、仮にマスターが真名を聞いても、意味の通じない音の羅列にしか聞こえない。

 

神秘が色濃く残る神代に、神から呪いを受けた影響か、キャスターは英雄の『座』にいない。どこで何をしているかと言えば、世界の裏側に落とされて、日がなぼうっと歩き続けている。たまに、抑止力的な力に引っ張られて、世界に歪みを生みそうな聖杯戦争に放り込まれたりしている……らしい。

カルナにはものすごく会いたいが、会ってもどうすればいいかわからないとか宣ってしまうヘタレ少女。

マスターが善人だと判断したなら進んで力を貸すが、許容できない命令には従わないか、諫めようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




陣地作成スキルが低いせいで、引きこもり不可能な名無しキャスターちゃん、略してナナ子ちゃん(冗談)です。
ちなみに、カルデアでいうと、☆3鯖になります。

感想、評価を下さった方、お気に入り登録してくださった方、ありがとうございました。
感想は順次返信させていただきます。




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Fate/Grand Order編
序章-上


以下の小説には、次の項目が含まれます。

・一部サーヴァントの差し替え
・話の独自展開
・設定の独自解釈

以上の点に留意してお読みください。

それから、ぐだ男氏には名前を付けました。
彼の名前は岸波白斗です。

誤字報告して頂いた方、ありがとうございました。


人理継続保障機関、フィニス・カルデア。

そこは、数多の魔術師を輩出してきた教育機関、時計塔の天文科を牛耳るアニムスフィア家が創立した、人類の未来を語る資料館だった。

しかし、2016年7月の人類滅亡が確定されたため、カルデアは歴史の特異点を修正し人類の未来を取り戻す、という作戦を発動した。

このために選ばれたのは、一般人から魔術師までを対象に選ばれた素質ある48人。

彼らは、協力して任務にあたるはずだったが、ここで、人類史の焼却を行った魔術王ソロモンの尖兵、レフ・ライノールにより、大勢のカルデア職員と所長のオルガマリー・アニムスフィアがテロにより暗殺され、47人のマスターも重傷を負う事態が発生した。

 

無傷だったマスターは、一般人枠の数あわせで参加していた一人の少年のみ。

 

他に選択の余地はなく、彼はサーヴァントと呼ばれる英霊たちと共に人類史の修正作戦、すなわちグランドオーダーに身を投じることになった。

 

彼が、サーヴァントと共に駆け抜けた特異点はこれまでに4つ。

そして、5つ目の特異点に備える日々の中で彼は戦力の補充のため、新たなサーヴァントの召喚を試みていた。

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

「先輩、今回はどんな方が来るんでしょうか?」

 

カルデア内の守護英霊召喚システム・フェイトの前にて、最後のマスターこと岸波白斗にそう問い掛けてくるのは、柔らかい銀色の髪の少女、人とサーヴァントが融合したデミ・サーヴァントのマシュ・キリエライトである。

光る円環の前に立っていた白斗はマシュの言葉に、うーん、と首を捻った。

 

「毎度のコトだけど、ホントにフェイトが誰を喚ぶのかは分からないからなぁ」

「そう、ですよね。すみません」

「もしかしてマシュ、誰かと再会したかったの?」

「……はい」

 

くる、と白斗は振り返ってマシュに聞く。

マシュとは、これまで日本、フランス、ローマ、オケアノス、ロンドンという特異点を踏破してきた。

そこでは、様々なサーヴァントたちと出会い、時には戦い、時には絆を育んだ。

色々な出会い方をしたけれど、彼らとの別れ方はいつも同じだった。

特異点で白斗たちが聖杯を回収すれば、その特異点にいるサーヴァントは消えるのだ。

特異点の修正が成功というのは、つまりサーヴァントたちとの別れということと、同じなのだ。

どれほど仲を深めていても、どれほど信頼しあえるようになっていても、特異点で出会えたサーヴァントとは別れなければならない。

もちろん、中にはカルデアで行った召喚により、再会できたサーヴァントたちもいる。

けれど、全員と再会できた訳ではない。

 

その再会できていないサーヴァントの中で、マシュが会いたいと願うサーヴァントは、はて誰だろう、と考える。

 

「マシュは、誰と会いたいの?」

 

問うと、マシュは伏し目になりながら言った。

 

「その、黒髪のキャスターさんと会いたいな、とちょっと思ったんです」

「……そっか」

 

黒髪のキャスターと言えば、日本の冬木で会ったサーヴァントである。

レフ・ライノールの仕掛けた謀略で予期せず飛んだ最初の特異点、それが炎上汚染都市冬木だった。

人々が平和に暮らしていたはずの町は燃え、化け物と、黒い聖杯に汚染されたサーヴァントたちが徘徊する、地獄のような場所。そこが白斗の始めての戦場だった。

 

 

黒い髪のキャスターは、その冬木で生き残っていた唯一の正常なサーヴァントだったのだ。

癒しの効果のある橙色の焔と、一度着火すれば対象を燃やし尽くすまで消えないという青色の焔を使って戦う姿は、とても頼もしかった。

マシュの宝具発動のためと言って、キャスターが宝具をぶっ放したときは、寿命が縮んだが。

 

最後に、黒く染まった聖剣の使い手、アーサー王との戦いの折にキャスターは、自分の宝具を最大火力で発動させアーサー王と相討ちになった。

けれど、別れのときに彼女は、また会いましょうね、と白斗たちに手を振って消えた。

 

それから、何度かカルデアでフェイトを用いて英霊を召喚してきた。彼らとも多分、問題ない関係を築けていると思う。

けれど、黒髪のキャスターが現れることはなかったのだ。

 

「わたし、キャスターさんがどこのどういう人だったか、聞けなかったんです」

 

発光しているフェイトを見ながら、マシュがぽつりと言う。

キャスターは、自分は本来、英霊として喚ばれないような半端者、と言って真名を名乗らなかった。

だからだろうか、キャスターは英霊というよりもむしろ、もっと親い、気さくに話し掛けられる人のように見えたのだ。

印象としては面倒見のよい姉、に近かっただろう。

キャスターが仮に、生前に壮絶、壮麗な逸話を持つサーヴァントだったら、根っこがどうしたって一般人の白斗はもっと圧倒されて萎縮していたかもしれない。

というか、共に飛んだオルガマリー所長にもたまに気圧されていたのだ。

そこをキャスターの気さくさや、良い意味での風格の薄さが上手く緩和してくれたのだ。

キャスターにそう言うと、周りに個性的な人が多かったからこういう役は慣れています、と笑っていた。

言い訳になるが、あのときは目の前の状況を切り抜けるのに必死すぎて余裕が無く、白斗はキャスターに踏み込めなかった。

多分、マシュも同じだったと思う。

だからこそ、フェイトでの召喚のたびに黒髪のキャスターの面影が、ふいに過るのだろう。

 

「うん、俺もだ。今度こそ会いたいね」

「はい!」

 

サーヴァント召喚に必要な聖晶石を握りしめ、白斗はフェイトの真ん前に進み出た。

管制室にいるカルデアのドクター、ロマニ・アーキマンの声が響く。

 

『準備オーケー、それじゃ白斗くん。聖晶石を召喚サークルに入れてくれ』

「分かりました」

 

何度もやって来たことだが、白斗はごくんと唾を飲み込んで、聖晶石を輪の中へ入れた。

武装したマシュが、万が一に備えて隣に立ってくれる。

どうでもいいことだが、昔はサーヴァント召喚のために仰々しい呪文を用いたそうだが、カルデアの召喚には必要ない。

無くてよかった、と白斗は心底思っている。一般人かつ、思春期真っ盛りのマスターとしては、素面であの古めかしく長たらしい呪文を大真面目に唱えるのは、ちょっとごめん被りたいのだ。

 

ともあれ、少しずつ光輪の回転が速まり、眼では追いきれなくなる。

眩しくなる光に耐えられず腕で目を覆う。

 

『んん!?すごく高い霊器反応だ!誰が喚ばれたんだ、一体!?』

 

ドクターの声も一瞬遠くなる。

魔力が風になって吹き荒れ、そして一点に、人のカタチに収束していく。

 

白い髪に白い肌、胸元に埋め込まれた紅の宝玉と黄金の鎧が眼を引く、痩身の青年が立っていた。

もちろん黒髪のキャスターではない。

しかし、白斗はドクターに言われなくても分かった。この人は凄く強いサーヴァントだ、と。

 

「サーヴァントランサー・カルナだ。召喚の命に従い参上した。お前が俺のマスターか?」

「そうだ。俺は岸波。岸波白斗。よろしく。カルナって呼んでいいか?」

「構わない」

 

握手しながらも、カルナの顔は能面のような無表情で、白斗はやや怯んだ。

それでも、白斗も大勢のサーヴァントと接してきた経験がある。それに照らせば、カルナは、武人気質のサーヴァントに見えた。

そういうサーヴァントは、誠意を尽くせばきちんと軋轢のない関係が築ける。唯我独尊王様系サーヴァントより、ずっと付き合いやすいのだ。

 

「ありがと。それじゃ紹介するよ。こっちは、シールダーのマシュ」

「シールダーのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトです。よろしくお願いします!」

「了解した。白斗にマシュだな。覚えておく」

 

何に納得しているのか、うんうんと一人頷くカルナ。

サーヴァントに出会ったとき、名乗りは大切にしましょう、と白斗は以前に黒髪のキャスターから教えられた。

英雄や貴族、武人という人たちは自分の名前や名誉、誉や家柄に凄く拘っていますから、まず相手の名前を知って適切に対応できるようにしましょう、でないと初っぱなから要らない不興を買ったり、宝具ぶっぱなされそうになります、というのがキャスターから白斗が学んだことの一つだ。

聞いたときは、それはどこの社会人スキルだ、とツッコんだものだが言っていることは全くマトモなので、白斗は今でも有り難く参考にしている。

 

「ところでマスター。状況は概ね召喚システムにより理解しているのだが、これからオレのすべきコトはあるか?」

 

その言葉に、マシュと白斗は目配せしあった。自分から水を向けてくれたなら、今から頼むことも切り出しやすくなる。

 

「えと、それならカルナ。今から、面談に入っても良いか?」

「何?」

「俺の拘りなんだけと、初めて契約したサーヴァントのみんなとは、最初に話し合うことにしてるんだ。生前の逸話とか、正しい形で伝わってなかったりしたら何かのときにピンチを招くかもしれないしさ。

俺がしたくてしているコトだから強制じゃないし、先にカルデア内を見て回りたい、とか何か要望があったら後回しでもいいんだけど」

 

どうかな、と尋ねるとカルナは満足げに了解した、と答えた。

 

「言葉を尽くすのは良いことだ。しかし、以前から言われているのだが、オレはどうやら一言足りない人間らしくてな。それでも構わないか?」

「問題ないさ。それじゃ、ついてきてくれ」

 

三人で部屋を出ると、廊下には待っていたらしいドクター・ロマンの姿があった。

 

「や、成功したみたいだね。ボクはここのドクター、ロマニ・アーキマンさ。貴方は、マハーバーラタの施しの英雄、カルナで間違いないかい?」

「そうだ。よろしく頼む、ドクター」

「うん、こちらこそよろしく。やぁ、それにしても白斗くんは運が良いね。かの大英雄カルナを喚べるなんて。幸運値A+くらいあるんじゃない?」

 

かもしれませんね、と白斗は苦笑するしかない。

実は今回の召喚で、今までレイシフト先で集めてきた聖晶石をほとんど全部突っ込んでしまったので、当分英霊召喚はできなくなったのだが、それは言わぬが花だった。

 

「そうだドクター。マハーバーラタ関係の資料を貸してくれないかな?」

「良いよ。というコトは、恒例の面談だね。ちなみにカルナも何か要る資料があったら言ってくれよ。未来の資料でない限りは大体何でも用意できるからさ」

「有難いが、今は必要ない。気遣い感謝する」

「すいませんドクター、大体何でもというのは矛盾していますよ」

 

それもそうだね、と笑った後にロマンは用意していたらしいマハーバーラタ関係の資料の束を、どす、と白斗に渡してくれた。

白斗が何を頼むかは、ロマンにはもう分かっていたらしい。

いってらっしゃーい、とロマンに手を振られ、白斗とマシュはカルナと共に白斗のマイルームへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

「粗茶ですが」

 

と、そう言ってマシュがすんだ色をした紅茶入りのカップをことりとカルナの前に置き、カルナがそれに軽く礼をして、それで面談は始まった。

基本的には白斗とマシュが代わる代わるマハーバーラタに刻まれたカルナの伝説を語り、どこかに致命的な齟齬が無いかをカルナに聞いて確かめる、という流れになった。

けれど、話始めてすぐにカルナの表情がだんだんと固くなっていった、ように見えた。

 

「あの、カルナさん?どこか気になることが?」

「……いや、顛末は概ね合っている。続けてくれ」

 

明らかにカルナはそういう顔ではなかったのだが、それでも一通り語らないと話は終わらない。

やがて、話はクルクシェートラの戦いに移り、カルナがインドラから与えられた槍で、ガトートカチャを倒した、というくだりに差し掛かったところでカルナが違う、と声を上げた。

 

「オレがインドラの槍を使った相手は、パーンドゥのビーマだ。ガトートカチャではない」

 

それからもカルナがいくつか訂正を挟みながら話し合いは進み、大概最後に聞く質問をついにマシュが口にした。

 

「それではカルナさん、一応聞いておきたいんですがカルナさんには、何か聖杯にかける願いはありますか?」

 

どう答えるかな、と白斗は思った。

白斗たちの任務は、ありとあらゆる願いを叶えると言われる聖杯の回収である。

任務の根幹にある聖遺物の贋作に対して、サーヴァントたちはどう考えているのか、という質問を通して白斗はサーヴァントたちの在り方をできるだけ知ろうとしているのだ。

実際、この質問をするとサーヴァントの反応はかなり別れる。

そんなもの必要ない、と笑い飛ばしたり、あからさまに言葉を濁したり、あれは無い方が良い、と明確に嫌ったり、願いはあるけれど聖杯に頼って叶えるものではない、と興味が無かったり、等々、様々なのだ。

ではカルナはどうなのかと言えば、ふむ、と束の間考えたようだった。

 

「オレはマスターの槍として馳せ参じた。ならば優先されるべきはマスターの願いだろう」

「そ、そうか。期待に応えられるように頑張るよ、カルナ」

 

その答え方は初めてで、白斗は一瞬答えに窮した。

かく言う白斗には、願いはない。強いて言うなら、人類史の修正と復元だろうがそれは聖杯に願ってどうこうなる類いのものではないのだ。

これで仕舞いかな、と白斗が思ったときカルナが、だが、とまた口を開いた。

 

「オレには再会したい相手がいる。カルデアにサーヴァントの記録や、過去の聖杯戦争の記録があるなら見せてもらいたいのだが、構わないだろうか?」

「記録に関しては問題ありません。契約していなくても特異点で会った全サーヴァントはログに残っていますし、カルデアには膨大な資料があります。どれも、すぐにでも閲覧可能ですよ」

「感謝する」

 

頭を下げるカルナに、マシュと白斗の方が恐縮した。

 

「その人がどんな人だったか、聞いても良いか?」

「ああ。探したい相手は妻だ。サーヴァントになっているとしたら該当クラスは、恐らくはキャスター辺りだろう」

 

その言葉を聞いて、白斗とマシュの時間が寸の間止まった。

 

「つ、妻?あ、そっか。カルナ、結婚してたんだっけ……」

 

マハーバーラタにそんな記述があったようななかったような、と白斗は手元の資料をぱらぱら捲り、一方のマシュは林檎のように、ぽんと頬が赤くなっていた。

 

「ごめん、俺たちの会ったサーヴァントの中に、カルナの奥さんっていう人はいなかったと思う」

 

多分、会っていたら、その人はカルナのようにただ者ではないオーラがあったと思うのだ。

 

「……そうか」

「で、でも、真名が分かるなら、カルデアの検索機能で見つけられます。カルナさん、奥さんの名前はなんでしょうか?」

 

サーヴァントの中には、ある英雄の側面だけが抽出されて真名が同じ複数のサーヴァントになっているという例外がある。が、基本的には真名が分かっていればサーヴァントはすぐに絞られる。

だからマシュもそう聞いたのだが、カルナは困ったようだった。

 

「恐らくだが、オレが真名を口にしてもマスターたちには正しく伝わらない。彼女にはそういう呪いがかけられていてな。そのせいか、オレも見つけられなかったのだ」

「名前を言えなくなる呪い、ということですか?」

「他に言いようもないので呪いと言っているが、正確なところはオレにも分からん。呪いだとしたら生半可では解けないものだと思うのだが」

「一体何故、そんなコトに?」

「それがオレにも分からない。だからこそ、探して聞きたいのだが」

 

見つからないのだ、というカルナは、無表情ながら落胆しているようにも見えた。

それからカルナに、その女性の名を口にしてもらったのだが、白斗にもマシュにもそれはどうしても名前には聞こえなかった。

何度聞いても、それは意味の無い、出鱈目な音にしか聞こえないのだ。その上、再現しようとしてみても、白斗とマシュでは真似て発音してみた音がてんで違っていた。

その女性が亡くなって永い時が経っているだろうに、白斗たちが名前を口に出せないということは、呪いは未だ切れていないのだ。

呪いの業の深さに、白斗は寒気がした。

見ればマシュも二の腕を擦っている。

 

「彼女とは、クルクシェートラの戦いが始まる前に別れた。オレは戦いから遠ざかるよう言ったのだが、聞かなくてな。戦場の近くで野戦病院のようなコトをしていた」

 

それは少し分かるな、と白斗は思った。

白斗本人には戦う力がない。特異点では、マシュに守られて指示を出すしかないのだ。

オケアノスではエウリュアレを抱えてヘラクレスから走って逃げるということをやったが、逆に言えば一番の矢面に立ったのはあれくらいだ。

最後のマスターの白斗が死ねば、全部終わってしまう。だから、マシュにいつも守られていなければいけないということも白斗はよく分かっている。

しかし、いくら頭では分かっていても、自分より華奢な女の子を戦わせていることで胸がざわつくのは止められない。

カルナの妻というその人も、似た衝動に突き動かされていたのかもしれない。

理屈とか、理性とかを忘れてしまうくらい、強い衝動に。

 

「それで、その人は?」

「戦いも長引き出した頃に突然、彼女のいた野営地が消えた」

 

野営地のあった後には、丸く抉れて大きな穴を晒す大地だけが残っていたという。

そこにいた負傷兵は、何故か皆別な場所に移されていて無事だったが、彼らの看護をしていたはずの彼女だけは姿を消していたのだという。

さらに奇っ怪なことに、負傷兵たちは誰も、彼女のことを覚えていなかった。のみならず、カルナ以外のすべての人間の記憶から彼女は消えていたのだという。

彼女が手当てをしたはずの兵士の傷は、別な医者が癒したことになっており、齟齬はカルナの記憶以外、何も出なかったのだ。

 

「さすがにオレも、一瞬己の正気を疑ったが、オレが覚えているのは事実だ」

 

交わした言葉も、向けられた笑みも、触れ合った手の感触も、幻だったとは思えない。

彼女は間違いなくいたのだ。

大きく抉れたクレーターと思い出だけを残し、彼女はカルナの前から消えた。

まるで、初めから存在しなかったように、あっさりと。

さらに不思議なことに、パーンドゥ側の武将、ガトートカチャも同じく姿を消していた。

 

「常時なら探しにも行けただろうが、戦いの最中にそれはできない」

 

何しろ、カルナはそのときには自軍の大将の一人だったから。

カヴラヴァの大勢から頼りにされ、すがられているカルナに、家族一人を探しに行くことなど、できるはずもなかった。

しかし、訝しげに思いながら戦ううち、クリシュナに焚き付けられたらしいパーンドゥのビーマに、いないはずの妻など探すのは女々しいと罵られ、彼女を存在ごと否定され、貶されたと感じたカルナは、ビーマに必殺のインドラの槍を放ってしまった。

そしてここでカルナは戦いの前夜に、実母のクンティーと交わしていたアルジュナ以外のパーンドゥの五兄弟は殺さない、という約定を破ったことになり発動した呪いに力を削がれたのだ。

力が出せないまま、カルナはアルジュナに討たれ、クルクシェートラの戦いは終わった。

死後、カルナは英霊の集う『座』で彼女を探したが、それでも彼女は消息を絶ったままだ。

カルナとしては、あとは、『座』にいなくとも、サーヴァントとしてどこかに顕現している可能性にかけるしかない。

 

「彼女にあのとき何があったのか、何をしたのか、それを問いたいのだ。我欲に満ちた話だが、記憶の隅にでも入れておいてくれると有り難い」

 

カルナはそこで、深々と頭を下げた。

マシュと顔を見合わせ、白斗は自分も似たような途方に暮れたような顔をしていることに気づいた。

白斗は一度目を閉じて、目の前の大英雄に向き直った。

 

「話は分かったよ、カルナ。俺は、君の話を忘れない」

「わたしも忘れません、絶対に」

 

白斗の隣で、マシュも大きく頷いた。

それを見て太陽の御子は、忝ない、と言って小さく笑った。

それを潮に、カルナと白斗たちの最初の出会いは終わったのだった。

 

 

 

 

 

 




初っぱなから原作の5章をぶち壊してしまいました。(エジソンさんごめんなさい。
これからもこんな感じで進みます。

七夕様の前日なのに何で自分は、こういう話を書いてるんだ、と遠い目になっていた所、赤くなってるバーとランキングを見て、ひっくり返りかけました。

インド人気しゅごい・・・・。

後、六章のpv見てきました!素敵でした!


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序章-下

まだアメリカに行ってません。
カルデアでぐだっています。

尚、本編は原作の5章にあたるところまでしか行かない予定です。


カルナがカルデア内を見てまわる、と言って部屋を出たあと、白斗とマシュは手分けして広げた資料を片付けていた。

手伝おうか、とカルナは申し出てくれたが、二人でやった方が慣れているから大丈夫、と白斗は断った。

慣れているのは本当だが、白斗はそれよりマシュと二人で話したいことがあった。

 

「面談が恙無く終わって、良かったですね、先輩」

「うん、確かに。清姫のときは大変だったしなぁ。あと、スパルタクスとかファントムとかも」

 

清姫は白斗を、自分で焼き殺した生前の恋人と思い込んでいたものだから、話がなかなかどころかてんで通じなかった。

叛逆の剣闘士スパルタクスに至っては、白斗が少しでもマスターらしい振る舞いをしようものならスープレックスを仕掛けて来ようとするし、ファントム・オブ・ジ・オペラは途中から何かのスイッチが入って、恋していた女性の名前を連呼しながら歌いだす、と無茶苦茶なことになった。

逆に、平和に終わったのはアーラシュやヘクトール、エウリュアレとアステリオスのペアくらいだった。

そこへ来て、マハーバーラタの大英雄、カルナである。

どことなくカルナはフランスで会ったジークフリートに似ているな、というのが白斗の印象である。

そっくりとまではいかないが、物言いや醸し出す雰囲気に、某か通じるものがあるような気がした。もちろんこれは、白斗の勘に過ぎないのだが。

片付けの手を止めずにマシュに聞けば

 

「先輩の勘は、特に人を見る目に関しては抜群ですし、間違っていないと思います」

 

と、返された。

そうかなぁ、と頬をかく白斗に、そうですよ、と力強く答えたマシュはふいに顔を曇らせた。

 

「先輩、名前や記憶をすべて消す、だなんてそんな呪い、有り得るんでしょうか?」

「……わからないな。この後、メディアに魔術を習うことになってるから、そのときに聞いてみるけど。認識阻害っていうほど簡単なものじゃあ無さそうだったしね」

 

カルデアに来た頃の白斗は魔術に関しては、素人よりはいくらかマシ、という水準だった。

今では、極めて正統派のキャスター、メディアに師事し、知識はそれなりになったが、実技の進みは芳しくないままだ。

ちなみに、メディアによれば白斗は魔術師としては、死ぬほど努力して一流に指先が届き、死なない程度に努力して二流、しなければド三流になると言われている。

辛辣にも聞こえるが、白斗はメディアを師匠として尊敬しているし、自分をちゃんと見てくれているからこそ、そう言ってくれるのだと分かっていたから、その評価も素直に聞くことができていた。

 

「そうですね、メディアさんなら何か分かるかもしれません。……わたし、話を聞いて何だか他人事に聞こえなくて。その、わたしも、わたしに力をかしてくれているサーヴァントの方の名前が分からないままですし」

 

すみません、上手く言えません、と俯くマシュの肩を白斗は励ますように軽く叩くしかできなかった。

マシュは、デミ・サーヴァントである。

デミ・サーヴァントとは、人と英霊が融合した存在である。もちろんマシュは生まれつきそうだったわけではない。

レフ・ライノールによるテロの際、マシュは例えでも何でもなく死にかけ、そのときにマスターを失って消えかけていたサーヴァントと融合することで、ようよう命を繋いだ。

そして、あまりに混乱した中での融合だったからマシュは自分の中にいる英霊が誰なのか分からない。宝具の名前すら、仮のものだ。

名前の分からない英霊を宿したマシュと、名前を忘れるよう仕向けられた『誰か』。

二人とも成り立ちは似ているようで全く違う。

違うけれど、それでもマシュにも白斗にも、何か感じるものがあった。

うし、と白斗は手を叩いて気合いを入れ直した。

 

「一先ず、俺はメディアに呪いのことを教えてもらうよ。マシュ、すまないけどドクターにデータは紙媒体で出しておいてくれるように頼んでくれないかな?」

 

カルナは絶対タッチパネルの端末とかには慣れてないだろうから、と言うと、マシュはそうですね、と小さく笑った。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

コルキスの王女、メディアと言えばギリシア神話の中でも異彩を放つ存在だ。

アルゴナウタイを率いて現れた英雄イアソンに一途な恋心を燃やし、そのために国を捨て、弟を手にかけた。イアソンの心が別な女性に奪われそうになると、恋敵を、その父諸とも焼き殺し、イアソンとの間に出来た子どもまで殺めた。

激情の王女、裏切りの魔女、とまで言われるメディア。

カルデアで契約するまで、白斗はメディアがどんな人物なのか分からなかったし、実を言えばどれだけおっかない人なのかな、と少々不安に思っていた。

それが今では、こうして師事しているのだから、とんと伝説の伝える人物と本人とは分からないものである。

 

「さてマスター、今説明した術式を紙の上に陣として再現してみなさい。それができたなら、描いた術式を元に魔術を発動させること。制限時間は三分よ」

 

ホワイトボードの前に立ち、細い棒でぴしぴしと突いてくるのは、メディアである。

その姿はまさにスパルタ教師で、白斗は悲鳴のような声をあげた。

 

「さ、三分!?」

「さあ早くなさい、口は呪文の詠唱以外に動かしては駄目よ」

 

うわあ、と慌ててペンを動かして、がりがりがり、と一心に陣を描き、そこから言われた通りに小さな竜巻を起こす。

それをすませてメディアの方を見れば、まあいいわ、という一言。

白斗の肩から、がっくり力が抜けた。

 

「とはいえ、まだ無駄が多いわ。一度の魔術でそこまで気が抜けるのも、いらない魔力を使っているせいね。次は最小の魔力で最大の結果が出せるようになさい」

「り、了解しました」

 

気が抜けているのはメディアが怖いせいもあるのだが、当然白斗は口に出さなかった。

それから、教導に一切手を抜かないメディアにびしびしとしごかれながら、何とか白斗は及第点をもらった。

この後、メディアに聞こうとしていることを考えると、いつもより一層熱も入るというものだ。

 

「名前と記憶が消える呪い?そんな悪辣なもの、神がかけたに決まっているわ」

 

果たして、白斗が呪いの件を持ち出すと、メディアはぎゅっと眉ねに皺を寄せた。

メディアの一生を狂わせたイアソンとの恋。しかしそれは、一説によると神に吹き込まれた偽りのものだったという。

だからメディアは、こと人の運命を弄ぶ神の話になると、とたんに機嫌が悪くなるのだ。

しかし、白斗もそれで引いてはいられない。

 

「神が呪いをかけたとしたら、解く方法はあるかな?」

「あるときも無いときもあるわ。何れにしても、生半可には解けないでしょうね。神はいくら理不尽に思えることでもやるわよ。彼らは、私たちとは異なる法則の下で動くのだから」

 

そう言ったメディアの瞳は、怒りと哀しみがない交ぜになった強い光を宿していた。

紫の美しい髪をかきあげ、メディアはそれで、と白斗に話の続きを促した。

 

「今ので話が終わりというわけでは無いのでしょう?今度はどこの誰の頼みを聞いたのかしら?」

「いや、頼まれた訳じゃないよ」

「同じことよ。人が良いのも大概になさいな。まあ、あなたは言っても聞かないでしょうけれど」

 

そうは言うが、メディアだって手を貸そうとしてくれている。

本当に関心が無かったら、そもそも話を聞こうとすらしないだろう。

素直じゃない師匠だなぁ、と口の中で呟きながら白斗は事の顛末を話した。すべて聞き終えると、メディアは難しい顔になった。

 

「厄介ね。まず、本人がいなければどうしようもないわ」

「本人っていうと?」

「その施しの英雄の妻よ。彼女がカルデアに来るなり何なりすれば、まだ判断のしようもあるけれど、いないのならこちらからは手が出せないわ。

そもそも、名前も分からない誰かを英霊として喚び出せるのかも分からないのだけれど」

「あ」

 

サーヴァントは基本的に『座』に召し上げられた過去の英雄だ。

確かなことは、英雄にしろ、反英雄にしろ、彼らの共通点は何らかの逸話なり伝説なりを持ち、人々の記憶に生きていること。

人が生きている限り語り継がれる、真の不死を手に入れた存在であることなのだ。

それが無いというなら、その人物を英霊としてカルデアに喚ぶことはできるのだろうか。

白斗には、少なくともすぐには答えられなかった。

 

「メディア、俺にできることって無いのかな?」

「とりあえずは、施しの英雄を喚ぶのにほぼ全部使ったっていう聖晶石を集めることくらいかしら。新たにサーヴァントを喚ぶにはあれが必要なのでしょう?」

「…………うん」

「そんな顔をしないの。貴方は他にも困難を抱えているわ。背負い込みすぎて潰れては、元も子も無いのよ。次の特異点も見つかる頃合いでしょう」

 

忘れろと言っているのではないのよ、とメディアは言った。

 

「分かってるさ。目の前のことに気をとられ過ぎて、足元をすくわれないように、ってコトだろ」

「そういうことよ。マスター」

「うん、相談に乗ってくれて、ありがとう。メディア」

「どういたしまして。課題、忘れるんじゃないわよ」

 

最後にきっちり教師としての一言をもらい、白斗は部屋を出た。

うーん、と伸びをして廊下を歩き始める

歩きながら思うのは、カルナたちのことだ。

クルクシェートラの戦いに伝承と違う部分があったことは分かる。

何しろ、冬木の特異点で会ったアーサー王は伝承と違う女の子だったし、フン族の王アッティラも実際はアルテラと名乗る女性だったから。

白斗が思いを馳せるのは、そこではない。

カルナの妻のように歴史に紛れていった名前の残っていない人たちのことだ。

名も無き人たちの生と死の積み重ねも、きらびやかな英雄の物語も、どちらも白斗たちカルデアが取り戻そうとしている人類史だ。

 

魔術王の気まぐれひとつで塵も残さず燃え尽きてしまっていいものなんかじゃ、ない。

うし、と白斗は気合いを入れ直した。

 

「よし、まずは聖晶石を貯めよう」

 

カルナを他のサーヴァントの面々に紹介しないといけないし、彼らとカルナとの連携も考えておかないといけない。

白斗のやるべきこと、やれることはたくさんあるのだ。

頑張ろう、と一歩白斗が廊下の角を曲がったところで。

 

「あ、先輩。見つけました!」

「フォウ!フォォーウ!」

 

狐とリスを足したような生き物、フォウを肩に乗せたマシュに遭遇した。

 

「どうかしたのか?マシュ」

「はい。どうかしました!カルナさんの奥さんが見つかりました」

「え、早くないか?」

「そ、それが、意外な人だったんです。黒髪のキャスターさんだったんですよ先輩!」

「へ?……てことは、え、冬木のキャスターか!?」

 

灰色の布で顔を隠した、黒髪のキャスターの面影が、白斗の瞼の裏に蘇る。

言われてみれば、確かに白斗は彼女の真名を知らない。

彼女がどこで、どう生きて死んで、サーヴァントにまでなったのか、一つも聞かなかったから。

 

「カルナはどうしてる?」

「冬木でのログを見るそうです。見つかって良かった、って言ってました」

 

白斗は思わず額に手を当てた。

何だか、訳もなく悔しかった。

 

「俺たち、カルナの奥さんに会えてたんだ。なのに……」

 

気付けなかった。

あの状況では、分かっていたってどうしようもなかっただろうけれど、それでも、水が手のひらから零れていくのを黙って見過ごしてしまったような落ちつかなさが、白斗とマシュの間に漂う。

 

「ログを見たなら必要ないかもしれないけど、カルナに冬木でのコトを聞かれたら、話さなきゃな。俺たちにしかできないコトだから」

「はい」

 

行こう、と白斗はマシュを促して歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、ちょっと注目ー!」

 

カルナと契約した日の夜。

カルデアの談話室にて声を張り上げる白斗の姿があった。

隣にはカルナ、半歩下がったところにマシュが立ち、肩にはフォウが乗っている、という位置取りである。

談話室にいるのは、白斗がこれまでに契約したサーヴァントたちだ。全員が揃っているわけではないし、白斗が呼び掛けても関心がなさそうにしている者もいるが、何人かは泰然と立つカルナに注目していた。

 

「知っている人もいるかもしれないけどこっちは、今回カルデアに来てくれたカルナ。くれぐれもいきなり喧嘩吹っ掛けたりはしないでくれよ」

 

冗談混じりの白斗の言葉にこれまたサーヴァントたちは、好戦的に口の端を吊り上げたり、苦笑いしたりと様々に反応した。

 

「マスター、クラスは何だ?」

 

そう言ったのは、手前にいた浅黒い肌をした精悍な面立ちの青年だった。

 

「ランサーだ」

 

答えたのは、白斗ではなくカルナ。

 

「そっか。ま、よろしくな、カルナ。俺はアーラシュ。アーチャーさ。かの施しの英雄と会えるとは思わなかったぜ。ちなみに、お前、宝具撃ったら消滅とかそういうことはないか?」

「それは光栄だ。が、すまない、そういう宝具は持っていない」

「ランサーねぇ。ま、同じクラス同士仲良くしてくんな」

 

そう言って口を挟んだのは、気だるげな雰囲気を纏った髭面の男性、ランサーのヘクトールだった。

そのままカルナはアーラシュとヘクトールに挟まれるようにしてテーブルに座り、さらにはクー・フーリンもその輪に入って、がやがやと話始める。

本人曰く、言葉足らずなカルナが、どう受け入れられるかと白斗は思っていたが、この分では、心配なさそうだった。

 

「ふぅん。あれが施しの英雄なのね」

 

と、そこでいつの間に談話室に現れたのか、メディアが白斗の隣でぽつりと漏らした。

 

「珍しいね、メディア。こっちに来るなんて」

「騒がしいのは嫌いなのだけれど、マスターがあそこまで気にかけていたら私も気になるわよ。それにしても…………」

 

と、メディアはカルナの方を見やった、

 

「施しの英雄というから、どういう男かと思ったけれど、見事に英雄らしい英雄ね。確かにマスターが手を貸したくなるのも分かるわ」

 

そういうメディアは、穏やかな表情をしていた。

顔のいい男は信じられない、と普段から言う彼女だが、少なくともカルナは王女の信用を勝ち得たようだった。

 

「ちょっと、何笑っているのよ。マスターにマシュ」

「何でもありません、メディアさん」

「うん、何でもないよ」

「フォーウ!」

「あなたたちそう言うときは本当に仲が良いわね。…………いいこと?私はね、誠実な男は嫌いじゃないだけよ」

 

そういうことにしておこう、と白斗は口に出さずに思った。

結局、その日はドクターが消灯時間を告げにくるまでカルナやアーラシュたちは談笑し、白斗は不機嫌な顔のメディアに渡された追加の課題に必死に取り組むはめになった。

 

 

 

 

 

そして、それから程無くして、ドクターから第五の特異点が発見されたという通達が成された。

 

 

 

 

 

 




感想欄での鋭いご指摘に、キョドりまくっているなすびです。

メディアさんは白斗くんの師匠になりました。

次話からアメリカです。
でもすみません。次話は遅れます。


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act-1

誤字報告してくれた方、ありがとうございました。








抜けるような青い空は好きだ。綿のような白い雲は好きだ。

―――――だけど何より、優しく照り付ける暖かい日差しが一番好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、雲が流れる空は素敵です」

 

果てのない蒼穹と棚引く白い雲、それに照り付ける太陽の下に広がる大地に立ち、思わずそう呟いた。

続けて辺りを見渡し、マスターらしい人影が一つもないことを確かめる。

 

「……どうやら、はぐれのサーヴァントとして召喚されたようですね」

 

召喚されたときに与えられる知識に照らし合わせると、ここは私が今まで一度も足を踏み入れたことがなかったどころか、存在すら知らなかった大陸である。

砂塵舞う、荒れたこの大地につけられた名は、アメリカ。

いずれ、ここに世界随一の大国が築かれると歴史の中で位置付けられている、間違いなく人類史の転換点に成りうる場所だ。

 

「ということは、またもや特異点絡みの召喚ですか 」

 

サーヴァントの私にとって、現界していない間の時間の感覚はあやふやだ。

それでも、体感的に、少し前に起きた出来事はよく覚えている。

狂った聖杯戦争への唐突な召喚、燃える町に、黒く染まっていた聖杯と騎士王。

それに、あの地獄のような場所で協力しあったマスターの少年、盾のサーヴァント、魔術師の女性。

私を召喚した何かから与えられているのは、人類史守護というオーダーだけ。そして、その達成のためにはあのときのマスターたちの訪れが不可欠だろう。

そこまでは、与えられた知識と経験で推し測れた。

問題は、今ここで大地に一人放り出されて、途方にくれているしかないという今の状況だ。

 

「……取りあえず歩きましょう」

 

私には乗り物型の宝具など無い。頼れるのは自分の足だけだ。

人だった頃と違って、魔力さえあれば体が動くからへばることはない、と思う。

 

「フユキのときとは、大分勝手が違います」

 

と、一人だと口が緩むのか、他愛ない独り言まで零れる始末だ。

歩いても歩いても、周りの景色が変わらない。それはそれで退屈だけれど、暗黒の時の止まった空間と比べたら、どんな荒野だって生命溢れる花園にも見えてこようというものだ。

歩きながら、与えられた知識を整理する。

アメリカの地理や歴史とか、それとこの時代での技術とか、頭の中に学んだ覚えのない知識が刷り込まれるというのは、おかしなものだ。

深く考えても仕方ないことだから、ただ便利だ、とだけ思うようにしておく。

 

直感スキル任せに歩いて歩いて、鳥の声と風の音と、自分の足音しかないことが寂しくなって、時々歌って、また歩いて。

そんな調子で進んでいるうち、急に前方が騒がしいことに気づいた。

姿はまだ見えず、音も聞こえないほど遠方からの魔力のざわめきが、肌を粟立たせる。

間違いない。

サーヴァントがこの先で戦っているのだ。

息を整え、今度は風景を置き去りにする勢いで、全力で走り出した。

避けて通るという選択肢は、無い。

避けることは出来ないこともないだろうけれど、人類史守護側のサーヴァントが戦っていて、仮に危機に瀕していたなら、助太刀しなければ。

 

サーヴァントの脚力をもってして走ること数分で、魔力のざわめく場所に辿り着いた。

―――――果たして、そこは戦場だった。

 

 

戦場にあったのは、切り裂かれ、潰され、虚ろな瞳を空に向ける、無惨な有り様となった人々の、山と積まれた亡骸。

それに一目で劣勢とわかる紅い髪の少年と、顔を引き裂くような笑みを浮かべた男だった。少年と男は、どちらもサーヴァントだと気配で察する。

 

「くっ……!―――――全解放、『羅刹を穿つ不滅』!」

 

紅い髪の少年が叫び、凄まじい魔力を纏った光輝く輪が回転しながら飛んでいく。

私が迎え撃てば、間違いなく消し飛ばされるだろう威力の宝具ということは、見るだけでわかる。

しかし、それを受ける槍を持った男は、迫り来る宝具を鼻で笑った。

 

「やりゃあできるじゃねえか。大道芸だがな」

 

宝具らしき槍で光輪を叩き落とし、男は槍投げの体勢を取る。

彼へ、先程の光輪を上回る魔力が収束していく。禍々しいまでの呪詛が生まれ、紅い槍が蠢動し始める。

 

―――――アレは、マズイ!

 

理性ではなく本能が察知する。

あの呪詛は、命を喰らうものだ。因果をねじ曲げ、人を殺すことに特化した真正の呪い。

理屈が頭から吹っ飛び、思わず駆け出した。

 

「やめ―――――!」

 

しかし、私の声も手も届かず、槍は少年の心臓を穿った。

 

「がああああああああっ!!」

 

吹き飛ばされた少年の後ろに走り込んで、何とか受け止めたものの、受け止めきれずに大地に背中から叩き付けられた。

息が詰まりかけるが跳ね起きて立ち上がる。

 

「な、汝は――――?」

「差し当たり、貴方の味方です」

 

少年を背中に庇い、目の前の戦士に向き直った。

 

「あ?心臓八割散ったってのに、死なねえとかどうなってんだ?つか、雑魚が増えてるじゃねえか。ソイツを庇うってことは、テメエ、敵だな?」

「……私には状況がさっぱり分かりません。でも、これだけの亡骸を前にして、そんな風に笑っていられる貴方の味方にはなれそうにありません」

「ハ。弱えくせに言うじゃねえか。まあ、良い。邪魔すんならテメエも殺す。死ぬまで殺す。それだけだ」

 

殺気と魔力が、重圧となり叩き付けられる。

顔が歪み、口の中が干上がるのを感じた。

 

「に、逃げろ……!汝では、奴には、クー・フーリンには勝てん!」

 

クー・フーリン、つまり、敵はアイルランドはアルスターの光の御子。

少年の言うことは道理だ。生粋の戦士に私は勝てない。

でもそんなこと、最初に分かっている。

 

「聞いているのか!?」

「聞いています。貴方はこれを喰らっていてください」

「おい!?」

 

私の宝具、『焔よ、祓い清めたまえ』を発動させ、掌に灯した赤みの強い橙色の焔を、少年の心臓に押し当てる。

焔は小さな種火となって、少年の心臓に取り付き、燃え始める。

本当なら、私が魔力を送り続けて癒したいところだが、この状況ではできない。

松明のように火分けした力でも、呪いを食い止めることならできるはずだ。

 

「癒しの宝具か。妙な邪魔をしやがる」

「…………」

 

前面の敵は、不適に笑った。

そんな小細工で呪いが覆るものか、とでも言うように。

 

「ま、関係ねえか。テメエを殺せば宝具は止まる。そしたら小僧も死ぬだろ。やることに変わりはねぇ」

 

薄笑いのまま、槍を構えるクー・フーリン。

その殺気から、これは死ぬ、と確信した。

逃げようが迎え撃とうが、私の力だけではここで死ぬ他ない。

ここで、少年と私が、助かるとしたら―――――。

 

「サーヴァント反応を確認。対処します」

 

―――――予想していない援護が入る以外、ない。

 

鎧とおぼしき戦闘服を纏った兵士たちがそこで現れ、私とクー・フーリンの間を遮った。

雨粒が屋根を叩くときにも似た音を立てて、彼らの持つ武器らしき筒から弾が飛ばされ、クー・フーリンに襲い掛かる。

その隙に、少年に肩を貸して立ち上がらせた。

 

「今だ、ジェロニモ!」

 

不思議な兵士と共に現れた、一目で人と分かる兵士たちが叫ぶ。

 

「一体、これは……?」

「お前たち、いいから来い!あいつらが戦っているうちに逃げるぞ!」

「は、はい!」

 

そこで、手を差しのべてくれたのは、同じく兵士たちと共に現れた、褐色の肌の男性サーヴァント。

誰が敵で味方で、人類史守護側がどちらかなどもう訳がわからず、ジェロニモと呼ばれていた褐色のサーヴァントの後に続いて荒野を走る。

後ろからは、兵士たちとクー・フーリンのやりあう音、いや、肉が潰されていく音がしていた。

 

「振り返らずに走れ!彼らは我々を逃がすために戦ってくれている!」

 

「うーん。そう簡単に逃がしてあげるわけにも行かないのよねぇ」

 

が、運が悪いのか間が悪いのか、行く手にサーヴァントが立ちはだかる。

見惚れるほどに綺麗だが、近寄りたくない雰囲気の、桃色の髪の女性。

女王のごとき威厳を持つ彼女は、後ろに鎧兜に身を固めた兵士たちを連れていた。

その全員が、こちらに殺意を込めたうなり声を上げている。

 

「まさか、女王メイヴか!?」

「そうよ。この辺りで新しいサーヴァントっぽい反応があったから、ちょっと急いで来ちゃったの。まぁ、クーちゃんが負けるはずもないし、結果もそこの弱そうなの一人だったけれど」

 

無駄足だったわね、と、ころころ笑う彼女の酷薄な笑みに、背筋が凍った。

 

「負けて……たまるか!シータと……巡り会うまでは!」

 

そこで、肩を貸していた少年が声をあげなければ、私は折れていたかもしれない。

力の入らないだろう手で剣を掴み、血を流しながら、自分の足で地に立って、女王を睨む英雄の少年。

彼の呟いた名に、私は聞き覚えがあった。

 

「貴方は、もしやコサラ国の王、ラーマですか?」

「そうだ!シータに巡り会うまで……余は負けない!負けられる…………ものか!」

 

その言葉に、強い決意を秘めた再会の願いに、心が打たれた。

誰かにまた会いたいという切なる願い、それをこうまで聞かされたら、私も覚悟する以外ない。

私は、ジェロニモという名らしいサーヴァントの肩を叩いた。

 

「……すみません。ここは私が食い止めます。貴方はこの人を連れて、逃げてください」

「何をバカな!」

「聞いてください。私の宝具は、足止めに向いています。それに私も死ぬつもりはまだありません。全滅するより良いはずです」

「……すまん!」

「……おい、待て、ジェロニモとやら!」

 

ラーマをジェロニモに押し付ける。

意外なことにメイヴは、彼らが走り去るまで静観していた。

 

「追わないのですか?」

「だってすぐ捕まえられるもの。さて、あなたはどうやって私を楽しませてくれるのかしら」

 

ネズミを逃がしても、痛くも痒くもないのだから、と笑う女王。

その笑顔で確信した。私はコイツが嫌いだ、と。

 

「では、ネズミ風情に足止めされなさい、女王陛下。……宝具、限定解放」

 

直後、私を中心に白い焔が広がる。

焔の輪は広がって、兵士とメイヴ、それにクー・フーリンまでを囲い混んだ。

メイヴの顔がほんの少し引きつった。でも、もう遅い。

 

「爆ぜろ、『我が身を燃やせ、白き焔よ』」

 

そして、私の視界一杯に光が満ちた。

白い光で、一瞬視界が奪われる中。

 

―――――ぴしり、とヒビが入る音を聞いた。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

第五特異点の観測された、1783年の北米大陸に赴く。

そう決まったのはもう、ずいぶん前だった気もする。

本当は、一日も経っていないのだが。

 

「ケルトとアメリカか。これ、普通ならあり得ない組み合わせだよな」

「それが特異点ってやつだろ。マスター」

 

アーラシュの言葉にそうだね、と頷く白斗。

彼らが今いるのは1783年のアメリカ。正確に言えば、これからアメリカ合衆国が生まれるはずの大地だ。

照りつける太陽の下に広がる地は、荒野のままで、白斗の記憶にあるようなコンクリートと鉄でできた町は、一つもない。

 

「国旗の違うアメリカ独立軍と、ケルトの戦いか。聖杯を持ってるのはケルト側かな?」

「だろうな。ケルトは時代の流れに逆行している。アメリカの側も奇妙な装備ではあるが」

 

そう言うのは、腕組みをしたカルナ。

カルナ、アーラシュ、それにマシュ。

彼らが今回、白斗と共にグランドオーダーに参加するサーヴァントたちだ。

アメリカにレイシフトしてすぐ、一行は奇妙な戦いに巻き込まれた。

戦っているのは、鎧兜と槍や剣で武装したケルト兵と全身を機械の鎧で覆い、機関銃をぶっぱなす機械化歩兵だったのだ。

バーサーカーのように襲い来るケルトを撃退し、白斗たちはまずアメリカ独立軍と名乗る彼らと行動を共にすることにした。

というか、そちらとしか話が通じなかったのだ。

そうして辿り着いたのが、この野戦病院を兼ねたキャンプだ。

情報を集めながらキャンプを回る白斗たちが出会ったのは、ここで兵たちを治療し続けていたバーサーカーのサーヴァント、ナイチンゲール。

 

「マスター、オレはあのナイチンゲールにも協力を仰ぐべきだと思うのだが」

『名案だと思うよ。ほら、彼女なら、キット、タヨリニ、ナルヨ?』

「ドクター、そこは片言にならないで欲しいんだけど!」

 

カルナとロマンの提案には、白斗も賛成だ。

状況を掴むには、先に召喚されていた人類史守護側のサーヴァントと協力すべきだし、何より戦力的にもナイチンゲールは頼もしい、と思う。

ただ、問題なのはかのバーサーカークラスで、傷ついた兵士たちの側からテコでも離れなさそうなナイチンゲールをどう説得するのか、ということなのだが。

 

「オレが行こう」

「え?」

 

カルナが手を上げ、彼の言葉の率直さを理解している面々は、反射的に聞き直した。

 

「癒し手とは縁がある。何とかしてみよう」

「…………分かった。でもマシュと俺も行くよ。アーラシュは待機して、襲撃を警戒していてくれ」

「あいよ」

「はい、先輩」

 

二手に別れ、白斗たちは動き出した。

 

 

 

 

 

 

「話は分かりました。しかし、私はここで治療をする義務があります。貴殿方に協力して、それが果たせると思いますか?」

 

予想できていたことだが、ナイチンゲールの態度は硬かった。

しかし、対するカルナは、小揺るぎもしなかった。

 

「そうだ。お前も気付いているのではないか?この戦には、引き際というものがない。どちらも最後の一人が死ぬまで終わらないだろう。それを絶つには、根本を潰すべきだ」

「貴方には、それができると?」

「オレではないが、マスターには可能だ。お前が協力してくれるなら、心強い」

 

ナイチンゲールの、鉄の意志を秘めた瞳が、白斗に刺さる。

 

「…………分かりました。では、ドクターに治療の引き継ぎを行いますので、少し待ってください」

「感謝する」

 

そのまま、押し出されるように白斗たちはテントから出た。

 

「すごいです、カルナさん!ナイチンゲールさんを説得できるなんて!」

「それほどでもない。身内に一人、似たところのある者がいたからな」

 

身内が誰を指すのか、白斗は聞けなかった。

そこで、アーラシュからの念話が入ったのだ。

 

『マスター、敵襲だ。サーヴァントも混じってる。二人だな。クラスは多分、ランサーだ』

『了解。陽動の可能性もあるから、アーラシュは援護と警戒を頼む。サーヴァントはこっちで対処するよ』

『任されたぜ』

 

念話を切り、マシュたちのほうを見れば、空気を察知した彼らは、すでに戦闘体勢に入っていた。

日に照らされ、カルナのインドラの槍と、マシュの盾が光る。

 

「敵襲だ。サーヴァント二人とケルト兵。ここを守ろう」

 

カルナとマシュが頷き、三人は天幕の隙間を走る。

野営地の入り口にたどり着けば、そこにはすでに二人のサーヴァントが槍を構えて佇んでいた。

 

「おや、これは不味いくらいの強敵だな。ディルムッド、私も始めから戦おう。あのランサーの相手は私だ」

「了解しました、我が王よ」

 

金髪の優男風のサーヴァントがカルナ、黒髪の美男子のサーヴァントがマシュに向かって槍を構える。

一触即発の空気が流れた瞬間、

 

「病原はどこですか!!」

 

拳銃を構えたナイチンゲールが、いきなり二人に躍りかかった。

そのまま金髪のサーヴァントを守るように前に出た黒髪のサーヴァントへ拳銃を撃ちまくる。

 

「うわぁ。さ、さすがバーサーカー」

「マスター、それどころではない。指示を」

「…………カルナはあっちの金髪。マシュはナイチンゲールと協力して黒髪の方に当たってくれ」

 

アメリカに来て始めてのサーヴァント戦はこうして始まったのだった。

 

 

 

 

 




カルデア勢が、アメリカにログインしました。




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act-2

主人公のイメージとCVを聞かれましたが、一応作者は、キャライメージは、Dies iraeの櫻井螢、CVはかわしまりの氏を想定しています。
髪を後ろでまとめて、目付きと雰囲気が少々柔らかくなって、大人びた櫻井螢嬢という感じです。

あくまで、作者の勝手なイメージですが。



陳腐に言うなら、金髪のサーヴァントは強かった。

カルナが槍を突けば、最小の動きでかわし、黄金の鎧で護られていないカルナの首筋へ向けて、蛇のように槍を伸ばす。

それを受けるカルナは、首を狙う槍を柄の部分で弾き、槍を回転させて敵へと襲い掛かり、今度は金髪のサーヴァントが守りの態勢に入る。

目まぐるしく、二人の攻守が入れ換わる。

しかし、全体で見れば、白斗にはカルナの方が有利と見えていた。

実際は、攻防のすべてを、二人は人の目では捉えられないほどの高速で行っており、白斗に見えるのは、カルナの槍と、金髪のサーヴァントの槍がぶつかって散るときに起こる、火花くらいだ。

それでも、何とか白斗が戦況を把握できるのは、もう、白斗自身の慣れと、才能としか言えないだろう。

さらにその横では、拳銃を両手で連射しつつ、隙あらば相手に飛び掛かろうとするナイチンゲールと、彼女を援護しつつ、盾を振るうマシュとが、黒髪のランサーを攻め立てていた。

 

『マスター、こっちにも敵だ。どうやら野営地を攻める気らしい。すまないが、援護に回る余裕はない』

『分かった。アーラシュは野営地の防御に集中してくれ。こっちは何とかなりそうだ』

 

そんな念話も挟みつつ、白斗は戦場を見守る。

 

「これは不味いな。ディルムッド、撤退だ!」

「承知!」

 

カルナの槍を飛んで避け、金髪のサーヴァントは白斗たちから距離をとった。

黒髪のサーヴァントも、瞬時にその言葉に従い、マシュの盾とナイチンゲールの銃弾を槍で弾いて飛びすさる。

畳み掛けようとしたカルナとナイチンゲールの前に、ケルト兵が大量に押し寄せ、その足を止めた。

その隙に、金髪のサーヴァントが、水をディルムッドと呼んだランサーに手ずから振りかければ、彼の傷がたちまち癒えた。

 

「…………治癒の水を扱うケルトの王か。なるほど。お前は、かのフィオナ騎士団を率いた、フィン・マックールか」

「如何にもそうだ。神の血をひくランサーよ」

 

頷き、フィン・マックールは、傍らのディルムッドに合図を送った。

 

「撤退だ。ディルムッド。どうやら、サーヴァントに率いられたレジスタンスも近づいてきているようだ。これ以上、サーヴァントが増えてはさすがに不味い」

 

見れば、彼らの連れてきたケルト兵を、別な軍勢が包み込むように攻めていた。

率いているのは、サーヴァントらしき褐色の肌をした男性。

白斗には、とんと見たことのない風貌だった。

 

「野営地へ送った兵も、アーチャーらしきサーヴァントに狙撃されているようだ。これは、そこのマスターの指示かな?いずれにしろ失態だな。一目散に撤退だ、ディルムッド」

「王よ、しかし、他の兵は我らの言うことを聞きますか?」

「聞かないのなら仕方ない。我らは華麗に逃げるべきだ。あのランサーや麗しい盾のお嬢さんは手強いし、何より彼らは女王を母体とした無限の怪物だ。数千失ったところで、困るものではない」

「……そうでしたな。では、撤退を」

 

言うなり、二人のサーヴァントは、ケルト兵をその場に残して本当に一目散に撤退していった。

カルナがブラフマーストラを放って敵陣を焼き払う頃には、その姿は影も形も無くなっていた。

同じく、レジスタンスと呼ばれていた兵士たちも姿を消している。

 

「すまない、マスター。逃走を許してしまった」

 

槍を消し、近寄ってくるカルナに白斗は、気にしないでほしい、という意味を込めて首を振った。

 

「先輩!」

 

マシュも駆け寄ってくる。

ナイチンゲールは、と見れば、怪我人の気配を察知したのか、すでに野営地へ駆け出していた。

白斗たち三人も、その後に続いて野営地へと戻り、アーラシュとも合流した。

 

 

 

 

 

 

と、そこでそのまま出発できればよかったのだが、そう上手くも行かなかった。

 

「お待ちなさいな、フローレンス。どこへ行くつもりなの?軍隊で持ち場を離れることは、重罪よ」

 

ロンドンにいた、ヘルタースケルターそっくりな機械化兵を連れた小柄な少女が、野営地を出ようとする白斗たちの前に立ち塞がったのだ。

 

「貴女こそ戻りなさい、エレナ。私は持ち場を離れてなどいない。今よりも有効な治療法が見つかったのだから、それを求めに行くだけです」

 

しかし、ヘルタースケルターごときに怯まない、鉄の意志持つ看護師は、臆しもせずに少女を見据える。

 

「何言ってるの。バーサーカーの貴女が戦線になんて出たら、状況が混乱するわ。第一、王様が許すと思ってるの?」

「王であろうと誰であろうと、私には関係ない。王の命令とやらは、正しい治療法を探すコト以上に、優先されるべきなのですか?」

「貴女、まさかその調子で自分のところの女王様にも突っかかった訳じゃないわよね。とにかく、持ち場に戻りなさい。さもないと、手荒い懲罰が待ってるかもしれないわよ?」

 

見えない火花が、ナイチンゲールとエレナという名の少女の間で散る。

合流したアーラシュが、こっそり白斗に尋ねてきた。

 

「なあ、マスター、アメリカってのは、この時代では王がいない珍しい国じゃ無かったのか?」

「そのはずだよ。世界史の中では、だけど」

『あわわ、行動的な女性サーヴァントが集まると何でこう修羅場っぽくなるんだ!?』

「…………」

 

男性陣が静観に入りかける中、ここでマシュが仲介に動いた。

 

「お、お話し中失礼します!あの、貴女もサーヴァントなのですか?」

「貴女もって……、あら、サーヴァントがこんなにいるのね!これは王様にとってグッドニュースかしら」

 

破顔するエレナの目は、特にカルナとアーラシュに注がれているようだった。

少なくとも、今すぐ敵対という空気ではない。それに押されて、白斗もエレナの前に進み出た。

 

「あの、その王ってのは誰なんだい?それと、君の名前を聞かせてくれないか?俺は白斗。岸波白斗だ」

「そう言えば、自己紹介もまだだったわね。いいわ、あたしは、エレナ。エレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーよ。それにしても、あなたたちはアメリカの現状を知らないの?今ここは、西と東に別れて戦ってるのよ」

 

そこまでは白斗たちも知っている。

軍勢の一方がケルト側ということも。

分からないのは、このキャスターと思われる魔導書を携えた少女、エレナが、何に所属している誰か、と言うことだ。

 

「ふうん。事態の半分くらいは理解しているみたいね。あたしたちはアメリカ西部合衆国。科学の力で兵士を生み出して、ケルトと戦おうっていう大統王の下に集ったわ。そういうわけで、あたしたちはもう主を定めてるのよ、悪いわね。今回のマスター」

「ちょっと待ってください。では、さっきの量産型バベッジさんも?」

「ええ、王様が造ったのよ。そんなコトを言うあなたたちは、バベッジ教授に出会ったのね。十九世紀のイギリスにでも行った?でも、あちらとこちらでは違うわ。バベッジ教授のは宝具と蒸気。こちらは電力だもの」

「どこが違うんだそいつは。どっちも鉄の衣を着た兵じゃないのか?」

 

よくわからん、とアーラシュが口を挟み、横でカルナも首を捻っている。

 

「それは残念ね。まあ、そこはいいのよ。問題なのは、あなたたちは、フローレンスを連れてどこへ行くつもりかってコト」

「この世界の崩壊を防ぐため、この事態の原因を取り除きに行くのです」

「あら、それならあたしたちの敵ね。あたしたちは、王様に仕えてる。彼を勝たせるコトがあたしたちの目的よ。こちらにも事情があるのよ。とにかく、あなたたちは行かせられない」

 

エレナの目がすっと細められ、機械化兵たちががちゃり、と銃を動かした。

それまで、黙したまま腕組みをしていたカルナが、腕をほどいて問う。

 

「その王とやらが勝てば、この事態は終息できるというのか?」

「そうね、多分、この地は失われた大地、唯一の国として、次元の中を漂うでしょう。英霊の座のようなものよ。これはこれで、救いがあると思わない?」

「思わないよ。それは、他の時代を切り捨てるってコトじゃないか」

「それは暴論です。悪い部分を切断して全てを済ませるつもりですか。それを治療とは呼びません」

 

白斗とナイチンゲールの否定の言葉が重なる。

エレナは困ったように、優雅な仕草で顎に指を当てた。

 

「あら、残念。それならこちらも虎の子を、と言いたいところけれど、そんな余裕は無さそうね。最初から全力でいかせてもらうわ。……じゃ、ジークフリート、あなたの出番よ」

「了解した」

「えっ!?」

 

直後に、色々なことが同時に起こった。

突如空から、見覚えのある銀灰色の髪の剣士が現れ、カルナにその勢いのまま斬りかかり、一瞬で顕現したカルナのインドラの槍が、ジークフリートの大剣を受け止めて火花を散らせる。

さらに、周囲一体から機械化兵たちと、エレナの持つ本と同じ魔術書が湧くように現れ、白斗たちを取り囲んだ。

 

『サーヴァントに機械化兵、それに魔術!?どんな方法を使ったんだ!?全然探知出来なかったぞ!?』

「どう?近代のキャスターもなかなかやるでしょ」

 

艶然と笑うエレナ。

カルナはジークフリートとの鍔迫り合いで動けず、ずらりと並べられた兵隊の銃口と、エレナが呼び出した魔本は、全て白斗一人に向けられていて、アーラシュとマシュも動けない。

今にも飛び出しそうなナイチンゲールを抑えながら、白斗はエレナと目を会わせた。

 

「どうする、最後のマスター?ここはあたしたちに着いてきてくれないかしら」

 

それは脅迫だろう、と思いつつ、白斗は頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

当然と言えば当然のことだが、白斗とマシュたちは分けられて、西部合衆国の本拠地まで護送されることになった。

 

「本当ならこっちだって、こんな人質みたいなコトはしたくないのだけれど、あなたたちレベルの英霊とマスターを、一緒になんてさせられないわ」

 

と言うのが、エレナの弁である。

確かに、白斗と分けられてしまえば、エレナたちが白斗を害することなどしないだろう、という予感はあっても、カルナたちは暴れられなくなる。

ナイチンゲールだけは、大統王が会いたがっているというので白斗と同じ幌馬車に乗せられたが、カルナ、アーラシュ、マシュは、ジークフリートと機械化兵と共に相乗りすることになった。

ちなみに、それだけ乗っても、エレナが強化しているのか、並みのものより速かった。

馬車が走り始めて程無く、沈黙に耐えられなくなったマシュが口を開いた。

 

「…………あの、ジークフリートさん。あなたはどうして王様という人に協力するのですか?」

 

フランスでは共に戦ったのに、とそう言いたげなマシュに、人々の願いに答え続けた竜殺しは複雑な顔を向けた。

 

「一言で言えば、誠意を込めて頼まれたから、というところだ。王からも、ケルト軍と戦うためには、俺の力が必要だ、と頭を下げられた。応えないわけにはいかないだろう」

「ま、分からなくもないな。しかしお前は、王とやらが勝つことで、他の時代が燃えても構わないってのか?」

 

しかし、善を成すため、命を捧げた東方の射手は、厳しい視線を飛ばす。

 

「俺とて、王の危うさは知っている。が、彼は聡い。いつか目を覚ましてくれるはずだ。そのときまで、俺は剣を彼に捧げると決めた」

「なるほど、滅びの道を進みかけている主と知りながら、お前は忠誠を尽くすと誓ったか。オレとて人のことは言えないが、な」

 

カルナの言葉に、ジークフリートはそちらに目を向けた。

太陽の英雄と、黄昏の剣士の視線が正面からぶつかり合い、双方同時に視線を緩めた。

無言の空白を埋めるように、今度はアーラシュが口を開いた。

 

「なあ、正直、俺はその王とやらに興味があるんだが。ジークフリート、お前から見て、王というのはどういう奴なんだ?」

「…………」

 

すっ、とジークフリートが視線を逸らした。

 

「おい、そこで目を逸らすな」

「…………一言で言い表すのは、難しい。破天荒、な人物ではある。それは確かだ。すまない、言葉足らずな俺では、これが限界だ。エレナならいくらでも語ってくれるのだが」

「あの、その、王というのはどういうコトですか?アメリカを率いるなら、大統領の方ではないのですか?」

「すまない。王というのは略称だ。正式に言えばアメリカ大統王だ」

「おい、ますます分からんぞそれ」

「その大統王とやらは、分かりやすければ、己の階級、肩書きなど気にしないという、合理主義者の類いなのではないか?」

 

カルナの質問に、それだ、とジークフリートが首肯した。

 

「合理主義者ですか。確かに、王様と大統領の呼称を繋げるのは分かりやすいですが…………」

「つまり、一番偉い奴の肩書きを並べてくっつければ良かろう、ってコトか?」

「そういうことだ。ああそうだ、言い忘れていた。彼は頭だけが獅子に近い、というか獅子そのものをしていてな、初対面では驚くだろう」

「は?」

 

獅子、つまり、食肉目ネコ科に属するあのライオン。

かのアメリカ大統王は、頭から上が獅子のそれなのだと、竜殺しは何でもないことのように言ってのけた。

 

「よし分かった。俺は、大統王をこの目で見るまで、想像するのはもうやめにする」

 

アーラシュがついに匙を投げた。

カルナは完全な無表情に戻って外の景色を見、マシュはアメリカの歴史に存在した、獅子に縁がある英霊を思い出そうとし始める。

目的地につくまで、そのまま車内に沈黙が満ちていたのだった。

 

 

 

 

 

ケルトに何度か襲撃されながら、辿り着いたのは、城だった。

壮麗なものではなく、防衛戦を前提とした、高い城壁を持つ、武骨なそれを、大統王は一から作ったのだという。

アーラシュやカルナは城の作りと、それを完成させた西部合衆国の技術に素直に感心し、マシュは、城中でナイチンゲールと共に交渉に入った白斗をただ案じていた。

白斗の芯の強さ、肝っ玉の太さを信じているからこそ、アーラシュやカルナには迂闊に大丈夫だとは言えない。

 

「アーラシュ、マスターはどうすると思う?オレたちに、西部合衆国と共に戦えというだろうか」

 

城の外で待たされながら、カルナはマシュとジークフリートに聞かれないよう、アーラシュに問う。

 

「思わんな。何せ、俺たちのマスターは、頑固なコトに関しては折り紙つきだ。大統王の行いを一度是としないと決めたんなら、貫き通すだろうな」

 

アーラシュも、白斗がそういう人間だからこそ、ここまで、彼をマスターと認めてついてきているのだ。

 

「となれば、交渉は決裂か。オレたちは、マスターとは隔離されて閉じ込められるだろうな」

「だろうよ。ま、今から脱出の方法でも考えとくのがいいと思うぜ」

 

あっさりと、軽く笑う東方の大英雄に、カルナも頷き返す。

エレナからの通信が入って、全員を地下牢に、白斗を別室に移すと言ってきたのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

 




カルナさんとチェンジしたのは、ジークフリートさんでした。
あとエレナさんは、白斗の連れているサーヴァントがサーヴァントだけに、容赦なくなっています。

正直、カルナさんが抜けたエジソン陣営でケルトと拮抗するのはきついと思ったので、ジークフリートが登場しました。
何より、ロビンフッドが過労死してしまいます。


テンポ良く話が書きたいものです・・・・・。


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act-3

場面が少し戻っています。

あと、お気に入り登録が1500件突破!
ありがとうございました!
これからも見守って頂ければ幸いです。

誤字報告してくださった方、ありがとうございます。



がたがたごとごと。

鳴り響く音を、文にしてみればそんなところだろう。

馬車が道を走る音の隙間に、機械化歩兵の駆動音と、彼らの装備が擦れて立てる音も挟まって聞こえる。

馬車の外には機械化歩兵が詰め、中には近代のキャスター、ブラヴァツキー女史と機械化歩兵と比べればやや軽装だが、機関銃を装備した歩兵。

ついで隣には、バーサーカーのナイチンゲール。膝の上には毛を逆立てたフォウ。

どうやら、この布陣のまま、白斗は西部合衆国とやらの本拠地まで護送されるようだった。

 

「浮かない顔ね」

「まあ、捕まってるわけだし、元気溌剌ってのも変な話じゃないか」

 

使い魔と思われる、黒っぽい生物らしき何かを従え、魔本を構えたままのエレナに、白斗は応える。隣で銃の撃鉄を凝視しているナイチンゲールは、見ないことにした。

 

「そのわりに落ち着いてるわね、あなた」

「ヘラクレスから生身で逃げたときよりマシだから」

 

それは半分嘘で半分は本当だった。

銃口を向けられて、マシュやカルナやアーラシュと離された今の状況が、怖くないわけがない。白斗の精神は、死地に一人で笑って赴けるような大英雄とは違うから。

それよりも、自分が弱点になって、一騎当千の彼らまで手が出せなくなっていることを、不甲斐ないと思う気持ちが強いだけだ。指示する白斗が過ちをすれば、サーヴァントがいくら強くても、頼りになっても、取り返しのつかない事態を招く。

とっくに身に染みていたはずなのに、白斗は間違えた。

 

「無理に連れてきたことを、悪いとは言わないわ。この国は二つに別れて文字通りに戦争をしているの。アメリカの政府だって、当の昔にケルトに敗れたわ。どちらかに付かないと勝てないコトは、子どもでもわかるはずよ。そもそも、あたしたちが戦わなかったら、この世界はとうに滅びていたわ」

「それで君たちは、結果的にしろ、他は見捨てても仕方ないって言うんだろ?それなら、俺たちは君たちと一緒には戦えない」

 

特異点を計測してからレイシフトするカルデアは、どうしても後手に回らざるを得ない。

それは白斗も分かっている。

だけど白斗たちも、これまで回ってきた特異点での戦いを背負っている。人類史を取り戻すという誓いを、白斗は自分で自分に課している。

どちらの戦いが重いか軽いかだなんて計れないし、そもそも天秤にすら乗せられることではない。それでも、他の時代を切り捨てるということは、白斗には許容できなかった。

 

「聞く耳持たないのね。あなた、相当の頑固者って言われたコトない?」

「そんなのしょっちゅうさ」

 

頑固くらいでないと、個性の塊のようなサーヴァントたちに圧倒されてしまう。

 

「まあ、王様には一度会ってみるべきよ。おもしろいから」

 

急に、それまでの硬い表情を反転させ、見た目相応の少女のような、いたずら心溢れる顔で、エレナが笑った。

 

「おもしろい?……まあ、アメリカ大統王って名乗ってる時点で何となく想像してたけどさ」

 

終生、一人の王に仕えたアーラシュやカルナは、民の方が指導者を選ぶというアメリカの仕組みに興味があったようにも見えた。

そこへ来ての大統王である。

これはまた強烈なキャラクターの持ち主だろうなぁ、と白斗は遠い目になる。

 

「大統王…………。それが、あなた方の雇い主ですか」

 

が、隣で据わった目をした看護師が撃鉄を起こす音に、速攻で白斗の意識は現実に引き戻された。

 

「だからナイチンゲール、拳銃にすぐ手をかけるなってば!」

「…………このまま謁見して、大丈夫かしら」

 

それからの白斗は、ナイチンゲールを何とか宥めて、ともかく大統王の話を聞くまでは、拳銃をぶちかまさないよう約束してもらうことに必死になった。

着いたわよ、というエレナの言葉に答えたときには、白斗の精神的疲労はかなり溜まっていたのだった。

 

 

 

 

 

そして、ナイチンゲールと白斗は、マシュたちと会えないままに、大統王に謁見する運びとなったのだが。

 

「おおおおおおお!」

 

姿を見る前から、部屋の外から響く大声に、白斗はとても嫌な予感がした。

 

「ついにあの天使と対面する時が来たのだな!この瞬間をどれほど待ち焦がれたことか!ケルトどもを駆逐した後に招く予定だったが、早まったのならそれはそれでよし!うむ、予定が早まるのは良いことだ!納期の延期に比べればたいへん良い!」

 

どうしよう、マシュに会いたくなってきた、と続く大声で鼓膜がビリビリするのを感じながら、白斗は思う。

通信機の向こうでドクターも固まっている。

何というか、全然似ていないはずなのに、バーサーカー・ランスロットのうなり声を思い出しそうになった。

しかも、エレナに言わせれば、あれが独り言だそうだ。

果たして、現れた人影に白斗は絶句した。

 

「 ――――率直に言って大義である!みんな、はじめまして、おめでとう!アメリカ大統王、トーマス・アルバ・エジソンである!」

 

頭から上がライオンの、赤と青のツートンカラーの大男。

色々言いたいことがあったが、ともかく第一印象はこれだった。

ナイチンゲールすら、白斗の隣で絶句している。

 

「もう一度言おう!大義である、と!」

「ね、驚くでしょう、この人?」

 

大統王の大声に被せるようにして、いたずらの成功した子どものようにエレナは笑う。

白斗には笑う余裕がなかった。

 

「いやいやいやいやいや!ちょっと待ってよ!ライオンがエジソンで、大統王で、あれ、発明王じゃ…………?」

『白斗くん、ともかく落ち着こう!いや、ボクも正直何がなんだ分からないが、君を見てたらまだ冷静でいられるよ!』

 

エジソンって、99%の努力とか1%の閃き云々とか、そういう名言を残した人じゃなかったっけ、と白斗の頭が現実逃避に入り始める。

だが、眼前のライオン、もとい大統王はからからと大声で笑った。

 

「如何にも!今は発明王ではなく、大統王だが、私は紛れもない、トーマス・アルバ・エジソンである!」

「…………ちょっと待ってくれ、あなたは生前からそのサバンナっぽい頭だったのか?ていうか、あなたはサーヴァントで人間…………ですよね?」

「人間だとも。人間とは理性と知性を持つ獣の上位存在である。私が獅子の頭になっていたところで、それが変わるわけでもなく、私は紛れもない、アメリカ大統王、ケルトを駆逐する使命を帯びた、サーヴァントにしてジェントルマンである!」

 

雷を迸らせてエジソンは断言する。

己は人間で、支障がないのなら頭が獅子になっていようと、大して違いはないのだ、と。

 

「ご、合理的というか豪快というか……」

『ま、まあ、バベッジ教授の例もあるしね』

 

特異点を巡るようになって初めてかもしれないが、ドクターの言葉が頼もしい。

そのドクターの声に、エジソンが耳ざとく反応した。

 

「ん?今の声は魔術的通信か?電話で事足りる時代に生きているだろうに、そのような不便なものに未だ絡めとられているとは、生粋の魔術師はやはり非合理的であるな。せっかくの霊界チャンネルの使い方を、間違えておる」

『え、いやあの、電話回線は同じ空間にしか繋がりませんよね?これは魔術と科学を用いた超航法的な感じで、ふわーっと泳いで、異なる空間とも会話しているというか…………』

 

ドクター頑張れ、と白斗は無言で応援を送った。カルデアのシステムは、正直説明がふわふわなのだ。特にフェイトやシバはそうだ。

魔術と科学を交差させて始まるシステムは、どうもメディアすらもて余す部分があるようだし。

 

「はいはい、カルデアの優男もミスタ・エジソンもそこまでよ。そろそろ本題に入らないと、ナイチンゲールが切れちゃうわよ」

『優男……。声だけなのに何でボクはディスられてるんだ。冬木のキャスターちゃんは何も言わなかったのに…………』

 

ドクターの叫びは置いておいて、ともあれ、どうにかこうにか本題に移った。

 

「率直に言おう。最後のマスターよ、時代に逆行するケルトを駆逐するため、四つの時代を修正してきた力を活かし、我々と共に戦おう」

 

アメリカは、知性ある人々が作り上げた国。

それを、プラナリアの如く沸いて出るケルトが蹂躙し、アメリカ政府も他の主要国家もすでに亡い。

エジソンの作り上げた新国家体制で戦線は押し戻され、アメリカにおけるケルト側と、エジソン側の勢力は拮抗している。が、完全に勝利するには至っていない。

大量生産できる兵を擁するエジソンたちが勝てない理由。それは、サーヴァントの不足だという。

軍隊を揃えても、ケルトの名高いサーヴァントが一体いれば、それだけで基地は奪われる。

つまり、エジソン、エレナ、ジークフリートしかいないアメリカ西部合衆国には、エースがいない状況なのだ。

 

「それで俺たちに協力しろと」

「そうだ。インドの大英雄カルナ、東方の音に聞こえた弓兵アーラシュ。それにあの盾のお嬢さん。いずれも一騎当千の強者だろう。こちらに召喚されているサーヴァントのほとんどは散り散りで、こちらに協力する素振りすら見せぬ。アメリカを救うべき、この状況において尚、だ!」

 

獅子の咆哮が謁見の部屋を揺るがす。

やっぱりバーサーカー・ランスロットに似てないかこの人、と白斗は思った。

 

「……あなたが本当に世界を救うというなら、俺たちも協力するのに吝かじゃない」

「ほう」

 

人のそれとは違う、ライオンの瞳孔から目をそらさず、白斗は言葉を紡ぐ。

 

「だから、エジソン大統王。俺たちに教えてほしい。あなたはどうやって、どんな方法で、この世界を救うつもりなんだ?」

「私も知りたく思います。ミスタ・エジソン。―――――ここの機械化兵団とやら。あれは、あなたの発案ですか?あれが、あなたのいう新体制の結晶だと?」

 

ナイチンゲールも問う。

エジソンはそれに答えた。

彼の語る、この国の目指すところは、詰まるところは総力戦体制である。老若男女一丸となって国家に全力で奉仕し、軍を生み出す。

それでもってケルトを駆逐したあとは、自分が聖杯を手に入れ、このアメリカを残すことで世界を救う、と彼は言った。

他の時代は滅びるだろう、という予想を付け加えて。

 

「大統王、それでは時代を修正するつもりはないのか?」

「必要あるまい。私が聖杯を使えば、このアメリカという国は残るのだ。他の時間軸とは全く違う場に、人類の知性が総動員された輝かしい国が残る。どこに問題があるのだ?」

「大有りだよ。他の時代はどうするつもりなんだ、あなたは」

「そうです。そのために、戦線を拡大するつもりですか。傷付いた兵士たちを切り捨てて」

 

ああ駄目だ、やはり、この人とは相容れない、と白斗は悟る。目指す場所が、違うのだ。

白斗とナイチンゲールの言葉に、どうしたことか、目に見えてエジソンが動揺した。顔色は、ふさふさの毛のせいでもちろん見えないのだが、人の顔だったなら、脂汗でもかいていたかもしれない。

 

「私とて、切り捨てたくて切り捨てるわけではない……。しかし……」

「落ち着いて、エジソン。二人が言っているのは彼らの意見よ。告発でも何でもないわ」

「…………承知している。今のはいつもの頭痛だ。―――――ナイチンゲール嬢、それに最後のマスターよ。今の私にとって、この国が全てだ。王たる者、第一にこの国を守る使命がある」

 

そう言って、白斗とナイチンゲールを見下ろすエジソンの瞳には、揺らいでいたにしろ、強く硬い光があった。

だからこそ、白斗の答えはもう決まっている。

隣のナイチンゲールと目が合う。

 

「エジソン大統王。俺たちは、あなたに協力できない。俺たちは世界を救いたい。あなたは愛国者としてこの国だけを救いたい。だから、俺たちは相容れない。聖杯は諦めろ」

「貴方の愛国心は理解できます。しかし、あなたのような目をした長は、兵士を死地に追い込むでしょう。協力はできかねます」

 

きっぱりと、白斗とナイチンゲールは断った。

 

「意外だな。裏で何を企むにしろ、手をとるとは思っていたのだが。―――――だが、君たちがそういうなら、私はここで、君たちを断罪せねばなるまい。エレナ」

「はーい、了解よ」

 

直後、機械化歩兵の銃口と、エレナの作り出した無数の光弾が白斗とナイチンゲールに向けられた。

白斗は動けず、ナイチンゲールは動いた瞬間に、光弾が直撃して拳銃を弾き飛ばされ、膝をついた。

 

「まあ、分かってたコトだけどね。あなたたちを、地下牢に移すわ」

 

その一言を合図に、白斗たちは囚われたのだった。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

「まさか、マスターも同じところに閉じ込めるとはな」

 

アメリカ西部合衆国本拠地に作られた地下牢。薄暗く湿っぽい鉄格子の中、五人の人間がいた。

正確に言うなら、真から人間と言えるのは一人だけだったが。

 

「うん。俺も正直意外だった」

 

その人間、最後のマスターの白斗は、フォウを肩に乗せたまま、カルナの言葉に頷いた。

頭から上がライオン、という強烈なインパクトを持つアメリカ大統王、トーマス・アルバ・エジソンの共闘の誘いを蹴った白斗は、当然ながら囚われることになった。

てっきり、サーヴァントたちからは離されて閉じ込められると思っていたのだが、入れられた先の地下牢に、他の全員がいたのを見て、白斗は驚いた。

それに、装備も何もかも、一切取り上げられていない。

 

『でもその空間、何らかの手段で、魔力供給が断たれるようになっているみたいだね』

 

しかし、そこがただの牢でないことは、ドクターからの通信ですぐに分かった。

 

「はい。先輩から送られているはずの魔力が全く感じ取れません」

「全くだ。弓も呼び出せん。さすがキャスターってとこだな」

 

近代随一のオカルティストとして名を馳せた、ブラヴァツキー夫人ことエレナ。

エジソンに協力している彼女の手によって、作られたらしい牢は、サーヴァントへの魔力供給を削り取る、大層堅固なものだった。

現界できるぎりぎりまで魔力を絶たれては、一騎当千のサーヴァントでも手段がない。

エレナもそれが分かっているから、白斗とサーヴァントを一緒に閉じ込めて平気なのだろう。

実際、カルナやアーラシュ、マシュが格子を曲げようとしてみたが、どうにもこうにも歯が立たなかったのだ。

 

「何を呑気なことを言っているのです。曲げられないのなら、削ればいいでしょう」

 

そう言いつつ、拳銃を抜き放ったのは看護師にしてバーサーカーのナイチンゲール。

銃口が鉄格子に向けられたのを見て、白斗はまさか、と青ざめた。

 

「ちょ、ナイチンゲール!それをこんなとこで撃ったら―――――」

 

直後、発砲音が牢内に木霊する。

当たりそうになった跳弾は、マシュの盾が弾いてくれたものの、白斗は冷や汗が出た。

 

「ナイチンゲール。牢内で銃を撃つのはよせ。オレたちには通じずとも、マスターには危険だ」

「わずかですが削れました。続けましょう」

「あの、ナイチンゲールさん!?銃はやめてください!さすがにそれは無茶です!」

 

マシュの叫びも空しい。

評価規格外の狂化を持つ看護師は、言葉程度では止まらないのだ。

どうしようこれ、と白斗が遠い目になりかけたとき、

 

「…………まあ、無茶ではあるな」

 

第三者の声が、空間に響いた。

正しく、空間からにじみ出るようにして現れたのは、アーラシュのような褐色の肌をした、強面の男性。

 

「え、サーヴァント?」

『サーヴァントだって?!反応は全く無かったぞ!?』

「隠蔽の宝具かスキルでも使ってたんだろ。落ち着けよ、ドクター」

『そ、そうか…………』

 

慌てるドクターと大して驚いていないアーラシュの声を横目に、その男性のサーヴァントは牢の中を一瞥すると、あっさり扉を開けた。

 

「そら、これで魔力供給も復活するだろう」

「あ、ありがとう。でもあなたは誰だ?」

 

フィン・マックールと、ディルムッド・オディナの軍と戦っていた軍勢を率いていたサーヴァントだとは分かるのだが。

 

「確かに名を明かさねば信用もされないな。―――――ジェロニモだ。ジェロニモと呼んでくれ」

『アパッチ族の戦士、ジェロニモか!確かに彼なら、エジソンの味方にはならないね!』

 

ジェロニモは、同じ大地にかつて住んでいた者で、エジソンは彼らから土地を奪って住み着いた者の子孫。

それは確かに相容れないだろう。同じ大地を愛しているからこそ、尚更に。

白斗たちは牢から出た。

 

「機械化歩兵の見張りはすぐ倒せる。が、それをすれば、すぐにでもあの竜殺しに気づかれるだろう」

「彼はオレが抑えよう。マスターたちはその間に逃げてくれ」

「でも、それではカルナさんが……」

「問題はない。殿は慣れている」

 

判断は任せるが、というようにカルナは白斗を見た。

しばし考え、白斗は答えを出した。

 

「殿はカルナに任せる。でも、後で絶対追い付いてくること」

「心得た」

 

かつて共に戦ったジークフリートがどれだけ強いか、白斗はよく知っている。この場で彼を敵と見なさないといけないのは、正直に言えば辛い。

俯きそうになる白斗の肩を、そのとき、アーラシュが軽く叩いた。

 

「マスター、あんたのその葛藤は大事だ。大事だが、今、俺たちに指示できるのは、マスターだけだ」

 

あんたのすべきことは、何だ、とアーラシュは口に出さずに白斗に問う。

もちろん、アーラシュは答えを出さない。それは、白斗の内にあると信じてくれているからだ。

 

「分かってるさ。行こう」

 

白斗の言葉を皮切りに、全員が動き始めた。

機械化歩兵をマシュが盾で殴り飛ばし、アーラシュの矢が貫く。

ナイチンゲールは拳銃を撃とうとして、カルナとジェロニモに止められつつ、とにかく一行は一団になって地下の道を駆け抜けた。

やがて、先に光が見え始める。

 

『出口のところに、超級サーヴァント反応!ジークフリートだ!』

「了解、ドクター!アーラシュ、先制で頼む!」

「ほいよ」

 

アーラシュの矢が放たれ、入り口で待ち構えていただろうサーヴァントに直撃する。

一撃で山をも削り取る矢が、ジークフリートを吹き飛ばしたその隙に、白斗たちはその横を駆け抜けた。

場に残るのは、黄金の鎧を纏った槍兵一人。

そして、アーラシュの矢の直撃を喰らっても、瞬く間に戻ってきた幻想の魔剣を構える竜殺しだ。

 

「……フランスでのときより、容赦がなくなっていないだろうか?あのマスターは」

「それだけお前の腕を知っているのだろう」

 

または、なりふり構っていないともいう。

神に与えられた槍を顕現させたカルナに、ジークフリートはバルムンクを向けた。

 

「正直なところ、あのマスターたちは逃がしても構わなかったのだがな」

「ほう」

「まあ、ここまでされては俺も退けまい。それに、私欲だが、貴公ともう一度戦いたいと思っていたのは事実だ」

「そうか。だが、時間稼ぎがオレの任だ。マスターには追い付いてくるように命じられている」

 

太陽の御子は槍を、竜殺しの英雄は剣を、互いに向け合う。

すでに時は夕刻。地平線に静みかける夕日の、最後の煌めきが、剣と槍に反射したまさにその時、二人の英雄が激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少々夏バテして、萎れているなすびです。
皆様も、冷房の当たりすぎにはご注意を!

【予告】
再会まではあと五話以内です。

活動報告に番外編に関するアンケート設置したので、良ければご協力お願いします。

番外編の投稿は、本編完結してからにさせて頂くと思いますが。







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act-4

一方の呪術師は―――――、





星に照らされ、風が木々の間を吹いていく音が、暗い森の奥。

その森で集めた木の枝を火にくべ、橙色の焚き火が適当に大きくなったところで、キャスターは炎に手を入れる。

炎の舌は、彼女の腕をはい回るが、それは熱くもなく羽で撫でられているような心地よさしか感じない。そのまま、炎の中で手を開いて閉じることを繰り返せば、炎が弱まる代わりに、魔力が徐々に回復してきた。

 

「―――――あの、何をしているのですか?」

 

と、そこで急に焚き火の向こう側に座る人影が問うてくる。

いきなり焚き火に腕を差し入れる振る舞いは、確かに奇妙に見えたことだろう。

 

「魔力の回復です。私のスキルですので、お気になさらず」

 

そう説明すれば、それで相手は引っ込んでくれた。正直なところ、他に説明のしようもないから大いに助かる。

こうして焚き火の炎から吸い上げた魔力を、キャスターは宝具発動で、傷ついた霊核の修復にすべて回した。

ふぅ、と魔力の吸い取りを一度止め、焚き火の向こう側にいる相手を見やる。

炎のような赤い髪の、大きな弓を携えた、キャスターと同じくらいか、少し年下に見える少女。

しばらく前に一瞬だけ出会い別れた、赤い髪の少年とよく似た風貌の彼女は、キャスターを助けてくれたサーヴァントだ。

しばらく前、女王とケルト兵たちに追い詰められたキャスターは、足止めのつもりで、辺り一帯をできるだけ巻き込むようにして宝具を撃った。広範囲の攻撃で、目的は達したものの、キャスターはあわや追い付かれかけた。

そこへ、たまたま通りすがった彼女が弓で援護してくれ、森の中へ逃げることでケルトの連中から逃れることができたのだ。

弓を持つ彼女のクラスはアーチャー、真名はシータ。かの、ラーマーヤナに出てくる、理想王ラーマの妻、シータその人だ。

 

「すみません。私の魔力補充に付き合わせてしまって」

「いいえ。それより、傷んだ霊核とやらは大丈夫なのですか?」

「戦闘に支障はありません」

 

手をひらひら振って笑ってみせれば、シータは、くす、と微笑んでくれた。

宝具『我が身を燃やせ、白き焔よ』は、キャスターの最期の行いが形になった宝具で、全力で撃つと、それだけで自壊を招くし、全力でなくとも、一度撃てばそれだけで、霊核たる心臓に亀裂が走っていく、という非常に使いどころに困るものである。

最も、限定的な開放だったから、キャスターの仮初めの心臓はまだ動いている。後、もう二、三発撃ったら霊核は砕け散るだろうが、まだ手足は十分動くし、頭もまともだ、とキャスターは考えていた。

しかし、次にあのケルトたちと会えば、無事では済まないだろう。

何しろ、あの理想王ラーマすら、単騎では勝てなかったクー・フーリンと、伝承において数多の戦士を影から操った、女王メイヴが率いている、凶戦士の集団だ。

幸いなのは、彼らには、軍隊としての規律も何もあったものではなく、個々で勝手に動いることだ。

そのお陰で、キャスターやシータのような、戦闘向きではないサーヴァントが東部にいても、彼らを掻い潜っていられるのだ。

が、このままでは、いつか倒れる。

 

「ラーマ様は、大丈夫なのでしょうか?」

 

それでも、目の前にいるこの女性は、自分より愛しい人の身を気にかけている。

この人は強い女性だ。それは、力とか宝具ではなくて、彼女の心。本当に素敵な人だと、キャスターは思う。

 

「火分けした私の宝具は動いています。ラーマさんが、生きている証ですよ」

 

そして、その彼女に、こうして気休めしか言えない自分がもどかしかった。

 

邂逅したときに、あの槍の呪いを押し止めるため、キャスターがラーマの心臓に火分けした二つ目の宝具『焔よ、祓い清めたまえ』は、確かにまだ燃えている。

この広い大地の、どこで燃えているのかまでは分からないが、心臓を破ろうと侵食する呪詛に抗している気配は、感じ取れていた。

感じ取れるが、火分けした焔はあくまで抗しているだけで、呪いを打ち消せる訳ではない。

それを察しているだろうに、シータは、祈るように息をついた。

 

「―――――良かった。あの方を助けてくれて、本当に、ありがとうございます」

「いえ。私も貴女に助けて頂きました。礼を言うのはこちらの方です」

 

真っ直ぐに感謝されるのに弱いキャスターは、少し落ち着かない気分になって、目をそらした。

 

「本当なら、貴女の名前を呼んで感謝を述べたいのですが」

「それこそお気になさらずに。今の私はキャスターです。ただのキャスターと呼んでください」

 

キャスターが呪いで名前を名乗れず、逸話も何もない妙なサーヴァントである、ということを、シータはすんなりと受け入れてくれている。それは、彼女自身と、その最愛の人であるラーマにかけられた呪いのことがあるから 。

シータは、キャスターに、己にかけられている、愛する人と決して巡り会えないという、別離の呪いのことを話してくれた。生前にラーマがかけられ、二人が英霊になってもその効果を失っていない、恐ろしい呪いのことを。

共感ができるとは言えないが、大事な人とずっと会えないやるせなさは、身につまされた。

強い王女から眼を逸らして、キャスターは森の木々を透かし、星空を見上げた。

故郷の星空とは違うが、その輝きは懐かしいまま。

そして、その煌めきの下で、人が人を殺そうとするのも昔のまま。

お互いを思い合う人々が、会えないままにされるのも、昔のまま。

全く、悲しいくらいに変わっていなかった。

 

「―――――さて、あなたがここにいたら、未来を守るため、自分の責務を果たすため、一体、どう動きますか」

 

己を奮い立たせるために、唄うように呟く。

胸の奥にしまったままの面影を楔にして、前を向くとは、自分は何年経っても、一度終わりを迎えても、全くの未熟者だ。

だけれど、今は楔が必要なのだ。

キャスターは星空から眼を外し、橙色の炎に照らされたシータの顔を見る。

 

「シータ。これからのコトですが、私は西部と東部の境目に向かうべきだと思います。西には、ケルトに対抗している一団があるようですから」

 

現状、この大陸では、西と東に別れて戦っている。そして恐らく、特異点の原因たる聖杯を持っているのは、時代に逆行しているケルト側だと、二人は考えていた。

第一、時代の流れ以前に、あちらはアメリカ大陸に住む人々をほぼ皆殺しにしている。

民間人を見逃している者もいないではないようだが、町を破壊し、竜やキメラのうろつく荒野に、着の身着のままサーヴァントでもない人間を放り出して、どう生き延びろというつもりなのだろう。

いずれにしろ、待つのは悲惨な光景だ。

冬木でマスターたちを補助していた、ドクターという人の話を鑑みると、カルデアのマスターたちが聖杯を手に入れれば、歴史の修正は成功するはずだ。

斥候としてたまに遭遇するケルト兵たちの話を漏れ聞くに、二人が今いる東は、もうケルトの支配下にあるが、西はまだケルトと戦いを続けているという。

しかし、西に行くということは、ケルトに包囲された東部を突っ切って、前線に行くということなのだが。

 

「ええ、行きましょう」

 

と、シータは一も二もなく言い切った。

力強いその答えにキャスターも頷き返し、立ち上がろうとして―――――、

 

「ッ!?」

 

南、森の入り口から、急激な魔力の高まりを感じて、鳥肌が立った。

キャスターの頭の奥で、直感ががんがんと警報を鳴らす。

 

「伏せて、シータ!」

 

キャスターがシータの腕を掴み、横に飛んで伏せるのと、奔流を伴った水の槍が、一瞬前までこちらのいた地面をえぐりとり、木々をなぎ倒して、森の奥へと消えたのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

「避けられたな」

 

己の忠実な黒髪の槍兵を伴い、森の入り口に立つ金髪のサーヴァント、フィン・マックールは、そう呟いた。

静かな夜を過ごしていた森は、直線上に木々が抉られ倒れ、無惨な姿を晒している。

それを成したのは、フィン・マックールの宝具、『無敗の紫靫草』。神の力を宿した水の奔流を伴う一撃よる破壊の跡が、これだった。

 

「真ですか、我が主よ」

「ああ。勘が良いのか、手応えがまるで無かった。方向としては間違っていなかったはずだがね」

 

フィン・マックールは、魔術を用いて己の気配は絶ったまま、標的が確実にいると思われる方向に、威力を抑えていたとはいえ、宝具を撃った。それも、任を確実に果たすためだ。

騎士らしからぬ、暗殺者のような振る舞いをしてまでの奇襲だったにも関わらず、標的のサーヴァントは二体とも無傷。やはりこのような真似はするものではないな、と首を振った。

とはいえ、成果がなかった訳ではない。サーヴァントとしての知覚能力で、フィン・マックールはすでに標的を捉えていた。

標的は、赤い髪の大弓を携えた、アーチャーらしい少女のサーヴァントと、灰色の布で顔を隠した、恐らくはアサシンと思われるサーヴァント。

 

「行け、ディルムッド。露払いは任せた」

「承知!」

 

俊足の槍士が、破壊によって作られた道を風となって駆ける。

距離は一瞬で詰められ、灰色のサーヴァントを刺し貫かんと、ディルムッドの槍が走る。

闇に紛れることが本分の暗殺者ならば、その一撃で絶命していただろう。

 

「ほう」

 

だが、灰色のサーヴァントの行動は、フィン・マックールに驚きの声を上げさせた。

灰色のサーヴァントは、咄嗟に少女のサーヴァントを突き飛ばして離れさせ、腰に差した短めの剣を抜き放って、ディルムッドを迎え撃ったのだ。

闇の森に火花が散り、灰色のサーヴァントの首はまだ胴体についている。

一撃、二撃、三撃、と続けてディルムッドの槍が振るわれるが、それらすべてを灰色のサーヴァントはいなしていた。

 

「勘がいい、のだろうな。だが足りないぞ。暗殺者よ」

 

わずかに離れた位置で、フィン・マックールは呟く。彼は手を出さない。その必要がないからだ。

 

「キャスター!」

 

果たして、攻防は長く続かない。

灰色のサーヴァントの肩を、ディルムッドの『必滅の黄薔薇』が切り裂いて血が吹き出し、アーチャーの少女が悲鳴を上げる。

 

「何!?」

 

だが、驚きの声を上げて飛び退いたのは、槍の戦士の方だった。

槍が傷を刻み、灰色のサーヴァントの血が飛んだ瞬間、虚空から青い焔が吹き上がり、ディルムッドに襲い掛かったのだ。

意志持つ蛇のように襲い来る焔を、ディルムッドは魔力を打ち消す『破魔の紅薔薇』で振り払う。

 

「よもや魔術師の類いだったとはな」

 

槍の戦士の言葉に、灰色のサーヴァントは答えられない。血が流れる肩を押さえ、荒い息を吐いている。

ディルムッドの宝具、『必滅の黄薔薇』で穿たれた傷は、治癒しない。そういう呪いがかけられた宝具だからだ。

あのサーヴァントの腕は、もう満足には動かない。そのはずだ。

だが、灰色のサーヴァントが肩から手を離すと、そこには橙色の焔が灯っており、見る見る内に傷が塞がっていった。

 

「我が槍の呪いを打ち破るとは。……その焔、それが貴様の宝具か?」

 

答える義理はない、とばかりに灰色のサーヴァントは、背に少女を庇ったまま、再び剣を構えた。

フィン・マックールから見れば、その構えはあまりに拙い。基礎はそれなりにあるようだが、フィオナ騎士団の一番槍を相手取って少女を守るには、到底足りない、藁の壁だ。

 

「いや見事。魔術師とはいえ、なかなかどうして戦士ではないか」

 

が、その心意気は称賛できる。

故に、フィン・マックールは歩み出た。

 

「女王からの命は、灰色のサーヴァントの抹殺と、少女のサーヴァントを捕縛、だったが。素顔を晒さぬ灰色のキャスターよ。貴様、それなりの騎士であるな」

 

だから何だ、とでもいう風に、キャスターは剣を構えたまま、邪魔になったらしい、顔を隠していた布を乱暴に剥ぎ取った。

その下の素顔に、フィン・マックールは驚く。未熟な少年を想像していたというのに、そこにあったのは、長い黒髪を金の輪で一纏めにし、青い瞳を燃え立たせた少女の顔だったからだ。

 

「いやはや、この少女にしてやられたのか。我らが女王は」

「メイヴに命じられて来たのですか、貴殿方は」

 

黒髪の少女が口を開いた。澄んではいるが、少女にしては低い声だった。

 

「無論だとも。私たちの任は、君の殺害、及び、そこのアーチャーのお嬢さんの捕縛だ」

「シータを、ラーマさんへの人質にでもするつもりですか?姑息ですね、女王とやらも」

「さて、な。我らは命じられるままに戦うのみだ。魔術師のサーヴァント、君はここまでだ。君を殺せば、我らの敵のサーヴァントの命を守っている宝具は消えるのだろう?」

 

黒髪の少女は答えず、赤い髪の少女の方が、その言葉に顔色を変えた。

体術に劣り、魔術に優れるキャスターは、ディルムッド・オディナと極めて相性が悪い。

白兵戦は言わずもがな、生半可な距離で魔術を撃っても、彼の宝具に打ち消される。

遠距離から、接近されないよう隙間ない弾幕のように魔術を打ち続けるなら可能性はあるかもしれないが、このキャスターは、すでに距離を詰められている上、フィン・マックールという後詰めもいる。

だというのに、眼前のキャスターはどう見ても諦めていなかった。

惜しいな、とフィン・マックールは思う。

剣を構えるキャスターと、槍を構えるディルムッドの間に、緊張が走り、そして、キャスターの方が、口元をつり上げる。

嫌な笑みだった。

 

「ディルムッド!宝具が来るぞ!」

 

フィン・マックールは叫んだ。

忌々しげにメイヴが語っていた。

キャスターの宝具は、相手を囲い込んで爆発させる広域破壊型だと。範囲攻撃には、ディルムッドの魔術を打ち消す宝具も及ばない。

だから、追い詰められればキャスターが宝具を撃つだろうということは分かっていた。そのために、水神の力を持つ、フィン・マックールもいるのだから。

炎は水に弱い。それは魔術においてもだ。

しかし、魔力を高めていくキャスターは、フィン・マックールの言葉を聞いて、彼の槍に水の魔力が集まるのを見ても、笑みを消さなかった。

 

「誰が、何度も宝具なんて撃ちますか」

 

言うなり、キャスターは剣を地面に突き立てた。

地に刺された剣を中心に、雷と水が、鎌鼬が、そして青色の焔の蛇が、ディルムッドとフィン・マックールへ襲い掛かる。

彼らは知らなかったが、キャスターの呪術による攻撃であった。

土を巻き上げ、太い木々を斬り倒す暴虐の嵐は、束の間、ディルムッドとフィン・マックールの視界から、少女たちの姿を隠した。

ディルムッドには、魔力を伴う攻撃は打ち消せても、魔術に伴う物理的な破壊は打ち消せない。知ってか知らずか、キャスターは彼の宝具の弱味をついたのだ。

 

「だが、逃がすわけにもいかないのだよ」

 

魔力の痕跡は、消えていない。

フィン・マックールは、ディルムッドを伴って、消えた二人の追跡を開始した。

 

 

 

 

 

 

―――――油断した。

森を走り抜けながら、キャスターの思考は焦燥で赤く染まっていた。

あの二人のランサーは強い上、キャスターとは、非常に相性が悪い。勝てるとは思わない。本気で、逃げるだけで精一杯だ。

走っていても、後ろからの殺気が消えず、呪術にも、次は上手く引っ掛かってくれはしないだろう。

どうする、どう逃げる?

 

「キャスター、話があります」

 

考えつつ走りながら、横にいるシータを、弓を携えた強き王女を、キャスターは見た。

 

「私が囮になります。あなたは、その間に逃げてください」

「そんな―――――」

「お願いします。あなたには、あなただけではなく、ラーマ様の命もかかっています。彼らは、私は殺さない。でも、あなたは殺されてしまいます」

 

だからどうか、とシータはキャスターを見た。

 

「あなたにとって、辛いことを言っているのは分かっています。それでも、お願いします。―――――あなたは、もう、あの宝具を撃ってはいけません」

 

言うなり、シータは弓を構えて後ろに向き直る。止めようとしたキャスターを、シータの赤い瞳が射竦める。

細くて小さくて、それでも芯の通った背中に、歯を食い縛って一つ頭を下げ、走り続けた。

走り続けるうち、何度か爆発音がしたが、それきり後ろは静かになった。

噛み締めた唇からは血が流れるが、それでも足は止めない。止められない。

駆けて駆けて、仮初めではない心臓だったなら、爆発しているのではないかと思うくらいに駆けて、森を抜けた。

視界が開け、満点の星空と、果てしない大地が目に入る。

足を緩めかけたそのとき、首筋に悪寒が走って、キャスターはとっさに剣を後ろに振るった。

がきん、という固い手応えと、暗闇に散る火花。

二槍使いの黄色い槍と、キャスターの短い剣とがぶつかり合っていた。

 

「今の一撃で仕留めたと思ったのだがな。つくづく、勘の良い魔術師よ」

 

確かに、勘の良さはキャスターの武器の一つではある。

けれど、勘の良さだけで捌ききれるほど、この槍士は甘くない。

 

「名を名乗らぬ魔術師よ。お前に恨みはないが、主のため、ここで命を頂戴する」

 

朱い槍と黄色の槍が掲げられ、キャスターも剣を構え、魔力を高めた。

撃ちたくはないあの宝具。自分は、またあれに頼るしかないのか。

キャスターの口が開かれかけた、その瞬間。

 

「右に避けなさい、同郷の術師よ」

 

聞き覚えのある、声が聞こえた。

声に従い横に飛べば、その空間を貫いて、閃光がランサーに直撃し、砂塵が舞った。

だが、程無く砂塵は晴れ、ランサーは無傷な姿を現す。驚いているようではあったが。

直撃したように見えたが、恐らく直前で避けたのだろう。

 

「新手か!?」

「-----少なくとも、今の私はあなた方の敵ですね」

 

後方から聞こえる声。

知っている。キャスターは、この声を知っている。

宿敵だ、と、彼が言っていた武将。あの時代のあの国において、一番の栄光に死ぬまで包まれていただろう、神の寵児。

そして最後の戦いで、彼を殺した人間。

キャスターは、顔が強張るのを感じた。

 

「引きなさい、槍の騎士。ここで戦うことにお互い益はないでしょう。それとも、我が弓にかかって、ここで果てますか」

 

端正なランサーの顔が歪む。

多分、彼も雰囲気で悟ったのだろう。荒野から唐突に現れた、褐色の肌をした、大弓を持つサーヴァントが、ただの英雄などではないことを。

それでもランサーは槍を構える。が、何かに呼び掛けられたように動きを止め、そして彼は槍を引いた。

 

「我が主より、帰還せよ、との命令が下った。命拾いをしたな、魔術師よ」

 

砂埃を残して、あっという間にランサーは消えた。

 

「さて、危ないところでしたね、術師のサーヴァント」

 

そして、大英雄はこちらを向いた。キャスターはその顔を、正面から見た。

 

「はい。助けて頂いたことには礼を言います。―――――アルジュナ様」

 

キャスターにとっては、因縁浅からぬ、しかし、あちらにとっては、初対面である弓兵のサーヴァントは、鷹揚に頷いて見せたのだった。

 

 

 

 

 

 




アルジュナ「私が来た」
主人公「チェンジ!!!」
・・・・・という話です。

捕捉ですが、アルジュナは呪いで主人公のことを覚えていません。
彼にとってみれば、キャスターは同郷の気配がする単なるサーヴァント(しかも弱そう)です。


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act-5

カルデア側に戻ります。

誤字報告ありがとうございます。


カルナに殿を任せ、白斗たちは走り続けた。

ライダーの一人でもいれば、某かの乗り物があったのかもしれないが、サーヴァント入れ換えを行える召喚サークルに適したポイントが無い以上、走るしかない。

魔術や礼装で身体能力と体力を強化しつつ、必死でマシュたちと共に休憩を挟みながらも夜通し走り、住民がすでに逃げた後の、西部の小さな街に辿り着いたときには、白斗は文字通りの疲労困憊だった。

 

「先輩、仮眠を取ってください」

 

というマシュの言葉を、有り難く聞いたところまでは覚えているのだが、その後どうなったかが分からない。多分、眠気に負けたのだろう。

そして白斗は、酒場だったとおぼしき建物の長椅子の一つの上で、目を覚ました。

外にはすでに日が昇っている。

 

「起きたか、マスター」

 

そこへひょっこりとカルナが顔を出し、白斗の意識が一瞬で覚醒した。

 

「カルナ!」

 

無事で良かった、と胸を撫で下ろすマスターに、カルナは無表情のまま首肯した。

彼も彼で、つい先程戻ったのだという。

 

「ジークフリートとは明け方近くまで戦ったが、決着はつかなかった」

 

ジークフリートとは、ほぼ一晩中打ち合ったが、どちらにも相手を本気で仕留める気がなかったため千日手に陥り、双方ほぼ同時に剣と槍を引いて別れたのだ、とカルナは淡々と報告した。

 

「そうか。ジークフリートは何か言ってたか?」

「特には。フランスのときより、マスターに容赦がなくなっている、とは言っていたが」

「う…………」

 

いきなりアーラシュに狙撃させたことか、と白斗は思い当たる。

逃げるためには必要な判断だったと思う心に変わりはないが、それでもかつてのフランスでの共闘の記憶と、彼と戦わなければならないという事実は、白斗の中に今も爪を立てている。

しかし、白斗たちは止まっていられない。

カルデアの目的は、人類史すべてを取り戻すこと。

ジークフリートが手を貸すエジソンの目的は、アメリカのみを守り抜くこと。

ケルトを敵としているのは同じでも、目指す場所は違うのだ。

獅子の頭の大統王に向けて、白斗はすでに協力できないという旨を宣言している。

白斗は立ち上がって、頬を叩いた。

 

「ありがと、カルナ。マシュたちはどうしてる?」

「ひとまずマスターを待っているところだ。アーラシュは見張りに出ているが」

「分かった。すぐ行くよ」

 

カルナと共に外へ出れば、そこにはジェロニモ、マシュ、ナイチンゲール、それにジェロニモの仲間とおぼしき兵士たちがいた。

 

「おはようございます、先輩。きっちり三時間の仮眠ですね」

『体調もオールグリーン。いい目覚めだね、白斗くん』

「うん。ありがと、マシュ、ドクター」

 

マシュとドクターに挨拶をしてから、白斗はジェロニモに向き直る。

 

「起きたか」

「ああ。助けてくれてありがとう、ジェロニモ」

「礼はいい。こちらが君たちを助けたのにも歴とした理由がある。実は、我々はここに、一人、サーヴァントを匿っていてな。怪我人を治療し続けるサーヴァントがいると聞いて、来てもらったのだ。もちろん、君たちに協力してもらいたかったのも事実だが」

 

怪我人の治療、となれば、それは当然ナイチンゲールの領分だ。

白斗が何を言うまでもなく、ナイチンゲールがずいと進み出た。

 

「では、私の出番ということでよろしいですね。さあ、患者はどこなのですか?」

 

拳銃を抜かんばかりの勢いで、ナイチンゲールはジェロニモに詰め寄る。

 

「う、うむ。そう言ってくれると頼もしい。では、彼を運んで来てくれ」

 

そして、運ばれてきた少年を見て、白斗は文字通り絶句した。

燃えるような赤い髪をした少年の左胸、そこがぱっくり裂けて心臓が露になっていたのだ。

そして奇妙なことに、彼の心臓には暖かい色合いの橙色の焔が灯っていた。心臓を薪にして燃えているようにも見えるが、焔は少年に痛みを与えている訳ではないらしい。

白斗の視界の端で、カルナがわずかに身じろぎした。

 

「…………これは」

 

ひどい、と白斗は続く言葉を飲み込んだ。

胸を抉られ、心臓から血が流れている。これ以上ひどい怪我はない、というより、どうして生きていられるのか不思議なくらいの重傷だった。

 

「まあ、……頑丈なのが取り柄だからな」

 

だというのに、しゃべることすらこなす少年に、白斗は驚愕した。

だが、ナイチンゲールは憶さず揺らがず、少年の側にかがみこんで、傷の具合を調べ始めた。

 

「こんな傷は初めてです。ですが、安心なさい少年。地獄に落ちても引きずり出して見せます」

「ククク、それは頼もしい……アイタタタタ!貴様少しは手加減せんか!余は心臓を潰されかけておるのだぞ!」

 

少年の悲鳴が上がるが、ナイチンゲールは一切気に止めず、傷口を看た。

 

「どうして心臓が破壊されていくのでしょう?原因は、この焔……?いえ、違います。……しかし、それならこの焔は一体?」

 

ナイチンゲールが呟き、白斗たちはその様子を見守る。

そのとき、すっ、とカルナが動いた。

 

「少しいいか?その焔に心当たりがある」

「あなたにはこの焔が何なのか分かるのですか?」

「分かる。というより知っている。一先ず見せてくれ」

 

ナイチンゲールとカルナが場所を変わる。

しばし、傷とそこに灯った焔を見ていたカルナは、立ち上がった。

 

「この焔は宝具だ」

「……あっ!」

 

言われて、白斗の脳裏に浮かび上がるのは一つの記憶。

橙色の、呪いを打ち消す焔。それは冬木のキャスターが使っていた宝具だ。真名は、確か『焔よ、祓い清めたまえ』。

彼女はあのとき、黒い聖杯の呪い渦巻く冬木で、呪詛を消すのは得意なんです、と笑っていた。

 

『記録した魔力波と一致を確認。間違いなく、それは冬木のキャスターの宝具だ』

「冬木のキャスターさんに、会ったんですか?ええと、貴方は……?」

 

マシュに問われ、少年は、見た目の年齢不相応にも見えるくらい、堂々と胸を張った。

 

「余はラーマ。コサラの王だ」

「ではラーマ、聞きたいのだが、お前は、お前にこれを灯したキャスターのサーヴァントと、いつ、どこで会った?」

 

カルナの言葉に、ラーマだけでなくジェロニモまでが束の間口をつぐんだ。

 

「キャスターの真名は知らぬ。クラスも今初めて聞いた」

 

聞けば、ラーマはケルト側の王を名乗るクー・フーリンに単騎で挑み、彼の宝具、因果逆転の魔槍、『抉り穿つ鏖殺の槍』を、心臓に受けたのだという。

絶体絶命の死地へ介入してきたのが、灰色の布を被ったサーヴァント。

そのサーヴァントは、ラーマの心臓に焔の守りをかけたあと、ジェロニモとラーマを、敵の増援から逃がすための殿になったのだと、ジェロニモは語った。

 

「逃げているとき、白い焔が爆発するのを見た。あれも宝具の類いと思っていたが」

「そんな…………」

 

マシュの顔色が曇る。

白い焔、というのは、キャスターの三つ目の宝具だろう。あれは確か、全力で撃つと消滅する、アーラシュの宝具と似た特性を持っていたはずだ。制限をかけて撃った場合はその限りではないそうだが。

実際冬木にて、セイバーを倒すのに使ったあと、キャスターはすぐ消滅した。

最も、冬木の狂った聖杯戦争においては、セイバーを倒せば、遅かれ早かれキャスターは消えることは決定していたのだが、それにしても、自爆しかねない宝具を少なくともキャスターは一度撃っているのだ。

不安が、白斗の胸を刺す。

 

「いや、この焔は生きている。キャスターもまだ現界しているだろう」

 

しかし、カルナが言い切った。キャスターは、生きている、と。

探し人の消息を見付けたにしては、余りに冷静な口調だった。

 

「分かりました。少年の心臓の鼓動を繋ぎ止めているのは、この焔ですね。が、死をはね除けるには至っていない。ならば、余分なところを切り落とすしかありませんね」

 

具体的には手足を落とし、肺以外を摘出する感じで、とナイチンゲールが迫り、ラーマがあからさまに引いた。

 

「待て待て待て!心臓の修復のみに力を注いでもらいたい!余は、戦う術を失うわけにはいかんのだ!」

「何を言いますか!生きること以上の喜びなど存在しません!あなたにはこの大地に根を下ろした一個の生命体として、どうなろうとも生き続ける義務があります!」

「ナイチンゲール、ちょっと待って!ほんと待って!ドクター、ラーマを助けるための手段、切断以外で何かないか?」

 

荒ぶる婦長を、マシュと二人で必死に止めながら、白斗は叫んだ。

 

『うん、詳しいデータを送ってもらわなくても分かる。それはもう、呪いだ。治療より解呪が先だ。ラーマの傷は、本来ならもう死んでいてもおかしくない。そして、呪いの解呪において手っ取り早いのは、かけた当人、つまりクー・フーリンを倒すことだね』

 

が、クー・フーリンをすぐに倒すのは無理な話だ。

だから二つ目の案だ、とドクターは言う。

 

『幸い、特異点は時代の、つまり時の流れとか、因果といったものがぐらついている場所だ。そこを利用して、ラーマの存在を別の何かで強化すれば、因果が解消される。ラーマが死んでいるはず、という結果を、ラーマの存在を補強することで覆すんだ』

「具体的には何を?それとドクター、訂正を。彼は死んではいません」

『は、はい!…………ええと、一番良いのは生前のラーマを知る人を見つけること。それと、冬木のキャスターを探すことだ』

 

その言葉に、カルナが真っ先に顔を上げた。

 

「キャスターを?」

『ああ。今の彼女の宝具は、持ち主から離れて弱体化している。大きな焚き火から火分けされた、小さな蝋燭みたいなものだ。それでも、ゲイ・ボルクの呪いに抗っている。彼女がまともに宝具を発動できれば、呪いを解呪できるだろう』

 

つまり、ラーマの生前を知る人物を見つけて、ラーマの存在を強化し、キャスターを見付けることで呪いを解呪する。

この二つを成せば、ラーマは復活するはずだ、とドクターは結論付けた。

 

「ラーマさん、あなたの生前を知るサーヴァントに、心当たりはありますか?」

「う、うむ。余の口から言うのは照れくさいのだが、余と同じ時代から、我が妻のシータが召喚されているはずだ」

 

彼女の姿をラーマは見ていない。しかし、この大地のどこかに囚われているはずなのだ。

そも、彼がクー・フーリンに単騎でも挑んだのも、シータの場所を探し求めてのことだった。

 

『『ラーマーヤナ』のヒロイン、シータか。君に引きずられる形で召喚されたのかな』

 

白斗は、横目でカルナの様子を伺う。

槍兵は無表情に、ラーマの胸の焔を見ていた。

 

「現状を考えると、サーヴァントは一騎でも多くほしい。底の見えないケルト軍と、クー・フーリンに挑むには、単騎では不可能だ」

 

インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公、理想王ラーマすら敗けたのだ。

ラーマを癒し、各地のサーヴァントを集めて、王と女王に対抗する。

ジェロニモはそう言った。

 

「ドクター、キャスターの宝具はここにあるだろ?そこから彼女の居場所とか、探せないか?」

『逆探知か。出来ないこともないが、少々時間がいるね』

「分かった。じゃあ、ドクターはその作業を頼む。その間に今後どうするかもっと話し合いたいんだけど、―――――俺たちが戦ったケルトのサーヴァント、フィン・マックールが、気になるコトを言ってたんだ」

 

ケルト兵は、女王を母体とする無限の怪物、数千失ったところで困るものではない、と。

それはつまり、ケルトの兵士やエネミーは、女王有る限り増殖し続け、底などないということではないだろうか。

 

「無限に増える怪物か……。そういう予感はしないでもなかったが、言葉として改めて聞くと気が遠くなるな」

「エジソンさんのところの機械化兵団も、大量生産を目的としているようでしたが」

 

無限に増殖する怪物たちと正面から戦うには、大量生産で補う他、なかったのだろう。

ともあれ、この場にいる面々が、物量戦でケルトに挑むのは不可。となれば、取るべき道はそれとは逆になる。

 

「少数精鋭による、王と女王の暗殺。それしかなかろうな」

「それが妥当だと私も思う。施しの英雄よ」

 

手足をいくら切っても、痛くも痒くもない怪物と戦うには、頭を落とすしかない。

 

「各地のサーヴァントを集結させ、暗殺の可能性を上げよう。現状を考えると、セイバーが欲しいところなのだが…………」

 

今、主に前線に立っているのは、カルナとマシュで、後はどちらかというと援護に適している。バーサーカーのナイチンゲールも前線には出られるが、どう動くか分からないし、彼女にはラーマを治療し続けてもらわないといけない。

そう言えば、そのナイチンゲールとラーマが静かだなぁ、と思い出した白斗は辺りを見回し、目が点になった。

 

「ナイチンゲール?ラーマを背負って何やろうとしてるの?」

「患者の運搬に適切な処置を行おうとしています。私の開発した、ラーマバックです」

「余はいいと言っておるのに!離せ、はーなーせ!」

 

煤けたようにも見えるラーマは、じたばたと暴れている。

そこへカルナが寄っていった。

 

「気にするな、理想王よ。戦士が傷付くのが道理なら、癒し手が患者を癒そうとするのも道理だ。おかしいことは何もなかろう」

「う、うむ。それはそうなのだが、かの施しの英雄にそう言われるとますます複雑な気分になるな。…………ナイチンゲールは話を聞かんし」

「癒し手は頑固なものだ。少なくとも、オレの知る者はそうだった。オレも殴られたコトはある」

 

ん、と、ここで白斗は会話を聞いていて首をかしげた。

 

「お主を殴るとは何者だ。ナイチンゲールのような癒し手は、インドにもいたか?」

「いた。オレの妻だ。…………ナイチンゲールほどではなかったが」

「は?」

 

ラーマが驚愕して固まったところで、ナイチンゲールがさっさと彼を背負って立ち上がった。

 

「そろそろ本題に戻って構わないか?」

「む、すまん。続けてくれ、ジェロニモ」

 

当面の目標は各地を索敵しつつ、セイバーを探すこと、そしてその前に、ここから東よりの町にいるアーチャーたちと合流しよう、というのがジェロニモの案だった。

 

「アーチャーか。ジェロニモ、ちなみにそのアーチャーたち、棍棒とか双剣とか、近接戦闘できたりする?」

「いや、二人とも飛び道具を使うアーチャーだが?」

 

まあ、アーチャーは普通そうだよね、と白斗は引き下がった。普段の得物がどう見ても近接武器ばかり、という前例が色々とあったから期待したのだが、そううまくは行かないらしい。

そこへ、上手いタイミングで、ドクターからの通信が入った。

 

『もしもし、キャスターの宝具の反応が出たよ!詳しい場所は分からないけれど、キャスターはそこから見て東の地点で、その癒しの宝具を使っているね』

「―――――よし、じゃあ、東に向かおう」

 

全員が、その言葉で動き出した。

 

 

 

 

 

尚、今の今まで寄ってくる敵を延々と撃退し続けていてくれたアーラシュには、ちゃんと、平身低頭する勢いでお礼を言った。

それでも気にするな、と笑ってくれる辺り、白斗は改めて彼の懐の深さを知ったのだった。

 

 

 

 

 




すみません、現在周辺が立て込んだ状況になっていまして、感想が返せていません。
全て読ませていただいているのですが・・・・。

6章も進められていないし。
あ、でも静謐ちゃんは来ました!





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act-6

まだカルデア側です。

後半が難産でした。


「のう、カルナよ」

「何だ?」

 

アーチャーたちと合流するために、大地を移動する最中、ラーマがカルナに話しかけた。

カルナはナイチンゲールの背に固定されたままのラーマの方を見た。

 

「お主の妻は、どのくらいナイチンゲールに似ているのか?」

「……実を言えばそれほど似ていない、が、意志を曲げないところは似ている」

「そ、そうか」

「お前と彼女とは、実際に会っているだろう?そのときと比べてみればすぐ分かるのではないか」

「は?いつ、どこでだ?」

「む、キャスターだ。お前にその焔を灯したキャスター。彼女がそうだ」

「な、何!?聞いてないぞ!?」

「すまん、言っていなかった」

 

前を歩く二人から聞こえる会話に、白斗はマシュと顔を見合わせて、ああ、ようやくか、と嘆息した。

当人のカルナが、ラーマに、キャスターと妻が同一人物だと言わないものだから、白斗やマシュも切り出すタイミングが掴めずにいたのだ。

 

「カルナの口下手って、どういうコトかと思ったけど、こういうコトなのか?」

「かもしれませんね、先輩」

 

無口なのは確かだし、大概は聞き手に回っているが、カルデアでのカルナはヘクトールやアーラシュ、メディアなどとは会話が弾んでいるときがあった。

会話が心底苦手、というのではなさそうなのに、どうして自分で自分は口下手だ、というのか分からなかったのだが。

 

「肝心なところで、どうも一言足りてないんだよなぁ、あいつ」

 

白斗とマシュの横を歩くアーラシュも、似たことを思っていたのか、やれやれと肩を落とした。

 

「アーラシュもそう思う?」

「そりゃな。あいつの妻も、苦労したんじゃないのか?」

「……どうだろうね」

 

言われてみれば、キャスターは言葉の端々に、人との円滑な付き合い云々についての話を、混ぜていたような気もする。

特に、喧嘩っ早い上役がどうのこうのと言っていた。

 

「そのキャスターも、アメリカのどこかにいるんだよな」

 

燃え盛る冬木で、また会いましょう、と白斗の目の前で、笑って消えたキャスター。

生きていた頃、彼女は、カルナの前からも、他の全ての人間の記憶からも、煙のように消えている。その経緯も、理由も、何もかも分からず、だから、カルナは未だにその答えを探している。

ラーマの命を今も守るために、燃えている焔が有る限り、彼女がこの大地に生きているのは確かだが、いつあの焔が消えるとも知れない。

白斗たちは今、キャスターの反応を探知した方向に向かってはいる。向かってはいるけれど―――――。

 

「どうした、マスター?」

 

白斗の視線に気付いたのか、カルナが白斗を振り返った。

その顔は白い無表情。常と変わらず、小揺るぎもしていない。

 

「カルナ、キャスターを探しに行かなくていいのか?」

 

だから、白斗はそんな分かりきった問いを口にしてしまった。

 

「今、探しに行く途上だろう」

「うん、そうなんだけど……」

 

上手く言えない。

並の人間よりは、それなり鍛えている魔術師とはいえ、人間の白斗に合わせた速度で、果てしない大地を歩くことのもどかしさを、白斗は一番感じている。

カルナが一人で、脇目も振らずに動いた方が、もっとずっと早いのではないか?

白斗はそう言いたくて、言えなかったのだ。

白斗の顔色から何を読み取ったのか、カルナは首を振った。

 

「マスター、そこは気にせずともいい。オレが彼女を探して話をしたいと思うのは、私人としてのオレの感情だ。今のオレは、お前の槍としてあるべき、サーヴァントだ」

「…………汝は、妻が心配ではないのか?」

 

理想王の問いに、カルナは答える。

 

「彼女は、戦士としては大して強くはないが、生き残るというコトに関しては強い。能力もそうだが、意志がだ。

はぐれサーヴァントとして召喚されたなら、人類史を守るために行動しているだろうし、それは尊重すべき彼女の選択だ。同じ道を歩いているなら、必ず道も交わるはずだと、オレは信じている。

それから、お前やジェロニモを、宝具を使ってでも逃がすと決めたのも彼女の意志だ。お前が気に病む必要もない」

 

今のお前は、傷を癒し、そのあとどうするかを考えるべきだ、とカルナは言った。

突き放しているようにも聞こえる。が、恐らくは違うのだろう。むしろ、そこにある感情は真逆に思えた。

 

「患者をあまり興奮させないように、と言いたいところですが、貴方の意見には賛成です、カルナ。ラーマくん、看護師として言わせてもらうなら、あなたを逃がすために戦った者たちは、あなたが傷を癒し、健やかであることこそを望んでいます。彼らに報いたいと思うなら、その傷を癒し、再び剣を取って戦うべきです。それ以上の行いはありません」

「 そう言う、ものなのか」

「そう言うものです」

 

ナイチンゲールは、深く深く頷いた。

 

「忠告、痛み入る。……よし、余は決めたぞ。傷を癒したのちは、余の剣を存分に振るおう、マスター。今はこの様だが、采配は任せるぞ」

「了解したよ、ラーマ」

 

白斗の胸騒ぎが完全に収まったわけではなかったけれど、それでも、何かが分かった気がした。

 

「と、マスター。敵だ。斥候だな、あれは」

 

そこで、アーラシュが声を上げる。

遥か先に、数名のケルト兵の姿が見えていた。

 

「斥候は厄介だ。残らず倒すぞ」

「了解した」

 

ジェロニモの合図に従って、アーラシュが弓を構え、カルナとマシュが全速力に近い勢いで走る。

ラーマを背負ったままのナイチンゲールが走りだして拳銃を撃つ前に、アーラシュの弓とカルナの槍、マシュの盾が残さず敵を倒した。

敵と見れば、ラーマが背中に乗っていようが何だろうが、殺菌消毒に走るナイチンゲールを止める方法は、とにかく早急に敵を倒すことしかない。

ラーマの傷の具合を鑑み、加えて、混戦になることを避けるためには、ナイチンゲールを戦わせないことは正しい判断なのだが。

 

「いつもより疲れますね、この戦い方は」

 

とは、マシュの感想である。

見敵必殺の勢いでケルトを駆逐しつつ、一行は町に辿り着き、そのまま町を攻めていたケルト兵をも倒した。

それでも、町はすでに大半が破壊され、無惨な姿になっていた。

ちらほらと、白斗たちの様子を伺う住民たちの姿も見られるが、いずれも憔悴し、顔を引きつらせていた。

 

「患者の気配を感じます。しばし失礼します」

 

そう言うなり、ナイチンゲールはラーマを背負ったまま、建ち並ぶ建物の中へと止める間もなく消えていった。

背中のラーマの、半分諦めた表情が印象的だった。

 

「負傷者はナイチンゲールに任せよう。アーチャーたちも、この町にいるはずだ」

「ここだぜ、ジェロニモのおっさん」

 

ふいに、白斗のすぐ横で声がした。

何もなかったはずの空間から、滲み出るようにして、緑の装束を纏った、痩身の青年が姿を現す。その現れ方は、地下牢にジェロニモが現れたときとそっくり同じだった。

 

「こいつらが援軍かい?感謝だぜ、ジェロニモのおっさん。正直、俺とアイツだけじゃ、そろそろキツくなってたとこさ」

「こちらも、生きていてくれて何よりだ。ビリーはいるか?」

「いるぞ。おい、ビリー、こいつらは味方だ」

「あ、やっぱりそうなんだ。いやー、助かったよ」

 

保安官事務所だったらしい建物の陰から、ひょっこりと現れたのは、小柄な金髪童顔の青年。腰にはホルスターが吊るされ、拳銃が収められていた。

 

「どうも。この国を守るため召喚された、この国出身のアーチャーさ。ええと、もう、真名も言っちゃおうか。僕はウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニア。人呼んでビリー・ザ・キッドさ」

「って、オタク、先に真名明かすなよ」

「いいじゃん、別に。この方が早いんだからさ」

 

へいへい、そうですか、と頭をかきながら、緑のアーチャーも真名を名乗った。

それによれば、彼の真名はロビン・フッド。

かつて森に潜んだ義賊と、アウトローとして名を馳せたガンマンは、この町を守るため、孤軍奮闘していたのだった。

アーチャーたちに続き、白斗たちも、白斗、マシュ、アーラシュ、カルナ、と、一通り自己紹介を済ませた。

 

「そっか。よろしく、マスター。で、差し当たり僕らは何をどうすれば良いかな?」

「それを今から説明するよ」

 

マシュと白斗で、交互に話した。

倒しても倒しても、無限に現れるケルトと、真っ向勝負などしていられないこと。故に、取るべき作戦は、ラーマの傷を癒しつつ戦力を補充して回り、ケルトの本拠地を襲撃して頭を潰すことを。

全て聞き終えてから、うん、とビリーは頷いて、あっさり作戦を容れた。

 

「妥当だと思うよ。無限沸きする連中なんて、相手してられないしね」

「人探しと戦力補充か。確かにオレらは、アーチャーが多いしな。ランサーはそこに強そうなのがいるんだし、あとはセイバーだな」

「そうだ。お前たち、どこかでセイバーを見てはいないか?」

 

ジェロニモが聞き、ビリーは首を振った。

 

「僕の知り合いは望み薄かな。喚ばれてるとしてもライダーとかアーチャーとか、ガンナーだろうし。ロビンはどう?」

 

その問いに、ロビン・フッドは微妙に目をそらしながら答えた。

 

「あー、うん。実はコイツと会う前に会ってんだわ。セイバーとランサーにさ。いや、セイバーとランサーなんだがね、性格があれっていうかな」

 

肩をすくめてロビンは言う。

 

「状況を見れば、どんな問題児サーヴァントでも戦力にしたいところです。大丈夫ですよ、ロビンさん。先輩が何とかしてくれます。ね、先輩?」

「……まあ、何とかはするよ。それが俺の役目だしね」

 

白斗もこれまでの特異点で何人ものサーヴァントたちと協力している。カルデアで契約したサーヴァントも合わせれば、何十人ものサーヴァントと出会っているのだ。

他のことならともかく、サーヴァントとの付き合い方に関しては、白斗は一家言を持っていた。

さて、ドクターに周辺のサーヴァントの反応を調べてもらおう、としたところで、ドクターの方から通信が入った。

入ってきた内容は芳しくないものだった。

 

『纏まりかけてるところごめん。キャスターの宝具の反応が、微弱なんだけど、西へ移動してるようなんだ。君たちが最初に訪れた野戦病院辺りかな?とにかく、そのまま東に向かうと、すれ違いになってしまうよ』

「オイオイ、それは不味んじゃないの?ラーマってやつを治すのに、そのキャスターの助けがいるんだろ」

 

ロビンの言葉に、アーラシュが軽い調子で答えた。

 

「それじゃ、俺たちの中から誰かが行けばいいさ」

 

そうして、白斗、マシュ、アーラシュの視線がカルナに集中した。通信の向こう側で、ドクターも息を詰めているようだった。

 

「…………オレか」

「他に誰がいるんだっての。とっとと行って、キャスターを連れて戻ってこい。ここでそれが出来るのは、お前だけだ。そうじゃないか、マスター?」

 

どん、とアーラシュはカルナの肩をどつきながら、白斗に視線を向けた。

この場の面子の中で、単独行動を取っても問題がなく、かつ、即行でキャスターが信頼して協力してくれる相手と言ったら、カルナ以外にはいない。

仮にそうでなかったとしても、多分、白斗はカルナに頼んだだろうけれど。

 

「カルナ、頼んだ。キャスターを連れて来てくれ。予備の通信機を渡すから、それで連絡を取り合おう」

「マスターのことなら、安心してください、必ずわたしたちが守ります。カルナさんは、キャスターさんを連れて戻ってください」

 

白斗が、持っていた予備の通信機を渡し、それを受け取ってから、カルナは、手の中の機械を見つめたまま、束の間動きを止めた。

 

「カルナさん、どうかしましたか?」

「いや、感慨深いと思っただけだ。……義務と願いが噛み合うというのは、これまであまり縁がなかったからな」

 

その言葉に何が込められているのか。

白斗はそれを聞かなかった。

 

「―――――治療は終了しました。衰弱が見られる方もいましたが、命に別状はありません。どうかしましたか?」

 

そこへ戻って来たのは、ナイチンゲールと、それから彼女の背中に負われたままのラーマ。

白斗から事情を聞くと、ナイチンゲールは満足げに頷いた。

 

「あなたの奥方は、患者の治療に必要な方なのでしょう。ならば一刻も早く連れてきてください。それに、恐らくは、今のあなたにとっても、彼女は必要でしょう」

「お主の妻に助けられた余の言えたことではないかもしれんがな。―――――妻の元には、早く行ってやれ。必ず、お主が来るのを待っている」

 

それに、心得た、とカルナは深く頷き、次の瞬間には、砂埃一つを残して、その場から姿を消していた。少なくとも、白斗の目にはそう見えた。

霊体化したのではなく、本当に走って行ってしまったのだ。

 

「あの調子ならば、合流もできよう。我々はセイバーとランサーの元へ向かおう」

「りょーかい。…………気が進まねぇんですけどねぇ」

すけどねぇ」

 

ロビンがそこまで言う、ランサーとセイバーは一体誰なんだろう、と白斗は頭の片隅で考え、ふと、カルナのかけ去った方角を見た。

果てない大地には、すでに黄金の鎧の煌めきは見えず、地平線の彼方からの風が吹いているだけだ。

 

「頼んだよ、カルナ」

 

祈るように呟いて、カルナの消えたのとは別の方を向き、白斗たちはまた歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

―――――あなたは、薪のような人ですね。

 

何時だったか、そう言われたことがあった。

 

―――――あなたは、太陽ではなくて薪です。人に暖かさを与え、代わりにいつか燃え尽きてしまう。太陽のように無限ではありません。あなたはとても強いけれど、あなたの体も命も一つでしょう。

 

―――――故に薪です。

 

意味などない、ただの雑談。そのはずだったが、言った彼女は真剣だった。

愛していたから結婚したわけではない妻だった。

向こうも同じだったし、並の夫婦のように過ごしたこともあまりなかった。

ただ、付かず離れず時を刻んで、共に歩いた。追い越すのでもなく、追い越されるのでもなく、後ろにいるのでもなく、隣にいた。

それが彼女の望んでいた在り方で、その距離は心地よかったから、 自分もそうしていた。

この地上において、恐らく誰より自分を理解しようとしてくれていた。

 

―――――私から見れば、あなたは太陽ではないのです。太陽そのものみたいだ、と初めは思っていましたけれど。

 

彼女の視線が向いているのは、とうに癒えている、鎧を剥がしたためにできた傷痕。

惜しいとは思わない。請われたから与えただけのことだった。

 

―――――心のどこかであなたが傷付くことなんて、無いと思っていたのですよ。私も、他の皆も、ドゥリーヨダナ様も。

 

勘違いでした、と彼女は首を振った。星のように青い瞳の輝きが、くすんでいた。

 

―――――あなたが傷付いて、血塗れになっていたとき、本当に驚きました。私は愚かですね。あなたも傷つくことがある人間だ、ということを、分かっているつもりで、何一つ分かっていなかった。取り返しがつかなくなるまで、それに気付かなかった。

 

鎧を剥がしたのは己の意志で、彼女が気にすることではなかったのだが。

 

―――――そうでしょうね。あなたはそういう人です。人の荷物を軽々と担いで、追い付けないところまで行ってしまうのに、自分の荷物は渡さない。

 

―――――おまけに、人の願い事を叶えるのに、約束は破るんですから。

 

鎧を渡してはいけない、と彼女と交わした約束を確かに、自分は破っていた。

その代償に殴られて、さらに泣かれたことは、忘れてはいない。

 

―――――忘れてはいないなら、せめてもう二度としない、くらいは言ってください。まあ、あなたが生き方を変えない限り、守れない約束をした私も大概でしたが。

 

言葉を切って、彼女は自分の眼を覗き込んできた。

 

―――――だから、私はあなたに願い事をします。今までしたことがなかったから、一つくらい構わないでしょう。

 

それは確かにそうだった。

約束はしても、願い事をされた覚えはなかった。

 

―――――では、私の願い事を言います。

 

すっ、と息を吸って、彼女は言った。

 

―――――私より後に死なないでください。最期のときまで精一杯に生き抜くだろうあなたの死を、家族として悼む役目、それを私に下さい。

 

告げられたのは、突飛な願いだった。

 

 

―――――了解した。約束しよう。オレはお前に弔われよう。

 

―――――だから約束ではなくて、これは願い事なのですけれど。あなたは本当に全く…………。いえ、この先はまた今度に言います。

 

呆れたように彼女は肩を落として、話は終わった。

これが最後の会話だと、そのとき自分も彼女も気付かなかった。

 

結局、彼女の願い事は叶えられなかった。

 

約束を破られることがどういうことなのかを、そこで始めて理解した。

 

生涯をやり直したいとは思わない。神たる父と周囲の人々に恥じぬ生き方をしたことに間違いはなかったと信ずる故に。

ただ叶うなら―――――、

 

「あの日の言葉の続きを、お前は聞かせてくれるだろうか」

 

施しの英雄の呟きを聞くものは大地にはなく、彼はただ走った。

太陽だけが、それを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




約束を守れなかった、と彼は言う。
私は己で己の願いを捨ててしまった、と彼女は言う。

再び見えられたなら、言葉の続きを知りたい、と彼は言う。
再び見えられたなら、彼女は―――――。


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act-7

8月になりました。

恥ずかしながら三点リーダーの使い方を指摘して頂きました。
今までの話の分の修正はまた後からしますが、ここから先の話は多分正しく使えている、と思います。

ではどうぞ。



両手の人指し指と親指で作った輪の中で、橙色の焔がゆらゆら揺れる。

魔力を注ぎ焔を円環の蛇のような形に組んで、目の前の紫色に腫れ上がった腕に巻き付けると、焔はぐるぐると回転を始めた。

回転が早くなるごとに引きつっていた相手の顔が緩み、焔が消える頃にはすっかり穏やかな表情となっていた。

キャスターの目の前の患者、この国の治安の守り手たる保安官だったという三十絡みの男性は腕をさする。

 

「これがサーヴァントの力か。あんたと言いあの弓使いと言い、サーヴァントと言うのは凄まじいな。本当に人間なのか?」

「ええ。私たちはかつて人間だった存在です。さて、もう傷の具合はよろしいですか?」

「あ、ああ」

 

威圧されたように上体を仰け反らせる保安官の横をすり抜け、キャスターは走る幌馬車から飛び降りて外へ出た。着地と同時に幌馬車の速度に合わせて走り出す。

キャスターは今、それぞれに五、六人を乗せた幌馬車五台と、騎乗した十数人で足して五十人ほどの集団と行動していた。

彼らは町をケルトに破壊される前に逃げることを決めた避難民たちで、避難民を全面的に受け入れている西部へと向かっているのだ。

けれど、それは危険な賭けである。野にはケルト兵やキメラが彷徨き、空には人の肉を求めて咆哮する竜がいるのだ。

実際ここまで来るのに何度も襲撃を受けていたが、それでも彼らは一人たりとも欠けてはいなかった。

その理由は単純だ。何故ならサーヴァントが二人も護衛しているから。しかも、片方は千里先まで見透せるほどに目の利く、古今無双の弓兵である。

 

「彼らの傷の手当ては済んだのですか?」

「問題はありません」

 

幌馬車の横を並走したまま問うて来るその弓兵は、真名をアルジュナという。

キャスターの知る限り最強の戦士の一人で、生前は最凶の敵だった存在だ。最もあちらはキャスターのことを覚えていなかったのだが。

 

生前に面識はあっても、親交などなかったアルジュナとキャスターが、共に行動するはめになった理由は数日前に遡る。

端的に言って、キャスターはランサーたちに襲われていたところをアルジュナに助けられた。

が、キャスターを逃がして拐われてしまったシータはいくら探しても見つけられず、その後避難民の一団がケルトの化け物たちに襲われているのに遭遇し、なし崩し的に彼らを護衛して西部まで送り届けることとなったのだ。

また、アルジュナがキャスターを助けたのは、同郷の気配のするサーヴァントがこの大地を荒らしている側のサーヴァントに襲われているのを捨て置けなかった、ということだった。

名を問われたときには言い淀んだ。正直に話すには、あまりに複雑でかといって嘘をつける相手ではないし、キャスターは嘘も隠し事も下手だ。

悩んだ結果、キャスターは正直に自分は施しの英雄の妻だと名乗った。

アルジュナは奇異なものでも見るようにキャスターを見、それから心底残念そうにため息をついていた。一言、カルナはいないのか、とだけ呟いていたことをキャスターは忘れていない。

その一言にただならぬものを感じ、キャスターは呪いのことまではアルジュナに話せていなかった。

以来、キャスターとアルジュナの間では妙な緊張の糸が張られたままだ。

キャスターはシータとカルデアの情報を求めているから、野営地へと赴くにも情報収集という理由はある。

だがアルジュナはといえば、避難民たちを護衛することに否応は無いようだが、どうもその後、つまり世界を守るという役目に関しては、熱意が薄いようだった。

糸の切れた凧、とまでは言わないが、キャスターには今のアルジュナがかつて敵として見たときより不安定に見えた。

 

不安の種は尽きないまま、キャスターはアルジュナと協力して荒野を進んでいる。

避難民たちを守れるか否かという点では、全く不満などあるはずがない。

不満があるとするならそれは自分の心だ、とキャスターも分かっていた。

 

施しの英雄カルナは、クルクシェートラの戦いにおいて、授かりの英雄アルジュナに殺された。

 

聖杯から与えられたその知識が、心に棘のように刺さっており、そして聖杯からキャスターに対して与えられた、クルクシェートラの戦いに関する知識はそれ以外ほとんどない。恐らく、しつこくもまた呪いの影響が出たのだと思っている。

しかし、キャスターもあちらの身内―――――彼の甥にあたるガトートカチャ―――――を殺めているから、言い方はあれだがお互い様という面もあった。

武人の勝ち負けも生き死にも、戦いにおいては紙一重だとキャスターは思っているし、そこを今さらあれこれ言う気はない。ことに、カルナとアルジュナはどちらがどちらを倒しても可笑しくないくらい実力が伯仲していたし、お互いがお互いを不倶戴天の相手と定めていたのだから、尚更だ。

彼らは命を懸けて戦って、残ったのがアルジュナだった。それが彼らの終着点だったのだろう。そう思うからこそ、まだキャスターもアルジュナと協力できている。

―――――どこぞの神の介入は大いに気掛かりだが。

 

が、頭でそう認識していても、感情は消せないのだから厄介極まりない。

今のキャスターは、思考の迷路に入ったまま、惰性で過ごしていた。

 

「目的地が見えました。これならすぐに着くでしょう」

「そうですね」

 

頭から被った、灰色の布の奥で答える。風に巻き上げられた砂が急に鬱陶しく感じられた。

 

―――――本当に、どこもかしこも気にかかることばかりだ。

 

シータも探さなければならないし、カルデアのマスターの情報も野営地で手に入れられれば、と思う。

はぁ、というキャスターの物憂げな吐息は風に吹き散らされる。道の先には天幕が集まる野営地が見えてきていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解した。この人たちは我がアメリカ西部合衆国が受け入れよう」

 

野営地の入り口に立つ門番の言葉に、場にほっとした空気が流れる。

西部側の陣地に無事たどり着けたことで、避難民たちの顔が目に見えて緩んだ。

門の横に立つキャスターとアルジュナの横を通り、がらがらと馬車が野営地に入っていく。そのうち、何人かは敬礼してきたので、キャスターは会釈で返し、アルジュナは泰然と立ったままその礼を受け取った。

 

「彼らをお願いします。怪我をしている方はいませんが、皆さんとても疲れているので」

「分かっている。ケルトに追われてここまで来る奴はみんなそうさ。あんたらのようなサーヴァント同伴で来たのは始めてだが」

「そうですか。ちなみにお聞きしますが、私たちのようなサーヴァントを他に見かけませんでしたか?」

 

キャスターと話す間も兵士たちの手は銃から離れず、目付きも油断ない。

彼らにしてみれば、明確に西部合衆国に付いているサーヴァントならいざ知らず、どこにも所属していないはぐれのサーヴァントなどケルトの猛威と大差無いのだ。違いはその牙をこちらに向けているかいないかだけ。

それでもキャスターの物腰の丁寧さが功を奏したのか、兵士はキャスターの問いに答えた。

 

「そう言えば、しばらく前に何人かのサーヴァントを連れた奴が来たなぁ」

「ああ。いたな。カルデアって知らんとこから来たっていう小僧っ子だったがな。ここにいたサーヴァントの看護師連れて、どっかへ行ったって話だったが」

 

キャスターが顔色を変え、アルジュナはわずかに眉を上げる。

顔を半ばまで覆っていた布をはね上げ、キャスターは兵士に詰め寄らんばかりの勢いで尋ねた。

 

「その方たちがどんな方だったか、教えてもらえませんか?」

「あ、ああ」

 

布の下からまだ幼さの残る若い女性の顔が現れたのに驚きながら、兵士は答えた。

十字架を象った大きな盾を持った少女、大弓を持った褐色の肌の青年、それに大槍を携え黄金の鎧を纏った白髪痩身の青年が、一人の少年と共に現れ、ここで看護師をしていたサーヴァントと共にどこへか去っていったことを。

そして、大槍と黄金の鎧が特徴の槍兵と兵士が言った瞬間、完全にキャスターとアルジュナの雰囲気が変わる。

キャスターは大きな青い瞳をいっぱいに見開いて立ち竦み、アルジュナは獰猛な笑顔を見せた。

兵士は何か不味いことを言ったのか、と内心青ざめた。

 

「その槍兵がどちらへ行ったか、分かるだろうか?」

 

大弓を握りしめ、それまでの貴公子然とした雰囲気はどこへやら、武人として、サーヴァントとしての殺気を放つアルジュナに兵士たちは今度こそ顔色を変えた。

 

「た、確か、東部の方へ」

「東部、か」

 

踵を返し、歩き出すアルジュナはすでに兵士に注意を払っていない。

一方、しばし呆然としていたキャスターはアルジュナの姿が見えなくなりかけた瞬間はっと我に返った。

 

「待ってください!」

 

狼狽える兵士たちを置き去りにキャスターは走った。

 

「待ってください、どこへ行くのですか?」

 

野営地から離れた荒野でようやく追い付いて、キャスターはアルジュナの前に両手を広げて立ち塞がる。

 

「あなたは、カルナと戦うつもりではありませんか?」

「そうだとして、それで貴女はどうしますか?」

 

キャスターの顔が一瞬歪んだが、すぐに彼女はアルジュナを見据えた。

 

「止めます。カルナと、つまりカルデアと戦うということは、あなたは人類史を護らずに世界を滅ぼす側につくつもりですか?ケルトに与すると?」

 

キャスターの考えうる限り、それは最悪の選択だ。黒く染まった光の御子クー・フーリンとインドラの息子が手を組んで世界を滅ぼす側に回るなど何の悪夢だ。

まして、クー・フーリンを間近で見て、その禍々しさを肌で感じたキャスターには尚のこと見過ごすことなどできない。

 

「それも吝かではありません。人類史を護ることに興味はない。世界も滅びるならば滅びるでしょう。私は仇であるあの槍兵と戦い、対等なものとして今度こそ奴の息の根を止めねばならないのです」

「どうしてそこまで戦いのやり直しに凝るのです。あなたは一度彼を打ち倒したのではありませんか?その弓で彼の命を奪ったのは紛れもなくあなた自身でしょう」

 

瞬間、今度はアルジュナの顔が歪んだ。

 

「貴女には分からない。戦場に立たなかった(・・・・・・)貴女には分かるはずもないことです」

 

押し退けて進もうとするアルジュナに、キャスターは抗った。

 

「対等なもの、と仰いましたね。クルクシェートラでの結末はそうではなかったというのですか」

 

ぎり、とアルジュナの手に力が入り、神弓ガーンディーヴァが軋んだ。

嗚呼やはり、とキャスターは勘が当たっていたことを悟った。

呪いも謀略もなく対等に戦って、その果てにカルナの方が倒れたなら、まだキャスターにも受け入れることのできる結末だった。

だけれどこのアルジュナの様子を見る限り、違ったのだ。

神か、その化身か、それとも人々の思惑か、いずれにしろ彼とカルナは尋常な勝負の果ての結末に至れなかったのだろう。

途中で死したキャスターは、戦いの結末だけを知っていて、そこに続く道に何があったかまでを知らない。

それがここに来て、最悪の形で表に出た。

しかも自分は神に逆らったときと同じく、アルジュナの逆鱗をものの見事に踏み抜いたのだと、キャスターは気づいた。

けれど、大英雄の怒気で怯むなら彼女はサーヴァントになどなってはいない。

危機に対する恐怖心を常人と同じように持ち合わせていて尚進んでしまうのが、キャスターをサーヴァントたらしめている、愚かとも言える精神性だからだ。

 

「先ほども言いましたが私と奴の因縁は、貴女には分からない(・・・・・)。呪いも神もないこの世界での決着こそ我が望みです。そこを退きなさい。貴女に私は止められない。それほど夫が心配なのですか?」

「家族の身を案じないものはいないでしょう。けれど、私があなたを止めようとする理由はそれだけではありません。私は確かに彼の妻ですが、今は未来を守るためここに喚ばれたサーヴァントです。その任が有る限り私は退けません」

 

自分が馬鹿なことをしているという自覚くらい、キャスターにもある。

生前からキャスターは自分の力が足りない相手とばかり相対している。最早ここまで来ると因果としか言えない。

それでも退けないのだ。一度退いたら、きっと強くもない自分はカルナの隣に二度と立てなくなる。そういう予感があるからだ。

 

「あなたがかつて戦ったのは、未来を手に入れるためだったのではありませんか?私たちを殺めてでも倒してでも、守りたいものがあったからあなたたちは戦った。己の信じる未来のために。違うのですか?」

 

それが英雄アルジュナだったはずだ。

彼は父なる神と味方からの期待を背負い、英雄の王道を歩いていた。輝かしくも型通りに進まざるを得なかった定められた人生。

キャスターの記憶の中の彼はそういう在り方の英雄だった。

葛藤もしたのだろう、重荷を感じもしたのだろう。それでも愛した肉親を、民を見捨てず進んだから彼は英雄にまでなったのだ。

血の繋がった家族とは最期まで縁が薄かったキャスターには、彼の重荷は分からず、口も出せない。その資格がないからだ。

だが、かつて敵だった側として見ていたもの、見えていたものもあった。

 

「それは違いません。だが、カルナが未来を守る側に立つなら私は破壊する側につきます。未来に今や興味はないのだから」

 

キャスターは口ごもった。

アルジュナの視線に込められた怒りに当てられた訳ではなく、ただ途方にくれたのだ。

この英雄は言葉では止まらない。

本当にカルナとの決着以外の物事に興味がないのだ。他の事柄が優先順位から根こそぎ滑り落ちている。

キャスターがアルジュナから感じた、不安定さ。それは、彼を守る側の英雄足らしめていた錨のすべてがこの世に何一つ存在しないからこそ生じていたのだと、彼女は気付いた。

そうなると、キャスターには『倒された』側の一人としてその手で創った未来に繋がっている道を、どうか壊さないでくれと頼むしかできない。

キャスターは立ち竦む。

仮初めの心臓の立てる音が煩かった。

あなたはもうあの宝具を使ってはいけない、と言ったシータの声が耳の奥に蘇る。

けれど、キャスターの周囲の魔力は熱を帯び、彼女を中心に燃え始めた。金の輪で一つに束ねられた黒髪が熱風に揺れ、砂が巻き上げられる。

キャスターをそこに残して歩き出そうとしていたアルジュナの足が、ただならぬ気配を感じて止まった。

くるくるくるくる、と白い焔が紡ぎ車のように回る。

その中心に立つキャスターの手が振り上げられかけたところで、

 

「待て、それは悪手だ。―――――」

 

無くしたはずの名を聞こえるはずのない声で呼ばれ、手を掴まれた。

それだけで白い焔は跡形もなく失せた。

キャスターは、そこで自らの腕を掴んだ相手を見上げた。

白い髪、能面のような無表情。胸に埋め込まれた、煌めく赤い宝石と黄金の鎧。

それにキャスターのものより色の薄い碧眼と目が合った。

 

「か、ルナ?」

 

如何にも、と頷かれた。白い髪が風に揺れていた。

 

「状況がよく読めんが、ともかくオレは間に合ったようだな」

 

良かった、と手を離されキャスターはそこでやっと我に返った。

 

「先に聞こう。どういう状況なのだ、今のお前は」

 

冷静な声音に熱されていたキャスターの頭が冷え、思考の歯車が噛み合って正確に正常に回り出す。

自分で自分の頬を叩いて、キャスターはカルナと向き合った。

 

「今の私は人類史守護側のサーヴァントです」

「そうか。……では、お前は下がっていろ。アルジュナの相手はオレがする」

 

軽く肩を突かれキャスターは下がった。下がらざるを得なかった。

 

「分かっているだろう。お前に奴の相手は出来ない」

 

道理だった。

顔を伏せたキャスターに、カルナはぽんと箱形の物体を投げて寄越し、両手で受け取ったキャスターは首をかしげた。

 

「通信機だ。壊れては困るからお前に預ける」

 

下がれ、と重ねて眼で言われている、とキャスターには分かった。

 

「……分かりました」

 

キャスターが下がるのを待ってから、カルナは目の前の敵に視線を移した。

 

「―――――来たか、カルナ」

「ああ。彼女と話をさせてくれたことには礼を言おう。だが何時いかなる場合も、お前の前に敵として立つのは、オレしかあるまい」

 

キャスターは肌が粟立つのを感じた。生前、何度も感じた戦場の空気がすでに場を支配していた。

宿敵の武人が二人揃ったこの地においてこれから交わされるのは、最早無粋でしかない言葉ではなく剣戟。それしかあり得まい。

 

「神も宿命もないこの世でこそ、私は望みを遂げられる。私は今度こそ対等なものとして、貴様の息の根を止めねばならん」

「なるほど。それがお前の宿願か」

「無論だ。貴様はあくまで世界を守ろうとするのだろう。そして貴様が善に立つのなら私は悪に立つ。それでこそ対等だ」

 

授かりの英雄の放つ暴風のような、苛烈な戦意の根幹に潜むのは焼け付くような大きな後悔。それをキャスターは感じた。

カルナもそれは同じだろう。

 

「そうだな。オレもお前もこの宿命からは逃れられんようだ。それは歓喜でもあり、呪いでもある」

 

インドラの槍と炎神の弓が構えられる。

爆発しそうな気配の中、カルナが口を開いた。

 

「アルジュナよ。腐れ縁に免じて約束しろ。オレを討った暁には本来としての英雄の任を果たせ。その弓を世界を救うために使え。その手の仕事はオレより貴様の方が遥かに上手い」

「……良いだろう。だが決したあと、それを敗北の理由にはしないことだ」

「まさか。敗北のために戦うことはない。お前の望みのように、オレにも私人としての望みはある。それが叶うかもしれない好機を、逃す気はない」

 

一瞬、カルナの瞳がキャスターの方を向く。

キャスターは手を握りしめ何一つ見逃すものかというように、眼を見開いて場を見守る。

 

―――――そうして音すら置き去りに、幾千もの月日を越えて古の大英雄たちは荒野で激突した。

 

 

 

 

 

 

 




結局始まるスーパーインド大戦。

ちなみに、主人公のメンタル強度ですが、彼女のはダイヤモンドです。圧力には強くても一点に強烈な負荷を与えられると割れます。

あと、アンケートは本日pm12:00までを〆切にさせていただきます。






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act-8

前回の続きです。



嵐のようだ、とキャスターは思う。

槍が振るわれるたび大地が抉られ、弓のただ一矢で轟音と共に崖が崩れる。

すわ敵襲か、と野営地から走り出て来た兵士たちに、キャスターは近付いては駄目だと叫んで空を舞う岩を風の呪術で彼らから離れたところへ落とし、叩き付けられるだけで彼らの喉を焼くだろう熱風を水の呪術で緩和する。

悪意などなく、宝具の開帳すらしていなくても、余波だけで人を殺めかねない破壊の嵐が神話の戦いというものである。

キャスターの生きていた神代の頃の兵ならいざ知らず、神秘を纏わず銃と機械で武装したこの時代の兵では一溜まりもない。

 

「死にたくないなら、ここに来ては行けません!野営地に戻っていてください!」

 

投石機のように飛ぶ岩を砕きながら怒鳴れば、兵士たちは一目散に駆け去っていった。

これでひとまず彼らが巻き込まれることはないだろう。

戦いの始まった瞬間に全力で飛びすさって距離を取ったキャスターにも、何が起きているかを目で追うだけで精一杯だ。

槍兵と弓兵。

普通なら懐に入られた弓兵が槍兵に勝てる道理はない。冬木で戦ったサーヴァントの中には、剣を使うアーチャーという例外はいたが、アルジュナの獲物はいかに優れているとはいえ、神弓ガーンディーヴァのみだ。

それなのに勝負の決着はなかなかつかない。アルジュナの技量がそれだけ優れているからだ。

槍が矢を撃ち落とし、槍に切り払われた矢は地で爆ぜて大地を大きく削る。

宙に飛び上がってアルジュナが無数の矢を放てば、地に立つカルナが大槍の腹で打ち返す。

地を走り宙を駆け、破壊を生み出しながら戦う二人の表情は紛れもない歓喜のそれである。

再びアルジュナが、ガーンディーヴァで空が暗くなるほどの矢の雨を降らす。千の軍勢すらも倒すだろう矢を迎え撃つカルナは小揺るぎもせず、矢の隙間を走り抜けアルジュナへと斬りかかった。

喉元めがけて伸びてくる槍を、アルジュナはガーンディーヴァで受け止め、甲高い音と共に火花が散る。

一撃でもまともに当たれば、常人なら消し飛ばされかねない攻撃を撃ち合いながらやはり二人は紛れもなく、命のやり取りをを楽しんでいた。

 

―――――これこそが宿願、これこそ我らが望み。幾千幾百の年月を経て掴んだ、この幸運!

 

すでに二人の意識は、神代のあの戦いへと戻ってしまっているのだろう。

キャスターには戦いに手を出す気はなかった。戦いの最後に立っているのが例えどちらであっても、動きそうになる自分の手を自分で押さえつけてでも。他の相手との戦いならともかく、こればかりは生前から続くカルナだけの因縁である。

武人同士のぶつかり合いに癒し手の出る幕はない。役目があるなら、それは戦いの前と後だ。

何より、ああも心躍らせている彼らに水は差せない。自分が蚊帳の外に置かれているという気がしないではないし、彼らの見ている世界が自分には見えないことに思うところが無いではないのだけれど、それでもキャスターは戦場を見守ることを選択した。

戦いから逃げずに最後まで見届ける。

それが生前から続くキャスターの役目で、生前、自分一人で自分の命を使いつくして果てた彼女が全うできなかったことだった。

見つめるキャスターの前で戦いは動く、動き続ける。止まることはない。

が、勝負は徐々に一方に傾き始めた。

矢がカルナの頬を掠めて血が飛ぶが傷はたちどころに癒え、逆にアルジュナの傷は癒えず、徐々に傷が刻まれていく。

―――――次第にアルジュナが押され始めた。

奪われることでのみ攻略された不死の守りを与える黄金の鎧と神の槍。その二つを今のカルナは同時に所持している。

加えて、騎兵ではなく弓のサーヴァントとして顕現しているアルジュナはかつてのように戦車を駆っているわけではない。

やがて、そのときが訪れる。

カルナの槍がアルジュナの肩を切り裂いて血が吹き出し、アルジュナの顔が歪む。

それでもアルジュナはカルナの腹を蹴り飛ばして、距離を取った。

 

双方の動きが止まる。

アルジュナの周りに、周囲一体の魔力が吸い寄せられていくのを、キャスターは感じた。

キャスターの束ねられた黒髪が風に舞い、彼女が身に纏う灰色の布がはためく。

宝具を開帳する気なのだと思う端から、ガーンディーヴァがアルジュナの手元から消え失せ、代わりに白い光が集まっていく。

 

カルナもそれを悟ったのかこちらも台風の眼のように魔力を吸い集め出す。

 

終にそれらはほぼ同時に放たれた。

 

「破壊神の――――」

 

「梵天よ―――――」

 

叩き付けられる爆風を全身で感じながら、キャスターはその場に踏みとどまった。

通信機から某か音がしている気もしたが、あえて聞き飛ばす。

 

「――――手翳!」

 

「――――我を呪え!」

 

世界を七度滅ぼせる力を持つ神造宝具と、炎熱を纏って放たれた神の槍が正面からぶつかり合う。

凄まじいエネルギーを孕んだ二つの光は数秒拮抗し、その余波だけで周囲が消し飛んだ。

炎熱に対しては、高い耐性を持つキャスターすら肌が焼けるような熱さを感じ腕で顔を守る。次の瞬間には彼女も吹き飛ばされて足が浮いたが、風の呪術で何とかその場に止まる。

 

結論から言えば、ほぼ同時に同じ威力で放たれた宝具同士の衝突は、お互いを相殺しあい、決定打にはならなかった。

槍は空へとはね上げられ、アルジュナの手には再び光が集まってガーンディーヴァの形を取り始める。

 

そうはさせじと槍を手に取り戻したカルナが疾駆し、アルジュナは未だ形が朧なガーンディーヴァを構えた。

 

槍兵が走り、弓兵が迎え撃つ。

 

交差は一瞬で、そしてその一瞬ですべてが決していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いの終わりが訪れた。

アルジュナの矢はカルナの首筋を深く切り裂きはしたが、致命傷には至っていない。黄金の鎧の治癒の守りがカルナを癒すだろう。

対してカルナの槍はアルジュナの霊核たる心臓を穿っていた。キャスターの宝具にも完全に破壊された霊核を治す力はない。

 

槍兵は残り、弓兵は敗れて消える。

それが時と空間の果てに起こった、二度目の戦いの決着だった。

すでに、アルジュナの体は端から金色の光の粒子となってほどけ始めていた。だがその表情は一種の清々しさを湛えていた。

 

「なるほど、これが決着か。望んだままに戦い、負けるとはな」

 

額に手を当て、アルジュナは高い空を仰ぎ見た。

 

「何だろうな。―――――奇妙な気分だ。私の望みは叶ったが完全に満たされたわけではない」

 

負けたことは悔しい。だが悪くはない。

もう二度と、このような機会はないだろうが、それでも得られるものがなかった訳ではない、そうアルジュナは言った。

その間も崩壊は進む。金色の粒子の流出は止まらない。

間もなく、授かりの英雄はこの地を去るだろう。

 

「カルナ、一つ聞かせろ」

「何だ?」

「あの呪術師、彼女はお前の妻と名乗っていたが、それは本当か?」

 

彼女はアルジュナを透かし見たように、『私たちを殺めてでも』と言った。

あのときは、戦場に立たなかっただろう脆い少女が、よく知りもしないはずの己を見透かしたような物言いをしたことに激情を感じたが、今はそれが気にかかった。

脆弱な身で大英雄を見据えてあれだけの啖呵を切り、紛れもなく戦士の持つ殺気を放って、宝具を発動しかけていた何とも物騒な術師。

そんな少女が宿敵の妻として存在したなら、名くらい覚えていてもおかしくはない。だがアルジュナは彼女のことを覚えていなかった。

 

「……そうか。お前の記憶もか」

「?」

「いや何でもない。お前の問いには是と答えよう。確かに彼女は妻だ。死してからも探していた、オレの家族だ」

「つまり、貴様は妻が見ている前で戦っていたわけか」

「そうだ。始めに言った。オレにも願いはあり、敗北のために戦うことはないとな」

 

半ば消えかけたまま、アルジュナが顔をしかめた。苦笑したようにも見えた。

長年探し求めた妻の目の前で宿敵と戦うとは、さぞ負けられない戦いだったろう。

積年の願いというなら、自らの想いとてその重みは変わらないとアルジュナは自負している。それを譲るつもりはない。

ただ、自分は己一人のためにだけ戦い、この能面のような表情の宿敵は己のためだけではなく、もう一人の守るべき者のために戦った。

勝敗を分けた差があるとするなら、あるいは、その重み故か。

それは対等に戦ったからこそ見えた一つの答えだったかもしれない。しかし、アルジュナはそれを告げるつもりはなかった。

この宿敵にそこまでしてやる義理はない。

 

「貴様は――――――――」

 

金色の粒子に還った英雄の言葉は消える。後には何も残らず、ただ風が吹いていた。

 

 

 

 

 

ざく、と後ろで砂を踏み締める音がした。

カルナはその音で振り返る。

風に黒髪をなびかせ青い瞳をした灰色の術師が、そこにいた。

 

「終わったのですか?」

「ああ」

 

キャスターはざくざくと地を踏みしめ、カルナの前に立つ。

一秒、二秒、と無言の時間が流れ空のどこかで鳥が鳴いた。

 

「……すみません。どうも感情が振り切れてしまったようです。上手く言葉が出てきません」

 

ややあって、キャスターが口を開いた。

本気で困っているらしく胸の前で手を握り締めていた。

とりあえず傷を治します、と言ったキャスターの手から放たれた橙色の焔がカルナの傷に絡み付き、元から鎧の効果で修復されつつあった傷は一瞬で消えた。

 

「気にするな。オレもお前に会えたら言いたいことがあったのだが、上手く思い出せん。言葉もない、というやつだ」

 

ただ一つこれだけは先に言っておく、とカルナは続けた。

 

「お前と、また会えて良かった」

 

ぽん、とカルナの手がキャスターの頭に乗せられる。キャスターの瞼が潤み手で口元を押さえる。

 

「それはこちらも同じです、カルナ」

 

少し震える声で答え、頭に乗せられた手をキャスターはさりげなく外して微笑んだ。

けれど、一呼吸の後にはキャスターの口調も潤んでいた瞳も泉が枯れたようにたちまち元に戻る。

 

「積もる話はあるが、今はそういう状況では無いのだ。共に来てくれ」

「わかりました。」

 

キャスターが頷きかけたところで、ふいに懐で通信機が音を立てた。

すっかり忘れていました、とキャスターは呟いて懐からそれを取り出した。

 

『もしもしカルナ?何かすごい魔力反応が記録されてるんだけど、何がどうなってるんだ!?』

 

ん、とキャスターが首をかしげた。

 

「その声、もしやドクターさんですか?」

『あれ?そういう君は冬木のキャスターちゃんかい!?』

「ええ。お久しぶりです。カルデアのドクターさん」

『良かった!再会できたんだね!カルナ、おめでとう!』

「……感謝する」

 

微妙に通信機から目をそらしながら答えるカルナと苦笑するキャスター。

それからキャスターは、ドクターから白斗たちの状況を聞いた。

カルナと別れた後、セイバーとランサーを探す白斗たちは、ランサーのエリザベート・バートリ、セイバーのネロ・クラウディウスを味方に引き入れることに成功した。

その過程で交戦したケルトのサーヴァント、フェルグス・マック・ロイから、白斗たちはシータがアルカトラズ島に囚われていることを知る。

白斗たちは今、ケルトの王と女王を暗殺する部隊と、ゲイ・ボルクの呪いを受けたラーマを快癒させるための部隊とに別れて行動しているということだった。

 

「事情は分かりました。ラーマさんの治癒のために私の宝具と、シータが必要なのですね」

『うん。白斗くんたちは今、シータが囚われているというアルカトラズに向かっている。だから君たちも急いでそこへ向かって欲しい。あ、それと君たちの周辺から大量の敵性反応が出てるんだが』

 

ドクターに言われ、キャスターは後ろを振り返った。抉れ吹き飛び、大穴が数多穿たれた大地を越えて、機械化兵たちが野営地の方から押し寄せてきていた。

恐らく戦いの音が止んだために偵察に来たのだろう。それにしては物々しい装備で、日の光を受けて光る銃口はどう見てもカルナとキャスターに定められていた。

人的被害こそ出していないが、野営地の近辺で地形が変わりかけるほどの凄まじい破壊をまき散らした相手への対処としては当たり前であった。

 

『離脱できるようなら、そこからすぐ離脱してくれ。ラーマの傷の具合はあまり余裕がないようだから』

「分かりました」

「了解した。アルカトラズへ向かう」

 

アメリカの西部にある監獄島、アルカトラズ。そこに行くには大陸の約半分を踏破しなければならないのだが、二人は何の躊躇いもなく頷く。

キャスターは内心でシータの消息が分かったことに大いに安堵もしていた。

 

 

『あ、そうだ。さっきの大規模な魔力反応は何だったんだい?』

「アルジュナと互いに宝具を開帳して交戦した。魔力反応は恐らくそれだろう」

『アルジュナ!?え、マハーバーラタのあのアルジュナ?』

「そうだが?」

 

通信機の向こうが沈黙した。

 

『で、君たちは無事なのかい!?』

「戦闘には勝った。問題はない」

『そ、そうなんだ』

 

あまりに平坦に返されドクターはどう答えてよいのやら戸惑っているようだった。

 

「ドクターさん、その辺りはまた後で報告します。こちらがアルカトラズ島へ向かうことをマスターたちへ伝えてもらえませんか?」

『うん。分かったよ』

 

それきり通信は切れ、キャスターは通信機を仕舞う。

二人は全速力で走り出した。サーヴァントが本気で走れば、機械化兵でも追いつくことはできない。

 

「アルジュナ様は満足されたのでしょうか?」

 

走る合間にキャスターがぽつりと呟いた。足を止めずに前を向いたままカルナが答える。

 

「それは奴にしか分からないだろう。オレやお前が、奴の心情を推し量って何かを言うことは欺瞞にしかなるまい」

 

キャスターは無言で頷いた。

彼女も薄々は分かっていた。先ほどの戦いは本当の本気で行われたものではない。あの場で出せる(・・・)範囲内での全力を出しての戦いだった。本気の神造兵器と神の槍がぶつかれば、いくらキロ単位で離れたとはいえ野営地は吹き飛ばされていたのだろう。

何もかもを滅ぼしかねないほどの威力で、アルジュナは宝具を撃たなかったのだ。守るために英雄となった故だったのかもしれない。

それに、神代の頃と同じ力を振るえる戦いなど、行えることはもうないだろう。めぐり合いの問題ではなく、死者となってサーヴァントとしての『枠』に縛られる存在になっている以上、生前と同じ力は十全には振るえない。

あるがままの力を振るえるのは、生きている英雄だけだ。ほとんどのサーヴァントは、死によって『座』というシステムに束縛されている。生き死にの区別はそれだけ重い。

ではカルナは満足したのか、という問いを彼女は口に出さなかった。それこそ余計な質問だ。

 

「そう言えば聞いていなかったが、何故お前とアルジュナは睨み合っていたのだ?」

「……意見の不一致、です」

「意見の不一致は分かるがみだりに宝具は撃つな。あの宝具、あれはお前の命を燃やして使うものだろう」

 

う、とキャスターが視線をそらした。図星だったからだ。

 

「やはりか。冬木の記録を見たがあそこでもあれを何度か使っていただろう。あまり無茶ばかりするな」

「無茶をするなという言葉、あなたにだけは絶ッ対に言われたくないのですが」

「む、そうか?」

 

意外だ、という風に首を捻るカルナを見て、ああもうこの人は、とキャスターは走りながら器用に頭を抱えた。

しかし、こんなやり取りも何時ぶりだろうとキャスターは考えてすぐやめた。五千年も三千年も一秒も一瞬も、過ぎてしまえばどれだけ永かろうが同じだ。今はただ、また会えた幸運に感謝していたかった。

 

「カルナ、あなたは今はカルデアのマスター、白斗さんと契約しているのですか?」

「ああ。お前も冬木で仮契約していたな」

「はい」

 

実質的には、白斗がキャスターの初めてのマスターだ。冬木でキャスターを呼び出した魔術師もいるにはいたが、サーヴァントとしてろくに行動する前にあの異常が起きたのだから。

 

「初めてということは、お前は聖杯戦争などで呼び出されたことはないのか」

「覚えている限りではありません」

 

ふるふるとキャスターは首を振った。

 

「カルナはあるのですか?」

「聖杯戦争に参じたことなら何度かな」

 

感情を露にすることなく、淡々とキャスターとカルナは話し続けた。

離れていた時を埋めるように糸で布を織っていくように言葉を紡ぐ。

 

「冬木の聖杯戦争は中途から狂ってしまいましたが、最後の勝者には聖杯が与えられるんでしたね」

「万能の願望器とも言われているがな。お前も興味があるのか?」

「興味本位でいいならあります」

 

使いたいとは欠片も思っていなさそうな口調でキャスターは言い、そういうあなたはどうなのか、とカルナに尋ねた。

 

「無いわけではなかった。が、今はいい」

「え?」

「聖杯にはお前の行方を尋ねようかと思っていた。だがこうして会えた。だからもう必要はない」

 

その言葉を聞いて。

キャスターが、胸を叩かれたように一瞬足を止めた。

 

「……どうした?」

「いえ、何でも。何でもありません」

 

震える声でキャスターが答え、二人の間にしばらく無言の時間が流れた。

 

「カルナ、私には後で聞いて欲しいコトがあります。長くなるかもしれませんが、聞いてくれますか?」

「聞こう。どれほど長くてもな」

 

だが今はマスターに先に合流しよう、とカルナが言い、分かっていますよ、とキャスターは元の声音に戻って肩をすくめて言って、さらに足を早めた。

夕焼けの中、二つの影が飛ぶように西へ西へと大地を駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




戦闘は避けられずに、槍兵だけが北米の大地に残りました。
……魔神柱いますが。



あと、感想なのですが、全て読ませて頂いていますし、大変感謝しているのですが、現状、感想返しに時間をかけすぎて本編を書くのに時間が取れない事態になりかねないのです。
それはかえって読者の方に失礼な話だと思いまして。
なので、勝手ながら感想返しを当分は停止させて頂きます。
ご理解下さるようお願いします。


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act-9

この話と次話とでご都合主義が発生します。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。




一昼夜、一時も止まることなく走り続けた。

生前だったならカルナはともかくキャスターは焔を補給しなければ出来なかった芸当だが、サーヴァントとなった彼らは魔力さえ潤沢ならばそれもできる。

ともかくも二人は走るという単純だが確実な方法で大陸を踏破して、ドクターからの通信で知らされた座標へと向かった。

朧な島影を臨む海辺に見覚えのある人々を見つけたのはキャスターが先だった。

 

「マスター、マシュさん。お久しぶりです」

「こちらこそ久しぶりです、キャスターさん!」

 

ぱっと笑顔になったマシュが駆け寄ってきて、キャスターの手を取り上下にぶんぶん振る。キャスターは戸惑ったようだったが、苦笑して受け入れていた。

それを見ていたカルナの肩をアーラシュが叩く。

 

「よ、お疲れ。ドクターから聞いたぜ。アルジュナと戦ったんだってな」

「ああ。強敵だった」

「淡々としてるなお前さんも。が、勝ったんだろ」

 

そんでもってキャスターと会えたなら良かったじゃないか、とアーラシュはからから笑った。

 

「お話し中失礼します。キャスター、この患者の呪いを看てください」

 

ナイチンゲールの冷静な声音にキャスターもはにかむような笑みを消して、砂浜に降ろされたラーマの横に膝を付いた。

失礼します、と断ってから、キャスターはラーマの心臓を守るように燃える焔の上に手をかざした。

 

「どうです、治せますか?」

「……呪いを燃やして消すのは可能です。しかしそれだけでは、この人は戦士としては戦えるようにはなれません」

「やはりそうですか」

「む、それは困るぞ!」

 

ラーマが焦ったような声を上げたが、お静かに、とキャスターとナイチンゲールに同時に睨まれて黙る。

見ていたカルナの肩を舞台衣裳のような派手な格好をしたランサーのサーヴァント、エリザベートが叩いた。

 

「ちょっとカルナ、あの灰色ネズミみたいなキャスター、アンタの奥さんって本当?」

「本当だ」

 

ふぅん、と鼻を鳴らしたエリザベートはラーマの様子を看ているキャスターを見た。

 

「話には聞いてたからどんなのかと思ったけど、何か全体に地味ね。アンタの鎧がキラッキラしてるから余計にそう見えるわ」

「言っておくが、あれは彼女が戦に行くときの格好だぞ」

 

別にキャスターは普段からずっとあの灰色の布を被って男装をしていたわけではない。

動きやすい服装の方を好んでいたのは確かだが、着飾らなければならないときは配慮した格好はしていた。

 

「でも何か地味よ。アタシみたいなアイドルとは言わないけどあれじゃ緑ネズミと大差ないわね」

「いや、お前はランサーのサーヴァントではないのか?」

「そうだけどアタシはアイドルでもあるの!」

 

エリザベートがマイクと合体したような奇妙な形の槍を振って抗議し、その瞬間ぎろりとナイチンゲールの視線が飛んだ。

 

「そこ、少しお静かに」

 

さすがのエリザベートも拳銃を構えた婦長には逆らえず、ふくれ面をして槍を下ろす。

キャスターはといえば周りの音が聞こえていないのか、真剣な顔で糸のような細い焔を何本も指の先から伸ばしていた。

糸はラーマの心臓だけでなく、頭や腕にも取りついて生き物のように動いていた。

 

「何やってんだあれ」

「霊的な触診だ。呪いの状態を調べているのだろう。解呪に必要な処置だ」

「詳しいね、カルナ」

「何度かオレも世話になったからな」

『確か君にかけられていたはずの『奥義を忘れる呪い』とか『戦車が動かなくなる呪い』とかは本当は無いんだったね。じゃあそれを解呪したのはキャスターちゃんだったのかい?』

「そうだ」

 

婦長を気にしつつ小声で話す男性陣にも目がいっていない様子のキャスターは、ほどなくして焔の糸を全て消した。

 

「どうですか?」

「私が呪いを燃やすのと、ラーマさんの存在をシータで補いつつナイチンゲールさんが治療を行うのとを同時にやれば、完全に治せると思います」

「分かりました。ではマスター、早急にアルカトラズへ向かいましょう」

 

またラーマを背負い直してナイチンゲールが立ち上がった。

海に浮かぶ孤島へ向かうには、船か泳ぐかだがマスターの白斗と怪我人のラーマのいる一行では泳ぐ訳にもいかず、運良く近くにいた漁師からボートを借りることとなった。

漁師は島に悪魔が住み着いたと語り、そこへ行くだなんて何て命知らずな、と溢しながらも何とか船を貸してくれた。

が、全員が一度に乗るには船が小さすぎたため、キャスターが水の呪術で水面を歩くことになった。漕ぎ手はどうするのか、という問題もキャスターが風の呪術で船を押すということで解決した。

寄ってくるワイバーンをアーラシュの弓かカルナが目から放つブラフマーストラで叩き落としながら船は進む。

程無くして、船は切り立った崖に囲まれたアルカトラズ島に辿り着いた。

島は森に覆われており、その中心の高台に建つのは武骨で堅固な佇まいの灰色の建物。それこそがシータの囚われている監獄である。

ワイバーンを差し向けてきた以上、当然向こうも一行の上陸には気付いてきたらしく森に入ったとたんに、ケルト兵士やエネミーがそこかしこから襲ってきた。

こうなったら奇襲も何もない。

空からのワイバーンはアーラシュがまたもや向かえ撃ち、森に紛れて襲い来るケルト兵やエネミーにはカルナ、キャスター、エリザベート、それにとにかく敵と見れば突っ込むナイチンゲールが対処し、白斗にはマシュが付いた。

 

「ああもう!キリないわね!」

「それだけアルカトラズに兵力を割く理由があるんだよ」

 

キャスターの青い焔でケルト兵が怯む隙にエリザベートとカルナが槍を振るって彼らを倒すという連携は、敵と味方を選別して燃やせるキャスターの宝具の効果もあってうまくいった。

敵の波が一度止んだところで、キャスターはラーマが浮かない顔をしているのに気付いた。

 

「ラーマさん、どうかしましたか?まさか傷の具合が……」

「いや違う。少々我が身が情けなくなっただけだ。ナイチンゲールやお主も傷付いているのに、余は未だに戦えん」

 

少年姿の理想王は深くため息をつき、彼を背負った鋼鉄の看護師は眉をひそめた。

 

「まだそれを考えていたのですか。ラーマくん、あなたは私の一番嫌いなものを知っていますか?」

「何だ唐突に」

「いいから答えなさい」

「……治せない病、か?」

「違います。それは二番目です。一番は治ろうとしない患者です。治ろうとする意志がないものにはいくら治療したところで治るはずがない。私は全霊をかけてあなたを治します。あなたが奥方の手を再び取って愛を囁けるように、剣を取って戦えるように。それが私の役目です」

 

ナイチンゲールに被せるようにエリザベートも口を開いた。

 

「そうよ!あなたはアタシたちが必ず奥さんのとこに連れていくわ!ね、キャスター」

 

エリザベートに全力でばしばしと肩を叩かれてやや痛そうにしながら、キャスターも頷いた。

 

「はい、もちろんです。ラーマさん、私はシータに会いました。彼女が言っていたんです。あなたは誰よりも強い御方だと。だからきっと、そんな弱気はあなたに似合いません」

「そうか、シータがそんなことを……。そう言われてしまえば、確かに弱音など吐いている場合ではないな!望みを叶えるまで、死ぬわけにはいかん!」

 

高らかに宣言する理想王を見て、一瞬だけキャスターの瞳が眩しいものを見たように細められた。

それに気付いたのはカルナだけで、次の瞬間にはキャスターは何事もなかったようにまた歩き出していた。

 

「今、何を思い付いた?」

「いえ、何でも」

 

歩きながらカルナに話しかけられ、キャスターは露骨に言葉を濁したが、嘘を見抜くカルナの眼力をよく知る彼女はすぐに降参、とばかりに肩をすくめた。

 

「カルナ、このままだとシータはラーマさんとは会えません。彼女から聞いたのです。シータとラーマさんには離別の呪いがかけられていると」

 

キャスターは森の中でシータから聞いた話を早口に説明した。

 

「お前はそれを解くつもりか」

「ええ。完全に解くことは恐らく出来ませんけれど。呪いはあの二人のサーヴァントとしての在り方にまで絡んでいるようですから。でも特異点というこの異常下で、ラーマさんの存在自体が揺らいでいる今なら」

 

魔力に任せたごり押しでも呪いの一部を燃やせば、少なくともこの特異点においてなら呪いを誤魔化すことも出来なくはない、とキャスターは言った。

長続きはしないかもしれないし、この特異点の修正が成功すれば何事もなかったかのように呪いは修復されてしまうかもしれない。それでもキャスターは試したいのだ。

ふむ、と黙考したあとカルナは口を開いた。

 

「できるのか?」

「可能性が丸きり無いなら冗談でもこんなことは言いません。必要なのは魔力と気力と、あとは運です」

 

キャスターは拳を握りしめて言い切った。

 

「魔力にもお前の気力にも問題はないとしても、幸運も必要なのか」

「今さら神頼みもできませんけれどね。人事を尽くして天命を待つとでも言いましょうか。それに、私はシータに二度も助けてもらいました。何より、一度目の奇跡に出会えたなら、二度目の奇跡は引き寄せたいと思うのは人情です」

 

違いますか、とキャスターの碧眼がカルナを見つめた。

 

「引く気は無いというわけか。頑固者だな」

「呆れましたか?」

「いや、お前が変わっていないと思っただけだ」

 

協力できることがあるならオレも協力しよう、ただしラーマはもちろんのこと、ナイチンゲールとマスターにも話を通しておけよ、とカルナは続けた。

 

「それは無論です。元より私一人で出来ることではありませんし」

 

それからキャスターはナイチンゲールたちの方へ向かい、自分の考えを話した。

 

「やってくれ」

 

ナイチンゲールや白斗が何かを言う前に、話を聞いたラーマが即答した。

 

「可能性はあるのだろう?ならば試してくれ。危険があっても失敗しても余は構わん。呪いを何とかできる可能性があることなら試してほしい」

 

一方、ナイチンゲールはやや難色を示した。

 

「……患者に危険は無いのですか、キャスター」

「無いとは言えません」

 

高濃度の魔力を扱うのだから、暴発でもすれば当然被害は辺りに撒き散らされる。最もその場合、一番にしっぺ返しを食うのは術者のキャスターだが。

 

「いざとなれば令呪も使うよ」

「何かあれば私が皆さんを守ります」

 

手に刻まれた令呪を掲げて白斗も言い、マシュも盾を掲げて賛成した。

 

「……分かりました。ただし患者にとって危険と判断したならば何があっても止めますよ」

「はい。是非お願いします。そのときはどうぞ遠慮なく拳銃でも拳でも使って止めてください」

 

屈託なく言ったキャスターに、ナイチンゲールは満足げに首肯した。

 

『みんな、その先にサーヴァント反応が確認されてるよ。数は1だ』

 

そこへ響くドクターの通信に全員が顔を引き締める。

 

「ああ。俺にも見えるぜ。剣を持った奴が一人だな。ただしワイバーンもいるが」

「正面突破上等よ!ここまで来たら突っ込むしかないわ!」

 

行こう、と白斗の指示にしたがって一行は走り、ついにアルカトラズ刑務所の門の前に出た。

堅牢な石でできた門を背に立つのは、ワイバーンを引き連れ、二振りの剣を持った筋骨隆々の偉丈夫だった。

 

「アルカトラズ刑務所にようこそ、って言いたいところだがそんな雰囲気でもねえな」

「こちらに患者の奥方が監禁されているとのことですので、いるのなら治療のためお渡しください」

「おいおいたまげたな。アルカトラズに面会かよ。が、生憎だな。通すわけねえよ」

 

そう言うサーヴァントエリザベートがその視線を受けて嫌そうに身じろぎした。

 

「エリザベートさん?」

「何か、アイツ見てると嫌な感じがするのよ。こう角的に!」

 

生前とは違い、竜の角と尾を生やしたサーヴァントとしてエリザベートは存在している。

竜属性を持つ彼女にとっての、『嫌な感じ』ということは、

 

「竜殺しの逸話でもあるのか、あのサーヴァント」

「ご名答!俺の真名は竜殺し、ベオウルフ。今はバーサーカーとして顕現してるがね」

 

イギリス文学最古の叙事詩にて英雄と謳われる竜殺し、ベオウルフは一行をねめつけ、その視線がキャスターのところで止まる。見られたキャスターの方は首をかしげた。

 

「そうか、貧相なネズミのくせに炎ぶっぱなしたサーヴァントってのはお前だな」

「……それをあなたに言ったのはメイヴですか?」

「応とも。女王がお冠だったぜ。お前は必ず殺せってな」

 

とベオウルフは愉快そうに唇の端をつり上げて、二本の剣を構えた。

 

「で、誰が俺の相手をしてくれる?全員でかかってきてもいいんだぜ。ここまで来れたなら、お前たちとてひとかどの戦士だ。戦って己を証明することに、まさか否応は無いだろう」

 

カルデア側のサーヴァントたちの視線が白斗に集まり、白斗は唇を湿らせながら答えた。

 

「エリザベートとアーラシュ、マシュはワイバーン。カルナとキャスターはナイチンゲールと一緒にベオウルフを頼む」

 

すでに拳銃を抜いているナイチンゲールば、白斗が言わずともどう見てもベオウルフに突っ込む気満々だったが、他の面々もそれぞれの敵に向かう。

 

「その槍、お前、かなりの英雄だな」

「出自など戦いには必要あるまい。オレは故あってお前を倒すだけだ。二人目の竜殺しよ」

「そりゃそうだ!戦いに名は不要!せいぜい楽しむとするか!」

 

カルナとベオウルフは正面から激突し、剣と槍から火花が散る。

身の丈より長い槍を手足のように扱うカルナと、二本の剣を圧倒的な膂力に任せて振るうベオウルフの戦い方は対照的であった。

渾身の力を込めたベオウルフの一撃を、上手くカルナの槍が弾いて凌ぐ。

剣を弾かれてベオウルフがたたらを踏めば、そこに鋼鉄の看護師が拳を叩き込んだ。

 

「オイオイ、そこのお前は看護師だろう!」

「そうですがそれが何か?患者の治療行為を行うための障害を除いているだけです」

 

ナイチンゲールの拳を避けてベオウルフが叫べば、ナイチンゲールは眉一つ動かさずに応えた。

一応私も癒し手なのですけれどね、と口の中だけで呟き、キャスターも弓を取って矢の形にした青い焔をベオウルフの眼に向けて浴びせかける。

ラーマの快癒のためには何しろ時間が惜しい。戦う間にも呪いは心臓を食い破ろうと蠢いているのだから、遠慮などはこの際二の次であった。因縁の一騎討ちでもない限り、キャスターは多少えげつなかろうが全力で援護に回るのみだ。

燃え移れば簡単には消えない呪いの焔に視界を覆われ、ベオウルフの動きが束の間止まった。

 

「―――――梵天よ、地を覆え」

 

そこへ間髪いれずに放たれたカルナの奥義に、さしものベオウルフも後退する。

 

「畜生、いい一撃食らっちまったぜ。鋼鉄みてえな姉ちゃんに槍兵に術師か。半病人背負った奴らにここまでやられるとはな」

「こちらにも事情がある。お前の剣を後ろに届かせる訳にはいかん」

「ったく、インドの英霊ってのは何でそうまで真っ直ぐ敵を見れるんだか」

 

ベオウルフのいう側から、目と翼に矢の突き刺さった最後のワイバーンが悲鳴を上げて地面に堕ち、エリザベートの槍とマシュの盾がその心臓と頭に叩き込まれた。

 

「マスター、竜は今ので終いだ!」

 

アーラシュたちがカルナたちに合流し、ベオウルフは舌打ちをした。

 

「っち、降参だ降参。好きに通りな。そこの色男の奥方ならちゃんといるぜ。安心しな、折れそうなくらい細いから何もしてねえよ」

「……そうさせてもらう」

「おう。行け行け。後ろから不意打ちなんてつまんねえことはしねえよ」

 

ベオウルフの横を走り抜けて、一行はついにアルカトラズの中へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 




水着イベが来ました。万歳!!

番外編で書きたいです。主人公、BBQ向けの宝具持ってますし。
水着とか作者の頭であんまり思い付かないのですが……。

感想で、主人公の宝具はアルジュナに効くのかというご質問がありましたのでここに書きます。
結論から言うと、効きます。効きますが魔力値と幸運値の判定で大ダメージになるかは微妙、という感じです。


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act-10

ご都合主義発生しています。



アルカトラズ刑務所の奥、薄暗い独房の中に彼女はいた。

 

「シータ!」

「……ラーマ様!?」

「君はそこにいるのか!会いたかった、本当に、本当に君に会いたかったんだ、迎えに来たぞ……!」

 

しかし、ナイチンゲールの背から飛び降りて、走り出そうとしたラーマの襟首をナイチンゲールが引っ付かんだ。

 

「お待ちなさい!あなた方の呪いは互いの顔を見れば発動するのでしょう!」

「しかし……!」

「しかしも案山子もありません。治療を開始します」

 

遠慮容赦一切なく、ナイチンゲールの麻酔がラーマの意識を強制的に刈り取った。

混乱するシータの独房の扉の鍵を、キャスターが剣の柄で叩き壊した。

 

「まさかあなたまで……?」

「捕まった訳ではありませんよ。あなたを皆で助けに来たのです」

 

その言葉に牢獄から出たシータはほっと頬を緩め、次の瞬間には地面に横たわるラーマを見て彼の側に駆け寄った。

 

「ラーマ様!」

 

麻酔で眠るラーマの手を取って、シータは自らの頬にそれを当てる。透明な滴がシータの瞳から一筋流れて、ラーマの頬へぽたりと落ちた。

あまりに清らかなその光景に、全員が何も言えずに沈黙が満ちる。ナイチンゲールだけは医療道具を真剣な顔で並べていたが。

 

「……あの、シータ。空気を読めずにすみません、本当にすみませんがラーマさんの治療についてお話が」

「は、はい。何でしょうキャスター」

 

いたたまれない思いで、キャスターはシータの袖を小さく引っ張り、シータは目元を拭って元の毅然とした表情に戻った。

 

「キャスターさん、それは私とマスターがお話します。あなたは治療の準備にかかってください」

「ではお願いします。マシュさん、マスター」

 

マシュと白斗に説明を任せ、キャスターはナイチンゲールと向い合わせになる形でラーマの傍らに座る。

そのときナイチンゲールの後ろにアーラシュと並んで立つカルナと一瞬目があって、キャスターは少しだけ微笑みカルナは小さく頭を上下に動かした。

 

「分かりました。私がラーマ様の治療に役立てるなんて願ってもないことです。それにキャスター、あなたの案も受け入れましょう」

 

マシュたちの話を聞き、シータははっきり頷いた。

 

「本当に良いのですね?」

「ええ。そう言えば、あなたには私たちの呪いのコトを話しましたね。それを知っていてもあなたは抗うと言ってくれた。その気持ちだけで嬉しいのです」

「……はい」

 

澄んだ赤い瞳に真っ直ぐに見つめられ、キャスターは少し震える声で、でも碧眼をそらすことなく応えた。

 

「ちょっとアナタ、ここで失敗したら承知しないからね。遠慮なんかせずに思い切りやんなさいよ」

「イタ!叩かないで下さいエリザベートさん!」

 

耐久力の低いキャスターにはエリザベートの一撃はなかなかに効くのだが、ともかく緊張は解けた。肩に力が入りすぎていては成功するのも失敗する。

 

「ではキャスター、先に心臓の呪いを除去してください。シータ、あなたはラーマの手を握っていてください」

 

キャスターが両手をラーマの心臓にかざし、そこから橙色の焔が生まれる。焔はぐるぐると円環の蛇のように回りながら傷口に入り込む。

 

「……ッ」

 

焔越しに呪いに触れたキャスターの指先に、焼けた鉄に触れてしまったような痛みが走った。

ゲイ・ボルクの呪いは、命を食い尽くすために植え付けられた、剥き出しの害意の塊である。それにキャスターの精神が負ければ呪いは解けない。

 

―――――冗談ではない。お前になんて、負けてたまるか。

 

轟、と一際焔は大きくなってから消える。ラーマの心臓の崩壊は完全に止まっていた。

 

「今です」

 

入れ代わりにナイチンゲールが医術を振るう。傷口はみるみる塞がり、眼を閉じているラーマの顔が安らかなものに変わった。

ここからはまたキャスターの出番になる。

キャスターはシータの額とラーマの額とにそれぞれ手を当てた。

 

「では、燃やします」

 

赤色がかった橙色の焔が再び轟、と吹き出した。

キャスターが創り出した焔がラーマとシータを結び付けるように回りだす。

焔の中心に留まるキャスターの顔がしかめられた。

ゲイ・ボルクの呪いが命を潰そうとする破壊の呪いなら、今キャスターが触れている呪いは恨みと憎しみの込められた、猿の妻の呪いだ。

 

―――――許さない。夫を騙し討ちしたことを許せるものか。后を取り戻し共に幸せを分かち合うなど認めない。

 

古の呪いに込められた、凝り固まった情念をキャスターは何となく感じ取った。そこに込められた感情に、キャスターとて覚えがまるで無いわけではないが同調はしない。呪いは燃やすとそう決めたから。

 

「出力最大……」

 

火柱が立ち、焔が牢獄の中に吹き荒れた。

 

「あつっ……くない?暖かい?」

「熱くないのか、不思議な焔もあったもんだ」

 

焔は火柱となって音立てて燃えていたが、キャスターにはそれを気にする余裕がなかった。

魔力が足りないのだ。

高い霊格を持つラーマとシータの存在に干渉するには、知名度の無いキャスターの霊格は低い。その分をパラメータにしてA+の魔力で補おうとしているのだが、それでも届かない。

ラーマの瞼がぴくりと動いた。このまま麻酔が切れて目覚めてしまえば、ラーマの前からシータは消えてしまう。

キャスターの額に汗が浮いたとき、動いた人影があった。

 

「……魔力が足りていないのか」

 

ぼそりと呟いて、カルナはやおら指先をキャスターの額に押し当てた。そこから今度は紅蓮の炎が吹き出す。

 

「魔力はオレが手伝おう。気力はお前で何とかしろ」

「……は、いッ!」

 

炎を浴びれば魔力を補充できるキャスターのスキル『炎神の加護』が、炎に特化したカルナのスキル『魔力放出(炎)』によって発動する。

時間にしては短く、当人たちにとっては長い瞬間が過ぎ、焔がカッ、と一度強く光ってすべて消えた。

 

「終わり……ました」

 

胸を押さえたキャスターが切れ切れに言うのと同時に、ラーマの瞼が振るえて開く。

ラーマの赤い瞳が、同じ色合いをしたシータの赤い瞳を捉える。どちらも消えなかった。

 

「これは……夢か?余は目覚めたまま、夢でも……見ているのか」

「……いいえ、いいえ!ラーマ、私はここにいるわ!」

 

シータの腕がラーマを引き起こし、その体をかき抱く。ラーマとシータは互いに固く固く抱擁を交わした。

それを見届けてキャスターの肩から力が抜ける。彼女の視界はちかちかと明滅していた。立ち上がろうとしてふらつき、後ろから誰かに支えられる。

見上げれば、色の薄い碧眼がキャスターを見下ろしていた。

 

「……よくやったな」

 

それを聞いて、キャスターはほわ、と柔らかな微笑みを浮かべ、その全身から力が抜けた。

 

「おい………おい?」

「魔力に当てられましたね、キャスター」

 

大事ないとは思いますが、看ておきましょう、とナイチンゲールはキャスターをさっさと抱えて壁に上半身を預ける形で座らせた。

空いた手をカルナはじっと見てから、頭を振る。

 

「ナイチンゲール、キャスターは?」

 

不安げなシータにキャスターは大丈夫、と言う風に手を振った。

 

「私は平気です。それよりシータ、あなたこそ大丈夫ですか?呪いは?」

「ええ。私も、ラーマ様もこの通り大丈夫です」

 

といってシータは傍らの夫の手を握った。どちらも消えず、手はしっかりと繋がれた。

 

「心より感謝する。マスター、ナイチンゲール、キャスター、マシュ、カルナ、アーラシュ、エリザベート、ドクター。皆のお陰で余はシータとこうして再会できた。故に誓おう、マスター、余はあなたのサーヴァントとして共に戦おう」

「私からも皆様に感謝を。マスター、私もあなたのサーヴァントとして戦います」

 

理想王とその伴侶に真っ直ぐに見つめられ、白斗も視線を彼らを見つめ返した。

 

「うん、分かった。未来を取り戻すために一緒に戦ってくれ。ラーマ、シータ」

「うむ!」「ええ」

 

マシュが場を締め括るように口を開いた。

 

「これで我々の任務は完了しました。急ぎ東部へと向かいましょう」

「ええ。ようやく本来の治療行為が再開できます」

「勇ましいな、婦長さん。で、本来の治療行為ってのは具体的に何なんだ?」

 

アーラシュにナイチンゲールは腰の拳銃を叩きながら答えた。

 

「それはもちろん、ケルトの徹底的な粛清です」

「素敵!最高にそそる治療行為だわ!」

 

エリザベートのその言葉を、壁に背を預けて座っているキャスターはぼんやりとした意識で聞いていた。周囲の音は聞こえているのだが、どうも籠っていてはっきりしない。

滅多になかったことだが、今の彼女は酒に酔ったときと同じだった。

 

「あれ、ちょっとアナタ本気でどうしたの?顔、赤いわよ」

「……だい、じょうぶ……」

 

です、と言い終わる前に、目の前から闇が迫ってきてキャスターはそこで何も分からなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

全員が戦意を新たにする中、壁にもたれていたキャスターが、突然糸の切れた操り人形のように頭をがくりと下げた。

真っ先にナイチンゲールが駆け寄り、額に手を当てる。

 

「……眠っていますね。魔力酔いと宝具の酷使、霊核に溜めていた傷によるダメージが吹き出したのでしょう」

「眠っている、だけか?顔が赤いのだが」

「ですからそれが魔力酔いです。お酒に酔ったようなものです」

「……原因はオレの魔力か?」

「それはそうでしょうが、あなたの手伝いがなければ呪いとやらは燃やせなかったと思います。私は非科学的なものに明るくありませんが、必要な処置でした」

 

すうすうと寝息を立てているキャスターは、顔こそほんのり赤くはなっていたが表情は安らかだった。どこか張りつめた無表情が抜け落ちて眠っている様子は、数歳は幼く見えていた。

 

「ともあれ、ここにいる理由は無くなりました。マスター、早急に東部へと戻りましょう」

「あ、ああ。じゃあ皆、急いで戻ろう。ジェロニモからの連絡も気になるし」

「あの、キャスターさんは?」

「ここはラーマバック改めキャスターバックの出番です。鎧を着ている人に病人は運ばせられませんから」

 

ナイチンゲールはキャスターを軽々と背中に抱えあげて、すたすたと歩き出す。

白斗とアーラシュは苦笑いしてカルナを見た。

 

「ま、とっとと行こうぜ。戦いは終わっちゃいないし敵もまだいる」

 

無論だ、とカルナは深く頷き、槍を顕現させて先頭に立って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刑務所の外にベオウルフはすでにいなかった。ワイバーンもなく、兵士もいない。アルカトラズは静寂に満ちていた。

 

「誰もいませんね。敵性反応も感知できないようです」

「撤退したみたいだな。戦力を東部に集めたってのか」

「かもしれん。ジェロニモたちから連絡は来ておらぬのか?」

「まだないよ」

 

ジェロニモ、ネロ、ビリー、ロビンはクー・フーリンとメイヴの暗殺のために東部へ向かった。失敗にしろ成功にしろ、別れてからすでにかなり時間は経っていた。

白斗たちは今回、かなり派手に西部で動いた。それこそ、フィン・マックールたち辺りにでも刑務所の入り口で待ち伏せされていることも考えていたのだが、予想に反してここには誰もいない。

何もないことがかえって不気味だった。

 

「マスター、ひとまず本土へ戻るべきだ。ここにいても益はない」

「……そうだね。で、問題はどうやって戻るかなんだけど」

 

行きはキャスターの呪術で船の定員オーバーを何とかしたが、今彼女は昏倒している。

起きてくれないかな、と望みをかけてナイチンゲールの背で眠るキャスターを見れば、あふ、と欠伸をして彼女がタイミングよく目を開けるところだった。

 

「キャスター、起きたのですか」

「……何で、ナイチンゲールさんに担がれているんですか?」

「気絶したのですよ。覚えていませんか?」

 

あ、と呟き、何があったかを思い出したらしいキャスターは、罰が悪そうに首を縮めながらナイチンゲールの背中から滑り降りた。

 

「すみません、敵地で気絶するなんてご迷惑を」

「き、気にしないでキャスター。むしろ平気なの?」

「はい」

 

キャスターの顔はまだ赤いが、多分魔力酔いとはまた別の理由だろう。

それと白斗はキャスターに関して新しいことを見つけた。このサーヴァント、ナイチンゲールやカルナほどではないかもしれないが、かなりの仕事中毒者である。おまけに自分の体調を二の次どころか四の次くらいにしか考えていない。キャスターの大丈夫はあまり信用できなさそうだった。

それでも聞かないといけない。

 

「キャスター、起きてすぐ悪いけど、また船を押せる?」

「はい、任せてください」

 

と、そういうことになった。

ちなみに一人増えたために、キャスターと呪術に助けられたエリザベートが水上を歩いた。キャスター曰く、体重が軽い方がいいのだという。

帰りは不気味なほど何もないまま陸地に辿り着いた。海は凪ぎ、風は穏やかで竜はいない。

船を漁師に返してから、白斗たちは全員で海岸に集まる。

 

「ベオウルフが撤退したのはともかく、伏兵までいないってのはおかしいと思う」

「それだけ戦力を東部に固めたというコトでしょうか?先輩」

「守りに入ったってコトかしら」

 

エリザベートが首を捻り、キャスターが口を開いた。

 

「守りを固めておいた上での、誘い込みかもしれません。女王メイヴは謀略家でもあります」

 

何せ、ケルト最強の光の御子、クー・フーリンを数多の策略にはめて死に至らしめたのはメイヴだ。その彼と共に、王と女王を名乗っているのは奇妙と言えばそうだか、ともかくメイヴが謀略に長けていることに間違いはない。

 

「誘い込みは考えられます。あちらにもアーラシュさん、カルナさん、ラーマ様などがこちら側にいることは伝わっているでしょう。これまでのように、どこか面白半分に攻める手を捨てた可能性があります」

 

これまで、ケルトには強ければいいという無頼漢そこのけの無秩序さがあった。サーヴァントたちにはメイヴが手ずから命を下していたようだが、西部で暴れまわっていた兵士などに規律が敷かれていたとは言えない。竜やキメラなどのエネミーにも、適当にばらまかれていた風情があった。

もしケルト側がそれを止め、メイヴとクー・フーリンを頭に統制の取れた行動をするようになったとしたら、どうなるのだろう。

ラーマが腕組みをして眉根にしわをよせた。

 

「あの兵士どもが、規律正しい軍隊として東部の守りを整えた上で、西側の要所を攻めるようになるというわけか」

『それは不味い!時代に逆行するケルトの勢力範囲が一定値を越えたら、正史との剥離に取り返しがつかなくなる。特異点の修正が覚束なくなってしまうよ』

 

つまり、西側が陣取り合戦に負ける前にカルデアは聖杯を手に入れなければならないが、ケルト側には時間の制限がない。

聖杯を持ち、物量に底がない軍が規律正しく攻めていっては、大量生産しているとはいえ限りのある人力を使っている西部側は、むしろ時間と共に不利になっていくといえた。

 

「じゃあ、暗殺に行ったあいつらはどうなるのよ!ネロも、……アタシの友達も行ったのに!」

 

エリザベートの叫びに誰もすぐに答えられなかった。

沈黙を切り裂くように、そのとき白斗の通信機が鳴った。

 

『すまねぇ、マスター。しくじった』

 

スイッチを入れると同時に聞こえたロビンの声に、空気が凍る。

 

「ちょっと、どういうことよ!?」

『暗殺は失敗だ。ジェロニモ、ビリー、ネロも殺られた』

 

その意味するところを察し、場に痛いほどの沈黙が一瞬流れたのだった。

 

 

 

 

 




本気で謀略を考えるようになったメイヴって、クリシュナレベルに怖い気がするっていうお話です。

それはそうと、水着イベ!
石が足りてないのが悲しいですが、シナリオ楽しいしまあいいか!(泣





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act-11

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。

物語もそろそろ佳境です。


沈黙が場を支配したのは一瞬だった。

カルナ、アーラシュ、ラーマに続いてシータとキャスターは真っ先に我に返り、ロビンに事情を聞いた。

だがあちらも逐一説明していられる状況ではなく、指定された座標で落ち合おうということになった。

 

『ここからそれほど遠くない場所だよ。ナビゲーションは任せてくれ』

 

ドクターの声には力がない。

言葉を失うエリザベートに対して、かつて一軍の将だったカルナやアーラシュ、王だったラーマは冷静だった。

 

「一番最悪の予想が現実になっちまったってか」

「それはまだ分からない」

「しかしジェロニモたちとて手練れだ。それが全員殺られたとは……」

 

白斗も頭が真っ白になりそうだった。

ジェロニモ、ネロ、ビリーとは短い邂逅だったけれど、その間に何度も助けられたし助け合った。その彼らが皆殺された。

特にネロとは、生けるローマ皇帝としての彼女と共に第二の特異点でも共に戦った。サーヴァントとなった彼女の方は、はっきりと白斗たちを覚えてはいなかったようだが、一番縁が深かったと言えた。

特異点では何度も目の前でサーヴァントや人が死ぬのを見てきたけれど、そのたびに自分の中の一部が引き千切られてしまったような気になる。

 

「先輩?」

 

不安げに呼び掛けてくれるマシュにも、力強い答えが返せず、目眩がした。

 

「マスター、気をしっかり持ってください」

 

揺るぎないナイチンゲールの声で、白斗は我に帰った。

 

「あ、ごめん。俺、ぼうっと……」

「謝らないで下さい、マスター。あなたの反応は人としてこの上なく正しい。ただ、今はまだ立ち止まっていられません。……進みましょう」

 

白斗の言葉を遮ってキャスターも言い、青い焔のように燃える碧眼が白斗の瞳を真っ直ぐに捉えた。

 

「……分かった。みんな、行こう」

 

令呪の刻まれた手を握りしめ、白斗はそう宣言して歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

集合場所となったのは、放棄された西側の拠点である。

そこに草臥れた様子の緑衣の狩人と、黒い服を纏った美しい女性がいた。

 

「おう、来たかマスター」

「ロビン、何があった?」

「そうよ、一体何があったって言うの!?ネロも死んだってホントなの!?」

 

エリザベートに食って掛かられ、ロビンの顔が歪む。隣の女性は泰然と立っていた。

 

「分かった。全部話すから一回で聞いてくれよ」

 

二度も三度も語りたい話じゃないんでね、と前置きしてからロビンは語り始めた。

暗殺部隊は、東側の首都ワシントンに潜入することには成功した。

ワシントンではメイヴを讃えるパレードが開かれており、その隙をついてメイヴをネロの宝具、『招き蕩う黄金劇場』に囲い込むところまでは行った。ネロの宝具内では、サーヴァントだろうと弱体化される。そこでメイヴとクー・フーリンを倒すはずだった。

しかし、状況はすぐに引っくり返された。

宝具内にはメイヴ、クー・フーリンの他に、フィン・マックールも潜んでいたのだ。

魔術で気配を絶っていたフィン・マックールに逆にネロは不意討ちをされ、黄金劇場は崩壊。

元から宝具内でも桁外れの膂力を誇っていたクー・フーリンを抑えられる術はなくなり、ジェロニモはここでロビンに離脱するように言い、クー・フーリンをわずかでも抑えるためにビリー、ネロと共に挑んでいったという。

もうすでに死者であるサーヴァントとはいえ、白斗たちと当たり前のように話し、信頼しあった仲間が死んだ。それも三人も。

その事実が重くて、白斗は唇を噛み締める。口の中にじんわりと血の味が広がったが、気にもならなかった。

 

「よくそこから生きて戻れたな」

 

カルナが言い、ロビンは暗い顔のまま頷いた。

 

「ああ、俺だけじゃ無理だったろうさ」

 

宝具『顔のない王』でワシントンから抜け出すことはできたものの、今度はロビンにディルムッド・オディナの槍が迫った。

白兵戦に優れるディルムッド・オディナに、遮るものない荒野で追われては森に潜む狩人には分が悪い。

追い付かれそうになったとき、文字通りの横槍を入れてロビンを救ったのが―――――、

 

「こっちの姐さんだったってワケさ」

「姐さんではない。我が名はスカサハ。影の国の女王だ」

 

スカサハといえば、ケルト神話に伝わるクー・フーリンの師。影の国を統べ、数多の英雄たちを育てた最強の女戦士である。

伝承を見れば、彼女はケルト側に与してもおかしくないのだが。

 

「人ならざる身になったせいか、私には聖杯の効果はない。というより、本来なら私はこうして生者と話すことすらできぬ、死に置いていかれた存在だ」

 

人の身で人、神、亡霊の類いを数多斬り、それ故生きながら国ごと世界から弾き飛ばされた外れた存在。それが自分だとスカサハは語った。

では、死者でないため本来ならサーヴァントとして現界できない彼女がここにいられる理由が何かといえば、人理焼却にあった。

人類史が全て燃えたということは、彼女の国もまた燃えたということ。結果、スカサハは死んだ者として顕現できたという。

 

「まあ、私の事情はどうでも良かろう。そこな術師のように、世界から弾かれたが人理焼却のために喚ばれるようになった、少々特殊なサーヴァントと考えておけばよい」

 

スカサハの指が指し示したのはキャスター。

カルデア側の視線がキャスターに集まり、指された本人はといえば苦笑しながら頬をかいただけで違うとは言わなかった。

 

「真っ当な世界であれば、私もそやつと同じく生者と話をすることもできん。現界できるようになったことだけはこの状況において唯一有難いことではあるが……」

 

阿呆な弟子の見るに耐えん有り様を見せられる羽目になった、とスカサハは嘆息した。

 

「弟子、というのはクー・フーリンの?」

「応とも。狂王など、あやつが生前思いもつかなかった蛮行さ。メイヴが聖杯に願いでもせん限り、阿呆弟子があのような様になるわけもない。首に縄をつけてでも引っ張って帰ろうかと思っておったところに、たまたま目に入ったのがお前たちだ」

 

この件は死した英霊だけで解決していいものではない。今を生きる生者が解決すべきと判断したスカサハは、カルデアに手を貸すロビンを助けたという。

 

「ではスカサハさん、わたしたちと共に戦っていただけるんですか?」

「そこは難しいのぅ。私のやり方では時代ごと聖杯を持つメイヴを殺してしまう。だがそれは不味かろう」

『あ、はい。スカサハ殿、聖杯が壊れては時代の修復が困難になるので回収しなければならないのです』

「やはりか。ところで何だお主は、遠見の術を使う魔術師か?」

 

ぎろ、とスカサハの視線が通信機に突き刺さり、ドクターの声が跳ねた。

 

『申し遅れました!ボクはカルデアで白斗くんたちのサポートをしているロマニ・アーキマンと申します』

「そうか。趣味が良いとは言えんし性根もなっちゃおらん軟弱者のようだが、まあ良かろう」

『うぅ、また言われた……』

「ドクターさん、凹まないで下さい。要するに聖杯については、これまでと同じくカルデアが解決すべき案件ということなのですよね?」

 

キャスターが白斗の手のひらに乗った通信機をぺしぺしと叩きながら聞き、ドクターは調子が戻ったようだった。

 

『うん。聖杯をメイヴから奪うこと。それが君たちのオーダーだ』

「おいおい、ドクターも簡単に言ってくれるな。他に手はないんだから何とかするしかないけどよ」

 

アーラシュが肩をすくめて言う。言葉とは裏腹に、その顔に悲壮の色はない。

 

「東方の射手よ、言っておくがクー・フーリンは強いぞ。恐らく私でも敵わん」

「え、クー・フーリンってアナタの弟子じゃないの!?師匠より強いっての!?」

「忌々しいことよ。聖杯によって顕現したあやつは私の知るクー・フーリンであって、クー・フーリンではない。メイヴと並び立てるほど邪悪な王になり、あやつは千本もの棘を持つようになった。一本の棘すら手に余っていた阿呆だというのにな」

 

破壊を撒き散らす王であれと願われ、その通りに存在するようになったクー・フーリンは単純にとてつもなく強化されているのだ。

 

「伝承と違う有り様はそれ故か……」

 

実際に一度戦っているラーマが呟き、正面から彼の殺気を浴びたキャスターも納得した。

非情ではあれど誇り高き護国の戦士という伝承を持ちながら、無感動に人を塵殺するクー・フーリンの気配はあまりにちぐはぐだった。あのクー・フーリンがメイヴと聖杯によって歪められていたためなら、それもまだ分からなくもない。

 

「哀れな。それは人生を檻に閉じ込められたようなもの。あり方を狂わされて螺曲がれば、自らの棘に貫かれてしまうだけです」

「確かに破綻しているな。狂ったのではなく最初から狂っているコトを定められて生まれた王。故に己の心を動かさぬまま、殺戮を行えるわけか」

「そうだ。だがその分あやつは強くなった。迷いのない馬鹿は強いと言うだろう?それと同じさ」

 

おまけに、享楽のまま国取りに夢中になっていたメイヴが弛みを捨てたとスカサハは言った。

 

「あの女には手勢を遊ばせ、その様を見て楽しんでいるようなところがあったがな。フィン・マックールを無理に従えてでも罠を張るようになった。お主らカルデアの情報が入り、警戒するようになったということだ」

 

カルデアには、初めからアーラシュにカルナがいる。それにラーマの復活もメイヴには伝わったことだろう。

そのためかははっきりとは分からないが、西側も徐々に押され始めしているという。

聖杯を持つ女王メイヴ、狂王となった光の御子クー・フーリン、フィオナ騎士団団長フィン・マックールとその一番槍ディルムッド・オディナ、竜殺しベオウルフ、それと聖杯によって産み出され続ける底のない兵士と数多の怪物に、シャドウサーヴァント。

それら全てが敵だ。

 

「物量戦だな。オレたちだけの正面突破もやってやれないこともないが……」

「それは悪手かと思います。フィン・マックールの隠蔽の魔術はかなり厄介です」

「ええ」

 

隠蔽の魔術を食らって見事に不意討ちをされたキャスターとシータは揃って頷いた。混戦中にマスターの白斗を狙われては不味い。

暗殺者の真似事など本来ならあの騎士団長がやるとも思えなかったが、メイヴの手に聖杯がある以上、そうは言っていられない。

そのとき、またもや騒がしい音が聞こえてきた。この地に入ってから馴染みになりつつある敵襲だ。

 

「マスター。また敵だ。ワイバーンにその他諸々。どうする?」

「迎撃しよう。西部の地を渡すわけにはいかないよ」

「いい返事だ、異郷のマスターよ。ちょうどよい機会だ。クー・フーリンと戦おうとするお主の采配も見せてもらおう」

 

下手ならば死ぬだけよ、とスカサハは凄惨に笑った。

見守るスカサハの前で白斗はいつも通りに指揮を執った。

空からの敵にはアーラシュとシータ、地上の敵にはカルナとラーマ、エリザベートとロビンで当たり、補助にキャスターとマシュ。

ナイチンゲールはすでに突っ込んでいるので指揮も何もなかったが、危なげなく敵は倒せた。

しかし、最後のワイバーンが撃ち落とされ、青い焔に包まれてもアーラシュは警戒を解かなかった。

 

「シャドウサーヴァントだ、マスター!それと……普通のサーヴァントも一体!」

 

サーヴァントには劣れど、人の手では届かない怪物であるはずのシャドウサーヴァントを消し飛ばしつつ走り寄ってきたのは中華服を着、槍を携えた男性だった。

神速と言える踏み込みから放たれる槍の一撃でシャドウサーヴァントたちを薙ぎ払い、切り伏せ、迫ってきた男は身構える白斗たちの前で止まった。

 

「良い、お主の技と気迫は実にいい。お主、名は何という?」

「ランサー、李書文と申す。二つ槍のサーヴァントよ。貴様を見たときから我が心中は嵐の如し。最早倒さねば収まらん。立ち合いを所望する」

 

スカサハに槍を向け、宣言する神槍、李書文。中国においてその名を轟かせた武術家である。一撃のみで敵を屠るその絶技により付いた名は、二の打ち要らず。

影の国の女王は、愉快そうに笑った。

 

「ほう、私との立ち合いを望むか。だが生憎私はすでにこのマスターに付いておる。立ち合いたいというなら、これなるマシュと、それからこのキャスターを相手取ってからにしてもらおうか」

「え?」「は?」

 

肩を掴まれて、キャスターは頓狂な声を上げた。スカサハを振り返ってみれば、彼女は人の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「どういうつもりですか?」

「いや、同じように呪われた者としてお主に興味が湧いたのさ。人を見極めるには戦う様を見るがちょうど良かろう。戯れだ、許せよ」

「人と為りが戦ったら分かるなんて、あなたどれだけ脳筋なんですか……」

「否定はせん。で、お主はどうするのだ。マシュを一人で戦わせるような性格でもあるまい?ああ、お主が弱いのは分かっておる。ま、マシュと二人がかりなら何とかなるだろうさ」

 

キャスターはスカサハをじと、と睨んだ。

前を向けばそこにいるのは戦意が高まっている李書文で、横には戸惑い顔のマシュ。

 

「マシュさん、やるしかなさそうですよ」

「でも、戦う理由がわたしにありません……」

「あの人には理屈が通じません。戦いに理由など求めていない。戦いたいから戦うという餓狼の如き人ですよ、恐らく」

 

武人を目にすることが多かったキャスターが言えば、李書文は如何にもと肯定した。

 

「その通り。理由がないというなら、儂をケルトとでも思えば良かろう」

「生粋の求道者の物言いですね。李書文」

 

顔色こそ変わっていなかったが、キャスターは内心、スカサハがややこしいことをしてくれたと頭を抱えていた。

カルナはと言えば油断なく槍を構えたまま黙している。お前が決めろ、と言っているのだとキャスターは判断した。

白斗へ目をやれば、彼と目が合った。

 

「マシュ、キャスター。李書文の相手、頼めるか?」

「はい」

「了解です、マスター」

 

マシュは盾を構え、キャスターは剣を抜いて李書文に向き直る。

向き合って、そしてキャスターは己一人では李書文に敵わないことを瞬時に悟った。

さらに、彼が異名通りの絶技を振るうなら一撃をまともに食らえばそれで終わりだろう。キャスターの方が、李書文より神秘がかなり濃いサーヴァントなだけまだましだが。

 

「来ます、キャスターさん―――――!」

 

李書文が口の端を吊り上げた次の瞬間、膨れ上がった殺気に考える前に体が動いた。

心臓を貫かんと伸びてくる槍を下から剣ではね上げることでキャスターは逸らす。

そこへマシュの盾が入るが、李書文はもう槍を引いていた。

続けて放たれるのは、息もつかせぬ連続の付き。

 

「下がって!」

 

マシュとキャスターが位置を代わる。

マシュの大盾が突きをいなし、その隙にキャスターは呪術で李書文の足元の地面を陥没させ、その体勢を崩す。が、李書文はそれを危なげなく飛んで避けた。

 

「む、妖術か」

 

キャスターは曖昧に肩をすくめた。

口を開けば攻撃の気配を読み取れなくなると感じたからだ。

李書文は、二振りの魔槍を使うディルムッド・オディナほど変則的な武術は使わない。使わないが、ただただ真っ当に極限まで己を鍛え上げた修羅だ。天賦の才と血の滲む鍛練との両方を備えた武術家。

つまり端的に言えば、神槍李書文は鬼神のように強い。

キャスターは本物の鬼神も見たことはあるし戦ったこともあるが、人ならざる身に生まれたあれよりも人のまま人ならざる領域に至った李書文が恐ろしい気がした。

 

「攻めぬのか、ならばこちらから行くぞ」

 

そして再び神速の踏み込みからの連続攻撃。

突き、払い、合間に拳や蹴りすら放ってくる。すべて受け切るなど、キャスター一人では不可能だ。

盾を振るうマシュと位置を入れ換えながら、ひたすらにいなし続ける。

マシュが盾で一撃を与えようと振り上げれば、その隙をつかれないようキャスターが呪術と焔で李書文の動きを妨害し、キャスターが焔を放つ隙を李書文が突こうとすれば、マシュが盾でキャスターを守る。

マシュとキャスターの連携は冬木以来である。積極的な攻撃は行えずとも、お互いを補いあっての防衛は李書文にも攻めきれなかった。

 

「固い守りだな、お主らは。本気で攻める殺し合いをすればどちらが勝つか分からんな」

 

日も傾き、李書文がそう言って槍を引いた頃には、マシュもキャスターも精神が疲弊していた。

 

「それが、心臓を躊躇なく狙ってきた人のセリフですか」

「ははは。許せ。儂もあの程度でお主らが死ぬとは思っておらんかったよ」

 

槍を収め先程までの殺気をかき消して、からからと笑う李書文である。

ひとまず勝負は仕舞い、ということだと判断したキャスターは剣を鞘に収め、マシュも盾を引いた。

 

「何だ、もう終わりか?」

 

後ろから、愉快そうに声をかけてくるのはスカサハである。

 

「ああ。お主らとそこの弓兵、槍兵、剣士たちがいるならケルトに牙を届かせることもできよう。儂とて好き好んで世界が滅ぶ様を見たいとも思わん」

「なら、最初から、勝負を挑まなくても……」

 

マシュが息継ぎしながら言えば、李書文はあっけらかんと言った。

 

「そこは全盛期の姿で召喚された弊害よ。老年の儂ならもう少し丸かったのだがな。二槍使いよ、よって儂との勝負は戦いの最後にしてくれぬか?」

「良いぞ。それまで私が生きていたらな」

 

殺しても死にそうにないのによく言う、とキャスターはスカサハにやや呆れた。

 

「あの李書文さん、わたしたちと共に戦ってはくれませんか?」

「それは出来そうにないな。このまま共にいれば、また襲い掛からないでいられぬ自信がないのだ。妖術師にそこの槍兵も神仙の類いだろう」

 

行動を共にするのはやめておくが、縁があれば共闘も出来よう、と言って李書文はあっさり走り去っていった。

 

「そうそう。西部のエジソンだがな、儂の見立てでは何かに憑かれているな。一発殴ればあるいは目覚めるかもしれんぞ」

 

という発言を残して、正しく風のように李書文はどこへか消えたのだ。

あれが世に言う辻斬りか、とキャスターは思い、カルデア一行へと視線を戻したのだった。

 

 

 

 

 

 




盆休みに用事が諸々入り、どたばたと過ごしていました。
その余波が未だに来ているので、今後更新が遅れるかもしれません。……遅れないかもしれませんが。


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閑話-1

閑話という名の過去話。またの名を主人公掘り下げ回。
注意事項は半オリキャラが登場していること。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。





日除けのために窓にかけていた薄布を取ると、一つきりの寝床が朝日に照らされた。

寝床といっても、床の上に編んだ草で作った絨毯を敷き、寝具を置いただけの簡素なものだ。

あふ、とあくびをしながら、この家の住人である黒髪の少女は緩慢な動作で寝具を部屋の隅に片付ける。

そのまま家の外に出、入り口の横においた水瓶から水を掬うとそれを頭から被った。冷たい水が頭から背中にかけて滑り落ち、少女はぶるりと体を震わせた。

子犬のように頭をふって水気を撥ね飛ばせば、ついでに眠気も飛んだ。

時刻は早起きの小鳥すら鳴いていないほど早く辺りはまだ静かだが、この時間に起きるのは少女の変わらない習慣である。それなのに眠いのは少女が昨日の夜、遅くまで起きていたからだ。

少女は夫の帰りを待っていたのだが、昨日も彼は帰って来なかった。

何ヵ月か前に結婚し、夫となった人物のことを少女はあまり知らない。

記憶しているのは彼が生まれながらに黄金の鎧を身に付けている武人で、比類ないような武技を持ちながら、身分は武士ですらない御者であるということくらいである。つまり巷に登るような話しか少女も知らない。

元々結婚しろと親に願われ、命じられたからした結婚である。結婚という儀礼に感慨が無いわけではないが、妹たちのように心から恋慕う相手と添い遂げたいと思ったことがない自分には、むしろ相応しいと思う。

恋や愛が分からないと言うより、他人に対しても自分に対しても興味が薄いのだ。そう思う自分は心根の冷たい人間なのだろう、と少女は思っていた。

そも、結婚には相手も乗り気ではないようだった。

その証拠と言えるかは分からないが結婚してからのこの数ヶ月、家で顔を付き合わせた試しが片手で数えるほどしかない。今も仕事だと言って七日ほど前に城へと出掛けたきり、てんで音沙汰がないのだ。

嫌われるほどにお互いを知らないのだから、単に自分は興味を持たれていないのだろう。

だから別に、少女は昨晩も律儀に帰りを待っていなくても良かったのだ。好かれたいと思っていないくせに、そんなことをする自分が少女には分からなかった。

何となく、灯りの絶えた家に一人で帰るのは寂しいかもしれないと思っただけだ。

しかし今日はどうしようか、と少女は家の周りを掃き清めながら考える。

多分彼は今日も帰って来ないだろうから、家に延々居続ける意味はない。

それより、久しぶりに森に行きたくなった。

森に行けば何でもあるし、狩りも出来る。それに少女の呪術の師もいる。結婚してから何となく気が引けたせいで師には会っていなかったから、久しぶりに顔を見せにいくべきだとも思う。

よし、と少女は弓と矢筒を取って、人々がようよう起き出した街を通り抜け、誰かに見咎められないうちに森に向かったのだった。

 

 

 

 

新婚ならいい加減妻の顔を見に戻れ、と上司から命令された夫が家に帰って来る、数刻前の出来事だった。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

太陽が強く照る頃、少女は森へ着いた。

女が一人で森で狩りをするなどあまり誉められた話ではないから、なるたけ人に会わないような道を選ばざるを得ず、そのせいで時間がかかったのだ。

人に後ろ指を指されても、少女が森に通うようになったのは幼い頃にまで遡る。

母が亡くなった後、心が不安定になったせいか焔の力が時たま抑えきれなくなることがあった。このままでは暴走して周囲を燃やしかねないと幼心に悟ってから、少女は暇があれば森で時間を過ごしていた。

人が来ず、獣しかいない森は少女には安らげる場所だったのだ。

青い焔は全てを燃やし、橙の焔は傷を癒し呪いを絶つ、と父は言い、それを授けてくれた神を事あるごとに称える。偉大な神に恩寵を与えられたのだから、その子である少女はよき行いをすべきだ、とも言う。

しかし少女は、自分も焔もそんな立派なものではないと思うのだ。

人に命を授け、自然を司る神々を畏れ敬い感謝する気持ちは確かにある。それは間違いない。ただ父として神を尊敬したことも慕ったこともないし、父かどうかすら怪しいと思う気持ちすらある。

それは多分、幼い頃に一人で母の最期を看取ったからだ。

傷を癒せるはずの焔は、病み衰えて異教の神々に祈りながら亡くなった母には忌むべきものにしかなっていなかった。

どうしてわたしの子供にこんな化け物みたいな力が宿ったのかと、母は最期まで苦しんでいた。

それに、人間の父の正妻である義母に言わせれば悪魔の力である。

第一本当の父が神だとしたら、自分と今の家族には何の血の繋がりもないことになってしまう。

そう考えたら、炎神への祈りに人よりも腐心する父の言動の裏に何があるのかも見えてしまうようで、とても心がざらついた。

せめて周りの他人を傷付けたくないから、少女は森に行くようになった。優しさや気遣いではなく、これ以上何かを背負いたくなかったからだ。

そして森に逃げた先で師匠と仰ぐ人に出会ったのだから、全く人生は何が起きるか分からないものだ。

師匠は何でも教えてくれた。狩りのやり方に呪術、森での暮らし方、それに焔の操り方も全てだ。

焔を制御できずに途方に暮れていた頃に、どれだけいらないと思っていても持って生まれた異能は消えはせず使えるようになるしかない、そうでなければ自分が喰われると言われた。その言葉は今でも心の奥に根付いている。

と、森の中を歩きながらそこまでを思い出し、少女は頭を振って考えを追い払った。

歩く道の先に張り出した枝の上に、鳥が一羽止まっているのが見えたからだ。ちょうどいい、と少女は思った。

師匠は気むずかしくて手土産の一つも持っていかないと、家に上げてもらえないのだ。

息を殺し、弓に矢をつがえて放てば、矢は過たずに鳥の胸を貫き、鳥は鳴き声ひとつ出さずに地面に落ちた。

虚ろな眼をした鳥から矢を抜き、まだ暖かい鳥の体を懐に入れる。

木漏れ日に背中を暖められながら歩く少女の前に、程無く一軒の小屋が現れた。

草を編んで作ったような見た目だが、中は常に涼しく快適なのだ。作った当人は住み心地はハスティナープラの城にも負けないと豪語していたが。

 

「師匠、いますか?」

 

入り口に垂らされた布を持ち上げかけたところで寒気が走り、少女は横へ跳んだ。

直後、少女の頭があったところを、家の中からぶん投げられた木で作られた器が通りすぎて行った。

少女が地面に転がった器を拾ってもう一度名乗ると、今度は入っていい、と不機嫌なしわがれ声が返ってくる。

 

「久しぶりだね、この馬鹿弟子」

 

家の中で炉の側に座っているのは、長い白髪を垂らし、粗末な衣を着た老婆であった。

この老呪術師は、街では不機嫌なことがあると人を蛇に変えてしまうだの、未来を見透す力があるだのと言われており、それを恐れて普段は誰もこの森の奥深くには立ち入らない。

確かに師匠の見目は怖い。夜に出会えばラークシャサ並みにおっかない顔をしている。

それでも、開口一番の馬鹿弟子呼ばわりに少女はいつも通りだと安心した。

器が飛んできたことも、あれくらい避けられない奴は入るな、といういつも通りの挨拶の一環である。

 

「久しぶりです、師匠。ご無沙汰していました」

「全くだ。数ヶ月顔も見せんで、一体何しに来おった」

「不義理をしてすみませんでした。これは土産の鳥です」

「阿呆。すみませんと言いながら土産を出すやつがあるか」

 

気に食わん、と言いながら師匠は鳥は受け取った。

 

「で、何をしに来たんだい?またぞろ面倒事かい?」

 

違いますよ、と少女は苦笑いして結婚したことと最近の生活を伝え、そのためにしばらく森に来られなかったことを改めて詫びた。

結婚、という言葉を聞いて師匠が珍しくも目を丸くしたことが少女には可笑しかった。

 

「言われてみりゃそういう年頃だったねぇ。お前さん、家を空けてきていいのかい?」

「家での仕事はもうありませんし、あの人も帰って来そうにないし……」

「ふん。結婚しても相変わらずの跳ねっ返りだね」

 

少女が答えようとした瞬間、師匠にちょっと待ちなと遮られた。その顔色が変わっていた。

 

「今、誰かが結界を無理にこじ開けて入ったみたいだね」

 

少女には見えない何かを見るように、老呪術師は虚空を見据えて指を複雑に動かした。

 

「誰かって……誰ですか?」

「知るか。ちょっと様子を見てこい。そんなに悪いもんじゃ無さそうだよ」

 

人の家の結界をこじ開けて入る人が、良い人とも思えないのだが、と言う前に少女は家の外へ放り出された。

強引だと思いつつ、弓矢を取って結界の壊された先へ向かう。

師は悪いものではないと言ったけれど、呪術師としてとても強い力を持つ師の結界をぶち破った相手なのだから、警戒して損はなかった。

気配を殺したまま、猿のように木から木へ飛び移って進む少女は、程無く道の先に遠見の術を使って人影を見つけ、絶句した。

木漏れ日の照り返し眩しい黄金の鎧を身に付けた長身痩躯で、白髪色白の青年。

少女は青年の名も顔も知っていた。何しろ夫である。

ただ、どうしてその夫がこの森を歩いているのかが分からない。分からないから体の動きが止まった。

つ、とまだ離れたところにいる青年が顔を上げ、眼が合った少女は身を引いた。

そして次の瞬間、青年が目にも止まらぬ早業で放った矢が少女の乗っていた木の枝の付け根をへし折った。

 

「ッ!?」

 

咄嗟に上の枝を掴んで落ちることは免れたが、宙ぶらりんになってしまった。掴んだ枝も少女の体重を支えていられるほど太くはなく、今にも折れそうに軋んでいる。

結局少女は手を離して地面に降りた、というより半ば落ちて尻餅を付き、すでに恐ろしい速さで木の下に走り寄っていた青年、カルナとまともに目を合わせた。

 

「……お前だったのか」

「……どうも」

「すまん。気配が読めなかったので敵かと」

 

差し伸べられた手に掴まって立ち上がり、少女はまともにカルナと目を合わせた。

 

「あなたはどうしてここに?」

「家に帰れば誰もいないので、お前の家族に聞いた。家にいないなら、森で狩をしているだろうと言われたのだが」

 

つまり少女が家を空けたときに帰って来てしまい、探しに出たということらしい。

申し訳なさで少女は小さくなった。

 

「それは……すみませんでした。それとあの、ここに来るときに結界があったと思うのですが、それは?」

「あれなら斬った。不味かったか?」

「ま、不味くはありません。後で直せます」

 

ついでに結界をぶち破ったのもカルナだった。斬ったと簡単にいうが、それなりの防御力はあったはずなのだが。

 

「それでお前は何をしていたのだ。狩りにしては獲物を持っていないようだが」

「それは―――――」

 

言いかけた少女の頭に、後ろから飛んできた小鳥がぶつかった。石礫が当たったのと同じほどの衝撃である。

だが、小鳥は全く意に介さず少女の頭に陣取ってしわがれた老婆の声でしゃべった。

 

『そいつ、ここに連れてきな。馬鹿弟子』

 

言うだけいって、使い魔の小鳥はどこかへ飛び去った。後には頭を押さえる少女と無言のカルナが残される。

 

「今のは使い魔の類いか?」

「……はい。この森に住む私の呪術の師匠の使い魔です」

「…………そうか。で、オレはどこへ行けば良い?」

「構わないのですか?」

 

世間の枠組みや階級から外れ森で暮らす呪術師に、いきなり使い魔越しに高飛車な物言いをされれば、誇り高い武人なら最低でも眉は潜める。気が短ければ使い魔を両断しているだろう。

なのに、何の躊躇いもなく行くというカルナが少女には不思議だった。

 

「頼まれたなら応えるべきだろう。お前の師という者はどこにいるのだ?」

「では案内しますので、私のあとに付いてきてください」

 

一から十まで自分のせいだが、何だか妙なことになったと思いつつ、少女は先に立って歩き出した。

カルナは無口な質なのか、歩く間ほとんど口を開かなかったが、世間話が苦手な少女にはむしろ有難かった。

無言で歩き続け、さっき飛び出してきた小屋

の前に着けば、何かを言う前に、入れという短い応えが返ってきた。

入り口をくぐると、さっきと寸分変わらぬ姿勢で師匠は火に当たっていた。

だが少女の後ろに立つカルナを見る、老呪術師の視線はさっきまでとは全く違っていた。

大規模は呪術を行使するときと同じ真剣な視線を少女は疑問に思い、カルナは泰然と佇んでいた。

 

「師匠、ただいま戻りました」

「……ああ。横のそいつが結界を壊した奴で。―――――なるほど、お前さんの夫か」

 

師匠の眼力には少女は今さら驚かない。

驚かないが、師匠の声に湿った響きが混じったことには驚いた。

だがそれを問う前に、老呪術師は少女をぎろりと睨んだ。

 

「それじゃ馬鹿弟子。夫の不始末は妻の責任だ。今すぐ行って、結界を張り直して来な」

「え、今からですか?」

「そうさ、今からすぐにだよ」

 

ほれさっさと行け、と手で戸口を指差され、少女は首を捻りながらまた外へ駆け出していった。

後を追おうか否かカルナが決める前に、老呪術師はお前さんは残れ、と低い声で言った。

それからカルナを、特に彼の鎧を老呪術師はじろじろと見やり、大きくため息をついた。

 

「その鎧―――――お前さん、半分神だね」

「分かるのか?」

「分かるさ。その鎧、太陽神辺りに授けられたものだねぇ。生まれながらに与えられた鎧と耳飾り。不死の守りを纏う武人、カルナ。それがお前さんだろ」

 

あの馬鹿弟子も因果を背負い込むもんだ、と老呪術師はぶつぶつ呟いた。

因果という意味がカルナには分からない。カルナもつい数ヶ月前に妻となった少女のことをよくは知らないのだ。

異国の血が混じっていると一目で分かる顔立ちに加え、焔を自由に操り、女ながらに森に狩りに赴くまともではない少女。

そういう噂は聞いたが所詮噂は噂で、本人を直接示すものではない。

カルナから見れば少女は決して気狂いではなかった。常識に囚われない振る舞いはしているが、どちらかといえば善人の部類だろう。

 

「善人ねぇ。ま、人が良いには違いないわな」

 

そう言えば、老呪術師は肩をすくめた。

 

「こちらも聞いて良いか?」

「答えられることなら答えてやるさ」

「……先ほどあなたの言った因果とは何だ?」

「半神は引き合うものなんだと思っただけさね。儂も馬鹿弟子も、半分は人ではないからね」

 

唐突に、顔を上げた老呪術師の瞳の色が黒から金へ変わった。皿のような大きな瞳の中に金の粒子が舞い飛ぶ不思議な瞳である。

瞳に見られた瞬間、周りの空気がねっとりと絡み付くように重くなった。

 

「この瞳がその証さ。儂の眼には未来が見える。馬鹿弟子は妙な焔を操れる。そしてお前さんには鎧がある。ヒトでないものの血を引いて生まれれば、徒人から外れた何かを背負うものさ。―――――ただ、そういう因果に押し潰されそうな儂や馬鹿弟子と違って、お前さんはそれを重荷とは思ってないみたいだが」

 

金の瞳でカルナを見て、老呪術師はため息をついた。

一度瞬きをした後には、瞳はまた黒へ戻っていた。

 

「ああ嫌だ嫌だ。これだから未来なんぞ見ても良いことなんかない」

 

独り言にしては大きな声で呟きながら、老呪術師は自らの目を手で覆った。

 

「オレの未来を見たのか?」

「勝手に見て悪かったね。だが儂の眼は、儂の言うことを聞かずに見た者の未来を映すのさ」

 

お前さんはいずれ英雄になるよ、と老呪術師は言った。忌々しげにも悲しげにも取れる声音だった。

 

「英雄、か」

「おや、嬉しくないのかい」

「オレのような詰まらん男がそのようなものになれるとも思えん。オレは、オレに良くしてくれた人々と我が父に恥じぬ生き方を貫ければそれで良いのだ」

 

加えて、有り体に言えば唐突に未来が見えると言われても実感がないとカルナが言えば、正直な奴だね、と老呪術師は肩をすくめた。

 

「まあ信じなくてもいいさ。ただ忠告はしておくよ。お前さんの行く道は困難だ。多くを失うだろうし、その果てに栄光があるわけでもない」

「……」

「だが、厳しい道だろうとそれを歩き通せば、お前さんは英雄として語り継がれるようになるだろうさ」

 

そういう老呪術師はどこか萎れていた。

本人の言葉を信じるなら、見たくないものを見てしまったのだろう。

だが会ったばかりのカルナの未来を見ただけでそこまで嘆くのも妙である。となれば、老呪術師の見た未来には当人にとっての大切な誰かの、悲しい行く先が映っていたのだろうか。

 

「あなたはもしや彼女の未来も見たのか?」

「……つくづく鋭いね」

 

あの馬鹿弟子はお前さんの妻になった、なってしまった。そこの時点で因果が始まった。

 

「それがあなたには悲しいのか」

「さあね。悲しいだの辛いだの、未来で何を思ってどう生きるかはお前さんやあの子の問題さ。儂はあるがままを見るだけで、それしかできん。そこにある感情までは分からんよ」

 

馬鹿弟子からあの子へと、呼び方が変わったことにカルナは気づかないふりをした。

 

「まあ、未来は未来さ。変わることもあれば壊れることもある。偏屈な婆の戯言だと忘れるのも自由さ」

 

ぱんと手を叩いて、老呪術師は宣った。

カルナへ向けての言葉というより、それは己への祈りにも聞こえた。

 

「ああそれと、戯言ついでにもう一つ。お前さん、あの馬鹿弟子と上手くいってないだろ」

「む……」

 

上手くいくもいかないも、そもそもろくに会話をしていない。無口な上に、少女はカルナに何かを頼みもしないし願いもしない。

ただ何も言わずに、側にいるだけなのだ。

もしや嫌われているのか、とそろそろ思い始めていた。元々望まぬ婚姻だったし、あり得る話だ。

と、そういう旨を拙い言葉でカルナが言えば、老呪術師はやれやれと頭を振った。

 

「馬鹿弟子も馬鹿だが、お前さんもそういうことに関しちゃ疎いね。あいつはね、気性が甘いわりに人と深く関わることから逃げる節がある。そうなったのはあいつの生まれ育ちが原因だから、儂の口からは勝手には言わん。でもね、少なくともお前さんからは逃げようとは考えていない」

「そう……なのか?」

「お前さんを嫌ってはいないのは確かさ。よく分からない人、とは言っていたがね。よく分からないってことは知りたいとまだ思っているってことさ。嫌っているなら興味も持たないだろうよ」

「…………」

 

年寄りの忠告だよ、と老呪術師は言って、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。

 

「何にせよ、お前さんと馬鹿弟子の縁はそこそこ深そうだね」

「それも未来を見てか?」

「よく当たると評判の呪術師の勘さ。死んだ後(・・・・)の縁までは分からんがね」

 

白髪を元の通りに目の周りに垂らした老呪術師は興味が失せたようにそれきり口を閉ざして、手元の鳥の羽をむしり出した。

森の方から走ってくる軽い足音が聞こえてきたのは、まさにそのときだった。

 

「ただいま戻りました」

 

涼やかな森の風と共に入ってきた少女は、老呪術師とカルナに礼をしてから炉端に座った。

 

「おかえり。結界はちゃんと張って来たんだろうね」

「はい」

「ブラフマーストラを撃たれても大丈夫なくらい頑丈なやつかい?」

「……え、師匠、ブラフマーストラを撃たれる予定でもあるのですか?」

「あるわけないだろ。それくらい頑丈にしたかって聞いてんだよ」

「さ、さすがにブラフマーストラは……」

 

視線を逸らす少女に老呪術師はふんと鼻を鳴らした。

 

「そうかい。そんじゃ儂は結界の張り直しに行くから、お前さんたちはもう帰れ」

 

結界を張る準備があるからさっさとしろ、と二人まとめて家から押し出された。

 

「あのカルナ、師匠が何か変なことを言っていませんでしたか?」

 

傾いた日に照らされる獣道を歩きながら、カルナを見上げて少女がぽつりと口を開いた。

 

「未来を読まれたな」

 

正確には、幸先厳しい英雄になるという予言である。

 

「師匠の未来予言ですか。あの、中身は聞きませんが、師匠のあれは本当に当たりますので、良くない未来を言われたとしても、気を悪くしたり……」

「するわけなかろう」

 

虚偽を言われず、あるがままの未来を告げられただけなら、その誠実さに感謝すべきだとカルナが言えば、少女は意外そうに目を瞬かせた。無表情の消えたそういう表情になると、まだ残る幼さが透けて見えた。

 

「何が意外なのだ?」

「……師匠の所には、たまに未来を見てほしいって言う人が来るんです」

 

でもそういう人は、大抵暗い未来を告げられると怒るか嘆く。それはそれで当たり前の反応だとは思う。

 

「師匠は、本当は未来を見るの好きじゃないと思います。余計なモノばかり見えるせいで、たくさんのモノを無くしたそうです」

 

望んで得た力でもない。

ただ名前も顔も知らない神の血が混じったばかりに、生まれたときから持っていた異能。それを使ってくれと頼まれて使えば、おかげで知りたくなかった未来を知らされたと謗られるか、嘆かれる。

ただ謗られるより、未来への絶望を聞かされる方が万倍辛いと思うのだ。横で立ち会う機会のあった少女はそう思う。

あるがままの未来を受け入れるのは、口でいうほど簡単ではない。

 

「未来を読まれてから、そう言ったのはあなたが初めてですね」 

 

だから意外だったと少女は言う。

カルナを見上げる青い瞳には純粋な興味と好意と、知りたいという素直な心が浮かんでいた。

老呪術師に言われた言葉が甦る。

確かに、嫌われていると考えていたのはとんだ勘違いだったらしい。

しかし、口を開けば人を怒らせてしまう、詰まらない自分の何を言葉で伝えればいいのかが分からなかった。

 

「……カルナ?」

 

考えに気をとられるうち、足が鈍くなっていたのか数歩先に少女が進んでいた。

 

「いや、何でもない。それと今後、家を空けるのは構わんが、出来れば行く先を残しておいてくれると有難い」

「……あ、それはすみませんでした」

「気にするな」

 

頭をかく少女と長身の青年の影が、少し離れたまま並んで森の外へと消えていった。

 

 

 

 

 




自分の親である神を信じ、歩き続けられたのがカルナなら、師匠さんは信じきれなかった側の人です。

主人公の母は、名もなき異教の神々を崇めていた滅ぼされた側の人です。

そして、そういう大人たちを見て育ったのが主人公です。

唐突に閑話を入れましたが、必要な話なのでご容赦を。



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act-12

まだライオンの所へ行っていません。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。





李書文の嵐のような襲撃と撤退は済んだが、日が暮れていたため一行は基地まで戻って休息を取ることになった。

エリザベート以外のサーヴァントは、皆野営に慣れており、焚き火から何からすぐに整えられた。

ちなみに焚き火を作ったのはキャスターで、燃えているのは彼女の宝具たる焔である。込められている神秘の割りに、宝具の使い方がそこらのマッチじゃないかとドクターがツッコミを入れたのだが、使えるものなら使った方が良いとキャスターが言うので、そのままにされた。

補給物資で食事を済ませれば、話題に上がるのは李書文の発言である。

 

「エジソンが何かに憑かれてる、か」

「憑かれる、とは憑依されているということでしょうか?先輩」

「憑依されてるっつぅなら、エジソンの行動が全部本人の意志とは限らないってのか?」

 

この場にいる面々の中で、直接にエジソンと話をしたのはナイチンゲールと白斗、それにドクター・ロマンだけだ。

 

「いや、違うと思うよ。ロビン。あのライオン……じゃなかった、エジソンには絶対に彼の意志があったよ」

 

アメリカを守る、という言葉は本心からのものだったと白斗には感じられた。

 

「マスター、エジソン王は獅子の姿なのですか?」

 

首を傾げたキャスターが尋ねてくる。その隣でシータも不思議そうに目を丸くしていた。

 

「頭から上だけね。他は普通の人間、かな?」

 

ちょっと感情が昂ると絶叫したり、放電していたけれどベースは確実に人間だった。

 

「いや、頭から上が獅子ってだけで普通じゃねえよ。俺も人面をした獅子の怪物と日本で戦ったことはあるが」

『エジソン曰く、サーヴァントになって頭が獅子になっても問題はないらしいけど……』

 

サーヴァントになったことで生前と姿が変わり、竜の角と尾を持つようになったエリザベートという例もいる、とドクターは言ったが、ラーマとカルナが首を振った。

 

「それにしてもおかしかろう。余たちの生きていた頃ならいざ知らず、エジソンというのは新しき時代の発明王だ」

「ナラシンハでもあるまいに獅子の頭というのは明らかな異常だ。それに発明家が一人であそこまで国を作り上げ、軍を率いていられるという事実にも疑問はある。王子だったジークフリートが手を貸していたとしてもだ」

「結局どういうコト?」

 

エリザベートの疑問に、つまりですね、とナイチンゲールが人差し指を立てて答えた。

その腰には、焚き火の炎で照らされた拳銃が光っている。

 

「要するに、あの分からず屋に麻酔にも似た打撃を与え、正気に戻せば良いということでしょう」

「あ、そういうことなのね。分かりやすくて良いわ!」

「まあそうだろうな。脳筋だが、この場合は正しいと思うぞ。私たちがここで話し合っていても結論は出ん。が、決めるのはお前だ。マスターよ。どうする?」

 

シータやラーマとは色合いの違う、スカサハの赤い瞳が白斗を見据える。

音立てて燃える橙色の焚き火を見てから、白斗は顔を上げた。

 

「俺も、エジソンとはもう一度会った方が良いと思う。アーラシュたちから聞いたけど、ジークフリートがエジソンを危ういって言っていたんだろ?」

「ああ」

 

アーラシュ、カルナ、マシュが相槌を打つ。

 

「だったら放っておけないと思うんだ。俺たちだけではケルトを攻めきれないけど、それはあっちも同じだ」

『白斗くんならそう言うと思ってたけどさ、一回捕まったところに戻るのかい?』

「ただ戻るのではありません、ドクター。エジソンはすでに明確に治療すべき患者です。私は、私一人でも治療に行く所存です」

『それは止めてくださいよ婦長!ちなみにキャスターちゃん、神代の呪術師の君なら見れば分かるかい?』

 

話を振られ、キャスターは腕組みをした。

 

「場合によりますが、恐らくは分かります。話を聞く限り、何かに取り憑かれた結果として姿形が変わることはあり得ると思います。……本拠地に乗り込んで説得をする案には私も賛成です」

「となると、あとはどうやって機械化兵の網を潜って本拠地に行くか、でしょうか?」

 

シータの問いに、それは任せてくれ、とロビンが言った。

 

「潜入とか斥候はオレの得意分野さ。任せてくれ。まあ、今日はそろそろここまでにしようぜ、マスター。明日はまた早くから動くだろ?」

 

ロビンのその一言で、一同は明日朝まで解

散、休憩と相成ったのだった。

 

 

 

 

 

「キャスター、少々良いでしょうか?」

 

カルナとラーマ、アーラシュとロビンが見張りに立った後、寝ている白斗の横でマシュと並んで焚き火の番をしていたキャスターにシータが話しかけてきたのは、それからしばらくのちのことである。

 

「はい。何ですか?」

「少し話したいことがあるので、来てくれませんか?」

 

静かな言葉の中にも、有無を言わせぬ王女の威厳があり、キャスターは素直に頷いた。

白斗をマシュとスカサハに任せ、シータに連れられて着いたのは焚き火から少し離れた岩だらけの荒野。一跳びで身の丈より高い岩の上に乗ったシータは、上からキャスターを手招きした。

キャスターもサーヴァントとしての身体能力で、ひょいと飛び上がって岩の上に乗れば、シータはすでに岩の縁に腰掛けていた。

キャスターはその隣に座る。

空には満天の星と、夜になって一層目立つようになった光輪が光輝いている。

 

「あのシータ、話というのは?」

「……キャスター、スカサハさんの仰られたことは本当なのですか?」

 

スカサハの言ったこと、という世界から弾かれたというあの話だろう。

キャスターは、森でシータには呪いのことを話した。話しはしたが全てではない。逸話と真名を持たないことまでは話したが、そこから先、話の根幹にあたる、自分が神に呪われた正しき英霊ではないということをキャスターは言っていなかった。

時間が無かったというより、単に話したくなかったのだ。聞く方も話す方も辛くなるだけの話だから。

 

「本当です。私は英霊の座にはいられない。いてはならないと神に定められた者です。スカサハさんと違って私は確かに死んでいますけれど」

「そして貴女は、それを誰にも明かしていなかった。マスターの白斗さんにもマシュさんにもカルナさんにも、誰にも言っていない。なぜですか?」

 

何故、と言われてキャスターは大地の果てに目をやった。

 

「……マスターやマシュさんに言わなかったのは、重荷になるからと思ったからです」

「重荷など……」

「ええ。マスターもマシュさんも重荷だなんて思わないでしょう。でも、私の呪いは過去の存在である私だけのものです。未来を生き、未来を取り戻そうとしているマスターに、分かち合ってもらうわけにはいかないんです」

 

白斗は優しい。マシュも優しい。ちょっと頼りないけれどドクターも優しい。

だからきっと、キャスターの在り方を聞けば心を痛める。それは駄目だ。

人類の未来を取り戻すという果てのない重すぎる荷を負わされた彼らに、これ以上何かを背負わせたくなかった。

 

「優しいのは貴女も同じだと思いますが」

「やめてください。優しさではありません。自分が嫌というただの我が儘です」

 

首を振って否定する。

 

「カルナさんに言っていないのは?」

「それは……」

 

キャスターは俯いて視線を膝の上に落とした。

 

「……どういう風に何を言えばいいのか、迷っているのです。別れてから何千年も経っていたのに、カルナはその間ずっと私を忘れないでいてくれて、それだけで本当に私は嬉しかった」

 

一年や二年、十年の話ではない。何千年だ。それは半分とはいえ、人の身には永遠と等しい時間ではなかったか。

だから胸が詰まって言葉が尽きてしまった。

カルナは自分に何があったかを知りたいと思っている。

当然だと思う。神の言った通りに呪いが働いたなら、自分は幻か幽霊のように、始めから存在していなかったように消えたのだ。

何をしたのか、何があったのか、知りたいと思うのは当たり前で、けれど自分から問うてはこないのはカルナの優しさだろう。

キャスターが自分から話すときを待っていてくれている。

しかし、それにいつまでも甘えていられないのはキャスター本人が一番よくわかっていた。

何故ならカルナはカルデアのサーヴァントで、キャスターははぐれのサーヴァントだから。特異点の修正は、即ち別れの訪れだ。旅の一歩一歩が二度目の別離へと向かっている。

そこから逃げたいとは思わない。未来を取り戻し、今を眩しく生きる白斗たちの明日を守ることは何より大切だ。サーヴァントとしてというより、過去を生きていた一人の死人として、そう思うのだ。

 

「でもキャスター、私は敢えて貴女に言います。迷っている時間はありません。戦いは、この先もっと激しくなるでしょう」

 

強い光を湛えた目でシータはキャスターに言って、視線を受けたキャスターは。

 

「そう言ってくれてありがとうございます、シータ。仰る通り、いい加減逃げている場合ではありませんね。……とはいえ、伏兵は少々やりすぎではありませんか?」

 

キャスターはそう言って自分たちの座る岩の隣に聳え立っている、一回り大きな岩のてっぺんを指差し、シータはあら、と呟いて眼を丸くした。

 

「分かりましたか」

「一度手痛い不意討ちされましたしね。気配には気を配るようにしているのです」

 

キャスターの指差した岩のてっぺんにいたのは、カルナとラーマ。二人は一跳びで岩から跳び移り、キャスターとシータに近寄ってきた。

 

「……気配は消していたつもりだったのだが」

「自然の気配に敏感なのが呪術師です。それに、あなた方二人は隠れるには少々向きません」

 

ラーマの気配は凄烈過ぎ、カルナの気配はキャスターには馴染み深い。

 

「やはり余にはアサシンの真似事は無理か」

「謀の真似事もするものではありませんね」

 

頬をかいたラーマとシータにキャスターはいいえ、と首を振った。

 

「気遣いありがとうございます。それからごめんなさい、私が足踏みをしていたせいで慣れないことをさせてしまって」

 

頭を下げるキャスターにラーマとシータは顔を見合わせた。

 

「頭を上げて下さい、キャスター。私たちは見張りに行ってきますから、その間にちゃんと語り合って来てください」

「今晩くらい、お主ら二人が見張りから抜けても構わんだろう。存分に語り尽くしてから戻って来るといい」

 

ではな、とシータとラーマは岩の上から跳び降り、後にはカルナとキャスターだけが残された。

何も言わず、二人とも同時に岩の端に腰を下ろした。

下に広がる暗い大地の上には、白斗たちが暖を取っている焚き火が夜の海に灯った灯台の如くにぽつんと一つだけ輝いている。

遠くにゆらゆら揺れる明かりを見ていると、遥か昔に、最期に共に見た焚き火の明かりが思い出された。

 

「最後に会ったのもこのような夜だったな」

 

隣でぼそりと囁かれた。感情を排したように無機質で、しかし不思議と暖かみがある声。

 

「……そうですね。あなたが何度目かの戦いに赴く前の夜、でしたか」

 

それから戦いが始まって、クンティーと共にクリシュナが訪れて、そのあと自分は死んだ。

訥々とキャスターは語った。

自分が遥かな時の彼方に何をして、そのあとどうなったかを。

神の化身を殺そうとして失敗し、代償に呪われて、不可思議な空間に留め置かれて時を過ごし、人類史焼却という異常に抗うためのサーヴァントとして喚び出された。

涙も怒りもなく語るなら、キャスターの話はそれほど長くはならない。

 

「無謀なことをしたな。クリシュナやガトートカチャに一人で挑むなど、常のお前なら考えもしなかっただろう。何故だ?」

 

聞き終えてカルナは言い、キャスターは抱えた膝に顎を乗せたまま答えた。

 

「何故って………腹が立ったからですね」

 

人の手ですべき戦いに化身の姿をとって現れ、運命という名の下に滅亡への道を敷こうとする神にキャスターは心底怒った。

非道が罷り通る戦場にも、壊してはならないものはある。

親子の情も利用しつくし、ひたすらに勝利を求めるクリシュナは無機質な機構のようで、人を駒のように摘まんでは盤外へ弾き出す神の指し手に見えた。

そこに死の床について病み衰えた母と、鎧を剥いで血塗れになったカルナの姿が重なった瞬間、感情を抑えていた何かが消し飛んだのだ。

それは、半分だけ人の血が流れる身としての意地から出た怒りだったと、今なら思える。

 

「怒りか」

「そうですね。私にはあるがまま全てを受け入れるというコトは出来ませんでした」

 

できるはずがなかった。

無力だった幼い頃は、全てを受け入れるしかなかった。そうして受け入れるしかなかった果てに残ったのは、己の信じる神の名を呟きながら、徐々に冷たくなっていった母の体の感触だ。

あの夜、自分は母の亡骸の傍らで目が溶け落ちるかと思うくらい泣き尽くした。母の命が戻るなら、何一つ惜しくなかった。自分の命も焔も何もいらなかった。それくらい奇跡が欲しかった。何かにすがりたかった。

けれど、何も起きなかった。母が真摯に祈りを捧げた異教の神々や炎神は、気配すら顕さなかった。

自分の中の何かが決定的に砕けたのは間違いなくあのときだ。

感情任せにとりかえしのつかないことを引き起こした、とも思う。でも、やり直しをしようと思えないのは心のどこかで自分にはあの道を辿る以外になかったという気がしているからだ。

後悔があるとするなら。

 

「私はあなたにした願い事を自分の手で壊しました。それだけはずっと―――――ずっと謝りたかった」

 

家族に遺されたものが何を思うか、よくよく分かっていたはずなのに。

何千年も時の止まった空間にいて、キャスターが正気を無くさなかったのもその一念があったからだ。

キャスターは立ち上がって、星空を背にして深く深く頭を下げた。涙は出なかったが、言葉も出なかった。

 

 

 

 

 

下げていたキャスターの頭に、暖かい手が置かれ、そのまま髪がかき乱されてキャスターは頭を上げた。

 

「あの……」

 

何なのですか、と聞きかけてキャスターは口を閉じた。カルナの目に浮かぶ光が真剣だったからだ。

 

「……知らなかったな」

 

キャスターの頭から手を離してカルナが言った。

 

「お前は人の考えを察し、見抜いた上で上手く相手に伝えられた。それはオレにはできないことだ。オレやアルジュナの裡にあるものもお前は正しく見抜けていた」

「……」

「だからだろうな。オレはお前の気持ちというものを改まって訊くことが無かった。お前がお前の意志を貫くなら、それが何より大切だとも思っていた」

 

施しの英雄、カルナは、万人に等しく価値があると考えている。それは何があろうと変わらないカルナの信条だ。

何よりも優先し尊重されるべきは当人の意志だとカルナは信じている。

そう信じていたから、カルナはキャスターの信条も言葉にして聞くことがなかった。

 

「お前がそこまで理不尽に怒る激情を持っていたと知っていたなら、オレがお前の在り方に口を出してでも止めていたなら、お前が死ぬことはなかったかもしれないな」

「それはどうでしょうか?」

 

カルナに言われたとしても、怒りが消えたとは思えない。

自分でも気づかないふりをしていただけで、怒りの感情はカルナと出会うずっと前からキャスターの中に根付いていた。

どれだけ穏やかな日々を薄皮のように重ねていっても、それが消えることはなかったのだ。

それでも、とカルナは言った。

 

「オレはお前に生きていてほしいと思っていた。そのために言葉を尽くすという努力をオレが怠ったと言われれば返す言葉がない」

 

それまで何を語っても、硬い宝石のようだったキャスターの瞳が曇り、雫が一粒だけ目尻から流れ落ちた。

 

「待て、何故泣く?」

「泣いていません」

「いや、今」

「泣いていませんったら泣いていません」

「……そうか」

 

横を向いたキャスターは、また元の通りの無表情になっていた。

表情に乏しい色白の顔を、地平線から昇る朝日が金色に染める。

 

「出発の時間ですね。マスターのところに戻りましょう」

「ああ」

 

二人は軽く地面を蹴って岩から跳び降り、野営地へ戻った。戻る間、どちらも口を利かなかった。

焚き火の近くには伸びをする白斗と、その世話を焼くマシュ、彼女の肩に足を引っ掻けてぶらさがっているフォウが、一塊になって眩い朝日に照らされていた。

 

「あ、キャスターにカルナ。おはよ」

「おはようございます。マスター、マシュさん、フォウさん」

 

朝日に目を細めながら、キャスターとカルナは彼らの輪へと入っていった。

 

 

 

 

 




神に関してかなり拗らせていた主人公。
怨んだり憎んだりの方向に行かなかったのは、幼くて何かを憎む心がまだあまり育っておらず、成長してからそうならなかったのは師匠さんやカルナと出会えたからです。

重い話続きです。明るい話が書きたいものです。








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act-13

ライオンさん、すまないさん、よくってよさんが再登場。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


「さてロビンフッド、お主の方法とやらは何なのだ?エジソンの本拠地まで正面突破か?」

 

野営地を後にし、エジソンの本拠地に向かう道すがらラーマが口を開いた。

 

「いやいやいや、違うっつーの。正面突破とかオレの不得意分野だよ。あんたらインドと一緒にしないでくれ。それに西側の戦力削ったらマズいだろ」

「じゃあ具体的にはどうするのよ?緑ネズミ」

 

むぅ、と口をへの字にするエリザベートである。

 

「まあ作戦って言うほど複雑じゃねえよ。ケルト兵を適当に捕まえて、捕虜を護送してる西側兵士みたいに見せかけるだけさ」

 

普通の軍隊相手ならばれそうなものだが、思考能力が極端に低下しているエジソンの機械化兵には通じるそうだ。

ロビンも何度か試したが、合言葉のようになっている挨拶さえ間違わなければそうそう疑われないという。最も、中枢へまではさすがに入れないだろうが。

 

「考えられるのは、薬物投与による反射神経の向上とそれに伴う思考の単純化でしょうか。何れにしろ健康への被害が心配です」

「それだけエジソンにも余裕が無いのだろう。なまくらな兵を生み出さねばならんほどにな。とっとと行かねば間に合わぬやもしれぬ。ほれ、言う側から敵影じゃ」

 

スカサハの槍が指し示す先には、数名のケルト兵がいた。

あちらもすでにこちらを捉えており、槍や剣を構えている。

 

「あいつらを無力化できる?」

「はい、マスター。峰打ちで済ませます」

 

白斗の指示で飛び出したマシュが盾を振るい、その隙にキャスターとスカサハが幻惑の呪術とルーンを放てばケルト兵の無力化は済んだ。

 

「つくづく便利だな、魔術とか呪術ってのは」

 

目を虚ろにして木偶のように立ち竦むケルト兵を見ながらアーラシュが言えば、スカサハは肩を竦めた。

 

「この場合はいいが、機械相手ではそうもいかんのだ。幻術の類いは脳筋には効くが機械相手には相性が悪い」

「はい。なので、ロビンさんの策が一番と思います」

「そりゃどーも。ま、期待に応えられるようにやってみるさ。マスターたちはなるたけ目立たねえようにしといてくれ。それとスカサハの姐さんにキャスターの嬢ちゃん。そいつらに幻覚をかけ続けられるってできるか?」

「できます」

「オーケー。んじゃ、そのままやっといてくれ。抑えんのも大変だからよ」

 

目立たないというのもエリザベートにカルナ、ラーマがいる時点で難しい話だったが、行き会う機械化兵は、確かにロビンがやけくそ気味にでも景気よく挨拶の言葉を言えば怪しまなかった。

 

「それにしても凄い言葉ですね、インダストリ&ドミネーション。意味はよく実感が沸きませんが」

「それでもって、エジソン大統王はいい社長、と続くのだからな」

 

何度目かの機械化兵との遭遇をやり過ごしてシータとラーマが言う。

 

「でもちょっと面白いです。ノリが良いというか、一回言えば覚えられます。これを挨拶にしたのがエジソン王なら、思っていたより愉快な方かもしれませんね」

 

意外にもどこか楽しげなのはキャスターで、そこへ合いの手を入れたのがカルナである。

 

「ドゥリーヨダナに似ているかもしれないと言いたいのか」

「ドゥリーヨダナ様並みに強烈なお人はそうそういないのでは?」

「獅子の頭はすでに強烈な個性だろう」

「ああ、それもそうですね。ドゥリーヨダナ様も頭は人でしたし」

 

ドゥリーヨダナと言えば、確かカルナが生前仕えていた王様だったか、とどこか惚けた二人の会話を聞いていた白斗は思った。

 

『マハーバーラタの、所謂敵役ともいえるのがドゥリーヨダナなんだよね。聖王ユディシュティラと対になる暴君ドゥリーヨダナっていうのがマハーバーラタの大きな構図の一つさ』

 

ぼそ、と通信機から小さな声でドクターが言い、その通信機へキャスターとカルナの視線が同時に刺さった。

如何に聞こえないように言ったところで、インドサーヴァント二人にはちゃんと聞こえていたらしい。通信機の向こうでドクターが背筋を正す姿が見えるようだった。

 

「その構図、あまり強く否定できませんね」

「確かにな」

 

しかしキャスターもカルナもあっさり認めた。

 

「認めるも何も事実ですからね」

「何しろ、厚顔で小心だが人懐っこく放っておけない、というかなりどうしようもない男だったからな。公明正大な聖王とは世辞にも言えない」

『そ、そうなのかい?』

 

そうだ、とカルナとキャスターが頷いた。

 

「まあ、そういう人だからついていく人もいたのですけれど」

「それはどういう……?」

 

マシュの疑問にキャスターが答えかけたとき、行く道の先に機械化兵が立ち塞がった。

 

「止まりなさい。ここから先は国有地です。アメリカ西部合衆国機械化兵兵団に入隊を届け出てから出直しなさい」

 

誤魔化しの効くはここまでのようだった。

道の先には白斗たちには見覚えのあるエジソンたちの本拠地たる城が見えている。

 

「ここからは正面突破しかなさそうです。先輩」

「了解だ、全員突撃!」

 

白斗の号令のあとに始まったのは乱戦。

カルナの大槍とラーマの剣、マシュの大盾とエリザベートの槍、それにスカサハの赤槍が機械化兵を薙ぎ払い、ナイチンゲールが拳で機械化兵をぶちのめしつつ拳銃を乱射する。

そこにアーラシュ、シータ、ロビン、キャスターが援護の矢を叩き込めば、門を守っていた機械化兵は、捕虜にしていたケルト兵共々一人残さず地面に倒れ伏す結果になった。

 

『まだ油断しないでくれ。かなり高い霊基のサーヴァント反応がそっちへ猛スピードで向かってるぞ!』

 

ドクターからの通信で全員が開け放たれた城の門を見れば、大剣を構えて走ってくる灰色の髪の戦士の姿があった。

それは紛れもなく、フランスで出会ったジークフリートである。

大剣バルムンクを構えたまま、ジークフリートは一行の眼前で止まった。

 

「侵入者があると来てみれば、貴公らか。ケルトに与した、というわけでもないようだな」

 

戦闘の容赦ない巻き添えを食い、丸太のように地面に転がるケルト兵にちらりと眼をやって言うジークフリートに、ナイチンゲールが拳銃を向けた。

 

「そこを退きなさい、ジークフリート。我々はこの先にいるエジソンを治療するためにやって来たのです。あなたとて、エジソンの病には薄々気付いているのではありませんか?」

「確かにこの場で何もせずにお前たちを通すことが最善の行いだろう。しかし俺にも守るべき筋はある。おいそれとここを通すわけには行かない」

 

バルムンクを下ろさないジークフリートの前に、槍を構えたカルナが歩み出た。

 

「マスター、ここはオレが出る。先に進んでくれ」

 

一人で大丈夫か、と白斗は聞かなかった。

槍と剣はすでに構えられ、下手に動けばそれだけで戦闘が始まると思わせるほど張り詰めた雰囲気が流れている。が、にらみ合いで双方動けない今なら、白斗たちは通れる。

 

「任せた、カルナ!」

 

だから白斗はそう告げて、全員で二人の横を駆け抜けた。

通り過ぎる一瞬でキャスターとカルナが目を合わせたようにも見えたが、確かめる余裕もない。

城の中に入れば、そこここから機械化兵が沸いて出てきた。

 

「ドクター、エジソンたちがどこにいるか分かる?」

『ちょっと――――ま―――』

 

機械化兵たちをやり過ごしながらドクターに尋ねるも、通信機は途切れ途切れの音声を最後に沈黙してしまった。

 

「多分、あっちのキャスターに妨害されたんだろ」

 

矢で機械化兵を吹き飛ばしつつアーラシュが言う。

 

「マスター。サーヴァントかどうかは分かりませんが、奥の部屋に大きな霊気を二つほど感じます」

 

他に頼りにできるものがなく、キャスターの言葉の通りに走ることになった。

走りながら、時々後ろの門の辺りから響く轟音が耳に届く。

 

「ちょっとあいつら、どんだけ本気で戦ってんの!?」

 

エリザベートが叫べば、呪術を放っているキャスターと矢を放っているシータが首を振った。

 

「いえ、違うと思います。本気で戦ったなら恐らく城が土台から揺らいでいます」

「城が揺れていませんので、まだ様子見なのでしょう」

「アナタたちの大丈夫の基準が不安だわ!」

 

そうですか、と似た動作でシータとキャスターは首を捻った。

 

「まあ大丈夫だろうさ。まだ城も吹き飛んでおらんからな」

「スカサハ、それはどこも大丈夫じゃないよ」

「城なぞ、戦士が一人で持ち上げられるような軽き物だ、案ずるなマスター。ほれ、そんなことよりあの扉の先ではないのか?」

 

赤い槍が閃いて、廊下の先に聳え立っていた一際重厚な作りの扉が横一文字に切り裂かれて吹き飛ぶ。

勢い込んで中に走り込んだ一行の先にいたのは、忘れもしない獅子の頭の大統王トーマス・アルバ・エジソンと、魔導書を携えた近代の魔術師エレナ・ブラヴァツキーだった。

 

「これは驚いた。正にナラシンハのごとき風貌よな」

 

ラーマの言葉にエジソンの全身から雷が迸った。

 

「ナラシンハなどというような古きモノではない!私はアメリカ大統王トーマス・アルバ・エジソン!何をしに来た、裏切り者どもよ!」

「誰が裏切り者よ!」

 

エリザベートの叫びに、魔導書を構えたエレナが冷徹に答えた。

 

「情報によれば、あなたたちはメイヴの暗殺に失敗したのでしょう。配下に加わったから生き延びたと考えるのは道理じゃないかしら」

「何ですって!?アタシの友達を殺したあいつらの配下だなんて冗談じゃないわ!」

 

竜のように吠えるエリザベートとエレナの視線がぶつかり、エレナの方が目をそらしてエジソンを見た。

 

「……本当みたいね。なら、ごめんなさい。浅慮なコトを言ったわ。―――――エジソン、あの子達はどうやらただの負け犬みたい。ケルトに与したって線は本当に無さそうよ」

「それなら何故、私に拳を向けているのだね、クリミアの天使よ!」

「何故ならあなたが病んでいるからです、エジソン。私たちはあなたの治療に来たのです。大人しく治療を受けるなら良し、受けないならばぶちのめしてでも治療を受けていただきます」

 

前に出たのは、眼光鋭くエジソンを見据えるナイチンゲール。

その斜め後ろで、キャスターは目を細めてエジソンを見ていた。

呪いを燃やす力があるからか、キャスターは生前から人一倍呪詛や怨念には敏感である。ナイチンゲールが人の病を見抜くように、キャスターには瘡のような人の呪いが見える。サーヴァントになった今でもそれは変わらない。

 

「エジソン王、いえ、発明家エジソン。聞いてもいいでしょうか?」

 

だからキャスターはナイチンゲールの隣に立った。

 

「むぅ!お前は誰だ、見知らぬサーヴァント!」

「私はただのキャスターです。が、それは今はどうでもいいものです。エジソン、私はあなたに聞きたいのです。あなたに憑いているその人たちは誰なのですか?あなたに発明家として有り得ざる力を与えている、その方たちは誰です?」

 

キャスターの白い指がエジソンを指す。ただの指摘にエジソンが目に見えて怯んだ。

 

「エジソン、あなたは発明家でしょう。私たちの時代には、インドラ神の手にあった雷。それを遍く地に広め、世界を灯りで照らした。たくさんの見知らぬ誰かの世界をその叡知で持って牽引した賢人。それがあなたでしょう」

「ええ。だからこそ、今のあなたの有り様はおかしく、私は何度でもあなたは病んでいると言います。数多なる国の人々が集まり作り上げた、新しき国家イ・プルーリバス・ウナムにおいて、どうしてあなたはアメリカだけを救おうとするのですか?」

 

アメリカを救うというユメ。それがエジソンに取りついているから、エジソンは止まれずにケルトに勝てない戦いを挑んだ。

大量生産という自らの美学の懸かった土俵で引かず、そこに拘って文字通り無限のケルトと正面から事を構えるのは、誰が見ても無謀。

それでも王であると名乗るエジソンは引かなかった。そもそも、エジソンは社長であっても、王であったことなど一度もないのに。

ナイチンゲールとキャスター、エジソンのやり取りを聞いて白斗も思い至った。

 

「王としてアメリカを守るというユメはエジソンに取りついている誰かのユメであって、エジソン、あなたのユメじゃない。アメリカ以外を救うというコトから目を背けて戦うからこそ、あなたは苦しいんじゃないのか?」

「私、私は―――――」

 

エジソンが頭を抱えてうめく。

その姿は正しく病に苦しむ病人だった。

 

「何か、フローレンスたちに言いたいコト全部言われちゃったわ、エジソン。それでどうするの?このままフローレンスの言葉をすべて受け入れる?それとも、戦ってあなたの裡にある澱を吐き出す?」

 

その肩をエレナが叩く。

 

「エレナ君、私は……」

「あたしはどちらでも構わないわ。あなたはあなたの思うようにやりなさいな。いつもみたいに、ね」

 

そう言って茶目っ気たっぷりに片目を瞑るエレナに、はりつめていた場の空気が一瞬抜けた。

山が動くようにエジソンが頭をもたげた。その目には力が戻っている。

 

「ありがとう、エレナ君。それからナイチンゲール女史とそこのキャスター、異邦のマスターよ。私は確かに道を違えていたようだ。だが!私にもここまでの戦いと犠牲を背負っている!故に!マスターとそのサーヴァントたちよ、戦って証を立てたまえ!」

 

耳をつんざく雷鳴とエジソンの咆哮が部屋に轟く。

 

「やっぱりそうなるのか。ま、分かりやすくていいな」

「そうね!」

 

全員がそれぞれの得物を構える中、キャスターの前に立ったのはエレナだった。

 

「あなたの相手はあたしみたいね」

「……そのようですね」

 

雷を四方八方に放つエジソンの相手はナイチンゲールにラーマとシータ。銃を乱射する機械化兵にはロビンにアーラシュ、エリザベートが当たり、万が一にも跳弾が白斗に向かわないようマシュが盾で白斗を守っている。

スカサハは手を出すつもりがないのか、腕組みをして成り行きを見ていた。

 

「あたしが言うのもなんだけど、ここ室内なのよね」

 

アーラシュやシータが大弓から放つ矢が、エジソンの放電が、赤い絨毯の敷き詰められた床と染み一つなかった壁や天井を穴だらけにしていく様を見て、エレナが呆れたように額に手を当てた。

 

「ああもう。頭に血が上ると周りが見えなくなるのは変わっちゃいないわね」

「あなたとエジソンさんは知己だったのですか」

「ええ。それもあってこっちに手を貸してた訳だけど。まあ、そんな些事はいいの。付き合ってもらうわよ、古きインドのキャスターとあってはこっちも本気でいくわ」

 

エレナの手元から本が浮かび上がり、キャスターも剣を鞘から抜いた。

 

「え、あなた肉弾戦やるの?」

 

構えられた剣を見て、エレナが目を丸くした。

 

「私の触媒は剣なもので。……やってやれないこともないですが」

「あたしとしてはインドの魔術師らしく戦って欲しいんだけど!」

「それはどうでしょうか?あと私は呪術師ですよ」

 

見ようによっては不敵とも取れる無表情を貼り付けたままのキャスターにエレナの放った光弾が殺到し、キャスターは剣を構えてそれを迎え撃つ。

キャスターが横凪ぎに剣を振るえば、剣の軌跡に合わせて生じた闇が光弾を飲み込んだ。

お返しとばかりにキャスターが右手を突き出し、風と水の刃がエレナに向けて放たれた。

 

「ドジアンの書よ!」

 

しかし、呪文と共にエレナの魔導書が輝き、風と水の刃が残さず消された。

 

「さすがのキャスターね」

「あなたこそ凄い腕ですね。私たちが使った呪術以外にも、たくさん取り入れているようですが」

「何よ、あたしの魔術はちゃんぽんとでも言いたいの?」

 

目を鋭くしたエレナにキャスターが心底意外そうに無表情のまま首を振った。

 

「いいえ、まさか。古今東西の術を束ねて一つの魔術として完成させたあなたは、正に新しき時代の魔術師だと思っただけです。それは素晴らしいことです。世界が広くて狭かった私たちの時代にはなし得なかったのですから」

「……あなた、実は結構天然なんじゃないの?」

「は?」

 

真顔で称えられるなんて調子狂うわね、と言いつつエレナは追加で魔術を振るい、キャスターは迎撃する。

戦いはまだ終わりそうもなかった。

 

 

 

 




流れは若干変化したものの、結局バトルに突入。
ついで、話の中で始めてキャスターらしくエレナと戦う主人公でした。





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act-14

8月が終わり、9月になりました。
暑さが若干和らぎ、嬉しい限り。


誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


 

時は少し遡り、まだ大統王の謁見室での乱戦が始まる前のこと。

城の門前で槍を構えたカルナと大剣バルムンクを構えたジークフリートは向き合っていた。

どちらかがほんの少しでも動けば、戦いはその瞬間に始まるだろうと思わせる緊張感が辺りを満たし、機械化兵すら彼ら二人を遠巻きにするだけだった。

瞬間、どこか城の中で物が壊れる渇いた音が響き、それを号砲にカルナとジークフリートは激突した。

カルナが槍を下から掬い上げるように伸ばせば、ジークフリートは中段に構えていたバルムンクでその槍を弾いて、槍を抑える。

そこに込められた力の余波だけで、土がもうもうと舞い上がった。

得物を抑えられてはならないとカルナが槍を回転させ、槍の石突きをジークフリートの脳天に降り下ろそうとするが、ジークフリートは剣から片手を放して槍の殴打を受け止めた。頑健さを誇るジークフリートだからこそできる荒業で、並みの者なら腕の骨が砕け散っていただろう。

それで槍を抑え付けていた力は無くなり、カルナは槍を手元に引き戻して距離をとった。

ジークフリートもほぼ同時に後ろに跳びすさり、二人の間に距離が開く。

 

「こうして貴公と戦うのは二度……いや、三度目か」

 

バルムンクを下ろさないままにジークフリートが口を開き、カルナも槍を構えたまま首肯した。

 

「そうだな。そして一度目も二度目も勝負は決しなかったな」

「ああ。今回こそは死力を尽くして決着をつけようと言いたいが、そうもいくまい」

 

カルナとジークフリートが本気で戦えば、この城がただでは済まない。それはどちらも分かっていた。

サーヴァントたちやマシュが守っている白斗は無事だろうが、機械化兵や一般兵はそうもいかないだろう。大英雄であればこそ、全力の戦いなどそうは行えないのだ。尤も、同じことは今、城の中に侵入しているカルデア一行、とりわけラーマやスカサハにも言えるのだが。

ままならぬものだと、カルナは数日前の戦いを思い起こしかけ、すぐに意識を戻した。

他に意識を向けたまま相手ができるほど竜殺しは甘くない。

動きが止まり、言葉を交わしたのは瞬く間だけのこと。再び槍と剣が火花を散らして交わる。

斬撃、刺突、払い、蹴りに、魔力放出の炎。

それら全てが組み合わさり、辺りに破壊を生み出しながらカルナとジークフリートの戦いは続く。

城の中から一際大きな轟音が轟いたのは、二人が何度目かのせめぎ合いに入ったところだった。

城の上の階からの轟音に兵士たちが驚きの声を上げると同時、城の壁の一部が中から弾けた。

瓦礫が雨あられと降り落ち、カルナとジークフリートは双方得物を引いて後ろへ跳んだ。

大砲から撃たれた砲弾のように、その穴から宙へと飛び出してきたのはキャスターとエレナ。二人は瓦礫と共にくるくると風に舞う木の葉のように回りながら落下し、地面に叩き付けられる寸前に、双方風を吹かせて地面に軟着陸した。そこはちょうど向き合うカルナとジークフリートの間だった。

 

「びっくりしたぁ!」

 

エレナはばね仕掛けの人形のようにぴょんと立ち上がり、 キャスターは頭を振りながら体の調子を確かめるように伸びをした 。

 

「容赦なく巻き込まれましたね」

 

吹き飛ばされた拍子に、地面に落ちたエレナの帽子を拾い土埃を払って手渡してから、キャスターは城、正確に言えば自分たちの落ちてきた穴を仰ぎ見た。

 

「ありがとキャスター。あら、ジークフリートにカルナじゃない」

「……またえらい所に落下しましたね」

 

ジークフリートはバルムンクを引き、エレナに問うた。

 

「……すまない、状況がどうなったのか聞いていいか?」

「どうもこうもないわ。フローレンスとラーマがエジソンをぶっ飛ばしちゃったのよ」

 

謁見室で始まったカルデア側と西部合衆国側の戦いで、エレナとキャスターは魔術師と呪術師として正面から戦っていたのだが、そこへラーマの放った軽いブラフマーストラとナイチンゲールの拳を食らい、吹き飛ばされてきたのがエジソン。

彼の巨体を魔術と呪術で受け止めたまでは良かったが、筋力の足りない二人は衝撃で飛ばされて城の壁をぶち破ってしまったのだという。

 

「今頃はもう決着も付いているでしょうね」

「そうね。多分フローレンスにもう治療されてるわよ。というか室内でブラフマーストラって、何考えてるのよあの王子さまは!」

「ちゃんと手加減はしてましたよ、ラーマさんは」

「当たり前よ、もう!少なくともブラフマーストラは室内用の武器じゃないでしょう」

「室内での放電も似たり寄ったりじゃないでしょうか。あと、私たちもどかんばこんと撃ち合いしましたし」

「あー、それを言われると弱いわね」

 

どこかピントがずれたまま、丁々発止とやり合うエレナとキャスターの掛け合いに、場の緊張していた空気がもうどこかへ行ってしまっていた。

 

「と、そういうわけだからジークフリートにカルナ、戦いはちょっと終了。一旦部屋に戻るわよ。悪いわね」

「……構わんが」

「仕方あるまい」

 

エレナは魔導書を、カルナは槍を消し、ジークフリートはバルムンクを、キャスターは自分の剣を鞘に収めた。

 

「とりあえず、謁見室まで戻りましょう」

「そうね。ここで待っていても仕方ないわ」

 

四人のサーヴァントは壁を蹴って登り、謁見室に空いた穴から部屋に戻った。

そこにあったのは、何故か泡を吹いて倒れているエジソンと油や部品を撒き散らしている機械化兵、その周りに佇むカルデア一行だった。

 

「……マスター。あの、これは一体?エジソンさんが水揚げされた魚のようになっていますが」

「あ、キャスターにカルナ!無事でよかった。えーと、ナイチンゲールが―――――」

 

キャスター共々エレナまでもが吹っ飛ばされ、追い詰められて強化薬なる怪しげな薬を飲もうとしたエジソンに、ナイチンゲールがそのようにいつまでも非合理的に戦おうとするから、あなたは同じ天才としてニコラ・テスラに敗北するのです、と言ったとたんに倒れてしまったんだ、と白斗は手でエジソンを示した。

 

「分かったわ。エジソンにとって一番重いの言っちゃったのね。それはこうなって当たり前よ」

「怪しげな薬を飲むのを止めてくれたのは感謝すべきだし、治療行為とは分かっているが……少し手加減してほしかったな」

 

エレナが呆れ顔で肩を落とし、ジークフリートはすまなそうに目を伏せて言った。

びくびくと痙攣していたエジソンが正にそのとき膝をついて立ち上がった。

 

「案ずるなエレナくん、ジークフリートくん。だが私はここまでやられてしまった」

「みたいね。でも、ラーマーヤナの英雄と鋼鉄の看護師相手に奮戦したじゃない」

「そう言ってくれるのは嬉しいよ。―――――認めよう、私は確かにちょっと道を違えていたようだ」

 

自分の過ちをちょっと、と言うエジソンを見るキャスターの目には何かを懐かしむ色が浮かんでいた。

 

「やっぱり……似ていますね」

「そうだな。ジークフリートが手を貸していたのも頷ける。世界そのものからして異なる発明王にかつての友が重なるとは……。これもサーヴァントの宿業か」

「そこは宿業ではなくてせめて果報と言いましょう。ドゥリーヨダナ様が嘆きますよ」

 

キャスターとカルナがぼそぼそ話す間にも、エジソンたちと白斗、それにナイチンゲールの話は進んでいく。

予想通りというか予定通りと言うべきか、エジソンたちとカルデアとはケルトに立ち向かうために共闘することとなった。

交渉の余地が全く存在せず、ケルトに勝つか負けるかという二択しかないこの特異点の戦争において、西部合衆国単体でもカルデア単体でもケルトに勝つのは難しい以上、手を組むのは必然の流れでここまで鎬を削って戦う必要は無かったかもしれない。

それでも互いを信頼するためと考えるなら、この戦いは必要であって無駄ではなかったし、そうであってほしいとキャスターは思う。

信頼しあっていない味方など敵より万倍厄介なのだから。

ケルトに対する具体的な作戦なり対抗策なりを、今この場で持っているものはいない。いないけれど、この場の皆で考えればきっと何とかなるはずだ、と白斗は言ってエジソンと固く握手を交わした。

 

「王様一人が決めるんじゃなくて大勢で決めるってか。これが合衆国の本領って奴かねぇ」

 

王の圧政に抗って英霊となったロビンフッドは物珍しそうにその様を見ていた。

 

「数多の国の数多の人間が集まって形を成した国、イ・プルーリバス・ウナム、か。確かにこういう形の国を見られるのもサーヴァントになった果報かもしれないな」

 

終生ただ一人の王に仕え、その命をもって長きに渡る争いを終わらせた射手も、雲一つない晴天のようにからりと言った。

彼らの見守る中、白斗をアメリカ西部合衆国の副大統領に任命したエジソンはそっくり返って、世界を救うための会議の開催を宣言した。

そういう仕草をしてもちっとも不快になるような、傲慢さを与えず、むしろ人を惹き付ける辺りがエジソンの人徳なのかもしれないな、とキャスターは考えた。

天井やら絨毯が穴だらけの煤まみれで、壁に大穴が空いている部屋でなければさらに格好良かったかも、とも思ったが、そこは言わぬが花だろう。壁に大穴を空けたのは他ならぬキャスターとエレナであるし。

そうして、エレナの使い魔が人数分の椅子や長机を運び壁の穴を急拵えで塞いで、何とか会議を始められる運びとなった。

 

「では諸君!改めて、世界を救うための会議を始めよう!」

 

議長席に座ったエジソンが大声で宣い、エリザベートがはい、と天を突く勢いで手を上げた。

 

「全員で攻め込んで殴るのよ!それしかないわ!」

 

単純明快な発案だった。

とはいえ、それが出来るならエジソンやカルデアがとっくにやっており、出来ないからこそ手を組むという話にもなったのだ。

故にエジソンの答えも速かった。

 

「超却下である!」

「何でよー!」

「はいはい、エリエリの案はともかく置いといて、一旦状況を整理しましょう。地図をちょうだい」

 

飛んできたエレナの使い魔が卓の上に半分が青、半分が赤に塗られた地図を広げた。

 

「赤がケルト、青が私たちですか」

「その通りよ。シータ王女。こう見れば分かると思うけど膠着状態なの。あなたたちが来なければ、押し負けていたのは事実ね」

「とはいえこの大地の心臓は守り抜いています。エジソン、あなたたちの為した、兵力で前線を押し返す治療法は間違いではなかった。ただここから先は、それでは通用しなくなるという話です」

 

では改めて敵と私たちの戦力の確認をしましょう、とナイチンゲールは言い、マシュとドクターが戦力を述べた。

あちら側のサーヴァントは、ベオウルフ、ディルムッド・オディナ、フィン・マックール、聖杯を持つメイヴと、師であるスカサハですら手に余るようになったクー・フーリン。

こちら側のサーヴァントは、野良のサーヴァントとしてエジソン、エレナ、ジークフリート、エリザベート、ロビンフッド、ラーマ、シータ、スカサハ、ナイチンゲール、キャスター。

カルデア側のサーヴァントはといえばマシュ、カルナ、アーラシュ。

所在不明のサーヴァントとして李書文がいるが、当然あてにはできない。

サーヴァントの数だけで言うならこちらはあちらより上だが、問題はその他の兵力である。

実質的に補充無限という反則染みたシャドウサーヴァントとケルト兵、竜を始めとしたモンスターにエネミー。

彼らによってかかられれば、並みのサーヴァントは危うくなる。

エジソンやエレナ、ジークフリートの予想では、ケルト側はこれらを率いて南北二つのルートから侵入するとのことだった。今は不気味に沈黙しているが、攻撃の準備段階をしているのだろう。

 

「今の均衡が崩れれば時代が死んでしまう。それを避けるには、ケルトを食い止めつつケルトの聖杯を取りに行く」

「そのために陽動と本命とに戦力を分け、一方はケルトの侵入を食い止め、一方はワシントンにまで攻め上って王をとる」

 

キャスターとカルナが代わる代わる謳うように呟き、スカサハがうむ、と頷いた。

「それが妥当だろうな。ここには私を含めて一騎当千と言える複数のサーヴァントがおる。戦力を二つに分けてもぎりぎり何とかなろう。となると問題は組み合わせか」

 

出たとこ勝負の感は否めないにしろ、誰をどちらに配置するかがこの作戦の要だろう。

とはいえ、すぐに納得のいく配置など誰も言い出せない。

場にどことなく弛緩した空気が流れ、それを遮ってエリザベートが口を開いた。

 

「要するに、今ってサーヴァントの配置が問題なのよね」

「それはそうだが、エリザベート、お主に何か策があるのか?」

「アタシには無いけど、でもサーヴァントに関して一番詳しいのならそこにいるじゃない」

 

そこ、と言ったエリザベートの指が指したのは、エジソンの隣に座っているせいで小さな子供のように見えてしまっている白斗だった。

 

「お、俺?」

「そうよ。この中でサーヴァントに一番詳しいのはアンタだもの。フランスとかローマとか、それにアタシの知らないところでもあちこちで戦ったんでしょ」

 

そういうアンタにならアタシたちをどう配置するかも任せられるわ、とエリザベートは言った。

 

「俺でいい、のかな?」

「はい、良いと思います。先輩」

 

マシュはそう言ったが、受ける白斗は戸惑っているようだった。

しかし場の誰からも異論はない。この場で一番中立にものを見ることができ、サーヴァントをよく知るのは白斗なのだ。

 

「……分かった。でも時間をくれ。すぐには決められないから」

 

ついに白斗はそう言って頷き、会議は閉幕となった。

決まったことは、白斗はサーヴァントの配置を決め、エジソンは機械化兵を整えるということと、兵站などその他諸々の事柄。

何にせよ、決戦の始まりは明日となった。

各自解散となって全員が卓を離れる中、どこか浮かない思案顔のキャスターとその向かいに座る無表情のカルナは最後まで席に残っていた。

 

 

 

 

 

 




エレナとキャスターが会話するとノリが軽くなり、かつギャグ調になるのは何故だ。



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act-15

前半が難産。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


「……何をそこまで考えていた」

 

会議室を出てキャスターとカルナは廊下を歩いていた。

カルナやキャスターは機械化兵の整備やら何やらを手伝えないが、やることは探せばいくらでも見付かるだろう。

廊下を歩きながらキャスターは答えた。

 

「メイヴのことを少し考えていました」

 

キャスターがアメリカに召喚されてすぐに会った自称女王にして聖杯の所有者。

顔を合わせたのはほんの短い間でキャスターは宝具を撃って即座にその場から放れたが、それでもメイヴのことは強烈に覚えている。

キャスターが生前から今までに見た美しい姫たちと比べても、文句なしに随一の美人かつ相性の悪そうな相手、というのがその印象だ。

正直なところ、あの可憐な見た目でクー・フーリンを策に嵌めて死に至らしめたというは信じがたいくらいだった。

ベオウルフやフィン・マックールの物言いを鑑みるにメイヴはキャスターにかなり殺意を燃やしているようだが、キャスターは宝具を撃ったのだからそれも当たり前としてさておいていた。

 

「私があのメイヴだったなら、どう動くのだろうかと考えていたら、つい」

「深みに嵌まって考え込んでしまった訳か。お前は戦術家ではないだろう」

「それはそうですけれど、どちらかといえば女の直感でしょうか」

 

ほんの少しおどけたようにキャスターは言う。

 

「……」

「沈黙しないでくれますか。合わないコトを言ったのは分かっていますから」

「すまん。驚いただけだ」

 

尚悪い、とキャスターは額に手を当てた。

普段は冷静だが肝心なところは勘任せという矛盾した面のあるキャスターだが、少なくとも頭に血が上っていない分には思慮深い思考ができる。キャスターが冷静な思考を丸ごと吹っ飛ばすほど頭に血が上ったことは、死の直前のあの出来事くらいだが。

ともあれ、キャスターは城の外を目指して歩きながらカルナを振り返って言う。

 

「カルナ、私はあのクー・フーリンと直に顔を合わせましたし、あの槍の呪いにも触れました。だからこそ言いますが、クー・フーリンとあの槍には、あなたの鎧を貫いて心臓を穿つだけの力がある。彼と戦うなら、あの槍を放たせては駄目です」

「……確かか、とは聞くだけ野暮か。忠告は覚えておこう」

「お願いします」

 

無意識にキャスターは仮初めの心臓の上に手を当てた。かつてそこを抉られて命を落としたキャスターには、心臓穿ちの呪いの槍は最悪の鬼門である。自分の心臓が貫かれた瞬間は正に思い出したくない記憶だ。

しばらく無言で歩いた二人は、廊下を抜けて城を囲む城壁の上に辿り着いた。

空には満点の星と、それから夜になって一層禍々しく輝く光の輪がある。

あの光の輪が空に輝く限り、ここは未だに歴史の狂った特異点なのだ。

城壁の縁まで行って、キャスターは夜空を見上げ、つと光の輪を指差した。

 

「ドクターさんが言うには、あれは魔術王の仕掛けたものだそうですね」

「ああ。魔術王ソロモンか。マスターたちが第四の特異点で遭遇したという」

「あの……あまり魔術王の真名を口に出さない方が良いかと。名前はそれ自体力ある言葉で―――――」

「歴とした呪文、だというのだろう。分かっている。お前の口癖だ。だが名を口に出すことすら憚っては徒に恐れを膨らませるぞ」

「要するに必要以上に恐れを膨らませば、いざ実物と見えたとき戦えなくなる、と言うのでしょう。それも分かっていますよ」

 

長い付き合いなんですから、とキャスターは言って石垣に肘をついた。

その下には、篝火や無駄なくらい煌々と輝く電球に照らされた兵士たちが食事をしたり騒いだり、各々の時間を過ごしていたが、二人が黙して見るうちに彼らは一人、また一人と寝床へ入って行った。

明日、戦いに赴くのはサーヴァントたちとマスターだけではない。彼らも戦場に行くのだ。

彼らのうちの一部は確実に明日の朝日は拝めない。例え、特異点が修正されればすべて無かったことになる、言ってみれば仮初めの死だとしても。

 

「魔術王……いえ、ソロモンはどうしてこんなことをしたのでしょうね」

 

美しい音楽でも聞くように今を息づく兵士たちに耳を傾けながら、キャスターが呟いた。

 

「こんなこと、とは世界を燃やしたことか?」

「そうです。一切合財燃えてしまえばいいと思うほど、彼は人間が嫌になったのでしょうか。自分の生きていた道までも燃やしてしまうほどに」

 

何の躊躇いなく燃やせたとしたら、魔術王は悲しい人かもしれませんね、とキャスターは言った。

 

「そう思えるのはお前が人を好いているからだ。お前は人の非道を見るたび、泣きも折れもするが絶望してそれきり、ということだけは決してない。お前は時がかかろうが何度転ぼうが、人の未来を信じて歩み続けられるのだろう」

 

キャスターはどこか憮然として首をふった。

 

「私は慈悲深き人類愛者にはなれませんよ。母様や師匠やドゥリーヨダナ様や、私の覚えている人たちの生きていた時間を燃やされたくない、マスターやマシュさんに死んでほしくない、当たり前に身内贔屓の人間です」

 

人類史を守るという使命は下されているが、本音を言えばキャスターには些か規模が大きすぎる。

それに人類愛というのはある意味神の領域に入った精神だろう。ならば、まかり間違っても自分には相応しくないと思う。

 

「それから、次に何時言えるか分からないので今言いますが」

 

キャスターはカルナをどこか冗談めかして言葉を続けた。

 

「あなたはつくづく物言いが直裁で返事に困ります」

「……実はな、以前聖杯戦争で会った別なマスターにオレは一言多いのではなく少ないと言われて以来、何とかしようとしているのだが」

「残念ながらあまり直っていませんよ。精進してください」

「…………………………そうか」

 

真顔でキャスターが切り返し、今度はカルナが沈黙した。

 

「一言足りないと言うとは、的を射たマスターもいたんですね。どんな人でしたか?」

「………マスターとしては文句なく役に立たない主人だったな。サーヴァントとして断言できるほどに」

「なるほど、ある意味相変わらずの主に仕えた戦だったと。でも―――――結末はそう悪くない戦いができたようですね」

 

隣に立つカルナを横目で見て、キャスターは言った。

 

「そうだな。オレの力不足で主を聖杯戦争の勝者には押し上げられなかったが、ともかく守ることはできた」

「………あなたでも力不足になるとは、巷の聖杯戦争は本当に過酷なんですね」

 

そう言って視線を下げたキャスターの目に、ふと城を出ていく白斗とナイチンゲールの姿が映った。

何か話し込みながら、白斗たちは城の周りを歩いている。サーヴァントならば、耳をすませば声が聞こえないこともないだろうが、二人のうちどちらもあえてそうはしなかった。

 

「マスターは夜の散歩。ナイチンゲールはその警護、と言ったところか」

「でしょうね。…………私たちは、マスターには大変な役を背負わせています。でもナイチンゲールさんなら正しい言葉をマスターにかけてくれるでしょう」

 

白斗の最初のレイシフト、炎上した冬木での彼がどうだったかをキャスターはよく覚えている。

燃え盛る亡骸に怯み、シャドウサーヴァントの殺気に怯え、それでも白斗はマシュや、確かオルガマリーという名前の女性魔術師と並んで歩いていた。

エジソンの元へ向かう道々白斗に聞いたことだが、あのオルガマリー所長という人物も殺され、今はいないそうだ。

あの頃と比べると、白斗は別人かと思えるほどマスターとしては成長している。

そうして頼もしくなった分、白斗にはまた重みがのし掛かる。

世界の重みを一人に背負わせるなどまさに狂気の沙汰だ。それでも他に手はない。

他に手はないという言葉で、誰か一人に何かを負わせる有り様はキャスターにも覚えがある。今さらだが、キャスターが白斗をほぼ無条件に信用しているのも彼の誠実という人柄以外に、そういうところに惹かれたのだろう。

とはいえキャスターが今すぐに白斗のためにできることは、この異常を直すために尽力する以外ない。

それでもやりきれないし、割りきれない思いが消えない。

 

「カルナ、この戦いが終わったあとあなた方はカルデアに還るのでしょう」

「そう聞いている。特異点が修正されればオレたちは帰還する」

「そうですか。なら、言うまでも無いことですが白斗さんとマシュさんとをよろしくお願いしますね」

「無論だ。しかし、マスターだけでなくマシュもか?彼女はデミとはいえマスターを守るサーヴァントだろう。必要はあるのか?」

 

あります、とキャスターが言い、カルナは無言で先を促した。

 

「サーヴァントですが彼女は女の子ですよ。生物学上だのそういう問題ではなく心の有りようとして、彼女は女の子です。マシュさんは白斗さんを普通のマスター以上に心の支えにしていますし、白斗さんもそれは同じです」

「お互いがお互いを心の支えにしているということか」

「ええ。あの子たちはある意味では二人で一人。普通のマスターとサーヴァントの関係には当てはまらない。どちらかが欠けても駄目になってしまうと思います」

 

カルナが考え込むように腕組みをした。

 

「…………そういう心に関しては万事お前の方が上手だ。忠告に従おう」

「精神面でのケアもと言いたいところですが。それはカルデアに適任がいることを願います」

 

カルナの精神は少々どころではなく常人とは隔絶しすぎているから、適切なカウンセリングなりなんなりがカルナにできるとはキャスターは微塵も思っていない。畑違いも良いところだろう。

 

「ならばドクター・ロマンか。本業は精神科含めた医療だと聞いたぞ」

「ああ。―――――そうですね」

 

それは安心ですね、とキャスターはうんうんと納得したように頭をふった。

お節介かもしれないが、特異点の修正後はいつ会えるのか、そもそも今後会えるかすらも分からない身として色々と言い残したくなったのだ。

 

「それで、オレたちはカルデアに還るとして、お前はどこへ還るのだ?」

「また元通りですね。つまり謎の空間で出番待ち」

 

星空を仰ぎ見ながら、乾いた声でキャスターが言った。

 

「何も茶化して言わなくても良いだろう」

「あれ、そう聞こえましたか?」

「聞こえたな」

 

カルナが深く頷き、キャスターの肩が落ちた。

 

「先にも言った気がしますが、私の還る場所はあまり辛くはありませんので」

「本当か?」

「基本、ぽけぇっと寝ているだけです。地獄のように燃やされたりしているわけでもありません。要するに言いたいことは、私の方は心配しないで大丈夫ということです」

「…………だから心置きなく戦えということか」

「はい。こちら側にも勝つ以外の選択肢がありませんし」

 

相手はこちらを全員殺すまで止まらず、こちらは相手の力の源である聖杯を何としても確保しなければならない。 だから普通の戦いと違ってケルトとの戦いは停戦だの休戦だのがなく、交渉の余地までもが全く無いのだ。

それだけでもあり得ないのに、兵站も兵力も無尽蔵だというキャスターからすればふざけるなと言いたくなるような相手が敵なのだ。

一撃で世界を吹き飛ばす威力のある弓だの、戦場を丸ごと覆う幻覚だの、撃てば必ず相手に当たる槍だの、理不尽なほど凄まじい威力の攻撃ならキャスターもさんざ見たし場合によっては肌で感じもしたが、それより何より兵力補充が無限というのは凶悪だろう。というより凶悪過ぎる。

 

「撤退と敗北が許されず、勝つ以外の選択肢がない戦いか。言われてみれば月の聖杯戦争と同じだな」

「月?月ってあの月ですか?聖杯戦争とは月でもやるのですか?」

 

キャスターの白い指が月を指差した。人理焼却の光輪があっても青白い月の目映さは何千年前と変わらず、少しも揺らいでいない。

 

「あの月だと思うぞ」

「…………聖杯戦争とは実に摩訶不思議ですね。そういえばカルナは聖杯戦争には何度か喚ばれたこともあると言っていましたが」

「あるな。ジークフリートとはそこで敵として戦った。今は味方だが」

「ちなみにそこでの勝敗は?」

「主の命は守れた。聖杯は捧げられなかったがな」

「………何とまあ」

 

カルナほどの英霊が二回喚ばれて二度とも同じ結末になるとは、『普通の』聖杯戦争とは何なのだろうと、キャスターは少々真剣に考え込んだ。

 

「聖杯戦争の模様を聞きたい所なのですが、どうもその時間は無いようです」

 

地平線からまた次なる朝日が昇り、大地を金に染めていた。

そこ此処で兵士たちが動きだす気配が伝わる。戦いへと繋がる喧騒が戻って来たのだ。

青く染まりつつある空を、どこから飛んできたのか白い小鳥が甲高く鳴きながら飛んでいった。

放たれた礫のようにどこかへと飛び去っていく小鳥を、キャスターとカルナは束の間同時に目で追った。

 

「中へ戻りましょう。マスターに編成を聞かなければ」

「そうだな」

 

それから小鳥の飛び去った方から目を背けて、二人は城へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜明けから数時間経った後の城の外。

太陽に照らされてギラギラと輝く、すでに勢揃いした機械化兵と一般兵を横目に、白斗がサーヴァントの編成を発表しようとする直前、スカサハが挙手した。

 

「マスター。この土壇場にすまぬが、私はどちらの軍にも加わらぬ。このままここを離脱し、メイヴとクー・フーリンの動向を監視し、場合によっては抑え込む役に回ろうと思う」

「え、でも、それって…………」

 

白斗が言い淀んだ。

スカサハは自分ではクー・フーリンには勝てないと言った。なのに今はその彼へと単身向かうと言うのだ。

 

「あなたは、捨て身で挑むつもりか」

「捨て身とは何だ。ジークフリート、私を誰だと思っている」

「影の国の女王だろう」

「そうだ。私は死においていかれた者。お主ら、その私が死ぬと思っているのか?」

 

スカサハが両手を広げて一同を見渡し、彼女の真正面にいたキャスターはしっかりと目があった。

何か言え、とスカサハの赤い瞳が語っていた。視線を受けて、キャスターは答えた。

 

「いえ、あまり思いません」

「ほれ、正直者のキャスターもこのように言っておるだろう。何、命がけは皆同じさ。一晩考え、私はここで離れ、遊撃に回るべきと判断したのだ」

「…………分かった。ここまでありがとう、スカサハ」

「改まった別れの挨拶など止せ止せ。マスター、白斗よ、よく戦い、そして勝って生き残れ。さすればどこかで見えるときもあるだろうさ」

 

ではな、とスカサハは疾風のように消えた。

その消えた先をしばらく見てから、白斗は再びサーヴァントたちに向き直った。

その編成はといえば、侵攻を食い止める北軍に、エジソン、エレナ、ジークフリート、ロビン、エリザベート、アーラシュ。

攻めいる南軍には、マシュ、ラーマ、シータ、カルナ、キャスター、そしてナイチンゲール。

これでどうかな、と白斗は一同を見渡し、誰からも不満は出なかった。

 

「俺は守る側か。ま、何とかしてみせるさ。それとロビンフッド。お前さん、見張りしてたときにトラップで兵力六割は削れるって言ってたよな」

「げ。しっかり覚えてたのかよ」

「俺からも頼む。期待している、森の狩人」

 

アーラシュはロビンフッドの肩を叩き、ジークフリートは真摯に頭を下げていた。ロビンフッドはそれに閉口しているようにも見えたが、アーラシュの手を振り払おうとはしていない。

一先ず北軍は何とかなりそうだった。

南軍の方はといえば、ラーマとカルナが地図を挟んで向き合っている。

 

「軍勢だが、ラーマ。指揮はお前が取れ」

「構わぬが、良いのか?カルナ」

「オレは槍に徹する。王としての格があるものの方が適任だろう」

「分かった。確かに任されたぞ」

 

握手するラーマとカルナの隣では、シータ、ナイチンゲール、キャスターが額を付き合わせていた。

 

「私は主に弓で援護をします 」

「もちろん私は患者の治療にあたります。キャスターは治療と遊撃、双方こなせますか?」

「遊撃しつつ患者を見付けたらナイチンゲールさんのところにまで運ぶ方法の方が確実かと」

「分かりました。ではそのように」

 

こちらもこちらで役割は決まったらしく、全員がまた白斗とマシュのところへ戻ってきた。

 

 

 

 

 




次に何時再会できるか分からないため、普段よりは二人とも饒舌。

尚、キャスターのカルデアマスターへのスタンスはブーディカに近い。あっちよりは厳しめかつ普段は無表情な姉貴ですが。




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閑話-2

またもや閑話です。

今回はマハーバーラタ由来のお話で、上下構成です。
注意事項はオリキャラが登場していることと、独自設定のタグが働いていることです。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


ここ最近、街では道行く人や牛や馬に牽かせた車の数が増えている。

行き交う人々の囁き声に少し耳を傾ければ、誰も彼もが期待顔で噂しあう。

曰く、クル一族の武術の腕を披露する武芸大会が開かれるという。

今こそ、名高き武芸者ドローナの下で研鑽を積んだ、聖なる王子たちの絶技の数々を目にできる絶好の機会。これを逃すは末代までの未練。王城に向かい彼らの武術の冴えに心踊らすも、参加者として挑むも良し。

さあ民草よ、武人よ、老いも若きも王城に向かおうぞ。

 

「馬鹿くさい。それでこの騒ぎかい」

 

と、巷に流れる謳い文句を詩人の真似事をして語れば、師は呆れたとばかりに言い捨てた。

 

「………師匠。馬鹿くさいはあんまりですよ。楽しみにしてらっしゃる方々もいるのに」

「他の奴のことなんざ知るか。あたしゃね、五月蝿い騒ぎは何だって嫌いなのさ。ほれ、手が止まっとる」

 

やるならさっさとやれ、と言われ、鍋の中身の緑色の薬湯をかき混ぜることに集中することにした。

師の切り捨てた武術大会は、確かに師には直接の関わりがない。師は一通りの武術も教えてくれたけれど、それも護身の域を出ないし、それ以上極めるつもりもない。

自分が極めるべきは薬を作ったり、呪術を操ったりするための方法である。

 

「しかし武術大会ねぇ。王様も暇なことをするもんだ」

「カヴラヴァ御兄弟とパーンドゥ御兄弟の武術の腕前を披露することは、悪いことでは無いのではありませんか?」

「そりゃね。武を見せることは他国への牽制にはなるだろう。だがね、五王子と百王子との対立まで外目に晒すこたぁないだろうよ」

 

今この国を治めているのは盲目のドリタラーシュトラ王で、ドゥリーヨダナを長男に頂くカヴラヴァ王子たちはその息子。

対して、五王子はドリタラーシュトラの弟である先王パーンドゥの息子。しかしそのパーンドゥはすでに亡くなっており、五王子はドリタラーシュトラに引き取られて王宮に暮らしている。

こうなると、次の王が誰なのかという話になってくる。

百王子の長男ドゥリーヨダナにも、五王子の長男ユディシュティラにも、王位を継げるだけの理屈は立つのだ。

今はドリタラーシュトラ王が健在だからいいが、いずれ彼に老いが目立つようになれば露骨に対立が表面化するだろう。

師は、そんな内情を晒しかねない武術大会を開いて他国に弱味でも見つけられないのか、と言っていた。

一つの王国に、技量に差のある親戚の王子たちが犇めいているというのは、確かにつけこまれやすいだろう。

見せ掛けでもパーンドゥとカヴラヴァ兄弟は友好的である、と示せれば良いだろうが、どちらの兄弟たちも性格上それができない。むしろ、本気になりすぎて公衆の面前で本気で殺し合いかねないのだから厄介だ。

ちなみに人である父はドゥリーヨダナに仕え、カルナは養父がドゥリーヨダナの父の御者であるため、カルナも少女も立場はカヴラヴァ側である。

 

「まあ、あたしらみたいな外れものに、政をいう資格はないね」

 

とはいえ、宮廷に仕えてもいない呪術師たちには手のだしようもないことだ。

つまり師は、手のだしようのない余計なことに煩わされすぎるな、と遠回しに自分に釘を指していると察した。

 

「はい師匠。薬湯です」

 

考えを追い払うように頭をふって、器に注いだ緑色の薬湯を師に差し出した。

しばらく前に風邪をひいて以来、少女の師は体調が芳しくない。

日に日に萎んでいくように見える師の姿を見るたび、胸の奥を寒い風が通り抜けていく気がする。 歳を考えれば当たり前ではあるが、親より長い時間、少女はこの老婆と過ごしてきたのだ。

こうして作った薬湯も気休めだ。寄る年波には勝てぬという言葉通り、師は遠からず亡くなるだろう。

いずれ来る別れのとき、自分は師が安らげるように送り出せるのかという問いに、今の少女は答えられない。

不味い、と渋い顔をした師は、それでも薬湯を全て飲みきって器を返してきた。

 

「そういやお前さん、その競技会にはカルナも参加するのかい?いや、あの無欲の化身のことだ。頼まれでもせん限り出ることもないか」

 

己の武の腕を見せびらかすことに、カルナはいつもなら興味を示しはしない。ただ、今度ばかりは違うのではないか、と少女は思っていた。

どうもパーンドゥ五王子、特に三男のアルジュナが参加すると聞いて以来、カルナが落ちつかなげにしているように見えるのだ。

アルジュナとカルナは共に同じ師について学んでおり、その師はアルジュナを殊の他可愛がっているそうだが、まさかその一事でカルナが泰然とした在り方を変えてまで競技会に参加しようと思うほどの因縁が生じるとも思えない。

ともあれ、参加するならする、しないならしないで少女はどちらでも構わないのだ。競技会を催す王候たちは武を修めた全ての者に門を開くと言っている。カルナの身分が低くても、参加するだけなら断られはしないだろう。

王族のアルジュナに挑戦するとなれば話は別になるし、そうなれば確実に災難を呼び込むだろうが。

それでも、カルナが珍しく我を出すなら、彼の思う通りに振る舞ってほしかった。

ただ、彼女は未だカルナから直接に競技会に参加するのかしないのか、はっきりと聞いていない。態度からは察せられるが言葉にして伝えられてはいないのだ。

一応、参加の意志を伝えてくれる位には信頼されるようになっていると思いたい。

 

「…………どうでしょうね。参加したいように見えましたが」

 

故に少女の答えはいかにも歯切れ悪くなった。

珍しく人の目を見て答えなかった弟子に、師はちょっと片眉を上げたが、何も言わずに、ごろりと寝返りをうって弟子に背を向けた。

 

「そうかい。なら今日は帰りな」

「でも、師匠…………」

「馬鹿弟子に泊まり込んで看病されるほど、あたしは弱っちゃいないんだよ。いいから帰れ」

 

後ろ手で木の匙を軽く投げられ、少女はそれを避けた。 一度言い出すと師は梃子でも動かないことをよく分かっている少女は、鍋と器を持って立ち上がった。

 

「それでは師匠、私は帰りますが、また来ますね」

 

返答はなく、師は後ろを向いてひらひらと手を振っただけだった。

それを挨拶として家を出る。夜の森は暗いが、歩き慣れているから森は庭より身近だ。

片手に青い焔を灯し、蛇に噛まれないように気を張りながら歩く。焔は傷を癒しても毒は消せないのだ。

下草を払いながら歩くうち、暗い道の先から白い人影が歩いてくるのが見えた。夜闇に浮かぶ白い顔が、一瞬幽霊に見えて思い鳥肌が立ったがすぐに違うと気づいた。

 

「迎えに来たぞ」

 

歩いて来たカルナに、そのまま持っていた鍋と器と道具の入った袋をひょいと取り上げられる。両手で抱えていたそれを、カルナはそれを軽々と片手で担いだ。

 

「…………見た目より重いな。これをいつも持って森に通っていたのか」

「………もう慣れましたから。あの、どうしたんですか、今日は?一大事でもありましたか?」

 

日々森に通っているうちは心配しなくていい、と言ったのは自分だ。

一大事ではない、とカルナは首を振った。

 

「それならまたどうして?」

「最近色々考えて決めたことがある。それを報告しておこうと思った」

「はあ」

 

夜に森で言わなくても、家で言えばいいのではないだろうか、という疑問が顔にそのまま出ていたらしく、カルナはまた口を開いた。

 

「それと街の人間から、最近森に青い人魂が出るので様子を見てこいと頼まれた」

 

どうも話の流れが掴みにくい、と少女は、カルナの歩幅に合わせて小走りに歩きながら考えた。

最初に森の様子を見るよう頼まれたカルナが人魂、つまり青い焔を灯して歩く自分を見つけついでに自分の考えも話しておこうと思った。順番で言えばこうなるだろう。言葉足らずに言うからよくわからなかった。

 

「しかし、見る限り人魂の正体はお前のようだな。珍しい色合いの焔だから間違えられたのだろう」

「…………」

 

無言で焔の色を青から橙に変える。これならまだ普通の明かりと同じだ。

 

「お騒がせしてすみませんでした」

「謝る相手が違うぞ。オレへの謝罪に意味はない。だがお前が師の身を案じるのも、また当然だ。―――――それほど悪いのか?」

 

周りへの配慮を忘れて森へ通い詰めるほどに、というカルナの言葉にならない一言が痛かった。

 

「…………来年の年明けは越せます」

 

そこから先は口に出せなかった。

代わりに手を伸ばして、カルナの持つ袋を取り返した。

 

「やっぱりそれは私が持ちます。呪具も入っているので、気遣いだけで十分です」

「しかしな………」

「鍋を壊しでもしたら、師匠にどやされるのは私ですし、道具の管理は私の責です。それであの、あなたの話というのは何なのですか?」

 

そちらがカルナの本題だったはずだ。

話の続きを無言で急かすと、カルナは口を開いた。

 

「城で近々行われる競技会のことは知っているか?」

「ええ、もちろん」

「あれに出ようと思う」

 

真っ先に胸に飛来したのはやはり、という思いだった。そうとなれば、自分の返す答えももう決まっている。

 

「分かりました。御武運を」

 

気負いもせずに即答すれば、逆にカルナが不思議そうに見下ろしてきた。

 

「…………オレが言うのもなんだが、答えが早いな」

「何となく予想していた話でしたから。ここ最近、競技会を気にかけてきたのでしょう」

「オレはそこまで分かりやすかったか」

「はい。いつ言ってくれるかと思っていました。簡潔に言ってくれたので嬉しいです」

 

顔の前に垂れてきた枝を払い除け、足を止めずにながら答える。

 

「競技会にはパーンドゥ御兄弟も出られるのでしょう?」

「ああ」

「では、そこでアルジュナ様に挑まれるつもりですか?」

 

今度はすぐに答えが無かった。

振り返れば、枝を挟んでカルナは向こう側に立ち尽くしていた。

 

「カルナ?」

「いや、何でもない。少し驚いただけだ。それとアルジュナに挑むかどうかだがな」

 

正直に言えば分からないのだ、とカルナは言った。

 

「挑みたいとは思う。だがオレのこの考えは我欲や執着と呼ぶべきだろう。我欲に支配されて勝負を挑むのは道理に反するのではないだろうか?」

 

どこがどう、とは咄嗟に分からなかったがカルナの言葉は何かがちがう、と少女は思った。

 

「………いいえ。反していないと思います。我欲や執着を抱くことは、別にすべて悪いことではないでしょう。確かに度の過ぎたものは身を滅ぼしますが、無さすぎては人は石と大差無くなってしまいます」

「だがな―――――」

「いいから、最後まで聞いてください。人は泣きもすれば笑いもします。心がある限り冷たい石にはなれません。武人が好敵手を得てそれと戦いたいと願うのは、何に恥じることでもないと思います。ではカルナ、聞きますがあなたは物言わぬ石ですか?」

 

いいや、とカルナは首を振った。

 

「要するに、オレが心の赴くままに戦うことをお前は止めない、むしろそれを望んでいるということだな」

「ええ。ただ…………アルジュナ様は王族です」

 

実の父はともかく、御者の息子の身分のカルナが挑んで相手は挑戦を受けてたつだろうか。

それは大いに気にかかったが、そのまま言葉にするのは躊躇われた。

生きとし生けるすべての人間を等しい者と捉えるカルナの価値観は、ある意味では誰より狂っている。

少女は身分で人を見ることはないが、それは故国で貴族だったという実母が戦争で捕虜から奴隷となって零落した事実を目の当たりにし、人の生まれ持った身分の儚さを母から教えられたからだ。

当たり前のように、自分含めたすべての人を等しい価値あるものと捉えているカルナとは違う。

けれど少女は、かつてその価値観に心を救われた。

自分の実母に化け物のようだと告げられてから、ずっと見えない血を流していた心には、人にすべて価値がある、という言葉は何よりの助けになったのだ。

カルナは己の在り方が誰かの助けになったとは考えもしないだろうし、少女も今さら言うつもりもない。

 

「だが競技会は全ての者に開かれると言っていた。加えてドゥリーヨダナがオレに言って来た。気にせず挑め、とな」

「ドゥリーヨダナ様が?」

 

ドゥリーヨダナとパーンドゥ兄弟の不仲など、この国の人間なら誰でも知っている。

となれば、ドゥリーヨダナがカルナにそう言った理由も見えてくる。

競技会という舞台で、アルジュナに匹敵するカルナの技量を示し、加えてカルナはカヴラヴァの味方だと大勢に示したいのだろう。ドゥリーヨダナも、アルジュナやカルナと同じくドローナ師から武術を習っている。アルジュナとカルナの技量のほども、よく知っているはずだ。

ただの競技会と見せかけ、策謀の糸を張っているわけだ。

それにそもそも、少女とカルナの婚姻を決めたのもドゥリーヨダナだった。

少女の父はドゥリーヨダナの臣下である。そこからしてすでに、カルナを自陣へ引き込む算段は立てていたのだろう。

政をやる人間の腹なぞどこでも真っ黒くろすけさね、という師の言葉と、それくらいせねば国は守れないさ、という言葉も共に思い出した。

ということは、ひょっとしなくとも自分は、ドゥリーヨダナの思惑通りに思いっきりカルナを焚き付けてしまったのではないか。

その考えの不吉さに囚われて、今度は少女が黙りこんでしまう。

橙の焔だけが道を照らす夜の森で、草を踏み締める音だけがしばらく続いた。

 

「…………カルナ、その競技会は私も行きます」

「分かった。そも、ドゥリーヨダナにお前を連れてくるように言われている。一度会ってみたいそうだ」

「は?」

 

少女など、ドゥリーヨダナにしてみれば臣下の一人の名も無き娘だろう、それも妾から産まれた身分の低い者だ。言うまでもないが、少女とドゥリーヨダナに面識はない。

 

「何のために?」

「聞いてはいない。だがその焔ではないのか」

 

カルナの指が手の上で明々と燃える焔を指した。

異能を目当てに呼ばれるなど、なおさら悪い予感がした。ともあれ、もうカルナに言った言葉も取り消しなどできないわけで。

 

「…………分かりました」

 

と言う以外無かった。

 

「それとこの格好は不味いですよね」

 

今自分の来ている衣の裾をつまんだ。

丈夫だが、あちこちに繕い跡の目立つ男物の服だ。間違っても着ていけない。それに髪も伸ばしてはいるし手入れもしているが、草を編んで作った紐で束ねているだけで、飾りも何も付けていない。

 

「…………すまん、晴れ着のことに全く気づいていなかった。今更だが、お前はそういうものを持っているのか?」

「それくらいの用意はちゃんとありますよ。衣は母様のものがありますし、飾りは花でも使います」

 

手入れはしているから、母の衣とはいえ古びてはいない。遺品として父から与えられたときは、裾を引きずるほどだった衣だが今はもう丈も合うだろう。

それに、街に買い物に行くときのための女物の服もちゃんとある。着飾ることに喜びを感じず、街にわざわざ行かなくても森で大概の物が手に入るためにあまり着ないだけだ。

 

「そうか、なら良かった」

 

一人ごちるカルナに曖昧に笑い返し、ただ夜明けには遠い夜道を急いだ。

 

 

 

 

 




ドゥリーヨダナさん策士説。

本編の決戦間近状態で閑話かよ、と言われれば是非もない話です。

プリヤコラボ開始しましたね。万歳!!
魔法少女メイヴには驚きましたが。

それからすみません。
諸般の事情で今週の投稿はこれで終わりです。面目ありませんが、ご理解下さるようお願いします。


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閑話-3

誤字報告してくださるかた、いつもありがとうございます。


競技会当日までは、不思議なくらい何事もなく過ぎた。

その当日、少女は慣れない服を着て客席の隅に収まっていた。一応貴族の女性用の観覧席である。そこから更に上には絹や花で飾られた王候用の貴賓席がある。

数多の武人の集まる競技会は、まだ未婚の女性には格好の夫探しの場でもある。

さっきから周りでは令嬢たちが鈴の鳴るような声をあげ、磨かれた爪の輝く手を振って声援を送っている。

弓だこや皹、傷の跡だらけの手の自分はいかにも不釣り合いな気がして少女は両手を衣に隠したまま、膝を揃えて小さく座っていた。

鎧兜に身を固めた武人が入れ替わり立ち替わりに剣を振るい弓を引き、そのたびに群衆の歓声が暮れなずむ空へと吸い込まれていく。

その中でも、やはりパーンドゥとカウラヴァの兄弟たちの技は水際立って見事だった。

彼らのうちの誰か一人でもいれば、千軍でも万軍でも相手に出来るとまで言われているが、強ち誇張でもないのだろう。実際、それくらいあり得る、と思わせるような威力の矢や剣、棍棒が地面を砕き、そのたびにまた群衆が絶叫する。

こんな将たちに率いられた軍が、地の果てから雲霞のように攻めてくるなど敵には悪夢だろう。

かつて亡ぼされた母の故国の人々のように、とそこまで考えてから駄目だ、と頭をふって耳の奥に残る母の声を追い出した。

束の間物思いに気を取られていたそのうちに、パーンドゥの三男アルジュナが登場していた。

群衆の歓声は最早地鳴りかと思えるほどに高まり、王族の席に座る面々も他のパーンドゥ兄弟も、アルジュナが一つ的を射抜くたび、技を成功させるたびに満足げだった。

この場で熱の籠っていない眼でアルジュナを見ているのは自分くらいだろう、と思う。それほど、これから後に起こるだろうことで頭が一杯なのだから。

他は皆、いっそ異様なくらいにアルジュナの一挙手一投足に夢中だった。

そしてそのときは訪れた。

アルジュナの技を見守っていた武人たちをかき分けて、見覚えのある鎧を纏った青年が一人現れる。

そのまま王子に堂々と挑戦を申し込む青年、カルナの姿に、競技場全体がざわめいた。

周りの貴婦人たちもさわさわと風が木の葉を擦るときのような声で囁きあっており、ふいと目をやれば王族の席では、一段と上品な装いをし、王の隣に座っている一人の女性が真っ青な顔になっていた。まるで幽霊にでも出くわしたかのように。

女性のことは気にはなったが、視線を競技場へと戻す。

そこではカルナが出自を問われているところだった。挑戦が断られるか、受け入れられるかの瀬戸際である。

きつく自分の腕を掴んだそのとき、また別な声が競技場に朗々と響いた。

 

「挑戦に問題はない。何故ならその男は我らカウラヴァの身内、王族に連なる者だからだ」

 

見ればその声の主は、カウラヴァ百王子が長兄ドゥリーヨダナその人だった。

そのままあれよあれよと話は進み、あっという間にカルナはドゥリーヨダナを友としてパーンドゥ兄弟に挑んでいた。

武器を振るって戦うカルナの姿に、状況を忘れて見惚れた。例えそれが人を殺めるために確立され昇華された技であっても、流水のような動きには自然と目が吸い寄せられた。

それくらいキレイだったのだ。今まで見たすべての武技を忘れるくらい。

だからか、群衆の中からまろび出るように現れた老人の姿に直後まで気づかなかった。

気づいた頃には、白髪の老人はカルナの方へと手を差し伸べていた。

見覚えのある顔だった。何せ婚礼のときに、夫の父として彼は顔を見せていたのだ。顔を見たのはあれ一度きりだが。

老人の、何かにすがるような目、父が息子へ向けるにはあまりに濁った目を見たとたん、客席から思わず立ち上がった。

人をかき分けて、競技場に飛び降りたとたんに切りつけるような罵声がパーンドゥの一人から飛んだ。

 

「卑しい御者の息子風情が恥を知れ!」

 

途端、吹き上がるような怒気を感じた。万物等しく焼き尽くす太陽の如き怒りが、他でもないカルナから吹き上がったのだ。

自分を貶す相手には怒らず、だが自分の周囲の人、殊恩のある相手に対しての侮辱には怒る、というのがある意味分かりやすいカルナの性格だ。あのパーンドゥの一人はその禁忌にあっさり触れてしまったのだ。

ひくり、と喉が鳴りそうになるが瞬でそれを振り払って、怒りの顔でパーンドゥと立ち向かうカルナではなく老人の方へと向かった。

 

「養父様…………アディラタ様!」

 

声をかけながら肩をつけば、武人同士が殺気を叩きつけ合うにらみ合いに挟まれ、完全に腰が引けていた老人は、こちらを見て目をしょぼつかせた。

 

「養父様。あなたがここにいても何にもなりません。離れましょう」

 

この場では自分も老人も、二人まとめて邪魔だ。老人の手を引いて離れかけたところで、ふとカルナと目が合って頷かれた。

父を頼む、ということらしい。目線で会話するのもここまで来ると慣れだ。

カルナから視線をそらし、老人を急かして何とか競技場の外へと出る。頭に血が上った人々をかき分けて歩く間中、老人は木偶のように一言も口を利かなかった。

着なれぬ衣装のまま人の波を抜けて外へと出る頃には、日は暮れ、競技会の終了を告げる声が響き渡っていた。

 

「…………お養父様、今は一先ずお帰り下さい」

 

この老人が何のために出てきたかなど聞かなくてもわかる。

競技場で見せた濁った目を見るに、息子を案じ、その出世を言祝ぎに来たなどという暖かい理由ではないのだろう。

けれど理由を口には出来なかった。

人並みに欲深くて、自分に向けられたものではない殺気を浴びたくらいで言葉も覚束無くなって、それでも捨て子を拾って育てたほどに善人である年老いた男は、義理だけれど父だ。

だから、それ以上何も言わずに出来るだけ穏やかに帰るように促した。元から笑うのは下手くそだから、上手く娘らしく愛らしい笑顔にはなれなかったと思うのだが、ともかくも道の先へ消えていく老人を見送った。

老人を見送って日も暮れ、競技会も幕を閉じた。それでもまだ今日という日は終わっていない。

踵を返して歩き出す先には、競技場の門が口を開いて待ち構えていた。

 

 

 

 

 

 

「父はどうした?」

「養父様ならお帰りになりました」

「分かった。正直助かった。感謝する。顔色が優れなかったのは…………」

 

競技会が引けたあと、案の定ドゥリーヨダナに呼びつけられて宮殿の一室で待ちながらぼそぼそとカルナと言葉を交わしていた。

日はとっくに暮れているので、開け放たれた窓からは冴えざえとした月の光が差し込んでいる。細く白いカルナが青白い月光を浴びていると、鎧がなければ本気で幽霊に見間違えるだろう。

 

「武人でない人が予期せぬままあなた方の殺気を浴びたんですよ。歯の根が合わなくもなります」

 

こちらもカルナの激高する様を見て、気持ちがいつもと比べて普通ではなく、知らず咎めるような口調になった。

 

「む…………。それを言うならお前も武人ではないだろう」

 

ここでそれを言うか、と頭痛がした。

 

「…………今は正論的屁理屈を言い合っている場合ではないと思います。後にしましょう後に」

「…………正論的…………屁理屈……………………」

「失礼、言い方が雑でした。正確に言うと、あなたの正論と正面から会話できる精神的余裕が、今の私にないので後にして下さい」

 

言いながらカルナに軽く肘鉄砲を食わせたとたん、開かれていた部屋の扉よりからからと笑い声が上がった。

そこにいたのは、鎧を纏ったままの一人の偉丈夫、ドゥリーヨダナだった。

 

「そこの娘がお前の妻か?カルナよ」

「如何にも」

「そうかそうか。それにしても顔に似合わず、ずけずけと物を言う娘だな」

 

恐縮です、と顔を伏せれば、ドゥリーヨダナはまた大口を開けて大笑した。

 

「恐縮と来たか。だがその必要はないぞ。忌憚なく物を言う人間は好ましい。カルナは正直すぎるきらいはあるがな」

 

部屋に入ったときから感じていた、為政者としてのドゥリーヨダナの圧が、言葉と同時に増したようだった。

相手は人を統べるため生まれてきた王の子。少なくとも自分でそうと信じてこれまでを生きてきた人間だ。

無言でいると、ドゥリーヨダナは値踏みするような目でこちらを見ながら腕組みをした。

 

「カルナならともかく、何故自分が呼びつけられたのか分からない、という顔をしているな。それはそうだ。お前の異能は確かに珍しいが、似たことができる者は他にもいよう。それこそ、もっと高貴な者の中にもな」

「ならば何故ですか?」

「お前の夫からお前の話を聞いて興味が出たからだ。物言いが真っ直ぐな好ましい頑固者、とカルナに言わせる女を見てみたいと思っただけだ」

 

ドゥリーヨダナが口の端をつり上げて笑った。傲慢にも取れる笑いだったが、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

「しかしお前は、誰に似たのか何を言っても顔色ひとつ変えんのか。それに瞳は綺麗だが、他は女としては貧相極まりない。そういう意味ではつまらんな 」

 

自分が小柄で全体に肉の薄い体つきをしていることは、とっくのとうに知っている。

とはいえ真正面から言われれば怒りもするのだが、瞳を誉められたせいかそれほど腹は立たなかった。

 

「いい加減、話を進めた方が良いのではないか?」

 

ずっと黙っていたカルナが言えば、ドゥリーヨダナは肩をすくめた。

 

「話?そんなものはないぞ。呼びつけたいと思ったから呼びつけただけだ。私の用はもう済んだ」

「…………それは競技会での一件ですか?カルナと公衆の面前で友になること。それがあなたの用だったのでは?私などついでのついででしょう」

 

瞬間、ドゥリーヨダナの黒い瞳が鉄の矢じりのように鋭くなった。射すようなその視線を敢えて受け止めた。

 

「さあ、どうだろうな。ともあれさっきも言ったが、私の用は終わっているのだ。だがな、空の瞳の女よ。お前にこれだけは言っておこう。一人くらい、馬鹿かと思えるほどに正直な友が欲しいと思い、そのために行動することを私は一切恥じとは思わん。…………ま、お前たち二人はもう帰れ。何かと騒がしい日だったのだ。ゆっくり休め」

 

しっし、と手まで振られた。

そうして、広大な王城の一室に月光を背にして一人立ち尽くす王子を残して帰ることとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

城から出た帰り道には、当然のことながら興奮覚めやらぬ群衆やら、熱気の冷めぬ武人がいた。おまけに、競技会に合わせて押し寄せてきた利に聡い行商人たちが、屋台や臨時の酒場まで開いていた。

 

「…………喧嘩でも起こりそうですね」

「ありえるだろうな。武を競った後となれば気も昂っている者も当然いる」

 

そこに酒が入れば取っ組み合いの一つでも起こるだろう。そして競技会での技が何か一つでも街中の喧嘩で炸裂すれば、建物を吹き飛ばしかねないような大騒ぎに発展すること間違いなしだ。

酔っ払いのただの喧嘩で街が壊れるなんて笑い話にもならない。

とっとと街中から離れたい、と思いながら、人の波を避けて歩く。黄金の鎧を纏っているカルナは、こう言っては何だが道しるべとしては非常に分かりやすいから、見逃しはしない。

 

「疲れたか?」

「まあ、少しは。街はどうも苦手なもので。森の方が好きです」

 

前から来た人を避けて歩きながら答えた。

 

「それはすまなかったな」

「その謝罪は筋が通りません。私が来ると言ったのです。それに、疲れただけというわけではありません。久しぶりにこういう格好をしたのも楽しかったですよ」

 

こういう、と言いつつ衣の裾を少し振って見せた。

 

「楽しかったなら、またすれば良いだろう」

「いつも着ていると有り難みが薄れますし、衣も傷みます。着飾ることはたまにでいいのです」

「そうか。ならこれなら傷むこともなかろう」

 

ひょい、とカルナが投げてきた何かを受け取った。

開いた手のひらに乗っていたのは、赤い石の嵌まった金の輪である。

 

「あの、これは?」

「髪留めだ。先にドゥリーヨダナにオレはお前に花の一つも贈っていないと言ったら」

 

阿呆か、と呆れられてそれをくれたという。

 

「ドゥリーヨダナ様が。…………綺麗ですね」

 

店先で燃える灯火に翳すと、きらきらと赤い石が光った。

手の中で輪を何度か転がしたあと、髪を縛っていた紐を外してそれをつける。しっかりと留まっているのか、頭を振っても少しもずれる気配はなかった。

 

「ありがとうございます。その、…………とても嬉しいです」

 

髪の先を弄りながら、足元を見て言う。顔を上げるのが何故だかひどく気恥ずかしかった。

 

「ならよかった。今度はドゥリーヨダナに会ったら礼を言わねばならんな」

「それはもちろん。―――――それと、つかぬことですが、一体ドゥリーヨダナ様に私を何と話していたのですか」

「さあな。大半は忘れた」

「忘れるほど多く話したのですか!?」

 

思わず大声が出て、慌てて口を押さえた。

 

「ドゥリーヨダナか。分かったと思うが、まあ、ああいう男だ。厚顔だが憎めん」

「ああ、と言われてもですね、あなたほど速攻に私は人を見抜けません。私は、あの方とは初対面ですよ。…………確かに、憎めない感じの人でしたが」

 

傲慢な感じもしたし、とてつもなく女として失礼なことも言われたが、だからといって気に食わないという感じにはならなかった。

むしろ、人の上に立つ者として育ってきた人間なら人を駒のように見ることのできる傲慢な目がないと、やってはいけないだろうし、そうあって然るべきだ。

その意味では、時には人の心を排して振る舞うべき為政者としての面を持ちながら、ずけずけ物を言う友が欲しいと宣い、しかもそれを告げて臆面もない辺り、ドゥリーヨダナは極めて人臭かった。

それが彼の人徳なのか、と言われれば、さすがにすぐにはそうだとは答えられなかったが。

 

「だろう?それと今日はああだったがな、実際はかなりの小心者だ」

「まさかと思いますが、それご本人に言っていませんよね?仮に言っていたとしたら、不敬罪に問われても言い訳できませんよ?」

「…………気を付ける」

「お願いしますから、本っ当にそうしてください。ドゥリーヨダナ様なら大笑して収めてくれそうですが、他の方もそうとは限らないんですよ」

 

一気呵成に言ってから、ふう、と息をついて空を見上げた。

知らぬ間に、町の外れの家の側まで来ていた。町の喧騒は川のせせらぎのように遠ざかっていた。

こちらが足を止めればカルナも止まり、手を伸ばしても触れあわないほどの距離が開いた。

 

「これから変わりますね。あなたは今日ドゥリーヨダナ様につく、とはっきり示した。この先、パーンドゥの人たちとも戦うのでしょう」

「ああ。そうだな。オレがそう決めた。アルジュナやビーマとはこれからも戦うだろう」

「見ていました。あの人たちは恐ろしく強いですね」

「そうだな。だが逃げるつもりはない。それがオレの運命ならばな」

 

その言葉に、ぎゅっと眉ねにしわがよった。

 

「それは…………承服できません。私、運命という言葉は好きではありません。あなたが戦うのは他の誰よりあなたがそうしたいからでしょう」

 

脳裏に浮かぶのは、故郷の滅びは運命だったと嘆いていた母の姿だった。彼女は運命を受け入れていた。きっとそうしなければ、自分を納得させられないくらい、辛い目に会ったからだろう。

運命に従う、運命を受け入れる。それは確かに覚悟がなければ口には出せない言葉だ。

それでも、自分の原初に今も残り続ける母の姿を思い出すと、運命という言葉にも、それを使う人にも何だが無性に腹が立った。

そのとき首筋をくすぐる冷たい風が吹いて、それで我に帰った。

 

「すみません。少々感情的になりました」

「謝ることではない。オレの言葉の何かがお前の逆鱗に触れたのか?」

「どうでしょうね」

 

完全にはぐらかすつもりで、横を向いた。

自分の逆鱗も自分の過去も、カルナであっても今は話す気はなれなかった。口に出してしまえば、どちらもただの愚痴になる。

また強い風が吹いて、髪がくすぐられた。

帰りましょう、と言えば、カルナも頷いた。

手を繋がずに歩く道を、月の光が白く映し出していた。

 

 

 

 

 




体調優れず、すみませんが今週の投稿はこれで終いです。


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act-16

話が現在に戻ってきました。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。



「では、病める英雄を治療に向かいましょう」

 

サーヴァント全員とマスターが集まったところで、戦端を開くような勢いでナイチンゲールが言った。

 

「病める英雄ってクー・フーリンよね。全く、フローレンスにかかればあの化け物みたいにおっかないあいつも患者になってしまうワケね」

「当然です。私が召喚されたという事実自体、『治療』が必要ということなのです。私は、私一人でも患者がいるところには赴きます。何を殺してでも必ずそうします」

「でも、ナイチンゲールは今は一人じゃないよ。俺たちもいる」

 

思わず口を開いた白斗に、全員の視線が集まった。

何となく、これまでの経験から白斗は察した。つまり今は、戦い前の景気付けの時間である、と。兵の士気は戦いに直結すると教えてくれたのはヘクトールだったか。誰だったのかははっきりと覚えていないが、ともかく今はそういう時だった。

 

「何度も言ったけど、南軍はワシントンを攻め落として聖杯を手に入れ、北軍は防衛線を守りきる。それを成功させたらこっちの勝ちだ。全軍激突は、エレナたちが見立ててくれたところだと三日後の夕刻だ」

 

サーヴァント全員が力強く頷いた。

 

「ここにいる皆、最初から全員味方同士だったわけじゃない。争いもしたけど、それを色々あったとはいえ終わらせて力を貸し会えるようになった。それはとても尊いことだ」

 

サーヴァントの何人かはやや照れ臭そうに首を曲げ、何人かは柔らかな笑みを浮かべ、また何人かは泰然としたまま姿勢を崩さなかった。

すぐに士気を上げられるような気の利いた言葉なんて、白斗には思い付かない。

カルナほどではないと思っているが、白斗は辛抱強く話を聞くことは得意でも、口がよく回る方ではない。

だから結局、一人では何もできないマスターとしての自分の胸の裡を語るしかないのだ。

 

「だから―――――絶対に勝とう」

 

今さら言うまでもないけれど、勝つしかない。この戦いに退路はなく交渉もない。勝つか負けるか、生きるか死ぬかである。

足が震えてはいても眦を決して、令呪輝く拳を胸の前で握り締めた少年にサーヴァントたちは各々の得物を軽く掲げることで応えた。

大槍に大剣、弓に盾、拳銃が日の光を浴びて輝く。魔導書が煌めき、電流が青空に弾ける。

それを号砲に、北軍と南軍とは別れた。

お互いがお互いを振り返らず、軍は別々の道へと走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北軍が魁の軍とぶつかったようだ。 ジークフリートが先陣で踏みとどまり、ロビンの破壊工作も成功したらしい。アーラシュたちもそれぞれ交戦中だって」

 

本拠地を離れて数時間後、マシュと馬に相乗りして進む白斗が、横を走るキャスターに言った。

その右耳には、ミミズののたくったような文字が刻まれたヘッドフォンのような物がはめられていた。それは、キャスターとエレナが即興で作った通信機器である。カルデア経由の通信が何かで途切れた場合に備えてのものだそうで、魔術師系サーヴァント二名の道具作成スキルの面目躍如の賜物だった。

その賜物を耳につけてしゃべる白斗だが、実のところ、揺れる馬の背で舌を噛まないように、耳元で吹く風に声を吹き散らされないようにしながらしゃべるのはかなり大変だった。

普通の乗馬なら、白斗もカルデアで練習したかいがあって、今や一人で何とかこなせるのだが、一糸乱れぬ軍馬の早駆けとなると話は別で、マシュに助けられながら何とか馬上の人となっていた。騎乗スキルが欲しいところである。

尤も、騎乗スキルを持たないはずのキャスターは涼しい顔のまま白斗たちに並走して馬を走らせているが、あれは単なる生前の経験だろう。

 

「分かりました、先輩。こっちはどうですか?キャスターさん」

「敵軍の姿はまだ―――――。いえ、今捕捉しました。二十キロ先に敵軍です」

 

遠くを見透かすように目を細めてからキャスターが答えた。

キャスターは、あちこちに飛ばした鳥や獣の使い魔から情報を得ている。そのうちの一体が、敵を見つけたという。

 

「サーヴァントはいないようですが、このまま行くと数時間後にこの先の荒野で真正面から激突します」

「分かった。キャスターはそれをラーマとカルナに知らせて。そのあとも引き続いて索敵を。連絡は念話と使い魔で頼む」

「はい。それからマスター、敵が私の射程範囲に入ったら宝具を撃とうと思うのですが」

「分かった。あの青い焔のばらまきだろ。俺からは異存ないよ」

 

白斗に礼を言ってキャスターは白斗たちから馬を離した。

南軍は今、カルナが先陣となって進んでいる。ラーマの軍がその後ろにつけて全体に指揮を出し、ナイチンゲールはそのさらに後ろで傷病兵の看護にあたるつもりのようだ。

形としては一点突破の矢に近いだろう。

カルナが鏃、ラーマが矢柄なら、ナイチンゲールは矢羽根の位置にいる。

シータやキャスターはといえば、その矢の周りを走って臨機応変に動いている。

 

「キャスター!何か動きがあったのですか?」

 

白斗の側を離れてラーマの方へ馬の首を向けたとき、馬に乗ったシータが現れた。

 

「敵兵を捕捉したのでその報告に行くところです」

「でしたら私がラーマ様に伝えます。その間にあなたはカルナに」

「そうですね、その方が手間が省けます」

 

手短に、使い魔から得た情報を告げて別れる。通信用の使い魔も一緒に渡しておいた。

伝令役と索敵役、それに通信役に遊撃やら負傷兵への対応とキャスターのやることは手広い。攻撃に特化しておらず、典型的な器用貧乏の性能を持つサーヴァントとしては嵌まり役だ。

馬首を巡らせて軍の先頭へ行けば、そこにはカルナがいた。

 

「報告です。約二十キロ先に敵兵を確認しました。サーヴァント反応はありませんが」

「………そうか。他には伝えたか?」

 

前だけを見て馬を走らせるカルナの横顔は動かない。

 

「はい。マスターとラーマさんにはすでに伝えました。それと敵兵が範囲に入り次第、宝具を撃ちます」

「それも了解した。索敵、助かる」

 

こくりと頷いたキャスターの片目はいつもの青色ではなく、漆のように黒い。鳥の使い魔と視覚を共有しているからだ。

敵軍を率いているのは他よりは仰々しい鎧兜をつけたケルトの将軍である。フィン・マックール、ディルムッド・オディナを始めとする虎の子のサーヴァントを投入してくるつもりはまだないらしい。

そこに耳からエレナの声が飛び込んできた。一応キャスターもエレナと繋がる通信用の道具は作って持っているのだ。

 

『キャスター、そっちはどう?今こっちはベオウルフが登場してジークフリートとタイマン張ってるわ』

「今、敵兵を確認したところです。サーヴァントは見当たりませんが」

『オッケー。アーラシュもいるし、こっちは何とかなってるわ。そっちも気を付けて』

「了解です。ご武運を」

 

通信を切る。

白斗が、カルデアのサーヴァントであるアーラシュをあちらへ行かせたのは、彼が防衛戦に向いているからと言うのもあるけれど、その人柄がエジソンの支えになれば、という考えもあったそうだ。

ナイチンゲール言うところのエジソンの病、というか思い込みは癒されたものの、根っこが発明家のエジソンでは根っからの戦士のケルトに精神的に圧倒される可能性も捨てきれない。

だからこそのアーラシュだという。英雄らしい爽やかな気性を持ち、戦の時代を生き抜いた将軍でもあった彼なら、多少どついてでもエジソンを支えてくれるはず、と白斗は言っていた。

そんな風に、白斗は一人一人のサーヴァントを見て、考えて南軍と北軍を編成した。

だから自分にも役割があるはずだ。器用貧乏サーヴァントの自分は、その役割を果たすことだけを考える。

先頭のカルナの隣でそのまま走り続けるうち、視認できる距離に敵兵を確認し、背中に負った弓を外した。

馬の背の上で中腰になり、半月のように引き絞られ、青い焔の矢をつがえた弓を向ける先は、ぐんぐんと大きく見えるようになってくる敵兵たちだ。

 

「では、撃ちます」

「ああ。やれ」

 

軽い応酬の一瞬後に、矢が空へと放たれた。

この宝具は真名を開放する類いのものではなく、大砲を撃つよりも楽に、予備動作が少ないままに発射できる利点がある。

水では消えない、青い呪い焔の矢は空中で幾つにも分離して、敵兵へと降り注いだ。

着弾を確認し、キャスターは弓を下ろした。カルナやアルジュナのように敵兵を全て燃やし尽くすほどの火力はない宝具だが、サーヴァントのいない軍に向けて放つには十分過ぎる威力はある。

サーヴァントがいたならカルナがブラフマーストラを撃っただろうが、今回はそうでなかったからキャスターが撃った。

そしてこの場に、敵が浮き足だった機を逃すような将はいない。

 

「よし、突撃だ!この大地を守るため、進め!」

 

様子を見ていたラーマが叫び、それを合図に合衆国軍が陣の崩れたケルト陣を食い破るように突っ込んだ。

肉の焼ける臭いと兵士の絶叫を浴び、敵兵を斬りながら、軍は正しく矢のように敵の第一陣を突破した。

宝具を撃ったあとの息をつく間もなく、使い魔からの情報は送られてくる。

砂塵蹴立てて迫り来る一団を率いているのは、見覚えある金髪の美丈夫と黒髪の騎士だ。

 

「第二陣確認しました。今度はサーヴァントが率いています。フィン・マックールとディルムッド・オディナです」

「了解した。ラーマとマスターに伝えてくれ。それと、オレはサーヴァントたちの相手をする」

 

何せ、サーヴァントの相手はサーヴァントにしかできないから。

キャスターは頷いて、使い魔の操作と念話をこなした。すぐにどちらからも任せる、という答えが返ってきた。

 

「任せるとのことです。………カルナ、援護はいりますか?」

 

カルナ一人で二人のサーヴァントを相手取るのも可能と言えば可能だ。彼にはそれだけの力量はあるとキャスターは思っている。

だから援護は要らないと言われれば、素直に引き下がるつもりだったし、そう言われるかもと思っていたのだが。

 

「あれば助かる」

「分かりました」

 

これまた淡々と少ない言葉を交わしただけで、共闘は成立した。

といってもキャスターの心に昂りはなく、冷えた頭にあるのはどうすれば勝てるのか、ということだけだ。

キャスターが戦いや狩りで昂ることはない。それこそ、隣で静かに戦意を高めている生粋の武人のように、戦いの一瞬の攻防に心踊らせたりはしない。命と命を削り会う戦いは、見ていれば息が詰まるし自分がやるとなれば心を切り離して戦う。そうしないと戦えないからだ。

戦いの技術も狩りの技術も、それに呪術も焔も何もかも、生き残るために教えられて学びとっただけだ。だからこそ味方や自分が生きるために、やるとなったらそれを振るうことに躊躇いは無い。

とまれこうまれ、やるしかないかと割りとあっさりと開き直ったキャスターは剣を抜き、雄叫び上げて向かい来るケルト兵へと飛び込んでいったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ケルト兵の群れへ飛び込んですぐ、カルナとキャスターの前にサーヴァントが二人現れた。

そして彼らが射程距離に入ったとたん、キャスターは予備動作などなく、前口上など知るかとばかりに呪術を放った。

たちまち水やら焔やら雷やらが殺到し、フィン・マックールとディルムッド・オディナ周辺にいた敵兵は砂埃を上げて吹き飛ばされるが、肝心の二人は大半をルーンで相殺したらしくほぼ無傷で砂塵の中から現れた。

 

「またあのときの術師か。つくづく、しぶとさにかけては凄まじいようだね」

 

あくまで優雅な物腰のフィン・マックールに、カルナが無言で槍を向けた。

 

「なるほど、再戦というわけか。神の血を引くランサーよ。そこの術師は手を貸すのか?」

「そうだ。こちらは時間が惜しいのでな。全力で獲りに行かせてもらう」

「ふむ、そうか。まあこちらにもディルムッドがいる。二対二に変わりはないさ」

 

フィン・マックールはそう言って、槍をくるりと手の中で回し、構えた。隣のディルムッド・オディナも同じく二振りの槍を構える。

ただ、二対二というのは正確ではなかった。

キャスターは後ろから高速で突っ込んでくる人間の気配を察知する。

 

「治療の邪魔する不逞の輩は――――――ここですか!」

 

拳銃の音と共に突っ込んでくるのは、ナイチンゲール。戦略は知ったこっちゃない、病原菌は即消毒すべしそれを邪魔する輩は即排除すべしの婦長は、狂戦士の勢いそのままにディルムッド・オディナへと突進した。

 

「あの、傷病兵は?」

 

我に返ってキャスターが叫べば、ナイチンゲールは振り向きもせずに叫び返した。

 

「それよりこちらの排除が先と判断しました!Mrs.シータに代行を頼んでいます!Mrs.キャスター、あなたも癒し手でしょう、手伝いを頼みます!」

 

ナイチンゲールの銃弾はディルムッドの魔力を断つ槍では打ち消されないのだが、あちらもフィオナ騎士団一番槍でナイチンゲールの猛攻も、致命傷にはなかなか至らない。

 

「………行け、こちらはフィン・マックールの相手をする」

 

何か言う前にとん、と軽く肩をつかれ、キャスターは一度剣の柄を握り締めたあと、ナイチンゲールの方へ向かった。

 

「厄介な…………!お前たちは癒し手だろう!どうしてこうも過激なのだ!」

 

のべつまくなし銃を撃つ看護師と焔を放ちながら斬りかかる癒し手に攻められて、ディルムッドが苛立ったように叫ぶ。

相変わらず、白兵戦をしながらでは問答になど答える余裕のないキャスターはただ斬りかかった。癒し手だからと言うことは戦わないということにはならない、と心の中で思っただけだ。

 

「人の話を聞く気はないのか!そういう女性は苦手だ、本当に苦手だ…………!」

「…………それならこちらは戦うことそのものが苦手です」

 

何せ、槍に刺されるというのはキャスターの死因だから。それでも戦わないということはしない。

 

「四の五の言う暇なんてないでしょう。ディルムッド・オディナ。あなたがあなたの主君、フィン・マックールとこの先も共に戦いたいなら、私たちを倒す以外方法はないのです」

 

淡々とした顔で、キャスターは剣の切っ先をディルムッドへ向けた。間近からはカルナとフィン・マックールが槍を撃ち合わせている音が聞こえ、兵隊同士がぶつかりあうたび、立ち上る血の臭いをずっと感じている。

キャスターも、もちろんディルムッド・オディナの伝承はある程度は知っている。女性の誘いを振り払わないで身を滅ぼした英雄なれば、気の強い女性と戦うことに引き気味になるのもまあ、分からなくはない。

分からなくはないが、今は関係なかろうと言いたかった。

キャスターの心情を汲み取ったのか、剣を向けられたディルムッドは眦をつり上げた。槍が構えられ、肌を焼くような濃密な殺気が放たれる。

 

「失礼した。鉄の看護師もお前も戦士だったな。女だからと口に出すのはそこもとの誇りを傷つけることになるか」

「あなたの考える誇りと同じものは多分私たちの中にはないと思いますが、言いたいことは分かります。…………私たちは、殺されるまで止まるつもりはない。あなたにはそれだけ言えば十分だ」

 

戦うことを性根では嫌ってはいる。

それでも焔の呪術師はそう言って、会話しながら準備した呪術を発動させ、そこから生じた隙につけこむべく、剣をまた振るうのだった。

 

 

 

 

 

 





些細なことですが、周りにいた英雄たちの火力がおかしいので、主人公の火力の基準はおかしくなっています。
何だかんだ言いつつ、結局は主人公も純粋な古代インド人ですので。



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act-17

投稿が遅れました。今回は戦闘回です。

誤字報告してくださる方へ感謝を。そして毎度似たようなとちり方をする作者は反省します。


一合、五合まではお互い数えていた。

十合から先になると、数えるのをやめた。残るのは、互いの槍を振るって得物がかち合うたびに生まれる火花だけ。

カルナとフィン・マックールがこの大地で戦うのは二度目で、そのときはフィンの撤退で戦いが終わった。けれど今回は、撤退はなくどちらかが倒れるまで続くのだとどちらともなく予感していた。

戦い始めてすぐにカルナは気づいた。どうも相手は、始めの手合わせの頃より強化されているらしい。筋力か敏捷、あるいはその両方か、ともかくステータスが上昇している。

聖杯の効果か、とカルナは思い当たるも、カルナにはそれをどうこうできる手段もない。強化された分を上回って勝てばいいだけ、と結論付けると、一層苛烈に槍を振るった。

恐らくだが、ここからそう離れてはいないところでナイチンゲールとキャスターが戦っているディルムッドも、同じく強化されているのだろう。

あれだけ人智を越えた力を持つ器なら、他の使い方をすればもっといいことができるのに、せめて人をたくさん殺す以外の使い方ならいいのに、といつかどこかで珍しくぼやいていたキャスターの面影を瞬時に振り払ってカルナは戦う。

槍は大気を裂き、互いの武器は己の毒牙で相手を噛み殺そうとする二頭の蛇のように絡み合っては、突き放される。

一瞬の攻防の中で、幾通りもの攻めと守りを繰り返し、それでも徐々にカルナが押して来た。

フィンが槍を手元に引き戻そうとわずかに槍の穂先を下げ、それを逃さずカルナが掬うように下から槍をかちあげる。

カルナの力任せの一撃で、フィンの槍は乾いた音を立て、くるくると回ってフィンの手元から離れた。

追撃しようとするカルナにフィンは予備の剣を横薙ぎに払って距離をとるが、その瞬間カルナの目が光った。

 

「―――――梵天よ、地を覆え」

 

目から放たれたのは、炎熱の光線。さしものフィンの顔も驚愕に歪み、それでも何とか転身してかわした。

光線は一直線に砂塵の中へと突き刺さり、巻き添えで幾名ものケルト兵が消し飛ばされた。

 

「やれやれ恐ろしい威力だ。ろくにためもせずに放ってそれか」

 

そう言うフィンだが焦燥の色はない。

しかし彼の槍は手から離れて今はカルナの背後の大地に突き刺さっている。

地が割れるほどの勢いの踏み込みと共にカルナは前へと進む。そのままフィンの心臓へと槍を突き立てようとしたとき、不意に首筋に悪寒が走り、カルナは槍を後ろへ振るった。

ガン、という音と共にカルナの首筋を狙っていた槍が叩き落とされるが、フィンの槍は地面には転がらず、糸のついた操り人形のように螺旋の軌道を描きながらフィンの手元へと返った。

魔術か、とカルナは納得する。

フィンは魔術の使い手、ディルムッドは呪いの槍の使い手、と言っていたのはキャスターとシータだ。ディルムッドの呪いの槍は、キャスター一人でもどうにかできる範囲だが、フィンの魔術はキャスターにも厄介だという話だった。

たかが小手先の魔術とは言えない。圧倒的な武人や恐ろしい破壊を撒き散らす武器を前に、呪術や異能という『小手先』を使い続け、戦い続ける女をカルナは知っている。やっている当人のキャスターにそう言えば、小手先でなくて私は常に全力です、と憮然と答えるだろうが、こればかりは何千年単位で続いている地味に致命的な夫婦間の認識のずれだった。

ともかくもフィンは槍を取り戻し、不敵に笑う。だがカルナは能面のような表情をわずかに緩めた。

フィンが訝しんだその瞬間、フィンの後ろで神殿の柱のように太い青い焔が立ち上り、すぐにかき消えた。

突風が吹き、煙が晴れたその後には、背中から折れた剣の生えたディルムッドと、腕からどくどくと血を流しながらも、ディルムッドの心臓を剣で貫いているキャスターの姿があった。

キャスターはフィンとカルナの見ている前でディルムッドから剣を引き抜いて後ろに跳び、地面に片膝をつきかけたその肩をナイチンゲールが支えた。対するディルムッドは数歩よろめき、心臓に刺さったままの折れた剣を信じがたいものでも見るように一瞥してから、フィンの方へ頭を巡らせる。その体は端から順に透けていた。

霊核を砕かれた槍のサーヴァントは主へ向け、騎士としての最敬礼を取って金の粒子へ姿を変えた。

キャスターはそれを見ながら、勝ちどきを叫ぶ。西部の兵は喜びの声をあげ、ケルトの兵は目に見えて怯んだ。

 

「鉄の看護師と呪術師がディルムッドを殺ったか。いや、これは私もいよいよ危ういか」

 

言うなり、フィンは槍へと魔力を収束させ始める。瞬時に高まる魔力は宝具開帳の証。開帳前に潰せるか、とカルナは足を踏み出しかけるが、それを察したのかケルト兵が十重二十重にフィンを守るように現れ、それを思いとどまる。

フィンの宝具、神の加護を受けた水の槍が解き放たれれば、カルナは無事だろうが周囲にいる味方の西部兵には致命的だ。

故にカルナも宝具で迎え撃つことを選択した。

双方魔力を高めた瞬間、一度に多くのことが起こった。

まずフィンが女性ならば誰もが見惚れるような端正な容貌を歪めて笑い、カルナの背後で禍々しいまでに狂暴な魔力が突如膨れ上がる。

そして、それにカルナが反応するより早く、焔を纏った小さな灰色の塊が音を置き去りにせんばかりの速度でカルナの横を駆け抜けた。

灰色の塊、つまり焔を噴射させて砲弾のように吹っ飛んで来たキャスターの手から、三つの色合いが混ざりあった焔が盾のような形で吹き出した。

刹那の後、焔の盾が受け止めていたのは、カルナを背後から指し貫かんと迫っていた赤く黒く光る呪いの槍、クー・フーリンの『抉り穿つ鏖殺の槍』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャスターが『抉り穿つ鏖殺の槍』の前に躍り出るときより、時間は少し巻き戻る。

馬からおりたキャスターとナイチンゲールは、黒髪の槍兵と向き合っていた。

周囲のケルト兵は、サーヴァント同士の戦いに手を出すな、と戦いの始めにディルムッドが言った言葉を守り、干渉はしてこないらしかった。

キャスターはその物言いを見て、正々堂々とか尋常とか、そういう類いの勝負を好むのだろうな、とディルムッドを内心で評していた。逆を言えば、付け入る隙がまだある相手だと判断したとも言える。

そうして始まった戦いだが、二対一と数の上では有利なのに、二人はなかなか槍兵にまともな傷を与えられていなかった。

森で戦ったときより、どうもステータスが向上しているようだとキャスターは当たりをつける。聖杯を使っての強化だろうとすぐ思い当たるが、現状どうもできはしない。

気を抜けば目のすぐ横を槍が掠めて前髪が数本切られ、裂かれた頬から流れた血が涙のように溢れた。

顔をわずかに切り裂いて顔の横を通っていく黄色の槍を、キャスターはそうはさせじと剣を放り捨て、両腕で掴んだ。

呪術で大幅に強化された腕力に引っ張られ、ディルムッドの体勢が崩れる。ディルムッドの顔は驚愕で、キャスターの顔は腕の軋みで歪む。

 

「やあっ!」

 

槍を基点にキャスターはディルムッドに投げ技を仕掛けた。

ぎゅん、とディルムッドは宙に浮かされるが、地には叩きつけられなかった。彼は槍から手を離して危なげなく着地し、キャスターの手には槍だけが残される。

舌打ちをしてキャスターは手に槍を遥か彼方へ投げ捨てた。キャスターもナイチンゲールも槍は使えない。使用することができないなら、壊せるものなら壊したかった。が、黄色の魔槍は仮にも神秘の込められた固き宝具。破壊を待ってくれる相手ではない。

 

「俺の宝具を奪ったか。だがこれで終わりと思うな」

 

そう言いながら、ディルムッドは腰から一本の剣を引き抜いた。

そう、まごうことなき剣である。そこから立ち上る魔力はキャスターの数打ちの剣のようなものとは訳が違う。冬木で見た騎士王の持つ、黒い聖剣ほどの力強さはないが、込められた神秘は勝るとも劣らないかもしれない。

 

「まさか宝具…………?」

 

ナイチンゲールが呟き、キャスターは放り捨てた自分の剣を拾い上げながら小さく首をふった。

 

「いえ、恐らくは聖杯で作られた概念武装か何かかと。ただ神秘の度合いは恐ろしいほど良さそうです。…………それこそ宝具並みに」

「ほう、分かるのか。これは正しく聖杯による贋作のモラルタだ。だが威力は劣らぬ」

 

モラルタ、という名がキャスターの記憶を刺激する。確かディルムッド・オディナの持つ剣の銘だったか。

赤い槍、ゲイ・ジャルグとモラルタとをディルムッドは胴の入った構えで、キャスターとナイチンゲールへ向けた。二人とも知らないことだが、ディルムッド・オディナにとっては剣と槍の組み合わせは最良だったのだ。

それを受け、だがナイチンゲールは錬鉄のような表情を崩さず銃に新たな弾を装填した。

 

「そうですか、ですが病原菌の消毒には関係ありません。キャスター、治療を続けますよ」

 

全く頼もしい、とキャスターはわずかに笑みを溢す。

だが果たしてどうすればいいだろうか、とキャスターは考える。

 

「行くぞ!」

 

だが、手を思い付く前にディルムッドが攻めかかってきた。

降り下ろされるモラルタをキャスターは何とか剣で受け止めるが。

 

「あっ!」

 

甲高い音をたてて、モラルタと打ち合ったキャスターの剣が中程で真っ二つに折れ、キャスターの頭上に剣が降り下ろされかかる。

 

「避けなさいキャスター!」

 

ナイチンゲールの銃弾がディルムッドに叩き込まれ、その隙にキャスターは地を転がって剣を避けた。

頬を流れる血を拭い、キャスターは短くなった剣を逆手に持ち変える。

とはいえ不味い状況に変わりはない。何か一つ相手の気を逸らすことがあればいいのに、とキャスターは思う。

そうして無表情のキャスターとは逆に、ディルムッド・オディナは晴れやかで獰猛な笑みを浮かべていた。

キャスターはそういう笑顔に覚えがある。戦いを楽しむ戦士が戦に赴くときに見せる顔だった。

 

「…………それほどあなたは戦うことが、いえ、主と共に戦うことに心が踊るのですか?」

「ああ、そうだ。お前たちは知るまいが、こうして主と轡を並べて戦うことが俺の悲願だったのだ」

「悲願?この未来で、この大地で、戦う力を持たない数多の人を家畜のように住み処から追い立てることが?」

 

ケルト兵に追いたてられた難民を見てきたキャスターの声が尖り、ナイチンゲールの拳銃を持つ手に力が籠った。

 

「その悲願、少なくともこの地では叶わないままの方が良かったと個人的に思います。俗な言い方をすれば…………とても腹が立ちます」

「…………そうか。お前の言葉にも理はある。だが俺の願いを、主への忠義をお前に否定される謂れはないぞ」

「否定はしませんよ。主人にそういう仕え方をして、あなたの未練は本当に癒されるんですかこの野郎、と言いたいだけです」

 

それはもしや冗談ですか、と言いたげにナイチンゲールがキャスターの氷でできた面のような横顔を見た。

そちらを見ることなく、キャスターは折れてさらに短くなった剣を握りしめた。

 

「何れにしろ、あなたの主はここで倒れる、と私は予言します」

「大した自信、いや信頼をあの槍兵に向けているな」

「…………あなたは私たちで倒す。あなたの主はカルナが倒す。私はそう信じています。だからその結果を手に入れるために戦うのです」

 

喋りながら、じりじりとキャスターは己の内で魔力を溜め始める。ディルムッド・オディナが会話に乗ってくれる相手だったのは幸いだったと思いながら。

そのとき砂塵の向こう、ちょうどカルナとフィン・マックールが戦っている方で光線が瞬いた。

一瞬ディルムッドの視線がそちらへ向けられ、その機を逃さずキャスターは叫んだ。

 

「ナイチンゲールさん、行って!」

 

同時に青い焔が爆発し、鉄の看護師はその中に何のためらいなく突入した。

ディルムッド・オディナの目が味方ごとやるつもりか、と驚きに見開かれ、焔の中でも傷一つないナイチンゲールを見て、美貌の顔がさらなる驚きに染まった。彼はキャスターの宝具は味方を絶対に燃やさないものとは知らなかったのだ。

驚愕で生じた一瞬の隙に、ナイチンゲールはディルムッド・オディナへ肉薄し、その手からモラルタをはたき落とした。

けれど仕留められない。ディルムッドの蹴りがナイチンゲールの腹に刺さり、彼女は後ろへ吹き飛ばされる。

入れ替わりで前に出たのは、折れた剣を持ったキャスター。

背中から焔を噴出させた推進力で、彼女はディルムッドの心臓を狙って真っ直ぐに跳んできたのだ。

ディルムッドの赤い槍がキャスターを貫かんと正面から迫り、それをキャスターは腕一本で受け止めた。

呪術による守りは赤い槍の効果で打ち消され、無防備になった腕が切り裂かれる。鮮血が吹き出るがキャスターは止まらない。顔色一つ変わらない。

キャスターは、自分ではディルムッド・オディナの速度には追い付けないと知っている。大砲の弾丸じみた突進も二度目は決して通じないと分かっている。故に、この一撃を逃げられたら終わり。

だったら、逃がさなければいい。

キャスターは槍に切り裂かれながら腕を曲げ、刃を骨の関節と肉で抑えた。ぐしゃりと肉の潰れる嫌な音がし、痛みが脳天に突き刺さるが、あえて全てを無視した。

瞬きの間だけ、万力に挟まれでもしたように槍はディルムッドの手から動かなくなった。

 

「ッ!」

「やあああぁぁぁぁぁっ!」

 

肺から絞り出すような気合いと共にがら空きの胴へ放たれた、折れた剣による突きは、狙い過たず心臓に突き刺さった。

けれど相手はまだ死んでいない。

滝のように血を吹き出す腕を押さえ、キャスターはディルムッドを蹴ってその体から剣を抜くと、後ろへ飛びすさった。

 

「キャスター!」

 

叫んで駆け寄ってくるナイチンゲールはふらついたキャスターに肩を貸した。その間も鮮血は足元の砂を赤く染めていたが、橙の焔が腕から立ち上ぼり血は一先ず止まる。

 

「とんでもないことをしますね、あなたは!腕が二度と使えなくなりますよ!」

 

それは困りますね、とキャスターは薄く笑い、剣を掲げてケルト兵と味方へ向けて叫んだ。

 

「ケルトの将、ディルムッド・オディナは討ち取った!」

 

味方を鼓舞し、敵を消沈させるための勝ちどきは戦場では重要である。そしてキャスターの低く澄んだ声は、太陽に照らされる大地によく響いた。

たちまち上がる味方の喚声に、キャスターはつめていた息を吐く。ディルムッド・オディナが一瞬、フィン・マックールの方へ注意をそらしてくれなかったら負けていた。

 

「たった今、分かりました。キャスター、あなたも私の患者です。そのネジの抜けている頭には、一度麻酔的な打撃がいるようですね」

 

けれど胸を撫で下ろしかけて、キャスターは耳元でぼそりと言われた看護師の言葉にゼンマイの切れた人形のように固まった

 

「ナイチンゲールさん、今それは勘弁――――」

 

してください、と言いかけたとき、キャスターは不意に何かを感じた。

以前にフィン・マックールに不意討ちをされてからずっと張っていた探知の呪術と、己の直感が一度にざわめいたのだ。

キャスターは人一倍呪い、呪詛に敏感に反応できる。特に一度燃やした呪い、直に触れた呪いに関しては、間近で発動すれば例え隠蔽されていてもその感覚が狂うことはない。

肌が粟立ち、髪が逆立つ感覚は、忘れようもない。キャスターがこの大地に降り立ったときに感じた、最悪の呪いの槍のものだ。

キャスターの勘は、呪いの発生がどこかも指し示した。

場所はフィン・マックールと向き合うカルナの背後。

理屈も結果も分からない。だけれど、キャスターは今動かなければ何か取り返しのつかないことが起きることは理解した。

 

「キャスター、何を―――――!」

 

ナイチンゲールの叫びに答える暇もなく、キャスターの背中から翼のような焔が生えた。

 

「ぁぁぁぁぁあああっ!」

 

かくして、キャスターは絶叫と共に呪いの槍の前へと飛び出したのだった。

 

 

 

 

 




Fateのssだからか修羅の国古代インド出身者だからか、話が進むたび敵の血も自分の血もまぜこぜに、鮮血に染まっていく主人公でした。



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act-18


誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。
これまで敬遠していたルビ機能を使ってみました。間違えているかもしれません。


槍の切っ先が盾に触れた瞬間、キャスターは衝撃で脳が焼ききれそうになった。金剛石を素手で殴ってしまったように、脳天から足先までがびりびり震える。

全身の骨は折れそうなほど軋み、焔の盾を掲げた腕を通して伝わる魔力と呪いの波動で胸が焼かれそうになる。

盾に食い込んで、ぎちぎちと音を立てる呪いの槍は気を抜けばすぐにでも盾を貫くだろう。そうなると、カルナもろとも自分は串刺しであるとキャスターは理解していた。

 

「お前―――――」

「こっちは、いい、です、早く――――!」

 

いいから早くフィン・マックールを倒して、とキャスターはカルナに眼で訴えた。

敵は黒く染まったクー・フーリンだけではない。フィン・マックールはまだ死んでいないのだ。後ろと前から槍を撃たれたら、最悪二重に串刺しになってしまう。

キャスターの盾が砕け散るのが先か、カルナがフィン・マックールを仕留めて援護に回るのが先か。

 

「―――――梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)!」

 

血を吐くような烈迫の気合いを込められて真名が唱えられる。底力が込められた一撃は、すでに放たれていたフィン・マックールの水の槍を押し返し、そのままフィン・マックールを消滅させる。無念、と一声呟き、金髪の槍兵は光の粒子となった忠臣と同じくこの大地から消え去った。

けれど同時にぴし、と盾に皹のような亀裂が無数に走る。キャスターの腕が再び裂けて血が流れ、槍の穂先が盾を貫いて顔を出す。

カルナの宝具も間に合わない、とキャスターは歯を食い縛った。

 

我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ(ナイチンゲール・プレッジ)!!」

 

ひとつの宝具の真名が唱えられた。

それは、戦場を駆け抜けて命を救い死に抗い続けた鉄の女性の精神と、患者に寄り添う看護師という看護師の概念とが結び付き、昇華されて生まれたもの。

戦場の兵士たちは、そのとき大剣を持った巨大な幻影の看護師を幻視した。

ナイチンゲールの宝具、『我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ』は、効果範囲の毒性と攻撃性を無効化する。

キャスターに遅れること僅か数秒で駆け付けたナイチンゲールは範囲を絞り、クー・フーリンの槍にだけ宝具の効果を集中させた。

幻の看護師の大剣が、解き放たれた餓狼の勢いで盾を食い破ろうとする槍を地へと叩き落とさんと断頭台のように落とされる。

大剣と魔槍とがぶつかり合い、槍の勢いが削られるがまだ足りない。槍はまだ獲物に食らい付こうとしている。

 

「―――――梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)!」

 

そこへ間一髪でカルナの槍が滑り込んだ。

本来なら飛び道具として投げるはずの炎熱を纏わせた槍で、カルナは呪いの槍を受け止め、力任せに地面へ押さえ付けた。

炎の槍と呪いの槍とが拮抗し、辺りに爆風が吹き荒れた。

入れ換わるようにキャスターの盾は硝子のように儚い音を立てて四散し、キャスター本人も熱風で足が浮いた。が、ナイチンゲールがその襟首を掴み、毬のように飛ばされかけたキャスターを止める。

クー・フーリンの心臓穿ちの槍は、狙った相手を貫くか、込められた魔力が無くなるまで止まらない。

キャスター、ナイチンゲールの宝具で魔力と呪いを削られ、カルナの宝具と剛力で地面に叩き付けられ、押さえ付けられた槍は、砂にまみれその動きを止めた。

しかし魔槍はカルナが槍を少し動かしたとたんに地面から浮き上がると、螺旋の軌道を描きながら持ち主の手に戻った。

 

「―――――チッ。忌々しい女だ。やっぱ殺しとけば良かった」

 

いつの間に現れたのか、戦場には黒と赤に彩られた狂戦士がいた。

その狂戦士は赤い槍を肩に担ぎ、新たなシャドウサーヴァントの群れとケルト兵を従えている。気配などなかったはずなのに、とキャスターは口惜しげに唇を噛んだ。

 

「クー・フーリン……」

 

その名を呟いたのは誰だったのか。

光の御子と伝承に語られ、讃えられてきたはずの英雄は、それを聞いて引き裂くような笑みを浮かべた。

 

「ったく。失敗したな。こうなるんなら最初に会ったときに、小僧と一緒にまとめて殺しとくべきだったぞ」

 

どくどくと血の流れる腕を押さえ、地面に片膝をついたままのキャスターにクー・フーリンの血のような赤い瞳が向けられる。

 

「……させると思うか」

 

カルナが槍を構えて前に出、クー・フーリンは忌々しげに舌打ちをした。

 

「そんなにその女を殺されたくないのかよ。全く、どいつもこいつも戦にぐだぐだ私情を持ち込みやがって鬱陶しい。おまけにメイヴはその女だけは自分で殺すって喚くしよ」

 

面倒くせぇ、とクー・フーリンの目が細められた。虫でも見るような眼にキャスターは寒気がした。

それは、人が死んでいくのをとるに足りないつまらない風景のように眺めることのできる眼だった。殺意に溢れた人間より、一切心を動かさずに人を殺められる人間の方がよほど恐ろしい。あれは狂人の眼だ。

なるほど確かにクー・フーリンは狂っている、とキャスターは始めて実感した。

 

「…………話はそれだけか」

「あ?」

 

クー・フーリンが聞き返す間もなく、カルナが俊足で踏み込み、大上段から槍を降り下ろすが、クー・フーリンも危なげなくそれを受け止めた。

神殺しの大槍と赤い槍とが鍔迫り合った余波でシャドウサーヴァントと兵士たちがよろめいたが、それに一切頓着せず、カルナとクー・フーリンとは恐ろしい速さで戦いを始めた。

槍と槍が絡み合い、突き合うたびに大地が砕ければ、敵味方問わず、兵士たちは二人のサーヴァントの周りから引き潮のように離れていった。

クー・フーリンが後ろに大きく跳び、カルナが追撃しようとしたとき、また新たな声が聞こえた。

 

「――――羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)!」

 

彼方から轟音と共に飛来してきたのは、魔を討ち滅ぼす光輝く輪。

ぎゅるぎゅると回転する輪を、しかしクー・フーリンは恐ろしい反応速度で避けた。

 

「すまぬ、遅れた!」

 

標的を見失った宝具を空中で受け止めつつ、現れたのはラーマだった。

ナイチンゲールとキャスターを後ろに、カルナの隣に並んで剣を構えるラーマにクー・フーリンは顔をしかめた。

 

「形勢不利、か。仕方ねえ。引くとするか」

「逃げるのか、貴様?」

「無意味なことを言うんじゃねえ。元から不意討ちが失敗ならワシントンまで帰って来いって言われてんだよ」

 

待て、とカルナとラーマが同時に踏み出すが、クー・フーリンが槍の石突きを魔術師の杖のように地に打ち付ければ、そこから目映い光が炸裂した。

そして光が晴れたとき、クー・フーリンの姿だけが消え、彼が引き連れてきたシャドウサーヴァントと新たなケルト兵だけが大量に残されていた。

彼らはそのまま雄叫びを上げて、四人のサーヴァントたちへと潮のように押し寄せる。

 

「キャスター、クー・フーリンの気配はどうなっていますか!?」

 

乱戦の中、ナイチンゲールが剣檄と銃の音に負けじと叫べば、何とか腕の血を止めたキャスターも答えた。

 

「付近には何も感じ取れません!転移したように消えています!」

「…………本当に転移したのかもしれない。いずれにしろ追撃はここを切り抜けてからだ」

 

血を流しすぎたせいか、力の入らなくなっている片腕を庇いながら折れた剣で戦うキャスターの横で、カルナが呟く。

 

「ああ、全くだ!」

 

向かってきたシャドウサーヴァントを一刀の下に切り捨てながら、ラーマも叫ぶ。

その後、彼らはシャドウサーヴァントとケルト兵とを倒しきった。が、クー・フーリンの姿はすでに何処にもなくなっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

『ふーん。そっちはそんなコトになってたの』

 

南軍の夜営地の中心に据えられた天幕の中、通信機の向こうでエレナが嘆息した。

空に魔術王の極光がかかっていようと、日は変わらずに沈む。すでに大地は夜に覆われており、南軍は夜営地を築いていた。

あれから、というかクー・フーリンの逃走を許してしまってからも、南軍は駆け続けてワシントンに迫る場所に辿り着いた。

ケルト兵とシャドウサーヴァント、ワイバーンなどには何度も襲撃されたが、キャスターの探知や南軍の斥候とが相まって不意を討たれるということはなかった。

その成果もあり、明日はいよいよワシントンに攻めいれるという段になっていた。予定よりは早かったため、今日の夜は最後の休息を取ろうということになったのである。

 

『じゃあ、そっちに出たサーヴァントはフィン・マックールにディルムッド・オディナってわけね』

 

作戦本部となっているテントの中央に二つ並べて置かれているのは、カルデアと繋がる通信機にエレナたち北軍と繋がる通信機である。

サーヴァントたちとマスターの白斗は、謂わば最後の報告会のため、その周りに丸く座っていた。通信機越しに北軍側も何とか戦況は維持し続けていると、エレナは淡々と報告した。

それでも、言葉の合間合間には爆音とエリザベートの歌らしき絶叫が挟まっていた。

 

『ちょーっと予想外だったんだけど、エリエリの歌って、守りながら戦うには結構相性良かったのよね。エリエリが歌で相手を弱らせてる間に、アーラシュが矢を射かけたり、ジークフリートがバルムンク撃ったりってやり方なんだけど』

 

アーラシュやジークフリートはかなり間近でエリザベートの歌を聞き続けになったが、ともかくそういう風にして北軍の防衛ラインは維持されていたそうだ。

ほんの少しだけ、白斗と一部の南軍サーヴァントはアーラシュとジークフリートの鼓膜と頭が心配になったが、頑健EXと『悪竜の血鎧』持ちなら大丈夫か、と忘れることにした。どっち道、ここからではどうしようもないのだし見捨てた訳では断じてない、と白斗は自分を納得させた。

 

「エレナさん、そちらに行ったというベオウルフは?」

 

マシュが聞き、通信機の向こうの声がわずかに翳った。

 

『あー、今は撤退してるわ。ジークフリートのバルムンクが直撃したはずなんだけど、戦闘続行スキルでもあったのか逃げられたの。で、そのときあいつが言い捨てていったんだけど…………』

 

エレナが言い淀み、ラーマが額に皺を寄せた。

 

「まさか、悪い知らせか?」

『ええ。…………スカサハがクー・フーリンに討たれたようよ』

 

白斗はきつく手のひらを握り、マシュは口に手を当てた。

サーヴァントたちも、瞠目したりわずかに眉ねに皺を寄せたりと反応は様々だったが、一気にテントの中に沈黙が満ちる。

 

『救いはクー・フーリンの方も結構な深手を負ったみたいってコトくらいかしらね』

「…………あれからここまで姿を現さなかったのはそのせいですか 」

 

ナイチンゲールによって、包帯をぐるぐると巻きつけられた腕を組みながらキャスターが言う。

見た目こそ痛々しいが、キャスターの腕は普通に戦うことは出来るくらいには回復していた。ミイラのようになった腕は、単に片手に消毒薬で一杯になったバケツを握り締め、もう片手に拳銃を持った鬼の形相のナイチンゲールに治療させろ、と詰め寄られた上、そこから離れたところで無言で見てくるカルナの視線にキャスターが根負けした結果である。

 

『そういうことでしょうね。大方、ワシントンまで戻って治療してるんでしょう』

『それにしても聖杯を使っての空間転移とかもう何でもありだね…………。さすが特異点って言うべきなんだろうか、コレ。カルデアからの魔力の反応からして、尋常じゃない戦い方をしてるんだろうとは思っていたけど』

 

ドクター・ロマンの声にカルナが申し訳無さげに頭を下げた。

 

「魔力を消費しすぎたのならすまなかった。オレが宝具を連続で使ったが」

『いや大丈夫、そこは全然大丈夫さ!ちょっと驚いただけだよ 』

 

何せカルナにキャスター、ナイチンゲールにラーマまでが一日で宝具を使ったのだ。

モニタリングしていたドクターとしては心配しきりだったろう。

 

『……まあともかく、あたしたちは何とかなってる。そっちも言うまでもないけど頑張って』

『うん。カルデアからの支援物資もすぐ送るよ。ただ、ここから先、ワシントン辺りは聖杯の影響で霊的に安定していないかもしれない』

「つまり、これが最後ということでしょうか?」

 

ラーマの隣に座り、その膝に手を置いているシータの言葉にドクターは歯に物が挟まったように答えた。

 

『うん。物資に関して言えばそういうことになる。でも通信とモニタリングはもたせるよ。もうハッキングはさせないとも!』

『………全く、頼もしいわね、カルデアの優男魔術師さん』

 

それじゃあね、と言ってエレナとドクター・ロマンは通信を切り、集まっていた一同も解散になった。

すでに出発は明日の早朝。行き先はワシントン、と決まっている。

白斗とマシュはカルデアからの物資を受けとるためのサークルの設置、カルナはその付き添いに向かう。ラーマは南軍の小隊長たちとの連絡に向かい、シータはそこへ同行することになった。

しかし、見張りのために飛ばしている使い魔の様子を確かめようとしていたキャスターはいきなりナイチンゲールに捕まった。

 

「ちょっと来なさい」

 

キャスターの筋力パラメータはバーサーカーの ナイチンゲールより大幅に低い。全力で掴まれれば引き剥がせず、そのままずるずる夜営地の端まで引っ張って行かれた。

 

「…………あの、負傷兵は?」

「彼らに必要な処置はしました。よって目下私が治療すべきは、頭のネジの抜けているあなたです」

 

バーサーカーに言われたくない、という言葉を寸でのところで飲み込み、キャスターは降参、とばかりに両手を上げた。

 

「ではキャスター、質問、いえ問診です。あなたの傷を癒すという宝具は、生まれたときから使えたのですね」

「は?」

 

思いもしなかったことを言われ、キャスターが呆けた。

 

「いいから答えなさい。あなたの宝具は逸話が昇華されたわけではなく、生前の能力がそのまま宝具になったものなのですか?」

「そうですが」

 

いつから焔を使えるようになったかは正確には覚えていないが、うんと幼い頃、感情がなかなか制御できないときだったのは確かだ。

 

「…………なるほど、だからですか。あなたのその無茶な行動、己の弱さを知っているのに飛び込む無謀、理性や恐怖が蒸発しているわけでもないのに不思議だったのですよ」

 

キャスターの顎が落ちた。

まさか、ナイチンゲールに理性が吹っ飛んでいるかどうかまで疑われているとは思っていなかった。

頭痛をこらえるようにキャスターは額に手を当てた。

 

「何がなるほど、ですか?私にはさっぱりです」

「さっぱり、ですか。ではお聞きなさい。…………あなたは生まれつきに傷を癒せた。あなたにとって自分の痛みは誰かに訴えて、癒されるものではなかったのですね」

 

ん、とキャスターの首が傾げられた。言われたことは分かるのだが、ナイチンゲールが何を言いたいかがわからない、そういう表情だった。

 

「あのナイチンゲールさん、それはどういう?」

「いいから続けて聞きなさい、キャスター。あなたにとって自分の傷はすべて抱え込んで燃やすものである反面、他人の傷や呪いはすべて自分が引き受けて燃やすものだった。だからあなたは自分が傷付くことを、時折忘れでもしたように無茶をする。要するに、あなたの本質は究極の痩せ我慢です」

 

痛くないわけでもなく、傷付くことが怖くないわけでもない。ただ自分の痛みは、自分一人で処理するものとキャスターは思い込んでいる、とナイチンゲールは指摘した。

 

「あの………それは悪いことですか?」

「いいえ。それは治りそうもないあなたの性格。あなたが一人だけで完結し、マスターを一心に守るべきサーヴァントなら、それも構わないでしょう。ただ、あなたは人として一つ大切なことを忘れている」

 

患者にメスと注射器を突き付けるかのように、ナイチンゲールは言った。

 

「大切なコト?」

「ええ、とても簡単なコトです。あなたが傷つくたび、それを恐れる人がいるコトです」

 

う、とキャスターが後ずさった。

 

「分かりましたか?それが誰なのか、という答えをあなたはすでに持っているはずです。病んだ心のまま戦えば破綻が来ます。私はあなたの一生は知らないが、あなたの心にどこか後悔という病があるのは分かる。それを速やかに癒しなさい。自分で」

 

一気に言って、ナイチンゲールはがばと立ち上がった。

 

「ではこれで。また患者の気配があるので失礼します。治る気がないとは言わせませんよ」

 

座って頭を垂れていたキャスターは、テントの間に消えかける婦長を待ってほしい、と呼び止めた。

何ですか、とでも言いたげに振り返ったナイチンゲールにキャスターは深々と礼をした。

ナイチンゲールはそのまま歩み去り、残ったキャスターはそこに立ち尽くして満天の星空を仰ぎ見た。

ナイチンゲールの言葉のすべてがまだ耳に残っている。

痩せ我慢か、と呟きキャスターは頭をふる。ナイチンゲールに言われたことのすべてに実感がわいたわけではないが、伝えたいことがあるなら、確かに今日をおいて言える日は無いか、と納得する。

気合いを入れる感じに頬を一つ叩いて、キャスターもテントの間へと踏み出したのだった。

 

 

 

 

 

 




皆さん宝具連発してますが、宝具チェインがfgoですのでシカタナシ。
そんでもって花の魔術師は現れず、やはり必中宝具は当たらない運命(Fate)。

ゲイ・ボルク相手にこれでいけるのか、と言われたら是非もなしですが…………。今作ではこれでご容赦願います。


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act-19

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。




カルデアからの物資を受けとる間、白斗はどこか上の空だった。

 

「先輩?」

 

マシュにそう呼び掛けられるたびに何でもないよ、と答えることはできたものの、自分でも分かるくらい白斗は集中できていなかった。

気を抜くとスカサハが死んだ、というエレナの言葉が蘇る。

たくさんのサーヴァントに出会い、別れ、契約してきた白斗にはサーヴァントがどれくらい強いのか、何となく分かるようになっていた。その勘を信じるなら、スカサハはとても強いサーヴァントだった。

雰囲気と風格だけでいうなら、カルデアにいるキャスターのクー・フーリン、ランサーのクー・フーリンたちにスカサハは勝っていた。

なのに、そのスカサハは黒く染まったオルタのクー・フーリンに殺されたという。

それにもう一つ、引っ掛かるのは腕を真っ赤に染めていたキャスターである。

クー・フーリンと戦ったあと、帰ってきたキャスターの腕は、そのまま千切れてしまうんじゃないかと思えるくらい血に染まり、ぼろぼろになっていた。

見た目よりひどくないから平気です、とキャスターは笑って、すぐにマシュと白斗の眼から隠すように腕を覆ったあと、ナイチンゲールに速攻でとっ捕まって包帯を巻かれていたが、裂けた肉の隙間から見えていた骨の白さが、服を染めていた血の赤さが、白斗の眼には焼き付いてしまった。

白斗もこれまでたくさん傷つく人を見てきた。冬木で、ローマで、オケアノスで、ロンドンで、それにこのアメリカでも。

レフ・ライノールやイアソンの化けたおぞましい魔神柱にも、ソロモン王にも出会った。

でも慣れた訳じゃない。今でも思いだすだに怖いのだ。何度悪夢を見て飛び起きたかわからない。

キャスターは白斗には最初に出会った『頼もしい』と思えたサーヴァントだ。今のマシュは頼もしいけれど、そのマシュに最初に宝具の使い方を教え、守りながら導いてくれたのはキャスターだ。

そのキャスターが一目見て重傷と分かるほどの怪我をした、という事実は自分で思うより白斗に深い衝撃を与えていた。

テントでじっと座っているのも落ち着かず、結局白斗はマシュとそこらを歩き回ることにした。

少し離れてカルナもいるが、カルデアにいるときと変わらず無表情でただ泰然としていた。

 

「カルナさん、そう言えばキャスターさんは?どこへ行ったのですか?」

 

マシュの問いに、カルナは即答した。

 

「ナイチンゲールに引っ張って行かれたあとは見ていないが、偵察の使い魔を弄っているか兵士の手当てをしているだろう。用事があるのか?」

「いや、無いよ。無いんだけど…………」

 

最終戦前夜なのだから、キャスターとカルナは話したりしなくて良いのだろうか、と白斗は思ったのだ。

再会してからこっち、端から見ればカルナもキャスターもどうも感情が見えない。

ラーマは時々シータを愛しげに見つめたり、シータもラーマの手を握ったりしているが、キャスターとカルナはそういう感じがない。淡白と言っていいのかもしれない。

 

「マスターにマシュ。それは余計な感傷だ」

 

と、大体そういうことを言った白斗とマシュにカルナはこれまた淡々と答えた。

何時もながら彼にとっては悪気は全く無いのだろうが、取り付く島もない言い方に、白斗とマシュは思わず顔を見合わせた。

 

「あのですね、そういう言い方は無いでしょう」

 

そこへまた別の誰かの声がして、白斗は振り返った。

テントの間に立っていたのはキャスター。いつも被っている灰色のフードを下ろしており、艶やかな黒髪が肩の周りにこぼれ落ちていた。

キャスターは歩いてくると、やや背伸びしてカルナの肩を手刀で叩いた。

 

「今のはマスターの気遣いですよ。そんな唐竹割りみたいな答え方がありますか」

「もちろんマスターの気遣いは有り難い。だが、スカサハの消滅を気にかけるマスターに、これ以上気を回させる訳にもいかないだろう」

 

ここでキャスターは、成り行きを見ていた白斗とマシュの方をくるりと振り返った。

 

「と、カルナは本当はこのように言いたかったようですよ、白斗さん」

 

無表情ながらキャスターの物言いはややおどけており、少し悪戯っぽく青い瞳がきらきらしている。そういう眼をすると、キャスターはマシュとそれほど違わない歳に見えた。

 

「うん。ありがと、キャスター」

 

苦笑しながらの白斗にキャスターは軽く頷いた。

 

「気にしないで下さい、マスター。ちなみにつかぬことを聞きますが、カルデアのこの人はいつもこんな調子なんですか?言葉足らずで喧嘩とかになっていませんか?」

「…………どこを心配しているのだお前は」

「心配というより気になるんです」

「同じことだ。オレのコミュ力とやらを気にするより、他にすべきことはたくさんあるだろう」

 

ぷ、とマシュと白斗はキャスターとカルナのやり取りに思わず吹き出し、それを見てキャスターが頬を緩めた。

 

「良かったです。マスターとマシュさんが笑ってくれて」

「…………オレとの会話を出汁にしてマスターの緊張を解したか。なるほど、ことコミュ力とやらに関しては、オレよりお前の方が遥かに上手のようだな」

「いえ、私のコミュ力とやらが高いというより、むしろあなたのが…………貧弱なのでは?」

「……………………確かにな」

 

これまた真顔でどこかすっとぼけた会話を続ける二人に、白斗はたまらず吹き出した。アメリカに来てから初めてなんじゃなかろうか、と思えるくらい白斗は笑った。笑うことができた。

 

「それにしてもキャスター、君も結構言い方に遠慮ないよね」

 

散々笑って、目尻に浮かんだ涙を拭いながら白斗が言った。

というより、カルナと話すとき一番顕著に遠慮がなくなるというべきか。

言われて、キャスターは肩をすくめた。

 

「だってこの人相手に嘘は付けないでしょう。なので必然的に本音で話すしかなくなったと言いましょうか」

「あ、『貧者の見識』ですね」

 

分かった、と言う風にマシュが手を叩いた。

言葉による欺瞞、相手の本質を見抜くカルナの眼力は、スキルにまで昇華されている。

かといって、嘘が通じない相手なら本音で語ってしまえばいい、というキャスターのやり方もかなり荒業な気がするのだが。

それにしても、と白斗は改めてキャスターを見て思う。

キャスターは紛れもない善人だ。何か大それたこともしそうにない。性質もかなり素直で、必要と判断してしまうと無茶はするが、英雄の好むような蛮勇はてんで好いていない。

なのに、メディアの見立てでは、キャスターは神から呪われているという。

 

「キャスター、君の呪いって何とかして解けないのかな?」

 

気付いたら、白斗はそんなことを口走っていた。

マシュは躊躇いがちに白斗の袖を握り、カルナは眉をあげ、そしてキャスターは一度首を傾け、ゆっくり首をふった。

 

「それは無理なのです、マスター。私の宝具は、元はと言えば神から与えられた力。だから神からの呪いには効きません」

「そう、なんだ」

 

呪いを燃やすキャスターなのに、彼女は自分の呪いは燃やせないという。皮肉な話、とは簡単に言えなかった。

それを聞いて、カルナが目を瞑ったからだ。嘘が通じないカルナにはキャスターが真実を言っていると分かるのだろう。

 

「マスター、また怖い顔になっていますよ」

 

だのに、当の本人のキャスターは笑っていた。さっきとは違う、薄く儚げな笑みだったけれど。

 

「私が呪われたのは、ここで説明すると長くなりますので省きますが、結局は私の意思です。誰に言われたからでも、運命の流れに従ったわけでもない。まあ…………散々人に迷惑はかけたことは心苦しい話ですが」

「自分の意思を貫いただけと言いたいのか。確かにその言い方をされるとオレやマスターからは何も言えん。お前にとっての今の命題がマスターを守り、精神的かつ肉体的な負担をできるだけ軽減することであるなら、そうして話題をそらそうとするのは妥当な判断だな」

 

キャスターの光速の肘打ちがカルナに刺さるが、痛さで顔をしかめたのはキャスターの方だった。

 

「わざとですか。わざとなんですか。いえ、わざとでしょう。気遣いというのは懇切丁寧にばらされると意味がなくなるのですよ」

「…………すまん」

 

謝られても知りません、とキャスターがふんとそっぽを向き、カルナが困ったように頬をかく。

 

「先輩、これは喧嘩…………ではないのですよね?」

 

おまけにマシュまでがそんなことを言い出す。この場にいる人間は、自分以外はかなり天然が入っている、と白斗は改めて思った。

が、気がほぐれたか否かという意味では成果はあったのは確かである。

 

「うん、ありがとうキャスター」

 

それを聞き、深い海の色をしたキャスターの青い瞳が、白斗の黒い瞳と正面から交わった。

 

「礼を言うのはこちらです。あなたたちは、冬木で見ず知らずのサーヴァントだった私を一途に信じてくれたし、今に至るまで覚えていてくれた。私にはどちらも嬉しいことです。それに、あなたたちがいたから私はこの地でカルナにも会えた。マスターにマシュさん、私はあなたたちにとても感謝しています」

 

キャスターが気遣いをするのは、二人がカルデアのマスターとその一番のデミ・サーヴァントだからというわけなくて、白斗とマシュだからこそ。

この先いつ言えるかわからないからこそ、今感謝を告げておきたいのだ、とキャスターは言い、カルナも組んでいた腕をほどいた。

 

「それならオレもマスターに礼を言いたい。マスターがオレを喚び、アメリカにまで伴ってくれたからオレは願いを叶え、こいつとも会うことができた。だからマスターには心からの感謝とオレの槍を捧げよう」

 

色合いは違えど、瞳の中に浮かぶ優しい光はよく似ている二対の碧眼が白斗とマシュを見た。

何故この二人はこう怖いくらい人の目を真っ直ぐに見て感謝できるのだろう、と白斗は思った。

白斗もカルナの逸話はたくさん調べたから知っているし、キャスターの生前の話は概ねはカルナから聞いた。

神の血をひいてはいたが、幸せな育ち方をしなかった二人の子どもが別々に大人になり、武人と癒し手になり、出会って夫婦になった。一時は穏やかに暮らせたかもしれないが、彼らの果てにあったのは悲劇だった。

だのに、二人からは悲痛さも、生涯を悔いているサーヴァントが見せる影もない。自然体でそこにいる。

当たり前のように戦いをし、当たり前のように癒している。事実、彼らにとってはそれが当然の行いなのだろう。

きっと戦いが終わり、キャスターがこれまで特異点で出会ったサーヴァントたちと同じようにどこへか消え、自分たちがカルデアへ帰るときが来てもこの二人は変わらないまま、しごくあっさりと別れてしまいそうな気がした。

それは仕方ないからと、諦めて良いことなのだろうか。何とか出来ないのだろうか。例えば、奇跡を生む聖杯とか。

 

「マスター」

 

穏やかな声でキャスターが白斗を呼んだ。

何もかも見透かした、青い水晶のような透明な眼でキャスターは白斗を見、駄目ですよ、というように唇に指を当てた。

隣でカルナがキャスターの横顔をちらりと見、キャスターは一瞬だけそちらに視線をやり、目を伏せた。

 

「いつか、カルデアに私が召喚されるかもしれません。そのときが来たら、またよろしくお願いします。…………召喚されるかは、マスターの幸運値が良かったらでしょうか」

 

最後の一言だけは、一転して、キャスターが少しおどけ気味にいった。

 

「そこでお前はマスターの幸運値に頼るのか」

 

キャスターが肩をすくめ、マシュがそれを見て大真面目に言った。

 

「それならきっと大丈夫です。先輩のサーヴァント召喚の成功率は良いんです」

 

ですよね、と後輩にきらきらした目で見つめられ、白斗は思わず深く頷いた。

 

「ほら、先輩もこう言ってます」

「それは頼もしいですね。ああ、安心しました」

 

キャスターは花が綻ぶようににっこり笑い、隣でカルナも笑いをこらえるように口を手で覆った。

 

「と、マスター。そろそろ睡眠した方が良いのでは?明日に備えるのも重要ですよ」

「…………そうだね。分かったよ」

 

ほら行きましょう、とキャスターとマシュに押され、白斗は自分に割り当てられたテントまで戻った。

マシュにキャスター、カルナには睡眠は必要ないが、それでも白斗が寝入るまではと三人ともテントにまでついてきた。

カルデアの廊下であろうと、船の上だろうと、どこでも眠れるのは白斗の特技である。薄暗いテントの向こうでは兵士たちのざわめきが途切れることなく続いていたが、寝床に横たわると、白斗はすぐに眠気に襲われ、瞼が重くなった。

 

「先輩、やはりお疲れのようですね」

 

すぐに眠りについた白斗の頬にはりついた髪をそっと整えながら、マシュが呟いた。

 

「そうですね。マシュさんは平気なのですか?」

「わたしは先輩のデミ・サーヴァントですから大丈夫です。このままここにいます」

「分かりました。マスターをよろしくお願いします」

 

はい、と力強く答えたマシュに微笑みかけキャスターは、外へ出ましょう。とカルナをテントの外へと誘った。

 

「マスターの側についていなくて良いのか?」

「護りに関してはマシュさんがいます。大勢がテントの中にいたら、マスターは気を張りますよ」

 

カルナとキャスターは、テントの入り口に門番のように並んで立った。

物言わぬ石像のように二人はしばらく沈黙していたが、カルナの方が先に口を開いた。

 

「傷は痛まないのか?」

「…………もう治っています。何も支障はありません」

「体が魔力で編まれたサーヴァントならそうだろう。だが生身ならあれだけの怪我をすれば腕が二度と動かなくなる。結果的にお前の行動でオレは命を救われたわけだが、そう易々と、生と死の狭間へ踏み出されるのは肝が冷える」

「つまり…………心配させるな、と?」

「簡潔に言えばな」

 

はぁ、とキャスターは魂が抜けるような深い息を吐いた。

心配してくれるのは有り難いし、ゲイ・ボルクの前に飛び出したのは蛮勇と言われても仕方ない行動だったのは分かっている。本音を言えば、あんな恐ろしいことは二度とごめんだ。

たがカルナに言われると、それはお互い様だろう、という気になる。

カルナも必要だと感じたら、躊躇いなく生と死の狭間に踏み出すだろう。何せ請われたからという理由で己の不死身の護りの鎧まで与えてしまったくらい、我欲が無いのだから。

人を慈しみ他人の幸福を願い、その過程で自分というものが天から抜け落ちてしまう、という点ではカルナとキャスターは似ていた。

さらに言うなら、そういう人間二人が互いに向けて無茶をするなと言っても、説得力など皆無なのであった。

ともあれ、誰かにものを頼まれればすげなく断ることができないのはキャスターも同じである。

 

「…………分かりました。今後はああいう行動はなるたけ控えます」

「なるたけか?」

「嘘は、つきたくありません」

 

ついたところで意味がない。

が、キャスターはまだカルナには何か言わねばならないという気がした。

満天の星空を仰ぎ見、キャスターは言葉を口から押し出した。

 

「カルナ、召喚されたサーヴァントのほとんどの人は、願いがあるものですよね」

「まあ、例外はあるだろうが。大抵はな。尤も、お前には是が非でも聖杯にかけている願いはないようだが」

 

正解です、とキャスターは頷いた。

万能の願望器、というのはキャスターの性に合わない。所謂全知全能の神と言うのとどうしようもなく被るからだ。

 

「そうです。でも願いが無いわけではありません。私の願いは、最後まであなたと戦うことです」

 

生前、キャスターは自分の命を自分一人で使い果たしてしまったから。

 

「私はさよならまではあなたの側にいたいのです。そして、その日が明日であっても惜しくはないのです」

「…………最後までオレやマスターと共に戦うことが願いというなら、中途で命を落とすつもりはない、ということか。それがお前の答えか?」

「答えというより約束です。この戦いの終わりまで、私は死にません」

 

戦場で己は、己だけは死なないという言葉の虚しさはキャスターもカルナも知っている。

知っていて尚キャスターは言い、カルナは目を閉じて頷いた。

 

「了解した。確かに、お前の頑固さと律儀さ、一途さと約束への義理堅さは信じられるからな」

「あの、それらの言葉は私というよりあなたに当てはまると思うのですが。ともかく―――――信じてくれてありがとうございます、カルナ」

 

星の光で髪を洗われながら、キャスターは呟いた。

それから、二人は小声で他愛ない話をした。

カルナが聖杯戦争の話をすれば、キャスターは呆れたり苦笑いしたり怒ったりと、珍しくもくるくると表情を変えた。

自分には話せる聖杯戦争の経験が一つもないのがキャスターには残念だったが、こればかりは仕方ない。

ともあれ二人は夜通し番をし、マスターの眠りとそれを見守るマシュとの穏やかな一夜は誰にも妨げられないまま、地平線の彼方に金色の光が差す時間となった。

 

ついに、戦いの始まりを告げる朝日が上ったのだった。

 

 

 

 

 




最終の戦い前のマスターのメンタルケアの回。

物語もそろそろ本当に終わりが見えてきました。
この主人公がオルタ化したらどうなるか、等と可笑しなことを考えながら話を書いたりする作者ですが、もう少し物語に付き合って頂けたら何よりです。


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act-20

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


通信を切ってエレナはふう、と息をついた。

ここは北軍の本拠地で間近からは未だ戦いの音が聞こえてくる。エレナは一人、南軍への連絡を手短に済ませたところだった。

結果から言えば、南軍は差し当たりはサーヴァントに欠けをつくることなく進軍しているのだと分かった。

 

「今の首尾はまあ、上々なのよね」

 

南軍のサーヴァントはまだ全員が存命なのに対し、ケルトのサーヴァントは二騎が墜ちた。フィン・マックールはカルナに、ディルムッド・オディナはキャスターとナイチンゲールに、それぞれ倒されたという。

こちらを攻めてきた軍を率いていたベオウルフには、ジークフリートやエリザベートたちで迎え撃った。取り逃がしはしたが、次現れれば必ず倒すとエリザベートは豪語していた。

竜殺しのベオウルフに対して、竜種と縁のあるジークフリートとエリザベートは実のところは相性が悪いのだが、それもロビンやアーラシュの手助けがあれば何とかなる範囲だ。

 

「このまま行けば何より。でもそういう感じがないのよね…………」

 

エレナの直感はよく当たる。

その直感は戦いが始まってこの方、不穏な感じで警報を鳴らし続けていた。

まだ何かある気がするのだ。このままメイヴが南軍の迎撃だけに専念するとは思えない。それにベオウルフ一人を送って北軍を打ち倒せるとは、メイヴだって思ってはいないはずだ。

戦場では、フィン・マックールを囮にクー・フーリンがカルナを後ろから不意討ちしようとしたという。本来ならば、クランの猛犬にして赤枝の騎士であるクー・フーリンはそんなことは決してやらないだろうに、聖杯とはかくも大英雄のあり方を歪めてしまうのだ。

 

「まあでも、頑張るって言っちゃったしね」

 

それでも、エレナは己を奮い立たせるように声を出した。

嫌な予感はする。するが、それがどうした。ここは戦場で、この前線は最後の砦。守り通さなくて誰が英霊を名乗れるだろう。

魔導書を携え、いざ前線へ戻ろうとしたところで唐突にエジソンの咆哮がし、エレナは走ってその方向へ向かった。

道行く先に褐色の肌の弓兵を見つけ、エレナは彼の腕を掴んだ。

 

「何、何かあったの?アーラシュ」

「お、エレナ。いや何か援軍が来たみたいなんだが…………」

「援軍?」

 

誰が、と言いかけたエレナの目に飛び込んできたのは、開けた場所で獅子頭のエジソンとにらみ合いをしている背の高く肩幅も広い男だった。

その少し後ろには赤い服を纏い、槍を携えた男もいる。間違いなく、気配からして二人ともサーヴァントだった。

 

「槍のサーヴァントは李書文だろ。でもあっちの放電してる奴は誰だ?エジソンとにらみあってるが」

「…………大丈夫。彼は味方よ。名前はニコラ・テスラ」

「聞き覚えがあるな。ソイツの名、ナイチンゲールが言ってなかったか?」

「そうよ。彼はね、エジソンとは生前からのライバルで永久の喧嘩相手ってところかしら」

 

言いながらエレナはすたすたと歩みより、獅子頭の大統王と雷電博士の間に踏み込んだ。

 

「こんばんは、テスラ。ここに来たのははぐれサーヴァントとして、あたしたちを手助けしに来てくれたという解釈で良いのかしら?」

 

まさかエジソンと喧嘩しに来た訳じゃないわよね、という意味を込めて睨めば、テスラが鼻を鳴らしつつ頷いた。

ニコラ・テスラ。かつては神のものだった雷を地に引きずり下ろした、傲岸不遜にして人類史屈指の天才である。そしてもって、エジソンとは凄まじいまでにそりが合わない。

 

「無論だ、ブラヴァツキー。君は知るまいがカルデアのマスターには縁がある。彼らの恩に報いるためには、この凡骨と組むのも吝かではないと馳せ参じた次第だ」

「なんだとぅ!どうせお前のことだ。どこかの特異点で暴走でもしたのだろう!」

 

テスラのこめかみがピクリと引きつる。

魔導書アタックでもしてやろうかしら、とエレナが考えた瞬間、アーラシュが間に割って入った。

 

「ちょいと待てよ。お前さん、俺のマスターに恩があるんだろ。だったら喧嘩してないで戦おうぜ。俺たちは英霊なんだから、戦ってこの世界を守らなきゃいけない。大統王もそれで良いだろ?」

「ふむ。ということは、そちらはカルデアからのサーヴァントだな?」

「おう。俺はアーラシュ。アーチャーのサーヴァントさ。ま、宜しくな」

 

快活によく笑い、人の毒気を抜いてしまうアーラシュがいれば、さすがに喧嘩は続かない。テスラは南軍に協力する旨を告げ、エジソンは彼の意思を受け取り、握手も交わした。握ってから離すまでが瞬きする間もないほどに一瞬だったが、握手は握手である。

 

「ありがとアーラシュ。助かったわ」

「別に良いさ。んで、李書文。お前さんは何でまた?」

 

テスラとエジソンのやり取りの間、瞠目していた李書文はその声に片目を開けた。

 

「お主らと別れたあとさ迷っておったら、スカサハに出会ったのさ。だが、彼女はクー・フーリンとやらにすでにやられておった。その状態で頼まれたのさ。改めてお主らの手助けをしてくれぬか、とな」

 

戦いの終わった暁には今度こそ戦おう、とスカサハに言われ、李書文はこれを了承。

槍を携え、ケルトと戦いつつ移動するうちにテスラと出会い、そのまま北軍に合流することにしたのだという。

 

「だが、あの神仙に似た気配の剣士や槍士、術師のサーヴァントたちはここにはおらんようだな」

「あっちはカルデアのマスターと一緒にワシントンに攻めいってるの」

 

彼らは神代の力を振るうこともできる、突破力と破壊力に振り切れているサーヴァントたちである。

彼ら以外にも、無表情で無造作に焔をばら蒔くキャスターと、治療と称して拳銃と拳を遠慮なくぶちかますナイチンゲール、正確な射撃を行う理想王最愛の伴侶、シータもいる。

 

「やはり残念よな。それだけの猛者がいるのに心の赴くまま戦えんとは」

 

それでも尚、餓狼の如くに口を吊り上げる李書文に、エレナは呆れるしかなかった。とは言え、彼もやはりテスラと同じくこちらについて戦ってくれるという。やはり彼も、人理を燃やさせるわけにはいかないと思っているのだから。

 

「ありがと、李書文。それじゃ、エジソンもテスラと張り合ってないで早速前線に行くわよ」

 

音立てる電撃をぱちぱちと放つ男二名を追い立て、エレナは前線に戻る。

その様子を見て、大変だな、と苦笑したアーラシュにはジークフリートのところへ早く行きなさいな、と言いつけた。

彼女の警戒心はまだ解けず、しかし希望の象徴のごとき日輪は大地の上に昇った。

戦いは終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

ワシントンというのはアメリカ合衆国の首都である。けれど、この特異点においては、そこは初代大統領ジョージ・ワシントンの名を冠するアメリカ随一の都ではなく、ケルトの王と女王の君臨する地と成り果てていた。

敵兵を退けながら、ホワイトハウス目前に達しようというとき、カルデアからの通信機が鳴り響いた。

 

『白斗くん、マシュ、そこは間違いなくワシントン、ホワイトハウスの近辺かい!?』

「どういう意味?」

『空気中の魔力の値がおかしいんだ。その時代には有り得ないほどの濃度が記録されてる。ホワイトハウスを中心に、そこら一帯は最早異界だよ!ロンドンの魔霧並みだ!』

「つまりどういうことですか、ドクター!」

 

白斗を狙って飛んでくる矢を警戒しながら、マシュが言う。

 

『つまり、サーヴァントの皆と白斗くんには平気だけど、その時代の生身の人間にはその中へ行くのは不味いってことだよ。体が持たない!』

 

ドクターも焦っているのだろう。双方叫ぶような音量になった。

ともあれ、それを聞いてラーマは一旦軍を止めた。

 

「周辺をまるごと異界化か。これも聖杯か?」

『もう、そうとしか考えられないよ。多分、メイヴはそこらを完全にケルトの時代に遡らせたんだ』

 

何のためにと言われれば簡単な話。西部合衆国軍に、枷になる兵を捨てさせるためだ。

彼らを守りながらでは、クー・フーリンとはまかり間違っても勝てない。

ラーマは即断した。

機械化兵と南軍の残りの兵は、ワシントンの入り口でひたすら防備を固め、必要であるなら撤退する。その間にサーヴァントたちはホワイトハウスを攻め落とすのだ。あちらの思惑に乗せられる形になるが、分かった上で尚、進む以外道がないのも事実だった。

 

「街中はシャドウサーヴァント、エネミーその他の敵生体がうろうろしていますね」

 

鳥の使い魔を変わらず飛ばしているキャスターが言う。

 

「奇襲されては厄介だな。ならばこちらも少し荒業で行こう」

 

荒業とは、とラーマとシータ以外の全員が疑問符を浮かべる。そしてラーマが早口で語ったその作戦は確かに荒業であった。

 

「分かった。やろう。俺たちは時間が惜しい」

 

とはいえ白斗が了承したことで一気に決まり、ラーマとシータを前面に残し他の面々は後退した。

白斗たちが下がったあと、ラーマは剣に光を集め、シータは弓に矢をつがえる。

 

「行くぞ、シータ」

「はい、ラーマ様」

 

頷きあい、理想王とその伴侶を中心に魔力が渦を巻き始めた。それにつられて出てきた敵は、キャスターの焔かナイチンゲールの弾が叩き落とす。

収束した魔力がついに金の光を放ち始めたとき、ラーマの剣が振り上げられ、シータの弓が満月のように引き絞られた。

 

「――――羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)!」

 

剣は光輪となり、矢は一筋の光線となって互いに共鳴しあう。威力を高めあいながら進んだ宝具は真っ直ぐに光の隼のように大気を切って飛び、ホワイトハウスの壁へと突き刺さった。

着弾と同時に爆音がし、煙がもうもうと立ち込める。それが晴れたあとには、穴の開いた城門が無惨な姿を晒していた。

 

「よし、道は開いた!」

 

何かしらの防護壁もあったかもしれない。が、ラーマとシータのブラフマーストラはそれすらぶち抜いて城に穴を開けた。

敵兵が混乱している間に一同はホワイトハウスまでを駆け抜けた。サーヴァントたちに比べるとどうしたって足の遅れる白斗は、ナイチンゲールが担ぐ。

そうして城に入ろうとしたとたん、城壁の上からシャドウサーヴァントたちが雨霰と降ってきた。

 

「邪魔です!」

 

ナイチンゲールの弾とシータの矢が何体かを撃ち落とすが、すべて倒すには至らず、またも乱戦となった。

キャスターはぶっつけで修理した剣でシャドウサーヴァントを斬り、怯んだところを燃やす、という戦い方をしていた。

乱戦となれば、威力は高いが隙の大きくなる突きは使えない。肉に刺さった刃を抜く間に他の敵に刺されるからだ。

正面から襲い掛かってきた剣士のシャドウサーヴァントの、大上段から降り下ろされた刃を掻い潜ったキャスターは、相手の心臓に手を当て零距離で氷の呪術を発動。氷塊となった心臓を剣の柄で殴り砕き、消滅させる。

そのまま、後ろから棍棒を振り上げて襲ってきた巨漢のシャドウサーヴァントの一撃をかわして背後に回り込むと、猫のようにその背中に駆け上がり、剣でうなじを斬り裂いた。

頭と胴を別たれたシャドウサーヴァントが地面に倒れる前に、キャスターは背中から飛び降りた。

 

「キャスター、伏せろ!」

 

白斗の叫びを躊躇いなく信じ、キャスターは伏せた。すると、一瞬前に自分の頭があった場所に横凪ぎに槍が振るわれた。

瞬時に振り返れば、胸に矢の突き刺さったシャドウサーヴァントが消えていくところだった。

弓を構えたシータが走りよってきて、キャスターと背中合わせに立つ。今の矢は彼女が放ったのだ。

 

「ありがとうございます、シータ」

「礼は良いのです。それより…………これはあまり良くない状況ですね」

 

シャドウサーヴァントは着実に減っておりまもなく全滅するだろう。しかしあれは、敵にとってはいくらでも増やすことのできる雑兵だ。この混戦状態でクー・フーリンにまたゲイ・ボルクを撃たれては洒落にならない。

ラーマやカルナは二人とは少し離れたところで戦っており、彼らが剣を一振り、槍を一度振るえばそのたびにシャドウサーヴァントは粒子となって雲散霧消していた。

ナイチンゲールはブレーキの壊れた機関車の如くに走り回って戦い、シャドウサーヴァントを拳銃で穴だらけにしたのちぶん殴っている。

その様を白斗は全て見ていた。

戦えないマスターにできることは指揮だけ。

マシュに指示を出し、ラーマとカルナに敵の守りの薄いところを見抜いて伝え、キャスターとシータにも同じく気を配る。

彼らはそうして着実に速く進む。が、メイヴとクー・フーリンは未だ姿を現さなかった。

 

「治療行為の、邪魔をしない!」

 

万軍を目にしても絶対に揺らがないだろうナイチンゲールの咆哮が響く。

頼もしいな、とキャスターはそれを聞いてほんの少し笑う。

 

「キャスター、そこから離れろ!」

 

しかし白斗の叫びに、咄嗟の対処の遅れたキャスターの動きが一瞬止まる。

何が、と思うまもなく、キャスターは誰かに襟首を掴まれて小石のように投げられた。

 

「―――――ッ!」

 

ぐるん、とキャスターの見ていた天地が逆さになり、気持ちの悪い浮遊感を感じた。背中から地面に叩きつけられかけた刹那、キャスターは受け身を取って地面の上を転がって立ち上がった。

そこはちょうど、マシュと白斗の正面だった。

 

「うわわ!?」

「見事な放物線でした、キャスターさん!」

 

どこかずれたマシュに答える暇もなく、キャスターが振り返れば、そこには戦場を一直線に横切る轍の跡とその先に止まっている、凄まじい量の魔力を纏った戦車の姿があった。

ただ戦車の車輪は壊されており、それを成したらしいカルナが轍のすぐ横に立っていた。

要するに、あの宝具とおぼしき戦車に轢かれかけたキャスターをカルナが文字通りに投げ、そのついでに戦車の車輪を壊したということらしい。

当然、車輪の壊れた車は走れない。

そうして、傾いた馬車から飛び出してきた人影は憤然とシャドウサーヴァントたちを従えて大地に立った。

忘れもしない、女神のように美しく強烈にそりが合わないとキャスターが初見で断じた女王、メイヴが現れたのだ。

 

「女王メイヴ…………!」

 

キャスターがその名を呟けば、白斗とマシュが反応した。

 

「彼女がメイヴなんですか?」

「はい。間違いありません。彼女がそうです」

 

その声を聞き取ったのか、メイヴが白斗たち三人の方を見た。

 

「ちょっとそこのデミ・サーヴァント。気安く女王の名を呼ばないでくれるかしら。今の私は気分が悪いのだから、殺してしまうわよ」

 

宝具でいきなり殺しにかかってきた女王は、そう言って本当に不機嫌そうに眉を上げた。

 

「メイヴ、お主が出てきたと言うことは最後の戦いをここでやるつもりか?」

 

ラーマが言い、カルナが無言で槍を構える。

それを受けて、メイヴは恐ろしいまでに艶然と微笑んだ。

 

「そうよ。あなたたちにとっては最期の戦いかしら。そうやって向かってくるあなたたちを、希望にすがってここまで来たあなたたちを私はクーちゃんと一緒に滅ぼすの。跡形もなく叩き潰すの。どう、素敵でしょう?」

 

可愛らしく子首をかしげたメイヴに向け、唐突に銃弾が放たれた。

シャドウサーヴァントの一体が、彼女の盾になって消し飛ぶ。弾の主は言わずもがなナイチンゲールであり、彼女はぎろりとメイヴをねめつけた。

 

「何処がですか。そこの貴女、貴女のような健康優良児は手早くお退きなさい。治療を必要としている患者をとっとと出すのです」

「まあ怖いわね!でも、そうね。このままだと不味いから。私らしく、可憐に助けを呼ぶとするわ。―――――来て、クーちゃん!」

 

メイヴが両腕を広げて宣言すると同時に、城壁から飛び降りた何かがメイヴとラーマたちとの間に降り立った。

いや、何かではなく、禍々しき槍を持った狂王がそこに現れる。

 

「やっと出番か。オーダーは何だ、メイヴ。いや、聞くまでもねぇか。まあ要は―――――どいつもこいつも殺せばいいんだろ」

 

クー・フーリンとメイヴが並び立ち、そこから放たれる濃密な殺気と禍々しい魔力に白斗の喉が鳴った。

 

 

 

 

 




前回半ば冗談で抜かしたキャスターオルタに反響が返ってきてビビった作者です。
やはり黒化はfateの華なのかと思いました(小並感)。





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act-21

ちょっと遅れました。すみません。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


クー・フーリンという英雄がいる。

クランの猛犬、光の御子等々、華々しい異名を数多持つ彼は、最期には自らの立てた誓いを破らされたことで力を削がれ、騙し討ちに近い形で倒されたという。

太陽神の息子であり、呪いによって命を落としたという点を取れば、彼の伝説はキャスターにはどこかカルナを思い出させるが、今の彼は、カルナとは似てもにつかぬほどに黒く変わっていた。

ナイチンゲール曰く、彼は病んでいるのだという。暴君として誕生したが故にそれ以外の振る舞いができず、愉しみもなしに狂王としての閉じた役目を果たすために戦い続ける機械のような男。それは恐ろしくも哀れな存在だとキャスターは思う。

そして病んでいる存在を見つければ、ナイチンゲールは吠え猛る。

何故なら、人を癒すのが彼女の在り方だから。我が身のすべてを擲ち、機械のように振る舞うという点はクー・フーリンと同じでも、その在り方は違う。

ナイチンゲールはいつか人の病と怪我の螺旋が絶たれると信じているから戦うのだ。いつか訪れる未来を、少しでも引き寄せるために戦う。未来なく戦う狂王とは違う。

 

そしてクー・フーリンが落命した切欠は、コナハトの女王メイヴにある。クアルンゲの牛を巡る争いにて、コナハト軍を一人で散々に撃ち破ったクー・フーリンを恨んだメイヴは、その執念でクー・フーリンの死の切欠を作ったのだ。

伝承はそう伝えており、キャスターが聖杯から与えられた知識もそこまでしかない。

突き詰めれば、メイヴはクー・フーリンを恨み、彼を殺した。

だのに今、クー・フーリンと並び立ち、共に聖杯を手に現れたメイヴは、キャスターの目には何かに酔いしれているようにも、夢から醒めるのを惜しんでいるようにも見える。

つまり、メイヴにとってクー・フーリンと共にあるということは憎しみをかき立てることではなく、むしろ逆だろう。

というより、彼女が聖杯に託した願い、その在り方が今の形なのだろう。クー・フーリンを一つの完成された暴君として創り出し、共に国を治めること、それをメイヴを望んだのだ。

一つの時代を支配できる器を魔術王ソロモンから得たメイヴが願ったのは、一人の男のすべてを手にいれることだったのだ。

凄烈なまでに一途で横暴な女王は、シャドウサーヴァントを従えて、キャスターとシータの前に立った。

クー・フーリンにナイチンゲール、カルナ、ラーマが、メイヴにキャスター、シータが相対した結果がこの形だった。

白斗はマシュに庇われながらも、クー・フーリンの一挙一頭足、それにナイチンゲールたちの動きをも見逃さずに把握し、彼らに正確な指示を飛ばしている。英霊の動きに、生身の人間の動体視力と判断力でついていく、というのは異常とすら言えた。

冬木での彼を知るキャスターからすれば、白斗は最初に会った頃と比べて雲泥の差がある。燃える街を見て、悲痛な顔をしていた少年と少女がこれまでどういう道を辿ってここまで行き着いたのか、キャスターは知ることはできない。

けれど知らなくても、今の彼らとナイチンゲールたちならクー・フーリンに遅れをとらないと、キャスターは信じていた。

白斗を、ナイチンゲールを、ラーマを、そしてカルナを信じ、だからこそ、こちらはこちらで何とかせねばならない。

本心で言えば、キャスターは戦いを忌避している。

幼い頃に母から聞いた国が滅びたときの寝物語も、最初に人の肉に刃を突き刺したとき手に走った衝撃も、自分が最初に殺した相手の顔も、返り血を浴びたときの鉄臭さと視界を染めた血の赤さも、一切をキャスターは覚えている。一度も忘れたことはなく、戦うたびにその記憶は心の中で燃えない薪のように燻る。

家族が、味方が、己が生きるためにキャスターは人を殺す。彼女の戦いに楽しみはなく、決してあってはならないのだ。キャスターにあるのは、結局は自分が生きるために相手を殺すという獣の論理だから。誰かを守るだけで精一杯という弱者に、相手の名誉を重んじるだけの余裕はない。

力ある英雄豪傑たちは違う。彼らは名誉を重んずる。例え命を落としても、それが己の納得できる勝負であったならば笑って己の死を受け入れる。

命のやり取りを心から愉しみ、相手の名誉を重んじるというカルナの武人としての在り方は、キャスターには共感できない。

どれだけ共に過ごした時があっても、大切に思っている相手だとしてもだ。隣を歩いていても、見ている風景は重なったり別れたりする。人間は皆違うのだから当たり前だ。

だけれど、キャスターはメイヴがクー・フーリンにそうしたように、カルナのすべてを得たいとは思わない。

そこが多分、自分とメイヴの違いなのだろうな、と思いながら、キャスターはシータと共に目の前にいる清楚可憐な美しい女王を見た。

 

「本当、目障りね。あなたたちのその眼。愛しい人を信じて戦うっていうのね」

 

それすら蹂躙してあげる、とメイヴは言う。

聖杯をクー・フーリンに使った、とメイヴは言う。スカサハにやられた傷を治しついでに、クー・フーリンの霊基をさらに高めたのだという。

事実、クー・フーリンは膂力ではカルナやラーマを上回っているようだった。おまけに四人のサーヴァントたちの誰が傷を与えても、端から傷が治っている。

魔術を使った治癒ですか、とシータが思い至る。クー・フーリンはルーンの使い手でもある。

 

「聖杯を、随分と惜しげなく使ったんですね。ということはあなたを倒せばクー・フーリンは弱まるわけですね」

 

剣を正眼に構えながらキャスターが口を開いた。

 

「聖杯を私が使うのは当然じゃない。これは私のだもの。どう使おうが私の勝手」

 

メイヴは、懐から取り出した黄金の杯を愛しげに撫でた。

 

「ずっと昔からの夢だったのよ。クーちゃんを私のものにするのはね。それを叶えるために私はこれを得たの」

 

黄金の杯を抱き、メイヴは呟くように言う。

 

「恋する女は強いのよ。まあ、あなたには分からなさそうだけれど」

 

メイヴがキャスターを指差し、キャスターは眉をほんの少し上げた。

 

「…………どういう意味でしょうか?」

「簡単よ。だってあなた、恋をしたコトがないでしょう」

 

答え合わせでもするように、メイヴはキャスターに指を突き付けた。

 

「恋はもっと我が儘で、燃え上がるようなものよ。あなたにはそれがない。聞き分けが良すぎてつまらない。自分の望みに見ないふりして良い顔をして、それなのに、死んだあとにも満ち足りた顔をして在り続けるっていうのは―――――凄く、気に食わないのよ」

 

だから殺してあげる、あなたの夫のすぐ近くでね、とメイヴは言い、弓を構えたシータはキャスターの様子を伺った。

すぐにシータは気付いた。キャスターの黒髪が、風もないのに揺れている。

 

「私が気に食わない、と言いますか、女王メイヴ」

 

乾いた声でキャスターが言った。

白い顔からは表情らしいものが消え失せている。キャスターの中では、静かに激流が流れていた。

 

「その言葉、そっくり返します。…………メイヴ、私もあなたが嫌いだ。あなたに靡かなかったクー・フーリンを愛しているなら、あなたは彼を黒く歪めるコトなどすべきではなかった」

「あら、あなたが愛を語るの?語れるの?恋も知らないのに?」

 

メイヴが問い、キャスターは荒く平坦な声で答えた。

 

「確かにそうかもしれない。あなたの言うような恋の炎を私は知らない。だけど、私はカルナを愛した。幸せになってほしいと思える人に出会えた。その感情は間違いではなかったと言える。私は、カルナがあるがままに生きているのを見るのが好きだった。それが私の願いで、私の生き方だ。だから、己の恋のためという理由でクー・フーリンを歪めたあなたのコトが嫌いなんだ」

 

キャスターが言い、今度はメイヴが眉を上げた。

 

「女王メイヴ。人の心と在り方は、聖杯ごときで歪めていいほど安くない。神だろうが運命だろうが関係ない。他人の自由にしていいほど、一人の人生は軽くない。これが理不尽で自分勝手な怒りだろうと、人を思うがまま歪めてみせるあなたを、私は許せない」

 

揺らぎもなく傲岸不遜なまでに迷いなく、奇跡の器をキャスターは一言で切り捨て、剣を構え直した。

サーヴァントとしてでなく、この瞬間彼女はただの人間として怒っていた。神を許せず、それ故呪われた一人の半神としての怒りだった。

メイヴはそれを見、思案するように頬に指を当てた。

 

「私が許せない、ね。でも私も今、こうして作り上げた夢を壊そうとするあなたたちを許すわけないわ。あなたたちはね、私にとって目障りだから消すの。他に理由はいらないわ」

 

言葉と同時、メイヴ指揮下のシャドウサーヴァントが動き、同時にシータの矢が放たれる。

矢はキャスターには当たらず、シャドウサーヴァントを撃ち抜いた。その間にキャスターがメイヴに向かって走る。

メイヴは鞭を掲げて応戦するが、女王であって戦う者ではないメイヴにはシータとキャスターの同時の攻撃は捌けない。

鞭がシータの矢で切り裂かれ、キャスターの剣が迫りかけるが、そこへクー・フーリンからの炎の魔術が飛んでくる。

避けもせず、キャスターはそれをまともにくらうが、彼女は炎では傷付かない。むしろそこから魔力を吸収した。

 

「チィ―――――!」

 

シャドウサーヴァントを盾にしても、追い詰められているメイヴを見てとったクー・フーリンは、舌打ち一つでゲイ・ボルクを掲げるが、カルナとラーマが宝具の発動をさせまいと攻め立てた。

ナイチンゲールの拳とマシュの盾はクー・フーリンの剛力で受け止められて一度に払われ、カルナの槍はゲイ・ボルクと押し合いになる。

 

「やらせはせん!」

 

ラーマが剣を降り下ろし、それがクー・フーリンの脳天に迫るも、そのとき一瞬でクー・フーリンの周りに暴風が吹き荒れた。

 

「―――――全呪開放、噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)!」

 

暴風から現れたクー・フーリンは、毒々しい赤黒い鎧を纏っていた。

それを見て、白斗は悟る。あの鎧は何かとてつもなく不味いものだ、と。

 

「オラァァッ!」

 

白斗が避けろと叫ぶ間もなく、掛け声と共に振るわれた一撃で、カルナとラーマが押し負けた。

空中で二人ともが体勢を立て直して危なげ無く着地するが、カルナとラーマが力任せで凪ぎ払われたことに変わりはない。

二人を排除したそのままの勢いで、クー・フーリンはキャスターの方へと迫った。

 

「避けろ、キャスター!」

 

そのとき、白斗の叫びとキャスターがメイヴへ剣を降り下ろしたのは、ほぼ同時だった。

剣は止まらず、メイヴの肩先から腰までをざくりとキャスターの剣が切り裂くが、狂王の突進をかわす余裕がキャスターにはもうない。

 

「やらせ、ません!」

 

しかし、シータの矢は間に合った。

地面を抉るようにして放たれた矢が、キャスターとメイヴとを吹き飛ばす。

キャスターはマシュに受け止められ、メイヴはクー・フーリンの方へ倒れかかった。

 

「…………やられたか、メイヴ。酷い有り様だな」

「ええ……。クーちゃん。私、今にも死にそうよ。でも…………頑張ったの。最後の仕掛けも、もう済ませたわ」

 

クー・フーリンに受け止められて仰向いたまま、メイヴはクー・フーリンに言う。

 

「そうかい。お前さんにしちゃ、よくやったな。…………最後に少しばかり私怨に走ったようだが、それがお前という女か。まあお前は、やればできる女だものな」

 

詰るでもなく、クー・フーリンは淡々と告げ、メイヴはそれを聞いて笑った。

傲りなど一欠片もない、正に花の咲いたような笑顔に、マシュに支えられて立ち上がったキャスターは息を飲んだ。理屈抜きで、キャスターはメイヴのことを綺麗だと改めて思う。

恋しつくした女王は、囁くような声で呟いた。

 

「嬉しい。私、その一言が聞きたかったの。幾星霜の果てで…………ようやく、あなたは私のものになってくれたのね」

 

白くほっそりしたメイヴの手がクー・フーリンの頬を撫で、メイヴはもう一度白斗たちに向けて嘲笑うような笑みを見せた。

 

「ところで、カルデアのマスター、私の、最高傑作をご存じかしら?」

「最高、傑作?」

 

ふらつきながらメイヴは立ち上がる。

まだ自分はこの地の女王だと、王クー・フーリンと共にあるべき女主人だと宣言するように、天地の下で彼女は両手を広げた。

 

『まさか、二十八人の戦士を召喚するのか!?』

 

悲鳴じみた声を上げたドクターに、メイヴは一層笑みを深めた。

かつてクー・フーリンを倒すためにメイヴの生み出したのが、二十八人の戦士。クー・フーリンに打ち破られたとはいえ、メイヴがそれを作り出したという事実は存在する。

 

「ここに召喚するつもりか?」

 

槍を構えるカルナに、メイヴは違う、と笑いながら答えた。

 

「違う、違うわよ、施しの英雄。それに『二十八人の戦士』はあなたたちの考えるものとも全く違うの。さて、あれに耐えられる人間が、あなたたちの味方にいるかしら」

「まさか、北部戦線に―――――」

 

喘ぐように言った白斗に正解よ、とメイヴは言い、同時にドクターが叫んだ。

 

『こんな、こんなことが、可能なのか!?』

「どうしましたドクター!?」

『北部戦線に、二十八体の魔神柱が確認された!』

 

マシュと白斗が、何だってと叫ぶ声を聞きながら魔神柱、という言葉はどこか反響を伴ってキャスターの耳に届いた。

彼女はそのとき、メイヴを見ており、メイヴもキャスターを見ていた。異なる色をした瞳が正面から交わる。メイヴの眼は宝石のように澄んでいた。メイヴは間もなく消える。

それをしたのはキャスターで、メイヴを切り裂いた剣の感覚は、まだ手に残っている。

キャスターは剣の柄を握りしめ、メイヴはその彼女の目に何を見たのか、カルナへと視線をやった。

 

「さあ、この状況で、あなたたちが何をするのか見物ね。取り零さないよう、せいぜい足掻きなさいな。そしてクー・フーリン、聖杯はあなたに託すわ。さようなら、いつか、また―――――」

 

女王の威厳を持ってその場に立ち尽くしたまま、最後に王に一瞥をくれて、メイヴは粒子となって消滅した。後には煌めく黄金の杯が一つ空しく転がるばかりである。

残ったのは、狂王ただ一人。禍々しい鎧を纏ったままの彼は、ふんと鼻を鳴らした。

 

「やれやれ、ここまで寄り道が過ぎるってんじゃあ俺もメイヴに言えた義理はねえな。いい女とはすぐに縁が切れちまう。メイヴは茨よりしつこい女だったが、いい女になった途端にあっさり逝きやがった。未練なんてまるで無い、みたいな顔しやがって」

 

メイヴが消え、クー・フーリンの気配が弱まった、と白斗は感じた。

彼を狂戦士の王たらしめていたのは、メイヴの願い。その彼女が消えたことで、多少なりとも元のクー・フーリンへと戻り、時代の修正が進んだのだろう。

ただそれでも、クー・フーリンの戦意に衰えなどなく、殺意に曇りはない。

ナイチンゲールはその様を見て、目を細めた。

 

「まだ戦うのですか、クー・フーリン」

「当たり前だぜ。鉄の看護師とやら。メイヴは悪女だったが、心意気は買ってやるべきだ。聖杯を、俺の心を手に入れるためだけに使ったんだからよ」

 

それにな、とクー・フーリンは白斗たちをねめつけた。

 

「散々俺に刃向かって来たお前らを―――――今さら見逃すわきゃねぇだろうが!」

 

クー・フーリンが咆哮し、突貫する。

彼が一直線に狙うはマスターの白斗だった。

 

「やらせるものか」

 

だがそれをカルナは槍で受け止める。

鎧に包まれたクー・フーリンの豪腕と、神殺しの槍とが激突し火花が散る。

 

「マスター、指揮を頼むぞ!」

 

ラーマが叫びつつ剣を構え、他のサーヴァントたちも各々得物を握る。

 

「今は北部戦線の皆を信じましょう。こちらを倒さなければなりません」

 

ナイチンゲールに頷き、白斗は拳を握る。

戦いはまだ終わりそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 




前々から言っていましたが、主人公とメイヴは相性悪いです。
人に愛されたいと願ったのがメイヴなら、人を愛したいと歩き続けたのが主人公です。どっちもどっちというかなんというか。

それと、現在諸事情で感想返しがキツくなりそうです。ので、投稿を続けるため、一時感想返しを控えさせていただきます。度々申し訳ありません。




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act-22

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


北部戦線に唐突に、『それ』は現れた。

青空がたちまちに雷轟く曇り空へと変わったかと思えば、何もなかったはずの空間から現れたのは、ぎらぎらと蠢く幾つもの目を持つ赤黒い肉の柱。

避ける間もなく、機械化兵が一瞬でそれに飲み込まれかけ、しかし、間一髪でエリザベートの歌声で吹き飛ばされ、彼らは肉の柱には取り込まれずに済んだ。

済んだが、そのままいては彼らはただの餌になるばかりである。即座にエレナが撤退しろと叫び、戦場にはサーヴァントたちだけが残った。

 

「ちょっと何よこれ!」

 

だが、サーヴァントたるエリザベートにも余裕はない。

彼女にも、一目見ればその規格外さが肌で感じ取れたのだ。あれは、並みのサーヴァントでは決して勝てない化け物なのだと。それが突如として現れたのだ。

鼓膜をかきむしるような音を立て、肉の柱は戦場を蹂躙しようと動きだす。ロビン・フッドの宝具である毒矢が突き刺さるが、破壊するには到底及ばなかった。

 

「これは……魔神柱だ。奴さん方の切り札だな」

「切り札!?何でそんなのがこっちに来るのよ!子イヌたちの方はどうしたっていうの!?」

 

カルデアにて魔神柱の情報を得ているアーラシュが呟けば、エリザベートは腹立たしげにマイクに似た槍をぶんと横凪ぎに振るいつつ叫ぶ。

 

「あっちは大丈夫みたいよ!こいつらはあたしたちを磨り潰すために送られてきた、とっときの化け物ってワケ!」

 

言いながらエレナは魔導書から光線を放つ。直撃はしたが、魔神柱にはろくに効いていない。

 

「畜生、矢もまるで効いてねえぞ!」

 

ロビン・フッドの叫びにベオウルフが薄く笑った。

 

「当たり前だ。こいつは確かに魔神柱だ。だがそれだけじゃない。これはな、魔神柱の集合体さ」

「何…………!?」

 

李書文と戦っていたベオウルフは、李書文の拳を避けて一歩下がると、この化け物は二十八体の魔神柱、それらを一つに寄せ集めたものなのだと明かした。

 

「お前らに勝ち目はねぇよ。何せ、こいつらは倒すのも逃げ出すのも不可能なんだからよ」

 

サーヴァントが集まった程度では、どうあがいても勝てないのだ、とベオウルフは言う。

 

「そうかよ。でもま、生憎こっちだって色々負けられないのさ」

「無論だ。マスターは戦っている。ならば俺たちは負けるわけにはいかない」

 

アーラシュは弓を、ジークフリートはバルムンクを構えた。

東方の射手と竜殺しが並び立つ。絶望などするものか、とばかりの彼らである。

それを見て、ふんと鼻を鳴らしたのはニコラ・テスラだった。彼は、やおら隣で凍りついたかのごとく動きを止めているエジソンの向こう脛を、がつんと蹴りつけた。

 

「うお!何をするのだ、このすっとんきょう!」

 

火花飛び散るほどの勢いが込められた一撃に、たまらず脛を抑えるエジソンをテスラは放電しながらどついた。

 

「黙れ凡骨!貴様、何を呆けている!まさかあの科学の欠片もない魔神柱とやらに絶望したのではあるまいな!?」

「そ、そんなわけがあるか!」

 

がおうと食って掛かったエジソンに、テスラは魔神柱を指差して怒鳴った。

 

「ならば少しでも働け!頭を動かせ!凡骨の貴様には他にやり方はないだろう!神秘色濃い英雄どもに、アレを任せきりにするなど、許されるものか!」

「お前に言われなくても分かっている!アメリカに住まう人としてアレを許せるわけはないのだ!」

 

雷を地に引きずり下ろした天才は絶望の具現を前に吼え猛り、あまねく人々に灯りをもたらした発明王は折れそうになった自分を叱咤する。

 

「あー、もう。あなたたち!天才同士の喧嘩は結構だけど、今はそれどころじゃないのよ!ただの電気の力だけじゃ、この怪物は倒せないでしょう。力を合わせなさいな!」

 

エレナが叫び、テスラとエジソンは揃ってその剣幕に反応する。

 

「お前さん方。いがみ合ってないで、周りも見ちゃくれんかな!少しでいい、こいつらの動きを止めてくれ!そしたら俺が何とかできる!」

「…………貴公、何をする気だ?」

 

訝しげなジークフリートに、アーラシュはにやりと笑った。

 

「知れたことさ。俺は英霊で、カルデアのサーヴァント。やるべきことをやるべきときが来たのさ」

「ならば俺も手伝おう。貴公の攻撃に俺が合わせれば良い。気遣いはいらない。俺は頑丈なのが取り柄のサーヴァントだ」

 

雷鳴響く曇天の中聳え立ち、不気味に鳴動し続けるおぞましい魔神柱を前にして、アーラシュは何とかできると宣い、ジークフリートは一つ首肯してそれを信じた。

 

「おい弓兵。何をするかは大体分かるが、要するにあの化物を止めておけばいいのだな?」

「おう。頼むぜテスラ、エジソン」

「分かった!私に合わせろ、すっとんきょう!」

「貴様が合わせろ、この凡骨が!」

 

怒鳴りあいながらもテスラとエジソンは放電を始める。バルムンクを掲げたジークフリートが前に出、アーラシュは弓をきりきりと引き絞る。

 

「ちょっと何するつもりなの、アナタたち!?」

 

魔神柱からの攻撃を避けながら、エリザベートが言い、ロビン・フッドも矢を放ちながら肩をすくめた。

 

「まあ、乾坤一擲の一撃ってやつだろーぜ、ドラ娘。オレらはギリギリでタイミング合わせて退避した方が良さそうだ」

「そうしてくれ。生憎こいつらを吹き飛ばすには、手加減なんて無理なのさ」

 

何せ、これから発動する宝具は文字通りにアーラシュの命を対価とした一撃。

それを今からアーラシュは放つ。

矢へと魔力を高めながら、アーラシュはふと考える。

南部に行ったキャスターも命を対価にするという、己と似た宝具を持っていたようだが、彼女も必要なら宝具をこうして撃つのだろうな、と。

あのサーヴァントなら必要とあれば躊躇いなくやるだろう、と思い、同時に施しの英雄がさせないか、と思い至る。

端で見ていてすぐに分かるほど不器用な彼らには、彼らなりの優しい別れがあってほしいものだと思うが、それを楽観的に望めるほど南部も甘くはないはずだ。

アーラシュはマスターやカルナ、マシュたちより先にカルデアに送還されることになってしまうだろう。戦いの結末に留まれないのはサーヴァントとして失格かもしれないが、こればかりは致し方ない。

最後まで共にあれずに済まないな、とアーラシュは己の誠実なマスターに詫びを呟き、代わりにこれは何とかする、と己に誓った。

 

「さあ、月と星を創りしものよ。我が行い、我が最期、我が成しうる聖なる献身を見よ」

 

アーラシュの文言が紡がれると同時、ジークフリートのバルムンクが黄昏色の光を放ち始める。

 

「そうだ、ジークフリートくん」

「何だ、エジソン?」

 

たった今思い付いたように、ジークフリートの背中へエジソンが言葉をかけた。

 

「礼を言いそびれていた。―――――ありがとう。私にここまで付き合ってくれて」

 

ジークフリートは片頬を緩めて深く頷いた。

 

「では行くぞ。宝具、起動―――――」

 

エジソンの横でテスラも魔力を高める。

業腹だが、凡骨とのいがみ合いも今はさておく。この場に集いし英霊なれば、全力を以て目の前の絶望を打ち払わねばならないと、雷電博士は信じるからだ。

 

「―――――人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)!」

「―――――W・F・D(ワールド・フェイス・ドミネーション)!」

 

天才が神より手に入れた権能と夜の闇を照らした灯りとが光の束となって、魔神柱へと絡み付いた。ものの焦げる臭いが漂い、魔神柱の動きが完全に止まる。

新しき英雄たちの役目はここまで。後は任せた、と彼らはそこから退く。

 

幻想大剣(バルムン)――――」

流星(ステ)――――――」

 

代わって、古き二人の英雄が立った。

彼らの剣と弓は曇らぬエーテルで煌めき、空気を震わせる。

これが解き放たれればどうなるか、魔神柱にも察せられたのか軋むような音を上げ動こうとし始めるが、雷の戒めがそれを許さない。

 

「――――天魔失墜()ゥゥゥゥゥッ!」

「―――――一条()ァァァァッ!」

 

黄昏色の斬撃と、陽光そのものの如き矢が重なって打ち出される。

戦場で戦うものすべての希望を背負った一撃は過たず魔神柱へ突き刺さり、雲を切り裂く巨大な光の柱をその場に作り出した。

網膜を焼くような輝きが辺りを満たし、束の間誰も何も見えなくなる。

 

「やった…………の?」

 

目を覆っていた腕を下げてエリザベートが呆然と言った。

曇天が晴れ、空には再び青が戻る。

降り注ぐ日の光は、魔神柱の赤黒い巨体があったはずの場所に残る、抉れた地面を白々と浮かび上がらせた。

 

「うわ、こりゃすげぇ。…………あー、同じアーチャーとして自信無くしちまいますわ」

 

抉れた地を見て額に手を当てるロビン・フッドである。

何言ってんだ、とその肩を叩こうとして、アーラシュは己の手が崩れ始めていることを悟った。見れば、バルムンクを下ろしたジークフリートも足の先が透け始めている。

彼の宝具は一度撃ったらそれまでの類いではなかったはずだが、あちらも我が身を顧みない一撃を放っていたのだった。

 

「いくのね、アーラシュ、ジークフリート」

 

エレナが彼らの有り様に真っ先に気づいた。

 

「来たところに戻るだけさ。こっから先、うちのマスターに何かあったら頼むぞ」

「…………すまない。どうやら、今回俺はここまでのようだ」

「分かったわ。あとね、済まないって言われなきゃならないことなんか何もないわよ、ジークフリート。ここまでありがとう。またいつか会える日を祈ってるわ」

 

じゃあね、とエレナが手を振る前に、爽やかに笑って見せた二人は、あっさりと金の粒子となって天へ昇っていった。

あとに残るは、李書文と相対したままのベオウルフだが、ひとまずこちらはどうにかなった。

 

「カルデアのマスター、あたしたちは大丈夫。そっちはどうなのかしら」

 

信じてるわ、と再び元気にどつきあいを始めた天才たちの騒ぎを聞き流しながら、エレナは遥かな空を仰ぎ見た。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

鎧を纏ったクー・フーリンは、耐久力と、加えて筋力が上昇したようだった。

代わりにあの心臓穿ちの槍は使えなくなったのか、クー・フーリンは鎧を纏ったままに爪で攻撃してきた。

カルナの槍やラーマの剣も当たりはするのだが、鎧を一撃で砕くには至らず、多少の破損は一瞬で治るどころか、むしろ補修されて鎧は凶悪な見た目となっていた。あの鎧の材料となっている怪物、クリードとやらに徐々に近づいていっているのかもしれない。

カルナやラーマでもそうなのだから、ナイチンゲールやシータ、キャスターの攻撃は言わずもがなである。

故に、勝つには鎧ごと跡形もなく吹き飛ばす以外にないか、とカルナは判断した。

幸い、自分にはそれだけの破壊力を出せる宝具はある。一度きりの大技であり、カルナの守りとなっている鎧を失う行為だが、惜しんでいて勝てる相手ではないと判断したのだ。

爪の一撃一撃を捌きながら、カルナは白斗へ念話を飛ばす。

 

『マスター、宝具を使用する。許可を』

『分かった。―――――令呪を以てカルナに命ずる、宝具を使用してクー・フーリンを倒せ。…………頼んだよ、カルナ』

『心得た』

 

カルナに令呪からの魔力が送られるのを、気配探知に最も長けたキャスターがいち早く察知する。

そうか、とキャスターはこれからカルナが勝負に出るのだと、すとんと察した。

カルナとラーマが立ち位置を交代する。クー・フーリンは宝具の真名解放を悠長に待ってくれる相手ではなく、カルナが宝具を放つまでのわずかな間、クー・フーリンを凌がねばならない。

投擲の構えをとり、魔力を集束させていくカルナを見てクー・フーリンは一層苛烈にラーマとナイチンゲールを攻め立てる。宝具の発動前に食い破るとばかりに、鎧の爪が二人を襲う。

それを避けるべく盾を構えたマシュが割って入ってその攻撃をいなす間に、シータの矢がクー・フーリンの目へ放たれ、スキルランクにしてAのキャスターの呪術の一斉掃射がクー・フーリンに余さず叩き込まれた。

しかし、並のサーヴァントならただでは済まないはずの連続攻撃から、雄叫びを上げて狂王は飛び出す。

 

「キャスター、シータ、避けろ!」

 

白斗が叫ぶが、そのままクー・フーリンの尾の一振りがキャスターとシータに襲い掛かり、二人の華奢な体躯を吹き飛ばした。瓦礫の中へと彼女らは砲弾のように突っ込み、もうもうと立ち上る土煙の向こうへその姿が消える。

まだなのか、と白斗が唇を噛み締めた瞬間、戦場に光が降臨した。

 

「神々の王の慈悲を知れ」

 

爆発的な魔力とは裏腹に、真名を唱えようとする声は微塵も揺らいでいなかった。

 

「インドラよ、刮目しろ」

 

キャスターはその光を、シータと共に瓦礫の中から立ち上がりながら見た。

正しく神すら焼き尽くすだろう槍の光があまりに眩しかったからだろう。キャスターの目に涙が滲んだ。

 

「絶滅とは是、この一刺。―――――焼き尽くせ、『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』!」

 

槍が放たれ、世界から音が消える。

マシュは白斗を庇い、キャスターにシータ、ラーマとナイチンゲールは爆風に晒されながらも彼らの足でその場に立ち続けた。

槍に狙われたクー・フーリンは、光へと飲み込まれる。飲まれる瞬間、キャスターには彼が頬を歪めて笑ったようにも見えた。

そして光が収まったとき、そこには半ば以上体の消し飛んだクー・フーリンと、全身から鎧が剥がれ落ち血を流すカルナの姿があった。

漏れそうになった声を押さえ、キャスターはカルナへ駆け寄る。

 

「傷、ですか」

「ああ。あの槍を撃った代償だ。治せるか?」

 

無言で頷き、キャスターはカルナの全身へと橙色の焔を纏わせる。

焔がカルナを癒す間に、キャスターはまだ原型を残すクー・フーリンの方へ視線を向けた。

クー・フーリンはひどい有り様だった。鎧は跡形無く砕け、残っているのは頭と右手足だけ。体の半ばすら吹き飛んでいた。

だというのに彼はまだ生きていた。というより、驚嘆すべきはあの神殺しの槍を受けて命を保ち、体がまだあるという事実、そのものだ。彼の生来のしぶとさなのか、それとも土壇場で聖杯を使ったのか。

ともあれ彼はまだ命があり、その最後を振り絞るように今度こそ凶悪に笑った。

 

『不味い、彼を止めるんだ!』

 

だが、ドクターの静止の声より前に、クー・フーリンが千切れかけの腕で聖杯を掲げた。

 

『魔神柱を召喚する気だ!』

 

精々足掻けよ、とばかりの不敵な笑みを残し、クー・フーリンは今度こそ消滅する。しかし、彼と入れ換わるように赤黒い肉の柱が顕現した。

 

「あれが、魔神柱…………」

 

キャスターはクー・フーリンを取り込むようにして現れた柱を仰ぎ見て呟く。

ぎょろりとした眼で全身を覆ったおぞましい外見の柱は、その声が聞こえたかのように全身を振るわせた。

 

「如何にも、我はソロモン七十二柱が一柱。序列三十六位、軍魔ハルファスなり―――――」

 

喋るのか、とキャスターは場違いにも素直に驚く。

 

「この世から戦いが消えることはない。この世から武器が消えることはない。定命の者は螺旋のごとく、戦い続けるが運命なれば―――――」

 

軍魔ハルファスはその言葉を発すると共に、白斗たちへと襲いかかった。

 

 

 

 

 




要するに、ステラの話です。(違う)


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act-23

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。


思えば自分は、人より少しばかり色々とあった人生を歩いた。

人間、化物、悪鬼、怨霊、英雄、怪物、精霊等々、たくさんのものに出会った。そう言えば最期には直に神々にも相見えたっけ、と思い出す。

幾日幾年経っても忘れられない、心に焼き付くほど綺麗なものも、目を背けたくなるようなものもたくさん見た。自分はそれらをしっかりと覚えている。

そして己の記憶の中でも、『これ』は一段と嫌なモノだ、とキャスターは思う。

神の名を冠する、魔神ハルファスを名乗ったのは、どこからどう見ても目をびっしりと貼り付けた肉の柱であった。

記憶する神々とはずいぶん見目形が違うけれど、神なんて様々な形を取るものだから、広い世間にはこういう神もいるのだろう。

あれを葬れば、今度こそ戦いが終わる。人の形をしたものの壊し方ならキャスターはよく知っているが、生憎、肉でできた巨大な柱という敵は向かい合ったことがなかった。

あれを消すのは自分には無理だろう。手持ちの宝具の威力がどうこう、相性がどうこうというのもあるが、自分はサーヴァントとしての霊核を削りすぎている。ならば、他の皆、あれを薙ぎ払えるだけの火力を持つ人たちが出来るように戦うか、と即座に決めた。

真名を発動する類いでないとはいえ、宝具を使い続けた代償か、キャスターの心臓は一打ちごとに軋むが、それは誰も彼もが同じだろう。この場で傷を負っていない者はいないが、膝を折っている者もいない。

サーヴァントたちとマスターを数多ある眼で凝視し、魔神柱は声を発した。

 

「我は闘争を与えるもの。魔神ハルファスなり」

 

言葉と共に、ハルファスの足元の地面から飛び出していた水晶の如き巨大な結晶が割れ、炎が吹き出した。

白斗たちに波のように殺到するのは禍々しい濁った暗色の炎。あらゆるものを焼き尽くす、焼却式ハルファスが発動されたのだ。並の宝具を凌駕する威力を持つ、炎の濁流を前に、白斗は令呪の刻まれた手を握り締めた。

 

「マシュ、宝具を頼む!」

「はい!―――――仮想宝具 疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)!」

 

白斗の手からまた一つ令呪が消え、サーヴァントたち全員を護るようにマシュの盾が輝き炎を防ぐ。そのわずかな間に、ナイチンゲールが手を振り下ろした。

 

我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ(ナイチンゲール・プレッジ)!」

 

展開される癒しの宝具により、皆の傷が消える。

神殺しの力を失ってただの大槍へと成り果てた槍を掴んだカルナが、不滅の刃となりうる剣を握ったラーマが立ち上がる。

今、白斗の手にある最後の令呪は残り一画。これを使って魔神柱を跡形無く消し飛ばす以外無いだろう。

カルデアからのバックアップがあるとはいえ、魔力を何度も吸い上げられた白斗も最早限界に近い。

膝は笑っているし、頭は締め付けられるように痛くて、手も震えそうだ。だけれどまだ立てるから、最後のマスターはデミ・サーヴァントとここにいる。

 

「これで最後だ。―――――令呪を使う。カルナ、魔神柱を倒して」

「了解した」

 

令呪が消え、カルナへと魔力が吸い込まれた。同時、マシュの盾の光がいよいよ薄れ、焼却式が押し始める。

それでも尚、ナイチンゲールは鋭い眼光の光そのままに白斗を見据え、シータとラーマは共に頷きあい、カルナは無言で槍を構えて佇み、キャスターは何かを推し量ろうとするかのような静かな眼で魔神柱を見ていた。

決意している者こそいれど、ここには絶望なんてしている者は一人もいないのだ。

マシュの盾が、ついに綻び始める。焼却式の熱が伝わり、白斗は肌が焼かれるのを感じた。

 

「皆さん!」

 

マシュの声と共に盾の守りが無くなる。それを合図に、彼女の背後からサーヴァントたちが飛び出した。白斗を抱え、マシュは素早く退避する。

武器を手にして迫る彼らを前に、ハルファスは大きな瞳を一斉に蠢かせた。

 

「今もって我ら不可解なり。汝ら、幾度も互いを赦し高め尊び、されど慈愛に至らず孤独を望む」

 

呪うように、吟うように言葉を紡ぐハルファスから再び炎が溢れ出、令呪の加護を宿したカルナへ襲い掛かる。カルナには最早鎧はなく、それでも彼は気にせず突貫する。

カルナが炎に飲まれんとした直前、彼の周りをハルファスのそれとは似てもにつかぬ、暖かい色の焔、夜闇に輝く灯りにも似た色をした焔が守った。

 

「―――――行って」

 

囁き声と共に焔が白い光を帯び、翼を広げた鳥のように横に広がる。焔はサーヴァントたちの守りとなりながら、焼却式ごとハルファスを押し止めた。

焔の宝具は、ここで奇跡的にも焼却式と拮抗した。焔は仮にも神から授けられた力であるが故に、魔のモノとはいえ、神でもあるハルファスの炎に一瞬だけでも抗うことができた。

とはいえ、それは本当に一瞬のこと。

焔は押され、キャスターはよろける。単純に半分は人の子であるキャスターでは、魔神に対抗できるほどの力はないからだ。

口惜しいとキャスターは思うが、それでも彼女は役割は果たした。

魔神柱の瞳が、ぎょろりと動いて自分に据えられたのをキャスターは感じた。

 

「その抗い、その足掻き、正しく愚かなりし人の子である」

 

だから何だ、とキャスターは魔神柱をにらみ返す。

滅びを是とせず抗い続けるのは、何も特別なことではない。真っ当に人らしく、人として生きるなら、誰だってどうしたって心に譲れないものを抱くだろう。そう信じているから、魔神柱を前にしてもキャスターの心は後ろには下がらない。

しかし、人の意地を意に介さない、介せないモノが魔神と呼ばれるのである。

 

「もはや我らの理解は彼岸の果て。我、死の淵より汝らの滅びを処す。平和を望む心を持つ者たちよ、汝らは不要である……!」

「それはこちらの台詞です!争いの螺旋はいつか終わるもの!いや、終わらせることがサーヴァントたる私の使命だから!滅びを定めとするお前を許さない!」

 

故にこの世界から退け、魔神柱とナイチンゲールが叫ぶ。

魔神を目にしても彼女は折れず、曲がらず、それを見てラーマは苦笑した。

 

「全く頼もしいな、婦長殿。この地へ来てから、余は驚かされっぱなしだ」

「でも、それは良いことだったでしょう。ラーマ様」

 

すぐ傍らを共に走りながら、シータはラーマに言う。森の木陰のように穏やかな、場違いな物言いにラーマは優しく微笑んだ。

 

「そうだな。皆のおかげで、こうしてシータにも会えたのだからな」

 

だからその縁に報いよう、とラーマはシータと共に最後となるだろう宝具を起動させた。

 

「穿ち貫け。―――――羅刹穿つ不滅(ブラフマーストラ)!」

 

時同じくして、もう一人の英雄が宝具を動かす。高々と掲げられた槍は炎熱を纏う。

 

「受けとれ、魔神柱。――――梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)

 

二つの超級宝具が放たれ、魔神柱を食い荒らした。

光の輪と矢が柱を深く切り裂き、胴に突き刺さった槍から溢れた炎が魔神柱の目を溶かす。魔神柱は身をよじって炎を吹き出すが、宝具の火が巨体を舐め尽くす勢いが早かった。

魔神柱は獣の断末魔にも似た、耳の奥の柔らかい部分に爪を立てるような叫び声を上げ、末期の動きで地を揺さぶった。マシュは白斗を庇い、各サーヴァントも足で地をしっかりと踏み締めた。

そうして最後に、一際大きな、甲高い金属をかきむしるような音をたてて、魔神柱は消えていった。

 

燃え盛る炎が止んだ後には、黄金の器が一つ転がっている。魔神柱復活の気配はなく、そこでようやく全員は息をついた。

瓦礫の中でも色褪せない金の輝きは確かに見事だったが、キャスターにはちっとも綺麗とは思われなかった。

マシュが盾を構えて警戒しながら近より、聖杯を拾い上げる。

 

「聖杯、回収しました。―――――任務、完了です」

 

マシュは言って、辺りを見渡した。

ホワイトハウスと周りの建物は、とうの昔に戦闘の余波で瓦礫と化し、白斗はナイチンゲールに支えられ、マシュの側まで来る。

 

「マシュさん?どこか怪我を?」

 

気づけば、マシュのすぐ横にはキャスターが来ていた。彼女が顔を隠していた丈の長い灰色の布も襤褸布となっていて、今の彼女は素顔を晒していた。

白い顔は砂と血と粉塵で薄汚れてこそいたが、強い光を宿した青い目はいつも通りにマシュを見ている。

 

「いえ、ただあまりにこの戦いは犠牲があったと思って―――――」

「それは、気に病む必要はないことだぞ」

 

キャスターの隣から、槍を下ろしたカルナも現れた。こちらも黄金の鎧は剥がれ、幽鬼のように細い体躯となっている。傷はすべて治っているが、それだけに一層か細い体格が露になっていた。

 

「オレたちは戦いのためにここに来た。サーヴァントたちの犠牲を悼むのは必要だが、悲しみに囚われすぎるのも良くはない。彼らは、自分たちらしく戦ったという事実が記憶されることを望むだけだろう。…………どうした?」

 

最後の一言は、横で首を傾けて聞いていたキャスターに向けての一言だった。

 

「いえ、ちゃんと伝えたいことを余さず言えていますね、と思って」

「お前は……」

 

カルナは嘆息するように頭を振る。が、白斗には彼が心底呆れているようには見えなかった。

 

「気にするところはそこか。最後、白い焔を撃ったのは見ていたぞ」

「……ええ、はい、無論約束を破ったのは謝ります。でもあれは、不可抗力ですっ。鎧がないのに魔神柱の炎に突っ込んだのはどこの誰ですか」

 

今この瞬間消えていないのだから勘弁してください、とキャスターはしれっとした顔で肩をすくめる。

命を削って散々に戦った後だというのに、飄々としている態度に白斗は苦笑いしかけ、そしてあることに気付いてその笑みが凍った。

キャスターの足の先、そこがゆっくりと金の粒子となり始めていたのだ。

白斗の視線に気付いたキャスターは自分の有り様を見て、ふう、と息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

ふむ、とエレナは通信機から漏れでる音を聴いて判断した。というより、もう結末は分かっていたのだから、今のはただの確認だった。

 

「どうやらあっちは終わったみたい。あたしたちの勝ちよ」

 

その言葉にサーヴァントたちは各々別な反応を示した。

まず最初に、ベオウルフと戦い、これを下した李書文がどこへかかけ去った。

あの風来坊のようなサーヴァントは正直最後までよくわからなかった。残された方のベオウルフは、いかにもやる気なさげに空を仰いでいた。

 

「ったく、女王に呼び出されるわ下らねぇ命令ばっかり聞かされるわ、今回は貧乏くじ引いちまったか?」

「知らないわよ。まあ残念だったわね。次があるならカルデアのマスターに召喚されるよう祈りなさいな」

「ま、確かにそっちの方がおもしろそうだな―――――」

 

ベオウルフはそう言い残してあっさりと消えた。

続けて、それを見ていたエリザベートとロビン・フッドから泡立つように金の粒子が立ちのぼり始めた。

 

「あー、疲れた。次あるなら、今度はマスターの方に行きたいわ!もう喉がダメになりそうよ!マネージャー、水あるかしら?」

「マネージャーってオレかよ?!というか、こちとら耳がもう千切れそうなんだが」

「何よ、アタシの歌に、何か言いたいことあるの?緑ネズミ」

 

ねえですよ、と肩を落としてから、エレナにじゃあなと手を振ってロビン・フッドが消え、どこか納得がいかなさそうに首を捻っていたエリザベートも消える。

元より彼らは特異点に繋ぎ止められていたサーヴァント。特異点の修正により杭が外されれば、彼らはもやい綱を解かれた船のように去っていく。また何処かで良いマスターの力になれれば良い、と願いながら。

サーヴァントであるエレナも、それからまだぎゃあぎゃあと喧嘩している天才たちもその決め事からは逃れられない。

あの天才たちは爪の先っぽくらいは歩み寄ったりできないのか、と思うが、無理だろうなともエレナは確信している。

それでも、エレナは彼らに声をかけた。

 

「ちょっとあなたたち、直流交流のどっちが良いかなんて論題は、もうカルデアに行ってマスターにでも裁定してもらいなさいな」

「ふん、それは良い。尤も、結果など分かりきっているがな!」

「それはこちらのセリフだ」

 

勝手に名前を使って悪いわね、とエレナは心の中で白斗に詫びる。無理難題を押っつけたかもしれないが、とりあえず、こう言っておけば彼らがカルデアで召喚される縁の一つにもなるかもしれない。

 

「しかしまぁ、とんでもない光景だな。……ここでは我々で最後か」

 

誰もいなくなり、穴ぼこだらけになった荒野を見渡しながら、エジソンが言う。

 

「その様よ。良かったわ、世界はまた救われたみたいね。色々あったけど、最後くらいは笑いましょうよ」

 

エジソンは頷き、テスラはふんと腕組みし、二人とも共に金の粒子となって存在がほつれていく。

最後までかしましかったエジソンとテスラも消えた。どうやらこの戦場の殿は自分か、とエレナは空を見た。

本音を言えば、あのインドの呪術師と魔術師としての会話ができなかったことが、少しばかり残念だった。

古のインドの呪術にはとてもとても興味があるし、あの呪術師の性格からして、かなりの秘技でもさして拘わらずにあっさり教えてくれそうだったのに。

 

「次に会えたら良いのだけど」

 

願わくばそこがカルデアで、あのマスターのサーヴァントとして出会えればいい。

そう思いながらエレナも『座』へと還っていった。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

『皆、時代の修正が始まるよ』

 

落ち着いているような、そうでもないようなドクターの声が通信機から聞こえた。

白斗に肩をかしていたナイチンゲールは、マシュに白斗を預けるとついに拳銃を仕舞う。そのまま彼女は、顔にかかった髪をかきあげて白斗に手を差し出した。

 

「感謝します、マスター。あなた方の協力があり、私は己の使命を果たすことができました。どうか感謝を受け取ってください」

「……それは、こっちが言うことだよ、ナイチンゲール。本当にありがとう」

 

白斗が心を込めて礼を言った。

戦えないマスターの役目はサーヴァントを信じて、最良と思い続ける采配を振ること。

ここでの戦いは一先ず終わりなら、信じてくれたサーヴァントに礼を言うべきはマスターの方だ、と白斗は思っているのだ。

筋道通った助力を乞われたなら、誰にでも力をかすのがカルナだがそういう在り方は好ましいと素直に考えている。

 

「これから先も、あなた方の道は辛く厳しいでしょう。ですがあなたとマシュさんなら、きっと道の終わりにまで辿り着けるでしょう」

 

あなたたちを信じています、という言葉を残して、鉄の看護師は別人のように穏やかに笑って旅立った。

 

「我らもマスターに感謝を。シータと会えたこと、余にとっては至上の喜びだ。いつかカルデアで再会できることを願っている」

「私もラーマ様と同じです、マスター。ではまたお会いしましょう」

 

瓜二つの面差しを持つ理想王と伴侶の姿も、手を取り合って薄れて消えていく。

輪郭が朧になる寸前、シータが小さくキャスターに向けて手を振り、キャスターもそっと手を振り返すのをカルナは見た。

そして彼らも跡形なく、いなくなる。

 

「どうやら、私が最後のようですね」

 

金の粒子を纏わりつかせ、キャスターが呟いた。

彼女は、恐らく最後にこの大地に喚ばれた野良サーヴァント。そのためなのだろう。消えるのも最後になったようだった。

 

「……キャスターも、もういくの?」

「はい。もう、時間です」

 

英霊の『座』ではない何処かへ、彼女はまた行かなくてはならない。

別れに哀しみはなく、誰も涙は流さない。が、ただどうしようもなく寂しかった。

三人の視線を受けて、キャスターはちょっと考え込むように目尻を下げ、やおら髪を束ねていた金の輪を外した。長い黒髪が扇のように広がる。彼女はそれをカルナに差し出した。

 

「これを。良ければ触媒にでもしてください」

 

生きていた頃、いつかに渡した飾りをカルナはキャスターから受け取った。

 

「大事な物だから、あなたに預けます。次会ったとき、ちゃんと返してくださいね」

「分かった。お前が取りに来るまでオレが預かっておこう」

 

こっくりとキャスターが頷いた。

既に彼女の輪郭は薄れており、カルナたちもカルデアからの引力を感じていた。彼女と彼の道は一時交わって、また離れる。

思えば、かつての別れは訳も分からなかった。気付いたら側にいた彼女は消えていた。

彼女が最期にどんな顔をして逝ったのか、カルナは何度も想像したがどうも上手くは行かなかった。どうしても穏やかな顔が思い浮かばなかったからだ。

けれど、今、キャスターは微笑んでいた。日溜まりを思わせる、穏やかで優しい笑顔だった。

その笑顔を見て思う。ずっと心の何処かで気になっていたのだ。武人である自分といて、人と戦うたびに自分の一部も傷つけ、殺してしまうような質の彼女が、幸せだったのかどうか。

あなたには洞察力がある、と彼女に何度も言われてはいた。が、どうも自分は彼女のすべてを見抜けなかったように思う。何故なのかは今持っても分からない。

ただ、現金なことに、笑みを見ただけだというのに何とはなしに救われた気分になった。

幸せだったのか否か、などと聞くのは、彼女にとってはきっと全く意味のない問いなのだ。それがやっと分かった。

 

「そういうわけで、二回目ですがまたお別れですね。マスター、マシュさん。どうか、次会うときまでお元気で。あと、ドクターさんにもよろしくお伝え下さい」

「……うん。キャスターもね」

「はい、いつかお会いしましょう」

 

マシュと白斗にさよならと手を振って、キャスターは最後にまたカルナの方を見た。

 

「ではカルナも。どうか、元気でいてくださいね」

 

明るく軽く言い残し、風と共に彼女はいなくなった。手のひらの中の金の輪を残して。

 

『皆、備えてくれ。―――――レイシフトが始まるよ』

 

ドクターの声のほんのすぐ後、全員の視界が暗転する。みるみるうちに日の暖かみが遠のいたかと思うと、白い光の中へと吸い込まれる。彼らの行き着く先は、カルデアである。

そうしてこれが、第五の特異点修正の終わりとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




次回は終章です。



さてここで作者から一言。

Q,新章開幕に付き物なのは?

A,ピックアップガチャ(オイ)


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終章

ちょっと早く書けました。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。

それではどうぞ。


第五の特異点修正が終わり、これで特異点は残り二つとなった。

スタッフ含めカルデア内は喜びに沸いたが、まだ何も気は抜けない。次なる特異点が待ち受けているからだ。

ともあれ、白斗とマシュは『流星一条』を放ったためにカルデアへ送還されていたアーラシュと再会して彼から無事を喜ばれたり、聖杯をダ・ヴィンチちゃんに預けたり、と様々なことに追われた。

それが一通り終わったある日のこと。

 

「新たなサーヴァントを召喚しようと思うんだけど」

 

と、白斗がサーヴァントの集うカルデアの談話室にて言い出した。

朝早いこともあって、辺りは人影もまばらだった。

 

「そう。ちなみに、聖晶石はあるの?」

 

白斗の目の前に優美に座り、白斗の出した術式の書かれたノートを採点してくれているメディアが尋ねた。メディアからの課題をこなすため、ついさっきまで自室で資料に埋もれかけていた白斗である。

 

「はい。第五特異点や種火集めとかで貯めましたから。あと、ダヴィンチちゃんからの呼符もありますね」

 

白斗の隣に座っている、研究員の服を着たマシュが眼鏡を押し上げながら答えた。

 

「あら、あなたたち、あの第五特異点で聖晶石までも集めていたの?いつもながら根性あるわね」

「集めたって言うか…………全部偶然拾ったやつだよ」

 

探している暇など無かった。

アメリカ大陸を生身で東奔西走など、もう二度としたくない。というかやるべきではない。時間的にも体力的にもあれは不味かった。

次の特異点がどこかにもよるが、判り次第、何か乗り物を持ち込めないかダヴィンチちゃんとドクターに相談し、駄目ならまともな戦車に乗るライダークラスのサーヴァントに最初からついて来てもらおう、と白斗は決意していた。

 

「マスター、言うまでもないけれど、サーヴァントを召喚するのはあなた、契約するのもあなたよ。でも、私の個人的な意見を言わせてもらえるなら、備えとして、多少なり戦える回復役が一人……いえ、二人くらいはいても良いんじゃないかしら?」

 

採点する手を止めず、顔も上げずにメディアは言い、白斗は頬をかいた。

未熟な魔術師の考えなど、師にはとっくに分かっていたらしい。あるいはこれは魔術師というより大人と少年の差、だったろう。

 

「ああ、それと。マスターがあのキャスターを召喚したいなら、本人が残したって言う触媒を施しの英雄に持たせて、召喚サークルの近くに置いておくことを進めるわ」

 

真っ赤になった白斗のノートを返しながらメディアが言う。

 

「カルナを?」

 

ノートを受け取って白斗は首を傾げた。

黒い髪のキャスターの残していった髪飾りは、現在はカルナが持っていた。特異点から帰ってもカルナは何も言わないけれど、彼がそれを時折懐から取り出しては、手のひらの上で転がして眺めているのを白斗は知っている。

さらに言えば、どこから話を聞き付けたのやら、シェイクスピアが嬉々としてカルナに絡もうとして、カエサルやヘクトールたちにどつき回されたのも、それからもシェイクスピアはこれっぽっちも懲りていないことも、白斗はちゃんと知っていた。

 

「そうよ。あのキャスターにかかった呪いから施しの英雄は外れていて、生きていた彼女の記憶を持つのは彼一人なのでしょう?」

「そのはずです。……あ、カルナさんの記憶を縁に召喚するのですか?」

「ええ。正確にいうなら、記憶というよりあの英雄そのものを道標にする感じかしらね。カルデアは万事に揺らぎの多いものだから、触媒とあのキャスターと所縁の深い英雄。二つがあるなら、成功の可能性もあると思うわ。―――――いずれにしろ、私からはここまで。あとはあなたたちでやってみなさい」

 

メディアは空いた椅子を残して立ち去っていった。

白斗はマシュの顔をそっと見、眼鏡越しに目があった。

 

「……召喚、やろうか、マシュ」

「はい、先輩。まずカルナさんを探しましょう」

「そうだね。あと、ドクターにシステムの使用許可も貰わないと」

 

置物みたいに召喚サークルの近くにカルナを据えて召喚システムを動かす、という光景を同時に想像して、不思議と吹き出しそうな気分になりながら、マシュと白斗は頷き合った。

そこでふと、白斗はあることに気づいた、というか思い出した。

 

「そう言えば、カルナに縁があるサーヴァントってキャスターだけじゃないよね。俺たちは会ってないけど、アメリカにはアルジュナもいて戦ったって……」

 

カルナとアルジュナ。別名は施しの英雄と授かりの英雄。

資料を参照する限り、この二人は出会っていきなり争いを始めかねない宿敵同士だし、カルナ本人も彼との戦いは避けられないと言っている。

その彼らが召喚システム・フェイトのある部屋で鉢合わせ、という光景をまたも白斗と同じく想像してしまったマシュは、ずれた眼鏡を慌てて直しながら答えた。

 

「だ、大丈夫ですよ、先輩!カルナさんとキャスターさんの幸運値……はちょっと低かったですね。……ええと、ご自分の幸運を信じて下さい!」

 

少しだけ言い淀んでから、マシュはむんと両の拳を胸の前で握った。

 

「そう、だね。じゃあ行こうか、マシュ」

「はい!」

 

カルナはどこにいるかなあ、と白斗が言い、サーヴァントの皆さんに聞いてみましょう、とマシュが応じながら彼らは部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

目を開けて、閉じる。

その動作だけで分かった。自分が元の場所に還ってきたらしいということを、だ。

『ここ』は真っ暗闇過ぎて、目を開けていようが閉じていようが何も変わらない。何も見えないのだ。『ここ』では焔も使えないから、明かりもない。

『ここ』が何処なのかを自分ははっきりとは知らない。世界のどこか外れにある、魂が虚空へ消える手前の空間、とでも言えるだろう。

己の体と辺りに蟠る闇との区別は、ともすれば危うくなる。その境目がつかなくなったときは正気が尽きたとき。恐らく、そうなれば魂は闇に溶けてしまう。

一度闇に溶ければ、心は漂白されて魂は何処かへ流れるだろう。そういう予感がする。もしかしたら、転生だってするかもしれない。

それをしないのは、自分がその気になれないから。生きていたときのことは、覚えておけるなら覚えておきたいからだ。

 

「今回……私は役に立てたのでしょうか。そうであったなら嬉しいのですけれど」

 

膝と思われる部分に淀む闇を抱え込む。

瞼を閉じれば思い出す。カルナに、マスターやマシュさんを始めとした、特異点で会った人々の顔。

遠く離れても思い出せるあの人たちは、折れない瞳をしていた。

本音を言えば、別れは寂しかった。あそこでは悟られないように笑ったが、ここの暗闇は静かすぎて果てしないと知っているから。

しかし、カルナのことを、あの人たちのことを思い出せるなら、まだ自分は頑張れるかと思う。ここにいる敵は、詰まる所は孤独に負けそうな自分だけなのだから。

頑張っていられるうちに、また何処かへ喚ばれたいものだ、と思う。

自分の笑顔は自分では見られない。でも、人の笑顔を見るのは好きだから、願わくばそういうものを守れるようなサーヴァントとして喚ばれたいと思う。といっても、サーヴァントは戦う存在として喚ばれるのが常だから、自分の期待は些か以上に呑気だ。

きっと、望まぬ戦いに行けと命じられることもあるだろう。それでも、夢を見るのは自由だ。

 

 

ふと、あることを思い出して頭と思われる部分に触れれば、いつもは纏めてある髪が指に絡み付いた。最後の最後に置いてきた飾りは、ちゃんとあちらに残ったらしい。

 

「上手くいったんですね」

 

実を言うとあの場で渡したとき、こちらは本気半分、気休め半分だった。

しかし手元から消えたのなら、いつになるかは分からないけれど、絶対返してもらいにいかないといけない。そうでないと、自分は嘘つきと約束破りになってしまう。

 

 

唐突に、瞼が重いと感じる 。

疲れたのならば、睡眠を欲するつくりになっていた肉のある体は、もうこの世にもあの世にも無く、今は魂だけのはずなのにとても眠かった。

色々と無茶をしたからかな、と思い当たる。

少しだけ、ほんの少しでいいから眠りたくなった。

眠るのは楽だろう。眠っている間、すべて忘れていられるから。

起き続けているのは辛いだろう。闇に潰されそうになるから。

己がどちらを選ぶのかと言えば、元から決まっているわけで。

自分は膝を抱えていた手を離して立ち上がる。立ち上がって歩き出す。闇に果てはないから、歩く先には何もない、現世での夜のように、歩いているうちに日輪が差して、道を照らしてくれることもない。

でも、何もないからといって止まり、眠っていいことにはならないのだ。

歩き続けていれば、少なくとも眠りはしないだろう。幸い、自分は歩きながら寝てしまうほどにはまだ疲れていない。

 

 

己の足すら見えない空間を進む。

そうしていると、進んでいるのか戻っているのかも分からなくなる。歩くというより、漂うという方が正しいかもしれない。

尤も、生きているときでも自分は大体そういう感じの人間だった、と思う。

生きていたいなら進み続けていないといけないと、そうでないなら自分だけが生きている哀しみに押し潰されるからと、母を亡くした幼い頃に思い詰めた。

ひょっとしたら己には、元から人間味なんて自分で思っているほどにはなくて人形のような人間かもしれない。

一人でいると、自分の裡にはそういう暗い想いも燻る。

だが、そういうときはこれまで会った人々と彼らの笑顔を思い出せば、春の日に照らされているような気分になれる。

人にすがる己が、果たして英霊と呼べる存在なのかは分からない。

そも、生きているとき、自分は神の定めは変えられなかった。カルナは悲劇の英雄になって、仕えていた王は邪な存在として名を残すことになった。二つとも、元から己だけではどうにもできないことだったろうが、それでもやるせないのは確かだ。

それを思い出すと悔しくて辛くなる。でも、振り捨てたい過去と思ったことは一度もない。

自分は自分としてここに存在している。現世に喚び出されて、生者に手を貸すこともできる。だったらまあ、まだ闇に溶けている場合じゃないと思うのだ。

真っ直ぐに生きとし生ける人たちに幸あれと、そう感じていられる間は、自分はサーヴァントとしてあり続よう。

そうやって、『正しく』あり続けていれば、またいつかカルナにも他の人々にも会えるだろう。

 

と、そういう風につらつらと考えて足を動かし続ける。何せここでは暇なのだから、考え事が捗るのだ。

緩慢な歩みは数秒かもしれないし、あるいは数日かもしれなかった。

そうして歩き続けていた先に、何もないはずの闇の彼方に、針の先ほどの小さな光がぽつんと灯っているのが見えた。

はてさて、自分は更なる奇跡を願ってもいいのだろうか、と足が自然と止まった。

光は細く、まさに針で突いて開けた穴のよう。瞬きすれば消えてしまいそうだった。

そう思ったら、もう勝手に足が走り出していた。おかしなことに今なら、自分が確かに前に進んでいると分かった。

走れば走るほど、近付けば近づくほど光は強くなっていくようだった。針先だけの大きさのか細さから、次第に星の光か、はたまた太陽かと思えるほどに、大きくなっていく。

走りながら手を伸ばし、光の中へと入っていく。視界が白く塗り潰されていくが、不思議と怖いとは思われなかった。

最後に一度、誰かに腕を引かれた気がして。

そこで、自分の意識は白く染まった。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

マスターが召喚絡みのことで探している、とカルナが聞かされたのは、彼がさして目的もなくカルデア内を歩いていたときだった。

誰かを召喚するのだろうかと呟けば、知らせを持ってきた、最近カルデアに入ったばかりのサーヴァントであるジェロニモは額を押さえた。

ちなみに、ジェロニモとカルナはアメリカでそれほど交流があったわけではないが、律儀な彼は、黒い髪のキャスターが殿になったことで自分やラーマがクー・フーリンから逃げられたことを覚えているらしく、時々カルナを気遣う素振りを見せているサーヴァントである。

ともかく召喚システムのある部屋まで行けばいい、出来ればシェイクスピアに会う前に、とジェロニモに言われ、カルナはすぐに向かう。

 

「遅れたか?マスター」

 

システム・フェイトのある部屋には、聖晶石の入ったトレーを足元に置いた白斗と、万一に備えてサーヴァントの装備に身を固めたマシュがいた。

 

「ううん、全然。えと、これからキャスターを召喚しようと思うんだ。だからちょっと、カルナに手伝って欲しいんだけど」

「……カルデアのシステムでは狙ったサーヴァントを召喚することは、出来なかったのでは無いのか?」

『うん、普通ならそうさ。でも今は触媒も聖晶石もあるから、やってみようって白斗くんが言うんだ』

「……そう、か。ありがとう、マスター、ドクターにマシュも」

 

と、ドクター・ロマンが言ったところで、本当に珍しいことにカルナが穏やかな笑顔を浮かべ、それを正面から見た白斗はあまりの珍しさにちょっと固まった。

 

「や、うん、だってさ、やっぱり、仲の良い家族ってのは、一緒にいた方がいいと思うんだよ、俺は」

 

我知らず早口になりながら、白斗は聖晶石を手に取る。サーヴァント召喚の要となる虹色の石は、白斗の手の上できらきらと光っていた。

今では肩書き上では『元』一般人である白斗だが、根っこの感性は変わらない。今のはそれが顕れた言葉になった。

 

「それでマスター、オレはどうすればいい?」

「はい、カルナさんはフェイトの横に立っていてください。メディアさん曰く、キャスターさんの飾りとカルナさんをセットで触媒に、とのことですので」

「セットか。なるほど、了解した」

 

マシュとカルナ、白斗が位置についたところでドクターからのアナウンスが入った。

 

『じゃあ行くよ。システム・フェイト、スタート』

 

ドクターの声と共に、ぐるぐると光の輪が回り始める。

すぅ、と白斗は息を吸って聖晶石を輪へと投じた。

フェイトが起動し、英霊を呼び出すのにかかる時間はもって数十秒。

遥かな過去から今に至るまでと比べれば一瞬にも等しいその時間が、一同にはゆっくりと流れているように感じられた。

フェイトの光輪の回転はますます早くなり、白斗には目で捉えきれなくなる。

その光の輪の中、一つの人影が形を取り始めた。

みるみるうちに輪郭に色がつき肉がつき、喚ばれた英霊は召喚サークルから躍り出た。

 

「召喚に応じたわ。私はキャスターのサーヴァント。あなたを導いてあげる!…………って、白斗じゃない。久しぶりね」

 

……そこにいたのは小柄で華奢な、紫色の髪持つ魔術師、エレナ・ブラヴァツキーだった。

 

「あら?カルナもいるの。…………あ、もしかしなくてもあなたたち、あのキャスターを喚ぼうとしてたのね」

 

辺りを見回し、無言で佇んでいるカルナを見てからぽんと手を打ったエレナに白斗は頷いた。

 

「うん……。実はそうなんだ。それにしても久しぶり。会えて嬉しいよ、エレナ」

「こちらこそ。でも一先ずあたしのことは気にしないでおいて。まだ召喚を続けるんでしょ?あたしも見ていくわ」

 

フェイトの側から離れ、カルナの肩を一度軽く叩いてから、エレナは部屋のすみに佇む。

彼女とカルナの視線を感じながら、よし、もう一回、と白斗は聖晶石を握った。

 

『フェイト、スタート!』

 

ドクター・ロマンの声と共に、もう一度フェイトが光輝く。

一度強く祈るように手の中で握ってから、白斗は再び星形の石を投じた。

光が集まり束ねられ、またもその中心に人影がぼんやりと見え始める。

今度の人影は線が細く、エレナより背が高く、やや俯き気味だった。布らしきものを頭から被っていて、表情は見えない。

フェイトの光が薄れ始めると、人影に色と実体がつき始めた。顔を隠す布は灰色になり、その下からはわずかに黒髪がこぼれ落ちて、肩の上に影を作っている。

光が完全に止んだとき、そこには一人のサーヴァントが確かに存在していた。

華奢な腕が持ち上がり、そのサーヴァントは自らの顔を隠す布を取り除ける。

纏められていない黒髪が川のように流れて、白い顔の周りを縁取った。

 

「召喚に応じ、参上しました。よろしくお願いします、マスター」

 

宝石のような青い瞳を煌めかせ、キャスターのサーヴァントは胸に手を当てて一礼した。

 

『やったね!』

 

全員が何かを言う前に、ドクターの声がスピーカー越しに響いた。

 

『あ、ごめん、つい……。何はともあれ、成功だよ!』

 

うん、と白斗は頷いて、ドクターの大声に目をぱちくりさせていたキャスターを見た。

彼女は辺りを見回し、白斗、マシュ、エレナを順々に見て、最後にカルナと目を合わせる。

 

「ところで、マスター。よければあたしにカルデアのことを教えてくれないかしら?今すぐにね。さっきから待ってたんだから」

 

悪戯っぽく微笑むエレナに袖を引かれ、それで白斗は我に返った。

 

「そうですね。カルデアの説明をします、エレナさん。あ、キャスターさんはまたあとで良いですから!」

 

体を動かしかけていたキャスターは、マシュに制止されて止まる。

 

「行きましょう、先輩。ドクターもモニターから離れて、ちょっと廊下に来てください!」

『う、うん』

「分かったよ。分かったからマシュにエレナ、二人ともそんなに押さなくても―――――」

 

白斗の言葉の最後は、扉の閉める音で遮られ、部屋にはキャスターとカルナだけが残された。

数秒互いに沈黙して、カルナが先に口を開いた。

 

「……これを返そう」

「……はい。ありがとうございます」

 

金の輪が返され、キャスターはまた元の通りに髪を束ねた。カルナはそれを見ていた。

 

「こんなことを言うのは、ちょっと、違うかもしれないのですが………」

 

束ねた髪の先を弄りながら、彼女が言う。

 

「ただいま戻りました、カルナ」

「ああ。……おかえり、とそう言うべきなのだろうな、オレは」

 

カルナの手が差し出された。

細く白い指先が少し、ほんの少しだけ空中で揺れる。

半ばおずおずと彼女はその手を取り、それから暖かさを確かめるようにしっかりと握った。彼女の色白の顔にゆっくりと、花の蕾が開くような笑みが広がった。

行きましょう、と彼女が言い、そうだな、と彼は答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて、己はかけがえのない人の手を離してしまったことがある。

自分はその手をまた繋ぎたいと思った。

手を伸ばして握るだけ。それは難しいことなんて何もない、とても簡単なことだった。当たり前に出来ていたことだった。

なのに、随分長い、本当に長い時を使った。

 

それでも、再び会えた。

だからまた、二人で歩いていこうと誰かは言い、告げられた方は笑顔で頷いた。

 

彼と彼女の道はこれからも続いていく。

手を握りあう二人に、歩き続ける意志がある限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにてひとまず本作は完結です。

約三ヶ月の間、皆々様本当に付き合って頂きありがとうございました!

感想を下さった方、誤字脱字を報告してくださった方、深く深く感謝致します。

……今後に関しては後日報告致します。少々お待ちください。


ではでは!


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番外編
幕間の物語-『過去と今』


活動報告にも上げていたように、初番外編です。
いつかのアンケートを元にさせていただきました。


【注意】

本編とはちょっと雰囲気が違うかもしれません。



「あれ、マハーバーラタですか」

 

ある日のカルデアの談話室。

机に座り、マシュとフォウと共に資料を読んでいた白斗にひょっこり通りがかった黒髪のキャスターが声をかけた。隣にはカルナもいる。

 

「あ、キャスターにカルナ。……うん、そうなんだ」

 

現在、カルデアにはインドのサーヴァントが三名いる。カルナとキャスター、それに最近加わったアルジュナである。

アルジュナとカルナは当然だがそりが合っていない。というより殺し殺された関係なのだから、果たし合いになっていないだけましなのだろう。

アルジュナとキャスターはと言えば、こちらも上手くはいっていない。歩み寄るほど親しくないが、にらみ合うほどでもない、と言った感じである。

カルナたちが一触即発になるたび、間で仲裁しているキャスターの姿も最近はよく見かけるようになっていた。

一度どこかで本気の戦闘でもやってもらった方が良いんじゃないか、と白斗はひそかに思っていたりする。

で、そもそも二人ともの因縁の始まりをもう少し理解できれば、と思って白斗はマハーバーラタに手を伸ばしたのだった。

しかし、これにはキャスターのことは当然だが全く表記がなかった。

カルナもカルデアに来たばかりの頃に言っていたが、やはり叙事詩と実際の過去には乖離があるのだ。それは何もキャスターに限った話ではない。

残された歴史は、結局はそれを書いた勝者のものなのだから。

尚、現状、どこにも呪いをどうにかできる手段はない。というより、必死で探せば世界のどこかにはあるかもしれないが人理焼却という事態に対応中のカルデアにはその暇も何もない。

救いは、当の本人に悲壮感やらが無いことだろう。彼女は完全に呪いを『そういうもの』と受け入れている。自分の為したことの結末だから、これはもう自分の一部だ、と。

この先、仮にもっと生前の顔見知りが現れればその限りでないかもしれないが、今のところは現状維持だった。

けれど、例えばドゥリーヨダナなどが喚ばれたらどうなるのだろう、と白斗は思う。『マハーバーラタ』屈指の存在感のある王に、彼女も治癒術師として仕えていたらしいが、仮に彼がサーヴァントとして喚ばれても、彼は彼女を覚えていないのだ。

 

「それならまた仕えます。私の仕える王はドゥリーヨダナ様だけですから。臣下が王を忘れるのは許されないですが、王は臣下を忘れなければいけない時もありますし」

「そ、そうなんだ……」

 

自分の仕える王、とキャスターはドゥリーヨダナをはっきり呼んだ。

しかし、アメリカではカルナと揃って結構貶していた気もするのだが、多分あれは貶したというよりあるがままを正直に言ったのだろう。この二人はそういう人間で、それが彼らの美点でもあり欠点でもある。

「キャスターさん、ドゥリーヨダナという人が、どんな人だったのか聞いてもいいですか?」

 

フォウを膝にのせたマシュが言う。今や完全に話込む空気になっていた。

キャスターは考えるように腕組みをした。

 

「……マスターの知り合いに例えるなら、エジソンさんに似ていますね」

「そうだな。豪放磊落かつ小心者。厚顔無恥かつ義理人情は重んじる、という人間だ。矛盾していたが、同時に不思議と慕われる。そういう男だったな」

 

珍しくカルナが饒舌だった。

 

「あなたの友人、というか親友でしたものね」

「ああ。奴はオレのようなつまらぬ男との友情を望んだ。不思議とそれは心地よかったな」

「端で見ていたら、何も不思議はありませんでしたけれど。ドゥリーヨダナ様は、あなたのように率直な物言いの人を好まれていたようでしたし」

 

カウラヴァの長子、ドゥリーヨダナは呪われた子、クル一族を滅ぼす子と言われて王家に生誕した。当然、王族の周りには心にもない世辞を言い立てる輩も多かった。というより、ほとんどはその類いの臣下だった。

故に、彼は嘘や世辞を一切言わないカルナとの友情を欲したのだろう、とキャスターは言った。

 

「王とはきらびやかな見た目とは裏腹に、酷な生き方だ。人の心を殺さねば儘ならない時の方が多い。その定めの中で、人との暖かな友情を望み欲すというのは、弱さかもしれない。だが、そういう弱さは人の暖かさとも言えるだろう。…………そうだな。我が父への不敬かもしれないが、ドゥリーヨダナの暖かさは、時に日輪よりも尊く思えたな」

「神の子に人は治められない。人を統べるのは人の意志であるべきだ、とそう堂々と宣うお人でしたね。……まあその……宣言は堂々とされるのに、手段がちょっとアレだったので引かれるというか……」

「確かにあれはたまに傷だった。否定はせん」

 

くす、とキャスターが懐かしむように笑いを溢した。

 

「正しいか正しくないか、善き王であれるか否か。王の資質がそれだけで良いなら、恐らくユディシュティラ様が上でしたでしょうね。尤も、あの方はあの方で、そうあるように生まれついた方でした」

 

ユディシュティラはアルジュナの兄にしてパーンドゥの長子にして、クルクシェートラの戦いの後、王位に就いた聖王と謳われる人物である。ユディシュティラは法の神、ダルマの子とも言われていたし、それは真実だったろう。

 

「でも、私にはドゥリーヨダナ様の方が好ましかったです。人の心を持ったまま人を統べるのは辛いのに、神に人の心は分からないから任せられない、と仰って自ら王たらん、と生きられていたのですからね」

 

だから、私にはあの方以外に他に仕える王はいません、と彼女は言葉を締め括った。マスターはまたマスターなので別ですけど、とも付け加えて。

やっぱり当事者からだと話が違うんだよなぁ、と白斗が茶を啜ったとき、あ、とキャスターが声を上げた。

 

「マスター。私、この後エレナさんとメディアさんに呼ばれているので、ちょっと失礼します」

 

マスターの魔術講義のことでキャスターのトリオで話し合うのだという。

そう言うとキャスターは一礼して、部屋を出ていった。

 

「……忙しないやつですまない。が、彼女もここを楽しんでいる。大目に見てくれると幸いだ」

「全然気にしてないよ」

 

ぱたぱたと白斗は頭と手を振った。

 

「そうです。キャスターさんはあまり自分のことを話さないので、わたしには珍しくて新鮮です」

 

マシュも言い、カルナはそうだろうな、と呟いた。

 

「オレより幾分かマシなだけで、お前も十分に口下手の部類だ、とドゥリーヨダナにからかわれていた。あのときは、心底不服そうにしていたから覚えている」

 

色の薄い碧眼を細めていうカルナを見て、白斗は叙事詩にはないだろう過去の一幕を思い描いた。

キャスターが無表情ながらむくれて、白斗には顔は分からないが、ドゥリーヨダナがにやついて、カルナが呆れたようにそれを眺めて。多分そんな光景がいつかの時代、遥かな昔に確かにあったのだろう。

そういう暖かな彼らの過去を、もう少し聞いてみたいな、と白斗は思った。

そんな白斗の感慨を知ってか知らずか、カルナは肩をすくめた。

 

「今となっては何もかも懐かしい話だ。―――――マスター、思い出話で良ければ語るが?」

「え、良いの?」

「聞きたそうな顔をしている。話し手がオレでは、流暢にとは行かないだろうが」

 

どうする、とカルナに聞かれ、白斗とマシュは目を合わせた。マシュの膝の上でフォウが促すように鳴く。

 

「じゃあ……うん。お願いするよ、カルナ」

「承知した」

 

そうして、武骨な昔語りが始まった。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

「焔娘、お前は嫉妬深い方か?」

「唐突に何ですか?ドゥリーヨダナ様」

 

王城の医務室に突然入ってきた浅黒い肌の偉丈夫に、焔娘と呼ばれた少女は首をかしげた。

男の名はドゥリーヨダナという。カウラヴァ百王子の長男にして、彼女が仕える主でもある。ついでに言うなら、無茶ぶりと人をからかって楽しむところのある男だった。というか、少なくとも治癒術の使い手として仕えている少女に対してはそうである。

 

「いいから答えろ。お前はカルナが他の女を愛しいといえばどう思う?」

 

せっつかれて彼女は考えるように虚空に目をやった。

 

「まあ……愉快には思いませんかと」

「……おい、そんな他人事のような答え方をするやつがあるか。これだからお前は女として落第なのだ。嫉妬したり喚いたり、少しは普通の女らしく振る舞えんのか?」

 

少女は目を細め、疲れたように口を開いた。

 

「……ドゥリーヨダナ様。それで今度は何のたくら……いえ、考えを思い付かれたのですか?」

「おい、今、企みと言いかけたろう。不敬罪にするぞ」

「気のせいです、疲れから来る空耳です。それで、一体何のご用でしょうか?」

 

この鉄面皮女、とドゥリーヨダナは嘯きながら、少女に語った。

曰く、近々パンチャーラの国で絶世の美女と名高いドラウパディー姫の婿選びが開催されるのだという。それにドゥリーヨダナとカルナも参加すると、そう彼は言った。

 

「ドラウパディー姫というのは、それは美しいそうだ。そこらの姫など物の数ではなく、正に女神に等しい美貌の持ち主と聞くぞ」

 

ドゥリーヨダナはそう言って、少女の様子を窺うが、少女は首を傾けていた。

カルナが美しい女性に心惹かれる、という事態がすでに彼女には想像力の範囲外であったのだ。ドゥリーヨダナの言うように、もしかしたら自分は心の機微が分かっていないのだろうか、と少女は思う。美しさは生まれつきだから如何ともしがたいが、人の心が分かる女性の方が魅力的だろう、きっと。

それは嫌だ、と少女は唐突に思った。

 

「どうした焔娘。急に暗くなったぞ」

「いえ、何でも。参加するのは確定なのでしょう。行けばよろしいではありませんか」

「……そうか。お前、今、嫉妬したろう」

 

にや、とドゥリーヨダナの口角が上がった。

 

「それでいい。全体お前は、我が無さすぎる。人の心は読めても自分の心が分からねば、良くできた人形以上にはなれない。もっと感情を学べ、焔娘。そうすれば折れない心が育つだろうさ」

 

言うだけいって、ドゥリーヨダナは嵐のように去っていきかけ、寸でのところで足を止めて振り返った。

 

「ああそうだ。パンチャーラにはお前も来るんだぞ、焔娘」

「は?え?何故ですか?」

「馬鹿者。音に聞こえたパンチャーラの姫の婿選びだぞ?誰が選ばれようが、どうせ荒事になる。多少の騒ぎに巻き込まれても平気の平座でいられるような癒し手が、一人くらい必要だ」

 

命令だ、とドゥリーヨダナは言い捨てて今度こそ出ていった。あとに残ったのは、ぽかんと固まった顔の少女が一人。

何だろう、あの言い方ではドラウパディー姫本人に、ドゥリーヨダナはさっぱり興味が無いように聞こえた。

まさか、家来一人の嫉妬のためだけにわざわざそんなことに参加するわけがない。

 

「あの言い方、荒事が起きるのを前提にされていたような……」

 

と、そこまで考えて少女はあることを思い出した。

パーンドゥ五兄弟のことである。

彼らは今、ドゥリーヨダナの企みで王城を追われてどこかを放浪しているという。彼らとは不倶戴天の敵としているドゥリーヨダナは、行方を探しているようだが、足取りは掴めていないという。

 

「パンチャーラの姫の婿選びなら、彼らも参加すると踏んだのでしょうか……?」

 

そしてそこで、パーンドゥ五兄弟を見付けるつもりなのだろう。詰まる所、ドゥリーヨダナにとってドラウパディー姫云々は単なる撒き餌でしかないのだ。

要するに、またもドゥリーヨダナの謀であった。それなら断言できた。間違いなく、婿選びはただで済まない。

というか、そもそも話の後先が逆だろう。嫉妬云々の話など持ち出すから混乱するのだ。

ドラウパディー姫という人がどういう人かは知らないが、あちらがカルナと会って何かあったら―――――。

 

「何かって……何でしょうか」

 

自分の考えが分からなくなって少女は首をかしげる。感情を学べ、とドゥリーヨダナが言った言葉はしっかり彼女の心に刺さっていた。

 

「……帰りましょう」

 

が、ひとまず少女はそう結論付けた。

少ない荷物を纏めて少女が部屋を出ようとしたとたん、

 

「帰るのか?」

 

ひょっこりと戸口からカルナが現れ、少女は思わず後ろに跳びすさった。

 

「す、すみません、ドゥリーヨダナ様が戻ったのかと」

「彼になら、ついさっき会ったばかりだ。妙に楽しげだったな。どうした、またドゥリーヨダナにからかわれたのか?」

「まあ……そうですね。正直、毎度人をからかってそれを楽しまないで欲しいものです。困りますから」

「オレに言ってどうする。ドゥリーヨダナに言えば良かろう。ともあれ帰るぞ」

 

ぐうの音もでない正論だった。

何だかどっと疲れた、と荷物を抱えて少女は歩き出す。

パンチャーラの話をカルナに聞こうとして、止めた。ドゥリーヨダナに頼まれたなら、カルナは断りはしないだろうから。

いつもなら、少女はここまでぐるぐる回る思考には陥らない。彼女は、普段は淡々と波の立たない湖のような思考をする。

よってとりあえず、戦士たちが暴れる騒ぎになってもちゃんと生き残れるように呪術の準備をするか、と前向きなのだか後ろ向きなのだか分からない結論を下したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、そういう事があったな」

 

カルナが言い、白斗はそこで現実に引き戻された。

 

「後は叙事詩通りだ。アルジュナの優勝した婿選びとやらは、結果に納得のいかない王たちが騒いだために荒れに荒れ、ドラウパディーはパーンドゥ五兄弟に嫁いだ」

 

カルナはそもそも婿選びの儀式に参加すらしなかった。ドラウパディー姫が御者の息子風情とは結婚しない、と先に宣言したからだ。

 

「……オレとしては正直助かったがな」

 

何がどう助かったのか、と白斗は聞かないことにした。分かるのは、普段怒ったり泣いたりと感情を顕にしない人ほどいざというときになると怖い、ということだ。

 

「今の話はドゥリーヨダナさんから?」

「半分は彼から聞いた。騒ぎのあと、オレにこの話をしたドゥリーヨダナは、あの鉄面皮娘も存外可愛いところがあるものだ、と笑っていたな。ドラウパディーの美貌とやらを拝むより、ムキになった焔娘を見る方が愉快だ、ともな」

「…………」

 

とんだ焚き付けである。絶対ドゥリーヨダナはイイ性格をしていたのだろう。

精神力の馬鹿高い今のキャスターならともかく、昔の、つまりまだ少女期に近かったキャスターは、さぞからかいがいがあったに違いない。

 

「まあ、今となっては昔のことだ」

 

つまらん話をした、とカルナは言って会釈すると、すたすたとどこかへ歩いていった。

恐らく、どこぞで誰かと手合わせでもするのだろう。

入れ替わるように戻ってきたのは、キャスターとエレナのコンビである。アメリカで知り合って以来、この二人はインド的に繋がりがあるらしく、何かと行動を共にすることが多い。

白斗とマシュが目で追う内に、二人は部屋の端で額を付き合わせて術式の書かれた紙を弄り出した。

白斗たちが見ている間に、さらにそこへメディアリリィ、それにナーサリーライムが加わって、四人は何やら楽しげに話し始める。

紫と水色と黒と白という、色とりどりの髪が、近寄ったり離れたりするのを白斗はぼんやりと見ていた。

時代も国も、呪術や魔術を志すことになった背景も、成り立ちすらもばらばらな彼女たち。彼女らは皆、人理焼却という異常時に馳せ参じたサーヴァントである。

人理焼却という状況は、全くもって歓迎などできるはずもないのだけれど、逆に言うなら、その異常が起こらなければ彼女らがああして談笑すること、有り得なかったはずの繋がりが結ばれることはなかったのだ。

 

「サーヴァントか……」

「先輩?」

 

フォウとマシュの瞳に同時に見つめられ、何でもないよ、と白斗は頭を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドゥリーヨダナさんが再び登場。
色々な書かれ方をされるお方ですが、今作だとこのような次第に。

ドゥリーヨダナさん、いつか実装されないかな……。

過去キャスターはマシュにちょっと似ています。つまり人を諸々学ぶ最中。


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幕間の物語-『埋み火』

ご要望が多かった、キャスターオルタの話です。

しかし、先に警告しますが、作者はふざけました。
思いっきり自由に書いてみたらこうなりました。オルタ化(?)です。

……それでも良いと仰ってくれる方、どうぞ。








どうしてそうなったのかは分からない。

多分理由は結構くだらないんだろうな、と思いつつ、事が事だけにふざけてもいられない。

 

「で、ダ・ヴィンチちゃん。今度は何をしたんだ?」

 

カルデア内にある万能の人、レオナルド・ダ・ヴィンチの工房は今四人の来客が来ていた。

その一人目、白斗は目の前のモナ・リザそのものの麗人に問い掛けた。

 

「いやぁ、最初はちょっとした試みだったんだよ。悪気は無かったんだ。ごめんよ」

「ごめんで済むなら警察は要りません」

 

二人目の来客であるマシュがにべもなくきっぱり言い、ダ・ヴィンチは頭をかく。どうみても全く反省していなかった。

 

「それで、この状態は大丈夫なのか?」

 

三人目、カルナが口を開く。

彼が指したのは四人目の来客。灰色に近い白の髪に金色の瞳の、マシュよりもさらに幼く見える少女姿のサーヴァントである。彼女は黙って渇いた視線を虚空に向けていた。

普段のキャスターを知る方からすれば違和感しか感じない。

 

「大丈夫だよ!彼女は今はちょっと属性が変わっているだけさ!」

「いや、一大事だよねそれ!属性が変化ってダ・ヴィンチちゃん何したの!?」

 

白斗のツッコミにダ・ヴィンチはようやっとまともに説明した。

曰く、ダ・ヴィンチはバーサーカーのクー・フーリンやアヴェンジャーのジャンヌ・ダルクなど、本来は持ち得ない属性を発揮したサーヴァントの研究をしていたという。

で、色々ごちゃごちゃやった結果、とりあえず短期間だけ、サーヴァントの属性を反転させられるかもしれない霊薬っぽい、何かこう、心の闇を増幅させる感じの薬を作れたらしい。

これだから自重しない天才は!と白斗はあまりのふわっふわした説明に頭を抱えた。第一そんな危ない薬、どこで使うつもりなのだ。

 

「いや、さすがに私も誰かに使うつもりは無かったんだよ。でもさ……」

 

どこからか話を聞き付けたシェイクスピアとメイヴがその薬を『勝手』に借りて、キャスターの飲み物にこれまた『勝手』に混ぜて飲ませたのだという。

引っ掛かるキャスターもキャスターで、そんな危ない代物を適当に出しっぱなしにしていたダ・ヴィンチもダ・ヴィンチだが、実行犯は上二名である。

 

「それでこうなったわけか?」

 

そしてもって、カルナはいきなりカラーリングが変わって、リリィ化したキャスターと出くわしたという。

 

「うん!属性が完全に反転したわけじゃないんだよ、キャスターの属性は『秩序・善』だろ?でもそこの、言ってみればキャスターオルタちゃんは、『混沌・中庸』みたい だしね。それに、元の霊基にも支障はないよ」

 

白斗はその言葉に一応ほっとした。

ちなみにだが、メイヴは騒動を起こしたことを忘れたようにバーサーカーのクー・フーリンに絡んでおり、シェイクスピアの方はエレナ・ブラヴァツキーにぶっ飛ばされている。

二人ともが言うには、期待していたわりにキャスターの反転ぶりがつまらなかったらしい。

もっとこう、復讐に燃えるヤンデレ系を期待していましたのに残念、とか宣ったのは髭面作家サーヴァントである。彼はそう言った直後にエレナにしばかれていたが、どうせ『自己保存』スキルがあるから平気だろうと、誰も心配していなかった。

 

「でも、支障は無いって言ったってさ、見た目が何か……縮んでない?」

 

現在、白髪金眼となっている上、キャスターは容姿までが幼くなっている。見たところ、マシュよりも幼くナーサリーライムと同じほどだろう。

加えて、このキャスターオルタと言うべきサーヴァントは全く口を開かない。ただ佇んでいるだけだ。だから尚更違和感がある。

 

「反転の影響だよ。あと、キャスターオルタは数日すれば元のキャスターに戻るから!」

 

じと、とカルナの目が鋭くなったのを察知してか、ダ・ヴィンチは慌てて最後の一言を付け足したようだった。

それならまだマシか、と一同は一応納得する。

キャスターオルタは、本人に悪影響がないかをちゃんと調べるために結局ダ・ヴィンチの工房に居残ることになったが、そう言われても、キャスターオルタはうん、と頷いて工房の隅に行っただけだった。

カルナの方へも特に視線を向けず、行儀よく座ったのみである。

ひとまず白斗たちは、作業の邪魔だからと工房を出される。

廊下に出てもカルナは無言だった。

 

「大丈夫ですよ、カルナさん。キャスターさんも元に戻りますよ」

「…………それは、腐っても天才のダ・ヴィンチの言うことだから信じている。ただな……」

 

あまりの変わりように面食らったという。

それにカルナはキャスターの幼い頃を見たことがなかったから、その点でも驚いたそうだ。

 

「すまん、何と言えばいいのか……些か釈然としない心持ちだ」

 

と言ってカルナはふらりと歩き去った。

キャスターオルタも気になるけどあっちも気になる、と白斗は肩を落とす。

問題なんて起きないで、すぐに元に戻ればいいのに、と白斗は閉じた工房の扉に目をやってから、マシュと共に歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

で、あっさり問題が発覚した、というか勃発した。

このまま放っておくだけだと元に戻らないかもしれない上、ついでにキャスターオルタが目を離した隙に一人でどこかへレイシフトして消えてしまった、とダ・ヴィンチが報告してきたとき、なんでさ!と白斗は思わず叫んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、ダ・ヴィンチちゃん。何がどうしてどうなったか、説明してくれよ」

 

今度は毎度馴染みのブリーフィングルームにて、白斗とマシュはダ・ヴィンチを問い詰めていた。場にはドクター・ロマンもいる。

普段より三倍増しくらい鋭くなっているカルナの視線を感じているのか、ダ・ヴィンチは早口に言った。

 

「普通の『座』から直通でカルデアにいるサーヴァントなら、放っておいて元に戻るはずだったんだけど……」

 

何か、キャスターはちょっと違うみたいだから上手く行きそうにないんだ、とダ・ヴィンチは言った。

で、それを漏れ聞いたかは知らないが、キャスターオルタはダ・ヴィンチがほんの少し目を離した隙に、ふいといなくなってしまったのだという。慌てて探してはみたがカルデア内に姿は無く、ならばレイシフトしたのかと記録を辿れば、案の定だったという。

 

「記録からキャスターオルタちゃんのレイシフト先は分かるよ。ただ、座標が不安定なせいで四六時中通信は出来ないかもしれない」

 

先に何があるかも分からない、という。

先行き不明、通信不調、という状態でのレイシフトは、悲しいかな白斗たちには別に初めてではないが危険であることは確かだ。

ふと、カルナとまともに目が合い、そこに浮かんでいる色を読み取って白斗は決めた。

 

「レイシフトしよう。キャスターを放ってはおけないよ。俺はキャスターのマスターだから」

 

白斗の答えを聞いて、色の薄い碧眼が細められる。

 

「やっぱりかぁ。うん、白斗くんならそう言うと思ってたさ。じゃあ、また何時もみたいに準備してくれ」

 

ただ忘れないで、くれぐれも気を付けてくれ、とドクターは付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

######

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして一同がやって来た先は、何故だか森だった。緑の蔓草が青々とした木々にびっしり絡み付き、むっとするほど緑が濃い。が、キャスターオルタの気配はなく、カルデアとの通信はやや覚束ないため探索は足でするしか無さそうだった。

ひとまず彼女を探そう、と歩き出した。

先頭を行くのは、インドが絡むと万が一があるかもしれないから、とドクター・ロマンに言われ、白斗が参加を頼んだアルジュナである。

事の次第を話すと、アルジュナも二つ返事とまではいかなかったが引き受けた。原因がかなりアレだが、同郷サーヴァントの変事であり、見過ごしには出来ないという。彼女とはアメリカでの一件もある、ともアルジュナは言っていた。

礼を述べたカルナに対しては勘違いするな、お前のためではない、とアルジュナは返していたが、協力してくれるなら構わない、とカルナは微笑んでいた。

やがて千里眼を持つアーチャー、アルジュナが足を止める。彼の指す先には木の生えていない草地の真ん中に立つ小さな人影があった。

 

「あれですね」

 

白斗には遠すぎて見えなくても、サーヴァントたちには目鼻立ちまではっきり認識できる。

草木をかき分け、白斗たちが草地に姿を現すと、その人影は野良猫のような素早さで振り返る。白髪金眼のキャスターオルタは、白斗たちの方を見てから、脱兎の如く木々の間に走り込んだ。

 

「キャスターオルタさん!待って!」

 

マシュの叫びも聞こえないのか、キャスターオルタの小柄な体は、兎のように木々を飛び越えてあっという間に消える。

追いかけようと思う前に、カルナが白斗たちを止めた。

 

「待ってくれ、オレが一人で行こう。あの様子では大勢で行っては逆効果だ」

 

言うなり、カルナも木々の間へと走り去る。

残された三人は顔を見合わせた。

 

「あれがキャスターオルタですか?随分と縮んでいますね。それにしても反転した状態と聞いたのですが……。黒く染まった状態には到底見えませんね」

 

属性『秩序・善』のキャスターが完全に反転したと言うなら、『混沌・悪』となるだろうに、とアルジュナは首を傾げていた。

 

「ダ・ヴィンチちゃんもオルタ化とリリィ化が同時に起こるってのは予想外だったみたいだし。色々不完全な薬だったから変な方向に走ったんじゃないかな」

 

白斗としては幸いだったと思う。

アメリカのクー・フーリンか、フランスのジャンヌ・オルタのように、キャスターが狂戦士か復讐者になり果てて敵対でもしていたら、戦うのは辛かっただろうから。

 

「……先輩、今思ったのですが、キャスターオルタさんは精神だけではなくて記憶までリリィ化した、ということはありませんか?」

 

例えば、カルデアのメディア・リリィ。彼女はメディアの少女時代だが、記憶はメディアと共有されているため、時折それに根差した物言いをする。

それがキャスターになかったならば、彼女は見た目通りの、それこそナーサリーライムやジャック・ザ・リッパーのような完全な子どもになっているかもしれないとマシュは言った。

少なくとも、人を見ただけで逃げ出すということは普段のキャスターなら絶対やらないだろう。

 

「何にせよ、カルナがキャスターオルタを連れて戻るのを待ちましょう」

 

アルジュナが言い、白斗とマシュも頷く。

そしてカルナが、人に全然懐かない、野良猫の子のようなキャスターオルタを連れて帰って来たのは、それから一時間以上は後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしの名まえは、キャスターオルタじゃないよ」

 

白斗たちに囲まれての、キャスターオルタの開口一番がこれであった。

 

「わたしはお姉さんたちのこと知らないの。……でも、お姉さんたちがわたしのことよく知っているみたいに話すから」

 

誰も彼も、自分の名前を呼んでくれない。なのに、自分のことをよく知っている、親しい人のように話す。

それが怖く思えて、だからカルデアにいたくなくなって、咄嗟に森に入ってしまったという。

カルデアで一言も話さなかったのも、表情が固かったのも、単に戸惑っていて顔が引きつっていたのだ。

キャスターオルタの逃走は、見知らぬ場所に放り出された子どもが不安になって逃げただけだった。が、人騒がせな、とも笑えない。少なくともキャスターオルタは本気だったから。

 

「でもこのお兄さんは、わたしの名まえ知ってた」

 

名前を呼ばれたから、親から貰った名前をカルナが知っていたから、出てきたという。

 

「きっとお姉さんやお兄さんたちにも、わたし、どこかで会ってる。そんな気がしてきたの。でも……ごめんなさい。名まえが分からない。だから教えてください。今度はわすれないから」

 

キャスターオルタに小さい頭を下げられ、慌てて白斗たちは名乗った。

白斗、マシュ、アルジュナ、と順々に名前を呟き、キャスターオルタはうん、とこっくり首を上下にふった。

 

「覚えたよ、もうわすれない。わたしもちゃんと名のるね。わたしは―――――」

 

告げられた名前は、しかしやはり雑音でしかなかった。キャスターオルタは白斗たちの顔色から何を読み取ったのか、ちょっと眉を下げた。

 

「わたしの名まえ、とおい国の言葉だから、ちょっと変わってる。呼びにくいならキャスターオルタっていうのでいいよ」

 

しかし、明らかにキャスターオルタは落胆していた。 とても大事なのだ、母から貰った名前が。

 

「簡単に言うな。親から貰った名なのだろう。―――――」

 

カルナが口を動かし、それを聞いて始めてキャスターオルタがにこっと笑った。

 

「うん。そう。それがわたしの名まえだよ、カルナさん」

「カルナでいい」

「……そうなの?……分かった。じゃあ、カルナ」

 

普通の子どものように笑ったキャスターオルタに、ひとまず落ち着いたかな、と白斗は思った。

しかし、カルデアに帰ろう、と言った白斗にキャスターオルタは首を振った。

 

「ダメだよ。わたしがいたら、あそこが燃えてしまうかもしれないから」

「燃えるとはどういうことですか?」

 

問い返したアルジュナにキャスターオルタは縮こまって答えた。

 

「わたしが怒ったり泣いたりしたら、たくさん火がおこって、なんでも燃えてしまうの」

 

かなり抑えられるようにはなった。でもまだ何かの拍子に爆発してしまうかもしれない。だから行きたくない、誰かを、何かを燃やしたくないから。

そういうキャスターオルタの金色の目は濁っており、顔色は白く凍り付いた冬の湖のようになっていた。

白斗とマシュは顔を見合わせる。

今では手足のように焔を扱うキャスターだが、彼女とて最初からあれが出来たわけではないのだ。幼い頃は当然、力に振り回されたはずだ。

感情を抑えなければ自分自身が辺りを燃やし尽くしてしまうという怯えが、キャスターの闇なのだろう。それを一番よく顕した姿だからこそ、キャスターオルタの容姿はこんなに幼く、記憶もその頃にまで戻ってしまったのだ。

この怯えを何とかできたなら、あるいはキャスターオルタも元に戻るかもしれなかった。

が、そうとなるとどうすれば良いのだろう。

 

「練習すれば良かろう」

 

あっさり言ったのはカルナ。

それはそうなのだが、こう当たり前のように言われると、かえって反応しづらかった。

カルナはキャスターオルタの目の高さに屈み込むと口を開いた。

 

「感情を力技で抑え、焔を封じようとするのではなく、焔とお前を分けて捉えられるようにしろ。……オレの知る者に一人、お前とよく似た力の持ち主がいるが、そいつはそうしていた」

「火とわたしを、べつに?」

「そうだ。力で何かを成すのはお前だが、与えられた力はお前自身ではない。力に振り回されないよう切り離せば、扱えるようになる」

 

聞きようによっては厳しい言い方だった。

だけれど、キャスターオルタは真剣に聞いている。誰かに、こうやって真正面から話してもらったことがなかったのだろうか、と白斗は思った。

 

「練習すれば、わたしもちゃんとつかえる?」

「それはお前次第だ。だが、少なくともその焔は燃やすだけ、壊すだけの代物ではない。癒すこともできる。オレはそれに助けられた」

 

そうなんだ、とキャスターオルタは手をじっと見た。白斗の記憶よりずっと小さい手だった。

 

「わかった、がんばる」

 

頷いた瞬間、キャスターオルタの金の目が片方だけゆっくり元の碧眼へと戻った。

 

「……自分を信じ、研鑽することは難しい。だがお前ならできるはずだ」

 

カルナはそこで白斗たちの方へ視線を戻した。

 

「すまないマスター。オレが勝手に話してしまった」

「気にしないで……。それにしてもカルナ、子どもの相手、慣れてるんだね」

「オレに子はいなかったが、あいつは子どもが好きだったからな。それで関わることはあった」

 

キャスターオルタはきょとんと首を傾げている。

とそこで、これまで黙っていたアルジュナが弓を構えた。

 

「マスター、敵のようです。魔力に引かれた魔物の類いかと」

 

アルジュナの言う通り、程なく草地の端に竜牙兵に似た魔物が何体も現れる。

とはいえ、魔物たちにとっては相手が悪すぎた。盾と矢、槍が振るわれて魔物たちはあっという間に砕かれた。

最後の一体に向けてアルジュナが弓を構えるが、カルナはそれを手で制した。

 

「……何をする?」

「少し矢を収めてくれ」

 

言って、カルナは魔物に驚きながらも、しっかりと立っているキャスターオルタの方を見た。まさか、と白斗は思う。

 

「あの骸骨、あれを倒してみろ」

 

予想通り過ぎて、白斗は固まった。

そう言えば冬木では、キャスターもマシュが宝具を扱えるようになるために、かなり容赦なく焔を撃ってきたっけ、と白斗は唐突に思い出した。

 

「焔の形を定め、槍にして放て。的に当てて見せろ。怯える必要はない、それができるはずだ」

 

的と言っても相手は動く骸骨、正真正銘の魔物である。だのに、キャスターオルタは青ざめながらも前に出た。

 

「カルナ……それは」

「いいの。お兄さん、わたし、やる。いつか、やらなきゃいけないことなの」

 

アルジュナを止めたのは、キャスターオルタ本人だった。

すぅ、と息を大きく吸って、前に出たキャスターオルタは手を握りしめる。すぐに、小さな手には不釣り合いな、大きな青い焔の槍が生み出される。が、槍の形は揺らめき、今にも暴発しそうなほどに危うくも見えた。

けれど、耐えた。

 

「やっあぁぁぁぁぁ!」

 

小さな体を大きくそらせ歯を食いしばって、キャスターオルタは槍を投げた。

青い槍は骸骨の胴に突き刺さると、あっという間に骨の体をなめつくし、それ以上何も燃やすことなく消える。

 

「できただろう?」

 

とカルナは言い、キャスターオルタはうん、と頷いた。

 

「……わたしでもできるんだね。もっとちゃんとできたら……だれかとも遊べるかな」

 

火が誰かを燃やしそうになるうちは、友達なんて怖くてつくれなかったから。

でもこうして、一度だけとはいえ出来た。燃やすべきもの以外、何も損なわなかった。だからいつか誰かとも遊べる、それはとても嬉しい、だって一人はさみしいもの、とキャスターオルタは本当に嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう!」

 

その一言を告げて、キャスターオルタはいきなり糸の切れた人形のようにふらついた。

マシュがとっさに支え、顔を覗き込んでみるとキャスターオルタは眠っていた。白い髪も、端から順に徐々に黒へと変わっていく。多分これで元に戻るだろうと、予感がした。

白斗はカルデアへ連絡し、すぐにレイシフトが始まることになった。

 

「……無茶をやらせたな。あの幼子に魔物を狩れ、とは」

 

レイシフトの始まる直前、アルジュナがカルナへ言う。

寝たままのキャスターオルタは、マシュが背負っていた。

 

「あの状態で足りていないのは、自信だけだと判断した。オレにはあれ以外思い付かなかったのだが。それに……」

「それに、何だ?」

「彼女は、オレが言わずともいずれ何とかはしただろう」

 

本来の過去では、カルナは幼い頃のキャスターとは会わなかった。

カルナではない誰かに教えられるか、あるいは本当に一人きりでどうにかするかして、彼女は焔を使えるようになったのだ。

それにしてもスパルタなインドだ、と会話を聞いていた白斗は思わず口を挟みそうになった。

『貧者の見識』のあるカルナの言うことだから、実際任せて正解だったのだろう。見ていた方の肝がかなり縮んだだけだ。それに、本当に不味くなったらちゃんと助けにも入った、と思いたい。

白斗はマシュの背中で眠るキャスターオルタを改めて見た。普段無表情で動じないキャスターを知っているだけに、キャスターオルタの変化は衝撃だった。

最後に見せた頑固そうな面には面影があったが、望まない力を得て、一人は嫌だといいながらもがいた寂しがりで臆病な子が、成長してああなったのかと思うと、何とも言えない熱いものが込み上げてくるようだった。

 

『よし皆、レイシフト、行くよー!』

 

そうして、ドクターの少し気の抜ける声が響き、それがこの騒動の幕引きとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、元に戻ったキャスターは話を聞き、メディアさんの気持ちがやっと分かった、と煤けたように呟いたが、それは完璧に余談であった。

 

 

 

 

 






実生活が繁忙期につき、申し訳ありませんが番外編は書けても当分先になりそうです。

この主人公を他のFate作品に入れて書いてみたい気がしてるんですが。愛歌がマスターでの蒼銀とか(誰得だよ)。

本編で修正したい箇所もありますし。


以下、些細なオマケです。

Q『永遠の孤独』が望みと言われたら?

A,キャスター『…………。(曖昧な表情で沈黙している)』
キャスターオルタ『…ひとりはさみしいよ?』




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幕間の物語-『何でもない日』

少し久しぶりの番外編。

そして懲りずにふざけました。

それでも良いと仰ってくれる方、どうぞ。







ある日、カルデアの廊下を歩く、一人のサーヴァントの姿があった。

長く赤い髪と碧眼、美しい体に白を基調にした衣装を纏った優しげな風貌の女性サーヴァント。

真名をブーディカ。かつてローマ帝国に抗ったブリタニアの女王にして、今はカルデアのマスターと契約しているサーヴァントである。

そのブーディカは今、同僚のサーヴァントの部屋を訪れようとしていた。

通常の聖杯戦争に召喚されたサーヴァントならば、『同僚』などあり得ないのだが、カルデアにおいては間違った表現ではない。

彼女が赴こうとしている先にいるのは、些か真面目に物事を捉えすぎる癖があり、そのわりに時々素でボケるという性格の一人のサーヴァントである。

 

「キャスター、入っていい?」

「あ、はい。どうぞ」

 

サーヴァントに与えられている個室の扉をノックすると、案の定黒い髪のキャスターはすぐに顔を出した。霊基再臨を遂げた彼女は、最初の頃の灰色の衣装ではなく青を基調にした動きやすそうな服へと変わっている。

そのまま部屋に入ろうとして、ブーディカは珍しいことに、キャスター以外も部屋の中にいるのに気付いた。

 

「だあれ?」

 

ひょこん、とキャスターの後ろから顔を覗かせるのは、銀の髪をした幼い子どもの姿のサーヴァント、アサシンのジャック・ザ・リッパーである。

尚、カルナは今はマスターとチェイテ城とやらにレイシフトしているのでカルデア内にはいない。それはブーディカも知っていた。

だからこそここに来たのだが、小さな暗殺者のサーヴァントがいたのは意外だった。

 

「ジャックじゃない。キミ、ここにいたの」

「うん。おかあさんがいないから、キャスターに本、よんでもらってたの」

 

これ、とジャックがキャスターの持っているかわいらしい熊の絵が描かれた絵本を指差した。

良かったねぇ、とブーディカはジャックの頭を撫で、ジャックは気持ち良さそうにされるがままになっていた。

しばらくそうして時間が過ぎ、キャスターが不思議そうに問い掛けた。

 

「そう言えばブーディカさん、何か私にご用ですか?」

「あ、そうだった!あのね、キャスター。ちょっと提案なんだけど―――――」

 

ブーディカからのその提案に、キャスターはちょっと考えるように首を曲げ、それからはい、としっかり頷いた。

 

「じゃあ、行こうか。ジャックもね」

「うん!いこう、キャスター」

 

ととと、とジャックがキャスターの手を取って小走りになり、彼女の身長に合わせて腰を曲げつつ引っ張られながらキャスターも歩き出す。そのあとをブーディカはにこにこしながら歩く。

やがて三人の着いた先はカルデアの厨房だった。普段はエミヤの聖域なのだが今回彼はおらず、代わりに十何人かのサーヴァントたちがいた。

彼らの前にはアストルフォと沖田が立っている。

 

「やぁ、キャスターとジャックも来たんだね!それじゃ、マスターとドクターたちへの……何だったっけ?」

「差し入れを作ろう、って話ですよ」

「そうそう!藤太の宝具でコメが沢山入ったから、マスターたちにおにぎりを作ってあげよう!」

 

えいえいおー、とアストルフォが音頭を取る。

魔法少女騒動やらエリザベートの引き起こしたハロウィン騒動やらで、どたばたとレイシフトを繰り返すマスターやそのサポートをしているドクターや、男性サーヴァントに差し入れでもしよう、という話がアストルフォから出、それに乗った女性サーヴァントたちが集まったのだ。

ちなみに、言い出しっぺの当人である桃色の髪の可憐な騎士の性別には誰も触れていない。

このアストルフォの思い付きも最近カルデアに入ったアーチャー、俵藤太の所有する米や山海の恵みがわき出る、という反則極まりない宝具が手に入り、兵糧に余裕が出たこそ言われるようになった話である。

尚、ハロウィンなのにどうしておにぎりなのかと言えば、マスターには懐かしい故郷の味の方が良いだろう、となったからである。

幸いというべきか、バレンタインデーでもないためか、参加するサーヴァントの数もそれほどではない。今は劇物生産系アイドルサーヴァントもいないので、厨房は和気藹々と賑わっていた。

 

「おにぎりというのは確か、手で固めたコメの中に魚や漬物を入れた料理……ですよね?」

 

召喚に際して与えられた知識を引っ張り出してキャスターが呟けば、セイバーのサーヴァント、沖田が反応した。

 

「はいはーい。そうですよ、キャスターさん。沖田さんも昔はよく食べたものです。あ、お菓子とか果物とか入れるのはくれぐれもNGですからね!皆さん!」

「にほんの料理なの?わたしたちにもできるかな?」

 

片手でキャスターの手を握りながら、もう片方の手で自分を指差すジャックに沖田は気さくな笑みを向けた。

 

「もちろんできますよ。でも、三角の形に米を握るのはちょっとコツがありますからねぇ。今回は丸いのにしましょうか」

そんなこんなで、おにぎりを作り始める。

キャスターも握ろうとしていたのだが、アストルフォにキミはこっちと言われ、すでに握られ醤油が塗られたおにぎりの前に引っ張って来られた。

 

「どうするんです、これ?」

「えーとね、焼おにぎりって言うの?どうせならそれも作ろうかなって話になってさ。キミ、炎関係は得意だろ?ちょちょいっと、おにぎりを炙ってくれないかな」

「なるほど、分かりました。でも焼き加減はどのくらいにしましょう。表面が茶色くなるくらいでいいんでしょうか?」

 

キャスターの疑問に、沖田が答えた。

 

「そんな感じでお願いします。あ、キャスター、くれぐれも料理にビームは要りませんからね!フリじゃないですよ!ビームはダメです!」

「それじゃ、焦げを通り越して炭になってしまいますって。というか私、インド出身ですがビームは撃てませんから 」

 

苦笑しながらキャスターは両手に焔を灯しておにぎりを焼き始める。

たちまち醤油の焦げる香ばしい匂いが辺りに広がり、アストルフォは鼻をひくひくさせながらキャスターの前におにぎりを積んでいく。

彼も何処かの聖杯戦争でカルナと戦ったことがあり、その繋がりでキャスターにも話しかけてくるサーヴァントの一人だった。

 

「キミの宝具、料理向きなんだねぇ」

「こういう使い方、別に初めてでもありませんよ。火種がないときは、これで肉も野菜も焼いていましたし」

 

野外で作る料理が基礎にあるせいか、キャスターが作るものは味は良いし出来上がるのは早いのだが、全体大雑把である。エミヤの作る料理のような、細やかな味付けや可愛らしい菓子作りはキャスターには苦手だ。

 

「キャスター、うまく丸くならないの」

 

と、アストルフォと話しながらおにぎりを焼き続けるキャスターのところへ、両手に米粒をくっつけたジャックがやって来た。

きっと大きなおにぎりが作りたかったのだろう。ジャックの手には、彼女の小さな手から溢れるほどの多い米が乗っていた。これでは上手く握れない。

 

「ジャック、ちょっとコメを減らしてみましょう」

 

キャスターはジャックと同じ目の高さにかがみ込み、手から米を掬いとって、もう一度やってみたら、とジャックを促した。

うん、とジャックは笑ってキャスターの隣できゅっきゅと握り、しばらくしてからできた、と顔を綻ばせた。

小さな手のひらの上には少し不格好ながらも、丁寧に握られたおにぎりが一つ乗っていた。

 

「はい、ではブーディカさんたちに醤油を塗ってきてもらいましょう。そうしたら私が焼きますから」

「うん!」

 

楽しそうにジャックがブーディカや沖田たちの方へ駆けて行って、その様子にキャスターは目を細める。

アストルフォはそれを見ていた。

 

「キミ、ほんっとに子ども好きなんだね」

「そうですか?」

「うん。キミ、自分じゃ知らないだろうけど、ジャックやナーサリーライムを見るときホントに優しそうな顔になってるよ」

 

カルナと同じで、普段の表情が固いんだからすぐわかるよ、とアストルフォに屈託なく言われ、キャスターは頬をかこうとして、おにぎりを焼いている途中なことを思い出した。

確かにキャスターは子どもは好きだ。

幼い子どもは、守られ慈しまれるべきだと何の疑いも無く思っている。

 

「ねえ、キャスター」

「はい、何でしょう」

「キミたち―――――キミとカルナだけど、子どもはいなかったのかい?」

 

寸の間、ぱちぱちと音立てていた焔が止まった。

 

「……いませんでした」

 

焔を操る手を止めずキャスターは言う。

 

「そうなのかい?」

「ええ。伝承だとあの人、随分子持ちになっていますが、あの子たちの名はすべてカルナが請われて武術を教えていた弟子です」

 

きっとどこかで伝承が曲がったのでしょうね、とキャスターは呟くように言った。

 

「いい人たちでした、本当に。カルナの武術の腕が素晴らしいからと弟子入りして来て」

 

とはいえ、いくら師とはいえ万事言葉足らずのカルナの助言は、てんで参考にならないどころか凹ませてしまう場合があったから、キャスターは仲介役というより通訳として彼らと何度も会い、交流もあった。キャスターは彼らの名前を一人残さず覚えている。

皆英雄らしい良き武士で、だからこそ、クルクシェートラで討ち死にした。

しかし、それが彼ら武人の勤めであり誉れであったから、きっと後悔はなかったのだろう。そう信じたい。

 

「子どもがいなかったのは……私の方の問題ですね」

 

日に日に戦いが激しくなっていくあの時代において、名高い半神の間に生まれた子は、生まれたときから柵に囚われただろう。男なら必ず戦いに駆り出され、女であっても大して変わりはしない。ましてや、カルナはあまりにも強力な戦士だった。

子が生まれたとしても、因果に絡め取られる未来しか与えられなかっただろう。

柵や神の運命や、そういうものに振り回されて命を落とした母、がんじがらめになって生き続ける人の身近で過ごしてきたキャスターには、それが嫌だったのだ。どうしても、どうしても、母になる自分の姿は思い描けず、そうなろうとは思えなかった。

今にして思えば、生涯最大の我が儘ではあった。

第一、子なき女は去れと言われても仕方のないあの頃においては、そんな考え方は異端もいいところだった。貴族の娘としての教育を、ほとんど受けずに育ったからこその考えだった。実際、ドゥリーヨダナからも貴様は阿呆かと目を剥いて言われたものだ。

尤も、そのすぐあとに、それならばお前たちが安心して子を育てられるような国をとっとと創ればいいのか、とドゥリーヨダナは言って、馬車馬を働かせるかの如くにキャスターに解呪や何やの仕事をよこしてきたのだけれど。

 

「む。つまりキミの……うん、ヘタレが原因なのか」

 

ばっさりと、理性の蒸発しているが故に直感も鋭いアストルフォは結論付け、キャスターは苦笑した。

他にしようがなかった。

 

「……そうですね。今にして思えば、生きていた頃、万事私は臆病でしたね」

 

特に、何かを失うことに対しては。

アストルフォは肩を竦めてまた何でもないことのように言った。

 

「でもボクはさ、キミならきっといいお母さんになれたと思うよ」

 

束の間、キャスターの手が止まる。

何かを言おうとするように、キャスターは下を向いて、結局何も言わずにまた料理を始めた。

 

「さ、アストルフォさん。ここのはもう全部炙ったので、次のをどうぞ」

 

次に顔を上げたとき、キャスターはこんがり茶色に焼き上げられたおにぎりが山盛りになった皿を、アストルフォの方に押し出した。

 

「早っ!ちょっと待って、おにぎりを作る方が間に合ってないよ!」

「では……海苔でも巻きますか」

「それよか、キミも握る方に参加して来なよ。カルナに作ってあげたらきっと喜ぶよ」

 

ほらほら、とアストルフォにまた引っ張られ、キャスターはブーディカの隣にやって来た。

 

「お、こんちはキャスター。どう?楽しんでる?」

「はい。誘ってくれてありがとうございます。ブーディカさん」

「丁寧だねぇ。もうちょっと軽くてもいいのに」

 

女性サーヴァントの中では背の高いブーディカに見下ろされながら、キャスターもおにぎりを作り始める。

米を炊くという過程さえ済ませてしまえば、おにぎりは焼いた魚や漬物を米の中に入れて握るだけという料理である。

そして最も大惨事を招きそうな炊飯と、具を作る段階だけは、 エミヤがいち早く済ませくれているので爆発も炎上もない。形が多少不揃いになったとしても、それはそれである。

 

「はい、楽しいけど米が無くなったからここまでー!今から配りに行こう!」

 

トレーや皿におにぎりを乗せて、皆わらわらと歩き始める。

キャスターも廊下に出てカルナを探そうかと考え、ふと、厨房の隅っこで香ばしい香りのする焼きおにぎりをちらちら見ているジャックを見つけた。

苦笑して、キャスターは一つを渡す。

 

「いいの?」

「たくさんありますから。あ、でも食べたら、感想を聞かせてください。焼き加減がちょっと不安なので」

「うん、分かった!」

 

おにぎりを両手で持ってはむはむと食べるジャックの横にキャスターも座る。

人工の灯りに白々と照らされる、女性サーヴァントたちの去った厨房は静かで、伽藍としていた。

 

「美味しいですか?」

「うん、とっても!ナーサリーライムのお菓子もいいけど、こういうのもわたしたちは好きだよ。あったかい料理、おいしいね」

 

頬についた米粒を取ってやって、キャスターがジャックの頭をぽんぽんと撫でたとき、ひょい、と入り口に陰が差した。

 

「ここにいたのか」

「あ、カルナ」

 

探そうと思っていた当人、カルナが現れる。

 

「さっき会ったアストルフォとブーディカから厨房に行け、と言われたのだが……」

 

おにぎりをリスのように頬張っているジャックと、その横に座るキャスターと、それからテーブルの上に置かれた茶色と白のおにぎりの山をカルナは順に見た。

 

「これ、キャスターがつくったんだよ」

「そうか。それは確か……ああ、マスターの故郷の料理か」

「うん、おいしいの。カルナもたべたら?これ、マスターたちにじゃなくて、キャスターがカルナにつくったやつだもん。わたしたちは味見してあげてるの」

 

それはそうなのだが、そう堂々と言われると気恥ずかしいものである。今さら頬を赤く染めたりはしないが。

キャスターは頬をかいた。

 

「そうか……。それなら断る道理はないな。オレも貰おう」

 

すとんとキャスターの向かいに腰を下ろし、カルナは一つを手に取ってかじりついた。

 

「ふむ。旨いな」

「それは良かったです」

「お前も食べれば良かろう」

「……ですね、いただきます」

 

はむ、とキャスターも小さくおにぎりにかじりついた。

外は醤油が上手く焦げて香ばしくなっており、中は柔らかい。焼いた魚は程よく塩味が効いている。

エミヤの作った魚の焼き加減の絶妙さに、敵わないなとキャスターは眉を下げ、次からは自分で一から何かを作りたいな、と思う。

ふと横を見れば、ちらちらとまたおにぎりを見ているジャックがあった。

 

「ジャック、どうぞ」

 

カルナと目で頷き合ってから皿を押し出せば、ジャックはやった、とまた手を伸ばし、カルナも二つ目を手に取った。

さほど健啖家でない三人は、アルトリアやジャンヌほどの勢いはない。一皿を空にするにものんびりとしている。

それでも一つ残らずおにぎりが無くなって、お茶でも入れましょうかとキャスターが立ち上がった。

ならば手伝おう、とカルナも立ち上がり、ジャックがわたしたちもやる、と椅子から飛び降りる。

結局は全員でやるのか、と誰ともなく苦笑したすぐあとに、白い湯気が三筋食堂に流れた。

嫌いではない時間だ、とカルナがぼそりと言い、キャスターは笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……厨房の片付けをしたいが、茶飲み処になっていて入れないのだが」

「待ちなさい、エミヤ。さすがにあそこに行くのは野暮よ、野暮天よ」

「むぅ……」

 

そうして。

厨房外の廊下にて、そんな会話を繰り広げる紅い弓兵と激情の王女の姿があったとかなかったとか。

何れにしろ、その会話は誰にも知られることはなかった。

 

 

 

 

 

 




女性(?)サーヴァントたちでの料理回。
しかし、ハロウィンでもバレンタインでもない。何でライスボール作ってんだ。

次の更新は番外編かもしれませんが、もしかしたら別の新作を書くかもしれません。もしかしたら、ですが。

では、また。




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FGO第一部 終幕の話

明けましておめでとうございます。
こんな時期まで続くとは、始めた頃は思ってもみませんでした。これを読んでくださる皆様のおかげです。

新年企画です。
外典編が暗いからか、こっちは遊んでしまいました。
もう一度言いますが、遊びました。







 

いつの時代もそうだけれど、終わりのない戦いというのはなかった。

争いそのものは、生き物が生き続ける限り絶えることは無いだろうが、一つの戦いが永劫続くことは無い。そんなものがあったら、それは地獄だろう。

どちらかが死ぬか音を上げるかして、戦いというものは終わるのだ。

戦いに行きて帰らなかった者、帰ることができなかった者がいくらいようが、戦いは終わる。

行き場のない悲しみを抱えていても、失ったものは戻らなくても、生き残った者はまた歩き続けなければいけなくなる。

昔の自分は、行きて帰らなかった者だった。帰れなかった者ではなくて、自分で自分の結末を選んだ。後悔が全くなかったわけではなく、自分は今でもその代償を払い続けている。払い終わることは無いが、それよりも暖かなものが自分の中に残されているから別にいいか、と笑っていられる。

とはいえ、そんな自分は、今回の戦いでは最後まで生き残っていた。

まあ、普通にボロボロになったのだけれど、それは仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キャスタークラスが前線に駆り出されなきゃいけない状況って、そうそうあるもんじゃないと思ってたけど、そんなこともなかったわね」

「そうは言うがね、エレナ君。ぶっちゃけ、我ら魔術師クラスはアーチャー並みに認定がガバガバだ。私のような発明家、作家がいるかと思えば、しゃべるステッキ持参の魔法少女に、剣を振り回して燃やしてばかりのキャスターまでいるのだよ」

「ええとつまり……」

「それだけ多芸な人間が集まっているのだから、必然、様々な役をこなさねばならないということだろうよ」

「……」

 

マスターとの因果をたどって、ソロモンの待ち受ける空間に一斉に攻め込んだサーヴァントたちのうち、白斗と正式に契約していた面々はカルデアへと帰還することができていた。

黒髪のキャスターは、帰り道から逸れかけてカルナに首根っこを掴んで引き戻されるという事態も発生したのだが、ともあれ帰還は完了した。

そう。白斗とマシュは、人類最後のマスターとそのサーヴァントである少女は、最後の戦いに勝った。人理は守られた。

カルデアの職員たちは、今は喜びに沸いている。外の世界は元の姿を取り戻している。

けれど、ただ一人だけ、帰ることのできなかった者はいる。

カルデアのドクター、ロマニ・アーキマン。彼の消えてしまった穴は誰にも埋めることはできないでいた。

死せる英霊は生き残り、生きていたドクター・ロマンはもう戻らない。その喪失感とやるせなさに比べたら、ドクター・ロマンが実は人になったソロモンだったとか、カルデアの召喚英霊第一号だったとか、そういう事実は全く重要ではなかった。

勝った喜ばしさと、失ったものへの哀悼を同時に感じながら、帰って来た面々は、破損したカルデアのあちこちにて顔を合わせていた。

今談話室にいる五騎、第五の特異点での縁を互いに持っている彼らも、そうして集まった面子だった

誰が言いだしたわけでもない。ただ何となく、主にハルファスやらその周辺やらを相手取った面々はここに集まっていたのだ。

どこぞの婦長とかも縁はあるのだが、あちらはカルデア内で助手を引き連れ負傷者を探して回っているので、ここにはいなかった。

 

「でも、カルデアってこれからどうなるのかしらね」

 

頬杖をついてエレナが言う。

 

「サーヴァントの方々の何人かは退去されるそうですよ。希望するなら契約の続行も可能だそうですけれど。あと、魔術協会とかその他の面々がこの一年間の事情説明を求めて、カルデアにまで来るとか」

 

あちこちが煤けているキャスターが言い、同じく肩につけた電球が大破しているエジソンは、その答えを聞いて頷いた。

 

「そりゃそうだろうな。何せ、彼らにしてみれば、一年間の記憶が根こそぎないのだ。説明を与えてもらわねば気が狂いかねん」

 

実は人理が崩壊していたんですよ、カルデアはそれを防ぐために今まで戦い、その戦いに勝ったからあなたたちはまだ生きているんですよ、などと言ってもすぐには信用されないだろう。

偽りはないのだが、信じたくないと思う人間は必ずいる。

特に自分たちを魔術の最高峰と自負している時計塔辺りは、知らない間にあなたたちは殺されていたんです、と言われて納得するか怪しい。

まあ、そういう彼らを、どういう形であれ納得させるのは、白斗の役割ではない。ようやく心躍るが過酷な旅を一つ終えたばかりの彼とマシュに、これ以上何かを押し付けるなど、論外だ。

ダ・ヴィンチちゃんを筆頭にしたサーヴァントたちが出張るだろう。

サーヴァントが出張るということは、つまり脅迫と紙一重だが、これから先カルデアに残るサーヴァントの面々は、白斗やマシュを守るためなら、それくらない辞さない者たちばかりだ。

 

「私やエレナ君はまだ残るつもりだが、キミたちはどうするのだね?」

 

エジソンに指摘されたのは、神代インドという諸々が規格外な時代の出身者、カルナ、アルジュナ、キャスターの三人だった。

三人は顔を見合わせて、一番先にカルナが手を上げた。

 

「オレは残る。オレはマスターの槍だ。ならば契約を解除されるまで、そうあり続けよう」

 

複数のサーヴァントと契約し、レイシフトを繰り返し、人類悪の獣を滅ぼした唯一無二のマスターが白斗だ。

望む望まないに関わらず、白斗はこれから先様々なことに巻き込まれるだろう。確かに、それを払うためのサーヴァントは必要だった。過剰戦力とかではないのだ、たぶん。

キャスターも同じく小さな手を上げた。

 

「私も残ります。微力かもしれませんが、まだ私にできることがあると思いますし」

 

エレナは答えを確認するように、カルナは安心したように揃って頷いた。

 

「……まあ、あなたたちはそうよね」

 

基本的に彼らはマスター第一主義だから、まだ自分たちの力がマスターに必要と思えばどこまでもついていくだろう。

揃って天然で言葉足らずなところがあるから、たまに不安になるが、まあそこらはいいか、とエレナとエジソンは考えていた。

 

「……で、あなたはどうするの、アルジュナ?」

 

五騎のうちの最後の一騎であるアルジュナへ、エジソン、エレナ、カルナとキャスターの視線が向けられる。

だがアルジュナが口を開く前に、耳慣れた音がして談話室の扉が開いた。

 

「あー、君たちはここにいたのかい」

 

壊れたドアからひょっこりと現れたのは万能の天才、ダ・ヴィンチである。

絶世の美女の姿をした彼(?)は、ずかずか寄ってくるとキャスターの手に紙束を押し付けてきた。

 

「何です、これ?カルデアの……地図?」

「そうさ。霊基が無事で、かつ働ける気力のあるサーヴァント諸君は、至急カルデア復旧作業に取りかかってくれたまえ!」

 

諸々めんどくさいお偉方が来るときに、カルデアの崩れたところなんぞ見られたら、ややこしくなるからね、とダ・ヴィンチは言った。

 

「発明家に魔術師に戦士なんだから、全員徹夜は得意だろう?ほらほら行った行った!」

 

と、そうして全員が談話室から追い出されるようにして動き出すことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「……」

 

あちこちが焦げたり割れたり崩れたりしているカルデアの廊下を、三人分の足音が響く。

右端から順にキャスター、カルナ、アルジュナ、という並びで歩いているのだが、誰も口を開かなかった。

 

「……あの、アルジュナ様はカルデアに残られるのですか?」

「そのつもりですが、それが何か?」

「いいえ、どうされるのかと思って聞いただけです」

 

そしてまた沈黙である。この三人は、間違っても談笑する仲ではない。こうして戦わずに揃って歩いていることが、生前からは考えられないことだった。

そのまま歩いて三人が辿り着いたのは、派手に瓦礫で塞がれた通路だった。

 

「これをどかせということですか?」

「それしかなかろう」

 

さくさくと、三人は瓦礫を担いだり蹴ったり砕いたりと様々に撤去していった。

 

「サーヴァントになってこんな作業をやるとは思わなかったな」

「そうだな。本来なら戦い合い、命を賭けてのがオレたちだ。……そういえば、魔神柱は結局どちらが多く倒せたか、分かるか?」

 

ちらりとカルナが瓦礫を両手で担ぎ上げているキャスターに目をやった。

 

「貴女は計測していたでしょう?どうなのですか?」

 

手に持っていた壁の一部を床に下ろしてからキャスターはあきれ顔で頭を振った。

 

「そんなの、数えていませんよ。というか、あなたたちの競い合いの分を数えている余裕が、私にあるわけないでしょう」

 

あ、とカルナとアルジュナとが同時に呟いて、キャスターはそれを見て吹き出した。

 

「では、またどちらが勝ちか分からないのか?」

 

露骨に不機嫌そうなアルジュナだった。

 

「……最後辺りで、同時に魔神柱にブラフマーストラを叩き込んでいましたよね。引き分けではありませんか?」

 

もうそれでいいでしょう、と呆れと笑みを含んだ顔で、キャスターは瓦礫をどかす。キャスターが、自分の身の丈以上の隔壁の一部をばこんと叩いてどかせば、瓦礫の中に人一人が通れるほどの穴が開いた。

 

「この先が壊れてないか見てきますね」

「分かった。気をつけていけ」

 

はい、とキャスターは答えて瓦礫の向こうへ姿を消した。

結わえた黒髪の先が壁の穴の向こうへ消えて、後にはカルナとアルジュナが残される。そうなると当然、沈黙が下りた。

しかし元々、この二人が同じ空間にいて、争わずにしているだけでもあり得ないのだ。やっていることが瓦礫の撤去作業という仕事だろうが、協力には違いない。

 

「……」

「……」

 

それこそ競い合うような速さで、瓦礫をどかす二人の耳にしばらくして廊下を走る音が聞こえ、穴からキャスターが顔を出した。

 

「カルナ!アルジュナ様!外!外が見えます!とってもきれいな空です!」

「……落ち着け」

「あ……すみません」

 

思わずと言ったようにとキャスターが口を手で押さえ、また瓦礫の穴へ引っ込んだ。

 

「……いや、別にお前が謝ることではないのだが」

 

ぼそりとカルナが呟き、何をしているのだお前は、とばかりにアルジュナが頭を振る。

程なくして、一際大きな音が聞こえ、通路を塞いでいた瓦礫が外側から風に巻き上げられながら吹き飛んだ。

恐らく通路は半ばから途絶えてしまったのだろう。廊下の先には、見えないはずの青空が広がっていた。

 

「……何とも荒っぽい」

「すまん。たまにせっかち、というより子どもっぽくなるのだ」

 

二人の視線の先でキャスターは途切れた廊下の先に立ち、冷たい風を一杯に浴びて、瞳を輝かせていた。けれどその頬には静かにきらきらと日の光を反射して輝きながら流れるものがあった。キャスターは、泣きながら笑っていた。

それが何のため、誰のための涙なのかを尋ねる者はいない。誰もが分かっているからだ。

それでもアルジュナとカルナの気配を察知したキャスターは、目元を無茶苦茶に擦り、取り戻された青空を背にして笑顔で振り向いた。

 

「ほら、本当の本物の未来の空です。マシュさんの言っていた通りです」

 

珍しくキャスターはぐいぐいとカルナの手を引っ張って、途切れた断崖絶壁の端にまで行ってしまう。

なるほど確かに少女のようだ、とアルジュナは嘆息した。

アルジュナにとってキャスターは、距離感が掴みにくい相手だ。キャスターも、カルデア内で唯一アルジュナにだけは様を付けて呼んでいる。生前の呼び方が抜けないからというが、あちらもアルジュナに距離を置きたがっていることの証だろう。

それは当たり前だと思う。経緯はどうあれ、アルジュナはキャスターの最愛の人間を殺しているのだから。

恨んでいるかと聞けば、あなたを恨んで何か一つでも過去が変わるのか、と逆に問い返されたこともあった。何と愚かで分かり切った質問をしたのかと、今のアルジュナは思う。

そしてキャスターはアルジュナの生前の知り合いらしいが、アルジュナにはあいにくその記憶がなかった。自分とカルナがカルデア内で出くわしたときなどに、毎回誰かが仲裁役として呼びつけるものだから顔を合わせる機会はあるが、そのときのキャスターはカルナと揃いのような無表情をしていることがほとんどだ。

要するに、アルジュナはこういう風に笑顔ではしゃぐキャスターの顔などついぞ見たことが無かった。

 

「分かった。分かったから、少し落ち着け」

「あ……」

 

カルナに肩を叩かれたキャスターは、思い出したようにアルジュナの方を見て首を縮めた。

その瞳の輝きは何も曇ったところがなかった。取り戻された空と同じ色のまま、ただただあるがままを見て、何もかもを慈しんでいた。

 

「アルジュナ様、見ないのですか?綺麗ですよ」

 

そうしてカルナほど鋭くはないが、しかし何かを見透かすような青い目でキャスターはアルジュナを見る。アルジュナはその目から顔を背けた。

 

「……遠慮しておきます。そちらもあまりはしゃいで落ちないように」

 

何しろ、ここは人を寄せ付けない雪山。その中腹にぽっかり空いた穴の縁だ。下まで落下すれば、サーヴァントでも戻ってくるのは少々手間がかかる。

 

「それはその通りだな。お前の喜びは分かるが、やるべきことは忘れるなよ。まあ、落ちても回収しにいくだけだがな」

「あなたたちは、何でこういうときだけ意見が合うんですか!というか落ちても自力で戻れます、私も飛べるんですから!」

 

頬を膨らませたキャスターの頭をカルナが軽く突いた。

そこにはアルジュナのよく知るいつもの眼光の鋭さ、何もかもを見透かすような冷たさはなかった。

アルジュナの知るカルナは、何もかもを鋭い眼光で暴き、味方には義理堅いが敵にはどこまでも苛烈な宿敵だった。

その認識は全くもって間違っていないだろうし、カルナもキャスターもそれを否定することは無い。

ただ、それ以外の一面もこの男には確かにあったのだと、アルジュナは思った。

 

「ちょっとそこのインドトリオ、あなたたちはいつまで遊んでいるんです?早くカルデアを直して回らないと、間に合わないんじゃありませんか?」

 

だがそこへ後ろの廊下から呆れた様子の声がかけられる。

三人そろって振り向けば、そこにいたのは腕組みをしている玉藻の前だった。

 

「あ、遊んでませんよ。玉藻さん!」

「はいはい、そんなににこにこしちゃってたら説得力ねえですよ。カルナさんも遊ばせてないで手伝ってくださいな」

「遊んでいたつもりはないのだがな……。それと、オレは直すのは不得手だ。瓦礫を破壊しろというなら得意だが」

 

我知らずアルジュナは口を開いていた。

 

「……これ以上壊してどうする。大人しくしておくべきだろう。それとキャスター、空ならこれからも見れることでしょう。ひとまず直してしまいなさい」

 

キャスターとカルナが揃って目を瞬かせ、玉藻の前も意外そうに鼻を鳴らした。

 

「……何ですか?」

「い、いいえ!」

 

首を振ったキャスターと、意外そうな玉藻の前との二人がかりで瓦礫は組み合わさり、復元の術によって廊下は元の姿を取り戻した。

一人増えて四人となり、一同は来た道を戻る。ただ先ほどとは違って、帰り道は賑やかだった。玉藻の前にからかわれては、キャスターがややむきになってずれた答えを返し、カルナが口を挟んではアルジュナが止める。

混然としているが争うこともなく、四人はそのままカルデアを歩いて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 




以下、謹賀新年込みのオマケのマイルーム会話集①

レベルアップ時
「レベルアップです。不思議な感じですね」

霊基再臨1
「ん、姿が?顔が……ああ、隠すなということですか」

霊基再臨2
「……火力が上がりました。ありがとうございます、マスター」

霊基再臨3
「火力が再びアップです。え?ビーム出せないかって?何でみなさん、そんなにビームが好きなんですか?」

霊基再臨4
「……力が静かに湧いてきます。ここまでしてもらえるなんて、私は幸運ですね。これからもよろしくお願いします、マスター」


絆Lv1
「……何か私にご用ですか?」

絆Lv2
「私と話したいのですか?……なるほど、コミュニケーションというやつですね」

絆Lv3
「おしゃべりはあまり長続きした試しがなかったのですが……。マスターと話すのは楽しいですね」

絆Lv4
「私と何かしてみたいと?遊びとかですか?……むむむ、日向ぼっこするのはどうですか?昔はよくしたのですけど……。そういう何の意味もない時間も、たまにはとっても楽しいですよ」

絆Lv5
「昔もここに来てからも、たくさんのことがあります。いつもいつでも、楽しいことだけではありません。でも出会った人たちとか思い出とか……。大切なものが増えていくんです、それはとっても幸せなことです。だから、そういう機会をくれたあなたに最大の感謝を。マスター」

好きなこと
「好きなこと、ですか?日差しが優しい時間に森で寝ることですね。あと、日本には線香花火というものがあるようですが……それを一度、してみたいです」

嫌いなこと
「……そうですね。何かこう、神様とか聖人みたいな顔で笑っている人は苦手というか……」

聖杯について
「聖杯は特にいりません。が、マスターが欲しいなら取るべきものですね、サーヴァントとして」

誕生日
「今日はマスターの生まれた日なんですか?お祝いしましょうよ、ぜひぜひ!」


遊び企画でした。②はまた後日します。



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幕間の物語ー『贈り物の日』

オマケ・バレンタインデーの一日の話。





 

 

 

 

 

 

 

「だからだね、マスター!直流と交流というのは決定的に違うのだよ!そこをあのすっとんきょうめは―――――」

 

カルデア内のマスター安息の地であるはずの、マイルームにて気炎を上げるサーヴァントが一人いた。

首から上が獅子という奇っ怪な姿の発明王、トーマス・アルバ・エジソンである。

バレンタインデーというお祭りが行われているカルデア内は、今どこもかしこも騒がしい。マスターの白斗の部屋にも、女性サーヴァントたちからもらったチョコやら何やらが机から溢れそうなほどに置かれている。

 

「発明王。それであなたはまたテスラと喧嘩したんですか」

 

延々続くエジソンの弁論を聞いている白斗の横に座り、にこやかな笑みを浮かべているのは、ルーラーのサーヴァント、天草四郎だ。

元々、白斗と天草はマイルームで女性サーヴァントからのチョコを整理していた。白斗のもらった数は一度にすべては食べられないくらい多く、整理しないと収集がつかないし、中にはチョコのつもりで悪気なく劇物を贈ってくるアイドルとかもいる。

だから、啓示スキルで食べても死なないか否か判定してほしいと白斗は天草に頼んだ。果てしなくスキルの使い方があれだが、マスターの命に関わる一大事なので、天草も頷いた。

まあ逆に言うと、死なない限りは中身がどんなのであれ、白斗はひとつも残さず食べるつもりだったのだ。

そうやっていた所に、急にエジソンが話を聞いてほしいと突っ込んできて今に至る。

そういえば、朝方に廊下を手持ち無沙汰に歩いていたカルナから聞いたことだが、エジソンもエレナからチョコをもらったという。じゃあテスラは誰かから貰ったのかなぁ、と白斗の思考が少し逸れかけた所で、マイルームの扉をノックする音が響いた。

 

「マスター、いらっしゃいますか?」

 

聞き覚えのある低めの女性の声である。

どうぞ、と白斗が言うと、扉を開けてサーヴァントが姿を現した。灰色のキャスターでだった。

入ってきたキャスターは、エジソンと天草の姿を見て足を止めた。

 

「あ、お話し中でしたか?」

「いや、構わんよ。キャスター君。何かマスターに用事かい?」

「はい。あの、マスター、そのチョコの山、ちょっと見せてもらってもいいですか?」

 

キャスターが指差したのは、机の上に溢れかけているチョコの山である。

いいよ、と白斗が言うと、キャスターは山をかき分け始め、白斗はその隙にアルジュナとカルナから貰った『バレンタインチョコのお返し』を、エジソンの巨体の陰にこっそり隠した。あの二人が白斗に何をくれたのか、キャスターに知られるのは躊躇われたのだ。

白斗のその奮闘は全然目に入っていない様子で、キャスターは下の方から赤い紙で丁寧にラッピングされた箱を取り出すと、安心したようにそれを胸の前で抱き締めた。

 

「キャスター、もしかしてそれ、カルナに上げるやつ?」

「……はい」

 

少し恥ずかしそうにキャスターが頷いた。

何でも、キャスターは白斗に渡すチョコとカルナに渡すチョコを間違えた上、それが他のに混ざって行方不明になってしまった。だから慌てて物探しの呪術を使い、白斗のマイルームに来たのだという。

何でそんなことになったのかというと、エミヤやブーディカに作り方を教わりながら、チョコを失敗しないで作ることの方に気をとられて、ラッピングをほとんど一緒にしてしまったから取り違えたそうだ。

 

「マスターへのチョコはこっちなんです」

 

そう言ってキャスターが白斗に渡してきたのは、なるほど似たような赤い包み紙のチョコレートだった。リボンの形が少し違うだけである。

 

「こういうお菓子は作ったことなかったのですが、エミヤさんにお墨付きが貰えたので味はちょっと自信あります」

 

キャスターは、得意そうに腰に手を当てて胸を張った。

 

「えーと、じゃあ、なんのへんてつもないちょこ?」

「は?……ええ、エミヤさんお薦めの初心者向けです。甘さ控えめですけど。……今日はささやかなお菓子に感謝の心を込める祭りだと、エレナに聞いたんですが……?」

「それで正解ですよ、キャスター。見つかって良かったですね」

「はい、ありがとうございます。天草さん。では、お騒がせしました」

 

と、キャスターは言って部屋を出ようとする。多分、これからカルナに渡しに行くのだろう。顔にはあまり出ていないが、雰囲気が実に楽しそうだった。

 

「キャスター、令呪を通じて探そうか?カルナがどこにいるかすぐ分かるよ」

 

そう言われてキャスターは振り返って、少しだけ考えてから首を振った。

 

「いいえ、大丈夫です。私はいつもカルナに探しに来てもらってるから、今日は私だけで探して渡したいんです」

 

では、皆さんもバレンタイン楽しんでくださいね、とキャスターは言って、今度こそ部屋を出ていった。

 

「……あのキャスターも抜け……可愛いらしいところがあるんですね。包みを取り違えるだなんて」

 

天草がぽつりと言い、エジソンは思い出すように腕組みをした。

 

「そう言えば君は、何処かの聖杯戦争でキャスター嬢に斬りかかられたんだったか?」

「ええ。まあ、そのときの彼女と今の彼女とは、根が同じでも在り方が異なるようですが。私のことも知らなかったようですしね」

 

それってチーム・アルトリア顔みたいなものなのかなぁ、と白斗は思ったが、口には出さないでチョコの整理作業に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスターの部屋を出たキャスターは、しっかりした足取りでカルデアの廊下を歩いていた。

アンデルセンほどではないが、キャスターの特技は人間観察である。そのため誰がどこにいることが多いかとか、事件を起こしたサーヴァントの誰かが逃げるならどこへ向かうかとか、そう言うことも何となく把握していた。

とはいえ、彼女のは特技でしかない。特別なスキルとして昇華された訳ではないので間違うことも希にあるのだが、今回は相手がよく知るカルナだったから、その場所もわりとすぐに見付けられた。

といっても、場所は戦闘シミュレーター室だ。正直ものすごく分かりやすい、と探す楽しみがすぐ終わったことが、ほんの少し残念な気もした。

カルナは部屋の真ん中で槍を構え、一人で型を何度も繰り返していた。演武のような滑らかなその動きが、キャスターの気配を察してか止まる。

 

「……何か用か?」

「はい、あります。これ、バレンタインデーのチョコレートです」

 

さっくり無表情に、キャスターはチョコを渡した。キャスターの見た目は少女然としているが、渡す相手が長年連れ添った相手なのだから、恥じらうようなことでもない。

まあ、見る人が見ればほんのわずかに、キャスターの白い頬に朱が差しているのが分かったかもしれないが、生憎シミュレーター室には誰もいなかった。

というか、察しの良い面々はチョコレートを持って歩いているキャスターの気配を感じた時点で回れ右して場から遠ざかるか、然り気無くアルジュナをシミュレーター室から遠ざけるかしていたのだから、辺りに誰もいなくて当たり前であった。

 

―――――そう言えばこの人、バレンタインの意味をちゃんと知っているのかな?

 

渡してから、キャスターはふと思って固まった。カルナの方はカルナの方で、箱をじっと見ながら無言だった。

 

「あの、チョコですよ。バレンタインデーの」

「いや、それは分かっているし意味も知っている。マスターからバレンタインの何たるかは既に教わったからな。……しかし、オレにはもう返す物がない」

 

何でもカルナはマスターにバレンタインのチョコをもらって、お返しをしたそうだ。

 

「別にお返しなんて……」

「お前が必要ないと思うのは分かる。分かるが、貰っただけではオレの気が済まない。まして、こんな……」

 

カルナの細い指が、箱の中の太陽と槍が組合わさったような形のチョコレートを摘まんだ。

 

「凝った形にしたな」

 

と言われて、キャスターは頬をかいた。

形を考えるとき、キャスターは図案を書いては消して書いては消して、色々考えて作った。

尚、キャスターは白斗には普通に球形のチョコレートを送っていたりする。だから中味を間違えたと分かったとき、血相変えて慌ててカルデア内を走り回ったのだ。

要するに、自分が楽しんで作ったから、キャスターは何にも苦労した覚えはなかったし、言ってはなんだが、ここでカルナが気の利いたお返しでもしてきたら、キャスターは熱でもあるのかと心配しただろう。

カルナに関してはそこらのセンス諸々が壊滅しているのはとっくのとうに知っている。

でもカルナの言うことも分かる。逆だったなら自分もお返しがしたくなるはずだ。

とにかく何か言わないと楽しんで食べてくれそうにないなぁ、とキャスターは首を傾げた。

 

「それなら……そうですね。……今日のあなたの残りの時間、それを全部私に下さい」

「……」

「ええと、今日一日が終わるまで、私に付き合ってほしいんです」

 

言っているうちに、キャスターは頬が熱くなるのを感じた。

 

「……ダメ、でしょうか?」

 

少し高い位置にあるカルナの顔を見上げて、キャスターは言った。

 

「断る理由はない。……が、良いのか?そんな簡単なことで」

 

その簡単なことをするのに、散々回り道と時間をかけたのがあなたたちでしょうが、と白斗やエレナがいたらツッコミが入ったのだが、二人ともいなかった。

 

「そうですよ。そういう簡単なことが良いんです」

 

今さら欲しい物も、ない。

それなら記憶に残るくらい美味しいお菓子だとか、ずっと覚えていられる一日の想い出だとかができた方が良いのだ。

キャスターはカルナの手を引っ張ってシミュレーター室を出た。

といっても、出たはいいが無計画である。

うっかりカルデア巡りをしていてアルジュナと鉢合わせでもしたら、どういう顔をすればいいか分からない。

キャスターがもっと武に長けていたら、一日鍛練として撃ち合っていてもいいし、カルナがもう少し呪術に詳しかったら新しい術式を作るのを手伝ってもらえるのだが。

無い物ねだりである。考え方は合うのに、趣味は微妙に噛み合わない二人だった。

どうしようかと考えるキャスターの目が、ふとレイシフトのための部屋の扉を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、バレンタインデーの終わりのカルデアの食堂である。

男性サーヴァントや男性職員、女性サーヴァントや女性職員の悲喜こもごもが繰り広げられるお祭りは終わりかけていた。

 

「……で、結局、それから一日森にレイシフトして狩りをしていたと?」

 

厨房の中が覗ける位置にある椅子に座り、微妙に呆れ顔のアルジュナが半眼で問う。

問われたカルナは、似合っているのかいないのかよく分からないエプロンを付けて、無表情に返した。手には槍の代わりに包丁が握られている。

 

「ああ。生憎、弓が無くなったから槍と剣を使ったがな。竜種を狩るには却って都合が良かったかもしれん」

 

そこで、コンロの前に屈んで火力を調節していたキャスターがジト目で口を挟んだ。

こちらもエプロンを着けて髪を束ねている。

 

「弓は、無くなったんじゃなくてあなたが壊してしまったんでしょう」

「……すまん」

 

真ん中の所で真っ二つになったキャスターの弓は、食堂のテーブルの上に転がっていた。

その横には、竜の牙やら爪やら逆鱗が山になって置かれている。

バレンタインデーに遊びに出たカルナとキャスター。レイシフトして素材集め込みの竜狩りを始めたはいいが、弓を持っていなかったカルナはキャスターから弓を借りた。

そこまでは良かったのだが、火力の加減を間違え、カルナは借りた弓をへし折ってしまったそうだ。弓はキャスターの手製で、カルナの宝具の発動には耐えられないくらい脆かったらしい。

というか、そもそも目からビームが撃てるカルナに弓を貸さなくても良いのでは、と思う面子もいたのだが、黙っていた。

 

「そこまでは分かった。分かったが一体貴様は何をしている?」

「見れば分かるだろう。料理だ」

「素材に、竜の肉を使ってか?」

「婦長さんから食べても安全と太鼓判押してもらいましたし、香辛料で臭みを取ったから美味しいですよ」

「いえ、美味い不味いではなく……」

 

キャスターは右に、カルナは左に揃って無表情のまま首を傾げた。 何か問題があるのか、と言いたげだ。

天然か、とアルジュナは呟き、天然だったな、と一人で納得した。

そこへさらに別なサーヴァントが一人現れた。

 

「バレンタインに素材集めってあんたたちもよくやるねぇ。で、料理は何作ってるの?」

「あ、ブーディカさん。ええと、マスターの故郷の料理のカレーライスです」

「あんたたちの故郷のカレーじゃなくて?」

「ええ、ここだとちょっと香辛料が足りないんです」

 

ふうん、とブーディカはカウンター越しにキャスターの手元を見下ろし、そのままくしゃくしゃとキャスターの頭を撫でた。

ブーディカより小柄なキャスターは目を丸くした。

 

「ぶ、ブーディカさん?」

「いやぁ、あんたとカルナね、ハロウィンみたいなお祭り騒ぎがあってもあんまり遊んだりしなかったでしょ?でも可愛いところもあるんだなぁって。……で、カルナ、あんたキャスターのチョコ食べたの?」

「いや、まだだが……」

「もー、早く食べて感想聞かせてあげなって。バレンタインデーの何日も前から準備してたんだからさ。あたしとかエミヤのとこにやって来てさ。ちゃんと教えてほしいって頼むんだからねぇ」

 

ブーディカに頭を撫でられていたキャスターが、そこで尻尾を踏まれた子猫のような叫びをあげた。

アルジュナはキャスターに同情する。

何も、こんなところでネタバレしなくてもいいだろう。ついでに言うと、食堂にいる他の男性諸君の目が、何かもう死んだ魚だからそれもどうにかしてほしかった。

 

「ま、マスターとマシュさんにカレー味見してもらえないか聞いてきますっ!カルナは鍋の火を見ておいてくださいっ!」

 

結局、エプロンもそのままに、キャスターは食堂から飛び出してしまった。

 

「ありゃりゃ、まさかあそこまで反応するとは思ってなかったな」

「いや、あのキャスターは元からあんな感じでしょう……」

 

悪びれない笑顔を浮かべる勝利の女王に、授かりの英雄は呆れ顔になるしかなかった。

 

「カルナ、キャスターからかっちゃってごめんね。お詫びに火はあたしが見るから、あんたはチョコを食べちゃいなよ。ずっと持ってたらさ、チョコがあんたの太陽の熱気で溶けるんじゃないかい?」

 

何せ、魔力放出(炎)持ちである。

まあキャスターはそんなやわなチョコは作っていないのだが、カルナはそれを知らなかった。

 

「それは困る。では頼んだ」

「はいはい。ま、頼まれるようなことでもないけどね」

 

食堂の隅に行って、箱を開けるカルナである。この辺りで死んだ魚の目になっていた男性諸君は退出した。

宿敵が無表情のまま、雪の結晶でも摘まむように大事そうに小さな菓子をかじっている。というあまりに長閑な光景に、アルジュナは頭を抱えたくなった。何というか、自分とあの夫婦では同じ祭りにしても温度が違いすぎる。

それをあのキャスターに言ったら、祭りは元々楽しむものですよ、とまた真剣だが惚けた答えが返ってくるのだろうが。

 

「アルジュナ、あんたもまだいるんなら手伝っておくれよ。キャスターは多分マスターとマシュを連れて来るんだしさ」

「……了解しました」

 

チョコをかじったカルナの顔が一瞬綻んだのを最後に見てから、アルジュナは椅子から立ち上がった。

そうして、何だかんだとバレンタインデーは過ぎていき、終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……チョコレートだがな、美味かったぞ。ありがとう」

「……どういたしまして。またいつかしましょうね、バレンタインデー」

「……そうだな、またいつか、な」

 

その日の夜の、そんな会話が、祭りの終わりになったのだった。




あんまり深く考えないで楽しんでもらえたら幸いです。


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《IF編》月の都のネロ祭-1

久々に投稿です。

ズレてしまいましたが、extella linkの発売とネロ祭での嬉しさが合わさった結果、番外編を投稿します。

例によって作者はふざけており、本編時空とは一切関係ありません。
主人公がextella時空に召喚されたIF話です。
今回はすべて主人公一人称視点で話が進みます。

では。


 

 

月に、新王の治める平和な都が築かれた

そうなるには紆余曲折があった。争いがあり、敵がいて、和解と別れと、涙と希望があった。

世界の文明と人々すべての命運までがいつの間にかかかっていた超弩級の戦いが終わり、その後に築かれたのが今という穏やかな時間だ。

私もその戦いには参加した。

といっても私は、他の人たちのように戦いに最初から飛び込んだというわけではない。

初めのうちは月で戦いがあるということすら知らなくて、果てしなく不毛な未明の大地に召喚された。

何をしろとも言われず、何かを為さねばと感じることも無いまま、ふらふらと迷い子のように歩いているうちに何となく戦いに巻き込まれ、これまた流れでとある陣営に味方し、そのままになったのだ。

そうなってみても、私がその陣営に味方したのは、そこにずっと会いたかった夫、つまりカルナがいたからというだけだった。そうでないなら、月面を彷徨う旅人を続けていただろう。

私が、自分が渦中に飛び込んだ戦いがどういう類のもので、何を掛けているものか理解したのは、他の人より遅かったと思う。

要は、どういう戦いにおいても、私は大体振る舞いが中途半端で情けないのに変わりはなかった。

しかし私は、ええい、いっそもうどうにでもなれと、開き直って戦った。戦いへの悠長な戸惑いだとか葛藤だとか、そんなことを持ったままでいては消し飛ばされてしまうくらい戦いは激しかったのだ。

自分が中途半端だとしか思えないのならばそのままで良い、ただ己を卑下することの無いまま、己らしくできることをやれ、というカルナからの言葉を胸に戦い、何とか生き残った私は、桜舞い散る都に住み着いていた。

月は慣れない土地で周りは知らない人々ばかりだけれど、今はとても楽しい。

大好きな人と共に暮らすことができて、この国を統べる良き王様とその良き伴侶たちの力になれるならそれ以上望むことは何もないのだ。

更にここは、地上で生きていた頃と比べても、このときが恐らく最も平和な時間ではなかろうかと思える程、のんびりしている。

今日も小さな家の窓を開ければ、変わらぬ電子の蒼穹と、大気を薄紅に染める小さな花弁の乱舞に出会う。

優しい香りのする異国の花に、朝の挨拶を告げて一日が始まるのだ。

 

それは、なんて幸せなことだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平和な街があれば人が集まり、人が集まれば金も集まる。金が集まれば物を持つ人が訪れ、そうなると商売が始まる。

物とお金と、人が巡り来る場所には活気がやって来る。

月でも何処でも変わらないこの世の真理だ。

玉藻の前が支配していた千年京時代も賑やかだったが、戦いが終わってネロ・クラウディウスのローマ領域とも自由に行き来が出来るようになって以来、この桜の都は更に人が増えた。

NPCという純粋な電脳世界人や、地球から魂をデータに変換してやって来た魔術師や一般人たちなど、訪れる人は様々。そうなると商売の幅も広がって来る。

 

「顕著な所だと、やはり食事処ですか。日本の料理以外を取り扱う店も増えていますね。最多はローマ!……の系列ですが、その他もちらほらと」

「人々が増えれば、腹を満たし心を落ち着かせる憩いの場は必要になる。新王のセイバーとキャスターが競って料理を作ろうとするのも頷ける」

「いや、それは何か違うような……」

「そうなのか?」

 

私が首を傾げると、横を歩く白髪の人、カルナは眉を上げた。

人々の憩いの場である食事処の話題と、月の新王岸波白野のサーヴァント、赤いセイバーと青いキャスターとの正妻の座をかけた料理対決を比べるのは根本が違うと思う。

もしや料理ならばどちらも変わらないだろう、などと考えているのではなかろうか。

そうだったとしたら、セイバーことネロ皇帝とキャスターこと玉藻の前の両方からとっちめられそうだ、なんて余分で面白いだけの考えをつらつら思いつつ、カルナと桜の都を歩いて行く。

そう言えば、ネロ皇帝は闘技場での一大武術大会も行うつもりだとか、そうなったなら参加したいな、等など話すことは他愛ないことばかりだ。

心の中に余分と面白さがある暖かさを、桜の都の日差しの中に感じつつ進むと、一軒の店に着いた。

店先には朱色の布がかけられた長椅子が幾つか出ている。紺色の暖簾のかかった戸口に立って右を覗けば、猫の置物や獅子のおもちゃ等など、雑多なものが置かれた棚。左を見れば、卓袱台に座布団が見える。

玉藻の前の故郷、日本国の茶店と骨董店を合体させたような店であり、現在私が働いている所でもあった。

 

「おはようございます、キャスターにカルナ」

 

店の右側から片手を上げた猫の置物を抱えた紫の髪の美女が現れてそう言った。

 

「おはようございます、メドゥーサ」

 

私は暖簾をくぐりながら、カルナは軒先に立ちながら揃って頭を下げる。

ライダーのサーヴァントこと、メドゥーサは綺麗な薄紫の髪を揺らして軽く頭を下げた。

メドゥーサとは同じ陣営で戦っていた仲間で、今では同じ店で働いている。

サーヴァントが店員をやっているという物珍しさからか、そこそこ人はやって来るし、食い逃げも喧嘩沙汰も起こったことがない。

良い仕事場だと思うし、私はここが好きだ。

そうやっていつも通り、じゃあまた後で、と店先でカルナに手を振って別れれば、それでカルナは辻を曲がって、川に落ちた紅葉のように何処かへと流れて行った。

その背中が見えなくなるまで小さく手を振れば、私の働く時間は始まるのだ。

さあやるぞ、とくるりと振り返ると、そこにはいつもと違ってメドゥーサがまだ猫の置物を持ったまま立っていた。

 

「あの、私に何か?」

 

水晶みたいに澄んだ瞳の麗人に見られると、結構迫力を感じる。私はメドゥーサより小さいから尚の事だった。

問うと、メドゥーサは口を開いた。

 

「些細な疑問です。……あなたたちはいつもそこで別れていますが、カルナは普段何をしているのかと思いまして」

 

単なる疑問です、とメドゥーサは付け加えた。柱に引っ掛けてあるエプロンを取って着けながら、私は思い出すために片目を瞑る。

 

「一言で言うと自由、ですね。街を歩いたり、領域の外へ出たり、何処かの茶屋の軒先にいたり、そんな所です」

 

だから、店がない日に街へ出ると、あちこち歩き回っているカルナの方がどこに何があるのかは詳しいのだ。

と言うと、メドゥーサは猫の置物をことりと棚に置きながら呟いた。

 

「……それは、世間で言う無職ですか」

「………」

 

ふむ、とエプロンの紐を結びながら言葉が頭に染み込むのを静かに待った。

無職。つまり手に職が無い人、または収入のない人のことだ。

 

「……言われてみれば、そうですね」

 

少し前、戦いがあった頃は、カルナは玉藻の前陣営の副官だったけれど、玉藻の前とネロ皇帝が揃って新王と共に国を治めるようになって以来、争いはない。

ネロ皇帝の副官、無銘と名乗っている赤いアーチャーは今でも戦闘以外での多種多様な雑務をこなしているが、カルナはしていない。

というか、はっきり言うならば。

てんから、向いていないのだ。

カルナは戦闘力が隔絶しているのは言うに及ばず、用兵や軍略はできる。できるが、カルナはそれ以外の平時のことには疎い。交渉事に赴けば口下手と本心を直接口に出す癖が災いして紛糾しかねない。

一人で行くと言ったら、お願いだからやめてくれと土下座してでも止めたくなる程だ。

平時に向いていて、戦時に汲々とする私とはそこが真逆だ。

故に市井に混ざっているのだ。

その現状は、なるほど確かに見ようによっては無職だった。

 

「それにもう一つ。あなたは働いているのでしょう?」

「それは……私がこう言う風にずっと暮らしたかったからです」

 

生活の対価を自分の手で賄って、平和な街でただ暮らす。それが夢だったから。

カルナがクー・フーリンや李書文のような冒険の旅へと出てゆかなかったのも、私の考えを薄々察してくれていたためもあると思っている。

しかし、今の今まで全く気付いていなかった訳だが、カルナは職無しだったのだ。

じっとしているメドゥーサはまだ私が何か言うのを待っているように見えた。

 

「……まあ、それはそれで良いと思います」

 

色々と言葉を頭の中でひっくり返した末に、答えた。

 

「前に仕えた王様の言葉ですけれど、将軍と警吏、それに医術師に呪い師は暇なほど良いと言うのがありました。カルナは将軍だから、彼が暇でいられるならそれだけ治安としては良いと言えると思います」

「なるほど、道理ではありますね」

 

私はメドゥーサに頷きを返した。

どれも、非常時に人が頼りにする職で、だからこれらは暇な方が良いと言っていた。

カルナは勿論のこと、私は医術師兼呪い師だから身につまされたのを覚えている。

私たちのような俗世から外れた人間が忙しく立ち働いているのは、本当は良い状況ではないのだ。

 

「それに、平時に向いているのが私で、非常時に向いているのがあの人です。だから何もない今みたいなとき、あの人が何もしない時間を楽しんでいるのを見るのは、私が嬉しいんです」

 

あの人の平穏こそが、私にとっての平和の象徴なのだから。

と、つまりそういう考えを持っていたから、私は自分が働くとカルナの無職ぶりが目立つのに気付いていなかったのだ。

あちらはどうなのだろう。

まさかと思うが、気付いていながら何も言っていなかっただけという展開だったなら、とても凹む。

よし、と意気込んでから私は知らず組んでいた腕を解いた。

 

「とりあえず―――――」

「とりあえず?」

「食材の仕込みにかかります!!」

 

敬礼の真似事をして厨房に飛び込む。メドゥーサから少々冷めた目線が来たように思うが、どのみちここで考えても仕方ないことに割く思考は無し。

今日もいつも通りにやろうと鍋へと手を伸ばす私は、だからこの店の一つ離れた辻で、誰が何を聞いていたのか、完全に察知できなかった。

 

「……そうか」

 

などと宣って、何処へか歩き去る白髪長身の槍兵がいた事をこれっぽっちも知らなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「未確認の領域への調査……ですか?」

 

今日も何事もなく仕事も終わった後、私は軒先に立ったままそう返していた。

帰ろうと店の暖簾をくぐった途端、反対側の店の座敷に座っていた面々がすすすと近寄って来たのだ。

 

「えぇ。ご存知の通り月には未だ解明されていない領域があります」

 

そう言うのは新旧入り混じった日本国の青の巫女装束を纏った狐耳の女性、玉藻の前である。

 

「この都から最も近い未踏領域にな、今回強い反応が見つかったのだ」

 

二番目に口を開いたのは赤い華やかな衣服に身を包んだ可愛らしい金髪の少女、ネロ・クラウディウス。

 

「敵性反応はない。でも近くにあるのは気になるから、カルナとキャスターに調査してもらおうかと」

 

三番目は、白を基調にした衣装を羽織る茶色い髪をした柔らかい雰囲気の青年。柔和そうな外見ながら、彼はこの月で一番の重要人物である。

彼は月の新王、岸波白野。

先の戦いにおいて玉藻の前とネロ皇帝のマスターであり、この月と地球すべてと、それから一人の小さな女の子を救った立役者だった。

傾国の美女と麗しい皇帝の両方から熱烈に愛されているという、最早それだけでも人類史に残る偉業なんじゃなかろうかと思いたくなる境遇でありながら、日々をのほほんと幸せに過ごしている色々と規格外な御仁である。

彼らの姿を見たときは、月世界の最重要人物が三人揃って訪れるなんて、すわ何事かと思った。

が、言われたことは案外普通だったために、私は拍子抜けしたような声を出してしまった。

 

「事情は分かりましたけれど……偵察にカルナは不向きですよ」

「……あ、やっぱり?」

 

新王に頷く。

大体の敵はとりあえず正面から撃破していけばほぼ何とかなるのがカルナだ。……いや、それが災いするのもカルナなのだけれど。

ともかく、彼の父譲りの神威まで含めて彼は存在自体がかなり分かりやすい。

何より偵察や隠密は、他の人間に任せた方が上手く行くと本人が割り切っている節もあった。

 

「偵察なら、ロビン・フッドさんと行ってきましょうか?彼の隠密技術も観察してみたかったですし」

 

言った瞬間、ごつんと後頭部に軽い一撃を食らった。

 

「てぇーい!こんのド天然娘ぇ!それじゃ意味ねぇんですよ!精神年齢何歳なんです察しなさい!」

「ちょっ、待っ!鏡は無しです!神器なんでしょそれ!」

 

今度は正面から飛んできた玉藻の前の宝具である大きな丸い鏡を、両手で挟んで受け止めた。

 

「これがホントの真剣白刃取り……?」

「ぼけている場合ではないぞ、奏者よ。元より月の呆け担当はインドペアで十分だ」

 

じりじりと鏡に押されながら、呑気な会話を聞く。鏡越しに見る玉藻の前の琥珀の色の目は、割りと本気だった。

 

「何で自分からイベント潰しにかかるんですかねこの人は!元々耽美な千年京にあるまじき純粋幸せオーラ全開の人でしたけど!今更好感度上げるフラグなんざ必要ないと言いたいんですかねぇ!」

 

訂正。割りとではない。完全に彼女は本気であった。

 

「玉藻、ちょっとそれくらいで……」

「そうだぞ。もっとやれと思わんでもないが、これでは話がさっぱり進まん」

 

玉藻の前の鏡がようやく引き下がって、肩で息をした。彼女に言われてもまだ分からないほど、私は鈍くはない。いや、本当なら最初のときに分かっておけという話なのだけれども。

 

「……新王と妃方の心遣いに感謝します。未踏領域調査、しっかり赴いて来ます」

 

まぁ、つまり、たまには二人で過ごして来いという、とても嬉しい命令なのだ。

それに最初から応えられない私は、確かに惚けていた。平和な暮らしで頭が鈍っているのだろうかと、少し不安になる。

新王はうんうんと頷いて、でももう一つあるんだ、と言った。

 

「あのさ、キャスターはアルテラを知ってるだろ?」

「はい。忘れる訳ありません」

 

地球の文明を一度滅ぼした、魔の星ヴェルバー。それから分かたれた、奇跡のような存在が今この月で新王やネロ皇帝に囲まれながら、健やかに学び生き始めた女の子、アルテラだ。

よく知られている名前は地上世界で神の鞭とまで言われた大王アッティラだけれど、彼女はその名は可愛い響きでないから好きではないのだとか。

アルテラはそういう女の子で、私も何度か話したことはあった。

 

「うん。そのアルテラだけどさ小さくなってからあまり都から外へは出てないんだ」

「そう言えば……そうでしたね」

「だろ?何度かあの子の故郷に似てる草原エリアに遊びに行ったけどそれくらいだし……あと、俺たちがいない所で、人間とも関わった方が良いと思うんだ」

 

アルテラはセファールの一部として生きていた。でもそこから巣立ち、新しい一つの命として月世界で生きようとしている。

今は幼い女の子の姿だけれど、普通の人間のように成長だってするかもしれない。

そして、成長には刺激が必要だ。

刺激とは、新しい人々や新しい環境に触れること。

アルテラにはそういうのに見て感じてほしいんだと、新王は言った。

もしかしたらいつかは、あの子も地上に根を下ろすことだってあるかもしれないんだから、と。

 

「とにかくさ、カルナや君なら安心して任せられるんだ。だからアルテラも連れて行って欲しいんだけど」

「勿論ですよ。それにしても―――――」

 

アルテラのことを心底楽しそうに話す新王を見て、何となく思ったことを口にする。

 

「新王は、まるで彼女のお父上のようですね」

「そうかな?って待ってくれよ。それじゃあ、お母さんは―――――」

 

新王が言った瞬間、彼の肩は両側からそれぞれがしりと掴まれた。

不味い、と私も失言に凍り付く。

玉藻の前とネロ皇帝の花も霞むような笑顔が、彼の両肩の上に咲き誇っていた。どちらがお母様なのか言えと言わんばかりである。

やらかした、と内心で頭を抱えた。

 

「……あの、それではいつ出発すれば良いんでしょうか?」

「い、今すぐかな?実はカルナとアルテラは都の外れにもう待機してるんだ」

 

どうやら、話は私が思っていたよりずっと早く進んでいたらしい。

新王はやや慌てながら月の王権の証である指に嵌めたレガリアを掲げた。

 

「じゃあ、いってらっしゃい!気を付けて行って、しっかり帰って来てね!メドゥーサには俺から言っておくから―――――!」

 

レガリアの機能のほんの一部を使った、空間移動が行われる。

変換はあまりに一瞬で、何かを言うより早く粒子になった身体は空へと浮き上がり意識が霞む。

 

最後まで締まらないなぁとぼんやり思いながら、私は粒子になって都の空を流れて行ったのだった。

 

 

 

 




あくまで番外編なので、最長でも後二話で終わります。

今書いてる連載に戻らなければならないので。

では、失礼しました。


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《IF編》月の都のネロ祭-2

本日二話目です。

深く考えないで下さい、本当に勢いで読んでください。
……というおふざけ時空です。

では。


 

 

 

 

 

 

粒子への変換からの転移が終わって体が組み直されると、まずは音が戻る。

最初に聞こえたのはさわさわと頬を撫でていく風の音だった。

目を開けると、そこは緑の草に覆われ、蒼穹に蓋をされた草原である。

数十歩ほど先の緑の海の中に車が一台と人影が二つ見えた。

 

「車って……いや確かに便利ですけれど」

 

鉄の車かぁ、と遠目に見ていると、私の気配に気付いたのか小さい方の人影がぱたぱたと近寄って来た。

 

「くるまはいいぶんめい?わるいぶんめい?どっち?」

「……文明自体に良し悪しはありませんよ。善きに転ぶか悪しきになるかは、使う人次第です。他の全てと同じことです」

 

反射的にそんな答えを返して、かがみ込んで視線を合わせる。

風にさらさら揺れる白髪と褐色の肌を持つ女の子は、目線が合うとゆっくりと首を傾げた。

 

「改めまして。こんにちは、アルテラ」

「……こんにちは」

 

女の子、アルテラはそう言うとこちらの手をむんずと掴んだ。私はかがんだ姿勢のままで、車の近くまでぐいぐい引っ張られる。

車の車輪を点検していたもう一人。ぼさぼさの白髪の青年、カルナは立ち上がった。

 

「来たか。……しかし、その格好は何だ?探索用では無いだろう」

 

その格好と言われて改めて自分の姿を見る。

装備を整える前に転移させられてしまったものだから、上から下まで茶飲み処の店員の格好そのままだ。エプロンまでも付けたままなのだから、場違い甚だしかった。

 

「……ちょっと出掛けに色々ありまして。あ、剣はあるので大丈夫です」

 

粒子にして持っていた剣を取り出す。

剣は呪術に使うための触媒だから、これさえあれば大体何の術でもできるのだ。

呪文を唱えて、服装を構成する魔力を変換し、再構成していつも通りの男物の衣装を弄った衣へと変える。

ほら、と完成したものを見せると、カルナは無言で頷いた。

 

「話はどこまで聞いた?」

「未明領域に発生した不明反応の調査と……」

 

視線を下げると、アルテラとまた目が合った。

 

「それに未明領域を三人で探索することだと聞きました。……移動手段が車とは知りませんでしたけれど」

「そこまで聞いているなら問題はない。車に関しては、新王が最も慣れ親しんだ移動手段を玉藻の前が再現したらこうなったそうだ」

「……ああ、それで。でも、私は運転できませんよ?」

「オレには騎乗スキルがある。問題はなかろう」

「なら安心ですね」

 

じゃあ出発しますか、と車の扉を開けると、アルテラが真っ先に飛び乗った。好奇心旺盛といった様子で座席を叩いたり、硝子越しに外を覗いたりと忙しい。

独楽鼠のような姿をカルナと揃ってつい見ていると、アルテラがこちらを見た。

 

「……いかないの?」

「いえいえ。行きますよ」

 

新王の考えは、なるほど的を射ているなと思いつつ、カルナと私も車に乗り込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルナの運転は比べるものが無いのだけれど、体感としてはやたらと速かった。

かなりの速さで草原の中を走らせるものだから、緑の海の中を泳いでいる魚のような気分になる。

断言できるけれど、これは間違いなく戦車競争と同じのりで走らせていた。

 

「……今更だが、唐突に話を持ち掛けられて驚かなかったか?」

 

車を運転するなんて生まれて初めてだろうに、運転席で器用に操縦桿を扱いながら、カルナはそんなことを言う。

がくんと車が派手に跳ねたすぐ後だったから、後部座席のアルテラの方を見ていた私はすぐに返事ができなかった。

 

「はい?」

「いや、この話は最初オレだけが行くという話だったのだ」

 

今日の朝方、新王の所へ行ったカルナは何か用はないかと尋ねた。

カルナは、頼まれればどんな無理難題でも動くが、自発的に何かをしたいと言い出すのは戦い以外ではあまりない。

新王もそれに驚いて、じゃあアルテラの勉強兼未明領域調査を、と言ったところで玉藻の前とネロ皇帝がそれなら茶飲み処の呪術師、つまり私も付いていけばいいと言ったそうだ。

 

「朝のお前とライダーの会話が聞こえてな。あの街で何もなく過ごすのは得難い時間だ。しかし、何時までもそうしている訳にはいかないとお前たちの話を聞いて思った。……盗み聞きのような形になったことは謝ろう」

「それは良いんですけど……それだけで新王の下まで行った、と?」

「ああ。まさか、それでお前をすぐレガリアで飛ばしてくるとは思いも寄らなかった。唐突で驚かせてしまったなら―――――」

 

言葉の途中だったけれど、私は首を振った。

まさか、朝のあんな戯れ話を聞かれていたとは思っていなかったから顔が茹で上がりそうだったが、何とか普通に口を開いた。

 

「それは勿論驚きましたけど、嬉しかったですよ。一人で行ったって、後から聞く方が辛いです」

「……そうか。それならば良い」

「そうです。あなたに驚かされるのも慣れっこですからね」

 

普通の、何でもない日々の繰り返しは尊いし、涙が出るくらい大好きだ。

でもカルナがいないのなら、それにだって何の意味もない。私の心は、いつからかは思い出せないが、とっくの昔にそう素直に思ってしまうようになっている。

戯けたように言ったけれど、どうせこんな考えも、持ち前の観察眼スキルでカルナには筒抜けになるんだろうなと考えると、本当に顔が火の玉みたいになりそうだった。

顔を冷やしたくて、視線を何となく窓の外へ向ける。

未明領域と言うだけあって、ちらほら遠くに動く影はある。

前の戦いで逃げたエネミーの一部かも知れないが、新王たちに言われた反応があるのはもうしばらく先だ。

 

「アルテラ、外は何かありますか?」

「……なにかはある。でもよくみえない。それにああいうのは、今日しらべるものではない。違う?」

「そうだ。だが目的地はまだ先だ。席から落ちるなよ」

 

後ろの座席を行ったり来たりして外の風景を見ているアルテラが、前に乗り出して来てそう言った。

そういう仕草を見ていると、本当にあの巨大なセファールの一部だったとは思えない。

こうしてアルテラが無邪気に笑える日々は、正に目に見える奇跡だった。

 

奇跡か、と何となくカルナの横顔を見る。

私が地上で命を落としたときはもう会えることなんて無いと思っていた。

人でも神でも魔物でも、万物一切死んだらそれまでで、その先があるなんて露ほども考えたことはなかった。

輪廻転生の話は、偉い人々から沢山聞かされていた。けれど、喩え魂が同じでも死を迎えたならそれはもう別の人、別の存在だ。

だから、こういう日々も奇跡だと思う。

 

―――――また、がたんと車が跳ねて、座席から体が軽く浮き上がる。

 

「あの、少し速過ぎではありませんか?目的の座標手前で止めて使い魔を飛ばしましょう。こんな弾丸のような勢いで突っ込んでは宣戦布告そこのけですよ」

 

こうまで速くては、車に魔力放出の炎でも纏わせているのではなかろうかと思いたくなる。

気になったのか、アルテラがまた後ろから乗り出してきた。

 

「すまん。オレは戦車とはまた違う乗り物を操るのに浮かれていたようだ。……機械を操るのも悪くはない」

「……やっぱり、くるまはわるいぶんめい?」

「いや。今のはオレが速さに取り憑かれただけだ。車自体は良くも悪くもない」

「そうか。わかった」

 

生真面目な人と、好奇心旺盛な子どもの会話に聞いていてつい吹き出しかけた。

揃って怪訝そうな顔をされて、彼らに何でもないと手を振って示す。

 

―――――そんな車内で過ごすこと数時間の後、私たちは目的の地にようやっと辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、目指す場所から離れた所で、私は使い魔を飛ばした。

視界を共有した小鳥を空に放ち、上からとても強い反応があった場所周辺を偵察する。

一昨日感知されたその反応の持ち主は、召喚された大地からあまり動いていないのだ。

 

強い反応、とは十中八九サーヴァントだろう。

セラフの意志によるものなのか、月には何か異変がある前にサーヴァントが召喚される場合がある。

異変への対抗勢力として喚ばれる彼らは、月世界の統率者に敵対はまずしない。

月を守るために人類史から喚び出された英霊なのだから、いきなり斬り掛かるような英霊を喚んでは人選を間違えていることになる。

 

もちろん、そんな常識では測れないトップサーヴァントたちもいるのだけれど、彼らが喚ばれるのは本当に稀で、それこそ前のようなヴェルバーの脅威が迫っているときくらいだ。

だから、私もサーヴァントだろうなと予想していたとは言えそれほど心配はしていなかった。そこには、カルナがいるからという安心感も無論ある。

だがしかし、そんな予想は、敢え無く呆気なく木っ端微塵に軽く蹴散らされた。

小鳥の視界に映った人影に私は絶句したのだ。

 

「……どうした?お前が言葉を無くすような相手か?」

「どうしたもこうしたも……」

 

視界を自分の体へと戻して、隣にいるカルナを見上げる。

小鳥の目が捉えたのは、この人にも私にも決して忘れられない人物だったのだ。

 

「……()()()()()様です」

「なに?」

 

カルナの瞳が刃の様に鋭くなる。

 

「アルジュナ様です。……この草原の先に、いるのは間違いなく彼です」

 

しん、と草原に吹き渡る風が寒くなったようだった。

それは誰なのか、と無邪気に首を傾げるアルテラに、はてさてどこから何を、どう説明しようかと私は額を指で叩くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『げ。マジですか?ちょっと勘違いとかじゃありませんよね?』

 

呪術を使った通信越しに聞こえる玉藻の前の声は、何があったかを伝えると当然ながら一音階飛び上がった。

 

「いいえ。間違いありません。反応の正体は、サーヴァント・アーチャー、アルジュナ様です」

『……何でアナタはちょっと出歩いただけで、ダンナの宿敵に遭遇しちゃってるんですかぁっ!?』

 

キーン、と玉藻の前の大声が草原に響いた。

 

「何故と問われても、オレたちにも答えられない。セラフに呼ばれたからでは無いのか?」

『それはそうなんでしょうけどね!いいですか、電光石火で御主人様と向かいますので、ちょーっとそこで待ってて下さい。くれぐれも!インド式決闘を始めたりしないように!分かってますね、カルナさん?』

「……承知した」

 

ばちん、と通信が切れた。

見ればカルナは草原の彼方に目をやっていた。

戦いたいと思っているんだろうな、と容易く予想できる。

戦意は十分で魔力もあるのだから―――――そう考えるのは当たり前だろう。何故アルジュナ様が召喚されたか、どうしてここにいるのか、恐らくそういう方面をカルナはあまり気にしていないだろう。

 

()()()()()

「……駄目か」

「少なくともまだ駄目です。新王に待てと言われたのですから、待ちましょう」

 

 

カルナとアルジュナ様は、何というか、陳腐な言い方をすると運命の相手という奴だ。

横から見るしかないから私では理解できないところもあるのだけれど、彼らの間の感情の発露は戦いという形を取る。

それが彼らの関わり合い方だ。その在り方は善悪をある意味超越している。良い、悪いでは測れないのだ。

カルナがそうしたいと言うなら、彼がそれを望むなら、私には言うことなどない。周辺の被害が甚大になると言うなら、抑えてみせよう。それくらいならやってみせる。

 

―――――戦いを、カルナが楽しむのは一向構わないのだけれど。

 

だがしかしである。

ここには私の服の裾を引っ張る小さな手がある。

アルテラ(子ども)の前で本気の殺し合いは勘弁してほしかった。

 

―――――でも、何故アルジュナ様がこの月に呼ばれたのだろうか。

 

それはどうも分からなかった。

それでも、予感はある。

やはりここでも平和な毎日というのはずっとずっと続くものではないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと。

レガリアで超速で転移してきた新王と玉藻の前は、アルジュナ様を説得するのに成功した。説得と書いて丸め込むと読むのかもしれないけど、ともかく未明領域が焼け野原になるのは避けられたのだ。

私は万が一のときの結界を張るため待機し、カルナの方はアルジュナ様を刺激するからこれまたアルテラのお守りをしつつ待機。

玉藻の前は、この月の都にはカルナがいると教えられた途端目付きが豹変したアルジュナ様にあれこれと言い包めて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったそうだ。

そして、アルジュナ様はそれに乗せられて月の都まで普通に赴いた。

あれこれあるけれど、取り敢えずそれを聞いて思ったことは、玉藻の前の話術は、ある意味魔法の領域に踏み込んでいるのではないだろうかと言うことだった。

 

帰りは全員まとめてレガリアで転移され、移ってきたところは月のローマ領域真っ只中である。

ここまでの話が、今日一日で起きているのだ。

 

「どうした?頭でも痛いのか?」

「展開が速すぎて、ちょっと整理したくなっただけです」

 

ここは千年京と建物や街の作りは似ていないけれど、人々のざわめきが似ているローマ領域中心である。

そこに聳える闘技場(コロッセウム)の演台を、カルナと私は闘技場の上に作られた回廊から見下ろしていた。

壇上に仁王立ちしているのは、赤い衣装の薔薇の皇帝、ネロ・クラウディウスと彼女に寄り添う新王の岸波白野、それに彼の足元で目をきらきらさせて辺りを見ているアルテラだ。

壇の周りには月の人々がたくさん集まっていて、二人の言葉を今か今かと待っている。

ネロ皇帝は満足げに頷くと、右手を大きく掲げた。

 

「皆の者!こうしてここに集まり、余は嬉しいぞ!」

 

湧き上がるのは大歓声。

人々の歓声を受けて、皇帝は高らかに宣言した。

 

「この月に平和は訪れた!だがしかし!しかしである!平和の証たる祭りは未だ開かれておらん!これはいかん!華の都には祭りが不可欠である!」

 

ネロ皇帝の言葉が、人々の反応を待つように一度だけ途切れる。

 

「よって、今!余はここにネロ祭の開催を!宣言する!」

 

地鳴りのような歓声が、人々の中から爆発した。

湧き上がるのは、拍手に地を踏み鳴らす足音、口笛、皇帝と新王を讃える声。熱気は上から見下ろすこちらにまで届かんばかりだった。

 

「ネロ祭って……ローマ史にありましたっけ?」

「さぁ。だが主旨は分かる。要は闘技大会だな。今朝方お前が話していたものだ」

「……それで、何故私たちはここまで飛ばされてきたのですか?」

「決まってますよ。出場するためです」

 

間近で声が聞こえて来て、私はそちらを見た。

下駄を鳴らして回廊を歩いてくるのは、玉藻の前だった。彼女は間近までやって来て下を見下ろす。

 

「まぁ、皇帝陛下のお好きな催し物ですね。私たちのような超常の存在が戦うのを、皆に見せて大騒ぎってヤツです。月の都が開かれてこっち、色々バタバタして祭りなんてなかったですからねぇ」

「超常の存在……。つまり私たちサーヴァントですか?」

「ええ。クー・フーリンさんや李書文さんたちも急遽戻ってきていますし、ガウェインさんも参加なさいますので、丁度いいからカルナさんとアルジュナさんにも参加してもらっちゃおうかと」

「なるほど。日の元で堂々と戦えると言うなら、オレには喜ばしい。礼を言わせてくれ」

 

はいはいと受け流して、玉藻の前は競技の説明をしてくれた。

展開は至って単純。クジで選ばれた参加者同士が二人組になって連携しつつ、戦い合って技を競い合うのだ。

勝ち残った一組には新王ができる範囲で願いを叶えてくれる権利が与えられるという。

ちなみにサーヴァントとそれ以外の人間では差があり過ぎるので、細々競技内容は別れるそうだ。

 

「連携か……」

 

呟かれた声に何となく見上げると、カルナと目が合った。

 

「いやいやカルナさん。そこのキャスターさんは共闘相手としてはダメですよ。彼女は貴重な結界張り要員兼救護班に組み込まれていますので」

「そうか。……祭りとは共に楽しむものだと思ったのだがな」

「げ、出ましたよ。インド的思考が。……言っときますけどねカルナさん。世の女性の九分九厘はその言葉聞いても微妙な反応しか返しませんからね?にこにこぽけぽけ笑って嬉しそうにしてるのはこの人くらいですからね」

 

ぺちぺちと玉藻の前に肩を叩かれた。

痛くはないけれど、ちょっと抗議したくなった。

 

「ぽけぽけって何ですか。そんな、年がら年中頭の中お花畑みたいに言わないで下さい」

「しかし、嬉しい所は否定しないんでしょうが。ぽけぽけ焔娘(ほむらむすめ)さん」

 

う、と言葉に詰まる。

否定できようがなかったからだ。

横から視線を感じるし、もうこれ以上続けると墓穴を掘っていく予感しかなかった。

手を上下に振って、話を戻す。

 

「とーにーかーく!何のお話ですか玉藻さん?御用があるんでしょう?」

「ええ。そうでした。カルナさんのペアが厳正なるクジによって決まりましたので、お知らせしに来ましたんですよ」

 

玉藻の前は懐から書状を取り出すと、カルナに手渡す。

受け取って開いた瞬間、カルナは時が止まったように固まった。

誰なのだろう、と背伸びして手元を覗き込み、私も同じように固まる。

 

「……言っときますが、これ、ホント厳正なるクジ運なんですよ。エラいのを引き当てちゃいましたねぇ」

「ああ。……これは、流石にな」

「これはまさかです……」

 

書状に堂々と書かれていたのは、共闘相手の名前。

それがアルジュナ様だと、一体誰が予想できたのだろうか、と私は誰かに問いかけたくなったのだった。

 

 

 




普通に呆れたり慌てていたりする内面でも、アルジュナに対しては様付け。

主人公の《茶飲み処の店員》の格好は、月姫の琥珀さんの格好でご想像下さい。

お祭り話は恐らく次でお終いです。
アルジュナがまともに出るのも次です。


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《IF編》月の都のネロ祭-3

おふざけ時空その3です。

3話で終わると言っていましたが、収まりきらなくなってもう1話かかる見通しです。
申し訳ありません。

では。


 

 

 

カルナとアルジュナ様のくじ運を嘆いたのは、当人たちばかりではなかった。

主催者側の一部もどうするんだこれ、と頭を悩ませる羽目になったのだ。

曰く、組み合わせが強すぎると。

施しの英雄と授かりの英雄が組むなんて、前の戦いの折にアルテラ陣営に手を貸していた英雄王が出張してくるような話なのではないか、とは玉藻の前や無銘の弁だった。

逆に、いいぞやれやれと言っているのは薔薇の皇帝、ネロ・クラウディウスや光の御子、クー・フーリン等など。

主催者側もこの通り紛糾しかけたのだけれど、一度決めた裁定を覆すことはできぬ、とネロ皇帝が言ったことで、数値だけで言うとやけくそのような強さの二人組はひっくり返せなくなった。

 

私としては、カルナのくじ運が悪いという話には大いに賛成だった。

 

何故、この期に及んで最も連携できそうにない御仁を引き当てているのかと顔を覆いたい。

 

「というか、これにアルジュナ様が納得されていると思われますかですか?」

「まぁ、基本的に何でも受け入れちゃうカルナさんとはちょおっと違うタイプのお人みたいですからね、授かりの英雄さんは。……つーわけで、焔娘さんはそちら辺の事情を見て来て適当に言い含めてくださいな。こう言っちゃアレですが、あの二人には慣れているでしょ?」

 

と、カルナと別れた後にそんな風に玉藻の前に言われて、私は闘技場内を選手の控室目指して歩いていた。

簡単に言ってくれる、とは思う。

こちらだってあの二人の間に流れる空気を同じ空間で味わうということは、酔っ払った象の足元で立ち続けるのと同じなのだ。

まあでも、一番慣れているのは紛れも無く私なのだし仕方ない。選手として新王と共に楽しみたいネロ皇帝や玉藻の前にそこまで気を回させてはならないからだ。

頼まれたならやらなければなるまい。

他はクー・フーリンと李書文、ガウェインとネロ皇帝というような組み合わせになっているとも聞いた。

 

―――――そう言えば兄弟同士の組み合わせになるのか。

 

と、回廊を歩きながら思い出した。

彼らが父親違いの兄弟だと私が知ったのは、知らされた所で今更何ができるのか、と言いたくなるほどに何もかもが坂を転がるような勢いで最期へと向かっていた頃だった。

 

尤も、私はそれを知らせてきた人を殺そうとして殺し返されて命を落としたのである。

 

そう考えてしまうと、頭の中が暗くなってしまう。折角のお祭りなのに、そんなのは嫌だった。

 

「なるようになる……とは言えませんものね」

 

なるようになる、なんて言葉を言うのであれば、できることを全てやってからでなければならない。

よし、と気を取り直して歩き始めた途端、廊下の先からこちらへ向って来る人影を感じ取った。

緩やかな円を描いている廊下の先から、白と青を基調にした装束に黒い髪、整った顔立ちの青年が現れる。手には彼自身の身の丈ほどもある見事な大弓が握られていた。

 

「おや?」

 

多分、私は驚いた顔になっていたのだろう。

青年は足を止めて、こちらを見た。

黒い双眸は私の頭より高い位置にあるから、見下されるのは落ち着かなかった。

 

「……選手の方のお部屋はあちらのはずですが、何か御用でしょうか?」

 

確実だけれど、()()()()()()()()()()

そうなったのは、私の地上世界での生きた記憶が諸事情により零になってしまったからだが、そうであろうとなかろうとアルジュナ様とは他人に近い。

一対一で言葉を交わしたことなど、生前から数えてみてもあるかないかだから。

今はその方が都合が良かった。

 

「では貴女は運営の方ですか?」

「はい。何か御用がありましたら承りますが、如何されましたか?」

 

嘘はついておらず、アルジュナ様を騙している訳ではないのだが、自分がどこの誰か言わないのは不誠実な気がした。

しかし、ここでこちらとカルナの関係を逐一説明していたら却って話がごたつく。このお祭の間だけ、説明は先延ばしにさせてもらおうと決めた。

でも、この人がこんな所をうろつく理由は大体想像がついた。

 

「尚、組み合わせ相手の変更は一切受け付けておりません」

 

そう言ったら、途端にアルジュナ様の目が細くなった。彼も王族だから、自分の感情を隠す術を身に着けているけれどあのカルナと比べれば、表情の変化が分かりやすかった。

 

「それは如何なる理由であっても、ですか?」

「如何なる理由であろうともです。仮にも籤とは言え、新王とその伴侶方の裁定です。どうぞご理解下さい」

 

一礼して、黒い瞳と視線を合わせた。

 

「あなた方の因縁を、私を含めた月の者は知っております。知っておりますが、例外は認めないというのが新王と皇帝の決定です。ご理解下さるようお願いします」

 

断言できるが、これはあちらの誠実さを見越してのごり押しである。ただでさえ、彼のような武人は女人からの頼みを断りづらいこともこちらは知っていてやっているのだ。

時の流れが緩やかになってしまったかのような沈黙の後、アルジュナ様の纏っていたやや刺々しい雰囲気は消えた。

 

「……貴女の言い分は分かりました。しかし、私はあの男と決着をつけたいのです。何を引き換えにしても、今度こそ一対一で相対したい。その想いの深さは貴女方にも理解して頂きたい」

 

―――――()()()()()

 

と言いかけて、寸でのところで止めた。

でないと余計なことを言ってしまいそうだったからだ。

確かに彼の言うことはよく分かる。

何故なら、カルナも必ず同じことを考えているからだ。

 

―――――後腐れも横槍もない正々堂々な勝負。一対一での決着。

 

口に出すのは簡単なことだ。

けれどそれは、英雄と祀り上げられたほどの人物が、一生をかけてまで望んだのにとうとう手に入れられなかったものなのだ。

 

―――――いや、違うか。

 

英雄であろうと不可能だった訳ではない。彼は英雄だからこそ、できなかったのだ。

人々の願いを汲み取り引き受け英雄となるほどの人物だから、自分自身の願いと、人々の求めるものとのせめぎ合いに出会ってしまうことになるのだ。

 

―――――それは、アルジュナ様に限った話ではない。

 

「―――――では、提案があります。大会で優勝されたらよろしいのではありませんか?」

 

新王は自らの力の及ぶ範囲かつ良識の範囲内で願いを叶えるといった。

では話は簡単だ。大会に勝って望めばいいのだ。

正々堂々な場での決着を、と。

アナタ会場の強度知ってるんですかぁ!?と頭の中で玉藻の前に怒鳴られた気がしたが、それは考えないことにした。

 

「衆目の中で改めて戦う機会を望めばいい、と仰るのですね」

「はい。優勝なされることが条件になりますが」

 

そう言えば、彼の中でめらめらと闘志が燃え上がるのが分かった。

 

「……分かりました。そういうことであるならば、私とてあの男と組むのも吝かではありません」

 

では、とアルジュナ様は一礼して廊下を元来た道へと歩き去っていった。

彼が見えなくなると、知らずに強張っていた肩から力が抜ける。

 

あの人と、相対して分かった。

私は彼をカルナの弟としては見ることはできたとしても、義理の弟としては一生見ることはできないだろう。

そして死者の一生とは、すなわち永遠という時間を指す。

 

頭を振って、どうしようもない考えを追い払った。

 

「とりあえず、玉藻さんからの指令はこれで完了……ということで良いんでしょうか?」

「……指令、とは何のことだ?」

 

唐突に後ろから声がかけられて、地面から飛び上がりそうになった。

二三歩後退りながら振り返ると、そこにはいつも通りのカルナがいた。

 

「お、驚かさないで下さい」

 

今のは本気で驚いた。

下手をすると尻尾を踏まれた猫のような声を上げていた所だ。

 

「すまない。オレが出ては話が不味かろうと思い、出て行かなかった」

「それは助かりました。……指令に関しては簡単に言いますと、玉藻さんにちょっとあなた方の籤に関してアルジュナ様を説得するようにと言われました」

 

カルナの目がちらりと、アルジュナ様が歩き去った廊下の方へ向けられた。

 

「あの様子ではそれは上手く行ったようだが、アルジュナは何と言っていたのだ?」

「あなたと共闘するという事態そのものに、戸惑われていた様子です。なので私は、優勝の場で改めてあなたとの決闘を新王に求めれば良い、と言いました。……余計でしたか?」

「いや、助かった。オレでは同じことを言おうとしてもこのような結果にはならないだろう」

 

それなら良かった、と思うべきではあった。

しかし、何とも落ち着かない気がした。

この人とあの人は、何度も殺し合いをし、しかしこれまで一度も共闘したことがない相手なのだ。

武人でもなく、幾度となく死闘を繰り返した敵という者もいた経験がないこちらでは、彼らの間の感情を推察するしかできない。

故にある意味では、私はアルジュナ様が羨ましくもあるのだ。

彼は、私の知らないこの人を知っていると感じてしまうから。けれどそのカルナの一面を知るのは、自分の役目ではないとも思う。

 

「案じずとも、オレは勝つ。このような好機は二度とあるまい」

 

螺旋のような自分の思考は、カルナの一言で断ち切られた。

見上げると、カルナはほんの少し笑っているようだった。

敵を前にした凄絶な笑みではなくて、今にも鳴き出しそうな人慣れしていない子猫を、あやそうとする人が浮かべるようなちょっと不器用な笑い方だった。

我ながら単純だが、そういう笑顔を見たらすっと心が楽になる。ただ変な意地があって、それをそのまま言うのはちょっと出来なかった。

 

「別に、心配なんてしていませんから。いつかの競技会とは訳が違うなって、そう思っていただけです」

 

もう遥か昔になってしまったけれど、あの競技会のことは今でも思い出せる。

カルナが初めてアルジュナ様に勝負を持ちかけ、身分の差があって侮辱され、ドゥリーヨダナ様に助けられ、養父様(おとうさま)が現れて、という大変な日だった。

そして、色々な人の運命が変わってしまった日でもあったのだ。

 

「あの頃はオレも若かった。それだけの話だ」

「競技会に飛び入り参加して、アルジュナ様に喧嘩を売った日ですものね。私だって驚いたんですよ。それまで何にも驚かない人だと思っていたら、王族一同に勝負を挑むし喧嘩を売るし」

「……そんなことも、したな」

 

思えばあれは、養父様を馬鹿にされたことでカルナが初めて怒りを顕にした日でもあったのだ。

神様のように超然としていて、一体どちらを向きどういう世界を生きて歩いているのかよく分からないと思っていた人の怒りを見て、少しだけあの頃の私は安心した。

この人は、己のことでは怒らない人なんだな、という感慨は今でもはっきり覚えている。

ともあれかくもあれ、だ。

今日ばかりは、古の祭りに思いを馳せるのではなく、この新しきネロ祭を無事に、かつ楽しく切り抜けなければならない。

 

「ちゃんと、全部見ておきますからね。行ってきてください」

 

カルナからの返答は槍を掲げることだった。

言葉より雄弁なその仕草に安心して、じゃあまた、と手を振って別れる。

どうなるのだろうな、という期待と不安を抱えて、私は元来た道を戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

そんな風に始まりを告げたネロ祭は、初っ端から荒れた。

レガリアからの後押しを受けて闘技場の強度と観客の安全をきっちり確保したと玉藻の前が宣言したからか、サーヴァント同士の本気の戦いが勃発したのである。

聖剣は太陽の熱を迸らせ、大歌劇場では薔薇と剣戟が舞い踊り、死棘の槍が宙を割った。

神気巡らせた炎の矢が爆発したかと思えば、同じく灼熱の太陽神の気配を纏った槍が地面を抉る。

あちらで武術の究極と言える拳が炸裂して人が木っ端のように舞い飛んだと思えば、こちらで天馬の嘶く声が観客の耳を劈き、それらを尻目に無限の剣が大地を穿っていく。

――――という、どう控え目に言っても地獄絵図が展開されたのだった。

 

「連携というより、これ明らかにどうやって相方より早く敵を倒すかの競い合いに向かってるよね?」

「その結果と致しまして皆さまの全力が炸裂していますねぇ。私、本当に参加しなくてようございました」

 

そして戦い合うサーヴァントの動きを目で捉えられるのはサーヴァントと歴戦のマスターくらいなものである。

ということなので、玉藻の前と膝の上にアルテラを乗せた新王、それに私は実況役に収まっていた。

闘技場で何か起こっているのかを誰かが解説しなければ、月の都を訪れた魔術師たちなどからすると何が何やら全く分からないままなのだ。

光が炸裂したと思ったら地面に大穴が開き、高らかな呪文が唱えられたと思ったら絢爛豪華な真紅の劇場の中に取り込まれている、などという状況は慣れない人からすれば、意味不明である。

解説などしたことはなかったが、観客席より一段高い解説席で戦いを見ていられるから、願ったり叶ったりだった。

 

「お集まりの方々、観客席は結界により守られていますのでどうか騒がず慌てずに試合を観戦なさって下さい」

 

時々怯えているように見える観客たちに向けてそんな言葉を挟みながら祭は進む。

サーヴァントたちの勝敗が決まってゆき、ついに出来上がったのは太陽の騎士と薔薇の皇帝、授かりの英雄と施しの英雄、という構図だった。

 

「……」

「……」

「……」

 

実況席一同、勝ち上がった面子を見て無言になる。

個人的に、順当な流れであることは素直に嬉しいのだ。とても、とても。

だがしかし、要所要所の結界の張り直しはしなければならない。

新王の方を見ると、何か頼むというように手を合わせられた。

 

「焔娘さん、お疲れです。選手の方々も一度はけるので、挨拶に行ってきてくださいな。結界の張り直しはあとでも行けますし」

「こっちも結界を直してネロに会いに行くしさ、また後で会おうか」

「はい。ありがとうございます」

 

小さなアルテラに手を振って送られながら、階下へ降りていく。

時々観戦に来たと思しき魔術師っぽい人やNPCとすれ違う。人外同士の戦いを間近で見た興奮からか、彼らは一様に興奮していて、早口で話し合っている。

サーヴァントの気配をみだりに出しては怯えられてしまうので、隠行をしながら水辺に集まった鳥のようにざわめいている人ごみをくぐり抜けていった。

下へ下へと降りていくと、人々は少なくなってきて、水底へと降りていくときのように音が遠くなっていく。

 

―――――人のいなくなった廊下の物陰、暗がりに隠れるようにしている人影を見かけたのはそんなときだった。

 

毛糸の帽子を耳まですっぽり被って、きょろきょろと辺りを見回す様子は、知らない場所に放り出された寝起きの猫のように見えた。

 

「あの……?」

「ぴゃっ!」

 

尻尾を踏まれた栗鼠のように飛び上がった人影が、こちらをくるりと振り向く。

茶色い癖の強い髪に、私よりやや低い身長。大きな眼鏡をかけた女性と、まともに目が合った。

 

「あの、どうかされましたか?」

「ど、どどどどうもしてないっスよ!?ジナコさんは道に迷ったりなんてしてないッスからね!……って、キミはァッ!?」

「え、は、はい!?」

 

大声を上げた方も聞いた方も同時に驚いて飛び上がり、がらんとした廊下に声が響く。

ジナコと私の、これが最初の邂逅になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




このSSでも、CCC事件は起こっていたという体で書きました。

ご理解をお願いします。


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《IF編》月の都のネロ祭-4

おふざけ時空その4。

お祭りはこれにて終いです。

ジナコの記憶でのccc事件はぼんやり。
何か宝石みたいな大事な言葉を誰かに言われたがよく思い出せない、という体で書きました。

では。


 

 

 

 

ジナコと名乗ったその人は、落ち着くとまずじぃっと私を見た。

二つの丸くて分厚い硝子越しにじいっと見られるものだから、こちらも困ってしまって少し後退る。

そうやってから、私は目の前の人物をよく見た。

ジナコ。本名、ジナコ=カリギリ。

その名前を私は知っていた。会ったことは一度もなかったけれど。

 

「あの、あなたはジナコ=カリギリさんですよね?」

「そうッスよ。で、キミはあれでしょ?カルナさんの奥さんでしょ。顔、何度か見たからジナコさんは知ってるんですよ」

「……私もあなたを知っています。カルナのマスターだった方、ですよね?」

 

そう言うと、ジナコは大きな目を更に真ん丸に見開いた。

一度も会ったことが無いのに、同じ人間を通して私たちはお互いを知っている。

不思議な感じがして、同時に嬉しかった。

私の昔を覚えている人に会うのは、カルナ以来だから随分久しぶりなのだ。

何故と頭を働かせるより先に、じんわりとした暖かさが胸に灯る。

 

「……ええと、それでジナコさんは何故ここに?」

 

カルナに会いに来たというのだろか、そうだったならきっとあちらも喜ぶのにと思いながら尋ねると、ジナコははっと何かを思い出したように辺りを見回した。

 

「あー、忘れてたッス!ボクの持ってるデータがどうとかでヘンなのが来てて―――――」

 

と、彼女がそこまで言ったところで後ろに気配を感じて振り返る。

振り返った先には、明らかに堅気ではない雰囲気を纏った人間がいた。

見た所では、女が一人に男が二人。彼らの発する気配はいずれも魔術師だということを感じさせた。

 

「ひゃぁ!もう来てるッス!」

「……彼らは敵ですか?」

「そうッスよ!さっきからボクの持ってるデータが欲しいとかで付き纏って、もう訳分かんないッス!」

 

彼らを見た途端、ジナコは走り出しかける。

それを察知してか、彼らは腕を前に突き出した。ジナコへと構えた人差し指の先に魔力の収束を感じ取った瞬間、私は動いていた。

一足で前に立つ男二人の間に飛び込み、彼らの襟首を同時に掴んで床へ叩き付ける。

男二人が床に沈むや否や、女の指が私へ向けられた。

人間にしては非常に素早い反応速度ではある。

だが、彼女程度の放つ現代式魔術、つまりコードキャストは、当たったところでどうということはないのは分かっていた。

私の目へ向けて撃たれたコードキャストは当たりはしたが、何の痛みも齎さなかった。

二歩目で驚愕の表情を浮かべている女の懐へ当身を食らわせれば、女も床へと崩れ落ちた。

彼らが気絶しているだけなのを確認し、ジナコへもう大丈夫ということを伝えるために手を振ると、あちらはぽかんと口を開けていた。

 

「め、めっちゃ強いじゃないッスかキミ!」

「私もサーヴァントですから。これくらいはできます」

 

多分、李書文老師ならばいつ攻撃したかも相手に悟らせないうちに無力化するだろう。

それにしても、と私は制圧した彼らを見下ろした。魔術師三人が雁首揃えて、何故ジナコを追っていたのだろう。

 

「……とりあえず彼らは警備プログラムに引き渡しましょう。攻撃して来たのはあちらが先なので正当防衛です。あなたを追っているというのは、これで全員ですか?」

「そうッス。ついさっき会った奴らだけど、そいつらしか見てないッスね」

 

なら一先ずは安心か、と地面に倒れた彼らの頭を見ながら呟いた。

この魔術師たちが、月側のサーヴァントである私がいたにも関わらず攻撃して来たのは、私が自分にかなり厳重にサーヴァントの気配を眩ませる術をかけていたからだ。

そうでないなら魔術師単体でサーヴァント相手に攻撃などして来ないだろう。

何れにしろ、こちらをただの人間とみなした途端に攻撃してくる輩など祭りには相応しくない。

呼んだ警備プログラムが到着するまでの間、私とジナコは並んで廊下に座った。

 

「えーと、とりあえず……ありがとうッス。お陰で助かったッスからね」

「いえ、気になさらないで下さい。私は運営側のサーヴァントですから。警備救護結界張りが仕事ですので」

 

それにジナコがカルナのマスターなのならば、助けないという選択肢など無いのだ。

 

「つまり、パシりッスか?」

「?」

「……いや、今のはナシで。キミ、そのとっぽさはカルナさんとそっくりッスね」

「と、とっぽさですか?」

 

夢で見た通りッス、とか何とかジナコは私の顔をしげしげと眺めながら呟いていた。

そう言えば、と思い出した。

新王から聞いたことがあったけれど、マスターはサーヴァントの過去を夢という形で垣間見ることがあるそうだ。

では、彼女が私を知っていたのは、カルナの記憶を見たからなのだろう。

玉藻の前陣営に入る前、カルナは月の聖杯戦争に参加したと言っていた。そこでのマスターはとても戦うのに向いていなくて、カルナは戦わずに聖杯戦争から去ることになった。

だが、聖杯戦争で勝たなかったマスターは例外なく死ぬことになる。

それをさせないために、カルナはマスターに対してあるものを使ったと言っていた。

 

「で、これがこいつらの探してたヤツだと思うんスけど……」

 

ジナコが小さな携帯端末を見せてきて、私はそれを覗き込んだ。

そこに記された情報を見て、ああやっぱり、と呟く。

 

()()()()ですか」

 

カルナがジナコを無事に地上へ返すために使ったのは、彼の最強の盾である黄金の鎧だ。

彼はそれを自分の体から剥がし、ジナコに纏わせ、彼女を消滅から救って地上へ返した。

黄金の鎧はカルナの父様から彼への何よりの贈り物であり、宝具であり―――――同時に永久に失われてしまったものだ。

 

「狙われた訳です」

 

こんな貴重なデータ、欲しがる者は数多いる。何せ、彼の英雄王すら欲していたそうだから。

それは今も、ジナコの魂を護っている。

逆に見る者が見れば、それがどういう価値を持つものかはすぐに分かってしまうだろう。

 

「やっぱこれマズイんですかねー?ジナコさん、ひょっとして超レア素材をドロップする雑魚エネミー状態?ハンティングクエストの対象ッスか?」

「?……えぇと、はい。不味くはありますね」

「げ、ばっさりッスか」

 

後半の物の喩えはよく分からなかったが、彼女の言うことは正確だと思う。

 

「……あの、ジナコさんは何故月に?」

 

怖々床に倒れている魔術師たちを見ているジナコを見ていると、問いが口を突いて出た。

カルナ曰く、ジナコ=カリギリという人は聖杯戦争に向いていなかった。参加したとはいえ実のところは、至極軽い気持ちで巻き込まれたようなものだったそうだ。

だから彼女にとっては、月は怖い場所ではないのだろうか。

うろうろと視線を彷徨わせていたジナコが口を開いたのは、しばらく時間が経ってからだった。

 

「……ここに来るのはちょっと躊躇ったッス。聖杯戦争とか、カルナさんのコトも何かよく覚えてないとこもあるし、きっと情けなかったと思うッス」

「……」

「でもね、地上のネットワークに、ちょこちょここっちの映像とか流れて来るんス。多分あれ、宣伝用でしょ」

 

そこにカルナが映っているのを彼女は見た。折良く、月の祭を観戦するため地上の人々がここを訪れやすくなっている時期だったから、それに交ざってやって来たそうだ。

 

「ボクはカルナさんの鎧とかいらないッス。それに借りパクは気が乗らないし、ちょろっと返してすぐ帰るつもり……だったんスけどね」

「彼らがやって来たという訳ですね」

 

ジナコは頷いた。

月が栄えるようになって、ここまで人が集まると、様々な人々が訪れるようになる。野盗のような人が交ざるのも理解はできた。

ここに来る地上人は、魂を霊子へ変換して訪れる。彼らは、言ってみれば剥き出しの魂たちだ。

聖杯戦争にて、カルナが鎧で護ったときのジナコもその状態だったはずだ。

だから鎧が格納されたのは、恐らくだが彼女の魂。実際に肉体を覆っているわけではない。

地上で生身でいるうちは堪付かれにくかったのだろうが、ここでは皆魂で訪れている。

故に、彼女は聖遺物に似た気配を持つデータを所持する一般人となる。

狙われない方がおかしかった。

 

「ホント、何でカルナさんはボクにこれをくれたんですかね?」

「それは……あなたを護るためと聞きましたよ。鎧は彼には不要で、あなたには必要だった。それだけだと思います」

 

カルナにとっては本当にそれだけだったのだろう。

与えられるものはすべて与えてしまう人だから、与えた結果として、自分に何にも残らなくなっても別に良いのだ。

与える選択をしたのは己だからと、誰をも恨まないし憎まない。というよりそういう心の動かし方が、できないのだ。

こちらからすれば、どこがどう良いと言うんだこの唐変木、という気分なのだが。

 

「でもボク、魔力も回せなかったッス。結局何にもしないうちに、気付いたら地上に帰ってたんスよ。訳分かんないッス」

 

ジナコは私ではなく、ここにはいない違う誰かに問いかけているようだった。

私も宙へと視線を向ける。

 

「えと、ジナコさん。……そのですね、カルナに会いに行きませんか?」

 

この人は何かが知りたくてここに来た、そんな気がした。

そして多分その答えは、カルナが持っている。

私は立ち上がって床に座ったままのジナコに片手を出した。

倒れた魔術師たちはちょうどやって来た警備プログラムが回収、運搬してくれるから気にしなくとも良かった。

ジナコの手がおずおず伸ばされかけた、そのときだ。

 

『ちょぉっと、アナタ今どこにいるんですかぁ!?』

 

頭の中で結構な音量の声が響いて、思わず耳を押さえた。

 

「あれ、玉藻さん?」

『玉藻さん、じゃありませんよ。現在何処にいるんですか?結界の修復も無いわアナタの気配が感じられないわ姿を見せないわでカルナさんが客席をうろうろしだして騒ぎになりかけたんですよ!?』

「あ」

『おまけに警備プログラムまで呼んだでしょうが。一体、何をやらかしたんです?』

「すみません、すぐ行きます!すぐに!結界は試合には間に合わせますから!」

 

念話を断ち切って、目をぱちくりさせているジナコに向き直る。

 

「若干急ぐ理由が出来たのですが、構いませんか?」

「ま、まあボクは構わないけど。……どっち行けばいいんスかね?」

 

案内します、と私は頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急ぐと言ったからには、急ぐのである。

けれどサーヴァントが本気で走っては普通の人間には追い付けないため、ジナコを抱えて走ることになった。

 

「ねぇキミ、もしかしてもしかしてだけどボク、重くないッスか?」

「はい、支障はありませんよ」

 

サーヴァントの筋力なら、人一人抱えて走るなど容易いのだ。

ジナコを両手で抱えたまま、階段を一足飛びに駆け上がる。

最後の一段を蹴り飛ばして、陽のあたる場所に踊り出た。

そこは闘技場の最上階。人々のひしめき合う客席が一望できる、結界の基点が設置されている場所だった。

 

「高ッ!?何なんスかここ!?」

「最上階です。よく見えるでしょう?」

 

すり鉢状の闘技場の一番底に当たる場所に、四騎のサーヴァントがいる。

皆、いずれ劣らぬ英傑たちでここを勝った方がこの戦いに優勝するのだ。

床にしゃがみこんで、ジナコはそろそろと下を覗き込んだ。

 

「そりゃ見えるッスけど……って、あれ、カルナさんじゃないですか?隣のは……誰?」

「アルジュナ様です。この大会は二人で一組になっての連携戦で、籤で選ばれたカルナの相手が彼だったんです」

「アルジュナ様って、それあの授かりの英雄?……めっちゃ因縁のある相手じゃないッスか!?」

 

叫ぶのも分かる。私も同じ気持ちだからだ。

かなり傷んでいた結界の基点の綻びを手早く直して、私はジナコの隣に座った。

同時に中空に指で紋様を書いて術を起動し、人の目には小さく見える景色を、遠眼鏡を使っているときのように拡大して目の前に投影する。

観戦の準備は、これで整った。

映像には四騎がくっきり映し出されていて、その中でふいとカルナが空を向いた。

空間を貫いて、あちらは私たちの方を見ている。身を乗り出して手を振ると、気付いたのか映像のカルナの表情が緩んだ。

 

「私たちがここにいることに、気付いたみたいですね」

「マジッスか?カルナさん、眼、良過ぎでしょ」

「弓兵もやっていた人ですから、眼は良い方だと」

 

そんな、友人同士のような軽口を叩いたあと、私たちはどちらともなく映像に見入った。

映像の中では、席から立ち上がった新王が手を振り上げていた。あれが振り下ろされたら、試合が始まるのだ。

電子で編まれた太陽は中天にあって、槍の穂先と神器の弓を輝かせていた。

白衣に包まれた新王の手が振り下ろされる。

 

―――――歓声と共に、蒼穹を焦がさんばかりの火柱が吹き上がった。

 

月の都の祭りは、こうして最後の戦いの幕を開けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖剣と薔薇の劇場、太陽神の神威と神造の弓での戦いは後者に軍配が上がった。

ジナコと私は、その光景を持ち堪えてくれた結界の基点の横で見届けた。

 

「ジナコさん?……ジナコさーん?」

 

動きを止めているジナコの前でぱたぱたと手を振る。彼女ははっと目を開けてこちらを見た。

 

「どうかしましたか?」

「どうかしたも……ジナコさんには容量オーバーですよ!あんなにドンパチやるとは思ってなかったッス!」

「祭りなもので、皆さん派手にやりたいようですからね」

「それ、それッスよ!カルナさん、めっちゃ笑って楽しそうじゃないスか」

「実際、楽しいのでしょうね。それがカルナですから」

 

事の善し悪し関係なく、彼の根源的な衝動は戦いに向いている。

その感情は、私には分からない。

私に分かるのは、カルナが楽しげにしているのを見るのは私にとって喜びだということだけだ。

 

―――――自分で分かっているが、私も大概どうしようもない類の人間だなと思う。

何がどうしようもないって、改善する気がちっともない辺りが一番そうだ。

 

「しかもキミもケロッとした顔で応援するし……。まぁ、キミも魔窟の出身なんスから当たり前かもしれないけど」

「む。魔窟とは聞き捨てなりません。ジナコさんだって最後がんばれー、って言っていたじゃありませんか」

「雰囲気に流されただけッス!隣であれだけ応援されたらその気にもなっちゃうじゃないッスか!」

 

でも全く楽しくない訳では無かったようだ、とムキになったように言い募るジナコを見て思った。

視線を下へ戻したジナコは、驚いた声を上げた。

 

「って、アレ?試合終わったんじゃないスか?何でカルナさんもアルジュナって人も武器を下ろさないんス?」

「あぁ、それはこれから所謂()()()()()()とやらが開始されるからですよ」

 

観衆が見守る中、勝ったカルナとアルジュナ様は新王に宣言した。

この場この時において、相手との決着をつけたいと。

新王はすぐに、それを了承した。

そして出来上がるのは、闘技場の中心で向かい合う二人の戦士たちの構図だった。

私は結界の基点に綻びが無いか改めて確認して立ち上がる。

 

「ジナコさん、ちょっと降りませんか?やっぱりここだと遠くって」

 

こんな戦いもう二度とあるか分からないから、出来るだけ近くで覚えておきたかった。

でもそれを言うと、ジナコの顔が一瞬引き攣った。

 

「え、アレを、間近で見ると?……あー、分かったッス!そんな目されたら断れないじゃないッスか!ジナコさんには鎧もあるしね!」

 

でも弾みをつけてジナコは立ち上がって、私の手を掴んでくれた。

ありがとうとそれに言って、私たちはまた下へと降る道を辿るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくて、元の席へと戻って来た。

階段を一段一段降りていては時間がかかり過ぎるので、結局私はジナコを抱えたまま上の階から飛び降りて席に着地するという荒業を使った。

 

「焔さんってたまに思い切りよく変なコトやっちゃいますよねぇ。で、その人が月にまでやって来ちゃったカルナさんのマスターですか」

 

着地した所は新王と玉藻の前とアルテラのいる実況席である。

青い着物の袖で口元を隠しながら出迎えてくれた玉藻の前に、目がちょっとぐるぐるになっていたジナコも驚いたようだった。

おぉ、と言いながら玉藻の前のひょこひょこ動いている狐の耳と、新王の膝の上に収まって下をじっと見ているアルテラとの間で視線を行ったり来たりさせている。

 

「……まぁ、驚くのは後でもできるッスよね。で、ジナコさんはどこ座ればいいんです?」

「あ、こっちですこっち」

 

ジナコを席に導いて、私たちが隣同士に座ると新王は頷いてくれた。

会釈して、私は下に見える闘技場に目をやる。

辺りを睥睨していたカルナと目が合ったので、手振りでジナコの方を示した。

触れば斬れる刃物のように吊り上がっていたカルナの目尻が少し下がった……ような気がし、同時に相対しているアルジュナ様はカルナとこちらへ向けて奇妙なものを見る視線を送っている。

彼からしたら私は月側の一般サーヴァントで、ジナコは一般人なのだから当たり前の反応だった。

それを見計らっていたかのように、新王が立ち上がった。

 

「ではこれから、月の祭の最後を飾る祭典を行おう!」

 

各自悔いが残らないように、存分に全力を奮ってほしい。そう高らかに宣言する新王の横顔に玉藻の前は見惚れていて、アルテラはぱちぱちと小さな手を叩いていた。

私はただ何も言えずにじっと前を見ていた。

いつかの遠い昔の光景と、今の目の前とは、重なりそうで重ならない。

あのときあの場にいた人々と、ここに集った人々の顔ぶれは全く違うのだ。

皆何処かへと旅立った。何処かへと永久に去った人もいる。遥か離れた()の大地には、もう一人だってあの頃の人々は残っていまい。

けれど睨み合う主役は変わっていないことが、懐かしいようで泣きたいようで、ただ何となく胸の深い所が疼いた。

 

―――――勝って。

 

小さく漏れてしまった声が聞こえたらしく、ジナコが私の方を見る。

困ったようにジナコは頬をかいていた。

気遣いを表すため、笑顔になるのはあまり得意では無いが、それでもこの人にはそうしなければならない気がして、私は笑った。

 

「そういえば、鎧返さなくて良かったッスか?」

 

頬をかいていた手を下ろして、ジナコが言った。言われて私はまた闘技場を見やる。

戦意は既にびりびりとした圧を感じるほど高揚している。

 

「……後にしましょう。あなたからそれを取り外して返すのも、かなり時と準備がいりますし」

 

元々は生身の体に癒着していたモノだ。

カルナが自力で剥がしたときは全身血塗れでとんでもないことになっていた。同じことをするなら手順を踏んで対策を取らなければ危ないと思う。

 

それに、多分カルナは、今はいらないと言いそうだった。無い方が楽しめるとか何とか、そんな理由で。

 

再び、新王の手が高々と掲げられる。

 

今はただ言葉を置いて見守ろうと、胸の前で静かに手を組んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――再現された神話の激突の結末は、ここでは語られない。

ただ激突が済んでも彼らのどちらかが消えることはなかった。

故に、途切れなかった宿痾はこれから先も続く。彼らが彼らである限り、途切れることはありえない。

 

ただ、かつての主と従者は語らった。

一頻り語ってそのあとには、地上から月へと主が携えてきたものはあるべき場所へと還った。

 

この祭りの後の余韻は寂しいものではなくてきっと良いものになるだろうと、見届けた焔の娘は笑って告げた。

 

じゃあまたね、とかつての主は地上へ戻る。

別離ではなく再会を。彼らは望み、約束を結んで別れて行く。

 

月を彩る祭りの話は、これにて確かに幕引きであった。

 

 

 




と言う訳で、お祭りは閉幕です。

全四話の短編にお付き合い頂きありがとうございます。

試合の結末は……真の英雄は武具など無粋、という結論にお互いが至って戦ったとだけ。

その日の夜に、夜を徹して電脳ゲームをやってみる焔娘がいた、というオチがありましたが、書けなくなったのでここに書いておきます。

尚、アルジュナが出て来た理由は次なる異変の前兆、ということで。

その他突っ込み所やご質問があれば答えさせて頂きます。

では祭りははけましたので、今の連載の方へ戻ります。
改めまして、ありがとうございました。


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外典編
Act-1


Fate/Apocrypha読み返してみて、少しだけ書きました。
ホントに冒頭だけです。









「ねえ、アサシン。あなた、神様を信じている?」

 

ルーマニアはシギショアラ。

何百年という歴史ある街を歩く、一人の女がいる。

東洋系の顔形は美しく、男を魅了せずにはおれないような儚さと、蠱惑的な雰囲気を同時に纏っていた。だが、何処か虚ろな視線を虚空へ向け、そう問い掛ける彼女は、気狂いの類いにも見える。

 

「あら、会ったこともあるの?……そう。でも、もうあまり会いたくないのね」

 

だが、女―――――六導玲霞は一切意に介さず、自分にしか感じ取れない何かへ語りかける。

早朝とあって、シギショアラの街に人影はない。玲霞の呟きを聞くものはいなかった。

 

「アサシン、あれがあなたのいう監督役の場所なの?」

 

玲霞の白く細い指が、十字架を頂き、丘の上に聳え立つ三角屋根の教会を指差した。

側に控える“何か”からの肯定の返事を受け、玲霞は傍らの空間へ顔を向けた。

 

「そろそろ実体化したらどう?多分、魔術師の人たちにはもう分かっているでしょうし」

 

言葉を合図に、彼女の横の虚空から一つの影が顕現した。

人影の背丈は玲霞とほぼ同じ。ただし、全身をすっぽり覆うような灰色の布を被っており、表情は見えない。

しかし、その人物が顔の周りの布を下げると、下からは無表情を貼り付けた、少女とも呼べそうな若い女の顔が現れた。

例えて言うなら、玲霞が森の中で馥郁とした甘い薫りを放つ花なら、こちらの少女は高原の岩の隙間でひっそり咲くような草花である。

 

「マスター、何もあなたまであそこに赴くことは……」

 

黒い髪の少女は、青い瞳を細めて玲霞を見る。

 

「危険、なのでしょう?分かっているわ。でも私たちは戦いに行く訳じゃないもの。それに―――――いざとなればアサシンが守ってくれるでしょ?」

「……」

 

む、とアサシンと呼ばれた少女はほんの少し眉根に皺を寄せた。

アサシンは困ると、何も言わなくなる。ただ、少し首を傾げるか眉根に皺を寄せる。

アサシンと玲霞の付き合いはまだ二週間足らずだが、玲霞にはそれくらいにはアサシンのことが分かるようになっていた。

 

「行きましょう、アサシン」

「……はい、マスター」

 

そう言って、暗殺者のサーヴァントとその主は、神の家へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……つい、手が出てしまったのですが、私のマスターはあなた……ですね」

 

空いた窓の窓の外に浮かぶ月を背にして、その少女は問い掛けてきた。

いや、あのときは少女かどうかすら分からなかった。何せ玲霞は殺される寸前だったから。

灰色の布を被った人影の足元に、丸太のように倒れている若い男。

彼は玲霞を殺そうとしたのだ。魔術の儀式のため、玲霞を生け贄にすると言って。

魔術師だと正体を証した男によって、なすすべなく殺されかけたとき、ナイフが体に刺さり痛みを感じたとき、玲霞は思った。

死にたくない、まだ生きていたい、と。

生きるという感覚があやふやな玲霞が、死に瀕して感じた強い衝動。

男の描いていた魔法陣らしき何かが、光を放ち始めたのは正にそのときだった。

思わず動きを止める男の下顎を、光から飛び出てきた“何か”がぶん殴り、男を昏倒させたのは、瞬きする間もない一瞬のことだった。

 

「大丈夫ですか?」

 

平坦だが澄んだ声音と共に、人影は倒れた玲霞へ駆け寄って、不思議な色の炎で傷を癒し、手を差しのべた。

その手に、玲霞は助けて、と縋った。

そのとき彼女は、まだ生きたい、まだ死にたくないと心から願ったからだ。

 

「分かりました」

 

と、短く答えたアサシンの行動は早かった。

倒れたままの男から、呪術を用いて令呪なる刻印を引き剥がして玲霞に移植。

男を叩き起こして暗示をかけ、情報を引き出すと、記憶操作の術をかける。玲霞に纏わる記憶のすべてを消し、千鳥足で歩く男を新宿の街へと放り出した。

その際、アサシンは男が持っていた魔力の籠った品をすべて取り上げるのも忘れなかった。

そこまでやって一息ついて、やっと玲霞はアサシンが自分より歳下に見える少女ということに気づく。

 

「マスター、どうやらあなたは魔術を知らない人のようですね。あなたが巻き込まれた事柄について説明は要りますか?不要なら、私は、これきりもう二度とあなたの前には現れません。あの魔術師も二度とあなたの所を訪れないでしょう。そういう術をかけましたから」

 

そういうアサシンを引き止めたのは、何故だろう。もう脅威は去ったなら、この明らかにまともではない少女、人間ですらない“何か”と別れても良かったのに。

説明してちょうだい、という玲霞に、男から取り上げた魔力の籠った宝石を文字通りに食べながら、アサシンは言葉をついだ。

曰く、遥か遠くのルーマニアにて魔術師たちが聖杯戦争なる儀式を取り行うという。

聖杯戦争に必要なのは、サーヴァントなる使い魔に嵌め込まれた古今東西の英雄たち。彼らを呼び出し殺し合わせ、最後に残った一騎とそのマスターに万能の願望器が与えられるという。

あの男はそのマスターにならんとし、玲霞を生け贄にサーヴァントを喚ぼうとしたのだろう、とアサシンは言った。

また、マスターには令呪と呼ばれる三画の刻印が与えられ、マスターが用いればサーヴァントに絶対服従の命令を行使することもできるという。

玲霞はそれを聞いて思わず、赤く煌めく刻印が刻まれた右手を押さえた。

 

「令呪を宿していたのはあちらでしたが、私に聞こえたのは、あなたの生きたいという声だけでした。あの魔術師も、違う英霊の召喚を試みていたようですし、私のマスターはあなたです」

 

令呪を引き剥がした張本人たるサーヴァントは、表情も変えずに宣った。

今更ながらに、殺されかけたのだという実感が沸きかけ、しかし、玲霞はそれよりも、とアサシンの言葉の別の所に引っ掛かった。

己が殺されかけたという事実を玲霞が後回しにしたと見てとり、アサシンの目が細められたが、彼女は何も言わなかった。

 

「万能の願望器、聖杯?」

「ええ。あらゆる願いを叶える奇跡の器、だそうですよ。少なくとも私が得た知識の範囲では」

「あらゆる、願い……。あなたも、それを得るために召喚されたの?」

 

少女は無表情に、ふるふると首を振った。

 

「いいえ。私は、あなたの生きたいという願いが聞こえたのでここに来ました。そも、私は本来なら、サーヴァントになれるような英霊の類いではありません」

「そうなの?」

「そうです。転生手前でたゆたっている、ただの魂の一つです。亡霊よりは意識がはっきりしていますし、それなりにサーヴァントとしても働ける、と思いますが」

 

少女の言葉は、玲霞に問うているようだった。つまり、マスターとして戦うのか否か、と。

どうしようかしら、と玲霞は思案する。

否、と言えば少女はいなくなり、言葉通り二度と玲霞の前には姿を現さないだろう。玲霞自身はこれまで通りとはいかないだろうが、ほぼ元の生活に戻れる。詰まるところ、流されるままの希薄な生がまた始まるのだ。

そして、是、と言えば少女のいう殺し合いに参加することになる。

当たり前に生きたいと思う普通の人間ならば、きっと迷いはしない。

殺し合いに巻き込まれるのは御免だと、このどこか存在の希薄な少女、青い目に宿す光は強いのに、ふとした拍子に後ろが透けて見えてしまいそうなアサシンと手を切るだろう。

だけど、何故だろう。

玲霞にはすぐそう答えられなかった。

聖杯はあらゆる願いを叶える、とアサシンが言ったからか。

あるいは―――――自分より幾らか歳下に見えるアサシンに、ただ声が聞こえたからという理由だけで助けてくれた少女に、情でも沸いたからかもしれない。

言い淀んだ玲霞を見て、アサシンはもう休みましょう、と言った。

 

「いずれにしろ、ここから離れましょう。守りは私がします」

 

その言葉に甘えてそこから離れ、安ホテルに泊まる。マスターとしての繋がり故か霊体となって、側に控えるアサシンの存在を何とはなしに感じながら玲霞は眠りにつき、そして―――――夢を見た。

夢は色鮮やかだった。

寂しく暖かく、辛く楽しく、涙と笑顔と、希望と絶望があった。遥かな過去に生きて死んだ人間の一生、その一部を玲霞は夢に見た。

それは、玲霞にはあまりに鮮烈だった。駆け足で見た夢は何だかきらきらしたもの、もっと見て、知って、手に入れてみたくなるような宝物に見えた。

 

―――――聖杯戦争に参加するなら、まだアサシンと共にいるなら、この夢をもう少し見られるかしら?

 

そう思ってしまうほどに、その夢に出てくる人々は鮮やかに生きていた。魅せられた。

 

―――――そして翌朝に、朝日の中で改めてアサシンの顔を見て、夢の中の少女と全く同じその顔を見て、玲霞は意思を伝えた。

聖杯戦争に参加する、と。自分の願いは『幸せになる』ことだ、と。

それを聞いたアサシンは、何とも、微妙な顔になった。

 

「『幸せ』ですか」

 

アサシンは首を捻る。言われた言葉の意味を測りかねるように。幸せになる、という願いのカタチを推し量ろうとするように。

 

「マスター。聖杯は無色の願望器です。所有者となればそこには具体的な願いを打ち込まなければ、聖杯は正しく起動しない。それならば、あなたは自分の『幸せ』というものが何なのかを聖杯に告げなければいけません」

 

例えば、亡くしたものを取り戻したいとか、何不自由ない生活がしたいとか。そういう願いでなければ、聖杯は動かない。

そのカタチが見えていないならば、聖杯は危険すぎるほど膨大な魔力が渦巻く、ただの器でしかない。

わたしの幸せ、と玲霞は呟いて。

 

「そんなの――――そんなの、分からないわね」

 

何せ、玲霞はこれまで流されるように生きていたから。家族と呼べるような親しい人間の顔はろくに思い浮かべることができず、どころかこれまでの人生すらよくは思い出せない。

玲霞は、ただただぼんやりと歩んで、成り行きで殺されかけて、差し出された手を掴んだだけなのだ。

驚くでもなく、アサシンはふむ、と頷いた。

 

「ではマスターには、幸せというものを探すことを薦めますね。できれば早急に。何せ人生は短いですし」

 

どうして、と玲霞は思わずアサシンに問うた。

 

「何故って……寂しいと思います。この世から離れるときに、良いことも悪いこともひとっつもなかった、と思って瞼を閉じるのは」

 

そこまで言って、といっても私も、人に誇れるような人生でもありませんでした、最後に酷いこともしてしまいましたし、とアサシンは自嘲気味に口の端を歪めた。玲霞より歳下の少女が浮かべるにしては、相応しくない笑みだった。

 

そんなことはないのに、と玲霞は言いかけ、やめた。アサシンが頭を振って、玲霞の目を真っ直ぐに覗き込んだからだ。

 

「ともあれ、了解しました。マスター、これからよろしくお願いします」

 

言って頬を緩めて手を差し出すアサシンと玲霞は握手をし、直後アサシンはまた無表情に戻ってばっさりと告げた。

 

「しかし如何せん、魔術師でないマスターからの魔力供給が貧弱どころか断絶しているので、このままだと早晩私は消えてしまいます」

 

要するに玲霞ではサーヴァントの燃料ともいえる魔力を、さっぱりきっぱり送ることができていない、とアサシンは告げた。

つまり、これでは戦うどころかアサシンは現世に留まることができない。どうすればいいかしらと戸惑う玲霞に、アサシンは淡々と告げた。

 

「私のスキルは炎があれば魔力だけは補充できます。なのでマスター、焚き火か何か、火種があるところに向かいたいです」

 

―――――結果、とりあえず、駄目元で携帯用のガスコンロを薦めてみたら、それでいいとあっさりアサシンは了承した。

宝具をみだりに撃たなければ、現界するに足る魔力はそれだけで補えるのだという。

宝具、というものが何なのかすらも玲霞にはよく分からなかったが、ともあれアサシンが即消えるという懸念はなくなり、よかった、と玲霞は胸を撫で下ろす。

となれば、聖杯戦争開催地のルーマニアに飛ぶことになる。

ぼんやりとしている自分の、一体どこにこれほどの力があったのか、と思うくらいに迅速に、玲霞はルーマニアへと向かった。

機内で、玲霞は一通りアサシンとの会話を楽しんだ。というか、あの魔術師の男から取った情報をアサシンが聖杯から与えられた知識と合わせ、噛み砕いて玲霞に説明した。

この聖杯戦争というのは常のものとは異なること。玲霞たちは“黒”と呼ばれる側のサーヴァントで、これと敵対する“赤”のサーヴァントがいるということ。

向こうに着いた後、どうしようかという話とした。

アサシンによれば、単独でサーヴァントの相手をするには彼女は弱いという。やり過ごすだけならば、大概のサーヴァント相手でもまだいけるが、魔力が乏しい現状では一対一で相手を討ち取るのは無理無茶を通り越して無謀の類い、とアサシンは言った。

となると、どちらかの陣営に与した方がいい。少なくとも、当面は。

普通なら“黒”といくべきなのだろうが、玲霞を殺そうとし、アサシンがのしてしまった魔術師は“黒”の陣営、つまり、この聖杯戦争を引き起こしたというユグドミレニア一族の魔術師である。

そこに行って共闘できるとは、玲霞には思えなかった。

 

「“赤”の陣営に付いた方がいい気がするわ、アサシン」

 

霊体となったアサシンからも、肯定が返ってくる。彼女としても、魔術師でない玲霞が一つの一族で固められた“黒”に迎え入れられるとは、思えなかったのだ。おまけに実行したのはアサシンであり、正当防衛という理屈も成り立つが、彼女ら主従は“黒”の一族の魔術師から令呪を剥ぎ取った。

反対に、“赤”は魔術師たちを束ねる組織、協会から依頼された魔術師たちの集団で、教会から派遣されるという監督役もこちら側だという。

それならまだ、交渉の余地もあるか、とアサシンは結論付けた。

正直に言えば、マスターの『生きたい』という願いを聞いたサーヴァントとしては、この素人のマスターが聖杯戦争に参加するというのはあまり好ましい状況ではなかった。何より、自分は一騎当千の英雄でもなんでもない。

しかし、どこか生に対して自覚の薄いように見えるマスターは聖杯を欲しいと言った。それを使って、幸せになりたいと言った。

それならば、マスターの願いを叶えよう、とアサシンは決めた。

色鮮やかな世界をもう一度見せてくれたマスターに報いるには、他にないのだから。

 

アサシンは霊体となって飛行機のシートに座るマスターの隣に寄り添いながら、窓の外に広がる雲の海に目をやる。

焔と呪術を使えば、多少なら空を飛べるアサシンでも、ここまで高い空には生前は上がったことがない。

地にあって仰ぎ見ていた頃より、太陽は近くなった。人の力だけでここまで空を駆けることが出来るのかと思えば、日の輝きは未だ遥か先であっても、今の人の世にある『科学』というものには、感嘆せざるを得ない。

ただ、そうして下を見ていると、何故だか胸がざわついた。

 

―――――お前の直感は獣のそれに近いが、正確であり、頼りになる。

 

窓越しに、雲を輝かせる日の光を見、ふと遥か遠くになった人から言われた言葉が耳の奥に響き、アサシンは誰にも見えないまま、わずかに笑んだ。

 

「アサシン?」

 

問い掛けるマスターに何でもない、と答え、暗殺者のサーヴァントは後は静かに佇む。

そうして、彼女ら主従はルーマニアへと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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暗殺者の主従が最初に訪れたのは、ルーマニアの首都、ブカレストだった。

黒の陣営が幅を利かせる街、トゥリファスからは遠い。また、魔術師の男から手に入れた情報とアサシンの推測により、赤の陣営がいるのはシギショアラと判断する。

玲霞は、魔力節約のために霊体化を続けるアサシンを伴い、一路シギショアラへと向かった。

道中、玲霞はアサシンと過ごす時間を楽しんだ。

アサシンはおしゃべりな性格ではないが、玲霞が話しかければ楽しげに答えるだけでなく、時々空の色だとか流れる雲だとか、道行く人々や街並みだとか、玲霞からすれば当たり前の光景に驚いたり質問してきたりと、見た目相応少女のような一面を見せた。

 

―――――可愛いところもあるのね、アサシン。

 

玲霞はそう思う。時折、アサシンは妹のようにも思えた。離れたくないな、とふと思う。

とはいえ穏やかな時間は続かず、シギショアラへ到着する。観光客のように装って街を一通り歩き回り、彼女たちは教会が赤の陣営の本拠地と判断した。

呪術師だったというアサシン曰く、教会周辺の魔力の流れが不自然、とのことであった。自分にはさっぱり分からないが、アサシンには分かるというその感覚を、玲霞は信じることにした。

教会手前の石段の下で、アサシンは実体化した。何日かぶりの実体を持った灰色の少女を連れて、玲霞はそのまま神の家へと向かう。

ノックして中に入れば、アーチ型の窓から差し込む日の光が、奥にある十字架と祭壇を柔らかく浮き上がらせている様が目に入る。

そして祭壇の前には一人の少年の神父が佇んでいる。

 

『マスター。あの少年は、ただの神官ではありません』

 

アサシンからの念話が届く。

それが聞こえたかのように、少年は薄く笑った。

 

「サーヴァントを伴ってこの教会を訪れるとは、どうしたのですか?“黒”のマスター」

「……わたしたちは戦いに来たのではありません。同盟を頼みに来ました」

 

おや、と少年の目が見開かれる。

玲霞は手短に語った。

殺されかけたこと、成り行きでアサシンのマスターとなったこと、黒の陣営に与するわけにもゆかず、こうして赤へと訪れたことも、全てだ。

少年神父は薄い笑いを浮かべたまま聞き、なるほどと相槌を打った。

 

「そういうことでしたら、こちらは構いません。あなたはユグドミレニアの一族でもありませんし、こちらのサーヴァントが七騎揃っていない今、新たなサーヴァントは心強いのも事実です」

 

布で顔を隠して黙したままのアサシンを見、少年神父は一瞬眉に皺を寄せた。

見えない何かを、見透かそうとするように。

 

「ではあちらに。あなたを他のマスターの方に紹介しますので。ああ、言い忘れていましたが、私はシロウ。コトミネ・シロウと申します」

 

けれどその表情は一瞬で消え、少年神父、シロウはまた元の薄笑いを浮かべた。

表情が読めないという点では、彼の笑みはアサシンの無表情と同じね、と玲霞は思う。

そう思いながらもシロウに案内され、玲霞は教会の奥へと向かう。

こちらへ、と指し示された部屋に入りかけたとき、

 

『マスター、待って!そこに入ってはいけない!』

 

アサシンが念話で叫び、今しも入ろうとしていた玲霞は寸でで止まった。

 

「―――――何だ、気づきおったのか」

 

ぞっとするほど冷酷な声が、玲霞の間近で聞こえる。

何が、と思う前に玲霞の視界は横にぶれた。玲霞を抱えたアサシンが、一飛びでシロウから距離を取ったのだ。

シロウの隣には、いつの間に現れたのか、黒衣の美女が一人いた。

 

「サーヴァント……!」

「如何にも。我は“赤”のアサシン。それにしても勘の良い奴よ。暗殺者なれば獣と同じほど鼻も利くのかの」

 

くく、と笑う黒衣のサーヴァントを、アサシンは玲霞を抱えたまま睨み付けた。

 

「私のマスターに、何をしようとしたのですか」

「少し毒を仕込んでやろうと思ったまでよ。ああ、殺すものではない。少し意思を奪い傀儡にしようとしたまでさ」

 

“赤”のアサシンは妖艶に、シロウは変わらない聖人のような薄ら笑いで玲霞とアサシンを見る。

 

「こうなっては仕方ありませんか。―――――“黒”のアサシンのマスター、その令呪を我々に渡していただけませんか?」

 

知らず、玲霞は令呪の刻まれた手を握りしめた。

 

「そんなこと……」

「せぬ、と申すか、女よ」

 

黒の女は玲霞の言葉を遮り、アサシンへ視線を向けた。

 

「お主はどうだ?お荷物のマスターを守りながら、魂食いもせずに、そのような儚き体で戦い続けることは無理だろうて。お主も願いあるサーヴァントなれば、我らに与した方が良かろう」

 

灰色の少女は、無言で玲霞をしっかりと抱え直し、“赤”のアサシンはそれを見て不満げに鼻を鳴らした。

 

「ふん、愚者の類いであったか」

 

“赤”のアサシンが玲霞とアサシンを見る目は冷たく固く、一欠片も情けもない。

このままでは殺される、と玲霞は本能で察した。

何をするつもりなのか、“赤”のアサシンが手を高々と上げる。玲霞は身を固くしたとき、ぽつり、と耳元で囁かれた。

 

「……マスター、逃げます。舌を噛まないで下さい」

 

直後、アサシンは石の敷き詰められた床をだん、と踏みしめ、それを合図に青い焔が玲霞とアサシンを中心に吹き上がった。

 

「何っ!?」

 

驚く“赤”のアサシンとシロウの声を尻目に、アサシンは反転して駆け出し、教会の天窓まで一気に跳躍。

ガラスを蹴破って地面へと飛び下りると、後ろも見ずに全力で走り出した。

家々の屋根から屋根へ飛び移り、景色を後ろに置き去りにし、主を抱えてアサシンはただ駆ける。

 

「逃げられた……の?」

「わか、りません。とにかく、離れ、ましょう」

 

明らかに息の上がっているアサシンの腕の中、玲霞はただ流れる街並みを見、身を固くしていることしかできなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アサシンver,主人公のステータスは敏捷がA-、幸運はE。気配遮断スキルはB。
相性は良いがちょっと狂気的かつ夢見勝ちなマスター。
アメリカが難易度ハードなら、こっちはルナティック。

続きも多分書きます。来月とかに。

あと、エクステラ発売万歳!


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Act-2

先に断りを入れさせて頂きます。

一旦完結させた物語でしたが、感想を頂くうちにまだ書いていないことがあると思い、こうして外典編なるものを書きました。

蛇足と思われる方もおられるでしょう。
FGO編で語りきれない部分を残したのは作者の力量不足です。が、それでもまだお楽しみ頂けたら幸いです。







「……逃げおったか」

 

黒衣を纏う美女、“赤”のアサシンは不満げに溢した。

つい先程、“赤”のアサシンとシロウの前にのこのこ現れたのは、気配も薄い、まだ少女ともいえそうな女の成をしたサーヴァントとどう見ても一般人である若い女のマスターだった。

サーヴァントの方は真名も定かでなかったため、無名の亡霊の類いがサーヴァントの殻を被って召喚されでもしたのか、と思っていたのだが、それは誤りだったと女帝は認めざるを得なかった。

一瞬放った焔からは、紛れもない神気があった。儚く見えても、それなりに古い、ひょっとすると神代にまで匹敵するほどの時代のサーヴァントであったらしい。

真名が不明だったのも、あるいはそういうスキルなり逸話なりを持っていたからだろう。

 

「逃げるのに躊躇いがないとは。“黒”のアサシンは、所謂英雄豪傑の類いとは違うようですね。暗殺者なら当たり前でしょうが」

 

“赤”のアサシンのマスター、シロウは割れた窓を見上げながら涼しい顔で嘯いた。

彼からすれば、策とも言えない謀の一つが潰れただけ。シロウは何の痛痒も感じていなかった。

 

「どうするマスター。追って消すか?」

「いえ、それには及びません。あの脆弱な気配では大した脅威にはなり得ないでしょう。こちらがサーヴァントを全員召喚してからでも、遅くはありません。精々、“黒”を引っ掻き回してくれることを祈りましょう」

 

ただ使い魔で探すことだけはお願いします、とシロウは言う。

シロウと“赤”のアサシンからすれば、使役するサーヴァントが、もう一体増えても良かった。ただそれにはあのマスターが邪魔だったのだ。

だからサーヴァントであるアサシンが動いた。利で動くだろう暗殺者ならば、あの一般人のマスターを簡単に裏切るだろうという読みもあった。どう見ても、あのマスターが“黒”のアサシンへ魔力供給をできているとは思えなかったから。

だが、予想に反してあの暗殺者は、マスターに義理を立て、あまつさえ毒を見抜いて逃げてしまった。

目を見て初めて分かった。あの手合いは、マスターを裏切りはしないだろう。義理人情を重んじる愚か者たちと同じ目をしていた。

 

―――――いずれ消える暗殺者の身で、足掻けるだけ足掻いて見せるがいい。

 

それきり、“赤”のアサシンは“黒”のアサシンへの興味を無くすことにした。

それより今は、こちらのサーヴァントたちを揃えるのが先決なのだから。

砕け散り、床の上で煌めくガラスに一瞥をくれ、“赤”のアサシンはシロウと共に教会の奥へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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教会から逃げ出したアサシンと玲霞は、シギショアラに潜むことになった。

木を隠すなら森の中とばかりに、気配だけなら完全な一般人である玲霞の立場を利用してシギショアラに潜入し続けることにしたのだ。

しかし、フードを被っていたままだったアサシンはともかく、玲霞はシロウたちに顔を見られているため、アサシンが呪術で暗示をかけて別人が借りていた宿の一室に泊まることとなった。

 

「アサシン、一つ聞いていいかしら?」

『はい。何ですか、レイカ』

 

借りた部屋のベッドに腰掛け、玲霞は念話でアサシンに問う。

部屋の中央では大きな蝋燭が燃えており、見えなかったが、玲霞にはアサシンがその炎に寄り添っている様子を思い浮かべた。

 

「魂食いって、なあに?」

『……人を殺め、その魂を喰らうことで魔力を補給することです』

「サーヴァントにも、できるの?」

『はい、可能です』

 

アサシンの声は固い。基本的にこの少女は淡々と話すのだが、今の言葉は明確に暗さがあった。

魂食い、と“赤”のアサシンの言った言葉は玲霞にずっと引っ掛かっていたのだ。魂食いもしない脆弱さ、と“赤”のアサシンは“黒”のアサシンを嘲笑っていた。

玲霞はアサシンを失いたくない。命を助けてくれ、短い時間でも共に過ごすうちに情も沸いた。それに、彼女といるときれいな夢を見られる。

なのに、宝具を撃っただけでアサシンは弱った。本人は久しぶりで力加減を誤ったと言い、今は炎に寄り添って平気な顔をしているが、今後どうなるかは分からない。

 

―――――魂食いをすれば、アサシンは消えなくてもいいんじゃないかしら?

 

そう言いかけた玲霞の眼前に、アサシンがいきなり実体化した。

燃え盛る炎のように青い目でアサシンは玲霞を真っ直ぐに見た。

 

「レイカ、私はあなたのサーヴァントです。あなたを守り、あなたの願いを叶えるためにここにいる。けれど、私にも決して越えないと決めた線があります」

 

―――――それを私に越えさせたいなら、令呪を用いてください、とアサシンは言った。

怒りはなく、ただ深山の湖のように静かな感情を、アサシンは玲霞に向けていた。

 

「分かったわ。アサシン、あなた、関係のない人を殺したくないのね?」

 

それは、玲霞としては当たり前のことを聞いたつもりだった。元から、アサシンが望むなら、玲霞には人殺しをするつもりはない。

けれど、アサシンは逆に言葉に詰まった。

アサシンが否と言ったから、この優しげで儚げな女性は人殺しを選択肢から外した。

それはつまり、玲霞は自分の意思で人殺しを拒否したわけではない。アサシンが是といえば、彼女は躊躇いなく人を手にかけただろう。

 

アサシンは瞠目した。

 

玲霞は戦士でも、魔術師でもない。話を聞いた限り、人殺しとは無縁の人生だったはず。なのに彼女は人殺しを、必要なことならと当然のように許容している。あり得ないくらいに、順応している。

アサシンも生きていた頃は人を殺した。いくら綺麗事を言っても、アサシンの手は血塗られている。しかし、彼女も最初に人を殺したときは吐いて、泣いた。サーヴァントとなっても、人殺しに何も感じなくなったわけではない。

 

「どうしたの?」

「……いいえ、何でも」

 

柔らかく微笑むマスターが自分を気遣っていることも、ただの使い魔ではなく、一人の人として見てくれていることも、アサシンは分かっている。道具と見られていないこと、自分の我を聞き入れてくれることは素直に嬉しく、有難い。

それだけに、心配そうにこちらを覗き込むマスターにかける言葉が、見つからなかった。

沈黙するアサシンに、玲霞は途方に暮れたように尋ねた。

 

「ねえ、アサシン。話を変えるけれど、これからどうしようかしら?」

 

“赤”の陣営は全く頼れなくなった。しかし、“黒”も似たようなもの。彼女ら二人は完全に孤立していた。

例えば、アサシンが剣の英霊のように戦え、玲霞が魔術師として一流なら単体で行動しても問題はないだろう。

しかし、玲霞の強みと言えば、居場所を知られにくいということくらい。アサシンの方は、最大火力である三つ目の宝具を全力で撃つと、本人が消滅してしまうという自爆特性の持ち主である。

現状維持及び偵察に徹し、戦況が動くのを待とうと玲霞は決め、アサシンもそれに賛同した。

 

「ちなみに、あの黒いサーヴァントの真名、分かるかしら?」

 

首を傾ける玲霞にアサシンは少し黙してから答える。

 

「毒を使う暗殺者、でしたね。でもあのサーヴァントは、どう見ても暗殺者の類いではないような気がしました」

 

あの“赤”のアサシンから感じたのは、尊大さと、獲物を弄ぶような残忍さ。冷徹に任だけをこなす暗殺者には、およそふさわしくないように見えた。

 

「情報が、無さすぎるわね」

「ええ。“赤”側は魔術協会という組織が集めた触媒を用いたそうですから、余程強力な英雄と思われますが」

「“黒”はそれと比べるとどうなのかしら?」

 

ベッドに座り、頬に指を添える玲霞の横に実体化したままのアサシンは腰掛け、床の木目を見ながら答えた。

 

「……触媒の質や希少さにおいて、“赤”は“黒”より上、かもしれません」

 

アサシンは現代の魔術業界に詳しくないが、手に入れられた資料を見れば、業界全体を治める協会と数が多いとは言え魔術師一族単体では、土台が違うことは分かる。

恐らく協会の方が、より強力な英雄を呼び出せる希少な触媒を手に入れているだろう、とアサシンは予測していた。

とはいえ、ユグドミレニアもこの何十年を聖杯戦争のために使っている。何がしかの秘策は用い、彼らなりの完璧な布陣を敷いているはずだ。

それにしても、強力な英雄か、と呟いてアサシンは太陽が沈み、窓際までひたひたと闇の蟠る外を見やった。

その横で玲霞はあふ、と欠伸をしていた。

 

「レイカ、そろそろ睡眠を取った方が」

「……そうね。じゃあ、お休みなさい。アサシン」

「はい、お休みなさい、レイカ」

 

一礼して蝋燭を吹き消し、アサシンは見張りのために霊体化して屋根の上へ出、霊体化を解かずに街を見る。

考えるのはマスターのことだ。

『幸せ』という本人にしか分からないものを掴むことが玲霞の願いだという。

 

―――――でもそれは、大魔術だけでどうにかなる願いなのだろうか?

―――――レイカが『幸せ』になるには?

 

そこまで思考し、アサシンは頭を振って考えを振り払う。脆弱に過ぎるサーヴァントでは、マスターの身を守り、生き残ることで手一杯というのが正直なところである。

余裕の無さすぎるアサシンには、自分の願いなど、あったところで二の次であった。もっと自分が強かったなら、と臍を噛む。

アサシンは見張りに徹することにした。

星の煌めく空を仰ぎ見、魔力の流れを探る。

アサシンにはキャスタークラスの適性もあり、魔力探知ならば、暗殺者のクラスに嵌められている今でも楽にこなせた。というか、キャスタークラスの方が適性は高いのにどうして自分はアサシンなのだ、と疑問に思う。暗殺はしたことがないのに。とはいえ英雄たる人物を殺したのは確かだから、多分、そのせいだと考えられる。

ともかくアサシンは、目を閉じれば、それだけで河のように大地を流れる魔力の流れをぼんやりと捉えることができた。

河は曲がりうねって、トゥリファスの街へと流れていくようだった。多分、聖杯というのはああして魔力を溜め込み、万能の願望器として完成するのだろう。

前回の聖杯戦争とやらが終わってから、半世紀以上もの時が経っているというが、その間中大地の魔力を吸い込み続けたとなれば、さぞ、聖杯には空恐ろしいほどの高濃度の魔力が溜まりに溜まっているはずだ。

それを狙って、誰も彼もが鎬を削るのが聖杯大戦である。

 

―――――万能の願望器か。

 

そんなものは見たこともないけれど、誰かの願いを叶えるために、自分のすべてを平気で擲って一向構わない人のことを、アサシンは知っている。

もし、その『彼』の手に聖杯が渡ったなら、一体何を願うのだろう、と思う。

途方に暮れるだろうか、主に捧げるのみとあっさり放棄するだろうか。

どちらも同じくらいありそうだ、とアサシンは霊体化したままに薄く微笑みを浮かべ、また見張りに神経を集中させた。

 

大地の河はトゥリファスへと流れるが、大気の魔力の河はシギショアラへも注いでいる。シギショアラで最も魔力を集めているのは、“赤”の勢力が陣取る教会だった。

魔力の塊であるサーヴァントがいるのだから、それだけで流れは変わる。

遠く離れたここからでは、ぼんやりした気配しか分からないが、“何か”は間違いなくいた。

 

そして不意に、教会へと流れる魔力の量が増えるのをアサシンは感じた。さながら渦潮のように、教会へと魔力の流れが集められていくのだ。

 

―――――なるほど、“赤”はサーヴァントの召喚を行うのですか。

 

とはいえ、気配が分かったところで、アサシンには何をしようもない。

果たしてどんな英雄が、どんな願いを抱いて現世へ呼び戻されたのだろうか、と思いながら、アサシンはただ屋根の上に佇んで魔力の流れを見つめるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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暗殺者のサーヴァントとされた一人の女が、魔力の流れを読み取っていたのと同じ時刻。

シギショアラの教会にて、一人のサーヴァントが現界した。

槍のサーヴァントとして現世へ現れたのは、きらびやかな黄金の鎧を纏い、大槍を携えた長身痩躯の青年。色白で精悍な顔付きをしていたが、酷薄に見えるほど表情が無かった。

彼を迎えたのは褐色の肌の少年神父、シロウとそのサーヴァントである“赤”のアサシンである。

青年―――――ランサーのサーヴァントは、魔力の残滓漂う召喚陣の中に佇み、目の前のシロウと自分との間に魔力の流れが感じ取れないことに気付いた。

つまりシロウは、ランサーのマスターではないということになる。

 

「ランサーのサーヴァント、私はあなたのマスターの代理人、シロウ・コトミネと言います」

 

ランサーが何かを言う前に、シロウは口を開いた。

シロウ曰く、ランサーのマスターはサーヴァントと顔を合わせるつもりはなく、故に代理人のシロウが来たのだという。

嘘はついていないようだ、とランサーはシロウを見据えて思考する。彼の横では、“赤”のアサシンが身構えていたがランサーはそちらを見てはいなかった。

 

「……オレの槍はマスターに捧げる故、お前をマスターとは認めない。だが代理人という話は了解した」

「それは良かった。ではよろしくお願いします、ランサー、カルナ」

 

微笑むシロウと黙するランサー。

助力を乞う者に槍を捧げることだけを己に課すカルナには、顔を見せないマスターへの不満はなかった。

しかし、優先すべきはマスターの願いだとしても、カルナにも聖杯に託す悲願がないわけではないのだ。彼の願いは、遥かな過去に埋もれた、たった一人を見付けること。他には何も望んでいない。

七対七のサーヴァントの対決、という前代未聞の聖杯大戦だろうと、カルナは何も臆していなかった。如何なる英雄豪傑だろうと、自分はただ敵を討つ槍として振る舞うだけで、生前も今も変わりはしない。

 

聞けば、敵である“黒”、ユグドミレニアという名の魔術師一族はすでにサーヴァントを召喚しているという。

その内、アサシンだけは召喚時の『事故』でユグドミレニアではない、一般人のマスターを得て離脱しているようだが、放っておいてもさして脅威にはならない、とシロウは言った。

しかし、アサシンはマスター殺しに特化しているともいえるサーヴァント。警戒するに越したことはないのだが。

 

「いえ、アサシンのマスターは一般人で、アサシンの気配は薄かった。満足に魔力を得られないサーヴァントでは、いずれ立ち行かなくなるでしょう。妙な暗殺者で、魂喰いすらした形跡はなかったことですし」

 

カルナの顔から何かを読み取ったのか、シロウはそれだけを言って他の“黒”のサーヴァント及び“赤”のサーヴァントの情報を提示した。

その際、シロウの横に控える“赤”のアサシンも名乗った。

その真名は、セミラミス。毒を用いた暗殺者にして、策謀に長けたアッシリアの古き女帝である。

よろしく頼むぞ、と妖艶に微笑むセミラミスにカルナは眉一つ動かさず応じる。

ただ何となく、『彼女』とはそりが合わないだろうな、という些細な感傷を得ただけだ。

 

―――――私はその、無学というか、森育ちというか。

 

礼儀作法は身に付けているのだから気にする必要はなく、多少の怪物相手なら眉一つ動かしはしないのに、高貴な身分の女性に会うたび、妙に落ちつかなげにしていた『彼女』。

似ても似つかない女帝を見て『彼女』を思い出すとは、妙な因果だった。

因果を感じついでに、カルナはシロウに問うた。

 

「ひとつ聞きたい。“赤”のキャスターはシェイクスピアというのは理解した。だが“黒”の方のキャスターの真名は分かるだろうか?」

「いえ、それはまだ。ただユグドミレニアはここしばらく、ゴーレムの材料の入手に躍起になっているようです。キャスターの要望だとしたら、“黒”のキャスターはゴーレム使いの類いかと」

 

ゴーレムを作るライダーやアーチャーがいれば話は別だが、その可能性は低い。

そうか、とカルナは首肯した。

何故そんなことを、と問いたげに訝しげな視線を送るセミラミスとシロウには答えず、カルナは用があれば呼べ、と言って歩き去った。折角の好機を与えてくれた何かに、静かに感謝しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみにアサシン時のステータスは、
筋力:D 耐久:D 敏捷:A- 魔力:A+ 幸運:E 宝具:A。
クラススキルは気配遮断:B。
また、保有スキルに道具作成:Bが加わっていますが、宝具に変更はありません。

ステータスは悪くない(?)のに、難易度ルナティック感の取れないApoです。

……次の更新は少々先になります。


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Act-3

幸運値が仕事をした話です。


 

 

 

一夜明け、シギショアラのホテルの一室にてアサシンは玲霞と向き合っていた。

これからどうするか、というのが彼女たちの最大の課題である。

 

「聖杯があるのは間違いなくトゥリファスなのよね、アサシン?」

「そうです。魔力を辿りました。聖杯とそれを頂くユグドミレニアの本拠地はトゥリファス。“赤”の陣の本拠地はシギショアラですね」

 

テーブルに広げた地図に印をつけながらアサシンが言う。

 

「トゥリファスがユグドミレニアの魔術師たちで満ちているから、シギショアラに“赤”はいるのでしょうね」

 

確かなことは、どちらの街でもアサシン主従には敵地かそれに等しい場所だということ。

それでも、どちらかといえば明確に玲霞を狙った“赤”が居座るシギショアラの方が危ない。

 

「じゃあ、思いきってトゥリファスに行ってみる?」

「……」

 

あっさり言う玲霞にアサシンは、う、とわずかに黙るが、元々切れる手札の無さすぎる主従である。一般人に紛れてトゥリファスへと向かうことにした。

玲霞の荷物は少なく、アサシンに至っては何も無いのだから動くとなれば早い。しかし、いざトゥリファスに行こうとしたとき、玲霞はどうしてもと服屋に寄りたがった。

アサシンに、服を買いたいという。

 

「ちょっと待ってくださいマスター。どうして私に服を?霊体化すれば―――――」

「良いじゃない。魔術師とかサーヴァントは、昼日中からは襲ってこないんでしょう?でも町を歩くときに、アサシンの格好じゃ目立って仕方ないじゃない。一着くらい買いたいの」

「む……」

 

と、そんな風に押し切られてアサシンは現代風の服を渡された。

丈の短い青のスカートと黒いジャケット、薄い水色のシャツとブーツ、それに白く長いマフラーまで渡される。

アサシンからすれば、着たこともない形の服だったが、服を広げてみたアサシンは、可愛い、と素直に呟いてしまう。

けれど、果たして着る機会があるのだろうか、とどこか得意げな玲霞をアサシンは見やった。

 

―――――気遣ってくれるのは嬉しいのだけれど。

 

と、アサシンは朗らかに笑う玲霞に笑顔を返しながら呟く。

玲霞の願いを叶えること、彼女を守ることが己の役目と、アサシンは決めている。その玲霞の願いは『幸せ』になることだというが、どうも彼女は、聖杯に願うべき幸せのカタチを探すのではなく、アサシンと過ごす時間に安らぎ、幸せを見いだしている気がしていた。

それは、アサシンには好ましい状況ではなかった。好意を向けられることが厭わしいのではない。それだけは断じて違う。

アサシンは生きている人のように話し、考え、動けるとはいえ、時の止まった死者だ。

アサシンの時は死してから、一秒も進んでいない。それこそ聖杯にでも願わない限り、この世に留まり続けることなどできない、蜻蛉のような存在だ。

玲霞とふれ合えるのは、ほんの一時なのだ。

聖杯によって顕現した、泡沫のような死者だけに心を許し、サーヴァントを存続させるために生きる人間の命を使おうと邪気なく考える玲霞の姿は、言葉にはできなくともアサシンの胸をかき乱す。

それに極端な話、玲霞の幸せに聖杯は別にいらないかもしれないのだ。

自分を幸せにできるのは自分であって聖杯ではない。奇跡の器は、詰まる所はただの手段なのだから。

共にいると安らげる相手を見つけて、穏やかに暮らす。そういうのがアサシンの知る幸せの形だ。ささやかで、どこにでもあって、けれど巡り会うのは難しいもの。

玲霞にはきっと、そういう形の幸せが似合う気がする。闘争の刹那に幸せを見いだす人もいるけれど、玲霞は絶対にそちら側ではない。平和な時代と場所に生きる人間にしては、倫理の境目が多少危ういにしても。

 

―――――でもレイカの幸せがその形だったとして、それは、聖杯に願って叶えられるものとは思えない。

 

難しい、とアサシンは考える。

願いのないサーヴァントは戦闘の代行者で、マスターの守護者であればいいだけのはずだと思っていた。

なのに、自分はマスターの生き方について悩んでいる。半年どころか半月もこの世に留まれるかも分からない、儚い姿だというのにだ。

サーヴァントを道具扱いするマスター相手だったなら、こんな悩みは生まれはしなかっただろう。玲霞がアサシンを一個人として見てくれているから、アサシンもあれこれと考えてしまう。性として、好意には好意で返したくなるからだ。

 

「ねえアサシン、その服、着ないのかしら?きっと似合うのに」

「……今は結構です。霊体化して控えていますので。……でも、ありがとう、レイカ」

 

どういたしまして、と微笑む玲霞を守ろう、とアサシンは決意して、そして彼女らはトゥリファスへと赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トゥリファスへ入ること自体は、それほど難しくなかった。問題は泊まる先である。

元々数の少ないトゥリファスのホテルはすべて満室になっており、外から見たアサシンはホテルに設置された、いくつか魔術的な監視の眼を探知する。恐らくユグドミレニア一族が泊まり込んでいるのだ。

幸いなことに玲霞の気配が一般人のため、ばれた様子はなかった。アサシンもサーヴァントとして気づかれた様子はなかった。

本業でもなんでもない暗殺者に嵌め込まれたとはいえ、神代の呪術師の本気の隠蔽はそうは破られない。破れるとするなら、同程度の神秘を扱う魔術師のサーヴァントか、気配探知に長けた三騎士くらいだ。

しかし、魔術師相手の隠蔽は問題なくとも、田舎のトゥリファスに東洋人の若い女というのは十分目立つし、どこかで休まなければならない。

結果、玲霞の案で近くの教会に逗留することにした。教会は迷える子羊に宿を与えてくれると知って、神性スキルを持つアサシンは興味深そうに頷いていた。

教会から逃げて教会を頼るのも皮肉だが、少なくともこちらの教会のシスターはシロウ神父のような胡散臭さはなかった。

シスターにも、玲霞が憂いを含んだ眼差しで愁眉を下げ、傷心の旅だからあまり構わないでほしいの、としっとりとした声音で言うと、彼女はそれ以上深く聞いてこなかった。

下手な暗示よりよく効くのは、美人の憂い顔だと、間近にいたアサシンは納得した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アサシン、町に出てみない?」

 

と玲霞が言い出したのも、町に到着してから人心地ついた頃である。

教会から逃げて以降戦闘を行わず、宝具を用いることもなく、基本的に霊体として過ごし、火種から魔力を吸い上げ続けたため、アサシンの魔力は確かに余裕が生まれていた。

霊体化して気配遮断し、サーヴァントとしての霊格を押さえれば、ユグドミレニアに探知されることもない。

籠りっぱなしではどのみち何も変わらない。

町を歩く玲霞のすぐ横を、アサシンは漂うように付いてくる。時々露店の花をよく見たがったり、焼きたてのパンの匂いに気をとられたりと、玲霞からすれば些細なものに逐一足を止めた。

それはアサシンが玲霞の前で初めて見せた、見た目相応の振る舞いだった。姿は見えずとも、念話の弾んだ声を聞けばアサシンの調子は分かる。

 

「楽しい?アサシン?」

『あ……。すみませんマスター』

「良いのよ。でもどうせなら故郷の街が良かったかもね。この街、あなたの時代と大分違うから」

『……確かに少し、今のあの大地を見てみたかったですね。……でも人の集まる場所は、どこもそれほど変わりませんよ』

 

太陽を手日差しで見上げながら、きらきらと青い眼を輝かせて街を見る少女の姿を玲霞は幻視する。

多分、今のアサシンは笑っているのだろう。

 

『それとマスター。私に話し掛けるときは頭の中でお願いします』

 

でないと、虚空に一人話し掛けている妙な人間になってしまうから。そしてそういう人ほど、付け入る隙が多いカモに見えるのだ。

 

『といっても、もう遅いみたいですが』

「あら?」

 

アサシンが言うには、玲霞の後を付けてくる身なりも雰囲気も良くない男が二人、いるという。玲霞には気配は分からないが、アサシンがいるというならそうなのだろう。

どこか呆とした風情の、東洋系の若く美しい女の一人旅である。獲物として見られても、不思議はなかった。

 

「困ったわねぇ。どうしようかしら、アサシン」

『……適当に裏路地に入ってください。私が何とかします』

 

何とか、とは間違いなく叩きのめすとかそういう手段である。

虫も殺さぬようなとは言わないまでも、優しげで如何にも荒事に向いていないような風貌をしていながら、アサシンはそこらは割と荒っぽい。特に女子供に手を上げる輩に関しては、あまりどころかかなり容赦がない。

分かったわと玲霞は頷いて、ごく自然な様子で裏路地へと入る。

陽光を一杯に浴びる明るい大通りと違って、高い建物に挟まれた路地は薄暗く、人通りも無い。気のせいか空気もひんやりとしている。そうなれば確かに、玲霞の耳でも足音が近付いているのが分かった。

足音がどんどん間近になってくる、と玲霞が思った瞬間、かつんと玲霞の真後ろで石畳を踏み締める音、つまり実体化したアサシンが地に降り立った音が響いた。

玲霞が振り返れば、アサシンと相対するのは二人の体格のいい男たち。虚空から急に現れた少女に驚いていた彼らだが、手品とでも思ったのか、躊躇いは束の間でやおら彼らはアサシンに殴りかかった。

如何に見た目は華奢とはいえ、アサシンは仮にも人間から外れたサーヴァント。

殴りかかってきた一人の腕をアサシンが撫でるようにしたかと思えば、彼は宙を舞って地面に受け身もとれずに背中から叩き付けられ、怯んだもう一人には、アサシンが一瞬で踏み込んで間合いをつめ、鳩尾に拳を叩き込んだ。

すぐに、アサシンは彼らの傍らに座り込み、額を軽く叩いて暗示の術をかける。ほどなく彼らは玲霞たちを見もせずに、ふらふらと路地裏の奥へと歩いていった。

 

「戻りま――――――」

 

しょう、と言いかけたアサシンは、ふいに何かを察知したように空をふり仰いだ。

 

「あれ?キミ、ひょっとしてサーヴァントなのかい?」

 

建物に細長く切り取られた青空から、そんな能天気な声がふり落ち、同時に、地面に一つの人影が降り立つ。

石畳の上に立ったのは桃色の髪を三つ編みにした、可憐な面立ちの少女だった。

彼女はずい、と玲霞の前に立つアサシンの方へと寄ってきた。

 

「やっぱりそうだ。キミ、サーヴァントだろ?でも“赤”じゃないみたいだし……あ、もしかして、キミがアサシン?」

「……そういうあなたは、“黒”のサーヴァントですか?」

 

観念したように、アサシンは言う。

だけれど、玲霞にはこの少女から嫌な感じはしなかった。アサシンと似た、悪意を感じさせない明るさのような気配があったのだ。

 

「うん!ボクは“黒”のライダーさ」

 

あっさりクラスを明かしたライダーに、さすがに度肝を抜かれたのか、アサシンと玲霞は呆気に取られたように眼を大きく見開いた。

聖杯戦争なら、クラスと真名の秘匿は最大に気を使う。だというのにこのライダーは、自分からクラスを明かした。

意図が読めず、アサシンの思考に空白が生まれる。

 

「キミは“黒”のアサシンなんだろ?“赤”じゃないんならさ」

 

はい、と何とかアサシンは答える。元々、口があまり回る方ではないアサシンは、完全にライダーに圧倒されていた。

 

「なるほど、で、そっちのキミはそのマスター?」

 

ライダーの瞳が玲霞に向けられる。

ただ見られただけというのに、玲霞はライダーの目に浮かぶ光の強さに、気圧されたように感じた。

可憐で華奢な少女の外見でも、ライダーもまた英雄。人の手に余る存在なのは間違いない。

 

「ライダー」

 

が、すい、とアサシンがライダーと玲霞の間に割って入る。玲霞とアサシンの背はほぼ同じなのに、玲霞にはアサシンの背を見るしかできなかった。

 

「戦うつもりで、私たちに話しかけたわけでは無いようですね。では何か意味が?」

「えー、いや、別に?何となくだよ。何か気になった気配があったから、ちょっとやって来ただけ」

 

でもキミ、何で“黒”なのにお城に来ないんだい、とライダーは首を傾げて問うてくる。

ライダーには少なくとも今は敵意もなく、殺意もない。だからこそ、殺気や敵意には敏感なアサシンも直前まで接近に気づけなかった。それだけではなく、街に心奪われていた、という理由もある。失態だ、とアサシンは心の内で呟き、唇を舌で湿らせながら答えた。

 

「……それは私とマスターの契約が、ユグドミレニアの望んだモノではないからです」

「んん?……あ、言われてみたら、キミのマスター、魔術師じゃないみたいだね。じゃあ、キミはどうやって現界してるんだい?まさか、魂喰いとかしてるのかい?」

 

玲霞とアサシンを見比べ、納得したように頷いてから、ライダーの目が細められる。大きな瞳にきつい光が宿る。

玲霞が察するに、ライダーはきっとアサシンと同じく、関係の無い者を巻き込むのを良しとしない、善性の英霊なのだ。

私とは大違い、と玲霞はふと思う。

 

「魂喰いは、何があろうとしません。私の我が儘ですが」

 

果たして、きっぱりとアサシンは告げ、ライダーはそれを聞いて、にこりと天真爛漫に笑った。

 

「ふうん、そっか。うん、ボクの勘だけどキミの言葉を信じるよ。……でも、そういう事情があってもさ、一度お城に来てみたらどうだい?ボクらの領主とそのマスターは、アサシンを探してるみたいだし、ボクらも戦力は欲しい。それに、キミ一人でこの聖杯大戦を戦えるとは思えないし」

「……私たちは、一度“赤”の陣も頼ったのですよ。尤も、速効で逃げましたが」

 

そうでもしないと生き残れそうになかったという理由はあれど、“黒”からすれば面白くない事態だ。

だが、ライダーは何でもないように肩を竦めた。

 

「そんなこと、言わなきゃいいのさ。キミ、マスターを守りたいだけなんだろ」

 

さっきから、ボクがどう動いてもマスターを絶対に守れる位置にいるんだし、とライダーがあっけらかんと笑いながら指摘した。

アサシンが、またやり込められたように黙る。サーヴァント同士は昼には戦わないという聖杯戦争の大原則しか、今の自分たちを守るものがないことは玲霞にも分かった。

自分が魔力を送れていない、という無力感も玲霞には常に付きまとっている。

 

「アサシン、この話、受けましょうよ」

 

そのアサシンの耳元で、玲霞はそっと囁いた。

アサシンは玲霞を振り返って、本気ですか、と聞く。

 

「ええ」

 

玲霞は躊躇わない。

アサシンは、身を削ってでも玲霞を守ると決めている。しかし、玲霞もまだアサシンと共に過ごしたいのだ。

マスターの自分が、危ない橋を渡ってでもサーヴァントと過ごしたいと思うのは、恐らく聖杯戦争の主従の形としては歪だろう。マスターは自分の願いを叶えるために聖杯戦争に命を懸けるのであって、勝ち抜くための道具であるサーヴァントのために命を懸けるのは正しく本末転倒。魔術師からすれば、それは間違いなく愚かな行為だ。

第一、それはアサシンの望むことではない。けれど、そのことを薄々分かっていても、玲霞はまだこの少女と別れたくなかった。

親子でもなく姉妹でもなく、そもそもまともな人間ですらないアサシンに、

対して、玲霞が感じる暖かな感情が何なのか、確かめたいと思っているからだ。

絆されただけというなら、それはそれで構わない。これまでずっと、玲霞は流されるように生きてきたのだから、何か一つくらいは自分の感情のままに留まっていたかった。

玲霞の眼から何を読み取ったのか、アサシンは頷いた。

 

 

 

 

 

 

 





孤軍奮闘は、さすがに難易度高すぎ、というか無理なのでこの形に。


あと、スマホの調子がとても悪くなってしまいました。
文章をスマホで書いていたから、少し不味いです。


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Act-4

早いもので、もう今年も終わりです。

発熱して寝込んでしまいました。もう治りましたが、久しぶりに寝て過ごしました。
体調には、皆さまもご注意ください。






六導玲霞は、己のサーヴァントであるアサシンを好いている。

第一に、アサシンは玲霞を助けてくれた。助けてと言われたからという単純な理由だけで。そんなことをしてくれる人に玲霞は今まで会ったことが無かったから、まだアサシンと一緒にいたいと思う。

聖杯戦争の過酷さより、玲霞にはアサシンとすぐ別れる方に天秤が傾いたから、玲霞はルーマニアを訪れたとも言える。それを、アサシンが歓迎していないと知っていても。

次の別れたくない理由だが、アサシンと話すのは楽しいのだ。それに、夢で覗き見る彼女の過去には胸が踊る。

人の過去を見るのはいけないことだろうが、こればかりは止められなかった。

アサシンの言う通りなら、玲霞が見ているのは神代。神と人の距離が近かった失われた時代だ。

その夢の中に、繰り返し出てくる青年が一人いる。名はカルナ。アサシンの夫で、マハーバーラタにも登場する英雄の一人だ。

そんな英雄の妻だったと知ったときは、玲霞は思わず口を開けてしまったものだ。

玲霞から見たアサシンは、どこか儚げな少女のようで、まさか人の妻だったとは思いもよらなかったからだ。

そして、アサシンは彼のことが好きだ。本当の本当に、大好きなのだ。自分で思っているよりずっと深く、アサシンはカルナを慕っている、と玲霞は夢を通して感じた。

 

「ねえアサシン、カルナって、どんな人なの?」

 

だから、ライダーと遭遇した日の夜、玲霞は思い切って尋ねた。

結局、ライダーの提案を呑む形でアサシンと玲霞は、ミレニア城塞に赴くことになった。

領主として“黒”のサーヴァントたちが頭として仰ぐサーヴァントには、ライダーが話を通してくれるらしい。

騙し討ちや待ち伏せがないとも限らないのだが、アサシンが言うにはその可能性は低い、とのことだった。

領主と自ら名乗るのだから、間違いなく“黒”を率いるサーヴァントは王候貴族の人間だったはずだ。

貴族や王族は誇りを重んじ、名誉を尊ぶ。時には、そのために幼子を犠牲にして憚らない無慈悲さ傲慢さもあるが、同時に己の誇りを守るためなら彼らは俄然心を砕く。

加えて、仲介にあのライダーが立つという。その上で策謀を仕掛けてきたなら、それは“黒”のライダーの面子を潰した形になる。

初っ端から、裏切ったかも定かでなく、一騎当千でもない暗殺者一人を嵌めるのにそんな手間はかけず、配下の英雄の誇りを汚す真似はしないだろう、というのだ。

何より、“黒”に見つかってしまったのだから、何とかしなければならない。

ただ、いざとなったら令呪で逃げましょう、とアサシンは付け加えた。

推測だが、“黒”の領主はヴラド三世である可能性が高いから、という。串刺し公、ヴラド三世ともなれば、彼を今も護国の英雄としているルーマニアでは、彼なら最高の知名度補正を得られるはずだからだ。

だが、ヴラド三世は、裏切りにより幽閉され何年も不遇を囲った君主でもある。裏切り者と見なされたら、さぞ苛烈に対処されるだろう。

と、そういう話をしている最中に、玲霞が茶飲み話のような合いの手を挟んだものだから、アサシンは呆けたように言葉を途切れさせた。

 

「レイカ?私の話、聞いていましたか?」

「聞いていたわよ。でもあまり難しい話、疲れるもの」

 

だからと言って何でまた、とアサシンは肩を落とした。

教会の部屋は、ベッドと小さなテーブルに椅子という簡素なもので、玲霞はベッドに腰掛け、アサシンはテーブル前に置かれた椅子に座っている。

 

「……レイカ、その名前を知っているということは、あなたは私の過去を夢で見ましたね」

 

アサシンが上目遣いに玲霞を見る。

アサシンは、あまり自分のことを話さない。今で言うインド辺りで、西暦よりもっと前に生きていた、本業は癒し手の呪術師、白兵戦は『そこそこ』にできる、ということくらいだ。

真名がないというサーヴァントとしての異常さも、そういうものと流してくれると有難い、というだけ。聞き出そうとすると、ただ自分にはそういう呪いがかかっているから、と言うきりだ。

正直、もう少しマシというか詳しい説明はできないのだろうか、と思う。多分、アサシンは玲霞を信用していないわけではなく、単に己を語るのが苦手なだけなのだろうが。

 

「気を悪くした?」

「いえ、夢を見るのはサーヴァントとマスターの繋がり故の、当たり前の現象です。でも……恥ずかしいというか。話していない過去を知られているというのは、妙な気分になります」

 

ほんのわずかに顔を赤らめたアサシンは、頭を支えるように机に頬杖を付いてしまった。

 

「レイカはカルナのことを知りたいのでしたね」

「ええ」

 

正確に言うなら、カルナとアサシンの関わりが知りたいのだが、そこは言わない。

 

「しかし、私は詩人のようにあまり口が上手くありませんが……」

「良いの。あなたの言葉で聞きたいから」

「……分かりました」

 

居ずまいを正し、カルナの武人としての強さは概ね『マハーバーラタ』にてさんざ語られている通りなので省きます、と前置きしてからアサシンは口を開いた。

 

「有り体に言って、誠実な人です。不器用なくらい、真っ直ぐな生き方しか知らない、というよりできないのでしょうね」

 

何かを恨んだり憎んだりもせず、怒るときもいつも己のためではない。歯痒いくらいに、他人のためにしか怒らない。

 

「ただ、私より数段上の口下手です。本人にそのつもりはなくても、人を怒らせること数知れなかった」

 

もうとっくに地平線の向こうに沈んだ太陽を探すように、アサシンは視線を窓へとやる。ガラスのすぐ外側まで押し寄せている暗闇に、彼女が何を見ているのか、玲霞には分からない。

 

「そんなところです。もう寝ましょう」

 

話はお仕舞いです、という風に、アサシンはぱん、と手を叩いた。

顔は変わらない無表情で、声音も淡々としていたが、アサシンにしては珍しく玲霞の目を見て話そうとせず、白い貝殻のような耳は先だけがほんの少し薄紅色になっていた。

おまけに玲霞の返事も待たず、アサシンは霊体化して消えてしまう。見張りのために屋根へと出てしまったようだ。

あらまあ、と玲霞は一人になった部屋で首を傾けた。この話題は、余程アサシンの琴線に触れる部分だったらしい。

それも、サーヴァントとしてではなく、人間として、女としての琴線だ。

―――――踏み込みすぎたかしら?

でもあれくらい言わないと、あの不器用なサーヴァントは自分を語らなかったはず。

それにしても、と玲霞は明かりを消してベッドに潜り込みながら思う。

あの、口下手なアサシンをして、数段上の口下手といわせるカルナは、どれだけ不器用だったのだろう。

小さな疑問を頭に留めながら、玲霞はシーツを被り、やがて穏やかな寝息が真暗な部屋に響き始める。

 

その夜、玲霞はまた夢を見た。

 

 

青い瞳の少女が、泣いている夢だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

ヴラド三世という英霊がいる。

ワラキア公としてオスマン帝国の軍勢を相手取り、これを撃退せしめた護国の英雄にして、後世の作家により吸血鬼ドラキュラのモデル。

相反する二つの側面を持たされた串刺し公は、ランサーのサーヴァントとして、ユグドミレニアの長、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアをマスターに現界した。

彼が聖杯に託す悲願は、己の汚名を雪ぐこと。汚名とは即ち怪物ドラキュラを指す。

ヴラド三世は、過去を変えようとは思わない。ただ、己の名を汚し続ける虚構の化け物を亡き者にすることを望んでいる。

と、そういう事情を、玲霞を教会に残し、ミレニア城塞に一人赴いたアサシンはライダーから聞かされた。

 

「やはりあなた方の頭はヴラド三世でしたか。ルーマニアと聞いて、予想はしていましたが」

「やっぱり予想されてたかー。うん、知名度補正って言うのかな?そういうのがあるから、ユグドミレニアはあの王様を呼んだみたいだね」

「でもライダー、私に真名を漏らして良いのですか?」

 

先程から何度かすれ違う、白髪赤眼の使用人らしき人間を避けながら、アサシンはライダーに聞く。

彼らは皆、アサシンが避けるたびに何の感情も籠っていない、紅玉のような瞳で見返してくる。ミレニア城塞のあちこちで、アサシンは白髪赤眼の彼らを見かけていた。画一的な顔立ちと雰囲気から察するに、彼らは人造の生命体、恐らくはホムンクルスなのだろう、と辺りをつけていた。

 

「良いんだよ。キミを通す前に言っとけってさ」

 

多分、牽制かなとライダーは嘯く。

ヴラド三世ともなれば、この地では絶対的なアドバンテージを持つ。何せ、救国の英雄として今も語り継がれているのだから、その知名度による恩恵は計り知れない。正しく、暗殺者一騎程度では、引っくり返しようもないほどの強さを持つだろう。

先にそれを伝えることで、自分を屈させるつもりなのだろうか、とアサシンは思う。

 

「それに、ボクらはみんなキミの真名を知ってるしね。―――――そうだろ?ジャック・ザ・リッパー?」

 

ちらりとライダーがアサシンを振り返って言う。真名を知られているのはアサシンも同じ、と言いたいのだろう。

元々、アサシンが新宿の町へ蹴り出したあの男はジャック・ザ・リッパーを喚ぶ腹積もりだったのだから、確かに真名がユグドミレニアにばれていても不思議はない。

だがしかし。

 

「あの、私はジャック・ザ・リッパーではありませんよ」

 

“黒”側にとっては想定外だろうが、アサシンはジャック・ザ・リッパーではないのだ。

 

「え?あ、そっか。キミ、女の子だもんね。じゃあ、ジル・ザ・リッパー?」

「……いいえ」

 

そんなに自分は血生臭くみえるか、とアサシンは肩を落とした。

娼婦たちを極めて残酷に殺め、十九世紀ロンドンを恐怖のどん底に叩き落とした殺人者、それがジャック・ザ・リッパーである。

そちらと間違われていたのは、アサシンには複雑だった。

 

「キミ、切り裂き魔じゃないのかい!?」

「はい」

 

ロンドンどころか、アサシンはイギリスに行ったこともない。

 

「それじゃ一体、キミはどこの誰なんだい?」

 

それは、とアサシンが口を開きかけたところでちょうど廊下の突き当りの扉の前に着き、アサシンとライダーは共に口を閉じた。

 

「じゃ、ちょっと行ってくるよ」

 

ライダーが扉の向こうに消え、アサシンは一人残される。

それにしても王様か、とアサシンは一人ごちる。

生前仕えていた人も王だった。正しくは、王たらんとした人だが、人を統べていたのには違いない。

真名は分からないが、あのライダーも名うての英霊のはず。アーチャーやセイバーとてそうだろう。彼らが皆、仮初めだろうと王と仰ぐからには、ヴラド三世はさぞ苛烈な王の風格備えた英雄なのだろう。

そのような英霊と彼を取り巻く五騎の英霊たちと、これからアサシンはたった一人で相対しなければならない。

 

それでも―――――頑張りましょうか。

 

玲霞の、マスターの命がかかっている。足をすくませている暇はない。今から挑むのは、勝てはしなくても負けなければいい戦だ。

軋んだ音を立てて、大きく開いた扉の中へアサシンは踏み出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋の中央、一際高い位置に据えられた、玉座と言える豪奢な椅子。そこに座るは黒い貴族服を纏った王者であり、横には彼のマスターらしき目付きの鋭い青年が佇んでいる。

王者の周りに侍るのは、大剣を背負った青年、涼やかな面立ちの長身の男性、白いドレスを纏った虚ろな瞳の少女、それに桃色の髪の可憐な騎士である。

六対の眼に一度に見られているアサシンは、素顔を晒したまま玉座に近付き礼をするが、跪きはしなかった。

 

「お前がアサシンか」

「はい」

 

肘置きに肘をついたまま、優雅な仕草でランサーはアサシンを見ていたが視線は槍のようで、声は氷のように冷々としている。

 

「ライダーの話では、我々の陣に加わりたいようだな。無名のアサシンよ。だが、何故お前は今の今までここに馳せ参じなかった?」

 

確かに、“赤”が駄目なら“黒”に与したいというのは虫の良い話だと自嘲する。

マスターを守るためと言う理屈はあれど、それはアサシンの理屈であってランサーには何の関わりもない。

答え方を誤れば串刺しにされるのだろうか、とぼんやり思う。

 

「答えます、領主。まず、私のマスターはユグドミレニアの者ではありません」

 

玉座の横に侍る青年が眉をひそめたが、アサシンは構わず続ける。

 

「故に、ユグドミレニアに即座に加われるのか分からず、これまでトゥリファスに潜んでいました」

「なるほどな。だが一つ問おう。お前は、ユグドミレニアのマスターを裏切ったのか?」

 

虚偽は許さないとばかりのランサーに、アサシンは答える。

 

「いいえ。私は、今のマスターの声を聞いて喚ばれました。私を喚んだのは、間違いなく今のマスターで、こちらは主を一度も裏切ってはいないつもりです」

 

正確に言うなら、令呪を宿していたのはユグドミレニアの魔術師で、アサシンに声を届かせ、引き寄せたのが玲霞だったが、そこまでは言わない。

 

「理屈はそれなりにあるようだな。だが、その身に纏う気配は不愉快でもある。ジャック・ザ・リッパーではない、無名のアサシンよ、お前は紛い物の神々に連なる者だな」

 

サーヴァントたちが一斉にアサシンを見る。

ランサーの推測は当たっていた。

アサシンは確かに神に連なっている人間だ。生きていた頃は一度も会うことはなかったし今後もないだろうが、アサシンには炎神の力が流れ、神性スキルも保有している。

そして、異教徒との戦いに心血を注いだランサーからすれば、それは不快極まりなかった。

 

「だがそれは今はいい。聞かせろ、アサシン。お前の真名は何だ?」

 

それは最も聞かれたくなかった質問で、必ず聞かれるだろうと予測していた質問だった。アサシンは一瞬だけ足元に目を落としてから、まっすぐランサーを見上げて答えた。

 

「……ありません」

 

アサシンの返答に、何だと、とランサーが眉をつり上げる。

 

「無いのです。私は、数ある無銘の霊魂の一つがサーヴァントとしての形に嵌められたモノ。英霊の『座』から召喚された英霊ではないのです」

「……何と」

 

ぼそりと呟いたのは魔術師の男。やや忌々しげにアサシンを睨んできた。余程気配の薄い英霊が『手違い』で喚ばれたと思ったらしい。

アサシンは、嘘は言っていない。この場で呪いがどうのこうのという話など、場をややこしくするだけで、それにアサシンが『座』を知らないのは、紛れもない事実。

“黒”のランサーは変わらず、冷然とアサシンを見下ろしている。

しばし黙考したのち、ランサーは宣告を下した。

 

「暗殺者のサーヴァントよ。お主が我が領土に存在し、“赤”と戦うことは許そう。だが、我が麾下の将とは認めん。城には今後、無断で立ち入るな。立ち入ればそれは敵意と見なす」

「……承知しました」

 

再び一礼して、アサシンはあっさりと部屋を辞する。

廊下に出たアサシンは詰めていた息を吐いた。

正体は分からず、ユグドミレニアの魔術師に使役されているわけでもなく、おまけに“黒”のランサーからすれば不愉快な『怪物』の気配を放つ暗殺者である。

目障りだからと、消されなかっただけ御の字だった。ともあれ、悪いことばかりではない。これで少なくとも、玲霞はトゥリファスの街を自由に歩けるのだから。

さっさと帰ろう、と廊下を進むアサシンに、ぱたぱたと駆け寄るサーヴァントが一騎。

 

「ちょっと待ってアサシン!」

「ライダー、何かご用ですか?」

「あ、うん。用って言うかさ……」

 

玉座の部屋から、アサシンを追いかけてきたライダーの話はアサシンの魔力供給についてだった。

ユグドミレニアのすべてのサーヴァントは、魔力をマスターから直接与えられているのではなく、ホムンクルスから得ている。令呪のラインは繋がっているが、それ以外はほぼホムンクルスからの魔力で賄い、マスターたちは十全に己の魔術を振るえる状態にあるという。

つまり、アサシンもその魔力の経路を繋げ、という話だった。

麾下とは認めないが、“赤”を打ち倒すまではあっさり脱落されては割りに合わない、とユグドミレニアは考えたのだろう。

それに、ユグドミレニア経由の魔力でアサシンが戦うなら、いざというときの首輪にもなる。

その提案、というか命令に、分かりました、とアサシンは頷いた。

 

 

 

 

 

 

 





ニアミスは、残念ながらまだ続きます。


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Act-5

ここまで一回もまともに戦ってない主人公。

尚、ルーマニアのあちこちの魔術師さんたちは皆無事だったり。


 

 

 

 

結果として、“黒”のサーヴァントは七騎がトゥリファスに結集することに成功した。

アサシンだけはユグドミレニアではないマスターに使役されているが、そのマスターは魔力をろくろくサーヴァントに与えることもできない一般人。アサシンも、暗殺者なのだから当たり前だが、正面切っての白兵戦向きのステータスではない。

ステータスだけ見るなら、敏捷値だけが妙に秀でたキャスターと言ってもおかしくはない。だが剣と弓まで持っているため、何とも正体の掴みづらいことになっている。

ついでに宝具の性能は高いようだが、その最大火力は、何の因果か“黒”のバーサーカーたるフランケンシュタインの怪物と同じく自爆特性が付きまとう。つまり、全てを解放すればアサシンは消えるのだから、投入の場を正確に読みさえすれば、むしろ後腐れのない爆弾として扱えるだろう、とダーニックは冷徹に計算していた。

以上のことから鑑みて、ユグドミレニアが長、ダーニックはアサシンを大きな脅威にはなり得ないとした。

ただ、彼のサーヴァントである“黒”のランサーは微妙に異なった。彼は王たる己の威圧を凌ぎ、膝を折らず、視線を曲げもしないサーヴァントが、戦死者の亡霊や無名の暗殺者であるはずがないと思っていたのだ。

おまけにライダーが聞いたところによれば、アサシンは願いがないという。仮にも英霊が、格下の魔術師に使い魔にされてでも現界するのは一重に聖杯に願う悲願を抱いているはず。

誇りをかけた願いを抱く“黒”のランサーだからこそ、我欲がないように宣う、彼からすれば異形の怪物の血が混ざったアサシンの物言いは胡散臭く聞こえた。

知名度により強化されているランサーはもちろん、セイバーやアーチャーにも到底叶わない矮小な暗殺者だろうが、まだ何かある、何かを隠している、というのがランサーの見解で、ダーニックもそれには同意した。

故に“黒”の王は、暗殺者には適当に魔力を与え、何かの折りに投入すればいいと裁定を下した。

誅することもしないが、城には入れず、格下の配下として扱う。

如何にも貴族的な解決策だったが、主を守ることを第一義にするアサシンには不満もなかった。

ダーニックからしても、元一般人という格下のマスターをミレニア城塞に招き入れずに済むのだから異論はなかった。

また、アサシンを呼び出すはずだった魔術師だが、ダーニックはただの人間にしてやられたのは魔術師としては失格と見なし、こちらも問題視はしなかった。彼は未だにアサシンの暗示にかかったまま日本のどこかにいるが、令呪もない。聖杯戦争にはもう手出しはできない。

ともあれ、こうしてアサシンの一件は一応解決を見、ダーニックと“黒”のランサーは来る“赤”との対決に思考を割く。

全面的な対決までにはまだ猶予があり、そのための準備など、幾らでもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、そういう結論みたいだね。うちの王様とそのマスターは」

 

開口一番、玲霞とアサシンが移ったホテルに現れた英霊、サーヴァント・ライダーはそう宣った。

教会からユグドミレニアの目の届くホテルへと移ったアサシンと玲霞が部屋にいたところで現れたのがライダー。

初対面から親しげに話し、底抜けに明るい天衣無縫なライダーは、アサシン個人としては付き合いやすい相手だが、トゥリファスでアサシンを見付けたのもこのサーヴァントである。

あれは不覚にも久しぶりに見る街と人間に心踊らせてしまった盛大なアサシンのうっかりなのだが、ライダーの数値にしてA+もある幸運も関係しているような気がしていた。尚、別に自分は幸運が最低ランクなのを気にしているわけではない、とアサシンは思っている。

 

「まあ、ボクとしても良かったと思うよ。切り裂きジャックっていう殺人鬼かと思ってたけど違うし、キミ、そんな悪いやつじゃなさそうだしね」

 

あははと笑うライダーである。

魂食いはしない、とアサシンが言い切ったからか、善性のライダーは彼女にそこそこ好感を持っているらしかった。といっても、アサシンはライダーの真名を知らない。彼に限らず、”黒”のサーヴァントの真名はランサー以外彼女には伝えられていない。自分の名前を晒していないのだから、相手から教えてもらえるはずもないとアサシンはあっさり諦めていた。

ライダーは、ミレニア城塞を抜け出してアサシンと玲霞に情報を渡しに赴き、そのついでに城下を遊んで回るという話だったが、遊びついでにこちらに来たのでは、とアサシンは内心首を傾げていた。

連絡だけなら、ホムンクルスなり使い魔なり手段はいくらでもある。サーヴァントがやってくるまでもないだろうに。

 

「ライダー、あなた、遊びに来たというけれどマスターの側にいなくていいのかしら?」

 

佇むアサシンの横に座る玲霞の問いに、ライダーは笑顔を引っ込めて困ったように頬をかいた。

 

「あー、うん。ボクのマスターは黒魔術師なんだけど、ちょっと……何というか……アレでさ。四六時中一緒にいるのは勘弁かな~って」

 

その点、キミたちは仲が良さそうで羨ましいかも、とライダーが言い出し、玲霞はにこにこ笑い、アサシンの方は曖昧に笑う羽目になった。

多分、一般に人から外れた道を歩んでいる魔術師では、如何にも正道の英雄に見えるライダーとは反りが合わないだろうな、とアサシンは感想を抱いた。

続けて、何でもないことのようにライダーは喋る。

 

「あ、あと、セイバーとそのマスターがトゥリファスに来てるみたいだけど、強いよ、アレ。幸運以外のステータスにC以下がなかったとか、一部ステータスは隠蔽しているとかなんとか」

「……それはまた。強敵ですね。ステータスの隠蔽も厄介です」

「いや、真名の無いキミもどっこいどっこいだろ。……でも確かに。セイバーとかアーチャーならともかく、ボクやキミじゃ敵わなさそうだね」

 

そうは言うが、からから笑うライダーに、恐れの色はない。玲霞もアサシンも知らないが、このライダーの真名は文字通りに理性の蒸発した騎士にして、シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォである。恐れという感情が普段は吹っ飛んでいるのだ。

 

「あとは……あ、そうだ!ルーラーが召喚されたってさ」

「ルーラー……審判役かしら?」

「裁定者のサーヴァントなんだって。今回は規模が桁違いの聖杯戦争だから、呼び出されたらしいよ」

 

ルーラーというクラスはアサシンにも耳慣れず、そんなサーヴァントまで呼び出されるのか、と驚く。

が、ライダーにもルーラーの何たるかはあまり分かっていないらしく、それよりも何故だかルーラーを狙って“赤”のランサーが現れ、これを防ごうとした“黒”のセイバーとの間で戦いが起きたという話の方を語りだした。

 

「強かったみたいだよ、その“赤”のランサー。本人の身の丈くらいある槍を使ってさ。……まぁ、ボクも直に見た訳じゃないんだけど」

 

サーヴァントならば、霊体になれるはずなのにどうしてだかルーラーはブカレストからヒッチハイクを使ってトゥリファスへと向かっていた。だが、その彼女を抹殺するために“赤”のランサーが待ち伏せしていたところに、“黒”のセイバーが駆けつけたのだという。

しかし、ルーラーとセイバー対ランサーという構図にはならなかった。ルーラーが自分は裁定者だからと、セイバーとの共闘を拒否したからだ。

かくて、トゥリファスに続く街道沿いにて、夜から始まったセイバーとランサーの対決は朝まで続いた。

が、朝を迎えたことで最後は引き分けになり、“赤”のランサーは撤退、ルーラーは“黒”のセイバーのマスターがミレニア城塞へ来るよう勧誘したが、彼女はこれを一蹴して単身トゥリファスへと向かっているという。

 

「裁定者のサーヴァントなら、誘いには乗らないわよね。だって審判役だもの」

 

そこが肩入れしてしまっては、運営も何もないものね、と玲霞は首を傾けながら言う。

 

「そりゃそうだ。でも、ゴルド……あ、セイバーのマスターの名前だけど、彼は結構お冠だったみたいだよ」

 

聞けば、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアという名のセイバーのマスターは、最優のセイバーの強さに疑いを持っておらず、それを傘に来た振る舞いをしていたという。

だというのに、彼はそれと互角に戦うランサーに初戦から出くわしてしまった。

 

「それは面白くないでしょうね。セイバーとマスターとの間に、信頼関係があれば良いですが」

「あー。それ、難しいかも。何かアイツ、セイバーの真名バレをやたら気にしてて、セイバーに口を利くなって命令しちゃったんだよね。だからボクもアイツと話したことはないんだ」

 

椅子に座ったまま、ライダーは足をぱたぱたさせて言った。恐らく、誰かに話したかったのだろう。

身の丈ほどの槍を使うランサーのことも、どうして中立である審判を“赤”が真っ先に抹殺しようとしたかは気になるが、“黒”陣営の最高戦力のセイバーとマスターに確執があるのも一大事である。かといって、アサシンにも玲霞にもそれからライダーにも、どうこうしようもない問題というのがまた厄介だ。

 

「“赤”のランサーもセイバーも強いけど、まあ、ボクもシャルルマーニュの騎士なんだから、やるときはやらせてもらうさ」

 

そして、蛮勇無策無鉄砲なんでもありの騎士はさらりと己の真名に関わる言葉を言い放ち、根が真面目なアサシンは指摘しようか迷った。

玲霞はシャルルマーニュと言われてもあまりピンと来ないのか、頬に手を添えて聞いているだけだ。

 

「それで、ライダー。用件はそれだけですか?」

 

アサシンは、シャルルマーニュ云々は聞かなかったことにし、水を向けられたライダーの顔は薄雲に覆われた日のように曇った。

ライダーには珍しいことに、考えをまとめるように腕組みをして宙をにらみ出す。

しばらくしたのち、ライダーは膝を叩いて立ち上がった。

 

「うん。決めた!キミにも手伝ってもらおう!」

 

アサシンと玲霞は、ライダーの様子に顔を見合わせる。

ちょっと聞いてほしい、と前置きしてから、ライダーは語りだした。

曰く、ユグドミレニアがサーヴァントの魔力供給用として鋳造したホムンクルスの一体が奇跡的に自我を持ち、供給槽から逃亡した。しかし、一級の魔術の素質と引き換えに、脆く造られた生命体のために一人では満足に動くこともできず城からは逃げ出せない。その彼を、今はライダーが匿っているという。

おまけに、理由は分からないが“黒”のキャスターがそのホムンクルスをしつこく探しているらしく、連れ出すことも難しいという。

 

「それで、あなたが彼を匿っていると?何故ですか?」

「何故って、理由なんて無いさ。ボクはあの子に助けてって言われたんだ。だったら、納得いくまでそれに応えたいんだ」

 

そうですか、と無表情に頷くアサシンの顔を玲霞は盗み見た。

いつかの夜に、玲霞に対してライダーとそっくり同じことを言った暗殺者のサーヴァントは、腕組みをしている。

 

「助ける、と言いますけど、それには一先ず城からそのホムンクルスを連れ出さないといけませんね」

「そうなんだよね。ボクのヒポ……じゃなかった、宝具には空を飛べるのもあるけど」

 

ヒポ、の言葉の先をアサシンと玲霞は再び考えないことにした。

 

「空なら私も多少は飛べますが、昔ならともかく、この時代に人一人抱えて飛ぶのはどうしても目立ちますよ。例えば、そうですね……。サーヴァントが城に攻めてきたときのどさくさ紛れに連れ出すとか」

「あ、それいいね!採用!ってことは、敵襲があるまで待たなきゃいけないか」

 

むむむ、とライダーが唸り、玲霞が小さく手を上げた。

 

「逃げる先も、考えた方がいいんじゃないかしら?ユグドミレニアの魔術師さんたちの手が届いてない村とか町とか、そういうのも必要だと思うわ。この街の近くにそういうところ、あるの?」

「あ……確かに。うん!キミたちに相談してよかったよ。アーチャーとも話し合ってみる」

 

じゃあね、と言い残し、ライダーはどたばたと城へと戻っていった。

 

「嵐みたいなサーヴァントね。それにしてもあんなに可愛い女の子なのに、騎士って自分から名乗るのね」

 

ライダーの飛び出していった後を見ながら玲霞がいうと、窓辺に佇んで下を見下ろしていたアサシンは不思議そうに顔を上げた。

 

「……レイカ、ライダーは男性ですよ?」

「え?」

「確かに彼はとても愛らしいですけれど、でも、少女ではありません」

 

生前に一人、やたらと精度の高い女装をしていた英雄を見たことがある、というアサシンに言わせればライダーは男性ということであった。ブリハンナラ様よりかは云々、と呟いて視線を逸らしたアサシンを置いて、玲霞はあのライダーの真名について思いめぐらせる。間違いなく男性というのであれば、ライダーの真名を女騎士として考えていた玲霞の前提は崩れることになる。

しかしそれにしても、シャルルマーニュ大帝傘下で、ヒポで始まる名前の空飛ぶ宝具を持つ騎士となれば、真名はかなり絞られる。

名前に関して人のことは言えないが、ライダーはあのザルさでいいのだろうか、とアサシンはホテルの窓からどんどん小さくなっていく桃色の髪を見下ろしながら思う。

 

「ライダーのいうホムンクルスの子、助けられるかしら?逃げたあと、ちゃんと生きられる?」

 

そこで、ふいに思い出したように玲霞が呟き、アサシンはそちらへ顔を向けた。アサシンの顔色を読み取り、玲霞は悟った。

玲霞にはホムンクルスの何たるかはあまり分からないが、それでもきっとアサシンが目を伏せるからには、彼がまともに生きていくということは、難しいことなのだ。

 

「……アサシン、生きたいっていうそのホムンクルスの子、あなたなら助けてあげられるかしら?―――――わたしを助けてくれたみたいに」

 

アサシンは、無理を言われたかのように金の輪で束ねた長い髪をぐしゃりとかき混ぜながら、呟いた。

 

「……できるだけはしてみましょう。それが、マスターのオーダーなら」

 

ただ、とアサシンは玲霞の目を覗き込んで言った。

 

「私たちはサーヴァント。根本は戦い、殺し合うための存在です。今も、彼以外の、自我のない他のホムンクルスから魔力を摂らねば立ち行かない。そして人を一人生かすのは、殺すよりずっとずっと難しいのです」

 

―――――だから、あなたにお願いしたい。簡単に人を殺めるなんて言わないでほしい。

 

最後の一言は口に出せず、アサシンは一礼して引き下がる。玲霞は何も言わなかった。

訳もなく広い景色が見たくなり、アサシンはホテルの屋根へと上った。

眼下には夕日に照らされるトゥリファスの街。夜になれば、また何処かで聖杯戦争の小競り合いが始まる可能性が高い。

それにしても、とふとアサシンは茜色に染められかける建物を見ながら、ライダーの話を思い出す。

 

―――――身の丈ほどの槍か。

そんな扱いづらそうな得物、一体どこの誰が使うのだろう。少なくとも自分には絶対無理だ。

世界に英霊は綺羅星の如くいるのだからそれだけでは何も分からないのだが、何故かライダーの話の中でそこが引っ掛かった。

息を一つ吐いて立てた片膝に顎を乗せ、アサシンは地平線に沈む夕陽を見る。

そのままミレニア城塞からの連絡の使い魔が来て、玲霞がアサシンを呼ぶまで、暗殺者のサーヴァントは彫像のようにそこを動かなかった。

 

 

 

 

 

 




次辺りで筋肉です。

こそっと出てきたブリハンナラさん。
FGOのダヴィンチちゃんに頼んだら、似顔絵とか書いてくれたりしますかね……。
後が怖いでしょうが。


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Act-6

微笑み筋肉登場の話です。

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。





 

―――――“赤”のバーサーカーが暴走し、シギショアラからミレニア城塞へと真っ直ぐ向かってくる。

 

その知らせを受け、ミレニア城塞からアサシン主従へ命令が下った。

一両日中にはミレニア城塞へ到達するだろうバーサーカーの捕縛作戦と彼の援護のために接近してくる“赤”のサーヴァントの迎撃にあたれ、というのだ。

それを受け、日が落ちてから玲霞をホテルに残してミレニア城塞へ赴いたアサシンは他のサーヴァントたちと共に、使い魔から送られてきたバーサーカーを初めて見た。

 

―――――これは、無い。

 

というのが、バーサーカーを見たアサシンの感想だった。

バーサーカーは、一見したところ灰色の筋肉の塊だった。ただの巨人なら、アサシンもそこまで驚かない。人喰いをする魔の者、ラークシャサの類は、生前に何人も見ている。

しかし、終始微笑みながら夜の森を前進し続ける小山のような大男は不気味だ。ラークシャサとて、もう少しましな顔をしている。

何故霊体になっていないのかは気になるが、狂化のランクが高く、まともな思考回路などとうに無いと考えれば不思議はない。

 

「見ての通り、どうやら“赤”のバーサーカーは敵を求めて暴走しているようだ。そして、我々はこれを捕縛するため動く」

 

ランサーはまずセイバーを指し、次に一瞬黙した後、俯いて無言で佇んでいたアサシンへと目をやった。

 

「アサシンよ、お前も行け。バーサーカー、お前は有事に備えていろ」

「……はい」

 

アサシンは一言だけ答え、一礼するとセイバーの後ろへ下がった。バーサーカーは唸り声で賛同を示し、アサシンの方を怪しむように睨んだまま下がった。

見られているアサシンの青い目は人形のもののように凍り付いており、ダーニックにはそれが何とも不気味だった。

ダーニックの様子に一瞥もくれず、ランサーは続けてライダーとアーチャーに“赤”のバーサーカー捕縛の命を下した。

あのバーサーカーをどうやって捕縛するのか、アサシンには正確には分からないがキャスターのゴーレムを大量に投入するのを見るに、それら人形を用いるのだろうと見当はついた。

 

「ライダー、今夜、ホムンクルスの子を逃がしますか?」

 

作戦を告げられた後、城の廊下にてアサシンは小声でライダーに話しかける。

ライダーはさして気負った風もなく、うん、と頷いた。

 

「うん。だからさくっと戦ってさくっと帰るつもりさ」

「……そうですか。言うまでもないですが、気を付けて下さい」

「それはキミも同じだよねー。セイバーは全然しゃべらないだろうしね」

 

ライダーがたははと笑ったときである。

 

「おや、アサシンもライダーの話に一枚噛んでいたのですか」

 

後ろからの声に、アサシンとライダーは揃って振り向く。

草の色を基調にした革鎧を身に付け、弓を手にした穏やかな風貌の青年、“黒”のアーチャーがそこにいた。

 

「アーチャー。びっくりさせないでくれよ」

「それは申し訳ない。しかし、ライダー。この作戦の要はあなたとあなたの宝具。当然危険を伴うのですから、浮かれることの無いように」

 

教師のように言い、アーチャーは小柄なアサシンをちらりと見下ろす。アーチャーの目は、深い森のように底が見えない。会釈するアサシンにアーチャーは頷きを返した。

 

「よろしくお願いします、アサシン」

「……こちらこそ」

 

アサシンは“黒”のアーチャーの真名を知らされてはいないが、その気配から相当に格の高い、古い英霊なのだということは想像していた。彼がライダーと共にあるのなら心強い。

一礼して、“黒”のセイバー、バーサーカーの後を追って森へ消えるアサシンの背を、“黒”のアーチャーであるケイローン、ギリシャ神話最高の賢者は見送る。

彼も彼で、アサシンの真名については思いめぐらせている。善性のライダーが悪い人間ではない、と断定し、アサシンもホムンクルスを逃がす話に混ざっていると分かっても、彼女は暗殺者で、本来ならマスターの暗殺という敵を後ろから狙う役割のサーヴァントだ。

当然、その役割を背負わされるだけの過去を持っているのだろう。必要なら、彼女はケイローンのマスターであるフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアも狙うかもしれない。賢者として数多英雄を育んできたケイローンの勘は、それはないだろうと言っているが、どのみち用心に越したことは無い。

いずれにしろ、この戦いでアサシンの能力なり何なりが明かされることを期待して、“黒”のアーチャーは“赤”のバーサーカーを迎え撃つ準備に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“赤”のバーサーカーを追って来た二騎のサーヴァントと激突する少し前、アサシンはセイバーに自分は後方から支援すると伝えた。

アサシンが白兵戦向きでないのは当たり前だが、暗殺者がどうやって後方支援をするのだ、と訝し気なセイバーに、アサシンは手短かつ率直に自分の宝具とスキルを説明した。

セイバーは真名の露呈を防ぐためのマスターの命令を守っている。つまり彼は一切の言葉を発さないのだが、それでも彼はアサシンの提案には頷いてくれた。

元からあまり期待されていないだけかもしれないが、そこは仕方ない。真名も告げていないのだから疑われて当然。信用されたければ、戦いの中で示すしかない。

アサシンはそう決めて森の中へと身を潜めながら森を行き、セイバーは前へ前へと進む。

程なくして星の光に白々と照らされる森の中から、精悍な面差しの緑髪の青年が現れた。銀の軽鎧をまとい、投げ槍にも使うような槍を構えているが、ランサーは身の丈ほどの大槍を携えていたというから、彼はランサーではない。となると、ライダーなのだろうか、とアサシンが思うそばから、青年は名乗りを上げた。

 

「“黒”のセイバーと見受ける。俺はライダー。あいにく戦車の類は持ってきちゃいないが。……まあ、戦争も序盤で出すことはないだろうと思っただけさ」

 

好戦的に口の端を吊り上げるライダーにセイバーは大剣を構え、アサシンも背から弓を下ろす。この状況では、剣は使えたものではない。

それにしても、また格の高そうな戦士だ、とアサシンは闇からライダーを観察しながら思う。森林での戦いに戦車で乗り込んで来ないのは分かるとして、あの闘気の昂ぶり方からするに、ライダーはきっと戦うことが純粋に好きなのだ。

しかし、相手方のサーヴァントはもう一騎いたはずだか、姿は見えず気配も朧になっていた。狙撃を得意とするアーチャーか、キャスターの類なのだろう。

ライダーとセイバーの戦意で肌がぴりぴりして、息が詰まりそうだけれど、ふう、とアサシンは一つ息を吐く。

ついで全くの予告なく、セイバーとライダーが激突した。大剣と槍がぶつかり、闇夜に火花が散る。引き裂くような笑みを溢しながら戦うライダー、謹厳な表情を崩さないセイバーは、激しい音を響かせながら武器をぶつけ合う。

振りかぶられたセイバーの大剣をライダーは槍一本で弾くと、仕切り直しのためか地を蹴って後ろへ下がり、にやりと笑う。

そこへ、アサシンは氷の呪術を仕込んだ矢を放った。ライダー本人を狙ったわけではない。セイバーとライダーの動きは速すぎて、アサシンでは矢を当てられないのだ。

セイバーの後方の森から放たれた矢を、ライダーは浅い小細工かと槍で叩き落とす。けれど矢は地面に落ちたとたん、草を凍てつかせる。霜のような冷気はライダーの足元に及び、彼の足にも食らいつき、ライダーに痛みを与える。

脆い氷は一瞬で踏み砕かれてライダーはたちまち自由になるが、ライダーは矢が放たれた暗闇を睨み、続いて挑戦的な笑みを溢した。

その機を逃さずセイバーが斬りかかる。セイバーの剣戟を捌きながら、ライダーは心底愉快そうだった。

 

「“黒”のキャスターか、アーチャーと見受ける!いずれにしろ、俺を傷つけられる者がいるとは、幸先が良い!」

 

闇に潜むアサシンには、ライダーの喜びは分からない。ただ、自分の一撃がライダーの闘争本能をやたらと刺激してしまったのは理解できた。多分それは、自分にとっていい幸先ではないだろうな、ということも。

アサシンもセイバーもマスターたちも知らないことだが、このライダーは極めて格の高い英霊である。余人では傷をつけられることすらできない祝福を神から与えられていた。

その守りを突き破れるのは、神の気配を帯びた者だけ。

アサシンにはそれがあり、セイバーにはそれが無い。

その種をアサシンは知らなかったが、アサシンもこれはあまりにおかしいと、すぐ気づいた。自分なら一撃食らえばそれだけで終わりそうなセイバーの斬撃を受けているというのに、ライダーには全く堪えた様子がない。どころか、魔術か呪術で守られているかのようにかすり傷の一つもない。

セイバーも、ろくに傷ついていないが、彼の場合は単純に防御力が高い理由がある。

再び仕切り直しのつもりか、ライダーは後ろへ跳ぶ。

 

「不愛想なセイバーに、闇から出て来ないサーヴァントか。……だがな、こちらも一騎ではないと、忘れたか?」

 

ライダーの言葉が終わるか終わらないかのうちに、寒気を感じたアサシンは足場にしていた木を蹴り飛ばして跳躍していた。直後、一瞬前まで彼女のいたところにライダーの後ろから放たれた矢が着弾し、木々がなぎ倒される。

アサシンはそれに巻き込まれ、たまらず地へと叩き落された。

 

「こちらにもアーチャーはいるのさ。二対二。これで公平だろう」

 

ライダーはしかし、そこでセイバーの後方を見透かすように視線をやり、何かの気配を察知して、わずかに顔を歪めた。

 

「どうやら、こちらのバーサーカーはやられちまったようだな。が、まあいい。まさか、ここで撤退する剣の英霊でもあるまい」

 

セイバーはやはり答えることなく、ライダーへと踏み込んだ。

アサシンの気配は完全に消えていない。直前で避けるかして、直撃はしなかったのだろう、ということしかセイバーには分からない。

だが、セイバーの剣はやはりライダーには傷を与えられないようだった。

念話の向こうからセイバーのマスターであるゴルドからの叱責と宝具使用の催促が飛んできているが、それどころではない。

どうする、とセイバーが歯を食いしばった瞬間。

 

『セイバー、あなたの攻撃はライダーには通じません。しかし、私の攻撃ならば通じます。今から一撃を放ちますので、合図に合わせて後ろへ跳んでください。それから撤退を』

 

“黒”のアーチャーからの念話が、ゴルドの声を切り裂いて割り込んできた。ケイローンの清流のような声は続ける。けれど、戦場にはまだ相手方のアーチャーもいるはずだった。

 

『“赤”のアーチャーに関しては、アサシンが何とかあぶりだすそうです』

 

乗るかそるか。考えは一瞬で、セイバーは頷くと先ほどまでのライダーと同じように、ライダーの胸板を蹴って後ろへ跳躍する。

追撃しようと槍を握り、突進の構えを見せたライダーの肩に、音もたてずに飛来した“黒”のアーチャーの矢が突き刺さる。同時に、森から飛び出してきた人影がライダーとセイバーの戦場の横をすり抜けるようにして、反対側の森へ入ったが、ライダーにはそれも見えていなかった。

 

「……“黒”のアーチャーか!」

 

そうして、嬉々としてライダーが叫んだのと、彼らの背後の森から青い火柱が立ち上って空を切り裂いたのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森から飛び出したアサシンにも、“黒”のアーチャーからの指示は与えられていた。“赤”のライダーには“黒”のアーチャーの攻撃も通じるから、彼がライダーに矢を当てた瞬間に“赤”のアーチャーへと迫れ、というのだ。

確信に満ちた“黒”のアーチャーの言葉になぜ、と思わなくもなかったがアサシンは彼を信じることにした。

けれど、暗い森の中に紛れたアーチャーは、気配だけを漂わせているものの居場所など分からない。それなら、とアサシンは幻覚の焔を森に顕現させた。

自分の宝具と見た目と気配だけはそっくりで、けれど何も燃やすことはできない幻。魔力に余裕があるなら本物の宝具を森に降り注がせただろうが、ないのだから仕方ない。

しかし、幻でも迫力だけはある。突如として森に火柱が吹きあがり、それに反応して動いた影が一つ。アサシンはその気配に向けて走った。

木々の間にいたのは、翠緑の衣を纏い、身の丈ほどの大弓を携えた美しいがどこか獰猛な少女だった。

 

――――――見つけた、“赤”のアーチャー。

 

アサシンが認識するより早く、翠の少女は顔色一つ変えずに弓を引き絞ってアサシンめがけて三本の矢を放つ。

一本はアサシンの顔を覆う布をざくりとこそぎ落として飛んでいき、一本はアサシンの足を切り裂くに留まり、眉間を狙って放たれた矢だけをアサシンは剣で払い落とした。

風の呪術で走る速度を速め、アサシンは剣で“赤”のアーチャーへ切りかかる。

“赤”アーチャーは、黒塗りの大弓で剣を受け止めてから、アサシンの胴へ蹴りを放つ。後ろに跳んで避けるアサシンへ向けて、“赤”のアーチャーはさらに矢を射、今度はアサシンの肩に突き刺さって彼女を木に縫いとめた。

“赤”のアーチャーが、逃がさないと、アサシンの心臓へ弓を向けたときアサシンからまたも焔が吹きあがった。

焔はアサシンの肩を貫いていた矢を瞬間で灰にすると、そのままのたうつ蛇のように“赤”のアーチャーへと襲い掛かる。

“赤”のアーチャーは舌打ちして後ろへと下がった。今の矢では焔は貫けても破壊はできないと悟ったからだ。宝具を使えば別だろうが、こんな前哨戦で自分の手札を晒すつもりは、“赤”のアーチャーにはない。

 

「……また来るぞ、“黒”のサーヴァント」

 

“赤”のアーチャーはそう言い捨て、反転して走り出した。

凄まじいまでの足の速さで、アーチャーはアサシンの視界からも一瞬で消え去る。ありえないほどのその速さに、アサシンは気配すら見失ってしまった。

追撃は無理か、とアサシンはため息をついて剣を鞘へと戻し、戦闘の最中に放り出してしまった弓を拾い上げる。

生き残れただけ儲けものだった、というのが正直なところである。矢で貫かれた腕は治るが、動悸がまだ治まっていなかった。

ともあれ、一応働けるだけは働いた、とアサシンは思う。“赤”のアーチャーの姿形はしっかりと覚えたから、それを“黒”の誰かに伝えればいいだろう。

頭を振って、アサシンは後ろに残してきたままの戦いの場へと戻るために走り出す。

けれどたどり着く前に、戦場から星のように輝く一台の戦車が空へと駆け上り、あっという間に彼方へ駆け去っていくのをアサシンは見た。一瞬だけ、歓喜の表情で戦車を操る緑髪の青年の姿が見えたが、それもしっかりと確かめる前に飛び去って行ってしまう。

どうやら、“赤”のライダーは撤退を選択したらしかった。“黒”のアーチャーが、きっとうまくやったのだろう。

ならば、今夜の前哨戦はこれで終わりになる。それならば、アサシンは直に見えた“赤”のアーチャーの情報を、“黒”の側の誰かへと早急に渡すべきだろう。

 

―――――“黒”のライダーはうまくホムンクルスの子を逃がせるのだろうか。

 

けれどそれが引っかかり、アサシンは森の中でつかの間立ち止まった。

何だか、無性に嫌な予感がした。自慢にもならないが、アサシンの場合、嫌な予感ほどよく当たるのだ。

 

―――――少し、辺りを見てから報告しよう。

 

アサシンはそう決めて、一路ミレニア城塞へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アサシンの放った幻の焔は、当然のことながら大いに目立った。

ほんの短い間だけとはいえ、森の一部を覆うほどの火柱が夜にいきなり現れれば真昼のような明るさにもなる。

そのことに大いに驚き、かつ胸をなでおろしたサーヴァントが一騎いた。

金色の髪と紫の瞳を持つサーヴァントの少女、裁定者ルーラーとして召喚されたジャンヌ・ダルクである。

イデアル森林での戦いを、ルーラーとしての知覚能力を持って彼方から観察していたルーラーは、森が焔に包まれるのを見て、まさかすべて燃やすつもりなのかと青ざめた。彼女がすでに出会った“赤”のランサーは、太陽の炎熱を纏う英雄だったから、まさか“黒”の誰かも彼のように魔力の炎でもって森を燃やす気かと思ったのだ。

尤も、幻覚だった炎は一瞬で消えて、ルーラーは大いに安堵した。

いきなり自分を抹殺しようとした“赤”のように、“黒”の側までルール無用の戦いを展開するつもりなのかと思ってしまったが、少なくともいきなり森を燃やすという暴挙に及んだのではなかった。荒っぽいのに変わりはないが、まだ配慮はされている。瞬間で燃え上がって瞬間で消えたのなら、運が良ければ住民にもそれほどは怪しまれないだろう。

 

「ともかく、住民が無事なのはいいことです」

 

ルーラーもそう呟き、戦場の観察を終わらせる。

 

―――――でも、あれだけの幻覚、“赤”の側にも見えたでしょうね。

 

最後にちらりと、そんなことを思いながら、ルーラーは戦場から引き下がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




戦闘がさくさくした文になってしまっているようで。
……精進します。

次辺りで久々のカルナさん出ます。たぶん。


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Act-7

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。


 

嫌な予感がするとき、アサシンは自分の勘に忠実に動くことにしている。

生きていた頃から、勘が鋭いと言われることはあって、サーヴァントになって直感スキルなるものが与えられていたのは少し嬉しかった。自分の勘の良さを認めてもらえたような気がしたからだ。

といっても、何が自分にスキルを与えパラメータを決めるのかはよく分からない。多分聖杯なのだろうが、ともかく与えられたなら使うまでである。

ミレニア城塞まで駆け戻ったアサシンは、辺りを見回せる木々の上にまで上り、辺りを見回す。そうすれば、“黒”のライダーの気配が城の裏手から感じ取れた。だが、その近くには“黒”のセイバーの気配もあって、アサシンは眉を顰める。

ライダーはホムンクルスを逃がすために動いているとして、セイバーの方は十中八九それを止めるために動いているのだろう。キャスターがホムンクルスに執心しているようだと、以前ライダーが言っていたから。

さてどうする、と立ち竦むアサシンの耳に、今はホテルで待っているマスターの声が蘇った。

 

―――――その子、助けてあげられないの?わたしを、助けてくれたみたいに。

 

ああもう、と声にならない叫びを上げ、アサシンは一度だけ両手で目を覆った。

数秒そうしてから、アサシンは目から手を離し、大きく息を吸うと足場の木を蹴り飛ばして、サーヴァントたちの気配が集まる方へ跳んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“黒”のライダーに助けられ、城から抜け出したホムンクルスの少年がいた。

彼はもともとユグドミレニアの魔術師によって魔力供給用に造られた生命だったが、何の偶然かそこから抜け出したいと願った。けれど、彼はあまりに脆く一人では立つことも満足にできない。医術の覚えのある“黒”のアーチャーの見立てでは、三年ほどの命しかない。

けれど、彼の願いに応えたのは天衣無縫なライダーで、彼は“赤”のバーサーカー襲撃のどさくさ紛れにホムンクルスを連れ出して城から逃げた。

そこまでは良かったのだが、彼は途中で“黒”のセイバーとそのマスターに追いつかれることになる。セイバーのマスター、ゴルドはライダーにホムンクルスを寄こすように言い、ライダーはあっさりとその提案を撥ね退けた。

最優であるはずの自分のセイバーが、初戦も二戦目も相手の首を上げられなかったことに苛立っていたゴルドには、ライダーの奔放な振る舞いが耐えられず、セイバーにライダーを抑えるように命じた。

そうして、今、夜の森の中で支えを無くしたホムンクルスは冷たい地面に倒れ、ライダーはその横でセイバーによって地面に押さえつけられていた。

 

「全く、このような些事に私が関わり合うなど……ありえない」

 

不満げに呟くゴルドにきつく手首を掴まれながらも、ホムンクルスは無感動に彼を見上げる。疲労はどうしようもなく弱い体に圧し掛かり、彼にはもう動く気力も残っていなかった。

けれど、その彼にライダーは叫んだ。

 

「馬鹿野郎!簡単に諦めるな!キミは生きたいってボクに言っただろ!それを最後まで貫けよ!」

 

ライダーの叫びはホムンクルスの心を覚まし、彼は迎撃用の魔術をゴルドへと編み上げた。しかし、仮にも魔術師で、ホムンクルスたちの生みの親で、錬金術を修めたゴルドには通じず、却って彼を激昂させることになった。

被造物が主に逆らうなど、魔術師であるゴルドの常識ではありえず、怒ったゴルドはホムンクルスに鉄拳を振るい、華奢な体を蹴り上げた。

それにホムンクルスの少年が、耐えられるはずもない。地面にたたきつけられて、ぴくりとも動かなくなった彼を見て、ライダーは叫んだ。

 

「やめろ!ボクを離せよ!セイバー!ボクたちはサーヴァントだけど、騎士で英雄だろう!ボクは絶対にあの子を見捨てないからな!」

 

その言葉に、“黒”のセイバーであるジークフリートの手がわずかに動く。

けれど、怒り狂ったゴルドにはその言葉は聞こえず、彼がさらにホムンクルスへ拳を振るおうとする。

冷たい地面に横たわって、ホムンクルスはただそれを見ているしかなかった。

けれど、なおもライダーがやめろと絶叫した瞬間、ふわりと風が吹いた。

 

「―――――待って、それ以上は。この子が死んでしまう」

 

ゴルドとホムンクルスの間に飛び降りてきたのは、灰色の少女。

“黒”の暗殺者は、ゴルドの鉄拳を受け止め受け流すと、少年を庇うように両手を広げた。

少女は肩で大きく息をしていて、ホムンクルスはほつれた黒髪に縁どられ、星の光で白く照らされた横顔を、ぼんやりと見上げる。

 

「やめてください、セイバーのマスター。お願いします、この子を見逃がしてあげることは、できませんか?」

 

青い石のような目で、アサシンはゴルドを見、ゴルドは気おされた。

彼は自分のサーヴァントであるセイバーとろくに会話もしていない。こんな風に、怖いくらいに真っ直ぐ自分を見据えてくるサーヴァントと、彼は今まで会ったことが無かった。

 

「……ふざけるな!」

 

だが、彼も令呪を宿した魔術師で、サーヴァントという使い魔を従えるマスターという自負もある。

彼からすれば、自分が造り出したただのホムンクルスを寄ってたかって庇い、守ろうとするライダーやアサシンの方が理解できなかった。まして片方などは真名がないという怪しい暗殺者である。

 

「そいつを逃がせだと!バカも休み休み言え!お前も、ライダーも私たちの下僕だろう!それがどうして逆らう!?」

「確かに、そうです。でも、私たちも人でした。心があります。生きたいという子を、見殺しにできません。お願いです、セイバーのマスター」

 

丁寧だが愚直なアサシンの物言いは、さらにゴルドを苛立たせた。

このアサシンを何とかしろ、とセイバーに命じようとして、ゴルドは目を点にした。いつの間にか、セイバーはライダーから離れてゴルドを見ており、ライダーは地面のホムンクルスの傍らに駆け寄っていた。

二体のサーヴァントの視線にさらされ、ゴルドは後ずさり、セイバーは口を開いた。

 

「マスター、俺からも願う。そのホムンクルス一体を逃すことくらい、見逃してやれないか?」

 

これまでゴルドの命を守って、黙り続けていた使い魔に見据えられ、ゴルドの思考はつかの間空白になり、次の瞬間憤怒に染まった。

“赤”のランサーも、ライダーも仕留められなかったサーヴァントの言い分など、誰が聞けようか。セイバーにふさわしい働きなど一つもこなさなかったくせに、とゴルドの怒りは燃え上がる。

 

「お前まで、何の世迷言を言い出す。たかが無価値なホムンクルスだぞ!?」

「マスター、俺はあなたの良心に訴えている。見逃せないだろうか?」

「くどい!」

 

我慢の限界に達したゴルドが、三画揃った令呪の刻まれた手を掲げる。しかし、ゴルドが何かを言うより速く、セイバーの拳がゴルドの腹に突き刺さり、彼は丸太のように倒れた。

 

「……え?」

 

呆けたような呟きは、アサシンかライダーかどちらか分からない。

セイバーはそれに構わず、アサシンとライダーに挟まれて地に横たわるホムンクルスの側に跪いた。ホムンクルスの手を取っていたライダーの顔は、悲しみと怒りで真っ赤に染まっていた。

 

「遅いよ!どうして、もっと早く止められなかったんだ!」

 

それだけで、セイバーは悟った。ホムンクルスの少年は、もう助からないのだと。

助ける義理も何もないはずの、儚い命のためにここまで怒り嘆き悲しむことのできるライダーは、きっと本当の英雄にふさわしいのだろう。

助けを求められなかったからと、彼を見捨てようとした自分とは違う、とセイバーは思い、その欺瞞は自分の命で償おう、と決意した。

 

「待って下さい。まだ助かります」

 

だが、ライダーと同じくホムンクルスの手を握っていたアサシンは顔を上げてそう言った。

アサシンはセイバーとライダーに離れるように言い、ホムンクルスを地面に丁寧に横たえたアサシンは、彼の胸に手を置く。重ねた手から、ホムンクルスを中心に橙色の焔が渦を巻いて立ち上った。

それにライダーは驚いたが、その焔に包まれながら、次第にホムンクルスの顔が穏やかになっているのに気づき、ほっと胸を撫でおろす。

やがて、焔は徐々に勢いを弱めて、最後にアサシンが髪を束ねている金の環に吸い込まれるようにして消えた。環はくすんだ黄金色に輝き、時々中が燃えているように小さな焔を立ち上らせている。その環を、アサシンは髪から外してホムンクルスの胸の上に乗せた。

 

「助かったのかい!?」

 

地面に座り込んだまま、アサシンは駆け寄るライダーに向けてこくりと頷いた。

 

「良かった!良かったよう!ありがとう、アサシン」

「……いいえ。礼なら、私のマスターに言ってください」

 

笑いながら泣き出したライダーに、淡く微笑みを返したアサシンは立ち上がった。

 

「これで、怪我は治りました。その環に私の宝具を分けて込めたから、彼が起きたなら、渡してあげてください。認識障害の術も併せて仕込んだから、役に立つでしょう。……すみません、あとは頼みました」

「え、ちょっと!?アサシン!?」

 

ライダーはアサシンの腕を掴もうと手を伸ばすが、一瞬早くアサシンは光の粒子になって、虚空に溶けてしまった。

 

「……行っちゃったよ」

 

消耗したのだろうか、とにかくアサシンは言うだけ言って、霊体となって消え失せてしまった。ライダーが呼んでみても、返事すらない。

宝具を分けたとかなんとか、かなりとんでもないことをアサシンが言った気もしたが、“黒”のライダーには理性が蒸発してしまっていた。だから彼は、そのことを瞬間で忘却して、ただただ一命をとりとめたホムンクルスの無事を喜ぶことができた。

倒れたままのゴルドだとか、キャスターとランサーにどう説明するのかとか、そんなことは後で考えればいい。

アサシンが消えた後をしばらく無言で見つめていたセイバーも、ゴルドを肩に担いで立ち上がった。

 

「俺は先に城に戻るぞ、ライダー」

「分かったよ。ボクもこの子が起きてお別れを言ったら、すぐ戻るさ」

 

ライダーにセイバーは頷きを返し、そのまま立ち去る。

後に残されたのはライダーとホムンクルスの少年だけで、ライダーの見守る中、少年の瞼がゆっくりと震え、持ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“赤”のランサーという英雄がいる。

赤の陣営が抱える中ではライダーと並んでの最高の戦力で、マスターの指示であるのなら、どんな命令だろうと忠実に動く。

シロウがランサーのマスターを介して要請した、審判役であるルーラーを真っ先に誅殺せよという命令にも彼は従った。彼の第一義は、マスターに槍を捧げること。己の願いもあるが、優先されるべきはまずマスターであるというランサーの立ち位置は、シロウとセミラミスにとっては、今のところは都合が良かった。

しかしあくまで今のところあって、彼らが内に秘めている謀が露見すれば、そうはいかなくなるだろう。

それを防ぐためにセミラミスが目を付けたのは、ランサーの願い事だった。願いと綺麗に言っても、所詮は欲なのだからそこに付け込めばいい、マスターを裏切るように仕向ければいい。謀略で鳴らしたセミラミスはそう考え、それは当たり前のように上手く行かなかった。

 

―――――確かに、オレは願いを叶えるためにこの世に引き寄せられた。しかし、それならば、その機会を与えてくれたマスターに報いるのが先だ。順序を違えるわけにはいかない。

 

至極当然の理屈のように語られ、セミラミスはこのサーヴァントが、名誉や誉を欲する英雄とは違う類のものだと認めざるを得なかった。

シロウは逆にランサーに薄く微笑んで見せ、あなたの願いも最後にはきっと叶えられるだろう、と告げただけだった。

シロウの裡にある願いを知るセミラミスにすれば、確かに嘘ではなかった。

少なくともシロウは、ランサーの願いも叶うはずだと、そう信じていることもある。

 

―――――人を一人、探し出したい。今どこにいるのか、それが知りたいのだ。

 

それがランサーの願いで、女帝であるセミラミスにはまるで理解できなかった。

人探しなどという些細なモノのために万能の願望器を求めることも、しかも探し相手は妻だということも、この世にただ一人君臨する女帝になろうと願うセミラミスからすれば、冷笑するほかない。

ランサーも、それは当然分かっているのだろう。万人に等しく価値があると考えている彼は、人の抱く野望も否定せずに受け入れる。

ともあれ、“赤”のランサーと“赤”のアサシン主従との距離はそうしてともかくも落ち着いた。

 

“赤”のバーサーカー暴走という事態が発生したときも、セミラミスはシギショアラから使い魔を通して観察していた。あの“黒”のアサシンが使い魔越しの映像に映って、しかも幻術とはいえ火柱をぶち上げたときは、少し驚いた。

あちらにアサシンが付いても、それは捨て置いていいと思っていたが、彼女が“赤”のライダーにかすっただけとはいえ傷を与えたことは予想外で、それは心底忌々しかった。

消しておけばよかったか、とセミラミスは思う。弱いくせに男のように剣を取って戦うアサシンは、女帝セミラミスにとっては愚かな女そのものだ。

セミラミスは使い魔との視覚共有を切り、自分の向かいの椅子に座って書類を読んでいる己のマスターへ目を向けた。

 

「マスター、どうやらあのアサシンはあちらに付いたようだぞ。それと、奴は神性の持ち主だ」

「おや、それはまた」

 

言葉とは裏腹に、さして驚いた風でもなくシロウは肩をすくめた。

 

「それとな、“黒”にはあ奴の他にも神に連なる者がいたぞ。“黒”のアーチャーだ」

「では、今のところライダーに傷をつけられる“黒”は二騎ですね」

「ああ。だが、ライダーに立ち向かってくるのは間違いなくアーチャーだろう」

 

暗殺者を前線に放り込んでは、その真価は発揮できない。

アサシンに関して一番に用心すべきは、マスターが狙われることだ。だが、間も無くセミラミスの『宝具』が完成する。そうなれば、暗殺者の刃など恐れるに足りなくなる。

そのときが楽しみだと、女帝は口の端を吊り上げて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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高くて遠い空を眺めるのが、好きな人だった。

何もない日に姿が見えなくなったときは、大抵空のよく見える場所を探せば、見つけ出すことができた。気まぐれな猫のように姿を消すのは、人と交わるのが苦手だからか、と聞けば首を振られた。

『彼女』には特に理由などなくて、ただそうするのが好きなだけだった。

花だとか宝石だとか、そういうものもそれなりに好んではいたようだったが、空を見る時の瞳が一番輝いていた、と思う。

どうしてそこまで拘るのかと聞けば、空に果てはなくて、どこにでも繋がっている。朝には雲が流れ、昼には太陽が輝き、夜になれば星の瞬く、どこまでも高くて遠くて見飽きることなんてない、と言っていた。

そういうものかと、自分は頷いた。

時が経った今でも変わらない青空を見上げてみれば、分からなくもないと思う。父たる太陽が輝いているのだから、自分も空を厭う理由はない。

ただ違うのは、この空を澄んだ目で見上げていた彼女はもういない、ということだけ。

彼女が空に溶けたのか地に還ったのか、自分では分からない。誰かの槍であり、盾でありさえすればよかった自分は、探しものの類は下手だ。

下手なまま迷っていた自分は、しかし、何の因果か今生に生を与えられた。

奇跡を欲していたつもりはなかったのだが、こうして呼び出されたということは、案外そうでなかったかもしれない。

そうして呼ばれた先で求められることは、詰まる所は武を振るうこと。そのことに不満はなく、元から自分にはそれくらいしか能がない。

そうやって決めつけてしまうのは良くないと、彼女は少し怒ったように言っていたが、一人の人間すら見つけられていないのだから、事実だろう。

槍を振るう先が、彼女の行方に繋がっているならこれ以上のことは無いと、そう思っていた。

 

―――――それなら、何だというのだろうな、あの焔は。

 

闇夜を一瞬だけ穿ち、何も燃やさず消えた青い焔は思わず目を奪われるほど綺麗だった。

そしてちょうどあんな色の焔を創りだせる人間を自分―――カルナは、一人知っていた。

 

―――――これも、因果だろうか。

 

シギショアラからトゥリファスを眺める槍のサーヴァントは、そう呟き、誰もその声を聞く者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 





難易度ルナティックは何も主人公だけではない。



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Act-8

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。



 

 

 

ホムンクルスの少年の一件は、結局表立っては誰も咎められなかった。

最大の理由は、あの後、王の元まで急いで取って返したライダーとセイバーの二人が、そろってホムンクルスを庇ったからだ。

ホムンクルスを材料に至高のゴーレムを生み出そうとしていたキャスターは露骨に不満げだったが、貴族であるランサーは、弱者を守るという騎士の誓いとそれにかける誇りは尊いものだとして、今回はキャスターに譲るように命じた。

報告の際、セイバーがもしあのままホムンクルスの少年が死んでいたならば、自分は命を差し出しても彼を救うつもりだったと、言いのけたこともある。

セイバーがそう言ったことで、アサシンが状況報告を怠ったこととセイバーのマスターに逆らったことも、合わせて咎められることは無くなった。

要するに、ランサーとダーニックは何もなかったことにしたのだ。

セイバーを下らない内輪もめで失っていたら、目も当てられない事態になっていたと考えれば、怒りより安堵の方が強くなる。結果として、セイバーの発言が決め手となってともかくもそれで一件は落着した。

さらに、アーチャーのケイローンからの報告で相手方のライダーの真名が判明した事実もある。

アーチャー曰く、ライダーの真名はアキレウス。

疑いなくギリシア神話最大級の英雄で、しかもアーチャーによれば、彼は一定値以上の神性スキルを持つものでなければ、傷すらつけられないという。“黒”の陣で神性スキルを持つのは、アーチャーとアサシンだけで、太刀打ちできるかどうかというとアーチャーだけになる。

この問題の方が、ダーニックとランサーにとっては遥かに重要視すべき件となった。

ともかくも、そうして王への報告を終えたライダーとセイバーはランサーの王座のある部屋を辞し、廊下に出たとたんにライダーは両手を天井へ突き上げた。

 

「良かった~。何とかなったねぇ」

 

ホムンクルスの少年を最後に見送ったのはライダーだ。

アサシンが即席で生み出した魔道具と護身用にライダーの渡した細剣を持って、少年はしっかりした足取りで山へと消えた。アサシンの宝具は傷を癒すものであるらしく、その力が込められた環は、少しの魔力を流せば持ち主の傷を癒していくという効果を持つようになっていた。

脆弱なホムンクルスの少年だが、あの宝具が体を癒す速度の方が、彼の肉体が傷つく速度より速かった。だから多分大丈夫だろう、とライダーは思っている。

 

「にしても、アサシンも無茶やるよね。道具作成スキルも使ったんだろうけど、宝具を分けちゃうなんてさ」

 

サーヴァントにとって、起死回生の一手になりえる宝具はとても重要だ。

それをマスターでもない人間にやってしまうなど、普通のサーヴァントならやらない。第一、マスターが許可しないだろう。

 

「……そうだな」

 

ライダーの隣を歩くセイバー、ジークフリートはそう口を開いた。

 

「無茶をしたってんなら、君もだよね。セイバー。どうしてあそこで、マスターに逆らったんだい?令呪もあったのにさ」

 

頭の後ろで腕を組んで歩きながらライダーは聞き、セイバーは少し黙ってから口を開いた。

 

「……俺はサーヴァントとしてこの地に招かれた。だから、マスターの命に従うことがすべてと思っていた。だが、俺にも願いと想いはある。自分が何をしたかったのか、それをお前とアサシンの言葉で思い出しただけだ。その意味で、俺はお前たちにとても感謝している」

「そう、なのかい?だったら良かったよ」

 

ライダーはきょとんとした様子で首を捻っていた。彼にとっては、ホムンクルスの少年が助かったことの方がよほど重要で、自分が何を言ったのかそれほど覚えていなかった。

 

「まあでも、アサシンにもそう言っとくよ」

 

ライダーはそれでも底抜けに明るく笑った。

結局、消耗したらしいアサシンは変わらず城外待機を言い渡されて、王の間にはやって来なかった。

 

「それがいい。俺はマスターと話し合わねばならないから、すまないが頼むぞ」

「いやいや、それはちっともすまなくないよ、大事なことだろ。セイバー」

 

ライダーは顔の前で手をぶんぶんと振った。

ホムンクルスの少年を助けるために、自分のマスターであるゴルドをセイバーは殴って止めた。

未だゴルドは気絶したままだが、目覚めたら今度こそ彼と向き合おうとセイバーは決めていた。大いに罵られるだろうし、令呪を盾にされることも考慮しなければならない。それでも、まずは彼とまともに向き合わなければならないと、セイバーは、今はそう思っていた。

 

「――――ああ。そうだな。では、俺はマスターの元へ向かうとしよう」

 

珍しく真面目に言ったライダーに頷き、セイバーは霊体化した。ゴルドの元へ向かったのだろうが、上手くいくと良いと願いながらライダーは廊下を歩く。

同時に、どこかぽけっとしていたマスターと生真面目なサーヴァントの組み合わせを思い出し、ライダーは彼女たちのいる方へと足を向けることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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同じころ、夜の森を歩く一人のサーヴァントがいた。金の髪と紫の瞳の少女、ルーラーである。

イデアル森林での戦いをルーラーはすべて見届けた。

戦い自体は、“赤”のバーサーカーの捕縛、“赤”のライダーとアーチャーの撤退という形で幕を閉じ、ひとまず人的被害が一つもなかったことにルーラーは安堵していた。せいぜい、燃え盛る幻影の炎が森に出現した程度だ。

あとは森を抜けて、拠点にしている教会へと帰ればいい。だが、ルーラーの勘はまだ森に何かあると告げていた。

勘を信じて感覚を研ぎ澄ませれば、微弱だが、サーヴァントに似た気配を感じた。“赤”も“黒”もサーヴァントをそろえた以上、はぐれはありえないのだがそれでもルーラーは気になり、勘を頼りに気配の元を探していた。このときのルーラーは、相手がこちらに気付かないよう、サーヴァントとしての気配をぎりぎりまで抑えた状態だった。召喚時のイレギュラーな事態によって完全な霊体ではなく、生身のに憑依しているルーラーにはそれができた。

そうして歩いた先に、一つの人影をルーラーは見つける。

 

「―――――待って、下さい!」

 

ルーラーの声に驚いたように振り返ったのは、銀の髪と赤い瞳が夜闇の中でも目立つ、一人の少年だった。

警戒して後ずさる少年に、ルーラーは自分が敵ではないことと聖杯戦争での己の役割を丁寧に説明し、そうしてやっと少年の目から警戒の色が薄れた。

 

「……分かった。あなたを信じる」

 

そういう少年は何かを手に握りしめているようだった。ルーラーの感じた微弱なサーヴァントの気配も、彼からしている。

 

「ありがとうございます。あの、一つ聞きたいのですがあなたはサーヴァントの誰かから何か与えられましたか?」

 

しばし迷ってから、少年は手のひらに乗せた環を見せた。

焔を封じ込めたように闇の中で光る環を見て、ルーラーは気配の元が『これ』だったのだと悟る。

 

「アサシンが宝具を分けて入れたそうだ」

「それは、あなたを助けるために?」

「そう……だと思う。俺は気絶していて分からないのだが、俺を逃がしてくれたライダーがそう言っていた」

 

それはまた、人として好ましくはあるが、ずいぶんとお人好しなサーヴァントたちだとルーラーは思う。だがその彼らが後押ししたからこそ、この少年はここまで来れたのだろう。

 

「――――君はこれからどうするつもりなのですか?ええと……」

 

話を急くあまり名前を聞いていなかったルーラーは恐縮し、これまで名前を与えられていなかった少年は、しばらく黙ってからアッシュと呼んでほしいと言った。

灰を意味する言葉を少年が名前に選んだのは、きっと彼を今も癒し続ける焔と関係があるのだろう。

顔すら一瞬しか見えなかったサーヴァントが渡してきた、暖かさを感じる金環を握りしめて、少年はルーラーの問いの答えを探した。

彼にはずっとずっと、自分と同じように供給槽に入れられたホムンクルスの助けを求める声が聞こえていた。脆弱な自分では応えられるはずもなかった、助けを求める声を、少年は忘れることができていなかった。

けれど今、自分の体は脆くはない。

元をたどれば、アサシンの魂の一部ともいえる宝具は、確かに少年に馴染み、彼を癒していた。その馴染み方は彼女の予想を上回る勢いで、魂が無色に近い少年に力を与えてしまっていた。

 

「ルーラー。俺は――――」

 

やがて口を開いた少年の思いを、ルーラーは確かに聞き届けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――――思っていたより、平気。

 

霊体となってミレニア城塞を後にしたアサシンは、走りながら感覚を確かめるために掌を握ったり閉じたりする。

具合は特に問題ない。さすがに切り取ってすぐは、霊基が乱れて一時霊体化しなければならなくなったが、今はもう問題はなくなっていた。

セイバーのマスターに逆らってホムンクルスの子を逃がしたことは咎められるかと思ったのだが、城塞の外で待っていたアサシンにライダーはあっけらかんと、“黒”のランサーは何にもなかったことにするみたい、と言ってのけた。

多分、セイバーとライダーが取りなしてくれたのだろう。そうでないと、ここまですんなり収まったとは思えない。

もちろん、何もなかったことにすると言っても無くしたものはある。宝具の一部はしっかりとアサシンの中から失われた感触があった。

宝具が武器や道具の形をしているライダーやセイバーと違って、アサシンの宝具は自分の生前に持っていた能力が元になっている。

恐らくは神の権能の千分の一くらいの代物で、野菜や果物のように切って人にくれてやっていいのか、と言われたら少し自信がない。

あるいは、不信心者として罰でも当てられるかもしれないが。

 

―――――いや、罰なんて今更か。

 

神秘が薄れ、神がいずこかへ去ったこの世で気にかけるべきはそこではない。

三つある宝具の一部を削って人にやった。個人で言えば惜しくはないが、暴挙には違いないだろう。

けれど、玲霞はアサシンにホムンクルスの子を助けてと願っていた。だから、そのために宝具を削ったと、自分は指示を完全に果たそうとしたからだと自分に言い訳もできる。

 

―――――いや、違うな。あれは私がしたいと思ったからしたこと。

 

誰かに請われたわけではなかった。それでも手が勝手に動いてしまった。

ついでにいうと宝具だけでなく、長年使い続けて魔力が溜まっている髪飾りまでやってしまった。即席で魔道具にできるものがあれ以外なかったからとはいえ、やってしまったという思いはある。

アサシンは足を緩め、服の一部を裂いて作った紐で髪を束ねながら、町の屋根を歩く。

宝具の一部はなくなったが、元からあれは戦うには向いていない。多少の怪我なら呪術でも修復可能だから、戦力でいえばそれほど下がったわけではない、と思う。

音も立てず、夜風に逆らって歩きながら、アサシンは今日の戦いを思い出す。

戦ったのは、“赤”のバーサーカー、アーチャー、ライダー。バーサーカーは“黒”が捕獲できたから戦うことはないとして、問題はアーチャーとライダー。

自分一人で戦ったなら、接近戦に持ち込んで幸運に助けてもらって、それで何とかアーチャーを倒せるか否か、というところだろう。

だが、ライダーは駄目だ。あのセイバーを正面から押し込めそうな相手など、全く勝てる気がしない。そしてそう考えるなら、セイバーと互角に戦ったという“赤”のランサーも同じく無理だ。

 

―――――戦いは、お前の生き方ではないだろう。

 

ふいに耳の奥に低い声が蘇ってきて、アサシンは夜空を見上げた。今の時代は灯りが多くなって、銀砂のような星は少なくなり、夜の闇が薄くなったせいか朝日までも昔とは輝きが違ってしまった気がしていた。

アサシンは声を振り払うように、足を速めることにした。霊体の身だから、足音も立たない。

戦いは好きではないし、これからもそんな風には絶対に思えないだろうが、今の自分に求められているのは、相手を倒し、殺すための力で、突き詰めれば他には求められていない。

 

―――――もしかして、だから私はあの子に宝具をやったのかな。

 

奇跡に等しい偶然で、現世に戻ってこれたから、一つくらいこの世に形ある何かを残したいと思ったのかもしれない。

死ねば、サーヴァントは骨の一欠けらも残らない。元が死者なのだからそれが正しい逝き方だろうが、物寂しいと思わないわけはなかった。

我ながら未練がましいとは思う。第一、玲霞にはなんと説明しようか、と思い当たったアサシンの走る先に、ホテルの灯りが見えてきた。炎の灯りと違って、揺らぎのない電気の灯りの灯る部屋の窓を、アサシンは叩いた。

 

「おかえり、アサシン」

 

すぐに窓が開いて、玲霞が顔を出す。

実体化して中に入ったアサシンを、玲霞はいつもの淡い笑みで出迎え、アサシンの体に傷がないのを見ると安心したように一つ息を吐いた。

魔術師でない玲霞は、遠見の術も使い魔も使えない。消滅しているかしていないか程度はサーヴァントとマスターの間のラインで分かるが、アサシンが出て行ってしまえば、玲霞には状況を想像するほかない。

念話ならできるから、令呪が必要な場合はアサシンの方が玲霞に直接念話を繋げることになっていた。視界共有もできないことはないのだが、アサシンは玲霞にあまり戦う姿を見せたくはなかった。玲霞は、戦場の空気にあっという間に慣れてしまいそうな気がしたからだ。

 

「……戦ったんでしょう?どうだった?」

「“赤”のサーヴァントは三騎来ました。バーサーカー、ライダー、アーチャーです」

 

アサシンは手短に、戦いの模様とその後のひと騒動を語った。

戦闘のところは多少省き、宝具を切ってホムンクルスの少年にあげた、というくだりで玲霞の顔を見たが、玲霞は微笑んでいるだけだった。

 

「じゃあその子、あそこから逃げられたのね」

「……ええ」

「良かったわ。ありがとう、アサシン。……でも、宝具を人にやるって、あなたは大丈夫なの?その、痛くないの?」

 

玲霞の言葉に、アサシンはつかの間目を閉じてから答えた。

 

「平気です。生身なら無理だったでしょうが、もともと私たちはエーテ……ええと、魔力でできている体なので、自分を弄るのは割と感覚でできます」

「そうなの?」

「そうです。そういうものです」

 

こくんとアサシンは頷き、玲霞は首を横に曲げた。

外にはすでに朝日が昇りかけていて、部屋は白い朝日が差し込んできていた。それを浴びた玲霞はまぶしそうに目を細めて、小さく欠伸をした。

 

「レイカ、ひょっとして寝ていないのですか?」

「ええと……うん、そうかもしれないわね」

 

そうして玲霞は待っていてくれたのだ、一晩中ずっと。自分がずっと外にいて戦っていたから。

そう考えたら、玲霞の腫れた目元やまぶしそうに太陽を見ている、どこか虚ろな目も分かる。それはそうだ。だって、昔は自分も同じように帰りを待っていたのだから。

 

「……レイカ、まだ、戦いは続きます。私もまた戦いに行きます。でも……今日はもう一日どこへも行かないので、ゆっくり休んでください」

 

気休めの言葉を聞いて、ふわ、と玲霞は柔らかく微笑んだ。

自分もこんな顔をして笑っていたのだろうか、とふと思う。

 

「そうなの。じゃあアサシン。わたし、あなたの昔の話、聞きたいわ」

 

ただ次の瞬間悪戯っぽく玲霞の言った言葉に、アサシンはがっくり肩を落とした。

人と話すのは嫌いではないが、自分のことをあれこれ語るのは心底苦手なのだ。

お前ら二人は揃って互いを補完してしゃべらないと、口下手すぎて話にならん、と、昔ドゥリーヨダナに言われたことを、アサシンは引きずっていた。

それを自分に言ってくれた王も、顔を見合わせて困ったように笑い合った相手も、誰ももうこの世にいないと思うと、寂しくなる。

贅沢なことだけれど、サーヴァントになると物想うことが増えるな、と思いながらアサシンは知りたがりの子どものように目をきらきらさせているマスターに向き直ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 





以下、関係ない話。
図書館にて、『インド幻想紀行』なる本を発見。
著者は、H・P・ブラヴァツキーなるお方。
……危うく図書館でヘンな声を上げかけました。
そして本は面白いです。




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Act-9

感想、評価を下さった方、ありがとうございました。






“赤”のバーサーカーの襲撃を切り抜け、表面上、“黒”の陣営は静けさを取り戻した。

けれどそれは戦いの前の静けさで、いずれ必ず“赤”の陣は攻め込んでくるのだろう。

今回の聖杯大戦では、勝利者の得るべき聖杯を“黒”側が最初から持っているのだから、欲しいのなら“赤”は取りに行くしかない。

サーヴァント六騎が、一般の人々も住む町の近くにまで攻めてくるとして、ダーニックや“黒”のランサーは本気で戦いの隠蔽ができると考えているのか、とアサシンは思う。

あるいは聖杯を使って根源に至るためなら、自分の悲願のためなら、町一つ滅ぼしても構わないと思っているのだろうか。

大儀と誇りがかかった戦いだから犠牲も仕方ないという考え方は、アサシンは嫌いだが、結局のところ自分自身もその破壊をもたらし兼ねない十四騎の中の一騎だという事実に変わりない。

そしてサーヴァントが十四騎もいるのだから、この戦争を監督するべきルーラーなど、自分たち以上に大変だろう。おまけにルーラーは願いが叶えられるわけでもない。

そのルーラーまで引っ張り出さなければならないのが、今回の聖杯大戦。

ライダーのふわふわした説明からすると、ルーラーは世界に歪みを生みそうな聖杯戦争に召喚されるということらしいが……。

 

「アサシン?」

 

襲撃を切り抜けた後の日の夕刻。

ユグドミレニア城塞の廊下を歩きながら、考えに耽っていたアサシンは、廊下の角の向こうからやって来ていた “黒”のアーチャーと出くわし、慌てて考えを打ち切った。

 

「これから任務ですか?」

「ええ。シギショアラを探って来いということです」

 

前回、セイバーの後衛を命じられて戦ったアサシンは、“赤”のアーチャーと一戦交えた。

それを見ていたダーニックとヴラドは、戦力に関して言えばアサシンの評価を上方に修正したらしく、今度はシギショアラに単独で赴いて偵察をして来い、と命じてきた。

トゥリファスに潜入していた“赤”のセイバーとそのマスターがシギショアラへと移動したから、その動向も合わせて見てこいというのだ。

他の“赤”の主従と別行動を取っているというセイバーの組が、トゥリファスからシギショアラへとわざわざ戻るというのは、それ相応の理由があるはず。

“赤”の陣に何か変事があったのかどうなのかは分からないが、捨て置くわけにもゆかぬ、とランサーはアサシンに命じた。

斥候はアサシンやアーチャーの努める仕事で、自分が頑張ればそれだけ玲霞の重要度も上がるからと、アサシンも力が入っていた。

“赤”のセイバーとまともに戦うつもりも全くない。勝てないと分かっている相手なのだから、様子を伺うだけに留める。

 

「あなたも知っているでしょうが、セイバーは強敵です。間違っても勝とうなどと思わない方が……」

 

言い淀むアーチャーにアサシンは淡々と答えた。

 

「もちろんです。忠告、ありがとうございます。アーチャー」

 

そのまますれ違いかけ、アサシンはふとアーチャーを呼び止めた。

 

「アーチャー、そういえばセイバーとそのマスターの様子は?」

 

ああ、とアーチャーは一つ頷いてから答えた。

 

「話し合いをしたようです。次の戦いで、セイバーがサーヴァントを討ち取ることで手打ちにするということになったと聞きました」

「それは、セイバーの口から?」

「はい」

 

真名を守るため、ひいては弱点を隠すためにマスターのゴルドはセイバーに口を利くことを禁じていたが、その歪な主従関係のまま起こったのがあのホムンクルスの少年の一件である。

ゴルドは、アサシンとセイバーという二騎のサーヴァントにきっぱりと異を唱えられた上に、殴られて気絶させられた。

セイバーは、目覚めて気絶させられたことに怒るゴルドに、正面から彼なりに真摯に非礼を詫び、今後の戦いで必ず勝利を捧げると言った。

ゴルドも完全に納得したわけではないが、サーヴァント二騎の眼光にさらされ、彼らが唯々諾々と命令を聞く存在でないことを、身を持って思い知ったばかりの彼は、不承不承ながら矛を収めたのだと、アーチャーは語った。

 

「あなたにも、感謝すべきなのでしょうね。あなたがやらなければ、セイバーは自分の心臓を捧げてホムンクルスの少年を助けるつもりだったそうですから」

「ええ!?」

 

さすがにアサシンは驚き、大声を上げた。

無表情の剥がれた顔は、アーチャーの思うよりずっと若かった。

 

「けれどあなたが宝具を分けたから、そうはならなかった。ゴルド殿もあなたに感謝していると思いますよ、恐らく」

 

それを聞き、曖昧に肩をすくめたアサシンは、アーチャーに一礼して去っていった。

小柄なその姿が、門を潜り抜けて霊体となって消え失せるまでアーチャーはその後姿を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シギショアラといえば、玲霞とアサシンがかつて逃げ出してきた町である。

戻ってくるとは思っていなかったな、と霊体化して町の屋根を跳びながら、アサシンは思う。

この町には、ユグドミレニアと敵対している魔術協会側の魔術師たちが潜伏している。

彼らを潜り抜けて町に潜入することは、何故だか拍子抜けするほど容易かったが、“赤”のアサシンの警戒網となるとそう簡単にはいかなかった。

それをすり抜けた上で、“赤”のセイバー陣を偵察して町の様子も探ってこい、というのだから、“黒”のランサーとダーニックも、また難しいことを平気で命令してくる。

それでもと、アサシンは呪術を使って町の気配を探った。

そうして魔力の流れを辿るうちに、手近なところに魔術協会側の魔術師の拠点を発見し、アサシンはそこへ忍び込むことにした。

霊体化して気配遮断を行い、他の家々と同じような三角屋根が特徴の一軒の家にアサシンは入り込んだ。侵入者除けの仕掛けも発動させず、魔術師の工房にするりと滑り込んで、アサシンはそこで思わぬモノを見つけた。

 

――――――これは?

 

彼女が見たのは、ぼんやりとした灯りに照らし出される工房の椅子に座り、虚空を見つめたままの魔術師。

その瞳は虚ろで、目の前で実体化したアサシンにも気付かず何事かをぶつぶつと呟いている。顔の前で手を振ってみても、魔術師は眼球すら動かさなかった。

 

――――――正気じゃない。

 

そう判断して、工房を抜け出たアサシンは、また別の魔術師の家を見つけて忍び込む。

そこの工房も、その次の工房も同じ有様で、中にはその工房の主であるはずの魔術師が、虚ろな廃人同様の姿となって残されているきりだった。

 

――――――呪いか、それともまさか……毒?

 

毒というなら、真っ先に思い出されるのは、玲霞を毒の満ちた部屋に誘おうとした、危険なマスターとそのサーヴァント。

あの女王のような“赤”の暗殺者なら、毒を使って魔術師を廃人にしてしまえるだろう。

だけれど、それはおかしいのだ。

あのシロウ神父は、協会と協力関係にあるはず。その彼が、どうして味方のはずの魔術師たちに毒を盛るのだ。

 

――――――シロウ神父が、協会を裏切った?

 

しかし、“赤”には他にも協会所属のマスターがいるだろう。彼らと魔術協会の派遣してきた魔術師は同門の協力者。その彼らが、町の魔術師たちを廃人にすることを見逃すとは思えない。

万能の願望器という景品を前にして、欲で目がくらんだ結果と考えることもできるけれど、そうだとしても戦いの序盤から協力者を根こそぎにしてしまうのは考えにくかった。

 

――――――シロウ神父とそのサーヴァントが、独断で実行したとして、他のマスターは何をしているの?

――――――もしや、彼らは何か手が出せない状態にある?

 

 

そうだとして、考えられる理由は、シロウ神父にはもう協力者である魔術師たちは用済みとなり、魔術協会と繋がりのある彼らが邪魔になったか。

清廉を旨とする聖職者だろうが、本気で聖杯を得たいと望むならそれくらいはやるだろう。第一、すでに彼は玲霞に毒を盛ろうとしている。

 

――――――そうだとしたら、シロウ神父はそれだけ聖杯が欲しいのか?

 

町を一望できる時計塔の上に、霊体化したままアサシンは立ち尽くした。

何れにしろ、アサシンに判断は下せない。

アサシンも“赤”の陣が一枚岩ではないのだろうとは思っていたけれど、まさかこんなことがシギショアラで起きているとは思っていなかった。これは、“黒”のランサーたちには間違いなく報告しなければいけないことだろう。

残る任はあと一つ、とアサシンは頭を振った。

“赤”のセイバーとそのマスターを見つけなければいけないと、アサシンは地面に降り立ち、石畳の上を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“赤”のセイバーは、真名をモードレッドという。

マスターは、魔術協会の雇ったフリーランスの死霊術使い、獅子劫界離。

華やかなアーサー王伝説に幕を引いた反逆の騎士と、荒くれ者の魔術師とは、不思議と馬が合い、今のところは極めて良好な関係を築いていた。

“赤”のアサシンとそのマスターからの共闘の誘いを彼らは蹴り、彼らは単独で行動していた。どことなく胡散臭い笑みを浮かべる彼らを、獅子劫とセイバーは信じることができなかったのだ。

どこかの暗殺者主従とは違って、“赤”のセイバーとマスターにはそうしても問題ないだけの力もあった。

彼らはトゥリファスへと潜り込んでいたのだが、バックアップ要員としてシギショアラに潜んでいたはずの協会側の魔術師たちと連絡が取れなくなり、一時的にシギショアラへと戻ってきていた。

 

「これで、五つ目か」

 

獅子劫は魔術師の家から出て嘆息した。

彼とセイバーとが訪ねた魔術師は、正気を失っていた。目は虚ろ、半開きの口からは意味のない言葉を呟き、獅子劫とセイバーに反応すら返さない。

獅子劫たちは五つの魔術師の拠点を訪ねたが、どこも同じ有様だった。この町に潜入した魔術師全員があの状態になっているのだとしたら、確かに連絡など来るわけがない。

 

「どうなってんだ、マスター?あいつら正気じゃない。“黒”の仕業か?」

「それも考えられるがな……。セイバー、お前さん、そう思ってねえだろ?」

 

現代の衣装を着た年若い美しい少女、セイバーは肩をすくめて肯定した。

 

「怪しいのは“赤”のアサシンだ。あの女なら毒の一つや二つ使うだろうよ」

「そうかよ。……それで、根拠は?」

「オレの勘だ」

 

黒衣を纏った女アサシンと、自分に向けてきた絢爛な毒の花のような笑みを思い浮かべ、獅子劫はそれを否定できない自分がいることに気付いた。

彼女の仕業だとするなら、それにはアサシンのマスター、シロウも関わっているだろう。“赤”のアサシンの独断という可能性も捨てきれないが、いずれにしろ尋常な事態ではない。

 

「ったく、アサシンっては何でこうどいつもこいつもコソコソと鬱陶しいんだ!」

 

苛立たし気に獅子劫の隣を歩くセイバーは吐き捨てた。

 

「そりゃアサシンなんだから当然だろ。正面から戦う暗殺者なんぞいるか?」

 

アサシンに求められるのは普通なら偵察、斥候やマスターの暗殺だ。マスターが最も警戒しなければならないサーヴァントであるが、セイバーにとっては雑魚である。

 

「それはそうだ。だがな、気に食わん!」

 

荒ぶるセイバーを見ながら仕方ないやつだと、獅子劫は思う。けれど彼は、セイバーのこの猪突猛進な考え方が嫌いではなかった。

若い獅子のように唸っていたセイバーが、視線を鋭くしたのはそのときだった。

 

「……マスター。誰かがオレたちを見てやがる」

「使い魔か?」

 

セイバーは獅子劫に応えず、手で彼に静かにするように示した。

辺りを見回したセイバーは、やおら一軒の建物を睨み据える。獅子劫が見る間に、そこに光の粒が集まり、人の形を成した。

風が吹いてその人影が纏っている灰色の布がなびく。月の光を背にして屋根の上に立っているのは、紛れもないサーヴァントだった。

獅子劫を背にし、実体化させた剣を構えるセイバーを前に、灰色の人影は何も反応を返さなかったが、獅子劫は布の奥からサーヴァントの視線を感じた。

“黒”のセイバーは大剣を纏った剣士だから姿かたちが違い、ランサーはヴラド公なのだからこんなところに現れるはずはなく、ならばアーチャーだろうか、と獅子劫は考える。

 

「お前、“黒”のサーヴァントか?」

「ええ。そういうあなたたちは“赤”のセイバーとマスターですね」

 

何か術でも使っているのか、距離は離れているにも関わらず、サーヴァントの澄んだ声はよく聞こえた。

飛び出しそうなセイバーを手で制し、獅子劫はそのサーヴァントに問いかけた。

 

「この町の魔術師たちの正気を奪ったのはお前たち“黒”か?」

 

つかの間、影のようなサーヴァントは黙り、それからゆっくり首を振った。

獅子劫はそれを見届け、セイバーを制していた手を下ろす。鎖を解かれた餓狼のように、セイバーは周囲に魔力を集め始めた。

屋根の上のサーヴァントはそれを見ながらも、淡々と呟いた。

 

「それを聞くということは、あの魔術師たちの惨状はあなた方の仕業ではない。となると、他の“赤”なのですね」

「そんなこと、ここで死ぬお前には――――関係ないな!」

 

怒号と共に、セイバーは魔力を噴出させて砲弾のような勢いで襲い掛かった。

灰色のサーヴァントは避けようとするが、セイバーの方が遥かに早い。

セイバーの大剣がサーヴァントの肩から腰までをざっくりと切り裂き、しかし、次の瞬間、人影は霞となった。

 

「幻術……!?テメエ、キャスターか!?」

 

幻術は何も答えず、かしゃん、とガラスの割れるような音と共に砕け散る。

きらきらと輝く光の雪のような幻術の名残がセイバーの周りに降り注ぎ、彼女は剣を持ったまま油断なく辺りを見回した。

 

「それだけ分かれば、十分。私は去ります」

 

だが、声は獅子劫の背後から聞こえた。

セイバーと獅子劫が振り返れば、小柄な人影が道を隔てた建物の上に立っている。

最初から幻術だったのか、それとも途中で入れ替わったのか、セイバーと獅子劫にはそれすら見抜けなかった。

 

「この――――――!」

 

欺かれたと知って、セイバーの頭に血が上る。

即座に踵を返し、屋根の上の人影へ弾丸のように飛びかかろうとしたセイバーだが、それより早く灰色のサーヴァントが手を振り下ろし、放たれた青い焔の矢が獅子劫の足元に突き刺さった。

焔は一瞬で消えたが、次は容赦なくマスターを狙う、という無言の意思表示にセイバーは、舌打ちをした。自分があのサーヴァントを斬り捨てるより、獅子劫に焔が放たれる方が速い、と判断したのだ。

同時に、灰色のサーヴァントの輪郭も朧になる。

 

「逃げるのか、“黒”のサーヴァント!」

 

獅子劫の挑発にも、灰色のサーヴァントは機械仕掛けの人形のように何の反応も返さない。

だが、灰色のサーヴァントが闇に溶ける寸前。

セイバーたちの背後。町に聳え立つ、一際高い時計塔の上で、爆発的な魔力の高まりが起こった。

獅子劫とセイバー、灰色のサーヴァントの集中がそちらへ逸れる。

振り返ったセイバーの超人的な視力が捉えたのは、時計塔の上に立つ一人の長身痩躯の青年だった。おそらくは、サーヴァント。

“黒”側の新手か、とセイバーが灰色のサーヴァントの方へ視線を戻せば、どうしたことか屋根の上のサーヴァントは霊体化を止めてしまい、凍り付いたように固まっていた。

 

「―――――隙だらけだぜ!」

 

怒号と共に魔力を放出しながら、セイバーは一直線に灰色のサーヴァントへ斬りかかった。

直前で気付いたサーヴァントは、横へ大きく跳ぶ。

だが、セイバーの踏み込みの方が遥かに早い。横なぎにした剣がサーヴァントの顔を隠した布と肩を裂いて鮮血が飛び散り、まだ若い女の顔が露わになった。

女の顔が衝撃で歪むが、彼女は右手を一閃させるとそこから氷の矢が放ってきた。

高ランクの対魔力スキルを持つセイバーは、ちゃちな魔術だと鼻で笑って突進し、直撃した氷の矢に思わぬ力で弾かれる。セイバーは知らないことだが、女サーヴァントの使ったのは魔術ではなく、呪術。対魔力スキルで減衰されない、物理攻撃だった。

それでも、最優のセイバーの突進を完全に止めることはできない。次なる剣を振るおうと、セイバーが剣を大上段に掲げた。

間合いも何もかも、女サーヴァントを屠るには十分のはずだった。だが、後ろから放たれた殺気で、一瞬だけ反射的にセイバーの動きが止まる。

その隙に女サーヴァントは屋根から飛び降りて、路地の暗がりへ姿を消してしまった。

 

「くそっ!!」

 

セイバーの怒号が町に響くが、女サーヴァントの気配はもう残っていない。

殺気を飛ばしてきた時計塔のサーヴァントも、振り返ればもう姿を消していた。

どうやら、殺気を向けるだけ向けて、青年のサーヴァントは、セイバーと戦うつもりはないらしい。

追うか、とセイバーは考え、しかし下から獅子劫の呼ぶ声を聞きつけて、地へと飛び降りた。

 

「逃げたのか?」

「ああ。一太刀浴びせたが、殺せなかった」

 

セイバーは吐き捨て、獅子劫は肩をすくめた。

 

「ま、今日のところはもう引き上げよう」

 

その獅子劫の返答にセイバーは頷いたのだった。

自分を一度あしらった女サーヴァントへの敵意を、たぎらせたまま。

 

 

 

 

 

 

 




上司たちに働かされて、若干下手を打ったアサシンの話。

色々やらかしてたのはアサシンだけでは無いですが。
次回(話を)詰めます。

12/13 前話に一部描写を追加。


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Act-10

人の出会いは不思議で脆いもの、と誰かが言った。


 

 

 

 

 

けほ、とせき込みながらシギショアラから外れた森の中、アサシンは霊体から実体へと姿を変えた。

同時に、“赤”のセイバーに斬られた肩から血が溢れて足元の草の上に滴り落ちたが、手で傷口を押さえて燃やせば、すぐ傷は塞がった。

手当てを終えて、アサシンは空を見上げる。思い出すのは、一瞬見た時計塔の上の人影。

どくどくと耳慣れない音がして、アサシンは耳を澄ませすぐにそれが自分の心臓の音だと気づいた。

目を閉じて、アサシンは気配を探る。

大気に流れる魔力はアサシンには光の帯のように見える。アサシンには魔力はそういう綺麗なものとして感じ取れるのだ。

そうして自分の視界を広げていって、アサシンは目を見開いた。

町の方角からこちらへと向かってくる、とても明るい光を纏った魔力の塊があった。しかも移動している。迷いなく一直線に、凄まじい速さで町から森へと進んでくる。

 

―――――ここから離れるべき。

 

“黒”のサーヴァントとしての自分が叫び、一方で一人の人間としての自分が囁く。

 

―――――まだ、ここにいたい。

 

がん、とアサシンの拳が側にあった幹を叩いた。

筋力Dランクとはいえ、サーヴァントが殴った衝撃に木は大きく軋み、眠っていた鳥たちが鳴き声を上げて飛び立つ。

殴った手でそのまま顔を覆う。耳が枝を踏みしめる音を捉え、アサシンはそちらへ顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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――――――どうして?

 

感情を抑える癖が過ぎて、冷静な表情が板についてしまっている顔が、その日、自分を見た瞬間、毀れた。

次の瞬間、濃い青の目の奥に閃光が閃いたかと思うと、頬に衝撃が走っていた。

 

――――――どうして、ですか?

 

激しい感情で目を光らせて、自分を見てくる彼女。

どうやら加減なしで殴られたと気付くのに、時間がかかった。

そこまで怒るのは見たことが無いな、と思わず呟いてしまい、今度は軽く肩をつかれた。

 

――――――雷神に請われたから、彼に鎧を与えた。

 

そう言えば、すべてを悟ったように彼女は手で顔を覆った。もう一度自分を見た瞳からは、吹き消したように激情が失せていた。

神に請われ、自分は自らの鎧を捧げた。請われたのなら、応じなければならないと決めていた。

自分にとって、生きる道は単純だった。つまらない男である自分に、かけがえのないものを授けてくれた父の威光を汚さない、自分に報いてくれた者たちを貶めさせない。

だから、それを全うするために、雷神に鎧を与えた。

元々望んで授かったものではないから、惜しくはなかった。

それを失うことで自分が死すべきものとなることも、神が自分から鎧を奪うのは我が子可愛さ故だということも、知っていた。分かっていた。

だからそれは、彼女も理解していると思っていた。

どうしてだか、自分のようなつまらない者の側にいつまでもいてくれる彼女は、この世で一番自分のことを理解してくれていたから。

それがどれだけ甘い考えだったか、今でも自嘲したくなる。

 

―――――ばか。

 

いつもの澄んだ声と比べたら、信じられないくらい弱弱しい呟きがして、気付いたら胸に頭が押し付けられていた。

肉体に一体化していた鎧を剥がした自分の体は血だらけで、塞がっていない傷から滴る血が彼女の髪と白い肌の上を流れていた。

汚れるぞ、と言えば上目遣いに本気で睨まれ、同時に全身に湯を浴びたときのような暖かさが広がった。瞬く間に、すべての傷が塞がる。

そのまま数歩後ろに下がった彼女は、力が抜けたように岩の上に座った。満天の星空から降り落ちる星明りが、彼女の髪を闇夜に浮かび上がらせていた。

 

―――――私、いつも言っていましたね。鎧を、誰かに与えてはいけないと。私の言葉は、一つもあなたに届いていなかったんですか。

 

それは違う。

ただ、自分の中では請われれば与えられるのは当然の理屈だった。水が上から下に落ちるように、太陽が東から上り西に沈むように、それは当たり前のことだった。

 

―――――雷神が親心を持っていることを嬉しく思う前に、あなたを案じるお父様の心をどうして大切にしなかったのですか。

 

何故かと言われたら、答えは簡単だった。自分の命はどこまでも父の威光を汚さないため、自分を育んでくれる人々のためにあった。

鎧の譲渡を断るのは、父の威光を汚すことになる。その結果が死であったとしても、それは受け入れるべきものであって、恐れるべきものではなかった。

 

―――――そう、ですか。

 

そう告げると、雨に打たれた小さな花のように彼女は俯いたまま呟いた。

言葉の意味を聞き返そうとする前に、彼女は岩から立ち上がっていた。

目の端から水晶のような滴が零れた気もしたが、自分を見た目には、もう元の光が戻っていた。

 

―――――無くしたものは戻らない。それなら、もう()()()()()()()。でも、ドゥリーヨダナ様にどう言うつもりなんですか?私は手伝いませんからね。

 

それが、あまりにいつも通りの言い草で、だから自分は安心した、してしまった。

それは、間違いなく誤りだったと今は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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森のどこかで鳥が飛び立ち、草木が揺れた。

シギショアラから町はずれの森へ入った“赤”のランサーは、その方角へと氷のように鋭い目を向けた。

つい先ほど、シギショアラで“赤”の陣は“黒”のサーヴァント、アサシンと“赤”のセイバーとが戦う気配を察知した。ランサーに介入するつもりはなかったのだが、“黒”のアサシンの姿をランサーは捉えてしまった。

確かめなければならないことができた、とシロウに告げ、ランサーはシギショアラの町へ降りた。

ただ、あまりに間が悪かった。

ランサーの姿を認めた途端に、“黒”のアサシンは動きを凍らせ、“赤”のセイバーに斬られた。それを見て、ランサーは思わず殺気を放ってその戦いを止めた。

そのまま“黒”のアサシンは闇に消え、“赤”のセイバーは追撃せずにマスターと共に去った。

 

―――――どうする?

 

ランサーは自分に問いかける。“黒”のアサシンを追うか、戻るか。

つかの間逡巡して、彼は“黒”のアサシンを追うことにした。

気配は分からないが、彼にはアサシンがどちらへ行ったのか何となくだが掴めた。

会ってどうする、とささやき声がする。

疑いようもなく、“黒”は敵。仮借なく戦わなければならない敵だ。戦士として、サーヴァントとして、守るべき道理と果たさねばならない義務がある。

ただ同時に、ランサーには叶えようと、自分で自分に誓った想いがある。

しかし、果たしてどうするのかと決める前に、ランサーは“黒”のアサシンの気配を捉えた。

たわんで揺れた木と飛び立つ鳥の声を道しるべにして跳び、“赤”のランサーは“黒”のアサシンの前に現れた。

 

「あなたが、“赤”のランサーでしたか―――――カルナ」

 

月光の下、灰色の暗殺者のサーヴァントは“赤”のランサーの真名を告げた。

青い瞳も色白の顔も、ランサーの記憶の中と何一つ変わっていなかった。

 

「ああ、そうだ。お前は―――――“黒”のアサシンになっていたのか」

 

似合わない、と咄嗟にランサーは思った。

アサシン、つまりは暗殺者。彼女は、いつそのクラスに当てはめられる所業をした。

 

「……一つ聞きたい。お前は、聖杯にかける願いを抱いてここにいるのか?」

 

言葉の裏を探ろうとするかのように、アサシンが首を傾げた。けれど単に、ランサーからこぼれ落ちただけの問いだと察したのか、アサシンは答えた。

 

「……私は、助けを求めたマスターに呼ばれました。マスターを守り、その願いを叶えるために()()私がいます。私個人で言えば、聖杯はいらないものです」

 

それは、ランサーには予想できていた答えだった。分かっていて尚、ランサーは一瞬目を瞑った。生きていたころと何一つ変わっていないなら、この()()()()()()は恐らく主を護ろうと戦うだろう。ならば、敵だと見なさなければならない。それがどういうことにつながるか知っていても。

 

「そう、か」

「そうです、――――“赤”の()()()()

 

時が凍り付き、月が雲に隠れてアサシンの顔が翳る。ランサーからは、アサシンの顔が見えなくなった。

そのとき、唐突に羽ばたきが聞こえた。

アサシンとランサーとは同時に上を向いて、そこにいた生き物に驚いた。

 

「アサシン、戻るよ!」

 

濃紺の夜空の中で羽ばたいているのは鷲の頭と馬の足、背中に翼持つ獣、ヒポグリフ。その、伝説の中にのみ生きる幻獣に跨がるのは、“黒”のライダーだった。

 

「ライダー!?」

「事情はあとだよ!早く乗って!」

 

急降下してきたライダーは、掬い上げるようにアサシンの腕を掴んでヒポグリフの後ろに乗せようとして、勢い余って投げ飛ばす形になった。

 

「ッ!?」

 

とはいえアサシンもサーヴァント。振り落とされる訳もない。寸でのところでヒポグリフに掴まり、体勢を建て直した。

 

「いい?じゃ、行くよ!」

「……ッ!」

 

口の中で叫びをかみ殺して、アサシンは思わず後ろを振り返ってランサーを見た。色合いの違う碧眼同士がぶつかり、交わる。

 

「――――行ってください」

「分かった!」

 

視線を断ち切って、アサシンは前に座るライダーに言い、ライダーはそれを受けてヒポグリフの脇腹を蹴り、嘶いたヒポグリフは翼を広げ、空へ高く舞い上がった。

真の力を発揮しておらずとも、空を駆ける幻獣はあっという間に雲を突き抜ける。ランサーの視界から、幻獣はすぐに小さくなっていった。

 

「どう?“赤”のランサーは追って来てるかい?」

「……いいえ。彼は、来ないと思います」

 

ヒポグリフの上で、後ろを伺いながらアサシンが答える。

 

「なら良かった!ビックリしたよー。キミのマスターのところにいたら、ラインが滅茶苦茶に乱れたっていうじゃん。だから来てみたんだけど……」

 

何で“赤”のランサーと睨みあってたんだい、とライダーは聞きかけて、“黒”のアサシンの横顔を見て口をつぐんだ。

アサシンは感情が全て抜け落ちたように真っ白な顔をしていた。

 

「……すみません、ライダー。ちょっと今は……話せません。城についてからヴラド公の前で話します」

「うん、分かったよ。でもキミ、大丈夫なのかい?酷い顔色だぜ?まさか斬られたんじゃ……」

 

アサシンは首を振った。

確かに斬られはしたが、傷はもうない。

 

「何でもないんです、ほんとに……何でも」

 

きょとんと首を傾げるライダーに、アサシンは行ってください、と告げて、遠くなったシギショアラの町明かりとその周りの森を一度だけ見てから、ヒポグリフの肩越しに先に広がる空を見据えた。冴え冴えと白く光る満月が、酷く歪んで見えていた。

 

「それにしてもライダー、よく私の場所が分かりましたね」

 

ヒポグリフに横に座ったまま、アサシンはライダーの背中に向かって問いかける。

 

「んー、キミのマスターのとこにいたらさ、何かキミとのラインがめちゃめちゃに揺れたってレイカが言うから、瀕死にでもなっちゃったのかと思ったんだよ」

 

どうやら、アサシンの動揺はラインを通じてそっくり玲霞に伝わってしまったらしい。

伝えるつもりはなかったのだが、アサシンと玲霞には精神面に似たところでもあるのか、それともアサシンの動揺が激しすぎたのか、ともかく玲霞には知られたのだろう。

 

世界で一番会いたかった人に、敵として見えてしまったということが。

 

アサシンは、自分のこれまでを不幸せだと思ったことはない。ないのだが、今度ばかりはただ辛かった。せっかく会えたのに、そのことを辛いと思ってしまう自分が、やるせなかった。

冷たい月明かりの下、幻の獣の背に揺られている今の自分が傷む心と一緒に、硝子のように粉々に砕け散ってしまえばいいとさえ思う。

それでも、それだけはできないと、心の中で精一杯に叫ぶ自分もいるのだ。自分の護るべき、命の輝きを一つ、アサシンは背負っている。捨て置けるはずがなく、そんな我儘は許されない。アサシンが、自分に許さないのだ。

ライダーはそれから、城へ着くまで何も言わなかった。

その気遣いに感謝しつつ、アサシンは王の部屋へと向かう。

部屋には、ランサーとダーニックに加え、キャスターとそのマスターを除く他のサーヴァントが集結していた。

心が傷んでいようが、任務は任務なのだからやるべきことはこなさないといけない。ただでさえランサーは、彼言うところの『異形の怪物』の血を引くアサシンを嫌悪しているのだから、これ以上不信の種を育てるわけにはいかなかった。

一段高い王座に腰かけたランサーは、槍のような視線をアサシンに向けた。

 

「戻ったようだな、アサシン。シギショアラで立ち回ったようだが、何があったか包み隠さず話せ」

「……はい」

 

シギショアラの異変を、アサシンは語った。といっても、ダーニックたちもある程度までは使い魔を通して見ていただろう。

誰かの手によって壊されていた協会の魔術師たちと、その事実に困惑していた“赤”のセイバーとそのマスターの有様を聞き、ランサーとダーニックは共に意外そうに眉を上げた。

 

「分かった。――――では続いてだ、アサシン。先ほど、お前は“赤”のランサーと森で戦わずに会っていたな?」

 

使い魔を通してどこからか見ていたのか、とアサシンは思ったが、ライダーを見ると視線をさ迷わせていた。どうやら、彼がうっかり口を滑らせてしまったのだろう。

 

「答えよ、アサシン。お前とあのランサーの間には繋がりがあるのか?真実を答えよ、虚偽は許さん」

 

ランサーの言葉の鋭さは、裁定を下す者のようだった。

少しでも信用ならないと感じたら、恐らくランサーの宝具がアサシンへと牙を剝くだろう。

 

「はい。“赤”のランサーの真名はカルナ。彼は―――――」

 

目を瞑ってから、アサシンは答えた。

 

「私の、夫です」

 

簡潔な答えを聞いて、アーチャーとセイバーは目を見開き、ライダーはえ、と凍り付き、バーサーカーは唸った。

 

「夫、だと?お前はあの『施しの英雄』の妻だというのか?」

 

ダーニックが指をアサシンに突き付けながら言う。ランサーは目を細めて無言だった。

 

「はい。叙事詩には記されていないでしょうが、私は確かにその英雄の妻です」

「馬鹿な……」

 

あり得ない、と呟くダーニックを手で制し、串刺し公ヴラドは冷然とアサシンを見下ろした。

 

「……嘘ではないようだな。アサシン、では問を変えよう。――――お前は、その夫と戦えるというのか?」

 

セイバーの隣に立つライダーは、気遣うようにアサシンを見る。青い瞳は、石をはめ込んだように凍っていた。

 

「―――――戦います。尤も……私では彼に対抗できませんが」

「それはどうでもよい。聞きたいのは一つだけだ。アサシン、お前は、我らを裏切らないと誓うか?」

 

裏切りか、とアサシンは訳もなく苦笑したくなった。

人生で一番裏切りたくない相手は、今は敵なのだ。今更何を聞くのだ、この領王は、とアサシンは暗い瞳で過去の王を見る。

しかしライダーには、その瞳が今にも砕け散りそうな脆い氷のように見えた。

ランサーはしばらく暗殺者を見た後、よい、と言い捨てて霊体となって去った。ダーニックはアサシンをにらんだ後、ランサーの後を追ってどこへか消える。

どうやらランサーはアサシンの言葉を信じたらしい。ランサーが気にかけるのはアサシンが裏切らないかどうかということだけ。

彼女の裡に悲哀があろうがなかろうが、ランサーはそれを気にかけない。

ライダーにはとてもそうは考えられなかったけれど。

アーチャーやセイバーも複雑そうに王座の前に立つアサシンを見ていた。

セイバーは“赤”のランサーとすでに戦い、互いの武を認め合い、再戦の約束も交わしている。

アーチャーは判断をつきかねているのか、思案顔だった。バーサーカーは虚ろにアサシンを見ているだけだ。

 

「……では、失礼します」

 

そして、沈黙に耐えかねるようにアサシンも消えた。

ややこしいことになってきた、とライダーは頭をかいて、何となく窓を見上げる。

日はまだ、昇っていなかった。

 

 

 

 

 

 





いつか言ったように、この主人公、メンタルはダイヤモンドです。
要するに、強いときは強くても、割れるときは割れます。

それからこの話、実は一度データが消えるという事故を経て書き直したものです。
なので、次話は申し訳ありませんが明日は投稿できません。



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Act-11

戻る道はどこにもない。








 

「ねえアサシン、あなたって恋とか、したこと無いの?」

 

―――――それは、いつかの昼下がりのことだった。

玲霞に尋ねられて、霊体化していたアサシンは窓辺に腰かけた姿で実体となった。

 

「唐突に何ですか、レイカ?この非常時に聞くには、能天気というか、さすがに桃色な質問ではありませんか?」

「あら、非常時なんだから聞いておきたいの。これからそんな時間、無くなるかもしれないんだし。いいでしょう?」

 

それとこれとは話が違う、と言いながらアサシンは答えた。

 

「正直――――よく分かりません」

「あら?でもあなた、結婚していたでしょう?」

「それはそうですけれど、私は結婚しろと言われるまで、カルナの顔も知りませんでした」

 

アサシンにとって婚姻というのは好きな人とするものではなかった。

した相手を好きになることができようがそうでなかろうが、別に構わなかった。婚姻がいいものとも、思っていなかったからだ。

そもそもアサシンは、母親が元は戦争に負けて連れて来られた奴隷だった。その母親も早くに亡くしてからは、ほとんど森に棲んでいた。家族の中の誰とも顔が似ておらず、異能の力を持つ自分はいつでも家族の厄介ごとの種だった。

人の暖かさから離れていた欠けがある少女に、人の心は難しく、あまりに恋は縁遠かった。

といってもそれは、ずっと昔のことだったが。

 

「私は結婚した相手を好きになれたから、とても幸運だと思っています。それに、この先恋を知らないとしても、別にいいのです」

「それは、なぜ?」

 

夕焼けに照らされながら、アサシンは何でもないことのように答えた。

 

「だって、あの人より好きと思える人に、この先出会えると思えませんから」

 

ただの少女のように、アサシンは飾り気なく笑った。

 

 

 

 

 

そして笑顔を浮かべていたのと同じ少女はシギショアラから戻ってすぐ、霊体化してなかなか姿を現さなかった。

事情は、玲霞も察している。

敵方のランサーは、『マハーバーラタ』の大英雄カルナ。それだけでも大事どころか大惨事なのに、彼はアサシンの夫だった。

記憶を見た玲霞には、アサシンが彼に向ける感情を知っている。彼がアサシンとどういう時を過ごしたかも知っている。けれど、玲霞には沈んでいるアサシンにかける言葉が見つからなかった。アサシンの戦う理由が玲霞自身にあるからだからだ。

何かを言えるわけがなかった。

やがて、部屋の隅にぼうっとアサシンの姿が浮かんでくる。元が色白なだけに、玲霞の前でいつも纏っていた穏やかな空気がなくなると、アサシンは正しく幽霊のようだった。

 

「……ごめんなさい、マスター。心配をかけました」

 

それでもアサシンは心底申し訳なさげに頭を下げた。

 

「心配だなんて……」

「ラインが乱れたでしょう?まさか、そこまで伝わるとは思っていませんでした」

 

参りました、とアサシンはぽす、と椅子に腰かけながら言った。そのまま膝を抱えて猫のように椅子の上で丸くなる。

 

「―――――少しでも強い英霊を欲する者がいるなら、カルナも呼ばれると考えるべきでしたね。私が言うのもなんですが、私の時代、私の国の武人方は、威力の無茶苦茶な武器を扱いましたし」

 

目を細めてアサシンが言った。黒く長い睫毛が澄んだ碧眼を覆う。

 

「ブラフマシラスなんて、使い方を誤ると十二年間土地を枯れさせる、厄災付きの武器もありましたけど。その使い手が呼ばれなかっただけ、この町にとっては良かったのかな……」

 

玲霞には分からないことを呟きながら、肩を細かく震わせるアサシンを、玲霞は右手で撫でようとして、そこにある令呪が目に入る。右手をそっと下し、反対の手で玲霞はアサシンの肩をさすった。

 

「――――ごめんね、アサシン」

 

玲霞はそっと呟き、しかしアサシンは首を振った。

 

「あなたが謝ることはありませんよ、レイカ」

「でも……」

「あなたは私に謝ることなんて、何一つしていません。私もカルナも、召喚に応じたのは自分たちの意思によるものです。そのことの結果は、私たちが受けるべきことです」

 

理屈は確かにそうなのだろう。けれど、玲霞はそれをそのまま吞みこめない。それを察してか、アサシンは膝を伸ばして座り直した。

 

「レイカ、最初に言ったと思いますけど、私はまともな英霊ではありません」

 

話の持って行きようが分からず、玲霞は首を傾げ、アサシンは構わず続けた。

 

「英霊の『座』も、地獄も天国も何もかも、私には遠いものです。だから死んだあとに現世に立てる機会は、私には本当に嬉しかったんです。そんなこと、考えたこともなかったから。それにもう一度だけ、カルナの姿も見れました」

 

状況は最悪でも、姿を見れた。

不謹慎かもしれないけれど、純粋に嬉しいと思う自分もいたのだ。だから、そんなに気に病まなくていいと、アサシンは言った。

だが、どう聞いてもそれは強がりだった。アサシンは、嘘はついていない。ついていないが、今の言葉は、正しくはアサシンがそう思っていることではなくて、()()()()()()ことなのだろう。

玲霞にも分かることなのだから、アサシン本人も絶対に気付いている。それでも、アサシンは玲霞に笑ってみせた。

 

「それとレイカ、私は消えたりしませんよ。まだ、カルナに聞きたいことがあります」

「え?」

「カルナもサーヴァント。それなら、聖杯に何か願いがあると思うのです。それが何なのか、私は知りたいのです。もう一度会って、確かめたいのです」

 

自分は願いのないサーヴァントのくせに、アサシンはそう宣った。

絶対に、言葉ほど心の中は穏やかではない。それでも、もう一度カルナに会いたいということだけは本心なのだと玲霞には感じられた。

会ってどうするのか、とは玲霞は聞けなかった。それはアサシンにも分かっていないに違いない。

それなら、と玲霞は一つ、心の中で決めた。

 

「じゃあ、次はわたしもあなたの戦うところ、ちゃんと見ないといけないわね」

 

玲霞はマスターだが、アサシンに魔力を回せていない。その玲霞でもアサシンにできることがあるのなら、タイミングを見計らって令呪を切ることしかなかった。

 

「え?」

「だってアサシン、あなた、とっさに動けない時もあるわ。そのときにはわたしが令呪を使わないといけないもの」

「それはそうですけど。手段はどうします?私と視界を共有したら、確実に酔いますよ。多分、暴れ象に乗るより揺れると思います」

 

その喩えは、残念ながら玲霞にはよく伝わらなかった。

 

「ライダーから、ユグドミレニアの人に頼んでみるの。反対は聞かないわ。アサシン、あなた、よそ見してセイバーに斬られたでしょう?」

 

痛いところを突かれたという風に、アサシンは気まずげに下を向いた。

アサシンは玲霞を戦いから遠ざけたいのだろう。しかし、玲霞もここまで沈んでいる恩人を放っておけるわけもない。マスターだからというより、人としてできなかった。

アサシンに会う前より、自分も変わった、と玲霞はふいに思う。

漂うように生きていただけなのに、異国の地で過去の英雄たちの戦いに参加しているのだ。半年前の自分なら想像すらしていなかったことだ。

それでも、河に流される藻のような生き方をするより、何かがしたい、と自分で思う今の方がなんだか心地よかった。

命のやり取りに参加してそう思う自分は壊れているのだろうけれど、悪いこととは思えなかった。

 

「止めても言っても無駄、ですか。……何で、私の周りにはこの手の人が多いんですか。運命なんですかなんなんですか。それとも何か私が前世でやらかした因果なんですか」

 

呪文を唱えられそうな勢いをつけて、凄まじい早口でぼやくアサシンは、それでもさっきよりはましな顔色になっていた。

多分、それはアサシン自身にも言えることなのだろうが玲霞はそれを指摘することは無く、ただアサシンに向けて柔らかく微笑んで見せるだけに留めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、説明してもらおうかの、ランサー」

 

シギショアラ、“赤”の陣の拠点の一角に設けられた王の間にて、 “赤”のアサシン、セミラミスは玉座の上から“赤”のランサーへと冷然と問いかけた。

玉座の横には、セミラミスのマスターであるシロウの他、“赤”のライダー、アーチャーが立ち、そこから数歩離れたところには髭を蓄えた伊達男、“赤”のキャスターが控えている。

アーチャーとライダーとが困惑かあるいは警戒の表情を浮かべているのをよそに、キャスターは喜びを隠せないかのように口の端を吊り上げていた。

彼ら全員の視線を浴びていても、セミラミスに対するランサーは泰然と佇んでいた。

 

「シギショアラで“黒”のサーヴァントがこちらのセイバーと交戦していた。様子を伺いに行ったのだが」

「それは知っておる。聞きたいのは一つじゃ。“黒”のアサシンをなぜ庇った?」

「懐かしい姿を見たからだ。道理を弁えていない行いだった」

「……ちょっと待て。それじゃあの“黒”のアサシンはお前の知り合いか?」

 

玉座の横から“赤”のライダー、アキレウスが割って入り、ランサーは頷いた。

 

「妻だ」

「はあ!?」

 

ライダーは絶句し、アーチャーは目を見開く。

 

「それはそれは!なんとまあ、因果なこともあったものですな!ランサー、そちらの願いは確か奥様の行方を知ることでしたな。聖杯を使うまでもなくそれが叶ったというわけですか!」

 

顔をしかめたのはアーチャーとライダー。

このキャスターは真名、シェイクスピア。世界で最も有名な劇作家であり、ろくに戦闘もこなせないと自分で言いのける上、煽るような台詞のような言葉を吐き続ける、ひたすらに騒々しいサーヴァントであった。

 

「しかし、肝心要の相手は“黒”のアサシン!闇に潜む暗殺者とは!吾輩も驚きですな!まさに『期待はあらゆる苦悩の元』!」

「……おい、いい加減にしろよ、てめぇ」

 

うるさくて敵わん、とライダーが低い声で言う。

セミラミスも、虫をはらうときのように手を振った。

 

「キャスターの戯言はどうでもよい。して、ランサー。あの暗殺者はこちらに引き込めるか?」

 

ランサーは首を振った。

 

「あり得ないだろうな。勝つためとはいえ、お前は彼女のマスターを害そうとしたのだろう?その時点で、彼女はお前を敵とみなしたはずだ」

「お主が言ってもか?愛する男の頼みならば、聞く気もあるのではないか?」

 

玉座に座り、傲然と言うセミラミスにランサーは静かな瞳で返した。

 

「彼女はオレの言葉如きで意思を曲げはしないだろう。加えて言うなら、お前のような者とは相性も悪い。ましてマスターを害されかけたなら、こちらにつくことは無かろうよ」

「では、ランサー。マスターの命令なら、“黒”のアサシンは聞くということですか?」

 

それまで黙っていたシロウが、口を開いた。

ランサーの鋭い目がシロウを見るが、シロウは臆することなく穏やかな薄ら笑いを浮かべてランサーを見返した。

 

「……“黒”の首魁の命令より、マスターの命令を優先させるだろう。そういう質の人間だ」

「なるほど、分かりました」

 

何が分かったというのか言わないまま、シロウは微笑んだまま引き下がった。

 

「それでランサー。汝はあのアサシンと戦えるのか?」

 

翠の衣装を纏った少女、アサシンと矛を交えた“赤”のアーチャーがぼそりと聞き、一同の視線がランサーへ集まる。

ランサーは淡々と感情を見せずに答えた。

 

「オレはマスターの槍だ。オレのマスターが聖杯を欲し、彼女のマスターも聖杯を欲するというなら戦うしかあるまい」

 

セミラミスやライダーが何かを言う前に、“赤”のキャスターが嬉々とした顔のまま口を開いた。

 

「おやおや、これは冷淡な夫婦もあったもの!決して破れぬ戦士の誓いというわけですか。アサシン殿にとっては、『これが最悪と言える事態は、まだ最悪ではない』とでも言えましょうか!」

 

しゃべり散らすキャスターに青筋を立てたのは、ランサーではなくライダーだった。

敵には残酷に振る舞うが、味方には義理堅く情の深い彼は、逐一傍観者を自負している道化じみたキャスターは気に食わない。

そこへもって、キャスターが軽々しく戦士の誓いなどと口にしたものだから、ライダーが苛立たし気に唸り声を上げるのも当然だった。

だがキャスターはその程度ではひるまず、ランサーもライダーの方を見ようとせずにキャスターに応じた。

 

「確かにその通りだろうな、雄弁な劇作家よ。オレも彼女も、他人からの信頼を裏切れないという気質の人間だ。オレたちがサーヴァントである限り、その在り方は変えられない」

「つまり、お主は我々を裏切らないということか?」

 

セミラミスは、細く白い指をランサーへと向けて問う。

 

「マスターがこちらの側に立ち、聖杯を欲する以上、オレはそのために動くだけだ」

 

能面のような顔でランサーは答えた。

アーチャーは頷き、ライダーは釈然としていない顔でランサーとセミラミスとを交互に見る。

 

「分かりました。いずれにしろ、これから起こる“黒”との全面対決では、あなたの相手は恐らくはセイバーということになるでしょう。ついては、アサシンの能力なりを多少なり教えて頂けますか?」

 

ランサーは腕組みをして、思い出そうとするかのように片目を軽く瞑った。

 

 

 

 

 

「……剣や弓だけを扱う戦士として計るなら、並みかそれより下だ。ただ、焔と呪術を自在に操る。生き残ることだけに専心するなら、高い能力を持っているな」

 

白兵戦を避け、マスターを狙ってくるアサシンのサーヴァントとしてなら、申し分のないほどだろうな、とランサーは付け加えた。

 

「左様か。しかしまあ、我のこの宝具なれば暗殺者の刃なぞ届かぬだろうよ」

 

冷然とセミラミスはそう言い捨てた。

 

「そりゃな。引きこもるための城なんぞ作った女帝サマから見りゃそうだろうよ」

 

ぼやくようにいうライダーに、セミラミスはにやりと笑う。

 

「何を勘違いしておる、ライダー。我の宝具、『虚栄の空中庭園』は立て籠もるためのものではない。攻め込むためのものぞ」

「は?」

 

これにはライダーだけでなく、ランサーとアーチャーも首を傾げた。

セミラミスの宝具の正体を知るキャスターは楽しげに笑い、シロウはセミラミスに呆れを含んだ眼差しを向けた。

セミラミスは愉快気に、鼠を前にした猫のように喉を鳴らして笑ってから告げる。

 

「ライダー、アーチャー、そしてランサーよ。明日には我らは宝具を用いて“黒”へと攻め入る。これまでのような小競り合いとは違う。我ら“赤”と、“黒”との全面対決だ。各自、それをゆめゆめ忘れるな」

 

わずかに疑念を浮かべながら、サーヴァントたちはそれぞれ賛同の意を示す。

アーチャーは、もう用は済んだとばかりに足早に立ち去り、キャスターは執筆のために設けられた書斎へと消える。セミラミスとシロウも立ち去ると、玉座の間にはライダーとランサーだけが残されていた。

泰然と佇むランサーにライダーは話しかけた。

 

「……ランサー。お前の言葉に俺は、偽りはなかったと分かっている。そのうえで一つだけ聞きたい。お前、本気であのアサシンに槍を向けられるのか?」

 

閉じていた片目を開け、ランサーは頷く。

ライダーは息を吐いて、硬い顔で告げた。

 

「一つだけ言っておく。お前は、あのアサシンと戦うと言ったが、情を移した相手を槍にかけるのは、ひどく堪えるぞ」

 

俺からはそれだけだ、とライダーは言い、立ち去る。

後にはただ、沈黙が満ちた。

 

 

 

 

 

 




原作が群像劇なのに、こっちが全然そうなってない。
と、ぐるぐる目で悩んでいました。開き直ってこのまま書きますが。





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Act-12


誤字報告してくださった方、ありがとうございました。










 

 

 

 

 

「ごめんっ!」

 

来る全面対決の準備のためにミレニア城塞を玲霞と訪れたアサシンの前に現れたライダーは、出会い頭に手を合わせた。

ミレニア城塞の門前で、玲霞は目を白黒させアサシンは首を傾げた。

主従揃ってどういうことかと聞くと、ライダーは申し訳無さげに言った。

 

「ボク、ヒポグリフで飛び出すときに“赤”のランサーがキミを庇ったって言っちゃってさ」

 

それで“黒”のランサーのアサシンへの敵意が高かったことをライダーは気にしていたらしい。

 

「ああ、それを……。ええと、気にしないでください」

「でもさ……」

 

それでも気にしたように眉を下げるライダーに、アサシンは淡々と返した。

怒っているのではない。アサシンはこれが素なのだ。

 

「……正直、戦いの最中で会うより良かったです。出会い頭に鉢合わせして凍っていたら、纏めて“黒”のランサーの宝具に刺されていた気がしますし」

「うわあ、やりそうだねぇ。あの王様だし。でもキミ、大丈夫なのかい?その、色々とさ」

 

ライダーに言われ、アサシンは玲霞の方をちらりと見てから、答えた。

 

「戦いからは逃げはしません」

 

そう、アサシンは言い切り、しかし直後に肩を落とした。

 

「でも正直なところ、私やあなたではカルナとは戦えません。拮抗できるとしたら、こちらのセイバー、ランサー、アーチャー、あとは“赤”のセイバーくらいでしょう」

「……やっぱりかぁ。うん、分かってたけどさ、そこまで言われたら凹むかも。でも万一はあるだろ?何か策とかない?」

 

アサシンは腕組みをして眉根にしわを寄せた。

 

「……ブラフマーストラを撃たれそうになったら、とりあえず逃げてください。あれは冗談抜きで、万象を等しく灰燼に帰します。弓術の奥義なので、今は恐らく……投げ槍か何かになっているでしょうが」

「いや、策じゃないだろそれ……」

 

がしがしと頭をかいたライダーは、ふと思いついたように玲霞に顔を向けた。

 

「そういえばレイカ、何で今日はアサシンと来たんだい?いつもは町で待機してただろ?」

 

それは、と玲霞が口を開きかけたとき、急に城の中へ向かおうとしていたアサシンの足が止まった。

鞭のような勢いで、アサシンは後ろ、正確に言うと暮れなずむ空を見上げた。

 

「アサシン?どうしたの?」

「……何か、魔力の塊が空から来ています」

「空?」

 

玲霞には目を凝らしても何も見えなかったが、手を目の上に翳したライダーは、むむ、と声を漏らした。玲霞には分からなかったのだが、ライダーは空を見上げ、魔力を感じ取って徐々に顔色を変えた。

何かとてつもない魔力を纏ったものが、空からミレニア城塞へと近付いてきていた。

 

「報告しましょう、まずはランサーとアーチャーに見極めてもらわないと」

「そうだね、じゃ、ボクはランサーに報告してくるよ」

 

ライダーは霊体化して消え、アサシンは玲霞を軽々と抱えて走り出した。

つまりこれから、すぐに戦いが始まるらしいと、玲霞はアサシンの心臓の音を聞きながらやっと認識する。

城の中にアサシンが入ると、すぐに眼鏡をかけた少年と白いドレスの少女とが駆け出してきた。アサシンと玲霞の姿を見、バーサーカーのマスター、カウレス・フォルヴェッジ・ユクドミレニアは指を突き付けて問うた。

 

「アサシン、何でお前がいるんだ、普通は城に入らないんじゃ……」

「不測の事態です、バーサーカーのマスター。“赤”が空から攻めてきたようです」

 

な、と口を開けた少年の前で、アサシンは玲霞を下ろした。

 

「非常時です。バーサーカーのマスター、私のマスターのことを頼めますか?」

「お、おう。って待て、お前はどこに行くんだ!?」

 

またどこへか走り去ろうとするアサシンに、カウレスは叫ぶ。

 

「“黒”のアーチャーに報告します」

 

言うだけ言って、小柄な暗殺者は消えていた。呆れた速さである。あとにはたおやかな女性が一人残される。

カウレスは困り果てて頭をかいた。

 

「……バーサーカー、とりあえずお前はアサシンを追っかけろ」

 

バーサーカーは返事のうなり声を上げてアサシンの走り去った方へ消えた。

 

「あとアンタ……ええと、六導玲霞だったか?アンタはついてきてくれ」

「ええ、分かったわ」

 

魔術師の巣窟に赴いて顔色も変えず、やや浮世離れした美しさを持つ玲霞の瞳から無意識に目をそらしつつ、カウレスも姉のフィオレの元へと足を向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“黒”と“赤”の対決が迫る中、ミレニア城塞へと向かう二つの人影があった。

一人はサーヴァント、ルーラー。真名、ジャンヌ・ダルク。

もう一人は、自ら自分にアッシュと名を付けたホムンクルスの少年。

ルーラーは召喚されて以来絶え間無く感じている違和感の正体を突き止めるため、アッシュはかつての自分と同じように魔力供給源とされている仲間たちを救うために、戦場へと向かっていた。

最初、ルーラーは戦場へ行こうとするアッシュを止めた。いくらアサシンの宝具が想像以上によく馴染み、常人以上に動けるようになったとはいえ、アッシュは優秀な魔術回路を持つだけの、一人のホムンクルスの少年でしかない。

同胞を見捨てられないとは言うが、そのためにアッシュが戻り、命を落としたら何になるのだ。生まれて間もないアッシュは、あまりに非力過ぎる。

しかし、少年は頑ななまでにルーラーの申し出を断った。

自分はライダーに助けられ、アサシンに癒され、命を繋げた。それでも、魔力供給源として搾取され続ける同胞を見捨てていては、どうしても生きていると思えないから、と。

かつて、神からの囁きのような啓示を受けた聖女に、彼は、自分は仲間たちの声無き声を捨てておけないと言い切った。

そして結局、彼はライダーから貰った剣とアサシンが造った環を持ってルーラーと共に戦場に赴いた。

その頃には、シギショアラからトゥリファスへと向かってくるものが何なのか、はっきりと誰の目にも捉えられるようになっていた。

 

「……あれは城、か?」

「そのようですね、それにしても何て大きさ……」

 

月すら覆い隠す、空飛ぶ空中庭園。それが“赤”の持ち出してきた宝具。あまりの異様さにアッシュは絶句するしかない。

ルーラーですら、そのあまりの規模に一時は呆けたように空を見上げるしかなかった。

二人が見ているうちにも、ミレニア城塞に近づき、動きを止めた空中庭園から骨のような何かが落とされる。それらは地に落ちると、骸骨の姿をした命無き傀儡、竜牙兵へ姿を変えた。

あれが“赤”の尖兵なのだろう。

ほぼ時を同じくして、“黒”側からも、武器を携えたホムンクルスやゴーレムたちが城から吐き出され、ミレニア城塞前の草原は、あっという間に兵隊同士が睨み合う、古色ゆかしい中世の合戦のような有り様になった。

アッシュは半ば無意識にライダーとアサシンの姿を探していたが、サーヴァントたちの姿はまだ捉えることができなかった。

彼の横で、ルーラーたるジャンヌ・ダルクは彼女の武器である聖なる旗を握り締めた。

 

「行きますよ、アッシュ君。くれぐれも私から離れないように」

「分かった」

 

暖かい焔の輝きを胸に宿し、冷たい銀の剣を握って少年は裁定者のサーヴァントと共に戦場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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城壁の上に立つアサシンは目の前の草原を見下ろしていた。

 

「ゥゥゥ……」

 

アサシンの後ろからは、バーサーカーのうなり声が聞こえる。白い花嫁衣装を纏った少女は、武器である戦鎚を手にして、空に浮かぶ巨大な空中庭園を眺めていた。

彼女たちから少し離れたところでは、青い服を纏い仮面を被ったゴーレムの造り手、キャスターであるアヴィケブロンも工房から出て戦場となる草原を城壁の上から見下ろしている。今、ミレニア城塞の城壁の上にはランサーを除くすべての“黒”のサーヴァントが集結していた。

 

「領土ごと攻め込んでくるとは、少々、予想外でした」

 

つい先ほど、自分のマスターであるフィオレ・フォルヴェッジ・ユクドミレニアを城の中に退避させた“黒”のアーチャーが言う。

フィオレは今頃、玲霞やカウレスと共に城から戦場を見守るために工房へ向かっているだろう。

今からは、マスターの立ち入れる規模ではない、サーヴァントたちの激突が始まる。

マスター同士の戦闘が無い以上、彼らは安全な場から戦場を俯瞰し、令呪を切ることが役目になる。尤も、戦場で本当に安全な場などあるわけもないのだが。

 

「うんうん、さすがにあれはビックリだよ!ああいう風に空飛ぶ宝具もあるんだね、アサシン、セイバー」

 

言葉のわりに恐れも見せないライダーは言う。大剣を背負い、佇むセイバーは一つ頷き、アサシンは空を見上げながら答えた。

 

「そうですね……。ヴィマーナのように速くは飛べないようですが……。あなたのヒポグリフなら行けますか?」

「あー、うん、たぶん行けるさ!……で、ヴィマーナって何だい?」

 

何と説明しようか、とアサシンが視線を宙にさ迷わせたとき、ふいに城壁の上に黒い粒子が集まり、人の形を取った。同時に、城壁の上に今まで空中庭園を観察していたらしいダーニックが降り立った。

 

「皆、揃ったようだな。言うまでもないが、これより戦のときだ。彼奴らは、我が領土に土足で踏み込み、あのような汚らわしいモノをまき散らした侵略者。―――――一人たりとも、生かして返すな」

 

びりびりとした殺気と王としての誇りが込められた宣言ののち、“黒”のランサーは戦の采配を始めた。

ホムンクルスとゴーレムの指揮をとるのは、ライダーとアーチャー。キャスターは捕えている“赤”のバーサーカーを、折を見て解放する。

“黒”のランサーも先陣を受け持ち、セイバーは“赤”のランサーを迎撃するということになり、そしてバーサーカーとアサシンには戦場をかき回せ、とランサーは命じた。

 

「バーサーカー。お前はアサシンの援護を受け、果てるまで戦え」

 

無言でうなずくバーサーカーとアサシンを見て、ダーニックはわずかに眉をひそめた。

バーサーカーはともかく、アサシンには不確定要素が多い。

ユグドミレニアの魔術師をマスターとしていないこと、真名を明かさないこと、おまけに“赤”のランサーの縁者であること。どう考えても、いつまでも身の内に飼っておいていい駒ではなかった。

故にダーニックは、適当なところでアサシンのマスターに強制的に令呪を切らせて、彼女の最大火力の宝具を使わせ、“赤”のサーヴァント諸共に自爆させようと考えていた。

彼はそれを非道とは思わない。元から、ダーニックにとっては自らのサーヴァントすら魔力を与えられなければ生きていけない使い魔、道具にしかすぎないのだから。

しかし、昨日、“黒”のアーチャーにそれとなく考えを匂わせたところ、ダーニックにとっては思いがけなくアーチャーは反対した。

どうやら、あのアサシンはそれなりに“黒”のサーヴァントたちからは信頼されてしまっていたらしい。

これは、ダーニックには誤算だった。

無理にあれを自害させれば、ホムンクルスの一件を引きずっているライダーやセイバーは間違いなくそれを快くは思わないだろう。

ライダーはともかく、最高戦力のセイバーの不興を買うのはダーニックとしては避けたい。

結局彼は、アサシンを放置するしかなかった。これで元の計画通りに、ユグドミレニアの魔術師がジャック・ザ・リッパーを召喚していれば思い悩むこともなかったのだ、とダーニックは、苛立たし気にバーサーカーと並んで戦場を見ている暗殺者のサーヴァントを見た。

 

「ダーニックよ、お前も城の中へ戻れ。ここから先は、我らサーヴァントの領分だ」

「……了解いたしました。領主よ」

 

それでも、ダーニックはそんな心中を一切表に出さず、恭しくランサーに頭を下げて城へ戻った。

その背中をアサシンは目で追わず、戦場を見下ろす禍々しき巨城を見つめる。

“赤”のランサーはあの空中庭園のどこかにいる、間違いなくいる。予感ではなく、アサシンはそう確信していた。

 

――――――これも因果だと、言ってしまえばそれまでのこと。

 

ただの巡り合わせの悪さだと、切り捨てることができれば楽なのだろうが。あいにく、アサシンはそこまで思い切りは良くなかった。

浮かびそうになったカルナの面影をひとまず胸の奥に鎮める。

カルナだけではない。“赤”にはライダー、アーチャー、セイバー、アサシンと、未だ姿を知らないキャスターがいる。

数だけで言えば、“赤”のバーサーカー、スパルタクスを従えた“黒”が上。しかし、アキレウスとカルナという人類史全体から見ても破格の英雄二騎を、“赤”は揃えている。

サーヴァント同士が戦えば、普通にこちらが不利だろう、とアサシンは考えていた。

それでも“黒”のランサーに退く気などない。アーチャーやライダー、セイバーやバーサーカーもそうだし、アサシンとて逃げようとは考えていない。

相手が誰であれ何であれ、立ち向かわないと何も得られはせず、死と敗北に逃げるわけにはいかなかった。

 

「では、先陣を切らせて貰おう。行くぞ」

 

そして“黒”のランサーは、キャスターが用意したゴーレムの馬に飛び乗るや、彼は猛然と突撃を開始した。その後に、セイバーが続く。

彼は城壁から飛び降りる瞬間、一瞬だけアサシンの方を見、アサシンは彼に頷きを返した。

よく戦ってほしい、とそういう意味を込めて頷いたのだが、セイバーはきっと読み取ってくれたと信じるしかない。

そうして、バーサーカーと共にアサシンもまた、城壁から戦場の草原へと飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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戦場へ駆けていく白いドレスの狂戦士と、灰色の暗殺者。

その様子を俯瞰している彼女たちのマスター、つまり玲霞とカウレスは、ミレニア城塞の中で同じ机を囲んでいた。

場所はカウレスと玲霞だけではなく、ユグドミレニアのマスターたちが揃っている部屋である。彼ら彼女らは、各々の魔術で自分のサーヴァントの様子や“赤”の動きを俯瞰していた。

魔術の使えない玲霞は、カウレスと同じ水晶玉を覗き込んでいる。

成り行きと勢いとはいえ、何で俺がとカウレスは内心思っていたが、幸い二人のサーヴァントは戦場でも行動を共にするらしかった。

 

「あんた、サーヴァントがそんなに心配なのか?」

 

じっと瞬きせずに水晶玉を見る玲霞にカウレスは思わず話しかけていた。

映像の中では、バーサーカーがメイスを振るって竜牙兵を粉砕し、アサシンが竜牙兵を斬り払い燃やす様子が見えていた。

 

「心配よ。あなたは違うのかしら?」

 

信じられないほど澄んだ目で返され、カウレスは言葉に詰まった。

彼も彼で、自分のサーヴァント、フランケンシュタインの怪物であるバーサーカーとは信頼関係を結んでいる。

できるならば彼女の願いを叶えてやりたいと思うほどに、彼はバーサーカーを道具以上の存在と捉えていた。

 

「……ああ、俺もさ」

 

カウレスは偽りなく素っ気なく答え、玲霞は小さく微笑んだ。

その様子をカウレスの姉であるフィオレは複雑そうに見たが、何も言うことは無かった。ゴルドやダーニック、キャスターのマスターであるロシェ・フレイン・ユグドミレニアなどは自分のサーヴァントたちに集中し、そもそも注意を向けていない。

ただこの時、玲霞やカウレスを見る目はまだあった。

水晶玉越しに、玲霞を獲物を狙う蛇のような目で睨むのは、冷たい美貌を持つ女黒魔術師、ライダーのマスターであるセレニケ・アイスコル・ユグドミレニアである。

黒魔術師のセレニケは、自分のサーヴァントであるライダーの天真爛漫で純粋なあり方に心奪われている。

しかしそれは恋慕や親愛といった類いではない。彼を虐げ、苦しむさまを見たい、自分の嗜虐的な喜びを満たしたいという妄執だった。

それをライダーは感じ取って辟易していた。

令呪があるから明確に逆らいはしなかったが、彼はセレニケを全く信頼などしていなかった。理由をこじつけては、アサシン主従のところにやって来たのも、彼女から離れておきたかったからだ。

しかしセレニケからしてみれば、ライダーが打ち解け親し気に会話し、それどころか彼が庇いもするアサシンとそのマスターは、忌々しい存在になった。楽し気にアサシンの話をするライダーを見るたび、セレニケの心は黒く染まっていった。

セレニケは、どうしてもライダーの苦しむ様子を見たかったのだ。聖杯などどうでもいいと、切り捨てられるほどに。

それには、ライダーが庇ったホムンクルスの少年か、あるいは暗殺者主従かを惨たらしく殺す様子を彼に見せればいいと、呪殺を生業にするセレニケは思いついた。

そこへきて、これまで町にいたアサシンのマスターが城へとやって来た。

暗殺者主従にとっては不運なこと、セレニケにとっては幸運なことに、“赤”の強襲で“黒”が混乱した結果、彼女はセレニケの手の届くところにいる。

誰にも気づかれていない悪意で、セレニケは魔術師としての牙をゆっくり研いでいた。

 

 

 

 

 

 

 




ブラフマシラスとブラフマーストラの取り違えを前話でやらかしていたので、修正しました。とんでもない間違いでした。すみません!
指摘してくださった方、ありがとうございました。

申し訳ありませんが、年末年始に伴う諸々でこれが恐らく今年最後の投稿になります。










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Act-13

本日二話目の投稿です。

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。
自分で推敲していても情けないことにあまりに抜けがひどく、本当に助かっています。







草原での戦いの初撃は、“赤”のアーチャーの宝具の開帳とともに始まった。

空中庭園から草原を見下ろしたアーチャー、ギリシア神話随一の女狩人アタランテは、身の丈ほどもある弓に矢を二本つがえる。

 

「我が弓を以て太陽神と月女神の加護を願い奉る――――――『訴状の矢文』!」

 

起動したアタランテの宝具は幾千もの矢となって草原へ降り注ぐ。ホムンクルスを刺し貫き、ゴーレムを破壊する矢の雨が終われば、次に草原に降り立つのは戦車を駆るライダー、アキレウスだ。

 

「我こそは“赤”のライダー!いざ、先陣を切らせて頂こう!」

 

駿馬に引かれた戦車は、ホムンクルスを轢殺しゴーレムを石ころのように打ち砕いた。

だが、“黒”側も反撃に転じる。

“黒”のキャスター、アヴィケブロンがゴーレムを流体にしてライダーの戦車を止め、“黒”のアーチャー、ケイローンは彼を一対一の戦いに誘い出し、これに乗ったライダーは森の中へと戦闘の場を移した。

次に飛び出たのは“黒”のランサー。彼は戦場をかき乱した女狩人を標的に選び、杭の群れを率いて襲い掛かった。

そうして、混沌とし始める地上に、空中庭園からさらなるサーヴァントが降り立つ。

身の丈以上の大槍を携えた白髪の青年、“赤”のランサーたるカルナは、草原を突っ切って自分へと近づいてくるサーヴァントの気配を探知した。

現れたのは、ランサーが数日前に矛を交えた“黒”のセイバー、竜殺しのジークフリートである。

 

「やはり、オレの相手はお前か、セイバー」

 

無言でセイバーは背からバルムンクを抜き、ランサーは大槍を構える。双方眼光鋭く相手を見据えているが、戦う前の高揚を二人ともが感じていた。

 

「こうして再戦の約束を果たせることを、幸運に思う」

 

マスターと話し合い、口を開くようになったセイバーは応じた。

 

「それはこちらの台詞だ。ランサー。こちらのライダーとアサシンのおかげで、俺は一つの答えを得られた。彼らがいたことは……俺にとっては幸運だった」

 

アサシン、と聞いてランサーの眉がわずかに上がった。そのわずかな動きをセイバーは見逃さなかった。

 

「ランサー、一つ聞きたい。あのアサシンは本当にお前の妻か?」

「そうだ。その様子では、彼女は隠し事ができていないようだな」

 

馬鹿正直にも、“黒”のランサーに向けて、自分は“赤”のランサーの妻だと言いのけたアサシンの姿をセイバーは思い出した。

そのアサシンも今頃は、“黒”のバーサーカーと共に草原のどこかにいる。

 

「オレからも一つだけ聞きたい。アサシンのマスターについてお前は何か知っているか?」

 

武器を相手に向けたまま、ランサーは問い、セイバーはそれが彼にとってはとても重要なことなのだと悟った。

 

「……俺は、多くは知らない。だが、元はこの争いに巻き込まれただけの女性で、アサシンが偶然に命を助けたと聞いた」

 

実際、セイバーはアサシンのマスターとは顔を合わせたことは無く、マスターのゴルドからの聞きかじりしか知らないのだが、それでもランサーはその答えを聞いて頷いた。

 

「そうか。それならば、彼女がマスターを守ろうと言うのも理解できる、か。……すまなかった、セイバー。余計な時間を取らせた。では、続きを始めるとしよう」

 

問答は終いだと、ランサーは大槍を両手で構え直す。

その顔は凍り付いた冬の湖面のように無表情だが、目は熾火のように静かに燃えていた。

セイバーもまた、バルムンクを正眼に構える。先の戦いでは決着がつかず、マスターには勝利を捧げると誓っている。負けるわけにはいかなかった。

何も言わなかったアサシンの碧眼を、セイバーはつかの間思い出し、しかし、次の瞬間には、施しの英雄と竜殺しは轟音と共に激突していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“黒”のバーサーカーの軌道は、地上を滑るようだった。

人造人間という彼女の出自をアサシンは知らないが、気配と匂いでバーサーカーが人間ではない、ということは感じていた。

それでも、敏捷値に秀でているのが暗殺者のサーヴァント。バーサーカーに負けず劣らずの速さは出せる。

竜牙兵を粉砕し、燃やしながら、二騎はサーヴァントを探して草原を駆けていた。

だが唐突に、“黒”のバーサーカーは草原を取り囲む森の方を見ると、そちらへと方向を変える。

 

「バーサーカー?」

「……ゥゥッ!」

 

ついてこい、という意味だろうと唸り声を解釈し、アサシンも彼女を追う。

森の木々を打ち倒しながら走るバーサーカーはすぐに止まり、追いついたアサシンはそこで一つの人影を認めた。

褐色の肌と白い髪、黒い神父の服と赤いストラを纏った少年が一人、戦場にいるとは思えない穏やかな表情を浮かべて立っていた。

 

「シロウ・コトミネ……!?」

「おや、覚えていましたか。“黒”のアサシン」

 

知っているのか、という風に“黒”のバーサーカーが、アサシンに向けて唸る。

 

「……彼は“赤”のアサシンのマスター、シロウ・コトミネ神父です」

 

では、“赤”のアサシンが近くにいるのか、と言いたげにバーサーカーがまた唸った。

 

「それは……分かりません。注意してください、バーサーカー」

 

アサシンは悔し気に答えた。気配遮断をされてしまうと、気配は読めなくなる。

だが、あろうことかシロウは首を振った。

 

「いいえ。我々のアサシンは戦場には来ていませんよ。今は―――――」

「左様!今のマスターの供回りは吾輩のみなのです!」

 

シロウの背後にひげ面の男が一人出現し、バーサーカーとアサシンは揃って武器を構えた。

 

「“赤”のキャスター?」

 

アサシンの呟きに、男は大仰に一礼した。

 

「如何にも。吾輩は“赤”のキャスター!お見知りおきを “黒”のアサシン、バーサーカー!特にアサシン、あなたにとってはこの状況はまさに『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ』!」

 

にやにやと猫のように笑う“赤”のキャスターの前に、シロウが立ちバーサーカーへ手を差し伸べた。

 

「フランケンシュタインの怪物。率直に言います。……我々の側に付きませんか?私はあなた方の願いを叶えることができます」

 

シロウはあっさりとバーサーカーの真名を告げ、アサシンとバーサーカーは共に武器を構えてシロウへの警戒心を引き上げた。

 

「おや。にべもない返事のようだ」

「そりゃそうでしょうよ、マスター。しかしいくらあなたとはいえ、サーヴァントを二体相手取るのは不可能。となればここは、吾輩の出番ですかな?」

「――――ええ、そのようだ」

 

シロウがバーサーカーを見据え、わずかに笑った。

その笑みに不穏な何かを感じたバーサーカーは跳躍して殴りかかり、だが急に動きを止めて棒立ちとなる。駆け寄ったアサシンは、バーサーカーの目から光が失われているのに気付いて、シロウとキャスターへ剣を向けた。

 

「バーサーカーに何をしたのですか!?」

「無駄ですよ、“黒”のアサシン。今、彼女は自分の過去を見ている。あなたの呼びかけ程度では正気には戻りません。では、改めてあなたにも提案しましょう。我々の側に来ませんか?」

 

何を言っているのだこの男は、とアサシンは単純に怒りを覚えた。

人のマスターを策に嵌めようとし、目の前でバーサーカーを幻術の中に捕えておきながら、どうして笑みを絶やさないままに仲間になれ、などと抜かすことができるのだ。

 

「そんなことお断りです」

 

穏やかだが淡々とした物言いの染みついているアサシンは、珍しく吐き捨てるように言った。

 

「おや。こちらに夫がいるというのにその反応。冷たい妻もあったものですな。これでは、施しの英雄も報われますまい!」

 

瞬間、アサシンは跳躍してキャスターへと斬りかかっていた。

だがあろうことか、甲高い音と火花と共に、その一撃はシロウの日本刀によって防がれた。

生身の人間が、サーヴァントの一撃を受けた驚愕にアサシンは目を見開き、反射的に警戒して後ろへ跳び退った。

 

「ふむ。これは気が短いですなあ。『喜怒哀楽の激しさは、それにより実力すらも滅ぼす』とも言いますのに!……聞けばあなたは、マスターの安全を第一に考え、自分の願いなど持たないとか?」

 

誰が喋ったかは言うまでもないのだが、アサシンが剣の柄を握る手に力が加わった。

 

「ここで吾輩はあなたに一つお教えしましょう。あなたは我々の側についた方がよろしい。何せ我がマスター、シロウ神父の願いは、全人類の救済なのであるからして!」

 

アサシンは思わずシロウを見た。

サーヴァントに直に相対しているというのに、神父は笑みを絶やさない。けれど、それはアサシンの知る、見る者を安らかにする笑みではなくて、すべてを受け入れ飲み込まんとする暖かな奈落の微笑みだった。

 

「そんな、有り得ない願いを聖杯にかけると?」

「いいえ。私が成そうとしている方法ならば、必ずや万人が幸福になれるのですよ」

「……ただ、膨大な魔力をため込むだけの器に、それだけの力があるわけがありません。もしそうだとしたら、あなたはどういう方法で人類を救うつもりなのですか?」

 

このとき、少しだけアサシンはシロウに、彼の雰囲気に気おされていた。

 

―――――もしそんな方法があって、それが本当なら。

 

そう願ったがゆえに、アサシンはシロウに即斬りかかるのではなく、話の先を促した。

そして微笑みながら、シロウはアサシンにその方法を告げた。彼なりの人類を救済するための手段、聖杯へかける悲願をシロウは真摯にアサシンへ説いた。

すべてを聞き、アサシンは一瞬だけ目を瞑る。

 

「……そう、か。あなたの信じる救済の答えはそれか」

「ええ。では答えを聞かせていただきましょうか、“黒”のアサシン」

 

アサシンは静かに首を振る。暗殺者のサーヴァントは、炯々と燃える目で少年を見据えていた。

 

「シロウ・コトミネ。あなたの願いを私は否定します。それは人類の救いにはなりえません」

 

シロウの眉がひそめられ、キャスターは面白がるように目を細めた。

 

「その願いで間違いなく救われるのは、きっとあなただけ。私からすれば、それはこの世すべてに向けた呪いの類です」

「―――そうですか。では、お前も私を阻む者となりますね、アサシン」

 

言うが早いか、シロウは手元から概念武装である黒鍵を召喚して、アサシンとバーサーカーへと放った。

アサシンは未だ動けないバーサーカーの前に出、殺到してきた黒鍵すべてを剣で危なげなく弾いたが、シロウとキャスターに後退を許してしまう。

何故か彼らをここで逃がしてはならないと、アサシンの直感が叫んだ。

だが、追おうと動いたアサシンは背中から殺気を感じて、とっさに右に上体を倒した。

直後、アサシンの頭があったところを、バーサーカーの戦鎚が通り過ぎる。

 

「――――ナ――――――オゥゥゥ!!」

 

バーサーカーの目からはそれまでの理性的な光が消えていた。まさに文字通りの狂戦士さながら、バーサーカーは鎚をアサシンへと振り下ろす。

 

――――幻術!?

 

キャスターの幻術はバーサーカーに過去を見せたという。幻術に囚われたバーサーカーには、アサシンが打ち倒す敵か何かに見えているのだろう。

 

「ゥゥゥゥゥァァァアアアァァァアァッッッ!!」

 

狂乱の叫びを上げながら、襲ってくるバーサーカーの戦鎚をアサシンは剣の柄でぎりぎりで弾いて跳ぶ。だが、鎚を受け止めた衝撃で腕がしびれ、剣を取り落としそうになった。

シロウと“赤”のキャスターとは、その隙に走り出していた。一目散というように彼らの姿は森の中へと消え去ってしまう。

アサシンはバーサーカーを倒すわけにはいかない。だが、咆哮を上げる狂戦士は止まりそうもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森から狂戦士の咆哮が響いていたころ、草原での戦場は一層混沌とした有様になっていた。

“黒”のキャスターの解放した“赤”のバーサーカーは、微笑みを絶やさないままサーヴァントたちの激戦を目指して歩き続ける。

ありとあらゆる攻撃を限界まで受けてから反撃する、という思考で凝り固まったのが、“赤”のバーサーカー、スパルタクス。

彼は無意識のまま、この聖杯戦争の一番の圧政者であるルーラーの元へと引き寄せられるように歩いていた。

サーヴァントたちがそこかしこで激突している草原に、ルーラーの後を追う形で飛び込んだ少年、アッシュは、自分たちへと近づいてくる小山のような大男の姿を見とめた。

微笑みながら、竜牙兵たちに斬りかかられながら、のそのそと歩いてくる大男に、少年はつかの間気を取られる。

 

「アッシュ君!」

 

ルーラーの叫びに考えるより先に体が反応し、アッシュは右へ跳んだが、足がもつれて竜牙兵の一撃が肩をかすめる。

直後、ルーラーの旗が竜牙兵を粉砕したが、アッシュの腕には浅くない傷が走り、血が流れていた。

だが、アッシュが首から鎖で下げた環が輝くと、即座に傷が癒される。

 

「アッシュ君、大丈夫ですか?!」

「……ああ」

 

青ざめ、駆け寄ってくるルーラーを手で制してアッシュは立ち上がる。

アサシンが彼に与えた道具は、彼女の予想すら超えて彼に適応していた。今では、アッシュは、自分の意志で環に込められた力を操ることができるようになっていた。

ホムンクルスのアッシュが持つのは、アサシンの魂の一部とでも言える宝具である。

そのつもりがなかったとはいえ、アサシンの宝具は、蓄積のない無垢なアッシュの魂に影響を与え、彼は乾いた地が水を吸う勢いで宝具を自分のものにしかけていた。

ともあれ、アッシュの命は宝具によって繋がれているのは間違いなかった。

 

「大丈夫だ、ルーラー。だがあの巨人はこちらに向かって来ていないか?」

「……ええ。彼の狙いは、ルーラーである私でしょう」

 

すでにはっきりと姿を視認できるほどに近寄ってきていたバーサーカーに視線をやったルーラーは、次の瞬間、空を振り仰ぐと、アッシュをいきなり突き飛ばした。

 

「ッッ!?」

 

一瞬前までアッシュのいたところに、空中庭園から放たれた魔術の光が炸裂する。

続けて放たれた光が一帯に降り注ぎ、アッシュは頭を下げて何とかそれをやり過ごした。

規格外の対魔力ランクを持つルーラーは魔術を逸らしたが、バーサーカーはなすすべなく光に焼かれる。

光が止んだ後、バーサーカーが消滅しているものと思ったアッシュは、彼が全身を襤褸布のような有様になっても命のあることに驚き、ついでその傷が凄まじい速さで塞がっていくことに気付いて、硬直した。

しかも、ただ塞がっていくのではない。バーサーカーの肉体はぼこぼこと膨らみ、傷が治った分だけ巨大化していた。膨れ上がり、倍以上の体躯となったバーサーカーは、ルーラーとアッシュに向け、あろうことか微笑みかけた。

 

「どうやら、あれがバーサーカーの宝具のようです。……アッシュ君、私は彼の相手をしなければならないようです」

「……分かった。俺は俺のやるべきことをやる。ここから先は別れよう、ルーラー。ここまでありがとう」

 

頭を下げた少年に、ルーラーは少しだけ痛ましげな目を向ける。

結局、彼女は死地へ飛び込む少年を止めることができなかったのだから。

仲間のホムンクルスを救いたい、自分を助けてくれたライダーとアサシンにもう一度会いたいという、アッシュの願い。だがそれは、叶えるにはあまりにも難しかった。この状況では、アッシュが生き残れるかも覚束ない。

だが、ルーラーが何かを言う前に“赤”のバーサーカーが剣を振り上げ、二人の元へ雄牛のように突進してきていた。

ルーラーとアッシュは、とっさに後ろへ跳ぶ。二人の間の地面にバーサーカーの巨大な剣が叩きつけられ、その余波で竜牙兵諸共アッシュは吹き飛ばされた。

剣によって分かたれた、ルーラーの紫の瞳とアッシュの赤い瞳が交錯する。

ルーラーはそのまま、アッシュからバーサーカーを引き離すように彼に背を向けて走り出した。バーサーカーはアッシュを見ることもなく、ルーラーの小さな背中に向けて前進していく。

走るルーラーへ向けて、牽制のつもりか空中庭園から次々と魔術が放たれ、彼女の姿もバーサーカーの巨体も巻き上げられた砂塵の向こうに消えてしまった。

これで自分は一人になった、とアッシュは思う。

震えそうになる体を励ますように、胸元の環は暖かく、手に握る剣は自分に正気を保たせるかのように冷たかった。

 

 

 

 

 

 




FGO一部が終わりましたね……。
色々感想はありますけど、ありすぎるので控えておきます。


謹賀新年的オマケのマイルーム会話集②

会話
「燃やすか治すか。詰まる所、私の得意なことってそちらなんですよね」

「真名は……いつか名乗りたいです。……ええ……本当に」

「何かお手伝いすることありますか、マスター?」

イベント発生時
「何かあるようですよ、マスター。見てきましょうか?」

カルナ所有時
「カルナとのコミュニケーションの取り方を知りたい?……むむ、前提としてあの人の言い方は大抵あなたを気遣っているものです。それだけを覚えておいて、後はノリでいきましょう」

アルジュナ所有時
「アルジュナ様がいると?でも、他のご兄弟はいないと?それなら、まあ、あの方ももう少し気楽になれるかと……」

エレナ所有時
「近代の魔術、とてもおもしろいですね。マスター、エレナさんと二日ほど語り明かしても良いでしょうか?」

アルトリア複数所有時
「同じ顔が何故こんなに……。一万六千人のアルトリアさんとかになりませんよね?」

ラーマ所有時
「ラーマさんって、私の知る人と全然…… いえ、何でもありません」

アストルフォ所有時
「どこかで会いました?今回はアサシンじゃないのかって?霊器を弄ればなれますけど……え、ならなくていい?」

シータ所有時
「久しぶりです、シータ。会えて嬉しいです。何ですって?無茶してないかって?してません、してませんから!」


以上、わりとダメマスター製造騎な会話集でした。



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Act-14

これまでになかった投稿ペースです。多分もう無理。
今後、学校再開に伴ってリアルがごたつく一歩手前なので、投稿できるときに投稿しておこうかと。



 

 

 

 

“赤”の弓兵と“黒”の領主、“赤”の騎兵と“黒”の弓兵、そして“黒”の剣士と“赤”の槍士とは、草原のあちらこちらで激突していた。

“赤”のアーチャーの矢は“黒”のランサーの杭によって防がれるが、ランサーは杭から杭へ飛び移るアーチャーを仕留めることもできないでいた。

“黒”のアーチャーの思惑に乗って、草原から森へ戦いを移した“赤”のライダーは、弓兵の正体が己の師であることに驚愕を隠せなかったが、それでも槍を振るって応戦していた。

そして、“黒”のセイバーと“赤”のランサー。

正面からぶつかり合った彼らは、当たり前のように辺りを吹き飛ばしながら激戦を繰り広げていた。

大槍が大剣の腹を撃ち、剣の切っ先が空へ向く。追撃しようとランサーが走るが、セイバーは剣から片手を離してランサーへ拳を振るうと、後ろへ跳び退って避ける。籠手でそれを打ち払ったランサーに、剣を持ち直したセイバーが突貫し、再び槍と剣がぶつかり合って、火花が飛び散った。

彼らがこうして戦うのは二度目で、そのときは時間切れという結末を迎えた。セイバーはマスターからの命令を破って、ランサーと再戦したいと告げ、ランサーはそれを受けた。

互いを尊重するほどに、彼らは相手を得難い好敵手と定めたのだ。

だからこうして戦うのは、彼らにとっては歓喜を伴うものだった。

セイバーもランサーも、戦い以外に背負うものはある。マスターとの約定、自分が聖杯にかけている願い、味方からの期待と、種々雑多なものが存在している。

だが、それを重荷とせずに闘志を燃え上がらせるのが、人を背負って立つ英雄だった。

まだ、どちらとも宝具を解放する機会はない。相手がそれを許してはくれないからだ。

剣と槍が熾烈にぶつかり合う戦場には、むろんホムンクルスやゴーレム、竜牙兵では近寄ることすらできない。

けれど何事も例外というのはいる。

アッシュという名の少年は、一人、彼ら二人の戦場に引き寄せられるように草原を走っていた。

ルーラーと別れてからここに至るまで、彼は出会ったホムンクルスたちに城へ撤退し、仲間の解放していくように告げて回っていた。彼の言葉を聞いてその通りにしたものも、そうしなかった者もいるが、それでもアッシュは仲間の何人かを戦いから逃れさせることには成功していた。

目につくホムンクルスの全員に呼びかけてからも、アッシュは戦場を走っていた。

彼の目的はまだ終わっていなかった。ライダーと、それにアサシンにもう一度会うという目的があるため、彼はまだ引きたくなかった。

駆ける方向を決めているのが、自分の意志なのか、分けられた宝具の影響なのか、彼自身にも分かってはいない。

ただ、アッシュはセイバーとランサーの戦いに程近い戦場を駆けて、その先にある森を目指していた。

遠目から見ても激しい戦いの側を通るときは、アッシュも足がもつれそうになった。殺気と闘気で肌が焼かれるかと錯覚した。それでも彼は歯を食いしばりながら、ただ足を前へ動かした。

白兎のような勢いで駆ける少年の胸元で光る宝具の欠片に、ランサーの目が一瞬向けられたが、彼はそれに気づくこともなく駆け抜けた。

森へ飛び込むと、戦場の音が少しだけ和らいだ。

アッシュは森を走り、木々が竜巻にでも遭ったように根こそぎにされている場所にたどり着いた。

根こそぎにされた中心にあるのは、二つの人影だった。

白い服を纏った少女は戦鎚を地に突き立てて地面に倒れており、もう一人、黒髪の少女はその横で大きく肩で息をしている。

アッシュの気配を感じたのか、黒髪の少女が顔を上げる。青空のような濃い色の碧眼が、大きく見開かれて驚愕の色に染まっていくのを、アッシュは不思議と落ち着いた気持ちで見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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戦場から離れたミレニア城塞の中、カウレスはため息を吐いた。

彼の手からは令呪が一画消滅している。たった今、“赤”のキャスターの幻術に惑わされたバーサーカーを止めるために使ったのだ。

目を覚まさせると言っても、カウレスが令呪でバーサーカーに止まれと命じ、アサシンがその隙に当身を食らわせてバーサーカーを気絶させるという荒っぽい方法だったのだが、背に腹は代えられない。

ただ令呪で正気に戻れと言っても、キャスターの宝具に打ち消されていた可能性もあったからの手段だった。

当身で狂戦士の意識を刈り取るということをやったアサシン。そのマスターは、カウレスの前で光っている水晶玉の中で大きく目を見開いていた。

視線の先には、白髪赤眼の少年が一人。バーサーカーが気絶するのと入れ替わりで現れた少年に、アサシンのマスターは大層驚いているようだった。

 

「誰だ、このホムンクルス?アンタの知り合い?」

「……このお城から出ていった男の子がいたでしょう。その子よ」

「え……。じゃあコイツ、あの騒ぎのときのホムンクルスか!?」

 

カウレスは横目で“黒”のキャスターのマスターであるロシェの様子を伺うが、幸い彼は気付いていないようだった。

小声に切り替えて、カウレスは玲霞に囁いた。

 

「何でそんな奴がいるんだよ。アンタ、アサシンに念話で聞いてみてくれよ」

「聞いてるわ。……ああ、アサシンたら相当キレてるわね」

 

水晶玉の映像の中で、アサシンは少年にずかずか近寄るとべし、と頭を引っ叩いていた。見ていただけなのに、カウレスは思わず首を縮める。手加減したのだろうが、相当に痛そうな一撃だった。

 

「で、何だって?」

「あの子、何かアサシンとライダーに会いたくて戻ってきちゃったみたいね。……アサシン、めちゃくちゃに怒ってるけど」

「そりゃそうだろう。で、どうすんだソイツ」

 

ユグドミレニアの魔術師としてなら、ホムンクルスの少年のことをすぐロシェに報告すべきかもしれないが、カウレスは不思議とそうする気が起きなかった。

 

「草原から離れなさいって、アサシンが言ってるわ。でも、全然聞こうとしないみたい」

「おいおい……」

 

変な奴、とカウレスは真っ先に思った。カウレスはてっきり、ホムンクルスは生きるためにここから逃げたと思っていた。なのに、今の彼がやっていることはまるきり正反対だ。

 

「ねえ、ちょっと」

 

急に話しかけられ、カウレスと玲霞は顔を上げる。

鋭利な刃物のような目をした“黒”のライダーのマスター、セレニケが二人を見下ろしていた。

 

「あなたのアサシンだけれど、バーサーカーがしばらく動けないのなら、私のライダーの補助に行ってくれないかしら?あの空中庭園に挑んで、叩き落されたダメージがひどいみたいだから」

 

ライダーはヒポグリフを駆って空から空中庭園に向かったが、あえなく魔術砲撃に撃墜されて、今はアサシンたちからさほど遠くないところに墜落したという。

 

「……分かったわ。アサシンに言ってみる」

「頼むわよ。暗殺者風情でも多少は戦えるでしょう。キャスターのとはいえ、宝具を受けたバーサーカーはしばらく下がらざるを得ないでしょうしね」

 

冷然と微笑みながらいうセレニケと、笑っていない目で柔らかく微笑む玲霞から、カウレスは目を逸らして水晶玉を覗き込んだ。バーサーカーに関しては、宝具に嵌ってしまったのは事実なので何も言えなった。

それにしても、ホムンクルスは結局どうあってもアサシンに付いてくるつもりらしい。ライダーのいる方向へと走り出したアサシンに、必死に顔を歪めながらもついて来ていた。

あの赤のマスターが勿体ぶってアサシンに言った『願い』も、カウレスには気の狂ったものにしか聞こえなかった。

そこへ来て、今度はホムンクルスが出現したときた。

いよいよややこしい、とカウレスは頭痛をこらえながら、戦況を見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャルルマーニュ十二勇士の一人、アストルフォは空駆ける幻獣ヒポグリフを所有している。一回アサシンもそれにお世話になっていた。

ヒポグリフがライダーいうところの『本当の力』を解放した場合、さぞすごいのだろうとは思っていた。

とはいえまさか、それでライダーが速攻で空中庭園に一騎で突貫したとは意外だった。

意外と言えば、アッシュと名乗ったホムンクルスの少年もそうである。

ミレニア城塞にわざわざ戻ってくるとは、とアサシンは頭を抱えたかった。

しかも、ライダーと再び会いたいの一点張りで、彼は絶対にアサシンから離れようとしないのだ。

彼は苦し気な顔ながらも、ライダーから与えられた剣を構えてアサシンの後ろについて走っている。そしてそれを可能にしているのは、アサシンの与えた宝具の欠片だった。

アサシンの宝具は、生まれつき彼女の魂にまで刻まれているような異能である。サーヴァントという魔力体になったことで、アサシンはその一部を引きちぎることができるようになっていた。

そして千切られたそれを肌身離さず身に付けていた無垢なホムンクルスは、亡霊などと比べれば巨大な魂の欠片を、自分の中に取り込んでしまったのだろう。

と、大体アサシンはそういう仮説を頭の中で組み立てた。

この考えが間違っていなかったなら、少年がここに帰ってきてしまったのは、アサシンのせいとも言えた。

 

「アサシン、どうかしたのか?」

 

アサシンの視線を感じたのか、アッシュが首を傾けた。

そのすきに襲い掛かって来た竜牙兵の下あごの骨を、アサシンは剣の柄で叩き壊し、振り向きざまに腹を蹴り飛ばして竜牙兵を骨の山に変える。見ていたアッシュは目を丸くした。

 

「いえ、何でもありません。アッシュ君。いいですか、ライダーに会ったならすぐここから離れてください」

「……分かった」

 

返事を聞いて、この子絶対に分かってない、とアサシンは直感した。

もう気絶させてどこかへぶん投げてしまおうか、と考えるがそれはそれで問題大ありだ。また“黒”のキャスターに攫われでもしたら目も当てられない。

アサシンやライダーがこの戦場という持ち場から離れられない以上、彼には自分の意志でここから離脱してもらうしかなかった。

竜牙兵を斬り飛ばし蹴り飛ばし燃やしながら、アサシンは進む。後ろのアッシュはそれを追うのに精一杯だった。走る合間にもアサシンは竜牙兵を薙ぎ払っている。小柄な彼女の蹴りで、竜牙兵は吹き飛び崩れる様子は異様だった。

姿形が何であれ、やはりホムンクルスや人間はサーヴァントとは決定的に違っていた。

その事実を噛みしめながら走るアッシュは、先の草原にサーヴァントを一騎見つける。

見覚えのある桃色の髪をした華奢な騎士は、あちこちぼろぼろのままアサシンたちに気付いて振り返った。

 

「あれ、アサシン?もしかしてボクの応援に来てくれたのかい?って……待って待って、後ろのその子、もしかして」

「ええ。あなたの考え通りですよ、ライダー」

 

ライダーの澄んだ瞳が、アッシュを見てこぼれ落ちんばかりに開かれた。

 

「え…ええー!!何でキミここにいるんだい!?」

「ライダー、気持ちは分かるのですが、落ち着きましょう」

「これが落ち着いていられるかってんだ!何でまた戻ってきてるのさ、バカァ!」

「……同胞のホムンクルスを助け、私たちにもう一度会いたかったそうですよ。そしてこれで、目的達成ですよね?アッシュ君」

 

分かりやすく混乱して怒るライダーと、目の据わっているアサシンに見られアッシュはこくんと頷くしかなかった。

それを見て、アサシンの瞳が一瞬緩みかけ、だが彼女はいきなりアッシュに突進すると、彼を抱え上げたかと思うと諸共に跳んだ。

 

「うそぉ!」

 

ライダーも叫びながら跳び、次の瞬間、三人がいた空間に、唸りをあげて真っ赤なスポーツカーが一台突っ込んできた。車は甲高い急ブレーキ音を響かせて止まる。

アッシュを抱えていたアサシンは、彼を地面に下ろした。その顔には焦りの色がはっきりと出ていた。

 

「アッシュ君、すぐにここから離れてください」

 

アッシュは思わずアサシンの横顔を見る。

 

「アサ――――――」

「早く!振り返らないで、走ってここから離れなさい!」

 

叱り飛ばされ、アッシュの足が後退した。

だが走り出す前に、車のドアが吹き飛んで中から少女が一人降りて来る。ライダーより小柄な金髪の少女だったが、彼女を見たとたんにアサシンとライダーは揃って顔を強張らせた。

つまりあの少女もまたサーヴァント。それも相当手強い敵なのだろう。

 

「どうすんのアサシン、あれ、“赤”のセイバーだろ?」

「そうですね、しかもものすごく戦意に溢れてますよ、彼女」

「ああ、ボクの直感が言ってるぞ。キミ、彼女に何かしたんじゃないのかい?」

「あなた、直感スキル持ってないでしょう……」

 

アッシュの前に立って、早口で言い合うアサシンとライダーに、金髪の少女は獰猛な笑みを向けた。

 

「テメエはアサシンと……ああ、ライダーか。いいぜ、雑魚二匹じゃオレの相手ができないってことを証明してやるよ。なあいいだろ、マスター?」

 

マスターとセイバーに呼ばれた巨漢は、仕方ないかと頷くと車でどこへか走り去る。

車が走り去ると同時、セイバーの瞳が、ライダーとアサシンの後ろに立つアッシュへ向けられた。ただ見られただけというのに、アッシュはそれだけで足が竦んだ。

 

「何だソイツ……?お前ら、そんな雑兵庇って何やってんだ?」

「いやまあ、ちょっとこっちにも事情があってさ。――――何してんだい、キミ、早く逃げなよ」

 

ぼそ、とライダーがアッシュを振り返って言った。

 

「しかし……」

「しかしも案山子もなしです。アッシュ君、早く行きなさい。あなたを庇っていると、私たちは確実に死にます」

「うへ、容赦ないなぁもう……。うんでもさ、アッシュ、ボクらはこのために呼ばれたんだから仕方ないけど、キミは関係ないんだから早く逃げなって」

 

キミが行く時間くらいは何とかできるからさ、とライダーは黄金の馬上槍を構え、アサシンも無言で剣の切っ先をセイバーへ向けた。

二人の視線の先には、すでに完全武装をして白銀の全身鎧に身を固めたセイバーがいる。そこから放たれる殺気に、アッシュの足は凍ったように動かなかった。

 

「いいから、行きなさい」

 

けれど、とん、とアサシンに肩をつかれ、それでアッシュの足は呪縛が解けたように後ろへ二、三歩下がった。

顔を上げれば、無表情のアサシンと仕方ないかという風に笑みを浮かべたライダーがいる。

多分、この二人ではあのセイバーには勝てない。それでも平気そうに立ち向かっていた。

自分にはそんなことどうしてもできない、とアッシュは思った。

一つ頭を下げ、歯を食いしばって少年は走り出した。

小さな背中が森の中へと消えていくのを見ながら、アサシンはほっと息をついた。

 

「アイツ、お前らの雑兵のホムンクルスだろ?逃がすとか馬鹿じゃねえの?大体ライダー、お前馬はどうしたんだよ」

「あはは、まあ、ボクらにも事情があってさ。あの子はそういうのじゃないんだ。でもキミの相手はボクらがするんだから、関係ないだろ。あと馬は……ちょっと今はお休み中なんだ」

 

それを聞いて、セイバーが兜の奥でにやりと笑った気がした。

 

「ああそうかよ。まあ確かに―――――ここで死ぬお前らには、関係ないよなァ!」

 

怒号と共に突っ込んでくるセイバーを、アサシンとライダーはそれぞれの武器を構えて迎え撃つことになった。

 

 

 

 

 




Apoアニメ化するようですね!
最っ高のお年玉でした。

あのハリウッドみたいな展開、どんな映像になるのか楽しみで仕方ないです。

で、これでApo編はFGO編の半分ほどの分を投稿。しかしまだ終わりはオケアノス(遥か先)状態。
今年も色々あるでしょうが、頑張ります。



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Act-15

人は言葉で分かり合えるのか、と尋ねられた。
その問いに、是と答えた。
だってもしそうでないのなら、私の人生に意味は無くなってしまう。







あちらこちらで轟音が上がる。

そこで杭が生まれて竜牙兵が串刺しになったと思えば、剣と槍が衝突したことで生じた爆風がゴーレムとホムンクルスをまとめて吹き上げ、地に叩きつける。

地上におりて各々戦っているサーヴァントたちの中で、混沌とした戦場を完全に状況を把握できている者はいなかった。

 

しかし、空中に浮かぶ大庭園に君臨する女帝だけは、何が起きているかを把握していた。

“黒”の首魁、ヴラド公は“赤”のアーチャー、アタランテを相手取っている。無限とも思える杭の物量を頼みに、ヴラドはアタランテを圧殺しようとしているが、俊敏さに優れたアタランテは防戦に徹することに決めたらしく、器用に立ち回ってなかなか隙を見せない。

“黒”の最高戦力、セイバーは“赤”の最高戦力たるランサーと互角に戦っている。こちらは互いに高い防御力を持っているせいで、千日手に陥りかけていた。周囲に破壊をまき散らしながら、彼らは戦場を駆けている。未だ止まる気配はなかった。

あやつらは仕方ない、とセミラミスは視線をまた別の場所へ移す。

激戦と言えば、森で戦っている“黒”のアーチャーとこちらのライダー、アキレウスもそうだ。最初こそアキレウスは自分の相手が恩師と知ってあからさまに動揺していたが、今は切り替えたのか獰猛な笑みを浮かべてアーチャーとやり合っていた。

ここからも、セミラミスは視線を逸らす。

森で再び動き出した“黒”のバーサーカーについては、放置した。

次に女帝が様子を伺うのは、“赤”のセイバーである。彼女が戦っているのは、“黒”のライダーとアサシン。二対一という状況だが、押しているのは完全にセイバーの方である。近接戦闘の面では全くセイバーには劣る“黒”二騎は、連携しながらセイバーの獰猛な剣戟を凌いでいる有様だった。

セミラミスは鼻を鳴らし、ライダーとアサシン目がけて庭園から魔術を撃ち込む。

それで二騎がどうなったかなどは確かめることもなく、セミラミスは自分の最も警戒するサーヴァント、ルーラーたるジャンヌ・ダルクへ視線を向けた。

ルーラーは“赤”のバーサーカーから執拗に攻撃されながら、一つの方向を目指している。恐らく、彼女には何がしかの勘が働いているのだろう。

彼女がその方向へ走り、まだ戦場に留まっているセミラミスのマスター、シロウの元へたどり着いてしまうのは、セミラミスにとっては不味い事態だ。彼の計画が綻んでしまう。

それは面白くない、とセミラミスはシロウへ念話を繋げた。

 

「マスター、そろそろ帰還せよ。ルーラーがお主に向かって真っすぐ進んでおる。見極めとやらは十分だろう」

 

神に自らの願いの是非を問うため、あえてシロウは試練として戦場に飛び込んでいた。

そしてシロウは、アサシンとバーサーカーを相手取り、かつ彼女たちをあしらった。これでもう、彼が己の行こうとしている道を疑うことは無いだろう。

 

『ええ。分かりました。では早急に』

「早くせい。竜牙兵でも我らのバーサーカーでも、ルーラーを止めるには役不足ぞ」

 

念話を切って、セミラミスはルーラーの行く手を塞ぐため、EXランクにも匹敵する魔術を次々撃ち込む。

しかし、対魔力スキルでもって自分を害そうとする魔術一切を逸らすことのできるルーラーには効果がない。むしろ、余波で追随しているバーサーカーの肉体が削られていた。

セミラミスは舌打ちをしかけ、だがふいにあることを思いついた。

彼女にはまだこの戦場で成すべきことがある。この空中庭園を利用し、ミレニア城塞に安置されている大聖杯を奪うことだ。そのためには、城の防壁を貫く攻撃を加えなければならない。

そしてセミラミスは、“赤”のバーサーカー、スパルタクスの宝具が何かを知っている。

彼の宝具をうまく使えば、あの面倒な城の壁を砕くことができるはずだ。

セミラミスはにやりと笑うと、眼下の“赤”の狂戦士へ魔術を降り注がせることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“赤”が手を変えてきた、とルーラーは敏感に感じとった。

先ほどから、ルーラーを邪魔するように降り注いでいた魔術が、標的を変えたのだ。

魔術砲撃が狙うは、先ほどからルーラーを執拗に狙って来ているバーサーカー、スパルタクス。

ルーラーは戸惑い、後ろを振り向いてその異様さに気付いた。

痛みへの呻きとも歓喜ともつかない叫び声をあげながら、バーサーカーは魔術にその身を焼かれている。焼かれながら驚異的な速さでバーサーカーは回復していき、その都度巨大化していた。

 

「オオオオオオオッッ!」

 

雄たけびと共にバーサーカーの持つ剣が地面に叩きつけられ、剣が地面を砕いた衝撃でルーラーは吹き飛ばされる。

竜牙兵に突っ込んで何とか止まったルーラーは、立ち上がってその姿に驚いた。

巨大化したのみならず、彼の姿は人と呼べないものになりつつあったのだ。

鞭のような腕が増え、足は自重を支えるために昆虫のようなものに変貌し、肩の肉がぼこぼこと泡立っている。ルーラーが見る間に、そこから目玉と肉食恐竜そっくりの顎が飛び出した。

その目がすべてルーラーをねめつける。

これが“赤”の狙いか、とルーラーは思う。ここまで対処しきれないような怪物となり果ててしまうと、これまでのようにあしらいながら進むことは難しくなった。

この草原を駆けたに何かあると、啓示のようにルーラーに囁く声は聞こえている。が、これでは立ちはだかるバーサーカーをどうにかしなければ先に進めず、調停者たるルーラーはバーサーカーを滅ぼせない。令呪の縛りすら、あのバーサーカーは振り払ってしまうだろう。

嵌められた、と思いつつルーラーは聖なる旗を構えて、眼前のバーサーカーに向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空から降り落ちる魔術砲撃に気付いたのは、何の偶然かアサシンとセイバーよりライダーが先だった。

アサシンには、ライダーや“赤”のセイバーのような対魔力スキルはない。対魔力ランクAのライダーですら成す術なかった砲撃に飲み込まれれば、アサシンはただでは済まない。

ライダーは咄嗟に、アサシンの腕を掴み怪力スキルの膂力で彼女を投げた。

 

「ッッッ!!」

 

竜牙兵やら何やらを巻き込みながら、アサシンは何十メートルも吹き飛ぶ。

だが、避けそこなったライダーは砲撃に飲み込まれた。

ライダーは地面に叩きつけられ、セイバーは砲撃の範囲から外されていたが爆風でたたらを踏んだ。

 

「くそっ!誰がやりやがった!」

 

セイバーであるモードレッドは邪魔をされた怒りに燃えて、空中庭園を睨みつける。こんな横槍は間違いなくあの毒婦、“赤”のアサシンだとセイバーは直感した。

腹が立ったが、眼前にいた鬱陶しい敵はおかげで二人とも倒れた。

アサシンは戻ってこず、“黒”のライダーはセイバーの目の前で気を失って倒れている。

対魔力Aとはいえ、ダメージの抜けきらないうちに二度も規格外の魔術攻撃を受けたライダーはさすがに限界を迎えていた。

あの“赤”のアサシンに助太刀されたのは忌々しかったが、ここでライダーを見逃すこともない。

 

「じゃあな雌犬。あばよ」

 

大剣を逆手に持って、セイバーはライダーの心臓に狙いを定める。

それを高々と掲げたセイバーの耳が獣のような叫びを聞いたのはその時だった。

 

「ナァァァオオオオオゥゥゥゥッッ!!」

 

戦鎚を構え、セイバーへ突貫してくるのは“黒”のバーサーカー。

反射的にセイバーは飛びのいて、近づいてきたバーサーカーの一撃を避ける。

 

「チッ!」

 

雑魚ばかりがどうして湧いてくる、と思いながら、セイバーはがむしゃらに突っ込んでくるバーサーカーを蹴り飛ばした。

バーサーカーはあえなく吹き飛ばされ、ライダーの横に叩きつけられる。

その衝撃でライダーの意識が覚醒した。

 

「ば、バーサーカー!?」

「……アゥ!」

 

跳ね起きたバーサーカーは、とっとと起きろとばかりにライダーの鼻先すれすれに戦鎚をどすんと突き立てる。

 

「ひゃあ!危ないじゃないか、バーサーカー!」

「ゥゥウッッ!」

 

バーサーカーは唸りながらライダーを横目で睨んだ。

勘の良いアーチャーかアサシンならこの言葉も分かるんだろうなぁ、とライダーは残念に思う。

だがその感情は、ギロチンのように振り下ろされたセイバーの剣によって断ち切られた。

 

「チッ。ああもう、お前らさっさと死ねよ」

 

間一髪で左右に避けたライダーとバーサーカーに、セイバーはぎらつく目を向けた。

 

「そういう訳にもいかないよ。もうちょっと付き合ってくれってば。――――――そういうわけだ。行くよ、バーサーカー」

「オウッ!」

 

暗殺者と狂戦士が入れ替わって、“黒”の二騎は“赤”の剣士と相対した。

だが二度も魔術砲撃を受けた傷の癒えていないライダーと、アサシンほどに白兵戦の技術や、人を補助する術のないバーサーカーとでは、すぐに“赤”のセイバーに押し込まれ始めた。

ライダーの持つ黄金の槍は、傷をつけた相手を転倒させることができる。その効果はセイバーにも適用されるが、当たらなければどうしようもない。

槍の効果など知らないはずのセイバーは、アサシンと同じく直感スキルでもあるのか、ライダーの持つ槍を巧みに躱し続けていた。

これやばい、と思いながら、自分で投げ飛ばした暗殺者の帰還を願いながら、ライダーは恐れることなくセイバーに何とか食い下がっていた。

 

「チョロチョロと……うざいんだよ!」

 

追い詰められているはずなのに笑みを絶やさないライダーに、セイバーはついに激昂すると魔力放出でもって襲い掛かった。

バーサーカーがセイバーとライダーの間に割り込もうとするが、セイバーは彼女に目を向けることすらせず、籠手で殴り飛ばした。鈍い音と共に、華奢な彼女は砂塵の向こうへ消えた。

 

「バーサーカー!」

「人の心配してる場合かよ!」

 

斬撃が繰り出され、ライダーは槍を走らせてそれを受け止める。

だが、どう考えても勝てそうになかった。一撃受けるだけで槍を持つライダーの手は痺れそうになり、セイバーの力はどんどん増していく。

死ぬのはどうせ二度目だから怖くない。ただ、負けるのは悔しいとライダーは思う。あのホムンクルスの少年に、十分に逃げるための時間は稼ぐと啖呵を切ったのは自分だ。

 

『ライダー、撤退よ』

 

突如、冷然としたマスターの声が頭の中に響いた。

 

『そのセイバーは難敵よ。それに今とってもまずいのが現れたの。そこにいると、あなた死ぬわよ』

 

どこか面白がるようなマスターの声の響きを、嫌だなとライダーは思う。

 

『バーサーカーもたった今撤退したわ。早くしなさい』

「……了解」

 

根性でセイバーの一撃をはじき返し、何とかライダーは後ろに下がる。

だがセイバーは追撃してこず、不思議なことに剣を下ろした彼女は忌々し気にライダーを睨む。

 

 

「……勝負は預けた。マスターが撤退しろとさ。だが覚悟しろよ、ライダー。お前もバーサーカーもアサシンも、まとめてオレに殺されろ」

 

舌打ち一つで、セイバーは霊体となって消え失せた。

どういうこと、と辺りを見回したライダーは、ふと草原に屹立している小山のような物体を見つける。

 

「何、あれ……?」

 

呆然としたその呟きには、誰も答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――誰かに呼ばれている。

 

必死に切実に、戻って来てほしいと叫んでいる。

 

――――――でも呼ばれ方が、わたしの知ってるのと……違うな。

 

それが何故だか無性に寂しくて、かといって泣くための涙は、せき止められたように出て来なくて―――――。

 

『起きて!』

 

水の底から浮き上がったときのように、アサシンの耳に周囲の物音が徐々に戻って来た。

 

『アサシン、起きて、立ち上がって!』

 

玲霞の声がした、と思ったとたん、アサシンは殺気を感じて横に転がる。

直後、アサシンのいたところに何十体もの竜牙兵の槍と剣が振り下ろされた。

それらすべてを焔で灰にして、アサシンはようやく念話をしっかりと繋げた。

 

「……レイカ?」

『後ろ!まだ敵がいるわ!』

 

振り返ったアサシンの後ろには小山のような『何か』が存在した。

ぎちぎちと音を立てる頭が複数ついた上半身と、大量の足。岩すら砕くような鞭に腕を持つ、化け物としか呼べない怪物。

これは何、とアサシンの思考に空白が生まれる。

 

「“黒”のアサシン!その場から離れなさい!」

 

凛とした声が響き、凍り付いていたアサシンは弾かれたように動いた。

八本もある丸太より太い腕を振り上げた怪物の横を、アサシンは何とかすり抜ける。

その先にいたのは、金髪に紫の瞳をし、鎧をまとった少女だった。明らかにサーヴァントである。

 

「“黒”のアサシン!私はルーラー、ジャンヌ・ダルク!敵対の意志はありません!」

 

叫びつつ、ルーラーは無茶苦茶に振り回される怪物の腕を避けた。

 

「ルーラー、これは!?」

「あれは“赤”のバーサーカー、スパルタクスです!」

 

アサシンが唖然とする間もなく、彼女とルーラーの間に“赤”のバーサーカー、スパルタクスの剛腕が振るわれて大地が竜牙兵を巻き込んで割れた。

 

「何てこと……」

「同、感、ですっ!」

 

スパルタクスの一撃を旗で弾き返しつつ、ルーラーは叫んだ。

アサシンには状況は分からない。分からないが、恐らくこちらが捕えていたバーサーカーは暴走して、中立のルーラーに襲い掛かったのだろう。

そしてそこへ、自分はライダーに投げられて、バーサーカーにルーラーとまとめて敵と認定されてしまったらしい。

これはあれか、幸運値のせいかとアサシンは頭を抱えたくなった。

怪物そのものになったバーサーカーは、地面を駆けまわるサーヴァント二騎を叩きつぶさんと笑いながら向かってくる。独楽鼠のようにくるくると立ち回りながら、アサシンは一撃当たればそれだけで体が消し飛びそうな一撃を避け続けた。

おまけに、空からは邪魔をするように魔術攻撃が次々着弾してくる。

自動的に回避できるルーラーはともかく、一撃でもまともに当たればアサシンならば致命傷になる。

当分応援には戻れそうもない、とアサシンはライダーに詫びつつ、ルーラーと共に狂戦士を見据える。

 

「雄々々々々々々々ッ!」

 

狂戦士は吼えた。

肥大し続け異形となった彼は、最早今の状況すら捉えられていない。

ただ分かるのは、自分の目の前に聖杯戦争最大の圧政者であるルーラーがいるということだけだ。

スパルタクスにとって、圧政者はすべて倒さねばならない。良い悪いではなく、それが彼にとって絶対の生き方なのだ。

他人から見れば、理解しがたい信念で一途に動く人間。

そういう人間はどちらかというとアサシンには好ましい。好ましいのだが、殺されるわけにはいかなかった。

だがそのとき、アサシンは地面に散らばった竜牙兵の骨を踏んで、ぐらりと体勢が崩れる。

しまったと思う間もなく、バーサーカーの鞭となった腕の一本が、胴に叩きつけられる。

小柄な体は毬のように跳ねて、直線上にいたルーラーを巻き込んで吹き飛んだ。

二人は揃って、草原に転がるゴーレムの残骸に背中から叩きつけられた。

 

「ぐ……」

 

離さなかった剣を杖にしてアサシンは立ち上がり、ルーラーも聖旗を支えにバーサーカーを睨んだ。

そしてそれをあざ笑うかのように、空からまたも光線が降り注いだ。バーサーカーはそれを笑いながら全身で受け止め、同時に動きを止める。

大地が、不穏に揺れ始めた。

 

「宝具が解放されます!逃げなさい、アサシン!」

 

バーサーカーの宝具を知るルーラーは、思わず叫んだ。

 

「あなたは―――――」

「私はこれを何とか耐えられますので、ご心配なく」

 

紫の瞳と青の瞳が一瞬交わり、青の瞳が逸らされる。

 

「分かりました。では」

 

言って、アサシンは霊体化して消え失せた。

これでこの戦場にいたサーヴァントはすべて、バーサーカーの宝具の範囲から逃れたことになる。知覚能力でそれを悟ったルーラーは、宝具たる旗を両手で構え、怪物と一対一で対峙した。

バーサーカーの体から光があふれ始める。ついに彼は宝具、『疵獣の咆哮』を解き放ってルーラーへ渾身の一撃を放つのだ。

空中庭園からの攻撃にさらされ続け、ため込まれ続けた魔力のすべてをスパルタクスはここに開放した。

一方のルーラーは生身の人間に憑依するという特殊な状態で現界している。つまり、もう逃げても間に合わない。

それならば、迎え撃つしかない。そのための手段はルーラーにはあった。

 

我が神は(リュミノジテ)――――――」

 

聖なる光を放ち始めた旗を構え、ルーラーは宝具の真名を高らかに謳い上げる。

 

ここにありて(エテルネッル)!」

 

規格外の対魔力スキルを変換した聖女の護りと、狂戦士の一撃は真正面から衝突した。

光が溢れ、何もかもが白く染まる。音が消え、不気味な静寂が一瞬訪れる。

歯を食いしばり、前を向いて光の波にルーラーはただ耐える。そして、彼女が耐えきったその後にはバーサーカーの巨体は一欠けらも残っていなかった。

旗を地面に突き立て、ルーラーは辺りを見回す。

バーサーカーの一撃で、ホムンクルス、ゴーレム、竜牙兵が入り乱れていたはずの草原は、更地と化していた。魔術で守られていたミレニア城塞すら、半ばから崩れている。

その威力にルーラーは瞠目し、だがすぐに目を開けて空を見上げる。

瞬く星々を押しのけ、禍々しいほどの大きさで空に君臨する空中庭園が、ミレニア城塞へと接近を開始したのだ。

 

 

 

 

 

 




戦場が混沌になりまくる話 。
すべて書き捌く原作者の方はホントすごい……。


あらすじに一部追記しました。
あれじゃあまりに言葉足らずだろ、との電波を受信しまして。


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Act-16

誤字報告してくださる方、本当にいつもありがとうございます。

ではどうぞ。


 

自らの信念を貫き通して狂い果てた、異形の巨人が爆散した。

当然だが、“黒”のセイバーと激戦を繰り広げていたカルナは、異常な魔力の高まりは察知していたから、バーサーカーの爆発には巻き込まれなかった。

が、数騎のサーヴァントは、何故だか爆発のぎりぎりまでバーサーカーの近くに留まっており、一度カルナが抹殺に赴いたルーラーに至っては、何と巨人の宝具を正面から受け止めた。

しかし、ルーラーは彼女の宝具によってバーサーカー渾身の一撃を耐え抜いたのだ。

草原に一人立つルーラーを見て、救国の聖女とはああいう者をいうのか、とカルナは思う。

カルナにとってよく知った気配の持ち主もまた、あのルーラーの近くに爆発の寸前まで留まっていた。戦う者としての自分の技量の程などよく知っているはずなのに、何故勝てないだろうあの異形の巨人に挑んでいたのか不思議だった。

おまけに、一瞬だけ姿を垣間見たホムンクルスも気にかかる。彼からは間違いなく、『焔』の気配がした。

大方、『彼女』は自分の宝具の一部を切り裂いて与えたのだろう。カルナには、その理由も想像できた。

『焔』の持ち主は、子どもが辛い目に遭うことには耐えられない質だった。だから、あの無垢なるホムンクルスを子どもと見てしまって、彼に護りを与えたのだ。

そんな考えなど、ホムンクルスを尖兵にしている“黒”として戦う以上、枷にしかならないと知っていながら、『彼女』はそうしてしまったのだ。

 

―――――その甘さ、変わっていないな。いや、()()()()()()()

 

加えて、宝具を人に与え、自分が弱くなればどうするのだろうかと思う。

しかし、遠い日の泣き顔がよぎり、全く以て自分に言えたことではなかった、とカルナはそこで思考を打ち切った。

何はともあれ、ここまでの戦いでサーヴァントの被害は、あの“赤”のバーサーカー一騎。

ミレニア城塞は半壊してしまったが、“黒”のサーヴァントたちは一騎も欠けることなく草原に散っており、一方のセイバーとバーサーカーを除く“赤”の面々は空中庭園へ戻っていた。

彼らを招集したのは玉座に陣取る女帝、セミラミス。

 

「ふむ、皆揃うたか。結構。それではこれより、我はあの城から聖杯を奪う。お主らには、その邪魔をしてくる“黒”のサーヴァントどもを相手にしてもらおうか」

 

尊大で有無を言わさない口調で、セミラミスは微笑む。

 

「それはいいんだが女帝さんよ。奪うったってどうするんだ?」

 

ライダー、アキレウスが胡散臭そうだという目をして聞く。

ヴラドを相手取っていたアタランテは、カルナと同じく何も言わなかったが、訝し気ではあった。

彼らとは逆に、種を知っているセミラミスのマスター、シロウは微笑み、シェイクスピアは玩具を前にした幼子のように目をきらめかせている。

 

「見ておけば分かるさ。我が宝具、『虚栄の空中庭園』があれば、そのようなことは造作もないのだ。しかと目に焼き付けよ、矮小なる魔術師どもよ。――――これが、我が魔術の真なる領域だ」

 

セミラミスの言葉と共に、空中庭園から竜巻が生じる。

竜巻はミレニア城塞へと接続し、膨大な魔力の塊を引き寄せだした。

言った通り、彼女はミレニア城塞の奥深くから聖杯を引きずり出すのだ。じわりじわりと姿を現し始めた大聖杯に、サーヴァントたちは皆驚愕した。

何しろ万能の願望器なのだからそれ相応のものだとは思っていた。が、予想よりずっと聖杯にため込まれた魔力の密度は異常だった。あれなら確かに、ありとあらゆる願いを叶えるかもしれないと思うほどに。

今よりはるかに神秘色濃い神代に生きていた三騎士ですらそう感じたのだから、近代に近いシェイクスピアに至っては興奮しきりだった。

だが、魔術を操っている当のセミラミスは、面倒そうに舌打ちをした。

 

「……完全に霊脈と癒着しておるな。引きはがすには手間がかかる。そら、サーヴァントどもが来るぞ、迎え撃つのだ」

「汝などに言われるまでもなくそのつもりだ」

 

天穹の弓を携えてアタランテは玉座の間から走り去り、アキレウスもその後に続く。

槍を手にしたカルナも半歩遅れて動こうとして、セミラミスに呼び止められた。

 

「ランサー。一つだけ言ってやろう。ここはルーマニアではない。それに留意して存分に戦うがいい。存分にな。敵を撃ち漏らすなよ」

「……無論だ」

 

その間にも、地上に顕現した太陽に匹敵するような高魔力が、ミレニア城塞から庭園へと引き寄せられている。

“黒”のサーヴァントたちも驚きはしたようだが、次々空中庭園へと向かってくる。

生まれてこの方、戦士である自分は来る戦いに憂いを抱いたことは無い。が、この一瞬だけ見えないで済むならそうしたいと思ってしまう敵もいるものなのだと、カルナは初めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ驚いた、と単純にアサシンは生き残った事実に感謝した。

ルーラーの指示に従い、霊体化して“赤”のバーサーカーから離れなければ爆発に飲み込まれていただろう。

アサシンは自分が打たれ弱いことは知っている。怪我を治すことは得意でも、体が人間の範疇をはるかに置き去りにして頑丈というわけではないのだ。

おまけに情けないことに、アサシンは鎧や盾や、そういう道具を使いながら戦うと力がないせいで動きが鈍くなってしまう。

半分はヒトでないからか、生前から並みの男よりはよほど頑丈にできていたが、さすがに戦場から離れたミレニア城塞すら壊したスパルタクスの宝具を食らえば、間違いなく塵になっていただろう。

そう、ミレニア城塞は半ば壊れかけて、とそこまで考え、アサシンは泡を食って念話を繋げた。

 

『マスター、マスター!無事ですか!?』

『……わたしは無事。他のマスターさんたちもみんな平気よ。ライダーのマスターだけここにはいないけど、生きてはいるようよ。アサシンは大丈夫?』

 

ひとまず耳慣れた玲霞の声に安堵する。

彼女がユグドミレニアの魔術師と共にいた部屋は何とか破壊を免れた。今のところ、ゴーレムは根こそぎガラクタになりホムンクルスもほとんどが命を落としたが、サーヴァントは皆無事ということは確認された。

ライダーのマスターは確か、セレニケとか言う黒魔術師だった。どうしてこの状況で城から離れるのか気にはなったが、それよりも重要なことがあった。

 

『私は平気ですが、そちらへ戻った方がいいですか?』

『そのことなんだけどね、今、フィオレって子から言われたの。……あなたには空中庭園へ向かって欲しいって』

『……了解です』

 

念話を切り、見上げた空に浮かぶは、月の煌めき犯す巨大庭園。

正直なところ、ごてごてとした装飾をたくさんくっ付けていて悪趣味だと思う。空中庭園に邪魔されてしまって、星々がよく見えないのも嫌だった。それに美しさで言うなら、昔に見た都の宮殿の足元にも及ばない。

 

――――――ああ、自分は目を逸らしている。

 

空中庭園に控えるは六騎の“赤”のサーヴァント。

その中に誰がいるか、そんなことはとっくに分かっている。

それでも行かないと、結局のところ何も始まらない。

 

――――――行こう。

 

背中、肩の骨の辺りに体中の熱を集めた。自分ではよく見えないが、今アサシンの背中には青い焔が翼のように生えている。本当に、自分の宝具は自由な使い方ができて良かった。

一つ羽ばたくと、アサシンの体は浮き上がった。これなら空中庭園まで届くだろう。

よし、とアサシンは呟き翼を広げて飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“黒”のサーヴァントたちが空中庭園へ到達する。

“黒”のランサー、アーチャー、セイバー、キャスターは、ほぼ四騎同時に空中庭園へたどり着いた。未だバーサーカー、ライダー、アサシンたちはたどり着いていなかったが、彼らの到着を待つ余裕など“黒”側にはなかった。

こうしている間にも、刻一刻と大聖杯が城塞から引きはがされつつあるのだ。

悲願を抱いて参戦した彼らにとってもマスターにとっても、正しく一大事だった。

“黒”のサーヴァントと対するのは、“赤”のアーチャー、ライダー、ランサー。そして竜牙兵たちだ。

場所を庭園へと移ったものの、彼らは草原での戦いと同じように戦いを始めた。

だが、そのうちの一騎、“黒”のランサーたるヴラド、知名度の恩恵を最も強く受け、“赤”のアーチャーを圧倒していた彼は、自らの異変に気付いた。

力が先ほどのように出ないのだ。地上での“黒”のランサーを十とするなら、今の彼は六割の力しか出すことができない。

彼は知らぬことだったが、空中庭園はセミラミスの領域でそこに踏み入ったサーヴァントは、セミラミス以外知名度による恩恵を奪われる。

元から知名度がない例外は別として、大概のサーヴァントは弱体化するのを避けられない。

ルーマニアでの護国の王という歴史と人々の畏怖の念を、一級のサーヴァントにも匹敵するステータスという力に変えて、“黒”のランサーは戦っていた。それがなくなってしまえば、彼は格段に力が落ちる。

ヴラド公は人を統べる者であって戦う者ではない。だから、生涯を狩りや戦いに身を置いていた戦士のサーヴァントとぶつかれば、どうしても旗色が悪くなるのは当然だった。

 

「どうした串刺し公、以前のようにはいかぬのか?」

「ほざけ……!」

 

それでも、“黒”のランサーは杭を射出して“赤”のアーチャーを狙う。アーチャーは、弓でそれを打ち砕いて矢をお見舞いする。ランサーは杭を盾のように召喚して飛来する矢を防ぐが、その守りすら先ほどと比べると勢いに欠けていた。

けれど、背を向けて撤退することは、彼の誇りが許さなかった。撤退すれば命は拾えるだろうが、大聖杯は確実に奪われる。それは認められない。

彼の将たるアーチャーやセイバーは、それぞれの敵と戦っており、救援に行こうにも相手がそれを許してはくれない。

まさにヴラドは絶体絶命だった。自分自身の死を、二度目の生の終わりを、彼はすぐ先のものとして受け止めかけていた。

だが、それを良しとしない者、ヴラド以上に勝利に執着する悪魔のような存在が、この戦場にはいた。

 

「いいえ、まだ勝てないわけではありません」

 

ふわりと戦場を見下ろせる柱の上に着地したのは、“黒”のランサーがマスター、ダーニック。

ミレニア城塞からこの空中庭園まで、魔術を用いて乗り込んできた彼にサーヴァントたちは驚く。マスターが一人でのこのこと何をしに来たのだ、と。

だがダーニックは、ただヴラドにだけ意識を向けていた。

 

「あなたのその二つ目の宝具があれば、容易く勝てましょう」

 

ダーニックはそう宣い、ヴラドの目が針のように細くなった。

アタランテの一撃をはじき返して、ヴラドはダーニックの側へ跳躍する。その顔には、隠しきれない憤怒の色があった。

 

「ダーニック、貴様、余に何と申した?」

「知れたこと、あなたの宝具、『鮮血の伝承』を解放せよと言ったのです。大聖杯を渡すわけにはいかない。それはあなたも分かっているでしょう?」

「――――ふざけるな!ダーニック、余はあの宝具を使って怪物に堕ちようなどとは考えておらん!そのような外道になってまで手に入れる聖杯に、価値などあるものか!」

 

激昂するヴラドとは逆に、ダーニックはどこまでも冷徹だった。

彼にとって大切なことは聖杯を正しく起動させ、自分の悲願を叶えること。それ以外はどうでも良かったのだ。

それが少しでも危ぶまれるなら、彼は容赦などしない。

ケイローンはアキレウス、ジークフリートはカルナを下すのに全力でこのままでは大聖杯の奪取は怪しい。他の三騎は彼らと比べれば数値的には弱く、藁の楯にも矛にもなりはしないとダーニックは考えた。

だから彼は、酷薄な笑みを浮かべて令呪輝く手を掲げた。

 

「令呪を以て命ず―――――。“黒”のランサーよ、宝具『鮮血の伝承』を発動せよ」

 

ヴラドが憤怒の叫びを上げ、ダーニックは笑みを浮かべた。

 

「続けて令呪を以て命ず。―――――ランサーよ、大聖杯を手に入れるまで生き続けろ」

 

ここでヴラドは、怒りと共にダーニックの心臓を貫手で抉った。

それでもダーニックは倒れず、最後の執念で第三の令呪を使った。

 

「ははは!これは失敬!だがヴラド三世よ、貴様の願いなどどうでもいい!このときより我が悲願を果たすために、吸血鬼として、血塗られた怪物として存在せよ!―――――我が魂を、その存在に刻みつけろ、ランサー!」

 

その場の全員が、ダーニックの叫びに気をとられた。

 

「ダーニック――――貴様ァァァァァッ!」

 

ダーニックの血がこびりついた顔を歪め、両手で顔を覆ってヴラドは絶叫した。だが、見る見るうちに彼の姿は別のものへ変わっていった。

変化の時間はごく短いもので、次にヴラドが顔を上げたとき、その面貌に、かつての冷徹だが誇り高い為政者の面影はなかった。

 

「領王……いや、今のあなたは違うのか。だが、魂を取り込むなど―――――」

 

ジークフリートの呟きに、ヴラドだった何者かは答えた。

 

「その通りさ。令呪で縛っても、英霊の魂を魔術師が取り込むことなどは、不可能。だが、魂にその存在を刻むこと、なら、できる」

「ではお前は英霊でも、魔術師でもない無銘の怪物―――――吸血鬼となり果てたのか」

 

“赤”のランサーの静かな物言いに、怪物はにやりと唇の端を吊り上げた。

 

「そうとも、だがそれが何だという!私は聖杯を手に入れるための存在となった、聖杯を手に入れるまで、我は止まりはせんよ!」

 

怪物の輪郭が寸の間ぶれ、下からヴラドの面影が一瞬覗いた。

 

「やめろ、やめろやめろ!やめてくれ、余はワラキアの王ヴラド二世が息子―――――余の中に、入ってくるなァァァァァッ!」

 

ヴラドの声で絶叫する怪物に向け、その瞬間ジークフリートが疾駆した。

短い期間とはいえ、彼はヴラドに仕えた。誇り高き王に仕える臣下の礼を取っていた身としては、これ以上怪物と化していく“黒”のランサーの絶叫など聞いていられなかったのだ。

大剣バルムンクが振るわれ、怪物の心臓を刺し貫く。

 

「何―――?」

 

だがその手ごたえの無さに、ジークフリートは声を上げる。

バルムンクで急所である心臓を貫かれたというのに、怪物は崩れ落ちすらしない。それどころか、その体を霧へ変える。黒い霧は、天井近くに浮かび上がると再び人の形を取った。

 

「なるほどな。あれは最早吸血鬼というわけか」

「どういうことなんだよ、ランサー!」

「つまりあれは―――――心臓を砕いた程度では死なない、伝説の怪物になったということですよ、ライダー」

 

アーチャー、ケイローンは冷静に述べた。

ヴラドの宝具、『鮮血の伝承』は世界の伝説の中で生きる吸血鬼へとヴラドを変化させる宝具。

だが、自分の吸血鬼としての汚名をそそぐことが願いであるヴラドは、この宝具の使用を認めてはいなかった。だが、それがひとたび発動させられればどうなるか。

目の前の怪物がその答えだった。いや、ダーニックの魂の欠片がとりついた分よほどおぞましいモノとなっているだろう。

姿を霧に変え、動物に変身し、人を凌駕する身体能力で血を啜る化け物は、天井に張り付くようにしてサーヴァントたちを見下ろしていた。

だが、サーヴァントたちに襲い掛かるでもなく、聖杯の方へ向かうでもなく、彼はその場に留まっていた。

 

「ふむ、これでは些か足りない、か。ならば、別の獲物が必要だ、な」

 

そして呟きと共に、姿を霧へと変えて消え失せる。気配までが消え失せ、静寂が訪れた。

 

「足りない―――――?」

 

ケイローンが首を捻り、すぐに何かに気付いたように顔を上げた。

 

「聖杯に取り込まれた、サーヴァントの数か……!」

 

翻って見ると、ここまでの戦闘で脱落したのは“赤”のバーサーカー一騎のみ。

それだけでは、いくら強引にするにしても聖杯を起動させるには足りないはずだ。せめてあと一騎は必要だろう。

吸血鬼はそれを悟り、だがこの場でどれか一騎を討ち取るのは難しいと判断して退いたのだ。恐らく、他に狙えるサーヴァントを感知したために。

 

「って、結局何なんだあれは。どうあれありゃ、神から外れた化け物だろ」

「……ええ。彼が聖杯を起動させれば、少なくともこの地は壊滅するでしょうね。――――人は死に、血を求めて彷徨うグールが闊歩する魔境になるでしょう」

 

ケイローンの冷静な分析に、サーヴァントたちの間に奇妙な沈黙が満ちる。

本来なら聖杯を巡って争う間柄だが、彼らは英雄。性質として、悪鬼の類は打倒すべきものだと、本能的に感じ取っていた。

 

「ふむ、ならばあれを打ち倒すのが先か―――――共闘するか?」

 

アタランテが肩を竦めて言い、各自が頷いた。

 

「獲物を見つけたと言っていたな。あれは、こっちに向かって来てる僕たちの側のサーヴァントの誰かじゃないのかい?」

 

ぼそりと、これまで黙り込んでゴーレムを操っていたキャスター、アヴィケブロンが言う。

だが、それに誰かが反応する前に、場に一人のサーヴァントが新たに飛び込んできた。

金髪の少女、ルーラー、ジャンヌ・ダルク。彼女は先ほどここに生じた吸血鬼を察知して、ここまで駆けてきた来た彼女は、状況を整理するため辺りを見回す。

 

「あの、先ほどの気配は――――?」

「……説明は後だ。ルーラー。“黒”の残りの三騎の位置を早急に知りたい」

 

勘の良いルーラーは、カルナの言い方と他のサーヴァントたちの雰囲気から何かを察したように頷いた。

 

 

 

 

 

 




以下、些細な話。
主人公幸運Eに設定してますが、実のところは敏捷値上げた分、他を下げた方がいいだろと思っただけだったり。


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Act-17


誤字報告してくださる方、感想を下さる方、いつもありがとうございます。

では、どうぞ。





 

 

 

 

 

 

光が草原を蹂躙したとき、城塞内にいたユグドミレニアの魔術師たちは衝撃と轟音に襲われた。スパルタクスが主に狙っていたのはルーラーで、城に叩きつけられたのは余波なのだが、それだけで城にかけられた何十もの魔術防壁は引き裂かれ、城は半壊したのだ。

その中で彼らのいた部屋が破壊を免れたのは、本当に幸いだった。

衝撃で転んだカウレスは頭を振りながら立ち上がる。

 

『バーサーカー?』

 

半ば反射的に念話で呼びかければ、頭の中に唸り声が響いてきた。彼女も無事だったことに安心しつつ、カウレスは割れた窓から外の様子を伺った。

 

「これは……」

 

ホムンクルスにゴーレム、竜牙兵が闊歩し、陰惨な戦いが広がっていたはずの草原は何もなくなり、焼けた大地が月の光を浴びて白く光っているだけだった。

サーヴァントはやはり規格外すぎる、とどこか冷静に思いながらカウレスは室内を見渡し、近くにいた自分の姉、フィオレに真っ先に駆け寄る。

 

「姉さん、アーチャーは?」

「アーチャーは無事よ。あなたのバーサーカーは?」

「あいつも無事だ。となるとあとは―――――」

 

カウレスの呟きに答えるように部屋のあちこちで声が上がる。

キャスターのマスターのロシェ、セイバーのマスターのゴルド、そして一族の長、ダーニックもそれぞれのサーヴァントの無事を確認した。

だが安心してもいられない。

間髪入れず、空中に浮かぶ庭園がこちらへ近づいてきたのだ。のみならず、大魔術でもって大聖杯を引きずり出そうとし始める。

カウレスも驚いたが、一目空中庭園を見てあの魔術にはどう抵抗しても無駄と分かった。

あれを何とかできるとしたら、サーヴァントだけだ。

そうしてマスターたちが指示を飛ばすより先に、セイバー、ランサー、キャスター、アーチャーは空中庭園へ乗り込んでいく。ダーニックもその後を追って、フィオレにあとの指示を任せ単身城へと向かってしまった。

一瞬途方に暮れたようにフィオレの目が揺らいだが、すぐに彼女はカウレスを見た。

未だ草原にいるはずなのは逃げるのが遅れた三騎、ライダー、バーサーカー、アサシンである。そのサーヴァントたちへ指示を下さねばならない。

一般人のはずなのに、この爆発の衝撃を受けた後でもアサシンのマスターは先ほどと変わりなく、どこを見ているのか分からないような瞳で外を見ている。

頼もしいんだか空恐ろしいんだか分からん、と思いつつカウレスは彼女に声をかけた

 

「おいアンタ、アサシンは無事なんだよな」

「アサシンも無事よ。……あとはライダーと、ルーラーかしら」

「ルーラーなら先ほど空中庭園に乗り込んだようだぞ。私の使い魔が発見した」

 

不機嫌そうなゴルドの言葉に、全員が驚いた。

アサシンと共に“赤”のバーサーカーの相手をしていたルーラーは、バーサーカーが爆発した瞬間まで逃げ出さなかった。

使い魔の大半が消滅してしまい、ルーラーの宝具の発動は確認できなかった彼らは、彼女はてっきり爆発に呑まれて消滅してしまったのかと思ったのだ。が、そこから生き延びるとはさすがは裁定者のサーヴァントと言わざるを得なかった。

 

「それは結構です。となると、あとはライダーですか」

 

カウレスたちはマスターのセレニケの姿を探すが、何故だか彼女は部屋にはいなかった。

彼女のいたはずの場所は無傷なのだから無事なはず。だが、姿だけが消えていた。

もしやライダーが消滅してしまったことで、草原に飛び出てしまったのだろうかとカウレスは思う。彼女ははた目から見て分かるほど、ライダーに異常なまでに執着していたから。

フィオレは頭痛をこらえるように額に手を当てて言った。

 

「……分かりました。ではアサシンのマスター、あなたのサーヴァントには空中庭園に向かうよう伝えてください。カウレス、あなたのバーサーカーは一旦城まで戻しましょう。ここを守るサーヴァントも一騎くらいは必要よ」

「それはいいけどさ、姉さん、セレニケはどうすんだ?」

 

カウレスの姉は疲れたように一つ頭を振った。

 

「今から探すわ。あなたはバーサーカーに指示を出して。……ゴルドおじ様、ロシェ、手伝ってくれますか?」

「分かった。しかし、どうしたというのだ、あの女は」

「知らないよ。先生と僕のゴーレムも根こそぎになっちゃったし、全くこれからどうなるんだよ、一体」

 

ぶつぶつ言いながらも、ロシェとゴルドはそれぞれ爆発で塵となった使い魔の代わりを飛ばし、遠見の術を行使し始める。

カウレスも念話でバーサーカーに指示をしようと思い立って、ふと些細なことが頭をかすめた。

アサシンとライダーが、二人揃って“赤”のセイバーの前であっても必死で逃がそうとしたホムンクルスの少年。彼はどうなったのだろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあ……」

 

森まで何とか撤退して爆発を凌ぎ切ったライダーは、一人、更地になった草原を見て声を漏らした。

 

「見事に何にもなくなっちゃったなぁ……。で、空にはあのお城かぁ……」

 

マスターからの魔力供給のラインは無事となれば、自分はやっぱりあの城まで飛んでいくべきかとライダーは考える。さっき叩き落されたことは、ライダーの頭にはない。

その間に遠くの草原から、青い焔の翼を生やした影が一つ舞い上がった。間違いなくあれはアサシンだろう。

ライダーが見る間に、禍々しいほど大きな空中庭園へ青い光は向かい、止まり木を探す小鳥のように庭園の周りを何回か旋回してから、城の中へ消えた。

それを見て、あのアサシンと“赤”のランサー、カルナを戦いの場で会わせたくないな、とライダーはふと思う。

彼が彼女に槍を向けるのも、彼女が彼に剣を向けるのも、どっちもライダーには嫌だった。見たくなかった。

そうなるくらいなら、自分がランサーを倒したいとさえ思う。だからと言ってライダーでは、絶対にカルナには勝てないとアサシンにも言われてしまっている。

それでも、やってみなくちゃ分からないとライダーは息巻いた。

 

「ようし!」

 

ヒポグリフを呼び出そうとして、だがライダーは後ろに気配を感じて振り返った。

木の間から現れたその姿を見てライダーは驚き、ついでその人物が引きずっている人間を見て凍り付いた。

 

「あらライダー、ここにいたのね」

 

暗い森の中から現れたのは、ライダーのマスター、セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。彼女はライダーを見ると、引きずっていた誰かを地に落とした。

倒れたその顔を見て、ライダーは一瞬息をするのを忘れた。虚ろに赤い瞳を凍らせて倒れているのは白髪の少年、アッシュだった。

慌ててライダーは彼の側に駆け寄る。ひとまず彼が規則正しく呼吸しているのを見て取って、ライダーは安心した。

 

「……マスター、キミ、この子に何かしたのかい?」

 

アッシュを庇い、ライダーは我知らずマスターを睨みながら言った。

セレニケはどこか恍惚とした顔で月の光を浴びている。

 

「特に何もしてないわよ。森から出ようとしていたのを見つけたから、少し魔術で動けなくしただけ」

「ふざっけんな!この子は全然関係ないだろ!」

 

吼えたライダーに、セレニケは残酷な光を宿した目を向けた。

 

「いいえ、関係あるのよ。少なくとも私にとってはね」

 

嫣然と笑い、セレニケは令呪の刻まれた手を掲げた。

まさか、とライダーは一瞬反応が遅れる。

 

「第四の“黒”が令呪を以て命ず!ライダー、そのホムンクルスを殺しなさい!」

「なっ!」

 

セレニケが唱え、令呪が一画消えた瞬間、ライダーの手に槍が召喚される。

くるりと振り返って、それをアッシュへの胸へ突き刺しそうになる自分の体を必死に押しとどめながら、ライダーは目をぎらぎらさせている自分のマスターを見た。

その目からは彼女の欲望がはっきり見て取れた。つまり彼女は今ここで、ライダーが苦しむさまを見たいのだ。そのためだけにアッシュを捕え、令呪まで使ったのだ。

ライダーもセレニケが自分に歪み切った感情を向けているのは知っていた。だが、それがまさかここで、こんな形で噴き出すとは思っていなかったのだ。

一方のセレニケは、手の中でアッシュから取り上げた黄金の環を転がしながら悦に入っていた。

 

「それ、は――――」

「知っているわよ、アサシンのでしょう。出来損ないの人形に神秘をくれてやるなんて、あの暗殺者も愚か者ね。まったくあなたもアサシンも、ただの英雄の影法師だっていうのに、どうして言うことを聞かないのかしらね」

 

わざとらしく小首をかしげながらセレニケはまた手を掲げ、ライダーは絶望感で喘いだ。

今、彼は対魔力スキルで令呪の縛りに抗い、アッシュを殺そうとする自分の体を抑えている。

だが二つ目の令呪を使われれば、確実に耐えきれない。

涙すら浮かべながら令呪に抗うライダーを見て、セレニケの口が弧を描いて吊り上がった。

 

「逃げ……ろ、アッ……シュ」

 

ライダーは何とかアッシュを起こそうと、彼の腕を蹴る。

そんなことをしても無駄だと、セレニケはほくそ笑んだ。ホムンクルスには相応の黒魔術をかけたのだ。意識ははっきりしているのに、体が動かせなくなるという呪いを仕掛けてやったのだ。

自分が解かない限り、彼が動けはしないとセレニケは思っていた。

実際、アッシュは動けなかった。抗うライダーは見えているし、意識もはっきりしているのに、金縛りにあったように体が言うことをきかないのだ。

このまま死ぬのか、という氷のような予感がアッシュの全身を貫いた。

けれどセレニケの、人を人とも思っていないような冷たい目を見ると、自分の中を炙られているような怒りがアッシュに沸き上がった。

あんな目をする人間に殺されると思うと、死んでたまるかという想いが突き上げてくる。

彼女が弄んでいる黄金の環が、そのときアッシュの目に入った。

 

「あら?」

 

セレニケは驚いた。壊れた人形のように倒れていたホムンクルスが、こちらへわずかに手を伸ばしているのだ。

何かを掴もうとするように指を動かす様子が癪に触って、セレニケは目を細める。

 

―――――燃えろ。

 

だが、アッシュの口は声にならない声を呟く。

セレニケの手の中で金環が焔を噴き上げた。

瞬間、いくつものことが同時に起こった。

焔に驚き、とっさにセレニケは悲鳴を上げて金環を投げ上げる。そちらへ視線の動いたライダーの横を、白い影がすり抜ける。動けないライダーには、その影を止められなかった。

直後、低い音がしてセレニケの背中から銀の剣先が生えていた。

同時に血が噴水のように吹き出し、胸に穴を開けたセレニケが崩れ落ちる。倒れた彼女を中心に赤い血がみるみる広がっていき、それにつれ、セレニケの瞳からも光が失われていった。

 

「あ……」

 

呆然とアッシュは呟き、彼の手からライダーの剣が滑り落ちて地面に転がった。

足から力が抜け、地面に尻餅をついてアッシュはセレニケを見下ろした。

凍り付いたように見開かれた瞳には、驚きだけが残っていた。自分が死ぬということを彼女は最期まで信じられなかったのか。

自分の手を見る。日をほとんど浴びていない白い肌は、真っ赤に染まっていた。

ふいに強烈な吐き気がこみあげてきて、アッシュは口を手で押さえた。

そのとき、草を踏みしめる音がして木の間から人影が現れる。

 

「あ?お前、ホムンクルスか?」

 

森の中から現れた白銀の鎧を纏った騎士の姿に、ライダーが呻いた。

 

「“赤”のセイバー……!」

「おう。お前、生きてたのかよ」

 

剣を持ってはいるものの、セイバーに戦意はないのか殺気は感じられなかった。

セイバーは地面に倒れているセレニケと、顔色が白い紙のようになっているアッシュ、そして槍を構えて動けないライダーを見て、呆れたように鼻を鳴らした。

 

「おいお前、そこのライダーだがな、早くしないと消えるぞ」

「……ぇ」

 

その言葉で震えていたアッシュは我に返った。

言われてみればその通り。ライダーに魔力を与えていたマスターが死に、彼は魔力を消費しながら令呪に抗っている。単独行動スキルを持つとはいえ、彼の命は風前の灯だった。

 

「セイバー!余計なこと言うな!」

「うるせえ。――――どうすんだホムンクルス、今なら再契約すればまだライダーは生きられるぞ。ま、あとはお前ら次第だ。何とかしてみやがれ」

 

言い捨てて、セイバーは霊体化して消えた。恐らく、彼女もマスターと合流して空中庭園へと向かうのだろう。

アッシュはライダーを見た。何度も彼を助けてくれた、アッシュにとっての英雄を見た。

 

「い、いやだぞ、ボクは。キミと、再契約なんてしないからな!せっかく、生きられるのに、こんな争いにキミが巻き込まれるなんて、もう嫌なんだよ!」

 

ライダーの叫びは心底からのものだった。

それでもアッシュは、ライダーに手を伸ばしていた。

 

「ライダー、俺は……俺は君とアサシンに言われたことを守れなかった。だからこの上、君に何かを願う資格なんて無いかもしれない。それでも……それでも、俺は今、君に死んでほしくない、俺をここに、置いて行かないでほしい」

 

ライダーの瞳が揺れる。

セレニケの血を浴びて、全身の震えを押し殺しながら、それでもアッシュはライダーに手を伸ばしていた。白い顔に点々と血を散らした顔は、あまりに幼かった。

初めて会ったときの廊下で蹲っていた姿と、今のアッシュの姿がライダーの中で重なる。

 

「あー!もう!分かった、分かったよ!キミと契約する!」

 

槍を抑えつつライダーは手を伸ばし、アッシュの手を取った。

森の中で閃光が走り、契約が再び結ばれる。

新たなマスターを得て、だがライダーはまだ動けない。令呪の縛りは未だ有効だったのだ。

 

「ちょ、ちょっとしばらく離れておいてくれるかな。このままだと、ボク、またキミに襲い掛かっちゃうんだ」

「……分かった。俺は城の方へ向かう。巻き込まれた仲間がきっといるんだ」

「了解。でもいい?ボクが行くまで、絶ッ対にユグドミレニアの魔術師に見つかっちゃだめだぜ?」

 

アッシュは素直にこくんと頷き、まだ足元に落ちたままの剣を拾う。

つかの間ためらった素振りを見せてから、アッシュは血を拭って剣を鞘に戻す。それと草の中に転がっていた金環も拾い上げ、こちらはまた元通りに首から下げると、アッシュはミレニア城塞へ向けて走り出した。

小さな背中はあっという間に木々の間に消え、それを見ると同時にライダーは膝をついた。

ライダーは、普通なら自分のしたことに後悔はしない。理性が蒸発しているからか、元からの性質なのか、ともかく彼は基本的に過ぎたことをくよくよしない。勘に従って行動すれば、大概のことは上手くいくのだ。

ただ今回ばかりは、自分のしたことが正しいのか分からなかった。

それに、自分はしばらくそっちに行けなくなったと、ライダーは空を見上げながら心の中で一人謝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近づくと分かったのだが、庭園は何もかもが逆さまだった。

下からではなく上から生える木、同じように水すら下から上へ流れている。

天井の池の中に、魚まで泳いでいるのを見たときは、もう全力で見ないことにした。

魔術とか呪術は、深く考えると頭が痛くなってくるのだ。アサシンにとっては、術なんて誰かにかけるより燃やす方が得意だし、呪文はとろとろ唱えていると斬られるし。

それでもアサシンは庭園の周りを飛んで、あの聖杯を引きはがしている魔術をどうにかできないかと見てみたのだが、魔術の複雑さと規模の大きさに諦めざるを得なかった。

この空中庭園を建築したことと言い、これを造ったであろう“赤”のキャスターは、アサシンより大分格上の術者だった。

アサシンは、とん、と庭園に着地して辺りを見る。恐れていたような魔術砲撃は、庭園の主が聖杯の引きはがしに全力を注いでいるせいか、無かった。

すぐに戦闘の音が聞こえ、アサシンはそちらに走り出す。

乾いた足音を、人影一つない廊下に響かせながら走るアサシンの首筋に、そのとき悪寒が走った。

 

「……なに?」

 

ぞわぞわと、背中に虫が這ったような嫌な予感がした。

何か怪物じみたもの、喩えて言えば人食いに狂ったラークシャサに近いナニカがこの近くに現れたと、アサシンは感じる。

しかしその気配はすぐに消えて、ん、とアサシンは首を傾げた。

どうもこの逆しまの庭園内では、感覚が正常に働かない感じがある。魔力の流れすら逆さまなのか、さっきの気配は気になるがもう辿れそうもなかった。

ひとまずそのまま走り出そうとして、アサシンは小さな違和感を感じ、何の気なく後ろを振り返る。

そして、血走った瞳と、三日月の形に裂けた口から覗く牙が、アサシンの視界を埋め尽くした。

 

「―――――え」

 

吸血鬼はにやりと笑うと、一瞬凍り付いた暗殺者へ向けて剛腕を振るう。

肉と骨の弾ける鈍い音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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Act-18


関わった他人さんの死亡フラグは減るのに、自分の分は減らない系アサシン、ただしマスター運は良い(はず)。





 

 

 

 

自分の首を引き千切ろうと左から迫って来る爪が見えた。

何かを考えるより先に、アサシンは左手で首を庇いながら、全力で後ろに跳んだ。

首を狙っていた吸血鬼の爪が腕を掠め、それだけで腕の骨は砕けて肉が切り裂かれる。

呪術で痛覚を遮断しなければ、痛みでのたうち回っていただろう。

腕を押さえながら顔を上げ、アサシンはその化け物の姿をようやくはっきりと見、悲鳴のような声を上げた。

 

 「ランサー!?」

 

 “黒”のランサー、ヴラド三世は冷徹だが誇り高い、為政者の面差しをしていた。だからアサシンも、自分が疎まれていると分かっていても、上に立つサーヴァントと認識していたのだ。

ずたずたに裂けた黒の貴族服を纏い、目の前にいるこの血走った目の怪物には、確かにランサーの面影があった。ただ、気配が絶望的なまでに違っていた。

 

 ―――――アレは、ランサーじゃない。

 

 悟ると同時、吸血鬼は再び飛びかかって来た。

腕を治す暇もなく、とっさに剣を頭の上に掲げて吸血鬼の爪を受け止める。

甲高い音がして、鉄をも容易く切り裂く爪がアサシンの鼻先に迫った。

視界の端で吸血鬼が足を後ろに引くのが見え、次の瞬間腹を蹴り飛ばされて、壁に背中から叩きつけられた。

アサシンの体はそのまま廊下の壁をぶち抜いて、広間に似た円形の部屋の中央に転がる。

息ができなくなるほどの衝撃が全身を襲い、視界が暗くなった。

喘ぐように息をしつつ地面を転がり、頭を踏みつぶそうと跳躍してきたランサーの一撃から逃げる。踏み込みで床は砕け、破片が体中に叩きつけられたが避けることはできた。

もがくように立ち上がったアサシンの前で、あざ笑うように吸血鬼は霧となった。

虚を突かれたアサシンの目の前に、霧が形となって現れる。

逃げるより先に、吸血鬼に首を掴んで持ち上げられた。

 

 「――――ぁ」

 

 喉が閉まって息が詰まり、剣が手から滑り落ちた。

明滅する視界の中で、吸血鬼が腕を後ろに引くのが見えた。心臓を抉る気だ、と悟る。

その死に方は一度でたくさんだった。

腕を殴っても、万力のような力は少しも緩まない。それでも霞む視界の中、アサシンは両手で吸血鬼の腕を握ると、全力で青い焔を放った。

 

 「がぁぁぁぁっ!」

 

 至近距離で自分の腕が燃やされ、さすがに吸血鬼も獲物を取り落とす。

しかし、せき込みながらも後ろへ跳ぼうとしたアサシンの足を、吸血鬼の放った杭が床に縫いとめた。

足を穿った杭を引き抜いたために動作が遅れ、吸血鬼の速さに反応できない。

吸血鬼の爪がアサシンの心臓を穿たんと伸ばされ、それでも彼女は目を閉じなかった。

だが突然、横から飛んできた炎を纏った槍が、吸血鬼を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひどく嫌な予感がして、気付けばカルナは聖女や自軍の騎兵すら置き去りにする速さで駆けていた。

炎を射出しながら走った先に、首を掴まれて宙に吊り上げられた、吸血鬼と比べれば折れそうなほど小柄で華奢な姿を捉える。

間に合うか間に合わないかを、カルナが判断するより先に、焔が吹き上がって小さな影が床に落とされた。灰色の人影は吸血鬼から放れようとして、だが足を杭に縫い止められて動きが止まる。

それでも悲鳴も上げず、杭を引き抜いたアサシンへ腕を伸ばす吸血鬼に向け、カルナは槍を投げていた。

槍は狙い違わず獲物へ当たったが、直前で霧になった吸血鬼は命を拾う。

それを確かめることもせず、カルナは腕と足から血を流すアサシンに駆け寄った。

喉を押さえて咳き込みながら、剣を拾って立ち上がったアサシンは、傷の具合を見ようとするカルナの手を制した。

 

 「大丈夫、です」

「どこがだ。……そもそも、どこをどうすればアレと戦うコトになる」

「そんなの、あっちに―――――避けて!」

 

 橙の焔で半身を焼きながら、アサシンはカルナを突き飛ばし、揃って爪を振るってきた吸血鬼の攻撃から逃れる。

牙を剥いた吸血鬼は槍の無くなったカルナに斬りかかろうとして、後ろから“赤”のライダー、アキレウスが放った突きを、再び霧になって避けた。

 

 「ちっ!」

 

 舌打ちをしたアキレウスに続き、ルーラーを先頭にしたサーヴァントたちがその場に押し寄せる。

ルーラー、ジャンヌは改めてヴラドを見た。

彼は忌々しそうに、牙を剥いて獣のように唸っていた。

彼女は、“黒”のランサーだったころのヴラドを知らない。彼の悲願が何だったのかも、知ることは最早叶わなくなってしまった。

ヴラドの結末に虚しさと哀しさを感じながらも、今ここで、聖杯戦争を司るルーラーのすべきことは、この誇り高い英霊だったはずの何者かを倒すことしかなくなった。

ルーラーは腕を掲げ、叫んだ。

 

 「ルーラー、ジャンヌ・ダルクの名において命ず。―――――ここに集いしサーヴァントよ、かつて、ヴラド三世だった吸血鬼を打倒せよ!」

 

 ルーラーの腕に刻まれた令呪が輝いて消え、サーヴァントたちは力が新たに沸き上がるのを感じた。

 

 「アサシン、そこから退きなさい!」

 

 “黒”のアーチャー、ケイローンの指示に従ってアサシンは飛び退き、入れ代わりにバルムンクを掲げたセイバーが吸血鬼に突っ込む。

袈裟懸けに斬られた吸血鬼は霧になって逃れようとするが、カルナの放った炎がそれを阻む。だが、彼の手にはまだ槍がない。

アサシンの目が床に転がったままのカルナの槍を捉えた。吸血鬼の横を全力で走り抜け、拾い上げた槍をカルナに投げ渡す。

 

 「助かる」

「お互い様、です、でもさっきは……ありがとう」

 

 それだけ言って、アサシンはアタランテやケイローンの方まで下がる。

 

 「無事でしたか、アサシン」

「はい。でもアーチャー、あれは本当に――――?」

「……ええ、領王です。彼はもう元には戻れません。倒すしかないのです」

 

 アサシンの顔が歪み、ケイローンは痛ましげに頷いた。

それでも彼らは弓を取って、吸血鬼に向き直る。

吸血鬼は今や八騎のサーヴァントを相手取り、はっきりと押し込まれていた。霧になり逃れようとしても、カルナかアサシンの炎が囲い込んで逃げさせない。

剛力を振るっても、セイバーとライダーという英雄二騎の連携は即席ながらも巧みで打ち崩せなかった。

吸血鬼の顔にはっきりと焦りが見え始め、この分なら、とルーラーが浄化のための詠唱を唱えようとしたときだ。

 

 「なっ―――――」

 

 唐突に、何の前触れもなく、“赤”のサーヴァントたちの気配が弱まった。

三騎が膝をつき、アサシンがそれに気を取られる。

疾駆した吸血鬼は、アサシンをルーラーに向けて投げつけるように突き飛ばすと、廊下へ、聖杯の気配の方へと駆けだした。

 

 「待て!」

 

 ケイローン、ジークフリート、ルーラーは走り出し、キャスターはゴーレムを動かした。

だが、アサシンはすぐには立ち上がれなかった。

魔力は無限ではなく、彼女の耐久値は決して高くはない。怪我をする端から治すにしても、いい加減限度はあった。

今はルーラーの令呪のおかげで動けているが、その効果が切れるとどうなるか分からない。

 

 「おいアサシン。お前は少し下がっておけ。吸血鬼に相当やられたんだろ」

 

 立ち上がったライダーが目を細めて言い、そのままアサシンの腕を掴んでカルナの方へ押し付けた。

 

 「ライ―――――」

「今は共闘中だろうが」

 

 そっぽを向いてライダーは言い捨て、槍を手に吸血鬼の後を追った。肩を竦めた“赤”のアーチャーがその後に続く。

最後尾になったカルナとアサシンは顔を見合わせて走り出した。

吸血鬼を追うという一大事なのは分かっているのだが、アサシンは胸の中が少しだけ暖かくなった。ほんのわずかな時間だけ、昔に戻ったような気がしたのだ。

 

 アサシンは頭を振って、七騎に遅れないよう足を動かした。

サーヴァントたちに追われ吸血鬼はなりふり構わない勢いで、廊下を走っていく。

最早彼の頭には、聖杯に辿り着くことしかなかった。聖杯に取り込まれたサーヴァントは一騎しかないが、背に腹は代えられず、聖杯を強引に起動させる以外ない。

アサシンを手早く仕留められなかったことが、致命的だった。

どうして自分がそこまで聖杯を求めるのかすら分からないまま、吸血鬼はひた走る。

その彼を焼くため、廊下から“黒”のアサシンによる魔術砲撃が放たれるが、吸血鬼は足だけを優先して再生させる離れ業を見せて凌ぎ、魔術砲撃は却ってルーラーたちの足を遅らせる結果を招いた。

それでも、耐久値のずば抜けて高いジークフリートは魔術砲撃に向けて臆せず踏み込み、バルムンクを投擲して吸血鬼を床に串刺しにした。

霧になろうともがく吸血鬼の四肢に、ケイローンの矢が突き刺さって動きを封じた。

駆け付けたルーラーは吸血鬼の前に回ると、神に祈るときの静謐な表情でその額に手を当てた。

 

 「“黒”のランサー……いえ、無銘の怪物よ。これよりあなたを浄化します。あなたの魂が、せめて安らかに神の御元へ辿り着かんことを」

 

 ルーラーの唇から、朗々と聖句が述べられる。聖女と認められた救国の乙女の言葉は、浄化による速やかな終わりを吸血鬼にもたらした。

吸血鬼のもがきは、祈りが進むにつれて弱まっていった。

聖杯に向けて伸ばされた手は力を失い、かくりと垂れ下がる。うなり声も啜り泣きに近くなり、低く掠れたものになっていった。

その様を、追い付いてきたサーヴァントたちは手を出すこともなく、沈痛な面持ちで見守っていた。

 

 「―――――この魂に、安らぎを」

 

 最後のルーラーの一言で、吸血鬼は溶けて消え去る。骨の一欠片も後には何も残らず、ただバルムンクと数本の矢だけが墓標のように突き刺さっていた。

誰も何も言わず、全員がその光景を見届けた。

 

 ―――――そのとき、静寂の空間に足音が響く。

 

 聖杯に繋がる部屋の扉をゆっくりと開け、少年が一人姿を現した。

“赤”のサーヴァントたちと、アサシンがその顔を見て目を見開く。

 

「吸血鬼……いえ、ダーニックの怨念の化け物が下されましたか。さすがにサーヴァントが八騎も揃えばこの結果も当然でしょう」

 

 少年、シロウは誰に言うでもなく呟く。

彼の気配が人間のものでないことを、誰より先にルーラーが察知した。

 

 「あなたは……まさか、サーヴァント!」

「十六番目のサーヴァント……なのか!?」

 

 ルーラーとジークフリートの言葉に、シロウは頭を振った。

 

「いいえ、私は三度目の聖杯戦争で呼ばれた、一人目のサーヴァント。正しい十六番目はあなただ。ルーラー、ジャンヌ・ダルク」

 

 シロウは一度言葉を切って服の袖を捲る。

そこに刻まれた十を越す数の刻印、“赤”のサーヴァント全員の分の令呪に、誰もが息を飲んだ。

 

 「……シロウ神父、“赤”のマスターたちに何をしたのですか?」

 

 静かな気配の中に怒気を孕ませ、アサシンが問う。

シロウははっきりと怒っているアサシンと、その隣で鋭い目をして自分を見ている“赤”のランサーとの間で一瞬不思議そうに視線をさ迷わせ、すぐに合点が行ったかのように微笑んだ。

 

 「なるほど……。あなたはそういう怒り方をする人間でしたか、無名のアサシン。聞いた通りのサーヴァントな訳だ」

「いいから答えよ!貴様、我らのマスターに何をした!」

 

 弓に矢をつがえてアタランテが激昂し、それでも笑みを崩さないシロウの横に“赤”のアサシン、セミラミスが唐突に現れた。

 

 「何、安心するがいい。お主らのマスターは眠っておるだけ。起こさぬのが慈悲だろうさ」

「……毒を盛ったのですね、私のマスターにしようとしたように。幻覚を用いてマスター権を譲渡させでもしたのですか」

 

 セミラミスは肩を竦めた。

 

 「ほんに、どこまでも小癪な奴じゃの。……あのとき死んでおいた方が、面倒などなかっただろうに」

 

 どこか憐れむようにセミラミスは言う。

ルーラーは固い表情のまま、シロウへ紫水晶のような瞳を向けた。

 

 「では、彼女の言ったことは本当なのですね?“赤”のサーヴァントたちのマスターは、今はあなたということですか。そうまでして、一体何が目的なのです。――――天草四郎時貞」

 

 ルーラーに真の名を告げられても、シロウの微笑みは途絶えなかった。

どころか、それを問われるのを待ちかねていたように答える。

 

 「知れたこと、私の目的は全人類の救済さ。ジャンヌ・ダルク」

 

 両手を広げ、堂々と宣言するシロウを見てアサシンの顔がしかめられた。

彼女はあの混沌とした戦場で、シロウから彼の願いとそれを叶えるための方法も聞いて知っていた。

ただ、方法がどうしても受け入れられないものだった。だからあのときアサシンはシロウの提案を蹴ったのだし、それを変えるつもりはない。

 

 「そりゃ結構だがな、俺は主替えに賛同した覚えなんざねぇよ。共闘はしねぇがな、ここでお前に従って“黒”の連中を殺せって言うのはお断りだね」

 

 今にも、シロウの喉笛を食い千切るために飛びかかりそうなアタランテを制しながら、アキレウスは吐き捨てた。

 

 「おや、それは残念。だが、私としても譲れないことはある。特にルーラー、あなたはこの先に邪魔なのです」

 

 ルーラーは旗を構えてシロウを静かに睨み返した。

理由がどうであれ、彼は聖杯戦争のルールを大きく逸脱した。サーヴァントが聖杯戦争で奪ったサーヴァントを六騎も従え、自分の願いを叶えようとするなどあってはならない。

幸い、 “黒”のセイバー、アーチャー、キャスター、アサシンは言うまでもなくシロウと敵対するだろうし、“赤”の側のサーヴァントたちもセミラミス以外は今のところシロウに従う素振りはない。

ここで追い詰められているのはシロウの側だった。それなのに聖人のような微笑を続ける彼から、ルーラーは得体のしれないものを感じた。

 

 「時に、“黒”のキャスター、アヴィケブロン。私は一つ、あなたに提案したい。率直に言って、我々の側に着く気はありませんか?」

「……何故、僕に聞くんだい?」

 

 希代のゴーレム使いの表情は仮面に隠れて見えなかった。

 

 「逆に聞きましょう。“黒”の側にこれから先もついていて、あなたの願いは真に叶えられるのでしょうか。断言してもいいが、我々の側ならばその願いは確実に叶います。そのための『材料』を、あなたは手に入れられるようになるのだから」

 

 ふむ、とアヴィケブロンは顎に指を当てた。

その姿に、アサシンはどうしようもなく嫌な予感がする。確か彼は、ゴーレムの材料にアッシュを使おうとした。

 

となれば、材料というのは―――――?

 

沈黙の後、アヴィケブロンは肩を竦めて何でもないことのように言った。

 

 「……確かに、“黒”の側では僕の望むものは手に入るのは難しいだろうね」

 

 言うが早いか、彼は付き従えていたゴーレムに我が身を運ばせると、シロウの目の前に着地した。

 

 「いいさ。君と契約しよう、シロウ・コトミネ。ただ、条件が一つ。僕の元マスターとなる、ロシェ・フレイン・ユグドミレニアには手を出さないでもらいたい」

「キャスター……まさか……!」

 

ケイローンの顔色が変わった。

彼を尻目にゴーレムに守られながら、キャスターは淡々とした風情でシロウの手を握り、新たに契約を交わす。

 

「済まないとは言わない。結局のところ、僕は僕の願いの方が大事だ。では失礼しよう。城に戻らねばならないからね。……マスター、それで構わないかい?」

「ええ。あなたはあなたの願いを果たせばいい」

 

結構、と呟き、キャスターは指を鳴らす。

大量のゴーレムが部屋に押し入り、それに“黒”のサーヴァントたちが対処する隙に、キャスターは部屋の天井を壊し、空を飛ぶゴーレムに掴まって部屋を出た。

 

「アサシン、城のマスターにキャスターのことを伝えてください!」

 

矢を放つケイローンの指示に従おうとして、アサシンは念話が繋がらないことに気付いた。

見れば、セミラミスが笑っている。彼女の領域内では念話の妨害など容易いだろう。

 

「ほれ、どうした大賢者。お主なら、あのキャスターのゴーレムが何なのかは知っていよう。間に合わなくなっても知らぬぞ」

 

ケイローンとジークフリートは顔をしかめる。アサシンはキャスターのゴーレムの中身を知らされていなかったが、彼らの顔を見ればそれがよほど良くないものであることは分かった。

 

「……一時撤退です。城まで戻りましょう」

 

ケイローンの言葉に頷いたジークフリートが、バルムンクを振るってゴーレムの壁に風穴を開けた。

その穴に、“黒”のサーヴァントたちとルーラーは飛び込む。

ルーラーは留まりたかったが、“黒”無くしてこれ以上この場にいては、彼女と言えど危険だった。

彼女は最後に一度だけシロウを振り返り、彼の透明な瞳を見据えてから、撤退する。

 

「アサシン、行きますよ!」

 

聖女は、同じく一瞬後ろを振り返っていた暗殺者の手を引く。

暗殺者の目が何を見ていたかはあえて確かめず、ルーラーはミレニア城塞へ向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 





*モードレッドはちゃんと回収します。
にしても、サーヴァント増えると書きづらい。
特に踵の人ががががが。




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Act-19

誤字報告してくださった方、ありがとうございます。





 

 

―――――自分だけ、“黒”の陣地にまで戻された。

 

“黒”のバーサーカー、フランケンシュタインの怪物は、そのことが面白くなくて傍らのマスターに唸ってみせた。

マスターである眼鏡をかけた少年は、困ったように眉根に皺を寄せる。

 

「……分かってるよ。待機なのが気に食わないんだろ?でも、お前一人であそこに行くのは無茶さ」

 

自分の唸りを正確に読み取ってくれるマスターには、とても感謝しているのだが、待機しろと言われたことはかなり不満だった。

それを言うならゴーレム使いのキャスターだって向かったのに、どうして狂戦士の自分は待機なのだ。

それに、あのアサシンだって一人ではそんなに強くないだろう。自分よりはよほど戦い慣れている感じはあるし、早々には死ににくそうな気配をしているが、逆に言うとそれだけだ。

あるいは、マスターの姉であるフィオレとかいう魔術師からすると、弟のサーヴァントである自分より、無名の暗殺者の方が失って困らないサーヴァントだったからかもしれないが―――――。

と、そういう諸々の批判を唸り声で表しながらも、バーサーカーはカウレスの横に控えていた。

今、フィオレ、カウレス、玲霞は壊された部屋に代わる広間へ移り、他のユグドミレニアのマスターたちは各自の工房に撤退している。自分のマスターの姉というフィオレが彼と空間を同じにしているのは、あの底の読めないアサシンのマスターがいるせいだろう、とバーサーカーは思っていた。

ついで言うと、自分から隠形でもしているのか、セレニケは相変わらず見付からないらしい。

一人で神秘を探求することが本分である魔術師に言っても仕方ないことだろうが、とことん集団で動けないマスターたちだ。

バーサーカーにはそれも不満の一つである。

不意に、バーサーカーは異変に気づいて顔を上げた。

“黒”のサーヴァントたちは、マスターとの契約のライン以外に、魔力供給用のラインを持っている。そちらから送られてくる魔力に、微かに揺らぎがあったのだ。

バーサーカーはそれを伝えようと、カウレスの服の裾をくいくいと引っ張る。

 

「ん、何だ?」

 

今度の事態は身ぶり手振りと唸りだけで伝えるには難しく、バーサーカーは苛立つ。

彼女が焦れている間に、玲霞が顔を上げた。

黙っていた彼女の顔色がすっ、と白くなった。

 

「フィオレさん、アサシンから連絡よ。そちらのキャスターが裏切って、ここを襲撃しようとしているって」

「な、」

「何ですって!?」

 

カウレスとフィオレが驚いて声をあげる。

 

「全員でルーラーと一緒に今取って返してる最中だそうよ。途中で拾った“赤”のセイバーははぐれたけれど。でも、キャスターの方が早いかもって。アーチャーたちに追われているから、キャスターも必死のようよ」

「……そのようですね。アーチャーもそう言っています」

 

自分もアーチャーと念話を繋げたフィオレは、車椅子の肘掛けをきつく握った。

アーチャーは、念話でダーニックの死とヴラドの消滅も彼女に伝えた。ということはつまり、ユグドミレニアの当主はフィオレになるのだ。

責任の大きさに目眩を感じそうになる。

ついでアーチャーは、キャスターが自分の宝具、『王冠:叡智の光』起動のための最高の『材料』を得るために“黒”を裏切ったことを告げる。

その材料とは、生きた魔術師。

キャスター、アヴィケブロンの宝具の完成には、どうしても魔術回路を持つ者を組み込む必要がある。それのためのホムンクルスを、彼はライダーたちに邪魔されて失った。それに“黒”のサーヴァントに脱落が無い以上、マスターの誰かを犠牲にする目処も立ちそうにない。

だが、彼が“赤”のサーヴァントとなれば話は別。

アヴィケブロンは彼のマスター、ロシェを最高の材料として消費できるようになるのだ。

フィオレの顔色も紙のように白くなる。

 

「カウレス、あなたは至急ロシェに連絡して!それから私たちも一旦この部屋を離れるわ!キャスターのあのゴーレムに襲われたら、今の城で防衛は無理!」

「分かった!ゴルドのおっさんは?」

「彼にはセイバーが念話で知らせたそうよ!後で合流するわ」

 

言いながら、フィオレは背中に自分の手足となる魔術礼装を装備した。

バーサーカーを先頭に、彼らは外へ駆け出した。こうなると、一般人で身体強化の魔術も使えない玲霞は遅れる。仕方ないので、彼女はカウレスが抱えて走ることになった。

どこか甘い彼女の香りをなるたけ吸い込まないようにしながら、カウレスは走る。

 

「全く、次から次へと何なんだよ……」

 

愚痴の多いマスターだと先を行くバーサーカーは思う。

バーサーカーの想いを知ってか知らずか、彼に抱えられている玲霞が口を挟んだ。

 

「殺し殺されの戦いなんだもの、当たり前よ。あなたたちもそれが分かってて参戦したんじゃないの?……それに、案外味方の方が何かやらかしていることもあるわよ」

「……なあ、前々から思ってたんだがアンタ、ホントに一般人か!?それとも、日本じゃそれが普通の考え方なのか?」

「さあ、分からないわ。今のは結構アサシンの受け売りだしね」

「……あなたたち、いいから行くわよ」

 

顔をしかめたのが、最も魔術師らしいはずのフィオレだということを意外に思いながら進むバーサーカーの行く手に、肥満体の中年が見えた。

セイバーのマスター、ゴルドである。

彼はバーサーカーたちを見ると駆け寄ってきた。

 

「おじ様、ロシェは!?」

 

ゴルドは忌々しそうに首をふった。

 

「見つからん。どうやら城を出たらしい。キャスターに誘い出されたようだ」

「そんな……!」

 

フィオレが悲痛な声を上げる。

ロシェはキャスターを、同じゴーレムの造り手として敬愛し、彼を師として敬っていた。だから彼に言われたために、キャスターが契約のラインを断ったということも怪しまず、彼の元へ向かってしまったのだろう。

フィオレがそれ以上何か言う前に、地面が不気味に揺れた。

マスターたちは外の見えるテラスに転び出て、絶句した。

空中庭園の方から、巨大な岩の巨人が進んでくるのだ。肩に乗っている小さな人影はキャスターだろうか。

 

「あれが、『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』……?」

 

呆然とフィオレが呟く。

彼らは訳もわからず、ただ漠然と岩と木でできた巨人を神々しいと感じた。よく見れば、森から飛び出た小動物が、次々巨人に身を投げ出して一体化していく。それは花に引き寄せられる虫の行動そのものだった。

巨人は、蜜のように生き物を魅了する波動を放っている。

あれが自分たちを狙っていると分かっているのに、敵意を向けづらいどころか、長々と見ていると向けることすらできなくなりそうだった。

 

「ナァァァァァ――――オゥッ!」

 

バーサーカーはその気味の悪い感動に抗おうと絶叫し、結果的にマスターたちはそれで目が覚めた。

だが、だからと言って宝具相手に何ができるのだろう。

キャスターを肩に乗せた巨大ゴーレムはみるみる城塞に近づき、腕を振り上げると、やおら城の土台に一撃を加えた。

 

「地下の……魔力供給槽を壊す気か!」

 

唸るゴルドの目の前でゴーレムはさらに一撃を加えようと、腕を高々と振り上げる。だが、耳をつんざく甲高い音がして、ゴーレムの体が一瞬傾いた。

その隙にゴーレムが地面に開けた穴から、有翼の獣が飛び出す。

その姿を見て、カウレスが叫んだ。

 

「ライダー!?」

 

角笛の形の宝具、『恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)』を片手で握り、もう片方の手でホムンクルス数人を抱え、足だけでヒポグリフを御するという無茶な体勢のまま、ライダーはテラスに降りて来ようとし、勢い余って激突した。

ホムンクルスたちとライダーはもみくちゃになってテラスに投げ出される。

 

「いったぁ!キミたちは大丈夫!?」

「……何とか」

 

言いながら、驚くマスターたちを尻目に白髪赤目のホムンクルスの少年が立ち上がる。

彼に続いて、剣や斧を持った戦闘用ホムンクルスの少女や青年が、それに如何にも弱々しい魔力供給用のホムンクルスたちが、ふらふらと立ち上がった。

彼らがここにいることに、ゴルドは目を剥いた。

 

「な、何だお前たち!?」

「……逃げようとしたところで魔力供給槽が破壊されたのだ。……これだけしか、逃れられなかった」

「はあ!?」

 

ゴルドの口がぱくぱくと動く。

命令に従順な人形であるはずのホムンクルスが、逃げようとした?

あり得ないはずの一言に、ゴルドはホムンクルスの少女に詰め寄ろうとして、いい加減にしろと唸るバーサーカーによって目の前に戦鎚が叩きつけられ、悲鳴を上げた。

後ろの騒ぎを丸ごと無視して、ライダーはもう表情すら読み取れそうな距離に近寄ってきたキャスターとゴーレムに向き合った。

 

「キャスター!どういうことだ、ボクらを裏切ったのか!」

「裏切ったと言われれば返す言葉もない。確かに、僕は君たちの期待と信頼を裏切ったさ。だがね、僕の悲願と君たちの行動は重ならない。特に、目先の感情で動く君やアサシンのような人間は、僕の願いの成就のためには相容れないんだ。それだけのことさ」

 

激昂したところに、静かな言葉を返されたライダーが言葉につまる。

アヴィケブロンは本心から言っている。そこには悪意もない。彼は、誰よりも自分自身に忠実な求道者なのだ。

 

「―――――なるほど、確かに願いに貴賤はない。だが、だからといって裏切りは捨て置けない」

 

冷えた声が響き、ゴーレムの目とキャスターの心臓に矢が刺さる。

キャスターが肩から落ち、ゴーレムがよろめく隙に、”黒”のセイバーが地を駆けた。

彼は城の佇む断崖絶壁を跳躍で越え、絶壁を登ってマスターたちに向けて腕を伸ばしていたゴーレムを押し返した。

乗っていた操り手を叩き落とされ、崖から突き落とされたゴーレムだったが、驚くような機敏さで立ち上がる。

それを一瞥してから、“黒”のセイバーはマスターへ向き直った。

 

「すまないマスター。遅れた」

「ふ、ふん!お前の侘びはいい、今はあの巨人を倒してからにしろ!」

 

セイバー、ジークフリートは首肯して崖から飛び降り、ゴーレムへ向かう。

そこから少し離れたところで、受けた損傷のために足が遅れ、ようやく追い付いたアサシンは地に倒れたキャスターを見下ろしていた。

キャスターの心臓には矢が刺さっている。

アサシンは斬られたり、矢で射られたりした人間を嫌というほど見てきた。だからもう、どうあってもキャスターは助からないと分かる。

 

「……アサシン、君も僕の裏切りに怒っているのかい?言っておくが、僕は僕の命を盾にされてもあのゴーレムを停めはしない。というより、あれはもう停まらないのさ。あれこそが人類を救う、至高の宝具なのだから」

「……」

 

仮面に隠れ、アサシンにはキャスターの表情は読めなかったが、彼が真実を言っているのは分かった。停め方を聞き出せるかと思ったのだが、そう上手くはいかないようだった。

ゴーレムは彼らの背後でセイバー相手に立ち回っている。その核に捧げられたのは、キャスターのマスターだ。

キャスターのマスターは彼を師のように慕っていたという。が、半年も共に過ごすことのないマスターの命と、一生を捧げた悲願の成就とをキャスターは天秤にかけ、それが片方に傾いだのだ。

求道者でもなく、一生を費やした悲願もないアサシンには、キャスターを罵る気にはなれなかった。

ただ、胸の辺りを冷たい風が通りすぎていくような気がした。

 

「……それで、あなたの人類救済の答えは、自律式固有結界だと?」

「そういう言い方は好きではない。『王冠:叡智の光』はこの世に楽園を築くもの、僕らカバリストの祈りの体現だ。―――――僕のゴーレムよ、原初の人間よ、我らが民を、人々を、救いたまえ!」

 

キャスターはそれを最後の言葉にして、速やかに二度目の命を終わらせ、その体は金の粒子になって溶け去る。

サーヴァントの死は後に何も残さない。骨も肉も魔力の粒になるだけだ。この世に存在した証しが消え去るだけの静かな死に、ただ心が冷える。

アサシンはゴーレムを振り返る。

魔力を周囲の生き物の命から吸収し、徐々に巨大化しながら、巨人はミレニア城塞を攻めようとしているようだが、セイバーの剣戟とアーチャーの狙撃、ヒポグリフに再び跨がって空から急襲するライダーの攻撃に阻まれている。バーサーカーはマスターたちに飛んでくる流れ弾のような岩を打ち払っていた。

だが、傷を負ってもすぐ再生する巨人にサーヴァントたちも手を焼いている。

ゴーレムの手に、巨大な黒曜石の剣が突如現れ、セイバーのバルムンクを迎え撃ち、セイバーがたたらを踏む。

 

「くっ……!」

 

そのとき、セイバーを庇うように聖なる旗が割り込み、黒曜石の剣を受け止めた。

旗の持ち主、ルーラーはそのままセイバーと入れ換わるようにゴーレムの前に躍り出て、攻撃を捌き始める。守りに徹したルーラーを、巨人は突き崩せない。

アサシンも戻るが、それを察知したゴーレムはセイバーから視線をそらしてアサシンへ剣を叩き付けた。

アサシンは避け、呪術でルーラーの援護に回る。

そこにセイバーも加わった三騎がゴーレムの攻撃を捌く隙に“黒”のアーチャーは、冷静にゴーレムを分析した。

ゴーレムは壊されても勝手に修復されていく。だが治癒魔術の類いが行使されている気配はない。

 

――――――あの修復は、大地からの祝福によるもの。そして巨人は急所を同時に潰さねばならないか。

 

『王冠:叡智の光』は、地上に主の創り賜うた楽園を顕現させるためのゴーレムだ。

ゴーレムは地に足をつけて存在する限り、大地から祝福を受け続け、地を楽園へ変えていく。

その先にあるのは、すべての生き物の意志が楽園という快楽に溶かされた世界だろう。

言うまでもなく、出来るだけ早く倒さねならない。

倒す方法は、足を大地から引き剥がし、その上で頭と胸にある急所を完璧に同時に潰すことだと、アーチャーは結論付けた。

ゴーレムの足を倒すのは、自分とライダー。一つの急所はセイバーが潰すとして、最後の一つはどうしようかとアーチャーは考える。

残る“黒”のサーヴァントといえばアサシンとバーサーカーだが、彼女たちの最大火力の宝具はセイバーと同時に攻撃しようとすると呼吸を合わせづらく、おまけに二人揃って代償が自分の命と来ている。

つまり、ここでは使えない。使うにしてもその機会はここではなかった。

 

「ルーラー!あともう一騎サーヴァントが必要です!この近くにサーヴァントは来ていますか?」

 

どんどん巨大になっていくゴーレムの剣を弾き返し、ルーラーはアーチャーに応える。

先程までここにいた、もう一騎の剣士のサーヴァントを呼ぶために。

 

「“赤”のセイバー!ルーラーの名において参戦を要求します!声が届かぬ訳ではないでしょう、来なさい!」

 

直後、森の木々をなぎ倒し赤雷を撒き散らして、白銀の全身鎧を纏った剣士が現れる。

 

「呼んだか?……ははぁ、あのデカブツに苦労してんだな、お前ら。で、オレは何をすればいい?」

 

気だるそうなセイバーに、アサシンが叫び返した。

 

「こちらの、セイバーと、頭と胸の急所を同時に、潰して下さい!」

「へぇ。で、それをして、オレに見返りはあるのかよ」

「……ルーラーに聞いて、下さい!」

 

地上を薙ぎ払おうとする黒曜石の剣を避け、アサシンは言葉の半ばはルーラーに向けて叫んだ。

“赤”のセイバー、モードレッドの目がルーラーに向く。調停者のサーヴァントを見て、セイバーは鼻を鳴らした。

 

「お前が特権持ちのルーラーか。聞いた話じゃ、お前、令呪持ってるんだってな」

 

まさか、とルーラーは嫌な予感がした。

“赤”のセイバーはふてぶてしく告げる。

 

「それを二画くれ。そしたら協力してやる」

「なっ!これは大切な――――!」

 

思わず動揺して動きの鈍ったルーラーを、アサシンが突き飛ばして巨人の攻撃を避けさせた。

結果、巨人の攻撃は“黒”のセイバーとアサシンに集中した。

 

「ルーラー!急いで!抑えきれなくなります!大地への侵食が速い!」

「……分かりました!ですが、一画だけですからね!」

 

やけ気味に叫んだルーラーにモードレッドはにやりと笑いながら、宝具発動のため兜を外す。凶暴な目をした金髪の少女の顔が露になった。

 

「上等だ!おい、“黒”のセイバー、お前が合わせろよ!」

「……ああ」

 

彼らの様子を見ていたアーチャーは、これで揃った、と思いながらヒポグリフに騎乗したライダーに合図を送る。

彼の様子を見ていたルーラーとアサシンは、巨人の腕を渾身の力で上に跳ね上げ、セイバーは宝具発動準備のために後ろに下がった。

息を整え、アーチャーは二本の足を同時に砕くため矢を一息に二本射った。

だが、この短い間に劇的にサーヴァントたちの戦い方を吸収していたゴーレムもさるもの。

片方の足を潰されながらも、剣でアーチャーの矢の一本を落とした。

見守っていたマスターたちが驚愕で凍りつく中、アーチャーはこれでいいと笑った。

 

「そぉれ!――――『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』」

 

掛け声と共に、ルーラーとアサシンに気を取られているゴーレムの死角から、ライダーが舞い降りる。

彼の黄金の馬上槍が、ゴーレムに直撃した。

触れたものを転倒させる槍の効果が発動されて、ゴーレムの体が宙に浮く。

祈りの結晶である巨人を打ち倒せる機会は一度、時間は一瞬。これを逃せば、無垢なる巨人はさらに手のつけられないモノへと変化していくだろう。

それでも、やりとげて見せるのが英雄だ。

 

我が麗しき(クラレント)――――」

幻想大剣(バル)――――」

 

“黒”と“赤”の剣士たちは走りながら宝具の真名を唱える。

赤雷と黄昏色の光が空気を焼き、それぞれの剣は魔力を貪欲にまで集めていった。

 

父への叛逆(ブラッドアーサー)ァァァァッ!」

天魔失墜(ムンク)ゥゥゥゥッ!」

 

白銀の騎士は巨人の頭を消し飛ばし、黄昏の剣士は胸を抉り取る。

余波の爆風がルーラーとアサシンにまで叩き付けられたが、二人は旗と剣を地に突き立てて踏みとどまった。

激しい風が止み音が戻る頃には、巨人はただの土塊と木に成り果てて、沈黙していたのだった。

 

 

 

 




ゴーレム戦終了の話。

そしてすみません。
リアルが忙しくなるので(この口上も散々使っていますが)唐突ですが、更新が、遅れます。

明日の更新も、できません。




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Act-20

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。


 

“黒”を振り切って、空中庭園は大聖杯を中に収めた。だが、ルーマニアの空を横切りながら進む庭園内の空気は、張りつめている。

執筆のためといって書斎に籠ったキャスターを欠いた空中庭園の玉座の間にて、アサシン以外の“赤”のサーヴァントたちから厳しい視線を向けられているのは、シロウ・コトミネこと、真名、天草四郎である少年。

彼は顔に張り付いたわずかな笑みを絶やさず、佇んでいた。

その顔が微かにしかめられ、“赤”のアサシン、セミラミスが目敏くそれに気づいた。

 

「“黒”のキャスターがやられたか?」

「ええ。彼の祈りは阻まれたようです」

 

セミラミスへ向けて答えるシロウを見、苛立たしげにアキレウスが槍の石突きで床を打った。

 

「おい。そろそろ詳しく聞かせてもらおうか。返答次第ではその首を頂く」

「詳しく言うも何も、こちらの目的は先刻述べた通りです。願いを叶えるためには私には大聖杯とあなた方の協力が必要だった」

 

弓から手を離さないまま、アーチャー、アタランテは冷え冷えとした目のまま、口を開いた。

 

「つまり、汝は心底人類救済という願いを叶えようとしていると」

「ええ」

 

それまで壁に背を預けて黙していた“赤”のランサー、カルナが、片目を開けてシロウを見る。

 

「オレたちのマスターはどこにいて、どんな状況だ?」

「“黒”のアサシンが言うていただろう。毒で眠りに溺れているだけさ。何処にいるかは言えんがな、生きてはいるさ」

「……人質か?」

 

カルナの鋭い視線を受けても、セミラミスは玉座にもたれて笑うだけだった。

 

「さて、どうかな。だがな、如何に魔術師として優秀だろうが、“黒”の無様なマスター共のように好き勝手されては困る。ならば除くしかあるまい。違うか?施しの英雄」

 

確かに、血族で固めたとはいえサーヴァントたちが個々にマスターを持っていた“黒”側は、“赤”に対して後手に回った。

我の強い魔術師のマスター七人が、それぞれ英霊を使役するより、一人のマスターが統率した方が効率がよくなるのは確かだ。

ただ普通なら、それを可能にする魔力が足らず、手段がないだけ。

シロウは莫大な魔力を溜め込んだ大聖杯を手中しにしたことで、そこから六騎のサーヴァントを現界させるだけの魔力を引き出すことができた。

そしてセミラミスの言うように、実際、ユグドミレニアは最後まで残るべき一族の長までもが独断で動き、サーヴァント諸共に滅ぼされている。

彼らが態勢を立て直して、空中庭園を追い掛けてくるには数日はかかるだろう。あちらにルーラーと“赤”のセイバーがついたとしてもだ。

 

「勝つためというなら、確かにそちらの方法は間違っていない。だがオレがお前をマスターとは見なすことはない、天草四郎」

「ほお。それは我らと矛を交えるということか?」

 

セミラミスの目がつり上がり、魔力が荒ぶるが、カルナはありとあらゆる虚飾を剥がす目を揺らすことなく首を振った。

 

「いいや。オレにとってのマスターは、あくまでオレを召喚した人間というだけだ。そのマスターが聖杯を望み、“黒”が聖杯を欲する以上、オレはこちらの側で槍を振るおう」

「見上げた忠誠心だな。してみると、お主は自信の願いを切り捨ててもマスターに尽くすと申すか?」

 

カルナは肩をすくめ、一言だけ言った。

 

「優先されるべきは生者。()()()()にとってはそれが真理だ」

 

それきり口を閉ざすカルナからシロウは視線をはずし、アタランテへ目を向ける。

 

「……謀られていたことは気に食わない。が、私は返答次第でお前たちをマスターとしてもいい」

「……おい姐さん、こいつらは毒を使ったんだぞ?」

 

訝しげなアキレウスに、アタランテは冷めた目を向けた。

 

「私は、私を召喚する前に罠に嵌まるような惰弱なマスターに未練はない。死んでいないだけ救いはある」

 

弱肉強食そのものの答えを、アタランテは表情には毛ほどの揺らぎもなく告げた。そのまま彼女はシロウへ向き直る。

 

「だが、天草四郎。私は己の願いを諦めるつもりはない。私の願いは、この世すべての子どもたちが愛され、健やかに育つ世界の実現だ。この願いを妨げるなら、何者であれ容赦はしない」

 

実現など不可能にも聞こえる願いを、弓兵の少女は言って退け、少年神父はただ軽く頷いた。

 

「その願いならば、私とあなたの利害は一致すると思うのですが如何ですか?」

「……人類救済、か」

 

アタランテは呟いて、しばし動きを止めてから弓を足元に置いた。

シロウが、嘘は言っていないと彼女は判断し、一先ず撃ち抜くことは止めたのだ。

ただ気になるのは、人類救済という夢物語のような願いを彼がどのような方法で叶えようとするか。

最後に残ったアキレウスは、シロウに向けていた槍の切っ先を下げた。

 

「次は俺か、まあいいさ。……俺の願いは英雄らしく振る舞うことだ。第二の生ってのにも興味はあるがね、まずは英雄らしく戦うことが条件だ」

「英雄らしく、のぅ」

 

英雄らしく、という言葉を聞いたからか、やや俯き気味だったカルナは顔を上げて興味深そうに目を細め、頬杖をついたセミラミスは鼻を鳴らした。

 

「応さ。英雄らしく生きることは、母と交わした我が誓いだ。何か言うことがあるのか?女帝」

 

獰猛に笑うアキレウスとセミラミスの間に、す、とシロウが割り込み、一瞬昂った空気が冷えた。

 

「もちろんそれは構いません。あなたは英雄らしく戦い、私の敵を倒してくれれば良い。誓いに反するとあなたが判断したなら、見逃してくれても結構だ」

 

そんなことを言って大丈夫なのか、という風にセミラミスはシロウの背を見るが、シロウは振り返らなかった。

 

「豪気なことを言うな。俺の敵とお前の敵が重なるとどうして言える?」

「あちらの陣営には“黒”のアーチャー、ケイローンがいます。違いますか?」

 

シロウの答えは、師と渡り合い、彼と決着をつけたいと熱望している騎兵によく利いた。

アキレウスもまた槍を足元に置く。

それを見計らってか、カルナが再び問うた。

 

「最後に一つだけ聞こう。お前は人類救済と言ったが、それをどういう方法で叶えるつもりだ?」

 

聖杯は、願いの過程を飛ばして結果を引き寄せる。逆に言うと、願いを叶えるための具体的な方法を入力しなければ起動しないのだ。

人類救済という夢物語を叶えるための道筋を、シロウはどう通るつもりなのか。

程度の差はあっても、大なり小なり“赤”のサーヴァントたちはその方法を知りたくはあった。

シロウは一つ息を吸って、答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャスターのゴーレムが土塊に還り、ミレニア城塞へサーヴァントたちが戻って来ることができた。

半壊したミレニア城塞を一目見て、アサシンがぼそりと言う。

 

「また派手に壊れてますね」

「そうだねぇ。テラスもひび割れてるし。スパルタクスってばスゴかったんだね。いやホント、ボクらよく命があったもんさ。何かこう、耐久ステータスD的に!」

「ゥウウッ……。アゥアッ!」

「えーと、アサシーン!通訳お願い~」

「……テラスを壊したのはそっちだろう、あと、わたしの耐久ステータスはそんなに低くないから一緒にするな、だそうです」

「……てめぇら」

 

呑気に構えるライダー、それからアサシンとバーサーカーの三騎に、城までついてきた“赤”のセイバーは呆れたようには額に手を当てた。

ミレニア城塞の中でも被害の少なかった広間の一つに、生き残った“黒”のマスターと“黒”のサーヴァント。それにルーラーと“赤”のセイバーとマスターの獅子劫はいた。

そこに生き延びた十数人のホムンクルスたちを加え、とかく雑多な感じのする面々は、全員がここに集っていた。

こほん、とルーラーが咳払いし、全員がそちらを向いた。ふざけ気味だったライダーも姿勢を正す。

そのままルーラーは彼女が空中庭園で遭遇した出来事を語る。語り終える頃には、会議室には重い沈黙が下りていた。

 

「―――――私の遭遇した状況はこの通りです。過去のルーラーが大聖杯を奪い、そこから魔力を吸い上げてサーヴァントを使役し、己が願いを叶えようとしている。これは、はっきり言って異常事態です。故に、ルーラーとして“黒”に提案します。天草四郎の企みを阻むまで、私はあなた方に協力します。受けてくれますか?」

「……はい」

 

この場で一番次代の長に近いフィオレが頷く。

 

「天草四郎の企みは、つまりは人類救済という願いの成就な訳ですが……」

「馬鹿馬鹿しい。そんな方法などあるわけない」

 

言い淀むルーラーに対して、ゴルドは吐き捨てた。

彼らを見ているカウレスは口を挟もうか迷った。彼は天草四郎が森でアサシンにその『方法』を語ったとき、遠見の術越しに聞いていたからだ。

ふと、カウレスの目が一画欠けた令呪に注がれる。

お人好しのアサシンが言ってしまう前に、カウレスは口を開くことにした。

 

「あー、ルーラー。その願いだがな、天草四郎の方法なら分かるぞ」

「何ですって?では、教えてくれませんか?」

「教えてもいいけどさ、こっちのバーサーカーとアサシンが命懸けで聞いてきたんだ。価値ある情報だろ?無料ってのもな」

 

バーサーカーは何か言いたげにカウレスの服の裾を引っ張り、視界の端でアサシンと玲霞が苦笑し、姉は意外な者を見る瞳を弟に向けていた。

 

「……また令呪ですか」

「まあな。俺は一画使ったし、その分は補填したいと思うだろ?」

 

一つ欠けた令呪の刻まれた手を振りながらいうカウレスと気だるげに首を傾けてこちらに微笑んでいる玲霞を見、ルーラーは渋い顔で頷いた。

 

「……分かりました」

「オーケー。交渉成立だな」

 

それからカウレスに、全員の視線が集中する。

 

「天草四郎の願いは全人類の不老不死化。世界規模の第三魔法の適用だとさ」

「……補足すると、世界中の霊脈から魔力を吸い、あらゆる時代の人類すべてに不老不死をもたらす永久機関として大聖杯を使うつもり、だそうです」

 

カウレスとアサシンとが淡々と述べた方法に、場が凍り付いた。

 

「馬鹿な……!」

 

冷静沈着なケイローンが驚きの声を上げ、ジークフリートも声こそ出さなかったが目を大きく見張った。

ゴルドが腕を振り回して叫んだ。

 

「狂っている!そんなことをすれば、魔術は崩壊するぞ!」

「……でも、人は死ななくなります。そして天草四郎はそれが救いだと心底信じている。……だから大いに問題なのです」

 

直接天草四郎から願いを聞いたアサシンが囁くように言う。小さいが低く澄んだ声は場によく響き、激昂していたゴルドも腰を下ろした。

 

「私に願いを告げたときの天草四郎の目を見たら、分かります。彼は、気の遠くなる長い時間をその願いのために捧げている。自分の答えを救いだと本当に信じきっていて、死ななければ止まらないでしょう」

「そこまで分かるものか?というか、あの野郎はよくそこまでお前に教えたモンだな」

 

モードレッドに、アサシンは青い瞳を向けた。

 

「私を勧誘するつもりだったからでしょう。私はマスターの願いを叶えたいと思っています。よって、自分の願いが叶った暁には、マスターも幸福になれるのだから、こちらにつけ、とでも言うつもりだったのでしょう」

 

だが、そう言われる前にアサシンは斬りかかったから、話はそこで決裂した。

言いながら何か思い出したのか、彼女は手を固く握り締めていた。

静まり返る空気の中、フィオレが固い表情で厳かに告げた。

 

「……では、ここに集まったサーヴァントとマスターで天草四郎を止める、ということで宜しいですか?」

 

言葉の半ばを獅子劫に向けてフィオレが告げる。彼は気負った様子もなく答えた。

 

「まあな。俺も聖杯にかける願いはある以上、あんた方に協力してあの神父を止めなきゃどうしようもないからな」

「では、彼らを倒すまで一時期共闘するということで構いませんね?」

「ああ」

 

頷いてから、獅子劫はちらりと卓の一角に目を向けた。

 

「だがこっちとしては一つ聞いときたいんだが、そっちの正式なユグドミレニアの魔術師のマスターってのは三人ってことで良いんだな?」

 

フィオレ、カウレス、ゴルドを順々に指しながら獅子劫は言う。

 

「それが何か?」

「いや、共闘する以上確めておこうかと思っただけさ。お前さん方は外来の奴らが混ざったまま足並み揃えて戦えるのか?」

 

獅子劫が親指で指したのは、儚げなホムンクルスの少年と美人だが覇気に欠けた一般人の女。

確かに、外部の獅子劫からすればユグドミレニアは異質なマスターを二人も抱えた不安定な一団に見えるだろう。

ただでさえ、一族の長がサーヴァントに魂を寄生させたあげく、浄化の名の下に討伐されたばかりだ。

ここでなめられてはならない、とフィオレは咄嗟に思った。笑みをつくり、フィオレは獅子劫に答える。

 

「ええ。問題なく戦えます」

 

フィオレの目を見、獅子劫は軽く肩をすくめた。

 

「そうかい。じゃ、あっちに乗り込むときに連絡をくれ。俺たちは町にいて適当に準備するからな。行くぞ、セイバー」

 

サーヴァントと共に場を去ろうと立ち上がった獅子劫は、ルーラーに向けて傷痕だらけの強面ににやりと笑みを浮かべた。

 

「それとルーラー、さっきの報酬を忘れていないよな」

 

ルーラーはいかにも渋々と頷くが、それ以上何か言うこともなく彼に令呪を一画譲った。報酬を手に入れた獅子劫とセイバーは立ち去る。

彼らの気配が完全に消えてから、フィオレは意識をライダーとホムンクルスたちへ向けた。

 

「それでライダー。説明してください。どうしてあなたのマスターは、そこのホムンクルスになっているのですか?」

 

フィオレたちユグドミレニアの魔術師は、セレニケが命を落としたことを先ほど知覚していた。

だが一概に味方とも言えない獅子劫がいたから、弱みを見せないよう何もなかったかのように振る舞っていたのだ。

けれど彼らはもういない。

フィオレがライダーへ向ける目は厳しかった。彼がセレニケを殺害した可能性が捨てきれないからだ。

 

「……言っとくけど、今からボクが言うことは、ボクの騎士の誇りにかけて一から十まで全部ホントのことだよ」

 

ふざけることもなく、ライダーはすべてを正直に語った。セレニケがライダーを苦しめるために令呪を使ってホムンクルスを殺させようとしたこと、その少年、アッシュが防衛する形でセレニケを殺しライダーと契約したこと。

ありのままを話し終え、ライダーは隣で白く固い表情で座っている自分のマスターの肩を安心させるように軽く叩いた。

 

「あなたの話が真実ならセレニケは何てことを……」

 

フィオレが蒼白な顔で呻くように言う。

ゴルドも眉をひそめていた。一族の命運がかかった聖杯戦争で、マスターが自分のサーヴァントを凌辱するために令呪を使い、返り討ちにされるなど予想外だったのだ。

 

「本当だってば。キミのアーチャーやアサシンには嘘が通じないんだから、分かるだろ?」

 

ケイローンとアサシンとはフィオレを見て頷いた。となると、ライダーは嘘を言っていないのだ。

フィオレは額に手を当てた。

 

「……ライダー、あなたを信じましょう。セレニケの遺体に残留思念再生の術をかければ本当のこともわかります。いずればれる嘘をつく意味はない」

 

ですが、とフィオレは彼の隣の少年を指した。

 

「そこのホムンクルス。あなたは何故ここへ?それに他のホムンクルスもそうです。役目の放棄など、いつ私たちが認めたのですか?」

 

冷たい魔術師の顔をした少女に見られ、アッシュは手をきつく握り締めた。

 

「……俺は、ただ魔力を吸い取られて死んでいく仲間を助けたかった。そのままにしておけなかったんだ」

 

ゴルドが何か言いたげに動いたが、アサシンがちらりと彼の方を見て、ゴルドは席に戻った。

それに励まされながら、後ろから生き残った同胞たちの視線を感じながら、アッシュは口を動かした。

 

「サーヴァントに対抗するのは、俺たちに与えられた機能ではどう足掻いても無理だ。元々あなたたちは、捨て駒のつもりで俺たちを造ったのだから当たり前だろうが、俺には認められなかった。それに魔力供給槽は壊れ、さっきのゴーレムの攻撃で仲間が何人も死んだ。もう、ここのサーヴァントたち全員に潤沢な魔力を供給できるだけの数の同胞はいない」

 

そこでアッシュの後ろにいたホムンクルスのうち、彼らのリーダー格になっている少女が口を開いた。

 

「……まあ、そういうことだ。必要ならいくらでも手伝いはする。だが、私たちは魔力を搾り取られる存在に戻るのは嫌だというだけだ。それに、あの空中庭園に攻め込むと言うなら、地上の戦に我らを投入することはもうないだろう?」

 

サーヴァントとマスターたちが空中庭園に乗り込めるかさえ、ぎりぎりなのに雑兵を連れてなど、できるはずもない。

 

「詰まる所、俺たちは生きたいだけだ」

「……ふざけたことを。お前たち、自分の寿命がどれだけ短いかなど知っているだろうが」

 

ゴルドの言葉は尤もだった。

アッシュの後ろに立つ少女など、戦闘に特化した性能をつけられたために、半年も生きられないほど生命体としては脆い造りをしている。

けれどそんなことはホムンクルスたちは皆分かっていた。

 

「それでもだ。明日に終わる命でも、俺たちは生きたい。数日でも数週間でも俺たちは自分の意志で生きて、死んだんだと思いたい。それは罪か?」

「罪?罪だと?……何を人間のようなことを言うのだお前たち!?」

 

ホムンクルスの造り手、ゴルドは立ち上がってアッシュに指を突きつけ怒鳴った。

彼は、怒るというより困惑していた。

ゴルドにとっては、ホムンクルスなど材料があればいくらでも作れる人形。すぐに壊れる脆い人形が口を利き、意思を持ち、人間のように振る舞いだしたのだから、戸惑いは隠せなかった。

 

「アサシン、これはお前のせいか?お前の宝具が、何かこいつらにここまで劇的に作用したのか!?」

 

ゴルドは他にきっかけを思い付かない。

水を向けられたアサシンは変わらず淡々と答えた。

 

「……彼らには元々生きたいという意志があったのでしょう。人形として扱われていたから、こちら方が人形としてしか扱わなかったから、彼らはこれまで何も言わなかった。私の宝具は、それに火をつけただけです」

「ああ。最初に生きたいと願ったのはこのイレギュラーだ。ライダーやアサシンは手を貸し、私たちは触発された。それだけのことだ」

 

赤と青。二対の静かな瞳がゴルドを見つめ返した。

しばらくの間、誰も何も言わなかった。

 

「……分かりました。ホムンクルスたちは自由にしてくれて構いません。ですが、ライダーのマスターとなったホムンクルス―――――」

 

言いかけたフィオレを、アッシュは手で制した。

 

「俺は、アッシュだ」

「……分かりました。ではアッシュ。セレニケを殺したことについては、彼女の非もあり、もう問いません。しかしあなたはこのまま、私たちと共にマスターとして戦うつもりですか?それだけははっきりさせてください」

 

斜め向かいに座るルーラーが、心配そうにこちらを見ているのをアッシュは感じた。

横のライダーは見なくても分かる。多分彼はルーラーと同じ表情をしているだろう。

ふと、アッシュの目は離れたところのアサシンに向けられる。その一瞬、アサシンの表情の欠けた顔に綻びるように感情が表れた。

夕暮れ時に途方に暮れて、誰かに道を尋ねたがっている少女のような、そんな色の感情が、本当に束の間だけアサシンの顔を過った。

しかし、アッシュが確かめる前に表情はかき消えて、顔をあげたアサシンは静かに彼へ目を合わせて首を小さく横に曲げた。

あなたはどうするのか、と問いかけるように。

 

「……俺は、マスターとして戦う。ここまで関わったんだ。令呪を得た以上その責任があると思うし、俺は最後まで見届けたい」

 

ルーラーとライダーが俯くのを感じながら、アッシュはフィオレに告げた。

 

「……分かりました。では今日はこれで解散とします。空中庭園への突入方法に関しては、数時間の休憩の後に話し合いましょう」

 

フィオレのその言葉が長い一日の終わりになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




色々言葉足らずで感情を読ませない若干二名が何を考えてるかは、これから補填していきます。
ちょっとお待ちを。


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Act-21

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

 

会議が終わった後、ルーラーは狙い済ましていたようにアサシンに近寄って来た。

 

―――――会議の途中から見られていたし。

 

サーヴァントのアサシンはともかく、人間の玲霞にとってはすぐに疲労で倒れてもおかしくないほどの日で、疲れでとろんとした目をしていたのだが、ルーラーはアサシンと玲霞の二人に話があるようだった。

 

「……」

 

だが、フィオレに言ってアサシンたちが泊まることになった先の部屋でもルーラーはじっと二人を見てくるだけだ。

 

「ルーラー、何かこちらに用ですか?」

「……ええ。アサシン、貴女の真名なのですが……何故見えないのです?」

 

ルーラーには、直接見たサーヴァントの真名を見抜くという特権が与えられており、だからルーラーは初見でコトミネシロウが天草四郎だと分かった。

が、このアサシンはいくら見ても真名が空白のまま。ルーラーも最初は元から異変尽くしの聖杯大戦だから、多少の間違いも発生するかとも思った。

が、ここに来ていきなり世界の命運がかかってくるとなったから、ルーラーも更に更に気を引き締める必要が出た。そうなると素性不明で、“赤”のランサーとどこか通じ合うものがあると見えたアサシンの存在が気になり始めたのだ。

疑いとまでは行かないが、少なくとも事情を知る必要がある、とルーラーは判断した。

助けを求めたホムンクルスに肩入れしたことと言い庇ったことと言い、アサシンの根は悪人ではないのだろう。

ただ、悪人でないというのは信用する理由にはならない。あの超然とした少年、天草四郎がそうだったように。

 

「……先に言っておきますが、別に私は天草四郎ほどのイレギュラーなサーヴァントではありませんし、“赤”側につくこともありませんからね」

 

と、いきなりアサシンは無表情でルーラーの小さな懸念を正面から否定した。

玲霞は、アサシンの服の裾を引いた。

 

「アサシン、ルーラーさんがちょっと困ってるわ。結論から先に言ったら混乱させてしまうわよ」

「……そうですね、失礼しました。とにかく、私を疑う意味はないと先に伝えたかったのです」

 

ぺこりと素直に頭を下げたアサシンにルーラーの方が虚をつかれた。

アサシンの表情は人らしい揺らぎが欠け言動は直截だが、ルーラーへの気遣いは確かにあるようだった。

 

「真名が読めないというのは、私がそういうサーヴァントだからです。あなたのルーラー特権に間違いがあるのではなく、問題があるのは私の方です」

「貴女の?」

「ええ。簡単に言うと、私は死んでから神に呪われました。その結果、名前が他人に認識されなくなっています。ついで、私がいた過去は、私が存在していなくても問題ないように人の記憶が編纂されたはずだから、私には逸話もない、と思います」

 

あまり語りたくないのか、早口で述べられた内容に、ルーラーは目を白黒させた。

アサシンはどうしようかと言う風に首を少し傾ける。

 

「といっても、話すより聞く方が早いでしょうね。―――――『 』」

「え?」

 

最後の一言だけ、何故かルーラーには聞き取れなかった。アサシンが口を動かして音を発したことは分かった。だが、意味ある言葉として聞こえないのだ。

 

「今のが私の本名です。でも、聞こえないでしょう?」

「……」

 

言葉を無くすルーラーに、アサシンは続けた。

 

「それと、私が“赤”のランサーと親しく話していたことも気にされているなら、それは説明できます」

「それは?」

「私が彼の妻で、彼が私の夫だからです。要は夫婦です」

「……」

 

アサシンの横で、彼女のマスターが額に手を当てた。

そのまま彼女はアサシンの耳を引っ張り、もうちょっとぼかした言い方は出来ないの、とアサシンに囁く。アサシンはアサシンで、聖女で啓示持ちのジャンヌ・ダルクさんに上手く誤魔化した言い方が通じるわけがないんです、とぼそぼそと玲霞に答えていた。

もちろん、サーヴァントとして高い聴力を持つルーラーには全部聞こえていた。

その全然隠そうとしないやり取りに、かえってルーラーは毒気を抜かれた。この二人の惚けが演技とも思えない。

 

「分かりました、ともかく、貴女が敵に回らないなら裁定者としてそれは構いません。……ですが、アサシンそれではあなたは……」

 

アサシンは手を振ってルーラーの言葉を遮った。

 

「こちらの王には散々に弁明したのですが、あなたにはしていませんでしたね。―――――それは確かに、カルナと敵味方になるのは辛いものです。でも一度敵味方に割れたくらいで、愛想が尽きたり尽かされたりするほど短い付き合いでもありません」

 

言いながらアサシンの細い眉がきゅっと寄る。どうやらこの表情に乏しいサーヴァントは、何かに対して怒っているようだった。

 

「というより、現在私はカルナに対して少々怒りを覚えています。何マスターをあっさり人質に取られているのですか、とね」

 

アサシンの白い頬に朱が差し、青い瞳にめらめらと熱が宿る。どうやらどころではなく、アサシンは怒っていた。

 

「カルナは多分また、自分はただマスターの槍だとか言っているのでしょう。でも、自分がどう思っていようが関係なく、手に入れたい戦力と見なされるコトを、もっと、警戒しておいてほしいって思うのです!“黒”の私が言うことではないですけれど!」

「ア、アサシン、落ち着いて!燃えてます!髪が燃えてますから!」

 

はあはあ、と一瞬火の粉を纏って声を荒らげたアサシンは肩で息をしてから、額に手を当てた。

 

「……申し訳ありません、取り乱しました」

「い、いえ」

 

よほど自分が感情を爆発させたのが堪えたのか、頭を抱えてアサシンは呻く。

その隣で玲霞は純粋に驚いていた。召喚されてから今まで、アサシンが感情を迸らせて叫んだことなどなかったからだ。

顔を覆った手を放して、アサシンはルーラーを見た。

 

「それともうひとつ。私は天草四郎の言う救済を救済とはどうしても考えられないのです。彼の願いを私が挫きたいと思っているのは、本当です」

 

それだけでもいいから、どうか信じてください、とアサシンは元の表情を取り戻し、ルーラーを真っ直ぐ見て言った。

 

「……分かりました」

 

ルーラーは玲霞の方に視線を走らせた。

本当なら彼女の話も聞きたかったのだが。疲労で、今にも船を漕ぎそうな玲霞にこれ以上時間を使わせるのは心苦しかった。

それに、生身の人間に憑依しているルーラー自身もそろそろ活動時間が限界に近い。

 

「おやすみなさい、アサシン、玲霞」

「ええ、おやすみなさい。ルーラー」

 

ぱたんと扉が閉められ、ルーラーの気配が遠ざかるのを感じてから玲霞はそのままベッドに横向けに倒れた。

鉛のような疲労が全身にのし掛かっていて、多少の埃っぽさも気にならないくらい疲れていた。

スパルタクスの爆発に空中庭園の城への襲撃と、玲霞には想像したこともないことばかりだった。

特に、スパルタクスの光で視界を焼かれたときはこれで死ぬかもしれない、と思った。そう考えると、今更のように生きている実感が湧いてきて、玲霞は細かく震える自分の肩を抱いてその暖かみを感じた。

アサシンはそんな玲霞の横で木の椅子の一つを引き寄せ、その上で片膝を立て、灰色の猫のように丸くなって座る。

横たわった玲霞の少し上にあるアサシンの横顔は、わずかに紅潮している。こうしてみると、アサシンは少女らしさが抜けきっていなかった。

本人曰く、彼女はある年を境に死ぬまでこの姿のままだったから、そのせいで年齢より年下に扱われ、からかわれるのが多かったとも言っていた。彼女をそう扱ったのもからかっていたのも、主に彼女の仕える王だったそうだが。

ともあれ、彼女はその成りで激しい戦いに飛び込んで、帰ってきた。嬉しいことのはずなのに、何だか玲霞にはアサシンがこれまで以上にか細く見えた。

 

「レイカ、眠らないのですか?」

「いえ、眠るわ。今日は、とっても疲れたもの。おやすみなさい、アサシン。あなたも休んでね」

「ええ。おやすみなさい、レイカ。……どうかいい夢を」

 

目を閉じたかと思うと、玲霞はあっという間に寝息を立て始める。窓から差し込む朝日が、白いシーツのかかったベッドに格子の形に影を落としていた。

それを見ながら、アサシンはぼんやりと部屋の隅に蟠る暗闇に目を凝らしていた。

魔力が足りさえすれば、サーヴァントに休息は要らないのだが、魔力のほとんどをホムンクルスたちに頼っていたアサシンは、供給槽が壊れたことでその補給先を失った。

今日の戦闘の疲労が、頭の芯を蝕んでいるのを感じていた。玲霞には見抜かれていないはずだが、アサシンも丸きり平気な訳がなかった。

狂った巨人の爆裂と、吸血鬼の襲撃と、岩人形の進撃で魔力も相応に使った。

戦わずに現界するだけなら、知名度のない格の低いサーヴァントであるアサシンは貯めた魔力や炎から吸収する魔力で、ぎりぎり何とかなるがそれ以上となると厳しい。

どうにかしなければならなかった。それも早急に。

ただ一方で、アサシンは魔力が外から補給されない状況で枷が軽くなったような感じを覚えていた。

仕方ないからとは言え、死者の自分が物言わぬ生きるホムンクルスから魔力を搾っているのは、心がずっと苦しかった。

彼らが何人も死んでこういう感情を覚えるなんて歪だと、アサシンは自嘲する。

同時にこういう在り方のサーヴァントはやはり()()()()()()と思う。元々、時代の異邦人で余所者だ。この時代に、必要以上に留まりたいとは思わない。魔力でできた仮初めの命なのだから、役目が終わったら去るべきだ。

逆に言うと、役目が終わるまでは消えるつもりは全然ないのだが。

ひとまず、焚き火でも作って魔力でも集めるか、と玲霞の周りに結界を張り、アサシンは部屋の外へ出た。

フィオレたちも寝たのだろうかと思いながら歩くアサシンは、人の気配を感じて立ち止まった。

まだ明かりのついているのは、ホムンクルスたちの使うことになった大部屋だ。

開いた扉からは中が見える。長机に布をかけて作った即席の寝台に、ホムンクルスの中でも顔色の悪い者たちが寝かされていた。

長机の間をホムンクルスたちは行ったり来たりして、動けない仲間たちを看病をしようとしているようだったが、明らかに戸惑っていた。その中には、アッシュとライダーの姿もあった。

それを、壁際の椅子に座り苦虫を噛み潰したような顔で見ているのはゴルドだ。セイバーは霊体になっているのか、気配はすれども姿は見えなかった。

彼はアサシンの気配に気づいたらしく、顔を上げる。

目が合った途端、ゴルドの眉間にさらにしわが寄った。

 

「またお前か。大人しくマスターの側でじっとしておけ。うろちょろするな」

「はい、用が済んだら戻ります。……あの、あなたは何故ここに?」

 

自分も相当疲れているだろうゴルドは、忌々しげにホムンクルスたちを指差した。

 

「ふん。あのライダーとイレギュラーなホムンクルスが無様に城の中で動き回るのを放っておけるか。それとな、フォルヴェッジの姉弟は知らんが、私はお前を信用しない。あの“赤”のランサーの身内など信用できるか。覚えておけ、アサシン」

 

そう言われては何とも返す言葉が見つからず、アサシンは頬をかいた。

自分の要素を考えれば、疑われて当然である。むしろ、真っ直ぐに疑いを突き付けてくるゴルドは清々しい。

言うだけ言って少しだけでも気が晴れたのか、ゴルドはアサシンからライダーたちへ目を戻した。

 

「―――――おい、アサシン。お前とライダーは何故あいつを庇った?」

「?」

「あいつだ。あのホムンクルスを何故庇った?あれは私が作った失敗作だ。お前たちが揃って庇う意味が、どこにあった?」

 

ゴルドが指差すのはアッシュだった。

 

「あの子は、生きたいと言いました。私にとっての意味はそれだけです」

「それが分からん。あの個体が生き続けて、この先何か意味あることをするとでもいうのか?お前は何か期待でもしているのか?」

「……意味ある命だけが生き続ければ良い、というのは賛成できかねます、セイバーのマスター。生きる意味があったか無かったかは最期のときに彼らだけが決めること。私は応じた()()です。この答えで満足ですか?」

「……満足、満足だと?……ああ、分かった。お前たちは()()()()私とは見ているものが違うことは分かったさ!英霊などという規格外に、納得できる答えを期待した私が馬鹿だった!違うということが分かっただけでも、大きな成果だがな!」

 

やけ気味に叫んだらゴルドの視線の先で、ライダーは、苦しそうに息をしているホムンクルスの横に膝まずき、目に涙を浮かべそうな顔をして手を握っている。末期の祈りの一幕のような彼らを見ていたゴルドは、急にがばと立ち上がった。

そのままゴルドはずんずんとホムンクルスたちに近付くと、ライダーを押し退ける。何をするのかと見守るアサシンの前で、ゴルドはあろうことかホムンクルスたちの間を巡って、彼らの容態を順に見始めた。

 

「何なんだお前たちの手当ては!てんでなっておらん!自分たちの責任で生きると啖呵を切って見せたなら、もう少しマトモなことをしろ!おい、ライダーとそのマスター!うろうろするな!お前たちは邪魔だから退いておけ!」

 

そんな罵りと共に、アッシュとライダーが蹴り出された。アサシンに気づいた彼らは、そのままやって来る。

 

「アサシンじゃないか。レイカはどうしたんだい?」

「眠っています。あなたたちももう眠ったのかと思っていました」

「うん。ボクはね、もう寝た方が良いってアッシュに言ったんだけど……」

 

ライダーはそう言って、目の下に隈をつくった白髪赤目の少年を見た。

 

「……眠れなくてな。起きて手伝いでもしていた方が気が楽なんだ」

「と、こう言われちゃってさぁ。ボクとしては、寝ないと倒れそうな顔色だからもう心配なんだよ」

 

アッシュの白い顔を見て、アサシンが口を開こうとしたとき、ふいに三人の横にセイバーが現れた。

 

「少し、いいか?……初陣の後は気が張り詰めるものだ。だが、無理にでも休まなければ倒れる。ライダーの忠告に従うべきだと俺は思う」

「ほらね。セイバーもこう言ってるし、キミはもう寝なきゃダメだってば」

「大いに同感です。眠りが訪れなくても、体を休ませるだけで話は大分違います。休息してください……というより、しなさい」

 

サーヴァント三騎に見られ、言葉に詰まったアッシュの背をライダーが押した。

 

「それじゃ行こ、マスター!じゃ、また明日!」

 

ばいばーい、とライダーたちが退散する。

その後を追い、ゴルドに睨まれる前に自分も離れようとして、ふとアサシンはセイバーを振り返った。

 

「……セイバー、一つ聞いて良いですか?」

「俺に答えられることなら、構わない」

「ありがとうございます。……カルナは、強かったですか?」

 

黄昏の剣士は真意を探ろうとするように目を細めてから、ゆっくり頷いた。

 

「ああ。強く、曇りない槍捌きだった。俺は俺のすべてを懸けて戦い、勝ちたいと思う」

「……そうですか、それなら良いんです。あなたが、素晴らしき戦士で良かったと思います」

 

丁寧に頭を下げて、アサシンは部屋を後にした。

後ろからゴルドの怒声が聞こえてくる。

お前たちを助けるつもりはない、お前たちの右往左往が見苦しくて見てられんだけだ、とか何とか、喚く声が聞こえてきた。

考えていたより愉快な人だなと、アサシンは思いながら霊体となり、廊下の闇に溶けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




放っておくとため込みがちなアサシンと、深夜テンションのゴルドさんでした。

感想が返せていなくてすみません。すべて読ませて頂き、励みになっています。
それにしても不老不死の世界となると思うところのある人、多いんだなと。



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Act-22

リアル事情と話の展開に悩んだことで、少し遅れました。申し訳ありません。

では。


 

 

 

 

 

聖杯戦争におけるサーヴァントとマスターには、霊的な繋がりがある。

魔力を全く流せないマスターであっても、サーヴァントとの間には因果線が結ばれ、その線を通してマスターはサーヴァントの過去を夢で垣間見ることがある。

六導玲霞もそうやってアサシンの過去を見てきた。

夢の始まりでは小さく幼かった少女は、夢の中で時間を飛び越して成長していった。

ある時を節目に姿形は変わらなくなったが、何処かしら人形染みて虚ろだった少女はやわらかい微笑みを浮かべられるようになった。

 

少女がそう変わった切欠は、血の繋がりのない親に言われたからという、ただそれだけの偶然で結ばれた縁談だった。

縁談といっても、少女には親に報いるつもりしかなかった。何の感情もなく結婚したはずの相手だった。

一緒に暮らすなら、相手を知るための努力をしなければいけないはずだと、少女は本当にそんな義務感しか持っていなかったのだ。

そしてすぐ、何を考えているのか分からないと彼女は頭を抱えた。

夫となった相手の表情はいつも変わらずに冷たく、極端に無口だったからだ。

ただ、彼はいつも話すときにはきちんと少女を見てくれた。正直なところ鋭い目付きが怖かったのだが、彼は彼女をいないものとして扱うことだけは、絶対にしなかった。

それまで他人から省みられることが無かった少女には、それは本当に嬉しかった。

少しの時が経って、彼女の中に生まれた想いは単純で恋と呼ぶには幼く、だからこそ強かった。

 

―――――私と違うあなたを知りたい。

 

そう願って夢の中の少女は考え込む。

心のふれあわせ方なんて、教えてくれる人は誰もいないから、自分で思い巡らした。

 

―――――いや、違う。彼女はきっと自分で考えて、答えを出したかったのだ。

 

喩え神であれ、誰かから授けられるもので満足できるようなことなら、最初からあれほど悩んだりしなかったろう。

少女には聖仙のような知恵も、千里眼もない。一目見るだけで人を見抜く眼力もない。

それでも足を止めたくないと、彼女はずっと歩いた。

かといって、彼女は別に思い詰めたように眦を決していた訳でもなく、悲壮な決意をしていた訳でもなかった。少女にとって知りたいという心は重荷ではなくて、自分で見つけたユメだったから。

 

―――――あなたはやっぱり、わたしとは違うのね。

 

六導玲霞が憧れたのは、詰まる所はそういうところだった。

彼女の心にも六導玲霞と同じ虚無が心に巣食っている。なのに、その虚無を押し退けて余りある暖かい想いを抱けた少女は、伽藍洞だった心に哀しみや喜びを詰めて生きた。

 

―――――そして同時に、玲霞はどこか冷静に思うのだ。

これはもう過去のこと。遠い遠い時代に始まり終わった一人の人間の記憶でしかない、と。

 

六導玲霞の見る夢も、終わりが見え始めた。

今に伝わる大叙事詩の中で、クルクシェートラの戦いと言われる戦が近付いていたのだ。

大戦が始まるまで、何度も小競り合いがあった。そのたび人は殺し合いを繰り返し、憎しみが降り積もり、英雄と呼ばれる人々だろうと、もうどうにもならない糸玉のように絡まっていった。

 

そんな時代の中で少女は傷を癒す力を持っていたから、傷付き命を落としていく人間と関わっていった。

 

誰かがこの世から去るたびに、残された者たちの哀しみを何度も何度も聞いた。

逝かないでと叫ぶ声を間近で聞くしかないときが、何度も何度もあった。

 

きっと昔のように、空の心のままだったなら悲しいと思うことも無かっただろう。人らしくなった分だけ、少女の中には哀しみが降り積もるようになった。

 

その中で、少女の夫は最強の護りだった不死の鎧を、神の謀にかかって失った。

 

少女が仕えている王から呼び出されたのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天を漂う城の中では、穏やかではないが静かな空気が流れていた。

一先ず天草四郎を斬ることはやめたライダーやアーチャー、ランサーは人類救済の方法を知った。

知ってそれでも、彼らは空中庭園に留まっていた。が、アーチャーはともかく、ライダーにとっては彼の願いの成就に尽くそうという気は薄かった。

ライダーも、恒久的世界平和には興味はある。が、それはあくまで興味程度で積極的に手を貸す程ではなかった。

全人類の不老不死という方法で、本当に世界を救えるのか。頭から信じているのは、実のところは天草四郎当人だけだった。

ライダーが天草四郎に槍を向けないのも、こちらの陣営にいれば、自分がこの聖杯戦争で必ず倒すと決めたケイローンと戦えるからだ。

浅ましき野蛮な我欲だと女帝辺りに笑われようが、ライダーにはどうしても譲れない。

彼は、戦いだけを心待にしていた。

が、“黒”が空中庭園を追いかけてくるまでは数日かかる。その時を庭園内の者たちは待ちわびつつも、停滞した時が流れていた。

 

「……暇だな」

「……ああ」

「……」

 

ぼやくライダーやアーチャーから離れて、無言で外を眺めるのは“赤”のランサーだ。

元のマスターがセミラミスの手によって全く探せない空間に隠され、ランサーは手持ち無沙汰になっていた。

セミラミスがそうしたのは、ランサーの裏切りを警戒してのことだろう。逆に言えば、ランサーが“赤”で戦う以上は、マスターの安全は約束されていることになる。

“黒”のアサシンがいる以上、妥当な判断だとも思う。

もう有り得ないだろうが、アサシンが自分に共に戦ってほしいと言ったなら、ランサーは自分が全く迷いなくその手を振り払える気がしなかった。

何せ死してこの方、音沙汰無しだった妻だ。

 

―――――元々、何処かに消えることはあったが。

 

そういえば書き置きだけ残して、聖仙の住む霊山にふらりと行ってしまったこともあった。帰ってきてから、ランサーが何をしに行ったと聞けば、呪いを解くために必要だったのですとか宣ってきたのも懐かしい。

そう、いつも戻って来たのだ。

この世から影も残さず姿を消した、最後以外は。

 

―――――まあ今回も、戻ってきたと言えば戻ってきた訳だが。

 

剣の英霊に一対一で向き合って斬られる、魂に根付いているだろう宝具を他人に渡す、巨人の爆発圏内にいつまでも留まる、庭園まで飛んできて吸血鬼に殺されかけると、アサシンクラスの肩書きをどこへ置き忘れたと言いたくなるような振る舞いの連続だった。

一体どんなマスターに出会って、何をやっていればそうなるのかと口を出したくなる。

だが“黒”のセイバーに言わせると、“黒”のアサシンはそうして無茶をしながらもマスターだけは守っているという。サーヴァントらしいことはこなしているのだ。

アサシンが現在の自分の有り様を見たら多分……。

 

―――――この、唐変木―――――!

 

とでも言うだろう。アサシンは普段怒らない人間ほど一度徹底的に怒ると怖い、という場合の典型なのだ。

アサシンの怒った顔がランサーには容易く想像できた。

表面上何も変わりはなく、ランサーは内心ため息をついていた。全く言い返せそうになかったからだ。

そのランサーに、アーチャーの声がかかる。

 

「ランサー。ところであのアサシンはライダーに傷をつけたのだが、神性持ちなのか?」

 

暇潰しに話に付き合え、とアーチャーの目が言っていた。名前を出されたライダーも似たようなものだ。

 

「……ああ。彼女は半神だ。ライダーに傷をつけることができる程度の神性があっても、おかしくはない」

「では、あの焔は神の権能の一部か?」

「そうだ」

 

ふむ、とアーチャーは唸り、彼女のぴんと立った獣の耳の先はぴくぴくと動いていた。

アサシンの幻術に一度引っ掛かったアタランテは、次にどうやれば暗殺者を狩れるかを考えているのだろう。

 

「権能ねぇ……。にしても、あのアサシンてのはどういう奴なんだ?」

「それは戦う者としての技量か?」

「その情報はいらん。そんなもの、見れば分かる。だがお前ほどの英雄が忘れられないという女だろう?気になって当然だ」

 

にやりと笑うライダーを見て、アタランテの獣の尾の先が、呆れたように揺れた。

思い出そうとするようにランサーは目を細めて答える。

 

「……愚かではないが性格はまあ、単純だ。頑固で情深い」

 

果てなき蒼穹を眺めるのが好きで、楽しげに遊ぶ子どもたちを眩しそうに見る。

表情は変化に乏しくあまり笑わないが、たまに浮かべる笑みは優しい。

美しいのかとライダーは続けて聞いた。彼は、布で隠されていたためにアサシンの顔をろくに見ていなかったのだ。

さてどうなのかとランサーは肩を竦めるだけに留めた。何となく、この話を続けるのは薮蛇な気がしたのだ。

 

「……何というか、此方のアサシンと逆だな」

 

総じて言うと、そういうことになった。

 

「あの女帝様の願いはまあ、この世に再び王として君臨するとかだろう。じゃああのアサシンは何だ?」

「……ライダー、汝はあの暗殺者をやけに気にするな。敵だぞ?」

 

うろん気にアーチャーはライダーを睨むが、ライダーにはどこ吹く風だった。

 

「分かってるさ。だが別に、敵の願いを聞いてはならんという法はないだろう。どうなんだ?ランサー。お前の眼力なら見抜けるだろう?」

 

問われてランサーは考え込み、しばらくして首を振った。

 

「願いがあろうとな、あの必死さではマスターを守るのに精一杯で、自分のことを願う考えがないだろう。無意識に頭から自分の願いを消している」

「……それは、自分の第二の生を蔑ろにしているということか?」

「蔑ろというより、彼女はサーヴァントとしての生を第二の機会とは捉えていないだろう。死んだ者、亡くしたものは二度と返らない、だからこそ大切だ、というのが信条だった。当然それを自分にも適用するだろう。ならば、死者の自分を後回しにしてマスターに尽くす。サーヴァントとしての柵ある限り、そうするだろう」

 

それは面倒な性格だと、ライダーは眉をしかめた。

生前何があったか知らないが、サーヴァントとして召喚されたなら、自分の欲望を叶えてもいいのだ。全くマスターに報いないのは義理が通っていないが、自分を殺してまで従おうと思うほどライダーの我は弱くない。

部外者の自分がそう思うなら、ランサーは歯痒くないのだろうか、とライダーは思う。

槍兵の表情に変化はないが、彼の常にない饒舌も焦りの裏返しかもしれなかった。

 

「……しかし、彼女が仮に聖杯を使うとしたら、さてどう使おうとするのだろうな」

 

ただの独り言のようにランサーは呟いた。

()()()()()()()()のか、とライダーが問う前に、扉の開く音がして、玉座の間に新たな姿が現れた。

 

「皆さん、ここにいましたか」

 

にこやかな笑みの褐色の肌をした少年神父を、三騎士のサーヴァントはさして大きな反応もなく向かえた。

 

「汝か。どうした?何か“黒”に動きでもあったのか?」

「ええ、まあ。どうやら彼らのうちの何騎かがシギショアラに向かっているようです。我々の元の拠点ですね」

 

別に盗られて困るような情報など残していない。が、だからこそ何のためにサーヴァントを複数投入してまで、もぬけの殻の拠点を探ろうとしているか気にはなる。

故、誰か斥候に行かないかという話だった。

 

「見れば三人とも暇なようですし。決戦までに、今一度下に降りてみても構わないのでは?」

 

シロウの令呪と空中庭園に君臨する女帝の力があれば、地上から引き戻すこともできる。仮に撤退するようなことがあっても、すぐに済むのだ。

 

「暇、ねぇ……」

「ちなみに、キャスターが執筆のアシスタントも募集していますが……」

 

アーチャーが顔をしかめ、返答として手に弓を顕現させた。

 

「あのうるさい道化師の戯言を間近で聞かされるなど御免被る。斥候ならば私の領分だろう。あのセミラミスでは論外だろうしな」

「ええ、そうなのですが……」

 

ついでに言うなら、ライダーとランサーも気配が目立ちすぎる。のだが、何故かシロウはランサーに目を向けているようだった。

 

「個人的には私はあなたに行ってほしいのです、ランサー。隠すことでもないから言いましょう。シギショアラに赴いたサーヴァントの中には“黒”のアサシンがいます。彼女を本当にこちらに引き込めないか、確認してきて欲しいのです。戦う必要はありません」

「……そう言えば、お前は彼女にお前自身の願いを告げていたのだったな。だが、返答代わりに斬りかかられただろう?」

「はい。アサシンは、私の願いを呪いと斬って捨てた」

 

そのときを思い出したのか、シロウの笑みが微かに翳った。

ランサーはひとつ頭を振った。

 

「彼女は無口だが、言うべきことは必要な分だけ言う。呪いと思わず罵倒するほどに、お前の願いが許容できなかっただけだろう。剣を向けてきたならそれ以上の答えはない。それだけのことで何故迷う?」

 

謀など何もかも見透かすような鋭い眼光が、シロウを射抜いた。そこに感情の色がない分、却ってシロウは追い詰められたような心地になる。

話はそこまでか、とアーチャーが腰を浮かしかけた。だがランサーの方が先に立ち上がる。

 

「おい、汝、行かないのでは……?」

「?……オレは、何も()()()()()()()()()()()()()()()が?」

 

心底不思議そうに首を傾げたランサーに、アーチャーとライダーは言うべき言葉を忘れた。

激しい感情を明け透けに、正直に表現するライダーからすれば、感情を身の裡に閉まっているようなランサーは、何を考えているか大いに分かりづらい。

それでいて呵責ない言動で相手を暴きたてるから、余程慣れているか、彼の言葉の裏まで知ろうとするか、粘り強くなければ理解するのは難しい、というか不可能だろう。

ともあれ斥候にはランサーが発つことになった。

斥候という言葉と、最高に向いていない組み合わせだという感はあったが、当の本人が行きたがっているのだから止める理由がなかった。

 

「それと、シギショアラに赴いているサーヴァントの中に、“黒”のセイバー、ジークフリートやアーチャーのケイローンはいません」

 

シロウはそう付け加えた。つまり、積極的に戦う必要はない、ということだった。

 

「了解した」

 

ランサーは転送の魔術で地上へ去り、代わってセミラミスとキャスターが現れる。ライダーとアーチャーは露骨に顔をしかめ、部屋を辞した。

玉座に座り、女帝は気だるげに頬杖をついた。

 

「ランサーを行かせたか。最後の話の機会をくれてやるとは我がマスターも甘いの。まあ、振り上げる刃の前には言葉なぞ無力だがの」

「おや!それを言われてしまうと、作家たる我輩は立つ瀬が無くなるのですが!」

「そのようなこと我が知るものか、道化師」

 

キャスター、シェイクスピアの大仰な嘆きを片手で払い、セミラミスはシロウの様子を伺う。

彼は彼で、ランサーに言われたことが引っ掛かっていた。

 

「……向き合ったとき、正直なところあのアサシンならば対話すれば、あるいは引き込めるかとも思いました。彼女は戦いを憂う目をしていた」

「あれは、お主や、あの旗持ちの聖女と似ていると?」

 

かつて天草四郎は三万七千人という仲間を殺され、シロウはその果てに人類の不老不死を願うようになった。

この世すべての争いを無くし、全人類を幸福にするために、彼は願うのだ。

 

「さあ、そこまでは分かりません。ただ、争いを嫌う質の人間が、何故呪いとまで我が宿願を貶めしたのかは、些か気にはなります。少なくともアサシンは、私の道が己のマスターの幸せに続いていないと判断したのですから」

 

それでシロウが足を止めることなどないが、引っ掛かりを覚えたのは事実だ。

 

「アサシン嬢は最愛の夫と敵対する道を取ってまで、我がマスターの願いを拒絶したのでしたな。『事情が変われば己も変わるような愛は愛とは呼べぬ』とも申せど、何とも頑固なお方だ!それ相応の信念もあるのでしょうな!彼女は舞台の端役ではありますが、興味深い!」

 

嬉々として喋り散らすキャスターである。

世界に名高い悲喜劇を作り出した作家の名は伊達ではない。彼はこの状況も、面白い出し物のように飲み込んでいた。

 

「……何れにせよ、これがアサシンには最後の機会になるだろうさ」

 

唇の端を吊り上げているセミラミスは肩を竦め、それは違いない、とシロウは大きく頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この物語はSSですが、型月住人に控えめで良妻然としているだけの女性(インド)なんぞいないのです……。

ちなみに聖仙という言葉は、インドの超能力持ちのバラモンとして扱っています。(カルナの師匠のパラシュラーマ等)

にしてもシェイクスピア。言葉探すのが難しい。


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Act-23

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

城の上、物見の塔にて焚き火にあたっていたアサシンのところにホムンクルスの中の一人が現れたのは、太陽が中空に差し掛かる頃だった。

 

「アサシン。少し良いだろうか?」

 

そう言った少女姿のホムンクルスに、アサシンは頷いた。

彼女は生き残ったホムンクルスたちのリーダーだ。それなら何となく用件も分かると思いつつ、アサシンは背を伸ばして少女に向き合った。

焚き火の反対側に膝を揃えて座り、少女は藪から棒に告げた。

 

「アサシン、我々は取引したい。同胞、アッシュに与えたような魔術礼装と同じようなものを作って欲しいのだ」

 

表情に乏しいながら、ホムンクルスの少女は言い募る。

 

「対価に、我らはあなたへの魔力供給を続けよう。残った同胞の数ではサーヴァント全員への魔力は回せないが、あなた一人ならば寿命を削らなくともできる」

 

どうだろうか、とホムンクルスの少女は言う。慢性的な魔力不足問題を抱えるアサシンには、非常に有り難かった。

 

「私としては願ってもない話です。ただ、アッシュ君に渡してしまったほど劇的な物ではなく、もう少し緩やかな効果の物になりますが」

 

アッシュに与えたものは、アサシンの宝具の欠片だ。そうそう切り取れないし、心と魂がまだ無垢なホムンクルスには、サーヴァントの魂が溶け込んだ一部は、取り込むには強すぎる。

逆に言うと、アッシュのときにそこまでしたのは、彼が死にかけていたからだ。そうでもしなければ、アッシュを死の縁から引き戻せなかったとは言え、自分が彼の魂を歪めてしまったような感じはアサシンの中から消えていなかった。

ホムンクルスの少女は安心したような顔で頷いた。

 

「それで構わない。あなたがいくらライダー並みにお人好しで、色々やらかすサーヴァントとは言え、宝具をそう易々と与えられれば、何か裏があるかと疑いたくなってしまう。だから、それくらいの方がむしろ安心できる」

「……あなた、何だか世慣れてますね。アッシュ君とは違った感じがします」

 

ライダーと比較されたアサシンは苦笑気味に頬を緩め、ホムンクルスの少女は不思議そうに首を傾けた。

 

「そうか?我々は、あのイレギュラー以外は一様に個性に乏しいと思っていたのだがな」

「そんなことも無いですよ。ええとあなたは……」

「……ああ、私の名はトゥールだ。さっき我らの創造主殿が眠い目を擦って、全員に名前を付けてくれてな」

 

トゥールの顔に悪戯っぽい笑みが過る。

やっぱり個性に乏しい訳がないと思いつつ、アサシンは手を差し出した。

差し出された白い手をトゥールは見て、その手を握った。

 

「交渉成立か?アサシン」

「ええ。でも、私のマスターとフィオレさんから、確認と了承を得てからで構いませんか?」

「……そうした方が良いだろうな。同胞たちもゴルド“様”のおかげで今は安定している」

 

そのゴルドはホムンクルスたちの調整と名付けを全部やり遂げ、今は泥のように眠っているそうだ。セイバーが守っているから安心だと、トゥールは付け加えた。

ゴルドは巨人を消し飛ばしたセイバーの戦いを間近で見、セイバーは口では傲慢に罵りつつも、律儀にホムンクルスたちを調整するゴルドを見た。

少なくとも今までより互いを知ることはできたはずだ。

それが何か良い流れをもたらしてくれることを願いつつ、アサシンは焚き火を消して立ち上がった。

うーん、とアサシンはそのまま暖かい日差しの下で背伸びをする。膝を抱えていたから、体を伸ばすのは気持ちが良かった。少し鬱陶しくなって、顔を隠していた布も下ろす。

トゥールは、突然のアサシンの素顔をやや驚いたように見ていた。

 

「では、私はアッシュ君とライダーの様子を見に行きますが……」

「そうしてやってくれ。我々は、まだ色々雑務があるから行けない。ではまたあとで、アサシン」

 

物見の塔から降りたトゥールとアサシンは、城の中で別れる。

アサシンにはこれで、魔術礼装作成という仕事が増えた。道具作成スキルの使い時である。

アヴィケブロンやロシェの残したゴーレムの材料が貰えないだろうか、とアサシンは日の当たる廊下を歩きながら考えた。

かなり古い時代の物だろうから、材料としては申し分ないはずだ。

とはいえ、ホムンクルスたちへの道具を作るなら、カウレスの姉だというフィオレと交渉しなければならない。

フィオレは魔術師にしてはどこか甘い感じのある少女だと、アサシンは内心思っていた。

彼女は初めてカルナと自分の関わりを聞いたとき、一瞬だけだが痛ましげな目をした。

普通の魔術師ならば、敵味方に別れた家族を見れば、痛ましく思うより裏切らないかどうか疑う心が先に立つ。

なのに、フィオレはそれができなかったのだ。

あの“赤”のライダー、アキレウスも、“黒”のアーチャー、ケイローンと縁が深いという。

アサシンにすらあんな反応を示したフィオレならば、そのことにも心を痛めるだろう。

不安と言えば不安だが、さすがに他マスターをこれ以上気にかけている余裕はアサシンにはない。

古のギリシャでその名を轟かせた大賢者、ケイローンが何とかしてくれると思うしかなかった。

アサシンは足を止めて、ちょうど窓から見える眩しい太陽を仰ぎ見た。

叙事詩に曰く、“施しの英雄”カルナは死した後天に昇り、いと高き太陽の神、父たるスーリヤと一体化したという。

それを召喚されてから知ったとき、アサシンは、ああ良かった、と思った。

あれだけ父の名を大切にして、届かない太陽にずっと手を伸ばしていたカルナは、父の所にちゃんと行けたのだ。

そこに至るまで様々な謀略に足を取られ、命まで落としたとは言え、カルナが父神の所に辿り着いたことだけは、誰にも汚されない偉業だと思った。

人が神に近付くことが、どれだけの困難かアサシンは知っている。

 

―――――でも、あの人は困難とも思っていないかもしれない。

 

物事とは、梃子でも正面から向き合って踏破しようとするというか、道理があるなら逃げようと思いすらしないというか。ともかく全体不器用だったから。

カルナのそういう所は頭痛の種で、同時にアサシンが好きだった所でもあるのだが。

 

―――――思考が逸れた。

 

窓から視線を外し、アサシンは再び歩き出した。

 

―――――でもそれなら、今“赤”にいるカルナは、スーリヤ様と一つになったというカルナとは、どう違うのだろう。

 

気配は間違いなく、アサシンの知るものだった。それだけは間違えようがない。

とはいえ、サーヴァントになったからか、カルナは()()()はしているようだった。

カルナが最大に本気で戦うとき、つまりアルジュナとの争いだったら、あの草原すべてを巻き込んでもまだ足りなかったはずだ。

かつてのように、青い空が一面黒くなるほどの矢を降らされたならば、この城程度の守りでは持たなかっただろう。

分からない、とアサシンは肩を落とす。

英霊の『座』なる所を実感を持って知らないアサシンには、何とも判断が付かなかった。

答えが知りたければ、カルナに直接聞くしかないのだろうとアサシンには分かっていた。

しかしそれができるなら、何の苦労も無いのだ。

 

―――――儘ならないことばかりだけど、それでも、選んだのは私だ。だから、嘆くのは間違ってる。

 

カルナを相手に戦わなければならないことも、カルナを敵と見なさないといけないことも、どちらも本当に辛いのだ。でも、天草四郎の願いの成就を阻みたいと思う心に曇りがないのも真実だ。そして、ジャンヌに言ったように、アサシンはマスターを人質に取られたカルナに対して怒ってもいた。

 

結局の所、カルナと敵対すると決めたのは他でもないアサシン自身だ。無論玲霞のこともあるけれど、天草四郎の願いを認められないと決めたのは、出された手を払い除けたのは、誰でもない己だ。

 

―――――我が儘ばかりでごめんなさい。でも、これは譲れないんです。

 

弱音を吐くのは、もうこれで最後にしようとアサシンは決めた。

カルナが敵になったときの恐ろしさがどれほどのものか、“黒”の中で一番分かっているのはアサシンだ。気力だけでも奮い立たせないとやってはいられない。

ただ、玲霞に召喚されるまで封じられていた黒い空間と比べればあまりに暖かい場所にいるのに、がらんとした廊下がひどく寒くて寂しいと思った。

窓からの光に照らされて、埃がきらきらと輝きながら舞っている。それを突き抜けてアサシンは進む。

 

―――――そう言えば、今まで考えていなかったけど。

 

父神スーリヤにまで辿り着けたカルナ。生前目指していた場所にまで届いたカルナでも、聖杯の招きに応じた。

太陽の神霊ではなく、サーヴァントとして人の招きに応えたわけだ。

 

―――――それなら、あの人は聖杯に、何の願いがあったんだろう?

 

カルナの願いを踏みにじる道を選んだということを直視するのを恐れて、アサシンはそのことから今まで半ば無意識に目を逸らしていた。そのことが、急に気にかかった。

けれど一人で考えても、答えは見つけられる訳も無かった。

 

内心がどうであれ、足を動かしていれば目的の場所にはつく。

ライダーとアッシュの部屋に辿り着き、アサシンは扉の前で念話を使った。

扉の外からでも、気配でライダーが起きているのは分かったが、アッシュはまだ眠っているようだ。

 

『お、アサシン。おはよー』

『おはようございます。ライダー。今はお昼ですけど。アッシュ君は眠っていますか?』

『え、そんなに寝てたのか。気付かなかったよ。うん、それはまあいいや、静かに入ってきてくれよ』

 

アサシンは霊体化して扉をすり抜ける。

中には大きなベッドの上でシーツにくるまって寝息を立てるアッシュと、その頭の横に座っている武装したライダーの姿があった。

足音を立てずにアサシンはアッシュの横まで行く。彼は穏やかな顔で眠っていた。

 

『アッシュ君、ちゃんと眠れていましたか?』

『んー、まあね。といっても、ボクの元マスターを殺したの、かなり堪えてたみたいだけど……』

 

アッシュを起こさないよう、二人のサーヴァントは念話を続ける。

アッシュの手には金環がしっかり握られていた。

 

『ライダー、そう言えばあなたは、この金環が焔を吹いて、それでセレニケの呪詛が解けたと言いましたね』

『うん。ボクにはアッシュが焔を使ったように見えたなぁ。……それがどうかしたかい?』

『……私がこれに籠めた力は、体の損傷を治すまで。呪詛を焼き消すほどの力は無かったはずなんです。私の想像より、アッシュ君とこれが馴染んだ、いえ進化したとしか……』

 

無垢なホムンクルスだったから馴染みやすかったのか、アッシュはアサシンの想像を越えて魂の欠片の入った金環から力を引き出していた。

生前、アサシンが最初からできたのは傷を治せる焔を灯すだけで、それが呪詛まで焼く代物に変化したのは、後からだ。

このまま使い続けると、これはそのときと同じように進化を続けてアッシュ自身の宝具にまで昇華されるだろう。

かといって、金環をアッシュから離すのは彼の体調を考えるとできなかった。焔には老化を含む体の劣化を抑える力がある。

尚、生前のアサシンはそのせいで体の成熟が色々と半端な所で止まってしまったが、今のところアッシュが健康に動けるのは、その力あってこそだ。

 

『それ、何か不味いのかい?』

『体に直接の害はありません。ただ、呪詛を焼くとなると……。どう言えば良いんでしょう……。人の悪意に敏感になるんです』

『んんん?どゆこと?』

 

アサシンはどう説明しようかと、困って片目を瞑る。呼吸の仕方を説明するようなものなのだ。

 

『呪詛の本質は相手への悪意です。相手に災いあれと祈る心なんです。それで呪詛を消去するには、そういうものを見極めて燃やさないといけないんです』

『見極めるったって、そんなもの目に見えないだろ?どうやって分かるのさ?』

『ほとんど感覚です。私の場合はこう、額の辺りがびりびりして、泥みたいなものが見えるというか……。気持ち良い感覚じゃないんです』

 

というより、アサシンはあの感覚が物凄く嫌いだ。

 

『……つまりキミ、ボクのマスターにそういうヘンな視界を背負わせちゃったって、気に病んでるのかい?気にしすぎだよ、キミはよくやってくれたさ』

 

アサシンは、顔を上げてライダーを見た。底抜けに善性で可憐な騎士の顔には、彼らしい笑みが無かった。

 

『後悔してるのはボクだよ。ボクがローランみたいにもっともっと強かったら、この子に人を殺させなくたって済んだかもしれないんだって考えたらさ。悔しくって堪らないよ』

 

ライダーは慈しむように、アッシュの頬を撫でた。

 

『ま、それでもマスターの前だと強くあらなきゃダメなんだよね。シャルルマーニュの騎士、アストルフォの名に懸けてね』

 

ライダーは茶目っ気たっぷりにアサシンに向けて片目を瞑り、アサシンは目をぱちくりさせた。

 

『む、何だいその顔。もしかしてボクが後悔とは無縁の能天気とか思ってた?』

『……すみません、かなり思ってました』

『ちょっと待って真顔で真剣に言われると傷付くんだけどっ!』

 

涙目になったライダーは器用にも念話で叫んできた。本当は真名をさらりとバラされた驚きもあったのだけど、アサシンは黙っておいた。

急に静かな声でライダーが言った。

 

『まあ、ボクはボクのマスターをきっちり守るからさ、安心してよ。……だからね、他の人たちのコトを気にかけるのも良いけど、キミはもうちょっと、キミ自身と“赤”のランサーのコトを考えた方が良いと思うんだ』

『……』

『いやぁ、ボクがセイバーとかアーチャーとか、あっちのライダーより全然弱いから、不安になるのは分かるよ。……それでもさ、ボクはキミをいい仲間だと思ってるし、そういうキミが好きになったあの“赤”のランサーも、絶対いい奴だと思うんだよ。キミたちは折角再会できたのに、このまま戦ってお仕舞いなんて、ボクには悲しいよ』

 

それで具体的にどうすれば良いのか、ボクには思い付かないのが不甲斐ないんだけど、と言ってライダーは頭を抱えて呻き出した。

そのライダーにアサシンは頭を下げた。

ライダーの言ったことは、彼の正直な気持ちだと分かったからだ。

ライダーの言っているのは無茶なことで、理屈なんか無かったけれど、気休めにもなっていなかったけれど、それでもその心だけは嬉しかった。

 

『……ありがとう、ライダー』

 

アサシンにはそれ以上言葉が見つからなかった。しかし、ライダーはそれを聞いて底抜けに明るく笑い、アサシンもつられて笑みが溢れた。

そこで、アサシンは玲霞の周りに張った結界に反応を感じた。彼女が起きたのだ。

 

『ではライダー、レイカが起きたようなので私は戻ります』

『オッケー。またね。多分すぐフィオレちゃんとかに呼ばれるだろうけどねー』

 

気軽に手を振ったライダーを置いて、アサシンは霊体のまま、城の壁を何枚も突き抜けて玲霞の部屋まで戻る。

考え事をするには向いていないやり方だし、如何にも幽霊そのものの移動方法だが時間がかからないところが良い。

部屋まで戻ると、ちょうど玲霞が起き上がるところだった。

どこかぽうっとしているマスターに、アサシンはおはようと、笑顔で告げることができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 





メンタルが一度割れた主人公、回復(中)の話。
といっても思考に大穴が開いたままで、諸問題放置しっぱなしなのですが。これから何とかしていきます。

……それはそうと、バレンタインイベ拡大復刻ですね!嬉しいです!


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Act-24

誤字報告してくださった方、ありがとうございます。
最近遅れがちで申し訳ないです。が、元のペースを取り戻すのはまだできそうにないので、気長に待って頂けると嬉しいです。

では。


 

 

 

 

―――――そこは記憶が描き出した、古の記憶だった。

月が消えた夜、瞬く銀砂の星空の下、一人の男が小柄な女に問い掛けていた。

 

―――――(六導玲霞)はそれを見ている。だから分かる。この女の人はアサシン。私のサーヴァントで、ここは過去の世界なんだって。

 

『あいつはどうしてる?』

 

浅黒い肌と黒い髪、頑なそうな黒い瞳の偉丈夫は感情を読ませない声でそう問い掛けた。

 

『眠っています。全身の皮を自分で剥いだようなものです。寝ていなさいと天幕に叩き込みました』

 

サーヴァントになった今の姿とそっくりそのままの、少女の面影残る顔立ちのアサシンはどこか雑な口調で答えた。彼女は、多分普段はこんな話し方はしない人間で、荒れた口調の端々に怒りと哀しみが透けていた。

 

『そうか。あいつは……カルナはどれくらいで動けるようになる?』

 

男はそう言って、疲れたように息を吐いた。

 

『明日には動けるでしょう。今までと変わりなく』

『存外早いな。まあ、お前が治したのだから当たり前か』

『……怒らないのですか?ドゥリーヨダナ様』

 

ドゥリーヨダナ、とアサシンは男の名を呼んだ。

してみると、この偉丈夫が叙事詩にて語り継がれる稀代の悪王、ドゥリーヨダナとなるのだけれど、目の前の彼はそんな悪い人間には見えなかった。

 

『……そりゃあな、私も話を聞いたときは怒ったさ。親馬鹿な神と、その馬鹿にまともに付き合ったカルナにな。ただ、もう、鎧は戻って来ないし、代わりにインドラの御大層な槍が手に入ったのだろう?ならば怒り続ける意味はない。手に入れたものをどう扱うか、秤に掛けねばならないだろうさ』

 

俯き気味だったアサシンが、その一言で顔を上げた。

 

『……秤に、掛けないといけないんですね』

『そうさ。私はあいつの友人だが、同時に王でもある。鎧のないあいつを、これからどう動かして行くか、間違わず判断しなければならん』

 

何処か自分に言い聞かせるようにドゥリーヨダナは言い、アサシンはそれを静かな目で見ていた。

 

『私がただの友だったら、余計なことを抜きにして、感情任せにあの馬鹿を怒ってやれるのだがな。……私はあいつ以外の皆の命を預かっているから、頭の何処かで損得の秤を動かしていなければならん。全く、面倒くさくて敵わんな』

 

自嘲するように男は笑う。

けれど同時に、この人は悲しんでいるように見えた。友人と純粋な気持ちで向き合えない自分を、冷たい為政者の目で友の価値を測っている自分を、心底この人は厭わしく思っているのだろう。

 

『だからまあ、感情任せにあいつを引っ張たくのはお前に任せたぞ、焔娘。家族としてカルナを叱り飛ばせるのはお前だけだからな』

 

そう言われ、アサシンの目元がほんの少し弛んだ。

 

『ご心配なく、それはもうやりました。―――――ドゥリーヨダナ様、あなたは優しいですね』

『……おいおい、お前の目は節穴か?私は、世間でいう呪いの王子だぞ?この国に戦という災いを引き起こす者を指して優しいなど、お前、ついに呆けたか?』

 

違う、とアサシンは頭を振った。

 

『あなたは優しくて強い人です。カルナのしたことは、あの人のお父様とインドラ様にとっては義理堅いことだけれど、あなたに対しては不利益なことです。だからあなたは、もっと怒ってもいいのに、カルナの意地を尊重してくれています』

『……何時までも怒れる訳がないだろう。あいつにとって、自分の信念というのは何より大切な宝だろうが。その信念を守り抜いた友を罵ったとしたなら、私はあいつの友と名乗れない。というか、それくらいできないなら、ここまであいつと友人を続けるなんてことができるか。……おい、何だその目は』

『いいえ、別に』

 

取り繕った無表情でアサシンは下を向いた。

 

『……というかな、私は正直お前も腹立たしいぞ』

 

言われたアサシンは、意味が分からない、という風に澄んだ青い目を大きく見開いた。

 

『お前はな、見ていて時々自分を幸せにする気がないのではないかと思うぞ。あちこち走り回って、身を削って……。それにつけ込んでいる輩がいることに、気づいていないお前ではないだろうに』

『……』

『なあ、そういう生き方をして、幸せなのか?私のような“呪いの王子”に仕えてきて、幸せだったのか?私には、分からん』

 

その問いはアサシンに向けてのものだったけれど、同時に何処かカルナに向けて問うているようにも聞こえた。

多分、このドゥリーヨダナという人にとってアサシンとカルナは、そうやって重ねて見てしまうくらい、似ているのだろう。

表情の作り方とか直截な物言いとか、そういう表面だけのことだけじゃない、目に見えない何かが。

ともかく、そう言われてアサシンは困ったようだった。自分の心を言葉にしてどう伝えれば良いのか、とても戸惑っているように見えた。

 

『……幸せだったかと言われたら、即答はできません。確かに私はあなたに仕えて、随分な目にも逢いました』

 

と、アサシンはそこで言葉を切った。

 

『私は生まれてから死ぬまでの間に、この年月があって良かったと思っています。泣いたり怒ったり笑ったり、そういうことができた時間は、心の底から大切です。ほんとうに、大切な日々なんです』

 

それに、とアサシンは続けた。

 

『私は、私の意志でここにこうしているんです。神も運命も関係ありません』

 

これで答えになっているんでしょうか、とアサシンは言う。

そこで気付いた。

周りの風景が、霧に包まれるように急速に薄れ始めた。目覚める時間なのだ。

輪郭が朧になっていく中、私は最後にこんな言葉を聞いた。

 

『―――――なあ、お前。あいつの悲しみと引き換えに、あいつのためになんてなろうとするなよ。そんなことをすれば、私がお前を許さんからな』

 

残念なことにアサシンがそれに何と答えたのか、聞こえることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――そうして、六導玲霞は起きた。

傍らを見れば、相も変わらず表情に欠けたサーヴァントが一人いる。

 

「おはようございます、レイカ」

「……おはよう、アサシン」

 

自分がちゃんと笑顔を浮かべて挨拶できているのか、鏡で確かめられないのが玲霞には少し悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛行機で突っ込む……。本気か?姉さん」

「もちろんよ」

 

時刻が昼過ぎになる頃、ユグドミレニアの城では三回目となる集まりが開かれた。

街からやって来たルーラー、ジャンヌ・ダルクも一員として加わっているが、獅子劫と“赤”のセイバーの姿はなかった。

彼らは彼らで何か算段があるのだろう。本当に困れば、連絡してくるはずだと言うことで、流すことになった。

話すことはどうやって空中庭園にまで乗り込むか、ということなのだが、フィオレとアーチャーが考え出した作戦というのは、カウレスが一言でまとめた通り、飛行機で接近してそのまま空中庭園に突っ込む、というものだった。

 

「魔術礼装で飛ぼうが科学で飛ぼうが、空中庭園の対空魔術砲撃相手では大して違いはありません。等しく無力です」

 

ならばいっそ、目眩まし含む安価なジャンボジェットを大量に用意しようということになった。

サーヴァントたちにしても、ライダーやアサシン以外は自由自在に空を駆ける術がない。

確かに、ジャンボジェットでも空中庭園にまでたどり着くことはできるだろう。

だが、問題はその先だ。

 

「アサシンの魔術砲撃と、アーチャーの狙撃、ライダーの戦車の三つを何とかしなければいけません」

 

空中庭園と同じ高度に届いても、最悪の対空兵器が待ち受けている。二つまでなら何とか抑えられても、三つともなると悪夢に近かった。更に言うと、

 

「あちらのランサーも確実に迎撃してきます。彼も、私のように空を飛べますから」

 

とアサシンが付け加え、卓上が沈黙に満ちる。

ライダーは軽いのりで頭をかきながら言った。

 

「うーん、あの魔術砲撃かぁ。痛いんだよね、アレ」

「いや、痛いで済んで幸いですよ、ライダー。むしろあれだけの魔力砲撃を浴びて、よく無事だったと思います」

 

アサシンが突っ込み、ライダーはてへへと笑って懐から古い本を取り出した。

 

「ボクにはこの本があるからね!真名を忘れてても、持ってるだけでオーケーっていう便利なものなのさ」

「……待て、少し待て、ライダー。今、何と言った?お前は真名を忘れたまま宝具を使っているのか?」

 

堪りかねたように口を出したセイバーに、ライダーはうん、と軽く頷いた。

一同が何も言えない中、この場で一番神秘に疎い玲霞が何でもないように尋ねた。

 

「じゃあライダー、あなた、宝具をちゃんと使えてないの?確か、アストルフォはあらゆる魔術を打ち消す本を持ってるはずよね」

「うん。よく知ってるね、レイカ」

「パソコンで調べたらそれくらい分かるわ。でも、宝具の真名って分からないと不味いんじゃないの?ねぇ、アサシン」

「……ええ。普通、真名は忘れないものなんですが」

 

話をふられて、アサシンは正直に肯定した。

向かいのフィオレとゴルドは、あまりのことにとんでもない表情になっている。

カウレスが頭痛をこらえるような顔で聞いた。

 

「……ライダー、その宝具、正しく使えたらあの砲撃も無効化できるのか?」

「ん?んー、多分いける……かな?」

 

はっきりしろ、とばかりにカウレスの隣に控え、戦鎚を握っているバーサーカーが唸り、ライダーは慌てて首をこくこくと振った。

 

「いけます!いけるよきっと!ボク、それくらいこの本は信じてるから!あと、真名も新月になったら思い出すはずさ!」

 

伝承に曰く、アストルフォの理性は月にあり、彼は親友の狂ったローランを正気に戻す際、月まで飛んだときに一時的に自分の理性を取り戻し、聡明な性格になったという。しばらくすると元に戻ったそうだが。

何でずっとそのままの状態でいられなかったのかと思わなくもないが、ともかくサーヴァントのアストルフォは、新月になると理性が戻り真名も思い出すのだという。

 

「次の新月となると、五日先か」

 

アッシュが呟き、フィオレとアーチャーは顔を見合わせた。空中庭園へ飛ぶ準備だけなら、三日でできるが、ライダーの宝具抜きで飛べば撃墜される可能性が膨れ上がる。

逆に五日待てば成功の確率は大幅に上がるが、その分空中庭園は飛び続けて、ユグドミレニアの領域内から逃れ出てしまうだろう。

そうなれば聖杯を回収するどころではない。

どちらを取ればいいのか、フィオレの目にはその心の動きが悲しいくらい素直に出ていた。アサシンにはそれが見えた。

けれど決めるのは、この場でユグドミレニアの長に最も近い彼女だった。

 

「……一旦、話を止めませんか?このまま続けても、話が堂々巡りしそうです」

 

ルーラーの提案にフィオレはほっとしたようだった。

その一瞬に、アサシンはすっと手を挙げた。

 

「アサシン、何か?」

「はい、あの、シギショアラの魔術師たちのことなのですが」

「……というと、魔術協会からの魔術師ですか。“赤”のアサシンにやられたと聞きましたが」

 

ケイローンに言われ、アサシンは頷いた。

シギショアラに待機していた魔術師たちは、恐らく横槍を嫌ったセミラミスに全員毒を盛られた。彼らは生きてはいるが、精神が虚空を漂っている。

そのまま放置しておけば、普通の人間よりかは死ににくできている魔術師でも体が衰弱するだろう。最悪、死に至るかもしれない。そうなる前に、彼らを皆回収した方がいいのではないか、とアサシンは言った。

考えるフィオレを見て、カウレスは口を挟むことにした。

 

「……いいんじゃないのか、姉さん?協会への人質になるだろ。あと、ついでにシギショアラの教会も探ればいい」

 

大した情報があるとは思えないけどな、とカウレスは内心呟きながら思う。

これからカウレスは、あることをフィオレに話そうと思っていた。

それはフォルヴェッジの家族として、ユグドミレニアの魔術師として、とても重要で内密にしておきたいことだった。アサシンやライダーや彼らのマスターたちがいない方が都合が良かったのだ。

だから、彼らが城を離れるこの機会に乗ることにした。

それに魔術協会の魔術師たちを押さえておけば、あまり聞こえの良い話ではないけれど良い交渉材料になるのは事実だ。これからの戦いの結末が何であれ、ユグドミレニアの被害が甚大になるのは確かとなれば、いくらでも手札は欲しかった。

結局、アサシンとライダーとそのマスターたちが魔術師の回収、ルーラーが天草たちの痕跡を調べることになった。

魔術師たちの身柄をどうこうするのは、“黒”側の利益になる行動だから、中立のルーラーが関わる訳にはいかない。そのためにこういう組み合わせになったのだ。

が、町へ行くと聞いてライダーは途端ににこにこし始め、ルーラーの顔がいの一番に引きつった。

ルーラー、ジャンヌ・ダルクには聖杯戦争を一般人に知られることなく終わらせ、被害が外へ向かわないようにするという使命もあるのだ。

他の面々も微妙に目をそらした。

 

「アッシュにアサシン、良いですか、くれぐれもライダーを頼みましたよ。騒ぎを起こすのは本意ではないんですからね」

 

と、フィオレが頼む始末である。

 

「任されました」

「ああ、分かった」

「ちょっと待って、ボクそこまで信用ないの!?」

 

叫ぶライダーを横目に、あくまで生真面目にアッシュとアサシンが引き受けた。

アサシンもアッシュも玲霞も、こと騒ぎを穏便に収めるということに関してはトラブル好きのライダーを信用していなかった。

ともかくそうして、彼らは町に向かうために部屋を出ていった。

発つ前に、フィオレたちの下す決断が何であれ従うと言い残して。

それがユグドミレニアを尊重していると示す、彼らなりのやり方なのだろう。きっと、言い出したのはライダーかアサシンのどちらか、あるいはその両方かもしれない。多分、あの二人はよくも悪くもそれ以外の方法を知らないのだろう。

ゴルド辺りは唸っているが、そういうやり方は、カウレスとしては素直にありがたかった。

カウレスがふと横を見れば、彼を覗き込んでいた色合いの違う二つの瞳とまともにぶつかった。

 

「バーサーカー、どうかしたのか?」

 

澄んだ瞳でカウレスを見ているバーサーカーは、小さく喉の奥でうなり声を立てている。

怒っている訳でも、拗ねている訳でもないようだった。

そう言えば、ケイローン以外にアサシンもバーサーカーと普通に会話していたよな、とカウレスは思い出した。

二人と違って、彼にはバーサーカーが何を言っているのかは分からない。けれど、何となく思い付いたことをカウレスは言った。

 

「……ありがと、バーサーカー。俺は大丈夫だよ」

 

少しだけ躊躇ってから、カウレスは白いヴェールの下のバーサーカーの赤みがかった髪を軽く撫でた。

一瞬だけ戸惑ったように見えたバーサーカーはその手を払い除けなかった。

こうやってサーヴァントとの間に絆を結べば、後で必ず余計な悲しい思いをすると、カウレスの心の中にある、魔術師としての部分が囁いた。

構うもんか、とカウレスは手を握りしめ、ケイローンと姉の方を見て、話を切り出す覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 




ドゥリーヨダナの解釈は多種多様ありますが、拙作だとこんな具合になりました。

あと、フラン可愛い。チョコ欲しい。

そしてジャックちゃんいないから、オリジナルが続きます。




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Act-25

誤字報告してくださった方、ありがとうございます。


 

 

 

 

霊体化できるサーヴァントだけなら、各々走るか飛ぶかすれば、シギショアラなどすぐにつく。ただ今回は、マスター同伴かつ霊体化できないサーヴァントがいたため、五人は普通にユグドミレニアの用意した車に乗ることになった。

運転席にはロシェの残したというゴーレムが就いた。もちろん、現代の乗り物を乗りこなせるだけの騎乗スキルを持つライダーもいるにはいたが、

 

「運転はやめてください、ライダー」

 

というアサシンの一言で無しになった。全然目が笑ってなくて怖いとライダーはルーラーに泣きついたが、無言の微笑みと共に肩を叩かれただけであった。

それでもユグドミレニアが彼らに貸した車は、五人がゆったり座れるだけの広さがあったから、広々したシートに座るなりライダーは機嫌を直した。

車が走り出してすぐ、ライダーははーい、と手を挙げた。

 

「ねえ、シギショアラに着いたら、魔術師たちの家を探さなきゃいけないよね。ボク、魔術の類とかさっぱりなんだけど、そこら辺は大丈夫なの?」

「町一つを探知の術で覆うくらいならできます。前回は気配遮断しつつの偵察でしたのであまり大掛かりにできませんでしたが、今回は大っぴらにできるので」

「それも呪術スキルでやるの?便利だねえ、ボクももうちょっと魔術とかやっとけばよかったかな」

 

けらけらとライダーは屈託なく笑い、アッシュたちは苦笑した。

さらに続けてライダーは尋ねた。

 

「あと、ボクたちこの車だけで行くけど、魔術師全員を連れて帰るのとか無理だろ?そこはどうするの?」

「わたしたちが罠とかが無いか調べたあとに、ユグドミレニア傘下の他の魔術師さんたちが回収するんですって。昼日中に人間を担いで行ったり来たりしたら目立って仕方ないものね」

「……それじゃ、ボクたちが揃ってシギショアラに行く意味はあるのかい?最初からユグドミレニアの魔術師が行けばいいんじゃないの?」

 

ルーラーが指を一本ぴんと立てて言った。

 

「ええ、正直なところ、サーヴァントがこれだけ出張る意味はあまりありませんね。というより、ユグドミレニアの人たちは、一度部外者の私たちを抜きにして話し合いの時間が欲しいようでしたから。特にあのフォルヴェッジのきょうだいは、ね」

「だからこういう形で俺たちを外に出す必要があった。アサシンの提案は彼らには渡りに船だったということだな」

「ああ、そういうことなんだ。……って、何でルーラーとアサシンとレイカにマスターは知っててボクには説明がなかったのさ?」

 

これにはアサシンが答えた。

 

「町に行けると言ってはしゃぐあなたに言っても、ちょっと聞いてくれるか不安だから、落ち着いてから伝えるようにとアーチャーに言われたんです」

「むむむぅ……」

 

ライダーはやや不満そうだったが、アーチャーの慧眼は彼にとっても的を射ていたらしい。

ライダーの様子を見つつ、提案を出汁にされた形のアサシンは苦笑した。

ユグドミレニアには彼らの思惑があるのだし、アサシンにも彼女の考えももちろんある。

アサシンはセミラミスの用いた毒の成分をきちんと調べたかったのだ。この先、セミラミスは必ず毒を用いて来る。その前に、わずかでもセミラミスの毒の作り方を知っておきたかった。具体的に言うと、“赤”のマスターたちを犯した毒の種類が知りたかった。

何のためかと誰かに問われれば、曖昧に答えるしかできなかっただろうが。

一応、アサシンも毒や、解毒の方法にはそれなり詳しいつもりだ。

もちろん、ありとあらゆる毒を作れるセミラミスに対するには、あまりに小さすぎる努力なのは分かっている。それでも何もしないよりはマシだし、何かしていないと気が落ち着かないのだ。

アサシンは無意識に、首元に巻いたマフラーに顔を埋めた。

ちなみに、町に出ると言うので、ライダーもアサシンもルーラーもそれぞれ現代風の服に着替えていた。アサシンも、いつだったか玲霞の購入した物を着ている。

尚、ライダーはそのときやたらと可愛らしい服がいいとこだわり、彼は筋金入りの女装好きなのだなとそれを見たアサシンは思った。

 

「ルーラーは教会に行くという話だったが、何か痕跡が残っていると思うか?」

 

窓の外を流れていく風景をじっと見ていたアッシュが、急に窓から視線を外して言う。

 

「正直、無いような気がしますね。“赤”のアサシンは真名をセミラミス。史上最古の暗殺者にしてアッシリアの女帝だったのです。何か手がかりを残しているとは考えにくいでしょう」

「そうねえ。わたしもセミラミスには会ったけど、そういう手抜かりをしそうな人には見えなかったわ」

 

おっとりと玲霞も言い、アサシンは複雑な心持でそれを見ていた。

彼女は神秘には疎いし、魔術も理解していない。令呪も多分よく分かっていないだろう。

が、適応力と観察力が異常だった。スパルタクスの爆発の衝撃を受けても、まだ彼女は聖杯戦争から抜けるとアサシンに言って来ない。

元々『幸せになりたい』という願いがあるから、六導玲霞はここまで来た。

 

―――――難しい願いだなあ、ものすごく。

 

綿菓子のようにふわふわしていて、風のように掴みどころがない。だが、それは生きている人間すべてが心で思っていることだろう。

六導玲霞は自分の生に対する実感が薄い。彼女がそういう風になった訳をアサシンは知らないし、それは今重要ではない。大事なのは、玲霞がそう考えたまま、如何にも気軽に命のやり取りに参加し続けていることだ。

同時に、玲霞はアサシンを気遣っている。夢でアサシンの人生を覗いて、同情している。

そしてさらに、アサシンを通して生々しい生の実感を得たがっている。きっと玲霞は自分でも気づいていないだろうが。

しかし、生者が死者の人生を見て生の実感を得るなんて、悪い冗談も良いところだ。

玲霞が何を見ているかは知らない。彼女がアサシンの人生から何を感じたかは分からない。

ただ、あれはもう終わった話なのだ。何も変えられない。

過去を見続けてもいいことは無いのだ。彼女自身の先を玲霞が見てくれないうちは、幸せも何もない。

 

―――――マスターに関しては本当、あの人のことを怒れない。

―――――私の存在が玲霞をここに繋ぎとめてしまっているんだから。

 

アサシンは自分の力では、絶対に玲霞を聖杯戦争で勝ち残らせるのは無理だと認識していた。魔力の問題どうとか以前に、単純に周りが強すぎる。

そう認識した時点でアサシンは玲霞を勝たせることではなくて、聖杯戦争から無事に彼女を生還させることに目標を変えていた。

第一、玲霞は空中庭園には乗り込めないだろう。フィオレやカウレス、ゴルドやアッシュなどは魔術師だからまだ術を使って耐えられるが、玲霞は彼らに比べて体が脆すぎる。

まだ誰にも言っていないが、空中庭園に乗り込むときは生身の肉体を持つルーラーに、マスター権だけを引き受けてもらうつもりだった。

ルーラーの依り代となっている少女は、万が一ルーラーが滅ぼされても自動で安全な場所に転移されると聞いていたから、少なくとも命の危険はない。

つまり、あと数日以内でアサシンは玲霞にマスター権を手放すよう説得しないといけなかった。

 

―――――泣かれたりしたら、嫌だな。

 

そう考えて、アサシンは自分が思ったよりも玲霞のことが人として好きだということに気付いた。

母を亡くし、父のはずの神は気配すらなかった頃の幼い自分、寂しくて悲しくて、自分も他人も、何も大切に思えなかった頃の自分に、玲霞が少し似ていたからかもしれない。

そんな感傷は余計なお世話だろうが、思ってしまうことは止められない。

アサシンは玲霞に幸せになってほしい。いつか彼女がこの世を去るときに、悪くない人生だったなと目を閉じれるような、そういう人生を創っていってほしいのだ。

 

―――――私はやっぱり我儘だ。

 

それでも、アサシンは自分の大切な人の幸せを願うのを悪いこととは思わない。

何が幸せはその人にしか決められない。他人はその人に幸あれと願い、祈るだけ。

でもその祈りを持って生きることは無駄ではない。無為ではないと、アサシンは信じている。

 

「そういえばさ、ルーラー。キミ、天草四郎って英霊についてどのくらい知ってる?」

 

ふいに、そんなことをライダーが言い、車内の全員の視線がそちらに向いた。

 

「まあ、ある程度は聖杯を通じて知識が与えられています。でも今時なら、パソコンという機械を使えばわかる程度ですよ。……何故そんなことを?」

「ん、んーとね……」

 

ライダーの視線がちらりとアッシュの方へ向き、つられて他の全員の視線も彼の方に向いた。

 

「アッシュ君は、天草四郎のことが気になっているのですか?」

「ああ。……何だろうな、何となく気にかかるんだ。ただ敵として倒すだけというのは、何かこう、違う気がして」

 

アッシュは自分の膝を見ながら言葉を継いだ。彼は自分でもよく分かっていないのだ。

それはそうだろう。彼はまだ幼い。誰かを敵とみなすための感情自体が、未熟だ。

 

「少なくとも、俺に与えられた知識の中では、人類の不老不死を願った人間なんていない。……自分ひとりの不老不死を望んだものなら大勢いるようだが」

「うん。昔の王様とかそういう人がいるよね。ボクは、自分一人がずっと生きていても楽しいことなんてないと思うけどさ」

 

シャルルマーニュ十二勇士の一人は、そう言ってルーラーたちを見回した。

ライダーは多分、マスターのこの悩みを相談したかったのだろう。ライダー一人だけの答えをアッシュが正しいと思いこんだり、彼の視界が狭くなったりするのを心配したから。

 

―――――そういう気遣いができるのに、何で宝具の真名は頭からすっぽ抜けるのだろう。

 

アサシンにはものすごく不思議だった。

 

「そんな人はわたしも見たことないわ。映画とか小説の中じゃあるまいしね。そんなことを真剣に祈るなんて、本当の聖人みたいな人よね」

 

そう言った玲霞の向かいに座る聖女は、やや気恥ずかしげに頬をかいた。

 

「ルーラー、キミはどう思うんだい?」

「……確かに、天草四郎の願いは尊く聞こえると思います。が、止めるべきです」

 

一度話し出したルーラーの声は、凛としていて人を惹きつける何かがあった。

 

「私たちは死者です。倒れた生者に手を差し伸べ、肩を貸すことはできてもそれ以上のことをすべきではないと思いますし、それが私たちの限界であるべきです。陳腐な言い方ですが、今の時代は今を生きる人々のものです」

 

そう言ってルーラーは、アッシュと玲霞に微笑みを向けた。

二十歳にも届いていない少女の微笑みながら、そこには慈愛としか言えない感情が込められていた。

 

「私はあなたたちの創る未来を、これからを信じています。それがどれだけの苦難でも、人は明るい未来へ進んでいけると、私はそう思いたいのです。……でも、天草四郎は違います。彼はあくまで自分の手で創る未来を明るいものとして信じています。彼との違いは、それでしょうね」

 

聖女と称えられる少女は、そういって柔らかく微笑んだ。

 

「じゃあ、次はアサシン。キミはどうなの?」

 

ジャンヌ・ダルクの言葉を噛みしめていたアサシンは、ぴくりと肩を震わせた。

 

「こ、この流れで私に振るんですか?」

「細かいことはいいじゃん。ここで天草四郎に直接会ったの、キミだけなんだぜ」

 

そう言われてしまえば、アサシンには否応もなかった。

アッシュの真っ直ぐな赤い瞳から向けられる視線を感じながら、アサシンは口を開いた。

 

「……私は、ジャンヌさんほど未来を真っ直ぐに信じることはちょっと、難しいです。これから先も、人は戦いをやめないでしょう。何度も、何度も繰り返していつか滅んでしまうかもしれません」

 

聞いていて、玲霞は思った。

アサシンがそう言うのは、アサシンの時代は、一人の一撃で国が一つ、山が一つ消し飛んでもおかしくない時代だったからかな、と。

自嘲するようにアサシンは唇の端を吊り上げ、それでも淡々と淀みなく続けた。

 

「そういう思いも私の中にはあるんです。でも、同時に人は短い一生で何かを学んで、それを次の人につないで、渡されたものをまた誰かに受け渡して……。そうやって生きていくと思うんです。……私たちの時代も、長い詩になって伝えられていますし」

 

一瞬、アサシンは言葉を探すように、宙を青い瞳で見た。

 

「天草四郎の願いって、そういう流れを全部無駄だって、無為だって、切り捨てることじゃないかと思うんです。そうしたら、世界はゆったりと澱んで腐っていくと思います。それに……自分の死を直視できない生き物は、自分を永遠の存在だと思う者は、必ず生命として取り返しのつかない何かが歪みます」

 

死なず朽ちず衰えず、永劫を生き続ける存在。退屈を疎んで、己以外のありとあらゆる命を、容易く扱える駒のように感じている者。

アサシンはその存在を知っている。自分の中にもその血は流れているのだ。

天草四郎の願いは、人間をそういう存在に近しい何かへと押し上げるものだ。

だから、アサシンは呪いだと天草四郎の願いを罵った。そうせずにはおられなかったから。

 

「それに……私、彼のやり方、嫌いです。救済とか幸福とか、そういう聞こえの良い言葉で人の魂を縛ってしまうの、私は嫌なんです。人の魂はその人だけのものです。奇跡だろうが何だろうが、他の誰かに勝手に形を変えられていいモノじゃないんです」

 

何か、炎のようなものがアサシンの目の奥を一瞬過った。

けれど、そこまで言って、アサシンははっと我に返ったように背を丸めて小さくなった。

 

「し、しゃべりすぎました」

「……いいえ。アサシン、あなたの真っ直ぐな考えが聞けて良かったと思います。この先の戦いで互いの心を語る機会なんて、訪れないでしょうからね」

 

ルーラーはアサシンの手を取った。紫水晶の瞳と青玉の瞳が正面から交わる。

 

「うん!ルーラーの言う通り!ボクもキミの意見が聞けて良かったよ。ね、マスター」

「……ああ、そうだな。……正直、俺には難しいが」

「もー、頼りないこと言うなよ!」

 

ライダーはアッシュの背中をばしばしと叩き、アッシュはやや痛そうに顔をしかめた。

 

「アッシュ君。あなたには知識があるけれど経験がないから、戸惑って当然です。私たちの答えも、私たちなりのものです。向き合った人生から得た答えが、私たちのものはこういう形なんです」

「俺は、自分で考えて答えを出すべきということか?」

 

途方に暮れたような響きが、アッシュの声に混じった。

 

「そうだよー。この先の戦いが終わるまでは、ボクは絶対キミのことを守るって約束するけど、そっから先はキミがキミだけで歩いて行かなきゃならないんだもん」

 

寂しいけどね、ボクらサーヴァントはこの時代のお客さんだからさ、とライダーは、今度はアッシュの頭をぽんぽんと叩いて言って、ちらりと玲霞の方に視線を向けた。

アッシュはそれに気づかず、ややむくれた様子でライダーの手から体を離した。

 

「……子ども扱いしないでほしい」

「そう言っているうちは子どもよ、アッシュ」

 

玲霞の一言にアッシュががっくりと肩を落としたところで、車はシギショアラに着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 




車内会話の話。

主人公の思考回路は神代の人間としてアウト。
いと高き神を同じ命として見るのだから。
仇名は『頭のおかしい焔娘』とかです。

そしてジャンヌさん聖女モード中。


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Act-26

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。

難産でした。遅れて申し訳ないです。

では。


 

 

 

シギショアラの町は一見したところ、平静だった。スパルタクスの爆発はこの町からでも遠目に見えただろうが、町の住人には少なくとも某か納得できる理屈が広められているのだろう。

手を回したのはルーマニア全体に根を張るユグドミレニアか、あるいは魔術協会かもしれない。

どこの組織が処理したのかは分からないが、何れにしても観光地としても有名なシギショアラには表向きの平穏な時が流れていた。

そして古き町並みを今に残すという観光の町である以上、人の出入りもそれなりにある。その流れに紛れて三騎のサーヴァントに二人のマスターが町へと入った。

何の酔狂か、三騎のサーヴァントは霊体ではなく皆実体となった上で現代風の格好をしていた。

そうやって道行く彼らは、一目で外国人と分かる若い女性や、華奢な少年少女たちが寄り集まった一団である。町の破落戸やスリには獲物と映るだろう。

だが、町の人間は不思議と彼らに注意を払っていないようだった。通行人として認識はしているが、彼らが見慣れた町の一部であるかのように見過ごしている。

 

―――――十中八九、何かの術を使っているのだろうな、と彼らの様子を遥か離れた場所から霊体となって遠目に観察する“赤”のランサー、カルナは呟いた。

サーヴァントとして鮮烈な彼の気配を、ルーラー含む“黒”の一団はまだ感じ取れていないようだった。彼らとカルナの間に相当な距離が開いていることもあるが、“赤”のアサシンのかけた気配を薄れさせる術が効果を発揮していた。

カルナはそのまま、“黒”の彼らを見る。

ルーラーであるジャンヌ・ダルクにマスターはおらず、幻獣ヒポグリフを駆っていたライダーはホムンクルスらしき少年の手を引っ張ってはしゃいでいることから、あの白髪の少年がライダーのマスターなのだろう。

となると、最後に残る女性が“黒”のアサシンのマスターということになる。

一見したところは、普通の若い女に見えた。神秘の気配も何もない。その手に刻まれた令呪がなければ、間違っても誰もマスターとは思わないだろう。

元は巻き込まれた一般人、という“黒”のセイバー、ジークフリートの言葉をカルナは思い出した。

さらに様子を見るかとカルナが思ったところで、不意に明後日の方向を見ていた“黒”のアサシンが、前触れなくからくり人形のような動きでくるりと頭を巡らせ、カルナの方を凝視した。

姿は見えず気配も感じ取れないはずなのに、カルナは青い宝石のような瞳が、長い距離を貫いてこちらを見据えているのを感じた。

だが、どうするかと考える前に、アサシンの肩をマスターである女が叩き、アサシンの注意はそちらへ逸れた。

町の様子を指差すマスターに何か問われ、アサシンが首に巻いた毛糸で織られた幅広の布を引き下げて答えている。そのままアサシンはカルナの方にはもう視線をやらず、ルーラーやライダーたちと共に市街地へと歩いていき、雑踏の中に溶け込んだ。

振り向きもしない小さな背中が、街中へ消えるのを見送ると、嬉しいような寂しいような妙な感慨を感じた。

“黒”のアサシンはカルナの気配を察知したのではないようだった。彼女はただ何となく、何かあると感じた方向を見ただけだったのだろう。

相変わらずの勘の良さだった。

これ以上近付けば、アサシンは間違いなくカルナの気配を感知するだろう。加えてあちらには、サーヴァントの気配を読むのに長けたルーラーもいるのだ。

とはいえ、近寄らなければまずどうしようもないのだ。

彼らがシギショアラにまでぞろぞろと何をしに来たかに関しては、カルナ個人としては然程興味がない。ルーラーにしてもライダーにしても、カルナにとってはいずれ戦い、倒すべき敵というだけだ。

策を巡らすのは自分の本分ではなく、前線で槍を振るうことこそが使命だと、カルナは割り切っていた。

だが、アサシンに関してはそこまで割り切れていなかった。走れば数分とかからない距離を挟み、手を伸ばせば届きそうな所を歩いているのは散々探してきた相手で、長年自分の隣にいた女性だ。

頭の後ろでひとつに束ねた黒髪を揺らしながら日差しの元を歩く姿は、服装を除けば記憶の中と何も変わっていない。

もしかしたらあのときから今までずっと生きていたのではないか、とも思ってしまいそうだった。が、それだけはないとすぐ分かった。

アサシンから漂う気配は、死者の魂をサーヴァントという器に嵌め込んだモノのそれだ。カルナや他のサーヴァントと同じく、彼女もすでに死んでいる。

ただ、どうしてそうなったか、アサシンが人としてどんな最期を迎えて、真名が抹消されたサーヴァントになったのか、それが分からない。そして誰に聞いても答えが得られないなら、探して本人に聞くしかないのだ。

その一心で、これまであちこちを探した。

地上を遍く照らす太陽の神の高御座から、世界を見渡した。人として生きていた頃より多くが見渡せた。それでも見つけられなかった。

数多英雄の魂が集う『座』も探した。探したが、空振りも良いところだった。

カルナには自分に分かったところで何が出来る訳でもないことも、過去が覆ることがないのも、勿論分かっている。

彼女の生き死にに関わる何かをカルナが覆せたとしたなら、それは生きていたときだけで、その機会はもう永劫訪れない。

死ぬというのはそういうことだ。

けれど、知らなければ何も変わらないのだ。

死んで今更変わるも何もないが、サーヴァントとしての正しい道理だけを取ってマスターの意向のままアサシンへ槍を向けるのは、したくなかった。槍を向ければ、カルナの槍はアサシンを確実に屠るだろうから。

それは予感ではなく確信で、かつ純然たる事実だ。

尤も、そんなことはカルナよりアサシンの方が骨身に染みて理解しているだろうから、この先庭園に乗り込んで来ても、アサシンはカルナに一対一で絶対に向かって来ないだろう。そういう計算を忘れるような人間ではなかった。

 

 ―――――まあ、その割りにこの戦いでは派手にやらかしているようだが、あれは色々間が悪いのだろう、多分。

 

 ともあれ、そうなればますますこの機会くらいしか話を聞く時間はない。口下手どうのこうのと、言っている場合ではなかった。

詰まる所、カルナの個人としての心が傾いているのは、アサシンとそのマスターくらいなものだった。アサシンの焔の一部を持つホムンクルスの少年は、微妙なところである。

 

 さてどうするかとカルナが思案するうちに、彼らは二手に分かれることにしたようだった。ルーラーは町はずれの教会へ、残りの面々は街中へと向かうようだった。

カルナは後者の一団を追うため、その場から跳躍した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ルーラーはシロウたちの陣取っていた教会へ向かうことになった。

恐らくは目ぼしいものは無いだろうから、後から合流する。それまでライダーをよく見ておいて下さいね、とルーラーがアッシュの手を握ってよく頼んでから歩き去った。

アッシュは大真面目に分かったと頷き、何度も言わなくていいじゃん、第一マスターの面倒を見るのはボクの方なのに、とライダーは頬を膨らませていたが、他の二人からは賛成が得られなかった。

そんな始まりになったものの、残りの面々は街に点在している魔術師たちの拠点を一つ一つ虱潰しに探していくことにした。

ライダーはほぼ観光気分で、アッシュの手を引っ張っては小さな土産物の並べられた店や焼きたてのパンの匂いを漂わせるパン屋に目を輝かせている。

アッシュの方はライダーについていくだけで精一杯という感じで、あっちに行ったりこっちに行ったりと忙しいライダーに引っ張り回されていた。

アサシンと玲霞とは、その彼らの後ろをのんびりついて行く。時々、アッシュが振り返っては助けを求めるように彼女たちを見ているのだが、玲霞は町並みをぼんやり見ながら歩いているし、アサシンは目が合っても無表情のまますっとアッシュから視線を外すのだ。

二人とも、ライダーのことはアッシュに任せてしまったようだった。

実際の所は、こんな風に騒ぐこと自体、アッシュには始めてのことだろうからと敢えてマスター思いのサーヴァントがマスターを巻き込んで楽しむに任せていた。

開けっ広げに楽しんで、自分と一緒に隣の誰かの気分も明るくしてしまうのは、何でもかんでも生真面目に考えてしまいがちな自分よりライダーの方がずっと得意だと、アサシンは思っていたし事実だった。

もちろんアサシンもぼうっと歩いているわけではなく、術で魔術の気配のする家々を探っていた。――――玲霞は本当に町並みを見渡しながら歩いているだけだったが。

そうして歩いていると、当然だが探知の術に引っかかる家が出てくる。

先を行くライダーたちをアサシンは呼び止め、一軒の家を指さした。見たところは他の家と比べて違いもない。少なくとも、アッシュや玲霞にはそう見えたが、アサシンの感覚からしてみると違ったらしい。

 

 「この家です。魔術の気配があります」

「待ってました!ボクの出番ってことだね」

 

 言うが早いか、ライダーは手の中に顕現させた魔術書で扉を叩いた。

ひょいと軽くやったように見えてもサーヴァントの力で叩いたのだから、扉が後ろにたわむほどの勢いだった。彼は、侵入者除けの魔術を魔術を無効にする書物で無理やり解除したのだ。

 

 「これで開いたよ。どうだい、持ってるだけで便利だろ、この宝具」

 

開いた扉の前で ライダーはえへんと胸を張り、アサシンは無表情のまま、玲霞はにこにこしたまま、ぱちぱちと胸の前で手を小さく叩いていた。

アッシュは呆気に取られて何も言えなかった。

 

 「ええ、とても見事です、ライダー。……ところで、それの真名はどうなっているんですか?」

「あ、それはちょっと待ってほしいカナー」

 

 途端に目を逸らすライダーに玲霞とアッシュは苦笑しながら、家の中へ入る。

ちなみに、古書でいきなり扉を叩いて中に入るなど、周りから見ればとても奇妙な振る舞いだが、アサシンの使っている認識障害の術のおかげで、通りかかった誰かに見られても見過ごされるようになっているので問題はなかった。

そのままライダーを先頭に彼らは家に入る。ベッドや机など、生活に最低限の家具が置かれているだけの部屋は飾り一つなく、人の暮らしの気配のないものだった。

 

 「魔術師さんの家って、結構殺風景ね。というか、誰もいないのかしら」

 

 部屋の中を見渡しつつ言う玲霞に、アッシュが答えた。

 

 「ここは潜入のための拠点だからこんなものなのだろう。魔術師が工夫を凝らすのは彼らの魔術工房と決まっている。魔術師がいるとしたら、その工房だ」

 

 そういうものなの、と呟く玲霞の前で、ライダーはまたまたアサシンの指示に従って魔術書で地下へ続く扉を叩いていた。というより、叩き壊していた。

 

 「あ、魔術師見っけ!」

 

そうやって彼らが押し入ったのは、書物やら宝石やらが乱雑に転がる薄暗い地下室だった。その中心に、やつれた風情の男が一人椅子に座ったまま動きを止めている。

男の瞳は虚ろで口は半開き。侵入者たちにも一切の反応を示さなかった。

アサシンが駆け寄って脈を取り、瞼を押し開けて瞳を確認する。それから男の額に手を押し当てて二言三言何かを呟いた後、彼女は手を離した。

 

 「何か分かったの?」

「……この場ですぐにどうこうできる毒でないことが分かりました。でも、然るべきところで治療を受ければ回復するでしょう」

 

 アサシンはそう言って、工房を見渡す。

傍で見ていたアッシュも、つられて工房の様子を解析した。

工房には傷一つなかった。しかしその主は意識を虚空にさ迷わせてしまっている。幾重にも敷かれていただろう守りも、セミラミスというサーヴァント相手には藁の楯にもならなかったのだ。

立ち向かう相手の巨大さを思うと、腹の底から薄ら寒い気分になって来る。

知らず自分で自分の二の腕を掴むアッシュの手をライダーは握り、魔術書を掲げて明るく言った。

 

 「オッケー、これで一つクリア!次に行こう!」

 

 後からやって来るユグドミレニアの回収班たちに向けての目印になる魔術的な印を工房に刻んでから、彼らは一つ目の家を後にした。

ライダーとアッシュの後を歩きながら、玲霞はアサシンにこっそり耳打ちした。

 

「結構暇がかかるわね。この街全体を覆ったり、しないの?」

「……それをしてしまうと、すぐに終わってしまいますよ。この街をちょっとは楽しまないと損です」

 

潜めた声で答えるアサシンの視線の先には、アッシュとライダーがいる。

小さな声で唄うようにアサシンは続けた。

 

「アッシュ君はもっと楽しんでほしいんです。あの子はこのまま戦いに行ったら、命を魔力に変換してまでライダーに捧げかねない」

 

アッシュの短い人生の大半は、ライダーで占められている。彼のためなら、きっと何でもしてしまうだろうと思えるくらいに、アッシュはライダーに恩を感じている。

それは幼子が親に向けるような親愛や、友愛や様々なものが絡まりあっているもので、言葉で切り分けるようとしてもきっと上手くいかないだろう。

アッシュはいざとなったら間違いなく自分の命より、ライダーの命を大切にするだろう。

無論彼だって、進んで命を捨てようとは全然思っていない。ただ、いざその時になってしまえば、彼の中の天秤はライダーの方へ傾くだろう。

アッシュが他人の命と自分の命を秤にかけてしまえるのは、例えばカルナのような意志の強さというより、人生の短さのせいだ。

ライダーは彼にそうしてほしくない。

友や庇護する者へ向ける優しい愛で、彼もアッシュを好いているのだ。

でも彼がやめろと言っても、アッシュは確実に聞かないことも分かっている。

だったら、どうすればいいのか。

アッシュ自身に、もっとこの世で生きていたいと思ってもらうしかない。

未練でも何でもいい。アッシュをこの世に繋ぐ杭がいる。

だからライダーははしゃいで楽しんで、アッシュに世界の綺麗な所、楽しい所をできるだけ見せようとしているのだろう。

 

「それ、考えてやってるのかしら?ライダーは、理性がお月様にあるんじゃなかった?」

 

思わずしみじみ言う玲霞に、アサシンは笑いをこらえるように眉を下げた。

 

「考えずにやっているなら、ライダーの勘は天才的ですし、考えてやっているならやっぱり凄いですよ」

「つまり?」

「ライダーは、理性があっても無くても関係ないくらいとっても良い人ってことですよ。……まあ、ちょっとはしゃぎすぎかもしれませんけど」

 

それはそうね、と玲霞は頷いて、ただ気になっていることを告げた。

 

「でも、ライダーと楽しく過ごせば過ごすだけ、あの子はライダーを大切に思ってしまわないかしら?」

 

前を向いて歩いていたアサシンは、そこで玲霞の方を見た。真摯な光の宿った目をしていた。

 

「……レイカ。あなたはあの子が気になるんですか?あの子のことを、心配しているんですか?」

「そうよ?だって……」

 

続けようとして玲霞は言葉につまった。自分がアッシュを気にかける意味なんて、特に考えていなかったのだ。

でも言われてみたら、そもそもアサシンがアッシュを助けた切欠は、玲霞がアサシンにホムンクルスの子を助けてくれないかと、頼んだからだ。彼の生き死にに、玲霞は最初から関わっていた。

それだって理不尽に魔術師の糧にされかけた自分と、魔力と一緒に命を取られるホムンクルスが重なったから、というだけのことだったが。

 

「だって……気になるもの」

 

結局、玲霞はそう言うしかなかった。

アサシンはその答えにも何も言わなかったた。アサシンなら、言葉で玲霞の気持ちを解体出来ただろうが、彼女はそれをしなかった。その気遣いは有り難かった。

 

「そう思っているなら、ね、レイカもあっちに行って楽しんで来てください」

 

『幸せ』になりたいのならこの一日くらい楽しまないと、とアサシンはどこか突き放すように言った。言葉とは裏腹に、目には優しい光が灯っていた。

建物の陰が落ちている道から、玲霞は少し先の明るい石畳を歩くライダーたちを見た。

日の見下ろす道を、ライダーに引っ張られながら歩くアッシュの白い髪が太陽に当たってきらきら輝いている。

玲霞は横のアサシンを見た。白い顔は建物が作った黒い陰に沈んでいたが、青い目は麗らかな春の海のように穏やかだった。

その目を見て、瞳に浮かんでいる光を見て、不意に玲霞は隣のアサシンが遠く遠く離れていくような感じがした。

 

―――――どんな気持ちで。

 

どんな気持ちで、アサシンはアッシュや自分を見ているのだろう。

玲霞はアサシンの一生を知っている。マスターだからという理由で、アサシンの過去を見たから。アサシンが何を大切に思っていたか、どういう気持ちで自分の死を見つめたか、みんな知ってしまっている。

 

だから、どうしてアサシンがそんな穏やかな目をしていられるのかが、分からなかった。

 

玲霞の口が動きかける。しかし想いが言葉になる前に、アサシンがいきなり鞭のような素早さで振り向き、遥か離れた虚空を見つめた。

同時に戦う者としての気配を一瞬でアサシンは纏い、ライダーもアサシンの変化に気づいて振り返った。

 

「アサシン、どうかしたのかい?」

「……ライダー、“赤”のサーヴァント……カルナがこちらにいます。今、気配がしました」

 

絶句するアッシュを他所に、ライダーは目をくりくりと動かしただけだった。

 

「そりゃ大変だ。でも戦う感じ……じゃないみたいだね。殺気があったらボクでも分かるし」

 

そう聞いて、アサシンが頷くのを見て、玲霞は思わずアサシンの腕をつかんだ。

 

「アサシン、行って」

 

呆気に取られたようなアサシンの顔を見て、玲霞はとてももどかしい気分になった。

 

「良いから、行って!」

 

叫ぶと同時そこで玲霞の手の甲が輝いた。

赤く光る刻印はマスターの証。六導玲霞の使えるただひとつの神秘の結晶だった。

令呪を使うのに神秘はいらない。ただの叫びでも、意志があれば奇跡が引き起こされるのだ。

 

「えっ!ちょっとレイカ、それまさか、令―――――!」

 

ライダーが言い終わる前に、令呪から放たれた赤い光にアサシンが包まれる。光が消えたあと、その姿はその場からかき消えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 




令呪をそんなことに使ってしまうのか、という話。

次は対話の回。


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Act-27

誤字報告してくださった方、ありがとうございます。

では。


 

 

 

 

 

青空よりもさらに濃い青色の瞳を一杯に見開いて、三角屋根が並んだ町並みをすべて足元に見下ろして。

気付いたらアサシンは空高くに放り出されていた。耳元でびゅうびゅうと風が唸り、首に巻いていたマフラーが千切れそうなくらいはためいている。髪を束ねていた布が吹き飛ばされて、髪が扇のように広がったのを感じた。

 

―――――何が、どうなって。

 

口の中で呪文を唱えて風を操り、アサシンは叩きつけられる風に翻弄されていた体の向きを安定させた。

手足を伸ばした体勢を取ったアサシンの落下する速度が緩やかになる。

そこでようやく、アサシンは自分の全身にかかった魔術を感じた。具体的に言うと霊体化ができず、体が勝手に術を操り、風を動かして自分の体をある方向へ押し流している。

玲霞が令呪越しに唱えたのは、カルナの元に行け、という意志は強いが方向性のない命令。

 

―――――曖昧な命令だったものだから。

 

空間転移に間違いが生じて、自分は空に吹き飛ばされたらしい。有償の奇跡に融通は利くのか、とアサシンは風に流されながら妙なことを考えた。

今のアサシンは空高くに放り出されて落下している。このまま落ちてもサーヴァントだから死にはしないが、落下した場所は大惨事だろう。

気付けば遥か下だった町の屋根は間近に迫っていた。屋根を突き破らないよう重量軽減と速度制限の術を高速で重ね掛けし、空中で軽業師のように回転したアサシンは足から先に屋根の上に着地した。

軽い痛みが足を通じて全身に走る。衝撃を殺しきれずに足元で屋根瓦が一枚砕けたが、それくらいは許してほしいと思いつつ、アサシンは立ち上がった。

風に流されて乱れた髪が目にかかって、邪魔だった。

それを顔の前から払いのけて、アサシンは隣の家の屋根の上に立っている人影の方を見た。

二対の青い瞳が、正面から交わる。

 

「……」

「……」

 

無手で隣の家の屋根の上に立っていた“赤”の槍兵は、空から落ちてきた“黒”の暗殺者を見て、何とも複雑な顔になった。

先に動いたのはアサシンの方だった。彼女が右手を天に突き上げ、何かを呟くのと同時に、掌に魔力が集められて渦を巻く。

認識疎外と防音、それに諸々の隠蔽のための術を組み合わせたものをアサシンは発動させた。そうやって無造作に編まれた結界擬きに弾かれて、周囲の屋根に止まっていた鳩が鳴き声を上げてすべて飛び去る。

アサシンは、鳩の方を見もしなかった。

 

「……戦いに、来たわけではないんですね?」

 

剣と弓を顕現させるか否か戸惑うアサシンに、カルナは頷いた。

 

「お前もそうだろう。奇襲ならもっとうまくやるはずだ。一人で空から落ちるなど、何をどうすればそうなる?」

「レ―――私のマスターがあなたに会いに行け、と令呪を使ってくれたからこうなったんですよ。あなたこそシギショアラで何をしているのですか?」

「……偵察だ」

 

は、とアサシンがつかの間呆けたような表情になった。

カルナほどの凄烈な気配の英霊を偵察に行かせれば、遅かれ早かればれるだろう。現に、アサシンは、カルナが一定の距離に近づいたとたんに気配を察知した。

人選、間違っていませんか、とアサシンは寸でのところで口に出しかけて止めた。さすがにそれを言うのは場違いだ。

 

「似合わないと言いたげな顔はやめろ。オレも自覚はある」

 

だが、きっちり顔には出てしまっていたらしい。

カルナが生真面目に眉を顰め、それを見てようやくアサシンの纏っていた冷えた空気が霧散し、彼女は構えを解いた。少なくとも、警戒心は減ったのだ。

同時、一瞬カルナの目の前からアサシンの姿が消え去る。気付けば、カルナを下から覗き込むようにアサシンが間合いを詰めていた。ひんやりした冷たい手が、カルナの頬をくるむように挟み込んだ。殺気の欠片もない行動に、カルナは動かなかった。

じっと無言で、カルナの両頬を挟んだまま、アサシンは上目遣いにカルナの薄青い瞳を見上げる。カルナが見る間に、その濃い青の瞳が翳り、仮面がずれるように寂し気な顔が無表情の下から現れた。

 

「―――――何で、こんな風な形でしか、また会えなかったんでしょうか」

 

それはカルナにというより、自分に言ったような一言だった。そのままアサシンは手を離して後ろに跳ぶ。カルナを見据える顔は、元の通りの無表情だった。

 

「それで“赤”のランサー。あなたの任が偵察だというなら答えましょう。私たちは、ここにそちらのアサシンに毒を盛られたマスターたちの調査と、教会を調べるために訪れました」

「待て、少し待て。そう簡単にばらして良いのか?」

「良いんです。知られて困ることではないので。そちらだって、何となく予想はしていたんじゃあないのですか?」

「まあ、な。オレとしては、お前のマスターの様子が見たくもあったし、話したいこともあるのだが……」

「――――今は、お互いに時間がない。そうでしょう?」

 

“赤”側はきっと遠見の術で見張っている。大して術式を練り上げることができずに発動させたアサシンの隠蔽の術では、あとしばらくの間しか持たないだろう。

それに、ルーラーの気配も確実に近寄って来ている。

 

「ああ。だが、一つだけ聞いておきたい。――――お前は、何をした?何をしたらそういうあり方のサーヴァントになる?」

 

咎めるような言い方ではなかった。そんな気持ちは微塵も感じ取れなかった。

アサシンは痛みをこらえるように一瞬きつく目を閉じる。

 

「……私は、神の化身を殺めようとしました。けれど、失敗して呪われました。死んでから今までずっと解けない呪いです」

「それは、神に呪われたか?」

 

こくり、とアサシンの首が上下に振られた。何の神かまでは、彼女には分からなくなっているから答えようがなかった。

 

「神……神か。ならば探しても見つからないわけだ。地上にもいない、座にもいない。だが、召喚はされた……。となれば、お前がこれまでいたのは世界の裏側かどこかか?」

 

途端にアサシンの目が泳いだ。つまり、自分でもよく分かっていないのだ。

他人のことは見抜いて気に掛けるわりに、自分のことは後回しにする。悪い癖だ、とカルナは妙に腹立たしくなった。

だが、そんな処から、アサシンのマスターはアサシンを呼び出したことになる。

 

「お前の、マスターの名は?」

「……レイカ。リクドウ・レイカです」

 

そうか、とカルナは名を舌の上で転がすように呟いた。オレは彼女に感謝しなければならないようだ、とも言い、それをアサシンは聞いて黙って目を伏せた。

 

「こちらも聞きたいのですが、あなたのマスターの名前は?」

「すまん。答えられない。顔を合わせたことが無いのだ」

「つまり、顔を合わせる前からあなたのマスターは毒に犯されていて、さらにあなたは名を知らぬマスターのために戦っているということですね。――――それにもう一つ、こちらのセイバーに請われて、再戦の約束も交わしたと聞きましたが?」

 

カルナが頷くと、アサシンは額を手で押さえた。

 

「この律義者。そうやって義理を通し続けていれば、苦労ばかり背負いこみますよ」

「お互い様だ。マスターのためとはいえ、お前も大立ち回りばかりしているだろう」

「違います。私は感情で動いています。私は、今のマスターのことが好きなんです。好きだから頑張るんです」

 

今も昔も、と最後の一言だけ、アサシンは心の中で付け加えた。

同時に、彼女はかけた術が軋むのを感じ取る。外からの見えざる攻撃で、術が綻び始めているのだ。

伝えたいことも聞きたいこともお互い山ほどあるのに、どうしようもなく時間がなかった。二人揃って元々口が回る方ではないせいで、伝えたいことがありすぎるせいで、却って言葉を紡ぎだせない。それが、腹立たしくなるくらいもどかしい。

“赤”のアサシンに聞かれてはならない会話ができるのは、もうこれが最後だろう。アサシンもカルナも漠然とだが、そんな予感がした。

次にこうして話せる機会は、多分、互いがサーヴァントの役割を果たした後くらいにしか巡って来ないだろう。それがいつ、どういう形になるのかは、見当もつかなかった。

 

「――――カルナ。私はあなたと一緒には行けない。聖杯に告げたい願いはないけれど、天草四郎の願いは、どうやっても認められない。だから、戦います。あなたの聖杯にかける願いが、なんであっても」

「そうか。ならば、オレもオレの戦いをしよう。オレの力を必要としてくれたマスターの命を守るため、槍をかける。もう、オレの聖杯にかける願いは無くなり、お前にも宿願がないとなれば、その点では……その点だけはオレたちは気楽か」

 

願いが無くなった、と聞いてアサシンの眉がピクリと動いた。

 

「あなたが槍を振るうのは、マスターと、“黒”のセイバーとの再戦のためであって、天草四郎の願いのためではないんですね」

「そうだ。天草四郎は、お前に願いを切って捨てられたことを気にしていたようだが、何か言ったのか?」

 

アサシンは記憶を呼び戻すように片目を瞑った。

 

「――――特に何も、大したことを言った覚えはありません。……でも、あの人みたいな雰囲気の人、私が苦手だってことをあなたは知っているでしょう」

 

まさか印象だけで天草四郎の願いを罵ったわけではないが、天草四郎は人類救済のためなら、何をしてもいいと考えている節があるとアサシンは思っていた。

何を踏みにじっても、最後には皆が救われるからいいだろう、と。

それは如何にも乱暴だ。彼から感じ取れたのは、あの神の化身、クリシュナを思い出させる傲慢さだ。

 

――――クリシュナのことは、アサシンは心底苦手だ。生きていた時から、とてもとても苦手だった。

彼がどれだけ見目形が良くても、弁舌爽やかに人の心を虜にする魅力ある青年であっても、苦手だった。

それは、自分が彼に殺されたからというのではない。自分はクリシュナを殺そうとしたのだから、彼に殺し返されたことに悔いはあっても恨みはない、とアサシンはそこに関しては割り切った思考をしている。

では何故、そこまでクリシュナが苦手だったのだろう。厭ったのだろう。

死んで、生きていた頃の自分を突き放して見ることができるようになったから分かることだが、アサシンは、クリシュナの人を見ているようで見ていない神の視線が、怖かったのだ。

そういう存在と、否が応でも重なる人間が天草四郎だ。

要するに、徹頭徹尾、天草四郎はアサシンにとって相容れないのだ。

 

「雰囲気が苦手と言われてはどうしようもないな。だが、あの男の信念は強固だぞ」

 

天草四郎は六十年もの時間を、かつてダーニックが奪ったという聖杯を取り戻すためだけに使ったのだ。人が一人生きて死ぬほどの間の時間を、老いることもせずに、ただの人間の暮らしに溶け込むこともせず、人類救済のためだけに使う。確かに、とんでもない求道者だ。

けれど。

 

「あちらの信念の固さは諦める理由にはなりません」

 

アサシンは肩を竦めて答えた。

同時に術に限界が来た。ついに、ガラスの砕け散るような音と共に結界擬きが弾け飛び、それまでこの空間を避けていた鳩たち、つまりセミラミスの目が空を旋回し出した。

鳥の群れを目の端で捉えながら、アサシンは片手で口元を覆ったマフラーを握り、だらりと下げたもう片方の手に光の粒子が集まり剣の形を成す。

同時にカルナも、切っ先を下げたまま黄金の槍を顕現させる。

 

「聖杯にかける願いは、あなたも私も無い。それなら、精一杯己の戦いをするとしましょう。結局はそれが、助けになることでしょう」

「ああ。そちらのセイバーに伝えておいてほしい。必ず再戦の約束は果たす、とな」

「確かに、伝言を承りました。“赤”のランサー」

 

アサシンが一礼して後ろに下がると同時に、一つのサーヴァントが場に飛び込んできた。

金髪に紫の瞳の少女、ルーラーは、アサシンを庇うようにカルナの前に立ちふさがった。

厳しいルーラーの視線を向けられてもカルナはどこ吹く風だった。

 

「この場でそう戦意をむき出しにする意味はないぞ。旗の聖女よ。オレの用は済んだ故、早々に立ち去る」

 

得物を持ったカルナと、それに反して明らかに戦意のない言い方に、ルーラーは旗を召喚するのか戸惑う。

その肩をアサシンが叩いた。

 

「ルーラー、彼の言っていることは本当です。昼の街中ではどうしたって戦えないし、今はまだその時ではありません」

「そういうことだ。さらばだ、ルーラー。次は戦いの場で待つ」

 

そう言ってカルナは跳躍し、姿が霊体となってかき消える。気配も恐ろしい速度で遠ざかっていった。

街外れの教会からここまで一直線に駆けて来たルーラーは、胸を撫でおろした。

さっきアサシンの気配が一瞬かき消え、さらに近くに“赤”のランサーの気配が同時に出現したのにルーラーは驚いた。

どうやらカルナは、セミラミスの授けていた隠蔽の魔術をアサシンと会った時点で解除したらしい。

おまけにやって来てみれば、アサシンとカルナはお互い得物を向けあっていないが、手には握って相対している始末。殺気は感じられなかったものの、ルーラーは非常事態と判断して飛び込んだのだ。

そうルーラーから言われ、傍から見たら確かに物騒なやり取りに見えたのだろうな、とアサシンは苦笑いするしかなかった。

 

「心配させないでください、もう」

 

と、本来なら中立役に徹さねばならない聖女は、言ってからはっと自分の手で口を押さえた。

そのルーラーの姿にアサシンは一瞬違和感を覚えたが、それが何かアサシンが分かる前にルーラーはアサシンの手を引いた。

 

「アサシン、それでは残りの仕事を片付けて城に戻りましょう。教会には何もありませんでしたが、街の探査はまだ残っているでしょう」

 

了解です、とアサシンは答え、二人は屋根から裏路地へ飛び降りる。

路地から見上げた、四角くい空とそこに輝く太陽を一瞬見上げてから、アサシンはルーラーの後について駆け去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




煽り合いをしている訳では断じてない、時間がない状況で真剣に話すとこうなる、という話。

前話の展開は不味かったかなと思い返していたのですが、皆さまから暖かな感想を頂いて諸々吹っ切ることかできました。ありがとうございます。


あと暦が大幅にずれていますが、バレンタイン短編を明日の14:00に投稿します。
先に警告です。本編との温度差、落差があります。




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Act-28

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。

では。


 

 

 

「お前たちはな!真面目に何を考えている!?ちょっと町に行って“赤”のランサーに会って、奴と話し合いをするためだけに令呪を使っただと!」

 

 と、ユグドミレニアの城まで戻ったルーラーたちの一団からの報告を聞いて、ゴルドは真っ赤な顔で会議用の円卓を叩いた。

アサシンと玲霞が口を開く前に、ライダーがいつも通りのにこやかな笑みで肩を竦めた。

 

 「やー、そんなに怒らないでくれよ。セイバーのマスター。緊急だったんだってば。だってまさか、“赤”のランサーみたいな英雄が偵察で街に来るとか、予測できないだろ。それにボクらだって令呪があんな風に発動するとか予想外だったしね。ねー、ルーラー」

「ええ、まぁ……」

 

 ライダーは、横のルーラーに水を向ける。ゴルドの視線を押し付けられたルーラーはライダーを恨めしそうに見たが、彼は目を逸らした。

見かねたのか、カウレスが咳払いでゴルドの注意を引き付けた。

 

 「そんなに怒るなって、ゴルドのおじさん。敵の超級サーヴァントと出会って帰って全員で来れたんだからいいじゃないか。そう考えたら令呪一画はまあ、駄賃ってことにしとこうぜ」

 

 ゴルドはまだ不満げだったが、カウレスの隣のバーサーカーがジト目で自分を睨んでいることと、アーチャーが手を上げたことで彼も黙った。

 

 「アサシンの報告が正しいなら、“赤”のランサーは天草四郎のためではなく、あくまで“赤”のマスターのためだけに戦っていることになりますね」

「それがどうかしたの、アーチャー?」

 

 フィオレは車椅子に座ったまま、傍らのサーヴァントを見上げて聞いた。

 

 「ええ。仮の話ですが、そのマスターをこちらが保護することができれば、“赤”のランサーの戦う理由は無くなりませんか?」

 

 問われ、フィオレは顎に手を当てて考える素振りを見せた。

マスター権を奪われた“赤”のマスターたちは、てっきり殺されてしまったのだと“黒”の陣は思っていたが、アサシンが聞いてきたカルナの話を聞く限り、そうではないのだ。

 

「“赤”のマスターたちがいるとすれば、あの空中庭園でしょう。地上に彼らの痕跡はありませんでした」

 

 教会を調べたルーラーが言う。

 

 「突入の際、彼らを見つけることができれば確かにカルナに恩を売れますね」

 

 と、全員が遠慮して避けていた言い方で、アサシンがさらりと核心を突いた発言をし、一同は何とも微妙な表情になった。

玲霞はアサシンの顔をちらりと見た。表情は変わっていなかった。

シギショアラからここに帰ってくる間、アサシンは考え事に耽っていた。ただ車に乗って引き上げる直前に、アサシンは玲霞をまっすぐ見てありがとう、と言った。

そのときのアサシンの瞳は、数日前、予期せぬ形でカルナと再会したときの圧し殺したような淀みではなく、何かを吹っ切ったような光があった。

――――それはそれで不安にならなくもない、というのが難しいところではあったのだが、玲霞の意識は続くアサシンの言葉で断ち切られた。

 

「といっても、カルナにはマスターのことだけでなくて、こちらのセイバーとの約束もあるようですが」

 

 それもまた、今からたった数日前の話だ。カルナがルーラーを抹殺するために道路で待ち伏せ、セイバーと初めて戦った。

そのとき、セイバーはカルナの武を讃えて言った。次こそは貴公と心行くまで戦いたい、と。

そしてカルナはそれを承諾した。初戦でセイバーのような戦士と撃ち合えたことを誇りに思う、とも言った。

 

「あのときの、口約束か?」

 

 ゴルドは苦虫を嚙み潰したような顔で言う。彼にとっては、あの戦いは英霊に対しての自分の無力さを痛感させられた出来事でしかなかったのだ。

が、アサシンは頭を振った。

 

 「口約束でも、戦士同士の言い交わしたことです。セイバーのマスター。あなたに魔術師の誇りがあるのと同じです。ただ誇りの矛先が違うんです。あなたが納得できなくても、ただ事実としてカルナはそちらのセイバーとの再戦を心待ちにしています。私はセイバーにそれを伝えるように、カルナから言われました」

 

 アサシンの白い掌がゴルドの傍らに立つセイバーを指し示し、ゴルドは反射的にそちらを見た。セイバーは頷いただけだったが、ゴルドは彼の口元に好戦的な微笑みがあるのを見て取った。

アサシンの諭すような言い方は、ゴルドには正直癪に障るものだったのだが、その笑みを見て、彼は黙った。彼には理解しがたいが、戦士の誇りとやらは確かにあるのだろう。それは分かったし、セイバー以外に“赤”のランサーの相手ができるサーヴァントが“黒”にいないのは事実だった。

“赤”のセイバーとそのマスターに関しては、腹を割っての同盟というより、ただの相互不干渉だ。頼りにはできない。

 

 「ねえ、結局のところ、あの空中庭園にはいつ向かうことになったの?」

 

 斬り込むようにして玲霞が言い、フィオレの顔が引き締まった。

 

 「……空中庭園へと突入するのは、五日後と決めました。私たちはライダーの宝具にかけることにします。ライダー、本当に新月になったら思い出せるのですね?」

「え、えーと―――」

 

 頬をかいたライダーへ、アッシュの視線やその他の面々からの視線が向けられる。

ライダーは拳を握りしめて頷いた。

 

 「うん!思い出せる……っていうか絶対思い出す!何ならもう一回月に行ってでも!」

「それは頼もしいですね。ですが、今ここでは月に行っている時間はありませんよ」

「分かってるってばアサシン。今のは意気込みだよっ」

「それも分かっています。こちらも今のは冗談です」

 

 アサシンがにこりともせずに言い、冗談が分かりにくい、とライダーが机に突っ伏す。それで少し場の空気が緩んだ。

アーチャーが場を締めるために再び咳払いをした。

 

 「ついては突入の具体的な方法ですが――――」

 

 アーチャーとフィオレが、考え出した案を広げる。

それに議論を重ねていくうちに、その日は過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

制限時間は、五日先と定められた。

今から五日先に、この聖杯大戦と銘打たれた御大層な戦いの終わりが始まる。

”赤”が勝てば人類はその形を永久に変える。

逆に”黒”が勝ったらどうなるか、それは分からない。

聖杯戦争のそもそもの根幹は、根源に至るための大規模な魔術儀式だから、魔術師として真っ当な者が勝てば、当然根源への到達を願うだろう。

 

―――――到達して帰ってこれるかは別の話として。

 

だがそうなると、このミレニア城塞で真っ当な魔術師と言える者は誰になるのだろう。

ダーニックが生きていたなら文句なしに彼だったろうが、彼は亡くなり、姉弟の魔術師と、悪態はつくがどうにも非情になりきれていない錬金術師が残った。

その魔術師姉弟の弟が暗殺者のマスターに漏らしたことだが、彼は自分がそうそうに脱落すると思っていたそうだ。

サーヴァントの神秘の薄さもそうだが、自分の魔術師としての技量はどう見積もっても三流だから、彼は自分が勝ち残れるとは微塵も思っていなかったそうだ。

というのに、何の因果か自分もサーヴァントも大怪我すら負うことなく最後の戦いに参加しようとしている。

不思議なこともあるもんだ、と魔術師姉弟の弟、カウレスは夕食時にふと呟いた。

 

「それを言ったら、わたしなんて魔術も使えないし、そういうことが本当にあるとも思ってなかったのよ」

 

とは、カウレスの愚痴ともつかない言葉を聞いていた玲霞の意見で、これにはカウレスも渋い顔でホムンクルス手製のスープを啜るしかなかった。

会議の後の夕食時とあって、マスターたちは一同に会していた。てんでばらばらに動かれると食事を用意するのに非効率だと、厨房担当のホムンクルスが言ったのだ。

かなりの勢いで食事を平らげているルーラーとそれを不思議そうに見るフィオレ、呆れ顔のゴルドとアッシュいう四人組を視界の端に捉えながら、カウレスは玲霞に聞いた。

ちなみに、食事を摂る必要のないサーヴァントは各々ばらばらに過ごしていた。

アーチャーとセイバーはそれぞれのマスターの横に控え、ライダーはアッシュの横で料理をぱくついている。

アサシンは、魔力供給の肩代わりを続けてもらう対価としてホムンクルスに延命のための魔道具を作らなければならないと言って城のどこかに消え、バーサーカーはそれについていった。

どうやらバーサーカーはアサシンを、ライダーほどでなくとも何かとやらかすサーヴァントと認定したらしく、彼女のお目付け役をするつもりらしかった。

といっても、二人の仲が険悪かと言われるとそうでもないのだ。

アサシンは唸り声しか上げないバーサーカーと会話できるし、バーサーカーもアサシンの言葉には返事を返している。

多分その影響で、カウレスも玲霞との距離がユグドミレニアの他マスターに比べて随分近くなっていた。彼自身、その自覚はある。

自覚があるからこそ、カウレスは何気ない風で尋ねた。

 

「真面目な話だけど、アンタはあの空中庭園まで来れるのか?」

 

六導玲霞の適応能力の高さが異常なのは、”黒”のマスターは皆分かっている。

が、逆に言うと異常なのは適応能力だけで、他は一般の女性と変わりないのだ。時々それが逆に恐ろしくなるが。

しかし間違いなく、セミラミスの造った魔術要塞などに踏み込めば、色濃い神秘に耐性のない玲霞では死ぬだろう。

身軽に動けるフィオレとカウレスは庭園に踏み込む覚悟を決めたが、躊躇いもした。二人ほど素早く動けないゴルドは明らかに躊躇っているし、アッシュに関してはライダーが彼を行かせたくないと頑張り、アッシュはどうしても行って結末を見たいのだとお互い譲っていない。

そしてその話を持ち出すと、玲霞は困ったように笑った。

 

「無理でしょうね。わたしが行ったら、アサシンはわたしを気にして、庭園につく前に墜とされちゃうわ」

 

しかしマスターという杭がないと、サーヴァントは糸の切れた凧のように頼りない存在になる。ついでに言うとアサシンには単独行動スキルもない。

この先の戦いではサーヴァントたちの宝具飛び交う乱戦になるだろう。

スパルタクスの宝具と同じか、それ以上の威力の宝具が幾つも飛び交うなんて、彼の宝具の余波を受けたカウレスとしてはゾッとする話だが、ほぼ間違いなくそうなるだろう。

アサシンの依り代になる人間はどうしても必要だった。

 

「ルーラーさんの中の人に頼めないかなってわたしは考えてるし、アサシンも多分同じことを考えてるみたいね」

 

そうか、とカウレスは呟いた。

カルナと話をするように、という命令のために玲霞が感情任せに令呪を使ったと聞いたときは、絶句したものだが意外に玲霞は落ち着いていた。

アサシンはあの鉄面皮だからよく分からないが、何か得たものがあったのだろうかと聞くと、玲霞は口を尖らせた。

 

「分からないわ。アサシンもわたしに何でも話してくれる訳じゃないしね。でも、あなたたちを裏切ったりはしないって言ってたわ」

「......そりゃ安心だな。まあ、そっちは俺たちはあんまり心配してないよ」

 

玲霞は意外そうに目を見開いた。

 

「アイツの時代、つまりマハーバーラタの頃になるが、その中の戦士ってのは()()()()義理堅いし約束は守る。で、施しの英雄ともなれば、言っちゃなんだが義理堅さが祟って命を落としたようなものだろ」

「ええ、そうね」

「で、アサシンはその英雄の奥さんだ。謀略で命を落とした英雄の妻が、俺たちを同じように嵌めるとは思えないだろ」

「......」

「ならアイツは、俺たちを裏切れないってこっちは考えてるのさ。これはアンタたちが街に行っている間に、俺たちにアーチャーが言ったことだけどな」

 

何しろギリシャ神話随一の賢者の意見だ。さらに彼はアサシンと個人的に話をしたことがなく、彼女を庇う理由がない。

だからゴルドやフィオレは納得した。

ややあって、玲霞はまた尋ねてきた。

 

「アーチャーもあっちのライダーの師匠さんなんでしょう?聖杯戦争って、みんなこんな風に因縁が絡んだものになるのが普通なのかしら?」

「......多分、違うと思うぞ。ギリシャとかは有名な英雄が多いから被りやすいんだろ。アンタんとこのは本当に偶然みたいだけどな」

 

ふうん、と玲霞は鼻をならして立ち上がった。

 

「ご馳走さま。わたしはアサシンのところに行ってくるわね」

 

そのまま玲霞は歩き去っていった。

主従揃って彼女らは掴み所がない。というより、分かりやすい弱味があるようでそれを他人に掴ませないのが上手いのだ。

多分、彼女らのそういう飄々としたところがプライドの高いゴルドには気に入らないのだろう。

けれど、これから姉と重要な話し合いをしようとしているカウレスにはそちらのことまで気にかけている余裕はない。

いつも通り、あっちはあっち、俺は俺で頑張るか、とカウレスはスープの最後の一滴を啜ると立ち上がった。

 

 

 

 

 




戦い前のインターバルver.黒の話。


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Act-29

誤字報告してくださる方、いつもありがとうございます。

では。


 

 

 

 

 

「トゥールさんに、ええと……アルツィアさん。すみません、アルツィアさんの綴りは何でしたっけ?」

「……ゥゥ、ァウア」

 

灯りできらきら光る銀のナイフを握るアサシンは、ふと手を止めて目の前で手元を覗き込んできているバーサーカーに尋ねた。

バーサーカーから綴りを聞いたアサシンはまたナイフで手元の金環にがりがりと文字を刻み、アルファベットで一つの名前を刻み終わると、滑らかな線でできた別の文字を彫る。見ているホムンクルスたちには全然読めない、不思議な形の文字だ。

単調なこの作業を、アサシンは丁寧な手付きでずっと繰り返していた。

 

「何というか……地味だな」

 

バーサーカーの隣に座ってアサシンを観察していたホムンクルス、トゥールがぼそりと言った。

 

「ちゃんと道具作成スキルは使っていますよ」

 

手元から顔を上げずにアサシンが言い、トゥールは頬をかいた。

 

「すまん、非難したわけではない。ただまあ、私たちの知る魔術師のように呪文も薬も使わないのかと思っただけだ。お前の腕を疑っているわけじゃない」

 

それはどうも、とアサシンは苦笑する。

今、アサシンはホムンクルスたちがとりあえず寝泊まりしている大部屋で、約束の魔道具を作っていた。

アッシュに渡したような宝具の欠片を込めたものではないが、腐ってもそこそこのランクの道具作成スキルを持つ、神代の呪術師だ。ホムンクルスたちの生命力を活性化させ、命を長らえさせるための道具なら、簡単な作業とは言わないが、根を詰めれば作ることができる。

アサシンとしても、何か集中できる手作業があるのはありがたかった。

材料は、フィオレに話を通しアヴィケブロンの残した物を一部もらった。

希代のゴーレム使いのお眼鏡に敵った材料だけあって、込められている神秘の質も良い。

 

「あと何人分ですか、トゥールさん?」

 

積まれた金環をナイフで指し示し、アサシンは聞いた。

 

「……八人分だ。今日中にすべて終わらせる気か?」

「徹夜したらできます。元々サーヴァントに睡眠は要りませんから、楽でいいです」

 

トゥールの横で、バーサーカーが小さく唸って肯定する。

 

「だが、ライダーやルーラーは必要と言っていたが?」

「ルーラーは肉体があるのですから仕方ありませんよ。ライダーは……アッシュ君に合わせてるんでしょう、多分」

 

そういうものか、とトゥールや部屋にいる他のホムンクルスたちは一斉に首を捻った。

同じ錬金術師の手で作られたからだろう、彼らが同じ表情や仕草をすると不思議なほど雰囲気がそっくりになった。

アサシンはふと、心の中でアッシュと彼らを比べた。

彼とトゥールたちを比べてみても、アッシュの方が表情は格別豊かというわけでもない。アサシンも表情の豊かさについては人様をあれこれ言えた話ではないのだが、だからこそ気になると言えばなる。

 

「しかし、あのイレギュラーが逃げてから一週間も経たないうちに、こんなことになるとはな」

 

手に顎を乗せて、トゥールが呟くように言った。

バーサーカーは不思議そうに首を傾げ、アサシンは驚いて寸の間ナイフの動きが止まった。

トゥールはそのまま呟くように言った。

 

「私たちは何となくだが互いが繋がっている。マスターとサーヴァントとのつながりほどは強くないが、生死くらいなら分かるんだ」

「ユグドミレニアの人たちはあなたたちに、わざとそういう繋がりを持たせているんですか?」

「いや、違うだろう。大方、一度に大量に造ったために起きた偶然さ。だって余分だろうが。使い潰すつもりの命同士に、互いの生き死にを知ることのできる機能なんぞくっつけても意味がない」

 

トゥールは唇の端を吊り上げた。笑ったつもりなのだろうが、あまり上手な微笑み方ではなかった。

 

「まあ、そうやってお互い繋がりがあるからこそ、あのイレ―――――アッシュの行動は我々には驚きだったわけだ」

「……」

 

アサシンは彫る手を止めてトゥールを見た。

辺りを見れば、それまで部屋で武器の手入れをしたり、書類を読んだりしていたホムンクルスたちも手が止まっている。

アサシンの横でバーサーカーはほんの少し目を伏せ、横に座る自分と同じように人に造られた生命体を見て、その語る言葉を聞いていた。細い肩が心なしか寂しそうに下がっていた。

 

「……おい、何だこの部屋は。空気が湿っぽいぞ」

 

そこへ割り込んできた声に、部屋にいた全員が顔を上げた。

廊下の灯りを背に、扉の所に仁王立ちしているのはゴルドだった。横にはセイバーが控え、ゴルドの大柄の体の陰から、アサシンに向けて手を振っているのは玲霞で、その隣で困ったような笑いを浮かべているのはルーラーだ。

どういう組み合わせだ、とアサシン、トゥール、バーサーカーは顔を見合わせた。

代表して、トゥールが尋ねる。

 

「何の用だ、我らが造り主?」

「何の用も何も、お前たちと私たちの間で正式に契約を結ぶためだ。お互い敵にならず、利用し合うという取り決めを欲していただろうが。生憎、口約束を信じるほど魔術師は律儀じゃないんだ。文書を作らねば安心できんだろう」

 

ゴルドは手に持った羊皮紙を振って答えた。

聞けばルーラーはその見届け役で、玲霞は単にアサシンの処に来ようとして同道することになったそうだ。

 

「それは分かった。確かに契約は結ぶ必要がある。だが、フォルヴェッジの姉弟はどうした?ここの当主はフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアではないのか?」

「あの二人は、家族の問題とやらを話し合い中だ。アーチャーも同席してな」

 

ゴルドの視線がバーサーカーとナイフを持ったままのアサシンに向く。

カウレスのサーヴァントであるバーサーカーはともかく、ユグドミレニアとホムンクルスたちの取り決めとなれば、アサシンと玲霞の出るところではない。

アサシンと玲霞は部屋の隅に移って、ルーラーの見守る中、トゥールたちとゴルドが契約を結ぶのを見ていた。

契約の見届け人ともなれば、裁定者のサーヴァントはまさにはまり役だろうな、とアサシンはそれを見ながら考えた。

文章を端から端まで読み、簡単に二言三言言葉を交わし合って、彼らの契約は成立した。

それでゴルドたちは出ていくのか、と思っていたのだが、彼は出ていく気配がなかった。

 

「で、そこの隅に引っ込んだ暗殺者。お前にも聞きたいことがある」

「?」

 

玲霞と顔を見合わせてから、アサシンはゴルドの前に立った。

 

「私に何の御用ですか?」

「……決まっている。“赤”のランサーについて知っていることを教えろ。ヤツの宝具から何から、お前はすべて知っているだろう。空中庭園でヤツの相手をするのは、間違いなくこのセイバーだ。お前たちの言う戦士の誓いも分かったが、得られる情報を得ずに戦いに行くのは愚か者だろう。ならば、手っ取り早くお前に聞いた方がいい」

 

アサシンはしげしげと鼻息荒いゴルドを見た。

 

「私が、嘘をついたりするとは考えないのですか?真っ正直に答えると思っているんですか?」

「ああ、思っているとも。そこの欺瞞に敏い聖女の前で嘘がつけると思うなら、存分にやってみろ」

 

ゴルドはルーラーを指し、視線を二人の間で行ったり来たりさせていたルーラーは目を少し見開いた。その顔を見て、アサシンは小さく苦笑する。

 

「それもそうですね。いや、正直そこまであなたに信用されているとは思っていなかったので面喰らいました」

「間違うな。私はお前を信用などしていない。利用しようとしているだけだ」

 

心底嫌そうにゴルドは顔をしかめ、アサシンは肩を竦めた。

それでもいいですよ、とアサシンは口の中で小さく呟き、聞き拾った玲霞がくすりと笑った。

 

「ではセイバーに聞きたいのですが、カルナはあなたと戦った時、宝具の開帳を行いましたか?」

「……いや。お互いに得物を撃ち合っただけだ。彼の宝具はあの槍と鎧だと思っているのだが」

 

半端な攻撃では傷一つつけられない黄金の鎧。それは、神ですら破壊できず、奪うことでしか攻略できなかった難攻不落の護りだ。

それに加えて、あの神殺しの必殺の槍。

改めて突き放して冷静に考えると、カルナは確かにとんでもないサーヴァントだ、とアサシンはため息をつきたくなった。

 

「ええ。さらに持ち込んでいるとしたら、あとはブラフマーストラでしょうか。といっても、アレの元は弓術の奥義なので、投げた槍に攻撃を纏わせるとかなんとか、弓以外の別の使い方をしているでしょうが」

 

鎧とブラフマーストラはアサシンもどういう特徴と威力かは分かる。

アサシンは、アーチャーやライダーとして召かれた方がカルナは本領を発揮できるような気がしていた。

昔に、どこかの高僧から戦車が地面にめり込む呪いをかけられたこともあったが、あれはアサシンが過去にさんざん苦労しつつ解呪したから、枷にはなっていない。

そう考えるとライダーでなくて良かった、とアサシンは内心で胸を撫でおろしていた。

 

「サーヴァントが逸話に縛られるというなら、神殺しの槍と鎧は同時には使用できないと思います」

 

槍は、鎧を引き換えにしてカルナに与えられた。それはアサシンも覚えている。

 

「で、結論は?あの槍を完全に真名解放したら、どれほどの威力だ?」

「それは……すみませんが分かりません」

 

ゴルドの眉が跳ねあがり、アサシンはゆっくり首を振った。

 

「少なくとも、私が生きていた間、カルナはあれを使っていないし、本当に使ったかどうかも定かではありません。使ったとしたら、私が死んだ後です。そこまでのことは分かりません。本当に、分からないんです」

「だが、叙事詩には――――」

 

言いさして、ゴルドは顔をしかめた。

 

「ああ。そもそも叙事詩にはお前の存在が丸ごと抜けていたな。穴抜けの多い叙事詩ではアテにならんか」

「……それはともかく、確かなことは、あれは一回きりしか使えないということです。ただし、神すら刮目する必殺の一撃です」

 

言葉の後半、アサシンはセイバーの方を見ていた。

寡黙な剣士はどこか心躍っているようにも見えた。強敵と渡り合えることが、純粋に嬉しいのだろう。

 

「上等だ。つまり、その一度きりを耐えればいいのだろう」

 

あまつさえ、そうきっぱりと言い切る竜殺しだった。

彼ら戦士は、百の言葉を重ねて伝えることよりずっと多くのことを、一合撃ち合っただけで分かり合う。それが、羨ましくないと言えば嘘になる。

それでも、言葉の無力さを知っていても、アサシンはカルナと語り合う以外のことができない。これまでずっとそうしてきたし、それが間違いとは思っていない。

こんな状況になった今でさえ、そう思うのだ。

ゴルドは不服そうに傍らのサーヴァントを見上げた。

 

「お前の宝具で確実に相殺できるのか?」

「マスター、言っては何だが戦に確実など存在しない。俺は無論、最善以上を尽くす。それでも、確実に勝てると言える相手などいない。ただ、マスターが適切に令呪を用いてくれれば、確率は上がるだろう」

 

完全な形で手の甲に刻まれたままの令呪をゴルドは見る。

彼は、冷静にセイバーの言葉を受け止めて考えている。それが分かった。

令呪をしばし見た後、そのままゴルドはろくなことが分からなかった、とぼやきながら帰っていった。

 

「悪態の一つでも残さねば気が済まないのだろうか、ゴルド()は」

 

トゥールが閉じられた扉に向かって呟き、寝かされている何人かのホムンクルスが笑いを溢した。悪態をつくゴルドに治療されたことを思いだしたのだ。

そして、部屋に残ったのはルーラーと玲霞、アサシンにホムンクルスたちだけになる。

アサシンがここに来る直前、確かルーラーは食堂でとてもおいしそうにご飯を頬張っていた。その様子があまりに幸せそうだったから、アサシンは思わず目の前で真面目な表情のルーラーと食堂での彼女を頭の中で比べてしまい、少しおかしくなった。

 

「……何ですか?」

 

怪訝そうなルーラーに、アサシンが何でもない、と言おうとしたときだ。

扉がまたもすごい勢いで外から開かれ、ライダーがアッシュの手を引いて飛び込んできた。

扉の近くに立っていたバーサーカーが驚いて抗議の声を上げたが、ライダーは全然聞いていなかった。

 

「ねぇ、ルーラーとホムンクルスのキミたち!この頑固マスターちょっと何とかしてくれないかい?」

 

彼に手を引かれて一緒に入って来たアッシュは、走るライダーに付き合わされて走ったせいで目を回している。アサシンは慌ててアッシュの手を取って、彼を壁際の椅子に座らせた。

 

「何があったんですか、ライダー?アッシュくんがへとへとになっているじゃありませんか」

「それはごめんよ。だけどルーラー、聞いてくれよ、ボクのマスターってば空中庭園についてくるって聞かないんだよ」

「マスターがサーヴァントに付き添って何が悪い?魔力の供給源が側にいることは必要だろう」

「そうだけど!そうなんだけどさ!」

 

揺らぎなくアッシュが言い、ライダーは桃色の髪をかきむしる。その勢いに何人かのホムンクルスが引いた。

ルーラーが困った顔でこめかみを指で叩く。彼女は裁定者である。マスターとサーヴァントの参戦の問題に口を挟むことに、ルーラーは使命感から抵抗を感じていた。

 

「……アッシュ君、あなたはどうしてライダーに付いていきたいんですか?」

 

ルーラーの様子を見て、アサシンは躊躇いながら口を開いた。

アッシュは椅子に座ったままアサシンを見上げる。

 

「今さっき、魔力の供給源云々と言ったけれど、それは義務感から出た答えでしょう?あなた個人がどうしたいと思っているのか、ライダーはあなたが自分の言葉で語る心を聞きたいんじゃありませんか?」

「……それを言ったら、ライダーは納得するのか?」

「アッシュ君、ライダーを納得させるかが問題なのではありませんよ、この場合はね。マスターとサーヴァントの信頼の問題でしょう。ここでとっくり話し合うことをお勧めします」

 

ほら、とアサシンに示されて、ライダーとアッシュは彼女たちとは部屋の反対側にある椅子に座る。

アサシンは軽く手を振って、防音用の空気の壁を作った。

 

「本当に、ついてくるんでしょうか、アッシュ()()は」

 

え、とアッシュと玲霞、バーサーカーの視線がルーラーに吸い寄せられた。

見られたルーラーは口を手で押さえる。その仕草は、如何にも年相応の学生のような感じがした。

 

「ウァウ?」

 

バーサーカーがルーラーに近づいて、左右で色合いの違う瞳でじっと彼女の顔を覗き込む。ルーラーは気恥ずかしげに紫の瞳を逸らした。

けれどそれも一瞬のことで、ルーラーはまた元の通りに前を向くとにっこり笑った。

雰囲気の切り替わりの理由は薄々分かったが、アサシンは敢えて尋ねないことにした。

彼女はまた金環に名前を一つ一つ刻み始める。

しばらく、空間に金属が金属を削る音だけが響いていた。

小さな金環に一心に取り組むアサシンの白い横顔を見ていた玲霞は、彼女が金環の一つを彫り終わったときを見計らって口を開いた。

 

「ねえ、アサシン。わたし、一つ決めたの。空中庭園にわたしは行けないから、その役を別の誰かにお願いしようと思うの。……わたし、あなたのマスター権をルーラーに預けるつもりよ」

 

アサシンは一瞬軽く目を瞑った。

いつ言おうか迷っていたことだし、状況を考えればやむを得ないのだが、聖杯を取るためのサーヴァントとしてなら自分は落第だな、という気持ちがこみ上げてきた。

マスター権を、よりにもよって裁定者のサーヴァントに託すということは、玲霞は完全に聖杯戦争から降りるということだ。

 

「アサシン、わたしに謝らなくて良いわよ。あなたが後ろめたく思わないといけないことなんてないの」

 

暗殺者のマスターは先回りするように言った。

 

「……サーヴァントらしいこと、私はあなたに何一つできなかった気がするのですが?」

「何言ってるの。それを言うなら、わたし、あなたに一度も魔力をまともに回せた試しがなかったダメマスターよ?それにあなたは、最初にわたしの命を助けてくれたでしょう。……戦いの場所に来たのも、わたしがそうしたいって言ったからだもの。あなたはいつも、精一杯やってくれていたわ」

 

アサシンはナイフを置いて玲霞と向き合った。

トゥールもルーラーも、身じろぎせずに黙っていた。

 

「一番大事なことはね、わたしが聖杯を諦める気になったの、状況に押されて仕方なくって訳じゃないの」

 

ルーラーが驚いたように顔を上げた。

 

「いくら聖杯が奇跡の器でもね、ただ造り出すだけで、あなたみたいな人にたくさんの悲しみを与えるようなモノなら、わたしは使いたくないって思っちゃったの。ここまで来て本当、我儘勝手なマスターよね、わたし」

「……」

 

玲霞は苦笑した。アサシンは笑わなかった。

 

「それにね、そんなものを使わなきゃいけないほど、わたしのこれからの人生は破れかぶれって訳でもないかなって思ったの」

 

六導玲霞にはまだこれから先、変えていける未来がある。

向き合うべき過去だけでできたサーヴァント、もう終わってしまった存在とは、違う。

その違いこそアサシンが玲霞に伝えたかったことで、結局何をどういえば良いかわからずに立ち止まってしまったことだ。

玲霞はどうやってそう思うようになったのだろう。

聞いてみたいとも思ったけれど、アサシンは尋ねないことにした。そうするのが、正しい礼儀のように感じた。玲霞の答えはきっと、誰かに明け透けに話すようなものではない。

 

「じゃあ……これで契約は終了、ということですね」

 

アサシンは結局、そんな当たり前のことしか、言えなかった。

それでも、アサシンのマスターは笑った。

 

「ええ。今まで本当にありがとう、アサシン」

 

令呪の刻まれた手を胸の前で握って、玲霞は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




詰め込み気味ですが、契約が一つ終了した話。

このssでは、フォルヴェッジのお家問題を深く語ることはありません。
……ただの作者の力量不足です。

次は”赤”側。


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Act-30

誤字報告してくださる方、ありがとうございました。

最近、更新が遅くて申し訳ありません。
4月中には完結させたいと思っているのですが。

では。


 

 

 

結論から言うと、“赤”のランサー一人という偵察隊は、“黒”のアサシンの令呪を一画減らすことに成功した。

敵の戦力の一つが削れたのは確かなのだが、シロウをアサシンが罵った理由に関しては、ろくなことをランサーは語らなかった。

 

 「天草四郎。お前は何があろうとも、六十年の探求の果てに得たと思っている答えを捨てされないだろう。アサシンも同じだ。生きた年月はお前より短くとも、彼女がその間に培った生き方と意志は、お前の願いを認めないだろう。それ以上の答えを、この上どうして欲す?」

 

 言い捨て、ランサーは退出した。

セミラミスはおろか、キャスターも何も言えなかった。それほどランサーの背には彼らを拒絶する雰囲気があった。

それで、シロウにも分かった。ランサーもシロウの取ろうとしている方法が、人類の救いにはならないと思っている側なのだろう。

ランサーは“赤”の側で戦いはするし、裏切らない。ただし、それはシロウたちが彼のマスターを捕らえているからであって、彼個人はシロウに対して信を置いてはいないのだと彼は黙って示した。

シロウたちと分かれ、報告を済ませてしまえばランサーには戦いまでやることがない。マスターは人質として守られているから、命は保証されているのだ。側について守れれば尚いいのだが、彼らの所在はセミラミスの魔術で隠されてしまった。

この空中庭園を根こそぎ壊せば居場所の一つも分かるだろうが、危険すぎてできるわけがなかった。

 

 

アサシンがいたなら、とふとランサーは思う。

彼女がここにいたなら呪術を振り絞って何とかしようとするだろうし、恐らく探し当てることもできるだろう。

普段の様子を見ればあまり想像できないのだが、半神だからかアサシンには呪術の才能は十分すぎるほどある。

ろくな精神統一もできないような状態でも、攻撃や隠蔽などの様々な術を詠唱無しで放てるくらいには使えるのだ。

無詠唱をしている理由は単に呪文を唱えると噛むかららしいが、それはどうでもいい。とにかく、アサシンはランサーの知る中で、呪術に最も詳しい者のうちの一人だ。

カルナが師のパラシュラーマから受けた呪いも、時間をかけて解呪したこともある。引き換えにしばらくの間は死んだように眠りこんだが、逆に言うと寝込んだだけで済んでいる。

ただし彼女にとって、呪術は剣や弓や、焔の異能と同じ道具の一つでしかなく、それを使って根源に至ろうとはしない。元から興味がないのだ。

性格も甘く、お世辞にも誰かを呪うような呪術師には向いていない。

道具は使うときに使わないと損、という考えをするから、アサシンは神秘や奇跡でも他人のために行使することに躊躇いがないし、そういう気質だからこそ、所謂正当な魔術師には睨まれやすい。生前からそうだった。

だから逆に、あの素人のマスターとは衝突もない関係を築けているのだろうか。

六導玲霞というマスターを、ランサーは遠目にしか見なかった。が、できるなら彼は、主に令呪の使い方について礼を言っておきたかった。そんな機会はもうないだろうが。

それから、どこをどう歩いたのか、アーチャーとライダーのいる部屋にランサーはたどり着いた。そこからは星空がよく見えた。

 

 「ランサー、汝、戻ったのか」

 

 どこから持ってきたのかリンゴを手にしているアーチャーが言い、寝転がって半目になっていたライダーは弾みをつけて起き上がった。

彼らは槍も弓も持っていない。完全に寛いでいた。

ライダーは軽く片手を上げる。

 

 「よぅ、ランサー。で、下はどうなってたんだ?あいつらは追ってきそうか?」

「ああ。ルーラーは完全にあちらに付いたようだ。仲違いしているわけでもなく、“黒”側に溶け込んで行動していた、“赤”のセイバーの気配はなかったが、敵対しているわけでもない様子だった」

「ふむ。では“黒”の五騎にそやつらを加えるとすると、攻め手は七騎か」

 

 “赤”の側で戦闘をするのは、戦闘力がないと自己申告しているキャスターを除いて四騎だ。

数の上では相手が勝っているが、直接戦闘能力で比べると、“赤”の三騎士に正面から対抗できるのは二騎のセイバーとアーチャー、ルーラーだろう。

 

 「俺の相手は先生。お前の相手はジークフリートがする。そんで、他のサーヴァントだが―――――」

「叛逆の騎士、モードレッドとやらはアサシンが直々に歓待すると抜かしていたから、任せて構わんだろう。残りは私の弓と、アサシンの砲撃で撃ち落とす」

「そうか。規格外の魔術砲撃とお前の物理攻撃力が合わされば、対魔力スキルや耐久力の低いサーヴァントでは防ぐのは難しいだろう。……有効な戦術だ。オレにも異存はない」

 

 ランサーは頷き、ライダーは微妙な表情で鼻の頭をかいた。

 

 「そういや、あの女帝様とそのマスターは、どうしても三騎かそこらは空中で墜としたいらしいぞ。聖杯に捧げられたサーヴァントの数が少ないんだとさ」

 

 冬木の聖杯戦争は、本来、七人七騎が殺し合って最後の一組に聖杯がもたらされる仕組みだった。

この庭園に内包された聖杯が受け取ったサーヴァントの数は、まだ三騎しかない。通常の聖杯戦争なら、まだ半分しか魔術儀式としての手順は果たされていないのだ。

六十年もの長い間に、トゥリファスの霊脈から貯めに貯めた魔力は聖杯に満ちている。

それを使って、聖杯を無理に起動させることもできるのだろうが、その手段はシロウたちにとってはできるだけ取りたくない手段だろう。

彼らにとって聖杯は金の卵だ。無理に動かして割れては元も子もない。確実に起動する方法を取りたがるのも無理なかった。

そうなるとなったら、狙いがどこに集中するかは分かる。

普通に考えれば、一番に落としやすいサーヴァントに来るのは“黒”のバーサーカーだろう。バーサーカーには恐らく、自由に飛ぶための手段もない。その次が、対魔力スキルを持たないアサシンというところか。

豊富な宝具があり、対魔力スキルの高い“黒”のライダーは微妙なところだ。

 

 「そうか」

 

 表情を崩さないランサーに、ライダーはやりにくそうに息を吐いた。

 

 「おいランサー、あのアサシンを仮に俺が相手すれば、間違いなくあのサーヴァントは死ぬぞ?お前、それでいいのか?理屈ってのぁ、この際どうだって良い」

「それはオレに、本心をすべて語れと言うことか?……オレがそうすると、大抵の人間は怒るのだが」

「うるせえよ。大抵の人間ってことは、どうせあのアサシンは怒らないんだろうが。あの女にできて俺にできないわけがあるものか」

 

 どういう理屈だ、とアーチャーは呆れたようにライダーを横目で見やると、無関心そうにリンゴを齧った。

ランサーは片目を瞑る。

 

 「もちろん、良いわけがない。良いわけがないが、一度やると言ったあいつを、オレの拙い言葉で止められるなら苦労はない」

「つまり何だ、汝ではあのサーヴァントを説得するのはお手上げな上に、汝はあ奴と戦うことに躊躇いを感じているということか?」

「ああ」

 

 それは、ランサーが“黒”のアサシンより遥かに強いからこその躊躇いとも言えた。

戦えばこちらが勝つと、ランサーは自信を持って言える。逆に、彼より自分が弱いと分かっているアサシンは躊躇っている余裕が全くない。

ないからこそ、覚悟を決めるとなったらアサシンの方が速いだろう。開き直りが上手いとも言うが。

 

 「そうか。だが、私はアサシンをこの庭園にまで届かせるつもりはないぞ。あいつだけではない、バーサーカーも、ライダーもだ」

 

 アーチャーはリンゴの芯を放り捨ててランサーをじっと見た。

 

 「私には願いがある。お前たちとは違う。そして、あの天草四郎のいう世界なら、私の願いも叶えられるだろう。あまねく人々が幸福になるというなら、私の護るべき無垢な幼い者たちも皆救われるはずなのだ。……だから、“黒”のサーヴァントたちは撃ち落とす。アタランテの名に懸けて、私はそうする」

 

 止めるなら、喩えお前だろうと私は射抜くぞ、とアーチャー、アタランテは手に大弓を顕現させて宣言した。

ランサーは首を振った。

 

 「止めるつもりは無論ない。お前の願いと、オレたちの関係は全く別の問題だ。……だが、いくら気配の弱いサーヴァントとはいえ、生半な弓で撃ち落とされるような女ではないぞ」

 

 あちゃあ、という風にライダーは手で目を覆った。

ランサーに煽るつもりは全くない。どころかどちらかというと激励しているつもりだったのだが、アーチャーはそうは受け取らなかった。

ギリシャ神話最高の女弓兵の目が刃物のようにすっと細められた。

 

 「素早さと幻術頼みの暗殺者にも、あの屍と鉄の臭いのする狂戦士にも、私は微塵も負けるつもりはない。覚えておけ」

 

 承知した、とランサーは頷き、アーチャーはそのまま姿を消した。

彼女は比較的自分の心が落ち着ける場所、草木生い茂る庭園の方にでも行ったのだろう。

ライダーはがりがりと頭をかいた。

 

 「ったく。この状況も神々の采配か?だとしたら皮肉なこった。俺は師匠、お前は妻。招かれたから仕方ないとはいえ、因果は死んだ後でも巡るものかね」

「この時代、神の気配は遠くなって久しいのだろう。ならば、彼らの采配は関係あるまい。だが、人の因果というなら死んでこうしてサーヴァントになったからこそ、因果には縛られるものだろう」

「……神秘は薄れ、神はこの大地より遠ざかり、されど人の因果は残り巡るというわけか」

 

 皮肉だな、とライダーは空中庭園の外に広がる空を見下ろして呟いた。

ランサーは黙って肩を竦め、そう言い捨てた英雄の端正な横顔を見た。

ライダーはひとかたならない神々の寵愛を受けた英雄だ。

女神である母、テティスに愛され、人の英雄である父、ペレウスには慈しまれて育った。神霊に属する賢者、ケイローンの愛弟子にもなり、不死の護りを得た。

結局、人間と女神の間の夫婦の暮らしは上手くいかず、テティスとペレウスは互いに一緒に暮らせなくなって別れた。それでも彼らがライダーを愛する心に変わりはなかった。彼は神々に愛された英雄のまま、短い一生を駆け抜けた。

親友を戦で死なせ、愛せたかもしれない女を戦場で殺め、最期は神の加護を受けた射手に殺された。

ライダー、アキレウスの一生はそういうものだが、彼はそれに満足している。悲劇もあったが、自分勝手に生きたのだから当然だろう、という具合だ。

神に護られていたという点で、“黒”のアサシンとライダーとは違っているし、ランサーとも違っている。

昔に、父という炎神の話を聞いた時、アサシンは困った顔をした。

アサシンは、ランサーのように父を一途に慕ってはいなかったのだ。

 

―――――父が本当に神なのか、私には分かりません。でも、少なくとも母様はインドラ神やダルマ神のような神を信じている民ではなかったから、私にこの国の炎神の力があると分かったとき、とても悲しい顔をしました。

 

敗戦国から連れてこられた端女というアサシンの母は、早くに亡くなっていた。

 

―――――母様はどうやって私を身籠ったか分からないそうです。けれど、神に見初められるってそういうことなんでしょう?

―――――でももしかしたら、義母様の言うように私は本当は、魔物の血が混ざった子供なのかもしれません。たまに、分からなくなるんです。

 

そんなことは無かろう、とランサーが言って、アサシンは軽く笑った。

父が魔物でも神でも、私は私だからもう気にしていないと、薄く笑っていた。

 

―――――この先父には会えそうもないですが、私はこれでも感謝はしているんです。少なくとも異能の焔が無かったら、私はこうして無事に大人になれたかも怪しいですしね。

―――――本当に、私は、私にこの世で生きる命をくれたことに対して父と母様に感謝しているんです。

 

そう言った白い横顔には、神に対しての静かで固い諦念が宿っていた。

多分、神に呪われたときも、これから自分に永久続く呪縛がかけられると分かったときも、そういうものかとアサシンは激高せずに受け入れたのだろう。

 

腹立たしいと、唐突にランサーは思った。

“赤”のランサー、カルナは他人のあらゆる生き方を彼は肯定してきた。

天草四郎の暴走する救済も、セミラミスの謀略に満ちた生き方も、それはそれ、とランサーは受け止め、そこに怒りは感じない。

どんな醜悪なモノだろうが、かつて自分に降りかかってきた神の奸計だろうが、すべては等価値で怒りを覚えることはない。

なのにただ一人だけ。記憶の底に幾日幾年経っても色鮮やかに残る、日溜まりのような微笑みの持ち主にだけは、そう思うことができなかった。

 

―――――お前の人生は、お前の生き方は、確かに、誰にも貶められるようなものではないだろう。

―――――ただ聞きたい。知りたいのだ。

―――――そういう生き方で、お前は本当に幸せだったのか?

 

答える者のいない問を抱いた槍兵は、また外を見下ろした。

太陽はすでに地平線の彼方に沈み、黒い雲の海に覆われた地上の光は庭園には届かない。欠けた月は、闇夜の雲海に細く頼りない光を投げかけているだけだった。

 

 

 

 




“赤”は“赤”でごたついている話。

こいつら面倒くさいという人おられると思いますが、この話のカルナさんはこんな調子です……。
空中庭園戦に早く行きたいとも思うのですがね。




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Act-31

誤字報告と感想をくださった方、ありがとうございました。 

本当に色々励みになりました。

では。


 

 

 

 

 

立っている者は弟でも使え。

フィオレによると、フォルヴェッジの家訓だそうだ。アサシンには馴染みのない諺だったのだが、意味はすぐに知れた。

要は、きりきり働けということである。働くのは好きだから良いのだが、フィオレに済まし顔で言われたときは吹き出しかけた。

明後日に空中庭園に向かうというのは確定した。ならば、そこから逆算してできる限りの準備を整える。

飛行機はユグドミレニアの財力で買う。黄金律スキルを持つ“黒”のセイバーにも協力してもらう。

囮の飛行機には爆薬を積む。そうやって、大量に飛ばした飛行機に紛れてマスターとサーヴァントは庭園に近づく。

そして、近付いてからは空中戦だろう。

言うまでもないが、サーヴァントもマスターたちも全員が間違いなく空中庭園に辿り着ける保証はない。それができるとは、誰も思っていなかった。

それでも、できるだけ大勢が辿り着いて、天草四郎を倒し彼が手にしている聖杯をどうにかしなければならない。

 

「でもさぁ、どうにかするってどうするんだろうね?聖杯ってあのデカい庭に積まれちゃったんだろ?あそこから持って帰って、またお城の地下に聖杯を収めるの、無理なんじゃないかなぁ」

 

この季節には珍しい、麗らかな昼下がり。

ミレニア城塞の中庭に通じる石段に腰掛け、頬杖を付きながら呟いているのはライダーである。暖かな日の光は、彼の桃色の髪に光輪を浮かび上がらせていた。

ライダーの視線が向けられているのは、中庭で戦闘用ホムンクルスを相手にしているアッシュだ。

 

「……無理、でしょうね。あれだけの宝具と癒着した聖杯を引き剥がすには、儀式場などの相応の準備が要ります。本格的なキャスターのいないこちらでは、元の通りに格納できると思えません。今の状況では、聖杯を取り戻してその場で使ってしまうか、完全に壊してしまうかの二択でしょう」

 

ライダーより数段上の石段に、玲霞と並んで座っているアサシンが言う。手元には布を持ち、さっきから白い手が布の上を踊り、複雑な文字を白布に刺繍していた。

道具作成スキルを持っているなら、魔術的な防御礼装を作れますよね、とフィオレとアーチャーに言われ、二つ返事で頷いたアサシンはまたも道具作成スキルを使って作っていた。

玲霞は白い兎のような勢いで、布の上を走るアサシンの手元を面白そうに見ていた。

彼女らの横にはバーサーカーもいて、足をぷらぷらさせながら、中庭で摘んだ花を編み、花輪を作っていた。

花を摘んでは千切る、摘んでは千切るということを繰り返していたバーサーカーに、気晴らしにと花輪の作り方を教えたのはアサシンだ。

気に入ったのか、さっきから黙々とバーサーカーは花を編んでいたが、ライダーの一言は聞き流せなかったのか手を止めた。

その前では、アッシュがトゥールに掴みかかっては投げられ、受け身を取って転がる、ということを繰り返していた。

ライダーがアッシュに渡した剣は、使えない剣を持っても仕方ないからと、元の持ち主に返された。

アッシュは、カウレスたちと同じく空中庭園に付いてくることになった。ライダーたちの戦いの側にいて、最後まで見届けたいと彼が言って聞かなかったのだ。

実際、契約を急ごしらえで結び直したライダーとアッシュでは、正式に契約したゴルドたちと違い、あまり長い距離を開け過ぎると魔力供給ラインが不安定になるかもしれないという懸念もあった。

今回の空中戦で、要になるのは魔術を無効化できるライダーだ。

それもこれもあって、城の壁が揺らぐのではないかというくらいの喧々轟々のやり合いの結果、ライダーの方が折れたのだ。

そうなると、アッシュに振りかかる危険は、サーヴァント同士の戦いに巻き込まれる危険の方がずっと高くなる。

それなら受け身の一つもできた方がいい、とアサシンが言い、アッシュはそれに従ってトゥールに挑んでは投げられている。

打ち身や青痣ができても、その度アッシュは橙の焔で治してはトゥールに挑んでいた。

ライダーはマスターから視線を外して、玲霞を見上げた。

 

「そういやレイカ、キミまで空中庭園に来るとか言わないよね?ね?」

「言わないわ。アサシンのマスターはルーラーに代わってもらうつもりよ。ルーラーがフォルヴェッジの人たちとの用を済ませたら、令呪を移すつもりなの」

「あー。そう言えばアーチャーが言ってたっけ」

 

フォルヴェッジの姉は、魔術師ではなくなることを選んだそうだ。

その理由をアサシンは知らない。予想はなんとなくできるが、確かめることはしていない。そこまで踏み入るような関係ではないからだ。

結果だけ言うと、フォルヴェッジの後継はカウレスになり、姉弟は今ルーラーとアーチャーの見守る中で、魔術刻印の移植の準備をしている。

魔術刻印はその家の歴史がすべて刻まれた、門外不出の魔導書に等しい。

中庭に揃っているバーサーカー以外の面々は、万が一にも魔術刻印を垣間見ることがあってはならないからと、移植が終わるまで城の中に立ち入らないでくれと言われた面子だった。

ゴルドも地下の工房に籠もっている。彼は彼で城の修繕からホムンクルスの調整から、いくらでもやることがあるのだ。

本当なら、フィオレたちはライダーやアサシンたちにトゥリファスからも出てもらいたかったようだが、街にいるユグドミレニアの他の魔術師に動きを悟られたくないから、彼らは城の中で最後になるだろう戦いのない時間を過ごしていた。

 

「家の跡継ぎが変わるって、同じ家の人にも絶対知られたくないくらいの一大事なの?」

 

と、魔術にも後継者争いにも疎い玲霞は素朴に疑問を抱いたようだった。

 

「フィオレさんはフォルヴェッジの家の後継というだけでなくて、ユグドミレニアの次期当主ですから、同門と言ってもそこにつけ込もうとする人もいるでしょう。下手にばれてしまったら、カウレスさんを押しのけて聖杯戦争に関わりたがる人もいるかもしれません」

 

それを聞いて、バーサーカーが顔をしかめて首をぶんぶんと振った。

マスター替えは絶対嫌、と彼女は全身で言っていた。

ここまでサーヴァントに慕われるなんて、カウレスはマスターとしてもいい人なんだろうな、とアサシンはそれを見て思った。

ルーラーに令呪を引き継いだら、アサシンは事情が事情とは言え都合三回目の主替えである。ライダーも元のマスターとは完全に決別している。

そのライダーは肩をすくめた。

 

「うへぇ。魔術師の家は怖いなぁ……」

「後継者争いなんてどこだって怖いものです。王家なんてまさにそれの典型ですよ」

 

文字通り血で血を洗った大決戦、クルクシェートラの戦いの時代を生きていたサーヴァントは思わずと言った風に、王に仕えていた騎士の英霊に向けてそんなことを言った。

アサシンはそこで、我に返って頭を振る。

 

「……この話題、お終いにしませんか?続けても袋小路になりそうです」

「そうだね。でもさボク、ヒマなんだよー。何かおしゃべりでもしないと退屈だよ」

 

バーサーカーが花輪を持っていない方の手で、手足をばたばたさせるライダーの背をべしんと叩いた。

 

「あ痛ッ!」

「アゥ、ウウァ!」

 

バーサーカーに唸られ、ライダーが助けを求めるようにアサシンを見た。

通訳も慣れたなと思いながら、アサシンは答えた。

ライダーに言っても仕方ないが、動きたいと思い、急き立てられているのに動けない歯痒い想いをしているのはアサシンも同じだ。

喩え自分の終わりが待つにせよ、空中庭園へ飛び立たなければ何も始まらない。

 

「……お喋りするくらいなら、宝具の真名はどうにかならないのか、だそうですよ。……ライダー、真名、本当にまだなんですか?」

 

アサシンの青い目、玲霞の茶色い目、バーサーカーの薄い紅と青の目。三人分の色合いの違う視線がライダーに注がれる。

ライダーはますます申し訳なさそうに小さくなり、その様子を見ていたアサシンは心の中の熱くなっていた部分が冷めていくような感じがした。

彼も彼で責任を感じているのだろう。

理性と一緒に宝具の真名が頭から抜けたのは、問題ではあるけれど何も彼が悪い訳ではない。

 

「……ライダー、そう言えばあなたの行った月とはどんな世界だったんですか?確か、お友達の理性を取り戻しに行ったという伝承でしたが」

 

ライダーの顔がぱっと輝いた。

 

「その通り!ボクの友達にローランっていうとっても強い奴がいたのさ。でも色々あって理性が月の方に吹っ飛んじゃってねぇ。放っておいたら不味いことになっちゃって、それを回収しに行くために月に行ったら、ボクの理性もあったって訳さ」

 

ライダーの明るい声を聞き付けたのか、汗だくのアッシュとトゥールが寄って来た。

 

「何の話だ?随分、楽しそうだが」

 

くたくたのアッシュをライダーの隣に座らせながら、トゥールが涼しい顔で聞いた。 

 

「うん、ボクが月に理性を取りに行ったときの話さ。大変なことも多かったけどさ、楽しかったなぁ、アレ。でももう一回、行っていいって言われたらやっぱりボクはあそこに行きたいかな」

「あそこ、とは、どこだ?」

 

アッシュが肩で息をしながら聞いた。

ライダーはにこにこしたまま答えた。

 

「異次元の向う側、とでも言うのかな。ヒポグリフに乗ったときにちょっとだけ見える、ここじゃない世界のことさ。もう一回探検できるんなら、ボクは断然あそこがいいな。もしボクが聖杯を好きにしていいって言われたら、あの世界に行きたいって願ってたかもね」

 

と、屈託なくライダーは笑った。

 

「世界の裏側のような所ですか。面白そうですね」

「そうだね。……ねぇ、ちなみにさ、ここの皆って聖杯を使うとしたら何の願いに使う、とか考えたことあった?」

 

ライダーは全員の顔を見渡してゆっくり言った。

 

「俺は特に無い。……強いて言うならライダーの願いに付き合ってみたいが」

 

アッシュが言い、ライダーはその頭をくしゃくしゃ撫でてから、少し寂しそうな顔になった。

 

「嬉しいけどさぁ、それはやっぱり何か違うよ。ボクは、キミにしかできない何かを見つけて欲しいなぁ。聖杯に頼らないといけないようなことじゃなくて、キミの手でできる何かをさ」

「……分かった、努力する」

「その意気だよ、マスター!で、次はレイカはどうなの?あ、答えたくないなら別に良いけど」

「構わないわよ。……わたしはね、聖杯を使って『幸せ』になりたかったの」

 

ライダーだけでなく、アッシュやトゥールも首を傾げた。

玲霞は苦笑して話を続けた。

 

「ふわふわした願いでしょ?でも、最初は結構本気だったのよね。……今は、聖杯を使っても意味がないって分かったからもういいんだけど」

「あー、うん。あれ、無色の願望器だもんね。お金持ちになりたいとか、何か具体的な方法を打ち込まないと使えないんだっけ。『幸せになりたい』って願いじゃあ、そりゃ使えないよ」

「ええ。言われたら簡単なことなのにね。十数日前のわたしはそう思ってなかったの」

「……アサシン、キミはそこの所レイカに伝えてなかったのかい?」

 

アサシンは一度手を止めた。

 

「言われて分かるのと、自分で理解して納得するのでは話が違いますよ。十日前に私が言っても、レイカは納得してくれなかったと思います」

 

人の考え方は誰かにあれこれ言われて変わるものじゃありません、とアサシンはついでのように付け加えた。

 

「キミがそう言うなら、そうなんだろうね」

 

そう言われ、柔らかく微笑んだアサシンはさり気なく視線を外して布を縫うのに戻った。

玲霞やライダーの話す楽しそうな声を聞いていると、心が少し落ち着いた。

ライダーのいたシャルルマーニュの騎士団はどんなところだったのだろう、とアサシンはぼんやり考えた。

ライダーは話し上手だし聞き上手だ。

口下手なカルナと話しても、ライダーなら多分上手くいくだろう。状況が違ったら彼らは友人になれたかもしれなかった。

そんな厄体もないことをアサシンが思う間に、ライダーはバーサーカーの願い事も聞き出してしまった。

フランケンシュタインの怪物である彼女は同じ存在の伴侶を求めていたという。

死人に生者を作ってもらいたいとなれば、それは本当に奇跡が必要なことだろう。

サーヴァント同士でお互いの願いを争うこともなく尋ね合うなんて、これが聖杯大戦だったからこその珍事だ。普通だったらこんなことはあり得まい。

今このとき、ここにいる皆の願いが叶って皆それぞれに幸せになれれば良いのに、とアサシンは不意に思った。そう思うくらいには、アサシンはこの場の人々のことが好きだったし、そう思える人に出会えたことは幸運だとも心底思っていた。

それでも、そう祈っていても、奇跡はたった一人にしか与えられないのだ。

 

「アサシン?」

 

玲霞に呼びかけられ、アサシンは我に返った。

 

「何でしょう?」

「何ってこともないけどね、ぼうっとして手が止まっていたわよ。また何か考えごと?」

「まあ、少し。縫い物をしていると、昔歌っていた歌を思い出して」

 

何でもない顔で、アサシンは嘘を付いた。

 

「歌か、それはどんなのだ?歌って見せてくれないか?」

 

意外にアッシュとトゥールが興味を示したことに驚いた。

言ってしまったものの、アサシンは自分の歌はあまり上手くないと思っている。覚えている数も多くない。

それでも心無しか目をきらきらさせているアッシュを見ると、今更歌えないとは言えなかった。

 

「……笑わないでくださいね」

 

そう前置きしてから、アサシンは低く澄んだ声で歌を口ずさんだ。もうこの世に覚えている人は誰もいない、失われた子守唄だった。

緩やかで伸びやかな、川のせせらぎのような旋律は城の壁で区切られた四角い空に立ち昇って、静かに消えていく。

 

「何か良いわね、その歌。上手く言えないけど、聞いてると落ち着くわ」

「ありがとうございます、レイカ」

 

カルナもそんなことを言っていたなと、アサシンはそう言われて少し懐かしくなった。

 

「うん、歌はいいよね。ボクも吟遊詩人とかの歌は好きさ。冒険の歌とか楽しいからね」

 

言って、ライダーも明るい声で幾つか歌いだし

た。傍で聞いていたアッシュが鼻歌をし始め、ライダーはますます陽気に歌い続ける。

彼が歌い終わると、玲霞が一曲だけ歌った。

トロイメライという名で、歌詞が無い旋律だけの曲だった。普通なら、ピアノという楽器を使って弾く曲なのだと、玲霞はアサシンに教えてくれた。

昔はもっと沢山の曲を覚えていたそうだが、今はもう数曲しか歌えなくなったと、玲霞は少しだけ寂しげに言った。

 

「良い歌ですね、優しい曲です」

 

アサシンはそれだけを言って、トロイメライをそっくりそのまま全部鼻歌して見せて、玲霞たちを驚かせた。

バーサーカーも二、三度真似しているうちに鼻歌でアサシンの歌とトロイメライを覚える。

上手いのね、と玲霞が言うとバーサーカーは照れたのかそっぽを向いてまた花輪作りに戻った。

アサシンもそれを見て、また道具作りに戻り、アストルフォはアッシュとトゥールの訓練に付き合うと言って石段を降りた。

石段が座ったまま、アサシンは太陽が優しく暖める中庭とそこに集まった人々を見て、太陽を振り仰ぎ小さくため息をついた。

戦の前の、最後の穏やかな一時はそうして終わった。

 

 

 

 

 

 

 




最後の一時。歌を覚えた話。

次は飛び立ちます。

以下は些細な話。
このSSのフランは、カルデアで鼻歌しながら花輪を作って遊んでいるという設定があったりなかったり。


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Act-32

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。
過去の話の誤字報告してくれる方もいて、本当に感謝しています。

では。


 

 

 

 

 

最後の戦いの日は、すっきりとよく晴れていた。

見晴らしが良いということは、つまりこちらの姿があちらに捉えられやすいということになる。曇りの方が良かったが、天気ばかりはどうしようもない。

玲霞と並んで城のガラス窓越しに空を見上げていたアサシンは、肩を叩かれて振り返る。そこには鎧姿ではなく、現代風の格好のルーラーがいた。

 

「アサシンとそのマスター、準備はいいですか?」

 

主従は頷いた。

今から玲霞はアサシンの令呪をルーラーに移す。アーチャーとフィオレには話を通した。後は魔術的な手段を踏むだけだ。

 

「では、最後に確認を。“黒”のアサシンのマスター、六導玲霞はここに正式に聖杯を手にする権利を放棄します。以後“黒”のアサシンは、裁定者のサーヴァントとして、前回のルーラー、天草四郎の阻止のために動きます。以上で宜しいですか?」

「構いません」

「わたしも、構わないわ」

 

では、とルーラーは玲霞の手を取った。

彼女が聖句を呟くと玲霞の手の刻印が光り輝き、その光が収まったときには玲霞の白い手の甲から赤い刻印はすっかり消え失せ、ルーラーの手に移っていた。

 

「これでお終い?」

 

玲霞が手を擦りながら言う。

魔力の流れをルーラーから感じ取れ、アサシンは頷いた。

 

「そう……。結構簡単なのね」

 

刻印が失せて、まっさらになった手を太陽の方に掲げ、玲霞は呟いた。

ルーラーは刻印が新たに刻まれた手を握ったり開いたりしている。

 

「ええ。移植はこれで完了です。では、私は少し出ています。アサシンも」

「ええ、すぐ行きます。でも、少しだけ待ってもらえますか?」

「構いませんよ。私は外にいます」

 

そう言ってルーラーは出て行き、部屋には玲霞とアサシンが残された。

どちらが言うでも無く、二人並んでベッドに腰掛けた。埃っぽい床の上に、黒く細い影が二つ伸びる。

今日これから、“黒”の陣とルーラーは空中庭園に飛び立つ。

アサシンはそれについて行き、玲霞はユグドミレニアの手助けで日本へ戻る。

それから先、玲霞とアサシンはもう会うことはないし、会わない方が良いのだ。

神秘も魔術も異能も、そしてサーヴァントも、関わらずに真っ当に生きていけるなら、そうするに越したことはない。

 

「じゃあ、これで私はあなたのマスターじゃなくなったのね。アサシン」

「……ええ」

「……何か、実感がわかないわね」

「実を言うと、私もです。……元からレイカから魔力が流れて来たことは無かったですし、そのせいかと」

「それを言わないでよ。アサシン、前から言おうと思っていたし、もしかしたらもう言ったかもしれないけど……あなたちょっと口が正直過ぎるわね」

 

意外なことを言われて、アサシンはうう、と首を縮めた。そっくりそのまま同じことを、昔言ったからだ。

 

「……これからは気を付けます」

 

そう言ってからこほん、とアサシンは小さくお道化た咳払いした。

 

「じゃあ私からも一言。……レイカは変な男に引っかからないでくださいね。あの、相良何とか言う魔術師みたいな男に、もうついて行ったら駄目ですよ」

 

思えばアサシンが玲霞に出会ったのは、玲霞本人の血溜まりの中だった。

とんでもない出会いだったし、あれから本当は十数日やそこらしか経っていないのだ。

 

「……気を付けるわ」

 

そう言った玲霞の頭が、とすんと肩に乗ってきてアサシンは驚いた。彼女は小さく華奢で、何より軽かった。

 

「ねえ、アサシンはこれで良いの?」

 

そのまま玲霞は聞いてきた。

 

「ごめんなさいね、でも今も、どうしても考えちゃうの。わたしに出会わなかったら、わたしと契約しなかったら――――」

「―――――しなかったら、レイカ、あなたはあそこで死んでいます」

 

玲霞の肩を両手で掴み、正面から向き合ってアサシンは言った。

 

「私は、そうならなくて良かったと思っています」

「でも……」

 

アサシンは首を振って、玲霞の言葉を遮った。

 

「形はどうあれ、私はこの時代に来られことでカルナに出会えました。それは純粋に喜びでした。嘘でも、強がりでもありません。確かに事情は……こんがらがってしまいましたけれど、それは本当に、誰のせいでもありません」

「じゃあ、何が悪かったの?これが、あなたたちの運命だったって言うの?」

 

そんなの――――、と立ち上がりかけた玲霞の肩をアサシンは優しく抑えて、きっぱり首を振った。

 

「何も。こうなった原因の何かなんてどこにもいやしないんです。第一、あなたの召喚に応じたのは私自身ですよ。……ほんとうはね、私も怖いんです。先に何があるのか見通せないから、怖くて堪らない。でも逃げたくもないんです。運命と言えば、私だけは納得できるかもしませんが、私はそれは好きじゃないのです」

 

アサシンは自分で自分の命を捨ててしまった。経緯がどうであれ、何であれ、カルナを残して先に死んだ。

悔いていないわけがない。もちろん、悔いて余りある。それでももう覆せない。過ぎた過去は何一つ変えられないし、取り戻せない。

ちっぽけな手で変えられる何かがあるとするなら、これからの戦いの先にしかなかった。

そして、召喚されなかったなら、そもそもこの世でカルナと会えなかったのだ。

それでも玲霞の目の暗さは、晴れなかった。

アサシンは目を瞑って、束の間考えた。

別れるならば、せめて笑って別れたかった。喩え自分の我儘であってもだ。

 

「じゃあ、レイカ、私と約束して下さい。これから先、誰か心から大切に思える人を探し見つけて、その人と一日一日を大切にして過ごして下さい」

「それが、約束?」

 

ええ、とアサシンはにっこり笑って、玲霞の耳元に口を寄せた。

 

「私に、この世での時間をくれてありがとうございました。レイカ。でも、ここでさようならです。あなたの人生に、幸あらんことを祈ります」

 

囁いて、アサシンは玲霞から離れた。

玲霞はしばらく黙って俯いていたが、顔を上げた。

 

「わたしも……わたしの方こそありがとう、アサシン。……元気でね」

 

さようなら、とは言わなかったマスターに微笑んで、アサシンは一礼して部屋を出た。

部屋を出て、そしてアサシンは扉のすぐ横にいたルーラーと目が合った。

 

「ルーラー?」

「あ、ご、ごめんなさい。じゃあ、行きましょうか!」

 

んん、とアサシンは歩きながらルーラーをじっと見た。

アサシンより少し背の低いルーラーは、見下されて視線を逸らす。

 

「もしかして、あなたはレティシアさん?」

「……そうです。やっぱり分かっちゃいましたか」

 

へぇ、とアサシンはジャンヌ・ダルクの依り代となっている少女を思わずまじまじと見た。

見た目は何も変化がない。が、気配が違っているからもしやと思って声をかけたのだが、当たりだったようだ。

 

「レティシアさんとして会うなら、初めましてになるんでしょうか。短い間ですが、よろしくお願いします。知っていると思いますが、“黒”のアサシンです」

「はい!」

 

レティシアの手は細かく震えていた。

緊張か怖さか、どちらにせよ無理ない。

本人の同意があっての憑依で、システム上守られているとはいえ、自分のすぐ側で、失われて久しい神代の戦いが起きているのだ。

この子も大変なことに巻き込まれたものだ、とアサシンは少女の後を付いていきながら思う。

 

「アサシンさん?」

「はい、何です?あと、さん付けは要りませんよ」

「あ、す、すみません」

 

ますます小さくなったレティシアである。

アサシンはしまったな、と内心困っていた。

 

「……あの、私、あなたを怖がらせるようなことをしたでしょうか?それとも、この顔が怖かったですか?無表情は生まれつきなので怒っているわけではないのですが……」

「い、いいえ!わたし、表に出てサーヴァントの人と話したことなくて、だから緊張してしまって。……でも、仮とは言え、契約したあなたとは話をしておきたい気がして、それで聖女様に無理を言って出て来たんです」

「……律儀な人ですね、レティシアさんは」

 

この時代の普通の学生なら、戦いから目を閉じて耳をふさいでいたっていいのに。

 

「そんな……。わたしなんて見ているだけで、大変なのは皆さんです」

 

自分とは無関係な戦いから、目を逸らさずに見ることはそれ自体が難しいのだが、とアサシンは思ったが何も言わなかった。

しばらく無言で歩いて城の出口が見え始めたとき、レティシアは唐突に言った。

 

「……じゃあ、そろそろわたしは戻ります」

 

レティシアが目を閉じ、開いた次の瞬間にはまた雰囲気が変わっていた。

凛々しさを湛えた聖女の紫の瞳が見開かれる。

 

「そんなに私たちの入れ替わりが不思議ですか?神代のあなたなら、こういうことにも慣れているのかと思っていました」

 

目を見張っていたアサシンは頬をかいた。

自分の生きていた時代は、奇跡の聖女にとってもひどく摩訶不思議なものなのだろうか。

アサシンにとっては神霊の姿が薄く、神の気配がないこの時代の方が不思議だった。

時として、胸が詰まりそうなほど色濃い気配を放っていた神は、はてさてどこに行ってしまったのだろう。

そういう疑問を顔に出さず、アサシンは首を振った。

 

「いえ、レティシアさんを見ていてちょっと思い出したことがあって。昔、私がレティシアさんくらいの歳の頃にカルナに言われたことなんですけど」

「……どういう言葉か、聞いてもいいですか?」

 

城の出口はもうすぐそこだった。ルーラーは振り返ってアサシンを少しだけ見上げる。

 

「……戦で死ぬのは、クシャトリアだけで十分だ」

 

アサシンの呟いた言葉で、聖女は一瞬立ち止まった。

 

「……」

「何だかね、今、不意に思い出したんです。忘れていた訳じゃ、なかったんですけど。思い出せていなかったんです」

 

自分にそう言ったときカルナはどんな顔をしていたのだろう。

思い出したいのに、どうしても出て来なかった。忘れてしまったのだろう。

裁定者と暗殺者のサーヴァントは、そのまま並んで門を潜る。先には飛行場まで行くための車が止まり、アーチャーやセイバーや、そのマスターたちがもう集まっていた。

もう帰って来ない城をアサシンは一度だけ振り返った。マスターの顔は見えなかったが、それで良かったと思う。

じゃあ、行くか、とアサシンは前を見て、ルーラーの後に付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行場到着までの時間は飛ぶように過ぎた。

ユグドミレニアの手で貸し切りにされた飛行場は無人だった。

 

「徹底してるね」

「神秘の秘匿には本来ならばこれくらい必要です」

 

背に金属で作られた蜘蛛の足のような魔術礼装を装着したフィオレは、ライダーに言う。

最終的に、空中庭園に来る魔術師は彼女とカウレス、アッシュになった。

フィオレとカウレスに渋面を作りつつも激励の言葉をかけているゴルドは連絡員として残る。セイバーと距離を開けすぎるのは魔力供給のラインの関係から危ぶまれたが、彼は元々ホムンクルスとの間での魔力の分割方法の実行者だ。

他の魔術師とサーヴァントのラインならともかく、自分の分なら補強することもできた。

まあ、肥満した彼の体型はどう見ても走ったり跳んだりする荒事に向いていないのは明らかなので、内心は全員が彼の残留には賛成だった。

 

「アサシン、バーサーカー。少し良いですか?」

 

カウレスの側にいたバーサーカーと、ルーラーの横でぼんやり外を見ていたアサシンをアーチャーが呼び寄せる。

 

「空中庭園に追い付いてからの話をしておこうと思いまして」

 

落ち着いたアーチャーに、バーサーカーとアサシンは揃って頷いた。

 

「セイバーの相手は“赤”のランサー、“赤”のライダーの相手は私がします。こちらのライダーは魔術砲台の破壊を行い、ルーラーは大聖杯へと辿りつこうとするでしょう」

 

手筈通りに行けば、確かにそうなる。

賢者ケイローンは最初バーサーカーを見た。

 

「バーサーカー、あなたは庭園についたならルーラーと同じく大聖杯へと向かって下さい」

 

もちろん、という風にバーサーカーが唸った。深い森の奥の湖のようなケイローンの瞳は、次に黙りこくって白い顔をしているアサシンへ向けられる。

 

「アサシン、あなたは……“赤”のマスターたちの身柄を探し、できるなら彼らを解放して下さい。空中庭園から地上に送り返せれば尚いい。地上にてユグドミレニアの魔術師が回収に回れますから」

 

アサシンが何故と問う前に、ケイローンは言葉を続けた。

 

「彼らを抑えられれば、魔術協会はユグドミレニアの壊滅には踏み切れない。彼らはユグドミレニアのマスターにとって必要です」

 

今のアサシンは、ルーラーと契約しているサーヴァントという境目の難しい立ち位置にいる。

彼女は聖杯を狙っていないと前々から言っているし、アーチャーはその言葉を信じている。

が、賢者の慧眼は同時に、アサシンが聖杯に対し、いっそ壊れても構わない、という冷めた考えを持っていることも見抜いていた。

どころか状況が状況なら、積極的に壊しに掛かりそうな雰囲気がある。

ユグドミレニアのサーヴァントでなく、しかも聖杯を壊しかねないような者が聖杯に辿り着くのは、“黒”の軍師としては歓迎できなかった。

アサシンもアーチャーの考えは薄々読めている。

元々“赤”のマスターたちのことは探すつもりだった。アサシンは彼らのことなど何も知らないが、彼らの中の誰か一人がカルナを呼び、カルナはその誰かに今世での忠誠を誓っている。それならば、彼らはアサシンには無関係な存在ではなかった。

尤も、彼らを具体的にどう空中庭園から離脱させるのか、そこまでは考えられていないのだが。

最悪、呪術で保護して空中庭園から投げ落とせば良いか、とアサシンは物騒なことを考えながらアーチャーの言葉に頷いた。

 

「分かりました、アーチャー」

「ゥウ」

 

バーサーカーとアサシンの様子にアーチャーは微笑み、自分のマスターのところへ戻って行った。

バーサーカーもフィオレと話すカウレスの方へ寄っていく。

一人になったアサシンのところへ、入れ替わりにライダー主従とルーラーが現れた。

 

「や、アーチャーと何を話してたんだい?」

「まあ、ただの打ち合わせですよ。ところでライダー、そんなことより宝具の真名は?」

「……大丈夫!完全に夜になったら思い出せるから!」

 

つまり、夕方の今は思い出せていないのだ。

ルーラーは頭痛をこらえるように頭を抑えていたが、彼女よりライダーに慣れているアッシュとアサシンは苦笑するだけだった。

 

「今から飛んで、庭園に着くのは夜ですからね。ちょうど良いでしょう」

「だな。庭園には俺はカウレスやフィオレと共に向かうから離れるが、ライダーはヒポグリフと魔導書を存分に使って砲台を破壊してくれ。それくらいの魔力は賄える。だから俺に遠慮して宝具を出し惜しみしてくれるな。でないと、俺たちは全員詰む」

「……マスターの成長が早過ぎるよぅ。……じゃあ、ボクはなるたけ早く砲台を壊すから、マスターは、その後は自分の命のことだけ考えてくれよ?他のことなんて良いからさ」

 

了解した、とアッシュは素直に頷いた。

それを見ていたアサシンはつい口を挟む。

 

「アッシュ君、私の宝具があるから、自分は多少の無茶も大丈夫、なんて考えないで下さいよ?」

 

アサシンの宝具は傷を癒やすし、呪いを焼くが万能の癒やしは齎さない。現にアサシンだって死んだのだから、持ち主の蘇生はできないのだ。

 

「……分かっているさ。俺も命は惜しいからな。俺はライダーに魔力を潤沢に回すためだけに来た。それ以上のことに手が出せるとは思っていない。それに、この戦いからちゃんと戻って何があったかわたしたちに伝えろと、トゥールにも言われている」

 

アッシュがそう言い切ったとき、フィオレが全員を呼び集めた。

飛行機の準備が整ったのだ。別口で飛行機を手に入れたという“赤”のセイバー主従も、そろそろ飛び立つという報告も来た。

時は来たのだ。

サーヴァントたちは各々飛行機に乗る。操縦桿はゴーレムが握る。

アサシンは飛行機の屋根に乗った。

高い天では、泣くような音を立てて風が吹いているだろう。

少し離れた飛行機にはバーサーカーの姿も見えた。手を振ったら、小さく振り返してくる。最初、睨んでくるばかりだったバーサーカーと比べたら偉い違いである。

アサシンが屋根の上に座り直すと同時、ゴゥ、と音を立てて鉄の鳥が走り出し、ふわりと空に浮いた。

 

―――――ずいぶんと、遠くまで来たものだ。

 

神秘に寄らない科学の空船に乗って、魔術の牙城に乗り込もうというのだから。

それでも、何とかなるさという笑顔が繕えないのは、待ち受ける相手が相手だからだ。

 

―――――どうやろうが、結局はアサシンはカルナに敵意を向けられなかった。

だからカルナと戦いになったらアサシンは死ぬだろう。敵意を向けられない相手と、まともに戦える訳がない。元々の力の差がどうこう以前の問題だ。

馬鹿は死んでも治らないというが、それは自分のことだったらしい。

それでも、先に待つ雲海へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 




マスターと別れた話。

次は会いに行く話。


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Act-33

誤字報告してくださった方、本当にありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

それなりの年月生きたが、無かった方が良かった人の縁というのはあったのだろうか。

義理や忠誠は戦う力になるときも、重荷や枷になるときもあった。どちらになるときが多かったのかは、考えたこともなかった。

カルナが人から求められることの大方は戦いだ。黄金の鎧を纏い生まれた時点で、戦士として生きるよう求められていたのだろうし、それに関してどうこう思ったこともない。

自分の心の奥底には、常に戦い以外では決して満たされない飢えた獣がいた。身の内のその何かは、あくまで戦いを欲して止まらないのだ。

それは多分、己の魂と呼ばれるものだろう。

少なくともカルナ自身はそう思っている。

 

しかし、カルナと人生の多くを付き合った人間は、戦いを嫌っていた。

カルナが親から与えられたものが黄金の鎧なら、彼女は傷を癒やす焔だ。

一言で言うと、彼女は傷付けられる側の痛みを感じてしまう性質をしていた。カルナから見れば優し過ぎ、いっそ生きづらくすら見える質だった。

だから、お前の焔はその性質が形になったようだとも言ったこともある。

それを聞いた本人はあからさまに微妙な顔をしていた。

そう言われると、会ったこともない親に自分の本質を定められているようで釈然としないのだ、と言うのが彼女の言い分だった。

父親かつ神に自分の本質を決められているなら、そういうものかと受け入れれば気楽になれるのに、彼女はそうしなかった。

今考えるなら、生まれた階級が全てを決めていた時代で、人間すべてが等価値にしか見えなかった自分も、神の為すことすべてに疑問を持って是非を考える彼女も、紛うことなく変人奇人の類いだった。

妙な話だが、そういう意味では相性は良かった。

彼女がそういう考え方をするようになったのは、まともに人の親に育てられたことが無かったからだ。無かった分だけ自分の頭で考えるように生きていたら、ああいう物の見方をする人間になり、結果としてあの時代の女の幸福とされることほとんど全てから背を向けていた。

が、当人はそれでも幸せそうだった。少なくともカルナにはそう見えていた。だから、お前は幸せなのかと、彼は問わなかった。

 

―――――口下手だからと言葉を端折るのは、やめた方が良いと思います。自分の考えをちゃんと持っているのに……伝えるのが苦手だからと言葉を端的かつ手短にしようするのは、怠惰ですよ。下手でも時間がかかっても、いいじゃありませんか。

 

思い返せば、そう言われたときもあった。躊躇いがちな言い方だったが、あれは相当容赦なかった。

 

―――――あなたは確かに人を怒らせるくらい直截な言い方をしますよ。私も慣れるまでは、あなたが何を言いたいのか分からなかったのですから。でもあなたは、人を貶めようとか、言葉で傷つけてやろうとかいうつもりは微塵もないんでしょう?

だったら、どれだけ言い方が下手でもあなたの誠意を汲み取れる人はいます。そういう人は、必ず私以外にもたくさんいますよ。あなたの思うよりずっと、ね。

 

と、頬杖をついたまま呟くように彼女は言っていた。だが、どんな顔でそう言っていたかは忘れてしまった。

少なくとも泣いてはいなかった、と思う。 

だがこの世では、彼女は誰と縁を結び、どんな顔をして過ごしていたのだろう。

 

―――――カルナは目を見開く。

空中庭園の防衛線である庭の縁から、カルナは雲の海を見ていた。

天草四郎の見立てでは、人類救済を阻む最後の敵たちがそろそろ姿を現す頃合いだ。あちらには聖杯と深く縁が繋がるルーラーがいるから、空中庭園が大聖杯を宿す限り、追ってくることが可能なのだそうだ。

追ってくるなら迎え撃つ。聖女も賢者も騎士も人造の命も何もかも、願いを妨げる者であるなら例外はなく破ってみせる。

あらゆる敵は打ち倒し、我が祈りを果たす!

キャスターであるシェイクスピアは、そんな風に、今まさに大聖杯へ己の願いを打ち込んでいる最中の天草四郎の裡を暇にあかせて謳い上げ、ライダーやアーチャーを閉口させた。

カルナも聞いたときは流石に半眼になった。キャスターが紡ぐ言葉は、価値はさて置いて単純にやかましいのだ。

思い出す端から、カルナは近付いて来る気配を感じた。

 

「これは施しの英雄。あなたの持ち場はここでしたか!」

「……お前は工房にいるのではないのか?戦闘には参加しないのだろう」

「いやぁ、我輩もそのつもりだったのですがね。女帝殿の意向で、担当が少々変更になりまして」

 

我輩の相手はあの暗殺者殿になるやもしれません、とキャスターはいかにも面白がっている風に告げた。

 

「確かにお前の宝具は心を折る対心宝具。“黒”の布陣を鑑みれば、付け入れる隙が心にあるのは“黒”のアサシンと判断した訳か」

「でしょうなぁ。殴り合いなら、吾輩あのアサシン嬢に瞬殺されるでしょうが、宝具となれば話は別でありますからして!」

「だからお前はこの事態の中、わざわざオレにそれを報告しに来たわけか。生憎だが、何も言う事はない」

 

恭しく一礼したキャスターに対して、顕現させた大槍を握るカルナの表情に揺らぎは無かった。

 

「ほう、何も思う所はないと?」

「……オレからは逐一お前に説明すべきほどのことがない。強いて言うなら、心が一度折れただけで己の戦う術を失うような生き方をした者は、このような戦場にまで引き寄せられることはあるまい、と思うだけだ。世界に冠たる虚構の紡ぎ手よ」

 

キャスターの目が、老猫のように細められた。

 

「確かに我輩は、単に面白いだけの虚構の紡ぎ手でありましょう。万物万象を焼き尽くす桁違いの力の振るい手からすれば如何にも脆い!しかし、強く信じる者がいるならば、虚構は人を容易く切り裂く真実となるのですよ!そして、それこそが我輩の宝具にして唯一の剣!」

 

世界最高の劇作家は、自分の紡いだ言葉を武器とするのだと幕の上がった舞台に立つ役者のように高らかに宣言した。

 

「お前にとって言葉の刃は、命と魂そのものか。それらを乗せた刃ならば、確かに重いだろう」

「さて、刃の軽重と戦場の名誉を気にするのは武人の考え方でありますな。正当な勝負だろうが何だろうが、遺されたことの哀しみを味わうしか無い者にとれば、名誉なぞ時として関係ありますまい!」

 

キャスターはそこで、一転して極めて真摯な口調で問い掛けた。

カルナの視線はそちらへ向き、その刃物のような眼光に射られてもキャスターは怯まなかった。

 

「施しの英雄。あなたは名高き英雄だ。御自分をどう思っていようが、あなたは事実誇り高い者、日輪の輝き放つ比類なき者として叙事詩に名を刻まれている!言うなれば『楽しんでやる苦労は癒やしにもなる』!」

 

ですが、と声が低められた。

 

「あなたを最も間近で見ていた者が、太陽の輝きで目を射られなかったと、果たして言えるのでしょうか?あなたとの縁でその方の何かが曲がり、苦難の道へと進み定めが狂わなかったと、誰に分かるでしょうか?」

 

ゆらゆらと揺れていた槍の穂先が、ぴたりと止まった。

 

「……それは」

 

寸の間言葉が宙に浮いて、時が凝固する。

薄い色の碧眼に宿っていた刃物のような光が一度瞬いた。

キャスターはそこで、再び大仰に一礼した。

 

「とまあ、吾輩の取材はここまでにしておきますな!何せ吾輩の宝具は、対象を知らねば記せぬという、ちと面倒な体を為しておりまして、多少の取材が必要なのですよ。だが、あのアサシン嬢は我がマスターであるルーラーの知識にかすりもしないので、あと一筆が足りなかった!」

 

しかし、それも今のやり取りで済んだ、とキャスターは宣う。

 

「ではこれにて失礼!吾輩、続きを書かねばなりませんので!」

 

そして、キャスターは一瞬で消え失せた。

気配も瞬時に絶つ、いっそ見事な遁走ぶりだった。

一人になったカルナは地面に突き立てた槍を見る。

鎧と引き換えに得た神殺しの槍。彼の高潔な精神を表すものとして、最も有名な逸話の結晶。それが今も彼の手に握られる、きらびやかな大槍であった。

カルナはきつく槍を握り締めた。

 

―――――これを自分が手に入れたとき、彼女は何を思って涙した?自分はそれをどう受け止めた?

 

カルナが手を離せば、金の粒子となって槍が闇に溶けて消える。空いたその手でカルナはざんばらの白髪をかいた。

手に残る感触は彼女の長く黒い髪とは似ても似つかないと、そんなことをふと思う。

兎にも角にも、取り返しのつかないことを言ってしまったらしいことは分かった。

宝具発動のための最後の欠片を、よりによってあのキャスターに自分が与えてしまったのだから。

その上、劇作家の言葉は己の中に根を張ったと、カルナは感じた。自分はキャスターの言う事を否定しなかったのだ。

否定しなかっただけなのか、或いはできなかったのか。自分の心の向いている方が分からなかった。

 

―――――そして唐突に、眠っていた巨大な獣が目を覚まして身震いしたときのように庭園が揺れる。

庭園を守る魔術障壁に闇夜の中から飛んできた巨大な飛行機が突っ込み、爆発炎上したのだ。それだけでなく、十を越える鉄の鳥たちが彼方から飛んでくる。鉄の鳥には、分散してサーヴァントの気配もある。

一つ、ニつとカルナは気配を数え、すぐに“黒”のアサシンのものが混ざっていないことに気付いた。

 

「……『気配遮断』か」

 

“黒”と“赤”の二体のアサシンたちがろくに忍んでいないからほぼ忘れかけていたが、暗殺者のクラスには気配を絶つスキルがある。

この状況で使わない訳がなかった。

 

『ランサーよ、お主の相手が来たぞ。竜殺しはあのライダーの幻獣に乗って来ておる』

 

そこでセミラミスの魔術通信が入る。

了解した、とカルナは言い、消していた槍を再び顕現させて握った。

女帝の声は沈黙してから高らかに宣言した。

 

『さあ、今ぞ決戦のとき。―――――これが最後の戦いだ、一騎も残さず討ち滅ぼせ!』

 

玲瓏な高い女の声ではなく、あの低く澄んだ声で言われたならば今少しやる気が出たのだが、と一瞬どうでもいい思考が頭を過る。

次の瞬間、轟、と赤い炎が大槍を取り巻いて闇の中で燃え盛った。

同時に庭園から轟音と共に光弾が光の帯を後ろに放ちながら撃たれた。

最後の終わりは、轟音と共に始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叩き付ける風で髪が後ろに吹き流されていく。千切れそうなほど服ははためいているが、足に力を込めて体が揺らがないよう耐える。

飛行機の屋根、コックピットの上辺りに立って、アサシンは目に見える距離にまで近付いた空中庭園を睨んだ。

ユグドミレニアの飛行機の連隊の先頭にはルーラーがいて、聖旗を振るって空中庭園からの魔術砲撃と弓の一撃を叩き落としている。

飛行機より速度で勝るライダーのヒポグリフは、後ろにセイバーを乗せて空中庭園に近付こうとしていた。

同じく空中庭園に近付こうとしていたアーチャーの元へ、空中庭園から飛び出した馬に引かれた戦車が襲い掛かるのをアサシンは目の端で捉えた。

戦車がアーチャーに肉薄した、と思った瞬間戦車に轢き潰されて、通り道にある飛行機が次々爆発四散。真っ赤な火の玉になって落ちていく。

そこからは呆気に取られる間もなかった。爆発した飛行機の巨大な金属片が、()()()アサシンが足場にしていた飛行機のエンジンにぶち当たったのだ。

飛行機が爆発する前に、屋根を蹴ってアサシンは別の飛行機に跳び乗る。隣の飛行機の屋根にはバーサーカーがいたが、『気配遮断』スキルを使っているため、彼女はアサシンに気付かなかった。

『気配遮断』スキルは、迎撃に転じれば即座に鷹の目の“赤”のアーチャーへ居場所がばれて射抜かれる恐れがある。だからアサシンには一先ず攻撃を避けるしかなかった。

アサシンの周りでは、“赤”のライダーと“黒”のアーチャーとがぶつかり合っている。そのたび、飛行機は数を減らしていった。

これでは空中庭園に近付けない。

だがそこで、また別な声が響く。

 

「ようし、準備は整った!ではこの闇夜にて、我が魔導書の真なる姿を見せよう!――――解放、破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』!」

 

新月の空に幻獣ヒポグリフの嘶きが響き渡り、あらゆる魔術を無効化する魔導書から解き放たれた白い紙吹雪が宙を舞った。

真名が取り戻された魔導書に護られ、“黒”のライダーとセイバーを乗せたヒポグリフは、空中庭園から放たれた光弾の中へ突っ込んだ。

彼らの姿は光に呑まれるが、傷一つなくそこから飛び出すと、魔術砲台の一つへと矢のような勢いで向かった。

だが、ヒポグリフが砲台を破壊する前に、空中庭園から炎を噴射したサーヴァントが一騎飛び出た。

 

―――――来た!

 

アサシンが見る前で、ランサー、カルナは魔力放出の炎で空を舞い、ヒポグリフへ斬り掛かる。だが大槍の一撃は、ヒポグリフの背を蹴って砲台の上に着地した“黒”のセイバーのバルムンクが受け止めた。

ぶつかり合った剣と槍の火花が散る。ヒポグリフとライダーはその場を一目散に離れて別な砲台へ向かい、ランサーとセイバーはそのまま砲台を足場にして戦いを始めた。

アサシンが自分の目で確かめられたのはそこまでだった。

隣の飛行機に、ルーラーの護りをたまたますり抜けた流れ矢が突き刺さり、飛行機が砕け散ったのだ。

屋根の上のバーサーカーは、足場を変える間もなく宙へ放り出される。迷う暇なく、空を飛ぶ術のない彼女に向けてアサシンは跳んだ。

バーサーカーの腕を空中で掴んで華奢な体を引き寄せると同時に、アサシンは背中から焔を噴出して翼を生み出す。

そのまま上昇して飛行機の屋根に戻り、抱えていたバーサーカーを下ろした。

 

『バーサーカー、アサシン!?』

『無事です!あなたは迎撃に集中して!』

 

アサシンは念話でルーラーへと叫び返した。

やや安堵したように念話は途切れ、また言葉が頭に響いた。

 

『アサシン、令呪を使いますね。―――――ジャンヌ・ダルクの名において命ず、“黒”のアサシン、その全力で持って空中庭園へ辿り着け!』

 

アサシンの体に膨大な魔力が流れ込み、一時的に力が跳ね上がる。

それを感じ取るより先に、アサシンは剣を抜いて呪術を剣に纏わせ、襲い掛かってきた矢を何とか空へかち上げて凌いだ。

 

「そこか―――――!」

 

獣のような咆哮と同時に、ルーラーを無視して飛行機へ次々矢が襲い掛かる。緑髪の狩人、アタランテである。

物理攻撃にしてAランクになる彼女の矢を、同じくAランクを持つ呪術スキルを最大に使ってアサシンは受け止め、跳ね返す。

恐ろしいほどの精度で放たれる矢を、令呪に後押しされながらアサシンは勘を頼りに受け続ける。一つでも手元が狂うと致命傷になるだろう一撃である。重い矢を受け止める手は衝撃で震え、無銘の剣は軋み、みるみる刃こぼれしていった。

ついに耐え切れなくなってアサシンが一歩押されてたたらを踏んだとき、入れ換わるようにバーサーカーの戦鎚が矢を空へ打ち上げた。

 

「ァゥウ!」

 

彼女もカウレスにより令呪で強化されたのか、ぎりぎりで間に合う。矢は折れて煌きながら闇夜へ消えていった。

 

「あ、ありがとう、ございます」

「ァウ、ゥアア!」

 

そんなことはいい、このままだと危ないぞ、とバーサーカーは言っていた。

その通りだと、アサシンは唇を噛んで庭園を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 




この話ではジャンヌさんが常に聖女モードなので、その分の皺寄せがあちこちに来た形になっています。



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Act-34

誤字報告してくださった方、ありがとうございました!

ApoのPVが新たに公開されて、いつもよりテンションが高くなっています。
高くなっていますが、この話に関しては色々不安です。

では。


 

 

 

 

 

 

矢の雨が降る。

矢の数はかつての戦いのときのように青空一面を真黒に変えるほどではない。が、ひゅうひゅうと泣き声のような音を立てて、黒く塗られて、闇に紛れる矢が次から次へとこちらへ向けて飛んでくる様は背筋が寒くなった。

怯む間もなく、アサシンは呪術で風の塊を叩き付けて半分ほどの矢を叩き落とし、残りの矢の勢いも殺すか、向きを逸らせる。

アサシンがしていることは、さっきからこれの繰り返しだ。

空中庭園からの魔術砲撃はルーラー一人に的を絞ったらしく、アサシンとバーサーカーに向けては然程の量は来ないのだが、その分ルーラーには苛烈な砲撃が襲い掛かっていて、彼女の援護は望めない。

そこで一瞬、矢の雨が止む。

だが次にはより威力の高まった攻撃が雨霰と襲って来た。

“赤”のアーチャーの宝具、『訴状の矢文(ポイボス・カタフトロフェ)』である。

バーサーカーの前に出たアサシンは、剣を杖のように横に構えて呪文を詠唱し、半球状の魔力の盾を形成する。

盾は膨れ上がって飛行機全体を包み込んだ。

無論防ぎ切ることはできず、何本もの矢が矢面に立ったアサシンの腕や頬を切り裂き、攻撃が止むと同時に盾は脆い硝子のように砕け散ったが、バーサーカーとアサシン、それに足場の飛行機はぎりぎりで耐えた。

“黒”のライダーに早く砲台を壊してもらわないとこれは詰むな、とアサシンは飛行機を旋回させながら見て取る。

“黒”のアーチャーは“赤”のライダーとの戦いに移行し、どうしたことか姿が見えない。結界に取り込まれたときのように、気配も朧だ。

“黒”のセイバーと“赤”のランサーは、砲台を足場にして戦っていたが、さっき宝具を撃ち合って共に空中庭園の中へ突っ込んで行った。

その際に魔術砲台も幾つか巻き添えにしてくれたお陰で、弾幕は薄くなった。

矢に耐えに耐えて、ついに砲台は残り一つになる。しかしライダーのヒポグリフは遠目に見てもふらつき、今にも撃墜されそうだった。

 

「……バーサーカー、この飛行機であの砲台に突っ込もうと思うんですが、いいですか?」

 

正気か、とバーサーカーがアサシンを振り返って見た。アサシンはしっかりと頷く。

やけになったわけじゃないんだな、とバーサーカーはその目を見て判断した。

 

「じゃあ―――――行きますよ」

 

掌を飛行機の屋根に押し当て、魔力を流す。アサシンは飛行機にあらかじめ仕込まれていた加速術式を発動させた。

飛行機は規定外の速度を出し、ニ騎を乗せたまま庭園に真っ直ぐ向かう。

砲台に着弾する直前、アサシンはバーサーカーを抱え、飛行機を蹴り飛ばして離れ、爆発の火炎の中に飛び込んだ。

バーサーカーが思わず叫び声を上げる。アサシンは彼女の頭を押さえて庇いながら、真っ直ぐ炎の中に飛び込んだ。

炎はアサシンを傷付けない。生まれたときからそうだった。死んでからも変わらない。

そのまま炎を煙幕にして、アサシンとバーサーカーは庭園に突っ込んだ。

壁をぶち壊して突入した二人はごろごろと転がり、庭園の柱に背中から叩き付けられてようやく止まる。

彼女たちの後ろでは、激突した飛行機の火炎が穴の縁を舐めていた。砲台が間違いなく破壊できたかどうかは見えなかった。

衝撃で咳き込みながら、アサシンは立ち上がり、同じく横に吹っ飛ばされているバーサーカーに手を差し出した。

また馬鹿なことを、と手を掴んで立ち上がってきたバーサーカーに唸られるが、着けたのだから勘弁してほしい、とアサシンは首を縮めた。それから辺りを見回した。

 

「……で、ここは庭園のどのあたりなのでしょうか?」

 

見た所、甘ったるい香りの漂う植物が咲き乱れる園だ。部屋の端は何とか見えるが天井は不自然なほど高く作られ、奇妙なことに植物の生え方、水の流れ方が上から下になっている。

しかしよく観察する間もなく、アサシンとバーサーカーの耳が風切り音を聞きつけ、二騎は柱の陰に飛び込む。瞬間ニ騎のいた床に矢が突き刺さって震えていた。

“赤”のアーチャーだ。追ってくるのが思っていたよりずっと早かった。ここから前に進むには、アーチャーを倒さなければならないと、アサシンは柱の陰に身を隠しながら部屋の様子を伺った。

確かルーラーによれば、真名はギリシャ神話の女狩人アタランテ。神話に名を残す強敵だ。

今も彼女の気配は微かにしか感じ取れない。

いっそこの部屋全部燃やそうか、とアサシンは剣を持つ手に力を込めた。

 

「……ァァ」

 

声に顔を上げると、通路を挟んだ向こうにいるバーサーカーが首を振っている。

バーサーカーの色合いの違う瞳の中に映る、目のつり上がった厳しい顔をした自分の姿を見て、アサシンは冷水を頭から浴びたような気分になった。

ここから先に進むため、今できることは何なのか、冷静に考えなければならない。判断を誤れば死ぬしかないのだ。

もちろん、そんな時間を相手が与えてくれる訳もなかった。

弓を引き絞る音がし、アサシンは項に寒気が走って柱の陰から飛び出る。直後、矢が柱を抉り砕いてアサシンとバーサーカーが壁に開けた大穴から、外へ飛んでいった。

全速力で走って柱の陰に滑り込みながら、アサシンは『気配遮断』スキルを使う。

そこへバーサーカーからの念話が繋がる。

 

―――――少しでいいからあいつの注意を引きつけてほしい。そうすればわたしがあいつをやるから。

 

そういう意味の唸り声がした。

どうやってか、などと悠長に聞いている暇は無かった。アサシンやバーサーカーより狩人としてよほど優れている“赤”のアーチャーと、この森に似た空間で戦うのは絶望的に不利だ。

おまけに、あちらは第二段の『訴状の矢文』を開放するつもりだろう。空間内の魔力の集まり方が変化していた。あれを続けられてはいつか射られて死ぬ。

 

『……分かりました。あなたを信じます』

 

念話で答えるなり、アサシンは罅の走った剣を鞘に収めて、この大立ち回りの中でも奇跡的に壊れていなかった背中の弓を引き抜き、柱の陰から部屋の中央へ飛び出した。

たちまち矢が襲い掛かって来る。急所に当たるものだけをぎりぎりで避けながら走り、アサシンは天井へ弓を向け、それを満月のようにきりきりと引き絞った。

アサシンに向けて部屋の魔力が渦巻いて束ねられ、青い焔が矢の形になって弓に番えられた。

 

「―――――魔力収束。宝具、解放」

 

唄うような呟きと共に、青い魔力が解放され、部屋を光で満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実の所、“黒”のバーサーカー、フランケンシュタインの怪物は、“黒”の名無しのアサシンが好きではない。

かと言って、彼女の生き死にがどうでもいいと切り捨ててしまえるわけでもないのだ。

言うなれば、好きではないが―――――ここで死んでしまえばいい奴だとも思わない程度。

とにかく、あの放火魔的暗殺者に対して、自分はそれくらいの想いしか持っていないと、バーサーカーは思っている。

第一に、アサシンのマスターはユグドミレニアの魔術師でもないし、事あるごとにライダーと一緒になって某か面倒事を引き起こして、バーサーカーのマスターであるカウレスを困らせていた。

少なくともバーサーカーにはそう見えていた。

これでアサシンが自分勝手な性格だったり、ふてぶてしいサーヴァントだったなら後腐れなく嫌えたのに、当人は根っこの所で人に迷惑をかけたくないと思っているのだから始末が悪い。おまけにアサシンはバーサーカーを全然嫌っていなかった。

アサシンと相手方のランサーの因縁を知ったとき、バーサーカーはさらにアサシンを好きになれないと思った。

 

―――――わたしの欲しかったものを持っているくせに、どうしてお前はそれを手放してこっち側にいるんだ?

 

何度かそう聞いてやろうと思っていた。

なのに、アサシンが何かを振り切るように東奔西走忙しくしていて、何故だか聞けなかった。

そうしているうちに戦いが激しくなって、背中を預けたり預けられたりした。やわな外見の割に、彼女は案外頼りにはなった。

あの賑わしいライダーやマスターたちを交えて戦いに関係ない余計なことばかり話して、アサシンからは花輪の作り方なんてものまで習った。

 

鬱陶しいと思う人間たちに囲まれていたのに、きっと自分はあのときを楽しんでいた。素直にそう認めるのは少し、面白くなかったが。

 

だから、今バーサーカーはこの空中庭園に何とか辿り着いたらしいマスターに、唸り声ながらも念話で伝えた。自分のしようとしていること、そのためにマスターに何をしてもらいたいかを。

マスターはそれで良いのか、と聞いてくれた。

バーサーカーがいい、と答えたら、マスターはもう何も聞かないで頷いてくれた。姿は見えなかったけれど、分かったと言ってくれた。

バーサーカーは、あんなお人好しサーヴァントのために、今からの行動を起こすのではない。

サーヴァントなのだから、マスターのために敵を倒すのだ。

“赤”のアーチャーは危険な狩人だ。ここで倒さないと、彼女は必ずバーサーカーのマスターを殺そうとするだろう。

自分を召喚してくれたカウレスには、絶対に死んでほしくなかった。

冷たい戦鎚を一度額に押し当て、帯電し始めたそれを握って、バーサーカーは柱の陰から飛び出した。

そのときには、アーチャーの宝具と、アサシンの宝具とが拮抗しあっていた。アーチャーの『訴状の矢文』とアサシンの撃った無数の青い火矢が空中でぶつかり、互いを相殺しながら植物の蔓延る空間を蹂躙しているのだ。

攻防は全体に見ればアサシンが押されていた。白い額には汗が浮かんでいて、血が滲むほど唇を噛み締めていた。ルーラーの使った令呪の効果が切れ始めていたのだ。

二騎のサーヴァントの攻撃は部屋を穴だらけにするのみならず、植物を燃やしていた。

毒々しい色の花々は炎の舌に絡め取られて灰になり、逆さまに伸びていた木々は軋む音を立てて倒れていく。

森が燃え崩れ、バーサーカーが走り出した瞬間、弾幕から漏れた矢がアサシンの肩に突き刺さり、小柄な体は叫び声も上げずに後ろへ吹き飛ばされて床に叩きつけられ、穴の縁でぎりぎり止まる。

バーサーカーはそちらを振り返ることなく、木々の向こうに一瞬だけ見えた、緑の服の狩人目掛けて突進した。

 

「ナァアアォゥゥゥゥッッ!」

 

咆哮と共に、バーサーカーは大気の魔力を全身で吸収する。纏う魔力は雷へと変化し、パラメータの数値を越えた速さで、バーサーカーはアーチャーへ迫った。

大きく見開かれた狩人の瞳が、迫る狂戦士の姿を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狂戦士が目と鼻の先に近付いても、アタランテは我を忘れなかった。

向かって来る狂戦士の心臓と手足を射抜くため、三本の矢を同時に放つ。

だがバーサーカーは心臓への矢だけを弾くと、手足に矢が突き刺さるのも構わずに、全く勢いを殺すことなくアーチャーへ突進を仕掛けてきた。

バーサーカーは人の手によって屍から造られた生命だ。アーチャーは知らなかったが、痛覚の操作も容易い。

それでも一本の矢に全力を込めればバーサーカーは吹き飛ばされたろうが、三本の早打ちではわずかに威力が削られることになった。

気合と共に振るわれたバーサーカーの鎚をアーチャーの『天穹の弓(タウロポロス)』が受け止めた。力に勝るバーサーカーに押されアーチャーは弓から手を離す。

そのままバーサーカーの腕を掴んで投げ飛ばそうとしたが、直後、バーサーカーの姿がかき消えた。

 

「なっ!?」

 

さすがに驚愕し、アーチャーも動きを止める。

そのほんの短い隙に、アーチャーの背中にバーサーカーがしがみついていた。

令呪による空間転移か、とアーチャーは悟る。悟るが、バーサーカーの万力のような力は少しも緩まなかった。 

狂戦士の腕を掴み投げ技に持ち込もうとするが、空間転移が今度はアーチャーを巻き込む形で発動する。

気付けば、アーチャーはバーサーカー諸共、風吹きすさぶ夜の空に浮いていた。

庭園に開けられた穴の縁に立つ、呆気にとられたようなアサシンと、激情に燃えるアーチャーの目が合う。

何をする間もなく、“黒”のバーサーカーと“赤”のアーチャーとは組み合ったまま石のように夜の海へ向けて落下を始めた。吹く風が、びゅうびゅうとアーチャーの全身に叩いて行った。

アーチャーの喉から、手負いの獣のような叫びが吹き上がる。そのアーチャーの耳に、場違いなほど無垢に聞こえる囁きが届いた。

 

「―――――おまえは、わたしと、こい」

 

アーチャーとバーサーカーを中心に、大気の魔力が唸りを上げて集まった。空中戦の余波で、庭園の周りには魔力が豊富に満ちている。

束ねられた魔力は雷へと変換され、十字架の形を闇に描いた。

バーサーカーの宝具、『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』。

自分の命を注ぎ込む禁断の宝具を、バーサーカーはここに発動させた。

令呪によってすべてのリミッターが解除された宝具は、十字架の形をした剣となってバーサーカーとアーチャーの心臓を諸共貫いた。

バーサーカーの手から力が無くなり、アーチャーを抑えていた縛りが消える。

アーチャーは渾身の力を振り絞り身をよじって、狂戦士を見た。

凄まじい速さで足の先から金の粒子へと還り、闇夜に溶けていきながら、バーサーカーの目には何の曇りもなかった。真っ直ぐにアーチャーを射抜くように見ていた。幼子のように澄みきって、迷いがないその瞳を見て、アーチャーの手から力が抜ける。

同時にアーチャーの体からも魔力が解れが始まった。彼女の体も端から順に金の粒子へ変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

床に叩きつけられた瞬間は、息が出来なかった。それでもアサシンが体を動かして穴の縁へ駆け寄ったときには、バーサーカーとアーチャーはすでに空中にいた。

バーサーカーから放たれた雷がアサシンの目を焼いて、思わず数歩下がりかける。枝分かれした雷はアサシンの足元を焦がすが、彼女は穴の縁から身を乗り出した。

闇切り裂いて夜空に突き立った十字架が、ニ騎のサーヴァントの体を真昼のように照らし出し、アサシンは雷の剣が彼女たちの心臓を串刺しにするのを見た。

 

「―――――ッ!」

 

手を伸ばす暇も、名を呼ぶ間も、翼で飛び出す時間もなかった。何も、できなかった。

黄金の煌めきを残しながらニ騎は黒い雲の中へと真っ逆さまに落ちて行き、彼女たちの体から立ち上る魔力の残滓、金の粒子がアサシンの頬を撫でていった。

微かに暖かいその感触だけを名残にして、バーサーカーとアーチャーはこの世からいなくなった。跡形も無く、二度目の生を終えてしまった。

金の粒子が触れたあとを確かめるように、アサシンは自分の頬を触った。墓標のように部屋に突き立てられ、残っていたバーサーカーの戦鎚、『乙女の貞節(ブライダル・チェスト)』も、持ち主を追うように溶けて消え去って行く。

がん、とアサシンは拳を固めて穴の縁を殴りつけた。そのまま数秒だけ俯いてから顔を上げ、アサシンは肩に刺さったままだった矢を引き抜いて投げ捨てた。矢は床に落ちる前に溶けて無くなる。

自分以外誰もいなくなり、焦げ臭い臭いを出して燻る植物だけが残る部屋を後にしてアサシンは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




黒のバーサーカー、脱落。 
赤のアーチャー、脱落。







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Act-35

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。

では。


 

 

 

 

 

 

城の中の構造は以前と変わらない。一言で言えば、滅茶苦茶だった。人為的に曲げられた植物や水の流れは、見ていてあまり気持ちがいいものではない。コレを作った人は凄い人間だが趣味が悪い、というのがアサシンの感想だった。

一度来たときもそうだったが、モノが逆さまに存在しているせいで、五感に狂いが生じそうなのだ。念話が通じるのは救いだったが。

アサシンはルーラーやライダー、カウレス、アッシュたちと交信できた。そこでカウレスにバーサーカーの最期のことも伝え、一応互いの無事も確認できたのだ。今は互いに城内のトラップをくぐり抜けるに忙しく、会話の余裕はなくなったが、それでもそうなる前に分かったことがある。

 

―――――“黒”のアーチャーが死んだのだ。

 

“赤”のライダーと正々堂々戦って負けたという。

それでも、彼は最後にフィオレに“赤”のライダーの不死の鎧を剥ぎ取ることができたと伝えた上で消えたそうだ。してみると、彼は最期までフィオレのサーヴァントとしての振る舞いを忘れなかったのだ。

だがつまり、今は“赤”のライダーは今も生きて、庭園の何処かにはいるのだ。アサシンは彼にばったりと出くわさないように祈るしかなかった。

力が衰えたとは言え、駿足のアキレウスが敵として存在するという恐るべき事態であることに、変わりはない。

尚、砲台をすべて壊した“黒”のライダーは、そのままマスターの一行と合流し、進んでいるそうだ。他のサーヴァントとは今の所遭遇していないという。彼は幸運値が高いから、アサシンは何となくそちら方面は心配していなかった。

更に言うと、“黒”のセイバーと“赤”のランサーはまだどちらも脱落してはいないとのことだった。

尤も、“赤”のライダーに出会ってはいなかったが、アサシンは今そこそこ面倒な状況にあった。鉄球やら刃やら落とし穴やら、罠が四方八方襲い掛かって来るのだ。他も似たような状況だと言う。

喰らっても死にはしないが、鉄球に弾かれて庭園の外に吹き飛ばされるのはごめんだった。

幾つ目かの鉄球をしゃがんで避け、飛び込んだ廊下の曲がり角でアサシンは向こうからやって来た人物とぶつかりそうになった。

 

「うおっ!?……て、お前は」

「あなたたちは……」

 

鉢合わせしたのは白銀鎧の騎士と、黒革ジャンパーの死霊術者の二人組である。

ここに来るまで彼らもアサシン同様罠にやられたのか、あちこち煤けていた。

 

「またお前かよ。どんだけオレの前に現われりゃ気が済むんだ?」

 

そう言いつつ剣を引いた“赤”のセイバーだが、それはアサシンも同じことを言いたかった。

そのままニ騎と一人は走り出す。共に直感スキル持ちのセイバーとアサシンは、交代で罠を弾きながら進んだ。結果として、獅子劫は華奢な少女二人に守られるような形になったが、やむ無しである。

進みながら、セイバーは隣を走るアサシンに話しかけて来た。

 

「にしてもお前、こんなとこまでよく生きてんのな。ジャンボジェット火の玉にして突っ込んだのお前だろ?」

「そうです、よ、っと」

 

首を狙って飛んで来た鎌の刃を剣の柄で器用に弾き飛ばして、アサシンは答えた。

続いて飛んで来た鉄球は鬱陶しいと吠えたセイバーがぶん回したクラレントによって、壁を壊してどこかへ飛んで行った。

飛び散る壁の破片から頭を守った獅子劫はアサシンに聞く。

 

「で、俺らは女帝様の案内に乗っかる形で進んで来たんだけどよ、お前はどこへ進んでんだ?」

「私はあなた以外の“赤”のマスターを探してるんです。見つけて逃がせれば、“赤”のランサーの戦う理由を消せるので」

 

しれっと言う見た目が少女染みているアサシンに、獅子劫とセイバーは呆れ顔で鼻を鳴らした。不思議とよく似た仕草であった。

 

「そりゃご苦労さんなことだ」

 

そう言われては苦笑いするしかないアサシンだった。自分のしたいことをしているのだから、何と言われても仕方ない。

 

「おっと、こりゃ何なんだ?」

 

行く手に出たのは二本の分かれ道である。

とりあえず片方の道に突っ込もうとするセイバーの肩を獅子劫が掴んで止め、アサシンが呪術で道の先にある気配を探る。

 

「左は毒臭いです、右は……よく分からないですね」

 

アサシンの答えを聞いて、セイバーは剣を左の道へと向けた。

 

「じゃ、お前は右に行け。オレらは左だ。だろ、マスター?あのカメムシ女はオレが、オレたちがやらなきゃならん」

 

叛逆の騎士モードレッドは兜に隠れて見えなかったがアサシンは、この少女が前に見たよう狂暴な笑みを浮かべている様子をまざまざと思い描いた。

……カメムシ女は言い得て妙だとも思ったが。

獅子劫は呆れたように肩をすくめたが、目はぎらりと光っていた。

 

「……まあ、そうだな。じゃあ、ここまでだな。アサシン。精々足掻いて俺たちの敵を減らしてから散ってくれ」

「そちらもね」

 

苦笑してひらりと手を振って、アサシンは後も見ずに別れた道へ飛び込んだ。

あの二人は敵ではないが味方でもなかった。だから、特に後腐れもない。さらりと別れて、お互いそこから後のことは思い出しもしない。それくらいの距離がちょうど良い。

そう言えば“赤”のセイバーことモードレッドにアサシンは以前、殺してやると息巻かれたが、あの様子だと完全に忘れているのかもしれない。

そうだといいんだけれど、と思いながら先を急ぐアサシンは、道の先に扉を見つける。

一枚板で作られた両開きの大きな扉である。

だが扉に触れる前に、コツコツと足音がしてアサシンはそちらに剣を向けた。

扉の横から現れたのは、洒落た華美な服を纏った髭面の男だった。

男は扉を守るように立ち塞がると、アサシンに向けて優雅に一礼し、アサシンの方は首を傾げかけて、寸での所で相手が誰だったか思い出した。

 

「さてさて!こうして顔を合わせるのは二度目ですかな、“黒”のアサシン」

「……ああ。その言い方、“赤”のキャスターでしたね」

 

天草四郎の願いの衝撃が強すぎたり、シギショアラでカルナと遭遇したりとあって、バーサーカーに幻術を仕掛けてきた髭男は若干記憶の隅に追いやられていたのである。

そして役者のように大声張り上げたキャスター目掛けて、アサシンはとりあえず焔を撃った。

矢の形で放たれた焔はキャスターに当たり、彼は紙細工の人形のように燃え崩れる。しかし、一瞬後に虚空から無傷で再び現れた。

スキルか宝具か。どちらにせよ一撃が防がれてアサシンは顔をしかめる。

 

「ちょっ、吾輩は彼のシェイクスピアですぞ、戦いなぞ不得手の作家に殺意高いですなぁ!?」

「……」

 

慌てて食ってかかるキャスターことシェイクスピアだが、きょとんと首を横に倒したアサシンとしてはそんなこと知るか、である。世界最高峰の文豪と言われても、それは自分の死んだ後のことだ。そんなところまで気に掛けている余裕はない。

ましてサーヴァントになったのなら、関係なかった。

剣を構えるアサシンに、シェイクスピアは手にした本を向けた。

 

「いやはや、あの聖女も貴女も人の話を聞かなくていけませんなぁ!別に吾輩を何度燃やしても構いませんが、そうなると、この扉の向こうにいるマスターたちがどうなるか分かりませんよ?」

 

たちまち、元から表情の薄いアサシンの顔から完全に感情の色が消え、剣の切っ先がわずかに下がる。

 

「……それで?」

「はて、それで、とは?」

 

項の辺りを総毛立たせたまま、アサシンはキャスターを睨んだ。本人としては目を細めただけなのだが、感情が希薄な血の気がない顔がそうすると、睨み付けたようにしか見えなかった。

 

「私にそれを教え、あなたは何がしたいのですか?」

「お答えしましょう。吾輩の目的は単にこちらのマスター、天草四郎時貞のための時間稼ぎですよ。予測しづらい端役に我がマスターの舞台を引っ掻き回されてはたまりませんからな!『忘恩の人間より恐ろしい怪物はいない』と申しますれば。それと、もう一つは楽しみのためですな。あなたと施しの英雄殿はまあ、些か役としては情熱に欠けています。が、あり触れているが故に分かりやすい悲劇の人物としてはなかなかだ!吾輩も少しその模様を書きたくなりましてね!」

 

アサシンの手が、キャスターの顔面を殴りたいかのようにぴくりと動いた。

このまま近づいて首を落とそうか、と思った。相手に死ににくいスキルがあるなら、死ぬまで殺すつもりであった。

アサシンが足に力を込めた瞬間、キャスターは手の中の本を開いた。

 

「ではいざ照覧あれ!其は今や泡沫の過去となりし、一片の物語!しかし僅かな欠片なれど今このとき、それは我が手が握り、我が秩序の下に置かれる!『開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)』!」

 

アサシンがシェイクスピアの心臓へと伸ばした剣は、一瞬だけ遅かった。

シェイクスピアの本から放たれた光が爆発し、アサシンは思わず目を閉じる。

目を見開いたときには、そこは空中庭園ではなくなっていた。

 

「これは……」

 

アサシンは辺りを見回し、青い目を大きく見開いた。

見えたのは、数多の亡骸が切り倒された木のように転がる、人の血の染み込んだ大地と、燃え続ける炎からの黒煙で曇った灰色の空。感じたのは肉の焼ける臭いと、息をするたび喉の奥に刺さる焦げた空気。

記憶に色濃く残り続ける、古の合戦の地へとアサシンは引き戻されていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間はほんの少し、砲台の上でカルナと“黒”のセイバーとがぶつかり合った頃に巻き戻る。

炎の魔力放出で空から自在に襲うカルナに対し、セイバーは砲台を足場にしながら対抗する。

地上五千メートル以上の高さだが、互いにそれを気にしてはいなかった。

カルナの槍をセイバーは大剣で受け止め、カウンターで『幻想大剣・天魔失墜』を叩き込もうとすれば、カルナはブラフマーストラを纏った槍で抑え込もうとする。

聖杯から魔力を受け取ることのできるカルナはまだしも、セイバーは凄まじい魔力を消費しながらも、戦闘を行っていた。このとき地上では、ゴルドがマスターとしての意地を張り通して魔力を賄い、その姿に呆れつつアルツィアたちが手を貸していた。

彼らの戦いのとばっちりで砲台が幾つか無残に壊れ、セミラミスを苛立たせていたのだが、カルナが壊したのかセイバーが壊したのか、双方気にすることはなかった。

ついにニ騎は庭園の壁を壊して中に突入する。突入した先は円形の大広間だった。空間が弄られているのか、部屋には果てがない。

ここなら存分に戦っても、何を巻き添えにすることもない、とセイバーとカルナは槍を構えた。

剣を前に構えたセイバーと、槍を両手で握ったカルナは互いに円を描きながら睨み合う。

庭園の何処かで響いた爆発音を皮切りに二騎は再びぶつかった。

槍が唸り、剣が撓る。火花が散って、足元が砂糖細工のように砕けた。壁には罅が走り、吹き荒れる魔力だけで余人なら吹き飛ばされるだろう。

この空間には互い以外が存在しない。守るべきマスターも、他のサーヴァントもいない。何に気兼ねすることもなかった。

一瞬の攻防で幾つもの傷が刻まれる。それこそ耐久力の低いサーヴァントなら一撃で死ぬような威力の攻撃だが、悪竜の血と、太陽神の加護に守られている彼らにとっては致命傷にはならない。

だがそれはつまり、共に相手に致命傷を与えられないということだ。初戦はそれがために、決着が着かなかった。

少なくともこのままでは、あの時と同じことになるだろう。

ほぼ同時に両者は跳躍して距離を取る。

カルナにはここに至っては言うべき口上も無かった。彼の勘は告げていた。すでに何騎かのサーヴァントが落ちたと。

落ちたのが“赤”、“黒”どちらのサーヴァントかも分からないが、全体の戦いは刻一刻と変化し流れている。それだけは分かった。

セイバーもそれは感じていた。

ここまで沈黙していたマスターから念話が入ったのはその時だ。

すべての令呪で宝具を底上げする。それで“赤”のランサーに押し勝て、と。神殺しの槍相手に正面突破しろと、ゴルドは言い切ったのだ。

 

『避けることができないのだろう?ならば令呪で後押しはする。魔力も好きなだけ持っていけばいい。私はそれ以上のことはやらんし、できん。アルマーニュの英雄、後はお前の戦いをしろ』

 

相変わらずヤケになったようにも聞こえるマスターに礼を告げ、セイバーは大剣を構えた。

端的に言えば、アレは物凄く強く、とんでもない破壊力がある攻撃です、と何時だったか“黒”のアサシンも言っていた。

小細工など考えることもできないほどの、絶望的な破壊を齎すと言いたかったのだろう。

ただし伝承に曰く、カルナの最強の一撃は一度きりだ。

その一撃を自分は受けることができるのか、それとも跡形無く焼き尽くされるのか。

不死身の体となってから、久しく味わうことの無かった高揚感が、セイバーを滾らせた。

金属の擦れ合う音と共に、カルナの鎧が彼の痩せた体から剥がれ落ちていった。剥がれ落ちたところからは血が吹き出すが、それに従い、槍はより大きく絢爛な業物へと姿を変えていった。眩く光って変形し、黄金の槍に代わって漆黒の巨大な刃が出現する。

セイバーの大剣に埋め込まれた宝玉も、この世では失われた青いエーテルの光を放ち始める。即座に令呪の力が伝わり、宝玉は尋常でない煌めきを放ち始めた。

双方の口から言葉が零れ出る。

 

「神々の王の慈悲を知れ」

「邪悪なる竜は失墜する」

 

一言で青と白の光が空間に満ちた。

 

「インドラよ、刮目しろ」

「すべてが果つる、光と影に」

 

破壊の光を宿す槍をカルナは見る。

あなたは何のためそれを振るうのですか、と何処かの誰かの声がした、気がした。

 

「絶滅とは是、この一刺」

「世界は今落陽に至る」

 

宝具は剣士と槍士の手に握られつつ、瀑布のように荒れ狂っていた。

守るべき主も無く、追うべき者を追わず、戦士の誓いだけを懐いて、最強の一撃を今ここで放たんとする己は何なのだろうと、僅かな思考がほんの一瞬だけカルナに生まれた。

千分の一にも満たない時間だったが、光は止めどなく溢れている。それのみで辺りの粒子を分解し、空間を軋ませ続けている。

最早何にも、止められはしなかった。

 

「灼き尽くせ、『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』!」

「撃ち落とす、『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』!」

 

対神宝具と対軍宝具が真正面から衝突した時、空間から音が消える。

閃光が走り、部屋は蹂躙された。空間を拡張するための術すら弾け飛びかけ、庭園は不安定に揺さぶられた。

青き光の『幻想大剣・天魔失墜』と白き光の『日輪よ、死に随え』の拮抗は、白に少しずつ傾いていた。

それでも青い光は消えない。姿は無いが、声と魔力を送るマスター。最後の刻印も今や躊躇いなく使われ、バルムンクは神殺しの一撃に対し、咆哮上げる悪竜のように抗っていた。

膨れ上がり、捻り狂った一撃は空間全体を光で覆い尽くした。

ありとあらゆる物が光に飲み込まれて蹂躙され、音も視界も消し飛んだ。

その光が収まったとき、辺りに不気味な静けさが訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




カルナさんに人間味付けようとすると、死亡フラグも諸共増えていきそうになるのが怖い。



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Act-36

誤字報告してくださった方、ありがとうございました。





 

 

 

 

対心宝具。

そういう部類に分けられた宝具がある。

“赤”のキャスター、シェイクスピアが“黒”の無名アサシンへと使った『開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を』が正にそれである。

対軍や対城、あるいは対人ではなく、対心。つまり意味するところは、その宝具が破壊するのは対象の心であるということ。

心を折る方法は幾らでもあるが、彼の『開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を』は、対象の人生を書き出し暴き立て、反論できなくなるまで弾劾する方法を取る。

人はまず、自分の人生に悔いを残さない者はいない。そこに英雄や反英雄の別はない。

むしろ、人々の賞賛も恨みも全て背負って生きた英雄の方が、並の人間より大きな後悔を抱いていることもあるだろう。

 

―――――あのときもしも、こうしていたなら。

―――――自分が、間違わなければ。

大切なものを失うことは、無かったのに。

 

そういう想いは誰もが持つだろう。

万人の抱く悔恨や懺悔の心を、その人生を再現することで追体験させ、反論できないまでに言葉で追い詰める。

世界に冠たる名高き作家、シェイクスピアだからこその宝具だ。だが逆に言うと、彼の宝具は真名を知らなければ何も出来ない。

真名を知り、その人生を想像し、物語として書き出すのだから、当たり前だ。

故にルーラーに言わせれば、三流宝具。

だから本来なら、“黒”のアサシンが彼の宝具に掛かることはなかった。

天草四郎時貞にもジャンヌ・ダルクにも、アサシンの真名は見えない。

彼女は英雄でも、反英雄でもない。これまでの時の流れの中で積み上げられ、忘れられてしまった数多の骸たち。その中の一人だ。

記憶にも記録にもない者は、最初から存在しなかったのと同じになる。存在しないことにされた者の人生は、書くことはできない。できたとしてもそれは完全な虚構で、心を折るための人生の焼き直しにはならない。

普通なら、そうだった。

だが、この聖杯大戦には例外がいた。

誰もが忘れても、“黒”のアサシンを忘れなかった最後の人間、カルナがいた。

シェイクスピアは、彼からアサシンの人生を知った。アサシンが、何に怒り嘆く人間かはもう分かっていた。神代に起きた戦いの生々しい悲しみが記された大叙事詩も、シェイクスピアは読んだ。

生前を知る人間の記憶と、本人の感情とがあるなら、多少不完全だろうが想像で補った部分があろうが、虚構とは呼べない物語が出来上がる。

半分ばかりは賭けだったが、シェイクスピアはその賭けに勝ち、“黒”のアサシンは宝具に捕らわれた。

そして宝具に掛かったアサシンの主観からすると、いきなり時間と空間が巻き戻されたように感じた。

 

「……幻覚?」

 

と、呟くのも無理なかった。

辺りは焼け野原、空は煙で曇った陰鬱な灰の色。息を吸えば、焦げた空気で喉が焼けた。

そこにひゅるりと現れた人影。言うまでもなくシェイクスピアだった。

 

『いえいえ、これは幻覚幻術の類いではなくあなた個人の物語の断片!まあ、そうとは言い切れない部分もありますが、ともかく最後まで抜け出すことは叶いません!―――――だからちょっとお待ちを!据わった目で吾輩の髭を燃やそうとしないで頂きたい!』

「……」

 

どの道幻覚なら燃やしても無駄である。

アサシンは焔を引っ込めてシェイクスピアを今度こそは本当に睨んだ。

 

「私の人生?どうやってそれを知ったと――――」

 

言いかけた言葉の先をアサシンは飲み込んで、額に手を当てた。自分の人生を知っている上に、こういう場合口を滑らせやすい人間がいたではないか。

後で会えたらあの人必ずとっちめる、とアサシンは内心大いに怒った。誠心誠意で変な約束をしてきたり口を滑らせたり言葉が足らなかったり、原因は様々だが結果として危機を作り出すのも大概にしろという話であった。

残念ながら表情には欠片も出なかったが。

そんな怒りをからかうように、シェイクスピアは喋り続ける。

 

『この幕はあなたの一部を現した再現です、吾輩は、あなたにとって最も辛い場面であろうと存じます!それであなたの心が折れなかったならば良し、折れても―――――まあ、構うことはありますまい!余興ですからなぁ』

 

シェイクスピアは指を鳴らし、姿を消す。

アサシンは空の下に一人取り残される。一先ずは歩くしかないようだった。

乾いた砂を踏み締めて歩き出すと、程無く行く手に無数の人影と砂煙立てて走る何台もの馬車が見えた。

アサシンには見覚えのある戦士の服装をした彼ら。曇天の下でも、光を反射してきらきらと輝く血塗れの剣と、轟音と閃光を立てながら飛び交う矢玉。血で猛る馬の嘶きとそれを諌める御者の叫び。

どれも覚えがあった。胸が痛くなるほどに。

けれど、彼らはアサシンが見えないかのように彼女の横を駆け抜けていき、何処かへ去っていく。

真実、彼らにはアサシンの姿は見えていないのだ。ここは戦場、最終決戦クルクシェートラの地。それも多分、アサシンが死んだあとの。だったら、彼らがアサシンに気付かないのも当たり前だ。

彼ら兵からしてみれば、アサシンは幽霊そのものなのだろう。雄叫びを上げ、彼らが走り去る先では轟音が聞こえて大地が不穏に揺れた。

 

―――――心を折る、か。

 

それは放心し、剣を手から離すことだ。自分はもう戦わない、戦いたくないと、この争いから背を向ける。

それは確かに、楽な道だ。

選ぶかどうかは別にして、それは分かる。

アサシンは強くもないが、だからと言って、悄然と諦めていいほど弱いわけではない。

 

―――――“黒”のアサシンが諦めたら、“赤”のマスターはどうなる?彼らを助けると決めた、カルナの誓いはどうなる?“黒”のライダーやルーラーや、自分に良くしてくれたすべての人たちは、どうなる?

 

その呟きで心を支えながら、幾人もの兵士たちの間を亡霊のようにすり抜ける。ここから抜け出すためには、この先にある何かを見て乗り越えるしかないのだろう。

先に何があるのか分からない。ただ漠然と、胸の中で膨れ上がる嫌な予感だけがある。純粋にアサシンはそれが怖かった。

やがてどれだけ歩いたのか分からなくなる頃、アサシンは広けた場所に出た。

きっとたくさんの兵士が群れて戦ったのだろう。土は踏み固められ、血が流れたからなのか赤黒くなっていた。

けれど今人々はいない。避けられ丸く開けた大地の上に、人間が一人倒れ伏していた。

人影の痩せた体と白い髪が見えた瞬間、アサシンの頭は真っ白になった。ここが何処なのかも、一瞬忘却した。

砂を蹴飛ばして走り、アサシンは駆け寄った。駆け寄って、その人物を抱き起こした。

触れることができた。

顔をよく見た。

白い首には矢が深く刺さっている。持ち上げただけで、壊れた人形のように首がぐらぐらと揺れた。今にも千切れてしまいそうだった。

 

「―――――ぅ、あ」

 

アサシンの口から吐息のような音が漏れる。膝から力が抜け、彼女は地に座り込んだ。剣が乾いた音を立てて転がるが、それすら気付いていなかった。

青い瞳から雪解け水のように涙が浮かぶ。

溜まった雫はぽたりと溢れて、膝の上のカルナの顔に降り掛かった。水晶のような透明な雫は、泥で汚れたカルナの顔を伝って流れ落ち、涙が流れたところだけ泥が洗い流される。涙の通り道の後に白い元の肌の色が見えた。

カルナの薄い青い瞳は虚ろに光を失い、口の端からは赤い血が一筋流れている。

その瞼をそっと閉じ、袖で血を拭うと、アサシンはカルナの額に自分の額を当てた。冷たくて硬かった。幻覚とは到底思えなかった。

多分これは、この光景は、本当にあったことなのだろう。

 

――――――嗚呼、あなたは、こんな風に死んだんですね。

 

こんな寂しい所で。たった一人で。

周りでは多くの人が戦っている。雄叫びを上げて、自分の死に抗って敵を倒そうと奮起している。けれど誰もカルナの側にはいなかった。

カルナを殺したというアルジュナの姿も、彼の側にいたというクリシュナの姿も、今は無かった。踏み荒らされた地に、戦車の轍の跡だけが微かに残っている程度だ。

彼らは別の戦場に行ったのか、己の陣営へと帰ったのか。どちらなのかは分からないし、アサシンにはどうだって良かった。

 

何回も考えたことはあった。死んでからずっと、今までずっと思いを巡らせたことがあった。

カルナがどんな風に死んだのだろう、と。

そのたび思っていた。一人にしてごめんなさい、と。

けれどどんな想像よりも、今この時、アサシンの手に掛かっているカルナの体の冷たさと重さが、彼女を打ちのめした。

 

戦士が戦場で死ぬのは当然で、精一杯戦い命を落としたならば誉であれこそすれ、悲しむべきことではない。誰かを殺す者は、いずれ誰かに殺される。

そういう理屈は分かっていても、何回もそう言い聞かせていても、これが宝具で生み出された光景とどこかで認識していても、悲しくて悲しくて心が破れそうだった。

いくら言葉で繕い鎧っても、心は突き付けられた現実で容易く壊れる硝子細工だ。

視界が滲んで、カルナの顔がぼやけた。

何が悲しいと言えば、きっとこれがもうどうにもできない過去であることだ。

この光景が現実にあった時、アサシンはもう死んでいた。だから何も手出しはできない。

あのとき自分がした選択。その先がこの未来に繋がる原因の一つとなったのだ。

ただただ頬を涙が幾粒も伝っていくのをアサシンは感じていた。叫ぶこともできなかった。涙を拭う気も起きなかった。

 

そのとき、ふわり、と後ろに気配を感じる。

 

「如何ですかな?これが嘘だと思うならそれでも構いません。何故なら、嘘か真かは誰よりあなたがよく分かっているはず」

 

現れたシェイクスピアの囁きにも、アサシンは俯いて何も答えなかった。石像になってしまったかのようにぴくりとも動かなかった。

構わずにシェイクスピアは続けた。

 

「どうなのです?アサシン嬢。ここで諦め我らの手を取るという手もあるのですよ?」

 

何故ならば、とシェイクスピアは声を潜めた。

 

「我らがマスターの願いは、全人類の救済。あなたの悲しみも、その悩みも葛藤も!我がマスターにとっては当たり前のように救うべきものの一つだ。彼の生み出す世界ならば、悲しみも無い。怒りも無く、遍く人々は平穏に生きられる。その世界を―――――本当に拒むのですか?さあ、あなたの答えをお聞かせ願いたい!」

 

茫洋とした瞳が上を向き、泣き出しそうな曇天を仰ぎ見る。

光の失せた青い瞳の中を、虚ろな青い硝子玉の中を、黒い烏が横切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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網膜を焼く光が止み、感覚が戻ってから真っ先にカルナは己の手足がまだ動くことを確認した。

体の至る所で肉が弾けて血が流れている。痛みもあるが支障が出るほどではない。少なくとも本人の主観からすれば、十分とは言わずとも戦える範囲だった。

言うまでもないが、常人なら痛みでのたうち回るだろうし、間違いなく重傷を負っている。体と癒着していた鎧が剥がれたのだから。

自分の状態はあっさりと横に置いて、相手はどうなった、とカルナは見る。

“黒”のセイバー、ジークフリートはまだ人の形を保ってそこに居た。鎧は砕け、半身は炭化するという有様だったが目の光は消えていない。

バルムンクを握ろうと、手が確かな力を込められて動いていた。

神の槍は、結局は竜殺しを殺し切れなかった。令呪を重ねて使用した効果か。あるいはジークフリートの宝具『悪竜の血鎧』である肉体が、元々桁外れに頑丈だったためか。

理由はどうでもいい。その事実だけを確認して、カルナは投擲した槍を手元に引き寄せる。

その動作だけで口から血の塊を吐いたが、拭うだけに止めた。

槍を構え、穂先を向ける。“黒”のセイバーは死に体となっていた。『日輪よ、死に随え』を真っ向から受けて姿の原型があることの方が驚きなのだ。

だが死んでいないなら、カルナは油断しない。自分が死んでも敵に食らい付くのが英雄だ。

カルナは走り、セイバーは剣を支えに立ち上がって迎え撃つ

竜の血を浴びたセイバー、不死身のジークフリートの弱点は、背中の一点だ。確殺するためカルナはそこを狙う。セイバーは無論防ごうとするが、体が半ば以上焼かれていては動きが鈍かった。

カルナが踏込み、手の中で槍を滑らせる。

その一瞬、“黒”のセイバーは絶望的な状況にも関わらず自分の二度目の死が目前に迫っているにも関わらず、口の端を吊り上げた。

爆発的な魔力とエーテルの光がバルムンクを中心に荒れ狂う。

 

―――――宝具の、解放か。

 

だがその瞬間、大剣は爆発した。宝具の解放ではない。それより遥かに早かった。

解放された魔力が爆発し、閃光が走り爆風と熱が空間を蹂躙する。

範囲内にいたカルナはそれに巻き込まれ、吹き飛ばされて堪らず後退した。

セイバーは自分の宝具を自壊させた。中に込められていた神秘を一気に開放して、爆発させたのだ。焼けた腕では、もう『幻想大剣・天魔失墜』を無理に振るっても先ほどのような威力は出せないと分かっていたから。

故にバルムンクを爆発自壊させ、その範囲内にカルナを巻き込んだ。

爆発の瞬間、カルナは後ろに跳んだために直撃こそしなかったが、完全には避けきれなかった。

鎧が失われたことで耐久が下がった体は傷付き、焼かれた。死にはしないが、しばらく満足な戦闘は行えない程の深手である。

自分の体が焦げて燻る臭いを嗅ぎながら、カルナはセイバーが手足の先から光の粒子となっていく様を見た。

爆発の至近距離にいて、かつセイバーはすでに死に体だった。令呪は先程の拮抗ですでに使い切られたのだろう。体の崩壊の速度は速く、止まる気配はなかった。

大気へと溶けゆく黄昏の剣の英霊は、輪郭を失う寸前、満足げにも、申し訳無さげにも取れる不思議な表情をつくった。

神殺しの槍に耐えて一矢報いたからなのか、それとも令呪を行使したマスターに勝利を捧げられなかったからなのか、あるいはその両方か。

“黒”のセイバーは一言も言い残すことなく消えた。当然だが後には何も残らない。

それを見届けて、カルナも場に腰を下ろす。息を整えるだけの僅かな時間で良いが、休息が必要だった。

鎧はなくなり、一度きりの最強の宝具は使ったことで消え失せた。

だが、これで約束の一つ、“黒”のセイバーとの再戦は果たされたことになる。サーヴァントとしてカルナが己に課した役目の、半分はこれで果たされたことになる。

達成感と虚脱感とが同時に襲って来て、カルナは束の間目を閉じた。

 

―――――残るサーヴァントは、何騎だ?この戦いの間で何騎が落ちた?

 

カルナは目を見開いた。

庭園の何処かで幾つか魔力が高まっている。

十中八九、未だ各々のサーヴァントは戦闘しているのだろう。

大聖杯の魔力反応もある。だがこれはどうでも良いと、カルナは切り捨てた。

覚えのある魔力はまだあった。燃えているというべきか、衰えているだとか燃え尽きかけているとかそういう感じではなかった。

ただ漠然とそちらに行きたいと思い、カルナは立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 





“黒”の無名アサシンが、“赤”キャスターの宝具に引っかかったのは、カルナさんが口を滑らせたからという事で。

またアサシンパートとカルナさんパートでは、少々時間がずれています。



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Act-37

遅れて申し訳ありません。

新生活が始まったりして、時間と心の余裕が取れていませんでした。

あと数話でお終いなので、最後までお付き合い頂ければ幸いです。




 

 

これまでのすべてが辛いか辛くないかと、聞かれたら嘘をついても仕方ない。当然のことながら良い事ばかりではなかった。かと言ってやり直しを望むほどでもない。

何だかんだで、自分の中身、というか本質は怖がりで怠惰だ。誰とも争わず生きられるのなら、それはどれだけ良いだろう、と思う。

生きている頃の自分は、そういう生き方はしなかった。できなかった訳ではない。

しようと思えばできた。争いが嫌なら、人の世から離れて、誰とも関わらなければいいのだから。

 

けれど。

誰とも関わらず、心に波風が立たない生き方より、涙を流しても、血で贖いをしなければならなくなっても誰かと交わり心震わせることのできる生き方を選んだのは自分なのだ。

人間(わたし)は木石じゃないのだから。

 

正直なところ。

好きになった相手も相手だった、とも思う。

住みにくい人の世で、馬鹿みたいに真っ直な険しい生き方しか選べない人間を好きになって、ずっと一緒にいたいと思ったなら苦労するのも当たり前だ。

 

それでも、自分で選んだ道ならそれは苦労でないと思った。それくらいの意地はある。

結局のところ、自分の人生の喜びや悲しみの大半が自分の好いた人と共にあったのなら、それは幸せなことだ。

心や魂を分かち合える誰かと、限りある一生の中で出会えることは、それ自体が稀なことだと思うから。

 

もしもの話だ。

自分に神様のように永い時を生きる生命があったなら、そういう風に考えただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦火を再現した幻の光景の中、夫の骸を抱えている者がいた。

今は幻は消え去り、場は寒々しく広い部屋に戻っている。けれど、“黒”のアサシンの動きは止まっていた。

青い瞳は底の見えない伽藍で、顔色は色白を通り越して白紙のよう。糸の切られた操り人形のように俯いて、雨に打たれる野の花のように萎れている。

その光景を創り出した者、キャスターのシェイクスピアは、劇の一場面を鑑賞している心持ちだった。

彼とて、己が残酷なことをしていると思わないでもない。

ただシェイクスピアはこの光景を、面白いものとして味わい、記したいという思いが、他人の悲しみを暴いて、心を空白にするという行いへの罪悪感をわずかに上回っているだけだ。

傲慢冷血と言うならそれで結構。何と言われても、自分(シェイクスピア)は書かずにおられないのだ。それこそ、戦いそのものを欲する戦士のように。

あるいは、これが物書きの業と言うべきかもしれない。

だが善悪の境界など、所詮そんなものだ。

そして多くの人は、自分に関わりのない悲劇をこそ楽しむのだ。今も昔も、変わらない。

この場を支配していた悲劇の創り手は、戦場と思えない気軽さでアサシンに近付いた。

何のためかと言えば、さっき投げ掛けた問いの答えを聞くためにだった。

殺気どころか意志の気配が薄れた、暗殺者のサーヴァントに近付き、そしてシェイクスピアは胸に軽い衝撃を感じて立ち止まった。

視線を下におろせば、信じがたいことに、自分の胸から剣の柄が生えていた。

 

「な―――――ぁ」

 

シェイクスピアは膝を付く。

入れ替わる様に、ふらりとアサシンが立ち上がり、彼に近付いて胸に深々と刺さった剣を引き抜いた。

アサシンは座り込んだ姿勢のまま、手から落としていた剣を拾い上げてシェイクスピア目掛けて投げたのだ。劇作家には反応できない、瞬きより速い素早さで。

アサシンは剣を振って血を払う。弧を描いて飛んだ鮮血が白い頬に飛び散った。

魂すら抜けてしまいそうなほど、アサシンは深く息を吐いた。頬には乾ききらない涙の跡があり、目は赤くなっている。

泣いたのだ。泣いて、それでも心は折れていなかった。伽藍だったはずの瞳には、光が灯っていた。

 

「幻は、所詮幻です。喩えすべて本当のことであっても―――――今この時、それで足を止めることを私は自分に許さない。何があっても、絶対に」

 

掠れた声でアサシンはシェイクスピアに剣を向けた。

 

「あなたは悲劇と言いましたね。確かに私は悲しくて悲しくて堪らない。だけれど、自分ひとりの悲しみで目を曇らせて道から外れたら、私は今度こそ自分を許せなくなる。今、自分の過去に心の底から浸って良いのは、そうする以外になす術がない者だけだ」

 

悲しい夢はそれこそ生きている間に幾らでも見た。死んでからも、何度も見続けていたのだ。

二度と無いような巡り合わせ。仮初の生命を与えられたこのかけがえの無い『今』。

それを悔いなく使()()()()ために、アサシンはまだここに居る。居なければならないのだ。

 

「私の答えは変わらない。不老不死を、全人類に取り憑かせることは認めない」

 

『今』を精一杯生きようと思えるのは、砕けそうな心を燃え立たせていられるのは、自分に必ず終わりが来るからだ。

その終わりも、もうすぐそこにあるだろう。明日の夕日を自分が見ることは恐らく無い。朝日すらも、もう二度と見られないかもしれない。

それでも、自分が去った後、この世を生きる人々、今日を限りに二度と会うこともない人たちがいる。彼ら彼女らは迷っている、悩んでいる。生きる道を探して、藻掻いている。

自分の幸せを探しながら、あの人たちは人生を歩いて、いつかこの世を去るのだろう。

生命は限りがあるから輝く。

終わりがあると知っているから、人は、生命は、輝こうとする。後を生きる生命に、何か暖かいモノを託そうとしては死んでいく。

その輝きだけは決して神には手に入らない。

人が持ち得る唯一無二の光は、停滞するだけの生では決して手に入らない。

 

さようなら、と唇だけで呟いて、アサシンはシェイクスピアの首めがけて剣を一閃しかけ―――――直前で、その場から飛び退った。

耳障りな金属音を立てて、空中から現れた鎖が束になって降ってきたのだ。鎖は生き物のようにうねって、アサシンの四肢を絡め取ろうと襲い掛かってくる。

 

「このッ……邪魔ァ!」

 

緑の鎖を、両手で握った剣で力任せに叩き斬った。そうしている間に、シェイクスピアの姿は消えていた。 

叩き斬った鎖も、程なく消え失せた。

肩で息をしながら、アサシンは考えた。

鎖は恐らくセミラミスの放ったものだ。

彼女の所には、“赤”のセイバー主従が向かったはずなのだが、セミラミスがこんな鎖を送り込んで来た所を見ると、良い想像は働かなかった。

 

「……」

 

考えてもどうしようもない。

アサシンが剣を拭って鞘に収めかけたとき、刃に映った自分の顔が見えた。

涙と返り血が斑になって、酷い顔になっている。幽鬼の方がまだしも生気があると自分でも思う。

剣を鞘へ戻し、頬を拭った。頭を振って、正面の扉の前に立った。

何れにしろ道は開けたのだ。

ぎ、と重い音を立てて扉が開かれ、中に入る。円形の部屋の中心には椅子が丸く並べられ、虚ろな目の人間が五人座っていた。

壊れた絡繰人形のように体を揺らしながら、取り留めない言葉を呟き続ける彼らが、魔術協会の送った名うての魔術師たちなのだろう。誰がどのサーヴァントのマスターなのかすら分からないが。

が、彼らを一体どうやって地上へ送り返せば良いのかと、アサシンは考えた。

部屋の仕組みをざっと見て、この部屋自体に地上にものを送る転送魔術が刻まれていると見て取る。

魔力さえ流し込めば、発動する単純な魔術だ。都合が良すぎると思ったが、他に使えそうなものは無かった。

五人全員をアサシンが自力で地上へ送り返すには、時間も魔力も大幅に失われすぎる。

五人の魔術師を一纏めにして部屋の中央に据え、ゴルドと念話を繋ぐ。

“赤”のマスターを発見したので、地上へ転送すると言うと、了解したという返事が来た。

 

『大まかでいい。座標を教えろ。回収用の人員をやる。礼はいらん。ああそれと、悪い知らせだ。こちらのセイバーが消えたぞ。“赤”のランサーは残っているようだがな』

「な、ゴルドさ―――――」

 

叩き切る感じで念話が切られる。

アサシンはため息を付いて、魔術式へと魔力を流した。

アサシンはこのとき気が緩んでいた。というより、宝具の攻撃で疲れ切った頭と心では勘がわずかの間働かなかった。

魔力を流し、術式が輝いて魔術師たちの姿が消えた、正にそのときだ。

部屋に緑色の空気が瞬時に充満し、喉と鼻に針で刺されたような痛みが走る。

咄嗟に口と鼻を覆い、閉じかけていた扉を蹴り飛ばして、アサシンは部屋の外へ飛び出した。

それ以上毒霧を吸い込むのは避けられたが、部屋を出た瞬間、アサシンは口から黒い血を吐いた。柱に背を預けてずるずると床に座り込む。

刃物で切り刻まれるような痛みが襲い、同時に痛みよりひどい熱が体中を駆け巡ってアサシンは横に倒れた。

“赤”のアサシンの毒の罠だった。治癒の焔を体内に駆け巡らせたから即死しなかったものの、即死()()()()()ために死ぬほどの痛みに襲われた。

痛覚を遮断しようにも、毒で破損した体の部位の治癒と一秒毎に全身にくまなく痛みでそちらに思考が割けない。

視界が、端から一気に真っ暗になる。絶たれようとする意識をかき集め、アサシンは何か意味の分からないことを心の中で叫んだ。それから後は、何も分からなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――。

 

幻聴のようなそうでないような。

例えるなら、雨粒が葉を叩く音のような。気を張っていなければ聞き落としてしまいそうな。

そんな叫びが聞こえた、気がした。

大体こっちだろう、という感で庭園内を走っていたカルナは、立ち止まった。

“赤”のアサシンかそこいらからの念話が来たような気もしたが、聞いている場合ではないと全面的に切り捨てる。

“黒”のセイバーは討った。これ以上、天草四郎たちに通す義理はない。残るはマスターの安全だけで、それを脅かしているのは彼らなのだから。

令呪を使われるかもしれないが、天草四郎は三画のうちのニ画を真なるルーラー、ジャンヌへの対抗策として既に使っていた。一つや二つの令呪では、カルナの行動は一切縛られない。三画すべてでも精神力でどうにか覆せる自信はあった。

しかし、廊下に貼られた罠はカルナをなかなか進ませない。下手をすると、空間を弄られて同じ所をぐるぐると回る羽目になるだろう。

 

「―――――邪魔だな」

 

神殺しではなくなった槍を顕現させる。

『梵天よ、地を覆え』を使えるなら、武器はこの際何でもいいのだ。

カルナが振り被って投げた槍は、廊下を紙のように破って庭園の横腹に大穴を開けた。

当然離れた玉座にもその衝撃は伝わる。

自分の壊した庭園には見向きもしないで、カルナは穴を通って進んだ。

そして焦げ跡の残る部屋の端に、一騎のサーヴァントが倒れていた。胎児のように手足を丸め、蹲っている。

近寄って抱え起こすと、サーヴァント、“黒”のアサシンは短く荒い息を吐いていた。

 

「――――おい」

 

揺さぶると、力の抜けた手と鞘に収まった剣とが床を擦って耳障りな音がした。

 

「起きろ、おい」

 

首筋を探ると、脈はあった。体が魔力の粒子へと変換される兆しもない。

生きている。

まだ、生きているのだと、カルナは大きく息を吐いた。

しかし、治癒だの解毒だのとなると途端にカルナには手が出せなくなる。

呪術には自分の生命を切り取って相手に与える術もあると聞いたが、カルナには出来ないのだ。今必要なのは、壊す力ではなくて治す力なのに。

 

「―――――」

 

そのとき、つ、と瞼が震え開いた。

焦点の合わない瞳がぼんやりカルナを見上げ、数秒後瞳が大きくなった。

何か言おうとする前に、アサシンはカルナの腕の中で身をよじって咳き込んだ。湿った音とともに、白い床に赤黒い血の雫が溢れた。

ひゅうひゅうと、笛の音のような息を数度繰り返して、アサシンはようやく静かになった。

 

「――――あなたのマスター、は、もうここにいま、せん。無事です」

 

そんなことは今はどうでも良い、と言いかけ、カルナは黙った。

それだけはカルナが言ってはならないことだった。他のサーヴァントの魔術師だったなら、アサシンはこんな事になるまで戦ったりしなかっただろう。

 

「……分かった。だがそれより、お前の状態が悪い。何をすれば良い?」

「……」

 

アサシンはつかの間考えるように目を閉じた。

 

「なら、ルーラー、を探して。私の令呪は、今あの人が持ってる、から、それを………」

「了解した。ルーラーだな。方向は―――」

 

やや滑らかに喋れるようになったアサシンはカルナの言葉を遮った。

 

「わたしが、言います。令呪のパスで、場所は分かるから」

 

カルナは頷き、乾いて軽い体を背負うと走り出した。

 

「……速い」

 

ぼそ、と風景が後ろへすっ飛んでいく様子を見ながらアサシンが呟いた。

 

「これで全速だ。きついなら言え」

「や、別に。平気です。……ジークフリートさんに、勝ったそうですね。あなたも結構やられたようですが」

「ああ。鎧も、神殺しの槍も使わせられた。とても強かった。それと、あいつはアルジュナに似ていたな」

「……なら、勝てて、嬉しかったですか?」

「さあな」

 

カルナの耳の横で聴こえるアサシンの声は、掠れていた。話すのが辛いならやめておけ、と言おうとして止めた。

 

「こっちもそっちも、もう、無茶苦茶ですね。頭が痛くなりそう」

「だろうな。混戦極まりない。そう言えば、“赤”のアーチャーは誰が落とした?」

「……“黒”のバーサーカーです。私が、見ている前で二人共海に落ちました」

 

カルナの肩を掴んでいるアサシンの手に力が篭った。

 

「気に病んでいるのか?バーサーカーにもっと何かしてやれることがあった、とでも考えているのか?」

「……残念、外れですよ。誰にでも手を出せると思えるほど、私は傲慢じゃありません。ただ、誰かがいなくなるのは寂しいなって、思っただけです」

「会って数日の相手でも、寂しく思うか。ならば、余程いい出合いをしたようだな。マスターとも、無事別れたのか?」

 

アサシンの答えは、数秒遅れた。

 

「……マスターに、またね、って言われてしまいました」

「……難しいな。それは」

 

会える保証のない再会の約束は、酷く寂しい。決して虚しくはないが、寂しいのに変わりはない。

相手の存在を、体温を今は感じ取れる。

今だけだ。こうしていられるのも。

『今』だけをずっと抱き締めていられたらいいのに、と思いかけたとき、耳元で柔らかな声がした。

 

「カルナ、今、何を考えたんですか?」

「……別に、何も」

「うそ」

 

息をするように切り返され、カルナは答えるしかなくなった。

 

「……このまま別れないでいられたら良いと思っただけだ」

「……うん。私も同じ。別れたくなんか無かったし、今もそう。でもね――――」

 

そこで言葉は途切れた。

見れば、忙しなかった吐息は寝息に変わっている。ここまで気力だけで話を続けていたのが、限界に来たのだろう。ゆっくり眠れと言う代わりに、カルナは足を早めた。

しかし、案内役は寝落ちというより気絶してしまったから、また勘だよりである。恐らく、ルーラーは大聖杯の方へ向かうだろうからとりあえず庭園中心部へと向かえば方角は間違わないはずではあったが。

 

 

道の先に旗を振るって先へ進もうとしている小柄な金髪紫眼の少女が見えたのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

 

 

 

 





砂糖吐き系ではなく、血吐き系ヒロインって……。




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Act-38

 

 

 

 

当たり前だが、ルーラーは“赤”のランサー、カルナを警戒していた。が、“赤”のランサーと“黒”のアサシンの反応が近づいた後、どちらも消滅せずに一緒に行動し始めたので、胸を撫で下ろしたという。

そこから、ニ騎分の反応が自分の方へ一直線に向かってくるというのは想定外だったそうだが。

 

「アサシン!?」

 

次いでルーラーは、カルナの背中に乗っているアサシンの様子を見て驚いたようだった。味方の、それもあまり戦闘型でないはずのサーヴァントがぼろぼろになっていれば、それは驚くだろう。

 

「あなたと戦ってこうなった……訳ではありませんね、これは」

 

地面に横たえられたアサシンの様子をざっと見て、ルーラーはため息をついた。

 

「違う。オレが着いたときにはこうなってしまっていた。毒、だと思うが」

「でしょうね。ですが、仮に毒が体内にあっても解毒は現状不可能です。私には聖骸布で痛みを和らげることくらいしか……」

「それでいい。やってくれ。オレにはそれすらできん」

 

と、そういうやり取りの間もアサシンは目を覚まさなかった。が、ルーラーが聖人のスキルで創り出した聖骸布をかけられると、顔の生気は戻った。

そこまでやって、ルーラーは一息つく。

ルーラーとしては先を急がなければならないが、心情としては“黒”のアサシンを放っておくこともできかねた。判断に困る所である。

困るというなら、目の前の“赤”のランサーもそうだ。ジークフリートを落としたのは彼だろうが、アサシンを連れてきたのも彼だ。

と、ルーラーはそこで気付いた。

カルナの全身には火傷や裂傷が至るところにあるが、一つも治っていない。痛々しく傷口は開いたままで、血が流れ続けているのだ。

ルーラーの視線に気づき、カルナは何でもない事のように肩をすくめた。

 

「傷が治らないのが気になるのか。こちらは供給されていた魔力を切られてしまってな。残存魔力だけで動いている状態で、治癒が行えないのだ」

「い、一大事ではないですか!?ランサーに、単独行動スキルは無いでしょうに!」

「仕方あるまい。こいつをお前のところにまで連れてきた時点で、天草四郎はオレを裏切り者と見なしただろうし、それは予想していたことだ。魔力を食らう鎧は消えたから、生憎まだ保つが」

 

淡々と言うカルナに、ルーラーは目眩を感じた。その場でルーラーの令呪に籠められた魔力を彼に譲渡するが、焼け石に水である。

 

「助かる。礼を言わせてくれ。ルーラー」

「いえ。それよりこれから先、あなたはこちらの味方と判断して良いのですか?」

 

聴いてしまってから、勢いで令呪を渡したあとでする質問ではないとルーラーは気付いたが、どうしようもなかった。

カルナは気負った様子も見せずに首肯した。

 

「お前や“黒”のライダーと戦う理由はオレにはすでにない。どの道、彼女が――――」

 

カルナはそこでアサシンの寝顔に目を落とし、青白い頬にはり付いた髪を細い指でそっと払った。

 

「しばらく動けない以上、代わりの分の働きくらいはする」

「……訂正して下さい。動けますよ」

 

唐突に、アサシンが起き上がった。

調子を確かめるように首を回してから、ルーラーの聖骸布を羽織ったまま立ち上がる。

 

「アサシン、起きていいのですか?」

「一応は。体の中の毒は残さず燃やしましたし、今起きない方が不味いでしょう。あと数時間くらいなら、何とか動けます。それから布、ありがとうございました、ルーラー」

 

アサシンはけろりとした声音で宣った。

心情的にはともかく、言うことは実際その通りなので、三騎は改めて先に進むことにした。

 

「ルーラー、庭園で脱落したサーヴァントは何騎だ?」

「ええと……“黒”のアーチャー、バーサーカー、セイバー。“赤”のアーチャーと……セイバーです」

 

ルーラーの付け加えた最後の一言に、アサシンが軽く目を瞑った。あの不敵なセイバーも脱落したのだ。

ともあれ、残る敵は“赤”のライダー、アサシン、キャスターと前回のルーラー、天草四郎である。

 

「了解した。ならば、“赤”のライダーの相手はオレがしよう。魔力は少ないが、足止めくらいならばやってみせる」

「少ないというか……あなた、魔力の供給が絶たれていませんか?」

 

走りながら、ややジト目でアサシンがカルナを見た。カルナの方が上背があるので、上目遣いで見上げるとどうしてもこうなるのだ。

怒っているわけではない。

 

「ああ。さすがに気付くか」

「気付きます。どうしてそうなったかは聞きませんが。……ありがとうございます、カルナ」

「追及がないのは助かる。正直説明の時間が惜しいからな。それと、お前が礼を言う必要はない」

「私の気持ちの問題なので、あなたが気にする必要もありません」

 

傍で聞いていて、ルーラーは微妙な表情になった。

二騎とも、会話の温度が冷めている。かと言って、無情という訳でもお互いを思いやっていない訳でもない。交わす視線を見れば互いへの感情がどういうものかは大体分かる。言葉だけでは微妙に分かりにくいが。

“黒”のライダーがいたなら、揃いも揃ってめんどくさぁい、とでも叫んでいるだろう。

そんな考えがルーラーの頭を掠めた瞬間、場違いなほど明るい叫びがした。

 

「あ、ルーラーにアサシン!それと……うぇえええ!何でキミがいるのさ、“赤”ランサー!?」

 

道の先、一つの大扉の前で“黒”のライダーことアストルフォが立っていた。フィオレ、カウレス、アッシュもいる。

全員煤けたり、すり傷が付いたりしているが、無事ではあった。アサシンはカウレスを見て軽く頭を下げ、カウレスは刻印のないまっさらな手をひらりと振って返した。

 

「事情があってな。安心しろ、今は敵対してはいない」 

 

温度のないカルナの言葉を聞き、ライダーは額にしわを寄せたあと、にかりと笑った。

 

「……オーケー!色々あったんだろうけど、それだけ分かれば十分だよ。良かったね、アサシン」

 

ばんばんとライダーはアサシンの肩を叩いた。アサシンは少し痛そうだったが、控え目に笑っていた。

 

「ライダー。状況を説明した方が良くないか?」

 

近寄って来たアッシュが言う。

 

「そうだった。簡単に言うと、この先の道で“赤”のライダーが門番してて通れないんだよ」

「ええ。ライダーは、ルーラーなら通すと言っていましたが。わたしたちがくっついたままではライダーは戦えっこありません。だから往生していたんです」

 

背中に蜘蛛の足のような魔術礼装を装着したままのフィオレが言う。彼女の手からも、令呪は失われていた。

アサシンは首を傾げる。

 

「ルーラーなら通すとはどういう意味でしょうか?」

「さあな。大事業を前に、正真正銘の聖人の意見が聞きたいんじゃないのか」

 

カウレスがやや投げやり気味に言った。

カルナは肩をすくめて言う。

 

「“赤”のライダーの相手はオレがしよう。聖杯と“赤”のアサシン、キャスター、天草四郎はお前たちで何とか出来るか?」

 

言われ、他の三騎は顔を見合わせる。

ルーラーが決然と言った。

 

「私の特攻宝具で、大聖杯を壊しましょう。サーヴァントが七騎くべられ、天草四郎が何時でも聖杯を使用できるようになった現状では、もう解析だの解体だの悠長なことは言っていられません。宜しいですか?」

 

かつて千軍を率いた聖女の声の迫力に、フィオレが釣り込まれたように頷いた。ライダーは首を縮めた。

 

「うへぇ。発想がおっかないなあ。まあ、ボクは賛成だけど。にしても、キミも特攻宝具かよ」

 

“黒”のバーサーカー、アサシンも特攻型宝具持ちのサーヴァントである。威力はあっても、生命と引き換えなのだ。対価は大きく使いどころが難しい。

ルーラー、ジャンヌ・ダルクの持つ宝具もこの部類だ。それは旗の聖女唯一の剣で、一度使えばジャンヌは必ず『座』へと還る。

 

「そういう宝具何ですから、仕方ありませんよ。行きましょう」

 

それでもルーラーは細い銀の剣の柄を叩き、綻びが少し目立ち始めた旗を握った。

大きな扉を、“黒”のライダーが開ける。広間の中心には下へ続く黒い入り口が開けていて、肌を刺す魔力が吹き上がっていた。大聖杯はあの奥にあるのだろう。

その前に一人立つのは、槍を携えた銀の軽鎧の青年である。

“赤”のライダーは、入ってきた面々を見て肩をすくめた。

 

「意外な奴らが残ったモンだ。……いや、死にそうな奴も混ざってんな。誰にやられたかは想像が付くがね」

 

ライダーの視線が顔色の悪いアサシンに向いたが、カルナがその前に立つ。ライダーはひゅう、と口笛を吹いた。

 

「おい、ランサー。お前はそいつらに付いたってことで良いんだな?」

「ああ。何と謗ってくれても構わない。だが、“赤”の陣で戦う理由は最早オレにはない」

「謗るもんかね。分かりやすくなって良い。話は簡単さ。ルーラー以外の奴は、ここを通りたきゃ俺を越えていけ」

 

ライダーは手の中で槍をくるりと回し、槍の先はカルナに据えられた。

 

「……って言いたい所だが、まあいい。ランサー以外は勝手に通れ」

「え、いいの?」

 

“黒”のライダーが素っ頓狂な声を出した。

 

「お前らの中で一番厄介なのはソイツだ。ライダーにアサシン。ぶっちゃけお前ら程度なら見逃しても……多分、構わんだろうさ」

「なら、普通に通って問題ありませんね?」

「まあな。というかアサシン。お前がこの先で聖女を引き受けるはずだったキャスターの心臓に剣を刺したから、俺がこっちで門番なんぞやってるんだぞ」

 

心臓に剣を刺したのに死んでないのかと、アサシンの呟きを聞きとがめて、カルナは微かに顔をしかめた。

 

「門番は重要な役じゃありませんか。性に合っていないのですか?」

「合ってないね。俺は護る戦より攻める戦の方が好みなのさ。だが、やってやれないこともない」

 

それに姐さんのこともある、とライダーは言い、カウレスが肩を震わせ、アサシンは少しだけ目を見開いた。

 

「この場にいた以上、死ぬも生きるも紙一重だ。だが、姐さんを倒したヤツらを何も手出しせずに見逃せるほど俺は穏やかでも無いのさ」

 

槍が構えられる。

“赤”のライダーから放たれた殺気にサーヴァント以外の生者は肌が粟立った。

踵を撃ち抜かれ、不死の護りがなくなったことなどアキレウスはそれがどうしたと鼻で笑い飛ばすだろう。

彼も、そしてカルナも、鎧の一つが失われた程度で臆する訳もない。

 

「ここは引き受けた。先に行け」

 

と、前に進み出たカルナは鋭い刃のような視線を、ライダーから一時たりとも離さずに言った。

 

「……行きましょう。時間がありません」

 

アサシンが他を促し、残りの人間とサーヴァントは進む。

部屋の入り口で、アサシンは振り返った。

澄んだ青い瞳は、蜘蛛糸の先で震える雫のように光っていた。何か言いたいのに、言いたいことは山ほどあるのに、ここでは何を言っても虚しくなってしまいそうだった。

 

「……先に、行け。後で聞く。必ずな」

 

カルナは不器用に口の先をつり上げて槍を振った。微笑みのつもりらしかった。

相変わらず作った笑い方が下手だなと思いながら、アサシンはぐいと目元を擦って頷く。それからもう後ろは見ずに、暗い地下へと飛び込んでいった。

黒髪の先が跳ねて暗闇に消えてから、カルナはライダーの方を見た。

 

「すまん、待たせた」

「全くだ。何だってこんな所で惚気るかねお前らは。戦りづらくなったらどうしてくれる」

「いや、そういうつもりは無かった。ただ間が無かったのだ」

 

そうかよ、とライダーは憮然とした表情を消し穂先をわずかに上げて言った。

 

「色々あるが、お前と違って、こちとら一応あいつらに恩がなくもないのさ。あいつらが場をくれ、おかげで俺は長年戦いたかった師匠を打ち負かせたからな」

「そうか。理屈は理解できる。だがこちらも譲れん。お前を倒さねば先に進めないと言うなら、その通りにしよう」

 

カルナから、炎のような殺気が膨れ上がる。殺気には、地上に降りた太陽のような勢いがあった。カウレスやフィオレたちがこの場にいたなら、卒倒していただろうそれを真正面から受けたライダーはただ笑った。

目の前のカルナは魔力をマスターから回されていないようだ。が、それをまるで問題にしてはいない。

だったら合わさねば気が済まない、とライダーもマスターから与えられる魔力を切った。何と思われようが構うものかと陽気に構える。

そう言えば、こいつと戦うときは全力で殺し合うときだけと決めていたのだと、ふとライダーは思い出した。

 

「じゃあ――――始めるとするかね」

 

かくして大聖杯の手前で、激突が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アサシン」

 

カルナを“赤”のライダーの所に残して進みながら、唐突にルーラーが口を開いた。

辺りは暗く、互いの顔が何とか見えるくらいの光しかなかった。

 

「私が持つ、貴女の分の令呪の魔力、全て渡します。それでは戦うのも辛いのでしょう」

 

ルーラーの腕が輝いて、アサシンは体が楽になった。続けてルーラーはライダーとアッシュを見る。

 

「どうせです。あなた方にも令呪を渡してしまいましょう。残して負けたら意味がありませんし、あなた方は聖杯を使って叶える願いも無いでしょうから。裁定者の権限の範囲内で良いということにしてしまいましょう」

「あ、ああ」

 

こちらも手早く譲渡し、アッシュは補填された令呪を見て一先ずルーラーに礼を言った。

 

「いえ。この面子で庭園から帰るとなると、ライダーのヒポグリフくらいしか手がありませんからね。レティシアには、私が倒れた場合には安全な場所まで転移してもらうことになりましたが」

「てことは、三人かぁ。……ちょっと定員オーバーっぽいんだけど、まあボクのヒポグリフは根性あるし、行けるよ」

「だ、大丈夫なんですかそれ?」

 

フィオレがやや引き攣った顔で言い、ライダーは何とかするよと笑った。

 

「キミらも生身でここまで来るなんて根性の持ち主なんだから、大丈夫だって。って、ホントこんな最後のトコまで来なくても良かったんじゃない?大聖杯間近だよ、ここ」

「“赤”のライダーとランサーのぶつかり合いの所に間近でいる方も危ないと思う。だろう、アサシン?」

 

ん、とアッシュに言われてアサシンは頷いた。

 

「……悪気なく致死級の攻撃を流れ弾にしますからね、あの人たちみたいな方々は。避けられなければ死ねくらいの容赦なさで。あそこまで行くと下手に援護なんぞしようものなら、私程度は消し飛ばされます」

「ねえ、前々から思ってたんだけど、キミの故郷怖くない!?」

「む。心外です。そんな人外魔境じゃありませんよ。住めば良いところでした」

 

珍しくやや不満そうにアサシンが唸ったところで、行く手に眩い光が見え、肌刺す魔力が流れ込んできた。

ライダーとアサシンとが弛緩させた空気が元に戻り、皆が張りつめた顔になった。

行こう、と旗を掲げてルーラーは促す。彼らはそうして最後の場へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




不死無しアキレウス vs ccc的魔力不足カルナさんとか……。

尚、シェイクスピアは消えていないだけで参戦は不可能ということになっています。



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Act-39

 

 

 

 

 

そう言えばこの聖杯戦争、最初は不満はないが不安だらけだったな、とアサシンは何となく思い出した。

初っ端からマスターからの魔力は無かったし、味方もいなければ知名度補正も何も無し。ついでに言うと幸運値もやたら低かった。無いこと尽くめである。

そもそも人の記憶から消されたはずの自分が、尋常な聖杯戦争のサーヴァントとして現世に立ち現れることは普通ならできないはずなのだ。

今でも、自分が何故、どうやって喚ばれたかは分からないままだ。マスターとの相性が抜群に良かっただけ、とは思えない。

神秘に携わる呪術師として、仮説は幾つか立てられる。が、それを検証する術も時間もやはり無いのだ。だから今は、単にこの聖杯戦争が尋常なものでなかったから喚ばれた、ということにしておく。

今となってはすべてどうでもいいことだから。

確かなのは一つだけ。本当に、この戦いは尋常なものではない。というよりも、冗談じゃないと言うことくらいだ。

二十人にも満たない人間だけが争い合う()()()()()が、人の世の未来を左右していて、自分もその一人なのだ。

それに自分はその過程で、人生で一番会いたい人と一番会いたくない形で再会した。

後ろを振り返る暇がないくらいの速さで、この聖杯戦争を走り抜けてきたけれど、後悔していることは一つだけある。

 

あなたに会えて嬉しいと、あのとき素直に言えていれば良かったのに。

 

―――――そこで、アサシンは自分の意識すべてを目の前の光景に引き戻す。

眼前には虚しくも煌びやかな大聖杯と、それを護る装いも新たな極東の奇跡の少年。彼に対しているのは、救国の聖処女。

少年と少女は互いに真っ向から見合っているが、彼らが手を取り合うことはないのだろう。

 

ジャンヌ・ダルクは己の人生を良しとしている。自分の歩いた道は後に続く誰かのためになるもので、人類はこれからも生きていくだろうと、疑いなく信じている。

 

天草四郎は己の人生を良しとしていない。人類は誰かに今すぐに救われなければならない存在で、そのためには自分の見つけた方法しかないと、疑いなく信じている。

 

辿る道は平行線で、交わす言葉は相手へは届きはしない。

どちらも人類を慈しんでいるのに、導き出した答えはまるで逆。

そこに何らかの感傷を差し挟む余地もなく、彼らはお互いを敵とみなしていた。

 

故に、ジャンヌが腰の剣に手を掛けたのと同時に天草四郎は光り輝く背後の大聖杯を起動させた。

 

「『大聖杯(ユスティーツァ)』同期開始」

 

魔力の塊が、二本の巨人の腕へと形を変えて三騎のサーヴァントを叩き潰さんと迫って来る。

それの前に躍り出たのは、巨大化した角笛を構えるライダーだった。

 

「祈りの間だけでいいって言われたけどさぁ!これ持ち堪えてくれとか結構無茶苦茶だよねぇ!?―――――『恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)』!」

 

何十体もの竜牙兵を吹き飛ばす衝撃波を生み出す角笛を吹き鳴らし、ライダーは巨人の拳をいなす。一つ間違えば彼が叩き潰される。しかし自分が命を落とせば後ろにいるマスターが危うくなる。それは駄目だと、ライダーは必死であった。

 

「アサシン、こっち、援護できる!?」

「むり、ですっ!」

 

アサシンはアサシンで、姿を見せない“赤”のセミラミスの攻撃を弾くのに必死だった。

三次元的に跳び回って焔を打ちながら、ライダーやルーラーを絡め取ろうとする毒の鎖を弾いている。後ろで見守るマスターたちは、三人がかりで持ち堪えていた。

幸いなことにセミラミスの攻撃はここに来て精細を欠いていた。そうでなければ、ついさっき死にかけていたアサシンでは対処しきれなかったろう。恐らく、“赤”のセイバー、モードレッドもただでやられはせず、セミラミスに重傷を負わせるか何かしたのだろう。

ニ騎は全力で時間を稼ぐ。

ルーラーの宝具の威力が予想に違わぬものなら、それが発動すればほぼ間違いなく大聖杯を壊すことができるからだ。

機敏な小動物のように動き回る彼らに業を煮やしたのか、叫び声が轟いた。

 

「シロウ!この戯け、何の為のサーヴァントだ!我に令呪を使わんか!」

 

女帝の叫びに天草四郎は一瞬穏やかな笑みを浮かべ、腕の令呪を輝かせた。

直後、急に勢いを増した鎖が獲物に飛び掛かる蛇のようにのたうちアサシンの足に巻き付いた。小柄な体が振り回されて宙に舞う。

 

「あ、がッ――――!」

 

石礫のようにライダーへ向けて飛ばされたアサシンは、直前で風を操り勢いを殺して床の上に落ちて転がった。その際、背中から落ちたために弓の折れる音がした。

 

天の槌腕(ヘヴンフレイル)――――落ちろ!」

 

そこへ巨人の腕が落ちて来る。起き上がり、体勢を立て直したばかりのアサシンは、とっさに動けなかった。

まともに当たれば死ぬな、とアサシンはやけにゆっくりと迫ってくる腕を見ながらどこか冷めた頭で思う。

けれど眼前まで近付いた死が、アサシンを捕らえることはなかった。

 

「――――主よ、この身を委ねます」

 

澄んだ静かな声と共に、アサシンとライダーの背後で紅蓮の炎が華と咲いたのだ。あまりの熱気に巨人の腕は止まるが、アサシンは熱さも感じなかった。

その場から飛び退いて、後ろを振り返ったアサシンは細い銀の剣を手に跪いているルーラーを見た。

傍らに聖なる旗を突き立て、剣の刃を両手で握り、血を滴らせながら祈る彼女の表情は清らかで一点の曇りもない。炎に包まれているのに、ルーラーの周りだけが清風に護られているように見えた。

聖女ジャンヌは火刑でその生涯を絶たれた。ならこの炎はその再現か、とアサシンは感じた。

抗うように召喚された鎖を焼き尽くし、ルーラーの炎は一直線に大聖杯と天草四郎へと立ち向かう。

だがそれでは、炎と大聖杯の間にはライダーがちょうど挟まれる形になってしまう。アサシンはライダーの襟首を掴んで、後ろへ全力で跳んだ。ライダーの首から少しだけ嫌な音がしたが、構っている余裕が無かった。

 

「……綺麗な炎」

 

着地して、思わず呟いたアサシンと共に、喉を押えて涙目になりながらライダーは炎を見上げた。

触れそうなほど近くにあるのに、彼らは一切熱さを感じてはいなかった。そういう特性がある宝具なのだろう。

 

「うん、ホント。……ルーラーが最期に見た光景ってこれなんだね」

 

かつて、この炎を心に刻みながらジャンヌ・ダルクは火刑に処された。時は移ろって、彼女は後の人々に聖女と語り継がれ、記憶の中に生き続けた。たった一人の少女を処刑しただけの炎は凄まじい威力の概念武装にまで神秘を高めたのだ。

祈りの言葉を引き金に顕現したのは、聖女が滅するべきと判断したものだけを灰燼に帰す炎の剣。

それと真正面からぶつかり合うのは穢れ一つない聖杯の魔力だ。

天草四郎の魂の篭った絶叫が聞こえた。

彼は暗黒天体のように圧縮した魔力でルーラーの宝具を押し留めようとしている。

霊脈から集めた魔力とサーヴァントが変換されて生まれた魔力とをかき集め、手の中に手に入れた奇跡の結晶を壊されてなるものかと踏み止まっていた。

空間が軋み、耳から音が奪い去られた。耐え切れなくなったマスターたちの叫びも、聞こえなくなる。

炎と暗黒が衝突し、食らいあい、そしてすべてが一時に弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は移る。

大聖杯手前で戦うのは槍兵と騎兵である。

音を置き去りにして動き、相手の一撃を受け止めるだけで足場は壊れて外からの風が吹き荒れる。

戦えば戦うほど庭園は破壊され、魔力で編まれた身体は崩壊していく。瓦礫になって刻一刻と崩れ去っていく庭園のことも、薄っすらと身体から立ち上り解れていく魔力光をもものともせずに、ニ騎は荒れ狂っていた。

戦いの速度は加速していくばかりで、ライダーもカルナも宝具を使う隙を見いだせないのだ。初めに召喚した槍だけを武器に、戦い続けていた。

騎兵は笑っている。戦いそのものが喜びだ。師を倒すという志は遂げた。ここで果てようが悔いなどない。

槍兵は笑っていない。戦いは喜びで皮肉な形で最初の願いも叶えられたが、この生命はここで使い切る訳にはいかないのだ。

槍が交差し、頬が切れて赤い線が空中に描かれ、肩が切り裂かれて血が吹き出る。

相手の血と自分の血とで体は赤く染まるが、互いに致命傷は一つも負っていなかった。

千日手に陥っていると分かっている。

足の下からは魔力が鳴動するのが感じ取れ、鈍い爆発音が響いているのだ。

下は下で荒れているのだ。魔力を満々と湛えた大聖杯の目と鼻の先での大立ち回りなど、並の魔術師が見れば卒倒するだろうが。

それでも、地鳴りがするうちはまだ戦っている証でもある。

ライダーが、蛇のような軌道を描いて伸ばしてきた槍をカルナは弾く。そのままカルナは、槍を押さえつけようとするも、弾かれたライダーが瞬時に槍から手を離し、回し蹴りを放ってきた為に果たせない。

脇腹目掛けて放たれた鋼鉄の砲弾のような蹴りを、カルナは引き戻した槍で防いだ。それでも槍を持つ手が束の間痺れるほどの強烈な威力である。

その短い時間でライダーは槍を引き戻すと、カルナの左腕目掛けて槍を突き出した。

塞がなければ腕が完全に破壊される一撃を、カルナは避けなかった。

あえて掌を広げ、槍が肉を貫かせるに任せる。呆気なく掌を貫通した槍が腕に刺さるが、カルナは眉一つ動かさずに腕を曲げて槍の動きを止めた。

瞬時に躊躇いなく左腕を丸ごと捨てたカルナに、目を見開いたライダーをカルナは踏み込むと共に引き寄せる。そして額が割れ、血が吹き出る程の勢いで、頭突きを見舞った。

その弾みで槍が鈍い音を立てて、カルナの腕から抜ける。堰が切れた川のような勢いで噴き出す己の血潮を全身に浴びつつ、カルナは渾身の力で槍をライダーの左胸に突き刺した。

だが、カルナは見た。

後ろに大きく傾いだライダーの動きは止まっていない。目の凶暴な光は薄れていない。

高々槍に体を貫かれた程度で、アキレウスは止まらない。古のトロイア戦争で、彼は弱点を矢で射抜かれ、心臓を壊されても敵兵を殺した。殺し尽くしてから果てたのだ。

 

――――そうだろうな、予想していたことだ。

 

次の瞬間、カルナはライダーの身体に刺さったままの槍を爆発させた。

ジークフリートにしてやられた、『壊れた幻想』の再現である。神殺しの権能を宿していた宝槍は持ち主の思惑通り、呆気なく爆散した。

爆発の煙が立ち上るが、外から吹き込んでいた風があっという間に煙を吹き散らし、ライダーの姿が露わになった。

半身が消し飛ばされたライダーは、仰向けに倒れていた。足は片方しかなく、到底立つこともできないだろう。

が、己の血溜まりの中に倒れているライダーは快活に言い、にやりと笑った。

 

「―――――俺の負けか。見事だな、ランサー。まさか躊躇いなく宝具を壊すとはな」

「……そこまでせねば死なないだろう、お前は。確殺するに必要だっただけだ」

「そうかよ。……ま、その通りだがな。んじゃ、俺はここまでだ。お前はさっさと行っちまえ」

「無論、そうさせてもらう」

 

本来なら口を利くことすらあり得ない死に瀕した体で、ライダーは笑った。その間にも体は崩れ、魔力の光へと変換されていく。

カルナはライダーを最後まで見届けることはしなかった。

ライダーに向けて戦士の拝礼をすると、ルーラーたちが飛び込んだ穴へ向かう。

黄金の鎧の煌めきもなく、痩躯からは血が止めどなく流れ続け、ライダーの壊した左腕はだらりと垂れ下がり力無く揺れている。

それでもその足並みに乱れはなく、カルナの姿は庭園中心部へ繋がる黒い道に消えた。

あの分なら間に合うだろうな、とライダーは仰向けのまま空を見上げる。弾け破れた天井からは、宝石箱をひっくり返したような星々の広がる空が見えた。暗かった空は極僅かに白み始めている。

夜明けが近づいて来ているのだ。

負けたことはまあ良いとして、太陽が拝めないのが口惜しいとライダーは最後に思い、その意識を霧散させたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炎と暗黒はぶつかり合って消えた。

眩しすぎる光に目を焼かれたアサシンが瞳を再び開いたとき、最初に目に入ったのは未だ存在し続けている大聖杯の姿と、

 

「やった……!やったぞ、大聖杯は無事だ……!」

 

その前で歓喜に打ち震えている、少年の姿だけだった。彼と対峙していた少女の姿は、どこにも無い。

ルーラー、ジャンヌ・ダルクの憑依したレティシアは、安全圏へと無事に移った。が、目の前の光景はルーラーの宝具が届かなかったことを示していた。

 

「そんな……!」

 

アサシンたちの後ろでフィオレが膝を付き、カウレスは彼女を支える。アッシュはまだ輝きを失っていない令呪の刻まれた手を握り締めた。

 

「……ちょっとアサシン、どうするあれ?マジでヤバイよね?」

 

持ち主を追い、聖旗も空間に溶け込むようにして消えていく。

大破した角笛を手放し、ライダーは馬上槍を握って問うた。

アサシンの表情はほぼ変わっていなかったが、彼女は微かに震えている声で答えた。その震えが怖れからか怒りからか、それとも哀しみから来ているのかライダーには分からなかった。

 

「疑いなくヤバいでしょう。見た感じ八割は壊れていますが……まだ十分動いています」

「正確な分析どうも!ってか、ルーラーがあそこまでしたのに駄目なのかよ!」

 

畜生、とライダーは槍の石突きを床に叩き付けた。

その音で、天草四郎がこちらを向く。同時、その横にセミラミスが顕現した。女帝の堂々とした立ち姿は弱った風には見えなかった。

背後に再び巨人の腕を顕現させ、天草四郎はニ騎を見下ろした。

 

「さて、どうしますか?“黒”のライダーにアサシン。ルーラーはすでに消えました。あなた方だけで、まだこちらに立ち向かうつもりですか?」

「当たり前!マスターは、これから自分の歩く道を自分で選ぶんだ!ボクはね、キミにそれを決められたくないんだよ!」 

 

ライダーは歯をむき出しにして唸り、アサシンは剣を抜いて切っ先を揺らしながら、凍ったような瞳で前を見た。

 

「右に同じく、です。救いという言葉で一纏めにして人の可能性を根こそぎ奪うのは、駄目なことだと思うので」

「ならばどうするのだ?貴様らニ騎だけで立ち向かってみるか、その消えかけの体で」

 

セミラミスの白い指がアサシンを指した。

 

「“赤”のランサーが、間に合うと思っているのですか?パスを通じれば、マスターである私には彼らの様子は分かる。なので言いましょう。彼もライダーも既に瀕死です。分かりますか?彼らは相討ちになったのですよ」

 

天草四郎の言葉を聞いて、そこで始めてアサシンの表情が動いた。固く結ばれていた口が緩み、彼女はゆっくり首を振った。

 

「―――――あなたは、英雄を知らない」

 

言うが早いか、アサシンはライダーの腕を引っ掴んで後ろに跳ぶ。

跳びながら、声を張り上げて叫んだ。

 

「カルナ!構わない!全力でやって!」

「えぇえ!ちょっ!?」

 

ライダーが言えたのは、そこまでだった。

直後、彼らと入れ違うように入り口から飛び込んで来た影があったからだ。

血の筋を引いて空間に飛び込んできた無手の施しの英雄は、地面を蹴って跳び上がった。

セミラミスの操作する鎖が届くより先に、それまで白髪で隠れていた右の眼が輝いた。

 

「『梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)』」

 

場違いなほど静かな声が響き、カルナの目から放たれた光線が大聖杯に突き刺さった。

今一度、空間が光で満たされる。

天地が揺さぶられるほどの衝撃が走る中、誰かの叫び声と、物の砕け散る音が響いた。

 

 

 

 

 

 




目からビームでした。

前話で故郷の人外魔境扱いが不服だと主人公が言ったら滅っ茶ツッコミが……。

言い訳させて頂くと、この主人公は『座』や他所の神話伝承体系をろくに知らないままなので、戦いの基準がインドで固定されています。というか、そういう事にしておいてください。

ああでも、そもこの主人公半分人間じゃないから、人外なのは変わらないか……。


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Act-40

皆さんの目からビーム愛がすごいです。
や、作者も好きですけれど。




 

 

 

災害そのものの光が、あろうことか閉じられた空間で暴れ回った。

光が止み、音が戻り、生ある魔術師たちがまだ自分が生きていることを実感できたのは、しばらく経ってからだった。

 

「こ、殺す気かぁ!!」

 

頭から爪先まで真っ白な埃だらけになって真っ先に絶叫したのはカウレスであった。

礼装を全力で防御のための魔術に回したフィオレは疲れ切り、アッシュに介抱されている。

 

「全くだ!こんっな狭い空間で何撃ってるんだキミはぁ!」

 

ライダーとカウレスに詰め寄られ、着地したカルナは困ったように頬をかいた。

目から宝具を撃つという本来ならあり得ないことをしたためか、片眼の色が薄い青から赤へと変わっていたが本人は気にした風もなかった。

他の面々は気にする余裕が全くなかった。

 

「……すまん。あいつが何とかすると念話で言ったからな」

「へぇ、そう。で、そのアサシンはどこに行ったのさ?」

 

一同は辺りを見回した。

壮麗な儀式場は砂埃がもうもうと立ち込め、瓦礫だらけになっている。天草四郎やセミラミスの姿もない。そしてアサシンの姿もなかった。

 

「……」

 

辺りを見回していたカルナは瓦礫の一角に近寄ると、無言で自分の体ほどの大きさの岩を蹴り飛ばす。すると、けほけほと咳き込みながらアサシンが瓦礫をどかして出て来た。

正面で防壁を張ったために、アサシンは一番被害を被ったはずなのだが、埃まみれになっている以外変わった所は無かった。

 

「無事だったか」

「お陰様で」

 

ぱたぱたと体についた埃を落としながら、アサシンはカルナを見上げて言った。

フィオレの介抱を終えたアッシュが駆け寄って来て問う。

 

「天草四郎とセミラミスは、どうなったんだ?」

「……致命傷は負ったでしょう。最後に見えましたから。でも死んではいない。彼らが消えたのは、ここにもういる意味は無くなったからかと」

「え、何で?」

「何故なら、大聖杯がまだ死んでいないからな。直前であの巨人の腕にブラフマーストラは凌がれてしまったようだ」

 

え、とカルナとアサシン以外が呆気に取られた顔をした。

慌ててフィオレが魔術で風を起こして埃を払い、大聖杯の姿を露わにする。

大聖杯はまだそこにあった。先ほどに比べれば砕けたところが増えているが、まだ蠕動し、魔力の光を発している。

 

「ええ?何で!?」

「あの程度のブラフマーストラでは壊れなかったというだけだ。こちらの威力が相当に落ちていたとは言え、本当にあれは頑丈な魔術礼装だな。神の手による被造物に匹敵するだろう」

「感心してる場合ではありません!もう一度撃って、壊さないのですか?」

 

フィオレに言われ、カルナはすまなそうに頭をかき、アサシンは目を逸らした。

見れば、カルナの足の先は光の粒子に変わりつつある。フィオレが打たれたように身を引いた。

 

「生憎、瀕死に変わりはなくてな。こうして話すのも一苦労だ」

「良いですよ。あれは私が壊します。その方が確実です。でもその前に、あなたたちが無事にここから脱出しないといけません」

 

私の最後の宝具は、威力はあるんですがルーラーみたいに敵味方の選別はできないんです、とアサシンは言う。

 

「さっさとしましょう。天草四郎たちに、私に大聖杯を壊すだけの火力があると分かったら、絶対邪魔されてしまいます」

「最後って……ああ、キミの三番目の宝具か。使っちゃうんだね、アレ」

 

眉を八の字にしながらライダーはヒポグリフを召喚した。

そのヒポグリフも主と同様、無事な姿ではなかった。毛並みが焦げ、翼の片方は明らかに下がっている。空中庭園の砲台を壊し回ったときの傷であった。

 

「マスター、令呪使ってくれないか?それで何とか帰れるからさ」

「ああ。分かった」

 

アッシュの最後の令呪が輝き、ヒポグリフが淡い光に包まれる。獣は嘶き、ライダーはよしよしと頷いた。

 

「それじゃ三人とも乗ってくれ。急いで急いで!」

 

急き立てられ、アッシュとカウレスがヒポグリフに乗る。フィオレは少しためらってから背中に背負った金属製の魔術礼装を切り離す。耳障りな音を立てて地面に落ちたそれを見ることなく、フィオレはカウレスの手を取ってヒポグリフの背中によじ登った。

何とか人間三人が背中に収まると、ライダーはくるりと振り返った。

アサシンとカルナは立っている。彼らはここに残るのだ。

 

「じゃあ、ここでお別れか」

「みたいですね。色々ありがとうございました、ライダー。アッシュくんも、カウレスさんもフィオレさんも、さようなら」

「ああ、じゃあなアサシン。……アンタは正直ちょっと変な奴だったけどさ、アイツといてくれてありがとな」

 

言うべき言葉が見つからず、アサシンは小さく頷くだけに留めた。カルナは黙って腕組みをしてその様子を見ていた。

ライダーがヒポグリフにまたがり、その首を叩く。

四人が乗り込んだ幻想の獣は少しばかり苦しそうに鳴いて、地を蹴る。崩れ落ちていく瓦礫を器用に避けながら、ヒポグリフは空へ上がった。

馬上のライダーは、身を乗り出して大きく手を振る。その弾みで落ちそうになって、慌ててアッシュが彼を支えた。

 

「じゃあさようなら!また縁があるといいね、アサシン!カルナも!」

「あなたもね!」

 

崩れゆく庭園と、高く広がる空とで”黒”の最後の二騎は分かれた。

そしてヒポグリフは弾丸のような勢いで瓦礫をすり抜け、見えなくなる。それを見届けてから、アサシンの足から力が抜けた。

膝を付きそうになったアサシンを、カルナが横から支えた。

 

「あ、ありがとう、ございます」

「別に構わない。歩けるのか?」

 

アサシンは自分の足を見た。革でできた靴が少しずつ、魔力へと変わって行っている。令呪をすべて使い切り、マスターだったレティシアは魔力経路が満足に届かないほど遠く離れた。だから、当たり前の限界が来たのだ。

仕方ないか、とアサシンは軽く自分の足を叩いてカルナの腕に掴まった。

 

「ちょっときついので、あの聖杯の下まで連れて行ってください」

「了解した」

 

カルナは腕をアサシンの肩に回して支えた。

二人分の足音が、崩落し続ける部屋の音に不思議と大きく木霊する。少なくとも、アサシンには確かに聞こえていた。

その音の隙間に、カルナの静かな声が響いた。

 

「割と……あっさりと別れたな。泣くかとも思ったのだが」

 

アサシンは前だけを見て、答えた。

 

「別れないといけないのは、会った時から分かっていましたから。泣かないでおこうとは、思っていたんです。同じお別れでも笑って別れた方がいいでしょう」

「そうか……。そうだな」

 

距離は短く、ほどなくたどり着いた。目の前に聳え立つアーティファクトは何百年も前に造られた、魔術師たちの夢の結晶だ。

もし自分がこれを使えば、どうなるんだろうな、とアサシンはほんの少しだけ思い、頭を振った。こうして大聖杯を目の前にしても、使おうという気にはなれなかった。

その拍子にアサシンの髪を縛っていた擦り切れた布がほどけ、長い黒髪が解き放たれる。風にあおられて髪は扇のように広がった。

 

「カルナ、ありがとう」

 

肩越しに振り返って、アサシンは言った。首を少しだけ曲げて、見た目相応の少女のような笑顔を浮かべた。

 

「礼を言われるようなことを、オレはここでお前に出来なかったと思うが」

「そう?じゃあ、これまでのことすべてに対しての礼と思ってほしい。私を忘れないでいてくれて、私の好きにさせてくれて、ありがとう」

 

アサシンは再び前を向いた。

自分の宝具は、最期に起こした焔をもう一度顕現させることだ。自分の命を食らう宝具なんて、本当は使うのは好きではない。必要なことと分かっていても、やっぱり怖いものは怖いからだ。

でも今は、あのときとは違う。一番大事な人が側にいてくれる。

悲しいこともあったけれど、怒りを燃やしたこともあったけれど、これで最後だからあらゆることを自分の中に溶け込ませよう。

カルナと出会わせてくれた世界のすべてに、今はただ感謝する。

自分には勿体無い終わり方だった。

腰の鞘から、もう大分ひびの入った剣を抜き払う。両手で目の前に剣を掲げて、アサシンは言った。

 

「お願い。私が今からすることが終わるまで、そこにいて」

「当たり前だ。最後までいるさ」

 

暖かい掌が肩に乗せられる。アサシンは剣を床の上に突き立てた。

大聖杯の魔力より澄んだ、純白の無垢な焔が床の上を走った。焔の円は大聖杯とアサシン、カルナを取り囲む。

剣の柄頭に両手を重ね、アサシンは呟いた。

 

「遍く命の源よ。万象一切、燃やし尽くせ。我はそのため、此処に対価を払う。―――――『我が身を燃やせ、白き焔よ(サフェード・ガーンデーヴァ)』」

 

謳うような呪言が終わったとき、白い焔が燃え上がり、火柱となって庭園を中心から貫いた。

そうして、誰かの祈りも想いも、願いも言葉も、すべてが零になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空中庭園から飛んで出る間、アッシュは顔を伏せていた。周りでは轟音を立てながら滝のように瓦礫が落ちて来て、生きた心地がしなかった。

瓦礫がこめかみを掠ったときは、一瞬意識が遠くなったが、首から下げた金環が燃えるように熱くなって意識をつなぎとめる楔になった。

 

「よし、抜けた!」

 

ライダーの明るい声がして、そこでようやくアッシュは顔を上げた。

目の前には明るい太陽があった。水平線の彼方から上って来る朝日だ。

体全体に暖かい光を感じたとき、アッシュは訳もなく涙が溢れてきて、ライダーの肩に顔を埋めた。

 

「ちょちょちょっ、マスター!運転が危なくなる!待って待って!」

 

アッシュは慌てて顔を離し、ヒポグリフは一瞬よろめいたがすぐに立て直す。

ライダーは片手を手綱から放して、器用にアッシュの頭を撫でた。乾いて暖かい、優しい手だった。

 

「おいアンタたち。後ろ、見てみろよ」

 

カウレスに言われ、アッシュは首をねじって後ろを見た。

金の鳥籠と言うべき形をしていた空中庭園は、すでに崩壊していた。その中心で星が終わりを迎えたときのような白い光が弾ける。

光の柱は空を貫き、瞬きの間に消えていった。粉雪のような光の残滓がきらきらと舞って、それもよく確かめる間もなく海へと落ちていく。

アッシュはつかの間、その光景の中に黄金と、蒼銀の二つの光の珠が、螺旋を描いて絡み合いながら空へと駆けあがっていく姿を見たように思った。

だが直後、ヒポグリフのうめき声がしたかと思うとがくんと高度が下がる。振り回されて、フィオレが悲鳴を上げた。

 

「着地行くよー!皆しっかり掴まっててね!ぶっちゃけ着地が一番危ないから!」

「そぉいうことは、先に言えぇ!」

 

辺りの風景と一緒に、カウレスの叫びも後ろへ吹っ飛ばされる。風が耳元でびゅうびゅうと泣き、みるみるうちに地面が近付いてきた。

一騎と三人と一頭は一塊になって、砂浜へと投げだれさるようにして降り立った。地に足を付けると同時にヒポグリフが空中に消え失せる。

弾みでアッシュは背中から放り出され、ごろごろと柔らかい砂地の上を転がった。咄嗟に魔術で勢いを殺さなかったら、ひどい目にあっていたことだろう。

 

「ぜ、全員生きてるか?」

 

頭を押さえてアッシュがよろめきながら立ち上がって聞くと、フィオレとカウレスのうめき声が聞こえた。

ライダーはさすがにけろりとした顔で立ち、空を見上げていた。朝日に白く染められつつある空には、一点の染みも残っていなかった。

 

「やー、すごいな。もう何もなくなっちゃってるよ。アサシンの火力、凄かったんだねえ」

 

明るくライダーはあははと笑い、集まった三人を見た。

ライダーも徐々に光へと姿を変えている。アッシュの手からすでに令呪は消えていた。ライダーにも、この世から立ち去る時間が来たのだ。

彼は頭を乱暴にかいた。

 

「サーヴァントとしちゃボクが最後か。って、何でこんなに弱いボクが残っちゃったんだろうねえ。予想外だったかも」

「呑気だな、お前」

 

カウレスは肩を竦め、ライダーはにやっと笑った。

 

「呑気が一番だよ。ずっと呑気でいられたら、大概のことは何とかなるからねぇ」

 

たははとライダーは笑い、そのまま身を翻してアッシュの首に抱き着くと、耳元で囁いた。

三つ編みにしたライダーの長い桃色の髪が、アッシュの鼻先をくすぐった。

 

「ばいばい、マスター。世界を楽しんでね。心行くまで。そうしたら、またいつかどこかの世界で会おう。そのときに、キミの物語を聞かせておくれ」

 

アッシュが何かを言う前に、朝日が彼の目を焼く。

それが晴れたときには、ライダーの姿はもうどこにも残っていなかった。

爽やかで静かな風が三人の間を吹き抜ける。こほん、とフィオレが咳払いをして、髪についた砂を払い落とした。

 

「カウレスにアッシュ。戻りましょう。ゴルドのおじ様との念話も繋がりました。迎えを寄越してくれるそうです。明日からまだやることはたくさんありますが……今日は休みましょう」

 

そうだなとカウレスは頷き、アッシュは空から目を離し、彼らの後について歩き出した。

今は、不思議と涙は出て来なかった。踏みしめているはずの地面は頼りなく、体が宙に浮いているようで、何も心の奥に沈んで来ないし、響きもしない。

けれどきっと、自分はもう二度と会えなくなった人たちを思い出してたくさん泣くのだろう、という予感はした。それはそう遠い時間ではないだろう。

でも泣くための時間はある。決して永久ではないけれど、アッシュはそのための十分な時間を持っている。

白い砂浜に三人分の足跡が続いていき、やがてそれらも波にさらわれて消えてなくなっていった。

 

 

 

 




次で最後になります。

投稿は三十分後です。



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Act-Final

本日二話目です。
ご注意下さい。





 

 

 

 

「……と、そういう聖杯戦争がどこかでありましてね」

 

場所はカルデアのとある部屋。

床の上の敷物に丸くなって座るのは、カルデア唯一のマスター、白斗と、彼のサーヴァントたちである。

それまで話していたルーラーのサーヴァント、天草四郎はにこりと笑って言葉を締め括った。

彼の真正面に座っているのは、灰色のキャスターとアサシンのジャック・ザ・リッパーである。尤も、ジャックは白斗のお腹に頬をくっつけてすやすやと眠っている。

今日は珍しく白斗の横にマシュはおらず、ジャックは思う存分白斗に甘えていた。しかし、天草の話が長かったためにつまらなくなって眠ってしまったのだ。

キャスターは常日頃から変わらない表情に乏しい顔のまま、自分の前に置かれた湯呑みを取り、緑茶を啜って一言。

 

「……全っ然、身に覚えがありません」

 

がく、と部屋の空気が崩れる感じがした。

 

「おやおや、それは何とも味気無いですなぁ。本当に覚えていないので?吾輩、あなたに剣で刺されたのですが」

 

天草の横に座るシェイクスピアに向けて、キャスターはこくりと頷いた。

 

「はい。何にも、です。こちらもあなたの宝具に引っ掛かった覚えはありません」

 

そう言ってキャスターはまた茶を啜ると、茶柱が立ったと呟いた。

無聊を慰めるための話、と言って天草の語り出した並行世界のものらしい『聖杯大戦』に、キャスターはあまり興味はないらしかった。少なくとも、表面上は。

 

「……カルナ、貴様はどうなのだ?」

 

シェイクスピアの横で背筋を伸ばして座っているアルジュナは、キャスターの横で片膝を立てて座っているカルナを見た。

話が進むにつれ、眠っているんじゃなかろうかと思うほど微動だにせず、目を閉じて聞いていたカルナが片目を開ける。

 

「オレも覚えが無いな。オレの記憶では“黒”のアサシンは、そこのジャックだった」

「えと、つまり……聖杯大戦の記憶が二つある人と無い人がいるってこと?」

 

ジャックの銀髪を撫でつつ、白斗が聞く。

 

「そのようですね。私とシェイクスピア、アタランテ、ジャンヌ、フラン、ヴラド公、ジークフリートには二つあるようですが。カルナと、それとジャックには一つ分しか無いようです」

 

キャスターに至っては、白斗以外のマスターと本契約した記憶はない。

 

「あれ?アストルフォとスパさんと、モードレッドは?」

 

天草は頬をかいた。

 

「彼らにも、どうせならと聞いて回ったのですが、アストルフォには言いたくないと門前払いされ、モードレッドには面倒くさいと追い払われまして。スパルタクスはどうも話が通じず……」

 

ああ、と一同が納得した。 

天草がここに来たのも、思い出語りというよりカルナたちに記憶があるかどうか確かめるため、だったそうだ。

ジャックが参戦した聖杯大戦の最後を天草はある程度覚えているが、灰色のキャスターがアサシンとして参戦した方は、最後がどうも曖昧だという。

天草はそれを確かめたかったらしいが、キャスターもカルナも首を傾げるしかなかった。実際、覚えていないのだから。

この部屋にいる最後の一人、ジャンヌが湯呑みを両手で持ったまま首を傾けた。

 

「でも、何でそういうことが起きたのでしょうか?私はアサ……ええと、キャスターのこともジャックのことも覚えているのに」

「……やっぱりここの召喚システムが緩いから、かなぁ?」

 

自信なさげに白斗が言う。

最近は、ついに幻想小説の存在まで喚ばれて飛び出たりするカルデアのシステムである。

キャスターはお茶のお代わりを彼の湯呑みに注ぎながら頷いた。

 

「かもしれませんね。というか私、アサシンになると、幸運値どん底なんですね」

「……貴女はここまでの話で気にする所はそこなのですか?」

「気にしますよ、アルジュナ様」

 

茶を美味しそうに啜りながら、キャスターは体をゆらゆらと前後にゆらしている。

 

「アサシンの私のことは、アサシンの私が何とかすることですよ。キャスターの私は私で、やることがありますから」

「……そういう、ものなの?」

 

キャスターは白斗に向けて曖昧に笑うと、急に絡繰人形地味た動きで首を回し、シェイクスピアの方を見た。

 

「なのでシェイクスピアさん。この部屋での執筆は止してくださいね」

 

青い瞳がぎらりと光り、見られたシェイクスピアの手の中で羽ペンの形をした灰と紙の束の形の灰が崩れ、口髭の片方が燃え落ちた。

書きかけていた何かを一瞬で灰にされたシェイクスピアの悲痛な声が上がるが、サーヴァントたちには当然のようにスルーされた。

 

「こら、カルデア内で宝具を攻撃のために使用するのは厳禁だろう」

 

こつん、とカルナの指がキャスターの額を突いた。額を押さえてキャスターは横を向く。カルナはため息をついた。

 

「……天草。お前の話は物語としては覚えておこう。それとシェイクスピア。言うまでもないが、お前も宝具の使用は止めておけ。お前をナイチンゲールの所に持って行くのは骨が折れる」

 

そっぽを向いてしまったキャスターに変わってカルナは言った。

それを潮に、部屋に来ていた面々が立ち上がる。ここはカルナとキャスターの部屋である。この部屋は普通のサーヴァントたちの部屋より少し広く、静かに過ごせるのだ。白斗に熱烈な慕情を向けてくる女性サーヴァントでも、流石に施しの英雄の部屋には侵入できない。

そもそも、最初はそこへジャックにくっつかれた白斗が遊びに来た。次に、天草とシェイクスピアと彼らのお目付け役としてジャンヌが来て最後に、何の騒ぎだとアルジュナが顔を出してこうなったのである。

ジャックがまだ起きなかったので白斗は残り、後のサーヴァントたちは一人を残して部屋を出て行った。

 

「……あの、アルジュナ様?何か?」

 

何でこの人まだいるのだろうか、という疑問を顔に貼り付けて、キャスターは聞いた。

瞑想するかのように目を閉じていたアルジュナは目を開けた。

 

「長居はしません。しかし単なる好奇心から一つ聞きたい。何故貴女が聖杯大戦とやらに喚ばれることが出来たのか、貴女には何か考えがあるのでしょう?」

 

黒曜石のような瞳が細められ、キャスターは目を逸らした。

 

「考えというか、仮説があるならオレも聞いておきたいのだが」

 

カルナが言う。

キャスターとしては、こういう妙な所で意見を一致させないで欲しいものである。

本人たちは絶対に認めないだろうから、キャスターも言うつもりはないがアルジュナとカルナは似ている所が確かにある。

根が真面目な所や自分に良くしてくれる相手に尽くそうとする所や、まぁ色々だ。今は関係ないけれど、キャスターはそう思う。

大分温くなった茶を飲み干して、キャスターは口を開いた。

 

「仮説なら確かにありますよ。というか、魔術師クラスのサーヴァントで、並行世界や抑止力の理念を齧った者なら誰でも思い付くようなことですが」

「抑止力っていうと……。ええと……思い出した、カウンターガーディアン……だっけ」

「そうですね。や、本当はガイアやアラヤという区分けはありますが、今回は人間側の抑止力の話だけです」

 

まあそんな難しい話でもなく、とキャスターは言う。

 

「単に、私が喚ばれた理由がカルナに対する抑止力だったかもしれない、という話です」

 

人間の存続のために動く抑止力が、もし天草四郎の願いを看過できないと判断したなら。

普通ならあり得ないような存在が喚ばれることもあるかもしれない。

その『あり得ない存在』が、アサシンの自分だったという可能性がある、というのがキャスターの仮説だった。

 

「……」

「でも、あまり夢のある説では無いでしょう。私がカルナの邪魔をする役目の為だけに配置されたようで、面白くありません」

 

キャスターがさっき臍を曲げたのも、その可能性を思い付いたからだそうだ。

 

「それは何とも、否定しきれないな。まあ、魔術や並行世界となるとオレは門外漢だが」

 

アルジュナが顔をしかめ、白斗とキャスターは苦笑する。白斗の膝の上で、ジャックがもぞもぞと動いた。

 

「……そう言えば、あなたのよくいうジナコさんと違って、聖杯大戦のマスターは名前すら分からないままでしたね」

「……」

 

カルナは無言で茶を啜った。微妙に渋い顔になっている。

 

「それにしてもさ、キャスター。何で聖杯大戦の記憶があるサーヴァントと無いサーヴァントがいたかは分かる?」

「他の皆さんのことは答えかねますが……。私の場合だけに関して言えば、夢のある仮説と無い仮説、両方がありますが?」

「無い方からにしてくれ」

 

了解です、とキャスターが首肯した。

 

「単純に、私が消滅した場合です。私は『座』からのコピー分霊ではなくて、ほぼ魂がそのままがサーヴァントの枠に収まっています。なので、大聖杯が壊れた後にサーヴァント体が消滅し、結果魂が……」

 

キャスターが早口にそこまで言ったところで、カルナが手を振って話を遮った。

 

「すまん、そこまでで止めてくれ。喩え可能性にしろ、お前の魂が消滅したというのはあまり聞きたくない」

 

では、夢のある方の仮説は何かという話になる。

 

「私の魂が、サーヴァントとしてこの世を離れた後、輪廻の輪に乗った場合です。輪廻に乗れば魂は過去の記憶を無くし、ある意味、別の存在となります。なら、この私とアサシンの私との間での記憶だか記録だかが共有されることは無いでしょう」

「それってつまり、生まれ変わったってこと?」

「ええ。魚になったか鳥になったか、虫になったか人になったか。どうなったかは分かりませんが、別の生命として並行世界にいる可能性はあるでしょうね」

 

キャスターはそこまで早口で言い、一度黙った。

 

「でも、並行世界の私のことは、そっちの私の領分です。今の私にはこの世界だけですから、此処で精一杯やるだけです」

 

残念なことがあるとしたら。

アサシンの自分が、マスターのレイカから教えてもらったと言う子守唄が、唄えないことくらいだった。

 

「トロイメライだよね。今度CDでも持って来るよ」

「ありがとうございます、マスター」

 

キャスターがぺこりと頭を下げ、ジャックがその声で起きたのか目を開ける。

それから、遊ぼうとせがむジャックに手を引っ張られながら白斗は慌ただしく出て行き、アルジュナもついて出て行った。

全員がいなくなって、キャスターはほう、と息を吐いて湯呑みを片付けるために立ち上がった。

 

「別の聖杯戦争は気になったか?」

「まあそれはそうです。他所の私も賑わしいというか、騒がしいというか……」

 

どうせなら月に喚ばれてみたかった気もする、とキャスターは湯呑みを片づけながら言った。

 

「ジナコさんに会ってみたかったですね」

「……月の聖杯戦争は一対一の勝ち抜き戦だ。お前は性質上向いていまい」

「分かっていますよ。言ってみただけです」

 

淹れなおした熱いお茶をキャスターはカルナに渡すと、隣に座った。

 

「他所の私は、どうなったんでしょうか。輪廻の輪に乗れば、今までの記憶をすべて忘れてしまいます。アサシンの私はそれを良しとしたんでしょうか」

「さあな。それは他所のお前の選択だ。だが、日輪の下に生まれ変わってくれたらならば、お前がどういう姿や存在になっても他所のオレは探しに行くだろうな」

 

キャスターは頬をかいた。

素面でこういうことを言われると、何と返していいか分からない。

 

「それに、もしかすれば輪廻の輪に乗っても忘れないものもあるかもしれないぞ」

「……例えば?」

「心や想い出や……。まあ、何がしかあるだろうさ。お前の言葉ではないが、そう考えた方が夢があって良い」

 

自分が珍しいことを言っている自覚はあるのだろう。眉に皺を寄せた妙な表情になっているカルナを見て、キャスターは笑った。

他所の自分たちのことは、千里眼がない身には見えないし聞こえない。幸あれ、と祈る以外にできることはない。そしてそれが正しいのだろうと何となく思った。

湯呑みから立ち上る湯気が二筋、ゆっくり絡み合いながら昇っていって、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この街に来て何度目かの桜を、今年も見ることが出来た。

この街、冬木を流れる川沿いには満開の桜が並び、ひらひらと舞う花びらが道行く人々の目を楽しませている。

六導玲霞もその一人だ。

桜は好きだ。散るのは残念だけれど、また来年も見たいと思えるから。

聖杯大戦という非日常に巻き込まれていた頃は、来年に桜を見ることだなんて考えたこともなかった。

今は違う。来年も一緒に桜を見ようと、約束できる人がいる。今日もそのために来たのだ。

桜の木の下に作られた道を歩いて、待ち合わせている橋へと向かう。

陽光を浴びてきらきら光る水面を見ていると、昔のことが思い出されるときがある。

あれから、玲霞は拍子抜けするくらいあっさりと、日本に戻って来ることができた。

そしてサーヴァントは、一人も戻っては来なかった。

アサシンは最後の最後まで残り、自分の宝具を使って聖杯を消し飛ばして消えた。側にはカルナがいたという。

そう言った最後の戦いの細かい話を、玲霞は後でアッシュから聞かされた。彼はフランスに住んで働きながら、定期的に世界のあちこちへ旅行しては戻って来て、レティシアにその話をする、という暮らしをしているらしい。彼らの所へはたまに、一般人になったというフィオレも顔を出すことがあるそうだ。

カウレスは魔術師として修行中らしく、会うことはこの先ないだろう。

ゴルドは、造り主だという理由でホムンクルスたちにまだ居候されていると聞く。それもこれもあのアサシンのせいだと今でも零しているそうだ。

あれだけの騒ぎを起こして、ユグドミレニア一族は解散させられて、それでも魔術の世界は変わりなく続いているらしい。

何処かのサーヴァントが大聖杯を完膚なきまでに爆破してしまったから、破片の回収が出来ずに嘆いている者もいるというが、そこまでは玲霞は知らない。

フォルヴェッジの姉弟、ホムンクルスたち、聖女の依り代になった少女、あとはついでにムジークの錬金術師。彼らは何のかんのと生きてやっている。それだけ分かれば、十分だった。

玲霞はといえば、かなり生活の仕方を変えた。東京から出て、この聖杯戦争始まりの地という冬木にまで流れて来たのは、ただ何となくそうしたいと思ったからだ。

ここから奪われた聖杯は壊され、冬木はただの街になっていた。

今は図書館で働いている。時々、昔の歴史や、神話や伝説の本を読んでいると見知った名前が出て来て楽しくなる。その楽しさが失せた後、伽藍とした哀しみを感じたりもするけれど、それもそれだ。

本当に知りたい名前は、一度も見つけられたことはないけれど。

暗殺者という殺伐とした呼び名以外で、あのサーヴァントを偲べないのは残念だった。

水面に目をやったとき。

 

―――――ふと、どこからか鼻歌が聞こえた。

 

聞き覚えがある音の連なりに、立ち止まる。

辺りをゆっくり見回すと、一本の一際太い桜の木の下から聞こえていた。

旋律に合わせ、ぽーんぽーんと赤いボールが投げ上げられている。どうやら木の下の誰かが、鼻歌を歌いながらボールで遊んでいるらしい。

玲霞が歩き去ろうとしたとき、風が強く吹く。

あ、というあどけない声がして鼻歌とボールの動きが止まった。

木の向こうの人影は、困ったように大木を見上げているようだった。

 

「どうしたの?」

 

気紛れで、木の後ろに顔を出して声をかける。

くるり、と振り返ったのはまだ幼い女の子だった。十歳になるかならないか、だろう。

少し赤色がかった明るい茶髪を短く切りそろえ、瞳はきらきらしている。

白いシャツに青いキュロットスカートという格好をしていて、それがよく似合っていた。

 

「ぼうしが……」

 

小さな指が、木を指差した。

見ると、麦わら帽子が木の枝に引っ掛かって揺れている。さっきの風で飛ばされてしまったのだろう。

玲霞なら何とか届く高さだった。

取って渡すと、女の子はぺこりと頭を下げた。

 

「あ、ありがとうござい、ます」

「いえ、良いの。それよりさっきの歌、可愛いわね」

 

女の子は、ん、と首を傾けた。

 

「そう、なの?なんとなくのお歌だから、よくわからない」

「何となく?わたしの知っているお歌によく似ているけれど」

「……わかんない。なんとなくの歌だもん」

 

麦わら帽子を被り直して、女の子はまたボールを投げ上げては受け止める、という遊びを始めた。立ち去ればいいのに、何となく気になって玲霞は動けなかった。

 

「一人で遊んでるの?」

「ちがうよ。ともだち、待ってるの」

 

投げ上げていたボールを両手でぎゅっと握って玲霞の方を振り返り、女の子はぶんぶんと首を振った。

 

「このまちにきて、はじめてのともだちなの。ここで、またあそぼうって言ってくれたの。だから、まってるの」

 

芯のある言い方だった。多分、この子はそうしようと思えば夜になるまで待つだろうと、思わせるくらいには。

川面の光を宿してきらめく明るい色の目と、誰かの青い目が重なる気がした。

 

「あ、きた!」

 

不意に女の子が言い、つられて玲霞は顔を上げる。

数本後ろの桜の木の下で、女の子と同じ年くらいの子どもが手を振っていた。細身で小柄だが、多分男の子だろう。

 

「じゃあね、おねえさん。ありがとう!またね!」

 

たた、と女の子は走って行った。

玲霞が見ている間に、女の子は友達という子のところまで辿り着いた。

男の子が女の子に何か話し、女の子がぱっと笑顔になる。それから二人の子どもは、花びらが光って舞い散る道の中を並んで駆けていった。

 

「……またね、か」

 

同じ街に住んでいるのだ。

もしかしたらそういうこともあるだろう。といっても、ここは大きな街だからもう会えないことも十分に考えられる。

それでも玲霞は、またあの子に、あの子たちに会えたら良いなと願った。

会えたなら、今度は名前を聞いてみよう。もちろん玲霞もちゃんと名乗る。

名乗ってから先のことは――――そのときになってみないと分からなかった。

一人静かにその日を夢見ながら、六導玲霞はゆっくりと春の小道を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 







閉幕です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

以下はただの後書きです。





























改めまして、ここまでありがとうございました。
ハーメルン様にての初投稿で、諸々分かっていなかった作者がここまで書いていられたのは、本当に読んでくださった方のお陰です。

そもそもは大学の授業でワヤンのマハーバーラタのことを習ったのが始めでした。ワヤンではカルナさんは結構感情的で、そこに何となく惹かれて調べ、書き始めました。
ちなみにそっちでは、カルナ(劇ではカルノという名前になっていますが)さんには名前有りのかなりキャラ立ちしている奥さんがいます。
まあ、その奥さんとこの主人公は似ていませんが。 

あと出せなかったですが、主人公にも最初から名前は考えていました。某ブッダの伝記漫画に出てくる、金髪碧眼薄幸ヒロインから取りました。誰だか分かった方はこっそり教えてくれると作者は喜びます。
まあ、そのヒロインちゃんともこの主人公はあまり被っていないのですが。

これは作者としては、初完結できた小説です。
沢山の反省点を思い出してしまいますが、楽しんで書く事はできました。

ではでは皆様。
ここまでに感謝を。
またいつか、何処かで会えることを願います。


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