トリックスターの友たる雷 (kokohm)
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序章 そのカンピオーネの名は 草薙護堂は同胞を知る







「――他のカンピオーネってどんなのがいるんだ?」

 

 そんなことを草薙護堂が口に出したのは、かのヴォバン侯爵を撃退した日から、大体一週間程が経ったある日のことであった。

 

「急にどうしたの、護堂?」

 

 そう彼の言葉に聞き返したのは、草薙護堂の愛人を名乗る――護堂自身はそれを認めていないのだが――エリカ・ブランデッリという少女だ。彼女は護堂の問いに、どうしたのかと首を傾げている。

 

「いや、あのヴォバン侯爵にしろ、ドニの奴にしろ、カンピオーネにはいい思い出がないだろ?」

「貴方も、そのカンピオーネの一人だけどね」

「俺はまだ、あの二人よりはマシだろ」

「どうかしら。少なくとも、周囲に与える被害という意味では、あのお二人と大差ないと思うのだけど。そうよね、祐里?」

「えっ?! ……え、えーっと、ですね……」

 

 話を振られた少女は、困惑したように護堂を見る。どう答えたらいいか、というよりは、本音を言ってもいいのだろうか、と悩んでいるようである。そんな彼女が、日本の媛巫女にして、後に草薙護堂の正妻だのと称されるようになる、万理谷祐里だ。そんな彼女に、事実上エリカの言う事を肯定されたことに、護堂はがっくりと肩を落とす。

 

「……違うと思うんだけどなあ」

「まあ、そんなことはどうでもいいじゃない。それで、結局のところどうして、他のカンピオーネのことを知りたいの?」

「……まあ、単に相手を知っていれば、多少は争いから逃げることも出来るんじゃないかって思ったんだよ」

 

 俺は平和主義だからな、と護堂はさらに続けようかと思ったが、すんでのところでその言葉を飲み込む。今しがたの会話を考えると、また否定されるのがオチだったからだ。

 

「カンピオーネなんて、基本的には戦いを好む人ばかりなんだから、あんまり意味はないと思うけれどね。まあ、知りたいというのなら私の知っている範囲で教えてあげるわ」

「助かる。確か、俺が八人目(・・・)って話だから、あの二人を抜いても後五人いるんだよな」

「そうなるわね。と言っても、中には情報が秘匿されている王もいるから、私が説明できるのは三人だけ。イギリスの『黒王子(ブラックプリンス)』アレクサンドル・ガスコイン、アメリカの『ロサンゼルスの守護聖人』ジョン・プルートー・スミス、そして日本の『雷鎚(らいつい)稲穂(いなほ)秋雅(しゅうが)

「――日本だって!?」

 

 ふんふんと、エリカの話を聞いていた護堂だったが、今しがた彼女が発した言葉に思わず叫ぶ。

 

「そう。貴方と同じ、日本出身のカンピオーネよ。普通はカンピオーネの出身が被ることなんてまずないのだけど、ある意味では彼は、護堂の直接の先達と言えるのかもしれないわね」

「マジか…………俺以外に日本人のカンピオーネがいたんだな」

「過去、日本人がカンピオーネとなった例はお二人以外に存在しません。それが同じ時代に集うなど、いっそ奇跡と言ってもいいかもしれません」

「どんな人なんだ? その稲穂って人は」

 

 護堂の質問に、エリカは少しだけ悩んだ後に言う。

 

「一言で表すと、『例外』ね」

「例外?」

「およそカンピオーネらしくない行動を取るってことよ。そう言われている理由は幾つかあるのだけれど、一番有名なのは周囲への被害の大きさね。カンピオーネの中で唯一、戦いの余波による破壊をもたらさないと言われているわ」

「もたらさない?」

 

 その言葉に、護堂は違和感を覚える。これが破壊をもたらさないようにしている、ならば納得ができる。それは護堂も――実践できているかどうかは別にして――同じように考えているからだ。だが、実際のところ、被害を抑えるなどそうそうできるものではない。カンピオーネの権能というものは往々にして周囲に破壊をもたらすものであるし、そもそもまつろわぬ神自体が破壊を行っていると言ってもいい。だというのに、どうやったら被害を出さないことができるのか。それが護堂にはまったく見当がつかなかった。

 

「カンピオーネが破壊をもたらさないとは、にわかには信じがたいことですね」

「そうね。私も彼を知らなければ同じように思ったでしょうね」

「ってことは、エリカはその稲穂って人を知っているのか?」

「ええ、前に《赤銅黒十字》が稲穂秋雅にまつろわぬ神の討伐を依頼したことがあってのだけど、その時に少しだけ。前評判通り、彼が到着する以前で既にもたらされていた被害はともかくとして、以降は一切の被害を出さずに戦いを終わらせたの」

「どうやったんだ?」

「権能よ。私も詳細を知らないのだけれど、自身と対象を別の空間に閉じ込めるというものらしいわ」

「別の空間?」

「ええ。その中でなら、いくら物を破壊しようとこちら側には一切の影響が出ないらしいわ。あの時も、私の目の前で彼とまつろわぬ神が消えたから、まず間違いないと思うわ」

「すごいな、それ」

 

 エリカの説明に、護堂は本心からそう呟く。成る程、そんな権能があるのなら周囲への被害を出さないというのも納得が出来る。

 

「権能を所持していることと使用することは別ですから、わざわざそのような権能を使っている以上、その方は民の事を考えられているということでしょうか」

「かもしれないわね。少なくとも、人的被害を出すことを看過するようではなかったし」

「ちょっと親近感を持てるな」

 

 その護堂の言葉に、再びエリカは彼に対し意味深な視線を向ける。

 

「親近感、ねえ……」

「な、何だよ……」

「いいえ、別に。貴方は確かに被害を出さないようにすると口では言うけれど、実際はまったくの逆、なんて言わないわ」

「言っているじゃないか」

 

 不貞腐れたように護堂は言う。あまり強く反論をして来ないのは、やはり己が所業について言い返せないところがあるからか。

 

「……しかし、俺もいつかはその秋雅って人に会うことになるかな」

「どうでしょうか。かの方は九州に住んでおられるそうで、あまりこちらにいらっしゃるということはないと聞いていますから」

「しかも、彼はうちの《赤銅黒十字》を始めとして、基本的にはまつろわぬ神や神獣がらみの事件限定だけれど、結構他国の魔術結社に協力するということが多いわ。その所為で、結構国を空けるということが多いそうだから、案外中々会わないかもしれないわね」

「そうなのか……」

 

 だが、この時の護堂は何故か、近いうちにそのカンピオーネと会うことになると、そんな予感を覚えたのであった。

 

 

 









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稲穂秋雅の日常とは







『――よくやった、我が友よ』

 

 男が、少年の肩を抱いて言う。その背からは刃が突き出しているというのに、その声に苦痛は感じられない。

 

『これよりお前は、神殺したる魔王となる』

 

 それを聞く少年の手には、刀が握られていた。少年の手は男の胸の前に、しかし刀の切っ先は背の先にある。

 

『お前はこれから、様々な戦乱に巻き込まれるであろう』

 

 少年の身体は、小さく震えていた。しかし、その震えとは対称的に、少年の目はまったく揺れることなく、ただまっすぐに自身の手を見つめている。

 

『我が同胞と戦うこともあるだろう。お前の同胞と戦うこともあるだろう。しかし、お前に敗北はない』

 

 そう言って、男はしっかりと少年を抱きしめる。

 

『愚かにして、親愛なる我が友よ。戦いと勝利でもって、我を楽しませるがいい。我を嗤わせるが良い』

 

 少年の耳元で、その顔を愉快そうに歪めて男は告げる。

 

『我はいつも、お前を見ているぞ……』

 

 その言葉と共に、男は消え去る。残されたのは一振りの刀と、それを握る少年のみ。

 

『俺は…………』

 

 そして、少年は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……うん?」

 

 振動を感じ、青年――稲穂秋雅は目を覚ます。どうやら眠っていたようだと思いつつ、のっそりとその身を起こす。大学の講義中という、おおよそ睡眠を推奨出来ない時間だったのだが、しかし見てみると彼と同じように、机に突っ伏すとまではいかなくとも、コクコクと舟を漕いでいる者が一定数見受けられる。もう五月も終わりという時期、授業の難易度なども分かるようになってきたからこその油断であろうか。

 

 

「ああ……」

 

 またあの夢か、と彼は外には出さず、小さく口の中で呟く。もう六年ほど前の、彼の人生が一変したその始まりの記憶を基にしたそれ。しょっちゅうとまでは言わないが、時々は見る夢だ。

 

 

「また、何かあるのかね」

 

 あの夢を見るときは、決まって何かが起こる時だ。案外、『彼』が見せているのだろうかと、そんなことすら思ってしまう。

 

 

「……こいつか」

 

 このタイミングで、彼は自身が起きた理由が、胸ポケットに入った携帯だと気付く。誰だ、と思いつつ画面に出た名前を確認すると、彼は眉を軽くひそめた。そして、電話を保留にしつつ、秋雅は机の上の筆記用具やプリントなどを片付け始める。

 

「どうしたんだ?」

 

 そう秋雅に小声で話してきたのは、隣に座っていた彼の友人であった。その言葉に対し、秋雅は苦笑しつつ言う。

 

「ちょっとな。急ぎで用事が入った」

「そっか。じゃあこのまま帰るのか?」

「どうだろうな。まあ、帰る事になったらメールでもするよ」

「了解」

「じゃあ、とりあえず行ってくる」

「おう」

 

 友人との会話を切り上げ、秋雅はこっそりと席を立つ。幸いにも、教授などに目をつけられることもなく講義室を出ることに成功した秋雅は、そのまま人気のないところまですたすたと歩いていく。講義棟を出て、外の適当に人が通らない物陰まで来たところで、ようやく秋雅は電話に出た。

 

 

「――私だ。何の用だ?」

 

 

 そう告げる彼の声には、先程友人と交わしたような気安い雰囲気はまったくなかった。大学生らしからぬ、人の上に立つことを是としている者の、堂々たる声であった。

 

「いやあ、すみませんね。授業中だというのにいきなり電話なんて」

 

 その秋雅の声に答えたのは、少々軽い調子の、大人の男の声だ。おそらくは秋雅よりも年上であろうに、しかしその言葉には何処か秋雅への敬意を感じられる。

 

「別に構わん。それよりも」

「はい、分かっています。先程、島根のとある町で、神獣が発見されました」

「どのようなタイプだ?」

「巨大な狐だそうです。尻尾の数は不明ですが、少なくとも九尾ということはないでしょうね」

「そうか……八人目にやらせるという気はないのか?」

「残念ながら八人目の王は現在、この国におられないようでして。それに……」

 

 貴方に依頼する方が確実ですから。そう男は言葉を続ける。それに対し、秋雅は特に反応を示すことなく、しかし話そのものには承諾の意を見せる。

 

「分かった。すぐに向かおう」

「では、とりあえずいつもの場所に来てもらえますか?」

「うむ、ではな」

 

 そう言って、秋雅は電話を切る。そして、

 

「――我は常に留まらず。我が立つ地は、全て我の意思のままに」

 

 小さく、しかしはっきりと彼はその言葉を口に出す。それと同時、彼の姿はその場所から消え去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず、話が早くて助かりますねえ」

 

 正史編纂委員会に所属する呪術師、三津橋正和は切れた電話を見て呟いた。場所は正史編纂委員会の、福岡分室と呼ばれる建物の一室、彼個人の仕事部屋として用意された場所だ。彼は今しがた切れたばかりの電話を懐に入れ、続けて視線を部屋の隅に置かれた人形に目を向ける。人形と言っても、特段手の加えられた物と言うわけではなく、どちらかと言えば素っ気のない、所謂マネキンに近いタイプだ。

 

 それを三津橋がじっと見ていると、不意にその人形が消え、代わりに長身で、どちらかと言えば中性的な、非常に整った顔立ちをしている青年が姿を現した。

 

「――待たせたな」

「いえ、そのようなことは」

 

 青年――稲穂秋雅の言葉に、三津橋は恭しく頭を下げる。しかし、彼の反応に興味を持っていないのか、秋雅は三津橋に近寄りつつ問いかける。

 

「それで?」

「はい。まず、空港に移動して飛行機で現地まで飛びます。ちなみにうちで所有する個人機を使うつもりです。その後、あちらのメンバーに現場まで案内をしてもらい、そして最後は貴方にお任せする、という流れのつもりです」

「分かった。それで行こう」

「では、申し訳ありませんが急ぎ空港へ向かいましょう。あまり時間的猶予はないそうなので」

「ああ、そうだな」

「細かいことは飛行機の中、ということで」

「うむ」

 

 そう言って、三津橋は秋雅を連れて部屋を出る。そしてそのまま、空港へと車で向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――くそったれ! これが神獣の力かよ!」

 

 青年が悪態をつく。つい先日、正史編纂委員会に正式に所属することになった、正式な呪術師となったばかりの新人だ。その彼の視線の先には、見上げねばならぬ程の大きさを持つ巨大な狐が、高らかに鳴き声を上げている。その周囲の地面は、所々真っ赤に熱せられていたり、あるいは大きくひび割れたりしている。

 

「新入り、一旦下がれ!」

「今下がったら奴に押されます!」

 

 上司の命令にそう反論して、青年は狐に突撃する。その手に持つのは、呪術的に強化された一振りの刀だ。それを、狐の右前足に振るわんと青年は一気に距離を詰めようとする。だが、しかし。

 

「馬鹿、下がれ!」

 

 一つ、狐が鳴き声を上げ、その三つに分かれた尾を大きく振る。それと同時に、周囲に四つの炎弾が現れ、それがそのまま落下し、うち一つが青年へと向かってくる。

 

「くっ!」

 

 その炎弾を、青年はすんでのところで回避する。回避された炎弾はそのまま地面へと激突し、その色を真っ赤に染め上げる。その熱は至近距離にいた青年にも襲い掛かり、今しがたかいたばかりの冷や汗を一気に蒸発させる。

 

「このっ――」

「下がれ、命令だぞ!!」

「っ、了解!」

 

 仕方がないと、青年はようやく上司の命令どおりに下がる。その動きに対し狐は、彼を追うでもなく、ただその場で唸りをあげている。

 

「どうすんだよ、こんなの……」

「何をやっている、馬鹿者! 上司の命令はきちんと聞け!」

「でも! もう動けるのは俺らだけです! 俺らが奴を倒さないと!」

「我らの目的を履き違えるな! 我らの目的はあくまで足止め。奴をこの場に留める程度に攻撃を仕掛けていれば良いんだ!」

「それでどうやって奴を倒すって言うんですか!」

「今、カンピオーネたる稲穂秋雅様がこちらに向かっておられる! あの方にお任せするというのが作戦だと、事前に説明しただろうが!!」

 

 上司の叱咤に、しかし青年は諦めずに食って掛かる。

 

「その稲穂秋雅が間に合わなかったらどうするんですか?! 大体、稲穂秋雅って言えば、カンピオーネの癖に報酬を受け取る守銭奴って噂じゃないですか! そんなことをする奴がどのくらい頼りになりますか!?」

 

 稲穂秋雅、という男はそちらの世界ではかなり名の知られた存在だ。カンピオーネだから、というのも勿論あるが、カンピオーネだからこそ、その例外的な振る舞いゆえに良く知られているとも言って良い。その例外的な行動の一つが、事件解決に当たって報酬を受け取ると言う物だ。

 

 古今東西、カンピオーネと呼ばれる存在は何人も存在しているが、その中で金銭、美術品、あるいは権威というものに固執した者はほとんどいないとされている。魔術結社の首領、程度ならばともかく、自身を着飾るための要素を求めるということがほとんどない。

 

 そもそも、カンピオーネとは、まつろわぬ神を退治さえすればその他は何をやっても済まされる、という存在だ。カンピオーネにとってまつろわぬ神と戦うは義務と言って良い。それなのにそのまつろわぬ神と戦うときまで金とは、と思っている者も一定数いる。

 

 この青年も、秋雅に対しそう思っている者の一人であり、秋雅に対し不信感があった。加えて言えば、秋雅が自身とさほど変わらぬ年齢だというのも、その戦闘力に対する不審に拍車をかけている。だからこその、先程の命令違反の攻撃であったのだ。

 

「だからここは俺たちで――」

「――別に、守銭奴と呼ばれても構わんが、な」

 

 その声に、青年と上司は思わず振り返る。すると、そこに居たのは一人の男であった。彼は青年に、まるで何も思っていないかのような目を向けつつ言う。

 

「私の行動に対する評価など、さして興味も湧かん。好き勝手に、己が思うとおりに言いふらすといい。だが、あえて言うならば――」

 

 バチバチと、彼の左手が帯電し始める。そして次第に、彼の手の中に光り輝く力が収束していく。

 

「ここは、私の戦場だ。下がっていてもらおうか……!」

 

 轟音とともに、彼の手から雷が放たれる。それはまっすぐと狐へと向かい、その顔面に直撃する。

 

 その衝撃に、狐が吠える。突然の痛みから、怒りの色を瞳に浮かべた狐は、それを与えた彼へと――稲穂秋雅へと視線を固定する。

 

「そうだ。お前の相手は、この稲穂秋雅がしてやろう――正々堂々、一対一でだ」

 

 そう宣言する秋雅の右の手の中には、何か黒い物がある。よくよく、見る者が見れば、色こそは真っ黒だが、それがザクロの実だということが分かっただろう。その真っ黒なザクロの実を、秋雅は握りつぶすように拳を締めて言う。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 聖句を唱え、秋雅は己が権能を発揮する。それは彼と、彼を睨みつける狐の身に赤黒く纏わりつく。そして次の瞬間にはそのどちらもが――その場から消え去っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今の、は」

 

 先程まで戦っていた狐も、唐突に現れた秋雅も消え去った後、呆然と青年が呟く。

 

「稲穂秋雅。カンピオーネと呼ばれる存在ですよ、新入り君」

 

 それに答えたのは、同じく呆然としていた彼の上司ではなく、何処か軽薄さを含んだ声。その声に、青年の上司が反応する。

 

「三津橋!」

「お久しぶりです。どうやら、何とか間に合ったようですね」

「ああ、何とかな……あの方が?」

「ええ、我らがカンピオーネです」

 

 そう言って、三津橋がニッコリと笑う。その笑みに、ようやく青年の上司は安堵したように息を吐く。

 

「良かった。これで後は大丈夫だな」

「ええ。直にあの神獣を倒して戻ってこられるでしょう……ああ、それと新入り君?」

 

 ふと、三津橋が青年に視線を向ける。

 

「状況の把握の為、少し前からここの音は拾わせてもらいました。その結果として言っておきましょう。稲穂さんは基本的に自分の噂話や行動について、特に何も言ったりしませんし、それが原因で怒るという事はまずないです。あの方は、守るべき民草に対して実に寛大な王であらせられますから……が」

「っ……!」

 

 ぞくりと、青年の背を、氷を当てられたかのような冷たさが襲う。そう感じてしまうほどに、三津橋の青年を見る視線は、とても冷ややかなものだった。

 

「弁えなさい。あの方は、我らのために戦ってくださる王なのです。君如きが、貶してよい相手ではありません」

「…………はい」

 

 搾り出すように、青年は返答する。その返答に対し三津橋は、しばし彼をじっと見つめていたものの、不意にその視線を先程まで狐がいたほうへと向ける。

 

 

 そしてそのまま、何を言うでもなく、彼はしばしそのまま何処かを見つめ続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 と、秋雅が呟いた場所は、奇妙という言葉では表せないほどの空間であった。

 

 地形は、先程まで彼がいた場所と変わりない。しかし、その色は異なる。地も、山も、空も、空間そのものが赤黒くその身を染めている。奇怪で、不可思議で、不気味。そう評価すべき空間に、ただ秋雅と狐のみがいる。

 

「これも俺の役目なんでな。倒させてもらうぞ」

 

 言うと同時、秋雅の姿が消える。何処だ、と狐が周囲を見渡そうとしたその瞬間、轟音が辺りに響きわたり、狐の巨体が大きく揺らいだ。

 

 何時の間に移動したのか、狐の顔のすぐ傍の、何もない空中に立っている。その手には先程まではなかった、やや大振りの鎚が握られており、彼の体勢からそれを使って狐の顔を殴りつけたのだということが見て取れる。

 

 

 悲痛な声を上げながら、狐が音を立ててその身を横たわらせる。しかし、未だにその闘志は消え去っていないようで、ゆっくりと秋雅を睨みつけるようにしながら起き上がろうとしている。

 

「思ったよりも硬いな。決まると思ったんだが」

 

 空中に浮いたまま、振りぬいた腕を戻しつつ秋雅が小さく呟く。彼としてはこの一撃で決めるつもりだったのだが、思いのほか狐の体が頑丈だったらしい。

 

「――っと」

 

 怒りの咆哮を上げながら、起き上がった狐は尾を振り、軽く十は超えるほどの火球を生み出し、それを目の前の秋雅に向かって放つ。しかし、それが秋雅に当たろうかというタイミングで、秋雅の姿が再び消える。

 

 その瞬間、狐が大きく跳び退る。それと同時、一瞬前まで狐が居た空間のすぐ傍に秋雅の姿が現れる。

 

「ちっ、勘が良い。やはり、こういうものは一撃で決めるべきだな」

 

 目の前に狐が居ないことに舌打ちをしつつ、再び秋雅の姿が消える。現れた場所は、今度は狐の傍ではなく、少し離れた場所だ。

 

「雷よ!」

 

 轟音を立て、再び秋雅の手から雷が放たれる。その一撃に対し狐が吠え、素早く火球を生み出し、放つ。

 

 雷と火球、それが互いの中間地点で激突し、互いを喰い合い、打ち抜こうとする。一瞬の均衡の後、勝ったのは秋雅の方だった。

 

 再び、雷が狐の顔面に直撃する。火球によって減衰していたのか、先程よりは痛みは少ない様に見える。しかし自身の攻撃を破られたという怒りからか、狐はさらに大きく吠えている。

 

 だが、そのような隙を見逃す秋雅ではない。狐の視線がこちらに通っていない事を確認して、再びその姿を消す。

 

「――喰らっておけ!!」

 

 狐の下部から、激突音が響く。今度は狐の下に回った秋雅が、その無防備な腹部を、その手に持った鎚で思い切り殴りつけたのだ。

 

 狐の巨躯が、僅かだがに空中へと舞い上がる。痛みと驚きだろうか、狐が獣の悲鳴を上げた。しかし、秋雅の猛攻は終わらない。

 

「そら!」

 

 次に激突音を発生させたのは、狐の背中であった。下部からの一撃に浮いたその身を、今度は背中から殴りつけたのだ。未だに勢いのあった身体を強引に止めさせられたことで、狐の身体が大きく軋む。

 

 それはよほど耐え難い痛みであったのだろう。これまで以上に、狐は大きく吠えた。もしかしたら、自身という存在が失われるという恐怖を感じているのだろうか。精一杯と表現したくなるような抗いの声を上げる狐の眼前に、秋雅は鎚を振り上げながら現れる。

 

「――悪いが、これも皆の為なんでな。恨むなら、この地、この時に産まれた己と、そして俺を恨め」

 

 言葉が理解できるとは思っていない。だが、何となく口に出してしまった。その理由を僅かに考えながら、秋雅はその鎚で、吠える狐の頭部を叩き割った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……終わったな」

 

 粒子となり消えていく狐の姿を確認しながら、秋雅はポツリと呟く。神、そして神獣はその遺体を残すことはない。消え去る時はただ、光のように溶けていくのみだ。

 

 それを見送った後、秋雅は己が右手を見る。そこにはもう、鎚は握られていない。そんな空っぽの右手を、秋雅は握り締め、そして開く。すると、そこには確かに、先程までなかったはずの、そしてこの空間に来る前は持っていた、真っ黒なザクロの実があった。

 

「帰るか」

 

 秋雅が呟いた瞬間、その姿は消えてなくなり、それに連動して空間は音もなく消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お疲れ様でした」

 

 突如、その姿を再び現した秋雅に、恭しく三津橋が礼をする。

 

「ああ」

 

 三津橋の礼を受けつつ、秋雅は辺りを見渡してみる。しかし、戦闘前にいた二人の呪術師の姿はない。離れたか、と秋雅は安堵とも落胆とも言えぬ感情を覚える。

 

「……さて、秋雅さん。せっかくですからこの辺りの美味しい物でも食べに行きますか? 時間は少々微妙ですけどね」

 

 長い付き合いで、秋雅が健啖家かつ戦闘の後は良く食事を取る事を知っている三津橋が、そのような提案を目の前の青年にする。王に対してとは思えぬほど軽いお誘いであったが、それに対し秋雅は一つ頷く。

 

「ああ、そうするか……それを報酬としても構わないが」

「いえいえ、そういうわけには。秋雅さん、先程の事をお気になされているのかもしれませんが、別に大丈夫ですよ」

「そんな気は、ない」

「ま、どちらにせよ、今回の戦闘における予想復興費に比べたら、秋雅さんへの報酬なんて大したことないんです。何なら、今日は何処かの豪華ホテルにでも泊まって行きますか?」

「……とりあえず、食事だ」

「そうですね。実は良いお店を知っているんですよ」

 

 などと、基本的に三津橋主体で話しつつ、秋雅はその場をゆっくりと立ち去る。これが、かつてより非日常に踏み入れた稲穂秋雅の、何と言うことのない日常であった。

 









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第一章 梅雨空は雷とともに 同胞からの電話







 それは、とある梅雨の日の夜のことであった。

 

「……電話か」

 

 テーブルの上で揺れる携帯電話を見て、稲穂秋雅が小さくつぶやく。ゆったりと夜の時間を過ごしていた中に、それを打ち破るような無粋な振動音を聞いたことで、秋雅は軽く顔をしかめる。こんな時間に誰だ、と若干の苛立ちを感じつつ、秋雅はディスプレイに映った名前を確かめる。

 

「まったく…………ああ?」

 

 表示されている名前を見て、思わず秋雅は剣呑な声を上げる。そのまま数秒ほど、じっと手の中の電話を見つめていた秋雅であったが、諦めたようにため息をついた後、ゆっくりと通話状態にする。

 

「……もしもし」

『やあ、秋雅。久しぶり、元気かい?』

 

 明らかに乗り気でなさそうな秋雅に返ってきたのは、対照的にも程があるほどに朗らかで能天気そうな声。その声に、秋雅は深いため息をつきながら応える。

 

「お前が電話をかけてくるまでは快調だったがな、サルバトーレ・ドニ」

『はっはっは。相変わらず辛辣だねえ、君は』

 

 秋雅の返答に、イタリアのカンピオーネ、サルバトーレ・ドニは笑う。その裏のない笑い声に、相変わらずだなと秋雅は眉間のしわを深くする。

 

「それで? 今日は一体、どういう用件だ? 戦いを、などと抜かせば、その瞬間にこの電話を切るが」

『つれないねえ。僕らの決闘はまだ決着がついていないっていうのに』

「ついただろう、もう既に」

『あれを決着とは認め難いと思うけどね、僕は』

 

 そう、ドニは不満げにぼやく。しかし、

 

「取り決め通り、私達の間で勝敗は決した。君の勝ち、私の負けと言う結果でな」

 

 それに対する秋雅の返答は冷ややかだ。自身の敗北を認めているにもかかわらず、その態度に不満の色は感じられない。

 

『本当に相変わらずだね、君は。カンピオーネ( 僕ら )は基本的に勝ち負けを気にするのが多いって言うのに、君は自身の勝敗にまったく関心がない。たぶん君ぐらいだよ。王同士の決闘において、躊躇いなく逃走を選べるのは』

 

 僕達の時みたいにね、とドニが言うのを気にもせず、しかし僅かに苛立ちを混ぜながら秋雅は言う。

 

「いい加減、用件を話してもらおうか。いつまでも、お前一人に関わってはいられないのでね」

『分かったよ、仕方ないなあ』

「早く言え」

 

 トントンとテーブルを叩くことで苛立ちを発散しつつ、秋雅はドニの次の言葉を待つ。

 

『用件は二つ。まず一つは護堂のことだ』

「護堂……というと、草薙護堂のことか?」

『あれ? その感じだと、もしかしてまだ会ってない?』

「ああ」

『意外だなあ。同郷だし、何より君ならもう接触していると思ったんだけど』

「そのうち会ってみようとは思っているのだが、どうにもな。同郷だが、どうやら前例から逸れてはいないようだから、二の足を踏んでいる」

 

 ちらりと、秋雅は手元の資料に目をやる。そこには先月、東京において発生したまつろわぬ神と八人目のカンピオーネ、まつろわぬアテナと草薙護堂の戦闘に対する報告書が置かれている。少し前に三津橋が持ってきたものなのだが、ざっと読んだ限り周囲への被害が実に大きい。しかも、単純な破壊による被害のほとんどが草薙護堂によって引き起こされており、その修復費ときたらまあ大きい。普段、秋雅が報酬として受け取っている分など鼻で笑えるほどの額だ。事実、報告書についてきていた三津橋のメモには、八人目に対するぼやきのようなものが書かれている。

 

『ああ、うん。それはちょっと思ったかな。君と同じ日本人なんだから無駄な被害は出さない主義なのかなあって思っていたんだけど、蓋を開ければ僕らと同じだったね』

「だからあまり会いたくなくてな。人のことは言えんのだろうが、カンピオーネと言うものはまったく、いらない戦いを望みすぎるきらいがある。彼もそう(・・)だろうと思うとどうにも……それで、その草薙護堂がどうしたんだ?」

『いや、僕としては君が彼と知っている前提で話をしようと思っていたから、君が知らないとなると話す事がないんだよね』

「……では、逆に問うが、お前から見て草薙護堂はどう見えた?」

 

 八人目、新たに誕生したカンピオーネ。それと実際に会った人物からの評価だ、聞いておいて損はないだろうと秋雅はドニに問いかける。こう見えてこの電話の相手は、案外人を見る目はあると思っているからこその問いかけだ。

 

『んー……最初に思ったのは、若い、かなあ。僕がカンピオーネになったのも若い方だと思うけど、彼はさらに若い。あ、でも君の方がカンピオーネになったのは若いのか。まあ、君より若くしてカンピオーネになった人はそう居ないと思うけど』

 

 秋雅が神殺しを行ったのは今から六年前、彼が十四の時のことだ。草薙護堂が神殺しとなったのが十六歳の時、つまり高校生でカンピオーネになったのに対し、秋雅は中学生の時にカンピオーネとなり、以来戦い続けてきたということなる。そのため、実を言うとドニと秋雅において、実年齢はドニのほうが上だが、カンピオーネとしては秋雅が先輩ということになる。まあ、だからどうしたというのが、カンピオーネ同士の関係であるのだが。

 

『あとはまあ、あれだね。口では色々言っているのに、結局は戦いを拒まないって感じだった』

「大方お前が決闘に無理やり引きずり込んだんだろう? 拒まない、はおかしい」

『でも、君は逃げおおせたじゃないか。決闘にこそ引きずり出せたものの、結局君は僕と剣を交えなかった。正直言うと、護堂もそういうタイプなんじゃないかって心配だったんだけど、違って良かったよ』

「私は良くないがな……」

 

 草薙護堂との接触自体は計画中の秋雅としては、はあ、とため息をつくより他にない。

 

『まあ、たぶん言葉で語らえば言葉で返してくれるんじゃないかな? 勿論、力で戦えば力で返してくると思うけど』

「アレクサンドル・ガスコインと同じタイプか」

 

 同じく表面上は(・・・・)理性的な『黒王子』を思い浮かべ、秋雅は未だ見ぬ八人目に不安を感じる。ある種、言葉が通じる分、そういう人種の方が面倒な時が多々あるというのが、これまでの非凡な人生において秋雅が学んだことの一つだった。

 

『あー、彼よりは素直だと思うよ、護堂は。まあ、たぶん、だけど』

「だといいが、な。それで、二つ目の話は?」

 

 とりあえず、これで一区切りがついただろうかと、秋雅は八人目のことを一旦隅に置いて言う。

 

『じゃあ二つ目だけど――あのじいさまがそっちに向かったらしいよ。あ、正確には東京に、だけど』

 

 ドニの言葉に、秋雅は眉をしかめる。じいさま、とこの同胞が言う時、それはつまり一人の魔王を指すときであるからだ。

 

「ヴォバン侯爵が?」

 

 デヤンスタール・ヴォバン。今の時代に生きるカンピオーネとしてはもっとも長く生きている最古参の王であり、もっとも魔王らしい魔王と呼ぶべき人物だ。恐怖、畏怖、理不尽、そういったものの権化であると言われても納得がいくと、内心で秋雅がそう思っているほどの相手である。

 

「何故、ヴォバン侯爵が日本に?」

 

 彼と秋雅の関係は、とても良好と言えるものではない。不可侵を結び、敵対こそしていないものの、それはあくまで表面上のこと。四年前、僅かとはいえヴォバンがなそうとした儀式を妨害し、そして今現在でも、時折その邪魔をする秋雅を、彼は事実上の敵とみなし、いずれは討たんとしているのだから。なお、その際思い切り妨害をしたドニは、ヴォバンから完全に敵意を持たれているのだが。

 

『理由が知りたいのなら、あの時の決闘のやり直しを行いたいな。今度は逃走なんて許さない、絶対の決闘を』

「……却下だ。こちらで調べることにしよう」

『それは残念だ。じゃ、僕はこれで。もし護堂に会う事があれば君の親友がよろしくと言っていたと伝えておいてくれ』

「その親友とやらは、一体どちらにかかっているんだ?」

『ははは、じゃあまたね』

 

 最後の問いかけには答えずに、ドニは電話を切る。通話の終わったそれを見て、秋雅は深くため息をつく。

 

「まったく、面倒な……」

 

 どうしたものかと、ソファに深く身体を委ねて、しばし秋雅は考え込む。結局、待ちの姿勢を取る、という結論を彼が得たのは、その日の就寝前のこととなった。一応は不可侵を結んだ相手である以上、わざわざ接触しに行くのも良くないと判断したためである。それと、何かあった場合には八人目がどうにかするだろうと、そんな風に思ったというのもある。

 

 その結果東京がどうなろうと、それはそれ。自分が気にする道理はないと思いながら、秋雅はゆっくりと休息をとるのであった。

 









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正史編纂委員会との関係性






 ドニから連絡があった翌日、秋雅はとある料亭を訪れていた。歴史ある、所謂一元様お断りの高級料亭で、とてもではないが一介の大学生程度が昼間から訪れるような場所ではない。しかし、それに尻込みすることも、ましてや虚勢を張ることもなく、自然体で秋雅は店の敷地に入っていく。その堂々たる足どりを、一人の従業員が止めようとする。

 

「申し訳ございません、当店は――」

「稲穂だ、三津橋から聞いていないか?」

「……失礼しました。どうぞ、こちらへ」

 

 秋雅の返答に従業員は頭を下げ、秋雅を部屋にまで案内しようとする。それに秋雅も逆らうことなく、当然のようにその後についていく。

 

「こちらになります。どうぞ、中へ」

「ああ」

 

 少しばかり歩いた後、通された部屋。入ると、中には二人の人物がいた。一人は、もう長い付き合いになる三津橋。そしてもう一人、特に見覚えのない女性が身を固くしながら座っている。

 

「待たせたようだな」

「いえいえ、お気になさらず。我々も今しがた到着したところですので」

「そうか。そちらは?」

 

 席に座りつつ、秋雅は見知らぬ女性に目を向ける。秋雅ほどではないが、若い女性だ。精々二十代後半といった程度だろう。その彼女は、秋雅の視線に綺麗な礼を取り、口を開く。

 

「正史編纂委員会・福岡分室室長、五月雨恵と申します。本日はご尊顔を賜り光栄の至りかと存じます」

 

 畏まったように名乗った彼女に、秋雅は一つ頷くことで返す。それを了解ととったのだろう。控えていた三津橋が、軽い咳払いの後に口を開く。

 

「本日、稲穂さんにお越しいただいた理由ですが、大雑把に言うと二つほどあります。まず一つがこの通り、五月雨室長の顔合わせという奴です。彼女は先日、前の室長から代替わりしました」

「……純粋な疑問だが、君では駄目だったのかね?」

 

 ふと浮かんだ疑問を、秋雅は率直に口に出す。秋雅の見たところ、三津橋の実力はかなり高い。特にその戦闘能力は、カンピオーネとしての秋雅ももまた認めるほどだ。流石にカンピオーネレベルとはいかないが、それでも実のところ、先日秋雅が退治した例の狐のような神獣を相手にしても、一人である程度立ち向かえるほどには強いはずである。まあそれでも、死力を尽くすことで何とか深手を与えられる、という程度なので、どうしても秋雅に頼る必要があるのだが。

 

「ははは、評価してくれることは嬉しいんですが、まあそういうわけにもいかないもので。貴方と行動を共にすることが多い以上、立場があると邪魔ですから」

「成る程、納得した」

 

 正史編纂委員会が秋雅に依頼をする頻度は、存外に多い。まつろわぬ神がらみの事件だけでなく、もう少し規模の小さい事件、例えば悪質な魔術師を取り押さえるなどに対しても依頼をしてくることがあるからだ。勿論それは、彼の実力とその被害の出さなさが理由である。他にも、何かの兆候などがあれば秋雅は割と積極的に動き調査するので、結構彼は日本各地――まあ、世界各地でもあるのだが――を飛び回っている事が多い。その関係上、秋雅の担当者のようなものになっている三津橋もまた、各地を飛び回る事が多くなってしまう。そんな状態で三津橋が責任のある立場になったりした場合、動きがとりにくくなってしまうのは目に見えていると、まあそういうことなのだろう。

 

「まあ、上に立つとそれだけ色々面倒事も増えますし、何だかんだ貴方に付き合っているほうが楽しいですからね」

「下手をすれば、ということもありえるがな」

「貴方が勝ち続ける限り、そんなことはないと信じていますよ」

「責任重大だな」

 

 などと、二人は軽口を叩く。三津橋が笑顔なのに対し、秋雅はあまり表情を動かしていないというのが奇妙には見えるが、割とこれが二人の平常でもある。流石に戦闘前などもこうというわけではないが、そうでないときはこんな風であった。

 

 しかし、である。

 

「三津橋さん! その物言いは稲穂様に対し無礼でしょう!」

 

 五月雨がテーブルを思い切り叩く。先程からの三津橋の、秋雅に対する軽い口調が気に触ったようである。まあ、二人の仲を知らず、されどカンピオーネという存在を知るものからすれば、当然の反応と言っても良いかもしれない。特に、見るからに生真面目そうな彼女からしてみれば、三津橋の態度は不遜に過ぎるように感じられるのであろう。

 

 

「まあまあ、五月雨室長。少し落ち着いてください」

「良いですか、三津橋さん! 我々が今御前を賜っているのは我らにとって王と仰ぐべきお方なのですよ!? それを先程から――」

「――五月雨室長」

 

 冷ややかな声が、熱の入ってきた五月雨の言葉を遮る。その声の冷たさと、何よりそれを発したのが秋雅だということに、五月雨の動きがピタリと止まる。

 

「私は王だが、だからと言って皆に私を仰ぐ事を強制する気などない。勝手に、それぞれが思うように私に対峙してくれれば良いと思っている。口調など、別段気にするようなものではない……が、だ」

 

 自身を見つめる五月雨の顔を真っ直ぐに見て、秋雅は言う。

 

「――うるさいのは、あまり好ましく思わない」

 

 秋雅の幾分鋭い視線が、五月雨を貫く。恐怖からか、五月雨の喉がゴクリと動くのが見える。

 

「黙っていろ、とまでは言わないが、騒ぎ立てるのは勘弁願いたい。私は、喧騒よりも静寂を尊ぶのでな……いいかな?」

「…………か、畏まりました」

 

 秋雅の、返事を欲する問いかけに、五月雨は搾り出すように了解の意を述べる。そのことに秋雅はゆっくりと頷いて、続いて三津橋のほうに視線を向ける。

 

「今度からは、情報伝達をきちんとしていておいてもらいたいな。私の主義は、君も熟知しているはずだ」

「すみません……まだ若い彼女のために、貴方を利用させてもらいました、と言ったら怒りますか?」

「私のほうが若い、とだけ言っておく」

「はは、それもそうですね」

 

 実際、三津橋の言った内容は、別段秋雅の気に触るようなものではなかった。むしろ、そのぐらい素直でいるほうがいいと思っているぐらいだ。大体、その程度で怒るようであったら、今三津橋はこの世に居ないだろう。

 

 そのことは三津橋自身もきちんと理解しているのだろう。始まりは単なる偶然であったが、そう理解できる程度には、付き合いの長さ、そして深さがそれなりにあるのである。

 

「まあ、とりあえず次の話に移りましょうか」

「……いや、先に食事を運んでもらおう。話の腰を折られるのも面倒だ」

 

 そう言いつつ、秋雅はちらりと五月雨の方を見る。そのことに先程のことで意気消沈している五月雨は気付かなかったようだが、すぐさまに三津橋が頷き、口を開く。

 

「ああ、それもそうですね。じゃあすみませんが、室長、ちょっと頼めますか?」

「え?」

「お料理を持ってきてくれるように従業員の方に頼んでください。ああ、ついでに料理はいっぺんにとも言っておいてください。無粋ですが、一々持ってこられるのもあれですので」

「私が、ですか?」

「頼みます。少し時間がかかっても構いませんので」

「……分かりました。失礼します」

 

 固い面持ちで頷き、五月雨は秋雅に礼を取りつつ部屋を出る。戸が完全に閉められたところで、三津橋は、ふう、と息を吐く。

 

「すみません、お気を使わせてしまったようで」

「かまわん。彼女にも、持ち直す時間は必要だろう。もっとも、私が言えた義理でもないが……この店も、準備をしたのは彼女だろう?」

「ええ、一応私は違う場所の方がいいと言ったのですが、彼女が強引にね」

 

 実のところ、稲穂秋雅はあまりこういった場所を好まない。正確に言うと、こういった店で出されるような料理をつまらないと思っているのだ。まあ、料理に対してつまる、つまらない、という表現はおかしいのかもしれないが、しかし不味いとか、気に入らないとか、そういうわけでもない以上そう言うより他にない。要するに、気を使わなければいけないような料理を好んでいないのである。例えれば、フランス料理のフルコースよりも、大衆食堂の丼飯の方がいいという感じだ。彼の食欲も考えると、さもありなんというところだろう。

 

 そのことは三津橋も良く知っている。それなりに長い付き合いだ、知っていないわけもない。もしこれが三津橋と秋雅の二人きりの会合であったなら――個室のある店ぐらいにはするだろうが――彼はもう少し軽い店を選んだだろう。

 

 実は、と三津橋が言う。

 

「彼女、私の後輩のようなものでしてね。まあ、私が事実上貴方の専属のようなものになる直前だったので、実際に面倒を見たのは短い間なのですが、それでも彼女の世話をしていたのは事実です。その所為か、どうにも甘くなってしまう、というのは言い訳でしょうね」

「言い訳でも構わんよ。そもそも、彼女の判断は別に間違ったものでもない……私が、悪い王だというだけだ」

 

 そう言って、何処か自嘲するように秋雅は片頬で笑う。それに対し三津橋は、しかし何を言うでもなく、ただ小さくため息をつく。振り回しているんだろうな、と彼のそんな反応にまた、秋雅は僅かに自嘲を漏らした。

 

 

 

 

 

 

「……さて、頃合いでしょう」

 

 そう三津橋が話を切り出したのは、五月雨が戻り、料理も並び終わったという時だった。こういうタイミングも、いずれは覚えてもらうべきか。隣に座る五月雨に対し、そんなことを思いながら三津橋は続ける。

 

「もう一つの話についてお話しましょうか。まあ、今回の本題といったところですね」

「うむ、内容は?」

「それに関しては室長の方から。室長、お願いします」

「分かりました」

 

 振ると、五月雨は軽く頷きを返してきた。部屋を出る前と比べると幾分か平常さを取り戻したらしく、良い意味で気負いが感じられない態度だった。

 

「今回、私どもが貴方をお呼びしましたのは他でもありません。八人目、草薙護堂氏についてです」

「八人目について、か。一応の資料は受け取っているが、そういうことではないのか?」

「はい。今日問題としたいのは、草薙護堂様自身のことではなく、かの王の誕生による各地への影響についてです」

「日本に二人の王はいらないと、まあそんなところか」

「……はい、その通りです。現在、各国政府、及び魔術結社より、正史編纂委員会に対して圧力がかかっています。勿論、内密に、です」

 

 日本という一国に、その気になれば容易に世界のパワーバランスを崩せる存在が二人も存在する。しかも、日本における唯一の魔術結社である正史編纂委員会は、他国の魔術結社と異なり、政府に直結している。他国からすれば、もしかしたら、と思わざるを得ないのだろう。まつろわぬ神を退治するのがカンピオーネの唯一の使命であるが、だからこそ、それ以外にも力を振るうのではないか、と思う者もいるのだろう。秋雅の、戦いに報酬を望む、という行動もこれに拍車をかけているのだろう。報酬を望む、ということはつまり、報酬次第ではどんな依頼でも受ける、という解釈もあるからだ。それが真実かどうかは別にして。

 

 それに、直接的に力を振るわないにしても、まつろわぬ神が現れた際に動いてくれなければ、それもまたその国にダメージを与えることになるのだから。

 

「私はこれまで、国家を問わず依頼を受けてきたつもりだったし、八人目が現れようとそれは変えないつもりだったのだが――成る程な」

 

 そう言う秋雅の口調には、僅かに不快感が混ざっているように三津橋には感じられた。無理もない、と三津橋は思う。これまで六年間、少年と呼ばれる年齢であった頃から秋雅は命がけの戦いに身を投じ、そして民を守ってきた。だというのに、今ここになってのこれだ。まったく、組織というのはこれだからと、組織の人間である三津橋ですらため息をつきたくなる。

 

 のめり込みすぎている、と言われれば反論できないという自覚は、三津橋にもある。あくまで秋雅との関係は仕事上の、ドライな関係を築くべきであったということは分かっている。だが、だけれども、だ。そうしなければ、今目の前にこの優しき王は居なかったと、そう思っているのである。

 

 そんな三津橋の横で、さらに五月雨は説明を続ける。

 

「現状、委員会内でも幾つか意見が分かれています。完全無視、圧力に屈する、草薙様につく、稲穂様につく、と様々です。福岡分室、並びに九州、及び四国、中国地方の各分室は全会一致で稲穂様を仰ぐという意見を出しているのですが、他の分室はどうも……」

 

 五月雨が言葉を濁す。ただ、直接的に秋雅が力を振るうのを見たもの達はともかく、それ以外のところが彼を軽んじるのも無理からぬ話かもしれない。先日の島根の一件のように、稲穂秋雅というカンピオーネを侮る者は、無謀なことに一定数はいるのだから。

 

「舐められている、ということか」

「あるいは、草薙様の方が取り込むに易いと思っているのかもしれません。どうやら、国内でも有数の媛巫女を、かの王に差し出しているとのことですから」

「首輪、か……ふん、変わらんな」

「……喉元過ぎれば熱さ忘れる。あの四年前の事件を、理解できていない者もいるのですよ。残念ながら、ね」

 

 そう、三津橋は僅かに侮蔑の目を浮かべながら呟く。彼の脳裏にしかと刻まれている、四年前の事件。愚かにも、カンピオーネを利用せんとした者達の、くだらぬ策謀とその結末。その中心にして、日頃の優しさなど一切見せず、敵対者を完膚なきまでに叩きのめし、そして抹殺した(・・・・)のが誰なのか、それを忘れてしまったものがあまりに多すぎると、三津橋はそう思わずにいられなかった。

 

 

「別に良いが、な。それをこの国が選ぶというのなら、私もまた動くだけだ……アニー辺りを頼ってアメリカに行くか、あるいは彼女ら(・・・)のいるインドにでも行くか。まあ、行く当てはある、な」

 

 そんな秋雅の呟きに、二人は答えない。五月雨は秋雅の意に口を挟むわけには行かないとただそう思ったからだが、三津橋に至っては、長い付き合いの彼ですら、今の秋雅の言葉が冗談なのかどうか、まるで判断できなかったからだ。

 

「……話は分かった。とりあえず、状況が悪化するようであったら報告するように。それまでは現状維持、としておこう」

「畏まりました」

 

 少なくとも、今この王を失わずにすんだ。その事に安堵するように、三津橋と五月雨はそっと息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、二人の魔王を得た日本の行く末の話は一先ず終わり、一同はようやく並べられた食事に手をつけ始める。正確には、最初に秋雅が箸を取り、その後二人にも勧めたという流れだ。こういうところが、秋雅がこういう場を嫌う理由の一つでもあるのだろう。

 

「……ああ、そうだ」

 

 いくらか箸を進めたところで、ふと秋雅が口を開いた。彼の言葉に、視線こそ向けるものの三津橋は箸を動かしており、対して五月雨は生真面目にも箸を置き居住まいを正す。こういうところも、秋雅との距離を掴めているかいないかをはかる良い例なのだろう。

 

「昨日、サルバトーレ・ドニから電話があった」

「サルバトーレ卿からですか?」

「ああ」

「して、何と?」

「東京にヴォバン侯爵が向かっているらしい」

 

 一応、教えておくだけ教えておこうということで、何の気なしに放たれた秋雅の言葉に、三津橋は思わず目を見開き、五月雨は勢い良く立ち上がる。

 

「あのヴォバン侯爵が東京に?!」

「落ち着け、五月雨室長」

「……あ、し、失礼しました」

「しかし、穏やかではない話ですね。これを聞くのもなんですが、信憑性は如何ほどでしょうか?」

「高いと見ていいだろう。あいつがそんな嘘をつく理由がない。ああ、訂正しておくが、昨日の夜の時点で向かっている、だから今はもういるかもしれないな」

「あまり嬉しくない訂正ですね。目的などは分かりますか?」

「そこまでは知らん。あの老人が欲するのは闘争そのもの。力を振るい、敵を狩る場だけだ。アテナが草薙護堂によって退散させられた今、このタイミングで東京を訪れる理由など、見当もつかん」

「その、草薙護堂との闘争という可能性は?」

「あのプライドの高い老人が、神殺しとなって一年と経っていない彼に自分から挑むとは考え難い。草薙護堂のほうから挑んだのなら話は別だが、だとしてもわざわざ彼が日本まで来るのも変だ」

「そうですか……」

 

 秋雅の返答に、五月雨はしばし考え込む。そして、

 

「……東京分室に連絡を取ってみます。もし、あちらがこの情報を入手していなければ、念のため関東の各分室にも連絡をします。失礼します」

「私も、少し席を外しますね」

「ああ」

 

 急いで、二人が部屋の外に出る。そのまま電話をかけ始めたのだろう。秋雅の耳には、三津橋の声は聞こえないものの、五月雨の声の方は僅かに聞こえてくる。距離の差、というよりは単に冷静さの違いといったところだろう。あとは、カンピオーネの聴力というのもあるか。

 

 

 時折聞こえてくる彼女の言葉を特に意識せず食事を再開していた秋雅だったが、ふとある想像が彼の脳裏を過ぎる。

 

「…………まさか、とは思うが」

 

 四年前、秋雅とドニが始めてヴォバン侯爵と遭遇したあの一件。その際に見かけたあの、特に強い力を持っていた媛巫女の少女。その姿を、何故か今、秋雅は思い出した。

 

「あの少女が、目的だったりするのか……?」

 

 呟いてみても、それに答える声は、外にも内にもない。どうにも、これでは分からんかと、秋雅は息を吐き出す。

 

「八人目に任せるしかない、か」

 

 元より、自分は部外者のようなもの。だとすれば、今東京にいる同胞に任せるのが道理だと、秋雅はやはりそう結論付けるのだった。

 








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彼の師匠





 

「ハッ――!」

 

 気合の声と共に、硬い音が響く。それも一度ではなく、カンカンと何度も何度も、ゆうに十は超え、なおも増えている。

 

 しかし、

 

「ほら、そこだ」

 

 先程の気合の声とは異なる、平常の、気の抜けた声。しかしその声と同時に、一際大きな快音が鳴る。直後、カランカランと何かが床に落ちる音が空しく響く。

 

「……参りました」

 

 道着を着た秋雅が、無手のまま頭を下げた。その手に先程まであり、縦横無尽に振るわれていた木刀は、今は少し離れた床の上に転がっている。

 

「おう、お疲れさん」

 

 そう秋雅に返したのは、一見したところでは、普通の中年といった風の男性であった。彼はトントンと木刀で肩を叩きつつ、覇気のあまり感じられてない顔で秋雅を見る。しかし、今まで秋雅の木刀を捌き、そして一撃でそれを奪ったという事実に相応しく、その目にだけはとても並のものとは思えないほどの力強さがある。

 

「今日のところはここまでにしようか。んじゃ秋雅、着替えたら飯、頼むぞ」

「はいはい、分かりましたよ。功刀(くぬぎ)師匠」

 

 先までの真摯な雰囲気をがらりと崩し、秋雅は肩をすくめながらそう応えた。

 

 

 ここ、功刀道場に秋雅が通い始めたのは今から約六年前、彼がカンピオーネになって間もなくの頃だ。通い始めた理由は単純で、当時の秋雅が強くなりたいと思ったからだ。その際、とある理由から、彼は剣道を学ぶのが良いだろうと考え、それを教えてくれる場所を探していた。

 

 普通であれば、まずは親に話を通すところだが、当時の秋雅にとって、それは地味に厄介な問題であった。それまでそんなものに興味を見せてこなかったことと、自身がカンピオーネとなった件も相まって、親に上手く剣道を学ぶ理由などを説明できなかったからだ。

 

 思案の末、当時の秋雅はいっそ自分の金で道場に通うことにした。当時から既に彼は大金を所持していたので、防具等の購入から月謝に至るまで、金銭面では全くの問題はなかった。

 

 だが、いくら金を持っていようとも、親の同意もなしに中学生に剣を教えてくれる道場は、残念ながら秋雅の周囲には存在していなかった。面倒だが、やはり両親に事情を話すべきだろうか。そんなことを秋雅が考えていた折、偶然にも彼が見つけたのが、この功刀道場であった。そこで秋雅は道場主であった功刀と出会い、細かいことを気にしない性格であった功刀のおかげで、剣を学ぶ事が出来るようになった。まあ、功刀道場が教えているのが剣道ではなく、より実践的な剣術だったのは、秋雅にとっては嬉しい誤算であった。それを教える功刀の腕が非常に良かったことも含めて、である。

 

 それ以来、秋雅は家族にも秘密にして、不定期にこの道場へと通っている。高校生、大学生となっても変わることなく、だ。五月雨たちとの会談を済ませた、数日後の今日もまた、そういうわけでここに来ていた。

 

 

「……それにしても師匠、また生徒を追い出しましたね」

「追い出したとは人聞きの悪い。そいつの根性がなかっただけだ」

「貴方は少し加減というものを覚えるべきだと思いますよ、本当に」

 

 この功刀という男は、確かに剣の腕は立つのだが、些か指導者としては向いていない節があった。その最たる点が、生徒達に課す事前準備の過酷さだ。剣の扱いを教える前に身体作りを行わせるというのが自然なことであるが、しかしその量がひどい。大の大人ですら根を上げてしまうような量を、小学生や中学生にも平然と課すのである。しかも、それをクリアしてもその次に待っているのは、防具なしでの剣の打ち合いだ。実戦――正確には実戦形式だが――に勝る修練はないというのが、功刀の考えであるらしい。

 

 打つのは功刀であるので、下手に傷や痕を残すようなことはないものの、それでも痛いものは痛いに決まっている。試しにと入門した生徒が、一月と経たずに止めてしまうのも当然のことであった。

 

 唯一、そんな彼について来られた秋雅にしたって、彼がカンピオーネだからということが大きい。そうでもなければ、当時中学生であった秋雅がここに通い続けるのは不可能であっただろう。実際、後に功刀は秋雅に対し、

 

『ガキにこなせるようなもんじゃなかったはずなんだけどなあ』

 

 と語ったことがある。その際、思わず秋雅が彼に蹴りを叩き込んでしまったのも――もっとも、易々と避けられたのだが――まあ許される話だろう。

 

 

「秋雅」

「は――いっ!!」

 

 眼前に迫る蹴りを、秋雅は咄嗟に頭を引いて躱す。突然のことだったが、混乱はしない。むしろそのまま、体を後ろに反らした反動で前方に向け拳を突き出す。かなりの速さで放たれた一撃だったはずだが、功刀には難なく避けられてしまう。

 

「終わりと言っていませんでしたか、師匠」

「言ってねえ、お前の気のせいだろ」

「師匠の脳みそが古いせいで、忘れてしまったようですね。俺の若い脳みそには師匠の言葉がしかと刻まれていますよ」

 

 そんな軽口を叩きつつ、秋雅は油断なく構える。口で言うほど、この状況に秋雅は怒りを覚えているわけではない。むしろ、これこそがこの道場における日常であった。

 

 

 実のところ、功刀道場が教えるのは剣術だけではない。何せ、功刀の教えというものが、

 

『剣を振るえ、剣がなければ長物を振るえ、長物がなければ適当なものを使え、何もなくても身体を使え――どんな手を使ってでも、勝利しろ』

 

 という、ある種、カンピオーネが教わるには相応しい教えであったからである。だからこの道場では、その教えに違うことなく、剣以外の武器の使い方や、徒手空拳での戦い方まで一通り教え込まされることになる。もっとも、そこまでいけたのは、この六年では秋雅だけである――あくまで、秋雅が知る範囲の話だが――というのが現実であった。

 

 まあ、そんな無茶苦茶な教えのため、功刀は時に、ためらくことなく不意打ちを放つことがある。それに対処するのもまた、この道場における修練であった。

 

 

「ハッ!」

 

 鋭く声をあげ、秋雅が蹴りを放つ。それを功刀は易々と避け、秋雅の軸足に対してこちらも蹴りを放ってくる。舌打ちをしつつ、それを秋雅は片足で跳んで避ける。無理な体勢からの跳躍ゆえ、秋雅は空中でバランスを崩し、床に倒れこむ。

 

「相変わらずせこいなあ、お前は」

 

 しかし、それを叱るでもなく、功刀は感心したように言った。何故なら、秋雅が倒れこんだのは、先程彼が手放した木刀の傍だったからだ。わざとこけてみせ、得物を取りにいったのである。

 

「師匠に言われたくありません、ね!」

 

 木刀を掴みつつ、秋雅は立ち上がる。秋雅が木刀を正眼に構えれば、功刀もまた肩に預けていた木刀を構える。

 

 

「ふぅ……」

 

 間合いと、飛び込む隙を秋雅は計る。形式上は試合だが、実態は何でもありの実戦とほぼ同じ。秋雅の闘争心の高まりと同時に、彼の身体もそのポテンシャルを引き上げていく。流石に権能こそ使う気はないが、しかしカンピオーネとしての身体能力を十全に使わなければ勝てない相手だと、秋雅は功刀に対してそう思っている。

 

 故に、

 

「行きます!」

 

 力強く踏み込み、そして剣を振るう。風切音と共に、木刀が鋭く功刀に迫る。

 

「自分でタイミングを教える馬鹿が何処にいるかよ!」

 

 秋雅の言葉にそう返し、功刀もまた踏み込む。その踏み込みと剣の速度は、秋雅のそれよりも速い。このままであれば、秋雅の剣よりも早く、功刀のそれが秋雅に当たることになるだろう。

 

「どうかな!!」

 

 しかし、秋雅もそう易い相手でもない。功刀の反応に、秋雅はあえて、振るっていた剣を手放す。それにより、予想されていた軌道を、予想よりも鈍い速度で剣が進むことになる。

 

「っ――!」

 

 それにタイミングを崩された功刀は、予定よりも早くその剣を振るう。その結果生まれるのは、一瞬の空白。予想と現実の狭間に生まれた、ほんの僅かな隙。

 

「せえいっ!!」

 

 その隙を、秋雅は迷いなく狙う。左の掌底を鋭く放ち、真っ直ぐと功刀の腹部へと向かう。続いて秋雅が感じたのは、確かな手ごたえ。秋雅の一撃が、功刀を捕らえたのである。

 

「――やれやれ。負けだ負け」

 

 一瞬の静寂の後、功刀は木刀を再び肩に預けながら下がる。確かに秋雅の一撃が入ったというのに、その足どりや態度に一切の乱れはない。決定打を入れられなかったと、そう判断しつつ、秋雅はややかがめていた背を伸ばす

 

「よく言いますよ。結構いい一撃だったはずなのに、何でそう耐えられますかね」

「じゃあお前、今のと同じのを喰らったら、お前ならどうよ」

「……まあ、耐えられますね」

「なら、俺が耐えられねえ理由はねえな」

 

 無茶苦茶だなと、秋雅は功刀の言葉に苦笑する。カンピオーネとして強化された肉体と、そうではない人間の肉体を同列で語るのだから、他の者が聞けば苦笑どころではすまないだろう。しかし、不思議と秋雅にはその言葉が納得できた。勿論、功刀が秋雅と同じカンピオーネというわけじゃない。ただ、彼なら納得できると理屈抜きに思っただけだ。

 

 

「まあ、今日のところはマジで終わりな。飯にすっぞ」

「一応聞いてあげますが、リクエストはありますか?」

「あ? あー…………あれだ、中華が食いてえ」

「中華ですか。麻婆豆腐とか?」

「俺、エビチリのほうがいいな。あとはそうだな、炒飯とか」

「それは流石に、材料がないでしょう。また俺に材料を買ってこさせる気ですか?」

「お前、金持ってんだからいいんじゃねえか。俺なんか貧乏道場主だぞ」

「さいで。まあ、いつものことと言えばいつものことですが……」

 

 功刀の言葉に、秋雅は呆れたように半目で師匠を見る。しかし、それに対し功刀は何処吹く風と言わんばかりに口笛を吹いている。

 

 実際のところ、功刀が本当に貧乏なのか秋雅はよく知らない。稽古料として秋雅は、何も聞かずに稽古をつけてくれた礼も兼ねて、相場の数倍どころか、十数倍程度の金額を支払っているが、それだけで道場の維持や普段の生活が出来るとも思えない。だが、他に何か副業をやっているのかと言われると微妙に引っかかるところもある。こんな男が果たして、真っ当な職業についていられるのかという、何気に失礼なことを秋雅は思っている。

 

 そもそも、この功刀という男は極めて謎が多い。特に、その実力が一番の謎だ。これまで六年間、秋雅は彼と幾度となく試合を重ねてきたが、その度に思う事がある。それは、差が変わらない、というものであった。追いつけないでも、引き離されるでもなく、変わらない、だ。どれだけ秋雅が実力を上げようとも、功刀も同じだけ力量が上がっているのだ。それは彼も成長しているということでは勿論なく、未だにその実力の全貌を露にしていないということである。現状、三回に一回程度の割合で秋雅は彼に勝っているが、それもあちらが本気を出していないからだ。もし本気を出せば、それこそ魔術や権能を使わない限り自分は勝てない。そう、秋雅は彼の実力を判断していた。

 

 まあ、結局のところ、重要なのは自分を高められる場だと、秋雅はそう思っている。だから、その気になれば正史編纂委員会なりを使って師匠の素性を調べることも可能だろうに、まったくそのようなことをしない。まったく、その気が起きないのだ。

 

 だから、まあ疑っても仕方がないと、秋雅は功刀の言葉を一応は信じ、時折自腹で昼食を作っているのであった。

 

 

「スパイスはどうするかな。どうせ買ってきたところでこの師匠が使うとは思えないし」

「塩胡椒だけで十分だろ」

「自分が俺に作れといった料理を思い出してくださいよ」

 

 などと言いながら、今度は本当に二人とも着替えに動く。面倒ということで、秋雅も功刀も、同じ部屋を着替え部屋としているため、会話はそのまま継続だ。

 

 

「しっかし、秋雅。最近はあんまり来てねえが、大学生活って奴はそんなに忙しいのか?」

「でもないですけど、他でやることがありましてね。最近はそっちが立て込んでいたんですよ」

「ほーん、バイトかなんかか?」

「まあ、そんなもんです」

「お前がバイトねえ……」

 

 金を持っているくせに、と功刀が秋雅に問うたりはしてこない。打ち込みして分かっているくだろうに、常人離れした秋雅の頑丈さについても功刀は聞いて来ない。何かある、と分かっているからこそだろう。そんな師匠に、秋雅も口にこそは出さないものの、何かと感謝していたりもする。

 

 

「……ああ、そうだ」

 

 会話が若干そちら関係に跳んだせいか、ふと秋雅の脳裏に考えが浮かんだ。

 

「師匠、師匠って結構強いですよね」

「うん? まあ、強いわな」

「剣術だけに限定したとして、自分はどれ位強いと思っています?」

「……いや、知らねえが。それがどうしたんだ?」

「俺の知り合いに、最強と評されている剣士がいるんですよ。西洋剣ですがね」

 

 言うまでもなく、それはあの、サルバトーレ・ドニのことである。

 

「最強ねえ……で、そいつがどうしたんだ?」

「前々から、俺と決闘したいなんて言っていましてね、そいつは。俺は嫌だと言っているんですが、下手をすればこの国に来かねない奴でして」

「ああ、外人さんなのか……何が言いたいのか、分かった気がするわ」

「もしこっちに来たら、師匠にその馬鹿をぶつけますんで、よろしく」

 

 そう、秋雅はなかなかに良い笑顔で言ってのける。ふとした思いつきだったが、割と本気だった。

 

「……ああ、うん。機会があればな……」

 

 秋雅の笑顔に何を思ったのか、珍しく肩を落とす功刀に、秋雅はさらに笑みを深めて見せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、食事を済ませた後の、道場からの帰り道のことであった。

 

「……これは」

 

 機嫌よく道を歩く中、突如として、弾かれたように秋雅は空を見る。梅雨の時期らしい曇り空を見る秋雅の目は、極めて鋭い。

 

 梅雨空の向こう、その先の先から、強力な呪力が感じられる。何か、とぼかすまでもない。『あれ』が降り立ったのだという、その確信が秋雅の中に生まれていた。

 

 秋雅が天をにらむ中、懐の携帯が鳴る。それに対し、秋雅は画面を見ることもなく、王としての状態で電話に出る。

 

「私だ」

『――三津橋です!』

 

 電話越しに、三津橋の声が叩きつけられる。いつもの飄々としたものとは異なり、その声には焦りの色が強く感じられる。

 

『秋雅さん、非常事態が発生しました。たった今、この地に『まつろわぬ神』が顕現しました』

 

 ああ、と秋雅が頷く。ビシビシと、決して隠す気のない神の気配が、秋雅を挑発するように、空の向こうから発せられている。

 

『秋雅さん、正史編纂委員会より正式に依頼をします。報酬はいつも通り、内容は神の討伐――引き受けてくださいますか?』

「無論だ、それが私の役目なのだから。で、その場所は?」

『福岡県太宰府市――太宰府天満宮です』

「大宰府……分かった、急行する」

『お願いします。私も、今すぐ現地に向かいますので』

「ああ、ではな」

 

 電話を切り、秋雅は空を睨みながら呟く。

 

「大宰府か。誰が相手か、まあ分かるのは助かるが……」

 

 そんな言葉をこぼした、次の瞬間。まるで最初から何もいなかったかのように、秋雅の姿は完全に、その場から消え去るのであった。

 








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天神、顕現






「…………ほう」

 

 ふと、『彼』は目覚めた。何がきっかけというわけでもない。ただ、目覚めた。それだけであった。

 

「うわっ?!」

 

 『彼』が最初に聞いた声は、男の驚いた声だった。そちらへと目を向ければ、そこには何とも珍妙な格好をした男がいる。

 

「……否」

 

 違うな、とすぐに自身の考えを否定する。これが、今のこの世の格好なのだろうと。しかし、どうでもいいことだ。

 

「お、おい。アンタ、一体何処から出てきたんだ? てか、何だその格好? 平安時代か何かかよ」

 

 ポンと、『彼』は誰かしらに肩を叩かれた。その馴れ馴れしさに、『彼』は不愉快そうに眉をひそめる。

 

「無礼な」

 

 呟きと共に、その身体から火花が舞う。

 

「ぎゃっ!?」

 

 同時、『彼』の肩を叩いていた男が悲鳴を上げて倒れた。何事か、と視線を送る周囲の人々など気にも留めず、彼はただ天空を見上げる。

 

 

 ゴロゴロと、頭上より音が聞こえ始める。先程まではまだ、曇り空と言うべきだった空が、瞬く間に雷雲へと変わっていく。

 

「――さあ、始めようぞ」

 

 『彼』はその身に宿っている力を、否、本能を解放する。『彼』がまつろわぬ神たる、その力を。

 

「さあ、参ろうぞ!」

 

 雷鳴と共に、まつろわぬ神は――天神、『菅原道真』は大きく叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やっとついたか!」

 

 大宰府の一角。そこに突如として、稲穂秋雅の姿が現れた。そこではまるで、天を枯らし、地を沈ませるのではないかと錯覚するほどの豪雨が降り注いでいた。いかに梅雨とはいえ、異常といっていい雨量に、秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

 雷音が辺り一帯に響く。その数たるや、一や二ではきかない。十、二十の雷が天より落ちていく。地を焦がし、人の造形物を破壊せんとする光だ。

 

 辺りに人の姿はない。異変に気づき、その全てが自主的、あるいは他者に引きずられる形で避難をしたためだろう。

 

 

「やってくれているな」

 

 その身を思い切り濡らす雨をものともせず、彼はキッと天を睨む。確かに、頭上の雷雲はまつろわぬ神の呪力を漲らせているということが、秋雅には分かった。

 

「あの中か? ……いや、違うか」

 

 あの雲の中ではない。あそこには、まつろわぬ神(彼の敵)はいない。では、何処にいるのか? 辺りを見渡し、そして気がついた。

 

「そこか――」

 

 再び、秋雅の姿が消える。彼が先程まで見ていた場所は太宰府天満宮、その奥であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まつろわぬ神、だな?」

「貴様は……神殺し、か」

 

 

 太宰府天満宮、その本殿の前で、ついに二人は対峙した。一人は、カンピオーネ、稲穂秋雅。一人は、まつろわぬ神、菅原道真。二人は、しばしの間、己が宿敵を睨む。

 

 先に口を開いたのは、秋雅であった。

 

「菅原道真――で間違いないか?」

「然り」

 

 やはり、と秋雅は口には出さずに呟く。予想通りではあったが、まさか本当にそうなるとは、という思いだ。

 

 今でこそ菅原道真、天神様は学問の神として親しみをもたれているが、しかし本来は祟り神だ。それが後の時代になり、怨霊として恐れられることよりも、今のように学問の神として信仰されるようになったのである。

 

 道真の祟りとしてもっとも有名なのが、清涼殿落雷事件だ。当時の都である平安京、その内裏にあった清涼殿と呼ばれる建物に雷が落ち、多くの人が亡くなったという事件なのだが、この事件をきっかけとして道真は雷神と結び付けられたのである。

 

「また雷神か、まったく……」

 

 目の前に立つ神の情報をざっと振り返りながら、秋雅は小さく呟く。またか、という思いだ。何故こうも自分は、雷神というものに縁があるのだろうかと思わずにはいられない。まあ、愚痴ったところでその原因が分かるわけでもないし、そもそも分かったところで目の前に神様がいるということに変わりはないのだが。

 

「私だけが名乗ると言うのも不快だ。貴様の名は何だ、神殺し」

「稲穂秋雅だ。覚えたければ勝手に覚えるといい」

「それは、貴様次第であろうな」

「――ちっ」

 

 突如、光が爆発し、轟音が生じる。ついと道真が降らせた雷を、秋雅が逆向きに生じさせた雷で迎撃した結果だ。所詮は軽いお試しといったところなのだろうが、それでも軽々と相殺した為だろう。意外そうに道真が片眉を上げるのが秋雅には見えた。

 

「ほう、貴様も雷を操るか」

「どうにも、お前のような雷神とばかり縁があってな」

「左様であるか」

 

 言いつつ、再び道真が雷を降らせる。今度は一つではなく複数であったが、その全てを秋雅は迎撃してみせる。

 

「やるではないか、神殺し」

「ふん、言ってくれる」

 

 道真の言葉に鼻を鳴らした秋雅の右手に、突如真っ黒なザクロの実が出現する。そのザクロの実に感じ取るものがあったのか、道真は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「む? 何をするつもりだ」

「これ以上お前に好き勝手をされると被害は大きくなるばかりなんでな、場所を変えさせてもらうぞ」

 

 ぎゅっと、右手を握り締めて言う。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 次の瞬間、その場から忽然と、秋雅と道真の姿が消えさる。残ったのは、天にて未だ唸りをあげる雷雲のみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 道真が不思議そうな表情で辺りを見渡す。地形や景色、天候こそは先程と同じであるというのに、しかしその色は不気味なほど赤黒い。明らかに、先程までいた空間ではないという事がすぐに分かる。どういうことかと考える素振りの後、道真は得心がいった様に頷いた。

 

「成る程、ここは黄泉の地であるのか。神殺し、貴様は冥府に属する神を殺し、そしてその権能を簒奪したのだな」

「……そうだ」

 

 己の権能を言い当てられたことに、秋雅は僅かだが驚く。流石は学問の神かと、どうでもいい納得をする。しかし、そう暢気にしている場合でもないと、秋雅はその右手に己の代名詞たる雷鎚を呼び出し、構える。

 

「さあ、勝負といこうか、『天神』道真!」

「来い、神殺し!」

 

 バチバチと、二人の身体に火花が生まれる。それぞれが持つ雷の力が、その闘志の高ぶりによって活性化しているためだ。降り注ぐ雨の中、二人はしばしの間睨みあう。

 

 

「喰らって貰う!」

 

 先手を取ったのは秋雅だ。その手から放たれた雷が、真っ直ぐに道真へと向かっていく。しかし、その雷に対し、道真は回避の姿勢を見せない。一瞬の後、その雷は道真に直撃した――かに思われた。

 

 

「効かんよ、神殺し」

 

 しかし、光が晴れたその先にあったのは、道真の不敵な笑みだ。彼が吐いた言葉の通り、まるで今の一撃などなかったかのように、道真にはまったく堪えた様子がない。

 

 何故だ、と一瞬の驚愕が秋雅に走る。だが、すぐさまに、半ば直感的に秋雅は理解した。

 

「雷を吸収したのか!?」

 

 しかも、おそらくそれはダメージを与えられなかっただけではない。雷に込められていた力――呪力をも取り込み、道真の力となってしまったのだ。

 

 かつて天神――雷神は各地で信仰されていた。しかし道真が天神と呼ばれだしたことで、次第に各地の天神は道真と同一視されるようになった。それはつまり、道真が各地の雷神を自身に取り込んだということと、同義としてとらえることができるだろう。そうであるならば、他の雷神の力を吸収するということも出来て不思議ではない。自前の知識からの推論に、秋雅のこめかみを冷や汗が伝う。

 

「マズイな、これは……」

 

 元々、秋雅の権能は日本の神から簒奪した物ではない。だが、それでもなお取り込まれたということは、それだけ目の前の神の力が強いということだ。それを考えれば、多少出力を上げた程度で対応できるか怪しい。秋雅の遠距離攻撃手段が雷一つである以上、近距離攻撃以外は封じられたと思っておく方がいいだろう。もしかしたら彼の切札(・・)なら通用するかもしれないが、しかしそれは最後の手段。最初からこれを当てにするというわけにはいかない。

 

 おそらくは物理攻撃は通用するであろうから、何とかしてこの雷鎚を当てるしかない。あるいは……

 

「では、こちらの番だ!」

 

 秋雅が次の手を考えている中で、今度は道真が雷を秋雅へと放つ。先程の鏡写しのように、真っ直ぐと秋雅へと雷が突き進んで行く。しかし、それが命中する直前に、秋雅の姿はその場から消え去った。

 

「むっ!?」

 

 何処に行った、と道真は警戒し、すぐさまその場から跳び退る。

 

「――外したか!」

 

 道真が先程までいた場所の右横、そこに現れた秋雅が何もない空間を雷鎚で殴り抜く。もし道真がその場を離れていなければ、その一撃を受けていただろう。

 

「中々良い権能を持っているではないか、神殺し! その力、おそらくは北の地の、善と悪をうつろう神より簒奪した力だな! 転移ではなく、場の交換とは、中々に面白い!」

「っ!? これだけで見抜いただと!?」

 

 自身の権能、その能力を初見で見抜かれたことに、秋雅は今度こそ驚愕の表情を浮かべる。これまでこの権能、北欧神話の神であるロキより簒奪した、二つの物体の場所を入れ替える権能、『我は留まらず(ダンス・イン・マイ・ハンド)』を見破ったものなどそうはいない。それを初見で見破られたということに、秋雅は驚きを隠す事が出来ない。

 

「……だが、それだけだ!」

 

 しかし、秋雅はすぐに思考を切り替える。見破られたところで、大して問題はないと割り切ったのだ。実際、転移の正体を見破られたところで、彼の動きが制限されるというわけではないのだ。

 

 再び、秋雅の姿が消える。その事を確認した道真は、再び後方へと大きく跳んだ。その一瞬後、またもや秋雅の姿が現れるが、再び彼の攻撃は空振りに終わる。そんな秋雅に対し、道真は言う。

 

「その権能、おそらくは視界に入っていなければ使えないのであろう! 使えるのであらば、単に私の後ろを取ればいいだけだからな!」

「ちっ、本当に慧眼だな!」

 

 秋雅の権能、『我は留まらず』には二種類の使用法があるのだが、そのうちの一つは道真の推測通り、秋雅の視界内にあるもの同士、もしくは自身の場所を交換するというものだ。この際、視界内に入ってさえいればいいので、直接は目に見えていない塵や埃などとも場所を交換する事が出来る。視界さえ確保出来ればいいというその使い勝手の良さから、秋雅の戦闘において決して欠かせない能力だ。

 

 もう一つの方法が、彼が認識した物体同士を交換するというものだ。この場合は視界内に入っているかどうかは関係なく、秋雅がそれを認識さえしていれば、例え彼我の距離が何十キロと離れていようとも関係なく交換できる。しかし、こちらの方を戦闘中に用いるのは少々難しいところがあるので、秋雅はこれをもっぱら非戦時の長距離移動用として――向こう側に彼が知っている物体がないと使えないので、基本的には特定の場所への移動のみとなる――使用している。

 

 このどちらにも共通しているのが、交換する対象同士の差異が大きければ大きいほど呪力の消耗が大きくなるという点だ。例えば、秋雅自身と何かの交換する場合、彼と同じ体格の人間、あるいはマネキンなどとであれば消耗は少なくてすむが、小さい子供のような大きさ、重量に差があるものだと消耗は大きくなる。戦闘中、彼は基本的に空気中の塵などと自身を交換しているが、実のところこれはかなり消耗が大きい。そのため、彼は基本的に短期決戦を主として戦う事が多いのだが、

 

「やはり、きついか……!」

 

 顔をしかめ、思わず秋雅が吐き捨てる。ここに来るまでに交換を繰り返したのが、思いのほか秋雅の呪力を消耗していた。『我は留まらず』は距離による呪力消費量の増加はそう多くないが、視界に移る所までしか跳べないという都合上、長距離をそれだけで移動するにはどうしても回数が増してしまう。途中から降り始めた豪雨に視界が著しく阻害されたことも、それに拍車をかけた。結果として、秋雅は既に多量の呪力を消費してしまっていたのんだ。

 

 その上、道真の雷の迎撃と、この空間に移動したことで――まあ、こちらはそれほど多く呪力を消費するわけは無いのだが――現在の秋雅の呪力の残量はそう多くない。流石に、すぐ様に何もできなくなるというほどではないが、余裕をもって戦えるほどの余力はないだろう。もはやこうなると、遠距離攻撃をすっぱりと諦められるというのはある意味では良い事かとすら思えてくる。

 

「どうした? 随分と疲れているようだが、まさかもう終わりかね?」

「舐めるな。この程度で、王が諦めるものかよ」

 

 言って、秋雅はその手の雷鎚を横に落とす。

 

「む?」

 

 何を、と怪訝な表情を浮かべる道真の前で、秋雅は召喚の魔術を用いて、己が手の中に『それ』を出現させた。

 

「やはり、これを使うのが一番か」

「それは……」

 

 秋雅が手にするのは、一振りの日本刀だ。鞘に収められたままのそれをゆるりと腰に差し、そして抜き放つ。

 

「ここからが本番だ」

「得物を変えたところで、どうなるというのか!」

 

 日本刀を正眼に構えた秋雅に対し、嘲笑すら浮かべながら道真は雷を放つ。数は四、そして空の雷雲からさらに四。計八の雷が、螺旋を描くように秋雅へと向かう。

 

「言おう――この刃に、切れぬ雷はない!」

 

 叫びと共に、秋雅はその刀を振るった。雷が刀身に当たることすらない、タイミングが合わぬように見える一刀。ただの愚行にも見えるその行動の結果は、果たしてすぐさまに見受けられることとなった。

 

「何だと!?」

 

 その結果に、道真の顔が驚愕の色に染まる。彼の放った八つの雷。その全てが、まるで解けるように霧散していた。そこには雷に焼かれるはずであった神殺しの姿はなく、再びその刀を構える秋雅の姿があるだけだ。

 

「その刀、もしや神刀の類か!」

 

 道真の叫びに対し、秋雅はニヤリと笑い返して言う。

 

「そう。これこそが、かつて雷の中にあった雷神を切ったとされる一振り。それにより、主から新たな名を賜った伝説の刀――」

 

 その名を、

 

「これぞ名刀、千鳥。そしてまたの名を――雷切!!」

 

 

 雷切を構え、秋雅は不敵に笑う。そして、再び宣言する。

 

 

「この刀に、切れぬ雷はない!!」

 

 

 そう叫び、秋雅は地を蹴った。

 








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『雷神』対『雷切』

「うぬっ!」

 

 迫り来る秋雅に、道真が唸る。彼の持つ刀、『雷切』の存在に気圧されているのだろう。雷に対し、絶対の力を持っている神剣。雷神として存在するものであれば、本能的に恐れずにはいられないだろう。

 

「――しかし!!」

 

 だが、その恐れを振り払うように、道真は雷を手繰る。いかに天敵の存在があろうとも、まつろわぬ神がそう易々と恐怖するものではないということか。気迫が衰えることもなく、彼は手にした破壊の光をただ秋雅にのみ収束させる。

 

 

「効くか、よっ!!」

 

 その迫る雷に対し、秋雅はその手の雷切を大きく振るうた。その一閃は、やはり道真の雷を元から存在していなかったかのように解き、消失させる。

 

「ハアッ!!」

 

 気合と共に、地を強く蹴る。自身の魔術により強化された秋雅の肉体は、大地にひび割れすら作るほどの踏み込みで、道真へと一直線に迫る。『我は留まらず』を用いないのは加速により斬撃の威力を上げ、出来れば一撃で片をつけるためだ。

 

 真っ直ぐな、単調な一撃だが、しかしこれを当てることは可能だと秋雅は判断していた。何故なら、相対する藤原道真は元々文官、少なくとも武官ではない。まつろわぬ神というものは基本的に、己が伝承や来歴にその能力が決定される。戦場の英雄であればその身体能力も高いが、目の前の神はそうではない。これまでの、ともすれば単調とも言っていい攻撃から察するに、近接戦闘が出来るタイプではないだろう。既に二回見せた回避のための跳躍も、実のところそれほど距離を稼いではいたわけではない。

 

 これまでの戦闘から、たとえ回避されたとしても、そのまま追い縋ることは可能。そんな秋雅の判断を裏付けるように、秋雅の突進に対し道真の動きは鈍い。取った、と確信した秋雅だったが、

 

 

「ぬうん!!」

 

 道真の周囲に、バチバチと火花が散る。それは先程、秋雅も行ったことではあるが、しかし今回は違う物に秋雅には見えた。

 

 

「神速を使う気か!?」

 

 単なる直感だが、秋雅には道真が神速を使おうとしているように見えた。何処となく、彼の同胞である『黒王子』アレクサンドル・ガスコインが用いる、稲妻そのものへと変貌することによる神速。それと同じ物のように思えたのである。

 

「だが!」

 

 それを行うつもりなら、全くもって無謀としか言いようがない。今秋雅が握る『雷切』は、如何なる雷であろうとも切る。それは以前、秋雅がアレクサンドル・ガスコインと対峙した際に確認済みだ。その身を雷へと変じたその瞬間に秋雅がこれを振るえば、道真は回避に失敗し、その上体勢を崩した状態で雷切の一閃を受けることになる。故に、秋雅は叫ぶ。

 

 

「終わりだ、道真!」

 

 

 しかし、

 

「舐めるな、神殺し!!」

 

 道真の身体を、雷光が包む。雷への変化ではなく、雷を纏っているという風だ。何だ、と秋雅は疑問に思いつつ、しかしもはや目前となった道真の身体に対し、『雷切』を振るう。たとえこれを跳躍で回避されたとしても、道真が着地するより先にその落下ポイントに辿り着き、攻撃を置く(・・)ことができる。そう、秋雅は判断していた。

 

「――っ、馬鹿な!?」

 

 だが刃が切り裂いたのは、何もない空間であった。それはつまり、道真に攻撃を回避されたということ。いや、それはいいのだ。元より回避される事を織り込み済みなのだから、そこはどうでもいい。問題なのは、秋雅が驚いたのは、そこではない。

 

「その飛距離は!?」

 

 道真の回避は、秋雅の想像を超えていた。優に秋雅の予想の二倍の距離の大跳躍で、道真は後方へと大きく退避していた。一瞬前まで道真が立っていた地面は大きく抉れており、秋雅の踏み込みよりも強い力が加わったのだと推測できる。明らかに、道真の身体能力が大きく上がっていると判断せざるを得ない。

 

「随分と驚いているようだな、神殺しよ」

 

 道真の言葉に、秋雅は思わず唸り声を上げる。身体能力の増加が、今も道真が纏っている雷光による物だとは分かっているが、しかしそうなると何故『雷切』で斬ることが出来なかったのかが分からない。雷と同化することによる神速にせよ、纏った雷を動かして移動したにせよ、それが『雷』という属性である以上『雷切』に斬れぬはずはないのだ。

 

 

 試しに、その場で軽く『雷切』を振るってみるが、やはり道真が纏う雷光に変化はない。

 

 となれば、だ。

 

「つまり、あれは雷じゃない。雷を用いない移動だということだ」

 

 現状から判断すると、そういうことになる。であれば、一体どのようにしたのか。最終的な現象としてはおそらくは身体強化の類でいいはず、であればどうやってそこまで辿り着けるのか。それを考える為に、警戒を緩めぬまま、秋雅は菅原道真、そして天神様についての知識を思い出していく。

 

「確か……道真と同一視されるようになった火雷神は、農耕神としての一面も持っていたな」

 

 雷の事を『稲妻』と呼ぶ理由は、稲穂が実る時期によく雷が発生した事が理由だ。雷が稲に実をつけさせる、という考えから生まれた呼び名である。そうでなくとも、雷とは雨と共にあるものだ。雨が農作物を育むことからも、雷神が農耕神として信仰されるのは分かりやすい理屈だ。

 

「農耕とはつまり、食べ物を作るということだ。食べ物は人を生かし、成長させる……成長?」

 

 かちり、と頭の中で音がした気がした。そのままの勢いで、秋雅は思い浮かんだ考えを口に出す。

 

「成長とは、人をより強くするともとれる。子供が大人になることは、つまり肉体が強化されていくということ。食物がそれを成すというのなら、その食物を生み出す農耕もまた、それに繋がると言えるだろう――成る程、そういうことか」

 

 ようやく、納得のいった表情で秋雅は言う。

 

「雷神にして農耕神としての象徴である雷、それを用いた身体強化ということか」

 

 その手の創作物などで、電気を用いて人間の身体能力を上げるという話はそれなりにある。それの魔術版、神様版というべきものを道真は使ったのであろう。では、もう一つの疑問の答えは何なのか。

 

「おそらくは、身体の内側に対し作用しているということか。纏っている雷光は力が漏れているようなもので、実態は身体の中で力が働いているのか。いかに元の力が雷に起因する物でも、身体の内側にあるそれを雷とは言わんな」

 

 あくまで、それは単なる電気なんだなと、秋雅は最終的にそう判断する。その秋雅の推測に対し、道真は僅かに満足そうに頷いてみせる。

 

「その通りだ、神殺し。よくぞ見破った」

「学問の神様にそう言われるとは、何とも不思議な気分だな」

 

 まあ、もう信仰としての神など信じちゃいないが。秋雅は苦笑するように呟いて、しかしすぐに表情を引き締め、構える。

 

「お前の移動のタネは分かった――今度こそ、決めてやる」

「それはこちらも同じことよ――果てよ、神殺し!!」

 

 その言葉と共に、道真が加速する。雷による攻撃が効かないと判明している以上、本来の戦い方ではない接近戦を挑まざるを得ない。それで勝てるかどうかは不明だが、しかし不倶戴天の敵(カンピオーネ)に背を向けることなど、この藤原道真(まつろわぬ神)が選ぶはずもなし。

 

 その思いでもって、道真は地を蹴る。不得手であるが故の先手必勝、そのために道真は秋雅よりも速く駆ける。

 

「いくら速かろうと!!」

 

 全体的な身体能力の差はともかくとして、移動速度に関しては秋雅の方が道真よりも遅い。しかし、だからと言って、それで秋雅の敗北となるわけではない。要は、攻撃を通せばいいのだから。

 

 

 

 秋雅もまた地を蹴る。身体の右側を前に出して傾け、『雷切』をその後ろに隠すようにして構え、駆ける。対する道真は右手を前に突き出し、その抜き手を秋雅に向けている。攻撃するなら一度引いて打ち出せとか、そもそも抜き手など突き指をするぞとか、相手が普通の人間であればそのような事を思ったかもしれない。しかし、それを放つ相手が相手だ。今回の場合、その強化された抜き手であれば、いかにカンピオーネである秋雅の肉体といえど、十分に貫通することは可能であろう。

 

 だから、それを避けた上で一撃を見舞う。その思いで、秋雅は地を蹴り、さらに身体を加速させる。そしてそれに対抗するように、道真もまた一歩を重ねる。

 

 

 

 次の一歩、互いのそれを足した計二歩で、攻撃の間合いとなる。だから秋雅は、その一歩をやや右に向けて踏み込む。それと同時、構えていた『雷切』を振り出し始める。これで、道真の抜き手を避けつつ、『雷切』の横一文字を食らわせてやる事が出来るはずだ。

 

「――ッ!?」

 

 しかし、その秋雅の思惑は崩れる。何と、道真はその右手を、今まさに振り始めようとする『雷切』の、その刃に向かって突き出したのだ。

 

 マズイ、と秋雅は咄嗟に思ったものの、しかしもう止めることは出来ない。そのまま、元の思惑とずれた状況のまま動くしかない。

 

『雷切』の刃に、道真の抜き手が突き刺さる。無論両者が拮抗することなどなく、その刃は道真の手を切り裂いていくものの、しかしその勢いは明らかに弱まってしまった。

 

 いくら切れ味が鋭かろうと、速度が完全に乗り切っていない刃では、その真価を完全に発揮することは出来ない。どんな武器にせよ、振り始めや振り終わりでは、その威力は大きく落ちてしまう。

 

 今回もまたそうであったようで、『雷切』の刃は道真の腕を、精々が肘の辺りまで切り進めたところで止まってしまう。いかに雷神殺しの武器とはいえ、雷程度ならともかく雷神相手では、当たれば終わりというほどのものではない。

 

 『雷切』が途中で止まってしまった事で、秋雅に明らかな隙が生まれる。勿論、それは腕を切られた道真も同じなのだが、この状態となることは想定外であった秋雅と、全て想定済みであった道真では、次の行動へと移るタイムラグは異なる。

 

「取ったぞ!」

「――舐めるなあ!!」

 

 秋雅に対し、道真が左手を突き出す。狙いは秋雅の心臓辺り、そこを貫く算段なのであろう。対し、秋雅は動きの止まった両の手ではなく、その足を動かそうとする。右足を軸に身体を捻り、左足を道真の身体にぶち当てようとする。

 

 

 一瞬の選択、それを後押ししたのは、やはり両者の近接戦闘での経験値の差であった。

 

「ぐぅっ!」

「ちいっ!」

 

 道真の抜き手は秋雅の脇腹を掠めるようにしてすり抜け、秋雅の左足は道真の腹部を強烈に捕らえた。秋雅のこれまでの鍛錬の結果が、何とか回避と攻撃を両立させた形だ。

 

 道真の身体が後方へと吹き飛ぶ。同時、その手に刺さっていた『雷切』が抜け、切り裂かれた箇所から血が噴出す。その痛みであろうか、道真は何とか体勢こそは建て直したものの、大きく顔をしかめて吐き捨てる。

 

「成る程、やはり貴様は武術の心得があったか! いかに身体を強化しようとも、私ではどうともならんとはな!」

「……いや、今のは効いた。まったく、不甲斐ないものだ」

 

 油断とはまた違うが、相手は武人ではないと、何処か侮っていたのは事実だ。まさかあちらが、捨て身でこちらの武器を封じ、そして勝利を手にするというような策を取ってくるとは想像もしていなかった。しかし、相手が英雄神などであれば、おそらくはそれも想定することが出来たはず。やはり、激突前の秋雅は慢心していたとしか言いようがない。

 

「だが、もはや勝敗は決した」

 

 道真の右手は失われ、攻撃手段は大きく制限されている。対し秋雅は、呪力こそ危ないものの、身体はまだまだ動くし、何よりその手には『雷切』がある。ここから道真の勝利する道など、ほぼないと言っていいだろう。

 

「口惜しい。まさか出会った神殺しが、雷神殺しであったとはな」

 

 その事を自分でも理解しているのだろう、道真もまた無念そうに呟く。結局のところ、カンピオーネとまつろわぬ神との戦いにおいても、相性というものが非常に重要だ。秋雅にとっては幸運なことに、そして道真にとっては不幸なことに、菅原道真という神に対し、稲穂秋雅という神殺しは最悪の相手であったのだろう。

 

「しかし――」

 

 だが、だからといって。それで諦めてくれるほど、まつろわぬ神は潔くない。神殺しを相手に自ら頭を垂れるなど、そんな相手であろうはずがない。

 

「勝負だ、神殺し――否、稲穂秋雅!!」

 

 目の前の敵を、どこまででも討ち滅ぼす。その叫びには、そんな意思が込められているのが感じられる。

 

 

「――いいだろう、菅原道真」

 

 それが分かっているからこそ、秋雅もまた構える。元より、まつろわぬ神に自ら敗北を認めさせる気などない。最後の最後まで、カンピオーネとして、

 

「稲穂秋雅が、お前を倒す!!」

 

 真っ向から、全力で打ち倒すのみ。

 

 

 

 

 

 

 再び、二人の呪力が高まっていく。最後の一瞬の為、その闘志を限界まで練り上げる。じりじりと、互いに踏み込む体勢を整えていく。

 

 

 そして、

 

『――っ!!』

 

 ほぼ同時に、二人は地を蹴った。秋雅は『雷切』を、道真は残った左手を武器として相手に迫る。

 

「受けよ!」

 

 道真が、秋雅に向けて雷を放つ。直撃コース、避けなければ当たるが、避ければ隙を見せることになり、かといって『雷切』を振るえば、それもまた隙を作ることになる。ことここに来て、道真は効かぬはずの雷を攻撃として成してみせたのだ。

 

「だが!!」

 

 秋雅の姿が消える。転移だと、すぐさま道真は判断し、加速した身体を強引に後方へと跳ばす。

 

「っ!?」

 

 しかし、一瞬が過ぎたというのに、秋雅の姿は道真と同じ平面上に出現しない。その意味をすぐ様に理解したのだろう。道真は勢いよく視線を、自身の上空に向ける。

 

「――そこか!!」

 

 上空、道真を見下ろすようにして、秋雅の姿はそこにあった。自身に向けられる道真の視線に、秋雅は不敵な笑みを浮かべ、道真が雷を放つよりも速く、再びその姿を消す。転移先は、道真のすぐ背後。直接視界外に移動することは出来ない『我は留まらず』であるが、三次元的に用いることで、相手の死角を取ることは可能だ。

 

 またもや、それをすぐさまに理解しのだろう。秋雅がその背を取るよりも早く、道真はその身体を前方へと跳ばし、着地と同時に振り替える。

 

「稲穂秋雅!!」

 

 何の思いによるものか。追い、走り行く秋雅に対し、道真が叫んだ。その手には雷が束ねられていくのが見える。先程と全く同じ手だが、しかし今の道真に打てる手などもう他にないのだろう。どうにかして隙を作ろう、そういう気配が道真から感じられた。

 

 だが、

 

「――させるか!」

 

 その瞬間、道真の背が大きくのけぞった。その身体は大きく反り、その手の中にあった雷は散じていく。それは秋雅にとって、決定的な隙であった。

 

「ハアアァッ――!!」

 

 秋雅の振るった『雷切』が、道真の身体を袈裟切りにする。一拍の静寂の後、ばたりと道真の身体が地に倒れる。

 

 

 

 カンピオーネ、稲穂秋雅が勝利を得た瞬間だった。

 








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雷神は、満足したように果てた







「……私の、負け、か」

 

 地に倒れたまま、道真が呟く。ばっさりと袈裟斬りにされ、深く刻まれたその傷から、血の類が見えるそぶりはない。だが、まるでその代わりだとでもいうように、傷や身体の端から、風化した草木のようにぼろぼろと崩れ始めている。決して生き物らしくない、遺骸すらも残さぬ死。それが、まつろわぬ神の最期だ。

 

「教えてくれないか、稲穂秋雅」

 

 不思議と穏やかな口調で、道真は秋雅のほうを見ながら言う。その事に、道真の近くに立っていた秋雅は片眉を上げるものの、すぐに頷く。

 

「何だ、道真」

「どうやって、私を攻撃したのだ?」

 

 言葉足らずのようでもあるが、何の事を言っているのかは秋雅には検討がついた。だから、秋雅は道真に近づいて、そしてしゃがみ込む。

 

「これを使った」

 

 そう言って、秋雅は道真のそばに落ちていたそれを拾い上げ、見せる。

 

「これは……」

 

 秋雅が道真に見せたのは、秋雅が当初武器にしていた雷鎚であった。しかし、秋雅はそれを一度手放し、その後回収していない。手放した場所も、今道真が倒れている場所からはもう少し離れた場所だったはずだ。

 

 どうしてここにあるのか。道真の視線は、そんな疑問に満ちているようだった。それを受け、秋雅はひょいと、手に持ったばかりの雷鎚を放り投げた。そして、眉根を寄せた道真の前で、秋雅は投げた雷鎚に手を向ける。

 

 次の瞬間、ひゅんと音を立て、雷鎚がひとりでに飛んだ。勢いよく飛んできたそれを、秋雅は何でもないように軽く受け止める。

 

「俺が望めば俺の手元に来る――そういう武器なのさ、これは」

 

 主の意に沿い、自らその手のうちに収まる。それが、元となった神話から受け継いだ、この雷鎚の特性であった。

 

 その様子をじっと見ていた道真は、急にフッと笑みを浮かべる。

 

「成る程、な……私は、策に嵌め返されたのだな……」

 

 あの最後の攻防、秋雅が道真の背後を取ろうとしたのは、道真を背中から切りつけるためではない。雷鎚と秋雅を一直線上に置くことで、主の下に向かおうとした雷鎚を道真にぶつけようとしたのである。

 

 道真の策を破った、秋雅の策。あるいはそれを称賛しているのだろうか。この瞬間の道真から秋雅への視線には、どこか敬意が籠っているように感じられた。

 

「流石だな、稲穂秋雅……よくぞ、この私を討ち取った」

 

 そう秋雅を賞賛する道真の身体は、既に胸の辺りまで消失していた。しかし、その身体の状態とは裏腹に、彼は不思議と満足そうな笑みを浮かべている。

 

「その賛美、ありがたく受け取っておく」

「ああ…………」

 

 不倶戴天。決して相容れぬ二人であったが、全力を尽くし、こうして勝敗が決した今、秋雅の中には何とも言いようのない――無理やりに当てはめるのであれば、それこそ友情のような――不思議な感覚があった。あるいは、命をむき出しにしたぶつかり合いの果て、そこから生まれた奇妙な感覚に、秋雅は何を言うでもなく黙り込む。

 

 

 道真の身体も、もう肩より下がないというところまできたところで、ふと道真が口を開いた。

 

「……稲穂秋雅」

「何だ?」

「あれを、持っていたりしないか?」

「あれ?」

「餅、だよ。私が好物としていた、あの」

「……ああ、梅ヶ枝餅か」

 

 その名を、秋雅は知っていた。小豆餡を薄い餅の生地で包んで焼いた餅。それが梅ヶ枝餅だ。大宰府に左遷され悄然としていた道真に老婆が差し入れられた際に好物となった、あるいは道真が左遷後軟禁され、食事もままならなかったおりに、部屋の格子越しに老婆が梅の枝の先に刺して差し入れたという伝承を由来としている。大宰府のみならず、福岡県内ではそれなりに知られている餅菓子だ。

 

 しかし、秋雅はそんな道真の願いに対し、軽く首を横に振る。

 

「悪いが、流石に持っていない。ここに来る前にちょっと、などと言える状況でもなかったからな」

「そうか……それも、そうだな……」

「……後で供えてやろうか?」

「それでは、『藤原道真』は楽しめても、『私』は食べられぬなあ……」

 

 と、道真は心底残念そうに言う。その様子は神らしからぬ、あまりにも人間くさいものだった。これも彼が元は人間であったからだろうかと、道真の残念そうな表情を見て秋雅はそのような事を思う。

 

「……まあ、致し方ない、か――稲穂秋雅」

 

 もはや、道真の身体は頭部しか残っていない。そんな状態で、道真は真剣な面持ちになって秋雅の名を呼ぶ。

 

「どうした?」

「汝が生に、神殺しに相応しき苦難と――人としての幸、あらんことを」

 

 その言葉に、秋雅が驚いたように目を見開く。そんな秋雅の表情をおかしげに笑った後、『藤原道真』は消失した。

 

 

 

 道真の消失と同時、秋雅の背に何かが乗ったような感覚があった。ずしりと、何かを背負ったような感覚に、

 

「……権能が増えた、か」

 

 そう感慨深げに呟いて……秋雅はばたりと倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー…………疲れ、た」

 

 ごつごつと石が背に当たるのも気にせず、秋雅は身体を伸ばす。呪力はもう殆ど空に近く、さらに最後の攻防で体力、気力共に使い切った。正直な話、道真と最後の会話を交わしていたときから、こうして身体を地面に預けていたかった。それを、敗者に見せる勝者の矜持として必死に立っていただけであった。

 

「……それにしても、また雷神と戦うことになるとは。これで三回目(・・・)、か」

 

 多いよなあ、と秋雅は、雲が散り、ある種見慣れた赤黒い空を見上げながら呟く。どうにも、偏りのある戦闘経験を重ねてきたものだと、そんなことをぼんやりと思う。

 

「実は、お前の仕業だったりしないよな、『ロキ』」

 

 思わず、かつての己の友人に対し、秋雅はそんな事を呟く。至極当然のことだが、それに応える声があるわけでもない。まあ、何でもいいかと、秋雅はもう一度伸びをする。

 

「このまま、眠りたい……」

 

 疲れから、秋雅はそんな事を口に出す。今秋雅がいるこの空間は現実空間とは切り離された空間であり、基本的に外からの干渉は不可能だ。秋雅以外誰もいないここでなら、どれだけ無防備な姿をさらしたところで危害を加えられる可能性は無い。そのことに、秋雅はつい目を閉じそうになる。

 

「ああ……でも駄目だな」

 

 現実空間で道真が発生させた雷雲、その存在を思い出して秋雅は身体を起こす。ここでのそれのように消え去っている可能性は高いが、ひょっとしたら残った道真の呪力で存在を維持しているかもしれない。操る者がいないとはいえ、偶発的に雷が落ちる可能性はある。可能性がある以上すぐにでも戻らなければならないというのと、あちらで気を揉んでいるであろう正史編纂委員会の事を考えて、気だるさに耐えて秋雅は立ち上がる。

 

「やれやれ――王様も楽じゃない、ってか」

 

 まあ、楽だったためしもないか。そんなことを呟いて、秋雅はその場から消え去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん、大丈夫だったか」

 

 現実空間に戻って早々、秋雅は空を見上げてそう呟く。雷雲こそは残っているものの、既に道真の呪力は消失しているようで、強い雷の気配という物はしない。これはならば、放っておいたところで街に大きな被害が出るということはないだろう。

 

 良かったと思いつつ、秋雅は辺りを見渡す。少し離れた場所に魔術の気配を持つ男――十中八九、正史編纂委員会の者だろう――を見つけ、そちらの方へゆっくりと歩いていく。相手のほうも秋雅の気配に気付いたのであろう、驚いたような表情を浮かべた後、小走りで彼の元へと近づいてきた。

 

「失礼致します。稲穂秋雅様、で宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだ。依頼を受けた、まつろわぬ神の討伐を完了した」

「おお……!」

 

 秋雅の報告に、男は嬉しそうな表情を浮かべる。まつろわぬ神を、しかもそれほど大きな被害も出さずに討伐したという事実に思わず、といったところだろう。

 

 そんな彼の様子に少しだけ満足感を覚えつつ、秋雅はふと尋ねる。

 

「三津橋は、もうここに来ているか?」

「いえ、三津橋さんはまだ。しかし、もう少しで来るかと」

「そうか……では、すまないが君に頼もう」

「何なりと」

 

 自分よりも年上の人間を顎で使うということにもすっかり慣れてしまったなと、毎度のように思っている事を脳裏に浮かべつつ、秋雅は命令を下す。

 

「まず、どこか適当に宿を用意して欲しい。グレードはどうでもいいが、ともかく休みたい」

「ご宿泊ということで宜しいでしょうか?」

「ああ、それで頼む」

「畏まりました」

 

 流石に、この状態で家に帰る気には秋雅はなれなかった。いっそのことこちらで一泊して、明日ゆっくり帰ろうと、そう思ったのである。つくづく、明日が大学のある日でなくてよかったと秋雅は思う。まあ実のところ、最悪何もしなかったとしても――それこそ、すべての授業に無出席だったとしても――秋雅の卒業は確定していたりするのだが、そこはそれである。

 

「それと……梅ヶ枝餅を、本殿にでも供えておいてくれ」

「は……?」

「頼む……ついでに、幾らか私の元にも持ってきてくれると嬉しい」

「――畏まりました!」

 

 例え意味が分からなくとも、王の勅命は絶対というのがこの世界の理だ。一瞬だけ惚けるような表情を浮かべた後、男はすぐに真剣な表情で頷く。

 

 そんな彼に、変なことを言ってすまないとも言えず、秋雅は王としての態度を保つしかなかった。こういう時、三津橋がいればもう少し楽なんだがと、改めて彼の存在に感謝する。

 

「私からは以上だ。急ぎ、報告を済ませてくるといい」

「はい。では、失礼致します」

 

 礼をし、その場から駆け出した男の後姿を見た後、

 

 

 

「……これで勘弁してくれよ、『道真』」

 

 本殿の方を見て、秋雅は苦笑しつつそう言った。

 

 




 これで一章は終了。追加で閑話か何かをもう一話くらい書きます。その後は間を空けて、適当なタイミングで二章を書き始めるつもりです。




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閑話 王の会合 雷の王と狼の王






 東京にて突然の暴風雨が発生した、その翌日。日本と大陸を遮る大海原の上を、一機の大型旅客機が飛行している。しかし、悠々と空を飛ぶその腹の中には、所謂旅行客などは一切収められていない。では、何を運んでいるというのか。

 

 それはたった一人の老人だ。乗組員を除けば、その大きな旅客機にはファーストクラスを一人で占領し、ワイングラスを傾けている老人と、数名の人間しか乗っていない。

 

 無駄、非効率と評するに値する行為だが、しかしその老人はそれの無駄を当然とするだけの資格があった。

 

 その老人の名は、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。ヴォバン侯爵の名で知られている、神殺したるカンピオーネの一人にして、まさに現代を生きる魔王と評すべき人物だ。

 

 

 そんな彼の前には、大きなテーブルがあり、その上には高価なワインや、そのつまみとして手の込んだ料理などが並べられている。

 

 しかし一つ、奇妙な点があった。それは、ヴォバンの対面に彼が腰掛けているものと同じソファが設置され、その前には空のワイングラスが準備されているということだ。ヴォバン侯爵を知っている者が見れば、その光景は酷く奇妙に映ることだろう。何せこの魔王が誰かと酒を飲むなど、到底信じられるようなことでは無いからだ。だが現実に、この準備を使用人たちに命じたのは、他ならぬヴォバン本人なのである。

 

 

 

 そんな空席のソファを何とも思っていないような目で眺めながら、とてもではないが味わっているとは思えない調子で、ヴォバンは手に持ったワイングラスを傾け、時にテーブルの上の料理に手を伸ばしている。

 

 

「……座りたまえ」

 

 そんな中、背後でドアの開閉音がした。それを聞いて、ヴォバンは後方へと目も向けずに淡々とそう告げる。

 

「――では、遠慮なく」

 

 ヴォバンの言葉に対し、若い男の声が返ってきたかと思うと、次の瞬間にはヴォバンの対面のソファに一人の青年が腰をかけていた。全てはその青年の権能によるものだと、ヴォバンは知っている。この飛行機に入り込んだのも、事前に何かしらの仕込みをしていたからであろう。

 

「……さて」

 

 ヴォバンとは比べ物にならないほどに若いその男は、しかしヴォバンの存在に臆するでもなく堂々と足を組む。

 

「お招き頂きありがとう、ヴォバン侯爵」

「こちらから招いたつもりもないが、受け取っておくとしよう、稲穂秋雅」

 

 最古の魔王たるヴォバンと、新世代の王たる秋雅だが、しかしその年月の差などまるで感じさせない。あくまで対等であると、秋雅の王としての風格は静かにそう告げているようであった。

 

 しかし、それをヴォバンは不快に思うことはない。当然だ。だからこそ、彼はこの王を倒すべき敵と定めたのだから。

 

 

「飲み給え。そのためにこのヴォバンが、慣れぬ歓待の準備をしたのだから」

 

 歓待とは言うが、しかし本心からそう思っているはずなどあるわけがない。もっとも、だからと言って、準備された品々に毒が入っているなどということもない。そのような小さい(・・・)ことをするなど、ヴォバンのプライドが許すはずもない。とはいえ、仮にそういったものを仕込んだところで、それでこの若き王を殺すことなどまず不可能だろうが。

 

 そういった事を秋雅も理解しているのだろう。ヴォバンの言葉に対し、特に臆する様子もなくゆるりとワインを味わい、料理も軽く味わう。

 

「……良い酒と料理だ。貴方には少々もったいないな」

「気に入ったのなら好きに味わうといい」

「そうさせてもらおう」

 

 そう秋雅は返答したものの、しかし手を足の上で組んでヴォバンを見る。本題に入るようだなと、ヴォバンには感じられた。

 

「しかし、ヴォバン侯爵。此度は何故、日本にまで足を運んだのかな? 私の記憶が確かなら、私達は不可侵の盟約を結んでいたはずなのだが」

「私も、そう記憶している」

「では、何故?」

 

 無表情に、秋雅はヴォバンの顔を見据える。しかし、その瞳には確かに、不快や怒りといったものがあると、ヴォバンにはすぐに分かった。もっとも、その程度でひるむほど、ヴォバンという王は、決して不確かな存在ではなかった。

 

「まずは、貴様の国に勝手に入った非礼を詫びよう……しかし、貴様の所領はあの国の西にある、九州とかいう地域だったはず。この程度であらば特に問題もあるまい」

「ほう。では貴方は、同じ事を言って、かの羅濠教主などが納得すると思うのか? ……あまり私を見くびってもらっては困るな」

 

 そう、秋雅は不快そうな表情を浮かべて凄む。そのことに、ヴォバンはむしろ歓喜の表情を僅かに漏らす。

 

「納得できぬ、か――では、私と一戦交えるかね?」

 

 実のところ、ヴォバンの状態はとてもではないが万全とは言い難い。昨晩の草薙護堂との勝負、それにより消耗した呪力はまだ回復しきってはいない。それどころか、その際に死から免れる為に使った権能、『冥界の黒き竜』の代償として、一ヶ月から二ヶ月程度は呪力の量が大きく制限されている。

 

 ここが飛行機の中というのも問題だ。多少広いとはいえ室内である以上、『貪る群狼』や『死せる従僕の檻』といった、彼が好んで使う権能たちは非常に扱いづらい。

 

 しかし、それでもなおヴォバンは秋雅と戦い、そして本気で勝つという自信があった。有利不利など関係なく、ただ己こそが勝者になると本気で信じている――あるいは、それが当然だと思っている――からこそのカンピオーネであり、だからこそ彼らは神殺しなりえたのだ。

 

 

 

 そんな、闘争への渇望を隠しきれていないヴォバンに対し、秋雅はゆっくりと首を横に振る。

 

「勘違いしないで貰いたい。私がここに来たのは貴方の思惑などを知りたかったというだけで、貴方と矛を交えるために来たのではない。そのことは、貴方にも然りと納得していてもらいたいところだ」

「……ふん」

 

 秋雅の言葉に、ヴォバンは面白くなさそうに鼻を鳴らした後、自身から漏れ出ていた殺気を収める。同時に秋雅に対し、やはりかという思いをヴォバンは得る。

 

 どうしてヴォバンがこういう反応を示すのかというと、実のところ、ヴォバンは秋雅と結んだ不可侵を破棄し、本気で彼と戦いたいという欲求があるからである。

 

 ヴォバンが最初に秋雅と会ったとき、秋雅は何だかんだと理由をつけてヴォバンと不可侵を結ぶ事を受け入れさせた。当初こそ、それで問題ないと思っていたヴォバンであったが、しかしその後に耳に入りだした秋雅の活躍、そして何より彼が時折行ってくる自分に対する妨害活動――ヴォバンの暴君たる行動をそれとなく軽減させる、ヴォバンが望む闘争をさらりと奪うなどだ――によって、ヴォバンは秋雅との闘争を望むようになったのである。

 

 しかし、そうなると彼と結んでいる不可侵の存在が非常に邪魔だ。かといって、一度己が結んだ盟約を道理なく破るなど、ヴォバンのプライドが許すわけもなかった。そのため、ヴォバンは秋雅の妨害の尻尾を掴むことでその道理を得ようとするのだが、これが中々上手くいかない。カンピオーネらしからぬ保身に長けた王だと、ヴォバンは苛立ちと共に心の中で罵ったりしたこともある。

 

 そういった理由で、そちらから不可侵を破るのではなく、秋雅のほうから不可侵を破るようにしようというのが、今のヴォバンの秋雅に対する行動の本線であった。今回のことも、勿論主目的は万里谷祐理の確保であったが、ついでとして、秋雅を怒らせて彼に戦闘の動機を与えようというものがあったのである。

 

 

 しかし、どうやら失敗したようだとヴォバンは不愉快に思う。彼の予想以上に、稲穂秋雅という王は実に大人しい(・・・・)王だったようだ。昨夜戦った草薙護堂とは、まるで比べ物にならない。厄介な、と普段であれば戦う相手に思う事を、ヴォバンは戦えぬ相手に対し思ってしまう。

 

 だが、上手くいかなかったことにこれ以上固執するのは愚かだと、ヴォバンは思考を切り替える。そして、数日前から気になっていたことに対し秋雅に問いかけることにした。

 

「……ところで、数日前、西の地よりまつろわぬ神の気配を感じたのだが……」

「ふむ、流石だな。東京からあれを感じ取るとは。ご察しの通り、私は先日まつろわぬ神を討伐した」

「やはりか。惜しかったな、貴様さえいなければ私が打ち倒したのだが」

 

 こればかりは本心で、ヴォバンは残念そうに言う。まつろわぬ神との戦う機会を得る為に来た場所で、そのまつろわぬ神が顕現したのだから、今すぐにでも向かいたいという欲求を抑えるのは非常に大変であった。流石のヴォバンも、不可侵を結んだ相手である稲穂秋雅が直接治めている地に足を踏み入れるというわけには行かなかったのだ。

 

「笑えない冗談だ。貴方に暴れられるなど、どれ程の被害が出るか考えたくもない」

「おかしな事を言う。どのような被害を出そうとまつろわぬ神を討つ事こそが、我らの使命というものではないか」

「それは否定しないがな。まつろわぬ神を放置するというわけには行かないのは事実だ……しかし、貴方が使命などとは」

 

 己が欲求を満たしているだけだろう? と秋雅の目はヴォバンに問いかけている。その答えは勿論イエスなのだが、だからと言ってわざわざそうだと言ってやる義理はヴォバンにはない。ただ、口の端をゆがめてみせる程度だ。

 

 

 それに対し、秋雅は軽く肩をすくめて返す。

 

「まあ、そこは別にいいか……では、そろそろ私は失礼させてもらう」

 

 話は済んだということだろう。残っていたワインを一気に飲み干した後、秋雅はそうヴォバンに告げる。それに対し、ヴォバンが何か反応を見せるよりも早く、秋雅の姿が消え去る。ついでにワインのボトルと料理が幾らか無くなっていたが、酷くどうでもいいことだったので、ヴォバンは特に気にする素振りを見せることなく、使用者のいなくなったソファを眺めて口を開く。

 

「このヴォバンに対し、実に不遜な男だ……しかし、だからこそ」

 

 そこから先は口に出すことなく、ヴォバンは自分のワインを一気に呷った。

 




 これで一先ず区切りはついたので、一旦更新は休憩します。別作品との折り合いなどがついたタイミングで、また二章を書いていこうかと。しかし、ヴォバン侯爵の権能って何処で明らかになったんだろうか。特典とかかな? ではまた。



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第二章 母校と幽霊と英国と 友人との一幕、妹からの電話






 

 カリカリと、ペンを走らせる音が響く。場所は秋雅が通う大学の食堂、その至るところからその音は発生し、生徒達の話し声に混じり、その場の人々の耳を僅かに刺激することだろう。

 

 そんな中、秋雅はゆったりと本を読んでいた。時折ページをめくる音以外は特に物音を立てることなく、静かに読書を楽しんでいる。ゆったりとはしつつも、しかしだらしないわけではないその姿勢は、元々整った容姿が相まって中々に様になっていた。

 

「――っと」

 

 そんな秋雅だったが、突然に小さく声を漏らした。その声に、彼の近くでペンを走らせていた友人の一人が、怪訝そうな表情を浮かべつつ顔を上げる。

 

「どうした? 何かあったか?」

「いや、何でもない。ちょっと思い出した事があっただけだ」

 

 そう返したものの、実際のところそれが理由というわけではない。彼が口に出すわけには行かないその本当の理由は、彼の権能の一つが復活し、それを感じ取ったからであった。

 

 これまで秋雅は、カンピオーネの使命として、何柱もの神を倒してきた。そうなれば当然、彼の持つ権能もまた増えていくことになる。基本的には彼の持つ権能は、案外使い勝手の良いものが多いのだが、しかしその中には、どうしても使いにくい権能というのも存在している。そのうちの一つに、彼が時の神より簒奪した『過去か、未来か(タイム・ライク・ア・リバー)』という権能がある。これは、範囲内の生物の時を進める、あるいは戻すという権能だ。一見するとかなり強力な権能のように思えるが、しかし、実際にはそういうわけでもない。何せこの権能、この種の力の例に外れず、まつろわぬ神やカンピオーネにはほぼほぼ抵抗されてしまうのだ。他にも一定以上の力量がある魔術師たちにも、これが効く可能性は低い。つまるところ、基本的に一般人にしか効果を発揮できない権能なのである。

 

 しかも一度使うと、その効果範囲や時をずらした時間に比例して、一定期間使用が出来ないという仕様であり、今回の復活も、前回に使ったときからもう数年が経っていた。どうにも使い勝手の悪い権能、というのが素直な総評であろう。

 

 そんな事情で、基本的に意識に上ることもないような権能なので、その復活に秋雅も思わず声を上げてしまったのである。

 

「そうか? 何か変な風に聞こえたけどよ」

 

 秋雅の返答に納得がいかなかったようで、未だに怪訝な表情を浮かべている友人に、しまったな、と思った秋雅は、話をずらして誤魔化すという手段をとることにした。何せ、ずらす話題はすぐ目の目にあったからだ。

 

「俺の事を気にしないで、お前はさっさと書き終われよ。いい加減、俺はそいつを提出しに行きたいんだ」

「もうちょい待ってくれ。もう少しで写し終るからさ。なあ、お前ら?」

 

 そうだそうだ、と秋雅の友人たちが口々に同意してみせる。その中央には、何冊かの左上を止めた紙の束やノートなどが置かれている。

 

「まったく、何でこうやっていない奴が多いんだ」

 

 と秋雅は誤魔化しだけでなく、本心から呆れた声を発した。そもそも今回、秋雅とその友人たちが食堂に集まっているのは、要するに秋雅の書いたレポートや授業中に取ったノートを書き写す為であった。もうすぐ前期が終わり、夏休みが終わろうというこの時期に発生するのが、成績決定の為の期末テスト、あるいはレポートの提出だ。それに際して、テスト勉強やレポートの不明点を補う為に、彼らは成績の良い秋雅の力を頼ったのである。

 

「いやあ、やっぱり持つべき者は頭のいい友達だよな」

「ああ、そうだな。本当に稲穂は最高の友達だぜ!」

「お前らなあ……」

 

 露骨なよいしょに、秋雅は半目を彼らに向ける。勿論これは気心の知れた友人同士の冗談であって、彼らの本心は……などということではない。そんな相手であれば、秋雅はもうとっくに関係を切っているだろう。つまり、それをしないという時点で秋雅は彼らのこういうところを拒否していないということであり、それは秋雅自身も理解しているところであった。

 

「まあ真面目な話、マジで稲穂って頭いいよな。この問題とか、まるで意味が分かんなかったのに」

「だよなあ。結構授業をサボっているくせに、テストの点数はいいし」

「俺なんて授業に全部出ているのにまるで分かんないからな!」

「自慢げに言うんじゃねえ、このバカ!」

 

 そのツッコミに笑い声が湧く。もしかしたらこういうノリこそが、自分がこいつらと付き合っている理由なのかもしれないと、笑みを浮かべながら思う秋雅であった。

 

 

 

 そうこうしていると、全体的に書き写しも終わってきて、今もペンを持っているのは複数の方面に苦行を抱えている数名だけだ。その様子に、ようやく終わるかと秋雅が軽く伸びをしながら思っていると、ふと彼の胸ポケットに入れた携帯が震えた。ディスプレイを見たところ、どうやら誰かからメールが来たらしい。誰からだ、と思いつつメールを見て、そこに書かれた発信者の名前に秋雅は意外そうな表情を浮かべる。

 

「冬音からとは、また珍しいな」

 

 秋雅が口に出したのは、彼の三人いる弟妹のうち、上の妹の名前だった。しかし、彼女は基本的にメールよりも電話での連絡を好む方だ。なのに何故メールなのだろうかと秋雅は不思議に思う。

 

 しかし、内容を見れば分かるだろうと思い、メールを開いて確認する。そして文面を読み終わったところで、ははあ、と納得の行った表情を浮かべる。

 

「成る程、気遣いの良い奴だ」

 

 そのメールには、話したい事があるから時間のあるときに電話で連絡をしてくれという文面が書かれていた。今秋雅の手が空いているか、それが分からなかった故の彼女の気遣いであろう。

 

 普段であれば逆に、高校生である冬音よりも大学生の秋雅のほうが時間的余裕は多いのだが、一足先に高校が夏休みに入って時間がある――冬音の通う高校と比べ、秋雅の大学というのは夏休みの期間が長い代わり、入りが少し遅いようになっている――ので、こういったメールを打ったのだろう。

 

「さて、どうするかな」

 

 メールの確認も終わったところで、秋雅はふむと考え込む。その内容は、今すぐこの場で電話をかけるか、あるいは場所を変えて電話をするかというものであった。普通であればその場を離れてかけるのであるが、しかし今回の秋雅への感謝の印ということで手の空いた友人たちが弁当やお菓子(秋雅への貢物)を買いに行っている。それを待っている身としては、あまりこの場を離れるというのは気が進まない。

 

 後で電話をかけるという選択もないわけではないが、しかしこういうのは早い方がいざという時に安心できるというのがある。そんなわけで、どうしたものかと悩む秋雅であったが、まあいいかとこの場で電話をかけることにした。

 

「ちょっと電話をするけど、あんまり気にするなよ」

 

 うーい、と気のない返事が返ってきたことを確認してから、秋雅は冬音の携帯に電話をかける。

 

「もしもし」

『――秋雅兄さん?』

 

 待機をしていたのか、二コールを待たずに向こうから馴染み深い声が聞こえる。その声に軽く満足そうな笑みを浮かべながら、ああと秋雅は返答する。

 

 

「元気か、冬音?」

『うん、元気。そっちは?』

「俺もすこぶる元気だ。で、メールの件なんだが、何があったんだ?」

『何があった、というよりは、これからあるんだよね』

「うん?」

『ああ、ごめん。ちょっと順を追って話すね』

 

 と言って、冬音が秋雅に事情を説明していく。その説明を秋雅は、最初は真剣に聞いていたが、しかしすぐに胡乱げな表情を浮かべ、最終的には少しばかり面倒そうにため息をついた。

 

「で、俺に電話をした、と」

『うん。幹春兄さんに頼ろうかとも思ったんだけど、やっぱり秋雅兄さんの方が頼りになるから』

「それ、幹春には言ってやるなよ」

『勿論……それで、どうかな?』

「そうだなあ…………」

 

 宙を見て、少しばかり考え込んだ後、秋雅は小さく頷く。

 

「分かった。可愛い妹の頼みだ、聞いてやるよ」

『やった! 秋雅兄さん大好き!』

「はいはい。そりゃ良かったよ。とりあえず、冬音は父さんたちに俺が一度帰ってくる事を言っておいてくれ。たぶん、夏休みの間は帰省出来ないから、今回でそれを補わないとな」

『……もしかして、彼女とデートとか?』

「ははは、ないない。ま、ちょっと用事があるんだよ」

『ふうん。まあ、いいけど。お父さんたちには秋雅兄さんが帰ってくるって言っておくね』

「ああ、頼む。じゃ、またな」

『うん、またね』

 

 そう締めて、秋雅は電話を切った。その後ポツリと呟いた。

 

「……肝試し、ねえ」

 

 

 




 当分投稿するつもりは無かったのですが、頭の中をこれがうろついてあれだったので投稿することにしました。他との兼ね合いものあるので、投稿スピードは前ほど早くならないと思います。ではまた。





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夜の違和感






 日の長い夏の夜と言えど、流石に午後八時ごろともなれば辺りは真っ暗と言っていいだろう。そんな暗い夜道を、一組の男女が歩いていた。

 

 

「……雰囲気違うね、やっぱり」

 

 そう、傍らにいる男性にに声をかけたのは、一人の少女だ。その容姿は整っており、美少女と言ってまず差し支えはないだろう。顔の日焼けと、短く纏められた黒髪から、非常に活発なイメージを、彼女を見た者に与えることだろう。若干タイトな、走りやすさを重視したのであろうその格好もまたそれを助長しており、当然というべきか、服の上からでも彼女の身体の引き締まり具合はよく分かる。

 

「夜だからな。慣れた道でも印象は変わるだろうよ……不安なら手でも握ってやろうか、冬音?」

 

 そう傍らの男性――稲穂秋雅はからかうように彼女に、自身の妹である稲穂冬音に問いかける。それを受けて冬音は、むうと頬を膨らませた。

 

「そんなに子供じゃないって。大丈夫だよ」

「はは、分かっているよ」

 

 夜の暗さに反比例して、二人の雰囲気は非常に和やかだ。騒ぎにならない程度に、抑えた声量で会話を続けながら稲穂兄妹は歩く。

 

「そういえばさ、秋雅兄さんの時はこういうのなかったの?」

「んー……多分なかったんじゃないかな。少なくとも俺は学校で肝試しなんてやっていない」

 

 今の秋雅の発言からも分かるが、今回二人は夜の街を歩いているのは、冬音が現在通っている高校――秋雅の母校でもある――で、所謂肝試しが行われる運びになったからだ。

 

 曰く、冬音が所属するクラスの一人が、夏休みに肝試しをやってみようと企画をしたらしい。しかも、その一人というのが非常に行動力のあり、しかもこういうことには頭の回るタイプだったようで、あっという間に学校側から夜の校舎の使用許可を得てしまったのである。今の時代、こういうことはそうできるものではないのだろうが、そこはその生徒の話術に感嘆しておくのが無難だろう。

 

 ただ、流石に学校側も全てを認めたというわけではなかったらしい。教師一人、及び他数名の大人を連れてくる事を条件に、夜間の学校における肝試しを許可したとのことだ。

 

 とはいえ当事者の生徒たちからしてみれば、教師はともかくとしても、こういう場に素直に大人――イコールで両親と言っていい――を連れてくるというのも、何となく興ざめを覚えるだろう。そのため、大人ではあるが親よりも子供側と言っていい人間、つまり誰かの兄姉を連れてこようという話になったらしい。それで、今現在、秋雅は冬音の願いに応え、こうして保護者役としてかつての母校に向かっている、ということであった。

 

「それにしても、よく許可が下りたもんだ。普通こういうのは、リスクを恐れて何もさせないとなるもんだろうに」

「そこは正直、私も驚いているんだよね。しかも、結構な人数が参加するみたい。私は兄さんたちがいるから引き込まれたけど、そういうわけでもないのに参加って何気に皆暇だよね」

 

 どこか皮肉めいて聞こえる感想を言う冬音に、秋雅は苦笑を漏らす。しかし彼女の発言ももっともで、今回の肝試しの対象は冬音のいるクラスの生徒達だけであるのだが、そのうち大体半分程度が参加を表明した――クラス全体で四十名ほどいるので、二十名弱が参加を決めたことになる――というのは、中々に驚くべきことであろう。高校二年生の行動力と好奇心、ついでに勇気というものは、存外高いものであったらしい。

 

 

「……ああ、そうみたいだな。結構な人数が見える」

「え?」

 

 秋雅の言葉に冬音は正面を見る。言われてようやく彼女も気付いたがようだが、もう既に二人は高校の正門近くまで来ていた。夜の暗さと雰囲気の違いが、目的地に近づいていたことに気付かなかった理由だろう。

 

「そんなに見える?」

 

 眉根を寄せながら、冬音は怪訝な表情を浮かべた。どうやら秋雅の言うほど、結構と表せるほどの人数がいるようには見えないらしい。

 

「あー……俺は夜目が利くからなあ、お前が見えなくても仕方ないさ」

 

 そんな冬音の言葉に苦笑しつつ、秋雅はそう返す。それは、自分と妹の違いを思わず失念していたことに対するものだ。

 

 カンピオーネとなった時、秋雅の身体は色々と変わってしまっているが、その一つに、異様なほどに夜目が利くというものがあった。人間でありながらまるでフクロウのように、僅かな光さえあれば秋雅たちは暗闇中でも十分に周囲を見る事が出来る。今晩のように、月明かりが十分に降り注いでいる夜であれば、この程度見えないほうがおかしいと言うレベルだ。

 

 そんな秋雅の、決して明かす事の出来ない事実を含んだ返答に対し冬音は、そっかと口に出して頷いた。秋雅としては特に心当たりなどはないのだが、妹である彼女から見ると、何かたやすく信じるに足る根拠があったのだろう。

 

「……ん?」

 

 そんな中、秋雅がピタリと足を止め、校舎の方を見た。それを見咎めたのだろう。冬音もまた足を止め、不思議そうに声をかけてくる。

 

「どうしたの?」

「いや……悪い、気のせいだったみたいだ」

「そう? まあ、それならいいけど」

「ああ。さっさとお前のクラスメイトたちと合流しよう」

「そうだね、行こうか」

 

 再び歩き出した冬音の背を見て、最後にもう一度、意味深な視線を校舎に向けた後、秋雅もまた彼女に追いつくように歩みを再開する。

 

 そして、

 

「……あー、ようやく私にも見えてきた。本当によく見えるね、秋雅兄さん」

「まあ、個人差という奴だろうさ」

 

 そのまま少し歩いていくと、次第に冬音にも集まっている面子が見えてくる距離にも入っていく。そうするとあちらもまた秋雅たちに気付くのは当然のことであろう。しかも、冬音が通常の懐中電灯を持ってきたものの、念のためということで秋雅がランタン型のライトも持ってきていたので、その全方位を照らす光のおかげで、向こうからははっきりと冬音たちの姿が見えているらしい。口々と秋雅たちに――正確には冬音にであろうが――声をかけてくる。

 

「あ、稲穂だ。おーい」

「隣にいるのは……稲穂の兄ちゃんかな?」

「じゃない? 結構格好いいねー」

「本当。うちの兄貴とは大違い」

 

 そんな事を言い合いながら、クラスメイトたちが冬音の元へと集まってくる。冬音もまた、秋雅から離れてその輪に入っておしゃべりを始める。

 

 その和気藹々とした雰囲気に、友達は多そうだなと、秋雅は内心で少し安堵する。兄の贔屓目というものを入れなくても、冬音は中々に整った容姿をしている。そういった事が理由で周りから浮いてしまったり、ともすれば疎まれていたりということがないかと多少心配していたのだが、どうやら取り越し苦労であったようだ。冬音の表裏のない、あっけらかんとした性格のおかげであろうか。まあそもそも、こういった企画に参加している時点で、人間関係に大きな問題はないと秋雅にも分かってはいたのではあるが、そこは妹を案じる兄心というものであろう。

 

 

 内心で色々と思いながら、秋雅が和やかに談笑を見守っていると、

 

「――あれ? もしかして、稲穂君?」

 

 ふと、背後から声をかけられた。聞き覚えのある女性の声に、秋雅は視線をそちらに向けると、そこにはやはり彼の想像通りの人物が立っていた。その人物は、顔を向けた秋雅に笑顔を浮かべて手を振る。

 

「やっぱり! 久しぶりだね、稲穂君!」

「ああ。奇遇だな、久家さん」

 

 久家美代、それが彼女の名前だ。一年生と三年生で同じクラスであった、秋雅の高校時代の友人の一人である。

 

「ここにいるってことは、君も弟か妹が?」

「うん、そう。あっちの女の子と話しているのが私の弟の健太だよ」

 

 美代の言葉に秋雅が視線をそちらにむけると、彼の妹である冬音と話している男子の姿がある。どうやらそれが、美代の弟であるらしい。

 

「稲穂君は?」

「その、君の弟さんと話しているのが俺の妹の冬音だよ」

「あ、そうなんだ。偶然ってあるもんだね」

「だな」

 

 兄と姉が友人で、その妹と弟もまた友人。それもどちらかの交友が原因ではなく、互いに独立しているというのは、実に面白い偶然と言っていいだろう。

 

「……それにしても、冬音ちゃんだっけ? あの感じだと、健太って冬音ちゃんに気があるのかな」

「そう俺の目にも見えるな。まあ、冬音の方はそうでもないようだが」

 

 どうやら二人が見る限り、美代の弟である健太は冬音に対し好意を抱いているようであった。時々必死で会話を繋げようとしているのが実に微笑ましい。もっとも、そんな彼の思いに対し――冬音は気付いているのかいないのかはともかくとして――何とも思っていないようであったが。

 

「兄としてはどう思う? 大事な妹に男が近づいているってのは?」

「別にいいんじゃないか? その辺りは冬音が決めることだろう」

 

 秋雅は確かに家族を大事に思っているが、だからといって束縛するようなタイプではない。何か相手側に問題があるというのであれば止めるだろうが、そうでもないのにわざわざ口を挟むような真似をするつもりはなかった。

 

「ま、どっちにしろ、脈があるようには特に見えないけどな」

「ははは、かもねー」

 

 などと、久しぶりの再会もあり、互いに笑いながら二人がそんな事を話していると、

 

 

「はーい! じゃあ皆こっちに集まってくれ! 今から組み合わせを決めるからな! あ、保護者の人たちもこっちに頼みます!」

 

 と、正門から集合を促す男子の声が聞こえてきた。おそらくは、この声の主が今回の肝試しの企画者なのであろう。

 

「呼ばれているね、私達も行かないと」

「ああ…………」

 

 歩き出そうとした足をふと止めて、秋雅は眼前にある校舎をじっと見る。その表情は先程までの和やかなそれから、困惑したような、しかし真剣なそれとなっている。

 

「やはり呪力。だが、何故今……」

 

 校舎を見つめながら、口の中で転がすように秋雅は呟く。しばし、考え込むようにその姿勢を維持した後、

 

「……いいか。何かあれば、その時対処すればいい」

 

 それくらいの対応はできるだろう。そんな風に、自身とこの状況を見切りつつ、秋雅は妹との合流を果たしに行くのであった。

 

 

 








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幽霊







 夜の校舎に、足音が響く。その数は五人分で、それほど早いものではない。歩幅が狭く、歩数の多い足音が四つと、歩幅が広く、歩数の少ない足音が一つの組み合わせだ。

 

 その音の発生源を見ればそこには、四人の少女たちと、その少し後に続く一人の男性の姿がある。言うまでもなくそれは、冬音とそのクラスメイトたち、そしてその保護者である秋雅だ。集まった面々をくじ引きにより四人から五人程度のグループに分けた結果、ものの見事にこういう黒一点な組み合わせとなってしまったのである。

 

 秋雅は冬音とセット扱いであったので、くじを引いたのは当然冬音であり、秋雅は結果に対し一切の干渉をしていないのだが、しかしそれでも秋雅を見る男子たちの視線は中々に面白いものであったと記載しておこう。

 

 そういうわけで、現在秋雅たち五人はライト片手に夜の校舎を歩いていた。ちなみにあまり遅くなると色々とまた問題が発生してしまうので、時間削減のため秋雅達以外にももう一グループ――偶然にも、それは秋雅の友人である久家美代が混ざっているグループだ――が、別ルートから校舎内に入っている。

 

「……やっぱり結構雰囲気があるね」

「見慣れているはずなのに、こう暗いだけで知らない場所みたい」

「うん。いつも来ているのにね……」

 

 前を歩く女子たちが、手に持った懐中電灯を左右に振りながら言う。その動作と、何よりその声に、彼女たちが若干の恐怖を感じている事が察せられる。

 

「……大丈夫かな。本当に何か出ちゃったりしたら……」

 

 一人が、そんな言葉を口に出す。ぶるりと、その身体を恐怖で震わせた彼女に対し、冬音が明るい口調で言う。

 

「大丈夫だって。いざとなれば兄さんが助けてくれるから。ね、兄さん?」

「……ん?」

 

 一人、四人の少女たちから少し遅れて歩いていた秋雅は、突如振り返った冬音に対し、何だ、という表情を浮かべた後、

 

「ああ、大丈夫だ。何かあっても、俺が君達を守ろう」

 

 と、妹も含めた四人の少女たちに対ししっかりと頷いてみせる。その兄の返答に満足したのか、冬音は満足そうに頷きを返し、他の三人も自信に溢れた秋雅の態度に安堵したように軽く笑みを浮かべる。

 

「いいお兄さんだね、冬音ちゃん」

「自慢の兄さんだからね。兄さんがいれば大抵のことは大丈夫だよ」

「そっか。そこまで稲穂さんが言うなら安心できそう」

「うんうん。安心してね」

 

 そんな妹の信頼に秋雅は僅かに苦笑を浮かべていたものの、ふと何かを探すように周囲を見渡し、そして天井を見上げる。

 

「……また移動したか? どうにも、意図が読めんな」

 

 そう呟く秋雅の目には、王として戦う際の、鋭い光が宿っている。何かを警戒している、というのがよく分かる光だ。

 

「一体、何が起こっている……?」

 

 剣呑さに満ちた呟きを秋雅は漏らす。何故、ここまで秋雅が警戒を露にしているのか。それは、外にいるときから感じ取っていた、校舎内に存在する呪力が原因であった。

 

 

 まず前提として、学校という場所は存外、呪力という物が集まりやすいというものがある。同じ年代の少年少女たちが、同じ様な目標を持って、同じような事を行う。これはある意味で、魔術師達が意思を集中させて行う大規模な儀式と、相似性を持っていると言えないこともない。その所為か、この他にない特異性を持つ学校という場所では、時折そのエネルギーに引き寄せられるように、大気中、あるいは地中の呪力が集まってしまう事があるのだ。

 

 もっとも、これ自体はそれほど大事ではない。集まると言ってもそう大きな量ではなく、精々が魔術師数人分といった程度。何かしら外から方向性を与えない限り、これが問題となることはまずないと言っていい。

 

 だが、逆を言えば、何かしらの外的要因が加われば、それが問題化するということがありえるのである。

 

 一例として分かりやすいのが、いくつかの学校に伝わる、所謂七不思議というやつだ。まるで神話を元にまつろわぬ神が受肉すると同じように――まあ、規模は段違いなのだが――語り継がれてきた七不思議を元に『現象』が起こってしまうということが、実際に起こりえるのである。こうなると流石に、無害だ何だとは言っていられないので、正史編纂委員会などが介入する事態となるのである。

 

 かつて、今秋雅達がいるこの高校でも同じような事があった。もっともその時は七不思議ではなく、当時流行っていたこっくりさんが原因だった。こっくりさんにより降りてきた低級霊が、集っていた呪力で所謂『良くないもの』に転じてしまい、あわや大事となりかけたのである。

 

 なりかけた、という言葉からも分かるとおり、その一件は表面化し、生徒達に危害が加わるということもなく、事前に鎮圧された。それを実行したのが何を隠そう、当時から既にカンピオーネとして力を振るっていた稲穂秋雅その人であった。別に誰に依頼をされたというわけではなく、単に自分の縄張りで低級霊如き(・・)が暴れまわるというのを我慢できなかったが故の、迅速な行動と言えよう。

 

 その事後処理の際に秋雅はこれらの事情を委員会のメンバーから聞いた――当時はまだ、秋雅もそちら関係(魔術の世界)の知識には疎かったのである――のだが、その時に得た知識はもう一つあった。それは、この自然発生的に呪力が集束する現象は、一度発呪力が霧散してしまえば、最低でも十年は起こらないということである。

 

 だから、以前の発生からまだ四、五年しか経っていないにもかかわらず、こうして秋雅が感知するレベルにまで呪力が集まるのは、とても不自然な話なのだ。しかも、今回はその呪力があちらこちらと校舎内を移動しているのだ。何かの意思が介在している、というのはまず間違っていない推測であるだろう。

 

 

「出るなら出てきて欲しいが、しかし悩み所でもある、か」

 

 どうやら現状、その呪力は秋雅の上――今彼がいるのは二階なので、おそらくは三階の何処かにいるようだ――を動いていない。そのことにもう少し気を揉む必要があるようだと、秋雅はうっとうしそうにぼやく。とはいえ、現状彼は護衛対象――当然冬音のことであり、一応は彼女の友人達も含んでいる――を抱えているために、こちらから向かうも、こちらに来てくれことを望むのも、どちらもどちらで問題がある。

 

 一番いいのは何事もなく肝試しを終わらせ、改めて秋雅一人でここに戻ってくることだろうが、それはそれで気になって仕方ない。結局、秋雅としてはその呪力を警戒しつつ、現状は観察に留めるという選択を取るしかない。まったくもって、面倒な状況なのであった。

 

「まったく、厄介な」

 

 ふん、と秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。その後、秋雅は歩きつつ懐から携帯を取り出し、自分の専用窓口と称されることもある、正史編纂委員会の三津橋へとメールを打ち始める。内容としては、現状をざっと伝えた上で、何かあった場合のフォローを頼むというものである。このような時間に、ということに引っ掛かりを覚えるほど、秋雅はもう浅く(・・)はない。時場所を問わない、それが自分達の生きる世界なのであると、もう随分と前に理解しているからであった。

 

 

 

 そんな風に、秋雅が警戒を強め始めた時であった。

 

『キャアアア――ッ!!』

「え?」

「何!?」

「――チッ!」

 

 上階より突如、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。突然の状況変化に舌打ちしつつ、秋雅は警戒態勢であった頭を瞬時に戦闘時のそれへと切り替える。同時、打ち終わっていたメールの本文に、至急の二文字をつけ加えて送信する。

 

「今のって、悲鳴!?」

「ま、まさか本当に何か起こったの?!」

 

 困惑、そして混乱によって少女たちの間に恐怖が生じ始める。その中で、唯一冬音のみが秋雅のほうを振り向き、真剣な表情を浮かべて叫ぶ。

 

「行こう、兄さん!」

 

 悲鳴を聞いて、何かが確実に起こっていると冬音は判断したのであろう。正義感が強い冬音らしい選択だと秋雅は思ったが、しかしそれに対する反応は、首を縦ではなく横に振ることであった。

 

「駄目だ。上で何かが起こっているとして、それにお前を巻き込ませるわけは行かない」

 

 冬音の傍で彼女を守る。あるいは大本を叩きにいく。それが秋雅の中の選択肢であったが、少なくとも彼女を上に行かせることだけは、どうしても選ぶわけには行かない選択だ。そんなリスクしかない事を、自分の大事な妹にさせる気など、秋雅が起こすわけもなかった。

 

「でも!」

「――冬音!!」

 

 食い下がろうとする冬音の肩を掴み、秋雅は真っ直ぐと彼女の顔を見て叫ぶ。滅多にない秋雅の叫び声に、冬音はびっくりしたように彼の顔を見上げる。

 

「俺が様子を見に行く。お前は彼女らを連れて今すぐ校舎の外に出ろ。まっすぐに、わき目も振らず、だ。いいな?」

 

 真っ直ぐと、真剣な表情で秋雅は妹の目を見つめる。事情を知らない者からすれば少々大げさな指示であるが、しかしそれを受けた冬音は数瞬の後にゆっくりと頷く。

 

「……分かった。兄さんに任せる。皆、行くよ!」

 

 秋雅達のやり取りを聞いていたからか、あるいは思考が停止しかけているのか。冬音の指示に友人達は反論することなく走りだす。冬音がそれを先導しているのを確認した後、秋雅もまた逆方向にある階段に向かって走り出す。

 

 

「調整が厳しいな……!」

 

 身体強化をかけ、秋雅は跳躍混じりに駆ける。時折力を込めすぎてしまい、ぴしりと床にひびが入ってしまうことに舌打ちをしつつ、秋雅は足を止めることなく走る。秋雅にとっては元々、自分の身体を思い切り強化するために覚えた魔術だ。こういう細かい強化というものはどうしても慣れていない。だが、天井や壁があるここでは、『我は留まらず』による転移もやりにくい。結局として足を使う方が速いとなれば、不慣れを承知で走るしかない。

 

 そうすれば、すぐさまに上へと続く階段が見えてきた。律儀に昇るのも面倒だと、秋雅が床を蹴り、階段を囲う壁の方に足を乗せる。そのまま壁を蹴り、三次元的に秋雅は跳躍する。次の着地も階段の踊り場ではなくその壁、その次もまた壁。三度の壁蹴りの後、ようやく秋雅は三階の廊下へと着地し、先程から感じている呪力の方へと再び走り始める。

 

「――あれか!」

 

 すぐに、倒れこんでいる男女の姿が見えた。美代の姿もあることから、秋雅達と同時に入ったグループだろう。さらにその前には、まるで彼らを見下ろしているように、人の姿のような、何かぼんやりとしたものが存在している。それを、秋雅は幽霊か何かだと結論付ける。以前にも、同じようなものを見た経験からであった。

 

「消えろ!」

 

 秋雅は手に呪力を集め、ボールのようにそのまま投げつけた。ここで攻撃系の魔術や権能を放つわけにも行かないし、何よりこの程度の幽霊であれば横合いから別の呪力を叩き込むだけでその存在を散らしてしまう。そう判断したが故の、秋雅の行動であった。

 

 

 

 そして、そこから起こったのは、何とも面妖な事態であった。

 

 まず、秋雅は呪力を幽霊に向かって投げた。これは多量の呪力を外部から与えることで、幽霊の身体――この場合はむしろ、存在、と言ったほうが正しいであろうか――を霧散させる事が出来るからだ。これは幽霊を構築している呪力が、より強い呪力の干渉によりバラバラに散ってしまうという理屈からの対処法だ。実際に秋雅はかつて、英国で幽霊と会ったときに同様の方法で退治に成功している。だからこそ、今回もそうなると判断していた。

 

 だが、その呪力が幽霊に接触した瞬間、確かに秋雅は見た。心眼とまではいかないが、秋雅の動体視力は一般人などよりははるかに上だ。だからその目で、はっきりと秋雅は見たのだ。

 

 徐々に、呪力と接触した箇所から、段々と白いもやの姿が、色が変わっていった。薄い青が、呪力が幽霊の身体に触れていくほどに――幽霊が、呪力を取り込んでいくほどに――広がっていく。そして、ある箇所から、青は肌色へと変じた。青、そして肌色。この辺りで秋雅は察した。青は服の、肌色は皮膚の色なのだと。つまり、幽霊が人の姿を、生前の姿を取り戻そうとしているのだと。

 

 この時点では、驚きこそすれ、まだ秋雅の思考は冷静であった。こういう、形すらも失ってしまった幽霊が、外からの干渉により元の姿を取り戻すということが――例としてはそう多くないが――ありえるということを知っていたからだ。勿論、それが退治として放った呪力によって起こるなど聞いたこともなく、だからこその驚愕であった。

 

 しかし、本当に驚愕すべきだったのは、ここからだ。呪力が完全に幽霊に取り込まれ、その姿がはっきりと秋雅の目に映る。綺麗な、見た目には若い女性だ。青いワンピースのような服に身を包んだそれは、高速化した秋雅の視界の中でゆっくりと後ろに倒れていく。まるで、自分に飛び込んできた秋雅の呪力の勢いに押されたようでもあった。

 

 そのまま女性の霊は床へと倒れていき、

 

 

「――きゃあっ?!」

 

 鈍い、物が床にぶつかった音と共に、ありえないはずの悲鳴を上げた。

 

 

 

 

「は……?」

 

 その瞬間、秋雅は思わず、呆けた声を漏らしてた。この時ばかりは、秋雅の思考は完全に固まっていただろう。何故ならば、今の音と、目の前の幽霊の悲鳴。それらを踏まえて考えると、幽霊が床に接触し物音を立てた、ということになる。それはつまり、その幽霊が実体を取り戻しているということあからだ。

 

「あいたたたた……」

 

 しかも、幽霊の反応から察するに、どうやら彼女は感覚すら――この場合は痛覚だろうか――も取り戻しているようである。

 

「幽霊が……実体化した?」

 

 客観的に見て事実であるらしい事を、秋雅はそのまま口に出す。だが、それ以上思考が進まない。なまじ中途半端に、幽霊という存在に対する知識がある所為か、この状況を理解してしまいつつ、しかしそれに対する答えを導けない。それ故の、珍しくはっきりとした、思考停止であった。

 

 そんなことはありえないと、幽霊に対する知識を持つ魔術師は言うだろう。秋雅だって、人伝に聞けばまず疑ってかかったに違いない。だが、しかしだ。今実際に、秋雅の目の前で、その幽霊は確かに実体化してしまっているのだ。

 

「……あれ?」

 

 ここで、ようやくその幽霊は秋雅の存在に気付いたようだった。秋雅の発言にか、あるいはそもそものこの現状についてか、彼女は不思議そうな表情で秋雅を見上げている。

 

「えっと…………誰、ですか?」

 

 立ち上がりながら、幽霊は秋雅を見て首を傾げる。その、明確に自分を対象とした声に、秋雅の思考がようやく動き始める。

 

「……稲穂秋雅、だ」

 

 まだ思考は解凍されきっていなかったので、彼女の誰何に声に対し秋雅は、半ば反射的に自分の名を名乗る。その直後、はっとしたように秋雅は頭を振り、思考を切り替えて彼女に強い視線を向ける。

 

「私も聞こう。君は誰だ?」

「私? …………あれ?」

 

 疑問符が頭についているのが見えそうなほどに、彼女は首を捻り、怪訝な表情を浮かべる。そのことに、秋雅は思わずため息を吐き出す。

 

「覚えていない、ということか」

「えっと…………はい」

 

 申し訳なさそうに、彼女は俯く。実のところ、幽霊が自分の事を覚えていないということは、決して珍しいことではない。肉体を失い、霊体、あるいは霊魂といった不安定な存在になった際に、何かしらの記憶を失ってしまうということがありえることなのだ。まあ、姿は保てているのに自分の名前を覚えていない、というパターンは非常に珍しいことではあるのだが。

 

「えっ?!」

 

 俯いていた彼女がびっくりした声を上げる。どうやら頭を下げた拍子に――ようやく、と付け加えるべきだろうか――自分の足元で倒れている美代たちに気付いたようだった。このことから、先ほどまで自分が何をしていたのかも覚えていないようだと、秋雅は再びため息をつく。

 

「あの……これって、私の所為でしょうか?」

 

 恐る恐るという感じで、幽霊が倒れている美代達を指差す。その幽霊の行動に、秋雅は片眉を上げる。

 

「まあ、大枠で言えばそうなるが。君、自分が幽霊ということには気付いているのか?」

「はい。まあ、どうして死んじゃったのかは覚えていないんですけど」

「……つくづく変な幽霊だな、君は」

 

 自分の名前は覚えていないくせに、自分が幽霊だということには気付いている。何ともちんちくりんな幽霊だと、秋雅は不思議そうに眉を顰める。

 

 ちなみに、美代が気絶をしているのは、決して幽霊の存在に恐怖しただけ、というわけではない。実は生きている生物というものは一種の波動のようなもの――大枠で言うと、気のことだ――を発しており、達人が感じる気配なども、これが関係していたりなどする。それで、これは幽霊になっても継続して纏っているものなのだが、一度死んでしまった所為か、正常な生者のそれとは変質してしまっている。ラジオに他の電波を発する物を近づけるとノイズが混じるようなもので、生者に幽霊が近づくと、その僅かに異なった波動が干渉してしまい、生者は気絶などをしてしまうのだ。これが、幽霊譚のオチが気絶で締められることが多い理由でもあったりする。なお、これに先天的に耐性を持ち、逆に退けることを可能にした者などが、テレビなどに出ている所謂霊能者などである。もっとも、一般的な魔術師であれば、そんな才能がなくとも幽霊退治くらい簡単に出来るのだが。

 

 

「……さて、どうしたものか」

 

 頭を軽くかきながら、秋雅は心底面倒くさそうに呟く。この目の前の、色々と不可解の多い幽霊をどうするべきか。それについて秋雅が悩んでいると、その当人が口を開いた。

 

「あの……秋雅さん、でしたか?」

「何だ?」

「質問なのですけど、秋雅さんは霊能力者って奴なんですか?」

 

 

 今聞きたいのがそれなのかと、幽霊の質問に対し少しばかりの呆れを覚えつつ、秋雅は小さく首を振る。

 

「違う。どちらかといえば……まあ、魔法使いの方だな」

「魔法使い、ですか」

「信じられない、か?」

「いえ、そんなこととは。私という幽霊がいるんですし、魔法使いがいたっておかしくはないと思います」

 

 同列に語るべきことなのだろうか。そんな風に秋雅は思ったものの、しかしどちらも非科学的なことには変わりないかもしれない。とにかく、今はどうでもいいことだ。

 

「まあ、そうかもしれないな」

「質問なんですけど、私ってこれからどうなるんでしょうか?」

「それは、退治されるとか、そういうことを聞きたいのか?」

「そうなります」

「……他人事のように言うな、君は」

 

 どうにも先ほどから、我が事の話だというのに、幽霊は妙に他人事のような口調で言う。その事を秋雅は指摘すると、うーんと幽霊はこめかみの辺りを人差し指で弄りながら口を開く。

 

「何と言うか、実感がないんですよね。自分が幽霊だってことは分かっているんですけど、それでこう、このままでいたいのかって言われると分からないですし。かといって成仏したいのかというと、それはそれで、って感じで……記憶が無いからですかね?」

「私が知るか」

 

 ですよねえと、彼女は苦笑いを浮かべる。そんな彼女の、少しばかり暢気な様子に、またもや秋雅は呆れたように息を吐く。

 

「……だったら、自分の記憶でも探してみるか?」

「え?」

「自分が誰か分かれば、身の振り方も考えやすくなるだろう。乗りかかった船だ、少しばかり手伝ってやってもいい」

 

 偽善的だな、と秋雅は自分の提案に対しそんなことを思う。だが、そうしてみようかと思ってしまったのだから仕方ない。どうにも甘さを捨てきれない、そう自分を評しつつ、それが良い点なのか、はたまた悪い点なのかと、自分自身にそう問いかける。もっとも、そんな事をしたところで、答えなど出るはずもなかったのだけれども。

 

「良いんですか?」

 

 対して、秋雅の提案を聞いた幽霊は少しばかり驚いたような表情を浮かべて言う。まさかそんな事を言われるとは、欠片も思っていなかったという表情だ。

 

「お前自身について個人的な興味も湧いたからな。どうやって幽霊が実体を持ったのかも含めて、多少調べてみたいという欲求がある」

「実体?」

 

 どうやら自分が単なる幽霊でないことには気付いていなかったらしく、彼女は不思議そうに首を傾げる。しかしそれに対し答えず、秋雅はもう一度問いかける。

 

「で、どうする? 別に、ここで今払ってやってもいいが。まあ、少なくともこのまま見逃してやるわけにもいかんがな」

「…………これから、お願いします」

 

 深々と、幽霊が頭を下げる。直前の秋雅の脅しが効いたというわけではないらしく、時間は短かったもののじっくりと考え込んだ末の結論のようであった。

 

「分かった。では、そういうことで」

 

 そう秋雅が言った直後、足元から唸るような声が聞こえた。どうやら、気絶していた生徒達の一人が意識を取り戻そうとしているらしい。

 

「……思いのほか長話になっていたようだな。君はとりあえず、屋上にでも移動しておけ。後で迎えに来る。もし誰か、スーツの男なりが来たら私の名前を出せ。そうすれば少なくともすぐに退治されることはないはずだ」

「あ、はい。分かりました」

 

 秋雅の言葉に頷いて、幽霊がタタタと廊下を走っていく。それだけを見れば完全に、生きている人間にしか見えないだろう。

 

「つくづく、普通の幽霊ではないな」

 

 さて、どうなることやら。そんな風に呟いて、秋雅は一先ず美代を起こそうと彼女の傍らに膝をつくのであった。

 








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彼女のこと、自身のこと

『夏休みでよかったよ、本当に。そうじゃなきゃ今以上に絡まれるところだった』

「幽霊のことか? 別に、お前が直接的に会ったわけじゃないだろ」

 

 秋雅がそう聞くと、電話の向こうにいる冬音がため息をついた。

 

『秋雅兄さんの所為だよ。兄さんが格好良い事するから、一緒にいた娘たちから色々聞かれるんだもん』

「大したことはしていないだろ。格好良いは言いすぎだって」

『あの娘たちはそう思っていないってことだよ、兄さんの認識はともかくね……ところで、兄さんは見てないの? 例の幽霊』

「いや、俺がついたときにはもう、皆が気絶しているだけだったからなあ」

 

 電話越しの妹に対し、秋雅は嘯く。その後、うっとうしそうに顔をしかめ、携帯電話を持ち替えて逆の耳に当てつつ、開いた側の側頭部にかいた汗を手で拭う。

 

「……暑いな、本当に」

『夏の昼だし、そりゃ暑いって』

 

 秋雅としては独り言で呟いたつもりであったが、しかしそれに冬音が苦笑するように答える。

 

「ああ、まったくだな」

 

 今度は額に浮かんできた汗を拭いつつ、秋雅は天上に鎮座する太陽に目を細める。あの夜から既に一週間ほどが経った、とある夏の日の昼だった。

 

 

 

 結局、あの夜のことは委員会によって記憶操作されることもなく、そのまま放置されることになっていた。幽霊の仕業ということになっても特に問題がなかったから、というのが大きな理由だ。さらに加えて言うならば、自分の妹にまで記憶処理を行われるということに秋雅が難色を示したというのもある。秋雅としては如何程も――己が正体も含めて――家族に世界の裏側を知らせる気などなかったからだ。

 

 必要性も薄いし、放置する消極的理由もある。ともなれば、委員会は隠蔽工作をやらないのも、まったくもって当然の話だと言えよう。こうして、冬音も、そしてあの場にいた誰も、ついにこの世の神秘に触れることなく、あの夜を終えることとなったのであった。

 

 

 

 そして現在。大学からの帰り道に秋雅は冬音からの電話を受け取り、自宅までの帰り道に会話を交わすこととなっていた。話題は、まあ当然というべきか、あの日の夜の事が中心だった。あれからどうした、そしてこうした、という話を冬音がするのを聞きながら秋雅は歩いていたのだが、ふと気付くともう既に彼がその一室を住居としているマンションのすぐ前にまで来ていた。

 

 

「……ん、悪い。そろそろ切るぞ」

「あ、ごめんね。長話につき合わせちゃって」

「いいさ。じゃあな、冬音」

「うん、またね」

 

 別れの挨拶を交換し合い、秋雅は電話を切る。妹が元気そうであったことに少し顔をほころばせつつ、秋雅はマンションの中に入る。大学生が一人で住むには少々豪華が過ぎる、高級マンションに分類されるものだ。その中、彼が住む一室はこのマンションの最上階であるので、秋雅は階段には目もくれずエレベーターに乗り込む。時間帯の所為か、乗るのは秋雅一人だ。いつものように、秋雅は最上階のボタンを押して、ドアが閉まるのを待つ。

 

 エレベーター特有である、あの何とも言えない浮遊感を数秒。到着を知らせる快音と機械音声を発しつつ、エレベーターがそのドアを開く。そのまま、秋雅はエレベーターを降り、廊下を歩き出す。

 

 秋雅が住む部屋は、このフロアのちょうど中央の一室だ。正確に言うと、このマンションの最上階フロアにある部屋は全て秋雅のものであり、そのうちの一つを生活の場にしているに過ぎない。それ以外の部屋は、秋雅が所持する魔術品の倉庫となっていたり、あるいは何らかの理由で他人を――呪術側の人間のことだ――招く際に用いたりと、幾つかの用途で使用されている。用途を聞けばかなりの無駄に聞こえてしまうであろうが、そもそもこのマンションのフロア自体、以前に秋雅が依頼の報酬として受け取った物であるので、むしろ秋雅はそれを有効活用しているほうであろう。

 

 ともかくとして、自室の玄関前まで辿り着いた秋雅は、懐から部屋の鍵を取り出そうとした。

 

 しかし、それを途中で止め、胸元に手を突っ込んだまま、何とも形容しがたい表情で自室のドアをじっと見る。数秒ほど後、小さく息を吐いた後、懐に入れていた手を出して、インターフォンを鳴らす。

 

「――私だ」

 

 短い言葉に返答はない。だが、すぐにどたばたと、こちらへ向かってくる足音が聞こえる。その人物が玄関のすぐ前に来たと分かったと同時、カチャリとドアの鍵を開ける音がして、中から女性が現れた。

 

「お帰りなさい」

 

 そう秋雅に言ったのは、白いワンピースに黒髪が映える、秋雅と同い年ぐらいの女性――あの、幽霊の彼女であった。その彼女は、何処となく嬉しそうな顔を浮かべて、目の前に立つ秋雅をじっと見ている。

 

「ああ」

 

 彼女の歓迎に対し、秋雅は短く声をかけた後、開かれているドアに手をかける。それを見て彼女は一歩下がり、秋雅は中へと入るために道を空ける。

 

「嬉しそうだな」

 

 彼女が浮かべている表情と雰囲気に、秋雅は思わずそう呟く。それに対し、彼女はええと嬉しそうに頷いてみせる。

 

「何と言うか、やっと貴方に受け入れてもらったような気がしたので。鍵を自分で開けずに、私を呼んでもらったのは今日が初めてですから」

「……そうか」

 

 やはり短く、秋雅はそう彼女に返す。素っ気無いと思われるであろう彼の態度であるが、しかし彼女はそんなことは気にしていないかのように、ニコニコと笑みを浮かべている。

 

「何か作っているようだが、いいのか?」

 

 そんな彼女の笑みを見て、秋雅はつい話を切り替えるかのように、台所の方に目をやって言う。その彼の言葉に対し彼女は、いけない、と手をパンと叩いた後、トタトタと小走りで台所へと向かう。

 

 そして数秒、彼女が去った後を見つめた後、秋雅は軽く頭を振って私室へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 あの夜、秋雅が出会った幽霊は、今現在秋雅の家の厄介となっていた。最初は事情を知った正史編纂委員会が引き取る事を提案したのだが、当人が秋雅と離れることに積極的でなかったことと、秋雅自身も提案をしたのは自分だからと言ったため、秋雅の家で生活をするようになったのである。

 

 ちなみに、生活を始めるにあたって、その幽霊に仮名でもつけるべきかと秋雅は思い、提案をしてみたのだが、

 

「自分の名前を思い出したときに混乱しそうですから、すみません」

 

 と、こういった理由で彼女が――流石にと言うべきなのか、非常に申し訳なさそうに――断ったので、未だに秋雅は彼女の事を、君などと呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 一息。私室のベッドに身体を横たわらせながら、秋雅は疲れたように息を漏らす。

 

「……どうにも、慣れん」

 

 ぼうっと天井を見上げながら、何となしに秋雅は呟く。その呟きこそが彼の、ここ一週間の生活の感想であった。

 

「薄情なのかな、俺は」

 

 感情の無い声で、秋雅はボソリとそれを口に出す。そしてそのまま、秋雅はゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「……つまり、呪力を溜め込み、それを無意識に変換している。そう、私は考えている」

 

 そう、秋雅は彼女に告げる。今までの研究の結果から、そうであるのだと結論付けた内容であった。

 

「呪力を溜め込む、ですか?」

 

 対し、それを聞いた彼女の方は、いまいちピンと来ていないように首を傾げる。元々、そういった事情を知らぬ表の世界の住人だ。これだけでは伝わらないかと、秋雅は説明を続ける。

 

「普通、幽霊というものは呪力をさして溜め込む事が出来ない。これは基本的に、生者と比べて呪力を受け入れている器が小さい所為だと考えられている。肉体が無い分、容量が少ないからだな」

「成る程」

「だが」

 

 唐突に、秋雅はその右手に呪力を集める。おおよそ、一般的な魔術師の三人分はあるであろうか。それを彼は、何の前触れも無く目の前の幽霊の彼女へと投げる。それを彼女は避けることなく――あるいは、単純に反応が間に合わなかったのかもしれない――そのままそれを受け止める。本来であれば幽霊など簡単に散ってしまうような呪力の塊であったが、しかし彼女は平然としていた。

 

「……このように、君はこれだけの呪力を得ても一切影響がない。それどころか、それを用いて実体化すらしている」

 

 ちらりと秋雅が見たのをどう取ったのか、彼女は近くにあった小物を手に取る。霊体であるということなど分からぬほどに、彼女は普通にそれを手の中で転がせる。

 

「私の知り合いに幽体離脱を得意とする魔女がいるが、その彼女も霊体のまま物に触れることは出来ない。念力を併用してようやく、という具合だ」

 

 だが、今秋雅の目の前にいる彼女はそのような事をしていない。何を意識するわけでもなく、平然と物を掴んでいる。

 

「実体化のメカニズムはよく分からんが、まあ取り込んだ呪力を使っているんだろう」

 

 ある種、まつろわぬ神が現世で肉体を持つのと同じメカニズムなのかもしれないと、ふとそのような推測が浮かぶ。まあ、そうだったとしても、規模としては桁違いとなるのだろうが。

 

「元々そういう体質だったのか。あるいは死んだことで開花したのか……はたまた、そんな影響を受けるような死だったのか」

 

 どうだろうな、と秋雅は彼女を見ながら言う。その視線に彼女が困ったような表情を浮かべたのに気付いて、秋雅は話を少し逸らして続ける。

 

「……今のところ、溜め込んだ呪力を実体化維持にしか使っていないようだが、理解が深まれば魔術の一つぐらいは使えるようになるかもしれないな」

 

 そうなんですか、と彼女は秋雅の発言に対し頷く。何処か、その声に嬉しそうな色が見えるのは、自分が魔術――魔法という、夢物語の力を扱えるようになるかもしれないという期待によるものだろうか。もっとも、それで言えば既に、彼女は幽霊という非科学的な存在になっているのであるが。

 

「まあ、それを考えるのはまだ先だ。それよりもまずは、君の正体を探る方を優先するべきだろう」

「そうですね……分かります?」

 

 私の正体は、と彼女は若干首を傾げて言う。相変わらず何処か他人事のように聞こえる。前向きというか、後ろ向きな雰囲気がまるでないというか。極端に記憶がなくなるとそうなるのであろうかと、そんなことを秋雅は思う。

 

「君が生きている人間と見間違うレベルで実体化できたのは幸運だった。おかげで、こうして写真を撮ることが出来たからな」

 

 ちらりと、秋雅は手元にある写真に目をやる。そこには、本当に幽霊なのかと聞きたくなるほどに、彼女の姿がくっきりと映っている。一応は心霊写真であるのだが、しかしこれを見て幽霊だと思う人はまずいないだろう。

 

「現在、この写真を元に正史編纂委員会に調査を命じている。写真一枚からというのが何とも難しいところだが、少しぐらいは情報も上がってくるだろう」

 

 とはいえ、秋雅も触れているとおり、写真一枚だけで人物を特定するのは難しい。名前が分かっていない、というのがこれに拍車をかけている。一応、彼女がいたあの高校の卒業生を中心に調査をさせているのだが、クリーンヒットするかどうかは怪しい、という風に秋雅は思っている。まあ、そこまで口に出す気は無かったが。

 

「何にせよ、今は待ちの姿勢だな」

 

 そう呟いた時、秋雅の意識は暗転した。

 

 

 

 

 気付けば、毎晩と毎朝に見慣れた天井を、秋雅はぼんやりと見つめていた。数秒経ち、回り始めた頭が結論を導き出す。

 

「……ああ、寝ていたのか」

 

 小さく呟いて、秋雅はベッドから身を起こす。どうやら、寝転がった際にそのまま眠ってしまったようだった。夢の内容は三日ほど前の回想で、見た原因は寝る前の事がそうなるのだろうか。そんな事を考えつつ、僅かに残る眠気を軽く頭を振ることで取り除く。そして、帰ってから付けっ放しの腕時計に目をやると、大体一時間ほどが経っている事が分かった。

 

「疲れているのかな、俺は」

 

 何気なくそんな言葉を口に出した後、そうだなとその言葉に自分で納得する。もう一週間、幽霊の彼女と生活を共にしているのだ。その間、正確には彼女が近くにいる間はずっと秋雅は王としての言動を心がけるようにしていた。それが存外、秋雅にとっての負担となっていた。

 

 例えば、『ロサンゼルスの守護聖人』であるジョン・プルートー・スミスの名を持つ秋雅の盟友たる彼女(・・)のように、普段と王としてのそれがほぼ別人格となっているというのならばともかく、秋雅の場合はただ自分で意図的に振る舞いを変えているだけだ。そしてその王としての人格は、秋雅の素のそれと大きく異なっている。だというのに、自分の素直な言動を封じて、人の上に立つにふさわしい振る舞いを続けるというのが、思いの外秋雅の精神を消耗させていた。

 

 

「まあ、結局は自業自得か」

 

 いい加減付けっ放しだった腕時計を外しつつ、秋雅は何となしに呟く。そう、結局のところ、秋雅は幽霊の彼女の前でも素を見せれば良いだけの話だとも言えよう。

 

 だが、そうもいかないというのが秋雅の少々面倒なところであった。どうやっても、自分が王として振舞う相手――基本的には魔術師たち、及びその関係者のことだ――に対しては、秋雅は自分の素を見せるという事が出来ないのだ。これはもう理屈ではなく、ほぼほぼ本能的にそうしてしまう。数少ない例外を除いて、魔術関係の人間相手には、どれほど親しくなろうとも秋雅が素を見せることは無い。

 

 だから、最初にそう振る舞い、その後も魔術と縁を切る事がまずないであろう彼女に対しても、秋雅は王としての稲穂秋雅を保ち続けないといけなかった。ここまで秋雅が強く自分を見せないのも理由はあるが、ここでは割愛する。重要なのは、秋雅は魔術側の者に対しては絶対に素を見せない、見せられないという点だけだ。

 

 

「……それにしても、こんなに気疲れするものだったか?」

 

 少しばかり不思議そうに、秋雅は首を捻る。確かに長期間王として振舞ったことで疲労するというのには納得がいったが、しかしそれだけでこうも疲れるものだろうか。これまでにもこれ以上の期間、例えば半月ほどとある魔術結社の客人としてそこに滞在していたことがあったが、その間ずっと王としての言動をとり続けていたというのに、これほど疲れてはいなかったように秋雅には感じられた。

 

「となると……」

 

 少々どうでもいいことかもしれないが、秋雅は何となくそのまま思考を続けてみる。一体どういう理由があるのかと幾つかの可能性を浮かべていって、

 

「……ああ、そうか」

 

 自分の家だからか、と秋雅は納得がいったように呟いた。彼女との生活にあたって自分が苦痛に感じていたのは常に演技をしていたことではなく、自分のプライベートにそれを持ち込まなければならなかったことなのかと、今更ながらに秋雅は理解したのである。

 

 

 考えてみれば秋雅は、向こうに行って王として生活をするということはあっても、こちらに相手がいる状態で王として振舞うのは始めてだった。そもそも、彼はこれまで極力自分のプライベートな場所にカンピオーネとしての秋雅を知っている者を招かないようにしていた。理由は言うまでもなく、王ではない稲穂秋雅という男のことを知られたくなかったからだ。だから、今こうして、自分が生活している場というものを見せ、あまつさえそこで生活をさせているということが、思いがけない負担となっていたのであろう。

 

「まあ、そう分かっても、このまま放り出すわけにも行かないからなあ」

 

 

 疲れている所為か、独り言を続けながら秋雅はため息をつく。流石に、自分で来るように誘っておきながら、自分が疲れるからと途中で放り出すなどという不義理な真似はできない。となればこの場合は、彼女の記憶を早く取り戻し、彼女に今度の身の振り方を問うというのが真っ当な選択であろうか。

 

 しかし、まだ手がかりは掴めていないというのが現状だ。あの高校の卒業生、働いていた者を過去五年に遡って正史編纂委員会の者達に調べさせたが、まったく情報はなかった。他のルートでも多少なり調べているようだが、どうにも旗色は良くないようであった。

 

 だけれども、それで委員会に発破をかけさせるというのも気が引ける。ただでさえこれは秋雅が気まぐれで始めたようなものであるのだ、それで他者に負担を強いるというのも道理がない。

 

「ふむ……」

 

 どうしたものかと、秋雅は腕を組んで考え込む。改めて考えてみれば、いかに幽霊とはいえ女性と一つ屋根の下というのは、どうにも彼女達(・・・)に悪いように思える。おそらくは気にしないであろうが、しかし彼女たちよりも先に自分の家に女性を泊めているのは事実。あまり良くないかと、今更だがその事について秋雅は考える。

 

「大学も休みになったことだし、一度ウル(・・)達の元に行くべきか……何とも、後ろめたいことのある旦那のみたいだな」

 

 自分の思考に対し苦笑しつつ、しかし向かうこと自体は確定させて秋雅は手帳を開く。さて、一体何時がいいだろうかと、夏休みの間に行うつもりだった予定に目を通していく。

 

「…………うん?」

 

 大学関係、家族関係、魔術関係と、色々と確定もしていない予定に関しても考慮しながら秋雅は予定の確認をしていく。そんな中、そのうちの一文に目が行った。

 

「賢人議会との会合……」

 

 賢人議会――英国に本拠地を置く、世界でも特にカンピオーネについての情報を収集、発表している、魔術・オカルトの研究機関だ――と秋雅の関係は、実に驚嘆すべきことであるのだが、かなり良好と言っていい。カンピオーネという存在の危険性を世界中に発信し、有事の際には率先して対応せんとしている彼らは当然のようにカンピオーネ本人たちとの交流はそうない。個人レベルでの交流はともかくとして、組織としてカンピオーネを歓待するということはまず無い。

 

 しかし、稲穂秋雅という王は例外であった。歴代、そして現存するカンピオーネの中で数少ない、極めて理性的で、他者を犠牲にしてでも己が欲望、欲求を通すということがない王として、賢人議会は秋雅の事を肯定的に見ている。世界各国の魔術結社からの要望を少ない報酬――起こる可能性のあった被害に対する復興費と比べて、という意味だ――で引き受けていること。そして何よりも、これまでイギリスで発生した魔術的な問題を、何度も軽微な被害で収束させてきたというのが大きいのだろう。

 

 

 そんな賢人議会からの会合の誘い。一月ほど前から誘われていたが、時間が取れないからと後回しにしていたそれから、秋雅はあの組織の実質的トップとも呼んでいいあの女性を思い出し、口の端で弧を描く。

 

「――その手があったか」

 

 一つ頷いて、秋雅は自室のドアを開ける。すると夕食の準備をしてようで、手に皿を持った彼女が秋雅に声をかけてくる。

 

「ああ、秋雅さん。お夕飯の準備を始めているんですけど、早いですかね?」

「いや、別にいい。それよりも、何か足の早いものを大量に作っているか?」

「え? あ、はい。特には」

「なら明日明後日にでもここを発つので、そのつもりでな。上手くやれば君の記憶が戻るかもしれない」

「発つ? 出かけるってことですか? 一体何処に?」

「英国……イギリスが目的地だ」

「……へ?」

 

 秋雅の言葉に対し、彼女は気の抜けた声を漏らした。

 

 

 

 







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英国の姫は、王の訪問を受ける






 ハムステッド。ロンドンでも屈指の高級住宅街に、その邸宅はあった。古城じみた外見を持つ四階建ての建物、広い敷地と庭、さらには四つの塔と、中々に豪華な建物だ。豪壮なデザイン集合住宅が多いこの場所でなければ、周囲から浮いてしまうことは想像に難くない。

 

 そんな邸宅の一室、応接室として用いられているその部屋に、一人の女性がいた。ゴドウィン侯爵家令嬢にして、この邸宅の主、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール。プリンセス・アリスとも呼ばれる彼女こそ、グリニッジ賢人議会の元議長にして現在の顧問であり、『天』の位を極めた魔女である。

 

 そんな彼女が一体、何処の誰を待っているというのか。その答えは、彼女が傍らに置いていた一通の手紙、その差出人の名を読み上げたことで判明する。

 

「……稲穂秋雅。まさかあの方をここに招くことになるなんてね」

 

 そう、何処か楽しげにアリスは呟いた。

 

 

 

 その手紙がアリスの元に送られてきたのは、今から三日ほど前のことである。『投函』の魔術などで直接的に送られたのではなく、平常の郵送の手段で送られてきた――おそらくは部屋に直接届けるなど無礼であると、そんな風に秋雅が思ったからではないかとアリスは推察している――その手紙には、秋雅からアリスへの訪問の許可と協力の要請を願う内容が、丁寧な文体と文字で綴られていた。上辺だけのものではなく、確かにアリスへの敬意や尊重を感じられる文面であった。

 

 かのカンピオーネからそのような気遣いをされているということですら驚くべきことであるのに、さらにそこには、都合が悪ければこれを断っても構わないとすら書かれていたのである。我侭で己が道を突き進む傾向のあるカンピオーネからの手紙とは、とてもとても思えぬような内容であった。

 

 無論、そこまで書かれていて要望を断るという選択を取るはずもなく、アリスは急ぎ使用人たちに命じて歓迎の準備を進めつつ、返答の手紙をしたためた。それを、届けられた手紙に書かれていた住所――ロンドンにあるとある高級ホテルのものであったことから、わざわざイギリスに来てから手紙を送ったのであろう――に急ぎ郵送し、こうして今日という日を待っていたのである。

 

 

「それにしても、一体どのようなご用件なのかしら?」

 

 手紙に書かれていたのはアリスへの協力の要請だけで、その具体的な内容にまでは触れられていなかった。協力の対価として、現在賢人議会が何かしらの問題を掲げていた場合は解決に協力するとも書かれていたことから、それなりに大きな用件であるのかとは思っている。だがしかし、稲穂秋雅という王は時折報酬と依頼内容が釣り合っていないことを言う場合も――その場合、どう見ても秋雅が損をしているようにしか見えないものばかりだ――あるので、そうだとは断言できないところがあった。

 

 

 また、同行者がいるとも手紙には書かれていたので、あるいはそちら関係だろうかと、アリスが何度目かの推測をつらつらと重ねていると、ノックの音を挟みつつ、一人のメイドが部屋に入って来た。

 

「姫様、稲穂様がいらっしゃいました」

 

 そのメイドの言葉に、アリスは一つ頷いて返す。

 

「ここにお通しして頂戴。くれぐれも、粗相の無いように」

「はい、畏まりました」

 

 一礼し、そのメイドは部屋を出る。そのメイドはこの邸宅で働き始めてもう長いベテランであるのだが、珍しいことにその動きは何処かぎこちなさが感じられる。そんな様子に、無理もないかとアリスは僅かに苦笑を浮かべる。

 

「カンピオーネたる方の正式な訪問、緊張するなという方が無理な話でしょうね」

 

 この邸宅にも時折、とあるカンピオーネは出入りしているが、彼の場合は無遠慮で無作法、勝手に来て勝手に帰るという振る舞いであるので、こうして正式に礼を尽くして王を迎えるということは初めてだ。今回の訪問客の性格を考えると多少の無礼は気にしないであろうが、だからと言って手を抜いていいというわけではないし、何よりその事を知っているのは、実際に彼と会ったことのあるアリスのみだ。使用人たちが気を張り詰めているのも無理からぬ話であろう。

 

「これがアレクサンドルであれば――っと、いけない」

 

 この邸宅を訪れたことのある男、己がもっとも付き合いのあるカンピオーネ、アレクサンドル・ガスコインのことを口に出そうとして、アリスは慌てて口を紡ぐ。何せこれから来るカンピオーネ、稲穂秋雅は、アレクサンドルの事を毛嫌いしているからである。

 

 

 基本的に、稲穂秋雅という王は平和的だというのが、アリスが集めた情報、そして彼と直接あった経験を基にして出した結論である。勿論、平和的とは言っても、それは戦いを行わないという意味ではなく、単に自分から戦火を起こしたり、あるいは大きくしたりということを行わないという意味だ。

 

 加えて、秋雅は無益な、あるいは周囲への被害が大きくなるであろう戦いを極力避ける傾向にある。これは他のカンピオーネたちとの関係を見ればよく分かるだろう。例えば暴君として知られているあのヴォバン侯爵とも、実体はともかくとして、少なくとも表面上は相互不可侵という間柄だ。アリスの知る限りという条件だが、その他の王とも明確に敵対をしているというわけでもない。特に、アメリカの王であるジョン・プルートー・スミスとは盟友と呼び合う間柄だと聞いている。流石に表舞台に滅多に出てこない羅濠教主やアイーシャ夫人との関係は深くは分からないものの、それでも敵対をしているという情報は入ってこない。どうやら、稲穂秋雅という王は、出来うる限り他の王、及び力のある魔術師、魔術結社との敵対を好まないらしいというのが、それなり以上の情報収集能力を持つ魔術師たちの間で知られている話だ。

 

 しかしそんな中、唯一の例外というべきだろうか。ただ一人、『黒王子』アレクサンドル・ガスコインに対してのみは、稲穂秋雅は完全な敵対関係を取っているのである。それこそ、顔を見ればすぐにでも戦いの火蓋を切るであろうと言われるほどだ。あの、民の被害を最大限抑えようと様々な方法で尽力している秋雅が、だ。

 

 その理由自体は、アリスもよくは知らない。以前、アレクサンドルに一体何があったのかと尋ねたことはあったが、しかしその際に返って来た答えは、

 

『知らん。気付いたらこうなった』

 

 という、全く何も分からぬものであった。この答えを聞いて、アリスはすっかりこの事を掘り下げる事を諦めた。こういう物言いをするときのアレクサンドルは、己が行動に対する自覚という物がまったくないと理解していたからである。ただ、アレクサンドルが計画なり何なりで多大な失敗をしでかす時は大抵彼の女難の相の所為だろうと、そんな風には何となく考えていたりするが。これで秋雅の方に原因があったと考えないあたり、付き合いの深さからなる信頼というものが、ある種逆向きに働いているということであろうか。

 

 

 とまあ、そういうわけであって、稲穂秋雅の前で下手にアレクサンドル・ガスコインの話をすると彼が非常に不愉快そうな表情を浮かべる――なお、どうやら本人に自覚は無いらしい――ので、必要があって話題に出すという場合を除き、秋雅の前ではアレクサンドルの名前は愚か、下手に脳裏にその名前を浮かべるということも避けたほうがいい。それが、これまでの交流の中でアリスが学んだことの一つであった。むしろこれだけを押さえておけば大抵は何事も無く謁見を終わらせられるのだから、稲穂秋雅はという王はある程度気を楽にして会話の出来る相手だと言えるのかも知れないが。

 

「……まあ、稲穂様の話題によっては、他の事に気を取られる余裕なんてないのかもしれないけれど」

 

 そんな風にあれこれとした思考を纏めて、アリスは一つ頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、待つこと数分ほど。再び部屋の戸をノックする音が響く。

 

「どうぞ」

 

 アリスが中から返答をするとドアが開き、一礼するメイドの前を悠々と通って、一人の男性が現れる。今回の待ち人、稲穂秋雅その人であった。

 

「プリンセス・アリス。今回は突然の訪問でありながらこのように歓迎頂き、真に感謝する」

「いえ、こちらこそ稲穂様を当屋敷に迎える事ができ、その喜びに感激しております」

 

 秋雅の言葉に、アリスは軽く頭を下げて言う。普段であれば姫として頭を下げられる立場であるアリスだが、流石に相手が王ともなれば彼女の方が礼を尽くさなければならない。

 

「……ところで稲穂様、そちらの方が同行者の?」

「ああ、そうだ」

「あ、初めまして」

 

 頭を上げたアリスは、秋雅の後ろについて来ていた一人の女性に目を向ける。東洋人らしき女性だと見た目から分かる事を思った後、アリスはおやと首を傾げる。

 

「そちらの方は、もしや幽体ですか?」

 

 今の自分と同じ、幽体の存在ではないか。感じ取ったその推測をアリスが口に出すと、秋雅は感心したように頷いてみせる。

 

「やはり分かるか。その辺りも含めて、今日は貴女に協力を要請しに来たのだ」

「何やら事情がお有りのようですね。早速お話を伺わせて貰いますわ」

「うむ。話は長くなるのだが――」

 

 そうして、秋雅は傍らの女性について話を始めたのだが、その内容はアリスにとっても驚くべきことであった。幽霊であるというのに呪力を吸収する体質に、その呪力を用いた実体化など、中々に信じがたい内容だ。

 

 しかし、実際にソファの軋みや沈み様から彼女が実体、ならびに質量を持っている事が見て取れるし、あまつさえ出された紅茶を飲むという、アリスですら出来ない幽体の身での飲食なども見せられては、目の前の幽霊が些か規格外の存在であると認めざるを得ない。

 

 

「成る程、中々に興味深い存在のようですわね」

 

 秋雅の話をあらかた聞き終わった後で、アリスはそんな感想を述べる。魔術、オカルトの探求者の一人として、目の前の彼女のような例外的な存在に対し、好奇心や探究心を覚えずに入られないというのが、アリスの素直な感想であった。

 

「ああ。しかも、これで名前も記憶も覚えていないのだからまったく訳の分からない話だと思っている」

「……よくそれで自己を保っていられますね」

 

 自分という存在を構築している要素のほぼ全てを失っておきながら、本来不安定な存在である幽霊が確かな自己を保っている。そこまでいくともはや呆れてすらしまうと、アリスは彼女を見ながら乾いた笑みを浮かべる。そんなアリスの視線に晒された彼女は、若干居心地悪そうに身体を縮めている。もっとも、今行われているアリスと秋雅の会話は全て英語であったので、別にアリスたちの会話を全て理解した上での態度、というわけではないのであるが。

 

 

 

「それで、結局私に何をさせたいのでしょうか?」

 

 説明も済んだと感じたところで、アリスは本題に切り込む。それに対し、秋雅も頷いた後アリスを見て口を開く。

 

「まず、一つ質問をしたいのだが、貴女が持つ精神感応能力、それを用いて他者の記憶を呼び覚ますことは可能だろうか?」

「精神感応ですか?」

 

 精神感応とは、精神を研ぎ澄ますことで他者の気配や感情を読み取るだけでなく、霊体や魂に干渉して自在に操る能力のことだ。アリスが現在用いている幽体離脱も、この能力の一環である。

 

「そうですね……精神感応はその人の魂にも干渉は出来ますから、上手くやれば感情や記憶を読み取る要領で行けるかもしれません。お話から察するに、お相手はそちらの幽霊さんなのですよね?」

「ああ」

「でしたら、より可能性は高いと思います。肉体が無く、より純粋な存在である分、成功の目はそれなりにあるかと」

「ふむ、そうか」

 

 アリスの推測を聞いて、秋雅は何度か軽く頷いている。何を考えているのだろうかとアリスが思っていると、秋雅は不意に立ち上がって、テーブルの向こうにいたアリスのすぐ隣にまでやってきた。

 

「稲穂様?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべているアリスの前で、秋雅は徐に片膝をつき、言った。

 

「プリンセス・アリス、淑女の寝室に足を踏み入れる許可を頂きたい」

 

 その秋雅の言葉に、アリスはたっぷり十秒ほど固まった後、

 

「……えっ」

 

 と、完全に素の声を漏らす。どういう意味か、脳の冷静な部分がそういう意味合いの言葉を急ぎ口に出そうとした、その瞬間。

 

「私に、貴女の身体を治す許可を頂きたいのだ」

 

 続けて放たれた秋雅の言葉に、今度こそ完全に、アリスの思考は固まった。

 

 







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逆行と回復






「――正確には、治すという表現は適切ではない」

 

 四階にある主寝室。アリスが自身の本体が眠っているその場所へと、秋雅を案内している中、秋雅はふと思い出したように言った。それに対し、彼を先導していたアリスは足を止め、振り返って首を傾げる。

 

「治すわけではない、と?」

「私の権能の一つに、生物の時を戻す権能があるのは、貴女もご存知だと思う」

「ええ、存じております」

 

 秋雅の言葉に、アリスは小さく頷く。秋雅の権能はその半分以上が表立って知られていないが、しかしカンピオーネに対する情報収集能力ではトップクラスである賢人議会、その特別顧問であるアリスは秋雅が秘している権能も、他者よりは知っている。

 

 若干話がそれるが、カンピオーネは基本的に自身の権能に対しそれほど頓着していない傾向にある。権能の名前に特に拘らず賢人議会が名づけた暫定的な名称をそのまま採用していたり、所持する権能の情報を他者に知られる事を気にしなかったりなどだ。前者は特定の物事以外執着を見せない彼らの特性によるものであり、後者は自身の力を知られたところでそれごと叩き潰すという、彼らの勝利への自信の表れだと言えるだろう。付属して、一部例外を除き他者の権能にもいまいち関心が薄いというのもある。

 

 しかし、例外的に――またもやと言うべきか――秋雅は自身や他者の権能の情報という物に、かなりの注意を払っていた。情報的なアドバンテージという物を、極めて重視しているのである。豪胆さを特徴の一つとするカンピオーネにしては、ある種臆病とも言える行動だが、

 

『知られていないに越したことは無い』

 

 というのが、以前にアリスが彼から聞いた言葉であった。

 

 こういったことから、彼が賢人議会に対しある種過多とも言える貢献をしてきたのも、それらの情報規制に口を挟む為であろうとアリスは推察している。事実、彼の賢人議会への協力の報酬として、賢人議会が把握している彼に対する情報の多くを秘密にし、決して外部に出さないようにするというものがある。そのため、賢人議会は把握している秋雅の権能のうち、彼の代名詞でもある『万砕の雷槌』(ハンマー・オブ・ザ・デストラクション)と、彼が戦闘の際に必ず用いる『冥府への扉』(ルーラー・オブ・ザ・ハデス)の二つのみを、彼らが把握している稲穂秋雅の権能として発表している。他にも、『我は留まらず』(ダンス・イン・マイ・ハンド)『過去か、未来か』(タイム・ライク・ア・リバー)などの権能も把握してはいるのだが、それらの情報は決して表に出ないようにしていた。そういう契約が、秋雅と賢人議会の間では結ばれているのである。

 

 なお、余談になるものの、秋雅は自分の権能の名前を自ら名づけていたりする。前述の通りカンピオーネたちは基本的に自分の権能の名前に興味が無い――若干の例外もあるが――ので、彼のこだわりは中々に珍しいと言えよう。その際、彼は和名と英名、それぞれで権能の名前を考えているという凝りようで、それ故に彼の持つ権能は和名と英名で直訳が異なったりしているのである。ちなみに、『万砕の雷槌』と『冥府への扉』がほとんど直訳に近いのは、これら二つのみ秋雅が名を考える前に賢人議会が英名を勝手につけていたので、それに合わせて秋雅が和名を考えたからであった。なお、この秋雅のこだわりに対して以前にアリスが質問をしたところ、

 

『自分の持ち物の名を当人が考えるのは当然ではないだろうか?』

 

 という答えが返ってきたりなどしている。こういった事情も有って、賢人議会が彼の権能の情報を新しく得た場合は、彼に自分達が把握した権能の内容を話し、秋雅がうんと言えば、彼が考えていた権能の名前と共に、一部の者しか閲覧できないようにした上で、その権能の情報を保管するという流れになっていた。

 

 

 そういった事情があるためか、今アリスの寝室に向かっているのはアリスと秋雅の二人のみだ。アリスに使える使用人達はおろか、秋雅が連れてきた彼女もここにはいない。これは言うまでもなく、秋雅の意向によるものであり、必要ない相手にまで手の内を晒す気がないということであろう。

 

 

 

 

「――そして、今回私が用いる気なのがそれだ」

 

 アリスの頷きを確認しつつ、秋雅は軽く視線を前に向ける。その意味を察して、アリスは再び前を向き、歩みを再開する。すると、秋雅が一瞬だけ足を速めてアリスのすぐ横につく。どうやら、互いに顔も見えない前後での会話に対し、どうかと思ったようであった。

 

「貴女が身体を壊したのは六年ほど前だったと聞いているが、確かだろうか?」

「ええ、その通りですわ。ちょうど、貴方様が王となられた頃になりますか」

「そうなるな……ともかく、そういうことであれば、私の権能を用いて貴女の肉体の時間を六年ほど戻せば、一応貴女の身体は治る事になる」

「そう……なりますわね」

 

 秋雅の言葉にアリスは平然と同意したように見せたが、実際の内心は非常に乱れきっていた。何せこれが上手く行けば、肉体が幼くなってはしまうものの、現在のようにろくに生身の身体を動かすことの出来ない状況から脱する事が出来るからだ。あくまで戻すだけであるから病弱なことに代わりは無いだろうが、しかし少なくとも一人で邸内を歩き回る程度のことは出来るようになるはず。それを考えれば、期待に胸が高鳴るのは当然であった。

 

 勿論、これが上手く行けば秋雅への大きな借りとなる。彼は能力を使ってもらうために万全を期したいだけだとアリスに言ったが、だからといってそれを甘んじて受け入れるには流石にこちらの報酬が大きすぎる。かと言ってどういう風に恩を返せばいいのかとなると、それはそれで中々に考え物だ。形式上、あちらから申し出てくれたことなので金銭で報酬を払うというのも変な話だろう。もし返すとすれば、それは形の無いもので返すしかない。所謂ところの、借り一つ、と言ったところだろうか。もっとも、アリスの立場という物を考えると、とても一つにはなりそうにないが。

 

 

 その後は特に会話も無く、アリスは秋雅をとうとう自身の寝室まで案内した。ここに男性の身で来たのは――少なくとも、アリスが大きく体を壊してからは――二人目だ。

 

「ここが、私の寝室になります」

「……無礼にも淑女の私室に入る無礼を詫びさせてもらおう」

 

 ドアを開け、秋雅を招き入れるアリスに対し、秋雅は律儀にも再び非礼を詫びて軽く頭を下げる。その彼の態度にはわざとらしさというものがまったく感じられなかったので、アリスは静かに、柔らかく微笑むことで、それを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 アリスの寝室は、まさしく貴族の部屋と言った風なものであった。一見しただけでも分かる豪勢な家具と、見るものが見れば分かる質のよい上品な調度品たち。そんな中でやはり一際目を引くのは、部屋の中央にある豪奢な寝台だろう。

 

 そこには、一人の女性が眠っていた。それは紛れも無くアリスの本体であり、よくよく見れば霊体の彼女よりもやつれているに見える。ともすれば、霊体の方よりも、生気がないようにすら見えるだろう。これが今の自分なのだと、アリスは霊体の目を通して改めて己の肉体を見やる。

 

「このような姿をさらしてしまい、恥ずかしい限りですわ」

「気にする必要は無い。私が強引に足を踏み入れたと、そういうことなのだから」

「お気遣い感謝します、稲穂様」

 

 秋雅の言葉に答えた後、アリスは霊体を消し去る。本体の、自身の口で会話を行うつもりだからだ。この場では霊体ではなく本体での会話を、そういう思いの元の行動であった。

 

「沈黙を望もう、プリンセス・アリス。貴女は動かず、ただじっとしていればいい」

 

 しかし、アリスがそうしようとしたところで、秋雅がそんな言葉を口にした。口調こそは命令のようであるものの、しかしそれはアリスに無理をさせまいとする秋雅の気遣いであるとアリスにはすぐに分かった。命令調にしているのは、そうした方がアリスは従ってくれるだろうと考えた為なのだろう。

 

 そんな彼の気遣いに、アリスは甘えることにした。今から秋雅がやろうとしていることへの影響も考えて幽体離脱もせず、ゆったりと身体の力を抜いて彼を待つ。

 

「……始めよう」

 

 秋雅の言葉と共に、彼の身体から多量の呪力が立ち上る。ぐぐと右手を強く握り締めた後、秋雅は目の前に横たわるアリスに、開いた右の掌を向けながら口を開く。

 

「それは常に移ろうものなり。決して留まらず、ただ流れ行くものなり。されど、我は今ここに命ず――我が前に在るかの者の、その時を今こそ、過去へと遡らせよ――!!」

 

 彼の口から聖句が紡がれ、それによって発動した権能の力が目の前に横たわるアリスを包み込んでいく。

 

 すると、まるで羽毛で撫でられたかのような刺激が、アリスの全身を覆っていく。ともすれば反射的に拒絶してしまいそうになる己を自制し、自らの意思でアリスがその力を受け入れると、次第に感覚の種類が変わっていく。むず痒さと、そして心地よさ。それ以外にも様々な感覚を覚えながら、アリスはただただ黙って受け入れる。

 

「気分は如何だろうか、アリス殿」

 

 どれほどが経ったであろうか。ふと聞こえた秋雅の問いかけの声に、アリスはハッとして目を開ける。気付けば先ほどまで感じていたものも既に無く、秋雅からもあの圧倒的なまでの呪力を感じることも無い。

 

 どうなったのだろうか。そんな思いを抱きつつもアリスが口を開こうとした、その時であった。

 

「…………え?」

 

 思わず、アリスの口から声が漏れる。その視線は何気なく目の前で開かれている、自分の右手に注がれていた。

 

「何とも、ない……」

 

 手の一本を動かすことすら満足に出来なかった己が、反射的に手を上げている。それによる疲労も一切感じられない。いや、今更ながらにアリスは気付く。先ほどまで確かにあった疲労感と虚脱感が、ほとんど感じられないということに。

 

 理解は、していた。信用もしていた。だが、いざ実際に起こってみると信じられないと思ってしまうのは、彼女もまた変わらなかったらしい。目の前の事実に思考が追いつかない状態が幾らか続いた後、アリスの意思がようやく戻ってくる。

 

「んっ……」

 

 意を決し、アリスが身体を起こそうとすると、驚くほど軽やかにその身は起きた。昨日までは、その身にかかっている軽い羽毛布団すら枷のように感じ、満足に一人で起き上がることすら出来なかったというのに、今では確かに自分一人で起き上がる事が出来た。まるで六年前の、体調を致命的なまでに崩してしまう前のように。

 

 倦怠感は、ある。だがそれは、六年前にも感じていた、生まれもっての虚弱体質から来るものだ。あの頃は疎ましく思っていたそれも、それ以下を体験し続け、そしてそれを捨て去れた今のアリスにとっては、その倦怠感などまるで問題とは思えなかった。

 

「……稲穂様」

 

 思わずその名前を口に出しながら、アリスは呆然と秋雅の顔を見る。その彼女に対し、秋雅は大きく頷いて、

 

「気分は、どうだろうか?」

 

 再びの問いかけ。それに対しアリスは、

 

「この上なく……」

 

 そう呟いて、一筋の涙を流した。それは他人の前で初めて見せた、彼女の心からの喜びの涙であった。

 




 なお、もう少し秋雅の治療は続く予定だったり。書いていてあれだけど、アリスって何か泣くイメージないので違和感があるなあと。




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恩義と依頼







「……本当に、若返っていますね」

 

 鏡に映っている自分の姿を見て、アリスは小さく呟く。手などを見ている限りでは実感が湧かなかったが、やはりこうして鏡で自分の顔を見るとよく分かる。前に見たときは確かに大人の女性の顔であったはずなのに、今ではかつて見ていた少女の姿だ。若返らせるということで分かってはいたのだが、実際に見てみると何とも不可思議な気分だという感想をアリスは抱く。

 

「霊体を作るときは、前の時の姿で作るようにしてもらいたい。そうしないと色々と不都合が出るだろうからな。貴女にも、そして私にも」

「ええ、存じておりますわ」

 

 基本的に霊体というものは本体を同じ姿になるものなので、姿を変える――さらに、それを維持しなければならない――というのはそう簡単な話ではないのだが、アリスは当然だと頷く。多少のことならともかく、若返りなどそう易々と行えるものではない。その困難を起こした原因は何かと他者に探られれば、芋づる式に秋雅の権能についても知られる可能性がある。それを秋雅が嫌うことなど考えるまでもなく分かるので、アリスは秋雅の頼みを受け入れた。もっともアリス自身、一々事情を聞かれるのはうっとうしいと思うので、言われずともほぼほぼそうするつもりであったのだが。

 

 まあ、いくら外向けに偽ってみたところで、時折無礼に訪れることのある例の神殺しには隠し通せない可能性が高いのだが、そればかりは仕方のないことであろう。

 

「……それにしても、またこうして部屋の中を歩き回れるとは思っていませんでした」

 

 改めて、しみじみとアリスが呟く。ここ六年の間、公に出来なかったために十分ではなかったが、それでもトップレベルの治療を受けていたにもかかわらず、決して治ることのなかった彼女の身体。それがこうして、自由に歩き回れる程度に回復できた――秋雅の言うとおり、正確には回復ではないのだが、それはそれだ――のだから、これほど嬉しいことはないだろう。

 

「アリス殿」

 

 そうして喜びを見せているアリスに、ふと秋雅が声をかけた。どうしたのだろうとアリスが彼の方を見ると、彼はそっとアリスに対し右の手を差し伸べる。

 

「失礼だが、もう少しだけ私に付き合ってもらえないだろうか?」

「え?」

 

 どういうことだろうか。秋雅の言葉にアリスは首を傾げる。そんな彼女の疑問の視線に、秋雅はその視線を真正面から受け止めて言う。

 

「上手くやれば、貴女の身体をもう少しだけ治せるかもしれない手がある、ということだ」

 

 秋雅の言葉に、アリスは思わず黙り込んだ。どう返答すべきか。たっぷりと一分は悩んだ後でアリスは口を開く。

 

「……それは、何故でしょうか?」

「言うまでもないと思うが? 私の頼みを確実に果たしてもらうために、貴女には可能な限り体調を良くして貰いたいというだけだ」

 

 秋雅の返答から、おそらく裏はないだろうとアリスは考える。裏の意味があるとすれば、精々個人的同情心からの治療ぐらいで、別段これを理由に何かを要求しようということはまずないと思って問題はないはず。しかし、そうなるとそれはそれで問題が発生する。それは、借りが多くなりすぎるという点だ。

 

 既に身体を健常な――病弱ではあるが、少なくとも身体を壊しているというほどではない――身体に治してもらっているのだ。その上でさらに治療を受けるなど、これは少々所ではなく受け取りすぎだと言える。

 

「気にしているようだが、これは元から考えていたことだ。先のそれの続きでしかない、と思ってもらって結構だ」

 

 アリスが悩んでいると、秋雅がそんな助け舟を出してきた。相変わらず、自分の利を簡単に捨てる方だと、アリスは秋雅に改めてそんな感想を持つ。しかし、そんな場合ではなかったと、今の秋雅の言葉を加えて彼女はさらに考え込む。

 

「…………分かりました」

 

 更なる沈黙の後、アリスははっきりと頷いた。受け入れてしまおう、それが最終的な結論であった。

 

 ここまで来たらもはや貸しの大きさなどたいした問題ではない。既に賢人議会から出されていた秋雅への依頼や嘆願は、もうとっくにアリスの頭の中から放り出されている。とてもではないが今更こちらから何かを依頼できる状況にないからだ。むしろ今後――最低でも数年は――彼からの依頼を無条件で受け入れる覚悟を決めて、アリスは秋雅に対し自分の手を差し出す。

 

「お願いします」

「うむ」

 

 そっと、秋雅が彼女の手を取り、左手で上からさらに覆う。次の瞬間、秋雅の身体から再び大量の呪力が巻き起こる。先のそれと比べれば少ないが、しかしやはり一般的な魔術師からすれば膨大といっていいほどの量の呪力を纏いつつ、秋雅はその口から聖句を唱える。

 

「――汝は砕くものなり、壊すものなり。すなわち、汝は天よりの怒りなり。されど、汝はまた実らせるものでもあり、育むものでもあり。故に、汝は天よりの恵みでもあり――故に、我は今願う。我に今こそ、汝が豊穣を授けん事を、今切に願うものなり――!」

 

 秋雅の聖句と共に、彼の身体からバチバチと火花が散る。権能、それも雷の力であると、アリスにはすぐに察せられた。その力は秋雅の全身から発せられたかと思うと、徐々に一箇所に、秋雅の両の手の中へと収束していく。しかし、それは始まりに過ぎなかった。

 

 

「これは……」

 

 思わず、アリスは自分の手を見て呟いた。それは、秋雅の手に感じていた『雷』が、ゆっくりと自分の手に移っていくのが感じられたからだ。力が移動している、自身の体内に入ろうとしているのだと気付き、アリスは驚きから目を見開く。

 

「んっ……」

 

 僅かに感じるくすぐったさに、アリスはほんの少しだけ身じろぐ。そんなアリスの反応など知ったことではないとでもいう風に、その『雷』は、ゆっくりと、ゆっくりと、アリスの腕の中を昇っていく。痛みのない静電気、とでも言うのが正しいのであろうか。ともかくそのような、何とも不思議な感覚をアリスは覚える。身体の中に『雷』があるというのに、一切の痛みを感じられることのない。むしろ、慣れてくればそれは、何処か心地よくすら感じられる。

 

 

 そうして、ついにはその『雷』はアリスの胸の――心臓の辺りでようやくと動きを止める。そして、まるで心臓の鼓動に合わせるかのように、『雷』から身体全体に、何か力のようなものが広がっていく。

 

「これは……」

 

 十数秒前と同じ台詞を、アリスは再び呟く。しかし、先のものが困惑から来るものであったのに対し、今度は驚愕を理由としていた。何故なら、『雷』の力の広がりと同時に、アリスが自身の身体に感じていた重さのようなものが、段々と無くなっていったからだ。

 

 体調が良くなって行っている、ということなのであろうが、何か奇妙な感覚であった。アリスからしてみれば今までの、何処か疲労が抜けきらないような重さのある感覚こそが常であった。それが徐々になくなっていき、代わりにそれこそ庭を駆け回れそうな力が湧いてくるという今の感覚は、酷く奇妙なものに思えてしまう。いや、勿論嬉しくないわけではないのだが、どうも今まで感じた事のない常人の良好に、病弱の内での良好しか知らなかった彼女の感覚が追いついて来ないのだ。

 

 その感覚をより知ろうとして、自分の内に感覚を集中させたのが原因であろうか。彼女の霊視能力がここで発動する。それは彼女に、この『雷』が如何なる神の権能であるのか、その情報の断片を見せてくる。

 

「極東の、識者……かつて、人であったものの力……」

 

 やはり、気が緩んでいたのであろうか。見えたその断片を、そのままアリスは口に出してしまう。直後、ハッとその事に気付いたアリスは、急ぎ頭を下げた。

 

「申し訳ありません。御身の力を覗くような真似をして」

 

 情報の漏洩を嫌う彼に、その権能を目の前で暴くような真似をしてしまったことに対する謝罪。

 

「いや、むしろ感心したぐらいだ。よく、この程度でそのような情報を知れたものだ」

 

 そんなアリスの謝罪を、秋雅は問題ないと受け入れる。彼からしてみれば、霊視されることは想定していたことであり、それを口にしたところで、他に『耳』もないのだから問題ないと、そういう風に思ったのであろう。

 

「ともかく、少しばかり今のこれについて説明しておこう。これは先日手に入れた権能の能力でな、対象者の体内にその力を残留させることで、一定期間その身体の治癒を行う」

「治癒、ですか。ではその力がなくなったら終わりということで?」

「いや、今回は貴女の身体機能の改善に注力している。実験例がまだほとんど無いから分からないが、多少は貴女の身体の病弱さも改善できると思う」

「そのようなことが……」

 

 これこそが、今しがたアリスが体感した権能。アリスはまだ知らないが、これが秋雅が『実り、育み、食し、(ディストラクション・イズ・オンリー・)そして力となれ(ワンサイド・オブ・ザ・サンダー)』と名づけた権能の、その力の一旦であった。

 

「勘だが、おそらくは『それ』は半月から一ヶ月程度は貴女の体に残ると思う。現状含め、その後の体調がどうなるかは適度に報告してもらえると私としてもありがたい。場合によっては、また貴女にこれを使ってもいいと思っている」

「それは……ありがとうございます」

 

 一時的なものではなく、ともすれば完全にこの身体の脆弱さが治る。その可能性の提示に、アリスは心から秋雅に感謝の念を伝える。長年自分が抱えてきた難題、それがこうもあっけなく解決したのだから、如何な人物であっても、アリスと同じ立場に立てば同じように絶大な感謝を覚えるだろう。それほどまでに凄まじいことなのだ、今秋雅が行ったことは。

 

 だからこそ、アリスはよりいっそう神妙な面持ちをして、目の前に立つ王に対し口を開く。

 

「……稲穂様」

「何だ?」

「今回、貴方様が私に対して行って頂いた事。それは何物にも代え難い、いえ、どれ程感謝してもしきれるものではありません」

「何が言いたい?」

 

 いぶかしむ様子ではない、あくまで確認であるという風な秋雅の問いかけ。それに対し、アリスははっきりと言った。

 

「――貴方様が望むのであれば、我ら賢人議会は稲穂秋雅の元につくことすら行いましょう」

 

 そのアリスの言葉に、秋雅の眉がピクリと動く。

 

「まさか、そのような事を言うとはな」

 

 正気かと、秋雅の目は問いかけている。彼の気持ちも当然だが、しかしアリスは確かに本気でそう言っている。

 

 元々、賢人議会とはカンピオーネの脅威に対し発足した組織だ。不倶戴天とまではいかないが、基本的にカンピオーネたちと敵対の姿勢をとっていることは言うまでもない。そんな中の数少ない例外が秋雅であったのだが、彼にしたって互いの益が重なったが故の協力関係という程度の関係で、秋雅に無条件で協力をするというほどではない。

 

 しかし、そうであるはずの賢人議会の、そのトップであるアリスは、今ここで稲穂秋雅という王に下るという選択に手をかけている。賢人議会の存在理由、その根幹を砕きかねない選択だが、しかしそれ以上に、アリスの治療に対する礼として返せるものがない。それほどまでに、プリンセス・アリスという存在は賢人議会にとっても重要なのである。それを分かっているからこその、アリスの選択。

 

 だが、

 

「不要だ」

 

 と、秋雅のアリスの提案を切って捨てる。

 

「これはあくまで、私の依頼に対する料金の前払いのようなものだ。故に、貴女がいらぬ恩を感じることも、いらぬ重荷を背負う必要もない。全てはただ、私が気まぐれに与えたものなのだから」

 

 そう、秋雅は己が行動に対しての対価を望まぬという姿勢をとる。はっきりと言って、アリスには彼のその態度がまったくと言っていいほどに理解できない。

 

「だが、可能であれば貴女には私が連れてきた彼女を預かってもらえないかとは思っている。貴女の力を行使するにしても、徐々に時間をかけてのほうがいいだろうし、何より彼女をこれ以上手元においておくと、『彼女ら』にいい気をさせないと今更ながらに気づいたのでな。何とも勝手な話だが、受けてもらえると助かる……ああ、当人には既に話を通しているので、そこは気にしないでいい」

 

 分からないと、信じられないという視線を向けるアリスを前に、途中軽く苦笑を漏らしつつも秋雅は、そう続けた。

 

 確かにその提案はアリスに多少の負担をかけるだろう。彼が可能であればと、そう前置きしたのも理解は出来る。だが、所詮はそれだけだ。その程度で、今しがた起こったことに釣り合うはずもない。

 

 そういった事を口に出そうとしたアリスに対し、今から放たれるはずの言葉を察していたかのように、秋雅は彼女の口元で指を立てる。

 

 静かにしろ、そんなジェスチャーを行った彼は、まるで思い出したかのようにこう言った。

 

「こちらに滞在中に、面白い噂を聞いた。何でも、このロンドンをどこぞの魔術師がさすらっているらしいな。聞けばこれの対処に、貴女達も苦労していると聞く。どうだろう? この一件、私に任せてもらいたいと思うのだが。無論、依頼料は相談に乗ろう」

「それは…………」

 

 確かに、そういった事件が起こっていることは確かだ。今回行おうとしていた彼との会合において、それも話題に上げようと思っていたことも事実。

 

 だが、問題はそこではない。問題なのは、その言葉の裏の意味だ。

 

「秋雅様、貴方は……」

 

 アリスにはすぐに、秋雅の発言の意図が察せられた。つまり、彼はこう言いたいのだ。

 

 依頼をよこし、その依頼料は超高額にしろ。そうすれば、この一件はチャラにしてやる、と。

 

 はっきりと言って、その提案は秋雅に一切の益がない。そんなことで手に入る金額などたがが知れており、一組織を掌握する利に勝るはずもない。そもそも、彼はもう十分な資産を得ているはずであり、多少金額を上乗せしたところでたいした差額もでない。アリスには全くと言っていいほどに、秋雅の意が読めなかった。

 

「貴方は何故、それほどまでに恩を感じられたくないのですか……?」

 

 だから思わず、アリスはそう秋雅に問いかけていた。まるで、アリスたちからの恩義を札束に変えるような彼の提案に、そう言わざるを得なかった。

 

「――貴方にとって、信頼はどれほどに重いものなのですか?」

 

 アリスからの問いかけに、秋雅はゆっくりと首を振って、口を開く。

 

「それは、しがらみと同義だ。踏み込まれすぎない方が、良いこともある――それだけだ」

 

 秋雅の言葉に、アリスはどう答えていいか分からなかった。彼の言葉に、その表情に、何を言う資格があるのだろうか。知らぬ者が何も考えず、易々と答えていいことではない。そう感じられた。

 

 

 だから、

 

「……依頼の達成を、願っています」

 

 ただ、その一言だけを口にし、アリスはゆっくりと頭を下げた。

 




 次回からはまた秋雅視点で進みます。どうでもいいですが毎回権能の英名を考えるのが大変です。結構適当なので間違っていてもあまり気にしないでください。なお、あと二つほど秋雅は権能を隠していたり。



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死者の眠りは妨げられて






 プリンセス・アリスとの会談を行った翌日、秋雅は一人、朝のロンドンにいた。まるで朝の散歩か何かのような足どりで、時折すれ違う地元の人と軽い挨拶を交わすなどして、ゆったりと歩いている。

 

 しかし、その向かう先がいささか奇妙だ。彼と同じく外国人も多い中心部ではなく、地元の人間ぐらいしかいない住宅地、しかもその中でも人気のない、静かな地域へと歩いていっている。

 

 だが、それも当然の話だ。何故なら、彼が行っているのは散歩ではなくアリス、すなわち賢人議会より依頼された、とある事件の犯人を確保する為に、その事件現場へと向かっている最中だった。

 

 そんな依頼をカンピオーネに出すのかと思われるかもしれない――小鳥を打ち落とす為にロケット砲を持ち出すようなものだ――が、こと秋雅に対しては非常にあった依頼とも言えるだろう。何せ、まず魔術師相手に敗北する事がない実力を持ち、被害を抑えると同時に相手の逃走を封じる権能を持っているのだ。犯人と対峙することさえ出来れば必ず相手を捕縛、あるいは抹殺が可能。対魔術師戦に切るには十分なカードであると言えよう。

 

 

 

 そういう事情があり、秋雅は目的地である事件現場に向かう為に、地元の住宅地を通っていた。そのようなところを、明らかに地元に住んでいるようには見えない外国人が歩いているとなると、やはり多少は地元の人間から奇異の視線で見られることになるのは当然の流れと言えるかもしれない。しかしそんな視線を意に介すこともなく、秋雅は悠然と歩みを止めることはない。そんな秋雅の態度に、最初は彼に対し怪訝そうな表情を浮かべていた人たちも、次第に気にすることなく自分の日常へと戻っていく。

 

 

 そうして、結局誰に邪魔をされるでもなく、秋雅は目的の場所へと辿り着く。

 

「……ここだな」

 

 そこにあった看板を見て、秋雅はこここそが目的地であったという風に頷く。そして、ではと秋雅がそこに入ろうとしたときに、少し遠くから声をかけられた。

 

「あー、そこの人!」

 

 慌てたように放たれた英語に、秋雅はそちらに身体を向ける。すると、そこにはいかにも急いで来ましたという風に、小走りでこちらへと駆けて来る男性の姿がある。よくよくと見てみれば、その男性はこの国の警官の制服を着ていた。

 

「どうしましたか?」

 

 男性がこちらに来たところで、秋雅がそう問いかける。男性――警官は少しだけ息を整えた後、秋雅に対して口を開く。

 

「すみませんが、この墓地(・・)は現在立ち入り禁止となっています。どんな理由があるにしても、一般人の方を入れてはいけないことになっているので、どうかおき引取りを」

「ええ、存じていますよ。ですが、生憎と私は一般人ではないもので」

「はい?」

 

 何を言っているんだ、と言いたげな怪訝な表情を浮かべる警官に、秋雅は続ける。

 

「聞いていませんか? 稲穂という日本人が来た場合は、無条件でここを通せと」

「ええ? 確かに、そんな指示は出ていましたが……貴方がそうだと?」

「疑うのであれば、中にいるであろう誰かに訊いてみるといいかと。心配せずとも、貴方がいない間に勝手に入るような真似はしませんよ」

 

 秋雅の言葉に、警官はしばし考え込んだ後、

 

「……分かりました。しばしお待ちください」

 

 秋雅をおいて、墓地の中へと入っていく。その様子を何となしに見つめた後、秋雅はぼんやりと彼が帰ってくるのを待つ。

 

 大体五分ほどが経ったであろうか。先ほど秋雅と話していた警官が、またもや急いだ様子でこちらへと戻ってくる。中にいた上司なりの指示を仰いできたのだろう。彼は秋雅の元につくなり急いで敬礼をして言う。

 

「お待たせしました。どうぞ、中へお入りください!」

 

 どういう風に説明を受けたのだろうか。そのような疑問を僅かに抱きつつも、しかしそんな内心などおくびにも出すことなく、秋雅は墓地への中へと足を踏み入れた。

 

「……ふむ」

 

 墓地に足を踏み入れて一分と経たずに、秋雅は不愉快そうに眉をひそめる。入り口からでは良く見えなかったそれ(・・)が、はっきりと目に入って来たが故の反応だ。

 

「何とも言い難いな、これは」

 

 足を止めることなく、秋雅はそのまま墓地の中心部へと向かう。均等に掘られている()と、そこかしこに転がっているそれら(・・・)で足も踏み場も無い中を、秋雅は真っ直ぐと歩く。

 

 そうすること数分、墓地の中心部に秋雅は辿り着く。そこには数人の男性が何某かの調査を行っていたのだが、秋雅の姿に気付きすぐさま礼の姿勢をとる。彼らに対し、秋雅が片手を上げて礼を止めていいと示すと、彼らはすぐさまに調査へと戻っていく。しかし、そのうちの一人だけは調査の再開をせずに、秋雅の方へと近寄ってきた。

 

「お待ちしておりました。稲穂秋雅様ですね?」

「ああ。君達は賢人議会の?」

「はい、調査に参った者です」

「うむ、今日はよろしく頼もう」

「はっ」

 

 それで済ませ、秋雅は特に相手の名を尋ねたりなどはしない。上の人間ならともかく、下の人間の名前を聞いてもあまり意味がないからだ。現状、特に現場の人間との信頼関係の構築が必要な状況でもないというのもあるだろう。まあ、一々名前を聞いた結果、変に期待を抱かせたり、逆に無駄に怯えさせたりということが起きないようにというのが一番大きいのだが。

 

「……警察とは協力体制にあるのか?」

「上はそうです。下は何も知らずに、通常の捜査だと思わせています」

「日本とは違って、賢人議会は政府とのつながりは強くないと思っていたのだがな」

「政府とは別に、警察内にも協力者はいます。今回のような事件の場合、そう行った者を頼るようになっています」

「成る程、な……」

 

 ちらりと、秋雅は男性の表情を伺うと、予想通りかなり硬い表情を浮かべている。先の、秋雅の質問に答えた際の男性の声にも、僅かに怯えの色が感じられていた。稲穂秋雅という王の、自分の生殺与奪を握っているにも等しい存在の前に立つことに対する恐怖だと、秋雅のこの六年で手に入れた観察眼は告げている。

 

 無理もないだろうな、と秋雅は自分と対峙することになってしまったこの男性に対し同情を覚える――秋雅が彼に対して思うのも変な話ではあるのだが――ものの、それを考慮できるというわけでもないので、話を進めるために口を開く。

 

「それにしても、随分とひどい有様だな」

「ええ。まったくです」

 

 そう答えた男性の声には、先に感じた怯えよりも、強い怒りが感じられた。無理もないな、と再びと思いつつ、秋雅はそれ(・・)に目を向ける。

 

「――墓荒し、か」

 

 そこには、墓標の前に空いた穴と、開かれた棺。そして、変色し、一部が腐り落ちている人間の遺体が転がっていた。土葬され、静かに安置されていたはずのものである。

 

 日本では少ない土葬だが、海外ではむしろ、キリスト教徒の多い欧米諸国などでは、その割合は意外にも高い。例えばフランスなどは未だに五割ほどが土葬であり、同じくアメリカも、合衆国全体としてみればどっこいな数値だ。他のキリスト教が主となっている国も、程度の差はあるが、少なくとも火葬が九割を超えているという国はない。

 

 そんな中、英国はと言えば、現在は大体三割ほどが土葬という風になっている。これは、保守的でない合理的思考を彼らが持っているというのもあるが、やはり島国ゆえ土地が狭いというものがあるのだろう。ついでに言えば、火葬と比べて土葬は費用がかかるというのも上げられるだろうか。

 

 そういうわけがあり、今秋雅が訪れているこの墓地には、遺体がそのままの形で――エンバーミングぐらいはされているだろうが――土葬をされていた。いかに近年になって土葬の割合が少なくなっていようと、以前から埋葬されている遺体を掘り出して火葬するなどということはまずないのは当然の話であるので、古くに埋葬された遺体はどれだけ周りが変わろうとも土葬のままだ。だからそれらの遺体は、これからもずっと、棺の中で眠り続けるはずであった。

 

 しかし、その、永い眠りについていたはずの遺体が、悉く掘り出されている。棺は開けられ、その蓋は無造作に転がり、そして中に入っていたのだろう遺体が墓穴の傍に転がっている。それもそのほとんどが、近くに四肢のいずれかを落としていたり、身体のどこかが変色していたりと、正視に耐えぬ惨状である。

 

 そのような、眠りを妨げられた死者たちに対し、秋雅は僅かに憐憫の感情を抱くものの、すぐに頭を切り替えて男性に問いかける。

 

「……それで、これは魔術によるものということでいいんだな?」

 

 魔術師としてはまだまだ半人前な秋雅であるが――現状、中の上ぐらいの実力だろうか――呪力を感じ取ることぐらいは簡単に出来る。故に、墓地のそこかしこから何かしらの魔術に用いたのであろう呪力の残滓を感じ取る事が出来た。

 

「はい、その通りかと」

「どういった内容か、分かるか?」

「おそらくは、死体を操る類の物かと。掘り出した遺体にそれを使い、その遺体にさらに掘り出しを行わせる。この手順でこの墓地に埋葬されていた遺体を全て掘り返したのではないかと考えています」

「そうか……」

 

 はっきりとした嫌悪感と、それを行った者に対する怒り。それが心の中に湧いてきた事を自覚して、秋雅は一度目を閉じる。今はまだ、その怒りを解放するべき時ではない。

 

「……被害規模は?」

 

 目を閉じたまま、秋雅は問いかけを続ける。それに対し男性も、タブレット端末を取り出しつつ答える。

 

「この墓地には四十体ほどの遺体が埋葬されていたのですが、それらがすべて暴かれおり、うち十体少々の姿が確認できません。おそらくは犯人が連れ去ったものかと思います。元の棺の近くに居ない遺体が多いことから見て、犯人は全ての遺体を動かし、途中で脱落したもののそのまま放置して行ったのではないかと」

「腐敗が進み、まともに動けなかった遺体はいらない、と言ったところか」

「おそらくは」

「……ふむ」

 

 しばしの沈黙。その後、秋雅は目を開けて遠くの空を見て言う。

 

「これで四つ目(・・・)だと聞いたが、確かだろうか?」

「はい。既に三つ、同じような事件がロンドン周辺の都市で発生しています。ロンドン内ではこれが初ですね」

「それらも、今回と同じような有様だったと?」

「ええ。どれも深夜に発生したようで、朝になって発覚した時にはもう墓が荒らされ、全体としては数十規模で遺体が所在不明となっています」

「……そんな事をして、何が出来るというんだ?」

 

 秋雅からの当然の疑問に対し、男性は首を横に振る。

 

「分かりません。遺体を利用するような儀式などそうあるものでもありませんから」

「その、数少ない利用法はなんだろうか」

「分かりやすいのは、ゾンビのように使役する方法でしょうか。ですが、当然ながら遺体というものは強度のあるものではありませんから、そういう使い方には普通向きません」

「岩なりでゴーレムでも作った方が有用だろうからな」

「はい、そういうことです」

 

 ふむ、と秋雅は顎に手を当ててしばし考え込む。しかし、いくら考えてもそれらしい答えは思い浮かばない。どうにも情報が足りないか、と秋雅は思考を一時打ち切る。

 

「犯人を捕まえれば分かる、でいくしかないな」

 

 そも、秋雅への依頼はあくまで犯人の確保であって、真相の究明ではない。思考を止める等、場合によっては後手に回ってしまうだろうが、今回はあちらの当面の目的もはっきりしているのだから、さほど問題も無いはずであった。

 

「このロンドンにある墓地で、土葬方式で遺体が埋葬されている箇所は何処だ?」

「ここ以外に二箇所あります。現在、その二箇所に人員をやって警戒を強めているところです」

「場所は?」

 

 秋雅がそう質問をすると、男性はタブレット端末を操作して地図を見せてくる。

 

「ここと、ここです」

「成る程な……ロンドン以外は?」

「近隣都市にある同様の墓地にも同様に警戒を強めるつもりです」

「では、犯人が現れ次第連絡を」

 

 そう言って、秋雅は携帯の番号を男性に伝える。ちなみのこの番号は秋雅の持つものではなく、今回の為に賢人議会から借り受けたものの番号である。一応秋雅の携帯は海外でも使用可能な特注品なのだが、だからと言ってこのためだけにこちらの人間に番号を教える気がなかったというのがある。

 

「私はこれで失礼しよう。状況に変化が生じ次第、私に連絡する事を忘れないでもらいたい」

「はっ、了解しました」

 

 そう最後に締めくくって、秋雅はこの墓地から去り、事件解決の為に動き始めるのであった。

 











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死兵、そして冥府の王





 男が一人、深夜のロンドンを歩いている。一見すると何の変哲もないような男性なのだが、よくよくと見ると何処か異様な気配がある。しかし、その男に注目する人物はいない。男の周りを確かに人が歩いているのに、その誰もがまるでそこには誰もいないかのように歩き去っていく。

 

「……ふん」

 

 その、誰からも無視されているかのような状況に何故か男は満足そうに鼻を鳴らす。どうやら、何かしらの手段で他者から認識されないようにしているらしい。

 

 

 

 そのまま男は、誰に邪魔をされるでもなく目的の場所を目指す。途中、自分と同じ魔術師から邪魔をされるのではないかと警戒をしていたのだが、しかしそれもなくあっさりと目的地――ロンドンのとある墓地へと辿り着いた。

 

「……どういうことだ?」

 

 あまりにも妨害がなさ過ぎる。予想外のことに男はいぶかしむ。いくら何でもこれは、といった様子だ。

 

 しかし、考え込んでも仕方がないと男は墓地へと足を踏み入れる。いざというときの為に逃走手段を用意しているからこその、強気な行動であった。

 

 

 だからであろうか。墓地の薄らぼんやりとした明かりの中、一つの人影が見えた際にも特にどうと思うことなく男はそちらへと歩いていく。精々、たった一人かと侮ったくらいだ。

 

 自分が捕まるはずがない。そんな思いがあったからこそ、男はその人影に向かって声をかけた。

 

「俺を捕まえに来たのがたった一人なんてな、舐められたものだ」

 

 嘲りを多分に混ぜた挑発。それに対し目の前の人影は鼻で笑った。

 

「調子に乗るな、三流魔術師。貴様如き、私一人ですら過多であるというのに」

「何だと?」

 

 思ったよりも若い男の声。若造に挑発を返されたことに、男はピクリと眉を動かす。自分がするのはともかく、他人に挑発されるのは好ましく思わない性質であった。

 

「言ってくれるじゃないか、賢人議会の犬程度が」

「はて。私は別に、賢人議会の下についた覚えなどないのだが、な」

 

 そう言って、人影は一歩前に足を踏み出す。そうすると、ようやく周囲にある、薄らぼんやりとした灯りの影響下に入ったようで、その姿が男の目にも映るようになった。

 

「……アジア人?」

 

 明らかになったのはやや中性的な容姿をした、アジア系の青年の姿であった。その姿を見て、男は怪訝な声を漏らす。自分の邪魔をするのであれば賢人議会の息がかかった者、つまりは英国の魔術師だという先入観があったが為の困惑だ。青年の言葉が完璧な、所謂ブリティッシュ・イングリッシュであったことも、その勘違いを加速させていた要因であった。

 

「貴様、何者だ?」

 

 先の言葉と、明らかになった人種。その二つからようやく、男は目の前の人物が何者であるのかという疑問を得る。

 

「私が何者か、か」

 

 呟き、青年は右の手を差し出す。その手に乗っているのは、黒いザクロの実。それを握りしめながら、青年は――稲穂秋雅は叫ぶ。

 

「――我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり!」

 

 

 

 

 

 

 秋雅が聖句を唱えたことで、彼の持つ権能、『冥府への扉』が発動する。次の瞬間には、彼らのいる墓地の空と血は赤黒く染まる。現実に影響を与えたわけではない。『冥府』と秋雅は呼ぶ空間に、目の前の男と共に転移した結果である。

 

「これは…………」

 

 呆然と、男は周囲を見渡している。明らかに隙だらけなその姿に、しかし秋雅は先制の機を得ようとは思わなかった。そのようなことをする必要が、彼の何処にもなかったからだ。どう考えたところで、ここから秋雅が負ける可能性はない。であれば、意識を保っている時間を長く持たせ、その真意をこの場で探ろうと考えていたのである。

 

 しかし、そこから見せた男の反応は、秋雅の予想からはやや外れたものであった。

 

「……くっ、くっくっく、はっはっはっは!!!」

 

 

 突如として、男は大きく、おかしく堪らぬというように笑う。その様子に、秋雅は僅かに眉を顰める。

 

「何故笑う?」

 

 そこらの魔術師ではとても出来ぬ芸当。まるで冥府が如き空間。賢人議会とつながりのあるアジア人。それなりに魔術の世界に明るい者であれば、これらの情報から稲穂秋雅の名を連想するのはそう難しいことではない。おそらくは、今秋雅の目の前で笑っている男も、自分がカンピオーネと相対していることに気付いているはず。

 

 カンピオーネを敵に回す。そのことに恐怖せぬ魔術師はまずいない。王と一対一で戦わなければならない、そんな状況に陥ったものがとる選択は大きく分けて二つ……いや、三つだ。

 

 恐怖に足をすくめ、死を受け入れるか。理不尽の権化との遭遇に対する怒りから自暴自棄になり、愚かにも戦闘を仕掛けるか。そして、数少ない例外として、冷静に切り抜ける方法を探るか。その三つしかなく、そして往々にしてその結末は決まりきっていると言っていい。

 

 それ故の疑問。何故、その状況で笑っていられるのか。とてもではないが戦闘で勝利などもぎ取れるはずも無い相手に、逃走も不可能な異空間。

 

 そんな状況下で笑うなど、それこそ恐怖から気でも触れたかと思うものだが、どうにもそうでも無いように見える。不遜か、狂気か、あるいは使命か。さてどれだろうかと、秋雅は内心で考える。

 

「……何故だと? 決まっているじゃないか」

 

 対し、男は笑いを止めて――しかし、顔に浮かべた笑みは収めずに――大きく後方に跳躍する。そして、

 

「カンピオーネを潰すという、我らが目的を達せられるからよ! 立て、死人よ! 我が命に従い、我が下僕となれ!」

 

 言霊、呪を交えて紡がれた男の言葉に、大地の数箇所が盛り上がる。次の瞬間に立っていたのは、人間大ののっぺりとした土人形だ。それが五体、鋭い爪が伸びた手をだらりと下げながら、主の命令を待つかのように佇んでいる。

 

「ははははは! やはりそうだ! この地こそ冥界! よくぞこの身をこの地に招いてくれたものだ!! 死体を操る程度の魔術が、ここであれば死に満ちた人形を生み出せるとは、やはり素晴らしい!」

 

 なるほど、と男の興奮に満ちた言葉に、秋雅は納得の頷きを示す。男が急に勝ち誇りだしたその意味、それがどういうわけであったのかが理解できたからである。

 

「さあ行け、死兵たちよ!! 自ら墓穴を掘った王を血祭りに上げてやれ!!」

 

 男の命と共に、死兵と呼ばれた土人形たちが秋雅に迫る。驚異的というほどには速くはないものの、しかし鈍足というわけでもない速度で死兵たちは秋雅へと走る。主の命の下、その爪でもって秋雅を切り裂かんとする。

 

 だが、

 

「――下らん」

 

 その秋雅の一言は、男には聞こえなかったであろう。何故なら、彼が呟くと同時、天より三つの光と、そして轟音が落ちてきたからだ。

 

 それは言うまでもなく、秋雅の操る雷であった。三つの雷が死兵たちの間に降り注ぎ、その余波だけでその身体を完全に砕ききった。

 

「人形遊びだな」

 

 大地の破壊によって生じた土埃が落ち着き、男の顔が見えるようになったところで、秋雅はそう言い切った。自分とお前の間には、圧倒的な力の差があるのだという事実(・・)を伝えるその言葉に、しかし男は笑って言う。

 

「そんなこと、分かっているに決まっているだろう? 単なる小手調べに過ぎないのさ、これは」

「私を前に小手調べとは、随分と余裕があるようだな」

「当然だ。何故なら既に、俺はお前を倒す手段を手に入れているのだからな」

「……手段、ねえ」

 

 男の自信満々な態度に、秋雅は口の中で言葉を転がす。手段というのも当然気になるが、しかし先に秋雅はそもそもの疑問を口に出す。

 

「何故、我ら(カンピオーネ)を潰すなどという大言壮語を口に出し、あまつさえ愚かにも実行に移そうとするのだ?」

 

 理解できぬ、というのが秋雅の紛れもない本心だ。ただの魔術師にカンピオーネは殺せない。それは真理とすら言ってもいいほどの事実だ。これにおいて魔術師の力量などは関係ない。そも、立っているステージが違う相手と、どうやって戦えるというのかという話だ。

 

 カンピオーネ(同胞)か、まつろわぬ神(仇敵)か。それだけが、カンピオーネに対峙出来る唯一の条件だ。そんなことは少しでもカンピオーネという存在に触れた者にとっては当然のことであり、相対しようなど愚かを通り越して本当に知的生命体なのかを疑うレベルだ。

 

 秋雅も自分の力量と、ついでに言えばその影響力というものは完全に理解している。故に、こうも真っ向から自分に戦いを挑み、あまつさえ勝利を確信しているような相手がいるとは、中々に信じがたいことである。

 

「答えろ。何故、私に勝てると思う?」

 

 当然の疑問。その秋雅からの問いかけに対し、男の返答は嘲笑であった。

 

「はっ! 何故だと? 決まっている。それこそが、我らの目的であり、その為に俺は行動してきたのだ!」

「答えになっていないな。何故、そのような目的を持つに至ったのか、と私は聞いているのだ」

「ここで死ぬ者に、我らの崇高な目的を語る必要はない!」

 

 秋雅の言葉に答えることなく、男はバッと右手を広げる。何時の間に持ったのか、その指の間には一つずつ、計四つの玉のようなものが握られている。この地と同じ、まるで血のように赤いその玉に、秋雅の眉がピクリと動く。

 

「……もしや、それは」

「その通り! これこそが暴いた死人たちより生み出した宝珠! 死体を元とし、一騎当千の死兵を生み出す根源! さあ、その力を思い知るが良い!!」

 

 四つの玉を目の前の地面に放り、男は叫ぶ。

 

「――立て! 死人より束ねられし王よ! 今こそ立ち上がり、我が無双なる僕となれ!」

 

 言霊と共に、玉から呪力があふれ出す。その呪力が大地を抉り、引き寄せ、繋ぎ、そして肉体を作っていく。

 

「ははははは!! これが私の力だ!!」

 

 まずは胸らしきものが作られ、そしてその下から段々と土が固まっていき、身体となっていく。まるで埋まっていた身体を地上に起こすかのように、その巨体は聳え立ち、最後にはその頂上に頭部らしき部位が生まれる。

 

「どうだ! どうだ!! どうだ!!! これこそが、貴様を屠る最強の死兵たちなのだ!!!」

 

 五メールは軽く超えているであろう巨躯。土で出来たのっぺりとした顔、そして肉体に、所々巻き込んだのであろう墓石が見受けられる。シルエットだけを見れば人間と同じような頭、胴体、腕、足のバランスとなっているのは、元となっているのが人間の遺体であるからだろう。

 

 それが四体、秋雅の前に聳え立っている。個体ごとに僅かに身長や腕の大きさなどが違うのは、元となった遺体の差異、あるいは用いた数の違いか。

 

 ともすれば、神獣にすら迫るのではないかと思われるほどの呪力と存在感を放つ四体を見上げながら、勝ち誇ったように男は嗤う。

 

「俺が最大に力を発揮できるであろう権能を持つ貴様が、自ら俺の前に来てくれたことはまさしく神の采配であったと言えよう。俺をこの冥府に招いた事を、後悔しながら死ぬがいい。さあ行け! そして我らが仇敵を屠るのだ!!」

 

 男の命に、巨大な死兵たちが踏み込む。大地が鳴動するほどの震動の中、秋雅は憶することもなく、ただ巨兵達を見上げる。

 

「死ね、稲穂秋雅――!!」

 

 男の命を受け、猛烈に風を切る音と共に、秋雅に対し巨大な拳が振り下ろされた。自分に迫る死に対し、秋雅は身体を動かすでもなく、ましてや権能を使う素振りも見せることは無い。やったことと言えば、唯一つ。

 

「――動くな」

 

 一言、目の前の巨躯に命じただけ。しかし、たったのそれだけで、ピタリと巨人の拳が止まった。

 

 

「は……?」

 

 ピクリとも動かぬ、四つの巨躯。気の抜けた声が、男の口の端から漏れる。

 

「な、何故……」

 

 呆然と、男は立ちつくす。よほど目の前の光景が信じられないのだろう。自身の切り札が完全に無力されたと思えば分からぬでもないが、それを汲み取ってやるほど秋雅は甘くない。

 

「どうした?」

 

 短く、しかし強烈に、秋雅は問いを投げる。落ち着き払った声と、見下しを混ぜた冷たい目。暴力でもなんでもないそれらで、秋雅は男に圧力をかけていく。

 

「……なっ、なな、何をしている!? 討て! 奴を討てええええ!!」

 

 予想通り、と言うべきか。男はすっかり冷静さを失った様子で、まるですがるかのように死兵たちに命令を飛ばす。喚くように出されつつも、しかし間違いなく呪力に満ちたその命令に、死兵たちは数秒の沈黙の後、再びその巨体を動かし、今度こそ秋雅を討たんとしてくる。

 

 しかし、

 

「――跪け!」

 

 再度秋雅の言葉が、鋭く世界を切り裂いた。自分こそが主なのだと主張しているかのような、力強い命令の言葉。その鋭い命令に、巨人は再び動きを止める。そして、数秒の沈黙の後、がくりと膝を折った。まるで、王に敬服する兵のようにも見える。

 

「何をしている?! 動け、動かんか!!!?」

 

 焦りに焦った声で、男はさら喚き散らす。命令に従わせんと、さらに強く呪力を込めて言っているようだが、しかし死兵たちはピクリとも動かない。それこそ初めから、秋雅こそが己が主であったかのように、彼らはまったく男の命を聞く素振りを見せない。

 

「何故、何故なんだ…………」

 

 どうしようもなく命令を聞く様子のない死兵たちに、男は呆然としたように立ち尽くす。先の傲岸不遜は何処に行ったのかと、そう思ってしまうほどに情けない姿であった。

 

「……愚かだな、貴様は」

 

 醜態をさらす男に、やはり冷たい視線を送りながら、秋雅は一歩足を踏み出す。一歩、また一歩と足を進めながら、まるで出来の悪い生徒に対応する教師のような口ぶりで秋雅は言う。

 

「そもそも、何故私が、ここ(・・)に貴様を連れていたと思っている?」

 

 敵は死者を操る魔術を使うであろう魔術師。その情報を得ていたい上で、何故秋雅はこの、冥府という死人と極めて近く、その力を増しかねない世界に、わざわざ敵を連れてきたのか。大きく分けて、それには三つの理由があった。

 

「一つは、被害を出さぬ為」

 

 一つ目は、戦闘による被害を出さぬといういつもの理由。ついでに言えば、敵の逃走手段を奪うというものも含まれている。

 

「一つは、これ以上の狼藉をさせぬ為」

 

 死者の眠りを妨げる。そのような不遜にして不快な真似を、これ以上させないというのが、二つ目の理由。

 

 では、三つ目は何か。

 

「――そして私が、冥府の王であるが為、だ」

 

 ぴくりと、男の肩が動く。

 

「どういう、ことだ……?」

 

 焦点が定まっているのか、些か疑問の残る目で、男は秋雅を見る。一歩一歩と近づいていく秋雅に、現状如何様な感情を抱いているのが、その目からはようとして読み取れない。

 

「私の権能、『冥府への扉(ルーラー・オブ・ザ・ハデス)』を知っていながら、まさか全く、気付かなかったのか? 私が、冥界を治める神から、この権能を簒奪したという事実に、本当に気付いていなかったのか?」

「……ま、まさか」

 

 煽るようにも、ただ事実を告げているだけのようにも聞こえる口調で、秋雅は男に問いかける。その、ゆっくりと、気付かせるように告げられた問いに、男の瞳に恐怖が浮かぶ。

 

「私が戦ったのは、ギリシャ神話の神、ハデス。冥府において、全ての死者を従わせる王だ――それを討ちし私が、その位を継いでいるのだよ」

 

 そう、それこそがこの地にて秋雅が戦った理由。この地の全ては秋雅の所有物であり、その意に従う定めを持った下僕。その地で、その場所にあるものから作られたものに、否、そもそもとして死者という存在に、秋雅が命ずることの出来ない道理など、どうしてあるだろうか。

 

「いかに強い人形(・・)であっても無駄だ。それが冥府の民(死人)である以上、私に従わぬ筈がない。初めから、貴様は詰んでいたのだよ……言っただろう?」

 

 人形遊びだ、と。

 

 そう、男のすぐ前で告げた秋雅の目が、男の顔を覗き込む。その目はまるで、氷のように冷たい光を放っている。

 

「……あ、あ……」

 

 どさりと、男が尻餅をつく。震える手で地をかこうとするが、しかし力の篭っていないその手では、男の身体は少しも動く様子も見せない。

 

「ひ、ひい……」

 

 男の顔から読み取れるのは、ただただ恐怖の感情のみ。それを覗き込みながら、ゆっくりと秋雅は尋ねる。

 

「どうした? これで、終わりなのか?」

「ひ、ひいいいっ!!!?」

 

 秋雅が問いかけると、尻餅をついた姿勢から秋雅に背を向けて、男は四足で無我夢中で走り出した。無様で、滑稽なその姿に、秋雅からはもはや嘲笑すら漏れてこない。

 

「……所詮、小者だな」

 

 直立と転倒を繰り返すようにして逃げようとする男に、秋雅はただそんな感想を呟いた。出来れば、先ほど主張していた男の目的、及びその背後関係などについて問い詰めたかったのだが、しかしこの感じではどうしようもない。そもそも、尋問なり拷問なりといったものに秋雅は詳しくない。

 

「後は賢人議会に任せるとするか」

 

 そう決めて、秋雅は四速歩行で逃げる男のすぐ背後に転移する。そしてそのまま、素早く男の首筋を掴み取る。

 

「眠っていろ」

 

 バチリ、という音がその手の中から発された。その音と共に、男は何の反応を見せる隙もなく、ビクンと大きく身体を跳ね、ばったりと倒れこむ。

 

 『実り、育み、食し、(ディストラクション・イズ・オンリー・)そして力となれ(ワンサイド・オブ・ザ・サンダー)』を用いた雷による肉体への干渉の結果だ。簡単に言ってしまえば、強力なスタンガンをぶち当てたようなものである。

 

「まあ、こんなものだろう」

 

 男の脈がまだある事を確認し、権能が上手く機能したことに秋雅は頷く。対人捕縛における札に十分になると、少しだけ満足そうにした後に、秋雅はゆっくりと振り返る。

 

 その視線の先、いまだ膝をついている四体の死兵を見て、

 

「――命ずる。己が源を抉り出せ」

 

 三度、秋雅は命を飛ばした。その言葉に、死兵たちは全く躊躇する素振りもなく、素早く己の胸を拳で貫き、そして引き抜いた。

 

 同時、ぼろぼろと巨体が崩れ去っていく。身体の各所から土を、岩を、大地に還していく。ついにその巨体を構成した物が全く動かなくなり、ともすれば小山ほどに積み重なったのを確認して、秋雅は再び転移する。

 

 

 

 

 

 

 

 転移したのは、最初に秋雅がいたのと同じ場所。死兵たちから拳を向けられたその場所に戻った秋雅は、ゆっくりと辺りを見渡し、そして見つける。

 

 四つの小山から少し離れた場所にそれぞれ転がった、四つの赤い玉。それらを一つずつ、口を閉ざしたままゆっくりと歩いて回収して言った後、秋雅はポツリと呟く。

 

「貴方達に、再びの眠りを」

 

 現実空間に戻り次第、賢人議会を通してこの玉を葬る。賢人議会が何を言おうとも、研究材料などには絶対にさせず、教会なり何なりといった神の身元へと送る者に委ねる。

 

 それこそが、無常にも、己が形を崩された死者たちへの救いであると信じつつ、秋雅は冥府の外へと消え去った。

 








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英国から次なる土地へ







 

「……そろそろ、私は失礼しようと思っている」

 

 かの、死を弄んだ魔術師との戦いから、二日後の朝。アリス邸ダイニングの朝食の場にて、飲んでいた紅茶を置いて、秋雅は席を共にしていたアリスに告げる。

 

「あら? もうお発ちになられるのですか?」

 

 秋雅の言葉を聞いて、アリスは少しだけ驚いたように問い返す。ちなみに、こうして話しているのはいつものような霊体ではなく、彼女の本体そのものだ。誰かと食事を共にするのは何時振りだっただろうかというのが、昨日彼女が秋雅に伝えた言葉だ。

 

「ああ。当面、私が必要なことも無いだろう?」

 

 二日前の夜に魔術師を引き渡し、その翌日の朝に例の死兵の玉の浄化、及びその確認を行い、午後には賢人議会との簡易的な会談も済ませてと、既に今回の件で秋雅がすべきことは昨日のうちに終わっている。連れてきた幽霊との改めての確認も済ませているし、アリスとも正式に彼女を預けることに関する取り決めもきちんと決めている。特にこれ以上、英国ですべきことはないというのが秋雅の主張だ。

 

「しかし、もう少しゆっくりなされてもよいのでは? いかにカンピオーネとはいえ、多少は疲れていらっしゃるのではないかと思っているのですが」

 

 それに対し、アリスはもう少しゆっくりして行けばいいと彼を引き止める。些か強行軍で用事を済ませた彼に対する、彼女なりの心遣いといったところだろう。そもそも昨日の彼の用件が、ほぼほぼ自分達賢人議会がらみのことだったというのも、その理由に入っていそうである。

 

「そうでもない。これでも、体力には自信があるのでね」

 

 実際秋雅も、僅かばかりではあるが疲れを感じてはいる。とはいえ、それも十分に無視できるレベルだ。戦闘にもならなかった人形遊び(・・・・)と、一日程度の人付き合い。その程度の疲労など、秋雅の鍛えられた身体にはたいした影響など与えない。

 

「確かに、少々急いている自覚はある。が、あまりのんびりとしすぎるのも性に合わないのでな」

「……そうですか」

 

 何処と無く残念そうな口ぶりで、アリスは秋雅の引止めを諦めた。秋雅から見た彼女のその態度は、個人的な恩や、公的な打算など――大きな借りを受けているとはいえ、それはそれ、これはこれであるのは彼にも理解できる――と、色々と考えていた結果であるのだろうが、流石に留まる気が無い秋雅を無理に引き止めるほどでは無いらしい。まあ流石に、それを追求しすぎて不興を買いかねない真似をするほど、彼女は愚かではあるまい。

 

「――それと、件の魔術師の件だが」

 

 その言葉と共に、秋雅の雰囲気が少しばかり鋭くなる。今の今までは一応、食事中の穏やかな気配という風であったのだが、それがいつもの調子に戻っていた。

 

 そのことを感じ取ったのだろう。アリスもまた背筋を正して返す。

 

「承知しています。何か分かり次第、お伝えすればよいのですね?」

「ああ、どうにも気にかかるからな」

 

 カンピオーネという、人よりもむしろ神に近い存在に対する謀反。特殊な条件下とはいえ、神獣にすら迫る魔術。そして、そのような心情、力に見合わぬ弱い精神。気にならぬ訳が無い、というものだ。

 

「あのような魔術を持ちながら、しかし力を持つもの特有の『芯』が感じられなかった。立ち位置だけを見ればまさしく組織の下っ端という風なのだが、それにしては持っていた力が大きすぎる」

「私も報告を受けていますが、確かに同じような感想を持ちました。使っていたであろう魔術は、それこそ一つの結社の秘術ともなりそうなレベルであったというのに、やっていたことはかなり杜撰です」

 

 そもそも、その存在が発覚することになった墓荒らしの件があまりにもお粗末過ぎるのだ。口ぶりから察するにばれても切り抜けられるという風に思っていたようであったが、そうやって無駄なリスクを避けようとしないというのが愚か極まりないと言えよう。そんな事が出来るのは、それこそカンピオーネのような常識の外の外にあるような存在だけだ。

 

「現状、その男に関しては私どもの手のものが尋問を行っています。いずれは、背後にあるものに関しても何かしらの報告は出来るかと」

「その際はこれを使うといい」

 

 そう言って、秋雅は懐から何かを取り出す。何だろうかとアリスが見ていると、次の瞬間にはその何かが秋雅の手の中から消え去り、代わりにアリスの手元にそれが現れていた。

 

「これは……」

 

 現れたそれをアリスが手に取る。間近で見てみればそれはどうやら名刺の類のようで、小さな紙の中央に秋雅のフルネームと、その隅に彼のものらしき携帯電話の番号とメールアドレスが記載されている。

 

「……よろしいのですか?」

 

 それを確認して、アリスは驚いたように秋雅に問いかけた。何故ここまでアリスが驚くのかといえば、それは秋雅が自分の個人的な連絡先を魔術関係者に渡すという事が滅多にないと聞いているからだ。実際、先日の一件でも、連絡用としてアリスたちから電話を借りて使っており、私物のそれは全く用いていない。それが、あまり私生活にそういったものを持ち込みたくない秋雅の性分であった。

 

 そう言うわけであるので、魔術関係者で彼の携帯の番号を知っている者など彼の専用窓口と化している正史編纂委員会の三津橋か、あるいはサルバトーレ・ドニと言った他の王ぐらいだ。そのため、他の魔術結社の人間が彼に依頼をするときは、基本的に正史編纂委員会を通して行うか、あるいは極めて礼を尽くしつつ直接会うかというぐらいだ。まあ勿論、番号など彼らが調べようと思えばどうとでもなるものなのだが、そんな事をして秋雅の怒りを買いたくないと、少なくとも表向きにはやっていない。

 

 その貴重な番号を自分に渡して良いのか。言い換えれば、その連絡をする資格を与えていいのか。そんな意味合いであるのだろうアリスの問いかけに、秋雅は深く頷いて答える。

 

「無論、あくまで用いるのは彼女関係(例の幽霊の事)と、精々が貴女の個人的な用件程度に留めてほしい。賢人議会として、というようなものは遠慮願いたい」

「勿論そのつもりですわ」

「では、それでいい。状況の都合上、貴女と私の間で直接の連絡手段があったほうがいいと判断したまでだ。彼女のことに関して、何か急ぎの用件が生まれる可能性もあるからな」

「それもそうかもしれませんね」

 

 まだ、幽霊の彼女に対しアリスはその精神感応能力は用いていないらしい。単純に暇がなかったというのもあるが、慎重に使う必要性があるからだというのが彼女の言であった。そしてそれは、秋雅も納得済みのことである。

 

 霊体という、生者以上に不確かな存在に対し、魂を直接揺さぶるような術を使うのだから何事もゆっくりと、慎重にやらないといけない。当然そうなると事が長期的な話となるというのが、秋雅が彼女をアリスに預けることにした理由の一つでもある。また、期間が長くなるとアリスへの負担も大きくなると予想されるが、秋雅のおかげで体調も随分と良くなっているので、それほど問題にもならないだろうという風に見立てられている。

 

 

「そうそう。それで思い出したのですが」

「何だ?」

「彼女に使用人としての仕事を少しばかり仕込んでもよろしいでしょうか?」

「ふむ?」

「稲穂様もいらっしゃらないのに、客人扱いというのも気が引けると、そう彼女から聞きまして」

「そうだったか」

 

 さもありなん、とアリスの言葉に秋雅は頷く。これまでに分かっている彼女の性分を考えれば、確かにそのようなことを言いそうではあると思ったのだ。少なくとも、じっとお客様として待ち続けるようなタイプではない。

 

「分かった。その辺りは貴女の裁量に任せよう。彼女が望むのであれば、私がそれを否定する理由は無い」

「ええ、ではそのように」

 

 そう言った所で、これまで続いていた会話がピタリと途切れる。これ以上特に話す事がない、というのが両人の思うところであった。

 

「――さて、そろそろ本当に失礼しよう」

 

 アリスも自分と同じようなことを思っていると察して、秋雅は席を立つ。借りていた客室に戻って、そろそろ本格的に荷物を纏めよう。そう思いながら部屋を出ようとした秋雅の背に、アリスはふと思いついた事を問いかけた。

 

「つかぬ事を聞きますけれど、もうそのまま日本に帰るおつもりですか?」

「ん……」

 

 アリスの質問に、秋雅は足を止めて振り返って答える。

 

「いや、日本には当分帰らないつもりだ」

「あら? ではどちらに?」

「インドに行こうと思っている。まあ、その前にイタリア、サルデーニャに向かうつもりだが」

「サルデーニャに?」

「ああ。我が師に少し会っておこうと思ったのでな。借りていた魔術書の返却ついでではあるが」

「あら。おばさまに師事しておられたことがあったのですか?」

 

 初耳だ、とアリスが目を丸くする。その呼称からも分かるとおり、サルデーニャにいる秋雅の師、ルクレチア・ゾラはアリスにとっても知己の相手であると聞いている。彼女からしてみれば、自分が知る二人が師と弟子であることが意外であったのだろう。

 

「師匠、弟子、というほど深い付き合いでもないのだがな。少しばかりの基礎と、あとは魔術書の何冊かを都合してもらったという程度だ。とは言え、こうして会いに行く程度には親しいつもりだがね」

「そうだったのですか。では、失礼ではありますが、おばさまに会った際には私がよろしくと言っていたと伝えていただけませんか?」

「分かった、伝えておこう」

 

 そう最後に締めて、ようやく秋雅はダイニングを出るのであった。

 

 




 これで二章は終了。色々放りっぱなしなのは後々回収予定。次話は閑話として、護堂一行との邂逅を投稿予定です。ペルセウス戦後、サルデーニャで夏休みを消化中に偶然、といった感じ。夏休み一杯あっちに居たのか良く分かんないんですよね、これが。まあ、そう言う設定で、ついでにリリアナもちょくちょく来ているといった感じで書くつもりです。


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閑話 王の会合・其の二 雷の王と化身の王






 ナポリでのペルセウスとの死闘の後、草薙護堂は再びサルデーニャへと戻っていた。いい加減日本に戻っても良かったのだが、しかし何となしに未だに異国の地での休暇を楽しむ流れになっていた。もっとも、先日まで利用していた海の近くの貸し別荘ではなく、ルクレチア・ゾラの屋敷へと居を移していたのだが。いい加減ビーチでのバカンスも飽きた、というのが当の家主の主張である。まあ、彼女の所有する魔術書などに惹かれた者もいるので、それはそれでな提案だったのだが。

 

 

「実は今日、客人が訪れる予定なのだよ」

 

 そうルクレチアが切り出したのは、ちょうど昼食も食べ終わったというタイミングだ。

 

「お客様、ですか?」

「じゃあ、俺らは外にでも出ていた方がいいですかね?」

 

 その言葉にまず祐理が聞き返し、それに護堂も続く。

 

「いや、その必要は無い。と言うよりも、むしろ少年の場合は居てくれた方がいいだろうな」

「居てくれたほうがいい? ということは、そのお客人は草薙護堂の縁者ということか?」

 

 ルクレチアの言葉に、リリアナ・クラニチャールが問いを発する。元々ルクレチアが招待したわけではない彼女がここにいるのは、先日のナポリでの一件以来護堂の騎士を自認した彼女が、その任を果たそうとする為に時折ここを訪れているからである。まあ、やっていることは騎士と言うよりも、むしろメイドか何かのようにも見えるのだが。

 

 それはそれとして、リリアナの問いかけに対し、ルクレチアは何処か楽しげな様子で首を横に振る。

 

「いや、少年とはまだ面識の無い相手だろう。だが、全くの無関係と言うわけでもない」

「なんです、そりゃ?」

 

 さっぱり分からない、と護堂は首を傾げる。面識がないくせに関係はあると言われても、当然ながら誰のことやら分からない。見てみれば、祐理もまた護堂の隣で同じように首を傾げている。

 

「もしかして……」

 

 しかし、そんな二人とは対称的に、エリカは何かに気付いたようにルクレチアに視線を向ける。

 

「まさかとは思うけれど…………カンピオーネのどなたかがいらっしゃる、などだったりするのかしら?」

「えっ!?」

 

 エリカの探るような発言に、護堂は驚きの声を上げる。もっとも、実際に声を出したのが護堂というだけで、祐理もリリアナも同じように驚いた表情をしている。

 

 そんな護堂たちに対し、ルクレチアは意味深な笑みを浮かべていたが、ふと玄関の方に視線を向ける。

 

「おや、噂をすればと言うやつかな」

 

 言われ、護堂たちがそちらに意識を向けると、エリカのメイドであるアリアンナの声と、それ以外の誰かの、おそらくは男性である声が聞こえる。

 

 誰か、ルクレチアの言うお客さんがこの屋敷を訪れ、その対応をアリアンナが行っているといった所だろう。

 

 それを裏付けるように、数秒ほど後にリリアンナが部屋に入ってきて、ルクレチアに対し言う。

 

「ルクレチア様、お客様がいらしていますが、どうなさいますか?」

「ああ、ここに通してくれ」

「かしこまりました」

 

 そんな会話を、どのようなリアクションを取るべきかと見守っていた護堂達だったが、そんな彼らに対し、ルクレチアが口を開く。

 

「さて、では諸君に紹介しよう」

 

 同時、ガチャリと部屋のドアが開けられ、一人の青年が入って来る。その彼を指しながら、楽し気に紹介する。

 

「彼が少年と同じカンピオーネの一人、稲穂秋雅その人だ」

 

 それに対し、その青年――稲穂秋雅は顔をしかめた後、

 

「……どういう状況だ、これは」

 

 自分を見つめる四つの視線に対し、僅かに困惑したような調子で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護堂が居間にあるソファに腰掛けたなおしたところで、先んじて秋雅が口を開いた。

 

「改めて名乗ろう。私が稲穂秋雅、君と同じカンピオーネだ」

「えっと、草薙護堂です」

「まさか、このような場所で君と会うことになるとは思ってもみなかった」

 

 嘆息してそう秋雅が告げる。しかし、それは護堂も同じことだ。まさかここで、新しいカンピオーネに会うことになるとは思ってもいなかった。

 

 じっと、護堂は目の前に座る秋雅を観察する。中性的なつくりの、整った顔立ちをした日本人だ。おそらくは、それほど歳はいっていないだろう。二十代前半くらいかと護堂は結論付ける。

 

 先ほどの立ち姿を見た限り、それなりに長身で、何処と無く引き締まった身体をしているように見えた。その辺りは先日また再会したばかりのサルバトーレ・ドニと同じような風でもある。

 

 全体の雰囲気としては、何と言うのだろうか。所謂、王の風格とでも表現するような空気を、全身から出しているように護堂には感じられる。自分と違い、人の上に立つことを当然だと思っているような態度だ。その辺りはあのヴォバン侯爵と同じだが、彼とは違い、人を人とも思わぬような目をしているわけではない。非常に落ち着いた態度であり、ドニのように好戦的な空気も感じない。会った事のあるカンピオーネが二人ともあれ(・・)だったので単純に比較も出来ないが、何となく話の通じそうな人だと護堂の第一印象は告げていた。

 

 

 そんな護堂の不躾な視線など気に留めた様子も無く、秋雅は傍らに立っているルクレチアに視線を向ける。家主でありものぐさな彼女がそのような位置に立っているのは、仮にも王同士の会合ということで同じ席につくという無礼を嫌った為だ。同じように、エリカや祐理も護堂の傍らに控えている。リリアナがいないが、それは紅茶を入れるために席を立っているためだ。

 

「我が師よ、貴女に連絡をしたときに、我が同胞がここに居るなどとは聞いていなかったと思うのだが、違ったかな?」

「いいや、違わないな。ただ、この方が面白そうだと思ったのでね、我が弟子よ」

 

 イタズラに成功した子供のような笑顔で述べられたルクレチアの言葉に、秋雅が一つため息をつく。もっとも、それは護堂も同じだが。

 

 会うのはともかくとしても、その前にエリカなどからどういう人物なのか聞いておきたかったというのが本音だ。以前にも軽く説明されてはいたが、実際に会うのであればもう少し聞いておきたかったと今更どうしようもない事を護堂は思う。

 

「ルクレチアさんと、えっと……稲穂さんは師弟だったんですか?」

 

 取り合えずとして、護堂は今の会話で気になった言葉を拾ってルクレチアに問うてみる。それに対し、ルクレチアは、さて、と顎に手を当てながら言う。

 

「実のところ、それほどたいして魔術を教えたというわけでもないのだよ。少しばかりの基本と、多少なり魔術書を預けてみたというだけで」

「そういうことだ。師だ弟子だと呼び合っているが、ただ魔術書の貸し借りをしている程度の仲に過ぎん」

 

 それを果たしに来てみれば君がいたのだかね、と秋雅は再び嘆息しながら言う。そんな彼の態度に、他の王のように浮世離れしているというわけじゃないのだろうかと護堂は考える。むしろ、周りに迷惑を掛けまくっていたあの二人と違って、どちらかと言えば苦労人気質のようにも見えないことも無い。

 

「失礼します」

 

 そんな折、席を外していたリリアナが室内に入って来る。その手にはトレイがあり、その上には二つ紅茶のカップが置かれている。

 

「……どうぞ」

「ありがとう」

 

 カチャリと、リリアナが出した紅茶に対し、秋雅は礼を言う。それに対し、いえと軽く反応した後、その対面に座る護堂にも同じように紅茶を出して、リリアナは一歩下がる。そのままエリカ達と同じように護堂の、自分の主のすぐ傍に立ち、何かあった際には動けるように待機する。

 

 三人の、そのよそよそしいとも言える対応に、何処となく護堂が違和感を覚えている前で、秋雅は平然と出された紅茶を味わっている。

 

「……ふむ、良い味だ。リリアナ・クラニチャール、君は剣だけでなく茶にも精通しているのだな」

「気に入っていただけたなら幸いです、王よ」

 

 恭しくリリアナが頭を下げる。それを見ていた秋雅の視線が、ついと祐理のほうへと動く。

 

「それにしても、まさかここでまた君と会うことになろうとはな。息災で何よりだ」

「失礼ながら、御身を拝見するのはこれが始めてであったと思うのですが……?」

 

 僅かだが気安げな調子で放たれた秋雅の言葉に、祐理は困惑したように言う。そんな彼女の態度を見てリリアナが口を開く。

 

「万里谷祐理、貴女は覚えていないだろうが、あの時に私達を助けてくださったのが稲穂秋雅様だ」

「あの時というと、四年前の?」

「ああ、そうだ」

 

 この時護堂は知らなかったのだが、後に聞いたところ、何でも四年前のヴォバン侯爵の一件において、リリアナや祐理といった儀式に参加させられていた者達を助けたのが秋雅であったのだそうだ。その儀式で呼び出された神とヴォバン侯爵と実際に戦ったのはドニであったが、その余波に巻き込まれないように彼女らを守っていたのが秋雅だったらしい。その件で非常に秋雅に感謝をしているというのが、その際にリリアナが護堂に語った感想であった。

 

 

「その口ぶりでは、もしやあの一件のことは忘れていたのか?」

 

 リリアナの言葉と祐理の態度で察したのか、秋雅は少しだけ驚いたような表情を見せる。

 

「だとしたらすまなかったな。言われてみればあのような事件のことなど、忘れるのも無理からぬ話だ。記憶の蓋をひっくり返すような真似をするべきではなかったか。無礼を詫びよう」

「お、御気になさらないでください。私が御身より受けし恩を忘れていたのがいけなかったのですから」

 

 何か調子が狂うなあと、秋雅の言葉を聞いた護堂は思う。どうにも、目の前の彼が、ヴォバン侯爵やサルバトーレ・ドニと言った、傍若無人な王と同じ存在であるようには見えない。少なくとも、あの二人ならこのような謝罪を行うことはしないだろう。自分と同じように、一般的な感性を持った人物なのだろうかと、何となく親近感を覚えなくもない。

 

「そして君が『紅き悪魔』(ディアヴォロ・ロッソ)か……君の顔も何処か覚えがあるな。いや、以前に写真を見たことはあるが、しかし……?」

 

 ふと、この場にいる最後の人物であるエリカに対し、秋雅が視線を向け、そして首を捻る。

 

「以前、《赤銅黒十字》が御身に依頼をした際に、僅かですが言葉を交わしていただいた経験がありますので、それではないかと」

「……ああ、あの時の。成る程、写真ではピンと来なかったが、こうして直接顔を見ると確かにあのときの少女だな。いや、失敬した」

「いえ、あの時は本当に一言、二言程度でしたから、覚えていらっしゃらないのも無理からぬ話と思います」

「ふむ、そう言ってもらえると助かる。まだ私も、この若さで頭の呆けた愚か者と謗られたくはないからな」

「…………想像以上ね」

 

 ポツリと、おそらくは護堂達にしか聞こえないであろう声量でエリカが呟く。それに対し、護堂も心の中で同意する。確かに、これは想像以上にまとも(・・・)な相手なのかもしれない。

 

「なに、想像以上だったのは私の方だよ」

「えっ?」

 

 今のエリカの声が聞こえていたのか。少し驚く護堂に対し、秋雅は何を考えているのか分からぬ目を向けて、

 

「まさか、新しき王がかように色を好む王であったとは、想像もしていなかった」

「なっ!?」

 

 どんな事を言うのかと思っていたが、まさかの言葉に護堂は言葉を失う。当人から反論がなかったからか、さらに秋雅は続ける。

 

「確かに、かのエリカ・ブランデッリを愛人にしていると聞いていたが、まさか日本の媛巫女と『剣の妖精』までも虜にしていたとは、いやはや凄いものだな」

「王よ! 失礼ながら、私と草薙護堂はそのような関係ではありません! あくまで騎士として、彼に仕えているだけです!」

「わ、私もあくまで護堂さんのその、虜と言うわけでは……」

「そうだ! 変な勘違いはしないでくれ!!」

 

 思わず大声で、護堂はリリアナと祐理の言葉に続く。護堂からしてみれば、三人とも仲の良い友人であって、断じて人様に後ろ指を刺されるような関係ではないのである。常ならばここでエリカが、愛人だのなんだのと言ってきそうなものだが、場所が場所な所為か特に何を言うそぶりもない。

 

「……そうか」

 

 そんな護堂の否定を理解してくれたのか、秋雅はそれだけを呟いた。特にこれ以上、この話題に触れる気は無いようではある。

 

 そんな彼の態度に護堂は、何となくではあるが、目の前の青年が少し気分を害しているようにも見えた。しかしその事に対し護堂が質問をするよりも早く、秋雅は足を組みなおして口を開く。

 

「いい加減、前置き代わりの会話は十分だろう。そろそろ、本題に入らせてもらう」

「本題?」

「今回のこれは偶然ではあるが、しかし君と一度会ってみようと思っていたのは確かなのでね。その際に訊こうと思っていた事を、今尋ねようということだ」

 

 そこまで言って秋雅は一口紅茶を味わう。カチャリとカップをソーサーに置いた後、さて、と秋雅は護堂を見据えて言う。

 

「草薙護堂、君はカンピオーネがもたらす被害についてどう思っている?」

「どうって……」

「言い方を変えよう。君は、自分がもたらした破壊についてどう思っている?」

「確かに俺はまつろわぬ神との戦いで色々壊してしまったけど、でもあれは仕方が――」

「そうか、分かった」

 

 結果的に、自分が壊してしまった物に対しての言い訳などをしようとした護堂であったが、しかしそれを秋雅はぴしゃりと遮る。

 

「つまり君はこう言いたいのだな。建造物を壊さないように注意していたが、しかし戦闘の結果、仕方なく壊すことになってしまった、と」

「……そういうことになりますね」

 

 秋雅の纏めに、護堂は自分のしでかした事を恥じて身を縮こまらせる。言葉を遮られたことはあまり良く思わないが、しかし事実ではあるので言い返しようがない。

 

「成る程……成る程な」

 

 そう、秋雅は呟く。それが何を意味しての呟きなのか、護堂には全く分からないのだが、そんな彼の内心など知らず、秋雅は人差し指を立てて示す。

 

「草薙護堂、一つ、忠告をしておこう」

「忠告?」

「ああ、忠告だ。草薙護堂、下らぬことを考えるのは止めておけ」

「え?」

「被害を増やさないようにする、など土台無理な話だということだ。そんな事を考えたところで、何の意味などありもしない。カンピオーネなど、所詮は破壊をもたらしてしまう存在なのだからな」

「いや、でも無駄に街を壊すわけにも行かないでしょう?」

「――では、君にそれを防ぐ手立てがあるのか? いや、君は最後まで周囲の被害を考えながら戦った事があったのか?」

 

 痛い所をつかれたと、護堂は思わず黙り込む。確かに、最初こそは考えていたりもするものの、最終的には完全に頭からすっぽ抜けているばかりだ。

 

「であれば、考えるだけ無駄だから止めておきたまえ。君にそのようなことは決してできないということだ」

「そんなことは……」

「では、君はこれまでの闘いにおいて、事前に被害を減らすように動いた事があるか? 戦うであろう場所から民間人を避難させるように指示したり、あるいは戦う場所を変えたりと、そういうことを一度でもした事があったかね?」

 

 全くもって、護堂は言い返す事が出来ない。

 

「極めつけは、だ」

 

 一息挟んで、秋雅は言う。

 

「かのまつろわぬアテナとの一戦。そのきっかけとなったゴルゴネイオンは、君が日本に持ち込んだと聞いている」

「あれは……」

「本当に被害を抑えたいのであれば、東京ではなく何処か人気の無い、暴れても問題ないような場所に持ち込めばよかったはず。それなのに君は何も考えずに東京にそれを持ち込んだ。配慮が足りない、と言われても仕方がないと思うがな」

 

 そう言う秋雅の護堂を見る目は、非常に冷ややかに感じれられる。

 

「それに加えて、君はその際にまつろわぬアテナに止めを刺さなかった。まったくもって、愚かしいとしか言えない。まつろわぬ神を見逃した所為で、また別の場所で被害が起こるような事があればどうするつもりだ? 我らが暴虐に振るおうとも許される、その最大の存在意義を自ら捨てるなど、実に愚かしいと言える」

「しかし、そのおかげでナポリは救われました」

「そうだな、リリアナ・クラニチャール。その件に関しては私も報告を請けている。かの神のおかげで、ナポリという土地が死ぬ事を免れたと……が、しかし」

 

 それは結果論に過ぎない、と秋雅は言う。

 

「結果論を完全に否定する気もないが、しかし最初からそれありきで考えることなど出来るはずもない。依然、まつろわぬアテナが何処かの土地で猛威を振るう可能性は残っている。その結果多数の人民が被害を受けようとも、君はそれこそ結果論に過ぎないとでも言うつもりかね?」

 

 ようやくはっきりと、秋雅の表情に感情が見えた。それは、護堂に対する呆れの色だ。

 

「口先だけの平和主義、最悪を考えぬ見通しのなさ。それもいいだろう。しかし、それならばそれありきで行動するべきだろう。自分は何も考えず、行き当たりばったりで破壊をもたらす存在なのだ、とな……比較的理性的で言葉の通じるタイプではあるようだが、根源は他の王と同じだな、草薙護堂。結局は、そういうことだ」

 

 ついと、秋雅は自分を指差し、ついで護堂にその指を向ける。

 

 

「私も――そして、君も。どちらもが、理不尽にして破壊の権化たる王なのだ。権能の種類などは関係なく、根源的なところで破壊と混乱を招くのが、私達カンピオーネなのだ。その自覚と覚悟を、不足なく持つべきだと私は思うがね。もっとも、それをすんなりと受け入れるほど、君は自分を客観視できないようだがな」

 

 ふん、と秋雅は鼻を鳴らす。

 

「最後に言っておく。今の君では、私が非戦の盟約を結ぶには不足している。もし君が私の道の前に立ち塞がるのであれば、容赦なく討つ。少なくとも、君が未熟であるうちは、私は君を認めないだろう、覚えておけ」

 

 さて、と秋雅は居住まいを正し、

 

「――では、これで失礼させてもらう」

 

 

 そう秋雅が言った、次の瞬間だ。

 

「えっ!?」

 

 稲穂秋雅の姿が一瞬のうちに消え去った。驚きと共に護堂は秋雅が座っていた場所を見るが、そこにあるのは一冊の魔導書だけだ。傍らにいた三人にも確認を取ってみるが、三人とも秋雅が消えた方法は分からないらしく、一様に首を横に振っている。

 

「……言われっぱなしだったな」

 

 秋雅が消えた。その事実を理解した後、護堂の口から出たのは、そんな感想であった。最後の方など、完全に口を挟む事が出来ていなかった。完全に痛い所をつかれ続けてしまい、感情的に言い返すことすら出来ないほどに彼のペースに飲まれてしまっていた。

 

「別に間違ったことは言っていなかったもの、仕方がないわ。もっとも、護堂がそれに合わせる必要性は全く無いけれどね」

 

 フォローなのかどうなのか、そうエリカが言う。

 

「しかし……何か妙だったな」

「妙って、どういうことですか?」

「いや、あの稲穂秋雅にしては、随分と辛辣だったなと思ったのだ。以前から私は多少彼と縁があったのだが、それにしてもあんなに苛烈に言い立てる人ではないはずなのだが……」

「確かに、リリィの言う通りね。あの方は基本的に、敵を作らないような言動と聞いていたのだけれど」

 

 不思議そうに、リリアナとエリカが首を傾げる。そんな二人に対し、秋雅が置いていったのであろう魔導書を手に取って、ルクレチアが口を開いた。

 

「ああ、まあ我が弟子は機嫌が悪いようだったからな。おそらくはその所為だろう」

「機嫌が悪かったのですか?」

「もっとも、それも少年が原因であるのだが」

「え? 俺ですか?」

「ほら、少年が愛人云々の話題を否定しただろう?」

「当たり前でしょう!」

 

 それが気に触ったのだよ、とルクレチアは言う。

 

「我が弟子はどうも、義理の通らぬことを嫌う性質の様でな。女性の心を弄んでいるような少年に、あまり良い感情を持たなかったのだろう。私の見る限り、彼は釣った魚には餌をたっぷりと与えて、しっかりと愛でるタイプだからな」

「だから、誰も弄んでなんかないですってば」

「鈍すぎるのは罪って事よ、護堂」

 

 エリカがそう締めると、何となく全体に納得したような雰囲気が出てしまい、護堂としてはどうにも居心地が悪くなってしまう。

 

「……まあ、それはそれとしてさ。俺とあの稲穂って人が戦うことになったりするのか?」

「どうかしら。基本的にあの方は無益な戦いはしない方だけど」

「私もそう思うが、どうにも草薙護堂には良い感情を抱いていないようだったからな……」

「見た限り理性的な方のようでしたから、大丈夫なのではないでしょうか?」

「あまり心配する必要はないと私は思うがね。何だかんだと言って、我が弟子は人と争う事を避けるタイプだからな」

「だったら大丈夫か……?」

 

 そう、不安そうに護堂は呟く。何となく、そのうちに彼と戦うようなことが起こるのではないかという、漠然とした予感を胸のうちに感じていたからであった。

 

 

 




 色々書く事を削ったのに長くなってしまった。削った所為で結構おかしいところもあるかもしれないけれど、それはそれということで。基本的に秋雅と護堂は同じ言葉が通じる方の王様で、同タイプのアレクサンドルと比べるとと格段に相性がいいけれど、現状は秋雅が護堂をそこまで良く思っていないといったところでしょうか。この二人が再会するのは多分四章あたり、恵那と会う前になるか後になるかはまだ考え中。次章は秋雅の女たちがでたり、アメリカに行ったりする予定。日本に帰る日は遠い。




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第三章 安らぎの後、かの地で神と対峙す 日本からの電話と、海外の彼女達





「ん……」

 

 こきり、と首を鳴らした後、軽く肩を回す。別にこっているというわけでもないが、何となく気分的なものだ。飛行機に乗ったときは大体こうするというのが、秋雅の癖のようなものであった。もっとも、これは個人的な用事での移動で、ビジネスクラスを利用した時――個人的な用事の時まで一々面倒な対応を受けたくないが、しかしあまり窮屈なのも面白くないという理由での選択だ――だけの癖であるが。

 

 

 そうした後、懐から取り出した携帯電話の電源を入れる。基本的に連絡のとれる状態にしておく必要が秋雅にはあった。

 

「――っと」

 

 その瞬間、秋雅の携帯に着信が入った。何とも都合の良いタイミングだと思ったが、実際には何度かかかってきており、これがその何度目かなのだろう。ともかくとして、秋雅はディスプレイに出た名前に意識を切り替えつつ、通話を始める。

 

「私だ」

「三津橋です、今よろしいでしょうか?」

「ああ、何だ?」

 

 空港の出口に向かって歩きながら、秋雅は携帯から聞こえてくる声に意識を向ける。無論、周囲の人たちにぶつからないように注意しながらだ。

 

「先日報告した、委員会内の騒動の話、覚えていらっしゃいますよね?」

「ああ……動いたのか?」

「そこまでは。ただ、ある程度全体的に方針が固まってきたという感じですね」

 

 以前、秋雅が五月雨室長と初めて会った時に交わされた話題。それについて、三津橋は秋雅に話し始める。

 

「現状、西日本の全支部は秋雅さんにつくということを公にしました。中心は言うまでもなく、我ら福岡支部です。下はともかく、各支部の上の人間はほとんど、秋雅さんの存在と活躍を理解していますからね」

「他の地域は?」

「とりあえず、関東、特に東京支部は草薙氏側の態度を取っています。それ以外の選択を取ったら逆に驚きですが」

四年前(・・・)の一件があるからな。当事者は全て殺した(・・・・)が、当時からいた人員が私を警戒しないはずがない」

「そういうことですね」

 

 四年前。正史編纂委員会の一部の人間による独断専行。カンピオーネ(稲穂秋雅)を侮った彼らに下された王の裁き。その一件に関わった全ては秋雅の手によって既にこの世を去っているが、それ以外の、その事件を遠巻きから見ていた者たちは秋雅の事を酷く警戒している。いつかあの時の裁きが、気まぐれに自分達に降ってくるのではないかと怯えているのであろう。

 

 馬鹿馬鹿しい、と秋雅はそのように怯える者たちに対して思う。そも、彼らを秋雅が皆殺しにしたのは、彼らが秋雅にいらぬものを押し付けようとし、さらには彼にとって大切な存在たちを害そうとしたからだ。でもなければ所構わず無辜の民を殺すような真似はしない。そのことを理解できないのは、やはり他国と違ってカンピオーネという存在に慣れていないのが原因か。

 

 もっとも、そうして秋雅に対して未だに警戒を続けているというのに、新たな王(草薙護堂)に対しても半分ほど同じような事(万里谷祐理)をしているのだから、まま呆れた話ではあるのだが。

 

「で、その他の地域、というか東日本の話ですが、こっちは草薙氏よりではあるものの、基本的には静観の構えと言った所ですか。ただまあ、よほどの事がない限り向こうにつくでしょうね。ただ、東北の一部支部と北海道は秘密裏にこちらに連絡を寄越しています。まだ決めかねてはいるが、基本的にはこちらにつくそうです」

「何度かあちらでの依頼を受けたからな、それのおかげか」

「おそらくはそういうことかと」

 

 本拠地である九州から遠い地域であるというのに、彼らが秋雅に対して好意的なのは、やはり一度稲穂秋雅という人物に触れているからであろう。音に聞く他国の王と比べて、極めて少ない理不尽と破壊。身構えていた分もあったからこそ、秋雅のそういった点が特に強く目に付くのかもしれない。西日本の全支部が秋雅についたのも、彼と直接会った者たちが特に多いからであろう。

 

 なお、秋雅は四年前の一件以来、関東地域で起こった事件に関しては特に緊急性の高い物でもない限り関わらないと公言しているので、あれ以降関東の支部の面子とは一切顔を合わせていない。それもまた、関東での秋雅の支持率がほとんど無い理由だろう。もっとも、例え秋雅がそれを取り下げたとしても、関東から彼に依頼が来ることは――特に今は、草薙護堂もいるので――まずないだろうが。

 

「しかし……中々に面倒な事態になってきたな」

「最悪、委員会を割る(・・)ことにすらなるでしょうね。ただ、その際はおそらく、向こうが政府直轄の正式な結社となるでしょうが」

「あまり考えたくはないな」

「……やはり、我らを率いるのは気が進みませんか?」

 

 三津橋からの、やや弱気な風にも聞こえる問いかけ。それに対し、秋雅は少し悩んだ後、

 

「……ああ。私はあまり、人を率いるのには向かないだろうからな」

「そのようなことは……ない、と思いますが」

 

 言いよどむ三津橋に対し、秋雅は口を開く。

 

「……正直なところを言えば、な」

 

 一呼吸を置き、秋雅は小さく呟く。

 

「自分のものになってしまえば、失わせたくないと思ってしまうのさ」

 

 一度、自分の傘下に入れてしまえば、もはやそれは自分のものであり、それを失うのを耐え難いと思ってしまう。それは組織としてではなく、個人、それこそ一番下の人間ですら失いたくないと思ってしまう。何もかもを失わせない為にするには、結局秋雅が一から十までやる以上の確実性はない。

 

 しかしそうなれば、秋雅の負担は限界まで増えてしまうし、何よりそんな組織は、もはや組織とは言えるわけもない。ただの、秋雅の庇護下にある人間の集まりだ。それでは何の意味もない。

 

 だから、秋雅はあまり傘下の結社を持つということに積極的でない。それどころか、特定の組織とも必要以上に親しくなり過ぎないようにもしている。もし際限なく付き合いを続けていけば、自分がどうとも動けなくなってしまうと理解しているからだ。

 

「愚かだろう?」

 

 まったく、馬鹿なことだ。つい漏らした弱音に秋雅が自嘲すると、しばしの沈黙の後に、

 

「いえ」

 

 三津橋の、力強い否定の声が返ってきた。そうして、彼はそのまま続ける。

 

「愚かなどと、言えるはずもありません。貴方はただ、王としての責務を果たそうと努力されているだけなのでしょう。王が部下を、民を、国を守ろうとするように、貴方も配下となったものを大事にしたいと思われているだけなのだと、私はそう考えます」

 

 真剣な声でそう語った後、

 

「――ようするに、責任感が強いんですよ、秋雅さんは」

 

 ふと、少しばかりおどけたようにして三津橋が言う。

 

「あまり深く考えすぎるのが、秋雅さんの悪い癖です。たまにはもう少し、軽く考えてもいいんじゃないですか?」

 

 その言葉に、秋雅はしばし沈黙を返す。

 

 そして、

 

「ふっ、はは……!」

 

 小さく、手で口元を押さえながら秋雅は笑った。王として振舞っている時には見せないはずの、素のそれに近い笑みだ。沈みかけていた表情を明るくさせながら、どこか軽い調子で秋雅は電話口の友人に笑う。

 

「……いや、まったく、そうなんだろうな。どうにも、私は色々と考えすぎるのだろう」

「真面目なんですよ、貴方は。生真面目で、他にない責任感がある。まあ、だからこそ私達は貴方についていくと決めたんですがね」

「ふっ、そうだな。先のことはともかくとして、今はそれだけでいいか」

 

 何となく、肩の荷が下りたような気分であった。いつの間にか止まっていた足を再び動かし始めながら、秋雅は小さく呟く。

 

「感謝する、三津橋。最初に委員会が寄越した遣いが君で、本当に良かった」

「…………そういうのは、ヒロイン的な立場の人に言うべき台詞だと思うんですがねえ。私みたいなおっさんには些か眩しい言葉です」

 

 秋雅の言葉を、酷く胡乱げな口調で三津橋が返す。あるいは照れているのかもしれないが、それは彼にしか分からないことだ。

 

「――あ、そうそう。ヒロインで思い出しました」

「うん?」

「五月雨室長のことで、ちょっとお耳に入れたいことがありまして」

「……何で思い出しているだ、君は」

「まあまあ……真面目な話、どうも彼女に面倒な指示が出されそうな気配がありまして」

「何だと?」

 

 どういう意味だ、と秋雅が問いただすと、三津橋は少し声を潜めるようにして言う。

 

「……彼女、実は沙耶宮の縁者なんですよ」

「沙耶宮の?」

 

 沙耶宮と言えば、日本で強い力を持つ四家と呼ばれる一族の一つだ。特に沙耶宮は正史編纂委員会のトップを勤めており、確か東京分室のトップも沙耶宮のものであったはずだと秋雅は何となしに思い出す。

 

「縁者というが、どの程度のものだ?」

「彼女の父親が沙耶宮の直系、というか現頭首の兄弟だそうです。ただ、呪力がほとんどなく、ついでに言えば組織経営の才もそれほどなかったそうで、それで家を離れた後、紆余曲折を経て五月雨家に婿入りしたとか。で、その娘が室長、五月雨恵さんということです。東京分室のトップでもある、沙耶宮の次期頭首さんとは従兄弟に当たると聞いています」

「思ったよりも近しいな」

「ええ。その所為で色々、まあ面倒な指示を出されるかとも」

「……読めたぞ。私を篭絡しろとか、その類のものだろう?」

「正解です……沙耶宮って賢い人たちの集まりだって聞いていたんですけどねえ」

 

 また繰り返すつもりか。そんな感想が、三津橋の言葉からひしひしと感じられる。まったくだな、と内心で同意しつつ、秋雅は会話を続ける。

 

「しかし、そうなると彼女があの若さで室長になったのも、つまりはそういうことなのか?」

「ま、それもあるでしょうね。確かに彼女は実力のある若手ですが、流石にあの歳と経歴で室長任命は不自然です。あと、ついでに言えば、私達が離反した場合に組織を纏める立場になるであろう人間に、有能な人物をあてたくなかったんでしょう」

「成る程、それもありえるか」

 

 確かに、言われてみれば彼女が室長となったのは草薙護堂がカンピオーネだと発覚してからすぐのことだ。任命から配属までのタイムラグを考えると、そういったことも踏まえた上で彼女が選ばれたもかもしれない。

 

「とはいえ、これはあくまで予想です。出来れば彼女の耳には入れないようにお願いします」

「言われずとも、わざわざ私からは言わんさ。そもそも、彼女と私が話すこともそうないだろう」

「あ、いえ。現在五月雨室長は出張中なんですが、それが終わったら秋雅さんに色々報告をしたいと言っていまして」

「君を通さず、直にか?」

「はい。責任感が強いんですよ、貴方と一緒で」

「……そう言われると、否とは言えないな」

 

 思わず苦笑をこぼしつつ、秋雅は承諾の意を返す。

 

 

 

 そのように会話をしながら秋雅が歩いていると、とうとう空港の外にまで出た。秋雅はそのままざっと周囲を見渡した後、ある方向に向かって歩き出す。

 

「……しかし秋雅さん、何処にいらっしゃるんです? 今何か、飛行機の音らしき物が聞こえましたが」

「デリーの空港だ」

「デリー? デリーと言うと、インドの? ……ああ、そういうことですか」

 

 納得がいったと、頷きを返している気配が電話の向こうに感じられる。同時、何となくにやけているような気配も感じられた。秋雅が何を目的としてインドの地を踏んだのか、それを察したからであろう。特に秋雅が三津橋に話したことはないが、しかしそうでなくとも察せられる程度には、稲穂秋雅の恋人の話は有名であった。

 

 

 稲穂秋雅が女性、細かく言えば魔術師の女性を囲っている。それは秋雅のことについて、多少本腰を入れて調査すればすぐに分かる情報だ。流石に面と向かってではないが、それとなく訊かれた際には秋雅も肯定していることなので、そこは真実なのだろうと関係者も理解している。

 

 加えて、複数の女性を手篭めにしているという噂もあるが、基本的に秋雅が紳士的で、特に色を好む様を見せないところから、そちらに関してはそれほど信じられていない。あっても、精々が他の結社からあてがわれたりせぬようにするためにカモフラージュではないか。そんな風にも言われていたりする。

 

 もっとも、その噂に関しては、秋雅も少々返答に困る事実があったりするのだが、そこまでを知っている人間はほとんどいない。

 

「そういうことならまあ、ごゆっくりと言うべきでしょうかね」

「そう言ってもらえると助かるな、私としても」

 

 秋雅の目的を察しても、特に言及をしてこなかったところを見ると、もしかしたらそれは無粋だとでも思ったのかもしれない。そのことに面倒がなくて良いと秋雅は思う。

 

「ともかくそういうわけだから、少しの間こちらに滞在するつもりだ。緊急時でもないかぎり呼び戻してくれるなよ」

「そりゃもう、ごゆっくりと私からも言っておきます。あ、でも連絡自体はとれるようにしてくださると幸いです」

「そのつもりだ。五月雨室長からの報告もあるだろうからな」

「ええ……では、私はこれで」

「ああ、またな」

 

 電話を切り、懐に収めなおす。気付けばもう、いつもの場所近くまで来ていた。

 

「さて、もういるかどうか」

 

 こちらに来る予定時間は伝えてあったが、しかし交通事情というものがあるから時間通りに来られるとは限らない。まあ待たせるよりは待つ方が気は楽だから、あるいはそのほうがいいだろうか。などということをつらつらと思いながらいつもの、待ち合わせ場所として決めている辺りまで来ると、遠くに見覚えのある車と、同じく見覚えのある金髪の、互いに話し込んでいるらしい三人の女性の姿があった。

 

「――ああ、いるか」

 

 呟き、そちらに向かって歩く。心なしかその歩調は先ほどまでよりも速くなっているような気がする。

 

 ふと秋雅が口元に手をやってみれば、それが弧を描いているということに気付いた。いつも通りだな、そう思いながら秋雅は歩く。

 

 

 声をかけようか。そう思う程度には近くまで歩いたところで、どうやら向こうも秋雅の存在に気付いたらしい。三人のうちの一人、その見事な金色の髪を後ろで纏めた少女が、その整った顔に快活そうな表情を浮かべながらこちらへと走ってくる。

 

「秋雅!」

 

 歓喜の声を上げながら、少女が秋雅に飛びつく。その身体を秋雅は受け止めて、くるりと一度身体を回して勢いを和らげる。

 

「――っと。相変わらず元気だな、ヴェルナ」

「当たり前でしょ、私はいつでも元気だもの」

 

 そう言って、秋雅がヴェルナと呼んだ少女は、満面の笑みを浮かべながら、キラキラとした青い目を秋雅に向ける。その笑みに、秋雅も柔らかい笑みを浮かべて返す。

 

「やれやれ、俺も元気になりそうだ」

「あら? 今日の秋雅はお疲れ気味?」

「そうでもないけど、な」

 

 言いながら、秋雅は待っている二人の元へと歩く。ヴェルナが秋雅の首に手を回して離れないので、彼女を抱きかかえながらの移動だ。随分と人目につく行動だろうが、ここはあまり人通りがないので特に奇異の視線を向けられることもない。

 

「ねえ、秋雅」

「ん?」

「キスしていい?」

「頬なら返してやるよ」

「じゃ、それで」

 

 言ってすぐ、ヴェルナが秋雅の頬に唇をそっと当てる。それに対し、秋雅もまた首を動かして、ヴェルナの白い肌に唇をつける。

 

「ふふ、良い気分」

「――ヴェルナ、何時までくっついているのよ」

 

 そんな二人の耳に、僅かだが棘が感じられる声が聞こえてくる。言われ、二人が正面に視線を向ければ、車に一人残しこちらへと歩いてくる一人の少女の姿がある。

 

「スクラ、久しぶり」

「ええ、久しぶり、秋雅」

 

 そう言って、スクラはふっと目元を緩めて微笑む。パッと見の表情こそ違うが、よくよく見ればその顔立ちはヴェルナと瓜二つだ。それもそのはずで、ヴェルナとスクラは一卵性双生児の双子であるのだ。ただ、髪の長さだけが違う。ヴェルナが括った髪を背に垂らしているのに対し、スクラの髪は襟元で短く切りそろえられている。

 

 挨拶の後、スクラは秋雅から視線を外し、今度はその近くにあるヴェルナの顔を見る。緩められていた視線はまた鋭くなり、いまだ秋雅に抱きついているヴェルナに苦言を呈した。

 

「で、ヴェルナ。いい加減秋雅の手の中から降りなさい」

「えー? いいじゃない、もう少しくらい。スクラも秋雅にくっつきたいのは分かるけど」

「それはそうだけど、問題はそこじゃなくて、姉さんが秋雅に抱きつけないって言っているのよ。ほら、早く」

「あー、うん。そう言われると弱いなあ、本当」

 

 スクラの説得に仕方ないなあと言いたげな表情を浮かべた後、ヴェルナは秋雅の首から手を外す。それに対応して秋雅も抱えていた手を離すと、ヴェルナは軽やかに秋雅の身体から離れた。そのしなやかな動作に、猫のようだと秋雅は目を細めながら思う。

 

「それじゃ、真打登場って感じで」

「私達はそもそも同じ土俵にすら上がれていないと思うけれど」

「うるさいよ、スクラ」

「抜け駆けしたヴェルナに言われたくはないわよ」

 

 わあきゃあと、和やかな姉妹喧嘩を繰り広げている二人に苦笑をこぼしながら、秋雅は残っている一人の元に近づいていく。

 

 二人より数歳上、おそらくは秋雅とそう歳は変わらないであろう女性。長い金髪を背に流し、その容姿は極めて整っている。よく見れば、ヴェルナとスクラと似通った、しかしそれ以上の美貌であると分かるだろう。絶世の美女、そう評してもまず差し支えないであろう女性だ。

 

「――シュウ」

 

 女性が一歩踏み出て、秋雅に軽く右手を伸ばす。

 

「ウル」

 

 その手を取り、秋雅はぐっとその身体を引き寄せて、そっと口付けを交わす。

 

「ん…………」

 

 数秒の後、そっと秋雅が下がると女性の口から名残惜しそうな声が漏れる。そんな彼女の頬に手を当てながら、秋雅は柔らかく微笑んで言う。

 

「会いに来たよ、ウル」

 

 その秋雅の言葉に、ウルもまた同じような笑みを浮かべる。

 

「待っていたわ、シュウ」

 

 再び手を取って、今度はぎゅっと抱きしめあう。そしてそのまま、除け者にされたことに飽きたヴェルナたちが秋雅に飛びつき始めるまで、秋雅はウルの体温をその身で感じ続けるのであった。

 

 

 

 








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車中での会話、屋敷での団欒

「悪かったな、出迎えを頼んで」

 

 車を走らせて早々、秋雅は運転席のウルに向かってすまなそうに言った。しかし、それに対しウルは、いつものように柔らかい笑みを浮かべ首を振る。

 

「大丈夫よ。これぐらいなら何てことないから」

「そう言ってもらえると、助かる」

 

 バックミラー越しのウルの微笑に、秋雅もまた同じような表情で返す。ありがたいものだ、と思いつつ、ふと視線をずらしてみると、同じくバックミラー越しに、秋雅の顔を見つめるヴェルナが見えた。じゃんけんの結果、スクラに秋雅の左隣を譲った彼女である。姉妹が羨ましいのだろうか、とやや他人事のように考える秋雅の隣で、常の様相を保ったままのスクラが口を開く。

 

「私達の家は郊外だから、バスで来るのは面倒。タクシーもまた外れを引いた場合が面倒と考えると、私達が迎えに来るのは自然なことだと思うわ」

「あんまりバスに乗っているイメージもないしね、秋雅は」

「日本では普通に乗っているけどな」

「イメージ湧かないけれどね、そんな秋雅の姿」

「そうか?」

 

 和気藹々と、秋雅たちはそんな会話を続ける。そんな中、ふとヴェルナが、何かを思いついたようにして、後部座席の秋雅に振り向く。

 

「いっそ、秋雅が家まで運転する?」

 

 突然のヴェルナの提案に片眉を上げた後、秋雅は軽く肩をすくめる。

 

「止めておくよ。こっちの運転免許はないからな」

 

 こっちの、と言うように、秋雅は日本の運転免許に関してはきちんと所持している。ついでに言うと、二輪車の免許も持っている。もっとも、若干委員会の協力を受けた上での取得という、中々に胡乱な免許であった。まあ、技術と知識は問題ないので、その辺りは一応大丈夫と言えないこともないのだが。

 

「ばれなきゃ問題じゃないって」

「ばれたら問題になるんだよ」

「でも、そうなったところでどうとでもなるわよね」

「二重の意味でしないぞ。そんなつまらん理由で王の権威など使っていられるか、みっともない」

「そもそも私がハンドルを譲る気が無いから無意味よ、ヴェルナ、ついでにスクラも」

「はーい」

「分かっているわ」

 

 所詮は冗談。姉であるウルの一言で、双子は大人しくこの話題を掘り下げるのを止める。相変わらず物分りがいいものだ、と間近の秋雅は僅かに笑みを浮かべる。

 

「ともかく、秋雅はこのまま家までゆっくりしていて頂戴。なんなら休んでくれていても構わないわよ」

「いいさ。数ヶ月ぶりの再会だというのに、一々休んでいたらもったいない。それに、休むほどの距離でもないだろう?」

「……本当に優しいわね、貴方は」

「そうでもないさ」

 

 ウルの微笑み混じりの一言を軽い苦笑で返し、秋雅はふと窓の外を見やる。常人離れした視力を持つ秋雅の目には、景色の奥にある三姉妹の白く大きな家がぼんやりと映っていた。

 

 

 

 

 

 

 ウル、ヴェルナ、スクラ。ノルニルという姓を持つ三姉妹と秋雅が出会ったのは、今から三年ほど前、賢人議会からの依頼を解決した直後のことであった。とある事情で追われていた彼女らを、偶々通りがかった秋雅が保護した、というのが全ての始まりである。

 

 紆余曲折の末にアレクサンドル・ガスコインと敵対し、彼をカンピオーネで唯一の敵と定めるなどの波乱をはさみつつ、秋雅と三姉妹は急速に仲を深めていった。当初こそ――うっかり素を見せてしまったということから――ある程度気を張らずに話せる数少ない魔術関係者、あるいは研究を支援するパトロンという程度の立ち位置であったが、時間と共により親しい関係へと変化していった形である。

 

 そして、そんな関係の始まりから、おおよそ一年ほどの時間が経っただろうか。ある日、ウルが秋雅に愛の告白をしたのである。これを秋雅が受けたことにより、秋雅にとって三人は恋人とその妹たちという関係に変わった。

 

 それからは、所謂遠距離恋愛という形で、時々連絡を取り、時にはこうして秋雅が会いに来るという付き合いを続けていた。四六時中べたべたとするだけが能じゃないとい言えるような、不可思議さもある関係であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしたの?」

 

 何となしに秋雅が外を見ていると、横に座っているスクラが怪訝そうな表情を浮かべているのに気がついた。ぼんやりとしていた秋雅の様子から、何か考え事でもしているのかと思ったらしい。

 

「ん? いや、なに……」

 

 それに対し、特に何と思っているわけでもなかったのだが、何となくそうとも言わず、ふっと思い浮かんだことを口に出す。

 

「もう三年になるんだな、と思っただけだ」

「三年? ……ああ、私達が会ってからってことね」

「そっか、もうすぐ私達の誕生日だから、秋雅と会ってからもうすぐ三年になるのか」

「言われてみればそうなるのね。貴女達ももうすぐ十八になるってことだし、本当に、時が経つのは早いわね」

 

 感慨深げにウルが言うと、秋雅がからかうような笑みを浮かべる。

 

「若いうちからそんな事を言っていると老けるぞ、ウル」

「貴方も人のことは言えないわよ、シュウ。年齢不相応な言動は貴方の十八番でしょうに」

「言ってくれるな、まったく」

 

 言葉こそは文句のように聞こえるが、しかしそれを言う秋雅の顔は実に楽しげだ。この気の置けない会話が、秋雅にとっては非常に大切なものなのだろう。

 

「姉さんたちの年齢はともかくとして、本当に早い…………改めて考えると、皮肉なものね」

「何が?」

 

 ヴェルナの問いかけにスクラは、秋雅の方をちらりと見た後、感慨深げな口調で言う。

 

「もしあの時、あの黒いの(アレクサンドル)が後始末をきちんとつけていたら、私達の養母が変なことを企てたりなんかしなかったはず」

 

 しみじみとした彼女の言葉に、秋雅もまた過去の『if』に思いを馳せる。

 

 もし当時、あの男が敵対した結社を完全に潰していたらどうなったか。その生き残りが英国に来ることはなく、姉妹を拾って育てていた女に、かつての仲間たちの死を伝えることもなく、結果として復讐も発生し得なかったかもしれない。

 

「あんなに中途半端な計画を彼女が実行しなければ、王立工廠と、ついでに賢人議会に余計な被害を出すことはなく、私達がその両方から狙われるようなことはなかった」

 

 もし彼女が、その自暴自棄から破れかぶれな策を実行に移すことがなければどうなったか。最悪でも敵は王立工廠のみであり、賢人議会まで敵に回すことはなかったし、そのとばっちりが姉妹に来ることもなかったかもしれない。

 

「そんなもしもが重なれば、今もまだイギリスで、私達三人は暮らしていたのかもしれないし、今よりも他人というものを信じられたのかもしれない」

 

 でも、とスクラは秋雅を見る。

 

「そうなれば、私達は秋雅に出会うこともなかった……平穏を捨て、最悪を体験したからこそ、私達は今ここにいる。これって、とびっきりの皮肉じゃない?」

「珍しいわね、貴女がそんな事を言うなんて」

「そう? でも姉さんも、同じようなことは思っているんでしょう」

「否定はしないわ。当時こそは、どうやって貴女達だけでも逃がそうか、とだけ考えていたのに、今はどうやったら皆で幸せになれるのか、と考えている――そう変えてくれたのは、間違いなくシュウのおかげ」

 

 ちょうどそのタイミングで、赤信号が車の停止を命じてきた。それに然りと車を止めて、ウルが後部座席の秋雅に振り向く。

 

「ありがとう、シュウ」

「こばゆいな。こんなところでする話でもないだろうに」

 

 少しだけ、おどけるように言った後に、

 

「……俺だって、お前たちには助けられているんだぞ」

 

 口の中で完結する程度の小声で、秋雅が率直な感想を呟く。その際に彼の顔に浮かんでいたのは、彼があまりに見せることの無い、とても優しい笑顔であった。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、一時間弱程の時間が経っただろうか。ようやく目的地であるウル達の家が車の正面に現れた。久しぶりだと秋雅が僅かに懐かしさを覚えていると、再びミラー越しの視線を向けながらウルが口を開く。

 

「もうそろそろ着くわよ、シュウ」

「ああ、みたいだな」

 

 それからさらに数分、秋雅達を乗せた車は一つの家の前に着いた。いや、家というよりは屋敷と言った方が正しいだろう。目の前の白い建物は、それを許すだけの気品と豪奢を備えている。ここに住んでいるのがたったの三人であるというが嘘だと思えるほどに、豪華で大きな屋敷だ。

 

 それも当然の話で、元々この屋敷はとあるお金持ちが建てたものを、色々とあって秋雅が所持することになり、そこに姉妹が住むことになったものだ。元は使用人が多数いる事を前提とした屋敷なのだから、大きく豪華なのは当たり前なのである。

 

「……ここも久しぶりだな」

 

 車を降り、目の前の屋敷を見上げながら、秋雅は先にも思った事を呟く。久しぶりといっても半年と経っていないのだが、不思議と毎度そう言ってしまう。おかしなものだ、と思いながら屋敷を見上げていると、ふと背後から視線を感じた。

 

 何だ、と思いながら振り向く。軽い敵意のようなものはあれど、たいして危険な感じもしなかったので、特に警戒するでもなく振り向く。すると、そこには何人か、現地人らしき男たちが秋雅を不審げな目で見ており、秋雅が振り向いたことで慌てて視線をそらした。しかし、秋雅の視線に気づいていないものも数名おり、その視線がウル達三姉妹のいずれかへと向いている。

 

「成る程、そういうことか」

 

 そんな男たちの態度に、納得がいったという風に秋雅は頷き、ついで苦笑する。彼らの目的が、今秋雅の周りにいる姉妹たちだと気付いたからだ。

 

 

 確かに、ノルニル三姉妹はそれぞれに魅力的な女性だ。ウルは柔らかい雰囲気と微笑みが包容力を感じさせる、大人の女性だ。ヴェルナとスクラは同じ顔でありながら快活さと冷静さという二極的な態度のおかげで、タイプの違った美少女として互いの魅力を引き立てあっている。姉妹故か、三人が三人とも非常にメリハリのある体つきをしているというのも、彼女らの魅力というものを高めているのであろう。

 

 そういったこともあるので、彼女らに惚れてしまうという男性がいるのは何らおかしいことはないだろう。実際、これまでにも秋雅はそういった光景を見た事があるし、彼女らを侍られていてやっかみの視線を受けたことも一度や二度ではない。もっとも、その程度の視線を気にする秋雅ではないし、むしろそこで腰を引き寄せるなどして見せ付けてやるぐらいなのだが。

 

「相変わらずもてるらしいな、お前達は」

「んー? ……ああ、あれね」

 

 からかうようにして放たれた秋雅の言葉に対し、背を伸ばしていたヴェルナが怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐさま男たちの存在に気付いて面倒くさそうに息を吐く。

 

「まったく、こっちとしてはいい迷惑なんだけどね。信用できない相手に一々話しかけられると殴り倒したくなるから」

「そっちも相変わらずのようだな。まあ、早々治るものだとは思っていないし、頑張って治す必要性があるわけでもないからいいが」

「今更治るとも思えないけどね、私達の人嫌いって奴は」

 

 そう言って、ヴェルナはスクラに問うような視線を向ける。それに対し、スクラは無表情に頷く。ウルは車をガレージに止めに行ったのでこの場にはいないが、もしいればおそらくは微笑を浮かべつつも、しかしまるで笑っていない目で同じように頷いたであろう。

 

 

「……本当に、相変わらずのようだ」

 

 つまりはそう言うことなのであった。この、ノルニルの家名を持つ三人は、それぞれと秋雅を除いた全人類を、全くと言っていいほどに信用していないのである。有体に言えば、人間嫌いだとか、人間不信だとか、そういう単語が浮かんでくるだろう。

 

 三人がこうなった理由は、大きく分けて二つだと秋雅は知っていた。一つは彼女らの生まれだ。生母ではなく、家名も違う養母の下で育った中で起こってしまった他者との諍い。その内容を秋雅は知らない――彼女らが積極的に話したくない事を掘り下げる趣味は彼にない――が、しかしそれが全てのきっかけだとは推測している。

 

 そしてもう一つは、秋雅と会うきっかけになった一件だ。誰が敵で誰がそうじゃないのか、今目の前にいる他人は敵が化けたものではないか。経験則から来る疑心暗鬼が、彼女らの人間不信を加速させたのだろう。

 

 そうして、三人はついに自分の姉妹以外を一切信用しなくなった。唯一の例外である秋雅を除いて、だが。

 

 だから、三人は外にこそ出るが、そこで他者との積極的なコミュニケーションをとろうとはしない。誰かに話しかけられたにしても――特にナンパ等の類であれば――ヴェルナはぞんざいな対応しかしないし、スクラは徹頭徹尾無視するだろう。ウルにしたって、表面上こそはにこやかに対応するだろうが、実際の所はどうしようもないほどの拒絶感を見せ付けるだろう。

 

「……となると」

 

 だから、今遠くから見ている男たちは、未だに三人の誰にも話しかけた事がないのであろうと秋雅は推測する。一度でも話しかければ、よほどの鈍感でもない限り、その拒絶の意思を十分に感じ取って、諦めるという選択をするだろうからだ。

 

 単純に勇気がないのか、あるいは高嶺の花だとでも思っているか。どちらにせよ、秋雅からすれば何が楽しいのかと思ってしまう。まあこれも、秋雅がある意味での勝者であるが故の思考なのかもしれないが。少なくとも、自分が普通の人間ではないということは、自明の理であるのは間違いないことである。

 

 

「どうしたの、シュウ?」

 

 物陰にいる男たちについてどうでもいいことを、秋雅がつらつらと考えていると、ウルの声がすぐ横から聞こえてきた。いつの間にか、車の収納を終わらせていたらしい。些か気を抜き好いているだろうか、と秋雅は軽く笑う。どうにも、彼女らといると一般人としての稲穂秋雅が出てしまう、と。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもないさ」

 

 怪訝な表情を浮かべたウルに軽く手を振った後、屋敷の庭と道を隔てる門に目を向ける。その視線に気付いたウルがポケットからリモコンを取り出してスイッチを押すと、門がゆっくりと開いていく。

 

「さあ、どうぞ」

「ああ」

 

 促され、家主である三人よりも先に秋雅が門をくぐる。そして、ウル達も続いて門をくぐった後で、門がゆっくりと閉ざされていった。

 

 

 

 

 

 

 ギイ、と軽く音を立てながら秋雅は屋敷の玄関を開ける。外見に違わぬ広く取られたエントランスを、秋雅はぐるりと見渡す。そんな秋雅の行動を見て、ウルはくすりと笑う。

 

「帰ってきた、って思ってくれていたりするかしら?」

「どうかな」

 

 ウルの問いかけに対し、秋雅ははぐらかすようにして答えない。ただ、その顔に軽く笑みを浮かべるのみだ。

 

「そう。まあ、立ち話もなんだし、こっちに来て頂戴。せっかくだし飲みながら話しましょう」

 

 しかし、その答えで満足がいったのか。ウルは頬を緩めた後に秋雅を誘う。それと同時、ヴェルナとスクラもウルが示した方に先んじて向かっている。

 

「そうだな、久々にゆっくりとしようか」

 

 今度は明確にウルの言葉に頷いて、秋雅もまた三人の後を追う。

 

 

 ドアを二つ三つと通っていき、秋雅は一室に案内される。その部屋の中央にはテーブルクロスのかけられた横長のテーブルが設置されており、そこがダイニングであるとすぐに分かる。

 

「じゃあ、秋雅は座っていて。今から料理を持ってくるから」

「くれぐれも手伝おうとしないでね? 秋雅はお客さんなんだから」

「分かった、分かった。大人しくしているさ」

 

 座っていろと双子に釘を刺されたことに、秋雅は苦笑しながら言うとおりに席につく。その様子に満足そうに頷いた後、ヴェルナたちはキッチンへと向かう。

 

「シュウ、何かお酒についてリクエストはある?」

「いや、お前の好きにしてくれ」

 

 基本的に、秋雅は酒に関しては特に注文をつけない。味に関しては多少口を挟むことはあるが、種類や度数などにはまったく気にしない。カンピオーネの体質の所為で、どんなに強い酒を飲んだところで全く酔う事が無いからだ。秋雅からすればどのような酒であれ味のついた水程度――まあ、香りなどもあるが――でしかない。そのため、こうして勧められた時や偶然に美味しい酒を見つけたときなどでもない限り、秋雅のほうから酒を飲むことはそうなかったりする。

 

「分かったわ。適当に味の良いものを見繕ってくるわね」

 

 そう言って、ウルも部屋の外に出ていく。インドでは州によって飲酒可能年齢が異なり、この地域だと実は秋雅もウルも飲酒は出来ないのだが、そこはそれということだ……まだ十七であるヴェルナとスクラも飲むつもりであることに関しても、また同様ということだろう。

 

 

 

 

 そうこうして、秋雅が座るテーブルの上に、様々な料理が並べられていく。四人中三人が女性であるのに食事の量が多いのは、大食漢である秋雅のためであろう。作るときに失敗でもしたのか、時折見た目がよろしくないものもあるがそれもまた味だろう。少なくとも、自分のために彼女らが作った料理にけちをつけるほど、秋雅はつまらない男ではない。

 

「……こんなものかな」

「そうね。姉さんも大丈夫?」

「ええ。これ以上はお酒も大丈夫でしょうし」

「まあ、この中で一番飲む人がいいならいいんじゃない? 秋雅って案外飲まないし」

「かもね」

 

 どうやら必要なものは並べきったようで、三人も秋雅と同じように席につく。隣に座るウルが秋雅のグラスに酒を注ぎ、それに秋雅も返した所で三人の視線が秋雅に集まる。

 

「音頭をとれと?」

「そういうこと」

「ささ、どうぞってね」

「はいはい、だ」

 

 肩をすくめた後、秋雅がグラスを掲げて言う。

 

「では、久方ぶりの再会を祝して――乾杯」

『乾杯』

 

 グラスを合わせる様なことはせず、四人は静かにグラスを掲げた後、口につける。一口、味わうように飲む。

 

「……さあ、では頂かせてもらおうか。これほどの料理を前にして、これ以上お預けをくらうのは酷なんでな」

 

 グラスを置き、秋雅はそう言って笑う。それを皮切りとして、四人の食事会が始まった。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、秋雅は最近どうだったのかしら?」

 

 食事が始まれば会話も始まるのが常だ。そしてそう言う場合において、まずは互いの近況報告から始まるのもまた珍しいことではない。とはいえ、基本的に三人はこの家にいるし、その際に行っている研究(・・)に関してはまた後で報告、という風にしているので、秋雅の近況をスクラが尋ねるのも当然の流れだろう。

 

「ん? そうだな……」

 

 秋雅のほうもそれは慣れたものであるので、少しばかり考えた後に、ここ最近のことについて話を始める。梅雨空での戦い、幽霊との出会い、ロンドンでのあれそれと、ざっと振り返るようにして最近起こった事を秋雅は話していく。

 

「……まあ、こんなところだろうな」

 

 一通り、ここ最近のことについて話を終えた所で、秋雅はグラスを煽る。空になったグラスにお代わりを注ぎながら、ウルは口を開く。

 

「相変わらず、動乱な日常を送っているようね、シュウは」

「ああ、これが王の運命なんだろうな。まったく、疲れるものだよ」

「お疲れ様。短い間かもしれないけれど、ここにいる間はのびのびとして構わないわよ」

「既にそうしているさ……まあ、明日は忙しくなりそうだが」

 

 そう言って、秋雅はヴェルナに意味深な視線を向ける。すると、ヴェルナはにんまりと笑みを浮かべて返してくる。楽しげなその笑顔に、秋雅は一つ息を吐いた後、仕方がないという風に口角を上げる。

 

「成果は見せろよ?」

「当然。上々の結果を見せてあげる」

 

 期待している、と秋雅はそれに頷きを返した後、スクラとウルにも視線を向ける。

 

「スクラとウルはどうだ?」

「まあ、それなりかしらね、私は」

「私はあんまりね。まあ、別件で話すことはあるけれど」

「別件?」

「それは明日、ね?」

 

 そうだったな、とウルの言葉に秋雅は頷く。秋雅がこの屋敷を訪れた日だけは、魔術関係のことや裏の事情は気にせずゆっくりとする。それが秋雅と姉妹たちの間の取り決めであった。

 

「……ところで、さっき話に出た幽霊さんってどんな人だったの? 同棲までしていたんだから分かるでしょ?」

「そうそう。それは私も聞きたかったのよ。姉さんや私達がいるのに他の女性と生活を共にするなんて、ねえ?」

「言うなよ。そういう流れだっただから仕方があるまい」

「でも、その後でこっちに来ているんだから、姉さんに悪いとかそんな風に思ったんじゃないの?」

「……浮気後の旦那さんかしら?」

「ウル、笑いながらそういう事を言うな。反応に困るじゃないか」

 

 かくして、しばしの間。秋雅は存分に、三姉妹達との食事を楽しむのであった。

 

 

 



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研究と試作品、そして模擬戦






「さあ、行くよ」

 

 そう言って、ヴェルナは常の快活さなどまるで見えぬ、獣が如き獰猛な笑みを浮かべる。

 

「来い、ヴェルナ」

 

 対して、彼女と相対する秋雅は特段気負った風でもなく、自然体で構えるのみだ。

 

 

「ハ――アッ!!」

 

 空を切り裂きそうなほどに気合のこもった声をあげ、ヴェルナは秋雅へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりは、今から三十分ほど前のことだ。朝を過ぎ昼はもうしばしという時間帯に、秋雅は屋敷の階段を降りている。と言っても、二階から一階にではなく、屋敷の奥にある、地下への階段を降りていた。

 

 コツコツと、靴音を響かせながら秋雅は降りて行くと、踊り場に辿り着く。ドアと、さらに下へと続いている階段のうち、秋雅はドアを開く事を選択する。

 

 秋雅が開けたドアの先は、随分と開けた空間であった。奥には小部屋らしきものが確認できるものの、それを除けばまるで何もない。屋敷の地下とは思えぬほどに広大なその部屋に、秋雅は一歩足を踏み入れる。

 

「ヴェルナ、居るな?」

 

 部屋の中央へと歩きながら秋雅は周囲、というよりは奥の小部屋に向かって言う。他に人が隠れる場所など無いぐらいに何もない部屋だからだ。

 

「ヴェルナ」

「――はいはい! ここにいるよ!」

 

 二度目の呼びかけ。そのすぐ後に小部屋のドアが開き、中からヴェルナが顔を出した。彼女は元気よく手を上げて自身の存在をアピールした後、再び部屋の中に戻る。気配から秋雅が察した所、どうやら何かしらを探しているらしい。

 

「整理ぐらいしておけ、まったく」

 

 呆れたように呟きながら、秋雅が部屋の中央あたりで待っていると、少ししてヴェルナが手に何かを持ちながら走ってくる。

 

「いやあ、ごめんね。一個何処にいったか分からなくて」

「やれやれ。まあいい、ともかく今回の成果発表を頼むぞ」

「了解」

 

 そう言って、ヴェルナは秋雅に対し、おどけるように敬礼をして見せた。

 

 

 

 

 

 

 ノルニル三姉妹はそれぞれが優秀な魔術師である。それは単純な戦闘力だけでなく、特に魔術に対する造詣の深さや、魔術という学問に対する研究や開発という意味でもある。

 

 その才能に目をつけた秋雅が、それぞれに対し研究テーマを出す――彼女らの技量と、何より彼女らの希望から決めた――代わりに、その研究や生活を支援する。それが秋雅と姉妹たちの間で交わされた約束事であり、ただ養われる事を由としなかった三人が示す対価でもあった。

 

 そして、その肝心な研究テーマであるが、それぞれに違うテーマではあるものの、根幹として二つ(・・)、共通のテーマがある。そのうちの一つが、魔術と他の何かを組み合わせる、というものであった。

 

 

 

 そして、今秋雅の前にいるヴェルナが研究しているテーマはというと、

 

「――魔術を組み込んだ近接武器。まあ、とりあえず一つの形になったってところかな」

 

 それが、ヴェルナの研究テーマだ。例えれば、ロールプレイングゲームなどで言う所の、特殊な効果がついた武器。そういったものを作り出すことがヴェルナの研究テーマである。

 

「で、これがその試作品ね」

 

 そう言って、ヴェルナは持っていたそれを秋雅に示す。

 

「……これが、か?」

 

 それは、長さ十センチ程度の、二本の銀色の棒だ。どちらかといえば、細いと表現するのが正しいであろうか。片手で二本一度に握られている事を見ると、太いとは言わないだろう。そして、その手の中を見た限りでは、精々が投擲ぐらいにしか使えないのではないかと思ってしまう。色を除けば、何処にでもありそうなただの金属の棒にしか見えない。

 

 だから、それを見た秋雅は僅かに困惑したような表情を浮かべる。とてもではないが武器には見えぬ、そう彼の顔には書いてある。

 

「そう。まあ、とりあえず持ってみてよ」

 

 不審そうな目を向けてくる秋雅に対し、ヴェルナは持っていたそれのうち片方を秋雅に対し放り投げる。実に軽い様子で投げられたそれを、秋雅は反射的に受け取るが、

 

「――うおっと?」

 

 秋雅の身体が、受け取った右手を中心にして前に傾く。思わず一歩二歩と前に足を踏み出してしまうが、秋雅はすぐに体勢を立て直す。その後、手に持っている金属の棒に対し、驚いたような目を向ける。

 

「どうなっているんだ? 見た目のわりにかなり重いぞ」

 

 体感で、十キロ近くはあるだろうか。普通であれば何ということのない重量だが、見た目がそれほど重そうに見えなかったのと、ヴェルナが何も言わずに放り投げたことからたいして重くないだろうと思ってしまった結果、先のように秋雅はたたらを踏んでしまったのである。

 

「そこはしょうがないんだよね。外部からの魔術無しじゃ、体積はともかく質量は変化させようがないもの」

「どういう意味だ?」

「答える前にさ、ちょっと長剣を握っているイメージでもしてくれない?」

「はあ?」

「お願い。あ、呪力をそれに込めながらイメージしてね。量はちょっとでいいから」

「……分かった」

 

 意味はいまいち分からないものの、ヴェルナの言うとおり、秋雅は手に長剣を握るイメージを頭の中に浮かべる。

 

 すると、

 

「――成る程、そういうことか」

 

 ようやく納得がいったと、秋雅は数度頷いた。その手の中には、先ほどまで握っていた金属の棒はなく、代わりに同色の長剣が一本握られている。入れ替わった、というわけではない。先ほどの金属の棒が、秋雅のその姿を長剣へと変化させたのであった。

 

「そういうこと。これが私作の魔剣、可変武器(Variable Weapon)の試作第一号。通称――まあ型番だね。名前はVW-01だよ」

「ほう……以前の内容とはまるで違う方向性だな。前は魔術を纏わせた武器と言っていた気がするが」

「やってみたんだけどね、炎を纏った魔剣とか。ただ、消費する呪力に対して威力が低すぎたから一旦止めたんだ。姉さんの手が空いたら相談してみるつもり」

「そういうことか」

「まあ、その代わりにいいアイデアが浮かんでね。そっちから色々やって、こうして形に出来たってわけ」

 

 自慢げなヴェルナの言葉を聞きながら、秋雅は頭の中のイメージを変え、手に持った長剣を変化させる。短剣、槍、盾、と思いつく武器の姿へと次々に変化させていくが、

 

「……む?」

 

 突如として、秋雅は不思議そうな表情を浮かべた。その視線は今手に持っている、先ほどから姿の変わらぬ盾へと注がれている。

 

 そのまま一秒ほど、小首を傾げていた秋雅であったが、すぐに得心がいったと言いたげな表情でまたも数度頷く。

 

「あ、気付いちゃった?」

「まだ試作段階、ということか。こいつ、どんな姿にでも変化するというわけじゃないんだな」

「そういうこと。別に所有者が思い浮かべた姿になるんじゃなくて、元々組み込まれている姿の一つになるってだけ。本当は思った通りに変化させたかったんだけどね、流石にそこまでは無理だった」

「どうりで、思った形と細部が違うわけだ……それで、いくつ組み込んだんだ?」

「短剣、長剣、槍にランス――って分かり難いか。見ての通り、普通の、先端が刃物になっている槍と、先端を尖らせた突撃用の馬上槍のことね。で、盾が大小二つ。それから、所謂バトルアックスにウォーハンマー。そしておまけみたいなもんだけど、篭手と鎖分銅の計十個」

 

 説明と同時に、ヴェルナは手に持ったVW-01を変化させて秋雅に示していく。その十の変化と説明を終えた所で、ヴェルナは自慢げな笑みを秋雅へと向ける。

 

「どうかな? 結構いい感じに仕上がったと思うんだけど」

「そのようだな」

 

 ふむふむ、と自分でも変化した姿を確認しながら、秋雅は手にした武器を振っていく。

 

「成る程、中々に悪くない。質問だが、具体的にはどういう風にして作ったんだ?」

「結構単純なんだけどね。同じ素材を使って十個武器を作って、それを一つに纏めたってだけ」

「ああ、それで重いのか」

「うん。これでも相当抑えたんだけど、強度なんかを考えるとこれが精一杯だった。まあ、密度がある分頑丈だから、そこは目を瞑って欲しいかな」

「ふむ……」

 

 頷いた後、秋雅が槍に変化させたVW-01を振り回す。演舞のようにぐるぐると身体を回しながら、それに追従するかのように一分ほど槍を振るう。

 

 そしてピタリと、槍を虚空に突き刺すように固定した後、秋雅は槍を長剣に変え、今度は剣と共に舞う。何処か、期待の篭ったような視線を向けてくるヴェルナを余所にくるりくるりと舞って、秋雅はようやく動きを止める。

 

「……細かいところでは言いたいところもあるが、全体としては間違いなく及第点ってところだな。良くやったぞ、ヴェルナ」

「ありがとう……で、お願いがあるんだけど?」

 

 そう言って、ヴェルナは先ほどから向けていた期待の混じった視線で、秋雅の顔をじっと見つめる。その視線としばし向き合った後、やれやれと秋雅は肩をすくめる。

 

「相変わらず、戦いたがりだな」

「楽しいからね。特に、秋雅との戦いは」

 

 ニヤリ、とヴェルナはその顔に笑みを浮かべる。近接戦闘を得意とし、それを行う事を好むヴェルナが良く浮かべる笑みだ。こうなると、一度やりあうまで止まらないという事を、秋雅は良く知っている。

 

「……まあ、お前が好きならしょうがないよな」

 

 呆れたような、しかし何処かヴェルナのそれにも似た笑みを浮かべて、秋雅は手に持った長剣を大きく振るう。

 

「――胸を貸してやる」

 

 その秋雅の返答に、ヴェルナは口角を大きく上げる。

 

「壮大に、借りさせてもらうよ」

 

 喜色に満ちた笑みを浮かべ、ヴェルナは秋雅と同じ長剣を構える。その数秒後、僅かな会話を挟んで、ヴェルナは大きく地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

「――ハアッ!!」

 

 まるで風の如く、ヴェルナは速く駆ける。前傾姿勢、右半身を前に傾けるようにして、ヴェルナは低い体勢で地を蹴る。右手に持った剣を左半身に隠すようにして構えていることから、横薙ぎに秋雅の胴を切り裂こうという考えなのだろう。

 

 対し、秋雅は持った剣を構えもしていない。右手の剣をだらりと下げたまま、グッと足に力を入れる。

 

 回避が目的だ、とヴェルナは高速化した思考の中で判断した。一秒にも満たない時間であるが、戦闘による緊張と集中が、彼女の感じる世界を極めて遅くしている。

 

 そんな世界の中、彼女は秋雅がとろうとしている選択について思考する。まず、前提として、この時点で秋雅が取るであろう選択肢は三つだった。すなわち、防御か、回避か、あるいは反撃か、だ。その内で、どうやら秋雅は回避を選択したらしい。少なくとも、彼女の突撃に対し向かってくるような風ではない。

 

 次に考えなければならないのは、秋雅がどう回避するつもりなのかということだ。左右か、あるいは後方か。一体どの向きに向かって跳ぶつもりであるのか。

 

 まず後方はない。そうヴェルナは考える。何故なら、この状況で少しばかり後退した所で、同じだけヴェルナが距離を詰めてしまえば何の意味も無いからだ。結局、問題の先延ばしでしかない。タイミングを見誤ってヴェルナが剣を振ってしまった場合は別だが、ヴェルナにその気はない。そのことは秋雅も熟知しているはずなので後退はないと踏めた。

 

 では、右と左、どちらに向かって跳ぶのか。右であればヴェルナの剣の振り始めに、左であれば振り終わりにと、どちらかで攻撃を受ける可能性がある。とはいえ、やはり避けるとすれば左、つまりはヴェルナから見て右であろう。ヴェルナの体勢的にそちらの方が攻撃を受ける可能性は低いからだ。

 

 そこまでヴェルナが考えたところで、秋雅が何処へ向かおうとしているのか、その体勢から察せる段階まで時間が進んでいた。そこで、ヴェルナが見た秋雅の意図はと言うと、

 

「――後ろ!?」

 

 思わず、ヴェルナが叫ぶ。秋雅の選択があまりにもありえないものであったからだ。まさか、一番ありえないはずであった後退を選ぶとは。そんな馬鹿なと、ヴェルナは不可思議を覚える。

 

「シッ――!」

 

 だとしても、それならばそれに合わせた対応を取るのみ。降り始めようと思っていた右手に停止を命じ、ヴェルナはさらに前に駆ける。

 

 ヴェルナにとっては幸運なことに、ヴェルナの速度と秋雅の落下、二つを加味して計算すると、秋雅が着地するよりも、ヴェルナがその予定地点に剣を届かせる方が早い。このままいけば、秋雅が次の行動に移るよりも早く、秋雅の胴を薙ぐ事が出来るであろう。

 

 これが秋雅の選択だったのか? そう不思議に思いつつも、ヴェルナが剣を振るい始めた。

 

 

 

 

 

 その瞬間だった。

 

「――なあっ?!」

 

 思わず、素っ頓狂な声をヴェルナは上げる。何故ならば、今まさに着地しようとしていた秋雅の身体が、むしろヴェルナを飛び越さんというほどに、今度は前方へと身を躍らせていたからだ。

 

 それを成したのは、一本の槍だ。長剣から槍に姿を変えたVW-01の、先端近くを手に持って、反対の石突で地面を強く押すことによって、秋雅は落ちかかっていたその身を前へと躍らせたのだ。

 

 槍を地面で滑らせることなく、身体を腕一本の力で何メートルも飛ばす。とんでもない膂力とバランス感覚を必要とするが、前者は身体強化の魔術があれば出来なくはないし、後者にしても秋雅であれば十分に可能な芸当であろう。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に、振り出していた剣の当て先を槍の柄へと向かわせる。どうせ当たった所でたいした意味などないだろうが、どちらにせよこの状況では、この剣はヴェルナにとって隙を見せるものでしかない。途中で振りを止める負担がある以上、いっそ振りぬく必要があるのだ。だったら、せめてもの抵抗として秋雅のバランスを崩す可能性にかける。

 

 そう判断し、ヴェルナは剣の刃で秋雅の持つ槍の柄を叩く。力強く叩きつけられたそれは甲高い金属音を響かせ、槍はバランスを崩す。

 

「――っと」

 

 しかし、ヴェルナは背後で秋雅が難無くと着地をした気配を感じた。予想通りではあったが、やはり悪あがき程度の行動でしかなかったらしい。

 

 

 背後で、秋雅が振り向いた気配を感じる。直接見ているわけではないが、何となくヴェルナには 秋雅が彼女の次の行動に対処する為に今度は油断なく構えていると察せた。

 

 

 そのまましばし、どちらとも動かなかった。ヴェルナは秋雅に背を向けたまま、秋雅はヴェルナの背を見つめながら、どちらも次の行動に出ることはない。

 

 

 

 数秒、あるいは数分の沈黙の後、動いたのはヴェルナであった。

 

「……ふっ」

 

 ヴェルナの口角が上がる。

 

「ふふっ……」

 

 肩が振るえ、身体が小刻みに動き出す。

 

「――あっはははは!!」

 

 顔を上げ、ヴェルナは笑い出した。何処までも快活に、楽しくてたまらないという風にヴェルナは笑う。

 

 

 そうだ、これこそが! 

 

 そんな思いがヴェルナの胸を満たす。今しがた手にしたばかりの武器であるにもかかわらず、しかし製作者であるヴェルナが咄嗟には思い至れない方法でそれを用い、状況から逃れる。

 

 他に確実な方法もあった。少なくとも、今秋雅が打った手はリスクの大きな策だった。それにもかかわらず秋雅はそれを思いつき、そして完璧に行ってみせた。こんなこと、自分の技量に自信が無ければ出来ない。度胸がなければ出来ない。

 

 

 

 これが、稲穂秋雅なのだ。平凡な一手を打つかと思えば奇策を取り、奇策を打つかと思えばまるで陳腐な手で状況を打破する。

 

 読めきれるようで読めきれない。読んだつもりでもさらに上回ってくる。

 

 

「――だからこそ」

 

 だから、ヴェルナは秋雅との戦いを望んだ……いや、望み続けてきた。秋雅が前に訪れてから、今再び訪れたこの時まで。

 

「スクラでもなく」

 

 自身と同等の実力を持つ片割れでもなく、

 

「姉さんでもない」

 

 自分よりも圧倒的に強い姉でもない。

 

「――私は、秋雅と戦いたかった!」

 

 ただ、彼との戦いを待ち望んでいた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り向きざまに叫んだヴェルナに対し、秋雅は軽い笑みを浮かべ、そして手にした槍を構える。その笑みはまるで、仕方の無い奴だと言っているように、ヴェルナには感じられる。

 

 その笑みだ、とヴェルナは思った。その、自分を受け入れ、自分がしてほしいことをやってくれる、その笑み。それが一番好きなのだと、ヴェルナは本心から感じる。

 

 楽しい、と心の底からヴェルナは思う。まだ始まったばかりではあるが、やはり、秋雅との戦いは楽しい、と。

 

 

 

 

 その思いを感じながら、ヴェルナは手にしている長剣の姿を変える。次なる姿は、大盾。全身を隠すほどに大きな両手盾だ。

 

 あからさまなまでの防御の姿勢。同時、明らかに攻撃を誘っていると、対峙すれば誰しもがそのことに気付くだろう。

 

 だが、それでいいのだ。既に一手、ヴェルナは攻撃をした。であれば、次に攻撃をするべきなのは秋雅の方だろう、と。

 

 勿論、そんな決まりきった試合をやっているわけではないし、何よりヴェルナとの戦いにおいて秋雅の方から積極的に攻めるということ自体あまりない。が、これほどまでに示して見せれば、秋雅もヴェルナの思惑を感じ取るだろう。

 

 

 もっと、より濃い戦いをしたい。そんな、ヴェルナの思惑を。

 

 

 興奮からか、自身の頬が赤く、熱を帯びているのをヴェルナは感じ取る。同時、そう感じた瞬間、彼女はこうも思った。

 

 

 本当にこれは、戦闘の熱だけなのか、と?

 

 

 違う、とすぐにヴェルナは判断した。確かに、戦闘による熱もあるが、それとは別に、頬が熱を持っている理由があった。

 

 

 それは、先の攻防での、彼の行動だ。あの時、秋雅の回避において、彼は初見であるVW-01を、その要とした。それは、ヴェルナの製作物(VW-01)を、完全に信用していなければできないことだ。

 

 秋雅にその気はないかもしれない。だが、少なくともヴェルナにはそう感じられた。そこが、彼女にとっては重要なのだ。

 

 そう感じさせてくれる(・・・・・・・・・・)ということ。それが、秋雅の魅力なのだ。無意識に、あるいは意識的に、彼はヴェルナに示したのだ――お前の事を信じている、と。

 

 全てはヴェルナの勘違いなのかもしれない。何もかも、ヴェルナの考えすぎであり、思い違いなのかもしれない。だけれども、だからこそ、ヴェルナは思う。秋雅は、ヴェルナのことを信用し、その製作物に命を預けてくれた。そんな風に思う。

 

 そう思ったからこそ、そう思えたからこそ、ヴェルナには分かる。

 

 

 

 ――だからこそ、ヴェルナ・ノルニルは秋雅の事を好きなのだ、と。

 

 

 

「……はは」

 

 先ほどまでと似て、しかし僅かに異なる笑みがヴェルナの口角を上げる。内に感じてしまった熱さと、気恥ずかしさから、このまま暴れまわりたいという感情が強くなる。

 

「だけど、それじゃ駄目だ」

 

 しかし、その感情を押さえ込み、ヴェルナはその欲求を秋雅との一戦に向ける。この熱の全てを、秋雅に叩き込む。そのぐらいしなければ、秋雅には勝てない。そう、ヴェルナは感じた。

 

 

「…………さあ」

 

 

 ――来い、とは口には出さず、ヴェルナはただ目の前の秋雅を睨みつける。次の秋雅の一手、その全てを見落とさぬ。そんな想いを、その視線は雄弁に物語っていた。

 

 









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策と決着






 さて、どうしたものか、と対峙するヴェルナを見つめながら、秋雅はそんな風に思う。

 

 

 目の前のヴェルナは大盾を構えており、明らかに攻撃を誘っているという姿勢だ。盾を構えるという防御的な体勢であるにもかかわらず、その実攻撃を仕掛ければまず間違いなく、手痛い反撃を食らうことは目に見えている。

 

 となれば、何かしらの策を考えた上で突っ込む他ないのだが、その策が問題だ。生半可な策では、ヴェルナはそれを上回った対応をしてくるだろう。

 

 

 

 今しがたの策が彼女に通じたのも、所詮は初見であったからに過ぎない。元は彼女が作った武器を利用した策だ。次からは彼女もそれを念頭に置いてくる事など秋雅にとっては分かりきったことであった。

 

 であれば、こんな序盤に使わずに後から使った方がいいのかもしれないと、秋雅も若干思わないでもなかったが、しかし最終的に、早めにVW-01の変化の程を確認しておいたほうがいいと思ったが故に、ああいう外連の多い回避をしたのであった。

 

 なお、ここでいう確認とは、あくまで秋雅がそれをきちんと操れるかということであって、それが本当に動作するかということではない。そんなこと(・・・・)は、調べる前から分かっていたというか、そもそもそれを疑おうという意思自体秋雅になかったりする。彼は、ヴェルナが――正確には、彼女らと言ったほうが正しいか――作ったものの存在理由自体を懐疑することはあっても、その完成度を疑うことなど、はっきりと言って欠片もない。それが、彼なりの信頼の証のような物であり、同時に無意識の信用の表れであった。

 

 

 まあ、それはともかくとして、今重要なのは、ヴェルナと秋雅の力量の差異であり、その上でどうやって秋雅が彼女に勝つかということである。

 

 

 

 まず、重要な前提として、己とヴェルナでは彼女の方が近接戦闘の腕は上だ、と秋雅は認識している。単純な技量、才能もさることながら、とある一点において、秋雅とヴェルナの間には絶対的な差異がある。それはひとえに、高速戦闘における思考速度である。

 

 

 

 そもそも、達人同士の戦闘というものは、往々にして高速の世界で行われるものだ。一々目では認識していられない速度で剣を振るい、避け、そして相手を討つ。当然だが、ともすれば高速どころか、神速にすら至ろうかという世界において、思考が間に合うはずもない。

 

 そのような世界において、一々考えて剣を振るうことはない。ある種、達人であればあるほどに、考えていないとも言えるかもしれない。全ては、事前の予測からくる選択と経験に裏打ちされた勘、そして磨き上げられた反射神経によるものだと言えよう。

 

 しかし、ヴェルナは違う。体質か、あるいはこれこそ才能というものなのか。彼女はその高速化した世界においても、一から十まで考えて動く(・・・・・)ことが出来る。思考が世界の速度に間に合い、そして身体が思考に間に合って動けるのだ。

 

 これがアドバンテージでなくて何だというのか。相手の行動を観察しつつ、それに最適な行動を取る事が出来る。より適切な返し、路線変更を行うことが出来るのだ。非常に強力であると、そう言わざるを得ないだろう。

 

 

 

 

 しかし、であるのならば、どうしてこれまでの模擬戦において、悉く秋雅が勝利を収めることが出来たのか。

 

 そこで重要となってきたのが、経験値の差である。この場合、単純な戦闘回数という意味での経験値だけでなく、その質や、種類という意味での『経験値』の差だ。

 

 いかに思考が間に合おうとも、それで優位性を発揮できるのは相手の行動の意味を、完全に把握しきれた時のみだ。相手が、こういう意図で身体を動かしているのだから、ではそれに対処する為にこう動こう。そう考える事が出来て初めて、その逸脱した思考速度は相手に勝る武器となりえる。

 

 しかし、実の所、ヴェルナの戦闘経験は非常に少ない。あるいは薄いと言ってもいいかもしれない。彼女が本格的な戦闘を行ったのは以前の英国での一件の時のみであり、その後も模擬戦こそは行ってきたが相手は自分の姉妹か、あるいは時折訪れる秋雅のみ。結局の所、彼女は経験から来る見抜きとでもいう能力が、未だ決定的までに不足している。

 

 対し、秋雅の方はどうか? 普段の鍛錬や模擬戦を初めとして、依頼から来る対魔術師戦の数々。そして何より、まつろわぬ神や神獣、カンピオーネといった常識外の存在との戦いを重ねてきている。こと、戦いの数と、その経験の異質さ、異様さは他の追随を許さぬというほどだ。戦いの経験値という一点に限れば、ヴェルナが秋雅に勝てる道理など全くないと言っていいだろう。

 

 その、そういった方面での経験値の差というものが、策の引き出しを秋雅に与え、その中から秋雅は適切な策を選択させる。逆に、ヴェルナはそういった策のストックがない故に、秋雅の行動に対し最適解というものを、しばしば見つける事が出来ない。

 

 

 そういうわけで、秋雅はこれまでヴェルナに対し、どうにかこうにか全勝を誇ってきたのだが、しかし今回はどうだろうか。ヴェルナの持つ大盾を見ながら、秋雅は具体的な策を考える。しばし、途中何故か彼女の頬が上気しているのを怪訝に思いながら、秋雅はこれからどう動くのかを考える。

 

 

「……よし」

 

 小さく、口の中でのみ秋雅は呟く。一応、大まかな流れは決めた。あまりかっちりと決めすぎれば不測の事態には対応できないので、あえて、今から行う攻撃に関しては遊びの部分も多い。何かあればそこは、反射神経と勘で対応するのみだ。

 

 

 

「では、行くぞ」

 

 そう言って、秋雅が手に持ったのは、身の丈を超えるほどの大きさを持つバトルハンマーだ。それを両手で、横手に秋雅は構える。いかに成人男性とはいえ楽々とは扱えないように思えるそれだが、身体強化の魔術により秋雅は難なく扱う事が出来る。権能は当然として魔術も基本的に扱わないというのがこの模擬戦の前提なのだが、この身体強化の魔術は別で、秋雅のみではなくヴェルナも当然のように使っている。魔術師の格闘戦において、この魔術を使わないということ事態がまず存在しないが故の、常識としての使用である。

 

 

 

 数秒、二人は互いに大きな得物を手に、睨みあう。

 

 大盾に対する、大鎚。あからさまな防御に対する、あからさまな攻撃。挑発的な誘いに、挑発的な乗り。

 

 どちらもが、互いに、相手の持つ武器をブラフだと感じながら、自分の武器を構えている。

 

 そして、秋雅が動いた。

 

「――フッ!」

 

 鋭く呼気を吐き、秋雅は駆け出す。構えたハンマーをやや後ろに引き、激突させようとする意思を示す。

 

 対し、ヴェルナの行動は、これもまた突撃であった。手に持った大盾を何か、おそらくは篭手に変化させながら、秋雅に対し向かってくる。やはりというべきか、ヴェルナの目的は防御ではなく、攻撃だった。これ以上ないほどに、見え見えのブラフだ。

 

 だから、秋雅もまた予定通り、ハンマーが姿を変えるように念じた後、一度手を離し、手を逆向きにしてまた握り直す。一瞬の空中浮遊の後、秋雅の武器は槍へと姿を変えていた。やや距離のある現状において、ヴェルナの間合いの外から先んじて攻撃をする為の選択である。

 

 そのまま、秋雅は槍を突き出す。狙いは胸元、身体の中心という最も避け難い部分を躊躇なく狙う。手加減など考えていて勝てる相手ではないし、そもそもヴェルナの方は全く手加減など考えず殺す気で向かってくるのだから、秋雅もまたそのつもりで行かないとかすり傷ではすまない。不死系の権能こそ所持しているが、しかしそれを積極的に使いたいわけではない。

 

 

 そして、これに対するヴぇルナの反応は、右手の、篭手でもって秋雅の槍を外に、彼女から見て右側に弾くというものだった。それにより、秋雅の槍はヴェルナの身体から逸れ、同時に秋雅の急所を彼女にさらす形になる。

 

 が、それを秋雅が予想していないわけがない。槍を弾かれたと同時、秋雅は槍を小楯へと変化させ、そのまま強引に左手を胸元まで持っていく。

 

 

 数泊の後、激突音が部屋に響き渡る。同種の金属同士の激突による、甲高い金属音だ。

 

 

「ハッ!」

 

 激突による、盾から腕へと伝わるビリビリとした衝撃を感じつつ、秋雅は右足による蹴りをヴェルナへと叩き込む。傍から見れば彼女の拳とほぼ同時に放たれたようにすら見える蹴りを受け、ヴェルナの身体が大きく後方に跳ぶ。

 

 が、それは衝撃を逃がす為、ヴェルナがわざとやったことだ。蹴り自体も、篭手に守られた彼女の左手に防がれている。ギリギリまで思考できるが故の反応速度と対応力かと思いつつ、秋雅は更なる追撃の為に駆け出す。

 

 

 次に秋雅が選んだのは、またもや大降りの武器であるバトルアックスだ。やはり身の丈を超えるほどの大戦斧を、今度は正真正銘振りぬくつもりで秋雅は振るう。

 

 対し、ヴェルナはというと、着地の為に曲げていた足と、沈んだ身体をそのままに、低い姿勢で前方に向かって駆ける。狙いは秋雅の振るう戦斧の軌道、その下をくぐり秋雅の背後を取ることだろう。

 

 そしてその予想通り、秋雅の振るうバトルアックスを潜り抜けるように、ヴェルナは秋雅の右手を、地面に倒れこみそうなほど前傾した体勢で駆け抜けようとしている。

 

 

 ならばと、秋雅は自身の両手が正面に届いた程度のタイミングで、バトルハンマーを短剣へと変え、彼女が自分の右側を通り抜けるタイミングでその背を刺そうと、強引に腕の軌道を変え振り下ろそうとする。

 

 

 しかし、秋雅のその動きは、まだヴェルナの視界に入っていた。故にか、あるいは元々そのつもりだったのか、ヴェルナは駆け抜けながら篭手を小楯に変えて、左手につけたそれを背に回す。すり抜ける際に攻撃よりも防御を取ったのは、相打ちになる事を避けたかったからだろう。

 

 当然、その動きは秋雅の目にも見えている。生憎とヴェルナと違い秋雅はここから更なる思考など出来ないが、反射神経はそれなりに優れている。その秋雅の反射神経が、短剣を握り締めていた右手を緩めさせた。このまま盾に刃を突きたててしまい、衝撃で隙が生まれてしまう事を避けるためだ。武器を手放すことにはなってしまうが、地面に完全に落ちきる前に足で蹴って拾い上げればいい。無論、短い時間の中でそこまで完全に考えたわけもなく、大体そういう流れが秋雅の頭の中に浮かびかけていた、というだけだ。

 

 

『なっ……!?』

 

 だから、ここからの流れは完全に予想の範囲外であった。

 

 まず、ヴェルナが秋雅の脇を通り抜けるタイミングで、左手を跳ね上げた。おそらくは秋雅が振り下ろした短剣に自分から打撃することで、秋雅の手にダメージと、あわよくば武器を手放させるつもりだったのだろう。

 

 しかし、その跳ね上げによって、秋雅の短剣が大きく空中に舞った。秋雅は短剣が跳ね上がったことに驚いたし、ヴェルナもまた手ごたえの軽さに同じく驚きの表情を浮かべる。いくら思考が早かろうとも、見えなければその場その場の対応はできないという見本だろうか。

 

「――チッ!」

 

 驚きつつも秋雅は目の前で舞う短剣を掴み取る。意識して掴んだわけではなく、ほぼ反射的な行動だ。結果としてはヴェルナが秋雅の行動を手助けしてしまったということになる。

 

 

 続いてのヴェルナと秋雅の対応だったが、奇しくも二人とも同じ行動をとることになった。秋雅はその場で、ヴェルナは彼の数メートルほど後方で、それぞれに身体を回転させ、偶然にも両者とも長剣を手にしながら、相手と向き合って前方に駆け出す。

 

「フッ――!!」

「シッ――!!」

 

 互いに鋭く呼気を吐き出しながら、長剣を振るう。瞬く間に十以上の斬撃を交わし合い、二人は相手の攻撃を捌き、自分の攻撃を通すことのみに集中していく。これまでの相手の虚をつくような戦いとは打って変って、真っ当な剣士同士の戦いとなっていく。

 

 火花が散り、残像が見えるほどの高速戦闘を二人は行う。アニメや漫画であればここで互いに多少の会話を交わすシーンなのかもしれないが、とてもその余裕はない。そもそも、同格以上の相手との高速近接戦闘において、一々会話を交わすなど愚かな行動だ。会話というのは存外エネルギーを使う行為であるし、喋ればそれだけ意識がそちらに向き、隙が生まれやすくなる。たとえ一単語であっても、口に出せば呼吸が乱れる。普段であれば気にする必要も無いような僅かな乱れだが、今この時においては致命的な乱れだ。だから二人とも、呼吸音以外を発することなく、それこそ相手を殺す気で剣を振るっていく。

 

 秋雅は斬撃を、ヴェルナは刺突を主として、二人は剣を交し合う。数分は続いたであろう剣劇だったが、その均衡は突如崩れた。

 

「なっ――!?」

 

 突如生まれた、大きな隙。それに対し秋雅はにやりと笑い、ヴェルナは顔を歪ませる。

 

 

 だが、ここで隙を作ったのは、顔をゆがめたヴェルナではない。笑みを浮かべた秋雅の方だ。それも、剣を弾かれたなどという防御面での隙ではなく、突然大降りで対処しやすい攻撃を放つという、攻撃面での隙だ。ヴェルナの腕前であれば、その剣が自分に当たるよりも先に秋雅を斬る事が出来るだろうというのは想像に難くない。

 

 だからこそ、ヴェルナは苦悩しているだろう。

 

 確かな隙だが、しかし秋雅がこの様な隙を作るだろうか。笑みから察するに意図的である可能性が高い。この一撃で決める自信があるのか、あるいは誘っているのか。どちらなのか。

 

 そんな思考を、ヴェルナは行っているだろう。伸るか反るか、どちらの判断をすべきなのかとヴェルナはその卓越した思考速度で考えに考えている。そして、それこそが秋雅の狙いだ。

 

 ヴェルナの思考速度はアドバンテージではある。己の行動の全てを反射ではなく意識して行えるというのは、相手にとって確かな脅威となりえるだろう。だが、裏を返せば、全ての行動を考えてやらなければならないということである。

 

 例えば、今しがたまでの剣戟において、秋雅の防御的な対応のほとんどは思考によるものではなく、条件反射によるものだ。対して、ヴェルナの行動は全て考えて行われており、無意識に行ったものは何一つとしてない。知恵熱、ではないが、思考を行いすぎるというのもそれはそれで負担がかかるものだ。普通の人が無意識にやっているような行動まで一々考えていれば、それだけ考えるのに疲れてしまう。そして、考えるのに疲れるということは、時として間違った判断を招きやすいということだ。

 

 今回、秋雅はそれを狙って戦闘を進めてきていた。いきなり真っ当な剣劇を始めたのも、密度の濃い格闘を行えばそれだけヴェルナに負担を強いることになるからだ。そして、そろそろいいだろうというタイミングで、この揺らし(・・・)を入れてきたのである。

 

 

 

 そして、

 

「――くっ!」

 

 最終的に、ヴェルナは秋雅の攻撃を受け止める方を選んだ。(・・・・・・・・・・・・・・・・ )隙を突くのではなく、これを脅威と判断してしまった。(・・・・・・・・ )

 

 だが、それこそが秋雅の狙い通りの狙いであった。

 

「――ハアッ!!」

 

 秋雅のものと比べれば小さいが、無理に秋雅の攻撃を受け止めたことにより生まれたヴェルナの隙。それを秋雅が見逃すわけもなく、左手の掌底をヴェルナの腹部に思いきり叩き込んだ。やや入りは浅かったものの、その一撃は確かにヴェルナの身体の芯を捕らえる。

 

「ぐ、うぅっ!?」

 

 その一撃を受けて、ヴェルナは二、三歩と後ずさり、呻く。油断せず、更なる追撃を行おうとした秋雅であったが、それよりも前にヴェルナは大きく後方に跳び、距離をとる。

 

「……流石、秋雅だね。惑わされちゃった」

「考えすぎなんだよ、お前は」

「ははっ、みたいだね」

 

 ふう、とヴェルナは大きく息を吐く。そして、ふと自分の髪をまとめていた紐を外し、その長い髪を解放させる。それは、戦闘が過熱して、背に当たる髪の感触を不快に思った彼女が時折やる行動だ。往々にして、この時にヴェルナは冷静さを欠いている時が多い。気になるのであれば最初から解いておけばいいと秋雅は思うのだが、当人の好きにさせることかと、特に思いを口に出したことはない。

 

 軽く髪を流すようにして頭を振り、ヴェルナは手に持った長剣を正眼に構えた。

 

「最後まで、付き合ってもらうよ」

「なら、これで決めよう」

 

 そう言って、秋雅もまた剣を構える。ただし、ヴェルナと違い秋雅は上段の構えを選んでいる。

 

 

 数秒の沈黙。そして、二人は突如駆け出した。走り、必殺の距離の手前という距離でヴェルナは剣を振り上げ、次の一歩で剣を振り下ろそうとする。

 

 対して秋雅は、ヴェルナが剣を振り上げたのと同じ時点で、逆に剣を振り下ろし始めた。攻撃の開始としては、少々早すぎるタイミングに、ヴェルナの表情に疑問が浮かぶ。が、次の瞬間、何かに気付いたように目を大きく開く。

 

「ま――」

 

 まさか、とヴェルナが思わず口に出すよりも先に、秋雅は剣を変化させ、長槍の石突部分で地面を押した。その結果生まれるのは、棒高跳びのように空中へと身を躍らせる秋雅の姿だ。

 

 そう。ことこの時に至って、秋雅は一番初めに使ったものと同じ策を用いたのだ。ヴェルナがもう二度と使うことはないだろうと判断しつつも、一応頭の片隅に入れておき、そしてこれまでの戦闘ですっかり意識の外に出ていたその策を、再び秋雅は、この局面において用いたのだ。

 

 ぶわりと、秋雅の身体がヴェルナの頭上を通り過ぎる。完全に剣を振るう気であったヴェルナの身体は、それに対し反応をする事が出来ない。

 

 

 長槍が地面に転がり、甲高い金属音を立てる。それを耳に入れながら、秋雅は背後からヴェルナの首を掴む。

 

「――取った」

 

 確かな勝利宣言。それに対し、ヴェルナは残念そうに、しかし何処か満足げに息を吐き出して、

 

「まいった」

 

 と、笑いながらそう言った。

 

 








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試作武器、専用武器、そして趣味武器






「満足したか?」

 

 戦いの後、座り込んだヴェルナの髪を括りなおしてやりながら、秋雅はそう問いかける。彼女の髪を秋雅が纏めているのは、彼女がそれを頼んだからだ。秋雅にしても、妹たちから何度となく似たような事を頼まれた経験があったので、特に抵抗も不慣れもなく、さくさくと彼女の髪を括ってやっている。

 

「うん、まあまあね。久しぶりに楽しかったー」

「そうかい」

 

 ヴェルナの満足そうな返事に、秋雅は軽く頷く。髪を纏めてやっている都合上その表情は見えないが、ヴェルナが当人の言うとおり、楽しげな表情を浮かべていることは秋雅にも分かった。

 

「ほら、纏めたぞ」

 

 そう言って立ち上がり、秋雅はポンポンと軽くヴェルナの頭を叩く。よく彼が妹たちにやる癖なのだが、それをヴェルナは拒む素振りもなく受け入れた。

 

「ありがとう。久しぶりに他人にやってもらったけど、やっぱりちょっとくすぐったいね」

「そりゃそうだろうよ」

 

 うーん、とヴェルナは立ち上がって背を伸ばす。そのまま右左と身体を伸ばした後、

 

「さ、て。そろそろ感想なんかを聞いちゃおうかな?」

 

 そう言って、ヴェルナは秋雅に向き直る。元々ヴェルナの方が秋雅よりも背が低いのと、やや上体を前に倒す体勢になっていたことから、ヴェルナは秋雅の顔を下から仰ぎ見るようにして覗き込む。その表情は、まるで親に自慢をしたい子供のようでもあると、そんな感想を秋雅は抱く。

 

「そうだな……まあ、中々悪くない仕上がりだが、もう少し注文をつけたいって所か」

 

 少し考えた後、秋雅はヴェルナの作ったVW-01をそう評価した。地面に置いていたそれを拾い上げ、長剣の状態にして軽く振りながら、秋雅は感想を続ける。

 

「一つの武器が自在に変形可能ってのは確かにいい。武器を持ち返る隙なく、自在に間合いや攻撃手段を変えられるってのは、俺みたいな半端者にはちょうどいい」

 

 とは言うものの、実際の所、この武器を扱えるのはそれ相応の実力を持っていなければ無理だろう。複合兵装、万能武器というものは往々にして扱いが難しい物であり、本当の意味での半端物が使いこなせるような物ではない。形状の選択や判断等、普通の武器を使うよりも圧倒的に難しいというのは自明だ。そういう意味では、難なく使いこなして見せた秋雅やヴェルナは、この手の武器に対する才能があると言っていいのだろう。

 

「そういうコンセプトだからね。満遍なく修めているけれど一つを極めていないって人にこそ効果的な武器、ってことになるのかな」

「量産性はどうだ?」

「まあまあってところかな? 流石にこのまま量産ってのは無理だけど、ある程度スペックダウンさせた物を量産するのは無理じゃないと思う」

 

 量産可能、それは秋雅がヴェルナたちに課しているもう一つの研究課題だ。より正確に言うのならば、魔術師であれば誰でも扱え、全体戦力の底上げを用意とする武具の開発、といったところだろうか。

 

「どの程度までいける?」

「量産前提となれば三つか四つも変えられれば十分でしょ。素材のランクも下げないといけないから反応速度と強度も下げることになるけど、そこは仕方がないということで。このままフルスペックで作るとしたら、結社のトップ周辺ってのが精々になるんじゃないかな。材料的にも、金銭的にもさ」

「そんなところだろうな」

「まあ、これを使ったところで神獣に勝てるかって言われると、そういうわけじゃないんだけどね」

「別にいいさ。確かに最終的な目的はそこにあるけど、これはこれで十分に強いからな」

 

 ヴェルナも言ったが、そもそもとして秋雅が彼女らにこういった武器を開発させているのは、最終的にはカンピオーネの力を借りることなく、魔術師達のみで神獣を討伐できるようにしたいからだ。

 

 ピンキリはあるものの、神獣というものは強力な存在だと言える。まつろわぬ神には劣るとはいえ、一般の魔術師程度ではどう足掻いても太刀打ちできない。一部、人の限界を超えているようなものたちだけが、辛うじて対抗できるかといった程度でしかないのだ。

 

 だが、しかし。いかに強力とはいえど、まつろわぬ神には劣る上、一部の人間であれば太刀打ちは出来るのだ。であれば、その一部の人間に強力な武具を与えれば、より戦いを有利に運ぶ事が出来るようになるかもしれないし、一般の魔術師でも数を揃えれば神獣を討伐できるようになるかもしれない。

 

 そもそも、まつろわぬ神はともかくとして、神獣にまでカンピオーネに任せるとなると、周辺への被害が正直割に合わないと言っていい。例えるなら、怪獣にミサイルを叩き込むのは分かるが、猛獣にミサイルを撃つのはデメリットの方が大きい、といったところだろうか。せめて神獣だけでも魔術師達に任せる事が出来れば各所の負担も大きく減るはずというのが、秋雅がこれまでの経験から得た考えであった。

 

 勿論、これには様々な問題が付きまとっている。しかし、その上で秋雅は、自分を慕う彼女らに、これを課大として研究を行わせている。その必要があると、彼自身が判断したからであった。

 

「まあそれでも、このVW-01なら神獣にも有効打を与えられると自負しているけどね。勿論、最低でも私達レベルの達人が振るうって前提だけど」

「それで十分だ。全体の底上げを望んでいるとはいえ、一部でも対抗できるレベルになるのであれば上々だよ」

「うん、ありがとう。じゃあ耳心地の良い感想はここまでとして、今度は改善点でも聞こうかな?」

「そう言われてもな。コスト面を除けば性能には不満はないし、第一、俺らの目的からして、まずは量産してもらわないとどうとも言えないぞ」

「じゃなくて、さ。普通に秋雅がVW-01を使うにあたっての不満だよ」

「俺の?」

「そりゃ、これは量産のための試作品だけどさ。一応は秋雅のための武器として作った面もないわけじゃないんだよね。これがまつろわぬ神に通じるかはともかくとしても、秋雅ってどんなものにしても手札になるなら貰うってタイプだし」

「まあ、それはな」

 

 役に立つ、立たないは別にして、手札が増えるに越したことはないというのが秋雅の主義だ。そのほうが選択肢は多くとれるし、何より器用貧乏よりの体質である彼にしてみれば、一つの事を執着して極めるよりも多数のことを習得する方が結果的には力となりやすいという一面がある。将来的には秋雅も一つぐらいは達人の域にまで達することも出来るだろうが、何分その時間がない。まだ、手を広げる方が稲穂秋雅にとっては効率的であった。当人も言っているが、だからこそヴェルナもVW-01という、秋雅の能力を引き出せる武器を作ったのであろう。

 

「そういうわけだから、不満点は言っちゃってよ。秋雅が帰るまでには、出来る限り改善して渡すからさ。秋雅専用武器、張り切って作っちゃうよ」

「そうか。ありがたい限りだ」

 

 言葉通りに元気の良い笑みを浮かべるヴェルナに、秋雅は心強いものだと思う。しかし、同時に彼の冷静な部分は、それが自分の力になりたいという想いからきているものだということを警告する。その想いに対し稲穂秋雅という男はどう答えるべきなのか、いよいよもって明確な答えを出さなければならないと、秋雅は改めて実感させられ、小さな声で呟く。

 

「……どうするべきなんだろうな」

「ん? 何が?」

「いや、何でもない」

 

 どちらにせよ、彼女、いや、彼女らの姉であり、自分の恋人であるウルと話をする必要があるだろうと結論付けて、秋雅はとりあえず目の前の事を片付けることに決めた。

 

「で、不満点、というか改善点か。まあ、とりあえずアックスとハンマーと大盾はいらん。どう考えても俺のスタイルに合わない」

「ああ、そりゃそうだね」

 

 基本、秋雅の戦闘スタイルは『我は留まらず』を前提とした高速戦闘であり、回避を重視したものだ。隙の大きい攻撃はあまり好まないし、足を止めての防御もまず行わない。受け流すならばともかく、下手に防御など選ぼうものならば確実にそれを受けた腕の方が吹っ飛ぶだろう。いかにカンピオーネが常人よりも頑丈と言っても、サルバトーレ・ドニの権能(『鋼の加護』)のようなものでもない限りまつろわぬ神の攻撃を受け止めるのは難しい。それだけあちらの攻撃力というものは過剰なのである。

 

 であるので、バトルアックスやウォーハンマーといった威力は大きいものの隙も大きい武器はいまいち相性が悪い。ハンマーにいたってはそれ以上の打撃力を誇る『雷鎚』があるのだから意味がないだろう。勝っているのはリーチのみで、それもどうとでもカバーできるものにすぎないのだから。盾にしてもまず使わなと言っていいい。小楯ならばまだ相手の刀剣を受け流す際に使えるだろうが、両手持ちの大盾などはっきりいって何の役にも立たないだろう。

 

「じゃあ、その三つは取り除いちゃおうかな。他は使う?」

「長剣と長槍はまず使う。小楯と短剣もまあまあ使うだろう。さっきは使わなかったけれど、篭手とランス、まあ鎖分銅も使う機会はありそうだ」

「七つか、ある意味ちょうどいいかもね。ラッキーセブンって言うし、代わりに大剣か大弓でも突っ込もうかと思っていたけど、いらない?」

「ふむ……」

 

 ヴェルナの提案に対し、数秒ほど思案の後、秋雅は頷く。

 

「大弓はともかくとして、大剣はまあアックスやハンマーよりは扱いやすそうだ。ちょっと俺には合わないかもしれないが、入れてしまうのも手だな」

「じゃあ入れちゃおうかな。考えてみれば待機状態もあるから、全体としては九つの姿に変えることになるし、そっちの方がいいかも。九ってのも結構いい数字だし。十の一歩手前の不完全さみたいな」

「まあ、分からんでもないが。とにかく、そういうことなら頼んでいいか?」

「はーいはい、じゃあその方向で。他にはある?」

「強いて言えば重量がな。短剣は重すぎ、抜くだろうがアックスは軽すぎだ」

「あー……」

 

 秋雅の不満点を聞いて、ヴェルナは、やはり、といったような困り顔を浮かべる。どうやら彼女も、その点に関しては理解していたらしい。

 

「そればっかりはねえ、材料が共通している以上何ともならないんだ。質量操作系の魔術を仕込むにはまだまだ足りない物が多すぎる」

「重い方はまだ良いんだがなあ、身体強化すればどうとでもなるから。だけど軽いのは武器の威力に直結するから困るぞ。特にハンマーやアックスみたいな、振り舞わす系統の武器はな」

 

 その手の武器は基本的に遠心力を使って振るうので、案外重すぎてもどうにかなることもあるが、軽すぎるとその遠心力がいまいち起きず、スピードも威力も大したものにならない。どうやらその当たりの調整は、まだまだ厳しいようである。

 

「これでまだ先端部分に質量が集中しているならともかく、そういうわけでもないしなあ」

「うーん、どうしても密度を部分的に変えるってのが出来なかったんだよ。だから全体として密度は一緒。その所為で短剣はみっちり詰まって硬いんだけど、長物は案外柔かったりするんだよね。いやまあ、それでも十分な強度なんだけど」

「どうにも、難しいな」

「量産型が二つ三つなのも、その重量問題が少なからず関係しているしねえ。使い手がそれ系の魔術を使えるならともかく、それを前提にするとなるとこれの存在理念に引っかかるし」

「どうしたもんだろうな」

 

 思案顔で、秋雅とヴェルナは唸り声を上げる。どうにかならないかと考える秋雅の目に、ヴェルナが持っているVW-01の存在が映る。ついで、何となく自身が持っている方を見て、ふっと彼の脳裏に一つのアイデアが浮かんできた。

 

「……ちょっと思いついたんだが、分割と結合って出来るか?」

「どういうこと?」

 

 つまり、と秋雅は持っているVW-01を待機状態である十センチ程度の棒に戻し、その中央辺りに手刀を軽く当てて言う。

 

「これの二つに分けて、その片方を基本単位とするんだ。その状態だけなら短剣を、二つで長剣、三つで長槍、四つで大剣、という風に出来ないか?」

「……あー、成る程。武器が大きくなるにつれて材料を付け足していくって風にするのか。その発想はなかったな。流石秋雅」

「そうでもないだろ。元のコンセプトからはちょっと外れるだろうが、俺専用ということなら構わないだろう?」

「使い手に応えるのが作り手だからね。秋雅がそうして欲しいっていうならそうするよ」

「それはありがたい……で、結局やれるのか?」

「そうだねえ……」

 

 虚空を見ながら、しばしヴェルナはああでもないこうでもないとぶつぶつ呟く。その状態を一、二分程度続けた後、

 

「……うん、出来るんじゃないかな」

 

 と、案外軽い調子で頷いた。

 

「元々呪力、というか持ち主の思考に反応するように感受性はかなり高くしてあるし、ちょちょっといじれば合体も出来そう」

「悪いが頼んでいいか? その方が扱いやすそうだ」

「オーケーだよ。お任せあれ」

 

 ぐっと、ヴェルナは胸を張って答える。その様に、秋雅はふっと笑みを浮かべる。

 

「頼もしい限りだな……さて、それじゃあそろそろ、費用関係の話をしようか」

「……それは、あんまりやりたくないなあ……」

「それも大事な話だから仕方ないだろう」

「分かっているよ。んじゃ、こっち来て」

 

 そう言って、ヴェルナは奥の小部屋を示す。それに頷いて、秋雅は彼女と一緒に歩き、小部屋の中に入る。

 

 

 小部屋の中は、一台のパソコンと大きな作業台らしき物、壁にかかった刀剣類に、所構わず置いてある金属類。奥には何やらシートをかけられた謎の物体なども置いてあり、中々に煩雑である。それが、普段ヴェルナが篭っている研究室の状況であった。

 

「はい、これが使った物の纏め」

 

 ごそごそと机の引き出しを漁った後、ヴェルナはとあるリストを秋雅に渡す。枠線を除き、ヴェルナの手書きであるそれには様々な物品の名前と使用量が書かれている。

 

 それを受け取り、秋雅は無言のまま読み進める。ヴェルナがやや苦笑いのようなものを浮かべながらそれを見つめている中、上下左右へと視線を動かす秋雅だったが、五分ほどの後軽くため息をつき、ヴェルナの方を見て口を開く。

 

「……とりあえず、今回は不問にしておいてやる」

「おお、それはありがたいね」

「が、今後は自重するように。何だ、このオリハルコンやらミスリルやらの使用量は。これ、ここにあった分のほとんど全てじゃないか」

「ははは……まあ、最高スペックにするにはそれだけ必要だったってことで……」

 

 胡乱げな目で見る秋雅に、全力で顔を背けるヴェルナ。その姿勢を一分ほど続けて、秋雅は呆れたように大きなため息をつく。

 

「……レポートはきっちり書いておけよ。後々必要になる」

「そ、それは大丈夫。そこはきっちりしているから」

「それと、使ったものの補充も手配しておく。やれやれ、また金が飛んでいくな」

 

 その金額は下手をすれば上流階級の家庭の年収ほどであるが、言うほど秋雅の口調に大変そうな様子はない。軽々と、とまではいかないものの、秋雅の貯蓄なら問題なく払える額だし、秋雅にしても溜まっていくばかりの貯金を世間に放逐できる機会なので、態度の割には望んでいることでもあるのだ。溜め込みっぱなしでは社会は回らない、ということぐらいは秋雅でも知っていることなのである。

 

「あ、そうそう。秋雅にもう一つ使って欲しいものがあったんだった」

「使って欲しい?」

 

 空気を変えるためか、本当に偶々思い出したのか。ヴェルナは奥にあるシートをかけられた物体の前に向かう。彼女の言葉にやや怪訝そうな表情を浮かべる秋雅の前で、ヴェルナはバッとシートを外す。

 

「じゃーん! 見よ、これが私とスクラで作った特別兵器の正体だ!」

 

 何かの影響だろうか、えらくハイテンションなヴェルナの言葉を聞き流しながら、秋雅はヴェルナが示した物体を見る。

 

「これは……」

 

 そこにあったのは、巨大な杭であった。鋭く、長い金属の杭の根元の部分が四角い金属で覆われており、その四隅には杭の半分ほどぐらいの長さがある、先端が鉤状になった金属の棒が取り付けられている。杭の根元の四角い金属には、それとはまた別の薄い金属で作られたカバーらしきものが接続されている。カバーの方はちょうど人の腕を通すぐらいの直径をしており、先端部分にグリップが取り付けられていることから、そこに腕を突っ込んで使用するのであろうということが見て取れる。

 

 そんな、何やらよく分からぬ物体であったが、秋雅はすぐにその正体に勘付いた。呆れたようにため息をついた後、ジトッとした視線を自慢げなヴェルナに向け、まるで地獄の底から発しているかのような低い声で、秋雅は彼女に問いかける。

 

「……ヴェルナ、これは、何だ?」

「ふふん。これこそが神獣の頑丈な体表をぶち抜く為に、偶々見た日本のロボットアニメから着想を得た最終兵器。その名もそのまま、パイルバンカー!」

 

 ヴェルナの楽しそうな態度に、秋雅はいよいよ頭が痛くなってきたという風にこめかみの辺りを手で押さえる。その表情には、明らかな呆れの色が浮かんでいる。

 

「……よくもまあ作ったもんだ」

 

 まあ、簡単に言えば杭打ち機である。杭、つまりはパイルを何かしらの力を用いて高速で射出し、対象を打ち抜くというもので、その手のロボットアニメなどでは時折出てくる、所謂ロマン武器と呼ばれるものだ。

 

「まあ、作ったものは仕方ないとしても、ヴェルナ」

「なに?」

「これ、どうやって使う気だ? 人間大にした所で、とても使えるものじゃないだろ」

 

 秋雅の言うとおり、単に小型化したものを作った所でとてもではないが役に立つものではないだろう。反動をどう抑えるかなどもあるが、特に重量の問題がネックとなってしまうのだ。単純な話、例えば金属板を打ち抜こうとするだけの威力で杭を放った場合、相手の重量が軽ければ、杭が相手に刺さらずにそのまま吹っ飛ばしてしまうだろうし、逆に反作用で自分が吹っ飛ぶ可能性もある。この手の兵装ががロボットアニメで活躍しているのも、あれをロボットというかなりの重量物が使用しているからに過ぎないのであって、人間が使ったところでまず役に立つとは思えない代物なのである。

 

「いやいや、そこはそれ。私達だって考えてあるって」

 

 しかし、そんな秋雅の疑念に対し、ヴェルナは気取ったように指を振る。その素振りに視線を鋭くしつつ、秋雅は無言のまま顎をしゃくって説明を要求する。

 

「最初に言った通り、これはあくまで神獣相手に使う事を前提としているんだ。神獣というのは基本大きいから、重量の問題は大丈夫。自分が吹っ飛ぶ可能性にしたって、このクローの部分に接着と固定の魔術をガッチガチに付加してあるから、これを使って固定した状態で放てばまず吹っ飛ばされないと思う」

「反作用はどうするんだ? この感じだと腕に取り付けるみたいだが、下手をすれば打った瞬間に肩が外れるぞ」

「そこはまあ、秋雅なら大丈夫かなって」

「……俺が使うのか」

「仕方ないじゃん。そりゃ最終的には一般の魔術師でも使える段階まで持って行きたいけどさ、反動軽減の魔術の研究とか、今はまだ無理なんだもん。秋雅なら大丈夫じゃないかなってレベルまで押し込めるのが限界だったんだよ」

「はあ……で、威力は?」

「鉄板どころか鉄塊だってぶち抜けるよ。そこは私達が保証する。実際の所がどうなるかは実戦で使ってもらわないと分かんないから、是非とも秋雅にはデータを取ってほしいところなんだけど」

 

 駄目だろうか、とヴェルナは上目遣いで秋雅の顔を見つめる。が、しかし。その表情に浮かんでいるのは間違いなくマッドサイエンティストのそれだ。新兵器を試してみたい、という欲求がありありと見て取れる。何だかんだといって普段は真面目に研究をしているヴェルナやスクラであるが、ふとこういったおかしな代物を作るのが玉に瑕だと言えよう。しかも、そういう時に限って成果を挙げるものを作るから性質が悪い。

 

「………………分かった、機会があれば使ってみる」

 

 たっぷりの無言の後、秋雅は息を大きく吐き出して了承する。将来のため、データを取るのもまあありだと、最終的に判断した結果である。これも甘さなのだろうかと、ふとそんな事を思う秋雅であった。

 

 




 これでようやくヴェルナの話は終わり。予想以上に長くなってしまった。次はスクラだけど、こっちよりは多分短くなると思います。ちなみに最後のあれは後々にでも使う予定。




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銃と雷光







 

 ガチャリと音を立て、秋雅はドアを開いた。先ほどまで居たヴェルナの研究室を出て階段を降り、一つ階を飛ばした最下層にある一室のドアであり、スクラに与えられた部屋に通じている。

 

「……ああ、秋雅。ヴェルナの用事は終わった?」

 

 入り口近くでぼうっと立っていたスクラが、秋雅の存在に気付いて口を開く。

 

「ああ、中々いい成果だったよ」

「そう。それは良かったわ。じゃあ次は私の番ね」

 

 そう言って、スクラは部屋の奥を示す。彼女が示した先にあったのは、等間隔で仕切られた長い台と、その上に置かれた何丁もの銃。そして、そのさらに奥に並べられている的の数々。誰が見ても、これは射撃場であると理解できるだろう。

 

 すなわち、これが意味することは、スクラの研究というものが、銃に関連した魔術の研究ということである。

 

 これは理解しやすいことかもしれないが、銃に関連した魔術はそこまで発展していない。正確に言うと、研究開発をしている者が少ないというのが正しいか。魔術における武器は刀剣類であるという、そのような考えが魔術の世界における常識であるからだ。使い手に左右されるところの大きな刀剣類と違い、誰が使おうともある程度の事は出来る銃というものが、実力主義でもある魔術の世界において受け入れがたいというのもあるのか知れない。

 

 勿論、まったく研究されていないというわけはないが、少なくとも、魔術的に歴史の深い国ではそれほど研究されていない。他国と比べれば魔術や国自体の歴史も浅い方で、銃社会でもあるアメリカでは積極的に研究されているものの、その魔術の歴史の浅さが相まって、いまいちその研究は進んでいない。少なくとも、銃を基本とした魔術師の中に、神獣クラスと対峙出来るものが居ないのは確かだ。

 

 であるからこそ、スクラはそれを自身の課題とした。実際武器としては、銃というものは刀剣類に対して強いと言える。しばしば槍に勝る近接武器はないと言われるのと同じく、間合いの差というものは戦闘において大きなアドバンテージであるからだ。さらに言えば、彼女自身に元々適正があったというのもあるが、こと量産性という意味において、銃は刀剣類に勝るというのもある。故に、秋雅の目的を鑑みて、彼女は銃と魔術のよりいっそうの融合を研究のテーマと定めたのであった。

 

「まあ、まずは見てもらうのが早いわね」

 

 そう言って、スクラはまず台に置かれた一丁の拳銃を手に取る。見た目は特に変わったところのない、普通のオートマチックタイプの拳銃だ。

 

「耳当てはいらないわよね?」

「ああ」

 

 本来であれば耳当てなりをして発砲音から鼓膜を守るべきなのだが、どちらも当然のようにそれをつけようとしない。スクラはもう慣れてしまっているし、秋雅にしても轟音には事足りた生活をしている。そうでなくとも、どちらも発砲音程度で支障が出るような身体ではないのだ。むしろつけるほうがおかしいといえるだろう。

 

「とりあえず、これが普通の拳銃の発砲」

 

 数十メートルほど先の的に対し、スクラは拳銃を構え、そして撃つ。数は三つ。絶え間なく連続で放たれたその弾丸が的の中心を見事に打ち抜いた事を、秋雅の恵まれた視力はしかと見る事が出来た。

 

「見事、だな」

「自慢にもならないわ。それに、見てもらいたいのはこっちだから」

 

 持っていた拳銃をスクラは台に置き、代わりに同じタイプの拳銃を手に取る。秋雅の目で見た限りは、二丁の拳銃における差異は特に見受けられない。

 

「見ていて」

 

 再度、スクラは引き金を引く。先ほどを同じ三連射は、またもや真っ直ぐに的の中央を打ち抜いた。

 

「――ん?」

 

 その光景を見ていた秋雅は、ふと違和感を覚えた。何、と明言できるわけでないのだが、確かに先ほどのものとは違ったような感覚があった。

 

「あら、気付いたの? まさか気付くとは思っていなかったのだけど」

「いや、違和感があっただけだ。どこがどう、とは分からん」

「違和感を覚えるだけ凄いけれどね。……ひょっとすると、こうしたら分かったりするのかしら」

 

 興味本位、といった表情を浮かべてスクラは空いていた左手に先ほどの拳銃を握る。所謂ところの、二丁拳銃というやつだ。

 

 続いて、スクラはまたもや引き金を引く。右、左と交互に、秋雅に見せ付けるようにゆっくりと撃つ。アニメ等と違い、本来であれば二丁拳銃などというものは、片手で持つことによる固定の難しさと反動の増加によりまともに扱えるものではないのだが、スクラの二丁拳銃はまさしく空想の世界の住人のように、的の中心をしっかりと打ち抜いていく。

 

 その様を見ていた秋雅であったが、四度目の発砲音の後、ああと頷いた。

 

「成る程、右の方が速いな。倍ぐらい違うか?」

「……まさか本当に見破るなんてね。まったく、カンピオーネって非常識よね」

 

 拳銃や弾にもよるが、弾丸の初速は秒速で換算して三百メートル前後ほどあり、とてもではないが視認出来る速度ではない。仮に秒速三百メートルの弾丸と六百メートルで弾丸を見比べてみたところで、どちらも速いとしか認識できないだろう。にもかかわらず、あっさりと見破って見せた秋雅の視力――ここでは動体視力だろうか――というものは、まさしく人間離れしているとしか言えないだろう。

 

 故に、呆れたような、感心したような声を漏らしたスクラに対し、秋雅としても苦笑いを浮かべるしか出来ない。

 

「まあ、それはいいとして、だ。どういうからくりだ?」

「ライフリングの所に加速の魔術を刻んでいるのよ。色々とやってみた結果、現状だと大体二倍ちょっとまで加速できるわ。それ以上に出来ないこともないんだけど、弾丸によっては強度が怪しくなってきたから、とりあえずそこまでで止めているわ」

 

 さらりと言ったが、速度が二倍になるということはイコールで威力が二倍になるわけではない。単純な物理の話において。運動エネルギーは速度の二乗に比例するので、速度が二倍になればエネルギーは四倍になる。あくまでこれは理論値であるし、現実でもそう都合よくいくというわけではないが、しかし弾丸のことも考えるとそれに迫るだけの威力を保持しているのは事実だろう。

 

「拳銃でそれか。ライフルだとどうだ?」

「まだ試していないわ。流石にここではライフル以上の計測は難しいのよ。もう少し距離がないとね。かといって外に出るというわけにも行かないし」

 

 これに関しては、研究の秘匿性というのもあるが、どちらかというとスクラの人間嫌いの要素が表に出ているからだろう。何処かの結社と協力してもらうにしても、少なからずコミュニケーションを取る必要があるということを忌避しているのだ。何かあれば秋雅の評判に傷がつく可能性があるというのも、それに一役買っているのかもしれない。

 

「そこはおいおい、か。……弾丸の方は分かったが、銃身の耐久度はどうだ?」

「そっちも微妙ね。一マガジン分連射するだけならともかく、リロードして連射となると銃身が劣化する可能性があるわ。加速魔術にしたって、あんまり書き込みすぎると冷却機まで必要になりそうだし」

「そのラインは分からないか?」

「さあ? 試してないから分からないわ」

 

 あっけらかんと、スクラは肩をすくめる。見た目のクールさに騙されやすいが、実は案外大雑把な性格で、実験の観測にしても大体で済ませてしまう場合が多い。戦闘においても訓練を最低限で済ませているくせに、実戦はそつなくこなしてしまうのでので、もしかすると天才肌という奴なのかもしれない。

 

 ちなみに、双子の姉であるヴェルナの方はあれできっちりとデータの観測と記録を行うのだがら、人は見かけによらないというものである。戦闘面においても、実戦は当然重視しているが、訓練も欠かさず行っているので、何かと対照的な双子である。

 

「……どっちにしろ、性能限界を調べるのは余所に回したほうが効率的だな。お前達には理論優先で作ることだけを任せたほうが良さそうだ。伸び代はあると思っていいんだよな?」

「銃身、弾丸の強化をすればね。まあ、どこまでやったところでこの方式だと単純な物理攻撃以上まではいかないけれどね」

「物理だろうが魔術だろうが、目標に届くなら何でもいいさ。限界ギリギリまで見極めてみてくれ。対物ライフル辺りを強化すればいいところまでいったりするかもな」

「だといいわね。じゃあ、次に行きましょうか」

「まだあるのか?」

「別系統で一つ、ね。現物がこれ」

 

 そう言ってスクラが手に持ったのは、やはり先ほどまでのものと同じオートマチックタイプの拳銃だ。ただし、グリップ下部の、通常であればマガジンを入れる部分に何やらつまみのような物がついている。

 

 その銃を構え、スクラは別の的に向かって引き金を引く。同時、銃口から白く鋭い光弾が飛び出し、的の中心部を抉るようにして打ち抜いた。

 

「……通常の銃の魔術攻撃と同じように見えたが、違うのか?」

「基本は一緒よ。ただし、あっちが弾丸に魔術的な処理をして、それを核にして魔術を行使しているのと違って、こっちは銃内部で発動した魔術を弾丸状にして放っているわ」

「利点は?」

「一つは継戦能力。これなら弾丸を使わないから術者の呪力が続く限り戦闘は可能よ。もう一つは対処能力ね。こんな感じ」

 

 言いながらグリップ下部のつまみを弄った後、スクラは引き金を引いた。今回銃口から放たれたのは白い光弾ではなく、真っ赤な炎弾だ。その炎の弾丸は的に命中し、木製の的を炎上させる。

 

「この通り、銃本体で複数の魔術を選択できるようにしてあるから、わざわざ弾丸を変えることなく別の魔術を行使できるわ。戦闘中にリロードも楽じゃないでしょう?」

「そこは専門じゃないから何とも言えんが、まあ分からんでもないな」

 

 しかし、と秋雅は顎を撫でながら言う。

 

「便利ではあると思うが、火力としては微妙だな。結局の所現状のものの域を超えていないように見える」

「……一応、火力増加も考えてはみたのだけどね」

「そうなのか?」

「まあ、ね」

 

 ため息混じりに、スクラは言う。芳しい成果は出なかったのかと推察しながら秋雅が見る中で、スクラは台の上にある拳銃の中から、一際大きなものを手に取る。銃口も他の物と比べると、一回りは大きく見える。また、グリップ下部に継ぎ目がなく、マガジンを入れる事が出来ないようになっていることも見て取れた。

 

「一応形にはしてみたのだけど、どうにも失敗作の域を出ないのよ」

「というと?」

「呪力保持能力と圧縮能力を高め、呪力を込めれば込めるだけ威力を増す攻撃が出来る、というコンセプトで作ったのだけど、最終的な威力がどうにも。……秋雅、ちょっと撃ってみる?」

「俺が?」

「ええ」

 

 差し出された拳銃を、秋雅は受け取る。手に取ったそれをしげしげと眺めた後、両手で構える。一応何度か撃った経験はあるので、その姿勢に迷いは感じられない。

 

「その状態で、呪力を込めてから撃ってみて頂戴」

 

 指示に従って呪力を込めた後、無言で秋雅が引き金を引く。すると、銃口から光弾が放たれ、的を穿った。しかし、先ほどスクラが見せた銃撃と比べるとどうしても迫力というものがない。

 

「……成る程、しょっぱいな」

「それでも、私の試射と比べると十二分に高いわ。私が撃ったときは焦げ跡を作るのが精一杯だったもの」

「そうなのか?」

「呪力の絶対量が違うもの。私が一射に込めた量は、今貴方が込めたものの十分の一もなかったんじゃないかしら。大概出鱈目よね、カンピオーネの呪力って」

「一般的な魔術師数百人分、らしいからな」

 

 秋雅からしてみればちょっと込めた程度だったのだが、そこは絶対量の違いという物だ。たった一パーセント程度でも並みの魔術師数人分なのだから、スクラが込めたという呪力の量と比べれば雲泥の差だろう。

 

「とはいえ、その俺が呪力を込めてこの程度ってわけか。何でこんなに威力が低いんだ?」

「結局の所単純な呪力を撃ち出しただけだからよ。魔術になっていない呪力の塊なんて、威力も高が知れるわ」

「だったら、さっきの銃のようにすればいいだけじゃないのか?」

「それを加工するだけの余りがないのよ、銃本体にね。圧縮と保持の魔術が結構容量を食ったから」

「術者自身が魔術に加工するというのは?」

「そうできればよかったんだけど、そうすると魔術が暴走するのよ。原因は不明。どうにも、銃に刻んだ魔術との食い合わせが悪いみたい」

「そう単純な物でもない、ってわけか。……どうにも惜しいな」

 

 結果としてはいまいちな状態だが、惜しい物があるのは事実だ。何か活用法はないだろうかと、秋雅はもう二発ほど撃ってみる。が、やはり威力はさして変わらない。

 

「……もっと呪力を込めてみるか?」

「流石に銃が持たないと思うけど。保持可能量は多くしてあるけど、限界はあるのよ」

 

 そもそも、呪術師数人分に匹敵する呪力を込められるだけたいしたものなのだろうが、かといってそれが役に立たなければ何にもならない。

 

「どうにかならんもんかな」

「ならないってば」

 

 幾つもの思考を重ねた結果の判断なのだろう。秋雅の足掻きに対し、スクラは面倒くさそうにため息をつく。そして、ひどく適当な口調で言う。

 

「いっそ、秋雅の雷でも込めてみればいいんじゃない? 案外圧縮できるかもよ」

「……成る程、一理ある」

「え?」

 

 

 キョトンとするスクラを余所に、秋雅は再び銃を構える。バチリと、その手に火花が散り、銃の各所、そして銃口から雷光が漏れ出す。

 

「ちょっと、秋雅!?」

 

 

 焦るスクラの声を聞きながら、秋雅は引き金を引く。

 

 放たれたのは、白く、強く輝く雷光。轟音と共に放たれたそれは、文字通り光速で空間を駆け抜け、的の中心を飲み込むようにして通過し、その奥にある壁に大きな皹を生み出した。それを見てスクラは目を丸くし、撃った本人である秋雅は気まずそうに頭をかいた。

 

「すまん、やりすぎた」

「…………いえ、それはいいんだけど。どうせ、修理費を払うのは貴方なんだし。……ねえ、秋雅」

「感覚的には、普通に雷を放ったときよりも威力は上な気がする。貫通力は確実に上じゃないかな」

「……話が早くて助かるわ」

「どういう理屈か分かるか?」

「さあ……呪力の量が一定値を超えると効率が増す、とかかしら……?」

 

 分からないわ、とスクラは頭を振る。元々、カンピオーネという存在は人の理解の範疇にないのだから、その結果の一々を理解しようというのが無謀な話なのかもしれない。

 

「……まあ、威力は上がるんだし、それでいいんじゃないかしら」

 

 結局、スクラは理論的な事を考えるのを止め、結果を優先することにした。こういったところも、感覚的なものを優先する彼女らしい割り切りだと言えるかも知れない。

 

「まあとにかく、それは秋雅にあげるわ。私が持っているより有用だろうし」

「ん、じゃあありがたく」

「ああ、でも少し弄ってみようかしら。ヴェルナも抱き込んで色々とやってみれば、もっと面白くなるかもしれないし」

「ヴェルナもヴェルナで忙しいんだから、程々にな」

「程々で済ませられないものを見せたのは貴方よ、秋雅」

「そう言われるとな」

 

 どうにも言い返せないな、と手に持った銃を弄びながら呟く秋雅でった。

 









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捨てる作成者あれば、拾う神殺しあり

 さて、と切り替えるようにしてスクラが口を開く。

 

「まあ、どうにも色々あったけれど、これが現状発表できる私の成果よ。どうにも、貴方に全部食われたきらいもあるけれどね」

「言うなよ、こっちだって予想外なんだから」

「分かっているわよ。わざとだったらもっと怒っているわ」

「だろうな。まあ、それはそれとして、だ」

 

 ちらりと、秋雅は奥にある小部屋、地下一階のそれと同じく実験開発室となっているそこを見る。その視線に、スクラは頷いて言う。

 

「分かっているわ。必要経費等の資料は準備済み」

「じゃあ、見せてもらおう」

「了解」

 

 そんな会話を経て、二人は小部屋へと入った。基本のレイアウトはヴェルナの方のものと変わらないが、こちらに置いてあるのは銃や弾丸、火薬といったものばかりだ。

 

「はい、書類」

「ああ」

 

 受け取った書類、開発に使用した物資等の一覧に秋雅は目を通してく。基本が通常の銃であり、素材よりも使用する魔術の方に重点を置いたスクラの開発方針もあって、ヴェルナのそれを比べると目を見開くほどの大金が消耗されているというわけではない。そのため、秋雅もさして大きなリアクションを見せることなく、さっと目を通してく。

 

「……特殊弾頭?」

 

 そんな中、秋雅の視線は失敗、廃棄の部分に記されていた、特殊弾頭という文字で止まる。他と比べると数は少ないのに特別金のかかっているそれを見て、秋雅は顔を上げて尋ねた。

 

「スクラ、この特殊弾頭というのは?」

「ああ、それ。文字通りよ、一般的ではない方法で作った弾頭のこと」

「失敗扱いになっている理由は何だ?」

「単純に、量産に向かないという結果が出たからよ。まあ、最初から分かっていたんだけど」

「生産度外視で作成はしなかったのか?」

「量産前提で研究しているのに、ラインに乗りようがないものを試作する意味がないわ」

「一度作ってみることも必要だと思うんだがな。物によっては俺が作って欲しいと思う場合だってある。大体、ヴェルナと組んでパイルバンカーを作っておいてそれは変だろ」

「あれはヴェルナがうるさかったからやっただけよ。私主導ならまずやらないわ。量産不可能なロマン武器の製作なんてね」

 

 この辺りは考え方の違いという奴だろう。データの取得等が目的であれば、目的と反した試作品を作成しても構わないという秋雅と、量産という当初の目的外の方向にずれてしまうことになるものは最初から造らないというスクラの考え方の違いだ。あるいは、パトロンと研究者というそれぞれの立場故の違いかもしれない。もっとも、その場合だと逆になりそうな気がしないでもないのだが。

 

「……とはいえ、一応作ってはいるのよね。あんまり見せる気はなかったんだけど、この状況なら見せないわけにもいかないか」

 

 嘆息を挟みつつ、スクラは小箱を取り出した。彼女がその小箱を開けると、中には三つの弾丸が収められているのが見える。

 

「はい、これ。試作型魔術式炸裂弾」

「炸裂弾? ちょっと待て、炸裂弾って確か戦車砲とかに使われる、爆風や金属片でダメージを与える奴だろ? 拳銃サイズものはないはずだ」

「だから作ったのよ。拳銃で戦車砲並みの威力が出るなら神獣にも使えるかもしれないと思ってね」

「それはそうだなんだが……どういう原理で作られているんだ?」

「普通の弾頭は形に金属を流し込んで固めて作るんだけど、これは極めて薄く延ばした金属板を丸めた後、それをまた金属で覆い固めることで造ったわ。当然、金属板にはびっしりと、可能な限り爆発、爆砕系の魔術式を書き込んで、ね。一般的な弾丸表面に式を書くタイプより多量、かつ複雑なものを記せるから、威力等は桁違いになる、と思うわ」

「断定していないってことは、テストもしていない、と」

「当然。壁が壊れる程度で済むかも怪しいもの」

「分類としては戦車砲だからな」

 

 しかし、と秋雅は弾丸を見つめながら言う。

 

「そんなに量産には向かないのか?」

「材料が使い捨ての弾丸にしては高くなりすぎ、各種加工で時間がかかりすぎ、だから。これ一発を作るのに一日じゃ足りないのよ」

 

 三発作った所で諦めたわ、とスクラは肩をすくめて言った。

 

「でも、威力は保証できるんだろ? だったら」

「もう一つあるのよ。これ、爆発力はあるんだけど、貫通力がほとんどないの。さしもの爆発力も、流石に神獣の皮膚を抜けるほどはないだろうし」

「それはそうだな。つまり、使うなら内部に撃てばいいと」

「は? ……まあ、そうなるのかしら」

「ということは……」

 

 何事かを小さく呟いた後、秋雅は考え込むように虚空を見上げる。そのまま数秒ほどして、秋雅は軽く頷いた。

 

「まあ、やってやれないことはない、な。スクラ、その弾丸を俺に預けてみてくれ。機会があれば試したい」

「……秋雅の望みなら、聞かない道理はないわね。いいわ、あげる。多少は貫通力をプラスできるように、加速魔術を刻んだ拳銃もセットでね」

「助かる」

「私としても、死蔵するよりはまだまし、だもの。ああ、でももっと作ってとは言わないでよ。面倒だから」

「それが本音か」

 

 彼女がこの弾丸を失敗作扱いした本当の理由を知って、秋雅は苦笑をこぼす。割合きちっとしているにもかかわらず、変に素直な所があるのがスクラという女性の特徴でもあった。

 

「……まあ、とにかくスクラの研究成果に関しては把握した。現状だとさして表に出せる物はないか」

「ヴェルナと違って手を広げすぎたかしらね」

「別にいいさ。広げてこそ分かることもあるだろうからな。まあ、とりあえず以降は火力を重視して研究してもらえると助かる。神獣を最終目標としている以上、どうしても火力は必要だ」

「分かっているわ。古来より、遠距離攻撃は近接攻撃に勝るって所を証明して見せる」

「その意気で頼む」

 

 頷いて、秋雅は書類をスクラに差し出す。当然スクラはその書類を受け取るのだが、そのまま秋雅の手が差し出された状態のままであることに、やや困惑したように眉を上げる。

 

「何?」

「……珍しく鈍いな。購入希望リスト、作っているんだろ? 研究を進めてもらわないといけないんだ、必要な物は買い揃えないとな」

 

 そう、秋雅は当然のように言うとスクラは納得したように頷きは見せたのだが、しかし彼の言葉に従ってリストを出すでもなく、何故か考え込み始めた。

 

「どうした?」

「ちょっと、ね。色々考えていたことがあって、とりあえず補充品リストの作成は見送っていたのよ」

「考えていたこと?」

 

 秋雅の問いかけに対し、スクラはあえてか答えることなく、数度ほど納得したように頷く。

 

「ちょうどいいし、今話しておいたほうがいいんでしょうね。というか、今が一番の話し時か」

「何かあるのか?」

「何かあるというか、そうしようかという考えがあるというか」

「じれったいな。何をしようかと悩んでいるんだ?」

「じゃあ、言うのだけれど」

 

 一呼吸。

 

「――日本に移り住まないか、と考えているのよ」

 

 決心した表情でスクラは秋雅に言った。

 

 

「日本に……?」

 

 スクラの言葉に対し、秋雅は驚きからか目を丸くして、彼女の言葉を繰り返した。しかし、すぐに真剣な表情を浮かべて聞き返す。

 

「何か、あったのか?」

「何かあった、というよりも、前から時々考えてはいたのよ。研究にあたって、ここじゃ秋雅との連携が取り難いとね。こっちで秋雅が現地の魔術結社に協力を要請するよりは、日本の正史編纂委員会に直接の協力を要請した方が私達も色々と動きやすい、と。入手や実験だけじゃなく、訓練やデータ取りなんかでも」

「それはそうだが」

 

 確かに、その考え自体は正しい。実際、秋雅も前からその事に関しては考えていたのだ。インドという日本から離れた土地で研究をさせるよりは、自分がいる日本で行動させたほうがより緊密な連携がとれる上に、委員会の協力があればデータ取り等に関しても人員や場所の確保が容易くなる。それに何よりも、彼女らに万一の事態が起こった場合にも、秋雅の手で守りやすくなる。

 

 しかし、だ。

 

「だが、そうなるとお前達は他人と少なからず関わる必要性が出てくるぞ。それは、お前達にとって好ましいことじゃないだろ」

 

 それが、秋雅が未だに彼女達をこの地に置いている理由だった。もし彼女らを日本で正式に研究させるようにすればどうしても正史編纂委員会を初めとした他者の介入が必要となってくる。それは、他人というものを毛嫌いしている彼女たちにとっては心理的な負担となってしまう。

 

 多少研究開発や成果の反映が遅延しようとも彼女たちの方が大事であると、そのように秋雅が判断したからこそ彼女らは今ここでひっそりと研究を続けているのだ。それをまさか、特に自分達以外の人間を信用していないスクラが言い出すとは、秋雅からすれば少々信じがたいことであった。

 

「分かっているわ、十二分に」

 

 それはスクラ自身も承知していることなのだろう。秋雅の指摘に対し、スクラは嘆息して答える。

 

「ここだって、全く人と関わらないってわけじゃないわ。勇気だとか愛だとかで、無作法に声をかけてくる奴らには事欠かない。その点、日本人は案外、他人に関わらないって聞いたわ。日本なら人に会わずに生活をすることも不可能じゃないみたいだしね。結局の所、何処だって一緒なのよ。究極的に、私達にとってみれば、秋雅が居るところと居ない所、この世界にはその二つしかないわ」

「ウルとヴェルナはどう言っているんだ?」

「私の独断だからちゃんと話したわけじゃないけれど、ヴェルナは積極的賛成、姉さんは消極的賛成と言ったところね。ヴェルナは秋雅と居られる時間が増えるほうが好ましいわけだし、姉さんもここの設備を無駄にするのを懸念しているだけで、日本に行くこと自体は否定していなかったわ。私達は三人とも秋雅と一緒に居たいと思っているのだから、当然といえば当然だけど」

「そうか……」

 

 目を閉じ、腕を組んで秋雅はしばし考え込む。スクラが見守る中その姿勢を数分ほど保ち続けた後、秋雅はようやく目を開ける。

 

「分かった。ウルには、俺から話しておく。スクラはヴェルナに話を通しておいてくれ」

「そういう言い方をするということは、そういうことでいいのね?」

「あくまで、他二人も同意した場合だがな」

 

 自分達の関係を見つめ直すには、ちょうどいい機会だろう。口の端に乗せることもなく、秋雅はそんな言葉を心の内で呟くのであった。

 

 










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研究は電子の世界






「ウル、いいか?」

 

 言いながら、秋雅はウルの私室のドアをノックする。私的な用件というわけではない。これも他二人と同じく研究成果を見るためだ。二人の研究と異なり、ウルの研究にあたっては、とある理由から個人の部屋こそは必要になるのだが、しかし実働においてはさして特別な部屋を必要とはしない。そのため、ウルは基本的に、その作業を私室で行うことが多い。

 

「ええ、いいわよ」

 

 部屋の中から返ってきた声に、秋雅はドアを開ける。そこには、秋雅に視線を向けることなく、コンピュータの前でキーボードを叩いているウルの姿がある。

 

「悪いけれど、もうちょっと待ってくれるかしら。切りのいい所までやっておきたいの」

 

 淀みなくタイピングを続けながら、ウルは視線を外すことなく秋雅に言う。それに対し、特に文句を言うでもなく、秋雅は適当に近場にあった椅子に腰掛ける。だが、すぐさま腰を上げ、ウルが作業をしている後ろからその画面を覗き込む。

 

「待てない?」

「ちょっと見たくなっただけさ……まあ、相変わらず、俺にはよく分からんが」

 

 画面上で増え続けていく文字列を眺めながら、秋雅は苦笑するように言う。

 

 電子関係、特にパソコン、プログラミング関係に対して、魔術的な意味での発展は極めて遅い。辛うじて一部先進国が研究を始めているといった程度で、世界全体としてみればほとんど研究は行われていないと言ってもいい。そもそも、魔術の世界というものはどこか閉鎖的な一面があり、新しいものへの探求には動きが遅い。電子機器という、魔術とは間逆な存在に対して手が延びぬのもある種当然であろう。個人として見ていっても、現代に生きる魔術師として人並みには扱えるという者は多いが、所詮はそこまでだ。

 

 それゆえに、今こうしてキーボードを叩くウルのように、電子と魔術の融合を図っている魔術師というのは、極めて稀な存在だ。既存の魔術とは一線を画すであろうということによる難易度もそうだが、それ以上に、特に歴史ある結社等において、そういった研究を認めない雰囲気のような物があるからだ。もっとも、それでいて実際はそういう場所であるほど、新しい風を招く必要があるのかもしれないというのが皮肉と言えば皮肉だろう。

 

 ともかくとして、そういうわけであるので、もし彼女が今表舞台に出る事があれば、表向きこそは異端と思われるであろうが、しかし裏では熾烈な勧誘が行われるであろうことは自明だろう。まあ、秋雅という王の庇護下にある以上、それが実現することはないのだろうが。

 

 

「……ふう」

 

 秋雅が覗く中、最後の一文字を打ち込み終わったウルは疲れたようにイスに身体を預ける。その様子を見て、秋雅は奥の小さな冷蔵庫からミネラルウォーターとコップを持ってくる。

 

「お疲れ」

「ありがとう、シュウ」

 

 美味しそうに、秋雅から受け取った水を一口ほど口に運んだ後、ウルは椅子を回転させ、近くに動かした椅子に座った秋雅と目線を合わせる。

 

「研究の発表、でいいのよね?」

「ああ、ヴェルナとスクラの分は済ませてきたから、最後がウルだ」

「そう。じゃあ発表だけど、最初に謝らせてもらうわ」

「なにかあったか?」

「あったというか、今回作成したものはどっちも電子上でのみ役立つ代物で、シュウの望む物理攻撃力のあるものは作れていないの。ちょっと、個人的な趣味を先行させてしまったから」

 

 前提として、秋雅が彼女たちに望んでいるのは神獣に対抗できる魔術等の研究である。それはつまり、差はあれども基本的にはある程度の攻撃力を発揮できる何かの開発である。しかし、今回はそういったものは出来ていないと頭を下げるウルに対して、気にしなくていいと秋雅は軽く手を横に振る。

 

「ああ、それは別にいい。ヴェルナ達と違って基礎すらろくに出来ていない研究なんだから、研究が順調に進んでいるのであれば厳しいことは言わないさ。元々実体のないものに攻撃力を持たせるのも簡単じゃないことは分かっているよ」

「ありがとう、シュウ」

 

 謝罪と共に、柔らかな微笑を彼女は浮かべた。それは一見するといつものそれと同じだが、秋雅はその中にほんの僅かな異物を感じ取った。おそらくそれは、期待に沿えなかったことに対する罪悪感のようだった。たまに、彼女はこういうところを見せることがある。不安、それも無意識の更に奥底から生まれたものなのだろう。あえて自覚させる意味はない、と秋雅は咳払いをするだけに留め、先を促す。

 

「まあ、それはとにかくとして、現状で完成したものを見せてくれるか?」

「そうね。とりあえず成果として渡せるのはこの二つ」

 

 そう言ってウルが取り出したのは、二枚のディスクだ。それぞれのケースの表には、『W』と『P』の一文字がそれぞれに記されている。

 

「魔術を組み合わせた特殊なソフトを二つ、書いてみたわ。一つはハッキング、クラッキングの補助プログラムである『ウィザード』というプログラム。逆にそういった被害から守る為に作ったセキュリティソフトの『プリースト』よ。どちらも既存のソフトとは一線を画したものだと自負しているわ。後で秋雅のパソコンにもインストールしておくといいかもしれないわね」

「ああ、そうしておこう……質問だが、一線を画すとはどういう風にだ?」

「説明が難しいのだけど、簡単に言って、既存のソフトと比べると狼煙と携帯電話ぐらいの違いがあると思って頂戴」

「……文字通り次元が違うな」

 

 凄いものだ、と秋雅は感心して頷く。過分な物言いである、とは全く思っていない。ことこの手の話に関して、ウルの場合は自分の成果を誇張するどころか、むしろ過小評価することのほうが多いと秋雅は知っているからだ。

 

「質問だが、その二つを既存の方法で撃退、もしくは突破は可能なのか?」

「難しいと思うわ。私でもどちらかなしでもう片方を突破するのはちょっと厳しかったから」

「実験済みか。開発者がそう言うんだったら、そう易々とは出来ないと見ていいか」

 

 ふむ、と数度秋雅は頷く。

 

「もう一つ、その二つは魔術適性のない人間でも使えるということでいいんだな?」

「ええ、当然よ。私の研究は妹たちのものと違って、基本的にそういうものだから」

 

 作成において魔術こそ混ぜているが、しかし所詮はプログラムだ。実行において呪力を練るなどということはなく、ただエンターキーを押すだけで実行可能となっている。それはつまり、プログラムの知識のない人間がスマホのアプリを十分に使えるように、魔術のまの字も知らない素人ですら、問題なく扱えるということだ。実際、以前この研究についてウルと秋雅が話したとき、例としてあげたのは『押せば火球の一つでも出るアプリ』であった。そういう意味合いで言えば、このウルの研究というものは確かに、他二人の研究とは毛色が違うものなのである。

 

「となると、扱いには注意が必要だな。使い方によっては簡単に世界を混乱に貶められる。そう易々とは表に出せないな」

「でしょうね。そこは私も理解しているわ。まだまだ玩具のようなものとはいえ、特に『ウィザード』の方は十分な影響力を持ってしまっている」

 

 おかしなものね、とウルは自嘲するように呟く。

 

「神獣に対抗できる武器を開発した所で、結局それは人間に対して振るわれるわよ、なんて貴方に忠告した私が、妹たちよりも先にそういう『武器』を作ってしまうなんて」

「どうせ、ウルが作らなくてもいずれは誰かが作ったさ。だったらまだ、俺達が作り上げた方がコントロールの大義名分は出来る。そう納得しただろ、俺達は」

「勿論、納得はしているわ。ただ、少しばかり笑ってしまったというだけよ。思わず、ね」

 

 良くない傾向、なのだろうか。先の微笑のことも含め、秋雅はわずかな沈黙の後、気にするなと首を横に振る。

 

「……その二枚の扱いはヴェルナたちの作品よりも厳重に、とするさ。現状じゃ、俺が信用を置いている二、三人に見せる程度で済ます。全く表に出さないのも、それはそれで後が面倒になるかもしれないからな」

「ええ、分かっているわ。私はただ研究を、その使い方は貴方が。そういう決まり、そうよね?」

「ああ、そうだな……ったく、難しいもんだ。新しいものを作る、ってのは」

「全く、その通りね」

 

 どちらともなく、二人はため息をつく。そうして、やや暗い雰囲気になった室内であったが、そうせずして秋雅がパンと軽く手を叩き、空気を入れ替える。

 

「いつまでも暗くなっているわけにも行かん、前向きに行こう」

「それもそうね。じゃあ、そうね、少し面白いかもしれないものを見せてあげるわ」

「面白いもの?」

 

 首を傾げる秋雅に対し、ウルはパソコンに向かい何がかしらの操作をする。そして、くるりとまた椅子を回し、秋雅にパソコンの画面を示す。

 

「これ、何か分かる?」

 

 パソコンの中に映っているのは、白い三次元の空間とその中に立っているこれまた白いデフォルメされた人間のような何かの姿だ。

 

「何だ、これは?」

「AI」

「AI? 人工知能のことか?」

「そうよ。さっきの二枚と同じく、使い魔を作る魔術の中の、使い魔に擬似的な意思を持たせる部分を応用した自己学習型の人工知能、その雛形よ。たいしてデータを入力していないから、今はまださっさらだけどね。だけど将来的には、自律思考可能な人工知能が出来上がる……かもしれない。もっとも、どうなったところで、学会には出せないでしょうけど」

「……それはまた、実現できたらえらいことだな」

 

 感心した、というよりはやや呆然とした風にも聞こえる口調で秋雅は呟いた。彼の言うとおり、この研究が完成すれば、表の世界では無理であっても裏の世界では確実に歴史に名を残す偉業となるだろう。

 

「まあ、実現できるかは難しい所だけれどね。本当にそこまでいくかは怪しいし、維持にもかなりお金がかかるわ。これ一つでスパコンの半分近い容量を占領しているから」

「大層な話だ。増設の必要はあるか?」

「現状は、特にないわ」

 

 さらりと言ったが、この屋敷にはウルの研究に用いるためにスーパーコンピューターも設置されている。地下にある三層のうちの中央、スクラとヴェルナの研究室を挟む形で、ウルの所持領域としてその中に置かれている。ついでに、この屋敷全体用でもある非常時用の発電機なども設置されていたりする。

 

「どう? 結構面白そうだとは思わないかしら」

「思うさ、正真正銘心から。他の研究が遅れてもいいからこれを優先させてくれとすら言いたくなる。まあ、流石に冗談だがな」

「お言葉に甘えて、これに関してはゆっくりとやることにするわ。気長に、のんびりとね」

「ああ、任せるさ」

 

 先ほどまでの暗い雰囲気を完全に払拭して、秋雅とウルは楽しげに笑いながら、しばしの間、パソコンの画面を見つめていた。

 

 




 こういった話が長々と続いていますが、もう少しお待ちください。後数話もすればまつろわぬ神との戦いを出せると思いますので。




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四人の関係







「チェック」

「…………これで行こう」

「あら、もったいない使い方をするのね」

「言うな。ろくに打ったことなんかないんだぞ、俺は」

「その割には――」

 

 悪くない手だけれど。

 

 そんなウルの言葉に、どうなのかね、と秋雅は軽く息を吐き出した。

 

 

 

 

「チェスをしましょう」

 

 その一言をウルが放ったのは、研究の成果の発表等を済ませ、秋雅が話題を変えようとした、その時だった。

 

 ルール程度しか知らない、と難色を示した秋雅に対し、珍しくウルが強引に準備を進め、対局を始めることとなった。

 

 戦局は言うまでもなく、経験者であるウルの独壇場だ。辛うじて局地的に秋雅が勝っている場面もあったものの、大局的に見ればまず間違いなくウルが勝つだろう。そのことが誰の目にも分かるぐらいにまで盤面が進んだ時、ふとウルが口を開いた。

 

「……どうしたいと思っているの?」

 

 主語のない、あやふやな言葉。しかしその言葉に対し疑問を持つでもなく、秋雅は憮然とした表情を崩さぬままに口を開く。

 

「今、この状況でする話か?」

「今だからいいのよ。真剣な話こそ何かの作業中にする、というのが私の持論だから」

「それはまた、初耳の論だな。いまいち分からん」

「真剣な話をするほど、途中で余計なことを考えるものよ。だったら最初から、主動作に関わりのない話をして、余計なものが浮かび上がる枠を失くす。そういうことよ」

「成る程ね……」

 

 まるで他人事のような口調で、秋雅は小さく呟く。そのまま、続いて言葉を紡ぐでもなく、二人はまた無言で駒を進めていく。

 

「……ある程度、答えは出ている」

 

 何手かの後、突然秋雅が口を開いた。

 

「でも、ウルの考えも聞かないといけないとも思っている……いや、理解していると言う方が正しいか」

「あら、何が聞きたいの?」

「はぐらかすなよ――スクラとヴェルナのことだ」

 

 そうね、とウルは駒を一つ手にとりながら言う。

 

「姉としては、まあ、妹たちが幸せだと思えるのであればいいのではないか、と考えてはいるわ。真っ当な関係のみが想いを成就する方法というわけではないもの」

「真っ当じゃなさ過ぎる関係は崩壊を生むだけ、とは思わないのか?」

「そもそも私達自体が真っ当な存在じゃないもの。他人を信じられなくなった姉妹に、その姉妹が唯一心を許す、カンピオーネという現代の王。元々普通の立場ではない私達なんだから、これ以上足を踏み外した所でたいした問題じゃないわ」

「どうだか、な」

 

 トン、とウルが一手を打つ。

 

「どう言い繕ったところで、結局は浮気であり、そしてそれは相手にとって不義理な行いだとは思わないのか?」

「その相手である、私がいいと言っているのだけれどね。第一、浮気というのはこの場合正確な表現じゃないんじゃないかしら? 正確に言うのであれば、ハーレムとかそういうものになると思うのだけれど」

「ハーレムか。あまり、その言葉は好きじゃないんだが」

「あら、男としてロマンを覚えたりしないのかしら?」

「思わないな。皆好きだとか、誰かを選ぶなんて出来ないだとか、そういうのはやはり不義理に過ぎるだろう」

「一人を選んだら他は切り捨てないと駄目だと思う?」

「それが普通だ」

 

 一般論ではな、と秋雅は小さな声で付け足す。それに対し、ウルはクスクスと口元に手を当てて微笑む。

 

「……何が可笑しいんだ?」

「自分が異質だとは思っているのに、一般論なんて言葉を口に出すなんて。本当は、自分でも滑稽だと思っているんでしょう?」

 

 その言葉に対し、秋雅は答えない。ただ、黙って駒を一つ進めただけだ。それにより動いた盤面を見ながら、ウルは口を開く。

 

「真面目な話、姉としては貴方に二人を受け入れてもらいたい所はあるのよ。正直、私も含めて、私達姉妹は貴方に依存している面があるわ。私達にとって唯一心の底から信用できる人だから、当然と言えなくもないかもしれないわね」

「依存ね。そんな大層な人間じゃないつもりだったんだが」

「そうでもないと、私達は思っているのだけれど。相変わらず、自己評価は低いのね」

「俺だってまで二十代の若造って奴だ。客観視できないところもあるさ」

「そうかしら……ともかくとして、そういうわけだから、貴方が二人を見捨てた、はちょっと言い過ぎ。受け入れなかったときに、あの娘たちが何をするか。分からないわけでもないんでしょう? 分かっていなかったら、そもそもこんな話はしないもの」

「……まあ、な」

「好意を見てみぬふりをするよりはまし、と考えてもいいじゃない。好きだと言われながら、それを一方的に否定するよりは義理が通ると、私はそう思うわよ」

 

 その言葉に、秋雅は思わず黙り込む。言葉に詰まった彼を見て、ウルは軽く肩をすくめる。

 

「まあ、仮に受け入れられなかったにしても、案外あっさりを諦めるかもしれないわね。私が貴方に告白した時も、さして動揺している素振りはなかったわけだし」

「……あれは、最初から二人がそういう立ち位置に移るつもりだったからだろう。だから、ウルと俺が恋人になってもそこまで動揺しなかっただけだ。逆に言えば、その場所すら奪ってしまうと、流石にまずい」

「あら、分かっているんじゃない。そこまで言えるんなら、もう決まっているんじゃないかしら」

 

 再び笑みを浮かべたウルに対し、秋雅は罰が悪そうに顔をそらす。それこそつまり、その言葉が紛れもなく、彼の本心であるという何よりの証左だ。

 

「だが、お前はいいのか?」

「私?」

「ああ。もうここまで来たんだ、俺があの二人を見捨てられないというのは肯定するしかないだろうさ。だが、その場合お前はどうなる? 俺が他の女と、自分の妹と愛を語らっていいと思っているのか?」

「そうねえ……」

 

 僅かに悩んだ素振りを見せた後、ウルは一つの駒を手に取る。クイーンの駒だ。それを動かして、チェックの言葉を告げた後、

 

「酷い事を言ってもいいかしら」

「ああ」

「じゃあ、言うのだけれど――正直、あの二人では私に勝てないと分かっているもの」

 

 ふふ、と薄く笑みを浮かべて彼女は言う。

 

「あの二人がどう頑張った所で、シュウが最後に選ぶのは私しかありえない。だったら、妹たちにも良い思いをさせてもいいじゃないかと、そんな風に思ったのよ……幻滅する?」

「……いや。むしろ、皆で幸せになったほうがいい、なんて言うよりはよっぽど納得できる。どんな関係であれ、序列が出来ないわけがない。出来ない方が、不自然だ」

 

 今度は秋雅がナイトを手に取り、チェックと告げた後に続ける。

 

「俺だって、ウルと、ヴェルナ、スクラのうち誰か一人をとれと言われれば、まず間違いなくウルを取る。お前の為だったらお前の妹ですら、自分を慕う者ですら見捨てる。俺をシュウと呼んでいいのは、後にも先にもお前だけだ」

 

 結局の所、と秋雅は言う。

 

「俺とお前がどう決めた所で、所詮は勝者の驕りに、上位者から被庇護者への施し以上の何でもないか」

「私達にとって都合のいい事を言っているだけだもの。当たり前といえば当たり前ね。で、どうするの?」

 

 ――チェックメイト。

 

 その言葉と共に、クイーンを動かしたウルに対し、秋雅は小さくため息をついた後、決心を固めた表情で言った。

 

「……ヴェルナとスクラに任せる。二人が告白してきたら受け入れ、そうでない場合俺からは何も言わない。そうするのが妥当だろう」

「告白するように誘導しても構わないわね?」

「ああ。むしろ、俺から言った方がいいのかもしれないがな。どうにも、情けない」

「いえ、あの娘たちに任せるべきよ。最終的な決心は、自分でするべきだと思うわ。何より、私の時だって、私から告白したんだから、あの娘たちもそうしないと」

「……その辺りは、考え方の違いか」

 

 どうするのが正解だったのかね、と背を伸ばしながら秋雅は呟いた。他に正しい道はあっただろうに、しかし結局この選択をした自分に対し、自嘲するような呟きだった。

 

「まあ、あまり気にしすぎないほうが良いわよ。むしろ、貴方の立場を考えると側室の一人も居た方が変な干渉も受けないと、実利的なことも考えましょう」

「それが正妻の姉妹だからややこしいとも言えるんだがな、っと……ああ、そういえば、日本に移り住むのはどうかっていうスクラの提案、どう思っているんだ?」

「ああ、そのこと? ええ、基本的には賛成よ。ただ、ここにある設備をどうするかとかが少し気にかかっただけ」

「とは言っても、そのまま持っていく必要があるのはお前のスパコンぐらいだろ。保存場所がちょいと問題になるが、まあどうとでもなるさ。移動にしても、最悪俺が転移させれば良いしな」

「貴方には色々と手間をかけてしまうというのも、あまり乗り気じゃない理由の一つなのだけれどね」

「この程度、今更だろ」

「そうだったわね」

「まあ、そんなことより、だ」

 

 ついと、目の前にあるチェスボードを指差して、秋雅はにやりと笑みを浮かべる。

 

「もう一局、頼めるかな? 負けるにしても、もう少しまともな結果で終わりたいんでな」

「あらあら、負けず嫌い、でもないのかしら? いいわよ、一度と言わず幾らでもお付き合いさせてもらうわ」

 

 そうして、二人は今度こそただチェスを楽しむ為だけに、再び駒を並べだす。

 

 

 そんな中、ふと秋雅の携帯電話が音を立てて鳴り出す。

 

「ん」

「出ていいわよ」

「ああ」

 

 ウルに促され、秋雅は携帯電話を手に取り、画面を見る。

 

「……また、これは珍しい相手だ」

「あら、誰かしら」

「我が盟友、ってところかな」

 

 アニー・チャールストン。それが、そこに表示された名前であった。

 

 




 色々と考えた結果、予定を繰り上げて話を進めることにしました。ただ、流石に入れないといけない流れとかがあるので、まつろわぬ神が出るのは二話ぐらい先になると思います。それと、今回秋雅達が出した結論に対しては色々と意見もあると思いますが、とりあえずこういう関係であるということで。




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仕えたいと言う男






 とある昼下がりのことである。

 

「悪くないな、うん」

 

 そう言って頷いたのは、ナイフとフォークを構えた秋雅であった。満足そうに薄く笑みを浮かべ、秋雅はまた一切れ肉を口へと運ぶ。やや大味だが、分厚く、食べ応えのあるステーキ。現地を訪れたからと、おすすめの店を探して注文したものである。お世辞にも最高級とは言えないが、比較的味に頓着しない――及第点を超えていればそれで十分だと感じる――秋雅にとっては、十分満足できる昼食である。

 

 切っては食べ、また切っては食べと、日ごろの健啖さを秋雅はいかんなく発揮するそれに変化が訪れたのは、ステーキの大半を食べ終え、もう一枚注文しようかなどと秋雅が考え始めた頃合いであった。

 

「――何者だ?」

 

 手を止め、目つきを鋭くしながら、秋雅はそう問いかける。その問いかけに、何時の間に現れたのだろうか、秋雅の目の前に座っている一人の男が答えた。

 

「突然の無礼、お許しください。『永劫の安寧』が一人、クラネタリアル・バスカーラと申します。お初にお目にかかります、王よ」

 

 恭しく、男は秋雅に頭を下げる。

 

 アメリカ合衆国首都、ワシントンD.C.にある、とあるステーキハウスでのことであった。

 

 

 

 

 

 

 そもそも、何故秋雅がアメリカにいるのか。そのきっかけは、今より二日ほど前にかかってきた電話にあった。

 

「もしもし」

「――久しぶりね、秋雅」

 

 女の声。やや冷たい印象を受ける理知的な声だ。その声に対し、秋雅はそれと対照的な、気安げな口調で答える。

 

「ああ。久しぶりだな、アニー。元気だったか?」

「ええ、問題なく」

 

 アニー・チャールストン、それが電話先にいる女性の名前であり、アメリカに住む魔術師の名前だ。数年ほど前、ひょんなことからアメリカの地にて知り合った、秋雅にとっては数少ない魔術の世界における気の置けない友人の一人だ。

 

「貴方のほうも、まあ聞くまでもないわね」

「おかげさまで、な……しかし、君が電話をかけてくるなんて、少し珍しいな」

「そうかしら?」

「体感ではな。まあ、それはどうでもいい。俺に、何か用があるんだろう?」

「話が早くて助かるわ――貴方に、カンピオーネである稲穂秋雅に、一つ依頼をしたいと思って」

「依頼?」

 

 ピクリ、と秋雅の眉が動く。

 

「カンピオーネとしての俺に依頼とは、また奇妙な事を言う。それならばまずは君が――失礼、スミスが動くべきだろう。アメリカのカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミスが」

 

 『ロサンゼルスの守護聖人』として知られ、仮面にて素顔を隠し、芝居がかった言動で悪を討つカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミス。その正体がアニー・チャールストンであるということを知る人間は極めて限られてる。秋雅が彼女のことを知ったのも、ある事件から来る偶然が理由であった。そしてそれを知ってしまったことが、秋雅とアニーが交友を持つきっかけであり、さらには秋雅とスミスが互いを盟友と呼び合うようになった始まりでもあった。

 

「それは当然そうなのだけれど、残念ながら、今スミスはロスを離れられない事情があるの。《蝿の王》の名は知っている?」

「確か、そっちに本拠地がある邪術師の組織の名前だったな。どこかにまつろわぬ神降臨の気配があるが、しかしその結社を警戒する必要があり動けない、そういうことと考えても?」

「本当に話が早くて助かるわ。ええ、その通り。最近、SSIに所属する魔女の一人が、近日中にワシントンにまつろわぬ神が降臨するという霊視をしたわ」

「そりゃまた、珍しいな。しかもワシントンとは、ロサンゼルスとは見事に大陸を挟んで反対側だな」

「もう少し近場だったらスミスに対応してもらうことも考えるのだけれど、流石に遠すぎる。万が一を考えると、下手に動くわけにはいかない」

「従って、同じカンピオーネである俺に対処してもらおうと、そういうわけだな」

「受けてもらえる?」

 

 アニーの言葉に、秋雅は傍にいたウルに目を向けたものの、しかしすぐに視線を戻して頷く。

 

「ああ、承知した。明日にもワシントンに飛んで、まつろわぬ神の警戒に入ろう」

「ありがとう、助かったわ、秋雅。依頼料その他に関しては私のほうからSSIに話を通しておくわ。日本の、正史編纂委員会だったかしら、そこを通して払うようにすればいいのよね?」

「それで頼む」

「じゃあ、申し訳ないのだけれど、これで失礼させてもらうわね」

「ああ、また。今度はゆっくりと対面で話したいものだな」

「ええ、私もその日が来るのを待っているわ」

 

 その言葉を最後に、電話は切れた。電話を懐にしまいながら、秋雅はウルに視線を向ける。

 

「そういうわけだ、ウル。悪いがちょっと行って来る」

「それが貴方の使命だものね。仕方ないわ。終わったら一度戻ってくるのかしら?」

「そうするつもりだ。今回は間に合いそうにないが、スクラとヴェルナが改良してくれている武器を受け取らないといけないからな」

「それなら二人にも詳しく話してくるといいわ。ちゃんと話しておかないと、無理にでも間に合わせようと無茶をするかもしれないし」

「多分間に合わないだろうし、な。俺も二人の徹夜顔なんて見たくないし、早速説明してくる」

「私は、そうね、夕飯の準備でも始めようかしら」

「期待している」

 

 

 こういった事情があって、秋雅は連絡を受けた翌日にインドを発ち、アメリカに到着してすぐにSSI――日本における正史編纂委員会に相当する政府直轄の組織だ――の魔術師と合流して情報の共有等をした。そしてその後は、状況が動くのを待つ、あるいは秋雅の登場で状況を動かす為に、調査を兼ねて街中を探索することとした。その二日目に当たる調査の最中、休息として昼食をとっていた場面が、冒頭の話へと繋がるのである。

 

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 先ほどまでの日常の気配を完全に消し去り、組んだ脚の上に手を置いて、秋雅は王の貫禄を放つ。その目は冷たく、目の前の男をじっと観察する。

 

 白人、年齢は三十代と言ったところだろうか。魔術の腕前はおそらく高いだろう。秋雅が異変に気づくきっかけともなった、現在張られている認識阻害系の魔術――範囲型で、おそらくは秋雅達の会話の内容等が他者に覚えられるのを阻害するタイプだ――の精密さからそれは伺える。

 

 表情は無表情、とまではいかないが、しかし明確な感情を読み取ることは出来ない。カンピオーネの前にいるという緊張や恐怖等も、特に感じられない。かといって、秋雅の力や存在を全く畏怖していないというわけでもないのだろう。少なくとも、それなりに態度を作っている(・・・・・)気配はある。

 

 決定的な材料はない、と秋雅は目の前の男の中身(・・)を決めきることはしない。後少し、探る必要があると、そう判断する。

 

 何を目的としているのか、まずはそれを聞きだすべきかと考えつつ、秋雅は重く口を開く。

 

「『永劫の安寧』に、クラネタリアル・バスカーラ。どちらも、聞かぬ名だな」

「無理もありません、王よ。我らはまだ小さき身、世に名をとどろかせし結社に並ぶほどの力を持っているわけではありませぬ故」

 

 恭しく、クラネタリアルと名乗った男は頭を下げる。やや芝居がかった物言いと態度に、ふんと秋雅は鼻を鳴らす。

 

「そうか。では、その小さき者らが、何故私の前に現れようと思ったのかな?」

「無論、貴方様のお役に立つため」

「ほう? どういう風にかね?」

「こちらを」

 

 そう言ってクラネタリアルが取り出したのは、一枚の写真だ。それをテーブルの上に置き、どうぞと手で示す。

 

「……ふん」

 

 写真とクラネタリアル、その間で一度視線を動かした後、秋雅はその写真を手に取った。

 

 写真に写っていたのは、一本の槍だ。柄は木製のようで、余計な装飾は見受けられない。飾り気も特徴もない槍だが、唯一穂先が黒い事だけが目を引いている。おそらくは黒曜石で出来ているのであろう。写真越しであるが、古い槍であると秋雅には思われた。

 

「これは何だ?」

「先日、このワシントンに持ち込まれた槍にございます。この地に住む好事家が手に入れたようですが、どうやら魔術に関係する品であるとのこと」

「それは、わざと持ち込んだということか?」

「おそらくは知らずに持ち込んだのかと。何とも愚かしいことです」

「……それで、その槍がどうしたと?」

「はい。その槍ですが、かなり強固な封印が施されていたとのことです。それ故に、SSIもその存在を嗅ぎ付ける事が出来なかったのでしょう」

「では、何故お前達は知っているのだ?」

「偶然知る機会があった、それだけに御座います」

 

 どうやら、言うほど小さな組織でもないらしい。そう感じつつ、秋雅は目で先を促す。

 

「しかし、その好事家は魔術など欠片も知らぬ者であったようで。迂闊にもその封印を解いてしまったようなのです。そして、それと同時期にSSIの魔術師が何やら霊視を得たとのこと――そういうことではないかと愚考するのですが、いかがでしょうか?」

「……つまり、その槍が神器か何かであり、それを目当てにまつろわぬ神がこの地に降臨する可能性がある。そう言いたいわけか」

「その通りに御座います」

 

 それが確かであれば、秋雅にとって願ってもない話だ。その好事家の下に向かい、可能であれば槍の再封印を、不可能でもせめて移動させることで事前被害を減らす事が出来る。成る程、ありがたい話である。

 

 だが、疑問はある。

 

「それを何故、私に告げる? 何を望む?」

 

 それを秋雅に告げる目的が分からない。それなり程度ではあるが、長く魔術界に身をおいた経験上、そう易々と上手い話に乗るほど秋雅は迂闊ではない。完全なる善意などそうない――加えて、初めて会った相手でもあるのだ――ということを、秋雅はしかと知っている。

 

 どのような裏があるのか。それを問いかける秋雅に対し、クラネタリアルはただ頭を下げるだけだ。

 

「全ては、貴方様のお役に立ちたいだけに御座います。それこそが我が身の、我らの喜びであります故」

「……結社としての目的そのものが、我らへの忠節である、と?」

「その通りで御座います」

 

 正気か、と秋雅は心の中で呟く。基本的に、カンピオーネという歩く災害への恐怖から忠節を誓っているような魔術の世界において、このような言葉を本心から言うものがいるであろうかと、カンピオーネである秋雅は疑念を持たざるを得ない。

 

 しかし、どうにも秋雅には、このクラネタリアルという男が嘘を言っているようには思えなかった。少なくとも、秋雅の役に立ちたいという一点においては本心である可能性が高いと、秋雅の勘がそう告げている。

 

 だからこそ分からない。この男の、この男が所属する結社の目的が。何が裏にあるのか、あるいは本当にそれこそが本心であるのか。その事をまるで見通せぬことに、秋雅は確かな不気味さを感じずにはいられない。

 

「裏がある、そう思われるのも致し方ないこと。急に押しかけ、一方的にかような事を告げるなど、無礼にも程があることに御座います。ですが、我らは貴方様に、我らの存在を認めて頂きたいと渇望してしまったのです。貴方様に我らの事を認識していただき、そしていずれは、我らを貴方様の、稲穂秋雅様の下で御仕えさせていただきたい。それが、我らの全てでございます」

「つまり、私を盟主として仰ぎたい、と?」

「そうでもあり、しかし違うとも言えましょう。何故ならば、ここで言う我らとは、『永劫の安寧』のことだけではありませぬ故」

「……まどろっこしい、仔細を話せ」

 

 やや、怒気を混ぜた声を秋雅は発する。これまでの理解不能なこともあっての、苛立ちによる問いかけ。それに対しまるで焦る素振りを見せることもなく、クラネタリアルは頭を下げた後に口を開く。

 

「畏まりました、王よ。単刀直入に申し上げますと、我ら『永劫の安寧』の最終目標は、全人類をカンピオーネの下に置くことにあるのです」

「それは――」

 

 どういう意味だ。そう、秋雅は問いかけようとした。

 

「――まさか」

 

 だが、それを続けることはなかった。何かに気付いたように彼は問いかけを途中で止め、代わりに大きく目を見開く。

 

「正気か、貴様」

 

 ついで、今度こそ秋雅の口から放たれたのは、確かな驚愕の色が混じった声。それに対し、クラネタリアルはその口元を軽く歪める。

 

「お気づきになられるとは、流石は稲穂秋雅様。カンピオーネの中でも特に聡明と知られるその頭脳と直感、感服するばかりにございます」

「では、お前達の目的はやはり――」

「はい、その通りにございます。我ら、『永劫の安寧』は、表の世界に魔術を広める(・・・・・・・・・・・)ことで、カンピオーネである御身を全ての人間が知り、そして仕えるようになることを、最終的な目的としているので御座います」

 

 そう、クラネタリアルは確かに言い切る。その後、数秒の空白を挟み、秋雅は目を伏せて首を横に振る。

 

「……それは、不可能だ」

「混乱が生じるから、でしょうか?」

「そうだ。この科学と物理が形作っている表の世界において、今更魔術を持ち出そうなどとすればどのような混乱が生じるか、分からぬわけではあるまい」

 

 知識と才能さえあれば、たった一人の人間がいとも容易く破壊を撒き散らすことも出来る。それが魔術の一面だ。確かに魔術の世界に身を置いてそれに浸かりきった者ならばともかく、道理なく魔術を知り、それが実在すると理解してしまった者がどのような事をするか。考えずとも分かることだろう。

 

 だからこそ、魔術の世界に身を置く者は極力その痕跡を表に出さないようにしている。例えば日本において正史編纂委員会が魔術という存在を徹底的に隠蔽するように、世界中でその存在や知識は隠匿されてしかるべきものなのだ。

 

 それを、よりにもよってカンピオーネを文字通り王に据えるために表に出すなどとは。秋雅に限らず、真っ当な倫理観を持つ魔術師であれば、正気を疑わないほうがおかしいことだろう。

 

「それは確かに理解しております。しかし、それでも我らは思っているのです」

 

 この世界は、人智を超えた存在にこそ、支配されるべきなのだと。クラネタリアルは、確かな笑みを浮かべながら、そう言った。

 

 それに対し、秋雅はどのような返答も行わなかった。否、行えなかったという方が正しいだろうか。それほどまでに、クラネタリアルという魔術師が放った言葉は、稲穂秋雅という王にとって、理解を拒みたくなるような言葉であったのだ。

 

 しかし、そんな秋雅の沈黙をどう受け取っているのだろうか。クラネタリアルは何処か楽しげに続ける。

 

「特に、私は貴方様、稲穂秋雅様こそが、他のカンピオーネの方々すらも超越する真なる王として相応しいと考えているのです。価値観、正義感、使命感。振る舞い、気品、思想、理念。過去、現在、未来。その全てにおいて、貴方様を超える王など存在しない。そう、私は考えております」

「……それが、私に会いに来た理由か?」

「その一端、で御座います」

 

 そう言ったところで、クラネタリアルは席を立つ。

 

「では、私はこれで失礼させていただきます。その槍に関しての情報は写真の裏に書いておきましたので、どうぞお好きにお使いください。また、ご尊顔を賜れる日を楽しみにしております……おっと、忘れる所でした」

 

 最後にお伝えすべき事がありました、とクラネタリアルはそう前置いて言う。

 

「どうか、名無しの結社(・・・・・・)にはご注意くださいませ。あれは我らと同じようで、しかし正反対の存在です。誤解なきようお願いしたく」

「…………どういう意味だ?」

 

 秋雅の問いかけに対し答えることなく、クラネタリアルは深く頭を下げる。同時、その姿が完全に消失し、周囲を覆っていた隠蔽の魔術が解除された事を秋雅は感じとる。

 

 

 

 

「クラネタリアル・バスカーラとは、一体何者だったのか……」

 

 呟き、クラネタリアルがいた空間をじっと見据える秋雅であったが、少しして頭を振り、残された写真を手に取る。

 

「まずは、目先の事件から片付けるべき、だな」

 

 意図して頭を切り替えつつ、秋雅は電話を手に取る。そしてSSIの人間に連絡を取り、今しがた手に入れた情報を伝え、動く事を要請する。

 

「……ああ、ではそれで頼む……うむ、では」

 

 幸いにも、あるいは当然にも、話は容易く通った。その事に安堵しつつ、秋雅は電話を切り、写真と一緒に懐にしまう。

 

「当面は待ちか……で、だ」

 

 はあ、とやや力のないため息を吐きながら、秋雅は目の前のテーブルを見る。そこには、もうすっかりと冷えてしまったステーキが置かれている。

 

「……やはり、もう一枚だな」

 

 これでは満足できないと呟きながら、秋雅はやや味気なく感じる肉を口に放り込んだ。

 

 

 




 だいぶ駆け足ですが、とりあえずこの章で書いておくべき最低限のことは書けたと思うので、次話から神様との戦いを書きます。どの程度の分量になるかは未定ですが、まあ頑張る所存。




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槍を振るいし神





「そうか、槍は手に入らなかったのだな」

 

 件の槍の確保に失敗した。その知らせを秋雅が受けたのは、彼がSSIに連絡をしてから数時間が経ち、そろそろ日も沈もうかという時間であった。

 

「……いや、気にしなくていい。元より不確定な情報だったのだ、その上での確保で失敗したからといって、君達を叱咤する気などない」

 

 電話越しにも分かる怯えの声に対し、秋雅は嘆息交じりにそう告げる。ジョン・プルートー・スミスという王が既にいる関係で、秋雅はSSIとは繋がりがあまりない。それ故に、まだ稲穂秋雅という王の行動パターンを知らないSSIの一魔術師からしてみれば、ひどく勇気をふり絞った報告だったようだ。まあ、秋雅からすればむしろその程度でああだこうだと文句をつける気などないのだから、勝手に緊張などしないで欲しいと思わないでもないことなのだが。とはいえ、カンピオーネという存在のこれまでの所業を鑑みると、そうしてしまう向こうの気持ちもよく分かってしまうので、どうにも痛し痒しなところであった。

 

「それよりも、確保失敗の理由を聞こうか。何があったのかね?」

 

 そう秋雅が尋ねると、電話の相手であるSSIの男性は、しどろもどろに説明を始める。

 

 曰く、秋雅の報告を受けたSSIの人間はすぐさま行動を開始し、どうにかこの広いワシントンから件の好事家の所在を突き止めたらしい。その後、適当な口実を作ってその好事家に接触し、例の槍の確保を行おうとしたそうだ。

 

 だが、その槍をSSIの魔術師が発見し、その槍から発せられている呪力を脅威に感じた彼が即刻再封印を行おうとしたところ、突如その槍が光を放ち、どこぞへと飛び去ってしまったらしい。封印の魔術の発動が何かと干渉してしまったのか、あるいは単純に()が槍を呼んだのか。仔細は分からないが、ともかくその槍は確保に動いた彼らの目の前から消え去ったことだけは確かだった。

 

 

 そういう経緯で、今秋雅に報告をしているのである、というような内容を、やや回りくどく、こちらを十二分に警戒しながら男は秋雅への説明を終える。

 

「……説明、ご苦労」

 

 そう言った後、秋雅は顎に手を当てながら何事かを考え始める。その思考による沈黙に対し、男は恐る恐る声をかけてくるが、秋雅はそれに返答をせず思考を続ける。

 

 

 

 そのまま数分――おそらく男にしてみれば恐怖に満ちた数分であったのだろう――が経った後、秋雅は致し方ないと呟いた後、

 

「こうなった以上、相手をおびき出す方向で話を進める。何処でもいい、この辺りである程度破壊されても問題ない、広い場所はないだろうか?」

 

 そのように秋雅が質問を投げかけると、男はやや驚いたような声を漏らした後、お待ちくださいと言って黙る。おそらくは都合の良い場所を探している、あるいは探させているのであろう。

 

 

 

 それから三分とも経たず、男から返答があった。ワシントン近郊にある、とある公園の名前と場所。有名所ほどではないが、しかし日本のそれと比べれば圧倒的に広く、何より人気もそう多くないその場所ならばと、男は秋雅に提案する。

 

「よし、ではその周囲を閉鎖、最低でも朝まで一切の立ち入りを禁じさせてもらいたい。努力はするが、どうしても多少の被害は予想される。復旧と情報規制の準備も進めておいてもらおうか。それと、最低限の準備が終わり次第、君達も周辺区域からの離脱しておいたほうがいい。私も、君達を余波などに巻き込みたくはないのでね」

 

 そう、秋雅が命ずると、男は間髪を入れずに了承する。男の怯え様を考えれば、ここで渋るような真似をするわけもないだろう。

 

「では、よろしく頼む……ああ、虫の良い話だが、これから私がすることにあまり混乱しないように願う」

 

 付け加えた言葉に困惑した気配を見せる男に対し、秋雅は何を言うでもなく電話を切る。

 

 

 そのまま、特に準備をするでもなく用意されたホテルの一室を出て、秋雅は屋上へと向かう。

 

「誰もいない、な」

 

 屋上に誰もいない事を確認した後、秋雅は隣のビルへと跳躍する。日本では猿飛びとも呼ばれる、人に過大な跳躍力と身軽さを与える体術を駆使し、秋雅はビルからビルへと飛び移っていく。特に隠蔽系の魔術を使っているわけではないが、その速度を鑑みれば、偶然見られたところで気の所為で済ませられるだろう。

 

 空を駆けていき、都合の良い高い建物がないところでは『我は留まらず』を用いて転移していく。そうして、大幅な時間短縮を行いながら――タクシーなどより生身の方が速いというのも大概な話だが――秋雅は目的の公園へと辿り着いた。

 

 

 

「――っと」

 

 華麗に、公園の大地に秋雅が降り立つ。そのまま秋雅がざっと気配などを探ってみると、周辺に人がいる様子はない。元々人気が少ないというのもあったのだろうが、ここはSSIの仕事の迅速さを褒めるべきであろう。

 

 

 

 

 

「混乱しないでくれると助かるが、そうはならんよな……」

 

 面倒くさそうにため息を吐いた後、秋雅はその手に『雷鎚』を呼び出す。

 

「――来たれ、我が頭上に」

 

 短く聖句を唱え、秋雅はその身の呪力を高める。すると、秋雅の頭上、つまりはこの公園を覆うようにして、段々と空に黒雲が集っていく。それは秋雅が生じさせた、呪力に満ちた雷雲であった。その呪力たるや、普通の魔術師が見れば天変地異かと恐れを抱いてしまうほどの物だろう。

 

 無論、これは遊び半分で発生させたわけではない。これは何処かにもうすでに降臨しているであろう、まつろわぬ神に対する篝火だ。この尋常の物ではない雷雲を見て、同類(まつろわぬ神)、あるいは怨敵(カンピオーネ)の物だと気付かぬまつろわぬ神はまずいないはず。であれば、何事であろうかとこちらに来る可能性が高い。そう考えた上での、秋雅なりのおびき寄せの手段であった。少々周囲への混乱は大きくなってしまうが、見た目に反して、秋雅の意思なく雷を落とすということもない無害な雲であるので、一般人への被害はそう発生しないだろう。呪力を察知できる魔術師達は混乱させてしまうだろうが、ここは仕方のない事を割り切るより他ない。秋雅としても、守るべき優先順位というものがあるのだから。

 

 

 

 

 

「さて、どうなるか」

 

 頭上の雷雲を仰ぎつつ、秋雅は小さく呟く。可能であれば手早く現れて欲しい、そう思う秋雅であったが、

 

「――っ!!」

 

 突如、その場を大きく跳び退る。秋雅自身も理解が追いついていない、純粋に直感からきた反射的な行動であったが、それが秋雅にとって幸いした。

 

 

 

 

 先ほどまで秋雅がいた場所、そこに一本の槍が突き刺さる。それは間違いなく、例の写真に写っていた槍に相違ない。余程の膂力にて放たれたのであろうそれは、秋雅が立っていた地面を大きく抉り、貫く。秋雅が咄嗟に回避をしなければ、間違いなくそれは秋雅の身体の中心を貫いていただろう。

 

「来たか!」

 

 篝火を目印に本命(・・)が訪れた。その事をしてやったりという気持ちを僅かばかりではあるが感じながら、秋雅は槍が飛来した方向にバッと目を向ける。

 

 

 空中、雷雲の下にそこに佇んでいたのは、豪奢な仮面をつけた人間大の何か(・・)。その身から溢れる呪力と存在感、そして強い殺気。

 

 秋雅は直感する――まつろわぬ神である、と。

 

「――避けたか、神殺しよ」

 

 そう、まつろわぬ神は呟く。距離を考えれば絶対に秋雅の耳に届かないであろう声量であったにもかかわらず、それはまるで脳裏に直接響いたかのように秋雅にその言葉を認識させる。

 

「我を呼び機寄せるとは、やはり不遜な――」

「――悪いが」

 

 何事か、言葉を紡ごうとするまつろわぬ神を遮って、秋雅は右手を開く。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 そこに握られた真っ黒なザクロの実をまつろわぬ神に見せ付けるようにしながら、秋雅は素早く聖句を唱える。

 

 

 その瞬間、公園からまつろわぬ神と秋雅の姿が消える。稲穂秋雅が誇る権能の一つ、『冥府への扉』の発動であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……謀ったか、神殺し」

 

 冥府、赤黒く不気味なその世界において、宙に浮かぶまつろわぬ神は不愉快そうに呟く。秋雅の思惑通り呼び出され、そのまま流れるように秋雅の支配領域へと引き込まれたことに対するものであろう。

 

「生憎と無駄に被害を出すわけにはいかないんでな、謀りもする」

「民を支配し、隷属させし神殺しがそのようなことをのたまうとはな。不愉快極まりないことである」

 

 言いながら、まつろわぬ神の手に先ほどの槍が現れる。一応、この『冥府』において秋雅の了承なく外部にある物体を呼び出すことは出来ないはずなのだが、それを易々とやってのけるとは、流石はまつろわぬ神と言ったところだろうか。

 

「お前達にどう思われようかなどどうでもいいことだ――それよりも」

 

 雷鎚を構え、秋雅は未だに宙に浮かぶまつろわぬ神に対し、宣言する。

 

 

「――我が名は稲穂秋雅、貴様を滅ぼす者なり!!」

 

 そして、その手の雷鎚をまつろわぬ神に向け、叫ぶ。

 

 

「名乗れ、我が敵よ!!」

「よかろう――」

 

 

 対し、まつろわぬ神もまた、地上にいる秋雅にその穂先を向け、名乗る。

 

 

「――我が名はトラウィスカルパンテクートリ! 汝、不遜なる神殺しを討つ者なり!!」

 

 

 




 ここで一旦切ります。一話か二話ぐらいで戦闘を収めたい所存。それと今回出てきた神様ですが、一応調べてはいますがそれほど詳しいと言うわけではないので変なところもあるかもしれませんが、まあお許しを。とはいっても、これに関してはこの話に限らずこの作品全体に通じることなんですが。ついでに実際の地理とかもそういう感じで頼みます。ワシントン郊外に広くて歴史的な価値の低い公園があるかどうかとか知らないです。





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破壊神の炎







「受けよ!」

 

 先に動いたのは、トラウィスカルパンテクートリの方であった。手に持つ槍、その穂先を秋雅に向けると、その穂先より業火が放たれた。その豪華は空中へと広がっていきながら、地面に立つ秋雅へと真っ直ぐに向かう。

 

 それに対し、秋雅は特に動揺する素振りも見せず、瞬時に『我は留まらず』を発動させ、その場から転移する。秋雅の正面、トラウィスカルパンテクートリから見て後方となる位置だ。

 

 その後、炎は秋雅がいた地面を舐めるように覆い尽くす。その後、炎が消え去った時には、特に燃えるようなものがなかったはずの大地が抉り取られるようにして消滅していた。

 

 古代アステカにおいて、金星からの光はあらゆる災いをもたらすものとされていた。それ故か、その金星の化身たるトラウィスカルパンテクートリは破壊神として恐れられており、激しく燃え盛る槍を投げつける姿で現されたという。この炎も、その破壊神としての力の一旦ということであろう。

 

「逃がさんぞ!」

 

 秋雅が回避をした事を認識し、トラウィスカルパンテクートリは振り返り槍を振るう。その動きに合わせ再び穂先から炎が出現し、転移直後の秋雅を焼き尽くさんとする。

 

「ええい、面倒な!」

 

 吐き捨てるように言いながら、秋雅は再び転移をする。炎の効果範囲が広すぎるため、『我は留まらず』による転移でないと回避が間に合わない。

 

「ちょこまかと!」

 

 トラウィスカルパンテクートリのほうもまた、秋雅の転移にあわせ槍を振り回す。その動きに従うように、まるで鞭のように炎がしなり、秋雅を執拗に狙う。それをまた秋雅が転移により回避し、またもやトラウィスカルパンテクートリが槍を振るう。

 

 

「そろそろこちらも、動かせてもらうぞ!」

 

 連続跳躍の後、秋雅がようやく動いた。十分に距離を取った事を確認して、秋雅は右手より雷を放つ。牽制としての一撃、それに対しトラウィスカルパンテクートリは穂先より炎を出して迎撃する。

 

「その程度の雷!」

 

 炎と雷による、一瞬の拮抗。敗れ去ったのは、雷の方であった。破壊の炎が、秋雅の雷を上回ったのである。仮にも破壊神が操る炎だ、本気で放った雷や権能そのものでもある『雷鎚』でもない限り、おそらくは容易く破られてしまうだろう。

 

「囮なんだよ!」

 

 しかしそれも、秋雅にとって織り込み済みのこと。攻撃ではなく、迎撃としてトラウィスカルパンテクートリが炎を放ったその隙に、秋雅は現実世界で見せたように、上空に雷雲を生み出す。

 

「落ちろ!」

 

 秋雅の号令と共に、雷雲より十数の雷が一度に落ちる。その落雷は真っ直ぐとトラウィスカルパンテクートリを目指し、まつろわぬ神を焼き尽くさんと轟音を鳴らす。

 

「むう!?」

 

 自らを目指す落雷に、トラウィスカルパンテクートリは咄嗟に槍を天に掲げる。そして穂先より横に広がるようにして炎が展開し、トラウィスカルパンテクートリを落雷から守る。

 

「そこだ――!」

 

 トラウィスカルパンテクートリが防御に炎と意識を向けたその隙を、秋雅は見逃さない。『我は留まらず』を発動し、無防備なその胴体に雷鎚を叩き込まんと腕を振り上げようとする。

 

 

 

 その瞬間、

 

「っ!?」

 

 思わず、秋雅の表情が驚愕に歪む。転移したと同時に感じた身も凍えそうなほどの冷気と、それに付随して突如鈍くなる身体の動き。何が、と秋雅は思わず疑問に思う。

 

 が、それも一瞬のこと。今自分がすべきことは何かと、秋雅は思うように動かない腕を振り下ろし、トラウィスカルパンテクートリを打ち砕かんとする。

 

 

 激突音が響き渡る。直撃した、と音だけを聞けば誰もがそう思っただろう。

 

「――なにっ!?」

 

 だが、一撃を与えたはずの秋雅が漏らしたのは、確かな驚きに満ちた声。何故ならば、彼の視線の先、雷鎚が当たったのはトラウィスカルパンテクートリの胴体ではなく、一枚の石版であった。雷鎚の一撃を受け、放射状に皹が入っているものの、しかしその等身大ほどの石版はトラウィスカルパンテクートリを秋雅より守らんと、両者の間に浮遊している。

 

「こいつは――」

 

 どういうことか、と秋雅の頭脳は理由を探ろうとする。

 

 

 しかし、当然ながら、そのような暇はない。未だ、秋雅の敵は健在であるのだから。

 

「神殺し!」

「っ!!」

 

 攻撃に反応したトラウィスカルパンテクートリの声に、秋雅は咄嗟に目の前の石版を蹴り、後方へと跳ぶ。同時、秋雅の眼前を槍の穂先が駆け抜けていく。

 

「ちいっ!!」

 

 間一髪。ギリギリではあったものの、秋雅は反撃を避ける事が出来た。攻撃を回避した秋雅はそのまま地面まで落下し、着地したタイミングでさらに後方へと大きく跳び退く。猿飛を併用した二度の跳躍により、どうにか秋雅は安全圏までの退避を完了させた。

 

「……今のは」

 

 大きく下がったことにより、ようやく秋雅に先の出来事について考える余裕が生まれた。追撃を受けぬように雷雲から連続して雷を降らせつつ、秋雅は思考の一部を推測へと回す。まず思い出すべきはトラウィスカルパンテクートリについて、どのような神であるのかという知識だ。

 

 

「確か……」

 

 曰く、トラウィスカルパンテクートリは、かつて誕生した太陽神トナティウが生贄を求めたことに対し腹を立て、その槍を放ったとされる。が、太陽によって槍を跳ね返されてしまい、自身の頭に槍が突き刺さってしまった。その瞬間より、イツラコリウキという神に転じてしまったという。そして、イツラコリウキが司るのは、石と寒気であるとされる。夜明け前の冷え込むのも、またこの神の仕業であるそうだ。

 

 

 

「……そういうことなのか?」

 

 そこまでを思い出したところで、秋雅は悩みつつもそう呟く。致し方のないことだが、秋雅は専業魔術師と比べると神話に関する知識はそう多くない。特にアステカ神話というあまりに自身とかかわりが薄いことに関しては、ほとんど知らないといっていい。だが、今回に関してはそれで十分であるようだった。

 

「たぶん、さっきの冷気と石版はイツラコリウキ由来のもの。身も凍えるほどの冷気は単純な物理現象に囚われず近づいた者の動きを鈍らせ、石は石版となって自身を守る、と。あの感じからすると石版は自動防御か? 今見えないのは必要時のみ転送されてくるのか、あるいはただ隠れているだけか。冷気の方も、常時展開の可能性が高いか。どっちもこっちに反応して展開した素振りはなかった」

 

 

 推測を進めるため、秋雅は思考をそのまま口に出していく。回避や牽制を行う必要もあるので、きっちりと思考の中のみで推理を収める事が難しい故の反応だ。

 

「だとすると厄介だな。この感じだと遠距離は通し難いが、かといって近接もかなりの負荷がかかる。その上、最低でも一撃は防がれる可能性が高い。いや、二枚以上はないか? あるなら最初からそっちに防御を任せ、自分は攻撃に専念した方がいい。やはり非常時用の可能性が高い……か? 情報が足りないが、下手に突っ込むわけにも……」

 

 

 どうすればこの神を攻略できるか。その策を考えつつ、秋雅は回避を続ける。この間にも、トラウィスカルパンテクートリからの執拗な攻撃の手は決して止んでいないのだ。

 

「……とはいえ、このままじゃ事態は好転しない。幸い、トラウィスカルパンテクートリは破壊神で武神の類じゃない。近接能力はそこまで高くないはずだ」

 

 秋雅の見る限り、トラウィスカルパンテクートリの近接格闘能力はそう高くない。そうであるならば、先ほどのような場面でもっと早く反応するか、あるいはそもそもあのような隙は作らないと判断できるからだ。持っている武器が槍という、近接戦闘においてかなり強い武器である事がネックではあるが、使い手が達人でないのであれば、どうにか間合いの内側に入り込むことも不可能ではないだろう。

 

 

「――やってみるしかないか」

 

 確定情報は少なく、状況は良いとは言えない。だが、このままではジリ貧になってお仕舞いとなるのがオチだ。であれば、無理を通すより他にない。そう、秋雅は決心した。

 

「雷よ、我を育み、鍛えあげよ。雷よ、我にとって唯一無二の力となれ……!」

 

 秋雅の言葉と共に呪力が溢れ、バチバチと秋雅の全身で火花が散る。『実り、育み、食し、そして力となれ』を用いた身体強化だ。身体能力が低下させられるのであれば、それを踏まえた上でそれ以上に強化すればいい。単純だが分かりやすい手である。

 

「落ちよ、雷! 我が道を阻む敵を、その光でもって討ち滅ぼせ!」

 

 続けて唱えるのは、雷雲を強化するための『万砕の雷鎚』の聖句。それと共に秋雅の身体から再び呪力が迸り、頭上にある雷雲は敵に対し威嚇するかのように雷鳴を響かせる。

 

「何を企もうとも!」

 

 秋雅の動きを察知し、トラウィスカルパンテクートリは先んじて攻撃を放つ。何度となく見た、槍より放つ破壊の炎だ。

 

「どうかな!」

 

 それに対し、秋雅も『我は留まらず』を発動させ、転移する。場所はトラウィスカルパンテクートリ直下、つまりは真下だ。

 

「――くっ!」

 

 転移と同時、秋雅の身体を冷気が襲う。イツラコリウキの冷気、そしてそれに付随する身体能力低下の結界だ。今秋雅は地上におり、トラウィスカルパンテクートリは地上五メートルほどにいるので、その効果範囲は最低でも半径五メートルの球状。身体の周辺だけだろうと思っていた秋雅の予想よりも、はるかに大きい結界だ。

 

「だとしても、関係ないな!」

 

 叫び、秋雅の手に雷が満ちると同時、上空の雷雲もその身から雷光を放つ。天と地より、二つの雷がトラウィスカルパンテクートリを挟み込むようにして放たれる。

 

「小癪な!」

 

 同時、トラウィスカルパンテクートリは真下に、秋雅に向けて穂先を向ける。防御と攻撃、その二つを一度に行おうという魂胆だろう。トラウィスカルパンテクートリの炎であれば、雷を飲み込んで秋雅を焼き尽くすことも難しいことではないのだから。

 

 

 故に、その選択は秋雅にとっては読めていた。冷静に、取り乱すことなく、先に決めていた通りに秋雅は転移する。

 

「――そこ!」

 

 転移場所はトラウィスカルパンテクートリ右側面部すぐ傍、秋雅に対しどうやっても槍を振るう事が出来ないはずの位置だ。

 

 そこで、秋雅は雷鎚を振るう。冷気の影響は未だ受けているが、しかし『実り、育み、食し、そして力となれ』のおかげで身体能力自体は先のそれよりも上がっている。故に、身体能力の低下などものともせず、秋雅は雷鎚による攻撃を敢行する。

 

 同時、天と地、上下からの雷もトラウィスカルパンテクートリに迫る。下方は炎が、上と横の攻撃にも石版による防御が入るだろうが、しかしあれが一枚でありさえすればもう片方の攻撃は通る。

 

 

「くらえよ!!」

 

 三方よりの同時攻撃、先ほどの反応速度から見てもどれかは通るはず。その思いで、秋雅は雷鎚を振り下ろした。

 

「ぐ、がっ!?」

 

 苦痛の声。それを漏らしたのは、紛れもなくトラウィスカルパンテクートリであった。秋雅の雷鎚は石版によって止められ――皹から見て、おそらくは先ほどのものと同じであろう。今の一撃でさらに皹が広がっている――下方よりの逆向きの雷は炎に飲み込まれたものの、しかし直上よりの落雷は、狙いを違わずトラウィスカルパンテクートリの身体を捉えた。必殺、とはまでいかないにしても、その強力な雷はトラウィスカルパンテクートリに多大な痛手を負わせたと秋雅には見えた。

 

 

 

「――な、めるな!!」

 

 しかし、深手を負いはしたものの、トラウィスカルパンテクートリもまたさるものであった。怒りの叫びと同時、その全身を炎が包み込んだのだ。

 

「なっ!?」

 

 これには、秋雅も思わず驚いた。破壊の炎は槍のみから出ると、そのように考えていた事が原因である。まさか、トラウィスカルパンテクートリが自身を炎に包み、強引に秋雅を焼こうとするなどとは、流石に思考の範囲外であったのだ。

 

 そこから生まれてしまった、一瞬の空白。咄嗟に『我は留まらず』を使用し、転移こそしたものの、攻撃として前に突き出していた秋雅の右手は完全に炎に巻き込まれて、焼失してしまい、その手にあった雷鎚はそのまま――やはり、流石の破壊神の炎も、権能そのものとも言える『雷鎚』は破壊できなかったらしい――地面へと落下していく。

 

「くっ……!」

 

 転移後、秋雅は思わず膝をつく。しかし、すぐに失った右手を見せぬかのように左半身を前にして立ち上がり、敵を見据える。

 

「ぐ、ぬう……」

 

 秋雅の視線の先、トラウィスカルパンテクートリもまた地上に降りていた。先ほどの傷のせいか、あるいは再度の挟撃を受けないようにする為か。どちらとも知れないがしかし、トラウィスカルパンテクートリはここで初めて、秋雅を見下ろすのではなく、秋雅と同じ高さに立った。

 

「……やってくれたな、神殺しよ。この我が、かような手傷を負うとは思ってもみなかったぞ。だが、それは貴様も同じ。その腕ではもう同じことは出来まい」

「それは、どうかな」

 

 痛みを感じつつも、しかし秋雅は不敵な笑みを浮かべる。その事に、トラウィスカルパンテクートリは怪訝そうな声を上げる。

 

「我を侮っているのか? 如何な手傷を負っていようとも、片手を失いしものに劣るほど、このトラウィスカルパンテクートリは弱き存在ではないぞ」

「確かに、そうかもな。だが、お前は一つ勘違いをしている」

「何だと?」

「どうして、俺が片手を失っているなんて思っているんだってことだよ」

「むう……?」

 

 不審を露にするトラウィスカルパンテクートリに対し、秋雅は身体の正面を向ける。そして、

 

「――貴様、何故……!?」

「さあ、トラウィスカルパンテクートリよ」

 

 

 驚きの声を上げるトラウィスカルパンテクートリを真正面に捉えながら、その右手に(・・・)雷鎚を構え、秋雅は言い放つ。

 

 

 

「――決着をつけようか!!」

 

 

 




 たぶん次話で決着をつける、と思います。それに付随して現状で秋雅が持つ残りの権能も露になる予定。まだ名前を出していない二つのうち、一つは最後に使ったものです。ま、まだ底を見せていない権能もあるんですけどね……。






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翼持つ蛇、全てを滅ぼす雷槍






「シッ――!!」

 

 鋭く息を吐き出しつつ、秋雅が駆け出す。その身体から、自身を強化する雷光がバチバチという音と共に漏れ出す。一直線の軌道、同じ目線に降りてきたトラウィスカルパンテクートリ狙いの突撃だ。

 

「ぬうっ!」

 

 高速で迫る秋雅に、トラウィスカルパンテクートリはすかさず槍を向ける。不可思議や負傷はある。だが、それを強引に飲み込んで、神殺したる秋雅を討ち滅ぼすことを優先することを選択した。

 

「何であろうとも!」

 

 叫び、トラウィスカルパンテクートリは破壊の炎を秋雅に対し放つ。穂先より放たれたそれは真っ直ぐに、そして周囲に広がりながら秋雅を目指す。

 

「狙いは読めているぞ、神殺し!」

 

 トラウィスカルパンテクートリはまたもや、自身の身体を破壊の炎で包む。秋雅の不意打ちに対する備え、だけではない。炎はトラウィスカルパンテクートリの周囲を包むだけに飽き足らず、その勢いのままに天空へと昇っていく。狙いは上空にある雷雲、多少の自傷を糧に、秋雅の不意打ちの全てを防ごうという魂胆だ。

 

「これで――」

 

 炎が雷雲へと手を伸ばし、その姿を焼き尽くした所で、トラウィスカルパンテクートリは勝利を確信する。もはや、秋雅に打つ手はない。それを口に出そうとした、その瞬間、

 

「――なっ!?」

 

 正面、炎の壁を突き破って、何かが飛来してくる。それは真っ直ぐに、ただトラウィスカルパンテクートリを狙って向かってくる。秋雅が手に持っていた武器、『雷鎚』である、とトラウィスカルパンテクートリの視覚は捉えた。同時、破壊の炎すらも乗り越えてきたかの鎚を受けてはならない、と直感する。

 

「うおおおっ!!?」

 

 叫び、トラウィスカルパンテクートリはその身を捻る。炎を吐き出す槍を手放してでも、トラウィスカルパンテクートリはその雷鎚を強引に回避する。ギリギリであり、わずかに頭部を掠めはしたものの、結果として直撃を受けてはいない。

 

「苦し紛れ程度――」

 

 トラウィスカルパンテクートリの目に飛び込んできたのは、またしても不可解な光景だった。今しがた避けたはずの雷鎚が、何故か再びこちらへと迫ってきていたのだ。何故と思うよりも先に、トラウィスカルパンテクートリは悟る。これは避けられない、と。

 

 そうトラウィスカルパンテクートリが悟った瞬間、その眼前に石版が出現する。自身を攻撃より守る、イツラコリウキの石だ。

 

 

 激突音が響き、石版の皹がさらに広がっていく。だが、皹が広がりはしたものの、その身を砕くまでには至っていない。完全に防御した、そう判断できる。

 

「――ぐ、はっ!?」

 

 だが、トラウィスカルパンテクートリは確かな痛みを感じた。正面ではなく、背中に、である。

 

 身が打ち砕かれそうなほどの威力を持った、熱く激しい雷の衝撃。先ほど受けたものと同じ、いや、それ以上の威力の雷が、確かにあるはずの炎の壁を打ち破ってトラウィスカルパンテクートリにまで届いたのだ。

 

「ぐおおおおっ!!!」

 

 痛みにトラウィスカルパンテクートリは叫び、自分を守ってくれた石版を押しのけるようにして――その際に見れば、石版に雷鎚が刺さっていた。この所為で攻撃が続行中であると解釈され、背後への攻撃に反応しなかったのであろう――前に跳ぶ。そして、背後にいるであろう神殺しを視認するために、急ぎ振り向く。

 

「――そういう、ことか!」

 

 そこにあった秋雅の姿を見て、トラウィスカルパンテクートリはどうやって今も纏っている炎の壁を打ち破り、己に雷を当てたのかを悟る。

 

「神殺し! 貴様、己が肉体を盾にしたのか!?」

 

 その言葉に対し、左手がない(・・・・・)秋雅は不適に笑う。驚くべきことに、秋雅は自分の腕をわざと炎の中に突っ込み、腕が焼き消える前に最大威力の雷を放ったのだ。その方法であれば消えることなく雷が届くと、そのような算段の下に実行した、腕一本を代償とした捨て身の作戦――ではない。

 

「それなりに無茶がきく身体なんでね。痛みもろくに感じないほどに威力があったおかけでもあるが」

 

 言いながら、秋雅は無傷の左腕を見せる。確かに一瞬前まで失われたはずのそれが突然に元に戻っている様を見て、トラウィスカルパンテクートリは気付き、声をあげる。

 

「それは蛇の――不死の、権能か!? 貴様は、蛇に連なる存在より、その不死性を奪ったのだな!!」

「流石に、気付くか。まあ、だからどうしたという話だが」

 

 かつて秋雅が倒したギリシャ神話に登場する不死なる蛇の怪物、エキドナより簒奪した権能。四肢を失うなどの重症を負った際に、その負傷を含めた全身を一瞬にして再生させる、脱皮という蛇の属性を現した権能の名を、秋雅は『古き衣を脱ぎ捨てよ(リプロダクション・ライク・ザ・スネーク)』と名づけている。

 

 その権能を、今回秋雅は使用したのである。正確には、基本的にオートで発動する権能であるので、使用したというよりは、それによるリカバーを前提とした策を組んだ、というほうが正しいか。攻撃を喰らうことには変わりないのであまり積極的には策に組み込まないことのほうがいいのだが、今回はそうする必要があったと判断したのだ。事実、そうしなければ、いかに避けられた雷槌と自身を『我は留まらず』で入れ替え、雷鎚の再度攻撃と後方よりの奇襲という策が通った所で、ろくに攻撃を通す事が出来なかったであろう。

 

 

 

 

 

 

「ぬう……っ」

 

 がくりと、トラウィスカルパンテクートリが膝をついた。既に身に纏っていた炎はない。二度の雷の直撃と自身を覆った炎のダメージに、いよいよ限界に近づいてきたのだろう。満身創痍、という言葉が相応しいように、秋雅には見えた。

 

「膝をつく、か。ならば、討たせてもらうぞ」

 

 そんなトラウィスカルパンテクートリに対して、秋雅の方はまだ余力があった。呪力こそかなりの量を消費しているが、肉体的な不調は一切ない。厄介な石版も雷鎚で足止め出来ている現状、雷なり徒手空拳なりでこのまま決着をつけることは十分に可能であろう。

 

「……討つ? この我を、貴様如きが討つだと?」

 

 勝敗は決した、と言わんばかりの秋雅の台詞に、トラウィスカルパンテクートリは呼び寄せた槍を杖に立ち上がり、秋雅を見る。仮面でその目を見ることは出来ないが、おそらくは憎々しげに睨みつけていることだろう。

 

「貴様のような、不遜にして傲慢なる神殺しが、このトラウィスカルパンテクートリを討つだと? そのような大言――許すものかあああああああああ!!!」

 

 叫びと共に、トラウィスカルパンテクートリの身体が膨張する。仮面は弾け、槍は吸収され、その身は段々と大きくなり、空へと昇っていく。巨大化し、変質したその姿を見て、秋雅は思わず呟く。

 

「翼を持った蛇……だと?」

 

 十数メートルはあろうかという長い体躯に、その身体より生える巨大なる両翼。アステカ神話において、そのような姿を持った神はたったの一柱のみ。アステカ神話における農耕、文化を司り、かなりの力を誇る高位の神。平和の神でもあり、後に金星に姿を変えたという伝承から、トラウィスカルパンテクートリを化身とするその神の名は――

 

 

 

「――ケツァルコアトル」

 

 

 十数メートル上空、その巨躯を悠然と揺らす翼持つ蛇を見上げながら、秋雅は驚きをもってその名を口にする。

 

「トラウィスカルパンテクートリがケツァルコアトルの化身であるという伝承から、逆にその姿をとったのか……なんと出鱈目な」

「神殺し! この姿をもって、貴様を滅してくれるわ!」

 

 吠えるようにして『蛇』はその口から炎を吐き出す。それを大きく後方に跳んで回避しながら、秋雅は仕方がないと呟く。

 

「やりたくはないが、あの巨体相手にはあれ(・・)を使う以外に手はなさそうだな。呪力は……まあどうにか足りるだろう。となると……」

 

 ちらり、と秋雅は公園の外、ビルが立ち並ぶ街並みのほうを見る。

 

「あっちに誘い込むか。やれやれ、外じゃなくて本当に良かったな」

 

 ぼやき、秋雅はビル群に向かって駆け出した。『我は留まらず』は使わず、強化された脚と跳躍を駆使し、秋雅は公園を出て走る。

 

「逃げるか、神殺し!」

 

 逃げる秋雅を、『蛇』が追う。幸いにも、その速度はそうたいしたものでもなく、巨体による圧迫感こそはあるものの、しかし秋雅は追いつかれることなく街中を走っていく。

 

「……炎以外撃ってこないという事は、見掛け倒しみたいだな。やはり、ケツァルコアトル自身じゃなきゃその程度ってことか」

「何処まで逃げるつもりだ、神殺しよ!」

 

 小さな秋雅の呟きが聞こえるはずもなく、攻撃もせず、ただただ背を向けて走る秋雅に気をよくし、『蛇』は嘲るようにして笑う。それにも特に反応することなく、秋雅はビル群の中、街道を駆けていく。それを数分ばかり続けたところで、秋雅はようやく足を止め、上空を振り向いた。

 

「……良い位置取り、だな」

「ようやく諦めたか! 大人しく我が裁きを受け入れよ!!」

 

 足を止めた秋雅に対し、『蛇』は大きな口を開けて炎を吐き出す。しかし、それが当たるよりも早く、秋雅は『我は留まらず』を発動し、『蛇』から数十メートルは遠かろうかという地点にまで転移する。

 

「まだ逃げるか!」

「さて、どうだろうな」

 

 聞こえない、と分かっていながら秋雅は口の端を軽く歪めて言う。それは結局秋雅の狙いを見抜く事が出来なかった、『蛇』に対する嘲りの声だった。

 

 

 そして、

 

「――さあ、決着の時だ!」

 

 バチバチと、秋雅の両の手の間に雷が迸る。溢れ出さんとするそれを抑えつけながら、まるで投擲を行うが如く、秋雅は雷光を掲げる。

 

「うおおおおおおおおっ!!!」

 

 叫びと共に、秋雅の身体より呪力が溢れ出す。それに比例して手の内にある雷光がさらに力を増し、一つの姿へとなっていく。その姿を一言で現すのであれば、

 

「雷の……槍?」

 

 秋雅の手にある雷を見て、戦くように『蛇』が言う。それに秘められし圧倒的な力に、『蛇』は恐怖を感じ、その場から逃げようとする。

 

 

 

 だが、それは叶わない。その巨躯は周囲に立ち並ぶビルに阻まれ、ろくに身動きをとることもできない。上昇をするには時間が足りず、可能なのは前進をすることぐらいだ。

 

「まさか!? これを狙ってか?!」

 

 ことここに至ってようやく、『蛇』は秋雅が何故ここに走ったのか、その理由を悟る。誘い込まれてしまったのだと、後悔と共に『蛇』は理解する。

 

「この――神殺しがぁあああ!!!」

 

 

 

 『蛇』の口より、炎を纏った槍が秋雅めがけて吐き出される。その悪あがきにも等しい攻撃を認識しつつ、秋雅は聖句を唱える。

 

「――宇宙すらも破壊するケラウノスよ! 今こそ我が手に宿り、この世界の悉くを焼き尽くすがいい!」

 

 

 これこそ、多神教たるギリシャ神話において、唯一神的な扱いを受けることもある、強大にして絶対的な力を持つ天空神ゼウスより、秋雅が死闘の末に簒奪した最強の雷。秋雅のみに宿った際に、槍の姿を得たそれは全ての敵を破滅させる絶対的な破壊の力。そのあまりに強大な威力から、最後の切札という立場を秋雅より位置づけられたその権能の名は、

 

「これで――『終焉の雷霆(ジ・エンド)』だ!!」

 

 

 

 秋雅の手より放たれた雷槍は、上空に在る『蛇』を滅ぼさんと駆け、空を割る。途中、破壊の炎纏いし槍を飲み込み、消滅させながら、雷槍は『蛇』へと激突し、その光を解放する。

 

 

「まさか、まさかこの我が――!!?」

 

 『蛇』は、トラウィスカルパンテクートリは、信じられぬように叫びながら、その光に飲み込まれる。雷光は蛇を飲み込むに飽き足らず、周囲にあるビル群すらの飲み込み、際限なく広がっていく。

 

 

 

 一体どれ程の時間、その雷光は在り続けたのだろうか。それがようやくに収まった時、そこには何もなかった。まつろわぬ神も、立ち並ぶビルも、道も、何もかもがない。ゆうに数キロは円状に消滅し、残ったのは地面にある大きなクレーター状の穴だけだ。ぽっかりと、街の一部を丸く切り取ったかのように、そこには何も存在しなかった。

 

「……相変わらず、馬鹿げた威力だ、な」

 

 その光景を、さらに数キロほど離れた地点から、秋雅は呆れるよう呟きながら見ていた。『終焉の雷霆』の使用後、残った呪力を『我は留まらず』に注ぎ込んでここまで移動して来たのだ。そうしなければ、かの雷光は秋雅すらも飲み込んでいただろう。威力もさることながら、発動後の見境の無さもまた、秋雅がこの権能を最後の切札として普段は絶対に使わないようにしている理由であった。

 

 

「は、あ。流石に、疲れた……」

 

 ぼんやりと背に感じる権能が増えた重みを感じながら、秋雅は傍にあった街路樹にもたれかかるようにして座り込む。正真正銘、呪力は空っぽ。戦闘が終わったことで張り詰めていた緊張の糸も切れ、もう一歩も歩く気力がない状態だった。

 

「朝まで、って言っておいたしなあ。このまま、寝てしまおうか……」

 

 身体に感じる疲れに、秋雅が呟く。SSIにまつろわぬ神討伐の知らせを一刻も早く伝えるべきなのは分かっていたが、身体が言う事を聞かない。万一を考えると、安全になったここを出るのもリスクがある。そんなことをつらつらと考えていると、段々と秋雅のまぶたが重くなってくる。思考に関係なく、秋雅の身体は休息を欲していた。抗えぬその欲求に、段々と秋雅の意識が闇に飲まれていっていく。

 

 

 

 

 

「……ああ、そうだ」

 

 そんな中、何かに気付いたかのように秋雅は呟く。

 

「そう言えば……ここで寝ると、彼女(・・)と会ってしまうんだった、なあ。あんまり、会いたくはないんだが…………まあ、仕方ない、か…………」

 

 

 最後にそう呟いて、秋雅の意識は完全に闇に飲まれるのであった。

 

 




 これで決着。次話でこの章は終わる予定です。




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冥府での会話と次への予感

 稲穂秋雅が誇る権能の一つ、『冥府への扉』は、自身と対象者を死者の世界たる『冥府』へと送る権能である。しかし、ここでいう『冥府』と、真実他者より『冥府』と呼ばれるに相応しい世界というのは、似てはいるものの実は全く違うものである。

 

 というのも、本来の冥府――区別をつけるために、秋雅などは『冥界』と呼ぶことが多い――があるのは、生と不死の境界、あるいはアストラル界などと呼ばれる世界であるからだ。

 

 アストラル界はそもそも、無数の独立した空間が寄り集まって出来た、不連続な階層の連なりの世界である。冥界もまた、そのいくつもある階層のうちの一部だ。そこには亡者と呼ぶべき住人や、死を司る者たちなどが住み、その地の神に従っている。また階層の一つ、ではなく、一部と述べたように、アストラル界には複数の冥界が存在している。それぞれの文化、それぞれの神話に基づいた――あるいは元となった――冥界が幾つもあり、それらの一つないし全てをまとめて『冥界』と呼称しているのだ。そのうちには秋雅がその主より権能と共に簒奪し、妖精王として君臨する場所もある。秋雅にとっては、そこがいわゆる『冥界』となるだろう。

 

 対し、『冥府』とは何か。一言で例えれば、本物の冥界の『模造品』という言葉がしっくり来るだろう。例えば世界の『色』であったり、『空気』であったり、『理』であったり。そういった構成要素はオリジナルに近く、しかしあちらと違い小さく、閉じた世界だ。『冥界』をこの現実世界とするならば、『冥府』は秋雅の手によって作られた、現実を模した積み木細工の世界と例えることも出来るかもしれない。

 

 そうであるので、所詮秋雅が作った『冥府』は、アストラル界とはつながりを持っていない。あくまで冥府は秋雅が作り出した、現実世界ともアストラル界ともまた違った空間であるからだ。

 

 しかし、直接的なつながりがないとはいえ、『冥府』が生と死の境界に近いというのも、また事実である。流石に『冥府』からアストラル世界に行くというのは無理があるものの、『声』を届かせる程度であれば、全く出来ないというわけでもない。

 

 だからであろうか。この冥府において眠るなどして意識を手放した時、しばしばあちら(・・・)から、とある真なる神に呼びかけられる事があった。

 

 

 

 

「――はあい、秋雅」

 

 気の抜けた女の声。それを耳にした秋雅は、面倒くさげに目を開ける。冥府とは違う、何処までも灰色一色な空間。そのような場所に自分がいるということを驚きもせず、秋雅は半眼で声の主を見やる。

 

「あ、起きた? お疲れ様、今日も頑張っていたわね。あたしも鼻が高いわ」

「……そうか」

「あら、気の無い返事。もう少し、会話に乗ってくれてもいいんじゃないかしら?」

 

 そう言って、プリプリと怒った仕草を見せたのは、一人の少女だ。何も考えずに見れば、十代半ばというぐらいの年月に見える。どちらかと言えば小柄で細身、所謂スレンダーと称される体型であるというのも、その印象を補強するであろう。

 

 しかし、不思議とその雰囲気と容姿は蠱惑的だ。可愛いと評するのが正しい童顔と体つきながら、しかし妙に『女』らしさのある少女。その名前を、秋雅はよく知っている。

 

「さして会いたいと思っていない相手との会話を楽しめるほど、私は八方美人的ではないということだ、パンドラ」

 

 パンドラ。真なる神にして、不死者エピメテウスの妻。人の身でありながら神を殺した者を真に神殺しへと、カンピオーネへと転生する大呪法を施す女。カンピオーネからしてみれば、支援者的な立ち位置にある存在。もっとも、それをありがたく思うか、それとも疎ましく思うかは、神殺しとなった人間ごとに異なるのだろうが。

 

「相変わらずねえ、秋雅。あたしもある意味では母親のようなものなんだから、もう少し気安い態度をとってもいいんじゃないかしら」

「生憎と、私が母と呼ぶ人はたったの一人だけだ。貴女ではないし、貴女であるはずがない。これ以上私を不快にさせるのであれば、私はこの場を即刻去るぞ」

「はいはい、怒らないの。まったく、あたしに対しては妙に怒りっぽいんだから」

 

 やれやれ、とパンドラは肩をすくめた。そんな彼女の態度に片眉を上げつつも、秋雅は口を開く。

 

「それで、今回は何故私を呼び出したのだ?」

「んー、特に何って理由があるわけじゃないんだけどね? ただ、久しぶりに貴方がこっちに来たから、ちょっと話でもしようかなって」

「はた迷惑な話だ」

「だってねえ。あの子と同じで秋雅もこっちの世界に来る事が出来るっていうのに、中々来てくれないんだもの。たまには子供と話したいと思うのは、母親として当然じゃないかしら?」

「母と認めた覚えはない、と言ったはずだが。それに、行く意味がない場所に行く気が起こる筈がないだろう」

 

 神殺しがパンドラに会う――あちらが声をかけられるようにする、と言ったほうが正しいかもしれないが――方法として、大別すると二種類の方法がある。一つ目は非常にギリギリなレベルで死に掛ける、あるいはその後の蘇生を前提としての死を受け入れることで、それにより生と死の境界に近づくこと。そして二つ目は、異界渡りの秘術を用いて、自らアストラル世界に足を踏み入れるというものだ。

 

 だが、前者はともかくとして――ともかくと言えるのは神殺しだけだが――後者の方法は中々に難易度が高い。そこらの魔術師に扱えるほど異界渡りの秘術は容易いものではないからだ。また、カンピオーネにはあまり関係がないが、只の人間が渡る場合は、アストラル界に身体を適応させるために、特別な霊薬を使う必要もある。

 

 ただし、これはあくまで、異界渡りを望むものが一般人である場合の話だ。例えば中国の神殺しである『羅濠教主』などは、その卓越した方術の腕前によりアストラル世界までの転移を可能としており、ジョン・プルートー・スミスに至っては、アストラル世界の支配者層より簒奪した『妖精王の帝冠』という権能を用いることで、かの地への行き来を自由に行っている。

 

 そして、秋雅もまた、その行き来を可能とした者の一人であった。ただし、前述した二人のように、単体での転移は出来ない。特殊な――しかし、それでもただの魔術師が行うのと比べると、かなり難易度の低い準備で事足りる――方法を用いることで異界渡りを可能としていた。それも全ては、『冥府への扉』の恩恵によるものである。これ単体ではアストラル世界への転移を行うことは出来ないが、それを補助し、転移を容易とする効果をかの権能が所持しているためだ。

 

 とは言え、あくまで可能であるというだけで、秋雅が実際に転移をしているということではない。秋雅の場合、他の王と比べてかなり平常時にやる事が多く、たかだが散策程度の為にアストラル世界を訪れている暇など無いからだ。

 

 一応、秋雅もハデスを弑逆した際に、その領地である『冥界』を継承し、妖精王の一人となっている。だから本来であればその地を訪れ、治める責務があるのだが、これに関しては――秋雅にしては珍しく、と言えるかも知れないが――放置している面がある。理由としては、『冥界』という地では存外王が出張るほどの問題も起きないし、居た所で亡者の嘆きの声や死に纏わるアストラル世界の住人たちの辛気臭い気配を四六時中味わうことになってしまうので、さしもの秋雅も放置しないとしんどいからであった。まあ一応、もしもあちらで問題が起こった場合には、すぐに駆けつけられるように準備はしているのだが。

 

 行くのに手間がかかり、行った後も手間がかかり、行ってしまうと手間がかかる。こうも面倒な条件が重なってしまえば、秋雅がさしてアストラル世界に行きたがらないのも当然の話であった。

 

「本当につれないわね。アタシと話した記憶を覚えておける、(・・・・・・・・・・・・・・・・ )数少ない神殺しだっていうのに」

「毒にも薬にもならない話を覚えたところでどうにもならん」

「……本当、つれないわ」

 

 やれやれと、パンドラはまたもや肩をすくめた。まるで聞き分けの悪い子供に対するようなその態度に、秋雅は更に不愉快そうに眉をひそめる。

 

「そう思うなら、せめて以前に話した最強の『鋼』とやらの詳しい情報でも話してもらいたいものだがな」

「それに関しては前にも言ったでしょう? あんまり詳しいことは言えないって」

「つまりは、そういうことだ」

 

 会話をする気などない、と言外に告げる秋雅に、パンドラは残念そうにため息を吐く。

 

「まったく、貴方ぐらいじゃないかしらね。私に対してここまで邪険に扱う神殺しは。まったく、本当に貴方は他の子と比べても例外的な存在よね」

 

 まあ、当然といえば当然だけど、とパンドラは意味ありげに笑う。

 

「貴方だけが自発的に神を討ったのではなく、まつろわぬ神によって神殺しにさせられた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)唯一の存在。そりゃ、変わり者になるのもおかしいことじゃないわ……もっとも、だからこそ、と思えるのもまた事実だけどね」

「……話はそれでお仕舞いか?」

 

 ならば、と秋雅は目を閉じた。すると、何処かに落ちる様な感覚と共に、秋雅の意識は闇に飲まれていく。

 

「まあ、いいわ。とにかく頑張りなさい、稲穂秋雅。貴方には期待しているんだからね」

 

 それが、稲穂秋雅に対しての、パンドラの見送りの言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん、相変わらずだったな」

 

 開口一番。目を開けてすぐに秋雅は呟いた。先ほどの夢で会った真なる神、パンドラに対する感想であった。

 

「期待している、ね。どこまで本当なのやら……」

 

 本来であれば、神殺しはパンドラと出会ったこと、及びその会話というものを現世に戻った時に覚えているということはない。彼女との会話を覚えておくには悟りを開くレベルでの魂の浄化が必須なのであるが、そもそも神殺しになるような者に悟りなど開けるはずがまず無いからである。

 

 しかし、何事にも例外があるように、秋雅はかの女神が発した言葉の一々を鮮明に覚えていた。やはりここでも、『冥界への扉』がそうなるように効力を発揮しているからである。この辺りも、スミスの『妖精王の帝冠』と同じくすることである。

 

 ただし、確かに秋雅はパンドラとの会話を覚えておく事が出来るのだが、それをどこでどうやって交わしたのかということまでは覚えておく事が出来ない。この辺りは、正規の方法であったわけではないというのと、権能の能力の限界ということであろう。

 

 厳密に言うと、最初は覚えているのだが、段々と忘れていってしまうのである。その為、『冥府』で就寝をする直前などでもない限り、そういえば、と思い出す事が出来ない。一応メモを残すなどをして記憶し続けるなどという事が出来ないわけでもないのだが、さして意味があるわけでもない――そんな事をしても会うときは会うし、会わないときは会わないからだ――ので、特に何をするでもなくそのまま放置をしているのが現状であった。

 

 

「……それにしても」

 

 ポツリ、と呟きながら、秋雅は目の前の光景に意識を向ける。見渡せば眠ってしまう前と同じ、破壊の跡が痛々しい赤黒い街の光景。その光景を何とも言えない表情でしばし見つめた後、がりがりと頭をかく。

 

「気にしても仕方がないよな、コイツばっかりは」

 

 ()でないだけマシだ、と口の中で転がしながら、秋雅は軽く背を伸ばす。地面に座り込んで寝るという中々に身体によくない真似をしたが、しかし彼の丈夫な肉体はそれに対しさしたる不満を見せない。むしろ呪力が完全に回復し、コンディションとしては上々であるとすら言えた。

 

「時間は……」

 

 秋雅が時計に目をやると、現在時刻は朝の四時ごろであった。夕刻に戦いが始まり、決着までに一時間ほどはかかったと考えると、八時間ほどは寝ていたであろうか。

 

「となると、どうするか」

 

 一応、SSIの人間には朝まで警戒を怠るなという指示を出しているので、少なくともまだ安否を気遣われる時間ではないだろう。ただ、おそらく現場の人間が決着についてやきもきしているであろうと考えると、すぐさまに報告をしてやるべきかもしれない。

 

「なら、考えるまでも無いな」

 

 無駄に不安を煽る趣味は秋雅にはない。さっさと報告し懸念を消し去ってやろうと思い、秋雅は今すぐに外に戻ることを決定し、そのまま行動に移す。

 

 

 

「ふむ」

 

 ぐるりと、辺りを見渡した秋雅は満足そうに頷く。戻ってきた現実世界の公園には、当然のことながらさしたる破壊の跡は見受けられない。唯一、中心部の地面にのみ貫通と皹の痕があるものの、この程度であればすぐにでも修繕可能だろう。

 

 今回も大きな被害を出すことなくまつろわぬ神の討伐を済ませる事が出来た。その事と、新たな権能が増えたことに秋雅が満足を覚えていると、ふと秋雅の携帯電話が震えた。

 

 懐から出して確認すると、メールの着信の知らせがあった。電波の遮断された『冥府』から戻ってきたことで、送られていたそれを受信したのだろう。

 

「……うん?」

 

 秋雅が確認すると、メールは三件届いていた。一件はウルからだったが、二件目と三件目は知らないアドレスだ。誰からだ、といぶかしむ秋雅であったが、件名を見て、ああ、と見当がついた。

 

「アリス殿と五月雨室長か」

 

 どちらも連絡先こそは教えたものの、メールを受け取るのは初めての相手だ。ただし、どのような用件かということは本文を見る前から見当がつく。

 

「まあ、とりあえずは後だ、な」

 

 面倒な事がおきそうだ。そんな予感を胸にしまいながら、今もここを見張っているだろう魔術師に状況を伝える為、秋雅は公園の外へと歩いていくのであった。

 

 




 これで今章はお仕舞いです。また閑話を一つ挟んだ後、四章を始めたいと思います。閑話の内容についてですが、現状考えているのは秋雅とアニーの会話、秋雅とスミスの会話、護堂とドニの会話、の三つです。このうちのいずれかを書こうと思っています。今のところ最有力は三番目で、ドニと秋雅の決闘周りについて書こうかと考えています。出来れば早めに投稿したいところですね。




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閑話 王の会合・其の三 雷の王と仮面の王






 夕刻も過ぎ、夜もそろそろかという時間。ロサンゼルス、そのうちでも特に上位とされるとある高級ホテル。その最上階にある一室に、稲穂秋雅の姿はあった。

 

「ふむ、悪くないな……」

 

 ワイングラスを傾け、その中で輝いている白き美酒を味わいながら、秋雅は一人呟く。

 

 その前に並べられているのは選りすぐられたとびっきりの美酒と、技巧を尽くして作られた最上の料理。それれはまたもや一柱のまつろわぬ神を屠り、その足でふらりと立ち寄った神殺しを歓待するべく用意されたものであった。

 

「……さて」

 

 ひとしきり美味を味わった所で、秋雅はちらりと備え付けられた時計に目を向ける。

 

「そろそろか……」

 

 そこに表示されていた時刻に、秋雅は小さく呟く。そして、その数秒後、

 

「歓迎しよう、我が盟友よ」

 

 背後の大窓に向かって、秋雅は視線を動かすこともなく、平然と言葉を投げる。それが度が過ぎた独り言でないということは、次の瞬間に判明したことだ。

 

「――感謝する、我が盟友」

 

 その言葉と共に、突如として気配が現れた。窓を開け、室内に足を踏み入れたのは、黒いケープに身を包み、その顔を仮面で隠した怪人。

 

「このジョン・プルートー・スミス。盟友たる稲穂秋雅の呼びかけに応じ、参上した」

 

 ジョン・プルートー・スミス。『彼』こそが秋雅と同じ、この世に八人しかいない神殺しの一人。『ロサンゼルスの守護聖人』の名で呼ばれることもある、アメリカのカンピオーネ(チャンピオン)であった。

 

「……ふむ、どうやら時間には間にあったようだな」

「ほう。君が時間を気にするとは、中々珍しい事を聞いたものだな」

「なに、たまに会う盟友の為の呼びかけとあらば、この私も時には時間を守ろうという気にもなるのだよ」

 

 そんなことを嘯きながら、スミスは秋雅の正面にあるソファに腰掛ける。纏っているケープを翻し、足を組んで座るその行動の一々は、常人が行えば失笑を買いそうなほどに芝居がかったものだ。しかし、この仮面の怪人が行うに当たっては、不思議とよく似合っていた。

 

「……しかし、君が来るとは些か想定していなかった。てっきりアニーがここに来ると思っていたのだが」

 

 そのつもりで料理と酒を準備していたのだが、と秋雅は言う。実際、秋雅が面と向かっての会話の約束を取り付けたのはあくまでアニーであり、そのもう一つの人格であるスミスではなかったはずである。

 

 それに対し、仮面を被っているためにそのままで食事を取ることのないスミスは、肩をすくめるようにして答える。

 

「うむ、最初は彼女もそのつもりだったのだがね。ちょうど、少し前に私が『出る』必要があったのだ。それで、そのまま私がここに来たというわけだよ」

「《蝿の王》とやらか。手は足りているのか?」

「問題ない、と言っておこう。我が盟友の手を煩わせるほどでもないとな」

「……ふむ、ならばこれ以上は言うまい」

 

 スミスの言葉に、秋雅はあっさりと助力の提案を下げる。必要も無い状況で無理やりに横槍を入れるほど秋雅は無作法な男ではない。これは己の戦であるとスミスが言う以上は、それを尊重するのが友人としての努めであろう。互いに、王としてある時は振る舞いを変えているという共通項をもっているためか、スミスと秋雅の間には確かな友情があった。

 

「それに、君には既に力を貸してもらっている。これ以上借り受ける気はないということでもある」

「ワシントンの一件か」

「そうだ。君のおかげでさしたる被害もなく事件は収束したと聞いた。流石、と言わせてもらおう」

「上手く要素がかみ合ったに過ぎんさ。それに、一応民間への被害は抑えたが、SSIの者達には負担をかけてしまった」

「そこまで気にする必要もあるまいと思うがね。我らが神殺しを使命とするように、彼らが我らのサポートをするのも使命なのだから」

「それは、分かってはいるつもりだがな」

 

 呟くように言って、秋雅はグラスに入っていたワインを飲み干す。そんな彼の態度に何を言うでもなく、そういえばとスミスが口を開く。

 

「最近、妖精王たちが君のことを口に出す事がある。君は人だけでなく神をたらしこむのも上手いようだな」

「人聞きの悪い事を言う」

 

 スミスの言葉に、秋雅はやや眉をひそめた。滅多にないアストラル界での探索において、妖精王と呼ばれる者達の幾人かと交流を持った事は事実であるが、しかし誑し込んだと言われる覚えは秋雅にはなかった。

 

「そうかね? 神々はともかくとして、稲穂秋雅が人たらしであることは、君も承知の上であると私は考えていたのだが」

「…………まあ、そうかもしれないな」

 

 からかうようにして放たれたスミスの言葉に、秋雅は沈黙の後に肯定する。確かに、交流を持った人間を自分の側に立たせるということに関しては、秋雅も理解している部分である。別段、意識的に何をしたというわけでもないのだが、不思議と妙な縁は出来るし、自分の下に人は集まってくる自覚はある。実際、以前にも人たらしであると言われた経験もあるのだ。元々、さして否定するような性質でもない。自分を客観視することも出来ぬほど、秋雅は子供ではない。

 

 ただ、秋雅にとってこの話題が、何となく続けたくは無いものでもあるのもまた事実だ。どうにも、褒められたり、それに類する行動を取られたりするのが苦手であるというのが、ある種における秋雅の弱点でもあるのだ。その為、やや強引ではあるが、秋雅は話題を変えようと口を開く。

 

「たらし、で思い出したが、先日『八人目』に会ったぞ」

「八人目か。確か、君と同じ日本人の少年であると聞いたが」

「ああ。草薙護堂という学生だ」

「どのような人物だった?」

「紛れも無く、我らと同類であると言えるだろうな」

 

 嘆息交じりに、秋雅は草薙護堂という王を評した。

 

「あれは、生粋の『負けず嫌い』の目だったよ。多少の倫理観も備えているようだったが、しかし勝利の為とあらば何を犠牲にしてでもそれを勝ち取りにいくだろうな」

「ふむ」

「致し方ないが、どうにも未熟だと私は判断した。時を、戦いを経た後、どう定まる(・・・)かまでは、流石に分からんがね」

 

 肩をすくめ、秋雅は空のままであったグラスにワインを注ぐ。

 

「それと、ついでに言えば、かの少年は間違いなく女誑しのきらいがあるようだ。最低でも、三人の少女を囲っているようであったからな」

「ほう、それはまた面白い」

「君ならば、そう言うだろうがな」

 

 アニーとは違い、今秋雅の目の前に座る仮面の王は、男子が多くの愛を語らう事を粋と思う者である。故に、草薙護堂がそうであると聞いて、その行いを否定しないということは秋雅にも予測できていた。

 

 それを否定する気はないが、しかし気に食わないものも感じているために、秋雅の口調にはやや棘がにじみ出ている。それを察したのだろう。おや、とスミスがわざとらしく首を傾げた。

 

「不満そうだな?」

「しっかりと理解した上で口説くのであれば文句は言わんがね。どうにも、囲いながらも自分への好意を否定するというのは正直気に入らんよ」

「それは、それは」

 

 秋雅の不満に対し、スミスはくつくつと笑う。どうやらこの粋人は、そのような状況もまた面白いと感じているようである。そこだけは相容れんな、とその笑いを聞きながら秋雅は心の内で思う。

 

「……まあ、その八人目がどうであれ、これもまた運命かもしれないな」

「運命?」

「ああ」

 

 何故そんな言葉が出てくるのか。不思議に思う秋雅に対し、スミスは、

 

「我らが義母、パンドラが言っていただろう? 君の故郷、極東の地には最強の《鋼》とやらが眠っていると」

「ああ」

 

 スミスと秋雅は共に、生と不死の境界で会うパンドラの言葉を覚えていられる、数少ない神殺しである。従って、かの女神が時折口に出す、絶対に負けてはならないと言う《鋼》のこともまた、この二人の間で時折話題に上る名前であった。

 

「かのパンドラが勝てと厳命する最強の《鋼》の英雄。それが眠るという日本に二人目の神殺しが誕生したのだから、どうにも運命じみたものを感じるとは思わないかね?」

「……ふむ」

 

 確かに、と秋雅は顎に手を当てる。

 

「そもそも同じ時代、同じ地に二人の神殺しが誕生するというのが稀だ。そう考えると、運命という言葉も頷ける部分がある」

「案外、君か彼なのかもしれないな。その、最強の《鋼》とやらと戦うのは」

「勘弁して欲しいものだが、そうも言っていられないかもしれないのがな……」

 

 面倒な、と秋雅は嘆息する。確かに、自分はカンピオーネであるのだから、使命に従ってまつろわぬ神を討つこと自体はいい。ただし、だからと言ってわざわざ『最強』とまで呼ばれる存在と戦いたいとまでは思っていない。そういうことは他の、戦闘欲にまみれた王たちに丸投げしたいというのが本音だ。

 

 ただ、そうした場合、その後の被害がどうなるかという話だ。実際に討てるかどうかはおいておくとして、秋雅が対応した場合が一番被害を少なく出来る可能性が高い。となれば、自分が動かなければならないだろうと、それなりに思ってしまうのが秋雅の性分であだ。

 

 因果な性格だ、と中々投げ出せない自分自身の真面目さに、秋雅はそう思わずにはいられなかった。

 

「まあ、君にはアルテミスの一件で借りがある。このジョン・プルートー・スミス、君に請われればその時は力となることを約束しよう」

「助かる言葉だ、我が盟友」

 

 さて、と話が一区切りもついたところで、スミスは徐に立ち上がる。

 

「そろそろ、私は去らせてもらうとしよう。今回はお招き頂きありがとう」

「こちらこそ、たいした歓待も出来ず失礼した」

 

 言いながら秋雅は立ち上がり、右手を差し出す。同じようにスミスもまた手を出し、二人は固い握手を交わす。

 

「では、失礼する」

「ああ」

 

 最後にそう言って、スミスは再び窓辺へと向かう。窓を開き、その身を外に出したと同時、その姿は唐突に消えうせる。如何なる術を使ったのか、もはやその姿を確認するとことはできない。

 

「……また会おう、ジョン・プルートー・スミス」

 

 向こうもまた、同じように自分の名を口に出している。

 

 そんな予感を感じながら、秋雅は盟友との再会の誓いを立てるのであった。

 

 




 予定を変更して、スミスと秋雅の話としました。割とその場で書いたので、あんまり中身はないですね。元々予定していたドニと護堂の話は思案の結果次に回します。その方が多分やりやすいと考え直したので。

 四章は以前に出てきた幽霊の女性をメインとして、前半ではまつろわぬ神と、後半では草薙護堂と戦う予定です。それに関連して、後半は特に護堂視点の話が増えると思います。戦う理由とその勝敗に関してはまあ、賛否も出るかもしれませんがご了承を。時系列としては、恵那の一件が起こる直前か直後のどちらか、書きながら考えます。




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第四章 軍神、そして同胞との戦 彼女の名前





「……思ったよりも、早く戻ってくることになったな」

 

 ロサンゼルスで一夜を過ごした翌日、秋雅は再びロンドンの地を訪れていた。前回の訪問からまだ一週間と経っていないうちから再度の訪問に、秋雅としても自分の行動に対し忙しないという評価を下さずにはいられない。さらに言えば、今回もまた目的地、待ち人が同じプリンセス・アリスであるというのが、それに輪をかけていると言えなくもない。

 

 特に今回は長居する予定もなく、用事が済めばすぐにでもインド経由で日本に戻ることになっているので、非常に忙しいスケジュールであろう。正直ここまで急ぐ必要は、実の所そうないのであるが、まあこの辺りは秋雅の性分が理由である。

 

「さて、事前に連絡は入れていたが……」

 

 空港を出たところで、秋雅はふむと周囲を見渡す。前回はこちらから訪れたが、今回に関しては向こうが招いた形になっているので、迎えを寄越してくれる、という手筈になっている。それらしいのはないかと、周囲を見渡してみると、見覚えのある顔が見つかった。

 

「ああ、あれか」

 

 頷いて、秋雅はそちらにゆっくりと歩いていく。すると向こうもまた秋雅の存在に気付いたようで、パタパタと小走りで秋雅の下に駆けて来た。

 

「――お久しぶりです、秋雅さん」

 

 そう言って頭を下げたのは、秋雅にとって前回の英国訪問の理由となった、幽霊の女性であった。ただ、何故か身に纏っているのはメイド服だ。デザインから察するに、プリンセス・アリスに仕える者たちが着ているものと同じそれであろうか、と秋雅は思う。

 

「ああ。ただ、久しぶり、というにはまだ時間が経っていないと思うが」

「あれ? そうですっけ?」

「一週間程度のはずだが」

 

 小首を傾げる彼女に対し、そう口には出すものの、しかし秋雅もまたやや自信なさげ口調であった。客観的に見て、別にそれが間違っているというわけではないのだが、前回英国を出立して以来極めて短いペースで各国を回ることになってしまい、秋雅の時間間隔に微妙な狂いが出ているのが理由である。

 

「そうですかね? ああ、でもお屋敷での生活が結構濃かったから、それでちょっと感覚が狂っていたのかもしれませんね……まあ、それはそれでいいです」

 

 えっとですね、と彼女は一つ咳払いをした後、秋雅を見つめて口を開く。

 

「改めて自己紹介をさせてもらいます。私の名前は草壁(くさかべ)紅葉(もみじ)、秋雅さんの二つ下の後輩……でした」

「……後輩?」

 

 はて、と秋雅が首を傾げる。明らかになった彼女の名前にも興味は当然あったが、それ以上に引っかかる言葉がある。

 

「その辺りはまあ、車内でってことで良いですか? ずっとここにいても、アリス様を待たせることになってしまいますし」

「……そうだな」

 

 疑問はある、が今ここで聞きだすよりはいいか、と秋雅も彼女の――紅葉の言葉に頷いてみせる。事実、先ほどから紅葉の格好の所為か、二人に対しそれなりに視線が集まっており、これ以上ここにいると面倒ごとが発生する可能性すらあった。

 

「じゃあ、こっちに来てください。アリス様が手配したお車がこっちに止められていますから。あ、運転手さんは別にいますから安心してくださいね。私が運転するとかじゃありませんから」

「だろうとは思っていたから問題ない……そういえば、死者の気配を制御できるようになったようだな」

「ああ、はい。流石に私の所為で周りの人が倒れていくとか洒落にならないんで、真っ先に制御方法を教えてもらいました。他にも簡単な魔術とか、ちょっとした『切札』とかも覚えたりしました」

「ほう」

「ついでに言うと、今着ているメイド服も私がイメージして出せるようにした奴です。実際に着替えたってわけじゃないですし、この場でドレスチェンジとかも出来ますよー」

「ふむ。君も色々と頑張ったようだな」

「その代わり、メイドとしての作法とかはあんまり覚える暇がなかったんですけどね……」

 

 などと言う事を話しながら、秋雅は紅葉の先導でその場から移動する。空港の裏手にある、おそらくは関係者用であろう人気のない駐車場についた所で、

 

「あ、あの車です」

 

 紅葉が指差した先にあったのは、気品の感じられる胴の長い一台の車。一般的に、リムジンと呼称されるであろうものであった。乗せる人間と目的地の関係から、アリスが準備した物であろう。

 

「お待ちしておりました、稲穂秋雅様」

 

 リムジンの傍らに立っていた、ぴしりと身なりを整えた男性が秋雅に対し深々と頭を下げる。まず間違いなく、この車の運転手を努めている者であろう。

 

「プリンセスの元までご案内させていただきます」

「うむ、よろしく頼む」

「お任せください」

 

 畏まる男性に対し、当然という態度を見せながら、秋雅は紅葉が開けたドアから車内へと入る。続いて、紅葉もまた車内に入った所で、男性も運転席に戻り、車を走らせ始める。

 

「何か飲みます? 色々と準備されているみたいですけれど」

 

 発車して早々、紅葉は車内に設置された小さな冷蔵庫らしきものを開け、中からワインなどを秋雅に示す。

 

「そうだな。ではその白ワインでも貰おうか。君も飲むか?」

「あー……遠慮しておきます。一応、私未成年なので」

「ああ、そういえばそうだったな」

 

 一旦保留としていたが、先ほど紅葉は秋雅の後輩であると言っていた。現在、秋雅が二十一に近い二十歳――名前通り、秋雅の誕生日は秋なのである――であるので、それを踏まえると確かに彼女が未成年であるというのは分かりやすい話だ。

 

「ならば、その辺りのことを改めて話してもらおうか。そのために、わざわざ君は私の迎えについて来たのだろう?」

「ええ、まあ。秋雅さんはあんまり私生活の事を魔術関係者の前で話したくないって聞きましたんで、ここなら大丈夫かなと思いました」

 

 秋雅達がいる空間と運転席の間には仕切りがあり、互いの声は聞こえないようになっている。よほどの大声を出したり、あるいは大きなアクションを取ったりという事をしなければ、運転手に話の内容が伝わるということはまずないだろう。

 

「ではまず、君が私の後輩というのは、どういう意味かね?」

「まずはそこからですね。と言ってもそのまんまで、私が通っていた高校って、秋雅さんが通っていた花村高校なんですよ」

「ほう」

 

 確かに、その高校名は秋雅が通っていた母校のものだ。珍しい偶然もあるものだな、と秋雅は思っていると、紅葉はさらに驚くべき事を口にする。

 

「と言うか、まあ、さらに言うとですね。私、秋雅さんと会った事があります」

「……そうなのか?」

 

 言われ、秋雅は記憶を手繰る。しかし彼の高校生活において、彼女と会ったという記憶は特にない。はてと、首を傾げる彼の反応に、彼女は予想通りとばかりに頷く。

 

「覚えていないのも当然だと思います。会ったのは一回だけで、その時も特に会話をしたってわけじゃないですし」

「なら、どう会ったんだ?」

「あれです。秋雅さんの弟さんの稲穂君――じゃない、えーっと、幹春君とクラスメイトだったんです、私。まあ、一年の終わりに私は東京の高校に転校しちゃったんですけどね」

「……ほう」

 

 思いがけない名前が出てきたことに、秋雅の視線がやや鋭くなる。しかし、そんな秋雅の視線に気付いていないのか。紅葉は特に動じることなく説明を続ける。

 

「で、ですね。幹春君とか他のクラスメイトの子達と一緒に遊びにいく事が何度かあって、その時に偶然秋雅さんと会ったんです。まあ軽く挨拶を交わしたって程度で、たぶん私は名乗っていないと思いますけど」

「成る程」

 

 確かに、そのようなことは多々あったと秋雅は過去の記憶を思い出す。彼の弟である稲穂幹春はかなり社交的なほうで、友人を引き連れて遊ぶということがよくあり、その最中に偶然秋雅と会い、弟の友人に挨拶をしたという事が何度もあったのだ。どうやらそのうちの一つで、秋雅と紅葉も出会っていたらしい。

 

「ほぼ勘なんですけど、私が最初から秋雅さんの事を名前で呼んでいたのも、そのあたりが理由じゃないですかね。私にとって稲穂というのは幹春君のことであって、秋雅さんのことじゃなかったですから。その辺を無意識に覚えていたんじゃないかと思います」

「ふむ。ありえなくもない話だな」

 

 秋雅としては単に、距離感が近い性格であるのだろうと考えていたのだが、そういうことであるのならば納得できない話でもない。たぶん秋雅が最初に名乗った時も姓よりも名前の方を重視するように名乗ったはずであるから、それが印象に残っていたのかもしれない。

 

「それにしても、思い出してみると結構印象が変わるものですね。あの時と比べると今の秋雅さんって、何か近寄りがたい感じがします。やっぱり神殺しになるとそうなるものなのですかね」

 

 しみじみとそんな事を紅葉が言うが、これは中々に危険な発言と言えるかも知れない。秋雅に対し特に従順な者などが聞けば、不敬だと声を荒げる可能性がある発言だ。もっとも、秋雅自身は全くそんな事を気にしないし、むしろそれを宥める方なのだが。

 

「まあ……な」

 

 とは言え、今回ばかりはその秋雅も、やや表情を曇らせている。気分を害した、というわけではないのだが、しかし、素の自分を少しでも見せたことがあり、なおかつそのようなことを言った相手に対し、このまま王としての態度を続行していいものかと思ってしまったのである。

 

 一度は素の自分を見せた相手に、王として偉ぶった態度をとるというのも、何となく気恥ずかしいものがないこともない。無視できる範囲であるが、しかし、と思ってしまうのも事実。そういった問題に対し少しばかり思考をめぐらせた後、はあとため息をつき、改めて紅葉に顔を向ける。

 

「まあ、別にいいか。いい加減面倒だ」

「何がですか?」

「演じるのはやめた、ということだ。弟の友人であるし、一応は一度会ったこともある相手だ。たまにはこういう選択を取るのも悪くない」

 

 結局、秋雅は紅葉に対し、素の自分で接する方を選ぶことにした。実際、ウル達やアニー以外にも、魔術関係者で気安い会話を交わす相手は極少数だがいないわけではない。また一人、それが増えたということだと、秋雅はそう思うことにする。それに、いくら魔術関係者であるとはいえ、生粋の魔術師と比べればほとんど素人に近いのだから、まだ精神的にも妥協できるレベルではあるのだから。

 

 こうなるのであれば家に置いていた時からそうすれば良かったと思わないでもないが、まあ、その時点では知らないことばかりであるので、意味の無い思考だなと秋雅は切って捨てる。まあ、もしかしたら、委員会の調査次第ではすぐに分かったかもしれないと一瞬だけ思うものの、しかし、やはり写真一枚で、しかも途中で転校した少女の事を見つけ出せというのは、非常に難しい話だと思いなおす。本腰を入れる必要はないと命令していたのは秋雅自身であるし、この件で委員会に文句を言うのは大人げがなさすぎる。

 

 そういうわけで、不必要な思考は止めて、秋雅は今まさに纏っていた気配を散らし、普段のように、ただの稲穂秋雅として生活している時の雰囲気、口調に自らを戻す。

 

「というわけだ。君に対しては、普通どおり振舞うことにしよう。君の身柄を引き受けている以上、これから長い付き合いになる可能性もあることだしな。まあ、人前ではまた、王として振舞うからそのつもりで頼む」

「はあ」

 

 と、突然の秋雅の変貌に呆然とする紅葉であったが、

 

「……まあ、よく分からないですけど、分かりました」

 

 どういう形かは分からないが、自分の中で折り合いをつけたのだろう。紅葉は真剣な面持ちを浮かべ、秋雅に対し頷きを返す。きっちりと理解しているわけではないのだろうが、しかし秋雅が大変珍しい選択を取ったということは察しているようであった。

 

「とりあえず、秋雅さんのそういう雰囲気とかを黙っていれば良いってことですよね?」

「そんな感じだ。まあ、面倒だろうがよろしく頼むよ」

「命の恩人、ってのは変ですけど、まあとにかく恩人の頼みですからね。大抵のことは了承させてもらいますよ」

「ありがたい……じゃあ、そろそろ話を戻そうか」

 

 真剣さは変わらず、しかし表情を僅かに柔らかくしながら、秋雅は紅葉に話の続きを促す。

 

「そうですね。と言っても、私のほうから言っておきたかったことは一先ずこれだけなんですけど」

「じゃあこっちから聞くが、君は自分の死因などは覚えているか?」

「いえ、それがさっぱり。大学入学の為に戻ってきた、って所までは思い出したんですが、そこからどうして死んじゃったのかまでは思い出せないんですよね」

「戻ってきた、ということは、福岡に?」

「ええ」

 

 秋雅の質問に対し、紅葉は自分が入学する予定だった大学の名前を告げる。奇しくもそれは、現在秋雅の弟である稲穂幹春が通っている大学の名前であった。

 

「ああ、それなら幹春が今通っている大学だな」

「あら、そうだったんですか? ああでも、あのあたりで一番近い大学はあそこですし、そこまで不思議でもないですね。じゃあ、ちゃんと通えていれば彼と再会する可能性もあったんですかね」

「む。その言い方だと、入学前に亡くなったのか?」

「多分そうじゃないかと。通った記憶は全くないですからね。まだ思い出せていないだけかもしれませんけど、それだったら私も高校じゃなくてそっちに化けて出るんじゃないかって思いますし」

「一年しかいなかった高校も大差ないと思うんだが、違うのか?」

「んー……私の中では結構違いますね。正直、小中学時代や東京でのものを比べても、花村高校での一年が一番楽しかったですから」

「ふむ、そういうものか。想いが残っていた、という意味では自宅に化けて出るのが自然な気もするが」

「ああ、それはないかと」

「うん? それはどういう――」

 

 秋雅の疑問に対し、突如紅葉の口調が冷たくなる。明確な否定の雰囲気に、一体どうしたのかと秋雅は不審そうに眉をひそめるものの、

 

「――あ、もう時間みたいですね」

「ん……ああ。そうみたいだな」

 

 目的地であるアリス邸が見えてきたことにより、その場での追求は、そのまま棚上げとなってしまうのであった。

 

 







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王を求めるのは誰か





 

「――真意を聞かせてもらおうか、アリス殿」

 

 開口一番、稲穂秋雅は目の前に座る美女にそう問いかけた。

 

 平生であれば、まずは出されたお茶でも一口味わい、多少なりの世間話を挟んでから本題を口にする秋雅であったが、今回はそんな前置きをするでもなく、示された席に座って早々の問いかけだった。

 

「突然ですね、稲穂様。それほどまでにお急ぎにならずとも良いでしょうに」

 

 対し、秋雅の前に座る美女――アリスの方はというと、秋雅の問いかけに対しニッコリと微笑みを返す。王の詰問であるというのに常の余裕を崩さぬというのは、流石の胆力であると賞賛すべきであろうか。

 

 しかし、当然のことながら、秋雅がそれに対し感心の声をあげるような真似はしない。むしろ、不愉快そうに眉をひそめるのみだ。

 

「……現状、あまり長々と無駄な前提話をする気がないのでな。それほどまでに、貴女が正史編纂委員会に送ったメッセージは衝撃的ということだ」

「あら? 正史編纂委員会の方々はともかくとしても、稲穂様がそのような反応をされるとは、少々意外ですわね」

「茶化さないでもらいたいが。私が聞きたいのは、あくまで貴女の真意だ」

「真意、と稲穂様は仰いますけれど、特段私に、秘めた思惑などありませんわ」

 

 秋雅の問いかけを微笑と共に躱すアリスに、秋雅は心の中で舌打ちをする。確かに彼女は秋雅に対し恩義を感じている風ではあったのだが、そう考えているとはまるで思えない態度である。今回の件についてはあくまで私事のことである、と切り離して考えているらしい。流石は一組織を束ねる立場にあった人間だ、という感想が秋雅の胸に浮かぶ。

 

 秋雅もこの六年ほどでそれなりに揉まれ、鍛え上げられているものの、しかし『生粋』と比べると流石に分が悪い。以前の会合においては秋雅が切札を切りまくったからこそ主導権を握っていたが、今回はそうではない。現状、その道の人間に対し感情を読まれぬようにすることぐらいならば出来なくもないが、逆に読み返すような真似は中々難しい。策士同士の腹の探りあいを行うには、まだまだ稲穂秋雅は未熟であった。

 

 一応、このまま続けても最終的には質問に答えるだろうが、どうにも長々とかかりそうだし、何より些か癪に障る。(・・・・ )そう考えた末、秋雅は少し攻め方を変えることにする。

 

「……質問を変えようか。貴女の、(・・・ )ではなく、そちらの、(・・・・ )真意を聞かせてもらおう」

 

 そもそも前提条件が違っていた、という可能性を鑑みて、秋雅は改めてそう告げる。プリンセス・アリスの、ではなく、賢人議会がそう決めた、ということであるからこその、こののらりくらりとした対応なのではないだろうかと、そのように考えたのだ。そうであるのならば、彼女が生身ではなく霊体で姿を現していることにも、あくまで賢人議会の特別顧問として対応しているのであると、そんな意図があるように感じられるというのもまたそう考えた理由だ。

 

 

「賢人議会の思惑、ですか。それでしたら、答えないというわけには行きませんわね」

 

 それに対しアリスは、先ほどまではなんだったかと言わんばかりにその態度を一変させた。予想通りか、とその変転に対し秋雅は思いつつも、どうにも試されたという感も覚えてしまう。

 

 しかしすぐに、まあいいかと納得することにした。そもそも、件のメッセージの事を考えると、自分の事を試そうという気になるのもまま分からない話でも無い。

 

 と、いうのも、だ。

 

「では、聞かせてもらおうか。先日、正史編纂委員会に届けられた賢人議会からのメッセージ――稲穂秋雅を賓客として迎え入れたい(・・・・・・・・・・・・・・・・)とは、どのような意図であるのかと」

 

 そう言って睨む秋雅に対し、アリスは悠然と微笑んだ。

 

 

 

 

 

 正史編纂委員会において、しばしば各支部の室長を招集して会議が行われることがある。それ自体はさして特別なことではなく、定期的に開かれているものだ。もっとも、どの支部も相応に忙しいので、毎度毎度全員が集まるというわけではなく、欠席や代理が出席する事がよくある。

 

 そんな中、先日開かれた会議においては、珍しく全員が出席するという運びになった。その時の議題が、最近問題となっている、稲穂秋雅及び草薙護堂に対する委員会としての対応如何をどうするか、というものであったのかというのがその理由の一端でもあるかもしれない。まあ、それ自体はおかしなことではない。だが、まるでその召集を見越したかのように、当日、正史編纂委員会に対し、賢人議会より一つのメッセージが届けられた。

 

 ――カンピオーネ、稲穂秋雅を迎え入れる用意がある。

 

 それが、賢人議会より伝えられた、正史編纂委員会に対するメッセージの内容だ。明らかにタイミングを見計らって届けられたメッセージに対し、当然委員会の面々は賢人議会に対しその意図が如何なものであるのかということを思案する。

 

 委員会が仰ぐ王を鞍替えすることも考えている事を知られたのではないか。あるいはこれを元に委員会を割ろうとしているのか。いや、そもそもどうして賢人議会がカンピオーネに対し玉座を準備するのか。もしや、稲穂秋雅と賢人議会は何かを企んでいるのではないか。

 

 喧々囂々と、様々な意見や暴論が飛び交った。しかし、これと確信をもてるような意見が出ることは終ぞなく、とうとうその日の会議は終了する運びとなった。ただ、これを二人の王に知らせる必要はない、という結論だけを残して。

 

 そして、その結論を――ある種当然のように――無視し、福岡分室室長である五月雨が、事の次第を急ぎ秋雅に伝えたことで、今この現状に至っている。

 

 

「最初に断っておきますけれど、この件に関して私はそれほど関わっていません。あくまで現賢人議会の決定であるという事を念頭に置いていただきたいですわね」

「それは分かる。だからこそ、貴女は個人として私の質問に答えようとしなかった」

「そういうことになりますわね。もっとも、私自身はあのメッセージに対し不満を持っている、というわけでもありません。消極的肯定、といったところでしょうか」

「貴女が賛成の立場にあろうが、その逆であろうが、私としてはどちらでもいい。結局の所、重要なのは賢人議会の思惑だ」

「ええ、その通りですわね。とはいっても、稲穂様や日本の魔術師たちが警戒するほど、裏の意味があるというわけでもありません。文字通り、稲穂様を私どもの主として迎え入れる用意があると、そういう意味です」

「それだけでも、中々に警戒すべき言葉だと思うがな。しかも、タイミングがタイミングだ」

「だからこそ、のタイミングということですわ」

「……成る程な」

 

 多少鎌をかけてみたが、やはり賢人議会は正史編纂委員会内部での騒動について知っていたようだと、秋雅は内心舌を巻く。この辺り、流石の情報収集力であると褒めるべきだろう。

 

「しかし、そうだとしても何故賢人議会は私を欲する? 君達はそもそも、カンピオーネの危険性を世間に知らしめるのが存在理由であったはず」

「それはあくまで存在理由の一つでしかありませんわ。本来の目的は、神及び神殺しが絡む有事に率先して対応すること。それがさして表立って他に見せてこられなかったのは、ひとえに我らに『力』がなかったからです。神や神殺しに勝るには、やはり同種の力が必要です」

「その力を、私を主とすることで得ようということか?」

 

 矛盾している、と秋雅は言う。

 

「私もまた、世に騒乱を引き起こす神殺しの一人であるというのに、それを取り込もうとうする。賢人議会の存在意義と些か矛盾があるのではないか?」

「そうでしょうか? 私には、いえ、我らには貴方が世に騒乱を招く王にはとても見えません。貴方はあまりにも、『例外』的過ぎます」

「例外、ね」

 

 度々、『稲穂秋雅』を表現する時に使われる表現だ、と秋雅は嗤う。どうにも、世の魔術師達という者は、ことにつけ自分を他の王とは違う、と思いたいらしい。秋雅からすれば、それはあくまで『運が良かった』というだけであって、一皮剥けば同じであるというのに。

 

「不敬を承知で申し上げますが、稲穂様がどう思っていらっしゃるかというのは、正直な所我らにとってはどうでもいいことです。我らがそうだと信じており、事実稲穂様も、結果的にはそのような行動を取っている以上、そこに稲穂様の真意というのはあまりかかわってきません」

「そうしておいて、いざとなれば暴虐の限りを尽くす、とは思わないと?」

「その手の質問をしておいて、いざそれを実行する者はまずいませんから」

 

 にっこりと、アリスは秋雅に対し微笑みかけると秋雅は顔をしかめ、軽く舌打ちをする。秋雅自身、とっくに分かっていたことではあるが、やはり真っ当な交渉ごとにおいては稲穂秋雅ではプリンセス・アリスには及ばないようだ。

 

「何にせよ、我らは、稲穂様は理不尽な暴力を振るうことなく、尚且つ、他のカンピオーネの方々に十分対応できる存在であると、そのように認識しています。故に、賢人議会は内部分裂の可能性すらある正史編纂委員会に対し、稲穂秋雅様を客賓として迎える用意があるというメッセージを送った――――と、いうのが表向きの理由です」

「……何だと?」

 

 どういうことだ、と怪訝な表情を浮かべる秋雅に対し、アリスは軽く頭を下げる。

 

「申し訳ありません、少し嘘をつきました。裏の真意、というほどのものでもありませんが、表だけではない理由がもう一つあるのです」

「それは?」

 

 何だ、と秋雅はアリスに対し問いかける。それに対し、アリスは苦笑しながら告げた。

 

「……離反対策、です」

「は?」

「ですから、稲穂様の下に賢人議会の構成員が勝手に向かってしまわぬように、先んじて稲穂様を取り込もうとしたのです」

 

 何だそれは、と秋雅は呆気にとられる。そんな彼の動揺等知らぬように、アリスは苦笑を浮かべたままに続ける。

 

「稲穂様方がどう思っていらっしゃるかは分かりませんが、正史編纂委員会内の問題というものは、案外知られています。話は変わりますが稲穂様、その噂を聞いたものはどう考えると思いますか?」

「…………委員会の内部分裂、あるいは」

 

 一拍の後、

 

「私が、自分の結社を作る、と考えるのではないか?」

「仰るとおりです」

 

 故に、とアリスは言う。

 

「その、新たに稲穂様が作る結社に入りたい、と思う者は多い。賢人議会内、そしてそれ以外の結社にも多く」

「馬鹿な。そんな事があるはずもない」

「……前から思っていましたが、稲穂様は自身の求心力というものに対し、些か評価が低くありませんか? 稲穂様が思っていらっしゃるよりも御身の求心力は高く、そして強い。神に等しい力を振るいながら、しかしその対象は常に敵にのみ向いている。その上、民草には目を向け、気を配っていらっしゃる。稲穂様とお会いした者全てが貴方に心酔する――とまでは流石に申しませんが、しかしそれに近い事が起こりうるというのが、客観的な事実なのですよ」

「……どうかな」

「まあ、これも、極論すれば稲穂様の自覚その物はどうでもいい話です。重要なのは、貴方が結社を作れば、それに惹かれていく者は多いということ。ただでさえ賢人議会は戦闘要員が少ない組織です。その数少ない人材まで貴方に持っていかれる可能性があるのは困る、と議会の者達は考えたのです」

「私の求心力云々はさておくとして、それが事実であると仮定すると、成る程、君達は私を招きたいだろうな。上手く行けば、私目当てにより多くの人材が入ってくることになる。それこそ、各結社において実力者と認められている人間が、だ」

「ええ、その通りです」

 

 強かだな、と秋雅が呟くと、恐れ入ります、とアリスは微笑みを浮かべる。それを見ると、本人の言葉の通りではなく、この一件に関し多少なりともこの女性が後押しをしたのではないか、という考えが秋雅の頭に浮かぶ。もっとも、だからどうしたという話なのだが。

 

「……まあ、いい。とりあえず、そちらの思惑は十分に聞かせてもらった。その上での結論だが――現状、私は日本を離れる気はない」

「理由をお尋ねしても?」

「生まれた土地に愛着を持つのは当然だろう? 草薙護堂との関係如何でもあるが、しかし現状、私は国を離れる気も、委員会を割る気も、ましてや自分の結社を作る気も無い。そう、疑心暗鬼を生じさせている者に伝えておくといい」

「分かりました……まあ、予想はしていましたが」

 

 無念そうに、アリスはため息をつく。

 

「新結社云々はともかくとして、正直私個人としては、稲穂様が英国に居を移すことはないだろうと思っていました。何せ、この地には『彼』の結社がありますから」

 

 言うまでもなくそれは、稲穂秋雅がカンピオーネの中でも唯一、敵対関係を露にしているアレクサンドル・ガスコインのことである。確かに、彼がいる限り秋雅がこの地に拠点を移すことはないだろう。それこそ、アレクサンドルを排除でもしない限り考えにくいことである。

 

「そう思っているのなら、最初からそう言っておけば良いものを」

「言っても疑念を拭いきれないのが人間というものです」

「まったくだな」

 

 はあ、と二人揃ってため息をつく。

 

「……ところでアリス殿。話は変わるが、一つ頼みごとをしたい」

 

 話も一段落ついた所で、そう秋雅はアリスに言った。あちらが正史編纂委員会のことも踏まえた、いわば公的な訪問理由であれば、こちらは秋雅の個人的な頼みごとだ。

 

「何でしょうか?」

「草薙護堂に関して、貴方たちが所持している情報の全てを知りたい。特に、彼が所持する権能についての詳しい情報が」

「それでしたら、これをどうぞ」

 

 突如、アリスの手の中にUSBメモリが出現する。『召喚』の魔術辺りを用いて何処かから転送したのであろう。差し出されたそれに対し、秋雅は『我は留まらず』を発動させ、自分の手の中に移し、見やる。

 

「これは?」

「稲穂様を除いた、他の七人のカンピオーネ全員に関する資料が入っています。現在、賢人議会が知りうる全ての情報です」

「……感謝する」

 

 指でUSBを回し、そのまま懐の中に放り込んだ後、秋雅は立ち上がる。

 

「もうお帰りでしょうか?」

「何かと立て込んでいてな。ああ、紅葉は連れて帰るが、構わないな?」

「ええ。彼女にはいつでもまた来ていいと言っていますから。彼女、中々に面白い逸材ですし」

「貴女のお眼鏡に叶ったか。後で聞く事が増えたようだな」

「きっと稲穂様も気に入ると思いますわ」

「期待しておこうか」

 

 そう言って、部屋の外に出ようとする秋雅であったが、

 

「……ああ、そうだ」

 

 ふと足を止め、振り返る。

 

「一つ、貴女に、貴女達に言っておきたい事がある」

「何でしょうか?」

「万一のことであると思うが――」

 

 そこで言葉を切り、鋭い目つきをアリスに向け、

 

「――警告しておく。下らぬ思考飛躍から、まかり間違って私の家族に手を出す、などという愚考を取ろうなどとでも考えた時は――それが何であっても確実に潰す」

 

 殺気を込め、秋雅はそう告げる。それをアリスは、表面上は平然と受け止めて頭を下げる。

 

「……肝に銘じておきますわ」

 

 しばし、そのまま二人は体勢を崩さない。たっぷり一分ほどそれを続けた後、ようやく秋雅は発していた殺気を霧散させる。

 

「……またな、アリス殿。今度は身体の調子を聞きにでも来る」

「ええ、またお会いしましょう」

 

 優雅に頭を下げるアリスに後ろ手を振りながら、秋雅は部屋を出る。

 

「……あ、終わりました?」

 

 部屋を出た秋雅に声をかけたのは、メイド服姿になっている紅葉だった。彼女は秋雅の姿を確認すると同時、その姿を普段着に変える。

 

「そちらも、終わったようだな」

「ええ。まあ、元々挨拶周りは済ませておきましたし」

「そうか。では、行くぞ」

「はい」

 

 玄関に向け歩き出す秋雅の後ろを、紅葉が追いかける。そのまま、そう言えば、と紅葉が秋雅に訪ねる。

 

「秋雅さん、今度はどこに行くんですか?」

「一旦インドを経由し、私のスタッフを回収した後、日本に帰国する。その後、君の死の理由を本格的に探るつもりだ。異論は?」

「ありません。どこまでもお供させてもらいます、なんて」

 

 てへ、と笑う紅葉を視界端に収めつつ、秋雅は正面を向いて言う。

 

「では、ついて来い。君が私を必要としなくなるその時まで」

「はい。心より頼りにしています、秋雅さん」

 

 そのような会話を交わしつつ、二人は歩く。茶化すように、しかし真剣に結ばれた、二人の主従関係。この二人の関係がいつまで続くのか。それはただ、神のみぞ知ることであった。

 







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秋雅が語る古き王たち






「……何と言うか、凄いですね」

「ん?」

 

 紅葉の感心したような一言に、秋雅はパソコンの画面に向けていた視線を彼女の方へと向ける。すると、訓練とやらで実体化を解いて空中にぷかぷかと浮いている紅葉が、辺りをざっと見渡しながら、

 

「いや、だってこの飛行機って秋雅さんが命令したから貸切になっているんですよね? そう思うと稲穂さんって凄いんだなって」

「ああ、そういうことか」

 

 紅葉の言葉に苦笑しながら、同じく秋雅もまた辺りを見渡す。

 

 広い空間にたった数席の椅子。そこかしこに装飾が施され、まるで高級ホテルのようにも見える室内であるが、しかしここはれっきとした飛行機の中だ。秋雅が命じたことによって手配された、ただ彼と、彼の同行者のみを運ぶ為に準備された移動手段であった。

 

「普段だったらこんな無駄なことはそうやらないんだがな。アメリカ発、英国、インド経由、日本行きとなると、一々チケットを準備するのが面倒だったし、何より彼女らが、な」

「人嫌いなんですよね? 秋雅のスタッフさんたちって。確か、ノルニルさんたち、でしたっけ?」

「ああ。まあ、多少は取り繕うことは出来るはずだから、君が不快に思わないようにはさせるさ」

「あんまり気にしなくても良いんですけどねー。私、所謂新参者ですし」

「まあ、それはそうなんだが……」

 

 ところで、と紅葉は秋雅の顔を覗き込みながら言う。

 

「凄いついでに聞きたいんですけど、いいですかね?」

「質問にもよるが、何だ?」

「結局、神殺し――カンピオーネってどういう人たちなんですか?」

「うん?」

「いえ、神様を殺して力を得た人たちって事は聞いたんですけど、具体的にはどういうことなのかは聞きそびれちゃって。秋雅さんに直接聞くってのも変な話ですけど、知らないままよりは良いかなと思いまして」

「ああ、そういうことか」

 

 そうだな、と秋雅は腕を組む。

 

「確かに、知っておいたほうがいいか。ざっとだが話しておこう」

「お願いします」

「とりあえず、神殺しの定義はさっき君が言った通りだ。人の身でまつろわぬ神を殺すという所業を成し遂げた者が、まあとある神の思惑の元、神殺しという存在になる」

「とある神?」

「その辺りはそのうちな」

 

 勿論それはパンドラのことであるのだが、そこを掘り下げるのは面倒だと秋雅は説明を端折る。紅葉も、秋雅がそう言うなら、と頷いて終わる。

 

「神殺し、まあここからカンピオーネで統一するが、カンピオーネとなると身体の構造すら常人と異なった物になる。人間離れした生命力と回復力に、下手な金属よりも硬い骨格、並みの魔術師の数百人分にも匹敵する呪力と、さらには獣じみた直観力といったものを得る。ついで言えば暗視能力や高い言語習得能力なんかも特徴の一つだな」

「分かりやすく人間超えていますね、それ」

「これにそれぞれが倒した神より簒奪した権能が加わるからな。人間では歯が立たんといっていい」

「権能というのは、確か神様が持つ力のことですよね?」

「ああ。カンピオーネが神を討伐した時、神が持っていた力の一部をカンピオーネは得る。まあ、人の身に押し込む都合か、大抵は元のそれと比べて威力が低かったり、限定的だったりするが」

「具体的にどういったものがあるんですか?」

「これ、と決まった物があるわけじゃない。雷神を滅ぼせば雷に関係した、風神を滅ぼせば風に関係した権能を、といったのが基本だな。まあ、ちょっと変化球じみた権能になることもあるが」

 

 秋雅で例えれば『万砕の雷鎚』は結構分かりやすく権能化しているが、『冥府への扉』などはやや捻っていると言えるだろうか。

 

「そういうものですか」

「そういうものだ。で、そんな力を持っているカンピオーネには一つの義務がある。それは、まつろわぬ神が現れた場合、人類代表として戦うこと、だ。それを成すのであれば何をしても許される」

「何をしても、というと?」

「例えば、気まぐれに人を殺しても罪に問われない」

「あー……成る程」

 

 正確に言えばカンピオーネを罰する力を持つものがいない、というが正しいだろうか。法であれ暴力であれ、カンピオーネを止めるだけの力を人類は持っていないということだ。

 

「……聞きにくい事を聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「…………あー、やっぱりいいです。後で聞きます」

「そうか?」

 

 一体何を聞きたいのか。そして、何故今ではないのか。そんな事を思いつつ、秋雅は視線を正面に戻し、ついと目の前のパソコンを操作する。

 

「話を戻すが、現在地上にいるカンピオーネは俺を含めて八人いる。これを多いと見るか少ないと見るかは中々難しいが、一世紀以上に渡ってカンピオーネが存在しなかった時代もあると考えると、まあ多いほうなんだろう」

「どうなんでしょうね。秋雅さんはその人たち全員に会ったことはあるんですか?」

「一応な。まあ関係性はそれぞれだが」

「どんな人たちなんですか?」

「そうだな……」

 

 言いながら、秋雅はパソコンの画面に情報を表示させる。映されるのはアリスから受け取った他の神殺しに関する情報だ。先ほどまで見ていた草薙護堂の項目から変え、

 

「まずは、ヴォバン侯爵。三百年の時を生きた老カンピオーネだ」

「……三百年?」

「ああ」

「…………そっちでも人間離れしているんですね、カンピオーネって」

 

 もはや呆れたといった風に紅葉が呟く。それに対し、そうだなと秋雅も苦笑を返す。

 

「ただまあ、呪力が多いと老化を遅くしたり若返ったりという事が出来るんだ、普通の魔術師でもな。現に知り合いにも老人のはずなのにえらく若々しい外見を保っている者はちらほらといる」

「はー、それは世の女性が聞いたら暴動が起きそうな事実ですねー」

「……どうでもいいが、紅葉よ。君、性格が変わっていないか?」

 

 どうにも先ほどから時折言動が軽い彼女を見て、秋雅はそんな事を言う。確かに前から、どちらかといえば前向きなタイプであったようだが、今はそれに輪をかけて軽さが感じられる。

 

 すると紅葉はぐるりと身体を空中で回して、

 

「まあ、割と元はこんな感じでしたから。記憶を失っていたから、ちょっと余所行きの性格だったんですよ」

 

 にかっと、紅葉は笑う。

 

「それに、秋雅さんと同じですよ。自分を見せていいと気を許している、ってね」

 

 そんな彼女の言葉に、秋雅は眉を下げて、同じく楽しげに笑う。

 

「それはまた、光栄な話だな。一応言っておくが、表ではそういう態度を取るなよ」

「分は弁えていますって。それよりも、そのヴォバン侯爵って人の話を続けてくださいよ。侯爵ってことは、貴族の末裔とかなんですか?」

「いや。こういう言い方はあれだが、彼自身はそんな上等な生まれじゃない。仔細は知らんが、若い頃に戯れでどこぞの侯爵家から爵位を簒奪したんだそうだ」

「へえ、自分勝手な感じの人なんですか?」

「カンピオーネは基本的に全員自分勝手だから、別に彼に限った話じゃないな。彼の自身の性格を語るのであれば、古き時代の魔王、といったところだろう」

「古いというと、力で支配するとか、そんな感じですか?」

「そうだな。戯れに民を塩の柱に変えてしまったり、狼へと転じさせたり、あるいは己が望みのためにその死を厭わぬほど酷使したりと、まあ今の時代に付き合いたいとは思わぬ御仁だ。アリス殿が所属している賢人議会も、その始まりはこの王がきっかけとなっていたりする」

「まさしく暴君、ですか」

「そういうことだ。特にあの老人は死者を縛る権能を持っているから、君は近寄らない方がいいだろうな。俺がいれば多少は抵抗も出来るだろうが、あまり試したくはない」

「分かりました、絶対に近寄りません」

「そうしてくれ。さて、次の王の事を話そう」

 

 そう言って、秋雅はパソコンを操作する。次なる王の項目へと画面が切り替わるが、それを見た紅葉は、

 

「あれ? ほとんどの項目が空白になっていますね。名前はありますけど、えーっと?」

 

 読めない、と紅葉は首を傾げる。生憎と、日本の義務教育を受けた程度でしかない紅葉は簡単な英語を読むのが精一杯であった。それでよくアリス邸での生活が務まったという話だが、あの屋敷にはアリスを始めとして何故か日本語が出来る者が多かったので、その者たちに手助けをしてもらっていたのである。

 

「羅濠教主、と読む。中国に住む、二百年余りを生きるカンピオーネだ。直接人前に出る事が少ない上に、配下に情報を漏らす事を禁じているせいでかの賢人議会もろくに情報を得られていないらし」

「何で人前に出ないんですか?」

「自分のような武を極め、強大なる権能を持つ者は何者をも凌ぐほどに尊く、みだりに下々の者と接触はしない、というような感じの事を思っているからだ。自分の姿を見た者はその両目を抉り、声を聞いた者はその耳を切り落とすべし、とまで言うそうだし」

「……ヴォバン侯爵さんとはまた違った意味で会いたくない人ですねえ」

「個人的に認められればまた話は別だが、彼女がそうそう他人を認めるようなことはしないだろうしな」

 

 ふうん、と秋雅の言葉に頷く紅葉であったが、一拍を置いた後、首を傾げる。

 

「……ん? 羅濠教主さんって女性なんですか?」

「ああ。別にカンピオーネは男ばかりってわけじゃない」

「そうなんですか。まあ、言われれば納得しますけど」

「それに、女性とはいえその才覚は確かだ。武の頂点を名乗るだけあって、彼女ほど武術に精通している者はいないだろう。近接戦闘においてはカンピオーネの中でも間違いなく最上位だろうな。剣術だけ、とかならば彼女に迫る者もいるが、彼女のように様々な武術を極めている者はまずいないだろう」

 

 んー、と紅葉は秋雅の言葉を聞いて考え込んだ後、

 

「ちょっとした疑問なんですけど、遠距離戦闘と近接戦闘、どっちに強い方が戦いに有利なんですかね?」

「一般論は無視して答えるが、まつろわぬ神やカンピオーネと戦うときは近接戦闘に強い方が有利だと俺は思っているな。どちらもふざけた生命力を持っている所為か、遠距離からの大味な攻撃だと中々くたばらん。リスクを承知の上で懐に飛び込んで戦う方が殺せる可能性は高いだろうな」

 

 とはいえ、それはあくまで有利であるというだけだ。遠距離戦だけで相手をしとめる事が絶対に出来ないというわけではない。事実、秋雅もまつろわぬ神相手に遠距離主体の戦いで勝利を収めたことがある。

 

「成る程。ということは、羅濠教主さんはカンピオーネの中でも特に強い部類に入るってことですかね」

「そうなるだろうな。さらに言えば彼女は魔術戦においても一級品の腕前を持っている。単騎で彼女以上に『暴れられる』者はそういないだろう」

「何と言うか……言うだけのことはある、という感想しか浮かびませんね」

「同感だ。さて、共通理解を得られた所で次に行こうか」

 

 トン、と指で操作し、画面を切り替える。

 

「アイーシャ夫人。これまた一世紀以上を生きるカンピオーネだ。カンピオーネの中でもここまでの三名を旧世代、残りを新世代と分けられる事が多い」

「夫人ってことはまた女性ですか。旦那さんがいるんですか?」

「いや、敬称だ。経緯は知らんがどこかでそれを奉げられたとかで、以降はその名で呼ばれている。まあ、彼女に近い者は大抵、彼女の事を『聖女様』と呼んでいるが」

「聖女様……そう呼ばれるって事は、いい人なんですか?」

「まあ『いい人』であることは事実なんだろうが、なあ……」

 

 紅葉の質問に対し、秋雅は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。いい人であること自体は否定しないが、しかしそれだけではないと知っているからこその表情だ。

 

「含みがある言い方ですね」

「どうにも、天然かつ自己陶酔的な性格を持つという、中々に厄介な人でな。変な思い込みが激しい上に、こっちの都合をまるで考えないことばかりやってくれる。話が通じるようで通じていないというか、何と言うか。とにかく厄介な人なんだ、彼女は。ある種、前述した二人以上に人格が破綻しているといえるかもしれん。俺の知り合いなんかは半日以上一緒に居たくないとすら言っていたし、俺もその意見には概ね賛同せざるを得ない」

「……秋雅さん、私、もしかしたらその人にだけは会いたくないかもしれません」

 

 全くもって同感だ、と彼女の感想に対し秋雅は首肯する。敵対しているから会いたくない、と思う相手はそれなりにいるが、敵対もしていないのに会いたくない、と思えるのはおそらく彼女ぐらいだろう。

 

「あれですね。もうカンピオーネにまともな人がいるなんて期待はしません……秋雅さんを除いてですけど」

「俺も同じ穴の狢なんだが、まあそうしておけ。カンピオーネなんてどいつもこいつも、世界にも人にも優しくない人間の集まりなんだから」

「話だけで理解しちゃいましたよ……それにしても、どうしてそんな人が『聖女』なんですか?」

「彼女の権能だよ。彼女は周囲の人間に好かれる権能を持っているんだ、マイルドに言えばな」

「マイルドに言わないとどうなるんですか」

「狂信者の集団を大量生産できる。たぶん、身体強化のおまけつきで」

 

 無言のまま、うわあ、という表情を紅葉が浮かべる。それに対し、秋雅も無言のまま頷く。言葉にならない、というのはまさしく今の状況なのだろう。

 

「……次の人に行きましょうか」

「ああ、そうだな。ここからは新世代、ここ十年ほどのうちにカンピオーネとなった者達の話――」

 

 と、続きを話そうとしたところで、機内にアナウンスが入る。たった二人の乗客相手に律儀な話だが、どうやらもうすぐ空港に到着するらしい。

 

「あら、時間みたいですね」

「そのようだな。続きは彼女らが来てからに――も出来んか」

 

 画面に表示された顔を見て、秋雅は顔をしかめながら訂正する。それに対し、紅葉は不思議そうに首を傾げる。

 

「どうしました?」

「彼女たちの前ではあまり話したくない王がいることを思い出しただけだ。だからこの王まではここで説明しておく」

「はあ。どんな人なんですか?」

「アレクサンドル・ガスコインという男だ。『黒王子』の二つ名を持つ、神速で世界中を廻るカンピオーネだな。もっとも、王子という名には全く相応しくない男だが」

「……なんか棘々していますね。お嫌いなんですか?」

「この男と仲良くするぐらいなら俺はヴォバン侯爵に協力するか、羅濠教主と一騎打ちをするか、あるいはアイーシャ夫人と一年以上行動を共にする事を選ぶ」

「…………滅茶苦茶嫌いなんですね」

 

 やや引きつった表情を浮かべながら紅葉が呟く。先ほどまでの話を踏まえた上で、そのような事を秋雅が言ったからこその感想だろう。

 

「何か秋雅さんがそこまで人を嫌うってのは不思議な感じがしますけど、何か因縁でも?」

「別に。ただ、自分勝手に計画を立てておきながらイレギュラーが起きればしっちゃかめっちゃかに改悪、放棄し、その上事後処理などをまるで考えない奴の生き様が嫌いなだけだ。ウル達が人間不信になったのもアイツがきちんと後始末をしなかったからだし。ついでに言えば、同じ穴の狢であるくせに自分だけは違うと思っている馬鹿さ加減が気に入らん。何が理性的だ。お前も結局は直線的な獣だろうに」

 

 不愉快だ、と表情を歪める秋雅を、まあまあと紅葉がなだめる。

 

「秋雅さんがその人の事を嫌いなのはよく分かりました。極力話題に出さないようにしますから、とりあえずここでは落ち着いてくださいよ。その調子だと恋人さんたちが引いちゃいますよ?」

「……すまん、少し熱くなりすぎた」

 

 紅葉の言葉に、秋雅は罰の悪そうな表情を浮かべた後謝罪する。

 

「どうにも、奴が相手となると冷静になりきれん。悪い癖だとは思っているんだが、中々制御も出来ん」

「まあ、そういうものでしょう。誰にだって嫌いな人の一人や二人はいますからね」

「いっそ殺してしまいたいんだがな。あの男、逃げ足だけは速い」

 

 呟くように、そんな言葉を秋雅が口に出す。すると、

 

「……秋雅さん。一つ、聞いてもいいですか。さっき、聞こうとして止めた質問です」

 

 ふと、紅葉が神妙な面持ちを浮かべ、秋雅を見つめる。

 

「何だ?」

 

 先ほどまでの千変万化な表情と違った真剣な表情に、秋雅もまた同じような表情で見つめ返す。

 

 一息の後、

 

「――秋雅さんは、人を殺した経験がありますか?」

 突然の質問。それに対し、秋雅は何事かを考えるように目を閉じた後、

 

「ある」

「……そうですか」

 

 静かな問いかけと、同じく静かな返答。それ以上に何を言うでもなく、二人はただ無言で互いを見つめている。

 

 そんな中、再び機内アナウンスが入った。シートベルトの着用を促す、よく聞くアナウンスだ。

 

 それを聞き、ふっと二人の間にあった空気が霧散する。白けた、というわけではないが、外部からの何でもない介入に、場の雰囲気が完全に崩された形だった。

 

「座りますね」

「ああ」

 

 苦笑しながら、紅葉は用意された席に座る。それを横目で見やりながら、彼女はどう感じたのだろうか、と秋雅は疑問に思うのであった。

 

 




 あんまり必要な話でもなかったかも。予想以上に長くなったので秋雅から見た新世代の王たちの話はまた今度書くかもしれないし、書かないかもしれません。




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初顔合わせと彼女の実力





 基本的に、稲穂秋雅という男は常に複数の可能性を考える男である。それもただ無闇矢鱈に可能性を広げるだけというわけではなく、しっかりとその対応までも考え付き、その通りに行動できる能力を持っている。それを彼が発揮するのはもっぱら戦闘時ではあるが、しかし日常生活においても必要な時が来ればその能力を遺憾なく発揮することがある。

 

 今回もまた、その必要があるだろうと秋雅は思っていた。何故ならばこれから起こるのは、新しく秋雅の配下となった、幽霊の特殊個体である草壁紅葉と、先輩であり、同時に極度の人間不信でもあるノルニル姉妹たちの初顔合わせ。面倒ごと、とまでは行かないにしても、あまりよい顔合わせにはならないだろうと考えていたからだ。

 

 それ故に、秋雅としては色々と、これから起こる展開を予測しつつ、その対応策などを考えていた…………の、だが、

 

「初めまして、草壁紅葉です! 幽霊ですけどよろしくお願いします」

「初めまして、ウル・ノルニルよ。コンピュータ関係には強いつもりだから、何かあれば聞いて頂戴。こっちは妹のスクラとヴェルナ、仲良くしてあげてね」

「ヴェルナだよ、よろしくね。一緒に秋雅のために頑張ろう!」

「ヴェルナの双子の妹のスクラよ。まあ、色々とよろしく」

「はい、お三方ともよろしくお願いしますね」

 

 自己紹介をしながら、紅葉と三姉妹はにこやかに握手を交わす。とてもではないが、このうちの三人が人間不信であると思うものはいないだろうという、そんな光景。

 

「……どういうことだ?」

 

 その、思ってもみなかった和気藹々とした顔合わせに、秋雅は何とも困惑した表情を浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? だって、その子幽霊なんでしょ?」

 

 秋雅にとって困惑すべき光景から数分後、邸内のダイニングにて紅茶を飲んでいたヴェルナは不思議そうな表情を浮かべて紅葉を指差した。先ほどの光景の意味に対し、秋雅から質問されての反応のであったのだが、それこそ秋雅からしてみれば不思議な反応だと言えよう。

 

「確かに紅葉は幽霊だが、それがどうしてお前達の人間不信の解消に繋がるんだ」

 

 よく分からぬ、という風に秋雅は首を傾げる。それに対し、ヴェルナはあっけらかんとした表情で言う。

 

「だって、幽霊ってことは人間じゃないってことじゃん。じゃあ問題ないかなって」

 

 軽く放たれたヴェルナの言葉に、思わず秋雅は呆然とした表情を浮かたる。いやいや、それは、と言いたげな表情だ。それを見て流石に言葉が悪いと思ったのか、ヴェルナは慌てたように口を開く。

 

「あ、いや、正確に言うと生きている人間じゃないって意味だからね? 生きている人間なら利益だとかで裏切ったりするかもしれないけれど、幽霊ならそんなことは思わないだろうって考えによるものだから、うん。断じて、初対面の相手を人外だと思っているとかじゃないから」

「……それを聞いて安心したよ」

 

 はあ、と呆れたように秋雅はため息をつく。自分にとっても大事な女性の一人が、外道のような事を考えていたわけではなかった。そんな安堵の感情も込められたものであった。

 

「そういうわけだそうだから、紅葉、あまり気を悪くしないでやって欲しい」

「ああ、いえ、お気になさらず。幽霊なのは事実ですし、自分でもちょっと生前とは感覚が違っている自覚があるので。少なくとも物欲とかは以前ほどないっぽいですからねえ」

 

 服とかも気にしなくてよくなりましたし、と言いながら紅葉は自身の格好を変化させる。それを見て、おお、と興味深そうに目を見開いているヴェルナに、秋雅はコツンとその頭を小突く。

 

「とりあえずヴェルナ、お前は少し対人を意識した物言いを覚えろ。その調子じゃ後々面倒ごとになりかねん」

「はーい……」

 

 考えてみれば、このノルニルという三姉妹はここ三年ほど秋雅を含めた身内としか会話をしていない。元々ヴェルナは――おそらくはスクラも――気心知れた相手に対し、言葉を繕うということをわざわざするタイプではない。それ自体は特段良いも悪いもないのだが、どうにも彼女たちの場合は、やや不都合な誤解を生じさせかねない会話となってしまっているようであった。すべては例の一件と、それ以前からも他者とあまり好意的な交流を出来なかったことが原因か。

 

 別に、歯に衣着せぬ物言いが絶対に悪いと言うわけではないのだが、時と場合によっては確実に面倒事になる。今回だって紅葉が気にしていないようだから大丈夫だったが、相手によっては大きく気分を害していた可能性だってあったのだ。

 

「妙な所で課題が出てきたな、まったく」

 

 何にせよ、いくら人前に出る可能性が低いとは言え、そのままの状態を続けられてしまうと妙なトラブルを引き起こしかねない。その対策についても考える必要があるかもしれないなと、頭を押さえている――痛いと感じるほどの力は込めていないので、単に反射的なものだろう――ヴェルナと、ついでに我関せずと紅茶を飲んでいるスクラを見ながら、秋雅はまたため息をついた。

 

「……まあ、それはまたそのうちだな。ついでに聞いておくが、ウルとスクラもヴェルナと同意見なのか?」

「いえ、私は単にシュウが気を許している相手だから警戒していないだけよ。もっとも、二人と比べれば私はまだ取り繕う事が出来るほうだから、どこまで本心かは保証しないけれど」

「それを自分で言うかね。スクラもそうなのか?」

「おおよそは姉さんとヴェルナに同意したといったところね。加えて言うなら、その子が女性だったというのも多少はあるかしら」

「うん? スクラたちの人嫌いは、性別限らずの話だと思っていたが、違うのか?」

「いえ、違わないのだけれどね。ただ、あの時私達を襲ってきた魔術師達は男ばっかりだったから、まだ女性のほうがマシってだけ」

「そうだったか……?」

 

 スクラの言葉に、秋雅ははてと当時の記憶を思い出してみる。流石にそんな些事を詳細に覚えてはいないが、確かに言われてみれば、あの時魔女や女魔術師はいなかったような気がしないでもない。

 

「まあそういうわけだから、まだ女性相手なら多少は気を緩められるのよ。後はヴェルナと姉さんの意見の統合みたいな感じ」

「横から口を挟みますが、とりあえず現状に不都合がないのであれば良いのではないですかね? 個人的にも疎まれていないのなら問題ないですし」

「まあ、紅葉がそういうのであればここまでにするが……」

 

 どうにもしっくり来ないな、と秋雅は内心で首を捻る。彼女たちの言葉を疑っているからではなく、単にいまいち実感が湧かないのが理由だ。この辺りは周りの人間に恵まれた結果なのだろうかと、そんな風にとりあえず結論を付けて、秋雅はこの話をここで終わらせることにする。

 

「じゃあこれで話は済んだということにして話題を変えるが、引越しの準備は終わっているか?」

 

 言いつつ、秋雅はぐるりと室内を見てみると、数日前と比べてやや物が少なくなっている。元々置いてあったものはあるようだが、姉妹が住みだしてから飾るようになったものなどは大体がなくなっているようだ。

 

「ざっとは、と言ったところね。とりあえず急ぎ必要な物などは先に日本に送っておいたわ。後々他の物も送ってもらえるように纏めと手配を行っておいたから。勝手にシュウの名前を借りたけれど、構わないわよね?」

「最終的に指示を出したのは俺だ。今更駄目だと言う訳がないな」

「ん、ありがとう」

「……あ、そうだ」

 

 ふと、ヴェルナが口を開いた。

 

「ねえ秋雅、私達の日本での拠点って、結局秋雅の家ってことでいいの?」

「ああ。部屋は余っているから適当に使ってもらうつもりだ」

「ワンフロア丸々ですもんねえ」

 

 秋雅の世話になっていた時を思い出してだろう、紅葉はそんな事を呟く。実際、所有はしているが物置にすら出来ていない部屋もあるので、そのうちのどれかを適当に使えば問題ないだろう。

 

「ただ、流石に研究開発が出来る環境じゃないから、そこだけは外部に場所を用意させる。ウルだけは家でも大丈夫だろうが、スクラとヴェルナに関しては、本格的な開発の際にはそっちに移動してもらう必要がある」

「まあ、そればっかりはしょうがないね」

「人は来ないわよね?」

「呼ばない限りは来させないように言っておく。ただ、最低でも責任者である福岡分室の室長には一度会ってもらう必要があるから、それも了承しておいてくれ」

「はーい」

「了解」

「私も、スパコンの都合もあるし、何だかんだそっちで働くことになるかしらね」

「どっちにしろ、ヴェルナとスクラの二人だけじゃちょっと不安も残るし、その方がいいかもな」

「そうかもしれないわね」

「姉さんも秋雅もひどいなあ……」

「明確に否定できないのが腹立たしいわね」

 

 むう、とふくれっつらをするヴェルナとスクラに笑いつつ、さて、と秋雅が立ち上がる。

 

「じゃあ、そろそろ行くか。いい加減俺も早く帰国したいからな」

「あ、ちょっと待って」

 

 しかし、ここでヴェルナが待ったの声を上げる。ウルとスクラの様子を見るに彼女達もヴェルナに対し視線を向けているので、どうやらヴェルナの個人的な用事があるらしい。

 

 はて、一体何なのであろうか。不思議に思いつつ、秋雅はヴェルナに対し向き直って言う。

 

「何だ?」

「うん、実は――紅葉とちょっと戦ってみたい」

「はあ?」

 

 ヴェルナの返答に、思わず秋雅は怪訝な声を上げる。しかし、そんな秋雅の反応を無視して、ヴェルナは紅葉に視線を向ける。

 

「秋雅のスタッフは他にもいるけれど、秋雅にとって弱点になりえるのは私達だけだった。秋雅直下の配下にして、秋雅が気を許した相手というのは、自惚れじゃなく私達だけ。それはつまり、私達は秋雅にとっての弱点になりえるってことなんだ」

「……だけど、私達は戦う力があった」

 

 ふと、スクラが小さな声で呟く。それに対し、うんと頷いて、ヴェルナはさらに話を続ける。

 

「そう、私達はそれぞれに戦闘能力がある。自慢じゃないけれど、そこらの相手には負けないと思う。だから、そういった意味での秋雅の弱点は存在しなかった。秋雅の家族、という弱点はあるけれど、まさかカンピオーネの身内に手を出す馬鹿はいないはずだし、これもまた問題にはならない」

 

 だけど、とスクラは紅葉を見て言う。

 

「そこに、紅葉が加わるとなれば話は別。紅葉の戦闘能力如何によっては、秋雅にとって明確な弱点が生まれることになってしまう」

「……だから紅葉と戦うと? 戦闘要員なのに弱いというならばともかく、彼女は最初から非戦闘要員だ、戦う必要性はないだろう。大体、攻撃はともかくとして、防御に関しては実体化を解いてしまえばそれで十分のはずだ。その状態の彼女に通じる物理攻撃はそうない」

 

 意図は理解できたが、と秋雅は渋面を浮かべる。言いたいことは分かるが、しかしそれでどうして紅葉と戦うということになってしまうのかがいまいち分からない。

 

「いや、ありありだよ。戦えないならそれはそれでいいけど、その場合どのレベルで戦えないのかを調べておく必要はあると思う。全く戦えないのか、護身ぐらいは出来るのかぐらいは、ね。それに物理無効に関しても絶対じゃない。何があるのか分からないのがこの世界だよ」

「しかし、だな」

 

 未だ渋る秋雅であったが、その彼の肩をウルが叩く。

 

「度合いに応じて護衛の必要性なんかも変わってくるもの。そういうことなら、私はヴェルナに同意するわ」

「ウル」

「死を目前として足を止めてしまうタイプなのかどうか、調べておかないと撤退も難しい。私も試しとはいえ戦いを経験しておく必要はあると思う」

「スクラまで」

 

 ううむ、と最終的に三姉妹全員が意見を一致させてしまったことに、秋雅は思わず唸る。実際、秋雅もヴェルナの理屈は確かに分かっている。ただ、だからと言って、戦闘職でない者を戦いに巻き込んで良いものか、というそんな思いもあった。

 

 そんな時であった。これまで沈黙を保っていた紅葉が、一歩前に出て、ヴェルナのすぐ目の前に立ったのは。

 

「その提案、お受けします」

「紅葉……」

 

 君もか、という声を漏らす秋雅に対し、大丈夫です、と紅葉は返す。

 

「ヴェルナさんの理屈は分かりましたし、必要性も理解しました。だったら、秋雅さんの従者としてお受けしないわけには行きません。幸い、私は戦闘経験こそないですが、戦う手段自体は一応持っています。私としても、ここで試しておきたい」

 

 そういう紅葉の顔は真剣で、無理強いされたという風の表情ではない。自ら選んだのだ、という雰囲気がひしひしと感じられる。

 

「…………致し方ない、か」

 

 そんな表情を見てしまえば、もはや止めることなど出来ないと、秋雅はそう思う。こうなった以上、一度やらせてみなければ、むしろ彼女にとって為にならないだろうと、そのように判断したのである。

 

「分かった。二人の決闘を認める。ただし、制限時間は十分、殺傷を目的とした攻撃は一切禁ずるということにする。異論は?」

「ないよ」

「ありません」

「なら、地下一階に移動するぞ。あそこならば多少暴れても問題ないからな」

 

 言いたいことはある、が仕方ない。やる気十分な二人を見ながら、秋雅は最後に一度だけ、小さなため息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、場所を移して地下一階。広い室内の中央で、ヴェルナは軽く身体をほぐし、紅葉は何をするでもなくその場に佇んでいる。

 

 そして二人から数メートル離れたあたりで、秋雅とウル、スクラが審判兼観戦者として二人を見守っている。

 

「ねえ、シュウ。実際の所、彼女はどれ位戦えるのかしら?」

「少なくとも俺の認識じゃ全く戦えないはずだ。プリンセス・アリスの元で多少の魔術は習ったそうだが、それでヴェルナに対抗できるとは思えん」

「でも、秋雅。彼女は何か戦う手段があるみたいな口ぶりじゃなかった?」

「ちょっとした切札がどうこうとは言っていたが、はたしてそれがヴェルナに通用する代物なのかどうか」

「結局、分からないってことね。まあ、すぐに分かるけれど」

「だな――二人とも、準備はいいか?」

「問題ありません」

「オッケーだよ」

 

 秋雅の確認に対し同意して、二人はそれぞれに構える。だが、それぞれの構え姿はまるで対称的だ。ヴェルナの方は隙なく、いつでも走り出せるようにしているのに対し、紅葉もファイティングポーズらしきものはとっているものの、あからさまに素人の構えだ。ここだけを見ても、どちらが勝つのかというのは自明の理だろう。

 

「最初に言っておくけれど、私の攻撃は痛いから頑張ってね」

「ではこちらも言っておきます。あまり油断していると、逆に怪我をするかもしれませんよ」

「言ってくれるね。じゃあ――ちょっと本気を出すよ」

 

 言った直後、ヴェルナが突然に駆け出した。まだ合図も出しておらず、さらには身体強化までかけていることに対し、秋雅はまたもや渋面を作る。しかし、それに付随する苦言を彼が発するよりも速く、ヴェルナの攻撃は紅葉へと向かう。

 

 攻撃手段は右足による蹴り、狙いは容赦のない頭部狙いだ。おそらくは咄嗟の事態に対し実体化を解けるかどうかを確かめる狙いなのだろうが、いくら何でもやりすぎだ。その結果起こる自体を想像し、秋雅が思わず声を荒げようとした。

 

 だが、

 

「……何だと!?」

 

 先ほどまでの感情を忘れ、思わず秋雅は驚きから目を見開く。彼だけではない。ウルとスクラもまた、同じように驚愕の表情を顔に貼り付けている。

 

 しかし、この場で最も驚いていたのは、おそらくはヴェルナであったのだろう。

 

「ちょっ、はあ!?」

 

 ヴェルナの放った鋭い蹴りを、紅葉は防いで――防げてすらいない。無防備に、その横っ面に思い切り喰らっている。未だに、その蹴りは彼女の頭部に当たっている。だというのに、その表情には一遍の曇りもない。

 

 いや、それだけではない。そもそも、ヴェルナの蹴りを喰らってそのまま立っていること自体がおかしいのだ。並みの格闘家を凌駕するその蹴りを受けて、全く吹き飛ばないなどありえない。

 

 それが小揺るぎもしていない。ただ、悠然と、その場に立ち尽くしているだけだ。

 

「……っ!」

 

 呆然としていたのも一瞬、すぐさま正気を取り戻し、ヴェルナは大きく後方へと跳躍する。そして、

 

「紅葉……今の、一体どうやったの?」

 

 ヴェルナの問いかけに、秋雅達も紅葉へと視線を移す。四人からいっせいに見つめられる形になった紅葉は、そうですねえと口を開く。

 

「教わった身体強化をやってみただけです――って言っても、まあ納得してくれませんよね」

「当然。身体強化の術ってのは文字通り身体能力を強化するための術であって、防御力を上げる術はまた別にあるんだから。手ごたえや吹き飛ばないことも踏まえると、まるで人間の形をした岩か何かを蹴ったと勘違いしそうになった」

「そう言われましても。私はただ、本当に教わった物をやってみただけなんですけどね。まあ、向こうの人たちも同じような反応でしたけど」

 

 とりあえず、と紅葉は改めて構え、そして言う。

 

「ヴェルナさんの攻撃は防げるということも分かりましたし、今度はこっちが行かせてもらいます!」

 

 言うと同時、紅葉は地面を強く蹴り、ヴェルナに向かって一直線に駆け出す。驚くべきはその速度で、先ほどのヴェルナのそれと比べて二倍近い速さだ。

 

「やあっ!」

 

 掛け声と共に、紅葉は拳を前に突き出す。極めて速いが、しかし素人の攻撃だ。その攻撃をヴェルナはひらりと避けてみせる。

 

「あぶなっ!」

 

 ただ、その攻撃が彼女にとって脅威足りえるというのは事実であったのだろう。避けきれた事を確認しつつも、その視線は紅葉から決して離そうとしない。

 

「やっぱり避けられますよね。でも、それなら何度でも攻撃するまでです!」

 

 振り向き、再びヴェルナに向かって紅葉は駆け出す。まるで砲弾の如き苛烈なそれを再び華麗に避けて見せ、さらには反撃の蹴りを与えたヴェルナであったのだが、

 

「――硬いし重い!! どういう身体の構造しているのさ!?」

「幽霊に身体なんてありません!」

「そういう意味じゃない!!」

 

 ぎゃあぎゃあと叫びあいながら、互いに突進と回避を繰り返す。その様子を見ながら、秋雅は横にいるウルとスクラに対し声をかける。

 

「ウル、スクラ、紅葉のあれだが、どう思う?」

「何とも言えないわ。あれほどの防御力、重量、そして筋力。どうやったらああなるのかしら。シュウこそ、何か推測はない?」

「分からん。結果だけを見ればドニの『鋼の加護』を思い出すが、しかしなあ」

「それって、権能に匹敵する術ってこと?」

「いや、たぶんあれには劣るはずだ。あくまで類似効果、といった程度だろう」

「ふむ」

「とりあえず、幽霊に身体強化をかけるとああなるってのことなのかしら?」

「そもそも実体化できる幽霊自体いないからな。何がどう噛み合っているのか、どうにも分からん」

 

 どうなっているのか、と三人は目の前の光景の解明に頭を悩ませる。そうしている中、ふとスクラが口を開いた。

 

「ねえ秋雅、紅葉の実体化って呪力を込めてやっているのよね」

「ああ」

「それってどういう風になっているの?」

「どういう風、というのは?」

「だから、単にオンオフを切り替えているのか、それともパーセンテージがあって実体化度合いを決めているのか、ってこと」

「あ、オンオフの方です!」

 

 スクラの言葉に、戦っていた紅葉が反応し、答える。どうやら聴力の方も強化されているようである。

 

「オンオフの方ね。じゃあ、実体化している状態で、さらに実体化しようと呪力を込めるとどうなるの?」

「え? えーっと……こうですかね?」

 

 スクラの疑問に、紅葉は思わず足を止めてその通りにやってみる。すると、

 

「……あれ? 身体強化をした時と同じ感じですね? でも、効率はこっちのほうがいい……のかな?」

 

 言いながら、再び紅葉はヴェルナに向かって駆け出す。その速度は先ほどまでのそれを何ら遜色ない。いや、むしろさらに速くなっている風にすら見える。ただの素人の突撃であるというのに、その勢いたるや玄人ですら脅威として見ざるを得ない物だ。

 

「ちょ、スクラ! 余計なこと言わない! さらに避け難くなったじゃないの!?」

「知らないわよ」

 

 思わず苦言を呈するヴェルナにどこ吹く風で答えて、スクラは視線を秋雅達に戻す。

 

「そういうわけみたいだけれど、姉さんと秋雅の意見は?」

「彼女の言葉を信じるなら、身体強化が結果として実体化強化になっていたということみたいね。そのあたりの変換の理屈は一先ず置いておいて、実体化強化で何故ああいう風になるのかしら」

「推測だが、実体化強化、というよりはむしろ存在強化、といったほうが正しいのかもしれないな」

「存在? ……成る程、それで防御力と重量が増したということね」

「ああ、そう考えれば一応の納得は出来る。中々面白い現象だな」

「でも、それだと身体能力の向上理由は?」

「強化しても動きが阻害されないようになっているんじゃないか? 重量が増せばそれだけ力は必要だろう」

「だけど、その場合だと動きの速さ自体は変わらないんじゃないかしら? 超過分が生じている理由が分からないわ」

「俺の雷鎚なんかと同じで自身には重量が適用されない、とか?」

「それだと最初から強化の理由がないわ」

「それもそうか。じゃあどういう理屈なのか……」

「二人で分かり合っていないで、私にも分かるように説明をお願いしたのだけど」

 

 熱が入ったかのように議論を続ける秋雅とウルに、置いてけぼりを食らっていたスクラが言う。それに、例えばの話だが、と秋雅が人差し指を立てて言う。

 

「ゴム風船があるだろう? あれを紅葉の実体化に例えるぞ。呪力を消費することで外側のゴム風船を生み出し、その中に彼女の幽体や呪力を詰め込み、実体化する。こういう流れを一先ず想像しろ」

「それで、彼女が呪力をさらに込めることで、外側のゴム風船がもう一つ重なると考えるの。その状態でまた膨らませると、さっきよりも頑丈で、さらに少しだけ重い風船が出来上がる」

「これを繰り返していけばどうなるか。とてつもなく頑丈で、とてつもない重量の風船が出来上がる。重なると言っても実際は多分厚さは変わらずに圧縮、融合しているんだろう。そうすれば密度も上がり、結果として硬度が増す」

「ただ、この推測だとむしろ身体能力が増す理屈が分からないのよ。さっきまではともかく、今は実体化強化だけのはずなのに」

「重量等はそのままに、身体機能は阻害されないように強化されるようになっているということで普段と同じ動きが出来る、ならまだ分かるんだが」

 

 どうなんだろうか、と再び秋雅とウルは議論を交わし始める。最初はそれに耳を傾けていたスクラであったのだが、途中から興味をヴェルナと紅葉の戦いへと向ける。元々、細かい理屈や理論にはそこまで熱心ではない方なのだ。原因と結果さえ分かっていればいい、というのが彼女の性分なのである。

 

「……というか、そろそろ十分経つんじゃないかしら?」

 

 ふと、その事を思い出したスクラはそう首を傾げるが、彼女以外の全員がそれぞれに熱が入ってしまっていて、その事に気付いていない様子である。

 

 どうしようか、と首を傾げているスクラであったが、そんな彼女に対しヴェルナが叫ぶ。

 

「スクラ! 暇ならこっちに来て手伝って! いい加減私も反撃に移りたい!」

「ちょっと!? 素人相手に二対一をやる気ですか! だったらこっちもさらに呪力を込めますよ!」

 

 叫び、紅葉は内にある呪力をさらに強く発現させる。その量にヴェルナは何度目かの驚きの声を上げる。

 

「んなっ?! 上限がまだあるの!?」

「何か知らないですけど、呪力を込めればそれだけ強くなるんです! もう秋雅さんから貰った、魔術師十人分だが二十人分だかの呪力を使い切る勢いで強化してやりますよ!」

「……強化したら重量も増えるんだから、下手したら床が抜けるんじゃないかしら」

「え?」

 

 スクラの呟きと同時、大きな音を立てて紅葉を中心として床が崩壊する。スクラの言葉通り、重量の増加に床のほうが耐えられなくなったのだろう。

 

「うわっ!?」

「おっとっと」

 

 咄嗟に、紅葉は実体化を解除し、ヴェルナもまた崩壊地点から距離をとったので、二人とも階下にそのまま落ちることは回避できた。元々距離をとっていた秋雅達も、そもそもとして床の崩壊に巻き込まれるようなことにはなっていない。ただ、床の穴の上でふよふよと浮かぶ紅葉に視線を向けるだけだ。

 

「あー……本当にすみません」

「……まあ、止めなかったこちらにも責任はある、か」

「スパコン、先んじて動かしておいて良かったわね」

「一応、強化素材で出来ていたはずなのだけれど、凄いわね」

「はあ、何か白けちゃった」

 

 

 そういうわけであって、紅葉の実力を測るという名目で開かれたこの模擬戦は、彼女は十二分に戦えるという結論を出しつつも、このような、何とも言えぬ結末を迎えたのであった。

 




 思ったよりも長くなったので、飛行機での会話とかはしません。次回はもう帰国した所から始める予定です。




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帰国






 

「……起きて、シュウ」

 

 肩を揺する手と自身の名を呼ぶ声に、秋雅はゆっくりと目を開ける。こちらを覗き込むように見ている恋人の顔に、まどろみから冷めた秋雅は口を開く。

 

「着いたのか、ウル?」

「そうよ、貴方の故郷、日本に到着したわ」

「調子はどう、お寝坊さん?」

「すこぶる好調だよ」

 

 からかうように言うヴェルナに対し、首を鳴らしながら秋雅は答える。アメリカ、イギリス、インドといった十時間以上の空の旅による疲労も、インドから日本への間に睡眠をとることで十分に取り除く事が出来ていた。カンピオーネということで中々に頑丈で徹夜を苦ともせぬ肉体ではあるが、流石に丸一日近くを飛行機の中で過ごすとなると、そのうちのいくらかは睡眠に当てないと精神的に調子が狂う。そうでなくとも、アメリカを早朝に出たというのに、今やその翌日の夕刻であるのだ。長めの午睡でもとらないとやっていられないというものである。

 

「秋雅の寝顔を見ていて思ったのだけれど、貴方の『我は留まらず』を使って転移すれば時間的な節約は容易だったのではないの?」

「なんです、それ?」

「ああ、秋雅の権能――って、説明したらまずいかしら?」

 

 聞き覚えのない言葉に首を傾げた紅葉に対し、思わず説明を始めようとしたスクラであったが、すぐさましまったという表情を浮かべて秋雅を見る。基本的に秋雅が自分の権能の詳細を他人に知られたがっていないということを失念していたことによる焦りであるようだが、秋雅は問題ないと軽く手を振ってみせる。

 

「他言無用を守れるなら多少話しても気にしない。立場的にはまだ見習いって所だが、もう紅葉は俺の配下だからな。それ相応に信用している、ってことで」

「他人の秘密を吹聴する趣味はありませんので、ご安心ください。それで?」

「ああ、簡単に言うと瞬間移動できる権能。正確には物体と物体の位置を入れ替えるんだけど」

「で、何故使わなかったのかしら?」

「呪力の節約とか? あれの長距離転移を複数人でやると面倒なのもあるのかな」

 

 確かに、『我は留まらず』は長距離転移も可能だが、流石に地球を一周する勢いで転移を繰り返すとなると呪力の消耗もあるし、何より転移先に入れ替える対象が用意されていないと出来ない。その準備を全くしていないわけではないが基本的には秋雅一人がやることを前提とした準備であり、ウル達も転移できるほどではない。何よりそういったことをやると余計な情報を他者に与えかねないという可能性も生じる。

 

 だから、ヴェルナの推測は当たっていると言っていいだろう。だが、今回はそれだけではないと秋雅は首を振る。

 

「半分はそれだが、もう半分は紅葉だ」

「私ですか?」

 

 きょとんとしながら自分を指出す紅葉に対し、秋雅は頷く。

 

「ああ。ほら、マンションで生活をしていたときに色々検査をしていただろう?」

「ええ、やりましたね」

「あの時、試しに『我は留まらず』を使おうとした時があったんだが、どうにも成功するという感じがなくてな」

「それはまた、どうしてかしら?」

 

 ふむ、と考え込むウルに、仮定だぞと前置きをして秋雅は口を開く。

 

「たぶん、実体化できるとはいえ結局紅葉は肉体、まあ実体が無いからじゃないかな。あれはあくまで物質同士の入れ替えだと、そういうことだと考えている」

「そういうものなんですか?」

「勘だけどな。案外権能というやつは、俺たち自身にすらよく分からん部分がある」

「成る程……」

「それで今回も飛行機で空の旅だった、と」

「呪力を高めれば出来そうな気もするんだがな、まあそこまでするほどじゃないだろう?」

「時は金なりって言うけどね」

「今は時間には余裕がある。それに、金も無駄にある」

「そりゃそうだ」

 

 秋雅の返答を聞いて、ヴェルナはからからと笑う。口にこそ出していないがスクラもひっそりと笑っていることからも、秋雅の返答は随分とこの双子のお気に召したらしい。まあ、言った当人はどうしてここまで二人が受けているのか、いまいちよく分からなかったが。

 

「さあ、皆。そろそろ飛行機を降りるわよ。いつまでもここにいてもしょうがないわ」

 

 姉とはいえ妹たちとは笑いのつぼを共有していなかったのか、案外と長話をしてしまっていた皆に対し、ウルは軽く手を叩いて行動を促す。

 

 それに、そうだったと思わず手を止めていた四人も自分の荷物を手に取り、すぐに飛行機を降りる。

 

 そのまま通路を通り、諸々の手続きを済ませ、特に重要度の高い要人を対象とした空港の秘密スペースへと足を踏み入れる。秋雅と紅葉にとっては一週間ほどぶりの帰国であり、ウル達にとっては初めての日本入国であった。

 

「……さて、これからどうするの?」

「時間も時間ですし、そのまま秋雅さんのマンションに行くんですか?」

「ああ、そのつもりだ。迎えを頼んでいるしな」

 

 そう秋雅が答えたと同時、まるで計ったかのように向こうから二人の人物が歩いてくるのが全員の視界に入る。同時、一瞬前まで和気藹々としていたスクラとヴェルナは、無言で秋雅の後ろに回る。その相も変わらずの人間嫌いっぷりに思わず秋雅は苦笑を浮かべるが、しかしすぐさまその表情と雰囲気を王としてのそれに切り替え、その二人に対し声をかけた。

 

「出迎えご苦労、三津橋、それに五月雨室長」

「いえ、この程度」

「稲穂様の命ですから」

 

 秋雅のねぎらいの言葉に、正史編纂委員会からの迎えである三津橋と五月雨は恭しく頭を下げる。その後顔を上げた二人は、その視線を秋雅の周囲にいる女性陣へと向ける。

 

「ところで、そちらが?」

「ああ、私の部下のノルニル姉妹と草壁紅葉だ」

「初めまして、正史編纂委員会の方々。ウル・ノルニルです。こちらが私の妹のヴェルナ・ノルニルとスクラ・ノルニル」

「どうも」

「草壁紅葉です。よろしくお願いします」

 

 表面上はにこやかに名乗るウル、非常にぶっきらぼうなヴェルナに、無言のまま全く交流を持つ気のないスクラ。そして敵意のない笑みを浮かべる紅葉と、四者四様な反応が揃う。

 

「ご丁寧にありがとうございます。正史編纂委員会、福岡分室所属の三津橋と申します」

「同じく、福岡分室室長の五月雨です」

 

 そんな四人の挨拶に特段大きな反応を見せるでもなく、三津橋はいつものやや軽薄な雰囲気を、対称的に五月雨は硬い雰囲気を、それぞれに感じさせながら軽く頭を下げる。ここで二人が握手を求めるなどの行動を示さなかったのは、初対面でも分かるノルニル姉妹の拒絶の空気を感じ取った為であろうか。

 

 それはともかくとして、一応は挨拶も済んだということで、秋雅は五月雨達に視線を向け、口を開く。

 

「さて、三津橋に五月雨室長。早速で悪いが、車まで案内してもらえるかな? 報告等があれば車内で聞かせてもらいたい」

「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」

 

 三津橋の先導で、秋雅達は空港の裏手にある、これまた主に要人等を利用者としている駐車場へと案内される。そこに用意されていた一台の車に、運転席は三津橋、助手席には五月雨が乗り、後部座席の前列に秋雅と紅葉、後列に姉妹たちが、という形でそれぞれに乗車する。

 

「目的地は稲穂さんのご自宅、ということでよろしいんでしたよね?」

「ああ、頼む」

「承りました」

 

 頷いて、三津橋が車を走らせ始める。荒さも勢いもない、実に癖のない柔らかな運転だ。そんな落ち着いた車内でまず口を開いたのは、ある種当然と言うべきか、秋雅であった。

 

「さて、五月雨室長。先日の一件に関して、賢人議会からのメッセージの件については聞いていたが、それ以外に関しては後回しにしていたな。何か、報告することはあるかね?」

「はい、大きくわけて二つほどございます。まずはその賢人議会から、先ほど調査報告書らしき物が届きました。宛名として指名されていたのが稲穂様であったので、中身は確認していません」

「賢人議会からの報告書、か。成る程」

 

 十中八九、それは秋雅が捕縛した、例の魔術師に関するものであろう。秋雅としても捨て置けない事件だ。

 

「ふむ。では明日、ウル達がそちらを訪れた時に渡しておいてくれ。頼んで良いな、ウル?」

「ええ、構わないわ。ついでに、こっちでも調べられそうだったら調べておけばいいのよね?」

「ああ、頼む」

 

 実の所、プログラミングだけがウルの特技というわけではない。コンピュータに関すること全般、特にハッキングやクラッキングもまた彼女の得意分野であり、同時にそれらを併用した電子の海を用いた情報収集も彼女が十八番とする点である。魔術師の情報などがインターネットで分かるかと思うかもしれないが、これで案外意外な情報を得られる事があるので、他の知り合いの情報屋と並行して、秋雅は彼女に情報収集を頼む事が多かった。

 

「では、そのように致します。そしてもう一つ、清秋院が動きを見せています」

「というと?」

「ご老公に取り入り、草薙護堂様に娘を差し出そうとしているようです」

「清秋院の娘というと、清秋院恵那か」

 

 清秋院恵那といえば、日本の媛巫女の中でもかなり有名な部類に入る名前だ。かの正史編纂委員会のトップである古老――それが幽世に住まう、元はまつろわぬ神と呼ばれていた者達であると秋雅は知っている――より神刀を授けられたという、現在日本に存在する媛巫女の中では最強と呼ばれている戦闘能力を持っている少女だ。秋雅も面識こそないが、そうであるという情報程度は知っている。

 

「しかし、かの古老らが人界の権力争いに口を挟むとは、な」

「不可解である、と思われますか?」

「ああ」

 

 一体どのような魂胆であるのだろうか、と秋雅は疑問に思う。最初に浮かぶ疑問の答えとしては、やはり最強の《鋼》関連のことだろうか。そういったことを話すなり、あるいはその人柄を見極めるなりをするために渡りをつけたいと思い清秋院恵那を遣わした、と考えるのが一番説得力のある推測だろうか。まあ、ここでいくら考えてもどうにもならぬことではあるし、現時点ではさして秋雅と関係のあることでもない。とりあえずは放置しておいていいだろう、と最終的にそのような結論を出し、頷く。

 

「まあいい。何か続報があれば、その時は報告を」

「畏まりました」

「他には、何かあるかね?」

「…………いえ、特に御身のお耳に入れるようなことは、何も」

「そうか」

 

 僅かな沈黙の後にあった、五月雨の含みある返答。明らかに何かある、と分かる返答であったものの、秋雅は特段それを指摘するようなことはしない。大方、以前に三津橋が言っていた、彼女に秋雅を篭絡せよとでもいった指示があったのだろう。

 

 だが、それを暴露した所でどうなるというわけでもないし、本人が言いたがらない事を無理やりに聞きだすというのも気が乗らない。そういう場面でもない以上、これもまた放置でいいという秋雅の判断であった。ついでに言えば、やはり恋人たちの前で出す話題でもないという考えもあったのだが、まあそれはどうでもいいことだろう。

 

「それはそうと稲穂さん、ちょっとよろしいでしょうか?」

「何だ?」

 

 話が一段落し、ちょうど車が赤信号で止まったタイミングで、ふと三津橋が口を開いた。稲穂に断りを入れた彼であったが、バックミラー越しの彼の視線は、秋雅ではなくその隣に座る紅葉へと向いている。

 

「そちらの、草壁紅葉さんに少々お聞きしたい事がありまして」

「はい? 何でしょうか?」

「いえ、私の勘違いかもしれないのですが――貴女のお父上は、もしや草壁康太さんではありませんか?」

 

 そう三津橋が問いかけると、びくりと紅葉が肩を上げた。見れば彼女の表情には確かな驚きの色がある。

 

「父を、ご存知なのですか?」

「ああ、やはりそうなのですね。ええ、元同僚でしたから」

「元同僚って……」

「魔術師、ということか?」

「はい。その様子だとご存じなかったようですね」

「……初めて知りました」

 

 思ってもみなかった、というような表情で紅葉は呆然と呟く。当然といえば当然だろう。自分の身内か魔術師であったなど、いきなり聞かされれば驚かないわけがない。しかし、そんな彼女の様子から、秋雅はまた別の感情の色を感じ取った。それが何か、というのは具体的には分からない。しかし、確かに彼女は何かの感情を抱いている。そしてそれはおそらく、決して肯定的なそれではない。

 

「どうにも、だな……」

 

 この少女もまだ、何かを隠し持っているようだ。そんな事を思いながら、秋雅は口の中で言葉を転がす。ただし、それは彼女を否定する言葉ではない。むしろ、そうであるならば力になる必要がある、という手助けを決意したものであった。過去、そして現在に至るまでノルニルという姓を持つ女たちの力となってきたように、それが主としての自分の役目である、と。

 

 だから、

 

「紅葉」

「……はい?」

「俺は、君の味方だ。それだけは、信じておいてくれ」

 

 口を彼女の顔に近づけ、囁くように秋雅は言った。王がどうとかは関係なく、今だけは、こればかりは、ウル達にも聞かせようとは思わない。だから、ただ紅葉にだけ秋雅はその言葉を囁く。そうすべきであると、理屈ではなくそう判断した。

 

「え……?」

 

 突然のその言葉に、紅葉は目を丸くし、すぐ目の前にある秋雅の顔を見つめる。そこにある真剣な面持ちの彼の表情をしばし呆然と見つめた後、ふっと彼女の身体から力が抜け、彼女の表情に安堵したような笑みが浮かぶ。

 

「――じゃあ、信じます」

 

 秋雅に返すように、紅葉もまた彼の耳元で囁いた。からかうように、しかし真剣な声音で、彼女は確かに、秋雅の言葉に応える。そのことに、秋雅の頬も僅かに緩む。

 

「では、そういうことで」

「ええ、そういうことで」

 

 言い合い、共に微笑を浮かべあう。これで良い、そんな根拠のない安堵と自信が、秋雅の中には生まれる。

 

 

「…………突然どうしたんですか、稲穂さん?」

 

 そんなところで、怪訝そうな表情をした三津橋に声をかけられた。自分が話していたと思えば、突如二人が耳元で囁きあっているのだから、その反応は正常な反応であろう。見れば、五月雨もまた三津橋を同じような反応を示している。もっとも、背後にいるウル達だけは、何故か楽しげな雰囲気を感じ取る事が出来たが、それもまたある意味では合っているのだろう。

 

「何でもない。ただ、私の大事な部下と重要なことを話していただけだ。そうだな、紅葉?」

「はい、そういうことです!」

 

 元気よく、笑顔を浮かべて紅葉は応える。その笑顔に、秋雅もまた満足と共に、その口の端に微笑を浮かべる。背後より感じられる、くすくすという忍び笑いに関しては努めて気にしないようにしながら。

 

 

 

 それからは結局、それ以上三津橋の口から紅葉の父の事が語られることもないままに時間は過ぎ、とうとう秋雅の住むマンションへと辿り着いた。

 

「では、明日は私が皆様をお迎えに上がります」

 

 五人が降りた後、ふと五月雨がそう告げる。

 

「五月雨室長が?」

「はい。現在福岡分室で手隙の女性室員は私のみですので。皆様も、男性よりは私が参ったほうが精神的負担は減るのではないかと思いますが」

「そうだな……」

 

 ちらりと秋雅はウル達を見る。その視線にウルが頷きを返したのを確認して、秋雅は五月雨に向き直り、肯定の言葉を投げる。

 

「よろしく頼む」

「はい、では今日は失礼致します」

「何かありましたらお電話を」

 

 最後にそう言って、正史編纂委員会の二人はその場を離れた。離れていく車の姿を何となしに見送った後、さてと秋雅は四人に向き直る。

 

「じゃあ、とりあえず俺の部屋に行くぞ。部屋割りに関しても決めないといけないしな」

 

 うん、と秋雅の言葉に頷いて、四人はそれぞれ荷物を持って秋雅の後に続く。

 

「そう言えばさ、全員秋雅の部屋に集まって、てのは駄目なの?」

「ソファと床で寝たいのか?」

「いや、秋雅のベッドとか」

「入ってもう一人程度だし、俺はあまり睡眠を他者と共有したいと思うタイプじゃない」

「同感ね」

「淡白な恋人同士だこと」

「と言うか、それで紅葉はどうしていたの?」

「隣の応接用の部屋のベッドで寝ていました。まあ、食事と一緒で別に寝なくても良いんですけど」

「あら、そうなの?」

「ええ。だから時々、一晩中本を読んでいたりもしました」

「へえ、そうなんだ」

 

 そんな事を話しながら、四人はエレベータに乗り、秋雅の所有フロアに着き、そして秋雅の部屋の前へと辿り着く。秋雅が鍵を開けて中に入り、それに四人も続く。リビングに入ってすぐ口を開いたのは、やはりというべきか、ヴェルナであった。

 

「おー、これが秋雅の部屋かあ。結構いい部屋だね」

「元はあっちの家と同じく献上品だがな。ま、中々に悪くない住処だよ」

「とはいえ流石に五人が共同生活をするにはちょっと手狭ね。他の部屋は?」

 

 ぐるりと部屋を見渡してのウルの質問に、そうだなと秋雅は腕を組む。

 

「この部屋の両脇は空いている。一応客を泊める事も想定して作っているから、それぞれ寝室が二つ。とりあえず今はその二つに二人ずつ泊まっておいてくれ」

「じゃあ、紅葉は私と一緒ね。ついでにその体質のこととか色々聞かせてよ」

「はい、分かりました」

 

 秋雅の指示を聞いて、すぐさまヴェルナが紅葉を誘い、紅葉の方も快諾する。それを見たスクラはやや残念そうに肩をすくめ、やれやれとウルに視線を向ける。

 

「あら、取られちゃったわね。じゃあ姉さんは私と一緒で」

「そうしましょうか。それじゃあ、食事は共通してここで取るということにしておきましょう。ただ、毎食そうするというのも面倒でしょうし、夕飯だけ基本的にここということで」

「そうするか。とはいえ、今日はこれから夕飯を作るのは、流石に面倒だな」

「食材もあんまりないはずですしねえ。あ、そうか。よく海外に行くからあんまり買い溜めしていなかったんですね」

「そういうことだ」

 

 今気付いた、と手を叩いた紅葉に、秋雅は首を縦に振る。何かと日を跨ぐ外出の多い生活を送っているせいで、あまり足の早い食材は置けない。小さいが、秋雅にとっては地味に悩みの種となっていることである。

 

「じゃあ、出前でも取る?」

「外に食べにいくって選択肢もありますよ。あ、でもウルさんたち的に外食は厳しいですかね?」

「個室があればいいかな、って感じだよ」

「ああ、ちょっと待て、お前達」

 

 紅葉たちの検討を遮って、秋雅はリビングにある本棚からバインダーを取り出し、それをウルに手渡す。

 

「ここに俺の個人的な知り合いがやっている店のリストを纏めている。どれも個室ありの店だからお前達も大丈夫だろう」

「マメね、貴方。じゃあお言葉に甘えて」

「んー、日本って言ったらやっぱりスシじゃない?」

「テンプラ、も有名よね」

「たこ焼き、はないのかしら。前から興味があったのだけれど」

「基本的にたこ焼きは夕食用じゃないですよ、ウルさん。そっち系統ならお好み焼きじゃないですかねー」

 

 和気藹々と、女性陣がリストを見ながら楽しげに話しているのを横目に見つつ、秋雅は携帯電話を取り出す。そのままど電話をかけようとしたところで、ふと四人に目を向け、口を開く。

 

「確認しておくが、それぞれの明日の予定は?」

「私は予定通り委員会の設備を借りてVW-01の最終調整をするつもり。結局インドじゃ最後まで出来なかったから、明日で仕上げるよ」

「私も、秋雅用の銃の仕上げをすることにしているわ。同じく明日には渡せる、と思う」

「私はその二人の付き添い、と秋雅から依頼された情報収集ね」

「えーっと、私はどうしましょう?」

「何もないなら紅葉は俺と一緒に行動だ。お前の死の真相をいい加減探らんとな。家、高校の近くだったよな?」

「ええ、そうです」

「じゃあ明日はとりあえずそこに向かうぞ。俺はその為の足の手配をしておくから、その間にお前達は店を決めておいてくれ。そっちにも電話をしないといけないから」

 

 はーい、と四人が返事をしたのにくすりと笑いながら、秋雅は改めて知り合いに電話をかけるのであった。

 




 とりあえず今回はワンクッション。次回から紅葉の話を本格的にやっていくつもりです。




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背中に感じる存在







 

 『足』を取りに行く、と秋雅が紅葉に言ったのは、朝方、ウル達が五月雨の運転の元マンションを出た、そのすぐ後のことであった。それに紅葉が否というわけもなく、すぐに秋雅に続いて外に出る。炎天下、とまではいかないが未だに暑さの残る青空の下、先導する秋雅に対し、ふと紅葉が口を開いた。

 

「ところで秋雅さん、『足』を取りにいくって言いましたけど、委員会の人に準備してもらわないんですか?」

「彼らに頼むとどうしても仰々しくなってしまうからな。俺の立場って物を考えるとそれも当然といえば当然なんだが、そうじゃないほうが都合良い時もある」

「今回もそうだ、ってことですか?」

「住所を見る限り君の家と俺の家はそう遠くないようだからな。知り合いに見られる可能性を考えると目立つ車に乗るのはちょっと、な」

「ああ、そういうことですか」

 

 うんうん、と秋雅の言葉に納得がいったように紅葉は何度か頷く。それを横目に見ながら、それに、と秋雅は続ける。

 

「文字通りたまには趣味に走りたいからな、俺も」

「趣味? 秋雅さんって運転が趣味なんですか?」

「ん、まあ運転って言っても車じゃなくてバイクの方だけどな」

「バイクですか?」

 

 意外だ、というような表情で紅葉が首を傾げる。

 

「ああ。車の運転も出来るが、どうにも俺にはバイクの方が性にあっているみたいでな。時々知り合いから借りて走っているんだ」

「じゃあ、今日もバイクで?」

「ああ、知り合いにバイクの販売、改造を行っている奴が居る」

「販売はともかく、改造って大丈夫なんですか?」

「よっぽど無茶苦茶しない限りは合法だ…………体制に知られていなければ、な」

 

 ぼそりと呟いた秋雅の言葉を、あえて紅葉は聞き流すことにした。やっているにせよやっていないにせよ、秋雅の知り合いであるというのならば、彼がいる限りそれが表沙汰になることはないのだろう。まあ、結局の所紅葉にはさして関係のない話である。

 

「ああ、そうだ。今更で悪いが、バイクに乗った経験は?」

「生憎と運転する方も後ろに乗る方も経験はないですね。少し楽しみです」

 

 言葉だけでなく、紅葉はその顔を綻ばせることで期待感を秋雅に示す。その事に微笑ましさを秋雅が感じる中、ところで、と紅葉は小首を傾げた。

 

「秋雅さんは何でバイクが好きなんですか?」

「特にこれといったものがあるわけじゃないんだが……強いて言うならスリルか?」

「スリル、ですか? こう言ってはなんですけど、秋雅さんの場合、バイクじゃなくてもスリルを感じる場面はいくらでもあるんじゃないですか?」

「まあ、そうなんだけどな。その気になればバイクよりも速く走る事だって出来ないわけじゃない」

 

 ただまあ、と秋雅は軽く後頭部の辺りをかきながら言う。

 

「人間らしいスリル、って言うのかな? カンピオーネであるとかまったく関係ない、普通の人間らしい感覚を思い出せる、ってのが好きなんだろうな、たぶん」

「んー……分からないでもないですけど……」

 

 何と返したらいいのだろうかと言いたげに、紅葉は悩む素振りを見せる。そんな彼女の様子に秋雅は思わず苦笑をこぼす。まあ実際、秋雅自身でもよく分かっていない感情なのだ。分かってもらいたい、と強制するようなものでもない。

 

「まあ、あんまり理解しようとしなくて良いさ。職業病の逆みたいなもんだし、あんまり他人に理解されるような理屈でもない」

「だからって切り捨てるのもなんか気が引けるんですよねー」

「そういうもんかね」

「なんて言ったって従者ですから、私」

「その理屈も、中々理解しにくいな」

 

 そう言って、二人して顔を見合わせて笑う。何となくだが、どうにもよく笑っているなと、秋雅は紅葉の名前を聞いてからの数十時間の自分をそう評した。愛おしい、というわけでは勿論ないが、何だろうか、案外この女性は、こちらに安堵を感じさせるのだ。適度に気を抜けられる、とでも言えばいいのだろうか。とにかく、そういうタイプの相手である。まあ当然、秋雅にとっての一番の女性はウル・ノルニルのみであり、その手の感情を紅葉に対し抱いているわけではないのだが、まあ何にせよ、能力や性根に限らず、やはり人材には恵まれている、と秋雅は心から思うのであった。

 

 

 

 そんな一幕からしばし、秋雅と紅葉は自分達が交わした会話にそれぞれ思いながら、ようやく目的地へと辿り着いた。大通りからいくらか外れたそこにあったのは、ひどく小さな町工場といった雰囲気の建物だ。入り口らしきやや大き目の扉の奥からは、何かの機械の駆動音らしきものが小さく聞こえてくる。

 

 そんな建物が鎮座する敷地の入り口、そこに一人の男性が立っていた。当初男はぼうっと空を見上げながら壁に背を預けるようにして立っているだけであったが、そちらへと向かって来ている秋雅の姿を視界に収めるやいなや、その顔に喜色を浮かべて秋雅へと大声で呼びかける。

 

「――よう大将、待っていたぜ!」

 

 そう声をかけてきたのは、三十は超えているだろうかという見た目をした、がっしりと体格の良い男であった。顔は程よく日に焼けており、笑みを浮かべるとしわがやや深い。服の上からでも分かるほどに筋肉がついていて、暑さの所為か少しばかり汗の匂いがする。だが、不思議と圧迫感や不快感などは覚えなることはない。それは彼が浮かべている歳不相応な人懐っこい笑みの為であろうか。

 

 そんな男の挨拶に軽く手を上げて応えた後、秋雅は差し出された右手を強く握り返す。その顔に浮かんでいるのは彼が時折浮かべる勝気な笑みだ。

 

「待たせたな。少々話しながら歩いたせいで遅れた」

「別に気にはしねえさ。今は結構時間があるからな。そんで? そっちが大将の同行者か?」

 

 そう言って、男は興味深そうな視線を秋雅の後ろに立つ紅葉へと向ける。二人の会話に不思議そうな表情を浮かべていた彼女であったが、男の注目が自分に向いたと気付き軽くその頭を下げる。

 

「初めまして、草壁紅葉と言います」

「一応ここの持ち主の神田功ってもんだ。よろしくな、お嬢ちゃん」

 

 お嬢ちゃんという呼びかけ――享年としては十八なのだが、おそらくは平均よりも低いその身長の所為だろう――にやや首を傾げたものの、まあいいかと紅葉は差し出された手を握り返す。

 

「よろしくお願いします」

「おう」

 

 にかっと笑う神田の手は見た目の印象に違わぬ、大きくごつごつとした手だ。握りなれぬその感覚に紅葉は面白そうげに目を細める。

 

「……ちょいと聞くがお嬢ちゃん、まさか稲穂の大将の『コレ』かい?」

 

 手を離した後、ふと興味深そうな目を紅葉に向けながら、その小指を立ててみせる。何とも古典的な表現ではあったが、その意味は十分に紅葉にも伝わったらしい。神田のジェスチャーに対し、彼女は笑って横に手を振る。

 

「まさか、私は秋雅さんの部下みたいなものですよ。第一秋雅さんにはウルさんっていう素敵な恋人さんがいますし」

「そうなのか……って恋人がいるのはマジなんだな。しかも名前から察するに外人さんか?」

「まあな」

「ほーん、まあ大将なら誰が恋人だろうが納得できるけどよ。つか、それだったら部下のお嬢ちゃんよりも恋人を先に後ろに乗っけちゃどうなんだ」

「生憎と、彼女は二輪よりも四輪が好きなのさ。そして彼女は自分でハンドルを握るのが好きな性質なんでね、俺はもっぱら同乗者だ。ああ、それで思い出したが、お前の知り合いに車を扱っている奴はいるか?」

「んー、そう聞くって事は普通の車じゃない方が良いってことか?」

「弄っている奴のほうが、やれる事が多いのは確かだな」

「そりゃそうだ。ま、大将には世話になっているし、ちょいと知り合いにカタログでも作らせてみるか」

「感謝する……じゃあ、そろそろ本日の主役を持ってきてもらっていいか?」

「おっと、そうだったな。ちょっと待っていてくれ」

 

 額をペチンと手で叩いた後、神田は急いで建物の方へと走っていく。その背を見ながら、紅葉が口を開いた。

 

「ところで秋雅さん、大将って何ですか? 秋雅さんの態度も結構フランクでしたけど」

「あだ名だよ。前に魔術がらみのトラブルに巻き込まれているところに偶然出会ってね、見捨てるのもなんだったから適当に助けたんだが、まあ色々あってこんな感じになったんだよ」

 

 歳の差のわりに、と疑問を口にする紅葉に対し、ああと秋雅は何でも無いように答える。何ともざっくりとしていて説明にもなっていないものであったが、とりあえずそれで納得できたのか、それ以上は聞かず紅葉は頷く。おそらくは秋雅ならばさもありなん、とでも思ったのであろう。

 

 そしてしばし、というほどの時間が経つでもなく、神田が一台のバイクを押しながら二人の元へと歩いてきた。

 

「待たせたな、大将にお嬢ちゃん。お望みのバイクだ」

 

 そう言いながら彼が見せたのは、バイクと言えば、と誰もが想像しそうな普通のバイクだ。大型というわけでもなく、奇抜なデザインや飾りをつけているわけでもないという、いたって一般的なバイクである。

 

「二人乗りをするって最初から聞いていたからな。いつもみたいなやつとは違ってあんまり弄ってねえ。操縦性をちょいと上げた程度でエンジンとかはほとんどノータッチだから、あんまり無茶苦茶な運転は出来ねえからな」

「サーキットならともかく、公道を爆走する趣味はない。必要に駆られれば話は別だが」

「大将の場合はその必要性ってやつが簡単に生じそうだからなあ。まあ、その辺りは一応信用しているぜ。料金はこの前一括で払ってもらったばかりだし、また今度ってことで」

「毎度思うが、こまめに払った方がそちらとしても楽じゃないのか? 改造費も少なくないだろう」

「そう思うなら大将よ、もうちょいこっちに払う分を抑えてくれや。アンタが毎度馬鹿みたいな金額を渡してくるから、逆に纏めてしまわないと受け取るのが恐れ多すぎるんだよ」

「そう思うならここの経営状態をもう少しどうにかしろ。裏帳簿の赤字、誰の金で補填出来ていると思っているんだ」

「しゃーないだろ、結構ギリギリの金額で提供しているってのに、それでも足元を見てくる奴が多いんだからよ」

「だから言っただろうが、俺がどうにかしてやろうかって」

「そこまで大将におんぶに抱っこは流石に気が引けるんだよ」

「今更だと思うがなあ、大体――む?」

 

 ふと、秋雅は傍らの紅葉があらぬ方向を向いていることに気付いた。秋雅達の会話に興味がない、というよりは、二人の会話を耳に収めぬように全力で気を逸らしているように見える。考えてみれば直前の会話内容は中々に胡乱なものであったので、精神衛生か何かの為に聞かぬようにしていたのであろう。よくよく見れば、その首筋には一筋の冷や汗すら流れていた。

 

「……いや、その辺りはまた、ということでな」

 

 その事に気づいた秋雅はそう言って話を切り上げる。突然の切り上げに神田はやや怪訝そうな表情を浮かべ、紅葉はホッと安堵の息を吐く。

 

「ん? まあ大将がそう言うならいいけどよ。んじゃ、ほいこれ」

「ああ、悪いな。紅葉も」

「え? ああ、はい」

 

 神田が差し出した二つのヘルメットを受け取り、そのうちの一つを紅葉に渡す。そしてそれを被ろうとした所で、秋雅はそのヘルメットが通常のそれと異なることに気がついた。

 

「これは、マイクか?」

「ああ。二人乗りだって聞いたからな、走行中も互いに会話ができるようにくっつけておいた。滅茶苦茶短距離用だから、基本的に二人乗りしているときぐらい密着していないと使用できないと思っていてくれ。まあ、あんまり安全上良くはないだろうが、大将ならこれで事故るってこともないだろうさ」

「感謝しておくよ」

 

 神田の計らいに微笑を浮かべつつ、秋雅は用意されたバイクに跨る。そして渡されたヘルメットを被った後、

 

「紅葉」

 

 と、紅葉に対し手を差し伸べる。

 

「はい」

 

 それに、紅葉もヘルメットを被った後、差し出された手を掴み、促されるように秋雅の後ろに座り、ぎゅっとその身体に抱きつく。

 

「じゃあ、また後で返しに来る」

「ごゆっくり、だ」

「ああ」

 

 神田に軽く手を上げて感謝の意を示し、秋雅はバイクのエンジンをかける。紅葉がしっかりと自分の身体に抱きついている事を確認した後、神田に見守られる中でバイクを発進させたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅葉の家――正確には彼女が高校一年生まで住んでおり、大学生に入学するにあたって戻ってきた生家だ――は秋雅が通っていた高校の近くにある。それはつまり秋雅の実家と彼女の家は距離的にそう遠くないということである。そして現在秋雅が住んでいるマンションから彼の実家までは、普段秋雅も電車等を使って移動する程度には距離がある。だからこそ秋雅は今の大学に通っているとも言えるのだが、まあそれはともかくとして、その距離をバイクで移動しようと思うとまあ多少は時間がかかる。それこそ、ちょっとした内緒話を行うには十分過ぎる時間が、である。

 

 

 だからこそ、

 

「――それでは、そろそろ話を聞かせてもらおうか」

 

 ふと、そんな風に秋雅が切り出したのは、彼がバイクを走らせ始めてから十分ほどが経った時であった。

 

「え?」

 

 突然の言葉に、紅葉は驚いたような声を漏らす。しかし、そんな彼女の反応など聞いていないかのように、秋雅は前を向いたまま――運転中であるので当然だが、それだけではないのかもしれない――自分に身体を預けている紅葉へと言葉を投げる。

 

「君の家族のことだ。ここまでは聞かずにいたが、君の家に向かう以上そろそろ聞かないわけには行かないだろう……君が父親に対し、如何様な感情を抱いていようとも、な」

「……気付いていたんですか」

「今までの会話の内容から、君が父親、あるいは他の家族に対しても、何か思うところがあることは察していた。今まで聞かなかったのは、余人に聞かせたくはなさそうだったからだ」

 

 例えばロンドンでの再会の時であったり、あるいは昨日の三津橋との会話であったりと、紅葉が家族というものに何かを抱いているということを秋雅は感じ取っていたのである。まあ、これに関しては秋雅が聡いというよりも、紅葉がわかりやすかったと評するほうが正しいだろう。彼女はどうにも、案外素直な女性なのである。

 

「正直に言えば、個人的には他人の心の内をむやみやたらに暴き立てる、というのは趣味じゃない。ただ、必要とあればやらなければならない立場にあるのは確かであるし、それは俺も受け入れていることだ」

 

 単なる言い訳か、あるいは辛うじての説得であるのか。どちらとも分からぬ事を秋雅は口に出す。無言のまま秋雅の言葉を聞いている紅葉に、秋雅はさらに続ける。

 

「状況を考えると、君の父親が君の死に対し何らかの形で関わっている可能性は決して少なくない。であれば、君の父親の事を知る必要が生じてくる。理由こそ不明ではあるが君が家族のことに対し言いたくないのは分かる。だが、今回ばかりは主として命令してでも話してもらわないといけない」

 

 

 

 だから、

 

 

 

「――稲穂秋雅が主として命ずる。草壁紅葉、隠している事を話せ」

 

 

 そう、秋雅は命じた。そして、互いに口を開かない長い沈黙の後、

 

 

「…………分かりました」

 

 

 決心したように紅葉はその言葉を口に出した。

 

 

「すみません、秋雅さん」

 

 続いての紅葉の言葉は謝罪の言葉であった。そのことに、秋雅は怪訝な調子で尋ねる。

 

「すまないとは、何がだ?」

「きっかけ、秋雅さんに作らせちゃいましたから。本当なら、私の方から言うべきだったのに」

「……いや」

 

 紅葉の言葉に、思わず秋雅は黙り込んだ。どう反応するのが正しいのかが咄嗟にわからなかったからだ。礼を言われるのはお門違いだ、というのは簡単だが、しかし本当にそう口に出してしまうというのも気が引ける。結局の所、思ったよりも紅葉が秋雅の従者としての立場に積極的であったというのが、秋雅の困惑の原因であった。

 

 

 

 そんな、バイクの運転音などを置き去りにしたかのような沈黙が、二人の中に生じていた中、

 

「……秋雅さんは、ご両親をどう思っていらっしゃいますか?」

「え?」

 

 突然、紅葉が秋雅にそんな問いを投げかけた。紅葉へどう答えるべきかと悩んでいた秋雅は、その突然の質問に面食らったような反応を見せたものの、

 

「……尊敬に値する両親であり、弟や妹達を含め、愛すべき家族であると思っているが」

 

 質問の意図は分からなかったが、秋雅はすぐさまそう答えた。話の流れは分からずとも、これだけは絶対に断言できると、そんな意思のこもった返答だった。

 

「愛されているんですね、ご家族は……そして、ご家族も秋雅さんを愛していらっしゃる」

 

 秋雅の返答を聞いて、紅葉は小さくそう呟いた。そんな紅葉の態度に、少しばかり状況が見えてきた秋雅は、あえて彼女に問いかける。

 

「……君の家は、愛のない家庭だったのか?」

「愛がない、というわけではなかったんです。ただ、それが私達には向けられていなかったというだけで」

 

 

 ぽつぽつと、紅葉は語り始める。

 

 

「……私の両親は、所謂幼馴染だったそうです。物心ついた頃から一緒にいて、そして互いを恋愛対象としてみるようになって、当然のように結婚したと聞いています。だから、二人は互いを本当に愛し合っていました。子供の私にも、それはよく伝わっていました……だけど、結局はそれだけです。自分達は愛しても、両親は私達を愛さなかった」

「……それは、虐待を受けていたということか?」

「いいえ、違います。むしろ家庭内は円満で、一般的な観点から見れば幸せな家庭というものにカテゴライズされていたと思います。生活に不自由したことはなかったし、大抵の頼みは聞き届けてもらえました」

「ならば、何故愛されなかったと?」

「――笑顔、ですよ」

 

 はっきりと、紅葉は言った。

 

「笑顔?」

「ええ。両親が私達を見る目は、どこか冷めていました。椿――妹はそうは思っていなかったみたいだったけれど、私にははっきりと分かっていました。両親にとって、私達はあくまで自分達が幸せな家庭を築いているということを示す為の手段(・・)に過ぎなかった、と」

 

 淡々と、秋雅の数度の問いにもまるで調子を崩すことなく、紅葉はまるで原稿を読んでいるかのような口調で言う。

 

「休みの日に遊園地へと連れて行ってくれた事がありました。家族で旅行に行ったこともありました。学校に授業参観に来たこともあったし、何かあれば心配もしてくれました」

 

 その全てが気持ち悪かった(・・・・・・・・・・・・)、と紅葉は吐き捨てた。

 

「両親の何もかもがまるで演技のように見えました。心配も、アドバイスも、遊びも、励ましも、その全てがまるで台本を見ながらやっているようにしか見えなかった。唯一本心だと思えたのは、両親が互いを見ているときだけ。私と妹を見る目には、決して『愛』なんて言葉は存在してなかったんです」

 

 ぎゅっと、紅葉が秋雅の胴に回す手の力が強くなる。まるで秋雅から離れたくないとでも言うかのように、紅葉は秋雅の背に身体を預けようとする。

 

「……夫婦は愛しいと思うから、だから愛し合う。でも、親は愛するべきだと思うから、子供を愛する。家族なんて、案外いびつな繋がりなんです。それが、私が人生で学んだことの一つです」

「……かも、しれないな」

 

 本当は、その言葉を否定するべきであったのかもしれない。だが、秋雅はその言葉を否定しなかった。温かな家族を得ている自分だからこそ、彼女の言葉を否定する資格がないと、そんな風に思ったのだ。何を言ったところで、一人の人間が人生の中で得た『真理』を、他人が容易く否定できるものではないのだ、と。

 

「四年前に母が亡くなってから、父は私達のことなんてろくに気に掛けなくなった。引越しだってある日突然決まったし、その理由は終ぞ教えてくれなかった。私がこっちの大学を受けると言った時も、父はそうかの一言で済ませました。私にこっちの家の鍵だけをよこして。もう、演じる気すらなくなったんでしょうね」

 

 

 ――だから、こっちに戻ってきたんです。

 

 

 項垂れるように、秋雅の背に頭をつけて、紅葉はそう言った。そこに篭っている感情は、秋雅を抱きしめるその手が震えていることから、察するに余りあった。

 

「……笑える話です。こっちに戻って、卒業後はそのまま適当に就職して、そして椿を呼び寄せて二人で生活する。そんな風に思っていたのに、結局私はその第一歩から踏み外してしまった。秋雅さんたちと会えた事は良かったと思っていますが、私の人生そのものには、本当に笑わずにはいられない……本当に、滑稽な話ですよ。何で、こんなことばっかり思い出しちゃったんでしょうね」

 

 そう小さく呟いて、紅葉は力なく笑う。

 

 

 

 背中越しに感じるその身体の震えに秋雅は、車であれば頭を撫でることもできたのにな、とそんな事を考えてしまう。

 

 

 

 

 ……結局、その十数分ほど後、秋雅が何か行動を起こすよりも早く彼が運転するバイクは目的地である紅葉の家の前へと辿り着いてしまう。

 

 だからであったのだろうか。

 

「――さあ、じゃあ頑張って調べてみましょうか」

 

 到着した途端、紅葉は道中のことなどなかったかのように、いつもの笑みを浮かべながら、いつもの調子でそう言った。

 

「……ああ、そうだな」

 

 だから、秋雅が最後に思ったことも終ぞ表に出ることなく、そのまま、まるで何事も無かったかのように、元の二人に戻るのであった。

 




 ちょっと無理やり纏めたので変な感じもしますが、紅葉の話に関してはこの時点でやっておく必要があったので強引にねじ込みました。もう少し秋雅の動きを考える必要があったかもと思いつつ、まあとりあえずこれで。次回は紅葉の死に関しての話題。父親がどうかかわっているかとかも書く、予定です。



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地下に『在った』もの







「秋雅さん、バイクはこっちに止めておいて下さい」

「ああ、分かった」

 

 紅葉の指示に従い、秋雅はバイクを草壁家の庭へと運ぶ。一般的な庭付き一戸建てにしても少々広めなその庭を見ると、確かに金銭的な不都合はなかったのだろうと感じられる。そもそも、引っ越したにもかかわらずこのような立派な家を所持し続けたということを考えれば、草壁家が裕福な分類にはいることは間違いないだろう。

 

 しかし、だ。

 

「委員会の給料だけでこうも出来るものかね」

 

 正史編纂委員会、という組織に密接なかかわりのある秋雅から見ると、そのような事を出来るほど委員会は金払いの良い組織ではないという疑問がある。危険給なども踏まえればそれなりに高給取りにはなるだろうが、しかしそれだけで本当に足りるかと聞かれると首を傾げてしまう。

 

「……まあ、今はいいか」

 

 結局の所、可能性はいくらでもある。今ここで秋雅が一人で考えたところで正解を導き出せるというものでもない。だったら本命を調べる傍らに、ついでに調べてみれば良いだけの話だ。

 

「秋雅さん! ちょっと問題が発生したんですけど、来てくれませんか?」

「ああ、今行く」

 

 まずはこっちが先決だ。そう思考を切り替えて、秋雅は自分を呼んでいる紅葉の元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「――開いたぞ」

「凄いですね。今のも魔術ですか?」

「初歩的なそれだがな」

 

 紅葉の問題――鍵がないので扉を開けられないという、秋雅もうっかり失念していた問題だった――を解決した秋雅は、そのまま草壁家の玄関の戸を開ける。特に何の変哲もないその玄関に足を踏み入れた所で、秋雅はポツリと呟く。

 

「……やはりか」

 

 外に居たときから薄々は感じていたことであるが、中に入ってみるとこの家の中には結界の類が張られているということを秋雅ははっきりと感じ取る事が出来た。ただ、結界と言っても人の出入りを妨げるようなものではなく、その結界内の呪力の気配などを外に漏らさないようにするようなタイプであるらしい。現に秋雅は何の問題もなく足を踏み入れる事が出来たが、代わりに外からは感じ取れなかった呪力の気配が突然秋雅の近くを刺激し始めている。魔術師の家だから、と言ってしまえば簡単だが、しかしどこか不自然さがあるのもまた事実だ。

 

「紅葉、君の父親の部屋は何処だ?」

「え? 一階の奥、ここから見て右手の辺りですけど」

 

 その方向は、秋雅が今しがた感じている呪力の発生源と同じ方向だ。やはり、という思いが秋雅の胸中に生まれる。

 

「ところで、紅葉。君が亡くなった場所についてだが、まだそれに関しては思い出せていないんだよな?」

「はい、すみません」

「いや、責めているわけじゃないんだ」

 

 当然のことながら、紅葉の死の真相を調べるに当たって、秋雅も彼女からいくらか聞き取り調査は既に行っている。ただ、記憶がまだ戻っていないということなのか。彼女が覚えていたのは家で入学の準備を進めていたところまでで、それからどうあって死につながる事件が起きたかについては、未だ闇の中なのだ。

 

「とりあえず、その父親の部屋から調べてみることとしよう」

「分かりました」

 

 彼女のその特異な体質を踏まえると、その真相の一端が父親の部屋にある可能性はないこともない。そう考えた秋雅はいの一番にそこを調べることに決めた。普通に考えてそこが最も怪しい場所だから、それ以上の理由は必要ないだろう。

 

 

 

 そういうわけであるので、紅葉と共にそちらへと向かおうとした秋雅であったのだが、

 

「……紅葉、ストップだ」

「はい?」

 

 突如、秋雅はその足を止める。突然の制止に首を傾げる紅葉に対し、秋雅は今しがた通り過ぎようとした部屋に目をやりながら口を開く。

 

「紅葉、この部屋は何の部屋だ?」

「え? 何の変哲もない物置部屋ですけど、それが何か?」

「この部屋に何かある気がする」

 

 特に変を感じ取ったわけではない。だというのに秋雅がそういったのは、彼の中の理屈じゃない部分、所謂勘と呼ばれるものが秋雅にそう囁いたからだ。根拠があるわけではないが、こういう時の自分の勘はよく当たると秋雅は経験則でよく知っている。

 

 だから、秋雅は予定を変更しそのドアのノブを捻る。そうして中を覗きこんでみれば、そこにあるのは確かに紅葉の言う通り、雑多に物が置かれているだけの普通の物置部屋だ。

 

「……ビンゴ、だな」

 

 秋雅の視線がピタリとその部屋の床へと引き寄せられる。そこから感じられるのは紅葉の父親の部屋から感じられるものよりもさらに強く、そしてより隠匿されている気配のする呪力だ。あちらを『隠されていた』と評すのであれば、こちらは『漏れ出ている』と評するのが正しいだろうか。大きな違いではないと思うかもしれないが、確実にその重要度はこちらの方が大きいと言えよう。

 

「紅葉、ここに地下室などはあるか?」

「はい? そんなものないはずけど……?」

「なら、君たちには隠されていたということだろうな。まあ、当然の話だが」

 

 膝をつき、秋雅は気配の感じられる周辺の床を探る。すりすりと、素人目には床を撫でているようにしか見えない動きをとる秋雅であったが、

 

「――これだな」

 

 とても小さい上に薄く、意図して目立たないように描かれた魔法陣を秋雅は発見した。魔法陣は専門ではない――そもそも今の魔術界において魔法陣の専門家自体があまり居ない――秋雅であるが、状況を考えればこの魔法陣の機能など察せるというものだ。

 

「紅葉、少し下がっていろ」

 

 念のため紅葉を少し下げた後、秋雅は魔法陣に呪力を注ぎ込む。物が非常に小さな魔法陣であるのであまり呪力を注ぎ込み過ぎないようにして――それでも、全体量の都合上随分と多い呪力を注ぎ込んでしまったが――秋雅は魔法陣を起動させる。

 

 

 同時、秋雅のすぐ隣の床の一部がふっと姿を消し、代わりに下へと続く階段が現れる。おそらくは魔術により元々あった床を一時的に消しているのであろう。それほど大きな物ではなく、一度に通れるのは一人といった程度の階段だ。

 

「これって……」

「気配が強くなったか。この先で間違いなさそうだな。紅葉、君は――」

 

 よりいっそう強くなった、呪力の気配。地下から感じられるそれに確信を抱きつつ、背後にいる紅葉に指示を出そうと秋雅は振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、

 

「――紅葉?」

 

 明らかに、紅葉の様子がおかしい。その目は焦点を結んでおらず、虚ろに地下への入り口を見つめている。

 

「ここは…………」

 

 何事かを呟いて、紅葉はふらふらと地下への階段に足を進める。その足どりはおぼついておらず、見るからに危なっかしい。

 

「紅葉、待て!」

 

 だから、当然のように秋雅は彼女へと手を伸ばす。しかし、その手は虚しく空をきった。目測を誤った、というわけではなく、紅葉が実体化を解いている為だ。おそらくは無意識、というか実体化を維持しようという思考自体が抜け落ちてしまっている、ということなのだろう。どう見ても、紅葉の意識は秋雅に向いていない。

 

「私は……あの日……」

 

 ぶつぶつと何かを呟きながら、紅葉は怪しい足取りで階段を降りていく。時折、思い出したかのように紅葉の身体は実体化し、そして実体を失うということを繰り返す。そんな状態でも見かけ上はきちんと階段を踏み降りているように見える様は些か滑稽でもあったが、それを笑う余裕は秋雅にはない。

 

「ちっ、迂闊に手は出せんか……!」

 

 タイミングを見て引き止めようにも、実体化とその解除のタイミングを見誤り、彼女の身体の中に秋雅の腕なりがあるときに実体化をされてしまった場合、何が起こるか分からない。その所為で、秋雅は歯噛みしつつ彼女が階段を降りていく様子を見守ることしか出来ない。

 

「着いていくしかないというのは、実に気に入らないが……」

 

 仕方がない、と秋雅は紅葉の後に続き階段を降りていく。本来であれば自分こそが先導すべき立場であるという事、そして何よりも、こうなる可能性を少しでも考える事が出来なかったという事が、秋雅にとって実に不愉快極まりないことであり、そして後悔すべきことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……父さんが……あの中心で…………私は……」

 

 ぶつぶつと呟きながら階段を降りていく紅葉に続き、秋雅もまた地下へと歩みを進める。思いの外深いその階段の壁には、所々照明が取り付けられており、入り口の開閉に連動して点灯したのか、神妙な表情で降りていく秋雅の足元に小さな影を生み出している。

 

「……どうにも、嫌な流れだな」

 

 ぽつりと、前を歩く紅葉を見ながら秋雅が呟く。このまま続ければ何か、紅葉にとって良くない事が起こりそうな予感があった。さらに言えば紅葉の反応から、この先に何があるのか、あるいは何があったのかということが何となく察せてしまうというのも、その予感に拍車をかけている。であるというのに、これから起こるであろう事をただ見ることしかできないという事は、秋雅にとって忸怩たる思いであった。

 

「まったく……俺は、肝心な所で詰めが甘い」

 

 そう、自身が感じている焦燥を少しでも吐き捨てる。そのぐらいしか、秋雅に出来ることはなかった。

 

 

 

 

 そんな思いを抱えたまま、紅葉の後に続いて階段を降りていた秋雅であったが、その歩みが突然に止まる。前を歩く紅葉のさらに先、そこに階段の途中とは思えない広い床の存在を確認したからだ。十中八九、終着点である秘密の部屋にたどり着いたということなのだろう。

 

「――チッ」

 

 そして、それを確認したとほぼ同じタイミングで、秋雅は顔をしかめて舌打ちを鳴らす。その理由は、部屋の奥から彼の鼻へと届いた臭いだ。

 

 

 強烈な腐臭――いや、死臭だ。秋雅が知覚したその臭いは僅かな量であるにもかかわらず不快で、すぐさまにでもこの場を離れたいと反射的に思ってしまうようなものだ。

 

 その、秋雅の額に大きな皺を生ませたその臭い。不本意ながら、これまで何度もかいだことのある臭いだ。その臭いの意味が分からぬほど、秋雅は鈍くなかった。

 

 

 

 

 

 

 だから、

 

「……紅葉」

 

 小さな声で、秋雅は彼女の名前を呼ぶ。

 

「秋雅さん……」

 

 秋雅の呼びかけに、かすれた声で名を呼び返しながら、紅葉は振り返った。その身体は大きく震えており、秋雅を見つめる彼女の瞳には、確かな絶望の色が見られる。

 

「秋雅さん…………思い、出したんです」

「紅葉」

「私はあの日、父さんに呼ばれて」

「紅葉」

「呼ばれて、そしてここに来て、私は――」

「――紅葉!!」

 

 叫び、秋雅は紅葉の肩を掴む。先ほどまで触れるのを逡巡していたのはどうだったのかと言わんばかりの勢いで、秋雅は彼女の言葉を遮る。

 

「もういい、紅葉。状況は理解したから、今は上で待っていろ。ここは俺が――」

「あるんですよ、そこに」

 

 見たくないと言いたげに、秋雅の胸に顔を埋めながら、紅葉は背後を指差す。

 

「……っ」

 

 紅葉の指につられ、秋雅が視線を向けた先。そこには、部屋の床の中央に大きく描かれた、見たこともない魔法陣がある。

 

 だが、問題なのはそれではない。その魔法陣の中心、そこに在る『もの』こそが、今は重要であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全身を余す所なく腐らせ、辺り一帯に死臭を漂わせている一体の『遺体』が、そこには在った。

 

 ここが地下で、隔離されていたからであろうか。蝿などはたかっていないものの、その腐り具合はといえばその肉を嫌な色に変色させており、場所によっては骨すらも見えるほどだ。うつ伏せで、その死に顔が見えないことだけが、唯一の救いであると思えるほどに、凄惨な女性の遺体。それが誰のものであるかなど、もはや言うまでもなく分かりきっている。

 

「……ねえ、秋雅さん」

 

 ぎゅっと、強く秋雅の身体を抱きしめながら、紅葉が口を開く。その声は、ひどく震えていた。

 

「紅葉……」

 

 震え、怯えている紅葉の身体を、一瞬の逡巡を挟んだ後、秋雅は躊躇いがちに抱きしめ返す。密着し、これ以上ないほどに彼女の存在を感じられるというのにもかかわらず、その身体からは、本来あるはずの鼓動というものが、まるで伝わっては来ない。

 

「……秋雅さん。私は、ここにいます…………いるはず、なんです」

「ああ。確かに君は、今ここにいる」

「それなのに、あそこにも『私』はいる(・・)んです」

「……ああ、そうだな」

 

 ぎゅっと、紅葉はさらに強く秋雅の身体を抱きしめる。その行動は、自分がここにいると、それを必死に証明しようとしているように、秋雅には感じられた。

 

「『私』を見て、私は忘れていた事を思い出しました。混乱していて、今すぐには話せないことばっかり、たくさん思い出しました」

「そうか」

「そうしたら――私が死んだって実感しちゃったら、急に、怖くなったんです……記憶がなかった時は、そんなことは思わなかったのに」

 

 そう、紅葉は力なく呟いた。

 

「怖いんです。ここに私はいる(・・)のに、あそこで『私』は死んでいる。だったら、今ここにいる私は、一体何なんですか?」

 

 今にも泣きだしそうな表情を浮かべながら、紅葉は自分を見下ろしている秋雅の顔を見上げる。そんな彼女の視線を、秋雅はじっと受け止めた後、

 

 

 

 

「――そんなものは、決まっているだろう」

 

 ふっと、柔らかな笑みを浮かべて、秋雅は諭すように言う。

 

「君は、『草壁紅葉』だ。今ここにいる、稲穂秋雅の従者だ。それ以外の何者でもないし、それ以外の何物にも惑わされる必要はない。今ここにいることこそが、君の存在を証明している。そうじゃないのか?」

「……秋雅さん」

「怯えるなら、俺が守ってやる。不安なら、俺が支えてやる。真っ当じゃない俺でも、そのぐらいは人目を盗んでやってやれる」

 

 だから、と秋雅は困ったように眉を曲げて言う。

 

「だから、そんな顔をしないでくれ。人が泣く所を見るのは、あんまり好きじゃないんだ。勝手な事を言っているのは、重々承知しているが……」

「……いえ…………ありがとう、ございます」

 

 と、紅葉は再び顔を伏せ、小さな声で呟く。そして、

 

「……秋雅さん。お願いが、あるんです」

「何だ?」

「あの、『私』を、消し去って欲しいんです。跡形もないほどに、何もなかったかのように」

「……いいのか?」

 

 それは、彼女が生きたという証を、消し去ってしまうということになる。それでもいいのかと問い返す秋雅に、紅葉は彼の胸に顔を埋めながら、

 

「……()は、ここにいますから。『私』の痕跡は、いりません。欲しく、ありません。あったら、私は揺れ続けてしまいそうなんです。だから」

「………………分かった」

 

 たっぷりと間をおいて、秋雅は紅葉の頭にポンと手をおきながら言う。

 

「望みどおり、綺麗さっぱり消し去る。俺たちには、今俺の腕の中にいる、幽霊の女性がいればいい。そうだな?」

「――はい」

 

 じゃあ、と腕の中にあった紅葉を離し、背後の階段の方へとやりながら秋雅は言う。

 

「君は、上に戻っていろ。俺の電話を貸すから、三津橋に人を連れてここに来るように伝言をしてほしい。魔法陣についてかじった事がある者がいればなお良しと、そう付け加えておいて、な。従者として、俺の命令を実行しろ」

「……分かりました」

 

 少し躊躇うようにした後、紅葉はコクンと頷いて、秋雅が差し出した携帯電話を受け取り、階段を昇っていった。その足音と気配が、十分に遠ざかった事を感じ取って、秋雅は遺体へと向き直る。

 

「流石に、紅葉の前で『焼く』わけにもいかんからな……」

 

 そんな事を呟きながら、秋雅は一歩二歩と進む。そして、遺体の目の前にまで来たところで、その右腕をゆるりと伸ばす。

 

「初使用がこれ(・・)とは、何とも、だな」

 

 口の端を薄く歪ませながら、秋雅は握っていた掌を天井に対し開く。何もない、と思われたその掌に、突如握りこぶし程度の大きさの炎が現れる。

 

「――焼け、我が望むものだけを」

 

 するり、と傾けた掌の上から、揺らめく炎が滑り落ちる。炎はその形を保ったまま落下を続けていたが、遺体に当たったと同時、その炎は一気に巨大化し、遺体を轟々と焼き尽くさんとする。さらに、炎は勢いを増し、床を舐めるようにして薄く燃え広がり、この部屋を自身で満たそうとした。

 

 だが、そうであるにもかからず。その炎は遺体以外の何も焼かなかった。床に、壁に、天井に、そして秋雅の足元にも確かに燃え広がったというのに、そのいずれもまったくもって、焦げ跡すらつけられていない。

 

 そして、その炎が収まったとき、彼女の遺体は綺麗さっぱり『焼失』していた。先ほどまで在ったはずのそれは、何の痕跡も残さないままに、完全に消え去った。一瞬前まで感じられていたはずの腐臭すらも消え去り、まるで最初から遺体などなかったかのように、『彼女』の痕跡は完全消失していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで、良かったのだろうか…………」

 

 分からないな、と秋雅は自身に対する問いかけに、そんな風に返すのであった。

 

 

 

 

 




 間が空いて申し訳ない。難産に加え若干予定と違った内容になりましたが、今回はこれで投稿します。テンポよく行きたい所ですが、次回もあんまり進まなそうなのが、どうにも。戦闘まではまだまだかかりそうです、申し訳ない。




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不明の魔法陣






 

「……集結? こっちは……人形、か? いや、器、の可能性もある、か。意味もそうだが、そもそも書体が古くて読み難いな……」

 

 床に描かれた魔法陣を観察しながら、秋雅は困ったように眉をひそめる。現在、秋雅は委員会からの応援を待ちながら、目の前にある魔法陣の解析をやっている途中であった。

 

 が、しかし、

 

「……どうにも、分からんな」

 

 はあ、と秋雅はため息をつく。いくらか、魔術というものを習得している秋雅であったが、魔法陣という分野にはさして手を出していない。おかげで、断片的にはその機能を読み取れるもの、結果としてどのような意図を果たす為の物であるのかということはろくに読み取る事が出来なかった。

 

 とはいえ、実際の所、これは秋雅に限った話でもない。他の、一般的な魔術師の場合でもあっても、精々が秋雅と同程度であるが、あるいはそれ以下というのが今の魔術界の現状である。

 

 現在の魔術界において、魔法陣という分野は現存こそすれ、それを習得しようとする者はほとんどいないのというのが実情だ。理由としては、魔法陣を用いた魔術というものが往々にして大人数、大規模のものばかりであり、実質上の儀式用の魔術となっていることにある。

 

 どういうことかと言えば、実力のある魔術師の大半が個人主義者であるために、こういうタイプの魔術はあまり表舞台に出てこれないのである。加えて言えば、やはり戦闘の場において、主流である詠唱式の魔術と違い、どうしても事前準備などの難易度が高いというのもあるだろう。結局、科学と同じく、技術というものは戦闘、戦争においてより磨かれるものであり、より高速で効果的な詠唱式に魔法陣が追いつけなかったというだけの話である。

 

 そういう事情が存在するので、一応要請はしたとはいえ、正史編纂委員会からの人材に魔法陣を習得したものがいる可能性は非常に低い。だから、僅かとはいえかじっている秋雅が、少しでも解析の手助けでもしようと思ったのであった。まあ、あまり役に立てるとは言い難いのが、何ともはや、な現状であるのだが。

 

「……そもそも、どうして一つの魔法陣の中に日本語やらフランス語やら中国語やらがごちゃ混ぜに詰め込まれているんだ。言語を変えることで何か意味が生まれるってことなのか? ……そういえば、別の言語を使うことで別の理であると認識させ、反発力を生むことで術を強化する、とかいう理論を前にどっかで聞いたが、その類だったりするのか? それにしても、えらく制御が…………ああ、だから死んだ(・・・)、のか? よく分からんな……」

 

 ぶつぶつと、魔法陣の外縁をなぞりながら分析を試みる秋雅であったが、やはり数分もしないうちに無理だなと首を横に振る。どうにも、自分には解明しきれないと結論を出すより他になかった。

 

「あいつにでも頼むか。貸しもあるし、これだけややこしい魔法陣なら喜んで……む」

 

 ふと、秋雅は階段へと視線を向ける。理由としては、そちらより階段を降りてくる足音と気配を、それも二つも感じ取ったからだ。そのうち、片方がよく知ったものであるが、もう片方にはいまいちピンと来るものがない。

 

「何だ、ウルも来たのか。しかし、もう一人は誰だ? 三津橋ではないようだが……」

 

 はて、と秋雅が迫り来る相手が誰であるのかと、内心で首を傾げながら待っていると、それから一分も経たず、この地下室に来訪者が降りて来る。一名は秋雅の予想通り、彼の恋人であるウルであり、もう一人の覚えのない気配の主は五月雨であった。

 

「ハイ、シュウ」

「お目汚し、失礼致します」

「……五月雨室長? ウルもそうだが、わざわざ君も来たのか」

「タイミング良く話を聞いたから、ね。本格的に動き出す前だったし、こっちのサポートとして着いてきたのよ」

「私は、稲穂様が魔法陣の専門家をご所望とのことでしたので、微力ではありますがお力になれればと」

 

 五月雨の発言に、秋雅は思わず眉根を寄せる。不愉快から、ではない。魔法陣に関わっているのかという、素直な驚きによる反応だ。

 

「君は、魔法陣の研究をしているのか?」

「そこまで大層なものではありませんが、普通の魔術師よりは精通していると自負しています」

「道中で少し話を聞いてみたのだけれど、確かに私達よりは詳しいみたいよ。この場は任せても良いんじゃないかしら」

 

 そうか、と五月雨の言葉とウルの助言を聞いて、秋雅は頷く。思いがけない人材に、面白いこともあるものだと内心で考えながら、秋雅は五月雨を見やり、

 

「では、早速で悪いがこの魔法陣の解析を頼む。状況が状況ゆえ、君にはかなり期待することになるが」

「ご期待に添えられるよう、全力を尽くす所存です」

「ああ、頼むぞ……そうだ、五月雨室長」

「何でしょうか?」

「君に渡しておきたい物がある」

 

 そう言って、秋雅は取り出したメモにペンで何事かを走り書きし、五月雨へと渡す。そのメモをどこか恐れ多そうに受け取る五月雨であったが、受け取ったそのメモの内容を読んで、やや眉をひそめる。

 

「これは、誰かの連絡先でしょうか? 名前も書いてありますが……」

「ああ、私の知り合いの魔法陣の研究家だ。少々面倒くさい奴ではあるが、腕は確かであるので解析の間に何かあれば連絡をとってみるといい。あれには貸しもあるから、私の名前を出せばまさか断るということはしないはずだ。そもそも、珍しい魔法陣の話となれば、自分から協力を申し出るかもしれないが」

「そうでしたか。では、何かあれば連絡を取ってみたいと思います。わざわざ申し訳ありません」

「いや、こちらが頼んでいる側だからな」

 

 そう言った後、他に何かあっただろうか、と秋雅は考えてみたが、特に今言っておくことは思い至らない。そのため、後は任せて自分は上に戻ることにした。

 

「それでは、私は上に戻りたいと思う」

「上には三津橋さんも来ていますから、何かあれば彼にお願いします。とりあえず、今は部下たちが持ち主の部屋を含め、家中の捜索をしている最中のはずです」

「分かった。何かこの魔法陣に関係ありそうなものがあればここに持ってくるように命じておく」

「お願いいたします」

 

 そう言って礼をしたあと、すぐさま五月雨は魔法陣の解析を始める。自分の専門分野で力を発揮できることに内心では張り切っているのか、これまでの彼女にしては珍しく、まだ秋雅が近くにいるというのに既に魔法陣へと興味が移っているらしい。

 

 そんな彼女の態度に、今更秋雅がどうこうと言うわけもなく。むしろ邪魔をしないようにとウルに無言で合図して、二人して静かに階段を上り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、紅葉の様子はどうだった?」

 

 階段を上り始めて少し、もう下の五月雨には声が届かないだろうといったところまで来たところで、秋雅は後ろについているウルに対し声をかける。

 

「平静を保っている、という風に見えたわね。表面上は、と付け加える必要があるけれど。何があったの?」

「あの部屋で自分の遺体を発見して、『死』の実感に心が少々、な。自我に影響が出なかっただけマシと言えばマシだろうが」

「……成る程、ね」

 

 合点がいった、とウルが頷く気配を秋雅は感じ取る。

 

「まあ、とりあえずは、表面だけでも冷静なら、今はそれでいいか。とはいえ、いくらかは彼女にも話を聞く必要がある以上、早く折り合いを付けてほしい所ではあるが」

 

 難しいだろうな、と秋雅は小さく呟く。何か手を打つべきだろうかとも思うが、正直外野がどうこういったところで、どうなるかと思うような問題でもあった。

 

「まあ、私見だけれども、案外どうにかなるんじゃないかしら」

「根拠は?」

「シュウのことだから、何か彼女に対して誑しこむような事を言ったんじゃない? だったら、シュウに依存する形で解決すると思うから」

「色々と言いたい事がないでもないが、一つだけ言うならば、恋人の言う台詞ではないな」

「逆、恋人だから言うのよ。貴方に一番愛されているという自覚があるからこそ、貴方を誰が愛そうが問題視しないの。貴方が私以外の誰かに、私以下の愛情を向けることも、ね」

 

 ウルの発言に思わず足を止め、胡乱な目つきを浮かべながら秋雅が振り向くと、ウルはニッコリと魅惑的な笑みを浮かべている。深い付き合いから、彼女が本心から言っているということを秋雅は感じ取る事が出来た。

 

「つくづく、お前は面倒何だか都合が良いんだか分からない女だな」

「悪い男に引っかかる前に、貴方に釣り上げられたのは私にとっても幸運だったと思っているわ」

「……やれやれ、そう言われると、俺としても何とも言えないな。それにしても、何で恋人とハーレムまがいの話をしなければならんのだか」

「自分の性質のせい、じゃないかしらね」

「成る程、道理だな」

 

 困った物だ、とあえて茶化すように言って、秋雅は再び前を向き、再び歩き始める。それに同調するように肩をすくめて、ウルもまた秋雅の後について階段を昇り始める。

 

「そうそう、スクラとヴェルナのあれだけれど、今日中には調整が完了するそうだから、戻ったら付き合ってあげてちょうだい」

「ん、ああ。そういえばそうだったな」

「それと、そのおかげでこっちに来る事が出来なかったみたいだし、時間が出来たら二人と一緒に過ごしてあげたらいいと思うわ。どこかに旅行にでも行くとか」

「あの二人が外に出たがるかねえ。それに、君は良いのか?」

「私は貴方からの頼まれごとがあるから。いい加減、これ以上放っておくのも気になるから」

「別に急かさないぞ?」

「私が気にするのよ。放置状態でそのまま、というのが長引くのが嫌いなの。それに、個人的にも気になる調査対象だしね」

「まあ、そういうことなら任せる。一応、別ルートからも探らせるからあまり気負うなよ」

「ええ、分かっているわ」

 

 そんな風に軽く会話を交わしていた二人だが、階段の終点が視界に入った所で口を閉じ、そのまま一気に地上へと上がる。

 

 そのままざっと気配を探り、秋雅はウルを連れ立ってとある部屋の前まで行き、そのまま閉じられていた扉を開ける。

 

 

「……ああ、稲穂さん。それにウルさんも。お待ちしていましたよ」

 

 すると、その部屋――十中八九、リビングだろうと見て取れる――で電子端末を操作していた三津橋が顔を上げ、秋雅に対し頭を下げる。ちらりと秋雅が部屋内で視線を動かすと、少し離れたところにあるソファに、紅葉が下を向いて座っているのが見えた。が、秋雅の登場に気付いてすぐに立ち上がり、そのまま秋雅達の方を所在無さげに見つめている。

 

 そんな彼女の態度に一瞬どう反応しようかと秋雅は考えたが、まずはということで先に三津橋へと声をかけることにした。

 

「三津橋、状況はどうだ?」

「現在調査中、と言ったところでしょうかね。ただまあ、この時点ですでに、色々とやばい物も見つかってはいます。委員会として確保するだけの十分な証拠が見つかった以上、すぐにでも草壁康太の確保を行うことになりますね。紅葉さんにも、東京の方の住所も聞いていることですし」

「そうか。となると、調査が進むまではこちらは待ちの姿勢になるか」

「少なくとも、稲穂さん直々に動いてもらうほどの案件はないかと思います。紅葉さんがお父上の元に向かいたい、というのであれば話は別ですが」

「その場合は、私もついていくのが主としての努めだからな。その辺はどうなんだ、紅葉?」

 

 避けては通れないということで、秋雅は先送りせずこの場で紅葉に問う。それに対し、紅葉は顔を暗くして、

 

「正直、迷っています。皆さんの邪魔をしてまで父さんと話をしたいのかと言われれば違うのですが、でも、その父さんと一緒にいるであろう椿の事は心配しています」

「だから迷っている、ね。確かに、数少ない信用できる身内のことは心配よね」

 

 神妙な表情で、ウルが紅葉の言葉に同意する。おそらく、自分たちのことと重ねて見ているのであろう。

 

「ただ、正直、私が行った所で、特に何が出来るというわけでもありませんから、少なくとも今は皆さんにお任せしようかと」

「こちらも、妹さんに関して何かあればすぐにでも紅葉さんにお伝えすることにしましょう。勿論、稲穂さんにも」

「そうだな。紅葉、君もそれでいいか?」

「はい、お願いします」

 

 一つ、話がまとまった。そんなところで、秋雅の携帯電話に連絡が入った。画面を見ると、そこにはヴェルナの名前が表示されている。

 

「すまない、ヴェルナからだ」

 

 その場の人間に断りを入れて、秋雅は電話に出る。すると、表示通り、秋雅の耳にヴェルナの声が飛び込んでくる。

 

「秋雅? 今いい?」

「ああ、いいぞ。連絡をしてきたということは、そちらの作業は終わったということか?」

「うん、私のもスクラのも最終調整が終わったよ。後は秋雅に実際に手に持ってもらって、必要であれば微調整を加えるだけ。だから、秋雅には手早くこっちに戻ってきてもらいたいんだけど」

「分かった、少し待て」

 

 そうヴェルナには言って、秋雅は三津橋に向かって口を開く。

 

「三津橋、この後の調査は君たちに任せていいか? 私は一旦あちらに戻ることにしたい」

「了解しました。こちらも急ぎ調査を進めますので、そうですね、夜にでも中間報告を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「ああ、ではそのように。それと、もし何か魔法陣に関係ありそうなものがあれば下に持っていっておいてくれ」

「室長に渡す為ですね、分かりました」

「で、だが……紅葉、君はどうする?」

「え?」

「ここが君の家である以上、何か三津橋たちが君を頼りたいと思うことがあるかもしれない。その際、君がここに居たほうが話は早いと思う」

「まあ、不必要にプライベートを土足で、というのは気が引けますしね。諸々の調査も含め、紅葉さんがいれば助かることはあるでしょうし」

「とはいえ、紅葉自身の事を考えると、今はここにいたいとはあまり思わないだろう? それも踏まえた上で、ここに残るか私といるかを選んでもらいたいのだが」

 

 どうする? と秋雅が問いかけると、紅葉は少しの間、深く考え込んだ後、

 

「……ここに残らせてください。今は、何も考えずに動いていたいので」

「そうか」

 

 紅葉の返答に、秋雅は小さく頷く。今はそれでいいと、そう考えた上での了承でもあった。

 

「じゃあウル、私達は戻るぞ」

「ええ、行きましょうか」

「では、また後でということで。夜、分室の方ですり合わせを行いましょう」

「私も、後で合流します」

「ああ、また夜に」

 

 そう締めて、秋雅はウルと共に、ヴェルナとスクラに合流する為に草壁家を出るのであった。

 

 







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剣と銃を携えて、次なる目的地を得る







 突然の話であるが、正史編纂委員会は政府直属の魔術結社である。そのため、他の魔術結社と比べて公的な部分での力というものが大きく、転じて、国内にいくつも委員会の為に作られた設備というものが存在する。それぞれに用途は様々であるが、特に扱いが難しいものとしては、戦闘訓練用の施設が上げられるだろう。こと日本という国において、荒事の気配がする場所というものは悪目立ちし、その存在意義も知らずに声高に否定されるというのは、それなりにありえる話だ。

 

 小規模、少人数であればどうとでも誤魔化すことは可能であるし、実際にそうしているのだが、如何せん、時には大規模な、あるいはどうしても派手になる訓練というものもしなければならない。そのようなことを野外で、人目を気にすることなくやろうものならば、委員会の情報隠匿を担当する者たちが過労死するのが目に見えている。同じ政府直轄の結社であるSSIなどは米軍の施設を利用するなどといった事をしているのに対し、日本では中々、一部の人間の存在などにより、そういったことを行うのも難しい。

 

 他の結社と比べれば戦闘能力が低いと判断されている正史編纂委員会であるが、しかしまったくの戦闘訓練をしないというわけではないし、それなりに派手な訓練も行う必要がある。では、実際にはどのような対処を取っているのかといえば、大まかに分けて二つの方法を取っている。

 

 一つは、絶対に一般人は来ないような山中などで行うという方法。これが一番分かりやすい対処法であり、実際にこれまでもこの方法が主流となっていた。だが、これが最近になって中々に困難となってきているのだ。理由としては、現代日本において至る所に目を向ける技術が発展し、それを利用したいという欲求を抱えた者が増えたことにある。特に、最近話題のドローンなどが上げられるだろう。こういったものの普及により、委員会も情報操作や隠匿に苦労する様になった。こういったものを利用するものの多くが個人で、インターネットを利用しているというのが労力を増やす原因と言えるだろう。まあ、逆に今の社会において、多少不可思議な映像や情報を流す程度では、その大体が偽装、偽りだと思われてしまうのもまた常であるのだが。

 

 そういうわけであるので、ここ数年はこれ以外の手段として、地下に戦闘用の施設を建設するという方法がとられるようになっている。これもこれで、広さを確保するのが難しいだとか、万一の場合などの対処が大変だとか、まあそれなりに問題があるのだが、少なくとも隠匿という一点においては先のものよりもはるかに上だ。そして、正史編纂委員会の主目的は、魔術的事象の隠匿にある。となれば、この選択を取ることになるのはある程度予定調和な動きだと言えるかもしれない。

 

 

 

 

 ……とまあ、そういう事情であるので、正史編纂委員会福岡分室は、別名義で登録されているとあるビルの地下に、大規模な戦闘訓練用の施設を所有していた。そして、その施設の一部、地下の二層が、秋雅の要請により、ノルニル姉妹の研究等を行う為の空間として借り出されることになった。奇しくも、インドの邸宅に続き、三姉妹はまたもや、地下で研究を行うこととなったということになる。

 

 そして、その三姉妹のために割り当てられたフロア、そのうちの開発品のデータを取ることを使用用途とした部屋に、秋雅は一人訪れていた。その理由はわざわざ説明をするまでもないだろう。なお、ウルはいい加減秋雅からの頼まれごとを済ませるということで、この部屋に来る前に別れている。

 

「ヴェルナ、スクラ、いるな?」

 

 戸を開けて早々、秋雅が呼びかけると部屋の奥で佇んでいた二人が振り向いた。

 

「……あ、来たね」

「待ちわびたわよ」

 

 やっと来たか、と言いたげな表情で二人が言うと、秋雅は歩きながら軽く肩をすくめて、

 

「悪いな、ちょっと寄り道をしていた」

「寄り道?」

「俺の家の方に、な。まあ、その辺りはまた後で話す」

 

 それよりも、と秋雅はやや視線を鋭くさせながら、ヴェルナたちの背後にあるテーブルへと目を向ける。

 

「最終調整が終わったと聞いたが、どうだ?」

「その辺りは見てもらったほうが早いかな。これが、最終的な秋雅専用武器って奴になるね」

 

 そう言って、ヴェルナは一歩横に動き、秋雅に台の上に置かれたものを手で示してみせる。そこに置いてあったのは、秋雅にとって見覚えのある、しかし以前見たときとはまた違った姿となっている、二種類の武器の姿だ。そのうち、一目見て大きく変わっていると気付く事が出来る方に、秋雅はまず意識を向ける。

 

「ヴェルナ、これがVW-01の改良版、ということでいいのか?」

「そうだよ。武器を入れ替えたことと重量バランスの観点から、初期案とは分割数を変えることになったんだ。まあ、多分こっちの方が使いやすいと思うよ」

 

 ヴェルナの言葉通り、以前に秋雅が手に取った時は十センチほどであった銀色の棒が、今ここにあるものは一つ辺り三センチほどしかない。その代わり、数に関しては同じものが全部で六本置かれており、全てを合わせると二十センチ弱ほどの長さとなるようであった。

 

「二本を四本に、ではなく、二本を六本にしたわけか」

 

 秋雅が適当に一本を取ってみると、おそらくは三キロほどであろうと感じられた。前回から密度という点ではそれほど差異はないようである。

 

「まあ、確かに最小単位とするならこれぐらいがちょうどいいのかもな」

 

 そうは言うものの、三キロでも短剣としては重過ぎるのかもしれないが――まあ、柄まで金属で出来ているというのもあるのだが――その辺りは慣れということなのだろう。秋雅の立場からしてみれば、身体強化などをしているとはいえ普段からこれ以上の武器などを振り回しているのだから、むしろこれぐらいであれば、相対的に軽いと感じられるのかもしれない。

 

「変更点は数の調整だけか?」

「多少離れていても思考すれば手元に来るようにとか、それぞれの接続と融合の速度の上昇、秋雅が扱う事を念頭にバランスと握りとかの細かい調整もしたけれど、一番はあれだね」

「あれ?」

「スクラの呪力保持の奴を導入してみたんだ。秋雅の雷を刀身に纏わせる事が出来ないかなと思ってさ」

「……出来たのか?」

「それを今から確かめてもらうんじゃない」

 

 それもそうか、と秋雅はもう一本を手に取り、二つを合わせて一本の長剣に変化させる。そして、その状態で、以前にスクラの作った銃に対して行ったのと同じ感覚で、自身の力を剣に宿せないかと試してみる。

 

 すると、

 

「……ほう」

 

 思わず、秋雅は感心の声を漏らした。

 

「これはまた、流石と言うより他にないな」

 

 バチバチと、刀身を周りで火花が踊っている。まるで蛇が巻き付いているかのように、その銀色の刀身に雷電が纏わりついている。成功だ、と秋雅は実験の結果をそう判断する。

 

「俺の雷にこんな使い方があったとはな。いや、ここは雷に耐えられるだけのものを作ったヴェルナを褒めるべきだな」

「お褒めに預かり光栄だよ。まあ、多分その状態なら色んな物が斬れるんじゃない? 振ってみれば刃の形状をした雷を放てるかもしれないね」

「ふむ、成る程な。権能は案外柔軟な所もあるし、確かにありえる話だ。こっち(・・・)だけでなく、あちら(・・・)を纏わせることも出来そうだな…………」

 

 ふと考え込むようにした後、ふっと秋雅は口元を歪める。

 

「やれやれ、こういった使い方はもっと早くに思いついてしかるべきだったな。俺もまだまだか」

 

 二、三度ほど素振りをしながら、秋雅はそんな事を口に出す。本音を言えばこのまま本気で振って、実際に雷が飛ぶかどうかも試したいところであったが、いくら頑丈に作ってあるとはいえここで権能の力を使えばまず間違いなくそれなりの被害が出る。余計な事をして施設を壊さない為にも、それは次の機会に回すことにして、秋雅は纏わせていた雷を消し去った。

 

「ありがとう、ヴェルナ。これからの戦いにおいてコイツの力は存分に使わせてもらうよ」

「そうしてくれると嬉しいな。そのために作ったものだからね」

 

 それと、とヴェルナはふと満面の笑みを浮かべて言う。

 

「名前もちゃんと考えたんだよ、それの。型番だけじゃ素っ気無かったから」

「どんな名前にしたんだ?」

「型番はVW-01s、名称は“トリックスター”だよ」

「……トリックスター、か」

 

 口の中で転がすように、秋雅はその名前を口に出す。彼の脳裏に思い浮かんだのは、その名を冠する一柱の、かつて自分が討った神の姿だ。銀色の長剣をじっと見つめる秋雅に対し、ヴェルナはイタズラげな笑みを浮かべて言う。

 

「秋雅らしい名前でしょ? 色々な意味で、さ」

「……確かに、な」

 

 ヴェルナの言葉を聞きつつも、しばしじっとそれを見つめ続けていた秋雅であったが、ふっとその口元に笑みを浮かべて頷く。

 

「……そうだな。確かに、俺が扱う武器としては、悪くない名前だ。ありがとう、ヴェルナ。トリックスター、確かに受け取った」

「その名前の如く、変幻自在に振るってちょうだい」

 

 ああ、ともう一つ頷いて、秋雅はトリックスターを一先ず台の上に戻す。続けて視線をやったのは、スクラが作ったのであろう一丁の拳銃だ。

 

「こっちは、まあ前に見た時とあまり差は無いな」

 

 言いながら手に取ってみると、記憶のそれよりも随分と重い。どうやら同じなのは外見だけで、中身に関しては随分と様変わりをしているようである。そんな秋雅の予想に同意するように、スクラは自慢げな笑みを浮かべて頷く。

 

「確かに、外見は特に弄っていないわ。でも、気付いている通り中身はかなり別物になっているのよ。具体的には、ヴェルナのVW-01の余りをフレームとして使っているわ」

「あれをフレームにしたのか?」

「さっきやってもらったとおり、VW-01に使った合金は呪力の操作と保持に関しては他の金属より上だからね。私のほうも代わりに秋雅の権能の保持の話とその技術を貰ったから、互いに益のある取引だったんだよ」

「別に競っているわけでもないし、益も何もないのだけれどね。まあとにかく、そのおかげで前回よりも呪力の保持限界はだいぶ上がっているはずよ。それと、通常の雷でも打撃力は十分だろうから、収束性を増してより貫通能力が上がるようにも調整してあるわ」

 

 雷で打撃、というのはおかしな話に聞こえるかもしれないが、まつろわぬ神というのは大体防御能力が高いもので、一般人であれば消し炭必至な雷であっても、それをただ衝撃として受け止めてしまうということが度々ある。特に、《鋼》に類する神々がそれに当たるだろう。であるので、ことカンピオーネとその関係者たちにとっては、雷で敵を打撃するという表現は、さして珍しいものではなかったりするのだ。

 

「ふむ、何か注意点はあるか?」

「一番大事なこととして、基本的にチャージしたらすぐに撃ってちょうだい。少なくともチャージしたまま放置とかは絶対にやらないで。暴発に巻き込まれるのは御免よ」

「一発分チャージしておいて次回以降に使う、は駄目と」

「貴方ならそういう事を考えるでしょうと思ったからこその忠告なんだから、肝に銘じておいてちょうだい。それと、念のために連射は出来るだけ避けて欲しいわ。少なくとも二秒は間隔をおいてから次弾を撃つようにして。あまりに連続で収束と解放を繰り返すと本体そのものが損傷する可能性があるから」

「分かった、気をつける」

「ああ、それと式を仕込む余裕があったから、おまけで空気砲としての機能もつけてあるけど、あんまり役に立つほどの威力じゃないから」

「どの程度の物だ?」

「二十メートル先の人間の頭を粉砕できるくらいかしら」

「成る程、お察しだな」

 

 普通の人間からしてみれば十分だと言えるのだが、こと秋雅が戦う舞台においてはまず役に立たないだろうと思ってしまう、そんな威力である。

 

「そういえば反動はどうなんだ?」

「呪力式射撃の方はないわ。空気砲の方はあるけど」

「いざって時の緊急回避には使えるかもしれないな、覚えておく」

「作成者の台詞じゃないけれど、役に立つのかしらね……っと」

 

 忘れる所だった、とスクラがポンと手を叩く。

 

「ヴェルナがうるさかったから、私もそれに名前をつけたのよ」

「へえ、なんて名前だ?」

「“神鳴り”よ。どうせだから、ヴェルナとは対称的に和風な名前をつけてみたわ」

「神鳴りか、悪くないな。良い贈り物をありがとう、スクラ」

「そう言ってもらえるのならば何よりだわ」

「私はミョルニルにしようって言ったんだけどねー」

「秋雅にはもう雷鎚があるんだから、むしろそっちの名前だろうということで却下したわ」

「まあ、それはスクラの言い分のほうに同意だな」

「ちぇー。ねえスクラ、今度は二丁拳銃をつくろうよ。で、名前をタングリスニとタングニョーストにするの」

「作っても使わないと思うのだけれど、秋雅が」

「流石に、二丁は使わん気もするな」

「つまんないなあ」

 

 なお、ミョルニルというのは北欧神話に出てくる雷神トールが持つ圧倒的な破壊力を持つ鎚であり、タングリスニとタングニョーストというのはトールが所持するヤギの名前である。トールの戦車を引くほか、トールによって食べられることもあるのだが、トールが雷鎚、つまりはミョルニルを振るうことで骨と皮より復活したのだという。この伝承などから、ミョルニルには破壊だけでなく再生や祝福といった能力を持っているとされていたりする。もっとも、秋雅の雷鎚にはそういう能力はない――少なくとも発見はされていない――のだが。

 

「まあ、とにかくだ。二人とも、俺のために武器を作ってくれてありがとう。ここ数日負担もかけてしまったし、何か褒美をやらないといけないな。何か希望はあるか? 何でも良いぞ」

「あら、そんな事を言っても良いの?」

「俺が困るようなことをお前達が言うとは思っていないからな」

「まあ、それもそうだねえ。一番のお願い事はあるけれど、ご褒美として要求するようなものでもないし。というか、私のほうがやだ」

 

 と、秋雅への想いの成就に関して、直接的には口に出さないがそのようなことをヴェルナは言う。それに対し、スクラと、さらに秋雅もまた頷いた。

 

「それに関しては同感よ。そういうのは真っ向から当たるのが女だと思うもの」

「俺も、打算や褒賞で愛を囁く趣味はない。立場上俺からどうとは言い難いから、現状はお前達に任せるが」

「その辺りはまあ、もう少し時間を頂戴ということで」

「まだその時期じゃない、ということにしておいてくれると助かるわ」

「楽しみにしている、と言って良いものなのかねえ」

 

 ヴェルナとスクラの言葉に、何とも言いがたい苦笑を秋雅は浮かべる。それを見て、ヴェルナたちもまた、同じような表情を浮かべて、三人で笑いあうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そんな一幕から、数時間後のこと。

 

「稲穂さん、ちょっと北海道にまで足を運んでみる気はないでしょうか?」

 

 正史編纂委員会の一室にて、秋雅はそんな提案を受けたのであった。

 

 




 文中に出てくる寄り道に関してはそのうち閑話として投稿する予定です。本当は本文で書くつもりだったのですが、書いているとただでさえ進まない話がもっと進まなくなるので。とりあえず、次話は北海道に行く理由と、行ってからの動きになる予定です。二話か三話後くらいにまつろわぬ神が出てくる、といいなあ。




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北の地を訪れた理由






「……流石に、福岡よりは過ごしやすいな」

 

 空港を出て早々、北海道の青空を仰ぎ見ながら、秋雅は小さく呟いた。福岡であればまだまだ暑さにうだるような時期であるが、この北海道では比較的涼しく感じられる。もっとも、それも今の時期だけで、あといくらかもすれば、雪で大変になる地域でもあるのだが。

 

 なんとなしに辺りを見渡してみると、便こそは違うが秋雅達と同じように飛行機を降りたばかりであろう人たちがそれぞれの方向へと散らばるようにして歩いている。秋雅から少し離れた所では携帯電話で誰かと連絡を取っている五月雨の姿が見える。おそらくは迎えに関する連絡を受けているのだろう。

 

 次に別の方向に視線を向けてみると、飛行機から解放されたことに伸びをするヴェルナとスクラ、そしてやや懐かしそうに辺りを見渡す紅葉の姿がある。

 

 そのまま、楽しげに話を始めたヴェルナたちの会話をぼんやりと聞きながら、秋雅はふと、この地に訪れることになった理由を、思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――では、報告会を始めましょうか」

 

 そう口火を切ったのは、少しだけ疲れたようにしている三津橋であった。その言葉を聞いたのは、秋雅、ウル、ヴェルナ、スクラ、紅葉、五月雨の六人。場所は正史編纂委員会福岡分室にある、三津橋の仕事部屋だ。目的は三津橋が今しがた口に出したとおり、草壁家周りに関する調査結果の報告である。

 

 何故、その報告をあえて三津橋の部屋で行うのか。面子を考えれば五月雨の部屋、つまりは室長室のほうが適切のようでもあるが、当然これには理由があった。些かおかしなことであるのだが、実は五月雨の部屋よりも三津橋の部屋の方が、部屋に施されている隠匿性が優れているからである。

 

 このようなおかしな事態になっているのは、やはりと言うべきか、秋雅が原因であった。情報の隠匿に力を入れている秋雅がもっとも出入りする委員会の施設ということで、秋雅の意を汲んだ三津橋が、少々無理を通してその手の整備を進めたのである。福岡分室としても――実際の所属はともかく――事実上は秋雅の直轄に等しい三津橋の要請を無下には出来ず、何よりこれまで秋雅から受けてきた恩に比べれば、その程度の要請など何でもないと判断したからだ。その結果、三津橋の仕事部屋は分室室長室を差し置いて、委員会内でもトップクラスの防御力を得ることになったのだ。

 

「まずは、今回の件の黒幕であろう人物、紅葉さんの父親である草壁康太について分かっている事をざっと説明します」

 

 そう言って、三津橋は手元にあった一枚の写真を前に出す。公的な写真なのだろうか、写っているのは無表情な、どちらかと言えば普通な面持ちをした中年の男性だ。道端ですれ違っても特に興味を引くことはないだろう、そんな印象を受ける容姿をしている。状況と、加えてそれを見た紅葉の表情から、この男こそが紅葉の父親の草壁康太であると秋雅達は察する事が出来た。

 

「草壁康太は今から二十年ほど前に魔術師として正史編纂委員会に雇われ、以来今から二年前まで、ここ福岡分室を拠点に仕事を続けてきました。実力はあり、仕事も正確でしたが、人間関係においてはやや距離をとっていて、私を含めた当時の彼の同僚の中で彼の私生活を知る者は一人もいません。結婚していることすら知りませんでした」

「秘密主義だった、というよりは、興味がなかったということなのだろうな」

 

 紅葉が話した彼女の両親の性質を考えれば、おそらくはそういうことなのだろうと秋雅は思う。血を分けた娘にすら仮面を被っていたような夫婦だ、仕事の同僚程度と親しくしようと思う気はなかったのだろう。

 

「そして二年前、彼は突如異動願いを出しました。異動先は東京分室で、四年前のごたごたでまだ人手不足だったこともあり、彼は希望通りあちらへと異動することになったようです」

「では、現在は向こうにいるのか?」

「いえ、それが問い合わせてみたところ、ここ数日ほど無断欠勤、音信不通の状態だそうです。一応、稲穂さんの名前は出さずに福岡分室名義で捜索依頼を出しておきました」

「こちらの動きを察したのか、あるいはあちらも目的が最終段階へと至ったからなのか。どちらかと言えば後者、と考えるべきでしょうね」

 

 ええ、とウルの推測に三津橋が頷く。

 

「こちらとあちらでは半年――いえ、きっかけが四年前だとすれば、四年のタイムラグがありますからね。何をしようとしているのかにもよりますが、準備が整うには十分な時間でしょう」

「あの、すみません。今聞くべきことじゃないのかもしれませんが……」

 

 恐る恐る、と手を上げる紅葉に、分かっていると三津橋が頷く。

 

「妹さん、草壁椿さんの現状ですね? 残念ながら、こちらも現在は所在が掴めません」

「父に連れられて隠れている、ということですか?」

「分かりません。彼と一緒にいるのか、はたまたどこかに監禁なりされているのか。あるいは……」

 

 そこで、三津橋が言葉を切る。ありえる最悪の可能性を、しかしここで今、姉である紅葉に言うべきではないと判断したからであろう。

 

「……そう、ですか」

 

 五月雨の言葉を聞いて、紅葉は心配そうな表情を浮かべながら俯く。唯一家族と認めている妹の消息。それが分からないという事に、確かに胸を痛めているのであろう。三津橋たちの手前、彼女に対して優しい声をかけづらい秋雅は、紅葉の隣に座るスクラに視線を向ける。すると、その視線の意図を汲み取ったスクラは、ポンと紅葉の肩を優しく叩く。

 

「大丈夫よ。心配なのは分かるけれど、今は信じておきなさい。ただ見つからないというだけで、ひどい目にあっているとも限らないわ」

「……そう、ですね」

 

 弱々しく、しかしはっきりと、スクラの励ましの言葉に対し紅葉は頷く。一日で心労を重ねさせすぎていないかと思っていた秋雅であったが、この調子ならば一先ずは大丈夫だろうと察する。何だかんだといって、芯は強い女性であるらしい。

 

 紅葉の態度に一先ずは安堵しつつ、しかしそれを表には出すことなく、秋雅は口を開く。

 

「三津橋、悪いが一度ここで説明を切ってくれ。この状況なら先に、草壁康太が行おうとしていることに直結しているであろうことについて考えたい」

 

 紅葉の精神が安定するまで少しだけ時間をおきたい。そんな思いも含んだ秋雅の提案に三津橋が頷く。彼自身秋雅に言われる前から同じ進行を考えていたようで、特に迷う素振りも見せることなく五月雨へと視線を向ける。

 

「五月雨室長、例の魔法陣について分かったことはありますか?」

「はい、いくつか判明している事があります。私一人では荷が重かったでしょうが、クローゼ博士のおかげでこの時点でもある程度の解析が終わっています」

「クローゼ?」

 

 聞き覚えのない名前にヴェルナが首を傾げる。他の面子も似たり寄ったりな状況で口を開いたのは秋雅であった。

 

「ドレル・クローゼ。私の知人で、魔法陣の専門家だ。母数が少ないとはいえ世界でも五指に入る知識を持っている実力者だ」

「以前から名前は知っていたのですが、稲穂様のご紹介で今回は協力を仰ぐことが可能となりました。流石の知識量と解析力、としか言えません」

「その代わり、性格にやや難があるがな。あのテンションに付き合うのは面倒だっただろう?」

「いえ、そのようなことは……」

 

 否定こそしたものの、非常に歯切れの悪い五月雨の態度に、秋雅以外の面々はその『博士』とやらに対し興味を深める。が、その事を誰かが口に出すよりも早く、五月雨が咳払いをする。

 

「……ごほん。ともかく、解析の結果を報告いたします。件の魔法陣ですが、どうやら二つの目的を果たす為のもののようです」

「二つね。何と何?」

「一つは対象の呪力の『器』を広げること。そしてもう一つは対象に呪力を注ぎ込むことです」

「器ってのは、その人が持つ呪力の限界容量ってことかしら?」

「はい、そういうことです」

「で、そこに呪力を注ぎ込む、と。何処から持ってきた呪力なのかは分かっているのかしら?」

「大気中のそれや、地脈から持ってくる仕様だったようです。ただ、こちらは一部未完成だったようで、実際にはあの魔法陣では出来ないらしいのですが。それと、もしかしたらこれは、既存の魔法陣を一部改造したものである可能性がある、らしいです」

「あまり魔法陣には詳しくないのだけれど、その既存の魔法陣とやらに思い当たるものはあるのかしら?」

「いえ、クローゼ博士も特には思い至るものはないと。あるとすれば、表には出ていない、何処かの結社や家の秘法ではないかと思います。現状で報告できる内容としては以上になります」

 

 ふうむ、と五月雨の報告を聞いた面々はそれぞれに思案顔を浮かべる。

 

「その魔法陣だけど、どのくらい器を広げるつもりだったのかとかは分かるの?」

「いえ、それが詳細には設定されていなかったようです。私見なのですが、限界を決めずに器を広げようとしたために、紅葉さんは命を落としてしまったのではないかと」

「身体に負荷をかけすぎた結果、というわけか。現在幽体である紅葉に呪力許容量的な限界が見受けられないのは、その魔法陣が妙な作用をしたからということでいいのか?」

「おそらくは、そういうことなのかと。偶然に偶然が重なり、紅葉さんの魂とでも呼べる部分に、何らかの改変が起こった可能性が高いです」

「一種の奇跡ってやつですか」

 

 それにしても、とウルがその唇に指を当てながら呟く。

 

「結局のところ、紅葉の父親はその魔法陣を使って何をしたかった――いえ、何をしたいのかしら。魔法陣の働きを考えると、自身の呪力を増やしたいのかとも思うのだけれど……」

「安直に考えると呪力を増やして強くなろうとしているのか、って思うよねえ。ただそうなると、次は強くなってどうするのかという疑問も出てくると」

「倒したい相手がいるとかかしら?」

「倒したい相手、ねえ。誰か恨みを持っている相手がいるというの?」

「そのことなんですが……」

 

 ここで、三津橋が険しい表情を浮かべながら口を開いた。いや、険しい、というのはやや不適切かもしれない。確かにそういった色があるのは確かだが、それ以上に困惑の色が強い。その表情から、彼自身いまいち信用しきれない情報なのかとその場の面々が察する中、三津橋は軽くため息をついた後、意を決したように口を開く。

 

「単刀直入に言います。草壁康太の復讐相手ですが――稲穂さんかもしれません」

「……はぁ?」

 

 三津橋の発言に、思わずヴェルナが怪訝な声を上げる。その表情にあるのは三津橋の発現に対し信じられないという疑問と、同時にそれが事実であった場合の呆れだ。また、声こそは出していないが、ウル、スクラ、五月雨も同じような表情、反応を見せている。例外は突然の発言に意識が追いついていない紅葉と、むっつりとした表情のまま眉間のしわを深くした秋雅の二人だ。

 

 そんな六人の反応に深くため息をついた後、三津橋は、

 

「いえ、これが中々、意外とある(・・)可能性のようでして」

「そんな馬鹿な。真っ当な魔術師なら秋雅を相手にしようなんて思うわけがないわ」

「大体、何で秋雅が復讐の対象になるのさ。カンピオーネの中じゃ秋雅はそういうのを抱かれ難いほうでしょ」

「そこはまあ、私も同意見なんですがね。ただまあ、残念ながら復讐の動機となりえるものが見つかってしまいまして」

「気になるな。恨まれること自体はおかしいとは思わないが、流石に見知らぬ魔術師からとなると思い至るものがない」

「でしょうね。何しろ秋雅さんからしたらまるで心当たりのない動機なのですから」

 

 どういう意味だ、と秋雅が視線で問いかける。それに、三津橋は一度目頭を強く揉んだ後、真剣な面持ちを浮かべて、

 

「草壁に残された資料から、彼の復讐の動機は、彼の妻である草壁楓の死にあると推測できました」

「母の……?」

「はい。そして、彼女が死んだのは四年前の――――あの、“雷の裁き”の時なのです」

「…………何だと?」

 

 三津橋の言葉に、秋雅の目が大きく開かれる。“王”として在る場合には滅多に見せない驚愕に、三津橋は目を伏せながら頷く。

 

「信じがたいことですが、書類上ではそう(・・)なっていました」

「だが、あの場で死んだのは……」

「はい、老人たちだけのはずです。それは秋雅さん以外の証言からも分かっていましたし、当時の私の調査でもそのはずでした」

「あの場に女性の魔術師は数名いたが、しかし誰も…………写真はあるか?」

「こちらに」

 

 秋雅の問いかけに、三津橋はもう一枚写真を取り出す。もう一枚に写っている男性と同じぐらいの年代の、同じく無表情でさして印象に残らない顔立ちをしている一人の女性だ。その写真をじっと見る秋雅であったが、少しして小さく首を横に振る。

 

「覚えのない顔だ。本当にあの場に居たのか?」

「少なくとも東京には居たはずです。ただ、当時の調査中に彼女の名前を聞いた記憶はありません」

「ならば…………」

「ちょっと、流石にそろそろ口を挟むよ」

 

 ここで、ヴェルナが苛立ちの混じった声を上げる。

 

「二人で話し合っていないでこっちにも情報を回してほしいんだけど。私達、特に紅葉をほったらかしにするのは良くないでしょ。結局、四年前に一体何があったのよ?」

「おや? 紅葉さんはともかく、ヴェルナさん達はご存知ないのですか?」

「彼女らと会ったのは三年前だ。それより前に起こったこの事件に関して、私のほうから教えたことはない。委員会にとっても私にとっても、これは最上位秘匿案件だったしな」

「ああ、そういうことですか。では、この場で?」

「頼む……私はもう少し記憶を探る」

 

 そう言って、秋雅は手で口元を隠しながら、自身の記憶の中に埋没を始めた。それを見て、三津橋は小さくため息をついた後、開き直ったような表情を浮かべてヴェルナ達を見る。

 

「分かりました。ヴェルナさん達もそれでよろしいですか?」

「詳しい説明が聞けるなら何でも良いよ。で、四年前に何があったの?」

「そうですね、一言で纏めるのであれば――」

 

 一息を挟み、

 

「――委員会による、稲穂秋雅様への脅迫未遂、と言ったところでしょうか」

 

 と、三津橋は心底不愉快そうに、顔を思い切り顰めながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どういう意味かしら?」

 

 三津橋の言葉の後、最初に口を開いたのはウルであった。いつも浮かべている柔和な笑みを消し去り、まったくもって笑っていない目を三津橋へと向ける。両脇にいたスクラとヴェルナが、自身が抱いていた怒りすらも一旦忘れた、というように呆けて見られるほどに、その怒気は強烈で苛烈だ。

 

 しかし、そんな怒気を受けてなお、三津橋は平然としたままであった。むしろ、なるほど、まず彼女が怒るのだなと、秋雅が囲う女性達に対してそんな感想を抱く余裕すらあった。そしてそのまま、三津橋はさして動揺するでもなく、あえて常と変わらぬであろう口調で言う。

 

「そのままの意味ですよ。四年前、正史編纂委員会のトップの老人が、稲穂さんに対して脅迫をしようとしたってことです。稲穂さんのご家族を人質にとってね。言っておきますけど、これはあくまでその老人たちと、当時の委員会の東京分室の人間が主導でやろうと画策していたことで、福岡分室(うち)は加担していませんよ。むしろそれに逆らってご家族に秘密裏に護衛をつけたぐらいです」

「……まあ、そうでもなければとっくにシュウはここを見限っているわよね。詳しい事情、教えてもらえる?」

「簡単な話ですよ。当時、というか現在もですが、稲穂さんのカンピオーネとしての行動はかなり特殊です。非常に人格的で、真っ当に話が通じる。要求がある時はそのほとんどが納得の出来るもので、尚且つ容認可能。戦闘の被害を極力押さえ、民衆への被害をほとんど出さない。正直、他の王の方々と比べて極めて人間的(・・・)な王と言えるでしょう」

 

 だから、と三津橋は、当時も覚えた嫌悪感を思い出しながら続ける。

 

「だから、老人たちは勘違いしてしまったのですよ。稲穂秋雅は制御できる(・・・・・・・・・・)とね。秋雅さんが金銭を受け取っていたことも、飼いならせるなどという思い上がりを抱かせる一因だったのかもしれません」

「……前にも思いましたが、何と不遜なことでしょうか」

 

 福岡分室室長として、この事件について知っていた五月雨が吐き捨てる。カンピオーネという存在を多少なりとも知り、そして触れた者としては、過去に老人たちが思ったことは、とても許容できるものではなかったのだろう。何も彼女に限ったことではなく、特に欧州にいる魔術師にでも話せば、彼女と同じような反応を示すか、老人たちの正気を疑ったことだろう。それほどまでに、真っ当な魔術師達にとって、カンピオーネを制御するなどという発想は、愚かしさ極まった戯言なのだ。

 

「そんなことを思った老人達はまず、稲穂さんを『女』で御そうとしました。当時活躍していた、見目麗しい媛巫女達を貢物にしようとしたわけです。当然、そんなものを稲穂さんが受け取る訳がありません。すると、飴と鞭のつもりか、あるいはただ面子を潰された怒りか、次の手段を取ろうとしました」

「それが、秋雅さんのご家族を人質に取ること、ですか?」

「そういうことです。が、実際にそれを命じられたのがここだったのが幸いしました。その命令を受けた前室長が私と稲穂さんに事の次第を伝えてくれたのです。おかげで、事が起こるよりも先に動く事が出来ました。とは言っても、私は何もしていませんがね」

「話の始まりから察してはいたけれど、秋雅がその老人達を始末(・・)しに行った、ってこと?」

「そういうことです。稲穂さんは私を連れ立ってすぐさま東京に飛び、事を企てていた老人達と当時の東京分室室長を裁き(・・)、老人たちの邸宅をその雷で焼き払いました。これをきっかけとして秋雅さんは関東にある委員会分室と断絶、同時に自身の正しい認識を委員会全体に植え付けることとなったのです」

 

 稲穂秋雅は決して人間に制御できるものではない。あくまで自ら歩み寄ってやっている(・・・・・)というだけであり、その本質は暴君であるのだということを、当時の委員会はトップの消失と秋雅との関係悪化をもって思い知らされた。それが、当時の事件による結果であろう。

 

「と、まあそういうことがあったわけなのですが、どうにも今回の一件にこれが関わっている可能性があるようなのです」

「秋雅が紅葉の母親を殺したかもしれない、って奴かしら?」

「あの、そもそもなんですけど、もしかして母も……?」

「はい、魔術師だったようです。草壁康太と同時期に委員会に入っています。その後結婚していたようですが、旧姓の『源』で仕事を続けていたようです。夫と同じで、かなりの秘密主義だったようですね」

「まあ、その辺りは母も父も同じようなタイプでしたから……」

 

 何とも言えない表情で、紅葉が小さく呟く。それが皆に対する説明だったのか、あるいは両親から秘密を教えられなかったことに対する言い訳であるのか。その独白からはどちらとも判断できない。

 

「……まあ、とにかくそういう人物だったそうです。彼女もまた人付き合いの問題を除けば全体的に優秀な人材だったようですね」

 

 そんな彼女の態度を若干気にしつつも、三津橋は話を続ける。未だ考え込んでいる秋雅にちらりと視線を向けたことを考えると、自分が今どうこうする問題ではないと割り切っていた。

 

「そして、ここからが重要なのですが、書類上(・・・)彼女は四年前の夏、例の老人たちの一人の護衛の任務中、秋雅さんの裁きの余波を受けた結果死亡した、ということになっています」

 

 ですが、と三津橋は表情を険しくさせながら続ける。

 

「当時、あの事件において死亡したのは老人たちのみで、それ以外に人的な被害は出ていません。確かにあの場には委員会の魔術師達もいましたが、その全員が秋雅さんの襲来と共に降伏しています」

 

 さもありなん、とウル達は頷く。真っ当な精神構造をしている魔術師であれば、怒りに満ちているカンピオーネに逆らうという愚を冒そうとは思わないだろう。やるとすればそれはもう後がない者か、それこそ底抜けなしの大馬鹿者かぐらいだろう。

 

「その後秋雅さんの雷によって屋敷は焼かれましたが、それも中に人がいない事を確認してのことで、既に死亡していた老人たち以外には誰もいなかったはずです。その後の調査においても、私自身参加していましたから断言できますが、あの場には老人たちの死体以外確実に存在していませんでした」

「…………ああ、それは確かなはずだ」

 

 ここで、この話題が始まってからずっと黙り込んでいた秋雅が口を開いた。

 

「可能な限り記憶を探ってみたが、当時こんな顔をした女性はいなかった。そもそもあの日、私は老人共以外誰一人として殺していないはず。私に気付かれない秘密の地下室にいた、などということでもない限り、あの場で老人共以外の遺体が出てくることは不可解というより他にない」

「秋雅さんの言うとおりです。あの場で源楓が死亡した可能性は零だと断言できます」

「では、誰かが委員会の正式な書類を改ざんしたということですか?」

 

 まさか、と五月雨が眉をひそめる。不正行為であるということもあるが、それ以上にカンピオーネに対し罪を被せるような事を委員会の人間が、しかも秋雅の恐ろしさを再認識した後でやるのか、とあまりにも無謀で不遜なことであるからだろう。

 

「まず間違いないでしょうね。少なくとも当時出された調査書の類にはこのようなことは載せられていなかったはずですから」

「ちょっと聞きたいんだけどさ、紅葉。貴女は母親の死因とかはどう聞いていたの?」

「東京への出張中に火事に遭って、運悪く死亡してしまったと聞きました。まあ、遺体の状況がひどかったとかで、遺体の確認自体は父が単独で東京に確認に行ったので、私は詳しく知らないんですけど」

「とはいえ、この改ざんそのものも当然問題なのですが、今回は改ざんされた内容の方が問題です。正確には、この改ざんから生じる誤解といったところでしょうか」

「纏めると、妻の死の原因が秋雅にあると誤解した草壁康太が秋雅に復讐するために魔法陣の開発を行っている、という風に三津橋さんは思っているわけ?」

 

 ヴェルナの質問に、三津橋は小さく頷く。

 

「現状手元にある情報を踏まえると、その可能性が一番分かりやすい(・・・・・・)のではないかと。仮定に仮定を重ねた、確定的な証拠のない推理ですがね。確認しておかないといけないのであえて尋ねますが、紅葉さん、貴女の父親は妻の復讐を考えると思いますか?」

「……三津橋さんの推測通りの誤解をしているのだとしたら、たぶん復讐を考えると思います。父にとって母は全てであった筈ですし、当時の引越しの際の態度なんかを考えると、確証はないですが、そんな気はします」

「そう……」

 

 中々に信じがたいが、しかしありえないとも言えなくなってきた。三津橋の語った推理に対し、皆がそんな意見を認め始めた頃、

 

「……でも、少し引っかかるわね」

 

 顎に手を当てながら、ウルが口を開く。

 

「引っかかる、というと?」

「草壁康太の復讐、という点に関してはそれなりに納得がいっているけれど、わざわざ東京にいく理由がピンと来ないのよ。復讐の対象であるシュウに勘付かれない様に距離をとる、というのは分かるのだけれど、だからといって東京まで行くものかしら? 妻が死んだ場所で復讐心を滾らせる、というのも分からなくはないのだけれど……」

「……そうだな、些かそれは引っかかる。確かにあれ以降私は関東に足を踏み入れることはなくなったが、首都ということもあって東京分室には実力者が揃っているはずだ。下手にリスクを上げるような真似をするというのは、少々疑問に思わなくもないな」

「そこまで考えていない、と考えるのは楽観的過ぎるわよね。何か、東京でなければならなかった理由があるのかしら……?」

「とにもかくにも、当人をとっ捕まえるしかないんじゃない? そうすれば目的も分かるでしょ」

 

 そうだな、とヴェルナの言葉に秋雅は頷く。

 

「結局のところ、それが一番早いのは確かだ。五月雨室長、現状で無理を言うが、東京まで人員を割く余裕はあるか?」

「不可能ではありませんが、東京分室には任せ――いえ、それもそうですね」

 

 途中まで言いかけたところで、五月雨は秋雅の言葉に同意する。今までの話を聞いた上で、東京分室に期待をするというのは流石に難しいということだろう。

 

「では、悪いが調査と戦闘のどちらにも対処できるように人材を選んで送り出して欲しい。三津橋、お前に指揮を頼みたいが可能か?」

「畏まりました。私としても看過できない案件ですし、改ざんのほうについても折を見てつっついてみます」

「頼む。それと、向こうに行く前に一旦私の家に来てくれ。ついでにあちらの王にメッセージなどを頼みたい」

「草薙護堂様に、ですか?」

「ああ。場合によっては私も東京に足を踏み入れることになるかもしれないからな」

「……稲穂さんが、直々にあちらに向かう、と?」

 

 秋雅の言葉に、三津橋が大きく目を見開く。四年前の事件に直接かかわった者として、稲穂秋雅という王をよく知る者として、あれほどに怒りを見せた秋雅が再び東京に向かうかもしれないと言い出すことは、彼にとって些か信じがたいことであった。

 

「危険度によっては四の五の言っていられなくなるかもしれないからな。そもそも、私が公言したのは関東の分室に協力しないということであって、私があちらで動かないこととは直接的なイコールではない」

「……それもそうですね。分かりました、万一を考えて行動を致します」

「頼むぞ。こうなると、いざという時のために私もある程度近場に逗留したほうがいいか……?」

 

 どうするか、と秋雅は考え込む。すると、おずおずと紅葉が手を上げる。

 

「あの、すみません。秋雅さん、ちょっとお願いしたい事があるんですが……」

「何だ?」

「ああ、そう言えばそうでしたね。紅葉さん、その話はこちらから」

「あ、お願いします」

「三津橋も関わっているのか。一体何だ?」

「率直に申し上げまして――稲穂さん、ちょっと北海道にまで足を運んでみる気はないでしょうか?」

「北海道?」

 

 三津橋の突然の提案に、秋雅は少し首を傾げる。話の流れからして出てくるには少しばかり不自然な地名であるし、それがどう紅葉にもかかわっているのかがいまいちピンと来なかったからだ。

 

「実は、草壁康太の両親、つまりは紅葉さんにとって祖父母に当たる方たちが北海道に住んでいるらしいのですが、その方々に草壁康太に関する情報を聞いてみたほうがいいのでは、という話を紅葉さんとしましてね」

「必要なのか?」

「ええ。委員会内の情報から草壁康太、そして源楓は委員会に入る前から魔術を取得していたようなのです。普通に考えればそれは、身近に魔術を教えられる魔術師がいたということ。そして、これはあくまで可能性ですが、その師から今回の魔法陣の原型に関する情報を得た、あるいは得ていたのではないか、と私と室長は考えています」

「……なくはない可能性だな。魔法陣の情報があるにせよないにせよ、草壁康太のルーツを探れればそれで行動原理を探ることもできる、か」

「そういうことです。それで、紅葉さんに訪ねて貰おうかという話になったのですが、如何せん紅葉さんが数年近く祖父母と会っていない上に、彼女が説明をするには些か話がややこしくなってしまっている」

「北海道分室に話を通させるにせよ、私が紅葉について行ったほうがスムーズに進むか。特に、紅葉の祖父母が当の魔術師であった場合は私が直接問いただせば良いと」

「纏めればそういうことになります。ご足労をかけて恐縮なのですが、お願いできますか?」

 

 申し訳なさそうに三津橋が告げる。すると、秋雅は特に悩む素振りも渋る素振りも見せることなく、すぐさまに肯定の頷きを返した。

 

「分かった。状況が状況だ、私が行って情報を得て来よう。幸い北海道分室の室長とは知己であるし、話は速やかに進むだろうしな」

「助かります」

「すみません、私の為に」

「かまわん。事はもう紅葉だけの問題にはなっていない。ともずれば私も当事者の可能性がある以上、ふんぞり返ってもいられん」

「だったらシュウ、ヴェルナとスクラも連れて行ってくれないかしら?」

「姉さん?」

 

 ここで、ウルが口を挟んだ。彼女の提案にヴェルナとスクラは訝しげな視線を姉へと向ける。

 

「私は構わないが、何故だ?」

「不測の事態に備えた護衛よ。どうにも話がややこしくなってきているようだし、万一の可能性を考えれば二人を連れて行ったほうが良いわ。私は貴方からの依頼で動けないけれど、まあ二人がいれば大丈夫でしょう。それに、元々私達がこっちに来た理由の一つでもあるのだしね」

「……そうだな、念のためは重要だ。ヴェルナ、スクラ、問題はないか?」

「交渉とかをさせられるとかじゃなければいいよ」

「同じく。戦闘以外は出来ないわ」

「十分だ」

「あ、だったら稲穂さん、恐縮ですが五月雨室長も同行させて欲しいのですが」

「三津橋さん?」

 

 突然何を、と五月雨が不審な目を三津橋に向ける。

 

「まあまあ、そんな目を向けないでくださいよ。もし例の魔法陣に関連する情報を得た場合、それをすぐさま解読できる人がいたほうが良いでしょう? だったら五月雨室長がついて行ったほうが良いと思うのですが」

「ふむ、一理あるな。だが、君と五月雨室長の二人がいなくて福岡分室は大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。ね、五月雨室長?」

「…………そうですね。副室長もいますし、私が直接対処しなければならない案件も今はありません。力になれるかどうかはともかくとして、ご同行することは可能です」

「ヴェルナ、スクラ」

「まあ、室長さんならまだいいかな」

「他の知らない相手よりはまだマシよ」

 

 決まりだな、と秋雅が最終決定を口に出す。

 

「私、紅葉、ヴェルナ、スクラ、五月雨室長で北海道に赴く。北海道分室への連絡等の各手配は頼む。三津橋は東京に行って草壁康太の確保の指揮を執れ。ウル、こちらで何かあれば連絡を寄越すように。各員、それでいいな?」

 

 秋雅の確認に、それぞれが確かに頷く。こうして、秋雅達の次なる行動は決まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――稲穂様」

 

 ぼうっと空を仰いでいた秋雅に声がかけられる。そちらに秋雅が視線を向けると、こちらに対し礼をとる五月雨の姿があった。

 

「迎えが来たのか?」

「はい。あちらに迎えの者が来ています」

「分かった。ヴェルナ、スクラ、紅葉、移動するぞ」

 

 そうして、自分の部下たちに声をかけて、秋雅は五月雨の先導に従って歩き始めるのであった。

 




 思っていたよりも長くなりました、いつものことですが想定よりも話が進まないものですね。今回はこういう事情があるので秋雅は東京分室とは仲良くありません、という話でもあります。これが当作品において東京分室が秋雅ではなく護堂を仰ぎ見ることになる理由ですね。





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明らかとなっていくこと







 五月雨に続いて向かった場所、そこで一人の女性が待っていた。パッと見た限りでは、精々が三十半ばというぐらいの女性にしてはやや背の高い人物である。秋雅達が彼女の存在を認識したと同時、彼女の方もまた秋雅達の事を認識したようで、その顔に人好きのしそうな笑みを浮かべながら歩いてくる。そして、互いに十分に会話が届くといった距離にまで来たところで、先んじて女性が口を開いた。

 

「いやあ、お久しぶりですねえ稲穂様。一年ぶりぐらいでしょうかね。我らが北海道に、ようこそおいでくださいました」

 

 やや大げなさ身振り手振りを交えながら、女性はひどく軽い口調で言う。それに対し、秋雅は頷きを返してみせる。

 

「そんなものだろうな、早瀬室長。息災で何より、と言ったところか」

「おかげさまで、すこぶる好調ですな。いやはや、これもまた稲穂様の御威光のお零れに預かれたが故のこと。まったく、稲穂様には足を向けて眠れません」

 

 現代日本人、特に女性としてはえらく芝居がかった口調。しかし、それに嫌気や不自然さは感じられない。秋雅にとっては馴染み深いあの仮面の王と同じく、不思議とそんな言動が似合うというのが、早瀬というこの女性の特徴であった。滅多にない人物であるためか、あまり他人に興味がないヴェルナとスクラはともかくとして、その一連の態度に五月雨は少しばかり顔を顰め、紅葉は呆気にとられたような表情を浮かべる。

 

「世辞はいい。それよりも」

「ええ、ええ、分かっておりますよ。どうぞこちらへ、失礼ながら私が案内をさせていただきます」

 

 そう言って、早瀬は先ほど自分が立っていた場所に止められている車を示し、そちらへと歩き出す。その背を見ながら、ポツリと紅葉が呟く。

 

「……何と言うか、大仰な人ですね。素なんでしょうか」

「まあ、おそらくは演技だろうな。以前など露骨に棘のある物言いをしていた」

「それって、秋雅が活躍しているから胡麻をすりだしたってこと? 気に入らないなあ」

 

 呆れたようにヴェルナが言う。そんな彼女に、秋雅が僅かばかりの笑みを浮かべ、口を開く。

 

「そうか? 俺は結構気に入っているが」

「それはまた、どうして? 貴方なら不愉快に思いそうなキャラだと思うのだけれど」

「あえておかしな物言いをすることで、こちらのデッドラインを見極めようとする。その度胸と組織への忠義は好ましいと思うんでね」

「……どこまで秋雅が怒らないかの見極めをしているって事?」

「それもそれで、不遜じゃないかしら」

 

 まさか、とヴェルナは秋雅の顔を見返し、スクラは小さく首を傾げる。

 

「そのぐらいのほうが好ましいだろうさ。ただのイエスマンよりはよほど面白い。まあ、反抗心に依るものではないのが条件だが」

 

 口の端に笑みを浮かべながら、面白そうに秋雅は言う。

 

「主の怒りを恐れ、唯々諾々と従う者よりは、時には命をかけた忠言を行える者のほうが好ましい。そういうことさ」

 

 それは秋雅が普段から、時折口に出す言葉であった。だから、三津橋などは秋雅の意に従うにしても不備等があれば躊躇わずに口に出すし、ヴェルナたちもまた常日頃から少しでも引っかかった所があれば素直に口に出す事が多い。故に秋雅の今しがたの感想も、ヴェルナたちにも納得が出来るものがあったらしく、そのような反応を軽く見せている。

 

「まあ、結局は俺の推測に過ぎないんだけどな」

 

 にもかかわらず、先ほどまでの発言から一転して、からかうように秋雅は肩をすくめて見せる。ある意味では早瀬と同じ、何処まで本気で言っているのか分からない態度、と言ったところか。こういうところも、あるいは秋雅が彼女を気に入っている理由かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋雅達が車に乗り込み、早瀬を運転手として出発して数分。ちょうど赤信号に引っかかった所で早瀬が口を開いた。

 

「さて、顔も合わせぬ状況ではありますが、ご依頼の件について報告をしてもよろしいでしょうか」

「ああ。無駄に時間を使う必要もない」

「分かりました。まず、調査を頼まれた草壁夫妻の件についてですが、ざっと調べた限り委員会に所属する魔術師ではありませんでした」

「じゃあ、祖父達は魔術には関係ないということですか?」

「とも言い切れません。委員