咲〈オロチ〉編 (Mt.モロー)
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団体戦編
1.前夜


白糸台高校 麻雀部控え室

 

 控え室中央の50インチテレビの前には、私立高校ならではの贅沢な応接セットが置いてある。そこに並んで座り、団体戦Bブロック準決勝戦を観ていたのは、勝ち上がった2校と明日戦うことになるチーム虎姫のメンバー5人であった。

「大変なことになった……」

 右端に座っていた宮永照が、うつむきながらつぶやいた。

「大変? なにがだ?」

 隣に座っていた麻雀部部長の弘世菫には、その真意が掴みかねていた。

 ――画面上では、臨海女子高校のネリー・ヴィルサラーゼが驚異的な三連続三倍満を決めていた。試合終了を告げるブザーが鳴っている。決勝進出は臨海女子高校と清澄高校だ。これで菫達の対戦相手がすべて確定した。

「照、なにが大変なんだ?」

 菫は重ねて聞いた。勝ち抜けた2校は、確かに厄介な相手ではあるが、“絶対王者”宮永照が弱気になる相手とは思えなかったからだ。

「咲だ……」

「咲? 咲ちゃんか?」

 菫は、清澄の宮永咲が照の妹であることを当人から聞いていた。

「そう、明日の咲は今日とは別人」

「今日よりも強いと? そういうことか?」

「……その程度で済むならこんな話はしない」

 照はゆっくり顔を上げて、視線を合わせずに言った。

 菫は驚いた。こんな不安の色が漂う照の顔は、今までみたことがなかった。

「テルーは、妹のサキが怖いの?」

 無神経にそう聞いたのは、左端で寝そべっていた大星淡であった。

「あ、本当に妹だったんですか」

「でも、この間は『妹なんかいない』って言っていましたよね?」

 中央にいた渋谷尭深と亦野誠子は、それぞれ茶を飲んだり、菓子を食べながら、噂になっていた宮永咲妹疑惑に反応した。3人共、照の異変には気がついていなかった。

 照は淡達の質問を無視し、無愛想な口調で菫に言った。

「ミーティングをしたいんだけどいい?」

「いいけど……いつ?」

「今すぐ」

 菫は思った。

(この姉妹……過去になにがあったのか? 妹のこととなると人が変わる)

「淡! テレビを消して! 尭深と誠子ももっと椅子を寄せろ!」

「はーい」

 淡はのんびりした返事でテレビを消しにいったが、尭深と誠子は、ただならぬ気配に驚いたのか、すばやく椅子を近づけていた。

 程なくして淡が席に戻り、ミーティングが始まった。

「照、どうする? 先鋒戦からシミュレートしようか?」 

「いや……そういうミーティングではない……」

 照は少し言い淀んだ。

「淡、これから私が話すことは我慢できないかもしれない。だけど最後まで聞いてほしい」

 ここまで来ると、淡も照の異変に気がついて、「テルー、どうしたの? サキなら心配しなくていいよ、このあわいちゃんが明日必ず泣かせてあげるから」と、彼女なりの励ましをした。

 そんな淡をみて、照が小さく笑った。

 淡は満面の笑顔であった。感情をあまり表に出さない照が笑ったことが、ひどく嬉しいらしかった。だが、それは長くは続かなかった。照が我慢できないことを話し始めたからだ。

「菫、尭深、誠子、決勝は副将戦までで終わりにする。飛ばすのは阿知賀だ」

 淡は立ち上がった。そして、火の出るような怒りの眼差しを照に向けた。その眼差しを真正面に受けながら照は続けた。

「咲との対戦は回避する。……戦うと私たち白糸台は負ける!」

 

 

 清澄高校 団体戦控え室

 

「もうすぐ咲が帰ってきますが、迎えにいきますか?」

 麻雀部部長の竹井久にそう聞いたのは須賀京太郎であった。

「そうね……」

(なんとか2位で抜けられたとはいえ、咲にとっては、初めての敗北。みんなで迎えにいっても、かえって逆効果になるわ)

 そう考えると、久の決断は早かった。

「和、咲を迎えにいってあげて」

「はい、分かりました」

 和は笑顔で応じ、持っていたペンギンの縫いぐるみを隣の椅子に置いて席を立った。

 そして走り出していた。

「のどちゃん!」

 片岡優希が一緒にいこうと立ち上がったが、隣に座っていた染谷まこに手をつかまれる。

「ここは和に任せときんさい」

 優希は、助けを求める目で久をみた。

「だめよ、優希」

「ううー」

 優希は部長命令とあれば仕方がないので、椅子に座り直し、近くにいた京太郎に毒づいた。京太郎もそれに応じている。それは清澄高校麻雀部のありふれた日常であった。

 久は紅茶を手にとり、それを飲みながら2人を眺めていた。

「ほんまに、ここまで来られたんじゃねえ」

 久の様子をみて、染谷まこが語りかけてきた。

「まだよ……言ったはずよ、私の夢は全国制覇だって」

「ああ、そうじゃったね」

「咲と和……、優希にまこ、そして、この私がいれば、全国優勝だって夢じゃない。そう思うに決まっているじゃない」

「……はいはい」

 まこは、天邪鬼な久に呆れていたが、その表情はどこか満足そうにも見えた。

 

 

 試合会場通路

 

 原村和は走っていた。普通、胸が大きい女性は走ることを苦にするが、和はそうではなかった。幼い頃からそのような体形であったせいであろうか、非常によく走った。

 そうして、和は、控え室と会場を結ぶ通路のほぼ中間で、宮永咲を見つけた。

「咲さん!」

 和は大きな声で呼んだ。部長が案じたとおり咲は元気がないように見える。

「あ……和ちゃん」

 和は咲のすぐ側まで駆け寄って止まり、息を整えた。

「お疲れ様です。咲さん」

「ありがとう和ちゃん、迎えに来てくれて」

「明日はついに決勝ですね。がんばりましょう」

 和は、そう言って咲の手を握った。

 咲の手は震えていた。やはり相当ダメージを受けているようであったが、和はあえてそれを無視した。

「帰りましょう咲さん。みんなも待っていますよ」

「和ちゃん……」

 咲は沈んだ表情で呼びかけた。

「和ちゃん……少しお話がしたいんだけど……いいかな?」

「ええ、もちろん」

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 休憩室の一面はすべてガラス張りで、そこからはオフィス街の夜景が見えていた。宮永咲と原村和は立ったままそれを眺めていた。

 そこには2人しかおらず、まるで心臓の鼓動が聞こえるような静寂さであった。

「きれいだね……」

 口を開いたのは咲であった。声が壁に反射して響いた。

「はい……でも、私は長野の星空のほうが好きです」

 答えた和の声にも、エコーがかかっていた。

 咲は和をみて初めて微笑んだ。

「あの日、みんなでみた星空は、今までみたどんなものよりもきれいでした」

 和はそう言って、優しく咲をみた。

 2人はしばらく見つめ合っていた。

 不意に咲が視線を外した。そして表情を曇らせて言った。

「あの日もそうだけど、和ちゃんとはいっぱい約束をしたよね……」

「ええ、いつも一緒に守ってきました」

 和は本当に嬉しそうに言った。だが、咲は目を逸らしたままであった。

「……和ちゃん、一番初めの約束……覚えている?」

「一緒に全国に行く約束ですか?」

「うん、その約束と一緒に、和ちゃんが私に……」

「いつでも全力で戦ってほしい、そう約束しました」

「うん……でも……」

 和は思った。

(そのことを気にしているのでしょうか? 確かに咲さんは、何度か手を抜いた麻雀をしたことはあったけど……)

「そんなことはもう気にしていませんよ。咲さんはいつだって全力でした」

 咲は恥ずかしそうに笑った。そして、僅かな沈黙の後、笑顔を消して言った。

「和ちゃん……私には隠している打ち方があるの」

 和は意味がよく解らなかった。

(隠す? 打ち方? いったい、咲さんはなにを言っているの?)

「隠すって……なぜ? なにを隠す必要があるのですか?」

「みられたくないから……。特に和ちゃんには。みたら絶対私のことが嫌いになる」

「そんな! 私が咲さんのことを嫌いになるなんて、ありえません!」

「……」

 咲は絶句し、なぜか泣きそうになっていたが、話を続けた。

「……いつでも打てるわけじゃない。でも、できる時は分かる。今回みたいに極端な負の状態の時にそれは現れるの」

 リアリストの和には、信じ難い話であった。ある条件で自分は異質なものに変わる。咲はそう言っていたからだ。

「それ……とは、……なんですか?」

「お姉ちゃんは、その状態の私を、こう呼んだの……〈オロチ〉って」

 

 

 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

 阿知賀女子学院が滞在しているホテルの一室で、高鴨穏乃、新子憧、松実玄、松実宥の4人は卓を囲んいた。朝から昼食と夕食を挟んで打ち続けていたので、かなり疲れが溜まっていたが、だれもやめるとは言わなかった。皆、無言で牌に向き合っていた。

 穏乃は思った。

(これは……血を吐きながら続けるマラソンだ。やめると、自分が弱くなるように感じる恐怖。それに逆らうことができない。自分も、憧も、玄さんも、宥姉も……。やめるには、だれかが倒れるしかない)

「ツモ」

 新子憧が上がった。面前、断么九であった。4人は点棒を処理し、次の局に移った。南四局。そのオーラスで、この卓ではありえないことが起こった

「玄さん!」

「玄!」

「玄ちゃん」

 3人同時に松実玄をみた。彼女達の手牌にありえない牌――ドラ牌が存在したからだ。

「解らない……突然、ドラが来なくなったの」

 玄は動揺していた。この決勝前日に自分の最大の武器を奪われたからだ。

「私は、私はドラを切っていない! でも……」

「玄ちゃん……前にもこんなことがあったよ。きっと長い時間打ち続けているから……」

 宥が震えている妹を落ち着かせようとした。

「違う――」

 玄がなにかを言おうとした時、ドアをノックする音が響いた。

「入るよ、いい?」

 そう言って入ってきたのは、別室で赤土晴絵とBブロックの試合を観戦していた鷺森灼であった。

「灼さん!」

 穏乃は助けを求めるように灼を呼んだ。

 ただならぬ様相に灼は困惑していたが、麻雀部部長としての仕事を優先した。

「決勝の相手が決まったよ」

「――!」

 玄以外の3人は、固唾を呑んで次の言葉を待っている。

「トップ通過は、臨海女子、2位は……清澄高校」

 穏乃は弾けるように立ち上がった。

(そうだ、なんで気がつかなかったんだろう、これで死のマラソンをやめることができる。――明日の試合はもちろん負けるつもりはない。だけど、その勝敗に囚われ続け、もっとピュアな目的を忘れていた。そう、自分達は和ともう一度遊ぶ為にここまで来たんだ)

「玄さん! 思い出してください! 私たちがなぜここにいるのかを!」

「え……」

「そうだよ、玄! 明日、私たちは和と遊べるんだよ!」

 憧は、穏乃の言葉の意味を理解していた。

「和ちゃん……?」

「そうです! だから……」

 そこまで言って、穏乃は言葉が出なくなった。その代わりに、両目からは涙が溢れ出ていた。

「だから明日は、悔いが残らないように……すべてを出し切りましょう!」

 穏乃は涙を拭いながら言った。

「まだ時間はあるよ! またドラが集まるまで打てばいいだけの話だよ」

 憧も頬を紅潮させて言った。姉の宥も微笑みかけていた。

 良い雰囲気になっていた。しかし、灼は、それに冷や水を浴びせるように話題を変えた。

「明日、朝の7時からミーティングを開く。だから今日の特打ちはここまでにして、各自部屋に戻って考えてほしい、自分のできることを」

「……灼ちゃん?」

 不安げに聞いたのは宥であった。

「今のは晴ちゃんの指示だよ」

 敵意を露にして睨む憧や、呆然としている穏乃や玄に対して、灼は少し表情を和らげる。

「玄にドラ戻るようにしても、結局は同じ明日また来なくなる。そう晴ちゃんが言っていたよ」

「なんで! なんでそんなことが解るの?」

 憧は言葉を荒げて聞いた。

「大将戦で怪物が目を覚ました。ドラが来なくなったのは、多分それが理由」

「怪物……って」

 穏乃は灼が言う怪物とはだれか見当がついていたが、腑に落ちない点があった。

(目を覚ました? あの子は今だって十分怪物だよ)

「そうだよ、シズが明日戦うことになる相手」

「宮永……咲」

 灼は頷いた。そして続けて言った。

「晴ちゃんは今、人に会いにいっている。明日、阿知賀はその怪物にどう立ち向かえばいいか、その確認」

「また熊倉さん?」

 憧は不機嫌に言った。過去に自分達から晴絵を奪った熊倉トシを、憧は嫌っていた。

「電話をかけてきたのはそうだけど、会う人は……因縁の人だよ。その人からぜひ会いたいという申し込みがあった」

 灼はその名前を言った。

「小鍛治健夜……」

 

 

臨海女子高校 団体戦控え室

 

 大将戦をトップで終えたネリー・ヴィルサラーゼは、挨拶も抜きで控え室に戻ってきた。そして、チーム唯一の日本人の辻垣内智葉に詰め寄り、不機嫌そうに訊ねた。

「最後の局、宮永の手牌は?」

「混一色狙いの一向聴だった。西を槓材で持っていたよ」

「――!」

「ネリー、なぜそんなことを聞く?」

「最後の局は、上がりが見えていなかった。でも、6巡目で宮永と目が合った……」

「モニターで確認しました。確かに宮永はネリーをみていました」

 答えたのは〈風神〉雀明華であった。

「目が会ったから、怯んだのデスカ?」

 メガン・ダヴァンはネリーを睨み、少し自虐的に言った。

 ネリーはメガンを睨み返す。

「ネリー、なぜ宮永を残した? お前のせいで明日は最悪の事態になりそうだ」

 責めるように口を挟んだのは、部屋の奥で椅子に座っていた監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムであった。彼女は宮永咲を脅威と感じ取っていた。

「違う! 宮永と目が会った瞬間、ネリーの上がり手が見えた! 断么九、平和、三色、一盃口――倍満だった!」

「倍満なら清澄は3位、決勝はうちと姫松になる。だから上がった。そういうことか?」

 智葉の質問にネリーは頷いた。

「答えは簡単さ……お前は宮永に嵌められたのさ」

 アレクサンドラは苦々しそうにネリーに言った。そして、続けた。

「あの裏ドラは宮永が乗せた……」

 驚くことに、だれもその非科学的な言葉を否定しなかった。

 ネリーもそれが真実だと信じていた。しかし、大きな疑問が残った。

(なぜそんな回りくどいことをする? たとえ2位通過狙いにしても、自分で和了したらいいではないか、なぜ私を利用した?)

 その答えは出なかった。

 

 

 白糸台高校 麻雀部控え室

 

「テルー! わけわかんない! ちゃんと説明して!」

 大星淡はテーブルを叩きながら宮永照に詰め寄った。

「淡は、麻雀で完膚無きまでに負けたことがある?」

「はあ? なに言ってるの? あるよ! テルーと初めて対戦した時だよ!」

 照は淡を見据えながら尋ねた。

「その時どう思った?」

「悔しかったよ、次は絶対負けないって思ったよ」

 照は溜息をついた。

「淡、それは違う。それは私が知っている完膚なき負けじゃない」

 弘世菫は照の言わんとしていることが理解できていた。菫自信も照や淡に対してそれを体験していたからだ。ただ解らないのは、なぜ、今、それを言い出したのかであった。

 照は話を続けた。

「私のそれは勝ち負けの感覚の喪失から始まる。そこからの局は、早く半荘が終ることを願いながら打つただの作業。そして終局した時に生まれる感情は悔しさなどではない。受け入れざるを得ない安堵感だ」

「照……お前はその経験があるのか? まさか……咲ちゃんか?」

 照は質問した菫をみて頷いた。そして渋谷尭深、亦野誠子の順番で視線を合わせ、最後に淡にロックオンして言った。

「そう……何度も。私は〈オロチ〉の状態の咲に勝ったことがない」

 照の言った〈オロチ〉とはなにか……? 真っ先に、それが菫の頭に浮かんだ。だが、それ以上に衝撃だったのは、あの宮永照が妹に手も足も出なかったと口にしたことであった。

「……〈オロチ〉ってなにさ」

 言葉を搾り出したのは淡であった。

 絶対的な存在の照に弱音を吐かせる者が許せなかったのだろう。淡の表情に、宮永咲への憎悪が浮かんでいた。

「八岐大蛇って、知ってる?」

 照がだれともなしに言った。

「なにそれ! 知んない!」

「――!」

 菫、尭深、誠子の3人は顔を見合わせた。そして半ば呆れ気味に尭深と誠子が言った。

「あの、淡ちゃんは帰国子女?」

「淡、それは知らないと、ちょっと恥ずいかも」

「え……?」

 淡は慌てて2人をみた。

 菫は、そんな淡に一瞥をくれてから照に言った。

「八つの頭の大蛇か?」

「うん、でも、咲の〈オロチ〉の頭は蛇じゃない……」

 菫は驚愕した。

(そうか! そういうことか。しかし、そんなことが可能なのか、人間に?)

「龍……? ドラゴンか!」

 照の顔が歪んだ。まるで言葉を発することが苦痛のようであった。

「一つの体に八つの頭の龍。――嶺上開花 ドラ8」

 菫は戦慄を覚えた。

(照の妹は、嶺上開花という偶然極まりない役を、いともたやすく仕上げてくる信じられない相手。ただ、ドラがほとんど乗らないので、満貫か跳満で上がることが多かった。しかし――ドラが乗るだと! しかも8枚も! 最低でも9飜で倍満確定じゃないか! ……だが、待てよ、確かに高火力なのは認めるが、なにがなんでも対戦を避けるほどのものだろうか?)

「照……咲ちゃんが油断したら一撃でひっくり返される強敵なのは、よく解ったよ」

「油断したら?」

 照はなにか言いたげであったが、菫はそれを抑えた。

「まあ待て。大将戦までに清澄との差を10万点以上広げれば安全圏じゃないのか? だって明日の顔触れは――臨海女子のネリーとうちのこいつ、そして、こいつに土をつけた阿知賀の大将だぞ、そこまで一方的な試合になるとは思えないんだが?」

「だれがこいつだよ!」

 菫に小突かれたので淡は怒ったふりをしていたが、実際はそうではないのだろう。ちょっとだけ嬉しそうであった。

「ねえ、テルー、私はもう相手を侮ったりしない。私だって成長したんだから! サキも高鴨穏乃もすっごい強いだろうけど、私はその100倍強いよ!」

 それは十分侮っているだろうと菫は思ったが、重たい雰囲気が多少は改善した。

(淡はこんな時は役に立つ)

 しかし、照はそれを許さなかった。

「無理だよ……淡」

「なんで!」

 淡は噛み付きそうな勢いであった。

「……言い方が悪かった。淡だからというわけではない。私でも無理、今はね」

 再び不穏な空気が、辺りを漂い始めた。

「宮永先輩、まさか……まだなにかあるんですか?」

 口を開いたのは誠子であった。

 照はその質問に答えた。

「私はまだ半分しか話していないよ。咲の〈オロチ〉は残りの半分が恐ろしい」

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 原村和はただのリアリストではなかった。1000分の1の事柄が5回連続しても、それを確率の偏りとして許容できる筋金入りのリアリストであった。だが、運の個人差を否定してはいなかった。そうでなければ、今、目の前で自分をみている、宮永咲の存在を説明できなかったからだ。部長の竹井久は咲のことを〈不可能を可能にする強運の持ち主〉と言った。奇妙な日本語ではあるが、嶺上開花というレア役を、平和レベルで完成させる咲には、最適な言葉だと思っていた。

 

 相変わらず辺りは静寂が支配していた。近くに設置されていた自動販売機の動作音にすら、エコーがかかっていた。

 

 和は、咲が話した〈オロチ〉を信じることができなかった。それはオカルトという範疇を超えていた。本来ならば、幻想、夢想、荒唐無稽、そういった言葉で語られるものであった。そして、大将戦最終局の話は和をさらに戸惑わせた。

「わざと負けた?」

「自分を、負の状態にしないと完全にならないから」

 咲はすまなそうな顔で和をみた。

 和は考えた。

(嶺上開花にドラが8枚乗る。その力を得る為に、咲さんはわざと負けた? 話の真偽はともかくとしてリスキーすぎます。ここはちょっと怒らなければいけませんね)

「咲さん! わざと負けるのは、もうこれが最後ですよ! 今回だって3位と100点しか差がありませんでした。負けたらお姉さんと闘えませんよ!」

「……分かっていた、裏ドラが乗るのは分かっていたの」

 和は思い出していた。咲の本当の怖さは嶺上開花ではなく、驚異的な点数調整能力であることを。

「……ドラを支配する。それが〈オロチ〉の完全な姿なの」

 咲は感情のない声で言った。

 和は震えていた。

(エアコンが効きすぎていますね。……いえ、自分を騙すのはやめましょう)

 震えている本当の理由は分かっていた。それは、克服したはずの咲に対する恐怖心であった。

「支配する? ……明日はそれを使うのですか?」

「使うよ、お姉ちゃんの学校の大将を叩き潰す為にね。和ちゃんの友達も巻き込んでしまうけど……それはごめんなさい」

 咲は、少し悲しげな表情で言った。

 それをみて和は安堵した。ただし、なぜ安堵したかは把握できていなかった。

「穏乃は強い子ですから大丈夫ですよ」

「私は〈オロチ〉の時の自分の顔を知らない。きっと、ひどい顔だと思うよ。だから……」

「咲さん!」

 和は怒っていた。

(ああ、何度目だろう咲さんを怒るのは……でも、そのたびに咲さんは強くなっていく気がする)

「何度も言わせないでください! 私が咲さんのことを嫌いになるなんて、ありえません!」

 咲にいつもの無邪気な笑顔が戻っていた。和はその笑顔が大好きであった。

「もう戻りましょう」

「うん」

 咲は手を繋ぎたがる癖があった。和も嫌ではなかったので、いつもごく自然に手を繋いでいた。今もそうしている。そして控え室までの道のりを無言で歩いていた。咲との沈黙は、和にとって苦痛なものではなく、むしろ心地よいものであった。

 歩きながら和は考えていた。

(私も、咲さんに隠していたことを話さなければ。でも怒られてしまうかも……。まあ咲さんになら、それもいいですね)

「どうしたの?」

 咲が不思議そうに聞いた。

「え? どうもしませんよ」

「でも今、手をギューってしたよ」

「な、なんでもありません」

 和の顔が瞬く間に赤くなった。それをみた咲も、恥ずかしそうに赤面していた。

 

 ――辺りは静寂が支配していた。控え室に向かって歩いていく2人を、足音の残響音が追いかけていた。

 

 

 

 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

 高鴨穏乃と新子憧は自分達の部屋に戻っていた。

「シズ、先にお風呂入るね」

 憧はそう言って、着替えなどの準備を始めていた。

 穏乃は自分のベッドに仰向けになり、眩しそうに照明をみていた。やがて目を閉じて、あることを思い出していた。

 

 

 3日前 蒲原邸(鶴賀学園宿泊所)

 

 ふとしたきっかけで、長野県3位の鶴賀学園麻雀部の人達と出会い練習試合をした。途中から名門風越女子の団体戦メンバーも加わり、実に有意義なものだった。その休憩中に、鶴賀の加治木ゆみと会話する機会を得た。

「そうか、宮永咲と会ったのか」

「いいえ、会ったというよりはすれ違っただけなのですが……」

「圧倒されたのかな?」

「どうして分かったのですか?」

「まあ、咲は時折そういった空気を発するからな」

 ゆみは楽しそうに言った。

「でも、普段は優しい文学少女だよ」

「私には、とんでもない怪物に見えました。衣さんも宮永さんは別格だって」 

「同じ怪物の天江衣が言うのなら間違いがないよ」

 そう言ってゆみは笑ったが、穏乃の笑顔は引き攣っていた。

「……高鴨君。私たち鶴賀は、清澄の応援の為に東京に来ている。だから、ライバルの君達に清澄の弱点を教えるわけにはいかない」

「いえ、そんなつもりじゃ……。あと、私のことは穏乃と呼んでもらえると嬉しいのですが……」

 穏乃は何気なく答えたつもりであったが、ゆみは何故かそれが気に入ったらしく――

「よし、穏乃! 私たちも君達と卓を囲めて本当に良かった。後進の育成にもプラスだった。だから宮永咲攻略のヒントを少しだけ授けよう」と言った。

 ゆみは、やや間を置いてから、問題を出すように――

「咲は嶺上開花を得意としている。だから、彼女の持ちうる槓材には常に警戒しなければならない」

 と言い、回答を求めるように穏乃をみた。

 穏乃はそれに対して頷いた。

 ゆみは声を上げて笑った。

「それでは咲の思う壺だぞ、穏乃」

「え、はあ……」

 穏乃はゆみの言わんとするところが分からなかった。

「いいかな、本来ならば嶺上開花という役は警戒すべきものではない」

「あ……そうか」

 穏乃は思った(衣さんの海底撈月と同じ警戒しすぎて自滅するパターンか)

「穏乃は原村和と知り合いだったね」

「はい、小学の同級生です」

「インターハイの前に、長野ベスト4が集まって合宿を開いた。そこで私は、和と咲が同じ卓で打つのをみていた」

「和は、どう打ちましたか?」

 ゆみは肩をすくめた。

「なんにも、いつもの原村和の打ち方だったよ。そして、咲を凌いだ」

「……」

 穏乃は愕然とした。和と同じ土俵に立てたと思っていたが、それがとんでもない思い違いであることを知らされた。――天江衣、福路美穂子、加治木ゆみ、そして宮永咲。和はこんな魔物達に囲まれても勝ち上がってきたのだ。そう考えると穏乃は少し陰鬱な気持ちになった。

 ゆみは続けて言った。

「その後、和に聞いてみたよ、咲の嶺上開花は怖くないのかって」

「……」

「和は何て言ったと思う?」

「”そんなオカルトありえません”ですか?」

 ゆみは爆笑していた。

 穏乃もつられて笑った。加治木ゆみはこんなにも笑う人なのだと思った。そして心から感謝していた。「恐怖や怯えは自分が作り出すもの」ゆみはそう教えてくれていた。

 

 

 ――だれかが穏乃を呼んでいた。

「シズ! シズってば!」

 風呂から上がり、浴衣に着替えた憧であった。

「憧……」

「うたた寝なんかして。明日早いんだからさっさとお風呂に入ってね」

 穏乃はのそのそと起き上がった。

「……あのさ、憧」

「なーに」

「前に憧は、和の打ち方が自分の理想だって言っていたけど」

「まあね、あれはデジタル打ちの完成形みたいなものだから」

「だったら、明日はその打ち方をしたほうがいいよ」

「……」

 憧は少しだけ考える素振りをした後、鏡の前に座った。そして髪をとかしながら言った。

「渋谷尭深、清澄の悪待ち、風神、その3人を相手にデジタルを貫けと?」

「うん」

「私は、そんなに強くないよ」

 憧は持っていた櫛を置き、滅多にみせない弱気な表情で穏乃に向き直った。

「和は凄いと思うよ。だれが相手でも自分のスタイルを曲げない」

 そう言ってから、憧はゆっくり顔をうつむかせた。

「でも、私は……そんなことできない」

 聞き取れないぐらい、小さな声のつぶやきであった。

 穏乃は正面から両手を憧の肩に置き、頭をくっつけ、同じくうつむいて言った。

「ここまでこられたのは、憧のおかげだよ。……だからもっと自分を信じて」

「……」

 憧の返事はなかった。

「だれが相手だろうと関係ない。憧は、憧の打ち方で勝負すればいい」 

「……和みたいに?」

 穏乃は頭を離して、屈託のない笑顔で言った。

「そう和みたいに」

「……」

「あれこれ考えて、自分自身を見失ったら絶対後悔するよ」

「シズは……できる?」

 穏乃は立ち上がり、自分のベッドの上にダイビングして、仰向けで大の字になった。

「できるよ。――淡さん、ネリーさん、そして咲さん、相手は怪物ばっかりだけど、私は私だよ。明日はこれまでと同じ麻雀をするよ」

「バカみたい」

「え」

 穏乃は半身を起こして憧をみた。

「ほんとにシズは脳天気! 大星淡だって前みたいにはいかない! 絶対シズ対策をしてくるよ! 臨海のネリーや宮永咲だって……」

 憧は自分をみている穏乃が笑顔であることに気がついた。

「な、なにが可笑しいの?」

「いやー、だって、いつもの憧かなーって」

 憧は自分の枕を穏乃に全力投球していた。

「バカ! ほんとバカ!」

「はいはい、バカですよー」

 修学旅行さながらの枕投げが始まった。穏乃はそれを子供のように楽しんでいた。

 

 

 白糸台高校 麻雀部控え室

 

 弘世菫は困惑していた。宮永照の話は突拍子もないものであり、正直なところ信じることができなかった。

「照……そんな話は信じられない」

 照は不機嫌な顔で菫をみた。そして、その表情から想像できないほど優しい声で言った。

「まあそうよね。だから私が、一つ予言をしてあげる」

「予言?」

「そう予言。私は、明日大将戦までもつれ込んだらどうなるか分かる」

 大星淡がそんな照に苛立っていた。今にも食って掛りそうだったので、菫は腕をつかみ、目配せで落ち着くように指示した。菫は照の話が聞きたくなっていた。

「大将戦は、全16局で終了する。親の連荘は一切なしだ。それが〈オロチ〉のスタイル。半荘は必ず8局に決まっている」

 菫は眩暈(めまい)を覚えていた。

(いきなりフルスロットルか……)

「そして、その16局はすべて高火力な点の取り合いになる。なぜなら、すべてのドラは咲に支配されるから」

「ま……待て、待ってくれ」

 あまりのことに、思わず菫は口を挟んでしまった。

「それは真実なのか?」

「真実ではない。だって予言だから」

「……ドラを支配するとはどういう意味だ?」

「〈オロチ〉状態の咲は、ドラがどこにあるか見えている。いや、見えているように打つ。――咲だって毎回上がれるわけではない。でも、上がれない場合は不自然な鳴きや無意味な槓をして和了できそうな人間にドラを集める」

「ドラが見える? じゃあ槓ドラは! 裏ドラは!」

 ついに淡が爆発した。

「……見えている。今日の大将戦オーラスもそうだったでしょ」

 照は、淡を諭すように続けた。

「いい? 宮永咲は、配牌時にドラ牌と嶺上牌が見えている相手。それがどれだけのアドバンテージか解るよね? その咲にターゲットにされるのは、間違いなく淡だよ」

「……なんで?」

「私のいる学校の大将。それが淡だから」

 淡の顔は、苦虫を噛み潰したようであった。

「照……お前と妹の間でなにがあったんだ?」

 菫は、確認せずにはいられなかった。

(多分答えてはくれないだろうが)

「私のせいでみんなに迷惑をかけてすまないと思っている。でも、これは私たち姉妹の問題……」

 照は、すげない話ぶりであった。

「あーあ、その辺は口が重いな照。――まあいい、それで弱点は?」

 菫は、努めて明るく振舞った。

「幾つかある……」

 照はテーブル上の飲み物に手を伸ばし、それで喉を潤してから言った。

「咲が〈オロチ〉時、常に親は流れる。それを改変するとなにかが変わるはず」

「親で上がればいいのか? どう変わる?」

「さあ、できたことがないから」

 それは弱点とは言わないだろう。と、菫は思った。

「ほ、他は?」

「……多分、これが〈オロチ〉の最大の弱点」

 淡が話に身を乗り出していた。宮永咲の脅威を認めたのか、そのアキレス腱となる情報を欲していた。

「さっき言ったように、親は必ず流れる。それは咲が親の時も同じだよ」

「じゃあ、親番は無理をしてでも降りるってこと?」

 淡の問いに、照は、首を縦に振った。

「それだけではない、親番の咲はなにかが見えていないように感じる」

「なにかとはなんだ? これは大事なことだぞ」

 相変わらず言葉が足りないなと、菫は思った。

「ゴメン、本当に分からないんだ。ただ、何度か直撃できたことがある」

(宮永照をして『何度か直撃できたことがある』か、どれだけ化物なんだ妹は。でも、レジストするチャンスは4回あるということか)

 菫は部長らしく合理的に判断した。

 照は軽く深呼吸をした。そして、気持ち和らいでいた表情が険しくなった。

「予言の続き。明日もし大将戦があったとしたならば――10万の点差なんて関係ない。咲に蹂躙されて終わりだよ。〈オロチ〉は初見で倒せる相手ではない」

「そんなに私が信じられないの!」

 それは心の叫びなのか、淡が大声で言った。

 しかし、照は、冷徹極まりない回答を淡に言い渡した。

「信じる信じないの問題じゃない。これは軍人将棋とよく似ている。勝てる相手が最初から決まっているんだよ。”大将”の咲はすべてに勝てる。負けるのは”スパイ”だけ。残念だけど、淡は”スパイ”じゃない」

「スパイ? 007?」

 淡は、その発言に見合ったアホ面をしていた。意味がまったく分かっていなかったのだ。

「宮永先輩、軍人将棋ってなんですか?」

「軍人が将棋をするんですか?」

 渋谷尭深と亦野誠子がそろって質問した。やはり意味を理解できていなかった。

 照は眉を顰めた。そして菫を睨み付けた。

「え、私? 私は知っているけど、ほ、ほら、あの裏返してやる将棋だろう」

 照は納得したらしく、その強烈な視線を外した。その代わりに、残りの3人が説明を求めるように菫をみていた。

「ぐ、軍人将棋の話はもういい! 勝手にググれ! それよりも照、私はそんな予言を簡単に信じるようなバカじゃないぞ。なにか納得できる証はあるのか?」

「証拠は先鋒戦ですぐ観られる」

「先鋒戦? 咲ちゃんは関係ないだろう」

「〈オロチ〉は、ドラを支配すると言ったはずだよ」

「……サキは、そんなに怪物なの?」

(珍しい、淡が怯えている。でも、なぜだ? 先鋒戦? ドラ? 阿知賀!)

 菫は思い当たった。

「おい! まさか!」

「そうだよ。明日、阿知賀の先鋒にはドラが集まらない」

「そこまで影響を与えるのか……〈オロチ〉ってのは」

 菫の質問には答えず、照は大きな溜息をついた。

「明日の先鋒戦で確認してからでもいい。どうか真剣に考えてほしい。阿知賀を副将戦までで飛ばすことを。そうしなければ白糸台の3連覇はない」

 そう言って、照は頭を下げた。

 菫は、それに対応することができなかった。淡達も同じようで、ノーリアクションのまま時間が過ぎていった。

 耐えかねるように、口を開いたのは誠子あった。

「阿知賀の先鋒ってだれでしたっけ?」

「ドラゴンロードちゃん」

 答えたのは尭深であった。

「ドラゴンロード……松実玄だろ」

 菫は呆れて注意した。

 突然、大きな音が聞こえた。その方向をみると、照がうつむき、右手で顔を押さえていた。左手はテーブルに置かれていてブルブルと震えていた。音は、照の左手がテーブルを叩いたものであった。

「照! どうした?」

 照は返答せず、左手を持ち上げて大丈夫というように振ってみせた。しかし、震えは一向に収まらず息遣いも荒かった。

 菫は迷っていた。

(これは……なにかの病気か? 救急車を呼ぶべきだろうか?)

 ――背中をだれかに突かれた。振り向いた先には誠子がいた。

「な、なんだ?」

「もしかして……宮永先輩、ツボっちゃってるんじゃないですか?」

「……はあー? あれ笑ってんの?」

「ナニナニー。どうしたの?」

 淡であった。その瞳はキラキラと輝いていた。

 3人で照をみた。震えは収まり、回復していた。

「なんでもない、ちょっと息苦しくなっただけ」

 照は何事もなかったように言った。だが、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 菫はうんざりしながら(ばかばかしいが確認してみるか)と、思い、

「尭深! 阿知賀の先鋒ってだれだっけ?」と聞いた。

「ドラゴンロードちゃん」

 照は両手で顔を押さえ、今度は前屈姿勢になった。明らかに過呼吸の状態で、肩は目視できるほど上下に揺れていた。淡はその周りを楽しそうに回っていた。誠子はそれをみて腹を抱えて笑っていた。尭深は――茶を飲んでいた。

 菫は、強烈な脱力感に襲われていた。

(全く……なにが面白いんだか。姉がこんな調子じゃ、妹も似たようなものかな? まあ、どうでもいいけど)

 淡と誠子の笑い声が部室に充満していた。

 

 

 都内 和食屋チェーン店個室

 

 赤土晴絵は、店員に案内された個室の扉を開けることを躊躇した。中にいるのは自分にとってはトラウマ的な存在の小鍛冶健夜だからだ。昨日も会っていたが、周りに部員達もいたので普通に話すことができた。しかし、今日は2人きり。そう考えると、この場から逃げ去りたくなっていた。

 晴絵は、弱気になっている自分を奮い立たせる為に、昨日の準決勝を回想していた。

(……あの子達は阿知賀の壁を突破した。私も一歩前に踏み出さなければ)

 それは、晴絵に扉を開ける勇気を与えてくれた。

「お待たせしました」

 健夜は下座に座っていた。本気で食事をしていたらしく、皿が何枚か空になっていた。

「わざわざお呼び立てして、すみませんでした」

 そう言って、健夜は立ち上がり晴絵を上座に招いた。

「夕飯がまだでしたので、ここで済ませていました。赤土さんは?」

「いえ、お気遣いなく。飲み物だけで十分ですよ」

 晴絵は店員を呼んでウーロン茶を注文した。しばらくして、それが届けられた。

 2人はその間、全く会話をしていなかった。

「明日の決勝戦。私は観たい選手がいます」

「いきなり凄い処からきますね。……宮永咲ですか?」

「はい、私は宮永咲選手がどう闘うか、それを確認したい」

「だから、うちに飛ばされるなと?」

 健夜は初めて笑った。

「そうです。宮永咲選手は、明日、その恐ろしい牙をみせるはずです。姉の宮永照選手はそれを阻止しようと考えるでしょう。そうなると結論は一つです。大将戦までにどこかを飛ばしてしまえばいい」

 話自体は晴絵の予想の範囲内であった。しかし、今の話で気になることが2点あった。まずは、宮永照と宮永咲が姉妹であると健夜は断言した。さすがにプロの情報力は違うと思った。そしてもう一つは、健夜の話し方であった。

「あの、小鍛冶さん。なんとか選手とか、話し辛くないですか?」

「あ、つい、解説の癖で」

「普通に宮永照、宮永咲でいいと思いますが」

「でも呼び捨てはちょっと……」

「……では、照ちゃん、咲ちゃんでどうですか?」

「それならば、いいと思います」

 晴絵はウーロン茶を飲みながら思った。

(この人、結構面倒くさい人かも)

「赤土さんは、準決勝の咲ちゃんをどう観ましたか?」

 晴絵は笑いをこらえながら言った。

「最終局は明らかに別人でした。ただ、私はああいう人間をみるのは二度目です」

 自分のことを言われていると察した健夜は、少し恥ずかしそうな顔をした。

「スイッチを入れるきっかけになにか儀式が必要。そういう人もいます。咲ちゃんもそうでしょう」

(あなたもそうなのでしょう?)

 そう質問したかったが、晴絵はそれを抑えた。

「その儀式として負けを欲したということですか? だとしたら、宮永咲にはオーラスの裏ドラが見えていた?」

「見えていたでしょう」

 相変わらず信じられないことを平気で言う人だと思った。しかし、あの小鍛冶健夜の発言なので無視することはできなかった。そして、晴絵の脳裏に10年前の悪夢が蘇っていた。

「まさか……宮永咲もドラを……」

「そうです。咲ちゃんはドラを操れます」

 健夜は笑っていた。ただし、いつもの素朴な笑顔ではなく、もっとどす黒いなにかであった。そして、健夜は今日の本題を話し始めた。

「さっきも言ったように、照ちゃんは、咲ちゃんとの対決を避ける為に阿知賀女子を標的にします。多分、先鋒、次鋒で、大きく削ってくるはずです。対する松実兄弟は、あまりにも攻撃に特化していて防ぎきることができないでしょう。最悪、次鋒戦で終る可能性もあります。だから松実兄弟には勝つことを諦めて、負けない麻雀をして欲しいのです」

「あの、小鍛冶さん……」

「悔しいとは思いますが――」

「いや、そうじゃなくて。玄も宥も女の子なので姉妹と言って上げてください」

「あ、はい」

 晴絵は、本当に疲れる相手だなと思った。

「でも、それは私たち阿知賀に優勝を諦めろということでしょうか?」

「残念ですが、阿知賀女子の優勝の可能性は極めて低いと思います」

 晴絵もそれは実感していた。阿知賀がここまでこられたのは、運の要素が大きい。自力で言えば他の3校に一歩も二歩も譲る。しかし――

「小鍛冶さん、可能性がある以上、私たちは諦めません」

「はい。それでいいと思います」

 健夜は笑顔で答えた。だが、次の瞬間その笑顔は消えていた。

「でも、松実姉妹には犠牲なってもらいます」

 晴絵はその顔に見覚えがあった。

(そうだ……私が叩きのめされた、あの時の顔だ。私のトラウマ。忘れようとしても忘れられなかった顔。でも、今は真正面からみることができる!)

「阿知賀を人柱にしてまで、宮永咲が観たいと?」

「……」

 健夜は返答しなかった。晴絵も健夜を直視し続けていた。互いに飲み物を手にとって飲み、元の所へ置いた。その間一瞬たりとも視線が外れなかった。

「私は……プロリーグへの復帰を考えています。そのトリガーとなったのは宮永姉妹です。私は、宮永姉妹の闘いを観ている内に、2人と対戦したいと思うようになっていました」

 健夜は目を背けてから静かに言った。

 晴絵はその言葉に唖然とした。

(つまりは、今のプロに自分の対戦相手はいないということ? この人の底が全く見えない)

「私の予想が間違ってなければ、明日、赤土さん達は恐るべき怪物の猛威にさらされるでしょう。他人事で申し訳ありませんが、私はそれをぜひ観察したい。咲ちゃんが私を倒せる相手かどうか見極めたい」

「私は自分の教え子を裏切ることはできません。ましてや、小鍛冶さんの欲求を満足させる為なんて真っ平御免です」

 晴絵は強い口調で答えたが、代案も付け加えた。

「とは言っても、どうせ明日、玄にはドラは集まらないでしょうから宮永照対策は聞かせてください。これは妥協案ですよ。宥は3年なので思う存分に打たせたいから」

 健夜は、晴絵の代案に満足げに頷いた。

「いいでしょう。先鋒戦から大将戦までどう闘えばいいか、私なり考えをお教えします」

 

 

 臨海女子高校 学生寮

 

 ネリー・ヴィルサラーゼは食堂に向かっていた。メガン・ダヴァンと会話をしたかったからだ。メガンは、昨年の準決勝で対戦相手に怖気づいてしまい、逃げの麻雀を打ったと聞いていた。それが、どんな心境か確認したかった。ネリーは、宮永咲の存在に混乱していた。負けたわけではないが、なぜか心にしこりが残っている。理解不能な感情。その答えを、ネリーは欲していた。

 ネリーは食堂の扉を開けた。そこには6人掛けのテーブルが8脚あり、メガンは右奥のテーブルに座り、カップラーメンを食べていた。

「メグ!」

「ネリー、どうシマシタ? 監督は明日に備えて早く寝ろと言ったはずデスガ?」

「メグだって、寝てないよ」

「ワタシはいいのデス。3年ですから」

「?」

 ネリーは不思議そうにメガンをみた。

「ワタシは明日がハイスクール最後の試合デス。だから、この時間にラーメンを食べる権利がありマス」

「なにそれ、どういうことなの」

 ネリーは呆れて苦笑した。メガンもそれに同調した。

 メガンは再びラーメンを食べ始め、スープまで飲み干した。そして、「昨年の話を聞きたいのデスカ?」と、ネリーの質問を先読みして言った。

 ネリーは、ちょっと逡巡してから頷いた。

「怖気づくってどんな感じなの? メグは理解できているの?」

「なかなか難しい質問デスネ……」

 メガンは椅子を離れ、ラーメンのカップをゴミ箱に捨てた。

「ネリーは、勝てなそうな相手と出会ったら、どうシマスカ?」

「それは麻雀の話?」

「マージャンに限りません」

「……逃げる。かな?」

 メガンは椅子に座り直し、手を顔の前で組んだ。

「戦った結果勝てないと判断したのなら、それもいいデショウ。ただ、去年のワタシはそうではなかった。戦う前から自分で負けたと決めてしまったのデス」

「龍門渕透華?」

「そうデス、ワタシは、リューモンブチ・トーカから逃げまシタ。戦いもせず……」

 ネリーは納得がいかなかった。不利な状況ならば、真正面からの対決を避けるのは当たり前であり、馬鹿正直な真っ向勝負なんて愚かなことだと思っていた。

「ワタシは……今でも悔やんでいマス。あの時、玉砕覚悟で特攻すべきだったと」

「玉砕も、特攻も、日本では、あまりいい意味では使わないと教えたよね、メグ」

 話に割り込んできたのは、辻垣内智葉であった。

「智葉」

 呼びかけたネリーを、智葉が厳しい顔つきでみている。

「ネリー、明日は宮永咲に勝てよ。さもなければ、お前は臨海に残れないぞ」

「!」

「いいかネリー、私は、勝負中に負けるかもしれないと考えたことはあるが、負けても仕方がないと考えたことはない」

 ネリーは激昂して叫んだ。

「ふざけるな智葉! いつ私が――」

 智葉は冷めた目つきでみていた。

「どうした? いつ私がなんだ?」

 ネリーは言い返すことができなかった。心の中の選択肢にそれもあったからだ。そう思うと、智葉の目を見続けられなくなり下を向いてしまった。

(これが、負けを認めるということか? なるほど……、これは気が滅入る。だが、私はメグとは違う。それを受け入れる。受け入れて次に進む。なぜなら、私は止まることが許されないから。国の為にも、家族の為にも)

「智葉……よく分かったよ」

 智葉の表情は変わらなかったが、やや眉が上がった。

「ネリー、私はメグと話がある。席を外してくれ」

 ――ネリーは無言で踵を返した。そして、前に進んでいた。背後では、智葉とメガンがそれを見つめていた。

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

「ただいまー」

「おかえりなさい」

「おかえりだし」

 竹井久達を迎えたのは、風越女子高校の福路美穂子と池田華菜であった。2人とも清澄の決勝進出が自校のことのように嬉しそうであった。

「ほんと、疲れたわー」

 久と染谷まこは、その場に座り込んだ。1年生の3人は、荷物を置いてから、風呂に行くと言って出かけて行った。

「手強い相手でしたね。臨海女子」

「そうね……。あれでもまだ全力じゃないでしょ」

「そう思います」

 美穂子は心配そうに言った。そして、入れたてのお茶を2人に渡した。

「美穂、明日の心配はそこではないのよ」

「咲のお姉ちゃんがどう動くか。そこが問題じゃな」

 まこは受け取ったお茶を熱そうに飲んだ。

「間違いなく、他校を飛ばしにかかりますね。宮永照は」

 美穂子は華菜にもお茶を渡し、自分の分を入れ始めた。

「なんなんですか、あれは? 長野の決勝とも違いましたし、あんな咲はみたことがないです」

 猫舌の華菜は、お茶がなかなか飲めずに苦労していた。

「華菜ちゃんはどう思った?」

「分かりません。でも、似たような空気を持つ相手と最近打ちました」

 そう言ってから、華菜は美穂子を見た。

「高鴨穏乃さんね。阿知賀の大将の」

 久は思った。

(やはり咲の最大の障害は、大星淡でもなくネリーでもない、あの阿知賀の大将か……)

「美穂もそう思うの?」

「あの子は……特に高い上がりはないのですが、場が進むにつれて、なにか大きなものに飲み込まれていくように感じるのです。そして、いつの間にか手が封じられている。多分、準決の大星淡さんもそれで負けてしまった」

 華菜もそうだと言わんばかりに頷いていた。

「それは怖いわね。だけど、明日の咲はもっと怖いと思うわ。私たちもあんな咲は知らないもの」

「じゃが、実の姉なら知っとるじゃろう」

「阿知賀を守りながら闘わなければいけませんね」

 

 久は、ノックした相手がだれか見当がついていた。

「はーい。どうぞ」

「今晩は」

 龍門渕透華であった。その後ろには天江衣と国広一もいた。

「まずは決勝進出おめでとうございます。私たちが出来なかったことをやるなんて、貴方なかなかのものですわ」

「ありがとう、透華」

 後ろで衣は、きょろきょろとだれかを探していた。

「ののか達はいないのか?」

「1年生はお風呂にいったわよ。追いかければまだ間に合うわ」

「そうか! 透華、衣も風呂にいって良いか?」

「ええ、いいですわよ。一も衣と一緒にいってあげて」

「はーい」

 一は衣の手を引きながら、部屋を出た。

「透華……」

「ご安心あそばせ」

 久は帰りがてら透華に二つの調査を依頼していた。一つは、中国麻雀の映像データがないか。もう一つは、咲の癖についての調査であった。

「ハギヨシ!」

「はい。透華お嬢様」

「と、突然現れたし!」

 華菜は、龍門渕の執事を見るの初めてなのか、驚いて涙目になっていた。

「孫先生は?」

「いらっしゃいました。沢村様、井上様と吉留様も待機しております」

「わが龍門渕は映像なんてケチなことは致しませんの。中国麻雀プロの孫先生を招いております。別室で実践対局ですわ」

 相変わらずスケールが違うと、久は感心した。

「お手数をかけたわね」

「あら、これは清澄の為ではありません。来年、郝慧宇と戦うのは私たちですから、その対策として純と智紀に予行練習をさせます。染谷さんと吉留さんは、まあ敵に塩を送るみたいなものですわ」

 美穂子は笑顔でお辞儀をした。透華は満足げであった。

「恐れながら、染谷様は本日睡眠がとれないかと」

 龍門渕の執事が気の毒そうに告げた。

「なんじゃあ。まあええ、明日で最後じゃ、一日ぐらい何てことない」

「がんばってね、まこ」

「わしゃあ、今日はみんなの足を引っ張ったけえ、せいぜいがんばるわ」

「軽食も準備しておりますので、お食事はそちらでお願い致します」

 まこは、執事に導かれて部屋を後にした。

 大勢の人がいた部屋に、今は現麻雀部部長3人と、次期風越部長になるであろう池田華菜の4人しか残っていなかった。

「もう一つの調査結果ですけど……」

 透華らしくない歯切れの悪い言い方であった。久は、それもそうだなと思った。仮に咲の癖が分かったとしても清澄には教えたくないはず。なぜなら、本来ここにいる3校は敵同士なのだから。

「秘密にしていましたが、とうの昔に智紀が分析してましてよ」

「智紀? 沢村さん?」

「智紀をなめてもらっては困ります。あの子は根っからのアナリストでしてよ」

「咲の癖……」

 そうつぶやいたのは、直接対戦したことのある華菜であった。

「無理もありませんわ、池田さん。智紀も申しておりました。モニター越しでなければ分からないと。宮永咲が嶺上できる時は、無意識にその山をみている」

「!」

 久は驚いていた。ここにいるだれよりも咲と打っていた自分が、見抜くことができなかった癖だったからだ。

「それが宮永さんの……」

 美穂子も久と同様であった。華菜も呆然としていた。

「間違いありません。何度も映像を見直しましたわ。智紀の言うとおり、関係ない山に目を泳がせる時はその山で嶺上開花を上がることが多い。彼女の無意味な鳴きは軌道修正の為にいっている」

「まるで、嶺上牌が見えてるみたいだし!」

「見えているみたいじゃありません。見えているのです」

 それはだれもが思っていたことではあるが、実際にそうだと言われるとやはり衝撃であった。しばらくは久も話す言葉が出てこなかった。

「透華、美穂、華菜ちゃん……」

 久は3人を呼んだ。その顔は切実であった。呼ばれた側は思わず身構えてしまうほどであった。

「明日は絶対に勝ちたいの。だから……私に力を貸して」

 福路美穂子、池田華菜、龍門渕透華は、一斉に破顔した。そして、なにを今さら的な笑い声が3人から発せられた。久は、ちょっとだけ意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔になり、笑いの輪に加わった。

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル 休憩室

 

 なんにせよこだわりが強い原村和にとって、浴衣は最近までは嫌いな衣装であった。その意識が変わったのは合宿からで、ほとんどの時間を浴衣で過ごしている内に好きになっていた。何よりも涼しく動きやすい。そして和好みの可愛らしい着こなしも可能であった。しかし、今目の前にいる3人はその浴衣を冒涜していた。

「優希……」

「なんだじぇ、のどちゃん」

 牛乳を飲んでいた片岡優希は、浴衣の帯を適当に縛っており腹まで見えている状態であった。

「帯ぐらい、きちんとしてください」

「おおう、そうであった」

 和が衣服のマナーにうるさいことを知っている優希は、牛乳を置いて、帯を締めなおした。

「衣さんも国広さんも、浴衣ぐらいちゃんと着てください」

 天江衣は浴衣が右肩からずり落ちていた。国広一にいたっては、帯そのものを着けておらず、まるで着流しのようであった。

「和はこういうことには厳しいね」

 一は笑いながら帯を拾った。

「これではダメなのか? 衣は家ではいつもこんな感じだぞ」

 衣の質問に、和は深い溜息をついた。

「少しは恥じらいを持ってください。咲さんを見習ってください」

 そう言って、和は宮永咲をみた。なにか違和感を覚えた。浴衣の合わせが左前になっていた。

「さ、咲さん! それでは死装束です!」

「ああ、ごめんなさい」

 咲は慌てて帯を解いた。

 和は頭を抱えていた。

「今年も臨海女子が邪魔してきたね」

 完璧に浴衣を着直した一が、衣に対して言った。

「透華の対戦相手以外は面子が違うが、皆、一筋縄ではいかぬ相手だな。だけど、明日の真の敵は臨海ではないぞ」

 衣は咲に顔を向けた。それに答えるように咲は、「きっと全力の宮永照を観られると思います」と、他人事のように言った。

「咲ちゃん! それは困る。お姉ちゃんとぶつかるのは私だじぇ」

「優希は東一局にすべてをかければ良い。清澄の部長もそう言ったのではないか?」

 衣の質問に、優希は固まってしまった。その表情は「そのとおりです」と語っていた。

「他の2校が勝手に動いてくれる。東場は隙があればすばやく上がり、南場はひたすら防御に徹することだ」

「でも、それじゃあ勝てないじぇ」

 優希は不満そうに言った。

「団体戦はそれぞれ役割を持っているはずだぞ、優希の役割はなんだ? 失点を最小限に抑えて次鋒に繋ぐことであろう。相手はだだの強者ではない、正真正銘の怪物なのだからな」

 まるで自分の学校のことのように、衣は優希にアドバイスをした。

「衣は、本当は自分が宮永照と闘いたかったんだよね。去年は本当に残念そうだったよ」

「一! それは内密にと言っただろう」

 衣は、珍しく早口になり、顔も少し赤くなっていた。

「……透華には内緒だぞ」

 一を睨みながら衣は言った。一は分かったと言わんばかりに、二度三度と頷いた。

「昨年、咲の姉上と闘っていたら、多分、衣は負けていただろう。でも、それもよかろうと思っていたのだ。いや、きっと敗北を望んでいたのだと思う。……衣は負ける相手をずっと探していた」

 そう言って、衣は咲をみて微笑んだ。

「咲、お前には感謝している。あの県大会オーラス。あれは、今思い出しても痺れるような負けであった」

「しかも咲は宮永照の妹なんだよ。なんか因縁を感じるね」

 咲はなにも言わず、ただ頷いただけであった。しかし、衣と一はそれで満足したようで喜色満面としていた。

 和は、咲や衣のように自ら望んで負けるという感情が理解できなかったので、実に複雑な笑顔をしていた。

 

 

 ――しばらく雑談をした後、「じゃあ、明日、がんばって」と言い残して、国広一と天江衣は、そそくさと帰ってしまった。休憩室に残されたのは、清澄の1年生3人だけであった。

 原村和は考えた。

(きっと衣さんは、私たちに気遣いをしてくれた。あのことを話すのは今しかない)

「さて、私たちも戻るじぇ」

 片岡優希が椅子から腰を上げた。和は、あのことを話そうと努力していたが、切り出し方がまとまらず焦っていた。

「湯冷めしちゃうから、早く帰ろ」

 宮永咲も、そう言って和に手を差し伸べた。

「あ、あの!」

 神妙な面持ちの和に、咲と優希はびっくりしていた。

「私は……明日絶対勝ちたいです!」

 優希と咲は顔を見合わせ、すぐに笑顔になった。

「当然だじぇ、のどちゃん。勝って、全国制覇だじょ」

 優希らしい軽口で和を励ました。しかし、和は笑わなかった。

「和ちゃん、なにかあったの?」

 咲も心配そうに声をかけた。和はもじもじしていたが、意を決めて話した。

「もし、負けてしまったら、私は……みんなと離れ離れになってしまいます」

「そんな話、初耳だじょ!」

 優希は少し取り乱していた。咲は無言であったが、手を口に当てていた。

「優勝できなかったら東京の進学校に転校する。それが、お父さんとの約束です。だから、明日はなにがなんでも――」

「和ちゃん……」

 口を挟んだのは咲であった。その顔は感情を完全に喪失していた。目は半紙に落とした墨汁のように光沢がなく、口の動きも筋力で動いているようには見えなかった。

「絶対私まで回して……。私がお姉ちゃん達を叩き潰すから……」

 和は、咲の反応に慌てていた。

(迂闊でした……やはり私の心の中に留めておくべきでした)

 そう後悔し、咲に呼びかけた。

「咲さん! しっかりしてください」

「何万点差があっても……みんな粉砕するから大丈夫だよ」

(いけないさっきとは違う。なかなか元に戻らない。ここは奥の手を使うしかないかも)

 と、和は思い、優希に合図した。

 優希は心得たとばかりに頷いて、5mほど離れて両手を顔の前でクワガタのよう構えた。

 和は叫んだ。

「あー! みてください、咲さん。あんな所に花田先輩が!」

「え! どこ!」

 咲は瞬間に笑顔になり、辺りをきょろきょろ探した。そして、優希を見つけて吸い寄せられるように近づいていった。

「すばら! すばらですよ。宮永さん」

 優希は腕を動かしながら、新道寺女子高校の花田煌の口真似をした。咲はそれが楽しいらしく、どんどん近づいていった。

「宮永さん! 私はお腹が空いています。なにか食べ物は持っていませんか?」

「えー。なにも持ってないよー」

「すばら! ならばお前を食べましょう」

「あー!」

 咲は優希の腕に挟まれて喜んでいた。

 和は咲が普通に戻ったのをみて安堵した。ただ、咲がなぜあんなに楽しそうなのかは、全く理解できなかった。そして、

(もしかして、お姉さんもこんな感じなのかな?)

 と考えたが、すぐに、どうでもいいことだと思い直し、小さく首を横に振った。

 

 

 阿知賀女子学院 宿泊ホテル ロビー

 

 赤土晴絵は悩んでいた。先程まで話していた小鍛冶健夜のアドバイスは、阿知賀にとっては有り難いものではなかった。特に松実姉妹のそれは、余りにも過酷であったが、客観的に考えると唯一の方法に思えた。しかし、それを伝えることは2人に試合を捨てろと命令することと等しかった。晴絵はその対応に苦慮していた。

 エレベーターに向かって歩いていると、人影が二つ近づいてきた。その松実姉妹であった。

「玄、宥も……。どうした? 灼から早く寝ろと聞いていないか?」

「聞いています。でも、玄ちゃんが……」

 答えたのは松実宥であった。松実玄は姉の後ろでじっと晴絵を見つめていた。

「玄……不安か?」

「はい……」

「立ち話もなんだし、あそこで話そう」

 晴絵はフロント前のソファーを指さし、宥に飲み物を買ってくるようにと小銭を渡した。やがて、宥が自販機で買ってきた冷たいコーヒーを2人に渡した。もちろん自分の分は温かいコーヒーであった。

「この間どっかの解説者が面白いことを言っていたよね。玄は龍に好かれているって、だからドラが集まるんだって」

「はあ」

 玄は曖昧な返事をした。

「でも、宮永咲は違う。力で龍を従える。だから、玄には、ドラが寄り付かない」

「え?」

 晴絵は、声を発した宥をチラリとみた。大将の宮永咲の力が先鋒まで影響を及ぼすのか? そういう顔をしていた。

「今のは、小鍛冶プロの助言だよ」

 と言って、晴絵は缶コーヒーの口を開けて飲んだ。

 玄と宥は言葉を失っていた。

「小鍛冶健夜はドラを支配できる。2人共、10年前の私の試合をビデオで観たよね?」

「赤土さんは、残酷な二択を迫られました」

 答えたのは宥であった。缶コーヒーの口を開けないで、温かそうに握っていた。

「あの時、私は小鍛冶さんにドラを掴まされた。残してリーチをかければ逆転可能、切れば、裏が乗らないかぎり、届かなかった。そして私は前者を選び……負けた」

「……」

「残酷な二択か……そうだね、本当に残酷だ。あれはそういう二択ではなかったんだから。どっちを切っても和了されていた。つまりは、振り込んで負けるか、降りて負けるかの、負け方を選ぶ二択だった」

 晴絵は自虐的な笑顔で話していたが、ゆっくりと表情を真剣なものに変えた。

「私も、2人に、その残酷な二択を迫りたいと思う。明日の闘い方についてだ」

「はい」

 玄と宥は同時に返事をした。その声は決意に満ちていた。

「一つ目は、後悔が残らないように、全力でチャレンジし、華々しく散る」

 2人は沈黙していた。晴絵の言う、次の選択肢を待っていた。

「二つ目は……勝負を捨てて、守りに徹する。そして、残りの三人にすべてを託す」

 玄は静かに笑った。そして、小さな声で話し始めた。

「私達阿知賀には……きっと魔法がかかっていたんです。そのおかげで、こんな、信じられない場所まで来ることができました。でも私とお姉ちゃんの魔法は……もう解けてしまった」

 そう言って、玄は姉の宥と目を合わせた。

「選ぶのは二つ目です。阿知賀の為なら、私たち姉妹はなんでもします」

 突然、玄が晴絵の胸に飛び込んできた。

「赤土さん! 泣かないで! 泣かれると……私だって」

 玄は堰を切ったように泣き始めた。

(ああ……私は泣いていたのか……)

 晴絵は自分が涙を流していたことに、初めて気がついた。そして今、胸の中で号泣している、松実玄を抱きしめ、心の中で語りかけた。

(玄、まだ魔法は解けていない。明日、私と宥と3人でそれをみせてやろう)

 

 

 大星淡自宅

 

 白糸台高校は試合会場から近いので、明日7時に現地集合と決まり、メンバー全員解散となった。大星淡も自宅に戻り、部長の弘世菫の指示「今日は早く寝ろ」を懸命に実行していた。しかし、目を閉じると、宮永照の言った『完膚なき負け』が思い起こされ、その意味を考え始めてしまう。

(私だって何度も負けたことがある。この間の高鴨穏乃に負けた時なんか、凄く悔しくて、内緒だけど大泣きしたんだから)

 でも照は、それは意味が違うと言った。弘世菫、渋谷尭深、亦野誠子も同じ意見のようであった。淡にとって未知なもの『完膚なき負け』。それは恐怖であり憧れでもあった。もし、自分にそれを与えてくれる者があるとすれば、宮永咲に違いないとも思っていた。だが、咲は自分が敬愛する照にもそれを植え付けた。そう考えると、激しい憎悪の念を抱いてしまう。

 淡は混乱していた。そして、その解答をくれそうな相手に電話をかけた。

「……はい」

「ごめん。テルー寝てた?」

「いや」

「そう」

「眠れないの?」

「うん」

「そう」

「テルーは?」

「私も」

「なんで?」

「怖いから」

「怖い? サキが?」

「うん」

「そう」

「淡は?」

「私も、怖い」

「そう」

「うん」

「ゴメン」

「なにが?」

「咲のこと話して」

「そうだね」

「……」

「ありがとうテルー」

「眠れそう?」

「うん」

「じゃあ、明日」

「もう今日だよ」

「じゃあ、今日」

「うん」

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 宮永咲と片岡優希は静かな寝息を立てていた。しかし原村和は落ち着かない様子で、何度も姿勢を変えて、時折、小さな溜息もついていた。

(和、眠れないのね。無理もないけど)

 竹井久は、目をつむり、思い出していた。

 自分が1年生の頃、たった1人の部室で思い描いた夢は、麻雀部が大勢の部員の笑い声で満ち溢れることだった。――そして、その夢はかなった。

 2年生になり、染谷まこと2人で考えた夢は、団体戦に出場することであった。――その夢もかなった。

 3年生の今年。全中覇者の和とセンスの良い優希が入部してきた。インターハイに出ることが新しい夢になった。しかし、長野を勝ち抜くには、龍門渕高校を倒さねばならなかった。和も優希も強い打ち手であったが、天江衣はさらに上手をいっていた。そんなある日、男子部員の須賀京太郎が1人の少女を連れてきた。宮永咲――目も眩むような打ち手であった。

(咲と出会ったあの日。私は貪欲な夢をみてしまった。すべては明日、いや、今日ね。……かなうかしら)

 久の貪欲な夢。それは、全国制覇であった。

 ――和の規則的な呼吸音が聞こえてきた。

(和、やっと眠れたようね。そろそろ私も)

 まだ戻ってきていない、まこのことが気になり、様子をみにいこうかと思ったが、これまでの疲労が、久の行動力をどんどん奪っていった。そして、その値がゼロになった時、久は眠りに落ちていた。

 



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2.作戦会議~出陣

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 昨日の準決勝終了後、インターハイ運営本部より、本日の予定を連絡されていた。

 まずは、午前11時より、ベスト4の顔合わせが行われる。それが終わった後、4校はそのまま控室に入る。そして、決勝戦は正午から始まるとスケジュールだ。

 竹井久は、顔合わせまでの時間を、作戦会議に使うと決めていた。その為、メンバーには6時に起きるように厳命してあった。

 しかし――全員眠そうであった。特に、昨日から特打ちをしていた染谷まこは、さっきから大あくびを連発していた。

「ちょっとまこ、少しは寝たの?」

「あー、1時間ぐらいかのう。さすがに眠い……」

 そう言って、まこは再びあくびをした。それは、うつるらしく、隣にいた原村和、片岡優希もあくびをしていた。

 宮永咲が見当たらなかった。奥に布団が1枚敷いてあり、だれかが寝ていた。久はそれが咲であると思い、優希に指示を出した。

「優希、咲を起こしてきて」

「咲ちゃんなら、顔を洗いに行ったじょ」

「え?」

「あそこで寝てるのは、みはるんですよ」

 池田華菜が、あれは吉留未春であると説明した。

「ごめんなさい。私がまだ寝かせておくように、華菜に言いました」

 福路美穂子が謝るように久に言った。久は笑顔で応じた。

(さすがに美穂は気配り上手ね、まこも、もう少し寝かせておくべきだったかしら)

 久は、そう考え、目をしょぼしょぼさせている、まこをみた。

「安心せえ、何とかなる」

 まこはそれを察し、気だるく答えた。

「あ、咲ちゃんが帰ってきたじぇ」

 優希が、咲を見つけて言った。

 ――こちらに向かって歩いてくる咲は、昨日までとは、まるで別人であった。愛嬌のあったその顔は、無表情で、人間味を感じなかった。そして、全身からは、禍々しいなにかが漂っているように見えた。さっきまで眠そうにしていたまこが、目を見開き「咲……どないしたんじゃ」と、独り言をつぶやくほどであった。

(なんなのこの威圧感は……初めて咲に会った時、いやそれ以上の……)

 久は、寒気を抑えらず、身震いをした。

 そして全員を見渡した。皆、同じように圧倒されていたが、和だけは違っていた。心配そうに咲をみていた。

「咲、大丈夫なの?」

「今日の私は、普通じゃありませんから……」

 普段通りに振る舞おうと、咲は、無理に笑顔を作っていた。

 久は迷っていた。咲の言った「普通じゃない」の意味を確認しなければならないが、何よりも今は時間がなかった。残りの時間で、先鋒戦から大将戦までの指示を出したかった。

(咲の件は、その大将戦の時に、詳しく聞きましょう。今は会議を優先しなければ)

 久はそう思い、大きく息を吸って、決勝戦にかける決意を話そうとした。

 ――だれかの腹が驚くほど大きな音で鳴った。

「部長……お腹減ったじぇ」

「……」

「空腹だと良い知恵も出ませんからね」

 美穂子が、やんわりと進言した。

「――そいじゃ、メシ食ってからにすっか」

 まこの一言で、場の空気が和らいだ。一時解散となり、みんなで朝食バイキングの会場に向かって、ぞろぞろ歩いていた。

 

 

「美穂、ありがとね」

「いえ」

「気が急いて仕方がなかった。本当に焦っていたんだわ」

「同じ立場なら、きっと、私もそうなっていましたよ」

 美穂子は笑顔で答えた。

(やっぱり、部員80人の風越キャプテンは違うわ、懐がとっても深いもの。ないものねだりは私の悪い癖だけど、ちょっとだけ、美穂に嫉妬してしまうわ)

「あ!」

 久は重大なことを思い出した。

 会議をしながらの朝食を考えていたので、須賀京太郎に5時に起床させ、軽食の買い出しを指示していた。彼は、だれもいない部屋で、重い荷物を抱え、呆然とすることになるだろう。

(あちゃー。後で、和か美穂に謝ってもらうように頼もう。須賀君のお気に入りだもの、許してくれるわよね)

「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないわ」

 久は、慌ててごまかした。

「……須賀さんには、私が謝っておきますから」

 美穂子は母親のように優しい笑顔で言った。

「美穂……」

「はい?」

「あなた、完璧超人だわ」

「なっ! 上埜さん! からかわないでください!」

 美穂子の顔が一瞬で真っ赤になり、普段は閉じている右目も開いていた。

「ゴメン、ゴメン」

 久は、運命というものを信じていなかったが、美穂子の紺碧の右目を見るたびに、それを意識していた。3年前、たった一度闘っただけの自分を、ずっと覚えていてくれた福路美穂子。そんな彼女と再び出会い、そして闘い、その結果こんなに親しくなることができた。もちろん、それがただの偶然であることは分かっていた。しかし、心の奥底ではなにか別の理由を渇望していたのだ。それは、久にとっての美穂子が、友人を超えた存在であることを意味していた。

 

 

 ――ほったらかしにされていた須賀京太郎は、さきほどまで、実にふてくされていた。だが、福路美穂子と原村和のWでの謝罪を受け、信じられないほど鼻の下を伸ばし、上機嫌になっていた。そして、そのニコニコ顔で、愛想よくみんなに飲み物を配っていた

「はい、部長」

 竹井久も、京太郎からそれを受け取った。ロイヤルミルクティーであった。

(……甘い紅茶は苦手なのに、軽いリベンジって訳ね……)

「さあ、作戦会議を始めるわよ!」

「はい」

 腹が満たされた為か、皆元気に返事した。

「あ……あの」

 起きたばかりの吉留未春が、奥のテーブル前で声を上げた。

「これ、全部私が食べるんですか?」

 テーブルの上には、京太郎が買ってきたおにぎり30個、サンドイッチ10個、その他諸々が積み上げられていた。

「がんばれー、みはるん」

 池田華菜が無責任に応援した。未春は顔が青ざめていた。

 

 

 先鋒戦最大の障害である宮永照に対抗する為に、竹井久は片岡優希にスピード勝負を挑むように命じていた。宮永照の速度も相当なものだが、東場の優希なら勝算がある。しかも、今回はドラを保持してくれる、松実玄もいる。臨海の辻垣内智葉を警戒しながら打てば、照の猛攻にも耐えきることができると思っていた。

 しかし、その最大の障害の妹、宮永咲から、思いもよらない勧告を受けた。

「ドラが集まらない……?」

「はい、松実玄さんには、ドラが集まりません」

「なぜか聞いていい?」

「ドラは〈オロチ〉に制御されます」

 咲の言った〈オロチ〉とはなにか? だれもがそう思っていた。

(た、確かに普通じゃないわ、なんなの、この咲の気配は、圧倒的すぎる……)

「さ、咲」

「……」

「〈オロチ〉って、あなたのことなの?」

「……はい。今の私は、姉の宮永照が忌み嫌った〈オロチ〉の状態です」

 そう言って、咲は寂しげに笑った。

 久は、全身が総毛立っていた。そして、真っ先に原村和を目で捉えた。――先程と同じく、心配そうに咲をみていた。

(そう、和は咲から聞いているのね。……あの超現実主義者の和が本気にしている。だとしたら、間違いないのかな、咲の変貌。いや、凶悪化かしら)

 作戦の変更を余儀なくされた久は、情報収集からやり直そうと考え、咲に、宮永照の特徴を教えてくれるように頼んだ。――咲は、「お姉ちゃんもそうしているでしょうから」と言って、全国高校生共通の敵である宮永照の秘密を話し始めた。

「お姉ちゃんは目がいいです。視力は4.0です」

「……」

 全員、唖然としてしまった。こういうことには耐性があるはずの福路美穂子でさえ、口が開いたままであった。

「よ、4.0って、どうやって測るんじゃ」 

 染谷まこが、苦しそうに言った。

「普通の人の2倍の距離から、2.0が見えた。だから4.0だそうです」

「ど、どっかで聞いた話だし」

「一個、二個、三個ン! だじぇ」

 片岡優希が楽し気に言った。

(これって、咲のネタ? 私達、咲に担がれている?)

 久は訝しんだが、そんなことは、お構いも無しに、咲は話を続けた。

「お姉ちゃんの凄さは、対戦相手の手牌をほぼ完璧に読み取る技術にあります」

「技術? 能力ではなくて?」

「はい、技術です。皆さんと同じように、お姉ちゃんも相手の特徴や癖、行動パターンを調査分析します。そして、捨て牌や考える間、手の動き、表情などから手牌を読み取ります。その技術がずば抜けているんです」

「でも、完璧は無理です。確かに、そういった偏りから、ある程度の手牌は推測できます。でもそれは確度の高い推測でしかありません」

 デジタル派の原村和らしい人間の不確定さを強調した発言であった。

「和ちゃん。そこが、技術の入り込む隙なんだよ」

 久は、話に色めき立っていた。

「その……技術とは」

「東一局、場合によっては二局。お姉ちゃんは対戦相手の様子をみる。よく言われていることですが、それは間違いありません」

「照魔鏡とかいうやつだじぇ。相手の能力を見透かすとか」

 照と直接ぶつかる優希は、怖そうに言った。

 咲はそれをみて、少し笑った。

「特徴や癖は動画や資料でもインプットできます。でも、直接相手を見なければ、分からないものがある。お姉ちゃんは、東一局を使って、それを確認しているんです」

 久は汗ばんでいた。ほどよい空調の室内が暑いわけがなかった。ということは、咲が話す宮永照に対しての、嫌な汗であると感じ取っていた。

 美穂子がなにかに気付いたらしく、顔を咲に向けた。

「そうです……お姉ちゃんは、眼の動きを見ています。それが照魔鏡です」

「そんなの……無理だわ。それこそ、原村さんが言ったように、ある程度しか分からない」

 美穂子も、眼の動きを考慮した読みを得意としている。その彼女が無理だと言っていた。

「お姉ちゃんは、よく言っていました。対子、刻子、槓子、順子、眼の動きはすべて違うと」

「だったら、理牌しなければいいし」

「私も、試したことがあります。でも、無駄だった。牌が離れていても眼の動き自体は変わらないし、長考になるので、尚更分かりやすいと、言っていました」

 それは、麻雀をやる者ならだれでも考え、試してみることであった。そして、ほぼ100%の人間は、それが、無理で無駄なことだと判断し、止めてしまう。しかし、宮永照はそうしなかった。それを追求し、技術にまで高めていった。

「それに」

 咲の話は続いていた。

「眼は、よくものを映します」

「そんな……無理よ……」

 美穂子はショックを受けていた。手牌の読みの正確さは、自分の最大の武器だと思っていたが、咲の話す宮永照は、そのはるかに上を行っていたからだ。

 咲は、そんな美穂子を見据えて、冷たく言った。

「お姉ちゃんは、視力が4.0です。そして麻雀牌には色や形に特徴があるものが多い。さっきも言いましたが、対子、刻子、槓子、順子は眼の動きで読まれてしまう。そして、その中に、赤いもの、緑のもの、白いもの、丸、三角、四角いものなどが含まれていたら、どうですか?」

「……」

 美穂子はガクリとうなだれた。

「キャプテン」

「キャプテン! しっかり」

 風越の後輩2人が美穂子を支えた。

 久は美穂子が落ち着いたのを確認してから、咲に質問した。

「咲……あなたは、お姉さんに手を読まれないの?」

「まさか! 私なんかあっという間です。普通の人なら5,6巡で、私は4巡ぐらいで、もうスケスケですよ」

 咲はそこで言葉を切り、少し間を置いてから、小さな声で言った。

「でも……私の嶺上開花は止められない」

(そう、これで分かったわ、咲の異常な打ち方の理由が。何もかも、お姉さんに対抗する為だったのね。いう通り、咲の嶺上開花は、一度発動したら手牌が分かっていても止められない。逆に分かっているからこそ、プレッシャーにもなりうる。……本当に怖い子。宮永照が恐れるのもよく分かる)

 しかし、久には疑問が残っていた。千里山女子高校の園城寺怜との試合であった。怜は照の上がりを察知し、鳴きで自摸牌をずらして阻止しようとしていたが、照は、それを易々とかわしていた。手牌の完璧な読みだけでは解き明かすことができなかった。

「咲、それだけじゃないわよね」

 咲は頷いた。その顔には、悲痛な色を浮かべていた。

「はい……お姉ちゃん、宮永照の最も恐ろしい能力は――」

 久は、咲が今度は能力と言ったことを聞き逃さなかった。

 

 

 白糸台高校 麻雀部控え室

 

 大星淡は茶を飲んでいた。眠気覚ましに渋谷尭深からもらったが、淡の口には合わなかった。

ただ、眠気は確かに和らいだような気がしていた。

 麻雀部部長の弘世菫が淡を眺めていた。

「なーに」

「お前は正直者だな、実にまずそうに茶を飲む」

 そう言って、菫は笑った。

 淡は、ジト目で菫を見ながら、茶を啜った。

 

「そうか、お前でも苦戦しそうか?」

 菫が先鋒の宮永照に聞いた。

「清澄の片岡はスピード重視で攻めてくる。東場の何局かは取られてしまうかも。それに……」

「それに?」

「清澄には咲がいる。だから、私の打ち方を片岡は知っている」

「咲ちゃんは、お前のすべてを知っているのか?」

「そこまでは知らないと思う。でも、まあ妹だから……」

 淡の心にさざ波が立っていた。そして、その原因も自覚していた。照が妹の咲のことを話す時、心のざわつきを抑えられなかった。咲を自分よりも上に置いている照にイラついていた。そう――分かっていた。淡は宮永咲に嫉妬していたのだ。

 菫がまた見ていた。

「なによ! もームカつく! サキなんか私がぶっ倒してやるんだから!」

 なんだか、気が晴れていくような気がした。その原因も、淡は分かっていた。暴言を吐いてしまった淡を見守る目があった。それは、チームメンバー4人の優しい目であった。

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 竹井久は、咲の話した宮永照の能力に引っかかりがあった。

「それだと、自摸牌をずらされたら宮永照は上がれなくなるわ」

「お姉ちゃんの能力は、シンプル極まりないです。――もう一度言います。宮永照は上がり牌が分かっているんです。上がり牌の位置ではありません」

 そういった咲の顔は、相変わらず悲し気であった。

「つ……つまりは、ずらしても無駄ってこと?」

「はい、無駄です。実にシンプルです。だから強い。お姉ちゃんは、その牌に対して、最短で手を組み上げ、上がるだけです。途中で鳴かれても、そんなの関係ありません」

 久は、頭の中の疑問が氷解していくのを感じた。ただ、それを確実なものにする為には、幾つかの質問をする必要があった。

「それは、未来予知みたいなもの?」

「いえ違います。もっと単純で、上がり牌が分かるだけです。ただそれは……線路を走る電車のようなもの。発動したら止められません」

「他家の速攻をはねのける和了速度は?」

「何しろ、お姉ちゃんは手牌察知がほぼ完璧ですから。牌効率で勝てる相手はいません。あるいは……能力を速度に切り替えられるのかもしれません」

 すらすらと質問に答えていた咲が、初めて言いよどんだ。

(妹にも分からない秘密がある……さすがはチャンピオンね、楽にはことが進まない)

 久は、宮永照に対する最大の疑問を咲にぶつける。

「千里山女子の園城寺怜は、あなたのお姉さんに振り込みをさせたわ。今まで聞いた話だと、それは、あり得ないことのように思えるのだけど」

 咲は、少しためらってから話した。

「あれは……お姉ちゃんも驚いていました。きっと、なにかがパターンを崩したんだと思います」

「なにかって?」

「……」

 咲は、答えずに、目を背けた。

(咲、答えないってのは、立派な答えなのよ。あなたは知っているのね、なぜ宮永照が振り込んだのか。――そして、咲。確かにあなたは今、普通じゃないと思う。でも、本質はなにも変わらないわ、優しい、嘘のつけないあなたのままよ)

 久はそう思い、原村和に目を向ける。

 和は咲に微笑んでいた。

「点数が上がっていくのはどうしてなのだ?」

 今度は片岡優希が質問した。照の点数が上がっていく連続和了のことを言っていた。

「あれは……」

 咲の表情が一変した。それは不適な笑みとしかいいようがなかった。

「さほど意味がありません。きっと相手の自滅を誘うために、わざとお姉ちゃんはやってるんだと思います」

 久は、背筋が凍りついた。全国の高校生が恐れるチャンピオンの連続和了。その特徴は点数がどんどん上っていくことであった。それを、咲は無意味なことと言いきった。つまりは、宮永照はそのギミックを3年間継続しているのだ。一度も敗れることもなく。

 そして、咲は笑っていた。宮永照の悪魔のような悪戯に臆することなく。

「咲……あなたは……お姉さんに勝てるの?」

 咲は、まるで魔王の様な風格で、久を見た。

「私は〈オロチ〉の状態で宮永照に負けたことがありません」

 久も笑った。笑わざるを得なかった。そして、自分の野望である全国制覇に光が見えていた。

 

 

 白糸台高校 麻雀部控え室

 

「菫で飛ばしてもらうと助かる」

 宮永照の科白に、弘世菫はおおいに弱っていた。照は、自分は警戒されていて、あまり阿知賀を削れないかもしれないと言った。そして、今の言葉。

「私に何とかしろということ?」

「そう」

 簡単に言ってくれると思った。阿知賀の松実宥は、手牌を読みやすい相手ではあったが、妹の松実玄と比べると振り幅が大きかった。しかも、自分の癖を見抜いて反撃もしてくる。

(まあ、癖自体は改善したが)

 それに、今回はもう一人、煙たい相手がいた。

「でも宮永先輩。決勝には、部長の天敵がいますよ」

 亦野誠子が菫の気持ちを代弁した。

「定石崩し……」

 渋谷尭深が言葉少なめに言った。しかし、それは的を射ていた。

「清澄の染谷か……。まあ厄介だな」

「菫はああいうタイプが苦手なんだよね」

 菫は、無遠慮な発言をした淡を、ムッとした顔で睨み、近づいていった。

 そして、両頬を指でつまみ、引っ張った。

「いたたたた」

 淡が痛そうに声を上げた。

「上級生を呼び捨てにする悪い口はこの口か? 前にもいったよな、私を呼ぶ時は部長と言えと」

「すびばせん。菫部長!」

「弘世部長だろ!」

「はい。弘世部長」

 菫は淡を解放した。

 涙目になり、頬を薄っすらと赤くしている淡をみて、菫は大声で笑った。笑い上戸の誠子も一緒になって笑っていた。

「ひどい! テルーは怒ったことないのに! パワハラよパワハラ!」

 淡は助けを求めるように、照のそば寄っていった。

 照は、そんな淡の赤くなった両頬を引っ張った。

「上級生を呼び捨てにする口は……」

 誠子が笑い死にしそうになっていた。菫も同調したが、頭の中は冷静であった。

(相手が定石を崩してくるのなら、さらに定石で対抗すればいい。なに、簡単だ。向こうは必ず後手に回る。私が一手差で勝つだけだ)

 

 

 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

 赤土晴絵は、昨日の小鍛冶健夜を思い出していた。決勝で最も不確定要素が大きいのは中堅戦であると彼女から助言されていた。清澄の竹井久、臨海の雀明華。いずれも一筋縄ではいかない相手だが、最大限に警戒すべきは渋谷尭深。彼女がラス親の席順になったら、10局以内で半荘を終わらせるべく、新子憧に伝えるように指示された。渋谷尭深だけは分からないと、健夜は何度も言っていた。晴絵も思っていた。彼女は、とてつもない怪物かもしれないし、そうではないかもしれない。だけど、はっきりしていることがある。それは、渋谷尭深が、取り扱いを間違うと致命傷になりかねない能力を持っていることであった。

「憧、渋谷尭深は?」

「オーラスには気を付けます。でも、風牌はだれかさんが集めそうだし、注意するのは大三元かな」

「渋谷がラス親になった場合は?」

「速攻で親を流す……ずいぶんと警戒するのね?」

 憧が不審そうに、晴絵に聞いた。

「頼むわよ。――多分、渋谷は、そうなったら高いのをバンバン振り込んでくると思う。それに惑わされないで」

「だけど、点数でうちが不利だったらどうするの? それでも見逃す?」

 晴絵は嫌な予感がしていた。そして、あの問いかけを繰り返していた。

(渋谷尭深は、怪物かもしれないしそうではないかもしれない。……多分怪物)

「見逃して、怪物を増やす必要はないわ」

 

 

 臨海女子高校 麻雀部部室

 

 ネリー・ヴィルサラーゼは、故郷で過ごした日々を思い出していた。内戦、紛争、政情不安、ジョージアでの生活は死というものが身近にあった。自分も家族も、毎日を死から逃れることに精一杯で、夢など語る暇がなかった。しかし、たまたま出場した麻雀大会で良い結果が出せ、世界ジュニアに出場し、活躍した。その結果ネリーは、初めて夢をみることができた。だが、自分の兄弟や友人達の境遇は、なにも変わらなかった。夢を語る者はだれもおらず、皆、その日その日の不安ばかりを口走る。だから――自分が変えなければならないと思った。その為には、ここで大きな功績を挙る必要があった。それは、白糸台の3連覇を阻止し、優勝することに他ならなかった。

 

 

 アレクサンドラ・ヴィントハイムの作戦指示は続いていた。ドイツ人らしい用意周到で合理的な作戦を好むが、個人の持つ瞬発力や麻雀特有の流れも排除してはいなかった。

「メグ、残りは4回か?」

 アレクサンドラは、メガン・ダヴァンの一人麻雀の残数を確認した。

「ハイ」

「まったく、準決で使わなければ、もっと有効に活用できたものを」

「スミません、私はアメリカ人ですから」

 ネリーもそう思っていた。メガンは本当に強かったが、直情的で後先考えない思考回路というアメリカ人らしい弱点も持っていた。

 アレクサンドラは苦笑しながら言った。

「だがな、メグ。今回は使い所を誤るなよ。お前達は阿知賀の鷺森を守りながら闘うことになる」

「ソレでは、マタノと一騎打ちデス」

「亦野を侮るな、あれとのデュエルは厳禁だ」

「なぜデスか?」

 メガンは不服そうに訊ねた。

「あれの引きの強さは驚くべきものがある。お前は競い負けるだろう」

「そうデスか、それはコワイ。肝に銘じまショウ」

 メガンはそう言いながらも、ほくそ笑んでいたアレクサンドラは呆れ顔であった。

 ネリーも、メガンは監督のいうことは絶対に聞かないだろうと思った。そして、だれかと、そのことで賭けをしたかった。そう考えて相手を探したが、それが無意味であることに気が付いた。

(この賭けは成立しない。「メグが監督の指示を守る」に賭けるやつはだれもいないから)

 弱り顔のネリーを郝慧宇が不思議そうにみていた。

 

 

 東京 日比谷通り

 

 清澄高校麻雀部のインターハイに出場に対して、学校側から提示された予算は最低限のものであった。その為、ホテルは試合会場から遠く離れ、そこからの移動手段は、電車と徒歩を使う以外なかった。

 そして今、総勢6人の部員達は、電車を乗り継ぎ、日比谷通りを最後の戦場に向かって歩いていた。

 

 

 原村和は、東京の夏があまり好きではなかった。生まれてから小5までの11年間をこの街で過ごしたが慣れることができなかった。暑さは元々苦手ではあったが、何よりも耐えられなかったのは、東京独特の風にあった。幹線道路沿いの車による風、ビル街の空調設備による風、そして、余りにも多くの人が集まり発生する風。そういった人工的な風によって、暑さを伝達されるのが我慢ならなかったのだ。

 今も、大型バスが目の前を数台通過していった。遅れてくる熱風に、和は顔をしかめた。

「明日は中に入ってみようじぇ」

 片岡優希が皇居を指差して言った。よほど気になるのか、前を通るたびに同じことを繰り返していた。

「あそこは、特別な日じゃなきや、ちょっとしか入れないのよ」

「そうなのか? あそこは、松本城を見習うべきだじぇ」

「この間は、善光寺を見習えと言っていただろ」

 竹井久と優希のやり取りに、須賀京太郎が突っ込みを入れた。優希は楽しそうに京太郎をどついていた。

 和は隣を歩いている宮永咲に顔を向ける。優希たちを眺め微笑んでいたが、いつもとは違い、なにか陰が有るように見えた。それは、和の好きな咲の笑顔ではなかった。

「和ちゃん、こっちを歩いたほうがいいよ」

 咲はそう言って、車道側を歩いていた和の手を引き、自分と位置を入れ替えた。

「ありがとうございます」

 咲は笑っていた。しかし、それも和の好きな笑顔ではなかった。

 和は、天江衣が言っていた団体戦での役割を考えていた。

(私の役割……それは、咲さんに繋ぐこと)

 咲が昨日言った「自分に回せば必ず勝つ」という言葉を、和は何故か信じていた。和自身も、インターハイで負けたら転校が決っていたので追い詰められてもいた。そういう幾つかの要因が、和をして非科学的な希望に頼らせていた。

 そして、和は、そういった複雑な思いのすべてを、質素な言葉で口にした。

「咲さん……もう一度、私と約束してください」

 咲は立ち止った。

「私は、必ず咲さんに繋ぎます。だから……勝ってください」

 和の表情は真剣そのものであった。

「はい、必ず勝ちます」

 咲は、和の左手をとり、ニッコリと笑った。それは和の大好きないつもの咲の笑顔であった。

「だから、和ちゃんも私に約束して」

「はい……」

 和は嬉しかった。咲の本当の笑顔をみることができた。

「これからも私と……ずっと一緒にいてください」

「……はい」

 和も咲も真っ赤になっていた。そして、今までの約束と同じように見つめあいながら小指を結んだ。

「早うせんと、遅刻で失格になるんじゃがね……」

 染谷まこが、2人の肩を叩いた。和と咲は慌てて手を放し、「すみません」とまこに詫びた。

 2人は、かなり距離が離れてしまっているメンバーに追いつく為に、少し速足で歩いた。そして、和は咲との約束を思い返していた。

(必ず守ります。必ず咲さんに繋ぎますよ。――それと……)

 和は自分の体温が上昇していくのを感じていた。

 

 

 阿知賀女子学院 移動車両内

 

 阿知賀女子学院麻雀部の移動は、どこへ行くにも、赤土晴絵の運転する7人乗りのミニバンであった。インターハイにも奈良から、半日以上かけてこの車で来た。そうなると、自ずと席順が決まっていた。助手席には松実宥、2列目は鷺森灼、3列目に残りの3人が座る。しかし、今日はその席順が替わっていた。助手席は替わらないが、2列目は灼ではなく、松実玄が座っていた。そして、2人とも寝ていた。晴絵が寝かせておくように指示を出していた。

「3人共、ほとんど寝てないよ」

 灼が言った。今、寝ている松実姉妹と、車を運転している晴絵のことであった。

「宮永照に魔法をかける……」

 高鴨穏乃は、晴絵がミーティングで言った科白をリピートした。どういう意味か穏乃には理解できなかったが、その為に、3人は死に物狂いであったのだろう会議中に何度か意識が飛んでいた。

「私達3人で何とかしないと……」

 新子憧が深刻そうに言った。

 晴絵の作戦は、ザックリ言ってしまうと、「阿知賀は白糸台に狙われている。先鋒次鋒は守り切るから、中堅以降で何とかしろ」であった。その手法は、小鍛冶健夜からのアドバイスの所為か、実に奇抜なものであった。しかし、松実姉妹のそれは、穏乃からみても悲壮感が漂っていた。灼も憧も、自らに課せられた重責に押し潰されそうになっていた。

「あー、今日は楽しみだな、やっと和と打てる。灼さん、和は強いから気を付けて、それに、おっぱいも、ものすごく大きいし」

 穏乃は、故意にふざけた口調で言った。

「麻雀と胸の大きさは関係ない……。大丈夫、原村和はマークしているから」

 灼は、迷惑そうな顔で答えた。

「じゃあ、永水女子の石戸さんもマークしなきゃね。灼も大きくなるといいね」

「そっちのマークじゃないから」

 憧も空気を読んで乗ってくれた。

 2人に笑い顔が戻り、穏乃は少し安心した。

 ――しばらくすると、穏乃にも眠気が襲ってきた。あくびを我慢して、両目に涙がたまった。それを見て灼が笑いながら言った。

「シズも憧もちょっと寝たほうがいいよ。到着までまだ時間があるし」

「でも、灼さんは?」

「私は、晴ちゃんを監視しなきゃ。事故で欠場になったらまずいでしょ」

「あーそうしてくれ。殴ってもいいぞ」

 晴絵が言った。3人は女子高生らしく笑った。

「それじゃあ、少しだけ」

 穏乃はそう言って、目を閉じた。

 頭の中では、穏乃に対する晴絵の指示が繰り返されていた。

(宮永咲の支配には決して逆らわないこと……反撃のタイミングは……)

 

 

 臨海女子高校 麻雀部部室

 

 長い作戦会議が終わり、留学生4人はソファーに座って、一息ついていた。チーム唯一の日本人の辻垣内智葉は、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムとスポンサーへの挨拶に行っていた。

「タフな試合になりそうデスネ」

 言葉と一致しない笑顔でメガン・ダヴァンが言った。

「智葉のマイナスは織り込み済みだって。点数には幅があるけど」

「ネリー……難しい言葉を知っていますね。どういう意味ですか?」

 郝慧宇が驚きの表情でネリーに聞いた。

「うーん……予定通りとか、そんな感じかな」

「ふーん。日本語は難しい」

「イッソのこと、これからは米語で話しませんか?」

「米語? 英語じゃなくて? 私、米語が嫌いなので却下です」

 メガンの提案は雀明華に一蹴された。

「明華、決勝は歌うの?」

「歌っていいのなら、ずっと歌っています」

 郝の質問に明華が答えた。そして、いつもの曲を口ずさんだ。

 3人は、しばらくの間その歌を聞いていた。郝は目を閉じ、メガンは笑顔でリズムをとっていた。

 ネリーにとっても、それは心地よいものであった。明華の歌声は母親の声によく似ていたからだ。聞くたびに、故郷での数少ない幸せな時を思い出してしまう。

「いい歌デスガ、試合中はダメデス。怒られます」

「でも、私は明華の歌が好き」

 明華は郝に「メルシー」と言って、フランス人らしい、気取った会釈をした。

「ネリー」

「うん?」

「ミヤナガには勝てそうですか?」

 メガンは真顔になって、ネリーに問いかけた。

「メグ、私は宮永に負けてないよ」

「そうデスカ……」

 メガンは複雑な顔でつぶやいた。

(分かっているよ、メグ。今の私は宮永に吞まれている。それは認める。でもね、私は死んではいないよ、吞み込まれていても、内部からチャンスを待つ。私の力を知っているでしょう? 〈運の波〉は私と共にあるのだから)

「メグ……」

「ハイ」

「私……がんばるよ」

「ソレダ!」

 急にメガンが大声を出したので、周りの3人は飛び上がった。

「び、びっくりしたー」

「なんですか、もう」

 郝と明華が咎めるような視線をメガンに投げた。

「今のワタシ達にとって、最もピッタリくる言葉デス」

「がんばる?」

 ネリーが聞いた。それに対してメガンは今日一番の笑顔で答えた。

「そうデス! みんなでカンバリマショウ!」

 日本語の「ウザい」とはこういうことを言うのだろうなと、3人は思った。しかし、この素直さが彼女の魅力でもあった。だから、その言葉は3人に前向きな力を与えていた。

「そうね、私もがんばるよ」

「うん。がんばる」

 郝と明華も今日一番の笑顔であった。そして、3人はネリーを見ていた。

 ネリーは、少し照れながら、大きな声で言った。

「がんばろう!」

 生まれて初めての感情であった。チームの一体感。ネリーはそれを感じていた。だけど、それも今日で終わり。そう考えると、急に寂しさが込み上げてきた。

 ――智葉がドアを開けて入ってきた。

「みんな、そろそろ時間だ」

 それは驚くほど静かな声であった。

 4人は無言で頷き、ゆっくりと立ち上がる。そして、やはり無言で前に歩き出していた。

 

 

 白糸台高校 移動車両内

 

 3連覇を目指す高校らしく、送迎車もそれなりに高級車であった。7人乗りのメルセデス。チーム虎姫のメンバー5人は、それに乗り込んでいた。

 大星淡は3列目のシートに宮永照と座っていた。普段ならば、ムードメーカー的に無駄口をべらべら喋っていたが、今日は一言も口をきいていなかった。

「淡、今日は静かだな?」

「まあね……考え事をしてた」

 弘世菫の気遣いに、淡は素直に答えた。

 超新星と呼ばれ、自信に満ち溢れていた大星淡は、今は見る影もなかった。さっきまで行われていたミーティングでも、積極的発言はなく、副将戦で終わりにするという方針にも、それでもいいと思っていた。淡は照の話した宮永咲の影に怯えていたのだ。

「テルー」

「うん」

「今日はあれ使うの?」

 淡は、照に気のない質問をした。

「あれは、咲との対決までとっておく」

「そう……そうだよね」

 淡にも分かっていた。何回か見たことのある照の新しい打ち方。それは、どう考えても、対〈オロチ〉用であった。

「淡、私は勝ちたいの……」

 照は平静を装って話しているが、明らかに不安を抱えている。

 淡の心に、怒りの感情が芽生えていた。照に、ここまでプレッシャーを与える咲を、許すことができなかった。それが不毛なものであることは理解していたが、自分を抑えることができなかった。

(会ったことも、話したこともないテルーの妹サキ。私は、お前程憎いと思ったヤツはいない! 倒してやる! 絶対に倒してやる!)

 咲への怒りが頂点に達した。その感情が、超新星 大星淡を復活させていた。

 



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3.魔王と涙

 決勝戦 テレビ中継 実況席

 

 これから対局ステージ上で、決勝進出4校メンバー全員が集合しての顔合わせが実施される。午前中の5位決定戦でも行われていたが、早朝ということもあり、テレビ中継の規模は小さかった。しかし、これからは真の王者を決めるメインイベントだ。一気に規模は拡大され、全国ネットでの中継となる。実況解説は、視聴者人気投票によって福与恒子と小鍛冶健夜に決定されており、2人は実況席で選手の入場開始を待っていた。

「すこやん……今日はメイクが濃いね」

「寝不足で……目に下に隈ができちゃって」

「もー、アラフォーなんだから、気をつけてよね」

 健夜は露骨に嫌な顔をしていた。

「アラサーだって何回言ったら分かるの? というか、この話題は中継中はNGだからね」

「えー、だってお約束になってるから、全国のファンが待ってるよ」

「……こーこちゃん」

「はい」

「こーこちゃんの目にも隈が出来るかもよ……私の拳で」 

 選手入場は成績の良かった高校が優先され、SIDE-AとBでは、Aが優先される。つまりは、阿知賀女子学院、臨海女子高校、白糸台高校、清澄高校の順番で入場する。実況席のモニターには、その4校の入場準備が完了している様子が映し出されていた。

 恒子に放送開始5秒前が告げられた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 パブリックビューイング会場の一角に、龍門渕高校、風越女子高校、敦賀学園の3校が、ほぼ横並びで座り放送開始を待っていた。これから決勝を戦う清澄高校は、自分達が負けた学校であり、自分達が自信をもって全国に送り出した学校であった。その顛末の最終章を見届ける為にここに来ていた。

 そして、放送が開始された。

 

 画面の中には、福与恒子と小鍛冶健夜がおり、それぞれの紹介を兼ねた対話から、中継が始まった。

『9日間のインターハイ団体戦も今日で最後、全国52校の頂点を決める決勝戦が、まもなく始まります』

『そうですね、頂に立ち歓喜を得られるのはたった5人です。その陰には、インターハイだけでも255人、地区大会を含めると万単位の悔し涙を流した少女たちがいます。しかし、その彼女達の存在があるからこそ、優勝者は価値を認められるのだと思います』

『小鍛冶プロも10年前は、その5人でしたよね?』

『ええ、まあ』

『その時は、どう思いましたか?』

『真っ先に思ったのは感謝でした。私達はそれまでの対戦相手すべてに、感謝していました』

『本当ですか? 小鍛冶プロ』

『……なにが言いたいのでしょうか?』

『いえいえ、特に深い意味はありません。ただ、敗者となった10代後半の少女達には、余りにも辛い試練かなと、思いまして。アラフォーの小鍛冶プロに聞くのもなんですが』

『一言多いよね、それに私アラサーだし! て、この話はNGだって言ったよー!』

『さあー! ファイナリストの入場だー!』

『……』

 

 

 会場の巨大な画面に、対局室に向かって歩く阿知賀女子学院が映し出されていた。

 

 

『だれが予想した――SIDE-Aトップ通過! 悲願の決勝進出を10年越しで達成した、阿知賀女子学院の入場だー!』

『決勝戦のカギを握るのは、この阿知賀女子学院でしょうね』

『そういえば、その10年前に阿知賀女子の快進撃を止めたのは、小鍛冶プロでしたよね?』

『……まあ、そうですけど。その時のエース赤土さんは、現チームの監督を務めています。その指導のもと、奇跡的な勝利を積み重ねてきました』

『注目すべき選手はだれですか?』

『全員個性豊かですが、やはり高鴨選手でしょうか』

『あのジャージの子? やはりジャージ仲間としては注目せざるを得ないと』

『……と、ともかく。準決勝戦で白糸台の大星選手を封じたのは、まぐれではありません。阿知賀はいかにして高鴨選手に繋ぐかが、大きなポイントになります』

『常套手段の松実姉妹による先行逃げ切りは、通じなくなっているようですね』

『はい、対局データの蓄積によって、2人の特性はかなり明確になりましたので、苦戦すると思います。思い切った戦術の転換が必要でしょう』

 

 

 カメラが臨海女子高校の歩く姿に切り替わった。

 

 

『続てはー! 決勝常連、臨海女子高校が入場してきたー!』

『いつ優勝してもおかしくない強豪校ですね、今年の留学生の中には、世界ランカーも含まれています。実力的には白糸台高校を上回っていると思います』

『ここ数年も、実力はナンバーワンの評価でしたが、いずれも2位で終わっています。今年優勝する為には、なにが必要でしょうか』

『昨年は白糸台高校の宮永照選手と、永水女子高校の神代小蒔選手に大きく削られたことが、敗因だったと思います。そういった突出している選手による失点を、少なく抑えられれば、総合力の高さで、優勝への道は開けるでしょう』

『そうなりますと、今、先頭を歩いている、辻垣内選手に期待がかかりますね』

『そうですね、正念場です。宮永照選手とは個人戦の因縁もあるでしょうから』

『準決勝で大活躍した、ネリー選手はいかがですか?」

『ネリー選手の爆発力は凄まじいと思います。ただ、今年の大将戦は、普通ではありませんから、実力を出せるかどうか……』

『普通じゃない? それはどういう意味ですか?』

『分かりません。いえ、予想できません』

『へ……?』

『……』

 

 

 再びカメラが切り替わり、白糸台高校が進む姿が映し出された。

 

 

『本命の本命、大本命。単勝オッズ1.0! 3連覇を目指して出走開始! 白糸台高校の入場だー!』

『宮永照選手……これまでにない殺気ですね、まるで刀の切っ先のようです』

『やはり、史上初の3連覇に向けて、集中力を高めてきたということでしょうか?』

『……そうですね。白糸台高校は宮永照選手の作り出す、大量リードによって試合の主導権を握り、大将の大星選手で畳み掛けて勝利するという、必勝パターンがありました』

『でも、準決勝でそれは破られましたね?』

『はい、決勝では軌道修正してくると思います。ただ、それは想定外のものになるかもしれません』

『――小鍛冶プロ、今日は含みのある発言が多いですね?』

『そうですか?』

『ま、まあ、決勝戦最大のポイントは絶対王者 宮永照選手をいかに止めるかでしょうか?』

『いえ……最大のポイントは、もう一人の宮永選手です』

『え?』

 

 

 画面では、清澄高校が対局室に向かって歩いていた。

 

 

『さあー! 10年前の小鍛冶プロを擁した土浦女子以来の、初出場初優勝の快挙は成るかー! 清澄高校の入場だ―!』

『なんという……』

『小鍛冶プロ?』

『まるで……魔王……」

『すこやん……』

『……』

『すこやん……あなた、笑っているわよ』

 カメラが小鍛冶健夜の邪悪な笑顔に切り替わった。それは会場にどよめきを与えた。

 

 

 画面は清澄高校の入場シーンに戻った。応援している長野3校も画面に映っている異物を目撃していた。――異物 宮永咲。その姿に、天江衣を除く12人は畏怖の念を抱き、青ざめていた。衣は健夜と同類の笑顔を浮かべ、嬉々としていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 ステージの階段を上る途中で、大星淡はそれを感じていた。さながら寒冷地の冬のような冷気であった。淡はそれが、宮永咲から発せられていることを理解していた。

(サキが来ている……私の倒すべき相手)

 先に上った宮永照が淡を見ていた。その目は振り返るなと言っていた。

(ゴメン、テルー。私、確かめなきゃ)

 淡は振り返った。そこには階段を上り始めている咲がいた。そして、その目を淡は見てしまった。

(なんて目なの……まるで屏風に描かれた龍の目)

 光の反射が全くなく、大きく見開かれた咲の目は、淡の網膜に焼き付いてしまった。淡は向き直り、瞼を閉じたが、咲の目は、いまだに目の前にあった。淡は、魔王の力に圧倒されつつあった。

 

 

 高鴨穏乃は震えが止まらなかった。清澄高校は北家に先鋒から横一列に並んでいき、今、幼馴染の原村和が副将の位置についた。そして、全くの異質な存在がその隣に立とうとしている。

(まさか、ここまでとは……怪物すぎる)

 対面のチャンピオン宮永照の威圧感も恐ろしいものであったが、宮永咲のそれは、生けるもの共通の絶対的恐怖〈死〉を意識させるものであった。

(自分を信じるんだ。気圧されては駄目だ。自分を、仲間を信じるんだ!)

 穏乃は、自分にそう言い聞かせ、震えを無理やり止めた。そして、咲を睨みつけた。

 魔王はゆっくりと穏乃を見た。その視線は穏乃の体を貫通していた。

 

 

(そう、この感覚。あの準決勝オーラスで感じた得体のしれない力)

 ネリーは宮永咲が近くにいることが分かっていた。しかし、それをあえて無視していた。世の中には、見なければ良かったもの、知らなければ良かったものが多数有る。ネリーにとっての宮永咲は、そこに分類されていた。

(この空気……見たら絶対圧倒されてしまう。去年のメグと同じように……)

 全校が所定の位置につき、運営の担当者が開会の言葉を、よく分からない早口の日本語で、だらだらと話していた。そしてそれも終わり、掛け声と共に全員で礼を行う。

 ――それは、一瞬の隙であった。

 臨海女子大将 ネリーの位置からは、清澄高校のメンバーが邪魔をして、咲が見えないはずであった。しかし咲は、礼のタイミングをコンマ数秒遅らせていた。そして、その両目がネリーを捉えた。

「エシュマキ……」

 ネリーは無意識にそう呟き、礼をせず、棒立ちになっていた。隣のメガン・ダヴァンに注意され、数秒遅れて頭を下げた。

(なんてやつだ……獲物の品定めでもしているつもりか。悪魔め! 見せてやる! 私の本気を!)

 『エシュマキ』それはグルジア語で悪魔を意味していた。

 

 

 予定されていた儀礼がすべて終わり、全校は特設ステージより退場となった。

 原村和は、安堵の溜息をついていた。無事に顔合わせを終えることができてホッとしていたのだ。

(ひやひやものでした。咲さんのお姉さんと、そこの大将。穏乃と臨海のネリーさん。皆、咲さんに目の敵のような眼差しを向けていましたから)

 和自身も、対局室に入ってからの咲には戸惑っていた。まさに、昨日本人が言っていた異質なものであったからだ。

(でも、咲さんは咲さんです。守りますよ私が)

「咲さん、下りますよ」

 和は注意を促す為に咲を見た。

 咲は和を見ていなかった。無表情に横を向いていた。その視線の先には、敵意を剥き出しにした大星淡がいた。

「サキ……」

「……」

「大将戦、楽しみにしてるよ。お前を叩き潰してやる!」

「……私も、楽しみです。再起不能にしてあげます。……大星淡さん」

 咲は、アクセントがない口調で淡に言った。

 淡の髪は逆立ち、咲に詰め寄ろうと踏み出したが、肩をだれかに掴まれて引き留められた。

「よせ、淡」

 それは宮永照であった。照は淡に落ち着くように目配せをした。

 ――そして、宮永咲と向かい合った。

「咲……」

「お姉ちゃん……」

 辺りがざわついた。4校全員が、まだステージ上に残っており、2人を固唾を飲んで見守っていた。

「大星さんに伝えておいて、私のことを」

「その必要はない」

 突き放すような口調で、照は答えた。

「咲、お前は今日、ここには上がれない」

「そんなこと……」

「私を甘く見るなよ。昔とは違う」

「その言葉、そっくりお姉ちゃんに返すよ」

「分かっている……分かっているよ、咲」

 照はそう言って、咲に背を向けた。

「だから……お前をここに上げない」

 照は階段を下り始めた。それが合図になり、阿知賀、臨海女子のメンバーも下りていた。咲がまだ動かなかった為、清澄高校だけがステージ上に取り残された。

 和は一人っ子なので、姉妹というものの本質がよく分からなかった。それゆえに仲睦まじき姉妹に羨望を持っていた。しかし、咲と照は、そんなものには程遠い、まるで敵同士のように見えた。

(咲さん……いったいお姉さんとなにがあったの?)

 和は気を取り直し、咲を落ち着かせようと考えて声をかける。

「咲さん、戻りますよ」

 咲が、和の大きな胸に倒れ込んできた。さすがに和は慌てた。それは全国中継されていたからだ。

「さ、咲さん」

 咲を引き離そうと肩に手を置いた。

 ――咲は震えていた。そして和には、咲が泣いていることが分かった。

「和ちゃん……私、お姉ちゃんと話せたよ……」

 それは和にしか聞こえないほど小さな声であった。

「今はいいの……憎まれても。でも、そのうち……」

(ああ、もう、この人は……)

 和は咲を力いっぱい抱きしめた。

「大丈夫ですよ、いつも私が側にいますから。約束したじゃないですか」

 和の両目からは、涙が滝のように流れていた。

「だから……だから、泣かないで下さい。咲さん」

 咲は、和の胸の中で小さく頷いた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 観覧席のどよめきが増していた。和と咲のハグもそうだが、宮永照と宮永咲の睨み合いが、いろいろな憶測を呼んでいた。

 解説の小鍛冶健夜は、その話題に触れていた。

『「お姉ちゃん」て、言っていましたね』

『宮永咲選手が宮永照選手にですか? ……ちょっと言い辛いなこれ』

『それでは、咲ちゃん、照ちゃんではいかがですか?』

『TVなので、それはちょっと』

『……』

『確かに、2人にはそのような噂がありました。でも、本当に姉妹なのですか?』

『分かりません。だけど、よく似ています』

『似ている? 顔がですか?』

『ええ、顔もそうですが、何よりも雰囲気がそっくりです』

 会場のどよめきはピークに達した。

 

 

 試合会場通路

 

 大星淡は、先程から何度も頭を振り、瞬きを頻りに繰り返していた。

「どうした淡、目にゴミでも入ったか?」

 弘世菫は心配そうに聞いた。

「……どうしよう。サキの目が消えない……消えないの!」

 淡はそう言って、両目を手で押さえた。

(……あの淡が……こんなに取り乱している)

 菫は、淡を落ち着かせるべく近づいた。そこに宮永照が割り込んできた。

「落ち着いて」

「テルー……」

「そして、よく考えて、咲の目は見えている?」

 淡は、目を閉じたり開いたりした。

「見える……目を閉じても追いかけてくる」

 照は、パニックになっている淡を優しく抱きしめた。

「違う! 違うんだ淡」

「……」

「それは見えているんじゃない。お前が……覚えているだけだ」

 菫は、照の目から涙がこぼれたのを見逃さなかった。

(宮永照が同僚の為に泣いている。そうか、これもお前の通って来た道なのか……)

「だったら勝たなきゃイカンよな!」

 菫の考えは、言葉となり、口から発せられた。

「尭深! 誠子! そう思うだろう!」

 2人は頷いた。

「見せてやる! 白糸台の恐ろしさを」

 

 



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4.各校の思惑~開幕

 試合開始20分前となり、決勝進出4校は最後の調整に入っていた。厳かに実施されるはずであった顔合わせは、宮永姉妹の対立により波乱の末に終わった。それは、各校の作戦に少なくない影響を及ぼしていた。

 作戦目標は全校共、優勝に変わりはないが、方針、計画は大きく異なっていた。より攻撃的な順番で並べると以下のようになる。

 

 

 白糸台高校

 

 作戦方針:積極的な攻撃

 

 作戦計画:悪魔的な能力の保持者である清澄高校 宮永咲に対抗する最善の策として、彼女との対戦を回避することが、実姉の宮永照より提案された。その為には、ターゲットを阿知賀女子学院に絞り込み、先鋒~副将戦間で徹底した攻撃を実施し、点数を削りきり、飛ばし終了を狙う。

 

 作戦:原則的には、これまでの闘い方と大きな変更はない。先鋒宮永照で大きく削り、弘世菫の狙い撃ちで阿知賀女子学院を瀕死の状態に陥れる(2万点以下と設定された)。続く渋谷尭深は、ハーベストタイムの確実な実施、亦野誠子には阿知賀の副将 鷺森灼への直撃狙いが指示されていた。

     

 問題点

 ① 顔合わせで白糸台高校の狙いが、他校に周知されてしまい、警戒および妨害されることが確実となった。

 ② 阿知賀を飛ばせなかった場合は、大将戦も考慮しなければならないが、自校の大将、大星淡は、宮永咲との遭遇により弱体化している。      

 ③ 大将戦に備えて、清澄高校との点差を安全圏の15万点【註1】以上確保するように、副将までの4人に命じられていた。しかし、それは阿知賀を飛ばす以上に困難であった。

 ④ 阿知賀女子学院を、飛ばすことに絞り込みすぎた作戦の為、不測の事態に対する応用力が皆無であった。

 ⑤ 大将戦に突入した場合は、大星淡にすべての局で降りきることを厳命し、実施させなければならなかった。

 

 【註1】

 弘世菫は〈オロチ〉発動時の宮永咲の最大獲得点数を、子の倍満×12の192000点と想定した(大星淡の失点を含む点差は256000点)。しかし、実際には嶺上開ドラ8の連続和了は現実離れしており、宮永咲の失点(親番は上がれない)も加味して、その1/2プラスアルファの15万点を現実的な安全圏として設定した。

 

 

 清澄高校

 

 作戦方針:消極的な攻撃

 

 作戦計画:優勝への決定力に欠けていた清澄高校は、〈オロチ〉状態の宮永咲による爆発力に、すべてを託す戦略に変更した。幸い、自校には、先鋒~副将戦でイニシアチブを取りそうな相手(宮永照、弘世菫、雀明華、メガン・ダヴァン)に対して、嫌がらせ的な攻撃ができる人員が効果的に配置されており、それを実施することにより、大将戦開始時の点差を可能なかぎり低く抑え、逆転勝利を狙う。

 

 作戦:片岡優希と染谷まこには、暴走してくるであろう白糸台への妨害が明確に指示された。竹井久と原村和は、可能であれば区間トップを目指してもよいが、無理な勝負は厳禁【註2】とし、雀明華、メガン・ダヴァンを悩ませるような攻撃を行い、2人の戦意を削ぐことがメインの作戦とされた。

 

 問題点

 ① 先鋒戦で片岡優希がどれだけ宮永照に差をつけられるかで、その後の戦術が大きく変わる(極端な劣勢の場合は攻撃側にシフトする)。

 ② 染谷まこの中国麻雀ラーニングが完全ではなく、郝慧宇が本領発揮してきた場合は、弘世菫、松実宥への対応が困難になる。

 ③ 阿知賀女子の持ち点によっては、彼女たちを守りつつ打たなければならず、ハンディを負いながらの闘いになる(特に中堅戦以降はその状態が発生する可能性が高くなる)

 ④ 宮永咲の〈オロチ〉は未知数な能力であり、それゆえに、彼女を切り札とした作戦は、そもそもが確実性を欠いていた。

 

 【註2】

 竹井久の悪待ちは彼女のスタイルとして、無理な勝負から除外される(ただし降りるべき時は降りるという分別は求められた)。

 

 

 臨海女子高校

 

 作戦方針:消極的な防御

 

 作戦計画:監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、宿敵白糸台高校に対してアベレージの勝負で挑むことを決断した。具体的には、先鋒~大将戦の5区間の内、最低3区間【註3】でトップを取って、他の2区間は白糸台との点差を最小限にとどめる。得点の平均値で白糸台高校を上回り、最終的な勝利を狙う。

 

 作戦:郝慧宇、雀明華、メガン・ダヴァンには区間トップを狙うように指示された。辻垣内智葉の役割は、徹底した宮永照のマークであり。ドラを集める松実玄と、東場の片岡優希を有効活用し、先鋒戦を少ない局数で終わらせるように命じられていた。大将戦は予測不可能であったが、ネリー・ヴィルサラーゼの能力ならば、対応可能とアレクサンドラ・ヴィントハイムは判断した。ただし、準決勝のような波の読み間違いがないように厳命された。

 

 問題点

 ① 松実玄をこれまでと同じドラ爆と判断しており、先鋒戦は辻垣内智葉のアドリブによる戦術変更が余儀なくされる。

 ② 辻垣内智葉が宮永照の独走を許してしまった場合、作戦を攻撃に偏ったものに変更しなければならず、確実に苦戦を強いられる。

 ③ 次鋒~副将の3人がトップを取ることが作戦の根幹である為、郝慧宇、雀明華、メガン・ダヴァンには大きな重圧が掛かる。

 ④ 清澄高校と同様に、阿知賀女子の得点次第では、彼女たちを守りつつ闘う必要がある。

 ⑤ 宮永咲の能力について、アレクサンドラ・ヴィントハイムとネリー・ヴィルサラーゼの間で、大きなギャップが生じている。

 

 【註3】

 アレクサンドラ・ヴィントハイムは白糸台高校も2区間でトップを取ると考えていた(宮永照、大星淡)。

 

 

 阿知賀女子学院

 

 作戦方針:積極的な防御

 

 作戦計画:大会屈指の攻撃力を持つ白糸台高校から飛ばすべき対象として狙われており、それから生き残ることが最優先とされた。唯一の反撃の機会である大将戦【註4】に向けて、徹底した防御戦を行い、高鴨穏乃に繋ぐ。それが、阿知賀女子学院に残された優勝への可能性であった。

 

 作戦:松実姉妹には、超ド級の怪物 宮永照と、シャープシューター 弘世菫に対しての、綿密な防御手順が指示され、それを確実に遂行することが求められた。2回戦以降のポイントゲッター、新子憧にも積極的な攻撃が許可されなかった(渋谷尭深の親を流す場合は例外とする)。鷺森灼は点差を考えながらのフレキシブルな対応が要求され、大将の高鴨穏乃には、最大の脅威である宮永咲の支配下に留まりつつ、攻勢のチャンスを伺うという忍耐力の試される作戦が厳命された。

  

 問題点

 ① 作戦には、アドバイザーである小鍛冶健夜の意向が、色濃く反映されており、それは非常にリスキーで、なおかつ緻密な実行力が要求された。

 ② 松実姉妹の結果ですべてが決まってしまう(予定通りの結果が残せなかった場合は、立て直しができない)。   

 ③ 鷺森灼は、対戦相手にスピードで劣勢に立たされており、残点数が少ない場合、自力での対応は困難であった(赤土晴絵は原村和とメガン・ダヴァンが、必ず援護すると考えていた)。

 ④ 大将戦の作戦の根拠は、小鍛冶健夜の希望的観測にすぎず、実際はやってみなければ分からないという賭博性の高いものであった。

 ⑤ 高鴨穏乃の忍耐力は高いとはいえなかった。

 

 【註4】

 小鍛冶健夜は、宮永咲が白糸台との点差を詰める手段として、他家を使い、点数を平均化していくと予想した(小鍛冶健夜は、自らが提案した作戦でも白糸台の突出は避けられないと考えていた)。それによって、点差が均衡した時が反撃のチャンスであると、赤土晴絵に伝えていた。

 

      

 このように、4校の思惑はバラバラではあったが共通する点が幾つかあった。

 まずは、先鋒戦で、各校とも、それを最大の山場と考えていた。白糸台は宮永照で突き放す他校は宮永照に食い下がる。面子に宮永照がいる場合の典型的な構図ではあるが、今回は求められる結果がこれまでとは違っていた。白糸台は大量リードを奪えなければ失敗であり、他校はそれを阻止できれば良かった。そういう意味では、白糸台が不利であるといえた。

 もう一つは大将戦。宮永咲により、状況は混沌としていた。それに対する、明確なビジョンを持っていたのは、宮永咲との対戦回避を決定していた白糸台高校だけであった。それ以外は、清澄高校も含めて不明確なまま突き進むことになる。

 要するに、この決勝戦は2人の宮永によってカオス化されており、予測が不可能な状態であった。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「そろそろ行くよ」

「随分と早いな、照。まだ20分近くあるが?」

 椅子から立ち上がった宮永照に、弘世菫は声を掛けた。

「ステージの様子をみたいから」

「そうか、じゃあ打ち合わせ通りに」

 照は小さく頷き、「行ってくる」と言って、渋谷尭深、亦野誠子と目を合わせた。

「淡」

「……」

「淡」

「え! テルーどうしたの?」

 大星淡は宮永咲により、その牙を抜かれていた。今も1人で考え事をしていた。

「始まりだよ、淡」

「うん……」

「みていてほしい」

「……分かった」

 そう言って照は、控室を出ていった。

 菫は苦慮していた。今の大星淡を見るかぎり、もし大将戦にもつれ込んだら、あの宮永咲が予告したとおり、淡は再起不能にされてしまうかもしれない。それだけは避けなければならなかった。来年、自分と照がいなくなった白糸台高校を牽引していくのは、この大星淡に他ならなかった。

(照、頼むぞ、淡に復活の兆しを与えてくれ。私も必ず後に続く)

 菫はそう考えて淡を見た。何とか平常心を保とうとしている姿が、逆に痛々しかった。

 ふと、隣に目を向けると、尭深と誠子も淡を見ていた。そしてその目は、菫と同じく静かな闘志に燃えていた。

 

 

 清澄高校 控室

 

「咲ちゃん」

「どうしたの優希ちゃん?」

「お姉ちゃんと話をしてもいいか?」

「何て話すつもり?」

 竹井久が話に割り込み、片岡優希に聞いた。

「いつも妹がお世話になっておりますとか」

「あほう、それは向こうが言う科白じゃ」

 染谷まこが、呆れかえって注意した。

「それじゃあ、なにを話せば良いのか?」

「何故そんなに、話したいのですか?」

「それは、ほら、心理戦とかいうやつだじぇ」

 原村和の問いかけに優希は答えた。

「じゃあ、「咲にそっくりですね」とか言えばいいんだよ。結構こたえるかもよ」

 須賀京太郎の不用意な発言に、優希は目を剥いていた。

 宮永咲は、それをみて笑いながら言った。

「それいいね、お姉ちゃんもびっくりすると思うよ」

「京太郎!」

「なんだよ」

「採用だじぇ!」

 優希は京太郎に鋭い蹴りを入れていた。

「早速行くとするか」

 皆に背を向けて歩き出した優希を、京太郎が呼び止めた。

「おーい! 忘れてるぞー!」

 京太郎は紙袋に入ったマントを右手に持ち、ぶらぶらさせていた。

 優希は振り返り、笑顔で言った。

「それはいらない。今日は飾り気なしの私で行くじぇ」

「ふーん、じゃあこっちのタコスもいらないんだな?」

 京太郎は、左手で控え目に持っていた紙袋をしまう仕草をした。

「わ、忘れてたじぇ」

 優希は猛ダッシュで戻り、京太郎から袋を奪い取った。

「なぜそれを先に言わない! 使えない犬だな!」

「犬じゃねーし」

 久は、笑顔になっている部員達を見廻した。――咲が久を見ていた。その目が「大丈夫ですよ」と言っていた。

(咲……ごめんなさいね。あなたに頼る作戦になってしまって。でも、それしかないの。白糸台の切り札、宮永照はあまりにも巨大すぎる。だから、私は、それに対抗できる、あなたを清澄の切り札として使う)

 久はそう考えて、優希に最後の指示を出した。

「優希、お願いね。宮永照を攪乱して」

「まかせとけだじぇ! 部長」

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「なんだ?」

 辻垣内智葉は、先程から自分を見ているネリー・ヴィルサラーゼに聞いた。

「智葉」

「うん?」

「智葉、頑張って」

「頑張るよ」

 ネリーの意外な激励に、智葉は驚きつつも笑顔で答えた。

「頑張って」

「頑張って」

 郝慧宇と雀明華であった。智葉の笑顔は苦笑いに変わり、メガン・ダヴァンに訊ねた。

「どうしたの? これ、みんなで流行ってんの?」

「そうデス。今年の流行語大賞は決まりデス」

「……また、随分と日本語慣れしているね、国に帰ったら苦労するよ、メグ」

 メガンはアメリカ人らしく、豪快に笑った。

「心配しないで、自分のやるべきことは分かっているつもりだよ」

 智葉はそういいつつも、一抹の不安は感じていた。

(やるべきことは分かっているが、できるかどうかは別だ。何しろ相手はあいつだからな)

「監督」

「どうした」

「私の役目は間違いありませんか?」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムは、彼女らしからぬ好意的な笑顔で答えた。

「お前の後ろの4人は、並の人間なら、裸足で逃げ出すような猛者達だぞ。信じろ」

 智葉は頷いた。そして、ネリーに視線を合わせて言った。

「宮永の姉は、私が何とかする。だからお前は、妹を倒せ」

 ネリーは返事をしなかった。黙って智葉を見ていた。

「いい目だ」

 智葉はネリーの闘志に満足し、少しだけ笑ってみせた。

「行ってくる」

 そう言って、控室の出口に向かって歩き始めた。

(悪くない……人を信じるのは悪くない。こんなに気が楽になるとは思わなかった)

 智葉の心にもう迷いはなかった。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

 赤土晴絵は、自分の不甲斐なさを痛感していた。もし小鍛冶健夜のアドバイスがなければ、この決勝戦、阿知賀女子は惨敗していた。そして、その健夜と練った作戦も、完全に信じきれず、今でも迷いが捨て切れずにいた。それが伝播したのか、試合目前になってもメンバーの表情には硬さが残っている。

(私がこんなんじゃ負けたも同然。ここは私の先輩を見習って……)

 晴絵は、円陣を組むように指示をした。初めてのことに、メンバーはどうしたら良いか分からずに、ただ円形に集まっている。

 晴絵はそっと右手を差し出し、皆の士気を鼓舞しようと思った。

「これまでの半年間、みんなよく頑張った。これから、最後の闘いが始まる。おそらく想像を絶する闘いになると思う。だけど、だけどね……」

 晴絵は、自分の無力さを再認識した。この10年間の想いが込みあげてしまい、言葉に詰まってしまった。

「最後に勝つのは……」

 こんなことではいけないと思い、必死に声を絞り出す。

 その晴絵の手の上に、もう一つの手が乗せられた。一回り小振りな鷺森灼の手であった。

「私達、阿知賀女子」

 これまで麻雀部を支えてきた部長の灼が言った。それをきっかけに、高鴨穏乃、新子憧、松実宥、そして出番を目前に控えた、松実玄の順番で手を重ねていった。

 メンバー全員の顔を晴絵は確認した。

(いい顔をしている……みんな、戦闘開始だよ)

 右手の上にある5本の手の重み。それが、晴絵の迷いを振り払った。

「開幕だ」

 阿知賀女子学院6人の気持ちは、今一つになった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 片岡優希が特設ステージの階段を上ると、宮永照は南家の席に座り、メモ帳を読んでいた。優希は「よろしくお願いします」と言って、席決め牌を引いた。【東】であった。そして、その席に座り、照をまじまじと見つめていた。

「なに?」

 照はメモ帳を閉じて優希に聞いた。

「いやー、咲ちゃんにそっくりだじぇ」

 照は、一瞬嫌な顔をしたが、優希に向き直って優しく言った。

「まあね、お姉ちゃんだから」

 優希の作戦は失敗した。予想外の回答に自分がダメージを受けてしまった。

「そ、それもそうだじぇ」

 優希は気を落ち着かせる為、タコスを取り出し、食べ始めた。

 今度は、照が優希を見ていた。

「なにそれ?」

 照がタコスを見て質問した。

「タコスだじぇ、お姉ちゃんも食うか?」

「……それじゃあ、交換で」

 照は、小物入れの中からチョコレートを取り出し、優希のタコスと交換した。

 照はタコスを初めて食べるらしく、恐る恐る口に運んでいた。

 そこに、辻垣内智葉も上がってきた。

「よろしく」

 2人はタコスを食べていた為、返事ができず、ただ頷いただけであった。

 智葉は唖然としながらも、席決め牌を引いた【北】であった。

 優希は智葉にもタコスを渡した。

「……くれるの?」

「おいしいじょ」

「ありがとう」

「これも」

 照も智葉にチョコを渡した。

「じ、じゃあ私も」

 智葉は持っていた昆布キャラメルを2人に配った。

「な、なにこれ、おいしい」

 照がキャラメルを食べて言った。

「深いよね、味わいが」

 智葉は嬉しそうに答えた。

 松実玄も上がってきた。その座るべき【西】の席には、紙皿に乗せられたタコス、チョコレート、キャラメルが置かれていた。

「何ですか……これ」

「おいしいから食べてよ」

 智葉であった。もはや、ほとんど女子会のノリであった。

「それじゃあ」

 玄はバックの中から、高鴨製菓の饅頭を取り出して全員に渡した。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『……女子会を開いちゃっていますが?』

『本当ですね』

『小鍛冶プロ、楽しいですか?』

『ええ、とっても。私達の時代はこんなこと、考えられませんでしたから』

『でも、もう開始まで2分を切りましたよ』

『あ、係員の方が片付け始めましたね』

 

 

「優希らしいな」

 龍門渕高校の井上純が眠そうに言った。

「ほんと、天真爛漫ですわ」

「しかし、楽しい一時は終わりだ。ここからは……」

「ええ、地獄の門は既に開いていますから」

 画面見つめている天江衣と龍門渕透華の表情は硬かった。

 

 

 その隣の風越女子高校の吉留未春と池田華菜は、不安に表情を曇らせていた。

「キャプテン、胃が痛くなってきました」

「私も……」

 そう言って、福路美穂子に助けを求めていた。

 しかし、美穂子の顔は、これまでにみたことのないような厳しいものであった。

「吉留さん、華菜、目を反らしてはだめよ。信じましょう、清澄高校を」

 

 

 加治木ゆみは、隣に座っている蒲原智美に感謝していた。

「蒲原、全員をこの場に連れてきてくれて有難う」

「どうしたー、ゆみちん」

「なに、インターハイとは恐ろしいものだなと思ってね」

「ワハハ、そうだなー、久も大変だ」

 ゆみは笑った。そして、来年の主力メンバーの3人に対して、強い口調で言った

「睦月、佳織、桃、よく観ておけ、全国を狙うとは、こういうことだ」

 3人は、大きく頷いて、カウントダウンが続いている大画面を凝視していた。

「始まるぞー、ゆみちん」

 

 試合開始のブザーが鳴った。インターハイ団体決勝戦の幕が切って落とされた。

 

 

 



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5.魔法

 決勝戦 対局室

 

 卓を囲む4人の顔つきは、ほんの数分前までとは、打って変わったものであった。女子高校生とはいえ、彼女たちは競技者であり、であるがゆえに、それは結果を求められた。麻雀は当然ながらスポーツではないが、勝ち抜くにはアスリートと同等の精神力が必要なのだ。

 

 片岡優希は、場の緊迫感にたじろいでいた。

(照姉ちゃんとヤンクミの威圧感は半端ないじぇ。のどちゃんの知り合いの玄ちゃんも、妙に落ち着き払っていて不気味だじぇ。――何か私だけフワフワしていて取り残された感じがする……)

 優希は困惑しながらもサイコロを振り、自分が起家になった。再びサイコロを振った。出目は4と6で、起点は“右10”であった。

 宮永照の前の山から配牌を始める。子の3人もそれに続いた。

 優希は、自分の心拍数がどんどん上がっていくのを実感していた。それは、恐怖心そのものであった。

(――この感覚、長野の決勝戦以来だじぇ。だけど、今回は違う。私はやるべきことが分かっている。衣ちゃんが言ってた私の役割、部長が言ってた、照姉ちゃんへの邪魔立て……思い出せ!)

 優希は恐怖心を払拭する為に、作戦会議で、竹井久から受けた指示を思い出していた。それは、単純明快なものであった。「東場はスピードで圧倒し、南場は辻垣内智葉にまかせろ」それだけであった。

 優希は牌を取りながら、左側にいる智葉をチラリと見た。

(今回、このヤンクミは敵ではない、玄ちゃんを守る為の味方。敵はただ1人、照姉ちゃんだけだじぇ)

 すべての牌を取り終え、ドラ表示牌を開いた。【二筒】であった。

 手牌はW東の二向聴。優希は宮永照を見ながら打牌した。

(いつ見ても目が合ってしまう……これが咲ちゃんの言ってた照魔鏡)

 照が続いて自摸を行い、不要牌を捨てた。優希はそれをじっと見ていたが、常に目が合っていた。八方睨みの龍と同じで、心理的なものであることは分かっていた。しかし、宮永咲の話を聞いた後だと、本当に見られていると思い、気圧されてしまう。

 2巡目、自摸牌はドラの【三筒】、一向聴に手を進めた。

(ドラ牌……咲ちゃんの言ったとおりだじぇ、ドラが玄ちゃんから離れてる)

 優希はハッと何かに気付き、再度、照を見た。相変わらず目が合っていた。

(似ている。そう、私は似たような目をした相手と、毎日打っていた)

 それは、咲であった。そう思うと、優希は心の呪縛が解き放たれていく感じがした。

 3巡目、聴牌。

(部長、言い付けを破るけど許してほしいじぇ。このリーチは面子の3人と対等になる為に、絶対に必要なものだじぇ)

「リーチ」

 その早いリーチに、だれも驚かなかった。むしろ片岡優希なら当然という空気であった。

 優希は自信を取り戻しつつあった。今は東場であり、自分のホームグラウンド、相手がだれであろうと、ここで遅れを取る理由はない。そして、その自摸牌は彼女の期待に答えた。

「自摸! 面前、リーチ、一発、W東、ドラ1、6000オール!」

 鮮やかな跳満和了であった。しかし、優希に笑顔はなく、逆に顔を引き締めた。それは、精神面で立ち遅れていた3人に、ようやく追いつけただけであったからだ。

 勝負は、まだ始まったばかりであった。

 

 

 辻垣内智葉は、点棒を片岡優希に渡しながら思った。

(跳満はやりすぎだろう。ちゃんと自分の役割が分かっているのか? 多分、お前はこう指示されているはずだ。松実玄からは直撃しない、宮永照の親を流す為なら私と点棒のやり取りをしても良い。高い自摸上がりをしない。そんなとこだろう? だったら、それを守るべきだ)

 東一局の一本場が始まった。

 智葉は玄の動作を観察していた。これまでとは異なり、実に落ち着いていた。決勝に向けての、精神的なステップアップがあったのだなと思った。

(それにしても、彼女にドラが集まらないのは痛い。これでは、あいつに有利になってしまう)

 松実玄がドラを集めてしまえば、照は準決勝と同様に、連続和了の点数アップに苦労すると、智葉は考えていた。しかし、その打算は崩れていた。

(まあいい、今回は個人戦とは違い3対1だからな。要は、お前の親番を速攻で流せばいいだけだ。3万、4万の点差は全く問題にならない)

 そう思って、智葉は照を見る。

 ――照魔鏡。直観的にそれがまだ続いていると判断した。前局の優希の上りが早すぎたからだ。

 智葉は配牌を終えて、手牌を確認した。良い手であった。平和、断么九、場合によっては一盃口も狙えるものであった。

 第1自摸、有効牌を引いた。

(照魔鏡……その謎が解けないかぎり、私はお前に勝てない)

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、智葉をラリーカーに喩えた。相手を悪路に誘い込めれば、無敵だとも言った。対する宮永照はF1マシン。すべてが高性能で、決して道を踏み外さない。相性としては最悪であった。智葉は過去の対戦で、照に揺さぶりをかけたことがあった。筋引っかけ、ブラフなど、何もかも通じなかった。手牌が完全に読まれているように思えた。その為、理牌しなかったり、並べ方を変えたりもしたが、効果がなかった。そして智葉は、すべての要因は照魔鏡にあると結論付けていたのだ。

「ポン」

 優希が玄の捨て牌の【白】を鳴いた。智葉の自摸順が飛ばされた。

(そうか、本来の役割を思い出したようだな、安心したよ。東場のお前は、心強い味方だ。だけど、この局は私がもらう。宮永照にこれ以上情報を与えるわけにはいかない)

「チー」

 3巡目、玄の捨て牌【三萬】を鳴いた。優希を速度で上回る為に喰いタンに絞り込んだ。智葉には、次も上家から萬子が出る予感がしていた。そして【六索】を切った。それは、優希の危険牌であった。

(どうした。上がらないのか? まあ、まだ聴牌してないだろうからな。――お前の反応から、この牌が有効牌であり、鳴けないものであることが分かる)

 智葉は、捨て牌に対する反応速度で手牌を洗い出すことができた。攻撃的にも防御的にも使えるので、それによって、相手に先行した攻めが実施可能であった。

 4巡目、玄が萬子を切り、智葉は鳴いて、聴牌した。【五筒】【八筒】の両面待ちであった。

(片岡も聴牌したか? 次で上がれなければ、多分私の負けだ)

 優希の捨て牌と速度から、それが分かった。そして、智葉の自摸。

(ここでこれか)

 【五筒】それは、赤い色をしていた。智葉は牌を倒した。

「自摸。断么九、ドラ1、600、1100」

 智葉の顔も険しかった。これでドラ牌がフリーであることがはっきりした。つまりは、宮永照の手作りの制約がゼロになっているのだ。そう考えると気が重かった。

(まずは、次だ……)

 東二局、宮永照の親番であった。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

 赤土晴絵を含めた5人は、モニターを食い入るように見ていた。

ここから、松実玄の辛い闘いが始まる。それを仲間として見届けなければならない。

 ――画面の中の玄は、打ち合わせどおりに行動を起こしていた。伏せたまま配牌を行い、13枚揃ったら、手前ぎりぎりの位置で立てる。理牌はしない牌も見ない。その状態のまま局を進める。それは異様な光景であった。そして、5人は目撃した。一瞬ではあったが、絶対王者 宮永照の動きが止まっていた。

 

『小鍛冶プロ……松美玄選手のこの打ち方は?』

『宮永照選手の手牌を読む能力への対策でしょうか』

『といいますと?』

『その正確な読みは、眼を見ているという説がありますので』

『でも、これでは松実選手は上がれませんよ』

『上がることは放棄しているのでしょう。目的は、宮永照選手のスピードダウンですね』

『たった13牌の情報を与えないだけで?』

『13牌は多いですよ。麻雀は136牌しかありませんから、約10%です。2巡、いや、1巡でも遅らせることができれば、片岡選手や辻垣内選手には十分だと思います』

『あ、松実選手の第1自摸です』

『自摸切りですね、手牌にすら入れない』

『――赤土監督は思い切った作戦を取りましたね』

『そうですね、赤土さんらしいですね』

 

 晴絵は白けた顔で、画面を眺めていた。

(よく言うね……これはあなたの筋書きでしょう)

「みんな、こんな大人になってはダメだぞ!」

 晴絵の突然の説教に、4人は目を丸くしていた。

 ――昨日の夜、小鍛冶健夜と阿知賀の戦術について話し合った。4時間ほどであろうか、健夜は熱心にアドバイスをしてくれた。中でも、先鋒戦の松実玄の役割については、約半分の時間を費やして話していた。晴絵は、それを思い出していた。

 

 

 昨日 都内 和食屋チェーン店個室

 

「準決勝で照ちゃんは、赤土さんのところの玄ちゃんに倍満を振り込みました。それはなぜだと思いますか?」

 出し抜けの小鍛冶健夜の質問に、赤土晴絵は即答できなかった。

「まあ、リーチしていましたから」

 わずかに考えて、ありきたりな答えを返した。健夜は不満そうな顔をして、さらに質問を重ねた。

「あの試合の照ちゃんは、リーチした他の局は必ず和了していました。でも、あの局だけは違った。なぜでしょうか?」

「千里山女子の園城寺怜は、1巡先を見ると言われていますが、準決勝では消耗しきって倒れてしまいました。とすると、もっと先まで見る無理をしていたのかも」

 健夜はやっと満足したらしく、優しい顔になった。そして、追加の質問。今度のそれは、難易度が高かった。

「そうですね、怜ちゃんはそういう打ち方をします。しかし、1巡先を読んで変更できなかった未来が、2巡、3巡先を読んだからといって変えられるものでしょうか?」

 考えてみればそうであった。麻雀はできることが限られている。自摸をずらす手番を飛ばす、せいぜいそんなものであった。それは、健夜がいうように、1巡先でも3巡先でも五十歩百歩に思えた。

「別の要因があるとでも?」

「あの局と、他の局の差異は何ですか?」

「……」

 わずかに俯いて答えを考えた。

(差異……あの局だけに起こったこと…………く、玄か!)

 晴絵は顔を上げて健夜を見た。

 ――笑っていた。それは、晴絵のトラウマの笑顔であった。

「そうです。宮永照に倍満を振り込ませたのは園城寺怜ではありません。松実玄です」

 あまりの衝撃に、晴絵の口は開いたままであった。何かを話そうと、必死に口を動かしたが、うまくいかなかった。健夜はそんな晴絵を見て、片眉を少し上げながら、続きを話した。

「照ちゃんの能力は最強レベルです。プロでも勝てないかもしれません。でも、彼女にも弱点はあります」

「宮永照の弱点……」

 やっとのことで、晴絵は言葉を発することができた。健夜は頷いた。

「はい。しかし、だれでもできるわけではありません。今のところは、妹の咲ちゃん、松実玄ちゃん、それと私でしょうか」

「ま、まさか……」

 健夜は再び邪悪な笑顔で言った。

「宮永照のキラー。それは、ドラを操る者です」

 普通の人間ならば、100%信じられない話であったが、晴絵は健夜のそれを身に染みて分かっていたので、受け入れることができた。

 そして、それに対する質問をした。

「玄は……あなたとは違います。ドラを操ることはできません」

「……」

 健夜は、飲み物に手を延ばしたが、中身が空であったので、店員を呼び出し、新しいものをオーダーした。

「試してみましょう。玄ちゃんにドラが集まるようにできますか?」

「今からだと、朝までかかりますよ」

「やってください」

 有無を言わせずな指示であった。晴絵はムッとして言い返した。

「宮永咲を忘れていませんか? ドラを復活できたとしても、1局か2局。直ぐに潰されてしまいますよ」

「1局で結構です。可能ならば、先鋒戦の16局目ぐらいに復活させてください」

 晴絵は、訳が分らなくなっていた。

「16局? 先鋒戦が終わってしまいますが?」

 店員が、飲み物を持ってきた。健夜はそれを受け取り、一気飲みした。

「照ちゃんを甘く見すぎです。16局目には、おそらく2回目の半荘の東場で到達します」

「……ドラを復活させて何をするのですか?」

「準決勝と同じです。局の途中で龍を開放する」

「そ、それで、何かが、変わるとでも?」

 健夜は、その質問に直ぐには答えなかった。代わりに、再度店員を呼んで、焼うどんを注文していた。晴絵は、やれやれといった顔でそれを眺めていた。

 さらに、いくらか間を置いてから、健夜はテレビでよく見る、優しい笑顔で回答した。

「魔法です」

「はい?」

「照ちゃんに魔法をかけてください」

「魔法? 玄が?」

「ええ、松実玄の魔法の前に、宮永照は必ず屈します」

 健夜のその顔は、底なしに優しかった。しかし、その声には猛毒が含まれていた。晴絵は、そう感じていた。

 

 

 ――画面の中では、松実玄が自摸切りを続けていた。晴絵は、心の中で玄に謝罪していた。

(玄、こんなことをさせてゴメン。でも、お前は、宮永照に立ち向かうには、精神的に弱すぎる。だから、あと14局。ドラ復活の時まで、何とか耐えきってくれ)

 このからくりを知っているもう1人、松実宥は画面に映っている妹を、心配そうに見ていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(片岡、まだか?)

 東二局 7巡目。辻垣内智葉は焦っていた。宮永照が、そろそろ聴牌しそうな気配があった。対する片岡優希は2巡前から聴牌しているが、なかなか上がれないでいた。

(松実玄の自摸切り。その効果は宮永だけじゃない私達にも及んでいる)

 智葉は、玄の打ち方が、眼の動きを読ませない打牌方法であると理解していた。目的は、優希と智葉へのサポート、照の和了を遅らせること。しかし、それには、今、直面している副作用もあったのだ。

「リーチ」

 宮永照が、牌を横にした。

(きたか、でも、これは探りだろう。私達の動きを試している)

 そのリーチには、いつもの怖さが感じられなかった。しかし、連荘させるわけにはいかない。智葉には、優希の上り牌が読めていた。【三筒】【六筒】。河には1枚ずつ出ていた。

(平和、断么九、2000か3900か?)

 松実玄は自摸切り。

 智葉の自摸、【六筒】であった。振り込むべきか悩んだが、もう一回だけ、東場の優希の引きに賭けることにした。

 だが、それは叶わなかった。優希は字牌を捨てた。

 8巡目。

 照と目が合った。いや、合ったように思えた。

(まずいぞ……これは完全に宮永のペース)

 照が山に手を延ばし、牌を取った。智葉は、脂汗が滲み出ていた。

 ――照は上がらなかった。【五筒】を捨てた。

 表情には出さなかったが内心ほっとしていた。そして、自分を恥じていた。

(役割を忘れていたのは私だった。まったく、3900ごときが惜しいとはな)

 【六筒】を切った。優希はすまなそうにロンをした。予想通りの平和、断么九、ドラの3900点であった。

(宮永……)

 智葉は歯ぎしりをしていた。自分が、照のペースに嵌っていることに気が付いていた。それは、過去に通ったことのある自滅の道であった。

 

 

 次の局が始まっていた。親の松実玄は、前局と同じ手順で、手牌を組み上げた。

 片岡優希は、歯痒そうに、それを見ていた。

(東場なのに、配牌があまり良くない。玄ちゃんに攪乱されてるじぇ)

 優希の手牌は三向聴。対子で持っている【白】【西】をポンできれば、萬子の混一色が狙えそうであった。宮永照から、その【白】が出た。

「ポン」

(照姉ちゃん……わざとか?)

 字牌の切り出しは、一般的な打ち方であったが、疑心暗鬼に陥っていた優希は、そう捉えなかった。

 再び、照の自摸、捨て牌は、赤色の【五萬】であった。

「ポ、ポン」

(この巡目で、こんな牌を……嫌な予感がするじぇ)

 もう一度、照が山から牌を取った。【三萬】を手出しした。

 次巡、優希は聴牌した。待ち牌は【西】と【八萬】のシャボ待ちであった。そして【八萬】は玄の自摸切りから出た。

(困ったじょ、赤ドラの追加で8000点。これは上がれないじぇ)

 玄から出た【八萬】はスルー。照が自分を見ている気がしたが、それを確認することができなかった。優希の心中に、再び恐怖心が芽生えていた。

 自摸番が回ってきたが、その動作は鈍かった。引いたのは【一萬】。照が張っているか不明だが、優希は、その不要牌を切れなかった。完全に戦意を喪失していた。

 優希の捨て牌は、安牌の【西】であった。

 

 

(片岡、あきらめるな! お前の助けが必要だ!)

 こんなに早く降りてしまった片岡優希を、辻垣内智葉は非難していた。とはいえ、智葉の手牌も重かった。既に聴牌しているであろう、宮永照への追撃は、半ばあきらめていた。

 ――結局、その後も手が進まず、東三局は流れた。

 聴牌は照のみ。優希が照の、平和、三色、ドラ2をみて、青くなっていた。

(惑わされるな。これは宮永のよく使う手だ。こんな風に、結果だけを見せつけ、心理的に追い込んでいくんだ)

 智葉は、優希の減速を確信した。それは、全くの想定外であった。

 

 東三局終了時の各校の点数

  清澄高校    119800

  白糸台高校    96400

  阿知賀女子学院  92400

  臨海女子高校   91400

 

 前半の得点により、清澄高校がトップであったが、阿知賀女子学院 松実玄の上り放棄の打ち筋によって、片岡優希と辻垣内智葉は混乱していた。その為、清澄高校、臨海女子高校の宮永照対策は機能不全となっていた。そして、宮永照は、場を自分の支配下に置きつつあった。

 

 

 松実玄は、明け方まで続いたドラ復活の儀式の途中で、姉の松実宥が、「まるで、天江衣ちゃんと打っているみたい」と言っていたのを思い出していた。聴牌できない上がれない状態が続くらしく、それには、赤土晴絵も同意していた。

 おそらく、片岡優希と辻垣内智葉も、自分の自摸切りでリズムを狂わされ、難儀しているのだろう。それによって、本来の目的である2人をサポートし、宮永照に先行させるという意味も失われていたが、玄はぶれなかった。

(次の宮永照の親番。それさえ流してくれればいい。これは、阿知賀の為だから。その為には2校が沈んでも構わない。――ドラ復活まで、残り12局。それまでは、この作業を繰り返す)

 東四局が始まっていた。

 玄は、何度も練習した手順で手牌を揃えた。牌は決して見てはいけない。照はそれを読むのだと、晴絵から散々聞かされた。だから、それを守っていた。

「ポン」

 3巡目、照が智葉の切った【発】をポンした。

(宮永照が自摸牌をずらした場合は直撃される可能性がある)

 玄は変化を与えた。牌を手牌に入れ、自分側から最も左の牌を捨てた。

 

 

(何だじぇ、直撃を警戒して自摸切りをやめた?)

 片岡優希は、松実玄の変化をそう考えていた。

 次巡も玄は、同じ動作を繰り返した。

(それにしても、手が進まない。玄ちゃんに掻き回されっぱなしだじぇ)

 優希は、それが、合宿で手酷い目にあった天江衣の能力と、同質のものと判断していたが、その対応が、玄には通じないことも分かっていた。

(玄ちゃんは、上がる意思がないからな。本当に厄介だじぇ)

「カン」

 宮永照の暗槓。それは優希によからぬ想像をさせていた。何しろ、妹が妹なだけに、普通の槓には思えなかった。

(嶺上……咲ちゃんのお姉ちゃん……)

 照は、嶺上牌を自摸切りした。

 

 

 辻垣内智葉は愕然としていた。宮永照の一挙一動に神経をすり減らしていた。それは、格の違いとしか言い様がなかったからだ。有りもしない嶺上開花に怯え、そして安堵している。馬鹿げたことであったが、現実に智葉は、その道化を演じていた。

 松実玄の打牌が、再び変化した。手牌の中から、ランダムに捨て牌を選んでいた。

(決められたルーチンを着実にこなしている。大したものだ。勝利できないと分かっているのに。まてよ……勝利できないとだれが決めた)

 玄の行為に何か意味があると考えるなら、それは時間稼ぎであった。智葉は聞いたことがあった。松実玄のドラ爆は復活できると。

(ドラの復活を待っているのか? 何の為に?)

 準決勝の事例から、松実玄にドラが集まっても宮永照には通じない。しかし、それは智葉の希望になった。少なくとも松実玄は死んではいないのだ。

 

 ――東四局も流局した。今回も聴牌は宮永照だけであった。そして先鋒戦は、南場に突入していた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「そろそろか?」

 弘世菫は、大星淡に聞いた。

「そうだね、これで全部確認できたと思うよ」

「ならば、対戦相手には気の毒なことだな」

 菫は、本気で同情していた。予測が正しければ、彼女たちは、これから暴風雨の真っただ中に立たされる。

「テルー……」

 淡の言葉には憂いがあった。信頼しているはずの照にも、不安がぬぐえない様子だ。まだまだ、再起は遠かった。

 菫は考えていた。1年生の淡は、あの宮永照を見たことがない。昨年の白糸台代表チーム決定戦で、照は10万点を1人で削った。得点上昇リミッターを外しての無限に思える連荘。それはまさに怪物であった。

(――照、見せてやれ、お前の真の力を。全国に、そして淡に)

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南一局、7巡目。それは、始まりであった。

「自摸。面前、平和、一盃口。700、1300」

 宮永照が、この試合で初めて上がった。比較的に安めの上がり手は、これまでと同じ過程を予想させた。

 

 南二局、照の親番。智葉は当然ながら、早上りを目指した。手牌もそれに答え、平和の一向聴であり、申し分がなかった。

(いける、いけるぞ。これで宮永の親を流せば、まだまだ闘える)

 照は前局、2600で上がった。だから、今回は3900を狙ってくると、智葉はイメージしていた。2巡目の自摸、聴牌した。リーチはかけず、速度を優先した。今回は片岡優希、松実玄から出てもロンする。その為に点数は抑えてある。

 そして、智葉は不用意に【九索】を切った。それは、照の待ち牌であった。

「ロン、東。2000」

「2000?」

 智葉は、思わず言葉に出していた。照の意外な上りは、それほどのインパクトを持っていた。

「……はい」

(2000だと! 点数が下がっている。どういうことだ?)

 智葉は、頭をフル回転させてその理由を考える。だが、答えは得られなかった。そして、試合前の作戦がすべて瓦解したことを思い知らされた。

(もう打つ手がない……。いや、一つだけ……)

 智葉は、藁をも掴む心境で、松実玄を見ていた。

 

 

 南二局、一本場から、この場は、宮永照という暴風雨に襲われた。それは、破壊のかぎりを尽くしていた。一本場から五本場までは、怒涛の自摸ラッシュ。そして、六本場では片岡優希に直撃をしていた。照の得点推移は以下のようになる。

 

 一本場 12300点(4100オール)満貫

 二本場 24600点(8200オール)倍満

 三本場 12900点(4300オール)満貫

 四本場  7200点(2400オール)

 五本場 13200点(4400オール)

 六本場  9500点(9500:片岡)

 

南二局(六本場)終了時の各校の点数

 白糸台高校   184100

 清澄高校     84500

 阿知賀女子学院  67200

 臨海女子高校   64200

 

 そして、クライシスは、七本場にやって来た。7巡目、宮永照はリーチをかけた。その河の状態から、手牌の中は、索子に染まっているのは明らかであった。

 10巡目、松実玄の自摸切り【六索】

「ロン」

 照は牌を倒した。

「立直、平和、清一色。26100」

 白糸台高校は、ようやくターゲットを捉えることができた。阿知賀女子学院の残りは41100点。それは、役満直撃ならば一撃で削れる点数であった。

 

 

 清澄高校 控室

 

 竹井久は、現状を最悪と判断していた。2位とはいえ、白糸台とは10万点近く離されている。そして、片岡優希が残りの局で挽回できる気運は、ほぼなかった。しかも、阿知賀の状況も憂慮すべきものだ。

(優希、何とかこの半荘は耐えて、まだ、策はある。それを必ず伝えるから、お願い!)

 久は、祈るような気持であった。

「咲! いまのは?」

 染谷まこが、松実玄への直撃について聞いていた。

「五面待ちでしたので、松実さんから出る確率は高かったと思います」

 咲は平然とした顔で言った。

「宮永照を止められる?」

「今は無理です」

 久の質問に、咲は即答した。

「場に和了しない衣ちゃんがいるみたいなものですから。お姉ちゃんも影響を受けていますが、2人はもっとひどいことになってますね。――それに」

「それに?」

 咲は、つかの間ためらっていたが、久を見て話し始めた。

「さっきのステージの上で、お姉ちゃんは、こう言いました「昔とは違う」と」

「どういう意味?」

「分かりません。ただ、本当に昔とは打ち方が変わっています。前はもっと隙がありました。でも、今日は全く隙がない。まるで、部長の言ったように、未来が見えているみたいですね」

 咲は、少しはにかみながら笑ったが、久にとっては、笑い事ではなかった。

「止める方法はあるの?」

「きっと、松実さんが、何かを仕かけます。近いうちに。それは保証します」

 久は、咲が何を言っているか分からなかった。しかし、今の咲は、久がすべてをかけた〈オロチ〉の咲であった。

(疑問を感じてはだめ、それは、後戻りすること。だから、前に進むしかない)

「須賀君!」

「なんすか?」

「休憩中は走ってもらうわよ。優希に伝えてほしいことが、いっぱいあるんだから」

 京太郎は、うんざりした顔をしていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南二局(八本場)、片岡優希は心が折れそうになっていた。

これまでの敵とはスケールが違っていた。辻垣内智葉、神代小蒔等、名だたる強敵と闘ってきた優希ではあったが、宮永照は別世界の住人であった。孫悟空のように、掌の上で弄ばれていた。何もかもうまくいかない時、敗北者は要因を自分自身で固定して、その他の要因を排除してしまう。優希も、それにはまり込んでいた。

 7巡目、照がリーチした。

(これは……清、いや混一だじぇ。また多面待ちで、玄ちゃんを狙うつもりか?)

 優希は、智葉への差し込みを考えたが、まだ聴牌していないようであった。

(しっかし、大したものだじぇ、3位で手詰まりなのに、全く目が死んでないじぇ。何が、ヤンクミを動かしているのかな)

 優希も勝負をあきらめたわけではなかったが、既に意識は次の半荘に移っていた。しかし、目の前の智葉は、現在を闘っている。未来に逃げたりはしていなかった。

(思い出したじぇ……阿知賀が飛んだら何もかもが終わり。でも、それを阻止できれば、仲間に繋ぐことができる。私の役割は繋ぐことだ)

 現状は、決して手詰まりではなかった。そして優希は、それを実行した。

 11巡目、優希の自摸。捨て牌は【四萬】、おそらく、照の待ち牌。

「――ロン。立直、南、混一色。14400」

「はい」

(まだ終わりじゃないじぇ。見ていろ、宮永照)

 優希の闘志に再び火が付いていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『まさか、最初の半荘で……』

『そうですね、小鍛冶プロ。次は九本場、連荘でいえば10連荘になります。こんなの見たことあります?』

『い、いえ、ありません』

『しかも、2位の清澄には15万点以上の差をつけています。ぶっちぎり状態ですね』

『宮永照選手は自分の制約を断ち切ってきましたね』

『そう、それです!』

『福与さん、声が大きいです』

『これまでの伝説、点数が上がり続ける連続和了とは何だったのですか?』

『自分自身に制約をかける選手はいますよ。例えば藩数縛りとか』

『なぜ、そんなことをするのですか?』

『オカルトですね。自摸が良くなるとか、上りやすくなるとか、そんなものです』

『小鍛冶プロは信じていないのですか?』

『ええ、まあ』

『では、宮永照選手は何の為に?』

『私の想像では、心理的プレッシャーを与えるギミックです』

 会場の観衆は騒然となった。

 

 

「ギミックですって」

「咲の言った本気の宮永照とは恐ろしいものだな」

 龍門渕透華の問いかけに、天江衣は噛み合わない答えを返した。

「阿知賀の先鋒は何年生だったかな?」

「私達と同じ2年生」

 沢村智紀であった。智紀はさらに続けた。

「松実玄は、うちとの練習試合では、あの能力は出していない」

 衣は、けたけたと、ひとしきり笑った後、その笑いを消して言った

「トモキー、あれは、枕詞のようなものだ。意味はない。むしろ、これから起こることこそ、松実玄の真骨頂」

「なんですの?」

 透華は不審げに聞いた。

「透華、来年は大変だぞ、清澄に阿知賀、魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行のようだ」

 意味不明な回答であったが、衣は楽しくて仕方がないという素振りであった。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「赤土さん、次が……」

 松実宥は声が上ずっていた。

「ああ、そうだね。次だ」

 モニターの画面からでも分かるほど、場の空気が変わっていた。宮永照、片岡優希、辻垣内智葉、全員同じ方向を見ていた。その方向には松実玄がいた。彼女は、薄っすらと笑みを浮かべていた。

(ドラの復活だ。やれ、玄! 宮永照を、倒せ!)

 



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6.姉妹

 清澄高校 控室

 

 モニター画面の中の松実玄は、手負いの獅子のようであった。点数を大きく削られても耐えて反撃の機会を伺っていた。そして今、その時が来たのであろう、目を爛々とさせている。それは、原村和の知っている温和な玄ではなかった。

 ――和は4校の持ち点を確認した。

 

南二局(八本場)終了までの各校の点数

 白糸台高校   224600

 清澄高校     70100

 臨海女子高校   64200

 阿知賀女子学院  41100

 

 白糸台高校 宮永照の恐ろしさを如実に物語る点数であった。和の隣では、その妹の宮永咲が、画面を睨みつけていかめしい顔をしていた。

「咲さん?」

 和の呼びかけに、咲は慌てて表情を笑顔に変えた。

「な、なに和ちゃん」

「……」

 咲は、和の沈黙に、見かけを取り繕っても無駄と判断したのだろう。真剣な表情に戻してから質問をした。

「松実玄さんって、どういう人?」

「そうですね、玄さんは、とっても優しい人ですよ。麻雀も、その性格がよく出ていました」

「でも、今日は違うね」

「はい、玄さんらしくありません」

 麻雀部部長の竹井久が、口を挟む。

「咲、いよいよなの?」

 咲は無言で頷いた。

 画面の中では、玄が牌を普通に並べて理牌していた。

「玄さん……」

 ふと出た和の呟きに、咲は予言めいた言葉を合わせる。

「和ちゃんは、松実さんへの印象が変わると思うよ。でも、しっかりと見ていてあげてね……」

 咲は、和と目を合わせずに言った。その表情は、なぜか寂しそうであった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 辻垣内智葉は、松実玄が普通に牌を並べていることから、ドラが復活したと判断した。

(狙いは、準決勝のリピートか? だが、今回は宮永もリーチしないだろう。どうする松実玄)

 手牌には、【北】と【七索】の刻子があった。智葉は、それを槓材として保持することを決めていた。

(松実に賭けるしかない。この槓材はそれをサポートする私の武器だ)

 宮永照がドラ表示牌をめくった。【九筒】であった。

 

 

 ドラ牌【一筒】は、松実玄の手牌の中に刻子として存在していた。それに【五筒】の赤ドラも2枚ある。計5枚、ドラ爆は確かに復活していた。

 松実玄はこれまでとは違う手応えを感じていた。

(手牌にある5枚のドラ。これは、自然に集まったものではない。私が呼び寄せたもの)

 玄は、なにかの歯車が嚙み合ったと実感していた。それと同時に復活したドラ爆も、この局かぎりであることも予感していた。外部からの得体のしれない圧力を体感していた。おそらくは宮永咲からの干渉だろう。

(1回だけ……それでいい)

 第1自摸、赤ドラ【五萬】、これでドラ6。魔法の準備は着実に整えられていた。そして、玄は、赤土晴絵からの指示を回想していた。

『宮永照は、必ずリーチしてくる。なぜなら、玄の力は、彼女にとって許されない不安要素だから。同じ失敗を恐れる絶対王者は、必ず確認と打破を実行しようとするはずだ。それを待て』

 初めて聞いた時は、この局面でリスクを負った勝負はしないだろうとも考えたが、今は晴絵の話を信じられる。

 4巡目、自摸牌は【五索】、玄は1枚だけ持っていた索子の【三索】と交換した。あと1枚の赤ドラを待つ為だ。

 ――異様な雰囲気の中、局は淡々と進んでいった。

 しかし、宮永照の8巡目自摸から、緊迫度が一気に増加した。

「失礼」

 照は、自摸牌を手牌の横に置き、そのまま動かなくなった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『まだ切りません! まだ切りませんよ小鍛冶プロ』

『もう1分経過しています。宮永照選手のこんな長考は見たことがありません』

『聴牌していますね。待ち牌は【一筒】【五筒】でしょうか』

『何れも、松実玄選手の不要牌候補ですね』

『しかし、彼女はドラを手放しませんよ』

『それはどうですかね。あ、宮永選手動きますね』

『あー! 牌を曲げたー!』

 画面には、リーチを告げる照の姿が映し出されていた。会場は大歓声に包まれた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「なぜだ! なぜリーチする!」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムは、座っていた椅子から立ち上がり、そう叫んだ。

 ――ネリー・ヴィルサラーゼは、宮永照のリーチを冷静に捉えることができていた。

(ドイツ人のこの監督には理解できないだろうな……)

 そう考えて、ネリーは仲間の3人を見た。郝慧宇と雀明華は、監督と同じく信じられないという顔をしていた。もう一人のメガン・ダヴァンは、アレクサンドラと同時に立ち上がっていたが、表情は真逆であった。

(メグ……いけないよ。こんなところで笑ってはいけない)

 アレクサンドラは、それに気がつき、厳しい口調で言った。

「メグ、楽しそうだな」

「攻撃は最大の防御――」

「ナンセンス! 私達は団体戦を闘っている。そんな独断は許されない!」

「……ハイ」

 メガンは反省している素振りを見せたが、アレクサンドラが視線をモニターに戻すと、ネリーに向かって、下手なウインクをした。

 苦笑しながら、ネリーは考えた。

(メグの言うとおりだ。自分の命を脅かす者が侵入してきたらどうする? こちらも武器を持って、確認に向かわなければ殺されてしまうではないか)

 ネリーの故郷ジョージアは、彼女たちの祖国に比べ、生死の問題が身近にあった。だから、宮永照の行動は、ごく自然なことであり、それが分からない彼女たちのほうが、異質なものに感じられた。

(敬意を表するよ宮永照。でも松実はあなたが思っている以上だよ)

 

 

 清澄高校 控室

 

(宮永照は、前回のパターンにはまり込んでいる。それが分かっていて、なぜリーチをかけるのだろう)

 竹井久も現状把握ができないでいた。そして、その妹の宮永咲に質問をした。

「このリーチの意味は?」

「確認です。前回の倍満振り込みが偶然かどうか。それと、松実さんの力が本物かどうか。――お姉ちゃんの悪い癖です。疑問を疑問のまま残さない。その為には犠牲も厭わない」

 咲の答えは抽象的すぎた。そこで、より具体的な質問に切り替えた。

「咲、松実玄は準決と同じことをしようとしているの?」

「そうですね、この局のどこかで、ドラを切ります」

 咲の表情がみるみる変化していった。それは〈オロチ〉の顔、感情の消え失せた、慈悲のない支配者、魔王の顔つきであった。

「ドラを切る……それは龍の解放。この場で龍が暴れまわる」

 竹井久は、手を固く握っていたことに気がついた。咲に圧倒されていたのだ。

「そうなると、お姉ちゃんは……なにも見えなくなる」

「見えない……?」

「部長の言った“未来”。上がれる牌が分からなくなる」

(そ、それが……あの準決勝で振り込んだ理由? 園城寺怜ではなく、松実玄!)

「前回も、お姉ちゃんは上がれるイメージがあったはずです。だからリーチした。ところが、松実さんのドラ切りから、それが崩された。だから、今回はそれの確認。――再現すれば、松実さんはお姉ちゃんの天敵になります」

 久は、喉がカラカラになり、思わず近くにあった染谷まこのお茶を飲んでしまった。

「さ、咲……お姉さんが、あなたを恐れる理由も……同じなの?」

「……」

 咲は答えなかった。久は再び思った。答えないのは、下手な答えよりもよっぽど分かりやすいと。目の前の魔王は、「そうだ」と言っていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 辻垣内智葉は、宮永照のリーチの意味を探っていた。

(リーチは松実玄へのプレッシャーだろう。彼女は必ずドラを切らなければならない。そして切るとすれば、手牌で余る【一筒】か【五筒】しかない。だが、それは宮永の当たり牌。――今から手をかえるか? 間に合わないと思うが)

 松実玄の自摸番、彼女はゆっくりと手を延ばし、牌を引いた。それは手牌の中に入った。

(追いかけるか……万事休す)

 松実玄の打牌

【北】

(……そうか、その角牌、お前が持っていたのか!)

「カン」

(松実玄……私が【北】を揃えているのが分かっていたのか)

 智葉は【北】を大明槓し、槓ドラ表示牌をめくった。それは、4枚目のドラ牌【一筒】であった。そして、嶺上牌を取った。【九萬】片岡優希が、刻子で持っているはずの牌であった。――賭けの勝利を確信し、智葉は躍動した。捨て牌は【九萬】

(片岡! 松実玄をサポートしろ)

 

 

 片岡優希は、今朝のミーティングで宮永咲が言った、『宮永照のリーチは、ほぼ上りが見えている時。そうなると、なにをしても無駄、必ず上がられてしまう』という警告を思い起こしていた。

(でも、なにか違う。これは、玄ちゃんを焦らせる為のリーチだじぇ)

 優希の目からも、照が、松実玄のドラ切りを待っているように見えた。そして、玄がその重圧に耐えきれず振り込んでしまうだろうとも思っていた。

 しかし、辻垣内智葉の大明槓で状況が変わった。しかも、智葉は【九萬】を切り、「お前も続け」と言っていた。

(いいじょ、ヤンクミ、乗ってやる。……照姉ちゃん、これは私からの、心ばかりの贈り物だじぇ)

「カン」

 優希は【九萬】を大明槓。槓ドラ表示牌は【四筒】であった。

 

 

 松実玄にとって、ここが正念場であった。宮永照に上がられると、これまでのすべてが無駄になってしまう。だから、祈るような気持ちで彼女を見ていた。

(もしかして、他家を使って捨て牌の選択肢を増やすことも、見越されていたのかも)

 いつもの、弱気な玄が現れ、余計な心配を始めた。 

 照が動いた。

 たかだか5秒ほどの照の自摸が、やけに長く感じられた。玄の鼓動は異常なまでに早くなり、それが時間感覚を狂わせているのだ。

 照が手牌の横に置いた自摸牌を眺めている。

 玄の心拍数はスピードアップし、時間経過をさらに遅くした。

 ――無限に思える忍耐の時間は、照の字牌の打牌によって終わりを告げた。

(……残った)

 玄は、目を閉じ、大きく息を吐いた。それは、場の面子全員に聞こえるほど、大きな音であった。

 ――そして、松実玄は自信に満ち溢れた動作で、音もたてずに自摸牌を手牌の上に置いた。【七筒】、聴牌であった。

(時は来た……龍を解き放つ)

 どれを切るかは決まっていた。一巡前までは【五筒】しかなかった。だが、今は、辻垣内智葉が増やしてくれた牌がある。玄はそのドラ牌【二筒】を横にして捨てた。

「リーチ」

 玄の待ちは【五索】単騎待ちであった。普通ならば選ばない待ちであったが、ドラ爆の復活した玄ならば、最善の待ちといえた。残り1個の赤ドラ【五索】は、まだ出ていなかった。

 照は、その【二筒】に反応しなかった。一瞥して通した。

 智葉と片岡優希はそれぞれ安牌を速やかに捨てて、照の動向を見守っていた。

 10巡目、玄は驚くほど冷めていた。瞬きもせずに、照の自摸を漠然と見つめていた。

(なんだろう……? この感覚)

 照は、いつもと同じように牌を取り、いつもと同じようにそれを手牌の横に置いた。しかし、そこからは違っていた。照は長い間、その牌を凝視していた。

 そして、照は牌から目を離し、玄と視線を合わせた。

 その視線を受けながら、玄は理解していた。先程の奇妙な感覚は、勝利への予兆現象であったことを。

 宮永照が牌を捨てた。――それは、赤い色の牌であった。

【五索】

 松実玄は、ゆっくりと牌を倒した。

「ロン」

 玄は、ドラ表示牌に手を延ばして、裏ドラを確認した。2枚乗っていた。

「立直、一発、ドラ11……34700です」

「……はい」

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 観衆は、松実玄の数え役満によって大爆発していた。だれも彼も信じられないものを見たと感じ、大声で語り合っていた。中継の福与恒子の実況が、それをさらにあおった。

『宮永照! まさかの大量失点! 数え役満振り込みだー!』

『2回目ですね……宮永選手が松実選手に振り込むのは』

『そういえば、準決勝でも倍満に振り込んでいましたが、偶然ではない?』

『分かりませんが、振り込みのプロセスは同じです。宮永選手がリーチして、松実選手がドラを切る、そして放銃』

『で、では、次局も同じことが』

『いえ、それはないと思います。宮永選手はもうリーチしないでしょう。……それに』

『それに?』

『松実選手には、もうドラが集まらないような気がします』

『こ、小鍛冶プロ、ちょっと待って下さい! 今、順位表が更新されました』

 

南二局(九本場)終了時の各校の点数

 白糸台高校   189900

 阿知賀女子学院  75800

 清澄高校     70100

 臨海女子高校   64200

 

『阿知賀女子 松実玄、2位に浮上だー!』

 恒子の絶叫に近い実況で、会場は、大歓声に包まれていた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「玄さん!」 

 高鴨穏乃は興奮していた。リーチしていたとはいえ、あの宮永照から役満を上がった松実玄は、本当に魔術師に見えた。いったい、どんなトリックを使ったのか知りたくなって振り返った。そこには赤土晴絵と松実宥がいるはずであった。

「赤土さ……」

 ――穏乃の見た晴絵は、ひどいものであった。顔をグシャグシャにして泣いていた。

「玄ちゃん……」

 晴絵の隣にいた宥が呟いた。やはり、涙をぼろぼろとこぼしていた。

「宥! 泣いちゃだめだ! ここからは、もっと厳しくなる」

(……そんな顔で言ったって、説得力がありませんよ……赤土……さん)

 穏乃は、貰い泣きの経験がなかった為、なぜ、今、自分が泣いているのかが、分からなかった。ただただ、涙が留まるところを知らずに溢れ出ていた。

(これは……そういうものなんだな、だってほら、憧も、灼さんもみんな一緒だよ)

 玄の魔法は、宮永照だけではなく阿知賀女子学院の全員にもかけられていた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

 大星淡は、宮永照の役満振り込みを、意外とは思わなかった。むしろ照ならば、それもあるだろうと、考えていた。それよりも、もっと気掛かりなことがあった。

「弘世部長。なぜ、松実玄はここまで引っ張ったのでしょうか?」

 弘世菫は、淡の丁寧語での質問に、5秒ほどフリーズしていた。

「……あ、ああ」

 菫は、疑わしそうに淡を見ていたが、冗談で言っているのではないと判断したのか、説明を始めた。

「今回の役満振り込みは、準決勝の倍満振り込みと、ほぼ同じ展開だっただろう?」

 菫のよく使う話術であった。質問と回答を繰り返し、問題を紐解いていく。淡は、それが嫌いではなかった。

「テルーのリーチが前提条件ですか?」

「そうしなければ、照が振り込むわけがない。淡も知っているはずだ」

「テルーに大量リードさせて、リーチをかけやすい環境を作ったと?」

 納得がいかない顔つきで、淡が聞いた。菫は、出来の良い生徒を前にする教師の面持ちであった。

「淡の疑問はもっともだよ。照なら、点差に関係なく、東場だってリーチをかける」

「うん、苦手を作らない。それがテルーのやり方だからね」

 言葉が崩れかけている淡に、菫は微笑んだ。

「淡無理しないで、いつもの淡が一番だよ」

「……」

 菫は、表情を真剣なものに変えて、モニターを指差して言った。

「テレビ中継を利用して、照の能力を丸裸にしようとしているやつがいる。それは、多分、阿知賀の監督じゃなく、もっと狡猾なやつだ。そいつの指示で、わざわざ16局目まで引っ張ったのだと思う。データは多いほどいいからね」

 納得のできる答えだった。異常な打ち方、異能な打ち手をぶつけて、照がどう対応するか。それはだれもが欲しいデータであった。そいつは、この決勝戦の舞台で、それを実行した。淡は底知れぬ不気味さを感じていた。

「淡……」

 菫が、滅多に見せない不安気な顔で淡を呼んだ。

「なーに」

「あと2局で前半戦が終わる。そうしたら、照の所に行ってくれないか?」

「なんで?」

「照に質問してほしい。私からだと前置きして」

 菫は、言葉を選んでいるのか、僅かに間を置いた。

「――そういうことなのか? と」

 意味の分からない質問ではあったが、淡は引き受けた。菫は、自分の3倍は照との付き合いが長い。だから、2人にしか分からないやり取りがあるのだろうなと思った。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南三局、辻垣内智葉は、松実玄のドラ爆が終了していると考えていた。前局の流れるような打ち筋とは異なり、この局は考えながら打っている。だから、智葉には、玄の手牌がよく見えていた。そしてもう1人、宮永照の打ち方も一変していた。これまでは、ほとんど効果のなかった智葉の仕掛けに照が反応していた。その為、見えなかった照の手牌が、推測できていた。

 6巡目、智葉の手牌には【西】が3枚と、【一筒】【九筒】の対子があり、【一萬】と【九萬】を含む萬子が多くあり、チャンタが狙えそうだった。だが、その萬子は対面の照も集めている感じがした。智葉は、照の手牌を確実に読む為に、探りの牌を切った。

【四萬】

(反応は遅いが見る時間が長めだった。ということは、既に順子で持っている牌か)

 7巡目、照は自摸牌を手牌の左側に入れて索子を切った。自摸牌の入った位置は、萬子が固まっているはずであった。

 上家の玄が【三萬】を捨てた。照の反応速度は、先程よりは早かった。

(同じか、【三萬】を絡めた順子は持っているのか?)

 智葉の自摸番。引いてきた2枚目の【一萬】を手牌の上に置いて、照を見た。相変わらずのポーカーフェイスであった。しかし、なにかが違っていた。

(そうか、この牌か……。お前には見えているんだったな、私の牌が)

 智葉は、照の役を一気通貫と推測した。待ち牌は、今自摸った【一萬】であろう。

(聴牌しているのか? まあ、この【一萬】は切るわけにはいかないな)

 楽しかった。これまでできなかった宮永照との駆け引き。智葉はそれを満喫していた。

 捨て牌は、手を崩して【九萬】。照の河に【五萬】があるが、構わずに切った。

(通ったか、そして、その反応。間違いない、一通の【一萬】待ちだ)

 12巡目、チャンタ、一盃口に張り替えが完了し聴牌した。上がり牌は【三萬】。自分と照が1枚持っており、玄の河に1枚出ているので、1枚しか残っていなかった。対する照も、待ち牌の【一萬】は残りが1枚で条件は同じであった。

 次巡の自摸番。取って来た牌は、刻子で持っている【九筒】。この巡目で、暗槓は意味のないことだった。しかし、智葉は牌を並べ変えて倒した。

「カン」

(残り1枚ずつの【一萬】と【三萬】、それが、王牌にあったらどうする?)

 その質問の相手は、自分と宮永照であった。そして、その答えも分かりきっていた。

(通ってきた道が行き止まりで、燃料も残り少なく戻るに戻れない。となると――)

 智葉は、槓ドラをめくった。

【一萬】照の待ち牌。

(そうだ……死ぬしかないのさ)

 照の反応を確認した。その視線移動は、智葉の答えを肯定していた。

 15巡目に、智葉は【三萬】を引いた。面前、チャンタ、一盃口、西、ドラ2の跳満であった。

 智葉は確信していた。宮永照は、松実玄によってなにかの力を奪われている。これまでの神がかり的な打ち筋ではなく、普通の麻雀を打たざるを得ないのだ。

(普通の麻雀なら互角だ。いや、悪路に誘い込めば、私が有利)

 それは、監督アレクサンドラ・ヴィントハイムの自分への評価であった。それを、宮永照に試すことができる。そう考えると、なんだか楽しくなっていた。

(分かっている。私は笑っている。でも仕方がない、今は特別だから。だって、自然と顔がほころぶのを、止めることができない)

 智葉は、宿敵の宮永照と、対等に勝負できる喜びに打ち震えていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 画面の中の辻垣内智葉は、優しく微笑んでいた。ネリー・ヴィルサラーゼは、こんな顔の智葉を初めて見た。

「智葉、笑ってるね」

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、不愉快そうな顔で頷いた。

 ネリーは、なぜ、監督がそんな顔をしているか、おおよそ見当がついていた。

(智葉は、きっと――)

「メグ!」

 アレクサンドラが叫んだ。それは、彼女に似つかわしくない大声であった。

「ハイ」

「この半荘が終わったら、お前は、智葉に会ってきてくれ」

 

 ――モニターから、試合終了のブザーが聞こえた。

 

 南四局は、智葉が親の満貫を上がり、次の一本場で、松実玄が3900点で上がり、終局した。画面には、各校の持ち点が表示されていた。

 

前半戦 半荘終了時の各校の点数

 白糸台高校   181800

 臨海女子高校   86100

 阿知賀女子学院  70100

 清澄高校     62000

 

 白糸台高校との点差に、アレクサンドラは、表情をさらにしかめていた。

「会って、どうするのデスカ?」

 メガン・ダヴァンは、中断されていた指示を催促した。アレクサンドラは意外そうに答えた。

「指示が必要か? 智葉の意思を教えてくれ」

 メガンは困った表情で「ハイ」と答え、控室を後にした。

 ネリーは首を振っていた。

(何だかんだ言って、この人は凄い。お見通しって訳だね)

 アレクサンドラは、ネリーを睨んでいた。その顔は、以前にも増して険しかった。

 

 

 試合会場通路

 

 松実宥は、試合終了と同時に、控室を飛び出した。妹の松実玄に会う為、マフラーをなびかせて通路を走っていた。なにか話があるわけではなかったが、疲労がピークに達しているはずの妹の側にいてやりたかったのだ。

「玄ちゃん!」

 宥は、松実玄を見つけて呼び止めた。化粧室からの帰りなのであろう、ハンカチで手を拭いていた。

「お姉ちゃん」

 玄が走り寄り、そのまま宥に倒れ込んだ。

「く、玄ちゃん」

「お姉ちゃん、ゴメン。私、眠いの……」

 無理もない。と、宥は思っていた。昨夜、玄は全く寝ていない。そして、さっきまでの緊張の連続。それが、やっと解放されたのだ。だれでもそうなる。

 宥は、そのまま、近くにあった長椅子に、玄を寝かせた。

「時間がないの、でも1分だけ寝かせて。ピッタリ1分で必ず起こしてね」

「いいよ」

 玄は、宥の膝枕で、あっという間に、寝息をたてていた。

 宥は、時計を見ながら、少しでも時間がゆっくり進むように念じた。しかし、それは叶わなかった。だから、宥は少しだけ嘘をつこうと思った。

 時間は、1分を過ぎ、20秒ほどオーバーしていた。

「玄ちゃん、1分経ったよ」

 優しく玄を揺すった。

「んー」

 目を開けた玄は、先鋒戦の途中であったことを思い出して跳び起きた。

「もう1分?」

「うん」

「じゃあ行ってくる」

 玄は、立ち上がり、歩き始めていた。

「玄ちゃん、しっかりね」

 宥のエールに、玄は足を止めて振り返った。

「おまかせあれ」

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 大星淡は、宮永照を見つけて、ソファーから立ち上がり手を振った。

「淡……なんでこんな所にいる?」

「なんでって、それはまあ心配だったし、それに、菫から伝言があるから」

 淡は、自分の正直な感情を伝えるのが苦手であった。だから、今も照れながら話している。

 照の笑顔は、それを見透かしていた。

「伝言? 菫の?」

 淡は、菫の言葉を、そのまま伝えることにした。

「そういうことなのか?」

「そうだよ」

 即答であった。そして、照は笑顔のまま、話を続けた。

「負けたよ……松実玄に」

「そんな! 点数じゃ10万点以上リードしてるのに?」

「点数は関係ない勝ち負けは自分が決めるものだよ」

 言葉は厳しいものであったが、照の表情は変わらなかった。

「あの子にしろ、咲にしろ、ドラを制御できる子の前では、私は無力だ。なにも見えなくなる」

「見えない?」

「最善の道を教えてくれる羅針盤。彼女たちは、龍の力で私からそれを奪う」

 なんとなくではあるが、淡にはそれが理解できていた。自分自身も、高鴨穏乃から、同じ作用を受けていたからだ。

「テルー、楽しいの?」

「うん、咲以外の子に負けるのは初めてだから」

「また……サキ」

 淡は、ふくれっ面をしていた。照は、それを見て、珍しく声を上げて笑った。

「淡……咲はね、お前と同じだよ」

「私と? サキが?」

 心底迷惑そうに淡が言った。

「性格は正反対。でもね、咲は淡と同じで、負けを知らない」

「……」

「昨日の話だよ。完全なる負け、お前達はそれを知らない」

「知らなきゃいけないこと?」

 淡の反抗的な質問に、照は優しく答えた。

「淡はね、知ればもっと強くなる。もし、今日、咲と闘えば、それを知ることになる」

「……」

「でも、咲は違う。知れば再起不能になってしまう。私はそれを見たくない」

「テルー……」

 淡は、宮永照がただの雑談をしているのではないと、初めて気がついた。

「咲もそれは分かっているんだ。だから、プラマイ0という手段で、敗北の感覚を消し去ることを思いついた。プラマイ0を続けるかぎり、決して負けないからね」

 宮永咲のプラマイ0の能力は、淡も聞いていたが、それを実施する理由が不明であった。それが、自己防衛の為であると、照から聞かされた。淡は驚きのあまり、ソファーに座り込んでしまった。

 照も、その隣に座り、前を向きながら言った。

「咲のプラマイ0は強力だよ。並の人間では破れない。でもね、私は何度も破った」

「何度も?」

「そう何度も。その結果、生まれたのが〈オロチ〉だよ」

 照の表情が変わった。それは、ひどく寂しそうであった。

「咲は、負けを受け入れることができなかった。だから、それを〈オロチ〉変貌への手段として使うことにしたんだよ」

「負けを?」

「負けなければ〈オロチ〉になれない、だから負ける。咲は意識のすり替えで、敗北を排除したんだ」

(テルーは、妹が嫌いなわけではなかったんだ。むしろ、その逆。本当に大切に思っている)

 淡は大きな溜息をついて、あえて、悪態をついた。

「テルーは、ほんとにシスコンだよ。サキのことしか頭にないの?」

 照は笑いながら答えた。

「そんなことはないよ。かわいい後輩を思ってのアドバイスさ」

「アドバイスなんかもらってないんですけど」

「そうだね、でも、私はこう思っている」

 照は、淡と目を合わせて、笑いを消して告げた。

「〈オロチ〉を倒せる可能性がある者は3人。それには、淡、お前も含まれている」

 



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7.キャラメル

 試合会場通路

 

 須賀京太郎は、時計を見ながら走っていた。5分間の休憩時間は、竹井久からの膨大な伝言を、片岡優希に伝えるには短すぎた。だから、少しでも早く、彼女に会う必要があった。――目の前のT字路を、物凄い速度で駆け抜けていった物体があった。それを優希と認めた京太郎は、走るギアを上げて加速し、追跡した。

「優希!」

「京太郎か? 話は後だ!」

 優希は、振り返らずに言った。そして、さらに加速して、京太郎を引き離していった。

「まずはトイレだじぇー!」

 あっという間に点になった優希は、そのまま女子トイレに消えていった。

 

 京太郎は再び時計を見た。残り時間は1分半。帰りも走らなければ、遅刻は免れない時間であった。

「待たせたな、京太郎。何しろ今はハイビジョンの時代だ、化粧は念入りにな」

「お前、化粧なんかしてないだろ」

「ものの例えだじぇ」

「それより、いいのか? こんなゆっくりして」

「そ、そうだった」

 優希は走り出したが、先程とは異なり、今度は京太郎にもついていける速度であった。

「京太郎! 話は?」

「まずはこれ」

 京太郎は、タコスの入った袋を、リレーのバトンのように優希に渡した。

「タコスか、ちょうど良かった。みんなに上げてなくなってたからな」

「そ、それと」

 京太郎の息が上がっていた。速度も鈍くなり、優希との距離も離れていた。

「京太郎! だらしないじょ!」

 優希は、走るのをやめて振り返った。

「あ! 急に止まるな!」

 京太郎は、止まり切れずに、そのまま、優希に抱きついてしまった。長身の京太郎を支えきれずに、優希は倒れてしまった。

「こんなところでは、やめろと言ったはずだじょ……」

「ご、ごめん」

 気まずそうな顔で、京太郎は謝り、立ち上がった。

「大丈夫? 係員を呼ぼうか?」

 寝っ転がっていた優希に、手を差し伸べたのは、対局室に戻る途中の宮永照であった。

「あ、照姉ちゃん! 大丈夫だじぇ、この変態はうちの部員だからな」

 そう言って、優希は照の手を借りて立ち上がった。

「変態じゃねーよ」

 照は、不審者を見る顔つきであった。

 京太郎は、全国チャンピオンの宮永照に変態扱いされていると思うと、内心落ち着かずあたふたしていた。

「ありがとうございました」

 優希が、それに助け舟を出した。身勝手に見える彼女も、こういった礼儀はわきまえていた。

「そう。もうすぐ始まるよ遅れないで」

 照は、優しく言って、対局室に入っていった。

「あんまり似てないよな……咲に」

 京太郎は頬を赤らめて呟いた。

「咲ちゃんより、ずいぶんと落ち着いてるな。でも、打てばわかるじぇ、2人は間違いなく姉妹だじぇ」

 ――場内に後半戦の開始のアナウンスがあった。優希も慌てて会場に入ろうとした。

「まて、部長からの伝言」

「早く言え! 京太郎!」

 京太郎は、かつてないほど、頭を回転させて、部長の大量の伝言を要約していた。

「宮永照は手負い、松実玄は前半戦の勢い無し、だから、全開で行け! ただし、辻垣内智葉には、要注意だ」

「何だか、さっぱり分からないが、全開でGOはOKだじぇ。東場の神をなめるなよ!」

 優希は、笑顔で答えて、会場に入った。京太郎は、伝達の失敗を確信し、竹井久への言い訳を考え始めていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 辻垣内智葉は、対局室の椅子に座ったままであった。不思議な感覚だった。少しでも長く、ここにいる時間を持ちたかったのだ。それは、休憩時間も惜しむほどであった。

 階段をだれかが上る足音が聞こえてきた。やがて、よく知っている仲間のメガン・ダヴァンの顔が浮かび上がってきた。

「智葉、調子がよさそうデスネ」

「ご挨拶だね」

「点数ではアリマセン」

「まあね、調子はいいよ」

 智葉は、メガンがここに来た理由が分かっていた。

「安心していいよ、後半戦、私は全力を尽くす」

「その後はどうデスカ?」

 寂しそうにメガンが聞いた。答えが予想できていたのだ。

「プレイヤーを引退する」

「……」

「私も、荒川憩も、そして神代小蒔も、宮永世代の1人として記憶されるのかもしれない。でもね、他の2人はともかく、私は……限界が見えてしまった」

「勝てまセンか、宮永に」

 智葉は頷いた。そして、卓を眺めながら言った。

「今回も、松実玄がいなければ、酷いことになっていたよ」

 メガンは何も言わず見ていた。智葉は、彼女のこういう所が好きであった。日本人とは違い、余計なことはあまり言わない、だから信頼できた。

「ミヤナガ・ジェネレーションは、まだ終わりではありまセン」

「妹か……全く、あと2年も続くのか」

「ネリー達も可哀そうデス」

 智葉とメガンは楽しそうに笑った。

「それデハ、私は戻ります」

「メグ、この半荘は、宮永に勝つよ」

「ハイ」 

 メガンは笑顔と共に、階段を下りていった。

 ややあって、宮永照が上ってきた。智葉は最高の笑顔で言った。

「やあ」

「どうも」

 これが最後の闘い、智葉の思いは、その表情に表れていた。照もそれを読み取ったのであろう、しばらくの間、2人はじっと目を合わせていた。

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 大星淡は、まだソファーに座っていた。宮永照と別れてから、20分近く経過しており、既に後半戦も開始されているはずであったが、控室に戻る気になれなかった。今は、1人で考えていたかった。

(なぜ私に、あんなことを言ったのかな……)

 照の話には矛盾している点があった。妹の宮永咲が敗北するのを見たくないと言っていたが、彼女はそれを可能にする武器を準備していた。個人戦では、それを使うはずであった。そして、〈オロチ〉の件。倒せる可能性がある3人に自分の名前が挙がった。

(テルーはサキをどうしたいのだろう? 自分で倒したいのか、それとも、私に倒してほしいのか?)

 淡は、照が愛憎のジレンマに陥っていると考えていた。でなければ、ここまで混乱した話はしない。しかし、何か意味があるようにも思えた。

(だめだ、分かんない)

 考えに考えても、答えを導き出すことができなかった。

 淡は立ち上がり、さっきから、コンプレッサーがうなっている自動販売機の前に立った。そして、その中のブラックコーヒーを、硬貨を入れて購入した。淡も女子高校生らしく甘いもの好きだったので、ブラックは飲んだことがなかったが、〈オロチ〉の件での照からのアドバイスが淡にそれを買わせた。

(「今日、咲と闘えば、必ず負ける。でも、そこから〈オロチ〉を倒すヒントを見つけ出せ」か、……おかしいよ、知っているなら、負けないように教えてくれてもいいじゃん)

 淡は、ブラックコーヒーのタブを開けて飲んだ。不思議と苦さは感じなかった。しかし、決しておいしいとは思えなかった。

(いいよ負けても。でも、さっきテルーも言ったよね、勝ち負けは自分が決めるもんだって。サキだって敗北を認めないただの意地っ張りじゃないか、私だって認めない。認めるもんか! サキ、私は恥ずかしい。ちょっとでもお前を恐れたことを)

 淡は、ブラックコーヒーを一気に飲んだ。そして、控室へと走り出した。

 

 

 白糸台高校 控室

 

 外から、だれかが走っている音が聞こえていた。それは、どたどたとした、典型的な運動音痴の走る音だった。弘世菫はそれがだれか分かっていた。

「状況は?」

 大星淡がドアを開けて、大声で聞いた。

「今は、東一局の二本場。清澄の片岡が連続和了した」

 亦野誠子が淡に説明した。

「テルーは?」

「まだ様子見。でも、片岡優希の速度は驚異的」

 渋谷尭深が答えた。誠子も尭深もほっとした顔をしていた。淡の状態が以前に戻っていたからだ。

「淡、どこをほっつき歩いていたんだ? まずは私に報告だろう」

「――そうだって」

「……」

 菫の沈黙に、淡は拍子抜けしていた。ぞんざいな報告に怒られるものと考えていたのだろう。しかし、菫にとっては、それで十分であった。知りたいのはYESかNOかであり、明確なYESの回答があったからだ。

(そうか……これで分かったよ、お前が妹に勝てない理由が)

 そして、それは悩ましい報告でもあった。今、照は普通の麻雀を打っている。もちろん、それでも照は強力であるが、点差を大きく広げることはできないだろう。つまりは、照、単独での阿知賀の飛ばしは期待できなくなっていた。清澄との点差も、片岡の連続和了によって、10万点弱まで縮小されてしまい、想定の15万点差までは、この半荘では届かないと考えていた。

「弘世部長」

 菫は、「またか」と思い、今度は注意しようと、淡をきつめの眼差しで見た。目が合ったが、淡は目を反らさなかった。

「テルーは稼ぎきれないと思います」

 その顔は冗談を言っているものではなかった。本気で淡は、意見をいうつもりであった。

「亦野先輩までで、阿知賀を飛ばす作戦に変更はありませんか?」

「変更はない。照が不調なら、私達で補う」

 菫は、淡が何を言いたいか読めていた。だから、厳しい回答でそれを留めようとした。

「わかりました。それでもいいです。でも、もしも大将戦になったら……私は、サキと本気で勝負がしたい」

「だめだ。3連覇はわが校の悲願だ。自重してほしい」

 淡は悔しそうな顔でうつむいてしまった。もっと反発があると予想していた菫も、肩透かしを食らっていた。

「ミーティングでの私の話を聞いていたか?」

「いえ上の空でした」

 褒められた話ではなかったが、正直な言い分に菫は好感を持った。

「15万点だ。清澄との点差がそれだけ離れていれば勝負していい」

「菫!」

「ただし、宮永咲の親番とお前が親の時だけだ。それ以外は降りてもらう」

 淡は笑顔で2度頷いた。菫は、頭を搔きながら続けた。

「それとな、私の部長もあと僅かだ。それまでの間は、敬語は無しにしてくれ。その、なんだ、実に気持ちが悪い」

「上級生には――」

「私が悪かったよ」

 菫は苦笑しながら言った。淡はそれを見て。楽しそうに笑っていた。

「部長、阿知賀の子が」

 尭深が、菫にモニターを見るように合図した。

 東一局の二本場も9巡目に入っていたが、松実玄以外、聴牌できていなかった。

「この子が、場を支配している」

「ドラが集まらない場合は、こういう制御をかけてくるのか」

 頭の痛い話であった。松実玄に実に厄介な能力が覚醒しつつあった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 片岡優希は、自分の得意とする東場の前半にもかかわらず、勢いが減速していると感じていた。そして、優希にはその理由も分かっていた。松実玄であった。前半戦とは異なり、牌を普通に立てて打っているが、その打ち方は、他家に無駄自摸を与える作用をもたらしていた。

(同じだ。手が進まないじぇ。でも、今回は玄ちゃんも上がろうとしている。ならば、打つ手はある)

 優希は、合同合宿を思い出していた。そこで、天江衣の“一向聴地獄”に苦しんでいた優希に、部長の竹井久はアドバイスをくれた。

(「天江衣が、どんなに凄くても、山の牌を変えられるわけではない」)

 どんなに強い相手でも、流れは山に積まれた牌によって決められている。だが、衣のような場を支配する者は、それを把握できるのではないかと言っていた。

 そして、染谷まこの助言。

(「天江衣の海底撈月も特殊な打ち方に見えるが、河は普通の形じゃ、ポンやチーをしても同じで河の形は全く変わらん。唯一変わったのは、長野決勝で咲が暴れた時だけじゃ」)

 確かに、チームメイトの宮永咲は長野決勝で衣の支配を破っていた。

(「手を進める為の鳴きは、場の支配には無意味。なぜなら、彼女達は、それを想定しているから。だから、支配を破るには、その裏をかかなければならない」)

 久の言っていることは単純明快であった。

(支配者が想定できない打ち方を選べばいい。それは、2回戦で染谷先輩が、準決勝で、咲ちゃんを相手に、姫松がやったこと)

 東一局二本場、10巡目、優希は、辻垣内智葉の捨て牌をチー。それは、自らの手を狭める、無意味な鳴きであった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

「まあ、特訓の成果かな。衣で実証済みだ」

 画面を見ながら、龍門渕高校の井上純が言った。

「成功率は10%以下。確率の範囲内」

「違うぞ、トモキー。あれは確かに効果はある。相手にもよるがな」

 天江衣が片岡優希を弁護した。沢村智樹は意外そうであった。

「それは、衣と松実玄を一緒にするなってこと?」

 国広一は、からかい半分で衣に聞いた。

「まあな。松実玄のあれは、まだ過渡的なもので確立されていないからな」

「あら、さっきは智紀に、あの能力は意味がないって、言っていましたわよね」

 龍門渕透華が、衣に疑問を投げかけた。ただし、表情は好意的なものであった。

「侮っていたよ、あの手の輩は恐ろしいものだな」

「あの手の輩?」

「ドラを操る者達だよ」

 衣はいつになく饒舌であった。

「見ろ、優希が上がったぞ」

 純が皆に聞こえるように言った。彼女の言葉通り、画面内では優希が、三色、断么九で和了していた。

 再び脅威となりつつあった松実玄を、優希は抑えていた。龍門渕高校のメンバーは、その成長に満足していた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「潰されたね」

 新子憧は、そう言って、ソファーの背もたれに勢いよく寄りかかった。 

「でも凄いよ。あれは偶然の産物だと思っていたから」

 赤土晴絵は、松実玄の伸びしろの多さに驚いていた。しかし、それ以上に驚いていたのは、玄に柔軟な対応ができる他家の3校であった。

(やはり、この決勝の舞台はしたたか者揃いだ。ここは、もう少し削られることを覚悟しなきゃだめかな)

「宥」

「はい」

「玄の後、頼むよ」

「わかっています」

 おっとり系の松実宥に似合わぬ、厳しい顔であった。

(準決勝と同じ表情だ。こういう時の宥は揺るぎない麻雀を打つ)

 晴絵は思った。姉というのは、本当に強いものだと。

 

 

 清澄高校 控室

 

「見てみい、宮永照の待ちを」

 染谷まこが呆れた口振りで言った。

「優希は、困ると七対子に逃げますから、でも、咲さんのお姉さんの待ちは……」

 原村和は、照の待ちが信じられなかった。チームメイトの片岡優希は、七対子をダマで聴牌しており、待ち牌は【八筒】であったが、河に一枚出ていたので、待ちを変える可能性がある。照は、その【八筒】をカンチャンで待っていた。

「あの手牌なら、もっと効率のいい待ち方ができたはずよ、優希を狙い撃ちかしら?」

「ええ。おそらく」

 竹井久の相手を特定しない質問に、和が答えた。

「あ!」

 須賀京太郎が短く声を上げた。その瞬間、画面の中の優希が【八筒】を切っていた。

「振り込んだかー。これは、須賀君の責任ね、優希に私の助言を伝えられなかったんだもの」

「いや、だって、時間がなかったし……」

「あら、言い訳?」

「……」

 久の追求に、京太郎は沈黙していた。

「喉が渇いたわー。冷たいストレートの紅茶が飲みたいわー」

「買ってきます……」

「わしにも頼むわ」

「私は、レモンティーで。あ、無糖ですよ」

 和も、先輩達に続いた。京太郎は、いじられ慣れているせいか、嫌な顔もせず「はい」と言って、腰を上げていた。

「咲、お前は?」

 咲は、京太郎の問いかけには答えず、画面に映っている姉をじっと見ていた。

「普通の麻雀を打っているお姉ちゃんは、本当に強いですよ。私も、この状態の宮永照が一番苦手でした」

 咲の言葉を裏付けるように、続く東二局も、照は、あっという間に、3900点を自模った。

「物凄いアドバンテージね」

「ええ、松実さんは予想外でした。これまでとは逆に、彼女の存在が、お姉ちゃんを有利にしています」

 東二局の一本場、11巡目に、親の照が自摸和。2連荘であった。

 和は驚いていた。宮永照の打ち筋は、確率論で考えると無駄だらけであったからだ。しかし、それによって、手をどんどん組み上げていき、彼女の切る牌は、確実に他家の出鼻を挫いていた。

(まるで、本当に手配が見えているようですね……。咲さんは技術だと言っていましたが……)

 オカルトとは言えなかった。和の性格上、何億分の1でも可能性のある場合は、現実として受け止めざるを得なかった。それゆえに、和は照の打ち筋を脅威と感じていた。それは、牌効率を優先する自分の打ち筋とは、真逆の存在であったからだ。

 ふと横を見ると、京太郎が買い物に行けずに棒立ちになっていた。和は、表情を緩めて、小声で京太郎に進言した。

「いつまで待っても返事はありませんよ、咲さんのは、いつものでお願いします」

 京太郎は、ばつの悪い風でもたもたと控室を後にした。

(私よりもずっと付き合いが長い京太郎さんでも、今の咲さんには話し辛いのでしょうか?)

 そう思い、咲を見た。いつもなら気がついてくれる和の視線も、意に介さずに画面を眺めていた。和は、そんな咲に一抹の寂しさを覚えていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 宮永照が発している空気は、11連荘まで進んだ前半戦と同じであった。それは、臨海女子高校控室の空気までも淀ませていた。

「そろそろ止めないとまずいですね」

 それは、具体的な対策の無いただの感想であった。雀明華は、つのる危機感によって、思わずそれを口にしていた。

「大丈夫デス、智葉は必ず勝つと言っていマシタ」

「そうか、じゃあ、それを確認しよう」

 メガン・ダヴァンの、やはり具体性のない発言に、アレクサンドラ・ヴィントハイムは冷徹に対応した。

 東二局 二本場は、11巡目まで進んでいた。辻垣内智葉の手牌は、萬子の一盃口で、索子の順子【二索】【三索】【四索】と【八索】の刻子、筒子を1枚持っていた。

「この【八索】が宮永の狙いかな?」

「智葉は頭待ちですからね、筒子でつながれば切ると判断したのでしょう」

 ネリーの質問に、郝慧宇は当たり前の答えを返した。

(三巡前から宮永はこの待ちだ。そろそろ焦れるかな?)

 その推測通り、12順目に、照は待ちを変えて、【七索】を捨てた。

 智葉の自摸番、引いてきた牌は【四索】、迷わずに【八索】を切った。

「智葉……」

 その呟きは意外な人物から発せられた。監督のアレクサンドラであった。

「攻めてマスネ、智葉」

「……」

 アレクサンドラは黙って画面を見ていた。そして、智葉が手変わりした二盃口で上がった。ドラも絡めて12600点であった。

「監督……」

「うん?」

「智葉のこと、聞かないんデスカ?」

 問いかけたメガンに、アレクサンドラは向き直った。

「メグ、お前は自分の弱点を知っているか?」

「弱点デスカ?」

「そう弱点だ。お前は顔に出すぎる」

 アレクサンドラは、そう言って、顎で画面を見るように、メガンに催促した。

「言わなくても分かるよ、智葉は楽しんでいるのだろう?」

「ハイ、……ファイナル・バトル デス」

 メガンは満足そうに、何度も頷いた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 後半戦は混戦の内にオーラスを迎えた。これまでの経緯は以下のとおりである。

 

 東一局      片岡優希  11700点(3900オール)

 東一局(一本場) 片岡優希   6300点(2100オール)

 東一局(二本場) 片岡優希   3600点(1200オール)

 東一局(三本場) 宮永照    6100点(片岡優希)

 東二局      宮永照    3900点(1300オール)

 東二局(一本場) 宮永照    6300点(2100オール)

 東二局(二本場) 辻垣内智葉 12600点(3200,6200)

 東三局      辻垣内智葉  5200点(1300,2600)

 東四局      片岡優希   8000点(2000,4000)

 南一局      宮永照    8000点(片岡優希)

 南二局      宮永照    6000点(2000オール)

 南二局(一本場) 松実玄   12300点(3100,6100)

 南三局      辻垣内智葉  8000点(2000,4000)

 

 後半戦 南三局終了時の各校の点数

  白糸台高校   187300点

  臨海女子高校   92200点

  清澄高校     62500点

  阿知賀女子学院  58000点

 

 そして、この半荘の個人的な収支は以下のようになっていた(25000点を基準とする)。

 

 辻垣内智葉 31100点

 宮永照   30500点

 片岡優希  25500点

 松実玄   12900点

 

 自力の差がでたのか、松実玄は場を制御しつつも、結果を残せないでいた。南二局に跳満を上がったが、他で削られすぎていた為、後半戦開始時から、1万点以上、点数を失っていた。宮永照も和了回数は最多であるが、親番時に高めで自摸られてしまい、引き離すことができていなかった。片岡優希も2度の振り込みが響き、プラマイ0の状態だった。その結果、僅かながらにリードしていたのは、臨海女子高校の辻垣内智葉であった。

 

 

 親の辻垣内智葉がサイコロを回し、オーラスが開始された。

(最後の対局……でも、私の親番。勝ち続けるかぎり、それは終わらない)

 プレイヤーの引退を決意した智葉の表情は、実に穏やかであった。しかし、その打ち筋は切れ味の鋭い刃物のようであった。

 7巡目、智葉の手牌は、ドラを絡めた断么九の二向聴。おそらく索子待ちになる予定であった。対面の宮永照も、まだ聴牌していないはずだったが、同じ索子を集めていると考えていた。

 智葉は余り牌の【六索】を切った。持っていると、後半、宮永照にデットエンドに追い込まれる可能性があったからだ。

 上家の松実玄が【九索】を捨てた。場に3枚目であった。そして、8巡目の智葉の自摸は、その【九索】。当然ながらそれを捨てた。

(宮永の反応が鈍い。これで、だいぶ範囲が狭まった)

 9巡目、智葉は【三索】を自摸、これで一向聴、同巡の照の捨て牌は【五索】。

(裏スジも関係なしか……。いいだろう受けて立つよ)

 次巡、聴牌した。【一索】【四索】の両面待ちであった。しかし、それは、照と重複している恐れがあったので、リーチはしなかった。――だが、照は違った。

「リーチ」

 【二索】を横にして置いた。

 智葉は無神論者ではあったが、今だけは、神に感謝していた。

(神様、有難うございます。こんな強敵に巡り合わせてくれて、本当に感謝しています)

 11巡目、智葉もリーチした。

(宮永……私とチキンレースをしたいのだな。分かったよ。どちらが先に上がるか勝負だ!)

 智葉は、昨日、ネリー・ヴィルサラーゼに言った言葉を思い出していた。「負けるかもと思ったことはあるが負けてもいいと思ったことはない」、今もそうであった。このリーチは、必ず自分が先に当たり牌を引くという決意を込めたリーチであった。

 そして、メガン・ダヴァンにも思いを馳せた。

(メグ……、人間は弱い、強い相手には怯んだりするし恐れたりもする。でもね。挫けないというのは、それに強い意志で立ち向かうことだよ)

 そこからの数巡、それは、実に充実した時間であった。可能なら永遠に続いてほしいと思うほどに。

 しかし、それは唐突に終わりを告げる。――15巡目に宮永照が和了した。

「自摸。立直、面前、平和、700,1300」

 試合終了のブザーが鳴った。

 

 

「有難うございました」

 4人は揃って、深々と礼をした。

 辻垣内智葉は、なかなか頭を上げることができなかった。上げてしまうと、何か大切なものが終わってしまう気がして怖かった。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。自分自身で、その何かを終わりにする必要があった。

(後悔はしない……自分で選んだ道だから。未練がましく振り返ってはならない)

 智葉は、大きく息を吐いた。そして、最後の対局の充実感と満足感だけを心に残し、頭を上げた。

 ――1分近く経過していたので、そこにはだれもいないはずであった。

 しかし、目の前には宮永照が立っていて、智葉を見ていた。

「……あれ?」

「……」

「どうしたの?」

「試合前にもらったキャラメル、あれは……」

 智葉の目が、思いっきり細まった。

「ああ、あれはね……」

 しばらく2人で談笑した。それは智葉にとって、掛け替えのない時間となった。

 



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8.阿知賀に潜む影

 白糸台高校 控室

 

「照とは途中で会うだろうから、そこで話をするよ」

 次鋒の弘世菫は、なかなか帰ってこない宮永照にしびれを切らし、対局室に向かうことを部員に告げ、席を立った。

「弘世部長、頑張って下さい」

 亦野誠子と渋谷尭深であった。かわいい後輩の声援に頬を緩めた。

「弘世部――」

 菫は、その声に瞬時に反応し、大星淡にレーザービームの出るような視線を浴びせた。

「……後輩が敬語で応援しようとしてるんだよ? 普通は喜ぶと思うけど」

「普通ならな。お前のは、何か悪意を感じる」

「そんなの、被害妄想だよ」

 ふてくされた顔で淡は言った。心のコンデションが整いつつあるのだろう。

 彼女の復活は、菫にとっても喜ばしいことであった。だから、少しだけおどけた話につき合ってやろうと考えた。

「お前なあ、私はこれから試合に向かうんだぞ。もっと、やる気の出る応援があるだろう?」

「菫――部長、頑張って下さい」

 茶目っ気のある笑顔で淡は言った。

 菫は、めげた表情で淡を見つめた。

「今ので、だいぶ攻撃力が落ちたと思う。私が負けたら、お前のせいだ、淡」

「それって、予防線を張ってるんですか?」

「自己防衛……」

 誠子と尭深もからかい始めた。菫はそれにも対応した。

「もういい! ――せいぜい頑張らせてもらいます!」

 菫は、3人に背を向け、控室を出ようとした。

「菫! 頑張って!」

 淡が、菫の背中に声を掛けた。生意気な口振りであったが、何故だか、悪い気はしなかった。菫は振り返らずに、手を頭の横で振って返事をした。

 

 

 試合会場通路

 

 染谷まこと片岡優希は、控室に程近い通路で出会った。白糸台高校に13万点近く離されしまった為か、優希にいつもの元気がなかった。

「お疲れさん」

「染谷先輩……想定以上に点差をつけらてしまったじぇ」

「ああ、まあ、しゃーないな。咲も言うとった。今日の宮永照は本気じゃったと」

「……」

 優希は、涙ぐんでしまい、言葉が出ないようであった。

「あー泣かんでええ」

「でも……」

 まこは優希の肩に手を置いた。

「わしゃあ、部長とは違って、人をなだめたりするのは苦手じゃ。でもな、優希。ほんによう頑張った。後は、わしが何とかする」

 置いた手で、ぽんぽんと優しく肩を叩いた。

「染谷先輩のその約束は、フィフティ、フィフティだじぇ」

「なぬ! ずいぶんと厳しいのう」

 まこは、苦笑していた。優希はそれを見て、涙を拭きながら言った。

「でも、今回は信じてるじぇ」

「信じてええよ。せっかく繋いでくれたんじゃ、無駄にはせん」

 そう言ってまこは、掌を体の前に差し出した。

 優希は、笑顔でハイタッチをした。

 

 

「玄ちゃん、お疲れ様」

「お姉ちゃん……」

 松実玄は、姉の松実宥を見て張詰めていた気持ちが緩んでしまったらしく、はらはらと涙をこぼし始めた。

「ごめんね、こんなに点数を減らしちゃって」

「問題ないよ、玄ちゃんはやるべきことをやり遂げたよ」

 玄は涙が止まらなかった。それを隠すように、宥にしがみついた。

「この試合は……辛いことがいっぱいで……私、何度も挫けそうになったの……」

 途切れ途切れに話をする妹を、宥は優しく抱擁した。

「でも……私……頑張ったの……約束したから」

 玄は、それ以降話すことができなくなっていた。姉にしがみついて幼女のように泣いていた。

「玄はずいぶんと泣き虫になったね、子供の頃は、私がそうだったのに……」

 宥は、母親のように妹の頭を撫でた。

 ――ひとしきり、それを続けてから、宥は言った。

「玄ちゃん、お姉ちゃんもう行くね」

 玄は、姉からゆっくり離れた。それは、できることなら離れたくないという動きであった。

「ごめんね……」

 再び玄が謝った。涙は相変わらずだったが、気持ちは落ち着ているようであった。

「いいよ、私、お姉ちゃんだから」 

 宥は、笑顔でそう言った。そして、自分の決意を妹に告げた。

「阿知賀の命運は私達にかかっている。だから、私も玄ちゃんに続くよ」

「うん、お願いね、お姉ちゃん」

 玄にも笑顔が戻っていた。宥にとって、それは何よりのエールであった。

「行ってくるね」

 

 

 前方から先鋒戦を終えた宮永照が歩いてきた。表情はいつもと変わりはないが、口元がもごもごと動いていた。何かを食べているようであった。

「何食べてるの?」

「キャラメル……おいしい」

 照は持っていたキャラメルの箱から一粒取り出し、弘世菫の前に差し出した。

(気のせいか? 今、昆布という字が見えたような気がする……)

「くれるの?」

 照は口を動かしながら頷いた。

「ありがとう……」

 菫は受け取って、ポケットにしまおうとした。だが、照の目がそれをさせなかった。違う行動を要求していた。

「食べろ……と?」

 照は無言で見ていた。逃げ道がなかった。菫は、諦め顔でキャラメルの包みを開けた。

(これは罰ゲームか? 昆布とキャラメルなんて相性が悪すぎるだろう)

 覚悟を決めて、目を閉じ、口の中に放り込んだ。それは、何とも言えない、いやらしい味で、口の両端が思いっきり下がってしまった。

「……だれにもらったの?」

「辻垣内さん」

「彼女は何て?」

「おいしいって」

「決めたよ、お前達とは、絶対外食はしない」

 照は少しだけ笑ってみせた。

 菫は、仏頂面で照の肩を軽く叩いて、対局室へ向かって進んだ。

「菫!」

 照の呼びかけに歩きながら振り向いた。

「思った以上に、私達は調べられている。油断しないで」

「阿知賀か?」

「そう、松実宥もきっと何か仕かけてくる」

 菫は立ち止り、完全に照に向き直った。そして、微笑みを浮かべて言った。

「気付いていたか。――だれかが阿知賀に肩入れしている。それは、相当な実力者だ」

「おそらく、プロのだれかだよ」

「じゃあ、私の打ち方は読まれているかな」

 照は、心配そうな顔で頷いた。

「分かったよ、警戒する」

 まあ、そうだろうなと思った。あの宮永照に対して、あれだけのことができる相手だ、当然、自分も調べ尽くされているだろう。

(でも、そんなのは承知の上だ。私を与しやすいと考えているなら、痛い目を見させてやる)

 菫は、大股で対局室への道を踏み出した。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「今戻りました」

 先鋒戦を終えた、辻垣内智葉が帰ってきた。想定以上のマイナスに引け目を感じてか、声に力がなかった。しかし、表情からは雑念が取れていた。

「お帰り、途中で郝に会ったか?」

「会いました。全開で行くそうです」

「そうか。疲れただろう、少し休め」

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムが智葉を労った。

 その智葉は、つかつかと監督の前に歩み寄り、一呼吸置いて口を開いた。

「監督……私は個人戦を――」

 アレクサンドラは平手で智葉の頬を張った。渇いた音が控室に響いた。

「下らんな、そんなセンチメンタリズムは、闘うモチベーションが保てないか?」

「……」

「お前の選択は尊重する。だがな智葉、既に決まっていることには責任を持つべきだ」

 智葉は反論しなかった。だが、目は、まっすぐアレクサンドラを見ていた。

「いいか、お前はチーム5人の代表で個人戦に出るのだ、私的な意見は認めない。出場して勝て。それが、私の命令だ」

「……はい」

 厳しい言葉にもかかわらず、智葉は何故か嬉しそうであった。

「智葉……」

 ネリー・ヴィルサラーゼが、僅かに怒気を含んだ声で言った。

「昨日の言葉、智葉にそっくり言い返すよ」

「ネリー、すまない。おかげで目が覚めた。闘うよ、最後まで」

 智葉は真摯に答えた。ネリーは少し穏やかな表情になり、隣にいたメガン・ダヴァンと顔を合わせた。

「メグも……すまん。私は敗北者に成り果てる所だったよ」

 メガンはやれやれといった顔で目を背けた。智葉はそれを見て笑った。

「智葉、隣に来てくれ、次鋒戦のポイントを見極めよう」

 アレクサンドラであった。次鋒戦は既に始まっていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 清澄高校 染谷まこの起家で次鋒戦が開始されていた。席順および現在の持点数は以下のとおりである。

 

 次鋒戦 東一局

  東家 染谷まこ

  南家 弘世菫

  西家 郝慧宇

  北家 松実宥

 

 前半戦 東一局開始時の各校の点数

  白糸台高校   191000点

  臨海女子高校   89900点

  清澄高校     61800点

  阿知賀女子学院  57300点

 

 

 清澄高校麻雀部部長 竹井久から、染谷まこに与えられた役割は、隣にいる弘世菫の点数を削ることだった。現在の白糸台との点差は129200点。片岡優希はベストを尽くしたと思うが、離されすぎなのも確かであった。

(わしで、点差を縮めにゃあ、じゃが、この白糸台の部長は、容易な相手じゃない)

 まこは、昨日の中国麻雀トレーニング途中での、龍門渕高校 沢村智紀との会話を回想していた。

 

 

 昨日、清澄高校 宿泊ホテル

 

「弘世菫をこれまでと同じと考えてはいけない」

 一荘戦を2回終了後の休憩中に、普段は極端に口数が少ない沢村智紀が、染谷まこに話しかけてきた。手には折りたたみ式のタブレットを持って、忙しそうに指を動かしていた。

「沢村さん、それはどういう意味じゃ?」

 智紀はダブレットの画面をまこに見せた。そこには棒グラフが出力されていたが、どのような意味があるかは分からなかった。

「弘世菫は、団体戦で今年初めて公の場に現れた。だから、これまでの闘い方、シャープシューターのイメージが強いと思う。でも、去年までの個人戦対局データは、それとは違う彼女を示している」

「すまんのう、わしゃ、そういうの詳しくなくて」

「今見せたのは、弘世菫が上がった場合の巡目数のグラフ。つまり、彼女の本来の打ち方は、超早上がり」

「なんじゃと」

「そのスピードは、姫松の末原恭子を上回る」

「なんで、それを隠すんじゃ?」

「隠していたわけではない、必要がなかったから、次鋒の彼女の前には、圧倒的得点差を作り出す宮永照がいる。そうなると、打ち方も決まってくる。細かく点数を積み上げるよりも、特定の相手を削る方が合理的」

「弘世菫はセオリーを重視する。それで、早上がりって、どうやって打つんじゃ……」

 智紀は、タブレットを操作しながら答えた。

「特徴がある。早上がりする時は、自分の牌しか見ない素人同然の打ち筋をする」

「そいじゃあ振り込んでしまうのぉ」

「そこが特徴。相手が聴牌していることを察知すると、定石打ちに変える。彼女は滅多に振り込まない」

「……聴牌察知能力?」

 智紀は頷いた。そして、初めてまこと目を合わせて言った。

「今回の面子には、あなたもいれば郝慧宇もいる。松実宥だけを狙い打ちするのは困難。だから、弘世菫は、早上がりで全体的に削って、阿知賀を追い詰めるはず」

 

 

 東一局 8巡目。染谷まこは、索子混一色を狙っていた。まだ一向聴だが、自模れば11700点であり、点差を縮める好機であった。

 まこは、弘世菫の捨て牌を確認した。昨日、沢村智紀が警告したように、手作り一辺倒の敦賀学園 妹尾佳織を思い起こさせるものであった。

(探りをいれるか、わしが、索子で染めているのは分かってるはずじゃからな)

 手牌の中の不要な索子【一索】を切った。

(どうじゃ、索子が余ったように見えるじゃろ)

 菫の自摸番、山から牌を引いて手牌の上に乗せ、まこを見て笑った。そして、【五索】の手出し。

(……ほんまもんか。そげな牌を切りおって)

 9巡目、菫が自摸和了。面前、断么九、平和の700,1300点であった。

 

 

 東二局、親は弘世菫、サイコロを回して、配牌を開始した。

(甘く見られたものだ。染谷、私の聴牌察知を欺くことはできない)

 配牌が完了した。菫の手牌は、バラバラでまとまりがなかったが、前回と同様に、積極的に手作りを進めようと考えていた。

(相手が聴牌していなければ、どんな牌も危険牌ではない。私はそれを正確に察知できる)

 同僚の宮永照や大星淡のような突出した存在でも、菫の聴牌察知を逃れられなかった。なぜなら、菫はその判定基準に、人間が無意識に行っている生理現象を利用していたからだ。

 ――それは呼吸であった。

(人間は、食事をしたら、食べ物に感謝する。ぐっすり眠れたら、睡眠に感謝する。だが、呼吸に感謝する者は、私以外にはいない。だれもが無意識に行っている行為、それが呼吸だ。それは、私に様々なことを教えてくれる。だから、それに感謝するのだ)

 7巡目に染谷まこが、再び牽制を入れてきた。

(無駄だよ。まだお前は聴牌していない)

 8巡目、菫は、まこを無視して、手を進め、聴牌した。そして、その巡目の郝慧宇の呼吸が乱れた。

(張ったか……相変わらずリーチしないんだな)

 彼女の捨て牌から、待ちは索子であろうと判断した。菫は、無理をするつもりはなかった。手牌は平和ドラ1で、自模れば1300オールだった。それに対し、郝は点差を考慮して、高めの手を作っているはずであった。わざわざそれに張合う必要はない。

 ――その慎重さが功を奏したのか、次巡、菫は和了した。2連続であった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『白糸台高校 弘世選手、2連続和了だー。逃げ切り態勢に入ったかー』

『弘世選手、本来の打ち方を出してきましたね』

『本来の? 彼女はシャープシューターじゃないのですか?』

『あれは、応用だと思います』

『応用ですか?』

『彼女の凄さは、対戦相手の聴牌の見切りにあります。その枠内での応用です』

『そういえば、今日の弘世選手は、ガンガン危ない牌を切ってきますよね?』

『私は、1年生の頃からの彼女を知っていますが、ずっと、こんな感じでしたね、むしろ、今年の打ち方に違和感を覚えました』

『なぜ、弘世選手は変貌を遂げたのでしょうか』

『簡単ですよ』

『はい』

『それが、白糸台高校次鋒の役割だからです』

 

 

「ワハハ、弘世菫は佳織とよく似た打ち方をするなー」

「私も彼女の個人戦の牌譜を見たことがあるが、凄いと思ったよ。天下の白糸台高校部長の肩書は伊達ではない」

 敦賀学園 蒲原智美の見当はずれの感想に、加治木ゆみは真面目に答えた。

「やっぱ、部長って凄いのかー?」

「……お前じゃないぞ、弘世菫だぞ」

「私は私で凄いと思うぞ」

「どこがっスか?」

 東横桃子が、若干怒り気味に質問した。

「……そうだなー。ナビなしで敦賀から東京まで車で来られただろー。これは凄いぞ」

「かおりん先輩……」

「私がずっと地図見ながらナビしてたよね」

 妹尾佳織も怒っていた。

「ワハハ、そうだったかなー」

 津山睦月は苦笑いするしかなかった。その睦月を見つけて、智美は言った。

「ムッキー。お前も、私みたいに凄い部長になれよー」

「はあ……」

 睦月だけではなく敦賀学園のメンバー全員が呆れていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 染谷まこは焦っていた。沢村智紀の警告が、現実のものになりつつあったからだ。このままでは、白糸台高校 弘世菫にじわじわと点数を削られてしまう。

(白糸台の部長さんへの突破口が見つけられん。点差が開くばかりじゃ)

 まこの武器である河の記憶、この場の類似パターンがなかった。合宿での妹尾佳織のパターンにも似ているが、それをそのまま当てはめることはできなかった。弘世菫は、途中で打ち筋を変更するからであった。

(これじゃあいかん、昨日の郝慧宇対策も、勝負の本筋ではない。対弘世菫の懸念事項を減らす為のものじゃ。まずい、なにもかも無駄な努力になってしまう)

「ポン」

 東二局一本場 3巡目、松実宥が捨てた自風牌【北】を副露した。相手が早上がりを目指すのなら、こちらも対抗するしかない。何しろ、弘世菫には、中盤までセオリー崩しが通じないのだから。まこには、それ以外に対策がなかった。

 6巡目、まこは聴牌していたが、極度の緊張により、それにしばらく気が付かなかった。

 

 

 弘世菫は、だれも聴牌していないと判断していた。だから、この自摸も手を進める為に使うことができるはずであった。有効牌を引いてきたので、手牌で余った【六索】を何気なく捨てた。

「ロ、ロン、北、ドラ1。2300」

「な……はい」

(聴牌していたのか。読めなかった。何故だ!)

 染谷まこへの振り込みに、菫は動揺していた。今年振り込んだのは2度目であった。前回は忘れもしない準決勝での松実宥への振り込み。そして今回。

 原因は読み間違いで、松実宥に関しては、真の原因もはっきりしていた。だが、今のは全く不明であった。

(少し、様子をみようか? いや、染谷は興奮状態にあったのだから、こういうこともありうる)

 東三局が始まっていた。菫は、まこの状態を注意深く観察していた。

(安定している。やはりさっきのはイレギュラーか)

 まこを分析しながら打っていたので、手作りが遅れていた。9巡目にようやく聴牌した。まだだれも張っておらず、今捨てようとしている【七萬】は安全牌のはずであった。

 しかし、その牌を狙っていたかのように、松実宥がロン和了した。

「ロン、断么九、平和、ドラ1。3900です」

 確かに松実宥には警戒すべき牌ではあったが、彼女に聴牌の気配は感じられなかった。

(松実宥……お前もか……)

 菫は、対局前に宮永照が言った言葉を思い出していた。

(「私達は思った以上に調べられている」)

 今までだれにも見破られなかった自分の能力。菫は、それに疑いを持ち始めていた。

(何者だ……阿知賀に潜む影)

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「弘世菫、自作自演デスカ?」

「あはは、取った分取り返されたから、結局、点数が元に戻っちゃった」

 メガン・ダヴァンとネリー・ヴィルサラーゼが、バラエティ番組を見るような口調で話した。

「監督、郝は3翻縛り?」

「満貫以上だ。ちまちま稼いでも意味がない。まあ、これからだ」

 雀明華の質問に、アレクサンドラ・ヴィントハイムが答えた。

「智葉!」

「はい」

「清澄と阿知賀は、なぜこんな点数で上がれる?」

 アレクサンドラは、辻垣内智葉を試すように問いかけた。

「清澄は何となく分かるような気がします」

「というと?」

「最後に控えている怪物に、絶対的な自信を持っているのではないでしょうか」

「妹か?」

「はい」

 アレクサンドラはネリーに向かって言った。

「ネリー、どう思う?」

「監督は宮永を甘く見すぎてるよ」

 通常なら許されないトップ批判だが、アレクサンドラはそれを許容する器量があった。智葉は、指導者の資質とはそういうものだろうなと思った。

「阿知賀は?」

「……阿知賀を動かしているのは赤土晴絵ではないような気がします」

「何故そう思う?」

「先鋒戦の松実玄の使い方……普通はあんなことできません」

「そうか……」

「えっ?」

 急に下を向いて考え込んだアレクサンドラに、智葉は戸惑った。

「そうか」

 再びアレクサンドラが言った。そして、彼女は顔を上げて智葉を見た。その表情は苦渋に満ちていた。

「多分、お前と同じ結論に至ったと思う」

「……」

「小鍛冶……健夜か?」

「ええ……」

 これからの闘いを考えると、智葉にもその名は脅威であった。

「ドラの支配者、小鍛冶健夜……彼女が阿知賀のバックにいます」

 

 

 決勝戦 対局室

 

 松実宥は、赤土晴絵から各校次鋒の特徴を叩きこまれていた。その中でも、弘世菫に対するものは、実に念入りに行われた。

 晴絵は、彼女の怖さは聴牌察知能力にあると言っていた。だから、夜通しで実施した、松実玄のドラ復活の儀式中、宥には違うテーマが与えられていた。それは、一局を通して、リズムを崩さないで打ち切ること。弘世菫対策であった。目や手の動きなどの動作面、思考時間や間などの心理面、呼吸や発汗などの生理面を乱さないで打つ。並大抵のことではなかったが、疲労のピークに達した頃、それができるようになった。そして、今、彼女を欺くことができた。

 しかし、宥は慢心しなかった。自分の役割を確実に認識していた。

(私は、この場で勝つ必要はない、点数を5万点前後に維持すること、それが私の役目)

 宥は、妹の玄を誇りに思っていた。前代未聞の怪物、宮永照と真っ向勝負をし、一時的にそれを退けた。辻垣内智葉や片岡優希、各校が自信をもって送り込んだ先鋒にも、遅れを取らなかった。そんな妹が守った点数を1点でも失いたくなかった。

(玄ちゃん、見ていて、お姉ちゃん頑張るよ)

 東四局、宥の親番であった。おそらく弘世菫は高めを狙ってくるであろう。他の2校にしても、白糸台との点差を埋める為に、たとえ、宥からでも上がってくるだろう。宥は、自分の手牌を見て、気を引き締めた。そこには【中】が3枚と、多数の萬子が集まっていた。

 



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9.約束

 阿知賀女子学院 控室

 

「ただいまー」 

 控室の扉を開けて、高鴨穏乃と新子憧が帰ってきた。睡眠不足で倒れそうだった松実玄を、仮眠室に連れていっていた。

「お疲れ様。どうだった?」

「宥姉を応援するってぐずりましたけど、布団に横になったらあっという間でした」

 穏乃は、やや疲れた表情で赤土晴絵に言った。

「そう。起こすのは大将戦ぐらいかな」

「晴絵は? 晴絵は眠くないの?」

「私と宥は交代で少しうとうとしたからね。でも玄は休みなしだったから」

 憧の質問に、晴絵は笑顔で答えた。

「次鋒戦が終わったら夕食タイムがある。そこで休息したら?」

「灼、休息ってのは闘った者がとるんだよ。私は闘っているわけじゃないからね」

「晴絵は、いつもそういう屁理屈でごまかすんだから……」

 鷺森灼は嫌そうな顔をした。

「心配してくれて有難う。でも、今はもっとやるべきことがあるだろう?」

 晴絵はモニターを見つめて言った。そこでは、チームメイトの松実宥が混一色を聴牌していた。

「自模じゃなきゃ上がれないよ。宥姉の特徴が現れすぎてるから」

「でも上がれば12000。立直で裏が乗ればそれ以上」

「立直はかけない。また弘世菫が振り込んでくれる可能性があるからね」

 晴絵の言葉に憧は嚙みついた。

「弘世菫は、もう振り込まないよ。だったら、立直して高めを狙うほうがいいんじゃない?」

「100点の答えだね。だけど、麻雀は100点が正しいとは限らない」

「正しい?」

「うん、麻雀は不確定要素が多すぎる。常に満点の答えを積み上げても、結果が伴うとは限らない。麻雀は結果がすべてだからね」

 憧は釈然としない顔で聞いていた。

「弘世菫が……振り込んだ」

 灼が画面を見てつぶやいた。そこでは、弘世菫が染谷まこの自風牌ドラ1に振り込んだ姿が映し出されていた。

「宥の手を考えると、清澄に2600点渡したほうがいいと判断したか……」

「あくまでも、うちを飛ばすことしか考えてないんですか?」

 穏乃は、白糸台の執念に恐れを抱き、晴絵に質問した。

「シズ、安心して。怖がっているのは向こうが上だよ」

 晴絵は立ち上がって背伸びをした。どこかの骨がいい音で鳴った。

「宮永照は、怖くて怖くてしょうがないんだよ……自分の妹が」

「……宮永咲」

 穏乃の頭の中に、再び現れたものがあった。それは、顔合わせで見た宮永咲の目であった。穏乃は、その恐怖に思わず瞼を閉じて、頭を振ってしまった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(なんちゅう奴じゃ。うちとの点差よりも阿知賀に得点させないことを選んだんか)

 染谷まこは、弘世菫の徹底した姿勢に感服させられていた。

(先鋒戦のアドバンテージが有るとはいえ揺るぎないのお。わしとは覚悟が違う)

 それは、弘世菫だけでは無かった。阿知賀の松実宥も、妹の残した点数を守りきろうとしている。臨海の郝慧宇にしても、高めの上りにこだわり続け、虎視眈々とその機会を伺っていた。

 まこは、郝に顔を向けた。

(今も、聴牌しとったんか、やばいのう、ここで、郝に全開になられたら、手に負えん)

 中国麻雀の恐ろしさと、その応用力の高さを、昨夜の実践対局で知らされた。対抗策はまだ準備できていなかった。それは、一夜漬けでどうにかなるものでは到底なかった。

 

 

 昨日 清澄高校 宿泊ホテル

 

 中国麻雀の実践対局が始まっていた。面子は、龍門渕高校から井上純、風越女子の吉留未春、そして染谷まこであった。最初の一荘(中国麻雀は半荘制が無い)は、講師の孫プロから、基本的なルールを教わりながらの対局となった。その違いの多さに、まこは対応しかねていた。まずは牌の数。パズルゲームでよく見かける花牌が加わり、144牌もあった。役も2倍以上の81種類で、それは複雑に複合していた。その他にも、立直やドラが無かったり、フリテンや食い下がりもなかった。また、点数計算も競技麻雀とは全然違うシステムを使用していた。もはや全く別の競技と言っても良かった。

(何よりもこの河の状態じゃ。これじゃあだれが捨てたもんか分からん)

 まこを混乱させていたのは、捨て牌の姿であった。河をきちんと作るのではなく、中央にごちゃ混ぜで捨てられていた。河の形を記憶するまこにとって、それは悪夢としかいいようがなかった。

 

 2回目の一荘が開始された。井上純は沢村智紀と交代していた。

 講師の中国麻雀プロ孫文永は、眼鏡をかけた初老の小柄な男であった。その彼が、疑問があったらいつでも聞けと言い、対局を始めた。

 12巡目

「そこの眼鏡さん」

 孫が目を合わせずに言った。まこ達は顔を見合わせた。

「あのー、みんな眼鏡なんじゃが? 名前で呼んでもらえると助かるのう」

「わたしは、名前を覚えるのが苦手でして……」

 孫は、手を止め、腕組みをして考え始めた。

「こうしましょう。あなたは大、あなたは中、そしてあなたは小と呼びましょう」

 それぞれの胸を指差しながら、沢村智紀、染谷まこ、吉留未春の順番であだ名をつけた。

「ひどい……」

 未春が涙目になっていた。

「オレは?」

 井上純が、未春にお構いなく興味本位で聞いた。

「あなた……女だったのですか」

「失礼な! オレは女だよ」

 孫は、まじまじと純を見つめていた。

「女性ならオレなんて言っちゃだめです。せっかく綺麗なお顔をしているのですから。――そこで、この年寄りからお願いがあります。聞いてくれますか?」

「な、なんですか?」

 純は、恐る恐る訊ねた。

「女性らしいあなたを見てみたい。「私は女です」と言ってくれませんか?」

 深々と頭を下げて懇願し、純を見た。面子の3人も同じく純を見ていた。

「……」

 もう一度、孫が頭を下げた。純は仕方がないという顔で口ごもりながら言った。

「わ、私は……」

 大きな音を立てて智紀が雀卓に前のめりに倒れ込み、雀牌があたりに飛び散った。そして、智紀は凄まじい引き笑いを始めた。

「トモキー!」

「沢村さん」

 純とまこは、智紀を起こした。

「井上さん。こ、これはなんじゃ?」

「トモキーの笑いのツボに入った。10分ぐらいは収まらない」

 純は顔を赤くして言った。智紀の笑いはまだまだ続いていた。孫文永は、それを指差し、涙を流しながら豪快に笑っていた。

 

 

 沢村智紀の状態が元に戻り、4人は席に座り直した。吉留未春は、孫文永をムッとした顔で睨んでいた。

「ハギヨシさーん」

「いかがなされましたか」

 龍門渕高校執事 ハギヨシが、忍者のごとく現れた。

「このエロじじいがセクハラするんです」

「それはいけませんね。セクハラは〈絶対ダメ〉ですからね」

 ハギヨシは、優しい笑顔で未春に応対した。

「恐れながら吉留様。エロじじいという言葉も言われたほうはショックかと存じます」

「むー」

 ハギヨシの進言に未春は頬を膨らませた。

「私から提案がございます」

 大きな文字で名前が書かれた名札を、ハギヨシは4人に渡した。

「この名札を、胸ではなく肩のあたりに付けてください。孫先生、彼女たちを名前で呼んで頂ければと」

 4人は、渡された名札を肩の目立つ部分に取り付けて、孫を睨んだ。

「おおー、いいねえ。でも、場が変わる毎に席替えするので、その都度付け直してもらいますよ」

 先程までとは違い、好々爺然とした笑顔であった。

「あんたあ……名前、覚える気が無いんか」

 まこは、心の底から呆れかえっていた。

 

 

「和(フー)」

 孫文永が自摸上がりをした。中国麻雀の自摸はロン上がりに比べて大きく点数を稼げる為、孫はそれを多用していた。

 どうにもならない。それがまこの感想であった。まだ一度も上がることができなかった。このプロの打ち筋は、まさに変幻自在であり、三色、一色系の競技麻雀にはない役を主体に強引に手を作り上げてくる。その対応策が見つけられなかった。そんなまこの苦悩を見越してか、孫文永は温和に助言をした。

「上がれるなんて思わないほうがいいですよ。流れを見ることですね。郝慧宇は間違いなく、わたしのように中国麻雀の役で手を作っていく。それを競技麻雀の役に化けさせるのです」

「先生と郝慧宇さんはどっちが強いんですか」

 吉留未春が聞いた。先程までのエロじじいを見る目とは違っていた。

「あの子は妖術師ですよ」

「妖術ですか?」

「そうです。人の心を読む妖術師です」

「どういうこっちゃ」

 孫は、まこを見て笑った。

「染谷さんは明日、郝慧宇と打つのでしたね」

「そうじゃが」

「見せてあげましょうか? あの子の本当の打ち方を。――郝慧宇の恐ろしさは単釣将(単騎待ち)にあります」

「……中国麻雀は早上がりが圧倒的有利に思えるけど」

 沢村智紀であった。それには答えずに、孫は智紀の捨て牌をポンした。

(単騎待ち……まさか)

 まこの予想は的中した。孫は続けて3副露して裸単騎待ちになった。

「全求人(チュェンチューレン)か」

「ほう。知っていましたか」

 孫が嫌な笑顔で言った。

「染谷さん、私が上がれない牌を切ってください」

「……」

 馬鹿げた話であった。普通に考えれば、適当に切っても上がられる可能性は低い。しかし、この初老の男は、それを防いでみろと言っていた。

「競技麻雀ルールでええか……?」

「いいでしょう、その代わりに現物以外の牌にしてください。あなたは、わたしの捨てた牌を覚えているはずですからね」

 まこは河を眺めた。自分の手牌で最も切りやすい牌は、河に2枚ある【二索】と【六萬】、それと刻子でもっている【七索】だ。そのほかの牌はどれも危なく感じていた。

(現物以外にしろと注文を付けてきた。つまりは、わしの持っている牌はかなり読まれてるっちゅうことか)

 悪待ちを得意とする竹井久と毎日打っていたまこは、こういった心理戦には慣れていた。

(部長と打つ時と同じじゃ考えたら深みにはまる)

 まこは、そう考えて、牌をランダムに選び、【六萬】を切った。

「……無意識に牌を切るなんてできませんよ。その打牌には、あなたの意思を感じます」

 歯茎まで見える笑顔で、孫は1枚だけの手牌を倒した。それは、まこが切った牌と同じ【六萬】であった。

 

 

 今、まこの目の前で起きている情景は、まるで昨日のリプレイであった。郝慧宇は裸単騎待ちに構えた。晒された牌は刻子が4つで、それには【白】とドラが3枚含まれており、跳満が確定していた。

(妖術師か……あの孫先生も恐れる郝慧宇の単騎待ち、ターゲットは――)

 まこは、弘世菫に目を向けた。表情や動作は、これまでと全く変化がないように見えた。

(動じないか、大したもんじゃ。さっき、チーしていたから、手牌も少なくなってる。残り8巡、降りきるつもりか……)

 ならば、自分のやるべきことは分かっている。弘世菫への嫌がらせ。それは、竹井久の指示でもあった。

 

 

(狙いは私だろうな)

 弘世菫は、郝慧宇のこの打ち方を知っていた。彼女が銀メダルを獲得したアジア大会でも何度か見せていたからだ。

(心を読むと言われているが……。まあ、うちにも似たようなものがいるからね)

 似たようなものとは宮永照であった。彼女も鋭い狙い撃ちを仕かけてくることがあり、菫はその対応策を習得していた。しかし、それは郝には通用しないだろうとも思っていた。

(照は、狙っている牌を切らせるほうに仕向けてくる。だが、こいつは単騎待ちで、心理的な圧力をかけてくる)

 菫は、過去の経験から、ある結論を導き出していた。

(照や淡と同じだ。最初は翻弄されてしまうだろう。しかし、それを学べば後半戦に繋げられる)

 菫は、郝の現物である【一索】を切った。

「ポン」

 染谷まこがそれを鳴いた。すかさず菫の自摸番が回ってきた。

(私の安牌を減らす作戦か……いいぞ、それでなくては染谷らしくない)

 菫は、再び郝の現物を捨てた。

 15巡目、郝は自模って来た牌を、一瞬だけ菫の死角に隠してから切った。【四索】であった。

(……今、待ちを変えたのか?)

 現物を切り尽くした菫は、郝の妖術にかけられていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「【四索】で待っていたように見えますよね?」

「そうだね、あれが郝の怖さだよ。今でも見分けがつかないもの」

 ネリー・ヴィルサラーゼは、雀明華の質問に困り顔で答えた。実際のところ、ネリーは郝の単騎待ちが大の苦手であった。1巡や2巡ならば何とか外すこともできる。だが、それ以上となると非常に苦しくなるのだ。今のような牌のすり替えトリックを使われると、完全に逃げ場がなくなってしまう。

(多分、弘世菫は、私と同じロジックで同じ間違いを犯すだろうな……)

「考えに考えて自摸切りに逃げる。郝の噂を知っているのならなおさらだよ」

 辻垣内智葉の言葉にネリーは顔を引き締めた。そして、その言葉通りに菫は郝に振り込んだ。それは、なんの変哲もない牌【八筒】であった。

「4連続振り込みデスネ……」

 信じられないものを見る顔つきでメガン・ダヴァンが言った。

「この、強靭な精神力はなんだ? 普通なら戦意喪失じゃないか?」

「彼女は、次のタクティクスを考えてマスネ」

「ありえないやつだな……」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムとメガンの会話は、ネリーの痛い所を突いていた。運の波を読むネリーにとって、この状況は、まさに戦意喪失する事態であったからだ。ところが、このモニターに映っている白糸台の次鋒は、そんなことを微塵も感じさせていない。

(弘世菫……化け物か)

 

 

 決勝戦 対局室

 

 手牌が郝慧宇に読まれているならば、それ以外の牌を切ればいい。そう考えて弘世菫は、自摸牌の【八筒】を切った。だが、あり得ないことに、郝はそれを待っていた。

(偶然か? あるいは私が自模る牌が分かっていたのか? ――どっちにしろ、このオプションは使えない)

 非科学的な2択ではあったが、菫にとっては、僅かでも可能性が有ればそれは現実であり、そして、危険性が高ければ回避するのが正解であった。チームメイトの宮永照や姫松高校の末原恭子のように、検証を繰り返すことは無意味であると思っていた。

「チー」

 南二局8巡目、菫は、染谷まこの捨てた萬子を鳴いた。これで一向聴。

(先ずは、郝より先に聴牌することだ)

 同巡、郝の自摸、彼女はすばやく牌を取り、その牌は手牌に入った。そして、トリッキーな動きで萬子を捨てた。

(まだだ、まだ郝は聴牌していない)

 9巡目、まこが捨てた【八索】を郝がポンした。菫の自摸番が飛ばされた。

 11巡目、菫は、三色同順を聴牌。その捨て牌の【一索】を、すかさず郝が副露した。

「チー」

 郝の呼吸が乱れた。ついに追いつかれてしまった。

(【八萬】【八筒】が見えていないし三色同刻か? あるいは染め手。まずいな……ドラも1枚あるし、最低でも7700か)

 菫の決断はすばやかった。今度は普通に降り切ればいい。そう考え、そう行動していた。

 そして17巡目、安牌は残り1枚、郝が序盤に捨てた【三萬】だけであった。とはいえ、その牌は切れない。相変わらず気配は読めないが、松実宥が待っている牌に思えたからだ。

(考えろ! 考えて使えるオプションを切り分けろ!)

 菫は、郝の待ち方を3種類に分けて考えていた。

 一つ目は地獄待ち、あえて確率の低い待ちでそれを誘導する。

 二つ目は、その逆。残りの牌を考慮して、まだ見えていない牌や確率の高い牌で待つ。

 そして三つ目は、それ以外のすべて、当然ながら最も選択の幅が広い。

(郝は、私が三つ目を選ぶと思っているだろう? そうだよ、そのとおりだ)

 現状は悲観的ではなかった。三つ目の選択肢の牌は、菫が降りた後に自模ってきた牌で、郝は正確に把握できていないだろう。ならば主導権はこちら側にあるはずだ。

 結果、菫が選んだ牌は、場に1枚出ている【二筒】であった。

「ロン、三色同刻、ドラ1 7700です」

 郝は当然のようにそれで和了した。

「はい」

 菫は思った。

(選択肢が間違っていたとは思わない。牌を選ぶ基準が間違っていたんだ。急がなくては……この妖術師を欺かなければならない)

 菫の表情は全く変化しなかった。しかし、彼女の掌は汗にまみれていた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室 

 

 モニターの中では、松実宥が南三局を闘っていた。映し出された彼女の手牌は既に一向聴だが、役はなかった。

「これが今の郝慧宇の弱点だよ、面前自摸役無、彼女は読み切れない。まあ、いずれは克服されるだろうけどね」

「じゃあこれもリーチ無し?」

「そう指示してあるよ」

「自摸でしか上がれないならリーチしたほうが有利だよ」

 新子憧は焦れていた。赤土晴絵は、白糸台高校に大きく離されているにもかかわらず攻めようとしない。その戦術に不満を持っていた。

「憧、今朝のミーティングで私は言ったはずだよ、玄と宥は防御にしか使わないって」

「でも、こんな好機を逃すなんて……」

 晴絵は、自己主張を強める憧に10年前の自分を重ね合わせていた。

(この子に私と同じ間違いをさせてはいけない)

 そう考え、あえて厳しい口調で憧に言った。

「何もかも想定済みだよ、弘世菫が早上がりを仕かけてくるのも、郝慧宇が単騎待ちでそれを阻止してくるのも」

「……」

「だから私は宥に、郝が調子づいてきたら弱点を攻めろと命じてある」

「なんの為?」

「決まっているさ、三すくみに持ち込む為さ」

 南三局が終了した。晴絵の目論み通り流局した。聴牌は宥と清澄高校の染谷まこであった。

「麻雀は4人でやるものだよ、三すくみになっても清澄高校がいる」

 憧の思考力の高さに晴絵は微笑んだ。

「そうだね、彼女はワイルドカードだよ」

「ワイルドカード? ジョーカーのこと?」

「そうさ、いいカードだよ、なにせ染谷まこは決して弘世菫にはつかないからね」

 晴絵のその言葉に憧は笑った。彼女から尖った部分が消えていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 次鋒前半戦はオーラスを迎えていた。染谷まこは、なにもできなかった自分の不甲斐なさに腹を立てていた。得点数でいえば、プラス3800点で、郝慧宇の次に良かったが、その内容を考えると、忸怩たる思いであった。

(甘えとった……何もかも部長任せで、自分自身で考えとらんかった)

 まこの頭にある言葉が思い浮かんだ。

(「来年は頼むわよ」)

 長野県大会の初日、自宅への帰りの夜道で、竹井久はまこにそう言った。

(そうじゃの、わしがしっかりせにゃあな)

 今日の結果はどうであれ、来年はそれ以上のものが求められる。宮永咲、原村和、片岡優希、他校が羨むほどの戦力を率いて闘うのだからそれは当然だ。校名も全国に知れ渡り、部員も大きく増加するだろう。とんでもない重責であった。それを久から引き継げと言われていたのだ。そんなことにも気がつかず、呑気にこの場に来ていた自分が嫌になっていた。

(強くならにゃあ……すべてにおいて)

 まこは、そう考えて、唇を噛んだ。

「自摸、三色同順、断公九、ドラ1、1000,2000」

 弘世菫が、1副露で上がった。

(おおう、なんという強メンタルじゃ、一番凹んでいるのにものともしない)

 まこは、菫のその姿に憧れを感じていた。

 

 前半戦終了のブザーが鳴った。

 

 まこは天を仰いだ。照明が眩しかったので目をつむり、そのうえに手をかぶせた。そのまま、しばらくじっとして心をクールダウンした。そして、目を開けた。

 ――郝慧宇は席を離れていて、いなかったが、弘世菫と松実宥は席に座ったままであった。

 

 

「あのう、ご迷惑でなければお話してもいいですか?」

 宥が菫に対して言った。

「いいですよ」

「弘世さんは、とても頑丈なんですね」

「頑丈……ですか?」

「ええ、心がとても」

 菫は、何故か顔を赤くしていた。

「松実さんこそ……心が強い」

 そんな顔で言われた宥も顔が赤くなった。そして、そのまま見つめ合いながら沈黙してしまった。

 まこは、耐え切れなくなり、口を挟んだ。

「なんか、うちの咲と和をみているようじゃのう」

「咲ちゃん?」

「和ちゃん?」

 菫と宥が同時に言った。2人は、また、見つめ合ってもじもじしていた。

 まこは、それを見てポリポリと頭をかいた。

「なんじゃ、弘世さんは咲のことを知っとるんか?」

「直接は知らないが、照から宮永咲がなんであるかは聞いているよ」

「なんか、わしの時は松実さんと話し方が違うのう」

 菫は、冷たい表情になり、まこと向き合った。

「染谷、お前には失望したよ」

「え……」

「あの打ち方はなんだ? お前の持ち味が出せていないではないか」

「うう」

 きつい言葉であった。しかし、それによってまこの憧れは更に強くなった。

「……弘世さん」

「なんだ」

「弘世さんは、大学でも麻雀はやるんかいの?」

「そのつもりだが」

 まこは最高の笑顔になり、菫を睨みつけた。

「追いかけてええか? 今日は勝てんかもしれん、じゃけど、次は必ず勝つ」

「守れるのか? その約束を」

 菫は、真剣な表情で問いかけた。

「はい、必ず」

 その答えに菫は頷いた。

「ま、松実さんは原村和を知っているのですか?」

 菫が宥に質問した。その変貌ぶりに、まこは開いた口が塞がらなかった。

「和ちゃんは、中等部でしたけど、阿知賀に1年間いたんですよ」

「へえ、それじゃあよく知っているのですね」

「いえ、私はあんまり。だけど妹の玄がよく遊んでいました」

 菫は、宥に笑顔で語りかけた。

「麻雀をやる女子というのは特殊なのですね。原村君の件にしても、うちの照と咲ちゃんにしても、偶然とは思えないシンクロが起きてしまう。広い日本ですが、そういったフィルターをかけると狭いのですね」

「なにか、素敵な言い方ですね」

「そんな……」

 菫は下を向いて赤面していた。宥も同じであった。――まこは、もう我慢できなかった。

「あのなあ、あんたら……」

「染谷!」

「はい?」

「上級生には敬語を使え」

 まこは、どこかで聞いた科白だなと思ったが、マナーとしては正しいのでそれに従った。

「はい、すみませんでした」

 ふと横を見ると、郝慧宇が休憩から戻っていた。

「席替え……」

 郝は、牌をめくった。【東】であった。

「楽しそうだった。なに話してたの?」

「ああ、弘世さんの心臓には毛が生えているって話じゃ」

 まこの軽い反撃に、菫は眉をひそめる。

「私もそう思う……」

 顎に指をあて、少し考えてから、郝はその発言をしてしまった。

「キンタマ」

 場が凍り付いた。3人とも、文字通り動けなくなっていた。

「弘世は、キンタマが大きい」

 10秒後ほどであろうか、真っ先に解凍したのは、やはり菫であった。

「あの……それをいうのなら、肝っ玉では?」

「そう! それ! 私、何て言った?」

「……」

(も、もうだめだ……こらえきれんわ)

 まこは、雀卓を叩いて大声で笑い出した。

 

 

 清澄高校 控室

 

「染谷先輩、なんだか楽しそうですね」

 画面に映し出されている光景を見て、原村和が言った。

「ええ……ほんとに」

 答えた竹井久の顔はにこやかであった。それを見て、不思議そうに片岡優希が質問した。

「本当に行かなくてよかったのか? 先輩、苦戦してるじょ」

「いいわ、もう大丈夫よ」

 そう言ってから、久は、1年生の4人を、まじまじと見つめ、ニッと笑った。4人の頭のうえには、疑問符が浮かんでいた。

(まこ、大丈夫よ、あなたは来年もここに来られる。今日の失敗は、必ず来年返して。1万や2万、削られたって平気よ、私が何とかする。だから、次の半荘は、これからの踏み台として使って)

「部長……ニヤニヤしてるよな?」

 須賀京太郎は、久の笑いが理解できなかったので、他の3人に確認してみた。

「なにか可愛いものでも見つけたのでしょうか」

「可愛いもの?」

 宮永咲が和に聞いた。

「ほら、テレビなんかで、可愛い犬とか見ると顔がニヤけませんか?」

「あー、分かる」

「私は猫のほうが好きだじょ」

「あのなあ……染谷先輩は犬猫の類かよ」

 京太郎は、女子の感覚にはついていけないと考え、脱力していた。

 ――後半戦は既に開始されていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 次鋒後半戦の席順および持点数は以下のとおりである。

 

 後半戦 東一局

  東家 郝慧宇

  南家 弘世菫

  西家 松実宥

  北家 染谷まこ

 

 後半戦 東一局開始時の各校の点数

  白糸台高校   171600点

  臨海女子高校  105100点

  清澄高校     64600点

  阿知賀女子学院  58700点

 

 白糸台高校は2万点弱のマイナスであったが、阿知賀の得点をほぼ防ぎ切り、最低限のミッションはクリアしていた。

 その阿知賀女子学院も得点は微増だが、松実宥に与えられた仕事は現状維持なので、これも予定に沿っていた。

 約1万5千点増加した臨海女子高校ではあるが、それは満足できる数字ではなかった。 

 そして、清澄高校。点数はともかくとして、他校に自由に打たせているという点で、作戦は失敗していた。

 それらの結果によって、各校の戦術は修正され、後半戦に突入した。

 

 それは、まれに見る神経戦であった。前半戦後半からの三すくみの構図は継続されており、自分の役割を把握した染谷まこが、それに加担し、約半分が流局となった。結果、後半戦は以下の流れで進んだ。

 

 東一局      流局     聴牌 弘世菫

 東二局      流局     聴牌 弘世菫、郝慧宇

 東二局(一本場) 松実宥    5500点(1400,2700)

 東三局      染谷まこ   3900点(郝慧宇)

 東四局      流局     聴牌 弘世菫、郝慧宇、松実宥

 南一局      郝慧宇    12000点(染谷まこ)

 南二局      郝慧宇    8000(2000,4000)  

 南三局      流局     聴牌 弘世菫、松実宥

 南三局(一本場) 弘世菫    4300点(1100,2100)

 南四局      流局     聴牌 郝慧宇、松実宥

 

 後半戦 終了時の各校の点数

  白糸台高校   174700点

  臨海女子高校  120200点

  阿知賀女子学院  61600点

  清澄高校     43500点

 

 次鋒戦の終わりを告げるブザーが、大きな音で鳴った。

 

「有難うございました」

 染谷まこは、深々と弘世菫に礼をした。

 完敗であった。最下位にも転落した。しかし、今、菫から貰った言葉が、染谷まこを悲観的にさせていなかった。

(「私は約束を守らない人間は嫌いだ。だから必ず守れ。2年後を楽しみにしている」)

 まこが一方的にした約束への回答であった。自分に対しては最後まで笑顔を見せなかったが、その言葉には優しさが感じられた。まこは、目標となる人物を見つけることができたのだ。

(じゃが……)

 階段を松実宥と仲良く並んで降りていく菫を見て、まこはげんなりしていた。

 

 

 決勝戦 テレビ中継 実況席

 

 試合は休憩時間となったが、中継はまだ続いていた。小鍛冶健夜と福与恒子は次鋒戦のまとめを行っていた。

「次鋒戦が終わりましたが、何とも疲れる試合でしたね」

「はい、点数では計れない様々な要素の闘いがありました」

「それは、どういったものでしょうか?」

 健夜はその質問に、すぐには答えなかった。僅かに考えて話を変えた。

「団体戦で最も重要なポジションはどこだと思いますか?」

「やっぱり大将でしょう」

「そうですね、大将は大事です。先鋒もそうでしょう。でも、最も大事なのは次鋒だと、私は考えています」

「なぜですか?」

「試合の大勢はだいたい次鋒戦で決します。リードしていればそれを盤石にする。劣勢ならば中堅以降の足場を作る。それが次鋒の役割です。できなければ混沌とした状態や、諦めムードが漂う展開になってしまいます」

「この決勝戦はどうでしたか?」

「白糸台高校の弘世菫選手は、点数を大きく失いましたが、簡単にはいかないという意思を他校に見せつけました」

「後半戦の流局の連続でも、常に聴牌を維持していましたね」

 恒子の良い反応に健夜は笑顔で頷いた。

「臨海女子高校と阿知賀女子学院の2人は、それぞれの役割を果たしたと思います。それは、点差の縮小と点数の維持です」

「阿知賀は維持でいいのですか? まだ10万点以上差がありますが?」

「赤土監督は、それでよしと判断したのでしょう。松実宥選手からは、得点を稼ごうという意欲が見られませんでした」

「清澄の染谷選手はいかがですか? やはり大きく失点しました」

「ここが胸突き八丁です。中堅、竹井選手に期待しましょう」

「その中堅戦ですが、見どころを簡単にお願いします」

「怪物が1人います。その子には、4分の1の確率で私も勝てないかもしれません」

 健夜の表情に、恒子はただならぬものを感じていた。

「小鍛冶プロ、それはだれですか? 雀明華選手ですか?」

「いいえ、雀明華選手ではありません。その子は常識の範囲外にいます」

「……」

「分からない……全く分からない。白糸台高校 渋谷尭深という存在が……」

 それは、小鍛冶健夜が初めて見せる不安の表情であった。

 



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10.アイデンティティ

 競技麻雀は、一般的な麻雀に比べて時間がかかる。半荘が1時間を超えることも珍しくなく、正午より始まったこの決勝戦も、先鋒戦の宮永照の連荘や、次鋒戦の流局の多発によって、現在は5時を過ぎていた。インターハイ運営本部は、このペースで進行すると競技終了が深夜になることを懸念し、1時間の夕食休憩を40分への短縮を通達してきた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「菫が、流局ばっかするから、休憩時間が減らされた」

「私のせいか? よく考えてくれ、照の前半戦はやたらと長かっただろう?」

「あれはいいんだよ、だって、点数を増やす為だから」

「ああ、すみませんね、点数を減らしてしまって」

 大星淡の嫌味に、弘世菫は楽しそうに対応した。次鋒戦までの結果に、菫は、それなりの手応えを感じていたのだ。

(なにせ次は尭深だからな)

「このお弁当おいしい」

 渋谷尭深が運営本部から支給された弁当を食べながら言った。

「銀座の高級弁当だね、TVで見たことあるよ」

 亦野誠子が答えた。彼女もおいしそうに弁当を食べていた。

 確かに美味い弁当であった。おばんざいが12舛ほど並べられた京懐石弁当は、菫の口にも合っていた。

「去年は……酷かった。よく分からない仕出し弁当だった」

 宮永照が尭深に言った。普段は無表情に近い照ではあるが、好みのものを食べている時は表情が緩む。今がそうだ。

 菫は、尭深に目を向けた。この物静かな2年生は、驚異的な爆発力を秘めていた。第一捨て牌を最終局に引き戻すことができる力〈ハーベストタイム〉。あり得ない能力であった。まさに、小鍛冶健夜の言った「常識の範囲外」であった。しかし、菫はその現象を幾度となく目撃していた。

(究極の渋谷尭深……それが実現すれば)

 尭深が菫の視線に気がついた。

「サイコロ次第です。前半か後半、どちらかでラス親になれば……」

「終わるか?」

「良い収穫を得るのには良い肥料を与えなければいけません。だから、かなり点数を減らしますが……」

「14スロット揃ったらどうなるの?」

 淡であった。淡は、尭深がその力を隠していることを知っていた。練習中のラス親発生時は、意図的にスロットを増やさなかったり、上りを放棄していることがあったからだ。つまりは、ラス親連荘の可能性をメンバーにすら見せていなかったのだ。

「私が悪魔に見えると思うよ、淡ちゃん」

 尭深は、箸を休め、自前の急須から、茶碗にお茶を注ぎながら言った。

「ただ……今回はそうなる気がする」

 尭深の穏やかな表情の陰に、悪魔が見え隠れしていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 辻垣内智葉は、目の前の惨状に言葉を失っていた。高級京懐石弁当が、色鮮やかな調味料達で見るも無残にデコレートをされていた。

「監督……おいしいですか?」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムは、茄子の炊たんにケチャップを大量にかけて、美味そうに食べていた。

「うん、おいしいよ。私は京都料理が大好きだ」

 知っているのなら、普通に食べたらどうだと反論したくなった。

 だが、アレクサンドラは、まだまともなほうであった。

「メグ……」

「なんデスカ?」

「それなに?」

 メガン・ダヴァンは、おひたし系のおばんざいを、小皿に一つにまとめてグレービーソースで頬張っていた。

「おばんざいのメガン・スペシャルデス」

「あはは、メグは味覚センスがないからね」

 郝慧宇がメガンを見て笑っていた。しかし、彼女のテーブルの前にも、ラー油をはじめ、様々な調味、香味料が置かれていた。

「無礼者! イギリス人とは違いマス! おいしいものは分かりマス」

「ただ、まずいものが分からないんだよね。アメリカ人は」

「ネリー、そんなに褒められては照れまスネ」

 智葉は頭が痛くなっていた。――横を見ると、雀明華が静かに弁当を食べていた。もちろん、その弁当もフレンチスタイルに色付けされていた。

「口に合わない?」

「いえ、おいしいですよ。でも、タマゴが」

「卵? 入っているよ」

 智葉は、自分の弁当から、だし巻き卵を箸でつまみ、食べてみせた。

「いえ、その卵ではありません」

「ああ、魚卵だね」

 雀は、イクラなどの魚卵に目がなかった。和食の弁当なのにそれが入っていないと嘆いていたのだ。

「じゃあ、優勝した後の打ち上げで食べに行こうよ」

 智葉が笑顔で、雀に言った。

「はい」

 雀も笑顔で返事をした。その近くで、メガン達3人が、箸を止めて真剣な眼差しで智葉を見ていた。

「み、みんな一緒だよ」

 3人は安心した顔つきで食事に戻っていった。

「雀、中堅戦、取りにいけよ」

 少食のアレクサンドラが箸を置いて言った。弁当は半分ほど残っていた。

「もちろん。でも、その前に」

「清澄か?」

「借りは、きちんと返さないといけません」

 〈風神〉と呼ばれた雀明華。その恐ろしさを智葉はよく知っていた。だが、次の中堅戦には、その〈風神〉をも打ち倒すことができるモンスターがいると考えていた。

(確かにサイコロにもよるが……監督は甘く見すぎじゃないのか? あいつは……やばすぎる)

 智葉の言う「あいつ」とは、白糸台高校 渋谷尭深のことであった。

 

 

 清澄高校 控室

 

 各校の控室は、外部との通信は遮断されていたが、スマホやPCの持ち込みは許可されていた。原村和は、新子憧について聞いてきた宮永咲に、小学校時代の写真を見せていた。

「本当によく似てるね」

 いつもと同じ素振りで咲は話していた。〈オロチ〉状態を意識させまいという気遣いに、和は嬉しさを感じていた。だから、和も自然に振る舞っている。

「咲さん、こっちを見て下さい。目は穏乃にそっくりですよ」

「本当だ。前に言ってたのはそういうことだったんだ」

 それは、和の片岡優希に対する第一印象の話だった。「奈良の友達2人によく似ていて驚いた」和は咲にそう伝えていたのだ。

「じゃけど、小6の憧ちゃんと、今の優希がそっくりって……」

 染谷まこは、優希の全身を確認しながら言った。

「大丈夫、そういう趣味のやつもいるじぇ。な、京太郎」

「……」

 須賀京太郎は、なにを言ってもどツボにはまると考え、沈黙を選択した。

「変態……」

「咲! 姉妹で、俺を変態扱いしないでくれよ!」

 京太郎は、情けない顔で咲に懇願していた。

「姉妹で? 須賀君は宮永照に会ったの?」

 竹井久が、京太郎に質問した。

「こいつは、先鋒戦の休憩中に、変態行為をしている所を、照姉ちゃんに見られたんだじぇ」

「変態行為ってなんですか?」

 和は、京太郎をうろんな目つきで見た。

「事もあろうに、公衆の面前で、私を押し倒し――」

「誤解を招く発言はやめろー!」

 京太郎は、大声で優希の言葉を遮った。

「あははは」

 咲が笑い出した。本気で笑っているらしく、いつものはじけるような笑顔であった。

(……姉妹とは、そういうものなんですね。仲違いをしていても、心の奥底では、深く繋がっている。――早く仲直りができるといいですね。咲さん)

 和は、咲の笑顔を、飽きもせずに眺めていた。

 

 

 決勝戦 テレビ中継 実況席

 

 テレビ中継も、夕食タイムとなっていた。選手たちとは異なり、弁当はTV局から支給されたカレーライスであった。小鍛冶健夜と福与恒子は、それを文句も言わず食べていた。

「すこやん、今日、なんか変」

「変? どの辺が?」

 健夜は、カレーがかなり辛いらしく、側にある水に手を延ばした。

「話したくないことがあるみたい。宮永咲とか、阿知賀とか」

「そ、そんなことないよ……ただ、咲ちゃんを見るのが、楽しみなだけだよ」

「……まさか」

「……な、なに?」

「宮永姉妹をスカウトして、最強小鍛冶軍団を作るつもりでしょ?」

「……」

 健夜は、煩わしそうに目を背け、食事に戻っていた。

 

 

「ところで、中堅戦だけど、どこに注目すればいい?」

 いい加減に見える恒子ではあるが、こういった切り替えはすばやかった。

「うーん、憧ちゃんかな?」

「憧ちゃん? 阿知賀の新子憧?」

「うん、あの子は、前の試合でセーラちゃんと手が合いすぎたから」

「千里山の江口セーラね、対等に渡り合ってたよね」

 恒子は調子よく相槌をうった。

「手が合う相手っているよ。憧ちゃんにとって、直球勝負のセーラちゃんがそうだよ。だけど、今回の面子は変化球投手ばっかり。前回のイメージで戦うと、最悪の結果を招きかねない」

「それは、彼女が実力以上の背伸びをするってこと?」

「違うよ、憧ちゃんは窮地に立たされたら、かなり無理をすると思うんだよ」

「そりゃそうだよ、すこやん。阿知賀だって勝ちたいだろうから」

 健夜は真剣な表情で答えた。

「それを、手ぐすね引いて待っているモンスターがいるんだよ。中堅戦には」

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

 控室で食事をしていたのは、高鴨穏乃、新子憧、鷺森灼の、3人だけであった。次鋒戦を終えた松実宥も、妹の松実玄と同様に仮眠室で寝ていた。監督の赤土晴絵も、部屋の奥にあるソファーで横になっていた。

 

「灼はそれを信じてるの?」

 憧は、冷たく質問をした。

「可能性を否定しちゃだめだよ。〈過去に例がないから起こらない〉じゃなくて、〈過去に例がなくても起こりうる〉と考えなきゃ」

「そんなの原則論だよ、私達は試合しているんだよ、現実を見ようよ灼」

 憧と灼は、渋谷尭深のラス親連荘の可能性を話し合っていた。穏乃は、憧の意見に分があるように思えていた。最後に16000点を奪われる公算が大きいのなら、それ以上を稼いでおかなければならない。まだだれも見たことのない〈ハーベストタイム〉の連荘を恐れ、点数を大きく減らしては元も子もない。憧はそう言っていた。

(今回は相手が悪すぎるからね、世界ランカー雀明華、清澄高校部長の竹井久、憧は速攻で勝負するしかないよ)

「玄が宮永照から役満を上がったのは現実だよ! あれは、憧にとって、確率の高いことなの!」

 めったにない灼の大声であった。憧も穏乃も、その勢いにのまれていた。

「なかなかゆっくりできないね……」

 晴絵が起き上がり近づいてきた。

「晴絵、大声出してゴメン」

「いいよ」

 晴絵は右手で灼の頭を撫でた。そして、あくびが我慢できなくなり、口を手で隠し、ふうと、息を吐いた。

「憧……」

「……」

「実は私も信じてないんだ」

「は?」

 3人は、目が点になっていた。晴絵は、意に介さずに笑いながら言った。

「だって、ありえないよね。役満なら、それが延々と続くんだよ。『そんなオカルトあり得ません』だよね」

 憧と穏乃は吹き出してしまった。原村和とはあまり馴染みのなかった灼は、ぽかんとした表情で晴絵を見ていた。

「でもね……」

 笑顔ではあったが、晴絵の目は笑っていなかった。

「嫌な予感がするんだ……そのオカルトが実現する予感が」

 晴絵は、憧ではなく、穏乃を見ていた。

「穏乃……そうだろう」

「……」

 図星であった。宮永咲とは別の嫌な空気。穏乃は、それを感じていたのだ。

 

 

 清澄高校 控室

 

「渋谷さんは、荒ぶる神です」

「荒ぶる神?」

「はい、扱いを間違えると、取り返しのつかない災厄に見舞われます」

「咲、あなたは、渋谷尭深のラス親連荘があると思っているの?」

「あります。それが、発動すれば止められない。この試合は終わります」

「スロットを増やさなければ、穏やかな神様でいてくれるかしら?」

「ええ、部長や雀さんは、大丈夫だと思いますが、問題は新子さんです」

「阿知賀の?」

「荒神の要求する贄、それが彼女だからです」

 宮永咲は無表情で話していたが、その目は笑っていた。残酷な目であった。咲もまた大星淡という贄を欲していたのだ。竹井久は、その目に戦慄を覚えていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 前半戦は既に開始されていた。開始時の席順と持ち点は以下のとおりになる。

 

 東家 竹井久   43500点

 南家 雀明華  120200点

 西家 渋谷尭深 174700点

 北家 新子憧   61600点

 

 東一局と二局は、新子憧が副露を絡めて、3900点を2連続で上がった。彼女らしい、すばやい攻撃であった。このまま、早上がりで主導権を握るかに思われたが、インターハイ決勝の舞台は、それほど甘いものではなかった。

 東三局。清澄高校 竹井久が反撃を開始した。

 

「リーチ」

 11巡目、竹井久は、三色同巡、断公九、ドラ2で立直をかけた。上がれば12000点であった。【八筒】の単騎待ち。既に前巡で聴牌していたが、この【八筒】を自摸したことにより、久は立直に踏み切ったのだ。

(2副露の憧ちゃんは、ポンの直後に赤ドラを切っているし、多分、対々和狙い。でもまだ聴牌はしていない。この【八筒】は彼女が持っているように思える)

 久は咲から、憧を追い詰めるなと忠告されていた。そして、自分自身も阿知賀は保護しろと、メンバーに命じていた。しかし、現状を考えると今回は例外で、先ずは最下位からの脱出が最優先事項であった。このチャンスは逃したくなかった。それに前半戦は、渋谷尭深がラス親にならなかった。ならば、ここは自由にやらせてもらう。

(憧ちゃんは、和によく似た打ち筋だけど、まだまだ未完成。外部からの要因や、自分自身の欲求で、ぶれることが多い。この【八筒】、彼女が持っていたら、必ず振り込む)

 

 

 竹井久の立直を受けて、新子憧は、ついに来るものが来たと思っていた。

(清澄の部長さん、これ三色だよねー。しかもリーチでタンヤオだろうから、結構高いなあ、聴牌してないし、降りるしかないよね)

 とはいえ、相手は悪待ちの竹井久であり、危険牌が予想し辛かった。参考になるのは、試合前のミーティングで赤土晴絵から聞いていた、久の悪待ちの傾向であった。

(「悩ましいことに、リーチが必ず悪待ちとは限らない。だが、悪待ちの場合は、河に見えている牌を選ぶ傾向にある」)

 降りるにしても、両方の可能性を考慮しなければならなかった。憧は自分の手牌と河を見比べていた。

(対子が3っつ【二萬】【四萬】【八筒】と安牌の【七索】、今自模って来た【八萬】なんて、河に2枚出てるし、お得意の地獄単騎待ちだよね)

 憧は、とりあえず安牌の【七索】をすてて、様子を見ることにした。

 そして次巡――事態は好転しなかった。対子のどれかを切らなければならなかった。

(これが、この人の怖さなんだろうな。聴牌されると疑心暗鬼に襲われる)

 結局、憧が最後に頼ったものは消去法であった。相手が竹井久である以上、地獄待ちに該当する牌は真っ先に除外した。【二萬】【四萬】も三色同順に絡む牌と予測されたので外した。そうなると、残るのは【八筒】しかなかった。

(今出せる結論はこれしかない。――振り込んでも仕方がない。でも、次はもっと範囲を狭められる)

 憧は【八筒】を捨てた。

「ロン」

 竹井久が牌を倒した。まるで、自分が切るのが分かっていたような単騎待ちであった。憧は、その結果に顔をしかめたが、「はい」と返事をして、久に点棒を渡した。

(まあ、いいわ。次は私の親番だから、少し戻さなきゃ)

 しかし、それは果たされなかった。東四局は〈風神〉が降臨した。8巡目にして、混一色4面待ちで聴牌し、即立直をした。そして、11巡目に自摸和了。自風牌も加わり、跳満の12000点であった。憧は親かぶりで、更に6000点を失っていた。

 

 

(うわあ、怖い怖い。このスピードで跳満かあ、風牌が集まるってのは、チートすぎるわよね)

 竹井久は、雀明華を眺めて考えた。

(前回は、何度か出し抜くことができたけど、今回はどうかな、なんか本気っぽいし)

 久の耳に、なにかのリズムのような、規則正しい息遣いが聞こえてきた。それは、久の記憶にもある、雀の歌のリズムであった。

(この子……歌っている)

 雀は久の目線に気がつき、顔を向けて、ニッコリと笑った。

(やっば)

 久は、焦っていた。雀明華が歌うのは攻めに転じた時、だから、こちらもアクセルを踏まなければならない。

 南一局 9巡目 白、一盃口で立直、上がれば7700点であった。そして、12巡目、これまで、動きのなかった人物からの振り込みがあった。

「ロン」

「――はい」

 渋谷尭深が久に振り込んだ。それは、違和感の塊であった。これまで堅実な打ち筋を見せていた尭深が、あからさまに、危険牌を切ったからだ。

(この子……点数の低い私に連荘させて、ストックを増やしたいのね)

 7700点は、決して安手ではない。それを平然と捨ててくる尭深の狙いは、当然最終局にあった。

(最後の親は憧ちゃんだからね。首尾一貫しているわ、恐ろしいほどに……)

 久は、白糸台の執拗さに危惧の念を抱いていた。しかし、仮想敵の目的がはっきりしたからには、やるべきことは決まっていた。それは、得点を重ねることであった。

 

 

 清澄高校 控室

 

 南一局一本場も、竹井久が6300点で自摸上がりした。清澄高校麻雀部メンバーは、モニターに向かって歓声を上げた

「おし! 連荘じゃ」

「これで、優希のところまで点数を戻しましたね」

 染谷まこと原村和は嬉しそうだ。 

 久の活躍により、清澄高校は点数を63500点まで戻していた。それは先鋒戦終了時の点数と、ほぼ同じであった。

「このパターンは、今回で3回目だじぇ……」

「面目ないのう、わしのせいで点数を減らして」

 まこは、苦笑いしながら片岡優希に言った。

「でも、その時は必ず部長が挽回して勝ってるじぇ、ひょっとして、染谷先輩が凹むのは、うちの必勝パターンなのか?」

「……あんたの科白に、わしが凹むわ」

 まこは、優希に恨めしそうにつぶやいた。

「風神が……」

 宮永咲は画面に釘付けになっていた。南一局二本場は始まっており、配牌も終了していた。映し出されていた雀明華と竹井久の手牌は不自然すぎた。雀には【西】が3枚と【南】が2枚、久には【東】が3枚と【南】が1枚あり、2人共、既に一向聴であった。

 まこの顔色が変わり、咲へ振り返った。

「これは…風神の力か?」

「分かりません。でも、あの場には……今、風が吹いているはずです」

 

 

 決勝戦 対局室

 

(咲と優希が言っていたわね、確か、県個人戦の南浦さんだったかしら、雀卓で風を感じたって)

 竹井久もその感覚が理解できた。目前にいる風神から、その風が吹いていたのだ。

そして、この手牌。雀明華が要求しているものは決まりきっていた。準決勝で久が勝利した風牌争奪戦のリベンジ。風神の力と悪待ちとのパワーゲームの再戦であった。

(いいわよ……今回も私がもらうわ)

 麻雀は表情を露にしてはいけない競技である。だから、久もポーカーフェイスを貫いていた。しかし、心の炎は燃えたぎっており、打牌に思わず力が入ってしまった。

 雀は、良い音で捨てられた久の牌を見て、静かに笑っていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 ネリー・ヴィルサラーゼは、雀明華の悪い癖が始まったと考えていた。外観とは裏腹に、彼女は頑固で、自分の力へのこだわりが強かった。

(まったく、これじゃあメグのデュエルと同じだよ)

「ネリー、どうデスカ?」

 隣で、メガン・ダヴァンが聞いた。この展開が決闘であることを彼女も認識していた。そして、どちらに分があるかを、ネリーに確認してきたのだ。

「このまま進めば、雀が勝つよ」

「変化点があるとしたらなんだ?」

 追加の質問がアレクサンドラ・ヴィントハイムからされた。雀は跳満の一向聴なので、上がれば一気に白糸台との差を縮められる。それは、監督として望ましいことであった。

「清澄に連荘させたいやつがいるからね」

 ネリーの読んだ波は不安定であった。なぜなら、画面に映る場には、強力な磁場を発生する者がいたからだ。――その者、渋谷尭深は、今のところ、穏やかで動きがない、しかし、ネリーは彼女に、あの宮永咲と同類の恐ろしさ感じていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(【南】1枚……またこれで待てと? いいわ受けてあげる。だけど、すぐリーチするほど馬鹿じゃないわ)

 4巡目、竹井久は聴牌していたが立直をかけなかった。理由は簡単、それは自殺行為であったからだ。仕かけられた罠に飛び込むようなものであった。

(条件は2つ、雀が先にリーチをかけること。もう1つは、白糸台が動くこと)

「リーチ」

 そう考えた矢先、雀明華がリーチをかけた。

(まだよ、その誘いには乗らない)

 

 

 雀明華の手牌は、【西】の刻子【南】の対子、そして残りは索子で染められていた。待ちは、竹井久と奪い合う【南】であった。

 自分でも馬鹿馬鹿しいと思っていたが、準決勝でしてやられて、負けたままでいるのも癪に障った。だから今回リベンジを決意した。雀は、それが自分の欠点であることも、十二分に理解していた。

(どうですか? 逃げますか? それならそれで結構です。私は納得できます)

 自分にとっての脅威を見極めなければ気が済まなかった。それは、宮永照や末原恭子と同系の考え方であった。

「カン」

 竹井久が【東】を暗槓した。

(そうですか、イレギュラーを加えましたか……でも、リーチしない、慎重ですね)

「ポン」

 7巡目、新子憧の【四萬】を渋谷尭深がポンをした。

(……この子、私の支配をものともせずに自摸をずらしてきた。大したものですね、智葉が警戒するのもよく分かります)

「リーチ」

 久が尭深の鳴きにより、ここぞとばかりに立直した。雀は好敵手の出現に心が躍った。

(さすがです。ここまで耐えることができるのですから。しかし、迂闊すぎました。渋谷尭深の動きは予想できています)

 雀の自摸番、引いてきた牌は【南】ではなかった。その牌を河に捨てた。

(あなたは良い風が吹くのを待っている……)

 9巡目、久の自摸であった。彼女もここで【南】を引かなければ負けを確信しているのであろう、ゆっくりと手を伸ばす。指での盲牌で顔色が落胆の色に変わった。そして、自摸牌の【一筒】を捨てる。

(そうです……それはありえません。私がなんと呼ばれているか思い出してください)

 再び場に風が吹いていた。雀は、その風と共に【南】を引き当てた。

(〈風神〉雀明華。私はそう呼ばれています)

「自摸、立直、面前、W南、混一色 3200、6200です」

 雀明華は、準決勝の雪辱を果たした。

 

 

 新子憧は、自分にできることがなにか考えていた。点数も1万点以上減らし、最下位にもなっていた。ならばなにをすべきか、それを考え抜いていた。昨日、高鴨穏乃が自分に「憧は、憧の打ち方で勝負すればいい」と言った。それが問題であった。自分の打ち方とはなにか? 憧はその答えが分からなかった。

(私は、高火力な打ち合いはできない)

 準決勝で千里山女子高校の江口セーラが言っていた。

(「3900を3回上がるより、12000を1回上がるほうが好きだ」)

 4回に1回上がれば上出来の麻雀では、その言葉は真理と思えた。しかし、自分にはできない。

 原村和の打ち方は理想ではあるが、彼女のような過度なデジタル依存にはなれなかった。それによって全中制覇をした和とは違い、憧は結果が伴わなかったからだ。

 ――阿知賀のメンバーで自分自身を確立しているのは、準決勝で化けた高鴨穏乃だけ。そして、この決勝で死闘を繰り広げた松実玄や、辛い神経戦を戦い抜いた松実宥もそうなるだろう。だとすると、残るのは、部長の鷺森灼と自分だけ。

 憧は、答えを切望していた。自分自身とはなんなのか? 

(試すしかない! ここにいる猛者たちを相手に、自分の力がどこまで通用するか)

「ポン」

 憧は竹井久の捨てた【発】を副露した。

(鳴きは私の武器、だからそれを使う)

 確かに、それは憧の武器であった。むやみやたらではなく、ここぞという時に鳴いて、そのまま上がる。その確率が高かった。だから、対戦相手の記憶に残る。そして、それは警戒されるのだ。

(雀明華に連荘させない。私が速攻で終わらせる)

 ラス親の憧は、渋谷尭深の役満を恐れていた。16000点のマイナスは、なにがなんでも避けなければならない。

(10スロット以内に収めなきゃ)

 その思いが自摸牌に伝わった。

「ツモ、1000、2000」

 南二局は、憧の8巡目での速攻で終了した。僅かではあるが盛り返し、清澄高校との点差を5000点までに縮めた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「憧……」

 高鴨穏乃が、画面を見て心配そうにつぶやいた。本来は喜ぶべき状況だが、穏乃は新子憧の迷いを見抜いていた。

 赤土晴絵も心配であった。なにしろ、昨日の小鍛冶健夜との打ち合わせでも、この中堅戦は最大の懸念事項だったからだ。渋谷尭深の潜在的な能力は、健夜でも分からないと言っていた。そして新子憧の心理面だ。良くも悪くも反骨精神に溢れる憧は、渋谷尭深との相性が最悪であったのだ。

「シズ」

「はい」

「休憩中は憧に会いに行って」

「ええ、それで、助言は?」

「助言はシズに任せる」

 晴絵の顔は険しかった。鷺森灼はそんな晴絵に苦言を呈した。

「晴絵、それじゃあ負けちゃうよ……」

「かもしれない」

 晴絵は画面を見続けていた。そして、指導者らしく、毅然たる表情で言った。

「でも、私は憧を信じる。阿知賀の奇跡を信じる」

(――奇跡を信じるなんて私は指導者失格だ。でも、この子達を見ていたら、そんな奇跡も信じたくなるわよね)

 表情には出さないが、晴絵の心は、教え子達への感謝の気持ちでいっぱいであった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南三局、竹井久は、ふと寂しさが込み上げていた。

(もう南三局かあ、もうすぐ前半戦が終わるのね、そうしたら、残りは半荘一回だけ)

 麻雀を愛して止まない久ではあるが、そのキャリアは忍耐の一言で括られるものであった。家の事情で棄権したインターミドルから始まり、部員不足で悔し涙を流した高校の2年間。それらの思いがすべて凝縮されて今があった。だから、この試合が終わるのが寂しかったのだ。

 8巡目、久は断公九、一盃口で聴牌したが、リーチしなかった。待ち牌は【三筒】の嵌張待ちだった。

(私らしいわ、いい待ちができないわね)

「リーチ」

 雀明華は歌っていた。久にはそのリズムが聞こえていた。

(そう、まだ攻めるのね、それじゃあ私も……おもてなしをしなきゃね!)

 9巡目、久の自摸牌は【六筒】、持っていた【二筒】を曲げて捨てた。

「リーチ」

 待ち牌を【三筒】から【五筒】の嵌張待ちに変えた。ただし、【三筒】は河に1枚も見えていなかったが、【五筒】はもう2枚出ていた。残りの1枚は赤ドラのみ。

(またあなたと我慢比べね……私のほうが圧倒的不利だけど)

 竹井久は待つことに慣れていた。もちろん、自分で望んでいたわけではないが、これまでの人生は、常にそれが付きまとった。だから、自分の打ち筋にもそれが反映されている。久は、悪待ちをそのように定義していた。

(和が聞いたら激怒しそうだけど、この待ち方は私のアイデンティティみたいなもの。だから、この待ち方で勝利を掴む)

 10巡目、互いに上がれなかった。新子憧と渋谷尭深は完全に降りていたので、2人の一騎打ちになっていた。

 11巡目から16巡目まで、焦れるように自摸を重ねていた久と雀であるが、17巡目にその結末は訪れた。

 雀はその牌、赤ドラ【五筒】を自模り、動きが止まっていた。

(そうよ、まさかこんな牌で、それがあなたの感想でしょう? だけど、現実なのよ。――いえ、違うわ。……それは、私の悪待ちが見せる悪夢よ)

「ロン、立直、断公九、一盃口、ドラ1 8000」

 準決勝に続いての、世界ランカーへの直撃、久は、その感激に打ち震えていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

「キャプテン?」

 吉留未春は、主将の福路美穂子の様子がおかしいことに気がつき、声をかけた。池田華菜が間にいて、周囲も歓声に沸いていたので、美穂子には届かなかった。代わりに華菜が未春を見ていた。

「どしたの? みはるん」

 未春は美穂子を指差した。華菜は、その方向に頭を動かす。

「キャ、キャプテン! また泣いてるし!」

 美穂子は両目を開けて大型モニターを見ていた。その目は涙に濡れていた。

「ご、ごめんなさい……なんだか……感動しちゃって」

「キャプテン、とりあえず涙を拭きましょう」

 そう言って、華菜はハンカチを取り出し、美穂子に渡そうとしたが、逆の方向から、既にそれは差し出されていた。

「こんな待ち、久にしかできない……しかも、それで勝ってしまうのだからな……」

「ええ……」

 加治木ゆみの差し出したハンカチを美穂子は受け取った。しかし、涙は拭かなかった。2人で泣きながら画面を眺めていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 オーラスが開始された。親の新子憧は、これまでの渋谷尭深の第一捨て牌を思い出していた。【発】が3回、【中】【白】【六筒】が、それぞれ2回であった。

(数が少ない、狙うとすれば、大三元か小三元よね。だけどそれには時間がかかる、だから、私にもチャンスはある)

 とはいえ、憧の手牌には、【白】が1枚あった。切るのが難しい牌ではあったが、勝負するのなら、早い段階で切らなければならなかった。

 3巡目、平和の一向聴。憧は【白】を捨てることを考えたが、尭深の手が絞り切れなかったので、もう一巡だけ待とうと決めた。

 さっきまで、鍔迫り合いをしていた雀明華と竹井久は勝負を諦めていた。なんとかやり過ごそうという姿勢が見えていた。

 4巡目、良い自摸が続き、憧は聴牌していた。しかし、攻めきるのならば【白】を切る必要がある。

(大三元にしろ小三元にしろ、3巡では、よほどの運がなければ聴牌できない。ここは……)

 憧は【白】を河に出した。だれもが尭深に食われると思ったが、その牌はスルーされた。

(ポンしないの……?)

 そして、尭深の自摸、迷うことなく牌を曲げてきた。

「リーチ」

 横向きに置かれた牌は【発】であった。

(七対子……)

 それは確実であった。あの配牌から、【発】を切っての立直、しかもこのスピード、七対子以外に考えられなかった。ならば、勝負するしかない。こちらは、平和の両面待ち、尭深は単騎待ちなのだから。

「通らば、リーチ」

 憧は、勢いよく【八萬】を切った。――しかし。

「ロンです。立直、一発、七対子、ドラ2、12000です」

憧の顔面は蒼白となった。中堅前半戦は終わりを告げた。

  

 

 前半戦の経緯と得点は以下のようになった。

 

  東一局      新子憧    4000点(1000,2000)

  東二局      新子憧    4000点(1000,2000)

  東三局      竹井久    12000点(新子憧)

  東四局      雀明華    12000点(3000,6000)

  南一局      竹井久    7700点(渋谷尭深)

  南一局(一本場) 竹井久    6300点(2100オール)

  南一局(二本場) 雀明華    12600点(3200,6200)

  南二局      新子憧    4000点(1000,2000)

  南三局      竹井久    8000点(雀明華)

  南四局      渋谷尭深   12000点(新子憧)

 

 中堅前半戦終了時の各校の点数

  白糸台高校   168700点

  臨海女子高校  129700点

  清澄高校     64300点

  阿知賀女子学院  37300点

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 試合終了後、新子憧はすぐにここに来ていた。それは、落ち込む姿を人に見られたくなかったのと、一人になって、気持ちを整理する為であった。しかし、そこにはチームメイトの高鴨穏乃が待っていた。

「なにしに来たの?」

 不機嫌さを隠しもせずに、憧は言った。

「どうするの?」

「なにが?」

「何がって、後半戦だよ」

 穏乃も気を遣わずに言ってのけた。親友の憧にはそれが一番だと思っていたのだ。

「シズ……私は、和になれない……」

「……」

「でも、私は勝ちたい……だけど、どうすれば勝てるか、それが分からない」

 穏乃にもその答えは分からなかった。しかし、助言はできた。

「じゃあ探そうよ」

「え?」

「それを、後半戦で探すんだよ」

 憧の眉がつりあがる。

「そんなことしたら、負けちゃ――」

「負けない!」

 穏乃は憧の肩を掴んで、大きな声で言った。

「負けない! 絶対、憧は負けない!」

「……シズ」

「あ……ゴメン」

 そう言って、穏乃は肩の手を放した。

 憧は張詰めていた気が緩んでしまい、ソファーに腰をかけた。穏乃は、それを見て、隣に座る。

「さっきね、赤土さんが、変なことを言ってたんだよ」

「変なこと? なに?」

「阿知賀の奇跡を信じるだって」

「奇跡か……」

 憧は疲れた顔で答えたが、ずいぶんと穏やかな表情になっていた。

「私は、奇跡って言葉、好きだなー」

 穏乃は、無敵の笑顔で言った。

「シズ、奇跡じゃ勝負に勝てないよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「でも――」

「ばか」

 憧も笑顔を取り戻した。そして、立ち上がり、会場に戻ると告げた。

「探してみる……でもそれは、いい結果に結びつくとは限らないよ」

 そう言い残して、憧は立ち去った。穏乃は、それを見送っていたが、憧は振り返らなかった。やがて、彼女は角を曲がり、見えなくなってしまった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 竹井久は、いつものように、おでこに冷却シートを貼り付け、目を閉じていた。現状は、決して楽観できるものではなかったが、前半戦の結果には満足していた。しかし、好き放題やってしまったことによる良心の呵責はあった。

(優希とまこには悪いことしたな……あんなに制限をかけて。その私がこんなんじゃ……)

 ――不意に、この3年間の出来事が走馬灯のように頭をよぎった。麻雀部を立ち上げ、何もかもうまくいかずに落ち込んでいた時。まこの入部で希望が見えた時。そして、和や優希、咲が入部して夢が叶った時。それらのシーンが頭の中で回転していた。それは、辛くもあり、心地よくもあった。

 やがて、久は、目を開けて現実に戻っていた。

 目の端から、涙がこぼれていることに気がついた。久は、それをハンカチで拭いて、顔をぴしゃりと両手で叩いた。

(泣いている場合じゃない。闘いはこれからよ)

 

 

 既に全員集まっていた。席決めが始まり、仮東の新子憧がサイコロを振った。

 その結果は、悪魔が舞い降りることなった。

 

 東家 新子憧 

 南家 雀明華  

 西家 竹井久

 北家 渋谷尭深

 

 そう、白糸台高校 渋谷尭深のラス親が実現したのだ。

 尭深は、僅かに微笑んでいた。対戦相手の3人にとって、それは悪魔の微笑みに見えていた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「おい、やったぞ! 尭深がラス親だ!」

 弘世菫は、わざと大きな声で言ってメンバーの反応を確かめる。

(誠子は……笑っている。彼女らしいね。淡は複雑な表情か、やはり宮永咲と対戦したいのか? そして照は……相変わらずか)

 無表情の宮永照には、言葉で確認することにした。

「照、どう思う?」

「終わるよ……」

「そうか」

「今の尭深にはだれも勝てない。私でも、淡でも、そして……咲でも」

 菫は考えを改めた。照は無表情ではなかった。それは、淡のものよりも、もっと複雑な表情であった。

 



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11.悪魔の収穫

 決勝戦 対局室

 

(最悪……最悪だわ) 

 阿知賀女子学院 新子憧は、自分だけに聞こえる愚痴を繰り返していた。

 自分の転がしたサイコロによって、この場に怪物を誕生させたこと。今現在の阿知賀の点数。そして、自分自身の立ち位置。それらを総合して、憧は現状を最悪と言っていたのだ。

(渋谷尭深のラス親が連荘するとは限らない……でも……)

 憧自身、それは“オカルト”だと思っていたが、鷺森灼が主張したように可能性は捨てきれなかった。もし、それが発現したなら、阿知賀は飛ばされてしまう。そう考えると、選択肢は2つしかない。

 1つは、“〈ハーベストタイム〉を発動させないこと”。前半戦と同様に少ない局数で最終局を迎えれば、それは可能であった。しかし、渋谷尭深とて、この好機を逃す筈はなく、高得点の誘いを仕かけ、面子を惑わし、スロットを増やしてくるだろう。また、この選択肢では、劣勢の阿知賀を立て直すことができず、ジリ貧状態が継続してしまう。そして、憧にとって、何よりも我慢できなかったのは、高鴨穏乃との約束を果たせないことであった。

 よって、憧はこの選択をしなかった。選んだのは2つ目の“〈ハーベストタイム〉の連荘に耐えうるだけの点数を稼いでおくこと”であった。憧は、尭深の役満の連荘(それ自体がありえない話ではあるが)を2回程度と予測していた。だから、4万点ほど加点できれば、今よりはましなシチュエーションで灼に繋げられると推察した。それは、最悪の中の最善的な考え方であった。

 

 東一局 9巡目、新子憧は悪魔からの誘惑に抗いきれなかった。

「ロン、立直、断公九、平和、5800です」

「はい」

 憧に点棒を渡す渋谷尭深の口元には、笑みが浮かんでいるように思えた。

(……どこまでそれを続けられる? そんなに自信があるの?)

 白糸台高校は16万点以上持っており、5800点ぐらいでは、かすり傷程度なのはよく分かるが、14スロット揃えるには、7回の親の連荘が必要だった。残り6回、満貫以上を餌にするにしても、5,6万点の失点を強いられる。――目の前にいる渋谷尭深は、最終局にその失点以上の収穫を得られると確信していた。恐るべき自分の力への自信であり、それは、憧が求めて止まないものでもあった。

 

 東一局 一本場、憧の手牌には、有効牌が次々と集まってきた。7巡目にして、三色同順、ドラ1を聴牌していたが、【三萬】の辺張待ちの為、様子を伺っていた。そこに、いきなり渋谷尭深がその牌を切ってきた。

「ロ、ロン、8300……」

 咄嗟のことで、反射的に和了してしまった。冷静に考えるのなら、尭深は上家の位置にいるので、慌てる必要は全くなかった。

「はい」

 尭深の表情は、出来の良い家来に対する王のものであった。『いいぞ、その調子だ』そんな声が聞こえるようであった。

(悪魔め……)

 憧は、自分が作り出した悪魔に恐怖していた。

 

 

(まずいわね……憧ちゃんを止めなきゃ)

 新子憧とは違い、竹井久は、“〈ハーベストタイム〉を発動させないこと”を選択していた。『発動したら、試合は終わる』、久が全国制覇の野望を託した宮永咲はそう言った。

(なりふり構ってはいられないわ、親の連荘は、全部私が流すつもりでいかないと)

 とはいうものの、久の手は重かった。かろうじて【中】が対子であり、そこを起点に攻めるしかないと考えていた。対して、親の憧にはどんどん有効牌が集まっているように見えた。

(これも、渋谷尭深の能力なのかしら? ずいぶんと極端ね……)

 久は考察をしてみた。

 仮にそんな能力があったとしても、その実行には、大量の失点が伴うので、個人戦では使えない。唯一の使いどころは、団体戦で大量リードのある場合のみであった。

 ――久は、自分の血の気が引いてくのが分かった。

(……だれが考えたのかしら、このオーダー。怖いわね、白糸台高校……そして、この子も)

 決勝戦前の渋谷尭深への評価は、さほど高いものではなかった。最後に大きな手で上がることが多かったが、打ち筋自体は無難なものであった。久の予想では、点数の維持と、その特殊な打ち方による対戦相手の混乱を目的に、中堅に配置されていると判断していた。しかし、弘世菫は一枚上だった。完全なるクローザーをここに置いていたのだ。その為に、宮永照を先鋒にし、大量リードを作り出させていた。しかも、決勝までそれを温存させる用意周到さであった。

(でもそれは、机上の空論よ、私が阻止してみせる)

「ポン」

 久は、尭深の捨てた【中】を鳴いた。若干ではあるが、尭深の表情が曇った。

 そして、11巡目、久のブレイクは成功した。中、ドラ2の自摸上がり1200、2200であった。

 

 

 渋谷尭深に関しては、臨海女子の中でも意見が分かれていた。データ重視の監督アレクサンドラ・ヴィントハイムは、それほど脅威と思っておらず、せいぜい最後には気をつけろ的なアドバイスであった。

 それとは対照的に、辻垣内智葉とネリー・ヴィルサラーゼは、非常に危険な存在と考えていた。渋谷尭深がラス親になった場合は、決して親で連荘してはいけないし、させてもいけない。それは過剰なまでの危機意識であった。

 そして、雀明華の考え方はそのどちらでもなかった。あえていうのならば、その中間で、自分の親の連荘は一定数ありだが、他家のそれは邪魔をする。要は、渋谷尭深の最終局天和さえ抑止できれば良いと考えていた。第一捨て牌を積み重ね、役満手を作り上げるのは容易ではない、そう思うと、智葉達の行き過ぎた意見には同調できなかった。

 ――しかし、東二局、雀の手牌に発生した異常事態は、智葉達の意見を肯定していた。

(これは……私以外の力が働いている……)

 

 手牌には、【東】【西】が刻子であり、その他は索子で染められていた。しかも6巡目にして聴牌していた。風牌が集まるのはともかくとして、この手の進み方は尋常とは思えず、明らかに対面にいる悪魔の力が作用していると雀は訝しんだ。だが、立直で直撃すれば、臨海女子がトップに躍り出る。――雀はその誘惑に勝てなかった。

「リーチ」

 その直後、雀は後悔をした。目の前の渋谷尭深が笑っていたからだ。だとしたら、これから何が起きるか予想できた。自分が索子を集めているのは、だれが見ても分かる。しかし、尭深はそれを当たり前のように切ってくるだろう。目的は最終局のスロットを増やす為に。

 そして、その予想は“的中”した。

「ロン……立直、一発、W東、混一色、18000」

「はい」

 その点棒は、速やかに渋谷尭深から雀明華に渡された。それは、あらかじめ準備されていたかのようであった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『白糸台高校、首位陥落! トップは臨海女子高校だー!』

『……』

『小鍛冶プロ?』

『あ……すみません』

『白糸台高校 渋谷尭深選手の跳満振り込みで、トップが入れ替わりました』

『そうですね、これは危険ですよ』

『危険ですか?』

『普通、あり得ませんから、こんな振り込み』

『ええ、渋谷選手は、ここまでの四局中三局で振り込んでいます。しかも、すべて親にです』

『意図的でしょう』

『はい、今回、渋谷選手は親で最終局を迎えます。それが役満ならば48000点、そこまでなら失点しても良いという判断でしょうか?』

『48000点……それで、すむのなら……』

『小鍛冶プロ……』

『ごめんなさい、正直、圧倒されています』

『すこやん……』

『止めなければなりません。この渋谷選手を……』

 

 

「こんな人間がいたとはな……」

 そうつぶやいた天江衣の表情から、いつもの余裕が消えていた。

「衣はどう思いますの?」

「あり得るよ。そうでなければ、こんな真似はできない」

 龍門渕透華の質問に、衣は辛そうに答えた。

「透華、衣は、自分の能力を100%信じることはできない。そして、それが迷いとなり、隙ができる。咲との試合がそうだった。――だが、間違いだとは思わない。なぜなら、失敗の可能性を排除した闘いなど、人間には不可能だからだ」

「人間には?」

 衣は、モニターに映った渋谷尭深を見て、眉を寄せた。

「この白糸台中堅は、失敗するなど微塵も思っていない。自信を超えた自信だ。何万点失おうが、最後に取り返せると確信している。……本当に人間か?」

 衣に戸惑いの表情が浮かんでいた。

「衣……もう一人いますわよ」

 宮永咲のことを言っていた。顔合わせの時の威圧感を目の当たりにして、透華は、今の咲を人間とは思えなかった。

「……分かっている。しかし、その闘いを見たわけではない」

「そう? 意外ですわね。衣がそんな風に言うなんて」

「咲は……おそらく……」

 そこまで言って、衣は口を閉じてしまった。宮永咲の件は、今ここにある危機を脱出してからの話であった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(親跳に振り込んでまで? まずいわ……まずすぎる)

 竹井久の焦燥感はピークに達していた。渋谷尭深の最終局積込みは、既に10スロットに達しており、これ以上増やすわけにはいかなかった。

 東二局 一本場

「ポン」

 久は、渋谷尭深の第一捨て牌【白】を副露した。

(【白】か……大三元狙いよね)

 これまでの渋谷尭深の捨て牌は【発】【中】【発】【西】、そして、今回が【白】であった。順調に大三元の積込みが行われていた。前局【西】を切っているのは、〈風神〉雀明華が最終局は西家になるので、その対策に思われた。

(最終局では〈風神〉の力さえ無力化できるってこと? とんでもない怪物ね……)

 その雀は、前局と同様に手が伸びているのであろう。自摸牌がどんどん手牌に入っていっていた。首位となった臨海女子としては、それを確実なものにしたほうが良いと考えたのか、雀は連荘する気が満々であった。そして、10巡目に彼女が立直をかけた。

「リーチ」

 窮地に立たされていた。久も聴牌していたが、ここで上がれなければ、下家の渋谷尭深が、再び雀に振り込むだろう。だから、勝負はこの巡目だけであった。それは、長野個人戦での対宮永咲戦を思い起こさせた。

(あの時と同じ、咲の自摸番より前に和了しなければ、嶺上開花で負ける。そう予感し、そうなった。だけど、今回は絶対負けられない……)

 久は、祈る気持ちで牌を引いた。待ちは【七萬】【五萬】の両面待ち。

 ――指で牌を確かめた。感触は【七萬】であった。

(今回は……私の勝ちね……)

「自摸、白、南、ドラ1、1100,2100」

 久は、安堵の溜息を洩らしながら、点数を申告した。

(ま、まだ東三局なの……こんな疲れる麻雀は初めてだわ)

 東三局は、久の親番であった。良い自摸が続いて、満貫まで手が進み、尭深からのアプローチもあったが、久は上がりを拒絶していた。

 13巡目、雀が2700点で自摸してくれた。久は、渋谷尭深のリスクを増やすことなく、局を進めることに成功していた。

 

 

 新子憧は心の中で大きく揺れていた。

 清澄高校の竹井久は“〈ハーベストタイム〉を発動させないこと”を選択していた。憧が、今朝のミーティングで赤土晴絵と鷺森灼から受けた指示もそれであった。しかし、目まぐるしく変わる状況を考え、憧は別の選択肢を取っていた。そして、その正当性に疑問を持ち始めていたのだ。

(私が作り出した怪物……私が始めてしまった親の連荘……どうしてこんなことになったのかな?)

 負の連鎖的な考え方であったが、憧はそれに押し潰される弱者ではなかった。現状をリセットし、状態の再構築を考えていた。

(この渋谷尭深の親は連荘させてはだめ、私が即流す)

 東四局 5巡目、憧は平和の一向聴であった。得意の速攻の体勢に持ち込んだ。面子の竹井久も白をポンしており、渋谷尭深に先駆けるつもりであった。憧はそれにも柔軟に対応できていた。

(点数はもはや関係ない。私でも清澄の部長でもどっちでもいい。親の連荘さえさせなければ)

 だが、今の渋谷尭深は、そのような他家の試みを、発泡スチロールの壁程度の障害としか思っておらず、難無く蹴散らした。

「ツモ、発、500オール」

 これで、11スロット。続く一本場も、憧は鳴きで攪乱したが、僅か7巡目に尭深に断公九を和了された。

 そして、二本場も、憧は懸命に抵抗したが、8巡目に白で上がられた。

 憧だけではなかった。竹井久も雀明華も顔が青ざめていた。もはや13スロットで、あと1回で最終局天和の悪夢の可能性を作り出してしまう。

 東四局三本場、3人は、必死の形相で牌に向かっていた。その結果、8巡目に、竹井久が2900点で尭深に直撃し、親を流すことができた。かろうじて、首の皮一枚残ったのだ。

 ――そして、南一局 9巡目。新子憧は“残酷な選択”を渋谷尭深から迫られていた。

(こんな選択を私に……この人……本当に悪魔だわ……)

 憧の手牌には、索子が集まっており、既に聴牌していた。尭深は『これで上がれ』とばかりに【七索】を切ってきた。まさしくそれは当たり牌、清一色、平和、ドラ1の倍満、24000点であった。

(これで上がれば14スロット揃ってしまう。でも、渋谷尭深の配牌によっては天和を回避できるかもしれない……。何よりもこの24000点は阿知賀にとって必要な点数……でも、最終局に怪物が暴れたら……)

 憧は頭の中で、何度も何度も同じ問答を繰り返し、同じ間違いを重ねていた。それは、答えのない問題の回答を探すようなものであった。既に尭深が【七索】を切ってから30秒が過ぎ、40秒が過ぎていた。竹井久と雀明華が不安そうに憧を見ていた。

 ――憧は、震える手で、牌を倒した。

「……ロン」

(シズ、許して……私は……私は弱すぎる……)

 憧の目は、固く閉じられた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「シズ、私達は……奇跡を信じるしか手がなくなった……」

 赤土晴絵は、そう言った後に歯を食いしばった。部長の鷺森灼も無言で画面を見つめていた。

「そうですね……でも、奇跡は起こるものではありません」

「?」

 晴絵は怪訝そうに高鴨穏乃を見た。

「見てください、憧を。打ちのめされ、瀕死の状態かもしれませんが、目は死んでいません」

「うん」

 灼が答えた。穏乃は部長のその発言に嬉しくなったのか、笑顔になっていた。

「奇跡が起こるとすれば、それは憧が起こします」

 晴絵は、力なく肩を落とし、ペットボトルのお茶をコップに注いで、それを飲んだ。

「シズ、奇跡ってのはね、砂漠に落とした100円玉を探すようなものだよ。それが簡単に見つかると思っているの?」

「見つけられますよ……私達なら」

 晴絵は飲んでいたお茶を吹き出し、せき込んだ。

「晴絵! 大丈夫?」

 灼は晴絵の背中さすり、ハンカチを差し出した。

「赤土さん!」

 穏乃も晴絵に近づこうとしていたが、手でそれを制止した。

 晴絵は笑っていた。せきがひと段落すると、声に出して笑った。

「晴絵?」

 心配そうに灼が寄り添っていた。晴絵は、その灼の肩を借りて立ち上がった。

「忘れていたよ、私達は今までだって、奇跡の連続だった」

 晴絵は穏乃に向かい合う。

(この小さな体に秘められた闘志が、私達阿知賀の希望。だから……)

「信じるよ、憧も灼もシズも。私達は負けない。負けるわけがない」

 奇跡は起こるものではなく、起こすもの。それは、阿知賀女子学院の闘い方そのものであった。

 

 

 決勝戦 対局室

  

 南一局 一本場以降、新子憧、竹井久、雀明華の3名は、歯止めが利かなくなっていた。特に、南二局一本場で、渋谷尭深の大三元天和が確定してからは、これまで守りの立場であった竹井久も親萬を上がるなど、大量失点への備えに躍起になっていた。

 

 中堅後半戦の南三局一本場までの経緯は以下のとおりである。

 

 東一局      新子憧    5800点(渋谷尭深)

 東一局(一本場) 新子憧    8300点(渋谷尭深)

 東一局(二本場) 竹井久    4600点(1200,2200)

 東二局      雀明華   18000点(渋谷尭深)

 東二局(一本場) 竹井久    4300点(1100,2100)

 東三局      雀明華    2700点(700,1300)

 東四局      渋谷尭深   1500点(500オール)

 東四局(一本場) 渋谷尭深   1800点(600オール)

 東四局(二本場) 渋谷尭深   2100点(700オール)

 東四局(三本場) 竹井久    2900点(渋谷尭深)

 南一局      新子憧   24000点(渋谷尭深)

 南一局(一本場) 竹井久    8300点(2100,4100)

 南二局      雀明華    6000点(2000オール)

 南二局(一本場) 竹井久    4300(1100,2100)

 南三局      竹井久   12000点(4000オール)

 南三局(一本場) 新子憧    5500点(1400,2700)

 

 中堅後半戦 南三局(一本場)迄の各校の点数

 臨海女子高校  141700点

 白糸台高校   101500点

 清澄高校     92900点

 阿知賀女子学院  63900点

 

 渋谷尭深の第一捨て牌(南二局 一本場迄)

【発】【中】【発】【西】【白】【発】【二索】【中】【西】【白】【三索】【白】【中】【四索】

 

 

「ハーベストタイム」

 南四局開始直前、竹井久には、渋谷尭深がそうつぶやいたように聞こえた。同じタイミングで、新子憧と雀明華も尭深を見ていたので、間違いないだろう。

(後半戦だけで6万点以上減らしている。その回収をこれから始めるつもり?)

 それは異様な緊張感であった。久は渋谷尭深の行動すべてに神経を尖らせていた。サイコロを回す指、自模る動作、目の配り、すべて見逃すことはできなかった。今、自分たちは、彼女に刈り取られるの待っている身なのだ。少しでも延命を図るのならば、そうする以外なかった。尭深はドラ牌をめくり、理牌を始めた。久は息が詰まる思いであった。

 ――それは、ゆったりとした動作であった。理牌を終えた尭深は、正面を向いて牌を倒した。久には、倒れる牌がスローモーションのように見えていた。

「天和です。16000オール」

 予想していたとは言え、久は言葉がでなかった。天和、しかも大三元であった。

(怪物め……。でも、ここまでは計算済みよ。問題は次から……)

 点棒の処理が終わり、一本場が始まった。ここからは未知の領域、待っているのが地獄ではないことを願うばかりであった。

 尭深は先程と同じように配牌を終えた。そして、何事もなかったかのように【二萬】を切った。

(【二萬】! ど、どういうこと!)

 久は、尭深の意図が分からず混乱していた。だが、尭深の手牌が見えている者達には、それは、悪魔の所業としか思えなかった。

   

 

 清澄高校 控室

 

「咲……これは?」

 染谷まこが、現状について宮永咲に助言を求めた。画面の渋谷尭深の手牌は大三元聴牌で、さっきの天和時との違いは【四索】が【二萬】になっていたことであった。

「……これは、引き直しかも」

「引き直し?」

「分かりませんが……連荘するたびに一つずつ手が遅れるのかもしれません」

 まこは首を傾げた。

「そりゃあ、どう言うこっちゃ」

「次に渋谷さんが【四索】を引いてくるかどうか――」

「あ……」

 原村和が驚きの声を上げた。渋谷尭深は【四索】を引き直して、2回目の大三元を和了した。

「連続役満……。咲! 部長にできることはなんじゃ?」

「……一人では無理かもしれません」

「何じゃと」

「3人で協力しなければ……」

 咲の表情は変わっていなかった。だが、僅かではあるが声が震えていた。

「この怪物は止められない……」

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「私は……作戦をミスしたかもしれない」

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、懺悔をするように言った。

「大三元の連荘、あり得ない……。しかも、見ろ、この渋谷尭深の配牌を!」

 南四局 二本場、尭深は大三元の一向聴。先程のように尭深が牌を引き戻すのならば、他家が先行できるチャンスは、2巡だけであった。だが、画面から得られる情報では、それは不可能であった。

「ネリー!」

 アレクサンドラの悲痛な呼びかけに、ネリー・ヴィルサラーゼは、気の毒そうに首を横に振った。

「無理です……この局も渋谷が取ると思います」

「渋谷尭深……なんというやつだ。――負けるのか? 我々はこのまま負けるのか?」

 その質問は、ネリーに対するものではなかったが、答えは準備していた。

(でも、これが答えと呼べるかは分からないけど)

「まだです……まだ、終わりは見えていません」

 

 

 決勝戦 対局室

 

 新子憧は、恐怖で喉がカラカラになっていた。この局も役満で上がられると、阿知賀の残り点数は15600点になり、完全に王手をかけられてしまう。だから、ここで止めなければならない。どうやら、連荘することにより、渋谷尭深は手を後退させるようだった。ならば、引き戻しをさせなければ良い。憧はそう考えて副露の機会を待っていた。

 1巡目はそれができなかった。憧は自分が過呼吸になっているのが分かっていた。手も震え、頭痛もしていた。おそらく一時的な酸欠状態になっていると自己分析していた。だが、その薬は一つしかない。

(この怪物を止めること)

「ポン」

 2巡目に好機が訪れた。雀明華の捨てた【九筒】を鳴くことができた。これで、自摸を一つ進められる。

(私ができるのはここまで、これでだめなら……)

 憧が注目したのは、竹井久の自摸だった。渋谷尭深の大三元に関連する牌は、彼女が引くはずであった。

 しかし、久は、浮かぬ顔であった。憧をチラリと見て、【六萬】を自摸切りした。

(だめなの……? この手は通じないの?)

 憧の呼吸は、更に荒くなっていた。そして、目を見開き、尭深の自摸を見入った。

 ――渋谷尭深はたっぷりと時間をかけて自模り、その牌を手牌の13枚にくっつけた。そして、顔を上げ、憧を見ながら牌を倒した。

「自摸、大三元、16200オール」

「……神様」

 憧は、無意識に、その言葉を口にしてしまった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 観客席は大きくざわついていた。役満3連荘という人知を超えた展開に、どうすべきか分からなかったのだ。だから、皆待っていた。福与恒子と小鍛冶健夜の解説を。

 

『これは……なぶり殺しのようなものです』

『小鍛冶プロらしからぬ、ダーティな表現ですね』

『……』

『すみません……えー、それは、どういう意味ですか』

『渋谷選手ですが、一本場は大三元の聴牌状態から、二本場は一向聴から始まりました。だから、次は二向聴から始まると思うのです』

『そうですね、しかも失った牌は、自摸で確実に引き直しています。とすると、次は4巡目で和了することになりますね?』

『親の4巡、つまり、子は3巡以内で上がらなければなりません』

『次も渋谷選手が大三元なら、阿知賀女子学院の飛び終了になりますからね』

『だからです。3巡で上がるなんて、よほどの運か、あるいは……』

『あるいは、何ですか?』

『3人で協力するかです』

『それは、違反行為ではありませんか?』

『場の流れで、特定の人に牌を集中させたりはできます。それはルールの範囲内での戦術です』

『そこまでしなければ止められませんか? このモンスターは』

『モンスターですか……控え目な表現ですね』

『え?』

『3巡で上がらなければ、確実な死を与える者。それは死に神……』

 

 

 白糸台高校 控室

 

「照、これで、いいんだろう?」

 弘世菫が振り返って、宮永照に聞いた。阿知賀の飛ばし終了を提案してきたのは照なので、その最終確認であった。

「いいよ、これで終わるのなら、それに越したことはない」

 照はそう言ったが、冴えない顔つきであった。

「淡、どうだ?」

 大星淡は答えに困っていた。本音は嫌であったが、それを言ったところでどうにかなるものではなかった。だから、無難な返事をした。

「いい。白糸台の為だから」

 菫は、呆れた顔になり、半怒りで言った。

「……全く、お前らときたら。勝ちたいのか宮永咲と闘いたいのかどっちなんだ?」

 淡は助けを求めるように、照を見た。

 ――照も淡を見ていた。そして、『私が言うよ』と手で合図をして、菫に向かい合った。

「言ったはずだよ、私達の悲願は白糸台3連覇だって」

 その、ぶっきらぼうな言い方に、淡は目を伏せてしまった。

(だめだ、菫にこんな嘘は通じない。また怒られちゃう)

 意に反して、菫は笑った。しかも大声で。

「――2人共……嘘をつかなくてもいいよ、闘いたいなら、そう言えばいい」

 菫は、笑いを収めていた。

「でもね、もう尭深を止めることはできない。終わるよ、この試合は」

 淡もそう思った。試合前に渋谷尭深は言っていた。『対戦相手には自分が悪魔に見えると思う』と。それはそうだろう、なにしろ、モニター越しに見ている淡でさえ、そう見えるのだから。一方ではこうも思っていた。悪魔と対面している3人に頑張ってもらい、何とか尭深を倒してほしいと。それは、弘世菫に見抜かれた淡の嘘の内訳であった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(憧ちゃん、神に頼ってはだめよ。相手は人間よ、渋谷尭深がどんなに凶悪でも、所詮は人間。だから、倒すのも人間なのよ)

 勝っても負けても、竹井久にとってこれが最後の対局であった。それは、信じられないほどの条件戦で、3巡以内で上がらなければ、試合そのものが終わってしまう。その緊張に久の心臓は激しく鼓動していた。

 南四局 三本場、配牌が始まった。牌を引くたびに、久の顔は険しくなっていった。13個の牌はバラバラで、とても3巡で上がれる代物ではなかった。

(私らしいわね……でも、諦めるわけにはいかない)

 久はサポートできる相手を探した。〈風神〉雀明華は、自信を喪失しているらしく、眼球を目まぐるしく動かしていた。それは、意外であった。これまで圧倒的な力で攻め続けていた雀が、怯えるように防御態勢に入っていた。彼女は使えなかった。そうなると、新子憧しかいない。久は、祈りを込めて憧を見た。顔はチアノーゼを起こしているように白かったが、その目は、覇気を取り戻していた。

(強いわ、この子……いいわ、あなたにすべてを託す。だから諦めちゃだめよ)

 渋谷尭深の【七索】切りで始まった1巡目、南家の憧は、自摸牌を手牌に入れて【五筒】を捨てた。久の自摸番、引いてきた牌は【南】であった。憧が早上がりを考えているのなら、自風牌を待っている可能性は高い、そう考えて【南】を切った。

「ポン」

 小気味良く憧が牌を晒した。捨て牌は【三筒】。

(【五筒】【三筒】か……だとすると【一筒】【四筒】の待ちがあるのかしら?)

 久はその【四筒】を持っていたが、今は切ることができなかった。再度、久の自摸番、憧がどんな手を作っているか確認する必要があった。見えている【南】と、【二筒】【三筒】を持っているかもしれないことは分かった。残り8牌の見当を早急に付けなければならない。久の額からは、汗が滲んでいた。考えた末に、久はど真ん中の【五萬】を切った。憧は確認して、直ぐに手牌に目を戻した。

(そう、萬子は集めてないのね)

 二巡目、憧は、尭深の捨てた【八索】を鳴いた。

「チー」

 これで、2副露、憧は持っていた“安牌”を捨てた。それは【白】であった。

(その牌を残して【五筒】【三筒】を切った? これはメッセージなの?)

 久は、隣の〈風神〉の河を確認した。【西】が2枚並んでいた。尭深に2枚押さえられている為、不要と判断して捨てたのだろう。だが、それからは、何の情報も得られなかった。雀は持っている風牌を切りきるつもりなのか、自摸番の捨て牌は【北】を手出しした。

 久の山に延ばす手は小刻みに震えていた。この捨て牌で判明しなければ、あと1巡しかない。そう考えると、何もかも投げ出したくなっていた。

(憧ちゃん、あなた聴牌しているの……?)

 そこが判明しなければ、今は手が打てなかった。そこで、久は次巡にすべてをかけることにした。

 捨て牌は【六筒】、仮に最初の2牌がメッセージではなかったとしても、筒子の待ちはこれで絞り込めると考えた。その牌は、憧にスルーされた。

(答えを有難う……、でも、あなたの持っている残り牌、それは何なの?)

 遂に3巡目に到達した。気のせいか、渋谷尭深の顔つきが変わったように思えた。これまでの余裕が見られなかった。

(やはり彼女も人間……倒せるわ)

 憧の自摸番、ここで上がってくれるのがベストであったが、そうはならなかった。憧は、先程久が捨てた牌と同じ【六筒】を自摸切りした。

(自摸切り? そう、あなた聴牌しているのね! これで、私が【四筒】を切れば止められる)

 久に希望が見えていた。しかし、次の雀の捨て牌で、その驚くべきことは起こった。

「ポン」

 憧は、雀の切った【東】をポンした。久はそれを見て感動していた。

(なんて子なの……このギリギリの状態で〈風神〉の風牌切りを待つことができるなんて)

 おそらく憧は、対子を二つ持っており、どちらかをポンできなければ聴牌できなかった。タイムリミットがあまりにも短い為、手を変えることはできず、だから雀の切る【東】を辛抱強く待っていたのだ。この、悪魔の支配の中で。

 そして憧が捨てた牌は、“安牌”の【中】であった。渋谷尭深の顔から、笑みが完全に消えていた。

(大明槓でもするつもり? それはできないでしょう? だって、あなたの自摸牌がズレてしまうから)

 久の震えは止まっていた。自摸牌を引いた。切るべき牌は決まっていたが、高校最後の対局の感慨に浸っていた。

(凄いわ……こんなことができるなんて……。グレートハンティング、憧ちゃん、あなたのおかげよ)

 久は静かに【四筒】を切った。

「ロン、W南、2900です」

「はい」

 

 試合終了のブザーが鳴った。波乱の中堅戦は終わりを告げたのだ。

 

 中堅後半戦終了時の各校の点数

  白糸台高校   246400点

  臨海女子高校   93400点

  清澄高校     41700点

  阿知賀女子学院  18500点



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12.告白

 決勝会場 観覧席

 

『と、止まりました』

『……』

『福与アナ?』

『……あ、少々、お待ちください』

 ゴキュ、ゴキュ。

『こーこちゃん、マイク!』

『プハー、中堅戦終了だー!』

『……』

『恐るべき、渋谷選手の役満連荘を止めたのは、阿知賀女子学院 新子憧だー!』

『清澄高校 竹井選手も絶妙のサポートでした』

『全く、とんでもない展開でしたね。私は渋谷選手に、先鋒戦で猛威を振るった宮永照選手と同等の恐ろしさを感じました』

『逃げ場がないという点では、宮永選手以上かもしれません。しかし……』

『はい』

『私達は、その恐怖を認識しました。今後は十分対応できます』

『渋谷選手に手を揃えさせなければいい?』

『そうです』

『その答えを得る為に、阿知賀女子は大きく失点し、瀬戸際に立たされました』

『大きな代償でした。でも、まだチャンスは有ります』

『……小鍛冶プロ、随分と判官びいきですね?』

『……そう、かもしれません』

『あ! ただ今、画面には、控室に戻る途中の渋谷選手が映し出されております』

『“渋谷ショック”とでも言いましょうか、各校に凄まじいインパクトを与えました』

『し、渋谷ショック……』

『な……なんでしょうか?』

『し、渋……クヒッ!』

 福与恒子が笑いのツボにはまってしまい、中継の音声がカットされた。放送事故同然の事態であった。画面には無音のまま、各校の中堅選手が控室に戻る様子が延々と流されていたが、そこには清澄高校 竹井久の姿はなかった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 竹井久は、まだ対局室に残っていた。休憩時間と同様に、椅子をリクライニングさせて座っていた。

(和が来るまで、もう少しここにいよう)

 初めてであり、最後でもあるインターハイが終わった。その結果には満足していなかったが、自分にできることはやり尽くしたと考えていた。だから後悔はなかった。

 久は、目を閉じた。脳裏に去来するものに変化があらわれた。

(不思議ね……嫌なことは思い出さなくなった……。見えるのは、仲間の顔、まこ、和、優希、咲……)

 そのまま浅い眠りに落ちた。副将戦が始まるまでの数分であったが、それは、これまでに久がしてきた、努力や忍耐、苦悩の対価として得た、安寧の時間であった。 

 

 

 白糸台高校 控室

 

「あと一歩のところで……」

 弘世菫は、悔しそうにテーブルを叩いた。

「残り18500点、誠子なら削り切れる」

 副将戦を控えた亦野誠子に、宮永照が簡潔なアドバイスをする。

「勝負は前半戦。阿知賀の点数回復を阻止しながら闘えば、他の2校はまともな勝負ができない。そうなると、誠子のスピードに勝てる者はいない」

 菫も同意見であった。亦野誠子の打ち筋は、3副露後に無駄自摸がなくなり、そのまま上がることが多い。だから、誠子が牌を晒すたびに、対戦相手は勝手にカウントダウンを初めて自滅してしまう。

(ただし、照が言ったとおりに、3人の足枷を外してはいけない。鷺森の危機状態を維持しつつ攻めきらなければ、準決勝の再現になるかもしれない)

 鳴きを多用する者は、手牌が読みやすい。準決勝ではその弱点を突かれ、大きく失点した。

(メガン・ダヴァン、原村和。2人共、誠子への直撃を狙ってくるだろう。そして、鷺森灼……スロースターターで、後半戦になるほど危険度が増す)

「前半戦の東場ですかね、全力で攻めます。だけど、力が及ばなかった場合は、原村に得点させないことを優先します。――対宮永咲の安全圏は15万点でしたよね?」

「そうだ。だけど、妥協はしないでくれ」

「承知しています。白糸台の最善は、私で終わらせることですから」

「誠子……」

 照が重々しい表情で呼びかけた。

「頼む……」

「はい」

 白糸台ナンバー5。誠子は、自分を評してそう言っていた。それは、いつメンバーから外されるか分からない不安を押し隠す為の、自虐的な言葉だと菫は思っていた。

(誠子、お前はチーム虎姫に絶対必要な存在だ。だから、ナンバー5などではない)

 走攻守が揃ってこそ、チームは最強になる。菫は、誠子に“走”の役割を期待していた。そして、今回はその狙いが嵌っていた。阿知賀の飛び終了がちらついている副将戦で、誠子のスピードは、圧倒的優位に立てる武器であった。

「行ってきます」

 誠子は、控室のドアを開けて、対局室に向かっていった。

(誠子……曲者揃いのこのチームをまとめることができたのは、お前のおかげだ)

 良く言えば個性的な、悪く言えば変人ばかりのチーム虎姫のなかで、いつも笑顔で、気さくに話しかけてくる亦野誠子は、余計な摩擦を減らす潤滑油的な存在だった。だから菫は、副将戦が誠子にとって良い結果になるように願った。それは、これまで彼女がしてくれたことへの感謝の気持を込めた願いであった。

 

 誠子が控室を出てから、1分ほど経った。菫は、ある確認をする為に、宮永照に質問をした。

「尭深で終わると思ったから、さっきは笑い飛ばしたが、状況が変わった。照、お前は中堅戦が終わった時、胸を撫で下ろしていた。それはなぜだ?」

「菫……」

 口を開いたのは、宮永照ではなく大星淡であった。

「私は照に聞いている! あとにしてくれ!」

「……はい」

 菫は部長であった。しかもただの部長ではない。絶対王者と超新星を束ねなければいけない部長なのだ。わがままは許さなかった。

「私は、このチームが好き……。だから、勝ちたいの。それは本当のことだよ」

「だから? だからだよ! 私達はその為に阿知賀を飛ばすことに全力を尽くしてきた。それが、なぜだ? なぜ尭深が止められてほっとできる? 照、お前の真意はどこにあるのだ?」

 照は、瞬きもせずに、菫を見ていた。しばらくの沈黙の後、照は、ぽつりぽつりと話し始めた。

「私は……3連覇をしたいのではない、このチームで……優勝がしたいんだよ。だけど、それに立ちはだかる者がいる。……それは〈オロチ〉と化した宮永咲……私の妹だよ」

 菫は困惑していた。照の表情は悲しみに満ちていたが、どこか嬉しそうでもあった。

(照……どんな心の葛藤があるんだ……それは、私にも話せないのか?)

「では、いいんだな? 宮永咲を決勝の舞台に上げなくてもいいんだな?」

 菫はわざと強い口調で言った。照はそれに頷いた。そして――

「もちろん、それがベストだよ。〈オロチ〉とは闘わないほうがいいに決まっている。……だけど、だけどね菫……」

「……」

「私は……宮永咲の……姉でもあるんだよ」

 同じであった。悲しみと喜びの同居した表情。菫の確認は終了した。宮永照の最大の弱点は、妹の存在そのものであったのだ。

「私達姉妹は……一生、分かり合えないかもしれない……だけど、私にとって、咲は……」

「――分かった。もういい……よく分かったよ、照」

「……ゴメン」

 照は涙を流していなかったが、きっと心の中では号泣しているのだろう、声が震えていた。そう思うと、菫も言葉が詰まってしまった。

「勝つよ……勝つしかないよね……照、淡」

 

 

 試合会場通路

 

「憧!」

 対局室までの通路で、鷺森灼は新子憧を見つけて、名前を呼んだ。思いの外、落ち込んではいないように見えた。

「灼……私が……間違ってた」

「何が?」

「渋谷尭深、とんでもない怪物だった。ごめんね……点数をこんなに減らして」

「いいよ」

 灼は立ち止り、笑顔で答えた。

「最終局、凄かった。あんなことは、憧にしかできない」

「そう……」

 唇をブルブルと震わせながら、憧は言った。

「灼……ゴメン……もう行ってくれる?」

「分かった。行ってくる」

「……頑張って」

 灼は、憧とすれ違い、前へと進んだ。

 背後から、床に膝をつく音と、小さな嗚咽が聞こえていたが、灼は振り返らなかった。振り返っても、かける言葉がなかったからだ。灼にできることはただ一つ、それは憧への約束であった。

(必ず……必ず私が、来年もここに連れてくる!)

 灼の口は、真一文字に結ばれた。

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 メガン・ダヴァンは、雀明華と通路で出会わなかったので、少し遠回りになるが、ラウンジに来てみた。案の定、雀はソファーに座り、缶紅茶を飲んでいた。

「雀! こっぴどくやられマシタネ」

「メグ……」

 メガンはテーブルを挟んで、雀の前の椅子に座った。

 雀は、紅茶を一口飲んで、ため息交じりに言った。

「……日本のものは、大抵おいしいですが、この缶詰の紅茶は最悪ですね」

「ワタシはコーヒー派なので、よく分かりまセン」

「せっかくの香りが台無しです。缶のにおいしかしません」

 メガンは、優しく笑っていた。

「メグ……あなたの気持ちを理解しました」

「……」

「逃げる、怯える、恐れる。どれが正しい言葉か分かりませんが、私はあの怪物に対して、それを選んでしまった」

「シブヤですか?」

「そうです。世界ランカーと呼ばれて、いい気になっていた私に、渋谷は地獄を見せました」

「それは、良かった」

「良かった?」

 雀の顔が曇った。しかし、メガンは気にせずに、酷く嬉しそうに話した。

「これで、雀はまた強くなれマス」

「それはどういう意味?」

「いいデスカ、去年ワタシはリューモンブチに敗北しまシタ。でも、それは、ワタシのパワーになりまシタ」

 メガンの表情は、陽気なアメリカンの顔から、戦闘モードに突入した闘士の顔に切り替わっていた。

「見ていてクダサイ、敗北を知った者の強さを」

「分かった……頑張って」

 メガンは、立ち上がり、戦場に向かって歩いていった。

 

 

 清澄高校 控室

 

「和……きつい試合になるのう」

「いつもと同じです。私は、私の麻雀を打つだけです」

 そう言って、原村和はペンギンの縫いぐるみを持って立ち上がった。

「部長は寝ちゃっているみたいですし、そろそろ行きます」

「ああ、頼むで和」

「のどちゃん、頑張って」

 染谷まこと片岡優希の声援に、和は笑顔で頷いた。

「和ちゃん」

 宮永咲であった。咲は左手を延ばしていた。和はその手を握りたくなかった。震えているのがばれてしまうからだ。だが、和はあえて握った。そんなことは見透かされていると思っていた。自分の震えが、咲の手に伝わっていく。

 和と咲はそのまま見つめ合った。

「和ちゃん、対局室まで、一緒に行ってもいいかな?」

 和は、本音では拒否したかった。試合前のコンセントレーションは自分の大切なルーチンであった為だ。しかし、咲は、和に何かを伝えたがっていた。

「分かりました……」

 

 

 試合会場通路

 

「おかしいですよね、こんなに震えて」

「ううん、おかしくないよ。私なんかもっと酷いから」

 咲は、不器用に笑っていた。

和と咲はそのまま無言で、対局室の入り口近くまで歩いていった。

「和ちゃん……。こんな話は試合前に言うべきじゃないかもしれない。でも、私は……今、伝えておきたいの」

 突然、咲が立ち止り、悲しそうな目で和を見つめて言った。

「私はね……宮永照の影として、お母さんに育てられたの」

「影……ですか?」

 咲は下を向いて頷いた。

「お姉ちゃんを強くする為のユーティリティな対戦相手、それが私、それが私の存在価値」

「……」

「お母さんは、「照の為に強くなれ、決して負けるな」って言って、お姉ちゃん以上に私を鍛えたんだよ」

「負けてはいけないんですか?」

 束の間、咲は笑ったが、直ぐにまた、悲し気な表情に戻ってしまった。

「お母さんのいう負けは、勝負の負けじゃない。それは点数や順位が決めてくれて、だれが見ても分かる。でも、私が禁じられた負けは、見えないの……。決して勝てないという格付けを自分自身で決めてしまう真の敗北のこと」

 和は気がついていた。今目の前にいる咲は、〈オロチ〉の咲ではなく、普通の宮永咲であることを。

「でも、お姉ちゃんは天才だから……しばらくすると、全然勝てなくなった」

「……」

「それは、私の価値がなくなることを意味していた。……怖かった、どうしていいか分からなくなったの」

「咲さん……」

「だから、私は……決して負けない方法を思いついた」

(そんな……そんなことの為に……あの力が?)

「……プラマイ0ですか」

 咲は下を向いたままであった。その悲しみの表情はさらに深くなり、今にも泣き出しそうであった。

「うん……でも、それも長くは持たなかった。……だから、私は、幻影の力でお姉ちゃんに対抗したの」

「幻影……?」

「私は……本当は臆病で弱虫。だから、負けない為には、幻影の力で、それを隠さなければならなかった」

「そ、それが……」

 咲は、和と目を合わせた。咲の下瞼に溜まっていた涙がこらえ切れなくなり、頬を伝わり流れ落ちた。

「そう……それが〈オロチ〉」

 再び咲は下を向いた。僅かに間を置いて、小さな声で言った。

「そして……私は、その力で、大好きな……お姉ちゃんを……壊してしまったの」

 和は、泣いている咲を、黙ってみていられなかった。咲に近づき、手を握りしめた。

「その後、お母さんは、お姉ちゃんを連れて東京に引っ越していった。私と離す為に……」

 咲の手は冷たかった。それは、咲と初めて出会った、あの雨の日を思い出させた。

 ――あの時、咲は「麻雀が好きではない」と言った。今聞いた凄まじい過去からすると、それは当然だろう。だから、咲は今年まで麻雀を避けていたのだ。しかし、和はそれを再開させるきっかけを作っていた。

「ごめんなさい……私のせいですか?」

 咲は、うつむいたまま首を振った。

「……和ちゃん、昨日の衣ちゃんの話を覚えている? 負ける相手を探していたって」

「はい……理解できませんが」

「私にはよく分かるよ、私も見つけたから」

 そう言って、咲は和を見た。

「その人は、強く、曲がらず、決して諦めない。普通なら凌駕できるはずの私の力も、その人には通用しなくなってきている。――そして、いつの頃か、私は願うようになっていました」

 咲は目を閉じた。溜まっていた涙が次々とこぼれ落ちた。

「その人に、私を打ち負かしてほしい。私を……解放してほしいと」

 咲は目を開けて、和を見つめ、告白するように言った。

「その人の名前は……原村和といいます」

 和の目からも涙が溢れ出た。そして、和は心の中で誓っていた。宮永咲の悲痛な願いを叶えねばならないと。

 

 

 決勝戦 対局室

 

「……部長サン……」

 竹井久は、だれかの呼び声で、目を覚ました。現状把握に時間を要したが、ここは対局室、ならば、今自分を呼んだのは、原村和のはずであった。

「ゴメンね、和。少し寝ちゃったわ」

 久は椅子を起こして、背伸びをした。

「大変です。もう副将戦が始まりマスが、ハラムラがまだ来まセン」

 そう言ったのは、背の高い外国人であった。

(この人……確か、臨海の……)

 久は慌てて立ち上がった。もう亦野誠子も鷺森灼も席についており、和だけがいなかった。

「原村と宮永が話をしているのを見ました。急いでください。失格になりますよ」

 亦野誠子の情報に、久は「ありがとう」と答え、階段を急いで降りていった。

 

 

 試合会場通路

 

 和は、握っていた咲の右手を持ち上げ、2人の間に置いた。そして、涙声で言った。

「咲さん……これは、約束ではありません……誓いです」

 両手を添えて、咲の手を包み込んだ。

「誓います……あなたの願いは、私が……私が叶えます」

 咲は、泣きじゃくりながら頷いた。

「だから、咲さんも誓ってください……その時まで……決して負けないと」

「……うん」

 どちらともなく、2人は抱き合い、声を上げて泣いていた。

 

「和! 何やっているの! 急いで対局室に向かって!」

 部長の竹井久が遠くから叫んだ。和は咲からゆっくり離れ、涙を手で拭いた。

「咲さん……今日の原村和は怖いですよ……見ていてください」

 和の口元には笑みが浮かんでいた。咲も涙を拭きながら頷いた。

 久が合流した。よほど走ったのか息を切らしていた。

「和、急いで……」

「はい」

 和は顔を引き締めて歩き出した。その手には、いつものアイテムであるペンギンはなかった。

「和! エトペンは!」

「今日はいりません。お手数ですが持って帰ってください」

 ドアを開けて対局室に入った。照明が眩しく、和は目を閉じてしまった。そして、そのまま、新たな原村和が覚醒していた。

(エトペンは咲さんの幻影の力と同じもの、自分の弱さの象徴。だから、決別します。咲さんが負の力を武器にするのなら、私は正の力で立ち向かいます。――咲さん、あなたを倒すのは、私です)

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 原村和が画面に映し出されていた。彼女の人気は不動のようで、10分ほど遅刻したにもかかわらず、会場は大歓声に包まれていた。

 

『失格直前で原村選手が入場してきましたー!』

『……』

『おや、何だか泣いているみたいですね』

『……』

『小鍛冶プロ?』

『……』

『ま、また笑ってる! 今度は何?』

『化けましたね……』

『化けた?』

『原村選手です。これまでとは違う、進化した彼女が見られると思います』

『それがおかしいの? すこやん』

『楽しみが増えました。私にとっては喜ばしいことです』

 

 

「透華……ののかが」

「ええ、もう覚醒していますわ」

 龍門渕透華は嬉しそうに言った。

「しかし、これは……衣にはよく分からない」

「私には見えましてよ、氷の装束が」

「氷の装束?」

 天江衣が、不思議そうに訊ねた。

「そうですわ、この原村和は“のどっち”ではありません“氷の天使”です」

「それって、透華の覚醒中と似たようなもんなのか?」

「それは何ですの?」

 井上純の質問に、透華は質問で返した。国広一は純を肘で突いた。

「純君、透華は自覚していないんだよ」

「あ、そうだっけ?」

 2人ひそひそ話に、透華は爆発した。

「純! 一! 何をゴチャゴチャ言っていますの!」

 興奮すると、周りが見えなくなる透華は、立ち上がって怒鳴った。それは周囲の注目を集め、新たなひそひそ話を大量生産していた。

(あれってだれだっけ? どっかでみたよね……)

(ほら、長野で清澄に負けた……)

(天江衣のいる学校の……)

 透華のイライラは更に募っていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 メガン・ダヴァンは、階段を上ってくる原村和を見て右側の口端を吊り上げた。

(去年のリューモンブチをも上回るその気迫。いいデショウ、ハラムラ、アナタを葬り去ることによって、この1年の集大成としまショウ)

 和が北家の位置についた。

「遅れて申し訳ございませんでした」

 深々と頭を下げて、遅参を3人に詫びた。そして、氷のような冷徹な口調で言った。

「始めましょうか」

 メガンの口から白い歯が見えていた。

 



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13.制御

 決勝戦 対局室

 

 副将戦開始時の席順および各校の点数

  東家 亦野誠子     246400点

  南家 鷺森灼       17600点

  西家 メガン・ダヴァン  93400点

  北家 原村和       42600点

 

 

 亦野誠子には、絶対に勝てない相手がいた。それは、同じチームの宮永照であった。彼女が面子にいる場合は、誠子の戦法の3副露は序盤で封じられることが多く、たとえ、それができたとしても、上がり牌が制限されて結局は負けてしまう。まるで、手の内がすべて読まれているようであった。

 今、上家にいる原村和も、照と同様の打ち方をしていた。誠子が3巡目に【三筒】【四筒】【五筒】を副露した後、和はすかさず、三色同順のラインを消しにかかった。5巡目に鷺森灼が、和の捨てた【五萬】をポンした時点で、誠子は断公九への切り替えを決意しなければならなかった。

(原村和……自分が上がることを前提とした牌効率優先の打ち方だったはず。それがなぜ?)

 6巡目、和は【二萬】を切った。それは、誠子のへの確認を求めた打牌であった。

(原村……。いいよ! 答えてあげる)

「チー」

 2副露目、何もかも読まれていると承知の上での、鳴きであった。

(私をなめるなよ! 上がってみせる! 麻雀は確率がすべてではない!)

 

 

(成長していまセンネ。マタノ、アナタは準決勝と同じ間違いを繰り返すのデスカ)

 不利な状況でも上がる可能性を捨てきれない。それが、亦野誠子の欠点だと、メガン・ダヴァンは考えていた。

(このハラムラは、前回とは違いマス。私が恐れたリュウモンブチと同じ、場の制御をかけてきマス)

 メガンは和を観察した。――準決勝での、顔を紅潮させて、気だるく打つ姿とは違い、その顔は、貧血でも起こしているのではないかと思うほど白く、動きは機械的であった。まさに特殊な状況の龍門渕透華とそっくりであった。

(ハラムラ、この局は、アナタの望みを叶えましょう。マタノを削ってあげマス)

 12巡目、誠子の3副露目、ここから5巡が勝負であった。

(聴牌しましたか。フィッシャー! デュエルデス!)

「リーチ!」

 メガンの手牌は平和、断公九、一盃口の上がれば7700点であった。

 13巡目、誠子は上がれず、その捨て牌はメガンの当たり牌でもなかった。そして、鷺森灼の自摸番、メガンに悪寒が走った。

(ナニ!)

 灼の聴牌気配、メガンは瞬時に和を見た。――表情は変わっていなかった。まるで氷のようであった。

(油断シマシタ……まずはサギモリの救出が先デスカ。点数の移動元はマタノである必要はない、ワタシでも良いということデスカ)

 メガンは山に手を伸ばして自摸牌を引いた、【七索】であった。頭の中のヴィジョンは、側面から鷺森灼に撃ち抜かれていた。

(スバラシイ……ハラムラ、アナタを倒すことは、この上ない喜びデス)

 メガンは笑顔で【七索】を切った。それは、灼の当たり牌であった。

「ロン。断公九、三色同刻、ドラ2、8000です」

「ハイ」

 

 

 阿知賀女子学園 控室

 

 高鴨穏乃にとっての夢の瞬間、それが今であった。子供の頃よく遊んだ原村和が、麻雀で全中制覇してから1年。穏乃は、その和と同じ時間に同じ空間で、同じ価値観を共有すべく修練を積んできた。まさに今、インターハイ決勝戦で全国制覇を賭けて、和と対峙している。その期待感に穏乃は興奮していた。

 しかし、画面に映っている和は、穏乃の知っているものとは、大きく異なっていた。

「憧、これは?」

「シズ、昔、和がよく言ってたこと覚えてる?」

「麻雀で?」

「うん、『麻雀は数のゲーム、だから、確率ですべての答えが導き出せる』って」

 幼友達との思い出話、普通なら笑顔で語るべきものであるが、新子憧の表情は険しかった。

「じゃあ、和がやろうとしてるのは……」

「確率による場の制御。和は可能だと言ってた」

 穏乃は画面に目を向けた。和の表情は3年前のイメージとは違い、辛そうであった。

「和……それは、人間のできることじゃない。膨大な情報量に押し潰されるわよ」

 憧の険しい表情が深くなった。

「麻雀はすべての情報が開示されていないからね。将棋やチェスと違って、先読みが難しい」

 赤土晴絵が言った。

「先読みは可能だよ、でも、前に晴絵が言ったように、結果に結びつかないんだよ。読んだほうが有利になるとは言い切れないの」

「そうだね、麻雀の先読みは単なる推測だからね」

 憧と晴絵の議論に、穏乃は疑問を投げかけた。

「和は、それができると考えているの?」

 その質問に、2人は答えられなかった。ただ、憧は心配そうにモニターを見て呟いた。

「和……」

 

 

 決勝戦 対局室

 

(原村、私が自分の欠点を知らない愚か者だと思っているのか?)

 数ある麻雀の役の中で、鳴いても成立する役は22種、その内、役満の6種と嶺上開花などの偶然性の高い4種を除くと、実質は12種しか残らず、副露した時点で、亦野誠子の手牌は、ほぼ読み取られてしまう。

(そんなことは分かっている。私にとって大事なのは聴牌速度とそこからの引き。原村……妨害ばかりでは、お前は上がれない)

 東二局 4巡目、誠子は【中】をポンした。鳴いて成立する役の中で、最も自由度の高い役牌を狙っていた。

(鷺森の親番、ドラも2枚ある。ここは上がらせてもらう)

 その後も副露を重ね、11巡目に3副露聴牌した。

「リーチ」

 それを待っていたかのように、原村和が立直をかけてきた。

(立直? 張っていたのか)

 黙々と他家の手を潰しながら打っていた和が、聴牌できると思っていなかったので、誠子は警戒を怠っていた。自分の手牌は5枚しかなく、勝負か降りるかの決断をしなければならなかった。

(なるほど、危険牌が2枚ある。突っ張るにはそれを切らなければならない。実にいやらしい)

 誠子は、もう一つの自分の欠点を思い出していた。それは宮永照から指摘されていた。

(「誠子、麻雀とは半分は降りる競技だよ。だから、降りる時は潔く」。――そうですね、降りましょう。原村に振り込むわけにはいきませんから)

 そう考えて、誠子は【四索】を切った。それは、和に対しては安全牌であったが、索子待ちの可能性のある者は、もう一人いた。

「チー」

 鷺森灼のチー、おそらく混一色であった。

(しまった……原村に気を取られすぎた)

 次巡、誠子の自摸番、引いてきた牌は【八索】、和の危険牌2枚以外はすべて索子という、最悪の手牌であった。どれを切っても上がられるだろう。だから、誠子は和に振り込むか、灼に振り込むかの選択を迫られた。

(してやったりか、原村? いいさ、ここはお前に花を持たせてやる。次はそうはいかない!)

 誠子は、灼に振り込むことを選択した。

「ロン、W東、混一色、11600」

「はい」

 阿知賀の点数が39200まで回復した。これにより、誠子は自分の優位性が失われたと考えていた。しかし、それは誠子の戦闘意欲の喪失には結びつかなかった。

(そうだ、私は、上がり続ければいいだけ……たとえ相手がだれであっても)

 

 

 白糸台高校 控室

 

「誠子……」

 中堅戦を終えて茶を飲んでいた渋谷尭深は、同級生の亦野誠子の苦戦を心配げに見つめていた。

「まだ始まったばかりだ、案ずることはないよ。尭深、私にもお茶をもらえないか?」

「はい」

 尭深は席を立って、お茶を入れに行った。

(とはいえ、状況は芳しくない。誠子は熱くなるタイプだからな)

 菫は、確率論の恐ろしさを理解していた。たとえば、このままの状態で原村和と誠子が5回直接対決したとすると、2回は引きの強さで誠子が勝つかもしれない。しかし、残りの3回は原村が勝つ可能性が高い。確率論とはそういうものだ。非情な現実の論理なのだ。

「イケてんじゃん……原村」

「淡?」

「菫! 原村は個人戦に出るの?」

「ああ、長野は福路、原村、宮永咲だったかな」

 大星淡の髪の毛が逆立った。新たな好敵手の出現に喜びを隠せないようであった。

「淡……原村和を侮ってはダメだ」

 宮永照が画面を注視しながら言った。

「3人目だ……」

「3人目?」

 淡は鋭い視線を照に浴びせた。しかし、照は画面を見たままであった。

「〈オロチ〉を倒せる可能性のある者。――私、淡、そして……原村和」

「原村……が?」

 淡は怒りによって、わなわなと震えだした。照は、その淡に追撃をした。今度は淡を睨みつけながら。

「いいか、淡だって、いや、私だってこの原村には、蹴散らされる可能性があるんだよ」

「それは、なぜだ?」

 菫の好奇心が疼いた。絶対王者が負けるかもしれないと言った。それがなぜか確かめたかったのだ。

「確率論によって、場に飽和状態を作り出す。それが原村和だから」

 菫は満足していた。照の答えは、自分の考えと一致していたからだ。だが、それは、考えるかぎり絶対不可能なことでもあった。

(コンピューターでもまともな結果が残せない世界だ。それを、人間がコントロールするなんて……)

「テルー」

 淡が照を呼んだ。とりあえず、興奮状態は収まっているようであった。

「飽和状態って……何?」

「……」

 照が情けなさそうな顔をして目を閉じた。その素振りを見て、淡は菫のほうを向いたが、答える気にはなれなかった。――尭深が全員分のお茶を運んできた。皆で気まずくお茶を啜った。

 

 

 決勝戦 対局室

 

「リーチ」

 東二局 一本場、11巡目に原村和が立直した。その捨て牌から、平和、断公九であろうとメガン・ダヴァンは推測したが、待ち牌までは絞り込めなかった。

(おそらく、索子待ちデショウ。私は筒子のリャンメン待ち、面白い)

 メガンの手牌も平和、断公九で、既に聴牌していた。待ちは【二筒】【五筒】であった。

(3900点デスガ、アナタを撃ち抜くことに意味がアリマス。ハラムラ、デュエルデス)

「リーチ」

 メガンの立直を受けて、和は僅かに顔を動かし、氷のような目でメガンを見た。

(思えば、ワタシは、この時を待っていたのデショウ。場を制御する者、リューモンブチ、ハラムラ。一度は恐れおののきマシタガ、この1年間でそれは克服できまシタ。お見せしまショウ、場の制御が、ワタシの前では幻想であることを)

 同巡、和の自摸番、機械的に牌を引き、打見して萬子牌を切った。氷の天使とのファストドロウ対決は13巡目以降に持ち越されたのだ。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「智葉、どう思う? 意図的か?」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムが、隣で画面を眺めていた辻垣内智葉に問いかけた。

「そうだとは思いますが、こんな待ちが計算のみで可能かどうかは……」

「だろうな。私もそう思う」

 ネリー・ヴィルサラーゼには、2人が何を言っているのかが分からなかった。そこで、近くにいた郝慧宇に、それを聞いてみた。

「多分、牌の数」

 郝が自信なさげに言った。それが聞こえたのか、アレクサンドラが彼女にしては大きめな声で言った。

「ネリー! メグと原村の待ち牌の残数を数えろ」

 言われたとおりに、画面を確認した。4人の手牌、河に見えている牌。それに対してのメガン、原村の待ち牌。

「これは……」

 ネリーはその現実に驚いた。それは、まるでマジックのように見えた。

「そうだ。13巡目、残りの牌は王牌も含めて36枚、ドラ表示牌は字牌なので、2人の上がり牌は35枚の中にある」

 アレクサンドラはそこまで言い、その後の説明は智葉にバトンタッチした。

「原村の待ち牌は、だれも集めていない牌、かろうじて1枚河に出ているが、残りは山の中に7枚もある。それに比べ、メグの待ち牌は、原村が頭で持っているし、河にも3枚出ている」

「35分の7対35分の3?」

 智葉は頷いた。そして、今度はアレクサンドラが引き継いだ

「ネリー、お前は運を読む。それは勝負には大切な要素だが、確率はもっと重要だ。トランプのハイ&ローで、見えているカードが3ならばハイに賭けるほうがずっと有利だよ。原村はそれをやっているに過ぎない」

 ネリーにしても確率を無視して打っているわけではなかった。だが、それにこだわりすぎると、逆に勝てなくなることも、経験則として知っていた。だから、この原村の打ち筋は脅威としかいいようがなかった。

「お前の考えていることは分かる」

 考えが表情に出てしまったのか、智葉はネリーを見て言った。

「確率の考え方のレベルが違うんだよ。原村はあらゆるものを想定して、ベストのものを選んでいる」

「神なの?」

「え?」

 ネリーの質問に、智葉は驚いた顔で聞き返した。

「……そんなことは、神様じゃなきゃ不可能だよ。原村は神なの?」

「神じゃなくてもできるぞ、ネリー」

 アレクサンドラは楽しそうに笑っていた。そして、話を続けた。

「天使(エンゲル)は神の使い。氷の天使ならば、それは可能さ」

 

 

 決勝戦 対局室

 

 14巡目、メガン・ダヴァンの自摸牌は【八索】であった。

(コレハ……)

 再びメガンは撃ち抜かれていた。今度は原村和によって。

(河に全く見えていない牌。ソウデスカ、最初から、ワタシは不利な闘いをしていたのデスネ)

 メガンはその牌を捨てた。立直していた為、不要牌は切る以外になかったのだ。

「ロン、立直、平和、断公九。4200です」

「……ハイ」

 メガンの表情が、この試合で始めて険しくなった。

 ――点棒の受け渡しが終わり、東三局が開始された。メガンは下を向いたまま、理牌もせずに配牌を行った。そして、14枚揃った段階で牌の位置を記憶し、それを伏せた。

(ワタシの親番なので、この局はもらいマス。ハラムラ、このワタシの打ち方を制御できマスカ?)

 準決勝で見せたメガンのこの打ち筋、それは、与える情報量を減らす対龍門渕透華の切り札であった。

(実感しまシタ。アナタを倒せたら、リューモンブチも倒せます。なので、ここは全力で攻めマス)

 メガンは顔を伏せたまま【発】を切った。

「ポン」

(ハラムラ……それが精一杯デスカ)

 速攻を狙う和の鳴きを受けて、メガンの口は横に広がり、歯が見えていた。だが、下を向いていた為に、その表情を対戦相手から隠すことができていた。

(牌を伏せている内は、ワタシは聴牌していない。ダカラその間に上がってしまえばいい、そういう考えデスカ? 間違いではありまセン。何しろ、ワタシは河を見ていないので、アナタに振り込んでしまうかもしれまセン)

 メガンの自摸牌は連続して手牌に入っていった。

(先鋒戦のマツミの闘い方と似ていますが、ワタシのこれは、アナタに情報を与えないだけではありまセン。――アナタの情報操作もシャットアウトシマス)

 麻雀において、確実な情報は見えている牌しかない。ドラ牌、河の牌、副露して晒された牌。それらの情報を支配するのが、龍門渕透華や原村和の制御系の力を持つものだと、メガンは考えていた。――ならば、それを見なければ良い。それが、メガンの出した最終回答であった。

 9巡目、暗闇に包まれていたメガンの視界に、光が戻った。

(晴れまシタ)

 メガンは顔を上げて牌も立てた。そして、河を眺めて、状況を確認した。

(ワタシに不利な情報はありまセン。このまま行かせてもらいマス)

 そこから数巡、メガンは和を視界に入れながら自摸を行った。

 13巡目、メガンの自摸。

(来まシタ)

「ツモ、メンゼン、平和、三色同巡。2600オールデス)

 アメリカ人らしい勝ち誇った笑顔、それが今のメガンの表情であった。しかし、心の中では冷静な分析を実施していた。

(アゲイン。連続で勝てなければ、それはタダの偶然。もう一度デス、ハラムラ!)

 

 

 決勝会場 観覧席

 

「ラーニングできたはず」

 龍門渕高校 沢村智紀が小さな声で言った。相変わらず、手元ではパソコンを操作していた。

「ラーニング? 原村和が? この一局だけで?」

 龍門渕透華の質問に、智紀はパソコンの操作を止めた。

「透華、将棋や囲碁と同様に、麻雀もいずれはコンピューターが人間を上回る」

「それは難しいと聞いたことがあるぞ、麻雀は偶然の要素が多すぎるからだと」

 天江衣らしい、理屈っぽい言い様であった。智紀はそれに、微かな笑顔で答えた。

「衣、麻雀は100戦100勝する競技ではない。40勝でもいいんだよ」

「もっというのなら、半荘1回の勝ち負けで右往左往するのも論外ですわ」

 自称デジタル派の透華も、智紀の説明に相乗りして言った。

「でもなー、インターハイは半荘10回で勝敗を決めるんだぜ、デジタルだけでは駄目だよ」

「ナンセンスですわ! 流れや支配なんて、弱虫の論理ですわ」

「透華がそんなこと言ってもなー」

「だから、透華は知らないんだってば、純君」

 井上純と国広一のやり取りに、透華はまた苛立っていた。

「透華は分かっているはずだよ、今、原村がやっていることが」

 智紀の問いかけで、透華は冷静さを取り戻し、画面の和を見つめた。

「原村和の頭の中では、物凄い量の情報が飛び交っているのでしょうね。ある数値を導き出す為に」

「そう、確率。その為には継続的なラーニングが必要」

「智紀はできるのか?」

「私には無理。それは理想ではあるけれど、オーバーフローを起こしてしまう」

 衣の質問に、智紀は相好を崩した。

「私でも無理ですわ、場を制御しきるなんて……」

「と、透……」

 一は純の口を手で押さえた。

「いくつか手法はある」

 そう言って、智紀はモニターを見るように合図した。そこでは、東三局一本場が終盤に差し掛かっていた。

「原村和……」

「結果を正確に予測できれば、こういうことも可能。メガンのその過程は無視できるから」

 画面の中では、メガン・ダヴァンが聴牌し、牌を立てていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 河の状態、そして、亦野誠子の萬子の2副露を見て、メガン・ダヴァンは驚愕していた。

(封じられていマス……)

 メガンの手牌は萬子の混一色であった。読みやすい役とはいえ、3面待ちの内、2つは完全に封じられていた。残るは【一萬】の2枚のみ。

(混一色……高めを狙いすぎましタカ……)

 13巡目、原村和の自摸番、和はすばやく牌を取り、それを横にして捨てた。

「リーチ」

(やってくれる……やってくれるゼ、ハラムラ!)

 メガンは闘争本能剥き出しに和を睨みつけた。

(イイだろう! 暗闇からのデュエルは成功した試しがナイ。だが、あえて行う! これは真の決闘だ! 有利、不利は関係ナイ、撃たれたら死ぬだけだ!)

「リーチ!」

 メガンは、無謀な追撃を宣言した。それは、メガン・ダヴァンという個体の価値観を表現するものであった。無論、後悔などあるはずがなかった。

 

 

 現状の鷺森灼の立場は、傍観者であった。原村和の構築した世界に、熱くなり立ち向かう、亦野誠子とメガン・ダヴァン。それと比較して灼は、この世界に溶け込んでいた。それは、今朝のミーティングで、赤土晴絵から指示されていた防勢作戦の一環として、必要なことであった。その指示を灼は思い出していた。

 

 本日 午前 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

「灼、防勢作戦って知ってる?」

「ぼうせい作戦? なにそれ」

「最も不利な状況で闘うことになるのは、多分、灼だよ」

 鷺森灼自信もそれは理解していた。あの白糸台高校に攻め続けられたら、どこでもそうなる。

「灼が積極的に攻める必要はない。穏乃に確実に繋ぐこと、それを第一に考えて。点数は可能ならば増やす程度でいいよ」

「でも、飛び寸前になったらどうするの? 攻めなきゃ削られて終わりだよ」

 赤土晴絵は笑顔で答えた。

「だから、防勢作戦だよ。亦野が攻撃して来るのは確実だろう? だったら、あらゆる準備をして、それを待ち構えて粉砕する。彼女が攻める時は、防御を考えていないからね」

「準備が間に合わない場合もあるよ、亦野誠子はスピードが武器だから」

「そうだね、さすがは灼だ。自分の欠点をよく分かっている」

 晴絵に褒められて、灼は少し顔を赤くした。一人っ子である灼にとって、年の近い姉のような存在、それが晴絵であったのだ。

「灼は10年間、時が止まっている」

「え……」

「私の打ち方をトレースしてくれるのは嬉しい、でもね、それはもう時代遅れかもね」

「そうかな……」

 晴絵に頭を撫でられ、きちっとした灼の髪が乱れた。

「今日は和と打つだろう? よく見ておくことだよ」

「晴絵……質問に答えて」

「うん?」

「私は亦野にはスピードで太刀打ちできない」

 晴絵の顔がほころんだ。

「ああ、それなら、大丈夫だよ。多分だけど」

「多分?」

「和が、灼をサポートする。ウチが飛んだら一番困るのは、清澄だからね」

 

 赤土晴絵のいうとおりになった。序盤に原村和のアシストによって、阿知賀は危機を脱出していた。そして、今もまた、和の制御は続いていた。

(すごい、これが憧の言っていた確率の恐ろしさ……)

 灼は、和を見た。真っ白な顔で黙々と打っているように思えたが、ある異常にも気が付いた。それは息遣い。高熱を発している病人のごとく、早く短いサイクルで吸って吐くを繰り返していた。時折、辛そうな表情も見せていた。

(原村……まさか、かなり無理をしているんじゃ)

 15巡目、その和が上がった。メガンとのデュエルに再び勝利したのだ。

「ロン、立直、南、一盃口。5500です」

「Okay」

 

 

 清澄高校 控室

 

「のどちゃん、すごいじぇ」

「ほんまじゃ、あの面子を完全に抑えこんどる」

 片岡優希と染谷まこは、原村和の活躍に興奮していたが、竹井久はそうではなかった。

「咲、和を見て、あの和が……あんなに汗をかいている」

「はい……。和ちゃん、こんな無茶を……」

 明らかに異常事態であった。画面に映る和は、表情こそ変わらないものの、今にも倒れそうに見えていた。そんなコンディションにもかかわらず、和は場の制御を続けていた。

「和……」

 久は嫌な予感がしていた。

 

 副将 前半戦は、原村和の独壇場であった。オーラスが開始されていたが、これまでの経緯は驚異的なものであった。

 

 副将 前半戦 南三局までの経緯。

 東一局      鷺森灼      8000点(メガン・ダヴァン)

 東二局      鷺森灼     11600点(亦野誠子)

 東二局(一本場) 原村和      4200点(メガン・ダヴァン)

 東三局      メガン・ダヴァン 7800点(2600オール)

 東三局(一本場) 原村和      5500点(メガン・ダヴァン)

 東四局      亦野誠子     3900点(原村和)

 南一局      原村和      8000点(2000,4000)

 南二局      鷺森灼      5800点(亦野誠子)

 南二局(一本場) メガン・ダヴァン 8300点(2100,4100)

 南三局      原村和      7700点(亦野誠子)

 

 阿知賀救出の為の序盤以外は、連続和了を許していなかった。猛烈な聴牌速度でフィッシャーと呼ばれる亦野誠子、デュエルを駆使して畳みかけるメガン・ダヴァンをも、和は、確率の枠内に収め、清澄と阿知賀を浮かせることに成功していたのだ。

 そして、オーラス。

 画面の中で、亦野誠子が3副露の後、自摸和了。

 ――終局のブザーが鳴り響いた。

 

 4人は立ち上がり礼をした。和以外の3人はその場から離れたが、和はゆらゆらしながらその場に立ったままだった。そして――和は、前のめりで雀卓に向かって倒れた。

 

「和ちゃん!」

 宮永咲が血相を変えて、立ち上がり、和の元へ走り出した。

 染谷まこも、片岡優希もそれに続いた。竹井久は一緒に行こうとしている須賀京太郎を大声で呼び止めた。

「須賀君!」

「はい!」

 京太郎は立ち止ったが、落ち着きなく咲達を見ていた。

「スポーツドリンクを何本か準備して持ってきて!」

「スポーツドリンク?」

「そう! 水分補給! それと、エトペンも持ってきて」

「エトペンですか?」

 久も走り出した。

「忘れないで! お願いよ!」

 

 

 副将 前半戦終了時の各校の点数

  白糸台高校   220500点

  臨海女子高校   85800点

  清澄高校     58400点

  阿知賀女子学院  35300点

 



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14.繋ぐ気持ち

 決勝戦 対局室

 

(原村……大丈夫なの?)

 礼を終えた鷺森灼は、なかなか頭を上げない原村和が心配になった。対局中もしばしば辛そうにしていたし、何よりも顔色が悪すぎる。このまま倒れたりしないだろうかと思い、ちょっとの間、様子を見守った。――やがて、和は顔を上げた。真っ白な顔であったが、意識ははっきりしているように見えた。

(大丈夫そうだね)

 ほっと胸を撫でおろし、灼は、向きを変えて階段を下り始めた。

――背後から大きな音が聞こえた。振り返ると、和が雀卓にうつ伏せで倒れていた。

「原村さん!」

 灼は、和に駆け寄った。亦野誠子とメガン・ダヴァンも灼の大声を聞きつけて、階段を走り上がってきた。

「ゆっくりだ! ゆっくり」

 誠子が灼に指示をした。ゆっくり起こせということだろう。そのとおりに、静かに和を起こして、椅子に座らせた。

 和の額には、血は出ていないものの赤い擦り傷ができていた。

「鷺森さん! 椅子をリクライニングさせてください。メ……」

「メグと呼んでクダサイ」

「メグさん、原村君を横にして衣服緩めて」

 メガンは和を横向きに寝返りをさせて、セーラー服のネクタイを緩めた。

「ヒドイ汗デスネ……」

「大量の発汗による低血圧状態で、急に立ちあがった。だから脳貧血を起こしたのだと思います」

 誠子は、和の口元に手を当てた。

「呼吸は安定しています。とりあえずはこのままで。鷺森さん、係の人にドクターを……」

「それには及ばないじぇ!」

 片岡優希が女ドクターを引きずりながら階段を上がってきた。ドクターは、息も絶え絶えに座り込んでしまった。

「先生! 早くのどちゃんを!」

「ちょ! ちょっと待って……」

 優希のペースにつき合わされたドクターは行動不能になっていた。

 続いて、染谷まこが、息をはずませながら上がってきた。

「ゆ、優希、わりゃあ……早すぎじゃ」

 まこは膝に手をついて、呼吸を整えた。そして、辺りを見回し、灼達に目を止めた。

「すまんのう、せっかくの休憩時間に。後は、わしらが和の面倒を見ますから、休んでください」

 そう言って頭を下げた。

 灼はもう一度、和を確認した。回復したドクターが近づき、これから診断を開始するところであった。任せても良さそうだ。

「そうですか、それでは、お大事に」

 

 

 階段に向かって歩いていた3人を、運営側の係員が呼び止めた。

「皆さん、一度控室にお戻りください。今後につきましては、原村選手の状態を確認してからご連絡致します」

 皆で顔を見合わせた。しょうがないという雰囲気であった。

「はい、分かりました」

 メガン・ダヴァンを先頭に、階段を下り始めた。

「――マタノ、助かりマシタ」

「え? 何が?」

「ハラムラの応急処置の件デス」

「本当。どうしていいか分からなかった」

 鷺森灼も最後尾から声をかけた。

「ああ、私は趣味がアウトドアだからね」

 階段を下りきったところで、メガンが振り返り、笑顔で言った。

「それデハ、マタノは本当にフィッシャーなのデスカ!」

「なんか馬鹿にされているような……まあ、釣りは好きだよ」

「ハハハ、今度アメリカに来たら、ワタシに連絡してください。コロラド川でフィッシングデス」

「アメリカ……それだったら、この大会が終わったら釣りに行こうよ、日本の川でね」

 メガンはアメリカ人らしいオーバーなリアクションで「OK」を繰り返していた。

 そのやり取りが、何故か可笑しく、灼は声に出して笑った。

 ――唐突な寒気が灼を襲った。

(なんだ……あれは……)

 10メートルほど先から、宮永咲がこちらに向かって歩いてきていた。いや、その手の振りからは、走っているものと思われたが、ほぼ、歩き同等の速度であった。ただ、異様なのはその周り空気で、灼には歪んでいるように見えた。そして、彼女から放たれる圧倒的な何かが灼に向かってくる。

(まずい……これは……)

 その衝撃波に、灼は思わずよろけてしまった。その手を取り、支えたのは亦野誠子であった。

 ――宮永咲が近づいてきていた。誠子の手が震えていた。

「だめだ……今の淡では勝てない……」

 最接近した宮永咲を前に、誠子はそうつぶやいた。灼自身も、蛇に睨まれた蛙のごとく、身動きがとれなかった。

(これが……これが宮永咲!)

 咲が通り過ぎていった。

 やがて、灼の体も自由になり、振り返ることができた。咲は、歩くような走りで、階段を上っていた。――震える誠子の手も灼から離れた。

「有難う……」

「……いや」

 2人は魔王に圧倒されていた。その絶対的な恐怖に、口数が少なくなっていた。

「マタノ、サギモリ、2人は2年生デシタネ」

 メガンの突然の質問に、灼は当惑しながらも頷いた。

「なんともまあ、羨ましい……」

「え?」

 答えたのは誠子であった。メガンの言葉の意味が分からなかったのだ。

「だって、そうデショウ、アナタ達は来年も、アレと闘う資格がある。それはワタシにとっては、羨望の極みデス」

 メガンは咲を指差して言った。その顔は僅かに怒りを含んでいた。

「ソウ、嫉妬するほどにネ……ダカラ、そんな顔をしてはダメデス」

 

 

 知らない顔の女性が見えていた。和は虚ろな意識の中で、考えを巡らせていた。歳は30代で、眼鏡をかけている。自分の左腕を見ると何かが巻き付けてあり、彼女はそれを見ている。おそらくは血圧計。ということは、この女性は医者であろう。――徐々に記憶が甦ってきた。前半戦終了後の礼で立ち上がった時、強烈な眩暈がして立っていられなくなった。それが最後の記憶。

(そう……私は、気を失っていたのね)

 

「あら! 目を覚ましたわ」

「のどちゃん!」

「和!」

 聞きなれた声がした。片岡優希と染谷まこの声であった。

「優希、染谷先輩……」

 その後ろには、涙ぐみながら心配そうに見つめる宮永咲の姿があった。

「和ちゃん……」

「咲さん……」

「おっと、まだよ、友達とのおしゃべりは、私の診察が終わってから、いい?」

 ドクターは職業的な笑顔で言った。

「はい……」

 和はおとなしくその言葉に従った。

 

 

 決勝会場 観覧席 

 

『大変なことになりましたね。清澄高校はリザーバーがおりませんので、欠員棄権の可能性も出てきました』

『準決勝の園城寺選手の場合は、試合終了後でしたので、そういう問題は発生しませんでしたが、今回はそうはいきません。大会ルールでは――』

『お待ちください、小鍛冶プロ。今、インターハイ運営本部より連絡がありました。それによりますと、今、行われている、原村選手のドクターチェックにより、試合継続不可能と判定された場合は、現在の点数で順位が確定されます。つまりは、1位 白糸台高校、2位 臨海女子高校、3位 清澄高校、4位 阿知賀女子学院の順番です』 

『優勝は白糸台高校……これまでに例がありませんが、やむを得ないでしょう』

 会場はざわざわしていた。それは、不満の声によるものであった。このインターハイ決勝がそんな終わり方をすることに、だれもが我慢できなかったのだ。

『原村選手の容態が快方に向かい、試合継続が可能とドクターが判断した場合は、15分間のインターバルの後、後半戦は再開されるとのことです。現在、清澄高校以外の3校の選手は、控室に戻り、待機している状態です』

『……良くなるといいですね』

『そうですね』

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「おはよー!」

 仮眠を取っていた松実玄が、ドアを開けて入ってきた。そのすぐ後ろには、姉の松実宥の姿もあった。

「玄! 宥! よく眠れた?」

 赤土晴絵が笑顔で聞いた。2人の登場によって沈み込んでいた部屋の雰囲気が、一気に明るくなった。

「よく眠れたよー。ねー、お姉ちゃん」

「はい、疲れがとれました」

 松実姉妹は上機嫌で皆と同じ席に座った。

「玄さん、宥姉、ご飯食べる?」

 高鴨穏乃は2人に弁当を渡した。食事もとらずに寝ていたのだ、きっと空腹であろうと思った。

「有難う、穏乃ちゃん」

 玄と宥は、穏乃から弁当を受け取り、おいしそうに食べ始めた。

(やっぱり、この2人がいると、場が和む)

 ニコニコしながら食事をしている先輩達を見て、穏乃もつられて笑顔になっていた。

「ごめんね、私がミスをして点数を減らしちゃった……」

 新子憧が詫びるように2人に言った。

「憧ちゃん、まだ3万点以上あるよ。私達の役割は何だっけ?」

 宥は、優しく憧に質問した。

 モニターには、常に各校の点数が表示されており、宥は阿知賀の現状を把握していた。

「役割?」

「うん、役割。私達姉妹も、憧ちゃんも、灼ちゃんも役割は全部同じだよ」

「思い出した……」

 全員が一斉に穏乃に顔を向けた。そして、代表するように憧が言った。

「シズ……私達の役割は、あなたに繋ぐこと」

 皆から託された思いは、穏乃の大きな力になった。しかし、それに相当するプレッシャーも感じていた。穏乃は、引きつった笑顔で頷いた。

 

「ただいま」

 鷺森灼が戻ってきた。

 絶体絶命の危機を脱出した灼の成果に、全員が笑顔で出迎えた。しかし、灼には笑顔がなく、心なしか顔色も悪く見えた。そのまま歩いて定位置である晴絵の隣に座った。

「お疲れ様です灼さん。その……和は大丈夫でしょうか?」

 穏乃は、原村和のことが気になり訊ねてみた。

「脱水症状による脳貧血。亦野さんがそう言っていた。――大丈夫、原村和は復帰できるよ」

 素っ気ない返事の灼に違和感を覚えたが、その答えは穏乃を安心させた。

(和……良かった。このままじゃ終われないよね)

「灼、どうした? 何かあったのか?」

「別に……なんでもない……」

 晴絵も不自然さを感じたのか、探るように灼を見ていた。

 灼は、晴絵と目を合わせないように、下を向いて飲み物を飲んでいた。

「いや、やっぱり隠しても意味ないか……」

 灼は、頭を横に振ってつぶやいた。そして、顔を上げ、穏乃に視線を合わせた。

「シズ、私はさっき、宮永咲と出会った……」

「……」

「恐ろしかった。怯えて体が硬直してしまった。あれは……人間じゃない」

 恐怖が甦り、寒気を感じたのか、灼は肩をすぼめていた。だが、穏乃にとって、それは、既に学習済みであった。宮永咲の存在は、確かに恐ろしい。でも、怯えてばかりでは、何も変わらない。勇気をもって立ち向かわねばならないのだ。

「そう、灼は、抽選会でいなかったからね」

「え?」

「私達も咲ちゃんと会ったんだよー」

 憧と玄が、会場の通路で宮永咲とすれ違った場面を説明していた。初めて聞いたのか、灼は面食らっていた。

 穏乃は、今日の顔合わせでの情報も伝えることにした。

「決勝前の対局ステージ上でだって、あの子は凄かったんですよ。まるで処刑人でした。『いつでも殺せるぞ』そんな顔で私達を見ていました」

「私達?」

「大将の3人です。私と淡さん、ネリーさんです。みんな大打撃を受けていました」

「穏乃ちゃんも?」

 質問したのは宥で、その顔は心許なげであった。

「はい、さっきまではそうでした。でも、今は大丈夫です」

 少し間を置いてから、穏乃は灼と向き合った。

「灼さんは、一つ間違えています。人間ですよ、宮永咲は……」

「人間……」

「渋谷尭深と同じで、彼女も人間です。だったら必ず倒せます。――私は、さっきそれを、憧に見せてもらいました」

「シズ……」

 驚いたような顔で憧が言った。

 それを見て、灼は小さな溜息をついた。

「じゃあ、私も確率の悪魔を倒すことにするよ」

 控室に戻ってきて、初めて灼が笑った。穏乃はそれが嬉しかった。けれど、少しだけ、意地悪をしてやろうと思った。

「それは難しいかもね」

「は?」

「いや、ああ見えても和は腹黒いですから、きっと酷い嫌がらせを受けますよ」

「腹黒いのはシズも同じだよ」

 憧も意地悪そうな顔で穏乃をからかった。

「阿知賀で一番は、やっぱり憧ちゃんだと……」

「ちょっと! 玄!」

 そこから、和、穏乃、憧の腹黒さの暴露大会が開始された。その露骨な内容とは裏腹に、阿知賀女子学園控室には、笑い声が満ち溢れた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「そう、咲に……会ったんだね?」

 宮永照の問いかけに、亦野誠子は言葉を発せず、下を向いて頷いた。そして、誠子は懺悔さながらに独白を始めた。

「宮永先輩。私の完全なる敗北……絶対に勝てない相手は先輩だけでした」

「……」

「でもそれは、何度か闘った末に、私自身で受け入れたもの……」

 誠子は顔を上げて照を見た。その表情は苦悩が浮かんでおり、救いを求めていた。

「しかし、先輩の妹……宮永咲は……圧倒的でした。私は、彼女に勝てる気がしません」

「誠子……」

 その名前を呼んだのは照ではなかった。大星淡であった。

「淡、笑わないでほしい。私はお前ほど強くない。私は……闘わずして敗北を受け入れてしまった」

「笑わないよ……でも、怒るよ!」

 その言葉通り、淡の顔は怒気を含んでいた。

「闘わなきゃ分かんないよ! 誠子がそんなんじゃ、私達はどうなるの!」

「淡……」

「テルーも菫も来年はいないんだよ! 私達を引っ張っていくのは誠子しかいないんだよ!」

 意外な発言に、弘世菫は少々驚いたが、淡の心情は理解できていた。

(そうか、淡、お前は悔しいのだな。信頼している誠子が、弱気になっていることが)

 素直じゃない後輩は、菫の考えに一致した言葉を口にした。

「私は、人の上に立つ人間じゃない、でも、誠子は違うから」

 誠子にも淡の気持ちが伝わった。みるみる表情が柔らかくなっていった。

「分かった。そうだね……闘わなければ分からない。淡、お前は完全に立ち直ったんだな? 宮永咲の呪縛を振り払ったんだな?」

「もちろん、もう私はサキを恐れたりはしない」

「なら、私もベストを尽くすよ。いい状態でお前に繋ぐ」

「準決勝の時も……」

 いつもの淡に戻っていた。先輩を先輩と思わない生意気な口振りだ。

「またその話か……今回は――」

「冗談だよ! 亦野先輩!」

「……」

 無茶苦茶な1年生と、それに苦笑する2年生。それは毎日のように見てきたシーンであった。

(この土壇場でも、こんなドタバタが見られるとは……大したもんだよ)

 そう思うと、菫は、この後輩たちを少し褒めたくなった。

「淡、お前、見かけほどバカじゃないな」

「バカとは何よ、バカとはー!」

 むきになって怒る淡を見て、誠子はいつものように大声で笑った。

(誠子、お前は自分の価値が分かっていない。淡が正しいよ)

 ふと隣を見ると、照も2人を見て笑っていた。

(ほら、見てみろ。隣にいる偏屈な天才だって笑っている)

 照が菫の視線に気がついた。そして、怪訝そうに言った。

「何?」

「何でもないよ」

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 控室待機を指示されたはずのメガン・ダヴァンは、一向に姿を現さなかった。そのメガンを迎えにいった留学生3人も帰ってこない。辻垣内智葉は様子を見に行こうと考え、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムにそれを告げようとした。

 ――控室に固定されている電話が鳴った。それは、主に緊急用として使われる運営側との直通電話であった。アレクサンドラは受話器を取り、流暢な日本語で応対し、通話を終えた。

「原村が回復した。試合再開は15分後だ」

「メグに伝えます」

「頼む。どこにいるかは分かるだろう?」

「長い付き合いですから」

 智葉のその台詞に、アレクサンドラは微笑んだ。

 

 

 試合会場通路

 

 遠くから、奇妙な日本語が聞こえてきた。

(あいつら……こんな大声で)

 みんなは、50メートルほど先にあるラウンジにいるのだろう。その距離にもかかわらず、仲間の声は、もう智葉の耳に届いていた。

 ――甲高いネリーの笑い声が聞こえて来た。怪しいイントネーションのメグの声も聞こえる。雀も郝も歌うように笑っていた。まるで、音楽でも奏でているようであった。その音楽が徐々に大きくなってきた。

 智葉はラウンジに到着した。

「智葉!」

 智葉を見つけて大声で呼んだのは、ネリーであった。

「みんな、ご機嫌だね」

「ハイ、楽しいですよ。智葉もそこに座ってください」

 郝慧宇の勧めで、智葉はメガン・ダヴァンの隣に座った。

「智葉、ブルッチマッタってどういう意味ですか?」

「ブルッチマッタ?」

 雀明華の質問は意味が分からなかった。でも彼女たちはその言葉が面白いらしく、何度も繰り返し、子供のように笑っていた。

「メグがね、宮永咲を見てブルッチマッタって……」

 ネリーは最後まで説明することができず、途中で笑い出してしまった。それは、4人に伝染し、またみんなで笑っていた。

「メグ……」

「なんデスカ」

「変な日本語ばかり覚えると……」

「サトハ、顔がコワイデス。そんなにコワイと、ワタシはブルっちまいます」

 外国人の4人は耐えきれないとばかりに、笑い悶えていた。智葉は何が可笑しいのか、さっぱり分からず、呆然としていたが、だんだん、それがうつってきた。

(全く……こいつらときたら)

 5個目の“笑い袋”が完成した。臨海女子高校 団体戦メンバー全員で、そのよく分からない幸せな笑いを心行くまで楽しんだ。

 

 

「何時デスカ?」

 戦闘モードに戻ったメガン・ダヴァンが、試合の再開時間を聞いた。智葉は、ラウンジに掛けてある壁時計を見て答えた。

「10分後だ」

「そうデスカ、デハ、そろそろ腰を上げまショウ」

「もう?」

「ハイ。ハラムラにお願いがありマスノデ」

 メガンは立ち上がり、頭の上で腕を組んで、背伸びをした。

「サトハ、ワタシは前半戦で暗闇を3回仕かけまシタ。2回は勝ちましたが、負けた1回が、パーフェクトすぎマス」

「印象が強すぎるか……残りは1回か?」

「エエ、勝てば納得できマス。ただし、相手はあのハラムラでなけレバ……」

 日本での最後の試合。メガンは漠然と闘うのではなく、はっきりとした目的を持っていた。それは、原村和との直接対決を制すること。龍門渕透華の代役として想定していた彼女は、それを上回る真の敵としてメガンの前に立ちはだかっていたのだ。

(そうだね、それでこそメグだよ。完全燃焼だ。後悔をするぐらいなら、燃え尽きたほうがましだ)

「メグ……必ず勝って」

 その要望はネリーが発した。それは様々な意味が込められていた。メガンへの信頼、自信が感じている不安、そして、宮永咲への恐怖。

 メガンは、それを読み取ったのか、穏やかな笑顔で、自分の気持ちを伝えた。

「アタボウヨ。ネリー、いい形で、アナタに繋げますヨ」

 メガンは対局室に向かって足を進めた。彼女が好きな日本語『後悔しないとは振り返らないこと』その言葉通り、メガンは、一度も振り返ることなく、智葉の視界から消えていった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

「ごめん、遅れて」

 竹井久は大きな荷物を重そうに抱えて、ステージに上がった。

「部長、遅いわ」

 染谷まこが、不満を露にした。久は、「ごめんなさい」と、まこに謝り、持っていた荷物を置いた。

「ドクターから話を聞いたわ、和、大丈夫そうね」

 久は気遣うように、原村和に声をかけた。

「はい、水分を多くとるように言われました」

「そう思って――」

 荷物の中から、2リットルのスポーツドリンク3本を、和用のラックに置いた。

「こんなに飲めませんよ!」

 和が弱りきった顔をしていた。メンバーの3人も、極端すぎる展開に唖然としていた。

「それと着替えを」

「着替えですか? 持ってきていませんでしたが」

「透華から借りてきたわ」

 と言って、紙袋を和に渡した。

「龍門渕さんじゃと、サイズが合わないんじゃないのか? その、一部が……」

「これは、和用にあつらえたメイド服よ」

「ああ……そういえば、そんなこと言っとったな」

 以前に龍門渕透華が、原村和を龍門渕のメイドにすると公言していた。このメイド服は、その為のものらしかった。

「メイド服で麻雀を打つんですか?」

「うちの店じゃあ、結構のりのりだったじゃろ?」

 まこがふざけるように言った。

「でも、今日は全国に……」

「ごちゃごちゃ言わないで早く着替えてきてちょうだい。許可だってもらっているんだから。そんな汗だらけの服じゃ風邪をひくでしょ!」

「……はい」

 和は、抵抗するのを諦め、紙袋を持って立ち上がった。しかし、足がふらついており、バランスを崩した。

「和ちゃん!」

 咲が抱きかかえるように和を支えた。

「危なっかしいわねえ。咲もついて行って」

「はい」

「私も一緒に――」

 片岡優希もついて行こうとしていたが、またもや、まこに止められた。

「優希はいかんでええ」

「……」

 

 

 試合会場通路

 

「やあ、マタノ」

「メグさん……ずいぶんと早いですね」

「お互い様デス」

「……」

 違う方向からやって来たメガン・ダヴァンと亦野誠子は、T字路で合流し、並んで歩いていた。

「私と同じ理由ですか?」

「多分ネ……」

 2人はまっすぐ正面を向いていた。その表情は、無駄な感情が切り捨てられた競技者の顔であった。そして、その状態のまま、会話は継続された。

「原村君はかなりの負担がかかるみたいだし、1回だけでどうですか?」

「1回で十分デス」

「OK、2人で頼みましょう」

「マタノ」

「何ですか?」

「あなたも意地っ張りデスネ」

「お互い様ですね」

 

 

 試合会場 更衣室

 

 着替えの終わった原村和は、鏡に映った自分の姿を見て、頭を抱えていた。

 白を基調としたその服は、エプロンがあるので、辛うじてメイド服とはいえたが、胸の部分が強調され、まるで、ネット麻雀の自分のアバター“のどっち”のようであった。

(こ、これはさすがに……。でも制服は汗まみれだし……、咲さんに感想を聞いてみよう)

 和はカーテンを開けて、恥ずかしそうに言った。

「どうですか?」

「可愛い……」

「そ、そうですか?」

 可愛いと言われ、和は顔が赤くなった。咲は嬉しそうに手を握り、和をじろじろと見ていた。

「本当に可愛い、和ちゃんはメイド服も似合うね」

「も、もう行きますよ」

 そのまま手を繋いで、会場へと向かった。咲の手から伝わる体温により、和の心は平常を取り戻していた。

「和ちゃん……もうあんな無茶しちゃダメだよ」

 和の手を握る咲の力が、僅かに強くなった。

「はい、でも見てほしかったんです。私が、咲さんを倒す資格があるかどうか……」

「うん……凄かった。和ちゃんはやっぱり私の……」

「咲さん……」

 2人は立ち止り。見つめ合った。

「咲! 和! 何やっているの、もう!」

 いつの間にか、ステージをおりていた竹井久に怒鳴られた。咲も和も、手を離して、久に謝った。

「白糸台と臨海は、もう席についているわよ。和もスタンバイして」

 久はペンギンの縫いぐるみを、和に渡した。

「はい」

 片岡優希が、和の背中を不思議そうに眺めていた。

「何か……書いてあるじぇ」

「え?」

 久は、和の長い髪に隠れた、メイド服の背中を確認し、額に手を当てて天を仰いだ。

「透華……やってくれたわね」

「え? 何ですか? 何が書いてあるんですか?」

 和の背中には、大きな文字で“龍門渕”と書かれていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 大型モニターには原村和が映されていた。背中に“龍門渕”と書かれているメイド服は、実に際どく、会場からは歓声が上がっている。

『これは悪質なコマーシャルですね』

『はい、本当に悪質です』

 実況解説の福与恒子と小鍛治健夜のも、呆れ半分の様子だ。

 

 

「やりすぎだよ透華、あんな服に校名を入れるなんて」

「問題ナッシングですわ。目立ってなんぼの世界ですから」

 国広一には、透華のその答えは予想できていた。しかし、こんな小細工は無意味だとも思っていた。だから、透華にその現実を教えることにした。

「でも、目立ってるのは、ウチじゃなくて原村和だと思うよ」

「確かに……目立ちすぎですわ……原村和」

 和のアップに画面が切り替わり、歓声は更に大きくなった。

「今度は、エプロンにも校名を入れるようにハギヨシに言います」

 透華は親指の爪を噛みながら、悔しそうに言った。

「本当に……悪質だよな。人間的に」

「今回は、純に同意する」

 井上純と天江衣は呆れ果てていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 原村和は席に着いて、2リットルのドリンクのキャップを開けて、コップに注いで飲んだ。気持ちの問題ではあるが、幾分力が湧いてきた。

 エトペンはいつもの場所にある。通常の原村和で闘う準備が整った。

「もういいのデスカ?」

「はい、ご迷惑おかけしました」

「試合にも戻れたし、良かったね」

「有難うございます」

 メガン・ダヴァンと亦野誠子に頭を下げた。彼女たちに応急処置をしてもらったと部長から聞いていた。和は2人に心から感謝した。

「原村君……私達は、君にお願いがあるんだ」

 誠子が先程までとは異なる、重苦しい口調で言った。隣のメガンも同じ意見のようであった。

「もう一度、あの原村和と対戦がしたい」

「え?」

「かなりの精神力が必要でしょうが、一度だけで結構デス。ぜひ、お願いシマス」

「……」

 和は即答ができなかった。宮永咲や竹井久からは、もうあの打ち方をしてはいけないと言われていた。和自身も集中力の持続は難しいと思っていた。

「私からもお願いする。憧から、原村さんへの対策を伝授された。試してみたい」

 鷺森灼が、時間ぎりぎりで対局ステージ上に表れた。彼女の発言は、和の闘争心を奮い立たせていた。

(憧……私と勝負がしたいんですね! いいでしょう。望まれるのは嬉しいことです)

「お受けします」

 その言葉により、場の空気が一気に張詰めた。

「勝負はオーラスです」

 試合再開のブザーが鳴った。

 

 

 全員の心は、既にオーラスに向かっていたが、それまでの過程に手抜きをするような4人ではなかった。

 筒子が集まりだし、トリッキーな打ち筋を見せる鷺森灼。スピードによるプレッシャーをかけ続ける亦野誠子。果敢にデュエルを仕かけ相手を翻弄するメガン・ダヴァン。そして、牌効率にこだわった合理的な麻雀で相手を寄せ付けない原村和。

 副将後半戦は、その4人の特徴が混じり合い、そしてぶつかり合う、実にエキサイティングな闘いであった。

 

 東一局      流局       聴牌 鷺森灼、原村和

 東一局(一本場) 鷺森灼      6300点(2100オール)

 東一局(二本場) メガン・ダヴァン 3600点(原村和)

 東二局      亦野誠子     4000点(1000,2000)

 東三局      流局       聴牌 原村和

 東四局      原村和      8000点(2000,4000)

 南一局      亦野誠子     5800点(メガン・ダヴァン)

 南二局      原村和      6000点(2000オール)

 南二局(一本場) メガン・ダヴァン 4200点(亦野誠子)

 南三局      鷺森灼      8000点(2000,4000)

 

 

「始めましょうか……」

 再び、原村和の口から、その言葉が発せられた。前局までの紅潮していた彼女の顔は、青みを帯びるほど白く変わり、着ている衣装の白さと相まって、本当に氷の天使に見えていた。

 南四局 親の亦野誠子がサイコロを回し、配牌が開始された。

(原村、無理をさせてすまないと思っている。だが、分かってほしい。私達は、このままでは終われないのだ)

 配牌が完了した。誠子の手牌には役牌を含む対子が4個もあり、大きな手に発展する可能性があった。

(狙えれば対々和か、2副露目で役は読まれるが、待ち牌が予想し辛いはず)

 面前での勝負は一切頭になかった。あくまでも3副露で勝つ。それが、誠子にとって、この勝負の唯一納得のできる終わらせ方であった。

 上家のメガン・ダヴァンが牌を伏せた。

(最後はそれか……。敵は原村だけではない。メグ、あなたも。鷺森、お前もだ!)

 誠子の第一捨て牌は【西】であった。4人の意地とプライドが交差するオーラスが開始された。

 



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15.始動

 決勝戦 対局室

 

 

 副将後半戦 オーラス

  東家 亦野誠子     213500点

  南家 鷺森灼       45100点

  西家 原村和       67200点

  北家 メガン・ダヴァン  74200点

 

 

(やっぱり、私の考え方は古いのかな)

 鷺森灼は、眼前の展開に独り言ちた。手牌を読まれるのを承知の上で、副露を重ねる亦野誠子や、振り込む危険性を省みないメガン・ダヴァン、そして、デジタルの極北ともいえる原村和は、灼が理解できる範囲外にいた。

 だが、その面子を相手に、副将後半戦は、プラス収支の結果を残せている。

(半荘という短いスパンの勝負なら、流れや運を意識するのは、悪いことではない)

 そこまで考えて、灼は、自分自身を鼻で笑った。

 そう、分かっていた。そんな論理武装は、自分の古さを証明することに他ならなかった。

 

 灼は、自身のスタイルで原村和に対抗できるとは思っていなかった。だがら、試合開始前に、和をよく知っている新子憧の指導を受けていた。それは、灼にとって、驚きの連続であった。

 

 

 50分前 試合会場通路

 

「灼、惑わされてはダメよ、和は今、前より弱くなっている」

「え?」

 鷺森灼には、新子憧の言った「弱い」という意味が分からなかった。なぜなら、副将前半戦は、完全に原村和の支配下にあった。「弱い」などとは思えなかったからだ。

 憧は、戸惑っている灼に丁寧に説明をした。

「デジタル打ちはね、シンプルなほど隙がないのよ。見えているデータで自摸可能な山牌を予測し、聴牌率、和了率を最優先に打牌選択し、先行立直をかける。それが、これまでの和のスタイル。ネット麻雀最強と呼ばれた“のどっち”のね」

「でも、今日は違った。他家にも干渉していた」

 灼の感想に憧は頷き、そして、眉間に皺を寄せて言った。

「今日の和は……麻雀AIのアルゴリズムで打牌してるのよ」

「……そんなこと、できるの?」

「できるわけがないわ、だから、倒れちゃったのよ。それに……和は、入ってはいけない領域に踏み込んでいる」

「入ってはいけない領域?」

 灼は、憧の言ったその言葉に不安を覚えた。 

「牌の偏り……運と言ってもいいわ、デジタルでは排除してもいい要素。和は、それを計算式に組み込んでいる」

「あの子ね……」

「そうね、完成されていた必勝パターンを捨ててまで、新しいスタイルを構築しようとしている。すべては、あの子に対抗する為だと思う」

 先程の不安がなんであったのか、その疑問が解けた。灼は、忌まわしき答えを口にした。

「宮永咲……」

 高鴨穏乃の励ましで多少は気が楽になったが、その名前には、灼を恐怖させる力があった。魔王との遭遇は、それほどまでに衝撃的であった。

 憧は、そんな灼の気分を変えようと思ったのか、話を軌道修正した。

「灼、最初の話だよ、和のそれは、まだ準備期間みたいなもので完成には程遠い。だから、付け入る隙は以前より多いよ」

「……例えば?」

「そうね、引っかけとか、今の和には区別ができないはずよ。それと、あえて最善を選ばない打牌とか、AIの弱い部分を突いて」

「さすが……やっぱり憧は阿知賀ナンバー1」

 灼は苦笑いをして、憧を茶化した。

「……あんな多数決は無効よ、今度は赤土さんも入れて、全員で投票するからね」

「それじゃあ、次も憧に投票するよ」

「……」

 ぶすっとした顔で、憧は灼を睨んでいた。

 

 

 7巡目、鷺森灼の手牌は、まだ二向聴であったが、筒子が程よく集まっており、何よりも憧が言っていた、引っかけを可能にする牌が揃っていた。

 【一萬】【三萬】【五萬】のリャンカン形。

(子供の頃は、こんな引っかけで上がると怒られたな……)

 原村和の捨て牌を確認した。灼を前にして、筒子を保持するのが不利と考えたのか、序盤で【四筒】が切ってあった。

(憧……やってみるよ、AIを迷わせればいいんだね)

 次巡、筒子の有効牌を自模った。これで一向聴。灼は、ヒリヒリするような緊迫感を楽しんでいた。

 

 

「ポン!」

 亦野誠子は、原村和の自摸切り【五索】をポンした。8巡目にして、ようやくの1副露であった。

(【五索】の自摸切りか……第一捨て牌の【二索】早い巡目での字牌切り、それと【四筒】【五筒】も切られている。6から9までの三色か萬子の一通か?)

 和の河の状態を見て、誠子は焦っていた。まだ聴牌していないはずではあったが、この2巡の自摸切りが気になった。

 9巡目、和は有効牌を引いたのか、それは手牌の中に入っていった。切られた牌は【発】。

「ポン」

(これで一向聴。対々和、発、ドラ1、上がれば8000だが……)

 誠子の手牌は、対子の【一索】【八筒】【三萬】と安牌の【東】が1枚であった。

(萬子はメグさんが集めているだろうし、出るとすれば【一索】【八筒】か)

 3副露にこだわった誠子の手牌は、ここに来て、かなり苦しくなっていた。前半戦までに聴牌していたら、自身の引きの強さを信じて、強気で攻められたが、現状は降りることも視野に入れて考えなければならなかった。

 10巡目、その誠子の自摸牌は最悪のものであった。

【六萬】

(原村……張っているのか?)

 前巡に和は【発】を切った。なぜ、そんな牌をここまで持っていたのか、それが誠子には疑問だった。不要となった字牌の対子落としなのか、別の理由があるのか、それが分からなかった。

【六萬】を切るならば今しかなかったが、誠子はそれを選択できなかった。

 捨て牌は安牌の【東】を選んだ。

 11巡目、まだメガン・ダヴァンは顔を伏せたままだ。誠子の引いてきた牌は、字牌の無駄自摸、安全な牌であったので、それを捨てた。

(そうか……メグさんの自摸を飛ばすことが理由か)

 誠子の前に晒された牌は、いずれも和から出たもので、その間にいるメガンは2巡連続で手を進められなかった。

(でも、その為には私の待ち牌を正確に予測できなければ……)

 同巡、上家のメガンが【一索】を切った。誠子の動きが完全に止まった。

「失礼……」

 誠子は自摸をする前にその発言をした。それは、メガンの切った【一索】を鳴くか鳴かないかを迷っていると自白していた。

(予測できるのか……? そういえば、前半戦の原村は、何度かデジタル打ちの枠から外れていた……)

 短く刈られた誠子の頭髪。その涼し気な雰囲気とは異なり、今は、滴り落ちるほど汗をかいていた。亦野誠子は決断を迫られていたのだ。

(この面子の牌の偏りは、データとして織り込み済みということか……)

 まるで憑き物が取れたようであった。その選択によって、誠子を苦しめていたなにかが消し飛んでいた。――選択、それは現時点での負けを認めること。

 誠子は副露せず、手を伸ばして自摸牌を引いた。再び字牌の無駄自摸であったが、誠子は自分の意思を和に伝えることにした。

 捨て牌は【一索】。

(原村、お前も苦しんでいるのだな。あの怪物を倒す為に……)

 先程の遭遇時に、身をもって確認した怪物、宮永咲。彼女をチームメイトに持つ原村和は、白糸台で言えば、宮永照に対する大星淡と思われた。だから、誠子は和に同情した。なぜなら、宮永照を倒す困難さを十分すぎるほど理解していたからだ。

 そして誠子は、自分のチームメイトの淡に、心の中で詫びていた。

(すまん、絶対安全圏の15万点を割ってしまって、被害はなるべく最小限にして繋げるから許してくれ)

 確実に降りきること。それが、誠子の使命となった。その使命を与えたのは、成長した自分であった。

 

 

 既に12巡目、メガン・ダヴァンは、まだ聴牌できない現状に苛立っていた。原村和は意外な戦術で攻めてきた。それは、メガンの自摸牌を減らすこと。

(この役で、自摸を飛ばされるのは、なかなか辛いデスネ)

 メガンは、前半戦で和に遅れを取った萬子の混一色を狙っていた。それは、彼女の頑固さを物語っていた。

(ネリーが見たら怒るデショウネ。でも、ワタシは、このホンイツで上がらなければなりマセン)

 13巡目、まだ、メガンの視界は暗いままであった。じりじりとした焦燥感、メガンはそれを感じていた。

 

 

 14巡目、鷺森灼はようやく聴牌した。

(いける、メグさんは萬子の混一色だろうけど、【二萬】は前半で切れている。それは原村の三色にも絡まない牌。やれるよ! 憧!)

「リーチ」

 灼は、想定通りに【五萬】を切った。もろ引っかけであった。

(この巡目での立直。不自然かもしれないが、【二萬】は原村がメグさんへの安牌で持っている可能性がある。だとしたら、必ず切る)

 原村和は、もう聴牌しているかもしれない。しかし、清澄高校は持ち点を考えると、混一色の満貫クラスに振り込むことはできないはず。そこが、この引っかけの狙い所であった。

 勝負は、メガン・ダヴァンが顔を上げた後、灼はそう考えていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 加治木ゆみは、画面に映る原村和の“芸当”に驚愕していた。彼女の捨て牌だけを見れば、だれもが6,7,8の三色を作っていると考えるだろう。しかし、実際の和の手牌は七対子。それは、三色の偽装を行いながら、聴牌率を優先して作り上げた芸術的なものであった。前巡目から聴牌しているが、待ち牌がよくないので立直をかけていなかった。

 15巡目、和の自摸はその理想の牌、だれも集めていない、山の中に3枚残っているはずの【北】であった。だが、その為には今持っている牌を切らなければならない。

「桃、和は【二萬】を切るかな?」

「切らないっス」

「なぜ分かる?」

「読んでるっスよ、おっぱいさんは、もろ引っかけを読んでるっス」

「……」

「私は闘ったから分かるっス、おっぱいさんは迷わない」

 東横桃子の言ったとおりであった。和は【北】を迷わず捨てた。

「桃、この和に勝てるか?」

「おっぱいさんは、私が見えてる……苦戦するっス」

 ゆみは、桃子のその解答に満足していた。「勝てない」とは言わず「苦戦する」と言った。確実に成長している1年生 東横桃子。彼女は来年の敦賀の柱として活躍するだろう。しかし、敦賀は駒が不足しているのも事実であった。ゆみは、考えていた構想を冗談で口にした。

「南浦数絵でもスカウトするかな……」

「あの……」

 福路美穂子がすまなそうな顔で話しかけてきた。

「久保コーチが、南浦さんは来年は風越でプレイすると……」

「……」

 予想通りと言えばそれまでであったが、美穂子のその言葉は、ゆみの顔をしかめさせた。

(やっぱり、金のある所は違うね……)

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「ダメだったね」 

 高鴨穏乃は、腕を組み、不機嫌そうな顔で画面を睨んでいる新子憧に、笑顔で言った。

「なんなのその笑顔、全く不謹慎だよね」

「憧ちゃんもちょっと笑ってるよ」

 松実玄が言った。やはり彼女も笑顔であった。

「まあ、和だから」

 赤土晴絵も笑っていた。ただし、他の3人とは少し意味合いが違い、見事な打ち筋を見せている原村和を、且つての指導者として喜んでいる様子であった。

「そうですね……和なら、仕方がない」

「まあね」

「うん、仕方がない」

 一人取り残された松実宥が心配そうに質問した。

「あの……灼ちゃんは?」

 晴絵がその質問に答えた。笑顔のままで。

「灼なら大丈夫だよ。きっと降りきってくれる」

 立直もかけているし本当に大丈夫なのか。といった顔で、宥は晴絵を見ていたが、やがて彼女も笑顔になった。こんな時の鷺森灼の信頼性、それを思い出したのだろう。

 穏乃は感慨無量であった。面白い、和と遊ぶのがこんなに面白いと思わなかった。穏乃の夢は叶ったのだ。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 15巡目、メガン・ダヴァンの自摸、指で盲牌した結果、彼女の視界に光が差し込んだ。

(晴れまシタ……)

 メガンは牌を立てて、顔を上げた。手牌は萬子の混一色であったが、前回と異なるのは、その待ち方であった。変則的な【南】と【九萬】のシャボ待ち。しかし、前回同様に止められている可能性もあった。メガンはその確認をした。

(生きてイル……両方)

 残り数巡であったが、メガンは手ごたえを感じていた。そして、それぞれの河をチェックした。

(マタノ……降りましたか。いい顔していマス。ソウデス、降りると負けるは別のものデス。アナタはそれを知りまシタ)

 続いて、鷺森灼の河。

(もう一人の頑固者、サギモリ。その立直はおそらく引っかけデスネ。良い着眼点デス。だけど、それは失敗するデショウ。なぜなら、【二萬】はワタシが切っているからデス。ハラムラは抜け目ありませんヨ)

 そして、原村和の河に目を向けた。

(三色デスカ…………)

 

(コレハ……!?)

 メガンは、和の顔を見た。相変わらずの真っ白で無表情な顔であった。

(この河には、もう一つの表情がありマス。まとまりのない捨て牌……七対子)

「フフ……」

 メガンはうっかり声に出して笑ってしまった。面子の3人が彼女を見た。

「失礼シマシタ」

 そう謝ったが、メガンの顔から笑みは消えていなかった。

(サトハ……ワタシは日本に来てよかった。こんな相手に巡り会えたのデスカラ)

 親の亦野誠子の自摸、オーラスは16巡目に突入していた。

 

 

 終局が近づいていた。鷺森灼は自分の考えを整理していた。

(山の中に【二萬】は1枚ぐらい残っているかもしれない。でも、私が狙うのは、原村からの出上がり。メグさんが顔を上げた。ここからが勝負だ)

 降りている亦野誠子は安牌を捨てた。続く灼の自摸、立直しているので、運が悪ければ振り込んでしまう。しかし、灼は堂々とした態度で自摸牌を引いてきた。

(なぜだろう、振り込む気が全くしない)

 だが、その牌は当たりでもなかった。【二索】、完全な不要牌。灼はそれを切った。

 そして、原村和の自摸番、連続しての【北】の自摸切り。

(運がいい……)

 何故かしっくりしなかった。和が灼の立直で待ちを変えたのなら、和了率の高いものを選ぶはずだった。そう考えると【北】はまさに打って付けの牌であった。

(そうか……原村からは出ないか……)

 灼は、和の奥深さに驚いていた。考えれば考えるほど、和の手牌は三色ではなかった。待ちを変えるのが比較的に容易な役、七対子。それしか考えられなかった。

 灼は、自分の胸に手を当てて深呼吸をした。

(【二萬】を先に引いたほうが勝ち。――大丈夫、私は勝てる)

 強敵として認識した和との対決に、灼は震えていた。それは、恐怖や歓喜に起因するものではなく、ただの漠然とした不安によるものであった。灼はその感覚を生まれて初めて味わっていた。

 

 

 メガン・ダヴァンは鷺森灼と原村和の待ち牌が同じ【二萬】であると確信した。

(今回は確率でもワタシが優位に立てたようデス。【二萬】は私が1枚持っていますので、山には1枚だけしか残っていまセン。対するワタシの待ち牌は、最低でも3枚残っていマス)

 メガンの自摸番、引いてきた牌は【南】でも【九萬】でもなかった。

(なんという……サギモリ、助かりマシタ)

 捨てた牌は【北】、同じような場所に3枚も集まっていた。

 そして17巡目、メガンは、この巡目で上がれるように思えていた。それは、暗闇を行った時に、度々現れる現象であった。だが、その為には、自分まで自摸番が回ってこなければならなかった。

(勝利の女神……サギモリとハラムラは彼女に嫌われているとイイノデスガ)

 灼の自摸、牌を取って手牌の横に置いた。それを見る灼の表情は――悔しそうであった。その無駄牌を河に捨てた。牌が曲がってしまい、指で真っ直ぐにしていたが、その手は震えていた。

 そして、和の自摸番。ルーチンワーク的に牌を引いていったが、打牌のそれが崩れた。和はなかなか牌を切らなかった。この状態では、ほとんど相手と目を合わせない和が、自分から顔を上げてメガンを見ていた。真っ白であった和の顔に、みるみるうちに赤みが戻っていった。

 和からツモ宣言はなかった。切った牌は【九筒】。

(……勝負デス!)

 メガンは目を閉じて、山に手を伸ばした。

 牌をつまみ、親指で表面を撫でた。

(これで……ワタシは……アメリカに帰ることができマス。すべてのミッションはコンプリートシマシタ)

 指の感覚が伝える情報は【南】であった。その勝利で得たものは、感動や喜びではなかった。安らぎに似た感情、寂しさに似た感情、例えようのない曖昧な感情であった。ただ、最も重要なことははっきりしている。

(この対局、ワタシは、すべてを出し尽くしまシタ――完全燃焼デス)

 収支的には約1万点のマイナスであったが、今は、死力を尽くして闘った満足感に包まれていた。

 メガン・ダヴァンのインターハイはここに終了したのだ。

「ツモ。メンゼン、混一色、南、2000,4000デス」

 終局のブザーが鳴った。

 

 全員で立ち上がって礼を行うのが慣例であったが、ここで奇妙な事件が起きていた。亦野誠子、鷺森灼、メガン・ダヴァンの3人は、ブザーと共に、礼もせず原村和の周りに走り寄っていた。和はその対応に困って、手を大きく振り、大きめの声で言った。

「だ、大丈夫ですよ」

 3人は顔を見合わせた。

「いや、原村君には無理をさせたから」

「本当に大丈夫なのデスカ?」

「はい、一局だけでしたから」

「そう、良かった」

 4人は、昔からの友人のように楽し気に笑った。

「原村さん……手牌を見てもいいかな?」

 灼が和に聞いた。和は笑顔で頷いた。

 開けられた牌を見て、誠子の表情が変わった。

「七対子……」

「はい……亦野さんを牽制しながら打つには、この形がベストと思いました。でも、後半に鷺森さんに追い詰められて……」

「……」

 メガンが誠子の背中を叩いた。

「!」

「そんな顔してはダメだと言ったデショウ。マタノもサギモリも来年も副将をやればイイダケデス」

「そうか……そうだね」

「うん」

 再び笑顔の輪ができていた。

 そこに、インターハイの係員が近づいてきて、4人に注意をした。要約すると、終礼をちゃんと実施しろとのことであった。

 改めて、4人は終礼を行った。

 それは、滅多に見られない全員が笑顔の礼であった。

 

 副将戦終了時の各校の点数

  白糸台高校   209500点

  臨海女子高校   83200点

  清澄高校     65200点

  阿知賀女子学院  42100点

 

 

 清澄高校 控室

 

(これが……本当の咲なの?)

 宮永咲は、完全に戦闘モードに入っていた。時折見せていた人間らしさを感じさせない雰囲気、それが完全に固定化されていた。

 副将戦が終わり、これから彼女の出番であった。竹井久は、最後の確認をしようとした。

「咲……」

「点差は問題ありません」

 余計な発言を許さない空気があった。久はそれに吞まれた。

 ――咲は、頭だけを動かし、久を見た。その顔は、血が通っていなそうな肌の色、光を反射しない眼、動かない顔面の筋肉、つまり、表情というものが欠如していたのだ。

「ケリをつけるのは後半戦です」

「前半戦は……どうするの?」

 久は、目を合わすことができなかった。咲の口の辺りを見ながら訊ねた。その口が、まるでアニメーションのように動いた。

「振り出しに戻します」

 咲が歩き出した。普通なら激励の一つでも言うべきであったが、清澄高校麻雀部のメンバーは全員無言であった。だんだんと遠くなっていく咲の背中を眺めているだけであった。そして咲は、ドアを開けて、決戦の場へと向かっていった。

「咲ちゃん、おっかないじぇ……」

「そ、そうね」

 久は、ティーカップを取った。カチカチと音を立てながら、中身の紅茶を飲んだ。

「振り出しに戻すって、どういう意味じゃ?」

「多分……プラマイ0を、他校に強制する……」

「な、なんじゃと! そんなことが……」

 できるわけがない。そう言いたかったのだろうが、染谷まこは口をつぐんだ。

「私達は……〈オロチ〉を知ってしまった。もしそれが本当なら、大将戦はとんでもないことになるわ」

 久の頭の中で、二つのものが、天秤にかけられていた。片方は全国制覇という自分の野望。それと吊り合うもう片方は、凶悪な怪物を解き放ったという罪悪感。今は、若干野望のほうに傾いているが、これから目撃することによっては、逆方向に振り切れる可能性があった。――竹井久は恐怖していたのだ。〈オロチ〉と化した宮永咲に。

 

 

 試合会場 通路

 

「ネリー!」

 メガン・ダヴァンが、かなり遠くから自分を呼んでいた。ネリーはそれに手を振って答えた。

 数秒後、ようやく会話ができる距離まで近づいた。

「メグ、お疲れ様」

「ハイ、疲れまシタ」

 ネリーは声に出して笑った。

「いいお土産ができたね」

「ハイ、でもワタシはまた帰ってきマス」

「?」

 メガンは、良い顔で笑っていたが、どこか寂しそうであった。

「3年後……再びハラムラと闘えるようになったら、ワタシは日本に帰ってきマス」

「そう」

「ハイ……」

 こんな穏やかな顔をしたメガンを見るのは初めてであった。

(良かったね、メグ。完全燃焼できたんだね)

「ところでネリー、ミヤナガ対策は完璧デスカ?」

 突然、いつもの口調、いつもの顔でメガンが質問をした。ネリーは目が点になってしまった。

(やっぱり、アメリカ人はよく分からない……)

「監督と智葉は、前半戦はなにもするなって言ってた」

「それは正解デショウ? ネリー?」

「……」

「アナタは運の波とよく言いますが、それは、本当に波のようなものなのデショウ? ソシテ、それを掴むには時間がかかる」

「宮永のは準決で掴んだよ」

 メガンは口を曲げて笑った。

「自分でも分かっているはずデス。今日と昨日のミヤナガは別人デス」

「メグ……」

 メガンは両手をネリーの肩において、優しくポンポンと叩いた。

「監督とサトハ言うことをよく聞いて、前半戦でそれを掴んでクダサイ。ネリーはよく言っているじゃないデスカ、『最後に勝てばいい』とネ」

「……分かったよママ」

「……ママ」

 メガンの顔が引き攣った。ネリーは楽しそうに追い打ちをかけた。

「ただでさえ老けてみられてるんだから、そんなこと言ってるとますます老化が進むよ」

 そう言って、ネリーは走って逃げた。

「ネリー!」

 メガンの大声が通路にこだましていた。

 

 

 亦野誠子の姿が見えた。結果に満足できなかったのか、落ち込んでいるように見えた。大星淡は、自分にできることを考えていた。慰め、励まし等、様々なカードがあったが、選ぶものは決まっていた。

「亦野先輩!」

「淡……」

 選んだカードは“おちょくり”であった。

「連続でのハンデ付け、感謝します」

「ふふ」

「な、なに、キモイんですけど」

 急に笑い出した誠子に、淡は本気でビビッていた。

「私はそんなに落ち込んじゃいないよ、今回は負けたけど、納得したよ」

「……」

「納得した負け……それは、そんなに悪い気分じゃない」

「私は、負けるのが嫌い……」

「今はそれでいいよ」

 その言葉に、淡は目を吊り上げた。

「なによ、誠子までテルーと同じようなことを言って」

「宮永先輩と?」

 淡は真剣な表情で誠子に言った。

「私は……サキに負けるって……」

「そうか……」

 少しの間、沈黙が発生した。しかし、淡はその場を動かなかった。もっと誠子と話をしたかった。

「弘世部長はなんて? 宮永咲と勝負してもいいって?」

「うん、でも、私とサキの親番だけ。しかも……」

「しかも?」

「絶対立直するなって!」

 淡の声が大きくなった。淡の能力は立直が契機になるので、手足を縛られたも同然であった。

「それはお気の毒様」

「なにその適当な返事、もー信じられない」

 誠子が笑ってくれた。なぜか分からなかったが、淡にはそれが嬉しかった。

「淡、考え方だよ。お前は宮永咲に屈するかもしれない。でも、白糸台が清澄に屈するわけじゃない」

「……」

「宮永先輩、弘世部長、尭深、私、みんなで繋いだ点数だ、大事にしてくれ」

「誠子が一番減らしたけどね」

「……」

「あははは」

 淡は、誠子の言っている意味がよく分かっていた。でも、恥ずかしくて素直に返事ができなかった。だから、笑って胡麻化した。

「しっかりね、淡」

「……はい」

 

 

「やあ、シズ」

 満面の笑み。そんな言葉がぴったりな顔で鷺森灼が言った。

 高鴨穏乃も同様の笑顔で返した。

「和は強かったでしょう」

「うん……強かった。そして楽しかった」

 そう言って灼は、本当に楽しそうに笑っていた。麻雀部部長というポジションがそうさせるのか、これまでの灼は、こんな風に笑わなかった。

「シズ、私は、もっと強くなるよ」

「はい」

 普通の鷺森灼はそこまでであった。ここからは麻雀部部長の鷺森灼。いつもの顔で穏乃に質問をした。

「シズは? 予定通り?」

「前半戦は、宮永咲に擬態します」

「擬態か、面白いね」

「でも、この点差です。赤土さんの作戦はうまく行きますかね?」

「あの子なら、やるかもね。大丈夫、晴絵を信じて」

 赤土晴絵は、清澄高校 宮永咲が各校の持ち点を平均化すると断言した。阿知賀の作戦は、それが前提となっていた。

「シズの強さは瞬発力だよ。後半戦、ワンチャンスかもしれないけど、見極めて一気にスパートして」

「なにか麻雀の話じゃないような……」

「ああ、ほんとだね」

 2人は顔を付き合わせて笑った。

 それがひと段落した後、穏乃は感慨深げに言った。

「大将戦まで来られたんですね」

「うん」

「玄さん、宥姉、憧、灼さん。白糸台の猛攻に耐えきりました」

「そうだね」

 灼も感極まったのか、少し涙目になっていた。それを隠すように、灼は穏乃に、指示をした。

「シズ、手を出して」

「こうですか?」

 穏乃は掌を灼に向けた。ハイタッチをしてくるもの思っていたが、灼は、優しく自分の手をそれに合わせてきた。そして、最後の指示を穏乃に出した。

「勝つのは……私達阿知賀女子だよ」

「分かっています」

 すべてはこの時の為。それが阿知賀女子の作戦。

 穏乃の闘志は全開になっていた。

 

 

「咲さん……」

「和ちゃん、これが〈オロチ〉の私、多分人間には見えないと思う」

「……」

 原村和にもそう見えていた。これまでも、それらしいものは垣間見えてはいたが、真の〈オロチ〉状態の宮永咲は、感情の欠落した魔王に見えていた。

「今日は、休憩時間に来ないでほしい、多分なにも話せないから」

「はい……」

「心配しなくていいよ。〈オロチ〉を始めるのは私の意思。だから、終わらせるのも同じ」

 咲は和と向かい合った。表情はなかったが、言葉には感情が込められていた。

「この試合が終わったら、私は、いつもの宮永咲に戻るから」

 ――それは珍しいことであった。手を握ったり、抱き着いてくるのは、ほとんど咲のほうからであったが、今回は違った。和は〈オロチ〉の咲を抱擁していた。

「……勝って下さい」

 和は、ゼロ距離でそうささやいた。その一言で、自分のすべての思いが伝わりきると思った。

「勝ちます……死んでも……」

 そう言って、咲も和の背中に手を回した。

 自分の思いが伝わったことを実感し、和は嬉しくなった。

 そして和は、その幸せを噛み締めて目を閉じた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 インターハイ決勝はクライマックスを迎えようとしていた。会場の大型モニターには、福与恒子と小鍛冶健夜が映し出されていた。これから、大将戦の選手入場の実況を行う予定であった。

 

『いよいよ最後の闘いが始まろうとしています。圧倒的優位に立っているのは、2位以下に12万点以上差をつけている白糸台高校です。現実的に考えるならば、それ以外の3校の挽回はかなり難しいのではないでしょうか』

『現実は……多くの場合、予想予測を裏切ります。だから、現実的という言葉は、適当ではありません』

『しかし、白糸台の大将は、超新星と恐れられた大星選手ですが?』

『そうですね、すばらしい選手です。しかし、弱さも兼ね備えています』

『阿知賀女子学院の高鴨選手との名勝負は、語り草になっていますね……』

 

 

『おっと、選手が入場して来たぞ! トップバッターは臨海女子高校のネリー・ヴィルサラーゼ選手だー!』

『準決勝の3連続三倍満は驚異的でした。その爆発力を発揮できれば、逆転も夢ではありません』

『ネリー選手が勝つ為にはどんな戦術が考えられますか?』

『彼女に限りませんが、他家を上手に使わなければ、12万点という点差は詰められません』

『白糸台高校を1人沈みにさせればいいのですね?』

『ネリー選手はその適正があると思います』

 

 

『大星淡選手だー! ポスト宮永照、超新星の名をほしいままにした、ダブリー悪魔の入場だー!』

『完全な威圧型の選手です。特徴的なW立直からの流れで、心理的にプレッシャーをかけてきます』

『槓ドラの追撃も恐れられていますね』

『そうですね。ただ、あまりにも攻撃的すぎるので、守りが弱いですね。今回の白糸台は、その防御力が必要になりますから』

 

 

『続いては、ミラクルハイスクール、阿知賀女子学院 高鴨穏乃選手の入場だー!』

『ミラクルハイスクール?』

『すみません。私の一押しなので』

『はあ……』

『先鋒戦、中堅戦で見せた奇跡が、大将戦でも起きるのかー!』

『興奮しすぎです……。確かに凄い試合を見せてきましたが、持ち点は最下位です。ここからの逆転は本当にミラクルが必要になります』

『高鴨選手なら何とかすると思うんですけど』

『福与アナ……本当に好きなんですね。阿知賀女子学院が』

 

 

『さて、最後はチャンピオンの妹疑惑のあるー……』

『……』

『……み、宮永咲選手って、こんな顔でしたかね?』

『いえ……これは、別人です……』

『別人? それじゃあ、偽物ですか?』

『そういう意味ではありません。なにかが変わっています。顔合わせの時もそうでしたが、この宮永選手は、殺気が凄すぎる』

『殺気ですか? 麻雀の大会ですが?』

『見て下さい、この手を』

『こ、小鍛冶プロ……凄い鳥肌ですね』

『宮永選手が入場してから、これが止まりません。この子は……お姉さんを完全に超えています』

『お姉さんって、宮永照選手ですか!』

『……宮永咲選手は怪物ではありません』

『え? 怪物じゃない?』

『彼女は……魔王です。この場を支配するつもりです』

『小鍛冶プロ命名、魔王 宮永咲選手の入場だー!』

 

 

 決勝戦 対局室

 

 大星淡、高鴨穏乃、ネリー・ヴィルサラーゼの3人は、既に席決め牌を引いていたが、だれも座っていなかった。立ったままで、階段を上ってくる“何か”を待っていた。

 その“何か”は圧倒的な力があるようで、近づくたびに室温を低下させていた。

「来たか……」

 3人の中のだれかが声をもらした。だれであるかは問題ではなかった。

 皆、同じ方向を向いて、その“何か”上がってくるのを見ていた。

 それは清澄高校 宮永咲のような顔をしていた。それならば顔合わせでも見ていたので知っている。しかし、“何か”は宮永咲ではない。もっと凶悪なものであった。

 大星淡は、その“何か”を見てつぶやいた。

「〈オロチ〉……」

 高鴨穏乃とネリー・ヴィルサラーゼはその意味が分からなかった。だが、その〈オロチ〉が近づいてきて席決め牌をめくった。既に3枚開かれているので当然のごとく【西】だった。

 そして〈オロチ〉は、その鈍い光の目で3人を見て言った。

「始めましょう」

 



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16.〈オロチ〉

 決勝戦 対局室

 

 仮東の大星淡が、サイコロを振った。出目は“9”であった。

 その結果により、インターハイ団体戦決勝の大将前半戦は以下の席順で開始された。

 

 東家 大星淡

 南家 ネリー・ヴィルサラーゼ

 西家 宮永咲

 北家 高鴨穏乃

 

 起家の大星淡はもう一度サイコロを回した。

 “トイ7”

 配牌は宮永咲の前の山から開始される。淡は手を伸ばして牌を取った。

 ――咲と目が合った。

(似ている……テルーとよく似ている。どこから見ても合う目、すべてを見透かされていると感じる目)

 宮永照と同じチームの淡にとっては、それだけならば、問題なく対応可能であった。しかし、咲のその目には、姉の照にはない凶悪な側面があった。それは、対戦相手を破壊し尽くそうとする殺戮者の目であった。

(数時間前は圧倒されたけど、今は平気。サキ、私はあの時、あなたに言ったよね、叩き潰してやると)

 反射率ゼロの黒い目。その咲の視線を浴びながら淡の配牌は完了した。

 既に聴牌しており、淡の代名詞のダブル立直が可能であった。これまでならば、迷うことなく牌を曲げていたが、淡は躊躇した。

 この配牌は自分の力によるものだろうか? そんな疑念が淡の判断を鈍らせていた。

(テルー、菫……。ゴメン、私は、試してみたい……)

 試合前に照から忠告されていた。

(『〈オロチ〉に対しての立直は死を意味する。だから、決して立直しないこと。立直できる局面が発生した場合は、すべて咲の罠だと思え』)

 とんでもない話であった。そんなことができる人間がいるとは思えなかった。

(じゃあ、これもサキの罠だって言うの?)

 淡は対面にいる咲を見た。

「!」

 声が出なかった。咲は光のない目で、淡を直視していた。『早く立直しろ!』その目はそう言っていた。淡は歯ぎしりをして、その威圧に抵抗した。

(サキ! お前なんか……私は怖くない!)

「リーチ!」

 大将戦 東一局は白糸台高校 大星淡のダブル立直から始まった。

 

 

(ダブル立直、六向聴。大星の作用か?)

 これがうわさに聞く大星淡の絶対安全圏かと思ったが、迂闊な判断はできない。何しろ、ネリー・ヴィルサラーゼにとって、この3人の波動は。まだ掴み切れていなかった。

 ――運の波、それは、ネリーに波動の形で伝わる。良い自摸が続き、聴牌、和了が近い人間からは、上昇波動。その逆は下降波動が発生する。ネリーはそれを捉えることができるのだ。自分のものは、もっとアクティブに制御可能であった。例えば、良い波にもかかわらず。上がりを保留した場合などは、その上昇波動をストックできる。そして、一気に高めて放出する。それがネリーの爆発力の秘密であった。

(おかしい……大星からはその波動が感じられない。高鴨からも……)

 試合前にメガン・ダヴァンが言ったように、波動は個人差があるので、把握するには時間がかかる。だから違和感を覚えるのかもしれないと考えた。だが、真実は違っていた。

(いや……私は認めたくないんだな……)

 実際は、強い波を掴んでいた。ただ、その波動は、ネリーが心から嫌悪すべきものだった。その発生源は――宮永咲。

(これが人間から発せられるとは……宮永、お前は、本当に悪魔なのか?)

 ネリーの波動を感じ取る力は、家族を守る為に発現していた。内戦中だったネリーの祖国では、死に近づく危険な場所が多数あった。そこからは強烈な波動が出ており、幼いネリーはそれを察知し、家族をそこに近づけないようにして、動乱の時代を生き延びてきた。

 今、咲から感じられるものは、その危険な波動に酷似していた。

(宮永……分かっているのか? これは……悲しみと憎しみ……絶望の波動だ!)

 ネリーは理解していた。ダブル立直、六向聴、これは大星淡の力ではない。宮永咲の罠であると。

(悪魔め! 掴んでやる、お前のウィークポイントを!)

 ネリーは、宮永咲を絶対に倒さねばならぬ敵として認識した。なぜならば、宮永咲の放つ波動は、ネリーがこの世で最も憎んでいるものであった。

 

 

 高鴨穏乃は、自分のテリトリーである山の奥に、何者かが侵入してきたのを感じていた。それは、大きなものであるが、霧のようにはっきりとした形がなかった。しかし、ある一部分だけは、明確に形が見えていた。

 それは、目。

 不安定にうごめく体の上部に2つの目が鈍く光っていた。穏乃は、それがなんであるか分かっていた。その理由は簡単だった、同じ目をもつ者が上家に座っていたからだ。

(この怪物は、咲さんから送り込まれた……私が服従していれば、怪物はこのまま動かない。だけど、私が反逆したら、こいつは暴れ狂うのだろう)

 穏乃は、朝のミーティングの赤土晴絵からの指示を回想した。

 

 

 本日 午前 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

「前半戦は宮永咲に絶対服従すること。なにがあっても、決して反抗してはダメ」

 赤土晴絵のその指示は、当然ながら意味不明だった。

「それは上がるなということですか?」

 高鴨穏乃の問いに、晴絵は首を横に振った。

「前半戦の収支は、おそらくシズがトップになると思う」

 ますます意味が分からなくなった。穏乃は混乱していた。

 晴絵は表情を緩めて、その理由を説明した。

「昨日、小鍛冶さんとで意見が一致したんだ。大将戦開始時、私達は白糸台に大差をつけられている」

「え?」

「白糸台はそれほどのものだよ。玄と宥は防御で手一杯。憧の面子は曲者揃い、灼は薄氷を踏むがごとしだろう。だから、副将までは挽回するチャンスが一切ない」

「大将戦はあるんですか?」

 晴絵は、少し考えてから、穏乃に質問をした。

「白糸台で最も不安定な選手はだれだと思う」

「……大星さんですか?」

「正解だよ。シズは一度闘っているから分かると思うけど、彼女は激情の人だ。付け入る隙が多い」

「……」

 それはそうかもしれないが、だからと言って大星淡が凌ぎやすいとは思えなかった。彼女は桁外れに強い。前回勝てたのは、ほんの少し自分に運があっただけだ。穏乃はそう考えていた。

「宮永咲は…ドラを絡めた支配をかけてくる」

「ドラ……支配?」

「具体的にはなにも分からない。ただ、彼女はシズ達を自分の駒として使うと思う」

「大星さんを削る為の?」

 晴絵は笑顔で大きく頷いた。

「宮永咲の怖さは、嶺上開花ではない、信じられない精度の点数調整能力だよ。今日の彼女は、ドラを自在に操ってそれを行う。まさに無敵だ」

「点差が縮まった時がチャンスですか?」

「とは言っても、分からないことが多すぎる。だがら、前半戦は彼女の好きにさせるんだ。シズは、従順な振りをして弱点を探る。時間がないけどできる?」

「……私は、赤土さんを信じます」

 穏乃のその台詞に、晴絵は困ったような顔をした。

「私も……自信があるわけじゃないよ。だけど、阿知賀が勝つには、そうするしかない」

「勝負は後半戦ですか?」

「うん。だれもがこう思っている。阿知賀が優勝できるわけがないとね。――見せてやろうじゃないか。私達の闘いを、最後の奇跡を!」

 阿知賀女子学院 麻雀部 監督 赤土晴絵の口から“奇跡”という言葉が発せられた。それは、考えようによっては、悲痛な叫びとも思われた。実力不足の阿知賀が優勝するには、それに頼るしかなかったのだ。

 

 

 六向聴から始まった穏乃の手牌は、8巡目の自摸により聴牌できていた。六向聴の場合、この巡目で聴牌できる確率は1%もない。明らかになにかの力が作用していた。大星淡の絶対安全圏を凌駕する力が。

(でも、手牌にはドラがない。この局は上がれないのかな)

 穏乃は宮永咲を見た。全くの無表情で、目だけがあらゆる方向を向いている。――いや、違う。この目には、そもそも方向性がないのだ、だから常に目が合う。穏乃はそう思った。そして、その目が、テリトリーに侵入した怪物の目とシンクロした。

(咲さん……こいつは、私の監視役だね? だけど、自分のやっていることが分かっているのかな?)

 穏乃は、咲に対しての怒りの感情が芽生えていた。

(あなたは、私の領域に無断でこんなものを送り込んだ……)

 その怒りは、力強い打牌として表現された。

(だから、私は、こいつを無傷で帰すことはできない!)

 東一局は9巡目に入った。間もなく大星淡の暗槓のタイミングが近づいてきた。

 

 

 清澄高校 控室

 

 竹井久は、画面に映る宮永咲の手牌と、ドラ表示牌を見比べていた。裏返された牌は【南】であり、ドラ牌は咲の自風の【西】であった。

(咲……いきなり、数え役満を上がるつもりなの?)

 咲の手牌には、その【西】が刻子で存在していた。大星淡の絶対安全圏の作用があったかどうかは定かではないが、既に咲は聴牌していた。萬子の一盃口と【西】、そして、【白】と【七萬】の対子。狙っているのは【西】の槓からの嶺上開花だろう。

「和、ドラは必ず8枚乗るんだったわね?」

「はい……咲さんはそう言ってました」

 計算の早い和は、その結果がどうなるか理解しており、顔を青くしていた。

(だったら、それは槓ドラね、でも、この巡目で大星淡は暗槓をしてくるはず。そうなると、咲はその前に上がらなければならない)

 ――それは、余計な心配であった。久は、いや、この対局を見ているすべての者は目撃した。この場に魔王が降臨したのだ。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 大星淡にしてみれば、それは通常の流れで、3回目の山の角を曲がる直前に暗槓し、その槓に裏ドラが乗る。これが対戦相手を恐れさせた淡の打ち筋であった。手牌には【三索】と【四筒】の刻子を持っていたので、どちらかをこの自摸で引くはず。

 淡は牌を自模り、それを確認した。

 ――淡の背筋は凍り付いた。そして自身の置かれている立場を、はっきりと認知した。

(そう……本気なんだね……)

 あの時、顔合わせの場で咲は言った。淡を再起不能にすると。それは、冗談ではなかったのだ。淡は震える手で、その自摸牌【西】を捨てた。

「カン」

 手牌の【西】の刻子を倒した咲の手が、淡の捨牌を掠め取っていった。その手は嶺上牌へと向きを変えて、牌をつまんで裏返し、そのまま場に置いた。嶺上開花、その行為はそう宣言していた。そして、槓ドラ表示牌をめくる、隣と同じ【南】、咲の前に晒されている4枚の【西】は8匹の龍となった。

(こ、これが……〈オロチ〉)

 目の前の敵は、ただの敵ではなかった。あの宮永照でさえも恐れた〈オロチ〉なのだ。

「ツモ、混一色、西、白、嶺上開花、ドラ8。32000」

 〈オロチ〉は生贄を要求していた。それは自分。白糸台高校 大星淡であった。

 

 

 高鴨穏乃のテリトリーで、形なくうごめいていた怪物は、はっきりとした形を取り始めた。

 ――2つの目が、いきなり16個に増殖した。その目から、うねうねと動く8本の首が形成されていく、ただし、体は1つしかなかった。その姿は日本神話の八岐大蛇を連想させた。

(そうか、〈オロチ〉、八岐大蛇か……大星さんはこいつを知っていたのか)

 その恐ろし気な実態を明らかにした〈オロチ〉ではあったが、まだ動きはなかった。8本の首をゆらゆらと動かしているだけであった。

(刺激しては駄目だ……このまま、前半戦はおとなしくしてもらう)

 内部に怪物を送り込まれた穏乃にできることは限られていた。それは服従。怪物を暴れさせない為には、絶対服従をするしかなかった。

(宮永咲……)

 どんな相手でも、常に敬語で対応していた穏乃であったが、この魔王にはそれを拒否することにした。

(臥薪嘗胆だ、見ていろ宮永咲!)

 

 

 強烈な波動が連続してネリー・ヴィルサラーゼに来襲していた。その痛みに、ネリーは顔を歪めた。考えてみれば、この波動とは直接対峙したことがなかった。察知したら回避する。それがネリーのサバイバル術だったからだ。

(意識をはっきり持たなければ殺られる……もういいやと思ったら殺られてしまう!)

 波動の威力が減少してきた。ネリーは耐える力をそれに合わせて緩めていった。

(まずいぞ……波が読めない)

 ネリーは焦っていた。時間がなかったからだ。前半戦で確実な情報を掴まなければならないが、宮永咲からの波動の対応で手が一杯であった。

(このままでは……なにもできないで負ける)

 大粒の汗が、ネリーの額に浮かんでいた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 観衆は静まり返っていた。咲がやってみせたことは、それほどまでに異常であったのだ。皆が思っていたのは、“凄い”ではなかった。もっと素朴な“なにこれ”という、未知のものに対する恐怖心であった。

『嶺上開花……ドラ8……数え役満』

『……』

『小鍛冶プロ……これ、わざとですか?』

『……そう考える他ありません』

『でも……宮永選手の槓はドラが乗らないんじゃ……』

『乗るんですよ、本当は』

『すこやん……怯えている?』

『いえ、怯えてはいません。ただ、想像を超えていました』

『想像? なに?』

『福与アナ、しっかりして下さい。宮永咲選手ですよ』

『咲ちゃん……』

『そうです。現時点では……だれも彼女を倒せない』

『すこやんでも?』

『私どころか……今は、無敵でしょう』

 

 

 白糸台高校 控室

 

「て、照……」

「まだだ……まだだよ菫」

「え……」

「〈オロチ〉の恐ろしさはこれからだ」

 絶対王者 宮永照が見せる苦悶の表情、それが弘世菫の恐怖心を倍増させていた。

 菫は、精神の均衡を保つ為に、ある情報を照に要求した。

「照……お前の妹は、何枚見えているんだ」

 宮永咲が配牌時に見えている牌、その具体的な数値が知りたかった。

「分からない」

「お前の考えでいい、教えてくれ」

「……」

 言いたくなさそうであったが、僅かの間を置いて、照は答えた。

「最小で、18枚」

 それは、菫の予想と合致していた。ドラ、裏ドラの8枚、赤ドラの4枚、ドラ表示牌2枚に、嶺上牌4枚。合計で18枚。菫は続けて、懸念すべき点を質問した。

「槓をすると、それが増えていくのか?」

 照は、首を縦に振ったが、言葉ではそれを否定した。

「私の考えでは……最初からすべて見えている」

「な!」

「48枚。咲は配牌時にそれだけ見えている……」

 精神の不均衡は改善されなかった。それどころか、激しい動悸が菫を襲っていた。心音が菫の耳に響きわたっていた。

「淡ちゃんは、勝てるんですか……?」

 中堅戦で怪物ぶりを発揮した渋谷尭深が、怯えながら聞いた。

「殴り合いで……〈オロチ〉に勝てる者はいない」

「どうすれば……いい?」

「〈オロチ〉を倒すには、その根本的な部分を封じるしかない。だけど、それができる者は今はいない」

(今は、か……つまり希望はあるということか)

 その言葉が、菫の薬になった。動悸が和らいでいった。そして、同じ質問を繰り返した。

「淡は、どうしたらいい?」

 照の表情は冷酷であった。それは、画面に映っている妹の表情に瓜二つであった。

「逃げ回るしかない……今は」

 

 

 決勝戦 対局室 

 

 大星淡は、数え役満への振り込みを冷静に捉えていた。上級生の警告を無視して立直した。何もかも自分の責任、ならば、それを挽回することが白糸台の為にできること。淡はそう考えていた。

 東二局、ドラ表示牌は【八筒】、当然のように、ドラは淡の手牌にはなかった。しかし、それをターゲットにできる牌が集まっていた。

(国士無双……二向聴。【九筒】待ちなら槍槓できる)

 役満 国士無双の槍槓ルール、インターハイでは、そのルールが採用されていた。1面待ちなら、暗槓でも槍槓が許可されていたのだ。もちろん、それにこだわる必要はない、国士無双の最良の待ちは13面待ちなのだから。

(できすぎている……これもサキの罠なのかな?)

 その可能性を捨てきれなかったが、前局の振り込みが、役満和了への大きな誘惑となった。このまま手を進めて、危険と思えば降りれば良い。淡の判断はそのようなものだった。

(ドラ牌を囮に、国士を対戦相手に狙わせる。……そんなことが可能なの?)

 判断に迷いが生じた。淡は心の中で、助けを求めていた。

(テルー……。あなたの妹は……サキは、どれだけの力を持っているの?)

 当然答えは返ってこない。――淡は自力で決断しなければならないのだ。

(ここは……攻める!)

 自分と咲の親番以外は、すべて降りるように命じられていたが、淡は、再度、警告無視を選択した。目の前の宮永咲に屈服することは、自我の崩壊に等しかった。淡の闘争心を支えているものは、咲への憎しみなのだから。引くことはできない。

(サキ!)

 淡は、心の中で、何度もその名前を叫んでいた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「もし、宮永咲が人間ならば……こんなことは、できるわけがない!」

 あまり声が大きくない鷺森灼が、皆に聞こえる声で言った。それは、恐れを抱いた者特有の大声であった。

「灼、落ち着いて!」

 赤土晴絵は、灼をなだめる為に手を伸ばしかけた。

「ああ……」

 その声は、チームの中で、最も冷静な新子憧が漏らした。晴絵は、手を止めて、憧の見ているモニターに目を向けた。

 東二局 13巡目、宮永咲は、阿知賀女子学院 大将 高鴨穏乃の捨て牌【四索】をポンした。その鳴きは、咲の手になんの影響も及ぼさなかった。全くの無意味な鳴きであった。

 再び穏乃の自摸。――ドラ牌【九筒】。穏乃は“聴牌”した。

「同じ場に、国士無双を聴牌している者が二人もいる……人間ではない。小鍛冶健夜が言った魔王だよ。この子は」

 残念ではあったが、その灼の意見に同意せざるを得なかった。高鴨穏乃は今の有効牌で国士無双13面待ち。対する大星淡は、ドラの【九筒】待ち。淡の劣勢は、火を見るより明らかであった。

(小鍛冶さん……あなたの言った最凶の怪物が現れました。私達は、蹂躙されるしかないのですか?)

 答えは、昨日、既に聞いていた。“Yes”小鍛冶健夜は冷たくそう言っていた。

 

 

 決勝戦 対局室 

 

(気がつかなかったのではない、可能性を排除していたんだ)

 大星淡は、高鴨穏乃の河を見てそう思った。そして、宮永咲を睨みつけた。

(高鴨穏乃にも国士を仕込んだね、しかも、13面待ちで!)

 淡の選べる道は2つしかない。穏乃より先に上がるか、中張牌を引き続けて降りるかであった。和了するのは無理かもしれないが、降りるのはなんとかなりそうであった。

「チー」

 14巡目、親のネリー・ヴィルサラーゼの捨てた【六筒】を、咲が副露した。

(また……、この鳴きは……)

 淡の自摸番が回ってきた。嫌な予感がしていた。取るべき牌からは黒いオーラが漂っているように見えた。咲のチーは、淡にこの牌を引かせる為の誘導のはずだ。

(お願い……)

 本能的に発せられた願いであったが、それは、無残にも打ち破られた。

 引いた牌は【中】。

 淡の手牌は、字牌と老頭牌だけの完全な手詰まりであった。2連続役満振り込みが目前に迫っていた。

 淡は、歯を食いしばり、いま引いてきた自摸牌の【中】を捨てることにした。

(まだだ! サキ! これで勝ったと思うな!)

 

 

「ロンです。国士無双、32000」

「……ハイ」

 役満を上がった感動は皆無であった。高鴨穏乃にとって、この役満和了は、主に命じられたことを、忠実に実行しただけであったからだ。監視役として穏乃の領域に居座っている〈オロチ〉は、その結果に満足しているのか、ピクリとも動かなかった。

 大星淡から点棒を受け取った。2連続で役満に振り込んだ彼女ではあるが、闘志の衰えは見えなかった。

(大星さん、あなたは凄い。この宮永咲に真っ向勝負を挑むのだから)

 穏乃は引け目を感じていた。それは、強大な敵に対して、挑む者と逃げる者の差であった。赤土晴絵から服従を指示され、それに従っている自分は、逃げる者に他ならなかった。そして、それは穏乃にとって、我慢ならないことであった。

 東三局、宮永咲の親番。彼女はサイコロを回し、出た目の位置から配牌を開始していた。穏乃達もそれに続いて、牌を取っていった。

 穏乃の心は揺れ動いていた。服従と反逆、宮永咲への自分の立ち位置を決めなければならない。服従から得られるものは安堵であり、反逆は主人から恐怖を与えられる。多くの人間は安堵を選ぶだろう。しかし、選ばれた人間は、恐怖を選択できる。なぜなら、選ばれた人間とは、それに打ち勝つ勇気を持っているからだ。

 穏乃は思った。

(私に……その勇気があるのかな……)

 その結論は出ていた。そう考えている時点で、穏乃は選ばれた人間ではなかった。

 

 

(宮永からの波動が止まった!)

 ネリー・ヴィルサラーゼは、その理由をシンプルに考えていた。つまりは、“宮永咲は親番時には弱体化する”そう仮定していた。情報不足の現状では、そう定義するしかなかったのだ。その為、ネリーはもっと重要な情報収集に、この機会を活用しようと思っていた。

 東三局は7巡目まで進んでいた。大星淡、高鴨穏乃の波動は、ほぼ掴めていた。2人共、上昇波動を発生させており、比較すると淡のほうが強かった。

(白糸台はこんなやつばっかりなのか? 弘世菫、亦野誠子、そして大星淡。メンタルが強すぎる。普通65000点も減らしたら、こんな波は出ない)

 まだ、はっきりとは分からないが、大星淡は高めを狙っているはずであった。それに対して、高鴨穏乃はそれほどでもない。

 ネリーは最も警戒すべき相手を見た。蝋人形のような宮永咲。彼女からの波動は完全に途絶えていた。それが、ネリーを困惑させていた。

(こんなことは有り得ない……生きている人間ならば、必ず波が発生する)

 8巡目、咲から痛みを伴う波動が送られてきた。それと同時に、咲は【五萬】を切った。その牌をネリーは対子で持っていた。

(……これを……鳴いて、大星の運を下げろと……?)

 穏乃が自摸の動作に入った。ネリーは慌てて叫んだ。

「ポ、ポン」

 ネリーは屈辱の思いで咲を睨んだ。しかし、咲は表情を変えずに、再び回ってきた自分の自摸牌を引いた。

「カン」

 咲は、【二索】を暗槓した。槓ドラがめくられた。その牌は【七筒】であった。

(なん……だと)

 ネリーは咲の恐ろしさを再認識した。淡と穏乃の波動が逆転した。淡は和了不可レベルの下降波動に変化し、穏乃は倍満以上の波になった。

(……今は、従ってやる、だが、見ていろ、掴んでやる、お前の弱点を)

 自分を利用した咲に、ネリーは強烈な怒りの眼差しを向けていた。

(2度目だ! 私を利用したのはこれで2度目だ! 必ず報いを受けさせてやる!)

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「ネリー……怒り狂ってマスネ」

「そうだね、ネリーにとって、初めての経験だろうからね」

 メガン・ダヴァンがモニターに映るネリー・ヴィルサラーゼを見て呟いた。辻垣内智葉にも、それが見て取れた。

「これまでのネリーは、今の宮永咲の立場だった。相手を蹴散らして勝ち続けていた」

「順番さ……だれでもいつかはそうなる。その覚悟はしておくべきだよ」

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、当たり前のようにその発言をした。しかし、それは智葉の心に突き刺さった。今日の試合で自分に不足していたものは、まさにその覚悟であったからだ。

「大星は、宮永咲の恐ろしさを、姉の宮永照から聞いるのだろう。覚悟ができているよ」

 画面の中では咲が、2度目の副露を行っていた。目的は、淡に危険牌を送り込む為。アレクサンドラは、それを見て忌々し気に言った。

「……こいつは、小鍛冶健夜と同じかそれ以上だ。ドラが見えている。おそらく二桁以上だろう」

「……」

「魔王か……言い得て妙だな。こいつは何十匹もの龍を支配下に置いて、自在に場をコントロールする。勝てるわけがない」

 智葉は驚いた。監督のアレクサンドラから初めて聞く、弱気な言葉であった。

「ネリーは、まだ負けてまセン」

「そうだな、どのみち宮永は前半戦では勝負を決めないだろう。白糸台が突出しすぎていたからね」

「後半戦が勝負デスカ?」

 メガンの質問に、アレクサンドラは頷いた。そして、いつもと同様に、あまり大きくない声で最後の指示を出した。

「メグ、休憩所間にネリーに会いに行ってくれ」

「指示は?」

「潜れ、宮永の弱点は深い所にある。勝負はワンチャンスだ」

「それだけデスカ?」

「もうひとつ……」

 それは苦渋の指示なのであろう。アレクサンドラの声が、更に小さくなった。

「失敗したら……2位を死守しろ」

 

 

 決勝戦 対局室

 

(サキの親番……唯一のチャンス)

 昨日、宮永照から聞いていた〈オロチ〉の弱点。この局は宮永咲は上がれないはずであった。それともう一点、〈オロチ〉の暴力的な力の一部が削がれている。だが、それがなにかは分からない。照でも分からないのだから、今の自分ではなおさらだ。

(なにが見えていない? 嶺上牌?)

 大星淡は、そのように推測していた。先程から鳴きによって、咲は場をコントロールしている。だとしたら、それはドラ牌がベースになっているはずだった。

 12巡目、淡は【発】で聴牌していた。手牌には赤ドラが2枚あるので、自摸なら8000点、ロンなら5200点。可能ならば咲に直撃したいと思っていた。

(テルーも直撃したことがあるって言ってた。でも、すんなりとはいかないようね)

 自分は包囲されている。その包囲網を指揮しているのは宮永咲。面子のネリー・ヴィルサラーゼと高鴨穏乃を動かして絡め取ろうとしている。淡はそう感じていた。

(サキは、この2人のどちらかに上がらせようとしている。私からの直撃で)

 自摸牌の【南】を捨てた。既に1枚切れている咲の風牌。なんの問題もないはずであったが、淡は少し戸惑ってしまった。咲が方向性のない目でそれを見ていた。

(認める……認めるよ、宮永咲。お前は、最大で最強の敵だ! 私は、お前が怖い……だけど――)

 淡は咲と視線を合わせたまま目を閉じた。呼吸3回分、5秒ほどの後、目を開けた。咲とは目が合ったままだ。

(だけど、それ以上に、私はお前が憎い! だから……倒してやる!)

昨日、照が話した完全なる敗北。淡はそれを理解していた。この咲への憎しみが消えた時、それは訪れるのだろう。ならば、消さなければいい、何度打ちのめされても構わない。咲を憎悪し続けるかぎり、自分は敗北しないのだ。

 

 

 高鴨穏乃は、宮永咲の指示通りに手牌を組み上げていた。なんの変哲のない断公九であったが、咲の槓によって、持っていた【八筒】の刻子がドラ3に化けた。

(私に、大星さんから直撃しろということか?)

 穏乃の自摸番、赤ドラの【五索】であった。聴牌したが、待ちが【二萬】の頭待ちになってしまったので、様子見の為にダマで不要牌を捨てようとした。

 監視役の〈オロチ〉が咆哮し、動き始めた。

(ま、また……これで立直しろと……)

 逆らうことができなかった。穏乃は牌を曲げた。

「リーチ」

 深淵の山の木々をなぎ倒し、前進していた〈オロチ〉は停止し、首だけが警戒の為に動いていた。

 ホッと安堵の溜息をついた。そして、穏乃はその自分を恥じていた。

(絶対服従……約束だから守ります……。けど、こんなに辛いなんて……)

 18巡目、安牌がなくなった淡は、迷った末にその【二萬】を切った。

「ロン……」

 淡が、唇を嚙み締めた。その姿を見て、穏乃の目に涙が浮かんだ。

(大星さん……後半戦です。この化物を2人で退治しましょう)

 裏ドラを確認した。槓ドラの裏表示牌は【一萬】。ドラは6枚まで増えた。

「立直、断公九、ドラ6、16000です」

「はい」

 淡は、点棒を穏乃に渡してから、大きな声で「失礼」と言って、咲に話しかけた。

「サキ、槓ドラ全部見ていい?」

 咲は表情のない顔の角度を変えて、小さな声で答えた。

「はい。でも見ないほうがいい……」

 その警告が聞こえなかったかのように、淡はドラの8枚を乱暴に晒した。

 ――大星淡の目が泳ぎ、困惑の表情に変わった。おそらく彼女の手牌の中には、そのドラ牌が何枚もあるのだろう。ネリー・ヴィルサラーゼも同じであった。戦慄によって顔が青ざめていた。もちろん、穏乃も同じだ。手牌の順子にそのドラ牌が2枚も絡んでいた。

(勝てるのか……こんな化物に……どうやって立ち向かえばいい……?)

 その感想は、3人に共通するものであった。魔王の支配への反逆。それは、現状では不可能と思われた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 大星淡の行動は、モニターにも映されていた。ドラ牌が見えていたのは、数秒であった為、気がついた人間は多くなかった。しかし、感知できた者はすべて衝撃を受けていた。解説者の小鍛冶健夜は、その最もたるものであった。

『こーこちゃん……私は、今すぐにでも……宮永選手と闘いたい』

『はい? でも、すこやんはリーグに所属してないし』

『そうですね、今すぐは無理ですね……』

『それじゃあ……』

『私は……宮永咲選手と闘う為なら、なんでもしますよ』

『おっとー! 爆弾発言が飛び出したぞー! 小鍛冶健夜プロリーグ復帰宣言だー!』

 

 

 龍門渕透華は、天江衣のその顔を見るのは2度目であった。ぴくぴくと動く眼球の周りの筋肉、中途半端に開かれた口、衣の怯えの表情だ。長野予選の決勝戦の対宮永咲戦で見せた表情。

「衣、怖いのですの?」

「ああ……衣は怖い、どうシミュレートしても、この咲には勝てない」

「そうですわね」

「あれと直接対峙している穏乃達の恐怖はどれほどのものだろうな」

「衣がそんな弱気では困りますわ。私達は清澄を倒さなければならないのですから」

 衣は透華と目を合わせずに呟いた。

「宮永照の戦術を取る以外にない……」

「え?」

「咲との対戦は回避する。今は、それしかない……」

 衣の表情は変わらなかった。彼女は、本気で恐れていた。この宮永咲を。

 

 

 決勝戦 対局室

 

「ツモ、嶺上開花。400、700」

 東四局、宮永咲はあからさまな点数調整の安手で上がった。

(ここで点数調整? プラマイ0を狙うつもりなの?)

 続く南一局、大星淡の親番も、咲が9巡目で、面前清摸和の300、500で和了した。

(サキ! 舐めた真似を!)

 淡には咲の意図するものが読めていた。

(次は、高鴨穏乃の跳満自摸か、ネリーの私への三倍満の直撃……)

 その予想は当たった。南二局は、13巡目に高鴨穏乃が跳満を自摸和了した。

(テルー……私……もう、限界かも……)

 咲の意図するもの、それは、4校すべてをプラマイ0にすることであった。淡は、その魔王の悪戯に恐れおののいた。不可能とは思えなったからだ。

(どんなに警戒しても、私が振り込む可能性はある。だって、こいつは、私に危険牌を送り込んでくるんだから)

 淡は考えていた。完全なる敗北とは楽になることなのだろうと。今自分は苦しい、途轍もなく苦しい。だけど、負けを受け入れてしまえば、きっと楽になる。それは、魅惑に満ちていた。思わず飛びついてしまいたくなるほどに。

 淡は揺れ動いていた。そして、淡にとって、神に等しいその名前を心の中で叫んでいた。

(テルー……)

 

 

 大星淡の推測した宮永咲による全校プラマイ0の工程は、以下のようになる。東一局からの経緯を含めて考察してみる。

 

  東一局  宮永咲       32000点(大星淡)

  東二局  高鴨穏乃      32000点(大星淡)

  東三局  高鴨穏乃      16000点(大星淡)  

  東四局  宮永咲        1500点(400,700)

  南一局  宮永咲        1100点(300,500)

  南二局  高鴨穏乃      12000点(3000,6000)

 

 現在の各校の持ち点

  白糸台高校    124600点

  阿知賀女子学院  101100点

  清澄高校      97800点

  臨海女子高校    76500点

 

 南三局の結果予想と各校の持ち点の変化

  南三局  ネリー・ヴィルサラーゼ  24000点(大星淡)

 

  阿知賀女子学院  101100点

  白糸台高校    100600点

  臨海女子高校   100500点

  清澄高校      97800点

 

 南四局の結果予想と各校の持ち点の変化

  南四局  宮永咲        2700点(700,1300)

 

  清澄高校     100500点

  白糸台高校     99900点

  阿知賀女子学院   99800点

  臨海女子高校    99800点

 

 麻雀の点数は五捨六入で計算する為、全校プラマイ0となる。

 

 

 清澄高校 控室

 

「振り出しに戻す……か」

 染谷まこの、その呟きが、竹井久の頭の中で木霊していた。確かに宮永咲は試合前にそう言っていた。しかし、それが現実になりつつあることに、久は驚愕していた。

「大星さんだって、それは分かっているはずです。実現は難しい」

 原村和らしくない歯切れの悪い発言であった。彼女も、チームメイトの宮永咲に畏怖の念を抱いていたのだ。

(いや……咲は怖くない。怖いのは、この化物〈オロチ〉だわ)

 久の頭の中で、天秤の傾きが変わった。自分の野望よりも後悔のほうに振れていた。

(こんな化物を解き放ってしまった。この〈オロチ〉は今後の麻雀を一変させてしまう)

 

 

 決勝戦 対局室

 

(分かったよ宮永。利害関係が一致した。三倍満を大星から上がればいいんだね)

 宮永咲からの波動が減少していた。それにより、ネリー・ヴィルサラーゼは自由に動くことができた。今の自分の波は最高潮に達していた。しかし、それはネリー自身が高めたものではなく、明らかに〈オロチ〉の力が働いていた。

(構わない……プラマイ0、お前はそんな悪戯をしたいんだね。いいよ、協力する。今はね)

 ネリーの手牌は索子に染まっていた。大星淡だってバカではない。清一色の多面待ちでなければ振り込みは期待できない。

 12巡目、ダマで清一色を聴牌していたネリーは、字牌の【白】を引いてきた。当然それを切ろうと考えた瞬間、強烈な痛みを伴う波動がやって来た。

(なに……【白】を切るなと言うの?)

 考えてみればそうであった。淡は立直しているわけではないので、捨て牌の自由度は高い。ネリーが清一色で待っているのは見え見えだろうから、索子さえ切らなければいいのだ。

(索子を囮にして【白】で待てと? ――分かったよ、【九索】を切れば、清一色が聴牌したと思うだろうから)

 13巡目、淡の捨てた【四筒】を咲がポンした。またも不可解な鳴きであった。再び、淡の捨て牌を咲がポン。今度は【一萬】だった。

(なんてやつだ……大星の安牌を減らす為か……)

 そして15巡目、咲は【一萬】を加槓、その槓ドラによって、ネリーの手牌にはドラが6枚になった。面前、混一色、一盃口と合わせて11藩の三倍満に達した。

(後は……大星次第か……)

 

 

 宮永咲の槓によって増やされたドラは【一索】であった。ネリー・ヴィルサラーゼは索子で染めているはずだから、確実にドラが何枚か増えていると思われた。淡はこの局は、降りることを決めていた。咲の親番ではあったが、状況が悪すぎて攻められない。既にネリーは、咲のサポートを受けて、清一色を多面待ちで聴牌しているはずであった。残り4巡、降りきるしかない。

(索子は捨てられない。となると、この5枚の中から選択しなければ)

 数巡前の咲の連続副露により、淡の手牌には索子が9枚もあった。今自模って来た【白】は一見安牌に思えるが、ある疑念がその牌を切るのをためらわせた。

(本当に、清一色なの……)

 これまでの壮絶な経緯が、超新星と呼ばれたほどの猛者 大星淡を不安にさせていた。何しろ、相手は、自分の見えない牌が見えている。すべてをコントロールできる相手なのだ。

 淡の呼吸は大きく乱れていた、手の震え、発汗、それは恐怖によるものであった。何もかも投げ出したい、そうすれば楽になれる。何度もそう考えた。

 だが、淡は踏みとどまった。なぜなら、その選択は敬愛する宮永照を失望させるからだ。それに比べたら、こんな恐怖は耐えることができる。

(振り込んでもいい……。でもね、サキ……私は、あなたには負けたくない)

 淡の表情が穏やかになり、咲への憎しみが和らいでいた。しかし、それは完全敗北を意味しなかった。ギラギラとした闘志から、咲の強さを認めたうえでの、静かな闘志に変わっただけで、大星淡は大星淡のままであった。

 淡は、静かに【白】を切った。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「淡……」

 宮永照が、短くチームメイトの名前を呼んだ。その声は憂いに満ちていた。

 モニターの中では、ネリー・ヴィルサラーゼが三倍満の宣言をしていた。宮永咲の全校プラマイ0の準備は整っていた。

『こ、小鍛冶プロ……こんなことが可能なのですか』

『現実は予想を裏切る。大将戦開始前に私はそう言いました。受け入れて下さい』

『な、南四局が開始されました。ここでもしも、宮永選手が2700点で自摸和了すると、全校がプラスマイナス0の状態に戻されます』

『宮永咲選手は二回戦でも同じことをしていました。ただし、それは自分にだけでしたが』

 

 チーム虎姫の4人は、黙ってそれを眺めていた。

「咲のプラマイ0は強力だよ。〈オロチ〉の状態なら、ほぼ破ることは不可能だ」

「完成するか?」

 弘世菫は、現実を直視していた。0に戻るならそれでもいい。要は仕切り直しだ。淡もまだ死んではいない。後半戦にすべてをかければ良い。

 照が答えるまでもなかった。現実がその答えを出していた。予想通りに宮永咲が2700点で自摸和了、彼女の、いや、〈オロチ〉の遊戯は完了したのだ。

 前半戦終了のブザーが鳴った。

 

 宮永照が立ち上がり、菫に向かって言った。

「淡の所に行くよ、一緒に来て」

「ああ……」

 菫は嫌な予感がしていた。

(宮永咲と出会ってしまうんじゃないのか? 照、それでもいいのか?)

 

 

 試合会場 通路

 

 弘世菫の嫌な予感は的中した。前方から宮永咲が歩いてきている。このままでは、この姉妹は出会ってしまう。

「照……咲ちゃんだぞ」

「大丈夫、このまままっすぐ進んで」

 宮永照は正面を向いたまま足を進めた。咲はもう目の前まで迫っている。菫は思わず目を閉じて立ち止った。

 ――咲は、そのまますれ違い、去っていった。まるで、照が見えていないようであった。

「ね、大丈夫でしょう」

「……」

「今の咲はね、私と案山子の区別もつかない……」

「照……お前……泣いているのか?」

 菫は見た。隠しもせず目から大粒の涙を流す宮永照を。

「一日に2回も泣くなんて……」

「……」

「私はね……咲に、いえ、〈オロチ〉に完全敗北して壊された。その日から私は……感情を捨てようと思ったの。だってそうでしょう、人間は感情があるから傷つき苦しむ。だったら、そんなのはないほうがいい」

 照は両手を顔に被せ、言葉を詰まらせながら言った。

「だけどね……咲のことを思うと……私は……」

「照……」

 両手を顔から離した。照の目は閉じられていた。そして、その目を開けて、菫を見た。

「咲はね、信じられないぐらい優しい子でね、いつだって私の自慢の妹だった」

 照は、菫から目を逸らし、下を向いた。再び涙が溢れ出ていた。

「その咲を……追い詰めて……あんな怪物にしたのは……私だから」

「照、自分を責め過ぎだ」

「分かってる! 分かってるよ! 私も咲も!」

 大声を出す宮永照を、菫は初めて見た。

「だからだよ。だから……私達姉妹は分かり合えない。一生ね……」

 その考え方は、菫には理解できなかった。しかし、次に宮永照から発せられた言葉には、姉の責任感と優しさがあるように思えた。

「咲は……〈オロチ〉は、私が倒す!」

 



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17.帰還

 清澄高校 控室

 

「和、咲のところに行かなくてもいいの?」

 竹井久は、心配そうに画面を見つめている原村和に訊ねた。

「はい……約束ですから」

 普通に答えてはいたが、和の表情には、宮永咲への信頼と恐怖が同居していた。

(きっと私も、同じ顔なんだろうな……)

 清澄高校にしてみれば、絶望的な点差で大将戦は開始された。だが、咲は圧倒的な力量差で場を支配し、原点に戻してしまった。それは、久にも悪い冗談にしか思えなかったが、その強さには、全幅の信頼を寄せていた。しかし、咲を対戦相手として考えた場合、この〈オロチ〉に対抗する術はまったく見つからなかった。それは、恐怖を覚えるほどであった。

(咲、あなたは、お姉さんの後を継ぐことになるのよ……。この数年、インターハイの目的はただ一つだった。宮永照をいかにして倒すか……。それが、来年からは、あなたになる。全国高校生共通の敵として、宮永咲は認識されるのよ)

 画面の中の対局室には、白糸台高校の大星淡だけが残っていた。そこに、現全国高校生共通の敵 宮永照と、白糸台麻雀部部長の弘世菫が来ていて、なにか話し合っていた。阿知賀女子学院の高鴨穏乃と臨海女子高校のネリー・ヴィルサラーゼは、どこかに移動していた。もちろん、宮永咲もトイレかどこかに行っているのか、画面には映っていない。

「和……」

「はい」

「咲は……あの状態だと方向音痴は直るの?」

「!!!」

 和は慌てて席を立とうとした。久はそれを手で制止して、片岡優希を呼んだ。

「優希!」

「はえ?」

「咲を探して気付かれないように見張って! 迷子になりそうだったら、それとなく誘導して」

「合点だじぇ!」

 優希はあっと言う間に走り去っていた。

「トイレに行こうとして、地下のボイラー室に行ったことがありますからね」

「県大会では、私達を探して、屋上に行ったことも……」

「この間の地下鉄じゃあ、ホームを間違えてたのう。あれは焦ったわ」

 須賀京太郎、原村和、染谷まこは、久の不安を煽る事例を並べ始めた。果てしなく続きそうであった為、久は、それを止めた。

「ちょっと、みんな! 大丈夫よ、優希も向かっているし、咲だって、そんなに……」

 全然説得力のない発言をしていると気がつき、久は口ごもってしまった。

(盲点だった……優希、お願い!)

「ふふ……」

 和が、そんな久を見て笑った。その笑いは、みんなに伝染した。衝撃の大将戦が始まってから忘れていたものがあった。それは、この“笑い”であった。

 

 

 試合会場通路

 

 高鴨穏乃は全速力で通路を走っていた。控室に戻って確認したいことがあったからだ。走りは得意な穏乃ではあったが、ステージからでは1分以上かかってしまう。穏乃は、時間短縮の為に更なるスピードアップをした。

 

「何分!」

 控室のドアを開けて叫んだ。チームメイトは無言で、穏乃とモニターを見比べていた。あまりの早さに信じられない顔つきであった。

「何分って……1分も経ってないよ」

 松実玄が答えてくれた。満足のいくタイムであった。

「赤土さん! 時間がない。宮永咲の打ち筋を教えて!」

 正直な話、教えてもらうまでもなかったが、穏乃は第三者の意見を聞きたかった。そうしなければ、後半戦での反撃に不安要素を残してしまう。

「宮永咲は、ドラが見えている。多分、槓ドラ、裏ドラ含めて30枚以上。もちろん、これまで同様に、嶺上牌も見えているだろう。前半戦の支配力はそう考えないと辻褄が合わない」

「私が国士で上がった時は? 大星さんは何向聴でしたか?」

「二向聴だった。九種九牌からのシズとは違った。……何とも言えないよ」

 赤土晴絵は言葉を濁したが、穏乃の心の中では答えが出ていた。

(11種11牌なら、間違いなく国士無双を狙いに行く。前局で役満に振り込んだ大星さんに、その罠を仕かけたんだ。宮永咲……お前は、私を罠のパーツとして使ったんだね)

「シズ……」

 新子憧が、トゲのある顔で呼びかけてきた。穏乃はその理由が分からなかったので、ぞんざいな返事をした。

「なに?」

「あなた、凄い顔してるよ、宮永咲が憎いの?」

「……」 

 答えられなかった。憧の質問は、穏乃の心の闇を覗いていたのだ。

「もう時間がないよ、ステージに戻ろう。私が途中まで一緒に行くよ」

 憧はそう言って席を立ち、穏乃の手を引っ張って、控室を後にした。

 

 ――憮然たる表情で、新子憧は通路を歩いていた。穏乃も憧と大差がない顔つきであったが、なにも話さない彼女が気になったので、横目で意識しながら追随していた。

「シズ、あなた、今のままじゃ負けるわよ」

「なんで?」

「あなたは、宮永咲に心まで支配されている」

「私が? 宮永咲に? そんなことはないよ!」

 穏乃は大声で反論した。憧も同等な声で言い返す。

「違わないわ! だって、いつものシズなら、どんな相手だって呼び捨てになんてしないもの!」

「……」

 再び言葉に詰まってしまった。憧の表情が怒りから哀しみに変化した。

「昨日、あなたは、私に言ったんだよ。……どんな相手でも、自分は変わらないって」

「……うん」

 穏乃は、自分の心の闇がなんであるかに、気がつくことができた。

(本当だ……私は支配されていた。宮永咲、いや、咲さんは、私の倒すべき相手だった。だけど、その圧倒的な強さに、私は……恐怖していたんだ)

「憧……」

「ん……」

「ありがとう」

「……なんか、気持ち悪いね」

 弱り顔の憧に、穏乃は、取り戻せた無敵の笑顔で答えた。

「サイコロ次第だよ……咲さんを、私のテリトリーに封じ込める」

「できるよ……シズなら。私も、今なら信じられる。奇跡って言葉を」

 もう一度、憧に礼をしてから、穏乃は走り出した。自分の闘い方を思い出した穏乃は、今、選ばれた者になった。

 高鴨穏乃は、魔王への反逆者になったのだ。

 

 

 試合会場 ラウンジ

 

 ネリー・ヴィルサラーゼは、前半戦終了後、直ぐにこの場所にきていた。なぜかは分からなかったが、宮永咲との対立で疲弊した精神を回復するには、ここにくる以外ないと思えた。

(楽しかったな……あの時は……)

 副将戦の休憩時間にチームのみんなで騒いでいた情景が目に浮かんだ。ささくれ立ったネリーの心が癒されていった。

「やっぱり、ここにいまシタカ」

「メグ……」

 チームメイトのメガン・ダヴァンが様子を見にきた。彼女らしいおせっかいではあったが、今のネリーには、それがありがたかった。

「浮かない顔デスネ」

「メグ……アメリカって平和なの?」

 ネリーは、メガンと目を合わせずに聞いた。

「……まあ、普通に暮らすには、不自由はありマセンネ」

 メガンはそう言って、ネリーの隣に座った。

「私の故郷はそうじゃなかった。大勢の友達が……いなくなった」

「……」

「宮永を見ていると、それを思い出してしまう」

「そうデスカ……」

 優しい笑顔で、メガンが返事をした。

「日本は平和すぎるぐらいなのに、あの子は、なんでだろうね、化物じみているよ」

「読めまセンカ?」

「読むもなにも……近づくことができないんだよ」

 メガンは、少し顔を引き締めて、後半戦の戦術をネリーに伝えた。

「監督の指示は“潜れ”デスガ? なんでも、ミヤナガの弱点は奥底にあると」

「!」

 予想外の指示であった。そんなところまで見透かされていたとは思わなかった。

「メグ、あの監督は凄いよ……」

 メガンが頷いた。そして、真顔で指示の是非を確認した。

「できマスカ?」

「やってもいいけど……この試合は捨てることになるよ」

「監督は2位でもいいと言ってマシタガ……」

「それも無理だね……。前も言ったけど、監督は宮永を甘く見過ぎているよ」

「それほどデスカ?」

「おそらく、生きる、死ぬの話になるよ」

 それは冗談ではなかった。宮永咲の波動を掴む為のアプローチは、強烈な苦痛を伴い、断念せざるを得なかった。メガンの言った“潜る”とは、それ以上の深みに入り込み、宮永咲の本質に迫ることで、その障害は前半戦の比ではない。自身が精神的に崩壊してしまう可能性もあった。

「ネリー! それでは、やめまショウ」

「ヤダよ、ママ」

「ダメデス! ママの言うことを聞いてクダサイ」

 メガンは、本当に心配していたが、ネリーは反発した。それが自分の欠点であることは分かっていたが、だれかに優しくされると、ネリーはいつもこう考えてしまうのだ。

(自分は優しくしてもらう資格がない)

 心の中では感謝していても、口から出る言葉はその真逆で、可愛げのない憎まれ役を演じてしまう。だから、今回もそれは変わらない。

「私しかいないんだよ……宮永の弱点を見つけられるのは」

「……」

「今年は駄目かもしれないけど、来年の為に私はやりたい」

「ネリー……ワタシに嘘はつかないでクダサイ。怖いのならば、それでもいい……」

「……」

 そのとおりであった。ネリーは咲を恐れていたのだ。だから、自分はこの場所に来てしまった。恐怖をごまかす為に、最良の記憶にすがりつく。弱者の陥る心理状態であった。だが、ネリーはそれを恥ずべき行為とは思わなかた。今メガンが言ったように、恐怖は力に変えることができる。

「うん……私は、怖い……。でもね、メグ。これだけは信じて」

 ネリーは立ち上がった。その表情は決意に満ちており、恐怖を凌駕していた。

「宮永の弱点を掴めないことは、もっと恐ろしい。その為に、私は潜るんだよ」 

 メガンは諦め顔であったが、理解してくれたらしく、頬を緩めた。

「監督には、何て伝えマスカ?」

「優勝できなくてゴメン。でも、来年の優勝は臨海女子高校です。かな?」

「マッタク……どやされるのはワタシなのですからね」

 そう言って、メガンは拳を作り、軽く叩こうとした。それをネリーは両手でキャッチした。

「メグ、覚えてる?」

「なにをデスカ?」

「試合前、みんなで約束したこと」

「覚えてマスヨ」

「私、頑張るよ……」

「ハイ……」

 

 

 決勝戦 対局室

 

 大星淡は、椅子に深く腰を掛け、雀卓を眺めていた。牌がセットされておらず、中央のサイコロがなければ、炬燵の天板のようだなと思っていた。

(もう一か所違ってる……)

 淡の手元には、赤いLEDで数字が光っていた。“99900”それが今の白糸谷高校の点数だった。大将戦開始前には“209500”と表示されていたので、およそ11万点減らしたことになる。

(あれだけ振り込んだら、当たり前だよね……)

 その数字をぼんやり眺めていると、見慣れた顔二つが近づいてきた。

「淡……」

「テルー……」

「咲にやられたね」

 部長の弘世菫と一緒にやって来た宮永照は、優しい顔で言った。

 その顔は、淡の心を落ち着かせた。そして、宮永咲の正直な感想を、その姉に伝えた。

「強いよ……サキは……心が折れそうなぐらいに」

「そう……」

 淡の求めていた返事だった。励ましなんか欲しくない。自分の尊敬する宮永照に、正直な気持ちを、ただ聞いてほしかったのだ。

 淡は、後半戦にやろうとしていることについて、照に確認をした。

「テルー、サキにあれは通じる?」

「早いやつ?」

「うん」

「1回だけなら……。咲は確認を優先するからね」

「親で上がればいいんだよね……」

「それは、回避したほうがいい、〈オロチ〉は親で上がろうとする者には容赦がない」

 淡の代名詞である絶対安全圏の改良型。それは、準決勝で煮え湯を飲まされた、高鴨穏乃への対抗措置であった。五、六向聴の優位性が消えない内にW立直だけで上がる。火力がかなり落ちるので使い辛いが、照でさえも防ぐことができない淡の奥の手であった。

 しかし照は、一度しか通用しないと言った。それは、咲が絶対安全圏の影響を受けないと言っているに等しい。

(手が尽きたか……私は、このまま負けるのかな……)

 淡は力なく下を向いた。

「淡、そんなに落ち込まないで……」

 照はそう言って、弘世菫に説明を促す合図をした。

「淡、考えてみてくれ、後半戦も8局で終わるだろう。しかし、宮永咲は親番で上がれない。つまりは、残った6局を耐えきればいい」

「前半戦の火力を見た? 6局もあれば終わりだよ」

 疲労感漂う声で、淡は菫に投げやりな返事をした。

 菫は、無礼な淡の態度にも怒らず、真面目な顔でそれに頷いた。

「阿知賀も臨海も、そしてお前もだが、何らかの秘策で反撃を考えている――」

「――親番以外なら、咲はそれを見極めようとする」

 照が割り込んで補足した。その話は照自身にも当てはまるように思えた。そう考えると、淡はなぜか可笑しくなり、薄笑いを浮かべて照をいじった。

「姉妹って似てるんだね」

「……そうだね」

 少し恥ずかしそうに照は答えた。

(3局か……耐えられるかもしれないけど、勝つことはできない)

 咲の怖さを存分に味わわされた淡にとって、2人の話はイラつくほどに楽観的だと感じられ、乱暴な物言いになった。

「3局でも同じだよ。サキは倍満以上で上がるんだから」

 不機嫌さを露にする淡に、照は優しく話した。

「淡は、〈オロチ〉を倒せる可能性のある3人の1人だよ」

(そうだ……テルーは前にそう言っていた。でも……なぜだろう)

「昔ね、まだ仲が良かった頃に、咲が話してくれたことがある。〈オロチ〉は8匹の龍を従えると……」

「……?」

 淡には理解できなかった。〈オロチ〉がドラを支配しているのは、嫌でも分かるが、それと自分がなんの関係があるのか? そこが不明であった。

「淡、場には龍が10匹いるはずなんだ。でも咲は、8匹しか支配できない」

「な、なんなの」

 その言葉が、何故か淡を揺れ動かした。それは、不安に近い感情ではあったが、違うようにも思えた。淡は耐えきれなくなり、2人に答えを求めた。

「咲はね、4つ目の槓ができない。――何度か見たことがあるんだ」

 淡はゴクリとつばを飲み込んだ。

「咲は四槓子を拒否していた」

「拒否……」

「四槓子自体が出ないに等しい役だけど、槓を武器にする咲なら、出てもおかしくない。だけど、あの子は、上がらなかった」

「上がれないの?」

「そうだと思う。訳は聞かないでほしい。分からないからね」

 そうはいっても、それが〈オロチ〉の弱点とは思えなかった。2匹の龍が使えない? だからどうだというのだ。自分にはそれが分かってもなにもできない。

「でも、打つ手は無しだよ……」 

 淡は力なく言った。

「淡は、槓できる牌が分かるのか?」

 菫からの今更の質問であった。同じ質問を、同じ弘世菫から受け、同じ回答をしたこともあった。

「なんとなくだよ……槓した後は、ドラ表示牌が見える気が……」

 淡はそこで言葉を切った。なにかの感情が淡の中で芽生えていた。

(……まさか、これが、〈オロチ〉を倒す力なの?)

 照と菫が並んで淡を見ていた。そして、説明役の菫が口を開いた。

「照や原村和とは違い、淡は唯一〈オロチ〉を内部から倒せる可能性がある」

「ど、どうやって?」

「宮永咲は龍を従える……それは王牌を支配することだ。だけど、その王牌の中にも彼女の自由にならない牌が2枚ある。淡……お前は、それを支配しろ。その2匹の龍で〈オロチ〉を倒せるかもしれない」

 淡の気持ちは、それなりに高揚していたが、菫の話はすべて未来形で具体性がなかった。目前に迫る後半戦では役に立たなそうであった。

(そうか……テルーはこのことを言ってたのか……。でも、なんで今教えたんだろう?)

 はっきりとした解答があったのなら、試合開始前に教えてくれても良さそうだが、2人はそれをせずに、こんな土壇場で自分に告知した。淡はその意味を計りかねていた。

(私は突っ走っちゃうからね……もし、試合前に聞いてたら、酷い有様になってたかも……)

 淡は、自分の暴走癖が分かっていた。2人はそれを考慮してくれたのかもしれないと考え、自己解決することにした。それでも、胸につっかえていた謎が解けて、幾分気が晴れた。

 しかし、新たな謎も発生していた。淡はそれを、照に訊ねた。

「小鍛冶健夜や松実玄じゃサキは倒せないの? ドラ絡みなら、この2人は筆頭だよ」

「今は無理だよ、彼女たちは咲に力勝負を挑むしかないからね。その結果は淡にも分かるだろう」

「高鴨穏乃……は?」

 もしも、咲がいなかったら、全力で倒すべき相手であった阿知賀女子学院の高鴨穏乃は、咲に匹敵する支配力を持っているように思えた。後半戦になれば〈オロチ〉に十分対抗できそうであった。

「彼女は、〈オロチ〉を倒せない」

「なぜ? なぜ言い切れるの?」

 即答する照に、淡は更なる疑問をぶつけた。

「なぜなら、彼女の力は、咲と同系の“幻影”の力だから」

「幻影……? サキが? 高鴨穏乃が?」

 その質問に、宮永照は答えなかった。そのまま時間が過ぎ、2人は幾つかのアドバイスを残して去っていった。再び1人になった大星淡であったが、闘争心のチャージは完了していた。

(サキ……私は、あなたと同じだよ。どうしょうもないぐらい諦めが悪い。だから諦めないよ、あなたを倒すことを……)

 照達と入れ替わりで、高鴨穏乃とネリー・ヴィルサラーゼが上がってきた。言葉はなかったが、2人の意志が淡に伝わった。

(いい顔してる……。きっと、思いは同じだよね)

 彼女たちが後半戦にやるべきことは決まっていた。それは、魔王 宮永咲への反逆であった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 インターハイ団体戦決勝は、先鋒戦と次鋒戦が異常な長丁場となった為、現在の時刻は午後10時を超えていた。それにもかかわらず、観客は席を立とうとはしなかった。とはいえ、彼、彼女たちには熱狂や興奮はなく、ただおとなしく画面を見守っているだけであった。皆、これから起こることを見届けたかったのだ。歴史の証人として。

 

『この最終局面で、全校、振り出しに戻されましたが、これは、宮永咲選手が意図的に行ったと考えますか?』

『どちらも信じられませんが……2択ですね』

『2択? どのような?』

『はい。一つ目は、偶然4校がプラスマイナス0の状態になってしまった。二つ目は、福与アナの言ったように、宮永咲選手が点数調整をして4校をその状態にした。――どちらが信じられますか?』

『なるほど……どちらも信じられませんね』

『しかし、現実は4校が原点に戻っています』

『副将戦までの闘いが無意味であったと言わんばかりですね』

『それは違います。副将戦までの激闘があったからこそ、宮永選手も前半戦をその為に使わざるを得なかったのでしょう』

『すると、小鍛冶プロは、二つ目の“宮永咲選手がこの状態にした”と、お考えですか?』

『この2択では、そうなります』

『全員1年生の大将戦。開始前には接戦が予想されていました』

『それぞれの選手の攻撃力、防御力を考えると、展開の予想が難しかったですね』

『ですが、蓋を開けてみると、宮永咲選手の完全な1強でした』

『強い、弱いと言うレベルではありません。場を意のままに操作していました。完全な支配者でした』

『……小鍛冶プロも、ドラの支配者と呼ばれることがあります』

『まあ……そういう人もいます』

『素人意見ですが、私には宮永咲選手もそう見えます。――改めてお聞かせください。先駆者として、小鍛冶プロは宮永咲選手に勝てますか?』

『私は……』

『――え! はい!』

『……どうかしましたか?』

『大変ですよ、小鍛冶プロ! 宮永咲選手が行方不明のようです』

『そう言えば、後半戦の開始時間を過ぎていますね』

『清澄高校の麻雀部部長 竹井選手から、現状の報告がありました。宮永咲選手は、迷子になっており、清澄のメンバーで捜索中とのことです』

『迷子……』

 

 念の為に、館内放送が実施された。

『清澄高校 宮永咲選手、後半戦の開始時刻を過ぎています。至急、対局室にお戻り下さい』

 3回繰り返された放送で、観覧席は失笑、苦笑に包まれていた。

 やがて、片岡優希と染谷まこに引きずられるようにして、宮永咲が対局室に登場した。それを見た観客は、爆笑しながら拍手をしていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

「遅れてすみません……」

 申し訳なさそうに謝る宮永咲を見て、高鴨穏乃は思いっきり吹き出してしまった。彼女の顔は、前半戦と同じく無表情であったが、髪が額に貼り付くほど汗をかいていた。

「宮永さん、とりあえず汗を拭いたら?」

 穏乃は笑いながら助言した。咲はハンドタオルを取り出し、顔を拭き始めた。

「サキ、迷子になってたんだって?」

 大星淡が意地悪く言った。それを聞いたネリー・ヴィルサラーゼも声に出して笑っていた。

「サキちゃんはどこに行ってたのかなー?」

「……優希ちゃんが言うには、階段の角に引っかかっていたそうです」

「!」

(ああ……私はこの人に勝てないかも……)

 穏乃は、死ぬ思いで笑いをこらえていた。

「階段の角って……ゲームキャラじゃないんだから……」

 ギブアップであった。ネリーの放った言葉は、穏乃にクリティカルヒットした。

「も、もう、ダメだ……」

 穏乃を皮切りにして、淡、ネリーも大声で笑っていた。それを宮永咲が無表情で眺めていた。そのアンバランス感がやけに可笑しく、穏乃の笑いはピークに達していた。

 

 

 清澄高校 控室

 

「な、何とか……間に合ったようじゃの……」

 染谷まこが、疲労困憊だといわんばかりに、枯れた声で言った。

「間に合ってないわよ、すっごい遅刻なのよ、減点対象になるかもしれないからね」

 副将戦、大将戦と清澄高校は2回連続で遅刻をした。大会規定には【やむを得ぬ理由以外で開始時刻に遅れた場合は競技失格とする】と書いてあった。竹井久は大会終了後を考えると頭が痛かった。失格にこそならなかったが、他校のクレームによっては、大きく減点されるだろう。それは順位を左右するかもしれない。

「そうですね、15分以上遅れましたので、本来なら失格でも文句は言えませんね」

「和! あなただって、10分以上遅刻したんだからね」

「す、すみません……」

 原村和が、珍しくかしこまった様子で謝る。久は、それに苦笑しながら頷いた。

 ――画面の中では、起家も決まり、配牌が開始されようとしていた。

「始まるのう……」

 まこが、真剣な顔で言った。

「そうね……これで最後。信じましょう、咲を……」

 

 

 インターハイ団体戦 大将後半戦 席順

  東家 大星淡

  南家 ネリー・ヴィルサラーゼ

  西家 宮永咲

  北家 高鴨穏乃

 

 

 決勝戦 対局室

 

 前半戦と同じ席順で、同じく起家スタートとなった大星淡がサイコロを回した。出目は“8”高鴨穏乃の前の山から配牌が開始された。

 淡は、休憩時間に上級生2人からもらったアドバイスを精査していた。

(親番では上がれない……じゃあ、この局はサキが取りにくるのね)

 宮永照がそう言っていた。なるほど、前半戦はムキになって歯向かった結果、役満振り込みという失態をしてしまった。ならば、この局は宮永咲に取られてもいい。最少失点でやり過ごすのが、ベストな選択だろう。淡はそう考え、絶対安全圏を作動させていなかった。

 東一局 15巡目、咲がドラ牌の【七索】を暗槓した。嶺上牌を自模った後にめくられたドラ表示牌は【二萬】であった。

(同じ牌ではない……?)

 その疑問の答えは直ぐに判明した。咲は嶺上開花せずに牌を曲げて置いた。

「リーチ」

(リーチ? あくまでもドラ8なのね。どちらかの裏が【七索】に乗る!)

 淡だけではなく、全員が同じ結論を導き出したのだろう、場に緊張が走っていた。

「チー」

 その緊張の中で、ネリー・ヴィルサラーゼが、咲の捨て牌の【四筒】を鳴いた。あからさまな一発消しであったが、咲の表情は不変であった。

 そして、16巡目、咲は淡に答えを見せた。

「自摸、面前、ドラ8です。4000、8000」

(【五筒】赤ドラ……単騎待ち。そう、分かってたのね、ネリーが鳴くことも、ここにこの牌があることも)

 咲の手牌には、【三萬】が刻子であった。赤ドラと、暗槓の【七索】を合わせてドラ8。淡は、親被りで8000点を失った。しかし、咲のその上がり方には、なにか不自然さも感じていた。

(〈オロチ〉は“一つの体に八つの頭”って、テルーが言ってた……)

 それは、嶺上開花ドラ8のことだと思っていた。ならば、この上がりは該当しない。

「宮永さん、裏ドラは見ないんですか?」

 隣の高鴨穏乃が咲に言った。その質問は、淡の脳裏に準決勝の最終局を思い起こさせた。

(そうか……サイコロか……サキの席から一番遠い山、高鴨穏乃の前の山)

 淡の“左8”から始まったこの局、王牌は穏乃の目の前にあった。もしかしたら、それが、咲の支配力を弱めたのかもしれない。

「裏は乗っていない」

 咲は、そう言いながら裏ドラをめくった。その牌は2枚とも字牌で、役宣言のドラ8に間違いはなかった。

 ――穏乃と咲の視線は、まるで火花が出ているかのようにぶつかり合っていた。

(見えていないわけじゃないのか……?)

 結局、咲が嶺上開花で上がらなかった理由は分からずじまいだった。淡は気持ちを切り替えることにした。

(ここで引き離されるわけにはいかない。次は上がらなきゃ)

 東二局が開始された。淡は、絶対安全圏を発動していた。それは非常にリスキーな賭けであったが、照が話してくれた、未知のものを見極めようとする咲の性格を、利用しようと考えていた。

 ――配牌が完了した。手牌にはダブル立直が可能な牌がそろっていた。淡は、僅かに躊躇ったが、大きく息を吸い、勢いをつけてその発声をした。

「リーチ」

 穏乃が大丈夫なのかとばかりに、淡をチラリと見た。

(これは、あなた用の対策だよ。サキは別として、あなた達は五向聴ぐらいでしょ? だったら、この私を止めることはできないよ)

 絶対安全圏の名前のとおり、上がるのが早ければ早いほど安全であった。だが、準決勝では槓をしなければならない特性を狙われ、穏乃に敗れた。淡はそれを反省して対策を練り、この数日間、照達を相手に、改良型の“火力を下げて8巡以内で上がる”トレーニングを繰り返してきた。そして今、使用する相手こそ違うが、実戦でそれを使うことができた。

(成功率はまだ高くないけど、今回は手ごたえがあった。サキ……前半戦とは違うんだからね!)

 淡は自摸を重ねていった。これまでのように、危険牌を送り込まれることはなかった。つまりは、咲はまだ聴牌していないのだ。

(前とは違うって分かったの? それとも様子見? どっちでもいいわ、この局は私がもらう)

 7巡目。絶対安全圏が正常に機能していれば、まだ他家の聴牌は、気にしなくても良かったが、目の前には、その作用を無視できる咲がいた。淡は、せっかちに手を伸ばして牌を自模った。それは、心の焦りが具現化されたものであった。

(やっとか……)

 自模牌を確認し、淡は安堵の吐息をもらした。そして、この決勝戦で初めて牌を倒した。

「自摸、W立直――」

 淡は裏ドラを確認した。雀頭の2枚が乗って満貫まで手が伸びたが、咲の恐ろしさも再認識することになった。

(またドラが送り込まれていた……)

 その結果に淡はイラついてしまい、口調が乱暴になった。

「――ドラ2。2000,4000!」

(もう一度だ……。テルーは2度目はないと言ってたけど、試してやる!)

 次は宮永咲の親番。その油断が、淡の暴走癖を再発させていた。

 

 

 これまでの2局、ネリー・ヴィルサラーゼは宮永咲の内部入り込もうとしていたが、強力な障壁によってそれを阻まれていた。ネリーの能力は、通常は波動を受けるだけのパッシブなものだが、ある手法を使って、その波動の発生源を探ることができた。それは潜水艦のソナーのようなものであった。探るべく相手が発生させている波動に合わせて、自分の波動を送り込む。その波動は相手の発生源に反射して戻ってくる。ネリーはそれを読み取り、その波動がなぜ生まれているのかを観察できるのだ。

(次は宮永の親、障壁が弱くなる……)

 前半戦も何度かトライしたが、肉体的、精神的な苦痛を伴う波動を発生する障壁を超えられなかった。しかし、咲の親番時には、その苦痛が和らぐのも分かっていた。だから、ネリーはこの局に全精神を集中させていた。 

(おかしい……波が変わらない……)

 東三局が開始されていた。威力が落ちるはずの咲の波動に変化がなかった。

 ――配牌が終了し、親の咲が【北】を捨てた。続く高鴨穏乃も、咲の捨て牌を見て【北】を合わせた。そして大星淡、彼女は再び牌を横にした。

「リーチ」

 2連続のW立直。淡は絶対安全圏を発動させていた。ネリーの手牌も五向聴であったので、それに間違いはなかった。しかし――

(宮永……私と取引をするつもりか……)

 淡の横にした牌、それは【北】であった。その牌は、ネリーの手牌の中にもあり、切れば四風連打で流局になる。咲は、ネリーにそれを要求していたのだ。

 ――交換条件が示された。咲の波動が弱くなっていた。

(……いいよ、でも、壁は超えるからね)

 ネリーは【北】を捨てて、東三局は四風連打で流局になった。大星淡が宮永咲を睨んでいた。それはそうだろう。自分の技を屈辱的な方法で潰されたのだ、だれでもそうなる。

 ――それを横目で見ながら、ネリーは咲の障壁に近づいていた。

(超えられる……やっと宮永に近づける)

 咲は約束を守った。壁を超える際の苦痛は皆無であった。

(これは……)

 そこでネリーが見たものは殻であった。それは、卵のような楕円ではなく、ほぼ球体に見えた。白く不透明で、中を見ることはできない。その為、ネリーは接近してみることにした。

「う……」

 思わずネリーは、声をもらしてしまった。これまでとは比較にならない苦痛が襲ってきていた。

(ここまでは見せてもいいってこと? そうか……これからが地獄なんだね)

 ネリーは、もはや後戻りはできなかった。試合を捨ててまで、この宮永咲を倒す手段を探っている。“できませんでした”では済まない話だった。すべては、来年、臨海女子高校が優勝する為の必要な犠牲なのだ。

(犠牲か……そうだね、それには私も含まれる)

 ネリーは顔を上げた。その表情には、疲労の色が見えていたが、口と目が笑っていた。そして、その目で宮永咲を眺めていた。

(宮永……お前は最強だ。でもね、弱点は必ずある。残り五局で……掴んでやる)

 

 

(サキ、これが私への回答なの? 四風連打。そんなの毎回できるわけがない。こけおどしは通用しないよ)

 そうは言うものの、大星淡は怒り心頭であった。練習を繰り返して、やっとの思いで身につけた技を、使い物にならないとばかりに流局させられた。この大会のレギュレーションでは、途中流局はすべて親流れになる。宮永咲は、それを利用したのだ。

(それにしても、どうしてネリーは流局を選んだのだろう。彼女は無駄なことはしないはず――あのまま続けたら、サキが上がってたってこと?)

 淡はネリーに目を向けた。その特徴的な帽子が小刻みに揺れていた。

(なにをしているの? なぜ、あなたはそんなに苦しそうなの?)

 東四局が始められた。牌を取っていくネリーの動作は、鈍く辛そうであった。淡にはそれが、なにか見えない敵と闘っているように感じられた。

(菫が言ってた。ネリーは未来視できるのかもしれないって)

 それが本当ならば、ネリーの闘っている相手は〈オロチ〉以外考えられなかった。しかし、淡にはどうすることもできない。

(ネリーが水面下で闘うのなら、私は表で闘うよ。テルーも菫も簡単なことではないって言ってたけど、サキに先行して槓できれば、なにか見えるかもしれない)

 槓ができそうな牌がなんとなく分かる。それは嘘ではない。現に手牌の中に有る刻子の【南】がそうであった。淡はそれを武器に〈オロチ〉と闘うつもりであった。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「淡の性格を考えると、やっぱりこうなると思ったよ……」

 弘世菫は、画面上の大星淡がなにをするかが分かっていた。自分達がしたアドバイスを実践するはずだった。だが、その行動は失敗が約束されていた。『〈オロチ〉は、他家の槓がその力に影響しない』。妹をよく知っている宮永照が、そう言っていたので、間違いがなかった。

 その照が、菫を見ながら言った。

「そんなに悲観的な話じゃない、この局は淡が取れるよ」

「また、様子を見るとでも?」

「見るよ……咲ならね。でも、次はないよ、今度は流局なんて甘いものじゃない。全力で潰しにくるよ」

 モニターでは、淡が【南】を暗槓していた。咲より早い、7巡目での槓であった。

「この槓は無意味なのか?」

「……分からない。普通に槓をするだけではなにも変わらない。もっと他の要因が必要だと思う」

「だから淡なのか?」

 照は小さく頷き、質問に答えた。ただし、その言葉の歯切れは悪かった。

「槓は狙ってできるものではない。だけど、咲や淡はそれを当たり前のように行うからね」

「……」

「部長……淡ちゃんが上がりました」

 渋谷尭深がそう告げた。南、ドラ3。積み棒があったので、2100、4000であった。菫は照に向き直り、諦め顔で言った。

「次は覚悟したほうがいいかな?」

「おそらくね……。希望もあるけど……」

「希望? なんだ?」

「まだ、動きのない阿知賀の大将、彼女の出方次第で淡にもチャンスは残る」

「高鴨穏乃は〈オロチ〉を倒せないと言っただろう」

「咲はすべてを支配できるわけじゃない。サイコロもその一つだよ」

「サイコロ?」

「サイコロの目が合えば……咲に直撃できるかもしれない」

 菫にも希望が見えてきた。〈オロチ〉はドラによって他家を支配する。それはつまり、上がった者には何らかのドラが乗り、高い点数になるということだ。

(さっきの上りで清澄との差は4300点、まだまだ挽回可能だ。次の宮永咲の親番で、阿知賀の大将が直撃してくれたら……本当だ、淡にも可能性がある!)

 しかし、今度の南一局は大きな失点があるだろう。菫はそれを淡の性格上やむ無しと考えていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 大星淡は前局の和了を半信半疑で捉えていた。前半で槓ができて、そのまま上がり、ドラも3枚乗った。ただ、それが自分の力であったのかは不明だった。

(すんなり行き過ぎる……前半戦と同じサキの罠かも……)

 南一局、配牌が終了した淡の手牌の中にも、槓をイメージできる牌があった。しかし、この局は淡が親であり、積極的な動きは禁じられていた。

(上がろうとは思わない。でも、槓はしてみよう。そして、サキの動きを確認する)

 前局の和了が、淡の警戒レベルを下げていた。

 ――6巡目、槓のイメージは現実になった。4枚目の【西】を自模ったので、淡は、他家の河をチェックした。警戒すべき相手はいない、しいて言えば、宮永咲の捨て牌は淡のものと類似しており、同じ役を揃えているかもしれなかった。

「カン」

 淡は【西】を暗槓した。裏返された牌は【三筒】、手牌にある刻子の【四筒】がドラに変わった。その他の牌は筒子が多く集まっており、混一色が狙えそうであった。

(ドラか……慎重に行かなくては……)

 淡にしてみても警戒を怠ったわけではなかった。ただ、それが不十分だったのだ。

 ――魔王の罠は、既に作動していた。それは、驚くほど緻密なものであった。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「宮永咲が槓をした時点で降りるべきだったよ……」

 新子憧が刹那的に言った。赤土晴絵も同意見であった。宮永咲は11巡目に【六萬】を暗槓し、それによってネリーのポンしていた牌の【六筒】がドラ牌になった。そこで、罠に気が付き降りていれば、大星淡はこんな窮地に立たされなかったはずであった。

「でも、四暗刻の一向聴だったし……」

 松実玄が淡を擁護した。確かに、この局面で役満を上がれば圧倒的優位に立てる。だが、それは冷静さが足りないと言わざるをえなかった。なぜならば、その選択によって発生したこの地獄は、予測が可能だったからだ。

 

 大星淡の手牌(暗槓【西】)

【一筒】【一筒】【一筒】【四筒】【四筒】【四筒】【八筒】【八筒】【八筒】【九筒】

 

 宮永咲の手牌(暗槓【六萬】)

【二筒】【三筒】【四筒】【五筒】【六筒】【七筒】【八筒】【九筒】【九筒】【九筒】

 

 三暗刻に手替わり可能な【七筒】は河に三枚出ているので、淡は自摸上がりができない。【九筒】は咲に大明槓されるだろう。その他の手牌もすべて咲の当たり牌なので、待ちは変えられない。淡がこの袋小路から脱出するには、運に頼って自摸切りを繰り返し、降りきるしか道がなかった。

 ――16巡目、淡の自摸は【一筒】。チェックメイトであった。

「槓するしかないよ……でも……」

 鷺森灼の科白の続きは、「嶺上牌で【五筒】を掴まされる」に違いなかった。きっとそうなる。晴絵もそう考えていた。

 ――その予想通り、淡は【一筒】を暗槓し、嶺上牌に手を伸ばしていた。

「!」

 晴絵は驚愕していた。だれもが予想していた大星淡の振り込み、それが回避された。淡の捨てた嶺上牌は、まるっきり関係のない【中】であった。

「シズ……」

 新子憧が、それは高鴨穏乃の影響だと言っていた。だが、晴絵にはそれが分からない。憧の見ている画面、答えはその中にあるはずだった。

(そうか……今回もサイコロは“8”だった。……王牌か、シズは王牌を抑えているのか)

「晴絵、これからだよ」

 憧が晴絵に向かって力強く言った。その顔は、親友への信頼からか、自信に満ち溢れていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(大星さん、私は、あなたを尊敬しています。前半戦、あなたは、この魔王を相手に一人で闘ってきた。だから、後半戦は、一緒に闘いましょう)

 17巡目、山の奥深き場所。そして、それは高鴨穏乃の目の前にある。魔王の支配を幾らか軽減できるはずであった。とは言っても、穏乃はその自摸牌を引く際に、思わず祈りを込めていた。

(来い!)

 引いた牌は【八索】、それは穏乃の反撃の狼煙、魔王の支配を打ち砕く牌であった。

「カン」

 宮永咲が顔を上げた。顔合わせで見せた殺戮者の目で、穏乃を睨んでいた。

(それは、もう通じませんよ咲さん。あなたは致命的なミスを犯しています)

 穏乃は、流局の積み棒を置いてから、咲のその目と向かい合った。恐怖は感じなかった。その理由は、実に簡単だった。

(あなたは、私のテリトリーに自分の分身を送り込んでいる。私は、それを束縛することができる)

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『四開槓……』

『すっげー! 穏乃ちゃんすっげ―!』

『ふ、福与アナ、落ち着いて』

『でも、でもですよ! こんなことできるのは彼女しかいませんよ!』

『まあ、そうかもしれませんが……』

『し、失礼しました。実況は公正中立でなければなりません』

『はい、元に戻って――!!』

『どうかしましたか?』

『こーこちゃん、これって、対局ステージに通じてる?』

『え? まあ、運営から連絡が取れますが?』

『係員! 大至急、ネリー選手の様子を見てください!』

『ネリー選手がどうしましたか!』

『動きが止まっています。おそらく失神しています……』

 

 

 決勝戦 対局室

 

 ネリー・ヴィルサラーゼに話しかける者がいた。その言葉は、日本語ではなく母国語であるグルジア語のように聞こえた。最初は小さかったが、徐々にそれは大きくなっていった。そのだれかは、盛んに名前を呼んでおり、身を案じる呼びかけもあった。しかし、ネリーはそれに心当たりがなかったので、無視を決め込んだ。

 とにかく疲れていた。今は眠りを貪りたい。その邪魔をして欲しくなかった。

(でも……なんで私はこんなに疲れてるんだろう……?)

 ぼんやりとそう考えていた。――そして、ネリーは飛び起きた。

「!」

「ネリー、良かった。あなたは大丈夫ですか?」

 中年の男性通訳が、何故か日本語で訪ねてきた。とりあえずは大丈夫と答えたが、バイタルチェックをすると言って、ドクターがやって来た。

 指に洗濯ばさみのようなものを嵌められ、問診された。ネリーは面倒だったので、すべてに問題ないと答えた。

(そうだ、思い出した。あと一歩だった……もう少しで殻に触れられた)

 前局の後半、宮永咲の波動が弱くなったので、その隙を突いて殻に接近した。その殻は、不透明ではなく、内部が薄っすらと見えていた。もっと近づけば、はっきり見られる。〈オロチ〉の秘密はきっとそこにあるはずだった。ネリーの手が、殻に触れようとした瞬間、強烈な波動を浴びせられ、意識が飛んでしまった。対局は成立していたので、それは、高鴨穏乃が流局させたあたりだと推測していた。

(宮永、あれは、お前の怒りなのか?)

 だとしたら、それは悩ましい話であった。残り3局、絶対に殻の内部を見なければならない。しかし、いつまた、あの波動が襲ってくるか分からない。まるで、綱渡りでもしているかのようだった。

「ネリー、続けられるか?」

 相変わらずの日本語で、中年の通訳が聞いてきた。

「はい、大丈夫です」

 ボクシングのファイティングポーズ的な虚勢だったが、気力の面では若干楽になっていた。

 ――宮永咲が、表情がないなりの心配そうな顔で、ネリーを見ていた。

(気付いているのか? まあ……当然か……)

 中年の通訳が、インターハイの運営係と、ネリーの状態について話をしていた。そして、その運営係が近づいてきて競技の再開を宣言した。

「5分後に大将戦を再開します。これは休憩はありません。各自、着席して待機願います」

 

 

 臨海女子高校 控室

 

(勝利のない試合、監督はどう考えているのか?)

 辻垣内智葉は、腕組みをしてモニターを眺めているアレクサンドラ・ヴィントハイムの心境を慮った。メガン・ダヴァンの報告では、ネリー・ヴィルサラーゼは勝つことを放棄している。その理由は、宮永咲の弱点を掴む為だと言っていた。

(本当にそれでいいのだろうか? 麻雀はなにが起きるか分からない競技、勝負を捨てるのは愚策じゃないのか?)

 アレクサンドラが智葉を見ていた。そして、独り言のように言った。

「負け方だよ……。私は、ネリーに教わった気がする」

「それは、勝ち方と同じですか?」

「違うね、勝ち方は選べない。でも、負け方は選べるからね」

「来年の為に負けると? そういうことですか?」

「そうなるね」

「……」

 アレクサンドラは腕組みを解いて、紅茶を手に取って飲んだ。

「智葉、不満か?」

「ネリーなら……可能性は0ではありません」

「そうだな、そのとおりだ。だがな、智葉。0%と0.001%の違いはどこにある?」

「0は絶対的な数字です。だけど、それ以上ならば、小さな数字であっても賭けるべきです」

「残念だが、それは受け入れられない。初見では絶対に勝てない相手がいるものだ。一昨年の宮永照、去年ならば、天江衣、そして今年はこの宮永咲だ。その打ち筋が分からなければ、一方的にやられるだけだ」

「それでも、大星淡や高鴨穏乃は勝負を諦めていません」

 試合はもう終盤で、今更こんな議論をしても意味がなかったが、智葉は引き下がれなかった。負ける為の闘いを認めることは、智葉の人生を否定されるのと同じなのだ。

「私は、“がむしゃら”という言葉が大嫌いだ」

「“がむしゃら”ですか?」

「敢闘精神を表す為に、良い意味で使われるが、“がむしゃら”なんて、ちっとも良くない」

「……」

「“がむしゃら”に行け! そう言われて闘った選手は、大抵は敗北し、精神も疲弊する」

 モニターの中では、大将戦が再開されていた。南二局、親はチームメイトのネリー・ヴィルサラーゼ。思いがけない休息によるものか、若干動きが改善されていた。

 ――アレクサンドラは話を続けた。

「大星淡と高鴨穏乃は、その“がむしゃら”な闘いをしている。自分の力を頼りにこの魔王に挑んでいる」

「それは、悪いことでしょうか?」

 ――12巡目、宮永咲はドラ牌を暗槓した、そして、その槓ドラは見えている隣のドラ表示牌と同じもの。前半戦の東一局の再現になった。

 ――画面に映る光景を見て、智葉はおののいた。

「また……嶺上開花ドラ8……」

滅多なことでは動じない智葉が、そんなつぶやきをもらした。

「智葉……、私はお前の何倍も麻雀人生が長い、その私が断言する……」

 アレクサンドラは苦しそうな顔で言った。

「宮永咲は最強だよ。彼女の存在は、これからの麻雀を変えてしまう」

「最強……無敵ですか?」

「無敵ではない。倒せるよ。だが、その為には、ネリーの情報が必要だ」

 アレクサンドラの表情が変わった。その顔は、野望を持つ者の顔、不敵な面構えであった。

「その情報は、我々、臨海女子高校の大きなアドバンテージになる」

 

 

 決勝戦 対局室

 

 高鴨穏乃はテリトリーに侵入した〈オロチ〉を、行動不能にしようとしていた。その準備は、四開槓で穏乃が流局させた後から開始されていた。辺りの地形を気付かれないようにゆっくりと変え、〈オロチ〉の周りに大木を林立させた。そこから太い蔦を何本も伸ばして、恐ろしい8本の首に巻き付けた。そして、山に住む生き物たちに周囲を警戒させる。〈オロチ〉の束縛はここに完了した。

(あとはサイコロ次第だ……)

 南三局、宮永咲の親番、彼女は上がらずに防御を固めてくるだろう。2位の大星淡との点差は2万点以上あるのだから、それは当然だ。穏乃は、その咲からの直撃を狙っていた。ただ、その為にはサイコロの目が6か10でなければならなかった。

 ――咲はボタンを押して、サイコロを回した。止まるまでの時間が、やけに長く感じたが、それは停止した。目は4と6。

(咲さん……あなたにも地獄をみせてあげますよ……)

 穏乃の前の山から配牌は開始された、もちろん、王牌もそこに残る。

(あなたの強さの秘密は、王牌の支配でしょう? でもね、よく見てください。その王牌は、私のテリトリーにある)

 穏乃の手牌は345の三色同順とW南の二向聴であった。どのみち上がるのは後半になるので、聴牌は焦らなくても良いが、大星淡には注意が必要だった。

(W立直は防いだはずだけど……)

 穏乃の第一自摸、既に持っている【五萬】の赤ドラを引いてきた。咲から送り込まれたものと分かっていたが、それを交換し、通常の【五萬】を切った。続いて淡の自摸番、彼女はW立直しなかった。穏乃は少し安心した。これで、イニシアチブを握れる。

 ――6巡目、穏乃は赤ドラの【五筒】を自模った。これで三色側は揃えられた。ただし、5の牌はすべて赤ドラだったので、咲には手が筒抜けであった。

(ずいぶんと警戒するね、でも、読まれるのは承知の上だよ)

 王牌が自分の領域にある場合、穏乃には見えるものがあった。最初からではない、それはだんだんと見えてくる。9巡目、穏乃は【南】を自模り、聴牌した。

(これもか……)

 穏乃は、咲から送り込まれた牌が見えるようになっていた。今回は赤ドラはもちろんそうだが、今引いてきた【南】もそうであった。つまり穏乃の手牌の雀頭以外は、咲に全部見られているのだ。

「リーチ」

 【八筒】の単騎待ち立直。なぜこの牌なのかは、穏乃にも分からなった。しかし、その牌には強いパワーを感じていた。後半の山の奥深くになれば、そのパワーが解放されるように思えた。それは咲の支配をも打ち破れると、穏乃は信じていた。

 黙々と安牌を捨てていく宮永咲、そして、それに合わせ打ちをする大星淡。彼女はこの局の上りを諦めているようであった。W立直が阻止された時点での判断かもしれない。ただ、その打ち方は、穏乃の援護射撃になった。

(そろそろ、安牌がなくなるはず……)

 13巡目、咲から【八索】が送り込まれた。どこかのドラ牌。当然穏乃は、不要牌なのでそれを切る。

(まずいな……なにかを読まれたかな?)

 14巡目の、咲の捨て牌は【九索】、どうやら、さっきの【八索】切りで、安全と判断されたようだ。その抜け目なさに、穏乃は怖気づいた。

(気圧されては駄目だ……必ず勝てる……信じなきゃ)

「ポン」

 咲の捨てた【九索】をネリー・ヴィルサラーゼが副露した。すかさず、咲に自摸番が回ってきた。咲は、自分の前の山から牌を自模り【一索】を捨てた。

(ネリーさん、そんなボロボロなのに……)

 苦しそうなネリーを眺め、穏乃は、怖気づいていた自分を恥じた。

(そうだ、これからは自分のテリトリー、どんな怪物だろうと封じ込められる。咲さん、あなたの最後の自摸は私の山から取ることになる)

 息詰まるような無言の攻防が続いていた。咲が穏乃に振り込む可能性はあるが、単騎待ちの性質上、その確率は低かった。穏乃の選んだ牌は【八筒】でなんの変哲もないものだった。

 局が進んでいく。穏乃が三倍満で待っているのが分かっているのか、咲も慎重に牌を選んでいた。

 ――そして、最終巡目。宮永咲が、穏乃の前の山から牌を取っていった。

(咲さん……その牌は、私が送り込みました……。あなたは、その牌を切るはずです)

 

 

 ネリー・ヴィルサラーゼは限界が近いと感じていた。この局は宮永咲の親番で波動が弱かった。特に今回は、今までで最も弱い。とは言っても、ネリーを撥ね退けるだけの威力は十分にあった。しかし、ネリーも気力、体力共に、次はないと考えていたので、必死の思いで殻に近づいていった。

 ――そして、その殻に両手を触れることができた。

(中にだれかいる……)

 ネリーは殻に顔を近づけ、中を透かし見た。

(これは……)

 中にいたのは、幼い宮永咲であった。歳は小学生ぐらいでまだ髪が長い。彼女は、目を細めて笑っていた。

(そうか……宮永……お前は、私と同じだよ)

 ネリーは涙を流していた。咲が何重にも防御して守りたかったもの。それは、ネリーのものと全く同じであった。

(お前の守りたいもの……それは、記憶だね……)

 ネリーのそれは、子供の頃の記憶、紛争でズタズタにされる前の、すばらしい、夢のような記憶であった。

(宮永……お前は……なにを守ろうとしているんだ……)

 普通の人間にとっては、守るべき価値がないものだろう。だけど、自分には何よりも大切なもの、命に変えてでも守りたいものであった。

(弱点は分かったよ……それも、私と同じだから……)

 ネリーは殻から手を離し、ゆっくりとそこから離れていった。波動が弱くなっていく。ネリーの意識は現実に戻っていった。

 ――宮永咲の切った牌、それは【八筒】。高鴨穏乃は静かに牌を倒し、上りの宣言をしていた。

「ロンです。立直、W南、三色同順、ドラ6。24000です」

「はい」

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 会場内は熱狂と興奮に包まれていた。無敵と思われた魔王に、渾身の一撃を喰らわせた高鴨穏乃に、観客は大きな歓声を送っていた。

『魔王 宮永選手に、三倍満直撃ぃー! ラスト一局を残して順位変動ぉー! 首位に躍り出たのはー! 阿知賀女子学園だー!』

 それは、自然発生的なものだった。どこかの一角で何人かが阿知賀コールをしていた。それがどんどん連鎖していき、会場全体の大阿知賀コールになった。

『胃が痛くなる試合ですね……。阿知賀女子のリードは僅か5000点です、白糸台、清澄の選手の、3900以上の得点でひっくり返されます』

『そうですね……これまでの経緯も凄まじいものでした』

 画面が切り替わり、大将後半戦の経緯が表示された。 

 

 インターハイ団体戦 大将戦(後半 南三局まで) 

  東一局  宮永咲       16000点(4000,8000)

  東二局  大星淡        8000点(2000,4000)

  東三局  流局(四風連打) 

  東四局  大星淡        8200点(2100,4000)

  南一局  流局(四開槓)

  南二局  宮永咲       16300点(4100,8100)

  南三局  高鴨穏乃      24000点(宮永咲)

 

 現在の各校持ち点

  阿知賀女子学院  109700点

  清澄高校     104700点

  白糸台高校    104000点

  臨海女子高校    81600点

 

『小鍛冶プロ、最終局のポイントはなんですか?』

『スピードです。それが何よりも優先されます』

『それでは、大星選手が有利なのでは?』

『そうですね、W立直できればですが』

『さあー! これから南四局が開始されます。親の高鴨選手が、サイコロを回しました』

『トイ7ですね……』

 阿知賀コールが小さくなっていき、会場は静けさを取り戻した。――だれもが固唾を飲んで見守っていた。混沌としてきたインターハイ団体戦決勝、その最後の闘いは、もう始まっていたのだ。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「メグ、ネリーの状態は?」

「この一局だけなら、持ちマスネ。ネリーの仕事は終わっているみたいデスシ」

「そうか……」

 画面では、白糸台高校 大星淡が、大方の予想と一致したW立直をかけていた。

「ここが勝負所と見ましたか、オオホシはそういう才能がありマス」

「機を見るに敏か……」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムのその科白は、留学生には難しすぎた。メガン・ダヴァン達は、顔を見合わせて、首を横に振ったり、肩をすくめたりしていた。

 アレクサンドラは微妙に顔を赤くして、辻垣内智葉に向かって質問をした。

「智葉、どこが勝つと思う?」

「清澄です」

「即答だな。なぜだ?」

 智葉は、それに答えず、黙ってモニターを見ていた。アレクサンドラも智葉の様子を見て、モニターに目を向けた。

「なに……」

 それ以上、言葉が出ないようであった。かなり遅れてしまったが、智葉はアレクサンドラに答えを返した。

「監督の言ったことは正しい……今はだれも……宮永咲には勝てない」

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「シズ……逃げ切って……」

 麻雀部部長 鷺森灼のつぶやきであった。その声は震えていた。無理もない。画面には恐ろしい光景が映し出されていたからだ。

「こんな手牌……ありえません……」

「……そうだね」

 松実宥も怯えた声で言った。赤土晴絵は相槌をうつしかできなかった。

「龍門さんのところで見せてもらった映像、衣さんとの試合に似ているかも」

「まだ6巡目だよ! あの試合は、この状態までにかなり時間がかかった」

 松実玄と新子憧の話していた宮永咲の手牌、そこには、ドラ牌【一筒】が槓子であり、【四筒】と【九萬】の刻子もあった。他の3枚は【二筒】【三筒】【北】で、確かに、天江衣を制した3連続槓の準備段階によく似ていた。

「狙いは、シズの持っている【九萬】かな? 憧、シズは我慢できるかな?」

「残念だけど……切るよ。大星淡が立直していて、シズも一向聴。次の自摸で聴牌したら、おそらく……」

 みんなの言葉がなくなり、沈黙が続いた。晴絵はその状況を打開しようと思い、唯一の希望を話し始めた。

「みんな、準決勝を思い出してほしい。シズは大星淡の支配を破った。そしてさっきは、絶対不可能と思っていた宮永咲をも打ち破った。後半戦のシズの力を信じよう。」

 僅かではあるが、全員の雰囲気が変わった。

「宮永咲だって完全ではない。後半戦は歯車が噛み合っていないようにも見える。だから、希望を捨てないで……」

 晴絵にも希望の光は見えていた。しかしそれは、あまりにも遠い場所で輝く光。よそ見をしたら見失ってしまうほどの、微かな輝きであった。

 

 

 清澄高校 控室

 

 

 昨日、宮永咲が原村和に、〈オロチ〉の状態の顔を見られたくない、見たら絶対に自分を嫌いになると話していた。昨日は理解できなかったが、今ならその意味が分かる。モニターに映る宮永咲は笑っていた。その顔は、和の愛する咲の笑顔ではない。弱者を無慈悲にいたぶる悪魔の笑顔だった。

(咲さん……)

 無論、和は咲を嫌いになるわけはなかったが、忘れられないインパクトではあった。

 同じ画面を、メンバー全員が眺めている。皆、初めて見る咲の凶悪さに、言葉を失っていた。

「和……清澄は勝てるかもしれない……」

 竹井久が、画面のほうを向いたままで、和に語りかけた。

「でもね、私とあなたは、罪を背負ってしまったわ……」

「……」

「魔王か……そうね、本当にそうだわ」

「私達が……咲さんを?」

「そうよ、それが……私達の罪」

 

 

 白糸台高校 控室  

 

「照……見ろ、お前の妹が……笑っている」

 その強烈な宮永咲の笑い顔は、弘世菫の記憶にあるものだった。昨年の白糸台の代表決定戦で、宮永照が見せた笑い。永久連荘。1人で10万点を削りきった時に見せた笑い顔に似ていた。

 ――照がテーブルを両手で叩いた。その反動で上に載っていたカップが落ちて割れた。亦野誠子が片付けようとすばやく近づいていた。

「咲……ここでか? ここで、それか……」

 照は、画面を睨みつけ、怒りの表情で、聞こえるはずのない妹に話しかけていた。

「なんだ……なにが起こる?」

「一度だけ……一度だけこの咲を見たことがある……。その一度で、私の精神は、崩壊した」

 怒りと恐怖、どちらとも取れる顔。もちろん、こんな顔の照は見たことがない。それが、菫の不安を増大させた。声を出すのも辛かった。

「て……照」

「完全型だ……〈オロチ〉の完全型だよ」

 ついに声が出せなくなった。菫は、照の言った完全型の意味がなんとなく分かっていた。

「八岐大蛇は、八つの首と――」

「――八つの……尾か」

 照は小さく頷いた。そして、絞り出すような声で言った。

「嶺上開花、ドラ16……オーバーキル」

 

 

 決勝戦 対局室

 

(笑ってる、サキが笑ってる)

 大星淡は、宮永咲の笑い顔に気圧されていた。自分はW立直の両面待ち、他家の3人はまだ聴牌すらしていないだろう。断トツの優位性を持っていた。なのになぜか上がれる気がしなかった。

(サキ……私は、あなたに……負けてもいい)

 “完膚なき敗け”淡は心の中で、それを認めていた。

 

 

(凄まじいな宮永……)

 ネリー・ヴィルサラーゼは、3人の波動を掴みきっており、この局の結果も見えていた。他を寄せ付けない波動の持ち主がいた。彼女の勝利は決定的であった。

 ネリーは、その勝者になるであろう、宮永咲の本質について思いを巡らせた。

(宮永、お前の強さは……幻影だ。それは強力だが、敗れる時は儚いものだよ)

 疲労が限界に近いネリーは、こらえきれずに目を閉じでしまった。そして、その意識は来年を見ていた。

(楽しみだ……お前を倒すことが……できる)

 

 

 オーラス、8巡目。親の高鴨穏乃はおおいに焦っていた。大星淡のW立直もそろそろ危険ゾーンだ。そして何よりも、テリトリーに束縛している〈オロチ〉が動き始めているのだ。急がねばならなかった。

 穏乃は自摸牌を引いた。有効牌で聴牌した。捨てるべきは、淡の安牌である【九萬】だったが、なにか嫌な予感もしていた。

(咲さんは聴牌していないはずだけど……)

 もう一度〈オロチ〉を確認した。

(動いている、でも、まだ束縛は解けていない)

 穏乃は決断した。自分は上がらなければ勝利できない。ならば、迷う必要がない。ここで勝負しなければ、絶対に後悔する。そう考えて、穏乃は【九萬】を切った。

「カン」

 宮永咲が牌を倒して、穏乃の河から【九萬】を取っていった。そして嶺上牌を引いた。

「カン」

(連続槓……)

 穏乃の背筋は凍り付いた。

 咲は【一筒】を暗槓し、ドラ牌を2枚めくった。【三筒】と【八萬】で、咲のドラ牌は8枚になった。

(大明槓からの連続槓、これは!)

 ――〈オロチ〉が束縛を振りほどいた。繋いでいた蔦は引きちぎられ、周りを囲んでいた木々はなぎ倒されていた。8本の首が自在に動きまわり、辺りにいる生き物たちを喰い散らかした。障害として配置した岩などものともせずに〈オロチ〉は前進していた。もはや、穏乃には止めることはできない。その破壊と殺戮をおとなしく見ているしかないのだ。

 ――咲は再び嶺上牌に手を伸ばした。

「もう一個、カン」

 晒された牌は【四筒】、新たにめくられた槓ドラは【九筒】で、これでドラは16枚。そして咲は、3枚目の嶺上牌を掴み、直接表にして、その【二筒】を雀卓の上に置いた。

「嶺上開花、対々和、三暗刻、三槓子、ドラ16。32000です」

 ――その瞬間に〈オロチ〉は跡形もなく消えていた。後に残されたのは、原形をとどめない森林と多数の動物の死骸であった。穏乃は佇み、その惨状を眺めていた。

(よくも……よくもやってくれたね! この報いは、必ず来年受けてもらう。それがダメならその翌年。いや、今決めた……私の残りの人生、それをあなたにくれてやる! どこまででも追いかけてやる。絶対に逃がしませんよ! 咲さん!)

 穏乃はそう決意し、ブルブル震える手の拳を握りしめた。

 ――「……はい」

 長かったインターハイ団体決勝戦の最後の終局ブザーが鳴った。宮永咲が立ち上がった。大星淡も続き、おぼつかなくはあるがネリー・ヴィルサラーゼも立ち上がった。最後になってしまったが、穏乃も立ち上がった。それを確認した係員が合図をする。

「一同、礼」

「有難うございました」

 宮永咲が頭を上げて帰っていく。

(いいのか……このまま咲さんを返していいのか……)

 穏乃は自分の決意を咲に伝えたかったが、気後れして、次の一歩が踏み出せない。

「大星さん! いいんですか? 宮永さんが……」

 なぜかは分からないが、穏乃は淡の助けが欲しかったのだ。そう思って声をかけた。しかし、淡はそんな状態ではなかった。

 淡は泣いていた。立ったまま、目を開けて、声も出さずに、ただただ涙を流していた。それでも、口元には笑みを浮かべていた。

「大星さん……」

 淡が、その涙だらけの目で、穏乃を見た。そして、静かに言った。

「高鴨穏乃……」

「……」

「渡さないよ……宮永咲を倒すのは私だから」

「困ります……私もそう決めたばかりですから」

「そう……」

「はい」

 大星淡は穏乃に背を向けて歩き始めた。涙が止まることはなかったが、足取りは堂々としていた。

(大星さん、あなたは本当に強い。でも、あなたは私の敵です。敵の敵は敵。変な日本語ですが、咲さんに関しては曲げられません)

「大星……」

 いつの間にか座っていたネリーが淡を呼んだ。階段を下りかけていた淡は、立ち止まり、振り返った。

「高鴨も……お前たちは、来年もここに来るのか?」

「……」

「ゴメン、つまらない話をしたよ」

「いえ」

「宮永は強い、強すぎる。だから、彼女を攻略するヒントをあげるよ」

 穏乃は耳をそばだてていた。それは喉から手が出る程欲しい情報だったからだ。

「目で見えることがすべてではない……」

「それは……どういう意味ですか?」

「これ以上は教えられない……私達は大きな代償を払ったからね」

 淡はなにか心当たりがあるのか、小さく頷いて階段を下りていった。

「ネリーさん、帰れますか? 手を貸しましょうか?」

 対局中に気絶をしたネリーの容態が気になっていたので、穏乃は一緒に帰ることを提案した。

 ネリーは嬉しそうに笑顔になったが、首は横に振った。

「ありがとう、でもいいよ。きっと……仲間が迎えにくるから」

「そうですか」

 

 

 インターハイ団体戦 各校の最終得点

  清澄高校     137700点

  白糸台高校    103000点

  臨海女子高校    81600点

  阿知賀女子学院   77700点

 

 

 試合会場 通路

 

(こうなることは分かっていたはずだ。もしかしたら、照はそれを望んでいたんじゃないのか?)

 弘世菫の懸念のどおり、宮永姉妹は再び遭遇していた。今度の妹は〈オロチ〉ではなく、宮永咲のようであった。

「お姉ちゃん……」

「そうか……もう、咲なのか」

「うん」

 沈黙がおりていた。咲がなにかを話そうと口を開いたところで、宮永照が遮るように言った。

「個人戦だ……」

「……」 

 照はそれだけ言って、そのまま通り過ぎようとしていた。菫はその行動にイライラしていた。

(まったく、なんで照はいつもこうなんだ! 不器用にも程がある)

 しかし、菫は見ていた。宮永照はすれ違う時に、妹の宮永咲の右肩に手を置いて、優しく叩いていたのだ。咲は驚いたように短く息を吸い、振り返って姉を目で追っていた。

 ――やがて、咲は向き直り、前に歩き出していた。何度も目をこすりながら。

 菫も振り返り、照を見た。心なしか恥ずかしそうだった。

「なに?」

「……なんでもないよ」

「……」

(照……ちゃんと伝わったよ。 保証するよ、お前達は――)

「テルー!」

 大星淡が、走ってきた。そして、照に抱きついて号泣し始めた。まるで赤ん坊のように泣き続ける淡の様子を見て、渋谷尭深と亦野誠子も涙を流していた。

(なんでだろう……なんでこんなに悲しいのだろう)

 菫は、子供の頃から、人前で泣いたことはなかった。だが、今は抑えられない。涙を止められない。

「誠子……」

「は……い」

「頼む……」

「はい」

(これが精一杯だ。これ以上は話せない。なぜなら……私は今、泣いているのだろうから)

 弘世菫のインターハイは、涙をもって終了した。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「ただいまー」

 高鴨穏乃が控室に戻ると、みんな心配そうに声をかけてきた。そんなに気を使ってもらう筋合いはなかった。自分は精一杯やったし、後悔もしていない。負けたのは、たまたまの結果だと思っていた。だから穏乃は、みんなの真ん中に行って、両腕を上に突き上げて、大きな声で叫んだ。

「負けたー!」

 みんな驚いていた。そして穏乃は、振り上げた腕を下ろして、テーブルに置いた。あまり高くないテーブルなので、前屈姿勢になっている。

(あれ? 変だな……涙が……)

 両目からこぼれた涙は、頬を伝わらず、そのまま滴となり、テーブルに落ちている。

 穏乃は、それを見つめながら、声を震わせて言った。

「負けるって……こんなに、こんなに悔しいものだったんだね……」

 新子憧が、テーブルの穏乃の手に、自分の手を重ねてきた。

「来年だよ……来年、清澄を倒すのは……私達阿知賀だよ」

 憧も泣き声だった。

(そうだ……憧の言うとおりだ。でもね、私には譲れないものがある……)

 ――頭を上げて、涙を拭いた。穏乃はその決意を阿知賀女子学院 麻雀部全員に告げた。

「来年、清澄を倒すのは、私達阿知賀です。でも、宮永咲を倒すのは、この私です」

 

 

 決勝戦 対局室

 

「やあ」

 それは意外だった。階段を真っ先に上ってきたのは、メガン・ダヴァンでも辻垣内智葉でもなく、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムであった。

「ネリー、どうだった?」

「はい、宮永の弱点は分かりました」

「そうか……」

 アレクサンドラは、遅れてきたメガンと智葉に指示を出した。2人はネリーの左右に分かれて肩に担いだ。

「監督……来年勝つのは――」

「ネリー、分かりきったことは言わなくてもいい」

 当然だと言わんばかりのアレクサンドラの対応だった。

「ネリー、戻りマスヨ」

「無茶しすぎだよ……」

 メガンと智葉がネリーを労った。

 ネリーの悪い癖が出た。ついつい反発してしまう。

「だって昨日、メグが言ってたよ。当たって砕けろだったかな、なんかそんな感じ」

 みんな笑ってくれた。郝慧宇も雀明華もメガン・ダヴァンも辻垣内智葉もだ。だがアレクサンドラ・ヴィントハイムは違った。真剣な顔でネリーに訊ねてきた。

「ネリー、お前は、来年も大将でいいか?」

「監督……分かりきったことは、聞かないでください」

「ふふふ」

 ようやく全員で笑うことができた。ネリーは幸せであった。それは幼少期から数えて、およそ10年ぶりに味わう、すばらしい時間であった。

 

 

 清澄高校 控室

 

 原村和は麻雀部部長の竹井久の指示を待っていた。本当はすぐにでも宮永咲の元に行きたいが、場合が場合であった為、それを抑えていた。

 その久は、優勝が決まってから、ずっと下を向いたままだ。

「まこ……どうしよう……私、泣いているわ」

 久が顔を上げた。言葉通りに久は顔をくしゃくしゃにしていた。染谷まこは、そんな久の背中を叩いて言った。

「ええ、ええんじゃ! 泣いてええ、わしが許す。よう頑張った! よう頑張ったで部長」

「うん……」

 久は感極まっていた。きっと辛かったことを思い出しているのだろう。彼女にはそれがたくさんありそうだった。

「部長、指示を出して、みんな待っちょる!」

 久は、一度鼻をすすってから、まこの言った指示を出した。

「みんな……咲を迎えに行くわよ」

 和達は歓声を上げて飛び上がり、宮永咲の元に駆け出した。

 

 

 試合会場 通路

 

 原村和はもの凄い速度で走っていた。それは、片岡優希をも置き去りにするぐらいであった。

もうすぐ宮永咲に会える。そう考えると和の足はどんどん加速していく。

 ――遠くに宮永咲が見えてきた。彼女も和が見えたらしく、走り出していた。

「和ちゃーん」

(帰ってきている、私の咲さんが帰ってきている)

「咲さーん」

 和と咲はそのまま近づいていって、スピードを緩めて抱き合い、膝をついて倒れた。そして、言葉は交わさず、ただ2人で泣いているだけであった。そこに片岡優希が加わり、染谷まこと竹井久も加わった。清澄高校 麻雀部の塊となって、ただひたすら泣いていた。しかし。それは、悲しみの涙ではない。頂点に立つ5人だけが得られる歓喜の涙なのだ。

 インターハイ団体戦の覇者、それは、長野県代表 清澄高校であった。

 



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18.写真

 インターハイ団体戦決勝の試合終了時間は、午後11時を超えてしまった。それは、運営部の想定を大幅に超えていた(運営部は遅くとも9時台で終了すると考えていた)。その為、試合後は表彰式のみ実施され、記者会見やMVPの発表は翌日の午前9時より、別会場で行われることとなった。

 表彰式の終了後、各校の選手たちは、運営スタッフによって、マスコミ関係者から守られながら、車に乗り込んでいた。電車で来ていた清澄高校は、運営部よりタクシーが手配され、帰途についた。

 ――各校、複雑な思いはあるであろうが、ここにインターハイ団体戦は終了した。そして、それは来年のインターハイへの始まりでもあった。

 

 

 翌朝 午前7時 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

「うう……眠い……」

「シズ、早く着替えて。もうすぐ会場に出発だよ!」

 顔も洗わずにぐずぐずしている高鴨穏乃は、同室の新子憧にどやされていた。彼女は7時30分の出発にあわせて、既に身支度を終えていた。

「今日は制服だからね」

「ジャージじゃダメ?」

「あのねえ……」

 穏乃は、呆れ顔の憧をぼーっと見ていた。

 昨日、ホテルに着いたのは午前1時近くであった。そこからみんなで集まって、いろいろ話し合い、その末にインターハイ4位という結果を何となく受け入れることができた。

 その後解散となり、部屋に戻ったが、穏乃はなかなか寝付けなかった。うとうとし始めたのは3時ぐらいであったが、完全な眠りにはつけなかった。

「憧は……眠れた?」

「全然」

「……」

「シズ! 気持ちを切り替えて!」

「うん……」

 憧に手を引っ張られて、無理やり洗面所に押し込まれた。

(なんだかんだ言って、一番引きずっているのは私なのかな……)

 穏乃は冷水で顔を洗い始めた。そして、その冷たさが、精神的な意味での穏乃の目も覚まさせていた。

(そうだ、昨日、赤土さんが言ってた。来年は今日から始まるって。また、わくわくする日々が始まるんだ……今日から)

 そう思うと、穏乃は何だか楽しくなった。まだやっていないことが沢山ある。原村和とも闘っていないし、大星淡とも再戦したい。そしてなによりも穏乃には、絶対に倒さなければならない相手がいたのだ。

(咲さん、待っててください)

 清澄高校 宮永咲は、もはや恐怖の対象ではなく、自分の目標に変わっていた。彼女のことを考える時、穏乃の顔には、怯えではなく笑顔が浮かぶようになっていた。

 

 

 阿知賀女子学院 移動車両内

 

 やはり、みんな眠そうではあったが、既に来年への一歩を踏み出しているのか、だれも暗い顔をしていなかった。高鴨穏乃は、そんなメンバー達の顔を眺めて薄笑いを浮かべていた。

「何笑ってるの? 記者会見の後でも考えてる?」

 新子憧が、苦笑しながら穏乃に聞いた。

「そうだよ、どこに行く? 東京見物!」

「あー、どこでも連れてくぞ、宥はどこがいい?」

 赤土晴絵が運転しながら助手席の松実宥に訊ねた。

「私は……」

「赤土さん、お姉ちゃんは、今日は別行動だよー」

 言い辛そうな宥に代わって、妹の松実玄が答えた。

「そりゃ、なんで?」

「お姉ちゃんは、今日はデートだよー」

「く、玄ちゃん」

「えー! デート! だれと?」

 穏乃は驚きの声を上げた。その隣では、憧が顎に手を当ててニヤニヤしていた。

「わかったわ、相手は弘世菫でしょ?」

「……うん。試合の帰りに誘われて……」

 憧の推理は当たっていたようだ。宥は顔を真っ赤にして言った。

「玄は心配じゃないの?」

 鷺森灼が2列目の席から後ろを振り返えった。

「女同士だし。それに弘世さんは、きっと悪い人じゃないよ」

「でも、玄さんと同じでおもち好きなのかも?」

「……」

 穏乃は冗談で言ったつもりであったが、玄はそれを真剣に受け止め、考え込んでしまった。

「じょ、冗談ですよ――」

 ――穏乃のスマートフォンが鳴った。それを取り出し、かけてきた相手を確認する。

「和だ……」

 穏乃は通話ボタンを押した。

「はい……和?」

『お久しぶりです。今、邪魔ではありませんか?」

「うん、大丈夫だけど……」

『……』

 原村和は言葉を選んでいた。それはそうであろう。昨日、熱戦を繰り広げて優勝したチームが、敗北したチームに電話をかけているのだから。

「和、昨日のことは気にしないで、私と和の仲だよ、なんでも普通に話してよ」

『はい……』

「それで? どうしたの?」

『今日の午後、穏乃は予定ありますか? 憧、玄さんもですが……』

「それって、会いたいってこと?」

『そうですね、阿知賀のみんなに会いたいですね』

「ちょっとまってて」

 穏乃は通話口を指で塞いでから、みんなに伝えた。

「和からです。私と憧と玄さんに、今日会いたいって」

「いいよー、私も和ちゃんに会いたいよ」

「私も、ほんとに久しぶりだよね」

 玄と憧は、本当に嬉しそうに一発OKを出した。残るは部長と監督の許可をもらうだけだ。

「私は晴ちゃんと一緒に行動するから。いいよね晴ちゃん?」

「ああ、和によろしく伝えてくれ」

 灼と晴絵も笑顔でOKしてくれた。穏乃は通話に戻った。

「もしもし?」

『はい』

「いいよ、四人で会おうよ」

『はい……それが』

「え?」

『こちらから、もう二人いいでしょうか? 一人は優希、あ、片岡優希です』

「片岡さん? いいよ、玄さんもOKって。で、もう一人は?」

『……咲さんです、宮永咲さん』

「……」

 穏乃は無言で、通話口を塞いだ。

「ど、ど、どうしよう……咲さんも来るって」

 その無防備な慌て方をみんなに笑われた。憧にスマホを奪い取られる。

「もしもし和! うん。久しぶりだねー! 咲ちゃんも来るんだって? もちろんOKだよ。 え、穏乃? 穏乃は固まってる。 それで? どこで? ――」

 ――いつどこでの確認を終え、憧は電話を切った。そして、笑顔でスマホを穏乃に返した。

「いい機会じゃない? 昨日の勢いはどこ行ったの?」

「……そうだね。で、場所は?」

 穏乃も笑顔を取り戻して答えた。しかし、逆に憧の表情が疑問を含むものになった。

「それがね……動物園だって。郊外の」

「動物園?」

 確かに疑問であった。原村和とは、ほぼ3年ぶりに会うことになる。きっと、話がはずむだろう。穏乃にも話したいことがいっぱいあったが、和はその場所に動物園という、似つかわしくない場所を指定してきた。憧じゃなくても、なぜだろうと考えてしまう。

(片岡さんか咲さんが動物好きなんだろうか?)

 ともあれ、幼馴染との再会は嬉しいものであり、穏乃はそれを心待ちにしていた。

 

 

 ――予定通りに、午前9時より、団体戦ベスト4の全選手が集まり、MVPと優秀選手の発表式が都内ホテルの一室で行われる。もちろん、それが終わった後は、合同記者会見も実施される予定で、マスコミ関係者は目をギラギラさせていた。

 定刻に式が始まり、進行役の針生えりが壇上に立ち、インターハイ団体戦のMVPと優秀選手が発表された。

 MVPは清澄高校 宮永咲であった。その圧倒的な闘牌によって、白糸台高校3連覇を阻止した実力に、審査サイドは満場一致で決めていた。

 しかし、優秀選手3名の選考は難航した。とは言え、2人目までの選考は全く問題がなかった。その2人とは以下の選手であった。

 1人目は白糸台高校 宮永照。本大会の最多得点、最多和了などの4冠王であり、文句のつけようがなかった。

 2人目は千里山女子高校の園城寺怜。準決勝で敗れはしたものの、その闘いは多くの人に感動を与えていた。

 そして、難航した3人目。白糸台高校 渋谷尭深、清澄高校 原村和、阿知賀女子学院 高鴨穏乃の中から選出されることになったが、その評価は甲乙つけがたかった。結果、審査サイドが選んだのは阿知賀女子学院 高鴨穏乃であった。準決勝での超新星 大星淡の撃破、決勝でのMVP宮永咲への三倍満直撃など、大物へのキラーぶりが高く評価されたのだ。

 その後、合同記者会見が開催された。一言でいうのなら大混乱であった。多くの記者の質問が宮永姉妹に集中し、収拾がつかなくなった。その為、運営側は予定されていた時間を大幅に短縮して強引に終了させた(それが大混乱を招いたとも言えた)

 選手達は、再び、運営スタッフに守られながら、会場を後にすることになった。

 

 

 東京郊外 動物園入り口前

 

「穏乃!」

「やあー和! 相変わらず時間ぴったりだねー」

「はい。でも、結構慌てました」

 幼馴染の原村和達は記者会見の会場から直接来たのか、清澄高校の制服のままであった。

「本当だ。セーラーのままだね」

「私達だって同じだよ。あなただけジャージに着替えたけどね」

「憧も着替えればよかったんだよ」

「着替えってそんな簡単じゃないよー。シズちゃんは特別だよ」

 松実玄が苦笑しながら言った。高鴨穏乃は、途中で立ち寄ったトイレで、制服からジャージに着替えていたのだ。

「穏乃は子供の頃からそうでしたね、いつも動きやすい服装ばっかりで……」

 和は懐かしそうに目を細めて言った。

「穏乃ちゃんには私と同じ匂いを感じるじぇ」

「そういえば、優希もそうですね」 

 和は、チームメイトの紹介を始めた。それが嬉しくて仕方のないという素振りであった。

「中学からの友達の片岡優希です」

「よろしく!」

 優希は軽くお辞儀をした後、じーっと憧を見つめていた。

「な、何? 優希ちゃんどうしたの?」

「なぜ憧ちゃんは髪をのばしたのだ? また切って、私と入れ替わって遊ぼうじぇ」

「ええー、だってもう身長とかも違うし……」

「でも、ホントに憧ちゃんの若い頃にそっくりだねー」

「玄……若い頃って、私まだ15なんだけど」

「玄さん、それをいうのなら子供の頃では?」

 そんな何気ない会話にも、穏乃の頬は緩みっぱなしであった。この空間、この時間、それは、穏乃が心待ちにしていたものであった。

「穏乃、咲さんですよ……」

 和の隣には、ショートカットの少女が恥ずかしそうに立っていた。

「初めまして、宮永咲です」

 咲は、昨日とは別人のように優しく微笑み、頭を下げた。

(この人は……こんなに素敵に笑うんだ……)

 少し緊張していた穏乃の表情も、咲につられて笑顔になった。

「咲さん、MVPおめでとうございます」

「ありがとう……穏乃ちゃんも優秀選手に選ばれてよかったね」

 不思議なことに、咲からの褒め言葉は心地が良かった。まるで、親に褒めてもらったかのように、穏乃は童心に帰っていた。

「へへへ」

「あ、なんかすごい嬉しそう。でも私が審査員だったら、和を選ぶなー。凄かったよあの制御は」 

 相変わらずの表情で憧が穏乃をからかった。そんな憧にも、咲は優しく語りかけた。

「うちの部長がね、憧ちゃんがいてくれて助かったって。いなかったら中堅戦で終わってたって言ってたよ。私もそう思うなー」

「そうかな……」

 憧が顔を少し赤くしていた。滅多に見られない顔なので、玄が驚いて憧を覗き込んでいた。

「憧ちゃんも嬉しそうだね」

「玄さんも……凄かった。あんな顔のお姉ちゃんを見たのは久しぶりですよ」

「えへへ」

 玄も同じであった。阿知賀の3人は、完全に宮永咲に懐柔されていた。しかし、それは悪い意味ではなかった。穏乃は、咲へのわだかまりが解消し、普通に話せるようになった。そしてなによりも、久しぶりに会った和の、嬉しそうな顔を見られた。

「ところで、咲ちゃんは何で私達と会いたいって思ったの?」

 憧が咲に聞いていた。憧独特の、打ち解けた相手との話し方であった。

「高鴨穏乃ちゃん、新子憧ちゃん、松実玄さん」

 咲は、それぞれの顔を見ながら名前を呼んだ。

「和ちゃんはね、みんなのことを本当に楽しそうに話すんだよ。だから私も、みんなとお話してみたいと思って」

「咲さん……」

「和ちゃん……」

 顔を赤くした和と咲が、手を握り合っていた。何か空気が変な方向に変わったと感じた穏乃達は、片岡優希に解説を求めていた。

「な、なんなの? この空気は……?」

「慣れが必要だじぇ」

「優希ちゃんはもう慣れたの?」

「まあ、日常茶飯事だからな」

 玄と憧の質問に、優希は淡々と答えていた。

「和って……こんな趣味だったの?」

「さあ……それは、私にも分からないじぇ」

 結構ディープな質問をしたつもりだったが、優希は平然と話していた。明らかに、この手の質問に慣れている様子であった。

 

 

 郊外動物園 エントランスホール

 

 8月の下旬、東京の残暑は厳しかった。時折、風が吹いて穏乃達の髪を揺らしていたが、その風は阿知賀のものとは違い涼しくはなかった。

 ひとまずは、その涼をえる為に、エントランスホールで椅子に座り、冷たい飲み物を飲むことにした。

「でも和、なんでここなの?」 

「それは……咲さんのわがままです」

 穏乃は、そもそも持っていた疑問を和に聞いた。和は僅かに眉尻を下げて答えた。

「咲さん、動物が好きなの?」

 和の隣にいる咲を見た。咲は下を向いていた。

「……だって、だってここには……」

 と、咲はそう言ってから顔を上げた。その目は光り輝いていた。

「花田先輩がいるんだよ!」

「……は、花田先輩?」

 何のことか全然分からない穏乃であったが、咲の勢いに負けて復唱してしまった。

 和が困った顔で、補足説明をした。

「新道寺女子の花田煌さんです。あの人は私と優希の中学時代の先輩なんですよ。玄さんは準決勝で対戦していますよね?」

「花田さん? あの『すばら!』って人」

「玄ちゃん! それを言ってはダメだじぇ!」

 優希が、まずいとばかりに大声を上げた。――しかし、手遅れのようだった。咲が目の輝きを増量させて優希を見ていた。

 優希は、仕方がないという仕草で立ち上がり、咲に向かって言った。

「ほほう、おねだりですかな? おぬしも好きよのう……」

 咲は、弾けるような笑顔で席を立って、優希から離れた。

 優希は手を顔の前にクワガタのように構えて咲と向き合った。

「宮永さん! MVPおめでとうございます。すばらですよ!」

「そうかな……」

「でもそれは見せかけですよ! 私と対戦していませんから! 来年は私に合わせて先鋒になって下さい!」

「えー、それはちょっと」

「すばら! ならば今ここで勝負してあげます」

 優希はそのままの格好で咲を追いかけた。当然、咲はそれから逃げる。

「和ちゃーん、助けてー。オオスバラクワガタに襲われるー!」

「咲さーん、逃げて下さいー!」

「分かったー!」

 無意味な逃走であった。咲は、あっという間に捕まってしまい、その両腕に挟まれて楽しそうに笑っていた。

 さすがの穏乃も呆れ果てて、苦笑いしながら和に聞く。

「何……この茶番は……?」

「失礼な……これは咲さんのお気に入りのオオスバラクワガタです」

「オオスバラクワガタ?」

「以前、花田先輩の写真を咲さんに見せたら、クワガタに似てるって大騒ぎして……」

 咲を擁護していた和だったが、話しているうちに、穏乃と同じ苦笑いになっていた。

「そういえば……」

 玄が何かに気がついたのか、全く関係のない方向に顔を向けた。穏乃もそちらを向くと、ある看板が目に入った。“大クワガタ展 開催中”

 一瞬思考が止まってしまった。

(まさか……これが理由?)

 側にいる玄の様子がおかしかった。口に手を当てて、ブルブルと震えていた。

「く、玄さん?」

「ここにも……沸点の低い人がいたわ」

 必死に笑いを堪えている玄を見て、憧も苦笑いで言った。

 その苦笑い三人衆は、ほぼ同時にドリンクを手に取り、ストローで飲んだ。

「ごめんなさい……、優希がここの広告を見つけてしまって」

「いいよ、こうやって和と会えたんだから」

 謝られる理由はなかった。懐かしい和にこうやって会うことができたのだ、場所やシチュエーションは関係ない。申し訳なさそうにしている和に、穏乃は笑顔で答えた。

「和ちゃーん、早く入ろー!」

「咲さーん! そんなに走ると、また転びますよー!」

 動物園の入り口付近に向かって咲と優希が一緒に走っていた。和は心配そうに立ち上がって注意をしたが――それは無駄に終わった。

「ああ……」

「だ、大丈夫なの咲ちゃん?」

 結構な勢いで転んだように見えたので、憧も心配になっていた。

「ええ、転び慣れてるので、咲さんは受け身が完璧です」

「……」

 しかし、それは冗談ではなかった。咲は、すぐに立ち上がり、優希と一緒に券売機の前に並んでいた。

「あなたも大変ね……」

「本当に……。すぐ転ぶ。一人にするとあっという間に迷子になる。もう……大変です」

 『大変だ』とは言いつつも、その和の表情は、子供の頃によく見た、彼女の嬉しい時の表情だった。

「和、嬉しそうだよ?」

「そ、そんなことありません!」

 その表情も良く知っていた。照れ隠しの真っ赤な顔。穏乃の記憶にある図星をつかれた時の和の表情であった。

 

 

 動物園内

 

 高鴨穏乃にとっても、こんなに楽しい時間は久しぶりであった。原村和の連れてきた新しい友人、宮永咲と片岡優希は、まるで子供の頃の自分たちのように、はしゃいで園内を巡り、それにつきそう和も笑顔が絶えることがなかった、松実玄や新子憧も同様で、もちろん穏乃もそうであった。そして、そういう時間はあっという間に過ぎていく。ここから見えている太陽は、もう西日になりつつあった。

 ハイペースで園内を周り、みんな少し疲れていたので、パラソル付のテーブルで、休憩を取ることにした。それぞれ自販機で購入した飲み物を手に椅子に座った。

「疲れたねー」

 玄が飲み物を飲みながら言った。穏乃もそれは感じていたが、まだまだ不足であった。この6人でなら、まだ何時間でも遊べる。できれば今日が終わってほしくなかった。

 一息ついた後、咲と優希が立ち上がり、和に向かって言った。

「和ちゃん、私と優希ちゃんで、もう一回花田先輩を見てきてもいいかな?」

「はい、気をつけて下さいね」

 2人は、穏乃たちにもお辞儀をしてから“大クワガタ展”の方向に歩いて行った。

「気を使ってくれたの?」

「ええ、咲さんはそういう人ですから」

 和は優しい目で咲たちを眺めていた。

「昔はこの4人でよく打ったよねー」

「ええ、また打ちたいですね」

「今度、玄さん家で合同合宿しようよ、清澄と阿知賀でさ」

「そうね、桜が咲く頃に」

 阿知賀の3人の提案に、和も懐かしそうに笑っていたが、少し陰が見えた。

「阿知賀の桜は本当にきれいですからね……。でも、その桜には、みんなとの出会いと別れの両方の記憶がありますので……」

「……」

「私がネット麻雀にのめり込んだのは、みんなと離れ離れになったことが原因でした」

 そう言って和は、ちょっとだけ寂しそうな顔をした。

「私は……親の仕事の都合で転校を繰り返して、仲良くなった友達とも、そのたびに別れていました。だから、それは慣れていたはずだったのですが、穏乃達との別れは……本当に辛かった」

「私も……同じだったよ」

 赤土晴絵がいなくなり、麻雀クラブも解散して、憧も別の中学へ行った。和ともクラスが別れてしまい、その時期は、穏乃も独りぼっちであった。それは、泣きたくなるほど辛かった。

「はい……」

 和がそう言って笑ってくれた。穏乃は、長い間引っかかっていた何かが取れたような気がした。だから、もう和とは普通に話すことができる。そう、あの小学生の時のように。

 ――そして、しばらくの間、4人はその頃に戻っていた。阿知賀の話、清澄の話、次から次へと話が出てきた。とりとめのない話も多かったが、4人はその時間を存分に楽しんでいた。

「咲さんて不思議だね」

 穏乃は、僅かに真剣な顔になり、話題を変えた。

「不思議ですか?」

 和が、それこそ不思議そうな顔で穏乃に聞いた。

「実はね……昨日まで私は、咲さんが憎かったんだ」

「このシズが『宮永咲!』って呼び捨てにするぐらいだったんだよ」

 憧が話を付け足した。それを聞いた和の表情が変わった。

「その気持ち分かります……」

「え?」

「私も、咲さんへの初めての感情は憎しみでした」

「和……」

 それは、自虐的な笑顔であった。明らかに和は、咲を憎んでいたことを後悔していた。

「初めての対戦で、私はプラマイゼロを3回連続で決められました……しかも、その後、咲さんはこう言ったんです『自分は麻雀が好きではない』と」

「それって、今年?」

「はい、4月でした……」

 和の性格をよく知っている穏乃達にしてみれば、和が咲を嫌うのはさもありそうに思えた。

「でも、いまは仲が良さそうだね?」

「はい……私の誤解でしたから……」

 玄の質問に、和は正直な答えを返した。そして、穏乃に視線を合わせて、穏やかに聞いた。

「……穏乃は? どうして咲さんを憎んでたのですか?」

「……怖かったんだよ、心底ね。憧に教えてもらった」

「……」

「でも今は違うよ! どんどん咲さんを好きになっていくなー!」

 穏乃も正直に答えた。咲に怯えていたこと、それを憧に指摘されたこと、和には隠す必要がなかった。いや、逆に和に聞いてほしかったのだ。

 和は、そんな穏乃に、今日一番の笑顔で言った。

「そうですね、本当に不思議ですね、咲さんは」

(本当だね……。阿知賀は、先鋒の玄さんから私まで、ずーと咲さんに翻弄されたみたいなものだよ、だから、憎むというのは自然な感情で、こんなに仲良くはできないはずだけど……なぜかな)

 穏乃にも訳が分からなかった。しかし、今日も、これからも、咲と友達でいたいという気持ちには嘘はなかった。

「シズが聞かないから、私が聞くけど、昨日と今日の咲ちゃんはずいぶん違うよね?」

 憧と玄にしても、咲への気持ちは穏乃と同じであろう。だからこそ、知っておかなければならないことがある。聞き辛くはあるが、憧の質問は、その大事なものであった。

「複雑なんです……昨日の咲さんは別人ですから……」

「それじゃあ、咲ちゃんは昨日のこと覚えてないの?」

「いえ、試合は覚えてると思います。でも咲さんは〈オロチ〉の状態は特別だと考えているみたいです」

 和の言った〈オロチ〉。穏乃はその言葉に聞き覚えがあった。

「〈オロチ〉か……大星さんもそう言ってた」

「お姉さんにそう呼ばれたと言ってましたので……」

 この話は和にも辛いのか、哀しそうな表情になっていた。だから穏乃は、話の方向をちょっとだけ変えることにした。

「……和は、〈オロチ〉と打ったことあるの?」

「ありません……昨日初めて見ました」

 わざと自慢げな顔をしてやった。和がムッとした顔になり、してやったりであった。しかし、和は、思いもよらないバイオレンスな反撃をしてきた。

「痛い、痛い、和! つねらないで!」

 和の左手が離れ、彼女も自慢そうに言った。

「私なんか、咲さんと同じ学校なので、毎日対局できるんですからね!」

 本当にムカついた。穏乃も同じ手段で制裁を加えることにした。

「痛い! 穏乃、痛い!」

 長かった。本当に長かった。和ともう一度遊ぶ! それは麻雀だけではない。こうして、あの頃のように、みんなで遊びたかったのだ。

 穏乃は笑った。心から笑った。そしてそれは4人に連鎖していった。

 ――落ち着いてから、和が咲について話し始めた。話の内容は重かったが、和の表情は、暗いものではなかった。

「――咲さんは、東京に来てから、ずっと沈んでいたんですよ。お姉さんとの対決を怖がっているみたいでした」

「お姉さんとは仲が悪そうだよね」

「何年も、口をきいてもらえなかったみたいですね……」

「……」

「でもね、昨日の試合が終わった後、咲さんは本当に明るかった。今までに見たことがないぐらいにね。そして、今日もこんなに……。きっと、お姉さんとの間で、何か、いいことがあったんだと思います」

 和の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。

「和は、咲さんのことが好きなんだね」

「ええ、好きですよ。大好きです」

 玄が目をキラキラさせて、和を見ていた。それに気がつき、和は必死に弁解した。

「そ、そういう意味ではありません」

「えー、どうだか」

 憧もいやらしい目つきで和に言った。

 顔を赤くして俯いていた和であったが、やがて、表情を真剣なものに変えて、自分の決意を呟いた。

「でも……私は、咲さんを倒さなければなりません」

「和……それは譲れないよ。私もそれを人生の目標に決めたんだから」

 真顔で食い下がる穏乃を見て、和は笑い顔になった。

「……そう言うと思いました」

「え?」

「穏乃! 咲さんは強いですよ、中途半端な考え方じゃ私が許しませんよ」

 初めて見る原村和の力強い笑顔、高鴨穏乃は楽しかった。そして、新子憧と松実玄に、その楽しさを伝えた。

「面白いね、本当に面白い。憧、玄さん、麻雀部を復活させて本当に良かったね」

「和! 来年の優勝は阿知賀だからね!」

「優希ちゃんにも伝えておいて、今年のようにはいかないって」

 そう、来年のインターハイは今日から始まっている。憧と玄からも、その意思が和に伝達された。

「はい!」

 和らしくない図太い声での返事であった。

(伝わったよ、和。来年、また来年ここで……みんなで遊ぼう!)

 ――西日は既にオレンジ色に変化して、穏乃達の影を長くしていた。

 宮永咲と片岡優希が戻ってきて、遠くで呼んでいた。

「和ちゃーん、みんなー。あっちで写真を撮ろうよー!」

「でっかい花田先輩を見つけたじょー!」

「はーい、今行きます!」

 6人は“大クワガタ展”前に移動して、大きなクワガタのオブジェの前に並んだ。

「玄さんも入ってよ!」

「えーじゃあだれが撮るの?」

「あちらの動物園の方に頼んではどうでしょうか」

 玄は、すみませんと言って、動物園のユニホームを着た男性に、カメラを渡して戻ってきた。

「お願いしまーす」

 

 

 エピローグ

 

 ――この翌年からの数十年間、麻雀界は“宮永時代”に突入した。それは、暗黒の時代と呼ばれることが多いが、一方では最も華やかな時代との評価もあった。麻雀界の価値観が一変した時代、だれが強いかを競うのではなく、だれが宮永姉妹を倒すかがメインテーマとなる、屈折した時代であった。

 その時代を代表する選手は、姉の宮永照と、妹の宮永咲の年齢から前後2歳までの選手達で、総称して宮永世代と呼ばれていた。

 

 

 ここに、奇跡的な写真が1枚ある。動物園で撮られたらしいその写真には、宮永世代を代表する6人が並んで映っていた。

 写真の左端で笑顔を作っているのは松実玄であった。彼女は、宮永照をして『顔を見るのも嫌』と言わしめるほどのキラーぶりを見せた選手だ。

 そして、その隣には新子憧も映っている。芸術的とまで言われた副露テクニックによって、姉妹の両方に苦汁をなめさせ続けた。

 一段下がって中央のオブジェに抱き着いて笑っているのは、高鴨穏乃で、宮永咲の天敵と呼ばれ、数々の名勝負を繰り広げた。

 その隣で高鴨穏乃の逆側からオブジェに抱き着いているのは片岡優希。“東場の神”、東場だけなら、宮永姉妹をも凌駕するとも言われた強者であった。

 その片岡優希の脇には、宮永咲の永遠のライバルと呼ばれた原村和が笑顔で立っていた。彼女は〈オロチ〉を初めて破った者として歴史にその名前を残す。

 そして、写真の右端で、恥ずかしそうに笑っているのは、宮永時代を築いた一人、宮永咲であった。嶺上開花を主な武器に闘うが、なによりも恐れられたのは〈オロチ〉という特殊な状態での闘牌であった。その支配力は凄まじく“人類最凶”と呼ばれ、原村和に破られるまでは無敵の魔王として君臨していた。

 ――この写真がだれのものかは分かっていない。しかし、この写真に関する逸話が後世に伝えられている。それは、いつの頃であるかは不明だが、原村和の話として記録されていた。

 

 ―中略―

 ――この写真の皆さんには共通の秘密があるとお聞きしましたが?

『私達は玄さんからもらった写真を、大切に大切に保管していました。そして挫折した時や落ち込んだ時は、この写真をこっそり引っ張り出して眺めるのです』

 ――原村さんだけではなく皆さんそうなのですか?

『はい、咲さんや優希にも聞いたことがあります。もちろん穏乃達もです』

 ――写真を眺めていると挫折等は克服できますか?

『気持ちの復活はできますよ、この写真にはそんな力があります』

 ――それはなぜだと思いますか?

『この写真には、私達がどんなに望んでも、決して帰ることのできない、夢のような、美しい時間が、刻まれていますから』

 

 

 

                            団体戦編  完




 初めてあとがきを書きます。
 約1年に渡り、稚拙な文章にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。咲<オロチ>編は、この20話で完結となります。
 とは言え、書き残した事が幾つかありますので、外伝的なお話を3話ほど投稿させていただきます。いつになるかは未定ですが、何卒宜しくお願い致します。
 
                               Mt.モロー


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アフターストーリー
第一話 清澄の優しい風


 咲〈オロチ〉編のアフターストーリーを3話程投稿いたします。
各話、時系列がバラバラなのでここにて説明を致します。

第一話 清澄の優しい風(本日投稿)
 インターハイの団体戦も個人戦も終わった後の清澄高校の話です。

第二話 坂の途中(7月投稿予定)
 インターハイ団体戦後で、個人戦前の白糸台高校 大星淡の話です。

第三話 見えない恐怖(8月投稿予定)
 インターハイ団体戦後、個人戦に出場する選手たちの〈オロチ〉への苦悩を描いた話です。


 

 インターハイが終了し、清澄高校も2学期が始まっていた。3年生の竹井久にしてみれば、この時期は受験勉強に本腰を入れるべきではあったが、今月末より開催される国民麻雀大会のメンバーに選出されており、それは先延ばしするしかなかった。しかし、準備は進めなければならない。その為には、学業以外の負荷を減らす必要があった。最たる学生議会長は、任期が来月まであるのでどうしようもない。ならば、麻雀部部長を、インターハイを経て指導者として覚醒した染谷まこに引き継いでしまえば良い。久はそう考えて、本日、その引継ぎの実施を、まこに告げていた。

 

 

 清澄高校 旧校舎 麻雀部部室

 

「咲は?」

「ああ、同じクラスの京太郎が連絡しとる筈じゃ」

 竹井久は国民麻雀大会のメンバー表を染谷まこに渡して、部室の一番好きな場所であるベランダに向かった。

「まだ卒業と言う訳にはいかないみたいね」

 手すりにもたれかかり、外を眺めながら言った。麻雀部長としてここに立つのも今日が最後、そう考えると、それなりに寂しさを感じていた。

「だったら、部長の引継ぎも今日じゃなくても良かろうに」

「あら、それはダメよ。美穂も蒲原さんも引き継ぎはもう終わってるのよ。まこだって秋季大会の準備があるでしょう?」

「まあ……そうじゃが」

 隣に立っていたまこは苦笑しながら答え、手に持っていたメンバー表に目を落とした。

「長野の今年はジュニアAもBも結構いけるのう」

「そうね、衣ちゃんが出るとは思わなかったわ」

 それは確かに意外であった。龍門渕高校の天江衣はこういった大会には興味が無いと思っていたが、インターハイでの宮永咲に影響されたのか、今回は出場を打診していた。

「福路さん、加治木さん、龍門さんに部長、それに衣ちゃんじゃ、ちょっと対戦相手が気の毒じゃのう」

「ジュニアBは優勝候補筆頭よ、うちから3人と桃子ちゃんに南浦さん。中学生枠を入れたって、飛びぬけてるわよね」

「咲次第じゃろな。先鋒で使うか、大将にするか」

 それは長野県の話ではなく、染谷まこ自身の悩みに聞こえた。だから久は、少しだけアドバイスをすることにした。

「靖子が言ってたわ、咲は大将に置いた方がいいって。いるだけで、相手のプレッシャーは計り知れないって」

「藤田プロか……」

 まこは、そう言って視線を逸らした。久にはその理由が分かっていた。清澄高校 麻雀部は、プロ雀士の藤田靖子から“ある提案”をされていた。

「まこ……」

 久に呼ばれたまこは、僅かに間を置いてから目を合わせた。

「靖子の提案、真剣に考えてる?」

「真剣も真剣、知恵熱が出るぐらいじゃ。しかし……わしには決断しきれん。どうしたらええかの?」

 来年の清澄高校はインターハイ連覇が期待されている。明らかにそれが、まこの重荷になっており、その顔には苦悩の色が浮かんでいた。

(私も同じだったな……。結局この1年、何も出来なかった……)

 それは正直な感想であった。ほぼ同世代のプレイングマネージャーでは、指導育成に限界があったのだ。久はそれを悔やんでいた。

「私は、みんなを強くする事は出来なかったわ……」

「……」

「出来たのは、みんなのコンディションをベストな状態に持って行く、それだけよ……」

「部長……」

 まこは驚いた顔で久を見ていた。

「咲も和も優希も……もともとが凄かったのよ。あ、もちろん、まこもね」

「人をおまけみたいに言ってからに……」

 いつものまこの口調だ、久はそれを聞いて笑った。

 ――藤田靖子の提案、それは清澄高校麻雀部に外部の指導者を置くことであった。初めは藤田靖子がその指導者かと考えたが、実際はとんでもない人物が名乗り出ていた。久は、その名前を出して、まこの質問への回答をした。

「小鍛冶プロは、みんなをもっと強くできる……私はそれを見てみたい」

「しかし……あの人の目当ては咲じゃろう」

 その言葉に、久は目を丸くした。

(そう……それがあなたの悩みなのね。良かった、あなたが後輩で。だけどその優しさは命取りになるわ、清澄は全国の高校の標的なのよ、綺麗事ではすまされない)

 久は、まこの懸念を取り除いてやろうと思い、約1年半分の感謝の気持ちを込めた“最高の笑顔”で話した。

「もちろん! 小鍛冶プロの目的は咲を探る事よ。だけどね、その為には、自分の手の内もさらけ出さなければならない」

「……和と咲みたいなもんか?」

「そうね、相手の弱点を知る事は、自分の弱点を教える事よ、そのリスクを冒してまで、あの人は清澄の指導者に名乗り出ている……受けてもいいんじゃないかしら?」

「阿知賀や宮守みたいに、一気に強くなる可能性があるっちゅうことか……」

 久は頷いた。良い指導者とはそういったものと考えていた。プレイヤーの力量を最大限に引き出す術を知っている。

「小鍛冶プロは、もっと凄いわよ、なにせ麻雀でやり残している事は一つしか無いって言われてるんだから」

「一つ?」

「そうよ、あの人がやり残しているのは、ただ一つ、負ける事」

「……理解できん話じゃの、部長は分かるんか?」

「全然」

 まこが呆れた顔で自分を眺めていた。妙な話ではあるが、久はそれが心地よかった。

(まこ……あなたはもう十分苦労してきたわ。だから、この話は受けたほうがいい)

 ――ベランダから見える川の傍の木陰から、宮永咲と片岡優希が原村和を支えながら出て来るのが見えた。久は大きく手を振って合図した。咲達も気が付いたのか、手を振り返している。

「もうすぐ来るのう」

「そうね……」

 柔らかな風が吹いていた。 

 その風は、意識しなければ気が付かない程の微風ではあったが、暑くもなければ寒くもない優しい優しい風であった。その風に包まれながら、久は心の中で呟いていた。

(良かった、本当に良かった。……諦めない、私はこれからも決して諦めたりしない)

 

 

 30分前 清澄高校校庭

 

 本日の部長引継ぎの実施は、昼休みにメールで染谷まこから部員に発信されていた。携帯等を持っていない宮永咲には、クラスメイトの須賀京太郎に伝達する様に指示されていたが、咲は放課後すぐに、『ウィークリー麻雀Today』の西田記者の取材要請をうけて、いなくなってしまった。京太郎はその大事な連絡をしようと、咲を捜し回っていた。

 

 

 原村和と片岡優希は、宮永咲を捜しに行っている須賀京太郎を、玄関前で待っていた。その顔は不機嫌極まりなかった。京太郎から、おおよその事情は聞いたが、それはただの怠慢に思えたからだ。

 ――京太郎が息を切らして帰って来た。

「校内を捜したけど見当たらない……取材も終わってるみたいだし、部室に行ってるんじゃないかな?」

「アホ京太郎! 家に帰ってたらどうする! 走って確認してこい!」

「ええー、咲ん家は結構遠いんだよな……」

「ゴチャゴチャ言わずに、早く行け!」

 優希の剣幕に、京太郎は逃げる様に走り去った。

 和は、京太郎がちょっと気の毒になり、優希に訊ねた。

「これからだと須賀さんは引継ぎに間に合いませんよ?」

「分かってる、これは罰だじぇ! 咲ちゃんはきっとまだ校内にいると思う」

 いつもふざけてばかりいる優希であったが、今回は本気で怒っているのだろう、顔が笑っていなかった。

「のどちゃんは、ここで見張っててほしい、私は部室までひとっ走り――」

 優希がそこまで言った所で、遠くから2人を呼ぶ声が聞こえた。

「原村さーん、片岡さーん」

 西田記者と同行しているカメラマンであった。正直な話、和は彼女が苦手であった。ずけずけとした聞き方に抵抗を覚えてしまう。

「西田さん! 咲さんの取材は終わったんですか?」

「ええ、終わったわよ」

「それで、咲さんは何処に?」

「部室に行くって言ってたわよ」

 和と優希は顔を見合わせて、その場を立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと待って! 2人共」

 西田が慌てて和達を呼び止めた。

「取材は咲ちゃんだけじゃあないのよ、あなた達にも聞きたいことが……」

「申し訳ありません、今日はこれから大事な用事がありますので」

「大事な用事? それは何?」

 西田はボイスレコーダーを取り出し2人に向けた。

 和は麻雀以外では感情が表に出やすかった。今も嫌そうな顔をしているのだろう。西田はそれを察したようで、ボイスレコーダーを引っ込め、作戦を変えてきた。

「せめて……写真だけでも撮らせて、清澄1年生トリオのね。お願い!」

 そう言って、顔の前で手を合わせた。彼女が職業として持っている能力をいかんなく発揮された。和と優希は断る事が出来なかった。

 

 

「京太郎か? 咲ちゃんが見つかったじぇ、すぐに戻ってこい」

 片岡優希は、電話で須賀京太郎を呼び戻していた。先程までとは違い、その表情は笑顔であった。

「どうですか?」

「ちょっと遅れるぐらいかな、ああ見えても京太郎は、走るのだけは早いからな」

 褒めているのか、けなしているのか分からない言い方であったが、実に優希らしかった。そう思うと、自然に原村和の顔もほころんだ。

 ――部室の有る旧校舎までの、小さな川のほとりの道を優希と歩いていた。ここは、和のお気に入りの場所であった。途中にある木陰で、咲を初めて見つけた場所。通るたびに、それを思い出してしまう。

「またあそこにいたりして」

 優希がその木陰を指差して言った。実際に咲は、そこで居眠りしている事がよくあった。

「さすがに今日は、いないと思いますよ」

 近づくにつれて、それが間違いであったと認識させられた。咲の特徴のある前髪が、チラチラと見えていたのだ。

(……これは、須賀さんのせいです。須賀さんが大事な連絡をしなかったからです)

 何とか咲を弁護しようと思ったが、場合が場合だけに、それは苦しいものになった。

「こんな時に居眠りとは不届き千万! ちょっと驚かしてやるじぇ」

 いつもの悪ふざけをする優希の顔であった。止めようかと思ったが、たまには“有り”かなとも思った。

「私はここで待ってますから、咲さんを連れて来て下さい」

「分かった。連れて来るじぇ」

 優希が川を飛び超えて、忍び足で咲に近づいて行った。やがて咲の前に立ち、大声で起こす――筈であった。しかし、優希はそうしなかった。咲の前に立ったままで、和を手を振って呼んでいた。

 ただならぬ事態に、和は慌てていた。普段ならば、近くの橋を渡るのだが、優希と同じく川を飛び越えた。

「ゆ――」

 優希が大声を出すなとばかりに、口に指をあてた。

 近づいてみると、驚くことに優希は泣いていた。そして、咲を指差した。

 ――咲は、眠っていた。よく見ると両目の端に微かな筋が残っていた。それは、涙が流れて渇いた跡の様であった。手元には一冊の本を抱えていた。先程、西田記者から渡されたのか、発売前の『ウィークリー麻雀Today』であった。その表紙の見出しに、こう書かれていた。

 

 “白糸台高校 宮永照 独占インタビュー 『宮永咲は私の妹です!』”

 

 和は咄嗟に手を口に当てた。そして目も閉じた。不思議なことに、目を閉じても涙は出てくる。次から次へと止めどもなく溢れてくる。

「咲ちゃん……よかったじぇ……」

 優希のその言葉に、和は目を閉じたまま頷いた。

(本当に…………本当に、よかった……)

 

 

 ――咲を起こさなければならなかった。その為には、和達にも準備が必要だった。

「どうですか?」

「大丈夫、もう涙は見えないじぇ。――私は?」

「OKです」

 泣きっ面で咲を起こす訳にはいかなかったので、2人はお互いの顔をチェックし合った。そして和は、大きく息を吸って、かなり大きめの目覚ましコールを行った。

「咲さん!」

「うわあ!」

 咲は慌てて飛び起きた。

「何やってるんですか、こんなところで居眠りなんて!」

「ご、ごめんなさい……。あれ?」

 咲にまじまじと顔を見つめられた。和は、何故か居心地の悪さを感じていた。

「和ちゃん……優希ちゃんも、なんか、泣いてるみたいだけど?」

 止まっていた涙が、再びポロポロと流れ出した。

「あ、あたりまえです……今日は部長の引継ぎが……あるんですからね。私も優希も、咲さんも……部長には、お世話に……」――それ以上は言葉に出来なかった。

「ごめんなさい!」

 咲がそう言って立ち上がり和を支えた。優希も逆側から腕を支えてくれている。

「本当にごめんなさい、部室に行こう、ね!」

「もう……」

 申し訳なさそうな顔で謝る咲に、和はもう少しだけ、すねた演技を続けようと思った。

「……」

「あ! 見て和ちゃん! 部長が手を振っている。 おーい!」

 和の大好きな笑顔で、一生懸命手を振っている咲を見て、演技を続ける事のばかばかしさを感じた。和も顔を上げて、部室のある旧校舎最上階を見た。そこでは、今日が部長としての最終日になるであろう、竹井久が大きく手を振っていた。

 

 柔らかな風が、3人の髪を小さく揺らした。

 その風は、意識しなければ気が付かない程の微風ではあったが、暑くもなければ寒くもない優しい風であった。その優しい風に包まれている間、和は時間がゆっくりと流れている様に感じた。そして、そのゆるやかな空間の中で見た、大好きな咲の笑顔は、原村和の記憶に、永遠なる美しい時間として刻まれていた。

                           

                       清澄の優しい風 完

 



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第二話 坂の途中

 東京23区は様々な台地上に街が形成されており、あちらこちらに坂道が点在する。その数は、名前の付いているものだけでも700以上あった。

 大星淡の住んでいる家もそんな坂道の頂上付近にある。淡は通学に使用している駅を降り、そこから自宅へと続いている長く急な坂を見上げてげんなりしていた。午後2時、8月の東京では、一日中で最も暑くなる時間帯だった。

 淡は眉をひそめ、知らない人がみたら、確実に怒っていると思われる表情で、だらだらと坂道を登っていた。

 その中程にある団子屋の親父が、日焼けしきった顔によく目立つ白い歯をのぞかせて、淡に声をかけてきた。

「よう、淡ちゃん。しけた顔してるね、かき氷でも食っていかねえかい」

「ひとこと余計だよ……今汗だくだからパス。また、後で寄るよ」

「そうかい、じゃあ待ってるよ」

淡は面倒くさそうに手を振って、団子屋を通り過ぎた。

(まだ半分もある……もう、なんとかならないのかな、この 坂道)

 暑さによって判断力 が鈍っているのか、そんな無駄なことを考えていた。やがて、自分の家にたどり着いた淡は、部屋にバックを放り投げて、浴室に駆け込んだ。

 ――シャワーを浴びて気分も一新した淡は、何の装飾品のない殺風景な部屋のベッドに寝っ転がり、目を閉じて今日の出来事を回想していた。

 

 

 3時間前 MVP表彰式および記者会見会場

 

 午前中のMVP表彰式終了後に実施された合同記者会見は、進行役の針生えりが決勝の先鋒戦から時系列に沿って行うインタビューであり、あらかじめ定められたプログラムであった。本当の意味での記者会見、つまりは雑誌等の記者たちが選手に直接質問できる時間は、それが終わった後の30分に限られていた。

 恐らくは、運営部の配慮だろう。だれがどう考えても、宮永姉妹に質問が集中するに決まっている(事実そうなり、30分に満たない時間で打ち切られた)。

 

 進行役のえりの質問は、なかなか手厳しく、先鋒戦から副将戦までで、1時間近い時間を要した。そして、大将戦のそれが開始され、最初は何事もない受け答えが続いていたが、淡への質問から、その風向きが変わった。

「大星選手は、大量リードが合ったにも関わらず、宮永選手との真っ向勝負を選択しましたが、それは、なぜでしょうか?」

「どういう意味ですか? 私に勝ち目がなかったとでも?」

「いいえ、決してそんな意味ではありません。ただ、白糸台高校は史上初の3連覇を達成目前でした。それにしてはアグレッシブ過ぎる闘いかなと思いまして」

 プロのアナウンサーというのは、相手の心理を見抜く感覚が鋭いのであろう、淡の反応を見て口調を穏やかなものに変えてきた。

「サキは守ろうとして守りきれる相手ではありません」

 淡は感情を抑えて話す努力をしていたが、決勝の闘いを否定されるのは我慢できなかった。言葉の端々にトゲがあった。

「闘い方が間違っていたとは思いません。敗北は、ただの結果だと思っています……」

 努力もここが限界だった。淡は、心の内を吐き出した。

「個人戦では……必ず、サキを倒します」

 自分でも、ひどい顔をしていただろうなと想像できた。それほど、怒りがこみあげていた。

 進行役の視線が淡から外れ、阿知賀女子学院の方向を向いた。高鴨穏乃が手を上げていたからだ。

「た、高鴨選手?」

「大星選手には申し訳ありませんが、宮永選手を倒すのは私です」

「で、でも、高鴨選手は個人戦には出場しませんよね?」

 臨海女子高校のテーブルからも挙手する者が現れた。それはネリー・ヴィルサラーゼであった。

「宮永には個人戦でも勝ち抜いてもらいたい。なぜならば、彼女は、私が倒すことになりますから」

 ネリーも穏乃も、その眼光は鋭かった。まあ、それは当然だなと淡は思った。2人はあの場所で自分と一緒に魔王に立ち向かい、完膚なきまでに負けたのだから。

「宮永選手……みんなからご指名されていますけど、どうしますか?」

 針生えりは引きつった笑いを浮かべ、清澄高校 宮永咲に質問をした。

 咲は、昨日とは全くの別人のようで、困りきった表情でオドオドとしていた。しかし、彼女の発した答えは衝撃に満ちていた。

「私は……負けられません」

「それはどうしてですか?」

「誓ったんです。決して負けないと」

 表情に変化はなかったが、その「負けない」という言葉には咲の強い意志が感じられた。

「誓った? お姉さんの宮永照選手にですか?」

「いえ、お……宮永選手ではありません」

 意図的ではなかったのであろうが、それは誘導尋問になっていた。咲の回答は完全に宮永照が自分の姉であると宣言していた。ざわめきの声が上がり、向けられていたカメラのフラッシュが一斉に瞬いた。何人かの記者達は、会社への連絡の為に会場を飛び出していた。

「それではだれでしょうか?」

「それは……言えません」

 淡の考えも、針生えりと一致していた。咲が不敗を誓った相手がいるとするならば、それは姉の宮永照であると思っていた。だが、咲は違うと言った。それが衝撃だったのだ。そんな誓いができる相手、それは咲が強さを認めている相手に他ならなかった。

 淡は横目で照を確認した。無表情を装ってはいるが、付き合いの長い淡には、彼女の動揺が見抜けた。

 

 

 淡は、閉じていた目を開いた。エアコンの効いた室内は涼しかったが、窓からの強烈な太陽光が差し込んでいる。その眩しさに、淡はもう一度瞼を閉じた。

(テルー……)

 照の表情は、嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。妹を何よりも大切にしている照には、咲の発言は厳しすぎるように思えた。

 そして、淡の咲への感情も変化していた。それは、全く理解不能な感情だった。

 最も強く感じていたのは、咲が不敗を誓った相手に対する嫉妬であった。

(テルーに対してのサキの存在を羨んだ気持ちと同じ……なぜだろう)

 宮永照は、尊敬すべき人で失いたくない友人。その為に彼女への執着心が生まれ、自分より親しい人間に嫉妬してしまう。淡にもそれは分かっていた。だからこそ、戸惑っていたのだ。照は特別な存在なので、そういった感情を抱いてしまうのは仕方がない。だが、咲は違う。まともに話したこともなく、何よりも自分に“真の敗北”を味合わせた相手、リスペクトの対象になるはずがなかった。

 “頭”ではそう否定していた。しかし、“心”では別のことを思っていた。

(私は……なぜこんな風にサキと出会ってしまったのかな)

 友人を作るのが下手な淡は、それゆえに友人になれる人間の見極めは確かだった。もしも同じ学校で咲に出会ったとしたならば、彼女は、自ら進んで友人になろうとした存在に違いなかった。そう考えると、淡は少し悲しくなった。

(考えても……仕方がないか……)

 それが、淡の精一杯のまとめであった。咲とは敵として出会ってしまった、ならば運命に従うしかない。単純ではあるが明瞭な答えであった。

 淡は、目を開けてベッドから起き上がり、団子屋の親父との約束を守るべく準備を始めた。

 

 

(うー、暑い……)

 外に出た淡は、自分の発言に後悔をしていた。普通に「また今度」とでも言えばよかったと思った。それほどまでに暑かった。

 淡の身なりは、何の模様もない水色のTシャツに白いショートパンツだった。近所に出歩くだけなのでこれでいいと思っていた。

(菫に見られたら怒られるかな……)

 麻雀部部長の弘世菫は、身なりに厳しかった。それは学校の中だけではなくプライベートでもそうであった。休みの日には、たまにチームで集まることがある。そこに適当な服装で行くと、菫に大目玉を食らってしまうのだ。

(今頃、きっと菫はおしゃれして出かけてるんだろうな)

 記者会見終了後の移動車両の中で、菫は、阿知賀女子学院の松実宥と会うと言っていた。人の趣味をとやかくいうつもりはないが、淡にはそれが鬱陶しかった。

(全く……あれさえなければ、菫は完璧なんだけどな)

 亦野誠子が、学校に戻ったらミーティングを開こうと提案していたが、菫はそれを理由に明日の延期を決定していた。とは言え、菫は時間を無駄にはしなかった。そのミーティングのテーマを車内会議で話し合った。

 

 

 1時間半前 白糸台高校 送迎用車両内

 

「今日の咲ちゃんの発言、相手は本当にお前じゃないのか?」

 弘世菫は、ダイレクトに宮永照に聞いた。こんな聞き方ができるのは菫しかいないと淡は思った。

「そんな約束をした記憶はない」

「お前は、だれだか分かっているんだろう?」

「……まあね」

「原村和か?」

 照の表情が驚きのものに変わった。

「なんで……そう思ったか聞いていい?」

 実に良い質問だった。淡もそれが知りたくて仕方がなかった。

「〈オロチ〉を倒せる者の3人に彼女が含まれていた。姉のお前がそう考えるのだから、咲ちゃんだってそう思うだろう? 後は消去法だ、照でもなければ淡でもない、だったら原村しか残らない」

 言われてみればそのとおりであったが、普通はそんな風に理路整然と考えられない。淡はそういう部分の菫を尊敬していた。

「咲自身が出した答えだろうから、尊重するよ」

 照も納得したのだろう。表情が笑顔になっていた。

「いいのか?」

「手をこまねいて見ているつもりはない。私も……姉としての責任を果たしたい」

 淡には気になっていることがあった。昨日の先鋒戦の休憩時間に、照は『咲は真の敗北を知れば再起不能になる』と言った。もしそうならば、それは看過できない。淡にとっての宮永咲はそれほどの存在になっていたのだ。

「テルー……サキは負けてもいいの?」

 不安そうに訊ねる淡の気持ちを察知したのか、照は穏やかに、そして優しく話をした。

「咲はね……いつも、怯えながら麻雀を打っていた。負けることを常に恐れていた」

「……」

「でもね、今の咲は……負ける相手を自ら探している」

「……理解できないけど」

「大丈夫、きっと大丈夫だよ、咲は、私の知らない間に成長したんだ……それを信じる」

 おそらく、今までだれにも話せなかった話なのであろう。照は満足そうに外を眺めていた。

「お前は変わったな。これまでは妹の話はタブーだったのに、自ら進んで話すなんて……」

 菫が冗談めかして言ったが、照の笑顔は消えなかった。

 会話が途切れた、淡達の乗っている車は、そこそこ高級車なので騒がしくはなかったが、東京によくあるデコボコ状の道を通過しているのか、振動が激しかった。

 ――その僅かな間が、照の表情を真剣なものに変えていた。会議はようやく本題に入った。

「淡、協力してほしい……個人戦が〈オロチ〉を倒す最後のチャンスなんだ。ここを逃したら、私は3年間待たなければならない……」

(どうして? どうして公の場にこだわるの? サキと仲直りして打てばいいのに)

 先程までの照の話し方を見ると、咲とのしがらみは解かれているように思えた。ならば、いつでも機会はあるはずだった。

(私には分からない姉妹の何かがあるのかな……)

 そう考えて納得するしかなかった。一人っ子の淡にとって、姉妹の繋がりは、他者が口を挟めないほど深いという認識があったからだ。

「何をしたらいいの?」

 照の要望に対する淡の答えは決まっていた。〈オロチ〉は付け焼刃では倒せない。自分自身が一番分かっていた。

「〈オロチ〉はね、負けてからじゃないと発動しないんだ……運良く初日か、決勝の前半戦で咲と対戦できれば可能性はあるんだけど」

「お前にしては、ずいぶんと弱気だな」

「〈オロチ〉発動の判断基準はプラマイ0だ、それが阻止された場合に、初めて選択肢に加わる。……至難の業だよ」

 普段は口が足りない照であったが、今回は丁寧に説明していた。菫の乱暴な質問も無視をせずに回答をしていた。

「プラマイ0を破ればいいんだね」

 簡単そうに言った淡に、照は苦笑を向けた。

「天江衣、末原恭子……あの2人でも破れなかった。そんなに甘くはないよ」

「臨海のネリーさんは、それだけ凄かったのですか?」

 普段は聞き役に徹することの多い渋谷尭深が、耐えきれずに口を挟んだ。

「準決勝、あの試合の後半、咲は全力だった。おそらく、ヴィルサラーゼが妨害しなければ、咲は勝っていたよ。だからこそ恐れたんだ……放置できないと思うほどにね」

「淡にも、その可能性がある、そう思っているのか?」

「そうだよ、他には荒川憩、神代小蒔、原村和――かな」

「あのう、宮永先輩は園城寺怜を過小評価しているような気がするんですけど」

 亦野誠子の問いかけに、照は小さく頷いた。

「彼女は強いと思う。でもね、あの力は……見ることしかできないんだ」

「……?」

 また照の言葉が足りなくなった。淡には意味が分りかねていた。こういった時に頼りになるのは、やはり菫であった。

「お、園城寺怜は見た未来を変えられない……そ、そういうことか?」

 照は肯定も否定もしなかった。照は一度闘った相手の能力を見透かすと言われている。怜も例外ではないはずであった。

(園城寺怜を敵として尊敬している……だから答えないんだね)

 その気持ちは何となく理解できた。これまでの淡は、倒すと決めた相手は、常に憎悪を向け打ちのめしてきた。しかし、それができない者が現れた。淡の意識を変えたのはその者“宮永咲”であった。

「ねえ、テルー」

「ん?」 

「協力はするけど……もし、ダメだったらどうするの?」

「その時は淡、お前に倒してほしい。きっと咲も、納得すると思う」

「サキが……?」

 淡はその言葉に驚いた。なぜだろう? 自分は咲に認められる人間ではない。そんな疑問が頭に浮かんでいた。

「うん、淡の強さを咲は知ったから」

「強くなんかない! あんなにボロ負けしたのに!」

「前にも言ったけど点数は関係ないよ、自信を持って」

「……私は、あの最終局に思ったの。絶対にサキに勝てないって、負けを認めてしまったんだよ」

 照は、淡を見て、優しく、優しく微笑んだ。

「分かってるよ」

「え……」

「だから言ったでしょう? 淡は、それを知れば、もっと強くなるって」

「あ……」 

 淡は思い出した。その言葉も先鋒戦の休憩時間に、照が自分に言っていた。

(そうだ、あの時は理解できなかったけど……今は実感できる)

 それは超新星 大星淡の復活であった。

(サキ……見てなさいよ、あなたは、私とテルーとで、必ず倒すんだから)

 そこには憎悪はなかった。あるのは咲への尊敬と、未だに整理がつかない彼女への気持ちであった。

 話が煮詰まったと考えたのか、菫は会議のクロージングを宣言した。

「淡も淡なりに考えてみてくれ、そして明日のミーティングで報告しろ。照も、もう少し具体的な戦術を言ってほしい。――団体戦では遅れを取ったが、個人戦ではそうはいかない。チーム虎姫全体で照の3連覇をバックアップする」

 

 

「ちょっ、ちょっと淡ちゃん、どこ行くんだよ!」

 突然、団子屋の親父に呼び止められた。うっかり通り過ぎるところであった。

「え、ああ……もうこんな所まで来てたんだ」

「全く、考えごとしながら歩いてたら危ねえぜ」

 人懐っこそうな笑顔で、淡を店に招き入れた。

「相変わらず……冷房があんまり効いてないね」

 淡は暑そうに、年季の入ったテーブルに座った。

「本職が団子屋だからな。乾燥は大敵だよ」

 団子屋は、よく冷えた緑茶を差し出した。淡は一気に飲み干した。

「冷えたお茶って抵抗あったんだけど、ここで飲んでから好きになったよ」

「だろう。今日は好きなもん頼んでいいぜ、おじちゃんが奢ってやるよ」

「ほんと! じゃあ一番高いやつ!」

「言うと思ったぜ。てえと、抹茶、白玉、練乳、餡子入りかな?」

 真っ白な歯を光らせて団子屋が言った。

「それの白玉無しでお願い」

「何で? 白玉は嫌いかい?」

「だって、ここの白玉は団子じゃん」

「分かっちゃいねえな淡ちゃんは、団子粉のほうがコシが強いんだよ」

「だからって、焼団子入れちゃダメだよね。なんか喉に引っかかるよ」

「へへ……」

 そんな無駄口を叩きながらも、団子屋は手回しのかき氷機を器用に操っていた。氷の削れるシャリシャリという音が気持ちよかった。

「へい、お待ち」

 昔ながらの器に入ったかき氷が目の前に置かれた。淡はスプーンですくって口に運んだ。それは、頭が痛くなるほど冷たかった。

「うまいかい?」

「うん、おいしいけど」

「なんだい?」

「この間、テルー達と天然氷のかき氷を食べたよ、頭も痛くならないし、ふわふわしておいしかったよ」

 奢ってもらっているにもかかわらず、平気で他店を褒める。淡らしいと言えばそうであったが、この団子屋の親父は、子供の頃からの顔馴染みであり、何でも言える間柄であった。

「ああ、ごちそうかき氷な」

 団子屋はそんな淡に嫌な顔もせず答えていた。

「かき氷が1000円もしちゃあいけねえわな」

「ああ、ここに慣れてるから高いって感じたよ」

「かき氷にしろ、もんじゃにしろ、子供が気軽に食えなきゃな、俺はそう思うぜ」

「へえ―」

 そう言って、淡は団子屋をまじまじと見つめていた。これまで考えたこともなかった尊敬の心が生じていたのだ。

 淡にそんな視線で見られるのは初めてなのか、団子屋は江戸っ子らしい照れ隠しをした。

「莫迦野郎、照れるじゃねえか、早く食って帰んな、明日も忙しいんだろう?」

「うん」

 

 

 団子屋に礼を言って、店を後にした。

 外は、かき氷で冷えた体が、一気に沸騰するような暑さであった。淡は、再び長く続く坂道を見上げ、家へと歩き始めた。

(まだ、途中だよ……まだ、坂の途中……)

 

                           第二話 坂の途中 完

 



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第三話 見えない恐怖

 インターハイ団体戦は長野県代表 清澄高校が優勝した。昨年までは部員不足でエントリーすらできなかった県立高校麻雀部が、いきなり全国制覇の快挙を成し遂げたのは、宮永咲、原村和、片岡優希の一年生3人の活躍によるものが大きかった。その若いチームの圧倒的な力は、全国高校麻雀部の悩みの種であった。何しろ、少なくとも2年間は倒さなければならない敵として、目の前に立ちふさがるのだから。

 これから始まる個人戦に、その宮永咲と原村和が出場する。強豪校といわれる何校かは、この機会を逃さなかった。来年、清澄高校を打倒する為には、二人の弱点を詳細に探る必要があったのだ。

 

 

 都内 茨城郷土料理店 個室

 

 茨城県出身の小鍛冶健夜は、行きつけの地元家庭料理店の個室で、友人の福与恒子を待っていた。かなりの長時間を待たされているらしく、温厚な健夜でさえ、スマホで時間を確認しながらイライラしていた。

「お待たせー!」

「お待たせっていうレベルの話じゃないよね、1時間の遅刻ってのは……」

 悪びれる様子もなくやって来た恒子に、笑顔のない嫌味を言った。

「ゴメン、ゴメン。でも、現在地を報告しながらだったから。ワクワクしたでしょう?」

「……」

「と、ところで、どうしたの? すこやんからの呼び出しなんて珍しいよね」

 いつもの冗談が通じないと判断したのか、恒子は慌てて話題を変えていた。

「……頼みたいことがあるんだよ」

「頼み?」

 恒子もテーブルに着いて、店員を呼んで飲み物と霞ヶ浦のレンコン料理を注文をした。

「清澄高校麻雀部にコンタクト取れる人を紹介してほしい」

「清澄? じゃあ藤田プロだわ」

 素っ気ない答えに、健夜は驚いていた。

「藤田……靖子ちゃん?」

「現部長と顔見知り、2年生メガネっ子の実家の雀荘常連客、うってつけでしょう」

「こ、こーこちゃん、お願い。靖子ちゃんと会えるようにして」

 大きな声での健夜の懇願に、今度は恒子が驚いていた。

「えー、プロ同士なんだから、簡単に連絡取れるんじゃないの?」

「……意外と私は、そういうのはないんだよ」

「意外でもなんでもないけどね、すこやんの場合は……でも、なんでまた?」

 恒子は呆れ顔であったが、清澄高校と接触をしたがる健夜の本意が分からなかった。

 その健夜は、疑い深く恒子を見て、小さな声で答えた。

「……だれにも言わないなら話すけど」

「ずいぶんと慎重だね」

「これだけは……口外してもらっては困る」

「分かった。だれにも話さない」

 不安気に眉を寄せる健夜に、恒子も真面目に対応していたが、その不審は完全に晴れないようであった。とはいっても、恒子の助けは必要なのであろう。僅かに逡巡した後、健夜は心を決めて理由を話した。

「私は、清澄高校麻雀部の監督になりたい」

「ええー!」

 騒がしかった郷土料理店内に一瞬の沈黙が訪れるほどの大声であった。健夜は大慌てで恒子の口を塞いだ。

「こ、声が大きいよ」

 恒子は、すまないとばかりに何度も頷いて、健夜に手をどけてもらった。

「こりゃあ、おったまげるわー。だって、アマチュアの指導者になるには、プロの資格を失効することになるんだよ」

「分かってるよ」

「……理由を聞いていい?」

 ただ事ではないと感じ取ったのか、恒子は事情の深堀をした。

「咲ちゃんかな……」

「咲ちゃん? 宮永咲?」

 健夜は小さく頷き、沈黙した。

 店員がドアをノックし、恒子の頼んでいた料理と飲み物(アルコール入り)が届けられた。健夜はしばらくの間、恒子が食べるのを眺めていた。

「あの子はね……脆いんだよ、まるでガラスのよう」

 恒子は、歯応えのあるレンコンの肉詰めを食べていたので、すぐには返答できなかった。よく咀嚼してから飲み込んだ。

「あ、あんなに強いのに?」

 慌てて答える恒子を見て、健夜は笑った。警戒心が解け、いつもの友人との話し方に戻っていた。

「あの強さはね、幻影なんだよ」

「……」

「咲ちゃんが自分の恐怖を覆い隠す為に作り上げた砂上の楼閣。崩れる時はあっという間だよ」

 麻雀の実況をすることの多い恒子だったが、プロ雀士とは感性が違うことも理解していた。だから、いまの彼女の話は想像の範囲外にあった。しかし、健夜がなにを望んで清澄の監督になりたいのか、友人として確認する必要があった。

「すこやんは、どうしたいの? 自分で倒したいの?」

「そう思っていたけど、今は違うよ……」

「違うの?」

「私は……彼女を守りたい」

 真正直な言い方、こうなると健夜の決意をだれも曲げることはできない。恒子はそれを経験として知っていた。だがなぜそこまで本気なのか聞かなければならなかった。

「なぜ?」

「私の……野望の為だよ」

「……」

 “野望”という言葉に、少し恥ずかしさを覚えたのか、健夜の顔は赤くなった。

「こーこちゃんは知っていると思うけど、私は、ある人に完全敗北したことがある」

「前に聞いたよ、それがすこやんの世界ランキング2位の秘密」

 健夜は僅かにはにかみ、話を続けた。

「その人はとても強い。私では勝てないかもしれない……。でもね、咲ちゃんなら……勝てるかもしれない」

 恒子は箸でつまんでいた料理を落としてしまった。そして、自分の友人、小鍛治健夜のスケールの大きさに驚愕していた。彼女の目は世界に向けられていたのだ。

「そ、その為に?」

「急がなきゃ、個人戦はどうしようもないけど、ネリーちゃんと再戦する前に接触しなければ手遅れになる」

「ネリーちゃん? 臨海の?」

 健夜は口元を引き締めて、大きく頷いた。

「彼女は掴んでいるはずだよ。宮永咲の弱点を」

 

 

 千里山女子高校 宿泊ホテル 会議室

 

 千里山女子高校監督 愛宕雅枝は、宿泊しているホテルの会議室をレンタルしていた。朝から姪である船久保浩子の指揮によって、PCが何台も運びこまれ、ある実験の準備が進められていた。四角に囲まれたテーブルの一つに多数のPCと三つのモニターが並べられている。その他のテーブル上にはタブレットが置かれているだけなので、その一面だけが異様であった。

 雅枝は、浩子からすべての準備が整ったと報告を受け、メンバーに着席するように指示を出した。

 三つのモニターが並べられているテーブルには船久保浩子、上家には江口セーラ、対面には清水谷竜華、そして下家には園城寺怜であった。

「セーラと怜、個人戦における最大の障害はなんや?」

 雅枝は、個人戦に出場する二人に漠然とした質問を投げかけた。 

「そらぁ、宮永照と荒川と違います?」

「怜は?」

「宮永……姉妹」

 不機嫌そうに雅枝は頷き、荒々しく言った。

「ねーちゃんのほうは、もう三年目や。お前らでなんとかせい」

「……」

 二人は苦笑いをするしかなかった。宮永照はなんとかしろですむ相手ではなかったからだ。そんな怜達の感情を無視して、雅枝は話を継続した。

「だけどな、妹は別や……あんな怪物、見たことがない」

 雅枝の顔にはいつもの余裕がなかった。姪の浩子に目で合図をして説明を促した。

「そういうわけで、皆さん方には、仮想宮永咲と闘こうてもらいます」

「朝に、メールで配信されたプログラム?」

 雰囲気を変えようと思ったのか、部長の竜華は言葉を和らげて質問をした。

「そうです、皆さんのタブレットには既にインストールされてると思います。それを使うて、これから私と対局してもらいます」

「なんやズルいで、オレらんとこは、こんなタブレット一枚やのに、船久の前にはモニターが三つも並んどるやないか」

 セーラも緊迫感に耐え切れなくなったのか、少しお茶らけて話した。

 しかし、雅枝はそれを許さなかった。矢継ぎ早に指示を出していった。

「その理由は直ぐに分かる。泉、お前からや、浩子の後ろで妹の手牌をみとけ」

「はい」

 チーム唯一の一年生 二条泉を自分の隣に呼んだ。そして、仮想戦の開始を浩子に伝えた。

「始めろ」

「はい」

 面子の背後に一年生の記録員を配置し、データを収集する。分析にはそのデータが必要になるのだ。その用意周到さに、メンバーはただ事ではないとの意識を強めた。

「こ、これは……」

「ごっついことになっとんな」

 浩子の前のモニターには、それぞれの面の山牌と手配が表示されていた。異常なのは、通常隠れているはずの牌が何枚も見えていた。王牌のすべて。そして、それに絡むドラ牌がどこにあるか浩子に分かるようになっているのだ。

「本当ですか? 本当に宮永妹は……こんなに」

「そう考えるしかあらへん。大将戦で白糸台の大星が全部のドラ牌をめくったのを見たか?」

「ええ……面子の3人の手牌にドラがいやらしく絡んでいました」

「つまりはそういうことや……」

 雅枝は、浩子のモニターが反射して映っている眼鏡を、指で押し上げた。

「宮永妹は、最初からドラ牌が見えとんのや」

「……」

 泉は言葉が出なかった。目の前では、浩子が、関西を代表する高校生雀士三人を相手に、完全に翻弄し、宮永咲のごとく嶺上開花を上がった。さすがにドラ8とまではいかなかったが、その恐ろしさは痛いほど伝わってきた。

「圧倒されています……。大星、高鴨、ネリー、こんな化け物と闘っていたんですね」

「みんなお前と同級や、嫌でも立ち向かわにゃならん。よう見とけ、そして可能性を探れ」

「はい」

 

 

 姫松高校 宿泊ホテル

 

 監督代行の赤阪郁乃をセンターに置いて、団体戦のメンバー(愛宕絹恵は別の用事の為に不在)が車座になって、新たに発生した脅威の宮永咲についてミーティングを開いていた。チームの参謀ともいえる末原恭子によってその説明がなされていた。

「58枚か……」

 主将の愛宕洋榎が呆れ顔でつぶやいた。

「そうです、妹が見えとるかもしれない牌はそんだけになります」

「大体半分か……なんちゅうやっちゃ、どないせぇいうんや」

 洋榎との会話は普段通りではあったが、恭子の表情はこれまでになく険しかった。

「主将は、宮永妹の恐さはどこにあると思てますか?」

「そらぁ、嶺上開花やろな、あれは防ぎきれへんからな」

「そうかもしれません……しかし」

「しかし、なんや?」

「……私には宮永妹、いや、宮永姉妹の恐さが、見えんのですわ」

 恭子は少し躊躇ってから回答した。自分でもその言葉に自信がないようであった。

 もちろん聞いている側は、なおさら意味が不明だった。

「末原先輩は、宮永が恐ないのですか?」

 下級生の上重漫の質問に、恭子はいつもとは違う優し気な顔で答えた。

「漫ちゃん、私は、妹と二回も闘っとるんやで、恐さは誰よりもようわかっとる」

 恭子の視線が漫から外れ、監督代行と麻雀部主将の双方に向けられた。

「だけど、嶺上開花が怖いとか、連続和了が怖いとかやない気がするんです」

「恭子……」

「あの二人は恐ろしい……、だけど私は、なにを恐れているのか解らない、それが何よりも恐ろしい」

 沈黙が訪れた。皆、恭子の話の本質を掴みかねていた。

 曲者である監督代行の赤阪郁乃は、呑気そうな口調でそれに対する探りを試みた。

「配牌時にドラ牌が見えている。連続和了のリミッターは外すことができる。――あの姉妹は恐怖を振りまいとるなあ」

「それを意識したら負けです……」

 恭子は怒り気味に即答した。郁乃は解答を得たようであったが、他のメンバーはそうではなかった。

「恭子ちゃん、どういうことなのー?」

 付き合いの長い真瀬由子でさえも、あまり見たことが無い恭子に少々慌てていた。

 恭子は、由子の問いかけには答えず、別の質問をした。それは相手を特定しない言い方であった。

「昨日の記者会見で宮永妹の言った言葉、覚えとりますか?」

「負けへん誓うたって言うとったなあ」

 郁乃であった。彼女は恭子にすべてを話させようと考えていたのだ。

「なぜ誓うたと思いますか?」

「…… 」

「これは想像ですが、宮永咲は、その誓うた相手に倒してほしいのと違いますか?」

「だれに? ねーちゃんじゃない言うとったで」

 洋榎がせっかちそうに聞いた。恭子は間を少し開けて重苦しく言った。

「原村和だと思います」

「原村か……」

 その名前を噛み締めるようにつぶやく洋榎に、恭子は驚きの顔であった。

「主将……驚かんのですか?」

「……決勝の原村和は異様やった。多分、あれがヒントやろ?」

 恭子の表情が変化した。それは驚きから信頼への変化であった。

「そうです。あれは原村なりの解答やと思います。監督の言うた振りまかれた恐怖を無効化してしもたらええんです」

「でけんのか? そんなことが」

「できません。原村でさえも、まだできへんのですから」

「ぶっ倒れてもうたな」

 恭子は大きく頷き、これまでの話の本質を言った。

「見えない恐怖……それに囚われているかぎり、私達は宮永姉妹には勝てません」

 

 

 宮守女子高校 宿泊ホテル

 

 その部屋には、顧問である熊倉トシと麻雀部部長の臼沢塞しかいなかった。個人戦に出場する小瀬川白望と姉帯豊音は、別室で仲間と特打ちを行っている。トシと塞にしてみれば、二人に何らかのテーマを与えてやりたかったが、それはできずにいた。いや、各校のマークすべき相手にはそれなりの対策も練ってある。ただ、突如現れた全く異質な存在が、それらのものを吹き飛ばしていた。出口の見えない迷路、トシ達はそれに迷い込んでいた。

「王牌の支配を破る?」

「そうだよ、阿知賀の大将はそれをやってみせてくれた」

 トシは、団体戦での阿知賀女子学院 高鴨穏乃の闘いを塞に説明していた。

「あの三倍満は偶然じゃなかったんですか?」

「宮永咲にとって、あの【八筒】は安牌だったはずだよ」

 塞は、名伯楽と言われた熊倉トシが部長として選んだだけあり、物事の理解力がすばやかった。

「ま、まさか、高鴨穏乃が!」

 愕然としている塞に、トシは優しく答えた。

「偽のドラ情報を宮永咲に見せたんだよ……自分のそれは隠蔽してね」

「す、凄い……でも……」

 塞の頭の回転の速さに、トシは感心したような顔になった。

「そうだね、条件が厳しすぎる。王牌が彼女のテリトリーに残らなければならないからねえ」

「……」

「それに、この手は、もう通じないだろうね」

「なぜですか?」

 テーブルの茶に手を伸ばし、トシはそれを飲んだ。そして、顔の前で手を合わせて、塞に質問した。

「小鍛冶健夜は彼女のことを何て言っていたか覚えているかい?」

「魔王?」

「よほどの弱点でもないかぎり、奇策は二回も通じないよ、魔王にはね」

「じゃあ、豊音とシロには打つ手なしですか……」

 悔しそうに顔を歪めて塞が言った。しかし、トシの表情は逆であった。

「バカ言っちゃあ困るよー」

 それは、このインターハイに宮守女子高校を導いた策士熊倉トシの顔であった。

「いいかい、私は、奇策は二回も通じないって言ったんだよ」

「え?」

「分からないかい。一回なら通じるんだよ」

「先生!」

 思わず叫んでしまった塞を、トシは優しい目で見ていた。

「白望も豊音も、二回戦ですべてを見せてはないだろう?」

「はい!」

「宮永姉妹の独走を許しちゃいけないよ、このままだと、麻雀界全体を支配されてしまうからねえ」

 優しかったトシの目は、齢を重ねた闘う者の目に変貌していた。

 

 

 永水女子高校 麻雀部部室

 

 永水女子高校の麻雀部部室は、まるで社殿のようであった。高床式の部室内部は、装飾が全くなく薄暗かった。その中で巫女服姿の5人が集まり、会議を開いていた。目を閉じて中央に座っているのは本家の神代小蒔、その周りには、六女仙の内の四人が集まっていた。

「霞さんの絶一門は、咲ちゃんにも効果が出ていました」

 狩宿巴は、自校が敗退した団体二回戦の大将戦の見直しを行っていた。

「でも、あの子は、それを逆手にとりました。集まる牌の種類が狭められるわけですから、鳴きを駆使して、霞さんよりも先に上がる作戦を選択しました」

「……嶺上開花、いえ、槓の力を思い知らされたわ、手を進めるのに嶺上牌を利用するなんて、あの子じゃなければできないわよね」

 薄墨初美は、なぜ巴がそんなことを言い出したか理解できなかった。もっと大事なことがあるはず。そう思い、それをストレートにぶつけた。

「それよりも、あの子が決勝戦の状態になったらどうするのですかー?」

 当然の質問であった。目を閉じている小蒔以外の全員が巴を見ていた。その巴は、冷静ではあったが、どこか諦観じみた強弱のない口調で答えた。

「はっちゃん、それは考えてはいけない」

「え?」

「あの状態の宮永咲には、たとえ姫様でも勝てません。だから稼げる時に稼いでおく……それが私の提案です」

「……」

 だれもが驚いていた。分家の六女仙には、本家への絶対的な信頼と服従が義務付けられていたからだ。今の巴の発言はその両方に背いていた。そして巴は、それを更に続けた。

「超新星 大星淡を相手に14万の点差を半荘で0にした驚異的な支配力。あの宮永照でさえも対戦を避けたほどの怪物。直接闘わないほうがいい」

「八岐大蛇です……あの最終局、はっきりと姿が見えました」

「姫様……」

 どこから起きていたのかは不明だが、神代小蒔は目を開けていた。

「宮永咲さんと、そのお姉さん……彼女たちは暴虐のかぎりを尽くす魔物です。それを鎮めるのが私達の役目だと思います」

「でも姫様、私達には、魔物を酔わせるお酒も、打ち倒す剣もありませんよー」

 相手が八岐大蛇ならば、倒すには泥酔させる酒が不可欠であった。初美にはそれが思いつかなかった。

「私が生贄になります。その隙に初美ちゃんが彼女を倒してください」

 初美を見た小蒔の表情は、いつもの柔和なものではなかった。自らスケープゴートとなることをも辞さない、霧島神境の長の顔であった。

「彼女たちが魔のものならば、必ず倒せるはずです。私達はそういう家系に生まれてきたのですから」

「……」

 分家の四人は、このような小蒔を見るのが初めてであった。温和でのんびりとした本家の姫様。それが小蒔であるはずであった。しかし、彼女はやはり本家を継ぐ者、目の前にある危機に対して、強力なリーダーシップを発揮していた。

「巴ちゃんは、こう考えているのでしょう? 個人戦は点数勝負、彼女たちとの対戦は回避して決めてしまえば良いと」

「はい……半荘で稼げるポイント以上の点差が決勝前にあればと思いまして」

 小蒔は問い詰めるように話を続けた。

「春ちゃんに、その神様を降ろすのですか?」

「……対戦はランダムに決定されますが、はるるなら、ある程度調整できますから」

「いけません」

「しかし……」

 厳しい顔であった。それは巴が反論を躊躇うほどであった。

「あの姉妹とは、正面からぶつかります」

「残念ですけど、それは聞けません」

「初美ちゃん!」

 狩宿巴に続いて初美の造反、石戸霞は危機意識を覚えて戒めた。だが、初美はそれを無視して自分の意見を姫に伝えた。

「姫様……個人戦で、少しだけはるるの力を使わせてください」

「……」

 小蒔は無言で初美を見ていた。初美はその視線から逃れるように、滝見春に顔を向けた。

「姫様より先に私を宮永姉妹にぶつけて」

 再び初美は小蒔と目を合わせた。もう逸らさない、その目は造反者の目ではない。忠誠を誓う者の目であった。

「贄には、私がなります」

 

 

 新道寺女子高校 宿泊ホテル

 

 新道寺女子高校の白水哩と鶴田姫子は“リザベーション”という特殊な連携技を使う。それは、あの宮永照でさえも破れないとお墨付きを出した強力な打法で、団体戦でその無敵ぶりを全国に見せつけていた。しかし、欠点もあった。哩と姫子が連続した時間軸に乗っていなければならず、それゆえに団体戦のみで使用可能と思われていた。だが、特訓を重ね、個人戦でも使うことができるようになった。“リザベーション・ディレイ”哩の結果は一局遅れて姫子にリンクする。これまでどおり増幅されてだ。哩の調子に左右はされるが、姫子は優勝を狙える存在であったのだ。

 ――2年生の花田煌は部長の白水哩と監督の比与森楓に呼び出されていた。

「およびでしょうか?」

「まあ、そけー座り」

 監督の比与森楓に、ホテル備え付けのテーブルセットのソファーへ座るように指示された。対面には監督の他に白水哩と同級生の鶴田姫子も座っていた。

「花田は、宮永姉妹についてなにか知っとーか?」

「小学中学を通じて、あの姉妹は公の場には姿を表しませんでした」

「そうか……」

 残念そうに笑う哩を見て、煌は何故か罪の意識を感じてしまった。

「お役に立てなくて申し訳ございません」

「よかよ、原村は、お前ん後輩か?」

「はい、原村さんは、片岡さんと一緒に途中入部してきました。惜しかったですね、もう少し早ければ、インターミドルに出られて、すばらな結果を残せたかもしれません」

 煌の独特な話し方に、哩と姫子は苦笑していた。

「お前は変わっとーね。後輩にも敬語で話すったいなあ」

「私は呼び捨てにされとーばい」

「姫子は特別です。それはすばらなことですよ」

 姫子は思わず口に手を当てて笑った。煌もそれが嬉しそうであった。

 ――煌は自分が呼ばれた理由を考えていた。おそらく宮永咲や原村和と同郷だからであると思われた。しかし、彼女たちが哩と姫子の脅威になるとは思えなかった。

「私を呼んだのは宮永さんと原村さんの情報を求めてですか? “ディレイ”ならば問題がないのでは?」

「お前は、そう考えとーんか?」

「ええ……」

 哩の浮かない顔に、煌は違和感を覚えていた。それを補足するように監督が説明をした。

「哩は新道寺のエースではあるが、全国レベルでは最強ではない。去年を見てわかると思うが、滅法打たれ弱い……巨大な敵と対戦して打ち負かされると、哩は小さなスランプに陥ってしまうんだよ」

 本気で話すと煌には理解できないと判断したのか、楓は微妙にアクセントの位置が違う標準語で話していた。

「私の不調は、姫子に繋がるけんね」

「宮永さんと原村さんは部長にとって巨大な敵なのですか」

 笑い飛ばされるはずの質問だったが、驚くことに哩は頷いた。

「花田……私は馬鹿じゃなか。どがんしてん勝てん相手はいるもんや。ただ、そういった相手からん負けは……私のスランプば長うすって思う」

「特に宮永咲だね、あの子のあの状態は、哩に大きなダメージを与える。それは新道寺の敗北を意味するんだよ」

「……」

 煌は同郷の生み出した怪物に、改めて畏怖の念を抱いた。

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 この日は午前中から慌ただしかった。龍門渕高校と鶴賀学園の麻雀部メンバーが訪れ、長野に帰ることを連絡していた。2校とも清澄高校の応援の為に、わざわざ東京にきていたのだ。竹井久達は、それを感謝の気持ちを込めて見送っていた。

 そして今、長きに渡って久達を支えてくれていた風越女子高校の三人も、個人戦の開始を前に別れを告げていた。

「寂しくなるわ」

「はい……でも、これからは敵同士ですから」

「そうね」

 風越麻雀部の部長 福路美穂子は個人戦の長野県予選をトップ通過していた。終始安定した打ち筋で、2位以下の原村和、宮永咲に大きく差をつけて決めていた。当然、全国制覇も狙っているはずであった。

「原村さん、宮永さんも、私と闘うことになっても手加減は無用ですよ。個人戦とはそういうものです。僅かな油断が命取りになります」

「はい!」

 その美穂子の忠言に、二人はチャレンジャーとして返事をした。

「それは美穂も同じよ、全力できてね」

「もちろん、私は三年生なのですから」

「……」

 久のインターハイは既に終了している。美穂のセリフを羨んだのか、久は、ほんの少しだけ寂しそうな顔になった。

 

 

 ――風越女子高校の福路美穂子と池田華菜、吉留未春の三人は、コーチの久保貴子のいる別棟に向かっていた。長い間、清澄高校と共同生活を行ってきていた棟を離れ、一度外に出る。外もホテルの敷地内なので程よく整備され、宿泊客が快適に過ごせるように工夫されていた。美穂子は涼しそうな木陰のベンチを見つけて、そこで休憩を取ることにした。

「どうぞキャプテン」

「有難う、吉留さん」

 気配り上手な未春が、三人分の飲み物を買ってきて渡していた。それを受け取りながら、華菜は言った。

「今はまだ普通の状態です。このままでいてくれるといいのですが……」

 宮永咲のことを言っていた。〈オロチ〉の状態になると手が付けられない、だからこのままでいてほしい。美穂子を敬愛する華菜にとっては、それは願望に近いものであった。

「華菜、その言い方だと、私は咲ちゃんに勝てないのかな?」

「い、いえ、そんなことはありません!」

 慌てて反論する華菜に、美穂子はいつもの笑顔を向けた。

「それはいいことなのよ」

「え?」

「常に負ける可能性を考える。それは敗北主義ではないわ、最悪の結果を未然に防止する合理的な考え方よ」

「……そうですね」

 池田華菜に不足している部分がそれであった。引きの強さを武器に、直球勝負で勝ち続けてきた華菜は、負ける可能性を重視していなかった。その為に、二年連続で天江衣の術中に嵌り、挫折を味わうことになった。だが、その経験を経て池田華菜は変わりつつあった。

「華菜、吉留さん……私の最後の闘いは、きっと違和感を覚えると思う」

「違和感ですか?」

 そう聞いた未春も、美穂子が才能を開花させた一人であった。池田華菜に憧れていただけの少女を、華菜と同じステージにまで引き上げていた。

「私はね、これまで絶対に勝ちたいと思った相手がいなかったの……」

「清澄の部長さん……もですか?」

「そうね、ちょっと違うかも」

 美穂子が竹井久を語る時、華菜の表情には陰ができてしまう。それは、どんなに取り繕っても隠せないものであった。

「竹井さん以上の存在ですか……だれですか?」

 華菜が陰のある顔で質問した。美穂子はそれを見て、笑いながら答えた。

「宮永照さんかな」

「……」

 当たり前と言えば当たり前だが、その名前は二人を絶句させた。しかし、なぜ美穂子がその名前を口にしたのかは、二人は理解していた。

「咲ちゃんが話してくれた照さんは……とても衝撃でした」

「照魔鏡ですか?」

 美穂子は小さく頷いた。

「生まれて初めて……闘う前に勝てないと思ったのは……」

「キャプテン……」

 心配そうに見つめる後輩を安心させる為に、美穂子はあえて力強く言った。

「でも、試してみたい」

「え?」

「私の力で、照魔鏡を破れるかどうか試してみたい」

「キャプテン!」

「いえ、違うわね……私は、宮永照を必ず打ち破る」

 先程、美穂子が言った違和感とはそういうことであろう。自分はその為なら手段を選ばない。宮永照と対戦するまでは、なにがなんでも勝ち抜く、その決意を言っていたのだ。

 

 

 姫松高校 宿泊ホテル

 

 愛宕絹恵が戻り、再び会議が招集された。絹恵は、監督代行の赤阪郁乃の指示で千里山高校に出向いていた。そこで行われていた実験は郁乃の提案で実施されていたのだ。その情報を絹恵が持ち帰っていた。

「さすがに牌譜まではくれへんか……ケチやなーオカンは」

「アイディアは私が出したのになー」

 愛宕洋榎と郁乃はぶつくさと文句を言いながら、絹恵からデータをもらっていた。

「全部で半荘16回か……浩子の一人勝ちやないかい」

「一回も勝てなかったって、園城寺さんでもセーラさんでも」

「竜華でもだめかいな」

 皆、ショックを受けていた。そのデータは、千里山女子高校の選手は宮永咲には決して勝てないことを表していたからだ。

「でも、後半、江口セーラがええとこまでいってますね」

 末原恭子は点数に着目していた。前半は飛び終了も多いが、後半になるとセーラが船久保浩子の点数を脅かすまで迫っていた。

「開き直りやて言うとったな」

「なんやそれ、まあセーラのアホのことやから、自分のことしか考えんで打ってたんやろな」

「そう、それや! なんで分かったん? お姉ちゃん」

 絹恵の驚きを余所にして、洋榎と恭子は目を合わせた。

「これは、いけるんとちゃうか?」

「まだ、何とも言えません」

 対宮永咲の突破口を見つけたと思った。しかし、それは、愛宕絹恵の次の報告によって封じられた。

「そう言えば、オカンが代行に伝えてって」

「なんなん?」

 絹恵はメモ用紙を取り出して読んだ。

「再現できへんかったって、一度も」

 滅多に動揺しない郁乃の顔色が変わった。

「一度も……?」

「はい、ドラ8、国士無双、宮永咲が決勝卓でやったことは、一度も再現できなかった」

「なん……やて」

 だれもが言葉を失っていた。これまでの対策が白紙に戻されたようなものだった。

「じわじわくるな……」

「主将……」

 愛宕洋榎は、深刻な顔をしている全員を見渡してから言った。

「ドラが見えてるだけやあらへんてことかいな……まずいな、私達は押し潰される……見えない恐怖にな……」

 

 

 千里山女子高校 宿泊ホテル 会議室

 

 約8時間におよぶ実験が終了し、団体戦メンバーの五人は、会議室の一角で椅子に座り、疲れを癒していた。監督の愛宕雅枝はデータ分析の為に別室に移動していた。実験に使用した機材は、下級生達が忙しそうに片付けていた。

「まあ……分かっとったんやけどな」

 清水谷竜華の膝枕の上で園城寺怜はつぶやいた。この実験で最も衝撃を受けていたのは彼女だった。未来を見る力、それが完全に抑えられた。変えられるはずの未来が変えられない。既視感を覚える光景だった。そう、あの準決勝で宮永照を相手に見た光景と同じであった。

「決勝戦で阿知賀の子が、宮永照に役満振り込ませた時に、もう分かってたんや」

「怜……」

「悔しいなあ……私達は、あの姉妹には勝てへんのかなあ」

 そう言って園城寺怜は、竜華の膝に顔を埋めた。涙を隠すように。

「なに言うてますのや。園城寺先輩がそんな弱気では困ります」

 船久保浩子が立ち上がり、責めるように怜に向かって言った。

「船久!」

 江口セーラが浩子を怒鳴りつけた。だが、浩子は逆にセーラを睨みつけた。

「先輩……私は、頭にきていますのや」

「……」

「絶対に負けないなどと、小生意気なことを抜かしとる一年坊に、お灸を据えてやらにゃあ気がすみませんのや」

 浩子は再び怜に問いかけた。

「園城寺先輩、見た未来は変えられない……だから手詰まりですか?」

「なにが言いたいん? はっきり言わんと」

 部長の竜華が腹立たし気に言った。

「まって竜華……浩子……続けてもろてええか?」

「見えんようにしたらええんです……」

「……」

 園城寺怜は膝枕より顔を上げ、浩子と向かい合った。

「そうか……」

「そうです」

 千里山女子高校の悩めるエース園城寺怜は、今、生まれ変わった。これまで絶対的な信頼を持っていた自分の能力、それを、いったん捨てる時がきたのだ。

「闘える……これで、私は、あの姉妹と闘える」

 

 

 高校競技麻雀の華である団体戦はチームプレイが基本となる。しかし、個人戦はそうではない。個としての純粋な強さが要求される。失敗してもだれも助けてはくれない、場合によっては同じ高校同士で闘わねばならない、あらゆる面での強さがなければ、頂点にはたどり着けない。

 今年の個人戦に出場する選手たちは、その前段階として、宮永姉妹から与えられている恐怖に打ち勝たなければならなかった。そうしなければ、頂点を極めるなど夢のまた夢なのだ。

 

 

                           第三話 見えない恐怖 完




 
 これでアフターストーリーは終了になります。
 個人戦の終了後になりますが、以下の外伝を投稿予定です。

 1.咲とネリーの再戦
 2.〈オロチ〉の始まり
 3.清澄の阿知賀遠征
 
 ずいぶんと先の話になりますが、こちらも宜しくお願い致します。   


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第四話 鷺森灼の野望

続・咲〈オロチ〉編 ~ニュー・オーダー~ 完全非公開告知用の短編です。
新しいお話ではありません。ご了承ください。


 奈良県 阿知賀 鷺森レーンズ

 

 

 阿知賀女子学院麻雀部はインターハイ団体戦でベスト4に進出し、それに続く国民麻雀大会でも大活躍を見せた。彼女達の名前は全国区になり、この鷺森レーンズの看板娘である鷺森灼も例外ではなかった。

「このボーリング場に来ると、灼だけではなく、高鴨穏乃、新子憧、松実姉妹に高確率で会える」との噂が立ち、地域の住民のみならず、大阪や京都からも客がおしよせ、ここ阿知賀では大ボーリングブームが到来していた。

 とはいえ、それは一時的な熱狂にすぎない。阿知賀に冬が訪れる頃には、鷺森レーンズにも、以前の落着きが戻っていた。

 

 

「シズ、憧、お疲れ様。はいこれ、今日までの分」

 ボーリング場の営業時間も終わり、灼は、給料袋を穏乃と憧に渡した。祖母と灼の二人だけでは、土日の客の多さに対応しきれず、麻雀部のメンバーに応援を頼んでいた。もちろんタダ働きではない。高校生バイト賃金ではあるが、正当な報酬が彼女達には支払われる。

「やった! 有難うございます。灼さん」

 と、嬉しそうに封筒を受け取る穏乃とは違い、憧は少し不安げに受け取った。

「でもいいの? もう来なくて?」

「まあ、忙しくはあるが……なんとか二人でやれるから。それに宥姉は受験もあるし……」

「東京の大学だっけ?」

「実はね……この間、弘世さんが変装して来ていたんだよ」

「ええー!」

 二人が同時に驚きの声を上げる。穏乃などは給料袋を落とす程であった。

「理由はともあれ……私はね、とってもいい事だと思ってる。宥姉はいずれは松実館を継がなきゃいけない。でも大学進学で、あと4年は麻雀競技を続けられる」

「……そうですね」

「まあね」

 穏乃と憧が笑顔で答えた。

「さあ、ボールを片付けて終わりにしよう」

「はい」

 客がボールリターン(ボールが戻ってくる場所)に球を放置している場合がある。それの最終確認だ。マナーではボール置き場に戻すことになっているが、結構忘れている人が多い。

「あった!」

 3番レーンに13ポンドのボールが3個放置してあった。憧がそれを見つけて回収しに行く。6キロ弱の重さは女子にはきついので、穏乃も手伝いに向かった。

「ねえ灼、ベストスコアっていくつ?」

 ボールを台車に乗せながら、憧が言った。興味本位で聞いているのだろうが、なかなか答えにくい質問であった。

「……300点かな」

「灼さん、ボーリングの話をしてるんですよ?」

 穏乃は自然な顔で抗議していた。憧も同様な顔をしている。つまりは、この二人はボーリングをあまりよく分かっていないのだ。

「だから、ボーリングの話……パーフェクトは300点だよ」

「パーフェクト?」

「1から10フレーム迄の12連続ストライク……私も一度しか出したことが無い」

「それって難しいの?」

「アベレージが200点の私が出せたのは奇跡だよ……」

「……」

 チンプンカンプンな顔とはこの様なものなのだろうなと、灼は思った。

「……四喜和(スーシーホー)位かな」

「凄いよ灼さん!」

「本当! 天才だよ灼!」

 まったく、麻雀基準でしか物事が考えられないのかと、灼は呆れてしまった。

「和ちゃんもね、出したことが有るんだよ」

 祖母の鷺森公子だ。缶コーヒーを3人に渡しながら言った。

「和が?」

「そうだよ、パーフェクト。灼はそのスコアカードを額縁に入れてしまってあるんだよ」

「何で? 灼は和のファンなの?」

「そうじゃなくて……。あれは本当の奇跡だから……」

「奇跡?」

 憧は灼ではなく、公子を見ている。

「灼の言う通りだよ。私もあんなのは見たことが無い、奇跡と呼んでもいいだろうねえ」

「見たい! 見たい見たい! 灼さん、見せてください」

 目を輝かせてせがむ穏乃の姿に、灼のいたずら心がくすぐられていた。灼はリスタイ(グローブ)を締め直し、笑みを浮かべて言った。

「私に勝てたら……見せてあげる」

 二人のつばを飲み込む音が聞こえた。

「ハ、ハンデちょうだい、ハンデ! 灼はアベ200点なんでしょ? 私は100点ぐらいなんだから」

「いいよ、憧はハンデ100点だね。シズは?」

「アベって、何ですか?」

「平均スコアだよ、シズはうちに来たことは?」

「子供の頃に何度か、半分はガターだったような……」

「それじゃあ150点で……おばあちゃん」

「はいよ、このレーンでいいかい?」

 灼は頷いた。3番レーンの照明が点灯し、3名用のスコアカードがモニター上にセットされた。灼は自分、憧、穏乃の順で名前を入れる。

「ボール選びだよ……一般的に重いボールが有利とされている」

「灼はいくつ?」

「これでいい、13ポンド」

「うわ重っ! 私には無理だわ」

 そう言い、憧と穏乃は10ポンドのボールを持ってきた。

「灼さん、それ外してください」

 穏乃は戦闘モードに入っていた。麻雀を打っている時の目で、リスタイを外すように要求してきた。いいだろう、面白くなってきた。麻雀もボーリングも真剣勝負だ。

「1フレーム目は普通に投げて、それを確認して二人にアドバイスするから」

「いいよ」

「始めましょう」

 

 

 灼は指に風を当てる。指先の水分を飛ばす為だ。今日はマイボールではない、いつものカーブは投げられない。ハウスボールではナチュラルフックで勝負するしかない。

 アプローチに立つ。灼は右から10番目のスタンディングドットに位置を合わせる。オイルの具合も悪くない、後はどの程度曲がるかだ。こればかりは投げてみなければ分からない。

(基本に忠実に……)

 ゆったりとした助走で、力ではなく振り子の原理を利用して、重いボールを振りかぶる。そして、2番スパット(レーン上に有る三角形の目印)をめがけて投球する。ボールスピード、回転も申し分なしだ。理想通りの曲線を描き、ボールはポケットに吸い込まれ、ストライク独特の小気味よい音を奏でる。

「おおー」

 いきなりのストライクに二人が動揺している。

「最初は仕方が無いわね。灼、ちゃんとアドバイスちょうだいよ」

 憧が投球モーションに入った。フォームは悪くは無い、投げ方も知っている様で、ボールもフックが掛かっていた。ただ、彼女の欠点は視線にあった。ピンしか見ておらず。安定した投球が出来ていない。1投目はポケットを僅かにズレ。10番ピン(右奥のピン)が残ってしまった。

 憧は立ち位置を左寄りに変える。クロスラインだ。それ自体は間違いではない。ただコントロールを出来なければ高確率でガターになる。

「ああー」

 2投目、灼の予想通り、曲がりが弱くピンの手前でガターに落ちた。

「……どう?」

 やっちまった感が溢れ出ている表情で、憧が振り返る。

「シズ一緒に来て」

 灼は、基本を教える必要が有ると考え、穏乃を連れてアプローチに上がった。

「投げ方は今のままでいい、ボールの曲がりもいいよ。だけど、憧は何処を見て投げてるの?」

「何処って、ピンだよ。1番と3番の間を狙ってね」

「ポケットだね、それもいいよ。けどね、それは遠すぎる」

「遠い?」

 なんのことか理解できない様子で、目を白黒させている。灼は、丁寧に、レーン上に有る数々の目印の意味を教えた。

「凄い! 灼! 有難う! なんだかパーフェクトが取れる気がしてきた。よーし」

 再び投球しようとする憧を、灼と穏乃で止めた。

「憧、落ち着いて……次はシズの番だから……それに1フレームが9だからパーフェクトは無理……」

「そっか、ごめんね。シズ、全部倒して!」

「了解」

 穏乃が、スタンディングドットを気にしながら立ち位置を決める。やや左側でボールを真っ直ぐ投げるとストライクが取れる位置だ。持ち方も12時方向のストレートボールのそれだ。

(シズ……)

 それは理想的な投げ方であった。脚運び、腕の振り、リリース、野生の勘故なのか、それとも灼のフォームを見て真似たのか分からないが、文句のつけようがなかった。

 ボールの速度は若干遅めだが、ポケットへの当たりは実によかった。

 ところが、ストレートボールの欠点が出たらしく、7番ピン(左奥のピン)が残ってしまった。

(これは……)

 灼は興奮していた。椅子から立ち上がり、ボールリターンの前で穏乃の球が帰ってくるのを待っていた。

「灼さん?」

「シズ、ゴメン。ボールを見せて」

 穏乃のボールが帰ってきた。灼は、それを持ち上げローリング(ボールに着くオイルの跡)を確認する。

 真っ直ぐであった、指孔上に球の最大円周でローリングが描かれていた。つまり、このボールは完璧な直線軌道で投じられたのだ。

「原村さんと同じ……完璧なストレートボール」

「和と?」

「そう、5年前、見たのはおばあちゃんだけど……」

 灼は穏乃のボールを持ち上げた。

「このオイルの筋は、ボールがどう回転したかの印なんだよ。原村さんが300点を出した時、彼女のボールのローリングは1本だけだったって、おばあちゃんが……」

「じゃあ、私も300点取れるんですか? あ、もう無理か」

「……」

 穏乃に底知れぬ恐ろしさを感じた灼ではあったが、ボーリングはそれほど甘いものではないとも思っていた。

(シズ、ボーリングの最大の敵は誰か分かる? それはね、自分なんだよ。完全な自己完結の競技、それがボーリング)

 穏乃の2投目はクロスラインで投げるしかなく、感覚が合わないのか外してしまった。照れ笑いをする穏乃と交代して、灼は自分のボールを手に取る。穏乃の投げたボールが帰ってきた。僅かにずれたローリングが追加されている。ボーリングとはそういうものだ。僅かなミスが勝負を分ける。技術の未熟さ、心の弱さ、体調等、そのミスを誘発させる要因は無数にある。パーフェクトを取るには、それらを退ける強固な精神力が必要なのだ。

(なぜだろう……今日はもしかしたら……)

 灼はパーフェクトの予感がしていた。だが、灼は直ぐに思い直す。そのような雑念こそが最もたる阻害要因であることを理解しているからだ。

 灼は集中力を高めて、その後もストライクを重ねていった。

 

 

(ファウンデーションフレーム……)

 ゲームは9フレーム目に差しかかかっていた。灼のスコアは、ここまでパーフェクトで仮に計算するならば240点だ。

 憧は8フレームがオープンなので130点だった。灼の指導後、コツを掴んだのか、憧はストライクを3回も出していた。

 穏乃はボールコントロールに苦しみ、オープンフレームが続いていたが、7.8フレームでダブルのストライクを取っている。後半に集中力が増す穏乃らしい展開であった。

(シズも憧も10フレ次第では逆転されるスコア……パーフェクトじゃなきや勝てない)

 ファウンデーション。9フレームでストライクを取る事をそう呼ぶ。10フレーム勝負には大事な要素だ。これから灼はそれを狙う。意識しまいと努力はしていたが、かえって逆効果のようだ。大きく深呼吸し、力を抜いて構える。

(平常心……)

 アプローチの助走で、少しシューズが滑った。その影響がボールの回転に現れた。

(薄い……)

 ヘッドピン(1番ピン)への当たりが薄かった。その為、3本もピンが残ってしまった。これでは、スペアを取り、パンチアウト(10フレームが全てストライク)でも277だ。ハンデを考えると、憧にも穏乃にも危ない点数だ。

「やったー、やっと外してくれた」

「ひやひやしたよ、まったく」

 穏乃と憧が胸をなでおろしている。

(残るは精神力の勝負か……)

 ファウンデーションは失敗した。そうなるのは必然だろう、だから確実にスペアを取らなければならない。灼はそう考え、慎重に2投目を行い、スペアマークが点灯した。

(後は二人次第……)

 最善は尽くした。ここからは憧と穏乃の勝負感がものを言う。

「灼、ここからだよ」

「そうだね……」

 憧が笑顔でアプローチに立つ。そして、流れるようなフォームでボールを投じた。

(ドンピシャだ……)

 もう結果は見えている。疑いのないストライクボールだ。当然のようにストライクマークが点滅した。これで憧はMAX190点の権利を得た。ハンデを加えると290点、灼を上回る。

「シズ、続いて」

「オッケー」

 穏乃も投球する。完璧なストレートボールがヘッドピンの左側に向かって行く。

(ブルックリン(裏ポケット)……何という勝負強さ……)

 ストライク、これでターキーだ。パンチアウトなら163点でハンデ150点を加算するととんでもない数値になってしまう。だが、灼の負けに変わりは無い。

 ハイタッチで喜んでいる二人に、灼は、部活以上に真面目な顔で警告した。

「まだ勝ったと思わない方がいい……ボーリングの怖さはこれからだよ」

 灼は静かにアプローチに立った。天国と地獄、この3投で行先が決まる。天国は冷静である者に道を開く、つまりはこの1投目にストライクを取れる者だ。

 灼はそれに挑んだ。

 投じたボールは、糸を引くようにポケットに突入した。パワーハウス(10本のピンが後部のピットに落ち、レーンに何も残らない状態)だ。これで1投目はクリアだ。続く2投目、またもやパワーハウス。そして3投目、ここでしくじる者は数知れない。最後まで集中力を維持するということは、それほど難しいのだ。

 灼は、あえて普通のペースで投じた。自分に言い聞かせたり、神に祈ったりもしない。普通に投げる。それこそが集中力の証なのだ。

(ヘブン……)

 灼に天国の道は開かれた。パンチアウトが完成した。これでトータルスコアは277、二人に強烈なプレッシャーを与えられる。

「私はどうしたら勝てるの?」

 憧が引き攣った顔で聞いてきた。

「ストライクを2回か、ストライク―スペアで憧の勝ちだ。どちらにせよ、次は絶対ストライクだよ」

「それって、心理戦?」

「そうだよ……これはそういう勝負だから」

「……」

 流石の憧も緊張した面持ちだ。しかし、強メンタルで知られる新子憧は勝負所を見極めていた。絶対条件の1投目ストライクを難なく取っていた。

「どう?」

「……もう一度言うよ、ボーリングは怖いよ……」

 憧の2投目、ヘッドピンにダイレクトに当たった。その結果は最悪のものであった。

「ビックフォー……」と、灼が思わず呟いてしまう程だ。

 スプリット(ピンが離れた状態で残る事)の中でも凶悪な部類に入る、4,7,6,10番ピンが残る形であった。

「こんなの、どうやって取れっての?」

「6番ピンに薄く当ててはじくしかない……」

「出来る?」

「ほぼ無理だけど、可能性はある」

 弱り切った表情で、憧はボールを持った。

「イケー!」

 そんな叫び声と共に投球した。良いコースであった。灼も、もしかしたらと思った。しかし、ビックフォーのハードルはそんなに低くはない。6番ピンは斜めにはじかれ、結局4と7番のピンは残った。新子憧のスコアは174点で確定した。

「悔しい……本当に悔しい……。シズ! 灼をやっつけて!」

 穏乃が無言で立ち上がる。

「シズは……」

「わかってますよ灼さん。ストライクを取ればいいんでしょ?」

 そう言って穏乃はアプローチに上がった。実際はスペアでもいいのだが、灼はそれを告げる気にはなれなかった。なぜならば、この時点で、灼は敗北を受け入れていた。高鴨穏乃の後半の集中力は、げに恐ろしきものだと思った。

 穏乃がボールを投げる。完全なストレートボール。なればこそ、その結果も予測可能だ。

(ストライク……フォース(4回連続)か……)

 10本のピンがぶつかり合う乾いた音が響いた。穏乃が得意げに見ている。

 灼は表情を緩めて言った。

「負けたよ……後半戦の強さはシズらしい」

「有難うございます。それでは、約束の……」

 灼は笑った。穏乃にとって残りの2投はどうでも良い事らしい。

「おばあちゃん」

「はい、こっちがパーフェクトのスコアカードだよ」

 灼が額縁に入れた原村和の300点のスコアカードを、憧と穏乃が物珍しそうに見ている。

「家族で来てたんだね。お父さんもお母さんも上手いね」

「凄いね、麻雀以外にもこんな才能があったなんて……」

「でも、なんで額縁に入れてるの? パーフェクトを出した人って和が初めてなの」

 聞いたのは憧だが、穏乃も不思議そうに灼を見ている。

「そうだね、パーフェクトは原村さんと私以外にも何人かいる……でもね……」

「実は、もう一枚スコアカードがあるんだよ」

 公子が灼の説明を遮り、穏乃にもう一つの額縁を渡す。

「これは?」

「これも和だ……でも190点だよ?」

(まったく……価値が分からないというのは厄介だな……)

「それは原村さんがパーフェクトの前にプレイしたスコアカード」

「ふーん」

「ナインスペアゲームって言ってね、うちでは原村さん以外には例がない」

「そうなんですか?」

 ナインスペアゲームとは、1投目に9本を倒し、2投目でスペアを取る。それを全フレームで行う事だ。ストライクは狙って取れるが、1ピン残しを狙うのは不可能に近い、よって、発生する確率は天文学的に低い。

 それを目撃した公子が溜息交じりに話し始めた。

「和ちゃんはねえ、完ぺきなストレートボールを投げる子だった。だからそのゲームは、今日の穏乃ちゃんと同じで、10番ピンだけ(原村和は左利きの為、穏乃とは逆側のピンが残る)が全フレームで残った。そして確実にスペアを取る。夢でも見てるんじゃないかって思ったよ」

 この話はそれで終わりではない。その続きこそが、灼をして奇跡と呼ばせている所以であった。

「次のゲーム、さっきのパーフェクトゲームだねえ、和ちゃんはお母さんに指導されていた。立つ位置を変えて、斜めにポケットに当てるようにね。その角度が理想的なストライクピンアクションを生み出したんだよ」

「こんな人間は聞いた事が無い、パーフェクトとナインスペアゲームを同じ日に達成するなんて、奇跡の中の奇跡としか言えない」

 穏乃と憧はマジマジと二つの額縁を見比べている。とは言え、あまり凄さが伝わっていない様子だ。

 灼はイライラしてしまい、奥の手を使った。

「原村さんは四槓子の後に四喜和を和了したんだよ……」

「凄い! 和。凄すぎる!」

「これなら、咲ちゃんにも、チャンピオンにも、“巨人”にだって勝てるかも!」

 テンションが急上昇している二人を灼はげんなりと眺めていた。何もかも麻雀基準、呆れてものも言えなかった。

 ――とある野望が灼の脳裏をよぎった。

(そういえば……私は原村さんと普通に話した事が無い……一度話してみたい、そしてその時は……)

 鷺森灼の野望。それは、原村和を擁してのボーリング界完全制覇であった。

 

 

                             鷺森灼の野望 完

  



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第五話 池田華菜の憂鬱

(これは根雪になるなあ……)

 12月初旬の厳しい寒さの朝であった。通学途中の池田華菜は、昨夜から降り続いてる雪を見上げてそう思った。

この時期の降雪は珍しい事ではなかったが、例年ならば降っては解けを繰り返し、本格的に積もるのは、クリスマス前後だった。無論、季節の変化は気まぐれであり、いつもそうなるとは限らない。長野で生活する人間は、それを経験として知っている。だからこそ華菜は、この雪は根雪になると判断したのだ。

(よりによってこんな日に学校見学なんて、彼女も運が悪いな)

 期末試験が近いので、麻雀部は今日でしばらく休みになる。テスト明けに部活は再開するが、冬休み間近ということもあり部員たちの気持ちはふわつくだろう。コーチの久保貴子は、刺激を与えようと考え、来年より風越女子高校に編入する南浦数絵を、今日、見学に連れてくると言っていた。

「華菜ちゃーん」

「おはようみはるん」

 同じ麻雀部の吉留末春だ。学校指定のコート、手袋、ブーツ、厚手のストッキングと、完全な冬の装備であった。

「南浦さん大変だね」

「まあ、同じ長野県民だし、こんな雪じゃへこたれないし」

「コーチ、対局させる気かな?」

「この時期は気が緩むからね、南浦数絵はみんなのいい刺激になるよ。もちろん彼女にとってもね」

 末春が笑いながら「そうですねキャプテン」と言った。

 華菜はこそばゆさを感じていた。尊敬している福路美穂子から、名門風越女子高校のキャプテンを引き継いでから2か月が経過していたが、まだ慣れる事が出来ない。

(福路先輩……本当に私で良かったんですかね……)

 華菜にとって、福路美穂子はあまりにも大きな存在で、つい、彼女の模倣をしようと考えてしまう。こんな時、美穂子ならどう行動したか? どう話したか? 行動の一つ一つに彼女のイメージを頭に思い浮かべる。

(分かっています……みんなを率いるのは私自身ですから、私のカラーを出さなきゃいけない……でも……)

 風越はランキング制を採用している。華菜は順位こそ1位ではあったが、美穂子のような、皆が納得する実績が無かった。求心力不足、それがリーダーとしての華菜の悩みであった。

 

 

 放課後 風越女子高校麻雀部部室

 

 

「池田ぁ、全員集合だ」

「はい」

 久保貴子が白い制服を着た南浦数絵を連れて来た。長野の個人戦では対戦が無かったが、彼女の顔はよく知っている。

「集まりました」

 貴子を中心に、扇状に部員49名が揃った。3年生はすでにリタイヤしているので、この人数だが、それでも恵まれた環境であった。清澄や龍門渕、敦賀の長野トップ4の他校は、4,5人の部員でやり繰りしているのだから。

「わが風越は、校内ランキングが全てだ。団体戦なら5位以内、個人戦なら10位以内に入らなければ、試合に出る権利はない。たとえそれがキャプテンの池田でも、今年の個人戦5位の南浦さんでもだ。私は過去の実績など考慮しないからね」

 そう言って貴子は、南浦数絵を紹介した。いくら何でもやりすぎだと華菜は思った。いきなり実力主義だからと言われても、普通なら戸惑ってしまう。

「宜しくお願いします。来年からお世話になります南浦数絵です」

「個人戦で対戦したのは吉留と大迫かな?」

「はい」

 貴子が怖い顔になり、49名に向かって訓示した。

「いいか、南浦君の入部が、お前たちにどんな影響をもたらすかシミュレートしろ! のほほんと構えていたら、団体戦メンバーも個人戦メンバーも総入れ替えになるぞ!」

 多人数の組織は、規律がしっかりしていないと崩壊する。ダメなものはダメとはっきり言える人間でなければまとめられない。久保貴子は憎まれ役を買ってでもそれを行っている。キャプテンになってから、華菜はそれを理解していた。

「久保さん……」

 数絵が存外な顔つきで貴子を呼んだ。

「……」

「藤田プロから聞いていますか?」

「……聞いている」

「私は団体戦には興味がありません……」

 生意気な口振りの数絵にも、貴子は表情を変えなかった。恐らく予想通りの反応だったのであろう。

「長野県は魔境だ……東京や大阪のような大都市圏よりもインター・ハイへの切符が取り辛い」

「清澄ですか?」

「そうだ、だが、清澄だけではない。龍門渕だって来年もフルメンバーだ。敦賀も一筋縄ではいかない」

 それを聞いて、数絵は軽く溜息をついた。

「片岡優希は個人戦で倒しました。私の標的は宮永咲です」

(ここにもいたし……咲、お前は本当に人気者だな。逆の意味でだけど)

 池田華菜も同じ思いであった。宮永咲と天江衣。長野のみならず日本を代表する怪物達の相手が、団体戦での華菜の役割だった。

「ほう……だったら、大将にすると言ったら、団体戦にも出るのかな?」

「……」

 貴子が意地悪な笑顔を浮かべて、華菜を見ている。

(そろそろ出番かな)

「南浦さん、私は素直にあなたの実力を認める。だけどね、風越の大将は譲れないよ」

「そうですか?」

 挑発的な目で数絵が見ている。華菜は嬉しくなっていた。この南浦数絵は、1年生の頃の自分にそっくりだったからだ。

「まさか、挨拶だけでわざわざ風越に来たわけじゃないよね?」

「ええ、まさかです」

 貴子が笑いながら指示を出す。

「半荘一回だけだぞ。池田、面子を指定しろ」

「文堂とすーみんでお願いします」

 貴子の犬歯が見えている。全ては彼女の筋書き通りだった。

「文堂! 深堀! 準備しろ。南浦君、いいかな?」

「お手合わせ願います」

 南浦数絵に自分の限界を教える事、それが今日の見学会の主旨であった。これは偶然の対局では無い、想定内なのだ。久保貴子と池田華菜の想定内の対局であった。

 

 

 練習試合が開始された。親は深堀純代で、以下、南浦数絵、池田華菜、文堂星夏の順であった。

 南浦数絵は東場では上がらない。自分の特徴を活かすために、徹底した防御戦を行う。南場で数絵に攪乱されるのを予測した対戦相手は、東場で遮二無二得点しようとする。その行為が連荘が発生しにくい状況を作り上げてしまう。

(残りさえすれば、どんな点差でも南場で巻き返せる。その自信が命取りになる)

 個人戦決勝で、数絵は何回かトップを逃していた。彼女がこだわる宮永咲戦は別として、東横桃子、染谷まこ、沢村智紀戦でも、南場の優位性を発揮しきれず勝利を逃していた。

 風越女子の南浦数絵分析では、一つの答えを出していた。それは火力の低さであった。放っておいたら、役満でも上がりそうな東場の片岡優希とは違い、数絵の南場支配は、彼女の祖父であるシニアプロ南歩聡流の発展型に過ぎず、火力はそれほど高くはないと結論された。

 ではなぜ、個人戦で飛び終了を発生させるほどの爆発力を見せたのか? それは対戦相手の心理ブーストにあると推察された。恐怖心や焦り、その効果によって、数絵の場の支配が劇的に上昇したのだ。

(原村和や福路先輩との対戦があれば、もっとはっきりしたんだけど……)

 “魔王”、ステルス殺法、変則打ち、オカルト容認のデジタル打ち、四人は数絵の南場支配を無効化できる特性を持った面子だ。彼女の苦手とする側面が浮かび上がっていた。

「ツモです。門前、三色同順、白、ドラ1、2000,4000」

 文堂星夏が16巡目に和了した。東場は高めを狙う。そして、最も稼いだ者を南場で守る作戦だ。もちろん数絵には読まれているだろうが、問題は無いはずだ。

「安心しました」

 星夏に点棒を渡しながら、数絵は独り言のように言った。

「なにが?」

「思ってたよりフェアプレイで」

「……私達がつるむとでも?」

「可能性は捨てきれない。なにしろ完全なアウエイですから」

 流石は実戦派プロの孫だけのことはある。自分の置かれた状況を常に把握し、最適な行動を選択する。彼女は一匹狼ならではの警戒心を忘れていない。

 東二局。華菜の配牌は見事なものであった。平和、断公九、一盃口の二向聴、赤ドラも一枚あり、立直で跳満確定だ。この局は数絵が親なので、少しでも高めを狙っていく。

(東場は稼がせてもらう、それこそ優希並みにね)

 何度も観た数絵と片岡優希の試合、東場の優希の破壊力に恐れおののき、ひたすら耐える彼女の姿が確認できた。どのような理由かは不明だが、南浦数絵は東場では上がることが出来ないのだ。

(引きの強さは、私の特徴でもある……)

 華菜は13巡目に聴牌した。すかさず立直をかける。

 そして、15巡目、華菜は和了した。

「ツモ、門前、立直、平和、断公九、一盃口、ドラ1、3000,6000」

 これで数絵は8000点失ったことになる。

(強い……顔色一つ変えない……)

 無表情で点棒を置く数絵に、華菜はある希望を見出していた。

 絶対的エースであった福路美穂子が抜け、風越は大きく戦力を落としてしまった。その穴を埋める事が風越の喫緊の課題になった。来年の新入部員に期待するのも一つの手だが、常勝を求められている久保貴子は、もっと確実な手法を取った。それが南浦数絵の風越編入であった。華菜は数絵の強靭なメンタルにその手ごたえを感じていた。

(でもね……まだだよ、あんたはもっと強くなれる)

 ――華菜たちの東場の攻勢は続いた。それは南浦数絵の為に、そして風越女子高校の為に。

 

練習試合 東場結果

 東一局      文堂星夏     8000点(2000,4000)

 東二局      池田華菜    12000点(3000,6000)

 東三局      池田華菜    12000点(4000オール)

 東三局(一本場) 深堀純代     8300点(2100,4100)

 東四局      深堀純代     8000点(2000,4000)

 

現在の持ち点

 池田華菜   40900点

 深堀純代   30300点 

 文堂星夏   19900点

 南浦数絵    8900点

 

 深堀純代が起家マークを裏返す。池田華菜は南浦数絵から風の気配を感じていた。実際には存在しないのであろうが、リアルな感覚として意識した。それは、自らのテリトリーに不法侵入した者への、彼女からの警告のように思えた。

「つるんででも、飛ばしてしまえばよかったのです。勝負は非情、私はおじい様からそう教わった」

(凄い存在感だし……人間ここまで変わるものなのか?)

 胃がよじれそうになるぐらいの不快感。華菜にこの感覚を与えたものは過去に3人いた。天江衣、宮永咲、そして全開時の福路美穂子だ。

 南一局。圧倒的な速度で数絵が上がった。ドラを絡めた平和の3900点であった。

 これから彼女の親番になる。勝負は、この親番をいかに早く流せるかで決まる。

 華菜が面子に指名した深堀純代と文堂星夏は、いわゆる正統派麻雀の打ち手だ。それぞれ団体戦の結果を踏まえ、その技術を研鑽し、職人レベルまで腕を上げていた。数絵の支配に音を上げることはない。

(後は私か……)

「ツモ、立直、門前、南。2600オール」

 この和了で数絵は、20000点台まで回復した。僅か2局、あっと言う間の出来事であった。

(以前の私ならここで熱くなって張り合ってたんだろうな……)

 長野団体戦での連続の敗北、個人戦での悔し涙、華菜はこの一年で様々な経験を得た。そして、インターハイ個人戦での福路美穂子の闘いが、華菜の意識を完全に変えてしまった。何のために闘うのか? 何故闘うのか? 思いもよらなかった真理問答が華菜に突き付けられた。しかし、華菜は困惑しなかった。美穂子がその答えを示してくれたからだ。

(心配いりませんよキャプテン……私達は後悔しませんから……)

 華菜は首を振った。違う、美穂子はもうキャプテンではない。今のキャプテンは自分なのだ。

「……ロン、断公九。2000」

「はい」

 数絵の河は、思いのほか分かり易い。星夏が味方の不利を察したのか。自模られる前の振り込みを選択した。これで華菜と数絵の点差は14300点まで縮まった。

「火力が低いから持久戦で対抗したらいい、そういう考えですか?」

 怪訝そうに数絵が質問した。

「そうだよ、そこが優希との違いだ。東場の片岡、南場の南浦とか言われてるけど、本質的な部分はまるで違う」

「そんなことは織り込み済み、火力は連荘で補える」

 無愛想に言ってのける数絵に、華菜は同類としての好感を持った。

(自分の弱点が分からない馬鹿はいないか……。いや、一人いたし……)

 それは去年までの自分。そう考えると華菜はなんだか可笑しくなった。

「いいぞ数絵! ほざいた通りやってみるし」

 いきなり名前で呼ばれた数絵が目を丸くしている。

 南二局二本場、ここで止められる。華菜はそう予感していた。

「ポン」

 3巡目、【中】を副露出来た。ここは特急券を使う。数絵が不敵な笑みを浮かべている。

「ポン」

 彼女も【南】を晒した。スピード勝負を受けるという答えだ。

(私にスピード勝負を挑んだことを後悔させてやる!)

 5巡目、有効牌を引いた。これで聴牌だが、捨てなければいけないのは、まだ一枚も見えていない【東】だ。十中八九、数絵が待っている。

 華菜はそれを切った。

「ポン」

 数絵の発した言葉は、「ロン」ではなく「ポン」であった。

(楽しい……本当に久しぶりだ。こんなに楽しい麻雀を打てるなんて……)

 6巡目、華菜は当たり牌を引いた。

「数絵……感謝する……」

「え?」

 言葉の意味が分からず、弱り顔の数絵を見つめて、華菜は牌を倒した。

「ツモ、中。500,700」

「……」

 勝負の大勢は見えていた。これで点差は16700点、残り2局で逆転するには、次の華菜の親番で大き目の役を上がる必要が有る。

「どう?」

「……これは将棋や囲碁ではない、私が「まいりました」と言うとでも?」

「もちろん思ってにゃいし、これはエールだよ、「がんばれー」ってね」

「……早くサイコロを回してください」

 あからさまな不機嫌さで数絵に催促された。華菜は“耳”を出しながらボタンを押した。

 

 

――「ここまでだな」

 久保貴子が練習試合の終了を伝えた。

 

 

練習試合結果

 東一局      文堂星夏     8000点(2000,4000)

 東二局      池田華菜    12000点(3000,6000)

 東三局      池田華菜    12000点(4000オール)

 東三局(一本場) 深堀純代     8300点(2100,4100)

 東四局      深堀純代     8000点(2000,4000)

 南一局      南浦数絵     4000点(1000,2000)

 南二局      南浦数絵     7800点(2600オール)

 南二局(一本場) 南浦数絵     2300点(文堂星夏)

 南二局(二本場) 池田華菜     1700点(500,700)

 南三局      南浦数絵     5200点(1300,2600)

 南四局      文堂星夏     1100点(南浦数絵)

 

 

最終得点

 池田華菜   36400点

 南浦数絵   26400点

 深堀純代   23900点 

 文堂星夏   13300点

 

 

「南浦さん、団体戦はね、楽しいよ」

「……」

 南浦数絵は動けなかった。椅子に座ったまま、得点表示を見つめている。池田華菜の問い掛けなど耳に入っていない様子だ。

「来年の団体戦の大将戦、今年の長野トップ4が揃ったとするよ、相手は宮永咲、天江衣と敦賀は多分、東横桃子。風越は私……」

「……」

「勝てると思う?」

「……分かりません」

「南浦さんの意見でいい、教えてほしい」

「……無理ではないでしょうか」

 華菜は目を細めて笑った。

「そうかもしれない。でもね、私は上手く負けることが出来る」

「上手く負ける?」

「それはね、勝つことよりも難しい。でも私ならできる。だから力を貸してほしい」

 数絵は雀卓に手をついて立ち上がった。そして華菜の前にやって来た。

「総合力で清澄に勝つとでも?」

「片岡はインターハイで化けた。だから、南浦さんに彼女を任せたい」

 南浦数絵が初めて“普通”に笑った。クールながらも愛嬌がある素敵な笑顔であった。しかし、放たれた言葉は、生意気な下級生そのものだ。

「私は信用できない人間に後ろを任せることはできません」

「……」

「今回は私も落度がありました。来年四月にもう一度対戦して下さい」

「いいよ、次も勝つけどね」

「あり得ませんが、もしそうなったら検討します」

 目も合わせずに数絵は言い切った。余りの傲慢無礼な態度に、華菜の堪忍袋の緒が切れた。帰り支度を終え、華菜に背向けている数絵に怒鳴りつけた。

「数絵! 約束だかんな! 今度負けたらお前は風越の先鋒! 忘れんなよ!」

「覚えておきます」

 少しだけ振り返り、数絵は返答した。華菜には彼女が笑っていた様に見えた。隣では久保貴子が華菜にウインクしている。

 池田華菜は憂鬱であった。信じられない程生意気な後輩が、あと数か月で誕生する。しかもそれが、昔の自分に瓜二つとなれば、憂鬱になるしかなかった。

(キャプテン……私もこんなんだったんですか?)

 華菜は再度頭を振った。また美穂子をキャプテンと言ってしまった。

 憂鬱だった。池田華菜は何もかもが憂鬱であった。

 

                              池田華菜の憂鬱 完



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第六話 大理石のチェス盤

公開停止にしていたお詫びに、短編を公開します。
本当に短編なので結構淡白です。


 イギリスには古城が数多く残っている。女王陛下の居城でもあるウィンザー城や幽霊城として有名なエディンバラ城などの観光名所から、ひっそりと(たたず)み、いまだに居住者のいる古城まで、数えるのも困難なほど残っている。

 ここ南イングランドにある、およそ12エーカー(48500平方メートル)の城にも居住者がいた。その落ち着きのある城の主は、“巨人”ウィンダム・コールであった。

 もちろん、彼はここで生まれ育ったわけではなく、雀士として巨万の富を得てから取得した、文字通り帝王の城であった。

 ウィンダムは年に数回しか試合を行わない。その彼がなぜこれほどまでの財力を誇るのか? それは麻雀の最高位を決めるシステムにあった。

 現役雀士世界一を決める世界選手権。ランキング上位で争うマスターズ。この有名な2大会で勝っても世界最高位にはならない。それを決めるのは、11月にこの城で行われるウィンダム・コール杯であった。彼の名前が冠になっており、優勝賞金も彼が支払う。その額は1500万ポンド(約20億円)と破格のものであった。ただ、試合は一試合のみで、完全非公開で実施される。参加には世界選手権かマスターズで優勝するか、ウィンダムに選抜されるしかなかった。そう、麻雀の最高位は常に不動。要は“巨人”ウィンダム・コールを倒せるかどうかの話なのだ。

 世界に君臨する彼は、麻雀のルールを一本化した。ローカルルールの多数を切り捨て、ワールド・マージャン・スタンダード・オーガニゼーション(WMSO)という組織を立ち上げ、世界選手権、マスターズを始め世界7大大会をそれに準拠させた。彼はWMSOのトップであり、彼の定めたルールは商標となった。それにより膨大なロイヤリティが彼に入ってくる。それがウィンダム・コールの財源であった。

 

 

 ウィンダム・コールは多忙であったが、イギリス人らしく、仕事とプライベートをはっきりと分けていた。今週一週間は完全なオフで、彼は自宅で余暇を堪能していた。

 ――彼の私室(とはいっても小さな体育館程度はある)の扉をノックする音が響いた。だれであるかはわかっているらしく、ウィンダムは入室を許可する。

「入り給え」

 大きな扉を開けて、初老の執事長に車いすを押された少女が入ってきた。

「お呼びでしょうか? マイ・マスター」

 金髪の少女の名前はミナモ・オールドフィールド。彼女はウィンダムと対戦実績のあるテレサ・アークダンテの孫娘で、現在日本で大旋風を起こしている宮永姉妹の従妹でもあった。

「チェスの相手が欲しかったのだ」

 ウィンダムが目配せすると、執事長は黙礼(もくれい)して部屋を後にした。重厚感のある扉の閉まる音がする。

「私などでは……マスターの足元にも及びません」

「かもしれないね。しかし、私はミナモの母君から聞いているのだよ」

 謙遜(けんそん)は罪なものだ。ウィンダムはそう言いたげであった。ミナモはそれを察して素直に謝罪した。

「申し訳ございません……足を悪くしてからは、麻雀ではなくチェスやショーギばかりやっていました。でも、マスターのレイティングは2800(トップレベル)ですから」

 静かで天井の高い室内は、よく音が響く。ミナモのソプラノの声が透き通るように反響した。

「ほう、ショーギもできるのかね? 最も、私は性に合わないが」

「オリエンタル思想ですか?」

「そのとおり。兵を使い捨てなどにできない。その点チェスは違う。たとえポーンでも、取られたら大ごとだ」

 ミナモが笑う。少女らしい小さな引き笑いだ。

 ウィンダム・コールが車いすを押して、部屋の奥にあるチェス盤の前に止める。豪華な大理石のチェス盤だが、ピース(駒)は置かれていない。

「イギリス貴族は……よほどお金の使い道に困ったのだろうね。何万ポンドもかけて、こんな遊び道具を作った」

「マスターもそうなのですか?」

「これは私が購入したのでない。いわばこの城の備品のようなものだ」

 ウィンダムは重厚な箱に入ったピースを取り出して盤に置いていく。

翡翠(ひすい)だよ……貴族趣味の真骨頂ではないかね?」

「私には無駄に思えます。10ポンドのチェスセットと同じことしかできないのですから」

「そうだ。このチェス盤は無駄の極みだ。しかし、その無駄が意味を持つことがある」

「……」

 ウィンダムはキングの白ピースを自分の前の所定の位置に置いた。

「キング……このピースは私だ。まあ、一コマしか動けないのは納得できないが」

「そうですね。マスターならクイーンのように動けなくては」

 ウィンダムは、そのクイーンを隣に置いた。

「ビショップ。これは君だね。攻撃の要だよ」

「光栄です。マスター」

 ウィンダムはチェスのピースを実際の人間に見立てていた。

 続けて黒ピースを取り出し、キングをミナモの前に置く。

「これは小鍛治健夜だ。強い駒だよ」

「はい……」

 そして、隣にクイーンを置いた。

「これはだれだね?」

「……宮永照」

 ウィンダムはビショップも並べて、意地悪く質問した。

「これは?」

「咲です。……宮永咲」

 ミナモの顔が歪んだ。その名前を呼ぶことになにか抵抗があるように見えた。

 ウィンダム・コールは、それに気づきながらも、まったく意に(かい)せず話を続けた。

「なかなか強力だね。だが、こちらにも隠し玉がある」

「隠し玉ですか?」

 白のルークを二つ盤に並べる。もちろんウィンダムサイドだ。

「ネリー・ヴィルサラーゼ……どうだね? 面白いだろう?」

「彼女が仲間になるのですか?」

「私は意味があるのなら無駄とは思わない。そう言ったはずだよ。たとえ多額の浪費になろうとも、このルークは手に入れる」

「私もそうですか?」

「そうだ。嘘をついても仕方がないし、君も迷惑だろう?」

「ご明察です。マイ・マスター」

 ウィンダム・コールはすべてのピースを並べて、白と黒のポーンを手に握る。

「それでは、お手合わせ願おうか? マイ・ビショップ」

「その前に……」

 ミナモは、先攻後攻を決めるトスを無視して、ウィンダムの前のクイーンを指さす。

「そのクイーンはだれですか?」

「このピースは例外だ。ショーギのルールを使用する」

「マイ・マスター……」

「なんだね?」

 ミナモが呆れ顔になる。

「ショーギでは駒の役割は同じです。キングはクイーンになれません」

 ウィンダム・コールが笑う。歯をむき出しにした豪快な笑いだ。

「ルールは私だよ」

「……」

「私のクイーンは小鍛治健夜しかいない。ルールなどは私が変える」

「御意……」

 

 

                      大理石のチェス盤 完

 



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個人戦編
1.宮永サイド


 インターハイ団体戦で猛威を振るった清澄高校 宮永咲の〈オロチ〉を、実姉の白糸台高校 宮永照は、個人戦で直接打倒することを決意する。それこそが姉妹和解の唯一の方法と考える照と、別の方法を模索する咲。その対立は、否応なしに周囲の人間を巻き込んでいく。
“恐怖”“怒り”“愛情”“哀しみ”そして“野望”それらの様々な思いは、交差し、入り乱れ、二人を中心に巨大な渦となっていった。
 舞台は個人戦へ、姉妹対決はここに完全決着する。


 清澄高校宿泊ホテル内部 庭園 

 

 原村和は、一人でホテル内の庭園にあるベンチに座っていた。

 すいぶんと長い間、麻雀部のメンバーと共同生活をしている。食事も一緒、風呂も一緒、寝て起きるのも一緒。まるで多数の姉妹ができたようであった。慣れるまで少し時間がかかったが、今はとても充実している。

 しかし、和は不意に一人の時間が欲しいと考えてしまい、この場所に来ていた。

(一人に慣れるって怖いな……)

 和は、持っていたアイスティーを少しだけ口に含み、自虐的に笑った。そして目を閉じ、その充実した時間を与えてくれている友人について考えを巡らせた。

 ――親の仕事の関係上、子供の頃から転校を繰り返していた和は、友人というものに、長い間淡白な考え方を持っていた。その土地にいる間、形なりに仲良くできたら良いだけの存在。それが和にとっての友人の在り方であった。

 それを決定づけたのは、阿知賀での高鴨穏乃達との別れだった。初めて知り合った同じ価値観を持った友人達、和は真に失いたくないと思った。だが、その彼女達とも別れは慣例のようにやってきた。堪え難い喪失感に和は苦しんだ。“こんな思いをするぐらいなら友人など必要ない”。和はそう考えて心を閉ざした。

 だから、次の転校先の長野では、和は友人を作らない努力をした。しかし、その閉ざされた心を開く者が現れた。片岡優希であった。天真爛漫な友人の優希の為に、和は再び慣例に立ち向かう決意をした。

 そして、初めての親への反抗。高校進学に対し父親の準備していた私立学校を拒絶し、優希と同じ清澄高校への進学を決めた。もちろん、和の父親はそれを黙って許すわけがなく、和は不可能とも思える条件を提示することによって、我儘を貫いた。“インターハイ全国制覇”それが清澄に残る条件であった。

 清澄高校麻雀部には、女子部員が4人しかいなかった。よって団体戦は出場不可能で、個人戦にすべてを賭けるしかないと思っていた。ところが、現実は、和の予想だにしない方向に動いた。5人目の部員が登場したのだ。

 その5人目は、和のキャリアを一撃で崩壊させるほどのパワーを持っていた。プラマイ0、嶺上開花。偶然でも滅多に起こらない現象を、5人目は当たり前のように行った。和は、その未知の力に困惑した。

(麻雀が好きじゃないか……)

 圧倒的な力を持つ5人目の部員、宮永咲はそう言った。和は麻雀を愛するがゆえに、努力を積重ねて技量を上げてきた。咲の発言は、そんな和の努力を否定しているように思え、許すことができなかった。

(私も穏乃と同じだったな……恐怖と憎悪……そうするしかなかった)

 もちろん和も馬鹿ではない、要は咲よりも強くなれば良いだけの話なのだが、彼女の力はまったく底が見えなく、恐怖感を払拭できなかった。自分の非力さに和は苛立ち、咲に必要以上に辛く当たってしまい、ぎくしゃくした関係が続いていた。

 そんなある日、なぜ咲が異様な打ち方をしているのか知る機会を得た。インターハイ・チャンピオンを姉に持ち、その姉とは不仲になり、別居している。寂しそうに咲はそう言った。それは自分となにも変わらない、なにかを恐れ、なにかに苦しむ、15歳の少女の姿であった。

 もはや、和は咲を憎む理由がなくなっていた。それどころか、咲を優希と同じ、いや、それ以上の友人として欲した。

 宮永咲と片岡優希、二人は和にとって失って良い友人ではなかった。慣例は打ち破らなければならない。和は二人を永遠の友人として望んでいたのだ。

 

「和ちゃん、こんな所にいたんだ」

 考えごとをしていた和は、近くに来ていた咲に気がつかなかった。

「咲さん」

「少し探したよ」

 和の呼びかけに咲は笑顔で返事をして隣に座った。おそらく咲は、部長の竹井久の指示で自分を探していたのだろう。明日から個人戦が始まるので、今日を軽い調整に充てると部長が言っていたからだ。

「個人戦が始まりますね」

「うん……」

 笑顔ではあったが、咲はちょっとだけ寂しそうであった。

「今度は対戦できるといいですね」

「そうだね……」

 良い話にしろ、悪い話にしろ、咲は会話に特徴がはっきり出てしまう。今は悪い話の特徴が表れている。

「……個人戦は、宮永咲で闘いきりたい」

 咲は、和と目を合わせずにそう言った。

「でも、お姉ちゃんや大星さんは、私を〈オロチ〉しようとしてくると思う。もし、あの状態で和ちゃんと対戦することになったら、私は手加減できない」

 相変わらずだなと、和は思った。いつもだれかのことばかり考えている。その過度の優しさへのアレルギーはなくなってはいたが、自分に対するそれは不要だと和は考えていた。だから和は、いつもより怖い顔を作って咲に言った。

「一番初めの約束……覚えていますか?」

「……そうだったね、ゴメンね、和ちゃん」

 それは、団体戦前夜に咲が和に言ったセリフであった。気がついた咲は、恥ずかしそうに和に謝っていた。

 和も顔をいつもの笑顔に変え、いつものように見つめ合う。それは、なんとも言えない心地良い時間であった。けれど今は、それを自分から終わりにしなければならない。団体戦の副将戦前に咲とした誓い、それへの決意を咲に伝える為だ。

「あの誓いは、必ず守ります。だから、いつだって私は全力で咲さんと闘います」

「……」

「手加減なんかしたら怒りますよ」

「うん」

 

 

 白糸台高校 麻雀部部室

 

 インターハイで連覇を続ける私立高校の麻雀部らしく、部室は至れり尽くせりの設備が用意してある。中でも目を引くのは、個室の存在であった。チーム制を採用している為、部室の中に個室が何部屋かあった。個人戦を明日に控える宮永照と大星淡は、チーム虎姫のメンバー達と個室で調整を続けていた。そしてそれも終わり、部長の弘世菫は最後の確認を行った。

「最終目的は照の3連覇で間違いないな?」

 長時間の対局により腰が痛かったので、手を当てて伸びをしながら立ち上がった。

 宮永照とその隣に座っている大星淡は、なにをいまさら的な顔で菫を眺めていた。

「照、淡も、お前達は咲ちゃんを倒すことに傾倒している。本来の目的、それの確認だよ」

 お茶を入れに行っていた渋谷尭深が、良いタイミングで戻ってきて、メンバーにお茶を渡した。その茶を飲みながら、照は答えた。

「分かっている。ただ、咲は必ず最後までくるよ、だから咲は、絶対に倒さなければならない相手だよ」

「お前らしくないな照」

「……どういう意味?」

「個人戦を勝ち抜くのは並大抵のことではない、お前は去年までそう言っていた。それがどうだ、今年は咲ちゃん以外はまるで目に入っていない」

「……」

 痛いところを突かれたのか、照は押し黙った。

 

 ――菫は、明日の集合場所と時間を指示して、本日の解散を告げた。チームメンバーは、挨拶をして帰途につこうとしていた。

「照、ちょっと話がある、残ってくれ」

 照は振り返り、立ち止まった。他の三人は、それを気にしつつも部屋から退出していた。

 菫は、ドアが閉まったのを確認してから照に話しかけた。

「照……」

 ――再びドアが開けられた。そこには大星淡が立っていた。

「……どうした」

「聞きたいことがあります。少しいいですか?」

 菫は頭を掻きながら手招きで淡を呼び寄せた。

「臨海のネリーですが、大将戦終了後、サキについて気になることを言っていました」

「敬語はやめろといっただろう」

「……菫はテルーと大事な話があるんでしょ。それを邪魔してるんだから敬語にもなるよ」

 やれやれと思った。きっとこの一年生は、自分と照がなにを話すのかが気になって仕方がないのだろう。菫は苦笑しながら淡に質問した。

「ネリーはなんて言っていた?」

「目で見えていることがすべてではないと」

 ――確かに気になる。主語のない意味不明な言葉ではあるが、その主語が重要なのだと、菫は考えた。そして、答えを知っていそうな照を見た。

「ネリー・ヴィルサラーゼは……あの試合を捨てて、咲を探っていた」

 いつもの感情がない顔で、照はそう言った。

「彼女は辛そうだった、ずっと顔をしかめていたよ」

「ヴィルサラーゼがどんな力を持っているか分からないが、〈オロチ〉を探ろうとしていたんだからね、それなりの苦痛は伴うよ」

「掴んだかな?」

 菫は不安になっていた。もしも、ネリーが宮永咲の弱点を掴んだとしたならば、臨海女子高校は対清澄高校の切り札を持つことになるからだ。

「多分ね……そして、彼女は驚いているはずだよ、自分との類似点の多さに」

「咲ちゃんとネリーがか?」

「ヴィルサラーゼだけではない、天江衣、高鴨穏乃も咲と同類だよ……彼女達の力の源は同じだと思う」

 照は、立ったままで話すことに疲れたのか、壁際に置かれているソファーに座った。

「……教えてくれるか?」

 菫も雀卓の椅子に座り直し、淡は照の隣に移動して座った。

「恐怖だよ……」

「……」

「四人には、共通している特徴がある。相手の上がりを察知する感覚が鋭すぎる」

「それは恐怖ゆえにか?」

「極端すぎる防衛本能……かもしれない。少なくとも咲はそうだよ」

 それは驚くべき発言であった。今、名前が上がった四人は、昨年、今年と猛威を振るった者達だ。その彼女達の力は、恐怖から身を守る為に発現していると絶対王者は言いきった。菫は、その言葉を額面通り受け取れなかった。

「……高鴨穏乃も……そうなの?」

 淡もそう考えたのか照に聞いた。菫も同意見であった。他の三人は別として、阿知賀の大将は違うように思えた。

「うん……ただ、彼女がなにを恐れているのかは解らない」

「だからなの? だから高鴨穏乃はサキに勝てないの?」

「咲の力は巨大過ぎる……小さな波は、大きな波に呑まれてしまう」

 菫は言葉が出なかった。その巨大な波は、高鴨穏乃だけではなく、麻雀界全体をも呑み込んでしまうものに感じられたからだ。

 

 ――だれも話さない状態が暫く続いた。菫は、淡によって中断されていた、照との話を再開することにした。

「照……さっき引き留めたのは、お前と咲ちゃんのことが聞きたいと思ったからだ」

「私は……これで失礼します」

 淡が気を利かせて立ち上がった。それを引き留めたのは、他でもない宮永照であった。

「淡……」

「……」

「ここにいてほしい」

 淡が菫を見ていた。居てもいいのかと許可を求めていた。

 菫が頷くと、淡は同じ場所に座り直した。菫も座っている椅子を照のほうに向けた。

「照、まずはさっきの話だ……」

 照がどう考えているかは分からないが、菫は照を親友だと思っている。だから、彼女が悩み苦しむことを、自分は知っておくべきだと決めていた。

(照、私には話してくれ……)

 あえて厳しい顔で、親友の最も話したくないことであろう“妹”について質問した。

「なぜだ、なぜ咲ちゃんの波は、そこまで大きくなった? 咲ちゃんは、なにを恐れているんだ」

 その質問を覚悟していたのか、照は僅かの沈黙の後、静かに話し始めた。

「私に負けること……」

「なに……?」

「私の母さんは知っているよね?」

「ああ……まあね」

 菫は、宮永照の母親に何度か会っていた。どことなく日本人離れしている彼女は、以前プロ雀士であったとも聞いていた。

「母さんは分かっていたんだ。咲は、優し過ぎる……こういった勝負の世界には向いていない」

「……」

「だから、母さんは、咲を私の為に使うことにしたんだよ」

「ど、どういうことだ?」

「咲には、世界中の強い雀士のデータが与えられ、そのコピーになるように命じられた……私の対戦相手としてね」

「それじゃあ……咲ちゃんは、お前を強くする道具か?」

 照は寂しげに頷いた。そして、なにかを懐かしむかのように、目を細めて言った。

「凄いよ咲は、模倣が完璧だった。私は必死になって打ち破った。――母さんはその結果に喜んだよ。それでね……咲に言ったんだ『決して照に負けるな、それが照の為だ』とね」

「それは、矛盾じゃあないのか?」

「トレーニングにおいては矛盾ではない、母さんの言った負けとは、真の負けのことだから」

「それが……サキの価値観になっちゃったんだね」

 おとなしく話を聞いていた淡が口を挟んだ。咲に感情移入してしまったのか、思い詰めた表情だった。

「そうだよ、だから咲は私にだけは負けることができない」

 照は、そんな淡に優しく話した。

「原村和ならいいの?」

「咲は、〈オロチ〉の連鎖からの解放を望んでいる。原村和は、その為に選ばれた」

 菫は疑問に思った。なぜ原村和でなければならないのかと。

「お前と原村の違いはなんだ? その選択に、どんな意味がある?」

 照の微笑みが消えた。おそらく話したくない領域に入ってしまったのだろう。照は僅かに考えて、それを話すことを決意してくれた。

「だれであれ……咲は敗北するとすべての力を失う。それは咲も分かっているはずだ。だからこそ自分が望んだ相手に、それをしてほしいと……咲は思っているんだよ」

「お前なら?」

「あの咲を作り出したのは私だよ、だから私に負けると……咲は、矛盾に苦しみ、恐らくは……」

 照は、そこで口を閉じてしまった。聞かなくても分かる。照が〈オロチ〉に完全敗北した時と同じ事態が起きるはずであった。

(そうか、お前は咲ちゃんをこの世界に引き込みたくなかったのだな……。だから、不仲を演じて突き放した。私達には妹がいないと嘘をついた……)

 そこまで考えた時、菫は重大なことに気がついた。

(私の……せいか?)

 そう、宮永照を麻雀部に引きずり込んだのは自分であった。途轍もない罪悪感が襲ってきた。菫は、すがるように照を見た。

「照……私がお前を――」

 照は、今日初めて普通に笑った。その笑顔は、菫の罪悪感を幾らか和らげてくれた。

「私と咲は……麻雀から逃れられない。いずれこうなることは分かっていた」

「もしも……私なら? 私ならサキは大丈夫?」

 なぜ淡が、そこまで宮永咲に思い入れるのか菫には理解できなかった。しかし、照は理解しているらしく、その笑顔を淡にも向けた。

「淡は優しいね。でも、結果は同じだと思う。咲の力は幻影だから。存在する理由がなくなれば……消え去るだけだよ」

「サキ……」

 淡は泣いていた。照はそれを黙って見守っていた。あの、団体戦終了後のように。

「私と咲を引き裂いたのは麻雀だよ。だから、それを修復できるのも麻雀しかない」

 だれとも目を合わせず、つぶやくように照が言った。

「麻雀でなら、私は咲と話ができる。『私に負けるのは怖くない』、ずいぶんと遠回りしたけど……そう話してあげたいんだ」

(そうか……結果が同じならば、早いほうがいいということか……。照、お前は本気で咲ちゃんと和解しようとしているのだな……)

「この個人戦で、私が〈オロチ〉の連鎖を断ち切る! それが咲への罪滅ぼしだから」

 菫にも、それが最善の方法に思えた。ならば、全力で協力するしかない。なぜなら、宮永照は、自分の大切な親友だからだ。

 

 

都内 有名とんかつ料理店 個室

 

 小鍛治健夜は、友人の福与恒子に、藤田靖子との会食のセッティングを依頼していた。恒子はその期待に応え、店の予約までしてくれていた。

 靖子は時間に遅れることなくやってきて、健夜の前に座っていた。

 

「珍しいですね、小鍛冶さんから呼び出しなんて」

「呼び出し……まあ、間違いじゃないけど」

 靖子はメニューを手に取り、眺めながら健夜に聞いた。

「カツ丼頼むと思ってます?」

「まあね、その為に、恒子ちゃんにお店を選んでもらったんだから」

「じゃあ一つ、期待を裏切らなきゃ」

 健夜に注文が決まったかの確認をしてから、靖子は呼び出しボタンを押した。

 程なくして、店員がオーダーを取りに来た。

「三元豚ロースカツ定食、大盛りで」

「大盛りなんだ……」

 健夜は苦笑し、靖子と同じものを普通盛りで注文した。

 ――料理が届けられ、靖子はものすごい勢いで食べていた。あまりのワイルドさに、健夜は目をパチクリさせていた。

「清澄ですか?」

 完食寸前ではあるが、靖子は箸を休めて質問した。健夜は頷き、その質問に質問で返事をした。

「靖子ちゃんは、どこまで考えていたの?」

「私が考えていたのは、天江衣をいかにして国麻に引っ張り出すかということと……」

「と?」

 靖子はラストスパートをかけて完食した。時間は10分もかかっていないだろう、その証拠に、健夜の定食は、まだ半分以上残っていた。

「長野には、地方大会だけで終わらせるには、惜しい選手が多くいますので」

「南浦さんのお孫さんとか?」

「あれは……ぐずりましたけど、なんとか風越に編入させました」

 靖子はお茶に手を伸ばして飲んだ。そして、健夜と目を合わせて言った。

「風越にも、龍門淵にも、鶴賀にも、全国に出してみたい選手がいます。私は彼女達に均等にチャンスをあげたい」

 靖子のスタンスは明確であった。後進の育成に熱心な彼女は、そのバランサーになろうとしているのだ。

「去年の龍門淵は脅威でした。全員が一年生で、天江衣という怪物までいた。彼女達の卒業まで、他校の優秀な選手達は完全に埋没してしまう可能性があった」

「清澄はそれ以上?」

 靖子は不機嫌そうに眉をひそめた。

「なに言っているんですか、あなたが監督ならどこだってそれ以上ですよ」

 良好な雰囲気とはいえなかった。靖子は、健夜の目的に探りをいれた。

「――決勝戦の阿知賀の闘い……あれ小鍛冶さんですか?」

「……」

「やっぱりね、赤土晴絵にしては大胆過ぎると思った。宮永咲のあの状態が分かっているようでしたから」

 健夜は諦めたように、鼻から大きく息を吐き、靖子に自分の目的を告げた。

「私は……宮永姉妹を麻雀界のバランサーにしようと考えています」

「バランサー? バカなことを言わないでください! あの二人は突出しすぎている」

 小鍛治健夜は邪悪な笑いと共に、その恐ろしい野望を語った。

「私の考えているバランサーは、現状で調和をもたらす者ではありません。圧倒的な力で一度すべてを破壊し尽くし、そこから新たな秩序を作り上げる者です」

「それはバランサーではない! ブレイカーだ!」

「結果が同じなら、過程は問題ではありません! 靖子ちゃん、よく考えて」

「……」

 感情的な話になっていたが、健夜は笑いを消していなかった。そして、その笑みを口元に残したまま、優し気な口調で、残酷な質問を靖子にした。

「戦国時代のような今の日本の麻雀界、良く言えば実力伯仲、悪く言えばどんぐりの背比べ。国内的には盛り上がっているかもしれませんが、世界的実力では二流です。このままでいいのですか?」

「小鍛治さん……あなたはなにを……?」

 烏合の衆など相手にならないとばかりの言い方に、靖子はたじろいでいた。無理もない。相手は小鍛治健夜なのだから。

「私と宮永姉妹とで、日本の麻雀界を再構築する。そして“巨人”を倒して世界制覇する」

「ばかな……」

 それ以上言葉にならなかった。考え方のスケールが違いすぎていたのだ。

「私は一度“巨人”に挑み敗れた。でも、まだ諦めたわけではない」

「そ、その為に……宮永姉妹ですか?」

 未だに無敗を誇る世界の頂点“巨人”、それは健夜が唯一敗れた相手であった。彼女がリベンジを考えているのは靖子も知っていたが、これほど強引な手法を使用してくるとは予想外であった。

「そう、特に妹の咲ちゃんは……私の切り札になる」

「それが理由……その為に清澄の監督に……?」

 健夜の顔から笑みが消えた。それは、対戦相手を絶望のどん底に叩き込んできた。国内無敗“ドラの支配者”小鍛治健夜の表情であった。

「私しかいない」

 その顔で、靖子を見据えながら健夜は言った。

「私なら……あの子を、真の魔王に育て上げられる」

 圧倒的、まさに圧倒的であった。靖子はその威圧感に耐えられなかったのか、逃げるように席を立った。

「保留にさせてください」

「……」

「あなたは、どんぐりの背比べと言いましたが、切磋琢磨して強くなる者だっている。それを否定するのは傲慢でしかない」

 微力ではあったが、靖子は常識論で抵抗した。しかし、靖子は感じていた。この小鍛治健夜を止めるには、相当の覚悟が必要であることを。

「秩序ですか……あなたが作り出そうとしているものは、恐怖に支配された秩序です。それが分かっているのですか?」

「新たなステージに上がるには……犠牲はつきものです。それを恐れては駄目」

 冷徹に言ってのける健夜を、靖子は睨みつけた。

「宮永咲に刺客を送ります。それに勝てなければ、この話はご破算でお願いします」

「刺客……憩ちゃんね」

「宮永咲は、荒川憩には勝てない……あの状態でもね」

 健夜の顔に邪悪な笑みが戻った。そして、宣戦布告してきた藤田靖子に強烈な回答を送った。

「靖子ちゃん……あなたは必ず、私に協力することになる」

「時間がありません。本日は失礼します」

 そう言い捨てて、靖子は足早に部屋を後にした。スマートフォンを取り出し、電話を掛ける。相手は、宮永咲への刺客、三箇牧高校 荒川憩であった。

 

 

 弘世菫 自宅

 

 弘世菫の親友の宮永照は、早々に大学進学を決めていた。もちろん特待生としてだ。公式には、まだ決めていないと言っていたが、菫には既に連絡されていた。当然ながら、菫が照を放って置けるわけがなく、一般入試でその大学の受験を決めていた。

 高校三年生は休む暇がない。今はインターハイ中なので、日中はそれに時間を割かなければならない。そして、家に帰ったら、受験勉強が待っている。菫は夕食を食べて直ぐに、机に向かい、それをしていた。

 

 机の上に置いてあるスマートフォンが鳴った。その着信音から、掛けてきた相手が大星淡であることが分かった。

「はい」

『菫、ごめん、寝てた?』

「あのなあ、私は三年生なんだぞ、やってることは分かるだろう?」

『ああ、勉強?』

「淡、お前が照を追いかけるなら、今から勉強しておいたほうがいいぞ。それなりに難関だからね」

『……』

 菫は、氷が解けて薄くなったコーヒーを飲んだ。淡がなぜ電話を掛けてきたのか、今の沈黙で理解した。

「迷っているのか?」

『私……サキと闘えないかもしれない』

「なぜだ?」

『わからない……』

「淡……私はね、今日の話はお前に聞かせたくなかったんだ。こうなることは分かっていたからね」

『うん』

「だけど、照はお前にも聞かせた。それが何故か考えてくれ」

『それは分かってる……でも、分からないのは自分の気持ちだよ』

「だろうな……」

 それは淡にしか分からないこと、菫はそう思っていた。だから、それしか言えなかった。

『テルーの“あれ”は、サキを倒せるかもしれない……』

「逆を言えば、倒せないかもしれない。もし照が失敗したら、お前が〈オロチ〉を倒せ。咲ちゃんが原村和を選んだように、照はお前を選んだ」

『菫……お願い……私に指示を出して』

「もう既に出してある。迷うな、照は本気で決着をつけたがっている。だから、お前は宮永咲を苦しめろ。そして、可能ならば〈オロチ〉に変貌させろ」

『……』

「私や淡が立ち入ってはいけない話だ……照がそう望むなら、協力することがベストだよ」

『サキ……』

「淡、正しい答えなんてない、だから迷っては駄目だ! 迷いは……後悔に繋がるぞ」

『うん……』

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

「時間も遅いし、これが最後の半荘よ! 咲、和、仕上げにかかって頂戴」

「はい」

 明日、個人戦に出場する宮永咲と原村和は、片岡優希と染谷まこを面子に卓を囲み、半荘を三回ほどこなしていた。これ以上の調整は無意味と判断した竹井久は、咲と和に、実戦をイメージした対局を要求した。

 二人の雰囲気が一変した。特に和は、透き通るような白さの顔になった。

(和、強い選手はペース配分も完璧なものよ)

 団体戦で使用した和の新しいモード、それは強力ではあるがコントロールしきれていなかった。だから久は、それができるまでは、連続の使用を禁じ、半荘での回数も制限した。もちろん、その回数は和に任せてある。 

 東一局、ここで和は使用した。抜きんでた引きの強さを見せる優希を止められるかの実験だろう。

「リーチ」

 親の優希が5巡目に立直した。

 久の位置からは、和の手牌は見えないが、優希のそれは見えている。僅か5巡で三色同順を聴牌できるのも凄いが、頭の単騎待ちで立直できるのも凄かった。優希はこの自摸に絶対的な自信を持っているのだ。

 その立直を受けて、優希の上家にいる和は、ドラ牌の【白】を切った。

「ポン」

 優希の下家のまこがそれを鳴いた。その間にいる咲は安牌を捨てて、再び和の自摸。いつもと同じ速度で迷いなく【三萬】を捨てた。

「ロン、白、ドラ3。7700」

「はい」

 立直した優希に自摸すらさせない打牌であった。失点はともかくとして、和の筋書きどおりに場が動いた。

(この巡目で、まこの手牌が読み切れるの?)

 久はその考えをすぐに否定した。読み切る必要はないのだ。この状態の和は、恐るべき数の情報を処理し、和の絶対的真理である確率を導き出す。まこが上がるまでに、38枚の牌が見えていた。それは和にとっては少ない数値ではなく、約4分の1もの確実な情報なのだ。そこから最も可能性の高いものを選択し、まこに差し込みをした。

「一発だったじょ……」

 優希が自模るはずだった牌をめくって言った。

「なかなかの偶然ですね」

(まったく……嘘ばっかり。あなたは、優希や咲の牌の偏りもパラメーターに入れているはずよ)

 次局が始まっていた。久は、もう一人の個人戦出場者である宮永咲に目を移した。姫松に見抜かれた彼女の癖は直せていないようだ。癖とは無意識の行為であり、それを意識的に修正しようとすると、動作に不自然さが出るのだ。今も嶺上開花可能な山に目を向けようとして中断していた。

(咲……もうわかっちゃったわよ。――これは、時間がかかるわね)

 とは言え、久はそれほど悲観的に考えてはいなかった。咲の癖を読んで、嶺上開花があると分かったらどうするか? そう、それを阻止しようと考えるだろう。自分の打ち筋を崩してでも、早上がりを狙ったり、鳴きを使って咲の自摸をずらしたりする。そうしなければ確実に敗北してしまうからだ。しかし、結果は同じだ。多くの者は咲に敗北する。警戒しすぎるがゆえに。

 

(……咲に対抗する方法があるわ) 

 久は、はっと目を見開いて和を見た。そこにはいつもと同じ顔を紅潮させた彼女がいた。

(怪物が生みだす恐怖を……無効化してしまえばいい)

 恐怖と後悔、それは一対のものだ。宮永咲や、その姉の宮永照は、対戦相手にそれを強制してくる。だが和はその影響を受けない。確率を信じているかぎり、どんな強敵でも恐怖感は発生しない。そして、結果的に敗北したとしても、それは確率上のものにすぎず、後悔もしないのだ。

(そう……咲が言った相手はあなたなのね……)

 団体戦の副将戦前に、和と咲は涙ながらになにかを話し合っていた。久は、それが二人だけの“負けない誓い”なのだろうなと思った。

 

 ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。久は対局の邪魔をしないように、静かに部屋を出て、画面を確認した。

 掛けてきていたのは、藤田靖子であった。

「はーい」

『私だ……遅くなったが優勝おめでとう』

「なーに? そんな律儀な性格だったかしら?」

『いや、大したものだよ。あの白糸台を倒したんだからな』

「ありがとう」

 珍しく沈黙が訪れた。久と靖子の会話では、それは滅多にないことだった。

『ところで久、来年は清澄も大変だ……部に監督を置くつもりはないか?』

 あまりにも唐突な提案であった。久はそれに戸惑い、探りを入れた。

「えー、靖子がなってくれるの?」

『私じゃない、もっと……とんでもないやつだ』

「……だれ?」

『今は言えない。一度、染谷と話し合ってみてくれ』

 久の戸惑いは、不安へと変化した。こんな靖子の口調は、久の記憶にはなかったからだ。

『久……大きな渦が発生しつつある……清澄を中心としてね』

「渦? うちが中心?」

 靖子の話は抽象的すぎて意味が解らなかった。しかし、ただごとではない感じは、十二分に久に伝わった。

『いや……済まん。中心は清澄ではない』

 久の不安は頂点に達した。

『宮永咲……巨大な渦が、彼女を取り囲もうとしている』

 







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2.アンチ宮永サイド

 阿知賀女子学院 麻雀部部室

 

 昨日、阿知賀女子学院 赤土晴絵に、千里山女子高校麻雀部監督 愛宕雅枝から練習試合の申し込みがあった。受けはしたが、明日から始まる個人戦に、千里山は2名出場するはずで、こんな土壇場での練習試合は、かえってコンディションを崩すことにならないかと、他校ではあるが心配になった。

 ――その千里山女子高校麻雀部の総勢6人が、晴絵の目の前にやってきていた。

「ずいぶんと突然ですね」

「申し訳ない、松実さんと新子さんは大丈夫でしたか?」

 愛宕雅枝は、バリバリの大阪人らしからぬ標準語で答えた。彼女は、練習試合の相手として松実玄と新子憧を希望していた。

「玄! 憧!」

 晴絵に呼ばれた玄と憧が駆け寄ってきた。

「お久しぶりです」

 玄は、園城寺怜との再戦が嬉しそうであった。笑顔で挨拶している。 

「ああ……どうも、ご迷惑をお掛けします」

 怜らしく丁寧にお辞儀をしていたが、その表情はいささか沈んでいた。

「どうも……」

 やや遅れて、憧も因縁のある江口セーラに挨拶をした。玄とは違い、あまり嬉しくはなさそうであった。

「なんやー憧ちゃん、きとったんかいな、また楽しく遊ぼうで」

「ち、ちょっと! 近すぎるわよ」

 憧は、息がかかりそうな接近戦を挑むセーラを押しのけた。

「ええやないかー」

「セーラ! ええ加減にせんと」

 部長の清水谷竜華がセーラを羽交い絞めにして引き離していた。監督の雅枝は、恥をさらすなとばかりにセーラを睨みつけた。

「明日が個人戦の初日ですので、私らもあまり長居はできません。半荘二回ほどで結構です」

「それだけでいいのですか?」

 交通の便が良いとは言えない阿知賀に、わざわざ東京から出向いての練習試合。半荘二回は少なすぎるように思えた。晴絵は雅枝に疑念の目を向けていた。

「申し訳ない。これは普通の対局ではありません。これから船久保に説明させますが、気を悪うせんと聞いてやって下さい」

 雅枝は言葉どおり、本当に申し訳なさそうに晴絵に謝った。そして、2年生の船久保浩子に目配せをした。

「松実さんは宮永姉妹、新子さんは原村和に想定して、うちの園城寺と江口は闘わせてもらいます。お二人は普通に打って頂いて結構です」

「私が……宮永姉妹? どっちの?」

「……両方です」

「???」

 玄は何が何だか分からないようで、首を傾げていた。

「おお……見えてきたでー! 憧ちゃんが原村に見えてきたでー! 一部以外はな」

「帰る!」

 憧は本気でムカついているようで、からかったセーラに背を向けて立ち去ろうとしていた。

「わわわ、新子さん、ちょっと待ってーな! 部長、泉! このアホを乙女モードにしたって下さい!」

 浩子の指示で、竜華と一年生の二条泉が暴れるセーラを取り押さえて、別室に連れ込んだ。

「面白いものをお見せしますから……どうか機嫌を直して下さい」

「面白いもの? 女装した江口セーラなら、前に見ました!」

「じょ、女装て……あれは曲がりなりにも女でして……」

「……ああ、ごめんなさい」 

 憧も少し落ち着いたのか、言い過ぎを反省していた。――別室のドアが開き、制服に着替えたセーラが現れて、顔を真っ赤にして憧の前まで進んだ。

「さっきは……どうもすんませんでした」

「……」

 先程までとのギャップに憧は言葉が出なかった。そして、遅れてやってきた笑いの波が憧を襲った。

「く……!」

 立っていることが困難になり、憧はしゃがみ込んで笑いを堪えていた。

 

 

 練習試合が始まった。一回目の起家は松実玄で、南家 江口セーラ、西家 園城寺怜、北家 新子憧の席順であった。

 怜がクリアすべき課題は困難を極めていた。圧倒的な力でドラを保持し続ける松実玄からドラを奪う。あの宮永照ですらできなかったことなのだ。これまでのように数手先を見るだけでは不可能だろう、一度その力を捨てて、さらに進化させなければならない。

(場の支配者の作り出す未来像は改変不可能……)

 それを不可解とは思わなかった。怜は準決勝での宮永照との対戦結果を経て、自分の力をこう結論付けていた。“確実に予知できるのは目ではっきりと見える情報のみ”。単純にいうのならば、自分の自摸牌、他家の捨て牌と上がり牌だけなのだ。なるほど、怜には面子のチーやポンが見えることもある。だがそれは、不純物である自身の希望や予測が混じった不確実な予知なのだ。だから、それを改変しても、場の支配者の捨て牌や和了に何の影響も及ぼさなかった。

(浩子がヒントをくれた。見えている間はなんも変わらない。先が見えんようになったら……そこからや……)

 この半荘は、試行錯誤してその状態を作らなければならない。常に一巡先を読み続け、それが途絶える条件を探る。そこから先は――怜にも分からなかった。

 配牌が終了した。親の玄が字牌を捨て、続くセーラも同様に風牌を切った。怜の自摸番、手牌にある【北】は不要牌なのでそれを切る。そしてそれを、北家の憧が副露する。怜の予知はそう教えてくれていた。

(崩してみるか……)

 怜が切った牌は【四筒】、当然憧は鳴かなかった。しかし――

(やっぱりそうか……変わらんか)

 憧の捨て牌は【六索】だった。それは、怜が予知したものと完全に一致していた。

(……予知を外すことができれば……次の一歩に踏み出せる)

 怜が直面している課題には明確な答えがなかった。それは探しださなければならない。その為に阿知賀まできたのだ。目の前にいる松実玄は、宮永姉妹に匹敵する支配力を持っているのだから。

 

 

 一昨日、江口セーラは、監督の愛宕雅枝に呼び出され、個人戦の立ち回りの確認をされた。当たり前ではあったが、セーラの考えはすべて見透かされていた。

「セーラ、お前、負けるつもりやろ?」

「……」

「怜の為にか?」

 嘘をついても仕方ないので、セーラはその質問に頷き、理由を話した。

「個人戦はオカがあります、多く点数を稼いでも勝てません。どんだけ一位になれるかが勝負の分かれ目です」

「セーラ、受けに回ったらアカン! 去年の二の舞になるで」

 顔も口調も厳しかったが、雅枝の言葉には優しさがあった。セーラは笑顔になり、静かに言った。

「私は、洋榎とは違います。自分の打ち筋を信じて貫き通すことはできません」 

 雅枝の娘である愛宕洋榎とセーラは、よく似たタイプとして比較される。だが、セーラ自身は迷惑なことだと思っていた。洋榎が口癖のように言っている“格の違い”。それがよく分かっていたからだ。

「洋榎は関係あらへん。五位決定戦は負けたかもしれんが、個人戦でぶつかったら叩きのめしたらええんや」

 そのセリフにセーラは苦笑した。そして――

「監督……姫松の末原も、私と同じことを考えてると思います」

 考えに考えた末の自分の選択。その選択は、おそらく姫松高校でも行われているはずであった。察しのよい雅枝は口を引き結んで言った。

「……怜の露払いか?」

「個人戦決勝は半荘10回の闘いです。ほっといたら、その10回全部トップになるやつらがおりますから」

「お前が宮永姉妹と当たるとは限らんで」

「わかっとります。ただ、当たるかもしれません。そん時は……どんな手を使ってでも、2位以下にしてやります」

 滅多に笑うことのない雅枝が口角を上げた。

「……明後日、阿知賀と練習試合をする。怜の対戦希望は松実玄や、セーラ、お前はどうする?」

「ああ……あの子がええな、憧ちゃん」

「新子憧か……お前の苦手なタイプやな」

「かなわんな、監督には」

 

 

「ポン」

 東一局 9巡目、新子憧がセーラの捨てた【一索】を鳴いた。捨て牌から推察すると、混全帯九を狙っているように思えた。

(早上がりの手やないが……だけど、そこがこの子の怖いとこや)

 2回の対戦を経て分かったのは、憧は鳴いた後、驚くほど手が進む。今もそうだ、どんどん自摸が手牌に入っていっている。

 そして14巡目、その憧が和了した。

「ツモ、混全帯九、三色同順。500、1000」

「【北】を待ってたら、お得意の3900やったのにな」

「【北】は出ない気がして……あなたが【一索】を切ってくれて助かったわ」

 “お得意の3900”という言葉が気に障ったのか、憧は不機嫌そうに答えた。

 続く東二局も憧が鳴きを起点にして和了、今度は“お得意の3900”であった。

(そうや、俺はあんたが苦手や……負け惜しみで『ザンク三回より跳満上がったほうがええ』なんて言ったけど、跳満なんてそうそう上がれるもんやないからな)

 東三局 13巡目、セーラの手牌は平和、断公九、一盃口の聴牌。

(だけどな……)

「リーチ」

 場に松実玄がいる以上、ドラは引けない。ここで跳満を上がるには、一発で自摸るしかない。

(譲れんもんはあるんやで)

 セーラは自摸牌を取り、表面を指でなぞった。そして、その牌を表にして叩きつけた。

「自摸、12000!」

 憧が悔しそうな表情で見ていた。なぜだか分からないが、セーラにはそれが心地良かった。

 

 

 龍門渕高校 麻雀部部室

 

 龍門渕高校の麻雀部部室は、まるで豪華な屋敷のゲストルームであった。奥行きのある室内は、アンティークなインテリアでコーディネートされており、その中にポツンと違和感の塊のような雀卓が置かれている。

 天江衣はその雀卓に座っていた。そこに執事のハギヨシが音もなく近づいてきて囁いた。

「衣様」

 勘の良い衣は、そのハギヨシに驚かずに振り向いた。

「きたか?」

「はい、お見えになりました」

「そうか……」

 衣は椅子から飛び降りて、メイド達のいる控室の扉を開けた。

「純、早く早くー! 豊音がきたよー!」

「はい、はい、今行きますよ」

 井上純、国広一、沢村智紀、杉乃歩の四人は立ち上がり、部室へと移動した。

 別の扉から、ハギヨシの先導で宮守女子高校の麻雀部のメンバーが現れた。その中でも、ひと際目を引くのは、身長197cmの姉帯豊音であった。

「わあー凄い! 並んで並んでー」

 衣は、子供のように喜び、純に豊音の隣に行けと指示をした。純は面倒くさそうに並んで豊音に向かって言った。

「あんた、本当にでかいな」

「よく言われる……でしょ?」

「まあね……」

 その巨体に似合わぬ高く透き通った声に、純は少々驚いていた。

「なんでメイド服着てるの?」

 衣に匹敵する低身長の鹿倉胡桃が聞いた。

「これは制服でしてよ。四人は、私のメイドですから」

 龍門渕透華が遅れてやってきた。既に次期当主の風格が漂っていた。

「ご無沙汰しております。透華お嬢様」

「熊倉先生、本当にお久しぶりです」

 熊倉トシは、以前に現当主に請われ、龍門渕透華に麻雀の指導をしていたことがあった。宮守女子高校のメンバーは、それを聞いていなかったらしく、二人の関係に驚いていた。

「本日はご多忙中にもかかわらず、ご対応頂きまして有り難うございます」

「ゆっくりと懐かしいお話でもしたかったのですが、午後からは姫松の皆様がいらっしゃいますので」

 トシは余裕の笑みを見せていた。姫松高校とのバッティングを意外とは思っておらず、むしろ、曲者の赤阪郁乃ならば当然だと思っていた。

「……衣を宮永姉妹に見立てて?」

 トシの目的を吟味するように透華は尋ねた。

「はい。しかし、衣様は妹のほうに」

「あら、では、お姉さんは?」

 宮永咲と宮永照をなぜ区別するのかが解らなかった。その為、透華の表情は当惑気味であった。トシはそれを見て、目を閉じ、軽い会釈をしながら――「あなた様に」と言った。

「わ、私?」

 透華の当惑はさらに深まっていた。頭を上げたトシの顔には、謎めいた笑いが浮かんでいた。

「左様で御座いますよ、透華お嬢様」

 

 

 ――3時間後

 

 龍門渕透華と天江衣は、疲労しきって、部室にある応接セットに腰を掛けていた。

 宮守女子高校との練習試合。軽い気持ちで透華は受け入れたが、相手側はそうではなかった。個人戦出場者の姉帯豊音と小瀬川白望は全力で仮想宮永姉妹の透華達を潰しにきた。なんとか二人で五分にまでは持ち込んだが、天江衣は大きな衝撃を受けていた。

「衣……」

 透華は心配そうに衣を覗き込んだ。

「透華……多分……豊音は、衣の天敵になる」

「六曜? 衣はあれが苦手ですの?」

 衣は疲れたように首を振った。

「熊倉トシ……あの御仁は、豊音の力は六曜に由来すると言っていた」

「ええ」

「なぜ教えたと思う?」

「……教えても問題ないと判断した。熊倉先生お得意の紛れかも」

 外見に似合わず頭脳明晰な透華は、瞬時に答えを返した。衣は満足したのか少し頬を緩めた。ただ、次に彼女から放たれた言葉は衝撃に満ちていた。

「豊音と局を重ねる毎に……衣から力が奪われていくような気がした」

「……」

 今まで聞いたことのなかった弱気な発言に、透華は黙らざるを得なかった。そして衣は、その小さな声のまま話を続けた。

「透華……九曜(くよう)を知っているか?」

「くよう? なんですの?」

「では七曜(しちよう)は?」

「日曜日から土曜日まで? 惑星のことですわ」

「そう、実際は太陽と月は惑星ではないが、そんなところだ」

「……九曜はそれプラス2? 天王星とか?」

「天王星以後が発見されたのは比較的最近だよ」

「……」

 好みの話題なのか、衣の声は大きくなっていた。

「古代天体観測者は見えない星があると考えていたんだ」

「見えない星?」

「太陽と月を食する星、それが残りの2つだ」

「日食、月食ですの?」

 衣は頷き、その表情は恐れを含んだものに変わった。

「計都(けいと)と羅睺(らごう)……その星をそう呼ぶ。豊音の背後に羅睺が見えたように思えた」

「羅睺……」

「羅睺の姿は恐ろしい。三つの目を持った三つの顔、そして、頭の上には……九匹の蛇」

「咲にぶつけるつもりね……熊倉先生」

 二人の会話がひと段落するのを見計らっていたのか、絶妙のタイミングで執事のハギヨシが現れた。

「透華お嬢様」

「ハギヨシ……お見えになりましたの?」

「はい」

「通して下さいまし」

「はい、お嬢様」

 深々と頭を下げてから、ハギヨシは一度部屋を後にして、姫松高校麻雀部の6人を招き入れた。

「ごめんなー、忙しいとこ押しかけて。透華ちゃんも衣ちゃんも今日はよろしくなー」

「と、透華ちゃん…