Bad apple. (天凪。)
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act.1「あ、ボク敵サイドなの」

コナンは好きですけど、原作も持ってなければずっとアニメ見ていたわけでもないのでニワカです。


「ま、待ってくれ! 金ならいくらでも払うからどうか命だけは、」

「ごっめーん無理。来世に期待してね!」

 

 バイバイ、と笑って引き金を引く。軽い破裂音を伴い銃口から放たれた鉛の弾は、寸分違わず額に吸い込まれ脳を破壊し、赤黒い液体を吹き出させた。贅肉を溜めこんだ体は糸の切れたマリオネットのように崩れ落ち、ピクピクと痙攣を繰り返した後、動かなくなった。それを見届けてボクは踵を返した。電球の光を反射し鈍く銀に光る、愛用の凶器(ハンドガン)――コルトディフェンダーをウエストポーチに見せかけたホルスターにしまう。

 鉄の生臭い臭いに顔には出さないが内心眉を顰めていると、前方から見知った、というか今回の任務の相方である優男が現れた。柔らかそうな薄い色の髪をくしゃりと掻いて、そちらは済みましたか、と甘い声で尋ねてきた。

 

「ああ、うん。そっちも終わったみたいだね。」

「ええ。人数はいましたけど一人ひとりの力量はそれほどでもなかったので。」

 

 それでも返り血の一つつけずに終わらせるとは流石だな、と思いながら人を殺した後とは思えない声音で会話する。ふと視界の端に掠めたのは、薄明かりに照らされた物言わぬ屍だった。それに何も言わず足を進めて、男達の立て籠もった薄暗い倉庫から出る。月のない夜の下、相方の愛車である白いRX-7の助手席に乗り込んだ。相方が運転席に乗り込みキーを差し込んだところまで見て、それから先程までいた倉庫に視線を向けた。

 組織の情報を知りすぎてしまった裏社会の住人の始末。それが今回の任務の内容だった。よくある仕事だが、知ってしまったその人は哀れにも頭の悪い人間ではなかったようで、殺されてたまるかと何も知らない部下を引き連れてこんな郊外の倉庫まで逃げてきた。まあ結局殺されちゃったわけなのだが、ボクに。頭の悪い能無しだったら、怯える間もなくさっくり死ねたんだけど。

 そこまで考えて、人を殺したにも関わらず特に何の感慨も浮かばないことに、かなり感覚が麻痺してきてるなあとぼんやり思った。“こちら”に来て初めて人を殺したのはいつだったか、もうあまり思い出せない。思い出さないようにしているのかもしれない。

 

「さて、シードル。どこまで送りましょうか?」

「ん? あ~それじゃあ今日の集合場所のホテル辺りで降ろしてよ。ボクちょっとぶらぶらしたら報告に行くからバーボンは帰っていいよ。」

 

 正面から目を離さないで問いかけてきた相方――バーボンに返事をする。バーボンは短く了解、と返して運転に集中した。

 シードル、とはボクのコードネームだ。幹部に昇りつめるとは思わなかったから、もらった時には心底驚いた。因みにシードルは林檎の果実酒で、その歴史は葡萄の果実酒と並ぶほど古いそう。

 

 唐突にデデンデンデデン、とサイボーグが迫ってきそうな音楽が車内に響き渡る。運転席からの視線を感じながらウエストポーチを探って携帯を取り出す。パキッと音を立てて開くと、思った通りメールが一通着ていた。

 

「なんですかその着信音。」

「面白いでしょ? ちなみに電話は日本の某ホラー映画の着信音だよ。」

「うわ絶対出たくない。」

 

 カチカチとボタンを押しながらポンポンと会話を続ける。良かった、沈黙はボクを殺す凶器になるからどうにかしたかったんだよね。

 着たばかりのメールを開く。送り主は最近よくつるんでいる友人。ゲームセンターで知り合った、表の世界しか知らない少年だ。メール内容を確認して、思わず眉をしかめた。

 

「あーもう、ごめんバーボン、行き先変更。最寄り駅のゲーセン分かる? そこに行ってくんない?」

「何かあったんですか? 任務追加とか……」

「違う違う、表の友達からヘルプが来たんだよ。ゲームで詰んだって泣き付かれた。あんだけそんな装備で大丈夫かっつったのに。あいつの大丈夫だ、問題ないはもう信じないことにする。」

「一番いい装備を押し付けないといけませんね。」

 

 クスクス笑うバーボンはホテルへ向かう道から駅へ向かう道へとハンドルを切る。ボクはボクで携帯を操作して少年に返事を書き、送る。初見での攻略は難しいって言ったのにも関わらず軽装で行ったってことは、たぶん最初っからボクに助けてもらおうと思ってたんだろうな。仕事があるの知っててやってんだから質が悪い。……好意的であることに悪い気はしない、というか好都合なんだけどね。

 

「あいつのお父さんには世話になるから、ね。」

「……なるほど、下心ありありってわけですか。」

「じゃなかったら表の少年にこんな肩入れするわけないっしょ〜。」

 

 目的もなく表の無垢な少年と親密になれるほどボクはもう綺麗じゃない。なんて、ね。 

 

 

 

 ボクには自分でもよくわからない記憶がある。たぶんこれは前世とかいうやつの記憶。表現が曖昧なのは、記憶が朧げだからだ。前の世界での自分自身に関することは殆ど欠落してしまっている。覚えているのは、自分を特定しない知識や、最期の瞬間くらいのものだ。知識は例えば数学、例えば歴史、例えば物語。娯楽であるフィクションの世界の知識は、自分を自分たらしめるものにはカウントされないらしく、結構綺麗に残っている。少年が海賊王を目指す漫画も、炎や水を出してドンパチする派手な忍者漫画も、等価交換で魔法のようなことができる錬金術の漫画も、髭面の配管工がお姫様を助けるゲームも、電気鼠が代表的な携帯できるモンスターのゲームも、生き残った魔法使いの少年が例のあの人と戦う小説も、全部全部覚えている。そういったものに触れ合うよりも前から。

 その中でも異彩を放つ知識が、『名探偵コナン』というご長寿漫画だ。天才高校生探偵が、毒薬で小学一年生にまで幼児退行して、その元凶である黒の組織を追うというサザエさん時空の物語だ。熱心なファンとまではいかないが、そこそこ好きだったようで、漫画は全て揃えていたし、アニメも時間があれば見ていたみたいだし、映画も公開されたら一度は映画館に足を運んで見に行っていたようだ。

 全てを覚えているわけではない。でも、流石に主人公を幼児化させた犯人の顔やコードネームくらいは覚えている。

 ジン。光を飲み込むような黒の衣装をまとい、帽子からは蛇のような鋭い眼光が覗く。彼の顔を見た瞬間、かつての“ボク”が読んだ物語のことが脳裏に過ぎった。

 あ、ボク敵サイドなの。膨大な未来の筋書きに混乱したボクが、一番最初に思った感想だった。




バーボンはいつから組織に潜入してていつから幹部になったんですかね……?

銃はネットで拾ってきた情報だけで書いてます。主人公は小柄なので大きい銃は扱えないということにしています。できるだけ調べて書いてるつもりですが、間違いがあったらすみません。

ちなみに今回殺害された被害者達は裏で悪いことしまくってたため、二人が証拠隠滅しなくても彼らの上司や取引先の手によって綺麗にもみ消されます。だから二人は彼らを始末した後さっさととんずらこいたのです。


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act.2「観念します怖いです」

遅くなりました、バーボン視点のシードルと初任務話です。本当は任務終了まで書いてから投稿しようと思っていたんですが、思った以上に長くなったためぶった切りました。

途中で「コナンの二次創作を読んでるんだよな……?」って思っても安心してください、ちゃんとコナンです。

16/12/1 本文加筆修正


 彼女と初めて会った時の衝撃を、僕は一生忘れないだろう。

 

 黒づくめの組織に潜入し、ようやくコードネーム"Bourbon"を与えられたばかりの頃の任務の時のことだ。

 パーティーに潜入し、とある重役数人から情報を引き出し、場合によっては始末しろというよくあるものだった。同じ任務につくのは、ベルモットと、シードルという未だ顔を合わせたことのない幹部だった。

 

「あら、私とバーボンだけじゃなくてシードルも使うのね。」

「ベルモットは知っているんですね、どんな方なんですか? このシードルという人は。」

「バーボンはまだ会ったことなかったかしら? 面白いやつよ。」

 

 僕の質問に具体的な答えを返さず、ふふふ、と妖しく笑って彼女は去っていった。

 

 シードルという幹部について、僕が知っていることはあまり多くない。独自の広い情報網を有すること。ベルモットと並んであの方やラムに気に入られているにも関わらず、幹部の人間にあまり悪感情を抱かれていないということ。そして、女性であること。

 組織の情報を探るために高い地位にいながら、比較的近づきやすいベルモットと関係を深めようとしたが、思った以上にガードが堅く情報を引き出せないでいた。ベルモットは組織の構成員にすら手の内を見せない徹底的な秘密主義だったからだ。その信条は組織内部からも不信感を募らせるもの。ベルモットから情報を奪うのは至難の業だとすぐに分かった。

 組織は裏切り者には爪のカケラほどの慈悲も見せない。昨日まで一緒に酒を飲んでいた仲であろうとなんの躊躇も見せず引き金を引く。公安の人間だとバレないためには慎重すぎるほどに慎重にならなくてはならない。手の内の分からないベルモットに不用意に近づくのは危険だった。

 そういうわけでシードルの存在は渡りに船とも言える。まだ断言は出来ないが、ベルモットより取り入りやすいかもしれない。

 突然舞い込んできたチャンス、逃すわけにはいかない。そう意気込んで、懐から携帯を取り出した。

 

***

 

 複数あるセーフハウスの一つ、住宅街にひっそりと佇む小さなマンションに僕は訪れていた。鍵を開けて中に入り、後ろ手に鍵をかけ直す。玄関には見慣れた靴が二足、きちんと並べて置かれていた。その隣に自分の靴を並べて置く。そして廊下の突き当りにあるリビングへのドアを開き、ソファーに座っていた信頼する仲間に声をかけた。

 

「ただいま、スコッチ。」

「お帰り、バーボン。」

 

 道すがら買ってきた缶ビールと枝豆などの簡単なつまみをローテーブルに雑に並べる。油断ならないスパイ生活において、アルコールは手っ取り早くリラックスできる便利なツールだ。勿論二日酔いなどという不様なことにはならないよう度数も量も控えめにしなければならないが、それでも気の置けない友との晩酌は僕にとって数少ない癒やしの一つであった。

 

「今日もお疲れ。」

「ああ、スコッチもな。」

 

 プルタブを開けた缶同士をカツンと軽く打ち鳴らして一気に中身を煽る。ビールの苦味とアルコールの辛味が口内に広がった。少し前はビールの美味しさがよくわからなくて避けていたが、スコッチに合わせて飲むようになってからは段々美味しく感じるようになった。

 缶から口を離して、ほっと息をつく。組織内では常に緊張状態で息が詰まる。隙を見せたら死ぬかもしれないのだから。任務を請け負ったのは自分の意志でもあったけれど、四六時中気を張って仮面を被り続けるのは流石に疲れる。そういう点では、スコッチに本当に感謝している。たった一人で組織に潜入するのと、一人でも頼れる仲間がいるのとでは全然違う。

 枝豆をつまみつつ雑談を続ける。今のところスパイ疑惑はかけられていないが、いつ何時どこから情報が漏れるか分からない。あまり言いたくはないが、どちらかが死んだとしても、こうやってこまめに情報を共有することで公安に情報を届けられる可能性が高まる。だが、正直スコッチを失うような状況になったら、自分が何をするか分からない。組織に潜入しているということを忘れなければいいのだが。

 

「――あ、そうだ。シードルのことは知ってるよな?」

「ベルモットの代わりになりそうな幹部のことだろ? 彼女がどうかしたのか?」

「今度同じ任務につくことになったんだ。ベルモットも一緒だけどな。」

「何!?」

「上手く行けば、組織のことが一気に分かるかもしれない。」

 

 無意識に手に力が入っていたのか、持っていた缶がミシリと悲鳴を上げた。その音に慌てて力を抜く。僕の一連の動作をじっと見ていたスコッチが、眉根をやや寄せて真剣な顔をして言った。

 

「バーボン、肩の力を抜いておかないと駄目だぞ。油断は禁物といえど、変に力が入り過ぎても怪しまれる。」

「分かってるさ。ただ、ようやくあの方に近づく取っ掛かりができるかもしれないと思うとどうしてもな。」

「そうだな。期待通りだといいんだがなあ。」

「嫌なこと言うなよ。例え駄目だったとしても今まで接触できなかった幹部のことが分かるんだ、一歩進むことには違いない。」

 

 情けない言葉を吐くスコッチをじろりと睨む。同じことを思わなかったわけではないけど、そういうことを口にしたら本当のことになりそうで嫌だった。だから言わなかったのに、と視線に乗せて訴えれば、スコッチは頬を掻いて申し訳無さそうに笑った。

 

「ははは、悪い悪い。今日は任務のせいでちょっと気が滅入っててな、考えが良くない方に傾いちまう。」

「へえ? 勿論話してくれるんだよな?」

「分かった分かった、話すからそう睨むな。今日やるはめになった任務はな――」

 

 話せば意外と楽になるものだ。共有して、一緒に背負ってやる。そうすれば、この窮屈な生活も耐えられるんだ。それが、組織に潜入してから学んだことの一つでもあった。

 スコッチの話を聞きながら、アルコールに酔って一晩を過ごした。

 

***

 

 潜入予定のパーティーの会場から近くも遠くもないホテルに僕は訪れていた。大理石の床は天井から下げられた豪奢なシャンデリアの光を反射し、毛足の長い絨毯には埃一つ付いてやしない。何もここまでお高いホテルを指定せずとも、と考えて、そういえばあの魔女は世界的な大女優でもあったな、と思い出す。指定された部屋の鍵をフロントで受け取り、複数あるエレベーターの一つに乗り込む。階数を表示するパネルの数字が二桁を超すのを見ながら、昨日突然送られてきたメールの内容を反芻した。

――シードルが、任務前日までには顔合わせしておきたい、と言ったそうだ。大抵の幹部は当日に顔合わせする。情報分野の僕と組む幹部は、ベルモットを除けば殆ど暗殺特化の者ばかりだからだ。標的を陥落させたり、誘き出したりするのはこちらの仕事だが、それまでは殺害を実行する彼らに仕事は殆どない。だから、顔を合わせる必要が無い。しかし今回は割りと特殊な任務だ。僕、ベルモット、シードルは諜報に長ける人間。さっきも言ったが必然的に任務の相方になるのはスナイパーが多い。なのに今回は三人全員での仕事だ。揃って現場に出て、相手から情報を引き出す。こういった場において、連携が出来ないのは致命的だ。口裏を合わせる必要が多少ある。

 ……任務の詳細は、実はまだ知らない。ベルモットとシードルはラムから直接メールを貰える立場にあるが、僕はそうではないから。彼女達に教えてもらわないと、僕は何も出来ない。普段なら内容は部下を経由してUSBで渡されたり、ベルモット辺りとの任務だったら口頭もしくはメールで伝えられたりするのだが、今回は顔を合わせるのだからと未だに詳細が手に入っていない。今日は任務決行三日前だが、複数ターゲットがいるというのに詳しい打ち合わせがこれからだなんて些か杜撰なのではと溜息を吐きそうになる。

 ホテルの中層階で降り、絨毯の敷かれた廊下を進む。目的の部屋はこの長い廊下の一番端、角部屋だ。最も侵入されにくい部屋を選んだのは二人のうちどちらだろうか。発案者のシードルと思うのが妥当か。

 などと思いつつ辿り着いた部屋の鍵を開け中に入る。広々とした部屋で息をつく前に、不審物の類がないか粗方調べる。一通りの確認を済ませ、夜景の望める窓際に設置された一人がけのソファーに腰掛けた。

 長いような短いような時間の後、突然組織用の携帯が鳴り出した。メールだ。確認すると、全く見覚えのないアドレスからのものだった。内容は、と開いた瞬間、ちょっと疲れてるのかなと思った。

 

『わたしメリーさん 今✕✕ホテルのロビーにいるの』

 

 ホテル名は丁度僕がいるホテルのものだった。

 再びメールの受信音が鳴る。先ほどのものと同じメアドだ。

 

『わ たしメリーさ ん 今エ レベーターホールにい るの』

『わタ しメ リー さん 今エレベ ーターに乗って ルわ』

『ワたシメリ ーさん 今エレ ベータ ーを降 りタとこ ろよ』

『ワたシメリーさn 今廊下ヲ歩いテルの』

 

 ホラーはお呼びじゃないんですけど、と誤魔化すように呟いた。疲れてるんじゃなくて憑かれてたんですかね。いや悪戯なんでしょうけど。

 六回目の受信音が鳴り響く。順当に行って、『今部屋の前にいるの』とかでしょう?

 

『 もうすぐあえるね 』

 

 ヒュ、と喉が鳴った気がした。

 

 ドンドンドンドンドンドンドンドン。突然響き渡った音に思わず体がビクリと跳ねる。ドアが激しく叩かれているようだ。唾を飲み込み、携帯片手にドアに近づく。悪戯の犯人だろう、驚いたら相手の思う壺だ。そう、こんな悪戯怖くない怖くない。さっきはちょっと油断してただけ。

 ドクンドクンという音がする。まるで耳元に心臓があるみたいだ。鼓動と比例して呼吸も速くなる。これじゃまるで怖いと思ってるみたいじゃないか。

 ようやくドアの前まで辿り着く。ドアノブに手をかけようとした瞬間、唐突に叩く音が止まった。いなくなったのだろうか、と恐る恐る覗き穴を覗きこむ。

 

「 あーけーて 」

 

 見えたのは、こちらをじっと見つめる血走った目玉。それを認識したと同時にドア越しに言われた言葉。少女のような、老婆のような、形容しがたい声。

 

「ひぃっ!?」

 

 観念します怖いです。

 

 携帯を取り落として尻もちをつく。ドアノブが動き、ぎぃ、とゆっくりゆっくりドアが開かれる。鍵かけとけばよかった、なんて後悔しても意味は無い。後悔先に立たず。完全にドアが開く前に、ぎゅっと目を瞑る。なんで僕がこんな目に。ドアの軋む音が止まった。

 一分か、それ以上か、はたまた数十秒か。何も起きない。いつまでもこうやってドアの前でへたり込んで目を瞑っているのもアホらしくなり、そっと目を開けた。

 目に飛び込んできたのはボサボサの長い黒髪のヒトガタ。

 

「うわあああ!!」

 

 髪の間から覗く口元が、にんまりと不気味に歪んで、手を伸ばし、

 

「ドッキリ大成功!」

 

 髪がなくなった。

 

 いや、これだと語弊がある。あの長い黒髪は鬘だったようで、伸ばした手で一気に取り去った。鬘の下から出てきたのは満面の笑みを湛えた子供の顔だった。

 

「……え、」

「いやあーこんなに怖がってくれるなんてこっちも脅かしがいというものがあるね! あ、大丈夫? 立てる?」

 

 子供は心底楽しいという感情を惜しげも無く前面に押し出した笑顔をこちらに向け、手を差し伸べてきた。しかし油断はできない。組織用の携帯のアドレスを知っていたこと、この部屋の場所に迷わず来たこと、それから察するに、この子供は――

 

「さっさと立ちなさい、バーボン。それとも怖すぎて腰が抜けちゃったのかしら?」

「ご協力あざっした、ベル姐さん!」

 

 子供の背後から現れたのは金髪の絶世の美女、ベルモットだった。僕を見下すような嘲笑をその秀麗な面立ちに乗せ、真っ赤な口紅の塗られた唇から毒を吐く。そんな彼女を子供は見上げて、ぱあっと笑った。

 

「……ちょっとびっくりしただけです。」

 

 差し出された手を無視して一人で立ち上がる。子供はきょとんと無視された自分の手を一瞬見やったが、すぐにそっか、と言って引っ込めた。その声に悪感情は見当たらなかった。

 子供に急かされてさっきまで僕が座っていたソファーに戻る。ローテーブルを挟んだ向かいの二人がけのソファーに二人は座った。ボク窓際ね! と言って窓に近い方に座った子供を見るベルモットの目が、存外優しかったのが印象的だった。

 




自分でも書いてる途中で「あれれー? おかしいな~」と思うような謎展開でしたが、まあシードルの性格を如実に表しているので、これはこれでいいかなと投稿した次第です。

安室さんは多分怖いと感じても幽霊はいないと信じて自分の気持ちを誤魔化そうとするタイプだと思います。ただの偏見です。限界点を突破すると普通に怖がりそう。我が家の安室さんはこんなんです。あと意外と俗っぽくてノリが良さそう。

因みにベル姐さんもちょっとノリノリでした。シードルのやらかす悪戯を傍観しつつたまに手を貸す人です。今回は声のお手伝いでした。シードルは別に声を自在に変えられるわけではありませんので。ベル姐さんは結構愉快犯だと良い。

16.0814 訂正・追記 1026 訂正
原作降谷さん年表は下記でとりあえず進めます。降谷さんエリート過ぎワロタ。
二十三歳→警察学校(スコッチ・伊達・松田(?)同期)(萩原は中学とか高校の友人で高卒で警察学校に行ったから早めに警官になってる)(松田さんはよく分からないからとりあえず同期ってことで)
二十四歳→公安になる
     めっちゃ優秀で上から一目置かれる
二十四〜二十五歳→優秀さを買われて組織に潜入
         ベルモットに取り入る
         割りと早くコードネームをもらう
         (スコッチも同様)
二十五〜二十六歳→バーボン、スコッチ、ライのスリーマンセル
         スコッチ死亡
         バーボンはライ絶対殺すマンに進化
二十七歳→ライがFBIだとバレる
二十九歳→原作開始

佐藤刑事も同期なんですかね、高木刑事は一個下ですよね、この六人がどういう関係なのか筆者めちゃくちゃ知りたいなあ〜。
降谷さんが三十路秒読みってだけでやばいのに調べれば調べるほど降谷さんが年齢サバ読んでる疑惑が濃厚になって頭おかしくなりそうです。
松田さんは七年前には機動隊のエース……イコール八年前までには警察学校を卒業。降谷さんはこの時二十一歳です。普通の大学生です。高卒じゃ公安になれないから大学生やってなきゃおかしい。どういうことなんですか青山先生……。
降谷さんサバ読んでるか海外で飛び級大卒してるかしかないんですが。海外の大卒は通用するのでせうか。仕組み複雑すぎて筆者こんがらがってきました。


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act.3「絶対こいつ面白がってる」

ハッピーハロウィンですね。ハロウィンとは全く関係のないお話ですが。

純黒のDVDが届いてハイになりました。初回限定盤なのでおまけつきです。安室さんと赤井さんかっこいいです。そのテンションのままシードルin純黒を書き始めちゃっていつこれ投稿すんだろうと思いました。原作突入してからになりますね、本当にいつになることやら。

ところで気がついたらお気に入り数が300超えてました。ありがとうございます。早くジンニキやライと絡ませたいのに書けません。毎日更新なんてしてみたくても夢のまた夢ですね。なんという遅筆。

今回名前付きのモブが三人出てきますが任務の標的ですので早々に退場します、ご安心ください。
引き続きバーボン視点です。


 子供は僕とベルモットがきちんと座ったのを確認して、空気を変えるようにパンと一度手を叩いた。

 

「それじゃあ改めて! 初めまして、ボクはシードルって言います。情報関係の任務をメインにちょこちょこ暗殺もしてるよ。ライバルだけど数少ない諜報担当だし、仲良くしたいな。よろしくね!」

「バーボンです。こちらこそよろしくお願いします。」

 

 弾けるような笑顔とともに、右手を差し出してきた。僕は今度はその手を取り、にこやかに返事を返した。そしてさり気なく子供――シードルの右手を観察する。まるで本当の子供のように柔らかく細い手だった。観察したのは一瞬で、握手はすぐに解けた。

 

「さて、バーボン。キミ今ボクに聞きたいことあるんじゃない?」

「なんのことでしょうか。」

「またまた〜とぼけちゃって! ボクの性別知ってんだろ? ほら、男装趣味なのとか思ったでしょ?」

「……まあ、正直に言えば。」

 

 シードルの遠慮のない言葉に控えめに同意を示した。確かに、彼女の格好は男装と言って差し支えない。白いカッターシャツは第一ボタンまでしっかり閉め、きっちり締められたネクタイはショートタイプのようで通常のものよりも短い。シャツの上からはカマーベストを着ている。合わせがどちらか分かりづらいデザインのそのベストと穿いている細身のパンツは同じ黒色。靴はややカジュアルな革靴。どれもこれも一目で上質と分かる代物だ。

 

「女性らしい格好が苦手なんですか?」

「まあね。顔も中性的だし、いっそのこと性別不明目指せばいんじゃね? って思って。性別:シードルみたいな。でもシャツとかベストとかちゃんと女物なんだよ。」

 

 分かる人には女の子だって分かるようにしてるんだと言う彼女は、どうあがいても中学生そこそこの少年にしか見えない。彼女は小柄な上に非常にスレンダーな身体つきをしているから、第二次性徴前の少年だと言われれば納得してしまう。本人が言うように顔立ちも中性的だ。

 十代前半から半ば程度の容姿の彼女が、シードルのコードネームを与えられたのは五、六年前だととある下っ端組織員が言っていた。どれくらい長く組織にいるかは知らないそうだが、コードネームを貰った当時から容姿が変わっていないらしい。どういうことだ。

 

「お? 『お前は一体幾つなんだ』って顔してるね。」

「実際幾つなんですかあなた。ベルモットもかなり若作りですし、なんです? 組織は不老の薬でも作ってるんですか?」

「その言葉そっくりそのまま返すわ、バーボン。あなた人のこと言える立場なの?」

「確かに! キミすっごい童顔でティーンに見えるけど、二十歳は過ぎてんだよね。」

「ええ、勿論。シードルはどうなんですか? 僕より歳下に見えますけど、見た目と中身釣り合ってないんでしょう? ベルモットのように。」

「そうだよ〜。あ、少なくともベル姐さんより歳下だよ。」

「当たり前のこと言わないでちょうだい。あなたみたいなのが同年代だなんて思いたくないわ。」

 

 どうやら自分の年齢を明かす気はさらさらないらしい。再三言うが、こちらが把握しているシードルの情報は非常に少ない。少しだけでも多く手に入れたいところだが、やはりそう安々と情報を与えてはくれなさそうだ。しかし、この容姿で自分より歳上だと言われたらどうしようか。人のこと言えないだろとか天然の年齢詐欺師めとかスコッチ辺りに言われそうだが、シードルに関しては仕方がない。見た目完全に中学生だぞ。僕はどんなに間違われても高校生程度だ。よってシードルの方が年齢詐欺である。

 

「まあそれはともかく! 任務のこと話さなきゃね。ターゲットのことなんだけど……」

「標的は三人、男二人、女一人よ。」

「バーボンにはこの成金オバサンの相手を頼みたいな〜。彼女の好み、丁度キミみたいなベビーフェイスのイケメンなんだよね。ぴったりじゃん。」

 

 品の良いローテーブルにベルモットが三枚の写真を並べる。六十になったばかりくらい白髪混じりの男性、三十後半くらいの黒髪の男性、五十代くらいの女性。シードルは女性の写真を手に取り、ひらひらと顔の前で振った。歳相応の老いの見られる顔を隠すように施された厚化粧に豪奢な宝石のあしらわれたアクセサリー。年甲斐もなく若い男の腕にしなだれかかるその姿はいっそ間抜けにも思えた。

 

「名前はアニータ・コープランド。表向きには製薬会社の社長夫人、裏では結構やばいクスリを密売してる。夫である社長は妻にベタ惚れで言いなりなんだと。まあ、顔はそれほど悪くないし、昔は相当美人だったんだろうね。今じゃ面食い色情ババアだけど。」

 

 彼女お得意のそういうおクスリ盛られないように口にするモンには注意しといた方がいいよ、とシードルは宣った。気に入った男にクスリを盛ってペットにするのがいつもの手口らしい。冗談じゃない。元よりパーティで何かを口にする気はないが、そんなやり口で彼女の手に堕ちる羽目になった男性達も遣る瀬ないだろう。

 

「ベル姐さんはこっちのビール腹オジサン、モーゼス・オールストンをお願いしたいな。典型的な美人好きの変態親父。」

「モーゼス・オールストン? 見覚えがあると思ったら、工業系の大手会社の社長じゃないですか。」

 

 シードルはアニータの写真を置いて白髪の男性の写真を代わりに手に持った。その名前を聞いて記憶に引っ掛かり、よくよく見れば表の社会ではそこそこの知名度を誇る会社の社長に合致した。彼の会社は、てっきり完全に表の会社だと思っていたのだが。悪い意味で驚いた。

 

「裏の人間相手に武器の密売をやってるわよ、この男。最近じゃ人身売買にも手を出してるらしいわ。」

「え、最近? 全然そんなことないよ、こいつ昔っからやってるよ。まあ今はこいつって言うよりこいつらだけど。」

「なんですって?」

「と言うか、『こいつら』って……まさか。」

「そ。モーゼス・オールストンの息子、トバイアス・オールストンも勿論噛んでるよ。こいつが会社に入ってから、人身売買の方がちょっと増えたの。モーゼスがその筋の仕事を息子にやらせ始めてから周囲にバレてきたってことだ。そう考えると父親の方は随分と上手に浚って売ってたんだね、気づいてる人はかなり少なかったよ。だからベル姐さんが知らなかったのも無理はないさ。」

 

 そう言ってシードルは空いている片手に最後の一枚、黒髪の男性の写真を取った。取引相手だろう女性ににこりと微笑む男性は人の良さそうな爽やかな顔立ちをしているが、シードルの話を聞いた後だと、その笑顔がどこか悍ましく思えた。全く、人は見た目に寄らない。まあそれはここにいる全員に言えることだが。

 しかし、ベルモットでさえ把握していなかった人身売買をよく知っていたものだ。独自の情報網の広さは伊達じゃないということか。幼気な顔と明るい笑みとは対称的な仄暗い話をさらりとする辺り、見目に反して組織らしい人間だとつくづく思った。

 

「この男さあ、やっさしそーな顔してえげつないよ。父親の方がよっぽどマシな趣味してる。」

「……トバイアス・オールストンはシードルが担当するんですよね。その、口にも出したくないんですが、……」

「うん、まあ、お察しの通りショタコンですな。小学校高学年から中学生くらいの美少年が好みで、いいなと思った子を浚って手籠めにして飽きたら売り飛ばしてるみたい。父親と違ってジム通いして鍛えてて本人の腕っ節も強いって。そんな奴に組み敷かれたらそりゃ逃げらんないよなあ。」

 

 それを聞いた僕は思わずシードルを見た。細い。袖口から覗く手首は、僕が本気で握ったらあっさりと折れてしまうのではないか。他人事のように言ってるが彼女も大の男に組み敷かれたら一溜まりもないだろう。何か格闘技でも会得しているのかと思ったが、こんな華奢な体格では全くそのようには見えない。組織はどちらかというと銃火器に長けている人物が多い。彼女もそのタイプなのだろうと推測した。

 

 

 

「それじゃ、皆打ち合わせ通りにね。」

「ええ。」

「了解。」

 

 周囲に聞こえない程度の声量でシードルに短く言葉を返した。

 ベルモットが差し出した三枚の招待状を従業員は確認し、何の疑いもなく会場へ案内する。それもそうだ、招待状は全て正真正銘本物なのだから。

 

 当初僕はアルバイトとして潜入する予定で、ベルモットは偽造した招待状で会場入りする予定だった。そこに待ったをかけたのがシードルだった。もっと安全に潜入する方法があると、内緒話をする子供のように楽しげに言った。そして取り出したのが、三枚の本物の招待状。

 『持つべきものは友、ってね!』

 とあるツテから入手したらしい。本物があるなら、わざわざリスクが高い潜入方法を選ぶ理由はない。急遽僕達は三人でパーティに潜入することとなった。

 僕とシードルは仲の良い兄弟。貿易会社の社長の子息としてのびのびと育った箱入り息子達。実母を病で喪い、数年後に他の女性が妻に迎えられた。その妻、つまり義理の母との関係は良好。今回は父親が仕事で来られないため、代わりに義母が保護者として付き添っている。という設定だ。もちろん義母役はベルモットである。そこまで決めることかと思ったが、下手に口を挟むと変に絡まれそうだったから口を噤んだ。絶対こいつ面白がってる、愉快そうに話すシードルを見て思った。

 ただ、兄弟設定である僕とシードルは残念ながら全く似ていない。年齢なら兄弟でも通りそうだが、容姿は似ても似つかない。髪も、眼の色も、顔立ちも、肌の色も違う。これで兄弟ですなんて言えるわけがない。それを指摘したら、シードルは安心してと微笑んだ。

 当日、シードルはウィッグを被って現れた。僕と同じ色の髪。それだけで随分印象が変わる。標的も色素薄めのが好きみたいだから丁度いい、と潜入のために用意した白のスーツに身を包んだシードルが言った。幼さを強調するためだろう半ズボンと黒のハイソックスの間から覗く膝小僧が眩しい。

 

 ベルモットとは先程分かれた。彼女はこちらの息のかかった他の客に挨拶をしてカモフラージュをしつつ、ターゲットであるモーゼスに近づくのだ。無論僕らも後で別行動になる。今は弟に付き合う兄と、控えめながらも兄を振り回す弟を演じている。周囲に違和感を覚えられ主催者側に密告されては溜まったものではないから、こういった行動は意外と重要なのだ。

 

「アニータ発見。早速行くかい?」

 

 シードルに袖を引かれ、耳を傾けてやると小声で早口に告げられた。それに明確な返事は返さなかったが、代わりに行動で示した。

 

「あっちのご飯が食べたいのか? じゃあ一緒に行こうか。」

 

 シードルは嬉しそうに笑って、僕の腕を引っ張った。そして赤いドレスを身に纏ったアニータの傍で離し、一人先に行く。僕は離れる弟を慌てて追いかけるように駆け足気味になり──アニータにぶつかった。

 

「ちょっと何するのよ!」

「あっ、す、すみません、ミセス! お怪我はありませんか?」

 

 目尻を釣り上げ声を荒らげるアニータの宝石の指輪だらけの手を取り、眉を下げて申し訳なさそうに心配そうに言えば、彼女は顔を赤らめ、大丈夫よと先程の勢いは何処へやらしおらしく言った。

 

「本当に申し訳ありません……。こちらの不注意でした。」

「い、いいのよ、誰だってこれくらいの失敗はするもの。」

「でもぶつかってしまったのは事実なので、どうかお詫びを……。」

 

 アニータの視線が僕の頭から足先を滑り抜ける。どうやらお眼鏡にかなったようで、「じゃあこの後暫くあなたの時間をくれないかしら? 夫が今日来れなくて。」と微笑んだ。彼女の裏を知るこちらとしては、どんな笑みも気味が悪く見える。そんな感想は噯にも出さず、僕は喜んでと嘯いた。

 シードルは上手くいっただろうか。見た目に不相応な年齢ということは知っているが、子供の見た目というのはどうもいけない。ついつい心配してしまう。

 歯の浮くような甘い台詞を囁き、貼りつけた笑みでご機嫌をとり、任務遂行を急いだ。




シードルのイメージイラストをアップするか悩んでおります。既存キャラで一番近いのはとうらぶの薬研でしょうか、彼よりもっと目が大きくて悪戯っ子っぽい感じですが。

ジンニキに悪戯する話を早く書きたいです。筆者は安室さんと赤井さんとジンニキを推しているので三人の出番は多めかと。女の子だと哀ちゃんと世良ちゃんとベル姐さんですかね。哀ちゃんは組織の人間に敏感なので絡ませられなさそうですが、世良ちゃんとならボクっ子繋がりで結構絡ませられそう。


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act.4「恐ろしくて、たまらなかった」

お気に入り数400超えしてました、有難うございます。
試験期間に入る前に投稿しちゃおうと思って結構急いで書いたので誤字脱字がありそうで怖いです。

バーボン視点ラストになります。


 あの手この手でクスリ入りだろう飲食物を勧められたがなんとか回避し、奥の部屋へ二人きりで連れ込み、うまいこと組織のことを聞き出した。知りすぎている。知りすぎている上、こちらの不利益になりそうだった。だから、殺さなければならなかった。

 抱き寄せるふりをして首筋に突き刺した注射器が、致死量の数倍の量の毒を一気に彼女の体内へ送り込んでいく。一瞬の痙攣と硬直の後、眼球がぐるりと上へ回り、悲鳴を上げる間もなくアニータは絶命した。力を失い崩れ落ちかけた体を抱きとめる。もう生きていないのにまだ温かい体温が気持ち悪い。さっきまで偽りとはいえにこやかに話していた相手を、殺した。仕事だから仕方がないとか、スパイと疑われる訳にはいかないからとか、救いようがない悪人だったとか、言い訳はいくらでもあるけれど、事実は結局変わりやしない。僕は、人殺しだ。こんな人殺しが正義を名乗るなんて、人殺しが人殺しを捕まえて法の下裁くなんて、なんとも皮肉的で滑稽なことか。

 頭を振って自らを嘲笑う自分を振り払う。今はこんなことを考えるべきじゃない。後悔やらなんやらは後回しにしなければ。こんなことしたくない、こんなはずじゃなかった、と喚く心に無理矢理蓋をして知らぬ存ぜぬの仮面を被る。

 ぬるくなっていくアニータの体を綺麗なベッドに横たえる。純白が柔らかく彼女を受け止めた。そのシルクのシーツの上に彼女の所有物の薬品や注入器を周りにばらまき、誤ってドラッグを使いすぎて心臓麻痺を起こしたかのように見せかける。自分の痕跡を全て消し、身嗜みを整えて誰にも見られないように会場へと戻った。

 

 会場を一通り見回って二人の行方を捜していると、ベルモットから連絡が入った。イヤーカフ型の通信機から小さくベルモットの声が聞こえてくる。人目のつかない隅へとさり気なく移動し、息を潜めた。

 

『モーゼスはシロね。組織の存在は察しているけれど、踏み込むべきじゃないと把握しているみたい。見た目にそぐわず賢い男だこと。殺す方がまずいわ。』

「アニータは、クロでした。先程片付けましたので、騒ぎになる前に帰りたいのですが……。」

『それはシードル次第ね。モーゼスがシロならトバイアスがクロなのはほぼ確定。火のないところに煙は立たないもの。さっき部屋に連れ込まれているのは見たから、そろそろ連絡が入ってもいい頃なんだけど。』

 

 部屋に連れ込まれている、と聞いて口端が引きつりかけた。本当にああいう幼い見た目の子に手を出そうとする輩がいるのか、嘆かわしいことだ。

 そういえばベルモットとはコードネームを与えられる以前から何度も一緒に任務をこなしたことがあるが、あんなにも穏やかな雰囲気を纏っているのは初めて見た。まるで本物の薔薇のように、美しいかんばせに何処か棘のある雰囲気を持つベルモット。そんな彼女が、シードルの気ままな言動を容認し、あまつさえどうでもよすぎる我儘に付き合っていた。恐らくシードルはベルモットのお気に入りなのだろう。と、思っていたのだが、心配する素振りを一つも見せない。この予想は外れているのか?

 

「なんというか、心配してないんですね。あなた結構彼女のこと気に入ってるでしょう?」

『そうね。確かにあの子はお気に入り。だけど、あの子は十年以上この組織で生きてきた子よ。心配なんて必要ないわ。』

「……そうですか。」

 

 それは、信頼している、ということか。シードルなら何事も無く確実にターゲットの息の根を止められると。あのベルモットさえ腕を疑わないというのに、僕には、やはりシードルが、あんなにも明るい子供が、人殺しをするなど考えられなかった。……つくづく僕は、甘い。

 通信に一瞬ノイズが走った。次いで、噂をすればなんとやら、件の彼女の中性的な声が飛び込んできた。

 

『こちらシードル、聞こえる?』

『ええ、聞こえるわよ。』

「こちらも大丈夫です。」

『おっけー。報告、トバイアスは見事にまっくろくろすけだったので目玉をほじくり、じゃない冥土送りにしたよ。ただ、あー……』

『珍しい、何かあったの?』

 

 明るい声の報告は、ベルモットの言う通りのものだった。あの子が本当にあの男を殺したのかと思ったら、大きな石を飲み込んだように不快な苦しさが胸の辺りを支配した。いやいやいや、見た目に騙されるな。彼女は僕と同年代、もしかしたら歳上かもしれない。少なくとも、子供じゃないはずだ。

 僕が煩悶している間、歯切れの悪いシードルの報告にベルモットが問いを投げかけていた。シードルはそれに何度か唸って悩んだ後、申し訳無さそうな声を出した。

 

『うーん……ごめん、どっちか今手ぇ空いてない?』

『私はちょっと無理ね。バーボンはどう?』

「え、ああ、空いてますよ。」

『お、ラッキー。ちょっとボクのいる部屋に来てくれない?』

「構いませんが、何があったんです?」

『あー、いや、うん、情けない話だけど、ちょっとばかししくじってさ、後始末を手伝ってほしくて。ああでも服が……まあいいや、そういうわけだから来て〜。』

 

 ……不穏だ。とりあえず、わかりましたと返事をし、言われた部屋へ向かう。嫌な予感に溜息をつきたくなった。なんだよ、服がって。言いかけてやめるんじゃない。

 部屋の前で周囲の確認をしてからドアノブに手をかける。鍵は開いていた。静かにドアを開けて素早く中へ入る。瞬間感じ取ったのは、濃い血の臭い。吐き気の催すそれが、部屋に充満していた。思わず尻込みしそうになりながらも奥へ踏み込むと、その惨状がよく分かった。内装自体は僕がアニータに連れ込まれた部屋とほとんど変わらない。アンティーク調のキングサイズのベッドの傍らに同じデザインのベッドサイドチェスト、ソファやテーブル、壁には金の額縁に入れられた優美な絵画が飾ってある。それら全てが台無しになるほど、派手に血が飛んでいた。シルクのシーツから滴る血液が毛足の長い絨毯に血溜まりを生み出し、壁に飛んだ血は新たに赤い模様を描いている。ベッドの上には、下着しか身に着けていない、写真で見た男が横たわっていた。首にある切り傷が致命傷だったのだろう。よく見ると、鍛えられた小麦色の大きな体の下に小さな体が挟まっていた。

 

「シー、ドル?」

「あっ、バーボン! ヘルプミーおさしみー! この人超重い!」

 

 赤で汚れたシーツと男の体の間から声が上がった。彼女自身が手に掛けた死体の下敷きになっているにも関わらず、その声色に変化は見られない。その事に気づいた瞬間、ひんやりとした何かが背筋を掠めた気がした。

 シードルに言われた通り、まだほんのり体温の残る死体を退ける。確かに重い。鍛え上げられた大人の男の肉体なら、弛緩すればここまで重くなるのも分かる。ただ、別に死体を退けなくとも下から這い出ればいいのではと思った。しかし、下から出てきたシードルの状態を見て納得した。

 

「あー重かった。手間かけさせたね、ありがとう!」

「えっと……大丈夫ですか?」

「ん? ああ、ヘーキヘーキ。悪いけど鍵取ってくんない? そこのチェストにあると思うんだけど。」

 

 上質なスーツは肩口から腹まで真っ赤に染まり、もう二度と着れやしないだろう。元はきっちり締めていたネクタイは無造作に解かれ、ボタンは無理矢理引きちぎられたのか幾つかなくなっていた。そうやって衣服を乱された結果、露わになった細い首筋。その首や顔にも飛んだ血が付着している。鮮やかな赤と雪のような白い肌のコントラストに寒気と色香を感じたが、それ以上に目を引いたのは彼女の両手首を拘束する銀色だった。手錠だ。長い鎖がベッドヘッドに繋がっており、逃げようにも逃げられなくさせていた。左手に握られているのは細身の小さなバタフライナイフ。逆手に持っているところや、手まで赤く染まっているところを見るに、これで頸動脈を切り裂いたのだろう。

 彼女から視線を外し、傍らのチェストの引き出しを開ける。行為のための玩具がいっぱいに詰められていた。今すぐ閉めたくなったが彼女の拘束をそのままにするわけにはいかないので我慢して探す。鍵は底の方に埋もれていた。それを取り出して引き出しを閉め、ベッドに乗る。スプリングがぎしりと軋んだ。シーツの海に沈むシードルの手錠を外すため手を伸ばす。すると彼女に覆いかぶさっているような格好になった。

 

「ふふ、バーボンに襲われてるみたい。」

「やめてください。子供に手を出す趣味はありません。」

「子供じゃないんだけどなぁ。」

 

 血化粧で彩られた幼い顔が大人の笑みを浮かべる。手錠やはだけた服と相俟って酷く倒錯的で、背筋がぞくりと粟立った。

 下手に喋らせるとこちらのペースが崩される。そう思い、黙って彼女の両手を拘束する手錠を外した。外されたと分かると、シードルは手首を擦りつつゆっくり起き上がった。

 

「支給された注射器で毒を打ってやろうと思ったら、部屋に入った瞬間これだもん。出す暇がなくってさ。」

 

 仕方ないから、仕込んでたナイフでさっくりやっちゃった。そう言いながら、ナイフと手に付いた血液を汚れていないシーツの端で拭った。綺麗になったナイフをたたみ仕込み直す。手慣れた仕草に、自分の心配は本当に余計なものだったのだと思い知った。

 

「……ところで、そんな格好でこの後どうするつもりなんですか? 血だらけの上、ボタンも取れちゃってるじゃないですか。」

「ああ、大丈夫大丈夫。ここ、簡単な着替えがクローゼットにあるはずだから。」

 

 確認してみれば、確かにハンガーにいくつかの服が下がっていた。何故知っているのか聞けば、何度かこの会場入ったことがあるんだという答えが返ってきた。そこから服を適当に見繕い、ウィッグや肌に付いた血が乾いて固まって拭き取れないからとシードルはシャワールームに入っていった。水音が聞こえてきてから、僕は汚れていない綺麗なソファに腰を沈め、重く深く息を吐いた。

 やっぱり彼女は組織の人間だ。手だけでなく、顔も体も赤く染めているのに、それでも顔色一つ変わらない。高揚とするのでも、暗然とするのでもなく、ただいつも通り。普段と変わらぬ態度で喋り、動き、笑う。無邪気に振る舞う姿と赤くまとわりつく死の気配があまりにもちぐはぐで、……恐ろしくて、たまらなかった。心の何処かで、彼女は黒く染まっていないのかもしれないと楽観視していた。友達と楽しげに遊んでいる方が似合う、そんな姿なのだ。庇護される側の見た目なのだ。それなのに、躊躇なく人を殺していた。勝手に期待したのは僕だけれど、裏切られたような気分になった。

 何故彼女は黒の組織にいるのだろうか。自分の意志や、気紛れ? それとも、無理矢理? ……そんな風に考えたところで、彼女のことをよく知らないのだから分かるはずがない。後者だったとしても、これほど組織に重用されているとなると保護は困難を極めるだろう。本人の意志ならば一層気をつけなければならない。彼女に絆されそうだと自分でもよく分かっている。そもそもなんで彼女はこの組織にいるのにあんな明るいんだ。おかしいだろう。末端の人間ならまだしも、シードルというコードネームを与えられ、ベルモットに気に入られ、ラムと直接連絡を取ることもできるような重要人物だぞ。訳が分からない。

 

「――わっ!」

「うわっ!?」

 

 思考の海に沈み無防備になった僕の背中を軽い衝撃が襲った。驚いて肩を跳ねさせ、ばっと振り返ればいつの間にかシャワーを終えていたらしいシードルがソファの背もたれ越しに立っていた。肩にタオルをかけているがその髪はすっかり乾いている。

 

「何考えてんのか知らないけど、そんな眉間に皺作ってたらキューティーフェイスが台無しだぞ?」

 

 シードルは振り返った僕の眉間を人差し指で小突いて笑った。僕は思わずその手を引っ込む前に掴んだ。シードルは僕の突然の行動に大きな目を丸くさせた。

 

「えっと、どうしたの、バーボン?」

 

 その言葉に生返事を返しつつ、僕は掴んだ彼女の手を見つめた。僕の褐色の手が彼女の真白い手を覆っている。この小さく柔い左手が、鋭利なナイフを握り、今日まで生きてきていた男に死を齎した。……本来この手が握るべきなのは、ナイフでも拳銃でもないはずだ。それでも彼女はそれらを握って生きてきた。これからもそうやって生きていくのだろう。

 彼女がそれらを手放す日は、きっと僕らが組織をこの世から消し去る時だ。その時彼女は、人を傷つける武器とともにその命までも手放してしまうのだろうか。

 

「バーボン。」

「……いえ、なんでもありません。失礼しました。」

 

 早口にそう言って僕は彼女の手を解放した。駄目だ、考えるな。彼女は凶悪犯罪組織の幹部、それだけだ。それが全てだ。情を移してはいけない。いつか彼女に銃口を向ける日が来るかもしれないのだから。

 シードルは初対面の時のように自分の手を見つめた。そして顔を上げ、その手を僕の目の前に持ってきた。中指を親指に引っ掛けて力を込め――僕の額を弾いた。ビシ、といい音が響くとともに痛みと衝撃が額に伝わった。デコピンだ。

 

「あだっ! ちょ、何すんですか!」

「暗い顔しすぎだよ。まあこんなド派手に血塗れになった部屋でニコニコ出来るわけないけどさ。てかされても困るけどさ。」

 

 額を押さえて叫べば、シードルは腰に手を当てやれやれと言わんばかりの態度を見せた。腹が立ったが、自分のしでかしたことにハッとして青ざめる。幹部の目の前で任務を嫌がっているような顔をしてしまうなんてとんだ失態だ。シードルが裏切りに敏感に反応するタイプであれば、僕はこの場で殺される。やばいやばいと僕は体を強張らせた。

 

「ははは、ここにいるのがボクで良かったね? もしジンがいたらこの世からさよならバイバイだったよ。」

 

 それだけ言ってシードルは背を向けて自分の痕跡を消し始めた。彼女は何も、聞いてこなかった。

 

 ウィッグを被り身支度を整えたシードルと共にベルモットと合流し、さっさと会場から退出した。暫くは僕の運転する車に乗って移動していたが、途中でベルモットは組織へ報告するため、シードルは着替えを取りに行くために僕の車から降り、呼びつけた下っ端工作員の運転する車に乗り込んだ。シードルに聞きたいことは山程あったが、墓穴を掘ってしまうのではと怖気づいたのと、タイミングを逃してしまったのとで結局聞くことは出来なかった。

 

***

 

 セーフハウスの玄関ドアを荒々しく開け放つ。普段なら脱いだ後きちんと揃えている革靴を放りだし、一直線に自分の寝室へ向かった。既にいたらしいスコッチが戸惑ったように名前を呼ぶのが聞こえたが、返事をする余裕はなかった。寝室に設置されているベッドに勢い良く飛び込む。スプリングの軋む音が部屋に響く。やや値の張るものを選んだお陰であまり痛い思いをせずに済んだ。

 枕を抱き込みシーツをぐちゃぐちゃに握りしめる。叫び出したい衝動も出たがそれは抑えこんだ。とにかく体内に燻ぶる感情をどうにかしたかった。

 

「あー、バーボン? どうした? 大丈夫か?」

 

 十数分後、落ち着いてきたのを見計らってスコッチが恐る恐る声をかけてきた。その声音にある心配の色が強いことに気づき、酷く申し訳ない気持ちになった。

 布団に埋もれる体を起こしてボサボサになった髪やしわくちゃになった服を軽く整える。それから、寝室のドアから顔を覗かせるスコッチに笑いかけた。

 

「悪い、心配させたな。」

「それは構わねえよ。でも本当に何があった? お前がそんな風になるなんてそうないだろ。」

「いや、ちょっと色々あってな。」

「……シードルか。」

 

 スコッチが苦々しげに呟いた彼女の名。咄嗟に違うと声を荒げそうになって、慌てて口を噤んだ。間違ってない、こんな衝動に駆られたのは確かにシードルのせいだ。いやでも、スコッチが想像しているようなものではない。

 落ち着いて話すためにとりあえずリビングに移動した。スコッチがインスタントのコーヒーを淹れてくれている間に何を話すか頭の中で整理する。スコッチが用意したコーヒーで喉を潤してから、僕は今日の任務について話を始めた。

 

「――なるほどな、そういうわけだったのか。」

「頭では分かっているのに冷静ではいられなくなってしまう自分が嫌になる……。」

 

 彼女に対して思ったこと感じたことをスコッチに全部ぶちまけた。長々と話して乾いた喉に冷えきったコーヒーを流しこみ、カップをテーブルに置いた。

 容姿が幼いというだけでこんなにも情が湧くとは思わなかった。否、それ以前にあんな人間がいるとは思わなかったんだ。裏社会では幼子も人を傷つけ貶め殺しあうと知ってはいた。しかし実際に目の当たりにすると信じられない気持ちになる(シードルは子供ではないが)。百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。

 

「そんなに童顔なのか、シードルは。」

「会ってみりゃ分かる、どこから見ても中学生そこそこだぞ。」

「まあ、そんな見た目と性格のやつが派手に殺しをして平気そうにしてるって、精神的にクるよなあ。」

 

 子供は好きか嫌いかで言ったら断然好きだ。それはスコッチも同じこと。同じ組織で幹部をやっている以上、スコッチもシードルと任務を共にする機会がいつか来るかもしれない。そうして会ってみれば、スコッチだって俺と似たような感想を持つはずだ。

 

「シードルは、そこまで悪いやつではないと思うんだ……。」

「おい、絆されかかってんじゃねえか。」

「うぐ、言い返せん……。いやでも、おかしな行動を取った俺を笑って見逃した辺り、もしかしたらこちらに引き込めるかもしれないぞ?」

「うーん、まあ、バーボンがそこまで言うなら可能性はあるかもしれないが……それでもまだ気を許すなよ。根が良いやつだとしてもシードルは長いこと裏で生きてんだ、仕方ないって割り切ることも容赦なく切り捨てることも慣れてると思うのが自然だからな。」

「勿論分かってる。暫くは様子見をするつもりだ。」

 

 次いつ彼女と会えるかは分からないが、幸いメールアドレスは手に入っている。……あのホラーな悪戯のお陰でな。ベルモットがシードルに教えたのだろうと思ったら案の定そうだった。

 悪戯には腹が立ったが、メアドを入手出来たのは良い収穫だ。あの性格からして余程のことがない限り誘いを断ることはないはずだから、時間が出来た時は食事にでも誘おう。

 

「あとお前一人称戻ってんぞ。」

「えっ、嘘。」

 




次回はスコッチかジンかライが登場します(たぶん)。
大まかな流れしか決めてないので細かいところはかなりグダグダです。伏線? 知らない子ですね。

何名かからシードルの容姿のイメージを版権キャラの例えで頂きました。色んなシードルを想像できて楽しかったです。型月とか聞いたことあるくらいで詳しくなくて、こんな可愛い子をシードルに当てはめて読んでくださっていたと思うともう、うわーーってなります。


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act.5「ぶん殴ってやるから覚悟しとけよ」

 お気に入り数500超えました、有難うございます。区切りが良いですし、何か番外編でもと思ったのですがいかがでしょうか。
 試験期間なのに何故かどんどん書けちゃう不思議。本来勉強しなければならない自習時間にこそこそ続き書いてました。アッこれ試験アカンやつや。

 書いてる途中で1〜4話にところどころ時系列の矛盾を見つけたので修正しました。プロットとかちゃんと書いてないからこうなるんですよね。反省します。


 打ちっ放しのコンクリートの壁に囲まれた部屋に、独特な香りを持った紫煙が漂う。もう慣れた臭いではあるが、やっぱり良い匂いとは言えない。そんなことを思いながら、目の前の革のソファに座る長身痩躯の黒尽くめの男に首を傾げて見せた。

 

「じゃあ、そのスナイパー君が有能かを今夜の任務で審査して、ボクがオッケーしたらその子は晴れて幹部昇進ってことだね?」

「ああ。こいつがその資料だ。」

「ありがとんとん。……こ、こいつぁとんだ悪人面だな。」

「何笑ってんだてめえ。」

 

 いやだって、と口に手を当て笑いを堪えながら返事をし、資料に添付された盗撮と思われる写真を見る。

 今ボクと話している銀髪の彼のような鋭いグリーンアイには特徴的な隈が残り、長い黒髪はニット帽から零れ落ちている。やや頬骨の出た、あまり健康的とは言えない顔色の男は、記憶にあるより幾分若いように感じられた。上から下まで黒い衣服に身を包むその姿はお世辞にも正義とは程遠い。背負った黒のギターケースには恐らく楽器ではなく愛用の凶器が収まっているのだろう。

 

「うん、なんかもう既に幹部みたいな貫禄あるしいいんじゃない? ジンニキレベルに全力で黒尽くめだし。」

「あぁ? 馬鹿にしてんのか。」

「してますん。」

 

 額に青筋を立てたジンが懐に左手を突っ込んだのを見るやいなや、ボクはその部屋から飛び出した。サプレッサーで抑えられた銃声が後ろから聞こえる。一歩間違えれば体に穴が空く鬼ごっこ。スリル満点である。

 

「今日こそ殺す。」

「ちょっとお、ジンってば沸点低すぎ! カルシウム足りてないんじゃない? 煮干し食べる? それとも牛乳? ホットミルク作ったげよっか?」

 

 無言で発砲音が増えた。解せぬ、思ったことを言っただけじゃないか。というか弾の無駄遣いは駄目だろう。今何発撃ったよ? 煽り耐性という言葉は彼の辞書には載っていないらしい。

 入り組んだ廊下を小柄な体に物言わせて駆け抜ける。逃げ足の速さにゃ自信があるのです。そのまま外に出て、暫く走ったところに停めてある組織の黒いワゴン車の後部座席に乗り込む。運転席に座る下っ端工作員に適当に行き先を告げ、シートに深く座った。

 

***

 

 企業秘密なルートで手に入れた今回の任務の相棒、諸星大かっこ偽名かっことじのメールアドレスで指示を送る。今日のお仕事は敵対する組織にこちらの情報を横流しするという裏切りをしてくれやがった取引相手をオハナシしようぜで呼び出してスナイプしてもらうというものだ。ボクの仕事取引相手を呼び出すくらいなんだけど。簡単すぎワロリンヌ。

 送り主を辿れないように細工したパソコンで金を用意すれば助けることを考えてやろうといった主旨のメールを送ったのはお昼過ぎ。今はとっくのとうに日は落ちて三日月が天上に昇っている。

 ボクは入り組んだ路地の先にある開けた場所が見えるビルの最上階にいた。そこが、取引相手を呼び出した場所である。なんで待ち合わせ場所に行ってやらないのかって? 基本的にボクは単独での話し合いをラムに禁じられているからだ。

 ただ戦闘能力が高いだけで幹部になったやつはいくらでも補充できるけれど、ボクのように普通じゃ手に入らないスキルなど――ボクの場合は些細なことも取りこぼさない広大なネットワークによる情報収集能力と、そのネットワークのお陰で手に入る軍資金を指す――を持っているから幹部になったやつは、そうはいかない。貴重なだけに簡単に死なれると困るが、そういうやつは大抵他の幹部と比べて戦闘能力に乏しい。実際ボクは逃げ足が速くてちょっと射撃が上手いだけで、一発殴られただけで気絶する自信があるほど対人格闘はからっきしだ。単独任務が禁止されているのは、有能な幹部を死なせないためと、便利な道具が逃げ出さないように監視するためである。まあボクは組織に貢献しててかなり信用されているから、護衛目的の方に圧倒的に比重が置かれているのだけど。ちなみにボク以外の場合はシェリーのことだ。彼女ははっきり言ってその頭脳以外組織に役立つものを一つも持っていない。その頭脳自体、少し無理をする必要があるが、一応替えがきく。だから彼女に対する脅しは半分以上本気になってしまう。彼女は聡明だからそのことを察し、そして怯えている。逃げ出したいと思ってしまう。そんな忠誠心を欠片も見せない彼女を野放しに出来るはずもなく、めでたく監禁ライフと相成ったわけだ。もうちょっと柔軟になればいいのにね。

 さてさて、ターゲットが待ち合わせ場所に現れたようだ。ややくたびれた、けれど高そうなスーツに身を包んだ冴えないオジサン。しきりに腕時計を確認しては辺りを見回す。指定した時間は過ぎているのに誰も現れないから不審に思っているのだろう。ボクはその姿を文字通り高みの見物しながら、予め仕掛けた小型スピーカーで話しかけた。

 

『やあオニイサン、今晩は。』

「ひっ……! だ、誰だ!?」

 

 気を利かせてオジサンではなくオニイサンと呼んであげたというのに怯えるばかりでつまらない。ありったけの()をかき集めて詰め込んだと思われる大きな鞄を抱え込み、へっぴり腰で威嚇している。優秀な盗聴器は綺麗に音声を拾ってくれるものだから、イヤホンから聞こえるオジサンの引き攣った叫び声がうるさい。そっとボリュームを下げて、言葉を続けた。

 

『だ、誰だ!? と聞かれたら答えてあげるが世の情け! なんちゃって。キミにラブメッセージを送った張本人ですよ〜。』

「ふざけやがって……お、お前の言った通り金は用意した! だから、だから見逃してくれ!」

『ふうん、その日の内に一億用意できたんだ? すごぉい、そんなに私腹を肥やしてたんだね。』

「な、ち、違、これはその、」

 

 わざとらしく賞賛してやれば、目に見えて狼狽えるオジサン。冷や汗を垂れ流し、金を抱えて縮こまっている姿は哀れそのもの。そんなビビリなのによくもまあ裏切るなんて大層な真似ができたものだ。もしかしたら無理矢理ないしは言葉巧みに情報を引き出させられたのかもしれないけれど、情報が流れたという証拠が上がっている以上彼に未来はない。

 

『あはは、それに見逃すとは言ってないよ? ボクは考えてやっても良いって言っただけさ。』

「は!? 話が違う!」

 

 唾が飛ぶ勢いで叫ぶオジサンを見下ろす。ああ、可哀想に。一縷の望みに縋ってのこのこ出てくるのではなく、情報を流した相手に助けを求めれば良かったのに。……まあ、どうせその敵対組織さんからも見捨てられるか捨て駒扱いされるかの二択だろうけどね。

 

『違わないよ。だって嘘ついてないもの。ああ、始めっから助ける気なんてないのにそんなこと言ったって意味だったら、嘘ついたかな。』

「! この外道め!」

『なんとでも言えばいいよ。それじゃあオニイサン、残念無念、また来世〜。』

「あ、待、待ってくれ、頼む、俺にはまだ幼い娘が、」

 

 台詞の途中で盗聴器の電源を切る。それと同時に、オジサンがぱたりと崩れ落ちたのが見えた。頭部からじわじわと液体が広がっていくところから、きっちりばっちりヘッドショットをかましてくれたようだ。

 居座っていた部屋から非常階段に出て、そのまま気配と足音を消して屋上へ向かう。そのままこっそり屋上を窺えば、思った通りの男がライフルを片付けようとしているのが見えた。そしてその背後から近寄り鉄パイプを振り上げている見覚えのない男の姿も見え、反射的にウエストポーチからコルトディフェンダーを抜いた。

 晴れた夜空と静まり返ったビル群に響き渡る乾いた破裂音。怪しい男は重い音を響かせて倒れた。不意を突かれ焦った表情から一転、目を見開いて言葉を失っている黒衣のスナイパーの前にボクは姿を現した。瞬間向けられたのは拳銃の銃口と殺気の篭った目。

 

「誰だ。」

 

 ボクの容姿に驚いたのか、一瞬彼は目を丸くしたがすぐに元の刺すような目に戻し、拳銃を握ったボクの左手に照準を合わせた。ボクは緊迫した空気にそぐわない笑みを顔に乗せ、愛銃を下ろした。

 

「狙撃技術は申し分ないけど、周囲に対する注意力散漫はいただけないね。ま、それくらいは目を瞑っといてあげるよ。」

「……まさか、シードル、か?」

「ふふ、ご名答。お仕事お疲れ様、諸星大君。危ないとこだったね。次からは気をつけな。」

 

 ボクの台詞から正体を推測した彼にもう一度笑いかける。彼も拳銃を下ろし、静かに息を吐いた。それを見ながらボクは仕留めた男に躊躇なく近づきその懐を探る。見つけ出した携帯電話のデータを見ようとするが、案の定ロックがかけられていた。持って帰って解析専門のやつに解除してもらえばいいか。男の携帯電話と、ついでにコルトディフェンダーもウエストポーチにしまった。

 

「情報を受け取った側の人間と見て間違いないだろうね。携帯を解析すれば色々分かるかな。……あ、ちゃんとした自己紹介がまだだったね。ボクはシードル、情報収集が得意でそれ関係の任務をすることが多いよ。あと暗殺とか暗殺とか交渉とか暗殺とかするよ。よろしくね。」

「ああ。知っていると思うが、諸星大だ。長距離狙撃を得意としている。」

 

 左手を差し出したら素直に握手に応じてくれた。成長が止まって久しいボクの手は諸星君の手より一回りも二回りも小さい。諸星君の手は大人らしく大きくて、皮膚は肉刺の出来た痕や傷痕で固くなっていた。

 握手を解くと諸星君はライフルの片付けを再開した。ボクは彼の隣に座り、その様子を眺めた。狙撃は経験がないからあまり詳しくないけれど、恐らくこれはレミントンM700。一撃必殺(ワンショット・ワンキル)に長けたライフルだ。よくよく見るとグリップ部分などに手を加えた痕跡があるから、レフティである自分の構えに合わせて自分でいくらかカスタムしたのかもしれない。ボクも左利きだからその苦労は分かる。世の中は左利きに優しくない。悲しい。

 そんなことを考えていると、諸星君が自嘲的な響きを含ませてポツリと呟いた。

 

「注意不足などという初歩的ミスを犯した俺の幹部昇進は見送りか。」

 

 何を言ってるんだこやつは。諸星君の言葉にボクは呆れ顔をして見せた。

 

「ボクの言葉聞いてた? 目を瞑るって言ったっしょ。大丈夫、キミは百パーコードネーム貰えるから。」

「聞いていたが……何故そんなことをする? それにその根拠はなんだ?」

 

 銃をしまう手を止め、諸星君は静かな森を思わせる深緑でボクの目を射抜いた。ボクはそれを真正面から受け止め、しかしすぐに逸らした。

 あの正義側の目は好きじゃない。正義を信じる目は、真っ直ぐで、綺麗で、眩しすぎる。悪いことだと分かっていてそれに手を染めた自分が、どうにも汚らわしい存在のように思えて、なんというか……ムカつくんだ。この怒り――と言うにはあまりに複雑な感情――をあちらの人間に向けるのはお門違いなのだけど。

 犯罪組織に所属していても笑って生きたいと思うのはいけないことか。人間誰でも怒りや悲しみ、憎しみ、恨みだけで人生を終えたくないって思うだろう? 悲しんで涙を流すより楽しくて笑っていたい。憎悪で人を貶めるより歓喜を人と分かち合いたい。そう思っても、いいだろう? それとも、大義名分もなく一度でも人を殺めた人間は、一生笑っちゃいけないのか? そう喚く自分を、彼らの目は肯定し、糾弾しているように見えて仕方なくて、真っ直ぐ見つめ返すのが苦手だった。

 ……もう、面倒臭い思考回路してんな、ボクは。考え過ぎだよ、作戦はDon't think, feel.(考えるな、感じろ)で行こう、うん。

 

「今までのキミのスコアを見るに、キミはこの組織で一番長距離狙撃が上手いよ。今いるスナイパーの幹部は、長距離というより百メートル以内の精密狙撃とか、不安定な足場での狙撃とかに長けてるんだ。だからキミのようなタイプのスナイパーはいた方が心強い。ボクあんまり強くないから上から目線でごちゃごちゃ言いたくないしね。厚意は素直に受け取っといてよ。」

「……強くないなど、動くターゲットの後ろから脳幹を一発で撃ちぬく腕のやつがよく言う。」

「ええ〜、あれくらい普通だよ。」

 

 へら、と笑ってからボクは立ち上がった。諸星君は目でボクを追う。ボクはその視線に笑みを返した。

 

「この後用事あるから失礼するね。遺体とかは下っ端が処理してくれるから、今日はそのまま帰っていいよ。ああ、明日にでも昇格の連絡が行くと思うから楽しみにしてて。それじゃ、アデュー!」

 

 実は用事なんて特にない。強いて言えばジンに報告をしなければならないのと、友人宅に溜めていた積みゲーを崩さなければならないくらいだ。とは言え用事と言っておけば深く追求することはないだろう。藪をつついて蛇を出すなんてことにならないよう、鼠さんは細心の注意を払わなければならないのだから。

 そうしてボクは諸星君を置いてさっさと屋上を後にした。車もバイクも乗れないため、わざわざ工作員や友人に足になってもらわないと行けないのは少し面倒だ。前に自転車で移動してたらベル姐さんに叱られた。その後姐さんから聞いたのだろうラムからも電話でネチネチ説教された。良いじゃないか自転車、ガソリン代も要らないんだぞ。組織の幹部がママチャリ移動って字面がやばい。これだけで十分は笑える。そう言ったら反省しろってキレられて監禁された。暇で暇でしょうがなくて見張りを弄りまくったらその人の胃に穴が空いたらしく、一週間くらいで解放されたけど。

 まずはジンに報告しようかと思い、携帯を取り出すと、なにやらメールが一通届いていた。誰からだろう。差出人の名前を見て、思わず口角が上がった。なんというタイミング。内容は紹介したい人がいるんだけど明日時間はあるかというもので、答えは勿論イエスだ。ボクは迷わずそう返信し、続けてジンにも任務完了の旨を伝えるメールを送信した。

 ――ああ、明日が楽しみだ!

 

***

 

 翌日、ボクは東都のとある喫茶店を訪れていた。温かみのある間接照明により落ち着いた雰囲気の店内は、男性でも気軽に入れそうだった。店の奥にあるテーブル席の客が待ち合わせの相手と気づき、案内しようとする店員さんに断ってそちらへ向かう。

 彼女は隣りに座る人との会話に勤しんでいてこちらにまだ気づいていなかった。ボクはわざと足音を鳴らして自分の存在を知らせる。それに気づいた彼女はようやくボクの方を向いたので、ボクはにっこりと笑みを浮かべて挨拶をした。

 

「やあ、明美! おっひさ〜。遅れてごめんね。」

「久しぶり、理夢。私達が早く来すぎただけだから気にしないで。」

「というと……二人っきりの時間を楽しんでたのかな? かな?」

「もう! からかわないでよ。」

 

 黒檀の髪を長く伸ばした可憐な女性――宮野明美の隣に座る男を見遣りにやにや笑って言えば、彼女は頬を朱に染めて怒るポーズをした。男はボクの顔を見て驚愕している。彼がそんな顔をするのはそう多くないことなので、是非とも写真に収めてからかう材料にしたくなった。

 明美の前の席に座り、ウェイターを呼び止めホットコーヒーを頼む。ついでにと明美はカフェラテとアイスコーヒーも一緒に頼んできた。二人の目の前にあるカップは既に空になっていたところを見るにかなり早くここに来ていたことが分かった。

 ウェイターが去っていったのを確認してから、明美が口を開いた。

 

「じゃあ早速紹介するわね。情報通のあなたのことだからもう知ってると思うけど、この人が私の彼氏の、諸星大くんです。」

「やあ諸星君、昨日ぶり! 昨日の今日で彼女とランデブーなんてイケメンはやることが違うね、キミだけ爆発しろ!」

「ええっ! 嘘、もう会ってたの? というか昨日って、そんな偶然あるのね。」

 

 明美の紹介を聞いてから、ボクは明らかに動揺している彼――諸星君に小さく手を振ってあげた。この時のボクの顔はそれはそれは輝いていたことだろう。いつも冷静そうなやつがおろおろしていると面白いよね、ボクは面白いって感じる。

 明美はボクの台詞に驚きの声をあげた。そんな偶然があったんですよとボクは明美に言った。クスクス笑って昨日のことを反芻する。あのメールを見て本当に驚いたんだ。初めて会った翌日に紹介してもらえるなんて。諸星君からしたら驚きの連続だろう。監査しにきた上司が子供のような見た目で、翌日可愛い彼女に癒やされようと思ったら親友という名目でまた会うことになったんだもの。

 ウェイターが注文した飲み物を持ってきたところで一旦会話が中断された。ボクは運ばれてきたホットコーヒーに角砂糖一つとミルクを入れて一口飲んだ。前に座るカップルに目を向けると、明美は可愛らしいラテアートを見て嬉しそうにしていて、硬い表情の諸星君はアイスコーヒーをブラックのまま結構な勢いで飲んでいた。二人の間の温度差でグッピーが死にそう。

 アイスコーヒーのグラスをテーブルに置いた諸星君が、戸惑いの滲む目をこちらに向けてきた。

 

「……明美と親しかったのか、シー、」

「おっと、ここでそれを出すのはやめてほしいな。今のボクは"白雪 理夢(しらゆき りむ)"という、親友の彼氏がいいやつか否かを確認しに来た一般人なんだから。」

 

 仕事として動いてるわけでもないのにコードネームを出そうとしてきたものだから、言い切る前に遮った。確かにボクを指す名前はシードルしか教えてないから、そう呼ぶしかないのだろうけど、プライベートでその名前を呼ばれるのはあまり好きではない。

 諸星君はボクが名乗った"白雪理夢"という名に反応した。

 

「それが、お前の本名か?」

「うん? んー、まあ、一応?」

「何故疑問形なんだ、自分のことだろう。」

「ボクにも色々あるんだよ、色々。」

 

 そう、色々あるんだ。ボクはたくさんの名前を持っているが、実は名乗るものの中に本当の意味での本名というのは存在しない。ボクには本名がないのだ。それはボクの生い立ちが関係している。

 名前というのは、幼い頃に親しい人間から名付けられることで決まるものだ。それは大抵血の繋がった家族から与えられる。両親、祖父母、あるいは兄姉。親の恩師や友人が名をくれることもある。まあ、とにかく名前は与えられるものだとボクは思っている。

 で、だ。前提で分かるだろうけれど、ボクは名前を与えられていない。四歳頃まで実母と暮らしていたが、彼女から名前を呼ばれたことが一度もない。クソガキとかゴミとかとは呼ばれたことあるけどそんな名前は嫌である。断固拒否である。名前をくれる相手がそれをサボったお陰で、ボクの本名は、ずっとずっと空白なのだ。もしあの人がボクの名前を決めていたとしても、ボクはそれを知らないし、彼女はとうの昔に死んでいるから知りようがない。

 ……彼女の死因って、なんだったっけな。忘れちゃった。でも死んだってのは覚えてる。それで、彼女が死んだ後、ボクは――ああやだやだ、嫌なこと思い出しちゃった。しかもこれでまだまだ序の口なのだから、重すぎて笑い話にも出来ない。だからボクは普段、自分の過去は語らない。シリアス君がログインするから。

 ちなみに、白雪理夢という名前は自分でつけた名前だ。由来は非常に安直で、コードネームのシードルの原料である林檎からグリム童話の白雪姫を連想して作った。オヒメサマって柄じゃないけどね。むしろボクは毒林檎を渡す魔女、否毒林檎そのものかな。

 ボクは嫌な記憶を振り払うために、やや強めの語調で、そんなことよりと口に出した。

 

「ボクが最近まで海外にいて予定が合わなかったからお付き合い報告遅れたのは良いんだけどさ、二人の馴れ初め突っ込みどころ満載すぎない?」

「やだ、それも知ってるの? 理夢ストーカー?」

「いつもニコニコ明美の隣に這い寄る混沌、白雪理夢、です。じゃなくて、明美ってば当たり屋なんかにオトサれたの?」

「当たり屋でも大くんは良い人よ。」

「顔が良ければ犯罪者でも良いっていうの!?」

「何を言っている、ここにいる全員が犯罪者だろう。」

「黙らっしゃい! 当たり屋風情が大天使アケミエルと恋仲になるなど笑止千万!」

 

 さらりと会話に参戦する諸星君を芝居がかった口調で糾弾する。いやでもホント、なんで明美はこいつを選んだんだろう。確かに顔は大人の色気があって十人中八人はイケメンだとか格好良いとかいうだろうし、鍛えているから体は筋肉質でその上高身長だし、ビュロウじゃ切れ者と評判になるくらい頭が良い。性格は任務といえど同時に二人の女は愛せないと言ってきちんと別れてから明美と付き合うくらい実直で、約束は必ず守る。あと殺してやると言われるほど激しく憎まれようと相手の心を守るために嘘をつく不器用な優しさも持っている。

 見た目良し頭良し運動神経良しで性格も最高に良いとかなんだこいつ完璧かよ。煙草と酒くらいしか悪いとこなくない? 盛り過ぎだろ、二次元かよ。そういや二次元だったわ。こんなやつに本気で口説かれればそりゃオチるわ。

 ぬるくなったコーヒーで喉を潤し気持ちを落ち着けて、明美を見据えた。明美はボクの目が真剣なのに気づき、居住まいを正した。

 

「明美がこいつを本気で好いているってのは分かった。でもね、疑うわけじゃないけど、万が一こいつが鼠だったら、キミはあの子と違って大切にされてないから、間違いなく粛清される。」

「……ええ、分かっているわ。それでもこちらに引き込んだのは、その覚悟があってのことよ。」

 

 明美の曇りのない瞳が、逸らされることなくボクの目を見つめ返した。

 ボクは暫くして、深く息を吐いた。それを合図に、固かった空気が一気に緩む。静観していた諸星君も、微かにほっとしたような顔をしたのが視界の端に見えた。

 

「じゃあいいや。二人が付き合い始めたって聞いてすぐに諸星君の過去を一通り洗ったけど、気になるようなことはなかったし、本人の性根もそこまで腐ってなさそうだし。明美って頑固だから、これ以上とやかく言ったところで別れる気はないんだろ?」

「ふふ、分かってるじゃない。……ねえ理夢、大くんは本当に良い人よ。心配しないで。」

 

 良い人っていうのは知ってるよ、彼と会うずっと前、それこそ親の子宮にいる時からね。でも、筋書き通りなら、明美は諸星君のせいで死ぬんだよ。事情があったのだろうけどスパイを引き込んだ明美が殺されることくらいすぐ分かるはずのに、彼は、FBIは、キミを見殺しにしたんだよ。

 その言葉はコーヒーと共に飲み込んで、代わりに笑みを返した。

 

「そんなに心配してないよ。それよりさ、二人の馴れ初めちゃんと聞かせてよ。」

「知ってるくせに聞くのか?」

 

 ボクの言葉に、暫く黙っていた諸星君が訝しげに尋ねてきた。分かってないな、諸星君は。人伝に知るのと本人から聞くのとじゃあ全然違うのに。

 

「知ってるだけだもん、本人がどう思ったのかとかは分かんない。ねえねえ、諸星君はなんで明美を口説こうと思ったの?」

「有り体に言えば一目惚れだな。」

「ちょっ、大くん!」

 

 なんてことだ、諸星君を照れさせようと口撃したのにさらりと躱された挙句流れ弾が明美に当たってしまった。諸星君が顔色一つ変えないのとは対照的に明美の頬は林檎のように赤くなっている。

 これは予め答え決めていたな。明美はものの見事に引っかかっているが、これはハニートラップだ。色々台本とか決めているんだろう、こう聞かれたらこう答えろ、みたいな。将来的には本当に明美を愛してくれると分かっているが、付き合って一年も経っていない今はまだ惚れていないと見た方がいいだろう。

 やれやれ、これは諸星君を照れさせられるのは当分先のことになりそうだ。仕方がない、今日は明美を弄り倒しちゃおう。久々に会えた組織の清涼剤だ、思う存分堪能させていただくとしよう。

 

 

 

「あー楽しかった!」

「今日だけで一生分恥ずかしい思いをした気分だわ……。」

「ふふふ、仲睦まじいってこたあよーく分かったぜ?」

 

 今度あなたに恋人が出来たらからかってやるんだから、と明美がぶすくれる横で涼しい顔をした諸星君がさりげに全額支払っていた。自分の分くらい出そうと財布を出したのだが、明美の親友なのだから奢らせてくれと譲ってくれなかったのでお言葉に甘えて奢ってもらった。太っ腹だ。まあ、どうせ経費で落ちるんだろうけどね。

 店を出て近くの駐車場に停めてあるらしい諸星君の車に向かう。そして見つけたのはシボレーC/K。ゴツいの乗ってんなこいつ。あれ、確かこの車爆発しなかったっけ。死んだふりする時に。そうかそうか、あと数年の寿命かこいつ。可哀想に。しかし人命には変えられん。諸星君、大切にしてやれよ。

 

「じゃあボクはこの辺で。二人はこの後ドライブデート?」

「いや、明美を家に送っていくつもりだ。良ければアンタも送っていくが。」

「ありがとう、でも遠慮しとくよ。邪魔しちゃ悪いし、もう友達に迎え頼んじゃったし。」

 

 諸星君の誘いを断って二人が乗り込むのを見る。諸星君悪人面だからゴツい車似合うね。

 そういえば彼に伝え忘れていたことがあったのを思い出し、エンジンをかける前にガラスをノックしてドアを開けるよう指示する。諸星君は怪訝そうな顔をしながらドアを開けた。ボクは手を伸ばして諸星君の襟を鷲掴み引き寄せる。バランスを崩し、一気に近づく彼の耳元に口を寄せ耳打ちをした。

 

「明美を泣かせたら、ぶん殴ってやるから覚悟しとけよ。」

 

 今日出したものの中で一番低い声で脅す。元々あまり怖くない声だからそんなに恐ろしげに聞こえないかもしれないけど、普段明るい声音で話しているし、今日もそうだったからその落差の分の迫力はあるだろう。それに気合入れて感情込めてやったからその分力も篭っている。いやあ、最後の最後に結構な爆撃をかましてやれたぞ。

 固まっている諸星君を押してシートに戻す。今日一番に驚いた顔をしている諸星君にわざとらしくニッコリ笑ってやった。

 

「それじゃ、末永く爆発しろ〜。」

 

 そう言い残してボクは足早にその場から去った。

 

 バーボン、ライ、この二人に接触できた。後は――スコッチ、だな。




 シードルはジンニキを煽るのに全力です。毎回ジンニキがキレてアジト内リアル鬼ごっこが開催されるので、発砲音のする中シードルが廊下を全力疾走していたら大体「ああ、またか」って周囲からほのぼのされています。

 明美とは仲良しです。コナンの世界と気づく前から懇意にしていました。なのでキャラクターとして見るというより純粋に親友として見ている節があります。故に明美が死ぬ原因となった諸星大(赤井秀一)にはちょっと冷たく当たる時がある。でも組織のせいで塞ぎこむことの多かった明美を笑顔にさせた人でもあるので複雑。
 明美にとってシードル(理夢)は本当に大切な親友。組織の人間で唯一自分を気遣ってくれる存在。シードルに本当の幸せを知ってもらいたい、だけど力をもたない自分では何もしてやれないと思っている。

 赤井さんのスペックをべた褒めしてますが、シードルのお相手は降谷さんです。降谷さんです。

 シードルのキャラデザを変えようと思い色々描いているんですがなかなかしっくりこなくて悩んでおります。


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