ヤン提督代理の鎮守府日記 (五四熊)
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覚めて見る夢

 

 

 返り血に濡れた装甲服をまとった一人の人間がそう広くはない通路を必死に駆け回っている。

 何かを叫んでいるようだが、ところどころノイズが走るように聞き取りづらい。

 

 ――ああ、これは夢だ。

 この光景を俯瞰する彼はそう確信する。

 なぜなら、自分はこのとき既に――

 

 装甲服のヘルメットに包まれた顔は、なぜかぼやけて見えない。

 しかし、彼にはその人間の見当がついた。

 きっと、少年から大人へと変わっていこうとする、そんな年齢で。

 不思議と人を引き付ける、彼自慢の被保護者(むすこ)。

 

 『■■提督! ■■■■です! どこにいらっしゃいますか!?』

 

 必死な声。夢を見る彼の脳内で生み出されたはずのその叫びは、どこか現実的な、生々しい焦りを伴って彼の心に響く。

 申し訳なくてたまらない。彼がそう思ったのは、この情景と似たようなことが実際に起こったと彼自身が確信しているから。

 

 ふと、装甲服が足を止める。否、足だけでなく、呼吸も、心臓でさえも。『それ』を見た途端にその動きをほんの一瞬だけ停止させた。

 ゆっくりと、夢遊病患者のような足取りで『それ』へと近づく。

 手甲に包まれた手から血塗れのトマホークが滑り落ち、金属製の床と衝突して耳障りな音を奏でた。

 

 彼はそれを痛ましく、苦々しい想いで目に焼き付ける。彼は被保護者が人殺しになることなど爪の先ほども望んでいなかったし、この業の深い道へ足を踏み入れさせてしまったのは、他ならぬ彼自身の影響も少なからずあったからだ。

 

 装甲服が膝をつく。まだ生暖かい鮮血が、震える足を赤く染め上げた。

 項垂れ、壁に背を預けて、真紅の池の上に、眠るように座り込む『それ』は確かに――

 

 

 

 

 『――――ヤン提督!――――』 

 

 

 

 

 

 

 ばさり、と布団を派手に跳ね上げる。

 過剰な自己主張を続ける心臓と荒れる呼吸をどうにかなだめるのには、意外と時間と精神力を要した。

 

 時計を確認してみれば午前六時手前といったところ。普段彼が起床する時間までには幾らかの時間がある。

 しかし、彼はどうしてもその身をもう一度布団に預けることに抵抗があった。きっと、いや、確実に。あの悪夢がもう一度自分を苛むだろう。

 結局、支給品の白いシャツに袖を通し、顔を洗って、いつもより幾分早い朝食を取りに食堂へ足を向けた。

 窓の外では小鳥が甲高い声で朝の到来を告げている。その音色は清々しいものには違いなかったが、彼の憂鬱を吹き払うには至らなかったようだ。

 

 「やれやれ、この歳になって悪夢で跳ね起きるとは」

 

 おさまりの悪い黒髪をがりがりとかき回し、苦笑交じりに自虐の言葉を零す彼の名はヤン・ウェンリー。

 さえない研究者然とした風貌からは想像もできないが、人々がその名を口にするとき、そこにはいくつかの感情が混じる。

 

 尊敬、畏怖、憧憬、興味、嫌悪、エトセトラ……。

 同じ時代を生きた者ならば、正負どちらにしろ、心を揺さぶられずにはいられない。

 

 当然、それには理由が存在する。

 

 銀河を二分した『憎みあう双生児』。その片割れ、『自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)』が誇る、史上最年少の元帥。

 頭から下は不要とまで言われたその頭脳で以て要塞攻略、クーデター鎮圧、艦隊決戦までこなしてみせる稀代の軍略家。

 

 『エル・ファシルの英雄』 『奇跡のヤン』 『魔術師ヤン』……

 

 数々の異名を与えられ、それに恥じない戦功を打ち立て、しかし終戦を待つことなくテロに倒れた『不敗の魔術師』。

 

 だが、一時は艦艇一万二千、将兵百四十万からを率いた彼は今、『呉鎮守府 第二級資料室管理責任者』として、かつて忌み嫌った自らの才能を眠らせたまま、のほほんとした日常を過ごしている。

 

 

 

 

 

 

 

 「おや、珍しい時間帯に会いましたね。おはようございます、ヤンさん」

 「おはよー、ヤンさん……」

 「ああ、おはよう、不知火、暁。今朝は少し夢見が悪くてね」

 

 ようやく慣れてきた箸での食事を終え、食後の紅茶、ではなくコーヒーをのんびりと啜っていたヤンに声をかけてきたのは、朝食の乗ったトレーを持った『艦娘』と呼ばれる二人の少女。

 『おねーちゃん強化週間』とやらでいつもより早起きした暁と、そんな小さなレディをさりげなく見守る者達の一人、不知火である。

 ちなみに大の紅茶愛好家であるヤンがコーヒーを飲んでいるのは、単に食堂のメニューに紅茶が無いからであり、自分で淹れた微妙な一杯をたしなむ気にもならなかったためである。このことは彼がこの『職場』に抱く数少ない不満の一つであった。

 

 「夢見が悪くて眠りが浅く……ですか。珍しいこともあったものですね」

 

 どこかからかうような響きを含んだ不知火の言葉に、しかし悪意はない。ヤンにもそれはわかっていたが、あまり愉快なことではないため言い返す。

 

 「まるで私が精神的に図太いかのような言いようじゃないか。いいか、私はこれでも……」

 「でも不知火が見る限り、仕事中のあなたは大体寝てるか、そうでなければ本を読んでいるかだと思うのですが」

 

 挨拶代わりとばかりにじゃれあう二人を気にする余裕も無く、暁はこっくりこっくりと船を漕ぎながら、いただきまーす、と手を合わせた。

 

 「暇だということは平和だということだ。大変結構なことじゃないか。君だって、六冊も本を借りていく余裕くらいはあるようだし」

 「まったくその通りです。たまたま通りかかった仮にも鎮守府(ここ)のトップに、練習中の紅茶を振る舞うことができる程度にはどこの部署も落ち着いてきたんでしょうね」

 

 暁はすぐ隣で交わされる皮肉の応酬に気を払っていなかった。いや、払えなかった、というべきか。

 見つけてしまったのだ。サラダの中に紛れ込む、緑色のアイツ(ピーマン)を。

 眠気すら完全に吹き飛ばして暁は悩んだ。今ならば、不知火がヤンとじゃれあっている今ならば! そっと不知火の器へと此奴を送り込めるのではないか。いやいや、それはさすがにどうなのだろうか。栄養バランスを考えて献立を立てる厨房スタッフに申し訳が立たないではないか。

 しかし、理性は拮抗していても体は正直である。ほぼ無意識のうちに、ピーマンをつまんだ箸が、不知火の、皿に――。

 

 暁の視界の端を銀色が掠めたのはその時である。生き物の生存を拒絶する雪原のような色彩は、暁の意識を否応なく現実へと引き戻す。凍り付いたように体は動かず、振り向くことすらできない。しかし、それでも十分すぎる。

 見間違えるはずがない、氷河を糸にして紡いだようなその髪を。

 気付けぬはずもない、絶対零度の冷気を宿したその視線に。

 

 (いもうと)だ――!

  

 いつもの暁ならば。見て見ぬふりをして、ミッションを完遂できたかもしれない。しかし、今の彼女にはそうできない理由がある。

 わざわざ妹達の前で宣誓してしまった『おねーちゃん強化週間』の存在。

 自らを高みへいざなわんと課したこの戒めが、ここにきて彼女の首を絞めた。

 

 (ピーマン)を取るか、(あねのきょうじ)を取るか。

 

 痛いほどに背中に感じる視線が、暁の中の天秤を揺らす。

 無理をする必要はない。これもまた数ある失敗の一つだ、挽回などいくらでもできる。

 また逃げてしまうのか。果たしてこのまま往きつく先で、自分は自分を誇れるのか。

 永遠にも感じられる数瞬が流れ去り、後に残ったのは小さな決意が一つ。

 

 揺れる天秤は名へと傾いた。

 

 暁は思う。ああ、きっとこの苦みが、大人になるということなのだ。先を往く者は自由である代わりに、後続の者に常に自身の価値を問われ続けるのだ……。

 

 暁はこの朝、ほんの少し、しかし確実に大人へと一歩近づいた。

 

 彼女は知らない。こちらをじっと見ていた響が厨房の間宮にサムズアップしていることを。

 彼女は知らない。今晩、響によそわれる煮物には、響の苦手なしいたけは少なめにされるという司法取引がなされていたことを。

 彼女は、知らない。

 

 ちなみに隣で展開される悪意無き皮肉と嫌みの飛ばし合いは痛み分けという形で決着が着いたようだった。

 

 

 

 

 

 

  

 「うん? もうこんな時間か……」

 

 ヤンは読んでいた極東の民族史から目を上げると現在時刻を確認し、軽く伸びをした。

 背骨がぽきぽきと鳴り運動不足を訴えるが、彼にとっては概ねいつものことである。

 

 ここは鎮守府の東側の端に位置する第二資料室。重要度が低く、機密指定がなされていない資料や書類を一括で管理する場所である。と言えば聞こえは良いが、実際は一般文芸なども取り揃えており、書類との数の比率は半々くらいだ。

 暇を持て余した鎮守府職員や艦娘がたまにやってきては本を借りていく。実質的には図書館なのがこの第二資料室だった。

 

 現在時刻は午後六時半。そろそろ鍵をかけてもよい頃合いだろう。

 しっかりと窓が施錠されていることを確認し、一応各本棚をチェック。異常がないことを見届けると、今度こそヤンは廊下へ出た。

 鍵をポケットにしまい込み食堂へ向かうかと思っている彼に話しかける者がいた。

 

 「Hi,ヤンさん。お疲れさまデース」

 「これはどうも。こんばんは、というには微妙な時間帯ですかね? 《《司令》》」

 「金剛でいいと言ったはずデスが……」

 「これでも私は紳士を自認しているもので、ご夫人を名前で呼ぶなどとてもとても」

 

 『呉鎮守府 提督代理』、金剛は、ひょんなことから雇うことになったこの青年の妙な生真面目さに思わず苦笑した。存外、無邪気な駆逐艦から気難しい部類の連中まで、なんだかんだ信頼を勝ち得ているのはこの性格故かもしれない。

 

 「今からお食事デスカ?」

 「ええ。司令も今から?

 「いエ、ワタシは早めに済ませてありマース。これから会議デース」

 「それは……お引き留めして申し訳ありませんでした」

 「I don't mind. 大丈夫デース。……おっと、それじゃあ失礼しますネー」

 

 ひらひらと手を振って去っていく金剛を、ヤンは一礼して見送った。

 敬意を表しつつ、どこか気安い二人の関係は、文字通りの茶飲み友達である。

 以前、この職場の概要を説明する際に金剛が手ずから紅茶を振る舞ったのが、この関係の始まりである。時々、手の空いた金剛がお茶菓子を持って秘書艦担当の艦娘と一緒に第二資料室を訪れ、練習中のヤンの紅茶を味わうこともあれば、基本暇なヤンを金剛がお茶会へ誘ったりもする。彼女にとって一番の息抜きであるお茶会は、たまたま近くにいた艦娘、職員を巻き込んで開催されるため、ヤンにとってもあまり顔を合わせない相手との貴重な交流の場の一つとなっていた。本人がそれを望んでいたかは別として。

 そんな何かと仲の良い二人だが、男女の仲になることは決して無かった。これからも無いだろう。

 一人は、もはや会うことは叶わないであろう妻を、それでも一心に想っていたし、

 一人は、()()()()提督(おっと)をただただ一途に想い続けていた。

 理由はただそれだけ。似た者同士だから馬が合い、それ故に関係の発展はありえない。

 つまるところ、彼らはどこまでいっても『友人同士』なのだった。

 

 ちなみに、ヤンはこの世界(あるいは時代)の紅茶の味が自分が今まで飲んでいたものとあまり大差ないことに安堵しつつ、同時に少し残念な気持ちを覚えたという。環境が変われど、やっぱり妙なところで図太いヤンだった。

 

 さて、そんなヤンは食堂へ向かう足を止めることなく、ぼんやりとここ数か月間の出来事に想いを馳せていた。

 

 今朝の夢の中の出来事。

 遥か遠い銀河の行く末。

 彼がこの場所で禄を食むことになった経緯。

 この世界の現状、もしくは惨状。

 

 ふと、思考を中断して何とは無しに窓の外を見やる。

 かすかに残った夕日の欠片が、消える寸前の蝋燭を思わせる輝きと共に水平線の向こうへと溶けていく。

 その光景は、『故郷』という概念が薄い彼にさえノスタルジーを抱かせる。

 

 この心の作用は何百年、何千年を経ても変わらないものなのかもしれない。

 益体もない思考だというのは彼自身自覚していたが、そうするだけの余裕があるのだと思い込むことにする。

 

 そのまま、ヤンの意識はこの世界で目覚めた時の記憶へと、静かに沈んでいった。

 

 

  

 

 

 

 目が覚めてまず目に入ったのは白い天井だった。ぼんやりとした頭のまま思考が回り始める。

 

 ここはどこだろうか。自らの家ではないことは確かだ。

 もちろん戦艦の艦橋でもない。

 ああ、皇帝ラインハルトのもとへ赴くために巡航艦へ乗船したんだったか。

 だがそれも違う。自室と空気の匂いがまったく別物だ。

 

 そんなことを無意識的に、湧き出るがままに思考していく。だんだんとはっきりしていく意識の中で思い出すことが一つ。

 

 脚に突き刺さる炎のような熱さ。それとは逆に冷たく、鉛のように重くなる身体。足早に歩み寄ってくる、逃れようの無い死。自分の名を呼ぶ、悲痛な叫び。

 

 そこまで思い出すとヤンは体をぶるりと震わせ、ベッドから飛び起きた。

 

 自分の体を見下ろすと、目に入るのは、いつの間にかすっかり着慣れてしまった黒と白の軍服。スカーフは外されているようだが。

 恐る恐る、ブラスターで撃ち抜かれたはずの左腿へ手を沿わせる。

 ……痛みは無い。違和感も無い。まるで撃たれたという事実そのものが消えて無くなってしまったかのように。

 

 「何がどうなっているっていうんだ、一体……」

 

 呆然と呟く。数倍の数の敵に包囲された時でさえ冷静沈着だったヤンは今、珍しいことに混乱の極みにあった。

 確かに死んだはずの(少なくとも致命傷を負ったはずの)自分が生きており、傷が綺麗さっぱり消え去っているとあってはそれも致し方ないことではあるが。

 

 とりあえずのところ、自分は奇跡的に、いや、それこそ奇跡によって助かったのだ。そう仮定して現状把握に努める。まさかこの消毒薬の匂いが漂う病室がヴァルハラの玄関口ということもあるまい。

 窓から覗く緑色に茂る木と陽光を照り返す海を見るに、ここはどこかは分からないが、地上であるらしい。

 近くの棚の上に置いてあったベレー帽とスカーフをくしゃりと丸めてポケットに突っ込む。とりあえず起きるか、とベッド脇にそろえてあった短靴に座ったまま足を突っ込む。

 

 と、そこで病室のドアが開いた。

 ヤンが振り向くと、目に入ってきたのは一人の女性だった。

 焦げ茶色の長い髪は一房だけ頭頂部から飛び出ており、見たことのない白い衣装を着ている。ヤンには知る由もないが、その服は巫女服をモチーフにしているものだ。

 入室した女性は目を覚ましたヤンを見ると、驚いたように目を見張り、次いで安堵したように息を吐き、微笑んだ。

 

 「目を覚ましましたカ。大事ないようデスが、あまり無理はなさらない方がいいデース」

 「ああ、いえ……、ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、座ったままで失礼します」

 

 女性は一つ頷くと、パイプ椅子を引っ張ってきて自らもそこに腰かけた。ヤンもそれを見計らって声をかける。

 

 「すみません、私を助けてくださったのはあなたですか? ああ、私はヤン・ウェンリーと申します」

 「ワタシは金剛デース。倒れていたあなたをココまで運んだという意味でハ、助けたのはワタシかもしれませんネ」

 

 ありがとうございます。いえいえ。そんなやり取りが交わされ、互いの本題へと話がシフトしていく。

 

 「アナタはなぜあんな所に倒れていたのデスか? ココら一帯は関係者以外は立ち入りができないハズデスが」

 「それが私にもさっぱりなのです。そもそも、ここがどこなのかさえわかっていません」

 「ココは呉鎮守府、付け加えれば医務室デース。ナイとは思っていマシたが、関係者、というワケでも無さそうデスね」

 「クレ……チンジュフ、ですか……」

 「? どうかしマシたカ?」

 

 金剛はヤンの反応が鈍いことに気付いた。聞き慣れない音を聞いた、といった様子であったが、それはおかしい。

 各地に存在する対深海棲艦の最前線、鎮守府。呉はその代表格の一つだ。聞いたこともない、ということはさすがに無いはずだが……。

 

 「聞いたことのない地名です。……ここは何という惑星ですか? 可能なら星系名も教えていただきたいのですが」

 

 金剛は今度こそはっきりとした異状を察した。思わず眉を顰め、小首をかしげる。

 一方でヤンも金剛の表情に怪訝な色が混じるのに気付いた。何か突拍子もない無いことを質問された、といった風である。そう解釈した。

 

 ここで二人は同時に何とも言えないいやな予感に襲われることとなる。すなわち、

 

 『根本から何一つ噛み合っていない』。

 

 和やかとまではいかないまでも、堅苦しいものではなかった空気が、徐々に錆び付き、その重みを増していく。

 二人の表情が真剣なものへと変わる。ヤンは慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと問いかけた。

 

 「……もっと基本的なことから確認していきましょう。銀河帝国、自由惑星同盟、フェザーン、この三つの内、どれか一つでも聞き覚えは?」

 「……ありまセン。先ほどの質問にお答えしマスが、ここは太陽系第三惑星、地球デース」

 

 地球! よりによって地球か! ヤンは因縁を感じずにはいられなかったが、それをいったん抑え込み、核心へと踏み込む。

 

 「今、何年ですか?」

 

 その曖昧ともいえる問いに、金剛は過不足なく簡潔に答えた。

 

 「……西暦20××年デース」

 

 ヤンは頭を抱えることすら忘れた。

 目の前にいる彼女が嘘を言っているようには思えない。

そして『西暦』という遥か昔にその役目を終えた年号が出てきた時点で、彼には大方の予測はついた。とはいえ、ヤン自身がそれを信じられるかどうかは別問題だったが。

 

 一信九疑ほどの割合で導き出した現状を脳内で言語化する。

 

 自分は今、自由惑星同盟成立より以前、銀河帝国の建国どころか、『独裁者』ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム誕生さえ気が遠くなるほど未来の出来事の、過去にいるのだ。

 

 肺の中の空気を全て吐き出し。頭をがりがりとかき回す。

 

 「……なんてこった」

 

 絞り出すように呟かれた一言は、ヤンの窮状を端的に示していた。

 問題の細部を知り得ず、しかし大筋を悟った金剛は、ヤンに互いの情報のすり合わせを提案した。

 

 「どうやラ……お互いの常識にズレがあるようデスネ。どうでショウ、ココらで互いの認識を確認シテおくというのは?」

 「それはこちらから提案したいくらいです。先ほどからどうにも思考がまとまらなくていけない」

 

 ヤンとしてもそれはありがたい申し出だった。一も二もなくその提案に乗り、結果として互いに互いの事情への理解を深めていく。

 

 ヤンはこの世界について。

 突如として現れ、海上を航行中の船を襲い、シーレーンをズタズタに引き裂いていった『深海棲艦』。

 彼らの存在により各国が実質的な鎖国状態に追い込まれていること。

彼らと同時期に現れ、同様の力を振るい、人間に味方する、かつて存在した艦艇を模した装備を身に纏う少女、『艦娘』。そして彼女らを統括するために設立された『鎮守府』。

信じられないことはいくらでもあったが、ヤンは考えることを半ば放棄してこの話を受け入れた。

『この世界』の前提知識がなければ、いかに彼と言えども何の判断のしようもなかったからだ。

 

金剛もまた、彼と彼の世界についてぼんやりと知ることができた。

ヤンは遥か未来――人類が宇宙へと進出し、そこで幾多の歴史が積み重ねられるほど――の人間であること。

銀河さえ二分する極大規模の戦争が勃発していること。

ヤンがその片方の陣営、自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)に所属し、軍人として宇宙艦隊に勤務していたこと。

……左脚の動脈を撃ち抜かれ、死を覚悟したこと。

かいつまんだ説明ではあったが、その途方もなさは理解できた。

しかし、死んだはずの人間が時代を越えて甦る。その事だけは疑問は少なかった。彼女自身が似たような経緯で今ここに存在しているからである。

 

 この情報交換は簡潔なものだったが、二人にはそれで充分だった。どちらも頭の巡りは悪くない。

 だが、ヤンはともかく、金剛は彼をある一点において正確に理解しているとは言い難かった。

 艦隊勤務、といっても精々後方で資料整理なり給料計算なりをしていたのだろう、という認識である。

 この原因は当然ヤンに帰せられる。整ってこそいるがどうにも冴えない容姿も一因ではあるが、なにせ彼は具体的なことはほとんど語らなかったのだから。

 

 ヤンは一国の元帥であったことを誇ったことはこれまで一度とてない。

 ヤン自身、地位や権力に対して恐れに近い嫌悪を抱いていたことも理由の一端であったし、その地位に就いたのが敵や味方を何百万という単位で宇宙の深淵へと還した結果とあっては、彼としても閉口せざるを得ない。

 罪悪感、羞恥心、その他諸々が入り混じり、ヤンに真実を口にすることを躊躇わせたのだった。

 実際、その肩書にはもう毛ほどの価値も無い。

 本人も開き直って、誰に迷惑がかかるわけでもないのだから別にいいじゃないか、と、誰に弁解するでもなく心の中で一人ごちた。わずかなうしろめたさを引きずってではあったが。

 

 「うーん……、どうしまショウかネェ……」

 

 金剛はいかにも『困った』という風に苦笑を浮かべる。

 ヤンとしても心苦しかったが、頼る当てなどあるはずもない。せめて衣食住の、そうでなくとも身分の保証だけは欲しいところだった。

 ひとしきり考え込んだ金剛が口を開く。

 

 「ヤンさん」

 「はい?」

 「まず、ワタシの予想になりマスが、今のアナタは艦娘(ワタシたち)や妖精さんに近い存在になってイルのでハ、と考えていマース」

 

 ヤンは黙然として何も語らない。ある程度予想は付いていたことだ。そもそも、こうして会話が成立している時点でそれを窺い知ることができる。

 金剛は沈黙をを好意的に解釈して話を進めた。

 

 「コレから大量の検査があるハズデース。その結果、もし艤装を纏うコトが可能であるとなったならば、アナタにも前線に出てもらうコトもあるかもしれまセン」

 

 ヤンは黙って頷く。この際、ある程度の覚悟はしていた。まさか仮にも戦時の軍事基地にただ飯ぐらいを置いておくわけにもいくまい。自分でも肉盾ぐらいにはなれるだろう。いや、それすら厳しいか?……。

 そんなヤンのいろいろと覚悟しつつ微妙に情けない表情を読み取ったか、金剛が苦笑した。

 

 「まぁ、大丈夫、と言って良いかはわかりまセンが、多分艤装は反応しまセンヨ。勘デスが」

 「勘、ですか……」

 

 自信満々に宣う金剛に、今度はヤンが苦笑した。初対面の相手に表情を読まれ、なおかつ気遣いまでさせている現状がそうさせたのだった。

 どうやら自分もなかなかに参っているらしい。ヤンは改めて少しだけ気を入れ直した。

 

 「それで、その時は私の処遇はどのようになりますか?」

 「Hmmm,はっきりとは言えまセンが……、着の身着のままで外に放り出すようなコトはしないと約束しマース。きっと身柄は(うち)預かりになりマスから、資料整理あたりの仕事に就いてもらうコトになりマース」

 「あぁ、よかった。感謝します、ミス・金剛」

 

 ひとまずそう悪いことにはならなそうだと理解したヤンは金剛に深々と頭を下げた。

 金剛はそれを見ると慌てたように言葉を紡ぐ。

 

 「お礼には及びまセーン。上層部(うえ)が何かと忙しい分、各地の権力や義務が増大してイましテ。コレもその一環だとお考えくだサーイ。ああ、それと私は……」

 

 金剛は一度そこで言葉を切ると、顔の横で左手をひらひらと振って見せる。

 その薬指には、シンプルで品の良いシルバーリングが静かに自己主張していた。

 

 「おっと……、失礼しました、ミセス」

 「いエ、かまいませんヨ。……では、改めましテ。呉鎮守府司令長官代理兼第一艦隊旗艦、金剛デース!」

 「自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)軍……いえ、ヤン・ウェンリーです。よろしくお願いします」

 

 どちらからともなく右手を差し出し、二人は握手を交わす。

 一度はその動きを止めたかに見えた魔術師の時計。しかしそれは、時代と戦乱という名の激流に揉まれ、再び時を刻み始める。

 

 全く違う時代、食い違う世界線。望むと望まざるとに拘らず、魔術師は再び戦場へと帰還を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 執務室。前任者の置き土産(しょりまちしょるい)が未だに残る執務机を前に、金剛は上等な椅子へとその身を預け、つい先ほど終了した会議の書類に改めて目を通していた。

 ここ数か月間の深海棲艦の出現頻度、その編成。

 周辺海域での深海棲艦の目撃情報、被害報告。

 各地の鎮守府、泊地の出撃状況。

 その他にも、偵察機がとらえた空撮写真や霊的なアプローチを試みた結果報告などなど……。

 種々様々な書類が、一つの事実を示していた。

 

 「深海棲艦の動きが不気味デスネ……。示し合わせたようナ襲撃の周期と、各地で見られる中規模の艦隊……。またぞろ、厄介なコトになりそうデース……」

 

 各地に多大な被害を与えた、半年以上前の大規模侵攻。

 次回があるならば、規模は分からないが、少なくとも前回を下回ることはないだろう。

 金剛はそう思い、齎されるであろう被害にまで思考を飛ばしかけ、止めた。いつかは向き合わねばならないとしても、不愉快な想像に今から労力を割く必要はない。むしろそれを防ぐための策を練ることに頭を使うべきだ。

 

 淹れておいた紅茶のカップに手を伸ばす。すっかり冷えてしまったカップは自分が存外長い間思索にふけっていたことを教えてくれた。

 

 冷めた紅茶を飲み干し、席を立って開けっ放しだったカーテンを閉める。

 その際、窓から見えた星一つすらない景色はまさしく無窮の闇だった。

 陸からのわずかな光さえ飲み込み、潮騒へと溶かし込んでゆく。

 夜は始まったばかり。水平線に朝日が顔を出し、闇を吹き払うにはまだ遠い。

 

 金剛はティーセットをお盆に乗せ、部屋の照明を消す。

 彼女が退出して幾ばくもしないうちに残った温もりは消え去り、紅茶の残り香は宙に溶けていく。

 

 夜の静寂は今日も平等に全てを包み込んでいった。

 

 

 





Q1.設定ガバガバすぎない?
Q2.金剛ケッコン済みですかそうですか
Q3.提督殿が死んでおられるぞ!
Q4.○○(俺の嫁)が出てねーぞハゲ
Q5.ヤン提督のキャラおかしくない?
Q6.次話は? 書き溜めは?
Q7.某動画のパクリ?
Q8.タイトル詐欺やんけ!
Q9.ガルマはなぜ死んだのだ!?


A.知るかバカ! そんなことよりオナニー(小説投稿)だ!



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戦争の序曲

 

 

 こっ、と軽快な音を鳴らして木製の駒が同じく木製のチェスボードを叩く。

 完全な意識の外からの一手は、ヤンのカップを口に運ぶ動作を空中に縫い止めるほどに痛烈だった。

 頭の中で対応策を試行錯誤しながら、ヤンは自らが支配する白の駒へと手を伸ばしかけては引っ込める。

 

 ポーンは駄目だ。壁の一角でも崩せばルークかビショップがクイーンの首を獲りに来る。

 ルークは一手遅い。槍を構えた兵士たちがすでに包囲を完成させている。

 クイーンすらもはや無意味。文字通り捨て駒にされるであろうポーンの向こう側では、青毛の汗血馬が嘶く。

 虎の子のナイトは時間稼ぎにしかならない。相手のポーンを数個奪い、それで手詰まり。

 ビショップは問題外。早々に討ち取られ、対戦相手の手の中でカチャカチャと音を立てている。

 完全に詰み。差し込まれたクイーンが各戦場をつなぐ楔となり、イニシアティブまでからめとっていってしまった。

 ヤンは一分ほど盤上で手を右往左往させた挙句、敗北を悟ってガックリと肩を落とす。

 その様子を頬杖をつきながら意地悪くニヤニヤと笑って眺めていた女性は、満足したように息を吐き、お茶請けのクッキーをつまんだ。

 数分後、奇跡は起こり得ぬまま対局は終了。女性は冗談めかしてヤンを煽った。

 

 

 「なかなかやるようになったじゃない? まぁ、五十鈴にはまだまだ及ばないようだけれど」

 

 青みがかった長い黒髪を二つに結った彼女は五十鈴。

 呉鎮守府初期から在籍する艦娘で、第四艦隊旗艦を務めている。

 その戦歴は長く、現・司令官の金剛が呉に着任した時には、既に前線でベテランと呼ばれて久しい域にあった程だ。

 彼女は技巧者である。砲雷撃戦の能力こそ人並みの域を出ないが、対潜水艦・対空防御の総合戦績に限れば、五十鈴の夥しいまでの戦果を超える者はこの鎮守府には存在しない。

 加えて、古兵(ふるつわもの)故の余裕か、同僚や後輩の相談事に乗ってやることが多々あり、裏では司令部と実働部隊の関係調整までやってのける。

 金剛は、五十鈴のそういった純戦力的な部分以外にも価値を認め、第四艦隊旗艦と水雷戦隊の訓練の一部を任せたのだった。

 

 ここは呉鎮守府第二資料室。ヤンは、休憩中の五十鈴とカウンターを挟んでチェスに興じていた。

 

 

 「偉そうなことを……。将棋はともかく、チェスの戦績はほぼ互角じゃないか」

 

 「『ほぼ』、よ。お生憎様、今回で二連勝。五十鈴が一勝分勝ち越しね」

 

 

 十七戦中九勝、と声に達成感と優越感を滲ませた五十鈴の勝利宣言を紅茶で憮然と飲み下す。

 三次元チェスを嗜んでいたヤンと、将棋を指すことも多い五十鈴。次元の違いによるマイナーチェンジと東西のルールの差異は、互いに盤上で実力を拮抗させる要因となっていた。が、今日は勝利の女神は五十鈴に微笑んだらしい。

 二人してゲームの結果からヤンの淹れた紅茶の感想まで色々と語り合っていると、ふと一瞬黙った五十鈴が独り言のように呟いた。

 

 

 「しかし……、最近どうも静かよね」

 

 「……そうかな?」

 

 

 資料室の奥に位置する読書スペースを眺めやりながらヤンが応え、五十鈴もつられてそちらへ目をやった。そこでは、現在他の鎮守府へ出向中の姉に代わり、艦隊のアイドルが駆逐艦を相手に講義を開いている。

 話題が当初の真面目なものから盛大に逸れ、なにやらアイドル論を熱心に説いているらしい。あれでもそれなりの古参のはずなのだが。

 この後に対潜の基本を教授する予定の五十鈴はなんとも言えない表情で口を開いた。

 

 

 「いや、そういう意味じゃないんだけど。……激しい戦闘があるわけでもなく、かといって平和かと言われればそれも違う」

 

 「それで『静か』だと言う訳か」

 

 「そういうこと。ついこの間の会議でも議題に挙がってたわ、『敵の動きがあからさまに怪しい』ってね。こっちも順当に支配海域を広げてるっていうのに、深海棲艦(あっち)からのリアクションは無いに等しい」

 

 気味が悪いったら。そう言った五十鈴は両手で持ったカップの中身を回すように傾け、口をつけるでもなく揺れる水面をぼんやりと見つめる。

 ヤンのほうもぼんやりと宙を見やり、先日偶然目に入った書類の内容を思い返していた。

 

 

 「支配海域、ね」

 

 「? それがどうかした?」

 

 「まあちょっと……、今の話を聞いていたら思い出したことがあって」

 

 「もったいぶらなくていいわ。聞かせてくれる?」

 

 

 五十鈴に促されたヤンが語ったのは次のようなことだ。

 その日、珍しく真面目に本来の業務である書類整理に勤しんでいた……わけではなく。

 軍の規律上、勤務中おおっぴらに嗜むことのできないアルコール(ブランデー、少々値が張った)の隠し場所を探すついでに書類整理を行っていたのであった。

 そんな不届き千万な彼が目にした書類は、重要度が低下して第二資料室に送られた、第三種機密事項が記載された書類である。

 それらには各鎮守府の哨戒海域、敵との遭遇頻度や現場からの報告書の一部などがまとめられていた。

 その情報とヤンが知る限りの艦娘の能力・保有数から推察するに、どうにも一部の鎮守府が無理をしているように思えてならなかったのだ。

 

 ここからは根拠のないただの妄想になる、と前置きしてさらに続ける。

 

 どうやら比較的大きな鎮守府にその傾向が見られること。現場から再三にわたって前線の後退が具申されていたこと。そして上層部の人事に関するいくつかの噂。

 ……偏見であるとは自覚していたが、半ば確信を持ってその結論を出したのだった。

 

 

 「――つまり、上層部(うえ)の派閥争いか何かのポイント稼ぎの道具として、前線部隊が弄ばれているんじゃないかと、私は思ったわけさ」

 

 「……ふーん」

 

 

 どこか投げやりなようにも見える五十鈴の態度だが、その目は真剣だ。

 彼女ほどのキャリアになれば、ある程度裏の事情にも詳しくなる。結論を言えば、ヤンの推測(妄想とも言う)は概ね的を得ていたのである。

 五十鈴は知っている。目の前にいるこの男が時々非凡な洞察力を広範囲に亘って発揮することを。

 この男は一体どこまで見えているのか。そう思ったことも一度ではない。

 なんでも、宇宙艦隊勤務(ヤンの事情はある程度金剛から通達された)で、金剛曰く後方勤務だったのではないか、とのことだったが……。

 好奇心に負けた五十鈴は直接聞いてみることにした。

 

 

 「ねぇ、前から思ってたんだけど。あなた作戦参謀か何かやってた? 少なくとも前線勤務の上級職は間違いない思うんだけど。思考の方向性がただの戦術屋のソレじゃないわ」

 

 「元帥やってたよ」

 

 

 自分の出身校を告げるような軽さの発言を、五十鈴は冗談だと解釈した。

 そしてその言葉の裏には『これ以上踏み込んでくれるな』という警告が込められている……気がした。

 どうせ好奇心からの質問で、差し迫った事情があるわけでもない。結局、それ以上事実を追及することはせず、その『冗談』に乗ることにしたのだった。

 

 

 「……そ。じゃあ元帥閣下に勝った私はさしずめ、大元帥といったところかしら?」

 

 「かもしれないな。……おっと、あっちも一区切りついたようだ」

 

 

 ヤンが顎でしゃくった先は那珂のアイドル講座会場である。嫌な予感を抑えきれない五十鈴が目撃したのは、

 

 教官役の那珂以下、第六駆逐隊四名の『びしっ!』というオノマトペを背後に幻視するほど一糸乱れぬ、こちらを指さす形の決めポーズであった。

 このときセンター・那珂、渾身の那珂ちゃんスマイルである。

 第六駆逐隊以外の駆逐艦はめいめいに休憩に入っていた。

 

 

 「……行ってくるわ。紅茶、ごちそうさま」

 

 

 なんだか休憩に入る前より疲れているような五十鈴を手をひらひらと振って見送る。

 カウンターの下から読みかけだった中国史の本を引っ張り出し、最近ようやく金剛から及第点をもらえるようになってきた紅茶を淹れ直す。

 

 

 「ま、信じるほうがどうかしてるってもんだ」

 

 

 元帥などと大仰な肩書を背負って大艦隊を指揮するよりも、こうして本に埋もれてなんちゃって司書をしている方がよほど分相応というものだ。

 あのカイザー・ラインハルトほどに覇気に満ち溢れていれば話は別かもしれないが、もともと彼自身は歴史家志望である。

 自身の生涯、出会いを否定するつもりはないが、どちらかといえばこちらの方が正道であると言えた。

 死した後に正道に回帰する。少々複雑だが、ヤンとしてはこんな生活もまた愉快なものだった。

 

 

 

 

 

 

 かつて戦争があった。

 野心か、打算か、誇りか、はたまた驕りか。

 国々が銃火を交えた理由は多々あれど、どれも人という種が持つ、どうしようもない愚かさを証明している。

 総死者数八千万。この数字が全てだ。

 

 だが、この話が本筋と言う訳ではない。戦争とは、往々にして事前準備と、そして何より戦後処理によって評価されるものである。

 では、日本(このくに)はどうだったのか。

 それは一言で言い表せるものではない。

 当時の指導者、軍人を戦犯として裁き、連合軍の統治を受け入れる。そこに一部の人間が掲げた誇りは存在しない。

 しかし、いくつかの偶然と世界情勢が流れが敗残の国に空前の発展の契機をもたらし、急激に復興が進む。

 

 一元的に語れるほどこのこの現実は単純ではない。だが、ある人は『それも仕方ない』と半ば諦観を抱き、ある人は『ようやく戦争が終わったのだから』と志を胸に秘め、故郷(くに)の復興と発展のためにと力を尽くしたことは紛れもない事実であった。

 そんな努力はいつしか実を結び、日本というそう大きくもない島国を世界有数の先進国に発展させる――。

 

 ――かに思えた。

 

 終戦から十数年。深海棲艦の出現により世界は千々に寸断され、日本、どころか世界中で約束されたはずの未来は泡沫と消えた。

 世界初の被害はオイルタンカー。それに続くようにありとあらゆる船舶が撃沈されていく。

 船どころか飛行機が撃墜されるに至って、世界はようやく深海棲艦の真の恐ろしさと人類の危機を実感した。

 

 人類とて、対抗策を講じなかったわけではない。

 各国の先の大戦で生き残った艦艇、航空戦力に加え、新規に編成した戦力での撃滅作戦。沈んだ船を水底から引きずり上げてレストアしてまで投入した作戦は、深海棲艦の機動力と火力の前にあえなく粉砕された。

 

 日本では、海上が駄目ならばと陸上に誘い込む案も提出されたが、結局、その案が採られることはなかった。

 世界屈指の強大さを誇る某国がその戦術を敢行し、結果的に無人の街一つを空爆で消し飛ばしただけに終わった無謀。多くの人々はそれを繰り返すことを恐れたのである。

 

 艦娘と名付けられた存在がいくつかの国に登場し、彼女らを束ねる組織が発足して、ようやく人類は一息つくことができるようになる。依然、危機的状況にあることは疑いなかったことであるとはいえ、だが。

 

 

 ともかく、日本における前線基地兼、対深海棲艦理論検証施設が『鎮守府』だ。

 ここはそんな数十年に亘って戦いを続ける鎮守府の内の一つ、最強と名高い横須賀の一角である。

 白い第二種軍装を身に纏った女性が清潔な廊下を颯爽と歩いて行く。

 その人物の顔を見れば、彼女が呉の司令官代理・金剛であることがわかるだろう。

 だが、金剛の表情はこころなしか険しい。視線は一点に固定されたまま、しかし何を見るでもなく、代わり映えのしない景色が網膜と意識の表層を上滑りしていく。

 

 そんな表情が変わったのは、曲がり角を抜けた先によく見知った背中を見つけたからである。

 

 

 「Hey! 比叡! 久しぶりネー!」

 

 「お姉さま! わぁ、お久しぶりです!」

 

 

 やや毛先に癖のある髪を短く切りそろえた彼女は比叡。呉から横須賀に出向中の、金剛の妹だ。

 

 

 「その服もお似合いですよ、お姉さま」

 

 「そうでショウか? ワタシとしてはいつもの服装の方が気楽でイイんだけどネ-」

 

 

 久方ぶりに顔を合わせた妹と肩を並べ、他愛のないことを口にしながら歩みを進める。

 

 

 「霧島は教練所の教官で、榛名は佐世保デシタか。比叡はどうデス? 横須賀の暮らしは?」

 

 「なかなか悪くないですよ。出撃頻度は呉に比べても多いですけど、()()()()がいるので火力担当の負担はそこまでではないですし」

 

 「ああ、あの」

 

 「ええ、あの」

 

 

 二人が話す『あの二人』とはとある姉妹のことである。

 最強の名をほしいままにする横須賀鎮守府。その横須賀を最強足らしめる要因の一つが彼女らだ。

 

 大和型戦艦一番艦、大和。同型二番艦、武蔵。

 水上要塞とでも言うべき、圧倒的、ひたすら圧倒的な火力と装甲。そして生半可な規模の鎮守府では出撃すらままならない程の運用コストを誇る、祖国の名を背負った姉妹。

 資源や補給に関して横須賀がある程度の強権を振るえているのは、この二人を主軸とした作戦のことごとくが大戦果を挙げているからに他ならない。

 

 

 「横須賀はなんというか……戦力過剰な気もしマスネー」

 

 「一応、激戦区ですから……。少なくとも、わざわざ私が呉から出向する必要があるくらいには」

 

 

 物騒な話題を交えつつ、横須賀の食堂のラインナップや数か月前に呉で拾った青年について、会話は際限なく広がっていく。

 それらが一段落し、ふと会話に生じる空隙の時間。ほんの一瞬だったが、互いに、隣を歩く姉妹の考えていることは何となく察した。

 比叡がぽつりと零す。

 

 

 「次の作戦……大丈夫ですかね」

 

 「さて……、どうでショウ。会議でも『どうにもきな臭い』という意見が大半デシタが……」

 

 

 それこそが先ほど金剛が悩んでいたことに他ならない。

 見せつけるように海域の一点に集中する深海棲艦。偵察の結果、群れを成す彼らの中心には特異個体『鬼』が八体、『姫』が二体。これで観測した限りの最低の数だというのだから、今から気が滅入る。そして取り巻く駆逐艦、巡洋艦、空母、戦艦、潜水艦……。その他有象無象というにはあまりにも殺意にあふれたそれらはまさに雲霞の如き大群。

 金剛は先ほどの会議を思い出し、一つ溜息をつく。

 

 

 『ここまで露骨だと見た目以上に何かあると言っているようなものだ。しかしこれだけの戦力をほったらかしておくわけにもいかない。各鎮守府の精鋭戦力を統合し、これを撃滅する。万が一を考慮し、主力部隊が一時的に抜ける鎮守府は警戒を厳にしておくこと』

 

 

 この決定に異存は無い。しかし呉には戦力が無い。

 連合艦隊の構成員を選抜すれば、後に残るのは一線級に比べて一枚落ちる中堅どころといったところか。

 普段ならそれでもよかったのだろうが……。

 

 

 「さすがに今回ばかりハ……」

 

 「嫌な予感がしますねぇ……」

 

 

 もう一年ほど前になるだろうか。今回と似たような作戦が立案され、これを実行した。違いといえば相手方の行動へのリアクションというわけではなく、こちら側からの侵攻だったという点程度である。

 この作戦は果たして成功だったのか。この問いに対する答えは大きく二つ。

 深海棲艦へ大打撃を与え、決して狭くはない海域を解放した、という意味では答えはイエス。

 人材、戦力、資材の損耗がかつてないほど甚大なものだった、という観点での答えはノー。

 ちなみに金剛個人で言えば作戦の可否以前に、高速艇で前線指揮を執っていた提督(おっと)が流れ弾で戦死した時点で作戦の意味そのものが絶無であった。

 

 この作戦の結果として各鎮守府は少なくない損害を被り、戦力の再編が急がれた。各地に散らばる艦娘を出向という形で異動させ、戦力のバランスを整えたのだ。

 一年の時を経て、かつてと同等とまではいかないものの、八割ほどの戦力をようやっと整えなおしたところに『これ』である。今度は姉妹そろって溜息をついた

 

 が。比叡はパシン!と自分の両頬を掌で張り、ことさら闊達に言ってのける。

 

 

 「まあ、今からそんなことを言っていても仕方ありません。今はできることをして、あとは全部事が起こってから考えましょう!」

 

 

 付き合いの長い金剛には、それが比叡の空元気であることは明白だった。ましてや妹のことである。

 しかし、金剛にはその空元気がとてもありがたいものだった。妹が虚勢が張れるのなら、自分は余裕の笑みでそれを本物に変えてやるだけだ。

 

 

 「――ソレもソウデスネ。ワタシたちが揃えば、できないコトなんて料理くらいデース!」

 

 「それはそれでなんか情けないですよお姉さま……。榛名に今度お料理を教えてもらいましょうか」

 

 「……二人そろって姉の矜持が粉微塵になりソウデスから、鳳翔さんあたりにしまセン?」

 

 「実は大和さんも結構お料理上手なんですよ。機会があったら頼んでみましょうか」

 

 「意外と言いマスカ、なんと言いマスか……。でもそれもいいかもしれまセーン。おっと、そういえば――」

 

 

 日常の平穏な微睡に取って代わり、いずれ轟音と閃光が支配する鉄火場は開かれるだろう。

 彼女たちが打つ博打、そのチップは自らの命だ。

 それすらも彼女らは躊躇わない。得られるリターン(へいおん)が何よりも尊いものだと知っているから。

 

 金剛は左手を――白手袋の奥、薬指に嵌る銀のリングを、薄布越しに優しく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 海上。見渡す限り、深海棲艦(どうるい)がひしめき合っている。

 さて、この状況は何なのだろうか。そう思ったところで、視界にノイズが走る。幻影が視覚を侵食し、今ではないいつか、ここではないどこか、自分ではない誰かの記憶を映し出す。色彩の抜け落ちた白と黒のツートーンが、彼女の中の『何か』を波立たせる。

 

 鋼鉄の(ふね)の中、仲間たちと語り合い、笑いあっている。祖国を護り、家族の下へ帰れずとも、故郷の礎とならんと決意したのだ。

 

 ああ、懐かしいな、と。

 『懐かしい』という感情がどんなモノなのか、それすら分からないままそう想う。

 

 ノイズが走る。ざらざらと砂嵐が吹き、視界を漂白する。他人の日記をめくるような、そんな感覚が彼女を包んでいる。尤も、彼女自身はそんな些末な事を認識してはいないのだが。

 また、映像が視界に重なる。どうやら日記帳の次のページに書かれていたのは、先ほどとは別の人間の記録らしい。

 

 やはり似たような、四方を鉄に囲まれた船室。またも色彩は存在せず、無味乾燥な灰色の動画だった。

 極東の島国の暴走を自分たちが止めるのだ、そう仲間たちと語り合った。家族の下へ生きて帰り、娘に自分の偉業を自慢してやらねば。

 

 ああ、誇らしいな、と。

 『誇り』とはどういうモノだったのか、理解できないままに考える。

 

 再び、ノイズ。

 

 しかしながら、再構築された世界は先ほどまでと明らかに違っていた。

 視界を埋め尽くすのは、青。

 透明な、突き抜けるような青。深い、包み込むような青。この二つが、これまた青い線で曖昧に区切られている。

 

 これは……海か。

 そう認識した瞬間、すぐ近くから自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 

 

 『――!』

 

 

 呼び声に返事を返そうとして、はたと気付く。

 この声の持ち主は一体誰だったか。

 

 ――瞬間、激しい頭痛に見舞われる。

 有りもしない脳髄がぐずぐずに焼けただれていく。

 迸る怒りが、悲しみが、架空の神経を通じて全身を灼く。

 だが、彼女はそれが何なのかを自覚できない。理解できない。ただ、どうしようもない痛みと熱さに苛立ちと破壊衝動だけが募っていく。

 

 衝動を抑える気は端から無かった。彼女を中心とした全方位に無差別な破壊と殺戮を振り撒く嵐が吹き荒れる。

 乱れ舞う髪が中空に濁った残像を描いた。

 

 

 「アアアアァァアアアァアアアアッ!」

 

 

 叫びとともに有象無象が消し飛んで行く。構うものか、どうせまたどこからか湧いて来るのだから、とばかりに。

 

 

 「ッアアアアアアアアァァァァッ!」

 

 

 その叫びを聞く者は理性の無い亡者ばかり出会ったが、感情を理解し得る者が聞いたならば、こう思ったかもしれない。

 すなわち――慟哭しているようだ、と。

 

 

 「アアアッ! アァ……ッ! ァァァァァァァァ……ッ!」

 

 

 嵐が吹き止んだとき、彼女の周囲は数百メートルに亘って空白と化していた。

 様々な色の絵の具を混ぜたら黒くなった、そんな色の残骸が海へと溶けるように消え、海水を同色に濁らせていく。数日も置かずに、この場所から新たな下級の深海棲艦が生み出されることだろう。

 

 光さえ飲み込む黒。海上に出現したブラックホールの中心で、頭痛の名残を引き摺ったまま、彼女は茫然と呟いた。

 

 ――行カナケレバ。

 ――仲間ノ所ヘ。家族ノ所ヘ。

 ――護ラナケレバ。倒サナケレバ。

 ――敵ヲ。国ヲ。

 

 彼女の中では敵も味方も、その全てが同一であり、等価値である。

 故に『護るべきもの』と『殺すべき敵』がそのまま等号で結ばれることが矛盾なく成立する。

 唯一の例外と言えば『同類』だけ。なぜならば駆逐級の一体に至るまで一つの例外もなく寸分違わず同じ記憶を共有している。本質的には全く同じモノ、自分自身とさえ呼べるからだ。

 

 では。なぜ彼ら(うぞうむぞう)と自分はこうも違うのか。

 あの視界に焼き付く青い世界は何なのか。

 

 考えたところで、思考はロクに回らず止まる。ぶつ切りにされたいくつかのVTRが、擦り切れたビデオテープのように繰り返されるだけ。

 あの頭痛も、熱も、苛立ちも、幾度となく繰り返された内のたった一度でしかない。

 

 だが、その繰り返しをやめることは決して無い。

 忘れてはならないものだと、刻み込んでおかねばならないものだと、そう自分を戒めるように。

 

 帰巣本能にも似た静かな激情は新たな生贄を求め、戦端が開かれるその時をただただ待っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 横須賀鎮守府に各鎮守府の司令を招集して催された会議から二日。

 洋上の深海棲艦の一団を連合艦隊で以て撃破する旨の作戦が、大本営より正式に通達された。

 この作戦に参加する選び抜かれた最精鋭の艦娘は、総数で五十にも迫る。

 加えて、戦力が(から)に近くなる一部鎮守府には、大口径の火砲を備えた最新型の艦船がいくつか配備されることとなった。サイズの違いから深海棲艦に対してはいまいち戦火を挙げられない武装艦であり、無いよりはマシ、と大本営が考えていることは明白だったが。

 

 そうそう見ない規模の戦いであり、本土防衛の都合上、極めて重要でもある。

 しかし、言ってしまえばこれも対症療法的な意味でしかない。根本を絶つことに戦略的な目標を置くとすれば、この作戦は最終目標からはいささかズレていると言わざるを得ない。

 この受動的な姿勢が、日本の、ひいては世界の窮乏を端的に表していると言っても申し分なかった。

 

 だが、敢えてこの戦いに意味を付与するならば、その意味が発生するのは主戦場ではない。

 

 太平洋の片隅、呉が管轄する海域の一部。

 予想された襲撃と、予想外の戦力。様々な要素が絡み合い、複雑に織り上げられる一枚の歴史の布。

 そこに偶然紛れ込んだ一本の糸。

 その糸の名を『ヤン・ウェンリー』といった。

 

 直接に指揮を執ったわけではない。彼が過去に打ち立てた偉業からすれば、取るに足りないような些細なものでしかない。

 しかし、この世界で目を覚ました後、純軍事的な領域にに首を突っ込んだのはこの時が最初である。

 

 ヤンが呉に籍を置いて約一年、夏の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 







Q.おっそーい!

A.何度も言うがオナニーは回数ではない――問題は質だ






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