トリックスターの友たる雷 (kokohm)
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序章 そのカンピオーネの名は
草薙護堂は同胞を知る








「――他のカンピオーネってどんなのがいるんだ?」

 

 そんなことを草薙護堂が口に出したのは、かのヴォバン侯爵を撃退した日から、大体一週間程が経ったある日のことであった。

 

「急にどうしたの、護堂?」

 

 そう彼の言葉に聞き返したのは、草薙護堂の愛人を名乗る――護堂自身はそれを認めていないのだが――エリカ・ブランデッリという少女だ。彼女は護堂の問いに、どうしたのかと首を傾げている。

 

「いや、あのヴォバン侯爵にしろ、ドニの奴にしろ、カンピオーネにはいい思い出がないだろ?」

「貴方も、そのカンピオーネの一人だけどね」

「俺はまだ、あの二人よりはマシだろ」

「どうかしら。少なくとも、周囲に与える被害という意味では、あのお二人と大差ないと思うのだけど。そうよね、祐里?」

「えっ?! ……え、えーっと、ですね……」

 

 話を振られた少女は、困惑したように護堂を見る。どう答えたらいいか、というよりは、本音を言ってもいいのだろうか、と悩んでいるようである。そんな彼女が、日本の媛巫女にして、後に草薙護堂の正妻だのと称されるようになる、万理谷祐里だ。そんな彼女に、事実上エリカの言う事を肯定されたことに、護堂はがっくりと肩を落とす。

 

「……違うと思うんだけどなあ」

「まあ、そんなことはどうでもいいじゃない。それで、結局のところどうして、他のカンピオーネのことを知りたいの?」

「……まあ、単に相手を知っていれば、多少は争いから逃げることも出来るんじゃないかって思ったんだよ」

 

 俺は平和主義だからな、と護堂はさらに続けようかと思ったが、すんでのところでその言葉を飲み込む。今しがたの会話を考えると、また否定されるのがオチだったからだ。

 

「カンピオーネなんて、基本的には戦いを好む人ばかりなんだから、あんまり意味はないと思うけれどね。まあ、知りたいというのなら私の知っている範囲で教えてあげるわ」

「助かる。確か、俺が八人目(・・・)って話だから、あの二人を抜いても後五人いるんだよな」

「そうなるわね。と言っても、中には情報が秘匿されている王もいるから、私が説明できるのは三人だけ。イギリスの『黒王子(ブラックプリンス)』アレクサンドル・ガスコイン、アメリカの『ロサンゼルスの守護聖人』ジョン・プルートー・スミス、そして日本の『雷鎚(らいつい)稲穂(いなほ)秋雅(しゅうが)

「――日本だって!?」

 

 ふんふんと、エリカの話を聞いていた護堂だったが、今しがた彼女が発した言葉に思わず叫ぶ。

 

「そう。貴方と同じ、日本出身のカンピオーネよ。普通はカンピオーネの出身が被ることなんてまずないのだけど、ある意味では彼は、護堂の直接の先達と言えるのかもしれないわね」

「マジか…………俺以外に日本人のカンピオーネがいたんだな」

「過去、日本人がカンピオーネとなった例はお二人以外に存在しません。それが同じ時代に集うなど、いっそ奇跡と言ってもいいかもしれません」

「どんな人なんだ? その稲穂って人は」

 

 護堂の質問に、エリカは少しだけ悩んだ後に言う。

 

「一言で表すと、『例外』ね」

「例外?」

「およそカンピオーネらしくない行動を取るってことよ。そう言われている理由は幾つかあるのだけれど、一番有名なのは周囲への被害の大きさね。カンピオーネの中で唯一、戦いの余波による破壊をもたらさないと言われているわ」

「もたらさない?」

 

 その言葉に、護堂は違和感を覚える。これが破壊をもたらさないようにしている、ならば納得ができる。それは護堂も――実践できているかどうかは別にして――同じように考えているからだ。だが、実際のところ、被害を抑えるなどそうそうできるものではない。カンピオーネの権能というものは往々にして周囲に破壊をもたらすものであるし、そもそもまつろわぬ神自体が破壊を行っていると言ってもいい。だというのに、どうやったら被害を出さないことができるのか。それが護堂にはまったく見当がつかなかった。

 

「カンピオーネが破壊をもたらさないとは、にわかには信じがたいことですね」

「そうね。私も彼を知らなければ同じように思ったでしょうね」

「ってことは、エリカはその稲穂って人を知っているのか?」

「ええ、前に《赤銅黒十字》が稲穂秋雅にまつろわぬ神の討伐を依頼したことがあってのだけど、その時に少しだけ。前評判通り、彼が到着する以前で既にもたらされていた被害はともかくとして、以降は一切の被害を出さずに戦いを終わらせたの」

「どうやったんだ?」

「権能よ。私も詳細を知らないのだけれど、自身と対象を別の空間に閉じ込めるというものらしいわ」

「別の空間?」

「ええ。その中でなら、いくら物を破壊しようとこちら側には一切の影響が出ないらしいわ。あの時も、私の目の前で彼とまつろわぬ神が消えたから、まず間違いないと思うわ」

「すごいな、それ」

 

 エリカの説明に、護堂は本心からそう呟く。成る程、そんな権能があるのなら周囲への被害を出さないというのも納得が出来る。

 

「権能を所持していることと使用することは別ですから、わざわざそのような権能を使っている以上、その方は民の事を考えられているということでしょうか」

「かもしれないわね。少なくとも、人的被害を出すことを看過するようではなかったし」

「ちょっと親近感を持てるな」

 

 その護堂の言葉に、再びエリカは彼に対し意味深な視線を向ける。

 

「親近感、ねえ……」

「な、何だよ……」

「いいえ、別に。貴方は確かに被害を出さないようにすると口では言うけれど、実際はまったくの逆、なんて言わないわ」

「言っているじゃないか」

 

 不貞腐れたように護堂は言う。あまり強く反論をして来ないのは、やはり己が所業について言い返せないところがあるからか。

 

「……しかし、俺もいつかはその秋雅って人に会うことになるかな」

「どうでしょうか。かの方は九州に住んでおられるそうで、あまりこちらにいらっしゃるということはないと聞いていますから」

「しかも、彼はうちの《赤銅黒十字》を始めとして、基本的にはまつろわぬ神や神獣がらみの事件限定だけれど、結構他国の魔術結社に協力するということが多いわ。その所為で、結構国を空けるということが多いそうだから、案外中々会わないかもしれないわね」

「そうなのか……」

 

 だが、この時の護堂は何故か、近いうちにそのカンピオーネと会うことになると、そんな予感を覚えたのであった。

 

 

 









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稲穂秋雅の日常とは





『――よくやった、我が友よ』

 

 男が、少年の肩を抱いて言う。その背からは刃が突き出しているというのに、その声に苦痛は感じられない。

 

『これよりお前は、神殺したる魔王となる』

 

 それを聞く少年の手には、刀が握られていた。少年の手は男の胸の前に、しかし刀の切っ先は背の先にある。

 

『お前はこれから、様々な戦乱に巻き込まれるであろう』

 

 少年の身体は、小さく震えていた。しかし、その震えとは対称的に、少年の目はまったく揺れることなく、ただまっすぐに自身の手を見つめている。

 

『我が同胞と戦うこともあるだろう。お前の同胞と戦うこともあるだろう。しかし、お前に敗北はない』

 

 そう言って、男はしっかりと少年を抱きしめる。

 

『愚かにして、親愛なる我が友よ。戦いと勝利でもって、我を楽しませるがいい。我を嗤わせるが良い』

 

 少年の耳元で、その顔を愉快そうに歪めて男は告げる。

 

『我はいつも、お前を見ているぞ……』

 

 その言葉と共に、男は消え去る。残されたのは一振りの刀と、それを握る少年のみ。

 

『俺は…………』

 

 そして、少年は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……うん?」

 

 何やら振動を感じ、青年――稲穂秋雅は目を覚ました。眠っていたのかと思いつつ、のっそりと身を起こし、僅かに頭を振る。大学の講義中という、おおよそ睡眠を推奨出来ない時間だったのだが、しかし見てみると彼と同じように、机に突っ伏すとまではいかなくとも、コクコクと舟を漕いでいる者が一定数見受けられる。もう五月も終わりという時期、授業の難易度なども分かるようになってきたからこその油断と言ったところだろうか。

 

「ああ……」

 

 またか、と彼は外には出さず、先ほどまで見ていた夢に対し、小さく口の中で呟く。もう六年ほど前の、彼の人生が一変したその始まりの記憶を基にしたそれ。しょっちゅうとまでは言わないが、時々は見る夢は、彼にとっていろいろな意味で重要だ。

 

「また、何かあるのかね」

 

 あの夢を見るときは、決まって何かが起こる時だ。案外、『彼』が見せているのだろうかと、そんなことすら思いつつ……そこでようやく、胸ポケットに入った携帯が震えている、と気づいた。今更だが、どうやらこれが居眠りから覚めた原因であるようだった。

 

「……ん」

 

 誰だ、と思いつつ画面に出た名前を確認し、秋雅は眉を軽くひそめた。そして、電話を保留にしつつ、秋雅は机の上の筆記用具やプリントなどを片付け始める。

 

「どうしたんだ?」

 

 そう秋雅に小声で話してきたのは、隣に座っていた彼の友人であった。その言葉に対し、秋雅は苦笑しつつ答える。

 

「ちょっとな。急ぎで用事が入った」

「そっか。じゃあこのまま帰るのか?」

「どうだろうな。まあ、帰る事になったらメールでもするよ」

「了解」

「じゃあ、とりあえず行ってくる」

「おう」

 

 友人との会話を切り上げ、こっそりと席を立つ。幸いにも、教授などに目をつけられることもなく講義室を出ることに成功し、そのまま人気のないところまですたすたと歩いていく。講義棟を出て、外の適当に人が通らない物陰まで来たところで、ようやく秋雅は電話に出た。

 

「――私だ。何の用だ?」

 

 そう告げる彼の声には、先程友人と交わしたような気安い雰囲気はまったくない。大学生らしからぬ、人の上に立つことを是としている者の、堂々たる声であった。

 

「いやあ、すみませんね。授業中だというのにいきなり電話なんて」

 

 その秋雅の声に答えたのは、少々軽い調子の、大人の男の声だ。おそらくは秋雅よりも年上であろうに、しかしその言葉には何処か秋雅への敬意を感じられる。

 

「別に構わん。それよりも」

「はい、分かっています。先程、島根のとある町で、神獣が発見されました」

「どのようなタイプだ?」

「巨大な狐だそうです。尻尾の数は不明ですが、少なくとも九尾ということはないでしょうね」

「そうか……八人目にやらせるという気はないのか?」

「残念ながら八人目の王は現在、この国におられないようでして。それに……」

 

 貴方に依頼する方が確実ですから。そう男は言葉を続ける。それに対し、秋雅は特に反応を示すことなく、しかし話そのものには承諾の意を見せる。

 

「分かった。すぐに向かおう」

「では、とりあえずいつもの場所に来てもらえますか?」

「うむ、ではな」

 

 そう言って、秋雅は電話を切る。そして、

 

「――我は常に留まらず。我が立つ地は、全て我の意思のままに」

 

 小さく、しかしはっきりと彼はその言葉を口に出す。それと同時、彼の姿はその場所から消え去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず、話が早くて助かりますねえ」

 

 正史編纂委員会に所属する呪術師、三津橋正和は切れた電話を見て呟いた。場所は正史編纂委員会の、福岡分室と呼ばれる建物の一室、彼個人の仕事部屋として用意された場所だ。彼は今しがた切れたばかりの電話を懐に入れ、続けて視線を部屋の隅に置かれた人形に目を向ける。人形と言っても、特段手の加えられた物と言うわけではなく、どちらかと言えば素っ気のない、所謂マネキンに近いタイプだ。

 

 それを三津橋がじっと見ていると、不意にその人形が消え、代わりに長身で、どちらかと言えば中性的な、非常に整った顔立ちをしている青年が姿を現した。

 

「――待たせたな」

「いえ、そのようなことは」

 

 青年――稲穂秋雅の言葉に、三津橋は恭しく頭を下げる。しかし、彼の反応に興味を持っていないのか、秋雅は三津橋に近寄りつつ問いかける。

 

「それで?」

「はい。まず、空港に移動して飛行機で現地まで飛びます。ちなみにうちで所有する個人機を使うつもりです。その後、あちらのメンバーに現場まで案内をしてもらい、そして最後は貴方にお任せする、という流れのつもりです」

「分かった。それで行こう」

「では、申し訳ありませんが急ぎ空港へ向かいましょう。あまり時間的猶予はないそうなので」

「ああ、そうだな」

「細かいことは飛行機の中、ということで」

「うむ」

 

 そう言って、三津橋は秋雅を連れて部屋を出る。そしてそのまま、空港へと車で向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――くそったれ! これが神獣の力かよ!」

 

 青年が悪態をつく。つい先日、正史編纂委員会に正式に所属することになった、正式な呪術師となったばかりの新人だ。その彼の視線の先には、見上げねばならぬ程の大きさを持つ巨大な狐が、高らかに鳴き声を上げている。その周囲の地面は、所々真っ赤に熱せられていたり、あるいは大きくひび割れたりしている。

 

「新入り、一旦下がれ!」

「今下がったら奴に押されます!」

 

 上司の命令にそう反論して、青年は狐に突撃する。その手に持つのは、呪術的に強化された一振りの刀だ。それを、狐の右前足に振るわんと青年は一気に距離を詰めようとする。だが、しかし。

 

「馬鹿、下がれ!」

 

 一つ、狐が鳴き声を上げ、その三つに分かれた尾を大きく振る。それと同時に、周囲に四つの炎弾が現れ、それがそのまま落下し、うち一つが青年へと向かってくる。

 

「くっ!」

 

 その炎弾を、青年はすんでのところで回避する。回避された炎弾はそのまま地面へと激突し、その色を真っ赤に染め上げる。その熱は至近距離にいた青年にも襲い掛かり、今しがたかいたばかりの冷や汗を一気に蒸発させる。

 

「このっ――」

「下がれ、命令だぞ!!」

「っ、了解!」

 

 仕方がないと、青年はようやく上司の命令どおりに下がる。その動きに対し狐は、彼を追うでもなく、ただその場で唸りをあげている。

 

「どうすんだよ、こんなの……」

「何をやっている、馬鹿者! 上司の命令はきちんと聞け!」

「でも! もう動けるのは俺らだけです! 俺らが奴を倒さないと!」

「我らの目的を履き違えるな! 我らの目的はあくまで足止め。奴をこの場に留める程度に攻撃を仕掛けていれば良いんだ!」

「それでどうやって奴を倒すって言うんですか!」

「今、カンピオーネたる稲穂秋雅様がこちらに向かっておられる! あの方にお任せするというのが作戦だと、事前に説明しただろうが!!」

 

 上司の叱咤に、しかし青年は諦めずに食って掛かる。

 

「その稲穂秋雅が間に合わなかったらどうするんですか?! 大体、稲穂秋雅って言えば、カンピオーネの癖に報酬を受け取る守銭奴って噂じゃないですか! そんなことをする奴がどのくらい頼りになりますか!?」

 

 稲穂秋雅、という男はそちらの世界ではかなり名の知られた存在だ。カンピオーネだから、というのも勿論あるが、カンピオーネだからこそ、その例外的な振る舞いゆえに良く知られているとも言って良い。その例外的な行動の一つが、事件解決に当たって報酬を受け取ると言う物だ。

 

 古今東西、カンピオーネと呼ばれる存在は何人も存在しているが、その中で金銭、美術品、あるいは権威というものに固執した者はほとんどいないとされている。魔術結社の首領、程度ならばともかく、自身を着飾るための要素を求めるということがほとんどない。

 

 そもそも、カンピオーネとは、まつろわぬ神を退治さえすればその他は何をやっても済まされる、という存在だ。カンピオーネにとってまつろわぬ神と戦うは義務と言って良い。それなのにそのまつろわぬ神と戦うときまで金とは、と思っている者も一定数いる。

 

 この青年も、秋雅に対しそう思っている者の一人であり、秋雅に対し不信感があった。加えて言えば、秋雅が自身とさほど変わらぬ年齢だというのも、その戦闘力に対する不審に拍車をかけている。だからこその、先程の命令違反の攻撃であったのだ。

 

「だからここは俺たちで――」

「――別に、守銭奴と呼ばれても構わんが、な」

 

 突然の声に、青年と上司は思わず振り返る。すると、そこに居たのは一人の男であった。彼は青年に、まるで何も思っていないかのような目を向けつつ言う。

 

「私の行動に対する評価など、さして興味も湧かん。好き勝手に、己が思うとおりに言いふらすといい。だが、あえて言うならば――」

 

 バチバチと、彼の左手が帯電し始める。そして次第に、彼の手の中に光り輝く力が収束していく。

 

「ここは、私の戦場だ。下がっていてもらおうか……!」

 

 轟音とともに、彼の手から雷が放たれた。それはまっすぐと狐へと向かい、その顔面に直撃する。

 

 その衝撃に、狐が吠える。突然の痛みから、怒りの色を瞳に浮かべた狐は、それを与えた彼へと――稲穂秋雅へと視線を固定する。

 

「そうだ。お前の相手は、この稲穂秋雅がしてやろう――正々堂々、一対一でだ」

 

 そう宣言する秋雅の右の手の中には、何か黒い物――真っ黒に染まったザクロの実だということがあった。その真っ黒なザクロの実を、秋雅は握りつぶすように拳を締めて言う。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 聖句を唱え、秋雅は己が権能を発揮する。それは彼と、彼を睨みつける狐の身に赤黒く纏わりつく。そして次の瞬間にはそのどちらもが――その場から消え去っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今の、は」

 

 先程まで戦っていた狐も、唐突に現れた秋雅も消え去った後、呆然と青年が呟く。

 

「稲穂秋雅。カンピオーネと呼ばれる存在ですよ、新入り君」

 

 それに答えたのは、同じく呆然としていた彼の上司ではなく、何処か軽薄さを含んだ声。その声に、青年の上司が反応する。

 

「三津橋!」

「お久しぶりです。どうやら、何とか間に合ったようですね」

「ああ、何とかな……あの方が?」

「ええ、我らがカンピオーネです」

 

 そう言って、三津橋がニッコリと笑う。その笑みに、ようやく青年の上司は安堵したように息を吐く。

 

「良かった。これで後は大丈夫だな」

「ええ。直にあの神獣を倒して戻ってこられるでしょう……ああ、それと新入り君?」

 

 ふと、三津橋が青年に視線を向ける。

 

「状況の把握の為、少し前からここの音は拾わせてもらいました。その結果として言っておきましょう。稲穂さんは基本的に自分の噂話や行動について、特に何も言ったりしませんし、それが原因で怒るという事はまずないです。あの方は、守るべき民草に対して実に寛大な王であらせられますから……が」

 

 ぞくりと、青年の背を、氷を当てられたかのような冷たさが襲う。そう感じてしまうほどに、三津橋の青年を見る視線は、とても冷ややかなものだった。

 

「弁えなさい。あの方は、我らのために戦ってくださる王なのです。君如きが、貶してよい相手ではありません」

「…………はい」

 

 搾り出すように、青年は返答する。その返答に対し三津橋は、しばし彼をじっと見つめていたものの、不意にその視線を先程まで狐がいたほうへと向ける。

 

 

 そしてそのまま、何を言うでもなく、彼はしばしそのまま何処かを見つめ続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて……と」

 

 そこは奇妙という言葉では表せないほどの空間であった。

 

 地形は、先程まで彼がいた場所と変わりない。しかし、その色は異なる。地も、山も、空も、空間そのものが赤黒くその身を染めている。奇怪で、不可思議で、不気味。そう評価すべき空間に、ただ秋雅と狐のみがいる。

 

「これも俺の役目なんでな。倒させてもらうぞ」

 

 言うと同時、秋雅の姿が消える。何処だ、と狐が周囲を見渡そうとしたその瞬間、轟音が辺りに響きわたり、狐の巨体が大きく揺らいだ。

 

 何時の間に移動したのか、狐の顔のすぐ傍の、何もない空中に立っている。その手には先程まではなかった、やや大振りの鎚が握られており、彼の体勢からそれを使って狐の顔を殴りつけたのだということが見て取れる。

 

 

 悲痛な声を上げながら、狐が音を立ててその身を横たわらせる。しかし、未だにその闘志は消え去っていないようで、ゆっくりと秋雅を睨みつけるようにしながら起き上がろうとしている。

 

「思ったよりも硬いな。決まると思ったんだが」

 

 空中に浮いたまま、振りぬいた腕を戻しつつ秋雅が小さく呟く。彼としてはこの一撃で決めるつもりだったのだが、思いのほか狐の体が頑丈だったらしい。

 

「――っと」

 

 怒りの咆哮を上げながら、起き上がった狐は尾を振り、軽く十は超えるほどの火球を生み出し、それを目の前の秋雅に向かって放つ。しかし、それが秋雅に当たろうかというタイミングで、秋雅の姿が再び消える。

 

 その瞬間、狐が大きく跳び退る。それと同時、一瞬前まで狐が居た空間のすぐ傍に秋雅の姿が現れる。

 

「ちっ、勘が良い。やはり、こういうものは一撃で決めるべきだな」

 

 目の前に狐が居ないことに舌打ちをしつつ、再び秋雅の姿が消える。現れた場所は、今度は狐の傍ではなく、少し離れた場所だ。

 

「雷よ!」

 

 轟音を立て、再び秋雅の手から雷が放たれる。その一撃に対し狐が吠え、素早く火球を生み出し、放つ。

 

 雷と火球、それが互いの中間地点で激突し、互いを喰い合い、打ち抜こうとする。一瞬の均衡の後、勝ったのは秋雅の方だった。

 

 再び、雷が狐の顔面に直撃する。火球によって減衰していたのか、先程よりは痛みは少ない様に見える。しかし自身の攻撃を破られたという怒りからか、狐はさらに大きく吠えている。

 

 だが、そのような隙を見逃す秋雅ではない。狐の視線がこちらに通っていない事を確認して、再びその姿を消す。

 

「喰らっておけ!!」

 

 狐の下部から、激突音が響く。今度は狐の下に回った秋雅が、その無防備な腹部を、その手に持った鎚で思い切り殴りつけたのだ。

 

 狐の巨躯が、僅かだがに空中へと舞い上がる。痛みと驚きだろうか、狐が獣の悲鳴を上げた。しかし、秋雅の猛攻は終わらない。

 

「そら!」

 

 次に激突音を発生させたのは、狐の背中であった。下部からの一撃に浮いたその身を、今度は背中から殴りつけたのだ。未だに勢いのあった身体を強引に止めさせられたことで、狐の身体が大きく軋む。

 

 それはよほど耐え難い痛みであったのだろう。これまで以上に、狐は大きく吠えた。もしかしたら、自身という存在が失われるという恐怖を感じているのだろうか。精一杯と表現したくなるような抗いの声を上げる狐の眼前に、秋雅は鎚を振り上げながら現れる。

 

「悪いが、これも皆の為なんでな。恨むなら、この地、この時に産まれた己と、そして俺を恨め」

 

 言葉が理解できるとは思っていない。だが、何となく口に出してしまった。その理由を僅かに考えながら、秋雅はその鎚で、吠える狐の頭部を叩き割る。

 

「……終わったな」

 

 粒子となり消えていく狐の姿を確認しながら、秋雅はポツリと呟く。神、そして神獣はその遺体を残すことはない。消え去る時はただ、光のように溶けていくのみだ。

 

 それを見送った後、秋雅は己が右手を見る。そこにはもう、鎚は握られていない。そんな空っぽの右手を、秋雅は握り締め、そして開く。すると、そこには確かに、先程までなかったはずの、そしてこの空間に来る前は持っていた、真っ黒なザクロの実があった。

 

「帰るか」

 

 秋雅が呟いた瞬間、その姿は消えてなくなり、それに連動して空間は音もなく消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お疲れ様でした」

 

 突如、その姿を再び現した秋雅に、恭しく三津橋が礼をする。

 

「ああ」

 

 三津橋の礼を受けつつ、秋雅は辺りを見渡してみる。しかし、戦闘前にいた二人の呪術師の姿はない。離れたか、と秋雅は安堵とも落胆とも言えぬ感情を覚える。

 

「……さて、秋雅さん。せっかくですからこの辺りの美味しい物でも食べに行きますか? 時間は少々微妙ですけどね」

 

 長い付き合いで、秋雅が健啖家かつ戦闘の後は良く食事を取る事を知っている三津橋が、そのような提案を目の前の青年にする。王に対してとは思えぬほど軽いお誘いであったが、それに対し秋雅は一つ頷く。

 

「ああ、そうするか……それを報酬としても構わないが」

「いえいえ、そういうわけには。秋雅さん、先程の事をお気になされているのかもしれませんが、別に大丈夫ですよ」

「そんな気は、ない」

「まあ、どちらにせよ、今回の戦闘にて生じえた予想復興費に比べたら、秋雅さんへの報酬なんて大したことないですし。なんなら、今日は何処かの豪華ホテルにでも泊まって行きますか?」

「……とりあえず、食事だ」

「そうですね。実は良いお店を知っているんですよ」

 

 などと、基本的に三津橋主体で話しつつ、秋雅はその場をゆっくりと立ち去る。これが、かつてより非日常に踏み入れた稲穂秋雅の、何と言うことのない日常であった。

 







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第一章 梅雨空は雷とともに
同胞からの電話








 それは、とある梅雨の日の夜のことであった。

 

「……電話か」

 

 テーブルの上で揺れる携帯電話を見て、稲穂秋雅が小さくつぶやく。ゆったりと夜の時間を過ごしていた中に、それを打ち破るような無粋な振動音を聞いたことで、秋雅は軽く顔をしかめる。こんな時間に誰だ、と若干の苛立ちを感じつつ、秋雅はディスプレイに映った名前を確かめる。

 

「まったく…………ああ?」

 

 表示されている名前を見て、思わず秋雅は剣呑な声を上げる。そのまま数秒ほど、じっと手の中の電話を見つめていた秋雅であったが、諦めたようにため息をついた後、ゆっくりと通話状態にする。

 

「……もしもし」

『やあ、秋雅。久しぶり、元気かい?』

 

 明らかに乗り気でなさそうな秋雅に返ってきたのは、対照的にも程があるほどに朗らかで能天気そうな声。その声に、秋雅は深いため息をつきながら応える。

 

「お前が電話をかけてくるまでは快調だったがな、サルバトーレ・ドニ」

『はっはっは。相変わらず辛辣だねえ、君は』

 

 秋雅の返答に、イタリアのカンピオーネ、サルバトーレ・ドニは笑う。その裏のない笑い声に、相変わらずだなと秋雅は眉間のしわを深くする。

 

「それで? 今日は一体、どういう用件だ? 戦いを、などと抜かせば、その瞬間にこの電話を切るが」

『つれないねえ。僕らの決闘はまだ決着がついていないっていうのに』

「ついただろう、もう既に」

『あれを決着とは認め難いと思うけどね、僕は』

 

 そう、ドニは不満げにぼやく。しかし、

 

「取り決め通り、私達の間で勝敗は決した。君の勝ち、私の負けと言う結果でな」

 

 それに対する秋雅の返答は冷ややかだ。自身の敗北を認めているにもかかわらず、その態度に不満の色は感じられない。

 

『本当に相変わらずだね、君は。カンピオーネ( 僕ら )は基本的に勝ち負けを気にするのが多いって言うのに、君は自身の勝敗にまったく関心がない。たぶん君ぐらいだよ。王同士の決闘において、躊躇いなく逃走を選べるのは』

 

 僕達の時みたいにね、とドニが言うのを気にもせず、しかし僅かに苛立ちを混ぜながら秋雅は言う。

 

「いい加減、用件を話してもらおうか。いつまでも、お前一人に関わってはいられないのでね」

『分かったよ、仕方ないなあ』

「早く言え」

 

 トントンとテーブルを叩くことで苛立ちを発散しつつ、秋雅はドニの次の言葉を待つ。

 

『用件は二つ。まず一つは護堂のことだ』

「護堂……というと、草薙護堂のことか?」

『あれ? その感じだと、もしかしてまだ会ってない?』

「ああ」

『意外だなあ。同郷だし、何より君ならもう接触していると思ったんだけど』

「そのうち会ってみようとは思っているのだが、どうにもな。同郷だが、どうやら前例から逸れてはいないようだから、二の足を踏んでいる」

 

 ちらりと、秋雅は手元の資料に目をやる。そこには先月、東京において発生したまつろわぬ神と八人目のカンピオーネ、まつろわぬアテナと草薙護堂の戦闘に対する報告書が置かれている。少し前に三津橋が持ってきたものなのだが、ざっと読んだ限り周囲への被害が実に大きい。しかも、単純な破壊による被害のほとんどが草薙護堂によって引き起こされており、その修復費ときたらまあ大きい。普段、秋雅が報酬として受け取っている分など鼻で笑えるほどの額だ。事実、報告書についてきていた三津橋のメモには、八人目に対するぼやきのようなものが書かれている。

 

『ああ、うん。それはちょっと思ったかな。君と同じ日本人なんだから無駄な被害は出さない主義なのかなあって思っていたんだけど、蓋を開ければ僕らと同じだったね』

「だからあまり会いたくなくてな。人のことは言えんのだろうが、カンピオーネと言うものはまったく、いらない戦いを望みすぎるきらいがある。彼もそう(・・)だろうと思うとどうにも……それで、その草薙護堂がどうしたんだ?」

『いや、僕としては君が彼と知っている前提で話をしようと思っていたから、君が知らないとなると話す事がないんだよね』

「……では、逆に問うが、お前から見て草薙護堂はどう見えた?」

 

 八人目、新たに誕生したカンピオーネ。それと実際に会った人物からの評価だ、聞いておいて損はないだろうと秋雅はドニに問いかける。こう見えてこの電話の相手は、案外人を見る目はあると思っているからこその問いかけだ。

 

『んー……最初に思ったのは、若い、かなあ。僕がカンピオーネになったのも若い方だと思うけど、彼はさらに若い。あ、でも君の方がカンピオーネになったのは若いのか。まあ、君より若くしてカンピオーネになった人はそう居ないと思うけど』

 

 秋雅が神殺しを行ったのは今から六年前、彼が十四の時のことだ。草薙護堂が神殺しとなったのが十六歳の時、つまり高校生でカンピオーネになったのに対し、秋雅は中学生の時にカンピオーネとなり、以来戦い続けてきたということなる。そのため、実を言うとドニと秋雅において、実年齢はドニのほうが上だが、カンピオーネとしては秋雅が先輩ということになる。まあ、だからどうしたというのが、カンピオーネ同士の関係であるのだが。

 

『あとはまあ、あれだね。口では色々言っているのに、結局は戦いを拒まないって感じだった』

「大方お前が決闘に無理やり引きずり込んだんだろう? 拒まない、はおかしい」

『でも、君は逃げおおせたじゃないか。決闘にこそ引きずり出せたものの、結局君は僕と剣を交えなかった。正直言うと、護堂もそういうタイプなんじゃないかって心配だったんだけど、違って良かったよ』

「私は良くないがな……」

 

 草薙護堂との接触自体は計画中の秋雅としては、はあ、とため息をつくより他にない。

 

『まあ、たぶん言葉で語らえば言葉で返してくれるんじゃないかな? 勿論、力で戦えば力で返してくると思うけど』

「アレクサンドル・ガスコインと同じタイプか」

 

 同じく表面上は(・・・・)理性的な『黒王子』を思い浮かべ、秋雅は未だ見ぬ八人目に不安を感じる。ある種、言葉が通じる分、そういう人種の方が面倒な時が多々あるというのが、これまでの非凡な人生において秋雅が学んだことの一つだった。

 

『あー、彼よりは素直だと思うよ、護堂は。まあ、たぶん、だけど』

「だといいが、な。それで、二つ目の話は?」

 

 とりあえず、これで一区切りがついただろうかと、秋雅は八人目のことを一旦隅に置いて言う。

 

『じゃあ二つ目だけど――あのじいさまがそっちに向かったらしいよ。あ、正確には東京に、だけど』

 

 ドニの言葉に、秋雅は眉をしかめる。じいさま、とこの同胞が言う時、それはつまり一人の魔王を指すときであるからだ。

 

「ヴォバン侯爵が?」

 

 デヤンスタール・ヴォバン。今の時代に生きるカンピオーネとしてはもっとも長く生きている最古参の王であり、もっとも魔王らしい魔王と呼ぶべき人物だ。恐怖、畏怖、理不尽、そういったものの権化であると言われても納得がいくと、内心で秋雅がそう思っているほどの相手である。

 

「何故、ヴォバン侯爵が日本に?」

 

 彼と秋雅の関係は、とても良好と言えるものではない。不可侵を結び、敵対こそしていないものの、それはあくまで表面上のこと。四年前、僅かとはいえヴォバンがなそうとした儀式を妨害し、そして今現在でも、時折その邪魔をする秋雅を、彼は事実上の敵とみなし、いずれは討たんとしているのだから。なお、その際思い切り妨害をしたドニは、ヴォバンから完全に敵意を持たれているのだが。

 

『理由が知りたいのなら、あの時の決闘のやり直しを行いたいな。今度は逃走なんて許さない、絶対の決闘を』

「……却下だ。こちらで調べることにしよう」

『それは残念だ。じゃ、僕はこれで。もし護堂に会う事があれば君の親友がよろしくと言っていたと伝えておいてくれ』

「その親友とやらは、一体どちらにかかっているんだ?」

『ははは、じゃあまたね』

 

 最後の問いかけには答えずに、ドニは電話を切る。通話の終わったそれを見て、秋雅は深くため息をつく。

 

「まったく、面倒な……」

 

 どうしたものかと、ソファに深く身体を委ねて、しばし秋雅は考え込む。結局、待ちの姿勢を取る、という結論を彼が得たのは、その日の就寝前のこととなった。一応は不可侵を結んだ相手である以上、わざわざ接触しに行くのも良くないと判断したためである。それと、何かあった場合には八人目がどうにかするだろうと、そんな風に思ったというのもある。

 

 その結果東京がどうなろうと、それはそれ。自分が気にする道理はないと思いながら、秋雅はゆっくりと休息をとるのであった。

 









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正史編纂委員会との関係性





 ドニから連絡があった翌日、秋雅はとある料亭を訪れていた。歴史ある、所謂一元様お断りの高級料亭で、とてもではないが一介の大学生程度が昼間から訪れるような場所ではない。しかし、それに尻込みすることも、ましてや虚勢を張ることもなく、自然体で秋雅は店の敷地に入っていく。その堂々たる足どりを、一人の従業員が止めようとする。

 

「申し訳ございません、当店は――」

「稲穂だ、三津橋から聞いていないか?」

「……失礼しました。どうぞ、こちらへ」

 

 秋雅の返答に従業員は頭を下げ、秋雅を部屋にまで案内しようとする。それに秋雅も逆らうことなく、当然のようにその後についていく。

 

「こちらになります。どうぞ、中へ」

「ああ」

 

 少しばかり歩いた後、通された部屋。入ると、中には二人の人物がいた。一人は、もう長い付き合いになる三津橋。そしてもう一人、特に見覚えのない女性が身を固くしながら座っている。

 

「待たせたようだな」

「いえいえ、お気になさらず。我々も今しがた到着したところですので」

「そうか。そちらは?」

 

 席に座りつつ、秋雅は見知らぬ女性に目を向ける。秋雅ほどではないが、若い女性だ。精々二十代後半といった程度だろう。その彼女は、秋雅の視線に綺麗な礼を取り、口を開く。

 

「正史編纂委員会・福岡分室室長、五月雨恵と申します。本日はご尊顔を賜り光栄の至りかと存じます」

 

 畏まったように名乗った彼女に、秋雅は一つ頷くことで返す。それを了解ととったのだろう。控えていた三津橋が、軽い咳払いの後に口を開く。

 

「本日、稲穂さんにお越しいただいた理由ですが、大雑把に言うと二つほどあります。まず一つがこの通り、五月雨室長の顔合わせという奴です。彼女は先日、前の室長から代替わりしました」

「……純粋な疑問だが、君では駄目だったのかね?」

 

 ふと浮かんだ疑問を、秋雅は率直に口に出す。秋雅の見たところ、三津橋の実力はかなり高い。特にその戦闘能力は、カンピオーネとしての秋雅ももまた認めるほどだ。流石にカンピオーネレベルとはいかないが、それでも実のところ、先日秋雅が退治した例の狐のような神獣を相手にしても、一人である程度立ち向かえるほどには強いはずである。まあそれでも、死力を尽くすことで何とか深手を与えられる、という程度なので、どうしても秋雅に頼る必要があるのだが。

 

「ははは、評価してくれることは嬉しいんですが、まあそういうわけにもいかないもので。貴方と行動を共にすることが多い以上、立場があると邪魔ですから」

「成る程、納得した」

 

 正史編纂委員会が秋雅に依頼をする頻度は、存外に多い。まつろわぬ神がらみの事件だけでなく、もう少し規模の小さい事件、例えば悪質な魔術師を取り押さえるなどに対しても依頼をしてくることがあるからだ。勿論それは、彼の実力とその被害の出さなさが理由である。他にも、何かの兆候などがあれば秋雅は割と積極的に動き調査するので、結構彼は日本各地――まあ、世界各地でもあるのだが――を飛び回っている事が多い。その関係上、秋雅の担当者のようなものになっている三津橋もまた、各地を飛び回る事が多くなってしまう。そんな状態で三津橋が責任のある立場になったりした場合、動きがとりにくくなってしまうのは目に見えていると、まあそういうことなのだろう。

 

「まあ、上に立つとそれだけ色々面倒事も増えますし、何だかんだ貴方に付き合っているほうが楽しいですからね」

「下手をすれば、ということもありえるがな」

「貴方が勝ち続ける限り、そんなことはないと信じていますよ」

「責任重大だな」

 

 などと、二人は軽口を叩く。三津橋が笑顔なのに対し、秋雅はあまり表情を動かしていないというのが奇妙には見えるが、割とこれが二人の平常でもある。流石に戦闘前などもこうというわけではないが、そうでないときはこんな風であった。

 

 しかし、である。

 

「三津橋さん! その物言いは稲穂様に対し無礼でしょう!」

 

 五月雨がテーブルを思い切り叩く。先程からの三津橋の、秋雅に対する軽い口調が気に触ったようである。まあ、二人の仲を知らず、されどカンピオーネという存在を知るものからすれば、当然の反応と言っても良いかもしれない。諸々の緊張、というのもそれに拍車をかけているのだろう。見るからに生真面目そうな彼女に、気負いの一つ二つも加われば、実態はともあれ、三津橋の態度が不遜に過ぎるように見えてもおかしくない。

 

 

「まあまあ、五月雨室長。少し落ち着いてください」

「良いですか、三津橋さん! 我々が今御前を賜っているのは我らにとって王と仰ぐべきお方なのですよ!? それを先程から――」

「――五月雨室長」

 

 冷ややかな声が、熱の入ってきた五月雨の言葉を遮る。その声の冷たさと、何よりそれを発したのが秋雅だということに、五月雨の動きがピタリと止まる。

 

「私は王だが、だからと言って皆に私を仰ぐ事を強制する気などない。勝手に、それぞれが思うように私に対峙してくれれば良いと思っている。口調など、別段気にするようなものではない……が、だ」

 

 自身を見つめる五月雨の顔を真っ直ぐに見て、秋雅は言う。

 

「――うるさいのは、あまり好ましく思わない」

 

 秋雅の幾分鋭い視線が、五月雨を貫く。恐怖からか、五月雨の喉がゴクリと動くのが見える。

 

「黙っていろ、とまでは言わないが、騒ぎ立てるのは勘弁願いたい。私は、喧騒よりも静寂を尊ぶのでな……いいかな?」

「…………か、畏まりました」

 

 秋雅の、返事を欲する問いかけに、五月雨は搾り出すように了解の意を述べる。そのことに秋雅はゆっくりと頷いて、続いて三津橋のほうに視線を向ける。

 

「今度からは、情報伝達をきちんとしていておいてもらいたいな。私の主義は、君も熟知しているはずだ」

「すみません……まだ若い彼女のために、貴方を利用させてもらいました、と言ったら怒りますか?」

「私のほうが若い、とだけ言っておく」

「はは、それもそうですね」

 

 実際、三津橋の言った内容は、別段秋雅の気に触るようなものではなかった。むしろ、そのぐらい素直でいるほうがいいと思っているぐらいだ。大体、その程度で怒るようであったら、今三津橋はこの世に居ないだろう。

 

 そのことは三津橋自身もきちんと理解しているのだろう。始まりは単なる偶然であったが、そう理解できる程度には、付き合いの長さ、そして深さがそれなりにあるのである。

 

「まあ、とりあえず次の話に移りましょうか」

「……いや、先に食事を運んでもらおう。話の腰を折られるのも面倒だ」

 

 そう言いつつ、秋雅はちらりと五月雨の方を見る。そのことに先程のことで意気消沈している五月雨は気付かなかったようだが、すぐさまに三津橋が頷き、口を開く。

 

「ああ、それもそうですね。じゃあすみませんが、室長、ちょっと頼めますか?」

「え?」

「お料理を持ってきてくれるように従業員の方に頼んでください。ああ、ついでに料理はいっぺんにとも言っておいてください。無粋ですが、一々持ってこられるのもあれですので」

「私が、ですか?」

「頼みます。少し時間がかかっても構いませんので」

「……分かりました。失礼します」

 

 固い面持ちで頷き、五月雨は秋雅に礼を取りつつ部屋を出る。戸が完全に閉められたところで、三津橋は、ふう、と息を吐く。

 

「すみません、お気を使わせてしまったようで」

「かまわん。彼女にも、持ち直す時間は必要だろう。もっとも、私が言えた義理でもないが……この店も、準備をしたのは彼女だろう?」

「ええ、一応私は違う場所の方がいいと言ったのですが、彼女が強引にね」

 

 実のところ、稲穂秋雅はあまりこういった場所を好まない。正確に言うと、こういった店で出されるような料理をつまらないと思っているのだ。まあ、料理に対してつまる、つまらない、という表現はおかしいのかもしれないが、しかし不味いとか、気に入らないとか、そういうわけでもない以上そう言うより他にない。要するに、気を使わなければいけないような料理を好んでいないのである。例えれば、フランス料理のフルコースよりも、大衆食堂の丼飯の方がいいという感じだ。彼の食欲も考えると、さもありなんというところだろう。

 

 そのことは三津橋も良く知っている。それなりに長い付き合いだ、知っていないわけもない。もしこれが三津橋と秋雅の二人きりの会合であったなら――個室のある店ぐらいにはするだろうが――彼はもう少し軽い店を選んだだろう。

 

 実は、と三津橋が言う。

 

「彼女、私の後輩のようなものでしてね。まあ、私が事実上貴方の専属のようなものになる直前だったので、実際に面倒を見たのは短い間なのですが、それでも彼女の世話をしていたのは事実です。その所為か、どうにも甘くなってしまう、というのは言い訳でしょうね」

「言い訳でも構わんよ。そもそも、彼女の判断は別に間違ったものでもない……私が、悪い王だというだけだ」

 

 そう言って、何処か自嘲するように秋雅は片頬で笑う。それに対し三津橋は、しかし何を言うでもなく、ただ小さくため息をつく。振り回しているんだろうな、と彼のそんな反応にまた、秋雅は僅かに自嘲を漏らした。

 

 

 

 

 

 

「……さて、頃合いでしょう」

 

 そう三津橋が話を切り出したのは、五月雨が戻り、料理も並び終わったという時だった。こういうタイミングも、いずれは覚えてもらうべきか。隣に座る五月雨に対し、そんなことを思いながら三津橋は続ける。

 

「もう一つの話についてお話しましょうか。まあ、今回の本題といったところですね」

「うむ、内容は?」

「それに関しては室長の方から。室長、お願いします」

「分かりました」

 

 振ると、五月雨は軽く頷きを返してきた。部屋を出る前と比べると幾分か平常さを取り戻したらしく、良い意味で気負いが感じられない態度だった。

 

「今回、私どもが貴方をお呼びしましたのは他でもありません。八人目、草薙護堂氏についてです」

「八人目について、か。一応の資料は受け取っているが、そういうことではないのか?」

「はい。今日問題としたいのは、草薙護堂様自身のことではなく、かの王の誕生による各地への影響についてです」

「日本に二人の王はいらないと、まあそんなところか」

「……はい、その通りです。現在、各国政府、及び魔術結社より、正史編纂委員会に対して圧力がかかっています。勿論、内密に、です」

 

 日本という一国に、その気になれば容易に世界のパワーバランスを崩せる存在が二人も存在する。しかも、日本における唯一の魔術結社である正史編纂委員会は、他国の魔術結社と異なり、政府に直結している。他国からすれば、もしかしたら、と思わざるを得ないのだろう。まつろわぬ神を退治するのがカンピオーネの唯一の使命であるが、だからこそ、それ以外にも力を振るうのではないか、と思う者もいるのだろう。秋雅の、戦いに報酬を望む、という行動もこれに拍車をかけているのだろう。報酬を望む、ということはつまり、報酬次第ではどんな依頼でも受ける、という解釈もあるからだ。それが真実かどうかは別にして。

 

 それに、直接的に力を振るわないにしても、まつろわぬ神が現れた際に動いてくれなければ、それもまたその国にダメージを与えることになるのだから。

 

「私はこれまで、国家を問わず依頼を受けてきたつもりだったし、八人目が現れようとそれは変えないつもりだったのだが――成る程な」

 

 そう言う秋雅の口調には、僅かに不快感が混ざっているように三津橋には感じられた。無理もない、と三津橋は思う。これまで六年間、少年と呼ばれる年齢であった頃から秋雅は命がけの戦いに身を投じ、そして民を守ってきた。だというのに、今ここになってのこれだ。まったく、組織というのはこれだからと、組織の人間である三津橋ですらため息をつきたくなる。

 

 のめり込みすぎている、と言われれば反論できないという自覚は、三津橋にもある。あくまで秋雅との関係は仕事上の、ドライな関係を築くべきであったということは分かっている。だが、だけれども、だ。そうしなければ、今目の前にこの優しき王は居なかったと、そう思っているのである。

 

 そんな三津橋の横で、さらに五月雨は説明を続ける。

 

「現状、委員会内でも幾つか意見が分かれています。完全無視、圧力に屈する、草薙様につく、稲穂様につく、と様々です。福岡分室、並びに九州、及び四国、中国地方の各分室は全会一致で稲穂様を仰ぐという意見を出しているのですが、他の分室はどうも……」

 

 五月雨が言葉を濁す。ただ、直接的に秋雅が力を振るうのを見たもの達はともかく、それ以外のところが彼を軽んじるのも無理からぬ話かもしれない。先日の島根の一件のように、稲穂秋雅というカンピオーネを侮る者は、無謀なことに一定数はいるのだから。

 

「舐められている、ということか」

「あるいは、草薙様の方が取り込むに易いと思っているのかもしれません。どうやら、国内でも有数の媛巫女を、かの王に差し出しているとのことですから」

「首輪、か……ふん、変わらんな」

「……喉元過ぎれば熱さ忘れる。あの四年前の事件を、理解できていない者もいるのですよ。残念ながら、ね」

 

 そう、三津橋は僅かに侮蔑の目を浮かべながら呟く。彼の脳裏にしかと刻まれている、四年前の事件。愚かにも、カンピオーネを利用せんとした者達の、くだらぬ策謀とその結末。その中心にして、日頃の優しさなど一切見せず、敵対者を完膚なきまでに叩きのめし、そして抹殺した(・・・・)のが誰なのか、それを忘れてしまったものがあまりに多すぎると、三津橋はそう思わずにいられなかった。

 

 

「別に良いが、な。それをこの国が選ぶというのなら、私もまた動くだけだ……アニー辺りを頼ってアメリカに行くか、あるいは彼女ら(・・・)のいるインドにでも行くか。まあ、行く当てはある、な」

 

 そんな秋雅の呟きに、二人は答えない。五月雨は秋雅の意に口を挟むわけには行かないとただそう思ったからだが、三津橋に至っては、長い付き合いの彼ですら、今の秋雅の言葉が冗談なのかどうか、まるで判断できなかったからだ。

 

「……話は分かった。とりあえず、状況が悪化するようであったら報告するように。それまでは現状維持、としておこう」

「畏まりました」

 

 少なくとも、今この王を失わずにすんだ。その事に安堵するように、三津橋と五月雨はそっと息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、二人の魔王を得た日本の行く末の話は一先ず終わり、一同はようやく並べられた食事に手をつけ始める。正確には、最初に秋雅が箸を取り、その後二人にも勧めたという流れだ。こういうところが、秋雅がこういう場を嫌う理由の一つでもあるのだろう。

 

「……ああ、そうだ」

 

 いくらか箸を進めたところで、ふと秋雅が口を開いた。彼の言葉に、視線こそ向けるものの三津橋は箸を動かしており、対して五月雨は生真面目にも箸を置き居住まいを正す。こういうところも、秋雅との距離を掴めているかいないかをはかる良い例なのだろう。

 

「昨日、サルバトーレ・ドニから電話があった」

「サルバトーレ卿からですか?」

「ああ」

「して、何と?」

「東京にヴォバン侯爵が向かっているらしい」

 

 一応、教えておくだけ教えておこうということで、何の気なしに放たれた秋雅の言葉に、三津橋は思わず目を見開き、五月雨は勢い良く立ち上がる。

 

「あのヴォバン侯爵が東京に?!」

「落ち着け、五月雨室長」

「……あ、し、失礼しました」

「しかし、穏やかではない話ですね。これを聞くのもなんですが、信憑性は如何ほどでしょうか?」

「高いと見ていいだろう。あいつがそんな嘘をつく理由がない。ああ、訂正しておくが、昨日の夜の時点で向かっている、だから今はもういるかもしれないな」

「あまり嬉しくない訂正ですね。目的などは分かりますか?」

「そこまでは知らん。あの老人が欲するのは闘争そのもの。力を振るい、敵を狩る場だけだ。アテナが草薙護堂によって退散させられた今、このタイミングで東京を訪れる理由など、見当もつかん」

「その、草薙護堂との闘争という可能性は?」

「あのプライドの高い老人が、神殺しとなって一年と経っていない彼に自分から挑むとは考え難い。草薙護堂のほうから挑んだのなら話は別だが、だとしてもわざわざ彼が日本まで来るのも変だ」

「そうですか……」

 

 秋雅の返答に、五月雨はしばし考え込む。そして、

 

「……東京分室に連絡を取ってみます。もし、あちらがこの情報を入手していなければ、念のため関東の各分室にも連絡をします。失礼します」

「私も、少し席を外しますね」

「ああ」

 

 急いで、二人が部屋の外に出る。そのまま電話をかけ始めたのだろう。秋雅の耳には、三津橋の声は聞こえないものの、五月雨の声の方は僅かに聞こえてくる。距離の差、というよりは単に冷静さの違いといったところだろう。あとは、カンピオーネの聴力というのもあるか。

 

 

 時折聞こえてくる彼女の言葉を特に意識せず食事を再開していた秋雅だったが、ふとある想像が彼の脳裏を過ぎる。

 

「…………まさか、とは思うが」

 

 四年前、秋雅とドニが始めてヴォバン侯爵と遭遇したあの一件。その際に見かけたあの、特に強い力を持っていた媛巫女の少女。その姿を、何故か今、秋雅は思い出した。

 

「あの少女が、目的だったりするのか……?」

 

 呟いてみても、それに答える声は、外にも内にもない。どうにも、これでは分からんかと、秋雅は息を吐き出す。

 

「八人目に任せるしかない、か」

 

 元より、自分は部外者のようなもの。だとすれば、今東京にいる同胞に任せるのが道理だと、秋雅はやはりそう結論付けるのだった。

 







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彼の師匠

 

「ハッ――!」

 

 気合の声と共に、硬い音が響く。堅い木――実戦用の木刀同士が打ち合わされることで鳴る、剣戟の音だ。それも一度ではなく、カンカンと何度も何度も、ついには十は超え、なおも増えている。

 

 しかし、

 

「ほら、そこだ」

 

 先程の気合の声とは異なる、平常の、気の抜けた声。その声と同時に、一際大きな快音が鳴った。直後、カランカランと何かが床に落ちる音が空しく響く。

 

「……参りました」

 

 音が落ち着いたとき、道着を着た青年――秋雅が、無手のまま頭を下げた。その手に先程まであり、縦横無尽に振るわれていた木刀は、今は少し離れた床の上に転がっている。

 

「おう、お疲れさん」

 

 そう秋雅に返したのは、一見したところでは、普通の中年といった風の男性であった。彼はトントンと木刀で肩を叩きつつ、覇気のあまり感じられてない顔で秋雅を見る。しかし、今まで秋雅の木刀を捌き、そして一撃でそれを奪ったという事実に相応しく、その目にだけはとても並のものとは思えないほどの力強さがある。

 

「今日のところはここまでにしようか。んじゃ秋雅、着替えたら飯、頼むぞ」

「はいはい、分かりましたよ。功刀(くぬぎ)師匠」

 

 先までの真摯な雰囲気をがらりと崩し、秋雅は肩をすくめながらそう応えた。

 

 

 ここ、功刀道場に秋雅が通い始めたのは今から約六年前、彼がカンピオーネになって間もなくの頃だ。通い始めた理由は単純で、当時の秋雅が強くなりたいと思ったからだ。その際、とある理由から、彼は剣道を学ぶのが良いだろうと考え、それを教えてくれる場所を探していた。

 

 普通であれば、まずは親に話を通すところだが、当時の秋雅にとって、それは地味に厄介な問題であった。それまでそんなものに興味を見せてこなかったことと、自身がカンピオーネとなった件も相まって、親に上手く剣道を学ぶ理由などを説明できなかったからだ。

 

 思案の末、当時の秋雅はいっそ自分の金で道場に通うことにした。当時から既に彼は大金を所持していたので、防具等の購入から月謝に至るまで、金銭面では全くの問題はなかった。

 

 だが、いくら金を持っていようとも、親の同意もなしに中学生に剣を教えてくれる道場は、残念ながら秋雅の周囲には存在していなかった。面倒だが、やはり両親に事情を話すべきだろうか。そんなことを秋雅が考えていた折、偶然にも彼が見つけたのが、この功刀道場であった。そこで秋雅は道場主であった功刀と出会い、細かいことを気にしない性格であった功刀のおかげで、剣を学ぶ事が出来るようになった。まあ、功刀道場が教えているのが剣道ではなく、より実践的な剣術だったのは、秋雅にとっては嬉しい誤算であった。それを教える功刀の腕が非常に良かったことも含めて、である。

 

 それ以来、秋雅は家族にも秘密にして、不定期にこの道場へと通っている。高校生、大学生となっても変わることなく、だ。五月雨たちとの会談を済ませた、数日後の今日もまた、そういうわけでここに来ていた。

 

 

「……それにしても師匠、また生徒を追い出しましたね」

「追い出したとは人聞きの悪い。そいつの根性がなかっただけだ」

「貴方は少し加減というものを覚えるべきだと思いますよ、本当に」

 

 この功刀という男は、確かに剣の腕は立つのだが、些か指導者としては向いていない節があった。その最たる点が、生徒達に課す事前準備の過酷さだ。剣の扱いを教える前に身体作りを行わせるというのが自然なことであるが、しかしその量がひどい。大の大人ですら根を上げてしまうような量を、小学生や中学生にも平然と課すのである。しかも、それをクリアしてもその次に待っているのは、防具なしでの剣の打ち合いだ。実戦――正確には実戦形式だが――に勝る修練はないというのが、功刀の考えであるらしい。

 

 打つのは功刀であるので、下手に傷や痕を残すようなことはないものの、それでも痛いものは痛いに決まっている。試しにと入門した生徒が、一月と経たずに止めてしまうのも当然のことであった。

 

 唯一、そんな彼について来られた秋雅にしたって、彼がカンピオーネだからということが大きい。そうでもなければ、当時中学生であった秋雅がここに通い続けるのは不可能であっただろう。実際、後に功刀は秋雅に対し、

 

『ガキにこなせるようなもんじゃなかったはずなんだけどなあ』

 

 と語ったことがある。その際、思わず秋雅が彼に蹴りを叩き込んでしまったのも――もっとも、易々と避けられたのだが――まあ許される話だろう。

 

 

「秋雅」

「は――いっ!!」

 

 眼前に迫る蹴りを、秋雅は咄嗟に頭を引いて躱す。突然のことだったが、混乱はしない。むしろそのまま、体を後ろに反らした反動で前方に向け拳を突き出す。かなりの速さで放たれた一撃だったはずだが、功刀には難なく避けられてしまう。

 

「終わりと言っていませんでしたか、師匠」

「言ってねえ、お前の気のせいだろ」

「師匠の脳みそが古いせいで、忘れてしまったようですね。俺の若い脳みそには師匠の言葉がしかと刻まれていますよ」

 

 そんな軽口を叩きつつ、秋雅は油断なく構える。口で言うほど、この状況に秋雅は怒りを覚えているわけではない。むしろ、これこそがこの道場における日常であった。

 

 

 実のところ、功刀道場が教えるのは剣術だけではない。何せ、功刀の教えというものが、

 

『剣を振るえ、剣がなければ長物を振るえ、長物がなければ適当なものを使え、何もなくても身体を使え――どんな手を使ってでも、勝利しろ』

 

 という、ある種、カンピオーネが教わるには相応しい教えであったからである。だからこの道場では、その教えに違うことなく、剣以外の武器の使い方や、徒手空拳での戦い方まで一通り教え込まされることになる。もっとも、そこまでいけたのは、この六年では秋雅だけである――あくまで、秋雅が知る範囲の話だが――というのが現実であった。

 

 まあ、そんな無茶苦茶な教えのため、功刀は時に、ためらくことなく不意打ちを放つことがある。それに対処するのもまた、この道場における修練であった。

 

 

「ハッ!」

 

 鋭く声をあげ、秋雅が蹴りを放つ。それを功刀は易々と避け、秋雅の軸足に対してこちらも蹴りを放ってくる。舌打ちをしつつ、それを秋雅は片足で跳んで避ける。無理な体勢からの跳躍ゆえ、秋雅は空中でバランスを崩し、床に倒れこむ。

 

「相変わらずせこいなあ、お前は」

 

 しかし、それを叱るでもなく、功刀は感心したように言った。何故なら、秋雅が倒れこんだのは、先程彼が手放した木刀の傍だったからだ。わざとこけてみせ、得物を取りにいったのである。

 

「師匠に言われたくありません、ね!」

 

 木刀を掴みつつ、秋雅は立ち上がる。秋雅が木刀を正眼に構えれば、功刀もまた肩に預けていた木刀を構える。

 

 

「ふぅ……」

 

 間合いと、飛び込む隙を秋雅は計る。形式上は試合だが、実態は何でもありの実戦とほぼ同じ。秋雅の闘争心の高まりと同時に、彼の身体もそのポテンシャルを引き上げていく。流石に権能こそ使う気はないが、しかしカンピオーネとしての身体能力を十全に使わなければ勝てない相手だと、秋雅は功刀に対してそう思っている。

 

 故に、

 

「行きます!」

 

 力強く踏み込み、そして剣を振るう。風切音と共に、木刀が鋭く功刀に迫る。

 

「自分でタイミングを教える馬鹿が何処にいるかよ!」

 

 秋雅の言葉にそう返し、功刀もまた踏み込む。その踏み込みと剣の速度は、秋雅のそれよりも速い。このままであれば、秋雅の剣よりも早く、功刀のそれが秋雅に当たることになるだろう。

 

「どうかな!!」

 

 しかし、秋雅もそう易い相手でもない。功刀の反応に、秋雅はあえて、振るっていた剣を手放す。それにより、予想されていた軌道を、予想よりも鈍い速度で剣が進むことになる。

 

「っ――!」

 

 それにタイミングを崩された功刀は、予定よりも早くその剣を振るう。その結果生まれるのは、一瞬の空白。予想と現実の狭間に生まれた、ほんの僅かな隙。

 

「せえいっ!!」

 

 その隙を、秋雅は迷いなく狙う。左の掌底を鋭く放ち、真っ直ぐと功刀の腹部へと向かう。続いて秋雅が感じたのは、確かな手ごたえ。秋雅の一撃が、功刀を捕らえたのである。

 

「――やれやれ。負けだ負け」

 

 一瞬の静寂の後、功刀は木刀を再び肩に預けながら下がる。確かに秋雅の一撃が入ったというのに、その足どりや態度に一切の乱れはない。決定打を入れられなかったと、そう判断しつつ、秋雅はややかがめていた背を伸ばす

 

「よく言いますよ。結構いい一撃だったはずなのに、何でそう耐えられますかね」

「じゃあお前、今のと同じのを喰らったら、お前ならどうよ」

「……まあ、耐えられますね」

「なら、俺が耐えられねえ理由はねえな」

 

 無茶苦茶だなと、秋雅は功刀の言葉に苦笑する。カンピオーネとして強化された肉体と、そうではない人間の肉体を同列で語るのだから、他の者が聞けば苦笑どころではすまないだろう。しかし、不思議と秋雅にはその言葉が納得できた。勿論、功刀が秋雅と同じカンピオーネというわけじゃない。ただ、彼なら納得できると理屈抜きに思っただけだ。

 

 

「まあ、今日のところはマジで終わりな。飯にすっぞ」

「一応聞いてあげますが、リクエストはありますか?」

「あ? あー…………あれだ、中華が食いてえ」

「中華ですか。麻婆豆腐とか?」

「俺、エビチリのほうがいいな。あとはそうだな、炒飯とか」

「それは流石に、材料がないでしょう。また俺に材料を買ってこさせる気ですか?」

「お前、金持ってんだからいいんじゃねえか。俺なんか貧乏道場主だぞ」

「さいで。まあ、いつものことと言えばいつものことですが……」

 

 功刀の言葉に、秋雅は呆れたように半目で師匠を見る。しかし、それに対し功刀は何処吹く風と言わんばかりに口笛を吹いている。

 

 実際のところ、功刀が本当に貧乏なのか秋雅はよく知らない。稽古料として秋雅は、何も聞かずに稽古をつけてくれた礼も兼ねて、相場の数倍どころか、十数倍程度の金額を支払っているが、それだけで道場の維持や普段の生活が出来るとも思えない。だが、他に何か副業をやっているのかと言われると微妙に引っかかるところもある。こんな男が果たして、真っ当な職業についていられるのか。かなり失礼だが、それが秋雅の素直な感想だった。

 

 そもそも、この功刀という男は極めて謎が多い。特に、その実力が一番の謎だ。これまで六年間、秋雅は彼と幾度となく試合を重ねてきたが、その度に思う事がある。それは、差が変わらない、というものであった。追いつけないでも、引き離されるでもなく、変わらない、だ。どれだけ秋雅が実力を上げようとも、功刀も同じだけ力量が上がっているのだ。それは彼も成長しているということでは勿論なく、未だにその実力の全貌を露にしていないということである。現状、三回に一回程度の割合で秋雅は彼に勝っているが、それもあちらが本気を出していないからだ。もし本気を出せば、それこそ魔術や権能を使わない限り自分は勝てない。そう、秋雅は彼の実力を判断していた。

 

 まあ、結局のところ、重要なのは自分を高められる場だと、秋雅はそう思っている。だから、その気になれば正史編纂委員会なりを使って師匠の素性を調べることも可能だろうに、まったくそのようなことをしない。まったく、その気が起きないのだ。

 

 だから、まあ疑っても仕方がないと、秋雅は功刀の言葉を一応は信じ、時折自腹で昼食を作っているのであった。

 

 

「スパイスはどうするかな。どうせ買ってきたところでこの師匠が使うとは思えないし」

「塩胡椒だけで十分だろ」

「自分が俺に作れといった料理を思い出してくださいよ」

 

 などと言いながら、今度は本当に二人とも着替えに動く。面倒ということで、秋雅も功刀も、同じ部屋を着替え部屋としているため、会話はそのまま継続だ。

 

 

「しっかし、秋雅。最近はあんまり来てねえが、大学生活って奴はそんなに忙しいのか?」

「でもないですけど、他でやることがありましてね。最近はそっちが立て込んでいたんですよ」

「ほーん、バイトかなんかか?」

「まあ、そんなもんです」

「お前がバイトねえ……」

 

 金を持っているくせに、と功刀が秋雅に問うたりはしてこない。打ち込みして分かっているくだろうに、常人離れした秋雅の頑丈さについても功刀は聞いて来ない。何かある、と分かっているからこそだろう。そんな師匠に、秋雅も口にこそは出さないものの、何かと感謝していたりもする。

 

 

「……ああ、そうだ」

 

 会話が若干そちら関係に跳んだせいか、ふと秋雅の脳裏に考えが浮かんだ。

 

「師匠、師匠って結構強いですよね」

「うん? まあ、強いわな」

「剣術だけに限定したとして、自分はどれ位強いと思っています?」

「……いや、知らねえが。それがどうしたんだ?」

「俺の知り合いに、最強と評されている剣士がいるんですよ。西洋剣ですがね」

 

 言うまでもなく、それはあの、サルバトーレ・ドニのことである。

 

「最強ねえ……で、そいつがどうしたんだ?」

「前々から、俺と決闘したいなんて言っていましてね、そいつは。俺は嫌だと言っているんですが、下手をすればこの国に来かねない奴でして」

「ああ、外人さんなのか……何が言いたいのか、分かった気がするわ」

「もしこっちに来たら、師匠にその馬鹿をぶつけますんで、よろしく」

 

 そう、秋雅はなかなかに良い笑顔で言ってのける。ふとした思いつきだったが、割と本気だった。

 

「……ああ、うん。機会があればな……」

 

 秋雅の笑顔に何を思ったのか、珍しく肩を落とす功刀に、秋雅はさらに笑みを深めて見せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、食事を済ませた後の、道場からの帰り道のことであった。

 

「……これは」

 

 機嫌よく道を歩く中、突如として、弾かれたように秋雅は空を見る。梅雨の時期らしい曇り空を見る秋雅の目は、極めて鋭い。

 

 梅雨空の向こう、その先の先から、強力な呪力が感じられる。何か、とぼかすまでもない。『あれ』が降り立ったのだという、その確信が秋雅の中に生まれていた。

 

 秋雅が天をにらむ中、懐の携帯が鳴る。それに対し、秋雅は画面を見ることもなく、王としての状態で電話に出る。

 

「私だ」

『――三津橋です!』

 

 電話越しに、三津橋の声が叩きつけられる。いつもの飄々としたものとは異なり、その声には焦りの色が強く感じられる。

 

『秋雅さん、非常事態が発生しました。たった今、この地に『まつろわぬ神』が顕現しました』

 

 ああ、と秋雅が頷く。ビシビシと、決して隠す気のない神の気配が、秋雅を挑発するように、空の向こうから発せられている。

 

『秋雅さん、正史編纂委員会より正式に依頼をします。報酬はいつも通り、内容は神の討伐――引き受けてくださいますか?』

「無論だ、それが私の役目なのだから。で、その場所は?」

『福岡県太宰府市――太宰府天満宮です』

「大宰府……分かった、急行する」

『お願いします。私も、今すぐ現地に向かいますので』

「ああ、ではな」

 

 電話を切り、秋雅は空を睨みながら呟く。

 

「大宰府か。誰が相手か、まあ分かるのは助かるが……」

 

 そんな言葉をこぼした、次の瞬間。まるで最初から何もいなかったかのように、秋雅の姿は完全に、その場から消え去るのであった。

 







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天神、顕現






「…………ほう」

 

 ふと、『彼』は目覚めた。何がきっかけというわけでもない。ただ、目覚めた。それだけであった。

 

「うわっ?!」

 

 『彼』が最初に聞いた声は、男の驚いた声だった。そちらへと目を向ければ、そこには何とも珍妙な格好をした男がいる。

 

「……否」

 

 違うな、とすぐに自身の考えを否定する。これが、今のこの世の格好なのだろうと。しかし、どうでもいいことだ。

 

「お、おい。アンタ、一体何処から出てきたんだ? てか、何だその格好? 平安時代か何かかよ」

 

 ポンと、『彼』は誰かしらに肩を叩かれた。その馴れ馴れしさに、『彼』は不愉快そうに眉をひそめる。

 

「無礼な」

 

 呟きと共に、その身体から火花が舞う。

 

「ぎゃっ!?」

 

 同時、『彼』の肩を叩いていた男が悲鳴を上げて倒れた。何事か、と視線を送る周囲の人々など気にも留めず、彼はただ天空を見上げる。

 

 

 ゴロゴロと、頭上より音が聞こえ始める。先程まではまだ、曇り空と言うべきだった空が、瞬く間に雷雲へと変わっていく。

 

「――さあ、始めようぞ」

 

 『彼』はその身に宿っている力を、否、本能を解放する。『彼』がまつろわぬ神たる、その力を。

 

「さあ、参ろうぞ!」

 

 雷鳴と共に、まつろわぬ神は――天神、『菅原道真』は大きく叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やっとついたか!」

 

 大宰府の一角。そこに突如として、稲穂秋雅の姿が現れた。そこではまるで、天を枯らし、地を沈ませるのではないかと錯覚するほどの豪雨が降り注いでいた。いかに梅雨とはいえ、異常といっていい雨量に、秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

 雷音が辺り一帯に響く。その数たるや、一や二ではきかない。十、二十の雷が天より落ちていく。地を焦がし、人の造形物を破壊せんとする光だ。

 

 辺りに人の姿はない。異変に気づき、その全てが自主的、あるいは他者に引きずられる形で避難をしたためだろう。

 

 

「やってくれているな」

 

 その身を思い切り濡らす雨をものともせず、彼はキッと天を睨む。確かに、頭上の雷雲はまつろわぬ神の呪力を漲らせているということが、秋雅には分かった。

 

「あの中か? ……いや、違うか」

 

 あの雲の中ではない。あそこには、まつろわぬ神(彼の敵)はいない。では、何処にいるのか? 辺りを見渡し、そして気がついた。

 

「そこか――」

 

 再び、秋雅の姿が消える。彼が先程まで見ていた場所は太宰府天満宮、その奥であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まつろわぬ神、だな?」

「貴様は……神殺し、か」

 

 

 太宰府天満宮、その本殿の前で、ついに二人は対峙した。一人は、カンピオーネ、稲穂秋雅。一人は、まつろわぬ神、菅原道真。二人は、しばしの間、己が宿敵を睨む。

 

 先に口を開いたのは、秋雅であった。

 

「菅原道真――で間違いないか?」

「然り」

 

 やはり、と秋雅は口には出さずに呟く。予想通りではあったが、まさか本当にそうなるとは、という思いだ。

 

 今でこそ菅原道真、天神様は学問の神として親しみをもたれているが、しかし本来は祟り神だ。それが後の時代になり、怨霊として恐れられることよりも、今のように学問の神として信仰されるようになったのである。

 

 道真の祟りとしてもっとも有名なのが、清涼殿落雷事件だ。当時の都である平安京、その内裏にあった清涼殿と呼ばれる建物に雷が落ち、多くの人が亡くなったという事件なのだが、この事件をきっかけとして道真は雷神と結び付けられたのである。

 

「また雷神か、まったく……」

 

 目の前に立つ神の情報をざっと振り返りながら、秋雅は小さく呟く。またか、という思いだ。何故こうも自分は、雷神というものに縁があるのだろうかと思わずにはいられない。まあ、愚痴ったところでその原因が分かるわけでもないし、そもそも分かったところで目の前に神様がいるということに変わりはないのだが。

 

「私だけが名乗ると言うのも不快だ。貴様の名は何だ、神殺し」

「稲穂秋雅だ。覚えたければ勝手に覚えるといい」

「それは、貴様次第であろうな」

「――ちっ」

 

 突如、光が爆発し、轟音が生じる。ついと道真が降らせた雷を、秋雅が逆向きに生じさせた雷で迎撃した結果だ。所詮は軽いお試しといったところなのだろうが、それでも軽々と相殺した為だろう。意外そうに道真が片眉を上げるのが秋雅には見えた。

 

「ほう、貴様も雷を操るか」

「どうにも、お前のような雷神とばかり縁があってな」

「左様であるか」

 

 言いつつ、再び道真が雷を降らせる。今度は一つではなく複数であったが、その全てを秋雅は迎撃してみせる。

 

「やるではないか、神殺し」

「ふん、言ってくれる」

 

 道真の言葉に鼻を鳴らした秋雅の右手に、突如真っ黒なザクロの実が出現する。そのザクロの実に感じ取るものがあったのか、道真は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「む? 何をするつもりだ」

「これ以上お前に好き勝手をされると被害は大きくなるばかりなんでな、場所を変えさせてもらうぞ」

 

 ぎゅっと、右手を握り締めて言う。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 次の瞬間、その場から忽然と、秋雅と道真の姿が消えさる。残ったのは、天にて未だ唸りをあげる雷雲のみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 道真が不思議そうな表情で辺りを見渡す。地形や景色、天候こそは先程と同じであるというのに、しかしその色は不気味なほど赤黒い。明らかに、先程までいた空間ではないという事がすぐに分かる。どういうことかと考える素振りの後、道真は得心がいった様に頷いた。

 

「成る程、ここは黄泉の地であるのか。神殺し、貴様は冥府に属する神を殺し、そしてその権能を簒奪したのだな」

「……そうだ」

 

 己の権能を言い当てられたことに、秋雅は僅かだが驚く。流石は学問の神かと、どうでもいい納得をする。しかし、そう暢気にしている場合でもないと、秋雅はその右手に己の代名詞たる雷鎚を呼び出し、構える。

 

「さあ、勝負といこうか、『天神』道真!」

「来い、神殺し!」

 

 バチバチと、二人の身体に火花が生まれる。それぞれが持つ雷の力が、その闘志の高ぶりによって活性化しているためだ。降り注ぐ雨の中、二人はしばしの間睨みあう。

 

 

「喰らって貰う!」

 

 先手を取ったのは秋雅だ。その手から放たれた雷が、真っ直ぐに道真へと向かっていく。しかし、その雷に対し、道真は回避の姿勢を見せない。一瞬の後、その雷は道真に直撃した――かに思われた。

 

 

「効かんよ、神殺し」

 

 しかし、光が晴れたその先にあったのは、道真の不敵な笑みだ。彼が吐いた言葉の通り、まるで今の一撃などなかったかのように、道真にはまったく堪えた様子がない。

 

 何故だ、と一瞬の驚愕が秋雅に走る。だが、すぐさまに、半ば直感的に秋雅は理解した。

 

「雷を吸収したのか!?」

 

 しかも、おそらくそれはダメージを与えられなかっただけではない。雷に込められていた力――呪力をも取り込み、道真の力となってしまったのだ。

 

 かつて天神――雷神は各地で信仰されていた。しかし道真が天神と呼ばれだしたことで、次第に各地の天神は道真と同一視されるようになった。それはつまり、道真が各地の雷神を自身に取り込んだということと、同義としてとらえることができるだろう。そうであるならば、他の雷神の力を吸収するということも出来て不思議ではない。自前の知識からの推論に、秋雅のこめかみを冷や汗が伝う。

 

「マズイな、これは……」

 

 元々、秋雅の権能は日本の神から簒奪した物ではない。だが、それでもなお取り込まれたということは、それだけ目の前の神の力が強いということだ。それを考えれば、多少出力を上げた程度で対応できるか怪しい。秋雅の遠距離攻撃手段が雷一つである以上、近距離攻撃以外は封じられたと思っておく方がいいだろう。もしかしたら彼の切札(・・)なら通用するかもしれないが、しかしそれは最後の手段。最初からこれを当てにするというわけにはいかない。

 

 おそらくは物理攻撃は通用するであろうから、何とかしてこの雷鎚を当てるしかない。あるいは……

 

「では、こちらの番だ!」

 

 秋雅が次の手を考えている中で、今度は道真が雷を秋雅へと放つ。先程の鏡写しのように、真っ直ぐと秋雅へと雷が突き進んで行く。しかし、それが命中する直前に、秋雅の姿はその場から消え去った。

 

「むっ!?」

 

 何処に行った、と道真は警戒し、すぐさまその場から跳び退る。

 

「――外したか!」

 

 道真が先程までいた場所の右横、そこに現れた秋雅が何もない空間を雷鎚で殴り抜く。もし道真がその場を離れていなければ、その一撃を受けていただろう。

 

「中々良い権能を持っているではないか、神殺し! その力、おそらくは北の地の、善と悪をうつろう神より簒奪した力だな! 転移ではなく、場の交換とは、中々に面白い!」

「っ!? これだけで見抜いただと!?」

 

 自身の権能、その能力を初見で見抜かれたことに、秋雅は今度こそ驚愕の表情を浮かべる。これまでこの権能、北欧神話の神であるロキより簒奪した、二つの物体の場所を入れ替える権能、『我は留まらず(ダンス・イン・マイ・ハンド)』を見破ったものなどそうはいない。それを初見で見破られたということに、秋雅は驚きを隠す事が出来ない。

 

「……だが、それだけだ!」

 

 しかし、秋雅はすぐに思考を切り替える。見破られたところで、大して問題はないと割り切ったのだ。実際、転移の正体を見破られたところで、彼の動きが制限されるというわけではないのだ。

 

 再び、秋雅の姿が消える。その事を確認した道真は、再び後方へと大きく跳んだ。その一瞬後、またもや秋雅の姿が現れるが、再び彼の攻撃は空振りに終わる。そんな秋雅に対し、道真は言う。

 

「その権能、おそらくは視界に入っていなければ使えないのであろう! 使えるのであらば、単に私の後ろを取ればいいだけだからな!」

「ちっ、本当に慧眼だな!」

 

 秋雅の権能、『我は留まらず』には二種類の使用法があるのだが、そのうちの一つは道真の推測通り、秋雅の視界内にあるもの同士、もしくは自身の場所を交換するというものだ。この際、視界内に入ってさえいればいいので、直接は目に見えていない塵や埃などとも場所を交換する事が出来る。視界さえ確保出来ればいいというその使い勝手の良さから、秋雅の戦闘において決して欠かせない能力だ。

 

 もう一つの方法が、彼が認識した物体同士を交換するというものだ。この場合は視界内に入っているかどうかは関係なく、秋雅がそれを認識さえしていれば、例え彼我の距離が何十キロと離れていようとも関係なく交換できる。しかし、こちらの方を戦闘中に用いるのは少々難しいところがあるので、秋雅はこれをもっぱら非戦時の長距離移動用として――向こう側に彼が知っている物体がないと使えないので、基本的には特定の場所への移動のみとなる――使用している。

 

 このどちらにも共通しているのが、交換する対象同士の差異が大きければ大きいほど呪力の消耗が大きくなるという点だ。例えば、秋雅自身と何かの交換する場合、彼と同じ体格の人間、あるいはマネキンなどとであれば消耗は少なくてすむが、小さい子供のような大きさ、重量に差があるものだと消耗は大きくなる。戦闘中、彼は基本的に空気中の塵などと自身を交換しているが、実のところこれはかなり消耗が大きい。そのため、彼は基本的に短期決戦を主として戦う事が多いのだが、

 

「やはり、きついか……!」

 

 顔をしかめ、思わず秋雅が吐き捨てる。ここに来るまでに交換を繰り返したのが、思いのほか秋雅の呪力を消耗していた。『我は留まらず』は距離による呪力消費量の増加はそう多くないが、視界に移る所までしか跳べないという都合上、長距離をそれだけで移動するにはどうしても回数が増してしまう。途中から降り始めた豪雨に視界が著しく阻害されたことも、それに拍車をかけた。結果として、秋雅は既に多量の呪力を消費してしまっていたのんだ。

 

 その上、道真の雷の迎撃と、この空間に移動したことで――まあ、こちらはそれほど多く呪力を消費するわけは無いのだが――現在の秋雅の呪力の残量はそう多くない。流石に、すぐ様に何もできなくなるというほどではないが、余裕をもって戦えるほどの余力はないだろう。もはやこうなると、遠距離攻撃をすっぱりと諦められるというのはある意味では良い事かとすら思えてくる。

 

「どうした? 随分と疲れているようだが、まさかもう終わりかね?」

「舐めるな。この程度で、王が諦めるものかよ」

 

 言って、秋雅はその手の雷鎚を横に落とす。

 

「む?」

 

 何を、と怪訝な表情を浮かべる道真の前で、秋雅は召喚の魔術を用いて、己が手の中に『それ』を出現させた。

 

「やはり、これを使うのが一番か」

「それは……」

 

 秋雅が手にするのは、一振りの日本刀だ。鞘に収められたままのそれをゆるりと腰に差し、そして抜き放つ。

 

「ここからが本番だ」

「得物を変えたところで、どうなるというのか!」

 

 日本刀を正眼に構えた秋雅に対し、嘲笑すら浮かべながら道真は雷を放つ。数は四、そして空の雷雲からさらに四。計八の雷が、螺旋を描くように秋雅へと向かう。

 

「言おう――この刃に、切れぬ雷はない!」

 

 叫びと共に、秋雅はその刀を振るった。雷が刀身に当たることすらない、タイミングが合わぬように見える一刀。ただの愚行にも見えるその行動の結果は、果たしてすぐさまに見受けられることとなった。

 

「何だと!?」

 

 その結果に、道真の顔が驚愕の色に染まる。彼の放った八つの雷。その全てが、まるで解けるように霧散していた。そこには雷に焼かれるはずであった神殺しの姿はなく、再びその刀を構える秋雅の姿があるだけだ。

 

「その刀、もしや神刀の類か!」

 

 道真の叫びに対し、秋雅はニヤリと笑い返して言う。

 

「そう。これこそが、かつて雷の中にあった雷神を切ったとされる一振り。それにより、主から新たな名を賜った伝説の刀――」

 

 その名を、

 

「これぞ名刀、千鳥。そしてまたの名を――雷切!!」

 

 

 雷切を構え、秋雅は不敵に笑う。そして、再び宣言する。

 

 

「この刀に、切れぬ雷はない!!」

 

 

 そう叫び、秋雅は地を蹴った。

 








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『雷神』対『雷切』

「うぬっ!」

 

 迫り来る秋雅に、道真が唸る。彼の持つ刀、『雷切』の存在に気圧されているのだろう。雷に対し、絶対の力を持っている神剣。雷神として存在するものであれば、本能的に恐れずにはいられないだろう。

 

「――しかし!!」

 

 だが、その恐れを振り払うように、道真は雷を手繰る。いかに天敵の存在があろうとも、まつろわぬ神がそう易々と恐怖するものではないということか。気迫が衰えることもなく、彼は手にした破壊の光をただ秋雅にのみ収束させる。

 

 

「効くか、よっ!!」

 

 その迫る雷に対し、秋雅はその手の雷切を大きく振るう。その一閃は、やはり道真の雷を元から存在していなかったかのように解き、消失させる。

 

「ハアッ!!」

 

 気合と共に、地を強く蹴る。自身の魔術により強化された秋雅の肉体は、大地にひび割れすら作るほどの踏み込みで、道真へと一直線に迫る。『我は留まらず』を用いないのは加速により斬撃の威力を上げ、出来れば一撃で片をつけるためだ。

 

 真っ直ぐな、極めて単調な一撃だが、しかしこれを当てることは可能だ、と秋雅は判断していた。相対する藤原道真は元々文官――少なくとも武官ではない。まつろわぬ神というものは基本的に、己が伝承や来歴にその能力が決定される。戦場の英雄などであれば当然、その身体能力も高いものとなるだろうが、目の前の神は違う。これまでの、ともすれば単調とも言っていい攻撃から察するに、近接戦闘が出来るタイプではないだろう。既に二回見せた回避のための跳躍も、実のところそれほど距離を稼いではいたわけではない。

 

 これまでの戦闘から、たとえ回避されたとしても、そのまま追い縋ることは可能。そんな秋雅の判断を裏付けるように、秋雅の突進に対し道真の動きは鈍い。取った、と確信した秋雅だったが、

 

 

「ぬうん!!」

 

 道真の周囲に、バチバチと火花が散る。それは先程、秋雅も行ったことではあるが、しかし今回は違う物に秋雅には見えた。

 

 

「神速を使う気か!?」

 

 単なる直感だが、秋雅には道真が神速を使おうとしているように見えた。何処となく、彼の同胞である『黒王子』アレクサンドル・ガスコインが用いる、稲妻そのものへと変貌することによる神速。それと同じ物のように思えたのである。

 

「だが!」

 

 それを行うつもりなら、全くもって無謀としか言いようがない。今秋雅が握る『雷切』は、如何なる雷であろうとも切る。それは以前、秋雅がアレクサンドル・ガスコインと対峙した際に確認済みだ。その身を雷へと変じたその瞬間に秋雅がこれを振るえば、道真は回避に失敗し、その上体勢を崩した状態で雷切の一閃を受けることになる。故に、秋雅は叫ぶ。

 

 

「終わりだ、道真!」

 

 

 しかし、

 

「舐めるな、神殺し!!」

 

 道真の身体を、雷光が包む。雷への変化ではなく、雷を纏っているという風だ。何だ、と秋雅は疑問に思いつつ、しかしもはや目前となった道真の身体に対し、『雷切』を振るう。たとえこれを跳躍で回避されたとしても、道真が着地するより先にその落下ポイントに辿り着き、攻撃を置く(・・)ことができる。そう、秋雅は判断していた。

 

「――っ、馬鹿な!?」

 

 だが刃が切り裂いたのは、何もない空間であった。それはつまり、道真に攻撃を回避されたということ。いや、それはいいのだ。元より回避される事を織り込み済みなのだから、そこはどうでもいい。問題なのは、秋雅が驚いたのは、そこではない。

 

「その飛距離は!?」

 

 道真の回避は、秋雅の想像を超えていた。優に秋雅の予想の二倍の距離の大跳躍で、道真は後方へと大きく退避していた。一瞬前まで道真が立っていた地面は大きく抉れており、秋雅の踏み込みよりも強い力が加わったのだと推測できる。明らかに、道真の身体能力が大きく上がっていると判断せざるを得ない。

 

「随分と驚いているようだな、神殺しよ」

 

 道真の言葉に、秋雅は思わず唸り声を上げる。身体能力の増加が、今も道真が纏っている雷光による物だとは分かっているが、しかしそうなると何故『雷切』で斬ることが出来なかったのかが分からない。雷と同化することによる神速にせよ、纏った雷を動かして移動したにせよ、それが『雷』という属性である以上『雷切』に斬れぬはずはないのだ。

 

 

 試しに、その場で軽く『雷切』を振るってみるが、やはり道真が纏う雷光に変化はない。

 

 となれば、だ。

 

「つまり、あれは雷じゃない。雷を用いない移動だということだ」

 

 現状から判断すると、そういうことになる。であれば、一体どのようにしたのか。最終的な現象としてはおそらくは身体強化の類でいいはず、であればどうやってそこまで辿り着けるのか。それを考える為に、警戒を緩めぬまま、秋雅は菅原道真、そして天神様についての知識を思い出していく。

 

「確か……道真と同一視されるようになった火雷神は、農耕神としての一面も持っていたな」

 

 雷の事を『稲妻』と呼ぶ理由は、稲穂が実る時期によく雷が発生した事が理由だ。雷が稲に実をつけさせる、という考えから生まれた呼び名である。そうでなくとも、雷とは雨と共にあるものだ。雨が農作物を育むことからも、雷神が農耕神として信仰されるのは分かりやすい理屈だ。

 

「農耕とはつまり、食べ物を作るということだ。食べ物は人を生かし、成長させる……成長?」

 

 かちり、と頭の中で音がした気がした。そのままの勢いで、秋雅は思い浮かんだ考えを口に出す。

 

「成長とは、人をより強くするともとれる。子供が大人になることは、つまり肉体が強化されていくということ。食物がそれを成すというのなら、その食物を生み出す農耕もまた、それに繋がると言えるだろう――成る程、そういうことか」

 

 ようやく、納得のいった表情で秋雅は言う。

 

「雷神にして農耕神としての象徴である雷、それを用いた身体強化ということか」

 

 その手の創作物などで、電気を用いて人間の身体能力を上げるという話はそれなりにある。それの魔術版、神様版というべきものを道真は使ったのであろう。では、もう一つの疑問の答えは何なのか。

 

「おそらくは、身体の内側に対し作用しているということか。纏っている雷光は力が漏れているようなもので、実態は身体の中で力が働いているのか。いかに元の力が雷に起因する物でも、身体の内側にあるそれを雷とは言わんな」

 

 あくまで、それは単なる電気なんだなと、秋雅は最終的にそう判断する。その秋雅の推測に対し、道真は僅かに満足そうに頷いてみせる。

 

「その通りだ、神殺し。よくぞ見破った」

「学問の神様にそう言われるとは、何とも不思議な気分だな」

 

 まあ、もう信仰としての神など信じちゃいないが。秋雅は苦笑するように呟いて、しかしすぐに表情を引き締め、構える。

 

「お前の移動のタネは分かった――今度こそ、決めてやる」

「それはこちらも同じことよ――果てよ、神殺し!!」

 

 その言葉と共に、道真が加速する。先手必勝、と言わんばかりの直線と速度。雷による攻撃が効かないと知り、本来の戦い方ではない接近戦を挑んでくるつもりのようだ。不利な選択であるようだが、しかし不倶戴天の敵(カンピオーネ)に背を向けるなどということを、藤原道真(まつろわぬ神)が選ぶ方が不自然。故の選択だ、と秋雅は理解する。

 

「だが!」

 

 秋雅もまた地を蹴る。身体の右側を前に出して傾け、『雷切』をその後ろに隠すようにして構え、駆ける。対する道真は右手を前に突き出し、その抜き手を秋雅に向けている。攻撃するなら一度引いて打ち出せとか、そもそも抜き手など突き指をするぞとか、相手が普通の人間であればそのような事を思ったかもしれない。しかし、それを放つ相手が相手だ。今回の場合、その強化された抜き手であれば、いかにカンピオーネである秋雅の肉体といえど、十分に貫通することは可能であろう。

 

 だから、それを避けた上で一撃を見舞う。その思いで、秋雅は更に地を蹴り、身体の加速を重ねる。そしてそれに対抗するように、道真もまた一歩を重ねる。

 

 

 次の一歩、互いのそれを足した計二歩で、攻撃の間合いとなる。だから秋雅は、その一歩をやや右に向けて踏み込む。それと同時、構えていた『雷切』を振り出し始める。これで、道真の抜き手を避けつつ、『雷切』の横一文字を食らわせてやる事が出来るはずだ。

 

「――ッ!?」

 

 しかし、その秋雅の思惑はあっけなく崩れた。何と、道真はその右手を、今まさに振り始めようとする『雷切』の、その刃に向かって突き出したのだ。

 

 マズイ、と秋雅は咄嗟に思ったものの、しかしもう止めることは出来ない。そのまま、元の思惑とずれた状況のまま動くしかない。

 

 『雷切』の刃に、道真の抜き手が突き刺さる。無論両者が拮抗することなどなく、その刃は道真の手を切り裂いていくものの、しかしその勢いは明らかに弱まってしまった。

 

 いくら切れ味が鋭かろうと、速度が完全に乗り切っていない刃では、その真価を完全に発揮することは出来ない。どんな武器にせよ、振り始めや振り終わりでは、その威力は大きく落ちてしまう。

 

 今回もまたそうであったようで、『雷切』の刃は道真の腕を、精々が肘の辺りまで切り進めたところで止まってしまう。いかに雷神殺しの武器とはいえ、当たれば終わりという性質を持っているわけでもない以上、致命傷とは程遠い結果にしかならない。

 

 『雷切』が途中で止まってしまった事で、秋雅に明らかな隙が生まれた。勿論、それは腕を切られた道真も同じなのだが、この状態となることは想定外であった秋雅と、全て想定済みであった道真では、次の行動へと移るタイムラグは異なる。

 

「取ったぞ!」

「――舐めるなあ!!」

 

 秋雅に対し、道真が左手を突き出す。狙いは秋雅の心臓辺り、そこを貫く算段なのであろう。対し、秋雅は動きを止められた両の手ではなく、下半身での対応を選んだ。右足を軸に身体を捻り、左足を道真の身体に向かって放つ。

 

 

 一瞬の選択、それを後押ししたのは、やはり両者の近接戦闘での経験値の差であったのだろう。

 

「ぐぅっ!」

「ちいっ!」

 

 道真の抜き手は秋雅の脇腹を掠めるようにしてすり抜け、秋雅の左足は道真の腹部を強烈に捕らえた。秋雅のこれまでの鍛錬の結果が、何とか回避と攻撃を両立させた形だ。

 

 道真の身体が後方へと吹き飛ぶ。同時、その手に刺さっていた『雷切』が抜け、切り裂かれた箇所から血が噴出す。その痛みであろうか、道真は何とか体勢こそは建て直したものの、大きく顔をしかめて吐き捨てる。

 

「成る程、やはり貴様は武術の心得があったか! いかに身体を強化しようとも、私ではどうともならんとはな!」

「……いや、今のは効いた。まったく、不甲斐ないものだ」

 

 油断とはまた違うが、相手は武人――武神ではないと、何処か侮っていたのは事実だ。まさかあちらが、捨て身でこちらの武器を封じ、そして勝利を手にするというような策を取ってくるとは想像もしていなかった。しかし、相手が英雄神などであれば、おそらくはそれも想定することが出来たはず。やはり、激突前の秋雅は慢心していたとしか言いようがない。

 

「だが、もはや勝敗は決した」

 

 道真の右手は失われ、攻撃手段は大きく制限されている。対し秋雅は、呪力こそ危ないものの、身体はまだまだ動くし、何よりその手には『雷切』がある。ここから道真の勝利する道など、ほぼないと言っていいだろう。

 

「口惜しい。まさか出会った神殺しが、雷神殺しであったとはな」

 

 その事を自分でも理解しているのだろう、道真もまた無念そうに呟く。結局のところ、カンピオーネとまつろわぬ神との戦いにおいても、相性というものが非常に重要だ。秋雅にとっては幸運なことに、そして道真にとっては不幸なことに、菅原道真という神に対し、稲穂秋雅という神殺しは最悪の相手であったのだろう。

 

「しかし――」

 

 だが、だからといって。それで諦めてくれるほど、まつろわぬ神は潔くない。神殺しを相手に自ら頭を垂れるなど、そんな相手であろうはずがない。

 

「勝負だ、神殺し――否、稲穂秋雅!!」

 

 目の前の敵を、どこまででも討ち滅ぼす。その叫びには、そんな意思が込められているのが感じられる。

 

 

「――いいだろう、菅原道真」

 

 それが分かっているからこそ、秋雅もまた構える。元より、まつろわぬ神に自ら敗北を認めさせる気などない。最後の最後まで、カンピオーネとして、

 

「稲穂秋雅が、お前を倒す!!」

 

 真っ向から、全力で打ち倒すのみ。

 

 

 

 

 

 

 再び、二人の呪力が高まっていく。最後の一瞬の為、その闘志を限界まで練り上げる。じりじりと、互いに踏み込む体勢を整えていく。

 

 

 そして、

 

『――っ!!』

 

 ほぼ同時に、二人は地を蹴った。秋雅は『雷切』を、道真は残った左手を武器として相手に迫る。

 

「受けよ!」

 

 道真が、秋雅に向けて雷を放つ。直撃コース、避けなければ当たるが、避ければ隙を見せることになり、かといって『雷切』を振るえば、それもまた隙を作ることになる。ことここに来て、道真は効かぬはずの雷を攻撃として成してみせたのだ。

 

「だが!!」

 

 秋雅の姿が消える。転移だと、すぐさま道真は判断し、加速した身体を強引に後方へと跳ばす。

 

「っ!?」

 

 しかし、一瞬が過ぎたというのに、秋雅の姿は道真と同じ平面上に出現しない。その意味をすぐ様に理解したのだろう。道真は勢いよく視線を、自身の上空に向ける。

 

「――そこか!!」

 

 上空、道真を見下ろすようにして、秋雅の姿はそこにあった。自身に向けられる道真の視線に、秋雅は不敵な笑みを浮かべ、道真が雷を放つよりも速く、再びその姿を消す。転移先は、道真のすぐ背後。戦闘時、直接視界外に移動することは難しい『我は留まらず』であるが、三次元的に用いることで、相手の死角を取ることも可能になる。

 

 またもや、それをすぐさまに理解しのだろう。秋雅がその背を取るよりも早く、道真はその身体を前方へと跳ばし、着地と同時に振り返る。

 

「稲穂秋雅!!」

 

 何の思いによるものか。追い、走り来る秋雅に対し、道真が叫んだ。その手には雷が束ねられていくのが見える。先程と全く同じ手だが、しかし今の道真に打てる手などもう他にないのだろう。どうにかして隙を作ろう、そういう気配が道真から感じられた。

 

 だが、

 

「――させるか!」

 

 その瞬間、道真の背が大きくのけぞった。身体は大きく反り、その手の中にあった雷は散じていく。それは秋雅にとって、決定的な隙であった。

 

「ハアアァッ――!!」

 

 秋雅の振るった『雷切』が、道真の身体を袈裟切りにする。一拍の静寂の後、ばたりと道真の身体が地に倒れる。

 

 

 

 カンピオーネ、稲穂秋雅が勝利を得た瞬間だった。

 








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雷神は、満足したように果てた







「……私の、負け、か」

 

 地に倒れたまま、道真が呟く。ばっさりと袈裟斬りにされ、深く刻まれたその傷から、血の類が見えるそぶりはない。だが、まるでその代わりだとでもいうように、傷や身体の端から、風化した草木のようにぼろぼろと崩れ始めている。決して生き物らしくない、遺骸すらも残さぬ死。それが、まつろわぬ神の最期だ。

 

「教えてくれないか、稲穂秋雅」

 

 不思議と穏やかな口調で、道真は秋雅のほうを見ながら言う。その事に、道真の近くに立っていた秋雅は片眉を上げるものの、すぐに頷く。

 

「何だ、道真」

「どうやって、私を攻撃したのだ?」

 

 言葉足らずのようでもあるが、何の事を言っているのかは秋雅には検討がついた。だから、秋雅は道真に近づいて、そしてしゃがみ込む。

 

「これを使った」

 

 そう言って、秋雅は道真のそばに落ちていたそれを拾い上げ、見せる。

 

「これは……」

 

 秋雅が道真に見せたのは、秋雅が当初武器にしていた雷鎚であった。しかし、秋雅はそれを一度手放し、その後回収していない。手放した場所も、今道真が倒れている場所からはもう少し離れた場所だったはずだ。

 

 どうしてここにあるのか。道真の視線は、そんな疑問に満ちているようだった。それを受け、秋雅はひょいと、手に持ったばかりの雷鎚を放り投げた。そして、眉根を寄せた道真の前で、秋雅は投げた雷鎚に手を向ける。

 

 次の瞬間、ひゅんと音を立て、雷鎚がひとりでに飛んだ。勢いよく飛んできたそれを、秋雅は何でもないように軽く受け止める。

 

「俺が望めば俺の手元に来る――そういう武器なのさ、これは」

 

 主の意に沿い、自らその手のうちに収まる。それが、元となった神話から受け継いだ、この雷鎚の特性であった。

 

 その様子をじっと見ていた道真は、急にフッと笑みを浮かべる。

 

「成る程、な……私は、策に嵌め返されたのだな……」

 

 あの最後の攻防、秋雅が道真の背後を取ろうとしたのは、道真を背中から切りつけるためではない。雷鎚と秋雅を一直線上に置くことで、主の下に向かおうとした雷鎚を道真にぶつけようとしたのである。

 

 道真の策を破った、秋雅の策。あるいはそれを称賛しているのだろうか。この瞬間の道真から秋雅への視線には、どこか敬意が籠っているように感じられた。

 

「流石だな、稲穂秋雅……よくぞ、この私を討ち取った」

 

 そう秋雅を賞賛する道真の身体は、既に胸の辺りまで消失していた。しかし、その身体の状態とは裏腹に、彼は不思議と満足そうな笑みを浮かべている。

 

「その賛美、ありがたく受け取っておく」

「ああ…………」

 

 不倶戴天。決して相容れぬ二人であったが、全力を尽くし、こうして勝敗が決した今、秋雅の中には何とも言いようのない――無理やりに当てはめるのであれば、それこそ友情のような――不思議な感覚があった。あるいは、命をむき出しにしたぶつかり合いの果て、そこから生まれた奇妙な感覚に、秋雅は何を言うでもなく黙り込む。

 

 

 道真の身体も、もう肩より下がないというところまできたところで、ふと道真が口を開いた。

 

「……稲穂秋雅」

「何だ?」

「あれを、持っていたりしないか?」

「あれ?」

「餅、だよ。私が好物としていた、あの」

「……ああ、梅ヶ枝餅か」

 

 その名を、秋雅は知っていた。小豆餡を薄い餅の生地で包んで焼いた餅。それが梅ヶ枝餅だ。大宰府に左遷され悄然としていた道真に老婆が差し入れられた際に好物となった、あるいは道真が左遷後軟禁され、食事もままならなかったおりに、部屋の格子越しに老婆が梅の枝の先に刺して差し入れたという伝承を由来としている。大宰府のみならず、福岡県内ではそれなりに知られている餅菓子だ。

 

 しかし、秋雅はそんな道真の願いに対し、軽く首を横に振る。

 

「悪いが、流石に持っていない。ここに来る前にちょっと、などと言える状況でもなかったからな」

「そうか……それも、そうだな……」

「……後で供えてやろうか?」

「それでは、『藤原道真』は楽しめても、『私』は食べられぬなあ……」

 

 と、道真は心底残念そうに言う。その様子は神らしからぬ、あまりにも人間くさいものだった。これも彼が元は人間であったからだろうかと、道真の残念そうな表情を見て秋雅はそのような事を思う。

 

「……まあ、致し方ない、か――稲穂秋雅」

 

 もはや、道真の身体は頭部しか残っていない。そんな状態で、道真は真剣な面持ちになって秋雅の名を呼ぶ。

 

「どうした?」

「汝が生に、神殺しに相応しき苦難と――人としての幸、あらんことを」

 

 その言葉に、秋雅が驚いたように目を見開く。そんな秋雅の表情をおかしげに笑った後、『藤原道真』は消失した。

 

 

 

 道真の消失と同時、秋雅の背に何かが乗ったような感覚があった。ずしりと、何かを背負ったような感覚に、

 

「……権能が増えた、か」

 

 そう感慨深げに呟いて……秋雅はばたりと倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー…………疲れ、た」

 

 ごつごつと石が背に当たるのも気にせず、秋雅は身体を伸ばす。呪力はもう殆ど空に近く、さらに最後の攻防で体力、気力共に使い切った。正直な話、道真と最後の会話を交わしていたときから、こうして身体を地面に預けていたかった。それを、敗者に見せる勝者の矜持として必死に立っていただけであった。

 

「……それにしても、また雷神と戦うことになるとは。これで三回目(・・・)、か」

 

 多いよなあ、と秋雅は、雲が散り、ある種見慣れた赤黒い空を見上げながら呟く。どうにも、偏りのある戦闘経験を重ねてきたものだと、そんなことをぼんやりと思う。

 

「実は、お前の仕業だったりしないよな、『ロキ』」

 

 思わず、かつての己の友人に対し、秋雅はそんな事を呟く。至極当然のことだが、それに応える声があるわけでもない。まあ、何でもいいかと、秋雅はもう一度伸びをする。

 

「このまま、眠りたい……」

 

 疲れから、秋雅はそんな事を口に出す。今秋雅がいるこの空間は現実空間とは切り離された空間であり、基本的に外からの干渉は不可能だ。秋雅以外誰もいないここでなら、どれだけ無防備な姿をさらしたところで危害を加えられる可能性は無い。そのことに、秋雅はつい目を閉じそうになる。

 

「ああ……でも駄目だな」

 

 現実空間で道真が発生させた雷雲、その存在を思い出して秋雅は身体を起こす。ここでのそれのように消え去っている可能性は高いが、ひょっとしたら残った道真の呪力で存在を維持しているかもしれない。操る者がいないとはいえ、偶発的に雷が落ちる可能性はある。可能性がある以上すぐにでも戻らなければならないというのと、あちらで気を揉んでいるであろう正史編纂委員会の事を考えて、気だるさに耐えて秋雅は立ち上がる。

 

「やれやれ――王様も楽じゃない、ってか」

 

 まあ、楽だったためしもないか。そんなことを呟いて、秋雅はその場から消え去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん、大丈夫だったか」

 

 現実空間に戻って早々、秋雅は空を見上げてそう呟く。雷雲こそは残っているものの、既に道真の呪力は消失しているようで、強い雷の気配という物はしない。これはならば、放っておいたところで街に大きな被害が出るということはないだろう。

 

 良かったと思いつつ、秋雅は辺りを見渡す。少し離れた場所に魔術の気配を持つ男――十中八九、正史編纂委員会の者だろう――を見つけ、そちらの方へゆっくりと歩いていく。相手のほうも秋雅の気配に気付いたのであろう、驚いたような表情を浮かべた後、小走りで彼の元へと近づいてきた。

 

「失礼致します。稲穂秋雅様、で宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだ。依頼を受けた、まつろわぬ神の討伐を完了した」

「おお……!」

 

 秋雅の報告に、男は嬉しそうな表情を浮かべる。まつろわぬ神を、しかもそれほど大きな被害も出さずに討伐したという事実に思わず、といったところだろう。

 

 そんな彼の様子に少しだけ満足感を覚えつつ、秋雅はふと尋ねる。

 

「三津橋は、もうここに来ているか?」

「いえ、三津橋さんはまだ。しかし、もう少しで来るかと」

「そうか……では、すまないが君に頼もう」

「何なりと」

 

 自分よりも年上の人間を顎で使うということにもすっかり慣れてしまったなと、毎度のように思っている事を脳裏に浮かべつつ、秋雅は命令を下す。

 

「まず、どこか適当に宿を用意して欲しい。グレードはどうでもいいが、ともかく休みたい」

「ご宿泊ということで宜しいでしょうか?」

「ああ、それで頼む」

「畏まりました」

 

 流石に、この状態で家に帰る気には秋雅はなれなかった。いっそのことこちらで一泊して、明日ゆっくり帰ろうと、そう思ったのである。つくづく、明日が大学のある日でなくてよかったと秋雅は思う。まあ実のところ、最悪何もしなかったとしても――それこそ、すべての授業に無出席だったとしても――秋雅の卒業は確定していたりするのだが、そこはそれである。

 

「それと……梅ヶ枝餅を、本殿にでも供えておいてくれ」

「は……?」

「頼む……ついでに、幾らか私の元にも持ってきてくれると嬉しい」

「――畏まりました!」

 

 例え意味が分からなくとも、王の勅命は絶対というのがこの世界の理だ。一瞬だけ惚けるような表情を浮かべた後、男はすぐに真剣な表情で頷く。

 

 そんな彼に、変なことを言ってすまないとも言えず、秋雅は王としての態度を保つしかなかった。こういう時、三津橋がいればもう少し楽なんだがと、改めて彼の存在に感謝する。

 

「私からは以上だ。急ぎ、報告を済ませてくるといい」

「はい。では、失礼致します」

 

 礼をし、その場から駆け出した男の後姿を見た後、

 

 

 

「……これで勘弁してくれよ、『道真』」

 

 本殿の方を見て、秋雅は苦笑しつつそう言った。

 

 




 これで一章は終了。追加で閑話か何かをもう一話くらい書きます。その後は間を空けて、適当なタイミングで二章を書き始めるつもりです。




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閑話 王の会合
雷の王と狼の王


 東京にて突然の暴風雨が発生した、その翌日。日本と大陸を遮る大海原の上を、一機の大型旅客機が飛行していた。悠々と飛ぶその鉄の巨体は、何百もの人間を運べる能力をもちながら、しかし、所謂旅行客などは一切収められていない。では、何を運んでいるというのか。

 

 それはたった一人の老人であった。乗組員を除けば、その大きな旅客機にはファーストクラスを一人で占領し、ワイングラスを傾けている老人と、数名の人間しか乗っていない。

 

 無駄、非効率と評するに値する行為だが、しかしその老人はそれの無駄を当然とするだけの資格があった。

 

 サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。ヴォバン侯爵の名で知られている、神殺したるカンピオーネの一人にして、まさに現代を生きる魔王と評すべき人物。それが、かの老人の正体である。

 

 

 そんな彼の前には、大きなテーブルがあった。その上には高価なワインや、そのつまみとして手の込んだ料理などが並べられている。

 

 そこには一つ、奇妙な点があった。それは、ヴォバンの対面に彼が腰掛けているものと同じソファが設置され、その前には空のワイングラスが準備されているということだ。ヴォバン侯爵を知っている者が見れば、その光景は酷く奇妙に映ることだろう。何せこの魔王が誰かと酒を飲むなど、到底信じられるようなことでは無いからだ。だが現実に、この準備を使用人たちに命じたのは、他ならぬヴォバン本人なのである。

 

 

 

 そんな空席のソファを何とも思っていないような目で眺めながら、とてもではないが味わっているとは思えない調子で、ヴォバンは手に持ったワイングラスを傾け、時にテーブルの上の料理に手を伸ばしている。

 

 

「……座りたまえ」

 

 そんな中、背後でドアの開閉音がした。それを聞いて、ヴォバンは後方へと目も向けずに淡々とそう告げる。

 

「では、遠慮なく」

 

 ヴォバンの言葉に対し、若い男の声が返ってきたかと思うと、その次の瞬間には、ヴォバンの対面のソファに一人の青年が腰をかけていた。全てはその青年の権能によるものだと、ヴォバンは知っている。この飛行機に入り込んだのも、事前に何かしらの仕込みをしていたからであろう。

 

「……さて」

 

 ヴォバンとは比べ物にならないほどに若いその男は、しかしヴォバンの存在に臆するでもなく堂々と足を組む。

 

「お招き頂きありがとう、ヴォバン侯爵」

「こちらから招いたつもりもないが、受け取っておくとしよう、稲穂秋雅」

 

 最古の魔王たるヴォバンと、新世代の王たる秋雅だが、しかしその年月の差などまるで感じさせない。あくまで対等であると、秋雅の王としての風格は静かにそう告げているようであった。

 

 しかし、それをヴォバンは不快に思うことはない。当然だ。だからこそ、彼はこの王を倒すべき敵と定めたのだから。

 

 

「飲み給え。そのためにこのヴォバンが、慣れぬ歓待の準備をしたのだから」

 

 歓待とは言うが、しかし本心からそう思っているはずなどあるわけがない。もっとも、だからと言って、準備された品々に毒が入っているなどということもない。そのような小さい(・・・)ことをするなど、ヴォバンのプライドが許すはずもない。とはいえ、仮にそういったものを仕込んだところで、それでこの若き王を殺すことなどまず不可能だろうが。

 

 そういった事を秋雅も理解しているのだろう。ヴォバンの言葉に対し、特に臆する様子もなくゆるりとワインを味わい、料理も軽く口に運ぶ。

 

「……良い酒と料理だ。貴方には少々もったいないな」

「気に入ったのなら好きに味わうといい」

「そうさせてもらおう」

 

 そう秋雅は返答したものの、しかし手を足の上で組んでヴォバンを見る。本題に入るようだなと、ヴォバンには感じられた。

 

「しかし、ヴォバン侯爵。此度は何故、日本にまで足を運んだのかな? 私の記憶が確かなら、私達は不可侵の盟約を結んでいたはずなのだが」

「私も、そう記憶している」

「では、何故?」

 

 無表情に、秋雅はヴォバンの顔を見据える。しかし、その瞳には確かに、不快や怒りといったものがあると、ヴォバンにはすぐに分かった。もっとも、その程度でひるむほど、ヴォバンという王は、決して不確かな存在ではない。なんら物怖じすることなく、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「まずは、貴様の国に勝手に入った非礼を詫びよう……しかし、貴様の所領はあの国の西にある、九州とかいう地域だったはず。この程度であらば特に問題もあるまい」

「ほう。では貴方は、同じ事を言って、かの羅濠教主などが納得すると思うのか? ……あまり私を見くびってもらっては困るな」

 

 そう、秋雅は不快そうな表情を浮かべて凄む。そのことに、ヴォバンはむしろ歓喜の表情を僅かに漏らす。

 

「納得できぬ、か――では、私と一戦交えるかね?」

 

 実のところ、ヴォバンの状態はとてもではないが万全とは言い難い。昨晩の草薙護堂との勝負、それにより消耗した呪力はまだ回復しきってはいない。それどころか、その際に死から免れる為に使った権能、『冥界の黒き竜』の代償として、一ヶ月から二ヶ月程度は呪力の量が大きく制限されている。

 

 ここが飛行機の中というのも問題だ。多少広いとはいえ室内である以上、『貪る群狼』や『死せる従僕の檻』といった、彼が好んで使う権能たちは非常に扱いづらい。

 

 しかし、それでもなおヴォバンは秋雅と戦い、そして本気で勝つという自信があった。有利不利など関係なく、ただ己こそが勝者になると本気で信じている――あるいは、それが当然だと思っている――からこそのカンピオーネであり、だからこそ彼らは神殺しなりえたのだ。

 

 

 

 そんな、闘争への渇望を隠しきれていないヴォバンに対し、秋雅はゆっくりと首を横に振る。

 

「勘違いしないで貰いたい。私がここに来たのは貴方の思惑などを知りたかったというだけで、貴方と矛を交えるために来たのではない。そのことは、貴方にも然りと納得していてもらいたいところだ」

「……ふん」

 

 秋雅の言葉に、ヴォバンは面白くなさそうに鼻を鳴らした後、自身から漏れ出ていた殺気を収める。同時に秋雅に対し、やはりかという思いをヴォバンは得る。

 

 どうしてヴォバンがこういう反応を示すのかというと、実のところ、ヴォバンは秋雅と結んだ不可侵を破棄し、本気で彼と戦いたいという欲求があるからである。

 

 ヴォバンが最初に秋雅と会ったとき、秋雅は何だかんだと理由をつけてヴォバンと不可侵を結ぶ事を受け入れさせた。当初こそ、それで問題ないと思っていたヴォバンであったが、しかしその後に耳に入りだした秋雅の活躍、そして何より彼が時折行ってくる自分に対する妨害活動――ヴォバンの暴君たる行動をそれとなく軽減させる、ヴォバンが望む闘争をさらりと奪うなどだ――によって、ヴォバンは秋雅との闘争を望むようになったのである。

 

 しかし、そうなると彼と結んでいる不可侵の存在が非常に邪魔だ。かといって、一度己が結んだ盟約を道理なく破るなど、ヴォバンのプライドが許すわけもなかった。そのため、ヴォバンは秋雅の妨害の尻尾を掴むことでその道理を得ようとするのだが、これが中々上手くいかない。カンピオーネらしからぬ保身に長けた王だと、ヴォバンは苛立ちと共に心の中で罵ったりしたこともある。

 

 そういった理由で、そちらから不可侵を破るのではなく、秋雅のほうから不可侵を破るようにしようというのが、今のヴォバンの秋雅に対する行動の本線であった。今回のことも、勿論主目的は万里谷祐理の確保であったが、ついでとして、秋雅を怒らせて彼に戦闘の動機を与えようというものがあったのである。

 

 

 しかし、どうやら失敗したようだとヴォバンは不愉快に思う。彼の予想以上に、稲穂秋雅という王は実に大人しい(・・・・)王だったようだ。昨夜戦った草薙護堂とは、まるで比べ物にならない。厄介な、と普段であれば戦う相手に思う事を、ヴォバンは戦えぬ相手に対し思ってしまう。

 

 だが、上手くいかなかったことにこれ以上固執するのは愚かだと、ヴォバンは思考を切り替える。そして、数日前から気になっていたことに対し秋雅に問いかけることにした。

 

「……ところで、数日前、西の地よりまつろわぬ神の気配を感じたのだが」

「ふむ、流石だな。東京からあれを感じ取るとは。ご察しの通り、私は先日まつろわぬ神を討伐した」

「やはりか。惜しかったな、貴様さえいなければ私が打ち倒したのだが」

 

 こればかりは本心で、ヴォバンは残念そうに言う。まつろわぬ神との戦う機会を得る為に来た場所で、そのまつろわぬ神が顕現したのだから、今すぐにでも向かいたいという欲求を抑えるのは非常に大変であった。流石のヴォバンも、不可侵を結んだ相手である稲穂秋雅が直接治めている地に足を踏み入れるというわけには行かなかったのだ。

 

「笑えない冗談だ。貴方に暴れられるなど、どれ程の被害が出るか考えたくもない」

「おかしな事を言う。どのような被害を出そうとまつろわぬ神を討つ事こそが、我らの使命というものではないか」

「それは否定しないがな。まつろわぬ神を放置するというわけには行かないのは事実だ……しかし、貴方が使命などとは」

 

 己が欲求を満たしているだけだろう? と秋雅の目はヴォバンに問いかけている。その答えは勿論イエスなのだが、だからと言ってわざわざそうだと言ってやる義理はヴォバンにはない。ただ、口の端をゆがめてみせる程度だ。

 

 

 それに対し、秋雅は軽く肩をすくめて返す。

 

「まあ、そこは別にいいか……では、そろそろ私は失礼させてもらう」

 

 話は済んだということだろう。残っていたワインを一気に飲み干した後、秋雅はそうヴォバンに告げる。それに対し、ヴォバンが何か反応を見せるよりも早く、秋雅の姿が消え去る。ついでにワインのボトルと料理が幾らか無くなっていたが、酷くどうでもいいことだったので、ヴォバンは特に気にする素振りを見せることなく、使用者のいなくなったソファを眺めて口を開く。

 

「このヴォバンに対し、実に不遜な男だ……しかし、だからこそ」

 

 そこから先は口に出すことなく、ヴォバンは自分のワインを一気に呷った。

 




 これで一先ず区切りはついたので、一旦更新は休憩します。別作品との折り合いなどがついたタイミングで、また二章を書いていこうかと。しかし、ヴォバン侯爵の権能って何処で明らかになったんだろうか。特典とかかな? ではまた。



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第二章 母校と幽霊と英国と
友人との一幕、妹からの電話







 

 カリカリと、ペンを走らせる音が響く。場所は秋雅が通う大学の食堂、その至るところからその音は発生し、生徒達の話し声に混じり、その場の人々の耳を僅かに刺激することだろう。

 

 そんな中、秋雅はゆったりと本を読んでいた。時折ページをめくる音以外は特に物音を立てることなく、静かに読書を楽しんでいる。ゆったりとはしつつも、しかしだらしないわけではないその姿勢は、元々整った容姿が相まって中々に様になっていた。

 

「――っと」

 

 そんな秋雅だったが、突然に小さく声を漏らした。その声に、彼の近くでペンを走らせていた友人の一人が、怪訝そうな表情を浮かべつつ顔を上げる。

 

「どうした? 何かあったか?」

「いや、何でもない。ちょっと思い出した事があっただけだ」

 

 そう返したものの、実際のところそれが理由というわけではない。彼が口に出すわけには行かないその本当の理由は、彼の権能の一つが復活し、それを感じ取ったからであった。

 

 これまで秋雅は、カンピオーネの使命として、何柱もの神を倒してきた。そうなれば当然、彼の持つ権能もまた増えていくことになる。基本的には彼の持つ権能は、案外使い勝手の良いものが多いのだが、しかしその中には、どうしても使いにくい権能というのも存在している。そのうちの一つに、彼が時の神より簒奪した『過去か、未来か(タイム・ライク・ア・リバー)』という権能がある。これは、範囲内の生物の時を進める、あるいは戻すという権能だ。一見するとかなり強力な権能のように思えるが、しかし、実際にはそういうわけでもない。何せこの権能、この種の力の例に外れず、まつろわぬ神やカンピオーネにはほぼほぼ抵抗されてしまうのだ。他にも一定以上の力量がある魔術師たちにも、これが効く可能性は低い。つまるところ、基本的に一般人にしか効果を発揮できない権能なのである。

 

 しかも一度使うと、その効果範囲や時をずらした時間に比例して、一定期間使用が出来ないという仕様であり、今回の復活も、前回に使ったときからもう数年が経っていた。どうにも使い勝手の悪い権能、というのが素直な総評であろう。

 

 そんな事情で、基本的に意識に上ることもないような権能なので、その復活に秋雅も思わず声を上げてしまったのである。

 

「そうか? 何か変な風に聞こえたけどよ」

 

 秋雅の返答に納得がいかなかったようで、未だに怪訝な表情を浮かべている友人に、しまったな、と思った秋雅は、話をずらして誤魔化すという手段をとることにした。何せ、ずらす話題はすぐ目の目にあったからだ。

 

「俺の事を気にしないで、お前はさっさと書き終われよ。いい加減、俺はそいつを提出しに行きたいんだ」

「もうちょい待ってくれ。もう少しで写し終るからさ。なあ、お前ら?」

 

 そうだそうだ、と秋雅の友人たちが口々に同意してみせる。その中央には、何冊かの左上を止めた紙の束やノートなどが置かれている。

 

「まったく、何でこうやっていない奴が多いんだ」

 

 と秋雅は誤魔化しだけでなく、本心から呆れた声を発した。そもそも今回、秋雅とその友人たちが食堂に集まっているのは、要するに秋雅の書いたレポートや授業中に取ったノートを書き写す為であった。もうすぐ前期が終わり、夏休みが終わろうというこの時期に発生するのが、成績決定の為の期末テスト、あるいはレポートの提出だ。それに際して、テスト勉強やレポートの不明点を補う為に、彼らは成績の良い秋雅の力を頼ったのである。

 

「いやあ、やっぱり持つべき者は頭のいい友達だよな」

「ああ、そうだな。本当に稲穂は最高の友達だぜ!」

「お前らなあ……」

 

 露骨なよいしょに、秋雅は半目を彼らに向ける。勿論これは気心の知れた友人同士の冗談であって、彼らの本心は……などということではない。そんな相手であれば、秋雅はもうとっくに関係を切っているだろう。つまり、それをしないという時点で秋雅は彼らのこういうところを拒否していないということであり、それは秋雅自身も理解しているところであった。

 

「まあ真面目な話、マジで稲穂って頭いいよな。この問題とか、まるで意味が分かんなかったのに」

「だよなあ。結構授業をサボっているくせに、テストの点数はいいし」

「俺なんて授業に全部出ているのにまるで分かんないからな!」

「自慢げに言うんじゃねえ、このバカ!」

 

 そのツッコミに笑い声が湧く。もしかしたらこういうノリこそが、自分がこいつらと付き合っている理由なのかもしれないと、笑みを浮かべながら思う秋雅であった。

 

 

 

 そうこうしていると、全体的に書き写しも終わってきて、今もペンを持っているのは複数の方面に苦行を抱えている数名だけだ。その様子に、ようやく終わるかと秋雅が軽く伸びをしながら思っていると、ふと彼の胸ポケットに入れた携帯が震えた。ディスプレイを見たところ、どうやら誰かからメールが来たらしい。誰からだ、と思いつつメールを見て、そこに書かれた発信者の名前に秋雅は意外そうな表情を浮かべる。

 

「冬音からとは、また珍しいな」

 

 秋雅が口に出したのは、彼の三人いる弟妹のうち、上の妹の名前だった。しかし、彼女は基本的にメールよりも電話での連絡を好む方だ。なのに何故メールなのだろうかと秋雅は不思議に思う。

 

 しかし、内容を見れば分かるだろうと思い、メールを開いて確認する。そして文面を読み終わったところで、ははあ、と納得の行った表情を浮かべる。

 

「成る程、気遣いの良い奴だ」

 

 そのメールには、話したい事があるから時間のあるときに電話で連絡をしてくれという文面が書かれていた。今秋雅の手が空いているか、それが分からなかった故の彼女の気遣いであろう。

 

 普段であれば逆に、高校生である冬音よりも大学生の秋雅のほうが時間的余裕は多いのだが、一足先に高校が夏休みに入って時間がある――冬音の通う高校と比べ、秋雅の大学というのは夏休みの期間が長い代わり、入りが少し遅いようになっている――ので、こういったメールを打ったのだろう。

 

「さて、どうするかな」

 

 メールの確認も終わったところで、秋雅はふむと考え込む。その内容は、今すぐこの場で電話をかけるか、あるいは場所を変えて電話をするかというものであった。普通であればその場を離れてかけるのであるが、しかし今回の秋雅への感謝の印ということで手の空いた友人たちが弁当やお菓子(秋雅への貢物)を買いに行っている。それを待っている身としては、あまりこの場を離れるというのは気が進まない。

 

 後で電話をかけるという選択もないわけではないが、しかしこういうのは早い方がいざという時に安心できるというのがある。そんなわけで、どうしたものかと悩む秋雅であったが、まあいいかとこの場で電話をかけることにした。

 

「ちょっと電話をするけど、あんまり気にするなよ」

 

 うーい、と気のない返事が返ってきたことを確認してから、秋雅は冬音の携帯に電話をかける。

 

「もしもし」

『――秋雅兄さん?』

 

 待機をしていたのか、二コールを待たずに向こうから馴染み深い声が聞こえる。その声に軽く満足そうな笑みを浮かべながら、ああと秋雅は返答する。

 

 

「元気か、冬音?」

『うん、元気。そっちは?』

「俺もすこぶる元気だ。で、メールの件なんだが、何があったんだ?」

『何があった、というよりは、これからあるんだよね』

「うん?」

『ああ、ごめん。ちょっと順を追って話すね』

 

 と言って、冬音が秋雅に事情を説明していく。その説明を秋雅は、最初は真剣に聞いていたが、しかしすぐに胡乱げな表情を浮かべ、最終的には少しばかり面倒そうにため息をついた。

 

「で、俺に電話をした、と」

『うん。幹春兄さんに頼ろうかとも思ったんだけど、やっぱり秋雅兄さんの方が頼りになるから』

「それ、幹春には言ってやるなよ」

『勿論……それで、どうかな?』

「そうだなあ…………」

 

 宙を見て、少しばかり考え込んだ後、秋雅は小さく頷く。

 

「分かった。可愛い妹の頼みだ、聞いてやるよ」

『やった! 秋雅兄さん大好き!』

「はいはい。そりゃ良かったよ。とりあえず、冬音は父さんたちに俺が一度帰ってくる事を言っておいてくれ。たぶん、夏休みの間は帰省出来ないから、今回でそれを補わないとな」

『……もしかして、彼女とデートとか?』

「ははは、ないない。ま、ちょっと用事があるんだよ」

『ふうん。まあ、いいけど。お父さんたちには秋雅兄さんが帰ってくるって言っておくね』

「ああ、頼む。じゃ、またな」

『うん、またね』

 

 そう締めて、秋雅は電話を切った。その後ポツリと呟いた。

 

「……肝試し、ねえ」

 

 

 




 当分投稿するつもりは無かったのですが、頭の中をこれがうろついてあれだったので投稿することにしました。他との兼ね合いものあるので、投稿スピードは前ほど早くならないと思います。ではまた。





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夜の違和感

 日の長い夏の夜と言えど、流石に午後八時ごろともなれば辺りは真っ暗と言っていいだろう。そんな暗い夜道を、一組の男女が歩いていた。

 

 

「……雰囲気違うね、やっぱり」

 

 そう、傍らにいる男性に声をかけたのは、一人の少女だった。その容姿は整っており、美少女と言ってまず差し支えはない。また、その顔の日焼けと、短く纏められた黒髪から、非常に活発なイメージを、彼女を見た者に与えることだろう。若干タイトな、走りやすさを重視したのであろうその格好もまたそれを助長しており、当然というべきか、服の上からでも彼女の身体の引き締まり具合はよく分かる。

 

「夜だからな。慣れた道でも印象は変わるだろうよ……不安なら手でも握ってやろうか、冬音?」

 

 そう傍らの男性――稲穂秋雅はからかうように彼女に、自身の妹である稲穂冬音に問いかける。それを受けて冬音は、むうと頬を膨らませた。

 

「そんなに子供じゃないって。大丈夫だよ」

「はは、分かっているよ」

 

 夜の暗さに反比例して、二人の雰囲気は非常に和やかだ。騒ぎにならない程度に、抑えた声量で会話を続けながら稲穂兄妹は歩く。

 

「そういえばさ、秋雅兄さんの時はこういうのなかったの?」

「んー……多分なかったんじゃないかな。少なくとも俺は学校で肝試しなんてやっていない」

 

 今、二人が夜の街を歩いているのは、冬音が現在通っている高校――秋雅の母校でもある――で、所謂肝試しが行われる運びになったからであった。曰く、冬音が所属するクラスの一人が、夏休みに肝試しをやってみようと企画をしたらしい。しかも、その一人というのが非常に行動力のあり、しかもこういうことには頭の回るタイプだったようで、あっという間に学校側から夜の校舎の使用許可を得てしまったのである。今の時代、こういうことはそうできるものではないのだろうが、そこはその生徒の話術に感嘆しておくのが無難だろう。ただ、流石に学校側も全てを認めたというわけではなかったらしく、教師一人、及び他数名の大人を連れてくる事を条件に、夜間の学校における肝試しを許可したとのことである。

 

 とはいえ当事者の生徒たちからしてみれば、教師はともかくとしても、こういう場に素直に大人――イコールで両親と言っていい――を連れてくるというのも、何となく興ざめを覚えるだろう。そのため、大人ではあるが親よりも子供側と言っていい人間、つまり誰かの兄姉を連れてこようという話になったらしい。それで、今現在、秋雅は冬音の願いに応え、こうして保護者役としてかつての母校に向かっている、ということであった。

 

「それにしても、よく許可が下りたもんだ。普通こういうのは、リスクを恐れて何もさせないとなるもんだろうに」

「そこは正直、私も驚いているんだよね。しかも、結構な人数が参加するみたい。私は兄さんたちがいるから引き込まれたけど、そういうわけでもないのに参加って何気に皆暇だよね」

 

 どこか皮肉めいて聞こえる感想を言う冬音に、秋雅は苦笑を漏らす。しかし彼女の発言ももっともで、今回の肝試しの対象は冬音のいるクラスの生徒達だけであるのだが、そのうち大体半分程度が参加を表明した――クラス全体で四十名ほどいるので、二十名弱が参加を決めたことになる――というのは、中々に驚くべきことであろう。高校二年生の行動力と好奇心、ついでに勇気というものは、存外高いものであったらしい。

 

 

「……ああ、そうみたいだな。結構な人数が見える」

「え?」

 

 秋雅の言葉に冬音は正面を見る。言われてようやく彼女も気付いたがようだが、もう既に二人は高校の正門近くまで来ていた。夜の暗さと雰囲気の違いが、目的地に近づいていたことに気付かなかった理由だろう。

 

「そんなに見える?」

 

 眉根を寄せながら、冬音は怪訝な表情を浮かべた。どうやら秋雅の言うほど、結構と表せるほどの人数がいるようには見えないらしい。

 

「あー……俺は夜目が利くからなあ、お前が見えなくても仕方ないさ」

 

 そんな冬音の言葉に苦笑しつつ、秋雅はそう返す。それは、自分と妹の違いを思わず失念していたことに対するものだ。

 

 カンピオーネとなった時、秋雅の身体は色々と変わってしまっているが、その一つに、異様なほどに夜目が利くというものがあった。人間でありながらまるでフクロウのように、僅かな光さえあれば秋雅たちは暗闇中でも十分に周囲を見る事が出来る。今晩のように、月明かりが十分に降り注いでいる夜であれば、この程度見えないほうがおかしいと言うレベルだ。

 

 そんな秋雅の、決して明かす事の出来ない事実を含んだ返答に対し冬音は、そっかと口に出して頷いた。秋雅としては特に心当たりなどはないのだが、妹である彼女から見ると、何かたやすく信じるに足る根拠があったのだろう。

 

「……ん?」

 

 そんな中、秋雅がピタリと足を止め、校舎の方を見た。それを見咎めたのだろう。冬音もまた足を止め、不思議そうに声をかけてくる。

 

「どうしたの?」

「いや……悪い、気のせいだったみたいだ」

「そう? まあ、それならいいけど」

「ああ。さっさとお前のクラスメイトたちと合流しよう」

「そうだね、行こうか」

 

 再び歩き出した冬音の背を見て、最後にもう一度、意味深な視線を校舎に向けた後、秋雅もまた彼女に追いつくように歩みを再開する。

 

 そして、

 

「……あー、ようやく私にも見えてきた。本当によく見えるね、秋雅兄さん」

「まあ、個人差という奴だろうさ」

 

 そのまま少し歩いていくと、次第に冬音にも集まっている面子が見えてくる距離にも入っていく。そうするとあちらもまた秋雅たちに気付くのは当然のことであろう。しかも、冬音が通常の懐中電灯を持ってきたものの、念のためということで秋雅がランタン型のライトも持ってきていたので、その全方位を照らす光のおかげで、向こうからははっきりと冬音たちの姿が見えているらしい。口々と秋雅たちに――正確には冬音にであろうが――声をかけてくる。

 

「あ、稲穂だ。おーい」

「隣にいるのは……稲穂の兄ちゃんかな?」

「じゃない? 結構格好いいねー」

「本当。うちの兄貴とは大違い」

 

 そんな事を言い合いながら、クラスメイトたちが冬音の元へと集まってくる。冬音もまた、秋雅から離れてその輪に入っておしゃべりを始める。

 

 その和気藹々とした雰囲気に、友達は多そうだなと、秋雅は内心で少し安堵する。兄の贔屓目というものを入れなくても、冬音は中々に整った容姿をしている。そういった事が理由で周りから浮いてしまったり、ともすれば疎まれていたりということがないかと多少心配していたのだが、どうやら取り越し苦労であったようだ。冬音の表裏のない、あっけらかんとした性格のおかげであろうか。まあそもそも、こういった企画に参加している時点で、人間関係に大きな問題はないと秋雅にも分かってはいたのではあるが、そこは妹を案じる兄心というものであろう。

 

 

 そんな風に色々と思いながら、秋雅が和やかに談笑を見守っていると、

 

「――あれ? もしかして、稲穂君?」

 

 ふと、背後から声をかけられた。聞き覚えのある女性の声に、秋雅は視線をそちらに向けると、そこにはやはり彼の想像通りの人物が立っていた。その人物は、顔を向けた秋雅に笑顔を浮かべて手を振る。

 

「やっぱり! 久しぶりだね、稲穂君!」

「ああ。奇遇だな、久家さん」

 

 久家美代、それが彼女の名前だ。一年生と三年生で同じクラスであった、秋雅の高校時代の友人の一人である。

 

「ここにいるってことは、君も弟か妹が?」

「うん、そう。あっちの女の子と話しているのが私の弟の健太だよ」

 

 美代の言葉に秋雅が視線をそちらにむけると、彼の妹である冬音と話している男子の姿がある。どうやらそれが、美代の弟であるらしい。

 

「稲穂君は?」

「その、君の弟さんと話しているのが俺の妹の冬音だよ」

「あ、そうなんだ。偶然ってあるもんだね」

「だな」

 

 兄と姉が友人で、その妹と弟もまた友人。それもどちらかの交友が原因ではなく、互いに独立しているというのは、実に面白い偶然と言っていいだろう。

 

「……それにしても、冬音ちゃんだっけ? あの感じだと、健太って冬音ちゃんに気があるのかな」

「そう俺の目にも見えるな。まあ、冬音の方はそうでもないようだが」

 

 どうやら二人が見る限り、美代の弟である健太は冬音に対し好意を抱いているようであった。時々必死で会話を繋げようとしているのが実に微笑ましい。もっとも、そんな彼の思いに対し――冬音は気付いているのかいないのかはともかくとして――何とも思っていないようであったが。

 

「兄としてはどう思う? 大事な妹に男が近づいているってのは?」

「別にいいんじゃないか? その辺りは冬音が決めることだろう」

 

 秋雅は確かに家族を大事に思っているが、だからといって束縛するようなタイプではなかった。何か相手側に問題があるというのであれば止めるだろうが、そうでもないのにわざわざ口を挟むような真似をするつもりはなかった。

 

「ま、どっちにしろ、脈があるようには特に見えないけどな」

「ははは、かもねー」

 

 などと、久しぶりの再会もあり、互いに笑いながら二人がそんな事を話していると、

 

 

「はーい! じゃあ皆こっちに集まってくれ! 今から組み合わせを決めるからな! あ、保護者の人たちもこっちに頼みます!」

 

 正門から集合を促す男子の声が聞こえてきた。おそらくは、この声の主が今回の肝試しの企画者なのであろう。

 

「呼ばれているね、私達も行かないと」

「ああ…………」

 

 歩き出そうとした足をふと止めて、秋雅は眼前にある校舎をじっと見る。その表情は先程までの和やかなそれから、困惑したような、しかし真剣なそれとなっている。

 

「やはり呪力。だが、何故今……」

 

 校舎を見つめながら、口の中で転がすように秋雅は呟く。しばし、考え込むようにその姿勢を維持した後、

 

「……いいか。何かあれば、その時対処すればいい」

 

 それくらいの対応はできるだろう。そんな風に、自身とこの状況を見切りつつ、秋雅は妹との合流を果たしに行くのであった。

 

 

 



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幽霊

 夜の校舎に、足音が響く。歩幅が狭く、歩数の多い足音が四つと、歩幅が広く、歩数の少ない足音が一つの組み合わせだ。全体として、そう早いものではないそれらを奏でているのは、四人の少女たちと、その少し後に続く一人の男性――つまり、冬音とそのクラスメイトたち、そしてその保護者である秋雅であった。

 

 この、見事な黒一点の組み合わせは、純然たる偶然の産物だ。集まった面々を、くじ引きにより四人から五人程度のグループに分けた結果である。なお、秋雅は冬音とセット扱いであったので、くじを引いたのも当然冬音であり、秋雅は結果に対し一切の干渉をしていないのだが、それでも、決まった後の秋雅を見る男子たちの視線は、中々に面白いものであった。

 

 そういうわけで、現在秋雅たち五人はライト片手に夜の校舎を歩いていた。ちなみにあまり遅くなると色々とまた問題が発生してしまうので、時間削減のため秋雅達以外にももう一グループ――偶然にも、それは秋雅の友人である久家美代が混ざっているグループだ――が、別ルートから校舎内に入っている。

 

「……やっぱり結構雰囲気があるね」

「見慣れているはずなのに、こう暗いだけで知らない場所みたい」

「うん。いつも来ているのにね……」

 

 前を歩く女子たちが、手に持った懐中電灯を左右に振りながら言う。その動作と、何よりその声に、彼女たちが若干の恐怖を感じている事が察せられる。

 

「……大丈夫かな。本当に何か出ちゃったりしたら……」

 

 一人が、そんな言葉を口に出す。ぶるりと、その身体を恐怖で震わせた彼女に対し、冬音が明るい口調で言う。

 

「大丈夫だって。いざとなれば兄さんが助けてくれるから。ね、兄さん?」

「……ん?」

 

 一人、四人の少女たちから少し遅れて歩いていた秋雅は、突如振り返った冬音に対し、何だ、という表情を浮かべた後、

 

「ああ、大丈夫だ。何かあっても、俺が君達を守ろう」

 

 と、妹も含めた四人の少女たちに対ししっかりと頷いてみせる。その兄の返答に満足したのか、冬音は満足そうに頷きを返し、他の三人も自信に溢れた秋雅の態度に安堵したように軽く笑みを浮かべる。

 

「いいお兄さんだね、冬音ちゃん」

「自慢の兄さんだからね。兄さんがいれば大抵のことは大丈夫だよ」

「そっか。そこまで稲穂さんが言うなら安心できそう」

「うんうん。安心してね」

 

 そんな妹の信頼に秋雅は僅かに苦笑を浮かべていたものの、ふと何かを探すように周囲を見渡し、そして天井を見上げる。

 

「……また移動したか? どうにも、意図が読めんな」

 

 そう呟く秋雅の目には、王として戦う際の、鋭い光が宿っている。何かを警戒している、というのがよく分かる光だ。

 

「一体、何が起こっている……?」

 

 剣呑さに満ちた呟きを秋雅は漏らす。何故、ここまで秋雅が警戒を露にしているのか。それは、外にいるときから感じ取っていた、校舎内に存在する呪力が原因であった。

 

 

 まず前提として、学校という場所は存外、呪力という物が集まりやすいところがある。同じ年代の少年少女たちが、同じ様な目標を持って、同じような事を行う。これはある意味で、魔術師達が意思を集中させて行う大規模な儀式と、相似性を持っていると言えないこともない。そのため、この他にない特異性を持つ学校という場所では、時折そのエネルギーに引き寄せられるように、大気中、あるいは地中の呪力が集まってしまう事があるのだ。

 

 もっとも、これ自体はそれほど大事ではない。集まると言ってもそう大きな量ではなく、精々が魔術師数人分といった程度。何かしら外から方向性を与えない限り、これが問題となることはまずないと言っていい。

 

 逆を言えば、何らかの外的要因が加われば、問題が起こりえるということでもある。

 

 一例として分かりやすいのが、いくつかの学校に伝わる、所謂七不思議というやつだ。まるで神話を元にまつろわぬ神が受肉すると同じように――まあ、規模は段違いなのだが――語り継がれてきた七不思議を元に『現象』が起こってしまうということが、実際に起こりえるのである。こうなると流石に、無害だ何だとは言っていられないので、正史編纂委員会などが介入することになる。

 

 かつて、今秋雅達がいるこの高校でも同じような事があった。もっともその時は七不思議ではなく、当時流行っていたこっくりさんが原因だ。こっくりさんにより降りてきた低級霊が、集っていた呪力で所謂『良くないもの』に転じてしまい、あわや大事となりかけたのである。

 

 なりかけた、という言葉からも分かるとおり、その一件は表面化し、生徒達に危害が加わるということもなく、事前に鎮圧されている。それを実行したのが、当時から既にカンピオーネとして力を振るっていた稲穂秋雅その人であった。別に誰に依頼をされたというわけではなく、単に自分の縄張りで低級霊如き(・・)が暴れまわるというのを我慢できなかったが故の、迅速な行動の結果だった。

 

 その事後処理の際に、秋雅はこれらの事情を委員会のメンバーから聞いた――当時はまだ、秋雅もそちら関係(魔術の世界)の知識には疎かったのである――のだが、その時に得た知識はもう一つあった。それは、この自然発生的に呪力が集束する現象は、一度発呪力が霧散してしまえば、最低でも十年は起こらないということである。

 

 だから、以前の発生からまだ四、五年しか経っていないにもかかわらず、こうして秋雅が感知するレベルにまで呪力が集まるのは、とても不自然な話なのだ。しかも、今回はその呪力があちらこちらと校舎内を移動しているのだ。何かの意思が介在している、というのはまず間違っていない推測であるだろう。

 

 

「出るなら出てきて欲しいが、しかし悩み所でもある、か」

 

 どうやら現状、その呪力は秋雅の上――今彼がいるのは二階なので、おそらくは三階の何処かにいるようだ――を動いていない。そのことにもう少し気を揉む必要があるようだと、秋雅はうっとうしそうにぼやく。とはいえ、現状彼は護衛対象――当然冬音のことであり、一応は彼女の友人達も含んでいる――を抱えているために、こちらから向かうも、こちらに来てくれことを望むのも、どちらもどちらで問題がある。

 

 一番いいのは何事もなく肝試しを終わらせ、改めて秋雅一人でここに戻ってくることだろうが、それはそれで気になって仕方ない。結局、秋雅としてはその呪力を警戒しつつ、現状は観察に留めるという選択を取るしかない。まったくもって、面倒な状況なのであった。

 

「まったく、厄介な」

 

 ふん、と秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。その後、秋雅は歩きつつ懐から携帯を取り出し、自分の専用窓口と称されることもある、正史編纂委員会の三津橋へとメールを打ち始める。内容としては、現状をざっと伝えた上で、何かあった場合のフォローを頼むというものである。このような時間に、ということに引っ掛かりを覚えるほど、秋雅はもう浅く(・・)はない。時場所を問わない、それが自分達の生きる世界なのであると、もう随分と前に理解しているからであった。

 

 

 

 そんな風に、秋雅が警戒を強め始めた時であった。

 

『キャアアア――ッ!!』

「え?」

「何!?」

「――チッ!」

 

 上階より突如、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。突然の状況変化に舌打ちしつつ、秋雅は警戒態勢であった頭を瞬時に戦闘時のそれへと切り替える。同時、打ち終わっていたメールの本文に、至急の二文字をつけ加えて送信する。

 

「今のって、悲鳴!?」

「ま、まさか本当に何か起こったの?!」

 

 困惑、そして混乱によって少女たちの間に恐怖が生じ始める。その中で、唯一冬音のみが秋雅のほうを振り向き、真剣な表情を浮かべて叫ぶ。

 

「行こう、兄さん!」

 

 悲鳴を聞いて、何かが確実に起こっていると冬音は判断したのであろう。正義感が強い冬音らしい選択だと秋雅は思ったが、しかしそれに対する反応は、首を縦ではなく横に振ることであった。

 

「駄目だ。上で何かが起こっているとして、それにお前を巻き込ませるわけは行かない」

 

 冬音の傍で彼女を守る。あるいは大本を叩きにいく。それが秋雅の中の選択肢であったが、少なくとも彼女を上に行かせることだけは、どうしても選ぶわけには行かない選択だ。そんなリスクしかない事を、自分の大事な妹にさせる気など、秋雅が起こすわけもなかった。

 

「でも!」

「冬音!!」

 

 食い下がろうとする冬音の肩を掴み、秋雅は真っ直ぐと彼女の顔を見て叫ぶ。滅多にない秋雅の叫び声に、冬音はびっくりしたように彼の顔を見上げる。

 

「俺が様子を見に行く。お前は彼女らを連れて今すぐ校舎の外に出ろ。まっすぐに、わき目も振らず、だ。いいな?」

 

 真っ直ぐと、真剣な表情で秋雅は妹の目を見つめる。事情を知らない者からすれば少々大げさな指示であるが、しかしそれを受けた冬音は数瞬の後にゆっくりと頷く。

 

「……分かった。兄さんに任せる。皆、行くよ!」

 

 秋雅達のやり取りを聞いていたからか、あるいは思考が停止しかけているのか。冬音の指示に友人達は反論することなく走りだす。冬音がそれを先導しているのを確認した後、秋雅もまた逆方向にある階段に向かって走り出す。

 

 

「調整が厳しいな……!」

 

 身体強化をかけ、秋雅は跳躍混じりに駆ける。時折力を込めすぎてしまい、ぴしりと床にひびが入ってしまうことに舌打ちをしつつ、秋雅は足を止めることなく走る。元々、自分の身体を思い切り強化するために覚えた魔術だ。こういう細かい強化というものはどうしても慣れていない。だが、天井や壁があるここでは、『我は留まらず』による転移もやりにくい。無駄に細かい転移を繰り返すよりは、単純に足を使う方が速いとなれば、不慣れを承知で走るしかない。

 

 そうすれば、すぐさまに上へと続く階段が見えてきた。律儀に昇るのも面倒だと、秋雅が床を蹴り、階段を囲う壁の方に足を乗せる。そのまま壁を蹴り、三次元的に秋雅は駆ける。次の着地も階段の踊り場ではなくその壁、その次もまた壁。三度の壁蹴りの後、ようやく秋雅は三階の廊下へと着地し、先程から感じている呪力の方へと再び走り始める。

 

「――あれか!」

 

 すぐに、倒れこんでいる男女の姿が見えた。美代の姿もあることから、秋雅達と同時に入ったグループだろう。さらにその前には、まるで彼らを見下ろしているように、人の姿のような、何かぼんやりとしたものが存在している。それを、秋雅は幽霊か何かだと結論付ける。以前にも、同じようなものを見た経験からであった。

 

「消えろ!」

 

 秋雅は手に呪力を集め、ボールのようにそのまま投げつけた。ここで攻撃系の魔術や権能を放つわけにも行かないし、何よりこの程度の幽霊であれば、横合いから別の呪力を叩き込むだけでその存在を散らしてしまえる。これは多量の呪力を外部から与えることで、幽霊の身体を構築している呪力が、より強い呪力の干渉によりバラバラに散ってしまうからだ。実際に秋雅はかつて、英国で幽霊と会ったときに同様の方法で退治に成功している。だからこそ、今回もそうなると判断していた。

 

 

 だが、呪力が幽霊に接触した瞬間、徐々に、呪力と接触した箇所から、段々と白いもやの姿が、色が変わっていく。薄い青が、呪力が幽霊の身体に触れていくほどに――幽霊が、呪力を取り込んでいくほどに――広がっていく。そして、ある箇所から、青は肌色へと変じた。青、そして肌色。心眼とまではいかないが、秋雅の動体視力は一般人などよりははるかに上だ。だからその目で、秋雅ははっきりと、その面妖な変化を見ることとなった。

 

 ここで、秋雅は察する。青は服の、肌色は皮膚の色なのだと。つまり、幽霊が人の姿を、生前の姿を取り戻そうとしているのだ。

 

 この時点では、驚きこそすれ、まだ秋雅の思考は冷静であった。こういう、形すらも失ってしまった幽霊が、外からの干渉により元の姿を取り戻すということが――例としてはそう多くないが――ありえるということを知っていたからだ。勿論、それが退治として放った呪力によって起こるなど聞いたこともなく、だからこその驚愕であった。

 

 しかし、本当に驚愕すべきだったのは、ここからだ。呪力が完全に幽霊に取り込まれ、その姿がはっきりと秋雅の目に映る。綺麗な、見た目には若い女性だ。青いワンピースのような服に身を包んだそれは、高速化した秋雅の視界の中でゆっくりと後ろに倒れていく。まるで、自分に飛び込んできた秋雅の呪力の勢いに押されたようでもあった。

 

 そのまま女性の霊は床へと倒れていき、

 

 

「――きゃあっ?!」

 

 鈍い、物が床にぶつかった音と共に、ありえないはずの悲鳴を上げたのである。

 

 

 

 

「いや……は?」

 

 その瞬間、秋雅は思わず、呆けた声を漏らしてた。この時ばかりは、秋雅の思考は完全に固まっていただろう。今の音と、目の前の幽霊の悲鳴。それらを踏まえて考えると、幽霊が床に接触し物音を立てた、ということになる。それはつまり、その幽霊が実体を取り戻しているということだ。

 

「あいたたたた……」

 

 しかも、幽霊の反応から察するに、どうやら彼女は感覚すら――この場合は痛覚だろうか――も取り戻しているようである。

 

「幽霊が……実体化した?」

 

 客観的に見て事実であるらしい事を、秋雅はそのまま口に出す。だが、それ以上思考が進まない。なまじ中途半端に、幽霊という存在に対する知識がある所為か、この状況を理解してしまいつつ、しかしそれに対する答えを導けない。それ故の、珍しくはっきりとした、思考停止であった。

 

 そんなことはありえないと、幽霊に対する知識を持つ魔術師は言うだろう。秋雅だって、人伝に聞けばまず疑ってかかったに違いない。だが、しかしだ。今実際に、秋雅の目の前で、その幽霊は確かに実体化してしまっている。ありえないことが起きたということに、秋雅がまぎれもなく困惑していた。

 

「……あれ?」

 

 ここで、ようやくその幽霊は秋雅の存在に気付いたようだった。秋雅の発言にか、あるいはそもそものこの現状についてか、彼女は不思議そうな表情で秋雅を見上げている。

 

「えっと…………誰、ですか?」

 

 立ち上がりながら、幽霊は秋雅を見て首を傾げる。その、明確に自分を対象とした声に、秋雅の思考がようやく動き始める。

 

「……稲穂秋雅、だ」

 

 まだ思考は解凍されきっていなかったので、彼女の誰何に声に対し秋雅は、半ば反射的に自分の名を名乗る。その直後、はっとしたように秋雅は頭を振り、思考を切り替えて彼女に強い視線を向ける。

 

「私も聞こう。君は誰だ?」

「私? …………あれ?」

 

 疑問符が頭についているのが見えそうなほどに、彼女は首を捻り、怪訝な表情を浮かべる。そのことに、秋雅は思わずため息を吐き出す。

 

「覚えていない、ということか」

「えっと…………はい」

 

 申し訳なさそうに、彼女は俯く。実のところ、幽霊が自分の事を覚えていないということは、決して珍しいことではない。肉体を失い、霊体、あるいは霊魂といった不安定な存在になった際に、何かしらの記憶を失ってしまうということがありえることなのだ。まあ、姿は保てているのに自分の名前を覚えていない、というパターンは非常に珍しいことではあるのだが。

 

「……えっ?!」

 

 俯いていた彼女が、突如驚いたような声を上げる。どうやら頭を下げた拍子に――ようやく、と付け加えるべきだろうか――自分の足元で倒れている美代たちに気付いたようだった。このことから、先ほどまで自分が何をしていたのかも覚えていないようだと察し、秋雅は再びため息をつく。

 

「あの……これって、私の所為でしょうか?」

 

 恐る恐るという感じで、幽霊が倒れている美代達を指差す。その幽霊の行動に、秋雅は片眉を上げる。

 

「まあ、大枠で言えばそうなるが。君、自分が幽霊ということには気付いているのか?」

「はい。まあ、どうして死んじゃったのかは覚えていないんですけど」

「……つくづく変な幽霊だな、君は」

 

 自分の名前は覚えていないくせに、自分が幽霊だということには気付いている。何ともちんちくりんな幽霊だと、秋雅は不思議そうに眉を顰める。

 

 なお、美代達が気絶をしているのは、決して幽霊の存在に恐怖しただけ、というわけではない。実は生きている生物というものは一種の波動のようなもの、いわゆる『気』を発している。一部の達人などが気配、気を感じるなどということがあるが、それはこれを感知しているからだ。

 

 この気というもの、これは幽霊になっても継続して纏っているものなのだが、一度死んでしまった所為か、正常な生者のそれとは変質してしまっていることが多い。ラジオに他の電波を発する物を近づけるとノイズが混じるように、生者に幽霊が近づくと、その僅かに異なった波動が干渉してしまい、生者の側に悪影響を与えてしまい、場合によっては意識を失わせてしまう。これが、幽霊譚のオチが気絶で締められることが多い理由だ。

 

 なお、これに先天的に耐性を持ち、逆に退けることを可能にした者などが、テレビなどに出ている所謂霊能者などになる。まあもっとも、一般的な魔術師であれば、そんな才能がなくとも幽霊退治くらい簡単に出来るのだが、それはそれというやつだろう。

 

 

「……さて、どうしたものか」

 

 頭を軽くかきながら、秋雅は心底面倒くさそうに呟く。この目の前の、色々と不可解の多い幽霊をどうするべきか。それについて秋雅が悩んでいると、その当人が口を開いた。

 

「あの……秋雅さん、でしたか?」

「何だ?」

「質問なのですけど、秋雅さんは霊能力者って奴なんですか?」

 

 

 今聞きたいのがそれなのかと、幽霊の質問に対し少しばかりの呆れを覚えつつ、秋雅は小さく首を振る。

 

「違う。どちらかといえば……まあ、魔法使いの方だな」

「魔法使い、ですか」

「信じられない、か?」

「いえ、そんなこととは。私という幽霊がいるんですし、魔法使いがいたっておかしくはないと思います」

 

 同列に語るべきことなのだろうか。そんな風に秋雅は思ったものの、しかしどちらも非科学的なことには変わりないかもしれない。とにかく、今はどうでもいいことだ。

 

「まあ、そうかもしれないな」

「質問なんですけど、私ってこれからどうなるんでしょうか?」

「それは、退治されるとか、そういうことを聞きたいのか?」

「そうなります」

「……他人事のように言うな、君は」

 

 どうにも先ほどから、我が事の話だというのに、幽霊は妙に他人事のような口調で言う。その事を秋雅は指摘すると、うーんと幽霊はこめかみの辺りを人差し指で弄りながら口を開く。

 

「何と言うか、実感がないんですよね。自分が幽霊だってことは分かっているんですけど、それでこう、このままでいたいのかって言われると分からないですし。かといって成仏したいのかというと、それはそれで、って感じで……記憶が無いからですかね?」

「私が知るか」

 

 ですよねえと、彼女は苦笑いを浮かべる。そんな彼女の、少しばかり暢気な様子に、またもや秋雅は呆れたように息を吐く。

 

「……だったら、自分の記憶でも探してみるか?」

「え?」

「自分が誰か分かれば、身の振り方も考えやすくなるだろう。乗りかかった船だ、少しばかり手伝ってやってもいい」

 

 偽善的だな、と秋雅は自分の提案に対しそんなことを思う。だが、そうしてみようかと思ってしまったのだから仕方ない。どうにも甘さを捨てきれない、そう自分を評しつつ、それが良い点なのか、はたまた悪い点なのかと、自分自身にそう問いかける。もっとも、そんな事をしたところで、答えなど出るはずもなかったのだけれども。

 

「良いんですか?」

 

 対して、秋雅の提案を聞いた幽霊は少しばかり驚いたような表情を浮かべて言う。まさかそんな事を言われるとは、欠片も思っていなかったという表情だ。

 

「君自身について個人的な興味も湧いたからな。どうやって幽霊が実体を持ったのかも含めて、多少調べてみたいという欲求がある」

「実体?」

 

 どうやら自分が単なる幽霊でないことには気付いていなかったらしく、彼女は不思議そうに首を傾げる。しかしそれに対し答えず、秋雅はもう一度問いかける。

 

「で、どうする? 別に、ここで今払ってやってもいいが。まあ、少なくともこのまま見逃してやるわけにもいかんがな」

「…………これから、お願いします」

 

 深々と、幽霊が頭を下げる。直前の秋雅の脅しが効いたというわけではないらしく、時間は短かったもののじっくりと考え込んだ末の結論のようであった。

 

「分かった。では、そういうことで」

 

 そう秋雅が言った直後、足元から唸るような声が聞こえた。どうやら、気絶していた生徒達の一人が意識を取り戻そうとしているらしい。

 

「……思いのほか長話になっていたようだな。君はとりあえず、屋上にでも移動しておけ。後で迎えに来る。もし誰か、スーツの男なりが来たら私の名前を出せ。そうすれば少なくともすぐに退治されることはないはずだ」

「あ、はい。分かりました」

 

 秋雅の言葉に頷いて、幽霊がタタタと廊下を走っていく。それだけを見れば完全に、生きている人間にしか見えないだろう。

 

「つくづく、普通の幽霊ではないな」

 

 さて、どうなることやら。そんな風に呟いて、秋雅は一先ず美代を起こそうと彼女の傍らに膝をつくのであった。

 









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彼女のこと、自身のこと

『夏休みでよかったよ、本当に。そうじゃなきゃ今以上に絡まれるところだった』

「幽霊のことか? 別に、お前が直接的に会ったわけじゃないだろ」

 

 秋雅がそう聞くと、電話の向こうにいる冬音がため息をついた。

 

『秋雅兄さんの所為だよ。兄さんが格好良い事するから、一緒にいた娘たちから色々聞かれるんだもん』

「大したことはしていないだろ。格好良いは言いすぎだって」

『あの娘たちはそう思っていないってことだよ、兄さんの認識はともかくね……ところで、兄さんは見てないの? 例の幽霊』

「いや、俺がついたときにはもう、皆が気絶しているだけだったからなあ」

 

 電話越しの妹に対し、秋雅は嘯く。その後、うっとうしそうに顔をしかめ、携帯電話を持ち替えて逆の耳に当てつつ、開いた側の側頭部にかいた汗を手で拭う。

 

「……暑いな、本当に」

『夏の昼だし、そりゃ暑いって』

 

 秋雅としては独り言で呟いたつもりであったが、しかしそれに冬音が苦笑するように答える。

 

「ああ、まったくだな」

 

 今度は額に浮かんできた汗を拭いつつ、秋雅は天上に鎮座する太陽に目を細める。あの夜から既に一週間ほどが経った、とある夏の日の昼だった。

 

 

 

 結局、あの夜のことは委員会によって記憶操作されることもなく、そのまま放置されることになっていた。幽霊の仕業ということになっても特に問題がなかったから、というのが大きな理由だ。さらに加えて言うならば、自分の妹にまで記憶処理を行われるということに秋雅が難色を示したというのもある。秋雅としては如何程も――己が正体も含めて――家族に世界の裏側を知らせる気などなかったからだ。

 

 必要性も薄いし、放置する消極的理由もある。ともなれば、委員会は隠蔽工作をやらないのも、まったくもって当然の話だと言えよう。こうして、冬音も、そしてあの場にいた誰も、ついにこの世の神秘に触れることなく、あの夜を終えることとなったのであった。

 

 

 

 そして現在。大学からの帰り道に秋雅は冬音からの電話を受け取り、自宅までの帰り道に会話を交わすこととなっていた。話題は、まあ当然というべきか、あの日の夜の事が中心だった。あれからどうした、そしてこうした、という話を冬音がするのを聞きながら秋雅は歩いていたのだが、ふと気付くともう既に彼がその一室を住居としているマンションのすぐ前にまで来ていた。

 

 

「……ん、悪い。そろそろ切るぞ」

「あ、ごめんね。長話につき合わせちゃって」

「いいさ。じゃあな、冬音」

「うん、またね」

 

 別れの挨拶を交換し合い、秋雅は電話を切る。妹が元気そうであったことに少し顔をほころばせつつ、秋雅はマンションの中に入る。大学生が一人で住むには少々豪華が過ぎる、高級マンションに分類されるものだ。その中、彼が住む一室はこのマンションの最上階であるので、秋雅は階段には目もくれずエレベーターに乗り込む。時間帯の所為か、乗るのは秋雅一人だ。いつものように、秋雅は最上階のボタンを押して、ドアが閉まるのを待つ。

 

 エレベーター特有である、あの何とも言えない浮遊感を数秒。到着を知らせる快音と機械音声を発しつつ、エレベーターがそのドアを開く。そのまま、秋雅はエレベーターを降り、廊下を歩き出す。

 

 秋雅が住む部屋は、このフロアのちょうど中央の一室だ。正確に言うと、このマンションの最上階フロアにある部屋は全て秋雅のものであり、そのうちの一つを生活の場にしているに過ぎない。それ以外の部屋は、秋雅が所持する魔術品の倉庫となっていたり、あるいは何らかの理由で他人を――呪術側の人間のことだ――招く際に用いたりと、幾つかの用途で使用されている。用途を聞けばかなりの無駄に聞こえてしまうであろうが、そもそもこのマンションのフロア自体、以前に秋雅が依頼の報酬として受け取った物であるので、むしろ秋雅はそれを有効活用しているほうであろう。

 

 ともかくとして、自室の玄関前まで辿り着いた秋雅は、懐から部屋の鍵を取り出そうとした。

 

 しかし、それを途中で止め、胸元に手を突っ込んだまま、何とも形容しがたい表情で自室のドアをじっと見る。数秒ほど後、小さく息を吐いた後、懐に入れていた手を出して、インターフォンを鳴らす。

 

「――私だ」

 

 短い言葉に返答はない。だが、すぐにどたばたと、こちらへ向かってくる足音が聞こえる。その人物が玄関のすぐ前に来たと分かったと同時、カチャリとドアの鍵を開ける音がして、中から女性が現れた。

 

「お帰りなさい」

 

 そう秋雅に言ったのは、白いワンピースに黒髪が映える、秋雅と同い年ぐらいの女性――あの、幽霊の彼女であった。その彼女は、何処となく嬉しそうな顔を浮かべて、目の前に立つ秋雅をじっと見ている。

 

「ああ」

 

 彼女の歓迎に対し、秋雅は短く声をかけた後、開かれているドアに手をかける。それを見て彼女は一歩下がり、秋雅は中へと入るために道を空ける。

 

「嬉しそうだな」

 

 彼女が浮かべている表情と雰囲気に、秋雅は思わずそう呟く。それに対し、彼女はええと嬉しそうに頷いてみせる。

 

「何と言うか、やっと貴方に受け入れてもらったような気がしたので。鍵を自分で開けずに、私を呼んでもらったのは今日が初めてですから」

「……そうか」

 

 やはり短く、秋雅はそう彼女に返す。素っ気無いと思われるであろう彼の態度であるが、しかし彼女はそんなことは気にしていないかのように、ニコニコと笑みを浮かべている。

 

「何か作っているようだが、いいのか?」

 

 そんな彼女の笑みを見て、秋雅はつい話を切り替えるかのように、台所の方に目をやって言う。その彼の言葉に対し彼女は、いけない、と手をパンと叩いた後、トタトタと小走りで台所へと向かう。

 

 そして数秒、彼女が去った後を見つめた後、秋雅は軽く頭を振って私室へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 あの夜、秋雅が出会った幽霊は、今現在秋雅の家の厄介となっていた。最初は事情を知った正史編纂委員会が引き取る事を提案したのだが、当人が秋雅と離れることに積極的でなかったことと、秋雅自身も提案をしたのは自分だからと言ったため、秋雅の家で生活をするようになったのである。

 

 ちなみに、生活を始めるにあたって、その幽霊に仮名でもつけるべきかと秋雅は思い、提案をしてみたのだが、

 

「自分の名前を思い出したときに混乱しそうですから、すみません」

 

 と、こういった理由で彼女が――流石にと言うべきなのか、非常に申し訳なさそうに――断ったので、未だに秋雅は彼女の事を、君などと呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 一息。私室のベッドに身体を横たわらせながら、秋雅は疲れたように息を漏らす。

 

「……どうにも、慣れん」

 

 ぼうっと天井を見上げながら、何となしに秋雅は呟く。その呟きこそが彼の、ここ一週間の生活の感想であった。

 

「薄情なのかな、俺は」

 

 感情の無い声で、秋雅はボソリとそれを口に出す。そしてそのまま、秋雅はゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「……つまり、呪力を溜め込み、それを無意識に変換している。そう、私は考えている」

 

 そう、秋雅は彼女に告げる。今までの研究の結果から、そうであるのだと結論付けた内容であった。

 

「呪力を溜め込む、ですか?」

 

 対し、それを聞いた彼女の方は、いまいちピンと来ていないように首を傾げる。元々、そういった事情を知らぬ表の世界の住人だ。これだけでは伝わらないかと、秋雅は説明を続ける。

 

「普通、幽霊というものは呪力をさして溜め込む事が出来ない。これは基本的に、生者と比べて呪力を受け入れている器が小さい所為だと考えられている。肉体が無い分、容量が少ないからだな」

「成る程」

「だが」

 

 唐突に、秋雅はその右手に呪力を集める。おおよそ、一般的な魔術師の三人分はあるであろうか。それを彼は、何の前触れも無く目の前の幽霊の彼女へと投げる。それを彼女は避けることなく――あるいは、単純に反応が間に合わなかったのかもしれない――そのままそれを受け止める。本来であれば幽霊など簡単に散ってしまうような呪力の塊であったが、しかし彼女は平然としていた。

 

「……このように、君はこれだけの呪力を得ても一切影響がない。それどころか、それを用いて実体化すらしている」

 

 ちらりと秋雅が見たのをどう取ったのか、彼女は近くにあった小物を手に取る。霊体であるということなど分からぬほどに、彼女は普通にそれを手の中で転がせる。

 

「私の知り合いに幽体離脱を得意とする魔女がいるが、その彼女も霊体のまま物に触れることは出来ない。念力を併用してようやく、という具合だ」

 

 だが、今秋雅の目の前にいる彼女はそのような事をしていない。何を意識するわけでもなく、平然と物を掴んでいる。

 

「実体化のメカニズムはよく分からんが、まあ取り込んだ呪力を使っているんだろう」

 

 ある種、まつろわぬ神が現世で肉体を持つのと同じメカニズムなのかもしれないと、ふとそのような推測が浮かぶ。まあ、そうだったとしても、規模としては桁違いとなるのだろうが。

 

「元々そういう体質だったのか。あるいは死んだことで開花したのか……はたまた、そんな影響を受けるような死だったのか」

 

 どうだろうな、と秋雅は彼女を見ながら言う。その視線に彼女が困ったような表情を浮かべたのに気付いて、秋雅は話を少し逸らして続ける。

 

「……今のところ、溜め込んだ呪力を実体化維持にしか使っていないようだが、理解が深まれば魔術の一つぐらいは使えるようになるかもしれないな」

 

 そうなんですか、と彼女は秋雅の発言に対し頷く。何処か、その声に嬉しそうな色が見えるのは、自分が魔術――魔法という、夢物語の力を扱えるようになるかもしれないという期待によるものだろうか。もっとも、それで言えば既に、彼女は幽霊という非科学的な存在になっているのであるが。

 

「まあ、それを考えるのはまだ先だ。それよりもまずは、君の正体を探る方を優先するべきだろう」

「そうですね……分かります?」

 

 私の正体は、と彼女は若干首を傾げて言う。相変わらず何処か他人事のように聞こえる。前向きというか、後ろ向きな雰囲気がまるでないというか。極端に記憶がなくなるとそうなるのであろうかと、そんなことを秋雅は思う。

 

「君が生きている人間と見間違うレベルで実体化できたのは幸運だった。おかげで、こうして写真を撮ることが出来たからな」

 

 ちらりと、秋雅は手元にある写真に目をやる。そこには、本当に幽霊なのかと聞きたくなるほどに、彼女の姿がくっきりと映っている。一応は心霊写真であるのだが、しかしこれを見て幽霊だと思う人はまずいないだろう。

 

「現在、この写真を元に正史編纂委員会に調査を命じている。写真一枚からというのが何とも難しいところだが、少しぐらいは情報も上がってくるだろう」

 

 とはいえ、秋雅も触れているとおり、写真一枚だけで人物を特定するのは難しい。名前が分かっていない、というのがこれに拍車をかけている。一応、彼女がいたあの高校の卒業生を中心に調査をさせているのだが、クリーンヒットするかどうかは怪しい、という風に秋雅は思っている。まあ、そこまで口に出す気は無かったが。

 

「何にせよ、今は待ちの姿勢だな」

 

 そう呟いた時、秋雅の意識は暗転した。

 

 

 

 

 気付けば、毎晩と毎朝に見慣れた天井を、秋雅はぼんやりと見つめていた。数秒経ち、回り始めた頭が結論を導き出す。

 

「……ああ、寝ていたのか」

 

 小さく呟いて、秋雅はベッドから身を起こす。どうやら、寝転がった際にそのまま眠ってしまったようだった。夢の内容は三日ほど前の回想で、見た原因は寝る前の事がそうなるのだろうか。そんな事を考えつつ、僅かに残る眠気を軽く頭を振ることで取り除く。そして、帰ってから付けっ放しの腕時計に目をやると、大体一時間ほどが経っている事が分かった。

 

「疲れているのかな、俺は」

 

 何気なくそんな言葉を口に出した後、そうだなとその言葉に自分で納得する。もう一週間、幽霊の彼女と生活を共にしているのだ。その間、正確には彼女が近くにいる間はずっと秋雅は王としての言動を心がけるようにしていた。それが存外、秋雅にとっての負担となっていた。

 

 例えば、『ロサンゼルスの守護聖人』であるジョン・プルートー・スミスの名を持つ秋雅の盟友たる彼女(・・)のように、普段と王としてのそれがほぼ別人格となっているというのならばともかく、秋雅の場合はただ自分で意図的に振る舞いを変えているだけだ。そしてその王としての人格は、秋雅の素のそれと大きく異なっている。だというのに、自分の素直な言動を封じて、人の上に立つにふさわしい振る舞いを続けるというのが、思いの外秋雅の精神を消耗させていた。

 

 

「まあ、結局は自業自得か」

 

 いい加減付けっ放しだった腕時計を外しつつ、秋雅は何となしに呟く。そう、結局のところ、秋雅は幽霊の彼女の前でも素を見せれば良いだけの話だとも言えよう。

 

 だが、そうもいかないというのが秋雅の少々面倒なところであった。どうやっても、自分が王として振舞う相手――基本的には魔術師たち、及びその関係者のことだ――に対しては、秋雅は自分の素を見せるという事が出来ないのだ。これはもう理屈ではなく、ほぼほぼ本能的にそうしてしまう。数少ない例外を除いて、魔術関係の人間相手には、どれほど親しくなろうとも秋雅が素を見せることは無い。

 

 だから、最初にそう振る舞い、その後も魔術と縁を切る事がまずないであろう彼女に対しても、秋雅は王としての稲穂秋雅を保ち続けないといけなかった。ここまで秋雅が強く自分を見せないのも理由はあるが、ここでは割愛する。重要なのは、秋雅は魔術側の者に対しては絶対に素を見せない、見せられないという点だけだ。

 

 

「……それにしても、こんなに気疲れするものだったか?」

 

 少しばかり不思議そうに、秋雅は首を捻る。確かに長期間王として振舞ったことで疲労するというのには納得がいったが、しかしそれだけでこうも疲れるものだろうか。これまでにもこれ以上の期間、例えば半月ほどとある魔術結社の客人としてそこに滞在していたことがあったが、その間ずっと王としての言動をとり続けていたというのに、これほど疲れてはいなかったように秋雅には感じられた。

 

「となると……」

 

 少々どうでもいいことかもしれないが、秋雅は何となくそのまま思考を続けてみる。一体どういう理由があるのかと幾つかの可能性を浮かべていって、

 

「……ああ、そうか」

 

 自分の家だからか、と秋雅は納得がいったように呟いた。彼女との生活にあたって自分が苦痛に感じていたのは常に演技をしていたことではなく、自分のプライベートにそれを持ち込まなければならなかったことなのかと、今更ながらに秋雅は理解したのである。

 

 

 考えてみれば秋雅は、向こうに行って王として生活をするということはあっても、こちらに相手がいる状態で王として振舞うのは始めてだった。そもそも、彼はこれまで極力自分のプライベートな場所にカンピオーネとしての秋雅を知っている者を招かないようにしていた。理由は言うまでもなく、王ではない稲穂秋雅という男のことを知られたくなかったからだ。だから、今こうして、自分が生活している場というものを見せ、あまつさえそこで生活をさせているということが、思いがけない負担となっていたのであろう。

 

「まあ、そう分かっても、このまま放り出すわけにも行かないからなあ」

 

 

 疲れている所為か、独り言を続けながら秋雅はため息をつく。流石に、自分で来るように誘っておきながら、自分が疲れるからと途中で放り出すなどという不義理な真似はできない。となればこの場合は、彼女の記憶を早く取り戻し、彼女に今度の身の振り方を問うというのが真っ当な選択であろうか。

 

 しかし、まだ手がかりは掴めていないというのが現状だ。あの高校の卒業生、働いていた者を過去五年に遡って正史編纂委員会の者達に調べさせたが、まったく情報はなかった。他のルートでも多少なり調べているようだが、どうにも旗色は良くないようであった。

 

 だけれども、それで委員会に発破をかけさせるというのも気が引ける。ただでさえこれは秋雅が気まぐれで始めたようなものであるのだ、それで他者に負担を強いるというのも道理がない。

 

「ふむ……」

 

 どうしたものかと、秋雅は腕を組んで考え込む。改めて考えてみれば、いかに幽霊とはいえ女性と一つ屋根の下というのは、どうにも彼女達(・・・)に悪いように思える。おそらくは気にしないであろうが、しかし彼女たちよりも先に自分の家に女性を泊めているのは事実。あまり良くないかと、今更だがその事について秋雅は考える。

 

「大学も休みになったことだし、一度ウル(・・)達の元に行くべきか……何とも、後ろめたいことのある旦那のみたいだな」

 

 自分の思考に対し苦笑しつつ、しかし向かうこと自体は確定させて秋雅は手帳を開く。さて、一体何時がいいだろうかと、夏休みの間に行うつもりだった予定に目を通していく。

 

「…………うん?」

 

 大学関係、家族関係、魔術関係と、色々と確定もしていない予定に関しても考慮しながら秋雅は予定の確認をしていく。そんな中、そのうちの一文に目が行った。

 

「賢人議会との会合……」

 

 賢人議会――英国に本拠地を置く、世界でも特にカンピオーネについての情報を収集、発表している、魔術・オカルトの研究機関だ――と秋雅の関係は、実に驚嘆すべきことであるのだが、かなり良好と言っていい。カンピオーネという存在の危険性を世界中に発信し、有事の際には率先して対応せんとしている彼らは当然のようにカンピオーネ本人たちとの交流はそうない。個人レベルでの交流はともかくとして、組織としてカンピオーネを歓待するということはまず無い。

 

 しかし、稲穂秋雅という王は例外であった。歴代、そして現存するカンピオーネの中で数少ない、極めて理性的で、他者を犠牲にしてでも己が欲望、欲求を通すということがない王として、賢人議会は秋雅の事を肯定的に見ている。世界各国の魔術結社からの要望を少ない報酬――起こる可能性のあった被害に対する復興費と比べて、という意味だ――で引き受けていること。そして何よりも、これまでイギリスで発生した魔術的な問題を、何度も軽微な被害で収束させてきたというのが大きいのだろう。

 

 

 そんな賢人議会からの会合の誘い。一月ほど前から誘われていたが、時間が取れないからと後回しにしていたそれから、秋雅はあの組織の実質的トップとも呼んでいいあの女性を思い出し、口の端で弧を描く。

 

「――その手があったか」

 

 一つ頷いて、秋雅は自室のドアを開ける。すると夕食の準備をしてようで、手に皿を持った彼女が秋雅に声をかけてくる。

 

「ああ、秋雅さん。お夕飯の準備を始めているんですけど、早いですかね?」

「いや、別にいい。それよりも、何か足の早いものを大量に作っているか?」

「え? あ、いえ、特には」

「なら明日明後日にでもここを発つので、そのつもりでな。上手くやれば君の記憶が戻るかもしれない」

「発つ? 出かけるってことですか? 一体何処に?」

「英国……イギリスが目的地だ」

「……へ?」

 

 秋雅の言葉に対し、彼女は気の抜けた声を漏らした。

 

 

 

 



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英国の姫は、王の訪問を受ける






 ハムステッド。ロンドンでも屈指の高級住宅街に、その邸宅はあった。古城じみた外見を持つ四階建ての建物、広い敷地と庭、さらには四つの塔と、中々に豪華な建物だ。豪壮なデザイン集合住宅が多いこの場所でなければ、周囲から浮いてしまうことは想像に難くない。

 

 そんな邸宅の一室、応接室として用いられているその部屋に、一人の女性がいた。ゴドウィン侯爵家令嬢にして、この邸宅の主、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール。プリンセス・アリスとも呼ばれる彼女こそ、グリニッジ賢人議会の元議長にして現在の顧問であり、『天』の位を極めた魔女である。

 

 そんな彼女が一体、何処の誰を待っているというのか。その答えは、彼女が傍らに置いていた一通の手紙、その差出人の名を読み上げたことで判明する。

 

「……稲穂秋雅。まさかあの方をここに招くことになるなんてね」

 

 そう、何処か楽しげにアリスは呟いた。

 

 

 

 その手紙がアリスの元に送られてきたのは、今から三日ほど前のことである。『投函』の魔術などで直接的に送られたのではなく、平常の郵送の手段で送られてきた――おそらくは部屋に直接届けるなど無礼であると、そんな風に秋雅が思ったからではないかとアリスは推察している――その手紙には、秋雅からアリスへの訪問の許可と協力の要請を願う内容が、丁寧な文体と文字で綴られていた。上辺だけのものではなく、確かにアリスへの敬意や尊重を感じられる文面であった。

 

 かのカンピオーネからそのような気遣いをされているということですら驚くべきことであるのに、さらにそこには、都合が悪ければこれを断っても構わないとすら書かれていたのである。我侭で己が道を突き進む傾向のあるカンピオーネからの手紙とは、とてもとても思えぬような内容であった。

 

 無論、そこまで書かれていて要望を断るという選択を取るはずもなく、アリスは急ぎ使用人たちに命じて歓迎の準備を進めつつ、返答の手紙をしたためた。それを、届けられた手紙に書かれていた住所――ロンドンにあるとある高級ホテルのものであったことから、わざわざイギリスに来てから手紙を送ったのであろう――に急ぎ郵送し、こうして今日という日を待っていたのである。

 

 

「それにしても、一体どのようなご用件なのかしら?」

 

 手紙に書かれていたのはアリスへの協力の要請だけで、その具体的な内容にまでは触れられていなかった。協力の対価として、現在賢人議会が何かしらの問題を掲げていた場合は解決に協力するとも書かれていたことから、それなりに大きな用件であるのかとは思っている。だがしかし、稲穂秋雅という王は時折報酬と依頼内容が釣り合っていないことを言う場合も――その場合、どう見ても秋雅が損をしているようにしか見えないものばかりだ――あるので、そうだとは断言できないところがあった。

 

 

 また、同行者がいるとも手紙には書かれていたので、あるいはそちら関係だろうかと、アリスが何度目かの推測をつらつらと重ねていると、ノックの音を挟みつつ、一人のメイドが部屋に入って来た。

 

「姫様、稲穂様がいらっしゃいました」

 

 そのメイドの言葉に、アリスは一つ頷いて返す。

 

「ここにお通しして頂戴。くれぐれも、粗相の無いように」

「はい、畏まりました」

 

 一礼し、そのメイドは部屋を出る。そのメイドはこの邸宅で働き始めてもう長いベテランであるのだが、珍しいことにその動きは何処かぎこちなさが感じられる。そんな様子に、無理もないかとアリスは僅かに苦笑を浮かべる。

 

「カンピオーネたる方の正式な訪問、緊張するなという方が無理な話でしょうね」

 

 この邸宅にも時折、とあるカンピオーネは出入りしているが、彼の場合は無遠慮で無作法、勝手に来て勝手に帰るという振る舞いであるので、こうして正式に礼を尽くして王を迎えるということは初めてだ。今回の訪問客の性格を考えると多少の無礼は気にしないであろうが、だからと言って手を抜いていいというわけではないし、何よりその事を知っているのは、実際に彼と会ったことのあるアリスのみだ。使用人たちが気を張り詰めているのも無理からぬ話であろう。

 

「これがアレクサンドルであれば――っと、いけない」

 

 この邸宅を訪れたことのある男、己がもっとも付き合いのあるカンピオーネ、アレクサンドル・ガスコインのことを口に出そうとして、アリスは慌てて口を紡ぐ。何せこれから来るカンピオーネ、稲穂秋雅は、アレクサンドルの事を毛嫌いしているからである。

 

 

 基本的に、稲穂秋雅という王は平和的だというのが、アリスが集めた情報、そして彼と直接あった経験を基にして出した結論である。勿論、平和的とは言っても、それは戦いを行わないという意味ではなく、単に自分から戦火を起こしたり、あるいは大きくしたりということを行わないという意味だ。

 

 加えて、秋雅は無益な、あるいは周囲への被害が大きくなるであろう戦いを極力避ける傾向にある。これは他のカンピオーネたちとの関係を見ればよく分かるだろう。例えば暴君として知られているあのヴォバン侯爵とも、実体はともかくとして、少なくとも表面上は相互不可侵という間柄だ。アリスの知る限りという条件だが、その他の王とも明確に敵対をしているというわけでもない。特に、アメリカの王であるジョン・プルートー・スミスとは盟友と呼び合う間柄だと聞いている。流石に表舞台に滅多に出てこない羅濠教主やアイーシャ夫人との関係は深くは分からないものの、それでも敵対をしているという情報は入ってこない。どうやら、稲穂秋雅という王は、出来うる限り他の王、及び力のある魔術師、魔術結社との敵対を好まないらしいというのが、それなり以上の情報収集能力を持つ魔術師たちの間で知られている話だ。

 

 しかしそんな中、唯一の例外というべきだろうか。ただ一人、『黒王子』アレクサンドル・ガスコインに対してのみは、稲穂秋雅は完全な敵対関係を取っているのである。それこそ、顔を見ればすぐにでも戦いの火蓋を切るであろうと言われるほどだ。あの、民の被害を最大限抑えようと様々な方法で尽力している秋雅が、だ。

 

 その理由自体は、アリスもよくは知らない。以前、アレクサンドルに一体何があったのかと尋ねたことはあったが、しかしその際に返って来た答えは、

 

『知らん。気付いたらこうなった』

 

 という、全く何も分からぬものであった。この答えを聞いて、アリスはすっかりこの事を掘り下げる事を諦めた。こういう物言いをするときのアレクサンドルは、己が行動に対する自覚という物がまったくないと理解していたからである。ただ、アレクサンドルが計画なり何なりで多大な失敗をしでかす時は大抵彼の女難の相の所為だろうと、そんな風には何となく考えていたりするが。これで秋雅の方に原因があったと考えないあたり、付き合いの深さからなる信頼というものが、ある種逆向きに働いているということであろうか。

 

 

 とまあ、そういうわけであって、稲穂秋雅の前で下手にアレクサンドル・ガスコインの話をすると彼が非常に不愉快そうな表情を浮かべる――なお、どうやら本人に自覚は無いらしい――ので、必要があって話題に出すという場合を除き、秋雅の前ではアレクサンドルの名前は愚か、下手に脳裏にその名前を浮かべるということも避けたほうがいい。それが、これまでの交流の中でアリスが学んだことの一つであった。むしろこれだけを押さえておけば大抵は何事も無く謁見を終わらせられるのだから、稲穂秋雅はという王はある程度気を楽にして会話の出来る相手だと言えるのかも知れないが。

 

「……まあ、稲穂様の話題によっては、他の事に気を取られる余裕なんてないのかもしれないけれど」

 

 そんな風にあれこれとした思考を纏めて、アリスは一つ頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、待つこと数分ほど。再び部屋の戸をノックする音が響く。

 

「どうぞ」

 

 アリスが中から返答をするとドアが開き、一礼するメイドの前を悠々と通って、一人の男性が現れる。今回の待ち人、稲穂秋雅その人であった。

 

「プリンセス・アリス。今回は突然の訪問でありながらこのように歓迎頂き、真に感謝する」

「いえ、こちらこそ稲穂様を当屋敷に迎える事ができ、その喜びに感激しております」

 

 秋雅の言葉に、アリスは軽く頭を下げて言う。普段であれば姫として頭を下げられる立場であるアリスだが、流石に相手が王ともなれば彼女の方が礼を尽くさなければならない。

 

「……ところで稲穂様、そちらの方が同行者の?」

「ああ、そうだ」

「あ、初めまして」

 

 頭を上げたアリスは、秋雅の後ろについて来ていた一人の女性に目を向ける。東洋人らしき女性だと見た目から分かる事を思った後、アリスはおやと首を傾げる。

 

「そちらの方は、もしや幽体ですか?」

 

 今の自分と同じ、幽体の存在ではないか。感じ取ったその推測をアリスが口に出すと、秋雅は感心したように頷いてみせる。

 

「やはり分かるか。その辺りも含めて、今日は貴女に協力を要請しに来たのだ」

「何やら事情がお有りのようですね。早速お話を伺わせて貰いますわ」

「うむ。話は長くなるのだが――」

 

 そうして、秋雅は傍らの女性について話を始めたのだが、その内容はアリスにとっても驚くべきことであった。幽霊であるというのに呪力を吸収する体質に、その呪力を用いた実体化など、中々に信じがたい内容だ。

 

 しかし、実際にソファの軋みや沈み様から彼女が実体、ならびに質量を持っている事が見て取れるし、あまつさえ出された紅茶を飲むという、アリスですら出来ない幽体の身での飲食なども見せられては、目の前の幽霊が些か規格外の存在であると認めざるを得ない。

 

 

「成る程、中々に興味深い存在のようですわね」

 

 秋雅の話をあらかた聞き終わった後で、アリスはそんな感想を述べる。魔術、オカルトの探求者の一人として、目の前の彼女のような例外的な存在に対し、好奇心や探究心を覚えずに入られないというのが、アリスの素直な感想であった。

 

「ああ。しかも、これで名前も記憶も覚えていないのだからまったく訳の分からない話だと思っている」

「……よくそれで自己を保っていられますね」

 

 自分という存在を構築している要素のほぼ全てを失っておきながら、本来不安定な存在である幽霊が確かな自己を保っている。そこまでいくともはや呆れてすらしまうと、アリスは彼女を見ながら乾いた笑みを浮かべる。そんなアリスの視線に晒された彼女は、若干居心地悪そうに身体を縮めている。もっとも、今行われているアリスと秋雅の会話は全て英語であったので、別にアリスたちの会話を全て理解した上での態度、というわけではないのであるが。

 

 

 

「それで、結局私に何をさせたいのでしょうか?」

 

 説明も済んだと感じたところで、アリスは本題に切り込む。それに対し、秋雅も頷いた後アリスを見て口を開く。

 

「まず、一つ質問をしたいのだが、貴女が持つ精神感応能力、それを用いて他者の記憶を呼び覚ますことは可能だろうか?」

「精神感応ですか?」

 

 精神感応とは、精神を研ぎ澄ますことで他者の気配や感情を読み取るだけでなく、霊体や魂に干渉して自在に操る能力のことだ。アリスが現在用いている幽体離脱も、この能力の一環である。

 

「そうですね……精神感応はその人の魂にも干渉は出来ますから、上手くやれば感情や記憶を読み取る要領で行けるかもしれません。お話から察するに、お相手はそちらの幽霊さんなのですよね?」

「ああ」

「でしたら、より可能性は高いと思います。肉体が無く、より純粋な存在である分、成功の目はそれなりにあるかと」

「ふむ、そうか」

 

 アリスの推測を聞いて、秋雅は何度か軽く頷いている。何を考えているのだろうかとアリスが思っていると、秋雅は不意に立ち上がって、テーブルの向こうにいたアリスのすぐ隣にまでやってきた。

 

「稲穂様?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべているアリスの前で、秋雅は徐に片膝をつき、言った。

 

「プリンセス・アリス、淑女の寝室に足を踏み入れる許可を頂きたい」

 

 その秋雅の言葉に、アリスはたっぷり十秒ほど固まった後、

 

「……えっ」

 

 と、完全に素の声を漏らす。どういう意味か、脳の冷静な部分がそういう意味合いの言葉を急ぎ口に出そうとした、その瞬間。

 

「私に、貴女の身体を治す許可を頂きたいのだ」

 

 続けて放たれた秋雅の言葉に、今度こそ完全に、アリスの思考は固まった。

 

 







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逆行と回復






「――正確には、治すという表現は適切ではない」

 

 四階にある主寝室。アリスが自身の本体が眠っているその場所へと、秋雅を案内している中、秋雅はふと思い出したように言った。それに対し、彼を先導していたアリスは足を止め、振り返って首を傾げる。

 

「治すわけではない、と?」

「私の権能の一つに、生物の時を戻す権能があるのは、貴女もご存知だと思う」

「ええ、存じております」

 

 秋雅の言葉に、アリスは小さく頷く。秋雅の権能はその半分以上が表立って知られていないが、しかしカンピオーネに対する情報収集能力ではトップクラスである賢人議会、その特別顧問であるアリスは秋雅が秘している権能も、他者よりは知っている。

 

 若干話がそれるが、カンピオーネは基本的に自身の権能に対しそれほど頓着していない傾向にある。権能の名前に特に拘らず賢人議会が名づけた暫定的な名称をそのまま採用していたり、所持する権能の情報を他者に知られる事を気にしなかったりなどだ。前者は特定の物事以外執着を見せない彼らの特性によるものであり、後者は自身の力を知られたところでそれごと叩き潰すという、彼らの勝利への自信の表れだと言えるだろう。付属して、一部例外を除き他者の権能にもいまいち関心が薄いというのもある。

 

 しかし、例外的に――またもやと言うべきか――秋雅は自身や他者の権能の情報という物に、かなりの注意を払っていた。情報的なアドバンテージという物を、極めて重視しているのである。豪胆さを特徴の一つとするカンピオーネにしては、ある種臆病とも言える行動だが、

 

『知られていないに越したことは無い』

 

 というのが、以前にアリスが彼から聞いた言葉であった。

 

 こういったことから、彼が賢人議会に対しある種過多とも言える貢献をしてきたのも、それらの情報規制に口を挟む為であろうとアリスは推察している。事実、彼の賢人議会への協力の報酬として、賢人議会が把握している彼に対する情報の多くを秘密にし、決して外部に出さないようにするというものがある。そのため、賢人議会は把握している秋雅の権能のうち、彼の代名詞でもある『万砕の雷槌』(ハンマー・オブ・ザ・デストラクション)と、彼が戦闘の際に必ず用いる『冥府への扉』(ルーラー・オブ・ザ・ハデス)の二つのみを、彼らが把握している稲穂秋雅の権能として発表している。他にも、『我は留まらず』(ダンス・イン・マイ・ハンド)『過去か、未来か』(タイム・ライク・ア・リバー)などの権能も把握してはいるのだが、それらの情報は決して表に出ないようにしていた。そういう契約が、秋雅と賢人議会の間では結ばれているのである。

 

 なお、余談になるものの、秋雅は自分の権能の名前を自ら名づけていたりする。前述の通りカンピオーネたちは基本的に自分の権能の名前に興味が無い――若干の例外もあるが――ので、彼のこだわりは中々に珍しいと言えよう。その際、彼は和名と英名、それぞれで権能の名前を考えているという凝りようで、それ故に彼の持つ権能は和名と英名で直訳が異なったりしているのである。ちなみに、『万砕の雷槌』と『冥府への扉』がほとんど直訳に近いのは、これら二つのみ秋雅が名を考える前に賢人議会が英名を勝手につけていたので、それに合わせて秋雅が和名を考えたからであった。なお、この秋雅のこだわりに対して以前にアリスが質問をしたところ、

 

『自分の持ち物の名を当人が考えるのは当然ではないだろうか?』

 

 という答えが返ってきたりなどしている。こういった事情も有って、賢人議会が彼の権能の情報を新しく得た場合は、彼に自分達が把握した権能の内容を話し、秋雅がうんと言えば、彼が考えていた権能の名前と共に、一部の者しか閲覧できないようにした上で、その権能の情報を保管するという流れになっていた。

 

 

 そういった事情があるためか、今アリスの寝室に向かっているのはアリスと秋雅の二人のみだ。アリスに使える使用人達はおろか、秋雅が連れてきた彼女もここにはいない。これは言うまでもなく、秋雅の意向によるものであり、必要ない相手にまで手の内を晒す気がないということであろう。

 

 

 

 

「――そして、今回私が用いる気なのがそれだ」

 

 アリスの頷きを確認しつつ、秋雅は軽く視線を前に向ける。その意味を察して、アリスは再び前を向き、歩みを再開する。すると、秋雅が一瞬だけ足を速めてアリスのすぐ横につく。どうやら、互いに顔も見えない前後での会話に対し、どうかと思ったようであった。

 

「貴女が身体を壊したのは六年ほど前だったと聞いているが、確かだろうか?」

「ええ、その通りですわ。ちょうど、貴方様が王となられた頃になりますか」

「そうなるな……ともかく、そういうことであれば、私の権能を用いて貴女の肉体の時間を六年ほど戻せば、一応貴女の身体は治る事になる」

「そう……なりますわね」

 

 秋雅の言葉にアリスは平然と同意したように見せたが、実際の内心は非常に乱れきっていた。何せこれが上手く行けば、肉体が幼くなってはしまうものの、現在のようにろくに生身の身体を動かすことの出来ない状況から脱する事が出来るからだ。あくまで戻すだけであるから病弱なことに代わりは無いだろうが、しかし少なくとも一人で邸内を歩き回る程度のことは出来るようになるはず。それを考えれば、期待に胸が高鳴るのは当然であった。

 

 勿論、これが上手く行けば秋雅への大きな借りとなる。彼は能力を使ってもらうために万全を期したいだけだとアリスに言ったが、だからといってそれを甘んじて受け入れるには流石にこちらの報酬が大きすぎる。かと言ってどういう風に恩を返せばいいのかとなると、それはそれで中々に考え物だ。形式上、あちらから申し出てくれたことなので金銭で報酬を払うというのも変な話だろう。もし返すとすれば、それは形の無いもので返すしかない。所謂ところの、借り一つ、と言ったところだろうか。もっとも、アリスの立場という物を考えると、とても一つにはなりそうにないが。

 

 

 その後は特に会話も無く、アリスは秋雅をとうとう自身の寝室まで案内した。ここに男性の身で来たのは――少なくとも、アリスが大きく体を壊してからは――二人目だ。

 

「ここが、私の寝室になります」

「……無礼にも淑女の私室に入る無礼を詫びさせてもらおう」

 

 ドアを開け、秋雅を招き入れるアリスに対し、秋雅は律儀にも再び非礼を詫びて軽く頭を下げる。その彼の態度にはわざとらしさというものがまったく感じられなかったので、アリスは静かに、柔らかく微笑むことで、それを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 アリスの寝室は、まさしく貴族の部屋と言った風なものであった。一見しただけでも分かる豪勢な家具と、見るものが見れば分かる質のよい上品な調度品たち。そんな中でやはり一際目を引くのは、部屋の中央にある豪奢な寝台だろう。

 

 そこには、一人の女性が眠っていた。それは紛れも無くアリスの本体であり、よくよく見れば霊体の彼女よりもやつれているに見える。ともすれば、霊体の方よりも、生気がないようにすら見えるだろう。これが今の自分なのだと、アリスは霊体の目を通して改めて己の肉体を見やる。

 

「このような姿をさらしてしまい、恥ずかしい限りですわ」

「気にする必要は無い。私が強引に足を踏み入れたと、そういうことなのだから」

「お気遣い感謝します、稲穂様」

 

 秋雅の言葉に答えた後、アリスは霊体を消し去る。本体の、自身の口で会話を行うつもりだからだ。この場では霊体ではなく本体での会話を、そういう思いの元の行動であった。

 

「沈黙を望もう、プリンセス・アリス。貴女は動かず、ただじっとしていればいい」

 

 しかし、アリスがそうしようとしたところで、秋雅がそんな言葉を口にした。口調こそは命令のようであるものの、しかしそれはアリスに無理をさせまいとする秋雅の気遣いであるとアリスにはすぐに分かった。命令調にしているのは、そうした方がアリスは従ってくれるだろうと考えた為なのだろう。

 

 そんな彼の気遣いに、アリスは甘えることにした。今から秋雅がやろうとしていることへの影響も考えて幽体離脱もせず、ゆったりと身体の力を抜いて彼を待つ。

 

「……始めよう」

 

 秋雅の言葉と共に、彼の身体から多量の呪力が立ち上る。ぐぐと右手を強く握り締めた後、秋雅は目の前に横たわるアリスに、開いた右の掌を向けながら口を開く。

 

「それは常に移ろうものなり。決して留まらず、ただ流れ行くものなり。されど、我は今ここに命ず――我が前に在るかの者の、その時を今こそ、過去へと遡らせよ――!!」

 

 彼の口から聖句が紡がれ、それによって発動した権能の力が目の前に横たわるアリスを包み込んでいく。

 

 すると、まるで羽毛で撫でられたかのような刺激が、アリスの全身を覆っていく。ともすれば反射的に拒絶してしまいそうになる己を自制し、自らの意思でアリスがその力を受け入れると、次第に感覚の種類が変わっていく。むず痒さと、そして心地よさ。それ以外にも様々な感覚を覚えながら、アリスはただただ黙って受け入れる。

 

「気分は如何だろうか、アリス殿」

 

 どれほどが経ったであろうか。ふと聞こえた秋雅の問いかけの声に、アリスはハッとして目を開ける。気付けば先ほどまで感じていたものも既に無く、秋雅からもあの圧倒的なまでの呪力を感じることも無い。

 

 どうなったのだろうか。そんな思いを抱きつつもアリスが口を開こうとした、その時であった。

 

「…………え?」

 

 思わず、アリスの口から声が漏れる。その視線は何気なく目の前で開かれている、自分の右手に注がれていた。

 

「何とも、ない……」

 

 手の一本を動かすことすら満足に出来なかった己が、反射的に手を上げている。それによる疲労も一切感じられない。いや、今更ながらにアリスは気付く。先ほどまで確かにあった疲労感と虚脱感が、ほとんど感じられないということに。

 

 理解は、していた。信用もしていた。だが、いざ実際に起こってみると信じられないと思ってしまうのは、彼女もまた変わらなかったらしい。目の前の事実に思考が追いつかない状態が幾らか続いた後、アリスの意思がようやく戻ってくる。

 

「んっ……」

 

 意を決し、アリスが身体を起こそうとすると、驚くほど軽やかにその身は起きた。昨日までは、その身にかかっている軽い羽毛布団すら枷のように感じ、満足に一人で起き上がることすら出来なかったというのに、今では確かに自分一人で起き上がる事が出来た。まるで六年前の、体調を致命的なまでに崩してしまう前のように。

 

 倦怠感は、ある。だがそれは、六年前にも感じていた、生まれもっての虚弱体質から来るものだ。あの頃は疎ましく思っていたそれも、それ以下を体験し続け、そしてそれを捨て去れた今のアリスにとっては、その倦怠感などまるで問題とは思えなかった。

 

「……稲穂様」

 

 思わずその名前を口に出しながら、アリスは呆然と秋雅の顔を見る。その彼女に対し、秋雅は大きく頷いて、

 

「気分は、どうだろうか?」

 

 再びの問いかけ。それに対しアリスは、

 

「この上なく……」

 

 そう呟いて、一筋の涙を流した。それは他人の前で初めて見せた、彼女の心からの喜びの涙であった。

 




 なお、もう少し秋雅の治療は続く予定だったり。書いていてあれだけど、アリスって何か泣くイメージないので違和感があるなあと。




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恩義と依頼






「……本当に、若返っていますね」

 

 鏡に映っている自分の姿を見て、アリスは小さく呟く。手などを見ている限りでは実感が湧かなかったが、やはりこうして鏡で自分の顔を見るとよく分かる。前に見たときは確かに大人の女性の顔であったはずなのに、今ではかつて見ていた少女の姿だ。若返らせるということで分かってはいたのだが、実際に見てみると何とも不可思議な気分だという感想をアリスは抱く。

 

「霊体を作るときは、前の時の姿で作るようにしてもらいたい。そうしないと色々と不都合が出るだろうからな。貴女にも、そして私にも」

「ええ、存じておりますわ」

 

 基本的に霊体というものは本体を同じ姿になるものなので、姿を変える――さらに、それを維持しなければならない――というのはそう簡単な話ではないのだが、アリスは当然だと頷く。多少のことならともかく、若返りなどそう易々と行えるものではない。その困難を起こした原因は何かと他者に探られれば、芋づる式に秋雅の権能についても知られる可能性がある。それを秋雅が嫌うことなど考えるまでもなく分かるので、アリスは秋雅の頼みを受け入れた。もっともアリス自身、一々事情を聞かれるのはうっとうしいと思うので、言われずともほぼほぼそうするつもりであったのだが。

 

 まあ、いくら外向けに偽ってみたところで、時折無礼に訪れることのある例の神殺しには隠し通せない可能性が高いのだが、そればかりは仕方のないことであろう。

 

「……それにしても、またこうして部屋の中を歩き回れるとは思っていませんでした」

 

 改めて、しみじみとアリスが呟く。ここ六年の間、公に出来なかったために十分ではなかったが、それでもトップレベルの治療を受けていたにもかかわらず、決して治ることのなかった彼女の身体。それがこうして、自由に歩き回れる程度に回復できた――秋雅の言うとおり、正確には回復ではないのだが、それはそれだ――のだから、これほど嬉しいことはないだろう。

 

「アリス殿」

 

 そうして喜びを見せているアリスに、ふと秋雅が声をかけた。どうしたのだろうとアリスが彼の方を見ると、彼はそっとアリスに対し右の手を差し伸べる。

 

「失礼だが、もう少しだけ私に付き合ってもらえないだろうか?」

「え?」

 

 どういうことだろうか。秋雅の言葉にアリスは首を傾げる。そんな彼女の疑問の視線に、秋雅はその視線を真正面から受け止めて言う。

 

「上手くやれば、貴女の身体をもう少しだけ治せるかもしれない手がある、ということだ」

 

 秋雅の言葉に、アリスは思わず黙り込んだ。どう返答すべきか。たっぷりと一分は悩んだ後でアリスは口を開く。

 

「……それは、何故でしょうか?」

「言うまでもないと思うが? 私の頼みを確実に果たしてもらうために、貴女には可能な限り体調を良くして貰いたいというだけだ」

 

 秋雅の返答から、おそらく裏はないだろうとアリスは考える。裏の意味があるとすれば、精々個人的同情心からの治療ぐらいで、別段これを理由に何かを要求しようということはまずないと思って問題はないはず。しかし、そうなるとそれはそれで問題が発生する。それは、借りが多くなりすぎるという点だ。

 

 既に身体を健常な――病弱ではあるが、少なくとも身体を壊しているというほどではない――身体に治してもらっているのだ。その上でさらに治療を受けるなど、これは少々所ではなく受け取りすぎだと言える。

 

「気にしているようだが、これは元から考えていたことだ。先のそれの続きでしかない、と思ってもらって結構だ」

 

 アリスが悩んでいると、秋雅がそんな助け舟を出してきた。相変わらず、自分の利を簡単に捨てる方だと、アリスは秋雅に改めてそんな感想を持つ。しかし、そんな場合ではなかったと、今の秋雅の言葉を加えて彼女はさらに考え込む。

 

「…………分かりました」

 

 更なる沈黙の後、アリスははっきりと頷いた。受け入れてしまおう、それが最終的な結論であった。

 

 ここまで来たらもはや貸しの大きさなどたいした問題ではない。既に賢人議会から出されていた秋雅への依頼や嘆願は、もうとっくにアリスの頭の中から放り出されている。とてもではないが今更こちらから何かを依頼できる状況にないからだ。むしろ今後――最低でも数年は――彼からの依頼を無条件で受け入れる覚悟を決めて、アリスは秋雅に対し自分の手を差し出す。

 

「お願いします」

「うむ」

 

 そっと、秋雅が彼女の手を取り、左手で上からさらに覆う。次の瞬間、秋雅の身体から再び大量の呪力が巻き起こる。先のそれと比べれば少ないが、しかしやはり一般的な魔術師からすれば膨大といっていいほどの量の呪力を纏いつつ、秋雅はその口から聖句を唱える。

 

「――汝は砕くものなり、壊すものなり。すなわち、汝は天よりの怒りなり。されど、汝はまた実らせるものでもあり、育むものでもあり。故に、汝は天よりの恵みでもあり――故に、我は今願う。我に今こそ、汝が豊穣を授けん事を、今切に願うものなり――!」

 

 秋雅の聖句と共に、彼の身体からバチバチと火花が散る。権能、それも雷の力であると、アリスにはすぐに察せられた。その力は秋雅の全身から発せられたかと思うと、徐々に一箇所に、秋雅の両の手の中へと収束していく。しかし、それは始まりに過ぎなかった。

 

 

「これは……」

 

 思わず、アリスは自分の手を見て呟いた。それは、秋雅の手に感じていた『雷』が、ゆっくりと自分の手に移っていくのが感じられたからだ。力が移動している、自身の体内に入ろうとしているのだと気付き、アリスは驚きから目を見開く。

 

「んっ……」

 

 僅かに感じるくすぐったさに、アリスはほんの少しだけ身じろぐ。そんなアリスの反応など知ったことではないとでもいう風に、その『雷』は、ゆっくりと、ゆっくりと、アリスの腕の中を昇っていく。痛みのない静電気、とでも言うのが正しいのであろうか。ともかくそのような、何とも不思議な感覚をアリスは覚える。身体の中に『雷』があるというのに、一切の痛みを感じられることのない。むしろ、慣れてくればそれは、何処か心地よくすら感じられる。

 

 

 そうして、ついにはその『雷』はアリスの胸の――心臓の辺りでようやくと動きを止める。そして、まるで心臓の鼓動に合わせるかのように、『雷』から身体全体に、何か力のようなものが広がっていく。

 

「これは……」

 

 十数秒前と同じ台詞を、アリスは再び呟く。しかし、先のものが困惑から来るものであったのに対し、今度は驚愕を理由としていた。何故なら、『雷』の力の広がりと同時に、アリスが自身の身体に感じていた重さのようなものが、段々と無くなっていったからだ。

 

 体調が良くなって行っている、ということなのであろうが、何か奇妙な感覚であった。アリスからしてみれば今までの、何処か疲労が抜けきらないような重さのある感覚こそが常であった。それが徐々になくなっていき、代わりにそれこそ庭を駆け回れそうな力が湧いてくるという今の感覚は、酷く奇妙なものに思えてしまう。いや、勿論嬉しくないわけではないのだが、どうも今まで感じた事のない常人の良好に、病弱の内での良好しか知らなかった彼女の感覚が追いついて来ないのだ。

 

 その感覚をより知ろうとして、自分の内に感覚を集中させたのが原因であろうか。彼女の霊視能力がここで発動する。それは彼女に、この『雷』が如何なる神の権能であるのか、その情報の断片を見せてくる。

 

「極東の、識者……かつて、人であったものの力……」

 

 やはり、気が緩んでいたのであろうか。見えたその断片を、そのままアリスは口に出してしまう。直後、ハッとその事に気付いたアリスは、急ぎ頭を下げた。

 

「申し訳ありません。御身の力を覗くような真似をして」

 

 情報の漏洩を嫌う彼に、その権能を目の前で暴くような真似をしてしまったことに対する謝罪。

 

「いや、むしろ感心したぐらいだ。よく、この程度でそのような情報を知れたものだ」

 

 そんなアリスの謝罪を、秋雅は問題ないと受け入れる。彼からしてみれば、霊視されることは想定していたことであり、それを口にしたところで、他に『耳』もないのだから問題ないと、そういう風に思ったのであろう。

 

「ともかく、少しばかり今のこれについて説明しておこう。これは先日手に入れた権能の能力でな、対象者の体内にその力を残留させることで、一定期間その身体の治癒を行う」

「治癒、ですか。ではその力がなくなったら終わりということで?」

「いや、今回は貴女の身体機能の改善に注力している。実験例がまだほとんど無いから分からないが、多少は貴女の身体の病弱さも改善できると思う」

「そのようなことが……」

 

 これこそが、今しがたアリスが体感した権能。アリスはまだ知らないが、これが秋雅が『実り、育み、食し、(ディストラクション・イズ・オンリー・)そして力となれ(ワンサイド・オブ・ザ・サンダー)』と名づけた権能の、その力の一旦であった。

 

「勘だが、おそらくは『それ』は半月から一ヶ月程度は貴女の体に残ると思う。現状含め、その後の体調がどうなるかは適度に報告してもらえると私としてもありがたい。場合によっては、また貴女にこれを使ってもいいと思っている」

「それは……ありがとうございます」

 

 一時的なものではなく、ともすれば完全にこの身体の脆弱さが治る。その可能性の提示に、アリスは心から秋雅に感謝の念を伝える。長年自分が抱えてきた難題、それがこうもあっけなく解決したのだから、如何な人物であっても、アリスと同じ立場に立てば同じように絶大な感謝を覚えるだろう。それほどまでに凄まじいことなのだ、今秋雅が行ったことは。

 

 だからこそ、アリスはよりいっそう神妙な面持ちをして、目の前に立つ王に対し口を開く。

 

「……稲穂様」

「何だ?」

「今回、貴方様が私に対して行って頂いた事。それは何物にも代え難い、いえ、どれ程感謝してもしきれるものではありません」

「何が言いたい?」

 

 いぶかしむ様子ではない、あくまで確認であるという風な秋雅の問いかけ。それに対し、アリスははっきりと言った。

 

「――貴方様が望むのであれば、我ら賢人議会は稲穂秋雅の元につくことすら行いましょう」

 

 そのアリスの言葉に、秋雅の眉がピクリと動く。

 

「まさか、そのような事を言うとはな」

 

 正気かと、秋雅の目は問いかけている。彼の気持ちも当然だが、しかしアリスは確かに本気でそう言っている。

 

 元々、賢人議会とはカンピオーネの脅威に対し発足した組織だ。不倶戴天とまではいかないが、基本的にカンピオーネたちと敵対の姿勢をとっていることは言うまでもない。そんな中の数少ない例外が秋雅であったのだが、彼にしたって互いの益が重なったが故の協力関係という程度の関係で、秋雅に無条件で協力をするというほどではない。

 

 しかし、そうであるはずの賢人議会の、そのトップであるアリスは、今ここで稲穂秋雅という王に下るという選択に手をかけている。賢人議会の存在理由、その根幹を砕きかねない選択だが、しかしそれ以上に、アリスの治療に対する礼として返せるものがない。それほどまでに、プリンセス・アリスという存在は賢人議会にとっても重要なのである。それを分かっているからこその、アリスの選択。

 

 だが、

 

「不要だ」

 

 と、秋雅のアリスの提案を切って捨てる。

 

「これはあくまで、私の依頼に対する料金の前払いのようなものだ。故に、貴女がいらぬ恩を感じることも、いらぬ重荷を背負う必要もない。全てはただ、私が気まぐれに与えたものなのだから」

 

 そう、秋雅は己が行動に対しての対価を望まぬという姿勢をとる。はっきりと言って、アリスには彼のその態度がまったくと言っていいほどに理解できない。

 

「だが、可能であれば貴女には私が連れてきた彼女を預かってもらえないかとは思っている。貴女の力を行使するにしても、徐々に時間をかけてのほうがいいだろうし、何より彼女をこれ以上手元においておくと、『彼女ら』にいい気をさせないと今更ながらに気づいたのでな。何とも勝手な話だが、受けてもらえると助かる……ああ、当人には既に話を通しているので、そこは気にしないでいい」

 

 分からないと、信じられないという視線を向けるアリスを前に、途中軽く苦笑を漏らしつつも秋雅は、そう続けた。

 

 確かにその提案はアリスに多少の負担をかけるだろう。彼が可能であればと、そう前置きしたのも理解は出来る。だが、所詮はそれだけだ。その程度で、今しがた起こったことに釣り合うはずもない。

 

 そういった事を口に出そうとしたアリスに対し、今から放たれるはずの言葉を察していたかのように、秋雅は彼女の口元で指を立てる。

 

 静かにしろ、そんなジェスチャーを行った彼は、まるで思い出したかのようにこう言った。

 

「こちらに滞在中に、面白い噂を聞いた。何でも、このロンドンをどこぞの魔術師がさすらっているらしいな。聞けばこれの対処に、貴女達も苦労していると聞く。どうだろう? この一件、私に任せてもらいたいと思うのだが。無論、依頼料は相談に乗ろう」

「それは…………」

 

 確かに、そういった事件が起こっていることは確かだ。今回行おうとしていた彼との会合において、それも話題に上げようと思っていたことも事実。

 

 だが、問題はそこではない。問題なのは、その言葉の裏の意味だ。

 

「秋雅様、貴方は……」

 

 アリスにはすぐに、秋雅の発言の意図が察せられた。つまり、彼はこう言いたいのだ。

 

 依頼をよこし、その依頼料は超高額にしろ。そうすれば、この一件はチャラにしてやる、と。

 

 はっきりと言って、その提案は秋雅に一切の益がない。そんなことで手に入る金額などたがが知れており、一組織を掌握する利に勝るはずもない。そもそも、彼はもう十分な資産を得ているはずであり、多少金額を上乗せしたところでたいした差額もでない。アリスには全くと言っていいほどに、秋雅の意が読めなかった。

 

「貴方は何故、それほどまでに恩を感じられたくないのですか……?」

 

 だから思わず、アリスはそう秋雅に問いかけていた。まるで、アリスたちからの恩義を札束に変えるような彼の提案に、そう言わざるを得なかった。

 

「貴方にとって、信頼はどれほどに重いものなのですか?」

 

 再度放たれた、アリスからの問いかけ。それに、秋雅はゆっくりと首を振って、口を開く。

 

「それは、しがらみと同義だ。踏み込まれすぎない方が、良いこともある――それだけだ」

 

 秋雅の言葉に、アリスはどう答えていいか分からなかった。彼の言葉に、その表情に、何を言う資格があるのだろうか。知らぬ者が何も考えず、易々と答えていいことではない。そう感じられた。

 

 

 だから、

 

「……依頼の達成を、願っています」

 

 ただ、その一言だけを口にし、アリスはゆっくりと頭を下げた。

 




 次回からはまた秋雅視点で進みます。どうでもいいですが毎回権能の英名を考えるのが大変です。結構適当なので間違っていてもあまり気にしないでください。なお、あと二つほど秋雅は権能を隠していたり。



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死者の眠りは妨げられて






 プリンセス・アリスとの会談を行った翌日、秋雅は一人、朝のロンドンにいた。まるで朝の散歩か何かのような足どりで、時折すれ違う地元の人と軽い挨拶を交わすなどして、ゆったりと歩いている。

 

 しかし、その向かう先がいささか奇妙だ。彼と同じく外国人も多い中心部ではなく、地元の人間ぐらいしかいない住宅地、しかもその中でも人気のない、静かな地域へと歩いていっている。

 

 だが、それも当然の話だ。何故なら、彼が行っているのは散歩ではなくアリス、すなわち賢人議会より依頼された、とある事件の犯人を確保する為に、その事件現場へと向かっている最中だった。

 

 そんな依頼をカンピオーネに出すのかと思われるかもしれない――小鳥を打ち落とす為にロケット砲を持ち出すようなものだ――が、こと秋雅に対しては非常にあった依頼とも言えるだろう。何せ、まず魔術師相手に敗北する事がない実力を持ち、被害を抑えると同時に相手の逃走を封じる権能を持っているのだ。犯人と対峙することさえ出来れば必ず相手を捕縛、あるいは抹殺が可能。対魔術師戦に切るには十分なカードであると言えよう。

 

 

 

 そういう事情があり、秋雅は目的地である事件現場に向かう為に、地元の住宅地を通っていた。そのようなところを、明らかに地元に住んでいるようには見えない外国人が歩いているとなると、やはり多少は地元の人間から奇異の視線で見られることになるのは当然の流れと言えるかもしれない。しかしそんな視線を意に介すこともなく、秋雅は悠然と歩みを止めることはない。そんな秋雅の態度に、最初は彼に対し怪訝そうな表情を浮かべていた人たちも、次第に気にすることなく自分の日常へと戻っていく。

 

 

 そうして、結局誰に邪魔をされるでもなく、秋雅は目的の場所へと辿り着く。

 

「……ここだな」

 

 そこにあった看板を見て、秋雅はこここそが目的地であったという風に頷く。そして、ではと秋雅がそこに入ろうとしたときに、少し遠くから声をかけられた。

 

「あー、そこの人!」

 

 慌てたように放たれた英語に、秋雅はそちらに身体を向ける。すると、そこにはいかにも急いで来ましたという風に、小走りでこちらへと駆けて来る男性の姿がある。よくよくと見てみれば、その男性はこの国の警官の制服を着ていた。

 

「どうしましたか?」

 

 男性がこちらに来たところで、秋雅がそう問いかける。男性――警官は少しだけ息を整えた後、秋雅に対して口を開く。

 

「すみませんが、この墓地(・・)は現在立ち入り禁止となっています。どんな理由があるにしても、一般人の方を入れてはいけないことになっているので、どうかおき引取りを」

「ええ、存じていますよ。ですが、生憎と私は一般人ではないもので」

「はい?」

 

 何を言っているんだ、と言いたげな怪訝な表情を浮かべる警官に、秋雅は続ける。

 

「聞いていませんか? 稲穂という日本人が来た場合は、無条件でここを通せと」

「ええ? 確かに、そんな指示は出ていましたが……貴方がそうだと?」

「疑うのであれば、中にいるであろう誰かに訊いてみるといいかと。心配せずとも、貴方がいない間に勝手に入るような真似はしませんよ」

 

 秋雅の言葉に、警官はしばし考え込んだ後、

 

「……分かりました。しばしお待ちください」

 

 秋雅をおいて、墓地の中へと入っていく。その様子を何となしに見つめた後、秋雅はぼんやりと彼が帰ってくるのを待つ。

 

 大体五分ほどが経ったであろうか。先ほど秋雅と話していた警官が、またもや急いだ様子でこちらへと戻ってくる。中にいた上司なりの指示を仰いできたのだろう。彼は秋雅の元につくなり急いで敬礼をして言う。

 

「お待たせしました。どうぞ、中へお入りください!」

 

 どういう風に説明を受けたのだろうか。そのような疑問を僅かに抱きつつも、しかしそんな内心などおくびにも出すことなく、秋雅は墓地への中へと足を踏み入れた。

 

「……ふむ」

 

 墓地に足を踏み入れて一分と経たずに、秋雅は不愉快そうに眉をひそめる。入り口からでは良く見えなかったそれ(・・)が、はっきりと目に入って来たが故の反応だ。

 

「何とも言い難いな、これは」

 

 足を止めることなく、秋雅はそのまま墓地の中心部へと向かう。均等に掘られている()と、そこかしこに転がっているそれら(・・・)で足も踏み場も無い中を、秋雅は真っ直ぐと歩く。

 

 そうすること数分、墓地の中心部に秋雅は辿り着く。そこには数人の男性が何某かの調査を行っていたのだが、秋雅の姿に気付きすぐさま礼の姿勢をとる。彼らに対し、秋雅が片手を上げて礼を止めていいと示すと、彼らはすぐさまに調査へと戻っていく。しかし、そのうちの一人だけは調査の再開をせずに、秋雅の方へと近寄ってきた。

 

「お待ちしておりました。稲穂秋雅様ですね?」

「ああ。君達は賢人議会の?」

「はい、調査に参った者です」

「うむ、今日はよろしく頼もう」

「はっ」

 

 それで済ませ、秋雅は特に相手の名を尋ねたりなどはしない。上の人間ならともかく、下の人間の名前を聞いてもあまり意味がないからだ。現状、特に現場の人間との信頼関係の構築が必要な状況でもないというのもあるだろう。まあ、一々名前を聞いた結果、変に期待を抱かせたり、逆に無駄に怯えさせたりということが起きないようにというのが一番大きいのだが。

 

「……警察とは協力体制にあるのか?」

「上はそうです。下は何も知らずに、通常の捜査だと思わせています」

「日本とは違って、賢人議会は政府とのつながりは強くないと思っていたのだがな」

「政府とは別に、警察内にも協力者はいます。今回のような事件の場合、そう行った者を頼るようになっています」

「成る程、な……」

 

 ちらりと、秋雅は男性の表情を伺うと、予想通りかなり硬い表情を浮かべている。先の、秋雅の質問に答えた際の男性の声にも、僅かに怯えの色が感じられていた。稲穂秋雅という王の、自分の生殺与奪を握っているにも等しい存在の前に立つことに対する恐怖だと、秋雅のこの六年で手に入れた観察眼は告げている。

 

 無理もないだろうな、と秋雅は自分と対峙することになってしまったこの男性に対し同情を覚える――秋雅が彼に対して思うのも変な話ではあるのだが――ものの、それを考慮できるというわけでもないので、話を進めるために口を開く。

 

「それにしても、随分とひどい有様だな」

「ええ。まったくです」

 

 そう答えた男性の声には、先に感じた怯えよりも、強い怒りが感じられた。無理もないな、と再びと思いつつ、秋雅はそれ(・・)に目を向ける。

 

「――墓荒し、か」

 

 そこには、墓標の前に空いた穴と、開かれた棺。そして、変色し、一部が腐り落ちている人間の遺体が転がっていた。土葬され、静かに安置されていたはずのものである。

 

 日本では少ない土葬だが、海外ではむしろ、キリスト教徒の多い欧米諸国などでは、その割合は意外にも高い。例えばフランスなどは未だに五割ほどが土葬であり、同じくアメリカも、合衆国全体としてみればどっこいな数値だ。他のキリスト教が主となっている国も、程度の差はあるが、少なくとも火葬が九割を超えているという国はない。

 

 そんな中、英国はと言えば、現在は大体三割ほどが土葬という風になっている。これは、保守的でない合理的思考を彼らが持っているというのもあるが、やはり島国ゆえ土地が狭いというものがあるのだろう。ついでに言えば、火葬と比べて土葬は費用がかかるというのも上げられるだろうか。

 

 そういうわけがあり、今秋雅が訪れているこの墓地には、遺体がそのままの形で――エンバーミングぐらいはされているだろうが――土葬をされていた。いかに近年になって土葬の割合が少なくなっていようと、以前から埋葬されている遺体を掘り出して火葬するなどということはまずないのは当然の話であるので、古くに埋葬された遺体はどれだけ周りが変わろうとも土葬のままだ。だからそれらの遺体は、これからもずっと、棺の中で眠り続けるはずであった。

 

 しかし、その、永い眠りについていたはずの遺体が、悉く掘り出されている。棺は開けられ、その蓋は無造作に転がり、そして中に入っていたのだろう遺体が墓穴の傍に転がっている。それもそのほとんどが、近くに四肢のいずれかを落としていたり、身体のどこかが変色していたりと、正視に耐えぬ惨状である。

 

 そのような、眠りを妨げられた死者たちに対し、秋雅は僅かに憐憫の感情を抱くものの、すぐに頭を切り替えて男性に問いかける。

 

「……それで、これは魔術によるものということでいいんだな?」

 

 魔術師としてはまだまだ半人前な秋雅であるが――現状、中の上ぐらいの実力だろうか――呪力を感じ取ることぐらいは簡単に出来る。故に、墓地のそこかしこから何かしらの魔術に用いたのであろう呪力の残滓を感じ取る事が出来た。

 

「はい、その通りかと」

「どういった内容か、分かるか?」

「おそらくは、死体を操る類の物かと。掘り出した遺体にそれを使い、その遺体にさらに掘り出しを行わせる。この手順でこの墓地に埋葬されていた遺体を全て掘り返したのではないかと考えています」

「そうか……」

 

 はっきりとした嫌悪感と、それを行った者に対する怒り。それが心の中に湧いてきた事を自覚して、秋雅は一度目を閉じる。今はまだ、その怒りを解放するべき時ではない。

 

「……被害規模は?」

 

 目を閉じたまま、秋雅は問いかけを続ける。それに対し男性も、タブレット端末を取り出しつつ答える。

 

「この墓地には四十体ほどの遺体が埋葬されていたのですが、それらがすべて暴かれおり、うち十体少々の姿が確認できません。おそらくは犯人が連れ去ったものかと思います。元の棺の近くに居ない遺体が多いことから見て、犯人は全ての遺体を動かし、途中で脱落したもののそのまま放置して行ったのではないかと」

「腐敗が進み、まともに動けなかった遺体はいらない、と言ったところか」

「おそらくは」

「……ふむ」

 

 しばしの沈黙。その後、秋雅は目を開けて遠くの空を見て言う。

 

「これで四つ目(・・・)だと聞いたが、確かだろうか?」

「はい。既に三つ、同じような事件がロンドン周辺の都市で発生しています。ロンドン内ではこれが初ですね」

「それらも、今回と同じような有様だったと?」

「ええ。どれも深夜に発生したようで、朝になって発覚した時にはもう墓が荒らされ、全体としては数十規模で遺体が所在不明となっています」

「……そんな事をして、何が出来るというんだ?」

 

 秋雅からの当然の疑問に対し、男性は首を横に振る。

 

「分かりません。遺体を利用するような儀式などそうあるものでもありませんから」

「その、数少ない利用法はなんだろうか」

「分かりやすいのは、ゾンビのように使役する方法でしょうか。ですが、当然ながら遺体というものは強度のあるものではありませんから、そういう使い方には普通向きません」

「岩なりでゴーレムでも作った方が有用だろうからな」

「はい、そういうことです」

 

 ふむ、と秋雅は顎に手を当ててしばし考え込む。しかし、いくら考えてもそれらしい答えは思い浮かばない。どうにも情報が足りないか、と秋雅は思考を一時打ち切る。

 

「犯人を捕まえれば分かる、でいくしかないな」

 

 そも、秋雅への依頼はあくまで犯人の確保であって、真相の究明ではない。思考を止める等、場合によっては後手に回ってしまうだろうが、今回はあちらの当面の目的もはっきりしているのだから、さほど問題も無いはずであった。

 

「このロンドンにある墓地で、土葬方式で遺体が埋葬されている箇所は何処だ?」

「ここ以外に二箇所あります。現在、その二箇所に人員をやって警戒を強めているところです」

「場所は?」

 

 秋雅がそう質問をすると、男性はタブレット端末を操作して地図を見せてくる。

 

「ここと、ここです」

「成る程な……ロンドン以外は?」

「近隣都市にある同様の墓地にも同様に警戒を強めるつもりです」

「では、犯人が現れ次第連絡を」

 

 そう言って、秋雅は携帯の番号を男性に伝える。ちなみのこの番号は秋雅の持つものではなく、今回の為に賢人議会から借り受けたものの番号である。一応秋雅の携帯は海外でも使用可能な特注品なのだが、だからと言ってこのためだけにこちらの人間に番号を教える気がなかったというのがある。

 

「私はこれで失礼しよう。状況に変化が生じ次第、私に連絡する事を忘れないでもらいたい」

「はっ、了解しました」

 

 そう最後に締めくくって、秋雅はこの墓地から去り、事件解決の為に動き始めるのであった。

 











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死兵、そして冥府の王





 男が一人、深夜のロンドンを歩いている。一見すると何の変哲もないような男性なのだが、よくよくと見ると何処か異様な気配がある。しかし、その男に注目する人物はいない。男の周りを確かに人が歩いているのに、その誰もがまるでそこには誰もいないかのように歩き去っていく。

 

「……ふん」

 

 その、誰からも無視されているかのような状況に何故か男は満足そうに鼻を鳴らす。どうやら、何かしらの手段で他者から認識されないようにしているらしい。

 

 

 

 そのまま男は、誰に邪魔をされるでもなく目的の場所を目指す。途中、自分と同じ魔術師から邪魔をされるのではないかと警戒をしていたのだが、しかしそれもなくあっさりと目的地――ロンドンのとある墓地へと辿り着いた。

 

「……どういうことだ?」

 

 あまりにも妨害がなさ過ぎる。予想外のことに男はいぶかしむ。いくら何でもこれは、といった様子だ。

 

 しかし、考え込んでも仕方がないと男は墓地へと足を踏み入れる。いざというときの為に逃走手段を用意しているからこその、強気な行動であった。

 

 

 だからであろうか。墓地の薄らぼんやりとした明かりの中、一つの人影が見えた際にも特にどうと思うことなく男はそちらへと歩いていく。精々、たった一人かと侮ったくらいだ。

 

 自分が捕まるはずがない。そんな思いがあったからこそ、男はその人影に向かって声をかけた。

 

「俺を捕まえに来たのがたった一人なんてな、舐められたものだ」

 

 嘲りを多分に混ぜた挑発。それに対し目の前の人影は鼻で笑った。

 

「調子に乗るな、三流魔術師。貴様如き、私一人ですら過多であるというのに」

「何だと?」

 

 思ったよりも若い男の声。若造に挑発を返されたことに、男はピクリと眉を動かす。自分がするのはともかく、他人に挑発されるのは好ましく思わない性質であった。

 

「言ってくれるじゃないか、賢人議会の犬程度が」

「はて。私は別に、賢人議会の下についた覚えなどないのだが、な」

 

 そう言って、人影は一歩前に足を踏み出す。そうすると、ようやく周囲にある、薄らぼんやりとした灯りの影響下に入ったようで、その姿が男の目にも映るようになった。

 

「……アジア人?」

 

 明らかになったのはやや中性的な容姿をした、アジア系の青年の姿であった。その姿を見て、男は怪訝な声を漏らす。自分の邪魔をするのであれば賢人議会の息がかかった者、つまりは英国の魔術師だという先入観があったが為の困惑だ。青年の言葉が完璧な、所謂ブリティッシュ・イングリッシュであったことも、その勘違いを加速させていた要因であった。

 

「貴様、何者だ?」

 

 先の言葉と、明らかになった人種。その二つからようやく、男は目の前の人物が何者であるのかという疑問を得る。

 

「私が何者か、か」

 

 呟き、青年は右の手を差し出す。その手に乗っているのは、黒いザクロの実。それを握りしめながら、青年は――稲穂秋雅は叫ぶ。

 

「――我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり!」

 

 

 

 

 

 

 秋雅が聖句を唱えたことで、彼の持つ権能、『冥府への扉』が発動する。次の瞬間には、彼らのいる墓地の空と血は赤黒く染まる。現実に影響を与えたわけではない。『冥府』と秋雅は呼ぶ空間に、目の前の男と共に転移した結果である。

 

「これは…………」

 

 呆然と、男は周囲を見渡している。明らかに隙だらけなその姿に、しかし秋雅は先制の機を得ようとは思わなかった。そのようなことをする必要が、彼の何処にもなかったからだ。どう考えたところで、ここから秋雅が負ける可能性はない。であれば、意識を保っている時間を長く持たせ、その真意をこの場で探ろうと考えていたのである。

 

 しかし、そこから見せた男の反応は、秋雅の予想からはやや外れたものであった。

 

「……くっ、くっくっく、はっはっはっは!!!」

 

 

 突如として、男は大きく、おかしく堪らぬというように笑う。その様子に、秋雅は僅かに眉を顰める。

 

「何故笑う?」

 

 そこらの魔術師ではとても出来ぬ芸当。まるで冥府が如き空間。賢人議会とつながりのあるアジア人。それなりに魔術の世界に明るい者であれば、これらの情報から稲穂秋雅の名を連想するのはそう難しいことではない。おそらくは、今秋雅の目の前で笑っている男も、自分がカンピオーネと相対していることに気付いているはず。

 

 カンピオーネを敵に回す。そのことに恐怖せぬ魔術師はまずいない。王と一対一で戦わなければならない、そんな状況に陥ったものがとる選択は大きく分けて二つ……いや、三つだ。

 

 恐怖に足をすくめ、死を受け入れるか。理不尽の権化との遭遇に対する怒りから自暴自棄になり、愚かにも戦闘を仕掛けるか。そして、数少ない例外として、冷静に切り抜ける方法を探るか。その三つしかなく、そして往々にしてその結末は決まりきっていると言っていい。

 

 それ故の疑問。何故、その状況で笑っていられるのか。とてもではないが戦闘で勝利などもぎ取れるはずも無い相手に、逃走も不可能な異空間。

 

 そんな状況下で笑うなど、それこそ恐怖から気でも触れたかと思うものだが、どうにもそうでも無いように見える。不遜か、狂気か、あるいは使命か。さてどれだろうかと、秋雅は内心で考える。

 

「……何故だと? 決まっているじゃないか」

 

 対し、男は笑いを止めて――しかし、顔に浮かべた笑みは収めずに――大きく後方に跳躍する。そして、

 

「カンピオーネを潰すという、我らが目的を達せられるからよ! 立て、死人よ! 我が命に従い、我が下僕となれ!」

 

 言霊、呪を交えて紡がれた男の言葉に、大地の数箇所が盛り上がる。次の瞬間に立っていたのは、人間大ののっぺりとした土人形だ。それが五体、鋭い爪が伸びた手をだらりと下げながら、主の命令を待つかのように佇んでいる。

 

「ははははは! やはりそうだ! この地こそ冥界! よくぞこの身をこの地に招いてくれたものだ!! 死体を操る程度の魔術が、ここであれば死に満ちた人形を生み出せるとは、やはり素晴らしい!」

 

 なるほど、と男の興奮に満ちた言葉に、秋雅は納得の頷きを示す。男が急に勝ち誇りだしたその意味、それがどういうわけであったのかが理解できたからである。

 

「さあ行け、死兵たちよ!! 自ら墓穴を掘った王を血祭りに上げてやれ!!」

 

 男の命と共に、死兵と呼ばれた土人形たちが秋雅に迫る。驚異的というほどには速くはないものの、しかし鈍足というわけでもない速度で死兵たちは秋雅へと走る。主の命の下、その爪でもって秋雅を切り裂かんとする。

 

 だが、

 

「――下らん」

 

 その秋雅の一言は、男には聞こえなかったであろう。何故なら、彼が呟くと同時、天より三つの光と、そして轟音が落ちてきたからだ。

 

 それは言うまでもなく、秋雅の操る雷であった。三つの雷が死兵たちの間に降り注ぎ、その余波だけでその身体を完全に砕ききった。

 

「人形遊びだな」

 

 大地の破壊によって生じた土埃が落ち着き、男の顔が見えるようになったところで、秋雅はそう言い切った。自分とお前の間には、圧倒的な力の差があるのだという事実(・・)を伝えるその言葉に、しかし男は笑って言う。

 

「そんなこと、分かっているに決まっているだろう? 単なる小手調べに過ぎないのさ、これは」

「私を前に小手調べとは、随分と余裕があるようだな」

「当然だ。何故なら既に、俺はお前を倒す手段を手に入れているのだからな」

「……手段、ねえ」

 

 男の自信満々な態度に、秋雅は口の中で言葉を転がす。手段というのも当然気になるが、しかし先に秋雅はそもそもの疑問を口に出す。

 

「何故、我ら(カンピオーネ)を潰すなどという大言壮語を口に出し、あまつさえ愚かにも実行に移そうとするのだ?」

 

 理解できぬ、というのが秋雅の紛れもない本心だ。ただの魔術師にカンピオーネは殺せない。それは真理とすら言ってもいいほどの事実だ。これにおいて魔術師の力量などは関係ない。そも、立っているステージが違う相手と、どうやって戦えるというのかという話だ。

 

 カンピオーネ(同胞)か、まつろわぬ神(仇敵)か。それだけが、カンピオーネに対峙出来る唯一の条件だ。そんなことは少しでもカンピオーネという存在に触れた者にとっては当然のことであり、相対しようなど愚かを通り越して本当に知的生命体なのかを疑うレベルだ。

 

 秋雅も自分の力量と、ついでに言えばその影響力というものは完全に理解している。故に、こうも真っ向から自分に戦いを挑み、あまつさえ勝利を確信しているような相手がいるとは、中々に信じがたいことである。

 

「答えろ。何故、私に勝てると思う?」

 

 当然の疑問。その秋雅からの問いかけに対し、男の返答は嘲笑であった。

 

「はっ! 何故だと? 決まっている。それこそが、我らの目的であり、その為に俺は行動してきたのだ!」

「答えになっていないな。何故、そのような目的を持つに至ったのか、と私は聞いているのだ」

「ここで死ぬ者に、我らの崇高な目的を語る必要はない!」

 

 秋雅の言葉に答えることなく、男はバッと右手を広げる。何時の間に持ったのか、その指の間には一つずつ、計四つの玉のようなものが握られている。この地と同じ、まるで血のように赤いその玉に、秋雅の眉がピクリと動く。

 

「……もしや、それは」

「その通り! これこそが暴いた死人たちより生み出した宝珠! 死体を元とし、一騎当千の死兵を生み出す根源! さあ、その力を思い知るが良い!!」

 

 四つの玉を目の前の地面に放り、男は叫ぶ。

 

「――立て! 死人より束ねられし王よ! 今こそ立ち上がり、我が無双なる僕となれ!」

 

 言霊と共に、玉から呪力があふれ出す。その呪力が大地を抉り、引き寄せ、繋ぎ、そして肉体を作っていく。

 

「ははははは!! これが私の力だ!!」

 

 まずは胸らしきものが作られ、そしてその下から段々と土が固まっていき、身体となっていく。まるで埋まっていた身体を地上に起こすかのように、その巨体は聳え立ち、最後にはその頂上に頭部らしき部位が生まれる。

 

「どうだ! どうだ!! どうだ!!! これこそが、貴様を屠る最強の死兵たちなのだ!!!」

 

 五メールは軽く超えているであろう巨躯。土で出来たのっぺりとした顔、そして肉体に、所々巻き込んだのであろう墓石が見受けられる。シルエットだけを見れば人間と同じような頭、胴体、腕、足のバランスとなっているのは、元となっているのが人間の遺体であるからだろう。

 

 それが四体、秋雅の前に聳え立っている。個体ごとに僅かに身長や腕の大きさなどが違うのは、元となった遺体の差異、あるいは用いた数の違いか。

 

 ともすれば、神獣にすら迫るのではないかと思われるほどの呪力と存在感を放つ四体を見上げながら、勝ち誇ったように男は嗤う。

 

「俺が最大に力を発揮できるであろう権能を持つ貴様が、自ら俺の前に来てくれたことはまさしく神の采配であったと言えよう。俺をこの冥府に招いた事を、後悔しながら死ぬがいい。さあ行け! そして我らが仇敵を屠るのだ!!」

 

 男の命に、巨大な死兵たちが踏み込む。大地が鳴動するほどの震動の中、秋雅は憶することもなく、ただ巨兵達を見上げる。

 

「死ね、稲穂秋雅――!!」

 

 男の命を受け、猛烈に風を切る音と共に、秋雅に対し巨大な拳が振り下ろされた。自分に迫る死に対し、秋雅は身体を動かすでもなく、ましてや権能を使う素振りも見せることは無い。やったことと言えば、唯一つ。

 

「――動くな」

 

 一言、目の前の巨躯に命じただけ。しかし、たったのそれだけで、ピタリと巨人の拳が止まった。

 

 

「は……?」

 

 ピクリとも動かぬ、四つの巨躯。気の抜けた声が、男の口の端から漏れる。

 

「な、何故……」

 

 呆然と、男は立ちつくす。よほど目の前の光景が信じられないのだろう。自身の切り札が完全に無力されたと思えば分からぬでもないが、それを汲み取ってやるほど秋雅は甘くない。

 

「どうした?」

 

 短く、しかし強烈に、秋雅は問いを投げる。落ち着き払った声と、見下しを混ぜた冷たい目。暴力でもなんでもないそれらで、秋雅は男に圧力をかけていく。

 

「……なっ、なな、何をしている!? 討て! 奴を討てええええ!!」

 

 予想通り、と言うべきか。男はすっかり冷静さを失った様子で、まるですがるかのように死兵たちに命令を飛ばす。喚くように出されつつも、しかし間違いなく呪力に満ちたその命令に、死兵たちは数秒の沈黙の後、再びその巨体を動かし、今度こそ秋雅を討たんとしてくる。

 

 しかし、

 

「――跪け!」

 

 再度秋雅の言葉が、鋭く世界を切り裂いた。自分こそが主なのだと主張しているかのような、力強い命令の言葉。その鋭い命令に、巨人は再び動きを止める。そして、数秒の沈黙の後、がくりと膝を折った。まるで、王に敬服する兵のようにも見える。

 

「何をしている?! 動け、動かんか!!!?」

 

 焦りに焦った声で、男はさら喚き散らす。命令に従わせんと、さらに強く呪力を込めて言っているようだが、しかし死兵たちはピクリとも動かない。それこそ初めから、秋雅こそが己が主であったかのように、彼らはまったく男の命を聞く素振りを見せない。

 

「何故、何故なんだ…………」

 

 どうしようもなく命令を聞く様子のない死兵たちに、男は呆然としたように立ち尽くす。先の傲岸不遜は何処に行ったのかと、そう思ってしまうほどに情けない姿であった。

 

「……愚かだな、貴様は」

 

 醜態をさらす男に、やはり冷たい視線を送りながら、秋雅は一歩足を踏み出す。一歩、また一歩と足を進めながら、まるで出来の悪い生徒に対応する教師のような口ぶりで秋雅は言う。

 

「そもそも、何故私が、ここ(・・)に貴様を連れていたと思っている?」

 

 敵は死者を操る魔術を使うであろう魔術師。その情報を得ていたい上で、何故秋雅はこの、冥府という死人と極めて近く、その力を増しかねない世界に、わざわざ敵を連れてきたのか。大きく分けて、それには三つの理由があった。

 

「一つは、被害を出さぬ為」

 

 一つ目は、戦闘による被害を出さぬといういつもの理由。ついでに言えば、敵の逃走手段を奪うというものも含まれている。

 

「一つは、これ以上の狼藉をさせぬ為」

 

 死者の眠りを妨げる。そのような不遜にして不快な真似を、これ以上させないというのが、二つ目の理由。

 

 では、三つ目は何か。

 

「――そして私が、冥府の王であるが為、だ」

 

 ぴくりと、男の肩が動く。

 

「どういう、ことだ……?」

 

 焦点が定まっているのか、些か疑問の残る目で、男は秋雅を見る。一歩一歩と近づいていく秋雅に、現状如何様な感情を抱いているのが、その目からはようとして読み取れない。

 

「私の権能、『冥府への扉(ルーラー・オブ・ザ・ハデス)』を知っていながら、まさか全く、気付かなかったのか? 私が、冥界を治める神から、この権能を簒奪したという事実に、本当に気付いていなかったのか?」

「……ま、まさか」

 

 煽るようにも、ただ事実を告げているだけのようにも聞こえる口調で、秋雅は男に問いかける。その、ゆっくりと、気付かせるように告げられた問いに、男の瞳に恐怖が浮かぶ。

 

「私が戦ったのは、ギリシャ神話の神、ハデス。冥府において、全ての死者を従わせる王だ――それを討ちし私が、その位を継いでいるのだよ」

 

 そう、それこそがこの地にて秋雅が戦った理由。この地の全ては秋雅の所有物であり、その意に従う定めを持った下僕。その地で、その場所にあるものから作られたものに、否、そもそもとして死者という存在に、秋雅が命ずることの出来ない道理など、どうしてあるだろうか。

 

「いかに強い人形(・・)であっても無駄だ。それが冥府の民(死人)である以上、私に従わぬ筈がない。初めから、貴様は詰んでいたのだよ……言っただろう?」

 

 人形遊びだ、と。

 

 そう、男のすぐ前で告げた秋雅の目が、男の顔を覗き込む。その目はまるで、氷のように冷たい光を放っている。

 

「……あ、あ……」

 

 どさりと、男が尻餅をつく。震える手で地をかこうとするが、しかし力の篭っていないその手では、男の身体は少しも動く様子も見せない。

 

「ひ、ひい……」

 

 男の顔から読み取れるのは、ただただ恐怖の感情のみ。それを覗き込みながら、ゆっくりと秋雅は尋ねる。

 

「どうした? これで、終わりなのか?」

「ひ、ひいいいっ!!!?」

 

 秋雅が問いかけると、尻餅をついた姿勢から秋雅に背を向けて、男は四足で無我夢中で走り出した。無様で、滑稽なその姿に、秋雅からはもはや嘲笑すら漏れてこない。

 

「……所詮、小者だな」

 

 直立と転倒を繰り返すようにして逃げようとする男に、秋雅はただそんな感想を呟いた。出来れば、先ほど主張していた男の目的、及びその背後関係などについて問い詰めたかったのだが、しかしこの感じではどうしようもない。そもそも、尋問なり拷問なりといったものに秋雅は詳しくない。

 

「後は賢人議会に任せるとするか」

 

 そう決めて、秋雅は四速歩行で逃げる男のすぐ背後に転移する。そしてそのまま、素早く男の首筋を掴み取る。

 

「眠っていろ」

 

 バチリ、という音がその手の中から発された。その音と共に、男は何の反応を見せる隙もなく、ビクンと大きく身体を跳ね、ばったりと倒れこむ。

 

 『実り、育み、食し、(ディストラクション・イズ・オンリー・)そして力となれ(ワンサイド・オブ・ザ・サンダー)』を用いた雷による肉体への干渉の結果だ。簡単に言ってしまえば、強力なスタンガンをぶち当てたようなものである。

 

「まあ、こんなものだろう」

 

 男の脈がまだある事を確認し、権能が上手く機能したことに秋雅は頷く。対人捕縛における札に十分になると、少しだけ満足そうにした後に、秋雅はゆっくりと振り返る。

 

 その視線の先、いまだ膝をついている四体の死兵を見て、

 

「――命ずる。己が源を抉り出せ」

 

 三度、秋雅は命を飛ばした。その言葉に、死兵たちは全く躊躇する素振りもなく、素早く己の胸を拳で貫き、そして引き抜いた。

 

 同時、ぼろぼろと巨体が崩れ去っていく。身体の各所から土を、岩を、大地に還していく。ついにその巨体を構成した物が全く動かなくなり、ともすれば小山ほどに積み重なったのを確認して、秋雅は再び転移する。

 

 

 

 

 

 

 

 転移したのは、最初に秋雅がいたのと同じ場所。死兵たちから拳を向けられたその場所に戻った秋雅は、ゆっくりと辺りを見渡し、そして見つける。

 

 四つの小山から少し離れた場所にそれぞれ転がった、四つの赤い玉。それらを一つずつ、口を閉ざしたままゆっくりと歩いて回収して言った後、秋雅はポツリと呟く。

 

「貴方達に、再びの眠りを」

 

 現実空間に戻り次第、賢人議会を通してこの玉を葬る。賢人議会が何を言おうとも、研究材料などには絶対にさせず、教会なり何なりといった神の身元へと送る者に委ねる。

 

 それこそが、無常にも、己が形を崩された死者たちへの救いであると信じつつ、秋雅は冥府の外へと消え去った。

 








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英国から次なる土地へ







 

「……そろそろ、私は失礼しようと思っている」

 

 かの、死を弄んだ魔術師との戦いから、二日後の朝。アリス邸ダイニングの朝食の場にて、飲んでいた紅茶を置いて、秋雅は席を共にしていたアリスに告げる。

 

「あら? もうお発ちになられるのですか?」

 

 秋雅の言葉を聞いて、アリスは少しだけ驚いたように問い返す。ちなみに、こうして話しているのはいつものような霊体ではなく、彼女の本体そのものだ。誰かと食事を共にするのは何時振りだっただろうかというのが、昨日彼女が秋雅に伝えた言葉だ。

 

「ああ。当面、私が必要なことも無いだろう?」

 

 二日前の夜に魔術師を引き渡し、その翌日の朝に例の死兵の玉の浄化、及びその確認を行い、午後には賢人議会との簡易的な会談も済ませてと、既に今回の件で秋雅がすべきことは昨日のうちに終わっている。連れてきた幽霊との改めての確認も済ませているし、アリスとも正式に彼女を預けることに関する取り決めもきちんと決めている。特にこれ以上、英国ですべきことはないというのが秋雅の主張だ。

 

「しかし、もう少しゆっくりなされてもよいのでは? いかにカンピオーネとはいえ、多少は疲れていらっしゃるのではないかと思っているのですが」

 

 それに対し、アリスはもう少しゆっくりして行けばいいと彼を引き止める。些か強行軍で用事を済ませた彼に対する、彼女なりの心遣いといったところだろう。そもそも昨日の彼の用件が、ほぼほぼ自分達賢人議会がらみのことだったというのも、その理由に入っていそうである。

 

「そうでもない。これでも、体力には自信があるのでね」

 

 実際秋雅も、僅かばかりではあるが疲れを感じてはいる。とはいえ、それも十分に無視できるレベルだ。戦闘にもならなかった人形遊び(・・・・)と、一日程度の人付き合い。その程度の疲労など、秋雅の鍛えられた身体にはたいした影響など与えない。

 

「確かに、少々急いている自覚はある。が、あまりのんびりとしすぎるのも性に合わないのでな」

「……そうですか」

 

 何処と無く残念そうな口ぶりで、アリスは秋雅の引止めを諦めた。秋雅から見た彼女のその態度は、個人的な恩や、公的な打算など――大きな借りを受けているとはいえ、それはそれ、これはこれであるのは彼にも理解できる――と、色々と考えていた結果であるのだろうが、流石に留まる気が無い秋雅を無理に引き止めるほどでは無いらしい。まあ流石に、それを追求しすぎて不興を買いかねない真似をするほど、彼女は愚かではあるまい。

 

「――それと、件の魔術師の件だが」

 

 その言葉と共に、秋雅の雰囲気が少しばかり鋭くなる。今の今までは一応、食事中の穏やかな気配という風であったのだが、それがいつもの調子に戻っていた。

 

 そのことを感じ取ったのだろう。アリスもまた背筋を正して返す。

 

「承知しています。何か分かり次第、お伝えすればよいのですね?」

「ああ、どうにも気にかかるからな」

 

 カンピオーネという、人よりもむしろ神に近い存在に対する謀反。特殊な条件下とはいえ、神獣にすら迫る魔術。そして、そのような心情、力に見合わぬ弱い精神。気にならぬ訳が無い、というものだ。

 

「あのような魔術を持ちながら、しかし力を持つもの特有の『芯』が感じられなかった。立ち位置だけを見ればまさしく組織の下っ端という風なのだが、それにしては持っていた力が大きすぎる」

「私も報告を受けていますが、確かに同じような感想を持ちました。使っていたであろう魔術は、それこそ一つの結社の秘術ともなりそうなレベルであったというのに、やっていたことはかなり杜撰です」

 

 そもそも、その存在が発覚することになった墓荒らしの件があまりにもお粗末過ぎるのだ。口ぶりから察するにばれても切り抜けられるという風に思っていたようであったが、そうやって無駄なリスクを避けようとしないというのが愚か極まりないと言えよう。そんな事が出来るのは、それこそカンピオーネのような常識の外の外にあるような存在だけだ。

 

「現状、その男に関しては私どもの手のものが尋問を行っています。いずれは、背後にあるものに関しても何かしらの報告は出来るかと」

「その際はこれを使うといい」

 

 そう言って、秋雅は懐から何かを取り出す。何だろうかとアリスが見ていると、次の瞬間にはその何かが秋雅の手の中から消え去り、代わりにアリスの手元にそれが現れていた。

 

「これは……」

 

 現れたそれをアリスが手に取る。間近で見てみればそれはどうやら名刺の類のようで、小さな紙の中央に秋雅のフルネームと、その隅に彼のものらしき携帯電話の番号とメールアドレスが記載されている。

 

「……よろしいのですか?」

 

 それを確認して、アリスは驚いたように秋雅に問いかけた。何故ここまでアリスが驚くのかといえば、それは秋雅が自分の個人的な連絡先を魔術関係者に渡すという事が滅多にないと聞いているからだ。実際、先日の一件でも、連絡用としてアリスたちから電話を借りて使っており、私物のそれは全く用いていない。それが、あまり私生活にそういったものを持ち込みたくない秋雅の性分であった。

 

 そう言うわけであるので、魔術関係者で彼の携帯の番号を知っている者など彼の専用窓口と化している正史編纂委員会の三津橋か、あるいはサルバトーレ・ドニと言った他の王ぐらいだ。そのため、他の魔術結社の人間が彼に依頼をするときは、基本的に正史編纂委員会を通して行うか、あるいは極めて礼を尽くしつつ直接会うかというぐらいだ。まあ勿論、番号など彼らが調べようと思えばどうとでもなるものなのだが、そんな事をして秋雅の怒りを買いたくないと、少なくとも表向きにはやっていない。

 

 その貴重な番号を自分に渡して良いのか。言い換えれば、その連絡をする資格を与えていいのか。そんな意味合いであるのだろうアリスの問いかけに、秋雅は深く頷いて答える。

 

「無論、あくまで用いるのは彼女関係(例の幽霊の事)と、精々が貴女の個人的な用件程度に留めてほしい。賢人議会として、というようなものは遠慮願いたい」

「勿論そのつもりですわ」

「では、それでいい。状況の都合上、貴女と私の間で直接の連絡手段があったほうがいいと判断したまでだ。彼女のことに関して、何か急ぎの用件が生まれる可能性もあるからな」

「それもそうかもしれませんね」

 

 まだ、幽霊の彼女に対しアリスはその精神感応能力は用いていないらしい。単純に暇がなかったというのもあるが、慎重に使う必要性があるからだというのが彼女の言であった。そしてそれは、秋雅も納得済みのことである。

 

 霊体という、生者以上に不確かな存在に対し、魂を直接揺さぶるような術を使うのだから何事もゆっくりと、慎重にやらないといけない。当然そうなると事が長期的な話となるというのが、秋雅が彼女をアリスに預けることにした理由の一つでもある。また、期間が長くなるとアリスへの負担も大きくなると予想されるが、秋雅のおかげで体調も随分と良くなっているので、それほど問題にもならないだろうという風に見立てられている。

 

 

「そうそう。それで思い出したのですが」

「何だ?」

「彼女に使用人としての仕事を少しばかり仕込んでもよろしいでしょうか?」

「ふむ?」

「稲穂様もいらっしゃらないのに、客人扱いというのも気が引けると、そう彼女から聞きまして」

「そうだったか」

 

 さもありなん、とアリスの言葉に秋雅は頷く。これまでに分かっている彼女の性分を考えれば、確かにそのようなことを言いそうではあると思ったのだ。少なくとも、じっとお客様として待ち続けるようなタイプではない。

 

「分かった。その辺りは貴女の裁量に任せよう。彼女が望むのであれば、私がそれを否定する理由は無い」

「ええ、ではそのように」

 

 そう言った所で、これまで続いていた会話がピタリと途切れる。これ以上特に話す事がない、というのが両人の思うところであった。

 

「――さて、そろそろ本当に失礼しよう」

 

 アリスも自分と同じようなことを思っていると察して、秋雅は席を立つ。借りていた客室に戻って、そろそろ本格的に荷物を纏めよう。そう思いながら部屋を出ようとした秋雅の背に、アリスはふと思いついた事を問いかけた。

 

「つかぬ事を聞きますけれど、もうそのまま日本に帰るおつもりですか?」

「ん……」

 

 アリスの質問に、秋雅は足を止めて振り返って答える。

 

「いや、日本には当分帰らないつもりだ」

「あら? ではどちらに?」

「インドに行こうと思っている。まあ、その前にイタリア、サルデーニャに向かうつもりだが」

「サルデーニャに?」

「ああ。我が師に少し会っておこうと思ったのでな。借りていた魔術書の返却ついでではあるが」

「あら。おばさまに師事しておられたことがあったのですか?」

 

 初耳だ、とアリスが目を丸くする。その呼称からも分かるとおり、サルデーニャにいる秋雅の師、ルクレチア・ゾラはアリスにとっても知己の相手であると聞いている。彼女からしてみれば、自分が知る二人が師と弟子であることが意外であったのだろう。

 

「師匠、弟子、というほど深い付き合いでもないのだがな。少しばかりの基礎と、あとは魔術書の何冊かを都合してもらったという程度だ。とは言え、こうして会いに行く程度には親しいつもりだがね」

「そうだったのですか。では、失礼ではありますが、おばさまに会った際には私がよろしくと言っていたと伝えていただけませんか?」

「分かった、伝えておこう」

 

 そう最後に締めて、ようやく秋雅はダイニングを出るのであった。

 

 




 これで二章は終了。色々放りっぱなしなのは後々回収予定。次話は閑話として、護堂一行との邂逅を投稿予定です。ペルセウス戦後、サルデーニャで夏休みを消化中に偶然、といった感じ。夏休み一杯あっちに居たのか良く分かんないんですよね、これが。まあ、そう言う設定で、ついでにリリアナもちょくちょく来ているといった感じで書くつもりです。


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閑話 王の会合・其の二
雷の王と化身の王







 ナポリでのペルセウスとの死闘の後、草薙護堂は再びサルデーニャへと戻っていた。いい加減日本に戻っても良かったのだが、しかし何となしに未だに異国の地での休暇を楽しむ流れになっていた。もっとも、先日まで利用していた海の近くの貸し別荘ではなく、ルクレチア・ゾラの屋敷へと居を移していたのだが。いい加減ビーチでのバカンスも飽きた、というのが当の家主の主張である。まあ、彼女の所有する魔術書などに惹かれた者もいるので、それはそれでな提案だったのだが。

 

 

「実は今日、客人が訪れる予定なのだよ」

 

 そうルクレチアが切り出したのは、ちょうど昼食も食べ終わったというタイミングだ。

 

「お客様、ですか?」

「じゃあ、俺らは外にでも出ていた方がいいですかね?」

 

 その言葉にまず祐理が聞き返し、それに護堂も続く。

 

「いや、その必要は無い。と言うよりも、むしろ少年の場合は居てくれた方がいいだろうな」

「居てくれたほうがいい? ということは、そのお客人は草薙護堂の縁者ということか?」

 

 ルクレチアの言葉に、リリアナ・クラニチャールが問いを発する。元々ルクレチアが招待したわけではない彼女がここにいるのは、先日のナポリでの一件以来護堂の騎士を自認した彼女が、その任を果たそうとする為に時折ここを訪れているからである。まあ、やっていることは騎士と言うよりも、むしろメイドか何かのようにも見えるのだが。

 

 それはそれとして、リリアナの問いかけに対し、ルクレチアは何処か楽しげな様子で首を横に振る。

 

「いや、少年とはまだ面識の無い相手だろう。だが、全くの無関係と言うわけでもない」

「なんです、そりゃ?」

 

 さっぱり分からない、と護堂は首を傾げる。面識がないくせに関係はあると言われても、当然ながら誰のことやら分からない。見てみれば、祐理もまた護堂の隣で同じように首を傾げている。

 

「もしかして……」

 

 しかし、そんな二人とは対称的に、エリカは何かに気付いたようにルクレチアに視線を向ける。

 

「まさかとは思うけれど…………カンピオーネのどなたかがいらっしゃる、などだったりするのかしら?」

「えっ!?」

 

 エリカの探るような発言に、護堂は驚きの声を上げる。もっとも、実際に声を出したのが護堂というだけで、祐理もリリアナも同じように驚いた表情をしている。

 

 そんな護堂たちに対し、ルクレチアは意味深な笑みを浮かべていたが、ふと玄関の方に視線を向ける。

 

「おや、噂をすればと言うやつかな」

 

 言われ、護堂たちがそちらに意識を向けると、エリカのメイドであるアリアンナの声と、それ以外の誰かの、おそらくは男性である声が聞こえる。

 

 誰か、ルクレチアの言うお客さんがこの屋敷を訪れ、その対応をアリアンナが行っているといった所だろう。

 

 それを裏付けるように、数秒ほど後にリリアンナが部屋に入ってきて、ルクレチアに対し言う。

 

「ルクレチア様、お客様がいらしていますが、どうなさいますか?」

「ああ、ここに通してくれ」

「かしこまりました」

 

 そんな会話を、どのようなリアクションを取るべきかと見守っていた護堂達だったが、そんな彼らに対し、ルクレチアが口を開く。

 

「さて、では諸君に紹介しよう」

 

 同時、ガチャリと部屋のドアが開けられ、一人の青年が入って来る。その彼を指しながら、楽し気に紹介する。

 

「彼が少年と同じカンピオーネの一人、稲穂秋雅その人だ」

 

 それに対し、その青年――稲穂秋雅は顔をしかめた後、

 

「……どういう状況だ、これは」

 

 自分を見つめる四つの視線に対し、僅かに困惑したような調子で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護堂が居間にあるソファに腰掛けたなおしたところで、先んじて秋雅が口を開いた。

 

「改めて名乗ろう。私が稲穂秋雅、君と同じカンピオーネだ」

「えっと、草薙護堂です」

「まさか、このような場所で君と会うことになるとは思ってもみなかった」

 

 嘆息してそう秋雅が告げる。しかし、それは護堂も同じことだ。まさかここで、新しいカンピオーネに会うことになるとは思ってもいなかった。

 

 じっと、護堂は目の前に座る秋雅を観察する。中性的なつくりの、整った顔立ちをした日本人だ。おそらくは、それほど歳はいっていないだろう。二十代前半くらいかと護堂は結論付ける。

 

 先ほどの立ち姿を見た限り、それなりに長身で、何処と無く引き締まった身体をしているように見えた。その辺りは先日また再会したばかりのサルバトーレ・ドニと同じような風でもある。

 

 全体の雰囲気としては、何と言うのだろうか。所謂、王の風格とでも表現するような空気を、全身から出しているように護堂には感じられる。自分と違い、人の上に立つことを当然だと思っているような態度だ。その辺りはあのヴォバン侯爵と同じだが、彼とは違い、人を人とも思わぬような目をしているわけではない。非常に落ち着いた態度であり、ドニのように好戦的な空気も感じない。会った事のあるカンピオーネが二人ともあれ(・・)だったので単純に比較も出来ないが、何となく話の通じそうな人だと護堂の第一印象は告げていた。

 

 

 そんな護堂の不躾な視線など気に留めた様子も無く、秋雅は傍らに立っているルクレチアに視線を向ける。家主でありものぐさな彼女がそのような位置に立っているのは、仮にも王同士の会合ということで同じ席につくという無礼を嫌った為だ。同じように、エリカや祐理も護堂の傍らに控えている。リリアナがいないが、それは紅茶を入れるために席を立っているためだ。

 

「我が師よ、貴女に連絡をしたときに、我が同胞がここに居るなどとは聞いていなかったと思うのだが、違ったかな?」

「いいや、違わないな。ただ、この方が面白そうだと思ったのでね、我が弟子よ」

 

 イタズラに成功した子供のような笑顔で述べられたルクレチアの言葉に、秋雅が一つため息をつく。もっとも、それは護堂も同じだが。

 

 会うのはともかくとしても、その前にエリカなどからどういう人物なのか聞いておきたかったというのが本音だ。以前にも軽く説明されてはいたが、実際に会うのであればもう少し聞いておきたかったと今更どうしようもない事を護堂は思う。

 

「ルクレチアさんと、えっと……稲穂さんは師弟だったんですか?」

 

 取り合えずとして、護堂は今の会話で気になった言葉を拾ってルクレチアに問うてみる。それに対し、ルクレチアは、さて、と顎に手を当てながら言う。

 

「実のところ、それほどたいして魔術を教えたというわけでもないのだよ。少しばかりの基本と、多少なり魔術書を預けてみたというだけで」

「そういうことだ。師だ弟子だと呼び合っているが、ただ魔術書の貸し借りをしている程度の仲に過ぎん」

 

 それを果たしに来てみれば君がいたのだかね、と秋雅は再び嘆息しながら言う。そんな彼の態度に、他の王のように浮世離れしているというわけじゃないのだろうかと護堂は考える。むしろ、周りに迷惑を掛けまくっていたあの二人と違って、どちらかと言えば苦労人気質のようにも見えないことも無い。

 

「失礼します」

 

 そんな折、席を外していたリリアナが室内に入って来る。その手にはトレイがあり、その上には二つ紅茶のカップが置かれている。

 

「……どうぞ」

「ありがとう」

 

 カチャリと、リリアナが出した紅茶に対し、秋雅は礼を言う。それに対し、いえと軽く反応した後、その対面に座る護堂にも同じように紅茶を出して、リリアナは一歩下がる。そのままエリカ達と同じように護堂の、自分の主のすぐ傍に立ち、何かあった際には動けるように待機する。

 

 三人の、そのよそよそしいとも言える対応に、何処となく護堂が違和感を覚えている前で、秋雅は平然と出された紅茶を味わっている。

 

「……ふむ、良い味だ。リリアナ・クラニチャール、君は剣だけでなく茶にも精通しているのだな」

「気に入っていただけたなら幸いです、王よ」

 

 恭しくリリアナが頭を下げる。それを見ていた秋雅の視線が、ついと祐理のほうへと動く。

 

「それにしても、まさかここでまた君と会うことになろうとはな。息災で何よりだ」

「失礼ながら、御身を拝見するのはこれが始めてであったと思うのですが……?」

 

 僅かだが気安げな調子で放たれた秋雅の言葉に、祐理は困惑したように言う。そんな彼女の態度を見てリリアナが口を開く。

 

「万里谷祐理、貴女は覚えていないだろうが、あの時に私達を助けてくださったのが稲穂秋雅様だ」

「あの時というと、四年前の?」

「ああ、そうだ」

 

 この時護堂は知らなかったのだが、後に聞いたところ、何でも四年前のヴォバン侯爵の一件において、リリアナや祐理といった儀式に参加させられていた者達を助けたのが秋雅であったのだそうだ。その儀式で呼び出された神とヴォバン侯爵と実際に戦ったのはドニであったが、その余波に巻き込まれないように彼女らを守っていたのが秋雅だったらしい。その件で非常に秋雅に感謝をしているというのが、その際にリリアナが護堂に語った感想であった。

 

 

「その口ぶりでは、もしやあの一件のことは忘れていたのか?」

 

 リリアナの言葉と祐理の態度で察したのか、秋雅は少しだけ驚いたような表情を見せる。

 

「だとしたらすまなかったな。言われてみればあのような事件のことなど、忘れるのも無理からぬ話だ。記憶の蓋をひっくり返すような真似をするべきではなかったか。無礼を詫びよう」

「お、御気になさらないでください。私が御身より受けし恩を忘れていたのがいけなかったのですから」

 

 何か調子が狂うなあと、秋雅の言葉を聞いた護堂は思う。どうにも、目の前の彼が、ヴォバン侯爵やサルバトーレ・ドニと言った、傍若無人な王と同じ存在であるようには見えない。少なくとも、あの二人ならこのような謝罪を行うことはしないだろう。自分と同じように、一般的な感性を持った人物なのだろうかと、何となく親近感を覚えなくもない。

 

「そして君が『紅き悪魔』(ディアヴォロ・ロッソ)か……君の顔も何処か覚えがあるな。いや、以前に写真を見たことはあるが、しかし……?」

 

 ふと、この場にいる最後の人物であるエリカに対し、秋雅が視線を向け、そして首を捻る。

 

「以前、《赤銅黒十字》が御身に依頼をした際に、僅かですが言葉を交わしていただいた経験がありますので、それではないかと」

「……ああ、あの時の。成る程、写真ではピンと来なかったが、こうして直接顔を見ると確かにあのときの少女だな。いや、失敬した」

「いえ、あの時は本当に一言、二言程度でしたから、覚えていらっしゃらないのも無理からぬ話と思います」

「ふむ、そう言ってもらえると助かる。まだ私も、この若さで頭の呆けた愚か者と謗られたくはないからな」

「…………想像以上ね」

 

 ポツリと、おそらくは護堂達にしか聞こえないであろう声量でエリカが呟く。それに対し、護堂も心の中で同意する。確かに、これは想像以上にまとも(・・・)な相手なのかもしれない。

 

「なに、想像以上だったのは私の方だよ」

「えっ?」

 

 今のエリカの声が聞こえていたのか。少し驚く護堂に対し、秋雅は何を考えているのか分からぬ目を向けて、

 

「まさか、新しき王がかように色を好む王であったとは、想像もしていなかった」

「なっ!?」

 

 どんな事を言うのかと思っていたが、まさかの言葉に護堂は言葉を失う。当人から反論がなかったからか、さらに秋雅は続ける。

 

「確かに、かのエリカ・ブランデッリを愛人にしていると聞いていたが、まさか日本の媛巫女と『剣の妖精』までも虜にしていたとは、いやはや凄いものだな」

「王よ! 失礼ながら、私と草薙護堂はそのような関係ではありません! あくまで騎士として、彼に仕えているだけです!」

「わ、私もあくまで護堂さんのその、虜と言うわけでは……」

「そうだ! 変な勘違いはしないでくれ!!」

 

 思わず大声で、護堂はリリアナと祐理の言葉に続く。護堂からしてみれば、三人とも仲の良い友人であって、断じて人様に後ろ指を刺されるような関係ではないのである。常ならばここでエリカが、愛人だのなんだのと言ってきそうなものだが、場所が場所な所為か特に何を言うそぶりもない。

 

「……そうか」

 

 そんな護堂の否定を理解してくれたのか、秋雅はそれだけを呟いた。特にこれ以上、この話題に触れる気は無いようではある。

 

 そんな彼の態度に護堂は、何となくではあるが、目の前の青年が少し気分を害しているようにも見えた。しかしその事に対し護堂が質問をするよりも早く、秋雅は足を組みなおして口を開く。

 

「いい加減、前置き代わりの会話は十分だろう。そろそろ、本題に入らせてもらう」

「本題?」

「今回のこれは偶然ではあるが、しかし君と一度会ってみようと思っていたのは確かなのでね。その際に訊こうと思っていた事を、今尋ねようということだ」

 

 そこまで言って秋雅は一口紅茶を味わう。カチャリとカップをソーサーに置いた後、さて、と秋雅は護堂を見据えて言う。

 

「草薙護堂、君はカンピオーネがもたらす被害についてどう思っている?」

「どうって……」

「言い方を変えよう。君は、自分がもたらした破壊についてどう思っている?」

「確かに俺はまつろわぬ神との戦いで色々壊してしまったけど、でもあれは仕方が――」

「そうか、分かった」

 

 結果的に、自分が壊してしまった物に対しての言い訳などをしようとした護堂であったが、しかしそれを秋雅はぴしゃりと遮る。

 

「つまり君はこう言いたいのだな。建造物を壊さないように注意していたが、しかし戦闘の結果、仕方なく壊すことになってしまった、と」

「……そういうことになりますね」

 

 秋雅の纏めに、護堂は自分のしでかした事を恥じて身を縮こまらせる。言葉を遮られたことはあまり良く思わないが、しかし事実ではあるので言い返しようがない。

 

「成る程……成る程な」

 

 そう、秋雅は呟く。それが何を意味しての呟きなのか、護堂には全く分からないのだが、そんな彼の内心など知らず、秋雅は人差し指を立てて示す。

 

「草薙護堂、一つ、忠告をしておこう」

「忠告?」

「ああ、忠告だ。草薙護堂、下らぬことを考えるのは止めておけ」

「え?」

「被害を増やさないようにする、など土台無理な話だということだ。そんな事を考えたところで、何の意味などありもしない。カンピオーネなど、所詮は破壊をもたらしてしまう存在なのだからな」

「いや、でも無駄に街を壊すわけにも行かないでしょう?」

「――では、君にそれを防ぐ手立てがあるのか? いや、君は最後まで周囲の被害を考えながら戦った事があったのか?」

 

 痛い所をつかれたと、護堂は思わず黙り込む。確かに、最初こそは考えていたりもするものの、最終的には完全に頭からすっぽ抜けているばかりだ。

 

「であれば、考えるだけ無駄だから止めておきたまえ。君にそのようなことは決してできないということだ」

「そんなことは……」

「では、君はこれまでの闘いにおいて、事前に被害を減らすように動いた事があるか? 戦うであろう場所から民間人を避難させるように指示したり、あるいは戦う場所を変えたりと、そういうことを一度でもした事があったかね?」

 

 全くもって、護堂は言い返す事が出来ない。

 

「極めつけは、だ」

 

 一息挟んで、秋雅は言う。

 

「かのまつろわぬアテナとの一戦。そのきっかけとなったゴルゴネイオンは、君が日本に持ち込んだと聞いている」

「あれは……」

「本当に被害を抑えたいのであれば、東京ではなく何処か人気の無い、暴れても問題ないような場所に持ち込めばよかったはず。それなのに君は何も考えずに東京にそれを持ち込んだ。配慮が足りない、と言われても仕方がないと思うがな」

 

 そう言う秋雅の護堂を見る目は、非常に冷ややかに感じれられる。

 

「それに加えて、君はその際にまつろわぬアテナに止めを刺さなかった。まったくもって、愚かしいとしか言えない。まつろわぬ神を見逃した所為で、また別の場所で被害が起こるような事があればどうするつもりだ? 我らが暴虐に振るおうとも許される、その最大の存在意義を自ら捨てるなど、実に愚かしいと言える」

「しかし、そのおかげでナポリは救われました」

「そうだな、リリアナ・クラニチャール。その件に関しては私も報告を請けている。かの神のおかげで、ナポリという土地が死ぬ事を免れたと……が、しかし」

 

 それは結果論に過ぎない、と秋雅は言う。

 

「結果論を完全に否定する気もないが、しかし最初からそれありきで考えることなど出来るはずもない。依然、まつろわぬアテナが何処かの土地で猛威を振るう可能性は残っている。その結果多数の人民が被害を受けようとも、君はそれこそ結果論に過ぎないとでも言うつもりかね?」

 

 ようやくはっきりと、秋雅の表情に感情が見えた。それは、護堂に対する呆れの色だ。

 

「口先だけの平和主義、最悪を考えぬ見通しのなさ。それもいいだろう。しかし、それならばそれありきで行動するべきだろう。自分は何も考えず、行き当たりばったりで破壊をもたらす存在なのだ、とな……比較的理性的で言葉の通じるタイプではあるようだが、根源は他の王と同じだな、草薙護堂。結局は、そういうことだ」

 

 ついと、秋雅は自分を指差し、ついで護堂にその指を向ける。

 

 

「私も――そして、君も。どちらもが、理不尽にして破壊の権化たる王なのだ。権能の種類などは関係なく、根源的なところで破壊と混乱を招くのが、私達カンピオーネなのだ。その自覚と覚悟を、不足なく持つべきだと私は思うがね。もっとも、それをすんなりと受け入れるほど、君は自分を客観視できないようだがな」

 

 ふん、と秋雅は鼻を鳴らす。

 

「最後に言っておく。今の君では、私が非戦の盟約を結ぶには不足している。もし君が私の道の前に立ち塞がるのであれば、容赦なく討つ。少なくとも、君が未熟であるうちは、私は君を認めないだろう、覚えておけ」

 

 さて、と秋雅は居住まいを正し、

 

「――では、これで失礼させてもらう」

 

 

 そう秋雅が言った、次の瞬間だ。

 

「えっ!?」

 

 稲穂秋雅の姿が一瞬のうちに消え去った。驚きと共に護堂は秋雅が座っていた場所を見るが、そこにあるのは一冊の魔導書だけだ。傍らにいた三人にも確認を取ってみるが、三人とも秋雅が消えた方法は分からないらしく、一様に首を横に振っている。

 

「……言われっぱなしだったな」

 

 秋雅が消えた。その事実を理解した後、護堂の口から出たのは、そんな感想であった。最後の方など、完全に口を挟む事が出来ていなかった。完全に痛い所をつかれ続けてしまい、感情的に言い返すことすら出来ないほどに彼のペースに飲まれてしまっていた。

 

「別に間違ったことは言っていなかったもの、仕方がないわ。もっとも、護堂がそれに合わせる必要性は全く無いけれどね」

 

 フォローなのかどうなのか、そうエリカが言う。

 

「しかし……何か妙だったな」

「妙って、どういうことですか?」

「いや、あの稲穂秋雅にしては、随分と辛辣だったなと思ったのだ。以前から私は多少彼と縁があったのだが、それにしてもあんなに苛烈に言い立てる人ではないはずなのだが……」

「確かに、リリィの言う通りね。あの方は基本的に、敵を作らないような言動と聞いていたのだけれど」

 

 不思議そうに、リリアナとエリカが首を傾げる。そんな二人に対し、秋雅が置いていったのであろう魔導書を手に取って、ルクレチアが口を開いた。

 

「ああ、まあ我が弟子は機嫌が悪いようだったからな。おそらくはその所為だろう」

「機嫌が悪かったのですか?」

「もっとも、それも少年が原因であるのだが」

「え? 俺ですか?」

「ほら、少年が愛人云々の話題を否定しただろう?」

「当たり前でしょう!」

 

 それが気に触ったのだよ、とルクレチアは言う。

 

「我が弟子はどうも、義理の通らぬことを嫌う性質の様でな。女性の心を弄んでいるような少年に、あまり良い感情を持たなかったのだろう。私の見る限り、彼は釣った魚には餌をたっぷりと与えて、しっかりと愛でるタイプだからな」

「だから、誰も弄んでなんかないですってば」

「鈍すぎるのは罪って事よ、護堂」

 

 エリカがそう締めると、何となく全体に納得したような雰囲気が出てしまい、護堂としてはどうにも居心地が悪くなってしまう。

 

「……まあ、それはそれとしてさ。俺とあの稲穂って人が戦うことになったりするのか?」

「どうかしら。基本的にあの方は無益な戦いはしない方だけど」

「私もそう思うが、どうにも草薙護堂には良い感情を抱いていないようだったからな……」

「見た限り理性的な方のようでしたから、大丈夫なのではないでしょうか?」

「あまり心配する必要はないと私は思うがね。何だかんだと言って、我が弟子は人と争う事を避けるタイプだからな」

「だったら大丈夫か……?」

 

 そう、不安そうに護堂は呟く。何となく、そのうちに彼と戦うようなことが起こるのではないかという、漠然とした予感を胸のうちに感じていたからであった。

 

 

 




 色々書く事を削ったのに長くなってしまった。削った所為で結構おかしいところもあるかもしれないけれど、それはそれということで。基本的に秋雅と護堂は同じ言葉が通じる方の王様で、同タイプのアレクサンドルと比べるとと格段に相性がいいけれど、現状は秋雅が護堂をそこまで良く思っていないといったところでしょうか。この二人が再会するのは多分四章あたり、恵那と会う前になるか後になるかはまだ考え中。次章は秋雅の女たちがでたり、アメリカに行ったりする予定。日本に帰る日は遠い。




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第三章 安らぎの後、かの地で神と対峙す
日本からの電話と、海外の彼女達







「ん……」

 

 こきり、と首を鳴らした後、軽く肩を回す。別にこっているというわけでもないが、何となく気分的なものだ。今回のように個人的な移動で、飛行機のビジネスクラスなりを利用したとき――個人的な用事の時まで一々面倒な対応を受けたくないが、かといってあまり窮屈なのも面白くない――特有の、ある種の癖のようなものである。

 

 

 一息ついたところで、懐から携帯電話を取り出し、電源を入れる。そうしたまさに瞬間、ディスプレイの着信の表示が現れた。何とも都合の良いタイミングだが、おそらくは飛行機に搭乗していた間から、何度となくかかってきていたのだろう。何かしらの報告か、と表示された名前に秋雅は意識を切り替える。

 

「私だ、どうした」

『三津橋です、今よろしいでしょうか?』

「ああ、問題ない」

 

 空港の出口に向かって歩きながら、秋雅は携帯から聞こえてくる声に意識を向ける。無論、周囲の人たちにぶつからないように注意しながらだ。

 

『先日報告した、委員会内の騒動の話、覚えていらっしゃいますよね?』

「何か動いたのか?」

『そこまでは。ただ、全体的にある程度方針が固まってきたようです』

 

 以前、秋雅が五月雨室長と初めて会った時に交わされた話題。それについて、三津橋は秋雅に話し始める。

 

『現状、西日本の全支部は秋雅さんにつくということを公にしました。中心は言うまでもなく、我ら福岡支部です。下はともかく、各支部の上の人間はほとんど、秋雅さんの存在と活躍を理解していますからね』

「他の地域は?」

『とりあえず、関東、特に東京支部は草薙氏側の態度を取っています。それ以外の選択を取ったら逆に驚きですが』

四年前(・・・)の一件があるからな。当事者は全て殺した(・・・・)が、当時からいた人員が私を警戒しないはずがない」

『そういうことですね』

 

 四年前。正史編纂委員会の一部の人間による独断専行。カンピオーネ(稲穂秋雅)を侮った彼らに下された王の裁き。その一件に関わった全ては秋雅の手によって既にこの世を去っているが、それ以外の、その事件を遠巻きから見ていた者たちは秋雅の事を酷く警戒している。いつかあの時の裁きが、気まぐれに自分達に降ってくるのではないかと怯えているのであろう。

 

 馬鹿馬鹿しい、と秋雅はそのように怯える者たちに対して思う。そも、彼らを秋雅が皆殺しにしたのは、彼らが秋雅にいらぬものを押し付けようとし、さらには彼にとって大切な存在たちを害そうとしたからだ。でもなければ所構わず無辜の民を殺すような真似はしない。そのことを理解できないのは、やはり他国と違ってカンピオーネという存在に慣れていないのが原因か。

 

 もっとも、そうして秋雅に対して未だに警戒を続けているというのに、新たな王(草薙護堂)に対しても半分ほど同じような事をしている(万里谷祐理をあてがう)のだから、まま呆れた話ではあるのだが。

 

『その他の地域、というか東日本の話ですが、こっちは草薙氏よりではあるものの、基本的には静観の構えと言った所のようです。つくにしても、よほどの事がない限りは向こうを選ぶでしょう。ただ、東北の一部支部と北海道は秘密裏にこちらに連絡を寄越しています。まだ決めかねてはいるが、基本的にはこちらにつくとのことです』

「何度かあちらでの依頼を受けたからな、それのおかげか」

『おそらくはそういうことかと』

 

 本拠地である九州から遠い地域であるというのに、彼らが秋雅に対して好意的なのは、やはり一度稲穂秋雅という人物に触れているからであろう。音に聞く他国の王と比べて、極めて少ない理不尽と破壊。身構えていた分もあったからこそ、秋雅のそういった点が特に強く目に付くのかもしれない。西日本の全支部が秋雅についたのも、彼と直接会った者たちが特に多いからであろう。

 

 なお、秋雅は四年前の一件以来、関東地域で起こった事件に関しては特に緊急性の高い物でもない限り関わらないと公言しているので、あれ以降関東の支部の面子とは一切顔を合わせていない。それもまた、関東での秋雅の支持率がほとんど無い理由だろう。もっとも、例え秋雅がそれを取り下げたとしても、関東から彼に依頼が来ることは――特に今は、草薙護堂もいるので――まずないだろうが。

 

「しかし……中々に面倒な事態になってきたな」

『最悪、委員会を割る(・・)ことにすらなるでしょうね。ただ、その際はおそらく、向こうが政府直轄の正式な結社となるでしょうが」

「あまり考えたくはないな』

『……やはり、我らを率いるのは気が進みませんか?』

 

 三津橋からの、やや弱気な風にも聞こえる問いかけ。それに対し、秋雅は少し悩んだ後、

 

「……ああ。私はあまり、人を率いるのには向かないだろうからな」

『そのようなことは……ない、と思いますが』

 

 言いよどむ三津橋に対し、秋雅は口を開く。

 

「……正直なところを言えば、な」

 

 一呼吸を置き、秋雅は小さく呟く。

 

「自分のものになってしまえば、失わせたくないと思ってしまうのさ」

 

 一度、自分の傘下に入れてしまえば、もはやそれは自分のものであり、それを失うのを耐え難いと思ってしまう。それは組織としてではなく、個人、それこそ一番下の人間ですら失いたくないと思ってしまう。何もかもを失わせない為にするには、結局秋雅が一から十までやる以上の確実性はない。

 

 しかしそうなれば、秋雅の負担は限界まで増えてしまうし、何よりそんな組織は、もはや組織とは言えるわけもない。ただの、秋雅の庇護下にある人間の集まりだ。それでは何の意味もない。

 

 だから、秋雅はあまり傘下の結社を持つということに積極的でない。それどころか、特定の組織とも必要以上に親しくなり過ぎないようにもしている。もし際限なく付き合いを続けていけば、自分がどうとも動けなくなってしまうと理解しているからだ。

 

「愚かだろう?」

 

 まったく、馬鹿なことだ。つい漏らした弱音に秋雅が自嘲すると、しばしの沈黙の後に、

 

『――いえ、いいえ』

 

 三津橋の、力強い否定の声が返ってきた。そうして、彼はそのまま続ける。

 

『愚かなどと、言えるはずもありません。貴方はただ、王としての責務を果たそうと努力されているだけなのでしょう。王が部下を、民を、国を守ろうとするように、貴方も配下となったものを大事にしたいと思われているだけなのだと、私はそう考えます』

 

 真剣な声でそう語った後、

 

『――ようするに、責任感が強いんですよ、秋雅さんは』

 

 ふと、少しばかりおどけたようにして三津橋が言う。

 

『あまり深く考えすぎるのが、秋雅さんの悪い癖です。たまにはもう少し、軽く考えてもいいんじゃないですか?』

 

 その言葉に、秋雅はしばし沈黙を返す。

 

 そして、

 

「ふっ、くくっ……!」

 

 小さく、手で口元を押さえながら秋雅は笑った。王として振舞っている時には見せないはずの、素のそれに近い笑みだ。沈みかけていた表情を明るくさせながら、どこか軽い調子で秋雅は電話口の友人に笑う。

 

「……いや、まったく、そうなんだろうな。どうにも、私は色々と考えすぎるのだろう」

『真面目なんですよ、貴方は。生真面目で、他にない責任感がある。まあ、だからこそ私達は貴方についていくと決めたんですがね』

「ふっ、そうだな。先のことはともかくとして、今はそれだけでいいか」

 

 何となく、肩の荷が下りたような気分であった。いつの間にか止まっていた足を再び動かし始めながら、秋雅は小さく呟く。

 

「感謝する、三津橋。最初に委員会が寄越した遣いが君で、本当に良かった」

『…………そういうのは、ヒロイン的な立場の人に言うべき台詞だと思うんですがねえ。私みたいなおっさんには些か眩しい言葉です』

 

 秋雅の言葉を、酷く胡乱げな口調で三津橋が返す。あるいは照れているのかもしれないが、それは彼にしか分からないことだ。

 

『ああ、そうそう。ヒロインで思い出しました』

「うん?」

『五月雨室長のことで、ちょっとお耳に入れたいことがありまして』

「……何で思い出しているだ、君は」

『まあまあ……真面目な話、どうも彼女に面倒な指示が出されそうな気配がありまして』

「何だと?」

 

 どういう意味だ、と秋雅が問いただすと、三津橋は少し声を潜めるようにして言う。

 

『……彼女、実は沙耶宮の縁者なんですよ』

「沙耶宮の?」

 

 沙耶宮と言えば、日本で強い力を持つ四家と呼ばれる一族の一つだ。特に沙耶宮は正史編纂委員会のトップを勤めており、確か東京分室のトップも沙耶宮のものであったはずだと秋雅は何となしに思い出す。

 

「縁者というが、どの程度のものだ?」

『彼女の父親が沙耶宮の直系、というか現頭首の兄弟だそうです。ただ、呪力がほとんどなく、ついでに言えば組織経営の才もそれほどなかったようで。色々あって家を離れた後、紆余曲折を経て五月雨家に婿入りしたとか。その娘が室長、五月雨恵さんということです。東京分室のトップでもある、沙耶宮の次期頭首さんとは従兄弟に当たると聞いています』

「思ったよりも近しいな」

『ええ。その所為で色々、まあ面倒な指示を出されるかとも』

「……読めたぞ。私を篭絡しろとか、その類のものだろう?」

『正解です……沙耶宮って賢い人たちの集まりだって聞いていたんですけどねえ』

 

 また繰り返すつもりか。そんな感想が、三津橋の言葉からひしひしと感じられる。まったくだな、と内心で同意しつつ、秋雅は会話を続ける。

 

「しかし、そうなると彼女があの若さで室長になったのも、つまりはそういうことなのか?」

『まあ、それもあるでしょうね。確かに彼女は実力のある若手ですが、流石にあの歳と経歴で室長任命は不自然です。ついでに言えば、私達が離反した場合に組織を纏める立場になるであろう人間に、有能な人物をあてたくなかったんでしょう』

「成る程、それもありえるか」

 

 確かに、言われてみれば彼女が室長となったのは草薙護堂がカンピオーネだと発覚してからすぐのことだ。任命から配属までのタイムラグを考えると、そういったことも踏まえた上で彼女が選ばれたもかもしれない。

 

『とはいえ、これはあくまで予想です。出来れば彼女の耳には入れないようにお願いします』

「言われずとも、わざわざ私からは言わんさ。そもそも、彼女と私が話すこともそうないだろう」

『あ、いえ。現在五月雨室長は出張中なんですが、それが終わったら秋雅さんに色々報告をしたいと言っていまして』

「君を通さず、直にか?」

『はい。責任感が強いんですよ、貴方と一緒で』

「……そう言われると、否とは言えないな」

 

 思わず苦笑をこぼしつつ、秋雅は承諾の意を返す。

 

 

 

 そのように会話をしながら秋雅が歩いていると、とうとう空港の外にまで出た。秋雅はそのままざっと周囲を見渡した後、ある方向に向かって歩き出す。

 

『……しかし秋雅さん、何処にいらっしゃるんです? 今何か、飛行機の音らしき物が聞こえましたが』

「デリーの空港だ」

『デリー? デリーと言うと、インドの? ……ああ、そういうことですか』

 

 納得がいったと、頷きを返している気配が電話の向こうに感じられる。同時、何となくにやけているような気配も感じられた。秋雅が何を目的としてインドの地を踏んだのか、それを察したからであろう。特に秋雅が三津橋に話したことはないが、しかしそうでなくとも察せられる程度には、稲穂秋雅の恋人の話は有名であった。

 

 

 稲穂秋雅が女性、細かく言えば魔術師の女性を囲っている。それは秋雅のことについて、多少本腰を入れて調査すればすぐに分かる情報だ。流石に面と向かってではないが、それとなく訊かれた際には秋雅も肯定していることなので、そこは真実なのだろうと関係者も理解している。

 

 加えて、複数の女性を手篭めにしているという噂もあるが、基本的に秋雅が紳士的で、特に色を好む様を見せないところから、そちらに関してはそれほど信じられていない。あっても、精々が他の結社からあてがわれたりせぬようにするためにカモフラージュではないか。そんな風にも言われていたりする。

 

 もっとも、その噂に関しては、秋雅も少々返答に困る事実があったりするのだが、そこまでを知っている人間はほとんどいない。

 

『そういうことならまあ、ごゆっくりと言うべきでしょうかね』

「そう言ってもらえると助かるな、私としても」

 

 秋雅の目的を察しても、特に言及をしてこなかったところを見ると、もしかしたらそれは無粋だとでも思ったのかもしれない。そのことに面倒がなくて良いと秋雅は思う。

 

「ともかくそういうわけだから、少しの間こちらに滞在するつもりだ。緊急時でもないかぎり呼び戻してくれるなよ」

『そりゃもう、ごゆっくりと私からも言っておきます。あ、でも連絡自体はとれるようにしてくださると幸いです』

「そのつもりだ。五月雨室長からの報告もあるだろうからな」

『ええ……では、私はこれで』

「ああ、またな」

 

 電話を切り、懐に収めなおす。気付けばもう、いつもの場所近くまで来ていた。

 

「さて、もういるかどうか」

 

 こちらに来る予定時間は伝えてあったが、しかし交通事情というものがあるから時間通りに来られるとは限らない。まあ待たせるよりは待つ方が気は楽だから、あるいはそのほうがいいだろうか。などということをつらつらと思いながらいつもの、待ち合わせ場所として決めている辺りまで来ると、遠くに見覚えのある車と、同じく見覚えのある金髪の、互いに話し込んでいるらしい三人の女性の姿があった。

 

「――ああ、いるか」

 

 呟き、そちらに向かって歩く。心なしかその歩調は先ほどまでよりも速くなっているような気がする。

 

 ふと秋雅が口元に手をやってみれば、それが弧を描いているということに気付いた。いつも通りだな、そう思いながら秋雅は歩く。

 

 

 声をかけようか。そう思う程度には近くまで歩いたところで、どうやら向こうも秋雅の存在に気付いたらしい。三人のうちの一人、その見事な金色の髪を後ろで纏めた少女が、その整った顔に快活そうな表情を浮かべながらこちらへと走ってくる。

 

「秋雅!」

 

 歓喜の声を上げながら、少女が秋雅に飛びつく。その身体を秋雅は受け止めて、くるりと一度身体を回して勢いを和らげる。

 

「――っと。相変わらず元気だな、ヴェルナ」

「当たり前でしょ、私はいつでも元気だもの」

 

 そう言って、秋雅がヴェルナと呼んだ少女は、満面の笑みを浮かべながら、キラキラとした青い目を秋雅に向ける。その笑みに、秋雅も柔らかい笑みを浮かべて返す。

 

「やれやれ、俺も元気になりそうだ」

「あら? 今日の秋雅はお疲れ気味?」

「そうでもないけど、な」

 

 言いながら、秋雅は待っている二人の元へと歩く。ヴェルナが秋雅の首に手を回して離れないので、彼女を抱きかかえながらの移動だ。随分と人目につく行動だろうが、ここはあまり人通りがないので特に奇異の視線を向けられることもない。

 

「ねえ、秋雅」

「ん?」

「キスしていい?」

「頬なら返してやるよ」

「じゃ、それで」

 

 言ってすぐ、ヴェルナが秋雅の頬に唇をそっと当てる。それに対し、秋雅もまた首を動かして、ヴェルナの白い肌に唇をつける。

 

「ふふ、良い気分」

「――ヴェルナ、何時までくっついているのよ」

 

 そんな二人の耳に、僅かだが棘が感じられる声が聞こえてくる。言われ、二人が正面に視線を向ければ、車に一人残しこちらへと歩いてくる一人の少女の姿がある。

 

「スクラ、久しぶり」

「ええ、久しぶり、秋雅」

 

 そう言って、スクラはふっと目元を緩めて微笑む。パッと見の表情こそ違うが、よくよく見ればその顔立ちはヴェルナと瓜二つだ。それもそのはずで、ヴェルナとスクラは一卵性双生児の双子であるのだ。ただ、髪の長さだけが違う。ヴェルナが括った髪を背に垂らしているのに対し、スクラの髪は襟元で短く切りそろえられている。

 

 挨拶の後、スクラは秋雅から視線を外し、今度はその近くにあるヴェルナの顔を見る。緩められていた視線はまた鋭くなり、いまだ秋雅に抱きついているヴェルナに苦言を呈した。

 

「で、ヴェルナ。いい加減秋雅の手の中から降りなさい」

「えー? いいじゃない、もう少しくらい。スクラも秋雅にくっつきたいのは分かるけど」

「それはそうだけど、問題はそこじゃなくて、姉さんが秋雅に抱きつけないって言っているのよ。ほら、早く」

「あー、うん。そう言われると弱いなあ、本当」

 

 スクラの説得に仕方ないなあと言いたげな表情を浮かべた後、ヴェルナは秋雅の首から手を外す。それに対応して秋雅も抱えていた手を離すと、ヴェルナは軽やかに秋雅の身体から離れた。そのしなやかな動作に、猫のようだと秋雅は目を細めながら思う。

 

「それじゃ、真打登場って感じで」

「私達はそもそも同じ土俵にすら上がれていないと思うけれど」

「うるさいよ、スクラ」

「抜け駆けしたヴェルナに言われたくはないわよ」

 

 わあきゃあと、和やかな姉妹喧嘩を繰り広げている二人に苦笑をこぼしながら、秋雅は残っている一人の元に近づいていく。

 

 二人より数歳上、おそらくは秋雅とそう歳は変わらないであろう女性。長い金髪を背に流し、その容姿は極めて整っている。よく見れば、ヴェルナとスクラと似通った、しかしそれ以上の美貌であると分かるだろう。絶世の美女、そう評してもまず差し支えないであろう女性だ。

 

「――シュウ」

 

 女性が一歩踏み出て、秋雅に軽く右手を伸ばす。

 

「ウル」

 

 その手を取り、秋雅はぐっとその身体を引き寄せて、そっと口付けを交わす。

 

「ん…………」

 

 数秒の後、そっと秋雅が下がると女性の口から名残惜しそうな声が漏れる。そんな彼女の頬に手を当てながら、秋雅は柔らかく微笑んで言う。

 

「会いに来たよ、ウル」

 

 その秋雅の言葉に、ウルもまた同じような笑みを浮かべる。

 

「待っていたわ、シュウ」

 

 再び手を取って、今度はぎゅっと抱きしめあう。そしてそのまま、除け者にされたことに飽きたヴェルナたちが秋雅に飛びつき始めるまで、秋雅はウルの体温をその身で感じ続けるのであった。

 

 

 

 









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車中での会話、屋敷での団欒

「悪かったな、出迎えを頼んで」

 

 車を走らせて早々、秋雅は運転席のウルに向かってすまなそうに言った。しかし、それに対しウルは、いつものように柔らかい笑みを浮かべ首を振る。

 

「大丈夫よ。これぐらいなら何てことないから」

「そう言ってもらえると、助かる」

 

 バックミラー越しのウルの微笑に、秋雅もまた同じような表情で返す。ありがたいものだ、と思いつつ、ふと視線をずらしてみると、同じくバックミラー越しに、秋雅の顔を見つめるヴェルナが見えた。じゃんけんの結果、スクラに秋雅の左隣を譲った彼女である。姉妹が羨ましいのだろうか、とやや他人事のように考える秋雅の隣で、常の様相を保ったままのスクラが口を開く。

 

「私達の家は郊外だから、バスで来るのは面倒。タクシーもまた外れを引いた場合が面倒と考えると、私達が迎えに来るのは自然なことだと思うわ」

「あんまりバスに乗っているイメージもないしね、秋雅は」

「日本では普通に乗っているけどな」

「イメージ湧かないけれどね、そんな秋雅の姿」

「そうか?」

 

 和気藹々と、秋雅たちはそんな会話を続ける。そんな中、ふとヴェルナが、何かを思いついたようにして、後部座席の秋雅に振り向く。

 

「いっそ、秋雅が家まで運転する?」

 

 突然のヴェルナの提案に片眉を上げた後、秋雅は軽く肩をすくめる。

 

「止めておくよ。こっちの運転免許はないからな」

 

 こっちの、と言うように、秋雅は日本の運転免許に関してはきちんと所持している。ついでに言うと、二輪車の免許も持っている。もっとも、若干委員会の協力を受けた上での取得という、中々に胡乱な免許であった。まあ、技術と知識は問題ないので、その辺りは一応大丈夫と言えないこともないのだが。

 

「ばれなきゃ問題じゃないって」

「ばれたら問題になるんだよ」

「でも、そうなったところでどうとでもなるわよね」

「二重の意味でしないぞ。そんなつまらん理由で王の権威など使っていられるか、みっともない」

「そもそも私がハンドルを譲る気が無いから無意味よ、ヴェルナ、ついでにスクラも」

「はーい」

「分かっているわ」

 

 所詮は冗談。姉であるウルの一言で、双子は大人しくこの話題を掘り下げるのを止める。相変わらず物分りがいいものだ、と間近の秋雅は僅かに笑みを浮かべる。

 

「ともかく、秋雅はこのまま家までゆっくりしていて頂戴。なんなら休んでくれていても構わないわよ」

「いいさ。数ヶ月ぶりの再会だというのに、一々休んでいたらもったいない。それに、休むほどの距離でもないだろう?」

「……本当に優しいわね、貴方は」

「そうでもないさ」

 

 ウルの微笑み混じりの一言を軽い苦笑で返し、秋雅はふと窓の外を見やる。常人離れした視力を持つ秋雅の目には、景色の奥にある三姉妹の白く大きな家がぼんやりと映っていた。

 

 

 

 

 

 

 ウル、ヴェルナ、スクラ。ノルニルという姓を持つ三姉妹と秋雅が出会ったのは、今から三年ほど前、賢人議会からの依頼を解決した直後のことであった。とある事情で追われていた彼女らを、偶々通りがかった秋雅が保護した、というのが全ての始まりである。

 

 紆余曲折の末にアレクサンドル・ガスコインと敵対し、彼をカンピオーネで唯一の敵と定めるなどの波乱をはさみつつ、秋雅と三姉妹は急速に仲を深めていった。当初こそ――うっかり素を見せてしまったということから――ある程度気を張らずに話せる数少ない魔術関係者、あるいは研究を支援するパトロンという程度の立ち位置であったが、時間と共により親しい関係へと変化していった形である。

 

 そして、そんな関係の始まりから、おおよそ一年ほどの時間が経っただろうか。ある日、ウルが秋雅に愛の告白をしたのである。これを秋雅が受けたことにより、秋雅にとって三人は恋人とその妹たちという関係に変わった。

 

 それからは、所謂遠距離恋愛という形で、時々連絡を取り、時にはこうして秋雅が会いに来るという付き合いを続けていた。四六時中べたべたとするだけが能じゃないとい言えるような、不可思議さもある関係であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしたの?」

 

 何となしに秋雅が外を見ていると、横に座っているスクラが怪訝そうな表情を浮かべているのに気がついた。ぼんやりとしていた秋雅の様子から、何か考え事でもしているのかと思ったらしい。

 

「ん? いや、なに……」

 

 それに対し、特に何と思っているわけでもなかったのだが、何となくそうとも言わず、ふっと思い浮かんだことを口に出す。

 

「もう三年になるんだな、と思っただけだ」

「三年? ……ああ、私達が会ってからってことね」

「そっか、もうすぐ私達の誕生日だから、秋雅と会ってからもうすぐ三年になるのか」

「言われてみればそうなるのね。貴女達ももうすぐ十八になるってことだし、本当に、時が経つのは早いわね」

 

 感慨深げにウルが言うと、秋雅がからかうような笑みを浮かべる。

 

「若いうちからそんな事を言っていると老けるぞ、ウル」

「貴方も人のことは言えないわよ、シュウ。年齢不相応な言動は貴方の十八番でしょうに」

「言ってくれるな、まったく」

 

 言葉こそは文句のように聞こえるが、しかしそれを言う秋雅の顔は実に楽しげだ。この気の置けない会話が、秋雅にとっては非常に大切なものなのだろう。

 

「姉さんたちの年齢はともかくとして、本当に早い…………改めて考えると、皮肉なものね」

「何が?」

 

 ヴェルナの問いかけにスクラは、秋雅の方をちらりと見た後、感慨深げな口調で言う。

 

「もしあの時、あの黒いの(アレクサンドル)が後始末をきちんとつけていたら、私達の養母が変なことを企てたりなんかしなかったはず」

 

 しみじみとした彼女の言葉に、秋雅もまた過去の『if』に思いを馳せる。

 

 もし当時、あの男が敵対した結社を完全に潰していたらどうなったか。その生き残りが英国に来ることはなく、姉妹を拾って育てていた女に、かつての仲間たちの死を伝えることもなく、結果として復讐も発生し得なかったかもしれない。

 

「あんなに中途半端な計画を彼女が実行しなければ、王立工廠と、ついでに賢人議会に余計な被害を出すことはなく、私達がその両方から狙われるようなことはなかった」

 

 もし彼女が、その自暴自棄から破れかぶれな策を実行に移すことがなければどうなったか。最悪でも敵は王立工廠のみであり、賢人議会まで敵に回すことはなかったし、そのとばっちりが姉妹に来ることもなかったかもしれない。

 

「そんなもしもが重なれば、今もまだイギリスで、私達三人は暮らしていたのかもしれないし、今よりも他人というものを信じられたのかもしれない」

 

 でも、とスクラは秋雅を見る。

 

「そうなれば、私達は秋雅に出会うこともなかった……平穏を捨て、最悪を体験したからこそ、私達は今ここにいる。これって、とびっきりの皮肉じゃない?」

「珍しいわね、貴女がそんな事を言うなんて」

「そう? でも姉さんも、同じようなことは思っているんでしょう」

「否定はしないわ。当時こそは、どうやって貴女達だけでも逃がそうか、とだけ考えていたのに、今はどうやったら皆で幸せになれるのか、と考えている――そう変えてくれたのは、間違いなくシュウのおかげ」

 

 ちょうどそのタイミングで、赤信号が車の停止を命じてきた。それに然りと車を止めて、ウルが後部座席の秋雅に振り向く。

 

「ありがとう、シュウ」

「こばゆいな。こんなところでする話でもないだろうに」

 

 少しだけ、おどけるように言った後に、

 

「……俺だって、お前たちには助けられているんだぞ」

 

 口の中で完結する程度の小声で、秋雅が率直な感想を呟く。その際に彼の顔に浮かんでいたのは、彼があまりに見せることの無い、とても優しい笑顔であった。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、一時間弱程の時間が経っただろうか。ようやく目的地であるウル達の家が車の正面に現れた。久しぶりだと秋雅が僅かに懐かしさを覚えていると、再びミラー越しの視線を向けながらウルが口を開く。

 

「もうそろそろ着くわよ、シュウ」

「ああ、みたいだな」

 

 それからさらに数分、秋雅達を乗せた車は一つの家の前に着いた。いや、家というよりは屋敷と言った方が正しいだろう。目の前の白い建物は、それを許すだけの気品と豪奢を備えている。ここに住んでいるのがたったの三人であるというが嘘だと思えるほどに、豪華で大きな屋敷だ。

 

 それも当然の話で、元々この屋敷はとあるお金持ちが建てたものを、色々とあって秋雅が所持することになり、そこに姉妹が住むことになったものだ。元は使用人が多数いる事を前提とした屋敷なのだから、大きく豪華なのは当たり前なのである。

 

「……ここも久しぶりだな」

 

 車を降り、目の前の屋敷を見上げながら、秋雅は先にも思った事を呟く。久しぶりといっても半年と経っていないのだが、不思議と毎度そう言ってしまう。おかしなものだ、と思いながら屋敷を見上げていると、ふと背後から視線を感じた。

 

 何だ、と思いながら振り向く。軽い敵意のようなものはあれど、たいして危険な感じもしなかったので、特に警戒するでもなく振り向く。すると、そこには何人か、現地人らしき男たちが秋雅を不審げな目で見ており、秋雅が振り向いたことで慌てて視線をそらした。しかし、秋雅の視線に気づいていないものも数名おり、その視線がウル達三姉妹のいずれかへと向いている。

 

「成る程、そういうことか」

 

 そんな男たちの態度に、納得がいったという風に秋雅は頷き、ついで苦笑する。彼らの目的が、今秋雅の周りにいる姉妹たちだと気付いたからだ。

 

 

 確かに、ノルニル三姉妹はそれぞれに魅力的な女性だ。ウルは柔らかい雰囲気と微笑みが包容力を感じさせる、大人の女性だ。ヴェルナとスクラは同じ顔でありながら快活さと冷静さという二極的な態度のおかげで、タイプの違った美少女として互いの魅力を引き立てあっている。姉妹故か、三人が三人とも非常にメリハリのある体つきをしているというのも、彼女らの魅力というものを高めているのであろう。

 

 そういったこともあるので、彼女らに惚れてしまうという男性がいるのは何らおかしいことはないだろう。実際、これまでにも秋雅はそういった光景を見た事があるし、彼女らを侍られていてやっかみの視線を受けたことも一度や二度ではない。もっとも、その程度の視線を気にする秋雅ではないし、むしろそこで腰を引き寄せるなどして見せ付けてやるぐらいなのだが。

 

「相変わらずもてるらしいな、お前達は」

「んー? ……ああ、あれね」

 

 からかうようにして放たれた秋雅の言葉に対し、背を伸ばしていたヴェルナが怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐさま男たちの存在に気付いて面倒くさそうに息を吐く。

 

「まったく、こっちとしてはいい迷惑なんだけどね。信用できない相手に一々話しかけられると殴り倒したくなるから」

「そっちも相変わらずのようだな。まあ、早々治るものだとは思っていないし、頑張って治す必要性があるわけでもないからいいが」

「今更治るとも思えないけどね、私達の人嫌いって奴は」

 

 そう言って、ヴェルナはスクラに問うような視線を向ける。それに対し、スクラは無表情に頷く。ウルは車をガレージに止めに行ったのでこの場にはいないが、もしいればおそらくは微笑を浮かべつつも、しかしまるで笑っていない目で同じように頷いたであろう。

 

 

「……本当に、相変わらずのようだ」

 

 つまりはそういうことであった。この、ノルニルの家名を持つ三人は、それぞれと秋雅を除いた全人類を、全くと言っていいほどに信用していないのである。有体に言えば、人間嫌いだとか、人間不信だとか、そういう単語が浮かんでくるだろう。

 

 三人がこうなった理由は大きく分けて二つだ、と秋雅は考えている。一つは彼女らの生まれだ。生母ではなく、家名も違う養母の下で育った中で起こってしまった他者との諍い。その内容を秋雅は知らない――彼女らが積極的に話したくない事を掘り下げる趣味は彼にない――が、しかしそれが全てのきっかけだとは推測している。

 

 そしてもう一つは、秋雅と会うきっかけになった一件だ。誰が敵で誰がそうじゃないのか、今目の前にいる他人は敵が化けたものではないか。経験則から来る疑心暗鬼が、彼女らの人間不信を加速させたのだろう。

 

 そうして、三人はついに自分の姉妹以外を一切信用しなくなった。唯一の例外である秋雅を除いて、だが。

 

 だから、三人は外にこそ出るが、そこで他者との積極的なコミュニケーションをとろうとはしない。誰かに話しかけられたにしても――特にナンパ等の類であれば――ヴェルナはぞんざいな対応しかしないし、スクラは徹頭徹尾無視するだろう。ウルにしたって、表面上こそはにこやかに対応するだろうが、実際の所はどうしようもないほどの拒絶感を見せ付けるだろう。

 

「……となると」

 

 だから、今遠くから見ている男たちは、未だに三人の誰にも話しかけた事がないのであろうと秋雅は推測する。一度でも話しかければ、よほどの鈍感でもない限り、その拒絶の意思を十分に感じ取って、諦めるという選択をするだろうからだ。

 

 単純に勇気がないのか、あるいは高嶺の花だとでも思っているか。どちらにせよ、秋雅からすれば何が楽しいのかと思ってしまう。まあこれも、秋雅がある意味での勝者であるが故の思考なのかもしれないが。少なくとも、自分が普通の人間ではないということは、自明の理であるのは間違いないことである。

 

 

「どうしたの、シュウ?」

 

 物陰にいる男たちについてどうでもいいことを、秋雅がつらつらと考えていると、ウルの声がすぐ横から聞こえてきた。いつの間にか、車の収納を終わらせていたらしい。些か気を抜き好いているだろうか、と秋雅は軽く笑う。どうにも、彼女らといると一般人としての稲穂秋雅が出てしまう、と。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもないさ」

 

 怪訝な表情を浮かべたウルに軽く手を振った後、屋敷の庭と道を隔てる門に目を向ける。その視線に気付いたウルがポケットからリモコンを取り出してスイッチを押すと、門がゆっくりと開いていく。

 

「さあ、どうぞ」

「ああ」

 

 促され、家主である三人よりも先に秋雅が門をくぐる。そして、ウル達も続いて門をくぐった後で、門がゆっくりと閉ざされていった。

 

 

 

 

 

 

 ギイ、と軽く音を立てながら秋雅は屋敷の玄関を開ける。外見に違わぬ広く取られたエントランスを、秋雅はぐるりと見渡す。そんな秋雅の行動を見て、ウルはくすりと笑う。

 

「帰ってきた、って思ってくれていたりするかしら?」

「どうかな」

 

 ウルの問いかけに対し、秋雅ははぐらかすようにして答えない。ただ、その顔に軽く笑みを浮かべるのみだ。

 

「そう。まあ、立ち話もなんだし、こっちに来て頂戴。せっかくだし飲みながら話しましょう」

 

 しかし、その答えで満足がいったのか。ウルは頬を緩めた後に秋雅を誘う。それと同時、ヴェルナとスクラもウルが示した方に先んじて向かっている。

 

「そうだな、久々にゆっくりとしようか」

 

 今度は明確にウルの言葉に頷いて、秋雅もまた三人の後を追う。

 

 

 ドアを二つ三つと通っていき、秋雅は一室に案内される。その部屋の中央にはテーブルクロスのかけられた横長のテーブルが設置されており、そこがダイニングであるとすぐに分かる。

 

「じゃあ、秋雅は座っていて。今から料理を持ってくるから」

「くれぐれも手伝おうとしないでね? 秋雅はお客さんなんだから」

「分かった、分かった。大人しくしているさ」

 

 座っていろと双子に釘を刺されたことに、秋雅は苦笑しながら言うとおりに席につく。その様子に満足そうに頷いた後、ヴェルナたちはキッチンへと向かう。

 

「シュウ、何かお酒についてリクエストはある?」

「いや、お前の好きにしてくれ」

 

 基本的に、秋雅は酒に関しては特に注文をつけない。味に関しては多少口を挟むことはあるが、種類や度数などにはまったく気にしない。カンピオーネの体質の所為で、どんなに強い酒を飲んだところで全く酔う事が無いからだ。秋雅からすればどのような酒であれ味のついた水程度――まあ、香りなどもあるが――でしかない。そのため、こうして勧められた時や偶然に美味しい酒を見つけたときなどでもない限り、秋雅のほうから酒を飲むことはそうなかったりする。

 

「分かったわ。適当に味の良いものを見繕ってくるわね」

 

 そう言って、ウルも部屋の外に出ていく。インドでは州によって飲酒可能年齢が異なり、この地域だと実は秋雅もウルも飲酒は出来ないのだが、そこはそれということだ……まだ十七であるヴェルナとスクラも飲むつもりであることに関しても、また同様ということだろう。

 

 

 

 

 そうこうして、秋雅が座るテーブルの上に、様々な料理が並べられていく。四人中三人が女性であるのに食事の量が多いのは、大食漢である秋雅のためであろう。作るときに失敗でもしたのか、時折見た目がよろしくないものもあるがそれもまた味だろう。少なくとも、自分のために彼女らが作った料理にけちをつけるほど、秋雅はつまらない男ではない。

 

「……こんなものかな」

「そうね。姉さんも大丈夫?」

「ええ。これ以上はお酒も大丈夫でしょうし」

「まあ、この中で一番飲む人がいいならいいんじゃない? 秋雅って案外飲まないし」

「かもね」

 

 どうやら必要なものは並べきったようで、三人も秋雅と同じように席につく。隣に座るウルが秋雅のグラスに酒を注ぎ、それに秋雅も返した所で三人の視線が秋雅に集まる。

 

「音頭をとれと?」

「そういうこと」

「ささ、どうぞってね」

「はいはい、だ」

 

 肩をすくめた後、秋雅がグラスを掲げて言う。

 

「では、久方ぶりの再会を祝して――乾杯」

『乾杯』

 

 グラスを合わせる様なことはせず、四人は静かにグラスを掲げた後、口につける。一口、味わうように飲む。

 

「……さあ、では頂かせてもらおうか。これほどの料理を前にして、これ以上お預けをくらうのは酷なんでな」

 

 グラスを置き、秋雅はそう言って笑う。それを皮切りとして、四人の食事会が始まった。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、秋雅は最近どうだったのかしら?」

 

 食事が始まれば会話も始まるのが常だ。そしてそう言う場合において、まずは互いの近況報告から始まるのもまた珍しいことではない。とはいえ、基本的に三人はこの家にいるし、その際に行っている研究(・・)に関してはまた後で報告、という風にしているので、秋雅の近況をスクラが尋ねるのも当然の流れだろう。

 

「ん? そうだな……」

 

 秋雅のほうもそれは慣れたものであるので、少しばかり考えた後に、ここ最近のことについて話を始める。梅雨空での戦い、幽霊との出会い、ロンドンでのあれそれと、ざっと振り返るようにして最近起こった事を秋雅は話していく。

 

「……まあ、こんなところだろうな」

 

 一通り、ここ最近のことについて話を終えた所で、秋雅はグラスを煽る。空になったグラスにお代わりを注ぎながら、ウルは口を開く。

 

「相変わらず、動乱な日常を送っているようね、シュウは」

「ああ、これが王の運命なんだろうな。まったく、疲れるものだよ」

「お疲れ様。短い間かもしれないけれど、ここにいる間はのびのびとして構わないわよ」

「既にそうしているさ……まあ、明日は忙しくなりそうだが」

 

 そう言って、秋雅はヴェルナに意味深な視線を向ける。すると、ヴェルナはにんまりと笑みを浮かべて返してくる。楽しげなその笑顔に、秋雅は一つ息を吐いた後、仕方がないという風に口角を上げる。

 

「成果は見せろよ?」

「当然。上々の結果を見せてあげる」

 

 期待している、と秋雅はそれに頷きを返した後、スクラとウルにも視線を向ける。

 

「スクラとウルはどうだ?」

「まあ、それなりかしらね、私は」

「私はあんまりね。まあ、別件で話すことはあるけれど」

「別件?」

「それは明日、ね?」

 

 そうだったな、とウルの言葉に秋雅は頷く。秋雅がこの屋敷を訪れた日だけは、魔術関係のことや裏の事情は気にせずゆっくりとする。それが秋雅と姉妹たちの間の取り決めであった。

 

「……ところで、さっき話に出た幽霊さんってどんな人だったの? 同棲までしていたんだから分かるでしょ?」

「そうそう。それは私も聞きたかったのよ。姉さんや私達がいるのに他の女性と生活を共にするなんて、ねえ?」

「言うなよ。そういう流れだっただから仕方があるまい」

「でも、その後でこっちに来ているんだから、姉さんに悪いとかそんな風に思ったんじゃないの?」

「……浮気後の旦那さんかしら?」

「ウル、笑いながらそういう事を言うな。反応に困るじゃないか」

 

 かくして、しばしの間。秋雅は存分に、三姉妹達との食事を楽しむのであった。

 

 

 









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研究と試作品、そして模擬戦






「さあ、行くよ」

 

 そう言って、ヴェルナは常の快活さなどまるで見えぬ、獣が如き獰猛な笑みを浮かべる。

 

「来い、ヴェルナ」

 

 対して、彼女と相対する秋雅は特段気負った風でもなく、自然体で構えるのみだ。

 

 

「ハ――アッ!!」

 

 空を切り裂きそうなほどに気合のこもった声をあげ、ヴェルナは秋雅へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりは、今から三十分ほど前のことだ。朝を過ぎ昼はもうしばしという時間帯に、秋雅は屋敷の階段を降りている。と言っても、二階から一階にではなく、屋敷の奥にある、地下への階段を降りていた。

 

 コツコツと、靴音を響かせながら秋雅は降りて行くと、踊り場に辿り着く。ドアと、さらに下へと続いている階段のうち、秋雅はドアを開く事を選択する。

 

 秋雅が開けたドアの先は、随分と開けた空間であった。奥には小部屋らしきものが確認できるものの、それを除けばまるで何もない。屋敷の地下とは思えぬほどに広大なその部屋に、秋雅は一歩足を踏み入れる。

 

「ヴェルナ、居るな?」

 

 部屋の中央へと歩きながら秋雅は周囲、というよりは奥の小部屋に向かって言う。他に人が隠れる場所など無いぐらいに何もない部屋だからだ。

 

「ヴェルナ」

「――はいはい! ここにいるよ!」

 

 二度目の呼びかけ。そのすぐ後に小部屋のドアが開き、中からヴェルナが顔を出した。彼女は元気よく手を上げて自身の存在をアピールした後、再び部屋の中に戻る。気配から秋雅が察した所、どうやら何かしらを探しているらしい。

 

「整理ぐらいしておけ、まったく」

 

 呆れたように呟きながら、秋雅が部屋の中央あたりで待っていると、少ししてヴェルナが手に何かを持ちながら走ってくる。

 

「いやあ、ごめんね。一個何処にいったか分からなくて」

「やれやれ。まあいい、ともかく今回の成果発表を頼むぞ」

「了解」

 

 そう言って、ヴェルナは秋雅に対し、おどけるように敬礼をして見せた。

 

 

 

 

 

 

 ノルニル三姉妹はそれぞれが優秀な魔術師である。それは単純な戦闘力だけでなく、特に魔術に対する造詣の深さや、魔術という学問に対する研究や開発という意味でもある。

 

 その才能に目をつけた秋雅が、それぞれに対し研究テーマを出す――彼女らの技量と、何より彼女らの希望から決めた――代わりに、その研究や生活を支援する。それが秋雅と姉妹たちの間で交わされた約束事であり、ただ養われる事を由としなかった三人が示す対価でもあった。

 

 そして、その肝心な研究テーマであるが、それぞれに違うテーマではあるものの、根幹として二つ(・・)、共通のテーマがある。そのうちの一つが、魔術と他の何かを組み合わせる、というものであった。

 

 

 

 そして、今秋雅の前にいるヴェルナが研究しているテーマはというと、

 

「――魔術を組み込んだ近接武器。まあ、とりあえず一つの形になったってところかな」

 

 それが、ヴェルナの研究テーマだ。例えれば、ロールプレイングゲームなどで言う所の、特殊な効果がついた武器。そういったものを作り出すことがヴェルナの研究テーマである。

 

「で、これがその試作品ね」

 

 そう言って、ヴェルナは持っていたそれを秋雅に示す。

 

「……これが、か?」

 

 それは、長さ十センチ程度の、二本の銀色の棒だ。どちらかといえば、細いと表現するのが正しいであろうか。片手で二本一度に握られている事を見ると、太いとは言わないだろう。そして、その手の中を見た限りでは、精々が投擲ぐらいにしか使えないのではないかと思ってしまう。色を除けば、何処にでもありそうなただの金属の棒にしか見えない。

 

 だから、それを見た秋雅は僅かに困惑したような表情を浮かべる。とてもではないが武器には見えぬ、そう彼の顔には書いてある。

 

「そう。まあ、とりあえず持ってみてよ」

 

 不審そうな目を向けてくる秋雅に対し、ヴェルナは持っていたそれのうち片方を秋雅に対し放り投げる。実に軽い様子で投げられたそれを、秋雅は反射的に受け取るが、

 

「――うおっと?」

 

 秋雅の身体が、受け取った右手を中心にして前に傾く。思わず一歩二歩と前に足を踏み出してしまうが、秋雅はすぐに体勢を立て直す。その後、手に持っている金属の棒に対し、驚いたような目を向ける。

 

「どうなっているんだ? 見た目のわりにかなり重いぞ」

 

 体感で、十キロ近くはあるだろうか。普通であれば何ということのない重量だが、見た目がそれほど重そうに見えなかったのと、ヴェルナが何も言わずに放り投げたことからたいして重くないだろうと思ってしまった結果、先のように秋雅はたたらを踏んでしまったのである。

 

「そこはしょうがないんだよね。外部からの魔術無しじゃ、体積はともかく質量は変化させようがないもの」

「どういう意味だ?」

「答える前にさ、ちょっと長剣を握っているイメージでもしてくれない?」

「はあ?」

「お願い。あ、呪力をそれに込めながらイメージしてね。量はちょっとでいいから」

「……分かった」

 

 意味はいまいち分からないものの、ヴェルナの言うとおり、秋雅は手に長剣を握るイメージを頭の中に浮かべる。

 

 すると、

 

「――成る程、そういうことか」

 

 ようやく納得がいったと、秋雅は数度頷いた。その手の中には、先ほどまで握っていた金属の棒はなく、代わりに同色の長剣が一本握られている。入れ替わった、というわけではない。先ほどの金属の棒が、秋雅のその姿を長剣へと変化させたのであった。

 

「そういうこと。これが私作の魔剣、可変武器(Variable Weapon)の試作第一号。通称――まあ型番だね。名前はVW-01だよ」

「ほう……以前の内容とはまるで違う方向性だな。前は魔術を纏わせた武器と言っていた気がするが」

「やってみたんだけどね、炎を纏った魔剣とか。ただ、消費する呪力に対して威力が低すぎたから一旦止めたんだ。姉さんの手が空いたら相談してみるつもり」

「そういうことか」

「まあ、その代わりにいいアイデアが浮かんでね。そっちから色々やって、こうして形に出来たってわけ」

 

 自慢げなヴェルナの言葉を聞きながら、秋雅は頭の中のイメージを変え、手に持った長剣を変化させる。短剣、槍、盾、と思いつく武器の姿へと次々に変化させていくが、

 

「……む?」

 

 突如として、秋雅は不思議そうな表情を浮かべた。その視線は今手に持っている、先ほどから姿の変わらぬ盾へと注がれている。

 

 そのまま一秒ほど、小首を傾げていた秋雅であったが、すぐに得心がいったと言いたげな表情でまたも数度頷く。

 

「あ、気付いちゃった?」

「まだ試作段階、ということか。こいつ、どんな姿にでも変化するというわけじゃないんだな」

「そういうこと。別に所有者が思い浮かべた姿になるんじゃなくて、元々組み込まれている姿の一つになるってだけ。本当は思った通りに変化させたかったんだけどね、流石にそこまでは無理だった」

「どうりで、思った形と細部が違うわけだ……それで、いくつ組み込んだんだ?」

「短剣、長剣、槍にランス――って分かり難いか。見ての通り、普通の、先端が刃物になっている槍と、先端を尖らせた突撃用の馬上槍のことね。で、盾が大小二つ。それから、所謂バトルアックスにウォーハンマー。そしておまけみたいなもんだけど、篭手と鎖分銅の計十個」

 

 説明と同時に、ヴェルナは手に持ったVW-01を変化させて秋雅に示していく。その十の変化と説明を終えた所で、ヴェルナは自慢げな笑みを秋雅へと向ける。

 

「どうかな? 結構いい感じに仕上がったと思うんだけど」

「そのようだな」

 

 ふむふむ、と自分でも変化した姿を確認しながら、秋雅は手にした武器を振っていく。

 

「成る程、中々に悪くない。質問だが、具体的にはどういう風にして作ったんだ?」

「結構単純なんだけどね。同じ素材を使って十個武器を作って、それを一つに纏めたってだけ」

「ああ、それで重いのか」

「うん。これでも相当抑えたんだけど、強度なんかを考えるとこれが精一杯だった。まあ、密度がある分頑丈だから、そこは目を瞑って欲しいかな」

「ふむ……」

 

 頷いた後、秋雅が槍に変化させたVW-01を振り回す。演舞のようにぐるぐると身体を回しながら、それに追従するかのように一分ほど槍を振るう。

 

 そしてピタリと、槍を虚空に突き刺すように固定した後、秋雅は槍を長剣に変え、今度は剣と共に舞う。何処か、期待の篭ったような視線を向けてくるヴェルナを余所にくるりくるりと舞って、秋雅はようやく動きを止める。

 

「……細かいところでは言いたいところもあるが、全体としては間違いなく及第点ってところだな。良くやったぞ、ヴェルナ」

「ありがとう……で、お願いがあるんだけど?」

 

 そう言って、ヴェルナは先ほどから向けていた期待の混じった視線で、秋雅の顔をじっと見つめる。その視線としばし向き合った後、やれやれと秋雅は肩をすくめる。

 

「相変わらず、戦いたがりだな」

「楽しいからね。特に、秋雅との戦いは」

 

 ニヤリ、とヴェルナはその顔に笑みを浮かべる。近接戦闘を得意とし、それを行う事を好むヴェルナが良く浮かべる笑みだ。こうなると、一度やりあうまで止まらないという事を、秋雅は良く知っている。

 

「……まあ、お前が好きならしょうがないよな」

 

 呆れたような、しかし何処かヴェルナのそれにも似た笑みを浮かべて、秋雅は手に持った長剣を大きく振るう。

 

「――胸を貸してやる」

 

 その秋雅の返答に、ヴェルナは口角を大きく上げる。

 

「壮大に、借りさせてもらうよ」

 

 喜色に満ちた笑みを浮かべ、ヴェルナは秋雅と同じ長剣を構える。その数秒後、僅かな会話を挟んで、ヴェルナは大きく地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

「――ハアッ!!」

 

 まるで風の如く、ヴェルナは速く駆ける。前傾姿勢、右半身を前に傾けるようにして、ヴェルナは低い体勢で地を蹴る。右手に持った剣を左半身に隠すようにして構えていることから、横薙ぎに秋雅の胴を切り裂こうという考えなのだろう。

 

 対し、秋雅は持った剣を構えもしていない。右手の剣をだらりと下げたまま、グッと足に力を入れる。

 

 回避が目的だ、とヴェルナは高速化した思考の中で判断した。一秒にも満たない時間であるが、戦闘による緊張と集中が、彼女の感じる世界を極めて遅くしている。

 

 そんな世界の中、彼女は秋雅がとろうとしている選択について思考する。まず、前提として、この時点で秋雅が取るであろう選択肢は三つだった。すなわち、防御か、回避か、あるいは反撃か、だ。その内で、どうやら秋雅は回避を選択したらしい。少なくとも、彼女の突撃に対し向かってくるような風ではない。

 

 次に考えなければならないのは、秋雅がどう回避するつもりなのかということだ。左右か、あるいは後方か。一体どの向きに向かって跳ぶつもりであるのか。

 

 まず後方はない。そうヴェルナは考える。何故なら、この状況で少しばかり後退した所で、同じだけヴェルナが距離を詰めてしまえば何の意味も無いからだ。結局、問題の先延ばしでしかない。タイミングを見誤ってヴェルナが剣を振ってしまった場合は別だが、ヴェルナにその気はない。そのことは秋雅も熟知しているはずなので後退はないと踏めた。

 

 では、右と左、どちらに向かって跳ぶのか。右であればヴェルナの剣の振り始めに、左であれば振り終わりにと、どちらかで攻撃を受ける可能性がある。とはいえ、やはり避けるとすれば左、つまりはヴェルナから見て右であろう。ヴェルナの体勢的にそちらの方が攻撃を受ける可能性は低いからだ。

 

 そこまでヴェルナが考えたところで、秋雅が何処へ向かおうとしているのか、その体勢から察せる段階まで時間が進んでいた。そこで、ヴェルナが見た秋雅の意図はと言うと、

 

「――後ろ!?」

 

 思わず、ヴェルナが叫ぶ。秋雅の選択があまりにもありえないものであったからだ。まさか、一番ありえないはずであった後退を選ぶとは。そんな馬鹿なと、ヴェルナは不可思議を覚える。

 

「シッ――!」

 

 だとしても、それならばそれに合わせた対応を取るのみ。降り始めようと思っていた右手に停止を命じ、ヴェルナはさらに前に駆ける。

 

 ヴェルナにとっては幸運なことに、ヴェルナの速度と秋雅の落下、二つを加味して計算すると、秋雅が着地するよりも、ヴェルナがその予定地点に剣を届かせる方が早い。このままいけば、秋雅が次の行動に移るよりも早く、秋雅の胴を薙ぐ事が出来るであろう。

 

 これが秋雅の選択だったのか? そう不思議に思いつつも、ヴェルナが剣を振るい始めた。

 

 

 

 

 

 その瞬間だった。

 

「――なあっ?!」

 

 思わず、素っ頓狂な声をヴェルナは上げる。何故ならば、今まさに着地しようとしていた秋雅の身体が、むしろヴェルナを飛び越さんというほどに、今度は前方へと身を躍らせていたからだ。

 

 それを成したのは、一本の槍だ。長剣から槍に姿を変えたVW-01の、先端近くを手に持って、反対の石突で地面を強く押すことによって、秋雅は落ちかかっていたその身を前へと躍らせたのだ。

 

 槍を地面で滑らせることなく、身体を腕一本の力で何メートルも飛ばす。とんでもない膂力とバランス感覚を必要とするが、前者は身体強化の魔術があれば出来なくはないし、後者にしても秋雅であれば十分に可能な芸当であろう。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に、振り出していた剣の当て先を槍の柄へと向かわせる。どうせ当たった所でたいした意味などないだろうが、どちらにせよこの状況では、この剣はヴェルナにとって隙を見せるものでしかない。途中で振りを止める負担がある以上、いっそ振りぬく必要があるのだ。だったら、せめてもの抵抗として秋雅のバランスを崩す可能性にかける。

 

 そう判断し、ヴェルナは剣の刃で秋雅の持つ槍の柄を叩く。力強く叩きつけられたそれは甲高い金属音を響かせ、槍はバランスを崩す。

 

「――っと」

 

 しかし、ヴェルナは背後で秋雅が難無くと着地をした気配を感じた。予想通りではあったが、やはり悪あがき程度の行動でしかなかったらしい。

 

 

 背後で、秋雅が振り向いた気配を感じる。直接見ているわけではないが、何となくヴェルナには 秋雅が彼女の次の行動に対処する為に今度は油断なく構えていると察せた。

 

 

 そのまましばし、どちらとも動かなかった。ヴェルナは秋雅に背を向けたまま、秋雅はヴェルナの背を見つめながら、どちらも次の行動に出ることはない。

 

 

 

 数秒、あるいは数分の沈黙の後、動いたのはヴェルナであった。

 

「……ふっ」

 

 ヴェルナの口角が上がる。

 

「ふふっ……」

 

 肩が振るえ、身体が小刻みに動き出す。

 

「――あっはははは!!」

 

 顔を上げ、ヴェルナは笑い出した。何処までも快活に、楽しくてたまらないという風にヴェルナは笑う。

 

 

 そうだ、これこそが! 

 

 そんな思いがヴェルナの胸を満たす。今しがた手にしたばかりの武器であるにもかかわらず、しかし製作者であるヴェルナが咄嗟には思い至れない方法でそれを用い、状況から逃れる。

 

 他に確実な方法もあった。少なくとも、今秋雅が打った手はリスクの大きな策だった。それにもかかわらず秋雅はそれを思いつき、そして完璧に行ってみせた。こんなこと、自分の技量に自信が無ければ出来ない。度胸がなければ出来ない。

 

 

 

 これが、稲穂秋雅なのだ。平凡な一手を打つかと思えば奇策を取り、奇策を打つかと思えばまるで陳腐な手で状況を打破する。

 

 読めきれるようで読めきれない。読んだつもりでもさらに上回ってくる。

 

 

「――だからこそ」

 

 だから、ヴェルナは秋雅との戦いを望んだ……いや、望み続けてきた。秋雅が前に訪れてから、今再び訪れたこの時まで。

 

「スクラでもなく」

 

 自身と同等の実力を持つ片割れでもなく、

 

「姉さんでもない」

 

 自分よりも圧倒的に強い姉でもない。

 

「――私は、秋雅と戦いたかった!」

 

 ただ、彼との戦いを待ち望んでいた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り向きざまに叫んだヴェルナに対し、秋雅は軽い笑みを浮かべ、そして手にした槍を構える。その笑みはまるで、仕方の無い奴だと言っているように、ヴェルナには感じられる。

 

 その笑みだ、とヴェルナは思った。その、自分を受け入れ、自分がしてほしいことをやってくれる、その笑み。それが一番好きなのだと、ヴェルナは本心から感じる。

 

 楽しい、と心の底からヴェルナは思う。まだ始まったばかりではあるが、やはり、秋雅との戦いは楽しい、と。

 

 

 

 

 その思いを感じながら、ヴェルナは手にしている長剣の姿を変える。次なる姿は、大盾。全身を隠すほどに大きな両手盾だ。

 

 あからさまなまでの防御の姿勢。同時、明らかに攻撃を誘っていると、対峙すれば誰しもがそのことに気付くだろう。

 

 だが、それでいいのだ。既に一手、ヴェルナは攻撃をした。であれば、次に攻撃をするべきなのは秋雅の方だろう、と。

 

 勿論、そんな決まりきった試合をやっているわけではないし、何よりヴェルナとの戦いにおいて秋雅の方から積極的に攻めるということ自体あまりない。が、これほどまでに示して見せれば、秋雅もヴェルナの思惑を感じ取るだろう。

 

 

 もっと、より濃い戦いをしたい。そんな、ヴェルナの思惑を。

 

 

 興奮からか、自身の頬が赤く、熱を帯びているのをヴェルナは感じ取る。同時、そう感じた瞬間、彼女はこうも思った。

 

 

 本当にこれは、戦闘の熱だけなのか、と?

 

 

 違う、とすぐにヴェルナは判断した。確かに、戦闘による熱もあるが、それとは別に、頬が熱を持っている理由があった。

 

 

 それは、先の攻防での、彼の行動だ。あの時、秋雅の回避において、彼は初見であるVW-01を、その要とした。それは、ヴェルナの製作物(VW-01)を、完全に信用していなければできないことだ。

 

 秋雅にその気はないかもしれない。だが、少なくともヴェルナにはそう感じられた。そこが、彼女にとっては重要なのだ。

 

 そう感じさせてくれる(・・・・・・・・・・)ということ。それが、秋雅の魅力なのだ。無意識に、あるいは意識的に、彼はヴェルナに示したのだ――お前の事を信じている、と。

 

 全てはヴェルナの勘違いなのかもしれない。何もかも、ヴェルナの考えすぎであり、思い違いなのかもしれない。だけれども、だからこそ、ヴェルナは思う。秋雅は、ヴェルナのことを信用し、その製作物に命を預けてくれた。そんな風に思う。

 

 そう思ったからこそ、そう思えたからこそ、ヴェルナには分かる。

 

 

 

 ――だからこそ、ヴェルナ・ノルニルは秋雅の事を好きなのだ、と。

 

 

 

「……はは」

 

 先ほどまでと似て、しかし僅かに異なる笑みがヴェルナの口角を上げる。内に感じてしまった熱さと、気恥ずかしさから、このまま暴れまわりたいという感情が強くなる。

 

「だけど、それじゃ駄目だ」

 

 しかし、その感情を押さえ込み、ヴェルナはその欲求を秋雅との一戦に向ける。この熱の全てを、秋雅に叩き込む。そのぐらいしなければ、秋雅には勝てない。そう、ヴェルナは感じた。

 

 

「…………さあ」

 

 

 ――来い、とは口には出さず、ヴェルナはただ目の前の秋雅を睨みつける。次の秋雅の一手、その全てを見落とさぬ。そんな想いを、その視線は雄弁に物語っていた。

 

 









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策と決着





 さて、どうしたものか。対峙するヴェルナを見つめながら、秋雅はそんな風に思う。

 

 

 目の前のヴェルナは大盾を構えており、明らかに攻撃を誘っているという姿勢だ。盾を構えるという防御的な体勢であるにもかかわらず、その実攻撃を仕掛ければまず間違いなく、手痛い反撃を食らうことは目に見えている。

 

 となれば、何かしらの策を考えた上で突っ込む他ないのだが、その策が問題だ。生半可な策では、ヴェルナはそれを上回った対応をしてくるだろう。

 

 

 

 今しがたの策が彼女に通じたのも、所詮は初見であったからに過ぎない。元は彼女が作った武器を利用した策だ。次からは彼女もそれを念頭に置いてくる事など。秋雅にとっては分かりきったことである。

 

 であれば、こんな序盤に使わずに、後から使った方がいいのかもしれない。そんなことを、秋雅も若干思わないでもなかったが、しかし最終的に、早めにVW-01の変化の程を確認しておいたほうがいいと判断した。結果が、あの外連の多い回避である。

 

 なお、ここでいう確認とは、あくまで秋雅がそれをきちんと操れるかということであって、それが本当に動作するかということではない。そんなこと(・・・・)は、調べる前から分かっていたというか、そもそもそれを疑おうという意思自体、秋雅にはない。彼は、ヴェルナが――正確には、彼女らと言ったほうが正しいか――作ったもののに対し、その存在理由自体を懐疑することはあっても、その完成度を疑うことなど、はっきりと言って欠片もない。それが、彼なりの信頼の証のような物であり、同時に無意識の信用の表れであった。

 

 

 まあ、それはともかくとして、今重要なのは、ヴェルナと秋雅の力量の差異であり、その上でどうやって秋雅が彼女に勝つかということである。

 

 まず、重要な前提として、己とヴェルナでは彼女の方が近接戦闘の腕は上だ、と秋雅は認識している。単純な技量、才能もさることながら、とある一点において、秋雅とヴェルナの間には絶対的な差異がある。それはひとえに、高速戦闘における思考速度である。

 

 

 

 そもそも、達人同士の戦闘というものは、往々にして高速の世界で行われるものだ。一々目では認識していられない速度で剣を振るい、避け、そして相手を討つ。当然だが、ともすれば高速どころか、神速にすら至ろうかという世界において、思考が間に合うはずもない。

 

 そのような世界において、一々考えて剣を振るうことはない。ある種、達人であればあるほどに、考えていないとも言えるかもしれない。全ては、事前の予測からくる選択と経験に裏打ちされた勘、そして磨き上げられた反射神経によるものだと言えよう。

 

 しかし、ヴェルナは違う。体質か、あるいはこれこそ才能というものなのか。彼女はその高速化した世界においても、一から十まで考えて動く(・・・・・)ことが出来る。思考が世界の速度に間に合い、そして身体が思考に間に合って動けるのだ。

 

 これがアドバンテージでなくて何だというのか。相手の行動を観察しつつ、それに最適な行動を取る事が出来る。より適切な返し、路線変更を行うことが出来るのだ。非常に強力であると、そう言わざるを得ないだろう。

 

 

 

 

 しかし、であるのならば、どうしてこれまでの模擬戦において、悉く秋雅が勝利を収めることが出来たのか。

 

 そこで重要となってきたのが、ひとえに経験値の差だ。この場合、単純な戦闘回数という意味での経験値だけでなく、その質や、種類という意味での『経験値』の蓄積量の差異になる。

 

 いかに思考が間に合おうとも、それで優位性を発揮できるのは相手の行動の意味を、完全に把握しきれた時のみだ。相手が、こういう意図で身体を動かしているのだから、ではそれに対処する為にこう動こう。そう考える事が出来て初めて、その逸脱した思考速度は相手に勝る武器となりえる。

 

 しかし、実の所、ヴェルナの戦闘経験は非常に少ない。あるいは、薄いと言ってもいいかもしれない。彼女が本格的な戦闘を行ったのは、以前の英国での一件の時のみであり、その後も模擬戦こそは行ってきたが相手は自分の姉妹か、あるいは時折訪れる秋雅のみ。結局の所、彼女は経験から来る見抜きとでもいう能力が、未だ決定的までに不足している。

 

 対し、秋雅の方はどうか。普段の鍛錬や模擬戦を初めとして、依頼から来る対魔術師戦の数々。そして何より、まつろわぬ神や神獣、カンピオーネといった常識外の存在との戦いを重ねてきている。こと、戦いの数と、その経験の異質さ、異様さは他の追随を許さぬというほどだ。戦いの経験値という一点に限れば、ヴェルナが秋雅に勝てる道理など全くないと言っていいだろう。

 

 その、そういった方面での経験値の差というものが、策の引き出しを秋雅に与え、その中から秋雅は適切な策を選択させる。逆に、ヴェルナはそういった策のストックがない故に、秋雅の行動に対し最適解というものを、しばしば見つける事が出来ない。

 

 

 そういうわけで、秋雅はこれまでヴェルナに対し、どうにかこうにか全勝を誇ってきたのだが、しかし今回はどうだろうか。ヴェルナの持つ大盾を見ながら、秋雅は具体的な策を考える。しばし、途中何故か彼女の頬が上気しているのを怪訝に思いながら、秋雅はこれからどう動くのかを考える。

 

 

「……よし」

 

 小さく、口の中でのみ秋雅は呟く。一応、大まかな流れは決めた。あまりかっちりと決めすぎれば不測の事態には対応できないので、あえて、今から行う攻撃に関しては遊びの部分も多い。何かあればそこは、反射神経と勘で対応するのみだ。

 

 

 

「では、行くぞ」

 

 そう言って、秋雅が手に持ったのは、身の丈を超えるほどの大きさを持つバトルハンマーだ。それを両手で、横手に秋雅は構える。いかに成人男性とはいえ楽々とは扱えないように思えるそれだが、身体強化の魔術により秋雅は難なく扱う事が出来る。権能は当然として魔術も基本的に扱わないというのがこの模擬戦の前提なのだが、この身体強化の魔術は別で、秋雅のみではなくヴェルナも当然のように使っている。魔術師の格闘戦において、この魔術を使わないということ事態がまず存在しないが故の、常識としての使用である。

 

 

 

 数秒、二人は互いに大きな得物を手に、睨みあう。

 

 大盾に対する、大鎚。あからさまな防御に対する、あからさまな攻撃。挑発的な誘いに、挑発的な乗り。

 

 どちらもが、互いに、相手の持つ武器をブラフだと感じながら、自分の武器を構えている。

 

 そして、秋雅が動いた。

 

「――フッ!」

 

 鋭く呼気を吐き、秋雅は駆け出す。構えたハンマーをやや後ろに引き、激突させようとする意思を示す。

 

 対し、ヴェルナの行動は、これもまた突撃であった。手に持った大盾を何か、おそらくは篭手に変化させながら、秋雅に対し向かってくる。やはりというべきか、ヴェルナの目的は防御ではなく、攻撃だった。これ以上ないほどに、見え見えのブラフだ。

 

 だから、秋雅もまた予定通り、ハンマーが姿を変えるように念じた後、一度手を離し、手を逆向きにしてまた握り直す。一瞬の空中浮遊の後、秋雅の武器は槍へと姿を変えていた。やや距離のある現状において、ヴェルナの間合いの外から先んじて攻撃をする為の選択である。

 

 そのまま、秋雅は槍を突き出す。狙いは胸元、身体の中心という最も避け難い部分を躊躇なく狙う。手加減など考えていて勝てる相手ではないし、そもそもヴェルナの方は全く手加減など考えず殺す気で向かってくるのだから、秋雅もまたそのつもりで行かないとかすり傷ではすまない。不死系の権能こそ所持しているが、しかしそれを積極的に使いたいわけではない。

 

 

 そして、これに対するヴぇルナの反応は、右手の、篭手でもって秋雅の槍を外に、彼女から見て右側に弾くというものだった。それにより、秋雅の槍はヴェルナの身体から逸れ、同時に秋雅の急所を彼女にさらす形になる。

 

 が、それを秋雅が予想していないわけがない。槍を弾かれたと同時、秋雅は槍を小楯へと変化させ、そのまま強引に左手を胸元まで持っていく。

 

 

 数泊の後、激突音が部屋に響き渡る。同種の金属同士の激突による、甲高い金属音だ。

 

 

「ハッ!」

 

 激突による、盾から腕へと伝わるビリビリとした衝撃を感じつつ、秋雅は右足による蹴りをヴェルナへと叩き込む。傍から見れば彼女の拳とほぼ同時に放たれたようにすら見える蹴りを受け、ヴェルナの身体が大きく後方に跳ぶ。

 

 が、それは衝撃を逃がす為、ヴェルナがわざとやったことだ。蹴り自体も、篭手に守られた彼女の左手に防がれている。ギリギリまで思考できるが故の反応速度と対応力かと思いつつ、秋雅は更なる追撃の為に駆け出す。

 

 

 次に秋雅が選んだのは、またもや大降りの武器であるバトルアックスだ。やはり身の丈を超えるほどの大戦斧を、今度は正真正銘振りぬくつもりで秋雅は振るう。

 

 対し、ヴェルナはというと、着地の為に曲げていた足と、沈んだ身体をそのままに、低い姿勢で前方に向かって駆ける。狙いは秋雅の振るう戦斧の軌道、その下をくぐり秋雅の背後を取ることだろう。

 

 そしてその予想通り、秋雅の振るうバトルアックスを潜り抜けるように、ヴェルナは秋雅の右手を、地面に倒れこみそうなほど前傾した体勢で駆け抜けようとしている。

 

 

 ならばと、秋雅は自身の両手が正面に届いた程度のタイミングで、バトルハンマーを短剣へと変え、彼女が自分の右側を通り抜けるタイミングでその背を刺そうと、強引に腕の軌道を変え振り下ろそうとする。

 

 

 しかし、秋雅のその動きは、まだヴェルナの視界に入っていた。故にか、あるいは元々そのつもりだったのか、ヴェルナは駆け抜けながら篭手を小楯に変えて、左手につけたそれを背に回す。すり抜ける際に攻撃よりも防御を取ったのは、相打ちになる事を避けたかったからだろう。

 

 当然、その動きは秋雅の目にも見えている。生憎とヴェルナと違い秋雅はここから更なる思考など出来ないが、反射神経はそれなりに優れている。その秋雅の反射神経が、短剣を握り締めていた右手を緩めさせた。このまま盾に刃を突きたててしまい、衝撃で隙が生まれてしまう事を避けるためだ。武器を手放すことにはなってしまうが、地面に完全に落ちきる前に足で蹴って拾い上げればいい。無論、短い時間の中でそこまで完全に考えたわけもなく、大体そういう流れが秋雅の頭の中に浮かびかけていた、というだけだ。

 

 

『なっ……!?』

 

 だから、ここからの流れは完全に予想の範囲外であった。

 

 まず、ヴェルナが秋雅の脇を通り抜けるタイミングで、左手を跳ね上げた。おそらくは秋雅が振り下ろした短剣に自分から打撃することで、秋雅の手にダメージと、あわよくば武器を手放させるつもりだったのだろう。

 

 しかし、その跳ね上げによって、秋雅の短剣が大きく空中に舞った。秋雅は短剣が跳ね上がったことに驚いたし、ヴェルナもまた手ごたえの軽さに同じく驚きの表情を浮かべる。いくら思考が早かろうとも、見えなければその場その場の対応はできないという見本だろうか。

 

「――チッ!」

 

 驚きつつも秋雅は目の前で舞う短剣を掴み取る。意識して掴んだわけではなく、ほぼ反射的な行動だ。結果としてはヴェルナが秋雅の行動を手助けしてしまったということになる。

 

 

 続いてのヴェルナと秋雅の対応だったが、奇しくも二人とも同じ行動をとることになった。秋雅はその場で、ヴェルナは彼の数メートルほど後方で、それぞれに身体を回転させ、偶然にも両者とも長剣を手にしながら、相手と向き合って前方に駆け出す。

 

「フッ――!!」

「シッ――!!」

 

 互いに鋭く呼気を吐き出しながら、長剣を振るう。瞬く間に十以上の斬撃を交わし合い、二人は相手の攻撃を捌き、自分の攻撃を通すことのみに集中していく。これまでの相手の虚をつくような戦いとは打って変って、真っ当な剣士同士の戦いとなっていく。

 

 火花が散り、残像が見えるほどの高速戦闘を二人は行う。アニメや漫画であればここで互いに多少の会話を交わすシーンなのかもしれないが、とてもその余裕はない。そもそも、同格以上の相手との高速近接戦闘において、一々会話を交わすなど愚かな行動だ。会話というのは存外エネルギーを使う行為であるし、喋ればそれだけ意識がそちらに向き、隙が生まれやすくなる。たとえ一単語であっても、口に出せば呼吸が乱れる。普段であれば気にする必要も無いような僅かな乱れだが、今この時においては致命的な乱れだ。だから二人とも、呼吸音以外を発することなく、それこそ相手を殺す気で剣を振るっていく。

 

 秋雅は斬撃を、ヴェルナは刺突を主として、二人は剣を交し合う。数分は続いたであろう剣劇だったが、その均衡は突如崩れた。

 

「なっ――!?」

 

 突如生まれた、大きな隙。それに対し秋雅はにやりと笑い、ヴェルナは顔を歪ませる。

 

 

 だが、ここで隙を作ったのは、顔をゆがめたヴェルナではない。笑みを浮かべた秋雅の方だ。それも、剣を弾かれたなどという防御面での隙ではなく、突然大降りで対処しやすい攻撃を放つという、攻撃面での隙だ。ヴェルナの腕前であれば、その剣が自分に当たるよりも先に秋雅を斬る事が出来るだろうというのは想像に難くない。

 

 だからこそ、ヴェルナは苦悩しているだろう。

 

 確かな隙だが、しかし秋雅がこの様な隙を作るだろうか。笑みから察するに意図的である可能性が高い。この一撃で決める自信があるのか、あるいは誘っているのか。どちらなのか。

 

 そんな思考を、ヴェルナは行っているだろう。伸るか反るか、どちらの判断をすべきなのかとヴェルナはその卓越した思考速度で考えに考えている。そして、それこそが秋雅の狙いだ。

 

 ヴェルナの思考速度はアドバンテージではある。己の行動の全てを反射ではなく意識して行えるというのは、相手にとって確かな脅威となりえるだろう。だが、裏を返せば、全ての行動を考えてやらなければならないということである。

 

 例えば、今しがたまでの剣戟において、秋雅の防御的な対応のほとんどは思考によるものではなく、条件反射によるものだ。対して、ヴェルナの行動は全て考えて行われており、無意識に行ったものは何一つとしてない。知恵熱、ではないが、思考を行いすぎるというのもそれはそれで負担がかかるものだ。普通の人が無意識にやっているような行動まで一々考えていれば、それだけ考えるのに疲れてしまう。そして、考えるのに疲れるということは、時として間違った判断を招きやすいということだ。

 

 今回、秋雅はそれを狙って戦闘を進めてきていた。いきなり真っ当な剣劇を始めたのも、密度の濃い格闘を行えばそれだけヴェルナに負担を強いることになるからだ。そして、そろそろいいだろうというタイミングで、この揺らし(・・・)を入れてきたのである。

 

 

 

 そして、

 

「――くっ!」

 

 最終的に、ヴェルナは秋雅の攻撃を受け止める方を選んだ。(・・・・・・・・・・・・・・・・ )隙を突くのではなく、これを脅威と判断してしまった。(・・・・・・・・ )

 

 だが、それこそが秋雅の狙い通りの狙いであった。

 

「――ハアッ!!」

 

 秋雅のものと比べれば小さいが、無理に秋雅の攻撃を受け止めたことにより生まれたヴェルナの隙。それを秋雅が見逃すわけもなく、左手の掌底をヴェルナの腹部に思いきり叩き込んだ。やや入りは浅かったものの、その一撃は確かにヴェルナの身体の芯を捕らえる。

 

「ぐ、うぅっ!?」

 

 その一撃を受けて、ヴェルナは二、三歩と後ずさり、呻く。油断せず、更なる追撃を行おうとした秋雅であったが、それよりも前にヴェルナは大きく後方に跳び、距離をとる。

 

「……流石、秋雅だね。惑わされちゃった」

「考えすぎなんだよ、お前は」

「ははっ、みたいだね」

 

 ふう、とヴェルナは大きく息を吐く。そして、ふと自分の髪をまとめていた紐を外し、その長い髪を解放させる。それは、戦闘が過熱して、背に当たる髪の感触を不快に思った彼女が時折やる行動だ。往々にして、この時にヴェルナは冷静さを欠いている時が多い。気になるのであれば最初から解いておけばいいと秋雅は思うのだが、当人の好きにさせることかと、特に思いを口に出したことはない。

 

 軽く髪を流すようにして頭を振り、ヴェルナは手に持った長剣を正眼に構えた。

 

「最後まで、付き合ってもらうよ」

「なら、これで決めよう」

 

 そう言って、秋雅もまた剣を構える。ただし、ヴェルナと違い秋雅は上段の構えを選んでいる。

 

 

 数秒の沈黙。そして、二人は突如駆け出した。走り、必殺の距離の手前という距離でヴェルナは剣を振り上げ、次の一歩で剣を振り下ろそうとする。

 

 対して秋雅は、ヴェルナが剣を振り上げたのと同じ時点で、逆に剣を振り下ろし始めた。攻撃の開始としては、少々早すぎるタイミングに、ヴェルナの表情に疑問が浮かぶ。が、次の瞬間、何かに気付いたように目を大きく開く。

 

「ま――」

 

 まさか、とヴェルナが思わず口に出すよりも先に、秋雅は剣を変化させ、長槍の石突部分で地面を押した。その結果生まれるのは、棒高跳びのように空中へと身を躍らせる秋雅の姿だ。

 

 そう。ことこの時に至って、秋雅は一番初めに使ったものと同じ策を用いたのだ。ヴェルナがもう二度と使うことはないだろうと判断しつつも、一応頭の片隅に入れておき、そしてこれまでの戦闘ですっかり意識の外に出ていたその策を、再び秋雅は、この局面において用いたのだ。

 

 ぶわりと、秋雅の身体がヴェルナの頭上を通り過ぎる。完全に剣を振るう気であったヴェルナの身体は、それに対し反応をする事が出来ない。

 

 

 長槍が地面に転がり、甲高い金属音を立てる。それを耳に入れながら、秋雅は背後からヴェルナの首を掴む。

 

「――取った」

 

 確かな勝利宣言。それに対し、ヴェルナは残念そうに、しかし何処か満足げに息を吐き出して、

 

「まいった」

 

 と、笑いながらそう言った。

 

 







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試作武器、専用武器、そして趣味武器






「満足したか?」

 

 戦いの後、座り込んだヴェルナの髪を括りなおしてやりながら、秋雅はそう問いかける。彼女の髪を秋雅が纏めているのは、彼女がそれを頼んだからだ。秋雅にしても、妹たちから何度となく似たような事を頼まれた経験があったので、特に抵抗も不慣れもなく、さくさくと彼女の髪を括ってやっている。

 

「うん、まあまあね。久しぶりに楽しかったー」

「そうかい」

 

 ヴェルナの満足そうな返事に、秋雅は軽く頷く。髪を纏めてやっている都合上その表情は見えないが、ヴェルナが当人の言うとおり、楽しげな表情を浮かべていることは秋雅にも分かった。

 

「ほら、纏めたぞ」

 

 そう言って立ち上がり、秋雅はポンポンと軽くヴェルナの頭を叩く。よく彼が妹たちにやる癖なのだが、それをヴェルナは拒む素振りもなく受け入れた。

 

「ありがとう。久しぶりに他人にやってもらったけど、やっぱりちょっとくすぐったいね」

「そりゃそうだろうよ」

 

 うーん、とヴェルナは立ち上がって背を伸ばす。そのまま右左と身体を伸ばした後、

 

「さ、て。そろそろ感想なんかを聞いちゃおうかな?」

 

 そう言って、ヴェルナは秋雅に向き直る。元々ヴェルナの方が秋雅よりも背が低いのと、やや上体を前に倒す体勢になっていたことから、ヴェルナは秋雅の顔を下から仰ぎ見るようにして覗き込む。その表情は、まるで親に自慢をしたい子供のようでもあると、そんな感想を秋雅は抱く。

 

「そうだな……まあ、中々悪くない仕上がりだが、もう少し注文をつけたいって所か」

 

 少し考えた後、秋雅はヴェルナの作ったVW-01をそう評価した。地面に置いていたそれを拾い上げ、長剣の状態にして軽く振りながら、秋雅は感想を続ける。

 

「一つの武器が自在に変形可能ってのは確かにいい。武器を持ち返る隙なく、自在に間合いや攻撃手段を変えられるってのは、俺みたいな半端者にはちょうどいい」

 

 とは言うものの、実際の所、この武器を扱えるのはそれ相応の実力を持っていなければ無理だろう。複合兵装、万能武器というものは往々にして扱いが難しい物であり、本当の意味での半端物が使いこなせるような物ではない。形状の選択や判断等、普通の武器を使うよりも圧倒的に難しいというのは自明だ。そういう意味では、難なく使いこなして見せた秋雅やヴェルナは、この手の武器に対する才能があると言っていいのだろう。

 

「そういうコンセプトだからね。満遍なく修めているけれど一つを極めていないって人にこそ効果的な武器、ってことになるのかな」

「量産性はどうだ?」

「まあまあってところかな? 流石にこのまま量産ってのは無理だけど、ある程度スペックダウンさせた物を量産するのは無理じゃないと思う」

 

 量産可能、それは秋雅がヴェルナたちに課しているもう一つの研究課題だ。より正確に言うのならば、魔術師であれば誰でも扱え、全体戦力の底上げを用意とする武具の開発、といったところだろうか。

 

「どの程度までいける?」

「量産前提となれば三つか四つも変えられれば十分でしょ。素材のランクも下げないといけないから反応速度と強度も下げることになるけど、そこは仕方がないということで。このままフルスペックで作るとしたら、結社のトップ周辺ってのが精々になるんじゃないかな。材料的にも、金銭的にもさ」

「そんなところだろうな」

「まあ、これを使ったところで神獣に勝てるかって言われると、そういうわけじゃないんだけどね」

「別にいいさ。確かに最終的な目的はそこにあるけど、これはこれで十分に強いからな」

 

 ヴェルナも言ったが、そもそもとして秋雅が彼女らにこういった武器を開発させているのは、最終的にはカンピオーネの力を借りることなく、魔術師達のみで神獣を討伐できるようにしたいからだ。

 

 ピンキリはあるものの、神獣というものは強力な存在だと言える。まつろわぬ神には劣るとはいえ、一般の魔術師程度ではどう足掻いても太刀打ちできない。一部、人の限界を超えているようなものたちだけが、辛うじて対抗できるかといった程度でしかないのだ。

 

 だが、しかし。いかに強力とはいえど、まつろわぬ神には劣る上、一部の人間であれば太刀打ちは出来るのだ。であれば、その一部の人間に強力な武具を与えれば、より戦いを有利に運ぶ事が出来るようになるかもしれないし、一般の魔術師でも数を揃えれば神獣を討伐できるようになるかもしれない。

 

 そもそも、まつろわぬ神はともかくとして、神獣にまでカンピオーネに任せるとなると、周辺への被害が正直割に合わないと言っていい。例えるなら、怪獣にミサイルを叩き込むのは分かるが、猛獣にミサイルを撃つのはデメリットの方が大きい、といったところだろうか。せめて神獣だけでも魔術師達に任せる事が出来れば各所の負担も大きく減るはずというのが、秋雅がこれまでの経験から得た考えであった。

 

 勿論、これには様々な問題が付きまとっている。しかし、その上で秋雅は、自分を慕う彼女らに、これを課大として研究を行わせている。その必要があると、彼自身が判断したからであった。

 

「まあそれでも、このVW-01なら神獣にも有効打を与えられると自負しているけどね。勿論、最低でも私達レベルの達人が振るうって前提だけど」

「それで十分だ。全体の底上げを望んでいるとはいえ、一部でも対抗できるレベルになるのであれば上々だよ」

「うん、ありがとう。じゃあ耳心地の良い感想はここまでとして、今度は改善点でも聞こうかな?」

「そう言われてもな。コスト面を除けば性能には不満はないし、第一、俺らの目的からして、まずは量産してもらわないとどうとも言えないぞ」

「じゃなくて、さ。普通に秋雅がVW-01を使うにあたっての不満だよ」

「俺の?」

「そりゃ、これは量産のための試作品だけどさ。一応は秋雅のための武器として作った面もないわけじゃないんだよね。これがまつろわぬ神に通じるかはともかくとしても、秋雅ってどんなものにしても手札になるなら貰うってタイプだし」

「まあ、それはな」

 

 役に立つ、立たないは別にして、手札が増えるに越したことはないというのが秋雅の主義だ。そのほうが選択肢は多くとれるし、何より器用貧乏よりの体質である彼にしてみれば、一つの事を執着して極めるよりも多数のことを習得する方が結果的には力となりやすいという一面がある。将来的には秋雅も一つぐらいは達人の域にまで達することも出来るだろうが、何分その時間がない。まだ、手を広げる方が稲穂秋雅にとっては効率的であった。当人も言っているが、だからこそヴェルナもVW-01という、秋雅の能力を引き出せる武器を作ったのであろう。

 

「そういうわけだから、不満点は言っちゃってよ。秋雅が帰るまでには、出来る限り改善して渡すからさ。秋雅専用武器、張り切って作っちゃうよ」

「そうか。ありがたい限りだ」

 

 言葉通りに元気の良い笑みを浮かべるヴェルナに、秋雅は心強いものだと思う。しかし、同時に彼の冷静な部分は、それが自分の力になりたいという想いからきているものだということを警告する。その想いに対し稲穂秋雅という男はどう答えるべきなのか、いよいよもって明確な答えを出さなければならないと、秋雅は改めて実感させられ、小さな声で呟く。

 

「……どうするべきなんだろうな」

「ん? 何が?」

「いや、何でもない」

 

 どちらにせよ、彼女、いや、彼女らの姉であり、自分の恋人であるウルと話をする必要があるだろうと結論付けて、秋雅はとりあえず目の前の事を片付けることに決めた。

 

「で、不満点、というか改善点か。まあ、とりあえずアックスとハンマーと大盾はいらん。どう考えても俺のスタイルに合わない」

「ああ、そりゃそうだね」

 

 基本、秋雅の戦闘スタイルは『我は留まらず』を前提とした高速戦闘であり、回避を重視したものだ。隙の大きい攻撃はあまり好まないし、足を止めての防御もまず行わない。受け流すならばともかく、下手に防御など選ぼうものならば確実にそれを受けた腕の方が吹っ飛ぶだろう。いかにカンピオーネが常人よりも頑丈と言っても、サルバトーレ・ドニの権能(『鋼の加護』)のようなものでもない限りまつろわぬ神の攻撃を受け止めるのは難しい。それだけあちらの攻撃力というものは過剰なのである。

 

 であるので、バトルアックスやウォーハンマーといった威力は大きいものの隙も大きい武器はいまいち相性が悪い。ハンマーにいたってはそれ以上の打撃力を誇る『雷鎚』があるのだから意味がないだろう。勝っているのはリーチのみで、それもどうとでもカバーできるものにすぎないのだから。盾にしてもまず使わなと言っていいい。小楯ならばまだ相手の刀剣を受け流す際に使えるだろうが、両手持ちの大盾などはっきりいって何の役にも立たないだろう。

 

「じゃあ、その三つは取り除いちゃおうかな。他は使う?」

「長剣と長槍はまず使う。小楯と短剣もまあまあ使うだろう。さっきは使わなかったけれど、篭手とランス、まあ鎖分銅も使う機会はありそうだ」

「七つか、ある意味ちょうどいいかもね。ラッキーセブンって言うし、代わりに大剣か大弓でも突っ込もうかと思っていたけど、いらない?」

「ふむ……」

 

 ヴェルナの提案に対し、数秒ほど思案の後、秋雅は頷く。

 

「大弓はともかくとして、大剣はまあアックスやハンマーよりは扱いやすそうだ。ちょっと俺には合わないかもしれないが、入れてしまうのも手だな」

「じゃあ入れちゃおうかな。考えてみれば待機状態もあるから、全体としては九つの姿に変えることになるし、そっちの方がいいかも。九ってのも結構いい数字だし。十の一歩手前の不完全さみたいな」

「まあ、分からんでもないが。とにかく、そういうことなら頼んでいいか?」

「はーいはい、じゃあその方向で。他にはある?」

「強いて言えば重量がな。短剣は重すぎ、抜くだろうがアックスは軽すぎだ」

「あー……」

 

 秋雅の不満点を聞いて、ヴェルナは、やはり、といったような困り顔を浮かべる。どうやら彼女も、その点に関しては理解していたらしい。

 

「そればっかりはねえ、材料が共通している以上何ともならないんだ。質量操作系の魔術を仕込むにはまだまだ足りない物が多すぎる」

「重い方はまだ良いんだがなあ、身体強化すればどうとでもなるから。だけど軽いのは武器の威力に直結するから困るぞ。特にハンマーやアックスみたいな、振り舞わす系統の武器はな」

 

 その手の武器は基本的に遠心力を使って振るうので、案外重すぎてもどうにかなることもあるが、軽すぎるとその遠心力がいまいち起きず、スピードも威力も大したものにならない。どうやらその当たりの調整は、まだまだ厳しいようである。

 

「これでまだ先端部分に質量が集中しているならともかく、そういうわけでもないしなあ」

「うーん、どうしても密度を部分的に変えるってのが出来なかったんだよ。だから全体として密度は一緒。その所為で短剣はみっちり詰まって硬いんだけど、長物は案外柔かったりするんだよね。いやまあ、それでも十分な強度なんだけど」

「どうにも、難しいな」

「量産型が二つ三つなのも、その重量問題が少なからず関係しているしねえ。使い手がそれ系の魔術を使えるならともかく、それを前提にするとなるとこれの存在理念に引っかかるし」

「どうしたもんだろうな」

 

 思案顔で、秋雅とヴェルナは唸り声を上げる。どうにかならないかと考える秋雅の目に、ヴェルナが持っているVW-01の存在が映る。ついで、何となく自身が持っている方を見て、ふっと彼の脳裏に一つのアイデアが浮かんできた。

 

「……ちょっと思いついたんだが、分割と結合って出来るか?」

「どういうこと?」

 

 つまり、と秋雅は持っているVW-01を待機状態である十センチ程度の棒に戻し、その中央辺りに手刀を軽く当てて言う。

 

「これの二つに分けて、その片方を基本単位とするんだ。その状態だけなら短剣を、二つで長剣、三つで長槍、四つで大剣、という風に出来ないか?」

「……あー、成る程。武器が大きくなるにつれて材料を付け足していくって風にするのか。その発想はなかったな。流石秋雅」

「そうでもないだろ。元のコンセプトからはちょっと外れるだろうが、俺専用ということなら構わないだろう?」

「使い手に応えるのが作り手だからね。秋雅がそうして欲しいっていうならそうするよ」

「それはありがたい……で、結局やれるのか?」

「そうだねえ……」

 

 虚空を見ながら、しばしヴェルナはああでもないこうでもないとぶつぶつ呟く。その状態を一、二分程度続けた後、

 

「……うん、出来るんじゃないかな」

 

 と、案外軽い調子で頷いた。

 

「元々呪力、というか持ち主の思考に反応するように感受性はかなり高くしてあるし、ちょちょっといじれば合体も出来そう」

「悪いが頼んでいいか? その方が扱いやすそうだ」

「オーケーだよ。お任せあれ」

 

 ぐっと、ヴェルナは胸を張って答える。その様に、秋雅はふっと笑みを浮かべる。

 

「頼もしい限りだな……さて、それじゃあそろそろ、費用関係の話をしようか」

「……それは、あんまりやりたくないなあ……」

「それも大事な話だから仕方ないだろう」

「分かっているよ。んじゃ、こっち来て」

 

 そう言って、ヴェルナは奥の小部屋を示す。それに頷いて、秋雅は彼女と一緒に歩き、小部屋の中に入る。

 

 

 小部屋の中は、一台のパソコンと大きな作業台らしき物、壁にかかった刀剣類に、所構わず置いてある金属類。奥には何やらシートをかけられた謎の物体なども置いてあり、中々に煩雑である。それが、普段ヴェルナが篭っている研究室の状況であった。

 

「はい、これが使った物の纏め」

 

 ごそごそと机の引き出しを漁った後、ヴェルナはとあるリストを秋雅に渡す。枠線を除き、ヴェルナの手書きであるそれには様々な物品の名前と使用量が書かれている。

 

 それを受け取り、秋雅は無言のまま読み進める。ヴェルナがやや苦笑いのようなものを浮かべながらそれを見つめている中、上下左右へと視線を動かす秋雅だったが、五分ほどの後軽くため息をつき、ヴェルナの方を見て口を開く。

 

「……とりあえず、今回は不問にしておいてやる」

「おお、それはありがたいね」

「が、今後は自重するように。何だ、このオリハルコンやらミスリルやらの使用量は。これ、ここにあった分のほとんど全てじゃないか」

「ははは……まあ、最高スペックにするにはそれだけ必要だったってことで……」

 

 胡乱げな目で見る秋雅に、全力で顔を背けるヴェルナ。その姿勢を一分ほど続けて、秋雅は呆れたように大きなため息をつく。

 

「……レポートはきっちり書いておけよ。後々必要になる」

「そ、それは大丈夫。そこはきっちりしているから」

「それと、使ったものの補充も手配しておく。やれやれ、また金が飛んでいくな」

 

 その金額は下手をすれば上流階級の家庭の年収ほどであるが、言うほど秋雅の口調に大変そうな様子はない。軽々と、とまではいかないものの、秋雅の貯蓄なら問題なく払える額だし、秋雅にしても溜まっていくばかりの貯金を世間に放逐できる機会なので、態度の割には望んでいることでもあるのだ。溜め込みっぱなしでは社会は回らない、ということぐらいは秋雅でも知っていることなのである。

 

「あ、そうそう。秋雅にもう一つ使って欲しいものがあったんだった」

「使って欲しい?」

 

 空気を変えるためか、本当に偶々思い出したのか。ヴェルナは奥にあるシートをかけられた物体の前に向かう。彼女の言葉にやや怪訝そうな表情を浮かべる秋雅の前で、ヴェルナはバッとシートを外す。

 

「じゃーん! 見よ、これが私とスクラで作った特別兵器の正体だ!」

 

 何かの影響だろうか、えらくハイテンションなヴェルナの言葉を聞き流しながら、秋雅はヴェルナが示した物体を見る。

 

「これは……」

 

 そこにあったのは、巨大な杭であった。鋭く、長い金属の杭の根元の部分が四角い金属で覆われており、その四隅には杭の半分ほどぐらいの長さがある、先端が鉤状になった金属の棒が取り付けられている。杭の根元の四角い金属には、それとはまた別の薄い金属で作られたカバーらしきものが接続されている。カバーの方はちょうど人の腕を通すぐらいの直径をしており、先端部分にグリップが取り付けられていることから、そこに腕を突っ込んで使用するのであろうということが見て取れる。

 

 そんな、何やらよく分からぬ物体であったが、秋雅はすぐにその正体に勘付いた。呆れたようにため息をついた後、ジトッとした視線を自慢げなヴェルナに向け、まるで地獄の底から発しているかのような低い声で、秋雅は彼女に問いかける。

 

「……ヴェルナ、これは、何だ?」

「ふふん。これこそが神獣の頑丈な体表をぶち抜く為に、偶々見た日本のロボットアニメから着想を得た最終兵器。その名もそのまま、パイルバンカー!」

 

 ヴェルナの楽しそうな態度に、秋雅はいよいよ頭が痛くなってきたという風にこめかみの辺りを手で押さえる。その表情には、明らかな呆れの色が浮かんでいる。

 

「……よくもまあ作ったもんだ」

 

 まあ、簡単に言えば杭打ち機である。杭、つまりはパイルを何かしらの力を用いて高速で射出し、対象を打ち抜くというもので、その手のロボットアニメなどでは時折出てくる、所謂ロマン武器と呼ばれるものだ。

 

「まあ、作ったものは仕方ないとしても、ヴェルナ」

「なに?」

「これ、どうやって使う気だ? 人間大にした所で、とても使えるものじゃないだろ」

 

 秋雅の言うとおり、単に小型化したものを作った所でとてもではないが役に立つものではないだろう。反動をどう抑えるかなどもあるが、特に重量の問題がネックとなってしまうのだ。単純な話、例えば金属板を打ち抜こうとするだけの威力で杭を放った場合、相手の重量が軽ければ、杭が相手に刺さらずにそのまま吹っ飛ばしてしまうだろうし、逆に反作用で自分が吹っ飛ぶ可能性もある。この手の兵装ががロボットアニメで活躍しているのも、あれをロボットというかなりの重量物が使用しているからに過ぎないのであって、人間が使ったところでまず役に立つとは思えない代物なのである。

 

「いやいや、そこはそれ。私達だって考えてあるって」

 

 しかし、そんな秋雅の疑念に対し、ヴェルナは気取ったように指を振る。その素振りに視線を鋭くしつつ、秋雅は無言のまま顎をしゃくって説明を要求する。

 

「最初に言った通り、これはあくまで神獣相手に使う事を前提としているんだ。神獣というのは基本大きいから、重量の問題は大丈夫。自分が吹っ飛ぶ可能性にしたって、このクローの部分に接着と固定の魔術をガッチガチに付加してあるから、これを使って固定した状態で放てばまず吹っ飛ばされないと思う」

「反作用はどうするんだ? この感じだと腕に取り付けるみたいだが、下手をすれば打った瞬間に肩が外れるぞ」

「そこはまあ、秋雅なら大丈夫かなって」

「……俺が使うのか」

「仕方ないじゃん。そりゃ最終的には一般の魔術師でも使える段階まで持って行きたいけどさ、反動軽減の魔術の研究とか、今はまだ無理なんだもん。秋雅なら大丈夫じゃないかなってレベルまで押し込めるのが限界だったんだよ」

「はあ……で、威力は?」

「鉄板どころか鉄塊だってぶち抜けるよ。そこは私達が保証する。実際の所がどうなるかは実戦で使ってもらわないと分かんないから、是非とも秋雅にはデータを取ってほしいところなんだけど」

 

 駄目だろうか、とヴェルナは上目遣いで秋雅の顔を見つめる。が、しかし。その表情に浮かんでいるのは間違いなくマッドサイエンティストのそれだ。新兵器を試してみたい、という欲求がありありと見て取れる。何だかんだといって普段は真面目に研究をしているヴェルナやスクラであるが、ふとこういったおかしな代物を作るのが玉に瑕だと言えよう。しかも、そういう時に限って成果を挙げるものを作るから性質が悪い。

 

「………………分かった、機会があれば使ってみる」

 

 たっぷりの無言の後、秋雅は息を大きく吐き出して了承する。将来のため、データを取るのもまあありだと、最終的に判断した結果である。これも甘さなのだろうかと、ふとそんな事を思う秋雅であった。

 

 




 これでようやくヴェルナの話は終わり。予想以上に長くなってしまった。次はスクラだけど、こっちよりは多分短くなると思います。ちなみに最後のあれは後々にでも使う予定。




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銃と雷光





 ヴェルナとの会話を済ませ、研究室から去った後、秋雅はまた階段を降り始めた。一つ降り、階層を一つ飛ばし、また降りる。そうして訪れた最下層には、先と同じように一つのドアがあった。

 

「入るぞ」

 

 言いながら、秋雅はドアを開け、中に入る。すぐに目に入るのは、入り口近くでぼうっと立っていたスクラの姿だ。

 

「……ああ、秋雅。ヴェルナの用事は終わった?」

「ああ、中々いい成果だったよ」

「そう。それは良かったわ。じゃあ次は私の番ね」

 

 頷き、スクラは部屋――自身の研究室の奥を示す。彼女が示した先にあったのは、等間隔で仕切られた長い台と、その上に置かれた何丁もの銃。そして、そのさらに奥に並べられている的の数々。誰が見ても、これは射撃場であると理解できるだろう。

 

 意外、あるいは当然なことだが、銃に関連した魔術とうのは、そこまで発展していない。正確に言うと、研究開発をしている者が少ないというのが正しいか。魔術における武器は刀剣類であるという、そのような考えが魔術の世界における常識であるからだ。使い手に左右されるところの大きな刀剣類と違い、誰が使おうともある程度の事は出来る銃というものが、実力主義でもある魔術の世界において受け入れがたいというのもあるのか知れない。

 

 勿論、まったく研究されていないというわけはないが、少なくとも、魔術的に歴史の深い国ではそれほど研究されていない。他国と比べれば魔術や国自体の歴史も浅い方で、銃社会でもあるアメリカでは積極的に研究されているものの、その魔術の歴史の浅さが相まって、いまいちその研究は進んでいない。少なくとも、銃を基本とした魔術師の中に、神獣クラスと対峙出来るものが居ないのは確かだ。

 

 であるからこそ、スクラはそれを自身の課題とした。実際武器としては、銃というものは刀剣類に対して強いと言える。しばしば槍に勝る近接武器はないと言われるのと同じく、間合いの差というものは戦闘において大きなアドバンテージであるからだ。さらに言えば、彼女自身に元々適正があったというのもあるが、こと量産性という意味において、銃は刀剣類に勝るというのもある。故に、秋雅の目的を鑑みて、彼女は銃と魔術のよりいっそうの融合を研究のテーマと定めたのであった。

 

「まあ、まずは見てもらうのが早いわね」

 

 スクラがまず台に置かれた一丁の拳銃を手に取る。見た目は特に変わったところのない、普通のオートマチックタイプの拳銃だ。

 

「耳当てはいらないわよね?」

「ああ」

 

 本来であれば耳当てなりをして発砲音から鼓膜を守るべきなのだが、どちらも当然のようにそれをつけようとしない。スクラはもう慣れてしまっているし、秋雅にしても轟音には事足りた生活をしている。そうでなくとも、どちらも発砲音程度で支障が出るような身体ではないのだ。むしろつけるほうがおかしいといえるだろう。

 

「とりあえず、これが普通の拳銃の発砲」

 

 数十メートルほど先の的に対し、スクラは拳銃を構え、そして撃つ。数は三つ。絶え間なく連続で放たれたその弾丸が的の中心を見事に打ち抜いた事を、秋雅の恵まれた視力はしかと見る事が出来た。

 

「見事、だな」

「自慢にもならないわ。それに、見てもらいたいのはこっちだから」

 

 持っていた拳銃をスクラは台に置き、代わりに同じタイプの拳銃を手に取る。秋雅の目で見た限りは、二丁の拳銃における差異は特に見受けられない。

 

「見ていて」

 

 再度、スクラは引き金を引く。先ほどを同じ三連射は、またもや真っ直ぐに的の中央を打ち抜く。その光景に、ふと秋雅は違和感を覚える。

 

「うん?」

 

 何だ、と秋雅は軽く首を傾げる。それを受け、スクラが驚いたように片眉を上げる。

 

「あら、気付いたの? まさか気付くとは思っていなかったのだけど」

「いや、違和感があっただけだ。どこがどう、とは分からん」

「違和感を覚えるだけ凄いけれどね……ひょっとすると、こうしたら分かったりするのかしら」

 

 興味本位、といった表情を浮かべてスクラは空いていた左手に先ほどの拳銃を握る。所謂ところの、二丁拳銃というやつだ。

 

 続いて、スクラはまたもや引き金を引く。右、左と交互に、秋雅に見せ付けるようにゆっくりと撃つ。アニメ等と違い、本来であれば二丁拳銃などというものは、片手で持つことによる固定の難しさと反動の増加によりまともに扱えるものではないのだが、スクラの二丁拳銃はまさしく空想の世界の住人のように、的の中心をしっかりと打ち抜いていく。

 

 その様を見ていた秋雅であったが、四度目の発砲音の後、ああと頷いた。

 

「成る程、右の方が速いな。倍ぐらい違うか?」

「……まさか本当に見破るなんて。まったく、カンピオーネって非常識よね」

 

 拳銃や弾にもよるが、弾丸の初速は秒速で換算して三百メートル前後ほどあり、とてもではないが視認出来る速度ではない。仮に秒速三百メートルの弾丸と六百メートルで弾丸を見比べてみたところで、どちらも速いとしか認識できないだろう。にもかかわらず、あっさりと見破って見せた秋雅の視力――ここでは動体視力だろうか――というものは、まさしく人間離れしているとしか言えないだろう。

 

 故に、呆れたような、感心したような声を漏らしたスクラに対し、秋雅としても苦笑いを浮かべるしか出来ない。

 

「まあ、それはいいとして、だ。どういうからくりだ?」

「ライフリングの所に加速の魔術を刻んでいるのよ。色々とやってみた結果、現状だと大体二倍ちょっとまで加速できるわ。それ以上に出来ないこともないんだけど、弾丸によっては強度が怪しくなってきたから、とりあえずそこまでで止めているわ」

 

 さらりと言ったが、速度が二倍になるということはイコールで威力が二倍になるわけではない。単純な物理の話において、運動エネルギーは速度の二乗に比例する。つまり、速度が二倍になればエネルギーは四倍になるということだ。あくまでこれは理論値であり、現実でもそう都合よくいくというわけではないが、しかし弾丸のことも考えるとそれに迫るだけの威力を保持しているのは事実だろう。

 

「拳銃でそれか。ライフルだとどうだ?」

「まだ試していないわ。流石にここではライフル以上の計測は難しいのよ。もう少し距離がないとね。かといって外に出るというわけにも行かないし」

 

 これに関しては、研究の秘匿性というのもあるが、どちらかというとスクラの人間嫌いの要素が表に出ているからだろう。何処かの結社と協力してもらうにしても、少なからずコミュニケーションを取る必要があるということを忌避しているのだ。何かあれば秋雅の評判に傷がつく可能性があるというのも、それに一役買っているのかもしれない。

 

「そこはおいおい、か……弾丸の方は分かったが、銃身の耐久度はどうだ?」

「そっちも微妙ね。一マガジン分連射するだけならともかく、リロードして連射となると銃身が劣化する可能性があるわ。加速魔術にしたって、あんまり書き込みすぎると冷却機まで必要になりそうだし」

「そのラインは分からないか?」

「さあ? 試してないから分からないわ」

 

 あっけらかんと、スクラは肩をすくめる。見た目のクールさに騙されやすいが、彼女は案外と大雑把な性格をしている。今回のそれを含め、実験の観測にしても大体で済ませてしまうことはそう珍しいことではない。戦闘においても訓練を最低限で済ませているくせに、実戦はそつなくこなしてしまうのでので、もしかすると天才肌なのかもしれない。

 

 ちなみに、双子の姉であるヴェルナの方はあれできっちりとデータの観測と記録を行うのだがら、人は見かけによらないというものである。戦闘面においても、実戦は当然重視しているが、訓練も欠かさず行っているので、何かと対照的な双子であった。

 

「……どっちにしろ、性能限界を調べるのは余所に回したほうが効率的だな。お前達には理論優先で作ることだけを任せたほうが良さそうだ。伸び代はあると思っていいんだよな?」

「銃身、弾丸の強化をすればね。まあ、どこまでやったところでこの方式だと単純な物理攻撃以上まではいかないけれどね」

「物理だろうが魔術だろうが、目標に届くなら何でもいいさ。限界ギリギリまで見極めてみてくれ。対物ライフル辺りを強化すればいいところまでいったりするかもな」

「だといいわね。じゃあ、次に行きましょうか」

「まだあるのか?」

「別系統で一つ、ね。現物がこれ」

 

 そう言ってスクラが手に持ったのは、やはり先ほどまでのものと同じオートマチックタイプの拳銃だ。ただし、グリップ下部の、通常であればマガジンを入れる部分に何やらつまみのような物がついている。

 

 その銃を構え、スクラは別の的に向かって引き金を引く。同時、銃口から白く鋭い光弾が飛び出し、的の中心部を抉るようにして打ち抜いた。

 

「……通常の銃の魔術攻撃と同じように見えたが、違うのか?」

「基本は一緒よ。ただし、あっちが弾丸に魔術的な処理をして、それを核にして魔術を行使しているのと違って、こっちは銃内部で発動した魔術を弾丸状にして放っているわ」

「利点は?」

「一つは継戦能力。これなら弾丸を使わないから術者の呪力が続く限り戦闘は可能よ。もう一つは対処能力ね。こんな感じ」

 

 言いながらグリップ下部のつまみを弄った後、スクラは引き金を引いた。今回銃口から放たれたのは白い光弾ではなく、真っ赤な炎弾だ。その炎の弾丸は的に命中し、木製の的を炎上させる。

 

「この通り、銃本体で複数の魔術を選択できるようにしてあるから、わざわざ弾丸を変えることなく別の魔術を行使できるわ。戦闘中にリロードも楽じゃないでしょう?」

「そこは専門じゃないから何とも言えんが、まあ分からんでもないな」

 

 しかし、と秋雅は顎を撫でながら言う。

 

「便利ではあると思うが、火力としては微妙だな。結局の所現状のものの域を超えていないように見える」

「……一応、火力増加も考えてはみたのだけどね」

「そうなのか?」

「まあ、ね」

 

 ため息混じりに、スクラは言う。芳しい成果は出なかったのかと推察しながら秋雅が見る中で、スクラは台の上にある拳銃の中から、一際大きなものを手に取った。銃口も他の物と比べると、一回りは大きく見える。また、グリップ下部に継ぎ目がなく、マガジンを入れる事が出来ないようになっていることも見て取れた。

 

「一応、形にはしてみたのだけど、どうにも失敗作の域を出ないのよ」

「というと?」

「呪力保持能力と圧縮能力を高め、呪力を込めれば込めるだけ威力を増す攻撃が出来る、というコンセプトで作ったのだけど、最終的な威力がどうにも……秋雅、ちょっと撃ってみる?」

「俺が?」

「ええ」

 

 差し出された拳銃を、秋雅は受け取る。手に取ったそれをしげしげと眺めた後、両手で構える。一応何度か撃った経験はあるので、その姿勢に迷いは感じられない。

 

「その状態で、呪力を込めてから撃ってみて頂戴」

 

 指示に従って呪力を込めた後、無言で秋雅が引き金を引く。すると、銃口から光弾が放たれ、的を穿った。しかし、先ほどスクラが見せた銃撃と比べるとどうしても迫力というものがない。

 

「……成る程、しょっぱいな」

「それでも、私の試射と比べると十二分に高いわ。私が撃ったときは焦げ跡を作るのが精一杯だったもの」

「そうなのか?」

「呪力の絶対量が違うもの。私が一射に込めた量は、今貴方が込めたものの十分の一もなかったんじゃないかしら。大概出鱈目よね、カンピオーネの呪力って」

「一般的な魔術師数百人分、らしいからな」

 

 秋雅からしてみればちょっと込めた程度だったのだが、そこは絶対量の違いという物だ。たった一パーセント程度でも並みの魔術師数人分なのだから、スクラが込めたという呪力の量と比べれば雲泥の差だろう。

 

「とはいえ、その俺が呪力を込めてこの程度ってわけか。何でこんなに威力が低いんだ?」

「結局の所単純な呪力を撃ち出しただけだからよ。魔術になっていない呪力の塊なんて、威力も高が知れるわ」

「だったら、さっきの銃のようにすればいいだけじゃないのか?」

「それを加工するだけの余りがないのよ、銃本体にね。圧縮と保持の魔術が結構容量を食ったから」

「術者自身が魔術に加工するというのは?」

「そうできればよかったんだけど、そうすると魔術が暴走するのよ。原因は不明。どうにも、銃に刻んだ魔術との食い合わせが悪いみたい」

「そう単純な物でもない、ってわけか……どうにも惜しいな」

 

 結果としてはいまいちな状態だが、惜しい物があるのは事実だ。何か活用法はないだろうかと、秋雅はもう二発ほど撃ってみる。が、やはり威力はさして変わらない。

 

「……もっと呪力を込めてみるか?」

「流石に銃が持たないと思うけど。保持可能量は多くしてあるけど、限界はあるのよ」

 

 そもそも、呪術師数人分に匹敵する呪力を込められるだけたいしたものなのだろうが、かといってそれが役に立たなければ何にもならない。

 

「どうにかならんもんかな」

「ならないってば」

 

 幾つもの思考を重ねた結果の判断なのだろう。秋雅の足掻きに対し、スクラは面倒くさそうにため息をつく。そして、ひどく適当な口調で言う。

 

「いっそ、秋雅の雷でも込めてみればいいんじゃない? 案外圧縮できるかもよ」

「……成る程、一理ある」

「え?」

 

 

 キョトンとするスクラを余所に、秋雅は再び銃を構える。バチリと、その手に火花が散り、銃の各所、そして銃口から雷光が漏れ出す。

 

「ちょっと、秋雅!?」

 

 

 焦るスクラの声を聞きながら、秋雅は引き金を引く。

 

 放たれたのは、白く、強く輝く雷光。轟音と共に放たれたそれは、文字通り光速で空間を駆け抜け、的の中心を飲み込むようにして通過し、その奥にある壁に大きな皹を生み出した。それを見てスクラは目を丸くし、撃った本人である秋雅は気まずそうに頭をかいた。

 

「すまん、やりすぎた」

「…………いえ、それはいいんだけど。どうせ、修理費を払うのは貴方なんだし。……ねえ、秋雅」

「感覚的には、普通に雷を放ったときよりも威力は上な気がする。貫通力は確実に上じゃないかな」

「話が早くて助かるわ」

「どういう理屈か分かるか?」

「さあ……呪力の量が一定値を超えると効率が増す、とかかしら……?」

 

 分からない、とスクラは頭を振る。無理からぬ、と彼女の反応に秋雅は苦笑する。秋雅自身が言うことでもないが、元々、カンピオーネという存在は人の理解の範疇にない存在だ。その結果の一々を理解しようというほうが無理である、というのは当然の理だろう。

 

「……まあ、威力は上がるんだし、それでいいんじゃないかしら」

 

 結局、スクラもまた同じように考えたらしい。理論的な事を考えるのを止め、結果を優先することにしたようだった。こういったところも、感覚的なものを優先する彼女らしい割り切りだと言えるだおる。

 

「まあとにかく、それは秋雅にあげるわ。私が持っているより有用だろうし」

「ん、じゃあありがたく」

「ああ、でも少し弄ってみようかしら。ヴェルナも抱き込んで色々とやってみれば、もっと面白くなるかもしれないし」

「ヴェルナもヴェルナで忙しいんだから、程々にな」

「程々で済ませられないものを見せたのは貴方よ、秋雅」

「そう言われるとな」

 

 どうにも言い返せないな、と手に持った銃を弄びながら呟く秋雅であった。

 







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捨てる作成者あれば、拾う神殺しあり

 さて、と切り替えるようにしてスクラが口を開く。

 

「まあ、どうにも色々あったけれど、これが現状発表できる私の成果よ。どうにも、貴方に全部食われたきらいもあるけれどね」

「言うなよ、こっちだって予想外なんだから」

「分かっているわよ。わざとだったらもっと怒っているわ」

「だろうな。まあ、それはそれとして、だ」

 

 ちらりと、秋雅は奥にある小部屋、地下一階のそれと同じく実験開発室となっているそこを見る。その視線に、スクラは頷いて言う。

 

「分かっているわ。必要経費等の資料は準備済み」

「じゃあ、見せてもらおう」

「了解」

 

 そんな会話を経て、二人は小部屋へと入った。基本のレイアウトはヴェルナの方のものと変わらないが、こちらに置いてあるのは銃や弾丸、火薬といったものばかりだ。

 

「はい、書類」

「ああ」

 

 受け取った書類、開発に使用した物資等の一覧に秋雅は目を通してく。基本が通常の銃であり、素材よりも使用する魔術の方に重点を置いたスクラの開発方針もあって、ヴェルナのそれを比べると目を見開くほどの大金が消耗されているというわけではない。そのため、秋雅もさして大きなリアクションを見せることなく、さっと目を通してく。

 

「……特殊弾頭?」

 

 そんな中、秋雅の視線は失敗、廃棄の部分に記されていた、特殊弾頭という文字で止まる。他と比べると数は少ないのに特別金のかかっているそれを見て、秋雅は顔を上げて尋ねた。

 

「スクラ、この特殊弾頭というのは?」

「ああ、それ。文字通りよ、一般的ではない方法で作った弾頭のこと」

「失敗扱いになっている理由は何だ?」

「単純に、量産に向かないという結果が出たからよ。まあ、最初から分かっていたんだけど」

「生産度外視で作成はしなかったのか?」

「量産前提で研究しているのに、ラインに乗りようがないものを試作する意味がないわ」

「一度作ってみることも必要だと思うんだがな。物によっては俺が作って欲しいと思う場合だってある。大体、ヴェルナと組んでパイルバンカーを作っておいてそれは変だろ」

「あれはヴェルナがうるさかったからやっただけよ。私主導ならまずやらないわ。量産不可能なロマン武器の製作なんてね」

 

 この辺りは考え方の違いという奴だろう。データの取得等が目的であれば、目的と反した試作品を作成しても構わないという秋雅と、量産という当初の目的外の方向にずれてしまうことになるものは最初から造らないというスクラの考え方の違いだ。あるいは、パトロンと研究者というそれぞれの立場故の違いかもしれない。もっとも、その場合だと逆になりそうな気がしないでもないのだが。

 

「……とはいえ、一応作ってはいるのよね。あんまり見せる気はなかったんだけど、この状況なら見せないわけにもいかないか」

 

 嘆息を挟みつつ、スクラは小箱を取り出した。彼女がその小箱を開けると、中には三つの弾丸が収められているのが見える。

 

「はい、これ。試作型魔術式炸裂弾」

「炸裂弾? ちょっと待て、炸裂弾って確か戦車砲とかに使われる、爆風や金属片でダメージを与える奴だろ? 拳銃サイズものはないはずだ」

「だから作ったのよ。拳銃で戦車砲並みの威力が出るなら神獣にも使えるかもしれないと思ってね」

「それはそうだなんだが……どういう原理で作られているんだ?」

「普通の弾頭は型に金属を流し込んで固めて作るんだけど、これは極めて薄く延ばした金属板を丸めた後、それをまた金属で覆い固めることで造ったわ。当然、金属板にはびっしりと、可能な限り爆発、爆砕系の魔術式を書き込んで、ね。一般的な弾丸表面に式を書くタイプより多量、かつ複雑なものを記せるから、威力等は桁違いになる、と思うわ」

「断定していないってことは、テストもしていない、と」

「当然。壁が壊れる程度で済むかも怪しいもの」

「分類としては戦車砲だからな」

 

 しかし、と秋雅は弾丸を見つめながら言う。

 

「そんなに量産には向かないのか?」

「材料が使い捨ての弾丸にしては高くなりすぎ、各種加工で時間がかかりすぎ、だから。これ一発を作るのに一日じゃ足りないのよ」

 

 三発作った所で諦めたわ、とスクラは肩をすくめて言った。

 

「でも、威力は保証できるんだろ? だったら」

「もう一つあるのよ。これ、爆発力はあるんだけど、貫通力がほとんどないの。さしもの爆発力も、流石に神獣の皮膚を抜けるほどはないだろうし」

「それはそうだな。つまり、使うなら内部に撃てばいいと」

「は? ……まあ、そうなるのかしら」

「ということは……」

 

 何事かを小さく呟いた後、秋雅は考え込むように虚空を見上げる。そのまま数秒ほどして、秋雅は軽く頷いた。

 

「まあ、やってやれないことはない、な。スクラ、その弾丸を俺に預けてみてくれ。機会があれば試したい」

「……秋雅の望みなら、聞かない道理はないわね。いいわ、あげる。多少は貫通力をプラスできるように、加速魔術を刻んだ拳銃もセットでね」

「助かる」

「私としても、死蔵するよりはまだまし、だもの。ああ、でももっと作ってとは言わないでよ。面倒だから」

「それが本音か」

 

 彼女がこの弾丸を失敗作扱いした本当の理由を知って、秋雅は苦笑をこぼす。割合きちっとしているにもかかわらず、変に素直な所があるのがスクラという女性の特徴でもあった。

 

「……まあ、とにかくスクラの研究成果に関しては把握した。現状だとさして表に出せる物はないか」

「ヴェルナと違って手を広げすぎたかしらね」

「別にいいさ。広げてこそ分かることもあるだろうからな。まあ、とりあえず以降は火力を重視して研究してもらえると助かる。神獣を最終目標としている以上、どうしても火力は必要だ」

「分かっているわ。古来より、遠距離攻撃は近接攻撃に勝るって所を証明して見せる」

「その意気で頼む」

 

 頷いて、秋雅は書類をスクラに差し出す。当然スクラはその書類を受け取るのだが、そのまま秋雅の手が差し出された状態のままであることに、やや困惑したように眉を上げる。

 

「何?」

「……珍しく鈍いな。購入希望リスト、作っているんだろ? 研究を進めてもらわないといけないんだ、必要な物は買い揃えないとな」

 

 そう、秋雅は当然のように言うとスクラは納得したように頷きは見せたのだが、しかし彼の言葉に従ってリストを出すでもなく、何故か考え込み始めた。

 

「どうした?」

「ちょっと、ね。色々考えていたことがあって、とりあえず補充品リストの作成は見送っていたのよ」

「考えていたこと?」

 

 秋雅の問いかけに対し、スクラはあえてか答えることなく、数度ほど納得したように頷く。

 

「ちょうどいいし、今話しておいたほうがいいんでしょうね。というか、今が一番の話し時か」

「何かあるのか?」

「何かあるというか、そうしようかという考えがあるというか」

「じれったいな。何をしようかと悩んでいるんだ?」

「じゃあ、言うのだけれど」

 

 一呼吸。

 

「――日本に移り住まないか、と考えているのよ」

 

 決心した表情でスクラは秋雅に言った。

 

 

「日本に……?」

 

 スクラの言葉に対し、秋雅は驚きからか目を丸くして、彼女の言葉を繰り返した。しかし、すぐに真剣な表情を浮かべて聞き返す。

 

「何か、あったのか?」

「何かあった、というよりも、前から時々考えてはいたのよ。研究にあたって、ここじゃ秋雅との連携が取り難いとね。こっちで秋雅が現地の魔術結社に協力を要請するよりは、日本の正史編纂委員会に直接の協力を要請した方が私達も色々と動きやすい、と。入手や実験だけじゃなく、訓練やデータ取りなんかでも」

「それはそうだが」

 

 確かに、その考え自体は正しい。実際、秋雅も前からその事に関しては考えていたのだ。インドという日本から離れた土地で研究をさせるよりは、自分がいる日本で行動させたほうがより緊密な連携がとれる上に、委員会の協力があればデータ取り等に関しても人員や場所の確保が容易くなる。それに何よりも、彼女らに万一の事態が起こった場合にも、秋雅の手で守りやすくなる。

 

 しかし、だ。

 

「だが、そうなるとお前達は他人と少なからず関わる必要性が出てくるぞ。それは、お前達にとって好ましいことじゃないだろ」

 

 それが、秋雅が未だに彼女達をこの地に置いている理由だった。もし彼女らを日本で正式に研究させるようにすればどうしても正史編纂委員会を初めとした他者の介入が必要となってくる。それは、他人というものを毛嫌いしている彼女たちにとっては心理的な負担となってしまう。

 

 多少研究開発や成果の反映が遅延しようとも彼女たちの方が大事であると、そのように秋雅が判断したからこそ彼女らは今ここでひっそりと研究を続けているのだ。それをまさか、特に自分達以外の人間を信用していないスクラが言い出すとは、秋雅からすれば少々信じがたいことであった。

 

「分かっているわ、十二分に」

 

 それはスクラ自身も承知していることなのだろう。秋雅の指摘に対し、スクラは嘆息して答える。

 

「ここだって、全く人と関わらないってわけじゃないわ。勇気だとか愛だとかで、無作法に声をかけてくる奴らには事欠かない。その点、日本人は案外、他人に関わらないって聞いたわ。日本なら人に会わずに生活をすることも不可能じゃないみたいだしね。結局の所、何処だって一緒なのよ。究極的に、私達にとってみれば、秋雅が居るところと居ない所、この世界にはその二つしかないわ」

「ウルとヴェルナはどう言っているんだ?」

「私の独断だからちゃんと話したわけじゃないけれど、ヴェルナは積極的賛成、姉さんは消極的賛成と言ったところね。ヴェルナは秋雅と居られる時間が増えるほうが好ましいわけだし、姉さんもここの設備を無駄にするのを懸念しているだけで、日本に行くこと自体は否定していなかったわ。私達は三人とも秋雅と一緒に居たいと思っているのだから、当然といえば当然だけど」

「そうか……」

 

 目を閉じ、腕を組んで秋雅はしばし考え込む。スクラが見守る中その姿勢を数分ほど保ち続けた後、秋雅はようやく目を開ける。

 

「分かった。ウルには、俺から話しておく。スクラはヴェルナに話を通しておいてくれ」

「そういう言い方をするということは、そういうことでいいのね?」

「あくまで、他二人も同意した場合だがな」

 

 自分達の関係を見つめ直すには、ちょうどいい機会だろう。口の端に乗せることもなく、秋雅はそんな言葉を心の内で呟くのであった。

 

 










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研究は電子の世界






「ウル、いいか?」

 

 言いながら、秋雅はウルの私室のドアをノックする。私的な用件というわけではない。これも他二人と同じく研究成果を見るためだ。二人の研究と異なり、ウルの研究にあたっては、とある理由から個人の部屋こそは必要になるのだが、しかし実働においてはさして特別な部屋を必要とはしない。そのため、ウルは基本的に、その作業を私室で行うことが多い。

 

「ええ、いいわよ」

 

 部屋の中から返ってきた声に、秋雅はドアを開ける。そこには、秋雅に視線を向けることなく、コンピュータの前でキーボードを叩いているウルの姿がある。

 

「悪いけれど、もうちょっと待ってくれるかしら。切りのいい所までやっておきたいの」

 

 淀みなくタイピングを続けながら、ウルは視線を外すことなく秋雅に言う。それに対し、特に文句を言うでもなく、秋雅は適当に近場にあった椅子に腰掛ける。だが、すぐさま腰を上げ、ウルが作業をしている後ろからその画面を覗き込む。

 

「待てない?」

「ちょっと見たくなっただけさ……まあ、相変わらず、俺にはよく分からんが」

 

 画面上で増え続けていく文字列を眺めながら、秋雅は苦笑するように言う。

 

 電子関係、特にパソコン、プログラミング関係に対して、魔術的な意味での発展は極めて遅い。辛うじて一部先進国が研究を始めているといった程度で、世界全体としてみればほとんど研究は行われていないと言ってもいい。そもそも、魔術の世界というものはどこか閉鎖的な一面があり、新しいものへの探求には動きが遅い。電子機器という、魔術とは間逆な存在に対して手が延びぬのもある種当然であろう。個人として見ていっても、現代に生きる魔術師として人並みには扱えるという者は多いが、所詮はそこまでだ。

 

 それゆえに、今こうしてキーボードを叩くウルのように、電子と魔術の融合を図っている魔術師というのは、極めて稀な存在だ。既存の魔術とは一線を画すであろうということによる難易度もそうだが、それ以上に、特に歴史ある結社等において、そういった研究を認めない雰囲気のような物があるからだ。もっとも、それでいて実際はそういう場所であるほど、新しい風を招く必要があるのかもしれないというのが皮肉と言えば皮肉だろう。

 

 ともかくとして、そういうわけであるので、もし彼女が今表舞台に出る事があれば、表向きこそは異端と思われるであろうが、しかし裏では熾烈な勧誘が行われるであろうことは自明だろう。まあ、秋雅という王の庇護下にある以上、それが実現することはないのだろうが。

 

 

「……ふう」

 

 秋雅が覗く中、最後の一文字を打ち込み終わったウルは疲れたようにイスに身体を預ける。その様子を見て、秋雅は奥の小さな冷蔵庫からミネラルウォーターとコップを持ってくる。

 

「お疲れ」

「ありがとう、シュウ」

 

 美味しそうに、秋雅から受け取った水を一口ほど口に運んだ後、ウルは椅子を回転させ、近くに動かした椅子に座った秋雅と目線を合わせる。

 

「研究の発表、でいいのよね?」

「ああ、ヴェルナとスクラの分は済ませてきたから、最後がウルだ」

「そう。じゃあ発表だけど、最初に謝らせてもらうわ」

「なにかあったか?」

「あったというか、今回作成したものはどっちも電子上でのみ役立つ代物で、シュウの望む物理攻撃力のあるものは作れていないの。ちょっと、個人的な趣味を先行させてしまったから」

 

 前提として、秋雅が彼女たちに望んでいるのは神獣に対抗できる魔術等の研究である。それはつまり、差はあれども基本的にはある程度の攻撃力を発揮できる何かの開発である。しかし、今回はそういったものは出来ていないと頭を下げるウルに対して、気にしなくていいと秋雅は軽く手を横に振る。

 

「ああ、それは別にいい。ヴェルナ達と違って基礎すらろくに出来ていない研究なんだから、研究が順調に進んでいるのであれば厳しいことは言わないさ。元々実体のないものに攻撃力を持たせるのも簡単じゃないことは分かっているよ」

「ありがとう、シュウ」

 

 謝罪と共に、柔らかな微笑を彼女は浮かべた。それは一見するといつものそれと同じだが、秋雅はその中にほんの僅かな異物を感じ取った。おそらくそれは、期待に沿えなかったことに対する罪悪感のようだった。たまに、彼女はこういうところを見せることがある。不安、それも無意識の更に奥底から生まれたものなのだろう。あえて自覚させる意味はない、と秋雅は咳払いをするだけに留め、先を促す。

 

「まあ、それはとにかくとして、現状で完成したものを見せてくれるか?」

「そうね。とりあえず成果として渡せるのはこの二つ」

 

 そう言ってウルが取り出したのは、二枚のディスクだ。それぞれのケースの表には、『W』と『P』の一文字がそれぞれに記されている。

 

「魔術を組み合わせた特殊なソフトを二つ、書いてみたわ。一つはハッキング、クラッキングの補助プログラムである『ウィザード』というプログラム。逆にそういった被害から守る為に作ったセキュリティソフトの『プリースト』よ。どちらも既存のソフトとは一線を画したものだと自負しているわ。後で秋雅のパソコンにもインストールしておくといいかもしれないわね」

「ああ、そうしておこう……質問だが、一線を画すとはどういう風にだ?」

「説明が難しいのだけど、簡単に言って、既存のソフトと比べると狼煙と携帯電話ぐらいの違いがあると思って頂戴」

「……文字通り次元が違うな」

 

 凄いものだ、と秋雅は感心して頷く。過分な物言いである、とは全く思っていない。ことこの手の話に関して、ウルの場合は自分の成果を誇張するどころか、むしろ過小評価することのほうが多いと秋雅は知っているからだ。

 

「質問だが、その二つを既存の方法で撃退、もしくは突破は可能なのか?」

「難しいと思うわ。私でもどちらかなしでもう片方を突破するのはちょっと厳しかったから」

「実験済みか。開発者がそう言うんだったら、そう易々とは出来ないと見ていいか」

 

 ふむ、と数度秋雅は頷く。

 

「もう一つ、その二つは魔術適性のない人間でも使えるということでいいんだな?」

「ええ、当然よ。私の研究は妹たちのものと違って、基本的にそういうものだから」

 

 作成において魔術こそ混ぜているが、しかし所詮はプログラムだ。実行において呪力を練るなどということはなく、ただエンターキーを押すだけで実行可能となっている。それはつまり、プログラムの知識のない人間がスマホのアプリを十分に使えるように、魔術のまの字も知らない素人ですら、問題なく扱えるということだ。実際、以前この研究についてウルと秋雅が話したとき、例としてあげたのは『押せば火球の一つでも出るアプリ』であった。そういう意味合いで言えば、このウルの研究というものは確かに、他二人の研究とは毛色が違うものなのである。

 

「となると、扱いには注意が必要だな。使い方によっては簡単に世界を混乱に貶められる。そう易々とは表に出せないな」

「でしょうね。そこは私も理解しているわ。まだまだ玩具のようなものとはいえ、特に『ウィザード』の方は十分な影響力を持ってしまっている」

 

 おかしなものね、とウルは自嘲するように呟く。

 

「神獣に対抗できる武器を開発した所で、結局それは人間に対して振るわれるわよ、なんて貴方に忠告した私が、妹たちよりも先にそういう『武器』を作ってしまうなんて」

「どうせ、ウルが作らなくてもいずれは誰かが作ったさ。だったらまだ、俺達が作り上げた方がコントロールの大義名分は出来る。そう納得しただろ、俺達は」

「勿論、納得はしているわ。ただ、少しばかり笑ってしまったというだけよ。思わず、ね」

 

 良くない傾向、なのだろうか。先の微笑のことも含め、秋雅はわずかな沈黙の後、気にするなと首を横に振る。

 

「……その二枚の扱いはヴェルナたちの作品よりも厳重に、とするさ。現状じゃ、俺が信用を置いている二、三人に見せる程度で済ます。全く表に出さないのも、それはそれで後が面倒になるかもしれないからな」

「ええ、分かっているわ。私はただ研究を、その使い方は貴方が。そういう決まり、そうよね?」

「ああ、そうだな……ったく、難しいもんだ。新しいものを作る、ってのは」

「全く、その通りね」

 

 どちらともなく、二人はため息をつく。そうして、やや暗い雰囲気になった室内であったが、そうせずして秋雅がパンと軽く手を叩き、空気を入れ替える。

 

「いつまでも暗くなっているわけにも行かん、前向きに行こう」

「それもそうね。じゃあ、そうね、少し面白いかもしれないものを見せてあげるわ」

「面白いもの?」

 

 首を傾げる秋雅に対し、ウルはパソコンに向かい何がかしらの操作をする。そして、くるりとまた椅子を回し、秋雅にパソコンの画面を示す。

 

「これ、何か分かる?」

 

 パソコンの中に映っているのは、白い三次元の空間とその中に立っているこれまた白いデフォルメされた人間のような何かの姿だ。

 

「何だ、これは?」

「AI」

「AI? 人工知能のことか?」

「そうよ。さっきの二枚と同じく、使い魔を作る魔術の中の、使い魔に擬似的な意思を持たせる部分を応用した自己学習型の人工知能、その雛形よ。たいしてデータを入力していないから、今はまださっさらだけどね。だけど将来的には、自律思考可能な人工知能が出来上がる……かもしれない。もっとも、どうなったところで、学会には出せないでしょうけど」

「……それはまた、実現できたらえらいことだな」

 

 感心した、というよりはやや呆然とした風にも聞こえる口調で秋雅は呟いた。彼の言うとおり、この研究が完成すれば、表の世界では無理であっても裏の世界では確実に歴史に名を残す偉業となるだろう。

 

「まあ、実現できるかは難しい所だけれどね。本当にそこまでいくかは怪しいし、維持にもかなりお金がかかるわ。これ一つでスパコンの半分近い容量を占領しているから」

「大層な話だ。増設の必要はあるか?」

「現状は、特にないわ」

 

 さらりと言ったが、この屋敷にはウルの研究に用いるためにスーパーコンピューターも設置されている。地下にある三層のうちの中央、スクラとヴェルナの研究室を挟む形で、ウルの所持領域としてその中に置かれている。ついでに、この屋敷全体用でもある非常時用の発電機なども設置されていたりする。

 

「どう? 結構面白そうだとは思わないかしら」

「思うさ、正真正銘心から。他の研究が遅れてもいいからこれを優先させてくれとすら言いたくなる。まあ、流石に冗談だがな」

「お言葉に甘えて、これに関してはゆっくりとやることにするわ。気長に、のんびりとね」

「ああ、任せるさ」

 

 先ほどまでの暗い雰囲気を完全に払拭して、秋雅とウルは楽しげに笑いながら、しばしの間、パソコンの画面を見つめていた。

 

 




 こういった話が長々と続いていますが、もう少しお待ちください。後数話もすればまつろわぬ神との戦いを出せると思いますので。




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四人の関係






「チェック」

「…………これで行こう」

「あら、もったいない使い方をするのね」

「言うな。ろくに打ったことなんかないんだぞ、俺は」

「その割には――」

 

 悪くない手だけれど。

 

 そんなウルの言葉に、どうなのかね、と秋雅は軽く息を吐き出した。

 

 

 

 

「チェスをしましょう」

 

 その一言をウルが放ったのは、研究の成果の発表等を済ませ、秋雅が話題を変えようとした、その時だった。

 

 ルール程度しか知らない、と難色を示した秋雅に対し、珍しくウルが強引に準備を進めて始まった対局。

 

 戦局は言うまでもなく、経験者であるウルの独壇場だった。辛うじて局地的に秋雅が勝っている場面もあったものの、大局的に見ればまず間違いなくウルが勝つだろう。そのことが誰の目にも分かるぐらいにまで盤面が進んだ時、ふとウルが口を開いた。

 

「……どうしたいと思っているの?」

 

 主語のない、あやふやな言葉。しかしその言葉に対し疑問を持つでもなく、秋雅は憮然とした表情を崩さぬままに口を開く。

 

「今、この状況でする話か?」

「今だからいいのよ。真剣な話こそ何かの作業中にする、というのが私の持論だから」

「それはまた、初耳の論だな。いまいち分からん」

「真剣な話をするほど、途中で余計なことを考えるものよ。だったら最初から、主動作に関わりのない話をして、余計なものが浮かび上がる枠を失くす。そういうことよ」

「成る程ね……」

 

 まるで他人事のような口調で、秋雅は小さく呟く。そのまま、続いて言葉を紡ぐでもなく、二人はまた無言で駒を進めていく。

 

「……ある程度、答えは出ている」

 

 何手かの後、突然秋雅が口を開いた。

 

「でも、ウルの考えも聞かないといけないとも思っている……いや、理解していると言う方が正しいか」

「あら、何が聞きたいの?」

「はぐらかすなよ――スクラとヴェルナのことだ」

 

 そうね、とウルは駒を一つ手にとりながら言う。

 

「姉としては、まあ、妹たちが幸せだと思えるのであればいいのではないか、と考えてはいるわ。真っ当な関係のみが想いを成就する方法というわけではないもの」

「真っ当じゃなさ過ぎる関係は崩壊を生むだけ、とは思わないのか?」

「そもそも私達自体が真っ当な存在じゃないもの。他人を信じられなくなった姉妹に、その姉妹が唯一心を許す、カンピオーネという現代の王。元々普通の立場ではない私達なんだから、これ以上足を踏み外した所でたいした問題じゃないわ」

「どうだか、な」

 

 トン、とウルが一手を打つ。

 

「どう言い繕ったところで、結局は浮気であり、そしてそれは相手にとって不義理な行いだとは思わないのか?」

「その相手である、私がいいと言っているのだけれどね。第一、浮気というのはこの場合正確な表現じゃないんじゃないかしら? 正確に言うのであれば、ハーレムとかそういうものになると思うのだけれど」

「ハーレムか。あまり、その言葉は好きじゃないんだが」

「あら、男としてロマンを覚えたりしないのかしら?」

「思わないな。皆好きだとか、誰かを選ぶなんて出来ないだとか、そういうのはやはり不義理に過ぎるだろう」

「一人を選んだら他は切り捨てないと駄目だと思う?」

「それが普通だ」

 

 一般論ではな、と秋雅は小さな声で付け足す。それに対し、ウルはクスクスと口元に手を当てて微笑む。

 

「……何が可笑しいんだ?」

「自分が異質だとは思っているのに、一般論なんて言葉を口に出すなんて。本当は、自分でも滑稽だと思っているんでしょう?」

 

 その言葉に対し、秋雅は答えない。ただ、黙って駒を一つ進めただけだ。それにより動いた盤面を見ながら、ウルは口を開く。

 

「真面目な話、姉としては貴方に二人を受け入れてもらいたい所はあるのよ。正直、私も含めて、私達姉妹は貴方に依存している面があるわ。私達にとって唯一心の底から信用できる人だから、当然と言えなくもないかもしれないわね」

「依存ね。そんな大層な人間じゃないつもりだったんだが」

「そうでもないと、私達は思っているのだけれど。相変わらず、自己評価は低いのね」

「俺だってまで二十代の若造って奴だ。客観視できないところもあるさ」

「そうかしら……ともかくとして、シュウが受け入れなかったときに、あの娘たちが何をするか。貴方も、それが分からないわけでもないんでしょう? 分かっていなかったら、そもそもこんな話はしないもの」

「……まあ、な」

「好意を見てみぬふりをするよりはまし、と考えてもいいじゃない。好きだと言われながら、それを一方的に否定するよりは義理が通ると、私はそう思うわよ」

 

 その言葉に、秋雅は思わず黙り込む。言葉に詰まった彼を見て、ウルは軽く肩をすくめる。

 

「まあ、仮に受け入れられなかったにしても、案外あっさりを諦めるかもしれないわね。私が貴方に告白した時も、さして動揺している素振りはなかったわけだし」

「……あれは、最初から二人がそういう立ち位置に移るつもりだったからだろう。だから、ウルと俺が恋人になってもそこまで動揺しなかっただけだ。逆に言えば、その場所すら奪ってしまうと、流石にまずい」

「あら、分かっているんじゃない。そこまで言えるんなら、もう決まっているんじゃないかしら」

 

 再び笑みを浮かべたウルに対し、秋雅は罰が悪そうに顔をそらす。それこそつまり、その言葉が紛れもなく、彼の本心であるという何よりの証左だ。

 

「だが、お前はいいのか?」

「私?」

「ああ。もうここまで来たんだ、俺があの二人を見捨てられないというのは肯定するしかないだろうさ。だが、その場合お前はどうなる? 俺が他の女と、自分の妹と愛を語らっていいと思っているのか?」

「そうねえ……」

 

 僅かに悩んだ素振りを見せた後、ウルは一つの駒を手に取る。クイーンの駒だ。それを動かして、チェックの言葉を告げた後、

 

「酷い事を言ってもいいかしら」

「ああ」

「じゃあ、言うのだけれど――正直、あの二人では私に勝てないと分かっているもの」

 

 ふふ、と薄く笑みを浮かべて彼女は言う。

 

「あの二人がどう頑張った所で、シュウが最後に選ぶのは私しかありえない。だったら、妹たちにも良い思いをさせてもいいじゃないかと、そんな風に思ったのよ……幻滅する?」

「……いや。むしろ、皆で幸せになったほうがいい、なんて言うよりはよっぽど納得できる。どんな関係であれ、序列が出来ないわけがない。出来ない方が、不自然だ」

 

 今度は秋雅がナイトを手に取り、チェックと告げた後に続ける。

 

「俺だって、ウルと、ヴェルナ、スクラのうち誰か一人をとれと言われれば、まず間違いなくウルを取る。お前の為だったらお前の妹ですら、自分を慕う者ですら見捨てる。俺をシュウと呼んでいいのは、後にも先にもお前だけだ」

 

 結局の所、と秋雅は言う。

 

「俺とお前がどう決めた所で、所詮は勝者の驕りに、上位者から被庇護者への施し以上の何でもないか」

「私達にとって都合のいい事を言っているだけだもの。当たり前といえば当たり前ね。で、どうするの?」

 

 ――チェックメイト。

 

 その言葉と共に、クイーンを動かしたウルに対し、秋雅は小さくため息をついた後、決心を固めた表情で言った。

 

「……ヴェルナとスクラに任せる。二人が告白してきたら受け入れ、そうでない場合俺からは何も言わない。そうするのが妥当だろう」

「告白するように誘導しても構わないわね?」

「ああ。むしろ、俺から言った方がいいのかもしれないがな。どうにも、情けない」

「いえ、あの娘たちに任せるべきよ。最終的な決心は、自分でするべきだと思うわ。何より、私の時だって、私から告白したんだから、あの娘たちもそうしないと」

「……その辺りは、考え方の違いか」

 

 どうするのが正解だったのかね、と背を伸ばしながら秋雅は呟いた。他に正しい道はあっただろうに、しかし結局この選択をした自分に対し、自嘲するような呟きだった。

 

「まあ、あまり気にしすぎないほうが良いわよ。むしろ、貴方の立場を考えると側室の一人も居た方が変な干渉も受けないと、実利的なことも考えましょう」

「それが正妻の姉妹だからややこしいとも言えるんだがな、っと……ああ、そういえば、日本に移り住むのはどうかっていうスクラの提案、どう思っているんだ?」

「ああ、そのこと? ええ、基本的には賛成よ。ただ、ここにある設備をどうするかとかが少し気にかかっただけ」

「とは言っても、そのまま持っていく必要があるのはお前のスパコンぐらいだろ。保存場所がちょいと問題になるが、まあどうとでもなるさ。移動にしても、最悪俺が転移させれば良いしな」

「貴方には色々と手間をかけてしまうというのも、あまり乗り気じゃない理由の一つなのだけれどね」

「この程度、今更だろ」

「そうだったわね」

「まあ、そんなことより、だ」

 

 ついと、目の前にあるチェスボードを指差して、秋雅はにやりと笑みを浮かべる。

 

「もう一局、頼めるかな? 負けるにしても、もう少しまともな結果で終わりたいんでな」

「あらあら、負けず嫌い、でもないのかしら? いいわよ、一度と言わず幾らでもお付き合いさせてもらうわ」

 

 そうして、二人は今度こそただチェスを楽しむ為だけに、再び駒を並べだす。

 

 

 そんな中、ふと秋雅の携帯電話が音を立てて鳴り出す。

 

「ん」

「出ていいわよ」

「ああ」

 

 ウルに促され、秋雅は携帯電話を手に取り、画面を見る。

 

「……また、これは珍しい相手だ」

「あら、誰かしら」

「我が盟友、ってところかな」

 

 アニー・チャールストン。それが、そこに表示された名前であった。

 

 




 色々と考えた結果、予定を繰り上げて話を進めることにしました。ただ、流石に入れないといけない流れとかがあるので、まつろわぬ神が出るのは二話ぐらい先になると思います。それと、今回秋雅達が出した結論に対しては色々と意見もあると思いますが、とりあえずこういう関係であるということで。




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仕えたいと言う男






 とある昼下がりのことである。

 

「悪くないな、うん」

 

 そう言って頷いたのは、ナイフとフォークを構えた秋雅であった。満足そうに薄く笑みを浮かべ、秋雅はまた一切れ肉を口へと運ぶ。やや大味だが、分厚く、食べ応えのあるステーキ。現地を訪れたからと、おすすめの店を探して注文したものである。お世辞にも最高級とは言えないが、比較的味に頓着しない――及第点を超えていればそれで十分だと感じる――秋雅にとっては、十分満足できる昼食である。

 

 切っては食べ、また切っては食べと、日ごろの健啖さを秋雅はいかんなく発揮するそれに変化が訪れたのは、ステーキの大半を食べ終え、もう一枚注文しようかなどと秋雅が考え始めた頃合いであった。

 

「――何者だ?」

 

 手を止め、目つきを鋭くしながら、秋雅はそう問いかける。その問いかけに、何時の間に現れたのだろうか、秋雅の目の前に座っている一人の男が答えた。

 

「突然の無礼、お許しください。『永劫の安寧』が一人、クラネタリアル・バスカーラと申します。お初にお目にかかります、王よ」

 

 恭しく、男は秋雅に頭を下げる。

 

 アメリカ合衆国首都、ワシントンD.C.にある、とあるステーキハウスでのことであった。

 

 

 

 

 

 

 そもそも、何故秋雅がアメリカにいるのか。そのきっかけは、今より二日ほど前にかかってきた電話にあった。

 

「もしもし」

「――久しぶりね、秋雅」

 

 女の声。やや冷たい印象を受ける理知的な声だ。その声に対し、秋雅はそれと対照的な、気安げな口調で答える。

 

「ああ。久しぶりだな、アニー。元気だったか?」

「ええ、問題なく」

 

 アニー・チャールストン、それが電話先にいる女性の名前であり、アメリカに住む魔術師の名前だ。数年ほど前、ひょんなことからアメリカの地にて知り合った、秋雅にとっては数少ない魔術の世界における気の置けない友人の一人だ。

 

「貴方のほうも、まあ聞くまでもないわね」

「おかげさまで、な……しかし、君が電話をかけてくるなんて、少し珍しいな」

「そうかしら?」

「体感ではな。まあ、それはどうでもいい。俺に、何か用があるんだろう?」

「話が早くて助かるわ――貴方に、カンピオーネである稲穂秋雅に、一つ依頼をしたいと思って」

「依頼?」

 

 ピクリ、と秋雅の眉が動く。

 

「カンピオーネとしての俺に依頼とは、また奇妙な事を言う。それならばまずは君が――失礼、スミスが動くべきだろう。アメリカのカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミスが」

 

 『ロサンゼルスの守護聖人』として知られ、仮面にて素顔を隠し、芝居がかった言動で悪を討つカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミス。その正体がアニー・チャールストンであるということを知る人間は極めて限られてる。秋雅が彼女のことを知ったのも、ある事件から来る偶然が理由であった。そしてそれを知ってしまったことが、秋雅とアニーが交友を持つきっかけであり、さらには秋雅とスミスが互いを盟友と呼び合うようになった始まりでもあった。

 

「それは当然そうなのだけれど、残念ながら、今スミスはロスを離れられない事情があるの。《蝿の王》の名は知っている?」

「確か、そっちに本拠地がある邪術師の組織の名前だったな。どこかにまつろわぬ神降臨の気配があるが、しかしその結社を警戒する必要があり動けない、そういうことと考えても?」

「本当に話が早くて助かるわ。ええ、その通り。最近、SSIに所属する魔女の一人が、近日中にワシントンにまつろわぬ神が降臨するという霊視をしたわ」

「そりゃまた、珍しいな。しかもワシントンとは、ロサンゼルスとは見事に大陸を挟んで反対側だな」

「もう少し近場だったらスミスに対応してもらうことも考えるのだけれど、流石に遠すぎる。万が一を考えると、下手に動くわけにはいかない」

「従って、同じカンピオーネである俺に対処してもらおうと、そういうわけだな」

「受けてもらえる?」

 

 アニーの言葉に、秋雅は傍にいたウルに目を向けたものの、しかしすぐに視線を戻して頷く。

 

「ああ、承知した。明日にもワシントンに飛んで、まつろわぬ神の警戒に入ろう」

「ありがとう、助かったわ、秋雅。依頼料その他に関しては私のほうからSSIに話を通しておくわ。日本の、正史編纂委員会だったかしら、そこを通して払うようにすればいいのよね?」

「それで頼む」

「じゃあ、申し訳ないのだけれど、これで失礼させてもらうわね」

「ああ、また。今度はゆっくりと対面で話したいものだな」

「ええ、私もその日が来るのを待っているわ」

 

 その言葉を最後に、電話は切れた。電話を懐にしまいながら、秋雅はウルに視線を向ける。

 

「そういうわけだ、ウル。悪いがちょっと行って来る」

「それが貴方の使命だものね。仕方ないわ。終わったら一度戻ってくるのかしら?」

「そうするつもりだ。今回は間に合いそうにないが、スクラとヴェルナが改良してくれている武器を受け取らないといけないからな」

「それなら二人にも詳しく話してくるといいわ。ちゃんと話しておかないと、無理にでも間に合わせようと無茶をするかもしれないし」

「多分間に合わないだろうし、な。俺も二人の徹夜顔なんて見たくないし、早速説明してくる」

「私は、そうね、夕飯の準備でも始めようかしら」

「期待している」

 

 

 こういった事情があって、秋雅は連絡を受けた翌日にインドを発ち、アメリカに到着してすぐにSSI――日本における正史編纂委員会に相当する政府直轄の組織だ――の魔術師と合流して情報の共有等をした。そしてその後は、状況が動くのを待つ、あるいは秋雅の登場で状況を動かす為に、調査を兼ねて街中を探索することとした。その二日目に当たる調査の最中、休息として昼食をとっていた場面が、冒頭の話へと繋がるのである。

 

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 先ほどまでの日常の気配を完全に消し去り、組んだ脚の上に手を置いて、秋雅は王の貫禄を放つ。その目は冷たく、目の前の男をじっと観察する。

 

 白人、年齢は三十代と言ったところだろうか。魔術の腕前はおそらく高いだろう。秋雅が異変に気づくきっかけともなった、現在張られている認識阻害系の魔術――範囲型で、おそらくは秋雅達の会話の内容等が他者に覚えられるのを阻害するタイプだ――の精密さからそれは伺える。

 

 表情は無表情、とまではいかないが、しかし明確な感情を読み取ることは出来ない。カンピオーネの前にいるという緊張や恐怖等も、特に感じられない。かといって、秋雅の力や存在を全く畏怖していないというわけでもないのだろう。少なくとも、それなりに態度を作っている(・・・・・)気配はある。

 

 決定的な材料はない、と秋雅は目の前の男の中身(・・)を決めきることはしない。後少し、探る必要があると、そう判断する。

 

 何を目的としているのか、まずはそれを聞きだすべきかと考えつつ、秋雅は重く口を開く。

 

「『永劫の安寧』に、クラネタリアル・バスカーラ。どちらも、聞かぬ名だな」

「無理もありません、王よ。我らはまだ小さき身、世に名をとどろかせし結社に並ぶほどの力を持っているわけではありませぬ故」

 

 恭しく、クラネタリアルと名乗った男は頭を下げる。やや芝居がかった物言いと態度に、ふんと秋雅は鼻を鳴らす。

 

「そうか。では、その小さき者らが、何故私の前に現れようと思ったのかな?」

「無論、貴方様のお役に立つため」

「ほう? どういう風にかね?」

「こちらを」

 

 そう言ってクラネタリアルが取り出したのは、一枚の写真だ。それをテーブルの上に置き、どうぞと手で示す。

 

「……ふん」

 

 写真とクラネタリアル、その間で一度視線を動かした後、秋雅はその写真を手に取った。

 

 写真に写っていたのは、一本の槍だ。柄は木製のようで、余計な装飾は見受けられない。飾り気も特徴もない槍だが、唯一穂先が黒い事だけが目を引いている。おそらくは黒曜石で出来ているのであろう。写真越しであるが、古い槍であると秋雅には思われた。

 

「これは何だ?」

「先日、このワシントンに持ち込まれた槍にございます。この地に住む好事家が手に入れたようですが、どうやら魔術に関係する品であるとのこと」

「それは、わざと持ち込んだということか?」

「おそらくは知らずに持ち込んだのかと。何とも愚かしいことです」

「……それで、その槍がどうしたと?」

「はい。その槍ですが、かなり強固な封印が施されていたとのことです。それ故に、SSIもその存在を嗅ぎ付ける事が出来なかったのでしょう」

「では、何故お前達は知っているのだ?」

「偶然知る機会があった、それだけに御座います」

 

 どうやら、言うほど小さな組織でもないらしい。そう感じつつ、秋雅は目で先を促す。

 

「しかし、その好事家は魔術など欠片も知らぬ者であったようで。迂闊にもその封印を解いてしまったようなのです。そして、それと同時期にSSIの魔術師が何やら霊視を得たとのこと――そういうことではないかと愚考するのですが、いかがでしょうか?」

「……つまり、その槍が神器か何かであり、それを目当てにまつろわぬ神がこの地に降臨する可能性がある。そう言いたいわけか」

「その通りに御座います」

 

 それが確かであれば、秋雅にとって願ってもない話だ。その好事家の下に向かい、可能であれば槍の再封印を、不可能でもせめて移動させることで事前被害を減らす事が出来る。成る程、ありがたい話である。

 

 だが、疑問はある。

 

「それを何故、私に告げる? 何を望む?」

 

 それを秋雅に告げる目的が分からない。それなり程度ではあるが、長く魔術界に身をおいた経験上、そう易々と上手い話に乗るほど秋雅は迂闊ではない。完全なる善意などそうない――加えて、初めて会った相手でもあるのだ――ということを、秋雅はしかと知っている。

 

 どのような裏があるのか。それを問いかける秋雅に対し、クラネタリアルはただ頭を下げるだけだ。

 

「全ては、貴方様のお役に立ちたいだけに御座います。それこそが我が身の、我らの喜びであります故」

「……結社としての目的そのものが、我らへの忠節である、と?」

「その通りで御座います」

 

 正気か、と秋雅は心の中で呟く。基本的に、カンピオーネという歩く災害への恐怖から忠節を誓っているような魔術の世界において、このような言葉を本心から言うものがいるであろうかと、カンピオーネである秋雅は疑念を持たざるを得ない。

 

 しかし、どうにも秋雅には、このクラネタリアルという男が嘘を言っているようには思えなかった。少なくとも、秋雅の役に立ちたいという一点においては本心である可能性が高いと、秋雅の勘がそう告げている。

 

 だからこそ分からない。この男の、この男が所属する結社の目的が。何が裏にあるのか、あるいは本当にそれこそが本心であるのか。その事をまるで見通せぬことに、秋雅は確かな不気味さを感じずにはいられない。

 

「裏がある、そう思われるのも致し方ないこと。急に押しかけ、一方的にかような事を告げるなど、無礼にも程があることに御座います。ですが、我らは貴方様に、我らの存在を認めて頂きたいと渇望してしまったのです。貴方様に我らの事を認識していただき、そしていずれは、我らを貴方様の、稲穂秋雅様の下で御仕えさせていただきたい。それが、我らの全てでございます」

「つまり、私を盟主として仰ぎたい、と?」

「そうでもあり、しかし違うとも言えましょう。何故ならば、ここで言う我らとは、『永劫の安寧』のことだけではありませぬ故」

「……まどろっこしい、仔細を話せ」

 

 やや、怒気を混ぜた声を秋雅は発する。これまでの理解不能なこともあっての、苛立ちによる問いかけ。それに対しまるで焦る素振りを見せることもなく、クラネタリアルは頭を下げた後に口を開く。

 

「畏まりました、王よ。単刀直入に申し上げますと、我ら『永劫の安寧』の最終目標は、全人類をカンピオーネの下に置くことにあるのです」

「それは――」

 

 どういう意味だ。そう、秋雅は問いかけようとした。

 

「――まさか」

 

 だが、それを続けることはなかった。何かに気付いたように彼は問いかけを途中で止め、代わりに大きく目を見開く。

 

「正気か、貴様」

 

 ついで、今度こそ秋雅の口から放たれたのは、確かな驚愕の色が混じった声。それに対し、クラネタリアルはその口元を軽く歪める。

 

「お気づきになられるとは、流石は稲穂秋雅様。カンピオーネの中でも特に聡明と知られるその頭脳と直感、感服するばかりにございます」

「では、お前達の目的はやはり――」

「はい、その通りにございます。我ら、『永劫の安寧』は、表の世界に魔術を広める(・・・・・・・・・・・)ことで、カンピオーネである御身を全ての人間が知り、そして仕えるようになることを、最終的な目的としているので御座います」

 

 そう、クラネタリアルは確かに言い切る。その後、数秒の空白を挟み、秋雅は目を伏せて首を横に振る。

 

「……それは、不可能だ」

「混乱が生じるから、でしょうか?」

「そうだ。この科学と物理が形作っている表の世界において、今更魔術を持ち出そうなどとすればどのような混乱が生じるか、分からぬわけではあるまい」

 

 知識と才能さえあれば、たった一人の人間がいとも容易く破壊を撒き散らすことも出来る。それが魔術の一面だ。確かに魔術の世界に身を置いてそれに浸かりきった者ならばともかく、道理なく魔術を知り、それが実在すると理解してしまった者がどのような事をするか。考えずとも分かることだろう。

 

 だからこそ、魔術の世界に身を置く者は極力その痕跡を表に出さないようにしている。例えば日本において正史編纂委員会が魔術という存在を徹底的に隠蔽するように、世界中でその存在や知識は隠匿されてしかるべきものなのだ。

 

 それを、よりにもよってカンピオーネを文字通り王に据えるために表に出すなどとは。秋雅に限らず、真っ当な倫理観を持つ魔術師であれば、正気を疑わないほうがおかしいことだろう。

 

「それは確かに理解しております。しかし、それでも我らは思っているのです」

 

 この世界は、人智を超えた存在にこそ、支配されるべきなのだと。クラネタリアルは、確かな笑みを浮かべながら、そう言った。

 

 それに対し、秋雅はどのような返答も行わなかった。否、行えなかったという方が正しいだろうか。それほどまでに、クラネタリアルという魔術師が放った言葉は、稲穂秋雅という王にとって、理解を拒みたくなるような言葉であったのだ。

 

 しかし、そんな秋雅の沈黙をどう受け取っているのだろうか。クラネタリアルは何処か楽しげに続ける。

 

「特に、私は貴方様、稲穂秋雅様こそが、他のカンピオーネの方々すらも超越する真なる王として相応しいと考えているのです。価値観、正義感、使命感。振る舞い、気品、思想、理念。過去、現在、未来。その全てにおいて、貴方様を超える王など存在しない。そう、私は考えております」

「……それが、私に会いに来た理由か?」

「その一端、で御座います」

 

 そう言ったところで、クラネタリアルは席を立つ。

 

「では、私はこれで失礼させていただきます。その槍に関しての情報は写真の裏に書いておきましたので、どうぞお好きにお使いください。また、ご尊顔を賜れる日を楽しみにしております……おっと、忘れる所でした」

 

 最後にお伝えすべき事がありました、とクラネタリアルはそう前置いて言う。

 

「どうか、名無しの結社(・・・・・・)にはご注意くださいませ。あれは我らと同じようで、しかし正反対の存在です。誤解なきようお願いしたく」

「…………どういう意味だ?」

 

 秋雅の問いかけに対し答えることなく、クラネタリアルは深く頭を下げる。同時、その姿が完全に消失し、周囲を覆っていた隠蔽の魔術が解除された事を秋雅は感じとる。

 

 

 

 

「クラネタリアル・バスカーラとは、一体何者だったのか……」

 

 呟き、クラネタリアルがいた空間をじっと見据える秋雅であったが、少しして頭を振り、残された写真を手に取る。

 

「まずは、目先の事件から片付けるべき、だな」

 

 意図して頭を切り替えつつ、秋雅は電話を手に取る。そしてSSIの人間に連絡を取り、今しがた手に入れた情報を伝え、動く事を要請する。

 

「……ああ、ではそれで頼む……うむ、では」

 

 幸いにも、あるいは当然にも、話は容易く通った。その事に安堵しつつ、秋雅は電話を切り、写真と一緒に懐にしまう。

 

「当面は待ちか……で、だ」

 

 はあ、とやや力のないため息を吐きながら、秋雅は目の前のテーブルを見る。そこには、もうすっかりと冷えてしまったステーキが置かれている。

 

「……やはり、もう一枚だな」

 

 これでは満足できないと呟きながら、秋雅はやや味気なく感じる肉を口に放り込んだ。

 

 

 




 だいぶ駆け足ですが、とりあえずこの章で書いておくべき最低限のことは書けたと思うので、次話から神様との戦いを書きます。どの程度の分量になるかは未定ですが、まあ頑張る所存。




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槍を振るいし神





「そうか、槍は手に入らなかったのだな」

 

 件の槍の確保に失敗した。その知らせを秋雅が受けたのは、彼がSSIに連絡をしてから数時間が経ち、そろそろ日も沈もうかという時間であった。

 

「……いや、気にしなくていい。元より不確定な情報だったのだ、その上での確保で失敗したからといって、君達を叱咤する気などない」

 

 電話越しにも分かる怯えの声に対し、秋雅は嘆息交じりにそう告げる。ジョン・プルートー・スミスという王が既にいる関係で、秋雅はSSIとは繋がりがあまりない。それ故に、まだ稲穂秋雅という王の行動パターンを知らないSSIの一魔術師からしてみれば、ひどく勇気をふり絞った報告だったようだ。まあ、秋雅からすればむしろその程度でああだこうだと文句をつける気などないのだから、勝手に緊張などしないで欲しいと思わないでもないことなのだが。とはいえ、カンピオーネという存在のこれまでの所業を鑑みると、そうしてしまう向こうの気持ちもよく分かってしまうので、どうにも痛し痒しなところであった。

 

「それよりも、確保失敗の理由を聞こうか。何があったのかね?」

 

 そう秋雅が尋ねると、電話の相手であるSSIの男性は、しどろもどろに説明を始める。

 

 曰く、秋雅の報告を受けたSSIの人間はすぐさま行動を開始し、どうにかこの広いワシントンから件の好事家の所在を突き止めたらしい。その後、適当な口実を作ってその好事家に接触し、例の槍の確保を行おうとしたそうだ。

 

 だが、その槍をSSIの魔術師が発見し、その槍から発せられている呪力を脅威に感じた彼が即刻再封印を行おうとしたところ、突如その槍が光を放ち、どこぞへと飛び去ってしまったらしい。封印の魔術の発動が何かと干渉してしまったのか、あるいは単純に()が槍を呼んだのか。仔細は分からないが、ともかくその槍は確保に動いた彼らの目の前から消え去ったことだけは確かだった。

 

 

 そういう経緯で、今秋雅に報告をしているのである、というような内容を、やや回りくどく、こちらを十二分に警戒しながら男は秋雅への説明を終える。

 

「……説明、ご苦労」

 

 そう言った後、秋雅は顎に手を当てながら何事かを考え始める。その思考による沈黙に対し、男は恐る恐る声をかけてくるが、秋雅はそれに返答をせず思考を続ける。

 

 

 

 そのまま数分――おそらく男にしてみれば恐怖に満ちた数分であったのだろう――が経った後、秋雅は致し方ないと呟いた後、

 

「こうなった以上、相手をおびき出す方向で話を進める。何処でもいい、この辺りである程度破壊されても問題ない、広い場所はないだろうか?」

 

 そのように秋雅が質問を投げかけると、男はやや驚いたような声を漏らした後、お待ちくださいと言って黙る。おそらくは都合の良い場所を探している、あるいは探させているのであろう。

 

 

 

 それから三分とも経たず、男から返答があった。ワシントン近郊にある、とある公園の名前と場所。有名所ほどではないが、しかし日本のそれと比べれば圧倒的に広く、何より人気もそう多くないその場所ならばと、男は秋雅に提案する。

 

「よし、ではその周囲を閉鎖、最低でも朝まで一切の立ち入りを禁じさせてもらいたい。努力はするが、どうしても多少の被害は予想される。復旧と情報規制の準備も進めておいてもらおうか。それと、最低限の準備が終わり次第、君達も周辺区域からの離脱しておいたほうがいい。私も、君達を余波などに巻き込みたくはないのでね」

 

 そう、秋雅が命ずると、男は間髪を入れずに了承する。男の怯え様を考えれば、ここで渋るような真似をするわけもないだろう。

 

「では、よろしく頼む……ああ、虫の良い話だが、これから私がすることにあまり混乱しないように願う」

 

 付け加えた言葉に困惑した気配を見せる男に対し、秋雅は何を言うでもなく電話を切る。

 

 

 そのまま、特に準備をするでもなく用意されたホテルの一室を出て、秋雅は屋上へと向かう。

 

「誰もいない、な」

 

 屋上に誰もいない事を確認した後、秋雅は隣のビルへと跳躍する。日本では猿飛びとも呼ばれる、人に過大な跳躍力と身軽さを与える体術を駆使し、秋雅はビルからビルへと飛び移っていく。特に隠蔽系の魔術を使っているわけではないが、その速度を鑑みれば、偶然見られたところで気の所為で済ませられるだろう。

 

 空を駆けていき、都合の良い高い建物がないところでは『我は留まらず』を用いて転移していく。そうして、大幅な時間短縮を行いながら――タクシーなどより生身の方が速いというのも大概な話だが――秋雅は目的の公園へと辿り着いた。

 

 

 

「――っと」

 

 華麗に、公園の大地に秋雅が降り立つ。そのまま秋雅がざっと気配などを探ってみると、周辺に人がいる様子はない。元々人気が少ないというのもあったのだろうが、ここはSSIの仕事の迅速さを褒めるべきであろう。

 

 

 

 

 

「混乱しないでくれると助かるが、そうはならんよな……」

 

 面倒くさそうにため息を吐いた後、秋雅はその手に『雷鎚』を呼び出す。

 

「――来たれ、我が頭上に」

 

 短く聖句を唱え、秋雅はその身の呪力を高める。すると、秋雅の頭上、つまりはこの公園を覆うようにして、段々と空に黒雲が集っていく。それは秋雅が生じさせた、呪力に満ちた雷雲であった。その呪力たるや、普通の魔術師が見れば天変地異かと恐れを抱いてしまうほどの物だろう。

 

 無論、これは遊び半分で発生させたわけではない。これは何処かにもうすでに降臨しているであろう、まつろわぬ神に対する篝火だ。この尋常の物ではない雷雲を見て、同類(まつろわぬ神)、あるいは怨敵(カンピオーネ)の物だと気付かぬまつろわぬ神はまずいないはず。であれば、何事であろうかとこちらに来る可能性が高い。そう考えた上での、秋雅なりのおびき寄せの手段であった。少々周囲への混乱は大きくなってしまうが、見た目に反して、秋雅の意思なく雷を落とすということもない無害な雲であるので、一般人への被害はそう発生しないだろう。呪力を察知できる魔術師達は混乱させてしまうだろうが、ここは仕方のない事を割り切るより他ない。秋雅としても、守るべき優先順位というものがあるのだから。

 

 

 

 

 

「さて、どうなるか」

 

 頭上の雷雲を仰ぎつつ、秋雅は小さく呟く。可能であれば手早く現れて欲しい、そう思う秋雅であったが、

 

「――っ!!」

 

 突如、その場を大きく跳び退る。秋雅自身も理解が追いついていない、純粋に直感からきた反射的な行動であったが、それが秋雅にとって幸いした。

 

 

 

 

 先ほどまで秋雅がいた場所、そこに一本の槍が突き刺さる。それは間違いなく、例の写真に写っていた槍に相違ない。余程の膂力にて放たれたのであろうそれは、秋雅が立っていた地面を大きく抉り、貫く。秋雅が咄嗟に回避をしなければ、間違いなくそれは秋雅の身体の中心を貫いていただろう。

 

「来たか!」

 

 篝火を目印に本命(・・)が訪れた。その事をしてやったりという気持ちを僅かばかりではあるが感じながら、秋雅は槍が飛来した方向にバッと目を向ける。

 

 

 空中、雷雲の下にそこに佇んでいたのは、豪奢な仮面をつけた人間大の何か(・・)。その身から溢れる呪力と存在感、そして強い殺気。

 

 秋雅は直感する――まつろわぬ神である、と。

 

「――避けたか、神殺しよ」

 

 そう、まつろわぬ神は呟く。距離を考えれば絶対に秋雅の耳に届かないであろう声量であったにもかかわらず、それはまるで脳裏に直接響いたかのように秋雅にその言葉を認識させる。

 

「我を呼び機寄せるとは、やはり不遜な――」

「――悪いが」

 

 何事か、言葉を紡ごうとするまつろわぬ神を遮って、秋雅は右手を開く。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 そこに握られた真っ黒なザクロの実をまつろわぬ神に見せ付けるようにしながら、秋雅は素早く聖句を唱える。

 

 

 その瞬間、公園からまつろわぬ神と秋雅の姿が消える。稲穂秋雅が誇る権能の一つ、『冥府への扉』の発動であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……謀ったか、神殺し」

 

 冥府、赤黒く不気味なその世界において、宙に浮かぶまつろわぬ神は不愉快そうに呟く。秋雅の思惑通り呼び出され、そのまま流れるように秋雅の支配領域へと引き込まれたことに対するものであろう。

 

「生憎と無駄に被害を出すわけにはいかないんでな、謀りもする」

「民を支配し、隷属させし神殺しがそのようなことをのたまうとはな。不愉快極まりないことである」

 

 言いながら、まつろわぬ神の手に先ほどの槍が現れる。一応、この『冥府』において秋雅の了承なく外部にある物体を呼び出すことは出来ないはずなのだが、それを易々とやってのけるとは、流石はまつろわぬ神と言ったところだろうか。

 

「お前達にどう思われようかなどどうでもいいことだ――それよりも」

 

 雷鎚を構え、秋雅は未だに宙に浮かぶまつろわぬ神に対し、宣言する。

 

 

「――我が名は稲穂秋雅、貴様を滅ぼす者なり!!」

 

 そして、その手の雷鎚をまつろわぬ神に向け、叫ぶ。

 

 

「名乗れ、我が敵よ!!」

「よかろう――」

 

 

 対し、まつろわぬ神もまた、地上にいる秋雅にその穂先を向け、名乗る。

 

 

「――我が名はトラウィスカルパンテクートリ! 汝、不遜なる神殺しを討つ者なり!!」

 

 

 




 ここで一旦切ります。一話か二話ぐらいで戦闘を収めたい所存。それと今回出てきた神様ですが、一応調べてはいますがそれほど詳しいと言うわけではないので変なところもあるかもしれませんが、まあお許しを。とはいっても、これに関してはこの話に限らずこの作品全体に通じることなんですが。ついでに実際の地理とかもそういう感じで頼みます。ワシントン郊外に広くて歴史的な価値の低い公園があるかどうかとか知らないです。





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破壊神の炎







「受けよ!」

 

 先に動いたのは、トラウィスカルパンテクートリの方であった。手に持つ槍、その穂先を秋雅に向けると、その穂先より業火が放たれた。その豪華は空中へと広がっていきながら、地面に立つ秋雅へと真っ直ぐに向かう。

 

 それに対し、秋雅は特に動揺する素振りも見せず、瞬時に『我は留まらず』を発動させ、その場から転移する。秋雅の正面、トラウィスカルパンテクートリから見て後方となる位置だ。

 

 その後、炎は秋雅がいた地面を舐めるように覆い尽くす。その後、炎が消え去った時には、特に燃えるようなものがなかったはずの大地が抉り取られるようにして消滅していた。

 

 古代アステカにおいて、金星からの光はあらゆる災いをもたらすものとされていた。それ故か、その金星の化身たるトラウィスカルパンテクートリは破壊神として恐れられており、激しく燃え盛る槍を投げつける姿で現されたという。この炎も、その破壊神としての力の一旦ということであろう。

 

「逃がさんぞ!」

 

 秋雅が回避をした事を認識し、トラウィスカルパンテクートリは振り返り槍を振るう。その動きに合わせ再び穂先から炎が出現し、転移直後の秋雅を焼き尽くさんとする。

 

「ええい、面倒な!」

 

 吐き捨てるように言いながら、秋雅は再び転移をする。炎の効果範囲が広すぎるため、『我は留まらず』による転移でないと回避が間に合わない。

 

「ちょこまかと!」

 

 トラウィスカルパンテクートリのほうもまた、秋雅の転移にあわせ槍を振り回す。その動きに従うように、まるで鞭のように炎がしなり、秋雅を執拗に狙う。それをまた秋雅が転移により回避し、またもやトラウィスカルパンテクートリが槍を振るう。

 

 

「そろそろこちらも、動かせてもらうぞ!」

 

 連続跳躍の後、秋雅がようやく動いた。十分に距離を取った事を確認して、秋雅は右手より雷を放つ。牽制としての一撃、それに対しトラウィスカルパンテクートリは穂先より炎を出して迎撃する。

 

「その程度の雷!」

 

 炎と雷による、一瞬の拮抗。敗れ去ったのは、雷の方であった。破壊の炎が、秋雅の雷を上回ったのである。仮にも破壊神が操る炎だ、本気で放った雷や権能そのものでもある『雷鎚』でもない限り、おそらくは容易く破られてしまうだろう。

 

「囮なんだよ!」

 

 しかしそれも、秋雅にとって織り込み済みのこと。攻撃ではなく、迎撃としてトラウィスカルパンテクートリが炎を放ったその隙に、秋雅は現実世界で見せたように、上空に雷雲を生み出す。

 

「落ちろ!」

 

 秋雅の号令と共に、雷雲より十数の雷が一度に落ちる。その落雷は真っ直ぐとトラウィスカルパンテクートリを目指し、まつろわぬ神を焼き尽くさんと轟音を鳴らす。

 

「むう!?」

 

 自らを目指す落雷に、トラウィスカルパンテクートリは咄嗟に槍を天に掲げる。そして穂先より横に広がるようにして炎が展開し、トラウィスカルパンテクートリを落雷から守る。

 

「そこだ――!」

 

 トラウィスカルパンテクートリが防御に炎と意識を向けたその隙を、秋雅は見逃さない。『我は留まらず』を発動し、無防備なその胴体に雷鎚を叩き込まんと腕を振り上げようとする。

 

 

 

 その瞬間、

 

「っ!?」

 

 思わず、秋雅の表情が驚愕に歪む。転移したと同時に感じた身も凍えそうなほどの冷気と、それに付随して突如鈍くなる身体の動き。何が、と秋雅は思わず疑問に思う。

 

 が、それも一瞬のこと。今自分がすべきことは何かと、秋雅は思うように動かない腕を振り下ろし、トラウィスカルパンテクートリを打ち砕かんとする。

 

 

 激突音が響き渡る。直撃した、と音だけを聞けば誰もがそう思っただろう。

 

「――なにっ!?」

 

 だが、一撃を与えたはずの秋雅が漏らしたのは、確かな驚きに満ちた声。何故ならば、彼の視線の先、雷鎚が当たったのはトラウィスカルパンテクートリの胴体ではなく、一枚の石版であった。雷鎚の一撃を受け、放射状に皹が入っているものの、しかしその等身大ほどの石版はトラウィスカルパンテクートリを秋雅より守らんと、両者の間に浮遊している。

 

「こいつは――」

 

 どういうことか、と秋雅の頭脳は理由を探ろうとする。

 

 

 しかし、当然ながら、そのような暇はない。未だ、秋雅の敵は健在であるのだから。

 

「神殺し!」

「っ!!」

 

 攻撃に反応したトラウィスカルパンテクートリの声に、秋雅は咄嗟に目の前の石版を蹴り、後方へと跳ぶ。直後、秋雅の眼前を槍の穂先が駆け抜けた。

 

「ちいっ!!」

 

 間一髪。ギリギリではあったものの、反撃を避けた。そのまま勢いのままに落ち、着地したタイミングでさらに後方へと大きく跳び退く。猿飛を併用した二度の跳躍により、どうにか秋雅は安全圏までの退避を完了させた。

 

「……今のは」

 

 大きく下がったことにより、ようやく秋雅に先の出来事について考える余裕が生まれた。追撃を受けぬように雷雲から連続して雷を降らせつつ、秋雅は思考の一部を推測へと回す。まず思い出すべきはトラウィスカルパンテクートリについて、どのような神であるのかという知識だ。

 

 

「確か――」

 

 曰く、トラウィスカルパンテクートリは、かつて誕生した太陽神トナティウが生贄を求めたことに対し腹を立て、その槍を放ったとされる。が、太陽によって槍を跳ね返されてしまい、自身の頭に槍が突き刺さってしまった。その瞬間より、イツラコリウキという神に転じてしまったという。そして、イツラコリウキが司るのは、石と寒気であるとされる。夜明け前の冷え込むのも、またこの神の仕業であるそうだ。

 

 

 

「――そういうことなのか?」

 

 そこまでを思い出したところで、秋雅は悩みつつもそう呟く。致し方のないことだが、専業魔術師と比べると秋雅の神話に関する知識はそう多くない。特にアステカ神話というあまりに自身とかかわりが薄いことに関しては、ほとんど知らないといっていい。だが、今回に関してはそれで十分であるようだった。

 

「たぶん、さっきの冷気と石版はイツラコリウキ由来のもの。身も凍えるほどの冷気は単純な物理現象に囚われず近づいた者の動きを鈍らせ、石は石版となって自身を守る、と。あの感じからすると石版は自動防御か? 今見えないのは必要時のみ転送されてくるのか、あるいはただ隠れているだけか。冷気の方も、常時展開の可能性が高いか。どっちもこっちに反応して展開した素振りはなかった」

 

 

 推測を進めるため、秋雅は思考をそのまま口に出していく。回避や牽制を行う必要もあるので、きっちりと思考の中のみで推理を収める事が難しいというのもあった。

 

「だとすると厄介だな。この感じだと遠距離は通し難いが、かといって近接もかなりの負荷がかかる。その上、最低でも一撃は防がれる可能性が高い。いや、二枚以上はないか? あるなら最初からそっちに防御を任せ、自分は攻撃に専念した方がいい。やはり非常時用の可能性が高い……か? 情報が足りないが、下手に突っ込むわけにも……」

 

 

 どうすればこの神を攻略できるか。その策を考えつつ、秋雅は回避を続ける。この間にも、トラウィスカルパンテクートリからの執拗な攻撃の手は決して止んでいないのだ。

 

「……とはいえ、このままじゃ事態は好転しない。幸い、トラウィスカルパンテクートリは破壊神で武神の類じゃない。近接能力はそこまで高くないはずだ」

 

 秋雅の見る限り、トラウィスカルパンテクートリの近接格闘能力はそう高くない。そうであるならば、先ほどのような場面でもっと早く反応するか、あるいはそもそもあのような隙は作らないと判断できるからだ。持っている武器が槍という、近接戦闘においてかなり強い武器である事がネックではあるが、使い手が達人でないのであれば、どうにか間合いの内側に入り込むことも不可能ではないだろう。

 

 

「――やってみるしかないか」

 

 確定情報は少なく、状況は良いとは言えない。だが、このままではジリ貧になってお仕舞いとなるのがオチだ。であれば、無理を通すより他にない。そう、秋雅は決心した。

 

「雷よ、我を育み、鍛えあげよ。雷よ、我にとって唯一無二の力となれ……!」

 

 秋雅の言葉と共に呪力が溢れ、バチバチと秋雅の全身で火花が散る。『実り、育み、食し、そして力となれ』を用いた身体強化だ。身体能力が低下させられるのであれば、それを踏まえた上でそれ以上に強化すればいい。単純だが分かりやすい手である。

 

「落ちよ、雷! 我が道を阻む敵を、その光でもって討ち滅ぼせ!」

 

 続けて唱えるのは、雷雲を強化するための『万砕の雷鎚』の聖句。それと共に秋雅の身体から再び呪力が迸り、頭上にある雷雲は敵に対し威嚇するかのように雷鳴を響かせる。

 

「何を企もうとも!」

 

 秋雅の動きを察知し、トラウィスカルパンテクートリは先んじて攻撃を放つ。何度となく見た、槍より放つ破壊の炎だ。

 

「どうかな!」

 

 それに対し、秋雅も『我は留まらず』を発動させ、転移する。場所はトラウィスカルパンテクートリ直下、つまりは真下だ。

 

「――くっ!」

 

 転移と同時、秋雅の身体を冷気が襲う。イツラコリウキの冷気、そしてそれに付随する身体能力低下の結界だ。今秋雅は地上におり、トラウィスカルパンテクートリは地上五メートルほどにいるので、その効果範囲は最低でも半径五メートルの球状。身体の周辺だけだろうと思っていた秋雅の予想よりも、はるかに大きい結界だ。

 

「だとしても、関係ないな!」

 

 叫び、秋雅の手に雷が満ちると同時、上空の雷雲もその身から雷光を放つ。天と地より、二つの雷がトラウィスカルパンテクートリを挟み込むようにして放たれる。

 

「小癪な!」

 

 同時、トラウィスカルパンテクートリは真下に、秋雅に向けて穂先を向ける。防御と攻撃、その二つを一度に行おうという魂胆だろう。トラウィスカルパンテクートリの炎であれば、雷を飲み込んで秋雅を焼き尽くすことも難しいことではないのだから。

 

 

 故に、その選択は秋雅にとっては読めていた。冷静に、取り乱すことなく、先に決めていた通りに秋雅は転移する。

 

「――そこ!」

 

 転移場所はトラウィスカルパンテクートリ右側面部すぐ傍、秋雅に対しどうやっても槍を振るう事が出来ないはずの位置だ。

 

 そこで、秋雅は雷鎚を振るう。冷気の影響は未だ受けているが、しかし『実り、育み、食し、そして力となれ』のおかげで身体能力自体は先のそれよりも上がっている。故に、身体能力の低下などものともせず、秋雅は雷鎚による攻撃を敢行する。

 

 同時、天と地、上下からの雷もトラウィスカルパンテクートリに迫る。下方は炎が、上と横の攻撃にも石版による防御が入るだろうが、しかしあれが一枚でありさえすればもう片方の攻撃は通る。

 

 

「くらえよ!!」

 

 三方よりの同時攻撃、先ほどの反応速度から見てもどれかは通るはず。その思いで、秋雅は雷鎚を振り下ろした。

 

「ぐ、がっ!?」

 

 苦痛の声。それを漏らしたのは、紛れもなくトラウィスカルパンテクートリであった。秋雅の雷鎚は石版によって止められ――皹から見て、おそらくは先ほどのものと同じであろう。今の一撃でさらに皹が広がっている――下方よりの逆向きの雷は炎に飲み込まれたものの、しかし直上よりの落雷は、狙いを違わずトラウィスカルパンテクートリの身体を捉えた。必殺、とはまでいかないにしても、その強力な雷はトラウィスカルパンテクートリに多大な痛手を負わせたと秋雅には見えた。

 

 

 

「――な、めるな!!」

 

 しかし、深手を負いはしたものの、トラウィスカルパンテクートリもまたさるものであった。怒りの叫びと同時、その全身を炎が包み込んだのだ。

 

「なっ!?」

 

 これには、秋雅も思わず驚いた。破壊の炎は槍のみから出ると、そのように考えていた事が原因である。まさか、トラウィスカルパンテクートリが自身を炎に包み、強引に秋雅を焼こうとするなどとは、流石に思考の範囲外であったのだ。

 

 そこから生まれてしまった、一瞬の空白。咄嗟に『我は留まらず』を使用し、転移こそしたものの、攻撃として前に突き出していた秋雅の右手は完全に炎に巻き込まれて、焼失してしまい、その手にあった雷鎚はそのまま――やはり、流石の破壊神の炎も、権能そのものとも言える『雷鎚』は破壊できなかったらしい――地面へと落下していく。

 

「くっ……!」

 

 転移後、秋雅は思わず膝をつく。しかし、すぐに失った右手を見せぬかのように左半身を前にして立ち上がり、敵を見据える。

 

「ぐ、ぬう……」

 

 秋雅の視線の先、トラウィスカルパンテクートリもまた地上に降りていた。先ほどの傷のせいか、あるいは再度の挟撃を受けないようにする為か。どちらとも知れないがしかし、トラウィスカルパンテクートリはここで初めて、秋雅を見下ろすのではなく、秋雅と同じ高さに立った。

 

「……やってくれたな、神殺しよ。この我が、かような手傷を負うとは思ってもみなかったぞ。だが、それは貴様も同じ。その腕ではもう同じことは出来まい」

「それは、どうかな」

 

 痛みを感じつつも、しかし秋雅は不敵な笑みを浮かべる。その事に、トラウィスカルパンテクートリは怪訝そうな声を上げる。

 

「我を侮っているのか? 如何な手傷を負っていようとも、片手を失いしものに劣るほど、このトラウィスカルパンテクートリは弱き存在ではないぞ」

「確かに、そうかもな。だが、お前は一つ勘違いをしている」

「何だと?」

「どうして、俺が片手を失っているなんて思っているんだってことだよ」

「むう……?」

 

 不審を露にするトラウィスカルパンテクートリに対し、秋雅は身体の正面を向ける。そして、

 

「――貴様、何故……!?」

「さあ、トラウィスカルパンテクートリよ」

 

 

 驚きの声を上げるトラウィスカルパンテクートリを真正面に捉えながら、その右手に(・・・)雷鎚を構え、秋雅は言い放つ。

 

 

 

「――決着をつけようか!!」

 

 

 




 たぶん次話で決着をつける、と思います。それに付随して現状で秋雅が持つ残りの権能も露になる予定。まだ名前を出していない二つのうち、一つは最後に使ったものです。ま、まだ底を見せていない権能もあるんですけどね……。






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翼持つ蛇、全てを滅ぼす雷槍

「シッ――!!」

 

 鋭く息を吐き出しつつ、秋雅が駆け出す。その身体から、自身を強化する雷光がバチバチという音と共に漏れ出す。一直線の軌道、同じ目線に降りてきたトラウィスカルパンテクートリ狙いの突撃だ。

 

「ぬうっ!」

 

 高速で迫る秋雅に、トラウィスカルパンテクートリはすかさず槍を向ける。不可思議や負傷はある。だが、それを強引に飲み込んで、神殺したる秋雅を討ち滅ぼすことを優先することを選択した。

 

「何であろうとも!」

 

 叫び、トラウィスカルパンテクートリは破壊の炎を秋雅に対し放つ。穂先より放たれたそれは真っ直ぐに、そして周囲に広がりながら秋雅を目指す。

 

「狙いは読めているぞ、神殺し!」

 

 トラウィスカルパンテクートリはまたもや、自身の身体を破壊の炎で包む。秋雅の不意打ちに対する備え、だけではない。炎はトラウィスカルパンテクートリの周囲を包むだけに飽き足らず、その勢いのままに天空へと昇っていく。狙いは上空にある雷雲、多少の自傷を糧に、秋雅の不意打ちの全てを防ごうという魂胆だ。

 

「これで――」

 

 炎が雷雲へと手を伸ばし、その姿を焼き尽くした所で、トラウィスカルパンテクートリは勝利を確信する。もはや、秋雅に打つ手はない。それを口に出そうとした、その瞬間、

 

「――なっ!?」

 

 正面、炎の壁を突き破って、何かが飛来してくる。それは真っ直ぐに、ただトラウィスカルパンテクートリを狙って向かってくる。秋雅が手に持っていた武器、『雷鎚』である、とトラウィスカルパンテクートリの視覚は捉えた。同時、破壊の炎すらも乗り越えてきたかの鎚を受けてはならない、と直感する。

 

「うおおおっ!!?」

 

 叫び、トラウィスカルパンテクートリはその身を捻る。炎を吐き出す槍を手放してでも、トラウィスカルパンテクートリはその雷鎚を強引に回避する。ギリギリであり、わずかに頭部を掠めはしたものの、結果として直撃を受けてはいない。

 

「苦し紛れ程度――」

 

 トラウィスカルパンテクートリの目に飛び込んできたのは、またしても不可解な光景だった。今しがた避けたはずの雷鎚が、何故か再びこちらへと迫ってきていたのだ。何故と思うよりも先に、トラウィスカルパンテクートリは悟る。これは避けられない、と。

 

 そうトラウィスカルパンテクートリが悟った瞬間、その眼前に石版が出現する。自身を攻撃より守る、イツラコリウキの石だ。

 

 

 激突音が響き、石版の皹がさらに広がっていく。だが、皹が広がりはしたものの、その身を砕くまでには至っていない。完全に防御した、そう判断できる。

 

「――ぐ、はっ!?」

 

 だが、トラウィスカルパンテクートリは確かな痛みを感じた。正面ではなく、背中に、である。

 

 身が打ち砕かれそうなほどの威力を持った、熱く激しい雷の衝撃。先ほど受けたものと同じ、いや、それ以上の威力の雷が、確かにあるはずの炎の壁を打ち破ってトラウィスカルパンテクートリにまで届いたのだ。

 

「ぐおおおおっ!!!」

 

 痛みにトラウィスカルパンテクートリは叫び、自分を守ってくれた石版を押しのけるようにして――その際に見れば、石版に雷鎚が刺さっていた。この所為で攻撃が続行中であると解釈され、背後への攻撃に反応しなかったのであろう――前に跳ぶ。そして、背後にいるであろう神殺しを視認するために、急ぎ振り向く。

 

「――そういう、ことか!」

 

 そこにあった秋雅の姿を見て、トラウィスカルパンテクートリはどうやって今も纏っている炎の壁を打ち破り、己に雷を当てたのかを悟る。

 

「神殺し! 貴様、己が肉体を盾にしたのか!?」

 

 その言葉に対し、左手がない(・・・・・)秋雅は不適に笑う。驚くべきことに、秋雅は自分の腕をわざと炎の中に突っ込み、腕が焼き消える前に最大威力の雷を放ったのだ。その方法であれば消えることなく雷が届くと、そのような算段の下に実行した、腕一本を代償とした捨て身の作戦――ではない。

 

「それなりに無茶がきく身体なんでね。痛みもろくに感じないほどに威力があったおかけでもあるが」

 

 言いながら、秋雅は無傷の左腕を見せる。確かに一瞬前まで失われたはずのそれが、突然に元に戻っている様を見て、トラウィスカルパンテクートリはすぐさまに声をあげる。

 

「それは蛇の――不死の、権能か!? 貴様は、蛇に連なる存在より、その不死性を奪ったのだな!!」

「流石に、気付くか。まあ、だからどうしたという話だが」

 

 かつて秋雅が倒したギリシャ神話に登場する不死なる蛇の怪物、エキドナより簒奪した権能。四肢を失うなどの重症を負った際に、その負傷を含めた全身を一瞬にして再生させる、脱皮という蛇の属性を現した権能の名を、秋雅は『古き衣を脱ぎ捨てよ(リプロダクション・ライク・ザ・スネーク)』と名づけている。

 

 その権能を、今回秋雅は使用したのである。正確には、基本的にオートで発動する権能であるので、使用したというよりは、それによるリカバーを前提とした策を組んだ、というほうが正しいか。攻撃を喰らうことには変わりないのであまり積極的には策に組み込まないことのほうがいいのだが、今回はそうする必要があったと判断したのだ。事実、そうしなければ、いかに避けられた雷槌と自身を『我は留まらず』で入れ替え、雷鎚の再度攻撃と後方よりの奇襲という策が通った所で、ろくに攻撃を通す事が出来なかったであろう。

 

 

 

 

 

 

「ぬう……っ」

 

 がくりと、トラウィスカルパンテクートリが膝をついた。既に身に纏っていた炎はない。二度の雷の直撃と自身を覆った炎のダメージに、いよいよ限界に近づいてきたのだろう。満身創痍、という言葉が相応しいように、秋雅には見えた。

 

「膝をつく、か。ならば、討たせてもらうぞ」

 

 そんなトラウィスカルパンテクートリに対して、秋雅の方はまだ余力があった。呪力こそかなりの量を消費しているが、肉体的な不調は一切ない。厄介な石版も雷鎚で足止め出来ている現状、雷なり徒手空拳なりでこのまま決着をつけることは十分に可能であろう。

 

「……討つ? この我を、貴様如きが討つだと?」

 

 勝敗は決した、と言わんばかりの秋雅の台詞に、トラウィスカルパンテクートリは呼び寄せた槍を杖に立ち上がり、秋雅を見る。仮面でその目を見ることは出来ないが、おそらくは憎々しげに睨みつけていることだろう。

 

「貴様のような、不遜にして傲慢なる神殺しが、このトラウィスカルパンテクートリを討つだと? そのような大言――許すものかあああああああああ!!!」

 

 叫びと共に、トラウィスカルパンテクートリの身体が膨張する。仮面は弾け、槍は吸収され、その身は段々と大きくなり、空へと昇っていく。巨大化し、変質したその姿を見て、秋雅は思わず呟く。

 

「翼を持った蛇……だと?」

 

 十数メートルはあろうかという長い体躯に、その身体より生える巨大なる両翼。アステカ神話において、そのような姿を持った神はたったの一柱のみ。アステカ神話における農耕、文化を司り、かなりの力を誇る高位の神。平和の神でもあり、後に金星に姿を変えたという伝承から、トラウィスカルパンテクートリを化身とするその神の名は――

 

 

 

「――ケツァルコアトル」

 

 

 十数メートル上空、その巨躯を悠然と揺らす翼持つ蛇を見上げながら、秋雅は驚きをもってその名を口にする。

 

「トラウィスカルパンテクートリがケツァルコアトルの化身であるという伝承から、逆にその姿をとったのか……なんと出鱈目な」

「神殺し! この姿をもって、貴様を滅してくれるわ!」

 

 吠えるようにして『蛇』はその口から炎を吐き出す。それを大きく後方に跳んで回避しながら、秋雅は仕方がないと呟く。

 

「やりたくはないが、あの巨体相手にはあれ(・・)を使う以外に手はなさそうだな。呪力は……まあどうにか足りるだろう。となると……」

 

 ちらり、と秋雅は公園の外、ビルが立ち並ぶ街並みのほうを見る。

 

「あっちに誘い込むか。やれやれ、外じゃなくて本当に良かったな」

 

 ぼやき、秋雅はビル群に向かって駆け出した。『我は留まらず』は使わず、強化された脚と跳躍を駆使し、秋雅は公園を出て走る。

 

「逃げるか、神殺し!」

 

 逃げる秋雅を、『蛇』が追う。幸いにも、その速度はそうたいしたものでもなく、巨体による圧迫感こそはあるものの、しかし秋雅は追いつかれることなく街中を走っていく。

 

「……炎以外撃ってこないという事は、見掛け倒しみたいだな。やはり、ケツァルコアトル自身じゃなきゃその程度ってことか」

「何処まで逃げるつもりだ、神殺しよ!」

 

 小さな秋雅の呟きが聞こえるはずもなく、攻撃もせず、ただただ背を向けて走る秋雅に気をよくし、『蛇』は嘲るようにして笑う。それにも特に反応することなく、秋雅はビル群の中、街道を駆けていく。それを数分ばかり続けたところで、秋雅はようやく足を止め、上空を振り向いた。

 

「……良い位置取り、だな」

「ようやく諦めたか! 大人しく我が裁きを受け入れよ!!」

 

 足を止めた秋雅に対し、『蛇』は大きな口を開けて炎を吐き出す。しかし、それが当たるよりも早く、秋雅は『我は留まらず』を発動し、『蛇』から数十メートルは遠かろうかという地点にまで転移する。

 

「まだ逃げるか!」

「さて、どうだろうな」

 

 聞こえない、と分かっていながら秋雅は口の端を軽く歪めて言う。それは結局秋雅の狙いを見抜く事が出来なかった、『蛇』に対する嘲りの声だった。

 

 

 そして、

 

「――さあ、決着の時だ!」

 

 バチバチと、秋雅の両の手の間に雷が迸る。溢れ出さんとするそれを抑えつけながら、まるで投擲を行うが如く、秋雅は雷光を掲げる。

 

「うおおおおおおおおっ!!!」

 

 叫びと共に、秋雅の身体より呪力が溢れ出す。それに比例して手の内にある雷光がさらに力を増し、一つの姿へとなっていく。その姿を一言で現すのであれば、

 

「雷の……槍?」

 

 秋雅の手にある雷を見て、戦くように『蛇』が言う。それに秘められし圧倒的な力に恐怖を覚えたのか、『蛇』は僅かに身じろぎをした後、その場から逃げようとする。

 

 だが、それは叶わない。その巨躯は周囲に立ち並ぶビルに阻まれ、ろくに身動きをとることもできない。上昇をするには時間が足りず、可能なのは前進をすることぐらいだ。

 

「まさか!? これを狙ってか?!」

 

 ことここに至ってようやく、『蛇』は秋雅が何故ここに走ったのか、その理由を悟る。誘い込まれてしまったのだと、後悔と共に『蛇』は理解した。

 

「この――神殺しがぁあああ!!!」

 

 

 

 『蛇』の口より、炎を纏った槍が秋雅めがけて吐き出される。その悪あがきにも等しい攻撃を認識しつつ、秋雅は聖句を唱える。

 

「――宇宙すらも破壊するケラウノスよ! 今こそ我が手に宿り、この世界の悉くを焼き尽くすがいい!」

 

 

 これこそ、多神教たるギリシャ神話において唯一神的な扱いを受けることもある、強大にして絶対的な力を持つ天空神ゼウスより、秋雅が死闘の末に簒奪した最強の雷。秋雅の身に宿った際に槍の姿を得たそれは、全ての敵を破滅させる絶対的な破壊の力。そのあまりに強大な威力から、最後の切札という立場を秋雅より位置づけられた、その権能の名は――

 

「これで――『終焉の雷霆(ジ・エンド)』だ!!」

 

 

 

 秋雅の手より放たれた雷槍は、上空に在る『蛇』を滅ぼさんと駆け、空を割る。途中、破壊の炎纏いし槍を飲み込み、消滅させながら、雷槍は『蛇』へと激突し、その光を解放する。

 

 

「まさか、まさかこの我が――!!?」

 

 『蛇』は、トラウィスカルパンテクートリは、信じられぬように叫びながら、その光に飲み込まれる。雷光は蛇を飲み込むに飽き足らず、周囲にあるビル群すらの飲み込み、際限なく広がっていく。

 

 

 

 ……一体どれ程の時間、その雷光は在り続けたのだろうか。それがようやくに収まった時、そこには何もなかった。まつろわぬ神も、立ち並ぶビルも、道も、何もかもがない。ゆうに数キロは円状に消滅し、残ったのは地面にある大きなクレーター状の穴だけだ。ぽっかりと、街の一部を丸く切り取ったかのように、そこには何も存在しなかった。

 

「相変わらず……馬鹿げた威力だ、な」

 

 その光景を、さらに数キロほど離れた地点から、秋雅は呆れるよう呟きながら見ていた。『終焉の雷霆』の使用後、残った呪力を『我は留まらず』に注ぎ込んでここまで移動して来たのだ。そうしなければ、かの雷光は秋雅すらも飲み込んでいただろう。威力もさることながら、発動後の見境の無さもまた、秋雅がこの権能を最後の切札として普段は絶対に使わないようにしている理由であった。

 

 

「は、あ。流石に、疲れた……」

 

 ぼんやりと背に感じる権能が増えた重みを感じながら、秋雅は傍にあった街路樹にもたれかかるようにして座り込む。正真正銘、呪力は空っぽ。戦闘が終わったことで張り詰めていた緊張の糸も切れ、もう一歩も歩く気力がない状態だった。

 

「朝まで、って言っておいたしなあ。このまま、寝てしまおうか……」

 

 身体に感じる疲れに、秋雅が呟く。SSIにまつろわぬ神討伐の知らせを一刻も早く伝えるべきなのは分かっていたが、身体が言う事を聞かない。万一を考えると、安全になったここを出るのもリスクがある。そんなことをつらつらと考えていると、段々と秋雅のまぶたが重くなってくる。思考に関係なく、秋雅の身体は休息を欲していた。抗えぬその欲求に、段々と秋雅の意識が闇に飲まれていっていく。

 

 

 

 

 

「……ああ、そうだ」

 

 そんな中、何かに気付いたかのように秋雅は呟く。

 

「そう言えば……ここで寝ると、彼女(・・)と会ってしまうんだった、なあ。あんまり、会いたくはないんだが…………まあ、仕方ない、か…………」

 

 

 最後にそう呟いて、秋雅の意識は完全に闇に飲まれるのであった。

 

 




 これで決着。次話でこの章は終わる予定です。




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冥府での会話と次への予感

 稲穂秋雅が誇る権能の一つ、『冥府への扉』は、自身と対象者を死者の世界たる『冥府』へと送る権能である。しかし、ここでいう『冥府』と、真実他者より『冥府』と呼ばれるに相応しい世界というのは、似てはいるものの実は全く違うものである。

 

 というのも、本来の冥府――区別をつけるために、秋雅などは『冥界』と呼ぶことが多い――があるのは、生と不死の境界、あるいはアストラル界などと呼ばれる世界であるからだ。

 

 アストラル界はそもそも、無数の独立した空間が寄り集まって出来た、不連続な階層の連なりの世界である。冥界もまた、そのいくつもある階層のうちの一部だ。そこには亡者と呼ぶべき住人や、死を司る者たちなどが住み、その地の神に従っている。また階層の一つ、ではなく、一部と述べたように、アストラル界には複数の冥界が存在している。それぞれの文化、それぞれの神話に基づいた――あるいは元となった――冥界が幾つもあり、それらの一つないし全てをまとめて『冥界』と呼称しているのだ。そのうちには秋雅がその主より権能と共に簒奪し、妖精王として君臨する場所もある。秋雅にとっては、そこがいわゆる『冥界』となるだろう。

 

 対し、『冥府』とは何か。一言で例えれば、本物の冥界の『模造品』という言葉がしっくり来るだろう。例えば世界の『色』であったり、『空気』であったり、『理』であったり。そういった構成要素はオリジナルに近く、しかしあちらと違い小さく、閉じた世界だ。『冥界』をこの現実世界とするならば、『冥府』は秋雅の手によって作られた、現実を模した積み木細工の世界と例えることも出来るかもしれない。

 

 そうであるので、所詮秋雅が作った『冥府』は、アストラル界とはつながりを持っていない。あくまで冥府は秋雅が作り出した、現実世界ともアストラル界ともまた違った空間であるからだ。

 

 しかし、直接的なつながりがないとはいえ、『冥府』が生と死の境界に近いというのも、また事実である。流石に『冥府』からアストラル世界に行くというのは無理があるものの、『声』を届かせる程度であれば、全く出来ないというわけでもない。

 

 だからであろうか。この冥府において眠るなどして意識を手放した時、しばしばあちら(・・・)から、とある真なる神に呼びかけられる事があった。

 

 

 

 

「――はあい、秋雅」

 

 気の抜けた女の声。それを耳にした秋雅は、面倒くさげに目を開ける。冥府とは違う、何処までも灰色一色な空間。そのような場所に自分がいるということを驚きもせず、秋雅は半眼で声の主を見やる。

 

「あ、起きた? お疲れ様、今日も頑張っていたわね。あたしも鼻が高いわ」

「……そうか」

「あら、気の無い返事。もう少し、会話に乗ってくれてもいいんじゃないかしら?」

 

 そう言って、プリプリと怒った仕草を見せたのは、一人の少女だ。何も考えずに見れば、十代半ばというぐらいの年月に見える。どちらかと言えば小柄で細身、所謂スレンダーと称される体型であるというのも、その印象を補強するであろう。

 

 しかし、不思議とその雰囲気と容姿は蠱惑的だ。可愛いと評するのが正しい童顔と体つきながら、しかし妙に『女』らしさのある少女。その名前を、秋雅はよく知っている。

 

「さして会いたいと思っていない相手との会話を楽しめるほど、私は八方美人的ではないということだ、パンドラ」

 

 パンドラ。真なる神にして、不死者エピメテウスの妻。人の身でありながら神を殺した者を真に神殺しへと、カンピオーネへと転生する大呪法を施す女。カンピオーネからしてみれば、支援者的な立ち位置にある存在。もっとも、それをありがたく思うか、それとも疎ましく思うかは、神殺しとなった人間ごとに異なるのだろうが。

 

「相変わらずねえ、秋雅。あたしもある意味では母親のようなものなんだから、もう少し気安い態度をとってもいいんじゃないかしら」

「生憎と、私が母と呼ぶ人はたったの一人だけだ。貴女ではないし、貴女であるはずがない。これ以上私を不快にさせるのであれば、私はこの場を即刻去るぞ」

「はいはい、怒らないの。まったく、あたしに対しては妙に怒りっぽいんだから」

 

 やれやれ、とパンドラは肩をすくめた。そんな彼女の態度に片眉を上げつつも、秋雅は口を開く。

 

「それで、今回は何故私を呼び出したのだ?」

「んー、特に何って理由があるわけじゃないんだけどね? ただ、久しぶりに貴方がこっちに来たから、ちょっと話でもしようかなって」

「はた迷惑な話だ」

「だってねえ。あの子と同じで秋雅もこっちの世界に来る事が出来るっていうのに、中々来てくれないんだもの。たまには子供と話したいと思うのは、母親として当然じゃないかしら?」

「母と認めた覚えはない、と言ったはずだが。それに、行く意味がない場所に行く気が起こる筈がないだろう」

 

 神殺しがパンドラに会う――あちらが声をかけられるようにする、と言ったほうが正しいかもしれないが――方法として、大別すると二種類の方法がある。一つ目は非常にギリギリなレベルで死に掛ける、あるいはその後の蘇生を前提としての死を受け入れることで、それにより生と死の境界に近づくこと。そして二つ目は、異界渡りの秘術を用いて、自らアストラル世界に足を踏み入れるというものだ。

 

 だが、前者はともかくとして――ともかくと言えるのは神殺しだけだが――後者の方法は中々に難易度が高い。そこらの魔術師に扱えるほど異界渡りの秘術は容易いものではないからだ。また、カンピオーネにはあまり関係がないが、只の人間が渡る場合は、アストラル界に身体を適応させるために、特別な霊薬を使う必要もある。

 

 ただし、これはあくまで、異界渡りを望むものが一般人である場合の話だ。例えば中国の神殺しである『羅濠教主』などは、その卓越した方術の腕前によりアストラル世界までの転移を可能としており、ジョン・プルートー・スミスに至っては、アストラル世界の支配者層より簒奪した『妖精王の帝冠』という権能を用いることで、かの地への行き来を自由に行っている。

 

 そして、秋雅もまた、その行き来を可能とした者の一人であった。ただし、前述した二人のように、単体での転移は出来ない。特殊な――しかし、それでもただの魔術師が行うのと比べると、かなり難易度の低い準備で事足りる――方法を用いることで異界渡りを可能としていた。それも全ては、『冥府への扉』の恩恵によるものである。これ単体ではアストラル世界への転移を行うことは出来ないが、それを補助し、転移を容易とする効果をかの権能が所持しているためだ。

 

 とは言え、あくまで可能であるというだけで、秋雅が実際に転移をしているということではない。秋雅の場合、他の王と比べてかなり平常時にやる事が多く、たかだが散策程度の為にアストラル世界を訪れている暇など無いからだ。

 

 一応、秋雅もハデスを弑逆した際に、その領地である『冥界』を継承し、妖精王の一人となっている。だから本来であればその地を訪れ、治める責務があるのだが、これに関しては――秋雅にしては珍しく、と言えるかも知れないが――放置している面がある。理由としては、『冥界』という地では存外王が出張るほどの問題も起きないし、居た所で亡者の嘆きの声や死に纏わるアストラル世界の住人たちの辛気臭い気配を四六時中味わうことになってしまうので、さしもの秋雅も放置しないとしんどいからであった。まあ一応、もしもあちらで問題が起こった場合には、すぐに駆けつけられるように準備はしているのだが。

 

 行くのに手間がかかり、行った後も手間がかかり、行ってしまうと手間がかかる。こうも面倒な条件が重なってしまえば、秋雅がさしてアストラル世界に行きたがらないのも当然の話であった。

 

「本当につれないわね。アタシと話した記憶を覚えておける、(・・・・・・・・・・・・・・・・ )数少ない神殺しだっていうのに」

「毒にも薬にもならない話を覚えたところでどうにもならん」

「……本当、つれないわ」

 

 やれやれと、パンドラはまたもや肩をすくめた。まるで聞き分けの悪い子供に対するようなその態度に、秋雅は更に不愉快そうに眉をひそめる。

 

「そう思うなら、せめて以前に話した最強の『鋼』とやらの詳しい情報でも話してもらいたいものだがな」

「それに関しては前にも言ったでしょう? あんまり詳しいことは言えないって」

「つまりは、そういうことだ」

 

 会話をする気などない、と言外に告げる秋雅に、パンドラは残念そうにため息を吐く。

 

「まったく、貴方ぐらいじゃないかしらね。私に対してここまで邪険に扱う神殺しは。まったく、本当に貴方は他の子と比べても例外的な存在よね」

 

 まあ、当然といえば当然だけど、とパンドラは意味ありげに笑う。

 

「貴方だけが自発的に神を討ったのではなく、まつろわぬ神によって神殺しにさせられた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)唯一の存在。そりゃ、変わり者になるのもおかしいことじゃないわ……もっとも、だからこそ、と思えるのもまた事実だけどね」

「……話はそれでお仕舞いか?」

 

 ならば、と秋雅は目を閉じた。すると、何処かに落ちる様な感覚と共に、秋雅の意識は闇に飲まれていく。

 

「まあ、いいわ。とにかく頑張りなさい、稲穂秋雅。貴方には期待しているんだからね」

 

 それが、稲穂秋雅に対しての、パンドラの見送りの言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん、相変わらずだったな」

 

 開口一番。目を開けてすぐに秋雅は呟いた。先ほどの夢で会った真なる神、パンドラに対する感想であった。

 

「期待している、ね。どこまで本当なのやら……」

 

 本来であれば、神殺しはパンドラと出会ったこと、及びその会話というものを現世に戻った時に覚えているということはない。彼女との会話を覚えておくには悟りを開くレベルでの魂の浄化が必須なのであるが、そもそも神殺しになるような者に悟りなど開けるはずがまず無いからである。

 

 しかし、何事にも例外があるように、秋雅はかの女神が発した言葉の一々を鮮明に覚えていた。やはりここでも、『冥界への扉』がそうなるように効力を発揮しているからである。この辺りも、スミスの『妖精王の帝冠』と同じくすることである。

 

 ただし、確かに秋雅はパンドラとの会話を覚えておく事が出来るのだが、それをどこでどうやって交わしたのかということまでは覚えておく事が出来ない。この辺りは、正規の方法であったわけではないというのと、権能の能力の限界ということであろう。

 

 厳密に言うと、最初は覚えているのだが、段々と忘れていってしまうのである。その為、『冥府』で就寝をする直前などでもない限り、そういえば、と思い出す事が出来ない。一応メモを残すなどをして記憶し続けるなどという事が出来ないわけでもないのだが、さして意味があるわけでもない――そんな事をしても会うときは会うし、会わないときは会わないからだ――ので、特に何をするでもなくそのまま放置をしているのが現状であった。

 

 

「……それにしても」

 

 ポツリ、と呟きながら、秋雅は目の前の光景に意識を向ける。見渡せば眠ってしまう前と同じ、破壊の跡が痛々しい赤黒い街の光景。その光景を何とも言えない表情でしばし見つめた後、がりがりと頭をかく。

 

「気にしても仕方がないよな、コイツばっかりは」

 

 ()でないだけマシだ、と口の中で転がしながら、秋雅は軽く背を伸ばす。地面に座り込んで寝るという中々に身体によくない真似をしたが、しかし彼の丈夫な肉体はそれに対しさしたる不満を見せない。むしろ呪力が完全に回復し、コンディションとしては上々であるとすら言えた。

 

「時間は……」

 

 秋雅が時計に目をやると、現在時刻は朝の四時ごろであった。夕刻に戦いが始まり、決着までに一時間ほどはかかったと考えると、八時間ほどは寝ていたであろうか。

 

「となると、どうするか」

 

 一応、SSIの人間には朝まで警戒を怠るなという指示を出しているので、少なくともまだ安否を気遣われる時間ではないだろう。ただ、おそらく現場の人間が決着についてやきもきしているであろうと考えると、すぐさまに報告をしてやるべきかもしれない。

 

「なら、考えるまでも無いな」

 

 無駄に不安を煽る趣味は秋雅にはない。さっさと報告し懸念を消し去ってやろうと思い、秋雅は今すぐに外に戻ることを決定し、そのまま行動に移す。

 

 

 

「ふむ」

 

 ぐるりと、辺りを見渡した秋雅は満足そうに頷く。戻ってきた現実世界の公園には、当然のことながらさしたる破壊の跡は見受けられない。唯一、中心部の地面にのみ貫通と皹の痕があるものの、この程度であればすぐにでも修繕可能だろう。

 

 今回も大きな被害を出すことなくまつろわぬ神の討伐を済ませる事が出来た。その事と、新たな権能が増えたことに秋雅が満足を覚えていると、ふと秋雅の携帯電話が震えた。

 

 懐から出して確認すると、メールの着信の知らせがあった。電波の遮断された『冥府』から戻ってきたことで、送られていたそれを受信したのだろう。

 

「……うん?」

 

 秋雅が確認すると、メールは三件届いていた。一件はウルからだったが、二件目と三件目は知らないアドレスだ。誰からだ、といぶかしむ秋雅であったが、件名を見て、ああ、と見当がついた。

 

「アリス殿と五月雨室長か」

 

 どちらも連絡先こそは教えたものの、メールを受け取るのは初めての相手だ。ただし、どのような用件かということは本文を見る前から見当がつく。

 

「まあ、とりあえずは後だ、な」

 

 面倒な事がおきそうだ。そんな予感を胸にしまいながら、今もここを見張っているだろう魔術師に状況を伝える為、秋雅は公園の外へと歩いていくのであった。

 

 




 これで今章はお仕舞いです。また閑話を一つ挟んだ後、四章を始めたいと思います。閑話の内容についてですが、現状考えているのは秋雅とアニーの会話、秋雅とスミスの会話、護堂とドニの会話、の三つです。このうちのいずれかを書こうと思っています。今のところ最有力は三番目で、ドニと秋雅の決闘周りについて書こうかと考えています。出来れば早めに投稿したいところですね。




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閑話 王の会合・其の三
雷の王と仮面の王






 夕刻も過ぎ、夜もそろそろかという時間。ロサンゼルス、そのうちでも特に上位とされるとある高級ホテル。その最上階にある一室に、稲穂秋雅の姿はあった。

 

「ふむ、悪くないな……」

 

 ワイングラスを傾け、その中で輝いている白き美酒を味わいながら、秋雅は一人呟く。

 

 その前に並べられているのは選りすぐられたとびっきりの美酒と、技巧を尽くして作られた最上の料理。それはまたもや一柱のまつろわぬ神を屠り、その足でふらりと立ち寄った神殺しを歓待するべく用意されたものであった。

 

「……さて」

 

 ひとしきり美味を味わった所で、秋雅はちらりと備え付けられた時計に目を向ける。

 

「そろそろか……」

 

 そこに表示されていた時刻に、秋雅は小さく呟く。そして、その数秒後、

 

「歓迎しよう、我が盟友よ」

 

 背後の大窓に向かって、秋雅は視線を動かすこともなく、平然と言葉を投げる。それが度が過ぎた独り言でないということは、次の瞬間に判明したことだ。

 

「――感謝する、我が盟友」

 

 その言葉と共に、突如として気配が現れた。窓を開け、室内に足を踏み入れたのは、黒いケープに身を包み、その顔を仮面で隠した怪人。

 

「このジョン・プルートー・スミス。盟友たる稲穂秋雅の呼びかけに応じ、参上した」

 

 ジョン・プルートー・スミス。『彼』こそが秋雅と同じ、この世に八人しかいない神殺しの一人。『ロサンゼルスの守護聖人』の名で呼ばれることもある、アメリカのカンピオーネ(チャンピオン)である。

 

「……ふむ、どうやら時間には間にあったようだな」

「ほう。君が時間を気にするとは、中々珍しい事を聞いたものだな」

「なに、たまに会う盟友の為の呼びかけとあらば、この私も時には時間を守ろうという気にもなるのだよ」

 

 そんなことを嘯きながら、スミスは秋雅の正面にあるソファに腰掛ける。纏っているケープを翻し、足を組んで座るその行動の一々は、常人が行えば失笑を買いそうなほどに芝居がかったものだ。しかし、この仮面の怪人が行うに当たっては、不思議とよく似合っていた。

 

「しかし、君が来るとは些か想定していなかった。てっきりアニーがここに来ると思っていたのだが」

 

 そのつもりで料理と酒を準備していたのだが、と秋雅は言う。実際、秋雅が面と向かっての会話の約束を取り付けたのはあくまでアニーであり、そのもう一つの人格であるスミスではなかったはずである。

 

 それに対し、仮面を被っているためにそのままで食事を取ることのないスミスは、肩をすくめるようにして答える。

 

「うむ、最初は彼女もそのつもりだったのだがね。ちょうど、少し前に私が『出る』必要があったのだ。それで、そのまま私がここに来たというわけだよ」

「《蝿の王》とやらか。手は足りているのか?」

「問題ない、と言っておこう。我が盟友の手を煩わせるほどでもないとな」

「……ふむ、ならばこれ以上は言うまい」

 

 スミスの言葉に、秋雅はあっさりと助力の提案を下げる。必要も無い状況で無理やりに横槍を入れるほど、秋雅は無作法な男ではない。これは己の戦であるとスミスが言う以上は、それを尊重するのが友人としての努めであろう。互いに、王としてある時は振る舞いを変えているという共通項をもっているためか、スミスと秋雅の間には確かな友情があった。

 

「それに、君には既に力を貸してもらっている。これ以上借り受ける気はないということでもある」

「ワシントンの一件か」

「そうだ。君のおかげでさしたる被害もなく事件は収束したと聞いた。流石、と言わせてもらおう」

「上手く要素がかみ合ったに過ぎんさ。それに、一応民間への被害は抑えたが、SSIの者達には負担をかけてしまった」

「そこまで気にする必要もあるまいと思うがね。我らが神殺しを使命とするように、彼らが我らのサポートをするのも使命なのだから」

「それは、分かってはいるつもりだがな」

 

 呟くように言って、秋雅はグラスに入っていたワインを飲み干す。そんな彼の態度に何を言うでもなく、そういえばとスミスが口を開く。

 

「最近、妖精王たちが君のことを口に出す事がある。君は人だけでなく神をたらしこむのも上手いようだな」

「人聞きの悪い事を言う」

 

 スミスの言葉に、秋雅はやや眉をひそめた。滅多にないアストラル界での探索において、妖精王と呼ばれる者達の幾人かと交流を持った事は事実であるが、しかし誑し込んだと言われる覚えは秋雅にはなかった。

 

「そうかね? 神々はともかくとして、稲穂秋雅が人たらしであることは、君も承知の上であると私は考えていたのだが」

「…………まあ、そうかもしれないな」

 

 からかうようにして放たれたスミスの言葉に、秋雅は沈黙の後に肯定する。確かに、交流を持った人間を自分の側に立たせるということに関しては、秋雅も理解している部分である。別段、意識的に何をしたというわけでもないのだが、不思議と妙な縁は出来るし、自分の下に人は集まってくる自覚はある。実際、以前にも人たらしであると言われた経験もあるのだ。元々、さして否定するような性質でもない。自分を客観視することも出来ぬほど、秋雅は子供ではない。

 

 ただ、秋雅にとってこの話題が、何となく続けたくは無いものでもあるのもまた事実だ。どうにも、褒められたり、それに類する行動を取られたりするのが苦手であるというのが、ある種における秋雅の弱点でもあるのだ。その為、やや強引ではあるが、秋雅は話題を変えようと口を開く。

 

「たらし、で思い出したが、先日『八人目』に会ったぞ」

「八人目か。確か、君と同じ日本人の少年であると聞いたが」

「ああ。草薙護堂という学生だ」

「どのような人物だった?」

「紛れも無く、我らと同類であると言えるだろうな」

 

 嘆息交じりに、秋雅は草薙護堂という王を評した。

 

「あれは、生粋の『負けず嫌い』の目だったよ。多少の倫理観も備えているようだったが、しかし勝利の為とあらば何を犠牲にしてでもそれを勝ち取りにいくだろうな」

「ふむ」

「致し方ないが、どうにも未熟だと私は判断した。時を、戦いを経た後、どう定まる(・・・)かまでは、流石に分からんがね」

 

 肩をすくめ、秋雅は空のままであったグラスにワインを注ぐ。

 

「それと、ついでに言えば、かの少年は間違いなく女誑しのきらいがあるようだ。最低でも、三人の少女を囲っているようであったからな」

「ほう、それはまた面白い」

「君ならば、そう言うだろうがな」

 

 アニーとは違い、今秋雅の目の前に座る仮面の王は、男子が多くの愛を語らう事を粋と思う者である。故に、草薙護堂がそうであると聞いて、その行いを否定しないということは秋雅にも予測できていた。

 

 それを否定する気はないが、しかし気に食わないものも感じているために、秋雅の口調にはやや棘がにじみ出ている。それを察したのだろう。おや、とスミスがわざとらしく首を傾げた。

 

「不満そうだな?」

「しっかりと理解した上で口説くのであれば文句は言わんがね。どうにも、囲いながらも自分への好意を否定するというのは正直気に入らんよ」

「それは、それは」

 

 秋雅の不満に対し、スミスはくつくつと笑う。どうやらこの粋人は、そのような状況もまた面白いと感じているようである。そこだけは相容れんな、とその笑いを聞きながら秋雅は心の内で思う。

 

「……まあ、その八人目がどうであれ、これもまた運命かもしれないな」

「運命?」

「ああ」

 

 何故そんな言葉が出てくるのか。不思議に思う秋雅に対し、スミスは、

 

「我らが義母、パンドラが言っていただろう? 君の故郷、極東の地には最強の《鋼》とやらが眠っていると」

「ああ」

 

 スミスと秋雅は共に、生と不死の境界で会うパンドラの言葉を覚えていられる、数少ない神殺しである。従って、かの女神が時折口に出す、絶対に負けてはならないと言う《鋼》のこともまた、この二人の間で時折話題に上る名前であった。

 

「かのパンドラが勝てと厳命する最強の《鋼》の英雄。それが眠るという日本に二人目の神殺しが誕生したのだから、どうにも運命じみたものを感じるとは思わないかね?」

「……ふむ」

 

 確かに、と秋雅は顎に手を当てる。

 

「そもそも同じ時代、同じ地に二人の神殺しが誕生するというのが稀だ。そう考えると、運命という言葉も頷ける部分がある」

「案外、君か彼なのかもしれないな。その、最強の《鋼》とやらと戦うのは」

「勘弁して欲しいものだが、そうも言っていられないかもしれないのがな……」

 

 面倒な、と秋雅は嘆息する。確かに、自分はカンピオーネであるのだから、使命に従ってまつろわぬ神を討つこと自体はいい。ただし、だからと言ってわざわざ『最強』とまで呼ばれる存在と戦いたいとまでは思っていない。そういうことは他の、戦闘欲にまみれた王たちに丸投げしたいというのが本音だ。

 

 ただ、そうした場合、その後の被害がどうなるかという話だ。実際に討てるかどうかはおいておくとして、秋雅が対応した場合が一番被害を少なく出来る可能性が高い。となれば、自分が動かなければならないだろうと、それなりに思ってしまうのが秋雅の性分であだ。

 

 因果な性格だ、と中々投げ出せない自分自身の真面目さに、秋雅はそう思わずにはいられなかった。

 

「まあ、君にはアルテミスの一件で借りがある。このジョン・プルートー・スミス、君に請われればその時は力となることを約束しよう」

「助かる言葉だ、我が盟友」

 

 さて、と話が一区切りもついたところで、スミスは徐に立ち上がる。

 

「そろそろ、私は去らせてもらうとしよう。今回はお招き頂きありがとう」

「こちらこそ、たいした歓待も出来ず失礼した」

 

 言いながら秋雅は立ち上がり、右手を差し出す。同じようにスミスもまた手を出し、二人は固い握手を交わす。

 

「では、失礼する」

「ああ」

 

 最後にそう言って、スミスは再び窓辺へと向かう。窓を開き、その身を外に出したと同時、その姿は唐突に消えうせる。如何なる術を使ったのか、もはやその姿を確認するとことはできない。

 

「……また会おう、ジョン・プルートー・スミス」

 

 向こうもまた、同じように自分の名を口に出している。

 

 そんな予感を感じながら、秋雅は盟友との再会の誓いを立てるのであった。

 

 




 予定を変更して、スミスと秋雅の話としました。割とその場で書いたので、あんまり中身はないですね。元々予定していたドニと護堂の話は思案の結果次に回します。その方が多分やりやすいと考え直したので。

 四章は以前に出てきた幽霊の女性をメインとして、前半ではまつろわぬ神と、後半では草薙護堂と戦う予定です。それに関連して、後半は特に護堂視点の話が増えると思います。戦う理由とその勝敗に関してはまあ、賛否も出るかもしれませんがご了承を。時系列としては、恵那の一件が起こる直前か直後のどちらか、書きながら考えます。




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第四章 軍神、そして同胞との戦
彼女の名前


「……思ったよりも、早く戻ってくることになったな」

 

 ロサンゼルスで一夜を過ごした翌日、秋雅は再びロンドンの地を訪れていた。前回の訪問からまだ一週間と経っていないうちから再度の訪問に、秋雅としても自分の行動に対し忙しないという評価を下さずにはいられない。さらに言えば、今回もまた目的地、待ち人が同じプリンセス・アリスであるというのが、それに輪をかけていると言えなくもない。

 

 特に今回は長居する予定もなく、用事が済めばすぐにでもインド経由で日本に戻ることになっているので、非常に忙しいスケジュールであろう。正直ここまで急ぐ必要は、実の所そうないのであるが、まあこの辺りは秋雅の性分が理由である。

 

「さて、事前に連絡は入れていたが……」

 

 空港を出たところで、秋雅はふむと周囲を見渡す。前回はこちらから訪れたが、今回に関しては向こうが招いた形になっているので、迎えを寄越してくれる、という手筈になっている。それらしいのはないかと、周囲を見渡してみると、見覚えのある顔が見つかった。

 

「ああ、あれか」

 

 頷いて、秋雅はそちらにゆっくりと歩いていく。すると向こうもまた秋雅の存在に気付いたようで、パタパタと小走りで秋雅の下に駆けて来た。

 

「――お久しぶりです、秋雅さん」

 

 そう言って頭を下げたのは、秋雅にとって前回の英国訪問の理由となった、幽霊の女性であった。ただ、何故か身に纏っているのはメイド服だ。デザインから察するに、プリンセス・アリスに仕える者たちが着ているものと同じそれであろうか、と秋雅は思う。

 

「ああ。ただ、久しぶり、というにはまだ時間が経っていないと思うが」

「あれ? そうですっけ?」

「一週間程度のはずだが」

 

 小首を傾げる彼女に対し、そう口には出すものの、しかし秋雅もまたやや自信なさげ口調であった。客観的に見て、別にそれが間違っているというわけではないのだが、前回英国を出立して以来極めて短いペースで各国を回ることになってしまい、秋雅の時間間隔に微妙な狂いが出ているのが理由である。

 

「そうですかね? ああ、でもお屋敷での生活が結構濃かったから、それでちょっと感覚が狂っていたのかもしれませんね……まあ、それはそれでいいです」

 

 えっとですね、と彼女は一つ咳払いをした後、秋雅を見つめて口を開く。

 

「改めて自己紹介をさせてもらいます。私の名前は草壁(くさかべ)紅葉(もみじ)、秋雅さんの二つ下の後輩……でした」

「……後輩?」

 

 はて、と秋雅が首を傾げる。明らかになった彼女の名前にも興味は当然あったが、それ以上に引っかかる言葉がある。

 

「その辺りはまあ、車内でってことで良いですか? ずっとここにいても、アリス様を待たせることになってしまいますし」

「……そうだな」

 

 疑問はある、が今ここで聞きだすよりはいいか、と秋雅も彼女の――紅葉の言葉に頷いてみせる。事実、先ほどから紅葉の格好の所為か、二人に対しそれなりに視線が集まっており、これ以上ここにいると面倒ごとが発生する可能性すらあった。

 

「じゃあ、こっちに来てください。アリス様が手配したお車がこっちに止められていますから。あ、運転手さんは別にいますから安心してくださいね。私が運転するとかじゃありませんから」

「だろうとは思っていたから問題ない……そういえば、死者の気配を制御できるようになったようだな」

「ああ、はい。流石に私の所為で周りの人が倒れていくとか洒落にならないんで、真っ先に制御方法を教えてもらいました。他にも簡単な魔術とか、ちょっとした『切札』とかも覚えたりしました」

「ほう」

「ついでに言うと、今着ているメイド服も私がイメージして出せるようにした奴です。実際に着替えたってわけじゃないですし、この場でドレスチェンジとかも出来ますよー」

「ふむ。君も色々と頑張ったようだな」

「その代わり、メイドとしての作法とかはあんまり覚える暇がなかったんですけどね……」

 

 などと言う事を話しながら、秋雅は紅葉の先導でその場から移動する。空港の裏手にある、おそらくは関係者用であろう人気のない駐車場についた所で、

 

「あ、あの車です」

 

 紅葉が指差した先にあったのは、気品の感じられる胴の長い一台の車。一般的に、リムジンと呼称されるであろうものであった。乗せる人間と目的地の関係から、アリスが準備した物であろう。

 

「お待ちしておりました、稲穂秋雅様」

 

 リムジンの傍らに立っていた、ぴしりと身なりを整えた男性が秋雅に対し深々と頭を下げる。まず間違いなく、この車の運転手を努めている者であろう。

 

「プリンセスの元までご案内させていただきます」

「うむ、よろしく頼む」

「お任せください」

 

 畏まる男性に対し、当然という態度を見せながら、秋雅は紅葉が開けたドアから車内へと入る。続いて、紅葉もまた車内に入った所で、男性も運転席に戻り、車を走らせ始める。

 

「何か飲みます? 色々と準備されているみたいですけれど」

 

 発車して早々、紅葉は車内に設置された小さな冷蔵庫らしきものを開け、中からワインなどを秋雅に示す。

 

「そうだな。ではその白ワインでも貰おうか。君も飲むか?」

「あー……遠慮しておきます。一応、私未成年なので」

「ああ、そういえばそうだったな」

 

 一旦保留としていたが、先ほど紅葉は秋雅の後輩であると言っていた。現在、秋雅が二十一に近い二十歳――名前通り、秋雅の誕生日は秋だ――であるので、それを踏まえると確かに彼女が未成年であるというのは分かりやすい話だ。

 

「ならば、その辺りのことを改めて話してもらおうか。そのために、わざわざ君は私の迎えについて来たのだろう?」

「ええ、まあ。秋雅さんはあんまり私生活の事を魔術関係者の前で話したくないって聞きましたんで、ここなら大丈夫かなと思いました」

 

 秋雅達がいる空間と運転席の間には仕切りがあり、互いの声は聞こえないようになっている。よほどの大声を出したり、あるいは大きなアクションを取ったりという事をしなければ、運転手に話の内容が伝わるということはまずないだろう。

 

「ではまず、君が私の後輩というのは、どういう意味かね?」

「まずはそこからですね。と言ってもそのまんまで、私が通っていた高校って、秋雅さんが通っていた花村高校なんですよ」

「ほう」

 

 確かに、その高校名は秋雅が通っていた母校のものだ。珍しい偶然もあるものだな、と秋雅は思っていると、紅葉はさらに驚くべき事を口にする。

 

「と言うか、まあ、さらに言うとですね。私、秋雅さんと会った事があります」

「……そうなのか?」

 

 言われ、秋雅は記憶を手繰る。しかし彼の高校生活において、彼女と会ったという記憶は特にない。はてと、首を傾げる彼の反応に、彼女は予想通りとばかりに頷く。

 

「覚えていないのも当然だと思います。会ったのは一回だけで、その時も特に会話をしたってわけじゃないですし」

「なら、どう会ったんだ?」

「あれです。秋雅さんの弟さんの稲穂君――じゃない、えーっと、幹春君とクラスメイトだったんです、私。まあ、一年の終わりに私は東京の高校に転校しちゃったんですけどね」

「……ほう」

 

 思いがけない名前が出てきたことに、秋雅の視線がやや鋭くなる。しかし、そんな秋雅の視線に気付いていないのか、紅葉は特に動じることなく説明を続ける。

 

「で、ですね。幹春君とか他のクラスメイトの子達と一緒に遊びにいく事が何度かあって、その時に偶然秋雅さんと会ったんです。まあ軽く挨拶を交わしたって程度で、たぶん私は名乗っていないと思いますけど」

「成る程」

 

 確かに、そのようなことは多々あったと秋雅は過去の記憶を思い出す。彼の弟である稲穂幹春はかなり社交的なほうで、友人を引き連れて遊ぶということがよくあり、その最中に偶然秋雅と会い、弟の友人に挨拶をしたという事が何度もあったのだ。どうやらそのうちの一つで、秋雅と紅葉も出会っていたらしい。

 

「ほぼ勘なんですけど、私が最初から秋雅さんの事を名前で呼んでいたのも、そのあたりが理由じゃないですかね。私にとって稲穂というのは幹春君のことであって、秋雅さんのことじゃなかったですから。その辺を無意識に覚えていたんじゃないかと思います」

「ふむ。ありえなくもない話だな」

 

 秋雅としては単に、距離感が近い性格であるのだろうと考えていたのだが、そういうことであるのならば納得できない話でもない。たぶん秋雅が最初に名乗った時も姓よりも名前の方を重視するように名乗ったはずであるから、それが印象に残っていたのかもしれない。

 

「それにしても、思い出してみると結構印象が変わるものですね。あの時と比べると今の秋雅さんって、何か近寄りがたい感じがします。やっぱり神殺しになるとそうなるものなのですかね」

 

 しみじみとそんな事を紅葉が言うが、これは中々に危険な発言と言えるかも知れない。秋雅に対し特に従順な者などが聞けば、不敬だと声を荒げる可能性がある発言だ。もっとも、秋雅自身は全くそんな事を気にしないし、むしろそれを宥める方なのだが。

 

「まあ……な」

 

 とは言え、今回ばかりはその秋雅も、やや表情を曇らせている。気分を害した、というわけではないのだが、しかし、素の自分を少しでも見せたことがあり、なおかつそのようなことを言った相手に対し、このまま王としての態度を続行していいものかと思ってしまったのである。

 

 一度は素の自分を見せた相手に、王として偉ぶった態度をとるというのも、何となく気恥ずかしいものがないこともない。無視できる範囲であるが、しかし、と思ってしまうのも事実。そういった問題に対し少しばかり思考をめぐらせた後、はあとため息をつき、改めて紅葉に顔を向ける。

 

「まあ、別にいいか。いい加減面倒だ」

「何がですか?」

「演じるのはやめた、ということだ。弟の友人であるし、一応は一度会ったこともある相手だ。たまにはこういう選択を取るのも悪くない」

 

 結局、秋雅は紅葉に対し、素の自分で接する方を選ぶことにした。実際、ウル達やアニー以外にも、魔術関係者で気安い会話を交わす相手は極少数だがいないわけではない。また一人、それが増えたということだと、秋雅はそう思うことにする。それに、いくら魔術関係者であるとはいえ、生粋の魔術師と比べればほとんど素人に近いのだから、まだ精神的にも妥協できるレベルではあるのだから。

 

 こうなるのであれば家に置いていた時からそうすれば良かったと思わないでもないが、まあ、その時点では知らないことばかりであるので、意味の無い思考だなと秋雅は切って捨てる。まあ、もしかしたら、委員会の調査次第ではすぐに分かったかもしれないと一瞬だけ思うものの、しかし、やはり写真一枚で、しかも途中で転校した少女の事を見つけ出せというのは、非常に難しい話だと思いなおす。本腰を入れる必要はないと命令していたのは秋雅自身であるし、この件で委員会に文句を言うのは大人げがなさすぎる。

 

 そういうわけで、不必要な思考は止めて、秋雅は今まさに纏っていた気配を散らし、普段のように、ただの稲穂秋雅として生活している時の雰囲気、口調に自らを戻す。

 

「というわけだ。君に対しては、普通どおり振舞うことにしよう。君の身柄を引き受けている以上、これから長い付き合いになる可能性もあることだしな。まあ、人前ではまた、王として振舞うからそのつもりで頼む」

「はあ」

 

 と、突然の秋雅の変貌に呆然とする紅葉であったが、

 

「……まあ、よく分からないですけど、分かりました」

 

 どういう形かは分からないが、自分の中で折り合いをつけたのだろう。紅葉は真剣な面持ちを浮かべ、秋雅に対し頷きを返す。きっちりと理解しているわけではないのだろうが、しかし秋雅が大変珍しい選択を取ったということは察しているようであった。

 

「とりあえず、秋雅さんのそういう雰囲気とかを黙っていれば良いってことですよね?」

「そんな感じだ。まあ、面倒だろうがよろしく頼むよ」

「命の恩人、ってのは変ですけど、まあとにかく恩人の頼みですからね。大抵のことは了承させてもらいますよ」

「ありがたい……じゃあ、そろそろ話を戻そうか」

 

 真剣さは変わらず、しかし表情を僅かに柔らかくしながら、秋雅は紅葉に話の続きを促す。

 

「そうですね。と言っても、私のほうから言っておきたかったことは一先ずこれだけなんですけど」

「じゃあこっちから聞くが、君は自分の死因などは覚えているか?」

「いえ、それがさっぱり。大学入学の為に戻ってきた、って所までは思い出したんですが、そこからどうして死んじゃったのかまでは思い出せないんですよね」

「戻ってきた、ということは、福岡に?」

「ええ」

 

 秋雅の質問に対し、紅葉は自分が入学する予定だった大学の名前を告げる。奇しくもそれは、現在秋雅の弟である稲穂幹春が通っている大学の名前であった。

 

「ああ、それなら幹春が今通っている大学だな」

「あら、そうだったんですか? ああでも、あのあたりで一番近い大学はあそこですし、そこまで不思議でもないですね。じゃあ、ちゃんと通えていれば彼と再会する可能性もあったんですかね」

「む。その言い方だと、入学前に亡くなったのか?」

「多分そうじゃないかと。通った記憶は全くないですからね。まだ思い出せていないだけかもしれませんけど、それだったら私も高校じゃなくてそっちに化けて出るんじゃないかって思いますし」

「一年しかいなかった高校も大差ないと思うんだが、違うのか?」

「んー……私の中では結構違いますね。正直、小中学時代や東京でのものを比べても、花村高校での一年が一番楽しかったですから」

「ふむ、そういうものか。想いが残っていた、という意味では自宅に化けて出るのが自然な気もするが」

「ああ、それはないかと」

「うん? それはどういう――」

 

 秋雅の疑問に対し、突如紅葉の口調が冷たくなる。明確な否定の雰囲気に、一体どうしたのかと秋雅は不審そうに眉をひそめるものの、

 

「――あ、もう時間みたいですね」

「ん……ああ。そうみたいだな」

 

 目的地であるアリス邸が見えてきたことにより、その場での追求は、そのまま棚上げとなってしまうのであった。

 

 



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王を求めるのは誰か





 

「――真意を聞かせてもらおうか、アリス殿」

 

 開口一番、稲穂秋雅は目の前に座る美女にそう問いかけた。

 

 平生であれば、まずは出されたお茶でも一口味わい、多少なりの世間話を挟んでから本題を口にする秋雅であったが、今回はそんな前置きをするでもなく、示された席に座って早々の問いかけだった。

 

「突然ですね、稲穂様。それほどまでにお急ぎにならずとも良いでしょうに」

 

 対し、秋雅の前に座る美女――アリスの方はというと、秋雅の問いかけに対しニッコリと微笑みを返す。王の詰問であるというのに常の余裕を崩さぬというのは、流石の胆力であると賞賛すべきであろうか。

 

 しかし、当然のことながら、秋雅がそれに対し感心の声をあげるような真似はしない。むしろ、不愉快そうに眉をひそめるのみだ。

 

「……現状、あまり長々と無駄な前提話をする気がないのでな。それほどまでに、貴女が正史編纂委員会に送ったメッセージは衝撃的ということだ」

「あら? 正史編纂委員会の方々はともかくとしても、稲穂様がそのような反応をされるとは、少々意外ですわね」

「茶化さないでもらいたいが。私が聞きたいのは、あくまで貴女の真意だ」

「真意、と稲穂様は仰いますけれど、特段私に、秘めた思惑などありませんわ」

 

 秋雅の問いかけを微笑と共に躱すアリスに、秋雅は心の中で舌打ちをする。確かに彼女は秋雅に対し恩義を感じている風ではあったのだが、そう考えているとはまるで思えない態度である。今回の件についてはあくまで私事のことである、と切り離して考えているらしい。流石は一組織を束ねる立場にあった人間だ、という感想が秋雅の胸に浮かぶ。

 

 秋雅もこの六年ほどでそれなりに揉まれ、鍛え上げられているものの、しかし『生粋』と比べると流石に分が悪い。以前の会合においては秋雅が切札を切りまくったからこそ主導権を握っていたが、今回はそうではない。現状、その道の人間に対し感情を読まれぬようにすることぐらいならば出来なくもないが、逆に読み返すような真似は中々難しい。策士同士の腹の探りあいを行うには、まだまだ稲穂秋雅は未熟であった。

 

 一応、このまま続けても最終的には質問に答えるだろうが、どうにも長々とかかりそうだし、何より些か癪に障る。(・・・・ )そう考えた末、秋雅は少し攻め方を変えることにする。

 

「……質問を変えようか。貴女の、(・・・ )ではなく、そちらの、(・・・・ )真意を聞かせてもらおう」

 

 そもそも前提条件が違っていた、という可能性を鑑みて、秋雅は改めてそう告げる。プリンセス・アリスの、ではなく、賢人議会がそう決めた、ということであるからこその、こののらりくらりとした対応なのではないだろうかと、そのように考えたのだ。そうであるのならば、彼女が生身ではなく霊体で姿を現していることにも、あくまで賢人議会の特別顧問として対応しているのであると、そんな意図があるように感じられるというのもまたそう考えた理由だ。

 

 

「賢人議会の思惑、ですか。それでしたら、答えないというわけには行きませんわね」

 

 それに対しアリスは、先ほどまではなんだったかと言わんばかりにその態度を一変させた。予想通りか、とその変転に対し秋雅は思いつつも、どうにも試されたという感も覚えてしまう。

 

 しかしすぐに、まあいいかと納得することにした。そもそも、件のメッセージの事を考えると、自分の事を試そうという気になるのもまま分からない話でも無い。

 

 と、いうのも、だ。

 

「では、聞かせてもらおうか。先日、正史編纂委員会に届けられた賢人議会からのメッセージ――稲穂秋雅を賓客として迎え入れたい(・・・・・・・・・・・・・・・・)とは、どのような意図であるのかと」

 

 そう言って睨む秋雅に対し、アリスは悠然と微笑んだ。

 

 

 

 

 

 正史編纂委員会において、しばしば各支部の室長を招集して会議が行われることがある。それ自体はさして特別なことではなく、定期的に開かれているものだ。もっとも、どの支部も相応に忙しいので、毎度毎度全員が集まるというわけではなく、欠席や代理が出席する事がよくある。

 

 そんな中、先日開かれた会議においては、珍しく全員が出席するという運びになった。その時の議題が、最近問題となっている、稲穂秋雅及び草薙護堂に対する委員会としての対応如何をどうするか、というものであったのかというのがその理由の一端でもあるかもしれない。まあ、それ自体はおかしなことではない。だが、まるでその召集を見越したかのように、当日、正史編纂委員会に対し、賢人議会より一つのメッセージが届けられた。

 

 ――カンピオーネ、稲穂秋雅を迎え入れる用意がある。

 

 それが、賢人議会より伝えられた、正史編纂委員会に対するメッセージの内容だ。明らかにタイミングを見計らって届けられたメッセージに対し、当然委員会の面々は賢人議会に対しその意図が如何なものであるのかということを思案する。

 

 委員会が仰ぐ王を鞍替えすることも考えている事を知られたのではないか。あるいはこれを元に委員会を割ろうとしているのか。いや、そもそもどうして賢人議会がカンピオーネに対し玉座を準備するのか。もしや、稲穂秋雅と賢人議会は何かを企んでいるのではないか。

 

 喧々囂々と、様々な意見や暴論が飛び交った。しかし、これと確信をもてるような意見が出ることは終ぞなく、とうとうその日の会議は終了する運びとなった。ただ、これを二人の王に知らせる必要はない、という結論だけを残して。

 

 そして、その結論を――ある種当然のように――無視し、福岡分室室長である五月雨が、事の次第を急ぎ秋雅に伝えたことで、今この現状に至っている。

 

 

「最初に断っておきますけれど、この件に関して私はそれほど関わっていません。あくまで現賢人議会の決定であるという事を念頭に置いていただきたいですわね」

「それは分かる。だからこそ、貴女は個人として私の質問に答えようとしなかった」

「そういうことになりますわね。もっとも、私自身はあのメッセージに対し不満を持っている、というわけでもありません。消極的肯定、といったところでしょうか」

「貴女が賛成の立場にあろうが、その逆であろうが、私としてはどちらでもいい。結局の所、重要なのは賢人議会の思惑だ」

「ええ、その通りですわね。とはいっても、稲穂様や日本の魔術師たちが警戒するほど、裏の意味があるというわけでもありません。文字通り、稲穂様を私どもの主として迎え入れる用意があると、そういう意味です」

「それだけでも、中々に警戒すべき言葉だと思うがな。しかも、タイミングがタイミングだ」

「だからこそ、のタイミングということですわ」

「……成る程な」

 

 多少鎌をかけてみたが、やはり賢人議会は正史編纂委員会内部での騒動について知っていたようだと、秋雅は内心舌を巻く。この辺り、流石の情報収集力であると褒めるべきだろう。

 

「しかし、そうだとしても何故賢人議会は私を欲する? 君達はそもそも、カンピオーネの危険性を世間に知らしめるのが存在理由であったはず」

「それはあくまで存在理由の一つでしかありませんわ。本来の目的は、神及び神殺しが絡む有事に率先して対応すること。それがさして表立って他に見せてこられなかったのは、ひとえに我らに『力』がなかったからです。神や神殺しに勝るには、やはり同種の力が必要です」

「その力を、私を主とすることで得ようということか?」

 

 矛盾している、と秋雅は言う。

 

「私もまた、世に騒乱を引き起こす神殺しの一人であるというのに、それを取り込もうとうする。賢人議会の存在意義と些か矛盾があるのではないか?」

「そうでしょうか? 私には、いえ、我らには貴方が世に騒乱を招く王にはとても見えません。貴方はあまりにも、『例外』的過ぎます」

「例外、ね」

 

 度々、『稲穂秋雅』を表現する時に使われる表現だ、と秋雅は嗤う。どうにも、世の魔術師達という者は、ことにつけ自分を他の王とは違う、と思いたいらしい。秋雅からすれば、それはあくまで『運が良かった』というだけであって、一皮剥けば同じであるというのに。

 

「不敬を承知で申し上げますが、稲穂様がどう思っていらっしゃるかというのは、正直な所我らにとってはどうでもいいことです。我らがそうだと信じており、事実稲穂様も、結果的にはそのような行動を取っている以上、そこに稲穂様の真意というのはあまりかかわってきません」

「そうしておいて、いざとなれば暴虐の限りを尽くす、とは思わないと?」

「その手の質問をしておいて、いざそれを実行する者はまずいませんから」

 

 にっこりと、アリスは秋雅に対し微笑みかけると秋雅は顔をしかめ、軽く舌打ちをする。秋雅自身、とっくに分かっていたことではあるが、やはり真っ当な交渉ごとにおいては稲穂秋雅ではプリンセス・アリスには及ばないようだ。

 

「何にせよ、我らは、稲穂様は理不尽な暴力を振るうことなく、尚且つ、他のカンピオーネの方々に十分対応できる存在であると、そのように認識しています。故に、賢人議会は内部分裂の可能性すらある正史編纂委員会に対し、稲穂秋雅様を客賓として迎える用意があるというメッセージを送った――――と、いうのが表向きの理由です」

「……何だと?」

 

 どういうことだ、と怪訝な表情を浮かべる秋雅に対し、アリスは軽く頭を下げる。

 

「申し訳ありません、少し嘘をつきました。裏の真意、というほどのものでもありませんが、表だけではない理由がもう一つあるのです」

「それは?」

 

 何だ、と秋雅はアリスに対し問いかける。それに対し、アリスは苦笑しながら告げた。

 

「……離反対策、です」

「は?」

「ですから、稲穂様の下に賢人議会の構成員が勝手に向かってしまわぬように、先んじて稲穂様を取り込もうとしたのです」

 

 何だそれは、と秋雅は呆気にとられる。そんな彼の動揺等知らぬように、アリスは苦笑を浮かべたままに続ける。

 

「稲穂様方がどう思っていらっしゃるかは分かりませんが、正史編纂委員会内の問題というものは、案外知られています。話は変わりますが稲穂様、その噂を聞いたものはどう考えると思いますか?」

「…………委員会の内部分裂、あるいは」

 

 一拍の後、

 

「私が、自分の結社を作る、と考えるのではないか?」

「仰るとおりです」

 

 故に、とアリスは言う。

 

「その、新たに稲穂様が作る結社に入りたい、と思う者は多い。賢人議会内、そしてそれ以外の結社にも多く」

「馬鹿な。そんな事があるはずもない」

「……前から思っていましたが、稲穂様は自身の求心力というものに対し、些か評価が低くありませんか? 稲穂様が思っていらっしゃるよりも御身の求心力は高く、そして強い。神に等しい力を振るいながら、しかしその対象は常に敵にのみ向いている。その上、民草には目を向け、気を配っていらっしゃる。稲穂様とお会いした者全てが貴方に心酔する――とまでは流石に申しませんが、しかしそれに近い事が起こりうるというのが、客観的な事実なのですよ」

「……どうかな」

「まあ、これも、極論すれば稲穂様の自覚その物はどうでもいい話です。重要なのは、貴方が結社を作れば、それに惹かれていく者は多いということ。ただでさえ賢人議会は戦闘要員が少ない組織です。その数少ない人材まで貴方に持っていかれる可能性があるのは困る、と議会の者達は考えたのです」

「私の求心力云々はさておくとして、それが事実であると仮定すると、成る程、君達は私を招きたいだろうな。上手く行けば、私目当てにより多くの人材が入ってくることになる。それこそ、各結社において実力者と認められている人間が、だ」

「ええ、その通りです」

 

 強かだな、と秋雅が呟くと、恐れ入ります、とアリスは微笑みを浮かべる。それを見ると、本人の言葉の通りではなく、この一件に関し多少なりともこの女性が後押しをしたのではないか、という考えが秋雅の頭に浮かぶ。もっとも、だからどうしたという話なのだが。

 

「……まあ、いい。とりあえず、そちらの思惑は十分に聞かせてもらった。その上での結論だが――現状、私は日本を離れる気はない」

「理由をお尋ねしても?」

「生まれた土地に愛着を持つのは当然だろう? 草薙護堂との関係如何でもあるが、しかし現状、私は国を離れる気も、委員会を割る気も、ましてや自分の結社を作る気も無い。そう、疑心暗鬼を生じさせている者に伝えておくといい」

「分かりました……まあ、予想はしていましたが」

 

 無念そうに、アリスはため息をつく。

 

「新結社云々はともかくとして、正直私個人としては、稲穂様が英国に居を移すことはないだろうと思っていました。何せ、この地には『彼』の結社がありますから」

 

 言うまでもなくそれは、稲穂秋雅がカンピオーネの中でも唯一、敵対関係を露にしているアレクサンドル・ガスコインのことである。確かに、彼がいる限り秋雅がこの地に拠点を移すことはないだろう。それこそ、アレクサンドルを排除でもしない限り考えにくいことである。

 

「そう思っているのなら、最初からそう言っておけば良いものを」

「言っても疑念を拭いきれないのが人間というものです」

「まったくだな」

 

 はあ、と二人揃ってため息をつく。

 

「……ところでアリス殿。話は変わるが、一つ頼みごとをしたい」

 

 話も一段落ついた所で、そう秋雅はアリスに言った。あちらが正史編纂委員会のことも踏まえた、いわば公的な訪問理由であれば、こちらは秋雅の個人的な頼みごとだ。

 

「何でしょうか?」

「草薙護堂に関して、貴方たちが所持している情報の全てを知りたい。特に、彼が所持する権能についての詳しい情報が」

「それでしたら、これをどうぞ」

 

 突如、アリスの手の中にUSBメモリが出現する。『召喚』の魔術辺りを用いて何処かから転送したのであろう。差し出されたそれに対し、秋雅は『我は留まらず』を発動させ、自分の手の中に移し、見やる。

 

「これは?」

「稲穂様を除いた、他の七人のカンピオーネ全員に関する資料が入っています。現在、賢人議会が知りうる全ての情報です」

「……感謝する」

 

 指でUSBを回し、そのまま懐の中に放り込んだ後、秋雅は立ち上がる。

 

「もうお帰りでしょうか?」

「何かと立て込んでいてな。ああ、紅葉は連れて帰るが、構わないな?」

「ええ。彼女にはいつでもまた来ていいと言っていますから。彼女、中々に面白い逸材ですし」

「貴女のお眼鏡に叶ったか。後で聞く事が増えたようだな」

「きっと稲穂様も気に入ると思いますわ」

「期待しておこうか」

 

 そう言って、部屋の外に出ようとする秋雅であったが、

 

「……ああ、そうだ」

 

 ふと足を止め、振り返る。

 

「一つ、貴女に、貴女達に言っておきたい事がある」

「何でしょうか?」

「万一のことであると思うが――」

 

 そこで言葉を切り、鋭い目つきをアリスに向け、

 

「――警告しておく。下らぬ思考飛躍から、まかり間違って私の家族に手を出す、などという愚考を取ろうなどとでも考えた時は――それが何であっても確実に潰す」

 

 殺気を込め、秋雅はそう告げる。それをアリスは、表面上は平然と受け止めて頭を下げる。

 

「……肝に銘じておきますわ」

 

 しばし、そのまま二人は体勢を崩さない。たっぷり一分ほどそれを続けた後、ようやく秋雅は発していた殺気を霧散させる。

 

「……またな、アリス殿。今度は身体の調子を聞きにでも来る」

「ええ、またお会いしましょう」

 

 優雅に頭を下げるアリスに後ろ手を振りながら、秋雅は部屋を出る。

 

「……あ、終わりました?」

 

 部屋を出た秋雅に声をかけたのは、メイド服姿になっている紅葉だった。彼女は秋雅の姿を確認すると同時、その姿を普段着に変える。

 

「そちらも、終わったようだな」

「ええ。まあ、元々挨拶周りは済ませておきましたし」

「そうか。では、行くぞ」

「はい」

 

 玄関に向け歩き出す秋雅の後ろを、紅葉が追いかける。そのまま、そう言えば、と紅葉が秋雅に訪ねる。

 

「秋雅さん、今度はどこに行くんですか?」

「一旦インドを経由し、私のスタッフを回収した後、日本に帰国する。その後、君の死の理由を本格的に探るつもりだ。異論は?」

「ありません。どこまでもお供させてもらいます、なんて」

 

 てへ、と笑う紅葉を視界端に収めつつ、秋雅は正面を向いて言う。

 

「では、ついて来い。君が私を必要としなくなるその時まで」

「はい。心より頼りにしています、秋雅さん」

 

 そのような会話を交わしつつ、二人は歩く。茶化すように、しかし真剣に結ばれた、二人の主従関係。この二人の関係がいつまで続くのか。それはただ、神のみぞ知ることであった。

 







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秋雅が語る古き王たち






「……何と言うか、凄いですね」

「ん?」

 

 紅葉の感心したような一言に、秋雅はパソコンの画面に向けていた視線を彼女の方へと向ける。すると、訓練とやらで実体化を解いて空中にぷかぷかと浮いている紅葉が、辺りをざっと見渡しながら、

 

「いや、だってこの飛行機って秋雅さんが命令したから貸切になっているんですよね? そう思うと稲穂さんって凄いんだなって」

「ああ、そういうことか」

 

 紅葉の言葉に苦笑しながら、同じく秋雅もまた辺りを見渡す。

 

 広い空間にたった数席の椅子。そこかしこに装飾が施され、まるで高級ホテルのようにも見える室内であるが、しかしここはれっきとした飛行機の中だ。秋雅が命じたことによって手配された、ただ彼と、彼の同行者のみを運ぶ為に準備された移動手段であった。

 

「普段だったらこんな無駄なことはそうやらないんだがな。アメリカ発、英国、インド経由、日本行きとなると、一々チケットを準備するのが面倒だったし、何より彼女らが、な」

「人嫌いなんですよね? 秋雅のスタッフさんたちって。確か、ノルニルさんたち、でしたっけ?」

「ああ。まあ、多少は取り繕うことは出来るはずだから、君が不快に思わないようにはさせるさ」

「あんまり気にしなくても良いんですけどねー。私、所謂新参者ですし」

「まあ、それはそうなんだが……」

 

 ところで、と紅葉は秋雅の顔を覗き込みながら言う。

 

「凄いついでに聞きたいんですけど、いいですかね?」

「質問にもよるが、何だ?」

「結局、神殺し――カンピオーネってどういう人たちなんですか?」

「うん?」

「いえ、神様を殺して力を得た人たちって事は聞いたんですけど、具体的にはどういうことなのかは聞きそびれちゃって。秋雅さんに直接聞くってのも変な話ですけど、知らないままよりは良いかなと思いまして」

「ああ、そういうことか」

 

 そうだな、と秋雅は腕を組む。

 

「確かに、知っておいたほうがいいか。ざっとだが話しておこう」

「お願いします」

「とりあえず、神殺しの定義はさっき君が言った通りだ。人の身でまつろわぬ神を殺すという所業を成し遂げた者が、まあとある神の思惑の元、神殺しという存在になる」

「とある神?」

「その辺りはそのうちな」

 

 勿論それはパンドラのことであるのだが、そこを掘り下げるのは面倒だと秋雅は説明を端折る。紅葉も、秋雅がそう言うなら、と頷いて終わる。

 

「神殺し、まあここからカンピオーネで統一するが、カンピオーネとなると身体の構造すら常人と異なった物になる。人間離れした生命力と回復力に、下手な金属よりも硬い骨格、並みの魔術師の数百人分にも匹敵する呪力と、さらには獣じみた直観力といったものを得る。ついで言えば暗視能力や高い言語習得能力なんかも特徴の一つだな」

「分かりやすく人間超えていますね、それ」

「これにそれぞれが倒した神より簒奪した権能が加わるからな。人間では歯が立たんといっていい」

「権能というのは、確か神様が持つ力のことですよね?」

「ああ。カンピオーネが神を討伐した時、神が持っていた力の一部をカンピオーネは得る。まあ、人の身に押し込む都合か、大抵は元のそれと比べて威力が低かったり、限定的だったりするが」

「具体的にどういったものがあるんですか?」

「これ、と決まった物があるわけじゃない。雷神を滅ぼせば雷に関係した、風神を滅ぼせば風に関係した権能を、といったのが基本だな。まあ、ちょっと変化球じみた権能になることもあるが」

 

 秋雅で例えれば『万砕の雷鎚』は結構分かりやすく権能化しているが、『冥府への扉』などはやや捻っていると言えるだろうか。

 

「そういうものですか」

「そういうものだ。で、そんな力を持っているカンピオーネには一つの義務がある。それは、まつろわぬ神が現れた場合、人類代表として戦うこと、だ。それを成すのであれば何をしても許される」

「何をしても、というと?」

「例えば、気まぐれに人を殺しても罪に問われない」

「あー……成る程」

 

 正確に言えばカンピオーネを罰する力を持つものがいない、というが正しいだろうか。法であれ暴力であれ、カンピオーネを止めるだけの力を人類は持っていないということだ。

 

「……聞きにくい事を聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「…………あー、やっぱりいいです。後で聞きます」

「そうか?」

 

 一体何を聞きたいのか。そして、何故今ではないのか。そんな事を思いつつ、秋雅は視線を正面に戻し、ついと目の前のパソコンを操作する。

 

「話を戻すが、現在地上にいるカンピオーネは俺を含めて八人いる。これを多いと見るか少ないと見るかは中々難しいが、一世紀以上に渡ってカンピオーネが存在しなかった時代もあると考えると、まあ多いほうなんだろう」

「どうなんでしょうね。秋雅さんはその人たち全員に会ったことはあるんですか?」

「一応な。まあ関係性はそれぞれだが」

「どんな人たちなんですか?」

「そうだな……」

 

 言いながら、秋雅はパソコンの画面に情報を表示させる。映されるのはアリスから受け取った他の神殺しに関する情報だ。先ほどまで見ていた草薙護堂の項目から変え、

 

「まずは、ヴォバン侯爵。三百年の時を生きた老カンピオーネだ」

「……三百年?」

「ああ」

「…………そっちでも人間離れしているんですね、カンピオーネって」

 

 もはや呆れたといった風に紅葉が呟く。それに対し、そうだなと秋雅も苦笑を返す。

 

「ただまあ、呪力が多いと老化を遅くしたり若返ったりという事が出来るんだ、普通の魔術師でもな。現に知り合いにも老人のはずなのにえらく若々しい外見を保っている者はちらほらといる」

「はー、それは世の女性が聞いたら暴動が起きそうな事実ですねー」

「……どうでもいいが、紅葉よ。君、性格が変わっていないか?」

 

 どうにも先ほどから時折言動が軽い彼女を見て、秋雅はそんな事を言う。確かに前から、どちらかといえば前向きなタイプであったようだが、今はそれに輪をかけて軽さが感じられる。

 

 すると紅葉はぐるりと身体を空中で回して、

 

「まあ、割と元はこんな感じでしたから。記憶を失っていたから、ちょっと余所行きの性格だったんですよ」

 

 にかっと、紅葉は笑う。

 

「それに、秋雅さんと同じですよ。自分を見せていいと気を許している、ってね」

 

 そんな彼女の言葉に、秋雅は眉を下げて、同じく楽しげに笑う。

 

「それはまた、光栄な話だな。一応言っておくが、表ではそういう態度を取るなよ」

「分は弁えていますって。それよりも、そのヴォバン侯爵って人の話を続けてくださいよ。侯爵ってことは、貴族の末裔とかなんですか?」

「いや。こういう言い方はあれだが、彼自身はそんな上等な生まれじゃない。仔細は知らんが、若い頃に戯れでどこぞの侯爵家から爵位を簒奪したんだそうだ」

「へえ、自分勝手な感じの人なんですか?」

「カンピオーネは基本的に全員自分勝手だから、別に彼に限った話じゃないな。彼の自身の性格を語るのであれば、古き時代の魔王、といったところだろう」

「古いというと、力で支配するとか、そんな感じですか?」

「そうだな。戯れに民を塩の柱に変えてしまったり、狼へと転じさせたり、あるいは己が望みのためにその死を厭わぬほど酷使したりと、まあ今の時代に付き合いたいとは思わぬ御仁だ。アリス殿が所属している賢人議会も、その始まりはこの王がきっかけとなっていたりする」

「まさしく暴君、ですか」

「そういうことだ。特にあの老人は死者を縛る権能を持っているから、君は近寄らない方がいいだろうな。俺がいれば多少は抵抗も出来るだろうが、あまり試したくはない」

「分かりました、絶対に近寄りません」

「そうしてくれ。さて、次の王の事を話そう」

 

 そう言って、秋雅はパソコンを操作する。次なる王の項目へと画面が切り替わるが、それを見た紅葉は、

 

「あれ? ほとんどの項目が空白になっていますね。名前はありますけど、えーっと?」

 

 読めない、と紅葉は首を傾げる。生憎と、日本の義務教育を受けた程度でしかない紅葉は簡単な英語を読むのが精一杯であった。それでよくアリス邸での生活が務まったという話だが、あの屋敷にはアリスを始めとして何故か日本語が出来る者が多かったので、その者たちに手助けをしてもらっていたのである。

 

「羅濠教主、と読む。中国に住む、二百年余りを生きるカンピオーネだ。直接人前に出る事が少ない上に、配下に情報を漏らす事を禁じているせいでかの賢人議会もろくに情報を得られていないらし」

「何で人前に出ないんですか?」

「自分のような武を極め、強大なる権能を持つ者は何者をも凌ぐほどに尊く、みだりに下々の者と接触はしない、というような感じの事を思っているからだ。自分の姿を見た者はその両目を抉り、声を聞いた者はその耳を切り落とすべし、とまで言うそうだし」

「……ヴォバン侯爵さんとはまた違った意味で会いたくない人ですねえ」

「個人的に認められればまた話は別だが、彼女がそうそう他人を認めるようなことはしないだろうしな」

 

 ふうん、と秋雅の言葉に頷く紅葉であったが、一拍を置いた後、首を傾げる。

 

「……ん? 羅濠教主さんって女性なんですか?」

「ああ。別にカンピオーネは男ばかりってわけじゃない」

「そうなんですか。まあ、言われれば納得しますけど」

「それに、女性とはいえその才覚は確かだ。武の頂点を名乗るだけあって、彼女ほど武術に精通している者はいないだろう。近接戦闘においてはカンピオーネの中でも間違いなく最上位だろうな。剣術だけ、とかならば彼女に迫る者もいるが、彼女のように様々な武術を極めている者はまずいないだろう」

 

 んー、と紅葉は秋雅の言葉を聞いて考え込んだ後、

 

「ちょっとした疑問なんですけど、遠距離戦闘と近接戦闘、どっちに強い方が戦いに有利なんですかね?」

「一般論は無視して答えるが、まつろわぬ神やカンピオーネと戦うときは近接戦闘に強い方が有利だと俺は思っているな。どちらもふざけた生命力を持っている所為か、遠距離からの大味な攻撃だと中々くたばらん。リスクを承知の上で懐に飛び込んで戦う方が殺せる可能性は高いだろうな」

 

 とはいえ、それはあくまで有利であるというだけだ。遠距離戦だけで相手をしとめる事が絶対に出来ないというわけではない。事実、秋雅もまつろわぬ神相手に遠距離主体の戦いで勝利を収めたことがある。

 

「成る程。ということは、羅濠教主さんはカンピオーネの中でも特に強い部類に入るってことですかね」

「そうなるだろうな。さらに言えば彼女は魔術戦においても一級品の腕前を持っている。単騎で彼女以上に『暴れられる』者はそういないだろう」

「何と言うか……言うだけのことはある、という感想しか浮かびませんね」

「同感だ。さて、共通理解を得られた所で次に行こうか」

 

 トン、と指で操作し、画面を切り替える。

 

「アイーシャ夫人。これまた一世紀以上を生きるカンピオーネだ。カンピオーネの中でもここまでの三名を旧世代、残りを新世代と分けられる事が多い」

「夫人ってことはまた女性ですか。旦那さんがいるんですか?」

「いや、敬称だ。経緯は知らんがどこかでそれを奉げられたとかで、以降はその名で呼ばれている。まあ、彼女に近い者は大抵、彼女の事を『聖女様』と呼んでいるが」

「聖女様……そう呼ばれるって事は、いい人なんですか?」

「まあ『いい人』であることは事実なんだろうが、なあ……」

 

 紅葉の質問に対し、秋雅は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。いい人であること自体は否定しないが、しかしそれだけではないと知っているからこその表情だ。

 

「含みがある言い方ですね」

「どうにも、天然かつ自己陶酔的な性格を持つという、中々に厄介な人でな。変な思い込みが激しい上に、こっちの都合をまるで考えないことばかりやってくれる。話が通じるようで通じていないというか、何と言うか。とにかく厄介な人なんだ、彼女は。ある種、前述した二人以上に人格が破綻しているといえるかもしれん。俺の知り合いなんかは半日以上一緒に居たくないとすら言っていたし、俺もその意見には概ね賛同せざるを得ない」

「……秋雅さん、私、もしかしたらその人にだけは会いたくないかもしれません」

 

 全くもって同感だ、と彼女の感想に対し秋雅は首肯する。敵対しているから会いたくない、と思う相手はそれなりにいるが、敵対もしていないのに会いたくない、と思えるのはおそらく彼女ぐらいだろう。

 

「あれですね。もうカンピオーネにまともな人がいるなんて期待はしません……秋雅さんを除いてですけど」

「俺も同じ穴の狢なんだが、まあそうしておけ。カンピオーネなんてどいつもこいつも、世界にも人にも優しくない人間の集まりなんだから」

「話だけで理解しちゃいましたよ……それにしても、どうしてそんな人が『聖女』なんですか?」

「彼女の権能だよ。彼女は周囲の人間に好かれる権能を持っているんだ、マイルドに言えばな」

「マイルドに言わないとどうなるんですか」

「狂信者の集団を大量生産できる。たぶん、身体強化のおまけつきで」

 

 無言のまま、うわあ、という表情を紅葉が浮かべる。それに対し、秋雅も無言のまま頷く。言葉にならない、というのはまさしく今の状況なのだろう。

 

「……次の人に行きましょうか」

「ああ、そうだな。ここからは新世代、ここ十年ほどのうちにカンピオーネとなった者達の話――」

 

 と、続きを話そうとしたところで、機内にアナウンスが入る。たった二人の乗客相手に律儀な話だが、どうやらもうすぐ空港に到着するらしい。

 

「あら、時間みたいですね」

「そのようだな。続きは彼女らが来てからに――も出来んか」

 

 画面に表示された顔を見て、秋雅は顔をしかめながら訂正する。それに対し、紅葉は不思議そうに首を傾げる。

 

「どうしました?」

「彼女たちの前ではあまり話したくない王がいることを思い出しただけだ。だからこの王まではここで説明しておく」

「はあ。どんな人なんですか?」

「アレクサンドル・ガスコインという男だ。『黒王子』の二つ名を持つ、神速で世界中を廻るカンピオーネだな。もっとも、王子という名には全く相応しくない男だが」

「……なんか棘々していますね。お嫌いなんですか?」

「この男と仲良くするぐらいなら俺はヴォバン侯爵に協力するか、羅濠教主と一騎打ちをするか、あるいはアイーシャ夫人と一年以上行動を共にする事を選ぶ」

「…………滅茶苦茶嫌いなんですね」

 

 やや引きつった表情を浮かべながら紅葉が呟く。先ほどまでの話を踏まえた上で、そのような事を秋雅が言ったからこその感想だろう。

 

「何か秋雅さんがそこまで人を嫌うってのは不思議な感じがしますけど、何か因縁でも?」

「別に。ただ、自分勝手に計画を立てておきながらイレギュラーが起きればしっちゃかめっちゃかに改悪、放棄し、その上事後処理などをまるで考えない奴の生き様が嫌いなだけだ。ウル達が人間不信になったのもアイツがきちんと後始末をしなかったからだし。ついでに言えば、同じ穴の狢であるくせに自分だけは違うと思っている馬鹿さ加減が気に入らん。何が理性的だ。お前も結局は直線的な獣だろうに」

 

 不愉快だ、と表情を歪める秋雅を、まあまあと紅葉がなだめる。

 

「秋雅さんがその人の事を嫌いなのはよく分かりました。極力話題に出さないようにしますから、とりあえずここでは落ち着いてくださいよ。その調子だと恋人さんたちが引いちゃいますよ?」

「……すまん、少し熱くなりすぎた」

 

 紅葉の言葉に、秋雅は罰の悪そうな表情を浮かべた後謝罪する。

 

「どうにも、奴が相手となると冷静になりきれん。悪い癖だとは思っているんだが、中々制御も出来ん」

「まあ、そういうものでしょう。誰にだって嫌いな人の一人や二人はいますからね」

「いっそ殺してしまいたいんだがな。あの男、逃げ足だけは速い」

 

 呟くように、そんな言葉を秋雅が口に出す。すると、

 

「……秋雅さん。一つ、聞いてもいいですか。さっき、聞こうとして止めた質問です」

 

 ふと、紅葉が神妙な面持ちを浮かべ、秋雅を見つめる。

 

「何だ?」

 

 先ほどまでの千変万化な表情と違った真剣な表情に、秋雅もまた同じような表情で見つめ返す。

 

 一息の後、

 

「――秋雅さんは、人を殺した経験がありますか?」

 突然の質問。それに対し、秋雅は何事かを考えるように目を閉じた後、

 

「ある」

「……そうですか」

 

 静かな問いかけと、同じく静かな返答。それ以上に何を言うでもなく、二人はただ無言で互いを見つめている。

 

 そんな中、再び機内アナウンスが入った。シートベルトの着用を促す、よく聞くアナウンスだ。

 

 それを聞き、ふっと二人の間にあった空気が霧散する。白けた、というわけではないが、外部からの何でもない介入に、場の雰囲気が完全に崩された形だった。

 

「座りますね」

「ああ」

 

 苦笑しながら、紅葉は用意された席に座る。それを横目で見やりながら、彼女はどう感じたのだろうか、と秋雅は疑問に思うのであった。

 

 




 あんまり必要な話でもなかったかも。予想以上に長くなったので秋雅から見た新世代の王たちの話はまた今度書くかもしれないし、書かないかもしれません。




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初顔合わせと彼女の実力

 基本的に、稲穂秋雅という男は常に複数の可能性を考える男である。それもただ無闇矢鱈に可能性を広げるだけというわけではなく、しっかりとその対応までも考え付き、その通りに行動できる能力を持っている。それを彼が発揮するのはもっぱら戦闘時ではあるが、しかし日常生活においても必要な時が来ればその能力を遺憾なく発揮することがある。

 

 今回もまた、その必要があるだろうと秋雅は思っていた。何故ならばこれから起こるのは、新しく秋雅の配下となった、幽霊の特殊個体である草壁紅葉と、先輩であり、同時に極度の人間不信でもあるノルニル姉妹たちの初顔合わせ。面倒ごと、とまでは行かないにしても、あまりよい顔合わせにはならないだろうと考えていたからだ。

 

 それ故に、秋雅としては色々と、これから起こる展開を予測しつつ、その対応策などを考えていた…………の、だが、

 

「初めまして、草壁紅葉です! 幽霊ですけどよろしくお願いします」

「初めまして、ウル・ノルニルよ。コンピュータ関係には強いつもりだから、何かあれば聞いて頂戴。こっちは妹のスクラとヴェルナ、仲良くしてあげてね」

「ヴェルナだよ、よろしくね。一緒に秋雅のために頑張ろう!」

「ヴェルナの双子の妹のスクラよ。まあ、色々とよろしく」

「はい、お三方ともよろしくお願いしますね」

 

 自己紹介をしながら、紅葉と三姉妹はにこやかに握手を交わす。とてもではないが、このうちの三人が人間不信であると思うものはいないだろうという、そんな光景。

 

「……ふむ?」

 

 思ってもみなかった和気藹々とした顔合わせに、秋雅は何とも困惑した表情を浮かべずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? だって、その子幽霊なんでしょ?」

 

 秋雅にとって困惑すべき光景から数分後、邸内のダイニングにて紅茶を飲んでいたヴェルナは不思議そうな表情を浮かべて紅葉を指差した。先ほどの光景の意味に対し、秋雅から質問されての反応のであったのだが、それこそ秋雅からしてみれば不思議な反応だと言えよう。

 

「確かに紅葉は幽霊だが、それがどうしてお前達の人間不信の解消に繋がるんだ」

 

 よく分からぬ、という風に秋雅は首を傾げる。それに対し、ヴェルナはあっけらかんとした表情で言う。

 

「だって、幽霊ってことは人間じゃないってことじゃん。じゃあ問題ないかなって」

 

 軽く放たれたヴェルナの言葉に、秋雅は思わず困り顔を浮かべる。いやいや、それは、と言いたげな、彼にしては非常に珍しい表情。それを見て流石に言葉が悪いと思ったのか、ヴェルナは慌てたように口を開く。

 

「あ、いや、正確に言うと生きている人間じゃないって意味だからね? 生きている人間なら利益だとかで裏切ったりするかもしれないけれど、幽霊ならそんなことは思わないだろうって考えによるものだから、うん。断じて、初対面の相手を人外だと思っているとかじゃないから」

「……それを聞いて安心したよ」

 

 はあ、と呆れたように秋雅はため息をつく。自分にとっても大事な女性の一人が、外道のような事を考えていたわけではなかった。そんな安堵の感情も込められたものであった。

 

「そういうわけだそうだから、紅葉、あまり気を悪くしないでやって欲しい」

「ああ、いえ、お気になさらず。幽霊なのは事実ですし、自分でもちょっと生前とは感覚が違っている自覚があるので。少なくとも物欲とかは以前ほどないっぽいですからねえ」

 

 服とかも気にしなくてよくなりましたし、と言いながら紅葉は自身の格好を変化させる。それを見て、おお、と興味深そうに目を見開いているヴェルナに、秋雅はコツンとその頭を小突く。

 

「とりあえずヴェルナ、お前は少し対人を意識した物言いを覚えろ。その調子じゃ後々面倒ごとになりかねん」

「はーい……」

 

 考えてみれば、このノルニルという三姉妹はここ三年ほど、秋雅を含めた身内としか会話をしていない。元々ヴェルナは――おそらくはスクラも――気心知れた相手に対し、言葉を繕うということをわざわざするタイプではない。それ自体は特段良いも悪いもないのだが、どうにも彼女たちの場合は、やや不都合な誤解を生じさせかねない会話となってしまっているようであった。すべては例の一件と、それ以前からも他者とあまり好意的な交流を出来なかったことが原因か。

 

 別に、歯に衣着せぬ物言いが絶対に悪いと言うわけではないのだが、時と場合によっては確実に面倒事になる。今回だって紅葉が気にしていないようだから大丈夫だったが、相手によっては大きく気分を害していた可能性だってあったのだ。

 

「妙な所で課題が出てきたな、まったく」

 

 何にせよ、いくら人前に出る可能性が低いとは言え、そのままの状態を続けられてしまうと妙なトラブルを引き起こしかねない。その対策についても考える必要があるかもしれないなと、頭を押さえている――痛いと感じるほどの力は込めていないので、単に反射的なものだろう――ヴェルナと、ついでに我関せずと紅茶を飲んでいるスクラを見ながら、秋雅はまたため息をついた。

 

「……まあ、それはまたそのうちだな。ついでに聞いておくが、ウルとスクラもヴェルナと同意見なのか?」

「いえ、私は単にシュウが気を許している相手だから警戒していないだけよ。もっとも、二人と比べれば私はまだ取り繕う事が出来るほうだから、どこまで本心かは保証しないけれど」

「それを自分で言うかね。スクラもそうなのか?」

「おおよそは姉さんとヴェルナに同じく、といったところね。加えて言うなら、その子が女性だったというのも多少はあるかしら」

「うん? スクラたちの人嫌いは、性別限らずの話だと思っていたが、違うのか?」

「いえ、違わないのだけれどね。ただ、あの時私達を襲ってきた魔術師達は男ばっかりだったから、まだ女性のほうがマシってだけ」

「そうだったか……?」

 

 スクラの言葉に、秋雅ははてと当時の記憶を思い出してみる。流石にそんな些事を詳細に覚えてはいないが、確かに言われてみれば、あの時魔女や女魔術師はいなかったような気がしないでもない。

 

「まあそういうわけだから、まだ女性相手なら多少は気を緩められるのよ。後はヴェルナと姉さんの意見の統合みたいな感じ」

「横から口を挟みますが、とりあえず現状に不都合がないのであれば良いのではないですかね? 個人的にも疎まれていないのなら問題ないですし」

「まあ、紅葉がそういうのであればここまでにするが……」

 

 どうにもしっくり来ないな、と秋雅は内心で首を捻る。彼女たちの言葉を疑っているからではなく、単にいまいち実感が湧かないのが理由だ。この辺りは周りの人間に恵まれた結果なのだろうかと、そんな風にとりあえず結論を付けて、秋雅はこの話をここで終わらせることにする。

 

「じゃあこれで話は済んだということにして話題を変えるが、引越しの準備は終わっているか?」

 

 言いつつ、秋雅はぐるりと室内を見てみると、数日前と比べてやや物が少なくなっている。元々置いてあったものはあるようだが、姉妹が住みだしてから飾るようになったものなどは大体がなくなっているようだ。

 

「ざっとは、と言ったところね。とりあえず急ぎ必要な物などは先に日本に送っておいたわ。後々他の物も送ってもらえるように纏めと手配を行っておいたから。勝手にシュウの名前を借りたけれど、構わないわよね?」

「最終的に指示を出したのは俺だ。今更駄目だと言う訳がないな」

「ん、ありがとう」

「……あ、そうだ」

 

 ふと、ヴェルナが口を開いた。

 

「ねえ秋雅、私達の日本での拠点って、結局秋雅の家ってことでいいの?」

「ああ。部屋は余っているから適当に使ってもらうつもりだ」

「ワンフロア丸々ですもんねえ」

 

 秋雅の世話になっていた時を思い出してだろう、紅葉はそんな事を呟く。実際、所有はしているが物置にすら出来ていない部屋もあるので、そのうちのどれかを適当に使えば問題ないだろう。

 

「ただ、流石に研究開発が出来る環境じゃないから、そこだけは外部に場所を用意させる。ウルだけは家でも大丈夫だろうが、スクラとヴェルナに関しては、本格的な開発の際にはそっちに移動してもらう必要がある」

「まあ、そればっかりはしょうがないね」

「人は来ないわよね?」

「呼ばない限りは来させないように言っておく。ただ、最低でも責任者である福岡分室の室長には一度会ってもらう必要があるから、それも了承しておいてくれ」

「はーい」

「了解」

「私も、スパコンの都合もあるし、何だかんだそっちで働くことになるかしらね」

「どっちにしろ、ヴェルナとスクラの二人だけじゃちょっと不安も残るし、その方がいいかもな」

「そうかもしれないわね」

「姉さんも秋雅もひどいなあ……」

「明確に否定できないのが腹立たしいわね」

 

 むう、とふくれっつらをするヴェルナとスクラに笑いつつ、さて、と秋雅が立ち上がる。

 

「じゃあ、そろそろ行くか。いい加減俺も早く帰国したいからな」

「あ、ちょっと待って」

 

 しかし、ここでヴェルナが待ったの声を上げる。ウルとスクラの様子を見るに彼女達もヴェルナに対し視線を向けているので、どうやらヴェルナの個人的な用事があるらしい。

 

 はて、一体何なのであろうか。不思議に思いつつ、秋雅はヴェルナに対し向き直って言う。

 

「何だ?」

「うん、実は――紅葉とちょっと戦ってみたい」

「はあ?」

 

 ヴェルナの返答に、思わず秋雅は怪訝な声を上げる。しかし、そんな秋雅の反応を無視して、ヴェルナは紅葉に視線を向ける。

 

「秋雅のスタッフは他にもいるけれど、秋雅にとって弱点になりえるのは私達だけだった。秋雅直下の配下にして、秋雅が気を許した相手というのは、自惚れじゃなく私達だけ。それはつまり、私達は秋雅にとっての弱点になりえるってことなんだ」

「……だけど、私達は戦う力があった」

 

 ふと、スクラが小さな声で呟く。それに対し、うんと頷いて、ヴェルナはさらに話を続ける。

 

「そう、私達はそれぞれに戦闘能力がある。自慢じゃないけれど、そこらの相手には負けないと思う。だから、そういった意味での秋雅の弱点は存在しなかった。秋雅の家族、という弱点はあるけれど、まさかカンピオーネの身内に手を出す馬鹿はいないはずだし、これもまた問題にはならない」

 

 だけど、とスクラは紅葉を見て言う。

 

「そこに、紅葉が加わるとなれば話は別。紅葉の戦闘能力如何によっては、秋雅にとって明確な弱点が生まれることになってしまう」

「……だから紅葉と戦うと? 戦闘要員なのに弱いというならばともかく、彼女は最初から非戦闘要員だ、戦う必要性はないだろう。大体、攻撃はともかくとして、防御に関しては実体化を解いてしまえばそれで十分のはずだ。その状態の彼女に通じる物理攻撃はそうない」

 

 意図は理解できたが、と秋雅は渋面を浮かべる。言いたいことは分かるが、しかしそれでどうして紅葉と戦うということになってしまうのかがいまいち分からない。

 

「いや、ありありだよ。戦えないならそれはそれでいいけど、その場合どのレベルで戦えないのかを調べておく必要はあると思う。全く戦えないのか、護身ぐらいは出来るのかぐらいは、ね。それに物理無効に関しても絶対じゃない。何があるのか分からないのがこの世界だよ」

「しかし、だな」

 

 未だ渋る秋雅であったが、その彼の肩をウルが叩く。

 

「度合いに応じて護衛の必要性なんかも変わってくるもの。そういうことなら、私はヴェルナに同意するわ」

「ウル」

「死を目前として足を止めてしまうタイプなのかどうか、調べておかないと撤退も難しい。私も試しとはいえ戦いを経験しておく必要はあると思う」

「スクラまで」

 

 ううむ、と最終的に三姉妹全員が意見を一致させてしまったことに、秋雅は思わず唸る。実際、秋雅もヴェルナの理屈は確かに分かっている。ただ、だからと言って、戦闘職でない者を戦いに巻き込んで良いものか、というそんな思いもあった。

 

 そんな時であった。これまで沈黙を保っていた紅葉が、一歩前に出て、ヴェルナのすぐ目の前に立ったのは。

 

「その提案、お受けします」

「紅葉……」

 

 君もか、という声を漏らす秋雅に対し、大丈夫です、と紅葉は返す。

 

「ヴェルナさんの理屈は分かりましたし、必要性も理解しました。だったら、秋雅さんの従者としてお受けしないわけには行きません。幸い、私は戦闘経験こそないですが、戦う手段自体は一応持っています。私としても、ここで試しておきたい」

 

 そういう紅葉の顔は真剣で、無理強いされたという風の表情ではない。自ら選んだのだ、という雰囲気がひしひしと感じられる。

 

「…………致し方ない、か」

 

 そんな表情を見てしまえば、もはや止めることなど出来ないと、秋雅はそう思う。こうなった以上、一度やらせてみなければ、むしろ彼女にとって為にならないだろうと、そのように判断したのである。

 

「分かった。二人の決闘を認める。ただし、制限時間は十分、殺傷を目的とした攻撃は一切禁ずるということにする。異論は?」

「ないよ」

「ありません」

「なら、地下一階に移動するぞ。あそこならば多少暴れても問題ないからな」

 

 言いたいことはある、が仕方ない。やる気十分な二人を見ながら、秋雅は最後に一度だけ、小さなため息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、場所を移して地下一階。広い室内の中央で、ヴェルナは軽く身体をほぐし、紅葉は何をするでもなくその場に佇んでいる。

 

 そして二人から数メートル離れたあたりで、秋雅とウル、スクラが審判兼観戦者として二人を見守っている。

 

「ねえ、シュウ。実際の所、彼女はどれ位戦えるのかしら?」

「少なくとも俺の認識じゃ全く戦えないはずだ。プリンセス・アリスの元で多少の魔術は習ったそうだが、それでヴェルナに対抗できるとは思えん」

「でも、秋雅。彼女は何か戦う手段があるみたいな口ぶりじゃなかった?」

「ちょっとした切札がどうこうとは言っていたが、はたしてそれがヴェルナに通用する代物なのかどうか」

「結局、分からないってことね。まあ、すぐに分かるけれど」

「だな――二人とも、準備はいいか?」

「問題ありません」

「オッケーだよ」

 

 秋雅の確認に対し同意して、二人はそれぞれに構える。だが、それぞれの構え姿はまるで対称的だ。ヴェルナの方は隙なく、いつでも走り出せるようにしているのに対し、紅葉もファイティングポーズらしきものはとっているものの、あからさまに素人の構えだ。ここだけを見ても、どちらが勝つのかというのは自明の理だろう。

 

「最初に言っておくけれど、私の攻撃は痛いから頑張ってね」

「ではこちらも言っておきます。あまり油断していると、逆に怪我をするかもしれませんよ」

「言ってくれるね。じゃあ――ちょっと本気を出すよ」

 

 言った直後、ヴェルナが突然に駆け出した。まだ合図も出しておらず、さらには身体強化までかけていることに対し、秋雅はまたもや渋面を作る。しかし、それに付随する苦言を彼が発するよりも速く、ヴェルナの攻撃は紅葉へと向かう。

 

 攻撃手段は右足による蹴り、狙いは容赦のない頭部狙いだ。おそらくは咄嗟の事態に対し実体化を解けるかどうかを確かめる狙いなのだろうが、いくら何でもやりすぎだ。その結果起こる自体を想像し、秋雅が思わず声を荒げようとした。

 

 だが、

 

「……何だと!?」

 

 先ほどまでの感情を忘れ、思わず秋雅は驚きから目を見開く。彼だけではない。ウルとスクラもまた、同じように驚愕の表情を顔に貼り付けている。

 

 しかし、この場で最も驚いていたのは、おそらくはヴェルナであったのだろう。

 

「ちょっ、はあ!?」

 

 ヴェルナの放った鋭い蹴りを、紅葉は防いで――防げてすらいない。無防備に、その横っ面に思い切り喰らっている。未だに、その蹴りは彼女の頭部に当たっている。だというのに、その表情には一遍の曇りもない。

 

 いや、それだけではない。そもそも、ヴェルナの蹴りを喰らってそのまま立っていること自体がおかしいのだ。並みの格闘家を凌駕するその蹴りを受けて、全く吹き飛ばないなどありえない。

 

 それが小揺るぎもしていない。ただ、悠然と、その場に立ち尽くしているだけだ。

 

「……っ!」

 

 呆然としていたのも一瞬、すぐさま正気を取り戻し、ヴェルナは大きく後方へと跳躍する。そして、

 

「紅葉……今の、一体どうやったの?」

 

 ヴェルナの問いかけに、秋雅達も紅葉へと視線を移す。四人からいっせいに見つめられる形になった紅葉は、そうですねえと口を開く。

 

「教わった身体強化をやってみただけです――って言っても、まあ納得してくれませんよね」

「当然。身体強化の術ってのは文字通り身体能力を強化するための術であって、防御力を上げる術はまた別にあるんだから。手ごたえや吹き飛ばないことも踏まえると、まるで人間の形をした岩か何かを蹴ったと勘違いしそうになった」

「そう言われましても。私はただ、本当に教わった物をやってみただけなんですけどね。まあ、向こうの人たちも同じような反応でしたけど」

 

 とりあえず、と紅葉は改めて構え、そして言う。

 

「ヴェルナさんの攻撃は防げるということも分かりましたし、今度はこっちが行かせてもらいます!」

 

 言うと同時、紅葉は地面を強く蹴り、ヴェルナに向かって一直線に駆け出す。驚くべきはその速度で、先ほどのヴェルナのそれと比べて二倍近い速さだ。

 

「やあっ!」

 

 掛け声と共に、紅葉は拳を前に突き出す。極めて速いが、しかし素人の攻撃だ。その攻撃をヴェルナはひらりと避けてみせる。

 

「あぶなっ!」

 

 ただ、その攻撃が彼女にとって脅威足りえるというのは事実であったのだろう。避けきれた事を確認しつつも、その視線は紅葉から決して離そうとしない。

 

「やっぱり避けられますよね。でも、それなら何度でも攻撃するまでです!」

 

 振り向き、再びヴェルナに向かって紅葉は駆け出す。まるで砲弾の如き苛烈なそれを再び華麗に避けて見せ、さらには反撃の蹴りを与えたヴェルナであったのだが、

 

「――硬いし重い!! どういう身体の構造しているのさ!?」

「幽霊に身体なんてありません!」

「そういう意味じゃない!!」

 

 ぎゃあぎゃあと叫びあいながら、互いに突進と回避を繰り返す。その様子を見ながら、秋雅は横にいるウルとスクラに対し声をかける。

 

「ウル、スクラ、紅葉のあれだが、どう思う?」

「何とも言えないわ。あれほどの防御力、重量、そして筋力。どうやったらああなるのかしら。シュウこそ、何か推測はない?」

「分からん。結果だけを見ればドニの『鋼の加護』を思い出すが、しかしなあ」

「それって、権能に匹敵する術ってこと?」

「いや、たぶんあれには劣るはずだ。あくまで類似効果、といった程度だろう」

「ふむ」

「とりあえず、幽霊に身体強化をかけるとああなるってのことなのかしら?」

「そもそも実体化できる幽霊自体いないからな。何がどう噛み合っているのか、どうにも分からん」

 

 どうなっているのか、と三人は目の前の光景の解明に頭を悩ませる。そうしている中、ふとスクラが口を開いた。

 

「ねえ秋雅、紅葉の実体化って呪力を込めてやっているのよね」

「ああ」

「それってどういう風になっているの?」

「どういう風、というのは?」

「だから、単にオンオフを切り替えているのか、それともパーセンテージがあって実体化度合いを決めているのか、ってこと」

「あ、オンオフの方です!」

 

 スクラの言葉に、戦っていた紅葉が反応し、答える。どうやら聴力の方も強化されているようである。

 

「オンオフの方ね。じゃあ、実体化している状態で、さらに実体化しようと呪力を込めるとどうなるの?」

「え? えーっと……こうですかね?」

 

 スクラの疑問に、紅葉は思わず足を止めてその通りにやってみる。すると、

 

「……あれ? 身体強化をした時と同じ感じですね? でも、効率はこっちのほうがいい……のかな?」

 

 言いながら、再び紅葉はヴェルナに向かって駆け出す。その速度は先ほどまでのそれを何ら遜色ない。いや、むしろさらに速くなっている風にすら見える。ただの素人の突撃であるというのに、その勢いたるや玄人ですら脅威として見ざるを得ない物だ。

 

「ちょ、スクラ! 余計なこと言わない! さらに避け難くなったじゃないの!?」

「知らないわよ」

 

 思わず苦言を呈するヴェルナにどこ吹く風で答えて、スクラは視線を秋雅達に戻す。

 

「そういうわけみたいだけれど、姉さんと秋雅の意見は?」

「彼女の言葉を信じるなら、身体強化が結果として実体化強化になっていたということみたいね。そのあたりの変換の理屈は一先ず置いておいて、実体化強化で何故ああいう風になるのかしら」

「推測だが、実体化強化、というよりはむしろ存在強化、といったほうが正しいのかもしれないな」

「存在? ……成る程、それで防御力と重量が増したということね」

「ああ、そう考えれば一応の納得は出来る。中々面白い現象だな」

「でも、それだと身体能力の向上理由は?」

「強化しても動きが阻害されないようになっているんじゃないか? 重量が増せばそれだけ力は必要だろう」

「だけど、その場合だと動きの速さ自体は変わらないんじゃないかしら? 超過分が生じている理由が分からないわ」

「俺の雷鎚なんかと同じで自身には重量が適用されない、とか?」

「それだと最初から強化の理由がないわ」

「それもそうか。じゃあどういう理屈なのか……」

「二人で分かり合っていないで、私にも分かるように説明をお願いしたのだけど」

 

 熱が入ったかのように議論を続ける秋雅とウルに、置いてけぼりを食らっていたスクラが言う。それに、例えばの話だが、と秋雅が人差し指を立てて言う。

 

「ゴム風船があるだろう? あれを紅葉の実体化に例えるぞ。呪力を消費することで外側のゴム風船を生み出し、その中に彼女の幽体や呪力を詰め込み、実体化する。こういう流れを一先ず想像しろ」

「それで、彼女が呪力をさらに込めることで、外側のゴム風船がもう一つ重なると考えるの。その状態でまた膨らませると、さっきよりも頑丈で、さらに少しだけ重い風船が出来上がる」

「これを繰り返していけばどうなるか。とてつもなく頑丈で、とてつもない重量の風船が出来上がる。重なると言っても実際は多分厚さは変わらずに圧縮、融合しているんだろう。そうすれば密度も上がり、結果として硬度が増す」

「ただ、この推測だとむしろ身体能力が増す理屈が分からないのよ。さっきまではともかく、今は実体化強化だけのはずなのに」

「重量等はそのままに、身体機能は阻害されないように強化されるようになっているということで普段と同じ動きが出来る、ならまだ分かるんだが」

 

 どうなんだろうか、と再び秋雅とウルは議論を交わし始める。最初はそれに耳を傾けていたスクラであったのだが、途中から興味をヴェルナと紅葉の戦いへと向ける。元々、細かい理屈や理論にはそこまで熱心ではない方なのだ。原因と結果さえ分かっていればいい、というのが彼女の性分なのである。

 

「……というか、そろそろ十分経つんじゃないかしら?」

 

 ふと、その事を思い出したスクラはそう首を傾げるが、彼女以外の全員がそれぞれに熱が入ってしまっていて、その事に気付いていない様子である。

 

 どうしようか、と首を傾げているスクラであったが、そんな彼女に対しヴェルナが叫ぶ。

 

「スクラ! 暇ならこっちに来て手伝って! いい加減私も反撃に移りたい!」

「ちょっと!? 素人相手に二対一をやる気ですか! だったらこっちもさらに呪力を込めますよ!」

 

 叫び、紅葉は内にある呪力をさらに強く発現させる。その量にヴェルナは何度目かの驚きの声を上げる。

 

「んなっ?! 上限がまだあるの!?」

「何か知らないですけど、呪力を込めればそれだけ強くなるんです! もう秋雅さんから貰った、魔術師十人分だが二十人分だかの呪力を使い切る勢いで強化してやりますよ!」

「……強化したら重量も増えるんだから、下手したら床が抜けるんじゃないかしら」

「え?」

 

 スクラの呟きと同時、大きな音を立てて紅葉を中心として床が崩壊する。スクラの言葉通り、重量の増加に床のほうが耐えられなくなったのだろう。

 

「うわっ!?」

「おっとっと」

 

 咄嗟に、紅葉は実体化を解除し、ヴェルナもまた崩壊地点から距離をとったので、二人とも階下にそのまま落ちることは回避できた。元々距離をとっていた秋雅達も、そもそもとして床の崩壊に巻き込まれるようなことにはなっていない。ただ、床の穴の上でふよふよと浮かぶ紅葉に視線を向けるだけだ。

 

「あー……本当にすみません」

「……まあ、止めなかったこちらにも責任はある、か」

「スパコン、先んじて動かしておいて良かったわね」

「一応、強化素材で出来ていたはずなのだけれど、凄いわね」

「はあ、何か白けちゃった」

 

 

 そういうわけであって、紅葉の実力を測るという名目で開かれたこの模擬戦は、彼女は十二分に戦えるという結論を出しつつも、このような、何とも言えぬ結末を迎えたのであった。

 




 思ったよりも長くなったので、飛行機での会話とかはしません。次回はもう帰国した所から始める予定です。




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帰国






 

「……起きて、シュウ」

 

 肩を揺する手と自身の名を呼ぶ声に、秋雅はゆっくりと目を開ける。こちらを覗き込むように見ている恋人の顔に、まどろみから冷めた秋雅は口を開く。

 

「着いたのか、ウル?」

「そうよ、貴方の故郷、日本に到着したわ」

「調子はどう、お寝坊さん?」

「すこぶる好調だよ」

 

 からかうように言うヴェルナに対し、首を鳴らしながら秋雅は答える。アメリカ、イギリス、インドといった十時間以上の空の旅による疲労も、インドから日本への間に睡眠をとることで十分に取り除く事が出来ていた。カンピオーネということで中々に頑丈で徹夜を苦ともせぬ肉体ではあるが、流石に丸一日近くを飛行機の中で過ごすとなると、そのうちのいくらかは睡眠に当てないと精神的に調子が狂う。そうでなくとも、アメリカを早朝に出たというのに、今やその翌日の夕刻であるのだ。長めの午睡でもとらないとやっていられないというものである。

 

「秋雅の寝顔を見ていて思ったのだけれど、貴方の『我は留まらず』を使って転移すれば時間的な節約は容易だったのではないの?」

「なんです、それ?」

「ああ、秋雅の権能――って、説明したらまずいかしら?」

 

 聞き覚えのない言葉に首を傾げた紅葉に対し、思わず説明を始めようとしたスクラであったが、すぐさましまったという表情を浮かべて秋雅を見る。基本的に秋雅が自分の権能の詳細を他人に知られたがっていないということを失念していたことによる焦りであるようだが、秋雅は問題ないと軽く手を振ってみせる。

 

「他言無用を守れるなら多少話しても気にしない。立場的にはまだ見習いって所だが、もう紅葉は俺の配下だからな。それ相応に信用している、ってことで」

「他人の秘密を吹聴する趣味はありませんので、ご安心ください。それで?」

「ああ、簡単に言うと瞬間移動できる権能。正確には物体と物体の位置を入れ替えるんだけど」

「で、何故使わなかったのかしら?」

「呪力の節約とか? あれの長距離転移を複数人でやると面倒なのもあるのかな」

 

 確かに、『我は留まらず』は長距離転移も可能だが、流石に地球を一周する勢いで転移を繰り返すとなると呪力の消耗もあるし、何より転移先に入れ替える対象が用意されていないと出来ない。その準備を全くしていないわけではないが基本的には秋雅一人がやることを前提とした準備であり、ウル達も転移できるほどではない。何よりそういったことをやると余計な情報を他者に与えかねないという可能性も生じる。

 

 だから、ヴェルナの推測は当たっていると言っていいだろう。だが、今回はそれだけではないと秋雅は首を振る。

 

「半分はそれだが、もう半分は紅葉だ」

「私ですか?」

 

 きょとんとしながら自分を指出す紅葉に対し、秋雅は頷く。

 

「ああ。ほら、マンションで生活をしていたときに色々検査をしていただろう?」

「ええ、やりましたね」

「あの時、試しに『我は留まらず』を使おうとした時があったんだが、どうにも成功するという感じがなくてな」

「それはまた、どうしてかしら?」

 

 ふむ、と考え込むウルに、仮定だぞと前置きをして秋雅は口を開く。

 

「たぶん、実体化できるとはいえ結局紅葉は肉体、まあ実体が無いからじゃないかな。あれはあくまで物質同士の入れ替えだと、そういうことだと考えている」

「そういうものなんですか?」

「勘だけどな。案外権能というやつは、俺たち自身にすらよく分からん部分がある」

「成る程……」

「それで今回も飛行機で空の旅だった、と」

「呪力を高めれば出来そうな気もするんだがな、まあそこまでするほどじゃないだろう?」

「時は金なりって言うけどね」

「今は時間には余裕がある。それに、金も無駄にある」

「そりゃそうだ」

 

 秋雅の返答を聞いて、ヴェルナはからからと笑う。口にこそ出していないがスクラもひっそりと笑っていることからも、秋雅の返答は随分とこの双子のお気に召したらしい。まあ、言った当人はどうしてここまで二人が受けているのか、いまいちよく分からなかったが。

 

「さあ、皆。そろそろ飛行機を降りるわよ。いつまでもここにいてもしょうがないわ」

 

 姉とはいえ妹たちとは笑いのつぼを共有していなかったのか、案外と長話をしてしまっていた皆に対し、ウルは軽く手を叩いて行動を促す。

 

 それに、そうだったと思わず手を止めていた四人も自分の荷物を手に取り、すぐに飛行機を降りる。

 

 そのまま通路を通り、諸々の手続きを済ませ、特に重要度の高い要人を対象とした空港の秘密スペースへと足を踏み入れる。秋雅と紅葉にとっては一週間ほどぶりの帰国であり、ウル達にとっては初めての日本入国であった。

 

「……さて、これからどうするの?」

「時間も時間ですし、そのまま秋雅さんのマンションに行くんですか?」

「ああ、そのつもりだ。迎えを頼んでいるしな」

 

 そう秋雅が答えたと同時、まるで計ったかのように向こうから二人の人物が歩いてくるのが全員の視界に入る。同時、一瞬前まで和気藹々としていたスクラとヴェルナは、無言で秋雅の後ろに回る。その相も変わらずの人間嫌いっぷりに思わず秋雅は苦笑を浮かべるが、しかしすぐさまその表情と雰囲気を王としてのそれに切り替え、その二人に対し声をかけた。

 

「出迎えご苦労、三津橋、それに五月雨室長」

「いえ、この程度」

「稲穂様の命ですから」

 

 秋雅のねぎらいの言葉に、正史編纂委員会からの迎えである三津橋と五月雨は恭しく頭を下げる。その後顔を上げた二人は、その視線を秋雅の周囲にいる女性陣へと向ける。

 

「ところで、そちらが?」

「ああ、私の部下のノルニル姉妹と草壁紅葉だ」

「初めまして、正史編纂委員会の方々。ウル・ノルニルです。こちらが私の妹のヴェルナ・ノルニルとスクラ・ノルニル」

「どうも」

「草壁紅葉です。よろしくお願いします」

 

 表面上はにこやかに名乗るウル、非常にぶっきらぼうなヴェルナに、無言のまま全く交流を持つ気のないスクラ。そして敵意のない笑みを浮かべる紅葉と、四者四様な反応が揃う。

 

「ご丁寧にありがとうございます。正史編纂委員会、福岡分室所属の三津橋と申します」

「同じく、福岡分室室長の五月雨です」

 

 そんな四人の挨拶に特段大きな反応を見せるでもなく、三津橋はいつものやや軽薄な雰囲気を、対称的に五月雨は硬い雰囲気を、それぞれに感じさせながら軽く頭を下げる。ここで二人が握手を求めるなどの行動を示さなかったのは、初対面でも分かるノルニル姉妹の拒絶の空気を感じ取った為であろうか。

 

 それはともかくとして、一応は挨拶も済んだということで、秋雅は五月雨達に視線を向け、口を開く。

 

「さて、三津橋に五月雨室長。早速で悪いが、車まで案内してもらえるかな? 報告等があれば車内で聞かせてもらいたい」

「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」

 

 三津橋の先導で、秋雅達は空港の裏手にある、これまた主に要人等を利用者としている駐車場へと案内される。そこに用意されていた一台の車に、運転席は三津橋、助手席には五月雨が乗り、後部座席の前列に秋雅と紅葉、後列に姉妹たちが、という形でそれぞれに乗車する。

 

「目的地は稲穂さんのご自宅、ということでよろしいんでしたよね?」

「ああ、頼む」

「承りました」

 

 頷いて、三津橋が車を走らせ始める。荒さも勢いもない、実に癖のない柔らかな運転だ。そんな落ち着いた車内でまず口を開いたのは、ある種当然と言うべきか、秋雅であった。

 

「さて、五月雨室長。先日の一件に関して、賢人議会からのメッセージの件については聞いていたが、それ以外に関しては後回しにしていたな。何か、報告することはあるかね?」

「はい、大きくわけて二つほどございます。まずはその賢人議会から、先ほど調査報告書らしき物が届きました。宛名として指名されていたのが稲穂様であったので、中身は確認していません」

「賢人議会からの報告書、か。成る程」

 

 十中八九、それは秋雅が捕縛した、例の魔術師に関するものであろう。秋雅としても捨て置けない事件だ。

 

「ふむ。では明日、ウル達がそちらを訪れた時に渡しておいてくれ。頼んで良いな、ウル?」

「ええ、構わないわ。ついでに、こっちでも調べられそうだったら調べておけばいいのよね?」

「ああ、頼む」

 

 実の所、プログラミングだけがウルの特技というわけではない。コンピュータに関すること全般、特にハッキングやクラッキングもまた彼女の得意分野であり、同時にそれらを併用した電子の海を用いた情報収集も彼女が十八番とする点である。魔術師の情報などがインターネットで分かるかと思うかもしれないが、これで案外意外な情報を得られる事があるので、他の知り合いの情報屋と並行して、秋雅は彼女に情報収集を頼む事が多かった。

 

「では、そのように致します。そしてもう一つ、清秋院が動きを見せています」

「というと?」

「ご老公に取り入り、草薙護堂様に娘を差し出そうとしているようです」

「清秋院の娘というと、清秋院恵那か」

 

 清秋院恵那といえば、日本の媛巫女の中でもかなり有名な部類に入る名前だ。かの正史編纂委員会のトップである古老――それが幽世に住まう、元はまつろわぬ神と呼ばれていた者達であると秋雅は知っている――より神刀を授けられたという、現在日本に存在する媛巫女の中では最強と呼ばれている戦闘能力を持っている少女だ。秋雅も面識こそないが、そうであるという情報程度は知っている。

 

「しかし、かの古老らが人界の権力争いに口を挟むとは、な」

「不可解である、と思われますか?」

「ああ」

 

 一体どのような魂胆であるのだろうか、と秋雅は疑問に思う。最初に浮かぶ疑問の答えとしては、やはり最強の《鋼》関連のことだろうか。そういったことを話すなり、あるいはその人柄を見極めるなりをするために渡りをつけたいと思い清秋院恵那を遣わした、と考えるのが一番説得力のある推測だろうか。まあ、ここでいくら考えてもどうにもならぬことではあるし、現時点ではさして秋雅と関係のあることでもない。とりあえずは放置しておいていいだろう、と最終的にそのような結論を出し、頷く。

 

「まあいい。何か続報があれば、その時は報告を」

「畏まりました」

「他には、何かあるかね?」

「…………いえ、特に御身のお耳に入れるようなことは、何も」

「そうか」

 

 僅かな沈黙の後にあった、五月雨の含みある返答。明らかに何かある、と分かる返答であったものの、秋雅は特段それを指摘するようなことはしない。大方、以前に三津橋が言っていた、彼女に秋雅を篭絡せよとでもいった指示があったのだろう。

 

 だが、それを暴露した所でどうなるというわけでもないし、本人が言いたがらない事を無理やりに聞きだすというのも気が乗らない。そういう場面でもない以上、これもまた放置でいいという秋雅の判断であった。ついでに言えば、やはり恋人たちの前で出す話題でもないという考えもあったのだが、まあそれはどうでもいいことだろう。

 

「それはそうと稲穂さん、ちょっとよろしいでしょうか?」

「何だ?」

 

 話が一段落し、ちょうど車が赤信号で止まったタイミングで、ふと三津橋が口を開いた。稲穂に断りを入れた彼であったが、バックミラー越しの彼の視線は、秋雅ではなくその隣に座る紅葉へと向いている。

 

「そちらの、草壁紅葉さんに少々お聞きしたい事がありまして」

「はい? 何でしょうか?」

「いえ、私の勘違いかもしれないのですが――貴女のお父上は、もしや草壁康太さんではありませんか?」

 

 そう三津橋が問いかけると、びくりと紅葉が肩を上げた。見れば彼女の表情には確かな驚きの色がある。

 

「父を、ご存知なのですか?」

「ああ、やはりそうなのですね。ええ、元同僚でしたから」

「元同僚って……」

「魔術師、ということか?」

「はい。その様子だとご存じなかったようですね」

「……初めて知りました」

 

 思ってもみなかった、というような表情で紅葉は呆然と呟く。当然といえば当然だろう。自分の身内か魔術師であったなど、いきなり聞かされれば驚かないわけがない。しかし、そんな彼女の様子から、秋雅はまた別の感情の色を感じ取った。それが何か、というのは具体的には分からない。しかし、確かに彼女は何かの感情を抱いている。そしてそれはおそらく、決して肯定的なそれではない。

 

「どうにも、だな……」

 

 この少女もまだ、何かを隠し持っているようだ。そんな事を思いながら、秋雅は口の中で言葉を転がす。ただし、それは彼女を否定する言葉ではない。むしろ、そうであるならば力になる必要がある、という手助けを決意したものであった。過去、そして現在に至るまでノルニルという姓を持つ女たちの力となってきたように、それが主としての自分の役目である、と。

 

 だから、

 

「紅葉」

「……はい?」

「俺は、君の味方だ。それだけは、信じておいてくれ」

 

 口を彼女の顔に近づけ、囁くように秋雅は言った。王がどうとかは関係なく、今だけは、こればかりは、ウル達にも聞かせようとは思わない。だから、ただ紅葉にだけ秋雅はその言葉を囁く。そうすべきであると、理屈ではなくそう判断した。

 

「え……?」

 

 突然のその言葉に、紅葉は目を丸くし、すぐ目の前にある秋雅の顔を見つめる。そこにある真剣な面持ちの彼の表情をしばし呆然と見つめた後、ふっと彼女の身体から力が抜け、彼女の表情に安堵したような笑みが浮かぶ。

 

「――じゃあ、信じます」

 

 秋雅に返すように、紅葉もまた彼の耳元で囁いた。からかうように、しかし真剣な声音で、彼女は確かに、秋雅の言葉に応える。そのことに、秋雅の頬も僅かに緩む。

 

「では、そういうことで」

「ええ、そういうことで」

 

 言い合い、共に微笑を浮かべあう。これで良い、そんな根拠のない安堵と自信が、秋雅の中には生まれる。

 

 

「…………突然どうしたんですか、稲穂さん?」

 

 そんなところで、怪訝そうな表情をした三津橋に声をかけられた。自分が話していたと思えば、突如二人が耳元で囁きあっているのだから、その反応は正常な反応であろう。見れば、五月雨もまた三津橋を同じような反応を示している。もっとも、背後にいるウル達だけは、何故か楽しげな雰囲気を感じ取る事が出来たが、それもまたある意味では合っているのだろう。

 

「何でもない。ただ、私の大事な部下と重要なことを話していただけだ。そうだな、紅葉?」

「はい、そういうことです!」

 

 元気よく、笑顔を浮かべて紅葉は応える。その笑顔に、秋雅もまた満足と共に、その口の端に微笑を浮かべる。背後より感じられる、くすくすという忍び笑いに関しては努めて気にしないようにしながら。

 

 

 

 それからは結局、それ以上三津橋の口から紅葉の父の事が語られることもないままに時間は過ぎ、とうとう秋雅の住むマンションへと辿り着いた。

 

「では、明日は私が皆様をお迎えに上がります」

 

 五人が降りた後、ふと五月雨がそう告げる。

 

「五月雨室長が?」

「はい。現在福岡分室で手隙の女性室員は私のみですので。皆様も、男性よりは私が参ったほうが精神的負担は減るのではないかと思いますが」

「そうだな……」

 

 ちらりと秋雅はウル達を見る。その視線にウルが頷きを返したのを確認して、秋雅は五月雨に向き直り、肯定の言葉を投げる。

 

「よろしく頼む」

「はい、では今日は失礼致します」

「何かありましたらお電話を」

 

 最後にそう言って、正史編纂委員会の二人はその場を離れた。離れていく車の姿を何となしに見送った後、さてと秋雅は四人に向き直る。

 

「じゃあ、とりあえず俺の部屋に行くぞ。部屋割りに関しても決めないといけないしな」

 

 うん、と秋雅の言葉に頷いて、四人はそれぞれ荷物を持って秋雅の後に続く。

 

「そう言えばさ、全員秋雅の部屋に集まって、てのは駄目なの?」

「ソファと床で寝たいのか?」

「いや、秋雅のベッドとか」

「入ってもう一人程度だし、俺はあまり睡眠を他者と共有したいと思うタイプじゃない」

「同感ね」

「淡白な恋人同士だこと」

「と言うか、それで紅葉はどうしていたの?」

「隣の応接用の部屋のベッドで寝ていました。まあ、食事と一緒で別に寝なくても良いんですけど」

「あら、そうなの?」

「ええ。だから時々、一晩中本を読んでいたりもしました」

「へえ、そうなんだ」

 

 そんな事を話しながら、四人はエレベータに乗り、秋雅の所有フロアに着き、そして秋雅の部屋の前へと辿り着く。秋雅が鍵を開けて中に入り、それに四人も続く。リビングに入ってすぐ口を開いたのは、やはりというべきか、ヴェルナであった。

 

「おー、これが秋雅の部屋かあ。結構いい部屋だね」

「元はあっちの家と同じく献上品だがな。ま、中々に悪くない住処だよ」

「とはいえ流石に五人が共同生活をするにはちょっと手狭ね。他の部屋は?」

 

 ぐるりと部屋を見渡してのウルの質問に、そうだなと秋雅は腕を組む。

 

「この部屋の両脇は空いている。一応客を泊める事も想定して作っているから、それぞれ寝室が二つ。とりあえず今はその二つに二人ずつ泊まっておいてくれ」

「じゃあ、紅葉は私と一緒ね。ついでにその体質のこととか色々聞かせてよ」

「はい、分かりました」

 

 秋雅の指示を聞いて、すぐさまヴェルナが紅葉を誘い、紅葉の方も快諾する。それを見たスクラはやや残念そうに肩をすくめ、やれやれとウルに視線を向ける。

 

「あら、取られちゃったわね。じゃあ姉さんは私と一緒で」

「そうしましょうか。それじゃあ、食事は共通してここで取るということにしておきましょう。ただ、毎食そうするというのも面倒でしょうし、夕飯だけ基本的にここということで」

「そうするか。とはいえ、今日はこれから夕飯を作るのは、流石に面倒だな」

「食材もあんまりないはずですしねえ。あ、そうか。よく海外に行くからあんまり買い溜めしていなかったんですね」

「そういうことだ」

 

 今気付いた、と手を叩いた紅葉に、秋雅は首を縦に振る。何かと日を跨ぐ外出の多い生活を送っているせいで、あまり足の早い食材は置けない。小さいが、秋雅にとっては地味に悩みの種となっていることである。

 

「じゃあ、出前でも取る?」

「外に食べにいくって選択肢もありますよ。あ、でもウルさんたち的に外食は厳しいですかね?」

「個室があればいいかな、って感じだよ」

「ああ、ちょっと待て、お前達」

 

 紅葉たちの検討を遮って、秋雅はリビングにある本棚からバインダーを取り出し、それをウルに手渡す。

 

「ここに俺の個人的な知り合いがやっている店のリストを纏めている。どれも個室ありの店だからお前達も大丈夫だろう」

「マメね、貴方。じゃあお言葉に甘えて」

「んー、日本って言ったらやっぱりスシじゃない?」

「テンプラ、も有名よね」

「たこ焼き、はないのかしら。前から興味があったのだけれど」

「基本的にたこ焼きは夕食用じゃないですよ、ウルさん。そっち系統ならお好み焼きじゃないですかねー」

 

 和気藹々と、女性陣がリストを見ながら楽しげに話しているのを横目に見つつ、秋雅は携帯電話を取り出す。そのままど電話をかけようとしたところで、ふと四人に目を向け、口を開く。

 

「確認しておくが、それぞれの明日の予定は?」

「私は予定通り委員会の設備を借りてVW-01の最終調整をするつもり。結局インドじゃ最後まで出来なかったから、明日で仕上げるよ」

「私も、秋雅用の銃の仕上げをすることにしているわ。同じく明日には渡せる、と思う」

「私はその二人の付き添い、と秋雅から依頼された情報収集ね」

「えーっと、私はどうしましょう?」

「何もないなら紅葉は俺と一緒に行動だ。お前の死の真相をいい加減探らんとな。家、高校の近くだったよな?」

「ええ、そうです」

「じゃあ明日はとりあえずそこに向かうぞ。俺はその為の足の手配をしておくから、その間にお前達は店を決めておいてくれ。そっちにも電話をしないといけないから」

 

 はーい、と四人が返事をしたのにくすりと笑いながら、秋雅は改めて知り合いに電話をかけるのであった。

 




 とりあえず今回はワンクッション。次回から紅葉の話を本格的にやっていくつもりです。




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背中に感じる存在






 『足』を取りに行く、と秋雅が紅葉に言ったのは、朝方、ウル達が五月雨の運転の元マンションを出た、そのすぐ後のことであった。それに紅葉が否というわけもなく、すぐに秋雅に続いて外に出る。炎天下、とまではいかないが未だに暑さの残る青空の下、先導する秋雅に対し、ふと紅葉が口を開いた。

 

「ところで秋雅さん、『足』を取りにいくって言いましたけど、委員会の人に準備してもらわないんですか?」

「彼らに頼むとどうしても仰々しくなってしまうからな。俺の立場って物を考えるとそれも当然といえば当然なんだが、そうじゃないほうが都合良い時もある」

「今回もそうだ、ってことですか?」

「住所を見る限り君の家と俺の家はそう遠くないようだからな。知り合いに見られる可能性を考えると目立つ車に乗るのはちょっと、な」

「ああ、そういうことですか」

 

 うんうん、と秋雅の言葉に納得がいったように紅葉は何度か頷く。それを横目に見ながら、それに、と秋雅は続ける。

 

「文字通りたまには趣味に走りたいからな、俺も」

「趣味? 秋雅さんって運転が趣味なんですか?」

「運転と言っても、車じゃなくてバイクの方だけどな」

「バイクですか?」

 

 意外だ、というような表情で紅葉が首を傾げる。

 

「ああ。車の運転も出来るが、どうにも俺にはバイクの方が性にあっているみたいでな。時々知り合いから借りて走っているんだ」

「じゃあ、今日もバイクで?」

「ああ、知り合いにバイクの販売、改造を行っている奴が居る」

「販売はともかく、改造って大丈夫なんですか?」

「よっぽど無茶苦茶しない限りは合法だ…………体制に知られていなければ、な」

 

 最後は小さくつぶやき、秋雅はそれ以上の説明を打ち切る。話そう、と思えば話しても問題ないものでもあるが、流石にそこまで語ると話が逸れすぎる。そのうち、また機会があれば、というのを言外にも醸し出すと、紅葉もまたそれを察したのか、なるほどと頷いて終わる。

 

「ああ、そうだ。今更で悪いが、バイクに乗った経験は?」

「生憎と運転する方も後ろに乗る方も経験はないですね。少し楽しみです」

 

 言葉だけでなく、紅葉はその顔を綻ばせることで期待感を秋雅に示す。その事に微笑ましさを秋雅が感じる中、ところで、と紅葉は小首を傾げた。

 

「秋雅さんは何でバイクが好きなんですか?」

「特にこれといったものがあるわけじゃないんだが……強いて言うならスリルか?」

「スリル、ですか? こう言ってはなんですけど、秋雅さんの場合、バイクじゃなくてもスリルを感じる場面はいくらでもあるんじゃないですか?」

「まあ、そうなんだけどな。その気になればバイクよりも速く走る事だって出来ないわけじゃない」

 

 ただまあ、と秋雅は軽く後頭部の辺りをかきながら言う。

 

「人間らしいスリル、って言うのかな? カンピオーネであるとかまったく関係ない、普通の人間らしい感覚を思い出せる、ってのが好きなんだろうな、たぶん」

「んー……分からないでもないですけど……」

 

 何と返したらいいのだろうかと言いたげに、紅葉は悩む素振りを見せる。そんな彼女の様子に秋雅は思わず苦笑をこぼす。まあ実際、秋雅自身でもよく分かっていない感情なのだ。分かってもらいたい、と強制するようなものでもない。

 

「まあ、あんまり理解しようとしなくて良いさ。職業病の逆みたいなもんだし、あんまり他人に理解されるような理屈でもない」

「だからって切り捨てるのもなんか気が引けるんですよねー」

「そういうもんかね」

「なんて言ったって従者ですから、私」

「その理屈も、中々理解しにくいな」

 

 そう言って、二人して顔を見合わせて笑う。何となくだが、どうにもよく笑っているなと、秋雅は紅葉の名前を聞いてからの数十時間の自分をそう評した。愛おしい、というわけでは勿論ないが、何だろうか、案外この女性は、こちらに安堵を感じさせるのだ。適度に気を抜けられる、とでも言えばいいのだろうか。とにかく、そういうタイプの相手である。まあ当然、秋雅にとっての一番の女性はウル・ノルニルのみであり、その手の感情を紅葉に対し抱いているわけではないのだが、まあ何にせよ、能力や性根に限らず、やはり人材には恵まれている、と秋雅は心から思うのであった。

 

 

 

 そんな一幕からしばし、秋雅と紅葉は自分達が交わした会話にそれぞれ思いながら、ようやく目的地へと辿り着いた。大通りからいくらか外れたそこにあったのは、ひどく小さな町工場といった雰囲気の建物だ。入り口らしきやや大き目の扉の奥からは、何かの機械の駆動音らしきものが小さく聞こえてくる。

 

 そんな建物が鎮座する敷地の入り口、そこに一人の男性が立っていた。当初男はぼうっと空を見上げながら壁に背を預けるようにして立っているだけであったが、そちらへと向かって来ている秋雅の姿を視界に収めるやいなや、その顔に喜色を浮かべて秋雅へと大声で呼びかける。

 

「よう大将、待っていたぜ!」

 

 そう声をかけてきたのは、三十は超えているだろうかという見た目をした、がっしりと体格の良い男であった。顔は程よく日に焼けており、笑みを浮かべるとしわがやや深い。服の上からでも分かるほどに筋肉がついていて、暑さの所為か少しばかり汗の匂いがする。だが、不思議と圧迫感や不快感などは覚えなることはない。それは彼が浮かべている歳不相応な人懐っこい笑みの為であろうか。

 

 そんな男の挨拶に軽く手を上げて応えた後、秋雅は差し出された右手を強く握り返す。その顔に浮かんでいるのは彼が時折浮かべる勝気な笑みだ。

 

「待たせたな。少々話しながら歩いたせいで遅れた」

「別に気にはしねえさ。今は結構時間があるからな。そんで? そっちが大将の同行者か?」

 

 そう言って、男は興味深そうな視線を秋雅の後ろに立つ紅葉へと向ける。二人の会話に不思議そうな表情を浮かべていた彼女であったが、男の注目が自分に向いたと気付き軽くその頭を下げる。

 

「初めまして、草壁紅葉と言います」

「一応ここの持ち主の神田功ってもんだ。よろしくな、お嬢ちゃん」

 

 お嬢ちゃんという呼びかけ――享年としては十八なのだが、おそらくは平均よりも低いその身長の所為だろう――にやや首を傾げたものの、まあいいかと紅葉は差し出された手を握り返す。

 

「よろしくお願いします」

「おう」

 

 にかっと笑う神田の手は見た目の印象に違わぬ、大きくごつごつとした手だ。握りなれぬその感覚に紅葉は面白そうげに目を細める。

 

「……ちょいと聞くがお嬢ちゃん、まさか稲穂の大将の『コレ』かい?」

 

 手を離した後、ふと興味深そうな目を紅葉に向けながら、その小指を立ててみせる。何とも古典的な表現ではあったが、その意味は十分に紅葉にも伝わったらしい。神田のジェスチャーに対し、彼女は笑って横に手を振る。

 

「まさか、私は秋雅さんの部下みたいなものですよ。第一秋雅さんにはウルさんっていう素敵な恋人さんがいますし」

「そうなのか……って恋人がいるのはマジなんだな。しかも名前から察するに外人さんか?」

「まあな」

「ほーん、まあ大将なら誰が恋人だろうが納得できるけどよ。つうか、部下のお嬢ちゃんを恋人よりも先に後ろに乗っける、ってのはどうなんだ?」

「生憎と、彼女は二輪よりも四輪が好きなのさ。そして彼女は自分でハンドルを握るのが好きな性質なんでね、俺はもっぱら同乗者だ……ああ、それで思い出したが、お前の知り合いに車を扱っている奴はいるか?」

「んー、そう聞くって事は普通の車じゃない方が良いってことかい?」

「弄っている奴のほうが、やれる事が多いのは確かだな」

「そりゃそうだ。ま、大将には世話になっているし、ちょいと知り合いにカタログでも作らせてみるか」

「感謝する……じゃあ、そろそろ本日の主役を持ってきてもらっていいか?」

「おっと、そうだったな。ちょっと待っていてくれ」

 

 額をペチンと手で叩いた後、神田は急いで建物の方へと走っていく。その背を見ながら、紅葉が口を開いた。

 

「ところで秋雅さん、大将って何ですか? 秋雅さんの態度も結構フランクでしたけど」

「あだ名だよ。前に魔術がらみのトラブルに巻き込まれているところに偶然出会ってね、見捨てるのもなんだったから適当に助けたんだが、まあ色々あってこんな感じになったんだよ」

 

 歳の差のわりに、と疑問を口にする紅葉に対し、秋雅は何でも無いように答える。何ともざっくりとしていて説明にもなっていないものであったが、とりあえずそれで納得できたのか、それ以上は聞かず紅葉は頷く。おそらくは秋雅ならばさもありなん、とでも思ったのであろう。

 

 そしてしばし、というほどの時間が経つでもなく、神田が一台のバイクを押しながら二人の元へと歩いてきた。

 

「待たせたな、大将にお嬢ちゃん。お望みのバイクだ」

 

 そう言いながら彼が見せたのは、バイクと言えば、と誰もが想像しそうな普通のバイクだ。大型というわけでもなく、奇抜なデザインや飾りをつけているわけでもないという、いたって一般的なバイクである。

 

「二人乗りをするって最初から聞いていたからな。いつもみたいなやつとは違ってあんまり弄ってねえ。操縦性をちょいと上げた程度でエンジンとかはほとんどノータッチだから、あんまり無茶苦茶な運転は出来ねえからな」

「サーキットならともかく、公道を爆走する趣味はない。必要に駆られれば話は別だが」

「大将の場合はその必要性ってやつが簡単に生じそうだからなあ。まあ、その辺りは一応信用しているぜ。料金はこの前一括で払ってもらったばかりだし、また今度ってことで」

「毎度思うが、こまめに払った方がそちらとしても楽じゃないのか? 改造費も少なくないだろう」

「そう思うなら大将よ、もうちょいこっちに払う分を抑えてくれや。アンタが毎度馬鹿みたいな金額を渡してくるから、逆に纏めてしまわないと受け取るのが恐れ多すぎるんだよ」

「そう思うならここの経営状態をもう少しどうにかしろ。裏帳簿の赤字、誰の金で補填出来ていると思っているんだ」

「しゃーないだろ、結構ギリギリの金額で提供しているってのに、それでも足元を見てくる奴が多いんだからよ」

「だから言っただろうが、俺がどうにかしてやろうかって」

「そこまで大将におんぶに抱っこは流石に気が引けるんだよ」

「今更だと思うがなあ、大体――む?」

 

 ふと、秋雅は傍らの紅葉があらぬ方向を向いていることに気付いた。秋雅達の会話に興味がない、というよりは、二人の会話を耳に収めぬように全力で気を逸らしているように見える。考えてみれば直前の会話内容は中々に胡乱なものであったので、精神衛生か何かの為に聞かぬようにしていたのであろう。よくよく見れば、その首筋には一筋の冷や汗すら――霊体であるにもかかわらず――流れていた。

 

「……いや、その辺りはまた、ということでな」

 

 その事に気づいた秋雅はそう言って話を切り上げる。突然の切り上げに神田はやや怪訝そうな表情を浮かべ、紅葉はホッと安堵の息を吐く。

 

「ん? まあ大将がそう言うならいいけどよ。んじゃ、ほいこれ」

「ああ、悪いな。紅葉も」

「え? ああ、はい」

 

 神田が差し出した二つのヘルメットを受け取り、そのうちの一つを紅葉に渡す。そしてそれを被ろうとした所で、秋雅はそのヘルメットが通常のそれと異なることに気がついた。

 

「これは、マイクか?」

「ああ。二人乗りだって聞いたからな、走行中も互いに会話ができるようにくっつけておいた。滅茶苦茶短距離用だから、基本的に二人乗りしているときぐらい密着していないと使用できないと思っていてくれ。まあ、あんまり安全上良くはないだろうが、大将ならこれで事故るってこともないだろうさ」

「感謝しておくよ」

 

 神田の計らいに微笑を浮かべつつ、秋雅は用意されたバイクに跨る。そして渡されたヘルメットを被った後、

 

「紅葉」

 

 と、紅葉に対し手を差し伸べる。

 

「はい」

 

 それに、紅葉もヘルメットを被った後、差し出された手を掴み、促されるように秋雅の後ろに座り、ぎゅっとその身体に抱きつく。

 

「じゃあ、また後で返しに来る」

「ごゆっくり、だ」

「ああ」

 

 神田に軽く手を上げて感謝の意を示し、秋雅はバイクのエンジンをかける。紅葉がしっかりと自分の身体に抱きついている事を確認した後、神田に見守られる中でバイクを発進させたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅葉の家――正確には彼女が高校一年生まで住んでおり、大学生に入学するにあたって戻ってきた生家だ――は秋雅が通っていた高校の近くにある。それはつまり秋雅の実家と彼女の家は距離的にそう遠くないということである。そして現在秋雅が住んでいるマンションから彼の実家までは、普段秋雅も電車等を使って移動する程度には距離がある。だからこそ秋雅は今の大学に通っているとも言えるのだが、まあそれはともかくとして、その距離をバイクで移動しようと思うとまあ多少は時間がかかる。それこそ、ちょっとした内緒話を行うには十分過ぎる時間が、である。

 

 

 だからこそ、

 

「――それでは、そろそろ話を聞かせてもらおうか」

 

 ふと、そんな風に秋雅が切り出したのは、彼がバイクを走らせ始めてから十分ほどが経った時であった。

 

「え?」

 

 突然の言葉に、紅葉は驚いたような声を漏らす。しかし、そんな彼女の反応など聞いていないかのように、秋雅は前を向いたまま――運転中であるので当然だが、それだけではないのかもしれない――自分に身体を預けている紅葉へと言葉を投げる。

 

「君の家族のことだ。ここまでは聞かずにいたが、君の家に向かう以上そろそろ聞かないわけには行かないだろう……君が父親に対し、如何様な感情を抱いていようとも、な」

「……気付いていたんですか」

「今までの会話の内容から、君が父親、あるいは他の家族に対しても、何か思うところがあることは察していた。今まで聞かなかったのは、余人に聞かせたくはなさそうだったからだ」

 

 例えばロンドンでの再会の時であったり、あるいは昨日の三津橋との会話であったりと、紅葉が家族というものに何かを抱いているということを秋雅は感じ取っていたのである。まあ、これに関しては秋雅が聡いというよりも、紅葉がわかりやすかったと評するほうが正しいだろう。彼女はどうにも、案外素直な女性なのである。

 

「正直に言えば、個人的には他人の心の内をむやみやたらに暴き立てる、というのは趣味じゃない。ただ、必要とあればやらなければならない立場にあるのは確かであるし、それは俺も受け入れていることだ」

 

 単なる言い訳か、あるいは辛うじての説得であるのか。どちらとも分からぬ事を秋雅は口に出す。無言のまま秋雅の言葉を聞いている紅葉に、秋雅はさらに続ける。

 

「状況を考えると、君の父親が君の死に対し何らかの形で関わっている可能性は決して少なくない。であれば、君の父親の事を知る必要が生じてくる。理由こそ不明ではあるが君が家族のことに対し言いたくないのは分かる。だが、今回ばかりは主として命令してでも話してもらわないといけない」

 

 

 

 だから、

 

 

 

「――稲穂秋雅が主として命ずる。草壁紅葉、隠している事を話せ」

 

 

 そう、秋雅は命じた。そして、互いに口を開かない長い沈黙の後、

 

 

「分かりました」

 

 

 決心したように紅葉はその言葉を口に出した。

 

 

「すみません、秋雅さん」

 

 続いての紅葉の言葉は謝罪の言葉であった。そのことに、秋雅は怪訝な調子で尋ねる。

 

「すまないとは、何がだ?」

「きっかけ、秋雅さんに作らせちゃいましたから。本当なら、私の方から言うべきだったのに」

「……いや」

 

 紅葉の言葉に、思わず秋雅は黙り込んだ。どう反応するのが正しいのかが咄嗟にわからなかったからだ。礼を言われるのはお門違いだ、というのは簡単だが、しかし本当にそう口に出してしまうというのも気が引ける。結局の所、思ったよりも紅葉が秋雅の従者としての立場に積極的であったというのが、秋雅の困惑の原因であった。

 

 

 

 そんな、バイクの運転音などを置き去りにしたかのような沈黙が、二人の中に生じていた中、

 

「……秋雅さんは、ご両親をどう思っていらっしゃいますか?」

「は?」

 

 突然、紅葉が秋雅にそんな問いを投げかけた。紅葉へどう答えるべきかと悩んでいた秋雅は、その突然の質問に面食らったような反応を見せたものの、

 

「……尊敬に値する両親であり、弟や妹達を含め、愛すべき家族であると思っているが」

 

 質問の意図は分からなかったが、秋雅はすぐさまそう答えた。話の流れは分からずとも、これだけは絶対に断言できると、そんな意思を込めた返答だった。

 

「愛されているんですね、ご家族は……そして、ご家族も秋雅さんを愛していらっしゃる」

 

 秋雅の返答を聞いて、紅葉は小さくそう呟いた。そんな紅葉の態度に、少しばかり状況が見えてきた秋雅は、あえて彼女に問いかける。

 

「……君の家は、愛のない家庭だったのか?」

「愛がない、というわけではなかったんです。ただ、それが私達には向けられていなかったというだけで」

 

 

 ぽつぽつと、紅葉は語り始める。

 

 

「……私の両親は、所謂幼馴染だったそうです。物心ついた頃から一緒にいて、そして互いを恋愛対象としてみるようになって、当然のように結婚したと聞いています。だから、二人は互いを本当に愛し合っていました。子供の私にも、それはよく伝わっていました……だけど、結局はそれだけです。自分達は愛しても、両親は私達を愛さなかった」

「……それは、虐待を受けていたということか?」

「いいえ、違います。むしろ家庭内は円満で、一般的な観点から見れば幸せな家庭というものにカテゴライズされていたと思います。生活に不自由したことはなかったし、大抵の頼みは聞き届けてもらえました」

「ならば、何故愛されなかったと?」

「――笑顔、ですよ」

 

 はっきりと、紅葉は言った。

 

「笑顔?」

「ええ。両親が私達を見る目は、どこか冷めていました。椿――妹はそうは思っていなかったみたいだったけれど、私にははっきりと分かっていました。両親にとって、私達はあくまで自分達が幸せな家庭を築いているということを示す為の手段(・・)に過ぎなかった、と」

 

 淡々と、秋雅の数度の問いにもまるで調子を崩すことなく、紅葉はまるで原稿を読んでいるかのような口調で言う。

 

「休みの日に遊園地へと連れて行ってくれた事がありました。家族で旅行に行ったこともありました。学校に授業参観に来たこともあったし、何かあれば心配もしてくれました」

 

 その全てが気持ち悪かった(・・・・・・・・・・・・)、と紅葉は吐き捨てた。

 

「両親の何もかもがまるで演技のように見えました。心配も、アドバイスも、遊びも、励ましも、その全てがまるで台本を見ながらやっているようにしか見えなかった。唯一本心だと思えたのは、両親が互いを見ているときだけ。私と妹を見る目には、決して『愛』なんて言葉は存在してなかったんです」

 

 ぎゅっと、紅葉が秋雅の胴に回す手の力が強くなる。まるで秋雅から離れたくないとでも言うかのように、紅葉は秋雅の背に身体を預けようとする。

 

「……夫婦は愛しいと思うから、だから愛し合う。でも、親は愛するべきだと思うから、子供を愛する。家族なんて、案外いびつな繋がりなんです。それが、私が人生で学んだことの一つです」

「それは……そうかも、しれないな」

 

 本当は、その言葉を否定するべきであったのかもしれない。だが、秋雅はその言葉を否定しなかった。温かな家族を得ている自分だからこそ、彼女の言葉を否定する資格がないと、そんな風に思ったのだ。何を言ったところで、一人の人間が人生の中で得た『真理』を、他人が容易く否定できるものではないのだ、と。

 

「四年前に母が亡くなってから、父は私達のことなんてろくに気に掛けなくなった。引越しだってある日突然決まったし、その理由は終ぞ教えてくれなかった。私がこっちの大学を受けると言った時も、父はそうかの一言で済ませました。私にこっちの家の鍵だけをよこして。もう、演じる気すらなくなったんでしょうね」

 

 

 ――だから、こっちに戻ってきたんです。

 

 

 項垂れるように、秋雅の背に頭をつけて、紅葉はそう言った。そこに篭っている感情は、秋雅を抱きしめるその手が震えていることから、察するに余りあった。

 

「……笑える話です。こっちに戻って、卒業後はそのまま適当に就職して、そして椿を呼び寄せて二人で生活する。そんな風に思っていたのに、結局私はその第一歩から踏み外してしまった。秋雅さんたちと会えた事は良かったと思っていますが、私の人生そのものには、本当に笑わずにはいられない……本当に、滑稽な話ですよ。何で、こんなことばっかり思い出しちゃったんでしょうね」

 

 そう小さく呟いて、紅葉は力なく笑う。

 

 

 

 背中越しに感じるその身体の震えに秋雅は、車であれば頭を撫でることもできたのにな、とそんな事を考えてしまう。

 

 

 

 

 結局、その十数分ほど後、秋雅が何か行動を起こすよりも早く彼が運転するバイクは目的地である紅葉の家の前へと辿り着いてしまう。

 

 だからであったのだろうか。

 

「――さあ、じゃあ頑張って調べてみましょうか」

 

 到着した途端、紅葉は道中のことなどなかったかのように、いつもの笑みを浮かべながら、いつもの調子でそう言った。

 

「ああ……そうだな」

 

 だから、秋雅が最後に思ったことも終ぞ表に出ることなく、そのまま、まるで何事も無かったかのように、元の二人に戻るのであった。

 




 ちょっと無理やり纏めたので変な感じもしますが、紅葉の話に関してはこの時点でやっておく必要があったので強引にねじ込みました。もう少し秋雅の動きを考える必要があったかもと思いつつ、まあとりあえずこれで。次回は紅葉の死に関しての話題。父親がどうかかわっているかとかも書く、予定です。



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地下に『在った』もの






「秋雅さん、バイクはこっちに止めておいて下さい」

「ああ、分かった」

 

 紅葉の指示に従い、秋雅はバイクを草壁家の庭へと運ぶ。一般的な庭付き一戸建てにしても少々広めなその庭を見ると、確かに金銭的な不都合はなかったのだろうと感じられる。そもそも、引っ越したにもかかわらずこのような立派な家を所持し続けたということを考えれば、草壁家が裕福な分類にはいることは間違いないだろう。

 

 しかし、だ。

 

「委員会の給料だけでこうも出来るものかね」

 

 正史編纂委員会、という組織に密接なかかわりのある秋雅から見ると、そのような事を出来るほど委員会は金払いの良い組織ではないという疑問がある。危険給なども踏まえればそれなりに高給取りにはなるだろうが、しかしそれだけで本当に足りるかと聞かれると首を傾げてしまう。

 

「……まあ、今はいいか」

 

 結局の所、可能性はいくらでもある。今ここで秋雅が一人で考えたところで正解を導き出せるというものでもない。だったら本命を調べる傍らに、ついでに調べてみれば良いだけの話だ。

 

「秋雅さん! ちょっと問題が発生したんですけど、来てくれませんか?」

「ああ、今行く」

 

 まずはこっちが先決だ。そう思考を切り替えて、秋雅は自分を呼んでいる紅葉の元へと向かう。

 

 

「なんだ?」

「いやその、鍵が……」

「鍵? ……ああ、そうか」

 

 鍵がないのか、と紅葉の反応に、秋雅は今更ながらにその存在を思い出す。失念していた、と軽く頭をかいた後、紅葉に代わって戸の前に立つ。

 

「ちょっと待っていろ」

 

 そう告げ、秋雅は『解錠』の魔術を使う。正直、あまり使い慣れているわけでもないので、あまり自信はない。失敗したら壊すか、などと考えながら行使したところ、幸いなことに、すぐにかちゃりと鍵が開く音が響く。

 

「開いたぞ」

「凄いですね。今のも魔術ですか?」

「初歩的なそれだがな」

 

 紅葉の感嘆に、心の内のことなど微塵も表に出さず、なんでもないように玄関の戸を開ける。特に何の変哲もないその玄関に足を踏み入れた所で、秋雅は大きな違和感を覚え、呟く。

 

「……やはりか」

 

 外に居たときから薄々は感じていたことであるが、どうも家の中に結界の類が張られているようだ。ただ、結界と言っても人の出入りを妨げるようなものではなく、その結界内の呪力の気配などを外に漏らさないようにするようなタイプであるらしい。現に秋雅は何の問題もなく足を踏み入れる事が出来たが、代わりに外からは感じ取れなかった呪力の気配が突然秋雅の近くを刺激し始めている。魔術師の家だから、と言ってしまえば簡単だが、しかしどこか不自然さがあるのもまた事実だ。

 

「紅葉、君の父親の部屋は何処だ?」

「え? 一階の奥、ここから見て右手の辺りですけど」

 

 その方向は、秋雅が今しがた感じている呪力の発生源と同じ方向だ。やはり、という思いが秋雅の胸中に生まれる。

 

「ところで、紅葉。君が亡くなった場所についてだが、まだそれに関しては思い出せていないんだよな?」

「はい、すみません」

「いや、責めているわけじゃないんだ」

 

 当然のことながら、紅葉の死の真相を調べるに当たって、秋雅も彼女からいくらか聞き取り調査は既に行っている。ただ、記憶がまだ戻っていないということなのか。彼女が覚えていたのは家で入学の準備を進めていたところまでで、それからどうあって死につながる事件が起きたかについては、未だ闇の中なのだ。

 

「とりあえず、その父親の部屋から調べてみることとしよう」

「分かりました」

 

 彼女のその特異な体質を踏まえると、その真相の一端が父親の部屋にある可能性はないこともない。そう考えた秋雅はいの一番にそこを調べることに決めた。普通に考えてそこが最も怪しい場所だから、それ以上の理由は必要ないだろう。

 

 

 

 そういうわけであるので、紅葉と共にそちらへと向かおうとした秋雅であったのだが、

 

「……紅葉、ストップだ」

「はい?」

 

 突如、秋雅はその足を止める。突然の制止に首を傾げる紅葉に対し、秋雅は今しがた通り過ぎようとした部屋に目をやりながら口を開く。

 

「紅葉、この部屋は何の部屋だ?」

「え? 何の変哲もない物置部屋ですけど、それが何か?」

「この部屋に何かある気がする」

 

 特に変を感じ取ったわけではない。だというのに秋雅がそういったのは、彼の中の理屈じゃない部分、所謂勘と呼ばれるものが秋雅にそう囁いたからだ。根拠があるわけではないが、こういう時の自分の勘はよく当たると秋雅は経験則でよく知っている。

 

 だから、秋雅は予定を変更しそのドアのノブを捻る。そうして中を覗きこんでみれば、そこにあるのは確かに紅葉の言う通り、雑多に物が置かれているだけの普通の物置部屋だ。

 

「……ビンゴ、だな」

 

 秋雅の視線がピタリとその部屋の床へと引き寄せられる。そこから感じられるのは紅葉の父親の部屋から感じられるものよりもさらに強く、そしてより隠匿されている気配のする呪力だ。あちらを『隠されていた』と評すのであれば、こちらは『漏れ出ている』と評するのが正しいだろうか。大きな違いではないと思うかもしれないが、確実にその重要度はこちらの方が大きいと言えよう。

 

「紅葉、ここに地下室などはあるか?」

「はい? そんなものないはずけど……?」

「なら、君たちには隠されていたということだろうな。まあ、当然の話だが」

 

 膝をつき、秋雅は気配の感じられる周辺の床を探る。すりすりと、素人目には床を撫でているようにしか見えない動きをとる秋雅であったが、

 

「――これだな」

 

 とても小さい上に薄く、意図して目立たないように描かれた魔法陣を秋雅は発見した。魔法陣は専門ではない――そもそも今の魔術界において魔法陣の専門家自体があまり居ない――秋雅であるが、状況を考えればこの魔法陣の機能など察せるというものだ。

 

「紅葉、少し下がっていろ」

 

 念のため紅葉を少し下げた後、秋雅は魔法陣に呪力を注ぎ込む。物が非常に小さな魔法陣であるのであまり呪力を注ぎ込み過ぎないようにして――それでも、全体量の都合上随分と多い呪力を注ぎ込んでしまったが――秋雅は魔法陣を起動させる。

 

 

 同時、秋雅のすぐ隣の床の一部がふっと姿を消し、代わりに下へと続く階段が現れる。おそらくは魔術により元々あった床を一時的に消しているのであろう。それほど大きな物ではなく、一度に通れるのは一人といった程度の階段だ。

 

「これって……」

「気配が強くなったか。この先で間違いなさそうだな。紅葉、君は――」

 

 よりいっそう強くなった、呪力の気配。地下から感じられるそれに確信を抱きつつ、背後にいる紅葉に指示を出そうと秋雅は振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、

 

「――紅葉?」

 

 明らかに、紅葉の様子がおかしい。その目は焦点を結んでおらず、虚ろに地下への入り口を見つめている。

 

「ここは…………」

 

 何事かを呟いて、紅葉はふらふらと地下への階段に足を進める。その足どりはおぼついておらず、見るからに危なっかしい。

 

「紅葉、待て!」

 

 だから、当然のように秋雅は彼女へと手を伸ばす。しかし、その手は虚しく空をきった。目測を誤った、というわけではなく、紅葉が実体化を解いている為だ。おそらくは無意識、というか実体化を維持しようという思考自体が抜け落ちてしまっている、ということなのだろう。どう見ても、紅葉の意識は秋雅に向いていない。

 

「私は……あの日……」

 

 ぶつぶつと何かを呟きながら、紅葉は怪しい足取りで階段を降りていく。時折、思い出したかのように紅葉の身体は実体化し、そして実体を失うということを繰り返す。そんな状態でも見かけ上はきちんと階段を踏み降りているように見える様は些か滑稽でもあったが、それを笑う余裕は秋雅にはない。

 

「ちっ、迂闊に手は出せんか……!」

 

 タイミングを見て引き止めようにも、実体化とその解除のタイミングを見誤り、彼女の身体の中に秋雅の腕なりがあるときに実体化をされてしまった場合、何が起こるか分からない。その所為で、秋雅は歯噛みしつつ彼女が階段を降りていく様子を見守ることしか出来ない。

 

「着いていくしかないというのは、実に気に入らないが……」

 

 仕方がない、と秋雅は紅葉の後に続き階段を降りていく。本来であれば自分こそが先導すべき立場であるという事、そして何よりも、こうなる可能性を少しでも考える事が出来なかったという事が、秋雅にとって実に不愉快極まりないことであり、そして後悔すべきことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さんが……あの中心で…………私は……」

 

 ぶつぶつと呟きながら階段を降りていく紅葉に続き、秋雅もまた地下へと歩みを進める。思いの外深いその階段の壁には、所々照明が取り付けられており、入り口の開閉に連動して点灯したのか、神妙な表情で降りていく秋雅の足元に小さな影を生み出している。

 

「……どうにも、嫌な流れだな」

 

 ぽつりと、前を歩く紅葉を見ながら秋雅が呟く。このまま続ければ何か、紅葉にとって良くない事が起こりそうな予感があった。さらに言えば紅葉の反応から、この先に何があるのか、あるいは何があったのかということが何となく察せてしまうというのも、その予感に拍車をかけている。であるというのに、これから起こるであろう事をただ見ることしかできないという事は、秋雅にとって忸怩たる思いであった。

 

「まったく……俺は、肝心な所で詰めが甘い」

 

 そう、自身が感じている焦燥を少しでも吐き捨てる。そのぐらいしか、秋雅に出来ることはなかった。

 

 

 

 

 そんな思いを抱えたまま、紅葉の後に続いて階段を降りていた秋雅であったが、その歩みが突然に止まる。前を歩く紅葉のさらに先、そこに階段の途中とは思えない広い床の存在を確認したからだ。十中八九、終着点である秘密の部屋にたどり着いたということなのだろう。

 

「――チッ」

 

 そして、それを確認したとほぼ同じタイミングで、秋雅は顔をしかめて舌打ちを鳴らす。その理由は、部屋の奥から彼の鼻へと届いた臭いだ。

 

 

 強烈な腐臭――いや、死臭だ。秋雅が知覚したその臭いは僅かな量であるにもかかわらず不快で、すぐさまにでもこの場を離れたいと反射的に思ってしまうようなものだ。

 

 その、秋雅の額に大きな皺を生ませたその臭い。不本意ながら、これまで何度もかいだことのある臭いだ。その臭いの意味が分からぬほど、秋雅は鈍くなかった。

 

 

 

 

 

 

 だから、

 

「……紅葉」

 

 小さな声で、秋雅は彼女の名前を呼ぶ。

 

「秋雅さん……」

 

 秋雅の呼びかけに、かすれた声で名を呼び返しながら、紅葉は振り返った。その身体は大きく震えており、秋雅を見つめる彼女の瞳には、確かな絶望の色が見られる。

 

「秋雅さん…………思い、出したんです」

「紅葉」

「私はあの日、父さんに呼ばれて」

「紅葉」

「呼ばれて、そしてここに来て、私は――」

「――紅葉!!」

 

 叫び、秋雅は紅葉の肩を掴む。実体化が維持されている、ということに何を感じることもなく、先ほどまで触れるのを逡巡していたのはどうだったのかと言わんばかりの勢いで、秋雅は彼女の言葉を遮る。

 

「もういい、紅葉。状況は理解したから、今は上で待っていろ。ここは俺が――」

「あるんですよ、そこに」

 

 見たくないと言いたげに、秋雅の胸に顔を埋めながら、紅葉は背後を指差す。

 

「……っ」

 

 紅葉の指につられ、秋雅が視線を向けた先。そこには、部屋の床の中央に大きく描かれた、見たこともない魔法陣がある。

 

 だが、問題なのはそれではない。その魔法陣の中心、そこに在る『もの』こそが、今は重要であった。

 

「あれは――」

 

 全身を余す所なく腐らせ、辺り一帯に死臭を漂わせている、一つの遺体。その姿に、秋雅は大きく顔をしかめる。

 

 ここが地下で、隔離されていたからであろうか。蝿などはたかっていないものの、その腐り具合はといえばその肉を嫌な色に変色させており、場所によっては骨すらも見えるほどだ。うつ伏せで、その死に顔が見えないことだけが、唯一の救いであると思えるほどに、凄惨な女性の遺体。それが誰のものであるかなど、もはや言うまでもなく分かりきっている。

 

「……ねえ、秋雅さん」

 

 ぎゅっと、強く秋雅の身体を抱きしめながら、紅葉が口を開く。その声は、ひどく震えていた。

 

「紅葉……」

 

 震え、怯えている紅葉の身体を、一瞬の逡巡を挟んだ後、秋雅は躊躇いがちに抱きしめ返す。密着し、これ以上ないほどに彼女の存在を感じられるというのにもかかわらず、その身体からは、本来あるはずの鼓動というものが、まるで伝わっては来ない。霊体だから、という理屈以上の、喪失感のようなものがあった。

 

「……秋雅さん。私は、ここにいます…………いるはず、なんです」

「ああ。確かに君は、今ここにいる」

「それなのに、あそこにも『私』はいる(・・)んです」

「……ああ、そうだな」

 

 ぎゅっと、紅葉はさらに強く秋雅の身体を抱きしめる。その行動は、自分がここにいると、それを必死に証明しようとしているように、秋雅には感じられた。

 

「『私』を見て、私は忘れていた事を思い出しました。混乱していて、今すぐには話せないことばっかり、たくさん思い出しました」

「そうか」

「そうしたら――私が死んだって実感しちゃったら、急に、怖くなったんです……記憶がなかった時は、そんなことは思わなかったのに」

 

 そう、紅葉は力なく呟いた。

 

「怖いんです。ここに私はいる(・・)のに、あそこで『私』は死んでいる。だったら、今ここにいる私は、一体何なんですか?」

 

 今にも泣きだしそうな表情を浮かべながら、紅葉は自分を見下ろしている秋雅の顔を見上げる。そんな彼女の視線を、秋雅はじっと受け止めた後、

 

 

 

 

「――そんなものは、決まっているだろう」

 

 ふっと、柔らかな笑みを浮かべて、秋雅は諭すように言う。

 

「君は、『草壁紅葉』だ。今ここにいる、稲穂秋雅の従者だ。それ以外の何者でもないし、それ以外の何物にも惑わされる必要はない。今ここにいることこそが、君の存在を証明している。そうじゃないのか?」

「……秋雅さん」

「怯えるなら、俺が守ってやる。不安なら、俺が支えてやる。真っ当じゃない俺でも、そのぐらいは人目を盗んでやってやれる」

 

 だから、と秋雅は困ったように眉を曲げて言う。

 

「だから、そんな顔をしないでくれ。人が泣く所を見るのは、あんまり好きじゃないんだ。勝手な事を言っているのは、重々承知しているが……」

「……いえ…………ありがとう、ございます」

 

 と、紅葉は再び顔を伏せ、小さな声で呟く。そして、

 

「……秋雅さん。お願いが、あるんです」

「何だ?」

「あの、『私』を、消し去って欲しいんです。跡形もないほどに、何もなかったかのように」

「……いいのか?」

 

 それは、彼女が生きたという証を、消し去ってしまうということになる。それでもいいのかと問い返す秋雅に、紅葉は彼の胸に顔を埋めながら、

 

()は、ここにいますから。『私』の痕跡は、いりません。欲しく、ありません。あったら、私は揺れ続けてしまいそうなんです。だから」

「………………分かった」

 

 たっぷりと間をおいて、秋雅は紅葉の頭にポンと手をおきながら言う。

 

「望みどおり、綺麗さっぱり消し去る。俺たちには、今俺の腕の中にいる、幽霊の女性がいればいい。そうだな?」

「――はい」

 

 じゃあ、と腕の中にあった紅葉を離し、背後の階段の方へとやりながら秋雅は言う。

 

「君は、上に戻っていろ。俺の電話を貸すから、三津橋に人を連れてここに来るように伝言をしてほしい。魔法陣についてかじった事がある者がいればなお良しと、そう付け加えておいて、な。従者として、俺の命令を実行しろ」

「……分かりました」

 

 少し躊躇うようにした後、紅葉はコクンと頷いて、秋雅が差し出した携帯電話を受け取り、階段を昇っていった。その足音と気配が、十分に遠ざかった事を感じ取って、秋雅は遺体へと向き直る。

 

「流石に、紅葉の前で『焼く』わけにもいかんからな……」

 

 そんな事を呟きながら、秋雅は一歩二歩と進む。そして、遺体の目の前にまで来たところで、その右腕をゆるりと伸ばす。

 

「初使用がこれ(・・)とは、何とも、だな」

 

 口の端を薄く歪ませながら、秋雅は握っていた掌を天井に対し開く。何もない、と思われたその掌に、突如握りこぶし程度の大きさの炎が現れる。

 

「――焼け、我が望むものだけを」

 

 するり、と傾けた掌の上から、揺らめく炎が滑り落ちる。炎はその形を保ったまま落下を続けていたが、遺体に当たったと同時、その炎は一気に巨大化し、遺体を轟々と焼き尽くさんとする。さらに、炎は勢いを増し、床を舐めるようにして薄く燃え広がり、この部屋を自身で満たそうとした。

 

 だが、そうであるにもかからず。その炎は遺体以外の何も焼かなかった。床に、壁に、天井に、そして秋雅の足元にも確かに燃え広がったというのに、そのいずれもまったくもって、焦げ跡すらつけられていない。

 

 そして、その炎が収まったとき、彼女の遺体は綺麗さっぱり『焼失』していた。先ほどまで在ったはずのそれは、何の痕跡も残さないままに、完全に消え去った。一瞬前まで感じられていたはずの腐臭すらも消え去り、まるで最初から遺体などなかったかのように、『彼女』の痕跡は完全消失していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで、良かったのだろうか…………」

 

 分からないな、と秋雅は自身に対する問いかけに、そんな風に返すのであった。

 

 

 

 

 




 間が空いて申し訳ない。難産に加え若干予定と違った内容になりましたが、今回はこれで投稿します。テンポよく行きたい所ですが、次回もあんまり進まなそうなのが、どうにも。戦闘まではまだまだかかりそうです、申し訳ない。




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不明の魔法陣






 

「……集結? こっちは……人形、か? いや、器、の可能性もある、か。意味もそうだが、そもそも書体が古くて読み難いな……」

 

 床に描かれた魔法陣を観察しながら、秋雅は困ったように眉をひそめる。現在、秋雅は委員会からの応援を待ちながら、目の前にある魔法陣の解析をやっている途中であった。

 

 が、しかし、

 

「……どうにも、分からんな」

 

 はあ、と秋雅はため息をつく。いくらか、魔術というものを習得している秋雅であったが、魔法陣という分野にはさして手を出していない。おかげで、断片的にはその機能を読み取れるもの、結果としてどのような意図を果たす為の物であるのかということはろくに読み取る事が出来なかった。

 

 とはいえ、実際の所、これは秋雅に限った話でもない。他の、一般的な魔術師の場合でもあっても、精々が秋雅と同程度であるが、あるいはそれ以下というのが今の魔術界の現状である。

 

 現在の魔術界において、魔法陣という分野は現存こそすれ、それを習得しようとする者はほとんどいないのというのが実情だ。理由としては、魔法陣を用いた魔術というものが往々にして大人数、大規模のものばかりであり、実質上の儀式用の魔術となっていることにある。

 

 どういうことかと言えば、実力のある魔術師の大半が個人主義者であるために、こういうタイプの魔術はあまり表舞台に出てこれないのである。加えて言えば、やはり戦闘の場において、主流である詠唱式の魔術と違い、どうしても事前準備などの難易度が高いというのもあるだろう。結局、科学と同じく、技術というものは戦闘、戦争においてより磨かれるものであり、より高速で効果的な詠唱式に魔法陣が追いつけなかったというだけの話である。

 

 そういう事情が存在するので、一応要請はしたとはいえ、正史編纂委員会からの人材に魔法陣を習得したものがいる可能性は非常に低い。だから、僅かとはいえかじっている秋雅が、少しでも解析の手助けでもしようと思ったのであった。まあ、あまり役に立てるとは言い難いのが、何ともはや、な現状であるのだが。

 

「……そもそも、どうして一つの魔法陣の中に日本語やらフランス語やら中国語やらがごちゃ混ぜに詰め込まれているんだ。言語を変えることで何か意味が生まれるってことなのか? ……そういえば、別の言語を使うことで別の理であると認識させ、反発力を生むことで術を強化する、とかいう理論を前にどっかで聞いたが、その類だったりするのか? それにしても、えらく制御が…………ああ、だから死んだ(・・・)、のか? よく分からんな……」

 

 ぶつぶつと、魔法陣の外縁をなぞりながら分析を試みる秋雅であったが、やはり数分もしないうちに無理だなと首を横に振る。どうにも、自分には解明しきれないと結論を出すより他になかった。

 

「あいつにでも頼むか。貸しもあるし、これだけややこしい魔法陣なら喜んで……む」

 

 ふと、秋雅は階段へと視線を向ける。理由としては、そちらより階段を降りてくる足音と気配を、それも二つも感じ取ったからだ。そのうち、片方がよく知ったものであるが、もう片方にはいまいちピンと来るものがない。

 

「何だ、ウルも来たのか。しかし、もう一人は誰だ? 三津橋ではないようだが……」

 

 はて、と秋雅が迫り来る相手が誰であるのかと、内心で首を傾げながら待っていると、それから一分も経たず、この地下室に来訪者が降りて来る。一名は秋雅の予想通り、彼の恋人であるウルであり、もう一人の覚えのない気配の主は五月雨であった。

 

「ハイ、シュウ」

「お目汚し、失礼致します」

「……五月雨室長? ウルもそうだが、わざわざ君も来たのか」

「タイミング良く話を聞いたから、ね。本格的に動き出す前だったし、こっちのサポートとして着いてきたのよ」

「私は、稲穂様が魔法陣の専門家をご所望とのことでしたので、微力ではありますがお力になれればと」

 

 五月雨の発言に、秋雅は思わず眉根を寄せる。不愉快から、ではない。魔法陣に関わっているのかという、素直な驚きによる反応だ。

 

「君は、魔法陣の研究をしているのか?」

「そこまで大層なものではありませんが、普通の魔術師よりは精通していると自負しています」

「道中で少し話を聞いてみたのだけれど、確かに私達よりは詳しいみたいよ。この場は任せても良いんじゃないかしら」

 

 そうか、と五月雨の言葉とウルの助言を聞いて、秋雅は頷く。思いがけない人材に、面白いこともあるものだと内心で考えながら、秋雅は五月雨を見やり、

 

「では、早速で悪いがこの魔法陣の解析を頼む。状況が状況ゆえ、君にはかなり期待することになるが」

「ご期待に添えられるよう、全力を尽くす所存です」

「ああ、頼むぞ……そうだ、五月雨室長」

「何でしょうか?」

「君に渡しておきたい物がある」

 

 そう言って、秋雅は取り出したメモにさらりと走り書き、五月雨へと渡す。そのメモをどこか恐れ多そうに受け取る五月雨であったが、受け取ったそのメモの内容を読んで、やや眉をひそめる。

 

「これは、誰かの連絡先でしょうか? 名前も書いてありますが……」

「ああ、私の知り合いの魔法陣の研究家だ。少々面倒くさい奴ではあるが、腕は確かであるので解析の間に何かあれば連絡をとってみるといい。あれには貸しもあるから、私の名前を出せばまさか断るということはしないはずだ。そもそも、珍しい魔法陣の話となれば、自分から協力を申し出るかもしれないが」

「そうでしたか。では、何かあれば連絡を取ってみたいと思います。わざわざ申し訳ありません」

「いや、こちらが頼んでいる側だからな」

 

 そう言った後、他に何かあっただろうか、と秋雅は考えてみたが、特に今言っておくことは思い至らない。そのため、後は任せて自分は上に戻ることにした。

 

「それでは、私は上に戻りたいと思う」

「上には三津橋さんも来ていますから、何かあれば彼にお願いします。とりあえず、今は部下たちが持ち主の部屋を含め、家中の捜索をしている最中のはずです」

「分かった。何かこの魔法陣に関係ありそうなものがあればここに持ってくるように命じておく」

「お願いいたします」

 

 そう言って礼をしたあと、すぐさま五月雨は魔法陣の解析を始める。自分の専門分野で力を発揮できることに内心では張り切っているのか、これまでの彼女にしては珍しく、まだ秋雅が近くにいるというのに既に魔法陣へと興味が移っているらしい。

 

 そんな彼女の態度に、今更秋雅がどうこうと言うわけもなく。むしろ邪魔をしないようにとウルに無言で合図して、二人して静かに階段を上り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、紅葉の様子はどうだった?」

 

 階段を上り始めて少し、もう下の五月雨には声が届かないだろうといったところまで来たところで、秋雅は後ろについているウルに対し声をかける。

 

「平静を保っている、という風に見えたわね。表面上は、と付け加える必要があるけれど。何があったの?」

「あの部屋で自分の遺体を発見して、『死』の実感に心が少々、な。自我に影響が出なかっただけマシと言えばマシだろうが」

「……成る程、ね」

 

 合点がいった、とウルが頷く気配を秋雅は感じ取る。

 

「まあ、とりあえずは、表面だけでも冷静なら、今はそれでいいか。とはいえ、いくらかは彼女にも話を聞く必要がある以上、早く折り合いを付けてほしい所ではあるが」

 

 難しいだろうな、と秋雅は小さく呟く。何か手を打つべきだろうかとも思うが、正直外野がどうこういったところで、どうなるかと思うような問題でもあった。

 

「まあ、私見だけれども、案外どうにかなるんじゃないかしら」

「根拠は?」

「シュウのことだから、何か彼女に対して誑しこむような事を言ったんじゃない? だったら、シュウに依存する形で解決すると思うから」

「色々と言いたい事がないでもないが、一つだけ言うならば、恋人の言う台詞ではないな」

「逆、恋人だから言うのよ。貴方に一番愛されているという自覚があるからこそ、貴方を誰が愛そうが問題視しないの。貴方が私以外の誰かに、私以下の愛情を向けることも、ね」

 

 ウルの発言に思わず足を止め、胡乱な目つきを浮かべながら秋雅が振り向くと、ウルはニッコリと魅惑的な笑みを浮かべている。深い付き合いから、彼女が本心から言っているということを秋雅は感じ取る事が出来た。

 

「つくづく、お前は面倒何だか都合が良いんだか分からない女だな」

「悪い男に引っかかる前に、貴方に釣り上げられたのは私にとっても幸運だったと思っているわ」

「……やれやれ、そう言われると、俺としても何とも言えないな。それにしても、何で恋人とハーレムまがいの話をしなければならんのだか」

「自分の性質のせい、じゃないかしらね」

「成る程、道理だな」

 

 困った物だ、とあえて茶化すように言って、秋雅は再び前を向き、再び歩き始める。それに同調するように肩をすくめて、ウルもまた秋雅の後について階段を昇り始める。

 

「そうそう、スクラとヴェルナのあれだけれど、今日中には調整が完了するそうだから、戻ったら付き合ってあげてちょうだい」

「ん、ああ。そういえばそうだったな」

「それと、そのおかげでこっちに来る事が出来なかったみたいだし、時間が出来たら二人と一緒に過ごしてあげたらいいと思うわ。どこかに旅行にでも行くとか」

「あの二人が外に出たがるかねえ。それに、君は良いのか?」

「私は貴方からの頼まれごとがあるから。いい加減、これ以上放っておくのも気になるから」

「別に急かさないぞ?」

「私が気にするのよ。放置状態でそのまま、というのが長引くのが嫌いなの。それに、個人的にも気になる調査対象だしね」

「まあ、そういうことなら任せる。一応、別ルートからも探らせるからあまり気負うなよ」

「ええ、分かっているわ」

 

 そんな風に軽く会話を交わしていた二人だが、階段の終点が視界に入った所で口を閉じ、そのまま一気に地上へと上がる。

 

 そのままざっと気配を探り、秋雅はウルを連れ立ってとある部屋の前まで行き、そのまま閉じられていた扉を開ける。

 

 

「……ああ、稲穂さん。それにウルさんも。お待ちしていましたよ」

 

 すると、その部屋――十中八九、リビングだろうと見て取れる――で電子端末を操作していた三津橋が顔を上げ、秋雅に対し頭を下げる。ちらりと秋雅が部屋内で視線を動かすと、少し離れたところにあるソファに、紅葉が下を向いて座っているのが見えた。が、秋雅の登場に気付いてすぐに立ち上がり、そのまま秋雅達の方を所在無さげに見つめている。

 

 そんな彼女の態度に一瞬どう反応しようかと秋雅は考えたが、まずはということで先に三津橋へと声をかけることにした。

 

「三津橋、状況はどうだ?」

「現在調査中、と言ったところでしょうかね。ただまあ、この時点ですでに、色々とやばい物も見つかってはいます。委員会として確保するだけの十分な証拠が見つかった以上、すぐにでも草壁康太の確保を行うことになりますね。紅葉さんにも、東京の方の住所も聞いていることですし」

「そうか。となると、調査が進むまではこちらは待ちの姿勢になるか」

「少なくとも、稲穂さん直々に動いてもらうほどの案件はないかと思います。紅葉さんがお父上の元に向かいたい、というのであれば話は別ですが」

「その場合は、私もついていくのが主としての努めだからな。その辺はどうなんだ、紅葉?」

 

 避けては通れないということで、秋雅は先送りせずこの場で紅葉に問う。それに対し、紅葉は顔を暗くして、

 

「正直、迷っています。皆さんの邪魔をしてまで父さんと話をしたいのかと言われれば違うのですが、でも、その父さんと一緒にいるであろう椿の事は心配しています」

「だから迷っている、ね。確かに、数少ない信用できる身内のことは心配よね」

 

 神妙な表情で、ウルが紅葉の言葉に同意する。おそらく、自分たちのことと重ねて見ているのであろう。

 

「ただ、正直、私が行った所で、特に何が出来るというわけでもありませんから、少なくとも今は皆さんにお任せしようかと」

「こちらも、妹さんに関して何かあればすぐにでも紅葉さんにお伝えすることにしましょう。勿論、稲穂さんにも」

「そうだな。紅葉、君もそれでいいか?」

「はい、お願いします」

 

 一つ、話がまとまった。そんなところで、秋雅の携帯電話に連絡が入った。画面を見ると、そこにはヴェルナの名前が表示されている。

 

「すまない、ヴェルナからだ」

 

 その場の人間に断りを入れて、秋雅は電話に出る。すると、表示通り、秋雅の耳にヴェルナの声が飛び込んでくる。

 

「秋雅? 今いい?」

「ああ、いいぞ。連絡をしてきたということは、そちらの作業は終わったということか?」

「うん、私のもスクラのも最終調整が終わったよ。後は秋雅に実際に手に持ってもらって、必要であれば微調整を加えるだけ。だから、秋雅には手早くこっちに戻ってきてもらいたいんだけど」

「分かった、少し待て」

 

 そうヴェルナには言って、秋雅は三津橋に向かって口を開く。

 

「三津橋、この後の調査は君たちに任せていいか? 私は一旦あちらに戻ることにしたい」

「了解しました。こちらも急ぎ調査を進めますので、そうですね、夜にでも中間報告を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「ああ、ではそのように。それと、もし何か魔法陣に関係ありそうなものがあれば下に持っていっておいてくれ」

「室長に渡す為ですね、分かりました」

「で、だが……紅葉、君はどうする?」

「え?」

「ここが君の家である以上、何か三津橋たちが君を頼りたいと思うことがあるかもしれない。その際、君がここに居たほうが話は早いと思う」

「まあ、不必要にプライベートを土足で、というのは気が引けますしね。諸々の調査も含め、紅葉さんがいれば助かることはあるでしょうし」

「とはいえ、紅葉自身の事を考えると、今はここにいたいとはあまり思わないだろう? それも踏まえた上で、ここに残るか私といるかを選んでもらいたいのだが」

 

 どうする? と秋雅が問いかけると、紅葉は少しの間、深く考え込んだ後、

 

「……ここに残らせてください。今は、何も考えずに動いていたいので」

「そうか」

 

 紅葉の返答に、秋雅は小さく頷く。今はそれでいいと、そう考えた上での了承でもあった。

 

「じゃあウル、私達は戻るぞ」

「ええ、行きましょうか」

「では、また後でということで。夜、分室の方ですり合わせを行いましょう」

「私も、後で合流します」

「ああ、また夜に」

 

 そう締めて、秋雅はウルと共に、ヴェルナとスクラに合流する為に草壁家を出るのであった。

 

 







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剣と銃を携えて、次なる目的地を得る






 そもそも、として、正史編纂委員会は政府直属の魔術結社である。そのため、他の魔術結社と比べて公的な部分での力というものが大きく、転じて、国内にいくつも委員会の為に作られた設備というものが存在する。それぞれに用途は様々であるが、特に扱いが難しいものとしては、戦闘訓練用の施設が上げられるだろう。こと日本という国において、荒事の気配がする場所というものは悪目立ちし、その存在意義も知らずに声高に否定されるというのは、それなりにありえる話だ。

 

 小規模、少人数であればどうとでも誤魔化すことは可能であるし、実際にそうしているのだが、如何せん、時には大規模な、あるいはどうしても派手になる訓練というものもしなければならない。そのようなことを野外で、人目を気にすることなくやろうものならば、委員会の情報隠匿を担当する者たちが過労死するのが目に見えている。同じ政府直轄の結社であるSSIなどは米軍の施設を利用するなどといった事をしているのに対し、日本では中々、一部の人間の存在などにより、そういったことを行うのも難しい。

 

 他の結社と比べれば戦闘能力が低いと判断されている正史編纂委員会であるが、しかしまったくの戦闘訓練をしないというわけではないし、それなりに派手な訓練も行う必要がある。では、実際にはどのような対処を取っているのかといえば、大まかに分けて二つの方法を取っている。

 

 一つは、絶対に一般人は来ないような山中などで行うという方法。これが一番分かりやすい対処法であり、実際にこれまでもこの方法が主流となっていた。だが、これが最近になって中々に困難となってきているのだ。理由としては、現代日本において至る所に目を向ける技術が発展し、それを利用したいという欲求を抱えた者が増えたことにある。特に、最近話題のドローンなどが上げられるだろう。こういったものの普及により、委員会も情報操作や隠匿に苦労する様になった。こういったものを利用するものの多くが個人で、インターネットを利用しているというのが労力を増やす原因と言えるだろう。まあ、逆に今の社会において、多少不可思議な映像や情報を流す程度では、その大体が偽装、偽りだと思われてしまうのもまた常であるのだが。

 

 そういうわけであるので、ここ数年はこれ以外の手段として、地下に戦闘用の施設を建設するという方法がとられるようになっている。これもこれで、広さを確保するのが難しいだとか、万一の場合などの対処が大変だとか、まあそれなりに問題があるのだが、少なくとも隠匿という一点においては先のものよりもはるかに上だ。そして、正史編纂委員会の主目的は、魔術的事象の隠匿にある。となれば、この選択を取ることになるのはある程度予定調和な動きだと言えるかもしれない。

 

 

 

 

 ――とまあ、そういう事情であるので、正史編纂委員会福岡分室は、別名義で登録されているとあるビルの地下に、大規模な戦闘訓練用の施設を所有していた。そして、その施設の一部、地下の二層が、秋雅の要請により、ノルニル姉妹の研究等を行う為の空間として借り出されることになった。奇しくも、インドの邸宅に続き、三姉妹はまたもや、地下で研究を行うこととなったということになる。

 

 そして、その三姉妹のために割り当てられたフロア、そのうちの開発品のデータを取ることを使用用途とした部屋に、秋雅は一人訪れていた。その理由はわざわざ説明をするまでもないだろう。なお、ウルはいい加減秋雅からの頼まれごとを済ませるということで、この部屋に来る前に別れている。

 

「ヴェルナ、スクラ、いるな?」

 

 戸を開けて早々、秋雅が呼びかける。その声に、部屋の奥で佇んでいた二人が振り向いた。

 

「……あ、来たね」

「待ちわびたわよ」

 

 やっと来たか、と言いたげな表情で言う二人に、秋雅は歩きながら軽く肩をすくめて、

 

「悪いな、ちょっと寄り道をしていた」

「寄り道?」

「俺の家の方に、な。まあ、その辺りはまた後で話す」

 

 それよりも、と秋雅はやや視線を鋭くさせながら、ヴェルナたちの背後にあるテーブルへと目を向ける。

 

「最終調整が終わったと聞いたが、どうだ?」

「その辺りは見てもらったほうが早いかな。これが、最終的な秋雅専用武器って奴になるね」

 

 そう言って、ヴェルナは一歩横に動き、秋雅に台の上に置かれたものを手で示してみせる。そこに置いてあったのは、秋雅にとって見覚えのある、しかし以前見たときとはまた違った姿となっている、二種類の武器の姿だ。そのうち、一目見て大きく変わっていると気付く事が出来る方に、秋雅はまず意識を向ける。

 

「ヴェルナ、これがVW-01の改良版、ということでいいのか?」

「そうだよ。武器を入れ替えたことと重量バランスの観点から、初期案とは分割数を変えることになったんだ。まあ、多分こっちの方が使いやすいと思うよ」

 

 ヴェルナの言葉通り、以前に秋雅が手に取った時は十センチほどであった銀色の棒が、今ここにあるものは一つ辺り三センチほどしかない。その代わり、数に関しては同じものが全部で六本置かれており、全てを合わせると二十センチ弱ほどの長さとなるようであった。

 

「二本を四本に、ではなく、二本を六本にしたわけか」

 

 秋雅が適当に一本を取ってみると、おそらくは三キロほどであろうと感じられた。前回から密度という点ではそれほど差異はないようである。

 

「まあ、確かに最小単位とするならこれぐらいがちょうどいいのかもな」

 

 そうは言うものの、三キロでも短剣としては重過ぎるのかもしれないが――まあ、柄まで金属で出来ているというのもあるのだが――その辺りは慣れということなのだろう。秋雅の立場からしてみれば、身体強化などをしているとはいえ普段からこれ以上の武器などを振り回しているのだから、むしろこれぐらいであれば、相対的に軽いと感じられるのかもしれない。

 

「変更点は数の調整だけか?」

「多少離れていても思考すれば手元に来るようにとか、それぞれの接続と融合の速度の上昇、秋雅が扱う事を念頭にバランスと握りとかの細かい調整もしたけれど、一番はあれだね」

「あれ?」

「スクラの呪力保持の奴を導入してみたんだ。秋雅の雷を刀身に纏わせる事が出来ないかなと思ってさ」

「……出来たのか?」

「それを今から確かめてもらうんじゃない」

 

 それもそうか、と秋雅はもう一本を手に取り、二つを合わせて一本の長剣に変化させる。そして、その状態で、以前にスクラの作った銃に対して行ったのと同じ感覚で、自身の力を剣に宿せないかと試してみる。

 

 すると、

 

「……ほう」

 

 思わず、秋雅は感心の声を漏らした。

 

「これはまた、流石と言うより他にないな」

 

 バチバチと、刀身を周りで火花が踊っている。まるで蛇が巻き付いているかのように、その銀色の刀身に雷電が纏わりついている。成功だ、と秋雅は実験の結果をそう判断する。

 

「俺の雷にこんな使い方があったとはな。いや、ここは雷に耐えられるだけのものを作ったヴェルナを褒めるべきだな」

「お褒めに預かり光栄だよ。まあ、多分その状態なら色んな物が斬れるんじゃない? 振ってみれば刃の形状をした雷を放てるかもしれないね」

「ふむ、成る程な。権能は案外柔軟な所もあるし、確かにありえる話だ。こっち(・・・)だけでなく、あちら(・・・)を纏わせることも出来そうだな…………」

 

 ふと考え込むようにした後、ふっと秋雅は口元を歪める。

 

「やれやれ、こういった使い方はもっと早くに思いついてしかるべきだったな。俺もまだまだか」

 

 二、三度ほど素振りをしながら、秋雅はそんな事を口に出す。本音を言えばこのまま本気で振って、実際に雷が飛ぶかどうかも試したいところであったが、いくら頑丈に作ってあるとはいえここで権能の力を使えばまず間違いなくそれなりの被害が出る。余計な事をして施設を壊さない為にも、それは次の機会に回すことにして、秋雅は纏わせていた雷を消し去った。

 

「ありがとう、ヴェルナ。これからの戦いにおいてコイツの力は存分に使わせてもらうよ」

「そうしてくれると嬉しいな。そのために作ったものだからね」

 

 それと、とヴェルナはふと満面の笑みを浮かべて言う。

 

「名前もちゃんと考えたんだよ、それの。型番だけじゃ素っ気無かったから」

「どんな名前にしたんだ?」

「型番はVW-01s、名称は“トリックスター”だよ」

「……トリックスター、か」

 

 口の中で転がすように、秋雅はその名前を口に出す。彼の脳裏に思い浮かんだのは、その名を冠する一柱の、かつて自分が討った神の姿だ。銀色の長剣をじっと見つめる秋雅に対し、ヴェルナはイタズラげな笑みを浮かべて言う。

 

「秋雅らしい名前でしょ? 色々な意味で、さ」

「……確かに、な」

 

 ヴェルナの言葉を聞きつつも、しばしじっとそれを見つめ続けていた秋雅であったが、ふっとその口元に笑みを浮かべて頷く。

 

「……そうだな。確かに、俺が扱う武器としては、悪くない名前だ。ありがとう、ヴェルナ。トリックスター、確かに受け取った」

「その名前の如く、変幻自在に振るってちょうだい」

 

 ああ、ともう一つ頷いて、秋雅はトリックスターを一先ず台の上に戻す。続けて視線をやったのは、スクラが作ったのであろう一丁の拳銃だ。

 

「こっちは、まあ前に見た時とあまり差は無いな」

 

 言いながら手に取ってみると、記憶のそれよりも随分と重い。どうやら同じなのは外見だけで、中身に関しては随分と様変わりをしているようである。そんな秋雅の予想に同意するように、スクラは自慢げな笑みを浮かべて頷く。

 

「確かに、外見は特に弄っていないわ。でも、気付いている通り中身はかなり別物になっているのよ。具体的には、ヴェルナのVW-01の余りをフレームとして使っているわ」

「あれをフレームにしたのか?」

「さっきやってもらったとおり、VW-01に使った合金は呪力の操作と保持に関しては他の金属より上だからね。私のほうも代わりに秋雅の権能の保持の話とその技術を貰ったから、互いに益のある取引だったんだよ」

「別に競っているわけでもないし、益も何もないのだけれどね。まあとにかく、そのおかげで前回よりも呪力の保持限界はだいぶ上がっているはずよ。それと、通常の雷でも打撃力は十分だろうから、収束性を増してより貫通能力が上がるようにも調整してあるわ」

 

 雷で打撃、というのはおかしな話に聞こえるかもしれないが、まつろわぬ神というのは大体防御能力が高いもので、一般人であれば消し炭必至な雷であっても、それをただ衝撃として受け止めてしまうということが度々ある。特に、《鋼》に類する神々がそれに当たるだろう。であるので、ことカンピオーネとその関係者たちにとっては、雷で敵を打撃するという表現は、さして珍しいものではなかったりするのだ。

 

「ふむ、何か注意点はあるか?」

「一番大事なこととして、基本的にチャージしたらすぐに撃ってちょうだい。少なくともチャージしたまま放置とかは絶対にやらないで。暴発に巻き込まれるのは御免よ」

「一発分チャージしておいて次回以降に使う、は駄目と」

「貴方ならそういう事を考えるでしょうと思ったからこその忠告なんだから、肝に銘じておいてちょうだい。それと、念のために連射は出来るだけ避けて欲しいわ。少なくとも二秒は間隔をおいてから次弾を撃つようにして。あまりに連続で収束と解放を繰り返すと本体そのものが損傷する可能性があるから」

「分かった、気をつける」

「ああ、それと式を仕込む余裕があったから、おまけで空気砲としての機能もつけてあるけど、あんまり役に立つほどの威力じゃないから」

「どの程度の物だ?」

「二十メートル先の人間の頭を粉砕できるくらいかしら」

「成る程、お察しだな」

 

 普通の人間からしてみれば十分だと言えるのだが、こと秋雅が戦う舞台においてはまず役に立たないだろうと思ってしまう、そんな威力である。

 

「そういえば反動はどうなんだ?」

「呪力式射撃の方はないわ。空気砲の方はあるけど」

「いざって時の緊急回避には使えるかもしれないな、覚えておく」

「作成者の台詞じゃないけれど、役に立つのかしらね……っと」

 

 忘れる所だった、とスクラがポンと手を叩く。

 

「ヴェルナがうるさかったから、私もそれに名前をつけたのよ」

「へえ、なんて名前だ?」

「“神鳴り”よ。どうせだから秋雅に合わせて和風な名前をつけてみたわ。ヴェルナとも対照的になるしね」

「神鳴りか、悪くないな。良い贈り物をありがとう、スクラ」

「そう言ってもらえるのならば何よりだわ」

「私はミョルニルにしようって言ったんだけどねー」

「秋雅にはもう雷鎚があるんだから、むしろそっちの名前だろうということで却下したわ」

「まあ、それはスクラの言い分のほうに同意だな」

「ちぇー。ねえスクラ、今度は二丁拳銃をつくろうよ。で、名前をタングリスニとタングニョーストにするの」

「作っても使わないと思うのだけれど、秋雅が」

「流石に、二丁は使わん気もするな」

「つまんないなあ」

 

 ミョルニルとは北欧神話に出てくる雷神トールが持つ圧倒的な破壊力を持つ鎚であり、タングリスニとタングニョーストというのはトールが所持するヤギの名前だ。トールの戦車を引くほか、トールによって食べられることもあるのだが、トールが雷鎚、つまりはミョルニルを振るうことで骨と皮より復活したのだという。この伝承などから、ミョルニルには破壊だけでなく再生や祝福といった能力を持っているとされていたりする。もっとも、秋雅の雷鎚にはそういう能力はない――少なくとも発見はされていない――のだが。

 

「まあ、とにかくだ。二人とも、俺のために武器を作ってくれてありがとう。ここ数日負担もかけてしまったし、何か褒美をやらないといけないな。何か希望はあるか? 何でも良いぞ」

「あら、そんな事を言っても良いの?」

「俺が困るようなことをお前達が言うとは思っていないからな」

「まあ、それもそうだねえ。一番のお願い事はあるけれど、ご褒美として要求するようなものでもないし。というか、私のほうがやだ」

 

 と、秋雅への想いの成就に関して、直接的には口に出さないがそのようなことをヴェルナは言う。それに対し、スクラと、さらに秋雅もまた頷いた。

 

「それに関しては同感よ。そういうのは真っ向から当たるのが女だと思うもの」

「俺も、打算や褒賞で愛を囁く趣味はない。立場上俺からどうとは言い難いから、現状はお前達に任せるが」

「その辺りはまあ、もう少し時間を頂戴ということで」

「まだその時期じゃない、ということにしておいてくれると助かるわ」

「楽しみにしている、と言って良いものなのかねえ」

 

 ヴェルナとスクラの言葉に、何とも言いがたい苦笑を秋雅は浮かべる。それを見て、ヴェルナたちもまた、同じような表情を浮かべて、三人で笑いあうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そんな一幕から、数時間後のこと。

 

「稲穂さん、ちょっと北海道にまで足を運んでみる気はないでしょうか?」

 

 正史編纂委員会の一室にて、秋雅はそんな提案を受けたのであった。

 

 




 文中に出てくる寄り道に関してはそのうち閑話として投稿する予定です。本当は本文で書くつもりだったのですが、書いているとただでさえ進まない話がもっと進まなくなるので。とりあえず、次話は北海道に行く理由と、行ってからの動きになる予定です。二話か三話後くらいにまつろわぬ神が出てくる、といいなあ。




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北の地を訪れた理由

「……流石に、福岡よりは過ごしやすいな」

 

 空港を出て早々、北海道の青空を仰ぎ見ながら、秋雅は小さく呟いた。福岡であればまだまだ暑さにうだるような時期であるが、この北海道では比較的涼しく感じられる。もっとも、それも今の時期だけで、あといくらかもすれば、雪で大変になる地域でもあるのだが。

 

 なんとなしに辺りを見渡してみると、便こそは違うが秋雅達と同じように飛行機を降りたばかりであろう人たちがそれぞれの方向へと散らばるようにして歩いている。秋雅から少し離れた所では携帯電話で誰かと連絡を取っている五月雨の姿が見える。おそらくは迎えに関する連絡を受けているのだろう。

 

 次に別の方向に視線を向けてみると、飛行機から解放されたことに伸びをするヴェルナとスクラ、そしてやや懐かしそうに辺りを見渡す紅葉の姿がある。

 

「稲穂様、こちらに」

「分かった。お前たち、行くぞ」

 

 五月雨の先導の下、秋雅たちは空港内を歩き始める。

 

 何故、秋雅一行が北海道の地にいるのか。それは数日前の、とある会議が原因であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――では、報告会を始めましょうか」

 

 そう口火を切ったのは、少しだけ疲れたようにしている三津橋であった。その言葉を聞いたのは、秋雅、ウル、ヴェルナ、スクラ、紅葉、五月雨の六人。場所は正史編纂委員会福岡分室にある、三津橋の仕事部屋だ。目的は三津橋が今しがた口に出したとおり、草壁家周りに関する調査結果の報告である。

 

 何故、その報告をあえて三津橋の部屋で行うのか。面子を考えれば五月雨の部屋、つまりは室長室のほうが適切のようでもあるが、当然これには理由がある。些かおかしなことであるのだが、実は五月雨の部屋よりも三津橋の部屋の方が、部屋に施されている隠匿性が優れているからだ。

 

 このようなおかしな事態になっているのは、やはりと言うべきか、秋雅が原因だ。情報の隠匿に力を入れている秋雅がもっとも出入りする委員会の施設ということで、秋雅の意を汲んだ三津橋が、少々無理を通してその手の整備を進めたのである。福岡分室としても――実際の所属はともかく――事実上は秋雅の直轄に等しい三津橋の要請を無下には出来ず、何よりこれまで秋雅から受けてきた恩に比べれば、その程度の要請など何でもないと判断したからだ。その結果、三津橋の仕事部屋は分室室長室を差し置いて、委員会内でもトップクラスの防御力を得ることになったのだ。

 

「まずは、今回の件の黒幕であろう人物、紅葉さんの父親である草壁康太について分かっている事をざっと説明します」

 

 そう言って、三津橋は手元にあった一枚の写真を前に出す。公的な写真なのだろうか、写っているのは無表情な、どちらかと言えば普通な面持ちをした中年の男性だ。道端ですれ違っても特に興味を引くことはないだろう、そんな印象を受ける容姿をしている。状況と、加えてそれを見た紅葉の表情から、この男こそが紅葉の父親の草壁康太であると秋雅達は察する事が出来た。

 

「草壁康太は今から二十年ほど前に魔術師として正史編纂委員会に雇われ、以来今から二年前まで、ここ福岡分室を拠点に仕事を続けてきました。実力はあり、仕事も正確でしたが、人間関係においてはやや距離をとっていて、私を含めた当時の彼の同僚の中で彼の私生活を知る者は一人もいません。結婚していることすら知りませんでした」

「秘密主義だった、というよりは、興味がなかったということなのだろうな」

 

 紅葉が話した彼女の両親の性質を考えれば、おそらくはそういうことなのだろうと秋雅は思う。血を分けた娘にすら仮面を被っていたような夫婦だ、仕事の同僚程度と親しくしようと思う気はなかったのだろう。

 

「そして二年前、彼は突如異動願いを出しました。異動先は東京分室で、四年前のごたごたでまだ人手不足だったこともあり、彼は希望通りあちらへと異動することになったようです」

「では、現在は向こうにいるのか?」

「いえ、それが問い合わせてみたところ、ここ数日ほど無断欠勤、音信不通の状態だそうです。一応、稲穂さんの名前は出さずに福岡分室名義で捜索依頼を出しておきました」

「こちらの動きを察したのか、あるいはあちらも目的が最終段階へと至ったからなのか。どちらかと言えば後者、と考えるべきでしょうね」

 

 ええ、とウルの推測に三津橋が頷く。

 

「こちらとあちらでは半年――いえ、きっかけが四年前だとすれば、四年のタイムラグがありますからね。何をしようとしているのかにもよりますが、準備が整うには十分な時間でしょう」

「あの、すみません。今聞くべきことじゃないのかもしれませんが……」

 

 恐る恐る、と手を上げる紅葉に、分かっていると三津橋が頷く。

 

「妹さん、草壁椿さんの現状ですね? 残念ながら、こちらも現在は所在が掴めません」

「父に連れられて隠れている、ということですか?」

「分かりません。彼と一緒にいるのか、はたまたどこかに監禁なりされているのか。あるいは……」

 

 そこで、三津橋が言葉を切る。ありえる最悪の可能性を、しかしここで今、姉である紅葉に言うべきではないと判断したからであろう。

 

「……そう、ですか」

 

 五月雨の言葉を聞いて、紅葉は心配そうな表情を浮かべながら俯く。唯一家族と認めている妹の消息。それが分からないという事に、確かに胸を痛めているのであろう。三津橋たちの手前、彼女に対して優しい声をかけづらい秋雅は、紅葉の隣に座るスクラに視線を向ける。すると、その視線の意図を汲み取ったスクラは、ポンと紅葉の肩を優しく叩く。

 

「大丈夫よ。心配なのは分かるけれど、今は信じておきなさい。ただ見つからないというだけで、ひどい目にあっているとも限らないわ」

「……はい」

 

 弱々しく、しかしはっきりと、スクラの励ましの言葉に対して紅葉は頷いてみせた。実のところ、一日で心労を重ねさせすぎていないか、と秋雅は思っていたのだが、この調子ならば一先ずは大丈夫であるらしい。何だかんだといって、紅葉という女は、芯の強い人物であるようだ。

 

 紅葉の態度に一先ずは安堵しつつ、しかしそれを表には出すことなく、秋雅は口を開く。

 

「三津橋、悪いが一度ここで説明を切ってくれ。この状況なら先に、草壁康太が行おうとしていることに直結しているであろうことについて考えたい」

 

 紅葉の精神が安定するまで少しだけ時間をおきたい。そんな思いも含んだ秋雅の提案に三津橋が頷く。彼自身、秋雅に言われる前から同じ進行を考えていたようで、特に迷う素振りも見せることなく五月雨へと視線を向ける。

 

「五月雨室長、例の魔法陣について分かったことはありますか?」

「はい、いくつか判明している事があります。私一人では荷が重かったでしょうが、クローゼ博士のおかげでこの時点でもある程度の解析が終わっています」

「クローゼ?」

 

 聞き覚えのない名前にヴェルナが首を傾げる。他の面子も似たり寄ったりな状況で、秋雅が口を開く。

 

「ドレル・クローゼ。私の知人で、魔法陣の専門家だ。母数が少ないとはいえ、世界でも五指に入る知識を持っている実力者、ということになるか」

「以前から名前は知っていたのですが、稲穂様のご紹介で今回は協力を仰ぐことが可能となりました。流石の知識量と解析力、としか言えません」

「その代わり、性格にやや難があるがな。あのテンションに付き合うのは面倒だっただろう?」

「いえ、そのようなことは……」

 

 否定こそしたものの、非常に歯切れの悪い五月雨の態度に、秋雅以外の面々はその『博士』とやらに対し興味を深めたそぶりを見せる。しかし、その事を誰かが口に出すよりも早く、五月雨が咳払いをする。

 

「んん……ともかく、解析の結果を報告いたします。件の魔法陣ですが、どうやら二つの目的を果たす為のもののようです」

「二つね。何と何?」

「一つは対象の呪力の『器』を広げること。そしてもう一つは対象に呪力を注ぎ込むことです」

「器ってのは、その人が持つ呪力の限界容量ってことかしら?」

「はい、そういうことです」

「で、そこに呪力を注ぎ込む、と。何処から持ってきた呪力なのかは分かっているのかしら?」

「大気中のそれや、地脈から持ってくる仕様だったようです。ただ、こちらは一部未完成だったようで、実際にはあの魔法陣では出来ないらしいのですが。それと、もしかしたらこれは、既存の魔法陣を一部改造したものである可能性がある、らしいです」

「あまり魔法陣には詳しくないのだけれど、その既存の魔法陣とやらに思い当たるものはあるのかしら?」

「いえ、クローゼ博士も特には思い至るものはないと。あるとすれば、表には出ていない、何処かの結社や家の秘法ではないかと思います。現状で報告できる内容としては以上になります」

 

 ふうむ、と五月雨の報告を聞いた面々はそれぞれに思案顔を浮かべる。

 

「その魔法陣だけど、どのくらい器を広げるつもりだったのかとかは分かるの?」

「いえ、それが詳細には設定されていなかったようです。私見なのですが、限界を決めずに器を広げようとしたために、紅葉さんは命を落としてしまったのではないかと」

「身体に負荷をかけすぎた結果、というわけか。現在幽体である紅葉に呪力許容量的な限界が見受けられないのは、その魔法陣が妙な作用をしたからということでいいのか?」

「おそらくは、そういうことなのかと。偶然に偶然が重なり、紅葉さんの魂とでも呼べる部分に、何らかの改変が起こった可能性が高いです」

「一種の奇跡ってやつですか」

 

 それにしても、とウルがその唇に指を当てながら呟く。

 

「結局のところ、紅葉の父親はその魔法陣を使って何をしたかった――いえ、何をしたいのかしら。魔法陣の働きを考えると、自身の呪力を増やしたいのかとも思うのだけれど……」

「安直に考えると呪力を増やして強くなろうとしているのか、って思うよねえ。ただそうなると、次は強くなってどうするのかという疑問も出てくると」

「倒したい相手がいるとかかしら?」

「倒したい相手、ねえ。誰か恨みを持っている相手がいるというの?」

「そのことなんですが……」

 

 ここで、三津橋が険しい表情を浮かべながら口を開いた。いや、険しい、というのはやや不適切かもしれない。確かにそういった色があるのは確かだが、それ以上に困惑の色が強い。その表情から、彼自身いまいち信用しきれない情報なのかとその場の面々が察する中、三津橋は軽くため息をついた後、意を決したように口を開く。

 

「単刀直入に言います。草壁康太の復讐相手ですが――稲穂さんかもしれません」

「……はぁ?」

 

 三津橋の発言に、思わずとばかりにヴェルナが怪訝な声を上げた。その表情にあるのは、三津橋の発言に対して信じられないという疑問と、同時にそれが事実であった場合の呆れだ。また、声こそは出していないが、ウル、スクラ、五月雨も同じような表情、反応を見せている。例外は突然の発言に意識が追いついていない紅葉と、むっつりとした表情のまま眉間のしわを深くした秋雅の二人だ。

 

 そんな六人の反応に、三津橋はため息をつき、肩をすくめる。

 

「いえ、これが中々、意外とある(・・)可能性のようでして」

「そんな馬鹿な。真っ当な魔術師なら秋雅を相手にしようなんて思うわけがないわ」

「大体、何で秋雅が復讐の対象になるのさ。カンピオーネの中じゃ秋雅はそういうのを抱かれ難いほうでしょ」

「そこはまあ、私も同意見なんですがね。ただまあ、残念ながら復讐の動機となりえるものが見つかってしまいまして」

「気になるな。恨まれること自体はおかしいとは思わないが、流石に見知らぬ魔術師からとなると思い至るものがない」

「でしょうね。何しろ秋雅さんからしたらまるで心当たりのない動機なのですから」

 

 どういう意味だ、と秋雅は視線で問いかける。それに、三津橋は一度目頭を強く揉んだ後、真剣な面持ちを浮かべて、

 

「草壁に残された資料から、彼の復讐の動機は、彼の妻である草壁楓の死にあると推測できました」

「母の……?」

「はい。そして、彼女が死んだのは四年前の――――あの、“雷の裁き”の時なのです」

「……何だと?」

 

 三津橋の言葉に、秋雅の目が大きく開かれた。“王”として在る場合には滅多に見せない驚愕に、三津橋は目を伏せながら頷く。

 

「信じがたいことですが、書類上ではそう(・・)なっていました」

「だが、あの場で死んだのは……」

「はい、老人たちだけのはずです。それは秋雅さん以外の証言からも分かっていましたし、当時の私の調査でもそのはずでした」

「あの場に女性の魔術師は数名いたが、しかし誰も…………写真はあるか?」

「こちらに」

 

 秋雅の問いかけに、三津橋はもう一枚写真を取り出す。もう一枚に写っている男性と同じぐらいの年代の、同じく無表情でさして印象に残らない顔立ちをしている一人の女性だ。その写真をじっと見る秋雅であったが、少しして小さく首を横に振る。

 

「覚えのない顔だ。本当にあの場に居たのか?」

「少なくとも東京には居たはずです。ただ、当時の調査中に彼女の名前を聞いた記憶はありません」

「ならば…………」

「ちょっと、流石にそろそろ口を挟むよ」

 

 ここで、ヴェルナが苛立ちの混じった声を上げる。

 

「二人で話し合っていないでこっちにも情報を回してほしいんだけど。私達、特に紅葉をほったらかしにするのは良くないでしょ。結局、四年前に一体何があったのよ?」

「おや? 紅葉さんはともかく、ヴェルナさん達はご存知ないのですか?」

「彼女らと会ったのは三年前だ。それより前に起こったこの事件に関して、私のほうから教えたことはない。委員会にとっても私にとっても、これは最上位秘匿案件だったしな」

「ああ、そういうことですか。では、この場で?」

「頼む……私はもう少し記憶を探る」

 

 そう言って、秋雅は手で口元を隠しながら、自身の記憶の中に埋没を始めた。それを見て、三津橋は小さくため息をついた後、開き直ったような表情を浮かべてヴェルナ達を見る。

 

「分かりました。ヴェルナさん達もそれでよろしいですか?」

「詳しい説明が聞けるなら何でも良いよ。で、四年前に何があったの?」

「そうですね、一言で纏めるのであれば――」

 

 一息を挟み、

 

「――委員会による、稲穂秋雅様への脅迫未遂、と言ったところでしょうか」

 

 と、三津橋は心底不愉快そうに、顔を思い切り顰めながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どういう意味かしら?」

 

 三津橋の言葉の後、最初に口を開いたのはウルであった。いつも浮かべている柔和な笑みを消し去り、まったくもって笑っていない目を三津橋へと向ける。両脇にいたスクラとヴェルナが、自身が抱いていた怒りすらも一旦忘れた、というように呆けて見られるほどに、その怒気は強烈で苛烈だ。

 

 しかし、そんな怒気を受けてなお、三津橋は平然としたままであった。むしろ、なるほど、まず彼女が怒るのだなと、秋雅が囲う女性達に対してそんな感想を抱く余裕すらあった。そしてそのまま、三津橋はさして動揺するでもなく、あえて常と変わらぬであろう口調で言う。

 

「そのままの意味ですよ。四年前、正史編纂委員会のトップの老人が、稲穂さんに対して脅迫をしようとしたってことです。稲穂さんのご家族を人質にとってね。言っておきますけど、これはあくまでその老人たちと、当時の委員会の東京分室の人間が主導でやろうと画策していたことで、福岡分室(うち)は加担していませんよ。むしろそれに逆らってご家族に秘密裏に護衛をつけたぐらいです」

「……まあ、そうでもなければとっくにシュウはここを見限っているわよね。詳しい事情、教えてもらえる?」

「簡単な話ですよ。当時、というか現在もですが、稲穂さんのカンピオーネとしての行動はかなり特殊です。非常に人格的で、真っ当に話が通じる。要求がある時はそのほとんどが納得の出来るもので、尚且つ容認可能。戦闘の被害を極力押さえ、民衆への被害をほとんど出さない。正直、他の王の方々と比べて極めて人間的(・・・)な王と言えるでしょう」

 

 だから、と三津橋は、当時も覚えた嫌悪感を思い出しながら続ける。

 

「だから、老人たちは勘違いしてしまったのですよ。稲穂秋雅は制御できる(・・・・・・・・・・)とね。秋雅さんが金銭を受け取っていたことも、飼いならせるなどという思い上がりを抱かせる一因だったのかもしれません」

「……前にも思いましたが、何と不遜なことでしょうか」

 

 福岡分室室長として、この事件について知っていた五月雨が吐き捨てる。カンピオーネという存在を多少なりとも知り、そして触れた者として、過去に老人たちが思ったことがとても許容できるものではなかったのだろう。これは何も彼女に限ったことではなく、特に欧州にいる魔術師にでも話せば、彼女と同じような反応を示すか、老人たちの正気を疑ったことだろう。それほどまでに、真っ当な魔術師達にとって、カンピオーネを制御するなどという発想は、愚かしさ極まった戯言なのだ。

 

「そんなことを思った老人達はまず、稲穂さんを『女』で御そうとしました。当時活躍していた、見目麗しい媛巫女達を貢物にしようとしたわけです。当然、そんなものを稲穂さんが受け取る訳がありません。すると、飴と鞭のつもりか、あるいはただ面子を潰された怒りか、次の手段を取ろうとしました」

「それが、秋雅さんのご家族を人質に取ること、ですか?」

「そういうことです。しかし、実際にそれを命じられたのがここだったのが幸いしました。その命令を受けた前室長が、私と稲穂さんに事の次第を伝えてくれたのです。おかげで、事が起こるよりも先に動く事が出来ました。とは言っても、私は何もしていませんがね」

「話の始まりから察してはいたけれど、秋雅がその老人達を始末(・・)しに行った、ってこと?」

「そういうことです。稲穂さんは私を連れ立ってすぐさま東京に飛び、事を企てていた老人達と当時の東京分室室長を裁き(・・)、老人たちの邸宅をその雷で焼き払いました。これをきっかけとして秋雅さんは関東にある委員会分室と絶縁、同時に自身の正しい認識を委員会全体に植え付けることとなったのです」

 

 稲穂秋雅は決して人間に制御できるものではない。あくまで彼が自ら歩み寄ってやっている(・・・・・)というだけであり、その本質は暴君であるのだということを、当時の委員会はトップの消失と秋雅との関係悪化をもって思い知らされた。それが、当時の事件による結果であった。

 

「――と、まあそういうことがあったわけなのですが、どうにも今回の一件にこれが関わっている可能性があるようなのです」

「秋雅が紅葉の母親を殺したかもしれない、って奴かしら?」

「あの、そもそもなんですけど、もしかして母も……?」

「はい、魔術師だったようです。草壁康太と同時期に委員会に入っています。その後結婚していたようですが、旧姓の『源』で仕事を続けていたようです。夫と同じで、かなりの秘密主義だったようですね」

「まあ、その辺りは母も父も同じようなタイプでしたから……」

 

 何とも言えない表情で、紅葉が小さく呟く。それが皆に対する説明だったのか、あるいは両親から秘密を教えられなかったことに対する言い訳であるのか。その独白からはどちらとも判断できない。

 

「……まあ、とにかくそういう人物だったそうです。彼女もまた人付き合いの問題を除けば全体的に優秀な人材だったようですね」

 

 そんな彼女の態度を若干気にしつつも、三津橋は話を続ける。まったく気にならないわけでもないが、自分がどうこうする問題ではない――その役割にあるのは、未だに考え込んでいる秋雅であるはずだと、そう割り切っていた。

 

「そして、ここからが重要なのですが、書類上(・・・)彼女は四年前の夏、例の老人たちの一人の護衛の任務中、秋雅さんの裁きの余波を受けた結果死亡した、ということになっています」

 

 ですが、と三津橋は表情を険しくさせながら続ける。

 

「当時、あの事件において死亡したのは老人たちのみで、それ以外に人的な被害は出ていません。確かにあの場には委員会の魔術師達もいましたが、その全員が秋雅さんの襲来と共に降伏しています」

 

 さもありなん、とばかりにウル達が頷く。真っ当な精神構造をしている魔術師であれば、怒りに満ちているカンピオーネに逆らうという愚を冒そうとは思わないだろう。やるとすればそれはもう後がない者か、それこそ底抜けなしの大馬鹿者かぐらいだろう。

 

「その後、秋雅さんの雷によって屋敷は焼かれましたが、それも中に人がいない事を確認してのこと。既に死亡していた老人たち以外には誰もいなかったはずです。その後の調査においても、私自身参加していましたから断言できますが、あの場には老人たちの死体以外確実に存在していませんでした」

「…………ああ、それは確かなはずだ」

 

 ここで、この話題が始まってからずっと黙り込んでいた秋雅が、ゆっくりと口を開いた。

 

「可能な限り記憶を探ってみたが、当時こんな顔をした女性はいなかった。そもそもあの日、私は老人共以外誰一人として殺していないはず。私に気付かれない秘密の地下室にいた、などということでもない限り、あの場で老人共以外の遺体が出てくることは不可解というより他にない」

「秋雅さんの言うとおりです。あの場で源楓が死亡した可能性は零だと断言できます」

「では、誰かが委員会の正式な書類を改ざんしたということですか?」

 

 まさか、と五月雨が眉をひそめる。不正行為であるということもあるが、それ以上にカンピオーネに対し罪を被せるような事を委員会の人間が、しかも秋雅の恐ろしさを再認識した後でやるのか、とあまりにも無謀で不遜なことであるからだろう。

 

「まず間違いないでしょうね。少なくとも当時出された調査書の類にはこのようなことは載せられていなかったはずですから」

「ちょっと聞きたいんだけどさ、紅葉。貴女は母親の死因とかはどう聞いていたの?」

「東京への出張中に火事に遭って、運悪く死亡してしまったと聞きました。まあ、遺体の状況がひどかったとかで、遺体の確認自体は父が単独で東京に確認に行ったので、私は詳しく知らないんですけど」

「とはいえ、この改ざんそのものも当然問題なのですが、今回は改ざんされた内容の方が問題です。正確には、この改ざんから生じる誤解といったところでしょうか」

「纏めると、妻の死の原因が秋雅にあると誤解した草壁康太が秋雅に復讐するために魔法陣の開発を行っている、という風に三津橋さんは思っているわけ?」

 

 ヴェルナの質問に、三津橋は小さく頷く。

 

「現状手元にある情報を踏まえると、その可能性が一番分かりやすい(・・・・・・)のではないかと。仮定に仮定を重ねた、確定的な証拠のない推理ですがね。確認しておかないといけないのであえて尋ねますが、紅葉さん、貴女の父親は妻の復讐を考えると思いますか?」

「……三津橋さんの推測通りの誤解をしているのだとしたら、たぶん復讐を考えると思います。父にとって母は全てであった筈ですし、当時の引越しの際の態度なんかを考えると、確証はないですが、そんな気はします」

「そう……」

 

 中々に信じがたいが、しかしありえないとも言えなくなってきた。三津橋の語った推理に対し、皆がそんな意見を認め始めた頃、

 

「……でも、少し引っかかるわね」

 

 顎に手を当てながら、ウルが口を開く。

 

「引っかかる、というと?」

「草壁康太の復讐、という点に関してはそれなりに納得がいっているけれど、わざわざ東京にいく理由がピンと来ないのよ。復讐の対象であるシュウに勘付かれない様に距離をとる、というのは分かるのだけれど、だからといって東京まで行くものかしら? 妻が死んだ場所で復讐心を滾らせる、というのも分からなくはないのだけれど……」

「……そうだな、些かそれは引っかかる。確かにあれ以降私は関東に足を踏み入れることはなくなったが、首都ということもあって東京分室には実力者が揃っているはずだ。下手にリスクを上げるような真似をするというのは、少々疑問に思わなくもないな」

「そこまで考えていない、と考えるのは楽観的過ぎるわよね。何か、東京でなければならなかった理由があるのかしら……?」

「とにもかくにも、当人をとっ捕まえるしかないんじゃない? そうすれば目的も分かるでしょ」

 

 そうだな、とヴェルナの言葉に秋雅は頷く。

 

「結局のところ、それが一番早いのは確かだ。五月雨室長、現状で無理を言うが、東京まで人員を割く余裕はあるか?」

「不可能ではありませんが、東京分室には任せ――いえ、それもそうですね」

 

 途中まで言いかけたところで、五月雨は秋雅の言葉に同意する。今までの話を聞いた上で、東京分室に期待をするというのは流石に難しいということだろう。

 

「では、悪いが調査と戦闘のどちらにも対処できるように人材を選んで送り出して欲しい。三津橋、お前に指揮を頼みたいが可能か?」

「畏まりました。私としても看過できない案件ですし、改ざんのほうについても折を見てつっついてみます」

「頼む。それと、向こうに行く前に一旦私の家に来てくれ。ついでにあちらの王にメッセージなどを頼みたい」

「草薙護堂様に、ですか?」

「ああ。場合によっては私も東京に足を踏み入れることになるかもしれないからな」

「……稲穂さんが、直々にあちらに向かう、と?」

 

 秋雅の言葉に、三津橋が大きく目を見開く。四年前の事件に直接かかわった者として、稲穂秋雅という王をよく知る者として、あれほどに怒りを見せた秋雅が再び東京に向かうかもしれないと言い出すことは、彼にとって些か信じがたいことであった。

 

「危険度によっては四の五の言っていられなくなるかもしれないからな。そもそも、私が公言したのは関東の分室に協力しないということであって、私があちらで動かないこととは直接的なイコールではない」

「……それもそうですね。分かりました、万一を考えて行動を致します」

「頼むぞ。こうなると、いざという時のために私もある程度近場に逗留したほうがいいか……?」

 

 どうするか、と秋雅は考え込む。すると、おずおずと紅葉が手を上げる。

 

「あの、すみません。秋雅さん、ちょっとお願いしたい事があるんですが……」

「何だ?」

「ああ、そう言えばそうでしたね。紅葉さん、その話はこちらから」

「あ、お願いします」

「三津橋も関わっているのか。一体何だ?」

「率直に申し上げまして――稲穂さん、ちょっと北海道にまで足を運んでみる気はないでしょうか?」

「北海道?」

 

 三津橋の突然の提案に、秋雅は少し首を傾げた。話の流れからして出てくるには少しばかり不自然な地名であるし、それがどう紅葉にもかかわっているのかがいまいちピンと来なかったからだろう。

 

「実は、草壁康太の両親、つまりは紅葉さんにとって祖父母に当たる方たちが北海道に住んでいるらしいのですが、その方々に草壁康太に関する情報を聞いてみたほうがいいのでは、という話を紅葉さんとしましてね」

「必要なのか?」

「ええ。委員会内の情報から草壁康太、そして源楓は委員会に入る前から魔術を取得していたようなのです。普通に考えればそれは、身近に魔術を教えられる魔術師がいたということ。そして、これはあくまで可能性ですが、その師から今回の魔法陣の原型に関する情報を得た、あるいは得ていたのではないか、と私と室長は考えています」

「……なくはない可能性だな。魔法陣の情報があるにせよないにせよ、草壁康太のルーツを探れればそれで行動原理を探ることもできる、か」

「そういうことです。それで、紅葉さんに訪ねて貰おうかという話になったのですが、如何せん紅葉さんが数年近く祖父母と会っていない上に、彼女が説明をするには些か話がややこしくなってしまっている」

「北海道分室に話を通させるにせよ、私が紅葉について行ったほうがスムーズに進むか。特に、紅葉の祖父母が当の魔術師であった場合は私が直接問いただせば良いと」

「纏めればそういうことになります。ご足労をかけて恐縮なのですが、お願いできますか?」

 

 申し訳なさそうに三津橋が告げる。すると、秋雅は特に悩む素振りも渋る素振りも見せることなく、すぐさまに肯定の頷きを返した。

 

「分かった。状況が状況だ、私が行って情報を得て来よう。幸い北海道分室の室長とは知己であるし、話は速やかに進むだろうしな」

「助かります」

「すみません、私の為に」

「かまわん。事はもう紅葉だけの問題にはなっていない。ともずれば私も当事者の可能性がある以上、ふんぞり返ってもいられん」

「だったらシュウ、ヴェルナとスクラも連れて行ってくれないかしら?」

「姉さん?」

 

 ここで、ウルが口を挟んだ。彼女の提案にヴェルナとスクラは訝しげな視線を姉へと向ける。

 

「私は構わないが、何故だ?」

「不測の事態に備えた護衛よ。どうにも話がややこしくなってきているようだし、万一の可能性を考えれば二人を連れて行ったほうが良いわ。私は貴方からの依頼で動けないけれど、まあ二人がいれば大丈夫でしょう。それに、元々私達がこっちに来た理由の一つでもあるのだしね」

「……そうだな、念のためは重要だ。ヴェルナ、スクラ、問題はないか?」

「交渉とかをさせられるとかじゃなければいいよ」

「同じく。戦闘以外は出来ないわ」

「十分だ」

「あ、だったら稲穂さん、恐縮ですが五月雨室長も同行させて欲しいのですが」

「三津橋さん?」

 

 突然何を、と五月雨が不審な目を三津橋に向ける。

 

「まあまあ、そんな目を向けないでくださいよ。もし例の魔法陣に関連する情報を得た場合、それをすぐさま解読できる人がいたほうが良いでしょう? だったら五月雨室長がついて行ったほうが良いと思うのですが」

「ふむ、一理あるな。だが、君と五月雨室長の二人がいなくて福岡分室は大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。ね、五月雨室長?」

「…………そうですね。副室長もいますし、私が直接対処しなければならない案件も今はありません。力になれるかどうかはともかくとして、ご同行することは可能です」

「ヴェルナ、スクラ」

「まあ、室長さんならまだいいかな」

「他の知らない相手よりはまだマシよ」

 

 決まりだな、と秋雅が最終決定を口に出す。

 

「私、紅葉、ヴェルナ、スクラ、五月雨室長で北海道に赴く。北海道分室への連絡等の各手配は頼む。三津橋は東京に行って草壁康太の確保の指揮を執れ。ウル、こちらで何かあれば連絡を寄越すように。各員、それでいいな?」

 

 秋雅の確認に、それぞれが確かに頷く。こうして、秋雅達の次なる行動は決まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 思っていたよりも長くなりました、いつものことですが想定よりも話が進まないものですね。今回はこういう事情があるので秋雅は東京分室とは仲良くありません、という話でもあります。これが当作品において東京分室が秋雅ではなく護堂を仰ぎ見ることになる理由ですね。





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明らかとなっていくこと






 五月雨に続いて向かった場所、そこで一人の女性が待っていた。パッと見た限りでは、精々が三十半ばというぐらいの女性にしてはやや背の高い人物である。秋雅達が彼女の存在を認識したと同時、彼女の方もまた秋雅達の事を認識したようで、その顔に人好きのしそうな笑みを浮かべながら歩いてくる。そして、互いに十分に会話が届くといった距離にまで来たところで、先んじて女性が口を開いた。

 

「いやあ、お久しぶりですねえ稲穂様。一年ぶりぐらいでしょうかね。我らが北海道に、ようこそおいでくださいました」

 

 やや大げなさ身振り手振りを交えながら、女性はひどく軽い口調で言う。それに対し、秋雅は頷きを返してみせる。

 

「そんなものだろうな、早瀬室長。息災で何より、と言ったところか」

「おかげさまで、すこぶる好調ですな。いやはや、これもまた稲穂様の御威光のお零れに預かれたが故のこと。まったく、稲穂様には足を向けて眠れません」

 

 現代日本人、特に女性としてはえらく芝居がかった口調。しかし、それに嫌気や不自然さは感じられない。秋雅にとっては馴染み深いあの仮面の王と同じく、不思議とそんな言動が似合うというのが、早瀬というこの女性の特徴であった。滅多にない人物であるためか、あまり他人に興味がないヴェルナとスクラはともかくとして、その一連の態度に五月雨は少しばかり顔を顰め、紅葉は呆気にとられたような表情を浮かべる。

 

「世辞はいい。それよりも」

「ええ、ええ、分かっておりますよ。どうぞこちらへ、失礼ながら私が案内をさせていただきます」

 

 そう言って、早瀬は先ほど自分が立っていた場所に止められている車を示し、そちらへと歩き出す。その背を見ながら、ポツリと紅葉が呟く。

 

「……何と言うか、大仰な人ですね。素なんでしょうか」

「まあ、おそらくは演技だろうな。以前など露骨に棘のある物言いをしていた」

「それって、秋雅が活躍しているから胡麻をすりだしたってこと? 気に入らないなあ」

 

 呆れたようにヴェルナが言う。そんな彼女に、秋雅が僅かばかりの笑みを浮かべ、口を開く。

 

「そうか? 俺は結構気に入っているが」

「それはまた、どうして? 貴方なら不愉快に思いそうなキャラだと思うのだけれど」

「あえておかしな物言いをすることで、こちらのデッドラインを見極めようとする。その度胸と組織への忠義は好ましいと思うんでね」

「……どこまで秋雅が怒らないかの見極めをしているって事?」

「それもそれで、不遜じゃないかしら」

 

 まさか、とヴェルナは秋雅の顔を見返し、スクラは小さく首を傾げる。

 

「そのぐらいのほうが好ましいだろうさ。ただのイエスマンよりはよほど面白い。まあ、反抗心に依るものではないのが条件だが」

 

 口の端に笑みを浮かべながら、面白そうに秋雅は言う。

 

「主の怒りを恐れ、唯々諾々と従う者よりは、時には命をかけた忠言を行える者のほうが好ましい。そういうことさ」

 

 それは秋雅が普段から、時折口に出す言葉であった。だから、三津橋などは秋雅の意に従うにしても不備等があれば躊躇わずに口に出すし、ヴェルナたちもまた常日頃から少しでも引っかかった所があれば素直に口に出す事が多い。故に秋雅の今しがたの感想も、ヴェルナたちにも納得が出来るものがあったらしく、そのような反応を軽く見せている。

 

「まあ、結局は俺の推測に過ぎないんだけどな」

 

 にもかかわらず、先ほどまでの発言から一転して、からかうように秋雅は肩をすくめて見せる。ある意味では早瀬と同じ、何処まで本気で言っているのか分からない態度、と言ったところか。こういうところも、あるいは秋雅が彼女を気に入っている理由かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋雅達が車に乗り込み、早瀬を運転手として出発して数分。ちょうど赤信号に引っかかった所で早瀬が口を開いた。

 

「さて、顔も合わせぬ状況ではありますが、ご依頼の件について報告をしてもよろしいでしょうか」

「ああ。無駄に時間を使う必要もない」

「分かりました。まず、調査を頼まれた草壁夫妻の件についてですが、ざっと調べた限り委員会に所属する魔術師ではありませんでした」

「じゃあ、祖父達は魔術には関係ないということですか?」

「とも言い切れません。委員会に登録していない野良の魔術師、という可能性がありますから」

 

 一応、委員会以外の結社に所属する魔術師、という可能性もあるのだが、その点について早瀬は口に出すそぶりを見せない。おそらく、日本の魔術結社事情が原因だ。

 

 まず、『正史編纂委員会以外の魔術結社の魔術師』は『他国の魔術結社の魔術師』ということになる。一時的に滞在している、というのならそれもありえるだろう。しかし、今回で対象となっている紅葉の祖父たちは、この地に数十年と住んでいると既に調査が済んでいる。流石にそれだけの期間を日本の、特に北海道という首都から離れた地域に住み続けているのは不自然だ。流石に時間がなかったの、で外国の結社の関係者と接触があったかどうかについてまでは調べられていないが、渡航歴を調べた限りでは日本を出た形跡がないし、何より紅葉も証言していることだが、彼らは純日本人であるはず。そういった事を踏まえれば、夫妻が他国の魔術師である可能性はさして見ないでいいだろうと、早瀬は判断したのだろう。

 

「とはいえ、この時点ではどちらとも言えません。じっくりと調べれば会わずとも分かったでしょうが、何分今回は時間が足りません」

「押しかけて強硬手段を、というわけにも行かないからな」

「ええ、流石にそのような手を打って稲穂様のご機嫌を損ねる蛮勇は抱けません。ただ、今回の稲穂様方の訪問にあたって、とりあえず警察関係者ということで連絡を取ってみたのですが、その際、正史編纂委員会の名前を不意打ちで出してみたところ、若干の反応がありました」

「どんな反応だ?」

「電話越しだったので断言は出来ませんが、やや驚いていたようにも思いました。少なくとも、委員会の名を知らない人間の反応ではないですね。そうであるならば、まず見せるのは困惑の類のはずですから。ああ、ちなみに祖父君の方です」

「ふむ。ならば素直に、紅葉の祖父が魔術師であると考えるべきだろうか」

 

 一応、他の魔術師からその名を聞いた事があるだけの一般人、という可能性もあるのだが、シンプルに当人が魔術師であると考えたほうが色々と分かりやすい話だ。

 

 ちらりと、秋雅が隣に座る紅葉に視線を向けると、彼女はやや緊張した面持ちでじっと前を見ていた。両親のみならず祖父母までも魔術に関わっている可能性が出てきてしまった。彼女にとっては衝撃の事実の連発であり、少なからず心労も重なっているだろう。そのことをどうにかしたいとは思うものの、しかしその手立てはというと、これといったものが思いつかない。精々が、かえってストレスがたまらないように、隠すことなく真実を共に知る、くらいしか出来ることがない。

 

 難しいことばかりだ、と秋雅は心の中でため息をつく。が、そうしたところで状況は動いてくれない。今はただ、やるべきことをするべきだと思い直し、視線と意識を運転席に座る早瀬へと戻し、口を開く。

 

「ところで、早瀬室長。北海道分室室長である君がわざわざこのような雑事を行うことにしたのは、何か私に要請したい事があると見ていいのかな?」

 

 空港で再会してからずっと思っていた疑問を、秋雅は早瀬にぶつけた。秋雅に対しての出迎えとしては決しておかしな人選ではないのだが、たかだが草壁家への案内だけとしてはやりすぎな風に感じられないこともない。ありえるとすれば、ここで秋雅に対し何かしらの要請なり依頼なりをする場合だろうと秋雅は考えたのだ。

 

「……流石の慧眼、感服する限りです。ええ、確かに、お忙しい最中に申し訳ないのですが、一つ、ご依頼したい件がございます」

 

 敬服している素振りを見せながら、早瀬が秋雅の言葉を肯定する。

 

「以前、秋雅様をこの地にお招きした際のこと、覚えていらっしゃると思います」

「大鹿の姿をした神獣の討伐の依頼だったな。事前に出現が予知され、それを元に先んじて私が待機した結果、神獣による被害を最小限に抑える事が出来たと記憶している」

「その通りです。その予知をした媛巫女が、数日前にとある夢を見たそうなのです」

「夢――予知夢ということか?」

「かもしれない、と注釈をされたうえで、私どもはその夢の内容を報告されました。その内容は、『天より放たれた雷が地を焼き、万を超える軍勢が街を蹂躙する』というものでした」

 

 ピクリ、と秋雅の眉が動く。それは自分の事を言っているのかと反射的に思ったからだが、しかし、どうやらそうではないらしい。

 

「その時点では、分室内でその夢の内容はさして重視されていませんでした。霊視成功の確率の低さは有名ですからね。とはいえ、前回の一件もありましたし、個人的には注目していました。その状況が変わったのは、昨日、不自然な落雷の情報が上がってきてからです」

「不自然、というとどのようなものなのですか?」

「雷雲の発生と消滅が異様に早いんですよ。先ほどまでは快晴であったのに突如雷雲が発生し、そして幾度か雷を落とした後にふっと消滅してしまう。そんなことが各地で繰り返されています。しかも、それが起こった場所を記していくとまるで意思を持って動いているようにすら見えるのです。結果、明らかに自然のそれの動きではない、と結論付けられました」

「つまり何者かの――いえ、まつろわぬ神の仕業であると、北海道分室は判断したのですね?」

 

 五月雨の確認に、早瀬が頷く。

 

「明らかに、ただの魔術師には出来ないことですからね。稲穂様含め、カンピオーネの方々がその時点でこの地に足を踏み入れておられない以上、自然と可能性は絞られます」

「如何なる神の仕業であるのか、は分かっているのですか?」

「それがどうにも。現象だけを見れば雷神の類かとは思うのですが、予知夢の事を踏まえると『軍勢』というキーワードがやや引っかかる。外から来た神ということでないのであれば、日本神話の神か、あるいはアイヌ神話の神かとは思うのですが、やはり情報が足りません。稲穂様はどう思われますか?」

「……いや、私も現状では何とも言えないな。それよりも、まつろわぬ神の仕業という割には、呪力の気配は感じない方が気になるのだが」

 

 車の窓越しに空へと視線をやりながら、秋雅は呟く。見るからに快晴で、遠くの雲まで見えるその空に、不穏な気配は感じられない。この地域に件の雷雲が来ていないからのもあるのだろうが、しかしそれほど大規模な異変を起こしているのであれば、多少なりとも呪力やまつろわぬ神の気配というものを、秋雅が感じ取る事が出来ないというのがややおかしな話だ。

 

「それが、どうやらその雷雲自体は自然発生したもののようなのです。少なくとも現地に派遣した魔術師には呪力の残滓を感じ取る事が出来なかったと。おそらくですが、まつろわぬ神の存在に呼応して、自然現象の側が引っ張られているのではないかと」

「成る程な」

 

 ヴォバン侯爵と同じようなものか、と秋雅は納得する。かの王の気の昂ぶりに応じ嵐が発生する事があるが、おそらくはそれと似通った現象が起こっているらしい。

 

「そういうわけですので、北海道分室は今警戒態勢です。雷雲の発生を監視し、何かあればすぐに行動を起こせるようにしているのですが、もう一つの予知である『軍勢』とやらの正体も掴めぬ現状、我らだけで事態の収拾をつけることはまず不可能でしょう」

「だから、いるであろうまつろわぬ神を、私に討ってもらいたい、ということか」

「そういうことになります。今このタイミングで稲穂様がいらっしゃったこと、それが比類なき幸運であったと我らに思わせて頂きたく、自ら参上した次第です」

「――分かった。草壁夫妻との接触が済み、こちらの用件が片付き次第、北海道分室に協力しよう」

 

 さほど悩む素振りも見せず、秋雅は早瀬からの依頼を快諾する。こちらもそれなりに忙しい身ではあるが、元よりまつろわぬ神の討伐はカンピオーネにとって最大にして唯一の義務。よほどの状況でもない限り、それを断るという選択肢は秋雅にはないのだから、その快諾も当然の話ではあった。

 

「おお、受けてくださいますか! ありがたい、これで我らも一息がつけます」

「すまないが、一息ついてもらうには早い。こちらが暴れても構わぬよう、人民の避難や後始末等の準備を行ってもらうぞ。それと、何処でも良いが宿の準備は頼む。どれほどであちらを見つけられるかも定かではない上に、討伐が成功した後も、最低でも一日程度は休息をとりたい」

「畏まりました。稲穂様方をお送り次第、後方支援と滞在の準備を進めさせてもらいます」

 

 ホッと、秋雅の快諾に対し早瀬が小さく安堵の息を漏らした。命を懸けて秋雅の度量を測ろうとする度胸を持った彼女であるが、流石にまつろわぬ神の出現には気を揉んでいたらしい。秋雅から色よい返事を受け取る事が出来たので、一先ずは安心だと思ったようであった。

 

 それによって、幾分か余裕が生まれたということなのか。そう言えば、と思い出したように、早瀬がバックミラー越しに秋雅を見る。

 

「実を言うと、今回稲穂様が草壁家を訪れることになった事情というものをあまり存じ上げていないのですが、宜しければお聞かせ願えるでしょうか?」

 

 その言葉を聞いて、五月雨は僅かに眉をひそめ、振り返って秋雅を見る。どうしましょうか、と暗に告げている五月雨に対し、問題ないと秋雅は頷いてみせる。

 

「事は我らだけの問題で済まない可能性がある案件だ。万一の可能性に備えて、北海道分室と情報共有しておいても構わないだろう。五月雨室長、すまないが私に代わってざっとした説明をお願いしてもいいかね?」

「……畏まりました」

 

 秋雅の返答に少しだけ逡巡を見せたものの、五月雨は早瀬に対し今回の一件に関しての説明を始める。

 

「今回、我々が追っている事件についてですが――」

 

 そうして始まった五月雨の説明であったが、非常に理路整然としていて分かりやすい。思わず、聴いていた秋雅が感心の声を漏らす程度だ。それは運転中ということで、集中力を注ぎきれない早瀬にとっても、実に助かるものであったらしい。彼女は数度ほど頷きつつ、理解したが故の皺を眉間に作る。

 

「いやはや、ご丁寧な説明、ありがとうございます。しかし、尋ねておきながらなんですが、私どもが力添えできる案件ではなさそうですね。事の中心が魔法陣関連では、どうにもお手伝いというのも難しい。うちには魔法陣に関する知識を修めた者はおりませんからね」

 

 早瀬の言葉に、当然だろうと秋雅は内心で頷く。そもそもとして、五月雨は正史編纂委員会内でも魔法陣に詳しい魔術師としてちょっとした有名人だ。その彼女に匹敵、あるいは凌駕するほどの知識を持った者は、委員会内には流石にいないだろう。いれば、多少なりとも噂になるか、当人がアピールなりしていてもおかしくない。秋雅自身はともかく、その手のことに強い三津橋が何も言ってこなかった以上、そうだろうと予想するのはそう難しいことではなかった。

 

「しかし、もし単純な人手不足ということでもあれば、可能な限り助力いたしますので。まあ、こちらの問題が片付いた後にはなるでしょうが」

「そうだな。もし何か、こちらの手に余るような事があれば頼もう。流石にないとは思うがな」

「それを残念と見るべきか否か、何とも難しい所です」

 

 茶化すように早瀬が呟く。どこまでもペースを変えない早瀬に、仮にこれが他の王に対してであればどうだっただろうか、などとどうでもいい事を秋雅はふと思いつく。もっとも、思いついたというだけで、特に口に出すこともないのであるが。

 

 

 

 

 

「……そろそろですね」

 

 話が一段落ついたところで、先ほどから外を眺めていた紅葉が呟く。

 

「ええ、もう五分とせずに着きますよ」

 

 紅葉の呟きに、ハンドルを握る早瀬が応える。五月雨の説明も含め、案外長々と話をしていたが、どうやらもうすぐ草壁家に到着するらしい。

 

「心配か、紅葉?」

 

 外を眺める紅葉に、隣に座る秋雅が声をかける。彼女の現状を踏まえれば、今回の祖父母との再会は、思うところが多くあるだろう事を察するのは簡単なことであった。

 

「心配、といえば心配はしていますかね。父は何か大事を起こそうとしているようですし、何より私はもう死んじゃっていますから。でも、どんな反応をされるにせよ、一度は会っておく必要があると思ったから、今回の提案をしたんです。だから、大丈夫です」

 

 振り返り、秋雅を見つめながら紅葉は言う。その目に不安の色は確かに見受けられるが、怯えの色は見当たらない。

 

「……そうだな、君なら大丈夫だ」

 

 だから、秋雅もゆっくりと頷きを返す。そんな、期待の持てる表情を、紅葉は浮かべていた。

 

「ああ、見えてきましたよ」

 

 早瀬の報告に、秋雅は視線を前に戻す。正面に見えるのは、それなりに年季が入っているらしい一軒家だ。

 

「あれか」

「はい、祖父母の家です」

「何か進展があると良いのですが……」

 

 どうなるでしょうか、と五月雨が呟く中、車はその家の前で停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 腰を下ろした老人が口を開く。草壁家を訪れた秋雅達を家の中に招いた老人は、突如頭を下げる。

 

 

「お初にお目にかかります、羅刹の王よ」

 

 老人の態度をいぶかしんだ秋雅であったが、最後に老人が呼んだ名前に、ピクリと眉を動かす。

 

「その言葉を知っている、ということは」

「はい、正史編纂委員会にこそ属しておりませんが、私と妻は魔術師の端くれでございます。御身のことも、同じく在野の知人から聞き及んでおりました」

 

 そこまで言った所で老人は頭を上げ、真剣な表情で名乗る。

 

「草壁家当主、草壁幸次郎と申します。ご存知の通り、御身の隣に座っている草壁紅葉の祖父でございます」

「神殺し、カンピオーネが一人、稲穂秋雅だ。彼女らは、私の直接の部下であるヴェルナ・ノルニルとスクラ・ノルニル、そして正史編纂委員会福岡分室室長である五月雨恵だ」

「五月雨です」

 

 秋雅の紹介に、五月雨のみが名乗り、車に乗ってからずっと口を開かなかったノルニル姉妹は、やはりここでも黙ったまま軽く頭を下げる。なお、ここまで秋雅達を連れてきた早瀬は草壁家に秋雅達を下ろして早々、例の件について対応する為にその場を離れているのでここにはいない。

 

「いきなり大所帯で押しかけ、申し訳なく思っている。奥方にも、何やら負担をかけたようだな」

「いえ、大事を取って休ませてはおりますが、既に家内も意識は回復しています。あまり御気になさらぬよう」

 

 実は、秋雅達が草壁家を訪れた時、応対をしたのは幸次郎の妻、つまりは紅葉の祖母であった。だが、彼女は今ここにいない。というのも、彼女は玄関扉を開けた先にいた秋雅達の姿を確認した途端、突如卒倒してしまったのだ。そのため、今彼女は家の奥で休んでいるという次第であった。

 

「お爺ちゃん、お婆ちゃんは何か持病でも持っているの?」

「……いや、そういうわけじゃないんだ、紅葉。何と言うか、お婆ちゃんはちょっと特別でな」

「特別?」

「それは、どういう意味だろうか?」

「少々説明が難しいのですが…………家内は人あらざる者を知覚する、特殊な才があるのです」

「どいうと?」

「実を言うと、私どももよく分かっておりません。ただ、家内の家系に代々そういった力が継承されてきたらしく、家内はどのような姿であれ、相手が人でないならば、それをすぐに見破ってしまうのです」

「媛巫女の霊能力のようなもの、ということでしょうか?」

「おそらくはそういうことかと思います」

「なるほど、それで紅葉を見て卒倒してしまったと」

「……そっか、私の正体に気づいたから」

「うむ……言いたくはないが、そういうことだ」

 

 何とも言えぬ表情で、幸次郎が頷く。確かに、久しぶりに現れた自分の孫が、幽霊となって会いに来たなどと知ってしまったら、ひどくショックを受けるのも道理であるだろう。

 

「稲穂様、紅葉に起こったであろう何事かが、今日ここにいらっしゃった理由なのですか?」

「そう、だな。少なくともきっかけはそうなるだろう。幸次郎殿、少し長い話になると思うが、お聞き願えるか?」

「勿論です。我が孫に何が起こったのか、知らぬままで済ますわけにはいきません」

「分かった。五月雨室長、手間をかけるが」

「はい。草壁さん、私の方から今回の訪問の理由についてざっと説明をさせていただきます」

 

 そうして、本日二度目となる五月雨による説明が始まる。自分の孫に起こった事と、息子が起こそうとしているかもしれないこと。幸次郎は秋雅達がやや不思議に思うほどに静かに、特に大きな反応を見せるでもなく、じっと話に聞き入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これが、私達が今回、草壁さんにお話を聞きにきた理由となります」

「そう、ですか。康太が……」

 

 最後まで話を聞き終わった所で、幸次郎はその顔を手で覆う。自分の息子がその娘、つまりは自分の孫に対し行ったことと、これから起こそうとしているであろう事。少し前までまるで思いも寄らなかったことを突然に聞かされたのだ、幸次郎が感じている衝撃、怒り、嘆きは外様の人間が易々と語れぬほどであろう。

 

「幸次郎殿、貴方が感じているであろう心痛は、私では理解しきれぬほどであると思う。だが、酷な事を言うようだが、今は草壁康太の目的の阻止と、紅葉の妹である草壁椿の身の安全を確保する事が最優先事項だ。無理を承知の上で、どうか草壁康太についての話を聞かせてもらいたい」

 

 どうか、と真摯な態度で秋雅が頼み込む。そんな秋雅の態度に、息子の凶行にショックを受けていた幸次郎は長い沈黙の後、意を決したように口を開く。

 

「……分かりました。稲穂様、貴方様の望みの通りに致します。康太が紅葉に行ったこと、とても許せるものではありません。椿を紅葉と同じような目に合わさぬためにも、私が知りうる限りの事をお話いたします」

「感謝する」

 

 そう言って、秋雅は頭を下げる。これに対し、ぎょっとした気配が五月雨からは感じられた。まさか、自分達からすれば絶対的な王者である秋雅が頭を下げるというのが意外であったのだろう。ここまでずっと黙り込んでいたヴェルナ達まで、軽くとはいえ秋雅に合わせるように頭を下げたことも、あるいは彼女の驚愕に拍車をかけたのだろうか。

 一拍し、五月雨が慌てて頭を下げたことを確認した後、秋雅はゆっくりと頭を上げ、改めて口を開く。

 

「さて、では話を進めさせてもらおう。まず前提として確認をしたいのだが、草壁康太に魔術の手ほどきを行ったのは貴方だろうか?」

「はい、その通りです。私と家内が康太に教えました。その後、康太自身が幼馴染である楓にも教えていたようです」

「その際、草壁康太に対し、魔法陣に関する知識も教えたのだろうか?」

「……そうですね。私が受け継いできた知識には魔法陣に関するものもありました故、草壁家嫡男として康太にも教えました」

「魔法陣の知識を受け継いでこられたのですか?」

「ええ。そしてそれが、私が正史編纂委員会に入らなかった理由でもあります」

「どういうことだろうか?」

「それは……」

 

 秋雅に問いかけに、幸次郎は少し悩む素振りを見せる。だが、すぐに意を決したように頷き、口を開く。

 

「それは、草壁家が代々受け継いできた、とある魔導書が理由です。数百年前に、本州の方から伝わったものらしく、万一にもこれの存在を他者に知られないようにするために、代々の草壁家の当主はこれを封印し続けておりました」

「封印ということは、禁書の類なのだろうか?」

「はい。使い方次第では、それこそ国すらも滅ぼせるほどの術を記した魔導書です」

「国って……」

 

 ここで初めて、黙っていたヴェルナが口を開いた。まさかそこまで、と幸次郎の言葉を否定するニュアンスを含んだ呟きであったが、それを耳に入れた幸次郎はゆっくりと首を横に振る。

 

「信じられない気持ちは私も分かります。私も、父にこれの存在を知らされたときは、馬鹿な、と思いました。ですが、実際に記された術を見て理解したときは、流石に背筋がぞっとしたことを覚えています」

「それで、その術とはどのようなものなのだろうか?」

「――とある、特殊な魔法陣です」

 

 幸次郎の言葉に、場の雰囲気が一気に硬くなる。

 

「魔法陣、か。だから、貴方は隠してきたそれを、今教えてくれたのか」

「そうなります」

「それで、その魔法陣とはどのようなものなのですか?」

「いくつかあるのですが、特に危険であるのが一種の爆弾を作る魔法陣です」

「爆弾、ですか?」

「爆弾と申しても、物理的な被害はさしてありません。ですが、その爆弾は土地を汚す(・・・・・)事が出来るのです」

「土地を汚す?」

「はい。その爆弾が爆発すると、中に込められていた……汚染された呪力、とでも申しましょうか、それが辺り一帯に撒き散らされ、地脈等を汚してしまうのです。地脈は土地の命を運ぶ血管のようなもの。それが汚染されると、その土地が汚染されることとなります。汚染された土地では全体の運気が降下し、その地に住む生物にも悪影響を及ぼします。風水に失敗した場所を思い浮かべて頂けると分かりやすいかもしれません。あるいは、このご時勢になんでしょうが、放射能によって汚染されるようなもの、というイメージが近いかもしれません」

「最終的に生物は寄り付かなくなってしまい、その土地は荒廃する、ということか。成る程、規模にもよるが、確かに場合によっては国を滅ぼせるかもしれないな」

「試したわけではないので詳しくは分かりませんが、手のひら大の水晶球を使えば一つの街を滅ぼせると記載されていました」

「当時と街の規模などには差異があるだろうが、十分に驚異的な汚染範囲と考えていいな。これはまた厄介な……」

 

 幸次郎の説明に、思わず秋雅が唸る。確かに、幸次郎の話がすべて事実であれば、国を滅ぼすという大言壮語も決して誇張ではないだろう。今まで正史編纂委員会にこの情報を渡さなかったのも納得がいく。こんなものが記された魔導書の存在など、下手に誰かに教えられるものでもない。

 

「幸次郎殿、具体的なその爆弾の作り方はどのようなものだろうか?」

「まず、魔法陣の中央に何かしらの呪力を込められた物品を用意します。そして、その中に込められた呪力を徐々に汚染していくのです。すると、その物品の表面に蔦の絵が浮かび上がるそうです。これは内部の呪力の汚染と共に数を増していき、それと同時にその物品を徐々に締め付けていくそうです。最終的に、この蔦がそれを破壊し、汚染されてきった呪力を周囲一帯にばら撒く、と記されています」

「自動起爆、ということか」

「であれば、こちらに露見せず数を多く設置するのも難しいでしょう。思ったよりも大規模な被害は出ないと思われますね」

「だといいが。それで、解除方法は?」

「蔦が破壊する前に、先んじてその物品を破壊するしかありません。汚染された呪力は最後まで工程を踏まないと安定しないらしく、途中で破壊された場合は無害な普通の呪力へと再変換されると。逆説、最後まで工程が終了した場合はもうどうしようもありません」

「対処は簡単だが、時間との勝負になるな」

「魔法陣に設置したらもうお仕舞い、というわけではないだけまだ楽ですが、しかし面倒な代物ですね……草壁康太の狙いはこれなのでしょうか?」

「さて……幸次郎殿、他にその魔導書に危険な魔法陣は記載されているのか?」

「いえ、後は地脈から呪力を引きだすものなどで、直接的な危険性があるものはなかったかと」

「例の奴の元となった魔法陣はそれだな。まあ、それが分かった所で…………」

 

 ふと、秋雅の言葉が止まる。何事か、と紅葉が見てみると、彼は信じがたいものを見たかのような表情を浮かべ、口元を手で覆っている。

 

「まさか、それが奴の……?」

「秋雅さん? どうしたんですか?」

「…………もしかしたら、という可能性を思いついた。ヴェルナ、スクラ、呪力を込められる物体に関して聞きたい」

「はい?」

「急にどうしたのよ」

「聞け。最も相性の良い物体を使ったとして、それにどの程度の量の呪力を込められると思う?」

「ええ? そりゃ、まあ量にもよるけど、ウーツ鋼を使ったとして……そうだなあ、十キロで一般的な魔道師十分の一ぐらい?」

「もう少し低くないかしら? まあ、でも他の素材でもたぶんその程度が限界だとは思うわ」

 

 突然の質問に、怪訝そうにしながらも私見を二人が答えると、秋雅の表情がますます険しくなる。どうしたのだろうか、と皆が思う中、

 

「――まさか、そういうことですか!?」

 

 思わず、といったように五月雨が立ち上がる。呆然とした面持ちで自らに視線を向ける五月雨に、秋雅はゆっくりと頷きを返す。

 

「ああ、おそらく、それが草壁康太の狙いだろう。それならば、紅葉の件の理由も分かる。この手なら自動起爆による数の不利も簡単に覆す事が出来る」

「ですが、だとすれば正気の沙汰ではありません」

「今更だろう。草壁康太という男が私達の印象通りならば、むしろ納得がいくとすら言える」

「……ねえ、二人して分かり合っていないで、こっちにも教えてちょうだいよ。一体何が分かったっていうの?」

「紅葉が死ぬ原因となった魔法陣の効果を思い出せ。あれは紅葉の呪力として器を広げ、その中に呪力を流し込もうとしていたんだぞ」

「ええ、それが……」

 

 言いかけて、スクラの言葉もまた止まる。彼女だけではなく、ヴェルナと、そして紅葉ですら、驚愕したように目を見開いている。幸次郎も、察してはいないようだが、しかし嫌な予感というものがあるのか、表情を曇らせている。

 

「ああ、そういうことだ」

 

 皆の表情を確認し、秋雅は吐き捨てるように言う。

 

「奴の狙いは、人間を呪力の爆弾とすることだ」(・・・・・・・・・・・・・・ )

 

 秋雅の言葉に、場の空気が凍る。改めて口に出されることで、その言葉の意味と、それに含まれた狂気を理解したからであった。そんな空気の中、秋雅は口を止めない。

 

「結局、人間以上に呪力の保持量に優れたものはいない。さらにその『器』を広げたものを利用すれば、これ以上ない規模の呪力の爆弾となる。さっきまでの幸次郎殿の話どころじゃない。最低でも人間数人分の汚染された呪力が地脈に乗って撒き散らされるなど、下手をすれば街どころか県の一つぐらいは潰れる可能性もある……!」

 

 何ということだ、と秋雅は苛立ちから頭を乱暴にかく。流石にこれは予想外に過ぎた。まさか、一人の魔術師がそのような規模の大事を起こせるとは思っていなかったのだ。ウルの懸念が当たったということになるが、これであればまだ秋雅を直接狙ってくれたほうが楽と言うより他にない。

 

「幸次郎殿、件の魔導書を借り受けることは可能だろうか。時間が怪しいが、可能な限りそれを研究して対抗策を見つけなければならない」

「分かりました。先祖には申し訳ありませんが、やむを得ません。ですが、厳重に封印してあるので解除に時間がかかります。書庫の封印と魔導書自体の封印とで、最低でも一時間ほどは必要でしょう」

「随分と厳重だが、致し方ない。急ぎお願いしたい」

「ええ、では失礼します」

 

 そう言って、幸次郎は小走りで部屋を飛び出す。それを見ながら、秋雅は携帯電話を取り出しつつ言う。

 

「一時間もただ待っているのは時間の無駄だ。五月雨室長、私は早瀬室長の依頼を受けてくるから、君はここで待機を。ついでに三津橋に草壁康太の確保を急ぐように伝えてくれ」

「分かりました」

「紅葉、君もここに待機だ。立て続けのことで疲れだろうから、少し休んでおくといい。五月雨室長、紅葉の事も頼む」

「それは……いえ、分かりました」

「そちらもお任せください」

「私とスクラは秋雅についていくからね、良いでしょ?」

「ああ、ここに置いておいても仕方がない」

「じゃあ急ぎましょう。あっちもこっちも、急いで片付けないといけないことばかりだわ」

「では二人とも、ここは頼むぞ……ああ、早瀬室長か。すまない、こちらに車を――」

 

 そう言って、秋雅は電話をかけながら部屋を出て行き、それにヴェルナとスクラも着いていく。

 

 そんな中、

 

「……待機、か」

 

 紅葉が漏らした小さなつぶやきが、ふと秋雅の耳に残った。

 

 




 思ったよりも長くなってまつろわぬ神まで行かなかった。これでも細かい所を削ったつもり、かなりのカット進行のつもりなんですがね。やっぱり余計な事を書きすぎるのが私の悪い癖か。




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本質と名前

「……はあ」

 

 力なく、紅葉がため息をつく。場所は草壁家の居間のままだが、そこにいるのは紅葉一人だけだ。先ほどまでは電話中の五月雨もいたのだが、途中から外に出て行ってしまっている。秘密の話になったのか、話が長くなってきたので紅葉の気に触らないようにしてくれたのか。

 

「何なのかな……」

 

 そんな一人の空間で、紅葉は力なく天井を見上げる。先ほど秋雅から出された待機の命令が、彼女の心に何とも言えない感情を生み出していた。

 

「気を使ってくれた、というのは分かるんだけど」

 

 置いて行かれた、という言葉が紅葉の脳内をぐるぐると駆け巡る。気にし過ぎであり、単なる被害妄想であるとは分かっているのだが、どうしてもその言葉を振り切る事が出来ない。

 

 そう思ってしまう全ての元凶は、自分に誇れるものがないからだ、と紅葉は理解している。ヴェルナたちのような実力も、五月雨のような専門知識もない。ただの変な体質の幽霊では秋雅の手助けを出来ないから、こういう時に留守番役を任じられるのだ、と。

 

 考えすぎである、というのは紅葉にも分かっている。秋雅にはそのように思って紅葉を置いていったわけではないし、そもそも紅葉は巻き込まれた側の人間で、本来であれば解決する側に回れるわけがないのだ。

 

 だけれども、自分は秋雅の従者なのだ、と紅葉は思ってしまう。恩義やそれ以外の理由から、秋雅の為に働きたい、彼の力になりたいと思っている。しかしどうしても、秋雅の手助けをすることも、秋雅に頼られることも出来ない。本来であれば草壁家の問題であるというのに、今はただ祖父を待つことしか出来ない。実に、歯痒かった。

 

「情けないなあ……」

 

 天井を仰ぎ、手で目を覆う。そうしなければ、この身体になってから流れなくなったものが、目から溢れてしまいそうだったからだ。

 

 

 

 

「……う、ん?」

 

 そんな体勢を維持して、どれほどが経っただろうか。ふと、紅葉は訝しげな表情を浮かべ、顔を部屋の壁のほうへと向ける。いや、正確には壁ではなく、その向こうに広がる外へと向けている。

 

「何だろう……ざわざわする」

 

 そんな行動の訳は、妙な胸騒ぎを感じたからだ。脈絡のなく湧き上がったその感覚に、紅葉は先ほどまで感じていた寂寥感や焦燥感を忘れ、いぶかしむ。そのぐらい異質で、突然の感覚であった。

 

「何かがいる……? 呼んでいる、ってわけじゃないみたいだけれど……アピールしているの?」

 

 何かしらが、自身の存在を周囲に伝えようとしている。謎の胸騒ぎの正体を、紅葉はそのように感じ取る。そこから生まれる疑問は当然、紅葉の感覚を刺激している何者かの正体だ。

 

「………………うん」

 

 しばしの沈黙の後、紅葉は小さく頷く。待機という、秋雅からの受けた命令を破る。その決心であった。何者かに対する好奇心、感覚に対する疑問、何も出来ていないことによる焦燥感など、そういったものを含めた彼女の中の複雑な感情が混ざり合い、そして生まれた結論であった。

 

 

 念のためメモを書き残し、紅葉は家を出る。祖父母に話しておこうかとも少し思いはしたのだが、祖父の作業と祖母の休息のどちらも邪魔しない方がいいと、黙っていくことにする。

 

 

 そうして、家を出た紅葉であったのだが、その背に声がかけられた。

 

「紅葉さん? どうかなさいましたか?」

 

 外に出てすぐ、ちょうど電話を終えたらしい五月雨であった。そういえば三津橋に連絡をしているのだったと紅葉は思い出したが、もはや後の祭り。訝しげな表情で見る五月雨に、どうしようかと紅葉は一瞬考えたが、

 

「その…………変な感じがしたので」

「変な感じ、ですか?」

「はい。えっと――」

 

 特に誤魔化すでもなく、紅葉は本当のことを五月雨に語り始める。流石に誤魔化せるようなものではないし、そもそも誤魔化すようなことでもないからだ。まあ、秋雅の命令を破って外出する目的としては弱い、というのは事実であるのだが。

 

 そんな訳で、さして長くもない理由を紅葉は五月雨に語る。それを聞いての五月雨の反応は、案の定困惑であった。

 

「……向こうに何かがいる、と。まあ、紅葉さんが霊体であることと、紅葉さんのお婆様の件を考えれば、霊視に似た能力を紅葉さんが持っていても、決しておかしいとは言えませんが……」

 

 紅葉の説明にあった方向を見ながら、五月雨が何とも言えないに呟く。全否定をしている、というわけではないのだが、完全に肯定するには根拠が薄すぎると思っているようであった。

 

「やっぱり駄目、でしょうか……?」

「う、ん……そうですね……」

 

 考え込む五月雨であったが、少しして小さく頷き、紅葉へと向きなおる。

 

「分かりました。私が同行しますので、気分転換がてら行ってみましょう」

「すみません、ありがとうございます」

「いえ、お気になさらず。では、行きましょうか」

 

 そう言って、五月雨は紅葉が示した方向へと歩き出す。その後を、紅葉も恐縮したように身を縮めつつ着いて行った。

 

 

 

 

 

 

「……そういえば紅葉さん、こちらにはよくいらしたのですか?」

「いえ、数年に一度ってくらいの頻度です。正直この辺りの地理もよく分かりません」

「ああ、そうでしたか……」

 

 会話が続かない。五月雨は話題を選びあぐねているようで――紅葉が上手く返す事が出来ていないのもあり――先ほどから会話がどうにも長続きしないのだ。

 

「……すみません」

 

 数度目からの会話の切れ目に、紅葉が申し訳なさそうに目を伏せる。彼女からの謝罪の言葉に、五月雨が立ち止まり、振り返る。

 

「かなり気を遣わせてしまっていますよね。無理も聞いてもらって、本当にごめんなさい」

「いえ、その、あまり気に病まないでください。どうせ一時間はやることもなかったのですし、稲穂様から紅葉さんのことは任されています。紅葉さんの精神的負担を考え、多少の気分転換は必要である、と私が判断した結果ですので、紅葉さんが落ち込むようなことじゃないですよ」

「でも……」

 

 思わず、紅葉は五月雨の言葉を否定しようとする。しかし、それに対し五月雨は僅かに迷う素振りを見せた後、首を横に振る。

 

「紅葉さん自身はそれほど大事と思っていないでしょうが、今の状況を含め、紅葉さんにとって過度なストレスというのは、かなり問題となりえるのですよ」

「どういう意味ですか?」

「福岡の方の草壁家の地下で、自分の存在が危うくなったことはご存知ですね?」

「え、ええ」

 

 あまり覚えていませんが、と紅葉は頷く。

 

「私達生きている人間は肉体があるため、物理的な損傷を受けるなどをしない限り存在が揺らぐことはありません。ですが、紅葉さんは実体化こそすれ、肉体その物は所持しておらず、あくまで霊体でしかありません。魂のみの状態と比べればまだマシですが、霊体というものは不安定なのです。それこそ、当人の精神状態によって存在が揺らぐほどに」

「あの時の私が、そうだったってことなんですか?」

「はい。だから、稲穂様は紅葉さんをこちらに置いて行かれたのだと思います。下手な話をして、紅葉さんの精神に負荷かがかかった場合、最悪貴女が消滅しかねなかったということです」

「……それは、椿が例の爆弾に使われる可能性の話ですか?」

 

 紅葉の問いかけに、五月雨の表情が凍った。一瞬の沈黙を挟み、彼女は罰の悪そうな表情を浮かべながら口を開く。

 

「気付いて、いらしたのですか」

「ええ、まあ……私がこうなったことを考えると、父は椿を例の爆弾にする気だろうと思ったので。何故誰も、その事を言い出さないのかと思っていたんですが、私の為だったんですね」

「……そういうことです。私自身の考えですが、ただでさえ妹さんを心配されている紅葉さんに、その可能性の提示はやりかねたもので。おそらくは、稲穂様達もそうなのでしょう。決して、紅葉さんに出来る事が無いから待機を命じたというわけではないと思いますよ」

「そう……ですね」

 

 少しだけ、紅葉の心の中にあった不安が薄まる。代わりに、悔しさのようなものが沸きあがってくるが、まだこちらのほうが紅葉にとって飲み込める感情だった。

 

「……置いて行かれたと、そう思っていたんですか?」

 

 ふと、五月雨がそんな言葉を投げてきた。それに対し、紅葉は少しだけ黙り込んだ後、コクンと小さく頷く。

 

「私には、専門知識も戦闘能力もありません。役に立たないから置いて行かれたのかな……と、少しだけ」

「率直に申し上げるのであれば、気にし過ぎだと思いますよ。稲穂様はそういう方ではないように思えます」

「それは分かっているんですけどね、私も。つい、そう思ってしまったんです」

「分かりますけどね、そういう気持ち。置いて行かれてしまうという焦りと恐怖は、私にも経験があります。実際、一度は心が折れそうになったこともあります」

「……そうなんですか?」

 

 五月雨の告白に、紅葉が目を丸くする。紅葉から見て五月雨は、見るからに有能なキャリアウーマンという印象だったので、彼女がそんな思いを抱えた事があったということが意外だったのだ。

 

 そんな紅葉の反応に軽い笑みを浮かべた後、五月雨は再び歩き出す。それに慌てて紅葉が、今度は真横についた事を横目に見ながら、懐かしそうに口を開く。

 

「昔……というほど歳もとっていないんでしょうが、仲の良かった友人に置いて行かれると思ったことは何度かあります。ただでさえ私はマイナーなものを学んでいましたから、真っ当な魔術師として成長していた友人に、焦燥感を覚えたことはありました」

「それで、どうしたんですか?」

「どうした、ってほどでもないんですけどね。少しだけ考え方を変えただけです」

「考え方ですか?」

「ええ。置いて行かれる、ではなく、追いかけよう、と考えるようにしたんです」

「追いかける、ですか? 追いつく、ではなく」

「そう簡単に同じラインに立てない、と開き直ったんですよ。だから、せめて差が開かないように自分も追いかける。そして、いつか追いつく。そんな風に考えるようにしたんです」

「追いかけて、追いつく……」

 

 五月雨の言葉を、噛み締めるように紅葉が繰り返す。ゆっくりと、ゆっくりとその言葉を取り込み、紅葉は力強く頷く。

 

「そうか……追いかければいいんだ! 秋雅さんに引っ張ってもらうんじゃなくて、こっちから……!」

 

 数度頷き、紅葉が顔を上げる。その表情にはもう後ろ向きな感情は見受けられず、ただ前を見た決意と嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

 

「ありがとうございます、五月雨さん。おかげで大事な事を知れましたし、大事な事を思い出しました。私、元々前向きな性質だってことを忘れていました!」

 

 そうだった、と紅葉は大事な事を思い出した。生前も、そして幽霊になっても、そうであった。後ろ向きではなく、前向き。それこそが、草壁紅葉という人物の本質であるはずだ。

 

 そう、幽霊として自我を取り戻した時も、名前を思い出したときも、どちらの時も自分はうじうじとせず、前を向いていたはずだった。それがここ最近は、家族のこととあって、些か思考が良くない方向にばかり進んでいた。だが、それでは駄目なのだ。

 

 『父が危険な事をしている、妹が危ないかもしれない』という足踏みでしかない思考ではなく、『父を止め、妹は助ける』という自らが動く決意こそをしなければならない。勿論妹の心配はするのだが、その上で自分がどう動くのかを決めなければならなかったのだ。いくらか時間はかかってしまったが、ようやく気付く事が出来たのだ、と紅葉は想いを深く胸に刻みつける。

 

 もしかしたら、先に五月雨が話していたように、紅葉が霊体であるからこそ、一度受けた精神的な負担がここまで後を引いて、紅葉に不要な焦燥や後悔を与えていたのかもしれない。しかし、そのストレスも五月雨の言葉によって霧散させることが出来た。

 

「五月雨さんのおかげで、自分の本質を思い出す事が出来ました。本当にありがとうございます!」

 

 あるいは、秋雅ではこの決心を導くのは難しかったかもしれない。秋雅は優しく、そして甘いから、今の紅葉に対し焚きつけるような真似はしなかった。似た過去があり、そこから自分の想いをぶつけた五月雨だったからこそ、今ここで紅葉は元の自分に復帰できたのかもしれない。

 

 だから、紅葉は精一杯の感謝の気持ちと共に、勝気な笑みで五月雨を見る。後ろ向きな考えを完全に吹っ切ったと分かる紅葉の姿を見て、珍しく五月雨も柔らかな微笑を浮かべる。

 

「紅葉さんの力になれたのであれば幸いです。気分も晴れたようですね」

「はい。だいぶ楽になりました。ちょっと最近、神経質になりすぎていたみたいです。これからは焦らず悔やまず、ただ前向きに頑張って秋雅さんを追いかけることにします。勿論、椿も絶対に助けます」

「ええ、そうですね。私達も全力を尽くしますから、一緒に頑張りましょう」

「はい!」

 

 改めて決心を固め、紅葉と五月雨は頷きあう。紅葉の消沈がきっかけで、意図せず二人の間には、新たな絆が生まれていた。そのことを喜ばしく思いつつ、切り替えるように紅葉は視線を前に向ける。それを受け、五月雨もまた視線の方向を同じくし、口を開く。

 

「では、そろそろ行きましょうか。まだ例の感覚はあるのですよね?」

「ありますね、相変わらず向こうからです。何があるんでしょうか」

「さて、こればっかりは何とも。実際に行ってみないと分からないかと」

「ですね」

 

 

 

 

 

 かくして、紅葉にとって一つの改革が行われた後、五月雨は再び、紅葉が感じているという奇妙な感覚の正体を探る為に歩き始めた。関係性が変わったからか、先ほどのように不自然な沈黙が生まれることもなく、道中の会話は極めて自然に行うことが出来た。

 

 そうしていれば、最初はまさしく住宅街といった光景も、次第にビルや大型商店なども見え出し、活気のある街という風に変わっていく。

 

「…………この辺り、だと思います」

 

 そんな中、大通りへと辿り着いたところで、紅葉の足が止まった。具体的なその場所を探ろうとしているのだろうか、彼女は目を凝らすようにしながら周囲を見渡す。

 

「どこか分かりますか?」

「待ってください。ぼんやりとしていて、居場所が…………」

 

 少しして、紅葉はその視線を直線上にある交差点の中央辺りに固定し、眉をひそめながら注視し始めた。何か見えるのだろうか、とそう思って五月雨も見るが、さして不自然なものは見受けられない。

 

 平日ではあるが昼時ということで、大通りはそれなりに活気のある。そんな場所で立ち止まる、スーツと普段着という対照的な格好をした二人の美女に、通り過ぎる人々の視線も集まるのを五月雨は感じ取る。だが、今はどうでもいいことだと、黙って紅葉の反応を待つ。

 

「……居た」

 

 数分後、紅葉が小さく呟やた。確信に満ちたその言葉に、五月雨も紅葉が見つめる先に視線を向ける。

 

 しかし、

 

「失礼ですが……何処に?」

 

 やはり、と言うべきか、紅葉の言葉の強さとは裏腹に、五月雨は紅葉の視線の先にそれらしい存在を見つける事が出来ない。いくら眼を凝らそうと、呪力の気配を探ろうとも、紅葉の言う気配の持ち主とやらの影も形も見当たらないのだ

 

「ほら、あそこです。交差点のど真ん中、そこに居る和服の男性がいます」

「はあ……」

 

 紅葉の言葉にいぶかしみつつも、五月雨は再び眼を凝らす。何もないはずだが、と思いながら数秒ほど注視したところ、

 

「……っ!?」

 

 見えた。先ほどまでは確かに誰も見受けられなかったはずなのに、紅葉に言われた途端、五月雨はおかしなものを発見してしまい、驚愕する。

 

「確認できましたが、あれは一体……」

 

 浮いている(・・・・・)と表現するに相応しい雰囲気と服を、その男は纏っていた。交差点の中央にいる、というだけに留まらず、今の時代に和服などを着ていれば非常に目立ち、人目を引くはず。であるにもかかわらず、その男に注目している人間は、紅葉と五月雨の二人のみであるようだった。そこにいる誰しもが、そこに悠然と佇んでいる男に目もくれず、しかし無意識のうちにか男を避けるようにして歩き、車を走らせている。真っ当な人間ではないことは見るからに、いや、見えるものにとっては明らかなことであった。

 

「……何だと思います?」

「単純に考えるのであれば、紅葉さんと同じく幽体の類でしょう。しかし、そうでなく、最悪の可能性を考えるのであれば――」

 

 尋ねつつも、紅葉もまたその可能性を考えていたのだろう。自然と、二人の口は同じ動きをし、同じ言葉を発しようとする。

 

 

 

『――まつろわぬ神』

 

 

 その単語を、二人が重ねるように放ったと同時、ぐるんと、不気味に男の顔がこちらを向いた。その表情には覇気というものが感じられず、何を映しているかも分からない目をじっと紅葉たちの方向へと向け、口を動かす。

 

『汝、我の名を知る者か?』

 

 明らかに人の声など届くはずのない距離。だというのに、まるで耳元で発せられたかのように鮮明に、五月雨と紅葉の耳に届く。

 

「気付かれた!?」

 

 その言葉と、何より自分達の存在が気付かれたことに、五月雨と紅葉は驚き、咄嗟に大きく後ろに跳ぶ。反射的なものであったためか、その飛距離は普通の人間に出せるようなものではない。

 

「うわっ!?」

「……えっ?」

 

 当然、人間業とは思えない跳躍を二人が披露したことで、周囲に居た人々はぎょっとした目を向ける。しかし、それも一瞬のことであった。人々の驚愕は、それ以上の異変によって塗りつぶされることとなる。

 

「あれ、何だ?」

「雲? さっきまであんなに晴れていたのに……」

 

 異変に、人々が口々に言葉を発しだす。二人に目を向けていた人々を含め、その場にいた者を困惑させたのは、突然の暗闇であった。夜の闇というほどではないが、しかし視界が悪くなる程度には暗いと言えるだろう。何事か、と思わず頭上を見れば、そこには先ほどまでは確かになかったはずの、巨大で、非常に恐ろしい雰囲気を携えた雷雲であった。いつの間にか出現したその雷雲は、まるで獣の唸り声かのような音を人々に聞かせながら、不気味に鎮座している。

 

「例の雷雲、ですか」

「しくじりましたかね、これ……」

 

 些か迂闊な行動をとってしまったと、現状からその事を悟った五月雨は冷や汗を流す。

 

「どうします?」

「まずは稲穂様に連絡――」

 

 急ぎ、秋雅のこの事を伝えないと。そう判断し、携帯電話を取り出そうとする五月雨であったが、それよりも先に事態が動いた。突如、頭上にあった雷雲が、そのうちに溜め込んでいた雷を地上へと降らせ始めたのだ。

 

 その雷は、次々に地上へと降り注ぎ、そしてそこにある建物などを破壊する。避雷針とは何であったのかと思うほどに、雷の一撃は建物を砕き、溶かし、焼いていく。

 

 ビルの上部からは瓦礫が生まれ、直下に居た人のすぐ隣に落下する。段々と事態を理解し始めた人々が悲鳴をあげ、反射的にその場から逃げ出す。阿鼻叫喚、という言葉が何よりも相応しい、そんな悪夢のような光景だ。

 

『――立て、(つわもの)達よ』

 

 しかし、悪夢は悪化していく。轟音の中、再び男の声が紅葉たちの耳に響いたと同時、道路のそこかしこから、ぬるりと人の姿をした何かが生まれだしたのだ。その何かは人の形こそしているものの、表面は土のようであり、表情はのっぺりとしている。

 

 そして、その土人形達は、逃げ惑う人々を襲い始めたのだ。幸いにも動きは遅いので未だ被害はないようであるが、このまま放置していればその限りではないというのは見るからに明らかであった。

 

「五月雨さん!」

「分かっていま――!?」

 

 紅葉に急かされながら、携帯電話を使おうした五月雨が息を呑む。彼女が見つめている画面に映っていたのは、圏外の二文字。

 

 中継局がこの雷によって破壊されてしまったのか、あるいは雷自体に電波妨害の作用なりがあったのか。何にせよ、携帯電話という連絡手段は、この場では使えないようであった。

 

「どうしました?」

「……電話が死んでいます。おそらくはこの雷が原因かと」

「秋雅さんに連絡が取れないって事ですか」

「稲穂様がこちらに気付かれるのを待つしかありません。今は、少しでも被害を抑えるように動かないと」

「ですね、出来るだけやってみます!」

 

 パンと掌に拳をぶつけて気合を入れ、紅葉がその場から駆け出した。強化されたその脚力は道路に皹を入れながら弾丸の様に紅葉を跳ばす。そのまま、直線上に居た土人形一体に、紅葉は勢いのままにぶつかる。土人形、という見かけ通りというべきか、人形はその一撃で簡単に砕け、動作を停止した。

 

「この程度なら!」

 

 自分でもどうにかなると判断したらしく、紅葉は再び駆け出し、一体、また一体と人形を砕いていく。明らかに人間の動きではないが、恐怖に駆られた人たちはその事を疑問に思う暇もなく、ただその場から逃げ出していく。

 

「はあっ!」

 

 紅葉ほど派手ではないが、五月雨も身体強化を使って確実に土人形を蹴り砕いていく。若くして分室の長となるだけあって、彼女もまた十分な戦闘能力を所持しているのである。

 

 しかし、そうして二人がいくら土人形を砕いて行こうとも、土人形達は次々と大地より生まれてくる。雷もまだまだ降り注ぎ、何より未だまつろわぬ神と思しき男が動かない現状に、じりじりと焦燥感が五月雨の背を焼く。

 

 

 

 その時だ。

 

「――えっ?」

 

 飾り気のない電子音が、紅葉の方から発せられれた。その音と、紅葉の驚いた声に顔を向ければ、そこには胸元から携帯電話を取り出す彼女の姿があった。

 

 どうして携帯電話が鳴るのか、と驚きつつも五月雨は冷静に土人形を蹴り砕いていく。すると、数十秒ほどの応対の後、紅葉が五月雨に対してその携帯電話を放り投げる。

 

「五月雨さん!」

「っと! 何ですか!?」

「秋雅さんからです! 五月雨さんに代わってほしいと!」

「なっ――稲穂様から!? 失礼しました、五月雨です!」

 

 ぎょっとしつつ、受け取った携帯電話に出る。すると電話口から、この場で最も聞きたかった男の声が放たれた。

 

『稲穂だ。五月雨室長、何でも良いから上空に目印の類を作れるか? 君達の位置を知りたい』

「お任せください――光よ、我らを照らせ!」

 

 秋雅の命令に、その意図を汲むのも放棄して、五月雨は魔法陣が描かれた札を一枚投げながら呪文を唱える。上空に向かって一直線に飛び上がった札は、十数メートルほどに到達した時点で強く光り輝き始める。雷雲の所為で暗いこの空間において、その光はおそらく遠くからでもよく目立つと思われるが、どうか。

 

「稲穂様!」

『――確認した』

 

 期待を込めて呼んだ次の瞬間、五月雨たちの背後で着地音が聞こえた。振り向けば、そこにはヴェルナとスクラを抱いた秋雅が立っていた。おそらく、光を目印にして何らかの手段で駆けつけてくれたのだろう。何と頼りになることかと、五月雨は安堵と共にそう感じる。

 

「秋雅さん!」

「稲穂様、感謝いたします」

「二人とも、よく持ちこたえた」

 

 たった二人でまつろわぬ神の前に立ち続けていた二人を労った後、秋雅は鋭い目で交差点の中央を見る。釣られ、同じくそちらを見れば、そこには未だ虚ろな表情を浮かべた男が、突如現れた秋雅達に対し視線を向けながら佇んでいる。

 

「あれか……」

『汝、我の名を知る者か?』

「……成る程、やはり自分が誰であるのかを忘れているようだ。だが、まずは――!」

 

 秋雅の手にザクロの実が現れる。そして、それを握りつぶしながら、秋雅は聖句らしきものを唱え始めた。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は――!?」

 

 そこまでを唱えたところで、五月雨達の周囲に突如土人形が発生する。それは、先ほどまでの動きは何であったのかと思うほどの機敏さで、五月雨たちへと襲いかかろうとする。

 

「――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 何故か、悔し気に顔を歪めながら、秋雅が言葉を唱えきる。次の瞬間、秋雅と男、土人形、そして五月雨達が、その場から消失するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは――何ですか!?」

 

 驚愕の声を紅葉が上げる。光景を構成する要素は同じであるのに、しかし空間や大地は不気味なほど赤黒いこの場所に対しての反応としては当然のものだろう。

 

「落ち着け、紅葉」

 

 そんな紅葉に声をかけ、紅葉の前に居た土人形を雷鎚で砕きながら、秋雅は皆の前に出る。

 

「ここは、私の権能である『冥府への扉』と使って移動した、私が『冥府』と呼ぶ空間だ。本来であれば人形どもとあの男のみを連れてくるつもりだったのだが、距離が近すぎて君達まで巻き込んでしまった。すまない」

 

 苦々しいものを感じながら、秋雅は謝罪の言葉を述べる。戦場を強制的に変更できる『冥府への扉』であるが、転移対象は秋雅によって選択されており、その選び方は個人指定となっているのだが、実際に転移をされるのはその対象を含めた一定空間ごとである。そのため、今回のように対象に近しい場所にいると、秋雅自身には転移させる気がなくとも、実質上転移に巻き込んでしまうこととなってしまうのである。被害を発生させる要素は全て『冥府』に送ろうとしたことによる事故であった。

 

『――汝、我の名を知る者か?』

 

 秋雅が謝罪に紅葉たちが反応をするよりも早く、男が再び同じ問いを投げかけてくる。そのことに、一瞬だけ不愉快そうに眉をひそめる秋雅であったが、すぐに表情を戻しもう一歩前に出て、その声に答える。

 

「ああ、知っているとも」

 

 既に、この男の正体に関して、秋雅は見当をつけていた。あの後、北海道分室の知識と予知無の内容、そして今しがた見たその力から、男はどのような神であるのかということを理解している。

 

 実の所、名を忘れた神にその神性を思い出させることは、戦闘においては不利でしかない。名を忘れ、本来の力を振るえない相手のほうが、倒すのは楽だというは当然の話だ。

 

 しかし、秋雅はその名を口に出すつもりであった。そうしなければ、いかにまつろわぬ神を倒そうともその権能を手に入れられぬからである。これからも、幾度とない戦闘を行うであろう自身の運命を考えれば、力を得る機会を失う愚を冒すつもりはなかった。

 

 たとえ、名を思い出させることによって相手が強大になろうとも、秋雅にとっては問題となることではない。何故ならば、秋雅もまた他のカンピオーネと同じく、自身の勝利と信じる者であるからだ。そこを疑うものが、王などと呼ばれるはずもない。だから、己が目的の為に、まつろわぬ神に名を思い出させることを、躊躇う必要は何処にもなかった。

 

 唯一、紅葉たちの安全に若干の懸念が生じるが、そこは秋雅が守ればいいし、彼女たちにも相応の戦闘能力はある。本格的に戦闘に巻き込むのであれば別だが、そんな気は毛頭無く、すぐさまに下がらせるつもりである。神の戦場に立つのは、神殺しだけでいい。それが、秋雅の信念であった。

 

『何か?』

「……アイヌ神話において、雷の神といえばカンナカムイの名が上がる。では、それがお前の名前なのか――いや」

 

 そうではない、と秋雅は首を振る。

 

「カンナカムイに、あのような土人形を従えるような逸話はない。では、その息子であり、父の力が篭った宝剣を振るい、稲妻を落としたアイヌラックルがお前の名前であるのか――だが、アイヌラックルにもまた、そのような逸話はない」

 

 しかし、と秋雅は言葉を続ける。

 

「アイヌラックルには複数の名前がある。オイナカムイ、オキクルミもまた、アイヌラックルの別名だ。その一つ、オキクルミというのは重要だ。何故ならば、とある一冊の本において、オキクルミはとある武将が同じものであると記述があるからだ。さらに、今から二百年ほど前に、蝦夷を訪れた一人の人物によって、再びオキクルミとその武将と同一視され、その名を冠した神社すら建てられている。その武将の名前は――」

 

 語る秋雅を見つめる男の表情は変わらない。しかし、それにひるむこともなく、秋雅はその名を口に出す。

 

 

「――源義経。数多の兵を率い、戦場を駆け、勝利を導いた武将。それが、貴様の名だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 当初、男は一切の反応を見せなかった。しかし、少しずつ、その身体が震え始める。何事か、と紅葉たちが警戒し、秋雅のみ悠然と佇む中、突然として男が笑い出した。

 

「ハッハッハッハッハ!!」

 

 それは、先ほどまでの虚無感などまるで感じられない、力強く、そして快活な笑い声だ。愉快そうに笑いながら、男はまるで秋雅を歓迎するかのようにその両手を大きく広げる。

 

「然り! 良くぞ、我が名を思い出させた!!」

 

 いつしか、男の格好は変化していた。堅牢そうな甲冑に身を包み、その腰に大小の刀を差している。さらにその手には、刀身に紫電を走らせた宝剣も握っている。

 

「――我こそは源義経! 幾千もの(つわもの)を率い、そして勝利を導いてきた将なり!」

 

 男――義経が手を振るう。すると、その背後に、傍らに、何体もの土人形が大地より出現する。いや、もはや土人形と侮ることは出来ないだろう。その手には槍を、刀を、弓をそれぞれに握り、その身体には簡易な甲冑を身に纏っている。

 

「我が名を呼び覚ました者よ、我らが宿敵である神殺しよ! 今こそ、我らの戦を始めようではないか!!」

 

 義経の背後に、轟音と共に雷が落ちる。その光を背負いながら、義経は期待に満ちた笑みを秋雅達に見せるのであった。

 

 




 強引に押し込み、どうにか義経の名前まで出せました。ちなみにこの義経は軍神としての属性を前面に出した神様なので、実際の歴史上の性格等とは異なります。戦が大好きな神様、くらいに思っていてください。次話で戦闘、その次で決着、という流れになる予定です。




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雷の宝剣と焼失の炎

 

「――さて、まずは小手調べと行こうか!」

 

 先に動いたのは義経であった。秋雅が背後にいるヴェルナたちに後退を指示するよりも早く、義経はその手に握る宝剣を天に掲げる。

 

「我がもう一人の父よ! 我に汝が力を授けたまえ!」

 

 義経の言葉に応える様に、その頭上に雷雲が生まれる。先ほどまで地上を焼いていたものは比べ物にならぬほど、強大な呪力を内包しているそれに、秋雅は一つの確信を持つ。あの宝剣こそ、源義経と同一視されたアイヌの神、オキクルミが暗黒の国を滅ぼした時に振るったとされる、オキクルミの父であるカンナカムイの力が篭った宝剣であるに違いない――と。

 

 

「――来い、雷切!」

 

 雷雲の出現に、秋雅は『召喚』を用いて雷切を呼び出し、構える。その最中、後ろ手でヴェルナたちに後退のハンドサインを送ったが、どうしても、事前にすり合わせをしていない紅葉と五月雨の反応が鈍い。間に合うか、と僅かに焦る中、義経が動いた。

 

「雷よ、我が眼前の敵を焼き払いたまえ!!」

 

 義経が叫び、宝剣の切っ先を秋雅へと向ける。すると、それに呼応するように、頭上の雷雲から轟音と共に雷が放たれる。

 

「切り裂け、雷切!」

 

 落ちてくる雷に対し、秋雅は雷切を振るう。とても雷に当たるような距離ではないにもかかわらず、その一振りは雷を切り裂き、霧散させようとする。

 

「――これはっ!?」

 

 だが、そうした秋雅の顔に驚きが走った。雷切の一振りは、必ず雷を切り伏せる。それが秋雅の認識であったのに、しかし今まさに、規模こそは小さくなれど、義経の雷は変わらず秋雅へと落ちてくる。それほどまでに、カンナカムイの雷は強力であった。

 

 見誤った、と秋雅は高速化した思考の中で悔やむ。とてもではないが、もう一度雷切を振る暇はない。ならば『我は留まらず』を用いて避ければいいという話なのだが、そうすると背後にいる紅葉たちに命中する可能性もある。致し方ない、と秋雅は攻撃を受ける決意を固めたと同時、その身体に雷は直撃した。

 

 

 

 

 

「秋雅さん!?」

 

 紅葉の悲鳴が辺りに響く。その横で、五月雨も息を呑んでいる。しかし、ノルニルの双子は何故か、二人のような反応を見せていない。

 

「大丈夫よ、紅葉」

 

 スクラが言う。その表情に、一切の動揺は見受けられない。

 

「こんなので、秋雅がやられるはずがない」

 

 ヴェルナが言う。その声には、秋雅に対しての確かな信頼がある。二人とも信じているのだ。稲穂秋雅が、この程度で死ぬはずがないと。自分達の王は、その程度の男ではないと。二人は、それを知っている。

 

 故に、

 

「――まったくだ」

 

 光の中から放たれた声に、ヴェルナとスクラは笑みを浮かべる。稲光が収まったその時、そこに見えたのは、彼女らがもっとも信じる男の背中だ。

 

「命令する。ヴェルナ、スクラ、紅葉、五月雨室長はこれより全力で後退しろ。最低でもツーマンセルで行動し、降りかかる火の粉を払う以上の積極的交戦は避け、自身の生存を最優先とせよ。何か異常があれば連絡せよ」

 

 背を向けたまま矢継ぎ早に指示を出し、彼は――秋雅は一つ付け加える。

 

「だから――私を信じて待っていろ」

『――了解っ!』

 

 声を揃え、紅葉と五月雨の背をそれぞれに叩きながら、ヴェルナとスクラは脱兎の如く走り出す。それを受け、少し躊躇いつつも、二人もまたヴェルナ達を追いかけ始める。それを気配で感じ取り、その逃げっぷりに一瞬だけ笑みを浮かべた後、真剣な面持ちに戻りながら秋雅は呟く。

 

「……さて」

 

 格好つけてはみたものの、実の所、秋雅はそれなりに困惑していた。というのも、雷によるダメージが、まったくと言っていいほどに無かったからであった。肩透かし、と言ってもいいかもしれない。それぐらい、意外な結果であった。

 

 義経は小手調べと言っていたが、あれは間違いなく致死の一撃であったはず。雷切を持ってしても、半分にしか斬る(・・)ことが出来ず、その上雷切の刀身にかなりの不可がかかってしまうほどの威力。これまで戦ってきた雷神達が放ってきたものの中でも、間違いなく最上位に位置するであろうものであった。だから、たとえ半分に斬られようとも、あの雷が直撃すれば、ほぼほぼ秋雅は一度死ぬ(・・・・)はずであった。

 

 にもかかわらず、今の秋雅にはまったくダメージがない。勿論、『古き衣を脱ぎ捨てよ』を使ったからというわけではない。いや、死ななければという前提だが、秋雅自身は使うつもりだったのだ、だが、その使用条件すら満たされなかった。

 

 その理由。今の状況をもたらした要因は、何か。

 

「ふむ……」

 

 二つほど、この答えを導けそうな違和感が秋雅にはあった。一つは、自分の体表で走る紫電の存在だ。『実り、育み、食し、そして力となれ』の発動により見慣れたそれではあるが、しかし今秋雅はそれを使っていない。そしてもう一つ、気の所為か、ここまでで消費したはずの呪力が幾らか回復しているように思えることだ。この二つの違和感を元に、何があったのかを考えるとすれば――

 

 

「そろそろ、頃合のようだな」

 

 聞こえてきた言葉に、秋雅の思考が途中で断ち切られる。何かと思って義経を見れば、彼は秋雅の後方、後退しているヴェルナ達の方に視線を向けているようであった。

 

「頃合とは、一体どういう意味だ?」

「なに、他意はない。ただ、戦わぬ者を巻き込む気がないだけだ」

「……意外な事を言う」

 

 眉を上げながら、紛れも無く本心の言葉を秋雅は口に出す。それは、まつろわぬ神というものは大抵、同じ神か宿敵たる神殺し以外に興味を持つことは稀で、普通の人間の事を気にかけることはないという秋雅の経験から来た言葉だった。そのことを、秋雅は続けて口に出す。

 

「まつろわぬ神とは、民衆を見ないものだと思っていたのだが」

「それは否定せぬ。しかし、たとえ戦う術を持っていようとも、最初から逃げるというのであれば追いはしまい。一武人として、逃げる女人を追う趣味はない。少なくとも、この義経自らの攻撃で、戦わぬものを討つつもりなど毛頭無いわ。戦はただ、覚悟を決めし武人のみが行うことである」

「……なるほどな」

 

 義経の語る理論に意外の言葉を覚えつつも、秋雅は先の一撃から追撃が来なかった理由に頷く。道理で、のんびりと考える時間があったなと、疑問には思っていたのだ。

 

 ふん、と秋雅は皮肉な笑みを浮かべる。

 

「そのわりには、外では随分と暴れてくれたものだが」

「仕方あるまい。あの時はこの義経、自身の名をすっかりと忘れてしまっていたのだ。我を失いし時の愚行ゆえ、許せ」

 

 本当に珍しい、と義経の言葉に秋雅はそんな感想を抱く。態度を見る限り、これは確かに、戦闘の意思がない者を積極的に巻き込むつもりはないのだろう。

 

 とはいえ、民衆に害が無いからと見逃すつもりもない。たとえ善き神であろうとも、地上をさすらううちにその神格は歪んでいく。それがまつろわぬ神であり、そうなった神と対峙したことも秋雅はある。だから、どんな手段を用いても殲滅し、後に残さないことが秋雅の使命なのだ。

 

「問答はもう良かろう? さあ、続きを始めようではないか!」

 

 義経の言葉に、僅かに緩んでいた空気が引き締まり、戦場の雰囲気へと一気に変化する。その変化に秋雅が身構えると、再び義経はその手の宝剣を天に掲げる。

 

「如何様な手か先の一撃は防いだようだが、これならどうであるか!」

 

 その言葉と共に、頭上の雷雲から雷鳴が響く。雷雲からこぼれる光は一つではなく、最低でも十はあるように見える。

 

「威力は落ちるが数は先より上。さあ、どうするか神殺し?」

「……どうするか、ね」

 

 義経の問いかけに、秋雅は笑う。どうするかなど、決まっていると言えるだろう。先の雷を斬った影響で、今の雷切はかなりの負担がかかっている。多少威力は落ちているとはいえ、十にも届く雷を全て切り払うことはまず出来ないだろう。ならば、取る手段は一つ。秋雅の基本戦術でもある、転移による回避以外にありえない。

 

 

 ありえない、が。

 

「決まっている――真っ向から受け止めるのみ」

「……面白い」

 

 常ならば選ぶ回避を、秋雅はあえて捨てる。先の不可解と違和感。その正体がもし、秋雅の考える通りであるのならば、今ここでそれを確かめなければならない。そうする必要があると、秋雅は判断した。

 

「とはいえ、無防備に受けるつもりも無い。雷切、力を貸せよ」

 

 右手の雷切に言葉をかけながら、しかし秋雅はそれを鞘に収めてしまう。いや、完全には収めていない。数センチほど、刃の根元を外に出したままだ。

 

「むう?」

 

 敵を前に剣を収める。その事に義経は当然のようにいぶかしんだ。しかし、次の秋雅の行動と、それが齎した結果に、義経は目を見開くことになる。

 

「――啼け、雷切」

 

 命ずるように囁きながら、秋雅は鞘から僅かに抜かれた刃を指で弾く。途端、雷切より、とても指で弾いたとは思えない、まるで金属同士をぶつけ合わせたような、高く、澄んだ音が周囲へと放たれる。

 

 その音が如何なるものか。それは次の瞬間に分かった。その音が天へと届いたと同時、頭上にあった雷雲が明らかに小さくなったのだ。しかも、一瞬前まで輝いていた雷光も、見るからにその光量を落としている。

 

「まさか……その刀、周囲の雷を弱めるのか!?」

 

 状況から雷切の能力を察した義経が叫ぶ。義経の言うとおり、雷切は直接雷を斬るだけが能の刀ではない。その刃を鳴らすことで、その音を聞いた全ての雷を弱める力も持っているのだ。対象が無差別であるので秋雅自身の雷にも干渉してしまうという痛し痒しな面こそあるものの、雷神の類に対しては通常の使用よりも役に立つこともある、秋雅の切札の一枚だ。

 

「流石に察しがいい、は侮りすぎか……」

 

 この程度なら分かるだろうな、と義経の洞察力を当然と思いつつ、秋雅は叫ぶようにして問いかける。

 

「さあ、まだそれを落とす気があるか!」

 

 言いながら、秋雅は雷切を完全に鞘に収める。鞘に収まったというのに、その刃の音は一切変化を見せない。その音はもはや、物理的な音ではなく、超常的なものであるからだ。

 

「落とす気があるか、だと?」

 

 秋雅の問いかけに、義経は再び不敵に笑ってみせる。その笑みが意味することは、つまり、

 

「――是非もなし! 真っ向より打ち破るのみ!!」

 

 秋雅への意趣返しが如く叫び、義経は宝剣を振り上げる。弱まったと思えた雷雲は、余力を振り絞るかのように轟音を鳴らし、そして次の瞬間にはその内より十数の雷を秋雅に向かって吐き出す。秋雅の挑発に対し、義経は正面から打ち破ろうとしているのだ。

 

「来い!」

 

 雷雲を睨みつけていた秋雅に、容赦なく雷が降り注ぐ。雷切の音に触れるにつれ、段々と小さくなっていた落雷であったが、最終的には秋雅が普段放つ落雷と遜色ない威力となって、秋雅へと直撃した。神殺し、そして並みのまつろわぬ神であれば消滅しかねないほどの連撃と、それによって発生した土埃に、義経は目を細める。

 

 

 

 

 

「……把握した」

 

 土埃の中から、そんな呟きが聞こえた。次の瞬間、切り裂かれるようにして土埃は霧散する。そこに見えたのは、右手に長剣を持ち、体中に紫電を走らせる秋雅の姿。その姿に義経は、己の雷が再び無力化された事を悟り、そして大声で笑う。

 

「面白い、面白いぞ、神殺し! 我が雷を取り込み、己が力と成すか! それでこそ簒奪者たる神殺しに相応しい!」

 

 愉快そうに叫んだ義経の言葉は、秋雅が今の攻撃を無力化したからくりを如実に示していた。秋雅も今の今まで知らなかったことだが、秋雅が誇る権能の一つである『実り、育み、食し、そして力となれ』には、まだ隠れた特性があったのだ。この権能を得るにあたって討伐した、菅原道真が持っていた特性である、受けた雷を己が呪力に変換するという力。それこそが、秋雅を救った力の正体であった。

 

 人の身に収められた事で許容上限は出来てしまっただろうが、これほど雷神との戦いにおいて有力な能力はないと言えるだろう。何せ純粋な雷神であればあるほど、秋雅に対する手段はないということなのだから。

 

「しかし! この義経は元より兵を率いる将であり、雷を操るものにあらず! その力、この義経の歩みを止められぬと知れ!」

 

 だが、秋雅の性質を知ってなお、義経は余裕を崩さない。あくまで義経の雷を操る力は彼の持つもう一つの名であるオキクルミの、さらに言えばその父親であるカンナカムイの力でしかないからだろう。彼自身の力、まつろわぬ義経を定める力は、まだ秋雅に頭を垂れるような真似はしていない以上、それは当然の反応だ。

 

「小手調べももう良かろう。さあ、我らの戦を始めようではないか!」

 

 これまでの攻撃を試しと言い切り、義経は左手を掲げる。それだけで、彼を囲む人形の軍勢、そのうちの弓兵たちが動いた。弓を構え、矢を番え、狙うは目の前の秋雅だ。

 

「――放て!」

 

 義経の号令。同時、弓兵たちは同時に矢を放った。百はゆうに超えようかという矢が、秋雅と、そしてその周囲に降り注がんとする。

 

「炎よ!」

 

 対し、秋雅はその左手を大きく振るう。その手から放たれたのは、拳大の炎だ。しかし、その炎は秋雅の手を離れてすぐ、まるで巨大な壁であるかのように、秋雅の眼前に大きく広がった。

 

 燃え広がった炎の壁に、放たれた矢の数々が突き刺さる。広いが薄い炎の壁と、高速で飛翔する矢。加えて、矢は土人形達と同じような材質で出来ており、とても可燃性には見えない。普通に考えれば、矢が炎を突き抜けるだけで終わるはずであった。

 

「燃やし尽くせ、我に迫る敵意の全てを!」

 

 だというのに、炎の壁に接触した途端、あっという間に矢は燃え尽きてしまう。それこそ鏃から矢羽まで、その全てが一瞬のうちに、だ。

 

「なんと!」

「今度は私の小手調べに付き合ってもらう! 炎よ、汝が獲物を飲み込め!」

 

 驚く義経を余所に、秋雅は炎壁をさらに前進させる。降り注ぐ矢の全てを飲み込んだ炎は、そのまま義経が率いる軍団のうち、最前列にいる歩兵たちを飲み込もうとする。

 

「ぬうっ、(つわもの)よ!」

 

 義経の命令に、歩兵たちは手に持つ武器を秋雅に向かって投げる。槍や刀といった、先の矢とは質量も体積も上の武具の投擲。それは秋雅に対する攻撃であったのか、あるいは炎壁に対しての抵抗だったのか。どちらにせよ、今の陣形では兵を下げられぬと判断しての命令であったのだろう。

 

 しかしそれも、結局は無駄な足掻きでしかない。投擲された武具も、そして投擲を行った歩兵も、炎壁はそれを飲み込んだと同時、瞬く間に焼失させる。質量等の違いなどまったく関係なく、まるで『焼失』という結果を押し付けたような現象だと表現できるだろう。

 

 何もかもを焼き尽くす炎。これこそ、かのトラウィスカルパンテクートリより簒奪した新たなる力。秋雅が『義憤の炎(デストラクションズ・ウィル)』と名づけた権能の、その一旦であった。

 

 

 

 

「まだまだ!」

 

 炎が兵を焼き尽くし、消え去った後も秋雅は止まらない。すかさず『我は留まらず』を発動させ、焼失によって作られた、義経の眼前の空きスペースへと転移する。

 

「はあっ!」

 

 気合の声と共に、秋雅は義経に対し、呼び出しておいた雷鎚を容赦なく振り下ろす。

 

「させぬ!」

 

 幾体もの敵を葬ってきた、秋雅の必殺の一撃。不意打ちの一撃を、義経は見事に宝剣で受け止めた。

 

「うおおおっ!」

「ぬうん!」

 

 雷鎚と宝剣。雷神を由来とした二つの武器が激突した衝撃、まさには凄まじいの一言であった。ただの一当たりが周囲に轟音を響かせ、衝撃波を撒き散らし、雷撃を迸らせる。ただ単に漏れ出ただけの衝撃波と雷撃が、周囲の土人形達を破壊し、一掃する。

 

「シッ!」

「でえいっ!」

 

 そのまま二撃、三撃と二人は互いの得物を打ち合わせる。その度に衝撃波と雷撃が発生し、周囲を破壊していく。

 

「――チッ!」

 

 そのまま数度打ち合った後、突如秋雅は大きく飛び退る。流石は軍神と言うべきか、義経の斬撃についていく事が出来なくなったが故の後退である。

 

 そもそもとして、秋雅の持つ雷鎚は、秋雅に対しては重量を感じさせない、という特性を持っている。そのため、柄が異様に短いことによる取り回しの悪さを克服し、より高速での連撃を可能としているのだが、それでも、軍神たる義経の武芸についていくことは難しかった。この辺りは、やはり秋雅の腕不足と言うしかないだろう。

 

「逃がさんぞ、神殺し!」

 

 義経の言葉とともに、突如として地響きが鳴り響く。その瞬間、秋雅の背に走ったのは悪寒であった。何かある、と悟った秋雅は反射的に右に跳んだ。

 

「これは――!?」

 

 自身が一瞬前まで居た場所を見て、秋雅は目を見開く。そこにあったのは、身の丈を肥えるほどの巨大な手であった。もし秋雅が悪寒に対し反応をしなければ、その手に押しつぶされていたであろうことは想像に難くない。

 

「今こそ立てい、我が最強の従僕!」

 

 地響きを立てながら、その手が持ち上がっていく。いや、手だけではない。腕が、身体が、脚が。段々とそれらが地面より競り上がり、一つの形を成していく。

 

 それは身長十数メートルにも及ぶ、巨大な土人形だ。ただ、他の土人形と違い、その身体からは強い呪力を感じさせる。そのことに、秋雅は直感する。他とは少し異なるが、これは義経が操る神獣である、と。

 

「……ここまででかくはないだろうに」

 

 おいおい、と巨大な土人形を見上げた秋雅は思わずぼやく。そんなことを言ったのは、その土人形の格好から、その正体が分かったからである。土のような材質ではあるが、僧服らしき服装と、そして背負う七つの長物。それらを見てしまえば、そして主が源義経であることを踏まえれば、その正体など簡単に察しがつくというものだ。

 

「ふはははは! 見たか神殺し! これぞこの義経がもっとも信頼する者、我に忠節を誓った最強の者! これぞ、この義経の――武蔵坊弁慶である!!」

 

 その存在に、僅かに顔を引きつらせる秋雅に対し、義経はまるで自慢をするかのように笑う。

 

「さあ、神殺しよ! この義経と、数多の兵と、そして弁慶にどう立ち向かうか! この義経に、とくと見せてみるがいい!」

 




 始まったばかりですが、結構時間が空いてしまっているのでここまでで一旦投稿します。スムーズに行けば義経戦はあと二話ぐらいで終わる予定ですが、どうなることやら。




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策の行方





「ええいっ!」

 

 風切音と共に迫る巨大な刃を、間一髪の所で秋雅は躱す。体長十数メートルにも及ぶ弁慶が振るうのは、その巨躯に見合う大きさの薙刀だ。見た目以上の膂力から振るわれるその薙刀は、ともすれば先端部などは神速にも迫るのではないかと思えるほどの凄まじさで、地に立つ秋雅に何度も焦りを感じさせる。

 

 いや、焦りを感じさせるのは、何も弁慶が振るう薙刀だけではない。

 

「――っ、このっ!」

 

 気付けばすぐ真横まで迫っていた槍を、秋雅は身体を捻ることで回避する。さらに、その動きの延長で、長剣の姿をとったトリックスターを振るい、土人形達を纏めて切り捨てる。防御力こそないが、義経の影響か先ほどまでよりも格段に動きがよく、何より数が多い。リーチの短い雷鎚から、状況に対処しやすいトリックスターへと得物を変更しているものの、どうにも数が減ってくれない。

 

 弁慶はともかくとして、能力だけで見ればまったく驚異的でないこの人形たちに苦戦しているのは、人形たちからいわゆる『気配』というものがまるで感じられないのが原因だ。当然のように呼吸はなく、動いた際に発する音も極めて小さい。流石に弁慶ほどの巨体ともなると発する音は大きいのだが、等身大である土人形たちは厄介なほどに静かであり、予兆を感じとることが難しい。

 

 おかげで、かなり近くまで迫られない限り、その存在に中々気付けず、度々ひやりとさせられる場面があった。『実り、育み、食し、そして力となれ』による全体強化の一環として聴覚を強化することで、ある程度対応しているものの、普段重視しているものが利用出来ないというのは、秋雅にとって非常に不利な状況だ。

 

 これに加えて、土人形達は突然に、地面から生えるようにして出現してくるというのも厄介だった。何処にでも、というわけではないのだろうが、少なくとも義経の近くであれば大体の地点には出現可能であるらし、前兆はなく出現し、音もなく攻撃を仕掛けてくる。致命傷となりえる攻撃こそ、持ち前の野生じみた勘で避けているものの、かすり傷はいくらか負ってしまっている。『実り、育み、食し、そして力となれ』によって強化された回復能力ですぐに治癒するとはいえ、相手の攻撃に当たってしまうというのはあまり精神的に良いことではない。

 

 そしてなにより、弁慶の巨体やその一々の動作によって巻き上げられる土煙が、秋雅の前方視界を塞いでくるのが実に痛い。『我は留まらず』による視界内の転移が行えず、咄嗟の緊急回避が封じられてしまっているからである。

 

「流石に抜け目ないな……っ!」

 

 再び迫り来る攻撃を躱しながら、秋雅は吐き捨てる。この『我は留まらず』封じが、狙って行われているものであると察しているからだ。今は見えないが、弁慶が土埃を自発的に上げるようになる直前、義経がニヤリと笑みを浮かべるのを秋雅は見ていたのである。軍神の慧眼、侮りがたしといったところなのだろう。

 

 そう悪態をつく間にも、猛攻は収まるところを知らない。秋雅が回避を取り次の行動へと移ろうとするその直前、またもや秋雅に対し矢が雨の如く降り注いでくる。

 

「ええいっ! 炎よ、焼き尽くせ!」

 

 秋雅の全身から炎が噴出し、ドーム上に広がりながら迫る矢を焼き尽くす。そのまま、周囲に居た人形達も一気に焼失させるが、範囲内に居た弁慶に対しては数秒ほどその足を炎に包みこそしたものの、すぐさまに消え去ってしまう。

 

「やはりこちら(・・・)じゃ効かんか!」

 

 こちら、と秋雅が吐き捨てたのは理由がある。秋雅が『義憤の炎』と名づけたこの権能であるが、短い調査期間の中で、性質として二種類の炎があることが判明している。一つは、武器に纏わせることで発現する炎だ。これを剣や槍といった、刃のある武器に纏わせることで、貫通力や打撃力を増すことが出来るようになる。さらに、纏わせた炎を自在に操ることで、より広範囲の攻撃が可能となっている。加えて言うと、この対象となるのはトリックスターのような特定の武具に限らず、それこそ市販のナイフであろうとも破壊力を増すことが可能だ。

 

 そしてもう一つの、今回の戦闘において秋雅が使っている炎であるが、これは対象となったものだけ、あるいは対象以外のもの全てを焼失させる事が出来る、という性質を持っている。ここで言う『焼失』というのは、実際にその対象を焼き尽くす攻撃、というよりは、その対象を『焼失』という『無』の状態に変化させるという方が正しい。つまり、系統としては秋雅自身が持つ『過去か、未来か』やヴォバン侯爵の持つ『ソドムの瞳』等の権能に近く――ただし、あちらと違い、魔術そのものや物理的な実体のないものも焼き尽くすことが可能となっている――呪的抵抗力の高い相手には効き目が薄い、という弱点があるのだ。そのため、有象無象の土人形であればともかく、まつろわぬ神として強大な呪力を秘める義経や、それに負けず劣らずな呪力を内包している弁慶には、ほとんど意味を成さない。

 

 とは言え、他の状態異常を発生させる類の権能と違い、『義憤の炎』の場合は込める力を増せば呪的抵抗力の高い相手にも通用する可能性が高い、と秋雅は直感的に察していた。例え相手がまつろわぬ神であっても、その腕の一本ぐらいは燃やし尽くせるかもしれない。

 

 しかし、そうであるにしても、それほどの呪力を使用すれば、後々が厳しくなるのは自明の理だ。そのため、分かってはいてもその手を使う事が出来ない。下手に纏めて焼き払おうとした所で、おそらくはその後が続かないだろう。

 

「だが、何処かで動かないことには……」

 

 実際問題、今の膠着状態は圧倒的に秋雅不利な状況だ。瞬間出力では勝ろうとも、基本的にはカンピオーネがまつろわぬ神に地力で勝ることはない。この流れのまま、下手に持久戦となった場合には、確実に秋雅が先に音を上げることになるだろう。秋雅が可能な限り消耗を抑えながら戦うにしても、無尽蔵な土人形達に相対するには分が悪いどころではないだろう。故に、どこかで流れを変える必要があるのだが、その機会がどうにも見つからない。

 

「――チッ、仕方ないか!」

 

 こめかみを狙って放たれた矢を避けながら、秋雅は強引に流れを変えることに決めた。このままずるずると現状を維持したところで、遠からず破綻が来るのは目に見えている。現在、義経の姿は直接視認出来ていないが、呪力の気配からおおよその現在位置は把握している。後は、そこまでの道を作るだけだ。あまり気は乗らないが、無理やりにでも勝機を作りにいくことを秋雅は決意する。

 

「来い、神鳴り!」

 

 雷鎚を消し、代わりに秋雅は一つの銃を呼び出す。一般的な拳銃よりも優に一回りは大きいそのオートマチック拳銃は、トリックスターを共にスクラから送られた銃だ。

 

「撃ち抜け!」

 

 聳え立つ弁慶、その額の辺りを狙って秋雅は引き金を引く。義経が放ったものとは比べなれない威力で、しかしその鋭さから貫通力は勝っているであろう雷が、ピタリと狙いをつけた銃口から放たれた。神速で放たされたその一撃は、過たず弁慶の額を撃ち、小さくたたらを踏ませる。

 

「そして切り裂け!」

 

 トリックスターの刀身に、秋雅の身体から迸った雷が巻きつく。雷を宿したその長剣を、秋雅は前方に向かって大きく振るう。秋雅の言葉と共に放たれ、扇状となった雷は、空間を切り裂き、秋雅の前方にいた土人形達を残らず両断しながら進んで行く。最後には弁慶の脚に切り傷をつけたところで消滅をしたものの、神鳴りの一撃も相まって弁慶に膝をつかせる。

 

「――そこ!」

 

 これらの攻撃により、土人形たちの後ろに隠れていた義経を発見した秋雅は、『我は留まらず』を用いることで目視したその地点へと跳ぶ。トリックスターを消し、右の手には雷鎚を構えた秋雅は、こちらを見据えていた義経の眼前に転移したと同時、その手の雷鎚を大きく振り下ろす。

 

 これまで幾体もの神獣と、そしてまつろわぬ神々を葬ってきた、必殺の一撃。常であれば、このとき、秋雅は勝利の可能性を感じ取っていたはずであった。

 

 

 

 だが、

 

「――っ!?」

 

 義経の眼前に現れ、雷鎚を振り下ろした、その瞬間。秋雅は自分が失策をしたことを、この上なく理解させられた。何故ならば、秋雅がそこにいると確信した、その場所にいたのは、あの義経ではなく、その格好をした、ただの土人形であったからだ。

 

「しまっ――」

 

 嵌められた、と思うよりも早く、秋雅はその腹部に、何かが貫くような感覚を覚えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かかったな、神殺しよ」

 

 弦が小刻みに揺れる弓を構えながら、とあるビルの屋上にて義経は小さく呟く。その視線の先にあるのは、今しがた義経が放った矢を腹部に生やす秋雅の姿だ。しかも、矢、と簡潔に言ったものの、実際は普通の矢ではない。ともすれば槍とすら思われそうなほどの、一際に大きな矢である。義経の力によって放たれたそれは、義経の策略に気付くことに遅れてしまった秋雅を貫き、その勢いのままに秋雅を大地に縫い付けている。

 

 秋雅の視界を奪い、その隙に己は前線から離れ、代わりに自身の呪力の大半を一体の兵へと注ぎ込み影武者とする。消耗戦を嫌った秋雅が勝負に出るとき、影武者を囮とすることで、隙を突いて秋雅を討つ。それが、義経が用いた策の流れだ。

 

「……戦においては如何なる手法も是となる。卑怯汚いは敗者の戯言なり」

 

 ふと、そんなことを義経が呟いてしまうのは、頭では分かっていても、影武者を囮とするこの策に、些か思うところがあるからであろうか。一騎当千の強者を討つ策としては上々であれども、やはり真っ向から打ち破りたいという、武人としての矜持が、そんな言い訳めいた言葉を彼に言わせたのかもしれない。

 

「ふん…………行け、兵たちよ!」

 

 そんな未練めいた感情を振り切るかのように、義経は眼下の戦場に声を投げる。すると、その声に応じるかのように、秋雅の周囲に無数の、弓を構えた土人形たちが出現する。そして、出現に間髪をおくことなく、土人形達は秋雅に向かって矢を速射した。あくまで距離は詰めず、遠距離から射殺そうというのだろう。

 

 そんな矢の雨に対し、秋雅はやや力なく手を振るう。その動きに合わせて再び炎が秋雅の手より発せられ、ドーム上に降り注ぐ矢を、そして放った土人形達を焼き尽くそうとする。

 

「それは読めている! 弁慶!!」

 

 義経の命令に、炎の壁を突き破るようにして弁慶の拳が秋雅へと向かう。それに秋雅も反応こそはしたものの、彼が何某かの行動に移るよりも早く、その巨大な掌は秋雅の全身を掴み取ってしまう。

 

「――取ったぞ、神殺し!」

 

 囮で追い込み、義経の矢で動きを封じ、土人形の攻撃で攻撃と視界を奪い、そして弁慶を本命とする。それこそが、義経の策の全貌であったのだ。

 

 

 

「……ぁぁあああああ!」

 

 義経の耳に、秋雅の苦痛に満ちた声が聞こえる。歴戦の勇士であり、苦痛にもそれ相応に慣れている秋雅であるが、しかし流石に、全身を握りつぶされ、骨という骨を砕かれる苦痛というものは経験がない。大抵の痛みであれば声など上げない秋雅も、その痛みの前には随分と前に吐き出しつくしたと思っていた、悲痛の叫びが漏れ出てしまう。

 

「良いぞ、そのまま握りつぶしてしまえ!」

 

 秋雅の苦痛の声に、義経は弁慶に命を飛ばす。

 

「あの神殺しに防御の手段はおそらくなく、転移は視界の通らぬ地点には出来ぬ。弁慶の手の中ではあの長剣も振るえず、雷を感じさせる鎚も、その威力を十全には発揮出来まい……」

 

 今までの戦闘から秋雅の能力を推察したのであろう。弁慶が秋雅を握りこむのを見ながら、義経はそんな事を呟く。弁慶の拘束を逃れる手段はなく、このまま行けば遠からず秋雅は死ぬ。勝利を確信、とまではいかないだろうが、おおよそ勝てる、と義経はそう推察していた。

 

 

 

 

 

 その推察は、ある意味においては正しい。現状、秋雅が死に近づいているというのは、確かな事実である。

 

 

 

 

 だが、しかし。その推察は大きく間違ってもいる。

 

 

 

 何故ならば、

 

 

「…………何だと?」

 

 高々この程度で(・・・・・・・)殺せるほど、カンピオーネは潔くない(・・・・)のだから。

 

「これは、まさか……!」

 

 異変に気づき、天を仰いだ義経は絶句する。彼が目を見開きながら見ているのは、自身が呼び出した雷雲。秋雅には効かないということで、そのまま放置されていたそれが、義経の意思に反し、その身を光らせ、雷鳴を轟かせようとしている。

 

「神殺しめ!! 我が雷を奪うつもりか!」

 

 吐き捨てながら、義経はカンナカムイの宝剣を天に掲げる。奪われかけている雷雲のコントロールを奪い返そうとした彼であるが、その命令に雷雲は従おうとしない。結局のところ、義経が持つ雷への支配力というものは、彼のもう一つの名であるオキクルミ、その父であるカンナカムイから借り受けたものでしかない。主の危機にあたって、秋雅が持つ権能、強大な破壊力と雷に対する絶対的な支配力を要する『万砕の雷鎚』が、義経の支配力を上回っていたのだ。

 

「ぬうっ、やる!」

 

 歯噛みする義経の前で、弁慶の身体に雷が降り注いでいく。頭、背、腕、胴体と、元は義経のものであったはずの雷が、容赦なく叩きつけられる。

 

「耐えよ、弁慶!」

 

 内なる呪力を高めながら、義経は弁慶にさらに強く命ずる。これにさえ耐え、先に秋雅を握りつぶしてさえしまえば勝ちだと、義経は弁慶に発破をかける。

 

 だが、義経の命も虚しく、弁慶は大きくよろめき始める。それは降り注ぐ雷によるダメージだけではなく、何か他の要因があるように見える。

 

「どうした、弁慶!?」

 

 弁慶の様子に、義経は感覚を弁慶とリンクさせる。彼は自分が呼び出す土人形たちと、その五感をリンクすることで、相手が認識している全ての情報を受け取る事が出来るのである。

 

「――何だ、これは!?」

 

 そうしてみて始めに感じたのは、身体の中で暴れ狂っている熱の存在。比喩表現ではなく、まさしく炎そのものが、弁慶の身体の中で暴れ、その身を内より砕こうとしている。

 

「これは神殺しのあの炎か!? だが、あの炎にこれほどの威力は無いはず。いや、そも剣を振るう隙間もないあの場所で、どうやってこのようなことを……」

 

 確かに、今弁慶の手の内にある秋雅は、長剣を振るうほどのスペースを有せていない。故に、義経が秋雅が如何様な手を打ったのかと疑問に思うのは当然の話だ。

 

 だが、義経は秋雅が持つ長剣、トリックスターが自在に形を変えられると言う事を知らない。そして、秋雅が持つ『義憤の炎』に、武器に纏うことで物理的な破壊力を増加させる力がある事を知らない。知らないが故に、義経は油断してしまったのだ。

 

 そう、降り注ぐ雷によって僅かばかりに空いたスペースを用いて、炎を纏いつつ短剣へと姿を変じたトリックスターを、弁慶の掌に突き刺す程度であれば、今の秋雅でも可能であった。そうすれば、後は簡単な話だ。僅かでも生まれたひびから、その体内に破壊の炎を流し込み、内より破壊すればいい。それを秋雅は、耐え難い苦痛に苛まれながらも、見事やってみせたのである。

 

「いかん、弁慶!! 兵よ、構えよ!」

 

 これ以上は分が悪い。そう判断した義経は、弁慶に秋雅を放すように命ずる。それもただ放すのではなく、放り投げた所を地上に立つ弓兵たちに狙らわせる。さらに、自身も弓を構え、先ほど放ったものと同じ矢を番えて、宙に放り投げられる秋雅を狙い打とうとする。

 

「――撃て!」

 

 弁慶が手の中の秋雅を放り投げたと同時、義経たちは空中の秋雅に向かって矢を放つ。しかし、それが届こうかという一瞬前、投げられた勢いで回る秋雅の身体が、義経の方を向いた。

 

 時間で見れば一秒とない僅かな時、その刹那に義経が見たのは痛みに耐えながらも、してやったという、義経に対し見せつけたのであろう笑み。その笑みに、義経が何かを思うよりも早く、秋雅の顔は逸れ、そして彼の身体が消え去った。

 

「…………逃がしたか――やるな」

 

 何も無い空間を虚しく通り過ぎた矢を見ながら、無念そうに、しかし何処か嬉しそうな口調で、義経は弓を下ろしながら呟く。決着がつかなかった残念と、まだ戦を続けられる楽しみが入り混じっているようでもある。

 

 

 

 しかし、それを感じさせたのも一瞬。すぐさまに真剣な面持ちへと戻り、見上げるのは弁慶の姿だ。幾度も雷に打たれ、その身を内から破壊されたことで、弁慶の身体の各所にはひびが入っており、先ほどまでは堅牢そうであったその巨躯も、一回りほど小さく見えてしまう。

 

「良くやった。今は休め、弁慶」

 

 義経の言葉に、弁慶の身体が地中へと埋まっていく。それをなんとなしに見届けた後、義経は大きく手を振るう。すると、義経に寄り添うようにして、さらに数体の土人形が現れる。しかし、よくよくと見ればそれらがつけている装備は有象無象達がつけているものと比べ、少しばかり豪華な仕様に見える。無論、主である義経には及ばないのだが。

 

「本陣を移す。汝らはこの義経の兵を率い、それぞれにかの神殺しを討つべく動け」

 

 義経の命に、土人形達は膝をつくことで了承の姿勢をとる。その後、何処かへと去っていく土人形を見た後、ふと、義経は呟く。

 

「……そういえば、かの神殺しの名、未だに聞いていなかったな。果たして、その名を聞く時が訪れるか…………」

 

 次に会う時は決着の時であり、その時に暢気に話をする時間は無いだろう。そんな思いから放たれたのであろう言葉は、義経の背後にて、雷雲より何処かに放たれた雷鳴の中に消えるのであった。

 

 




 予定より短いですが切りも良いですし、何より二つの意味で無駄に長くなってしまったので一旦ここまでで投稿します。話がどうにも進まないので、ちょっと元から考えていた流れを少し変えて、決着までをもう少しスムーズになるようにするつもりです。色んな意味で、カンピオーネの戦いは短期決着じゃないと難しいと実感しました、はい。





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彼女の目に映るのは

「……ようやく、一息つけたな」

 

 呼吸を整え、秋雅は膝をつくほどに消耗していた身体を、どうにか起こす。

 

「ざっと五割……ちょいとキツイな、これは」

 

 自分の内にある呪力の量に、秋雅は渋面を浮かべる。少しの間とはいえ不毛な消耗戦に付き合わされたこと、そして何よりも弁慶の拘束を免れる為に呪力を使いすぎたのが不味かった。状況が状況であったので半ば無意識で権能を使用してしまったので、はっきりと言って無駄の多い使い方をしてしまったのだ。これがもう少し冷静な時であれば、幾らか効率的なやりかたをしていただろう。

 

 しかもこれが、義経からコントロールを奪った雷雲から、その呪力を絞りつくすまで雷を受け続け、最大まで回復しきった結果なのだから笑えない。普段の戦いと比べて、どれだけ呪力を無駄遣いしていたのかが容易に知れる話である。

 

「精進が足りないってことだろうな。まだまだ、学ぶべきことは多いか」

 

 一時、己が未熟を恥じるものの、しかしそんな暇もないと、秋雅はすぐさまに思考を切り替える。

 

「さて、どうやって義経を倒すか……」

 

 まず、正面からというのはない。馬鹿正直に正面から戦いを挑んだ所で消耗戦に引きずり込まれるのがオチだ。そもそもこの状況では、あちらの方がそんな状況に持ち込もうとしないだろう。

 

 では、奇襲をかけるのはどうか。実の所秋雅の中での一番はこれだ。真っ向から力押しでは勝てない以上、電撃的に接近し、義経に致命の一撃を与えるより他にない。そこに至るには『我は留まらず』を用いればいいし、必殺の攻撃に関しては秋雅の最大火力であり、最後の切札でもある『終焉の雷霆』を用いればいい。

 

 普段であれば、まつろわぬ神という、人知を超えた相手に対し、単なるゴリ押しという選択は取らないのだが、相手が策士となるとまた面倒になる。自分以上の策士を相手にしているときに、下手な小細工で挑むなど読みきられるのがオチだろう。だったら、稚拙とはいえ、無理やりな力押しでどうにかした方がまだマシな可能性が高い。

 

「となると、やるべきは……」

 

 口の中で転がすように呟きつつ、秋雅は目を閉じる。秋雅によって作り出されたこの『冥府』は、秋雅にとって半身も同じ空間である。意識を集中し、リンクさせれば、『冥府』内の存在を、呪力を元とした感知を行う事が秋雅には可能であった。

 

 だが、

 

「…………ちっ、やってくれる」

 

 目を開け、秋雅は舌打ちをする。というのも、今の感知で、義経の反応が優に十を超えていた(・・・・・・・・・・・・・・・)からだ。

 

「さっきの囮同様、自分の呪力を土人形たちに移したか。どれが本体かさっぱり分からんな」

 

 諦めきれず再度感知を試してみるものの、見つかる義経の反応は十以上で、突出しているものがない。ある程度均等に、どれが本体か分からぬようにしたのだろう。秋雅の感知能力に関して義経が知っているはずがないのだが、その可能性を考慮して囮としているのだろうか。

 

 ちなみに、この感知に一般の土人形達は引っかからない。あまりに向こうの呪力が少なすぎて見つける事が出来ないからだ。逆にある程度呪力があり、それが誰の呪力であるのかを秋雅が知っていれば感知は可能であるので、ヴェルナたちの居場所などはしっかりと把握している。先ほどの戦いの中心点からかなり遠く、今の秋雅がいる場所からも離れたある一点に全員で待機しているようである。

 

「一体一体潰すか……? いや、その場合奇襲にならない……そもそもこいつらの中にすらいない可能性も…………」

 

 どうするべきか。思考の断片を口から漏らしながら、次の手を秋雅は考える。幾つかの策を思い浮かべ、それを否定するという事を繰り返していく。すると最終的には、やはり、一つしか残らなかったので、秋雅は渋面を浮かべ、呟く。

 

「駄目だな。結局の所、義経の居場所が分からんとどうにもならん」

 

 何をするにせよ、相手の場所が分からなければどうともしようがない。どんな手を選ぶにしても、この問題を解決出来ないことには何も始まらないのだ。

 

「……ちっ、おちおち考えてもいられんか」

 

 突如、秋雅は舌打ちをしながら周囲を見渡す。数秒ほど辺りを見渡し、四方のうちの一つに歩み寄り、下界を見下ろす。そこに見えたのは、こちらへ向かって行進をする、土人形たちの軍団だ。おそらくは、回復のために使った落雷を目印としてここまで来たのだろう。

 

 また、よくよくと見てみると、他とは意匠の異なる一体の土人形が、軍勢を率いているようだ。明らかに、周りにいる土人形たちの上位種であると察せられる。その姿を視界に収めた秋雅は、数秒の沈黙の後、忌々しげに吐き捨てる。

 

「やはり、か。厄介だな」

 

 その特別な土人形であるが、どうにも、先に感知した義経の呪力を持っているうちの一体であるらしいと、秋雅の感覚は告げていた。これで、今の秋雅では、義経とそれ以外の存在を、明確に区別して感知する事が出来ないと証明されてしまったということになる。

 

「思惑に乗せられている気しかしないが、放置も出来ん……」

 

 義経の手のひらの上なのだろうが、かといってあれを放置するという選択も取れないのは事実。本丸のみを討ちたいというのに、囮の各個撃破をしなければならない。まったくもって、秋雅からしてみれば苛立たしいことこの上ないと言えるが、文句を言い続けても状況は好転しない。

 

 故に、

 

「なんであろうが、今はただ討つのみ!」

 

 結論を口に出し、トリックスターを構えながら秋雅は屋上より飛び出す。呪力の消耗を抑えるために『我は留まらず』は使わず、強化された身体能力でもって軍勢の中心部へと飛び込み、相手が反応するよりも早く剣を振り、直近の土人形達を切り捨てる。

 

「さあ、来い!」

 

 そうして、秋雅にとって、望まぬ第二回戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここまで来れば、十分かな」

 

 そう呟いたのは、秋雅の命令に従い、ここまで疾走を続けていたヴェルナだ。ちらりと後ろを見て、これならば戦闘の余波に巻き込まれることはないだろうと判断し、彼女は徐々に走る速度を落とす。

 

 それを見て、他の三人もまた――止まる理由に勘付いているかどうかはともかくとして――同じように速度を落とし、ヴェルナが立ち止まったのに合わせて足を止める。

 

「どうしたんですか?」

「これ以上離れなくても大丈夫だと思ってね。流石に、この距離なら余波も来ないでしょ」

 

 既に戦場の中心から数キロは離れている。ここまで離れればそうそう巻き込まれることはないだろうと、ヴェルナは皆に説明をすると、スクラが眉をひそめながら口を開く。

 

「このぐらいで大丈夫だと思う? 秋雅の――ええっと、切札、切札ね。あれ、結構な効果範囲があるはずだけど」

 

 何のことだ、とヴェルナは一瞬だけ思ったが、すぐにスクラの意図を察する。秋雅の持つ権能、『終焉の雷霆』のことを言っているのだ。わざわざ切り札という言い方に変えているのは、情報の秘匿を考えてのことなのだろう。

 

 紅葉だけならばともかく、五月雨もいる現状では、あまり迂闊に秋雅の権能に関する情報を露に出来ないからだ。これは相手を人間的な意味で信用している、していないという話ではなく、単に彼女が正史編纂委員会という、あくまで秋雅の協力組織の一員であるからだ。別組織の所属である以上、必ずしも秋雅を裏切らないとは言えない

 

 そういうわけであるので、紅葉のように秋雅の直轄であるか、あるいは三津橋のように特別に秋雅からの許可を得ている者のみが、秋雅の権能の情報を知ることができる。やや過剰かもしれないが、秋雅はそれほどまでに、情報アドバンテージを重視しているということである。本来であればカンピオーネの危険性を知らしめるために、その情報を収集、発信する賢人議会にまで、秋雅は自身の要求を徹底させるのだから、彼の直轄であるノルニル姉妹がそれに倣い、情報隠匿を徹底するのは当然のことであった。

 

「多分だけど、大丈夫じゃない? その気になればある程度は余波を押さえ込めるらしいし、よほどギリギリの状況でもない限り、この状況で秋雅が制御せずにぶっ放すことはないんじゃないと思う」

「ふむ……そうね、一応納得しておくわ」

「それで、これからどうします? このまま待機としますか?」

「まあ、それが無難かな。他にやることないし、まさか加勢に行くわけにもいかないしね」

 

 五月雨の質問に、ヴェルナは肩をすくめて答える。秋雅からの命令はあくまで退避であるし、そもそも彼女たちがまつろわぬ義経に戦いを挑んだ所で、幾らか耐え切るのが限界だろう。周りの土人形の掃除、くらいならば出来るかもしれないが、致死の一撃を受ける可能性は十二分にある。秋雅が戦闘に集中できなくなる可能性も高く、とてもではないが参戦しようなどという気が、彼女たちに湧くわけがない。

 

「戦況は、どうなっているのかしらね」

「さあて、どうだろ。さっきまでドッカンドッカン言っていたわりに、今はえらく静かだし」

「嵐の前の静けさ、は違いますね。小休止のほうが近いでしょうか」

 

 ほんの十分ほど前まで、背中越しでも分かるほどの、強力な落雷の音が響いていたが、今は随分と静かなものだ。今頃秋雅はどうしているのだろうかと、ヴェルナたちはそれぞれに自分達が走ってきた方を見る。

 

 そんな中だ。ヴェルナはふと、紅葉のみが自分達と異なる方向を見ていることに気がついた。何やら自分達の視線の先を中心として、その左右を交互に、何故か不思議そうな表情を浮かべながら視線を動かしている。

 

「あれ? 紅葉、何処を見ているの?」

「いえ、何で秋雅さんと、ええと、まつろわぬ義経は互いに離れた場所に居るんだろうと、ちょっと不思議だったので」

『……は?』

 

 ヴェルナとスクラ、二人の声が被る。何故そんなことが分かるのだろうか、という疑問の声だ。それに対し、同じく不思議そうに小首を傾げる彼女達の横で、五月雨が意外そうに口を開く。

 

「もしかして、紅葉さん。まつろわぬ義経もそうですが、稲穂様の気配も探れるのですか?」

「どういうこと?」

「いえ、そもそも私達がまつろわぬ義経を発見したのも、紅葉さんがその気配を感じ取ったからでして」

「……まつろわぬ神の気配を感じ取れるの?」

 

 心の底から驚いたヴェルナ達は、紅葉と五月雨はそもそも自分達がどうしてまつろわぬ義経と遭遇したのか、という説明を聞き、更にその驚愕を深める。だが、不可思議なことではあるものの、彼女の祖母の件があり、そうでもないと今の事態には陥っていないだろうというのは分かる話だ。吃驚仰天ではあるが、虚言を疑うほどではないか、とそのように結論付ける。

 

「しかしまあ……つくづく面白い体質だね」

「色々な要素が妙に噛み合った結果、ということなのかしら。これだけで一つの研究ができそうだわ」

「真面目にそうした方がいいかもね。それで、まつろわぬ神の気配を感じ取れるのは分かったけれど、秋雅の気配も感じ取れるの?」

「たぶん、ですけど。理由は分かんないですけど、この『冥府』に来てから、何故か秋雅さんの居場所も何となく分かるようになりまして」

 

 改めてヴェルナが尋ねると、紅葉は困ったように眉を下げつつ説明をする。自信なさげではあるが、しかし分かるのは事実だという彼女の説明を聞いて、三人は思案の表情を浮かべる。

 

「まつろわぬ神と神殺し、ある意味では近しいから、ということでしょうか?」

「そうなのかなあ? ちょっと分かんない事のほうが多いけど」

「人外レーダーとでも評すればいいのかしらね、これは。ただ、きっかけがいまいち不明瞭なのが疑問と言えば疑問化」

「まつろわぬ義経の方は単純に、紅葉さんの索敵範囲内に入ったから、ということではないでしょうか。稲穂様の方は……」

「まあ、ここに入ったからでしょうね。この『冥府』が幽体である紅葉に対し何らかの作用をもたらしたか、はたまた単純にここが秋雅の権能で出来た空間だから、秋雅のことがより分かるようになったのか」

 

 そうして、しばしの間、三人はああだこうだと話をするものの、不明瞭な部分が多すぎる以上、とりあえずの結論を出したところで議論を止める。

 

「――とりあえず、理屈はともかくとして、分かるものは分かるってことで」

 

 今はこれで十分だ、とヴェルナが代表して纏め、二人と、小首を傾げっぱなしだった紅葉も頷く。投げっぱなしの結論だが、ここでいくら話したところで理屈が分かるものでもないし、そもそもいくらやる事がないとはいえ今議論する話でもない。そうである、と理解しておけば今のところはいいだろうと、まあそういうことだ。

 

「でまあ、話をようやく戻すとして。紅葉、秋雅と義経が接敵していないっていうのは本当?」

「ええ。今義経があの辺りで、秋雅さんはあの辺りにいるみたいです」

 

 紅葉が指差したのは、最初の戦場であった交差点を中心に、左右に大きく離れた二地点だ。この距離で接敵中と言うのは無理がある、というくらいには離れていることに首を傾げる紅葉とは対称的に、ヴェルナたちは真剣な面持ちで、それぞれに思案のポーズを取る。

 

「一時撤退、ということでしょうか」

「どちらかが手痛いのを喰らって撤退。両者共に態勢を立て直している、というのが本命かしら」

「でも下手に離れると数的不利が祟りそうだし、撤退したのは秋雅の方の可能性が高い、かな。紅葉、どのくらい前から離れているってのは分かる?」

「ええっと……あの何度か聞こえてきた落雷の前後から、だと思います。その後はどちらも、今の位置を中心にちょこちょこ動いているって感じですかね」

「落雷の前後で致命傷を受けて後退。離れて怪我を治すなりをしていた時に、義経が放った兵と邂逅、戦闘を行った、という流れかしら」

 

 荒事の経験が少なく、どうにも把握が出来ない紅葉に代わり、彼女の情報から三人は秋雅の現状について推測する。ふうむ、と口元を指でなぞりながら、ヴェルナが口を開く。

 

「紅葉。秋雅のことだけど、義経の方に向かう素振りはある?」

「……ない、かと。今、ちょうど秋雅さんが動き出したようなんですけど、明らかにまつろわぬ義経がいる方向じゃないです」

「となると…………これ、秋雅に連絡したほうがいいんじゃない? 勘だけど、なんか秋雅はまつろわぬ義経の現在位置を把握していない気がするんだけど」

「同感ね。私達の知る秋雅の戦闘スタイル、及び所持権能を加味すると、今秋雅が義経の所に向かわない理由が思いつかない。義経の術中に嵌っているような気がしてならないわ」

「だね。待機はするけれど、サポートできることはしておこう」

 

 結論を出し、ヴェルナは懐から携帯電話を取り出すと、五月雨は軽く眉を上げる。

 

「この空間で電話が通じるのですか?」

「電波はないけど、これは魔術を用いた通話も出来るようにしてあるから。こういう普通の電話が使えない場所でも問題なく使えるよ。紅葉みたいにその魔術を知らない人でも送受信できるから、結構便利。普通に電波を使っての通信もできるしね」

「もしや、あの時に通信が出来たのも?」

「うん、これのおかげ。電波が通じないって分かったから、秋雅が速攻で切り替えて使った」

「……その電話、委員会の備品として作成を依頼することは出来ますか?」

「そういうのは秋雅にやって。私達はあくまで秋雅の直轄だから」

 

 五月雨の依頼を素気無く断り、ヴェルナは秋雅に対し電話をかける。数秒のコールの後、聞こえてきたのは訝しげな秋雅の声だ。

 

『……何かあったのか? まさかそちらに義経が向かったということもないと思うんだが』

「こっちは何も。ただ、秋雅に伝えておかないといけないことがあるんだよね」

『何だ?』

「まつろわぬ義経の居場所」

『――聞かせろ』

 

 ヴェルナに対し、端的に下された秋雅の命令。何処から説明したものか、と頭の中で組み立てながら、ヴェルナは今しがた知った事実に対し、話し始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

 とあるビルの屋上に、義経は土人形達を出すことなく、一人立っていた。義経の目の前に浮かんでいるのは、まるで将棋の盤を模したような、立体映像らしき図だ。盤の所々には駒のようなものが映されており、それらを時折操作しながら、義経は考え込む素振りを見せる。

 

「神殺しは見つからず、か。随分と網を広げているのだが、先の接触以来影も形も無いとは、奇襲をかける算段であろうか」

 

 しかし、と義経は自身の言葉に否定の言葉を投げる。

 

「かの神殺しに、この義経の所在を知る術はなし。あるのであれば先の囮に引っかかるはずもなく、そしてすぐさまにこの義経を討たんとするはず。未だここに来ていないこと、それはそのまま奴がこの義経を見失っている証左に違いなし」

 

 やはりおかしい、と義経は盤を見ながら唸る。

 

「あの神殺しは決して愚かな相手ではない。猪武者や臆病者ならともかく、消耗戦を犯す愚をあの男は選ぶまい。それは先の一戦でも知れること。しかし、ならば何故表に出ぬ? 大きく動き、兵達を誘い、ひいてはこの義経の所在を知り、強襲する。それがあの神殺しが選ぶ最良手であるはず。何故表に出ぬ…………」

 

 僅かな戦闘経験から、秋雅が取るであろう行動を見抜いた義経は、しかしその通りに秋雅が動いていないことを疑問に思う。そこに自分が読み違えたかもという不安は微塵も存在しない。それだけ、彼が自分の『目』に自信を持っていると共に、稲穂秋雅という男を買っているということでもある。

 

「……もしや、奴は既に、この義経の所在を知っているのか? そうであるならば、表に出ず、潜みながら迫っているとも分かるが……」

 

 義経は秋雅がこの『冥府』内に存在するものの所在を知れることも、そして義経の策により義経の居場所だけは感知できない、ということを知らない。しかし、先の一戦において、秋雅が攻撃の瞬間まで囮の存在に気付けなかったことと、義経の移動に気付けなかった事を義経は既に知っている。それを踏まえれば、秋雅が義経の居場所を感知できない、ということを推測するのは簡単な話だ。

 

 もしその後、戦闘中は使えなかった手で義経の居場所を知ったとしても、それでわざわざ先遣隊と一戦交えているのはおかしい。そんなことをせずとも、直接に、すぐさま義経を強襲すればいいからである。やはり、秋雅が義経の居場所を知る術はないはずだ、と義経は再び結論を出す。

 

「しかし、不可解なのは事実。何かあるとすれば、それは何だ……?」

 

 自身の推測と、実際の秋雅の行動。その齟齬を生み出している要因は、果たして何か。目の前の盤を睨みつつ、義経は自身の記憶を探る。これまで思考の端を漏らしてきた独り言もなく、ただただ無言で義経は考え込む。

 

 そのままどれほどが経ったのか。静かに考え込んでいた義経が突如、弾かれたかのように顔を上げる。

 

「――まさか、あの者か!?」

 

 義経の脳裏に浮かんだのは、自身が記憶を取り戻す前に、義経を『見た』一人の女の姿だ。決して偶然ではなく、確かに義経を知覚したあの、秋雅の配下らしき死人。確かではないが、しかし唯一残る、秋雅が義経を知覚できる可能性。その存在を、義経は今ここに至って思い出した。

 

 これを、『遅い』と罵るのは流石に無理があるだろう。記憶が定かではない時に、しかもまつろわぬ神からしてみれば個人の区別をつけにくい『人間』のことなど、常に気にかけておけというのはどうにも難しい。むしろ、時間がかかったとはいえ、思い出せたことを賞賛するべき、と言っても良いかもしれない。

 

「抜かった……! ええい!!」

 

 焦りと共に、義経は盤面にある駒をすべて取り除く。それは今冥府中に散らせている、義経の呪力を元にして作られている土人形達を、義経の下に再び呪力として還元させる行動だ。今更秋雅を発見する利など無く、むしろ戦力を散らせていることで自身を討たれる可能性が出てくる以上、居場所を知られてでも――そもそも義経の推測通りなら秋雅はとうに義経の居場所を知っている――手元に戻すより他にない。

 

「改めて立て、兵たちよ!」

 

 そして、改めて義経は自身の周りに土人形達を再召喚する。義経一人から一気に数十体もの土人形が増えたことで、ビルの屋上は一気に周囲への存在感を増す。それはつまり、敵からも発見されやすくなるということだが、何度も言うように義経の推測通りなら既に居場所は知られている。そんな事を気にするよりも、一気に増えた()で全範囲を見渡し、秋雅を早期発見するほうが万倍も良い。

 

「何処から来る……?」

 

 自身の目と、そしてリンクする土人形たちの視界で周囲を見渡しながら、義経は僅かに焦りを覗かせる。これまで策で秋雅を凌駕し、この後もそうするつもりであった義経が、初めて受身を取らされているからだろう。

 

 そのまま、焦りと共に義経は周囲を警戒する。そこかしこに延びるコンクリートの道、同じような高さで並ぶビルの屋上、そして赤黒く広がる大空。見渡せる全てを視界に収めながら、義経は秋雅の来襲を警戒する。

 

「――そこかっ!」

 

 義経が叫んだのは、彼が警戒を始めてから数分が経った頃だった。彼が見つめるのは何処までも広がる赤黒い空の一点。そこにあり、そしてすぐさま次の一点に転移する一つの黒い影。それは間違いなく、義経の下に迫ろうとする秋雅の姿だ。

 

「放て!!」

 

 義経の号令に、周囲に立つ土人形達が一斉に矢を放つ。放たれた無数の矢に対し秋雅は、時に手に持った剣で切り払い、時に炎を出して焼き払い、そして時に転移し、その全てを見事に躱しきる。

 

「ええい、やる!」

 

 とはいえ、義経からすれば見事などと暢気に言っていられる状況ではない。元々として、源義経というまつろわぬ神は、誇れるほどの火力を持つ神ではない。彼の強みは、いっそ無尽蔵とも言える土人形達、それを手足のように操る巧みな用兵術、そして戦闘を主導する千変万化な策を実現させることにある。圧倒的な物量と、相手の裏をかく策により、敵を自分のペースに嵌めることで落とす、というのが彼の基本的な戦法だ。

 

 それらは一度嵌れば抜け出せぬ蟻地獄であり、並の知恵者程度では逆転の策を紡ごうにも、むしろその全てを読みきられ、逆用されてしまうだろう。かといって軍神であり策士でもある彼を上回る知恵者など存在するはずもなく、仮に義経に匹敵するだけの者がいたとしても、おそらくは読み合いの末にこう着状態へと陥り、そしてやはり地力の高い義経の勝利を譲ることになるだろう。

 

 そんな策士に対し、どうやれば勝利を収める事が出来るのか。単純な話だ。策を練らず、相手の思惑に乗らず、ただ単純なまでの力押しで突破すればいい。何故ならば、義経の戦力のほとんどは所詮有象無象でしかない土人形ばかりであり、他の神や神殺し達に対抗できるほどの能力はないからだからだ。それを義経の策によって底上げしているのだが、どうやったところで、根本的な火力はたいしたものではない。

 

 蟻の群れに対し力強く鉄球を投げ込んだ場合、決して蟻たちに止められる事が無いように、いかに圧倒的な数であれ、同じく圧倒的なまでの力押しの前には屈服してしまう可能性はある。同じく、どれ程強固な策で雁字搦めにしようとしても、単純なまでの力の前には食い破られる時もあるのだ。無論、少しばかりの力ではどうしても突破できるほどのものではないのだが、そもそもカンピオーネというものは絶対的な力を持つまつろわぬ神を討ち、その権能を奪った者達だ。それはつまり、彼らもまた、神の領域に迫るほどの力を持っている場合があり、それは義経の策を物ともせぬほどの代物であるという可能性が存在するということだ。

 

 そしてそれは、稲穂秋雅もまた、例外ではない。むしろ、今こうして、決して止まることなく真っ直ぐに、義経に向かって進撃をする秋雅には、それだけの力を持っている可能性が十分に高いと言える。

 

「――あれは!?」

 

 それを証明するかのように、秋雅の右手に強大な力が集まりだしたことに義経は気付く。おそらくは雷に属する力の類であり、しかしこれまでの秋雅のそれや、義経が放ったものとは比べ物にならぬほどの、圧倒的で絶対的なまでの力だ。義経の慧眼は、秋雅の手の内のそれが一度放たれてしまえば、たとえ全力で迎撃をしたところで、どうやっても止められないほどのものであることを看破する。

 

「兵たちよ!」

 

 義経の号令に、土人形達はさらに激しく矢を天に向かって放つ。義経の周囲だけではなく、その下の地面にも無数の土人形達は生まれ、そして秋雅を撃ち落そうと全力で矢を射掛ける。放たれば敗北するというのならば、放たれる前に討てば良いと言わんばかりの射撃に、しかしそれでも秋雅は止まることなく、確実に距離を詰めていく。一度に矢を放つのではなく、連続して放つことで空間の隙間と視界を奪うことですぐさまに義経の下まで転移されてはいないものの、確実に秋雅は義経への距離を縮め、必殺の距離まで着実に進み続けている。

 

「止まらぬか……っ!」

 

 それを見て義経は、もはや秋雅を撃墜させることは叶わぬと覚悟する。やはり、肝心な部分で後手に回ってしまったのが痛かったのだろう。もう少し、せめて後十分でも早く秋雅の行動に気付けていれば、周囲のビルに土人形達を潜ませ、背後から撃つことで彼を落とすことも不可能ではなかったはずだった。

 

「――すまぬ、弁慶!!」

 

 苦渋の表情と共に、義経は弁慶を呼び出す。地面より生まれでた弁慶であるが、その身体には未だ多くの皹や傷が残り、先の戦闘でのダメージがまったく回復していないことがよく分かる。

 

 そんな状態の弁慶を世室縁が苦悩と共に呼び出したのは、秋雅に対しての迎撃と、そして最終的な()とするためだ。もはや止められぬであろう秋雅の一撃を、弁慶の巨躯と、周囲にいる土人形たちをもってして受け止め、自身への被害を可能な限り抑えるつもりなのだ。

 

「弁慶よ! 我が命に従い、最後の時まで役目を果たせ!」

 

 義経の命に、弁慶はただ薙刀を掲げることを返答とする。未だ止まぬ矢の弾幕と共に、秋雅を撃墜せんと弁慶は速く、そして力強くその薙刀を突き上げる。

 

「我が命運を託すぞ、弁慶――!」

 

 そう叫ぶ義経の眼前で、弁慶の向こうから光が漏れる。ただの一瞬の閃光かと思われたそれは、しかしその力を失うどころかより強く増していき、最後には弁慶を、そして義経の視界を飲み込んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――えっ!?」

 

 最初に紅葉が気付いたのは、空の変化だ。先ほどまでの赤黒く、明らかに不気味な空ではなく、見慣れた透き通るほどの青い空となっている。

 

 続いて気づいたのは、自分の居場所。半壊し、凄惨たる状況となったその交差点は、最初に義経を見た交差点だ。『冥府』の一箇所にいたはずの彼女は、一緒にいたヴェルナたち三人とも共に、いつの間にか現世の交差点に立っていた。

 

「え……きゃっ!?」

 

 呆然とする中、紅葉を襲ったのは強烈な衝撃波だ。彼女独自の特異な、自身の質量が増す存在強化を施していなければ、紙か何かのように吹き飛ばされていたであろう。

 

「な、何が……?」

 

 状況が掴めぬまま、紅葉は周囲を見渡す。そうすると、膝をついていたりはするものの、無事に先の衝撃波に耐えたらしいヴェルナたちの姿があった。そのことに、ホッと紅葉は安堵の息を吐いたものの、そのまま視線をずらした先の光景を見て、その笑みが硬直する。

 

「っ……耐えた、か」

 

 紅葉の視線の先、膝をつき、言葉を漏らしていたのは、まつろわぬ義経であった。その鎧は所々融解しており、紅葉の目から見ても明らかに消耗している。

 

 しかし、それを見て紅葉が感じたのは、安堵の感情などではない。

 

「…………秋雅さんは?」

 

 義経に対峙しているべき、一人の人物の姿が何処にも見当たらない。前を、右を、左を、後ろを、何処を見ても彼の姿はない。

 

「秋雅、さん……?」

 

 彼女の主であり、彼女が今一番信用する人物。稲穂秋雅という名のカンピオーネの姿は、彼女の視界の、何処にも存在していなかった。

 

 




 これでも削っているという事実。次回は決着となりますが、そのまま秋雅視点が終了するまで行けるかどうかは微妙な所。何となく長くなりそう……





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彼は死なず、ただ決着をつける

「秋雅さんがいない……?」

 

 呆然と紅葉が呟くと、その言葉に反応して、ヴェルナたちも周囲を見渡す。紅葉と同じ光景を見て、同じ結論に至ったのか、五月雨は見る見るうちにその表情を強張らせる。

 

「まさか、そんなはずが!?」

 

 言葉にこそ出さないものの、二人がおそらく、同じ『最悪』を思い浮かべているのだろう。力なく、二人の肩が大きく落ちそうになった、その時だ。

 

「何を心配しているのよ、二人とも」

 

 ポンと、二人の肩がそれぞれに叩かれる。振り返れば、そこに立っているのは、ヴェルナとスクラの姉妹だ。そのどちらもが、やれやれと言いたげな表情を浮かべ、不適に笑う。

 

「さっき私が言ったこと、もう忘れた?」

「稲穂秋雅は決して死なない。それは、貴女達も一度見た真理のはず」

「というか、その証拠が、今そこにあるもの」

「え……?」

 

 すらりと伸びたヴェルナの指、その示す先を紅葉たちは見る。そこに見えるのは、未だ膝をつき、息を荒げる義経のみ――では、ない。

 

「アレは……!」

 

 初めてに見えたものは、渦巻く小さな風だった。何故、風という無形の物を見る事が出来たのか。それはその風が、不思議なことに、黒くその身を染めていたからだ。

 

 その黒い風は、最初は確かに小さく、頼りないものだった。しかし、その風は徐々に勢いを、大きさを増していき、ついには等身大にまで至り、強く、激しく渦を巻く。

 

「……は、ははっ!」

 

 正面から、その風を見ていた義経が、不意に笑い声を上げたのを、紅葉は僅かに聞く。風の向こうということで、紅葉からはよく見えないものの、その笑みは何故か、裏のないもののように紅葉には見えた。

 

 何故、そんな表情を浮かべているのか。それを紅葉が考えるよりも先、ふと、風の中に影が生まれた。人間大のそれを見て、紅葉は目を見開く。

 

「あれは……!」

 

 驚愕と、歓喜。その二つを言葉の端から漏らす紅葉の前で、影は色を取り戻していく。徐々に人の姿となっていくそれは、紛れもなく、紅葉がよく知る男の背だ。

 

 ゆっくりと男が、右の手で風を払う。風が止み、男の姿がはっきりと映される。

 

 そして、

 

「――待たせたな、諸君」

 

 王者の風格と共に、稲穂秋雅は己が健在を周囲に知らしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「秋雅さん!」

「ご無事でしたか!」

 

 背後から、紅葉と五月雨の安堵に満ちた声を秋雅は聞く。それに対し、軽く手を上げることで返事をしつつ、しかし秋雅の視線は、立ち上がる義経の方へと向けられている。

 

「兵ごと滅せるかとも思ったが、中々どうしてしぶとい奴だ」

「貴様こそ、自らが放った裁きの光に飲み込まれたものかと思ったのだがな」

 

 痛ましい姿をさらす義経に秋雅が不敵な笑みを浮かべれば、義経もまた呪力の残量が少ない秋雅に対し口角を上げる。舌戦、というには弱いが、これもまた戦闘の延長のようなものだろう。

 

 ふん、と立ち上がった義経が鼻を鳴らす。

 

「流石は、と言っておこうか。先の死に連なる空間、貴様の命そのものでもあったとは、この義経の目を持ってしても見抜けなかったわ。なるほど、ならばあのような特攻も選べようというものだ」

「ハッ、死の領域である冥府の、その主であるこの私が、あの程度の『死』に頭を垂れるものか。我が札を見切る軍神の慧眼も、そんな単純な道理には気付けぬとはな」

「ふん、抜かしおるわ」

 

 義経の指摘を、秋雅は余裕の態度で笑い飛ばす。常であれば多少の動揺も見せただろうが、疲労の所為なのか、それは実に自然な演技であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――あの時、秋雅は弁慶の妨害により、自分が放った『終焉の雷霆』に巻き込まれていた。いや、むしろ確実に弁慶を潰し、そして義経を討たんと、自らその懐に入り込み、近距離でその力を解放している。

 

 では何故、今こうして秋雅は生きているのか? 『古き衣を脱ぎ捨てよ』の再生能力をもってしても、全身が消滅してしまえば復活などできない。秋雅が死を脱した要因、その答えはずばり、義経の指摘そのままと言っていい。『冥府への扉』という権能によって作られた空間、あの『冥府』こそが、秋雅の死を消し去った最大の功労者なのだ。

 

 秋雅の権能によって生まれた『冥府』の利用価値は、何も現実に影響を及ぼさない空間の提供だけではない。むしろ、その本質は、秋雅の命のバックアップにあると言っていい。秋雅の半身である事を考えると、むしろ残機と表現すべきだろうか。あの『冥府』には、主にして半身である秋雅が死に瀕した時、自身を代わりに消滅させることで、秋雅の死を完全になかったことにする。そんな性質を持っているのである。

 

 義経たちが『冥府』から弾き飛ばされたのは秋雅の死が原因であるが、それは秋雅が完全に死んでしまったからではない。秋雅が死に瀕し、それをなかったこと(・・・・・・)にするために、『冥府』が自らその身をささげた。だからこそ、こうして今、秋雅達は現実の空間に立っているということだ。

 

 諸々の理由から、能動的に使うことは滅多にないが、いざという時には欠かすことのできない最後の手。秋雅にとって、『冥府への扉』という権能は、常の戦闘において使う不可欠な札であると同時に、いざという時にその効力を発揮する、『終焉の雷霆』と並ぶ絶対の『切り札』でもあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「和やかな世間話もそろそろいいだろう」

 

 頃合だ、と秋雅はトリックスターと雷鎚を呼び出しながら言う。

 

「決着、つけようじゃないか」

 

 これ以上、敵と長々と話す理由はない。時間をかければ自分も多少回復するが、それは相手も同じこと。いい加減戦闘を再開するべきだと、秋雅が行動を起こそうとする。

 

「否――まだ話すべき事がある」

「なに?」

 

 しかし、何の思惑か、義経が秋雅の言葉を否定し、その行動を制した。軍神らしからぬ彼の言葉に、秋雅が怪訝な表情を浮かべる中、義経は秋雅を真っ直ぐに指差し、

 

「神殺しよ。貴様、名を何と言う?」

「……私の名前だと?」

 

 然り、と義経は続ける。

 

「仮にもこの義経、軍神としてこの場に立っている。その義経に、貴様は見事拮抗し、ここまでの深手を与えてみせた。それほどの戦士と相対しておきながら、その名を知らぬなど武人の名折れ。それに、何よりも――」

 

 口元に笑みを浮かべながら、義経は言う。

 

「――貴様はこちらの名を知っているというのに、こちらは貴様の名を知らぬなど、不公平ではないか」

 

 そんな義経の言葉に、一瞬、きょとんとする秋雅であったが、すぐさまに愉快そうな表情を浮かべる。

 

「ふっ、神が公平を語るとはな」

 

 ――面白い。そう呟いた後、秋雅は改めて神妙な面持ちを浮かべ、そして名乗る。

 

「秋雅――稲穂秋雅だ。覚えておけ、源義経」

 

 今更ながらの、端的な名乗り。それに義経は、満足そうな笑みを浮かべ、何度か頷く。

 

「稲穂秋雅、か。うむ、その名、しかとこの義経の胸に刻んだ」

 

 そして義経は、秋雅を真っ直ぐに見つめ、その名前を口に出して、言う。

 

「秋雅よ。我ら、今や共に満身創痍と言って否定できぬ身であることは、紛れもない事実。故に、一つ提案がある」

「提案?」

「なに、難しい提案ではない。一度ではあるが、この義経は貴様の策を見受けなかった。策を見抜けぬ策士に、再び策を練る資格などあるはずもなし」

 

 だからこそ、と義経は言う。

 

「策を用いる将ではなく、ただ一人の武人として、稲穂秋雅と戦う事を、この義経は望む。智をめぐらすような戦ではなく、古来よりの、武人としての誉れの如き戦をする。それが、この義経の提案よ」

「つまり、一騎打ちをやりたい、と」

 

 察し、ゆっくりと言葉を口にした秋雅に、義経は鷹揚に頷いてみせる。

 

「どのような手段を用いたにせよ、貴様はこの義経を一度、打ち破って見せた。だからこそ、この義経、我が策も、兵達も、一切使わん。互いに身一つ、武のみにての決着を、この義経は所望する」

 

 どうだ、と義経は秋雅に問う。

 

「秋雅にとっても、それは望むことではないか?」

「…………そうだな」

 

 義経の提案に、しばしの沈黙を挟んだ後、秋雅は頷く。

 

「一度目は策を読まれ、敗れた。二度目は、彼女がいなければ勝てなかった」

 

 既にここは現実世界だ。先ほどまでと同じように戦えば、周囲への被害は必須。それを踏まえれば、義経の提案を飲むことは、秋雅にとってメリットの大きいことだと、客観的にはそう判断できるだろう。

 

 

 

 だが、

 

「だからこそ――」

 

 そんな理屈など、もはや一切関係がなかった。今やもう理屈ではなく、秋雅はただ、感情でのみ、動く。

 

「――最後の決着だけは、自分一人の手でつける」

 

 何故ならば、

 

「それが、()の矜持だからだ」

 

 真っ直ぐに、義経と視線を交わしながら、秋雅は宣言した。利があるから、などではない。王であると同時に、戦士でもある身として、ただ、自身の誇りと、納得のいく決着をつけるために。

 

 それが、稲穂秋雅の矜持であった。

 

 

 

「うむ」

 

 秋雅の宣言に、義経は満足そうな笑みを浮かべ、頷く。

 

「ならばこそ――立て、勇猛にして疾き馬よ!」

 

 突如、義経が叫ぶ。同時、秋雅は自分のすぐ真横において、何かが生じようとしているのを感じる。しかし、それに対し、あえて反応しない事を秋雅は選んだ。何故ならば、今ここで義経が、不意打ちの類をするとは思えなかったからだ。神としてのプライドからか、こういう場面におけるまつろわぬ神というものは、ともすれば人間以上に高潔であることが多いという事を、秋雅はこれまでの経験から知っていた。

 

 そして、その推測は、そういった点においては確かであったようだ。

 

「馬、か」

 

 数秒と経たず、秋雅の、そして義経の傍らに生じたものは、秋雅の、そして先の義経の言葉通りの、がっしりとした、しかし土人形達と同じ材質でできた、物言わぬ馬であった。その二頭の馬は嘶きを上げるでも、身体を動かすでもなく、ただじっと、その場に佇んでいる。

 

「秋雅よ、これらを用いて決着をつけたい。なに、戦闘中に貴様の馬に命を下すなどはせぬゆえ、安心して騎乗するがいい……乗れぬ、というのであれば話は別だがな」

「安い挑発だな。だが、乗ってやろう」

 

 口の端に笑みを浮かべて、秋雅は傍らの馬に飛び乗る。流石の秋雅も馬上戦闘の経験はないが、乗馬経験そのものは何度かある。まつろわぬ神の馬であるのだからある程度は融通も利くだろうし、そもそも秋雅の神殺しの肉体はこういう初見の事態にも案外と適応してみせる。どうにかなるだろうと、決して慢心や適当ではない考えが、秋雅にはあった。

 

「その意気や、良し」

 

 秋雅と同じような笑みを浮かべて、義経もまた傍らの馬に飛び乗る。そして虚空から一振りの大太刀を取り出し、構える。

 

「カンナカムイの宝剣ではないのか」

「あれはこの義経自身の力とは言えぬ。最後の一駆けに用いるにはつまらぬであろう」

「そういうものか」

 

 義経の言葉を軽く流しながら、秋雅はトリックスターを召喚する。雷鎚でないのは別に義経の主義に合わせたわけではなく、単にリーチの問題だ。通常戦闘ならばともかく、馬上戦闘において雷槌は中々に扱い難いだろうと、そう思っただけである。

 

 だから、呼び出したトリックスターの姿も、馬上戦闘、特に突撃において役立つであろう、ランス(馬上槍)の形状ととっていた。しかも、一つにして六つであるトリックスターの全てを用いた、最大重量、最高密度のそれである。これならば、カンナカムイの宝剣ならばともかく、今義経が持つ大太刀には十分に対抗できるだろう。

 

 とはいえ、いくら強い武具であっても、使いこなせなければ意味がなく、現時点の秋雅の身体能力では些か扱いが難しい。

 

「――汝は確かに破壊の力なり。されどまた育みの力でもあり。故に我は願う。汝、我にその力の一端を授け給え……!」

 

 バチバチと、秋雅の全身に紫電が走る。復活から解除されていた、『実り、育み、食し、そして力となれ』を再び発動させたのだ。人の身体を操るその雷によって、秋雅の全身は強化され、その身体能力は魔術によるそれよりも格段に上昇する――はず、であった。

 

「これは……?」

 

 権能の発動により、自身の身体能力が上昇したと自覚した直後、秋雅の表情が困惑に変わる。秋雅が跨る馬、先ほどまでは確かに土のようであったその体表が、姿が、明らかに違っていた。その皮膚は滑らかで、手触りの良いものに変わり、そのたてがみは豊かで美しい。その足は太く、力強さを増しており、如何な悪路であれ走破出来そうである。

 

 驚く秋雅を乗せたまま、馬が大きく嘶く。その鳴き声はまるで生きた馬のようであり、先ほどまでの人形じみた気配はまるでない。生命に溢れている、とまさしく表現できるその姿は、体格など変わっていないにもかかわらず、まるで一回りほど大きく、雄大になったようにも感じさせる。

 

「……は、ははっ! 面白い、面白いな、秋雅よ!!」

 

 秋雅と同じく、困惑の表情を浮かべていた義経が、愉快でたまらぬという風に笑い声を上げる。

 

「この義経より生まれた馬に、貴様は生命を与えてみせたか! もはやその馬はこの義経の手を離れ、貴様にのみ忠実な存在! やはり、貴様は面白い!!」

「勝手に面白がるな。まったく、何がなんだか分からんが……」

 

 まあいい、と後半は半ば素の口調で秋雅は呟く。おそらくは馬上した状態で使った『実り、育み、食し、力となれ』が伝播し、何か作用したのだろうが、今はそれを検証する場合ではない。とりあえず頼れそうではあるのだから、それでいいではないか。そう、秋雅は割り切ることにした。何せ、今は義経との一騎打ちの準備を整えないといけないのだ。細かいことは後でいい、と秋雅は思考を切り替え、トリックスターを構える。

 

「万物を焼き尽くす絶対なる炎よ。我が武具に纏い、全てを滅する力とならん……!」

 

 構えたトリックスターに対し、秋雅は『義憤の炎』を発動させた。全てを破壊する炎がトリックスターに巻きつき、その破壊力を付与させる。形状は違えども、槍に分類される武器に使ったからであろうか。その勢い、ひいてはその破壊力は、秋雅の予想よりも大きく、強いようである。それもまた、検証は後でいい、と秋雅は考えつつ、炎纏う槍で義経を指す。

 

「準備は、整ったようだな」

 

 秋雅が炎の槍を構えたのを見て、義経は笑い声を上げるのを止め、自らも大太刀を構える。馬に乗り、互いに武器を構えた二人は、しばしの間機を探るように睨みあいを続け――

 

 

 

 

『ハァッ――!!』

 

 まったく同じタイミングで、二人は馬を走らせた。片や大太刀、片やランスを構え、二人は馬に乗り、駆ける。

 

 馬の速度は、どちらも大差ない。僅かに、秋雅の乗る馬の方が速いだろうか、という程度だ。初期での彼我距離は、おおよそ五メートルほど。それが瞬く間に縮まっていき、ついにはその中心点で激突――しない。

 

『ッ――!』

 

 すれ違う瞬間、二人はその口の端を歪める。どちらもが攻撃せず、ただ相手の横を駆け抜けていく。二人とも、この距離ではとても突撃の勢いが足りぬこと、そして相手もまたそうするだろうと判断したからこその行動であった。

 

 そして、二人はそのまま、さらに五メートルほどを駆け抜けたところで、まるで示し合わせたかのように、同時に馬を反転させる。見事なまでのUターンによって、その勢いは殺されぬまま、むしろさらに加速させて、二人は駆ける。

 

 残り八メートル――――六メートル――――四メートル――――二メートル――――

 

 

 

「ぬうん――!!」

「でえいっ――!」

 

 

 ――激突。義経が振るう大太刀と、秋雅が突き出す馬上槍が激突し、一瞬の金属音を立てた。ともすれば、あっけないとも表現できたかもしれない。それほどまでに、二人の交差は一瞬で、鍔迫り合いの均衡もなく、意外なほどにあっさりと終わる。

 

 

 

 

 交差の後、二頭の馬は徐々に速度を落としていく。段々と、『走る』が『歩く』に代わっていき、ついに二頭は、偶然にも、自分達が最初に出現した場所に、しかしその時とは逆向きの位置で止まり、そして消えた。今の突撃に、自身が存在する為の力すら使い切ったのであろう。明確な、確固とした意思があったのかは不明だが、どちらの馬も主の為に全てを奉げ、その忠を示しきったのだ。

 

 

「ぐっ、うう……」

 

 突如の馬の消失にも慌てず、見事に着地を決めた秋雅であったが、次の瞬間には、膝をつき、右腹部を押さえながら苦悶の声を漏らす。見れば、そこには内臓にすら達しているのではないかというほどに大きな傷が刻まれている。それは、余人であれば間違いなく致命傷と判断されるであろうほどの深手だが、カンピオーネにしてみれば、すぐさまに死ぬような傷ではない。常の秋雅であれば『古き衣を脱ぐ捨てよ』の効果により、たちどころに治してしまうだろう。

 

 しかし、常ならばもう回復しただろう時間が経ってなお、秋雅の傷は回復の兆しを見せない。かろうじて傷の周囲に紫電が走っているものの、これも先ほどまでとは比べ物にならぬほど弱い。それはもはや、傷の回復すらも満足に行えないほどに、秋雅の呪力がつきかけているという証左だ。もし、このまま連戦ともなろうものならば、紛れもなく敗北するであろう。

 

 だが、

 

「――秋雅!」

 

 背後から声と共に、何かが投げられる気配を秋雅は感じた。膝をついた体勢のまま身体を回し、振り向きざまに秋雅はそれを手で掴む。

 

「これは……」

 

 受け取ったものを見て、秋雅は素直に驚く。これまでに何度も見たそれは、鞘にこそ収まっているものの、義経が幾度も振るっていた、カンナカムイの宝剣だ。何故、という思いを得た秋雅に、再び声がかけられる。

 

「持っていけ……神殺しとして、この義経の力を奪う貴様であれば、振るうことも叶おう。勝者には……褒賞が必要故に、な……」

「……義経」

 

 秋雅に声をかけた義経の胸には、深々と一本の槍が突き立てられていた。胸を貫き、背にまで達するそれは、例えまつろわぬ神であろうとも死を避けられぬほどの、明らかにして絶対的な、致命の一撃であった。

 

 あの激突の瞬間、胸を狙い振るわれた大太刀は、馬上槍に弾かれて腹を切り裂くに留まり、腹を狙い突き出された馬上槍は、大太刀に流されてその胸を貫いていた。このような結果となったのは、武器の性質の違いもさることながら、呪力は空に近くとも肉体的なダメージのなかった秋雅と、呪力に余裕はあっても身体の芯にダメージが残っていた義経の差だったのかもしれない。

 

「……ふっ、面白い……ものだ」

 

 秋雅が見つめる中、先ほどまでとは打って変って、穏やかな表情を浮かべながら義経は呟く。

 

「顕現して早々、彼奴めに不覚を取り、名と自由を封じられたときは怒ったというのに……今は、少しばかりの感謝すら感じてしまう。おかげで、稲穂秋雅という……強き武人と戦えた……」

「……お前は、誰かに封じられていたのか」

「然り。あの、善と悪を流離う悪戯なる神に……な」

 

 ピクリと、秋雅の眉が動く。今の義経の言葉、それは秋雅にとって、どうしても聞き流せぬ言葉であったからだ。

 

「その表現、もしや、お前が戦った相手というのは――」

「――ロキ、そう、彼奴は名乗っていた」

 

 秋雅の目が、大きく開かれる。これまでと違い、あからさまなまでの秋雅の反応に、義経は不思議そうな表情を浮かべた後、フッと笑う。

 

「何やら、縁がある相手であったようだな……ならば、彼奴めの企みとやらは、成功したのかも知れぬな」

「企み? 何のことだ? お前はロキに関して、何を知っている?」

「何も知らぬさ、秋雅よ。この義経が知っているのは、彼奴めが何かの企みの元、この義経を封じたということのみよ」

 

 ふう、と疲れたように義経は息を吐く。気付けばその身体は、端から徐々に崩れ始めている。もはや限界、ということなのだろう。

 

「秋雅よ……この義経の剣と、その力を受け継いていく者よ。汝が生に、満足ある死があらんことを…………」

 

 その言葉を最後に、義経の身体は風化し、消滅する。その場に残ったのは、その胸に刺さっていたトリックスターのみだ。

 

 

 

 

「……満足ある死、か」

 

 手に持ったカンナカムイの宝剣を杖にし、ようやくと立ち上がりながら、秋雅は呟く。

 

「お前の死こそ、そうであったというとなのか…………」

 

 どうなんだろうか、とさらに呟いて、秋雅は力を抜くように笑う。

 

「いや……今はどうでもいい話、か」

 

 適当に、しかし真剣な調子でそう言って、秋雅は背後へと向き直る。その視界に映るのは、嬉しそうに笑みを浮かべながら走ってくるヴェルナとスクラ、そして安心したような表情を浮かべながら二人に続く紅葉に、感謝を示すように深々と頭を下げる五月雨の姿。

 

「生憎と、死を考えるには、まだまだ忙しいみたいだからな……」

 

 走ってくる彼女たちに片手を上げて見せながら、何処か嬉しそうに秋雅はそう言うのであった。

 

 




 ようやく決着がつきましたが、その後の話までは入れませんでした。若干予定は変わりますが、次回の前半で秋雅視点を終わらせ、後半からこの章の最後手前ぐらいまで護堂達の視点で話を進めていこうと思います。




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そして舞台は転ずる






「――えっと、誰かいますか?」

 

 ぬっと、唐突に壁の中から身体を出しながら、紅葉が声をかける。知らない人が見れば驚くか、ともすれば失神しそうな光景であるが、しかし彼女の視線の先にいたスクラは軽く首を傾げる程度の反応に留まった。

 

「紅葉? どうしたの、急に」

「あ、おはようございます、スクラさん。実は五月雨さんから報告書を持って行って欲しいと頼まれまして。部屋の外からノックしたんですが、どうにも反応がなかったものですから」

「あら、ノックされていたの? ごめんなさい、気付かなかったわ」

 

 遮音性が高いわね、とドアのほうを見ながらスクラは呟く。そんな彼女に苦笑をこぼしながら、じゃあと紅葉はそちらに目を向けて、

 

「今から渡された報告書を持ってくるので、ドアを開けておいてもらえると助かります。私一人はともかく、流石に紙は壁抜け出来ませんから」

「ん、分かったわ」

「お願いします」

 

 そういうわけで一旦その場を離れ、今度はドアから紅葉は室内に入る。流石はこの辺り一帯でも最上級の豪華ホテルといったところだろうか。とてもホテルの一室とは思えないほどに広く、そして豪奢だ。慣れてない人間からすれば二の足を踏みたくなる雰囲気であったが、紅葉にあてがわれた部屋も、これには若干劣るがほとんど同レベルの部屋であったので、一夜を過ごしたことで何となく慣れてしまっていた。先ほどのスクラの、遮音性発言に苦笑をもらしたのも、自分も同じような体験をしていたからだ。

 

 そんな室内には、先ほどまでと同じように、平然とした様子でスクラが椅子に腰掛け、入って来た紅葉の方を見ている。

 

「改めていらっしゃい。それが受け取った報告書?」

「はい、五月雨さんからです。三津橋さんの方の報告書も混じっているそうで、読んでもらった上で秋雅さんの指示を仰ぎたいと」

 

 と言ったところで紅葉は室内を見渡す。しかし見るからに室内に秋雅、そしてヴェルナの姿はなく、今いる部屋以外にも人の気配というものは感じられてない。元々この部屋は秋雅の部屋なのであるが、ヴェルナとスクラがどうしてもといった為に同室になった経緯があるのだが、それでスクラ一人しかいないというのはやや不思議な状況だ。

 

「秋雅さんとヴェルナさんはお出かけですか? 朝食はルームサービスで取るって聞きましたけど」

「その前の朝の鍛錬だそうよ。屋上を借りて組み手をしているらしいわ」

「スクラさんは参加しないんですか?」

「面倒くさいじゃない。細かい鍛錬とか気が乗らない性質なのよ」

「ああ……」

 

 そういえば、そのような事を聞いていたな、と紅葉はスクラの返答に頷く。スクラとヴェルナ。髪型以外はそっくりな容姿をした双子であるが、その言動はかなり対照的だ。仮に二人が完璧に見た目を合わせたとしても、案外すぐさま分かりそうだなと、何となくそんな感想を紅葉は抱く。

 

「ええっと、戻ってくるのはどれくらいになりますかね? 可能であれば秋雅さんに直接渡して欲しいって頼まれているんですが……」

「んー……もう少ししたら帰って来ると思うわ。とりあえずここで待機していたら?」

「じゃあ、そうさせて――」

 

 と、紅葉が言いかけた、その時だ。

 

「――うん? 紅葉か、どうした?」

 

 突如、紅葉の背後から声がかけられた。振り向くとそこには、やや不思議そうな表情を浮かべた秋雅とヴェルナが立っている。噂をすれば、でもないのだろうが、偶然にもこのタイミングで帰ってきたようであった。

 

「ああ、秋雅さん、ヴェルナさん、おはようございます。五月雨さんたちからの報告書を預かってきました」

「そういうことか。分かった、わざわざすまないな」

「いえいえ」

 

 紅葉が差し出した報告書を受け取り、秋雅は早速と読み始める。文字を追う目の動きは速いが、しかし報告書は中々に分厚い代物だ。流石に時間がかかりそうだなと、そう紅葉は判断する。

 

「じゃあ、何か飲み物でも持ってきますね」

 

 特に、運動してきたばかりであろう秋雅とヴェルナは喉も乾いているだろう。そう思った紅葉はコーヒーでも淹れて来ようと、一旦その場を離れる。さして探し回るまでもなく紅茶の茶葉を見つけ、数分とせずに彼女は人数分の紅茶をカップに注いで戻ってきた。

 

 

 

「お待たせしました」

「ああ、ありがとう」

 

 いつの間にか椅子に腰をかけていた秋雅、その前にあるテーブルに、紅葉は四つのカップを並べる。並べ終わったところで秋雅の顔をふと見ると、報告書に何か書かれていたのか、その額には大きなしわが刻まれている。

 

「……面倒な感じですか?」

「まあ…………はっきりと言ってしまうが、かなりまずい状況だ」

「聞いても大丈夫ですか?」

「ある意味ではあまり君には言いたくないことだが、隠しておくわけにもいかないようなんでな。悪いが、もう少し待ってくれ」

「分かりました」

 

 よほど、己の父と妹の件は、厄介な状況になっているらしい。秋雅に返答は、紅葉にそのことを察せさせるに余りあるものであった。

 

「…………いよいよ、覚悟を決めないと、なのかな」

 

 ティーカップを両手で抱えるように持ちながら、口の中で転がすようにそう紅葉は呟くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ざっとだが、一応読み終わった。今後の行動予定も含め、説明する」

 

 数分後、報告書をテーブルに投げるように置きながら、秋雅は口を開く。

 

「まず、例の魔法陣についてだ。五月雨室長たちの調査と実験により、予想以上に厄介な代物だという事が判明した」

「と言うと?」

「幸次郎氏の説明にもあったが、例の魔法陣の影響を受けた物品への対処は、やはり破壊以外の方法は見つからないらしい。幸次郎氏の話では物品の表面に、ということだったが、実際は物品の内部への干渉が大きいらしく、下手に取り除こうとすると物品に対し悪影響を与える可能性が高いとのことだ」

「秋雅の――って、あー、言っていいんだっけ?」

 

 何事かを言いかけたヴェルナが、それを途中で止め、秋雅に何かの確認を取った。何事か、と思った紅葉であったが、話を振られた秋雅は問題無いと言いたげに手を軽く振る。

 

「前も少し話したが、紅葉に関しては完全にその枷を解くことにする。例のレポートの閲覧権限も与えておいてほしい」

「いいの? 信用するにはまだ早いかもしれないわよ」

「今更裏切るような者でもないだろうよ。頼りになるみたいだし、すっぱりと信用することにした。何よりこのままだと、話が通じなくて面倒くさい」

「まあ、紅葉にもがっつり関係のある話をするわけだからねえ、それもそうかも」

「えーっと、つまりどういうことです?」

 

 何に関しての話だろうと首を傾げる紅葉に対し、答えたのはヴェルナであった。

 

「要は紅葉にも権能を含めた秋雅の情報を隠さないようにしようってこと。大体察していると思うけれど、基本的に秋雅は一部例外を除いて、自分に関する情報を軽々に教えないんだけど、その例外に紅葉も含めるってわけ」

「要するに、君に対し俺の権能関連で隠し事はしないと、解釈してくれればそれでいい。勿論、知った事を俺たち以外に話すことは禁止、という前提の下になるけどな」

「……いいんですか?」

 

 紅葉が秋雅の従者となってからまだ日は浅い。しっかりとした信頼関係が築けているのかと言われると、やや疑問に思うところがある。そんな状況で本当に自分を信頼していいのか、と問いかける紅葉であったが、

 

「人を信用するのに必ずしも時間が必要ってわけでもないだろうよ。それとも、その程度の秘密も守れないくらい、草壁紅葉の口は軽いのか?」

「それは……軽くはないつもりですけど」

「だったらそれでいいじゃないか。はぶられなくて良くなったと、まあ軽く考えておけよ」

「はあ……秋雅さんがそう言うならいいですけど……」

 

 ちなみに、秋雅は意図的に説明を省いたのだが、秋雅が言った例のレポートというのは、ヴェルナが個人的に纏めた『稲穂秋雅』というカンピオーネの調査書である。これには秋雅から聞き取った情報を元に、秋雅の戦闘スタイルやその権能について細かく纏められており、見れば秋雅というカンピオーネの戦闘能力を事細かに知れるというある意味で物騒な代物である。

 

 その性質上、このレポートは普段極めて厳重に保管されており、その閲覧が出来るのは秋雅とノルニル姉妹だけであった――秋雅が信頼している三津橋の名がないのは、実質上はどうあれ、現在の彼は秋雅の直轄ではなく、あくまで正史編纂委員会における協力者であるからだ――のだが、先の会話において秋雅はその閲覧権限を紅葉に与えるとヴェルナたちに述べた。つまり、その気になれば紅葉もまたこのレポートを隅から隅まで読む事が出来るということになる。

 

 このことについて秋雅があえて説明をしなかったのは、流石にこの権限貸与まで説明をすると、紅葉が恐縮して辞退するであろうと考えたからであり、受け入れた所でおそらくは彼女が能動的にそれを読みはしないと判断したからである。いずれ、適当なタイミングで明かせばいいだろうと、そういうことである。

 

 

「……で、まあ話を戻すんだが、さっきヴェルナが言おうとしたことは、俺の『義憤の炎』を使えばどうとでもなるんじゃないかってことでいいか?」

「うん、当たり。実際、あれって物体以外にも術とかも焼失させられるんでしょ? だったらそれを使えばいい話だと思うんだけど」

「それがそう単純な話でもないっぽいんだよ」

 

 トントンと、苛立たしげにテーブルの上の報告書を指で叩きながら、秋雅は首を横に振る。

 

 

「物品内部への干渉がでかいってのはさっき言ったが、特に心臓への干渉度合いが高いみたいなんだ。呪力ってのはつまり生命力が変化した物だから、その発生源して供給源である心臓に集まるという理屈らしい。その所為で下手に魔術を引っぺがそうとすると対象の心臓にも負荷、というか大きく傷つけてしまう可能性が非常に高いそうだ」

「だからこその、特定対象の破壊可能な秋雅の炎の出番ということじゃないの?」

「俺が『義憤の炎』を完全に掌握しきっていたら、な」

 

 はあ、と苦々しそうに、秋雅はため息をつく。

 

「現状の権能の掌握度合いと、件の術の拘束力を踏まえると、どうにも術のみを焼いて心臓含め対象の重要器官を守るという自信が、正直あまりない。術を焼失させました、でも紅葉の妹の心臓も消してしまいました、じゃ結局意味が無い」

「となると……その魔法陣が発動されていた場合、椿は助からないってことですか?」

 

 そんな、とすがるような視線を、紅葉は秋雅に向ける。それに対し、秋雅はやはり苦々しげな表情のまま、何とも言えない、と答えた。

 

「術の進行度合いによっては、術のみを焼くことも可能だとは思う。ただ、あちらの初動からどの程度時間が経ったかも分からないし、そもそも草壁康太が魔法陣を弄っている可能性は十分にある以上、こちらの想定と実際の動きが一致しているとも限らない。結局の所、草壁椿を保護してからでないと、確定的な事が一切言えないというのが、正直な所だ。ずるい言い方で悪いとは思っているが……」

「いえ、それは……そもそも、秋雅さんたちに、椿の命を救う義理はないわけですし…………」

 

 とは言うものの、紅葉にとっては、大事な妹の命がかかった問題だ。口でこそ気丈なことは言えても、その表情は暗く、不安に満ちているのが見て取れる。

 

「――草壁紅葉」

 

 そんな彼女を見ていた秋雅の雰囲気が、突如として切り替わる。私人としてのそれではなく、王としての態度で秋雅は口を開く。

 

「手がないと判断した場合、私は王として草壁椿を殺すつもりだ。例え少数を見捨てでも多数を救う義務が私にはあり、そして現状君の妹は、私にとって多数を切り捨てるほどの価値を持った人間ではない」

 

 王としての立場を、秋雅はここではっきりと表明した。同情はあれども、いざとなれば切り捨てなければならないのが彼の立場だからだ。今間違いなく、草壁椿は切り捨てられる側なのだ。

 

「……はい。それは、分かっています」

 

 だから、紅葉もまた、苦悩しつつも頷くしかなかったのだろう。家族の情は確かにあれど、しかし軽々に助命を懇願できるほど、紅葉は現実が見えない性質をしていない。代案があるわけでもない現状、ここで声高に叫ぼうとも、まったく意味がないと分かってしまえる程度には知性があり、感情の制御が出来るというのは、紅葉にとってある意味での不幸なのかもしれない。

 

 

 

 そんな、どうしようもなく重苦しい雰囲気が部屋を覆う中、

 

「……ちょっといいかしら」

 

 ふと、スクラが口を開いた。何か、と思って秋雅達が見ると、彼女は顎に手を当てながら、何かを考え込む素振りを見せている。

 

「何だ?」

「一つ、思いついた事があるわ。件の術から、紅葉の妹を救う方法。子供だましというか、使い古された手だけれど」

「かまわん。話せ」

「じゃあ――」

 

 と、スクラは思いついたそれを、身振り手振りを交えながら語っていく。あまり自信はないようで、彼女にしては珍しくその口調の端々には躊躇いが混じっていた。

 

「――と、いう手なんだけど、どうかしら?」

 

 スクラの説明を聞き終えたところで、それ以外の三人の態度は、まさしく三者三様であった。紅葉は一筋の希望を見つけたといった表情で秋雅にすがるような視線を向け、ヴェルナはどうなのだろうかと悩ましげに頭をかき、秋雅は両の手で口元を挟むようにしながら、目を閉じて深く考え込む素振りを見せている。

 

 

「大博打……と言ったところだな」

 

 しばしの瞑目の後、秋雅は難しい表情で呟く。

 

「草壁康太による術の改ざん具合、術の進行度、草壁椿の生命力、そして私の権能の掌握度合い。その全てが噛み合い、良いように向かったとして、一割どころじゃないな。一分、一厘、ともすればそれ以下の確率だろう」

「まさしく奇跡、ってわけか」

「でも……可能性はあるんですね?」

 

 最後の希望を手にした。まさしくそんな表情で、紅葉は秋雅を見る。そんな彼女を無言でじっと見つめたあと、秋雅は大きく息を吐く。

 

「使い古された手法に、ありえるかも分からない希望。全てを賭けはしないにしても、確実に一人の少女の命を弄ぶことになる。全くもって度し難い博打とも言えるが――――やってみるか」

 

 最後には素の口調になって、秋雅は決意したように言う。

 

「分の悪い賭けだが、これでも勝負運には多少の自信がある。一発逆転の大番狂わせを、どうにかこうにか引き寄せてみよう」

「秋雅さん……」

「可能性は低いとはいえ、手法は示されたんだ。俺以外にそれを成し遂げられない以上、やってやるのが男ってもんだろうさ」

 

 確約は出来ないがな、とわざとおどけるようにして、秋雅は紅葉に笑みを向ける。絶対にやると、秋雅は言えない。それは紅葉にとって、あるいは無情なことなのかもしれない。しかし、そんな彼に対して、紅葉は深々と、願うように頭を下げる。

 

「――お願いします」

 

 その一言から感じられるのは、秋雅に託すという覚悟の決まった意思。それを受けて、秋雅もまた強く、はっきりと頷く。

 

「任せろ」

 

 絶対に救えると、そんなことは言えない。絶対に救えると、そんな確信があるわけではない。

 

 だけど、

 

「やってみせるさ。稲穂秋雅の名に賭けて」

 

 そう言ってのけ、そして実行して見せるのが、自分のやるべきことであるということだけは、強く理解出来たからこその返答であった。

 

 

 

 

 

 

「……で、これからの行動についてだけれど」

 

 紅葉が頭を上げたところで、スクラが口を開く。先ほどの秋雅の宣言を聞いて上がっていた口角を下ろし、表情を常の無表情に変えながら、スクラは秋雅のほうを見る。

 

「秋雅、報告だとその草壁椿と草壁康太の所在はどうなっているの?」

「まず、現在の状況だが、草壁康太の捕縛と草壁椿の保護、そのどちらもまだ成し遂げられてはいないらしい。草壁康太の方は一度接触できたそうだが、ギリギリのところで逃がしたそうだ」

「そっち方面の実力はあるってわけね」

「面倒なことにな。ただ、その接触の際に()はつけられたそうだから、今日明日にでも再接触と、最終的な捕縛を試みるそうだ。草壁椿の方に回している人員も一時的に使い、なんとしても捕縛して見せると書いてあった」

「信用は出来るの?」

「大言壮語は吐かんよ、三津橋に限ってはな。それ相応に勝算はあるってことだろうから、そっちはこのまま任せてしまっていいと思う」

「父はそれでいいとして、椿の方はどうなっているですか?」

「見つかっていないのは草壁康太のほうと同じで、調査の方も進めているそうなんだが、ちょっと問題があるようでな」

「問題ですか?」

「ああ。紅葉、君の妹さんが通う学校についてなんだが、東京の私立城楠学院の中等部で間違いないな?」

「え? あ、はい。そのはずですけど」

「……ん? 城楠学院って、なんか聞き覚えがあるような?」

 

 と、ヴェルナが首を傾げる。そんな彼女に対し、だろうな、と秋雅は頷く。

 

「その学校、正確にはその高等部の方に、あの草薙護堂が通っているんだよ」

「げ……マジで?」

「マジだ。おかげで下手に聞き込みにも行きにくいらしい」

「草薙護堂って、確か秋雅さんと同じカンピオーネの人ですよね?」

「そうだ。経歴はどうあれ、一応彼と俺は同格ってことになるから、もし向こうがこの一件に興味を持ち、こっちの人間に協力を要請した場合、どうしても断るのが難しくなってくる」

 

 他所からは秋雅の私兵扱いをされる事がしばしばある福岡分室の人間であるが、その所属自体は当然正史編纂委員会である。委員会内であれば、秋雅が後ろにいることもあって多少の干渉が防ぐ事が出来るが、草薙護堂が手を伸ばしてくるとなれば話は別だ。万一にもそうなれば、正史編纂委員会という組織の恭順を示すために福岡分室のメンバーに情報の提供を求められることになるだろう。

 

「草薙護堂がこの一件に干渉してくる。それはつまり、私達にとって致命的なまでの不確定要素となりえる。ともすればこっちの作戦の邪魔をされ、紅葉の妹の命を助けることすら難しくなるかもしれない」

「そんなことになったら奇跡を起こすどころの話じゃなくなる。秋雅、その草薙護堂ってのはどんな感じ? 戯れに他人の人生を引っ掻き回すようなタイプだったりする?」

「いや、おそらく意識的にそういう事をする男ではない、と俺は見ている。倫理観や正義感に関しては一般的なそれを、一応は(・・・)有しているようではあった」

「なら、大丈夫じゃないんですか?」

 

 当然の紅葉の疑問に、しかし秋雅は厄介そうに首を横に振る。

 

「この場合は、だからこそ面倒なんだ。どう転んだ所で、こっちの目的は紛れもなく草壁椿を殺すことなんだから、(・・・・・・・・・・・・・ )殺す必要はないだとか、他に手はあるだとか、そういうことを言ってくる可能性が出てきてしまうんだよ」

「なるほどね。知識も何もない相手から、無責任な正義感を振りかざされたらたまらないわね。しかも、それが超常の力を持った者ならばなおさら、と」

「こっちが綿密に調査して、他に手はないって断言しても、聞かずに他の手段がどうだって叫びかねないもんね。でもさ、同じ学校に通っているってだけなら、大丈夫なものじゃないの?」

「…………その草薙護堂の妹と、草薙護堂に付き従う媛巫女が、草壁椿と同じ部活に所属していてもそう言えるか?」

「……あー…………」

 

 ぴしゃり、とヴェルナが天を仰ぎながら額を叩き、スクラも面倒なことになったと目元を揉み始める。そんな二人の態度に、秋雅もため息を吐きながら首を横に振る。

 

「妹と友達が悲しむから、草壁椿は殺させない。そんなことを言う草薙護堂の姿が目に浮かぶ。まったく、本当に面倒くさい」

「さっきの手も含め、こっちから全部を話して協力してもらう、ってのは出来ないですか?」

「無理だと断言は出来ないが、おおよそ失敗すると俺は見るぞ。彼がこちらの話を信用するとは限らない以上、やはり他の手段どうこうという話になりかねない。こっちが草壁椿を殺そう(・・・)としたところで、やっぱり信用出来ないとかで邪魔でもされたら、本当に失敗しかねん。ただでさえ博打が多い作戦なんだ、これ以上それを増やしてたまるか」

 

 身が持たん、と秋雅が言うと、分かりました、と紅葉は難しい顔で頷いた。結局の所、草薙護堂の人格その他を把握出来ていない、というのが、彼との接触に乗り気でなくなる大きな要因であった。どう行動するとも断言できない以上、悪い方向を想定して動かないといけないのが難しい。

 

「最悪、草薙護堂と一戦交える可能性も出てくるだろう。遅れを取るつもりもないが、そうするためにも、もう少しここを動けないな」

「義経戦のダメージを回復するため、ですか?」

「間違ってないがちょっと違う。身体的にはほぼほぼ万全の状態だからな。回復する必要があるのは呪力の方だ。『冥府』を再構築しないといけないからな」

「『冥府』の再構築?」

 

 首を傾げる紅葉に、苦笑しながら秋雅は説明を続ける。

 

「ほら、あの戦いで紅葉たちが『冥府』の外に弾き飛ばされた時、紅葉は俺が死んだと思っただろう?」

「え、ええ。てっきりそうなのかと思っていました」

「実際のところ、その認識は間違っていなくてな。あの時俺は一回死んで、その上で復活しているんだよ。『冥府』を犠牲にすることによってな。ざっくりといえば、あの空間は俺にとっての残機みたいなものなんだ」

「残機……なるほど、つまりあの時の流れとしては、秋雅さんが一回死んでしまって、それを無かったことにするために『冥府』が消えて、そのおかげで秋雅さんが復活できたと、そういうことになるんですね?」

「頭の回転が速くて助かるよ。そういうわけで、『冥府』を二つ以上作れない関係上、俺は再び冥府を作り出さないといけないわけだ。あれは俺にとっての残機であり、戦闘において欠かせない、周辺被害を抑えられる戦場となる空間だからな」

 

 ただまあ、と秋雅の説明を引き継ぐように、ヴェルナが口を開く。

 

「あの空間だけど、作るには通常時に秋雅が持つ呪力の大半を要する必要があるんだ。本来なら護衛なんていらない秋雅に私達がくっついてきたのも、『冥府』の再構築を使った後はさしもの秋雅も弱体化するからなの」

「ははあ、そういうわけなんですね」

「そういうわけだから、秋雅は最終的に最低限の戦闘が行える程度に呪力が回復するまで、迂闊に動き回る事が出来ないってことになるんだよね」

「秋雅、今回は動けるまでどの程度かかる?」

「草薙護堂との戦闘も考えるのであれば、今日明日は確実に動けないな。早くても二日後の早朝までは動きたくない」

 

 つまり、と秋雅は続ける。

 

「二日後の午前にここを発ち、東京に向かう。それ以上は時間を浪費したくないので、向こうに到着し次第行動、基本的には草壁椿の捜索を開始するつもりだ。俺が学院に向かえば、草薙護堂が出てきてもその詰問を無視できるからな。紅葉、その際は姉として同行してくれ。あまり期待しているわけではないが、君の妹の友人などに心当たりがないかあたってみたい」

「分かりました。全てを秋雅さん任せにするわけにもいきませんし、出来ることは頑張らせてもらいます」

「頼む。学院以外ではヴェルナとスクラも同行しておいてくれ。場合によっては二人にも戦ってもらうかもしれないからな」

「りょーかい」

「現状、それぐらいしか出来ないものね」

 

 これで、おおまかな行動方針は決まった。よし、と秋雅は頷き、立ち上がる。

 

「五月雨室長たちに、今後の行動予定を伝えに行くぞ。紅葉、彼女が何処にいるかは聞いているか?」

「はい、調査の為に北海道分室の方に向かうと言っていました。場所は知りませんけど、ご存知ですよね?」

「ああ、前に訪れた事があるからな。適当に足を調達して行くぞ」

 

 その言葉に、三人が同意を示すように頷く。それを確認した所で、秋雅は背を向け、部屋の外へと向かう。

 

 そして、扉のドアノブに手をかけたところで、

 

「……後は時間と、草薙護堂次第、か」

 

 どうなるかな、と険しい表情を浮かべながら、秋雅は小さく呟くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、無駄骨だったわ」

 

 ため息をつきながら、エリカ・ブランデッリは今宵何度目かになる愚痴をこぼす。正史編纂委員会の目を逃れ開かれる、在野の魔術師達による会合。希少な呪物の購入や、それらの参加者との顔繋ぎ。そういった目的に為にエリカは今回開かれた会合に出席をしていたのだが、その会合こそが彼女の愚痴の理由であった。単に空振りであったというのも大きいのだが、今回出席していた魔術師達が誰も彼も内向的で、陰気臭い人間ばかりであったのがそれに輪をかけてしまった。確かに魔術師というものは、基本的に表舞台に出ないこともあって『陰』よりな者が一定数いるのだが、エリカ・ブランデッリは自他共にも認める『陽』の人間だ。両者の雰囲気があまりに違いすぎて、いくらかも真っ当な人脈を作る事が出来なかったのだ。日本に来てまだ日が浅く、早いこと人脈を作っておきたいと思っているにもかかわらず、である。

 

 そんな苛立ちを鎮めるためか、エリカはタクシーを使うことなく、夜の街を歩いていた。しかし、顔を顰め、不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、月に照らされたその姿は美しく見えてしまう。有体に言えば、美人は特という奴なのであろう。とうに日付が変わり、深夜も深夜という時間でさえなければ、街中を歩く彼女に目を引かれる男は大層いたことだろう。もっとも、そこから声をかけるものがいるかどうかまでは定かではないだろうが。

 

「……あら?」

 

 そんな中、ふとエリカは空を見上げ、立ち止まる。何か今、魔術の気配を感じ取ったような気がしたからだ。気の所為か、とも思ったものの、しかしどうにも引っかかるものがある。ほんの僅かの思考の後、エリカはこの気配について探ってみることに決める。

 

 『軽業』を使い、軽やかにエリカはビルの側面を駆け上がる。魔術の気配を感じたのは上からであったので、自分もそこに立ってみれば、何か分かるかと思ったからだ。

 

 壁を登りきり、音もなく屋上に着地したエリカは、感覚を研ぎ澄ませながら辺りを見渡す。すると、

 

「あれね」

 

 暗闇の中、『視力強化』の術を使ってようやく見えるほど薄くだが、エリカは確かに人の姿を視界に収めた。単に暗いだけではなく、何かしらの術を使ってその姿を隠しているらしい。先ほど感じた呪力は、おそらくはその術を使うために漏れたものだろう。それは相手が未熟なのではなく、むしろその程度に露出を抑えていると見るべきだと、エリカの魔術師としての勘が囁いている。紛れもなく、一角の実力者による逃走、あるいは追走と見ていいだろう。

 

「となると……」

 

 呟き、さらに注意深くエリカは周囲を見渡す。いる、と思ってみてみれば、やはり夜の帳の中に数名、何者かを追う影を見つける事が出来た。直接的な戦闘能力は不明だが、こと闇に潜むことに関しては、どうやらエリカよりも腕があるように思われる。

 

 そのまま観察を続けてみると、どうやら最初に見つけた影を含め、この魔術師達は誰かを追っているようであった。生憎追っている相手はエリカにも見つけられないが、彼らの動きから追跡者なのであろうということは察する事が出来る。

 

「面白そうね」

 

 良い気分転換になりそうだと、好奇心も手伝って、エリカは彼らの追跡を行うことにした。勿論、迂闊に距離をつめるようなことはせず、最低でも建物一つ分の猶予は取って追う。彼らの隠密の術の見事さを踏まえれば、看破の術もまた極めていると考えるのが自然。そういった心得はさしてないエリカが、十分に距離を取るのは道理であった。

 

 そうして警戒しつつも追跡者の後を追うということをエリカがしていると、ふとその追跡者たちがとある建物の屋上で足を止めた。どうやら目的の人物を捕まえたようで、追跡者たちに囲まれるようにして、誰かがその中央に立っているのが見える。

 

「何をするつもりなのかしら……」

 

 疑問には思うものの、近づくのは少々危険。エリカの主義からすればやや好ましくない手ではあるが、この場は仕方がないと納得し、離れたまま聴力を魔術で強化することで、会話を聞き取ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お久しぶりですね。まさかこのような形でお会いするとは思っていませんでした」

 

 包囲した追跡者たちのうち、一人が口を開いた。一歩前に出たその男は、その立ち姿を見るだけでも、中々の実力者であることを察する事が出来る。そんな男の言葉に、追跡されていた側の男が口を開く。

 

「君がいるということは、私の望みは稲穂様に見破られていたということか」

「そういうことです。稲穂様を討つためだけにこのような事をしでかすなど、随分と狂ってしまったようですね」

「稲穂様を討つ? ……なるほど、そう誤解をしているのか」

 

 追跡者の言葉に対し、逃亡者の男はあざ笑うように鼻で笑う。愚か者を馬鹿にしているというよりは、無知な者を哀れんでいるような、そういう笑いだ。そのことに、追跡者は眉をひそめる。

 

「誤解? 稲穂様を討つ気はない、と?」

「確かに、当初はあの方に殺意を抱いた。だが、調べていくうちに知った。あの一件が、老人共に仕組まれていたことに」

「では、なおのこと何故このようなことを? あの一件で既に当事者は全員亡くなっているはずです。貴方が復讐する相手はもういないのでは?」

 

 追跡者の疑問に対し、逃亡者は大きく首を横に振る。

 

「いいや、違う。まだ数名、稲穂様の目を逃れた者たちがいる。あの当時、あの愚か者達を教唆し、そして妻の一件を改ざんした奴らが、まだのうのうと生き残っている」

 

 だから、と逃亡者は拳を握り締め、叫ぶ。

 

「私は、そいつらを殺す! いや、そいつらだけではない。そいつらが大事に思う者達も、そいつらを大事に思う者達も、そいつらを育てたこの国も、その全てを壊す! そうしなければ、とても彼女の死につりあわない……!」

「それは、自分の娘達を犠牲にしてまでですか!」

「それがどうした!? 私にとって大事であったのは彼女だけだ。その復讐に使ってやれるのだ、娘達も本望だろう!!」

「貴方はそこまで……! 畜生道に堕ちたようですね」

 

 逃亡者の狂った主張に、追跡者は不愉快そうに吐き捨てる。しかし、それを聞いてもなお、逃亡者は狂気的な笑みを浮かべ、短剣をその手に呼び出した。

 

「違うな。堕ちるのは――今この時だ!」

「っ! 確保しなさい!」

 

 追跡者の命令に、他の者たちが動こうとする。しかし、その一瞬前に、逃亡者は短剣を深々と、自身の胸に突き刺した。

 

「この身を、血を、魂をもって、我が魔術を絶対なるものとせん――!」

 

 逃亡者の身体から、呪力が立ち上る。その呪力は、しかし何かの術になるのでもなく、何処かへと飛び去ってしまう。残ったのは胸に短剣を突き刺し、その口の端から血を漏らして倒れる、男の身体だけ。紛れもなく死亡している、と遠目からでも見て取れた。

 

「ぬかった! 最期の最期で術を強化されてしまったとは……! 今の呪力の補足は出来ていますか!?」

「辛うじて! このまま私達は追跡に移ります!」

「お願いします。私達はこの場で隠蔽処理を行います」

「はっ」

 

 そう言って、追跡者たちの半数がその場を去る。それを見送った後、

 

「……さて、貴女は何者ですか?」

 

 間違いなくエリカの方を見て、男はそう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気付かれた!?」

 

 男の言葉を聞いて、エリカは思わず立ち上がる。確かに隠密は不得手ではあり、途中からは男たちの会話に気を取られていたとはいえ、この距離でまさか気付かれるとは思っていなかった。諸所に出てきた単語からかなり危険度の高い会話とは悟っていたため、元より適当なタイミングで撤退するつもりだったのだが、見事に機先を制されてしまった形だ。

 

 だが、今からでも遅くはない。エリカがすぐさまにこの場を去ろうとする。

 

「――動くな」

「っ!」

 

 動きかけていたエリカの身体が、ピタリと硬直する。女の声による警告と共に、エリカの首元に、何か冷たいもの――おそらくはナイフの類が当たっていたからだ。こうも容易く背後を取られたことに、エリカの顔に薄く冷や汗が浮かぶ。殺される、とまでは思っていないものの、これほどの隠密の技術を持つ相手に勝つのは、エリカの実力を持ってしても難しいだろう。

 

 故に、エリカは一先ず、動かないという選択をした。先の会話からすれば、この者達は稲穂秋雅の部下、あるいは協力者である可能性が高い。であれば、このまますぐさまに殺される可能性はそれほど高くないだろうという判断だ。

 

 

「……おや、誰かがいるとは思っていましたが、まさか貴女だったとは」

 

 はたして、いつの間に来たのか。先ほどの追跡者の代表らしき男が、エリカの前にいた。三十代、もしかしたら四十代だろうか。そのぐらいの歳の男性だ。エリカの顔を見た男は、やや驚いたような表情を浮かべた後、手でエリカの後ろで立っているのであろう女に対し、何やら手で合図をする。すると、エリカの背後にあった気配がフッと消える。そのことに内心で安堵しつつ、とりあえず自由に話せというメッセージでもあるのだろうということを察して、エリカは口を開く。

 

「あら、私の事を知っているの?」

「ええ、存じていますよ。エリカ・ブランデッリさん。《赤銅黒十字》に所属する、『紅き悪魔』の名を持つ大騎士。まあ今は、草薙護堂の騎士と言った方が正しいでしょうか」

「そこは、第一の愛人、と言ってほしいところだけれど……それで、貴方は?」

「失礼。正史編纂委員会福岡分室、三津橋正和という者です」

「三津橋って……まさか、『稲穂秋雅の窓口』の?」

 

 男が名乗った名前に、エリカは驚きの表情を浮かべる。正史編纂委員会の三津橋と言えば、この界隈ではそれなりに有名な名前だ。基本的に、直通の連絡を許可しない稲穂秋雅に対し依頼を出すとき、まずは正史編纂委員会の三津橋に連絡を取るべし、というのが、魔術結社の間での不文律であるからである。まあ、この不文律の所為で、実際の所属はともかく、国外の魔術結社から三津橋は実質的な稲穂秋雅の私兵であると思われているのだが。

 

 ともかく、そういうわけであるので、彼の名前を知っている魔術関係者は多いし、国内外問わず、その人脈は広いとエリカは聞いている。ある種有名人の登場に驚くエリカに、三津橋は苦笑を漏らす。

 

「いやまったく、その呼ばれ方自体に異論はありませんが、そういう風に驚かれるのは些か、思うところがありますね…………さて」

 

 突如、三津橋の雰囲気ががらりと変わる。やや和やかでもあった空気は一瞬で消え去り、エリカですらゾクリと来るほどの剣呑な気配が三津橋から発せられる。

 

「エリカ・ブランデッリさん、何故、このような場所に? 私達の会話も盗み聞きしていたようですが」

「ただの好奇心、かしらね。夜道を歩いていたら何か不穏な気配を感じたから、試しに調べてみたってだけよ。確かに話は聞いたけれど、それほど理解も出来ていないわ」

「ほう…………」

 

 探るような視線を、三津橋がエリカに向ける。もっとも、エリカは特に嘘をついていない。真実を言わずに煙に巻く、ということもしていないので、態度から勘繰られることはないだろうと、状況に関わらず自然体で立っている。まあ、戦闘が起きればすぐに動けるようにはしているのだが。

 

「……なるほど、特に嘘をついているようではないようですね。では、すぐに立ち去ってもらえますか? これからしばしやらなければならない事があるので」

「嫌だ、と言ったら?」

「さて、どうなるでしょうね」

 

 ここは引くべきか、とエリカは判断した。口調こそ柔らかだが、三津橋の気配は未だ剣呑なままであるし、何よりその目が全く笑っていない。実力は未知数で、数の不利もある。本当に稲穂秋雅が後ろについているのであれば、護堂の存在を恐れてエリカを討つ事を躊躇う、ということはないだろう。総合的に考えて、ここで戦うのは止めたほうがいいのは明らかであった。

 

 そんなエリカの判断を察したのか。ふと、三津橋は懐から封筒を取り出し、エリカへと差し出した。

 

「失礼。ついでで恐縮なのですが、これを草薙護堂様に届けてもらえますか?」

「どなたからかしら?」

「聞かずとも、勘付いているのでしょう?」

 

 稲穂秋雅からの手紙か、とその返答からエリカは察する。あまり隠す気もないようであったが、やはり彼らはかのカンピオーネの命で動いているようである。

 

「分かったわ」

「ありがとうございます。では、また縁があれば」

「ええ、さようなら」

 

 三津橋たちの視線を感じながら、エリカはその場から立ち去る。すぐさまに屋上から飛び降り、夜の道をある程度歩いた所で、ふう、とエリカは安堵の息を吐く。

 

「少し、調子に乗りすぎてしまったみたいね。普通の魔術師相手に身の危険を感じるなんて、いったいいつぶりかしら」

 

 さて、と受け取ったばかりの封筒をくるくると回しながら、エリカは呟く。

 

「……中々、面白い事が起きそうね」

 

 危機感は確かにある。しかし、それ以上に好奇心と冒険心がくすぐられてしまったらしい。自分の内に浮かぶ感情のままに、エリカは小さく笑みを浮かべるのであった。

 

 




 ここから、章の最後の方までは護堂達の視点で話を進めるつもりです。次話ぐらいまではエリカと護堂は別行動になるかも。それと前にも言ったかもしれませんが、時系列としてはこの話は恵那と会う前、始業式が始まって間もなくぐらいになりますと補足しておきます。




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手紙、情報、そして邂逅





「……ところで、護堂さん。エリカさんのお姿が見受けられないようですけど、どうかされたのですか?」

 

 昼休みの学校の屋上。いつものように昼食をとろうとしたところで、ふと祐理が首を傾げた。今ここにいるのは、祐理、護堂、そしてリリアナの三人。今回は友人と食べるということでこの場にいない静花を除いても、一人足りない。普段であれば、護堂と共に現れるはずであるエリカの姿が何処にもいないのだ。

 

 そんな彼女の疑問に対し、ああ、と護堂は何の気なしに頷いて、

 

「よく知らないけど、何か用事があるらしくて、今日は休むってさ」

 

 今朝の話だ。いつものように――と、表現するのは些か思うところがあるものの――護堂がエリカを起こしに行ったところ、眠そうに目をこすりながら、今しがた護堂が述べたような事を言ったのである。そんな彼女の言動に、まあそれなりに思うところもあった護堂であったが、言っても聞くような相手でもないと、ため息混じりに了承し、そのまま学校へ一人で向かったのである。

 

「……あ、そうそう。そういや、その時にこれを渡されたんだった」

 

 思い出した、という素振りをして、護堂は鞄から封筒を取り出す。表と裏、そのどちらも宛名の類はなく、ただただ素のままの封筒だ。これは、今朝方の会話において、その終わりの方で、はいとエリカから、たいした説明もなく渡されたものである。

 

「手紙、ですか? エリカが書いた……にしては奇妙ですね」

 

 同じクラスということで、エリカの不在自体はとうに知っていたリリアナも、護堂が出した封筒に対しては小首を傾げた。というのも、リリアナの知る限り、エリカに筆まめの性分はさして見受けられなかったはず。封筒そのものもやや素っ気無い外見をしており、ますます彼女が書いたとは思えないと、そう判断したのだろう。

 

「預かりものだって聞いた。誰からの手紙かまでは聞いてないけど」

 

 読めば分かるはず、としかエリカは護堂に対し言わなかった。多分、という言葉もついていたことから、おそらくは彼女も確定で把握しているわけではないのだろう、と護堂は考えていた。まあ、何にせよ、今この場で読んでみればいい話である。

 

「とにかく読んでみるか」

 

 無造作に封を開け、護堂は封筒から手紙を取り出す。折りたたまれたそれを開くと、そこに書かれていたのはさして長くもない文面。よほど注意深く読んだとしても、精々が十分程度で読み終わるであろう、そんな長さだ。しかし、その気になればすぐにでも読み終わるだろうその文章よりも、まず護堂の目に入ったのは文末にある書き手の名前であった。

 

「――稲穂秋雅?」

 

 思わず、護堂の出した名に、祐理とリリアナはぎょっとした視線を向ける。何故その名前が、という表情だ。

 

「草薙護堂、その名前を口に出したということは、その手紙は稲穂秋雅様からの手紙なのですか?」

「少なくとも、手紙に書いている名前はそうみたいだけど」

「カンピオーネの名前を騙る者など、まずいません。十中八九、稲穂様からの手紙ということでよろしいかと」

 

 やや穿ち気味な護堂の言葉を、祐理はすぐさまに否定する。加えて、リリアナもそれに同意するように頷いたので、それもそうかと護堂も納得した。もっとも、護堂にしたって別に本気で疑っていたというわけでもなく、何となくそういう物言いをしただけなのだが。

 

「それで、一体何と?」

「えーっと……」

 

 リリアナに急かされるように、護堂は手紙に目を落とす。先述のとおり、さして長くもない文章量だ。あっという間に護堂は読み終わり、そして怪訝そうに眉根を寄せる。

 

「……なんか、こっちに来るみたいだな、稲穂さん」

「え? 稲穂様がこちらにいらっしゃるのですか?」

「らしい。あと、こっちにちょっかいはかけないから、自分にも喧嘩を売らないでくれって書いてある」

 

 正確にはもう少し装飾の施された文章であったのだが、その意味としてはまま護堂の解釈と相違ない。

 

「その目的などは書かれていないのですか?」

「詮索無用だとさ。ほら」

 

 と、護堂はリリアナに手紙を渡す。受け取り、祐理と共に読むリリアナであったが、護堂の言葉通りであると理解し、同じように眉根を寄せた。

 

「……稲穂秋雅様にしては、やや珍しい文面ですね。あの方は基本、敵対している相手以外には、もう少し凝った文面を付け加える方なのですが」

「そうなのか?」

「ええ。筆まめというのもあるのでしょうが、基本的にあの方は敵対者を積極的に作らないように動かれている節がありますから。特にこういう文書の類では、案外柔らかい文章を書かれる事が多いと聞いています。実際、私が以前見た文面もそうでした」

「……まさか、俺と敵対するからってわけじゃないよな?」

 

 脳裏に浮かぶ最悪の可能性。それをそのまま口にした護堂に対し、リリアナは一瞬だけ悩むような素振りを見せた後、首を横に振る。

 

「流石にそこまでは行かないかと……おそらく、この文のまま取ればいいかと思います」

「護堂さんと積極的には関わる気がない、ということですか」

「おそらくは」

 

 ふうむ、と護堂は顎に手を当てながら思案の表情を浮かべる。

 

「ということは、あっちの要求としては、俺に動かれたくないってのが主になるのか?」

「それが自然だと思いますが……」

「何かあるのですか?」

「いや……推測なのだが、もしかすると稲穂秋雅様は草薙護堂の縁者に用があるのではないか、と」

「俺の縁者?」

 

 リリアナの言葉に、護堂の表情が引き締まる。縁者、と言ってまず思い浮かぶのは、妹と祖父、より範囲を広げるのであれば、今この場にいる二人とエリカもそれに含んでいいだろう。このうちの誰かに稲穂秋雅が手を出すつもりならば……と、そういうことを考え始めた護堂に、リリアナはもう一度、首を横に振る。

 

「縁者、は少し言い過ぎましたか。この場合は貴方のクラスメイトや友人といった程度の相手になります。例えばの話ですが、貴方の友人知人のうちに魔術師が潜んでいたとして、その人物が稲穂秋雅の怒りを買ってしまった場合、彼がその人物を消しに来た、とします。その場合、貴方はどう行動しますか?」

「どうって…………まあ、相手によるだろうけど、事情を聞いて判断する、と思う。少なくとも、殺す、殺さないって話になるんだったら、待ったはかけるかもしれない」

「……つまり、護堂さんのご友人に稲穂様はご用事があり、その用事の邪魔をするなと護堂さんに手紙を出した。そう仰りたいのですか?」

「あくまで可能性だが、私の中ではしっくり来る」

 

 むう、と護堂は唸り声を上げる。あくまで推測の話であるが、しかし実際にそうであった場合、下手に身内を狙われるよりも面倒なことになりそうだと判断できる。特に、こういう中途半端な問題というのは、往々にして悪い方向に行ってしまいそうでもある。

 

「とはいえ、だからといって今はどうにも出来ないようなあ。こんな手紙を送ってきた以上、こっちから事情を聞こうとしたところで無視されそうだし。そもそも連絡を取る手段も無い」

「正史編纂委員会の方に協力を願ってみてはどうでしょう? 彼らなら稲穂様の動向も知っているかもしれません」

「そうですね。彼らも草薙護堂に対し友好的なようですし、稲穂秋雅が口止めを命じている場合でもある程度の情報を得られる可能性は十分にあるかと」

「じゃあ、放課後にでも甘粕さんに連絡を取ってみるか。二人も来るんだよな?」

「勿論です」

「あ……すみません、私はちょっと、難しいかもしれません」

 

 護堂の確認にリリアナは快諾を示したのだが、祐理は何かを思い出したようにした後、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 

「何か用事があるのか?」

「ええ、ちょっと先生に呼び出されていまして」

「呼び出し? 万里谷にしては珍しいな」

 

 学生にとって、呼び出しという単語は何となく、素行の悪い生徒に使うものという印象を感じることもあるだろう。まさしくそういう風に受け取った護堂からしてみれば、品行方正で優秀な祐理が呼び出しを受けるとは、という驚きのような感情があった。

 

「呼び出し、と言っても学業上のことではなく、どうやら私の知人のことについて話を伺いたいそうなのです」

「知人についての話?」

「ええ……護堂さんは、静花さんから草壁椿さんについて何かお話を聞いたことはありますか?」

「草壁椿?」

 

 はて、と護堂はその名前を脳内で検索してみる。苗字は自分のそれと似ているが、しかし幾らか考えてみても、それ以上のことはどういう方向でもあっても思い浮かばない。

 

「いや、知らない名前だ。その人は静花の友人なのか?」

「はい、私と同じ茶道部に所属する、中等部の三年生の方です。静香さんとは友人関係だと聞いています」

「その草壁椿とやらがどうかしたのか?」

 

 リリアナの問いかけに、祐理は表情を曇らせる。良いことは起こっていないと、容易に察する事が出来る表情だ。

 

「実は……新学期が始まって以降、椿さんと学校に来ておらず、連絡も取れないんです。より正確に言えば、どうやら夏休みの途中からそうであったらしく、お父上もそうであるのだそうで」

「何か事件に巻き込まれたってことか?」

「そこまでは……ただ、それを聞いて余所にお住まいであったご家族の方が話を聞きに来たらしく、捜索の為にも最近の彼女のことについて私から説明をして欲しいと、そう先生から頼まれたんです」

「なるほど」

 

 それなら仕方ないな、と護堂は頷く。

 

「じゃあ……そうだな、話が終わるまで俺らは待つことにしよう。俺らだけで聞きに行っても二度手間になりそうだし、もしかしたらその間にエリカから連絡が来る可能性もある。二人とも、それで問題ないよな?」

 

 護堂の確認に対し、今後こそ二人とも頷きを返す。

 

「じゃあ、そういうことで」

 

 そう話を纏めて、三人はようやく、昼休みの存在意義の一つでもある昼食をとり始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護堂達がそんな昼時間を過ごし、そして午後の授業を受けていた、その頃。エリカは一人、とあるカフェで紅茶を味わっていた。平日とはいえ人通りもそれなりにある屋外のカフェであるが、やはり外国人であるからか、はたまたあまりに堂々としているからか、店員を含め、学生である彼女に対し声をかけてくる者はいない。

 

「……リリィには劣るかしら?」

 

 一口飲んだ紅茶に対し、エリカはそんな事を言いながら小首を傾げる。もっとも、元より味に期待して注文したわけではなく、単に場所代兼まだ僅かに残る眠気を追い払う為の注文であったので、特段文句はなかった。

 

「それにしても、ここまで情報がないとはね」

 

 とはいえ、紅茶の味にやや不満を覚えた所為か、エリカは思わず愚痴じみた言葉を紡ぐ。昨夜の一件の後、エリカは家に帰る予定を変更し、朝方まで諸所に連絡を取ったり、実際に足を運んだりして、情報収集を行っていたのだが、結局彼女が望んだ情報を得る事が出来なかったからだ。

 

 護堂と会った時も、睡眠の途中で起きたのではなく、彼が帰った後にようやくベッドに体を埋めたのである。夜型であっても徹夜主義者ではないエリカは、そのまま昼過ぎまでゆっくりと眠って、つい先ほど起きてきたばかりであった。

 

 そんな彼女がこうして昼下がりのカフェにいるのは、ひとえに待ち合わせの約束をしたからである。学校を完全にさぼったのも、半分は睡眠の為であるが、もう半分はこの約束の為である。

 

 

 

 

 さて、とエリカがカップの半分ほどを飲み干した頃、彼女の対面の席に男性が座った。

 

「……どうも、エリカさん。お待たせしてしまいましたかね」

「あら、日本人は時間に律儀だって聞いていたのだけれど、遅刻かしら?」

「日本特有の社交辞令って奴ですよ。時間には間にあっていますし、単にエリカさんが来るのは早かっただけです」

 

 そう言ってエリカに時計を示したのは、正史編纂委員会所属の魔術師で、同組織においてもっともエリカたちと交流のあるエージェントである甘粕冬馬であった。彼は近くに来た店員にコーヒーを注文した後、いつものように真意を感じさせぬ笑みをエリカへと向ける。

 

「それで、稲穂秋雅様に関して情報が欲しいとのことですが」

「ええ。ちょっと調べてみたのだけれど、どうにも外部からだと情報が集まらなかったから、いっそ内部から探ってみた方が早いと思ったの」

 

 稲穂秋雅が正史編纂委員会を実質的に傘下に収めている、というのは海外の魔術結社からは半ば事実として認識されていることである。やはり、一人のカンピオーネが住む国にある唯一の魔術結社である以上、そういう認識になるのは自然な流れであろう。特に三津橋という、稲穂秋雅の窓口とまで称される者が委員会に所属しているというのが、その認識を加速させる大きな要因であるだろう。

 

 故にエリカは、昨夜の一件について調べるのであれば、委員会に直接尋ねた方が早いと考えた。無論、稲穂秋雅から緘口令が敷かれている可能性はあるものの、こちらにも草薙護堂というカンピオーネがいる以上、無下には扱われまいと判断していた。

 

「と、言われましてもねえ……」

 

 しかし、エリカの問いかけに対しての甘粕の反応は芳しいものではなかった。彼が浮かべている苦笑は、どうしたものか、という雰囲気をひしひしと感じさせる。

 

「何か問題があるのかしら?」

「問題というか……うーん、まあ、後から草薙さんが来たら意味がないので言ってしまいますが、私達東京分室は、稲穂様の目的に関して全く存じておりません」

「知らない?」

 

 それはおかしい、と甘粕の返答に対し、エリカは反射的に思う。何故ならば、昨夜の魔術師達はまず間違いなく正史編纂委員会に所属する者達のはずであり、そうである以上全く事情を知らないというのは明らかにおかしいからだ。仮に稲穂秋雅から目的を知らされずに動いているにせよ、それでも全く知らないというのはおかしい。

 

 それで何故、知らぬと答えるのか。疑惑に満ちた視線をエリカが向けると、甘粕は些か見慣れてきた苦笑を浮かべる。

 

「エリカさんの疑問はもっともだと思います。ですが実際に、私達東京分室は彼ら福岡分室の動きに関しては、あまり把握できていないんです」

「福岡分室? 確か、あの三津橋拓馬が所属している分室、よね?」

「ええ、まあ三津橋さんも含め、実質的な稲穂様の信奉者たちという感じですが」

「個人的に従っているから、組織として情報共有が出来ていない、ということ?」

「そんな馬鹿な、と思われるでしょうが、これがまた事実なものでして。稲穂様関連の情報をこちらから尋ねようとも、基本的に応じてくれないことが多いんですよね」

「今回もそういうことだと言いたいわけね。でも流石に、同じ組織に所属して、しかも舞台がこの東京であるというのに、貴方達にまったく情報が回ってこないというのはおかしいと思うのだけれど」

 

 どう? とエリカが目で問うと、ちょうどコーヒーが運ばれてきたことに託け、甘粕はそれに口をつけることで沈黙する。そのまま、しばしコーヒーを味わうことで誤魔化す甘粕であったが、その間もずっと緩む事がなかったエリカの視線に、ついに降参と言う様な仕草をとる。

 

「はいはい、分かりましたよ。私達の恥も恥みたいなことですから、出来れば話したくなかったんですけどね」

 

 はあ、ととびきり大きなため息をついて、不承不承という風に甘粕は口を開く。

 

「……実の所、私達東京分室、及び関東の各分室は、稲穂秋雅様と良好な関係を築けていません。というか、事実上断絶状態にあります」

「断絶? ――なるほど、だから護堂に」

 

 そうか、とエリカは納得したように頷く。確かに、以前から疑問はあった。何故、正史編纂委員会――より正確に言えば東京分室は、草薙護堂に対しこれほど下手に出ているのか、と。勿論、カンピオーネという存在への対応としてはおかしくないのだが、既に稲穂秋雅という――他の王と比べて特に良心的な――王が国内に存在しているにもかかわらず、ここまで護堂に対し協力的というか、他に頼れるものがいないとでも言いたげな対応をとっていたのは、エリカからすれば疑問であったのだ。まるで、彼らの選択肢の中には稲穂秋雅という札がないようだ、と思っていたのだが、なるほど、協力が得られていないのであれば――更なる疑問は出てくるものの――これに関しての疑問は解決されようというものだ。

 

「……それで、どうして稲穂様と関係がよろしくないのかしら?」

「端的に言ってしまえば、過去に稲穂様への対応を盛大にミスったんですよ。その所為で稲穂様の逆鱗に触れてしまい、結果稲穂様は私達からの要請には一切応えないとの宣言を出されました。仮に東京にまつろわぬ神が現れたとしても、基本的に助ける気はない、とね」

「それはまた……」

 

 甘粕の説明に、さしものエリカも思わず言葉を失う。あの稲穂秋雅に対しそこまで言わせるとは、という驚きや呆れがその理由だ。

 

「一体何をやったの、と聞いてみたいところだけれど……」

「流石にそれは勘弁してください。委員会の恥も恥な一件を、他国の結社所属の人には教えられませんよ。こればっかりは草薙さんの要請でもあまり答えたくない所です」

「でしょうね」

 

 駄目元の質問であったので、特に落胆することもなくエリカは頷く。そもそも東京分室が稲穂秋雅と不仲であるということだけでも、彼らからすれば話し難いことであっただろう。これが他の結社の間で周知となった場合、下手をすれば稲穂秋雅どころか草薙護堂すら日本から離れかねない情報だ。少なくとも稲穂秋雅からの助けを望めない彼らにとって、せめて草薙護堂の確保だけは、多少のリスクは負ってでも成し遂げないといけないミッションなのだろう。

 

 とはいえ、エリカからすれば、少しばかり無茶な頼みをしてもおそらくは応じてくれるだろう、という強みになる情報だ。むやみやたらに言いふらさず、このまま自分の胸のうちに留めておくべきだろうとエリカは判断する。まあ、おそらくはそれを見越しての暴露なのだろうということも、同時に察せたのだが、どうでもいいことではある。

 

「まあそういうわけでして、福岡分室の人間がどう動こうとも、こっちに情報は回ってきません。加えて、稲穂様が立たれてからの彼らの技能の上達は凄まじく、隠匿や調査に関しては私達よりも上。おかげで彼ら自身を調べようにしても、核心に迫る前に撒かれてしまうという」

「仮にも組織なのだから、命令なりなんなりというのは出来ないの?」

「事実上はともかく、名目上はどの分室も同列みたいなものですから、ちょっと難しいですね。福岡分室の室長が代わったのでもしや、とは思ったのですが、想像以上に稲穂様への忠義に篤かったようで、端的に言うと無理っぽいです。下手にごり押しして、稲穂様と草薙さんとの国内大決戦とかになったら困りますし」

「逆に、あちらはそれも構わないという態度を取っていたりするかしら? 護堂と稲穂様、客観的に見れば、あちらが有利と思うのは当然の話だし」

「まあ、そういう考えもあるかもしれませんね。流石にそんな直接的な話が出てきた事はないので、断言は出来ませんが」

「大変ねえ」

 

 と、心の篭らぬ声でエリカは言う。そんな彼女の言葉に、甘粕はますます苦笑を深めるばかりだ。

 

「とりあえず、事情は分かったわ。この一件に関しては、貴方達はあまり頼りにならないというわけね」

「そういうことになります。まあ、一つだけ情報があるといえばありますが」

「どんな?」

「数日前に福岡分室から、うちに所属するとある魔術師の所在の開示を要請されていましてね。エリカさんが知りたい事と関係があるかどうかはともかく、私達が握っている情報はそれくらいしかありません」

「なんて名前の魔術師なのかしら」

「草壁康太、という名前の魔術師です。先んじて言っておきますが、草薙さんの苗字とは似ているだけで全くの関係はありません。元は福岡分室に所属していたんですが、数年ほど前にこっちに移動してきました」

「その所在を彼らは知りたがったと。それで?」

「連絡が来る少し前から失踪中で、現在に至るまで所在不明。彼は娘の一人と同居していたようですが、そちらも失踪しています。隠すようなこともないですし、あちらにはそのまま伝えました。その後はこっちに来るという連絡だけで、まるで何も分かりませんけどね」

「ふうん……」

 

 ひょっとしたら、あの逃走者こそその草壁康太ではないのか。そんな考えがエリカの脳裏に浮かぶ。とはいえ、どうして彼らが草壁康太を捕らえようとしていたのかに関しては、まるで情報が足りていない。推理をするにしても、その取っ掛かりもない状況ではいかんともしがたいものがある。

 

「……っと、ちょっと失礼」

 

 と、浅く思考の海に沈みかけたエリカに断りを入れ、甘粕はかかってきたらしい電話に出た。そして、短い会話の後、甘粕は困ったような表情で電話を切ってしまう。

 

「どうかしたの?」

「ええ、まあ。分室の方から連絡が来たのですが――稲穂秋雅様が東京にいらした、と」

「え?」

 

 思わず、エリカは驚きの声を上げた。先ほどまでの会話を踏まえると、稲穂秋雅が直接こちらに来るというのは、些か予想から外れかけていたことであったからだ。

 

「こっちも驚いていますよ。まさかあの方がいらっしゃるなんて予想もしていませんでした。これは、私達の予想以上に面倒なことが起こっているのかもしれません」

「どうやら、そのようね」

 

 これから何が起こるのか。そして、そこに護堂達はどのように巻き込まれる――護堂の性質を踏まえると、これで何もないというのはエリカの思考にはないことであった――のか。それはエリカにもまるで予想の出来ぬ未来であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして、その日の放課後。

 

「初めまして、草壁紅葉と言います。妹のことについて、お話を伺いたいと思い、今回は訪ねさせて頂きました」

 

 学園の応接室。隣に同じ用件で呼び出された静花がいる中で、祐理は思わず言葉を失っていた。その理由は、今しがた挨拶をした、草壁椿の姉を名乗る何処か人間らしさの感じられぬ女性ではなく、

 

「――稲穂秋雅と申します。紅葉さんの付き添いとして、今回は同席をさせていただきました」

 

 彼女の隣に座り、薄く笑みを浮かべている、一人のカンピオーネの存在にあった。

 

 

 

 



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四者会談







 

 混乱に疑問、そして困惑。

 

 もし、万里谷祐理の現在の心境を纏めるとすれば、おおよそこのような言葉に集約されるだろうか。もし隣に草薙静花が居なければ、思わず立ち上がり、何故と叫んでいたかもしれない。それほどに、祐理にとっては予想外の人物が目の前に居た。

 

「まずは、こうしてこちらの要望にお答え頂いた事、非常に感謝します。突然の訪問と呼び出し、どうかお許し願いたい」

 

 稲穂秋雅。それが今、祐理の目の前で軽く頭を下げた、好青年然とした男性の名前であり、祐理を驚愕させた存在そのものであった。これは決して過剰な表現ではなく、同じく魔術の世界にある程度精通した者であれば、彼女と同じような反応を取っただろう。誰だって、あの(・・)カンピオーネの一人が突然目の前に現れれば、驚かずにはいられないだろう。

 

 特に祐理の場合、以前にサルデーニャで出会った時の記憶があることもあり、その際の非常に王の名に恥じぬ彼の振る舞いを覚えているからこそ、その驚きもひとしおだ。流石は、当代のカンピオーネの中でも、『例外』と評される人物であると、驚愕によって混乱している祐理はそんな感想すら抱いてしまう。

 

 しかも今回、秋雅がここを訪れた理由もまた不可思議だ。草壁椿――祐理の後輩にして、静花の友人である少女の、その現在の居場所を知りたい。それが今回、秋雅がわざわざここを訪れた理由だと言う。オブラートに包まぬ物言いをするならば、高々その程度の理由で来るのか、という話だ。普通であれば、誰か適当な遣い――それこそ、今彼の隣にいる、椿の姉らしき女性一人で十分だろう――を出せばいいだけだろうに、何故か彼が直接来ている。そもそも、椿が本格的に行方不明であるという時点で驚いているのに、それを調べに来たのか秋雅であるなど、驚くなという方が無理だ。

 

 そんな彼女の動揺など、まるで気にもしてないのだろうか。秋雅はその顔に浮かべた微笑を崩すことなく、祐理たちに対して、隣に座る女性――確か、草壁紅葉と名乗っていた――と共に、軽く頭を下げてさえ見せる。

 

「恐縮ですが、草壁椿さんの為にも、少々お時間をいただければ幸いです」

「私からも、妹の為、どうかご協力願えませんか」

「あ、その、お構いなく! あたし達も、椿ちゃ――椿さんのことは気にしていましたから。ね、万里谷さん?」

「……え、ええ。そう、ですね」

 

 いけない、と祐理は、静花の確認に頷いた後、小さく頭を振る。今自分がすべきことは、目の前の王に動揺することではない。さらに言えば、その思惑を探ることでもない。確かに、どうして秋雅が椿の行方を気にするのかというのは疑問であるが、今重要なのはそれではない。

 

「……私達も、彼女の事は非常に心配していました。何処までお力になれるかは分かりませんが、こうして私達が話をすることで彼女を見つけられるのでしたら、いくらでもお力をお貸ししたいと思います」

 

 今すべきは、一刻も早く行方不明の友人を探し出すことだ。たとえ祐理自身と椿との間にたいした交友がなかろうとも、彼女は紛れもなく祐理の大事な後輩であり、そして今隣に座っている静花の大事な友人であるのだ。今は表面に出していないが、友人が失踪したなどと聞いて、とても心穏やかな状態ではないだろう。彼女の心境を思えば、早く椿を見つけてあげたいところである。

 

 そうである以上、今祐理がすべきことは、彼女の捜索の為に、秋雅に協力を惜しまないことだろう。もっとも、静花はともかく、祐理に出来ることなどほとんどないだろうが。

 

 少なくとも、目の前でこちらをじっと見える秋雅の目に、嘘偽りの類は感じられない。隣に座る椿の姉にも、真剣に妹を探そうとする気配がある。おそらくこの人たちは、本気で椿を探そうとしているのだと、祐理は直感的に確信できた。だから、今は彼らに協力する。それ以外のことは、一先ずこの場では置いておく。護堂やエリカたちに相談するのはここでの会話が終わってからで十分間にあうはずだと、そう祐理は決意し、揺れていた心を纏めた。

 

 そんな祐理に、何故か少しだけ面白そうな笑みを浮かべて、秋雅が大きく頷く。そして秋雅が傍らの紅葉に対し何か目配せを送ると、紅葉が小さく頷き、身体を少し乗り出しながら口を開く。

 

「じゃあまずは、妹が行きそうな場所について伺いたいのですが」

「行きそうな場所、ですか? えっと、まさか家出ってわけじゃないですよね?」

「そうですね。まず間違いなく家出ではないと思っていますが、どうにも手がかりがないのが現状ですので、どういう方向にせよ情報を得たいと思いまして。恥ずかしながら、私も最近の妹の動向に関しては良く知りません。ですから最近の、今年の四月以降で訪れたような所などを教えてもらいたいんです」

「ええと……」

「ああ、すみません。地図を出しますね」

 

 そう言って、紅葉は地図を広げ、ペンを祐理と静花に差し出す。それを静花は素直に受け取ったが、祐理は少しだけ考えた後小さく首を横に振る。

 

「すみません。私は椿さんと一緒に学外に出かけた事がありませんので、そういうところではお力になれなないと思います」

「そうですか……」

 

 そもそも祐理の場合、友人とどこかに出かけるということがあまりない。同学年の友人ならまだしも、流石に部活の後輩である椿とは一緒に遊びに行ったことなどなかった。

 

「ええと……」

 

 対し、静花の方は時折考え込んだり、指で空をなぞったりしながら、地図に次々と丸を書き込んでいく。祐理の見る限り、静花も椿も同じく行動的なタイプであり、友人との交流などには活発であった。その二人で友人同士となれば、当然のように学外で一緒に遊ぶことも多かっただろう。実際、地図上の丸が十を超えても、思い出そうとする時間は増えたが、静花の手が完全に止まる素振りを見せることはない。よほど、一緒に遊びに行った経験があるのだなと、そのような感想を抱く。

 

「……ふむ、万里谷――嬢、少々よろしいでしょうか?」

「はい、なんでしょうか?」

「時間短縮も兼ねて、椿さんに関する話を先に伺ってもよろしいでしょうか? クロストークになるのもあれですし、申し訳ありませんが外で立ち話という形をとりたいのですが」

「……分かりました。お付き合いいたします」

「助かります」

 

 秋雅の提案に、祐理はさして間を置くことなく了承する。話をスムーズに、というのもそうだが、この状況でのこの提案は、静花抜きで話をしたいという誘いだと受け取れたからだ。どちらにせよ、今回の情報提供において祐理は静花ほど役に立たないだろうから、今のうちに話を通しておくのは悪くない提案であった。

 

「では静花さん、私達は一旦離れますが、そのままでお願いします」

「あ、はい。分かりました」

「紅葉、後は君に」

「ええ、分かっています」

 

 そう言い残し、秋雅は部屋の外に出る。祐理も、一度残る二人に軽く頭を下げた後、秋雅に続いて部屋を退出する。

 

 

 

 

 

 

 

 応接室は職員室よりの、一般の教室からは少し離れた場所に作られていた。その所為か、出てすぐの廊下には人気はない。精々が窓の外に下校中の生徒達の姿が見受けられるくらいだ。

 

「……さて、改めて久しぶりだな、万里谷祐理」

 

 部屋を出て早々、秋雅は祐理に振り返って言う。その雰囲気は既に、先ほどまでの柔和なものではなく、いつぞやに感じた圧力すら感じられる王の態度だ。

 

「お久しぶりにございます、稲穂様。先ほどは失礼致しました」

「いや、既に言ったが、今回は私に非がある。君が頭を下げるようなことはない」

 

 想像以上。そんなことを以前、エリカが言っていたなと、祐理はふと思い出した。確かに、これは想像以上と言っていいかもしれない。だからこそ、この王は『例外』と評されるのだなと、そんな納得すら覚えてしまう。

 

「それにしても、一応推測していたとはいえ、本当に君と草薙静花嬢が出てくるとは思っていなかった。もし運命というものがあるとするならば、そいつは私達を戦いに誘いたいのだろうな、まったく」

「戦い……稲穂様は、護堂さんと戦うためにこちらにいらっしゃったのですか?」

 

 思わず身を硬くして、祐理はそう問いかけるが、秋雅は小さく首を横に振る。

 

「少なくとも、こちらから積極的に戦うつもりはない。こちらのスタンスを理解してもらう為にまず言っておくが、今回私が来たのは本当に草壁椿の身柄を確保する為だ。可能であれば無傷で、な」

「はい、それは……そうであろうと思っていました」

 

 その点に関しては、祐理も疑っていない。少なくとも一緒にいた椿のお姉さんの態度は本物であったし、秋雅自身からも特に嘘をついているような気配は感じられない。無論、祐理が嘘を見抜けていないという可能性もあるが、祐理の直感は彼を信じてもいいと言っている。

 

 問題なのは、その()の事情だ。行方不明の少女を探すという名目だけで動くほど、『稲穂秋雅』という存在は軽くない。下手をすれば草薙護堂――もう一人のカンピオーネを刺激することになりかねないということを、彼は祐理以上によく理解しているはずなのだから。

 

「おおよそ勘付いていると思うが、私もただ従者の妹だからと草壁椿を探しているわけではない。私が直々に、しかもこの東京において活動する以上、それ相応の理由は無論ある」

「……その理由を、お伺いすることは可能でしょうか?」

「残念だが」

 

 祐理の訴えに対し、秋雅はゆっくりと首を横に振る。

 

「今回、君とわざわざ話しているのは、あくまで君たち――草薙護堂に警告をするためだ。私達の邪魔をするな、というね」

「邪魔……ですか」

「ああ。情報をあえて与えないのも、彼に邪魔をさせないためだ。私の目的も知らぬ状況では妨害の為に動くことも出来ぬだろうし、そもそもそういう行動自体を取れない」

 

 確かに、それも一理ある話だ。現状で仮に、秋雅の邪魔をするとして、護堂達はまず彼の目的を探る為に、情報収集を行う必要がある。首尾よく情報が集まり、彼の行動理由が判明したとしても、今度はそれを妨害する為の手段を考えなければならない。あちらの目的を知っているところからスタートするのと比べて一手は確実に遅れるし、その間に秋雅が目的を遂げてしまう可能性は十分にある。

 

 そもそも、彼の目的を知らない状況では、情報収集そのものに積極性が生まれないかもしれない。世間一般の評価において、稲穂秋雅という王は民草に対し優しい王であるとされている。少なくとも、これから彼が行うとしていることを、周囲に多大な被害をもたらすことであると思う者は現れにくいだろう。その逆であればともかく、だが。祐理自身、目の前の王がとても、暴虐の限りを尽くすような人ではないと判断している。

 

 だから、よほどの確信がない限りは、あくまで現状維持を取ろうという選択も、ないわけではない。第一、秋雅の目的というものが、護堂のスタンスと反するものであるという確証すら、現時点ではないのだ。妨害する、しないという考え自体、ナンセンスなものである可能性すらある。椿を無傷で、という彼の言葉を信じるのであれば、この一件を放置しても全く問題がないのだから。

 

「だが、知ってしまった場合に備え、私は君を介して草薙護堂に警告をする。もし、私の邪魔をするのであれば、私は彼と一戦交えるつもりすらある、とね。無論、あちらに戦う気がないのであれば、意味のない話だがね」

「……それは」

 

 カンピオーネ同士の激突。それがもたらすものは、祐理も良く知っている。護堂とヴォバン侯爵の戦いの記憶は、未だに彼女の中に強く残っていた。もし秋雅と護堂が戦うことになった場合、その時と同じ、あるいはそれ以上の被害がもたらされる可能性は高い。それに、もし戦いともなれば今度こそ本当に護堂が死んでしまうかもしれない。確かに護堂はヴォバン侯爵、サルバトーレ・ドニらカンピオーネ、そしてまつろわぬ神々と戦い、少なくとも生存してきたが、今度もまたそうであるとは限らない。先達たる王達を護堂が奇跡的に退けたのと同様に、歴戦の王である秋雅が護堂を討つ可能性は十分にあるのだから。

 

「……稲穂様の目的というのは、護堂さんに戦いを決心させるようなものなのですか?」

「さあな。だが、どのようなことであれ、カンピオーネ相手に絶対ということはない。何ということはないはずのことであっても、それが戦いにつながらないということは言い切ることは出来ん」

 

 つまり、あくまで戦うかは護堂次第であり、そしてその判断をさせないためにも情報を渡さない。それが、秋雅のスタンスであるらしい。ヴォバン侯爵のような、まるで隠そうという気もない豪胆な行動と比べて、極めて慎重で、そして合理的な行動だ。一見すれば臆病とも見えるが、立つステージがどのように変わろうとも行動を一貫させるのと、そもそも自分以外をステージに立たせないのでは、前提から全く違う戦法だと言える。どちらが厄介とは一概には言えないが、少なくとも祐理から見て、どちらが護堂と相性が悪いかといえば、圧倒的に後者の戦法であると断言できる。

 

「……畏まりました。稲穂様からのお言葉、確かに護堂さんにお伝えいたします」

 

 だから、祐理はそれ以上を問わず、秋雅の言葉を受け入れることにした。これ以上、自分に何か出来ることはない。現状である情報のみを持ち帰り、判断はエリカたちのようなこういったことに向いている人間に任せる。それが最善であるだろうと、そう彼女は判断した。

 

「うむ、間違いなく伝えてほしい」

 

 おそらく、彼女の考えなど秋雅にとってはお見通しなのだろう。だが、そうしたところで致命的なことは起きない。そう確信しているからこそ、祐理の返答に対し、秋雅は悠然と頷いて見せられるのだろう。

 

 稲穂秋雅にとって、祐理など所詮路傍の石に過ぎないはず。その程度の小石がどれほどに頑張ろうとも、稲穂秋雅を傷つけることなど出来はしないだろう。だが、その小石がたとえ、草薙護堂という大きな落石を引き起こそうとも、それを真っ向から粉砕できるだけの自信が彼にはある。そんな事実(・・)を、祐理は容易に察することが出来た。

 

「……よし、では後は室内でも言った通り、草壁椿に関する情報を可能な限り教えてもらおう。君たちがどう動くにせよ、彼女が見つからないことには何ともならん」

「椿さんを見つけるためであれば、私も協力を惜しむつもりはありません。ですが、私はあまり、彼女とは交流がなくて」

「それも予想はついている。紅葉も言っていたが、今は僅かでも情報が欲しい所だ。一見役に立たないような情報でも構わな――」

 

 そこまで言いかけ、ふと秋雅は視線を横に向ける。何事か、祐理がそのやや鋭さの含まれたその視線の先に目を向けると、そこに見えたのは、

 

「――何で、アンタがここに居るんだ?」

 

 何故かその両手にノートの山を持った、草薙護堂とリリアナ・クラニチャールの姿であった。

 




 話が進んでいませんが、間が空きすぎたので一旦ここまでで投稿します。静花視点で書いていたのを消して書き直していたら、思った以上に時間がかかってしまいました。




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選択肢とは、狭められるものである





「――何で、アンタがここに居るんだ?」

 

 どうしてここに稲穂秋雅が。目の前の人物に、護堂がそんな疑問を持つのは至極真っ当な話だろう。これがまだ学校の外であれば、手紙のこともあって一応は納得もできただろう。だがまさか、祐理を待っている間、偶然に教師の一人から頼まれて、集められたノートを職員室まで運んでいたところで出会うなど、全くもって予想外にも程がある事態だ。しかもその向こうには祐理までいるのだから、驚きも倍増というものである。

 

「今、ここで出会うとはな。予想していなかったわけではないが、何とも面倒な……」

 

 やれやれ、と言いたげに秋雅が軽く頭を振る。当然といえば当然かもしれないが、どうやら護堂と違い、あちらは遭遇の可能性を考えていたらしい。もっとも、だからといってそれを歓迎しているわけではないようなのは、これまた当然と言うべきだろうか。

 

 まあいい、と秋雅は一つ息を吐き、護堂の正面に立つ。悠然した態度とポーカーフェイス。敵意こそ感じられてないが、何を考えているのかまでは読み取る事が出来ない。しかし無意識の警戒として、両の手で持っていたノートの束を片手で抱えなおし、護堂は秋雅と視線を交わらせる。

 

「草薙護堂、今回私が来たのは、とあることに対しての情報収集を行う為だ。結果、万里谷祐理と君の妹殿に接触することになったが、だからといって何をしたわけでもないと予め言っておく」

「万里谷に……静花の奴も? まさか、行方不明とかいう、静花の友達関係ですか?」

「聞いていたか。そうだ、私は草壁椿の所在を探る為、彼女達に話を聞きに来た」

「……失礼ながら、御身が自らなさるようなことなのですか? 誰か遣いを出せば済む話だと思うのですが……」

 

 確かに、リリアナの言葉に対し、護堂も心の中で頷く。これまでの経験上――自分はともかくとしても――カンピオーネと呼ばれる者達は、人を顎で使うことに慣れている人種だ。雰囲気や態度からして、目の前の青年もまた、同じく王としての振る舞いを知っているタイプなのだろう。それなのに、わざわざ自分から情報収集に来るというのは、言われてみれば確かに、妙と言えば妙な話だ。

 

「当然の疑問だろうな、リリアナ・クラニチャール。私とて、この学園に草薙護堂が通っておらず、対象の少女が草薙護堂の縁者に近しくなければ、今共に来ている従者に任せていただろう」

「どういう意味ですか?」

「君が興味を持った場合、同格の私でなければ拒絶が難しいということだ。カンピオーネ相手に、教えるものかと突っぱねるのは魔術師達には案外と難しいのだから」

 

 そういうものなのか、と一瞬納得し、しかしすぐさまに、新たな疑問が護堂の中に湧く。

 

「その言い方だと、その草壁椿って子に関して、俺に興味を持たれるのはまずいってことですか?」

「経験上、カンピオーネに首を突っ込まれるとろくなことにならないのでね。君も、経験がないわけじゃないと思うが?」

「それは……まあ」

「だったら、ここは引いてもらいたいな。伝言としては万里谷祐理に託したが、今回の件に関しては不干渉を要求する。君にとっても悪いことでは無いから、安心して了承してもらいたいが……」

 

 どうだ、と秋雅が問いかけてくる。しかし、それを了承するには、まだ護堂は肝心な事を聞いていない。

 

「結局の所、貴方は何故その、草壁って子を探しているんですか? それが分からないと、こっちとしてもどうとも言えないんですけど」

「先に話に出した私の従者が、その草壁椿の妹だからだ。私直轄の従者にして、良い働き振りを見せている彼女の身内の失踪。日頃の働きに応えてやるためにも、主として力を貸してやるのは当然だろう?」

「…………嘘ですね、そりゃ」

 

 もし、何も前知識なく、ただ今の秋雅の話を聞いたのであれば、それも信じたかもしれない。それほどに、彼の語り口や雰囲気は、本当の事を言っているようにも聞こえる。

 

 だが、しかし、

 

「一応俺も、カンピオーネの影響力って奴はそれなりに理解してきました。それこそ、顎で人を使うなんて訳ないって分かるくらいに。だったら、多少俺にちょっかいをかけられる可能性を考えても、貴方なら人を使うと思います。そうしないのはたぶん、それ以外に、何か貴方自らが動く理由があるからだ。違いますか?」

 

 護堂の問いかけに、秋雅は何か答えることもなく、じっと護堂を見る。睨みつけるというほどでもなく、しかしとりあえず視線を向けているわけでもない。明確に、護堂に対し何かしらの感情を抱いた上で、秋雅は自分を見ているのだと、護堂は直感的に察する。

 

「そもそも、俺に興味を持たれたくないって時点で、何か俺に知られたくないことがあるんじゃないですか? それは、一体何なんです?」

 

 護堂の質問に対し、秋雅は何の反応も見せない。ただじっと、護堂を何の感情も読み取れぬ目で見やるだけだ。その状態が一分ほど続いたところで、じれったさを覚えた護堂がさらに言葉を連ねようとした、その時だ。

 

「秋雅さん、ちょっといいで…………何事で?」

 

 唐突に、秋雅の奥の、応接室の扉が開いた。中から顔を出したのは、二十歳前後ほどの若い女性だ。彼女は秋雅と、そしてその前に立つ護堂の姿を見て、やや眉をひそめながら首を傾げる。

 

「あれ? そちらの方って、もしかして…………」

 

 しかしすぐに、何かに気付いたように彼女は顔を軽く引きつらせる。その視線が護堂の方に向けられている事を考えると、この女性も魔術関係者――流れ的に、秋雅の従者ということか――であり、護堂の顔を知っていたということなのだろう。

 

 そんな反応を見せる彼女に、秋雅はまるで何も――それこそ、護堂の追求など――なかったかのように、平然とした素振りで言葉を投げる。

 

「特に何もないさ、紅葉。それよりもどうした?」

「……ないと言うならいいんですが……静花さんからの話は聞き終わったんですが、どうしましょうか?」

「そうか。こっちももう大きな用は済んだ。これで退散することとしよう」

「了解です」

「ちょっと待ってくれ! こっちの質問に――」

 

 淡々と、この場を去ろうとする秋雅に対し、護堂は当然のように食い下がろうとする。思わず大声を出すと、開きっぱなしだった扉の影から、見慣れた顔がひょこっと現れた。

 

「……あれ? 何でお兄ちゃんがいるの?」

「あ、ああ……静花か。いや、その……」

 

 思いの外、護堂の声は大きかったらしい。怪訝な表情を浮かべてこちらを見やる静花に、護堂はつい言葉に詰まる。どう説明したものかと悩んでいると、それよりも先に秋雅が口を開く。

 

「ああ、静花さん。実は私と貴女のお兄さんは少しばかり面識がありまして」

「え!? そうなんですか!?」

「ええ、まあ、一度二度という程度ではありますが、以前にも話をした事があります。不躾にも貴女のことを名前で呼ばせてもらったのも、私にとっては『草薙』という姓はお兄さんを指すものだからでして」

「ああ、そうだったんですか。お兄ちゃんにもこういう知り合いが居たんだねえ」

「……ああ、うん。そう、だな……」

 

 流れを取られた、と護堂は静花の言葉に頷きながら、秋雅に対し歯噛みする。静花の登場によって、これ以上彼に詰め寄る事が出来なくなってしまった。もしここまで想定して、あの対応を秋雅が取っていたのだとすれば、何と賢しいかとむしろ感心すらしそうになる。

 

「では、私どもはこれで。静花さん、万里谷嬢。今回はご協力頂きありがとうございました」

「妹のことは任せてください。必ず見つけ出して、良い便りを渡せるようにします」

「はい、椿ちゃんのこと、よろしくお願いします!」

「勿論です。それでは、御機嫌よう」

 

 そう言って、秋雅は共の女性を連れて歩き始める。もはやどのような反応も出来ない、と護堂が眉をひそめている中、

 

「――邪魔だけはしないことだ」

 

 ボソリと去り際に、護堂にのみ聞こえる程度の小声で言って、秋雅は悠々と歩き去っていった。苦々しく思いつつも、しかしもはや護堂には、その背を睨みつける程度のことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、稲穂様が護堂にね」

 

 護堂達から放課後の話を聞いて、エリカはその美貌を曇らせながら呟く。場所はリリアナが日本での拠点としているマンションの一室、時刻はそろそろ日も落ちようかという頃合だ。

 

「そっちも、まあ色々あったみたいだな」

 

 秋雅が去った後、こちらの事情に興味を持った静花をあしらい、護堂がエリカに連絡を取ると、それぞれに情報があるという事が判明した。そこから、急ぎ合流し情報の共有を済ませようという話になったので、その場としてリリアナが自分の拠点を提供したという流れで、今に至っている。

 

「しかし……稲穂秋雅の目的は一体何なのだろうか。草壁椿の確保だけと考えるには少々不自然だが」

「でも、草壁さんを保護したいということ自体は嘘ではないと思います。あの方の目的と彼女の保護は何かしらの形で連動しているんじゃないでしょうか?」

「とはいえ、それがどう繋がっているのかという話です。確かに、草壁椿さんの父親がウチの魔術師であるとはいえ、イコールで稲穂様に関連があるかというと、そうでもないはずですしねえ」

 

 今ここにいるのは、護堂とエリカ、リリアナに祐理と、そしてエリカに着いてきた――連れてこられた、が正しいかもしれない――甘粕の五人だ。互いの話を共有し合い、しかしそれでも、秋雅の目的がようとして知れぬことに、五人はそれぞれに困惑の反応を見せる。

 

「……そもそもの話なんですが、今回って草薙さんが動く必要があるのでしょうか? 正直、一個人としては、このまま事の成り行きを見守るというのもありだと思うのですが」

「それはまあ、そうね」

「ある意味では、その方がいいという考えも出来るな」

 

 甘粕の意見に対し、エリカとリリアナも一理あるという表情を浮かべる。三人とも、それぞれのルートで、稲穂秋雅という王について一定以上の知識がある者たちだ。過去の経験上、もしこのまま放っておいたとしても、例えば都内で大規模な破壊活動があるだとか、そういうことが起きるとは思っていない。いやむしろ、護堂という要素が加わってしまうことで、予想外の被害が発生するのではないかとすら思っている。そう考えると、あまり首を突っ込むのもどうか、と思うのも無理はない話だ。

 

 そんな甘粕の意見にも理解を示しつつも、しかし、とリリアナは言う。

 

「それならば稲穂秋雅も目的を隠さないのではないか? あそこまで頑なに目的を告げられないというのも、それはそれで引っかかるものがある。万里谷祐理の話を聞く限り、あの方は草薙護堂に邪魔をさせないためとのことだったが、裏返せばそれは、あの方の目的を草薙護堂が知った場合、二人が敵対する可能性があるということでもある」

「だな。可能性が無いなら、隠す必要はないと俺も思う。つまり、多少なりとも、こっちが反発する可能性があることをしに来たってことだと思うんだけど……」

 

 結局、それがなんなのか、という所で話が止まってしまうのが今の問題だろう。ああだこうだと秋雅の行動理由を論じた所で、彼自身の目的が分からない以上、どうと動くわけにも行かない。

 

「まあ、もし稲穂様の目的を本気で知りたいっていうんでしたら、その草壁椿さんとやらを見つけ出すのが早いでしょうかね。確保してその少女自身を調査なりすれば、稲穂様が動いている理由にもつながるでしょう。例えばその子が神器を所持していて、安全のために保護したい、だとかね」

「もし仮にそういう目的なら、わざわざこっちに隠す理由はないと思うんですが……」

「いやほら、草薙さん自身はそう思っていても、稲穂様からしたら草薙さんの性格とかはあまり分からないわけですから。多少なりとも警戒するっていうのはありえる話かと」

「カンピオーネの方々の行動理由というのは、一般的な感性から離れていることが多いからな」

 

 甘粕とリリアナの言葉に、護堂以外の全員が深く頷く。唯一残った護堂はそんな皆に対し文句の一つでも言いたい気分になったものの、ぐっと堪えて飲み込む。自分が声高に訴えた所で、どうせ数の暴力に屈するというのが目に見えたからだ。

 

「まあ、それはともかくとして、よ。甘粕さんの案自体は有用だと思うわ。稲穂様の目的が知れぬ現状、確かにその子を確保する以外、あの方の目的を探るのは難しいでしょうね」

「一先ずそこに落ち着くか……草薙護堂、貴方はどう思います?」

「俺? 俺は…………」

 

 ううん、としばし考え込んだ後、うんと護堂は軽く頷いて言う。

 

「草壁って子、俺らでも探してみようか。静花や万里谷の友達って言うなら、俺にも探す理由はあるし、稲穂さんの目的が分からない以上、その子の安全を考えるなら俺らで保護したほうがいいと思う。万里谷もそれでいいか?」

「そう……ですね。私も、稲穂様を信用していないわけではありませんが、私達でも草壁さんを探すことには賛成します」

「とはいえ、それでも最低限の情報は必要ね。護堂、妹さんから彼女が稲穂様に渡したであろう情報を聞きだしておいてちょうだい。甘粕さん、貴方には出来る限り草壁椿関連の情報を集めてもらいたいところなのだけれど」

「やるだけやってみましょう。あまり戦果は期待しないでもらえると助かりますが」

 

 何はともあれ、まずは動く。とりあえずの方針が固まった。

 

「よし、出来れば何事もなく終われるようにしよう」

 

 その護堂の言葉でもって、この場における会議は終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで……何でお兄ちゃんが、椿ちゃんを探そうと思うの?」

「いや、万里谷にちょっと相談されたんだよ。最終的に、どうにも気になるから一緒にちょっと調べてみようってことになったんだ」

「ふうん? でも、あの稲穂さんと椿ちゃんのお姉さんに任せれば、大丈夫そうに思えたけどなあ…………まさか、今日帰りが遅かったのも、万里谷さんと二人でそういう話をしていたからなわけ?」

「ん、まあ、そうなるなあ」

「へえ、そうなんだ……」

 

 かようなやり取りを挟みつつ、護堂は静花から、草壁椿の居所の心当たりなどを聞きだすことに成功していた。夜も更けてきた今などは、その情報の内容を甘粕に送って、残ったメモを自室で何となく眺めている所である。

 

「しっかし……多いなあ」

 

 メモを眺めながら、なんとなしに護堂は呟く。優に十、いや二十は行きそうなそれらの情報は、これまでに静花が草壁椿と一緒に遊びに行った所である。一箇所につき一回というわけでは勿論なく――でなければこれほど覚えてもいないだろう――二人きりで行ったところばかりではないとはいえ、やはり多いと言えば多いだろう。その名に反してと言うべきか、静花は完全に『動』よりの人種であるが、これを見る限り草壁椿もまた『動』の性質を持った少女だったのだろう。僅かばかり聞いた静花の話を踏まえても、おそらくそう間違った予想ではないはずだ。そんな二人が、茶道部という明らかに『静』よりの部活に揃って所属しているというのは、何となく面白いと思わないでもない。

 

「……って、そういう場合じゃないか」

 

 別に笑っていられる状況でもない、と護堂は僅かに浮かべた笑みを引っ込める。静花も、いつものように振舞っていたものの、兄である護堂からすれば、少しばかり無理をしているということは見て取れた。元々心配していた状況で、改めて失踪していると聞けば不安になるのは無理もない。たとえ、その探しているらしい人物が、どれほど頼りになりそうであろうともだ。

 

「まあ、そっちもよく分かんないんだけどさ」

 

 結局の所、今護堂がどうにも色々な事をしている理由というのは、稲穂秋雅という人物を信用出来ていないからという、その一点に尽きるだろう。確かに他のカンピオーネと比べれば、はるかに理知的で人格的な風に見えたものの、どうにも信用しきれないところがある。おそらくだがこれは、あちらが護堂の方を信用する気が無いからではないだろうか、と護堂の中にはそんな考えが浮かんでいる。互いに信用、とまではいかないにしても、どちらか一方が猜疑の目で見ていて、信頼関係を築くというのも無理な話だ。まあ別に、だからといって、秋雅がこちらを信用していないのが悪いともいえないのだが。何せ――半ば不本意とはいえ――護堂自身、己の行動に対し後ろめたいものがないわけではないのだから。

 

 

 そんな事をグダグダと考えながら、護堂がメモを弄んでいると、ふと机の上に置いていた携帯電話が震動した。誰か、と思いながら電話に出てみると、電話先から聞こえてきたのはいい加減聞きなれてきた、くたびれが感じられる男性の声だ。

 

「夜分遅く申し訳ありません、草薙さん」

「ああ、甘粕さん。どうしたんです?」

「ちょっとあの後で軽く調べてみたので、とりあえずの現状報告って奴です。まあ、報告というか、諦め混じりなんですけど」

「どういう意味ですか?」

 

 いえね、と甘粕はため息をつきながら続ける。

 

「草壁椿、及びその父親の草壁康太について調べてみたんですが、委員会の資料には何も怪しいものはありませんでした。そもそも草壁椿さんの方は魔術師でも何でもないですから、資料も何もあったもんじゃないんですが。でまあ、ならばと自宅の方を調べてみようと思ったんですが……稲穂様の先手を打たれてしまったようでして」

「先手?」

「実はその自宅、今稲穂様が滞在されているんですよね」

「……はい?」

 

 どういう意味だ、と思わず護堂は素っ頓狂な声を上げる。そんな護堂の反応を予測していたのか、何やら同意するように頷いた気配が、電話の向こうから感じられた。

 

「そうなりますよね、私も驚きましたよ。まさか都内の高級ホテルやらなんやらを完全に無視して、そんな重要現場に泊まっているっていうんだから。あちらにはその草壁さんの身内がいるそうですから、おそらくはその人の手引きでしょうね」

「えっと……でも何で?」

「そりゃあ、私達に情報を与えない為だと思いますよ。まさか、カンピオーネが滞在されている場所を調査させてください、と言いには行けませんから」

「…………悉くこっちの手を潰しに来た、ってことですか」

 

 ようやく意味が分かった、と護堂は頷く。続いて思うのは、やはりあの稲穂秋雅という王は他の王――サルバトーレ・ドニやヴォバン侯爵――とは違うんだなという感想だ。あの二人が他人の事など気にせず己が目的を通すタイプなら、稲穂秋雅は自分の目的の為に他人の選択肢を潰すタイプということになるだろうか。

 

 なるほど、確かこれは『例外』と呼ばれるのも納得だ。中々に言語化しにくいところだが、どうやら彼は他の王と比べて、何か根本的な思考や行動原理が異なるようである。

 

「まあ、先ほど草薙さんから受け取った情報がありますから、多少調べることはできるでしょうが、結局向こうにも同じ情報がありますからねえ。後手に回ってしまうのは火を見るより明らかという奴です」

「いっそ、向こうの調査を担当している人を追うとか出来ないんですか?」

「ああ……その手もありましたね。とはいえ、恥ずかしながら東京分室の人材よりあちらの人材の方が洗練されているようですから、迂闊に接触しようとすると最悪返り討ちになるやもしれません。立場上、内部対立の可能性が生まれる選択は極力取りたくないですねえ」

「そうですか…………ん?」

 

 そんな時、ふと護堂の耳にノックの音が届いた。電話越しではなく、明らかにこちら側で発せられたものだ。今護堂の家に居る人間を考えれば、祖父か妹のどちらかなのだろう。そんな護堂の推測通り、続けて聞こえてきたのは静花の声だ。

 

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

「ああ……ちょっと待ってくれ。すみません、一旦切りますね」

「いえいえ、報告すべきことも済みましたし、今日はこれで、ということで。では、失礼します」

「はい、ではまた」

 

 電話を切り、護堂は椅子から立ち上がってドアを開ける。そこに立っていたのは、やはり妹の静花だ。

 

「電話中だった? ……もしかしてエリカさんとか?」

「何で第一候補がエリカなんだよ。アイツじゃなくて、別の知り合いだ。で、どうしたんだ?」

「さっきのことで、ちょっと思い出した事があって」

「さっきのことって、椿って子がいる場所の心当たりの話か?」

「うん。別に遊んだ場所ってわけじゃないけど、前に椿ちゃんが言っていた事を思い出したの。お兄ちゃんはあっちの方にあるアパートの事は知っている?」

「アパート……?」

 

 静花が指差した方向に視線をやりながら、護堂ははてと考える。指した方向自体は家の壁だが、その壁の先にある町中の光景を道に沿うようにしながら思い出していくと、少しして、ややくたびれた外見の木造アパートの姿を見つけることが出来た。

 

「ああ、そう言えばちょっと年季の入った感じのアパートがあった気がする」

「そのアパートなんだけど、前にその辺りを通ったときに、椿ちゃんが確かあのアパートはお父さんの知り合いが所有しているとかどうとか言っていたんだよね」

「それ、本当か?」

「たぶん。すっかり忘れていたんだけど、稲穂さんにお兄ちゃんにと聞かれて、さっきようやく思い出したの。その時、お父さんが個人的に部屋を借りているとかいないとか、そういうことも言っていた気がする」

 

 ここに来ての新しい手がかり。しかも、ひょっとしたら秋雅も知らないかもしれない情報だ。もしかすると、現状の打開となりえる情報かもしれないなと、護堂は思い出してくれた静花に対し頷いてみせる。

 

「そっか。分かった、じゃあそれも含めて調べてみる」

「うん。あとお兄ちゃんから稲穂さんたちにも教えておいてくれる? 私は連絡先聞き損なっちゃったけど、お兄ちゃんは知り合いなんでしょ?」

「え……あ、ああ。そう、だな。そっちもやっておくよ。じゃあおやすみ」

 

 おやすみと、思ってもみなかった提案にややしどろもどろになりつつ言った護堂に首を傾げつつも、静花もおやすみと返して部屋を出ていく。

 

「……俺だってあの人の連絡先なんて知らないっての」

 

 ドアを閉め、護堂は大きく息を吐き出す。そもそも知っていたところで、素直に教える状況でもないだろう。とはいえ、そんな事を静花に言えるわけでもない。想定済みならともかく、突発的な嘘にはまだまだ弱いなと、護堂はそんな風に思う。

 

「まあ、それはいいとして、だ」

 

 ちらり、と部屋にかけられているカレンダーに目を向ける。それで確認するまでもなく今日は金曜日であり、そして明日は土曜日だ。

 

「明日、エリカたちを誘って直接行ってみるか」

 

 まあ行った所で、表面上は一介の高校生である護堂達に直接的な調査など出来るわけでもないのだが、それでも行ってみればまた何か分かることもあるかもしれない。どうせさした指針もないのだ。とりあえずそれでいいだろうと、護堂はそれぞれに連絡を取る為に、再び携帯電話を手に取るのであった。

 




 これ以上は場面転換が多くなりすぎると思うので、今回はここまでで。流石に、次回からは終わりに向かって動き出すはずなので、どうかご容赦を。

 それと、今回から章の終わりまでに分けて、この章及びここまでの当作品全体に関する後書きのようなものもこのスペースで書いていくつもりです。本当はこの章が終わった後活動報告なりで投稿するつもりだったのですが、どうにも無駄に長くなりそうな気がするので分けて書くことにしました。まあ興味ない人はここから章の終わりまでは後書きを読み飛ばすようにしてください。



 で、今回は後書きではありませんが、私が考える、現時点における護堂の各化身と稲穂秋雅との相性を、化身ごとに書いていこうと思います。多少は本編でも書くでしょうが、さすがに細かくは難しいので、ここで書くことにします。とりあえず、今回はそのうちの五つについて書きますが、まああくまで私の解釈なので、流石におかしいと思ったら突っ込んでくださって結構です。特にどうしても、秋雅びいきな解釈が多いと思いますので。


 第一の化身 強風  評価 良い

 秋雅の持つ『冥府』への干渉可能な化身。本来『冥府』は許可のないものの干渉を防ぐ事が出来るが、ヘルメスに代表するような旅人の神の類の権能などであれば突破は可能。ただし、仮にも周囲への被害を抑えることのできるこの空間から、護堂が自発的に出るかと言えば微妙な所。なお、『冥府』内からエリカなどに呼ばれた場合でも、外から転移することは可能となっている。


 第二の化身 雄牛 評価 悪くはない

 ドニの大剣と同じく、この作品においては秋雅の持つ『雷鎚』によって使用可能となる。個人的に原作のドニの大剣による使用はやや首を傾げる事があるが、まあそういうものだとここでは解釈する。ただし、使用可能とはいえ有効活用できるかというと難しい所がある。怪力で何かしらを振り回そうが、投げ飛ばそうが、高速戦闘を主とする秋雅に当たるかどうかは、また別の話だろう。


 第三の化身 白馬 評価 良くない

 前提として、原作における発動条件の最低ラインが不明な点がある。民衆を苦しめるとはどの程度のものか、そもそも民衆とは無辜な民だけなのか、それとも力ない者全てを指すのかも分からない。秋雅もまったく他人を傷つけていないわけではなく、それなりに人殺しなどもやっているが、被害規模などで言うと他の王よりは劣るので、発動するのか判断が難しい。とりあえず、この作品では発動するかどうか怪しい、程度に留めておくつもり。個人的に条件の下限は一都市の無辜の民を害する程度ではないか、と設定している。


 第四の化身 駱駝 評価 悪くはない

 雄牛と同じく、使っても有効活用できるかが不明。秋雅に遠距離攻撃手段が複数存在し、易々と距離をつめることも難しい以上、積極的な攻撃には使用し難い可能性が高い。



 第五の化身 猪 評価 良い

 『冥府』を主戦場とする可能性が高い関係上、化身の中でも特に使用しやすい化身であると考えられる。ただ、秋雅のこれまでの戦闘履歴において、もっとも多いのが対神獣戦であるため、そうそう都合よくは行かないだろう。空からの雷は猪の肉体にも通じるし、彼の振るう雷鎚はその巨躯を浮かせることすら出来るからだ。打たれ弱いという猪の性分もあり、一度受身に回ってしまうとそのまま敗北する可能性が高いかもしれない。まあそもそも、等身大の秋雅を猪で討つのは難しいだろうが。なお、おそらくこの章では出ないだろうが、義経戦で得た新しい権能を使えば巨体同士の取っ組み合いも可能。



 以上、とりあえず五つについて纏めました。まあ結構適当に書いているので、おかしいところは相応にあるとは思います。改めて護堂の権能を見ていくと、どうしてコイツこれまで死んでいないんだろうという気分にもなりました。原作者の方が超必殺技しか持っていないと評していましたが、まさしくその通りだと思います。使い勝手の良い秋雅とは対照的と言えますね。




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諦めないと言うのは誰か






 翌日。護堂、祐理、エリカ、リリアナの四人は、揃って件のアパートの前に立っていた。昨日の流れを考えれば、甘粕辺りも共に居ておかしくないのだろうが、如何せん彼は彼で調査に忙しい状況だ。実際に何かあれば呼べばよいということで、とりあえずはこの四人だけで来た形である。

 

「パッと見る限り、何かある感じはしないなあ」

「そうね。何の変哲もない、古びた建造物という風にしか見えないわ」

 

 築二十年ほどは経っているのではないだろうか。古びた木造の二階建てで、部屋数は上下合わせて八つといったところ。特に怪しい所も見られない、時代を感じさせる普通のアパートにしか見えない。

 

 無駄足だっただろうか、と護堂が小首をかしげる一方、祐理とリリアナの二人は怪訝そうに眉を顰める。

 

「何か……妙な感じを覚えますね」

「貴女もそう思うか? 私も、あの辺りから漠然と、何かが隠されているような気配を感じる」

 

 そう言ってリリアナが指したのは、アパートの二階の角部屋だ。祐理も、やや自信はなさそうではあるものの、リリアナの指摘に対し頷きを示す。言われ、護堂はエリカと改めてそちらを見るものの、やはり何かを感じるようなものはない。

 

「とはいえ、言い出したのが祐理とリリィとなれば、何かありそうではあるわね」

 

 祐理とリリアナのどちらも、程度の差はあれども霊視能力所持者だ。故に、二人ともその手の気配に敏感であったり、時に未来予知に匹敵するほどの直感を示したりすることもある。そんな二人が同時に、何かがあると告げたのだ。たとえ護堂達には分からずとも、本当にそうである可能性は非常に高い。

 

「幸いこのアパートから人の気配は感じられないし、いっそ乗り込んでみるというのも手かしら」

「乗り込んでみるって言ったってなあ。俺らが大家さんなりに頼んだところで、見られるってもんでもないだろ」

「あら、何を言っているの? 人の気配は無いって言ったばかりじゃない」

 

 そう言って、エリカはすたすたとアパートに向かって歩き出す。彼女の後姿に何やら嫌な予感を覚えつつも、仕方ないかと顔を見合わせて、三人も彼女に着いていく。

 

「……ここでいいのよね?」

 

 祐理たちが示していた角部屋に辿り着いた所で、エリカが二人に確認を取る。二人が頷いたのを見て、エリカは腰をかがめドアノブに対し何やらし始めた。そして、すぐに立ち上がり、こちらを振り返る。

 

「ビンゴ、と言うべきかしらね。ここ、確実に何かがあるわ」

「どういうことだ?」

「試しに使った『解錠』の魔術が弾かれたのよ。この部屋、何か魔術的な防護が施されているわ」

「『解錠』って……まあ、いいや」

 

 いきなり何をしようとしていたのか。苦言を呈したい気持ちを抑えるように護堂は軽く頭を振る。いくら何かあるだろうとはいえ、いきなり不法侵入を行おうなどと、一般的な倫理観を持つ護堂からすれば信じがたいことである。

 

「とりあえず、甘粕さんに連絡を取って部屋に入れるようにしてもらうか。それまでは――」

「あら、そんな面倒なことしなくても、こうすればいいじゃない――クオレ・ディ・レオーネ!」

「は? って、ばっ!?」

「エリカさん!?」

 

 護堂や祐理が気付いて止めるよりも早く、エリカは呼び出した愛剣を振るい、目の前のドアの蝶番の部分を見事に切り裂いてしまった。場が狭いことと対象の小ささなどを考えれば実に見事な技であるが、かといって素直に賞賛できるかと言えば、まあそうでもないだろう。

 

「おい、エリカ! 何やってんだよ!」

「言ったでしょ、人の気配は無いって。だったらこの方が手っ取り早いし確実だわ」

「いや、だからってなあ」

「草薙護堂、お気持ちも分かりますが、むやみにドアを砕くでもなく、最小の破壊で済ませたのですから、ここは良いとするべきかと」

 

 リリアナがエリカを援護する、というのはやや意外にも思えるが、しかしよくよく考えてみれば、彼女もまたエリカと同じ武闘派の魔術師でもある。彼女らからしてみれば、むしろこういった手段というのはありな選択肢なのだろう。勿論、護堂からしてみれば、物騒この上ない方法なのだけれども。

 

「ったく……」

 

 リリアナに宥められ、不承不承ではありつつも、護堂はそれを飲み込む。流石に、この二人に対し自分と祐理の二人では些か分が悪いと判断したからだ。それは祐理も同じようで、彼女もまた何処か納得行かないような表情を浮かべている。

 

 しかし、そういう態度を取っていたのも部屋に入るまでのことだった。ドアをどかし、室内に一歩踏み入れた瞬間、四人の顔色が一気に変わる。

 

「……魔術の気配。それも中々に強いわね」

「ああ。それとかなり強力な結界が張られているようだな。内向きの、中の気配を漏らさないためのものか」

「そのよう、ですね」

「つまり、何かあるとするなら……」

 

 奥か、と護堂は呟く。入ってすぐの部分には特段何も見つけられないが、玄関から続く短い廊下の先には、おそらく居間に繋がっているのであろうドアが見受けられる。その先に何かあると考えるのは、至極当然の流れだろう。

 

「……じゃあ、開けるぞ」

 

 一呼吸して、護堂はドアを開けた。その先にあったのは、物のほとんどない室内。故に護堂はすぐに気付いた。そこにある唯一の家具であるベッドの上に、一人の少女が寝かされていることに。

 

「あれは……」

「椿さん!」

 

 もしや、と護堂が思ったと同時、後についていた祐理が護堂を押しのける勢いで少女――草壁椿に向かって駆け出した。常の彼女では中々見られない機敏な動きに、思わず護堂は状況も忘れて瞠目する。しかし、そんな暢気な反応を見せていられたのも、数秒程度であった。

 

「きゃあっ!!」

 

 突如、祐理の身体が吹き飛ばされた。彼女がベッドに近づいた時、一瞬何か、半円上の『壁』のようなものが現れ、領域内に侵入しようとした彼女を弾き飛ばしたのだ。

 

「万里谷!!」

 

 そんな彼女を、護堂は獣じみた反応速度で受け止めた。幸い、彼女の身体を弾き飛ばした勢いは、そこまで強烈ではなかったようで、難なく護堂は彼女の身体を受け止めてみせる事が出来た。

 

「万里谷、大丈夫か?」

「は、はい。申し訳ありません」

「いいって。それでエリカ、今のは何だ?」

 

 祐理を抱えた体勢のまま、護堂は振り返ってエリカに尋ねる。するとエリカは、僅かに顔を顰めさせながら口を開く。

 

「おそらくは結界の類。この部屋に貼ってあったものとは真逆で、物理的な侵入を防ぐものだと思うけれど……」

「けれど?」

「見たことのない術式だわ。そのベッドの近くに刻まれているものからして、特殊な魔法陣によるものだと思う」

 

 言われ、祐理を立たせてやりながら護堂がそちらに目を向けると、随分と薄く目立たぬように刻まれているものの、確かにこれぞ魔法陣と分かるような模様が刻まれているのが見える。

 

「とはいえ、私は魔法陣にはあまり詳しくないのよね……リリィは?」

「貴女もおおよそ分かっているんだろう? 私だって、その辺りはそれほど学んでいない」

「でしょうね。今時、魔法陣なんて真面目に修得している魔術師は少ないもの」

「どういうことだ?」

「流行じゃない、ってことよ。一昔前ならともかく、現代だと積極的には学ばれていないのよ、魔法陣という魔術は」

「そういうもんなのか。で、そうなるとどうにも出来ないのか?」

「解除、という意味では確かにそうね。でも、こと物理的な障壁なら、どうとでもしようはあるわ」

 

 と、エリカは一歩踏み出しながら、未だ手にしていた愛剣を構える。

 

「クオレ・ディ・レオーネ、黒き騎士の鍛えし剣よ! 至高の剣の末裔よ! 我が祈りに応え、王者の鋼たれ!」

 

 愛剣の切れ味を最大限に高める呪文。それを唱え、エリカは虚空に向かって剣を振るう。その刃に反応して、先と同じ半円状の障壁が発生したものの、鋭さを増した獅子の剣に切り裂かれ、ガラスが砕け散るような音と共に崩れ去る。

 

「ハアッ!」

 

 さらに、エリカは薙いだ剣を天に掲げ、十字を切るように振り下ろした。剣の切っ先はもはや何に邪魔されることも無く空間を走り、そして床に刻まれている魔法陣の一部までを切り裂き、そして止まる。

 

「なんで床まで切ったんだ?」

「魔法陣は一部でも欠ければ効力を発揮しなくなるからです。いくらマイナーとはいえ、その程度は常識として知られていますので」

「へえ」

 

 そうなのか、とリリアナの説明に護堂は頷く。そんな二人を余所に、エリカは剣を収めながらベッドに近づく。同じく、祐理も彼女に続こうとはしたのだが、やはり先の一件があったためか、すぐさまに歩みを止め、護堂たちと同じく静観の姿勢をとる。

 

「これは…………また、厄介そうね」

「どういうことですか?」

 

 ベッドの上の少女の顔を覗き込んだエリカが、眉根を寄せながら呟いた。その呟きに、祐理は数秒前の逡巡も忘れ、急ぎ駆け寄る。勿論、今度は護堂達も一緒だ。

 

「椿さん……!」

 

 彼女の顔を覗き込んだ祐理が悲痛な声を上げる。そうさせた原因は、ベッドに横たわる草壁椿の表情にあった。

 

 目を閉じ、何も反応を見せないのは、おそらく眠っているからなのだろう。そんな彼女が浮かべていたのは、まるで悪夢に苛まれているかのような、まるで絶えぬ痛みに耐えているかのような、そんな苦悶の表情だ。意識がないようであるにもかかわらず、その口からは時折苦しげな息が漏れ、まるで何かから逃げようとしているかのようにその手は小さく動いている。夢見が悪い、という言葉があるが、まさしく今の彼女は、そういうよくない夢を見ているかのような風であった。

 

「椿さん! 椿さん!!」

 

 夢ならば覚ましたいと思ったか、祐理は椿の身体を揺する。しかし、いくら彼女が揺すったところで、椿はやはりうなされながらも決して目を開ける事がない。おかしいと、護堂がそう思ったと同時、エリカが祐理の腕を掴んで止めた。

 

「止めなさい、祐理。ここまで起きない以上、たぶんこの子は今体力に余裕が無い状態なんだと思う。気持ちは分かるけれど、今無理やり起こしたころで、この子をより消耗させるだけよ」

「そんな…………どうして……」

「原因はその刺青か」

 

 じっと、草壁椿を観察していたリリアナが口を開いた。その言葉に、護堂が彼女に視線を辿ると、祐理の行動で僅かに乱れた袖口から、確かに刺青らしきものが覗いているのに気がつけた。よくよくと見てみると、それはまるで蔦か何かのようにも見え、さらに首筋などにも同じような刺青らしきものがあることにも分かる。

 

「何か分かるのか?」

「いえ……しかし、何かしらの呪術が彼女の身体にかかっているのは確かだと思います。刺青は、その術の一部かと。おそらく、その術が彼女の体力を奪っているのではないでしょうか」

「勘だけど、それはこの子の身体を傷つけるようなものかもしれないわね。だとすれば、起きられないほどに体力が無くなっている事も説明がつくわ」

「痛みに疲れちまった、ってことか……」

 

 つまり、椿は寝ているというよりは、絶え間ない痛みに消耗し、失神してしまったのだろう。それならば、彼女が苦悶の表情を浮かべていることにも説明がつける。例え意識を失おうとも、おそらくはその刺青がある限り彼女はその痛みを受け続けているのだろう。

 

 ひょっとしたら、彼女は失踪したその日からずっと、その痛みを感じ続けているのかもしれない。そう思い、護堂は大きく顔を顰めてしまう。直接の面識は無いとはいえ、護堂にとっては妹の大事な友人であるし、そうでないにしても目の前にそんな状態の人がいれば、そうなるのも当然なのかもしれない。だからこそ、護堂は当然の言葉を口に出す。

 

「だったら、早くその術を解除したほうがいいんじゃないのか?」

「生憎と、こんな事をしでかす魔術に心当たりがないのよ。もしかしたら、これも何かの魔法陣由来のものかもしれない。そうなると、私達で解呪するのは難しいわね」

「素直に専門家を呼んだほうがいいってことになるのか。甘粕さんに連絡を取ろう。あの人なら多分、どうすればいいか教えてくれるはずだ」

 

 言いつつ、護堂は携帯電話を取り出す。呼び出しのコール音を聞きながら、厄介なことになったと護堂が考えていると、

 

「――その必要はない、草薙護堂」

「なっ!?」

 

 突如として背後から聞こえた声に、護堂はギョッとしながら振り向く。振り向いた先、そこに当然のように立っている男の名前を口に出したのは、護堂と同じく驚愕の表情を浮かべているリリアナだ。

 

「稲穂秋雅様!? 何故ここに!?」

「端的に言えば、君達を監視していた。いざという時の対処の為であったんだが、まさか大当たりに反応することになるとはな」

 

 ため息をつき、秋雅は護堂の肩を押しのけて椿に近づく。思わず身体を硬直させている祐理を余所に、彼は膝をつき、椿の顔を覗き込む。

 

「間違いない、草壁椿だ。しかし、この進行度は……」

「何かご存知なのですか!?」

 

 椿の身体にある刺青を見て意味深に呟いた秋雅に対し、祐理が先ほどまでの硬直から脱して叫ぶ。しかし、そんな彼女の大声にさして反応を見せることも無く、秋雅はゆっくりと椿の身体を抱え、そして立ち上がる。

 

「本当に知りたいのであれば、病院まで来るといい。私はこの子をそこに連れていく」

「病院……ですか?」

「魔術師達も使う病院だ。この辺りでは一つしかないから、君も知っているのではないかな? もっとも、その果てに君がどう思うことになろうとも、私は関与しないが」

 

 そう言って、秋雅は椿を抱えたまま部屋を出ていく。あまりに自然な動作であったので、思わず護堂達も黙って見送ってしまう。

 

「いや、ちょっと待ってくれ!」

 

 だが、そう傍観していたのも数秒のことであった。すぐに正気に返った護堂は、当然のように秋雅を止めようと追いかける。

 

 しかし、飛び出した先、アパートの外の廊下には、既に秋雅の姿はなかった。上下左右と周囲を見渡してみても、やはり何処にも秋雅と椿の姿は無い。

 

「あの時の瞬間移動なのか?」

 

 以前、サルデーニャにおいて秋雅と初めて会った時。あの時も、秋雅は一瞬のうちに姿を消していた。今回もまたそれを使われたのかと護堂は困惑しつつ、思わず廊下に取り付けられている手すりにもたれる。

 

「……あっ」

 

 その時、ようやく護堂は、携帯電話を握ったままであったことを思い出した。秋雅の突然の襲来のため、コール中のままずっと放置していたのだ。恐る恐る見ると、ディスプレイには通話状態であることが表示されており、少し前から繋がりっぱなしであったことが見て取れる。

 

「えーっと……甘粕さん?」

『草薙さんですか? 良かった、電話が来たのに誰も出ないから、一体何が起こったのかと心配しましたよ』

「すみません、ちょっと今…………立て込んでいまして?」

『はい?』

 

 思わず疑問系で言うと、電話口からも困惑したような声が返ってきた。そりゃそうだ、と護堂は反射的に思う。しかし、一体全体、どういう風に説明すればいいのだろうか。背後にいるエリカたちに視線を移しながら、悩みつつも護堂は口を開くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着きましたよ、草薙さん。しかしすみません、案外時間がかかってしまいました」

「いえ、とりあえず到着は出来たんだから十分ですよ」

 

 結局、事の次第に関しては、時系列順に一から説明した。結論から話しても、むしろ自分の方が混乱しそうだと判断したからだ。おかげでこうして、多少の混乱は引き起こしつつも、スムーズに件の病院まで案内をしてもらえたのだから、まま悪くは無い選択だったのだろう。もっとも、それでもやはり色々と時間はかかってしまったのだが。先の甘粕の発言も、その事を受けてのことである。

 

「……にしても、ここが委員会の息のかかった病院だったなんてなあ」

 

 甘粕に礼を言いながら車から降りた後、護堂は軽く顔を顰めながら呟く。秋雅の言っていたとおり、あの場所からそう遠くない総合病院――護堂の実家からもまあ近く、護堂も多少は利用した経験がある――が、まさか魔術関係のものだったとは。その事に、護堂は何とも言えない気分を抱いてしまう。そちら関係は別棟の方で行われているらしいとは聞いたが、昔から身近にそういう胡散臭いものがあったのだと思うと、どうにも護堂にはがっくりとしたものを感じざるを得ない。

 

「まあ、今はどうでもいいか。甘粕さん、場所は分かるんですよね?」

「ええ。あちらも何故かこれに関しては隠す気がないようで、すぐにこちらにも情報が回ってきましたから」

「では急ぎましょう。椿さんが心配です」

 

 と、やはり後輩のことが気にかかるのだろう。真剣な面持ちの祐理に引っ張られるようにして――あくまで比喩表現であり、実際に引っ張って行ったわけでは当然無い――護堂達は病院内に入った。そしてそのまま、特に受付によることもなく、甘粕の案内の下に別棟の方に進んでいく。多少廊下に人は多かったが、かといって特に誰に止められるでもなく、護堂達はスムーズに歩いていく。

 

 病院という場所柄か、不思議と誰も口を開こうとしない。ただ静かに通路を歩き、階を一つ上り、そして棟を隔てているドアをくぐることで、ようやく護堂達は別棟に足を踏み入れる。ここまで来るともう一般の患者らしき人影は無くなり、代わりに魔術師らしき人物たちが廊下を見張っている。

 

「彼ら、福岡分室所属の人たちですね」

 

 その魔術師達を見て、甘粕がボソリと呟く。それを聞いて護堂は、やはり、と頷いた。何故ならば、その魔術師達の自分を見る目に、甘粕を始めとした東京分室の者達のそれと違う所があったからだ。

 

 警戒、観察、そして僅かに顔を見せる不信や敵対の感情。前者はともかくとして、後者は明らかに、護堂を敵ないしは敵対予備軍として見ている目だ。護堂にすら分かるほど、その視線は露骨なものがある。とてもカンピオーネに、特に自分の組織が公に恭順している相手に対し向ける目ではないだろう。だが、それが例の福岡分室のものならば別だ。話半分ではあったが、これは本当に、福岡分室の人間は稲穂秋雅という王を崇拝、狂信しているのだろうか。もしかすると彼らは、今ここで護堂と敵対することになっても、ある意味では構わないと思っているのかもしれない。

 

「これがあの方のカリスマ、と言うべきかしらね」

 

 護堂と同じ事を考えていたのか、エリカもまたそんな事を呟いた。これは思った以上に警戒しなければならないのかもしれないと、護堂は改めて気を引き締める。

 

 とはいえ、それらもあくまで表面化していていない話だ。特に彼らに見咎められることも無く、護堂達はそのまま廊下を進んでいくことが出来た。途中でまた別の魔術師にも会ったが、そこでもまた同じような感じであり、僅かな緊張感を孕みつつも護堂達は何事も無く進む。

 

「ここですね」

 

 とある部屋の前で、甘粕が立ち止まる。何が、と聞くまでも無いだろう。ご丁寧に、『草壁椿』と書かれたネームプレートが掲げられているくらいだ。ここが目的地であるということは、誰の目にも明白であった。

 

「――入るといい」

 

 甘粕がノックをしようとした直前、部屋の中から声がかけられた。それは紛れも無く稲穂秋雅の声であり、おそらくは護堂達の気配を読み、先んじて声をかけたのだろう。

 

「失礼します」

 

 一呼吸ほど置いて、甘粕がドアを開いた。そのまま甘粕がまず入室し、護堂達もそれに続く。

 

「来たか、草薙護堂。それにエリカ・ブランデッリと、リリアナ・クラニチャール。そして、万里谷祐理」

 

 その病室にいたのは、一人の男性と四名の女性だった。まず、部屋の中央に立ち、先の言葉をかけながらこちらを睥睨する稲穂秋雅。その奥にあるベッドには草壁椿が身を横たえていて、その隣の椅子に姉の草壁紅葉が座っている。そして、部屋の奥、ベッドの隣の壁に二人の女性がいた。その鮮やかな金髪の長さを除けば、ほぼほぼ容姿の変わらないその二人はおそらく双子なのだろう。名前も、秋雅との関係も不明なその二人は、護堂達を明らかに警戒する目のまま、壁に背を預けて立っている。

 

「……稲穂さん、その草壁って子に何が起こっているか、貴方は知っているんですよね?」

 

 開口一番、前置きもなしに護堂はそう問いかけた。挨拶や回りくどい話は一切しない。たぶん、そういう事をしても、煙に巻かれるだけ。そう、護堂は直感したからだ。

 

「前置きもなしか。いや、そうだな。今更前置きも何もない。いいだろう。彼女の身に何が起こっているのか、説明をしてやろう。もっとも、聞いたところで君たちに何が出来るでもないがな」

 

 そして淡々と、秋雅は護堂達に語った。草壁椿の身に何が起きたのか。彼女の父の狂気と凶行。彼女にかけられた術の過程と結果。これから起こることとその対処法。そして、彼女の死による決着。そういったことを、秋雅はどこまでも平坦な口調で告げていく。まるで、護堂達の反応や、彼女の身にかかった不運など意にも介していないかのように。

 

「――以上だ。現状は理解できたかね?」

 

 そんな確認の言葉すら、やはり熱の篭らぬ口調であった。不快そうに顔を顰めるエリカにも、かの狂気に対し憤りを見せるリリアナにも、絶望に顔を青ざめる祐理にも、そして理不尽に震える護堂にも、まるで何も感じていないかのような風だった。

 

「稲穂さん、アンタは――」

 

 何故、そこまで平然としていられるのか。今、草壁椿に課せられている問題すら忘れて、護堂は思わずそう問いかけようとした、その時だった。

 

「失礼します」

 

 ノックの後、護堂達の背後のドアが開かれた。振り向くと、そこには二人の男女が立っていた。二十代ほどの女性と、三十代か四十代ほどの男性。共にスーツを着たその二人は、目の前に居る護堂達に驚いたような表情を浮かべたものの、すぐさまに表情を戻してこちらに対し頭を下げる。

 

「失礼。草薙護堂様とお見受けいたします。正史編纂委員会福岡分室所属、三津橋と申します」

「同じく、福岡分室室長、五月雨と申します」

 

 男性、女性の順で二人はそう名乗った。福岡分室、しかも一人はエリカの話にも出てきた魔術師と分かり、護堂はどう反応すればいいのかと一瞬うろたえる。

 

「結果が出たのか、三津橋、五月雨室長」

 

 護堂が反応するよりも早く、秋雅は二人に対し声をかける。二人がその言葉に頷きを返すと、秋雅は護堂たちに視線を向けながら、

 

「では、説明を頼もう。彼らのことは気にせずに、な」

「稲穂様がそう仰るのでしたら。室長、お願いします」

「はい、では、検査の結果ですが…………」

 

 言葉がそこで途切れる。そして、言い悩むように視線をめぐらせた後、意を決したような表情で、五月雨と名乗った女性は言った。

 

「……手遅れ、でした。もはや、彼女の術を解く方法はありません」

「それは……! 一体どういう意味ですか!?」

 

 五月雨の言葉に、祐理が叫ぶように問いかける。そんな彼女に答えたのは、結果を告げた五月雨ではなく、結果を求めた秋雅のほうであった。

 

「その通りの意味だ、万里谷祐理。もはや草壁椿の命と術の解除を両立させる手段は無い。他の多くの人を救うため、草壁椿は殺さなくてはならない」

「ですが!」

「…………大丈夫ですよ、万里谷先輩」

 

 弱々しい声が、祐理の動きを止めた。ただただ疲れに満ちたその声を発したのは、いつの間にか身を起こしていた草壁椿であった。彼女は、横に座る姉に手を貸してもらいながら、震える祐理に対しかすかに微笑む。

 

「もう、無理なんでしょう? だったら……私はもう、終えたいんです」

「椿、さん……話、を?」

「はい、先輩たちが来る前に、もう説明を聞いていました。覚悟は、その時から出来ています」

 

 何より、と椿は目を伏せて言う。

 

「もう、痛いのは嫌なんです」

 

 件の魔法陣は、対象者に文字通り身を砕かれるような苦痛を与え続ける。稲穂秋雅の説明には、そのことも確かに入っていた。よほどの激痛が、ずっと続いているのだろう。明るく、元気であっただろう彼女が、こういうような表情しか浮かべられないほどに、その痛みには辛く苦しいものであるようである。

 

「椿、さん……」

 

 泣きそうな表情で、祐理はそれ以上言葉を発しなかった。椿の苦痛を、祐理もまた察したのだろう。悲しみや憤りを覚えつつも、しかし彼女の悲痛な言葉を聞いては、もはや表には出せないようであった。

 

「一応尋ねるが、本当にいいんだな?」

「はい……お願い、します」

 

 秋雅の確認と、椿の頷き。彼らはもう、決心をしてしまっているのだろう。だが、それを見ても、護堂はどうしても諦め切れない。他に何かあるのではないか、そんな思いがどうしてもあった。

 

「待ってくれ! 他に方法はないのか!? 何か殺す以外で――」

「――それは彼らに対する侮辱だぞ、草薙護堂!!」

 

 それは、まるで巨龍の咆哮のようであった。護堂の言葉を遮るように、稲穂秋雅は怒りの声を上げる。その凄まじさたるや先の淡々としたものなど欠片も無く、ビリビリと部屋やこちらの身体を痺れさせるほどのものであった。事実、エリカたちですら身体を震わせ、祐理にいたっては思わず座り込んでしまっている。

 

「彼女の結論は、彼女と私の知人が見つけたもの。この問題に対し、専門家たる彼らが定めた、もはやそれ以外にないという答えだ! 何も知らぬ君如きが私に協力を誓った者達を侮るなど、不遜以外の何物でもない!!」

 

 非常に強い力に満ちた、怒りを表す表情と声。今の秋雅の姿は、まさしく憤怒の二文字に尽きていた。こんな彼の姿は本当に珍しいのか、あちら側であろう草壁紅葉や双子の少女ですら、呆気にとられたような表情を浮かべている。

 

「……理解せよ、草薙護堂。もはやこの問題、草壁椿を殺す以外に手段などない。今更君に出来ることなど、何一つとして存在しないのだよ」

 

 一転、再び平淡な口調で、稲穂秋雅はもう一度告げた。もはや、それに対し誰の声も上がらない。先の秋雅の怒りに、この場の全員が完全に飲まれていた。

 

 

 

 

 

 だが、

 

「それでも……」

 

 一人だけ、居た。否定の言葉を投げ、秋雅の怒りを引き出した者。

 

「それでも、まだ何か調べればあるかも知れないじゃないか!?」

 

 草薙護堂は、諦めていなかった。可能性はあるかもと、彼は今度こそ言い切った。

 

 妹が悲しむだろうと思ったからか。友人が気を病むだろうと思ったからか。それとも、単に目の前の少女に同情したからか。それは、護堂自身にも分からない。だが、諦めてはいけないと、そう思ったのは確かであった。

 

「まだ時間はあるんだろう? だったら、他に何か方法がないか調べたほうがいいと俺は思うんだ。俺達も協力するから、だから」

 

 そんな護堂の言葉は、必ずしも間違ったものではなかったはずである。命を救う機会を失ってはならない、その思いは決しておかしなものではない。

 

 

 しかし、

 

「くどいな、草薙護堂」

 

 その想いを、稲穂秋雅は切り捨てる。無駄だと、手遅れだと、秋雅は大きく首を振る。

 

「もう結論は告げた。手はないと既に示した。それでもなお、君は否定するか? それでもなお、君は私の前に立ち塞がるのか?」

「ああ」

「そうか………………では、仕方がない」

 

 ゆっくりと、秋雅は右手を上げる。胸の辺りで開いたその手には、真っ黒な何かの、果物の実らしきものが見えた。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!」

 

 聖句。そう護堂が悟ったと同時、秋雅はその手の果物を握りつぶす。その次の瞬間には、世界はがらりと変わっていた。

 

「な、んだ…………?」

 

 赤い。ただ、その一言に尽きた。壁が、床が、空気が、その全てが赤黒く染まっていた。その不気味に変化した世界は、護堂に自然と、『あの世』という言葉を思い起こさせる。

 

 だが、不思議なのだが、そんなおどろおどろしい世界にもかかわらず、何故か『重い』ものはない。『死』という言葉が自然と浮かぶにも関わらず、この世界の空気には重く纏わりつくようなものはなく、不思議とカラリとしたものがある。死者の世界に限りなく近く、しかし何か決定的なものが違う。そんな印象を護堂は抱いた。

 

 だが、そんな風に呆けていられたのも、精々が数秒程度のことだった。

 

「護堂!!」

 

 焦りに満ちたエリカの声に、護堂はハッと我に返る。それと同時、何か背筋に粟立つような感覚を覚え、護堂は直感のままに横に跳ぶ。

 

 次の瞬間、護堂は閃光と轟音が自身の真横を駆け抜けていったのを知覚した。圧倒的な力を感じさせたそれは、以前に戦ったヴォバン侯爵の雷を思い起こさせる。そう、今しがた護堂を狙うように放たれたのは、まさしく神の雷とでも呼ぶべきものであった。そして、それを放ったのはおそらく――

 

「――稲穂秋雅!!」

「その通りだ、草薙護堂!」

「っ!?」

 

 護堂の叫びに、閃光を切り裂くかのように手刀が現れる。鋭く、真っ直ぐにこちらへと向かってくるその手刀を、咄嗟に護堂は回避しようとした。だが一歩及ばず、バッと開かれたその手に、がしりと腕を掴まれ、そして大きく投げ飛ばされた。

 

「うおおおおおおおッ!?」

 

 護堂の身体が、思い切り後方へと投げ飛ばされる。本来であればすぐに壁なりにぶつかっただろうその身体も、何に止まることなく病院の外に投げ飛ばされた。先の雷によって、後ろにあった壁の一切が破壊されていたのだ。

 

 投げ飛ばされた護堂の身体は、すぐさまに重力に従って落下を始める。そんな中で何とか護堂が姿勢を整えたのと同時、護堂の身体はコンクリートで出来た地面へと墜落した。

 

「いった!?」

 

 着地の瞬間、足などに来た痛みに、護堂は思わず声を漏らす。とはいえ、多少不恰好な着地ではあったものの、病室が二階であったことと何よりカンピオーネ特有の頑丈な身体のおかげで、たいしたダメージは負っていないようである。

 

「……流石に頑丈だな、草薙護堂」

 

 カツカツと、コンクリートの地面を蹴る音に護堂は顔を上げる。わざわざ音を立て、主張するかのように歩いてきたのは、やはり稲穂秋雅であった。彼は立ち上がる護堂を、冷たい目で見下ろしながら言う。

 

「草壁椿の抹殺において、君の存在は決定的なまでに邪魔であるらしい。不都合な介入を防ぐ為にも、草薙護堂、私は君をここで下す」

 

 それは、草薙護堂に対する、稲穂秋雅からの、紛れもない宣戦布告であった。

 




 ようやくここまで来ました。次の一話、二話ぐらいで戦闘を終わらせ、最後に一話締めの話を挟めば、ようやくこの章も終わりとなりそうです。上手く予定通りにいけばいいのですが。しかし書いていて思いましたが、実際護堂ってここまで食い下がるのでしょうかね。食い下がりそうでも、案外諦めそうでもある感じがします。ああ、あと今回秋雅が怒っていましたが、これは彼が真っ当に努力している人間を何も知らない他者が愚弄するようなことを言う事を嫌っているからですね。護堂は原作で、武術は人を傷つけるだけとか魔術は胡散臭いだとか言っていた気がしますが、そういった事を口に出すとやはり秋雅は怒ると思います。エリカとかにそれで守ってもらったこともありますしね。まあ、それでも怒りの度合いとしてはまだ低い方でしょうけどね。実際、護堂の行動によっては、秋雅はそれこそ護堂を完全抹殺しようとするほどに怒る可能性もありますから。

 以下、化身の相性解釈後半



 第六の化身 少年 評価 不明

 正直な話、この権能によって少女たちがどこまで秋雅に対抗できるかというがいまいち分からないというのが大きい。確かに原作を読むかぎり、ある程度はどうにかなるだろうが、個人的にあれは相手がまつろわぬ神であった事が大きいと思う。彼らと違い、秋雅は人間であり、そして必要とあれば姑息な手を打つことも厭わない性格である。そのため、普段ならばともかく、護堂のサポートを行う彼女らを先に撃破しようと考える可能性が高く、流石に各個撃破されると思われるからである。


 第七の化身 鳳 評価 悪くない

 秋雅の主な攻撃手段である雷で発動でき、それと同速度の神速に至れる為攻撃はともかく回避手段としては優秀だと思われる。ただし、時間制限があることと、あくまで同速度である関係上、囲まれるなどすれば当てられる可能性はあると思われる。


 第八の化身 雄羊 評価 良くも悪くも無い

 その気になれば秋雅は護堂を即死、あるいはその全身を消し飛ばすほどの攻撃を行えるので、そうなると発動も何もないと思われる。ただし、そういう手段を取る気があまり現在の秋雅にはないので、彼がその気にならない限り護堂がこれを発動出来ないということは無いだろう。逆説、その気になれば念入りに殺されてしまうので、意味が無いのだが。

 
 第九の化身 山羊 評価 悪い

 発動条件もあるが、道真の権能により秋雅に対し雷系の攻撃はほとんど効かないというのが大きい。もし彼の耐性を破ろうとするならばかなりの呪力を込める必要があるが、そうしたところで雷切によって弱められるであろうことは目に見えている。こと雷の攻撃で秋雅を倒すことは、例えヴォバン侯爵が相手でも難しいだろう。


 第十の化身 戦士 評価 不明

 当てる事が難しいであろうことが評価の理由。また、『剣』を避け続けた場合の劣化、他の権能による攻撃を受けた場合の挙動など、いまいち解釈が不明な部分があることも大きい。攻撃手段も回避手段も豊富な秋雅からすると、表に出ている『剣』以外の権能で護堂を追い詰めることは不可能ではないと思われる。



 以上が、私なりに考える護堂の各化身と秋雅との相性になります。これでもそこそこざっくりとした纏めなので、機会があればもう少し詳しい補足を書くこともあるかもしれません。ぶっちゃけ、カンピオーネの、特に護堂の権能ってふわっとした部分が多いので、この纏めが絶対に正しいとは思っていません。





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『例外』の戦い方







「さあ、行くぞ」

 

 そう言ってゆっくりと、秋雅は右腕を真っ直ぐに上げる。またあの雷かと護堂が警戒する中、

 

 パチン!

 

 と、不意に指を鳴らした。何だ、とその意味の分からぬ行動に護堂が疑問を覚えようとした、その時。

 

 拳を引き、まさに今解き放とうとしている稲穂秋雅の姿が、目の前にあった。

 

「――は、はああっ!?」

 

 理解するよりも早く、護堂の身体が動いた。横っ飛びで躱した護堂の真横を、唸りを上げた拳が勢いよく通り抜ける。それを確認しつつ、護堂は姿勢を整え秋雅と正対する。

 

「そうか、あの転移……」

 

 秋雅がこちらに視線を動かしている最中、護堂はふと秋雅が今何をしたのかを察した。おそらく秋雅は、以前にも見せた転移術を使うことで、護堂にいきなりの不意打ちを放ったのだろう。

 

「流石に、反応はいい。だが、いつまで避けられるかな?」

 

 言って構える秋雅の腕には、いつの間にか銀色に鈍く光る篭手が装着されている。飾り気の無い無骨なそれは、だからこそ振るわれたときの威力を保証しているようにも感じられる。

 

 パチン。再び秋雅が指を鳴らす。咄嗟に反応し護堂が跳び退ると、右前方に秋雅の姿が現れた。もし何も反応していなければ、そのまま至近距離での拳を受けていただろう。

 

「シッ――!」

 

 だが、秋雅の動きもそれでは終わらなかった。転移したと同時、護堂の方に向かって地を蹴る。まるで砲弾のように加速されたその身体には、気の所為か紫電が走っているようにも見える。

 

「このっ!」

 

 目の前にまで迫った秋雅の拳。右、左、そして右と、ドニの剣には劣るとはいえ一般人から見れば十分すぎるほどに速い三連撃を、護堂は勘頼りにどうにか躱す。

 

 

 

 だが、無事に避けられたのもそこまでだった。

 

「――がっ!?」

 

 深々と、護堂の腹に秋雅の蹴りが突き刺さる。鋭い拳のラッシュに隠し、護堂の死角から放ったのだ。

 

「こ、のっ!」

 

 足を引き、更なる一撃を秋雅が加えるよりも早く、護堂は全力で後ろに跳ぶ。腹部に痛みはあるものの、権能による攻撃に比べればまだマシな威力だったので、顔を顰めはしても動くことに大きな支障は出ていなかった。

 

 距離を取り、護堂は痛みに耐えつつも秋雅を睨みつける。次はどう動いてくるかと、警戒を深める護堂と裏腹に、ふと、秋雅は構えを解いて護堂を指差す。

 

「草薙護堂、一つ、君に問おう。君が今すべきことは、一体何だと思う?」

「はあ? そんなの、アンタを倒して、あの子を助ける方法を探すことだ」

 

 流石に護堂ももう、敬語を使う気になれなかった。そして、今から戦いを止めようと説得する気も、無い。ヴォバン侯爵の時と同じで、どちらにも歩み寄る、もしくは譲歩するだけの要素がまるでない以上、ここから説得が通じることはありえないだろう。だから、不本意であるとはいえ、力づくで事態を収束するしかない。そう考えての護堂の言葉に対し、つまらなそうに秋雅は鼻を鳴らす。

 

 

「違うな。それは君が、これからしようと思っている流れに過ぎない。私は、今、と言ったのだ」

「だったら、アンタを倒す、だ。たぶんだけど、そうすればここから出られそうな気がするしな」

 

 そう護堂が判断したのは、以前にエリカが言っていた事を思い出したからだ。稲穂秋雅は、対象と自身を別の空間に移す事が出来る。その事を思い出してみれば、ここがその別の空間とやらなのは察しがつく。

 

 空間を作っているのか、単に移動させているだけなのか。それまでは分からないが、秋雅の権能が関与していることはまず間違いない。であれば、秋雅を倒してしまえばそれを解除することも出来ると、護堂がそう判断したのも自然な流れだろう。

 

「私を倒す……か。ハッ、やはり、な」

 

 護堂の返答に対し、秋雅が見せた反応は嘲笑だった。あからさまな呆れと嘲り。見下しいているというのが良く分かった。

 

「何がおかしいんだ?」

「笑いもしようというものだ。草薙護堂、やはり君は、勝利条件を決めることすら出来ない男なのだな」

「勝利……条件?」

 

 どういう意味だ、と護堂が眉をひそめた瞬間、パチン、とまたもや指を鳴らす音が響く。

 

「――ッ!」

 

 再び、護堂の眼前に現れる、秋雅の拳。それを護堂は状態を逸らし、半ば地面に倒れこむようにして躱す。無論追撃も来るが、それもどうにかこうにか、必死に飛びはね、身体をよじることで直撃を避ける。

 

「この、不意打ちかよ!」

「敵の言葉を聞きすぎる君が悪いだけだ。これで直撃すれば、さらに滑稽だったのだがな」

 

 思わず護堂が悪態をつけば、秋雅は何も気にした風でもなく薄く笑う。何かやりにくい、と護堂は素直にそう思う。そんな護堂に対し、秋雅は追撃を仕掛けるでもなく口を開く。

 

「さて、草薙護堂。君は勝利条件を決められぬ人間であることは分かった。故に私は判断する。君は、責任を抱けぬ人間である、と」

 

 話を続けるのかよ、と思い、しかし続いた言葉に護堂はつい反応してしまう。

 

「責任を抱けない、だって?」

「そうだ。だから君は、甚大な被害を出しても気にしない。一時、自分の行いに頭を抱えても、結局はそれだけだ。その後の復興に関与するでもなければ、そもそも破壊を防ぐようなこともしない。自分の成したことに責任を抱けていないと、そうではないか?」

「それは……」

 

 思わず、護堂は言葉に詰まる。確かに、と一瞬でも思ってしまったからだ。特に秋雅のような、周りにたいして被害を与えないという手法を取れる人に言われては、ぐうの音も出ないところはある。

 

「責任を抱けないということは、自分を正しく客観視していないということでもある。己がどういう存在で、何が出来て、何をしないということを理解して――定めていない」

 

 つまり、と秋雅は護堂を見下すように言う。

 

「君の軸は定まっていない。だから通すべき信念が薄い。決めた事を全うしようという決意がない。君には一本筋が通ったものがない。これでよく他の王に勝てた――いや、勝っていないな。ただ、死んではいけないところで死んでいない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)だけか。まったく、器ではないな。それぞれ己がどういう者かという事を理解し、貫いている点を見れば、サルバトーレ・ドニやヴォバン侯爵のほうがまだ敬意を持てる」

「好き勝手――」

 

 パチン、と三度指が鳴る音が響く。反射的に護堂がその場から飛び退いたと同時、一瞬前まで護堂の頭があったところを秋雅の回し蹴りが通り過ぎる。

 

「――ッ!?」

「だから! 君は勝利条件を――私を殺すという手段を提示出来ない。人を殺す覚悟もなく、しかし神すらも殺せる力を、楽観と共に私達(カンピオーネ)に対して振るう」

 

 場違いなほど淡々と放たれる秋雅の言葉を伴奏に、踊るように蹴りは放たれ続ける。勢いこそ達人には劣るだろうが、途切れぬ猛攻は護堂に回避を強い、秋雅の言葉に反論を許さない。

 

「カンピオーネなら死なないから大丈夫だと思っているか? 違うな、我等とて同胞や仇敵たちの攻撃を受ければ容易く死に至るのは必定の理。それは君自身も良く分かっているはず。であるのに、己が与える死の可能性を真っ直ぐに見ないのは、殺人という責任を抱け無いからこその現実放棄そのもの――だ!」

「ガッ……!」

 

 続いてきた蹴舞が突然に止み、虚をつくように掌底が放たれた。真っ直ぐに迫る秋雅の掌底は護堂の回避を上回り、胸を強かに打ちながら護堂の身体を吹き飛ばす。

 

「異議もあるだろう。反論も抱くだろう。しかし、君に選択肢などない」

 

 痛みに耐えながら身体を起こそうとする護堂に、何故か秋雅は追撃を行わない。ただ、その冷たい瞳でもって護堂を見下している。

 

「君が彼女を救いたいと思うなら、私を殺すほかにない。逃せば私は何度でも現れ、君を討とうとするだろう。君は彼女を救うために時間を欲するが、私は彼女を殺す為の時間さえあればいい。たったの一度、君の行動を短時間でも阻害すれば目標は達される。私の殺害は、君の本懐を遂げる為の必要条件なのだよ」

「……それがどうしたってんだ」

 

 胸を押さえつつも立ち上がり、護堂はそう吐き捨てる。

 

「それはあくまでアンタの理屈だ。アンタの解析だ。好き勝手に人をああだこうだと言ってもらっちゃ困る」

「ほう、この程度の言葉では大きな動揺もしないか。流石と言うべきか、やはり客観視出来ぬ故と言うべきか。さて、どちらかな?」

「それも、こっちを動揺させるための問いかけだろ」

「正確には挑発だな。実の所、私は普段戦闘中グダグダと話したりはしない。格上の相手に対し、手よりも口を動かすなど無駄なことだからだが……では何故、私は今話していると思う?」

 

 これも挑発か、と護堂は顔を大きく顰める。秋雅にとって護堂は格下で、お喋りをするだけの余裕があるのだと挑発しているのだ。しかもやらしいことに、その理屈と口調は護堂に、ある程度の不快と怒りを発生させることに成功している。これ以降、完全に冷静な行動を取ることは出来ないだろうと、護堂はそう感じざるを得なかった。

 

 

「ところで、草薙護堂。もう一つ、私は君に問いを投げかけたい。何故私は、ここまでたいした権能を使っていないと思う? 流石に、今まで見せたのが私の手の全てだとは君も思っていないだろう?」

「……それも、俺を下に見ているからか?」

「いいや、違うな。むしろ君の権能を警戒しているからこそ、私はこんな戦い方をしているのだよ」

 

 どういう意味だ、と護堂は思う。確かに、秋雅の戦い方は奇妙だ。素人とは言わないが、秋雅の体術は護堂でも――回避に限っての話だが――ある程度は対処出来ないこともないレベルだ。少なくともこれでまつろわぬ神に勝てるとは思えない以上、最低でも一つ以上の攻撃手段、攻撃用の権能を秋雅は所持しているはずだ。

 

 にもかかわらず、彼が今まで使って来たのは、この謎の空間を除けば転移の権能だけ。押しているとはいえ、本当に勝つ気があるのかと思ってしまう戦法だ。

 

「草薙護堂。君の権能は確かに強力だ。ウルスラグナの十の化身は、それぞれが時に一つの権能に迫るほどの力を持っているだろう。だが、故に条件が厳しい。元々変幻なる権能は条件が厳しいものだが、君の権能はそれに輪をかけている。圧倒的な膂力、神の如き速度、こと細やかな知識など、君の権能は厳しい条件を、しかも相手に依存しなければならない。神の如く、神殺しの如く、強く、圧倒的な存在だからこそ、君の権能は使用できると言っていいだろう」

 

 だからこそ、と秋雅は言う。

 

「私はあえて力を振るわない(・・・・・・・・・・)のだよ」

「それは――」

 

 どういう意味だ、と護堂は問いかけようとした。

 

 

 だが、それもよりも先に、護堂の中に答えが浮かんだ……いや、浮かんでしまった。(・・・・・・・・ )

 

 

「――まさか!?」

 

 ゾッとしたものが、護堂の背を走った。言葉に出した通り、まさかという思いが護堂の中に生まれる。まさかこの王は、と護堂は信じられないような者を見る目で秋雅を見る。

 

 そんな護堂の反応に、秋雅は薄く笑みを浮かべながら頷く。

 

「そう、その通り。私は君を、人の限界を超えぬ程度(・・・・・・・・・・)の力でしか攻撃しない。人の速度、膂力、反応速度。それをギリギリ上回らぬ程度の攻撃を、淡々と君に叩き込む。そうすれば君は、君の持つ権能を一切使えぬままに、私に敗北することになる。脳への攻撃がカンピオーネにもある程度は通ることは実証済みだ。打撃により脳を揺らし、気絶に追い込む。ただの人の力でも、それは決して難しいことではない」

 

 稲穂秋雅は『例外』である、というエリカの言葉を、今ここで護堂は実感した。彼以外の王に、このような発想が出来るはずがない。並みの王であれば、誰であれその圧倒的な力で相手を押しつぶすだろう。こんな、まるで弱者のような戦い方を王が取ろうとするなど、誰が思おうというのか。

 

 さあ、と護堂はゆっくりと見せ付けるように構えながら言った。

 

「草薙護堂。君は……私に勝てるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな手を打ってくるなんて……!」

 

 風通しの良くなった病室で、エリカは思わず臍を噛んだ。魔術により強化された聴覚で聞いた、思いがけない秋雅の策。それが護堂にとって致命的な策であるからこそ、しまったという感情をエリカは強く抱く。

 

「確かに護堂の権能は、まつろわぬ神やカンピオーネ相手でないと使えない事が多い。とはいえ、それを逆手にとって来ると……しかも、よりにもよってカンピオーネその人が……」

 

 基本的に、カンピオーネの戦い方というのは、その圧倒的な権能で蹂躙するか、あるいは神にも通ずる武を存分に振るうかの二つだ。そしてその戦い方は、どんな状況、どんな相手であれ変わることは早々ない。各王がそれぞれに自分の戦法に自信を持っていて、相手がどんな存在であれその果てに勝利できると確信しているからこそ、彼らはただ己が道を進み続けるのだ。

 

 それが、まさかのこれだ。護堂の権能を調べあげ、それを封じる方向で動いていく。小賢しく、しかし護堂にとっては致命的にもなりかねない戦法を、よりにもよってカンピオーネが行ってくるとは。ただの騎士や魔術師であればどうとでもなるだろうが、力を封じているといえカンピオーネが相手ではそうとも言い切れない。

 

「賢人議会と稲穂秋雅が繋がっているという噂、本当だったようね。まさかこうもあからさまに、護堂の権能の弱点をついてくるなんて」

 

 最悪の事態もありえるかもしれない、とエリカはその美貌を歪めながら判断する。今の状況は、護堂にとって圧倒的なまでに不利であった。

 

「どうする、エリカ? このままでは草薙護堂が危険だ」

 

 エリカと同じ結論に至ったのか、リリアナも焦ったような表情を浮かべる。それは二人の近くに立っている甘粕や、彼から話を聞いたらしい祐理も同じだ。この場の全員が、今の状況が最悪に近いという判断を下していた。

 

「このままでは良くて千日手、悪ければ何も出来ぬまま草薙護堂は嬲られることになる。どうにか状況を打破する手立てを考えなければ……」

「加えて、たぶん千日手になったところで、稲穂様にはそれほど不利に働かない、というか、どちらかというと草薙さんの方こそ不利になりますか。この場所に連れてこられた以上、こちらにはタイムリミットはありますが、あちらにはそのリミットを待っても問題ないはずです」

 

 甘粕の指摘ももっともな話だ。今回の戦いが、草壁椿を救うか否かということにある関係上、護堂はあまり長々と戦ってはいられない。長引けばそれだけ彼女を救う方法を調べる時間は無くなるし、もしかすると戦いの最中に限界が来てしまい、彼女が『起爆』してしまう可能性すらある。

 

 対して、稲穂秋雅にとってみては、それはそれで問題ないと思うはずだ。何故なら彼の目的はあくまで壊滅的な被害をもたらさないためであり、この外部と隔絶された空間に移動してしまった以上、たとえ『起爆』したところで被害は最小限に抑えられるはず。精々が椿本人とその姉、そして身体の弱い祐理くらいだろうか。故に、大のために小を切り捨てるという彼の目的は、時間切れでも達せられてしまうのだ。

 

 

「だけど、今護堂が使えるであろう化身があまりに少なすぎる。状況の打破を狙うにしても、稲穂様がそれに乗ってくるかどうか……」

 

 現状把握している、草薙護堂の化身の中で戦闘に使えるもの全部で七つある。だがそのうち『雄牛』や『鳳』は秋雅が攻撃を抑えているせいで使えず、『駱駝』を使うには負傷が足りない。今ここにいる程度の人数では『山羊』は発動出来ないだろうし、『戦士』に至っては斬るための知識どころか斬る対象すらはっきりとしない状況だ。最大火力である『白馬』も、正直発動できるかどうか怪しい所だ。民衆を苦しめる大罪人を対象とするこの化身は、ひょっとすると稲穂秋雅をそれと認めないかもしれない。他の王と違い、彼には暴虐の過去というのがまったくないのだから。

 

 

「唯一使えそうなのは『猪』の化身だろう。ここなら、あれを使うことにも問題は無いはずだ」

「……だけど、おそらくそれも、稲穂秋雅は読んでいるはず」

 

 言いつつ、エリカは地上に目を向ける。視線をやったのは秋雅と護堂ではなく、その遠くから戦いを見守っている三津橋たちだ。二人の戦いが始まってすぐ、彼らは草壁椿と共に地上に飛び降り、病院から僅かに離れた場所から戦いを見守っている。そんな行動をすぐさまに取ったのもおそらくは、単にエリカたちを近くに置いておきたくないという以上に、護堂が『猪』を使ってくると読み、その破壊に巻き込まれないためなのだろう。

 

 

「せめて、クオレ・ディ・レオーネが呼び出せれば……」

 

 愛剣さえ手元にあれば、とエリカは無手を握りこむ。かの獅子の剣があれば、それを銀の巨大なる獅子へと変化させることで、護堂に『雄牛』の条件を満たせる事が可能だ。

 

 だが、残念ながらエリカはそれを行う事が出来ない。どういう理屈か、普段であれば簡単に発動できるはずの『召喚』の魔術が、どうやっても発動出来ないからだ。その理由を答えたのは、同じく愛剣を呼び出していないリリアナだ。

 

「おそらく、この空間は外部と完全に切り離されているんだろう。私達程度の魔術ではその壁を突破出来ない。旅神やその権能であれば可能かもしれないが……」

 

 しかし、そんなことは不可能だ。結局、この空間に取り込まれる直前に愛剣を呼び出さなかった時点で、エリカとリリアナは稲穂秋雅に敗北したようなものだ。これでは、護堂に代わり戦うこともろくに出来ないだろう。

 

「この状況で、ただ見守るだけなん――!?」

 

 突如、地が大きく揺れた。地震かと勘違いしそうなそれが、とある化身の出現の予兆であると、エリカは良く知っている。

 

「使うのね、護堂!? 今打てる唯一の手を!!」

 

 となれば、自分達も下に降りなければならない。これから起こるであろう破壊に巻き込まれないために、エリカは急ぎ祐理たちに行動を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「主は仰せられた――咎人に裁きを下せと。背を砕き、骨、髪、脳髄を抉り出せ! 血と泥とともに踏み潰せ! 鋭く近寄り難き者よ、契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 

 護堂の唱えた聖句と共に、秋雅の眼前の空間が歪む。その内より現れたのは、全長二十メートルはあろうかという巨躯に、鋭い牙を持つ獣。これこそ、護堂の化身の中でも一、二を争う破壊力を持つ化身である『猪』だ。発動条件として何かしらの巨大建造物を破壊させる必要があるが、この辺り一帯の何もかもをも破壊していいと言うと、この化身は嬉々として現れた。特別巨大なものはないが、何もかもというところがどうやら奴の琴線に触れたらしい。こればかりは、このいくら壊してもいいと秋雅の空間が役に立った形と言えるだろう。

 

「遠慮しなくていいから、全力で暴れろ!」

 

 この、現時点で数少ない使用可能な化身を、護堂は秋雅の話を聞いてすぐに発動させた。延々と攻撃を受け続けチャンスを待つよりも、自ら場を動かすことで相手に超常の力を発動させ、それを元に更に手を増やす方を選んだのだ。

 

「『猪』を使ったか! ならば、流石にこちらも本気を出さなくてはならんな!」

 

 『猪』の出現に対し、秋雅は不敵に笑い、右手を挙げる。次の瞬間、その手の中には鎚のようなものが現れた。やや小ぶりで、明らかに柄の短い鉄槌は、彼の代名詞でもある『雷鎚』なのだろうか。その鉄槌を天に掲げながら、秋雅もまた聖句を唱える。

 

「雷雲よ、来たれ! その身に絶対なる破壊の力を携えて、我が敵の悉くを討ち滅ぼせ!」

 

 秋雅の聖句と共に、護堂達の頭上に陰が落ち始める。見れば、赤黒い空を黒々とした雲が覆い始めていた。護堂には一目で、それがヴォバン侯爵のそれと同じ、呪力と破壊をその内に秘めた雷雲であると察する事が出来た。

 

「来たれ、雷を支配せし双の刃よ!」

 

 更なる秋雅の命令は、彼の両の腰に二本の剣を出現させる。そのうちの、右腰に差した方を左手で抜き、秋雅は眼前にそびえる『猪』を指して言う。

 

「宝剣よ! 我が異なる名の元に、我が敵にその力を示せ!」

 

 雷雲の内の呪力が高まった。そう護堂が感じた直後、雷雲よりついに雷が放たれた。ヴォバン侯爵のそれに見劣りもしないそれは、始まりの閃光を皮切りにして、段々と数を増加させながら、続けざまに『猪』を打ち据える。

 

 絶え間ない雷撃に、『猪』が落雷の轟音に負けぬほどの咆哮を上げる。それは衝撃波となって周囲の物体を破壊していくが、天空に広がる雷雲にまでは届かない。避ける為に動こうにも、それを読んでいるかのように的確に、無慈悲なまでに雷が襲う。思わず顔を顰める護堂の前で、段々と『猪』の咆哮に悲痛なものが混じっていく。

 

「アイツ、案外打たれ弱いんだなあ……」

 

 攻めているときは調子の良い『猪』であるが、守勢に回るとどうにも弱いらしい。目の前の光景に、思わず護堂は状況を忘れてそんな感想を呟く。だが、護堂がそんな風に暢気をしていられたのもそこまでであった。

 

 パチン、とこの落雷の轟音の中で、不思議とその音は響いた。また転移か、と反射的にその場を飛び退った護堂であったが、

 

「――はあっ?!」

 

 目の前の光景を見て、思わず護堂は呆気にとられた。何故ならば、肉を打ち据えた鈍い音と共に、『猪』の巨体が確かに浮いていたからだ。さらにその真下には、まさに今しがた打ち付けましたと言わんばかりに、その手の雷鎚を振りぬいている秋雅の姿が見える。

 

 まさか、その小さな鎚で、あの巨大な『猪』を殴り飛ばしたと言うのだろうか。愕然とする護堂の目の前で、パチンという音と共に秋雅の姿が掻き消え、次の瞬間には『猪』の真横に出現する。

 

 

「でえいっ――!」

 

 秋雅が、『猪』に向かってその手の『雷鎚』を大きく振りぬいた。そのインパクトの瞬間、再び鈍い音が周囲に伝わり、その巨躯をその場に固定していた落雷が突然に止んだこともあり、宙に浮いていた『猪』は数メートルほど吹っ飛び、地を揺るがしながら倒れこんでしまう。

 

「マジかよ……」

 

 その光景に、護堂の首筋を冷たい汗が伝う。まさか、あの暴れん坊の『猪』が殴り飛ばされてしまうとは。ヴォバン侯爵のそれに迫るほどを落雷が続けざまに放たれたことなどよりも、こちらの方が護堂にとってはよほど驚くべき光景だ。護堂も『雄牛』の化身を使うことで超常なる膂力を得ることは出来るが、流石にあの巨体を殴り飛ばすことは出来まい。

 

 だが、そうして倒れこむ『猪』に意識を向けてしまったのが悪かったのだろう。

 

「護堂!」

「――ッ!?」

 

 エリカの叫びに、護堂はようやく迫り来る脅威に気付いた。そう、『猪』を殴り飛ばした秋雅が、ただ黙ってその倒れこむ様を見ていたはずが無い。護堂がそちらに意識を向けている間に、その剣と鎚を手にして、護堂に向かって駆けてきていたのだ。しかも、先ほどまでのものとは違い、およそ常人では出せない跳躍と速度で。

 

「呆けている場合か!」

「くっ!?」

 

 気付いたのが遅すぎた。護堂が秋雅の存在を認識した時には、彼は既にあと一歩で護堂の首に届くというところにまで迫っていた。そしてその一歩を踏むと共に、秋雅は左手の剣を振るう。その刃は速く、そして長い。護堂が背後へ踏み切るよりも、その刃は護堂の首を掻き切るだろう。

 

「く、そっ!」

 

 だから、護堂は足ではなく、背を動かした。上体を逸らし、その刃をギリギリで避ける。気付いたタイミングを考えれば、十分すぎるほどに見事な反応速度。だが、それでもまだ、稲穂秋雅のほうが上手であった。

 

「シッ――!」

 

 剣を振るった勢いをあえて殺すことなく、秋雅は己の身体全体を円運動に巻き込んだ。その結果起こるのは、剣と入れ替わりに現れる背面回し蹴り。その蹴りは、体勢不十分な護堂の腹部を強かに打ち据えた。

 

「ガハッ!?」

 

 蹴りの勢いに、護堂は呼気を吐き出しながら吹っ飛ばされる。受身を取る暇も無く、その背は硬いコンクリートの地面に叩きつけられる。『猪』の出現で周囲の地面がひび割れ、一部では隆起していることを踏まえれば、平坦な場所に倒れたのはまだマシなのだろうが、そんな不幸中の幸いを護堂が実感する暇は無い。何故ならば、護堂が周囲を見渡すよりも先に、飛ばした護堂に追いついた秋雅が、その鉄鎚を天に振り上げていたからだ。

 

「――受けるがいい!」

 

 その言葉と共に、今立ちに伏す護堂に向かって、秋雅の鉄鎚が放たれた。

 

 




 一旦ここまで。予定よりも短い部分で切ったので、戦闘はあと二話に伸びるかもしれません。あと今回の秋雅の戦法ですが、実際護堂って神様の力とかを使わない方が勝てそうな気がする時があります。獣じみた直感を除けば、素人がポンポン爆弾を投げればそのうち死にそうなきもするんですよね。まあ駱駝とかありますし、無いにしても死にそうな気は結局しますが。カンピオーネですしね、護堂は。

 あと、本文で秋雅が護堂に対し色々言っていますが、あれはあくまで挑発に言っているだけなので、実際の彼および私の考えとは必ずしも一致しませんと念のため言っておきます。まあ、護堂に殺すことの覚悟があるかどうかを疑問視しているのは合っていない事もないですが。ドニとの最初の戦いとか、護堂は武器を封じましたが、多分秋雅なら鋼の肉体の方を潰して攻撃を通す、殺す方を選ぶでしょう。他の王も何となくそっちを選ぶ人はいそうな、いなそうなという気がします。まあ、カンピオーネって案外人の、それこそ敵の命すらあんまり感心なさそうな風にも思えるんですけどね。死ぬならそれで、生き残ってもまた戦いを吹っかけてくるなら面白いと。ある種、強者の余裕というか、上位者の驕りのようなものがあるような気がしないでもないです。

 それと予定していた章全体の後書きですが、次回に延期します。代わりに、原作最終刊を一通り読み終わったので、それによる本作の今後の展開等に関して、活動報告の方にうたうだと書いたものを投稿しています。原作と後の展開に関してのネタバレがありますので、興味のある人だけ読んでください。




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戦いは加速する





 護堂の眼前に、無慈悲な鉄槌が迫ってくる。その絶体絶命のピンチは、しかし同時にチャンスにもなった。

 

「――ウオオオオオオッ!!」

 

 身体の底から搾り出すように叫びながら、護堂はその右手を地面に叩きつける。そのちっぽけな拳が地を割り、大地を揺らす。それだけに留まらず、激震を与えたその力の反動で護堂の身体は地面を反発するように跳ね上がり、左半身を軸とするように一回転する。そのまま流れるように立ち上がり、そしてすぐさまに振り向けば、眉をひそめながら立つ秋雅の姿が見えた。

 

「なるほど、私の『雷鎚』は君の『雄牛』の化身を発動させるに足るのだな」

 

 不本意、と言いたげな口調で秋雅がつぶやく。彼が振るう、護堂の『猪』すら殴り飛ばせる『雷鎚』には、『雄牛』を発動させるに十分な力が込められていた。おそらく、サルバトーレ・ドニが権能で生み出した大剣を同じ理屈だろう。大剣はかなりの重量物であったが、ドニはまるで体の延長線上のように自在に扱う事が出来た。秋雅と『雷鎚』もまた、同じ関係なのだろう。おかげで、護堂は命の危機を回避するために『雄牛』の力を使い、窮地を脱する事が出来たのである。

 

 いや、窮地を脱しただけではない。『雄牛』の発動は、そのまま護堂に新たな攻撃のチャンスももたらしてくれた。

 

「今度はこっちの番だ!」

 

 『猪』が暴れた影響で、周辺にはコンクリートやらの破片や何やらが幾つも転がっている。そのうちの一つを護堂は拾い上げた。陸上競技の砲丸などよりもよほど大きく、そして重いが、『雄牛』の膂力と護堂の野球選手としての経験があれば十分な武器だ。そのまま振りかぶり、さながら野球のボールを投げるかのように、秋雅に向かって全力で投げ飛ばす。

 

「確かに速いが、この程度ならば」

 

 しかしその剛速()を、秋雅はひょいと避けてしまう。転移すらせずに、ただ数歩身体をずらしただけで、である。

 

「だったら、これはどうだ!」

 

 それを見た護堂は、今度は小さめの瓦礫を複数拾い、フォームに拘らず連続で投げる。重量と体積は落ちたが、むしろ速度は上がっている。これならば、と護堂は投げながら見るが、秋雅はやはり軽やかにそれを避けてしまう。どうやら瓦礫そのものを見ているのではなく、それを投げる護堂の動きを観察し、その射線上から逃れるように避けているらしい。

 

「こりゃ、野球ボールの方が当たりそうだな……」

 

 元々投げるためのものでもない以上、どうやったところで瓦礫を真っ直ぐ以外に投げるのは難しい。投擲の時点で方向が読まれてしまう以上、これはどうやっても当たりはしないだろう。

 

 どうするか、と周囲に視線をやると、ちょうどいいところに電柱が立っているのを発見する。これならば重さも長さも十分だろう。普段であれば絶対に武器などにしないが、ここはそういうことを気にしなくてもいい空間だ。

 

「――うおおおっ!!」

 

 電柱に手を突っ込み、中の鉄筋を掴みながら腕を思い切り手前へ引く。少々の抵抗の後、電柱は見事根元からへし折れ、護堂の腕に収められる。上空の電線も『雄牛』の膂力で引っ張ればすぐに切れ、ついに護堂は数メートルにもなるコンクリートと鉄筋で出来た『棍棒』を手にすることに成功する。

 

「だらあああっ!!」

 

 前方に走り出しながら、護堂は手にした『棍棒』を強引に振り回す。当たれば怪我では済まぬような豪快なスイングに対し、

 

「リーチは良いが、遅い」

 

 秋雅はそんな事を言いながら、その攻撃が迫る直前でまたパチンと指を鳴らす。その次の瞬間に秋雅の姿はその場から消え去り、『棍棒』は目標を失い空振ってしまう。

 

「ッ!」

 

 空振った瞬間、護堂の背筋に悪寒が走った。そのまま直感に従い、護堂は瞬時に全力で跳び退る。

 

「――っと、流石に」

 

 一瞬前まで護堂が居たその場所に、秋雅の姿が突然に現れる。その手には雷鎚を構えており、もし護堂が何も反応しなければ、そのまま振り下ろされていただろうことは想像に難くない。

 

「いかに威力があろうとも、当たらなければ意味がない。これは今の私達の、そのどちらにも言える理屈だが……」

 

 そこまで言って、秋雅は意味ありげに護堂を見やる。何を言いたいのかは護堂にもすぐに分かった。たとえ結果が同じでも、果たしてどちらの分が悪いのかと言いたいのだろう。悔しいことに、現状で分が悪いのは間違いなく護堂の方だ。

 

「さて、草薙護堂」

 

 パチン、とまたもや指を鳴らす音が辺りに響く。咄嗟に護堂は後方に跳び退るが、その着地した護堂の目の前に秋雅の姿が現れる。

 

「なっ!?」

「素直だな、君は!」

 

 護堂の回避を読んだ秋雅は、手にした雷鎚を振り下ろす。避けられない、と悟った護堂は振り下ろされる雷槌に向かって右腕を突き出し、それを受け止める。

 

「ぐっ……!」

 

 鈍く肉を打つ音が響く。見事、護堂は『雄牛』の力の元に雷鎚をその掌で受け止めていた。だが、無傷ではない。体勢が悪かったのか、護堂の力の使い方が未熟だったのか。『雄牛』の力を持ってしてなお雷鎚の破壊力を完全に受けることは出来ず、その痛みは腕を伝って護堂の全身を苛める。

 

「だが甘い!」

「がはっ!!」

 

 雷鎚を受け止めた所で、秋雅にはまだ自前の脚がある。護堂の防御に対し、秋雅はすぐさまにその膝を護堂に叩き込んだ。なまじ雷鎚を真っ向から受け止めてしまったために、その攻撃は護堂の腹に深々と突き刺さる。

 

「シッ――!」

 

 さらに、秋雅の攻撃は止まらない。護堂に掴まれた雷鎚を手放しながら一歩下がり、今度は護堂の顎に向かって脚を振り上げる。宣言通り、護堂の頭を揺らして行動不能にしようというのだろう。

 

「こ、のっ!」

 

 手の中に残る、異様なほどに重い雷鎚をその場に捨てながら護堂は身体を右に捻る。結果、掠めはしたもの護堂はぎりぎりその蹴りを避けることに成功した。

 

 そのまま、護堂は身体を捻った際に下がった右足を前に出し、右の拳を秋雅に向かって打ち放つ。完全に素人の拳だが、『雄牛』の力の篭ったそれは当たれば簡単に致命傷となりうるだろう。

 

「ふん……!」

 

 だが、それもあくまで、当たればの話。明らかに武術を学んでいるであろう秋雅には、その拳は児戯にも等しかったのだろう。密着しそうなほど近距離で放たれたにもかかわらず、秋雅は少し身体を動かすだけで護堂の拳を避けてしまう。そしてそのまま、今度は掌底を叩き込もうとしてくる。

 

 この距離は不利であると、護堂は今までの攻防からそれを察していた。故に、秋雅の掌底からの回避も兼ねて、護堂はまたもや後方へと跳ぼうとしたのだが、

 

「――ッ!?」

 

 これまででも特大の悪寒が、護堂の背筋を走った。このままではまずい。根拠もなにもない直感に従い、護堂は咄嗟に飛ぶ方向を後ろではなく右に、半ば転がるようにしてその場から回避する。

 

 次の瞬間、秋雅の掌から閃光と轟音が放たれた。ただの掌底と見せかけ、秋雅が雷を放ったのだ。もし護堂がそのまま後方に跳んでいたならば、今の雷によって深手を負っていたに違いない。

 

「くそ、マジで容赦なしだな!」

「言っている暇があるのか!」

 

 パチンと、何度目かの音が響く。条件反射的に護堂がその場から跳べば、秋雅がその近くに転移する。それを受け、護堂は更に跳ぶ。今度は『雄牛』の力も使い、今まで以上の勢いで跳躍する。それにより転移してきた秋雅に対し大きく距離を取る事が出来たが、そうするとまた、秋雅はパチンと指を鳴らして護堂の近くに転移をしてくる。

 

 こうなればいたちごっこだ。護堂が跳び、パチンと音がして、秋雅が転移する。それを幾度か、ほぼ止まることなく二人は続ける。先ほどのように護堂が跳躍先で捕らえられなかったのは、大地から引き出す『雄牛』の力を上げ下げすることで飛距離を変化させていたからだ。おかげで秋雅も先読みが出来ないようなのだが、しかしそれがどうしたと言わんばかりに、諦める素振りもなく指を鳴らしながら転移を繰り返してくる。

 

「いい加減、このままじゃキツイな……」

 

 そんなことも何度も繰り返すと、流石に護堂の忍耐力にも限界が生じてくる。このまま何処までも飛び跳ねていられるかと、いい加減嫌気が差してきたのだ。とはいえ、感情面を除いても、そろそろ何かをしないといけない頃合だ。『雄牛』の化身もいつまでも使えるわけではないのだ。そろそろ決めにかからないと戦う力を失うことになる。

 

 何か無いか、と護堂が辺りを見ると、先ほど捨てた『棍棒』が視界に入って来た。あれをまた使うかと、今度はそちらに向かって跳躍する。着地して拾い上げ、おそらく転移してくるであろう秋雅に対してカウンターを叩き込むしかないと、そのような策を護堂は立てる。

 

「駆け引きがなっていないな、草薙護堂!」

 

 だが、その動きは秋雅の前には些か素直すぎたようであった。護堂が着地したと同時、秋雅は護堂に向かって、手にしていた雷鎚を投げた。『雄牛』をもってなお異常とすら思う重量であるとは思えぬほど、雷鎚は風切音を立てながら凄まじい速度で護堂に迫る。

 

「くそっ!」

 

 唸りを上げながら飛んで来る雷鎚を、護堂は咄嗟に姿勢を低くして躱す。跳躍ではないのは、武器を拾い上げようとしゃがみかけていたからだ。地面に近くなった護堂の頭の上を、音を立てながら雷鎚が飛んでいく。

 

 無事、致死の一撃を回避できた。そのことに僅かに安堵しつつ、改めてと護堂は武器を拾い上げようとしたのだが、

 

「なっ――!?」

 

 目の前の光景に、思わず護堂はギョッとした。今しがた頭の上を過ぎ去ったはずの雷鎚が、またもや自分に対し向かってきていたからだ。どういうことか、と考える暇すらない。避けなければ、と護堂はまたもや武器を拾うのを止め、低い姿勢から跳躍しようとした。

 

 

 

 だが、一歩遅かった。

 

「――がっ!?」

 

 跳躍の前準備として、立ち上がりかけていた護堂の背に重い衝撃が走った。背骨に対し直角に放たれたそれは、護堂の動きを一瞬硬直させる。その一瞬が、どうしようもなく致命的であった。

 

「ご、は……っ!?」

 

 護堂の胸、右の鎖骨の下辺りに雷鎚が突き刺さる。その重量と勢いが肋骨を割り、その折れた骨と共に肺をひどく傷つける。

 

「う、うおおおおおっ!!!」

 

 致命傷を自覚したと同時、護堂は『駱駝』の化身を使用する。傷ついた肺を無理矢理動かすように大声を出しながら、背後にある気配に向かって回し蹴りを放つ。護堂にしてみれば間髪をいれずに放ったつもりの蹴りであったが、背の気配――秋雅にとっては予想通りだったのが、軽やかに跳躍することで回避してしまう。

 

「『駱駝』の化身を使ったか。なるほど、聞き及んでいた通りの鋭さのようだな」

 

 数メートルほど離れた所から、秋雅は感心したように言う。余裕綽々なその態度を見るに、やはり護堂が『駱駝』の化身を使うことも想定していたのだろう。

 

 それにしても、一体何が起こったのだろうか。鈍化した痛みを感じつつ、護堂がまず思い浮かべた疑問だ。避けたはずの雷槌は前に戻り、前にいたはずの秋雅はいつの間にか後方から奇襲をかけてきた。

 

 果たして、秋雅はどのような手を使ったのか。そんな護堂の疑問を解決したのは、二人の戦いを見守っていたエリカであった。

 

「気をつけて、護堂! 稲穂様の転移は自身だけじゃない! 自分と、それ以外の何かの場所を入れ替える事が出来るのよ!!」

「――そういうことか!」

 

 戦いの外から発されたエリカの警告の声に、護堂は何が起こったのかを理解する。おそらく秋雅は雷鎚が避けられたのを見て、雷鎚と自身の居場所を入れ替えたのだろう。その結果、入れ替わるように前方に現れた雷鎚は、再び護堂に向かって飛来し、後方に現れた秋雅は雷鎚を確実に当てるために護堂を強襲したに違いない。

 

 だが、それにそれにしても、もう一つ疑問もある。それは――と考えたところで、護堂はその答えに気付き、大きく顔を顰める。

 

「……こっすい手を使うんだな、アンタは」

「無様に引っかかった者が言っても、負け犬の遠吠えとしかとられんぞ」

 

 嘲るように言って、秋雅は指をパチンと鳴らす。しかし、それで秋雅の姿が消えることはない。そのことに、やはりと護堂は確信する。

 

「アンタの瞬間移動、本当は指を鳴らす必要なんてないんだな。でもわざとそれをやって、俺に必要なものだと誤解させた」

 

 だから、護堂は先ほどの攻防で秋雅の転移に気付けなかった。知らず知らずのうち、指を鳴らさなければ転移出来ないと思わせていたからだ。偽りの合図を信じた結果、肝心なところで護堂は致命傷を受けてしまったということになる。

 

「必要とあれば小技も使うのが私の戦いだ。そもそも、引っかかる方が愚かな手だろう。思い出してみるといい。初めて会った時に、私はそんなことは一切行っていない」

 

 確かに、護堂が秋雅と初めて会った時、秋雅は魔導書と入れ替わりで掻き消えたが、その際に予備動作の類はとっていなかった。護堂が誤解に気付いたのも、エリカの警告からそのシーンを思い出したからだ。もっとも、こうも見事に嵌ってしまった後では、一歩遅かったと言わざるを得ないが。

 

 

「――だああっ!」

 

 これ以上後手に回ってはいけない。そう判断し、護堂は秋雅に向かって一直線に駆け出した。深手は負っているが、『駱駝』のおかげで傷の痛みは鈍化している。どうにか耐えられると、護堂は身体に鞭を打って走り、そして秋雅に向かって蹴りを放つ。

 

「真っ直ぐだと言っただろう!」

 

 しかし、その攻撃を、秋雅は余裕をもって回避する。如何に鋭い『駱駝』の蹴りであろうとも、その蹴りが届く前から避けられては当てようが無い。

 

「この!」

 

 さらに走り、再び蹴りを放つ護堂であるが、やはり距離を詰め切る前に回避されてしまい、ただただ虚しく空を蹴るばかりだ。

 

「『駱駝』の化身を知る私が、わざわざ格闘戦を挑むと思うのかね?」

「クソッ……」

 

 秋雅の嘲るような物言いに、護堂は大きく顔を顰める。どうやら護堂が『駱駝』を使っている間、秋雅は積極的に距離を詰める気は無いらしい。一定の距離を取り続け、護堂が『駱駝』の使用を止めた瞬間に決着をつける気なのだろう。いやらしいというか、どこまでも油断をしない。勝つための戦い方と言うよりは、負けないための戦い方と評するべきだろう。しかも、彼の目的を考えれば、それが最終的な勝利に繋がるのだから更にえげつない。

 

 

「……ふむ、やはりそうするつもりか」

 

 数分ほど、そうこうと攻撃を繰り返していると、ふと秋雅の視線が横にずれた。何だ、と護堂もそちらに目を向ける――勿論、秋雅から完全に意識を逸らしたりはしない――と、そこにはこちらを見守っているエリカたちの姿がある。いや、もしかしたら護堂の援護をするつもりであるのか、エリカとリリアナに関しては今すぐにでもこちらに駆け出しそうな雰囲気がある。

 

 そんな皆に、一体何があるというのか。警戒と困惑を深める護堂の前で、秋雅はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は十数分ほど遡る。ちょうどエリカが、護堂に対し警告を発した辺りの事だ。

 

「やっぱり、良くないわね」

 

 対峙する護堂と秋雅を見ながら、エリカは眉をひそめつつ呟く。それは先の秋雅の奇襲と、それに対する護堂の反撃に対する感想であった。弄ばれている、とまではいかないにしても、完全に戦場の流れを秋雅に掴まれてしまっている。このままでは、護堂は自身のペースに乗る事が出来ず、敗北を喫してしまう可能性が高い。戦場を客観的に見ているからこそ分かる、エリカにとってもあまり出したくない結論だ。

 

「ああ、完全に稲穂秋雅の術中に嵌ってしまっている。多少強引にでも抜け出さないと、草薙護堂の身が危うい。やはり、あの転移の権能が厄介だな」

「そうね」

 

 リリアナの見解に、エリカは小さく頷く。稲穂秋雅の持つ、物体の位置を入れ替える転移の権能。これがある限り、ほぼほぼ護堂の攻撃は当たらないだろうし、逆に秋雅は如何様にも奇襲をかけ放題となってしまう。今も護堂は『駱駝』の化身を使っているが、それでどれ程達人並みの格闘能力を誇ろうとも、距離を詰める前に転移されたらどうしようもない。今までの戦闘の流れから、おそらく秋雅は護堂が『駱駝』の化身を使っている間は積極的攻勢には出ず、専守防衛を行いそうだという推測が出来るのもまた面倒な所だ。結局、護堂と秋雅では火力や手数以上に、ただただ機動力の一点において差がありすぎる。

 

「やっぱり言霊の剣……『戦士』の権能を使うしかないわ。あれならば、転移の隙を突いて稲穂様の足を奪えるかもしれない」

「だが、そのためには切る対象の、権能の元となった神の知識が必要だ。あの転移の術がどのような神から簒奪したものなのか、貴女には分かるのか?」

「いいえ。少なくとも、賢人議会が公表しているものではないと思うけれど……」

 

 カンピオーネの脅威とその権能の情報を発信する結社が、イギリスに本拠を置く賢人議会である。近年に限るとはいえその情報収集能力はかなりものであり、新世代の神殺しの情報に関してはその大部分を把握しているらしい。

 

 そんな彼らだが、稲穂秋雅に関して公表している情報は極僅かだ。権能に関して言えば、雷と鉄槌を操る『万砕の雷鎚』と、自身と対象を異なる空間に引きずり込む『冥府への扉』の二つだけ。確かに『冥府への扉』の関係で戦闘の情報が集め難いとはいえ、明らかに情報が少なすぎる。しかもこの二つに関しては、明らかに元となったであろうまつろわぬ神は予想がつくというのに、その名をあえて載せていない節すらある。本腰を入れていない、あるいはわざと秘匿していると他の魔術師達が考えるのも無理からぬ話だ。だからこそ、本来カンピオーネと敵対している立場の賢人議会が、稲穂秋雅とは友好関係にあるという噂すらあった。

 

「『万砕の雷鎚』は彼の持つ雷鎚と雷を操る権能で、『冥府への扉』は言うまでもない。やはりどちらもあの転移と関係があるとは思えない。そもそもそれらの元となったであろう北欧神話のトールや、ギリシャ神話のハーデスにそういった伝承はないわ」

「ああ、転移という所を見るに、旅神などの類だと思うが……」

「…………いいえ、違います」

 

 静かな声が響く。二人が振り向くと、そこには虚空を見つめる祐理の姿があった。霊視による一種のトランス状態。目の前の光景と二人の会話から、彼女にかの権能に関する啓示が降りたのだ。

 

「旅をするが、しかしそれが主ではない……神々を騙し、神々を救う者……時に立ち位置を変え、決して一所に留まらない……厄と益の、そのどちらも呼び込む……善悪ではなく、己の心のままに動く、最後には災厄をもたらした悪戯なる神……その神とは――」

 

 ハッと、祐理の目が正気に戻る。

 

「分かりました! 稲穂様が討ちし神の名が! あの方が討たれたのは北欧の、神々と反する血を引きながらも主神の義兄弟となり、雷の戦神の友でもあった、悪戯なる神です!」

「それは――北欧神話におけるトリックスター、ロキか!」

 

 リリアナが出した名に、祐理が強く頷く。それを聞いて、成る程と口を開いたのは甘粕であった。

 

「ロキという神は気まぐれで、善の立場にも悪の立場にも気軽に変わる神です。雷神であるトールと旅をしている間でも、彼はトールを危機に貶めたり、逆に窮地を救ったりとその二面性を発揮しています。まさしく、北欧神話最大のトリックスターと言える存在でしょう。そういった、同じ場所に留まらないという性質があの権能なのかもしれませんね。あるいは、神話の中でロキが様々な手段で宝物の類を手にいれ、それを他の神々に渡しています。さっきの入れ替えなんかはそういう、価値あるものを手に入れる、他と入れ替えるという部分かも知れませんね」

「なるほど、納得の出来る解釈ね」

 

 甘粕の解説に頷きつつ、エリカはその細い顎に手をあて、しばし考え込む。その後、リリアナに向き直り、難しい表情を浮かべながら口を開く。

 

「……リリィ、分の悪い賭けに乗る気はある?」

「何だ?」

「私達二人で稲穂様に仕掛ける。稲穂様が乗ってきたらどちらかが時間稼ぎをし、残った方が護堂にロキの知識を『教授』する。可能であればトールの知識も教えたいところだけれど、そこまでは多分厳しいでしょうね」

「それは……確かに分が悪いな」

 

 エリカの提案に、リリアナは眉をひそめる。もう護堂の勝利を信じて見守っている、という状況ではないことは理解しつつ、しかし明らかに危険な策にリリアナが難色を示すのは当然の話だ。武器の無い二人がカンピオーネに戦いを挑むなど、分が悪いなどというものでもない。例え武器があったところで無謀の極みだというのに、だ。

 

「そもそも、稲穂秋雅が乗ってきてくれるのか?」

「難しいとは思う。でも、仮に私達が戦闘を仕掛けたとして、稲穂様が私達を殺さないとも思うのよ」

「何故だ?」

「いくらなんでも、稲穂様の動きが悠長すぎる。手を抜いている、と言ってもいいわ。『猪』を撃退して以来、頭上の雷雲を動かさないのがその証拠よ」

 

 確信をもって、エリカは自身の見解を告げる。今回の秋雅の動きは些かおかしい。まるで、わざと護堂を嬲っている様でもある。

 

「たぶん、稲穂様には誰も殺す気はないと思う。草壁椿を除いてね。もし私達を殺してもいいと思っているなら、わざわざ護堂と戦うような真似をする必要が無い。私達を巻き込まないように戦う時点で変なのよ」

 

 そもそもがおかしいのだ、とエリカは心の中でさらに付け加える。今、草壁椿の身柄は、秋雅の部下達が預かっている。殺すならさっさと殺せる状況なのに、何故か秋雅はそれを指示してこない。決闘の褒賞とするにしても、今までの秋雅の言動を考えれば、騙し討ちで椿を殺す事を躊躇うような性格とは思えない。必要とあれば何処までも卑怯に、冷徹になれるであろう秋雅がそれをしないのは、他に何か理由があるのではないか。そういう疑惑が、エリカの中にはある。その何かにはまるで見当がついていないが……今はまだ、そこまで考えなくてもいいだろう。

 

「何かの思惑があるから、仮に私達が戦いを挑んでも殺さないだろう、ということか。根拠は薄いが、しかしそうしなければ勝ち目がなさそうなのもまた事実か」

 

 仕方がないな、とリリアナはエリカに対し同意の意味をこめた頷きを返す。それを受け取って、エリカは次の祐理と甘粕のほうに目を向ける。

 

「祐理はここで待機をしていて。最悪、護堂にこっちに来てもらって、貴女に『教授』をさせることになるかも知れないから、そのつもりで」

「わ、分かりました」

「甘粕さんは祐理の護衛をお願いするわ。たぶん大丈夫だと思うけれど」

「まあ、微力を尽くします。たいしたことも出来ないでしょうが」

 

 祐理は躊躇いがちに、甘粕はいつもの調子でそれぞれに頷く。色々と不安の多い策ではあるが、考えてれみればこれまで、護堂と付き合って分の良い戦いをしたこともない。上手くやるしかない、とエリカは改めて心の中で決意を固める。

 

「エリカ、稲穂様との戦闘は私が引き受けよう。僅かとはいえ交友のある私のほうが、貴女よりは殺され難いだろう」

「分かったわ。基本的にそれで、場合によっては――」

 

 と、最後の打ち合わせを行おうとした、その時であった。

 

「――勇猛だな、エリカ・ブランデッリ! そしてリリアナ・クラニチャール!」

『ッ!?』

 

 突如、エリカたちに対し鋭い声が突き刺さる。ハッと見れば、護堂と交戦中である秋雅が、エリカたちに対し剣呑な視線を向けている。

 

「やはり、君達はそういう選択肢をとったようだな。だが、今君達に邪魔をさせるわけにはいかない。ヴェルナ! スクラ!」

「はいはーい」

「ええ」

 

 秋雅の呼びかけに、遠くからこちらを見ていた双子の少女たちが応える。長い髪を一つに纏めた少女は楽しげに、逆に襟元で短く揃えた少女は無表情に、それぞれエリカたちと秋雅達の間にゆっくりと移動する。

 

「それで秋雅、ご用命は?」

「知れたこと。我らの戦いに割って入れぬよう、エリカ・ブランデッリとリリアナ・クラニチャールを無力化せよ!」

「――しまった!」

 

 秋雅の命令に、エリカは己の失策を悟る。護堂を助ける為にエリカたちが動いたように、秋雅の命令で彼女らが動く可能性も考えるべきであったのだ。

 

「アンタ、何を!?」

「君のためでもあるのだよ、草薙護堂。それとも、私に彼女らを殺されたいのかね?」

「ッ……!」

「精々君の騎士達を信じるがいい、それもまた王の生き方だ」

 

 護堂をやり込めて、秋雅は少女達を見る。

 

「ヴェルナ、スクラ、追加命令は三つ出す。重傷を負わせるな。重傷を負うな。必ず勝利せよ。いいな?」

 

 秋雅の確認に、二人の少女は小さく笑う。美しいが、しかしどこか獣の獰猛さも感じさせる笑みだ。その笑みに、エリカとリリアナは一気に警戒のレベルを引き上げ、構える。

 

「ヴェルナ・ノルニルとスクラ・ノルニルは、その命令を承諾するよ!」

「私達の主の命よ。付き合ってもらうわ、二人の大騎士たち!」

「っ――こうなった以上、仕方ない! 迎撃するわよ、リリィ!」

「ああ! 彼女らを倒し、草薙護堂を援護する!」

 

 そして、まるでタイミングを合わせたかのように、四人の少女達は駆け出すのであった。

 




 考え、結局ヴェルナ達とエリカたちの戦いも書くことにしました。予定通りなら次話で決着、延びてもその次の話の冒頭で戦闘は終わるはずです。ちなみにエリカが秋雅の戦闘の奇妙さに言及していましたが、彼が舐めプとはいかないにしても余力を残した戦いをしている理由は、三分の一が情報を与えない為で、三分の一が呪力が回復しきっていないための省エネ、そして残った三分の一にまた別の思惑がある、といった感じ。たぶんこれは決着が付いた後に明らかになると思います。


 ここからは章全体の後書き。というか前章なども含んでのネタばらしですが、実は当初、義経は二章あたりで登場し、全体的な内容の圧縮の後に、三章で護堂の戦闘を書くつもりでした。というか、トラウィスカルパンテクートリとの戦闘自体、当初は予定していなかったものです。何故こうなったかと言うと、一章で道真、二章で義経で義経とまつろわぬ神を出した場合、歴史上の人物を元にした神が続いてしまうことになります。こうなると若干くどいし、そういう神を出す事を主にした作品なのかなと勘違いされる可能性もあると考え、間を挟むことにしました。それで挟んだのがトラウィスカルパンテクートリです。元々雷に関係ない攻撃手段があったらいいな、それが破壊神ならなお良いなと思っており、結果としてトラウィスカルパンテクートリが採用されたわけです。

 当初は紅葉は先生で椿は秋雅の妹の友達という設定もあったので、そういう初期設定のまま書いていたらここでの話も色々変わっていたかと思います。初期案になかったという意味ではカンナカムイの宝剣もそうですね。そもそもあれを義経に持たせたのもアドリブですし、結果として秋雅の手に渡ったのもキャラが勝手に動いた結果です。私がプロットの類を全く書かない結果とも言えますかね。まあ、誇れることじゃないですが。

 とりあえずこんな所で、書き忘れた事がある気もしますが、思い出せないのでここまでとしておきます。次話ではこの護堂との戦いにおける裏話なんかを書くつもりです。忘れていなければ、ですが。




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かくして、地に伏したのは





「お相手願おうか、草薙護堂の騎士さん!」

 

 そう言ってエリカに突っ込んできたのは、ヴェルナと名乗っていた長い髪の少女であった。もう一人のスクラという少女は、リリアナの方をターゲットと定めたらしくエリカの方に迫る素振りはない。

 

「いいわ。このエリカ・ブランデッリが相手をしてあげる!」

 

 駆けて来るヴェルナに、エリカもまた果敢に走り出す。その身のこなしから、目の前の少女が並々ならぬ使い手であることは察している。無手の相手に対し油断もしていないようだし、悠長に足を止めて魔術を使う暇は無いだろう。触媒の類も呼び出せないので、大きな術は使えない。戦いが始まる前に施した『護身』と『身体強化』の魔術が今のエリカの限界だろう。

 

 魔術で戦うことは難しく、格闘も愛剣がないために不利。普通に戦えば勝ち目などそうあるものでもないだろう。

 

 だが、そこであえて真っ向から迎え撃つ。それがエリカの美学であり、同時に勝利への道でもある。

 

「へえ、いい覚悟じゃん!」

 

 面白げに口の端を歪めながら、ヴェルナは右手を横に伸ばす。

 

「――来なさい、パッチワーク!」

 

 その言葉と共に、ヴェルナの手に一本の長剣が現れる。秋雅の篭手と同じく素材なのか、銀色で飾り気の無いはないものの、代わりに頑強であることをうかがわせる。

 

「『召喚』の魔術……!?」

「貴女達と違って、こっちには『召喚』の権限があるんでね!」

 

 使えるのか、と驚愕するエリカに、ヴェルナは得意げな笑みで応える。この空間は外とのつながりを完全に遮断するものとエリカは思っていたが、どうやらそれも例外というものがあるらしい。おそらく秋雅自身と、彼が許可した者に限り、『召喚』などの魔術が使えるのだろう。

 

「素手相手だからって、油断するつもりはないよ!」

 

 十分に距離が詰まったところで、ヴェルナが更に加速し、エリカに向かって剣を振るう。宣言通り油断した雰囲気は全く無く、刃は驚くべき速度でエリカの首筋を狙うように迫る。

 

「――ッ!」

 

 首筋に迫る刃を、エリカはギリギリで躱す。だがその鋭さはエリカに、この相手が自身に比する剣の腕前を持っていると悟らせるには十分なものだ。

 

「ハアッ!」

 

 剣を回避した直後、エリカはヴェルナに向かって素早く蹴りを放つ。狙いは彼女の胸元、剣を振るったことで隙が生まれた場所だ。

 

 たとえ防御されても構わない、牽制の意味も込めた蹴り。それをヴェルナは、なんと驚くべきことに、バッと引き寄せた左手で掴み取ってしまう。

 

「なっ!?」

「でえいやっ!!」

 

 驚愕するエリカを、ヴェルナは強引に投げ飛ばす。その短い滞空時間内で何とか空中で体勢を整え、エリカはどうにか上手く着地することに成功する。

 

「そこっ!」

「くっ!?」

 

 着地の隙を突き、ヴェルナの追撃の刃がエリカに迫る。それをまたもやギリギリで回避するエリカであったが、今度は先ほどと違い反撃をする暇がない。回避に専念しつつ、体勢を整えるのが精一杯だ。

 

「流石の大騎士様も剣無しじゃ逃げの一手? 面白くないね!」

「言ってくれるわね!」

 

 ヴェルナの挑発に眉を上げるエリカだが、彼女の中の冷静な部分は、あちらの言い分がある種間違っていない事を理解していた。エリカに限らず、基本的に騎士という存在は剣ありきの存在だ。無論魔術も修得しているし、人によってはそちらの方の比が高い者もいるが、どちらにせよ無手での格闘技術は案外修得していないことが多い。『召喚』という便利な魔術もある都合上、どうしても剣無しの戦闘はやる機会がないからだ。精々が剣撃の合間や追撃として、蹴り技を多少習得する程度だろう。

 

 そのため、武器も無く魔術を使う暇も無いというこの状況は、エリカにとって――リリアナもそうだろうが――は圧倒的に分が悪い。しかも、相手が自分と遜色ないレベルの格闘技術の使い手ならばなおさらだ。いかにエリカの『護身』の魔術が強力でも、ただの拳で達人の刃を受け止めるなど不可能なのだから。

 

 

 

 だが、だからといって大人しく諦めるエリカではない。息つく間もない連撃ではあったが、幸いその攻撃は素直で避けやすい。当人の性格か、はたまた経験が少ないのか。ヴェルナの攻撃は一撃でも貰えばアウトだと思うほどに鋭いが、代わりにフェイントの類がほとんどなかった。その為、今のエリカでも回避に徹すればどうにかならないこともない。

 

 そしてそのまま、どうにか回避を続けることで、エリカはついに反撃に移れるだけにまで体勢を整える事が出来た。続けざまの剣閃を回避しながら、エリカはタイミングを計る。

 

「フゥ――――」

 

 回避しつつ、エリカは呼吸を低く整える。戦闘中に不釣合いなほどに呼吸を落ち着けることで、エリカは意識的に自分の中の熱を冷やしていく。それはエリカの中で余裕を抱かせていた彼女の自信を抑え、思考をクリアに、そしてシャープにしていく。

 

 そして、

 

「――ッ!」

 

 ここだ、とエリカは隙を見つけ、すぐさまに反撃の掌底を打ち込む。習熟しているわけではないが、拳を叩き込むよりは幾分かましだ。この程度の攻撃であれど、『身体強化』の魔術を含めれば十分な一撃となりえる。

 

「へえ、流石に!」

 

 賞賛らしき言葉を口に出しながら、ヴェルナはエリカの攻撃を軽やかに躱す。だが、エリカの攻撃もそれで終わりではない。蹴り、掌底、肘打ちと、普段であれば使わないような攻撃手段を繋げ、果敢に攻め続ける。

 

 その一撃一撃の威力自体はやや控えめで、直撃してもすぐに行動不能にさせるというほどではない。だが、その代わりに攻撃そのものは素早く、そして滑らかだ。結果として全体としての威力は落ちるものの、先ほどのような致命的な反撃を受ける可能性は低くなり、攻撃を途切れさせないことで相手を封じる事が出来る。相手を最大限に警戒し、静かに勝機を狙う戦法だ。

 

「ははっ! 成る程、さっき足を掴んだのが堪えたってわけか! でも、獅子の踊りというには迫力が欠けるねっ!」

 

 エリカの攻撃を苦もなく捌きながらヴェルナは嘲笑う。それにエリカは答えず、ただ黙って攻撃を連ねる。まったく聞いていないわけではないが、今のエリカにはそれに答えるという思考自体が存在していなかった。

 

 エリカにとって、この圧倒的不利な状況で相手を封じるためには、常以上の集中力と忍耐力が必要だ。それを維持するためにエリカは、戦闘とは直接関係ない情報をシャットアウトし、ただただヴェルナの挙動のみに意識を収束させている。ヴェルナの挑発を無視したのも、戦闘に関係ないからと彼女の脳が判断し、心まで届けていないからであった。

 

「……思考をスイッチしている? ふうん、エリカ・ブランデッリがそういう『剣』を使うなんて知らなかったけど、無手だからこそってことなのかな? まあ、そうでもなければ面白くないけど!」

 

 エリカの態度に首を傾げたヴェルナだが、その手は決して止まらない。エリカの放つ連撃の全てを、たった一本の長剣のみで防ぎ、回避しきっている。武器の有無があるとはいえ、その防御能力は尋常なものではない。

 

 それをヴェルナが成し遂げているのは、ひとえに彼女の尋常でない反応速度が理由だろう。普通に攻撃すれば、何処を狙っていようと完全に防御してしまい、フェイントをかけた場合には、当初こそそちらに反応するのだが、途中で攻撃の意思がない事を見切ったかのように無視し、本命に備えるようにする。

 

 元からエリカの攻撃を読んでいる、というわけではおそらくない。その場その場で、異様なほど素早く対応して見せる。だが、かといってヴェルナの動作がエリカよりも格段に速いというわけでもない。言うならば、動作から異なる動作への移行が速い、という風になるのだろうか。まるでエリカの攻撃がひどく鈍く、ヴェルナはそれを見ながらあえてゆっくりと動いている。そんな風にエリカが錯覚しそうになるほど、ヴェルナの対応力は速く、異常だ。

 

「……貴女、何者なの?」

 

 高速戦闘の最中、エリカはついに、ヴェルナの異様さについて問いかけた。当然、集中させていた意識がそちらに割かれてしまい、彼女の攻撃は僅かに鈍る。

 

「私が何者か? ハッ、答えは決まっている!」

 

 そして、ヴェルナという少女は、その隙を見逃すほど甘い相手ではなかった。

 

「――私はヴェルナ・ノルニル! ただ秋雅の命に従う者なり!」

 

 その言葉と共に、攻守が逆転する。エリカの隙を突いたヴェルナが攻勢に回り、隙を突かれたエリカは一転して防御を強いられる。

 

「くっ、これは……!」

「武器無しじゃやっぱりこの程度なのかな、エリカ・ブランデッリ!! もっと私に、実戦を感じさせてほしいんだけどな!!」

 

 ヴェルナの攻撃が苛烈さを増していく。先ほどと違ってフェイントの類も数を増しており、段違いに回避が難しくなっている。一旦集中の途切れたエリカには反撃の隙を見つける暇すらなく、ただ必死に回避に専念することしか出来ない。

 

「だ、らぁっ――!」

 

 そんな中、ヴェルナは気合と共に大振りな攻撃を放った。エリカから見て右から、彼女の胸元に迫る勢いを乗せた横薙ぎに対し、エリカはむしろチャンスを感じ取った。これを回避し、薙いだ隙を突けば一気に流れを取り戻せると思われたからだ。

 

 エリカは、その判断を抱えて後ろに跳ぶ。ギリギリでヴェルナの長剣を回避でき、尚且つすぐさまに反撃を放てる、そのくらいの位置への跳躍だ。

 

 だが、

 

「ッ――!?」

 

 ぞわり、とした悪寒がエリカの背筋を走った。何に、と疑問に感じたエリカは咄嗟に反応しようとしたものの、既に彼女の足は直前の命令通りの動作を行ってしまっていた。直前の意志など関係なく、本来の予定通り、エリカの身体は後方へと跳んでしまう。

 

 発生する、僅かな滞空時間。その最中、エリカの目に自身へと迫る長剣の姿が映る。

 

 その姿が一気に伸びた(・・・・・・・・・・)。刃は掻き消え、代わりに細長い金属の棒のようになっている。まるで剣が、長物の武器の柄に変わってしまったようであった。

 

「ばっ――!?」

 

 馬鹿な、と驚愕しつつ、エリカは咄嗟に右腕を身体の横で立てる。次の瞬間、エリカの腕に衝撃が叩き込まれた。その一撃は重く、彼女の身体は真横に吹き飛ばされる。

 

「がっ、はっ――!?」

 

 一、二回ほど地面をバウンドし、エリカの身体が停止する。立ち上がろうとしたエリカであったが、その身体の動きはひどく緩慢であった。『護身』の魔術をかけていたにもかかわらず、先の一撃はエリカの腕を痺れさせ、その身体の芯にまでダメージを通していたのだ。

 

「何、が……?」

 

 ようやく、ゆらゆらと立ち上がりながら、エリカはヴェルナの手元を見る。そこに見えたのは少し前まで振るっていたはずの長剣ではなく、鉄板すらも打ちぬけそうなほどの迫力がある、銀色のバトルハンマーだ。

 

「『変形』の魔術……? でも、そんな気配は無かったはず…………」

 

 『変形』の魔術はエリカも良く使う十八番の魔術だ。他の魔術以上に、使えばすぐにエリカには感じ取れるはず。にもかかわらず、ヴェルナが『変形』の魔術、あるいは『召喚』の魔術を使った気配は感じ取れなかった。

 

 では、何が起こったのか。その答えとして思い浮かんだものを、エリカは思わず口に出す。

 

「まさか……剣自体が変化したの? 特別な魔術も使わずに、剣の機能として……」

「流石に気付くよねえ。まあ、そういうことだよ」

 

 ハンマーを肩に担ぎながら、ヴェルナはエリカの言葉を肯定する。エリカに攻撃を通したことで余裕を持ったのか、すぐさまに追撃をするという素振りは感じられない。

 

「残念ながら貴女のクオレ・ディ・レオーネには劣るだろうけど、これもまた魔剣の一種なんだよね。まあ、まだまだ試作品の域を出ない代物なんだけど」

「その言い方……まるで貴女が作ったかのように聞こえるわね」

「そうだよ? 私が作った、一応成功の部類に入る魔剣の一振りだね。まだまだ欠点も多いけど、それもまた味ってね」

 

 事も無げに言い放たれたヴェルナの言葉に、エリカは思わず目を見開いた。ただ魔術的に鍛えられた刀剣ではなく、特殊な機能を保持した魔剣。それを目の前の少女が、自ら創り上げたというのだから、驚くのも当然の話だ。

 

「まさか、刀匠でありながらこれほど強いとは、ね……」

「魔剣研究者って呼んでほしいかな、個人的には。別に私は剣を鍛え上げているわけじゃないからね――っと」

 

 ふと、ヴェルナの手の中のハンマーが縮み始めた。全長で二メートル弱はありそうであったそれは、見る見るうちに三十センチ程度の短剣の姿に変化してしまう。

 

「――そらっ!」

「ッ!」

 

 唐突に、予備動作も何も無く、ヴェルナはその短剣をエリカに向かって投擲する。完全なる不意打ちであったが、エリカは僅かに身体をずらすことで、何とかそれを回避する。

 

「この程度――」

 

 当たらない、とエリカは続けようとした。

 

 だが、

 

「ぐ、ぁ…………!?」

 

 エリカの口から漏れたのははっきりとした言葉ではなく、肺から無理矢理吐き出された空気であった。エリカの背に当てられた、不意の衝撃。痛みと、それ以外の何かの所為で、エリカの身体が硬直する。

 

 何事か、と思うエリカの視界一杯に映るのは、腕を引き、こちらに駆けるヴェルナの姿。

 

「これで――お仕舞い!」

 

 その言葉と共に、エリカの胸にヴェルナの掌底が深々と突き刺ささった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ええい、いい加減に!」

 

 戦闘開始から数分、リリアナは顰め面と共に吐き捨てる。彼女にそうさせる理由は、今まさに戦っている相手にある。

 

「逃げてばかりでは勝てないわよ」

 

 淡々と言いながら、スクラは銃の引き金を引く。同時、銃口より放たれた弾丸は、今まさにリリアナが足を置こうとした場所を小さく吹き飛ばす。

 

「チッ……!」

 

 舌打ちをしながら、リリアナは自身の軌道を変える。スクラに迫る軌道から、むしろ距離を離れる軌道に変わり、結果として彼我距離は欠片と埋まらない。ここ数分、戦闘が始まってからずっとこの調子であった。

 

「どうにかしたいが……っ!」

 

 難しい、とリリアナは思わざるを得ない。何せ、相手の武器が武器だ。銃という、騎士としてこれまで生きてきた彼女からすれば、些か無骨で無粋と思う武器がまさしく厄介である。流石は、登場した後、戦いの在り様を大きく変えた武器であると、皮肉交じりに言いたいくらいだ。

 

 それでも、普段のリリアナであればどうとでもしようはあっただろう。だが、何と言っても今のリリアナには武器が無い。『召喚』の魔術を使えないために愛剣であるイル・マエストロは呼び出せず、かといって『ダヴィデの言霊』を用いてヨナタンの矢を呼ぼうにも、それを察したスクラの銃撃により集中を乱されてしまう。遠距離攻撃を防ぐための魔術もあるが、どうやら弾丸に呪力が込められているようで、使っても完全に防ぐことは難しいと判断できる。そもそも、それを使う隙が無い。今使えるのは、発動が容易な初歩的な魔術と、持ち前の身体のみ。それだけしか使えないから、リリアナは追い詰められているのだ。

 

「近寄らないと意味がない、と」

「このっ!」

 

 心臓、身体の中心に向かって飛来する弾丸を、リリアナは必死で回避する。軽やかとは言い難い動きであるが、そうしてでも彼女は銃撃を受けたくはなかった。

 

 スクラの両手に一つずつ握られた、二丁の自動拳銃。優美さの欠片もないその金属の塊から放たれる――かけられているであろう魔術の影響を除いたとしても――馬鹿にならぬ運動エネルギーを蓄えた弾丸は、リリアナにとってまさしく脅威の二文字に過ぎる。リリアナも『護身』の魔術は使えるが、エリカなどと比べればその強度はたいしたものではない。直撃すれば怪我ではすまない可能性すらある。だからこそ、絶対に彼女は、その弾丸を回避しなければならないのである。

 

 

 とはいえ、本来であれば、リリアナほどの騎士にとって、直線的な軌道しか描けない弾丸を避けることはそこまで難しいものではない。持ち前の身体能力と動体視力を生かし、銃口から導ける射線を読むことで、発砲前に回避することはまあ出来ないことではない。加えて、リリアナは『跳躍』を飛翔の域にすら達するほどに使えるのだ。それらの点を踏まえれば、リリアナにとって普通の射手など相手にもならないはずであった。

 

 

 しかし、スクラ・ノルニルという射手は、それが通じるような相手ではなかった。

 

「――はい、そこ」

「ッ!」

 

 咄嗟に急ブレーキをかけたリリアナの膝の前を、一発の弾丸が駆け抜けていく。もし急停止しなければ、弾丸はリリアナの膝が撃ち抜いていただろう。危機一髪の回避に、リリアナの頬に冷や汗が落ちる。

 

「中々難しいわね。まあ、機動力のある相手では仕方ないか」

 

 ひたすら無感動に、淡々と結果を見ながらスクラは再び引き金を引く。真っ直ぐに自身へと迫る弾丸を、リリアナは再び走り出すことで回避する。

 

「くっ、本当に面倒な!」

 

 スクラの銃撃で特に厄介であるのが、未来予知をしているかのような行動予測と、とても片手撃ちとは思えない命集精度だ。その瞬間は首を傾げるものの、次の瞬間には背筋を凍らせる予測射撃と、正確無比にリリアナの身体の一点を狙ってくるその精密さは、リリアナにただならぬ緊張と焦燥を感じさせる。

 

 たったの一手でも、間違えればすぐさまに撃ち抜かれるというその予感は、リリアナの行動を否応なしに縛らせてしまう。それで身体が硬くなって動けないということはないが、どうしても前に出て行きにくいのは確かだ。事実、リリアナが『跳躍』などの魔術で身を軽くし、空を駆けるようにして避けないのも、それが理由である。並みの相手ならばともかく、この相手に対して下手に三次元的な回避を晒そうものなら動きを見切られてしまうだろう。そんな根拠の無い不安があるからこそ、ある程度ミスを取り戻しやすい二次元的な回避に努めていたのである。

 

「だが、いい加減そろそろのはず……!」

 

 とはいえ、リリアナに勝機がまったくないかといえば、そういうわけでもない。刀剣による戦いとは違い、射撃戦というものにはどうしても、弾切れという明確な弱点が存在する。生憎とリリアナは銃の種類というのには詳しくないのだが、それでも二丁合わせて五十、百と弾が装填されているとは思えない。これまでの発砲数から考えても、そろそろ弾切れになってもおかしくないはずであった。

 

 加えて、スクラの武器は二丁拳銃である。素直に再装填をしようと思えばどうしても手間はあるだろうし、『召喚』の魔術を使って銃本体を持ち替えるにしても、多少なりとも照準を合わせ直すことにはなるだろう。素直に機を見つつも、そのような隙もまたリリアナは狙っていた。

 

 

「……あら?」

 

 幾ばくかの銃撃の後、カチン、と軽い音が二回、スクラの手の中から聞こえた。首を傾げるスクラを置いて、金属の塊を吐き出し続けていた銃口は、ただひたすらに沈黙を保っている。

 

「そこだっ!」

 

 待望の合図に、リリアナはスクラに対し全力で走り出す。この瞬間を逃がしてはいけないと、リリアナはただ真っ直ぐに駆ける。

 

 そんな彼女に対し、

 

「――なんてね」

 

 首を傾げたままに、スクラの口元が薄く弧を描く。無表情であった彼女が浮かべた、初めての感情。嘲りを含んだ瞳で、スクラは引き金を引く。

 

 次の瞬間、弾切れのはずの銃口から、黒く染まった弾丸が放たれた。

 

「ッ!?」

 

 ありえぬことに絶句しつつも、リリアナは咄嗟に横に跳ぶ。意識したものではなく、身体に染み付いた経験から来る無意識の回避。しかしそれを嘲笑うかの如く、リリアナに最接近した瞬間、弾丸が不意に爆発する。

 

「なにっ!?」

 

 今まで無かったことに、リリアナは驚愕の表情を浮かべる。とはいえ、爆発自体はそう大きいものではない。回避行動に移っているリリアナには、まったくもって掠りもしていない――はずであった。

 

「こ、れは……!?」

 

 跳躍から着地しようとしたリリアナの脚が滑り、彼女は思わず膝をつく。苦悶の表情を浮かべ、リリアナは自身がそうなった原因を叫ぶ。

 

「呪詛……! 怨嗟の声を込めた魔術か!?」

「ご明察」

 

 リリアナの発言にスクラは笑みを止め、無表情に戻しながら同意する。

 

「今撃った弾丸には、呪いの意を込めた魔術を刻んでいたわ。物理的な被害はないけれど、爆発すれば周囲にマイナスの意思を撒き散らし、受けた者の動きを阻害する……」

 

 それは脳内でずっと、恨み辛みを囁き続けられるようなものだ。単なる思考阻害に留まらず、受けた相手はそれに対する拒絶感から自身の身体を動かすことすらままならなくなる。リリアナが動けなくなったのも、その影響によるものであった。

 

「一体、どうやって……っ!?」

 

 だが、それ以上にリリアナの気を引いたのは、どうやってスクラが再装填を終わらせたのかということであった。本来であれば今気にすべきことではないのだろうが、一度ありえないと結論付けたはずの事を覆されてしまったということが、どうしてもリリアナの中に疑問として存在し続けている。

 

「どうやって、ね…………それは、今貴女に出来なくて、私には出来ることよ」

 

 そんな彼女の問いかけに、意外にもスクラは追撃もせずに、ヒントのような言葉を返した。あるいはそれは、リリアナに対し絶対的な優位性を抱いていることによる余裕なのかもしれない。

 

「私に出来なくて……貴女に出来ること……?」

 

 それは何だ、とリリアナは考える。今、自分がやれないこととは何だと考え、すぐさまに彼女はハッとした表情を浮かべ、叫ぶ。

 

「『召喚』か!」

「正解。頭の回りは悪くないのね」

 

 つまりは、こういうことなのだろう。あの時、スクラはまず弾切れとなった弾倉を『送還』の魔術で何処かへ送り、その後新しい弾層を『召喚』の魔術を使うことで呼び出し、そして装填し直したのだ。魔術の高度なコントロールを行えることが前提となるが、こうすれば両手が塞がっていても確実に装填できる。おそらくは銃本体にも、そういうやり方でもきちんと弾丸が装填されるように改造を施しているのだろう。

 

「全て、計算づくだったということか……っ!」

「撃った数を忘れるほど、私は馬鹿じゃないの。馬鹿なのはまんまと引っかかった貴女の方。さて――もういいかしら」

 

 そう言って、スクラは銃口をリリアナに向ける。もう余裕の時間は終わったということなのだろう。

 

 だが、リリアナにとって、時間はもう十分過ぎるほど経っていたのだ。

 

「――舐めるなっ!」

 

 内々より聞こえる怨嗟の声を否定しながら、リリアナは体内の呪力を高めることでどうにか立ち上がる。それなりに強力な術ではあるが、リリアナとて大騎士の称号を得た魔術師である。不意打ちであるからこそ無防備に受けたが、とはいえ直撃はしていないのだ。注力する暇さえあれば跳ね除けるのは出来ないものではない。

 

「流石に、呪力の練り様は見事ね。しかし遅い」

 

 呪縛を振りほどいたリリアナに、スクラは引き金を引く。先ほどとは別の、やはり再装填などしていないはずの銃が、彼女の動きに連動して銃口より弾丸を吐き出す。

 

「ええいっ!!」

 

 もはや細かい事を考える余裕すらない。リリアナは使用を控えていた『跳躍』を解禁し、空を飛ぶようにしてその場を退く。結果として、その過分とも思える回避は正解であったのだろう。なにせ、まるで先のそれと同じように、放たれた弾丸が突如大きく炸裂したのだから。しかも今度は爆発ではなく、まるで花火のように散弾を撒き散らすという形で、である。

 

「――ッ!?」

 

 空中で足元を確認したリリアナは、もはや何度目かも分からぬ驚愕の表情を浮かべる。しかし、それも無理からぬ話だ。一つ一つは小さいものの、しかし隙間を見つけられぬほどの数の散弾が炸裂するのを見せられれば、そんな反応をしてしまうのも当然だろう。下手をすればそれを全身で受けていたともなればなおさらだ。先の魔術の爆破であれば直撃しても精々が一時的な行動不能にしかならないだろうが、これは違う。魔術も使われているとはいえ、芯は単純な物理攻撃だ。その小片の一つ二つならともかく、範囲内で直撃を受けでもすれば『護身』の上からでもダメージが残るだろう。

 

「戦術を変えてきたか!」

 

 弾切れの前まで、スクラの戦術は精密射撃による狙撃一本だった。あえて弾幕を作らず、ただひたすらにリリアナの急所を狙うという、大物狙いの短期決戦と言えるだろう。

 

 だが、彼女はそれを切り替えてきた。当たり判定の大きな攻撃で、その効果からリリアナの足そのものを止めようとしてきている。じわじわと相手を追い込める長期戦へと、スクラは戦い方を変えてきたのだ。

 

 

「当たらなければ意味がないもの、ね」

 

 呟きながら、スクラは二丁を天と地に向け、弾丸を放った。天はリリアナ、地はその着地予想点。どうリリアナが避けても当てようということなのだろう。やはり、スクラは戦術を切り替えてきているのだ。

 

「ならばっ!」

 

 僅かな落下の後、リリアナの身体が空中で静止する。リリアナが修めた、人並みはずれた『跳躍』の術によるものだ。天と地に放たれる弾丸たちが決して直撃しない位置取り。そこで僅かに待機した後、彼女の身体は不意に重力を取り戻し、落下を始める。いや、ただの落下ではない。垂直ではなく、斜め方向への落下。それは紛れもなく、スクラに対しての強襲の飛翔だ。

 

「当てられる前に、懐に飛び込む!」

 

 当たり判定の大きい、爆発系の攻撃。それは確かにリリアナにとって不都合な攻撃であるが、一つだけ有利な点もある。それは弾丸の性質上、攻撃範囲が最大となるのが、発砲して少し経った時になるというところだ。つまり、弾丸が爆発するよりも先に、その後方に飛び込んでしまえばいいのである。

 

「はあああっ!」

 

 後方での爆発を感じながら、リリアナはスクラに向かって飛ぶ。防御を捨て、加速に全てを振ったおかげで爆発の影響は無い。

 

「むっ……!」

 

 リリアナの接近に、スクラの目が僅かに開く。そんな彼女の反応に見向きもせず、リリアナは更に加速する。術者の近くで爆発を起こすとは思いにくいが、スクラは弾丸をノーモーションで入れ替える事が可能だ。そんな隙を与えるよりも先に、その懐に飛び込んで無力化する。それ以外にもう、勝機など無い。

 

「これで――!!」

 

 スクラの再発砲よりも早く、ついにリリアナはその懐に飛び込んだ。着地によりやや下がった姿勢から、突き上げるように掌底を繰り出す。狙いはスクラの腹部、このタイミングならもっとも防御し難いだろう部位。威力も相まって、当たれば確実にスクラの動きを止める事が出来るだろう。

 

 ――当たれば、であったが。

 

「ガ、ハッ…………!?」

 

 苦痛と、驚愕の声が漏れる。だが、それを漏らしたのはスクラではない。

 

「良い狙いだったわ。ええ、本当に。でも残念、確かに私の武器は銃だけれど――」

 

 予想通りだった、とでも言いたげな口調で、スクラは告げる。

 

「――生憎と、脚も武器なのよ」

 

 膝蹴り。それが、リリアナの動きを止めた攻撃であった。あの瞬間、リリアナが掌底を繰り出すよりも早く、スクラは膝蹴りでカウンターを放っていたのだ。深々と突き刺さったそれは、リリアナの身体の奥底にまで、鈍く強烈な痛みを与えている。

 

「こ、のっ!」

「っと」

 

 半ば破れかぶれに、リリアナはスクラの顔に掌底を放った。しかし如何せん、常の鋭さなど微塵も感じられない攻撃だ。その証拠に、スクラは僅かに顎を引くだけでそれを回避してしまう。

 

 だがそのおかげで、一瞬ではあるもののスクラの視線はリリアナから逸れる。加えて、上体を逸らしたことでリリアナに刺さっていた膝が僅かに緩む。その隙を突き、リリアナは残った力で大きく後方へと跳ぶ。先ほどまで見せていた鋭さ、優雅さなど微塵も感じられぬ、まさに悪あがきのような跳躍だ。

 

「諦めないことは良い事なのだろうけど…………まあ、もういいわね」

 

 距離を取ったリリアナに対し、スクラは静かに銃を向け、すぐさまに撃つ。今までと違い、その狙いは何故か僅かに甘い気配がある。

 

「くっ……!」

 

 だが、それを疑問に思う余裕すらなく、リリアナは身体を僅かにずらす事で射線上より退避する。大きく回避しないのは決して余裕ではなく、先ほどの一撃の所為で身体が満足に動かせないからだ。弾丸がいよいよ自身のすぐ傍まで辿りついた瞬間、リリアナは起こるであろう爆発に身体を縮める。

 

 しかし、そんなリリアナの予想に反し、弾丸は爆発することも無くリリアナの真横を通過してしまう。それは、不発弾という可能性を除けば、スクラが再び例の方法で違う弾丸を放ったということになる。

 

「何故――」

 

 当然の疑問。それをリリアナは思わず口に出そうとした。あるいはそれは、スクラが案外会話に乗ってくることからの、何かしらの返答を期待したものだったのかもしれない。

 

「――な、がっ!?」

 

 しかし、その疑問を言い切ることは出来なかった。代わりに彼女の口から発されたのは、苦痛と驚愕の入り混じった声だ。

 

「な、に…………?」

 

 今しがた彼女が感じた、その背に感じた何かが高速でぶつかったような衝撃。小さく、しかしだからこそ、身体の奥底まで貫くかのような鋭い痛み。この正体は何か、とリリアナは状況を忘れ、ゆっくりと振り向こうとする。

 

 その隙を、彼女は見逃さない。

 

「これで――本当にお仕舞い」

 

 背を向けようとするリリアナに対し、スクラはやはり無感動な目で静かに引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ、いい加減に!」

 

 こちらを見据え、泰然としている秋雅に対し護堂は吐き捨てる。鈍い痛みを訴える身体に命じ、護堂は秋雅に向かって一直線に駆け出すが、ある程度距離を詰めた所で秋雅は大きく跳躍することで距離を取ってしまう。

 

「学習しないな、草薙護堂。君が『駱駝』を使用している間、私は接近戦に乗る気はないと言っているだろうに」

 

 これだ。この調子で、護堂がいくら走ろうとも秋雅は一定の距離を取ってしまう。例え武神に比するだけの能力を与える『駱駝』ではあろうとも、相手に近寄れなければ何も出来ない。それを秋雅はよく理解しているのだろう。最大限警戒されていると言えるのだろうが、どうにも護堂には、秋雅に嘲笑っているような気がしてならなかった。

 

「だが、そうだな。流石に、逃げてばかりというのも芸がない」

 

 ついと、秋雅が天に指を向ける。刹那、未だ天にあった黒雲より轟音と共に雷が放たれる。

 

「ッ――!」

 

 天より落ちてくる閃光を、護堂は強く地を蹴ることで避ける。だが、一度の回避を成功させた程度では護堂も安堵しない。このまま二、三と続けざまに落雷を起こす可能性があるからだ。

 

 とはいえ、『駱駝』の化身を使っている間は身軽さなども強化される。神速たる雷とはいえ、カンピオーネ独特の勘の良さも合わせれば、数発程度ならば連発されても避けられるはず。その予想を確実に手繰り寄せるべく、護堂は呪力を高めながら警戒を強める。

 

「……ほう、これはまた」

 

 しかし、護堂の予想に反して秋雅はその一発で攻撃を止めた。どころか、護堂の存在などまるで気に留めていないかのように、その視線を何処かへと向けている。

 

「スクラのアドリブにヴェルナが合わせたか。攻撃を互いの相手に当てるとは、相変わらず見事なコンビネーションだな」

「何のことだ?」

 

 警戒しつつ、護堂は尋ねる。秋雅の視線を辿ればいいのだが、一瞬でも稲穂秋雅という相手から目を離したくもない。故の愚直な問いに、秋雅はちらりと護堂の方に目を向け、言う。

 

「なに、ただ……『悪魔』と『妖精』が我が従者に屈した、というだけだ」

「まさか――!?」

 

 瞬時に、護堂はその言葉の意味を察した。警戒していたことなど忘れ、護堂は視線を秋雅から逸らし、彼が見ていた先を見る。

 

「――エリカ! リリアナ!」

 

 護堂が見た先にあったのは、剣を持った少女に力なく倒れこむエリカと、銃を持った少女の前で地に伏しているリリアナの姿。その光景に、護堂は強く理解させられる。二人は、その少女達に敗北したのだ、と。

 

「安心しろ、死んではないはずだ。我が手の内ではないとはいえ、優秀かつ善良な魔術師を殺す気は私に、つまり我が部下たちにもないからな。ただ――」

 

 そこで言葉を切り、秋雅は意味ありげな視線を護堂へと向ける。こちらを試すような、あるいは嘲笑うような目をしたまま、秋雅はわざとらしく顎を撫で、言う。

 

「――彼女らの身柄は今、私の手の内にあるということになるな」

「エリカたちを、人質にするってのか!?」

 

 まさか、と反射的に思い、しかしすぐさまに護堂はそれを否定する。確かに、ある程度良識があり、自分にある種の自信がある者ならば、人質などという戦法は取らないだろう。そして、これまでの振舞いを見れば、稲穂秋雅という王が確固とした『誇り』を持っていることはおおよそ察する事が出来る。

 

 だが、しかし、彼は同時に『例外』とも呼ばれている王だ。他の王とは明らかに違うからこそ、その呼び名がつけられたというのは、ここまでの流れから分かりきっていること。目的の為ならば、どのような手段でも選ぶという証拠もある。であれば、例え卑怯卑劣と罵られそうな手であろうとも、秋雅はそれを選ぶことを躊躇いなどしないだろう。そんな予感が確かに護堂の中にはあった。

 

「さて、草薙護堂。君はどちらを選ぶ?」

 

 護堂の言葉を否定もせず、秋雅はそんな問いを発する。『どちら』という言葉の意味も、否応無く察せられる。秋雅はこう言っているのだ。

 

『エリカとリリアナの解放と、草壁椿の身柄。一体どちらを選ぶ?』

 

 それが、秋雅の問いの意味だ。どちらを助けるのだと、護堂に対し二者択一の選択を強いているのだ。

 

「くっ…………」

 

 どうすればいい、と護堂の顔が苦悩に歪む。まず、草壁椿を見捨てたいとは思わない。その理由は当人への同情だったり、理不尽の否定だったり、万里谷や静花の悲しませないためだったりと幾つかあるが、とにかく護堂は草壁椿を見殺しにしたくないと、そう心から思ったからこそ、今護堂は戦っているのだ。

 

 だが、かといって、エリカやリリアナを放って置くのかと言われれば、また違う話だ。大事な友達を見捨てよう、などと思う訳が無い。いや、はっきりと言えば、まだろくに話したことも無い相手と比べるなら、まず間違いなく護堂は彼女達を選ぶだろう。そう言い切らないのは、先述したような草壁椿に対する思いと、同時にエリカたちなら何とかしてくれるのではないかという期待があるからだ。

 

 

 だが――

 

「――くそっ」

 

 どうにも、動けない。いくら考えても、護堂にはどちらを選ぶことも出来ない。いっそどちらも、とは思うものの、しかしそうするための手段など欠片も思い浮かばない。

 

 どちらを選べば――どちらを見捨てればいい。正解の見えない問いに苦悩する護堂の姿に、ふと、秋雅がつまらなそうにため息をついた。

 

 

「もう少し様子を見ようかと思ったが、そろそろ時間も惜しい頃合だ。遊びは、ここまでとするか」

 

 そう言って秋雅はついとその指を動かす。その指が向いたのは、

 

「――――え?」

 

 心配そうにこちらを見やる、万里谷祐理に対してだった。

 

「万里谷っ!!」

 

 直感に従い、護堂は『鳳』を発動させる。高速の攻撃を受けるという条件は、これまでの戦闘で十分に満たしていた。『駱駝』の使用を止めたことで身体の痛みが先鋭化したが、知ったことかと護堂は走り出す。

 

「終わりの、始まりだ」

 

 秋雅の宣言と共に、頭上の黒雲より雷が放たれた。その狙いは護堂ではなく、その外で戦闘を見守っていた祐理だ。そのようにした秋雅の意図を考える余裕も無く、護堂はただひたすらに祐理に向かって走る。今護堂がすべきことは、雷よりも先に祐理の元へと辿り着くことだ。

 

 『鳳』は使用者を神速へと至らせる化身だが、そも神速というものは雷と同程度の速度のことである。つまりこのレースにおいてどちらも速度は同じ。後は単に、どちらが近いかどうかにある。そして、より近かったのは――

 

「――させるかっ!」

 

 タッチの差で、護堂が雷よりも早く、祐理の元へと辿りついた。だが、流暢に抱えて逃げる余裕は無い。護堂に出来たのは、せめて祐理を突き飛ばすことくらいであった。

 

 神速の勢いのままに突き飛ばしてしまった為、彼女の身体を大きく吹き飛ばしてしまうことになったが、その先には――秋雅の動きに反応してか――なにやら動き出そうとしていた甘粕がいた。おそらくは彼が祐理を受け止めてくれるだろうと、護堂は神速の中で僅かに安堵する。

 

 

 しかし、上手くいったのは、残念ながらそこまでであった。

 

「があああああっ!!?」

 

 護堂の口から絶叫が漏れる。倒れこむ護堂の右足は、黒く焼け焦げていた。祐理こそ範囲外に逃がしたものの、僅かに護堂の右足だけはその落ちてくる雷から逃げる事が出来なかったのだ。

 

「護堂さんっ!?」

 

 甘粕に支えられた状態で、祐理が悲鳴を上げる。全てが一瞬のことで、彼女からしてみればまるで意味が分からないという状況だろうが、それでも護堂が自分を庇ったということは察したのだろう。

 

 思わずといったように駆け寄ろうとした祐理であったが、それよりも早く、護堂の傍に秋雅が虚空より降り立ったことで、彼女はその歩みを止めることとなった。

 

「稲穂様っ!」

「動いてくれるなよ、万里谷祐理。君をこれ以上巻き込むつもりはないのでね」

 

 祐理への忠告の後、秋雅の視線は護堂に向けられる。

 

「思ったよりも簡単だったな、草薙護堂。てっきり彼女を抱えたままの君を、私が狙い続けることになると思ったのだが」

「ぐっ……アンタ、どこまでも万里谷を狙う気で…………」

「彼女を狙えば君が勝手に庇ってくれる。実に効果的だろう?」

 

 さて、と言って、秋雅は剣を構える。

 

「その脚では『鳳』も満足に扱えまい。安心しろ、『雄羊』を使う暇は与えてやる。私はただの一人の例外を除き、他のカンピオーネを殺す気はない(・・・・・・・・・・・・・・)のでね」

「――知るかよっ!!」

 

 剣を振り上げた。その気配を感じたと同時、護堂は身体を跳ね上げ、拳を背後に突き出す。確かに脚はやられたが、『鳳』自体はまだ使用可能。護堂の主観では酷く愚鈍な反撃であったが、その全ては神速にて行われる。せめて一矢だけでも、と拳を繰り出した護堂であったが、それが当たる直前に、秋雅の姿が掻き消えた。

 

「っ!?」

「――遅い」

 

 その言葉と共に、護堂の胸から刃が突き出る。思わず護堂が見下ろせば、その刀身は秋雅が振るっていたそれと同じものだ。

 

「は…………」

 

 一瞬の静寂の後、護堂の口から血があふれ出す。胸に痛みを感じ、しかしそれは段々と薄らいでいく。癒えている、というわけでは勿論無い。死に近づいているからだと、護堂は意識が薄れていくのを感じつつ理解する。

 

「護堂さん!? 護堂さんっ!!!」

 

 もはや、必死に自分の名を呼ぶ祐理に応えることすら出来ない。出来たのは、心の内で聖句を唱えつつ、『雄羊』の化身をイメージすることだけ。それを最後に、護堂の意識はついに途絶えるのであった。

 

 

 

 




 ようやく書けました。最後はもう少し真っ当に、神速と転移の戦いを書こうかとも思ったのですが、秋雅ならこういう風に終わらせるのもありだろうなと思ったのでこの路線です。祐理を抱える護堂を執拗に追い、彼女を下ろす暇を与えない、あるいは離れた彼女を狙うということで『鳳』を封じるという流れでも良かったのですが、何となくあっさりと終わらせました。次回冒頭で戦いの終わり、中盤で戦いの後、後半で秋雅視点に戻って諸々、という流れでこの章を終わらせようかなあと思っています。伸びてももう一話足すだけだと思います。


 

 以降、章全体の後書き。確かこの戦いの裏を書くという話だったと思うのでそれでいきます。

 元々ですが、護堂の化身はもう少し活躍させる気がありました。本編では椿の部屋からそのまま戦いになりましたが、例えばそこでは一旦戦わず、改めて夜中にでもひっそり来た秋雅達に、それを読んで忍んでいたリリアナが一緒に『冥府』へと転移し、『強風』で護堂達を呼ぶ。発動条件を満たせなかったので出来ませんでしたが、『山羊』の化身で秋雅の雷雲を奪って攻撃するも効かず、雷雲のコントロールも逆掌握される。あっさり終わらせてしまいましたが、同速度である事を活かして雷の連続攻撃で『鳳』を追い詰め、最後は囲んで倒す。『戦士』にしても、戦闘前にエリカが念のためにと『教授』し、言霊の剣で秋雅を追うなど、そういうことも考えてはいました。まあ、初期時点では、発動が難しいであろう『白馬』と『少年』以外は使わせる気だったんですよね。結局は流れとか発動出来ないとかなんやらで没になりましたが。特に『戦士』に関しては今後のちょっとした路線変更もあって取りやめに。実際、もし護堂が秋雅の権能を斬った場合、最悪護堂は秋雅にとってアレクと同じ立ち位置、つまり何が何でも殺す枠に入りかねなかったもので。実際、ここでの戦闘で殺しかねないという。まあ、その際は流石に誰かしらに止めさせるでしょうが。

 それと、今回の秋雅の戦い方に関して。基本的に秋雅はまず勝利への道順を考え、足りないところはアドリブでどうにかするという戦術を取る事が多いです。今回で言うと、

1.『鳳』の使用直後の硬直で止めを刺すのが一番楽そうだ

2.でも『猪』なら硬直中も使えそうだからさっさと使わせたい

3.(秋雅視点では)ひょっとすると『鳳』の硬直で『駱駝』が使えるかもしれないし、一撃で仕留められなかったら困るから、これも使わせた方がいいかも

4.じゃあ、まず『猪』を使わせ、可能であれば『駱駝』も消費させつつ、『鳳』を使わせて硬直のタイミングを狙おう

 と、まあこういう風に考えた結果が本編の流れでした。こういうところがあるので、この時点では護堂は秋雅とかなり相性が悪いと思っています。まあそもそも、ヴォバン侯爵も初戦の時点で、条件見極めたら封殺出来そうみたいなことを言っているんですが。

 それとヴェルナとスクラに関してもちょっと補足。それぞれの最後のシーンですが、あれはスクラがリリアナ狙いのふりをしてエリカを、ヴェルナがエリカ狙いのふりをしてヴェルナを攻撃し、それぞれに出来た隙をついたという形です。実際、向こう側の相手に当てる気だったので、目の前の相手には回避される事を前提での攻撃でした。秋雅も言っていますが、四人が偶然一直線上になったことで、スクラが何となく出来そうだなと思ってやったことに、ヴェルナが即興であわせた形です。基本的にスクラは直感で戦ってるですが、ヴェルナはそれを双子ゆえの読みで理解できるという風になっています。リリアナがスクラの攻撃を未来予知じみた予測とか考えていましたが、実際はほぼほぼ勘でやっています。逆にヴェルナは五感で得た情報をまとめ、全て頭の中で思考しきりながら戦っています。この辺も対称的なんですが、不思議と互いの思考を読み会うのは得意というのがこの二人です。なお、この所為で二人が戦うと基本的にヴェルナが勝ちます。互いの動きが分かる以上、後はコツコツと地力を上げているヴェルナの方が有利だからです。で、そのヴェルナには経験の差で秋雅が勝ち、その秋雅には直感頼りに訳の分からない動きをして翻弄できるスクラが勝つという、一種の三すくみになっていたりします。なお、ウルはこの三人と同時に戦っても、辛勝ではありますが勝てます。二人だと楽勝、一人だと圧勝がデフォです。まあ、それもあと数十年もすればまた変わるんですが、その辺はまたの機会で。次話では……まあ、たぶん何かについて書きます。





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果たしてこれは悲劇となったか

「……落ちたか」

 

 呟き、秋雅が護堂の胸から剣を引き抜く。支えを失った護堂の身体は倒れ、地に伏す。その動きに護堂の意思が介在している素振りは、当然のように見られない。

 

「護堂さんっ!?」

「いけません、祐理さん!」

 

 思わず駆け寄ろうとした祐理を、甘粕がその腕を掴むことで止める。たたらを踏むことになった祐理だが、それに構う素振りも見せず、その視線はただひたすらに護堂へと向かう。必死に過ぎるその反応だが、それも無理からぬ話だろう。今まで苦戦や焦燥こそあれ、草薙護堂という男がここまで完全に敗北した姿を、祐理は見た事が無かった。あるいは、これからもそういう姿を見ることはないと、心の何処かで思っていたかもしれない。心配こそ多大なまでにさせるが、そういう意味で悲しませることだけはない。そんな風に、祐理は草薙護堂という、一種の規格外の男の事を信頼していた。

 

 だが、目の前の光景はどうか。信頼する護堂は死に瀕しており、彼をサポートするはずのエリカやリリアナも、相対した者達の所為で行動不能の状態となっている。何かしなければ、と祐理が焦りを募らせ、極めて理性的ではない行動を取ろうとしているのも当然といえば当然であった。

 

「落ち着け、万里谷祐理。先に宣言した通り、私に草薙護堂を殺す気はない。戦いの結果、というのならばともかく、今この状況から彼の命を奪おうとは思わん」

 

 そんな彼女に対し、秋雅は無感情な瞳を向けながらゆっくりと告げる。その口調は冷淡で、ともすれば冷徹であるようにも感じられる。しかし不思議なことに、その瞳の中に殺意の色はまったくといっていいほどに見られない。彼は本当に、護堂を殺す気など無い。そのことを、祐理は不思議と理解できた……いや、理解させられたというべきだろうか。彼が放つ、威厳とも威圧とも思われる王者の気配。思わず身体を硬直させるほどの――しかし全く恐怖は感じないのが、何処か不気味にも思える――それが、祐理の焦る意思すら飲み込み、彼女に秋雅の意思を刻み込んでいた。故に、祐理はその場で立ちすくむ。恐怖ではなく、それが当然であるというように、祐理の脚は全く動かなくなる。

 

「理解できたようだな。であれば、とにかく今は動かないでもらおうか。ここまで来て邪魔はされたくないのでね。君も、理解できるだろう?」

 

 最後の言葉のみ、秋雅の言葉は祐理へと向けられたものではなかった。それは彼女の背後の、甘粕に対する確認――いや、命令だ。

 

「……承りました、王よ」

 

 その言葉と共に、甘粕の祐理を抑える力が僅かに強くなった。それは祐理に邪魔をさせないという甘粕の意思の表れであり、秋雅という王に彼が膝を屈した証でもある。

 

「それでいい。何もしなければ、草薙護堂を含め、君たち全員の命は保証する」

 

 逆説、歯向かえば容赦しない。言外にそう示しながら、秋雅はその場から消える。次の瞬間、ここから遠く離れた、椿達が待つ場所に再出現するのを祐理は視界の端で確認する。

 

 しかし、そうして秋雅が離れた後も、祐理はその場から動けなかった。倒れ伏す護堂に駆け寄ることも、椿に何かをしようとしている秋雅に反応もせず、ただただ立ち尽くしている。

 

 無論、甘粕が彼女を抑えているからというのもある。秋雅がその場を離れようとも、甘粕は決して祐理の腕から手を離さず、彼女が脚を動かすのを阻害しているのは確かだ。しかし、それとは関係なく、精神的な意味で祐理は身体を動かすことが出来ない。それほどまでに、彼女は秋雅の圧に飲まれ、影響を受けていたのだ。

 

 かつて、暴虐の王(ヴォバン侯爵)に逆らったこともある彼女がそうなっていたのは、それが恐怖によるものではないからだ。強いて言うならば、それは義務感に近い。それほどまでに、秋雅というカンピオーネの気配は重く、濃厚で、強烈であった。あるいはこれが、護堂が倒れる前であれば、ここまで祐理に影響を及ぼすことも無かったかもしれない。護堂という柱が完膚なきまでに敗れた――特に、祐理の目の前で――というのは、彼女にとってこれ以上ないというくらいに衝撃的なことであったのだろう。

 

 

 

 

 果たして、そのまま動けぬままにどれほどの時間が経ったのだろうか。客観的には精々数分であったのだろうが、祐理にはその数十倍もの時間が経ったかのように感じられた頃、ふと周囲の風景が一変した。四方を包む壁に大きなベッド、まがまがしさなど欠片も無い白い光に自分達が元の空間に戻ってきた事を理解し、祐理はハッと自意識を取り戻す。

 

「戻って…………」

 

 祐理の口から漏れた言葉が、突如として途切れる。その視線の先にあるのは、秋雅の腕の中に抱えられた椿の姿。その目は閉じられ、腕はだらりと力なく揺れている。特に目を引くのは、袖口に見える蔦のような刺青が、端から徐々に崩壊している様。その現象の意味を、祐理はあの空間に移る間に聞いている。

 

 つまり、

 

「椿さんが、死んだ……?」

 

 呆然とした面持ちで呟いた祐理を気にする素振りもなく、秋雅は無言のままに歩き出した。その先にあるのは病室の入り口であり、ヴェルナと名乗った少女たちもまたそれに続く。

 

「――待ってください!」

 

 思わず、祐理は叫ぶ。しかし、それに対し秋雅は何の反応も見せない。その価値も、意味も無いと言われているように祐理には感じられる。

 

 それでも、それでもなお、祐理は問いたかった。

 

「何故、椿さんは死ななければならなかったのですか!? 何故!?」

 

 理屈の上では分かっている。そうしなければ、多くの被害が出たであろう事など理解していた。言うなればそれは、草壁椿という少女が背負った運命への問いだ。どうして椿なのか。どうして椿でなければならなかったのか。何故、このような理不尽がまかり通ってしまったのか。そんな決してやりきれないものから来た、感情の問いかけだ。

 

 その問いに、秋雅は答えない。聞く耳持たぬと言いたげに、ただ無言のままに彼は椿の遺体と共に部屋を出る。少女たちも続く中、最後に残った紅葉が、ふと祐理に振り向いて口を開く。

 

「……それが、必要だったから。たぶん、ただそれだけだと思います」

「それを貴女が――椿さんのお姉さんである貴女が仰るのですか!?」

 

 冷淡過ぎる、と憤る祐理の前で、紅葉は淡い微笑を浮かべ、言う。

 

「では、貴女に何が出来ましたか? あの子の先輩でしかない貴女に」

「っ! それは……」

「何も出来ていないですよね? 私も、貴女も、ただ信用して待っただけ。貴女は草薙さんを、私は秋雅さんを。そして、私が信じた秋雅さんが勝ち、貴女が信じた草薙さんは敗れた」

 

 静かにそう言って、紅葉はほんの僅かに口元を歪める。それは微笑みか、はたまた嘲笑か。祐理にはそのどちらとも理解出来ない。

 

「分かります? 貴女達は草薙さんに賭け、私達(・・)は秋雅さんに賭けた。ただ、それだけです。それだけなんですよ、これは。そして、その結果はこれから分かる(・・・・・・・)でしょう。じゃあ――」

 

 ――さようなら。

 

 

 最後の言葉を残し、紅葉は部屋を出て行く。後に残ったのは、ただ呆然としている祐理に、深いしわを額に刻む甘粕、そして床に倒れ伏している護堂達のみ。

 

「……とりあえず、皆さんの入院手続きを始めますね」

 

 そんな、電話を取り出しながら言った甘粕の言葉が、何処か虚しく病室内に響くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから二日後。そろそろ日も落ちるだろうかという頃合に、エリカはリリアナの部屋にいた。時間的には学校の放課後に寄ったようにも思えるが、生憎と今日エリカは学校に行っていない。

 

 身体に異常があるわけでもないのにそうしたのは、単にそういう気分でなかったのと、少し身体を動かしたいという欲求から、リリアナと共に一日中剣を振るっていたからだ。今は言うなら、運動後の休憩タイムとでも言うべき時間であった。

 

「……ようやく、気も治まってきたわね」

「ああ、そうだな……」

 

 紅茶を飲みながらエリカがしみじみと言うと、リリアナが静かに同意する。未だにエリカの胸の中に残る、じくじくとしたやりきれない何か。生真面目なリリアナがエリカのサボりの誘いに乗ったのも、おそらくは同じ思いがあるのだろうとエリカは考えている。自分もそうだが、今日のリリアナの剣には何処か荒々しいものがあったのもその理由だ。

 

「まったく、今回は醜態をさらしてしまったわ。武器無しとはいえ、私達がああも手玉に取られるなんて」

「あちらの技量もあるが、やはり私達の油断だろうな。草薙護堂が稲穂秋雅に対し意思表示した時点で、武器を手元に呼び出していれば良かった話だ」

「そうね。相手が相手とはいえ、少し平和的解決を意識しすぎたわ。仮にもカンピオーネ同士の会合なのだから、あのような結末になる可能性をもう少し真剣に考えておくべきだった」

「稲穂秋雅のキャラクターを考えれば、そう油断するのも当然だ……というのは自己弁論なんだろうか」

「さあ、どうかしらね」

 

 それにしても、とリリアナは呟く。

 

「負けたとはいえ、今回は妙に残る(・・)ものがあるな。敗北が当然というわけではないが、今まで負けてきた経験など幾度と無くあるのに、私も貴女も妙に引っかかっている」

「……たぶん、最近私達が戦ってきたのが、まつろわぬ神やカンピオーネだったからよ。勝利などまずない絶対的な相手ではなく、なまじ良くやれば私達でも十分に勝てるだろう相手に負けた。久しぶりに、敗北や苦戦を悔しいと思えているんでしょうね、私達は」

「なるほど、な……」

 

 武器があれば、もう少し技量があれば、後僅かに運が微笑めば。そうすれば自分達は、ひいては草薙護堂は勝てたかもしれない。そんな、手が届く場所にあった勝利を逃がした事が、二人の後悔に繋がっていた。おそらく、これはもう少しの間は残り続けるだろう。そんな風に、エリカは漠然と思っている。

 

 こうして考えると護堂の、あの良くも悪くも後に続かない性格が羨ましく思えないこともないのだから不思議だ。流石に今回は多少堪えたのか、翌日などはやや暗い雰囲気であったのだが、今日はもう――少なくとも表面上は――いつものように戻っていて、平然と学校に通ったようである。学校に通っただろう、と想像が出来るという意味では祐理もそうだが、彼女に関しては単にそういう理由で学校をサボろうという発想が無いと思われるからだ。通いはしてもあまり元気が無かったであろうことは想像に難くない。何となく、エリカたちがいない事もあってまた何か噂をされそうな予感もするが、どうでもいいといえばいい話だと、エリカは自身の想像に対しそのような感想を抱く。

 

 などという、比較的どうでもいいことを考えても、やはりエリカの胸の中にある後悔は薄まる気配が無い。仕方がないものだ、と思いつつ紅茶のカップに手を伸ばすと、リリアナもまた同じく手を伸ばしていくことに気付く。

 

 彼女もまた、同じように流し込みたいと思っているのだろうか。そんなことを思いながら、エリカはリリアナと合わせる様にカップを口元で傾ける。

 

 どちらもが紅茶を嚥下する間に生まれた、僅かな沈黙。それを、カップをソーサラーに置き直す音で破った後、リリアナは口を開いた。

 

「なあ、エリカ。一つ、気になっている事があるんだ」

「気になっていること?」

「ああ。最後に、草壁紅葉が言っていたことに関してなんだが」

「賭けた云々のこと? あれはそこまで意味があることだとは思えないけれど」

 

 あの時、地に伏していたエリカとリリアナであるが、あくまでそれは身体的な自由が利かなかっただけであり、意識や五感などはしっかりとしていた。そのため、あの時に交わされた会話に関してはしっかりと記憶している。しかし、その中になにか引っかかるものがあっただろうかと、エリカは思い出しながら小首を傾げる。

 

「いや、その後だ。彼女は『これから結果が分かる』と言っていただろう? あの言葉がどうにも引っかかる」

「……言われてみれば、そうね」

 

 確かに、改めて口に出されると、その言葉は些か変だ。指摘されるまで自分が気付かなかったということに、頭もまだ上手く回っていないのかと自虐しつつ、エリカは唇を指でなぞる。

 

「草壁椿が死亡した以上、もう何か結果が出るような事象は発生しないはず。だけど、草壁紅葉の言葉は、これ以降で何かが起こる、あるいは分かるという意味に取れる。これはおかしい。そういうことね?」

「ああ。色々と考えてはみたんだが、どうにも納得がいくものが出てこないんだ。そもそも、今回の事件は解明されていない不思議が多すぎる。特に引っ掛かりを覚えるのは――」

「何故、稲穂秋雅がわざわざ出張ってきたのか。そして何故、稲穂秋雅は草壁椿をすぐさまに殺さなかったのか。護堂との戦いであれだけ合理性を追求した戦い方をしておきながら、その二点に関しては矛盾している。そういうことね?」

「そうだ」

 

 改めて考えてみると、それ以外にも細く上げればきりがないほどに疑問は湧いてくる。個々の解消は出来ないが、だからこそ分かる答えもある。

 

 それは、

 

「あの一件には、私達の知らない『続き』がある、ということね」

「あるいは、続きがあった、かもしれないがな。どっちにしろ、今ここで考えるには情報が足りない。ここでも情報不足になるとは、やはり今回はあちらの手の中だったか」

「悔しいことに、ね」

 

 はあ、と二人揃ってため息をついた。考えてはみたものの、やはりどうしようもない。そんな結論しか出せないのだな、とどういう感情によるものか判断が難しい感想を抱いていると、ふとエリカは自身の携帯電話が震えていることに気がついた。

 

 誰からだろう、と思って画面を見れば、そこには彼女の最愛の人の名前が表示されていた。別に構わないだろうと、リリアナに断りを入れるでもなく、エリカはそのまま電話に出る。

 

「――はあい、護堂。一体どうしたの?」

『エリカか? ああ、その、問題……ってわけじゃないが、ちょっとな。エリカたちにも知らせておいた方がいいだろうってことになったんだが……』

「随分煮え切らない言い方ね。そんなに変なこと?」

『変って言うか、なんて言うか。届いたものは普通なんだが、届いた事がおかしいって言うか……』

「護堂? 分かりやすく、簡潔に教えてくれる?」

 

 一体何だというのか。どうにも混乱しているらしい護堂に、エリカは僅かに苛立ちながら尋ねる。すると、護堂は一呼吸ほど置いて、

 

『万里谷と静花に手紙が届いたんだ。その…………草壁椿さん、から』

「え?」

『――彼女、生きているらしい』

 

 その言葉に、怪訝そうな表情を浮かべるリリアナの前で、エリカは驚愕から大きく目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 コンコン、とノックの音が響く。

 

「――はい、どうぞ」

 

 一拍の後、まだ幼さの感じられる少女の声が室内から届く。それを確認し、秋雅は病室のドアを開いた。

 

「失礼するよ」

「――秋雅様! お見舞いに来てくれたんですね!」

「ああ」

 

 入室した秋雅を見てベッドから身を起こしたのは、中学生くらいの年齢の少女だ。彼女は読んでいたらしい本を傍にどけ、満面の笑みを浮かべて秋雅を迎え入れる。

 

「元気そうだな、椿」

「はい、もうだいぶ良くなりました」

 

 秋雅の確認に少女――草壁椿は元気良く頷いた。かつての、痛みのために陰のあった表情とはまるで違う、朗らかで嬉しそうな笑みに、秋雅もまた柔らかい微笑を浮かべる。

 

「そうか。それなら、良かった。何せ君は、今までそう類のない患者だからな」

一回殺された後、殺した相手に蘇生される(・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・)なんて、そうあるとは思えませんしねえ」

 

 以前、スクラが提案した、曰く使い古された手。一度椿を殺し、彼女にかけられた術が自壊した後、彼女を死の向こう側から引っ張り戻す。殺す以外に手がないなら、殺した後で生き返らせればいい。それが、もはや手遅れであった彼女を救うために、秋雅と紅葉、そして椿が選んだ逆転の一手であったのだ。

 

 無論、言うほど簡単だったわけではない。蘇生可能な状態で死亡させられるか。術の自壊が蘇生可能なレベルの時間内で終了するか。蘇生後、術が再始動しないか。そして、死亡後に致命的な後遺症が出てしまわないか。他にも細かいものをあげればきりがないほどの不安要素はあった。

 

 それを可能にしたのは、秋雅の持つ『実り、育み、食し、そして力となれ』による、人体への負担を最大限軽くした殺害と蘇生だ。これがもし、他の魔術ないし現代の医療技術を用いての策であれば、今椿はこの世にいないだろう。非常に難しい賭けであったが、最終的に運は彼女達に向いてくれた。結果、椿は二つの後遺症(・・・・・・)を除き、五体満足で今も生存している。

 

「何か、不自由はあるか?」

「そうですねえ。強いて言うならご飯ですかね。味に不満は無いんですけど、こう……もっとがっつり食べたいです。お肉とか、お魚とか」

「まあ、その辺は病院だからな。退院したら祝いに好きなものを奢ろう。何でもいいぞ」

「本当ですか! やった、その言葉でよりいっそう元気になれそうです!」

 

 彼女の今にも飛び跳ねそう勢いの喜びっぷりに、秋雅も楽しげに笑う。これほど無邪気で元気な様子を見ると、自然と見た側の頬も緩むというものだ。

 

「その調子なら、退院もそう遠くはならなさそうだな。体力もだいぶ戻ってきているようで何よりだ」

「それでも結構落ちていますけどね。当分はゆっくり生活しないとだめっぽいです」

「それがいい……呪力の方はどうだ?」

「相変わらずですね。今はいいですけど、限界が来ると風船の気持ちが分かりますよ」

「術の影響で呪力の器が大きくなっているだけマシなんだがな。呪力吸引体質とは、実に厄介だ」

 

 椿に残ってしまった二つの後遺症。正確には術の影響による体質の変化だが、その一つは紅葉と同じ呪力の器の拡大だ。ただし未だ限界の測定が出来ていないあちらと違い、一般的な魔術師十数人分という限界――それでも、他の魔術達からすれば垂涎ものだが――があった。そしてもう一つが呪力の吸引、つまり周囲にある呪力を勝手に吸い取ってしまうというものだ。生物や物品に宿っているものは無理だが、大気中や地脈を投げる呪力を吸い取り、彼女の中の器に入れるというものである。これらにより、カンピオーネには遠く及ばないとはいえ、今の椿は単独で儀式レベルの大規模な魔術を扱えるだけの下地を得ることとなった。

 

 とはいえ、あえて後遺症と称した通り、これらは決して椿にとって利となるものだけではない。いや、前者の器の拡大はまだいいのだが、呪力吸引体質の方があまりよろしくない。

 

 この呪力吸引体質だが、椿の状態に寄らず勝手に周囲の呪力を吸収してしまうのだ。たとえ器が一杯の時でもお構い無しに吸引してしまうので、せっかく拡大化した器でもいずれ限界となってしまう。それでもなお吸引し続けるので、椿の例えのように膨らんだ風船に空気を入れ続けるような状態、つまり身体を内側から押し広げられるような苦痛を味わうことになるのだ。勿論、そのまま放置すれば文字通り弾ける(・・・)こととなるだろう。

 

「まあ、解決策があるだけマシだがな。今日は誰が?」

「室長さんですね。お姉ちゃんと一緒に私の呪力を移してくれました。まあ、お姉ちゃんはまだ下手糞みたいですけど」

 

 呪力が一杯になるなら、その前に移してしまえばいい。単純だが、それがこの問題の解決策だ。移す先に関しても、幸いなことに紅葉という、まるで限界の見えない相手がいる。まあ、正確には先送りのようなものなのだが、根本的な解決手段が無い以上、これを解決策としても別に構わないだろう。いずれ椿自身が呪力の使い方を覚え、紅葉と二人で受け渡しが出来るようになれば完璧、と言ったところだろうか。

 

「紅葉もそうだが、君も出来るだけ早く慣れてくれ。君が魔術を扱えるようになるのが一番手っ取り早いんだからな」

「適当に浪費すればいいってことですもんね、これ。私ももう痛いのは嫌なんで、早く覚えるつもりです」

「それで頼む。こっちも協力は惜しむつもりはないから」

「了解です」

 

 ビシ、とわざとらしい敬礼を椿が見せる。それは別にふざけているのではなく、彼女なりに本気を見せているのだと、秋雅は何となく理解している。彼女が秋雅の事を様付けで呼ぶのと同じだ。口調こそは軽いが、実際は紛れもない感謝や敬意を秘めている。ただ、それを真剣な形で表現するのを好んでいないというだけであり、また相手もそのことを理解していると分かっているからこその行動なのだ。

 

 だから秋雅も、そんな彼女の行動を好ましく思い、それを放置している。でもなければ、いくら椿に対してカンピオーネという存在を説明したといえ、この歳の少女から敬称付きで呼ばれる――しかも、その姉は普通にさん呼びなのだ――のは避けただろう。なお、それらの説明をした上で秋雅の口調が素なのは、将来的に姉と同じ立ち位置になるだろうと分かっているからだ。姉に対しては素で、妹に対しては格式ばって、というのが面倒だったというのもある。どうにも最近、素を見せる相手が増えてきたが、それもまたいいかと何となく思っている秋雅である。

 

「あ、そうだ!」

 

 敬礼を終えた椿が突如、パンと手を叩く。非常に分かりやすい、思い出したと言いたげな動作だ。

 

「どうかしたのか?」

「いえ、そういえば手紙を出させてもらったお礼をしていなかったなと。改めてありがとうございました、秋雅様」

「ああ、そのことか」

 

 椿の礼を受け、秋雅は頷く。

 

「あの程度なら別に構わんさ。一応、こっちの都合で学校を辞めさせることになったんだ。万里谷祐理と草薙静花に手紙を出すくらい軽いものさ。まあ、書く内容は指示させてもらったんだが」

「静花ちゃんには突然の転校の、先輩には私が生きている理由と気を病ませたことへの謝罪だけってことでしたね。今更ですけど、先輩には生き返った云々とかも書いたんですが大丈夫でしたか?」

「検閲させてもらったが、俺に関して突っ込んだことは書いていなかったからな。問題ないと判断したから、どちらもそのまま届くように手配した」

「届いたなら良かったです。このまま放置しっぱなし、というのはちょっと気が引けたものですから。それに、秋雅様が賢い人(・・・)だってことも分かりましたか」

「……どういう意味かな?」

「だってそうでしょう?」

 

 眉をひそめた秋雅に対し、椿がわざとらしく首を傾げる。

 

「わざわざ私の生存を向こうに伝えるのは、マイナス寄りになったであろう心象をプラスに持っていくためでしょう? 何で隠していたんだ、と静花ちゃんのお兄さん辺りは思うでしょうけど、もし失敗した時の為に責任感を抱かせない為の配慮だって、あの騎士さん達は説明するでしょうし。秋雅様には敵わない、と思わせることも出来るかもしれないですしね。仮にそうならなかったにしても、別に何かが悪化するわけでもないんだから、賢い手だと思いますよ?」

「……それが素か?」

「やだなあ、ずっと素ですよ」

 

 ケラケラと、秋雅の詰問に椿は笑ってみせる。それは確かに自然な笑みであるのだが、秋雅に睨まれながら浮かべるにしてはあまりに軽すぎるものだ。秋雅の威圧に気付かない馬鹿、というわけではあるまい。気付いた上で、あえてそういう振る舞いをこの少女はやっているのだと、秋雅は理解する。

 

「大体、素がどうのって話なら、秋雅様もそうじゃないですか」

「――()が何だと?」

「それですよ、それ。今私を威圧してでも、どういうことかを知りたいと思う。後に私との関係が悪化する可能性よりも、私の言葉を探る事を選んだ。秋雅様って、実は取捨選択を迷わない……違いますね、見捨てる事を躊躇わないタイプでしょ? 優先順位をきっちりつけて、その時になったら絶対にどちらかを選ぶ。十のために一を切る、あるいは一のために十を切るって選択をきっちりする。絶対になあなあにはせず、選んで、選んで、選ぶ。もし仮に……そうだな、ウルさんが危険な状態になったとして、それを解消する為に私と、まあついでにお姉ちゃんを殺す必要があるとしたら、何の躊躇も無く殺しますよね? 秋雅様って、そういう人に見えます」

 

 違いますか、と椿は問う。それに無言のまま、まったく応えない秋雅に対し、また笑いながら椿は続ける。

 

「今回だって、実は私の生存なんてどうでもよかったんじゃないかと思っています。秋雅様からしたら、私の生存なんか(・・・)よりも、この国が守られる事のほうが優先順位は高かったんでしょ? 静花ちゃんのお兄さんとわざわざ戦った理由は本当に情報収集なんでしょうけど、私を助ける事を本線に置いているなら、そんなことやっている暇ないでしょうし。あえてそうしたのは、私の生存よりもあちらのことを知るほうを優先させたから。合理的というか、打算的というか、まあ割と計算で動いていますよね、秋雅様って。勿論、日常でのどうでもいいときは別でしょうけど」

「……そう思っていながら、何故それを言う。私がそれを不愉快に思い、お前を害するとは思わなかったのか?」

 

 王としての態度のまま、秋雅は静かに問う。たかだが中学生相手に、とは思わない。それなりに本気(・・)を出す必要性のある相手だ、と秋雅は目の前の少女をカテゴライズする。手玉に取られるなどということは流石にないが、こちらもヘラヘラと笑いながら話をする状況ではない。

 

「別に? それならそれでいいかなー、と。あんまり深く考えて話しているわけじゃないんで」

「死に掛けたからこその達観か?」

「分かった事を素直に言うのは昔からですよ。秋雅様が怒る可能性を考えなかったのは、単に私がもう、秋雅様に『全賭け』しているからです」

「……私の意のままと」

「アハ、頭のいい人との会話は楽チンですね。その通り、私の生殺与奪はもう、秋雅様に全部預けたってことです。あの時、私は秋雅様の言葉を信じて、お姉ちゃんと一緒に秋雅様に賭けました。もうどうなってもいい、わずかな希望に賭ける、って風に。その結果が今です。死にたいと思った私を死なせてくれた上に、生き返らせてすら貰った。これはもう、十分すぎるほどの大満足。申し分ないほどのペイバックって奴じゃないですか。だから、私の全てはもう、秋雅様のものなんです」

 

 ニッコリと笑いながら、椿は宣言する。

 

「秋雅様がくれた命なんだから、秋雅様が要らないならそれまででいいと私は思います。秋雅様なら要らないと思っても、放り出しはしないでしょう? 私くらいの立ち位置なら、秋雅様は自分で殺すと思うので、まあいいかなあと。貰った命なんですから、秋雅様になら納得できます」

「……中学生らしからぬ、狂人だな」

「それ、本心です? 他の人はそう思うでしょうけど、秋雅様ならある程度納得していそうな気がしますよ」

 

 椿の指摘に、秋雅は軽く眉をひそめる。それは彼女の指摘が、ある程度正鵠を得ているという何よりの証左だ。そのことに椿もまた気付いたのだろう。やはりカラカラと、彼女に似合いで、しかしこの状況に似合わぬ無邪気な笑い声を上げる。

 

「で、どうします? 真面目に話すなら、殺すときはお姉ちゃんに適当な言い訳を考えてくれると嬉しいなと思っているんですけど。あんまり何度も、お姉ちゃんを悲しませたくはないので」

「…………安心しろ。その気はない」

「私に、役に立つ要素がありました?」

「ウル達の特徴」

「ああ、そういうことですか」

「いずれは外交を任せる」

「腹芸、無理ですよ?」

「相手が分かれば十分だ」

「それだけで成り立ちます?」

「ああ」

「なら了解です」

 

 繋がらぬように思える、不可思議な会話。だが、この二人の間ではきちんと意思疎通が出来ている。秋雅は椿に、対人関係が壊滅的なウル達に代わって外交役をやれと命じ、それを椿が受け入れた。内容としてみればそれだけなのだが、互いに最低限ないしは歯抜けに話すものだから、常人には奇怪に思われることだろう。

 

「一つ、確認したい」

「はい、なんでしょう?」

「紅葉は知らないんだな?」

「知っていたら秋雅様にも言っていると思いますよ。お姉ちゃんは多分、何も気付いていません。私のこういうところも、私がお父さんたちのことに気付いていたことも」

「だろうな。紅葉は、君は気づいていないと言っていた」

「気付いていない振りしていましたからね。気付けば無理しそうだったし」

「……愛されていない場所から出るために、か」

「そういうことです。あまり気に病んで高卒で急いで働く、とかしそうかなあと思いまして。別にネグレクトされていたわけじゃないんですから、支援してくれる間は受け取っていた方が楽でしょう?」

「一理あるが……そう考え始めたのはいつからだ?」

「さあ? 結構前です」

「大人びたにしても、随分と過ぎたものだな」

「あれ、知りません? 女の子って、案外早熟なんですよ?」

 

 コテン、と可愛らしく首を傾げ、まさしく天真爛漫と表現するに相応しい笑みを椿は浮かべた。それを見て、秋雅は毒気が抜かれたような表情を浮かべた後、

 

「……ハッ、確かにな」

 

 何かを吐き出すように笑って、秋雅は膝の上で頬杖を付いた。既に、気配はいつものそれに戻っている。もう十分だ、と言いたげな秋雅の変わりように、椿はもう一度ニッコリと笑い、大きく背伸びをする。

 

「んー……っと。いやあ、何時殺されるかと冷や冷やしました」

「嘘つけよ。そんなこと、まるっきり思っていないだろ。喜怒哀楽のバランス、何処で狂わせたんだか」

「さあ、生まれつきですかね? まあとりあえず、使えると思ってもらえたならなんでもいいです」

「有能で人格に問題ないなら大体は抱え込む。それが、合理的かつ計算高い行動だからな」

「皮肉っぽい言い方しますねえ。当て付けです?」

「どうかな」

「わあ、大人げない」

 

 ハハ、と笑い声を上げる椿に、秋雅も小さく笑う。ひとしきり笑いあった後、ポンと膝を叩き、秋雅は立ち上がる。

 

「さて、じゃあそろそろ帰るよ。今日は思いがけない収穫があった」

「またのご来店をお待ちしておりまーす、なんて」

「ああ、今度は紅葉がいるときに来る。じゃあな、俺のモノ」

「また今度、私の全て」

 

 そうして、手を振る椿に後ろ手で返しながら、秋雅は病室を出る。そして、ちらりと通ったばかりのドアを見て、

 

「……本当に中学生なのかね、彼女は」

 

 呟き、どうでもいいかと秋雅は軽く頭を振る。そして今度こそ、秋雅は誰もいない廊下を歩き始めるのであった。

 

 




 使い古された手段で助けられた犠牲者枠に見せかけ、実は秋雅陣営の中でもトップクラスで狂っている椿でした。僅かな情報から相手の本質を理解する洞察力を持ちながら、何処かゾッとするものがある。とはいえ闇があるわけではなく、まっすぐでおかしいってだけなので別に問題が起こったりはしないと思います。まあ、この時点で既に秋雅に全部奉げているとかいう子なので、ハーレム関係で騒動が起こる可能性がありますが、その場合も紅葉が動揺する程度かも。と言っても、中学生を相手にする秋雅でもないんですが。せめて後数年は経たないと手は出さないと思う。

 時間がかかりましたが、これで今章は終わりとなります。閑話を挟んだ後、次章に続きます。閑話は多分、護堂とドニの会話、そしてドニと秋雅のかつての戦いを書くつもりです。





 以下、全体的な後書き。思いつくものがないので、今回は秋雅について二つほど補足しておきます。

 まず秋雅の性格ですが、今回椿が語っていたように、慈悲深いように見えて実際は駄目ならばっさり切り捨てるタイプです。何事にも優先順位を決めていて、これを絶対に守る。彼にとって最上位の対象はウルなのですが、もし彼女か国ひとつかとなったら間違いなくウルを選ぶ。必要なら千だろうが万だろうが殺せるというのが彼の本性です。それで何故周りからは慈悲深いと見られているかと言うと、結果的に何もかも救ってきたから、というだけです。今回の椿が良い例で、秋雅自身は椿が死んでもいいと思っていたけれど、まあ生きることになったので紅葉からは感謝されているみたいな感じです。で、もし今後犠牲が出たとしても、秋雅様でも犠牲を免れないほどだったのだと思われ、納得されてしまう。行動はそのまま評価に繋がるということですね。


 もう一つ、彼の権能について。彼の権能は基本的に、使い勝手の良さや応用力に重きを置いて考えています。その分最大出力や破壊力は他のカンピオーネにやや劣る部分もありますが、組み合わせるなどして補うといったところです。純粋に破壊力のみなのは『終焉の雷霆』ぐらいじゃないでしょうか。元々は護堂を意識して考えていたわけはなかったのですが、結果的にみると色々対照的な感じになりました。一応、権能は後もう少し増える予定です。原作者の方から他の王の隠されていた権能も明らかになった今、少しばかり多すぎじゃないかと思われる秋雅の権能の数ですが、これにも一応理由があります。これに関しては、上手く回れば次章で触れることになるんじゃないかなと思います。

 と、こんなところで。疑問等に関しては聞かれれば内容次第で応えると思います。そんな感じで、今回はここまで。





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閑話 王の会合・その四
剣の王と化身の王


『――やあ、護堂。元気にしていたかい?』

 

 草薙護堂にその電話がかかってきたのは、清秋院恵那との出会いから始まった一連の事件が一先ずの終わりを告げてから、数日ほど経ったことある夜のことであった。

 

「やっぱりアンタか、サルバトーレ・ドニ」

 

 そんな気はしていた、と護堂は電話口から聞こえてきた声にため息をついた。いつかにも見た、「通知不可能」の文字が再び携帯電話の着信画面に表示された時から、猛烈に嫌な予感がしていたのだ。それを承知で電話に出たとはいえ、実際に相手がそうであると分かると、脱力感を覚えずにはいられない。

 

「で? 今日は一体全体何の用なんだ?」

『せっかちだねえ、護堂は。会話のワンクッションを置こうって気はないのかい?』

「アンタ相手にはな」

『やれやれ』

 

 その言葉に、呆れているように首を振っているドニの姿を幻視してしまい、護堂の額に青筋が浮かぶ。電話を切りたい、という衝動を護堂がどうにか抑え込んでいると、

 

『まあ、別にたいした用事って訳じゃないんだけどね。君があの秋雅と戦ったって小耳に挟んだものだから、ちょっと話をしてみようかなってだけ』

「ぬぅ……」

 

 思わず、唸るような声が護堂の喉から漏れた。まだ記憶に新しい、稲穂秋雅との戦闘。草壁椿の手紙から判明したことから、自分達がまるで道化のようであったという事実。引きずっているわけではないが、しかしどうにも割り切っているわけでもない、苦々しさの残る記憶。それを、よりにもよってこの男に引きずり出された、ということに僅かばかりの不愉快を覚える。

 

『その反応、君が負けたってのは本当みたいだねえ。成る程、成る程』

「だったら何だよ」

『いや、羨ましいと思って』

「……は?」

 

 何を言っているのだ、と怪訝な声を上げた護堂の耳に、本当に羨ましそうなドニの声が届く。

 

『その反応から察するに、護堂は秋雅と本気で戦えたってことだろう? 僕は結局彼とはちゃんと戦えなかったから、そこが羨ましいんだよね』

「戦えなかった? 意外だな、アンタならどんな手段を使ってでも戦いそうだけど」

 

 自分の時のように、と護堂は言葉には出さず思う。しかし護堂がそう思ったことは伝わったのだろう。電話口から、何処と無く悔しそうにも聞こえる笑い声が漏れ聞こえる。

 

『いや、それはまったくその通りなんだけどね? ちょっと出し抜かれたというか、騙し討ちを喰らったというか』

「どういうことなんだ?」

『そうだね…………』

 

 と、ドニは僅かに懐かしそうな、あるいは苦々しそうな口調で語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬱蒼とした森の中に、ポツンと開けた場所があった。時にこの地の魔術師達が修練などで使うこの場所に、二人の男が立っている。一人は、つい先日に神殺しとして名を轟かせる事となった剣士、サルバトーレ・ドニ。もう一人は、ドニの旧友にして、今では彼のサポートなどを行っている大騎士、アンドレア・リベア。周囲に誰もいないこの場所で、二人がやっていたのは、一方的な言い争いであった。

 

「――まったく、貴様という男は何度も何度も!」

「そう怒らないでくれよ、アンドレア。というか、事ここに至ってそういう事を言うのはちょっと情けなくないかな?」

「誰の所為だと思っている!? 貴様がヴォバン侯爵のみならず、あの稲穂秋雅にまで喧嘩を売った所為で、俺がどれだけ奔走していると……!!」

「はっはっは、まあまあ」

 

 怒りの形相を浮かべるアンドレアに対し、ドニはいつものようにヘラヘラとした笑みを浮かべる。その態度に、アンドレアの額の青筋がさらに数を増す。

 

「落ち着こうよ、アンドレア。だいたい、喧嘩を売ったってのはひどくないかい? これでも一応、交渉の末に勝ち取った正当な決闘なんだけど。むしろ、ヴォバン侯爵を抑える代わりに後日戦ってもらう、っていう条件を取り付けた僕の手腕を褒めてくれないかい?」

「確かに貴様にしては頭の回った方法だったが、稲穂秋雅が魔女達を守っている間に、ドサクサ紛れでまつろわぬ神を討った貴様が言える台詞か!」

「いやあ、だって強そうだったし」

 

 アンドレアの怒声も何処吹く風か。まるで常の変わらぬドニの態度に、とうとうアンドレアは疲れたように頭を振る。

 

「……まったく、少しは稲穂秋雅を見習ったらどうだ。貴様より歳は下だというのに、まるで風格が違ったぞ」

「そういえば昨日会っていたんだっけ?」

「ああ、わざわざアポイントまで取られては会うしかなかったからな」

「用件はなんだったんだい?」

「これを作るためだ」

 

 そう言って、アンドレアは懐から封書を取り出した。特に何が書かれているわけでもないそれに、ドニは不思議そうに首を傾げる。

 

「手紙?」

「いや、手紙ではなく――」

「――待たせたな」

 

 突如として背後から聞こえた声に、バッとアンドレアは振り向く。声をかけられるまで気配を感じられなかったからだろう。一筋の冷や汗を流すアンドレアを横目に、ドニは振り向きもせず口を開く。

 

「いやあ、たぶん時間ピッタリなんじゃないかな。来てくれて嬉しいよ、秋雅」

 

 実の所、ドニとて彼の気配に気づいていたわけはない。秋雅が声をかける直前まで、確かに背後に誰もいないはずだと認識していた。そのことにまるで動揺していないのは、単に彼がそういう性格なだけだ。動揺するほどの危険は無い、と彼の勘がそう告げているというのもある。

 

 ともかく、このまま背中で話すのも面倒くさい。そう思い、ドニはゆっくりと振り向く。それにより視界に映るのは、まだ幼さも感じられる中性的な顔立ちをした東洋人の少年。身長の関係から僅かにこちらを見上げているのもあり、ともすれば微笑ましいとも思われる光景なのだろうが、しかして彼が静かに醸し出ている雰囲気は、地位ある人間のそれと全く劣るところがない。仮に今、この少年の前に跪いている人間がいたとしても、まるでそれを不自然であるとは思わないだろう。成る程、これがアンドレアの言う『風格』なのだなと、ドニは内心で納得する。

 

「一度取り決めた約束を破るほど、私は無法ではないつもりなのでね。故に、君との決闘を反故にするつもりはないが、少し条件をつけたい」

「条件?」

「そうだ。リベア卿、例のものを」

「……畏まりました、王よ」

 

 先ほどの動揺の残滓か、一瞬の間を置きつつアンドレアは手にしていた封書の口を切る。封書に押されていた厚い封蝋に反し、出てきたのはたった一枚の紙のみであった。

 

「何だい、それ?」

「些か略式ではあるが、私とリベア卿が作成した今回の決闘の取り決め書だ。その条件下で戦う事を、私は君に望む」

「また変なものを作るなあ。どれどれ……」

 

 と、ドニはアンドレアが示す取り決め書を覗き込む。しかし途中まで読んだところで面倒になったのか、彼はその視線をアンドレアへと向けなおす。その意味深な視線に、最初は鉄面皮を崩さなかったアンドレアだったが、途中でその忍耐も切れたのか、再び額に青筋を浮かべながら口を開く。

 

「……簡潔に纏めると、この決闘は制限時間を三十分とし、それを過ぎると無条件で貴様の勝利となる、ということだ」

「時間制限付き? 何故そんな風にするんだい?」

「それだけあれば十分だからだ」

「……それは、先達としての余裕かい?」

「不服でも、後輩?」

 

 ハッと、秋雅が不敵に笑う。ドニのそれとはまるで性質の違う、紛れもない嘲りの笑み。それを見て、ドニはふうんと鼻を鳴らす。

 

「――いいよ。その条件、飲もうじゃないか。三十分以内にけりをつけてあげるよ」

 

 そう言って、ドニは円筒形のケースから剣を取り出す。さしものドニも少しカチンと来たのか、その声には怒りの感情が混じっているようにも聞こえた。しかし、そんなドニの態度などまるで意に介していないように、秋雅は悠然とした態度で頷いてみせる。

 

「では、そのように。リベア卿、立会いを」

「畏まりました」

 

 恭しく頭を下げた後、アンドレアはその場から大きく飛び退いた。それをちらりと見た後、秋雅の姿がフッと掻き消える。次の瞬間、彼の姿はそこから数メートルほど後方に現れる。転移、おそらくは権能によるものだろうとドニは瞬時に理解する。

 

「この程度もあれば、間合いは十分だろう。では始めようか、サルバトーレ・ドニ。これより三十分の、我らの決闘を。先達の義務として、初手は君に譲ろう」

「じゃあ――遠慮なく!」

 

 言い切るや否や、ドニは地を強く蹴る。神速には及ばないとはいえ、常人としてみれば驚異的とも言える速度でドニは走りだす。いつもの、相手の懐にぬるりと入り込む独特の歩法ではないのは、先手を譲られたということに何処か怒りを覚えていたからか、あるいは単に距離があったからというだけか。とにかく、ドニはただ一直線に、秋雅に向かって跳ぶ。

 

 それに対し、秋雅は不気味なほどに動かない。目こそドニの姿を見据えているが、未だ腕組みをしたまま、仁王立ちの姿勢を保っている。余裕にしても奇妙だ。ヴォバン侯爵の時などでドニが見た限り、この少年に武芸の心得はそれほどない。いや、まったくないというわけでないが、精々修行中が良いところ。ドニの剣技に対応できるほどの目も技も、まるで持っているようには思えない。

 

「何が狙いかなっ!」

 

 ドニの問いかけに、秋雅はやはり答えることはない。ならいいか、とドニは更に一歩踏み込む。後一歩、その距離まで詰めた所で、

 

「――さあな」

 

 ようやく、秋雅が動いた。いや、それは果たして、動いたと言えるのだろうか。何故ならばその瞬間、秋雅の姿は掻き消えたのだから。

 

「うん?」

 

 代わり、ドニの視界に映ったのは、人の背丈ほどの大きさの円筒状の何か。何らかの機械の類とも、単に何かをしまうケースのようにも見える。それが突如、秋雅が立っていた場所に入れ替わりのように出現している。

 

「一体なんのつもりかな? まあ、いいけどねっ」

 

 なんであろうと問題ない。相手が何をたくらんでいるのかは不明だが、とりあえず切る。それがドニのシンプルな考え方だ。

 

 だから、ドニはその手の剣を振るった。相手の思惑に乗るでも、反るでもなく、単にそうしようと思い、ドニはそれを切る。

 

 瞬間、光が爆発した。

 

「――ッ!?」

 

 ドニの視界が歪み、感覚が麻痺する。爆音と閃光を受けたのだ、とドニが気付いたのは実はその戦闘が終わった後。この時点では、『何か』の影響で視界が、聴覚が、平衡感覚が狂わされた、と考えただけだ。いや、考えてすらもいないだろう。思考もまともに纏められず、どうにか膝をついたという程度。

 

「ゥ――」

 

 左手で頭を押さえながら、ドニは右の剣を構える。普段のそれとは明らかに精細を欠いた動きだが、状態を考えればそれでも上等、むしろ驚愕するに足る結果だろう。剣士として腕と、神殺しとしての生命力によって成った警戒。何処から来るか、と未だ纏らぬ思考の元で、ドニは出来うる限りの警戒をする。

 

 十秒……四十秒……二分……そして、五分。

 

「…………あれ?」

 

 ドニの五感が戻ってなお、警戒した秋雅の攻撃はなかった。何もかもが麻痺していた所為で時間感覚もややおかしいが、ドニとしてはもう既に数分は経っているように感じられる。その間、まったく攻撃が訪れていない。

 

 あちらも警戒したのか? 否、少し前の状態のドニ相手であれば、楽とは言わないにしても、相当やりやすかったはず。その機を逃がす愚を犯す相手であれば、そもそもあんな機械を代わりに置きはしないだろう。

 

 では、これはどういうことか?

 

「え……? いやいや、ちょっと待って」

 

 まさか、という推測がドニの中に生まれた。そんな馬鹿な、と思いつつ、しかしそれを否定する要素が何処にも見受けられない。

 

「もしかしてだけど…………逃げられた?」

 

 呆気にとられた表情で、ドニは呟く。その言葉がまさしく真実であったと彼が悟ったのは、これから二十分ほどが経った後。アンドレアが決闘の終了を告げた時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……と、まあこういうわけだったんだよね。いやあ、まさかあそこまで来て逃げられるとは、さしもの僕も思わなかったよ』

 

 苦笑と共に締めくくられたドニの説明に、護堂は唖然とした表情を浮かべる。まさか、カンピオーネが戦いもせずに逃走を選ぶとは。しかも、望まぬ戦いを強いられて逃げた、のではなく、元から逃げるつもりで戦いをセッティングしたという。平和主義を謳う護堂ではあるが、流石にこれを真似できるとは思わない。なるほど、こういうことをするから『例外』なのかと、何度目かになる納得の感情も抱こうというものだ。

 

「まあ……まさか最初から、自分から負けるために敗北条件を組み込んでいた、なんて思わないよなあ」

『気付けって方が無理だよ。その時点じゃ僕もアンドレアも、単に秋雅の挑発と余裕によるものだって思っていたからね。君の言うとおり、カンピオーネが順当に負ける手段を考えるなんて思わないよ。そういう意味じゃ、君のときはそこそこ警戒していたんだよね』

 

 無用だったけど、と笑うドニに何となくカチンときつつ、それにしても、と護堂は言う。

 

「話に出てきたけど、お前が切ったのって結局なんだったんだ?」

『ああ、それね。護堂はスタングレネードって知っている?』

「確か軍なんかが使う、でかい音と光で相手を無力化する手榴弾か何かの一種だよな? 直撃すると五感とか平衡感覚が狂うって聞いた覚えがあるけど」

『それそれ。アンドレアが調査させた感じ、あれはそのスタングレネードの強力版みたいなものなんだって。規模が大きすぎて、常人なら下手すると死ぬレベルだったとか。離れていたアンドレアも余波で行動不能にさせられるぐらいだったし』

 

 カンピオーネだから助かった。カンピオーネだからすぐさまに復帰可能だった。そのレベルのものを準備し、実行に移す。やはり、そういう部分において稲穂秋雅という王は侮り難いところがあるなと、護堂は自身の経験と共に頷く。

 

「稲穂秋雅がカンピオーネでも脳は揺さぶれるとか言っていたのはそういうわけか。でもお前なら防げたんじゃないか? ほら、あの鋼の」

『ああ、あれかい? そうだね、今なら防げたかもしれないけど、生憎あの時は手に入れたばっかりのときだったからね。その時点ではまだちゃんと掌握していなかったんだ。当然といえば当然だけど、まるで殺気も何もなかったから、咄嗟に発動も出来なかったんだよね』

「なるほどな…………それで、その後は結局再戦もしなかったのか?」

『そりゃ、僕はやりたかったけどね。なまじ秋雅が僕との戦いで負けた事を言いふらすものだから、動けなくなったんだよ。アンドレアもこの件に関してはあっちに回っちゃったし、お手上げだ』

「……ああ、勝った側が負けた側に再戦を挑むのは体裁が悪いって訳か」

『そういうこと。アンドレアはそういうのを結構気にするからね。僕が日本に乗り込んだりしないのも、流石にこればっかりは彼が許してくれないんだよ』

「そうだったんだな……」

 

 ドニの言葉に、思わず護堂はアンドレアと秋雅に感謝の念を抱いた。電話先のこの戦いたがりが乗り込んでこない理由が彼らにあったとは。先のことは一旦置いて拝むくらいはしても、まあ問題はあるまい。

 

『あっちもあっちで徹底していてね。事後処理も含めろくに顔を合わせていないんだよね。まあ連絡先自体は交換しているから、電話するくらいは問題ないんだけど』

「下手に顔を合わせたら出会い頭に切りかかってくる、とか思われているんだろ」

『まあ、我ながら否定は出来ないよね。戦おうって何度か誘ってもいるし。君の時みたいに本気でやってみたいんだけどなあ』

「やるなら俺の関係ないところでやってくれ。巻き沿いを食うのはごめんだ」

『善処するよ。で、僕の話は終わったけど、次は君のターンって事でいいかい? そろそろ、秋雅がどういう風に戦ったのかとか聞いてみたいんだけど』

「あー……そう、だなあ…………」

 

 話したくないなあと思うものの、長々と話を聞いたというのもまた確か。少しくらいは話してもいいだろうと思いつつ、何処から話したものかと護堂はしばし悩むのであった。

 




 会合かも怪しいし内容も剣と雷関係だしと、どうにもタイトル詐欺くさい閑話でした。この当時はまだ秋雅も武はまだまだだったので、リスクを避けて逃げの一手を選んだというわけです。一応先達は先達であったので、その辺りを上手く利用した感じです。まあ、真っ当なカンピオーネならまず選ばない手でしょうね。なお、このとき使ったでかいフラッシュグレネードは当時知り合った変人に作ってもらったものです。流石に最近はこの手のものを使う機会はあまりないですが、一応交友自体はあります。本編に出るかどうかは不明ですがね。

 次章は予定を変えて、その後にやるつもりだった話を繰り上げてやることにします。理由は、後の話の順番を考えると、この方がいいかなと思い直したからです。ただそのまま入れ替えると齟齬が出るので、章の内容を混ぜつつ大枠を入れ替える、という形をとります。その関係で次章は多分短め、紅葉たち関連の後日談等と前にも出た謎の結社関連、それと原作にも出てきたとあるまつろわぬ神一柱との戦闘を予定しています。まあ色々考えながらやるので、細かい所は予定も変わるかもしれませんが。そういうわけですので、一旦間を開けるかもしれませんが次章もよろしくお願いします。




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第五章 世界を翔ける雷は、南洋にて女神に遭遇す
名の無い結社、まだ無い結社








「……調査結果の報告?」

「ええ。文書には勿論纏めているけれど、口答でもざっと話しておこうかと思って。構わないでしょう?」

「そりゃ、構わないが……」

 

 水の流れる音を聞きながら、秋雅は頬杖を付いて頷く。それを横目でチラリと確認し、ウルは内容を思い出すようにゆっくりと口を開く。

 

「例の魔術師、つまりは英国でゾンビを作っていた男のことだけれど、あちらでの調査から、そいつが所属している結社が判明したわ」

「なんて名前だ?」

「ないわ」

「……はあ?」

「だからないのよ、結社の名前が。男がそう言ったらしいの。自分達の結社に名前はない、と」

「ありえるのか?」

 

 少しだけ真剣みを増した表情で、秋雅はウルに問いかける。一般的に、規模の大小はあれど、組織というものは何かしらの名前が付くのが自然だ。組織外との交流に役立つというものもあるが、名前をつけることで自らの所属を自覚させる、というのは案外内部での結束に役立つ。そもそも名前がなければ自分達をどう呼ぶかも分からない。正式名称でないにせよ、とりあえずの通称や便宜上の名前というものは勝手に付くものだ。仮にも結社と呼ばれる規模であればなおさら、名前がないというのは奇妙この上ない。

 

「嘘をついたにしても、明らかにおかしなつき方だもの。暫定的に信じても問題ないと思うわ。それに、男の発言を裏付ける根拠もあることだし」

「根拠?」

「名無しの結社、あるいはネームレスカルトって聞いたことある?」

 

 ウルの問いかけに、秋雅の脳裏をアメリカでの記憶が過ぎった。魔術師、クラネタリアル・バスカーラ。『永劫の安寧』なる結社に所属する魔術師であると名乗ったその隷属願望所持者が、その名前を口にしていた覚えがあった。

 

「ああ、名前だけだが」

「数年ほど前から魔術界で時折名前が挙がるようになった結社だそうよ。まあ彼ら自身がそう名乗っているというわけじゃなくて、彼らを説明する上で便宜上生まれた名前だそうだけど」

「そこに奴が所属していると。どんな結社なんだ?」

「基本理念としては……そうね、『完全なる自由と平等』ってところかしら」

「ピンと来ないな」

「規模が大きくて?」

「あまりに馬鹿馬鹿しくて、だ。一々言わせるなよ」

「あら、ごめんなさい。まあでも、私も正直同意見。そもそも貴方の、カンピオーネの存在自体が平等から程遠いもの」

「まったくだ」

 

 ふん、と秋雅がつまらなそうに鼻を鳴らすと、同感だと言わんばかりにウルは薄い微笑を浮かべ、顔を流れ落ちる水に目を閉じる。

 

「とはいえ、彼らがそれを真面目にやっているというのも事実よ。結社に名前がないのもその一つ」

「どういうことだ?」

「どういう名前にせよ、名前つけるとなれば何かしらの言語、まあ英語なりなんなりでつけることになるわよね? それが既に平等ではないと彼らは考えているみたい」

「……ああ。だから頑なに、どの言語でも名前をつけないってわけか。その後他言語に翻訳するとしても、最初にどれかの言語で名前をつけた時点でもう平等ではないと」

「そういうことらしいわ」

「徹底しているな、まったく」

「加えて、彼らの結社に上下関係はないらしいわね。精々が新人かどうかって程度で、それ以外は完全な同等関係になっているみたい。流石にもぐりこめはしなかったけれど、会議やらなんやらももっぱらネット上の匿名形式でやっているみたいよ。そこで情報伝達だったり魔術の教導だったりを隠し事なくやっているんだとか」

「ハッ、そこまでくると呆れも通り越すってもんだ」

 

 処置なし、と言いたげに秋雅は肩をすくめる。

 

「それで? 平等は分かったが、自由ってのは?」

「誰しもが魔術を使えるようになる自由、という所かしら」

「……そりゃ、表の世界の住人もってことか?」

「ええ」

 

 手元のコックを閉めながら、ウルは秋雅の質問に頷く。そのあまりの馬鹿馬鹿しさに、秋雅は目元を揉みながらため息をつく。

 

「阿呆だろ、そいつら。今はもう、摩訶不思議で片付く古代じゃないんだ。この科学の時代でそんなことをやったところでろくなことにならん。やるにしても、世界規模で足並みを揃えないと妄言の域を抜けるのは無理だろう。何でまた、そんなことを考え付きやがったんだか」

「簡単に言えば、彼らはどうも過去に魔術で救われた経験があるらしいからよ。彼らにとって大事な存在が、魔術によって失われずに済んだ。故に魔術は人を救う術であり、それを隠匿することは自由に繋がらない、とか何とか」

 

 秋雅がついている肘の隣に腰掛けながら、ウルは皮肉げに笑う。その笑みに、そうだろうなという感想を秋雅は抱く。彼女の人生において――今現在はともかくとして――魔術という存在は、どちらかと言えば奪う側に立つ事が多かったはず。そうであるウルと、そしてそれを知る秋雅からしてみれば、名無しの結社の理念に対し、懐疑をすっ飛ばして正気を疑いまでするのは、当然といえば当然の反応と言えるだろう。

 

「……そもそも、魔術なんて不平等の代名詞みたいなものだ。才能がなければ絶対に使えないものが、自由と平等に繋がるとは思えないな。羨望と優越が精々だな」

「加えて起こるなら、混乱と暴走というところでしょうね。下位の魔術でさえやろうと思えば人を殺傷するなんてわけない。銃をばら撒くよりよっぽど危険かもしれないわね」

「大体、それをやるにしても、他の結社が邪魔をするに決まって……」

 

 ふと、秋雅の言葉が止まる。それは彼の脳裏に、一つの推論が浮かんだからだ。

 

 名無しの結社の目的に連動して今しがた思い出した、クラネタリアル・バスカーラの、『永劫の安寧』の目的。それは名無しの結社と同じく、魔術を表の世界に広めるということであったはず。しかし同時に彼は、『永劫の安寧』と『名無しの結社』の関係を、似ているが逆であるとも言っていた。

 

 そして、そもそもこの話題をすることとなった、英国で下した例の魔術師。彼はこうも言っていたはずだ。『カンピオーネを潰すことが我らの目的である』と。

 

 それは一体、どのような意味であるのか。その問いに対する一つの解答が、秋雅の表情を真剣なものとする。

 

 

「……そうか。奴ら、今の時代を終わらせる(・・・・・・・・・・)つもりなのか」

「どういうこと?」

「今の魔術界は、俺たちカンピオーネを頂点とした、ある種の王制を敷いていると言えるだろう。それがある限り、魔術師になることは俺達に仕えることと同義となりえる。それじゃ、奴らの謳う『完全な平等と自由』は成し遂げられない。俺達が居る限り、他の結社は王制の崩壊を認めないはず」

「――カンピオーネを下すことで自分達の力を見せつけ、同時にカンピオーネが絶対的な強者でないと知らしめる?」

 

 そうだ、と秋雅はウルの問いかけに大きく頷く。

 

「カンピオーネを頂点とした王政は、俺達の圧倒的な力を元にしているといっても過言じゃない。俺達の怒りに触れず、さりとて可能な限り利用する為に魔術師達は俺達に平伏する。だが、その力の理論が大きく崩れたら? 少なくとも、力による王政は崩壊に向かうことになる可能性がある」

「なるほど。そうなれば同時に、カンピオーネを倒せる存在として、彼らは魔術界でも特別な立ち位置を得られる。そうすれば新たなる力の論理によって、彼らが何をしようとも、他の結社は妨害できなくなるでしょうね。あるいは、そのまま彼ら自身が新たな王となりえる……と」

「案外、それが本音の奴も居るかもな」

 

 舌打ちをし、秋雅は面倒くさそうに頭をかく。

 

「思った以上に七面倒な自体が起こるかもしれん。ちょいと警戒レベルを上げておくべきか。幾つかの結社にも声をかけておく必要もありそうだ」

「もう少し、調査を続けてみる?」

「そっちはもう研究の合間に、というレベルで良い。流石に奴らも、ネット上で深い情報を落とすほど馬鹿じゃないだろうから、残りの情報収集は足を使った調査で対応する」

「ネットにつながっていない情報を、私は探れないものね。分かったわ、後は秋雅の手腕と伝手に任せる」

「ああ……まったく、忙しくなりそうだな」

 

 やれやれ、と秋雅は大きくため息をつく。そんな彼の頬にウルはそっと手を伸ばし、優しい手つきで軽く撫でる。

 

「あまり頑張り過ぎないでね? 貴方が本当にやるべきことは、そんな細かいことじゃないんだから」

「分かっているさ。俺だって、自分の向き不向きぐらいは理解している」

「理解しつつ、不向きでもやろうとするのが貴方よ。私も、それは理解しているわ。だからこそ、あまり貴方には、余計な心労をかけたくないの。それも分かって、シュウ」

「ウル……」

 

 そう言って秋雅は顔を上げ、彼を見下ろしているウルと視線を交わらせる。そのまま互いに顔を近づけていき――

 

「――椿、何をしている」

 

 その唇が触れる直前、秋雅とウルは唐突に、その視線を扉の方へと向ける。しばしの物音の後、ガラリと戸が開かれ、ひょこりと椿が顔を出した。

 

「何だ、気付いていたんですね?」

「舐めるな」

「これでも、気配を探るのは得意なのよ」

「みたいですねえ。お風呂で二人きりになっている(・・・・・・・・・・・・・・)みたいだから、ちょっと覗いてもばれないと思ったのに」

 

 ハハハと笑いながら、椿は戸を躊躇いなく浴室内に足を踏み入れる。浴槽の秋雅と、その縁に腰掛けているウルを含め三人になってなお、秋雅の家の浴室は広く余裕があった。これは元々がそうであったのに加え、秋雅がわざわざ手を加えた結果、一般的なそれと比べて随分と広く作られているからだ。

 

「二人きりって、何を想像していたんだか。というか、椿こそその格好は何だ」

「何って、裸ですよ。お風呂だから当然じゃないですか」

 

 平然と、椿は一糸纏わぬ姿のままに胸を張る。中学生ということを考えればそれなりにある胸だが、そうじゃないと秋雅は額に手を当てながらため息をつく。

 

「俺は、何で一緒に風呂に入ろうとしているのか、と聞いているんだが」

「あらシュウ、別にいいじゃないの」

「ウル」

「アハ、じゃあウルさんの許可も出たということで、失礼しますね」

「……好きにしろ」

 

 はいはい、と楽しげに笑いながら、椿は浴槽に入る。大の大人でも三人は余裕では入れそうなそれは、秋雅の隣に椿を加えたところで何の問題もない。もっとも、別の問題が発生はしているといえばしているのだが。

 

「それで、秋雅様達はお風呂で何を? 私はてっきり、恋人らしく淫蕩な行為に耽っているのかと妄想していたんですけど」

「残念だけど、私もシュウもそういう趣味はないの。やるなら寝室だけだから、椿も次はそっちに混ざりなさいな」

「はあい、分かりました」

「誘うな、乗るな、この馬鹿共が。ウルもそうだが、椿、その手のことに積極的に混ざろうとするな」

「あいたっ!?」

 

 朗らかに笑う椿の額を、秋雅が不意に指で弾く。高らかな快音が上がり、椿は痛そうに額をさする。しかし、音ほど痛みはなかったのか。椿は飄々とした様子で、悪戯がばれた子供のように口をとがらせる、

 

「別にいいじゃないですか。私はもう、この身の全てを秋雅様に奉げているんです。だったら、そういうのも奉げ物のうちだと思うんですよ。でしょ?」

「…………せめて、もうちょい育ってから来い」

 

 眉根を寄せながら、秋雅はそんな言葉を口にした。先ほどまでの諦めや呆れの表情からずれ、何処か硬さのようなものが何処となく感じられる。そんな急な態度の変化と、彼にしては珍しい返し。それに何かを感じ取ったのか、ウルは小さく首を傾げながら口を開く。

 

「シュウ、どうかしたの? 確かにちょっと冗談が過ぎたとは思うけれど……」

「……ああ、いや。そうじゃない。別に機嫌を悪くしたわけじゃないから気にするな。まあ、呆れているのは確かだが……」

 

 そう言って、秋雅は見せつけるようにため息を吐く。その様は今度こそ、秋雅らしい態度のようでもある。

 

「ん……まあ、気にしていないならいいわ」

「……それで、結局お二人は何を?」

「ああ、調べ物が終わったからその報告よ」

「それを、わざわざお風呂でですか?」

 

 心底不思議そうな表情で、椿は首を傾げる。そんな当然の疑問に対し、ウルが微笑を浮かべながら頷く。

 

「ええ、報告に来たらシュウはお風呂に入っているようだったから。一息つきたい気分だったし、ついでにね」

「どうせ、後で紙面でも見るからな。別に害もないし、まあいいかと流した」

 

 ウルはその豊かな胸を見せつけながら、秋雅はため息と共にそっぽを向きながら、それぞれに現状の説明を行う。それを聞いて、椿はわざとらしいほどに首をかしげる。

 

「前から思っていましたけど、お二人ともちょっと淡白ですよね。興奮しろ、とまではいいませんけど、もう少し意識とかしたりしません?」

「四六時中発情するほど、秋雅とは浅い仲じゃないもの。それなりに自制も利くし、そもそもあまりベタベタし過ぎるのは性に合わないの」

「椿の恋人像も分かるが、自然体で居られる方がむしろらしい(・・・)だろ」

「言いたいことは分かりますけどねえ…………秋雅様はこんなグラマーな美女の裸を見てまったく興奮しないんですか?」

「グラマー……いやまあ、それはそうだが」

 

 ウルの身体をチラリと見て、秋雅は椿の言葉に同意を示す。確かに椿の言うとおり、ウルのスタイルは非常に整っている。女性特有の魅力的な身体のラインを備えながら、全体的なバランスが抜群に良い。現実的にウルがそうするということはないだろうが、仮に彼女がボディバランスの見える服装をして外を歩こうものならば、その恵まれた容姿も相まって、多くの男女の視線を釘付けにすることは間違いないだろう。

 

「そもそも、ウルさんたちって皆スタイルが良いですよね。胸は当然大きくて、その上背も高いから全体的なバランスの不自然さみたいなのもない。顔も髪も綺麗で非の打ち所がない。秋雅様もそこに惹かれたりしたんですか?」

「いやあ……俺はそもそも、女性の外見にはそれほど興味がないからな……」

「あら、そうなの?」

 

 初耳、とばかりに頬に手を当てるウルに、秋雅は腕を組みながら唸る。

 

「女性に限った話じゃないが、昔からあまりそういうのには関心がないというか。そりゃ、ある程度は美人なほうが良いと言えば良いが、それ以上となるとなあ」

「平均点より上であれば、ギリギリでも満点でも別にいい、みたいな感じですかね?」

「そうなるかね」

「好みとかはないの?」

「あまり気にしたことはないな。強いて言うなら、しっかりとして頼りになるような人がいいと思うが。まあこれは内面の話か」

「ん……それだけです?」

「何が?」

「いや、内面の好みの話です」

「別にないと思うが……何か?」

「…………いえ、気にしないでください。ただの気の所為かもなので」

「それは――」

 

 どういう意味だ、と問いただそうとした秋雅であったが、それよりも早く椿が言葉を発する。

 

「結局、秋雅様としては内面外見共にそれほど拘りはなくて、平均より上であればいいって感じですか」

「……まあ、そうだな」

「でも、前に髪は長いほうがとか言っていなかったかしら?」

「そう……だったか? 覚えていないな……基本的に、似合っていればいいとは思っているが」

「その人次第って感じですか?」

「ああ、そうだな。身体の豊かさとかもそうだが、よっぽど崩れていたり、不自然だったりしなければそれほどどうこうは思わない。髪形が似合わないくらいならともかく、最近だと整形やらで妙なバランスの奴もいるが、そういうのはちょっと気になるな」

「不自然に胸の大きい人とかいますもんねえ」

「……椿、君は妙にそこを気にするな」

 

 思わずジト目で問いかけた秋雅に対し、だってと椿は自身の胸を軽く揉みながら答える。

 

「今、私はまあ小さいですけど、お姉ちゃんのことを考えるとそれなりに大きくなる可能性がありますからね。秋雅様がそっちの方がいいならそれでいいですけど、もし小さい方が好きなら困りますし。それこそ今誘惑しないといけないかもなあ、と」

「……胸の大きさでどうこうとは思わないから、安心しておけ」

「というか、紅葉って大きいの? あまりそういう印象がないけれど」

「着やせするタイプなんですよ、お姉ちゃん。ボディラインが分かりやすくなる服を着たがらないのもあって、あんまり気付かれないでしょうけど。流石にウルさんには負けているでしょうが、たぶんヴェルナさんたちには勝っているんじゃないでしょうか」

「へえ、意外ね、秋雅」

「……そこで俺に振るのか」

「あの娘たちのことも考えると、どうせ貴方は紅葉も椿も抱くと思うから」

 

 しれっと言ったウルを、秋雅は軽く睨む。数秒ほど、柔和な笑みを浮かべたままの彼女と睨みあう秋雅であったが、すぐにため息をつき、再び頬杖をついてしまう。

 

「まったく……どうしてこう、恋人がそういう事を言うんだか。しかも椿はともかく、紅葉まで勝手に」

「まあ私も、お姉ちゃんもそうなるとは思っていますよ。何だかんだ言ってお姉ちゃんもお姉ちゃんで、身体のことを考えると特殊ですし。丸ごと受け入れられるのは秋雅様くらいだろうし、お姉ちゃん自身もたぶんそういう風に思っていますよ」

「そういうものかね」

「はい。ですので、その時は二人で夜這いをかけに行きますね」

「阿呆」

 

 再び、秋雅が椿の額を指で弾く。今度は痛かったのか、額を押さえて唸る椿の頭を軽く触れた後、秋雅は立ち上がって浴槽を出る。

 

「先に上がる。きっかけはどうあれ、入ったのならもう少し温まっていけ。痛い内(・・・)はな」

「じゃあ、私も出ましょうか。椿、また後でね」

「はい…………また後で」

 

 未だに唸る椿を残し、ウルが浴室の戸を開ける。彼女に続き、秋雅も脱衣所の方に移ろうとしたところで、

 

「――気付かれちゃったかな、あれは。まあ、これで私を捨てないでくれるなら、それでもいいんだけど、」

 

 背後から、独り言のような、秋雅に聞かせるつもりであるような、椿の小さな声が聞こえた。そこには、直前まではあった、額に痛みを感じている色はなく、にんまりと笑っているような気配すらある。

 

 それを聞き、秋雅は一瞬だけ足を止めた後、そのまま振り返りもせず、浴室から外に出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、最後のあれはどういう意味なの?」

 

 リビングで髪を拭きながら、ウルは秋雅に流し目を向ける。すると、その隣で水を飲んでいた秋雅はコップをテーブルに置き、ウルに手を広げるようなジェスチャーをする。

 

「ウル、ちょっと手を出してみろ」

「手?」

 

 不思議そうにしつつ、ウルは秋雅の言う通りにする。彼女が広げた手を、秋雅は椿にやったように指で弾く。

 

「痛いか?」

「いいえ、まったく。これがどうしたの?」

「今のが、二回目に椿にやったのと同じくらいの奴だ」

「……これが? 彼女、かなり痛そうだったけれど……」

「で、こっちが最初の奴だ」

 

 もう一度、秋雅がウルの手を指で弾く。先ほどとはあまり代わり映えのしないような放ち方だったが、それを受けたと同時に、ウルの顔色ががらりと変わる。

 

「……本当に一度目がこれ? 私でも痛いと思うレベルよ、これ」

「ああ、こっちが一度目だ。昔師匠に教わった、全く見た目を変えずに威力を変化させる小技なんだが、一度目はお仕置きの意味で割と本気の奴をやった。その結果が、あれだ。一度目はそれほど痛がらず、二度目は大きく痛がった。二度目はオーバーな演技で片付くが、一度目は明らかに変だ。慣れているならともかく、素人が受けたら確実に悶絶するなのに、あの態度は異常としか思えん」

「だったら、あれは……」

 

 推測だが、と秋雅は前置きをした後に言う。

 

「椿はおそらく、痛覚に異常を抱えている」

 

 数秒の沈黙。その後、ウルが眉をひそめながら口を開く。

 

「気にしすぎ、ということは?」

「最後の椿の態度も根拠だ。何もないなら怪訝に思うだろうに、彼女は演技を続けていた」

「彼女も自覚していて、その上で貴方が気付いたことも察したと。まあ確かに、彼女ならやりそうではあるけれど…………原因は?」

「たぶん、例の魔法陣の影響だろう。術の副作用で身体が狂わされたのか、あるいは長期間の苦痛の所為で身体が痛みを受け付けないようになったか。ともかく、痛覚に関してはかなり鈍磨していると思う。今まで露見していないことを考えると、日常生活に支障が出るようなものではないんだろうが……」

「接近戦を教えるとなると、ちょっと厳しいかもね。身体の動かし方や戦闘の痛みを知った上で痛覚が麻痺したならともかく、ろくに知らない状態で教えた場合は、ちょっと無理しすぎる可能性がある」

「痛みに強いくらいならともかく、痛みが分からない場合は身体の限界も見極めにくいからな。身体を動かす方面の訓練はある程度控えておいたほうが無難だろう。元々の呪力量もあるし、椿はそっち方面に特化させたほうがいいだろうな。代わりに紅葉をそっちに特化させることにしよう。その辺り、少し纏めておいてくれないか? プリンセス・アリスの所に渡す分だ」

 

 秋雅の頼みに対し、ウルは真剣な表情のまま口を開く。

 

「そう言うってことは、二人は一度賢人議会に預けると見ていいのね?」

「ああ。あの二人の体質の研究も含め、軽い戦闘面での訓練を頼むつもりだ。後者はともかく、前者に関してはこっちよりあっちの方が専門だし、効率的だろう」

「少し意外ね。てっきり、もしもの可能性もあるからと、二の足を踏んでいると思っていたのだけど」

「悩んではいたが、椿の障害も考えると突っ込んだ調査の出来る施設は必要だ。俺からも言い含めるし、アリス殿は人格者であるから、よほど非人道的なことはされないと思う。王の怒りに触れる愚に関しては、賢人議会ほど知っている結社もいないはずだ」

「確かに、ね。分かったわ、諸々のことも含め文書を作っておく」

「頼む。こっちもこっちで、色々とやっておくことがある」

「やっておくこと?」

 

 ああ、と秋雅は頷き、前々から考えていたことを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いい加減、自前の結社のことを持とうかと思ってな」

 

 

 

 

 




 ゆっくりになるでしょうが、新章を始めていきます。どちらかというと、今章は次章以降の繋ぎみたいな形になるかも。まあ、その辺は書いていけばはっきりすると思います。


 余談ですが、本文中で秋雅が言っていた女性の好みはちょっと誤りがあります。外見はともかく、内面はしっかりしていて頼りになる人がいいと言っていますが、実際はそれに加えて『自分に依存してくれるような人が好き』という、完全に無意識の願望を持っていたりします。その所為か、彼の周りには狂信者かそれの一歩手前くらいの人が結構多かったり。ノルニル姉妹だったり、草壁姉妹だったりが彼の傍にいるのも、三姉妹の中でも実はもっとも重症のウルを一番においている理由もそれといえばそれです。まあ、本人は気付いていないし、周りでもそれを勘付いている人はほとんどいません。まさかそんな性癖があるとは思いませんからね。辛うじて椿だけが、ひょっとしたらひょっとするかも、というレベルで可能性に上げているだけ。最後の彼女の発言もこれに寄るものなわけですね。ある種、彼女が一番の人外と言えるかもしれません。




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魔剣の価値







 イギリス、ハムステッドにあるプリンセス・アリスの邸宅。その応接室において、邸宅の主であるアリスは、感心と呆れが混じったような調子でため息をついた。

 

「……まさか、と言いたい気分です。紅葉に続き、彼女の妹まで特異な存在になるとは」

 

 彼女にそのような言葉を紡がせた原因。それは彼女の手に握られている資料にある。先の騒動から作成された、草壁姉妹に纏わるレポート。あくまで概要のみではあったが、秋雅から渡されたそれに記された前代未聞とすら思える内容の数々は、アリスの脳に軽い負担をかけるには十分なものであった。

 

「ともあれ、事情はおおよそ把握しました。我々は彼女達の体質の研究、及びある程度の教育を施せばよいのですね?」

「そうだ」

 

 アリスの問いかけに、秋雅は鷹揚に頷く。

 

「分かっていると思うが、研究に関してはあまり無茶なことはしないでもらいたい。仮にも私の部下なのでね、もしも倫理に反するような真似でもすれば……」

 

 言葉を切り、秋雅はその視線をアリスに向ける。先ほどまでの無感情なそれはとは違う、僅かだが確かな殺意が混じった、冷酷な警告の視線。もし生身であれば、ともすれば冷や汗の一つでも流れていたのではないだろうか。アリスにすらそんな感想を抱かせるほどに、秋雅の醸し出す雰囲気は冷たく、そして恐ろしく思える。年齢や経験に合わぬ、王者としての風格。それを易々と手繰るこの青年は、やはり『例外』ということなのだろう。

 

「……承知しています。元より我らは非道な行いを嫌う者達の集まり。いかに魔術の深遠を望もうとも、越えては成らぬ一線は深く理解しておりますから」

「期待している」

 

 その一言と共に、秋雅が纏っていた雰囲気が霧散した。重圧が消え去ったことに、アリスは思わず安堵の息を吐く。そんな彼女へのフォローなのか、秋雅はほんの僅かに申し訳なさそうな口調で言う。

 

「元より君達の倫理観は信用していたが、何分ものがものだ。もしも技術として確立できれば、他の結社に対しこれ以上無いほどのアドバンテージを得ることとなる。それを渇望し、暴走する者がいないと純粋に思うには、私は少々()を見すぎた」

「そうですね……しかし、その心配は無いかと。この資料を見る限り、再現性は相当低いもののようですし」

「うむ。草壁家の血筋に宿る力が関係している可能性も考慮すれば、よほどの事が無い限り完全再現は無理だろう。出来て精々、僅かにその模倣を行えるという程度といったところか。あくまで個人的見解だが、そう外れてもいまい」

「そうですね」

 

 秋雅の私見に、アリスも同意の頷きを返す。秋雅の言うとおり、今回彼女達に起こった異変は、そのどれもが天文学的な確立の末の結果であるはず。残された資料以外の外的要因の存在まで踏まえると、よほどの事が無い限り全く同じことは起きないどころか、僅かに足を踏み入れることすら難しいだろう。一縷の可能性があれば、と思う者もいるかもしれないが、流石に今回ばかりはそんな気すら起こる余地は無いだろう。無論、それでも不埒な事を考える可能性は否定できないので、アリスとしても研究に携わる人員の選別には特別注意させるつもりではあるが。

 

「……それと、アリス殿。もう一つ、賢人議会に研究を願いたいものがある」

「もう一つ、ですか?」

 

 次は何だ、とアリスは緊張に身を固める。身体的な虚弱さとは裏腹に、胆力のある彼女であるが、ここ最近秋雅が持ってくる情報はどれも、彼女ですら驚嘆させるようなものばかりだ。気をしっかりと持っておかないと醜態を晒しかねないと、アリスは身を引き締めて秋雅の言葉を待つ。

 

「ああ。私の部下が開発した、量産を前提とした魔剣だ」

「…………はい?」

 

 思わず、といった風にアリスは無防備な声を上げた。先の決意はなんだったのかと言わんばかりの、まさしくポカンという表現が似合う反応。普段の彼女であれば起こさないであろう、それこそ『例外』とでも呼ぶべき返しであったが、それも無理からぬ話だろう。

 

 前提として、魔術の世界において『魔剣』や『魔槍』などと呼ばれる武器はそもそもが特別な存在である。騎士と呼ばれる、武術と魔術のどちらにも優れた魔術師にのみ贈与を許される、錬金術や鍛冶の粋を集めて作られた武器。それらはほぼ全てがハンドメイドの一品物であり、《赤銅黒十字》のような古き騎士団などが独占している技術の結晶。それが、一般的な魔術師にとっての『魔剣』という武器である。

 

 それが、量産を前提として作成が出来る。そんな言葉を聞かされようものなら、まずは一笑に付し、続いてそれを言った相手の正気を疑い、最後には自身の正気を疑う。古代より脈々と続いてきた『魔術師』という者達にとってはそれほどまでに衝撃的な言葉であるのだ。

 

「さ……流石は稲穂秋雅様ですね」

 

 ようやくアリスが搾り出したのはその一言であった。幾度となく彼女も思ったことであるが、これほど彼が『例外』なのだと実感したのは、果たして初めてのことであるかもしれない。相手が彼でさえなければ、そう易々と信じは出来ないだろう。稲穂秋雅なら常識では測れないようなこともやるという前提があるからこそ、このような荒唐無稽とも言える発言でもどうにか信じられるというものだ。

 

「……それは、どういう意味なのだろうか」

 

 アリスの言葉に、秋雅は心なしか不思議そうに呟く。良くも悪くも、彼は魔術など関わりの無い生粋の一般人から、魔術師の王たる神殺しになった存在だ。今でこそ魔術も学んでいるようだが、やはり幼少の頃より魔術にどっぷり浸かって育った者と比べると、些かこちら方面の常識(・・)に欠けるところがある。そのため、おそらくは『魔剣』というものは特別製造が難しい、ということを本質的には理解していないのだろう。あるいは、表の世界を知っているために、どんなものであろうとも突き詰めれば量産可能である、という価値観を持っているのかもしれない。どちらにせよ、彼とこの驚きを共有するのは難しいようだ。それが良いことか悪いことかは、少なくとも現時点では不明のことである。

 

「お気になさらず。少々、率直な感想が漏れただけですので」

「ならばいいが……とにかく、その資料がこれだ」

 

 気をとりなすようにして、秋雅は新たに紙資料とUSBメモリを取り出した。先ほどと同じく、紙の方は概要、USBメモリの方に詳細が記載されているのだろう。そう判断したアリスは、差し出された紙資料の方を手に取り、パラパラと大まかに目を通していく。

 

「…………成る程、頑健さと切れ味に注力した上で、魔術なしでの形状変化ですか。能力としてはそう高くないようですが、量産品として考えるなら十分すぎるほど。稲穂様の部下の方は、随分と良い腕と発想を持っていらっしゃるようですね」

 

 ざっと内容を見た上で、アリスは感嘆の声を上げる。それほどまでに、この資料に書かれた魔剣の性能は高く思われた。勿論、これはあくまでデータ上、カタログスペックでの話。最終的な結論は実品を見るまで下せないが、秋雅が持ってきたものと考えればそれほど誇張した数値ではないはず。おおよそこの通りと見ていいだろうと、アリスはそのように判断した。

 

「うむ、だが所詮はあくまで試作品。見てもらえば分かると思うが、現状で正式に量産するには、まだコスト面等に不安がある。その辺りを賢人議会にはブラッシュアップしてもらい、より量産式魔剣としての完成度を高めて欲しいのだ」

「ご要望は把握いたしました。しかし、二つほど疑問があります」

「なんだろうか」

「まず一つですが、何故私どもに? 確かに我々は魔術関係全般の研究機関でもありますが、魔剣となるともう少し武に傾注した、それこそ騎士団などの方が適任かと」

「理由としてはおおよそ三つある。一つ、騎士団の類は他の王の力が及びやすい。二つ、騎士団では魔剣というアドバンテージの損失を嫌う可能性がある。そして三つ、機密保持の徹底という意味で私は君達以上の結社を知らない。これらが、君たち賢人議会にこれを依頼する理由だ」

「……なるほど」

 

 一つ、かつてより欧州の騎士団はヴォバン侯爵やサルバトーレ・ドニ、最近では草薙護堂と他の王に近いため、秋雅よりもそちらに忠を向ける可能性のほうが高い。二つ、そもそも量産可能な魔剣という存在そのものが騎士団という存在に喧嘩を売っており、真正面から協力が可能とは考え難い。三つ、加えてこれらの結社は他の王に情報が漏れやすいが、賢人議会は秋雅以外とはある程度距離を置いているため漏洩の可能性が低い。まあ、これに関しては秋雅が例外的に深い関係にある、という見方や、こちらをその気にさせるリップサービスという見方もあるが、それはともかく。

 

 これら、秋雅が挙げた三つの理由を理解したアリスは、納得したように小さく頷いた。多少神経質気味にも思えるが、これまでの秋雅の言動、特にリスク管理の感覚などを考えれば妥当な判断だと言えるだろう。

 

「そちらに関しては納得致しました。ではもう一つ。これは根源的な疑問となるのですが、何故稲穂様はこのような武器の開発をなさったのですか? 偶発的な研究の結果を生かした、と考えるには些か特殊すぎますし、仮にそうだとしても、それで発展まで行おうとするのは明らかに秋雅様ご自身の意思であるはず」

「私が個人用に強力な武器を一振り依頼するならともかく、安価な量産品を欲するのはおかしい、と言うことかな?」

「率直に言えば」

「もっともな、疑問だな」

 

 どうなのか、とアリスは秋雅に疑問の視線を送る。それに対し、秋雅は軽く居住まいを正した後、今まで以上に真剣な声音で問いかけた。

 

「アリス殿、貴女はカンピオーネという存在をどう思う?」

「……まつろわぬ神を討つことのできる、唯一の存在かと」

「そうだ。世界に混乱を撒き散らすこともある我らが存在を肯定されているのも、我らが撒き散らす十の被害よりも、まつろわぬ神を討たぬことでもたらされる百の被害の方が厄介だからに過ぎない。私が一部例外を除き、他の王達と積極的な交戦を果たさないのも、彼らが生きていることでまつろわぬ神による被害を抑えられるからだと考えているからだ」

 

 そうだったのか、とアリスは秋雅の言葉にそのような感想を抱いた。以前より疑問であった、彼が他の王とさして戦いたがらない理由。民を守る事を優先しているようである彼にしては、些か消極的であるようにも見えたそれが、大を守る為に小を切り捨てる理論あったとは。それの是非はともかくとして、彼らしい合理的な考え方である。

 

「だが、それはあくまでまつろわぬ神と相対する場合の話。これが神獣の場合は話が別だ」

「神獣、ですか?」

「そうだ。貴女も知っていると思うが、私はまつろわぬ神の撃退の合間に、幾度となく神獣退治の依頼も請け負ってきた。それは神獣というものが、まつろわぬ神には劣るとはいえただの魔術師ではそうそう太刀打ちできる相手では無いからだろう。だが、私はこうも思うのだ。たとえ相手が屈強な大人であれど、武器さえあれば子供でも倒せる事があるように、まつろわぬ神はともかくとして、神獣程度(・・・・)であればただの魔術師にも対応は出来るのではないか、と」

「……まさか」

 

 察し、瞠目する彼女に頷きながら、秋雅は全く揺れの無い口調で続ける。

 

多数の魔術師に強力な武器を渡し、(・・・・・・・・・・・・・・・ )神獣を迎撃、撃退させる。(・・・・・ ・・・・・ )そこまでは行かないとしても、神獣を抑え込む事が出来れば、その間に神獣を真に倒せる実力者が駆けつけられる。少なくとも格段に被害を抑える事は可能となるだろう」

「一部の実力者の武に頼るのではなく、全体的な質の底上げを果たすことで横暴な存在への対処と成す…………それが、貴方のお考えである、と…………」

「そうだ」

 

 想像以上にも程がある、とアリスは動揺を払うように頭を振る。今度こそ――それこそ霊体の身であっても――冷や汗があふれるのではないか、というくらいの衝撃がある。それくらい、今、秋雅が唱えた考えは、驚愕に値するものだった。

 

 そもそもとして、アリスの知るカンピオーネというのは、往々にして協調性の無い人種である。絶対的な力があるためか自己中心的な一面を持ち、周りに被害を与える事を罪と思わない。基本的に己一人で動く事を主義の根幹におき、たとえ窮地に陥ろうとも易々とは徒党を組もうとしない。それがカンピオーネの横暴さであり、だからこそ彼らは『覇王』と称されるのだ。

 

 それが、今の稲穂秋雅の発言はどうか。民の為ならず、付き従う者達の犠牲も抑えようとし、少々(・・)の障害であれば自身がいなくても問題ないようにする。己の手間を減らす為、というわけではあるまい。ただひたすらに、それが世界全体にとって良いことであると思っているからこその行動なのだろう。それがたとえ、自身の優位性を失いかねないことであっても。

 

 はたして、そんな王は『覇王』であるのだろうか。いやむしろ、民の安寧を考え、配下に守護の力を与えようとする様は――

 

「アリス殿?」

 

 ハッと、思考の渦に巻き込まれていたアリスの意識が戻った。見れば、正面には訝しげに彼女を見やる秋雅の顔がある。いけないと、今しがた浮かんでいた思考を脇に置き、アリスは軽く頭を下げる。

 

「……失礼しました。少々、思いがけぬ考えであったもので、つい」

「全体的な戦力の拡充、というのはそれほど突飛な考えでもあるまいに」

「それを、カンピオーネたる御身が仰るというのが意外であったものですから」

「確かに、暴君たる我らがこのような事を言えば、疑問に思うのも当然か。成る程」

 

 と、何処まで本心か分からぬ調子で、秋雅は納得したような素振りを見せる。本気か、あるいは演技か。それはアリスの目にも、易々とは見抜く事が出来ない。

 

「さて、アリス殿。貴女の疑問には答えたつもりだが、返答は如何だろうか。これは君達にとっても、有意義な研究になると思うのだが」

「……全面的な協力をお約束します」

 

 一拍の後、アリスは承諾の意を告げた。ここまで来れば、それ以外の返答などあるはずもなかった。

 

「それは良かった。分かっていると思うが、これもまた機密として研究をお願いしたい。特に、ただ力を求めるだけの者達には漏れないように気をつけて、な」

「承知しております。神獣への対抗手段を、ただ人同士の戦いに使われるような真似は絶対に回避しなければなりませんから」

「そこまでご理解頂けているなら安心だ。では、以後よろしく頼む」

 

 そう言って、秋雅は右の手をそっと差し出す。契約締結を意味する握手なのだろうが、それはこれが命令ではなく、ただの協力や支援であるという裏の意味もあるのだろう。つまり、彼はあくまで個人で依頼に来ただけであり、賢人議会に腰を据える気は無いということ。そのことに、何処か残念じみた感情を抱きつつ、アリスはそっと彼の手を握り、握手を交わす。

 

「……さて」

 

 数秒の硬い握手の後、秋雅は気持ち柔らかい表情を浮かべる。

 

「話も纏った所で、アリス殿」

「何でしょうか?」

「身体の調子はどうだろうか。そろそろ、私のかけた『雷』は効力を失っている頃だと思うのだが」

「それは……確かに」

 

 秋雅の言うとおり、以前に彼が治療の為にアリスにかけた『雷』は、もはや存在感を失いかけている。感覚的に後数日もすれば完全に消え去るだろう、ということを理解していたアリスは、後に続くであろう言葉を予想しながらも頷く。

 

「では、私にもう一度、貴女の私室に足を踏み入れる無礼を許していただきたい」

 

 真摯な、誠意からであろう言葉。実利において、そして自身の感情においても、その頼みを断る選択を、アリスは欠片として持っていなかった。

 




 進みが些か遅いですが、切りが良かったのでここまで。今回の話に限らず評価の多少高い秋雅ですが、ぶっちゃけ秋雅単体で見ると、秋雅の言うとおり大層な者でもないと思います。ただヴォバン侯爵などの他のカンピオーネがあまりにアレなので、相対的に秋雅の評価が上がっているのでしょう。仮に彼がただの力のある魔術師などでしかなければ、作中ほど持ち上げられることも無いと思います。まさしく『例外』なだけ、という感じかと。あくまで個人的な感想ですがね、と作者が言うのも変ですが。




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再びの謁見

 秋雅がアリスと契約を交わした、その翌日。彼の姿は未だ、アリスの邸宅内にあった。それは秋雅にまだ英国で済ませるべき用事があり、その間の仮の住まいとしてここを選んだからだ。無論、無理矢理に逗留しているわけではない。今後の予定をアリスに答えたところ、彼女の方からどうかと提案されたため、それを受け入れたというだけのことである。

 

「……ああ、そうだ……うむ、そのつもりだ」

 

 朝食も済ませて少し経った頃、秋雅はあてがわれた客室で電話をかけていた。相手はこの国、つまりは英国に在住しているとある魔術師。秋雅にとっての現地協力者、あるいは部下とでも言うべき相手であった。

 

「そうだな。では、また後で伺わせてもらう」

 

 その言葉を最後に、秋雅は数分ほど交わしていた通話を終える。

 

「さて、次は………」

 

 水分補給に紅茶を嗜みつつ、秋雅は空いた手で手帳を手繰る。その中に書かれた幾つもの名を、秋雅は目でなぞっていく。数秒後、彼の中で何かが定まったのか。再び電話をかけようとする秋雅であったが、突如響いたノック音がそれを妨げた。

 

「ん? 入れ」

「失礼します」

 

 一礼と共に入って来たのは、この邸宅で働くメイドの一人であった。歳若く、経験もまだ途上であろうが、流石に立ち姿は整っている。

 

「何だ?」

「稲穂様に、お客様がいらしております」

「客? それはアリス殿が招待したということか?」

「いえ、どうやら在野の方のようです。可能であれば稲穂様、そしてお嬢様にお目通り願いたいと」

 

 メイドの返答に、秋雅の片眉が確かに上がる。秋雅がここに滞在している事は特段喧伝されているわけでもない。だからアリスの元を訪れた結果、ついでに秋雅と会うならまあ分かる。だが、メイドの口ぶりから察するに、どうやらその客とやらは秋雅を主として訪れたらしい。それはつまり、その客はそれ相応の情報収集力を持ち、尚且つ秋雅とアリスに対し突然の訪問を選ぶ胆力があるということだ。そんなことが出来る相手がいないわけではないが、今ここを訪れたとなると、秋雅の脳裏に思い浮かぶ名前は無い。

 

 いや、それならば訊けばいい。唐突と考える前に、まだ名すら確かめていなかったのだと、秋雅は肝心な事をメイドに尋ねる。

 

「それで、その客とやらの名は?」

「確か……クラネタリアル・バスカーラ(・・・・・・・ ・・・・・)と名乗っておいででした」

「――何だと?」

「ヒッ……!?」

 

 不審の目と声が恐喝のそれに見えたのか、若いメイドは短い悲鳴と共に後ずさった。よほど、その瞬間の秋雅は末恐ろしく思われたようだ。

 

「ああ、すまない。怯えさせてしまったようだな。君に思う所は無いので、安心してくれると助かる」

 

 ああいけないと、秋雅は反省が生じた頭を振りながら、彼女を宥めるように軽く手を振る。その一応は真摯である対応が利いたのだろうか。メイドはまだ動揺している風ではあったが、一先ず彼女の態度から恐れの色は引っ込んだ。

 

「しかし、その名を出されては顔を見に行かざるを得ないようだ。私は先に応接室で待っているので、すまないが客人を案内してきてほしい。アリス殿にも話を通した上、可能であれば同席を頼みたいと伝言を頼む」

「……畏まりました」

 

 入って来たときと同様に一礼し、メイドは足早に部屋を出ていく。彼女の姿を見送った後、秋雅は取り出したままであった手帳と携帯電話を仕舞い直しつつ立ち上がる。

 

「さて……」

 

 一体、どういう魂胆なのか。少ない材料を元に思案しつつ、秋雅は応接室へと歩みを向けた。

 

 

 

 

 

「――お久しぶりで御座います、稲穂秋雅様。再びご尊顔を賜れたこと、恐悦至極の極みであります。そしてプリンセス・アリス、此度は急な訪問という非礼を行い、申し訳ありません。お二方とも、どうか平にご容赦を願う次第にございます」

 

 開口一番、応接室に入って来たクラネタリアル・バスカーラは秋雅とアリスへの過剰な挨拶を放った。深い一礼どころか、平伏すらしそうな勢いの彼に、むしろ秋雅は鼻白み、つまらなそうな視線を向ける。一方でアリスはというと、その程度の美辞麗句は聞き慣れている、あるいは聞き流せているのか。常と変わる事の無い、柔らかい微笑を浮かべながら口を開く。

 

「稲穂様からお話は聞いています。『永劫の安寧』のクラネタリアル・バスカーラ、と申す者ですね? まず尋ねたいのですが、何故当家を訪れたのですか?」

「どうやって、も付け加えてもらおうか。まさかアリス殿を訪れたら偶々私が居たのだ、等とは言わぬだろうな?」

「勿論でございます、プリンセス、そして陛下。(・・ )お二方の疑問、至極真っ当であり、またそれに対する返答を私は確かに所持しております」

「……ふん」

 

 アリスの呼び名に合わせた、ということなのだろうか。あえて秋雅と『陛下』と呼んでみせたクラネタリアルに、秋雅はこれ見よがしに鼻を鳴らす。しかし彼はそんな秋雅の反応に対し、むしろ敬愛とも見える笑みと浮かべ、変わらずに仰々たる口調のままに語りだす。

 

「平時において、陛下は効率的、あるいは合理的な移動方法を好まれております。公共交通機関の使用というのは時に御身を森のうちに隠されますが、たった一枚の特別な葉の存在を知っていれば、その姿を探ることはそう難しくありません」

「偶然にも私の渡英を知り、それをつけたと」

「いかにも」

「では、そうまでして稲穂様に謁見を申し出たのは何故です? しかも、あえて私の邸宅を訪ねるという方法で」

「二つ、御座います。まずは、お二方がお調べになっているであろう『名無しの結社』について、幾ばくかの情報を提供したいと」

「名無しの結社について、か。確かに気になるところだが、具体的には?」

「その前に、陛下が既にご存知である範囲をお聞かせ願えないでしょうか。それによって話すべきことも変わります故」

「道理だな。手間は省くべきだ」

 

 承諾の表明として、秋雅は『召喚』を用いて調査結果を纏めたレポートを呼び出す。秋雅がそれをテーブルに滑らせると、クラネタリアルは恭しく受け取り、パラパラと流し見る。

 

「……把握致しました。あの実体の分からぬ結社相手に対しここまで調査出来ているとは、やはり陛下の部下も優秀であるようですね。しかし、一つの肝心な情報が足りておりません」

「肝心な情報?」

 

 当然興味があったのだろう。思わずという風に聞き返したアリスに対し、クラネタリアルはゆっくりと頷く。

 

「はい。彼らからしてみれば協力者であり、我らからしてみればかの組織の実質的な統率である者についてです」

「名は?」

「ミスティ、と名乗っているようです」

「名からすると、女か。私には覚えがないが……アリス殿は?」

「……いえ、私にも思い至るものはありません」

「では、無名の魔術師か」

「とも、言えぬ可能性があります」

「……つまり?」

「この女、どうにも神祖(・・)ではないか、と」

 

 神祖。その言葉に、秋雅とアリスの表情が引き締まる。かつての大地母神が転生し、人の肉体と神に近かしい呪力を得た存在。時にはカンピオーネをして苦戦を強いられる、強力な力を持った異能者。それが神祖という者達だ。

 

「神祖か。我が盟友、ジョン・プルートー・スミスが相対する《蝿の王》の首領も神祖と聞く。彼をして梃子摺らされる存在が、名無しの結社に関わっているとは、な」

「……ですが、これで得心も行きます。かの魔術師が使っていた魔術の出所も、そのミスティという方なのでしょう」

 

 アリスの囁きに、秋雅は小さく頷くことで返す。確かに、あの妙に高度な魔術の存在も、裏に神祖がかかわっているとなれば納得出来ることだ。その点に関しては疑問が消えたと言えるが、同時に新たな疑問も浮かぶ。

 

「しかし、そのミスティとやらは何故名無しの結社を作ったのか。裏で愚か者達を束ね、一体どのような得を見出しているのやら」

「確かに、その点に関しては我らも未だに把握しておりません。しかし、少なくとも民草の為を思ってのことではありますまい。むしろ――」

「最終的には害するだろう、か」

 

 自身の言葉を引きついた秋雅に、クラネタリアルは大きく頷く。不明な事が多すぎる、と思いつつ、秋雅はクラネタリアルに視線を向ける。

 

「クラネタリアル、この件についてさらに調査することは可能かね?」

「ご命令とあらば、微力を尽くしましょう。我らとしても、かの結社の動きは気になります故」

「任せよう。それで、もう一つの方は?」

「もう一つ、あるいはこれこそが主目的やもしれませんが……陛下がお作りになる結社(・・・・・・・・・・・)についてです」

「なっ……!? い、稲穂様! それは本当なのですか!?」

 

 そのクラネタリアルの発言は、アリスにとってよほど驚愕に値する言葉だったのだろう。目を大きく見開きながら、彼女は傍らに座る秋雅に問いかけた。それに対し、秋雅は一つ大きな息を吐き出し、やれやれと言いたげに頭を振る。

 

「まったく、機を測っていたというのに…………その通りだ、アリス殿。今回私は、その話をするためにここに来た」

 

 確かに、魔剣のことも目的ではあった。しかし同時に、自分の結社を結成する下準備を行うこともまた、今回の訪問における秋雅の目的の一つだ。この会談の前にかけていた電話も、この地にいる秋雅の関係者と会い、その話をするためのものだった。

 

「貴女に黙っているつもりはなかったが、あまり心労をかけさせても悪いと思ったのでね」

 

 別に秋雅としても、アリスに対し隠し通そうと思っていたわけではない。本来であれば、魔剣の話のついでにでも話そうか、と考えていたのである。だが、その際のアリスの驚きようが秋雅の予想以上のものであったので、一度に負担をかけすぎるのも悪いだろうと思い、一旦胸にしまっていたのである。結局、それもクラネタリアルの所為で無駄になったが。

 

「それは……ご配慮に感謝しなければなりませんね」

 

 はあ、とため息をついた後、アリスは静かに腰を降ろす。醜態をさらした、とでも思っているのか、その頬は僅かに赤い。器用なものだ、と霊体である彼女に対し思いつつ、秋雅は視線をクラネタリアルの方に戻す。

 

「しかし、貴様もまた余計な事を言ってくれたものだ。以前に結社を作る気は無いと語った手前もあるし、今日明日にでも適当なタイミングで話そうと思っていたのだが……」

 

 まったく、と秋雅はクラネタリアルに対し、無言のままに非難の視線を向ける。

 

「これは失礼致しました。てっきり、もうお話になっているものと考えておりましたので」

 

 しかし、秋雅の視線を避けもせず、クラネタリアルは軽く一礼をする。それは悪びれていないからというよりは、どのような処罰も甘んじて受け入れる、という意思の表明のようにも見受けられる。もし秋雅が、責任を取れとでも言えば、彼はどのような罰でも受け入れるだろう。不思議と、秋雅はそのような確信があった。

 

 だが何にせよ、この程度で処罰するほど、秋雅は心の狭い男ではない。またもや大きく息を吐き出した後、クラネタリアルを睨みながら言う。

 

「……まあいい。どちらにせよ、いつかは話すことだった」

「寛大な処置、感謝いたします」

「とはいえ、気になることもある。貴様、この事を何処で嗅ぎつけた? この件はまだ、さしたる人数には話していないことなのだが」

 

 さしたるどころか、実際はこの時点で話したのはウル一人なのだが、あえてそういう問いただし方を秋雅は選んだ。下手な嘘をつけばそれなりの対応でもしようかという意図の下の問いであったのだが、クラネタリアルは何でもないことのように言う。

 

「いえ、確定情報はありませんでした。しかし陛下が今までになさった連絡などから、無礼ではありましたが鎌をかけさせていただきました。それほど機密性の高い案件とも考え難かった為、陛下が肯定なさる可能性、そしてそれを理由に罰する可能性は低いと判断した結果に御座います」

「ほう、私を引っ掛けたと。大した胆力だな」

「恐れ入ります」

 

 本当に大した奴だなと、こればかりは本心から秋雅は思う。確かに彼の言う通りではあるが、それはあくまで結果論での話。勝算ありとはいえ、仮にもカンピオーネ相手にこういう物言いが出来るというのは、それこそ感嘆にすら値する度胸と言えるだろう。

 

「……ふむ」

 

 この男を引き入れたい。そんな考えが、ふと秋雅の中に生まれた。これまでのクラネタリアルに対するスタンスとはややずれたものであったが、これは秋雅の知られざる――ともすれば本人すら無自覚な――とある悪癖に起因している。つまり、有能な相手であれば、立場に関係なく重宝する、ともすれば部下にしたくなる、というものであった。

 

 無論、人格的に信用が置けるという前提はあるものの、それがクリアされている相手であれば割と誰にしてもそう思ってしまう。以前に護堂達と敵対した時、エリカたちとは致命的な敵対関係にまで持っていこうとしなかったのも、かすかとはいえ優秀な彼女らを手元に置ける可能性を所持しておきたかったからに他ならない。

 

 そんな秋雅の悪癖が、今ここになって存在感を主張し始めてきた。これまでの働きから、クラネタリアル・バスカーラという人物を引き込みたいという欲求が、今ここになって秋雅の中に生まれたのである。情報収集力、判断力、胆力、そして忠誠心。今一度見てみると、中々に有能な人物である。流石に立ち位置の都合からそう大きなものではないが、この男を手元に置いてみたいという欲が、秋雅の中で主張を始めていたのである。

 

「椿を連れて来れば良かったな……」

 

 傍らのアリスにすら聞こえぬほどの声量で、秋雅は小さく後悔の言葉を転がす。椿の持つ人の本質を見抜く能力があれば、この辺りの判断の手助けになっただろう。だが生憎と、彼女はここに居ない。無いものねだりをしてもしょうがないか、と秋雅は改めて口を開く。

 

「クラネタリアル。私が結社を作る事を確信した上で、()は一体何を望む? やはり、私の認可を得た上での、正式な臣従か?」

「将来的には。しかし、今はまだその時では無いと考えております。いずれ、陛下が結社を設立させたその時に、我ら《永劫の安寧》を吸収、あるいは同盟関係となっていただける確約を、今は望みます」

 

 床に膝をつき、クラネタリアルは臣下の礼をとる。その大仰な態度は今までであれば鼻についただろうが、今の秋雅にはそれを受け入れる気分が出来上がりつつあった。やはり悪癖だなと、自分の変わり身の早さに内心で苦笑しつつ、しかし表情は変えぬままに秋雅は頷く。

 

「良いだろう。その時が来れば君たち全員との謁見、そして望むのであれば臣従を受け入れると宣言しよう」

「おお、感謝いたします……!」

 

 歓喜の喜びと言ったところなのだろうか。俯いたままクラネタリアルはその身体を震わせる。一分ほどそのままの体勢であったクラネタリアルだったが、突如として立ち上がり、よりいっそう大仰な仕草で礼の姿勢をとる。

 

「此度は失礼致しました。陛下より下賜された言葉を、一刻も早く同胞らに伝えねば成りません。陛下、そしてプリンセス。これにて失礼させていただきます」

 

 その言葉を最後に、クラネタリアルは部屋を出て行く。その背に、さてこれからどう付き合っていくべきかと考える秋雅であったが、そんな彼に妙に穏やかな声がかけられた。

 

「ところで、稲穂様?」

「……何だろうか」

 

 若干の間を空けて、秋雅はアリスの方を見る。彼女が浮かべている非常に美しく、しかし何処か威圧感のある笑みに、秋雅の背を何か冷たいものが走る。

 

「今しがた、彼らを受け入れると宣言なさりましたが…………我ら《賢人議会》とも、前向きに考えていただけますよね?」

 

 にっこりと、貴婦人らしき笑みと共に放たれた言葉。そこには異様なまでの迫力と、そして強制力が感じられる。アリスらしからぬその様に、少々追い込み過ぎただろうかと思いつつ、

 

「うむ、考えておこう」

 

 まるで何でもないように、秋雅は悠然と頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、アメリカのとある町でのことであった。

 

「……んー?」

 

 一人の女が、突如として背後を見た。長く赤い髪を翻し、同じく赤い瞳で空を見上げながら、女は呟く。

 

「誰か、噂をしている気がするねえ。くっくく、私も有名になってきたってことかねえ」

 

 その美貌を不自然に歪め、独特な調子で笑う彼女に、しかし傍を通り過ぎる人々たちは一切の反応を示さない。まるでそこには何も無いかのように、彼らは不自然なまでに彼女を避けている。それが魔術によるものだと、気付けるものはここにはいない。

 

 

「まあ、どうでもいいさ。人もいい感じに集まってきたんだ。あと数ヶ月、どうにか出来ればそれでいいってね」

 

 くっくくと、また独特な調子で笑い、女は正面に向き直る。

 

「さてさて、アーシェラちゃんの近況も分かったし、そろそろグィネヴィアちゃんにでも会いに行きましょうかね。聖杯の呪力、いくらか頂きたい(・・・・)ものだけど……まあ、どうとでもなるか」

 

 だって、と女はその笑みをさらに深めた。

 

「――このミスティさんこそが、正しい道を歩んでいるんだからね」

 

 

 



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米国の現在と、日本の現在





「……案外と早く、またここに来たものだ」

 

 クラネタリアルとの謁見(・・)を済ませてから数日後。秋雅は英国を離れ、今度は米国の土を踏んでいた。このアメリカ西海岸、ロサンゼルスの地に秋雅が足を踏み入れるのは以前にトラウィスカルパンテクートリを討った後、ジョン・プルートー・スミスと会談を行った時以来になる。そして今回の訪問の目的もまた、彼との会談を行う為であった。

 

 しかし、前回とは決定的に違う部分がある。それが、今秋雅の隣に立っている女性の存在だ。

 

「また、というのは、ワシントンにてまつろわぬ神と戦った時ということでしょうか?」

「おおよそはその通りだ、アリス殿」

 

 そう、この今秋雅の隣に立つ女性というのは、なんとあのプリンセス・アリスであった。秋雅の訪米の同行者という形で、彼女もまたこの地に足を――もっとも、生身ではなく霊体のそれだが――踏み入れたのである。その目的は秋雅の補佐とのことであったが、実際は自身が外出を楽しむためでは無いかと、秋雅は密かに思っていた。

 

「おおよそですか。では及第点は貰えそうですわね。それで、すぐにでもスミス様の元に?」

「そのつもりだ。彼からもそう要請を受けている」

 

 だから、と言うべきではないが、秋雅はあえて今の時刻――つまり会談の時間を夜としていた。スミスの怪人めいた服装が昼に合わぬと言う訳ではないが、最大限に合わせようと思えばやはり夜であるだろうと、そういうことをほんの僅かばかり考えたためである。もっとも、結局は酔狂の域を出ないなと、秋雅自身も約束を取り付けた後で自嘲した程度の拘りであった。

 

「……しかしまったく、実際にこの地に立ってみると妙な気分だ。まさか貴女を連れ立って、我が盟友を訪れることになろうとは」

「申し訳ありません。私もご無理を言ったとは思っているのですが」

「いや、非難しているわけではない。私とて、貴女の存在が利になると理解している。今でも、貴女の迅速なる行動の数々を思い出すと、つい感心してしまうくらいだ」

「まあ、お恥ずかしい」

 

 実際、クラネタリアルとの謁見の後、秋雅がアメリカに行くとアリスに告げてから彼女の行動は素早かった。秋雅の訪米の予定を聞いてすぐさま同行の約束を取り付けたことに始まり、賢人議会を含めた諸所に対し誰にも文句を言われないような形にするまでに、たったの半日すらかかっていなかったのである。その最中の剣幕たるや、秋雅が陰で目を白黒させたほどであった。他にも、最後まで抵抗していたパトリシア・エリクソン――アリス邸で女官長を務める女傑である――に対して、

 

『もし許さないのならば、生身でも行ってしまいますわよ?』

 

 などと脅迫まがいのことまでして外出を取り付けるなど、まさしく形振り構わずといった風であった。なまじ身体が回復に向かっているからこその言であるが、それを間近で聞かされた秋雅としては思わず瞑目するしかなかったものである。

 

 もっとも、その直後に、

 

『……身体が動くようになってきたからこそ、籠の鳥の気分は堪えるの』

 

 という、小さな小さな呟きを耳に捉えてしまった時のほうが、よっぽど反応に困ったのであるが。

 

「まあ、それはまたの小話としよう……どうにも、妙な気配だ」

 

 途中から腰を曲げ、アリスの耳元で囁くように続ける。先ほどから、どうも周囲の様子がおかしい。巧妙に隠されているのだが、見張られている、あるいは警戒されているという雰囲気が秋雅には感じられた。

 

「ええ、それは私も感じております」

「貴女もとなると、私の気の所為でもないか」

 

 頷いて囁き返したアリスに、秋雅は目を鋭くして警戒の度合いを上げる。流石に遅れを取る気はないが、だからといって完全に気を抜けるほど、秋雅は自身の力量を高く見積もっていない

 

「しかし、何者でしょうか? 私達二人が揃っているというのにこのような真似をするとは、まさしく蛮勇とも感じてしまいますが」

「素直に考えれば敵対勢力と見るべきだが……」

 

 そこで秋雅は言葉を切り、視線を周囲へと向ける。そうだ、と改めて意識してみると、こちらに注意を向けている幾つかの顔には、多少だが見覚えがあった。

 

「……やはり、監視者の中にSSIの者が混じっている」

「本当ですか?」

「ああ、先の一件の時に見た顔だ」

「となると…………いえ、今はスミス様との会談を急ぎましょう」

「そうだな」

 

 それがいい、と秋雅は小さく頷く。そして、表面上は周囲のことなど気にしていないかのように振舞いながら、秋雅はアリスを連れ立って歩き出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋雅達が空港を経ってしばし。二人が目的地であるホテルの、その最上階の一室を訪れると、そこには既に先客たる仮面の怪人が寛いでいた。

 

「――ふむ、壮観だな。この世で最も尊き姫を、最も人道的な王がエスコートしている様というのは」

「それを言うならば、複眼の仮面を被った男がこぢんまりとソファに腰掛けている様もまた、君の想像以上に滑稽だがね」

 

 そのように軽口めいたものを叩き合った後、稲穂秋雅とジョン・プルートー・スミスは滑らかに握手を交わす。常に遊び心を欠かさないスミスと、案外とノリの良い秋雅においては、時折こういう会話が飛び交うことも多かった。

 

「そしてプリンセス・アリス。今宵、貴女の美しさを目に焼き付けることが出来たこと、私はとても光栄だと思っている」

「ありがとうございます。私も名高いロサンゼルスの守護聖人殿と再びお目にかかれたことを、心より光栄と思っております」

 

 秋雅へのそれとは一転して美しく装飾されたスミスの挨拶に、アリスもまた優雅な礼と共に返す。仮面を被った人物が一礼と共にこのような事を言っているとなれば滑稽さすら感じられそうな状況であるが、ことスミスの場合には不思議と似合ってしまう。芝居がかっているはずなのに酷く自然だと、改めて秋雅はそのような感想を抱く。あえて芝居がかった物言いをすることもあるという意味では秋雅もまた同じなのだろうが、こういったところではスミスの方に一日の長があるようであった。

 

「……それで秋雅。今日は一体どのような用件なのかな」

 

 そんな挨拶の後、まず口火を切ったのはスミスであった。

 

「君が電話口で詳細を語らなかったところから見て、よほど重要なものなのだろう? しかもプリンセスまでも連れ立っているとなれば、相応の大事であると私は思っているのだが」

「ああ、それなりに秘匿性の高い案件だ。面倒なので単刀直入に言うが、私は近い将来に自分の結社を作ろうと持っている」

「ほう。それはそれは大層なことだが、いいのか? 君は日本の……正史編纂委員会だったか? その結社と親しくしていると聞いていたが」

「ふむ、その言葉は合っていると同時に間違ってもいる。確かに私は正史編纂委員会の幾つかの分室とは親しくしているが、その『上』とも言える東京分室とは断絶に近い状態なのだ」

「確か……数年ほど前に、当時の上層部が愚計を画策した為、ですわね?」

「ああ、そうだ」

 

 良く知っているものだと思いながら、秋雅はアリスの問いかけに同意する。それは正史編纂委員会にとっては機密も機密の情報であるはずなのだが、流石は賢人議会の長と感心すべきところだろう。これが秋雅にとっても重要な情報なら眉の一つも顰めただろうが、生憎とそういうわけではない。心の内で褒める程度に留め、秋雅は更に続ける。

 

「これに加えて、草薙護堂の存在もある」

「先日戦った、と聞いたが」

「ああ、結果的には私が勝利した。ただその際あまり良い勝ち方(・・・・・)をしたわけではなくてね。狭い日本で仲良しこよしをやるには少々難しい。適度に距離を置けば別だろうがね。そうでなくても、日本は王を二人も抱えるには狭い」

「そうだろうな……うん? 秋雅、その言いようだと君は国外に結社を置く気なのか?」

 

 首を傾げたスミスに対し、秋雅はゆっくりと頷いてみせる。

 

「そうなるな。母国愛がないわけではないが、私のそれは場所に対してと言うより、そこに住んでいる人に対してのものだ。そして、極少数のそういう人を守る程度なら、必ずしも私が近くに居る必要はない」

「なるほど、それもまた道理か。むしろ君が博愛主義者であるとか言い出すほうがしっくりと来ないだろうな」

「良く分かっているじゃないか。まあ、民草を守ることは私の使命であると思っているし、それを草薙護堂に任せるのは少々不安もあるがね」

「そこは時が経てばまた変わることだろう。ところで秋雅、それで君はどこに結社を置くつもりなんだ? 姫君と来たことを考えれば英国かと思うが、もう欧州には王が三人も居てパンク気味。中国には羅濠教主、アフリカにはアイーシャ夫人が既に居て、王の居ないオーストラリアでは色々と不便がありそうだが……」

「ああ、だからこの国に作ろう(・・・・・・・)と思っている」

「なっ…………!?」

 

 平然と放たれた秋雅の言葉に対し、仮面の奥でスミスが動揺する気配があった。しかし、それも数秒のこと。彼は一つの咳払いを挟むことで、常と変わらぬ態度を取り戻す。

 

「失礼。思った以上に近しい(・・・)話題だったので些か動揺してしまった。道理で君が私に会いに来るわけだと納得も出来た。いや、私としては君がこの国に来ること自体は歓迎できることだと思っている。先日の一件を踏まえれば、君がこの国に居てくれることほどの安心感は他に無いだろうからな」

「そう言ってくれると私も嬉しい。この国であれば日本ほど口出しをしてくるものもいないだろうし、君という盟友も居る。君が西海岸を、私が東海岸を、というのは悪くない考えだと思うのだが」

「そうなれば世界各地を飛び回る君の不在を私がカバーでき、逆に私の方も君の手をすぐさまに借りられるようになる。ふむ、考えていけばいくほど良い案のように私も思う」

「では……」

「ああ。先にも言ったが、私は君を歓迎する。ジョン・プルートー・スミスの名において、君の結社の設立を支持しよう」

「感謝する、我が友よ」

 

 伸ばされた手を取り、秋雅はスミスと深い握手を交わす。これで一つの問題が片付いたなと内心で安堵の息を吐いた秋雅であったのだが、その感情は次に放たれたスミスの言葉で一変することになる。

 

「だが、今は駄目だ。君が結社をいつ作るのかは知らないが、今だけは、その話を進めるのは難しいだろう」

「……と、言うと?」

「その前に、君はこの国の異変に気付いているか?」

 

 スミスの問いかけを聞いて秋雅の脳裏に浮かんだのは、空港での監視の気配のことだ。秋雅の表情からそれをスミスも察したのだろう。彼はやや芝居がかった風に首を横に振る。

 

「まったく厄介な事態だが、今のSSIは死に体となっている。《蝿の王》の陰謀によって上層部のほとんどは洗脳ないし買収され、今や正しい行いをしているとはとても言えない状況なのだ」

「まさか……とは言えませんね。でもなければ私達をわざわざ監視するような真似もしないでしょうし。しかし稲穂様、こうなると……」

「ああ。こうなると元の予定通りとは行かないな」

 

 アリスが止めた言葉をつなげた秋雅はため息をつきながら首を振る。元々、秋雅は自身の結社の設立において、スミスの次にはSSIに話を通すつもりであった。後から来て結社を作るのだから、この土地の最大結社である彼らに話をしておくのは必要なこと。裏の無い協力関係を結ぶ為にも、そういう根回しをしておくべきだと考えたからだ。アリスが同行を求め、それを秋雅が受け入れたのも、賢人議会とも同盟の予定を示すことで彼らの首を縦に降らせるためであった。

 

「まったく、わざわざ手土産も持ってきたと言うのに、これではどうしようもないか」

「手土産?」

「ああ、これだ」

 

 そう言って秋雅が見せたのは、スクラの研究成果である、銃に関する新たな魔術を纏めたレポートだ。秋雅は賢人議会に対し、ヴェルナの研究成果のブラッシュアップを依頼したように、SSIに対しても同じ事を依頼する予定だった。

 

 このように秋雅が考えた理由は、銃火器に関する魔術という点においては、他の大手の魔術結社よりもSSIが一番良いだろうと思われたからである。他の魔術結社と比べて比較的歴史が浅いSSIであるが、お国柄も相まってか他の国では中々発展していない銃火器に関する魔術の研究に特に力が注がれている。秋雅にとっては一番造詣の深い結社に依頼した方が早いし、SSIにとっても新たな魔術というのは魅力的に見えるだろうと判断できる。

 

 無論、賢人議会の時とは違い、SSIが相手となると、情報漏えいの危険性が無視出来ない確率で存在することになる。だが、ここで話題となっているのは、近代において世界に現れた、銃火器に関する魔術だ。古代より脈々と続いてきた他の結社群にとって、どうにもこの手の魔術はそれほど魅力的に思われないらしく、仮に情報が漏れたとしてもすぐさま解析されつくしてしまうということはない。つまり、それほど大きな危険性はない、と言えないこともないのだ。

 

 実際はそこまで都合良くもいかないだろうが、そもそもSSIからしても、普通の状態ならそうそう情報漏えいも許さないはず。だからまあ、どうにかなるだろう、と秋雅は判断したのだ……まあ、この瞬間までは、の話であったが。

 

 

 

 そんな手土産となりそこなったレポートを一読したスミスは、ほうと感心したような声を漏らした。

 

「なるほど。私は決して研究者ではないので断言は出来ないが、確かにこれならば手土産とすることは出来ただろうな……ただ、今は止めておいたほうがいい。みすみす《蝿の王》に技術を与えてしまうだけだ」

「そうなるだろうな。まったく、こういう形でも祟ってくるか」

 

 厄介な、とため息をつく秋雅であったが、そんな彼にアリスが声をかけた。

 

「稲穂様、逆に考えましょう。いかに華麗に上層部の問題を一掃したとしても、彼らは少なからず弱体化することになります。そうなれば戦力の拡充も兼ねて稲穂様の提案を断るということは無いと思います」

「しかも、場合によっては彼らに対しての優位性を高めることも可能になるだろう、か?」

「はい」

「……悪くはないな。交渉しなければならないことも多くなるが、それを上回る利点も生まれると」

「既に事はなってしまっていますし、ここは最大限利用するべきです。火事場泥棒ならともかく、あくまで借りを作る程度ならば、後ろ指を指されることもありません」

「確かに。では、私の知己に声をかけ、彼らの復興を手伝わせるか。今日の監視のこともある。上手く回せばいっそう私に頭が上がらなくできるな」

「……やれやれ、末恐ろしい会話だ。我が盟友と姫君と敵対していないというのは、ある意味で私にとって最大の幸運と言うべきか」

 

 淡々と後の事態について画策する二人に、スミスは呆れたように肩をすくめる。そんな彼の態度に、秋雅は思わず顔を顰める。しかし、それは決して彼の言葉に不快感を覚えたからではない。彼こそが、ある意味でこの件に関する一番の重要人物だからである。

 

「他人事のように言ってもらっては困るな、スミス。何に関しても結局は君が《蝿の王》を打ち負かしてくれなければ意味がないんだ。あまり遊んでばかりのようなら、私も自己の利益その他の為に腰を上げざるを得ないのだが?」

「おっと、それは困るな。彼らを討つのは私の役目であり、因縁でもあるのだ。この私が健在である限り、他の者の手助けを借りるわけにはいかないな。もっとも、もしもの場合は真っ先に君の手助けを借りるだろうがね」

 

 もし仮面を被っていなければ、ウインクの一つもしたのではないだろうか。そう思われるほど軽快に言葉を紡いだスミスに、秋雅も少しばかり顔をほころばせる。

 

「ああ、その時は何時でも駆けつけよう。無論、私も君がしくじるとは思っていないが」

「うむ。君が口を挟む暇も無いほどに、華麗で苛烈な勝利を成そう」

 

 鷹揚に、二人の王は同時に頷く。ただそれだけの行為であるが、同時にそれは互いの友情の篤さを十分に示していた。

 

「ふふふ、お二人はまさしく盟友であらせら――――え?」

 

 微笑を携えていたアリスの表情が、唐突に凍りついた。同時、秋雅の懐にしまわれた携帯電話が振動を発する。思わず秋雅が取り出すと、画面には三津橋の名が表示されている。

 

「――稲穂様! その電話、おそらく火急の用件のはずです!」

 

 世界屈指の霊視能力を持つ、プリンセス・アリスの言。尋常なものではないはずと思いながら、秋雅は急ぎ電話に出る。

 

「私だ!」

『秋雅さん、大変です! 太平洋上を巨大な未確認生物が出現しました!! おそらく神獣かと思われますが、それが海上と空中に二体! 移動ルートからおそらくこの日本を目指しています!』

「――何だと!?」

 

 三津橋の焦燥に満ちた報告に、秋雅は大きく目を見開いた。まつろわぬ神には劣るとはいえ、神獣とて十分に驚異的な存在だ。しかもそれが二体ともなれば、単純に脅威度は二倍。こうもなるとまつろわぬ神への対応と等しく思っても、過剰とは言い切れぬ自体である。

 

 幾ら秋雅が新たに拠点を移そうと思っているとはいえ、今はまだ日本こそが秋雅の立つ場所であるのだ。他に優先事項があるわけでも無い以上、これはすぐさまにでも秋雅が動くべきことであるだろう。

 

「三津橋、現場までの足を急ぎ用意しろ。私もすぐ向かう!」

『了解しました!』

 

 電話を切り、秋雅は盟友と姫君に視線を向ける。その表情は硬く、視線は非常に鋭い。

 

「スミス、アリス殿。私はすぐに日本に戻らなければならなくなった。悪いがここで失礼させてもらう」

「ああ、この地から君の検討を祈らせてもらおう。どうか武運を、な」

「稲穂様、お気をつけください。ぼんやりとではありますが西方――いえ、南方より何かを感じます。もしかすれば、事は二体の神獣だけでは終わらぬかもしれません」

「ぞっとしない提言だが、ありがたく受け取らせてもらう」

 

 頷き、二人の言葉を胸に刻みながら、秋雅は聖句を口ずさむ。

 

「――我は留まらず。我が立つ地は、全て我の意思のままに」

 

 その瞬間、秋雅の視界が一変した。アメリカの高級ホテルから、日本の三津橋の仕事のオフィスに、である。『我は留まらず』による長距離転移の結果であった。今頃あちらには秋雅が転移に用いたマネキンが現れているだろうが、それに対して想像する余裕が今の秋雅には無い。今秋雅がすべきことは、目の前に立つ三津橋の話を聞くことであった。

 

「呼び出してしまってすみません。しかし、先の通り急ぎの事態です」

「分かっている。それで、準備は?」

「飛行機の用意が出来ています。一先ず鹿児島まで飛んでもらおうと思っていますが、構わないでしょうか?」

「問題ない。一度最南端まで行った後で、向こうの動きを踏まえて動く。最悪飛行機から飛び降りるつもりで行くぞ」

「了解しました。ではこちらへ」

 

 頷き、秋雅は三津橋の先導で部屋を出る。福岡分室の廊下を歩きながら、秋雅はこの先に待つであろう戦いと、アリスが述べていた言葉の意味について思考をめぐらせるのであった。

 

 

 

 








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火の女神、襲来

 突然の帰国から一時間ほどの後、秋雅の姿は九州最南端の地、佐多岬にあった。腕を組み、眼下の海を睨みつける秋雅に、音もなく近寄ってきた三津橋が声をかける。

 

「稲穂さん」

「現状は変わらずか?」

「はい。相変わらず、ここから数十キロほどの海上をうろうろとしているようです。観測者の言葉を借りれば、まるで何かを探しているようだと」

 

 そうか、と三津橋の説明に秋雅は頷く。火急の報告から既に一時間も経ちながら、未だに秋雅は戦線を開いていない。その理由は、報告にあった二体の神獣が、何故かピタリと進軍を止めていたからであった。小刻みに北上や南下は繰り返しているようだが、どういうわけか陸地とは一定の距離を保ち続けている。本格的な空中戦や海上戦の手段を持たない秋雅にとっては、今はただひたすらに『待ち』の時間であった

 

「まったく、厄介だな。このままではどうともしようがない」

「思惑も分かりませんからねえ。二体の神獣が個別に組んでいるとは考え難い以上、裏に何かしらの存在があるとは思うのですが」

「カンピオーネ、では流石に無いだろうから、ほぼほぼまつろわぬ神だろう。しかし、一体どのような神がいるというのやら」

 

 顎をさすりながら、秋雅は思案げな表情を浮かべる。そんな彼の耳に、柔らかな女性の声が飛び込んできた。

 

「おそらくは、魔術に長けた神かと思います」

「――誰です!?」

 

 突然の声に、三津橋が急いで振り向く。彼の手配によって、周辺一体は完全に封鎖されている。そんな中で覚えの無い声を聞けば、まず警戒するのはおかしいことではない。

 

 しかし、三津橋の動揺とは裏腹に、秋雅は焦るそぶりもなく、むしろゆっくりとした動作で、声のした方へと身体を回す。それは、その声が彼にとっては聞き慣れた……どころか、つい一時間ほど前まで聞いていたものであったからだ。

 

「安心しろ、三津橋。彼女は私の知人だ。そうだろう――プリンセス・アリス?」

「プリンセス・アリス!? あの賢人議会の…………失礼致しました、白き巫女姫」

「いえ、突然に声をかけた私に非がありますので、そうお気になさらずに。稲穂様と親しいようですが、お名前を伺っても?」

「正史編纂委員会福岡分室所属、三津橋と申します」

「あら、では稲穂様の窓口と呼ばれる方ですか?」

「姫君にまで名が知られているとは、光栄なことです……」

 

 ふふふ、と笑うアリスに、三津橋は恐縮そうに頭を下げる。そんな二人を見てため息を一つついた後、秋雅は改めてアリスに視線を向ける。

 

「それでアリス殿、何故ここに?」

「ふふふ。少し面白そうでしたので、追いかけてきてしまいました。よくよくと考えてみると、あそこで置いてけぼりというのも生殺しのようですし」

「それで追いかけてきたと」

「はい」

 

 神速には劣るが、それに近しいだけの速度で移動する手段を彼女は持っていたはず。おそらくはそれで移動し、ここに辿りついたのだろう。場所を探れたことに関しても、急に封鎖された場所を探ればイコールとなる。違うにしても、彼女には霊視があるのだから、それを使ったと考えればそれで済む話だ。

 

「それに……稲穂様と同行している限り、私は自由に外出できますからね」

 

 茶目っ気たっぷりに言ったアリスに、あるいはそれが本心ではないだろうなと、秋雅は若干の呆れと共に思う。しかし深く突っ込んでも仕方がないと、秋雅は雰囲気を変えるために軽い咳払いを挟んでから口を開く。

 

「まあ、来たと言うならお付き合い頂く。アリス殿、先ほどの言葉の意味だが」

「神獣を二体も使役しているとなると、その手の術に長けた神であると考えるのが自然ということです。その二体も海と空で別種というならば、ますますそうでなければ操れないでしょう」

「納得できるな。そして、そういう神は往々にして頭脳派だ。目的もなく、ただただ享楽のみでこのようなことは犯すまい」

「同感です。ですが、それ以上となると」

「分からない、か。念のためお聞きしておくが、霊視で何か見えたりはしていないだろうか?」

「ご想像の通り、新たなものは見えておりません。お役に立てず、申し訳ありません」

「気にしないでいい。別にそれだけが貴女の存在価値というわけではないのだ。しかし、そうなると……」

 

 こきりと軽く首を鳴らせてから、秋雅は据わった目で海を睨む。

 

「いっそ、挑発の一つでもしてみるか」

「挑発、ですか?」

「ああ。神獣とまつろわぬ神が繋がっているとすれば、カンピオーネがこの地にありと知れば動いてくるかもしれない。何せ、まつろわぬ神とカンピオーネは不倶戴天の敵同士だ。元の目的はどうあれ、怨敵を討つべしと神獣を動かしてくる可能性はある」

「一理ありますわね」

「このままでは長期の海上封鎖を続けなければならないと考えると、確かにその方が良いかもしれませんねえ。しかし、どうやってです?」

「――こうやって、だ」

 

 言葉と共に、秋雅はその手に雷鎚を呼び出す。そして、それを天に掲げて叫んだ。

 

「雷雲よ、来たれ! その身に絶対なる破壊の力を携えて、我が敵の悉くを討ち滅ぼせ!」

 

 その言葉と共に、突如として陰が落ちた。いつの間にか地を照らす太陽は隠され、代わりに大空には荒れ狂う力に満ちた雷雲が現れている。

 

「雷雲よ! この地に稲穂秋雅ありと、不遜なる神々に知らしめるがいい!」

 

 秋雅の許しを受け、雷雲はその身に溜め込んだ力を解放した。海上の雷雲より轟音と閃光が放たれ、世界に示すかのように自身の存在感を誇示する。一度地上に放たれればたちまちに大きな被害をもたらすだろう雷が、空と海を切り裂いていく。

 

「さあ、来い……! この雷を受け、動いて来い!」

 

 祈るように、あるいは命令するかのように。大海を睥睨しながら、秋雅は力の篭もった言葉を紡ぐ。動くか、動かぬか。長期戦を覚悟の上の秋雅であったが、その顔色が変わるまでにそう大した時間は経たなかった。

 

「――来たか!」

 

 背筋を走る冷たい予感。身体から湧き上がる力と闘志に、秋雅は()の来訪を悟る。次の瞬間、何処からか少女のような声が響いた。

 

『見つけました、我が新たなる勇士殿……』

 

 少女のそれのような、麗しくも可憐な声。それはさしたる声量とも思えぬというのに、不思議と雷鳴にかき消されることも無い。そして、それと同時、雷雲を切り裂くように天上より光が降り注いだ。その光は影を生み、一つのシルエットを生み出した。

 

「女……!?」

 

 その三津橋の言葉が全てであった。たおやかですらりとした体型の、長い髪を揺らす女の影。それが目の間に広がる大海に、雲を突き抜けるほどの巨躯として立っている。

 

 しかし、それを見ても秋雅の表情に怯えの色は無い。むしろ不敵な笑みを浮かべ、目の前の『女』に対し叫ぶ。

 

「来たか、まつろわぬ女神よ! この先に在る二体の神獣は、貴様の手の物か!?」

『手の物だなんて、無粋な呼び方はお止めくださいな。あれらはほんの心づくし。僅か数ヶ月の間に幾度もの闘争の卦が顕れ、英雄方の気が荒れ狂うこの島にいらっしゃるであろう、名のある勇士をもてなす為の!』

「闘争の卦……ね。そういうことか」

 

 東京、福岡、北海道でのカンピオーネとまつろわぬ神との戦い。そして東京で二度起こった、カンピオーネ同士の戦い。どうやらこの女神は、それらの戦いの数々に惹かれてこの日本にやってきたらしい。そのうちの半数以上が秋雅の戦いであると考えると、これは秋雅にも責任の一端がある邂逅と言えるだろう。

 

「ならば、責任を取らねばならないな! 女神よ、その身をこの私の、神殺しの前に晒し、その末に討たれる覚悟はあるか!!」

『まあ、貴方様は神殺しの君であったのですね。ふふ、これはなんという奇縁でしょう! 貴方様の御前に参ずるのは望む所ですが、まずは我が心づくしをお受けくださいませ。積もる話はそれからに致しましょう!』

 

 その言葉を最後に、女神のシルエットは忽然と消え失せた。しかし、秋雅の身には未だ闘争の気が満ち満ちている。それこそがあの女神はまだ近くにおり、次なる手を打とうとしている証左であった。

 

「三津橋、周囲の者達を離れさせろ。君はともかく、それ以外の者では巻き込まれかねん」

「承知しました」

「アリス殿は好きになされるといい。貴女なら瞬く間に危険を回避することは、そう不可能なことではないはずだ」

「お言葉に甘えて、お傍にて御身の戦いを見守らせていただきます」

 

 背後に立つ二人に言葉を投げつつも、秋雅の視線はただひたすらに眼下の大海へと固定されている。

 

 そして、委員会の魔術師達の撤退が成され、岬から秋雅とアリス以外の気配が消えた頃合で、いよいよそれらは現れた。

 

「――来たか、もてなしとやら!」

 

 空を切り裂き、海を走り、二体の神獣が秋雅の前に現れる。天空より雷雲を抜けて現れたのは、翼長で十五メートルはあろうかという巨鳥。海の向こうから滑り来るのは、まるで小山にも見えるとぐろを巻いた大蛇。これらが翼を広げ、とぐろを解き、岬の秋雅達に対して咆哮をあげる。そのどちらもが、秋雅を獲物として見ているのがありありと分かる。

 

 しかし、その程度で怯む稲穂秋雅ではない。謎の女神の存在を考えると、『冥府への扉』はまだ使えないが、幸いにもここは人気の無い対岸だ。全力で迎え撃ってやると、秋雅は獰猛な笑みを浮かべながら『召喚』の魔術を使う。

 

「来たれ、雷を支配せし双の刃よ!」

 

 秋雅の両腰に二振りの刀剣が現れる。雷を切る雷切と、雷を生むカンナカムイの宝剣の内、秋雅は右腰の宝剣を抜き放つ。

 

「宝剣よ! 我が異なる名の元に、我が敵にその力を示せ!」

 

 秋雅の命の下、カンナカムイの宝剣がその力を発揮する。頭上の雷雲から迸る力が更に増し、今か今かと言わんばかりにいっそう雷鳴を轟かせる。

 

「焼き尽くせ!」

 

 秋雅の号令に応じ、雷雲がその力を吐き出した。放たれた無数の雷は、まさしく神速でもって二体の神獣に迫る。しかし、敵も然るもの。神獣はその巨体に見合わぬ速度で雷を避け、海蛇は尾で海水を巻き上げることで防いでしまう。

 

「ならば! 今こそ立て、我が(つわもの)達よ!」

 

 その言葉を合図に、突如として秋雅の周囲の地面が盛り上がった。たちまちに等身大にまで積み上がった土は、その姿を人の形へと変じていく。脚が、腕が、胸が、作られ、それらを覆うように甲冑が組みあがる。物も言わず、動きもしない顔面が最後に掘りあがり、おそらくは百を超えるだろう数の、土で出来た兵士が誕生する。

 

「これは……新たなる権能?」

 

 周囲に現れた土人形達を見て、アリスは驚いたように呟く。もしこの場に紅葉などがいれば、おそらくはそれに頷いたことだろう。そしてうっかりと、こうも言ってしまうかもしれない。これは、源義経から簒奪した権能である、と。

 

「弓を持て! 矢を番えよ! 我らの敵は、眼前に在り!」

 

 虚空より弓が生まれ、矢筒が生まれ、矢が生まれる。それらを一糸乱れぬ挙動で受け取り、土人形達は天空と大海に向けて構える。

 

「――撃て!」

 

 秋雅の号令の元、一斉に矢が放たれた。半数は巨鳥、もう半数は大蛇へと、目標に向かって一直線に空を舞う。これに対し、巨鳥は羽ばたきで風を、大蛇は再び尾で海水を巻き上げることで防壁を築こうとする。

 

「読み通りだ!」

 

 だが、それは秋雅の予測の範囲内であった。神獣達が防御の為に動きを止めたのに合わせ、秋雅は頭上の黒雲より雷を落とす。この囮と平行した本命の攻撃は、巨鳥には間一髪で避けられてしまったものの、大蛇の方には見事直撃させることに成功した。大蛇は苦痛の咆哮を上げ、まるで焼け焦げた鱗を隠すかのようにその身体を大きくくねらせる。

 

 また回避した巨鳥に関しても、雷を避けることで精一杯だったのか、逆に囮である矢の方に当たってしまっていた。貫通こそしなかったものの、数本の矢はその片翼に突き刺さっており、巨鳥の飛行は僅かだが精細さを欠いているように見える。

 

「このまま押し通る! 撃て! 放て!」

 

 再度の命令の元、天より落雷と地からの鏃が二体の神獣に向かって殺到する。圧倒的なまでの面攻撃に対し、神獣たちはそれぞれに回避と防御を行おうとしているようだが、その全てを凌ぐことは出来ていない。直撃こそ少ないものの、確実に攻撃は当たっており、ダメージを蓄積させているようであった。

 

「神獣相手に物量戦を成立させますか。流石ですね」

「だが、それも一時的なものだろうな。そろそろ……と、噂をすればだな」

 

 一方的に痛めつけられていた二体の神獣のうち、大蛇の方が大きく動いた。海水を使った防御を上空、つまりは落雷の方にのみ集中させ、その状態のままこちらに向かって突進を始めたのだ。おそらく、自身の鱗なら土人形たちの矢程度は防げると判断しての特攻なのだろう。確かに、土人形たちの火力は秋雅の落雷と比べればそうたいしたものではない。しかし、それはあくまで、これらを単独で使用した場合の話である。

 

「万物を焼き尽くす絶対なる炎よ。その力、我が臣下に授けん……!」

 

 大蛇の特攻に不敵な笑みを浮かべ、秋雅は更なる聖句を紡ぐ。『義憤の炎』の力を発揮させるその聖句は、土人形たちの鏃の全てに破壊の炎を宿させる。ここの土人形は確かに弱いが、その分、他の権能を受け入れるに十分な親和性と拡張性があるのだ。

 

「放て!」

 

 三度目の号令の元、土人形達は炎の矢を神獣達に放つ。軍神に対しても十分な効力を発揮した破壊の炎の追加。その効果はまさしく劇的であった。一直線に特攻してきていたために避けることもできなかった大蛇は、破壊神の力を乗せた新たなる矢の雨を受け、苦痛にその巨躯を大きくくねらせる。無謀無策であった大蛇に対し、その炎の雨はあまりに苛烈であったのだ。

 

「これで足は止まった! 全軍、続いて巨鳥を落とせ!」

 

 大蛇が足を止めた事を確認し、秋雅はその攻撃を巨鳥に集中させる。単純計算で二倍の数となった攻撃を巨鳥は避けきれず、矢を翼に受けてバランスを崩した所を、胴体に落雷を受けて墜落する。

 

「これで――ええい、ここでか!」

 

 二体の神獣を無力化一歩手前にまで追い込んだその時、突如として海上に女神のシルエットが現れた。何をするつもりかと秋雅が睨む中、女神のシルエットは優雅に腕を一振りする。すると、その動きに合わせるようにして天より火の粉が舞い落ちてきた。それが海上に在る巨鳥と大蛇の胴に当たった時、その変化は生じた。

 

 大蛇はその全身を白く輝かせた後、まるでゴムのようにその身体を数倍にまで伸ばす。巨鳥の方はその全身が爆炎に包まれ、まるで不死鳥の如く死に体であったはずの巨躯を再び大空へと舞い上がらせる。

 

「女神の力を受けて復活したというわけですか……」

「力も増していると見るべきだろうな。随分なおもてなしだな、女神よ!」

『ふふふ、火の女神とその下僕相手にここまで見事な器量を見せていただけたのです。私の方もそれに応えるのが相応というものでしょう!』

 

 天を仰いで吠えた秋雅に、女神の声は可憐さを崩すことなく答える。

 

「応える、か。ならば名の一つ、姿の一つも現して欲しいものだがな! 主催にしては些か礼儀を知らぬと見える!!」

『うふふ、みだりにその身を晒さぬのが乙女というものです。どうか私のことは火の女神とお呼び下さいませ』

 

 火の女神。その言葉を口の中で転がした後、秋雅は傍らのアリスを見る。霊視を持つ彼女ならば真の名も分かるか、という期待の込めた視線であったが彼女は残念そうに首を振る。どうやら彼女をもってしても、この秘密主義の女神の正体は様と知れぬらしい。

 

『久方ぶりに見出した勇士が神殺しであったとは……これも星の導きなのでしょう。ふふ、私はこの出会いに運命を感じます。勇士よ、御名を教えて下さいませ!』

「稲穂秋雅、それが私の名だ。真名も言わぬ女神にはもったない名前だがな」

『うふふ、稲穂様は誇りある方でいらっしゃるのね。確かにそうまで言われると、私も罪悪感を覚えないでないですわね。でしたら稲穂様、どうか私の招待に答えて下さいませ。余人のおらぬ場所にて二人きり、私の名も含めて楽しく語り合いましょう。ご安心を、私の方に稲穂様を害するつもりはございませんから』

「光栄だが、生憎と神獣を使いに出すようなものと語り合う趣味はない。本当に私と一時を過ごしたいと言うならば、剣ではなく握手でもってするがいい!」

『それも道理でしょう。しかし、稲穂様は無双の勇士たる方。招待を拒まれでもしたら大変です。前もって腕の一本や二本ももいでおかないと不安ですもの!』

 

 女神の凄まじい理屈に、秋雅も思わず顔を顰める。やはりまつろわぬ神と言うべきか、かなり歪んでいる(・・・・・)ようである。

 

『さあ、私の愛しい子たち。稲穂様を私の元に誘って頂戴!』

 

 女神の言葉を受け、巨鳥と大蛇が咆哮をあげる。休憩時間はもう終わり、後半戦が始まったというところか。復活した二体の神獣は、今度こそと言わんばかりに秋雅に向かって迫り来る。

 

「そうそう誘えると思うなよ! 兵よ、雷雲よ、此度こそ確実な終焉をもたらせ!」

 

 秋雅の命を受け、雷雲と兵達もまた動き出す。それらはよりいっそう苛烈さを増した面攻撃を放つものの、復活した神獣たちはこれを捌ききり、勢いを止めることがない。

 

「ならば次の一手を打つまで! 我が命の下、今こそ立ち上がれ!」

 

 突如、地面が揺れる。身体の奥底にまで響く音と共に、海中からそれ(・・)が立ち上がる。

 

「目覚めろ――弁慶!」

 

 体長十数メートル。僧服らしき格好に七つの長物を背負い、その巨人――武蔵坊弁慶が立ち上がる。無数の土人形と、この巨躯を自在に操る。それこそが秋雅が新たに簒奪した権能、『兵どもはここに在り』(ソルジャーズ・オブ・ザ・クレイ)の能力であった。

 

「弁慶よ! 我が炎と共に、我が敵を打ち倒せ!」

 

 秋雅の命令を受け、弁慶は迫り来る大蛇に大太刀を振るう。刃先に破壊の炎を乗せたその一撃を、大蛇は突進を止めることで回避した。復活したとはいえ、いや、復活させられる羽目になったからこそ、破壊の炎による痛烈な攻撃が忘れられないのだろう。その一挙一動を見逃さぬと言うように、一定の距離を保ったまま大蛇は弁慶とにらみ合いを始める。

 

 対し、残った巨鳥の方は真っ直ぐに秋雅の方に向かって来る。どうやら弁慶の相手は大蛇に任せ、自分だけで秋雅を討とうというつもりであるらしい。

 

「舐めるな!」

 

 そんな巨鳥に対し、秋雅は怯みもせず『我は留まらず』を使用する。雷鎚を構えたまま転移した先は、文字通り巨鳥の眼前。ぎょっと目を見開く巨鳥に口角を上げながら、秋雅は迫り来る巨鳥に向かって雷鎚を振るう。

 

「ハアッ!!」

 

 気合と共に放たれた一撃は、巨鳥がまとう炎を掻い潜り、見事そのくちばしを直撃した。圧倒的なまでの質量差のある両者だが、雷鎚の破壊力はそれを無視し、一方的に巨鳥の方を吹き飛ばすことに成功する。

 

「まだまだ!」

 

 悲痛の声を上げながら吹き飛ぶ巨鳥に、秋雅は追撃の手を緩めない。再度の転移を行い、その無防備な胴体を狙う。無論、巨鳥も何もせずに落下しているだけではない。全身を覆う炎を操り、秋雅を焼き尽くそうとする。

 

「破壊の炎よ! 我が衣となり、我に仇なすものを焼け!」

 

 秋雅の全身が炎に包まれる。しかしそれは巨鳥の攻撃が当たったからでない。特定対象のみを焼く『義憤の炎』を先んじて纏い、巨鳥の炎に対する攻勢の防壁を作ったのだ。

 

「再び落ちろ、不死鳥!」

 

 巨鳥の炎を焼き返し、秋雅は巨体の腹に再度の雷鎚を叩き込む。鈍い音を周囲に撒き散らした後、巨鳥は苦痛の声と共に落下速度を更に増加させる。しかも、この一撃がもたらすのは何も巨鳥の墜落だけではない。インパクトの方向を調整することで、秋雅は巨鳥の落下方向を弁慶の背に向かわせていた。

 

 それはつまり、

 

「今だ、弁慶!」

 

 秋雅の命令に、弁慶がその巨躯を大きく動かす。それにより、弁慶の巨躯で塞がれていた巨鳥と大蛇間の障害物が消失することとなる。数瞬先の未来を悟ったらしい大蛇が慌ててその場を離れようとしたものの、それよりも早く、秋雅は再び雷鎚を構える。

 

「これで――終わりだ!」

 

 三度の打撃。巨鳥は最高潮にまで達した落下速度のまま、海上にある大蛇に激突する。その衝撃たるや凄まじく、激突によって生じた衝撃波は弁慶をもぐらりと揺らがせるほどだ。

 

 しかし、それを受けた神獣たちの被害たるや、弁慶などの比ではなかった。何度となく打撃を受け続けてきた巨鳥はついに生命を失い、その巨躯を塵と化す。大蛇も身体の奥底にまで衝撃を受けたのか、弁慶が近寄ることも出来ぬほどにその巨体を大きくくねらせ、その場でのた打ち回る。

 

「二枚抜きとは行かなかったが……」

 

 もはや大勢は決したと、弁慶の肩の上に転移した秋雅は勝利を確信する。無論それはあの女神が動かなかったらという条件下での話だが、秋雅の直感はこれ以上の戦闘がないだろうということを彼に告げていた。そして、それを証明するように、女神のシルエットからは驚嘆と歓喜に満ちた声が降って来る。

 

『なんと猛々しい! それでこそ私の稲穂様ですわ! 貴方様の御力、とくと見せていただきました。どうやら稲穂様を歓待するには相応の備えが必要な模様。稲穂様、またの再会を楽しみにしておりますわ!』

 

 その言葉と共に、女神のシルエットは消え去った。秋雅の身体に満ちていた闘争の気が消えた所を見るに、どうやら完全にこの場から離れてしまったらしい。女神を追うように海上を力なく滑り逃げる大蛇をしばし睨んだ後、秋雅は追撃をすることもなく岬へと転移する。

 

「お見事でした、稲穂様」

「流石は稲穂さん、危なげない戦いでした」

 

 土人形たちも還った岬で、戦いを見守っていたアリスと一時撤退していた三津橋が秋雅を出迎える。二人の賞賛の声に軽く頷いた後、秋雅は視界の端に逃げる大蛇を収めながら口を開く

 

「三津橋、逃げる神獣の追跡を手配しろ。わざとだろうが、ああも堂々と逃げてくれているのだ。到来時のものも含め、あの女神の拠点と思しき場所を割り出せ」

「畏まりました。平行して今回の情報の封鎖と隠匿も行わせます。それと、帰りの足についても急ぎ手配しましょう」

「頼む。流石に少しばかり疲れた。ゆっくりと休めるようにしてもらおう」

「はい、ご意向のままに」

 

 恭しく三津橋は頭を下げる。それに応えた後、秋雅は次にアリスへと視線を向ける。

 

「アリス殿。こうなった以上、貴女にも最後までお付き合い頂きたい。今回の戦いのオブザーバー役として、私から正式に依頼したいと思う」

「承りました。今回の件に関して一切の口外をしないことも同時に約束いたします」

「感謝する。英国での礼もある、ひとまずは私の家にお招きしたい」

「まあ、稲穂様のお家に? それは名誉ですわね」

「色々な意味で人を招くような家でもないが、それでもよければ来て頂こう」

「お供させていただきますわ、この戦いが終わるまで」

「では、そのように」

 

 ふふふ、と笑うアリスを連れ立ち、秋雅は海に背を向けて歩き出す。そのまま、数歩ほど歩みを進めた秋雅であったが、ふとその足を止め、背後を振り返る。その視線の先にあるのは、じっと秋雅を睥睨する弁慶の姿がある。

 

「……次は、お前にも存分に戦ってもらう。今は、休め」

 

 見せ札以上の仕事をさせてやれなかった巨人に言葉をかけて、秋雅は再び歩みを進める。そんな彼に対し僅かに頭を下げ、弁慶はゆっくりと海に沈降していく。そんな従僕の姿を背に、秋雅は今度こそ帰宅の路に着いたのであった。

 

 

 




 原作とは逆の神獣を倒しつつ、秋雅と女神の戦いの始まりです。原作と違って『弓の御霊』が現時点で出てきていないのは、戦いが関東に集中していた原作と異なり、秋雅によって日本中で戦いが起こった為に勇士の気配を探りきれなかったから、としています。神獣が探し回っていたのも、火の女神が日本を探る為の中継役のような事をしていたからです。




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南洋到着





 潮の香りと、波の音。足元から感じる揺れに、眩しい陽射し。豪華な大型クルーザーの船首にて、それらの海の証を五感で味わいながら、秋雅はしみじみと呟く。

 

「やれやれ、我ながら忙しない」

 

 果たして、ここ数日でどれ程乗り物を利用しているのか。空を飛行機、海を船と、一週間も経っていないにもかかわらず、陸に足をつけていない時間が随分と多い。単純な回数と、跨いだ国の数を考えると、思わず呆れや疲れの混じったため息をついてしまう。

 

 そんな彼のぼやきを聞きつけたのだろう。肩に乗せられた手と共に、秋雅は耳元で囁かれる。

 

「……だったら、さっさと片付けて帰らないとね」

「ああ、そうだな」

 

 そうだな、ともう一度口に出して、秋雅はゆっくりと振り返る。するとクルーザーの奥の方、何かを話し込んでいる五月雨とアリスの姿が見える。そんな二人に気付かれないようにしながら、秋雅は目の前に立つ女性――ウル・ノルニルに対し、柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 何故、秋雅が洋上にて船の旅を味わっているのか。その理由は、今から十数時間ほど前、三津橋からの一報に端を発していた。

 

『――敵の拠点が判明しました』

 

 秋雅が神獣を撃退したその日の夜のことだ。アリスとウル達の顔合わせも十分に済み、全体的に見れば気の合ったらしい彼女らが交わす何気ない会話。その最中に、先の連絡が届いた。

 

「ご苦労。悪いがこちら――私のマンションまで来てくれ。仔細はここで聞く」

 

 時刻としてはもう九時を越えた頃合であったが、そんなことを気にしていられる状況でもない。場所をセッティングするのも面倒だという意味も込めて、有無も言わせずに秋雅は命じる。

 

『畏まりました。急ぎ、お伺いさせていただきます。五月雨室長もお連れするつもりですが、構いませんか?』

「任せる」

『では、三十分以内に』

 

 そう言って電話が切れた。告げられた時間から察するに、既にこちらへ移動している最中らしい。五月雨の名を出したのも、おそらくは彼女が運転手を勤めていると言ったところなのだろう。秋雅の判断を読んだ上の、迅速で無駄のない対応だ。

 

「相変わらず、よく分かっている」

 

 小さく褒めつつ、秋雅も受け入れの準備を始める。マンションのワンフロアを丸々所有している彼は、応接用として一部屋を備えている。そちらに移動しつつ、他の面々にも声をかけるなどして、秋雅は三津橋を待つ体勢を整えていく。

 

 そして、秋雅が全ての準備を整えた頃。三津橋と五月雨は秋雅のマンションを訪れた。

 

「……何だか、肩身の狭い感じがしますね」

 

 到着して早々、客人用のソファに腰を降ろしながら、三津橋はそんなぼやきを漏らした。無理もない、とその言葉を拾った秋雅は心の中で頷く。それが納得出来る程度には、この部屋の男女比とその配置は圧倒的であった。

 

 まず男性側は、秋雅と三津橋が相対してソファに腰を降ろしているのみ。対して女性側は、三津橋の隣に五月雨、秋雅の両側にそれぞれウルとアリスが腰掛けており、その後ろにはヴェルナとスクラがソファの背もたれに軽く身体を預けながら立っている。更には紅葉と椿がその隣で、きっちりと背筋を伸ばして待機していた。男女比にして二対六、秋雅はともかくとしても、三津橋からすれば多少の圧迫感も覚える配置だろう。

 

 とはいえ、それで怯むほど三津橋も女性慣れしていないわけではないらしい。コホンと軽く咳払いをし、彼は表情を切り替えて口を開く。

 

「敵の――火の女神の拠点ですが、どうやら南シナ海にある無人島の一つのようです」

「南シナ海?」

「ええ。そこに大小様々な島が百以上集まる海域があるそうなのですが、そのうちの比較的大きな一つであると。数日ほど前に突如として二体の神獣が出現し、その後出立と帰還をしたことが確認されています。勿論、帰還してきたのは大蛇の神獣のみだそうですが」

「あれで二体とも健在では私の立つ瀬がないからな。しかし……南シナ海か」

 

 はて、と秋雅は心の中で首を傾げる。その理由は、南シナ海というワードにどうにも覚えがあったからだ。言うまでもないが、一般常識的な知識としての覚えではない。カンピオーネとしての活動の中で、何か聞いた事があった気がしたのだ。

 

「やはり、引っかかりましたか」

 

 そんな秋雅の疑問を察したように、三津橋は深く頷いた。

 

「以前にも南シナ海という単語を報告に載せた事がありました。今からもう、三年ほど前のことです」

「…………ああ、あの時か」

 

 三津橋の言葉に呟きつつ、秋雅は大きく顔を顰める。そんな彼に態度に、ひょっとしてとヴェルナが声を上げる。

 

「その反応、私達――いや、あのアレクサンドルが関わっていたりするの? 三年前って言うと、時期的にはピタリだけれど」

「そうだ」

 

 嫌な事を思い出した。そんな感想を抱きながら、秋雅はため息と共に頷く。同様に、当事者であるノルニル三姉妹、そしてアリスもまたそれぞれの度合いで顔を顰める。そんな嫌気の混じった雰囲気に興味が湧いたのだろう。背後の紅葉と椿から、それぞれに困惑や関心に満ちた視線を秋雅は感じ取る。当然だな、と思いつつも、今はその時ではないと軽く片手を上げることで示す。どうやらそれは彼女たちにも伝わったようで、すぐに二人からの視線は通常のそれに変わる。

 

「察しがいいのは良いことだ……」

 

 小声で呟きつつ、さてと秋雅は改めて気分を切り替える。

 

「当時の報告は確か、南シナ海に島が出現したとかいうものだったか? その後、あの愚者がらみの事件が起こった所為で、結局なあなあになっていたと記憶しているが」

「ええ、まあその通りです。ある日、確かに何もなかったはずの場所に突如として無人島が発生した、というような報告でした。まともに考えれば超常の存在の仕業だろうということで報告しましたが、稲穂さん自身の事情、そしてその島から何が出てくるわけでもなかったことから、詳細な調査は行われませんでした。元々、委員会は『外』への干渉能力も低いですからね。とりあえず現地の魔術師達に経過観察を依頼し、何かあれば報告して欲しい、ということで半ば放置されていました」

「ということは、特に何もなかったと?」

「そういうことです。いえ、正確に言えばあるにはあるのですが、それが外向きの事象でなかったため、積極的な脅威とは見られていません」

「外向き?」

「……思い出しました。確か、一度入ると中々出られない、というものでしたね? 以前、小耳に挟んだ覚えがあります」

 

 ここで、アリスが口を挟んだ。突然の口出しではあったが、三津橋はさして臆することもなく自然な素振りで同意する。

 

「はい、その通りです。一度入ってしまうとそれはもう迷ってしまい、何日かかけてようやく浜に辿り付けただとか、そういう話ですね。迷いの島、とでも呼ぶべきでしょうか。結局は中に入らなければ無害ということで、現地の魔術師などからは触らぬなんとやらという扱いを受けているんだとか」

「ふむ…………もしや、その島が?」

「ええ、その島が神獣の帰還先です」

 

 なるほど、と秋雅は思案顔を浮かべる。

 

「女神が島を造ったのか、あるいは誰かしらが造った島に女神が移り住んだのか」

「それは、今はどうでもいいことかと。ここで考えるべきはこの後の対応ではないでしょうか」

「……確かに、アリス殿の言が正しいな。三津橋」

「手配は済ませていますよ。プライベートジェットは何時でも出発可能な状態、ご希望なら今すぐにでも可能です。その場合、空でお休み願う必要がありますがね」

「よし、では使わせてもらおう」

 

 強行軍になるが、致し方ない。今すぐにでも出発しようと腰を上げかけた秋雅であったが、その手を隣に座るウルが引き止めた。

 

「どうした?」

「私も着いていくわ」

 

 簡潔なウルの宣言。それを聞いて、秋雅は思わず驚きから目を見開いた。義経戦のような突発的な遭遇戦を除き、ノルニル三姉妹は基本的に秋雅の戦い――まつろわぬ神の討伐のことだ――に着いていくことはない。三人ともが自分の実力を弁えており、神獣相手ならともかくとしても、まつろわぬ神との戦いでは役に立たないと分かっているからだ。足手まといになるくらいなら留守番をする、という選択を拘りなく選べるのが彼女たちである。

 

 そうであるにも関わらず、今回は着いてくると言う。どういう意図だろうか、と一瞬考えた秋雅であったが、すぐにその思考を止めて微笑む。こういう時のウルには、彼女なりの行動の根拠がある。それを知っている秋雅としては、ここで取るべき選択は一つしかない。

 

「分かった。着いて来い」

「ありがとう。足は引っ張らないようにするわ」

 

 掴まれていた手を一度解き、今度は自分からウルの手を掴んでその身体を引き上げる。断られるとは微塵も思っていなかった、という風にウルの動きには一切の淀みがない。秋雅がウルならばいいか、と自然と思ったと同じく、ウルのほうもまた、秋雅なら連れていくと信じていたのだろう。

 

 それに、ウル自身は謙遜した事を言ったが、実際の所、ウルの実力と言う奴は確かなものがあった。普段はあまり戦う素振りも見せないから分かり難いが、武術においては秋雅より上、どころかヴェルナとスクラの三人がかりでようやく同格か、という所なのである。柔らかく、温和な気質然とした女性であるが、確かな腕を持った武人でもあるのだ。やはりまつろわぬ神と直接相対するのは難しいだろうが、その配下の神獣くらいならどうにか出来ないこともないだろう。少なくとも、身を守る程度のことは出来るはずだと秋雅は思っている。

 

「とはいえ、これ以上は無理だ。ヴェルナ、スクラ、分かっていると思うがお前達は草壁姉妹と共に留守番を」

「分かっているって」

「身の程は弁えているわ」

 

 ヴェルナたちが理解を示すと共に、紅葉たちもまた頭を下げることで了承を示す。それを確認し、秋雅が今度はアリスに目を向けると、彼女もまた小さく頷いた。

 

「稲穂様、私は一度別行動をしたいと思います。合流は直接現地で」

 

 このまま霊体のまま同行するのも不便であるので、一度肉体に戻ってから改めて移動する。アリスの言葉の意味を秋雅はそのように受け取る。それをそのまま口に出さなかったのは、三津橋や五月雨といった事情を知らない者がいる――ちなみにウル達は既に把握している――からだろう。

 

「了解した。では一つお頼みしたい事がある」

「何でしょうか?」

「賢人議会から現地の魔術師達に渡りをつけておいて貰いたい。向こうに着いた後、話がスムーズに進むようにな」

「承りました。現地の協力者に話を通しておきましょう」

「感謝する……では、三津橋」

「いえ、私は残ります。今回も五月雨室長をご同行ください。プリンセスもご同行される以上、僅かでもこちらも『格』を上げておくべきでしょう」

「正史編纂委員会の一室長では不足にも程はあるでしょうが、どうかご了承いただければと思います」

「ふむ…………分かった。ならば五月雨室長に頼むとしよう」

 

 少しばかり考えた後、秋雅は小さく頷いた。いずれこの国を出るということは、三津橋に伝えてある。おそらくその時が来たときに、彼女に秋雅の部下としての経験をさせておきたいという思惑があるのだろう。秋雅としても、彼女の手腕や戦闘能力は北海道の件で把握している。秋雅としても、彼女を引き込むというのは悪い考えではない。そう考えれば、当面彼女を起用するというのは十分にありな選択であった。

 

「ありがとうございます。道中の手配はお任せください」

 

 秋雅の了承を受け、五月雨は恭しく頭を下げる。こうして流れを見てみると、三津橋とどちらの方が上の立場であるのか怪しくなってくるが、それも後々経験を積んでいけばまた変わっていくことだろう。そう思いつつ、さてと秋雅は改めて告げる。

 

「では行こうか、諸君。我らの新たな敵を討ち、後顧の憂いを絶つ為に、な」

 

 その言葉を最後に残し、秋雅はすぐさまに日本を発った。その道中についてはさして語ることもないだろう。精々五月雨が、宣言の如く勤勉に諸々を処理していたことくらいだ。彼女の能力を再確認しつつ、秋雅自身はウルと共に悠然と空の旅を過ごした程度の旅路であった。

 

 かくして、夜と朝を機内で過ごしつつ、三津橋からの一報を受けた翌日の午前には、秋雅達は南シナ海の国――マレーシアへと辿りついた。より正確に言えばボルネオ島の北岸、コタキナバルという名の都市だ。例の島近辺で最大の都市であるそこを、三津橋は秋雅の戦いの橋頭堡とし、諸々の手配をしていたのであった。

 

『――ようこそ、稲穂様。といっても、私も着いたばかりですけれど』

『なに、先んじて入られていたならば迎えの言葉をかける権利はあるだろう』

 

 などという会話を、先入りし、再合流したアリスと交わしながら、秋雅は更に移動を続けた。かくして、現地の魔術師達が用意した足、つまりはクルーザーを使っての、迷い島への航海と相成ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、状況は?」

 

 笑みに笑みを返しながら、ウルが秋雅に尋ねる。先ほどまで船内に居たので、外の状況を知りたいのだろう。その過程で自分のぼやきにバッティングしたのだなと察しつつ、秋雅は頷いて口を開く。

 

「今は何も、だな。上も、下も」

「下?」

 

 不思議そうに、ウルが首を傾げる。そんな彼女の動きに何となく笑みを深めながら、秋雅はついと視線を海へと向ける。

 

「ああ、『兵どもはここに在り』で呼んだ兵士を海底で走らせているんだ。例の神獣もいるだろうからな、船の動きに合わせて周囲警戒をさせている」

「あら、そんなことをしていたの? 全く気付かなかったわ」

 

 感心したような声を漏らしながら、ウルが船縁から海を見下ろす。しかし、流石に兵士たちの姿は確認できないのであろう。特に何かを見つけたような素振りを見せることなく、その状態のまま話を続ける。

 

「良く海の中を追いつけるわね。工夫でもしているの?」

「出元の同じ馬に乗せているが、それだけだな。それでも権能、水中の抵抗にも負けず、上手くやってくれているよ」

「あちらに気付かれる可能性は?」

「気付かれるならこっちが先だろうな。何せ土人形にはほとんど気配がない。今は動いているから万全でもないが、止まっていたら早々気づかれんということは実証済みだ」

 

 そのデータを取らされたのは、何を隠そう、あの草薙護堂達である。彼らは終ぞ知らぬままであったが、例の事件の際、秋雅は護堂達の監視としてこの土人形達を使っていたのである。土に潜り待機することも、秋雅が彼らの視界を共有できることもあり、定点観測にはとても有用であったからだ。若き神殺しや大騎士、当代でも有数の媛巫女ですら気付けなかった以上、そう易々と見破られるものでもないと見ていい代物だと言えた。

 

「まったく便利なものね……と」

 

 ふと、ウルが視線を秋雅の背後へと向ける。連動するように秋雅が振り向くと、そこには難しい顔をしながら歩いてくる五月雨とアリスの姿があった。

 

「五月雨室長、アリス殿、何か問題があったのかね?」

「実は、船のクルー達がこれ以上先に進むのを渋っておりまして……」

「あの島に近づきたくない、ということか」

「ええ、まあ……」

 

 申し訳なさそうに告げた五月雨に、秋雅は視線を船の針路上へと向ける。数キロほど先に見える、正面に入り江、中央に小高い山を携えた島。例の迷い島であると伝えられたその島をじっと見た後、秋雅はまた視線を戻して言う。

 

「クルーは地元の人間達だったな」

「はい。自分達の目で突如として現れた様も、そこで何人もが迷った姿も見ていますから、どうしても気が乗らないとのことでして」

「とはいえ、彼らの言い分も理解できることです。そこで稲穂様にご相談を、と」

「相談も何も、行きたくないと言う相手に鞭を打っても仕方があるまい。もう視界には入っているのだ、ここからは自力で――」

 

 と、秋雅が眉を曲げながら言いかけた、その時であった。突如として、海の底から大揺れが船を襲ってきたのである。

 

「――なにっ!?」

 

 ギョッと、その場にいた全員が驚愕を顔に浮かべながら、咄嗟に近くの何かしらを掴んで堪える。そんな中でいの一番に動いたのは、意外にも五月雨であった。

 

「要石が如くたれ!」

 

 懐から一枚の、魔法陣らしきものが書かれた紙を勢い良く床に叩きつけながら、五月雨が叫ぶ。その効果、すなわち彼女がかけた魔術の結果は劇的であった。満足に動きも取れないほど揺れていたクルーザーが、彼女の命の後はピタリとその動きを止めたのである。

 

「――船を固定しました! ですが、そう長くはもたないかと!!」

「十分だ!」

 

 短く答えて、秋雅はトンと床を蹴ってクルーザーの天井に飛び乗る。そのまま見渡すまでも無く、何が原因であるのかは分かった。船のすぐ傍、秋雅達とは逆側の海面に、あの大蛇が浮かんでいたのである。予兆も何もかも分からなかったところから見ると、おそらくは転移なりをしてきたのだろう。

 

「チッ、奇襲か!」

 

 能力的に、大蛇が能動的に転移してきたということはあるまい。火の女神に気付かれ、彼女の術によって送り込まれてきたと考えるのが自然。こちらがあちらを見つけるよりも早く、彼女の目は秋雅達を捉えていたのだ。

 

「だが、備えていないわけではないぞ! 立て、弁慶!」

 

 ガクンと、大蛇の姿が海中に落ちる。驚く大蛇がもがく中、ぬっと海中から巨躯が現れる。大蛇の胴体を握っていた手を離しながら、巨躯――弁慶は大太刀を構える。

 

「撃退せよ!」

 

 秋雅の命を受け、弁慶が大太刀を振るう。風切り音と共に振るわれた大太刀を、大蛇は咆哮を上げながら避ける。奇襲をした側でありながら思わぬ迎撃を受けたからか、その動きはいくらか鈍い。弁慶に任せてもどうにかなるだろうか、と秋雅が思う中、

 

「稲穂様!」

 

 眼下から、アリスの焦りに満ちた声が届く。何事か、と見下ろせば、彼女はその指を先にある例の島へと向けている。

 

「あちらの海岸に神の気配があります! 弓と()を携える、流浪の英雄です!」

 

 その焦燥の満ちた声に、秋雅は船首に飛び降り、その先をじっと見える。無論、そのままでは数キロも先の何某かなど見通すことは出来ない。

 

「食されしものよ、我に千里先を見通す眼を与えん――!」

 

 バチリ、と秋雅の目元を紫電が走る。『実り、育み、食し、そして力となれ』と、そして通常の魔術を同時に使用することで、秋雅はようやくとその姿を見つけた。

 

「――あれか!」

 

 島の正面にある入り江のさらに奥。そこに見えたのは、ぼんやりとした輪郭を持つ人影であった。距離からではなく、事実としてそれは形をはっきりとさせていない。おそらくは五メートルほどであろうかというその人影の手の中には、その体長と等しい長さの弓と、それにつがえられた二メートルほどの鉄箭らしきものがある。

 

 既に引き絞られたその箭が行く先。眼を凝らすまでも無く、秋雅にはそれが自身を真っ直ぐに狙っていると察せられた。

 

「させるか!」

 

 叫び、秋雅はその手から雷を放つ。轟音と共にそれが放たれたと同時、人影もまた箭を放った。

 

 轟雷と鉄箭が、海上にて激突する。そして、一瞬の膠着の後、

 

「――ちいっ!!」

 

 秋雅の舌打ちと共に、箭が雷を食い破った。

 

 

 








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上陸と開戦






 雷を突き抜け、光を背に迫る鉄箭。それに対しまず動いたのは、相対する秋雅ではなく、その背後にいたウルであった。

 

「――シュウ、私に!」

 

 何時になく緊迫した声と共に、ウルが秋雅に向かって駆け出す。発したのは僅かな声であったが、秋雅には彼女の意図が瞬時に理解できた。

 

「しくじるなよ!」

 

 その場から飛び退りながら、秋雅は『召喚』の魔術を使い、素体状態のトリックスターを呼び出す。常と違い、秋雅の手の中ではなく空中に現れたそれは、秋雅の意思のままに、長剣へと姿を変える。

 

「研ぎ澄ませ、雷!」

 

 宙で回転するトリックスターの刀身を、後退の動きと共になぞる。すると、秋雅の指の動きに沿うように、トリックスターの刀身に雷が纏わり着いていく。権能による刃の強化だ。一秒と満たぬ間の後、秋雅は刃先にまでたどり着いた指をついに離す。そして、秋雅と入れ替わるようにして、ウルが前に出た。

 

「――使え!」

「ええ!」

 

 宙にあり、雷を纏いながら回転する長剣を、ウルはすれ違いざまに掴み取った。もはや目の前にまで迫った、高速の鉄箭。秋雅と射抜かんと走るそれに、ウルは紫電奔る長剣を逆袈裟に振り上げる。

 

「シッ――!」

 

 キ――と甲高い高音。次の瞬間、二つの激突音と共に、クルーザーの壁に二つの物体が突き刺さっていた。まるで鏡合わせのように突き刺さっているのは、鉄で出来た半身の箭の残骸。優れた武器と権能の補助、そして何よりも、ウルの妙技によって得られた結果であった。

 

「シュウ!」

「分かっている!」

 

 ウルの声に応えながら、秋雅は彼女の肩口から手を伸ばす。その手には拳銃――神鳴りがあり、その銃口からは僅かに閃光が漏れている。

 

「調整!」

「――ここ!」

 

 ウルに肩で僅かに押された銃身を、秋雅はピタリとその場に固定させる。位置を定めた銃口の先にあるのは、数キロの先にある人影の胸。生物としてみれば、心臓があるだろう場所だ。

 

「雷よ、今この時は槍となれ――!」

 

 その言葉と共に、秋雅がトリガーを引く。次の瞬間、閃光と轟音を纏い、銃口より雷が放たれた。弾丸のように回転し、まるで槍のように鋭さを増しながら、雷は神速で宙を走る。

 

 あるいはこの時、人影は――追撃か、あるいは迎撃として――二の矢を放とうとしていたのかもしれない。しかし、結局それは定まる事がなかった。人影が何かをするよりも早く、秋雅の雷槍が見事、その胸を射抜いたからだ。

 

「やったか……?」

 

 秋雅が眼を凝らす中、すう、と人影の姿が消える。いっそいぶかしむほどにあっさりとしていたが、そのまま数秒ほど警戒を続けてもさして何が起こる素振りもない。

 

「……やった、みたいね」

「らしいな…………と、あちらもか」

 

 横合いで行われていた、大蛇と弁慶の戦い。こちらもまた、いつの間にか決着がついていたようであった。静けさを取り戻しつつある水面にあったのはただ弁慶一体のみであり、あの大蛇の姿は何処にも見受けられない。弁慶との戦いの末、海中に没したか消滅したしたのだろう。ただ流石に無抵抗のまま、というわけではなかったらしく、弁慶の左腕も肘の先ほどから消滅してしまっていた。

 

「……腕一本と引き換えとはいえ、私の援護がなくても倒しきったか。どうやら、かの女神はまだ小手調べをしているらしい」

 

 舐められたものだ、と秋雅は僅かに吐き捨てるように言う。二面攻撃ではあったものの、いまいち連携が取れていたようでもない。出現時にこそ術を使っていたようだが、その後は以前に見せたような強化をするでもなく、静観を決め込んでいる。どうも、あの火の女神とやらは未だに秋雅と腰を据えて戦う気がないらしい。

 

「となれば、やはり乗り込むしかないんだろうが……」

 

 ちらり、と秋雅は背後を見る。鉄箭の半身が突き刺さる壁の奥に見えるのは、戦々恐々とこちらを見る現地の魔術師達の姿。先の五月雨との会話を踏まえれば、どうやってもこれ以上の直接的な協力は望めないだろう。

 

「……仕方がない。弁慶!」

 

 秋雅の命を受け、弁慶がその巨体を屈める。差し出された右の掌に秋雅がふわりと飛び乗ると、ウルもまた同じようにして続く。それをチラリと横目で見つつ、もう一人呼ばなければ、秋雅は振り返りながら口を開く。

 

「アリス殿――」

 

 振り向き、誘おうとしたその時、呼び人の姿は宙にあった。誤魔化しのためか、浮遊可能な霊体の特性を生かすでもなく、律儀に飛行術を使って彼女はふわりと秋雅の隣に着地する。

 

「及ばずながら、お供させていただきます」

 

 そう言って、アリスはにこりと微笑む。彼女の素早い行動に軽く片眉を上げた秋雅であったが、すぐさまに視線をもう一人の同行者である五月雨へと向ける。

 

「五月雨室長、君は他の者達を率いて一旦街へと戻ってもらう。こちらから連絡を入れるまでは迂闊に近寄らないように徹底をしておいてくれ。それと、島に何が起ころうとも、民に混乱が撒き散らされないように事前の手配も頼んでおく」

「……はっ、畏まりました」

 

 一拍の沈黙の後、五月雨は秋雅に頭を垂れた。彼女が見せた、僅かな間。それが、何故自分は同行出来ないのか、という思いから来たものであるということはすぐに察せられた。

 

 だが、そんな彼女の態度は秋雅にとってむしろ歓迎すべきものであった。それは彼女が醸し出した残念という思いが、同行できるウル達への妬みではなく、その力量の無い自分への悔しさから来たものであると感じられたからだ。前者では彼女が伸びることは絶対にないが、後者であればそれは成長へのバネとなりえる。まだ未確定であるが、誰にとっても悪いことにはならないだろうと、そういう分析が秋雅の中にはあった。

 

「……五月雨室長、異国での手配である以上は君の負担も大きいことになるだろう。必要と感じれば何時でも私の名代であると主張しても構わない。私には出来ぬことを出来る君の、その活躍に期待している」

 

 念のためと付け加えた言葉に、五月雨が今度は無言のまま礼をする。秋雅の意図が伝わったということか、その表情には先ほど失いかけていたやる気の色が見受けられる。これならば問題も無いだろう。その事を確認した秋雅は、今度こそ視線を島へと戻し、配下の巨人に命じる。

 

「行け、弁慶」

 

 秋雅の命の下、弁慶がゆっくりと歩みを進める。移動に合わせ、上へ下へと揺れる掌で、秋雅がじっと島を見つめていると、ふとアリスが口を開く。

 

「少し、意外でした」

「何がだろうか」

「ウルさんの腕です。まさか、あれほどの使い手であったとは、思ってもいませんでした」

「ああ……」

 

 だろうな、と秋雅はアリスの言葉に納得する。普段の言動や纏う雰囲気から、彼女から戦いの気配を察するのはそう容易いことでもない。案外と好戦的なところを見せる妹達と違い、ウルがそういう素振りを見せるというのは滅多に無いというのは事実だ。

 

 しかし、実際は見ての通り、その道の達人と遜色ないだけの実力を彼女は有している。それこそ、それなりにやる(・・)秋雅、それぞれに特異性を持つヴェルナとスクラでさえ、三人がかりでどうにか対応できるかどうか、というほどだ。間違いなく、稀代の実力者と評していい人材だろう。

 

 だが、

 

「そう単純でもないんだよ……」

 

 小さく、秋雅は口の中で言葉を転がす。確かに、ウルは実力者だろう。大騎士、あるいはそれ以上の相手であろうとも、彼女の技の冴えを超える者はそういまい。ただ、そんな彼彼女らと比べて、ウルが決定的に劣る点もまた存在していた。

 

 例えば、の話である。仮に人の能力というものを、生まれ持っての才能と、生まれた後の努力の複合であるとしよう。才能が努力によって引き伸ばされるのか、あるいは努力が才能によって後押しされるのか。どちらにせよ、その人物の能力の合計が才能と努力の合算であるとするならば、おそらく努力というのはその人の能力値の内、才能の部分を除いた空白部分を埋める作業になるのだろう。そしてその空白というのは、たとえ一つの要素に限ろうとも、一生をかけたところでそう易々と埋めきれるものではないのが現実だ。

 

 では、ウル・ノルニルという美女はどうであるのか。答えは、『埋まりきっている』だ。しかも、努力の文字は一文字も無く、ただ『才能』の二文字のみで。

 

 それがどうした、と思う者もいるだろう。事実、秋雅ですら、当初は感嘆の感情の方が大きかった。その才能が凡百のものではなく、紛れもなく天才のそれであったのだから尚更だ。しかし、今はそうではない。今秋雅が感じている、ウルの能力に対する感想は――

 

「――まったく、不憫な」

「はい? 何か仰いましたか?」

「いや……」

 

 何でもない、と告げ、秋雅は口を噤む。意味深で、何処か歯切れの悪い彼の態度に、アリスはいぶかしむような視線を向ける。しかし、弁えているということなのか、それ以上を口に出すことは無い。

 

 その代わり、ウルが動いた。そっと秋雅の腕を取り、そこに身体を委ねるように抱きつく。ただし、それ以上は何もしてこない。ただひたすらに無言で、秋雅と視線の行く先を合わせる。

 

「……着いたか」

 

 その状態のまま、しばし。ついに弁慶が件の島にたどり着いた時、秋雅はようやく口を開いた。正面の砂浜、先ほど人影が弓を放っていたらしい場所。そこで秋雅はウルと共に弁慶の掌から飛び降りる。それにアリスが続き、幽体らしくふわりと着地したのと確認したところで、秋雅は背後にそびえる弁慶に告げる。

 

「大儀だった。今は休み、身体を癒せ」

 

 その言葉を受け、弁慶の巨躯が水面へと沈んでいく。その姿の全てが海中に没したのを見届け、秋雅は改めて島を見やる。

 

「さて、上陸してみたが……」

 

 左右に視線を向けながら、秋雅は呟く。海辺からすぐには、視界一杯に広がるマングローブ林。その更に奥には、標高として七百メートルはあろうかという山が存在感を発している。ただまあ、秋雅が今必要としているのは、そのような情報ではない。件のまつろわぬ神、火の女神と名乗ったかの存在の所在であった。

 

「一先ず、言葉をかけてくる素振りもないか。どうやらかの神は、玄関口で談笑するタイプではないらしい」

 

 などと嘯きながら、秋雅はアリスに視線を向ける。その精神感応力で島内を探ってもらえないだろうか、という意味を込めた視線。無言のそれを、アリスは上手く察してくれたらしい。秋雅に対して頷いてから、集中するように目を閉じる。しばしの後、目を開けた彼女であったが、その表情は芳しいものではなかった。

 

「……申し訳ありません。目に見える範囲はともかくとして、ある程度森に入ってしまうと、急に重く(・・)なります。島の隅々をここから探る、というのは出来そうにありません」

「仕方ない、か」

「ただ、あの山から強烈な神気を感じます。火の女神はあの場所におられるか、あるいはあの辺りを根城にしているのではないでしょうか」

 

 と、目の前にそびえる山を指差しながらアリスは言う。彼女の言葉に、秋雅もまた視線を山の頭頂部辺りに向ける。

 

「なるほど。では、一先ず真っ直ぐに進めばいいか」

 

 頷き、秋雅は言葉通り真っ直ぐに歩き出した。その後ろを、アリスとウルが大人しく着いていく。砂浜を歩き、マングローブ林を抜けると、気候に合った熱帯雨林へと植生が変わる。人道どころか獣道すらもなく、生い茂る木々に視界を塞がれつつ、障害を払いながら歩いていた秋雅達であったが、ふとその脚が止まった。

 

「む……」

 

 いつしか、周囲の景色が一変していた。鬱蒼とした熱帯雨林は消え去り、代わりにと広葉樹林が涼しげな様を示している。思わず空を見上げれば、先ほどまでと太陽の位置が違っていた。無論、太陽がいきなり移動したわけがない以上、考えられるのはただ一つ。

 

「どうやら、島内の別の場所に飛ばされたようね」

 

 周囲を観察しながら、ウルが呟く。そのようだ、と同意の言葉を紡ごうとした所で、秋雅はふと、アリスが顔を大きく顰めていることに気がついた。

 

「どうされた、アリス殿?」

「ああ、その……ひょっとしたら、とは思っていたのですが…………」

 

 何を思いついたのか、言いよどむアリスに対し、秋雅達は怪訝な表情を浮かべる。そのまま数秒の後、ようやく意を決したようにアリスが口を開く。

 

「この島なのですが…………おそらく、アレクサンドル(・・・・・・・)によるものかと思います」

「……なるほど、奴の『大迷宮』の権能か」

 

 アレクサンドル・ガスコイン。カンピオーネの一人にして、黒王子の異名を持つ、稲穂秋雅の敵。(・ )アリスの口からその名を聞き、理解できた事実を呟いた秋雅の声は、酷く平淡なものであった。それを聞いた途端、気圧されたようにアリスが一歩後ろに下がる。その様に、しまったと頭を軽く数度ほど振った後、常を意識しながら秋雅は口を開く。

 

「失礼した。しかし、それならば納得も行く。この迷いの場は、奴が何かの目的で仕込んだということか」

「……はい、おそらくは」

 

 ややぎこちなさが感じられるものの、アリスもまた秋雅の言葉に同意する。その上で、しかし、と彼女が更に続ける。

 

「『大迷宮』で一度造られた『場』には、使用期限があります。呪力の補給のない場合は、精々四ヶ月程度で消滅してしまうはずなのです」

「あの男が度々補充に来ていた……は、ないな」

「ええ。そういう地道な勤勉さとはあまり縁のない男です。全く無いとは言いませんが、ああも世界中を駆け巡っている中で寄るか、と言われると……」

「一度や二度ならともかく、三年にも渡ってというのは些か引っかかるものがある、か」

「もう一つ。彼の権能には島そのものを作り出すような効果は無かったはず。つまり彼は、何かしら別の手段を用いて、この島を生み出したということになります」

「別の手段か。神具か、はたまた…………火の女神、か」

『――その通りで御座いますわ、稲穂様!』

 

 突如として、空から覚えのある声と、無数の光の粒子が舞い降りてきた。ハッとした秋雅達が天を睨む中、光はまるで星雲のような渦となり、秋雅達に語りかけてくる。

 

『ふふふ、お久しぶりです、稲穂様。我が愛しき神殺したる方!』

「そうだな、火の女神よ。貴女のご招待を受け、ここに参上させてもらった」

 

 秋雅の全身に力が漲っていく。姿こそはっきりとは見えぬが、どうやら女神の本体もまた近くにあるらしい。素直に考えれば、この光の渦の中に身を潜めているのだろう。

 

「さて、火の女神よ。客人を今まで持て成さなかった事を僅かでも非礼と思うなら、私の質問に答えてもらおうか」

『あら、何で御座いましょう? 私、貴方様からの問いを突き放すつもりはありませんわ』

「では聞こう。この島を作り出したのは誰だ? 貴女か、それともアレクサンドル・ガスコインか」

『まあ、懐かしいお名前。そういえばあの方も当代の神殺し。お二人は知己でいらしたのね!』

 

 敵だ、と心の中で秋雅は言葉を返す。そんな彼の心情など知らぬままに、女神は更に言葉を紡ぐ。

 

『仰る通り。この島は神話の世を偲び、私が創造したもの。あの方――アレクサンドル殿が愛の証として贈ってくださった神具をもって』

「あのアレクサンドルが、愛………また、似合わないにも程がある言葉です」

「どうせ口八丁だろう。そもそも、愛の証であるならば、ここを迷宮とする意味が不明だ」

『それは、ちょっとした行き違いがあったのですわ。この島を二人で創り上げ、しばらく二人で愛の時間を愉しんでいたのですが……あの方ときたら、島での暮らしに飽きて出て行ってしまったのです。引きとめようとする私を、迷宮の権能を以って島へと閉じ込めてまで!』

「……ああ、つまり逆だったのね。侵入者を惑わすのではなくて、女神を外に出さないためだったと」

 

 そういうことか、と秋雅はウルの言葉に頷く。

 

「なるほどな。それで、女神が閉じ込められている間に、あの男はこそこそと逃げ出したわけか」

『ええ。如何に私といえど、この島の迷いの魔力を解きほぐすのに四日もかかったものでしたから……その間に、あの方は紫電となって何処かへと去られました。本当は迷宮となったこの島も打ち壊そうかと考えましたが、一度は愛した殿方の忘れ形見。故に、私はそのままこの島に住まいを構えたのですわ。そして……』

 

 心なしか、秋雅には光の渦の先から、誰かが自分を見つめているような感覚を覚えた。女神が自分を熱の篭もった目で見つめている。そんな感覚を、秋雅はふいに抱く。

 

『一体、幾年が経ったでしょうか。一人この島に留まり、新たな愛に相応しい相手を探し続け……そして、ついに稲穂様を見出したのです』

 

 ふふ、と女神の声が笑う。この部分だけを切り取れば、あるいは情熱的な、もしくは可愛らしい一面のある女性であると、そのような感想を抱くかもしれない。だが、と秋雅は心の中でそれを否定する。如何に意外な一面を見せられようとも、彼女はまつろわぬ神である。それを相手にしながら和むほど、稲穂秋雅という神殺しは愚かではなかった。

 

「そうか――だが、知ったことではないな!」

 

 言うや否や、秋雅は手にしたままであった神鳴りを光の渦に向かって撃ち放った。銃に下げられた状態から空に向かって構え、そのまま引き金を引くまで一秒とかかっていない。銃口からは炎が吐き出され、それは一発の銃弾の如く一直線に渦へと迫る。

 

『曙の光よ!』

 

 女神の言霊と共に、光の渦が天幕のように広がる。渦から幕へと姿を変えた光は、秋雅が放った炎をふわりと受け止めてしまう。

 

「む……」

「太陽に逆らった炎は、太陽を秘めしものに退けられてしまう…………」

 

 眉を顰めた秋雅の隣で、アリスが厳かに呟く。チラリと視線をやると、顔こそ光の渦へと向いているものの、その焦点は何処へと定まっていない。霊視による託宣か、と秋雅はすぐに勘付いた。

 

「なるほど、そういうことか」

 

 アリスの言葉の意味を理解し、秋雅は面倒くさそうに鼻を鳴らす。破壊神の炎、秋雅が『義憤の炎』と名づけたそれは、アステカ神話に出てくる神の一柱、トラウィスカルパンテクートリから簒奪したものである。この神の逸話として、同じくアステカ神話に出てくる太陽神トナティウが他の神々に生贄を求めた時、その所業に腹を立て、怒りをもって太陽に槍を投げた、というものがある。しかしこの時、放った槍は跳ね返されてしまい、逆に自身の頭に刺さってしまった。これよりトラウィスカルパンテクートリは、イツラコリウキという異なる姿の神へと変じてしまったという。

 

 かつて太陽神に敗れた神の権能と、アリスの託宣。その二つを混ぜれば、分かることは二つ。一つは、『義憤の炎』は太陽神の系譜には効果が薄くなる可能性が高いということ。そしてもう一つは、

 

「火の女神は太陽神に縁ある神、ということか。まあ、それならば――ちっ!」

 

 別の手を、と秋雅が次の行動に移ろうとした時、その耳が複数の音を捉える。木々をなぎ倒すような音と、地を揺らすほどの足音らしきもの。それが段々と、こちらへと近づいてきている。

 

『稲穂様、貴方様の配下は“弓の御霊”の一撃を防ぐほどの手練れ。故に私も、更なる手勢を用意させて頂きました』

 

 女神の愉しげな声と共に、ついに物音の正体が姿を現した。体長にして十四か十五メートルほどの巨人。筋肉質な全身と、それ以上に目立つ頭部の独眼。その神獣の名を、ウルが口の端に載せる。

 

「サイクロプス……ギリシア神話風に言うならば、キュプクロスかしら。まったく、神獣のオンパレードね」

『さあ、稲穂様。そちらの下女の相手はこの子に任せ、貴方様はこの私の手をお取り下さいませ。貴方様の如き勇士には、愛するに相応しき相手がおりますことよ!』

「相応しい相手、ね……」

 

 女神からの誘いの言葉。それに対する秋雅の返答は、不愉快そうな一瞥と、心底下らぬと言いたげな嘆息だ。そんな彼の肩に、ウルがそっと手をおき、囁く。

 

「あのデカブツは私がするわ。シュウは女神の相手に専念して」

「この程度、纏めて相手できるが?」

「あの女神、多分まだ札を持っている。不測の事態に備える為にも、完全に役割を割り切った方がいい。安心して、足止め以上の事はしないから。まあ、そもそも出来ないけど」

「……分かった、頼む」

「ええ。そっちも、上手くあちらの情報を引き出してね。必ずしも必要無いにせよ、相手の名が分かったほうがやりやすいのは事実なんだから」

「ああ」

 

 最後に頷き合い、ウルはサイクロプスのほうに駆け出した。自身に向かって来る者を敵と定めたのか、巨人はその単眼を彼女へと向け、その拳を振り下ろす。

 

「ダンスの相手には、不足が多いわねえ……」

 

 迫り来る拳を、ウルは余裕を持って回避する。二打、三打と段々と躍起になっている風な巨人の連撃も物ともせずに近寄り、ウルは未だに携えていたトリックスターを振るう。その一閃は硬い神獣の外皮を物ともせず、巨人の足に傷跡を残し、その巨躯に咆哮を上げさせる。

 

「やっぱり、単体では傷をつけるのがやっと、と」

 

 ウルの呟き通り、傷こそ与えたものの、その結果は極めて浅い。致命傷どころか、有効打とすら言い難いだろう。神獣の咆哮にしたって、痛みよりも傷つけられたことそのものに対する怒りと言った風だ。だがそれでも、その単眼をウルのみに集中させることには成功したらしい。巨人はひたすらにウルを狙い、ウルもまた危なげの欠片も無く回避し、時に小さな傷跡を付けていく。この感じならばおそらく、女神が口を挟まぬ限り、巨人が秋雅に意識を向けることはなさそうだ。

 

 そのことを確認し、秋雅はその視線を光の渦へと向ける。今まで攻勢がなかったのは、あちらも『見物』していたからかもしれない。まあどちらでもいいか、と思いつつ、秋雅は口を開き、叫ぶ。

 

「火の女神よ! そろそろ、我らもやり合おうか!」

『ええ、稲穂様。我が愛の為、その手足をお奉げ下さいな!』

 

 

 火の女神と、稲穂秋雅。まつろわぬ神と神殺しの戦いが、今ここに始まった。

 

 




 一旦投稿。ウルの実力等に関しては、まだここではぼやかし気味ということで。思ったより長くなってきましたが、どうにか後数話で終わらせたいところです。




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二度目の戦







 女神と神殺しの激闘。その口火を切ったのは、二条の雷鳴であった。

 

「穿て、雷槍!」

『灼熱の雷火よ!』

 

 神鳴りの銃口と光の渦。それぞれから放たれた雷が、その中間地点で激突し、そして互いに消滅する。しかし、所詮は牽制の一撃である。どうなろうとも変わらないと、秋雅は動揺することもなく追撃をかける。

 

「立て、兵! その矢で我が敵を射抜け!」

 

 秋雅の号令の下、大地から土人形たちが出現する。彼らは一糸乱れぬ動作で矢を番えた後、すぐさまにそれを光の渦に向かって放つ。

 

『風よ、払いなさい!』

 

 女神の声に応じ、強風が吹く。それは光の渦の前を横に駆け抜け、放たれた矢軍の悉くを奪い去ってしまう。更に、女神は鋭い声と共に大地に命じる。

 

『緑なす棘の者どもよ!』

 

 茨のツタと、それに付随する大輪の紅薔薇が地中より出でた。土人形たちの至近に出現したそれらはあっという間に彼らに絡みつき、その身体を締め上げていく。彼らの身体は所詮、土と空気の集合体でしかない。このまま放置すれば、遠からずただの土塊の山が創造される事だろう。だが、それをむざむざと傍観するほど、秋雅も暢気ではない。

 

「炎よ! 小癪なる雑兵を焼き尽くせ!」

 

 声に応じ、土人形たちの体表を炎が舐める。攻撃としては防がれた『義憤の炎』であるが、女神自身が対象で無かったからか、流炎は何に邪魔されることも無く、茨の拘束を焼き尽くすことに成功する。

 

 息つく間もない攻防。しかし、それを成した内の一人である秋雅は、ふと僅かな違和感を抱く。

 

「どうにも温い、か?」

 

 手を変え品を変え繰り出される、魔術の神と呼ぶに相応しい女神の攻撃。だが、それらの攻撃が秋雅には何処か、妙に精細を欠いているように思われた。どれも対処するに易い攻撃ではないのは確かなのだが、しかしその中に『粘り』のようなものが感じられないのだ。豊富な手段を駆使している、というよりはむしろ、一つの手で押し通せないからではないかとすら思えるほどに、だ。

 

 こういう特徴が、アイデンティティに弱い神格にありがちなものであるということを、秋雅はこれまでの経験から知っている。たとえ有名な神であれ、自己の弱い神は最後の最後で粘れないし、無名であれど各個たる自己を確立している神であれば、最後のその瞬間まで油断することは出来ない。しかし、目の前の女神に対し、自己が弱いという評価はとても似つかわしいものではないのは明確だ。行動原理は同あれ、ここまでのことを出来る相手のアイデンティティが弱いとはとても思えない。

 

 つまりこの粘り弱さには、他の要因があるに違いない。それは一体何であるのか。数秒の沈黙の後、秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

「そういうことか。まったく、何処までも忌々しい。そう思わないか、火の女神よ」

『何が、で御座いましょうか』

「あの男、アレクサンドル・ガスコインに決まっている。火の女神、貴女は奴に止めを刺され損ねた(・・・・・・)のだろう?」

『……お気づきになられますか、稲穂様』

 

 僅かな沈黙の後、火の女神は秋雅の言葉を肯定する。それを受け、秋雅は戦闘の最中とは思えぬほどに長く、深い嘆息を吐き出す。

 

「そうか……そうなのか」

 

 考えてみれば、当然のことであるのだ。幾らアレクサンドル・ガスコインの逃げ足が速いとはいえ、まつろわぬ神相手に完全な逃走を決めようと思えば、それなりの足止めが必要となる。『大迷宮』を用いて閉じ込めたというのは事実だろうが、目の前の女神がそれをむざむざと見過ごすわけもないし、使用後にしても何かしらの手を打つぐらいの力量はあるだろう。にもかかわらず逃げ切ったということは、女神に対し追走を行えない程度には消耗を強いる、あるいは重傷を与えるなりしたということなのだろう。

 

 そしてその際に受けた女神の傷は、未だに癒えていないらしい。それこそ、生命力の幾ばくかと削られるほどの深手であった可能性すらある。なるほど、その点を見れば、確かに秋雅にとっては得なのだろう。相手が手負いであるほど、相手が実力を発揮できぬほど、彼の勝率は上がるであろうから、普通はそう思うのが自然である。

 

「――不愉快だな。ああ、まったくもって、不愉快以外のなにものでもない」

 

 しかし、秋雅が感じたのは、決してそのような肯定的な感情ではなかった。顔の大半を手で覆い、その隙間から光の渦を睨みつけながら、秋雅は半ば本気で吐き捨てる。

 

「この私が、稲穂秋雅が、あのアレクサンドル・ガスコインの尻拭いをさせられるなど、不愉快の極み。あの男の不手際に巻き込まれ、その不始末のけりをつけさせられるなど、不快で不快でたまらない。今すぐにでもここを発ち、あの愚か者の首を今こそ討ち取ってしまいたいとすら思えてくる……」

 

 憎々しげな雰囲気で、秋雅は本心と直結した言葉を口の端から漏らす。目の前の敵を放置したくなるほどの不快感と、それを解消出来るだろう方法を実行してみたいという欲求。それらの誘惑に、秋雅は抗い難い衝動を感じる。

 

「だが……」

 

 だが、だからと言って、それを本当にやってみるわけにはいかない。故に、内から生まれたそれら二つの誘いを、秋雅はどうにか押さえ込もうとする。

 

「稲穂様! お気持ちは分かりますが、今はその時ではありません! 今御身が成すべきは、眼前の敵と相対することのはずです!」

 

 常の様相からは中々考え難い、力強く放たれたアリスの説得の声もまた、秋雅の中の葛藤を押さえ込むのに一役買った。背後にあり、自分の戦いを見守っている者がいる。普段と違うその存在に、秋雅は熱くなりかけていた頭が冷えていくのを実感する。

 

「…………そうだな、アリス殿。ああ、まったくその通りだ」

 

 熱を体外に出すかのように大きく息を吐いた後、秋雅は顔を覆っていた手を下ろす。既にその表情は、平常のそれへと戻っていた。不快感が消え去ったわけはないが、彼の中の理性的な部分がそれを宥め、どうにか抑え込んでいる状態だ。そんな中、秋雅の指摘から何故か沈黙を保っていた火の女神が、不意に声を投げかけてきた。

 

『ふふふ、そういうことですか。稲穂様、どうやら貴方様は他の神殺しの方々とは異なる成り立ち(・・・・)であるようですね。貴方様が見せた獣の本能と、それを押さえ込んだ人の理性。アレクサンドル様もその片鱗はありましたが、貴方様は特にその気が強い。貴方様を評するのであれば、まさに『例外』と呼ぶべきなのでしょう』

「女神にまでそうと言われるとはな…………隙を撃とうとしなかったのは、それを見極めるためか?」

『否定は致しません。貴方様ほどの勇士が見せた、勇猛さとはまた違う憎悪。愛しき方の新たなる一面を知ることもまた、その方を一層愛おしく思えることなのですから』

「蓼食う虫も好き好き……いや、あばたもえくぼと言ったところか」

『実の所、少しばかりの危惧も合ったのです。アレクサンドル様がそうであったように、まさか稲穂様までも、大言壮語とは間逆の逃げ足を見せるのではないか、と。しかし、今の貴方様のご様子から、私はその心配をすっかり消し去りました。やはり、貴方様は無双にして勇猛なる戦士。あの方とは違う、雄雄しく不撓不屈である勇士であると!』

「……お褒め頂き光栄だ、と応えておこうか。更に、葛藤の最中の敵を討たなかった事の礼に、貴方に一つ助言を差し上げよう」

『あら、何でしょう?』

「目の前の男を賞賛するのに他の男を引き合いに出すのが、常に男の気を良くするとは限らない。特に、それが不倶戴天の敵であるなら尚更な。愛を語ると言うならば――とくと覚えておくがいい!」

 

 言い切ったと同時、秋雅は『我は留まらず』を発動させる。転移先は空中、光の渦の斜め上の地点。その位置に再出現した秋雅の手には雷鎚が握られており、その目は渦の中心へと向けられている。八つ当たり、というわけでもないが、

 

「穿ち抜かせてもらう!」

『ッ! 雷の子よ!』

 

 女神の声に、地上の巨人が反応する。うろちょろとするウルへの対処を止め、宙に浮かぶ秋雅へと視線を向ける。自身の欲求よりも女神の命令を優先したらしい巨人は、その右手を天に掲げ、咆哮を上げる。すると、たちまちのうちに頭上に黒雲が現れ、轟音と共に数本の雷を放った。狙いは言うまでもなく、空中に在る秋雅だ。

 

「ハッ! 私相手に!」

 

 だが、秋雅に焦りの色は全く無い。むしろ不敵な笑みを浮かべながら、彼は落ちてきた雷を受け止める。数こそはあったが、しかし程度の知れる威力しかないそれは、秋雅の『実り、育み、食し、そして力となれ』の雷吸収能力の前に、瞬時に秋雅の呪力となる。

 

『何と!?』

「馳走の礼だ、受け取れ!」

 

 吸収した呪力をすぐさまに使い、秋雅は光の渦の中心に転移する。そして渦の中にあった、おそらくは火の女神の本体と思わしき光の集合体に対し、秋雅はその勢いのままに雷鎚を振り下ろす。秋雅の防御方法に動揺していたのか、さして回避も防御も見せることなく、雷鎚はあっさりと集合体の真芯を捕らえ、そして打ち抜いた。

 

『きゃああああっ!』

 

 やはり、集合体は女神の本体で合っていたらしい。集合体が渦の中心から吹き飛ばされるのに合わせ、女神が悲痛な声を上げる。致命の一撃だ、と手ごたえから秋雅は判断する。

 

「チッ!」

 

 しかし、本体に良い一撃を入れたことよりも、本体を吹き飛ばし、視界を切ってしまったことに秋雅は迂闊の文字を浮かべる。一刻も早く補足しなければと、秋雅は視界を頭上に動かし、渦の外に転移する。

 

「女神は…………むっ」

 

 光の渦の直上に転移し、女神が吹き飛んで行った先に視線を戻すと、そこには地上に向かって尾を引きながら墜ちる光の集合体の姿があった。追撃を、と転移を行おうとした秋雅であったが、光は地面に激突する直前で球状となり、そのまま島の中心部へと飛び去ってしまった。その様は魔女の使う飛翔術にも似ているが、重要なのはそこではない。

 

「逃げた…………戦神ではないからか、か?」

 

 体勢を立て直すためではなく、完全にその場から離れるためだけの逃走。その事に一瞬虚を突かれた秋雅であったが、おかしなことではないと考え直す。そう秋雅が思ったのは彼が戦士であり、そして戦神であればそうするだろうという経験則もあったからだ。しかし、相対しているこの女神は、そういう類の神格ではない。自身の身の危機に対し、思わず理屈ではない選択を取るのは、むしろ自然な反応なのだろう。

 

「とはいえ、今は一旦置いておかないと――なっ!」

 

 言葉の途中で、秋雅はその場を飛び退る。次の瞬間、風切音を上げながら放たれた拳が地面に突き刺さった。未だ健在であった独眼の巨人が、女神の命令のままに秋雅を襲ったのだ。

 

「ごめんなさいね、シュウ! そいつ、完全に狙いを貴方に定めたみたい!」

「構わん。この状況なら、どうとでもなる」

 

 背後から投げられたウルの言葉に、何でもないと秋雅は後ろ手を振って応える。さて、と目の前の巨人を見上げてみると、思った以上に傷だらけだ。深い傷こそないものの、細かい切り傷は全身の至る所にある。神獣相手にこの結果というのは賞賛に値するのだろうが、逆に言えば今の装備ではこれが限界だという証左でもあるのだろう。

 

「ウルでもこう(・・)とは、やはり武装の研究は重要だな――っと」

 

 観察しつつ、放たれた拳を危なげなく回避する。それなりに鋭い攻撃ではあるが、秋雅から見れば権能も使わずに避けられる程度の攻撃でしかない。よほど油断でもしない限り、そうそう一撃を貰う事は無いだろう。とはいえ、ずっと回避を続けている意味も無い。そろそろ反撃でもしようか、と動きかけた秋雅であったが、

 

「……武装といえば、あれ(・・)があったか」

 

 思い出したように呟き、秋雅は軽く頷く。余裕綽々といったその動作が気に入らなかったのか、巨人は咆哮を上げつつ三度目の拳を放つ。

 

「単調だな。怒っているのか?」

 

 嘲笑うように言いながら、秋雅は放たれた拳を避け、伸ばされた腕に飛び乗る。そのまま軽やかに、巨人の上半身に向かって駆け抜けながら、秋雅は神鳴りを持った左手を横に伸ばす。

 

「――我が手にて、我が意のままに入れ替われ」

 

 飛び上がり、巨人の頭部に着地したと同時、秋雅は静やかに聖句を唱える。神鳴りの姿は消え、代わりにあるもの――四角い金属の箱と、その中心から伸びる巨大な杭で出来た武器が出現する。以前にヴェルナから渡された、曰く一つの趣味的兵装。それを巨人の頭部に向かって振り下ろしながら、秋雅は不敵な笑みで叫ぶ。

 

「穿ち貫け、全ての敵を――!」

 

 音声認識による安全装置の解除と、手元のトリガー操作の元、杭が巨人に向かって撃発された。暴力的な激突音と共に強力な衝撃が秋雅を襲うが、武器の四隅につけられた固定用の鉤爪と、秋雅自身の膂力がその反動を完全に受け止める。これよりその威力を完全に発揮した杭打ち機は巨人頭部を完全に撃ちぬき、杭の大半をめり込ませる。

 

「ハッ、中々どうして……!」

 

 悲痛な咆哮を上げ、痛みに暴れまわる巨人の上で、秋雅は感嘆の声を上げる。期待していたとはいえ、実際に神獣の硬い外皮を打ち抜いて見せたのだ。その結果そのものと、これを作り出したヴェルナに対し、賛美の言葉でも紡ぎたい気分にもなるというものだ。

 

「だがまだまだ――――うん?」

 

 そんな満足から一点、秋雅の表情が困惑に変わる。グイと引き抜こうとした杭が、何故か抜けない。射出とは逆向きの、装填用の魔術を発動させても、どういう訳が上手く動作しないのだ。

 

「引っかかったか? まあいい」

 

 そう言って、秋雅は杭打ち機を地上の適当な場所に転移させる。彼の右手が開いたのも一瞬、今度は一丁の自動拳銃が現れる。神鳴りとは違う、しかし同製作者の銃口を、秋雅は目の前に開かれた()に突き入れる。

 

「これで仕舞いだ」

 

 呟き、秋雅は引き金を引く。連続して三発、間髪入れずに弾丸を撃ち込み、巨人の頭から跳ぶ。そのまま危なげなく、彼が前方に着地した瞬間、

 

「――爆ぜろ」

 

 撃ち込んだ三発の魔術式炸裂弾が作動し、巨人の頭が破裂する。硬い外皮が災いしたか、衝撃が途中で抜けることなく――まあ、多少は穴から抜けただろうが――互いを増幅しあった結果、木っ端微塵という言葉がふさわしい結果となったようだ。

 

 そういうわけで、頭部を失った巨人があっけなく消滅する中、秋雅は立ち上がり、軽く首を鳴らす。

 

「まあ、気晴らしにはなったな。普段はやらないような事をするっていうのも、こういう時には悪くない」

 

 僅かばかりの爽快感に、秋雅は燻っていた不快感が収まっていくのを感じる。まったくなくなったというわけでは無いが、少なくともわざと油を注ぐような真似をしなければ、これ以上悪化することもないだろう。あくまで、今この時は、という話であったが。

 

「……こりゃまた、酷いもんだ」

 

 近くにあった杭打ち機に視線をやり、秋雅は呆れたように呟く。成人男性に匹敵する長さを持つ杭が、根元から見事にひしゃげている。やはり神獣の外皮が硬すぎたのだろう。貫通こそしたものの、反動で曲がってしまったらしい。

 

「強度不足か、中々難しいな」

 

 言いつつ、秋雅は再び神鳴りと交換する形で、杭打ち機を転移させる。大きさが大きさなため、『召喚』や『送還』の魔術が使えないのも欠点の一つと言えるだろう。反動も含め、実用にはまだまだ問題が山済みな武装だが、可能性を示せたという意味では悪くない結果でもある。

 

「まあ、これは後回しだ」

 

 今は、一先ず置いておこう。そう判断した秋雅の元に、ウルとアリスが駆け寄る。安堵の表情を浮かべるアリスと、常の微笑の掲げるウルの対比が、自身との付き合いの違いを示しているようで、少しばかり面白くも感じられる。

 

「稲穂様、ご無事ですか?」

「ああ、大丈夫だ。そちらも、問題なさそうだな」

 

 片や霊体、片や自分以上の実力者と、まあ予想通りの結果ではあるのだが、そこは言わぬが花だろう。とりあえず満足そうに頷いてから、秋雅は視線を島の中心に在る山の方に向ける。

 

「さて、どうしたものか。追いかけるのは当然だが、この場では中々手間取りそうでもある」

「『大迷宮』が維持されている以上、まっすぐは向かえないでしょうね。プリンセス、貴女の精神感応で道を見つけるのは、やはり難しいかしら?」

「その事なのですが……」

 

 と、アリスが思わせぶりな視線を秋雅に向ける。何か、と秋雅が見つめ返すと、彼女は自信なさげに口を開く。

 

「ただの思いつきなのですが……稲穂様の『冥府への扉』を使うというのは、如何でしょうか?」

「……どういう意味かな?」

「アレクサンドルの『大迷宮』も、稲穂様の『冥府への扉』も、場を作り、そこに引き込むという意味では近しい能力です。もしかすれば、互いを相殺させることも出来るのではないか、と。あくまで思いつきでしかありませんが……」

 

 やや恥ずかしげに、アリスは目を伏せる。思いつきと自分でも言っているように、あまり自信があるわけではないのだろう。しかし、そんな彼女の態度に反して、秋雅の目は鋭い。世界屈指の霊視能力を持つ、プリンセス・アリスの提言だ。むしろ思いつきであるからこそ、その発言には一定以上の信憑性が生まれることになる。

 

「やってみるか――来たれ、冥府の果実よ」

 

 小さく呟いた秋雅の手の中に、真っ黒なザクロが出現する。それをじっと見つめた後、秋雅は不意にこれを握りつぶした。普段であれば、これは対象を冥府へと引きずり込む予備動作であるが、今回生じたのは、まるでガラスが砕け散るような甲高い破壊音だ。常と違うその反応に、秋雅はむしろ満足そうに口の端を歪める。

 

「これは……!?」

 

 突然の破砕音に顔を上げたアリスが、ハッと目を見開く。その姿勢のまま僅かに固まった後、アリスは秋雅に対し、驚愕に満ちた視線を向ける。

 

「精神感応の枝が伸びるようになっています……稲穂様、これは」

「貴女の言葉を参考にさせてもらった。感謝する、アリス殿。『冥府への扉』は当分使用出来そうもないが、これで道は開かれた」

 

 フッと笑って見せつつ、秋雅は軽く地面を叩く。すると、地面から土で出来た三頭の馬が出現した。『兵どもはここに在り』で生み出したそれに飛び乗った後、秋雅はウルとアリスに向かって言う。

 

「――さあ、決着を着けに行こうではないか」

 

 




 後一話、多くて二話でこの章は終わらせるつもりです。






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女神の正体、最強の巨人






 高かった日も落ちかけ、夕暮れと呼んでも差し支えなくなって来た頃合。馬に乗り、島内を闊歩してきた秋雅達は、ようやくと中央にある山の頂上にまで辿り着いた。地面の所々には大理石の石畳が敷かれており、近づくほどに感じられた神の霊気は、ついには濃霧かと錯覚しそうなほどの密度で秋雅達に纏わり付く。

 

 聖域、あるいは神の領域と呼ぶべき環境。いっそうと表情を引き締めつつ、秋雅達が歩みを進めると、場の空気にこれ以上無く似つかわしいと言えるような、優美で荘厳な神殿を視界に収めた。

 

「あれは……」

「はい、その通りかと」

 

 秋雅の呟きに、アリスが小さく同意を返す。神殿の入り口に横たわる、一頭の雌獅子。それから感じられる神の気配と、自身の身体に満ち始める力に、秋雅は一つの確信を抱く。すなわち、あの雌獅子こそが、かの女神その人であるのだ、と。

 

「……お待ちしておりました、稲穂様。かの迷宮を砕くとは、流石は勇士たるお方」

 

 ゆらりと立ち上がりながら、雌獅子が口を開く。覚えのある声だが、何処か張りがないようにも思える。先の一撃がよほど効いたのだろうか、と僅かに考えつつ、秋雅は馬から飛び降りる。

 

「ここまで来て化身の姿を取るとは、貴女も中々つまらん女だな」

「そう仰りませんよう。軽々しく他の耳目に身を晒さぬのも、私の務めなのです。お一人ならいざ知らず、貴方が何処までもそのような下女をお連れになるんですもの。私も、少しばかり渋ってみせるというものですわ」

 

 獅子の口角が上がり、その視線がウル達の方に向く。邪魔な女共、とでも思っているのだろうか。これが男女の逢瀬の場であるならばその視線も納得なのだが、生憎とここはただの戦場でしかない。女神の性であるのか、と思うのが精々であった。

 

「しかし、ここまで連れてきたということは、稲穂様にとってよほど信の置ける者なのでしょう。であれば、稲穂様、どうかその下女達を私に賜り下さいませ。新しき愛の前には、古き寵愛の相手は不要ですわ」

「貴女の愛を受けるために、私の女を寄越せと?」

 

 女神の物言いに、秋雅の眉が上がる。冗談ではない、と不快さを表に出そうとした秋雅であったが、それよりも早く、その背後から鈴の音のような笑い声が響いた。

 

「――あらあら。女神ともあろう者が、何とも器量の小さい事を言うのねえ」

 

 微笑と共に、ウルが秋雅の傍らに立った。いや、彼女だけではない。ウルが何か指示でもしたのか、アリスもその逆隣に立ち位置を変える。それを横目で確認した後、ウルはこれ見よがしに腕を絡ませ、秋雅の肩にしなだれかかる。

 

「いいじゃないの、愛する人が誰を、どれだけ侍らせようとも。その心がただ、自分のみに向いている。自分こそが最も愛されており、誰も自分に勝てない。そう信じられるならば、その他は全て有象無象でしかない。それなのに、貴女は私を引き剥がそうとする。火の女神、貴女はよほど、秋雅に愛される自信がないみたいね?」

 

 穏やかな、しかし見る者が見れば分かる、はっきりとした嘲笑。ウルは一体、何をしようとしているのだろうか。彼女にしては珍しい言動に、心の内で疑問を抱いた秋雅であったが、それもすぐに霧散した。彼女が同行を望んだ時と同じく、彼女なりの根拠があるのだろうと、そんな風に納得したからである。

 

 対して、妙に不思議であると感じたのは、これほどまでの嘲笑を受けながらも、雌獅子は不思議なほどに静かであることだった。往々にして誇り高いまつろわぬ神が、神殺しですらない人間にこうも良い様に言われているというのに、さしたる反応を見せる素振りもない。不気味だ、とこちらに対しても同じく、しかしすぐには消えない疑問を秋雅は抱く。

 

 そんな秋雅の内心とは裏腹に、傍らのウルは妙に平常心であるようだった。しかも、追撃とでも言わんばかりに、見下すような視線を獅子へと向けている。

 

「火の女神、貴女の愛は、相手を手に入れる愛ね。手の内に入れて、じっくりと愛でる。そういう愛が悪いとは言わないけれど、それも相手によるわ。秋雅に対し、そんな愛は意味がない。秋雅にとってあるべきは、上からの、あるいは対等な愛じゃない。傅き、享受し、そして支配される。そういう『王』の愛。秋雅を愛するのではなく、秋雅に愛してもらうなら、すべきは秋雅を手に入れることなんかじゃない。秋雅の手の内に落ち、秋雅の『もの』となるべきなのよ」

 

 こんな風に、と言いながら、ウルは身体を秋雅に預けてくる。よく言うものだなと内心で呆れつつ、彼女の要望を察した秋雅は、無言のままその身体をより強く抱きしめる。

 

 一瞬、見下ろした秋雅の視線と、見上げるウルの視線が交差する。その目を見た瞬間、秋雅は何となく、彼女のやりたいことを理解出来たような気がした。言語化出来るほど明確に、というわけではないが、少なくとも秋雅達に害を成すようなものではないと確信できる程度には、何となく察する事が出来た。

 

 そんな秋雅の内心を、ウルもまた察したのであろうか。他者に見えない程度に薄く、嘲笑ではない柔らかな笑みを、秋雅に対して向ける。だが、これもまた一瞬だ。すぐさまに笑みを消したウルは、再び獅子に顔を向け、冷ややかな流し目を送りながら口を開く。

 

「今の貴女に、秋雅が『こう』してくれると思う? 将来の秋雅が、『こう』すると思う? いいえ、絶対にしない。何故ならば、貴女にはその資格が無いから。貴女が秋雅を手にしようとしている限り、いくら貴方が秋雅を愛しようとも、秋雅が貴女を愛することはない。そもそも、貴女は決定的な一点でミスを犯している――」

「――お黙りなさい」

 

 突如として、冷たくも平淡な女神の声が、ウルの言葉を遮った。これまでとは違う、権威と気品に満ちた雰囲気。甘い恋を、溺れる愛を語っていた女の姿はもうなく、冷徹で冷淡な一柱の女神がそこにはあった。

 

「暁の女神に重ね重ねの非礼、なかなかに腹立たしい……とはいえ、死すべき種族の乙女にしては勇敢な振る舞い……ふふ、恋を追い、愛を求める性の私です。情愛故に命を賭すそなたへ、祝福の一つでも授けてやりたい気持ちも出てきましたわ」

 

 言い終わったと同時、雌獅子の身体が割れる。背骨のラインに沿って真っ直ぐに割れたその身体から、何やら黒い影のようなものが現れた。役目を終えたのであろう獅子が砂と消える中、影は女性の姿をかたどっていく。

 

 数秒の後、影は不意に実体へと変じた。十代半ばほどの、美しい銀の巻き毛を備えた、細身でたおやかな美少女。一目見れば忘れられない、十人中十人が振り返る、その日の夢で逢瀬を望む。異性どころか、どのような人物ですら虜としそうなほどの容姿だ。

 

 そして何より目を引いたのが、その腕と腰より下を形成する、真鍮の義体であった。磨き上げられてはいるものの、特別美しい意匠も掘られていないそれは、ある意味では少女の美を損なっているのかもしれない。だが、そうだと評するものは、ともすれば存在しないのではないか。そう思ってしまうような、不完全さに補われた、完全な美とでも言うべきものを、その少女は備えていた。

 

「……やはり、そうでしたか」

 

 その絶世の美少女を前に、アリスが口を開いた。その言葉の意味を、秋雅はあえて思考を廻らすこともなく理解する。ここに来るまでの道中で聞いた、火の女神の正体ではないかという名前。一番可能性が高い、とアリスが述べていたその名前を、秋雅ははっきりと口にする。

 

「それが貴女の本体か。暁の女神――まつろわぬキルケー!」

 

 秋雅の呼びかけに美少女――キルケーは小さく頷いた。ただそれだけ、その一動作ですら、目を引かれそうになる。それほどまでの魅力と、それを自在に操るだけの自負を、この女神は備えていたのである。

 

 

 

 

 

「ふ……我が素顔を殿方の目に晒すのは、いつ以来のことでしょう? そして、我が砕かれた身体を露にするのも――」

 

 ギィ、と軋んだような音を立てながら、キルケーはその腕を、足を、身体を回す。とても滑らかとは言えぬ動きだが、それがむしろ、幼い少女が持つあどけなさのようなものを感じさせる。単なる外見以上に人の目を引き付ける様は、まさしく魔性と呼ぶに相応しいのだろう。

 

「その身体――アレクサンドル・ガスコインの手によるものか」

「ええ、不死であるべき暁の女神たるこの私が、ここまで追い込まれました。流石は、神を殺めし勇士と言うべきでしょう。そして、それは稲穂様もまた同じ。この私に思わず逃走を選ばせたその力、まさしく見事です」

 

 微笑みながら、キルケーは賞賛の言葉を口にする。自分に深手を負わせた相手ですら恨み節を吐かず、むしろ賞賛してみせる。女神らしい余裕と剛毅さは、ことここに至りながらも、些かの曇りも感じられない。その身から感じられる『死』の気配とは裏腹に、この女神はまだ、自身の勝利というものを疑ってはいないのではないか。そんな想像が、秋雅の中に浮かぶ。

 

「稲穂様。この素顔を見せたのは、貴方を私の虜とする為。砕けた身体で罷り出たのは、この冷たき腕で貴方を抱きしめる為」

 

 鮮やかなスミレ色の瞳が、秋雅の瞳を捉えた。儚げで、しかし魅力的な笑みを浮かべながら、キルケーは更に続ける。

 

「ふふ。今一度、申し上げましょう。その娘を捨てて、どうか私をお選び下さいませ。そのご決断に見合うだけと愛と喜び、貴方に奉げてみせますわ!」

 

 美しい眼差しで秋雅を見据え、可憐な声でもって女神は求愛の言葉を紡ぐ。蠱惑的で、魅力的なその要求。並みの男であれば、すぐさまに首を縦に振りそうなその誘いに対し、秋雅はゆっくりと口を開く。

 

「なるほど、悪くはなさそうだ――」

 

 そう言って、そっと秋雅は、ウルを抱いていた手を離した。一瞬、その事に歓喜の色を示したキルケーであったが、その顔はすぐさまに曇る。それは秋雅が、その離した手をウルの頬に当て、そっと愛おしそうに撫でたからだ。

 

 確かに、僅かも『ぐらり』とこなかったかと言えば、それは嘘になるだろう。だが、所詮はその程度でしかない。如何な女神の魅了と言えど、秋雅のウルに対する想いを砕くほどではなかったのだ。

 

「――だが、こいつには劣る」

 

 それが、言葉としての秋雅の拒絶の意思表示であった。その女神の影響など微塵も感じられぬ返答に、ウルもまたそっと彼の手を取り、仲睦まじさを示してみせる。

 

「我が素顔の輝きは、私にとって武器の一つとも言えるのですが……流石は神殺しの君、その荒ぶる心を静めることは叶いませぬか」

 

 落胆らしきものが見えたのも僅かに、キルケーは涼やかに言う。その余裕や優婉さ、明らかに違うその雰囲気は、彼女がまつろわぬ神としての『本気』を出している証左だろうか。

 

「ならば当初の予定通り、手足をもいで我が愛蔵品とするまで。ふふ、その娘に敬意を評し、より念入りに愛して差し上げましょう。目を潰し、喉を焼き、そして娘は豚か山羊にでも変えてさしあげます。家畜の鳴き声の聞こえる中、地虫の如く這いずりながら、女神の愛をお受け下さいませ!」

「流石に吠えるな、キルケー! だが今の貴女に、果たしてそれが叶うか!」

 

 悪趣味な宣言をしたキルケーに対し、秋雅は臆することなく疑問の、そして挑発の言葉を投げつける。今の女神は、もとより半死半生の身でありながら、更に雷鎚による痛恨の一撃を受けたという状態。にもかかわらず、どうしてここまで勝ちを見据えられるのか。まつろわぬ神の性と呼ぶには度が過ぎているような気もする彼女のその態度は、秋雅に疑問と、僅かな不気味さを感じさせるに十分であった。

 

「ふふ……そう、その通りですわね、稲穂様。確かに、今の私の身体では、全てをつつがなく進ませるのは難しいでしょう。ですが、だからこそ、取れる手段もあるのです」

「なに?」

 

 微笑と共に言ったキルケーの背後に、突如として青い人影が現れた。おおよそ五メートルほどの、鎧を着込んでいるかのようにも見られる、巨大な弓と箭をもった巨人。その姿を、秋雅は確かに知っていた。

 

「あれは、あの時の…………」

「おそらく、かのオデュッセウスから奪った力なのでしょう。美貌と魔術で英雄の力を得る、そのような権能をあの女神は持っているのかと」

 

 そっと囁かれたアリスの言葉に、秋雅は小さく頷く。船上にて鉄箭を放ってきた、キルケーが使役しているらしい存在。確か、彼女はこれを“弓の御霊”などと呼んでいたはずである。この局面で出してきたということは、彼女が持つ最後の駒と言ったところなのだろう。

 

「だが、今更私に通用するとでも思えんな。神獣よりはやるのだろうが、この位置取りであれば、私の一撃の方が早いぞ」

「ええ、その通りですわ。追い詰められた女の浅知恵をお笑い下さい。私はこれより、最期の魔術を行うつもりなのです」

 

 最期の魔術。その剣呑な言葉に、秋雅の眉が顰められたと同時、キルケーは予想だに無い行動に出た。なんと、その義手の右腕を、己の左胸に突き立てたのである。人の身で言えば心臓の辺りへの一撃に、傷口からは鮮血が噴水のように溢れ出していく。

 

「なにっ!?」

 

 思ってもみないその行動に、秋雅は思わず瞠目する中、ピタリとその鮮血が勢いを止めた。その何とも奇怪な光景の後、朗々とキルケーは謳うように語る。

 

「我が紅き血と天地にかけて、誓います。これより試みる魔術で稲穂様を討つ事が叶わなくば、私は不死であるべき命を自ら絶ちましょう!」

 

 それは、言霊の満ち満ちた宣言であった。命を賭してこれを実行すると自身に課した、逃れられぬ呪詛。だが、だからこそ、その呪詛はこれを誓いしものに、それを成せるだけの力を与えたようであった。

 

「これは……」

 

 アリスが息を呑む声が、秋雅の耳に届く。キルケーが所持していた、まつろわぬ神としての呪力。それが、突如として数倍にまで膨れ上がったのだ。

 

「最期の魔術という誓いと、必勝の呪詛。それでもって、『私を倒す』という意気を限界以上に高めたか……!」

 

 目の前の光景に、秋雅が唸り声を上げる。これだ、これこそが、秋雅が感じた僅かな不安の正体であったに違いない。手負いだから、いや、手負いだからこそ、己の命を限界まで賭けた手を打てるのだ。

 

「ムーサよ、かの男の物語を謳い給え。トロヤを陥落せしめた後、流浪の旅に明け暮れた機略縦横なる男の旅路を! その知略故世に遍く知られ、天にも届く彼の名は――」

 

 再び、キルケーが声高に謳う。彼女が使おうとしている魔術、そして“弓の御霊”の存在。その意味に気付いたアリスが、ウルが、秋雅が、そして女神が、その『男』の名を口にする。

 

 

 すなわち、

 

『――オデュッセウス!』

 

 

 

 その瞬間、沈黙と不定を保っていた“弓の御霊”が、突如として実体を持った。青銅色の鉄兜を被り、鉄弓と鉄箭で武装した、身の丈で五メートルほどの巨大なる戦士。その左肩に、ふわりとキルケーが腰を降ろす中、思わずと言った口調でウルが呟く。

 

「オデュッセウス……ここで従属神を出してくるとは、これが彼女の切札というわけね」

「……いえ、あの二柱の縁は主従関係とは言い難いものがありますから、むしろ同盟神とでも呼ぶべきかと」

 

 感嘆に満ちたウルの呟きに、しかしアリスが細かい訂正を施した。この局面でわざわざそのようなことをするのは、彼女の知性的な一面故か、あるいは目の前の光景に気圧されたが故か。そのどちらもか、となんとなしに思う秋雅の前で、ついに巨人が地響きと共に地面に降り立つ。

 

『大神ゼウスの裔、不撓不屈の勇士オデュッセウス推参なり! 神々よ、照覧あれ。久々に地上へ降臨いたした我が智勇、とくとご覧じよ!』

 

 青銅の兜越しに、オデュッセウスは重厚なる声で口上を言い放つ。その淀みない弁舌と満ち溢れた自信は、なるほど英雄と呼ばれた存在である、という事を感じさせる。しかし、そんな勇士の弁に対し、召喚者たるキルケーは、酷く冷ややかな口調で告げる。

 

「オデュッセウスの殿よ。御身との再会、真に喜ばしゅう御座います……が、ここは私の戦場(いくさば)ゆえ、しばしお控え下さいませ!」

 

 この言葉が、オデュッセウスの弁舌に制限をかけたらしい。自己顕示欲に満ちていたオデュッセウスの言葉はピタリと止まり、代わりに青銅の兜からは動物の如き唸り声のみが漏れるのみとなった。英雄らしからぬ獣の咆哮を上げさせられたオデュッセウスに、しかしキルケーは満足そうに頷いている。

 

「勇士に要るは武勇であり、弁舌ではなし……といったところか」

 

 正しい判断であろう、と秋雅は心の内で呟く。弁舌というのは上手く扱えれば勝利を手繰ることは出来るが、場合によっては自らを敗北へと導くものでもある。必要があれば言葉を紡ぎ、なければ徹底的に無言を貫く。その一点に関しては、秋雅としてもキルケーの判断に同意できるところがあった。

 

 そのようなことを考えつつも、秋雅の身体から緊張が消えることは無い。言葉を失った英雄が放つ、強烈な殺気。全身を猛烈に突き刺してくるそれが、秋雅に油断を感じさせる余地を与えない。

 

 頃合か、と秋雅は無言のままにウルを引き離す。警戒と共に秋雅が見守る中、ついに女神と英雄が動き始めた。

 

「殿よ、御身の弓にて稲穂様を討滅あそばしませ!」

 

 女神の号令の元、オデュッセウスは咆哮を上げ、弓を構える。鉄弓に鉄箭を番え、音を立てながら弓を引く。しかし、驚くことに、その鏃が向くのは秋雅ではない。彼らの頭上にそびえる、南洋の大空であった。

 

 思わず眉を顰めた秋雅の前で、鉄箭が黄昏の空に放たれる。赤きに染まった空に鉄箭が吸い込まれた直後、天より青白い光の箭が降り注いてきた。しかも、流星群の如く、数万という数で、である。島の全てを飲み込もうかというほどの光の雨を前に、秋雅は一旦引き離したウルを、再度その手の中に抱く。

 

「アリス殿、ここまでだ!」

「――御武運を!」

 

 秋雅の呼びかけに、アリスは光となってその場を飛び去る。これ以上ここにいたところで、彼女に出来ることはおそらくもうない。その時が来れば下がってもらうと、ここに来るまでの間に取り決めていた事を、今ここで実行させたのだ。

 

「シュウ!」

「分かっている――!」

 

 ウルの呼びかけに応じつつ、秋雅はウルを抱いたままに――今はむしろ、秋雅の傍がもっとも安全だからだ――転移する。場所は黄昏に染まった大空、降り注ぐ箭が通り過ぎた空間である。いかに数があるとはいえ、大空を隙間無く埋め尽くすほどではない。僅かでもその先が見えるのであれば、『我は留まらず』を使用するのは可能であった。

 

 かくして空中に逃れた秋雅達に対し、オデュッセウスは間髪を入れることなく、第二射を放ってくる。それも実体のある箭ではなく、先ほど降り注いだような青白い光線であった。あちらと違い単発ではあるが、その分見るからに太く、威力も高いように感じられる。

 

「単純な!」

 

 向かって来る光線を、秋雅は転移一つで軽々と避ける。だが、オデュッセウスの攻撃も止まらない。鉄弓からの光線の照射を継続したまま、それを秋雅達に向かって振り回す。まるで長槍を振るうような形で、オデュッセウスは是が非でも光線を秋雅達に当てようとしてくる。

 

「この程度っ!」

 

 しかしそれも、秋雅は転移を駆使して躱しきる。距離を無視して移動できる手段を持っている秋雅にとって、『点』か『線』の攻撃を避けることはそう難しいことでしかない。彼に攻撃を当てようと思えば、視界を潰すほどの『面』の攻撃を行うしかないのだ。

 

 そのことをオデュッセウスも、英雄の才覚でもって察したのであろうか。突如として光の槍の攻撃を止めた彼は、空いていた右手を秋雅へと向ける。すると、その五指の先から一本ずつ、計五本の長大な箭が放たれた。まるで銃口から弾丸を放ったかのように、五本の箭が一斉に秋雅へと襲い掛かる。

 

 しかもこれは一度ではなく、放ちきった後の指先から、途切れぬことなく放たれ続けていくのである。さながら重機関銃の如く放たれ続けるそれは、秋雅にとって相性の悪い『面』の攻撃であった。

 

「シュウ!」

「いらん、避けきる!」

 

 ウルからの援護の提案を切り、秋雅は転移を駆使することで、再度として表現された『箭の雨』を避け続けていく。

 

「……ちっ!」

 

 だが、何度目かの回避の後、ついに秋雅の服の端を箭が掠めた。視界を埋め尽くすというほどには至っていないとはいえ、秋雅の行動を読んでいるのか、雨の行く先は段々と洗練されていっている。今はまだ良いが、何時かは追いつかれてしまう、あるいは転移先を予測されきってしまう可能性が高いだろう。

 

「穴あきチーズは勘弁願いたいが……!」

 

 吐き捨てつつ、秋雅は更に転移を繰り返す。その予想が的中する前に決着をつけるべきだが、こうも苛烈な弾幕を前にしていると、中々どうしてその暇も無い。少なくとも、『終焉の雷霆』で一気に、は難しいだろう。どうしてもあれは隙が大きいし、腕にウルを抱えているのも考えると、この状況で迂闊に使えるものでもない。

 

「雷よ!」

 

 だったら、まずは牽制をするべきか。そう結論付け、秋雅は機を見て雷を放つ。オデュッセウスの頭部辺りを狙った攻撃であったが、これを英雄は、左手の弓で受け止めることで防いでしまう。

 

 結果に思わず眉を顰めつつ、秋雅は更に攻撃を続ける。だが二度、三度と狙いを変えつつ放ってみても、その全てが鉄弓の前に弾かれる。しかも、そうして防御している最中でも、オデュッセウスが撃つ箭の雨は留まる所を知らない。秋雅の反撃などまるで意に介していないとでも言いたげに、不撓不屈の英雄はひたすらに秋雅を追い詰めていく。

 

「……どうにも、分が悪いか」

「ここはこちらも、同じ土俵に立つべきだと思うけれど」

「なに?」

「これは、真っ向から叩きのめすべき相手。それでこそ、キルケーは貴方を認め、妄言を収める。そうだと、私は思うわ」

 

 何時に無く真剣なウルの囁きに、秋雅は僅かに怪訝そうな表情を浮かべる。しかし、すぐさまにその言葉を理解し、成る程と小さく呟く。

 

「そうするのがいいか。ならば――」

 

 視線を空中から地面に向け、秋雅は地上へと転移する。ウルと共に軽やかに着地した後、オデュッセウスを睨みながら、秋雅は大地を強く踏みしめ、叫ぶ。

 

「今こそ立て、我が最強の従僕!」

 

 その言葉に応じ、地響きと共に巨人が立ち上がった。地面から現れ出でるのは、全長にして十数メートルほどに及ぶ、土で出来た巨大な人の形。先の神獣戦の損傷から、左腕こそ欠けているものの、左手に握られた大太刀が巨躯の威圧感を補いきっている。そんな巨人の左肩で、秋雅は腕を振りながら命ずる。

 

「打ち砕け――弁慶!」

 

 主の命の下、武蔵坊弁慶は大太刀を振るう。オデュッセウスと弁慶の体長差はおよそ三倍、故に弁慶の攻撃は自然、その左肩にあるキルケーを狙った振り下ろしとして、オデュッセウスへと襲い掛かる。

 

 この攻撃に対し、オデュッセウスは咆哮を上げ、鉄弓でもって主を守った。島内全てに響き渡るのではないか、と思われるほどの激突音が生じ、両者は互いの得物でがっつりと組み合う。だがそれは、戦況が拮抗しているということを意味してはいない。

 

「炎よ、力を増せ! 弁慶よ、その剛力を我に示せ!」

 

 弁慶の大太刀が、僅かに鉄弓に食い込む。大太刀が鉄弓とぶつかり合う直前に秋雅がかけた、刃へと巻き付く破壊の炎。これによって増された破壊力が、鉄弓の耐久を僅かに勝ったのである。《鋼》ほど劇的ではないにしても、使われているのが金属製の武具ということなら、一定の閾値を超えた『炎』の攻撃は特効となる。『義憤の炎』による攻撃は、厳密には高温を発するものではないが、『炎』という属性そのものと、これが破壊神由来のものであるという繋がりが、金属に対し多大な影響を与えていた。

 

 ぐいと、弁慶はその巨体を更に押し込む。溶けたバターのように、とまでは流石にいかないが、その追撃により刃は更に鉄弓へと食い込んでいく。

 

 しかし、それを黙って見過ごすほど、オデュッセウスも愚かではないらしい。真っ向勝負では分が悪いと判断したらしい英雄は、空いた右手を弁慶の胴体に向け、咆哮と共に再び箭の雨を放ち始める。

 

「ちいっ! 炎よ、焼失を成して盾となれ!」

 

 箭が当たる直前、弁慶の全身を炎が覆う。防御力を増すのではなく、攻撃を焼きつくことで防ぐ攻勢の防御。だがこれも、攻撃の質が低ければこそ成る手段でしかない。破壊の炎が焼き尽くすよりも早く、光の箭は弁慶の胴を貫いていく。このまま放置すれば、遠からず弁慶の土の身体は砕かれてしまうだろう。

 

「止まるな、弁慶!」

 

 それでも、だからこそ、秋雅は命ずる。進み、打ち砕けと。やられるよりもなお先に、敵を打ち倒して見せよと。

 

「示せ、弁慶!」

 

 お前こそが、最強の従僕であるのだと。英雄を打ち倒し、その力を証明せよと。

 

「やってみせろ、武蔵坊弁慶!」

 

 そんな秋雅の激に、ふと弁慶が動いた。そのような命は出していないというのに、何故か、その顔を秋雅へと向けたのである。

 

「弁慶……?」

 

 物言わぬその土造りの表情に、思わず今の状況すら忘れ、秋雅は困惑の表情を浮かべる。だが、そうしたところで、弁慶が行動の理由を答えることはない。何故か、と疑問を持つ秋雅であったが、ふと、その脳裏に一つの光景が浮かんだ。あのまつろわぬ義経との戦い、その最終幕にて起きた偶然。唐突にその事を思い出した秋雅は、まさかと弁慶の巨大な顔を見つめ返す。

 

「……そういうことなのか?」

 

 その小さな問いかけに対し、気の所為であろうか、秋雅には弁慶が僅かに首肯したように感じられた。それが、秋雅の腹を括った。

 

「ウル、万一の時は頼む」

 

 一方的にそう告げた後、秋雅はその目を深く閉じる。一瞬とて目を離せぬ戦況で、しかしあえて、その意識を内へ内へと向け、瞑想する。思い起こすのは、あの瞬間のこと。自分がどのように、あの権能(・・・・)を使用したのか。その際の状況と、その感覚。それらを思い起こす為に、秋雅はその意識を集中させていく。

 

 

 

 

 

 そして、

 

「――見えた」

 

 どれほどかの後、秋雅はその目を見開き、今しがた心の中に浮かんだ新たなる聖句を力強く叫ぶ。

 

「雷よ! 汝は破壊の力にして、人を育むものなり! 故に今こそ命ず、物言わぬ我が従僕に、その堂々たる力もて、強靭なる命を授け給え!!」

 

 秋雅の全身を、紫電が走り抜けていく。それらは秋雅の足を伝い、弁慶の全身を縦横無尽に駆け抜ける。

 

 変化が起こったのは、その瞬間であった。土の色をした弁慶の巨躯が、段々と白に、黒に、そして肌色にと姿を変えていく。腕は盛り上がり、足は更に強く大地を踏みしめ、そして顔には生気が宿る。

 

『――ぉおおおおおおおお!!!』

 

 その口から、三千世界に轟くかというほどの咆哮が上がる。目の前のオデュッセウスが思わずたじろぐほどの気合と共に、巨人は力強く叫ぶ。

 

『我こそは武蔵坊弁慶! 主と共に在り、主と戦場を駆け、主に勝利をもたらすものなり!』

 

 そう叫ぶ弁慶の姿は、まさしく生きた人間そのものであった。対象の生きる力を強め、時に命そのものすらも宿らせる。『実り、育み、食し、そして力となれ』が持っていたその真なる力を、秋雅は今完全に掌握せしめたのである。

 

「弁慶!」

『承知!! 今こそ、勝利の時なり!』

 

 宣言と共に、高い金属音が辺りに響く。裂帛の気合の元、炎を纏った弁慶の刃がオデュッセウスの弓をついに切り裂いたのだ。そして、その留まらぬ刃は、防御しようとするオデュッセウスの左腕よりも早くその肩を――その上に座るキルケーを吹き飛ばす。

 

「きゃああああああっ!?」

 

 英雄に守られていた暁の女神。彼女の身体がついに、刃でもって切り裂かれた瞬間であった。

 

 

 




 予定よりも伸びましたが、次話でこの章は終了です。





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真意、暗躍、そして……

 生命を得た弁慶の一刀。それはまさに、見事と言うより他にないものであった。不撓不屈の英雄たるオデュッセウスは、その鉄弓と左腕を切り裂かれ、暁の女神たるキルケーは、その身体を大地に叩きつけられた。

 

 もはや大勢は決した、と秋雅は冷静な頭で判断する。確かに、不撓不屈と称されるオデュッセウスであれば、今の一撃は痛手でこそあれ、致命傷ではないだろう。だが、それはあくまで彼が単体で秋雅に立ち向かっていた場合の話だ。キルケーに召喚されたという形を取っている以上、主が致命傷を受け、気力も呪力も尽きかけているだろう今の状況で、身体の維持など出来る筈も無い。

 

 そんな秋雅の想像は、まさしく的中していた。睥睨する彼の前で、こちらを見上げていたオデュッセウスの姿が、ゆっくりと薄れ始めたのだ。おそらく最期の一撃も、この状態では難しいだろう。どうにかなかったか、と秋雅が内心で安堵の息をついた時、不意に弁慶が膝を折った。がくりと、急激に視界が落ちたことに、秋雅は傍らの巨顔に視線を向ける。

 

『申し訳ありません、主よ。拙僧はこれにて失礼とさせて頂きます』

 

 突然の謝罪の言葉。それを聞いた秋雅の脳裏に、再び義経と戦った時の光景が思い起こされる。あの時、秋雅によって生命を得た馬は、その力を――与えられた生命力を使い果たした時、その実体を失った。ならば今の弁慶もまた、そういうことなのではないか。オデュッセウスの防御を切り捨てる為、弁慶は与えられた力を全て使い果たし、そして今まさに消え去ろうとしている。

 

「そうか……」

 

 全てを察した秋雅は一度瞑目し、そして万感の想いを込めて告げる。

 

「大儀であった、弁慶。今は休み、我が新たなる戦の命を待て」

『ははあっ!』

 

 最後に、力強い承服の言葉を残し、弁慶の身体が掻き消えた。突然に足場を無くした秋雅達であったが、二人の反射神経はそれぞれの身体を危なげなく着地させてみせる。

 

 そして数秒、消え去った弁慶の残影に思いを馳せた後、秋雅は視線を前方へと戻す。既にオデュッセウスの姿は完全に無いが、まだキルケーは現世に留まっているようであった。ただ、オデュッセウスの消滅からも分かる通り、彼女には最早力など残っていないだろう。最低限の警戒のみを行いつつ、秋雅はウルと共にゆっくりとキルケーへと近づく。

 

「……ふふ。お見事でしたわ、稲穂様」

 

 地に伏したキルケーが、息も絶え絶えに言う。彼女真鍮造りの義体は切り裂かれ、大きくひしゃげている。だが、それにもかかわらず、キルケーの身体自体には何故か傷も無く、不自然なほどに美しく見える。ここだけを切り取れば、深手を負った魔女というよりも、病を得た深窓の令嬢という風にも感じられる。

 

 あるいはこれは、この女神の矜持というものなのかもしれない。最期だからこそ、自身にもっとも相応しい姿――美の終焉を示してみせる。他者を虜にするだけの魅力を備えた彼女らしい、美しい終末である。

 

 しかし、そんな彼女の終焉の美を見ても、秋雅の表情は些かも曇りを見せない。事ここに来て、その程度で心を揺らすような秋雅ではなかった。

 

「私の勝ちだな、キルケー」

「ええ……もはやこの身、精神のどちらも、貴方様の勝利を認めております。ふふ、最期に貴方様のような勇猛果敢な戦士を戦えたこと、光栄に想いますわ……」

 

 ふう、とキルケーが苦しそうに一息をつく。

 

「しかし、惜しむらくは私の神としての命、半分は数年前にアレクサンドル様に奪われていること……我が半身のみが贄では、あの戯けた魔女もおそらく『簒奪の円環』をまわすことはかないますまい……」

「『簒奪の円環』だと?」

 

 何のことだ、と秋雅は疑問の声を上げる。しかし、キルケーはそれに応える素振りを見せない。酷く緩慢な動作で秋雅を見つめるだけであった彼女だが、不意に、その宝石のような目を大きく見開いた。

 

「ああ……ああ……! 貴方様の中にある、その術(・・・)……それならば、あるいは私も…………!」

「……何を言っている、キルケー」

 

 一体、どうしたというのか。まさか錯乱したというわけでもないだろうが、さっぱりと状況が掴めない。何か、彼女が目を引くような権能でもあっただろうか。頭をめぐらせる秋雅を余所に、興奮も醒めてきたらしいキルケーが、その視線をウルのほうへと向ける。

 

「娘……いえ、ウル・ノルニルと言うのですね」

 

 名乗ったはずの無いウルの名を、キルケーが自然と口に出した。何とも奇妙なことであったが、秋雅の心に疑問は湧かなかった。魔術の神であるキルケーならば、他人の名を探るくらい出来てもおかしくない。これまでの戦闘の経験から、不思議とそう納得していたのだ。

 

 むしろ、何故ウルの名を今呼ぶのか。そちらこそを疑問としつつ、先のキルケーの言う力のことは一度どけながら、秋雅はしばし見守ることにする。

 

「ウルよ。貴女は先ほど、こう言いましたね。私は一つ、決定的な過ちを犯していると」

「ええ、言ったわ」

「それは……果たして、何だったのでしょうか?」

 

 女神からの、真剣な問いかけ。それに対しウルは、少しばかりの沈黙の後、いつになく真剣な表情で口を開く。

 

「――簡単なことよ、キルケー。秋雅は、自分を稲穂の姓(ファミリーネーム)で呼ぶ女に愛を向けない。彼が愛を向けるのは、彼を彼だけを示す秋雅の名(ファーストネーム)で呼ぶ者だけ。そして、彼が本当に愛するのは、彼が許したシュウというあだ名(ニックネーム)を口に出来るものだけ」

 

 そう言って、ウルは秋雅に身を預けた。秋雅もまた、何を言うでも無く、そっと彼女の身体を抱きしめる。そんな二人の様子を見た後、ふっとキルケーは皮肉げな笑みを浮かべる。

 

「なるほど……確かに私は、最初から間違っていたようですね……」

 

 ひどく残念そうな口調で、キルケーは弱々しく呟いた。その姿は、彼女が本心から後悔しているようにも見える。だが、そう感じさせたのも一瞬。彼女は再び、女神に相応しい微笑を携えながら、秋雅に対し口を開く。

 

「稲穂様――いえ、秋雅様。どうやら、ここまでのようです。だからこそ、今はあえてこう申し上げさせていただきます。また、(・・ )お会い致しましょう(・・・・・・・・・)

 

 最後に、少女のように可憐な笑顔を残して、キルケーの身体が砂と消えた。おそらく、勝利の呪詛を破ってしまった代償として、その心臓が潰れでもしたのだろう。消滅する直前、彼女の身体から『ぶつっ』という異音がしたことが、その証左であった。

 

「倒した、か」

 

 何とも言えぬ表情で呟き、秋雅は一度頭をかく。途中から予想はしていたが、やはり権能が増える感覚はない。骨折り損のくたびれ儲けかと、常であれば悪態をついてみたくなる結果であったが、どうにもそういう気も湧かぬ。何とも不可思議な戦いとその結果であったなと、他人事のように称するのが精いっぱいであった。

 

「……また会おう、ね。一体、どういう意味なのやら」

 

 疑問ばかり残していったものだ、と秋雅は消え去ったキルケーに、内心で更にそんな言葉を投げる。当然、それに対して返答があるはずもない。ないないづくしだな、とそんなどうでもいい感想が浮かぶばかりだ。

 

 何にせよ、現段階における情報で、彼女の最後の意味を探るのは無理だ。しょうがないなとため息をつき、秋雅は腕の中のウルに対し声をかける。

 

「帰ろうか、ウル」

「そうね、シュウ。戦いはもう、終わったわ」

 

 微笑を浮かべながら、ウルが頷く。普段通りの笑みと、口調。だが、そこからは少しだけ、安堵のようなものが感じられた。おそらく秋雅以外には感じられないのではないか、と想われるほどに微かなそれに、秋雅は口を開きかけ、そして止める。

 

 ひょっとしてウルは、キルケーという女を探ろうとしていたのではないのだろうか。敵としてではなく、同じ相手(稲穂秋雅)に愛を囁いた女として、どういう人物かと見極めておきたかった。それこそ、自分の立場を奪ってしまえる器量を持っているのかどうかを、探ってみたいと思った。だからこそ今回は、わざわざ戦いについてきたのではないのか。そんな考えが、ふと秋雅の脳裏に浮かんだ。

 

 まつろわぬ神を巻き込んでするには、何とも不遜な推測であろう。しかし、ウルであるならば、それもまた納得できるところがある。姉妹の中でも特に人嫌いの彼女は、対応こそ多少前後するにせよ、心のうちでは皆々等しく嫌い、あるいは信用していない。そんな彼女にとってみれば、相手が人であろうが、そうでなかろうが、案外と関係ないのかもしれない。それこそ、まつろわぬ神であろうとも、人と同じように対応し、我を通してしまいそうな想像が、秋雅には容易に出来た。

 

 だが、秋雅は不思議と、その想像を口に出す気にならなかった。無論、実際に聞いてみるのも悪くないとは思っている。秋雅が愛するに足る相手であれば、一体どうするつもりだったのかと尋ねてみることに興味を引かれるのも事実である。

 

 しかし、それでもなお、秋雅は尋ねないことにした。さして理由があるわけではないが、強いて言うならば、

 

「――その方が、面白そうだ」

 

 そんな秋雅の呟きにウルは、全て分かっていると言うような、深い笑みを浮かべる。その表情と、身勝手な自己の想像に、珍しい彼女のいじらしさを感じつつ、秋雅は彼女の肩をそっと抱く。

 

「行くぞ、ウル。俺の愛しい、一番の女」

「ええ、シュウ。私の愛しい、一番の人」

 

 あえて、誰かに示すようにそう交し合いながら、秋雅はウルと共にその場から消え去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランス、ブルターニュ地方。そこには太古より、魔女達に守られた聖域が存在する。ブルターニュの深き森としばしば評されるその場所に、十代前半くらいの少女が立っていた。

 

 アンティークドールに生命を吹き込めばこうなるのではないか、と思えるほどの精緻な美貌を、喪服めいた黒のドレスで飾った少女。その名を、グィネヴィア。大地母神の生まれ変わりである神祖、その中でも特に力を持った女王とでも呼ぶべき存在である。

 

「遅いですわね……」

 

 やや険のある口調で、グィネヴィアは呟く。彼女をここに呼び出した知己、それがいつまで経っても姿を見せない。それほど暇でもないのだか、と無為に流れゆく時間を惜しんでいた彼女であったが、不意にその肩に手が置かれた。

 

「お待たせぇ」

「っ!」

 

 びくり、と肩を震わせ、グィネヴィアは急いで振り向く。振り向いた先、彼女の肩に手を乗せながら笑う赤毛の女の姿に、グィネヴィアは鋭い視線を向ける。

 

「お久しぶりですね、ミスティ。相変わらず、悪趣味なようで」

「ん、んー。そりゃ失敬。グィネヴィアちゃんがポツンと寂しそうに立っているものだから、ちょっと和んでもらおうとでも思ってねえ」

「よく言いますね。そもそも、呼び出しておいて遅刻とは何事ですか」

「ああ、ごめんね。ちょっとこっちも忙しくてさあ、つい時計を見るのを忘れていたよ」

 

 くっくくと、赤毛の女――ミスティは独特な笑い声を立てる。彼女もまたグィネヴィアと同じ神祖であり、百年ほどの時を生きた『今の』グィネヴィアよりも更に長くこの世で生き続けている、言わば先達である。

 

 ただ、だからと言って、グィネヴィアが彼女の下に立った事は、一度と存在していない。さして年齢が物を言う間柄ではないのと、グィネヴィアに女王としての自負があったのもあるが、ミスティという女のキャラクターがそれに拍車をかけたというのも大きいだろう。先の冗談のように、常にふざけているような雰囲気を感じさせる相手に対し、本気で膝をつく者はそういない、ということである。

 

 同輩として敬いこそしても、決して傅く気にはなれない。有用なのは事実なのだが、どうにも利用されている気も強く、油断出来ない。総じて、中々に面倒な相手。それがグィネヴィアにとっての、目の前の赤毛の女の評価であった。

 

「……それで、此度はグィネヴィアに何の用で? 頼みたい事がある、とのことでしたが」

「そう、そう。ちょっとね、こっちの目的のために、グィネヴィアちゃんの手を借りたいなあって」

 

 人数の都合や個々の我の強さの関係上、基本的に個人行動を主とするのが神祖の特徴であるのだが、グィネヴィアとミスティの二人に関しては、共同歩調を取る事がよくあった。

 

 ミスティは確かにふざけたところもあるが、その腕は確かであるし――先ほどグィネヴィアの背後を取ったこともそれを証明している――それに何より、主である『最後の王』の復活に関しては、グィネヴィアに負けず劣らずの意欲を示している。数百という年月をかけ、彼女が独自の手法で主を呼び覚まそうとしているらしいというのは、グィネヴィアを含めた他の神祖たちの間でも良く知られている。その熱意と、時折見せる主への純粋な崇拝心が、グィネヴィアに一方的な利用関係ではない、ミスティとの対等な協力関係を築かせていた。

 

 果たして、今回は一体どのような用件か。いぶかしむグィネヴィアに対し、ミスティは常の口調で、何とも驚くべき事を口にした。

 

「いやあ、実はね? グィネヴィアちゃんが持っている『魔導の聖杯』の呪力を、ちょっとばかり頂きたいなあ、と」

「……どういうことでしょうか」

 

 見目に相応しくない冷徹な声が、グィネヴィアの口から発せられる。しかし、そんな冷たい空気を浴びせかけられても、ミスティの表情は変わらない。常と同じヘラヘラとして笑顔を浮かべたまま、まあまあとグィネヴィアに対し両の手のひらを向ける。

 

「落ち着いてちょうだいな、グィネヴィアちゃん。私は何も聖杯を奪おうっていうんじゃないんだ。ちょいとばかり、その呪力を分けてもらえればいいんだよ」

「……では、その理由をお聞かせ願えますか? 貴女のことですから何か考えはあるのだと思いますが、それがグィネヴィアに対しても利であるとは限りませんので」

「うん、そうだね。まあとりあえず、これを見てもらおうかな」

 

 そう言って、ミスティは何かの魔術を使用する。警戒しつつ見るグィネヴィアの前で、一つの物品がミスティの手の中に現れた。それは、見た目と大きさこそ杯のようであるが、よくある金属製ではなく、黒曜石か何かで出来ているように見えた。また、その表面には蛇らしき生き物の姿が描かれており、それが妙な迫力を感じさせている。

 

「これは……大地に近しい物品のようですが」

「うん、その通り。グィネヴィアちゃん、ヘライオンの事は知っているよね?」

「存じております。ナポリの魔女たちが秘していた、女神ヘラの印のことですね。数ヶ月ほど前、サルバトーレ・ドニ様によって破壊されたと聞きましたが……もしや、それが?」

「ご明察。これはその時破壊されたヘライオンの欠片を元に作った、私なりの『聖杯』だよ。グィネヴィアちゃんの前身たる女神が身を賭して創り上げた『魔導の聖杯』には劣るけれど、まあ器としてならばそう悪いものでもないと自負しているね」

 

 なるほど、とミスティの説明に対し、グィネヴィアは心の中で軽く頷く。大地の精の結晶体であったヘライオン。それを元にしたのであれば、彼女の言う通り、大地母神の呪力との相性は悪くあるまい。事実、ミスティの聖杯に宿る呪力からは、馴染み深い大地の気配が感じられる。

 

「ただ、造ったはいいけれど、この聖杯にはまだ呪力があまり込められていないんだ。呪力を集める手立てがないわけじゃないんだけれど、それには大地の呪力を引き込む為の呼び水が必要なんだよねえ」

「そういうことですか。その呼び水とやらに、私の聖杯の呪力が必要であると」

「勿論、量はそこまで多くなくていいよ。全盛期と比べて、そっちの聖杯の呪力は目減りしているそうだからね。大勢に影響が出ない程度に頂ければ、私としては十分だ」

「ふむ……そうした場合、グィネヴィアにはどのような利があるというのですか?」

 

 ミスティの要望の意味はある程度理解できた。だが、グィネヴィアとミスティの協力関係は、常に対等なものであった。一方的な享受ではなく、互いに利益を獲得するというのが、この関係における絶対条件となっている。少ないとはいえ、大事な聖杯の呪力を渡すのだから、グィネヴィアとしても相応の利は必要である。

 

「そうだねえ、もしグィネヴィアちゃんの聖杯に何か起こった時、こっちの聖杯をスペアとして提供する、というのはどうかな? 不滅不朽の神具とはいえ、何かの要因で使用不能になる可能性がないわけじゃあない。その時、私の聖杯を代用品として使わせてあげる、というのは保険として役に立つんじゃないかな?」

 

 こういうところが厄介なのだ、とグィネヴィアは心の中で呟く。この、それらしいと感じさせる内容と、何よりこちらを乗り気にさせる物言いの仕方。こういうところがミスティのずるい、あるいは面倒な部分だ。彼女との協力関係が今日まで続いているのも、この口の上手さが十分に働いているのは間違いない。

 

「保険、ですか。何も起こらなかった場合、グィネヴィアには何も利がないことになりますね」

「そこはほら、保険だからさ。お願い出来ないかな、グィネヴィアちゃん」

 

 拝むような体勢で、ミスティは更に懇願してくる。長い時を生きている弊害なのか、どうにもそういう動作には人間臭さが感じられてしまう。しばし、そんな彼女を見つめるグィネヴィアであったが、ついには嘆息の後、分かりましたと了承の返事を出す。

 

「貴女の言葉にも一理あります。その取引、お受けしましょう」

「あっはあ! ありがとうね、グィネヴィアちゃん」

「触らないで下さいませ、ミスティ」

 

 わざとらしく抱きつこうとしてきたミスティを、グィネヴィアはさっと横にずれて躱す。こういう、オーバー気味な感情表現を見せ付けるようにしてくるのが、彼女の胡散臭さを増長させているのだが、彼女がそれを聞き入れた試しはない。これもまた、グィネヴィアが彼女の事を面倒だと思っている理由の一つである。

 

「くっくく。照れ屋だねえ、グィネヴィアちゃんは」

「照れているのではなく、呆れているのです」

 

 大きく嘆息しながら、グィネヴィアはミスティに告げる。果たして、この提案が後に、どのようなことに繋がるというのか。その答えはまだ、さしものグィネヴィアにも想像出来ぬものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれは手を出しすぎたのではないか?」

「何を言う。あの程度、児戯のようなものよ」

 

 そこは、真っ白な空間であった。果ての分からぬほど、ただ白だけがある世界。その中心に、一つの円卓が置かれている。たっぷりと余裕を持って座るのであれば、十人は腰をかけられないだろう大きさの円卓に、三人の男が腰を降ろしている。

 

「それで言うならば、貴様こそ手を出していたではないか」

「それこそ何を、だ。あれを発現させたのは、あくまで稲穂秋雅の力であろう」

 

 円卓に座る三人のうち、二人の男が言葉を交わしていた。一人は艶やかな装束に身を包んだ、文官然とした男。もう一人は甲冑に身を包んだ、武士らしき男。東洋人らしきその二人は、喧騒とまではいかないにしても、それ相応に強い語気で互いに相手を非難している。

 

「そも、あの木偶は汝が兵であろう。それを今更に繰り、稲穂秋雅に意思を示したようにも見えたが」

「まさか。弁慶は既に秋雅が兵。それをここから操るなど、もはや出来ぬよ。むしろ、秋雅がああも都合よく貴様の力を掌握せしめた方こそ、どうにも解せぬ気がするのだが」

「勘繰りが過ぎるとしか言えぬな。大体――」

「まあ、良いではないか」

 

 言い争う二人の肩を、大きな手が同時に叩いた。見るとそこには、見るからに筋骨粒々の男が、二人の肩に手を置きながら立っている。上半身は布を巻きつけだけではないかと見えるほどに、非常に古代的な格好をしたヨーロッパ系の容姿の男。座る二人と比較すれば二メートルは越そうかという長身なのだが、その鍛え上げられたと見える筋肉の鎧が、診る者に極めてがっしりとした印象を与える。おそらく比較対象が無ければ、実際よりも背が低く見られるのではないか。そう思えるほどに、その男は生物として極めてバランスの取れた肉体を誇っていた。

 

「裏にて多少あれども、秋雅は我らより簒奪した力(・・・・・・・・・)を見事使いこなしているのだ。ここは我らを下し、我らが認めたあの勇者を誇るべきではないか?」

 

 長身の男の言葉に、二人はしばしの沈黙の後、納得したように頷いてみせる。

 

「確かに、その通りであろう。ここは我らが稲穂秋雅に、献杯の一つでもすべき場面であったな」

「うむ。無意味な喧騒を生んだこと、深く謝罪する」

「よいよい。時には多少の口喧嘩も悪いものではなかろう。無論、拳を交えるのも一興であるが」

「その場合、汝が仲裁と称して割って入るのであろう? それは勘弁願いたいこと故」

「然り。余計な危険を冒さぬのも、良き将の条件である」

「何だ、つまらぬのう」

「――結論は出たようだな、諸君」

 

 沈黙を守っていた、円卓の最後の男が、ここで初めて口を開く。スーツ姿を着た、西洋人らしき青年。見た目はこの中でも最も現代的なのだが、その纏う雰囲気は彼らに負けず劣らずに浮世離れしている。その姿を見て、彼が現代社会に溶け込むと思う者は、おそらく一人としていないだろう。

 

「おう、友よ。口の回るお前にしては珍しく、今回は随分静かであったではないか」

「偶には我も、のんびりと話を聞く側に回ることはある。これはこれで、中々悪くない見世物であった」

「相変わらず趣味が悪いのう、我が友は」

 

 そう言って、長身の男は豪快に笑う。対し、スーツの男は自嘲か嘲笑か分からぬ笑みを浮かべ、さてと視線を動かしていく。

 

「どうやら、我らの新たな同輩の身支度が済んだようだ。迎えるにあたり、異議のある者はいるかね?」

 

 そんな男の問いかけに、応える者は誰もいない。しかし、異常が一つだけあった。いつの間に現れたのだろうか。空いている円卓の席の一つに、一人の男が腰をかけている。まるで幽鬼のようなその男は、見るからに気だるげな雰囲気を纏いつつ、スーツの男にゆっくりと頷く。

 

「冥府の友も含め、誰にも異存はないようであるな」

 

 そう言い、男は芝居がかった態度で指を鳴らす。

 

「今ここに、我らは汝を同輩と認め、この円卓に座るを許す。異論はあるか、女神よ」

「――ありませんわ。善悪を移ろう自由なお方」

 

 何も見えぬ白い空間。その一箇所に、突如として彼女(・・)は現れた。誰しもを魅了するであろう美貌を備えたその少女は、五体満足な肢体(・・・・・・・)を緩やかに揺らしつつ、完璧と称して問題のない礼をとる。

 

「此度はお招き頂き、真に感謝いたします。この時より私も、貴方様方と同じ目的を持ちし者。我らが認めしあのお方、稲穂秋雅様の御為に、この身を保つ所存でありますわ」

 

 言い切り、少女は可憐な笑みを浮かべる。そんな彼女に手で席を示しつつ、男は満足げな口調で言う。

 

「これで、六柱の神が我が友を認め、その力となる事を決めた。同輩らよ、最期の時(・・・・)はすぐそこぞ」

 

 男の宣言に、五柱の神々が頷く。そんな彼らの姿に、スーツの男は再び、自嘲とも嘲笑とも分からぬ笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 




 無理矢理ですが伏線をねじ込みつつ、意外と長引いた今章は終了となります。閑話を挟みつつ、次章では原作六巻以降の話を進めるつもりです。閑話に関してはいくつか考えているのですが、流れを鑑みるにドニの時のような独白を、アレクサンドルにしてもらうのが自然かなと考えております。




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閑話 王の独白
稲妻の王の回想






 

「ふむ……」

 

 その日、アレクサンドル・ガスコインの姿は、自身が総帥を務める《王立工廠》の本部、その中に設えられた、総帥室とでも呼ぶべき場所の中にあった。普段は所狭しとばかりに世界中を駆け回る彼であったが、この日はたまの休養も兼ねて、自身で選び抜いた椅子に悠然と腰掛けながら、蓄えた知識の整理やそこからの推論に頭を廻らせていたからだ。

 

 そんな、珍しくもゆったりとした時間を過ごしていた彼であったが、ふとその眉が僅かに上がった。次の瞬間、軽いノックの音が室内に響く。次いでドアを開いて現れたのは、彼の腹心の部下とも言える男、サー・アイスマンであった。

 

「珍しくその椅子に座っていると聞いてきましたが、少しよろしいですか、アレク」

「何かあったのか?」

「今しがた入った情報です。どうやら、例の島の蓋が外されたそうで」

「……ああ、あそこか」

 

 何のことだ、と怪訝に思ったアレクサンドルであったが、すぐにその内容に思い至った。つまり、南シナ海にあるうちの一つ、自身が『大迷宮』の権能で迷い島としたそれのことである。その蓋が外れたということは、あの島の安全性が確保されたということか。

 

 そこまで理解した所で、またもやアレクサンドルに疑問が生まれた。即ち、あの島にいただろう『例の女神』はどうなったのか、ということだ。

 

「それで、どういう風に蓋が外れたんだ? 飽きた女神が何処かに行ったか、あるいは……」

「あるいは、の方ですな。つい数日ほど前、かの地を訪れた稲穂秋雅の手により、まつろわぬ女神が退治されたとのことです」

「……あの男」

 

 アイスマンが出した名を聞いて、アレクサンドルはその眉間に大きなしわを作る。そんな彼の表情の変化に、アイスマンはこれ見よがしに嘆息する。

 

「相変わらず、貴方は彼が苦手なようですね」

「誰が苦手だと言った。俺はただ、あの男とはそりが合わないだけだ」

「この場合、さして変わりはない気もしますが。貴方が彼と相対した後、してやったという顔をしているのは見た事がありませんし」

 

 アイスマンの指摘に対し、アレクサンドルは顔を逸らして舌打ちをする。認めたくないが、それはそれで事実であった。アレクサンドルと稲穂秋雅が戦った回数は数度ほどあるが、そのうちにアレクサンドルが自主的に戦略的撤退を選んだ例は一つとしてない。それは常にアレクサンドルが勝利していたからということではなく、その全てにおいて、アレクサンドルこそが撤退せざるを得ない状況に追い込まれた、という意味である。自分のペースに持っていくのが上手いアレクサンドルにしては、どうにも上手く事を運べない相手。俗な言い方をすれば、天敵という奴なのだろう。勝ち負けでいえば負け続けとなる結果を押し付けてくる相手に対して、少なくとも好感の類などは抱きようが無いのは道理だ。

 

 また、勝ち負けの話を置いても、アレクサンドルと稲穂秋雅の間柄は決して友好的なものではない。アレクサンドルの方はともかくとしても、どうも稲穂秋雅の方はアレクサドルを毛嫌いしているらしい。顔を合わせば殺気を出され、理を語れば剣で返される。アレクサンドルと稲穂秋雅の間で生じるやり取りと言えば、おおよそそういったものに集約されるだろう。無論、アレクサンドルも言葉による交流を諦めたわけではない。だが如何にアレクサンドルが論を語ろうとも、稲穂秋雅は聞く耳を持たず、むしろあちらの論を盾に弾劾をしてくるのである。初対面の時からこうなのだから、まったく稲穂秋雅という男は筋金入りとしか言えなかった。

 

「まあ、カンピオーネ同士で相性が良い方々、というのもそう居ませんからね。そこに関しては、別にアレクに限った話ではないでしょう。もっとも、稲穂秋雅の方はそうでもないようですが。カンピオーネに限らず、あの方の交友関係は意外なほどに広いようですし」

「ふん、あの男は猫をかぶるのだけは上手いからな。周りには常識的で温和だと思わせておき、何か起こした時も致し方ない事情があったのだろうと誤認させるのが奴のやり口だ。実際は他のカンピオーネと同じく、言葉よりも暴力でもって事を成そうとする乱暴者だがな」

 

 あの時、初めて稲穂秋雅と相対したときもそうであった。アイスマンへ稲穂秋雅という男の事を語りながら、アレクサンドル・ガスコインはふと、かつての記憶を振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは今から三年ほど前のことである。当時、アレクサンドルは自身の探求の一環として、アメリカのとある地を訪れていた。訪問の理由はその地に居を構えていた魔術結社――あちらの言い方をするならば、邪術師の集団ということになるか――が所持していた、とある霊宝の『拝借』である。常であればスムーズに、さしたる抵抗もさせぬままに拝借するのだが、その結社は悪い意味で普通でなかった。アレクサンドルが霊宝を盗み出そうとした瞬間、結社の建物を巻き込んで自爆したのである。

 

 正確に言うと、霊宝が動かされた瞬間に自爆するような仕掛けが施されており、アレクサンドルがその事に気付かず――おそらく、先んじて知っていた所で解除などしなかっただろうが――霊宝を手に取った瞬間に、周囲を巻き込んで爆発したのである。この時のアレクサンドルは先んじて『拝借状』を出していたので、あるいはそれで仕掛けていたのかもしれない。幸いにも、アレクサンドル自身は負傷することもなく悠々と逃げおおせたのだが、施設に詰めていた結社員達はそうもいかなかったらしい。それが単に逃げ損ねただけか、あるいは殉教に近しいものだったのかは不明だが、その結社の構成員たちのほとんどが、自分達の本拠地と運命を共にした。

 

 ともすればそれは、簒奪者たるアレクサンドルに対する命を使った抗議であったのかもしれない。しかし、そんなことはアレクサンドルにとってどうでもいいことであった。無駄に命を散らせたものだ、とだけ思った程度で、むしろ邪術師が減って得だろう、という思いすらあった。それまでであれば、おそらくは後で省みるどころか、そうであったと記憶として振り返ることすらせず、過去の事象の一つとして片付けていたことだろう。

 

 そんな『常』が通用されなくなった始まりは、彼がイギリスに帰国してから一月と立たぬうちに起こった、ロンドンでの爆破テロであった。これをアレクサンドルが注視しなければならなかった理由は単に、標的となったのが《王立工廠》の支部の一つであったからである。コーンウォールに飽き足らず、《賢人議会》の本拠地にまで支部があるのは、デメリットを無視してでも情報を収集したかったから――と、いうよりは、右往左往する《賢人議会》の様をより近くで見たいからという、《王立工廠》全体における悪癖によるものが大きい。無論、アレクサンドル自身がそうしたというわけではないが、事実上の黙認のような形で設置されていた支部である。故に、と言うべきか。そこに詰めていた者達も、特にそういう傾向の強い者たちであった。

 

 そんな彼らと、支部が打撃を受けた。死人こそ出ていないものの、重傷者は片手の指を超えていたし、どうにか秘匿していた支部の存在も他結社にばれてしまったということに、結社員たちが並々ならぬ怒りを覚えたのは、むしろ当然の流れであっただろう。自然と調査の手は強くなり、程なくして首謀者の存在が知れることとなった。それこそが、一月弱前にアレクサンドルが事実上壊滅させた、例の結社の残党であったのである。

 

 もっとも、その実行者自体は、その爆破テロの際に死亡している。爆破テロ、というよりは、自爆テロに近しいものであったのだ。結社員達は言い知れぬ怒りの向け先を迷うことになったのだが、これはすぐさまに新たな標的を定めることになった。例の実行者たちの身内と見られる者たちが、未だにロンドンにて生活をしていると分かったからである。

 

 その情報を受けて、《王立工廠》はアレクサンドルに、その者らの捕縛、あるいは抹殺を直訴し、結果としてアレクサンドルはこれを認めることとなった。彼自身は、その身内と見られる者達がこの件に関わっていると断言はしていなかったが、怒りに震える結社員達を見て、その怒りの矛先として犠牲になってもらおうと、そのような判断を下したのである。彼にしてはやや短絡的だったかもしれない判断であったのだが、この辺りは彼もまた、少なからぬ怒りを首謀者たちに覚えていたということなのかもしれない。

 

 かくして、総帥の意を得た《王立工廠》のメンバーは、すぐさまに行動を開始した。その対象者たちの所在を調べ、襲撃し、捕縛ないし抹殺を企んだ。しかし、ここで彼らにとって予想外であったことが、二つほどあった。一つはまず、その対象者となった少女たち――ノルニルという姓の三姉妹が、思いのほか実力者であったこと。そしてもう一つが、足元での騒乱に対して《賢人議会》が行動を起こしたことだ。前者がそうであるのは当然としても、実働戦力に乏しいはずの《賢人議会》が重い腰を上げたというのは、《王立工廠》のメンバーにとってはやや想定外寄りの行動であり、これらの要素が混じりあった結果、この大捕り物はこれに関わった全ての人間の想定よりも大きく、そして混迷に満ちたものへと変じていった。

 

 そして、その落としどころを無くし始めた騒動が、偶然英国を訪れていた一人のカンピオーネ――稲穂秋雅の登場を引き起こしたのである。

 

『――貴様が、アレクサンドル・ガスコインか』

 

 それが、《王立工廠》の本部を堂々と訪れ、アレクサンドルに面会を申し込んだ日本人が発した、始まりの一言であった。たかだが二十代前後ほどの東洋人が、カンピオーネに対して投げるには不遜が多いはずにもかかわらず、その言葉は不思議とアレクサンドルに納得の感情を覚えさせた。なるほど、この青年――いや、この男ならば、この物言いも納得ができる。傲慢さを押し付けてくるのではなく、これこそが自然体であるのだと何故か受け入れてしまう。そういう雰囲気を、稲穂秋雅という王は所持していた。

 

『ノルニル、という姉妹について、貴様はどれほど知っている』

 

 先の、こちらの確認以上の前置きもなく、稲穂秋雅は端的に尋ねてきた。疑問を呈している、というには答えを求めているような風でもない言い方であったが、アレクサンドルもまた端的に、知らぬ、と答えた。どうしてこのようなことを尋ねてくるのか、という謎を解明するために、あえて正直に返答をしてみたのである。

 

『なるほど、何も知らず、知ろうともせず、その上で部下には、罪なき者たちへの蹂躙を認めるか』

 

 静かな、しかし不思議と耳に通る声で、稲穂秋雅はそう呟いた。そんな彼の物言いに対し、アレクサンドルは苦言の一つでも発しようと考え、そしてそれを実行に移した。自分たちのことについて他人からどうこう言われる筋合いはないだとか、そもそもとしてこの事件における被害者は自分であるということなど、である。それらはアレクサンドルからしてみれば真っ当な意見であったはずだし、おそらくは余人から見てもそうであったことだろう。

 

 こうして、事実に対する稲穂秋雅の誤解を語ったアレクサンドルであったが、それに対する稲穂秋雅の返答は、残念ながら冷ややかで、かつ理解のないものであった。

 

『かもしれぬ。確かに、この一件に限れば貴様に理があることもあるだろう。だが、もはやそのこと自体に意味はない。今となってはそれも、あくまで貴様を意識するきっかけでしかなく、その後に知った数々の悪行を計りに乗せれば、やはり結論が変わる事はない。私の論を変えたくば、過去の己を止めてくるのだな』

 

 この取り付く島のない返答には、さしものアレクサンドルにも次の手はなかった。代わりに覚えたのは、やはりという落胆の思い。例外という名に期待はしていたのだが、結局は他のカンピオーネと同じく、どうしても相互理解の出来ない相手でしかなかったらしい。もう少し、知的な判断の出来る奴かと期待していないでもなかったのだが。

 

 そんな結論をアレクサンドルが得た瞬間、稲穂秋雅の全身から殺気が放たれた。元々していた警戒のレベルを一気に引き上げ、瞬時に戦闘態勢に移行したアレクサンドルの前で、稲穂秋雅は右の手をゆっくりと伸ばし、告げる。

 

『さあ――始めようか!』

 

 次の瞬間、アレクサンドルは周囲が、赤黒く不気味な姿になったことに気づかされた。周囲から発せられる、自身の所有する権能、『大迷宮』に近しい雰囲気に、アレクサンドルは自分が稲穂秋雅の領域に捕らわれたことを察し、そして眉をひそめる。

 

『アレクサンドル・ガスコイン、世界に身勝手な混乱をまき散らし、しかしそれに向き合わぬ王よ。今ここで、我が鎚で以って果てるがいい!』

 

 かくして、アレクサンドル・ガスコインと稲穂秋雅の戦いの幕が切って落とされることとなった。通常空間から切り離されたために離脱もできず、不本意ながら真っ当に戦うことになったアレクサンドルであったが、歴戦の神殺しである彼をもってして、稲穂秋雅という若い神殺しは、厄介の一言であった。

 

 尋常でない一撃を放つ鎚、結果として神速すらも上回る速度の転移術。そして何よりも雷を切り、弱める刀。これらを駆使する稲穂秋雅に、アレクサンドルは望まぬ苦戦を強いられた。他人を自分のペースに乗せるのがアレクサンドルの戦い方なのだが、稲穂秋雅にはそれがどうにも通じず、むしろあちらのペースに乗せられてしまったのが、苦戦の原因でもある。戦い方が似ているというのが、ある意味で最も面倒にかみ合ってしまったが故であったのだろう。

 

 結局、この戦いにおける結末はアレクサンドルの逃走で幕が引かれたが、それがアレクサンドルの功績によるかというと、些か怪しいものがある。彼がその場を去れたのは例の空間が消失したからであり、それが稲穂秋雅の死亡――もっとも、すぐさまに蘇ったが――に付随したものであったのは事実だ。しかし、アレクサンドルが彼を直接的に葬ったというわけではない。アレクサンドルがやったことといえば、痺れを切らした稲穂秋雅が放った、彼自身すら巻き込むほどに強力な権能をどうにか防ぎ、復活した稲穂秋雅が態勢を整える前にその場を逃げた、ということだけ。言ってしまえば、稲穂秋雅が自爆してくれたからこそ、アレクサンドルは最も不本意な結末――つまり、自身の死を免れたということになるのだろう。認めたくはないが、それがこの戦いの全てであった。

 

 この後に、相対者を逃した稲穂秋雅が、怒りのままに結社内で殺戮をもたらさなかったのは、ある意味では幸運であったと言うより他になかっただろう。もっとも、結社に来るまでの間で、幾人かは彼の手で討たれていたようではあるのだが。

 

 とにもかくにも、これがアレクサンドルにとって稲穂秋雅との最初の出会いである。そして同時に、以降幾度となくあった彼との闘いの記録の、その始まりでもあった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ところで、アレク。これからどうなさいますか?」

 

 アイスマンの問いかけに、アレクサンドルは過去から今へと意識を戻した。目の前で困ったような表情を浮かべる側近に、アレクサンドルは眉を顰める。

 

「どうする、とは何がだ? 奴が何をしようが、それで俺がどうこうするということはないはずだが」

「普段であればそうかもしれませんが、お忘れですか? 今回の一件、元を正せば貴方がかの女神を放置したことが、原因と言えば原因ということになります。となると稲穂秋雅からしてみれば、貴方の尻拭いをさせられたと思うのではないでしょうか」

「……奴が俺に対し、不快感を募らせる可能性がある、か?」

「おそらく。流石に今回は貴方の単独犯と思うでしょうから、末端を含めた我ら結社員自体が襲われることはないと思いますが……」

 

 そこまでを聞いたところで、アレクサンドルは立ち上がり、身支度を整える。それを軽く済ませたところで、アレクサンドルはアイスマンに向き直り、口を開く。

 

「遺憾ながら、俺は予定を繰り上げることにする。その間はいつものように、俺の所在を聞かれても知らぬ存ぜぬで通しておけ。一応、ここの者たちにはどこかに隠れるようにとも言っておいた方がいいだろうな」

「そうしておきましょう。私たちとしても、あえて虎の前に姿を見せる愚は犯したくありませんし」

 

 意味ありげなアイスマンの表情をあえて無視し、アレクサンドルは窓を開け、その身を稲妻に変じて部屋を出る。行先は決めていなかったが、とりあえずは何処でもいい。元々フィールドワークをしておきたいと思っていた候補のうちから近い――いや、今回は遠い場所から適当に選ぶことにしよう。

 

「万一にでも奴と出くわすと、文字通り余計な出血を強いられることになるからな……」

 

 まったく厄介な奴だ。余人とは隔絶した速度で世界をかけながら、しかし誰しもが普通にやるように、アレクサンドルは苦手な相手への悪態をこぼすのであった。

 

 




 さすがに今回は会談ではないので、今回はアレクサンドル一人の回想という形にしました。内容に関してですが、これはあくまでアレクサンドルから見た真実、ないし事実であるので、当然ですがこれが万人にとってのそれとは限りません。視点を変えればまた別の解釈というのは生まれるでしょう。実際、ウルたちからしてみればアレクサンドルは自分たちを襲撃してきた結社の頭ですし、秋雅からしてみればやっていることのわりに立ち位置が中途半端で言い訳の多い男となり、侯爵たちのように突き抜けた潔さみたいなものを感じられない相手、みたいな風になります。これもまた合っているとは限らないので、その辺りはややこしいところでしょう。一つ言えることがあるとするならば、日ごろの行いは大事だよね、ということになるでしょう。余談ですが、ウルたちは王立工廠に対するものほど、賢人議会に対し恨みなどを抱いたりはしていなかったりします。理由としては、彼女たちは当時、襲撃者はすべて王立工廠の手の者だと勘違いしていたからです。賢人議会の規模の小ささと、そもそも名乗ったりなどをしていなかったというのが大きいでしょうか。後日そのことを知った彼女たちですが、その時には今更という感もあり、秋雅のフォローもあり、ということで結局それほど意識はしていません。ですので、プリンセス・アリスとの仲などもそんなに悪いものではなかったり。

 次章は元の予定に立ち返り、原作六巻以降の話を書こうと思います。一応二部構成みたいな風を考えているので、前半のみとなるか、後半も含めて一章とするかという感じになるかと思います。もっとも、最近の状況から見るに、中々投稿速度は上がらないでしょうから、だいぶ先の話になるかもしれませんが……




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第六章 過去の因縁
過去の回想と、今日の始まり






 夕暮れ、人の少ない狭い公園。その公園内に、一人の少年が走っていく。年齢は一桁、小学生かどうか、といった頃合い。また、少年とは言ったものの、その容姿は少女然ともしている。年齢のせいか、中性的というよりは女の子っぽいとするほうが相応しく見える。恰好を女物にすれば、おそらくは少女であると誤解する者が多くなることだろう。

 

 そんな少年が、とても楽しそうな表情を浮かべて、公園内を見渡し、すぐさまにその視線を一点に止める。ろくな遊具もない公園の中にある、薄汚れた一つの小さなベンチ。そこに向かって、少年は喜色に満ちた表情で走り、そしてそのベンチに腰掛けている人物に声をかける。

 

『――ロキ!』

 

 少年の呼びかけに、男がゆっくりとその顔を向けた。彫が深く、見るからに外国人と分かる顔立ち。元の造りの緻密さと、感情を読み取れそうもない作り物じみた表情も相まって、あるいは人形と錯覚しそうになるかもしれない。加齢によるものとは思えぬ美しい白髪を伸ばし、座りながらも分かる長身をコートで包んだその男は、駆け寄ってきた少年を視界に収めつつ、さして表情を変えることもなく口を開く。

 

『よく来たな、我が友――秋雅よ』

『うん!』

 

 朗らかな笑みを浮かべ、少年が頷く。そうしてもなお、男は表情筋を動かす素振りすら見せないが、少年の側の表情もまた変わらない。そこには、傍目からは分からない、少年と男にのみ通ずる友情のようなものがあるのだろう。もっとも――

 

「――それを、俺は知っているんだがな」

 

 これは、過去の夢である。目の前の光景に対し、秋雅は冷静に眺めながら、夢の中で口を動かした。かつての記憶の場所に立ち、かつての自分がそこに在るのを眺めつつも、その思考回路に一片の迷いもないのは、これが幾度となく見た夢であるからだ。夢の中であるというのに、秋雅の思考は現実のそれと近しく、夢だからと無条件で受け入れるような感覚はない。夢での納得感と現実での理性的な判断が奇妙に融合していた。

 

 とはいえ、それも所詮は夢の中での思考である。夢から覚めた瞬間には、ああ、と何とも言えぬ感覚を覚えるのだが、それはそれだろう。

 

『ロキ、今日は何を教えてくれるの?』

『そうだな。今日は――』

 

 大人になった秋雅の前で、キラキラとした目をした幼い秋雅に、ロキと呼ばれた無表情な男が何事かを話し出す。その内容は途切れ途切れで、今の秋雅の耳には入ってこない。それはかつての秋雅が理解できず、今の秋雅に受け継がれていない知識なのだろう。これまでの夢の傾向から、秋雅はそのように判断していた。

 

「それでも、少しは理解できていたんだよな……」

 

 どこか懐かしそうに、秋雅が呟く。男が語る、世界の理や歴史、人が使う技術。そういったもののほとんどを、かつての秋雅は理解できなかったが、それでもなお、僅かばかりは自分のものと出来ていた。それも精々、学校での勉強を理解するきっかけという程度であったが、その程度でも秋雅は周りから褒められたので、秋雅は男によく話をせびっていたものだ。その際の語り口や視線の動かし方など、今の秋雅の振る舞いとして参考にしているところもある。ある意味において、王としての秋雅というのは、この男を模倣としているとも言ってよかった。

 

「しかし……」

 

 しみじみと過去を眺めていた秋雅であったが、ふとその眉を八の字に曲げる。彼にしては珍しい反応の仕方を見せたのは、目の前にいるかつての己に対し、思うところがあったからだ。

 

「子供とはいえ、流石に警戒心がなさすぎだなあ、おい。近所の公園で一人いる外国人とか、それ相応におかしいだろうに」

 

 外国人という記号に対して思うところがあるわけでは勿論ないのだが、流石に状況的に怪しいだろうと、秋雅は呆れ混じりにため息をつく。特に相手は無愛想だと全身で表現しているような人物なのだから、多少は訝しんでもおかしくはないんじゃないか、と改めて確認してみるとそのような感想が浮かんでしまう。

 

「まあ、当時の俺は二分すれば馬鹿側だったから、仕方ないと言えば仕方ないのかね。コイツと出会った時も、好奇心以外の感情が出ていた覚えがないし……ああ、そういえば、しばらくロキの名前のことも『六木』だとか妙な勘違いしていたなあ。どうみても外国人だろうに」

 

 なんとなく恥ずかしいものだと、秋雅は顔を手で覆う。そんな風にして、気恥ずかしさと共に過去を振り返っていた秋雅であったのだが、その表情がふと、真剣なものに変わる。そうなったのは、周囲の景色が突然、のどかな過去の公園から一変し、暗く圧迫感のある路地裏へと移ったからだ。

 

 馴染みある日本の一角ではない、かつて家族旅行で訪れた北欧のある街。たまたま迷い込んだ、秋雅にとって決して忘れることが出来ない場所。そのかつての光景を前に、秋雅はわずかに目を細める。

 

「……そうか。今回はもう(・・)なんだな」

 

 呟く秋雅の前に、いつの間にか、一人の少年が立っていた。背が低く、まだ幼さの残る顔つき。女顔よりの中性的、といったような風体のその少年は間違いなく、十四の頃の『稲穂秋雅』だ。

 

 そんなかつての秋雅の前に、一人の男が立っている。先ほどの『一つ前の過去』に出ていた、外国人風の男である。しかし、先ほどと違い、二人の間に友好的な空気は感じられない。

 

 そうなっている要因は、男が持つ一振りの刀にあった。路地裏に差し込む光を反射し、鋭利な刃を冷たく光らせるそれは、よく見るまでもなく、後の秋雅の愛刀となる一振り――すなわち『雷切』であることが秋雅に分かる。無論、それは今の秋雅であって、過去の『稲穂秋雅』には、それはただ、剣呑な雰囲気を醸し出している一振りの真剣でしかない。その抜身の日本刀と、何よりも男が醸し出す、身を切るような冷たい殺気が、少年に困惑と恐怖を感じさせているようであった。

 

『我が愛しき友よ、今こそ始まりの時だ。我らの儀式を、今こそ執行しよう』

『何を……何を言っているんだ、ロキ? こんなところで急に、久しぶりに会ったってのに、まるで訳が分からない!』

 

 混乱の混じった、悲鳴じみた叫びを少年が上げる。しかし、それに対し男は、聞く気もないと言わんばかりに、小さく首を横に振る。

 

『分かる必要はない、我が友。分からぬからこそ、只人であるからこそ、お前こそが最も相応しいのだから』

『何を――』

 

 なおも問い質そうとした少年に、男は手にした刀の切っ先を向ける。ぶれてこそいないが、その刃はまっすぐではなく、達人と呼べるような技量はないと、今の秋雅には見て取れた。だが、だからといって、それがかつての『秋雅』に対し、何かプラスに働くことはない。武術の心得などまるでないその少年は、自身に向けられたその刃に対し、言葉に詰まりながら後ずさる。

 

『あの男を――『救世を運命づけられし者』を、討つ。それには、これこそが最も近しい手であるのだ』

 

 言い切ったと同時、男の手の中から刀が消えた。一拍の後、路地裏に甲高い金属音が響く。消失と同時、男と少年の中間である空中に出現した刀が、重力に従って地面に突き刺さったのだ。

 

『取れ、我が友。そして――我を討て(・・・・)

『なっ……!?』

 

 刀の消失に目を見張っていた少年が、男が放った言葉に絶句する。当然と言えば当然の反応だろうが、それは男にとっては、許容可能なものではなかったのだろう。まるで、鈍い少年の反応に苛立ったかのように、男は伸ばしたままであった手を、荒々しく横に振るう。

 

 すると、その動きに合わせるように、少年の足元の石畳が弾けた。巻き起こった音と衝撃に、少年は思わずたたらを踏み、ぎょっと足元に視線を向ける。そんな少年に、男は振り戻した手先と共に、冷徹な視線を向ける。

 

『取れ、友よ。さもなくば我がお前を討つ。今更、どんな手を、などと聞いてくれるなよ。我にはそれだけの、今はお前の理解の範疇にある力がある。ただ、それだけだ』

 

 付き放つように言い切り、男は数秒ほど瞑目する。その後、いっそうに冷たい視線を少年に向け、男は最後のチャンスと言わんばかりに宣告する。

 

『さあ、選べ! 獣のごとき本能ではなく、人としての理性でもって! 己の死という最大の不利益を逃れるために、我に死を与えるのだ!』

 

 生きるために、自分を殺せ。意味の分からぬ、理解不能な要求。それに、少年はまた一歩、後ずさる。少年の反応に、男の表情に、わずかな失望の色が浮かんだ。はあ、と声にならぬほどに小さくため息をついて見せた男であったが、刹那の後、その目を見開いた。

 

『っ――ああああっ!!』

 

 本能に直結した叫びと共に、少年がその足を動かした。逃走のための後退ではなく、殺すための前進。『選んでしまった』少年の姿に、秋雅はわずかに目を細める。それが、理性的な取捨選択であると同時に、ただひたすらに、男に失望されることを嫌ったがための、くだらない意地を根幹とした感情的な判断あったことを、今の秋雅はよく知っていたからだ。

 

 好きだったのだ。この、目の前の男が。おそらくは……今、この時も。

 

『そうだ! それでいい!!』

 

 そんな二人――否、一人の哀愁や感傷を、どうにも判断できない感情の噴出を、果たしてこの男は理解していたのだろうか。静かに見つめる秋雅の前で、前のめりに走り出し、勢いのままに突き立てられた刀を抜き去った少年に、男は歓喜の表情を浮かべ、それに似合う声で叫ぶ。

 

『それでこそ、それでこそお前は、我が――』

 

 鈍く、肉を貫く音と共に、男の声が途切れる。代わりに響くのは、肩を大きく上下させながら放たれる、荒々しい少年の息遣いのみ。それ以外には何の音もせず、まるでこの路地裏だけが世界から切り離されたようにすら感じられる。そんな、無音に近い状態が幾秒か続いた後、ゆっくりと男が口を開く。

 

『――よくやった、我が友よ』

 

 褒めるように、男が少年の肩を抱いて言う。胸元には刀の柄が突き立てられ、その背からは鋭い切っ先を見せている状態でありながら、その声には一切の震えがない。

 

『これよりお前は、神殺したる魔王となる』

 

 男の語りと対称的に、語りかけられている少年の身体が小さく震えていた。手や足、そして呼吸に至るまで、少年の身体は平常から遠く離れた状態にある。

 

『お前はこれから、様々な戦乱に巻き込まれるだろう』

 

 しかし、そんな中でも、一つだけ定まったものがあった。それは少年の、自身の手をまっすぐに見る視線。自分の行いから目を逸らせないという後悔の発露であり、それと同時に、絶対に目を逸らしてなるものかという、ようやくに見せた彼の矜持でもあったかもしれない。

 

『我が同胞と戦うこともあるだろう。お前の同胞と戦うこともあるだろう。しかし、お前に敗北はない』

 

 愛おしげに、男は少年の背に手をまわし、抱きしめる。いつの間に始まったのか、男の足が、手が、光の粒子として崩壊していくのが見える。自身の最期も、さらに深く突き刺さる刃も気にするそぶりもなく、男は少年の耳元でささやく。

 

『愚かにして、親愛なる我が友よ。戦いと勝利でもって、我を楽しませるがいい。我を嗤わせるがいい』

 

 少年には見えぬ角度で、男は愉快そうに顔を歪め、嗤う。男の身体の崩壊は、すでに胴体部や頭部にまで回っている。

 

『我はいつも、お前を見ているぞ……』

 

 そして、この言葉を最後として、男は光となって消失した。貫いていたものを失った刀が落ち、しかし少年が柄から手を放していなかったために、刀は切っ先のみを地面に叩きつけ、場違いなほどに澄んだ音を鳴らす。

 

『俺は…………』

 

 一人残った少年は、弱々しく、小さく、その口を動かしながら、その場に両の膝をついた。ようやくと少年の手から離れた刀の、その鍔と柄が微かに落下音を響かせる。力なくうずくまった少年は、その表情をくしゃりを歪ませ、そして――

 

『――三度目の正直とは、正にこのことね。準備しておいて正解だったわ』

 

 ふと、声をかけられた。気の抜けた、若い女の声だ。突如として響いたそれに、少年は目に涙を滲ませながらも、ゆっくりと周囲を見渡す。だが、何度首を動かしても、少年がその声の主を見つける様子はない。それは、観測者であり、少年よりも視野の広い秋雅にしても同じだ。ただ、少年――かつての自身と違い、今の秋雅にはその声は、かの真なる女神のものであることを知っていた。

 

『今度こそは、と言っていたけれど、本当に実行させて見せた、か。相変わらず、神の意表をつくのは抜群に上手い男だったわね。まつろわぬ神でありながら、自ら人間に、己を討たせるなんて。まったく、本当によくやる……』

 

 呆れと感嘆で半々といった口調で、女――パンドラはしみじみと呟く。

 

『まあ、いいわ。『例外』じみてはいるけれど、神殺しが成ったのは紛れもない事実。叶えてあげるわ、ロキ。貴方の望んだ、貴方が見繕った、新たなる神殺しの誕生を!』

 

 そのパンドラの宣言と同時、少年の身体が突如として倒れこんだ。悲しみの涙を流しそびれたまま、儀式の執行に伴いって意識を奪われかけている少年に対し、女神の一方的な祝福の言葉が続く。

 

『ようこそ、私の新しい息子。これより貴方は新たなる存在として生まれ変わる。先達と同じく、しかし異なってもいる、新たなる神殺しの戦士として。かの神の望むままに動くか、それとも背いてしまうか。それは貴方自身が決めなさい。自由に、何物にも縛られず、貴方自身の道を進みなさいな!』

 

 そして、この言葉の再生を最後として、秋雅の周りの景色が崩れていく。まるでジグソーパズルのピースを崩すかのように世界が壊れていき、ついには秋雅の足元すらも崩壊してしまう。抵抗するそぶりもなく、秋雅は夢の中の落下に身を任せていき…………

 

 

 

 

 

「……う、ん」

 

 そこで、目が覚めた。いつもと変わらぬ、自室の天井を見上げてから、秋雅はゆるりと身を起こす。

 

「また、あの夢か」

 

 軽く髪をかき上げて、秋雅は小さく呟く。今までに幾度となく見た、かつての回想としての夢。これまでの経験として、事象の大小はあるものの、この夢を見ると決まって、近日中に『何か』が起こることを秋雅は知っている。また面倒ごとか、と秋雅は起きて早々にため息をつく。

 

「どうせなら発生じゃなくて、内容を予知したいもんだが…………」

 

 ぼやきながら、何か連絡が来ていないかと、枕元に置いてある携帯電話に手を伸ばす。

 

「……あん?」

 

 眉を顰め、怪訝そうな声を出す。手に伸ばした先、そこにあったものを掴んだ感触がいつもと違う。はて、と思いながら手元に寄せ、実際に確認してみてようやく、秋雅は納得したように頷く。

 

「そういえば、ウルの作った奴に変えたんだったな」

 

 うっかりしていたと、秋雅は空いた方の手で頭をかく。昨夜、自身の携帯電話をウルが自作したものと交換していたのを、すっかり忘れていたのだ。

 

「『新作』を放り込んだ、と言っていたが、俺が使う機会はなさそうなんだよなあ。情報収集だけならともかく、『エミュレート』する機会は……っと」

 

 呟きつつメール等の確認をすると、新着が二つある。秋雅が自身の協力者――知人にカテゴライズするにはやや遠い、というくらいの距離の相手が主になる――に教えている連絡先の一つから転送されたものであり、差出人に関しては、一つはアメリカにいる知人の一人、そしてもう一つはクラネタリアル・バスカーラとなっている。前者はともかくとして、後者には特に教えた覚えはないのだが、あの有能な隷属志願者のことだから、どうにか調べ上げるなりしたのだろう。あるいは、彼の所属結社である『永劫の安寧』自体に、秋雅の知人の誰かしらが所属している可能性もあるだろう。使用を許可したわけではないのだが、連絡先を伺うのもはばかられたとでも返してくるか、違うにしても何かこちらを不快にさせないような物言いをしてくる気がする。まあ今回はいいだろうと、秋雅は二つのメッセージのうち、まずはアメリカから来た方に目を通す。

 

「……スミスが《蠅の王》を滅ぼしたか。流石だな」

 

 記されていた内容を簡潔に纏め、秋雅は盟友に対し賛美の言葉を贈る。まつろわぬ蛇神へと変じた神祖を討っての、華々しき勝利の一報。それは秋雅にとっても、十二分に喜ばしい報告であった。

 

「これは彼に何か、お祝いの品の一つでも送ることを考えておくか」

 

 友の勝利に、少しばかり機嫌を良くしていた秋雅であったが、もう一つのメッセージを読み進めていく中で、その表情をわずかに曇らせる。

 

「陸鷹化に来日の気配あり……《五嶽聖教》に大きな動きはないということは、彼個人の――いや、羅濠教主の指示の方がありえるか。となると…………」

 

 トントンと数度、秋雅はこめかみを指で叩きながら、何事かをぶつぶつと呟く。しばしその体勢のまま、秋雅は思案を重ねる。

 

「……そうだな。最大限の警戒をする必要があると見よう」

 

 少しして呟き、秋雅はクラネタリアルに対し、返信のメールを打つ。普段であれば間に誰か――大体は三津橋がそれに当たる――を挟むところだが、それなりに急ぎの案件であるということで、珍しく直接返信をすることにしたのだ。

 

 そういうわけで、さっくりと文面を書き終え、いざメールを出そうとしたところで、ふとその手を止める。そしてまたしばし、考えるそぶりを見せた秋雅であったが、

 

「まあ、この方が面倒はないだろうさ」

 

 と言って、書き上げたメールの末尾に、秋雅に直通のメールアドレスと電話番号を更に書き足す。プライベートのものではなく、カンピオーネとして活動する際の連絡先として用いているものであるが、それでも知っているものは数えられるほどしかいない。普段であればホイホイとは教えないものだが、なんだかんだ言って、クラネタリアル・バスカーラという男は優秀であり、なおかつ癖のある人物だ。下手に仲介を立てるよりは、直接連絡が取れた方が、秋雅としてもスムーズに事が運びそうだと判断できた。

 

「しかし、王への直通連絡手段となると、それこそが報酬なんてと言ったりするかな。あの大仰な男なら、なんとなく言いそうな気がするが……」

 

 などと嘯きながら、秋雅はようやく返信のメールを出す。間違いなく送られたことを確認し、秋雅はようやく寝台から腰を上げる。

 

「さあて、準備するか。いい加減、顔の一つも洗わんと。そのあとは朝食で、道場には早めに行くか。羅濠教主の件もあるし、師匠には徒手空拳での相対をお願いするかね」

 

 先に起こりそうな『何か』も大事だが、まずは今、この日を始めるためにやるべきことすべきだろう。そんなことを思いながら、秋雅は朝の身支度を整えに、寝室を出るのであった。

 







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再びの鍛錬

 秋雅が功刀の道場を訪れたのは、昼はまだ先という頃合いであった。朝の身支度等を済ませ、道場に一報を入れたところ、

 

『俺も午後に用事が入ったから、早い方が都合いい』

 

 という師匠――功刀の返答があったため、普段よりもずいぶん早い訪問となった。寂れた門をくぐり、道場の中に入っていくと、奥の板の間に気配がある。功刀のものだ、とすぐに察した秋雅は、あえてそのまま奥に行かず、手前にある着替え部屋に入る。突発的に訪れた、という場合でもない限り、そういう風にするのが常であったからだ。来て、道着に姿を変え、相対する。そういうサイクルである。

 

 かつて、私服で戦うか、という提案を功刀からされたこともある。実戦で服を着替えることなんてない、おおよそそういう時は私服で戦うことになる。それが、功刀が提案を投げた理由である。それもまた道理なのだろうが、結局秋雅はその提案を辞退した。汗の問題等も勿論あったが、それ以上に、道着によって思考を『切り替える』ことを望んだからである。これはあくまで『鍛錬』と『試合』であり、『殺し合い』ではないということを戒めるための切り替えだ。

 

 ここを怠り、反射的に権能を使ってしまうようなことがあれば、まったくもって意味がない。権能とは関係のない部分を伸ばすための道場通いであるし、そもそも功刀は魔術に関係ない人間だ。そこの区切りは絶対に必要であり、そのための切り替えスイッチとして秋雅は道着を纏うということを選んだのである。

 

「…………うん?」

 

 そのような前提もありつつ、いつものように着替え、気持ちを切り替えていて秋雅であったのだが、その最中でふと、微かな違和感を覚えた。確かなことは言えないのだが、誰か――自分や功刀以外の誰かがここを利用したような気がする。はっきりと根拠があるわけではないが、妙に気になる。

 

「新しい弟子でも取ったのか?」

 

 だとすれば珍しいことだが……などと考えつつ、一先ず思考に区切りをつけ、着替えを終えた秋雅は部屋を出て、改めて奥の板の間に足を踏み入れる。

 

「――おはようございます、師匠」

 

 入ったと同時、軽く頭を下げながら言うと、やはり、道着を纏った功刀がそこに居り、秋雅に対して軽く手を上げて応える。

 

「おう、来たか」

「はい。お久しぶり……ですかね?」

 

 考えてみれば、道真と戦った直前――梅雨の時期から今まで、この道場を訪れていない。今がもう秋頃であると考えると、それなりに長い時間が経っていた。

 

「ずいぶんとご無沙汰だったのは事実だな。アルバイトが忙しかったってところか」

「ええ、色々とありまして」

「まあ、適度に忙しいのは良いこった。それで、今日は徒手空拳でやりたいって話だったな?」

「はい。あるいは、近日中に『使う』かもしれませんので」

 

 そう答えた秋雅の脳裏に、一人の女性の姿が浮かぶ。ゆるりとした漢服に身を包み、悠然と佇む見目麗しい女。そしてまた浮かぶのは、その美女が放つ、目にもとまらぬ数々の武技。名を、羅濠教主。権能による金剛力と、修練の果てに身に着けた武功を持つ、神殺しの先達。魔術戦もさることながら、こと格闘能力に関しては並ぶもののないほどの女傑である。

 

 そんな彼女と秋雅の関係は、現時点においては、決して敵対的なものではない。少なくとも、目が合ったらすぐに戦う、というような致命的な間柄ではなかっただろう。

 

 だが、朝の一報が、それを変じさせる可能性を秋雅に見せた。彼女の弟子がこの国を訪れるという、かの知らせ。決して確定したわけではないが、ひょっとすると矛を交えることになるかもしれない。それくらい、神殺しの間の繋がりというのは、常に変動の可能性を含んでいるものなのだ。

 

 だから、

 

「すみませんが師匠――ちょっと今の俺を『試させて』貰えますか」

「へえ、言うじゃねえか」

 

 面白そうに笑い、功刀はスッと立ち上がる。ただ立ち上がっただけに見えるが、しかしその全身からは確かな殺気が放たれている。相対してくれるという合図だと受け取り、秋雅は軽く左足を引き、右半身を前に構える。

 

 対し、功刀は自然体にしか見えない立ち姿を崩さない。隙だらけに見えるが、実際はどのように打ち込んでもすぐ様に反応されるだろう。未だ修行の身と自覚している秋雅ですら、その程度のことはすぐに察せられた。

 

「ふぅー…………」

 

 相対しつつ、秋雅は細く息を吐きだす。腰を軽く落とし、身体の各所の筋肉にわずかに力を入れ、如何様にも動けるように準備する。

 

「では――指南願います!」

 

 床を強く踏みしめ、そして蹴りだす。一駆けで距離を詰め、勢いのままに左膝を功刀に放つ。

 

「おう、来いや」

 

 気の抜けた口調と共に、功刀は秋雅の初撃を片手で受け止める。『入った』感触はない。だが、受け止められるのは予想通り。膝を抑えられた体勢のまま、秋雅は右足で床を蹴り、受け止められた膝を軸に、功刀の顔面に対し回転蹴りを放つ。

 

 しかし、それに対する功刀の反応もまた早かった。秋雅の動作と共に掴んでいた膝を放し、僅かに足を引くことで秋雅の蹴りを鼻先で躱す。間合いの見極めが上手い、と感嘆を言語化する暇もなく、秋雅は振り回した足を戻し、バネのように身体を屈める形で着地。一瞬の思考の後、後方ではなく前方に身体を跳ね上げた。

 

「ほう!」

 

 感心したというような声を漏らす功刀に反応を見せず、秋雅は彼の胴体に右肩をぶち当てる。手足によるガードはなかったにもかかわらず、功刀は平然と秋雅の突撃を受け止めてしまう。下っ腹に力を入れた、程度ではない。腹筋と体幹、脚力を用いた合わせ技だ。

 

「今日は攻撃的じゃねえか!」

「ッ!」

 

 背に感じた攻撃の気配に、秋雅はとっさに後方へと身体を跳ねさせる。一秒とない視界移動で見えたのは、右肘を勢いよく振り下ろしている功刀の姿。あと一瞬反応が遅れていれば、おそらくその鋭い一撃が秋雅の背骨をしたたかに打ち付けていたに違いない。

 

「ちっ……」

 

 着地し、改めて体勢を整えなおしながら、秋雅は小さく舌打ちをする。

 

 苛立ちがあった。しかし、それは功刀に防がれていることにではなく、自分の未熟さに対してだ。そもそも、今回の修練の目的は、仮に羅濠教主と対ずることになった場合、それなりに張りあえるようにすることである。だが、そんな目的に反して、今の秋雅の攻防は、まるで見るに堪えないものだ。

 

 防がれては駄目なのだ。受け止められては駄目なのだ。一撃必殺の武技を放つ彼女に対して、下手に足や手を取られるのは致命的な隙になる。掴まれ、そのまま手刀を下ろされる。あるいは掴まれたまま、その剛力で握りつぶされるだけでも十分すぎるほどに恐ろしい攻撃となりえるだろう。

 

 そんな相手を想定しておきながら、この体たらくは何か。そもそも前提が駄目だ。選択が駄目だ。戦法が駄目だ。

 

 やるべきは回避、そして絶え間ない攻撃。決して相手に捕らわれず、常にこちらが攻め続ける。

 

 それでなければ、意味がない。それでなければ、勝てない。

 

 大きく息を吸い、吐き出す。自身の心を定め、これからの動きを想定し、それを成すための更なる動きを定めていく。

 

「――参る!」

 

 再び、気合と共に駆け出す。拳を引き、抜き打つと見せ、正面まで跳ぶ。当然、これほど愚直な攻撃に、功刀が対応できないはずがない。あちらもまたわざとらしく、カウンターを取ると言いたげな姿勢を取ってくる。

 

 故に、跳ぶ。正面、拳の射程範囲に入る直前で、右前方に身体を跳ばす。功刀もまた追ってくるが、それから逃げる、あるいは先を取るように、秋雅は功刀を中心とした右回転を続ける。横跳びではなく、斜め跳びといった形で累計三度右に跳び、次で一周、というタイミングで今度は左に跳ぶ。

 

 しかし、やはり功刀もついてくる。多少のフェイトではやはり、『このレベル』には通じない。右、左、左、左、右と、続けざまに身体を跳ばすが、どうしても隙は見いだせない。それでも押し通すか、否か。

 

 否、と秋雅は自答する。相手を羅濠教主と想定している以上、力押しはそれ以上の力で返される。相手には触れられず、こちらは有効打を放つ。そういう動きでなければ『この相手』には勝てない。だが、それにはどうするべきか。

 

 そう、秋雅が思考を巡らせた、その瞬間であった。

 

「いい加減、面白くねえよなあ」

「くっ!?」

 

 突如、秋雅の顔面に拳が迫った。秋雅の動きを捉えた功刀により、抜き打ちで放たれたそれを、秋雅はとっさに手で払い、躱す。しかし、功刀の追撃も止まない。拳、手刀、膝、蹴りと、続けざまに攻撃を放ってくる。避けようとした秋雅であったが、距離が絶妙に近いのと、何よりも功刀の攻撃が速いために、いなす、受けるといった、どうしても『当たった上での回避』しかできない。防御としては上々の対応であり、攻撃自体はしっかりとさばけているので、ダメージはほとんどないと言っていい。

 

 だが、それでは駄目だ。(・・・・・・・ )

 

 避けなければならない。触れられてはならない。触れられるということは、あの妙技と金剛力の餌食になるということだ。それでは彼女(・・)には――

 

「――おい、馬鹿弟子」

 

 気のない、しかし怒気の混じった声。それが耳に届いたと秋雅が知覚した、まさしくその瞬間。秋雅の身体は宙を舞っていた。

 

「なっ――!?」

 

 意識を一瞬失っていた。そう誤解しそうになるほどに、秋雅にとってそれは、突然の事態であった。しかし、そんな状況であれ、戦い慣れした秋雅の身体は、最適な行動を取った。すなわち、吹き飛ばされた全身を制御し、衝撃を極力逃がせるように、しなやかに着地する。

 

 足をつけ、衝撃をコントロールしきったところで、初めて秋雅は、腹部の鈍痛に気が付いた。痛みすらも遅れさせるほどに速く、強力な一撃。それを放たれたのだと察し、秋雅は思わず瞠目する。予想以上の技に驚愕する秋雅に対し、功刀はつまらなそうな表情を浮かべつつ口を開く。

 

「ったく、馬鹿弟子が。秋雅、お前は頭がいいが、時々変なところでしくじるのが玉に瑕だな。慣れてねえとはいえ、これはちょいと頂けねえ」

「……どういう意味でしょうか」

「分からねえか? だったらこう尋ねてやる。秋雅、お前はこれまで誰かを倒すために(・・・・・・・・)鍛錬を重ねたことはあるのか?」

 

 数秒、秋雅は投げつけられた言葉に対し、頭を巡らせた。質問自体と、そのような質問をされた意味を考える。誰かを倒すため、とはどういうことか。

 

 そして、数秒の後。

 

「……失礼しました、師匠。些か、浮足立っていたようです」

 

 そうか、と納得の表情を浮かべた後、秋雅は深々と頭を下げた。自分の行動が、師に対する侮辱であると察したからである。仮にも真剣な相対を望みながら、その相手である師に他人を投影し、その投影した相手のみを見ていたということに気づいたのだ。功刀の問いかけから、秋雅は自分がそのようなことをしていると理解できたのだ。

 

 そもそも、考えてみれば、今まで秋雅は多様な方法で自らを高めてきた。だが、それに際して『誰かに勝つために』と明確な目標を決めたことはない。それは秋雅の敵が、常に突発的に現れてきたからだ。

 

 例えば、スポーツの試合であれば、相手のことを調べるのは容易いだろう。誰々と戦うことが決め、それが何時かを決め、そして戦うという流れであるために、その流れの中で情報を集めることは難しくない。そしてそれを基に、対策としての専用の練習を行うというのも、またそう難しいことではないだろう。

 

 だが、秋雅の戦いは、そして鍛錬はそういう流れではない。敵が誰かというのはほとんど直前、あるいは最中にしか分からず、故に事前の対策を立てることがない。敵と対峙する前に鍛錬を挟む、ということも一度としてない。だから秋雅にとって修練とは、明確な目標に向かって行うものではなく、ただ自分の地力を高めるだけに行ってきたものだ。

 

 そんな秋雅であったが、確定していないこととはいえ、初めて『明確な相手(羅濠教主)』との戦いを待つ状況となった。そして、そんな相手に対し、対策に励むことが出来るかもしれないという手段もまた持っていた。そんな状況は、あるいは初めてのことであり、言ってしまえば『ビビって』しまっていたということなのだろう。勝てないかもしれない、と事前に理解していたからこそ、それを覆すためにある種の暴走をしていたのだ。『誰かを倒すために』という功刀の言葉から、秋雅はこの事実と自らの愚行に気づいたのである。

 

 だが、だからと言って、自己弁護するわけにはいかない。これは師に対する無礼であり、暴挙である。故に、秋雅は素直に、すぐさまに頭を下げたのである。

 

 そんな秋雅に対し、功刀からはやや驚いたような雰囲気が感じられた。謝ったことが意外、というよりは、おそらくこうも早く秋雅が察したことに驚いたのであろう。

 

「相変わらず、無駄に頭の回る奴だな……まあ、そういうこった。明確な目標を持つのはいいが、だからって目の前の相手を蔑ろにしているようじゃ、誰にも勝てねえぞ」

「はい、肝に銘じます。重ねて申し訳ありません」

「まあ、今回はすぐに理解できたようだし、もうしくじらないってならそれでいい。その上で、ちょいと『見せて』やるよ」

 

 その言葉と共に、やや弛緩しかけていた空気が一気に引き締まった。雰囲気の変化に秋雅が顔を上げると、功刀が軽く足を引き、こちらに対し構えている姿がある。その変化につられ、秋雅もまた気持ちを切り替え、同じように軽く構える。

 

「さっきのだがな、実際は今のお前なら、まあ頑張れば対応できるはずだ。久々に、ちと教導してやる。ゆっくりと見せてやるから、よく見ておけ」

 

 言いながら、ゆっくりと功刀は身体を動かしていく。非常に微弱な動きであり、一見すると姿勢を変えていないとも思えるほどなのだが、不思議と秋雅には、その動きを知覚することが出来ていた。

 

「分かっているとは思うが、何事においても、『見る』ってことは重要だ。僅かな相手の動きを見て、それが何に繋がるのかというのを理解すれば、更に先も予想できるようになる。まあ、その辺はお前も十分に理解しているし、ある程度は実践できているはずだ」

 

 気づけば、功刀の立ち姿は始まりの時とすっかり変わっていた。一つ一つの変移が非常に小さく、あまり自然に体勢を変えていたために、ずっと見ていたにもかかわらず、自分の目の方を疑いそうになるほどの妙技。それを前に、秋雅は息を大きく吐き出す。

 

「だが、相手だけを見ているようじゃまだまだだ。周りの空気の動きや、踏みしめる地面の僅かな変化もきっちりと見ていけ。そうすりゃ、僅かな動作から次の動きが分かるようになる。一つに集中しすぎても駄目だ。鋭敏化させた集中力はそのままに、それを全体に広げていけ。全てを見逃さす、自分の中で組み立てろ。そうすりゃ、予知に近い予測だって出来るようになる――」

 

 来る。理屈よりも早く、秋雅はその二文字を意識した。限りなく反射的に、両腕を胸の前で交差させながら、しっかりと床を踏みしめ、その場に身体を留める。

 

 そして、

 

「――ったく、マジで優秀な弟子だ」

「恐れ入ります」

 

 両腕の痺れを知覚しつつ、目の前で苦笑する功刀に対し、秋雅は神妙な表情で返した。瞬間そのものは、見えなかった。身体をそうと操ったのも、ほとんど勘のようなものであった。

 

 だが、今度は対処できた。両腕にこそ拳は突き立てられているが、秋雅の身体はその場から一歩も動いていない。完璧とは言い難いが、先ほどは知覚すらできなかった攻撃を、一応は防ぎきったのだ。

 

「まあ、これで勘のとっかかりは出来ただろう。こっからはあえて『見せる』ような真似はしねえ。真面目にやってやるから、お前もついてこい」

「はい」

「ああ、それと俺はたぶん明日から当分いねえ。その分今日は昼までみっちり仕込んでやる」

「分かりました。では――」

 

 頷き、二人はその場を飛び退る。十分な距離を得て、改めて秋雅は対処の為に構え、待つ。

 

「胸、お借りします」

「おうよ」

 

 そしてまた、おおよそ二時間ほど、秋雅は新たなる鍛錬に励むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ、と。ちょいとばかし、疲れたか」

 

 秋雅が帰った後の道場で、功刀は首を鳴らしながら呟いた。彼以外居ないその板の間で、身体をほぐすように右肩を大きく回す。

 

「まったく、末恐ろしいもんだ。とっかかりを与えりゃ、いつの間にやら真似事程度は出来るようになりやがる。最後の辺りはかなりやばかったし、流石はカンピオーネ(・・・・・・・・・)ってところか」

 

 サラリと、秋雅が決して話していないその正体を口に出しながら、功刀はパチンと指を鳴らす。途端、功刀が纏っていた服が姿を変じた。造りとしては洋服のようだが、どこか漢服の雰囲気もある、ゆったりとした服。魔術によるものであると、魔術師の一人もいればそう指摘するだろう。だが、実際にこの場にいるのは、功刀一人である。誰に指摘されるでもなく、功刀は面白そうに口角を上げる。

 

「一つ一つきっちり仕上げ、必ず成長していく。全体をまんべんなくやっているからちと遅いが、果ては文字通りの器用万能、まさしく大器晩成ってところか。まったく、楽しい野郎だ」

 

 そこまで呟いたところで、功刀はふと、考え込むように顎を撫で始める。

 

「しっかし、秋雅のあの態度は何があったのかね。序盤の動きの硬さを見るに、羅家の女傑辺りに絡まれたか? 欧州の天才剣士っぽくは見えねえし、他の神殺し相手ってのもそんな気がしねえ。まあなんにしても、如才ないあいつにしちゃあちょいと珍しい――っと」

 

 言葉を切り、功刀は懐に手を入れる。取り出した携帯電話の画面を軽く一瞥し、流れるように電話に出る。

 

「功刀だ……ああ、そりゃちょいと無理だ。今日はこれから用事があってな。ひょっとすると長く空ける可能性もあるから、当分はこっちに来ても意味ないぞ…………そういうこった、とりあえず自己鍛錬でもしていろや。じゃあな、五月雨」

 

 最後にそう言って、功刀は電話を切る。

 

「仮にも室長様だっていうのに、フットワークの軽い奴だ。その辺は秋雅と同じだが、その秋雅と同じ道場に通っているなんて知ったら、流石に来なくなるか? その辺、三津橋はどう言って誘導したのやら」

「――くっくく。楽しそうだねえ、功刀」

 

 突如、女の声が板の間に響いた。脈絡のなく生じたその声に驚くでもなく、功刀は面倒くさそうに鼻を鳴らし、後ろを振り返る。

 

「前から言っているが、転移と隠れ身の魔術を合わせて勝手に入ってくんじゃねえよ。神祖様にはプライバシーって概念がないのか?」

「神祖様だなんて、そんな他人行儀な呼び方はショックだねえ。もっと愛を込めて、お義母様(・・・・)と呼んでもいいんだよ?」

「百だが二百だか前に拾って、ちょろりと育てた程度で母親面してんじゃねえ。アンタに恩を感じることがあるとしたら、あんまり老けもせずに今も生きている程度だ。というか、いい加減姿を見せろ。このまま喋るのは面倒くせえ」

「くっくく、相変わらず口の悪い子だねえ」

 

 ゆらりと、空間が歪む。魔術による隠蔽の膜から、一人の女が現れた。長い赤色の髪をさらりと流し、同じく赤色の瞳を楽しげに輝かせたその女は、自身と対称的な表情を浮かべている功刀に対して、頷きながら口を開く。

 

 

「それじゃあ、功刀。ミスティさんの悪だくみに、ちょいと付き合ってもらおうか」

 

 

 




 ちょっと思うところがあったので、一部権能の名前を少々変更しました。しっくりこなければまたいじるかもしれません。






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一つの提案






「……やれやれ、やっと着いたか」

 

 成田国際空港、中国より到着したその便から降りながら、一人の少年が気だるげにつぶやく。名を、陸鷹化。カンピオーネが一人、羅濠教主の直弟子であり、この歳ながら名人と呼ばれるほどの実力者であった。

 

 そんな彼が今、大陸からわざわざ日本まで来たのは、ひとえに師である羅濠教主の命があったからである。とある理由で来日を決めた師の為、その露払いを果たすために来たのだ。

 

 当然、そんな彼のテンションは高くない。仕損じれば師からどのような折檻を受けるかも分からぬ、ということで精力的に動いてはいるが、その分意気揚々という気分になることもない。元より天真爛漫に生きている性分ではないが、傍から見てやる気があるようには見えない態度をしていた。無論、師の前ではそれを隠す程度の器量はあるのだが。

 

 出口を求め、空港を歩く鷹化であったが、ふとその足が止まる。視線を感じたからである。外見と場所の差異から来る奇異の視線ではない。明らかにこちらを探りつつ、それでいて若干の殺気を混ぜている。それなり以上の手練れが主であろうと、そう分かるような視線であった。

 

 見た目からはそうと分からぬ程度に、鷹化は足に力を籠める。すぐに動けるように、と警戒しつつ、ちらりと顔を視線の主へと向ける。

 

「……あれか」

 

 鷹化が見つけたのは、一人の女性であった。外見からするに、三十代くらいかというやや長身の女。瞬間、嫌気が鷹化の内に生まれる。主に師の影響で女嫌いを発症している彼にとって、こういう形でも異性と『交流』しなければならないというのは気乗りしない。面倒な、と思いながら鷹化が視線を返すと、こちらをじっと見ていたその女は、ふっと勝気な笑みを浮かべ、ゆっくりとこちらへと歩いてきた。

 

「やあやあ、お初にお目にかかります。陸鷹化さん、でよろしいでしょうか」

 

 言葉こそ疑問形だが、どちらかと言えば確認するような口調で、女は鷹化に言葉を投げてきた。こちらの名を知っての反応にしてはやや不遜にも思われる態度。よほど度胸があるか、ただの馬鹿か。どちらやら、と思いながら鷹化は口を開く。

 

「随分とこっちに詳しいみたいだけど、あんたは誰だ? 正史編纂委員会とやらの結社員かな?」

「おっと、失礼。私は早瀬、ご推察の通り、委員会では北海道分室室長などという役職についてはいます」

 

 そう女――早瀬が答えた瞬間、鷹化は警戒の度合いを一段階上げる。名を知り、すぐに見つかったということは、彼女はこちらを待ち構えていたということだ。こうも対応が早いとなると、あるいはこちらの思惑に関してもばれているのではないだろうか。いざとなれば、と鷹化は臨戦態勢に入る準備を始める。すると、早瀬は慌てたように――しかしどこか余裕ありげに――頭や手を大きく振る。

 

「おっとっと、まあまあ、そう危なっかしい空気を出さないでもらえませんか? 今回、私は委員会の人間としてきているわけじゃないんですから。ええと、そう、バイト、バイトとしてメッセージを預かっているんです」

「バイト?」

 

 妙な単語選びに、鷹化は眉を顰める。それをある種の隙と見たのか、早瀬は懐から一通の便箋を取り出し、こちらに差し出す。

 

「是非、陸鷹化さんお一人でいらしてほしい、とのことです」

「それに僕が乗る必要が感じられないね」

「『雷王』様からの招待状です、と言っても?」

「……なんだって?」

 

 早瀬が出したその名前に、鷹化の目が開かれる。それは、彼の師である羅濠教主が、とある『王』に対してつけた呼び名だ。他人に興味がない師が名をきちんと覚え、その上でつけたある種の敬称。それを、今この女は口に出した。

 

 名を騙っている、ということはあるまい。師や鷹化がその呼び名を吹聴していない以上、知るには『彼』から直接聞くしかないし、彼が軽々とその名を口に出すとは思えない。であれば、これは彼からの伝令である、と確信していいだろう。そうなれば、鷹化がすべきことは一つ。

 

「それを聞いた以上、受け取らないわけにはいかないか」

 

 呟き、早瀬が差し出す封筒を受け取る。封を切ってみると、中には二枚の紙が入っていた。一枚は、こちらに対して宛てた言葉を書き連ねたもの。もう一枚は、この空港周辺と見られる、適度に簡略化された一枚の地図。一か所に印がついていることを見れば、ここに来いということなのだろうか。

 

「では、私はこれで。やれやれ、所用でこっち来ただけなのに、まさかこのようなバイトを頼まれるとは……」

 

 最後に、道化のごとく大仰な仕草で礼をして、早瀬はその場を立ち去る。視界の端でそれを見つつ、鷹化は意識を目の前の手紙に向ける。ややして、鷹化がざっとその内容を読み終わった後、鷹化は小さく嘆息する。

 

「……アーシェラの姐さんとの合流は後回しだな」

 

 呟き、鷹化は足早に空港の出口を目指す。その後は地図を取り出し、周囲の地形とにらめっこをしながら、印のつけられた箇所を目指して歩き始める。

 

「ここか」

 

 おおよそ十分ほど歩いただろうか。たどり着いた場所にあったのは、やや古びた雰囲気を醸し出す小さな喫茶店であった。裏通り、ということもあってか、周囲や店内からは人の気配が感じられない。

 

 準備中、という看板を無視して中に入ると、身体に静電気が走ったかのような違和感を覚える。外界と隔絶するために結界のようなものが貼られているのだ、と鷹化はすぐに気づく

 

 同時、店の奥から覚えのある気配が感じられた。明らかにこちらを『見ている』と分かる濃密な気配。仮に結界がなければ外からでも分かっただろうそれに、一筋の汗が鷹化のこめかみを伝う。

 

 意を決し、奥へと足を運ぶ。店の一番奥まった場所、そこの一席に腰掛ける男性――稲穂秋雅に対し、鷹化は淀みない動作で膝を折る。

 

「――ご尊顔を拝し、光栄の極み。陸鷹化、ご招待に応え、馳せ参じました」

「久方ぶりだな、陸鷹化。突然に呼び出してしまい、申し訳なく思っている」

 

 若く、しかし威厳のある声が鷹化に降り注ぐ。奇妙なほどに耳なじみが良く、しかしそれを当然だと思ってしまうその声を受け、鷹化は更に頭を下げる。

 

 稲穂秋雅。陸鷹化が知る神殺しの中でも、特に異質の相手。弁舌では彼の師である羅濠教主を相手に『試合』を成立させ、武力ではその試合において一時間もの間戦い続け、事実上の引き分けを勝ち取った、並々ならぬ人物だ。そんな王との謁見に、さしもの鷹化も幾ばくかその身体をこわばらせる。

 

「ふむ、君の礼節は見事だが、このままでは流石に話しにくい。君もそこに掛けたまえ。ここは、君と話をするための場だ」

「……はっ」

 

 秋雅の許しを受け、鷹化は身を起こして秋雅の正面の席に腰掛ける。座ったと同時、鷹化の前に中身の入ったコーヒーカップが出現する。秋雅の権能によるものだ、と近似した光景を見たことがある鷹化にはすぐに察せられた。

 

「潤滑油代わりになればいいが」

「では、失礼します」

 

 一口飲み、唇を軽く湿らせる。普段はコーヒーをあまり飲まないのだが、それでも上等だと分かる味。場が場でなければゆっくりと味わいたいところだが、流石にこの状況ではそうもいかない。忙しなく見えない程度にカップを下ろしたところで、ゆっくりと秋雅が語りだす。

 

「さて、君も忙しいだろう身。前置きは無視して、さっそく本題に入ろう。日光東照宮(・・・・・)にはいつ向かうのかね?」

「――ッ!?」

 

 思わず、呼吸が止まる。何故、知っているのか。何故、それを直球で出せるのか。秋雅から放たれたその単語は、陸鷹化を瞠目させるに十分であった。

 

 そしてその反応は、秋雅にとって自身の推測を確信に変えるには十分であったようだ。軽く頷き、秋雅は肘をつきながら手を組む。

 

「やはり、羅濠教主殿の思考はある意味で分かりやすいな。それとも、君のその素直と見える反応は、あるいはブラフであったりするのかな?」

「……いえ、稲穂様のご慧眼に感服するばかりであります」

「ふふ、君も羅濠教主殿以外にへりくだることがあるのだね」

 

 からかうような口調で、秋雅は鷹化を見る。これだ、と鷹化はその視線を受けながら、心の内でうなる。言っていることは普通であるのに、妙にこちらを揺さぶってくる語り口。この人のことは正しく、それは当然のことであると思ってしまう態度。それらの為に、鷹化もいつもの調子が出ず、どうしても素直な反応を見せてしまう。理屈抜きで人の心を懐柔するこの技能が、ある意味では彼が持つ神殺しの力以上に、稲穂秋雅が『王』として崇められている理由なのかもしれない。

 

「一つ、よろしいでしょうか」

「ふむ、何かな?」

「何故、僕がこの国を訪れた理由を言い当てられたのですか?」

 

 不遜を承知で、鷹化は問いを投げる。他の王に対してであればまずやらないが、稲穂秋雅は『例外』だ。万一ということもあるが、おおよその場合においてこの王は、常識的な行動には常識的な行動を返してくれることが多い。

 

 そしてその予想通り、秋雅は一つ頷いた後、何ということもないように語り始める。

 

「推測の材料となったのは、四つの情報だ。一つ、私はかつて、羅濠教主がこの国を訪れ、とある神(・・・・)と戦ったことを知っていた。二つ、私は以前から、日光東照宮にそのとある神が封じられていることを知っていた。三つ、私は盟友たるジョン・プルートー・スミスの活躍譚から、あるいはかの神祖アーシェラが滅んでいないのではないか、と推測していた。そして四つ、さる筋から同じく神祖であるグィネヴィアが、羅濠教主と接触したがっていたという情報を手に入れた。それらを統合した結果、あるいは、と推測した。もちろん、君がこうしてこの国を訪れていることも理由だがね」

「……なるほど」

 

 たいした情報網だ、と秋雅が出した情報に対し、鷹化は舌を巻く。加えて、そこから推理を飛躍させられることもまた、たいしたものだろう。こういったところもまた、この王を『底知れぬ』と感じるところだ。

 

 どの王よりも理知的で、人道的で、怖い(・・)。それが、鷹化から見た稲穂秋雅という王の評価だ。表面こそ普通で、他の王と比べて例外的な言動を取るが、その内面はようと知れない。内面もまた『例外』なのか、あるいは内面だけは他の王と同じなのか。他の王たちと比べて次の行動がまるで読めず、だからこそ警戒せざるを得ない。この瞬間こそ理知的だが、次の瞬間に突如として理不尽を振るわないと、言い切れる保証はない。にもかかわらず、彼に心酔し、彼こそが至上の王と見る者は少なからずいる。探れぬ内面も、人を魅了する外面も、どちらも恐ろしい。決して心を許してはならない相手なのだと、鷹化は改めて認識しながら、鷹化は口を開く。

 

「もう一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「構わない。おおよそ予想はつくが、君の口から聞こう」

「では――」

 

 一呼吸。

 

「――御身は、どちらの立場なのですか?」

 

 核心をつく質問を、鷹化はついに放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「立場、か」

 

 思ったよりも早かったな、と鷹化からの問いに秋雅はそのような感想を抱く。もう少し探ってくるかと思っていたが、想像以上に早く切り込んできた。いや、考えてみれば当然の話か。結局のところ、鷹化は確認しなければならないことはただ一点、つまり秋雅が羅濠教主と敵対する気なのかどうか。そう考えてみれば、最低限の確認のみで切り込んでくるのは決しておかしなことではないだろう。

 

「さて、どうするべきか。羅濠教主と相対し、その目的を阻むか。あるいはその謀略を見逃し、彼女の目的達成を見守るか」

 

 意味ありげな視線を、鷹化に対し向ける。すると、目の前の少年はあからさまに身を固くした。素直な反応だ、と彼の挙動に視線を鋭くする。

 

 よくあることだ。常は冷静な、あるいは不遜な人が、秋雅の言動に常ならぬ反応を見せるのは。それらしい素振りと、それらしい言葉。かつて、あの男(ロキ)から僅かに学んだその術を駆使すると、秋雅と相対したものは彼の想像以上の反応を見せてくる。それは警戒であったり、逆に心酔であったりと様々だが、秋雅にしてみればまあ、都合の良いことが多い。交渉の場で相手を信用させたり、逆に恐怖させたりして、秋雅の要望をどうとでも通す。流石に同格の王には効かない『はったり』だが、それ以外での有用性は疑いようがない。誑し込むことも屈服させることも可能な、非常に便利な技能だ。

 

 よほどこの『真似事』は、自分と相性が良いらしい。彼らのそんな反応を見るに、秋雅はそのような感想を抱かずにはいられない。秋雅自身としては、それっぽいことをそれらしい言っているだけのつもりなのだが、それに対する人々の反応――感嘆、恐怖、心酔といったものを見ると、むしろ自分が騙されているのではないのかというような感想すら湧いてくる。もっとも、それはただの、事が上手く行きすぎたからこそ感じる不安にすぎないのだろうが。

 

「――私は羅濠教主に協力したいと思っている」

 

 迷うそぶりを見せておきながら、不意打ちの結論を鷹化にぶつけた。すると鷹化は無言のままに目を見開き、驚愕の色を見せる。絶句、とまではいっていないのは、鷹化もその可能性を多少は考えていたからだろう。そもそもこうして好意的な会談を申し込んでいる以上、『そうである』可能性を考えないはずがない。要はその可能性を高く見るか低く見るかであり、鷹化は低く見ていたということなのだろう。あるいは、可能性としては高くみつつも、感情面で信じ切れていなかったか。どちらでもいいが、と見切ることを放棄しつつ、今のうちの話を通してしまおうと秋雅はさらに言葉を紡ぐ。

 

「そもそも、かの地にまつろわぬ神が封じられている状況というのは、私にとっても愉快な話ではなかった。用途は理解できるとはいえ、いつ封印を破るかも分からぬものをそのままにしておくのは気に入らん。不発弾を金庫で保管するか、手があるうちに解体してしまうか、という話である以上、私としてはたとえ爆発する可能性があっても、目の届く範囲で処理してしまいたい」

 

 それは、秋雅が日光東照宮周りの情報を得てから、常々考えていたことだった。その措置の理由はまあ、妖精王と呼ばれる神々と会ったこともあり、ある程度には理解している。ただ、それと同時に、ぞっとしないものを感じたのも事実。神殺しとしての本能か、はたまた人としての理性か。どちらにせよ、秋雅はこの国に『不発弾』が埋められていることに、あまりいい感情を抱いてはなかった。故に、先の情報元であるスミスやアリスには悪いが、この状況をそういう方向に利用したい、と秋雅は決心した。

 

「……確か、御身は『冥府』と言う空間を所有されていましたね」

「そうだ。あの中なら、多少暴れたところで周囲への被害はない。羅濠教主にしても、どうせならば被害がない方が、この国で暴れる上では都合がいいのではないかな?」

 

 かつて秋雅が羅濠教主と相対した時、鷹化にも『冥府への扉』の存在は知られている。それを使うのだ、と伝えて見せれば、鷹化の表情にも納得の色が見えてくる。

 

「ああ、それと一つ確認をしたいのだが、封印を解除するにあたって、必要以上の人的被害を出す可能性は高いのかね? その場合、その相手によっては前言を撤回せざるを得ないが」

「それは……おそらく問題ないと思います。僕も仔細を承知しているわけではないので断言はできませんが、多数を能動的に犠牲にする、ということはないかと。少なくとも、命を奪うだとか、そういう方向性での犠牲はない、はずです」

「ふむ……ならば問題はない、か」

 

 多少の不安はあるが、ここは見逃す。未来の十の為に一を犠牲にする。そういう選択を容易く取れるのが、秋雅の王としての性質である以上、それは当然の結論だった。

 

「では、こう取り決めたい。私は周辺地域から一般人の排除と、戦う場としての『冥府』を提供する。代わり、羅濠教主にはまつろわぬ神の封印解除と、確実な討伐を求めたい。無論、教主殿が戦っている間、私は手を出さない。私が手を出すのは、万一にも彼女が後れを取り、現実世界に影響が及ぶ可能性が出た場合のみだ」

 

 どうだろうか、と秋雅は大まかな提案を鷹化に示す。鷹化の決定がイコールとして羅濠教主の決定ではないが、彼ならば羅濠教主の判断を慮ることが可能なはず。ある程度利が大きいと見れば、そのために説得くらいはしてくれるだろう。

 

 これが通るならば楽だが、どうなるか。無言のままに鷹化を見つめてみたところ、十秒ほどの間をおいて、鷹化はゆっくりと口を開く。

 

「……断言はできませんが、おそらく師父はそれをお受けするでしょう。御身に横やりを入れられる可能性を鑑みれば、その程度のことを受け入れると思います」

「それは良かった」

 

 鷹揚と頷きながら、秋雅は内心で安堵の息をついた。過去の戦い――といっても、向こうからしてみれば遊び程度だろうが――で羅濠教主の戦闘能力の高さは身に染みている。近接戦、等身大の戦いにおいて最強とも言えるその実力を見て、なお彼女と積極的に戦いたいと思うほど、秋雅は命知らずではない。必要となれば戦うのを避けはしないが、避けられるならば可能な限り避けておきたいところ。だからこそ――まだ確定ではないといえ――羅濠教主と不戦の協定を結べるのは、肉体的にも精神的にも喜ばしいことであった。

 

「これを君に。直通ではないが、私との連絡手段だ」

「はっ、計画の推移に応じてご連絡させて頂きます……では、事情を師父に伝えなければならないので、僕はこれで」

「ああ、悪い返事が来ないことを期待している」

 

 最後の秋雅の言葉には応えることなく、渡した連絡先のメモを携え、鷹化は一礼と共にその場を立ち去る。ドアを開け、彼が喫茶店から出たことを音で察しながら、秋雅は冷めかけたコーヒーを一息に飲み干す。

 

「わざわざ人目を避けて関東まで来た以上、これで一つ片付いたと見たいが、どうなるかね」

 

 不安材料は多く、上手く行ったとしても成功が確約されたわけではない。場合によっては特大の爆弾を自ら起爆することになるが、

 

「それくらいの博打は覚悟の上、だな。いっそ、非難されるような立場になった方が楽になったりしそうだが……流石に駄目か」

 

 おどけるように、しかし僅かに本音を混ぜた呟きを残し、秋雅は立ち上がる。そのまま足早に店を出ようとした秋雅であったが、その足はすぐさまに止まる。傍ら、先ほどまで使っていたテーブルの辺りから、覚えのある雰囲気が感じられたからだ。身が引き留められそうになるほど粘りっこい、死の気配を具現化したかのような空気は、冥界と呼ばれる場所のそれだ。妖精王としての秋雅はそれが、自身の領民がもたらしたものであるとすぐ様に理解する。

 

「何用か」

「――伝令がございます」

 

 陰鬱な声と共に、鷹化の残したコーヒーの水面が蠢く。ドロリ、と鈍い動きで水面に立ち上がったのは、かろうじて人型に見える汚泥じみた何か。おそらくは礼の姿勢を取っているのだろうそれに、秋雅は見下ろしながら問いかける。

 

「冥界に何かあったか?」

「ご領地に問題はありません。王にご面会を希望している方がいらっしゃるのです」

「誰だ?」

「冷たき北風の化身たる方、そして妖艶なる美姫たる方のお二方でございます」

「……ボレアス殿に、サロメ王女か」

 

 呆然とした響きで、秋雅は小さく呟く。妖精王、それも繋がりが感じられない二柱が同時に訪問。思ってもみなかった言葉に、さしもの秋雅も思考が一瞬止まる。しかし、それも所詮は一瞬。可能性をいくつか考えつつも、秋雅はすぐに対応を決める。

 

「私はすぐには戻れん。それを伝えたうえで、我が領地に滞在されるなら歓待を。一度離れるのであればすぐ様に伝令を出せるように準備をするように。出来る限り失礼のないように対応し、私の帰還を待て」

「拝命致しました……」

 

 そして、人型が突如としてほどける。音を立ててカップに落ち、いくつもの波紋を浮かべているそれは、もはやただのコーヒーでしかなかった。先ほどまであった死の空気も霧散し、異界の住人が居た痕跡はもはやどこにも感じられない。

 

「ボレアスとサロメ王女が同時に、か。同じ用件であるとして、目的はなんだ……?」

 

 果たして、彼らは秋雅にどのような用事を持っているのか。その思考を打ち切り、会えばわかると投げ捨てるには、流石の秋雅も数分を超える時間を必要とするのであった。

 



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冥界と二柱







 

 陸鷹化との会談を終えた日の夕刻、秋雅はアストラル界への転移を行った。本来であれば異界への転移には諸々と面倒な準備が必要となるのだが、秋雅に限っては少し違う。まず、少しだけ面倒だが困難ではない材料を揃え、ウルたちの協力の元、とある特殊な魔術で『場』を整える。そこに『冥府への扉』の導きを受けることで、秋雅は通常の方法よりも簡単に、アストラル界にある無数の『階層』の中の、彼が『領土』とする場所への転移を行うことが出来るのである。

 

「……相も変わらずの光景だ」

 

 そこは、明らかに異質な場所であった。赤の混じった空の下、地平線の先にまで黒味がかった荒地が広がっている。荒地にはいくつかの大河が流れ、そのうちに囲まれるようにしてぽっかりと巨大な穴が口を開けている。パッと見た雰囲気は秋雅の『冥府』に似ているが、あちらと比べると全体的に陰湿な、じっとりとした『死』の気配に満ちている。

 

 これこそ、本物の冥界。亡者とその管理人たちのみが住む、死の理に満ちた空間。アストラル界においてそう呼称される階層は幾つか存在する内の一つであり、同時に稲穂秋雅という『妖精王』の領地でもあった。

 

「誰ぞある」

「ここに」

 

 秋雅の呼びかけに対し、即座の返事があった。そして虚空より、黒衣を纏った一体の骸骨が現れる。冥界において亡者たちの管理を行う立場にあるもので、神話によっては『死神』と呼称されることもあるだろう存在だ。だが、妖精王たる秋雅にとっては、ただの配下の一人でしかない。恭しく頭を下げる管理人に対して、秋雅は奥にある大穴を眺めながら問いかける。

 

「客人は?」

「ご滞在されております。お二方のご希望を受け、玉座の間に場を用意させていただきました。すぐにお伺いになりますか?」

「そうしよう」

「かしこまりました」

 

 秋雅の意思を受け、管理人は肉のない腕を軽く振るう。次の瞬間、秋雅と管理人は大穴の中央部に立っていた。足元にあるのは硬質な、土にも金属にも見える黒い板だ。その板に管理人が軽く踵をぶつけると、カツンと金属音のような高い音が響き、板がゆっくりと大穴内に降下し始める。冥界において、地上の荒野は所詮、ただの入り口でしかない。その本質は大穴の奥底、この世界の最深部にこそある。この板はそこへ降りるために備え付けられた、一種の昇降機であった。これを使えるのは妖精王である秋雅や管理人たち、そして彼らに許された客人のみであり、それ以外の亡者たちは穴の側部にある螺旋階段のような道を延々と下りるしかない。それもまた、冥界での刑罰であるからである。

 

 秋雅達が地の底に近づくにつれ、少しずつ声のようなものが聞こえてくる。冥界にて管理される、あるいは管理されるために階段を下りている、亡者たちの怨嗟や嘆きの声だ。段々と大きくなっているその声を聴くにつれ、秋雅の表情が段々とけわしくなっていく。鬱々とした気分になるほど弱い精神ではないが、だからといって環境音と聞き流せるほど特異な精神構造もしていない。だからここには来る気が起きないのだと、秋雅は心の中で愚痴をこぼす。

 

 幸いというべきか、秋雅の愚痴が悪態に変わる前に、昇降機は冥界の最深部に到着した。すり鉢状の地形の側面にいくつもの牢屋を備えつけられており、そこからは亡者たちのうめき声が漏れてきている。

 

 その他にあるのは、地形の中央に建てられた、豪奢だが陰鬱な雰囲気を醸し出す宮殿である。この冥界においての唯一の建造物であるそれは、妖精王が執務を執り行うための居城である。もっとも、職務放棄をしている秋雅からしてみれば、滅多に使う機会のない別邸でしかない。

 

 ちなみに、かつてこの地の妖精王だったハデスも、これと似たような扱いをしていたらしい。宮殿を張子の虎とし、自身はそのほとんどをこの地の外で過ごしていたそうだ。秋雅がハデスと相対したのも、彼がアストラル界すら抜けて地上にまで足を延ばしていたからである。自らここを領地として得たはずなのに、なんとも不可思議な話である。しかしその一方で、そうしたくなるのも無理はないと、秋雅は実感と合わせて納得もしていた。気が変わってもおかしくない、と思える程度には、この地は如何ともしがたい陰気さに満ちていた。

 

 昇降機を下り、足音を一度立てる。すると何処からか、ふっと巨大な影が現れた。地底故に光も少ない環境だが、秋雅の目はその影の正体をたちどころに看破する。

 

「息災か、ケルベロスよ」

 

 秋雅の問いかけへの返答は、二重の咆哮であった。常に一つの首は眠り、残りの二つが冥界の亡者たちを見張る三つ首の番犬、名をケルベロス。冥界の管理者の一つにして、最も恐ろしい番人であった。

 

 一しきり咆哮を放った後、ケルベロスの起きている二つの首は秋雅に頭を垂れる。冥界の主である秋雅に対し、恭順を深く示しているのだ。図体こそ大きく、それに応じた力も持った存在だが、その従順な様はしつけの良い普通の犬と何ら変わるところはない。その大きな鼻の一つを柔らかく叩き、また別の首の口元を軽く撫でる。

 

「良い子だ」

 

 気持ちよさそうに目を細めるケルベロスにそう残し、秋雅は改めて自身の宮殿へと向かう。いつの間にか、共に来ていた管理人は宮殿の扉の前に立っており、秋雅に対して深い礼の体勢を取っている。そのことを当然と受け取り、秋雅はその隣を通り抜け、宮殿の内部へと足を踏み入れる。

 

 宮殿の内部は、外見とそう変わった印象はない。豪奢だが陰鬱な気配が漂う通路を抜け、秋雅は更に宮殿の奥へ向かう。そうして少し歩くと、やがて一つの大きな扉の前についた。威風堂々たる様を見せつけるその扉を見上げた後、秋雅は軽く手を振るう。

 

 すると、鈍い音を立てながら徐々に大扉が開き始める。その結果として視界に入るのは、王者が座るに不足のない立派な玉座と、それを称えるために作られたような大きな広間。妖精王が他の者たちに姿を見せるために作られた、玉座の間と呼ばれる空間である。

 

 しかし今日は、その光景にも少しの変化が見受けられた。玉座の正面、広間の中央部に円形のテーブルとイスが備え付けられ、そこに二人の人物が腰かけている。往年の白人男性と、妖艶な雰囲気をまとった美女。その二人の名を、秋雅は重々しく口に出す。

 

「ボレアス殿、サロメ王女、お待たせしたようで大変申し訳ない」

「否、我らが突如として参ったのだ」

「そう、だから謝罪は不要よ……」

 

 ボレアスの一言に冷たい風が吹き、サロメの一動作に目が奪われる。北風の暴君と妖艶の王女、一挙一動がその異名を存分に示していた。

 

「ならば、その言葉をありがたく頂戴しよう」

 

 そう言いつつ、秋雅は用意されたもう一つの椅子に腰を下ろす。何処からかさっと茶や軽食などが準備されるが、それには目もくれず、秋雅は口元を隠すように、ゆっくりと両の手を組む。

 

「さて、珍しい客人であることだし、本来であればゆるりと歓談を楽しみたいものだが、残念ながら私も少しばかり忙しい身。出来るならば手早く、貴殿らの訪問の理由をお聞きしたい」

「我らも無駄な前置きは必要ないと考えていた。故に、単刀直入に尋ねよう。稲穂秋雅よ、汝は旅の神、あるいはそれに近しい存在との逆縁はあるか?」

「なに?」

 

 ボレアスの問いかけに、秋雅は軽く眉を顰めた。しかし、ひとまずは従順に、投げられた問いについて記憶を探る。

 

「旅の神との縁…………あるな。私がこの地位を得てすぐの頃、まつろわぬヘルメスと相対したことがある」

「ヘルメス……ギリシアでのトリックスターね。それで? 彼とは決着をつけたの?」

 

 サロメの追及に、秋雅はこの神々は同じ目的でここを訪れたということを察する。結託して何をしに来たのか。無くならぬ疑問に思考を巡らせつつ、秋雅は自身の記憶を更にさかのぼる。

 

「いや……決着はつけていない。奴はとにかく早かったからな、どうにか撃退に追い込むのが精いっぱいだった」

 

 きっかけは、とある結社がまつろわぬヘルメスの襲来を察知し、先んじて秋雅に撃退の依頼が出されたことにある。相対までは順調に行ったのだが、ヘルメスが神速の使い手であったのがまた厄介であった。当時の秋雅がはまだ権能も三つしか――今と比較して、『まだ』とするが――得ておらず、その掌握もまだまだの度合いであったため、『神速』を相手取るには経験値が不足していたというのも大きいだろう。加えて、ヘルメスが旅の神であるつながりから異界渡りを行えた、つまり秋雅の『冥府』から抜け出すことが出来た、というのもやりにくいところであった。覚悟はあったとはいえ、まだまだ未熟な当時の秋雅には、外の世界で自在に戦うというのに僅かな抵抗があったからだ。

 

 とはいえ、結果だけで見れば秋雅の勝利と言えるだろう。何故ならば、どうにか虚をついて雷を当てることに成功し、ひいては撃退にまで繋げる事が出来たからだ。もっとも、それもすべてはヘルメスが油断しきっており、その状態で『人間程度』から攻撃を受けたことに動揺してくれた、というのが大きかった。もし精神的に万全な状態で戦われていたら、あるいは秋雅は今ここにいないかもしれない。いや、今の秋雅ですら、本気のヘルメス相手には分が悪い可能性すらある。

 

 元々、まつろわぬ神とカンピオーネの戦いは分が悪いものなのだが、それを置いておいても、とかく『神速』は厄介なのだ。草薙護堂の時はからめ手を使ったから勝てたのであって、そういうものが通じない相手には、今の秋雅でも対応に困る――ただし、アレクサンドル・ガスコインの場合は除く――というのが本音である。

 

 この辺りの事情を――教えると不利益になる部分は省いたうえで――秋雅はざっと二柱の神々に説明する。すると二柱、特にボレアスの方がやや難しい顔をして口を開く。

 

「生きており、逆縁があり、そして決着がついていない……ふむ、なるほどな」

「何がなるほどなのか、ぜひご教授願いたいのだが」

 

 そう当然の言葉を投げると、ボレアスはゆっくりと首を横に振る。

 

「いや……悪いが、それは出来ない。おそらく、それを教えることこそ、汝によってよくない風となろう」

「なに?」

「ただ……」

 

 不自然に、ボレアスが言葉を切った。それがどういう思いからのものか、秋雅には欠片も想像がつかない。僅かな沈黙を経て、ボレアスは再び口を開く。

 

「……借りを返すため、一つだけ言っておく。汝は汝の考えを信じよ、さすれば汝の縁は滞りなく続くことだろう」

「借りだと? 私は貴殿に貸しを作った覚えはないが」

「当然だ。汝がそれを成すのは、今より後のこと(・・・・・・・)だからな……では、失礼する」

「後だと? 待て、ボレア――」

 

 秋雅の制止を無視し、ボレアスはその場から姿を消した。身体を風に変じ、暴風として玉座の間より飛び出していったのである。極めて唐突に、矛盾した返答のみを残して消えた彼の行動に、秋雅は憮然とした表情で目を瞬かせる。

 

「まったく、せっかちなこと」

 

 呆れたような口調でぼそりと呟きながら、ゆるりとサロメが立ち上がる。その彼女に、秋雅は視線を鋭く研ぎ澄ませ、穿つかのように睨みつける。

 

「……説明願いたいな、サロメ王女。彼と連れ合ってここに来たのだ。今の一幕に関して、貴女は何かを知っているはずだ」

「知ってはいるわ。当事者ではないけれど、関係者ではある。だけど、今は駄目よ」

 

 蠱惑的かつ退廃的な、色気に満ちた流し目。それを秋雅にそそぎながら、サロメはふうと息を吐く。

 

「彼も悩んでいるのよ。どうするのが正しいのか、どうすれば問題にならぬのか、と。これは本当に、非常に難しい問題。それこそ、神ですら悩むのような」

 

 ゆらり、とサロメの視線が揺れる。言葉を探すように周囲を見渡しながら、サロメはその細やかな指で、薄く、怪しげな魅力のある唇をなぞる。

 

「だから、彼は何も言わないし、私も何も言えない。そのくらい、彼が感じた恩義は大きいから」

 

 改めて、サロメの視線が秋雅を射抜く。その瞳は僅かに濡れ、退廃的な色気を感じさせる。以前に遭遇したキルケーとはまた違う、引き込むような妖艶さがその瞳にはある。並みの男なら狂い、壊れそうな美しいそれを、しかし秋雅は平然と受け止めた。そういうことに耐性があるのは、それこそキルケーの時に実証済みである。故に、潤んだ瞳を見せるサロメに対し、秋雅はただ真顔を返す。

 

 互いに無言のまま、視線を交わらせる。いつまで続くか、というにらみ合いを先に崩したのはサロメの方であった。彼女はまた物憂げな息を吐き、その視線をボレアスによって開かれた戸に向ける。

 

「私も、今日は帰らせてもらうわ。無礼を働いたわびは、貴方を私の宮殿に招待した(・・)ことで返させてもらうつもりだから。じゃあ、ね」

 

 その言葉を最後に、サロメの姿が消える。移動したのではなく、おそらくは姿を見えなくする術を使ったのだろう。探そうと思えば探せるだろうが、そうしたところで意味はあるまい。姿を消したということが、彼女にはこれ以上話す気がないということを示している。

 

「……どいつもこいつも、勝手なことを」

 

 そう呟き、秋雅は二つ舌打ちをする。一つ目は、これまでの流れに、そして二つ目は一つ目の舌打ちそのものに対してである。確かに面倒な状況ではあるが、あまりに苛立ちすぎている。そのことを自覚し、秋雅は少し頭を振り、ため息を吐く。

 

 トン、と秋雅はその場から跳ぶ。降り立ったのはこの部屋において最も豪華な椅子、つまり玉座の前である。かつて己にと献上されたそれに腰を下ろし、流れるように秋雅は頬杖をつく。

 

 このようにしたのは、熱くなりかけた頭を冷やすためである。座っているのは王のための椅子だ、と意識すれば、良くも悪くも頭は切り替わる。王として無様な真似は出来ない、と意識し、苛立ちを抑える作用を期待しての行為だった。

 

 はたして、この行為は一定の効果があった。あまりに一方的ななぞかけを受け、苛立ちを募らせていた頭が、ある程度冷静さを取り戻せたのである。とはいえ、これも完全ではない。多少の苛立ちは残しつつも、それでも秋雅は可能な限り冷静に、改めて思考を巡らせる。

 

「突然の訪問に、妙な問い。まだ出来てもいない貸しに、覚えのない過去形。一体どういう意図がある……?」

 

 しかし、些か冷えた秋雅の頭をもってしても、連なった謎の答えは出ない。いきなり来て、不可思議なことを言って去っていった二柱の神々。彼らの言から何かがあるのは分かったが、その何かが漠然としすぎており、推測もまともに出来ない。より正確には、あまりに不確定なことを多すぎ、推測というよりは妄想に近いものしか生み出せない。辛うじて導けるのは、まつろわぬヘルメスと何か縁が出来ているかもしれない、ということくらいだろう。

 

 それにしても、何か対策を立てられるようなものでもない。他の細々とした、推測未満の妄想も同じだ。あまりにも情報が足りない上、それを補填する方法も現状では存在しないらしい。どうしようもないか、と秋雅は仕方なくも思考を止める。

 

「……結局、その時が来るまで待つしかないのか。ただでさえ今は、特に気を遣う盤面だというのに、待たねばならぬことが増えるとは」

 

 困ったものだ、と秋雅は難しい顔でため息をつく。ため息ばかりの流れだが、それも致し方あるまい。追及するにも相手が相手、探るにもきっかけがまるでない。多少なりと心労もたまる、というものだ。

 

「羅濠教主のこともあるのに、なんとも厄介な…………」

 

 表面上だけは平然としつつ、秋雅は心の中で頭を抱える。人だけなら、あるいはカンピオーネまでならともかく、まつろわぬ神にまで能動的に動かれると、流石の秋雅も手が足りない。これは手数というより、単純な武力の問題だ。まつろわぬ神と対峙するかもしれない、という話だからである。いくらウルたちや三津橋たちが優秀でも、そこに関してはどうしようもない。最低でもカンピオーネレベルの力がいる以上、無理なものは無理である。

 

「スミスに協力を仰げれば良かったんだが、少し厳しいか」

 

 同じ妖精王であり、盟友のジョン・プルートー・スミスを頼る、という手もあるだろう。それでどうなるか、はともかく、彼がいることでやれることが増えることは確かだ。

 

 しかし、今回に限ってはそれも難しい。一つは、彼が《蠅の王》と戦った直後であるということ。流石に激戦を経てすぐという状況では、中々頼りにくいものがある。二つ目は、今回の秋雅の動きそのものだ。スミスから得た情報を基に、羅濠教主の暗躍を助長し、なおかつそれをスミスに還元するようなことをする気がない。心情的に、手伝ってくださいとは言いにくいものがある。無論、いざとなれば厭う気はないものの、まだ余裕のある現状では、中々手が伸びぬというものであった。

 

 とりあえず傍観し、状況を見る。あとは何時でも動けるように、下手なしがらみは作らないようにしておくべきか。積極的な行動は当面避けるしかないな、と少しだけ久しぶりに、受動的な立場に甘んじることを決めた秋雅であった。

 









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それぞれの対比

 さて、どうするか。次の行動を決めかねていた秋雅であったが、ふとその眉がピクリと動かした。謁見の間の外より、一体の骸骨が入ってきたからである。案内をした管理人、ではない。それと同類の、しかし別の個体だ。

 

「何か」

「陛下に奏上したきことが」

「……申せ」

 

 ろくな礼もなく告げられた言葉に、秋雅は眉をひそめながらも通す。すると、ここでようやく骸骨は一礼し、重々しい口調でこう告げた。

 

「口の端に上せるもはばかられることでありますが、昨今、この冥界において陛下を軽視するような風潮が見受けられます。囚人たちもそうでありますが、嘆かわしいことに、管理人たちの中にも御身の力を侮るものがいるようなのです」

「ほう。私を侮ると」

 

 面白い、と言いながら、秋雅は組む足を変える。

 

「それで? その状況の中で、貴様は何を私に望む?」

「望むなど恐れ多い……ただ、私は御身に、そのお力を示していただけぬか、と。さすれば、不遜なることを思う輩もことごとく改心し、貴方様に畏怖と絶対の忠義を誓うものかと存じます」

 

 恭しく、骸骨はまた礼をする。その動作は大仰で、なおかつわざとらしい。当たり前のはずなのに、そうではない例を見すぎたせいか、どうにも違和感があった。むしろ、こいつこそ自分を侮っているのではないか。そんな想像が秋雅の頭をよぎる。

 

「なるほど。しかし、それを成すには理由が足りんな」

「理由、でありますか」

「そうだ。私は確かに王だが、決して暴君ではないつもりだ。少なくとも、理由のない恫喝は好きではない。貴様の言う私の力を見せる、という点だけでは、私が力を振るうには足らんな」

「であれば、何の問題もございますまい。お客人の無礼をご理由となさればよろしいかと」

「……ああ?」

 

 低く、うなるような声が秋雅の口からあふれた。明らかに危険の満ちたそれを、愚かにも先を促すものだとでも受け取ったのだろうか。骸骨はどこか喜々とも聞こえる口調で続ける。

 

「御身とお客人の会話は、僅かではありますが耳に入っておりました。一方的に訪れ、その上あのように煙に巻く会話をするなど、御身に対してあまりにも不敬。いかに同格たる妖精王のお歴々なれど、決して許されるものではございません。そのことに対する怒りともなれば、御身が戯れを――」

「私に癇癪を起こせと言うか!!」

 

 落雷の轟音と、それに負けぬ激昂が玉座の間を満たした。立ち上がった秋雅の目は爛々と輝き、全身からは怒気があふれ出している。彼の怒りに呼応し、幾条もの雷が天井を貫いて降り注ぎ、丁寧に磨かれていた床を荒れ地へと変えていく。

 

 その凄まじさに、先ほどまで饒舌に語っていた骸骨は、いつの間にか身を縮こまらせ、その顔を内に内にと伏せていた。カタカタと全身の骨が震えており、恐怖に支配されていると一目に分かる姿となっている。その小さな背に、秋雅は吐き捨てるように怒声を浴びせる。

 

「この私が力を振るうは、その資格ある敵と相対した時か、あるいは愚か者を断罪する時のみ! 決して己が未熟から生まれた破壊衝動を発散する時ではない! それを貴様は、客人を見送ったその後で、私に卑しい不満を吐き出せというか! その様のなんと情けないことか、それも理解できぬというか!!」

 

 秋雅の感情の呼応に合わせ、雷もまた降り注ぐ。縦に、時には横に、空間を貫く雷は玉座の間の景観を瞬く間に吹き飛ばしていく。無事であるのは、主を見守る玉座の周囲と、ひれ伏している骸骨の周りだけであり、それ以外のものは大なり小なり破壊の跡を刻みつけられている。

 

「そも、我らの会話を盗み聞くのみならず、私と同格たる妖精王の方々を愚弄するなど、何様のつもりか!! 我が許可も得ず、この玉座の間に足を踏み入れるとはどういうことか! 貴様がいつ、そのような資格を得たというのか!? 不足ない説明を申してみよ!!」

「お、お許しを……お許しを……」

 

 秋雅の叱責と追及に、骸骨は小声で懇願を漏らす以外の行動を取ろうとしない。だが、それも無理からぬ話だ。本来、地下の奥底に位置する冥界において、雷がその存在を示すことはまずない。理として、雷というのはあくまで、空から地上までの範囲でのみ生きる存在だからである。故に、知識や本能としては知りつつも、冥界の住人で雷の破壊力を経験したことがあるものは少ない。

 

 それを最悪の形で、強制的に実感させられたのだ。これに加えて秋雅の怒気を浴びせられるとなれば、この骸骨の反応も至極当然のものと言えるだろう。

 

「……ふんっ」

 

 平服し、恐怖が過ぎるのを待つ骸骨。その何とも面白みもない光景に、秋雅は心底下らぬという風に鼻を鳴らす。最後に一つ、ひときわ大きな落雷を骸骨のすぐ目の前に示してから、秋雅は荒々しい動作で玉座に腰を下ろす。

 

「貴様の望みもこれで叶っただろう。これ以上私を不快にさせる前に、疾くと去れ」

 

 秋雅は告げたところ、数十秒はたっぷりとかけながら、骸骨がこちらを仰ぎ見た。皮膚はないが、しかし呆然としている、と感じ取れる様に、秋雅は片眉を上げる。

 

「――もう一度言わせる気か?」

「ひっ……」

 

 秋雅の恫喝に、怯えた声を漏らしてから、骸骨は這う這うの体という形でその場を去る。術の類も使わず、ただ走って謁見の間を出るという行為は、よほど肝が冷えたのだろうと察するに容易い。それをじいと見送ってから、はあ、とまた秋雅はため息をつく。

 

「……誰ぞある」

「はっ」

 

 秋雅の呼びかけに、また一体の骸骨が現れた。最初に先導を務めた管理人である、とすぐに分かった。彼は簡易な――しかし、先のあれと比べられぬほどの敬意を感じさせる――礼をした後、申し訳なさそうに続ける。

 

「失礼いたしました、王よ。あのものは我らの一員となりて日が浅きもの。王に取り入ろうとつまらぬ小技を弄そうとしたようです。あのものに代わり、陳謝いたします」

 

 見せしめにしたな、と秋雅は管理人の思惑を察した。あの愚か者の行動は、この管理人に誘導されたものである、と理解したからである。

 

 基本的に、冥界の管理人の立場にあるものは優秀である。誰もかれもが王の命令を厳守し、その上で最善の行動を取っているように見える。しかし、人間から見れば不可思議な生命体である彼らだが、社会なり組織なりを形成している以上、個体差や才覚といったものは存在する。画一的なクローンの集団ではない以上、これは神話の世界の住人だろうが現世の人間だろうが変わらない。

 

故に、と言うべきか。一種のエリートとも評せる冥界の管理人にも、優秀に見えるが実際はそうでもない、という輩はどうしても紛れ込む。これ自体は、一概には悪いことではない。大事なのはそれをどう管理するかである。

 

 その『あまり優秀ではない集団』に、秋雅を侮る気配が蔓延しつつあったのを、今秋雅の前にいる管理人は何処かで感じ取ったのだろう。その上で、今のような状況になるように誘導した、あるいは黙認したに違いあるまい。でもなければ、あの骸骨があれほど気の大きい行動に出ることも、そもそもこの場に足を踏み入れることも不可能だ。それが出来るほど、この冥界の階級制度は脆弱ではない。

 

 まったく、うまいものである。かくして、冥界の空気は改めて引き絞られることになった、とでも言えばいいのか。被害にしても、馬鹿が一人と宮殿の区画の幾つかだけなら軽微な部類だろう。しかも、この策が巧妙であるのは、流れの中で生まれた悪感情は、全て実行犯にのみ向くという点だ。少なくとも、秋雅の場合はそうである。そうだったのか、と納得こそすれ、こいつのせいで、と改めて睨みつける気にはなれない。

 

 あるいは、お前が私を含めて利用したのか、などと問い詰め、結果として自供でもすれば、秋雅も怒りを覚えるかもしれない。おそらく嘘はつかないだろうから、全ては予想した通りとなるだろう。

 

 しかし、秋雅は何を問いただすでもなく、ただ鷹揚に頷いた。露にする意味もない、とそう判断したからである。

 

「よい。貴様にまったくの非がないわけではないが、あ奴のそれに勝るわけではない。既に我が裁きは下した、その後は貴様の良いようにすればいい」

 

 後の処理を任せる、と秋雅は管理人に告げた。先ほどの骸骨をどうこうとする気は、秋雅にはもはやなかった。正確には、最初から罰する気はそれほどない。先のあれも、半分ほどは演技である。

 

 確かに、無礼な物言いと、不快な提案に怒っていた、というのは事実だ。しかし、秋雅は叱責をすることはあるものの、それに体罰の類を組み合わせるのはあまり好きではない方だ。理性的ではない、と感じられるし、言葉で分からぬのなら叩いてもそれほど――怒られた理由を理解させるという点で――意味がないと考えているからである。故に、先の落雷に関しては、別に反射的にもたらしたものというわけではない。秋雅がさっき言った通り、あの骸骨がそれを望んでいるようだったから、ついでにやってやった、という程度に過ぎない。

 

 さらに言えば――あくまで結果としてだが――無秩序に力を振るえたことで、秋雅の中にあった苛立ちを軽減できたというのもある。細かいが、うっぷんを晴らすために力を使うのと、力を振るった結果として不快感が発散された、というのを別物として考えれば、秋雅の信念にも一応抵触しない。些か気に入らないところもあるが、その点ではあの骸骨に功績がないわけではない。

 

 少しはすっきりしたから見逃してやる。暴君よりの主張だが、今の秋雅は確かにそういう気分だった。

 

「はっ、承知いたしました。以後、臣下として相応しい教育に努めます。それと宮殿の修復ですが、可能な限り早急に致します故、それまではどうかご容赦を」

「うむ。それに関しては苦労をかける」

「いえ、苦労などと。御身のお力の一端を改めて目にし、より一層の忠節を覚えたほどでございます。囚人らも王への畏怖を強めており、これよりは管理も容易くなりましょう」

 

 それに、と管理人は続ける。

 

「王より仕事を賜れたこと、それだけでも我らが喜びとなります。言うも恐れ多いことではありますが、先王陛下は我らに一度として、常ならぬ仕事を命じられませんでした。その身として、王よりかくして命を賜れること、何にも勝る喜びでございます」

 

 本心からのものだ、と感じられる態度で、管理人はそのようなことを言った。現代人からすると少しばかりに妙に感じられるだろう主張だが、秋雅の立場から見るとそうおかしなものでもない。こういう奴は案外と多いから、という経験則である。慣れた、あるいは毒された結果である。

 

「……私は部下には恵まれるようだ」

 

 幾人かを顔を思い浮かべながら、秋雅は息を漏らす。その様に何を感じ取ったのか、管理人はいっそう深く礼の姿勢を取る。その姿に、秋雅はほんのわずかに目を柔らかくした後、靴音を響かせるようにして立ち上がる。

 

「では、私はこれで去る。良きように取り計らえ」

「はっ。行ってらっしゃいませ」

 

 管理人の返答を受けつつ、秋雅は目を閉じ、呪力を集中する。その呪力を操りながら、現世に戻るということを強く念じる。そして、それが最高潮に高まった時、彼は静かに、ただ一言だけを口にする。

 

「――開け」

 

 次の瞬間、秋雅の足元にぽかりと大穴が開いた。一瞬の停止の後、秋雅の全身はするりと穴の中に飲み込まれる。冥界よりも深く、しかし何故か暗くは思えぬ穴の中を、秋雅は無言のままに落ちていき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけば、秋雅は自身の寝室に立っていた。冥界に旅立つ際、入り口として使った場所である。目を開け、見渡すと、彼の(・・)三姉妹がそれぞれの姿勢で休んでいた。冥界に渡るにあたって、術を行使していたからそのまま待機していたのだろう。ウルは椅子に腰かけていて、ヴェルナとスクラは秋雅のベッドに寝転ぶ体勢であった。

 

 なお、草壁姉妹はここにいない。部屋に、ではなく、秋雅の家から二人は離れている。先のプリンセス・アリスとの契約の下、少し前からイギリスに渡っているからだ。特に問題も起こっていないようで、たまにネット通話などで修行の成果などの報告を受けている。時折プリンセス・アリスが紛れ込むのが、まあ面白いと言えなくもないところだった。

 

「あら、シュウ。おかえりなさい、早かったわね」

 

 最初に反応を示したのは、長女であるウルだ。もっとも、ヴェルナやスクラも顔を上げてはいたので、単に声を上げたのが早いか遅いかというだけのようである。

 

「ただいま、ウル。ヴェルナとスクラも、ずいぶんとリラックスしているな」

「まあ、暇だったからね」

「なんとなく、そういう気分だった」

「そりゃまた」

 

 肩をすくめながら、秋雅もベッドに腰を下ろす。すると、寝転がっていた二人がするりと近寄り、秋雅の身体を預かるように背を合わせてきた。突然ではあったが、それほど驚きはない。ヴェルナはあの通りの性格だし、スクラも案外とこういう形で甘えてくる性質だ。そういうことをしたい気分になった、というだけのことだろう。双子ゆえのシンクロニシティも、あるいは関係しているのかもしれない。

 

 ともすれば特注の玉座よりも触れ心地のよいそれに、秋雅はふっと顔をほころばせる。彼女たちの背から感じられる温かな生命力が、先ほどまで陰鬱な場所にいた彼の全身を解したのだ。心の中に染み入るものに、秋雅は肩の力を抜く。

 

 そんな流れをじいと見てから、ウルが静かに立ち上がった。気づけば、その手には書類の類が握られている。何かあったか、と思いながら見ていると、ウルは流れるように、秋雅の膝の上に座りなおす。

 

「……おい、ウル」

「いいじゃないの、たまには」

 

 一拍遅れ、秋雅は呆れたような表情を彼女に向けた。あまりに自然で、違和感のない動作であったので、反応がわずかに遅れてしまったのだ。それを楽しんでいるのか、ウルはからかうような笑みを浮かべている。

 

 虚を突かれた秋雅であったが、しかし、ウルの行動の意味自体は理解していた。嫉妬、ではない。おそらく、そういう気分になっただけだろう。妹たちと同じだ。ただくっつきたくなったからそうした、それだけ。付き合いが深い(・・)から分かる、理屈でない理由だった。

 

 何事もこれぐらい直感的だったらなあ、と秋雅が冥界での会話を思い起こしていると、ウルがまた静かに手の中の紙面をこちらに渡す。

 

「貴方の仕事用のパソコンに来ていた、なんとかって人からの計画書。美辞麗句やらなんやらを抜いてまとめておいたわ」

「ん……ああ、陸鷹化からのか」

 

 渡されたそれにさっと目を通し、秋雅はその送り主を把握する。パスワードも教えていないパソコンの中身を見られた、だとか、まとめたメールの送り主の名も把握してないことだとかは、特に気にも留めない。前者に関しては、自分がいない場合は好きにしていいと言ってある――ウルならパスワードを解除するくらいは楽勝だろうと思っている――からだ。ノルニル姉妹に対し言わないことはあれど、黙って隠し通すようなことはない、と思っているからである。プライベートの方は弄ってこないからなおさら、問題になるようなことはない

 

 後者に関しても、あまりそうは見せないものの、ウルが実は人の名前をほとんど覚えない性格をしていると知っているからだ。正しくは必要になったら思い出せるが、そうじゃないときは忘れっぱなし、という記憶構造をしているらしい。どうも人嫌いがその理由なようで、常時名を呼べるのは身内だけ――勿論秋雅もここに入る――とのことだ。普段の態度を見るに、草壁姉妹もいずれはここに入りそうな気配があるから、これまたさしたる問題はない。

 

 総じて支障なし、と秋雅は改めて紙面に目を通す。ウルの言葉通り、書かれているのは羅濠教主がやろうとしている計画を、極めて簡素にまとめたものだ。読みやすく、理解しやすい。従って、書かれてはいないものの、付随するだろう被害のほどに関しても、容易に想像できる。

 

「まあ、カンピオーネの計画らしいと言えばらしい代物だな。とはいえ、上手くやれば被害は最小限にできそうか。そこそこ手を回す必要があるが……」

「あまり大きく動くとまた草薙護堂が出てこない?」

 

 既に目を通していたのだろう。自然と口を挟んできたヴェルナに、秋雅は小さく頷く。

 

「おそらくだが、出てくるだろう。だからそこは教主殿に任せる。あちらも、俺に任せるとは言ってこないだろうよ」

「プライドがあるから、ね」

 

 これはスクラの言葉であった。これにも、秋雅はまた同意を示す。

 

「ああ、万一違う流れになってもどうにか誘導してみる。あくまで今回の俺は協力者の位置に留まるつもりだ。主役はそれを張りたい人物に任せよう。どうにも、盤外の不確定要素が多い。余裕のある位置についておかないと全てが瓦解しそうだ」

「となると、私達がすべきことはなに?」

 

 覗き込むように、ウルが秋雅に問いかける。何となく、その額に口づけを落としてから、そうだなと秋雅はサラリと続ける。

 

「それを今から纏める。基本は俺が作るから、個々で突っ込みを入れてくれ。計画を動かすのではなく、計画を守るつもりで役割を決めよう。結局は流れをアドリブが支配することになるかもしれんが、出来るだけの想定はしておかんとな」

 

 そう言い、三姉妹の協力の元、秋雅は当日までの計画を詰めていく。それがある程度決まり、あとは冗長性を考慮して、という頃合いで、ふと秋雅は呟く。

 

「変な横やりが入らなければいいが……」

 

 言いながら、秋雅は心の中に何か引っかかるものを感じていた。問われ、冥界で口にした、まつろわぬヘルメスの名。改めて思い出したその名前に、秋雅は何か、胸騒ぎのようなものを覚えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふうん、なかなか面白いねえ」

「お耳汚しでなければ幸いです」

 

 軽薄さしか感じられない声に、さして敬意の感じられない声が続く。それを発したのは、一枚の白絹だけを巻き付けるように着た金髪碧眼の男と、髪から靴までの全てで赤を纏った女だった。無造作に男が立ち、その前に女が跪いている。そんな光景がそこにはあった。

 

もう一人の(・・・・)神殺し……名をなんと言ったかな?」

「草薙護堂、と申します」

「そう、そんな名前だったね。彼の方が先に、あのお猿さん(・・・・)に気づいたか。てっきり、お猿さんが動いてから、稲穂秋雅(・・・・)が対応することになると思っていたんだけど」

「大陸に居を置く別の神殺し――羅濠教主の思惑により、自発的に動くことになったようです。かの神の封印が解き放たれるとなれば、流石に静観も出来ぬと思ったのでしょう。敵対をしていないのは、その方が都合がいいと判断したのかと」

「流石は神殺し、と言ったところかねえ。わざわざ封じたものを、自分から解放しようとするなんて。まったく、馬鹿で強欲だねえ」

 

 そう言って、男は軽く、嘲るように笑う。その醜悪な笑いは、眉目秀麗な男の顔をゆがめ、造りにない醜さを見るものに幻視させるに違いない。

 

 そんな聞くに堪えぬ笑いを受けながら、女ははっきりとした口調で言う。

 

「して、御身は如何様に成されるおつもりでしょうか。宜しければ、このミスティにお聞かせ願えれば、と」

「ん? 別にいいよ。僕はね、これから日本に渡ろうと思っているよ。あのお猿さんに手を貸して、本格的に稲穂秋雅と遊ぶ(・・)つもり」

「決着をつけられるおつもりなのですね」

「今がその時、って感じがするからねえ。いつだかの借り、いい加減返さないといけないから、ね。じゃあ、そういうわけだから。君も、そこの君(・・・・)も、まあ適当に頑張ればいいよ」

 

 あまりにあっさりとした口調で男が言ったと同時、不自然なほどにさわやかな風がその場に吹いた。一秒と経たず風が収まった時、男の姿はその場の何処にも存在していなかった。それを確認した後、女――ミスティはゆるりと立ち上がり、面倒くさそうに首を回した。

 

「ああ、やっと行った。ああいう歪みまくった神と話すのは神経が疲れて仕方ないね。功刀もそう思うだろう?」

「ぶっちゃけ、お前も大差ないと思うがな」

 

 そう言って、功刀は木陰から身を起こした。彼は隠形の術による身隠しを使い、じっと二人の会話を見守っていたのだ。もっとも、その片割れの反応を見るに、気付かれたうえで無視されていただけのようだったが。

 

「しかし、流石はまつろわぬ神か。あんなの相手にカンピオーネたちもよくやる。ありゃ明らかに格が違う相手だ」

「お前がそう思うのかい」

「だからこそ、俺は神殺しになり損なった(・・・・・・・・・・)んだろ。そこに関しちゃお前も分かっているはずだが」

「くっくく、そうだったね」

「その代わりの……名無しの結社だったか? あれも役に立つとは思えんが。俺にはどうにも、おもちゃを貰ってはしゃいでいるガキの集団にしか見えん」

「いいんだよ、それで。数がいる、それだけで十分なのさ」

「マンパワーって奴か」

「――そう! マンパワーだ!!」

 

 突如、ミスティが声を張り上げた。両の手を天に掲げ、まるで空に浮かぶ太陽を抱きしめるように動かしながら、彼女は恍惚とした笑顔を浮かべる。

 

「古来よりこの世界を動かしてきたのは、一握りの才あるものではない! その天才たちに唯々諾々と従い、その成果を出力してきた、その他の有象無象の人間たちだ! 如何なる理論も、結果も、その全てを形にしたのは、それを検証し、実施し、普及させてきた、無数の愚者だ! 故に私は言う!! この世で真に結果を導くのは、多くの人間に指向性を持たせること! すなわち、どれだけのマンパワーを得られるか! この世の全てはマンパワー、マンパワーが重要なのさ!!」

 

 ああ、と絶頂にも似た吐息を漏らし、ミスティは己の身体を強く抱きしめる。そのままじっと動きを止めた彼女に、功刀は面倒そうにため息をつく。

 

「個人主義のはずの神祖が、こういう理屈を信奉するか。まったく、付き合わされるこっちの身にもなってほしいもんだ……おい、ミスティ。いい加減、俺の次の行動を話せ。お前に付き合うのも好かんが、お前とこれ以上一緒に居るのも飽きた」

「……ああ、そうだったねえ。じゃあ功刀、お前にはちょっと日本に行ってきてもらおうかな」

 

 姿勢を変えぬまま、ミスティは先の勢いが嘘のような小声で言う。彼女の指示に、功刀は胡乱げに眉を上げる。

 

「なんだ、出戻りか?」

「まさか。お前にはかの神が何をするか、実際に見てきてほしいんだよ。あと、出来れば稲穂秋雅の戦力も図ってきてほしいねえ」

「無茶を言ってくれる。出来るとして、アイツの配下とやらと一当てする程度だぞ」

「十分だよ」

「……ちっ、行ってくる」

 

 不承不承、という風に言い捨てながら、功刀はその場からゆっくりと歩き去る。彼がその場から消えてしばらくした後、ミスティはようやくと腕を解き、がくりと頭を地面へと向ける。

 

「それじゃあ、ミスティさんはミスティさんの仕事をしようかねえ」

 

 どろり、と熱意と執念が混じった視線が足元にそそがれる。いつの間に現れたのか、そこには黒い石材らしきもので出来た、漆黒の聖杯が鎮座していた。

 

「ミスティさんの計画のため、その身にたっぷりと呪力を貯めてもらわないとね。くっくく…………」

 

 暗く、淀んだ笑い声が、何処までも広がっていく。南シナ海にある無数の無人島。かつて、まつろわぬキルケーが居城とした、とある島の山頂での一幕であった。

 



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