艦これ その海の向こうに明日を探して (忍恭弥)
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リインカネーション-再会-【響と仲間たち】(響着任編)
遠い日の思い出


第一章を一話として投稿していましたが、16.07.19に分割して再投稿しています。


 声が聞こえた。

 私を呼ぶ声だ。

「まったくもう、響は鈍くさいんだから」

 呆れたように言う、姉妹艦の声。背中から聞こえる。

 振り返ろうにも、頭や首が痛くて、振り返ることはできない。手を伸ばすと、頭にも首にも、包帯がぐるぐると巻かれていた。

「コンソリの爆撃食らうなんてどうかしてるわよ」

 声は怒っているようで、責めているようにも聞こえる。でも。

「それでも、沈まなかったのは僥倖よね。あれだけ大怪我したんだから」

 振り返ることのできない私に、声は優しく言う。

「私が大湊まで曳航するから、ゆっくり寝てなさい、響」

 その言葉を聞いて思い出した。

 キスカ島攻略作戦の最中、私は敵軍の爆撃機の爆弾を艦首に食らって、沈没しかけていた。いわゆる首の皮一枚状態の私は、必死の応急修理でなんとか沈没は免れたけど、もうその後の作戦に参加することはできなくなった。

「響はもう無理ね。大湊まで戻って修理した後、横須賀に戻りなさい」

 旗艦の那智が摩耶や高雄と相談してそう決める。龍驤と隼鷹も、困ったように私を見ていた。

「…でも、響はこんな状態じゃ大湊まで戻れないのです」

 心配顔の電がそう言ってくれた。確かに、艦首をもぎ取られるような形になってしまったから、後退でしか航行できない。今なら数ノットも出ないはず。

「…暁。響を曳航して、大湊に戻って」

「暁が!?」

 那智の言葉に暁が声を上げる。特Ⅲ型駆逐艦の一番艦としてのプライドが、暁にはある。以降の作戦に参加できなくなったのだから、それも当然と言えば当然だ。

「一番艦でしょ? 長姉の責任を果たしなさい」

 同じく高雄型重巡洋艦長姉の高雄に言われてしまうと、さすがの暁も口をつぐんだ。暁は雷と電の方を見る。

「あたしたちは大丈夫よ」

「響を頼むのです」

 雷と電は口々にそう言って、暁の後押しをする。雷と電で構成された第二小隊は、この作戦では本隊預かりだ。第六駆逐隊のまま作戦に参加している私と暁の第一小隊とは別行動。攻略作戦が終われば、MI作戦の加勢に向かうはずだ。

「わかったわよ。響は責任を持って、暁が大湊まで送り届けるわ!」

 そんなやりとりがあって、私は暁に後退で曳航されることになり、その最中に先のやりとりがあった。

 大湊まではかなりの日数がかかったけど、暁は無事に私を曳航してくれた。

「ありがとう、暁」

「ま、暁型の長姉として当然のことをしたまでよ」

 礼を言う私に、暁は照れたようにそっぽを向いてそう応えた。暁型の中で一番おっとりしていると言われている私と違い、暁と妹の雷は元気も良くてハキハキしている。でも、雷の素直さが暁にはない。暁は、いつも自分が私たちの姉でなくてはならないという気持ちに支配されてる。そんな必要はないんだけどな。

「とりあえず前進航行できるようになったら、ちゃんと横須賀へ行って修理してもらうのよ」

 腰に手を当て、指を突きつけんばかりに顔を近づけて、暁はそう言う。

「わかってる」

 私が頷くと、暁は眉を寄せたまま小さく頷き、息を吐いた。そうして、ようやく笑顔を見せてくれる。

「今回本隊預かりだった雷と電は別行動だったしね。響の修理が終わったら、また四隻で第六駆逐隊やりましょう。じゃあ、またね」

 暁は、その笑顔を最後に大湊を去って行った。

 その後南方作戦に投入された暁に会うことはないまま、私はソビエトに行くことになる。

 そんなことを思い出していた。

 



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妹たち

「あっ、目を覚ましたわよ」

 耳から認識できる声は、懐かしい姉妹艦のものだ。波の音が響き、陽射しを肌に感じられる。ここは…どこ? 重い瞼をゆっくりと開けてみる。陽射しの強さに、思わず目を眇めた。

「天龍さん、響が目を覚ましたのです!」

 甲高い声が、いやが上にも意識を覚まさせる。目を開けた私が認識できたのは、私の顔をのぞき込んでいる雷のはずの姿と、背を向けて天龍を呼ぶ電のはずの姿だ。

「雷…? 電…?」

 確信が持てないまま、私はゆっくりと身体を起こす。そこは島影一つ見えない晴れた海上で、波も穏やかな近海のようだった。

「大丈夫? 起きあがれる?」

 元々世話焼きな性格の雷が私の背を支えてくれる。上体が起きると、ハッキリと電の背中と天龍、由良の姿も見えた。他にも、若葉と潮の姿も見える。潮が被弾して煙を噴いていた。

「大丈夫だ。不死鳥の通り名は伊達じゃない…」

 言って、私は立ち上がろうとする。だが、すぐにふらついて尻餅をついてしまった。雷の顔に、仕方ないわねえという表情が浮かぶ。

「無理すんじゃないわよ。鎮守府まではあたしと電で曳航するわ」

 雷はそう言うと立ち上がり、大きく手を振る。

「電ー! 響を曳航するわよー!」

「了解なのです!」

 言いながら、電が駆け寄ってくる。あの戦争で亡くした二隻が元気な姿をまた見せてくれている。何とも不思議な光景。

「…ここは、靖国なのか?」

 私は呟く。あの戦いの時、乗っていた水兵や士官たちは口々にそう言っていた。「靖国で会おう」と。戦いが終わった時に生き残り、異国で客死した私には関係のない話だと思っていた。目の前にいるのは、潮以外は戦没した仲間たちばかりだ。潮にしても、機関故障で動けなくなり、私に武装の一部を提供してからは横須賀で動くこともできず、戦後しばらくして解体されたのだと風の噂で聞いた。みんな、あの戦争の後を無事に過ごせたわけじゃない。

「ここは靖国なんかじゃねえよ」

 傍までやってきた天龍が隻眼に笑みを浮かべながら言う。その横で、由良も笑顔だ。その意味が私にはよくわからない。じゃあ、ここにいるみんなは…?

「ここは新しい世界なのです!」

 電が、笑顔でそう私に告げた。その新しい世界がなんなのか、その時の私にはまだ分からなかった。ただ、みんな生き生きとしている。それだけはわかった。

「電、旗艦だろ。号令を」

 若葉が電にそう促す。電は頷いて声を上げた。

「第一艦隊、第一水雷戦隊、帰投です!」

 

 先頭を天龍と由良に任せ、殿を若葉と潮に任せた電は、雷とともに立ち上がれない私を曳航する。二隻かがりでも、同型艦の私の曳航は負担が重いようで、他の四隻は速度を落として泊地であろうと推測される場所へ向かっていた。

 後進で電と雷に曳航されていると、あの戦いの最中のことを思い出す。

 同じように大怪我をした自分を、キスカから大湊まで曳航してくれた、同型艦の姉である暁のことを。暁がいなくなったあとの私たちのことを。

「…この艦隊に、暁はいないのか?」

 振り返りながら、電と雷にそう聞く。二隻は顔を見合わせた。

「暁はまだ来てないわ。今日響が来たことすら僥倖だもの」

 雷はそう言って笑う。

「今この艦隊にいるのは、ここにいる六隻の他には、朝潮、時雨、綾波と白雪だけなのです」

 電もそう言って笑う。

「でも、特Ⅲ型駆逐艦の姉妹は私と雷だけだったから、響が来てくれてすごく嬉しいのです」

 そう言う電に、私はまだ全てを理解しきれずに首を傾げるしかない。暁は、まだ建造されてないと言うことなのか。

「私と朝潮は鎮守府の工廠で生まれたけど、他のみんなは響と同じように深海からやってきたのです」

 電は少し困ったようにそう言う。私が戸惑っているのを見て電も戸惑ってしまったらしい。深海から…と言っても、私が実艦標的となって沈んだのは浅い海だったはず。それはいったいどういうことなんだろう。

「詳しいことはよくわからないのです。今、私たちは深海からやってきた敵と戦っていて、その敵に勝ったときに、今日の響のように誰かが現れることがあるのです」

 電はそう言ってまた困った顔をする。それ以上のことはきっとわからないんだろうな。

「ま、細かいことは気にしても仕方ないわよ。せっかくまた一緒になったんだし、楽しみましょ、響」

 困り顔の電を尻目に、雷は笑ってそう言いきった。そうか。雷も私と同じで、深海から来たんだっけ。

「そうなのです。歓迎します、響!」

「そうか」

 電にそう答えると、自然と頬に微笑が乗る。救えなかった電は目の前で笑っている。なんとなくそれだけでこの新しい世界は私を迎えてくれているのだと思えた。



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 無事鎮守府にたどり着くと、私はまだ上手く歩くこともままならない身体を、電と雷に抱えられて、船渠へ連れて行かれた。中破状態の潮も一緒だ。

「明石さーん、朝日さーん! 潮の修理と響のチェックお願いしますー!」

 船渠に着くと、雷がそう声を上げる。奥からパタパタと小気味よい足音が聞こえて、工作艦という艦種に属する艦娘が軽やかにやってきた。この艦娘…誰だろう。

「あーら、潮ちゃん酷くやられたわねえ」

 その艦娘は明るい笑顔で潮にそう話しかける。

「明石さん…、またお世話になります…」

 言いながら潮は恐縮しつつ頭を下げていた。潮の雰囲気はあの時から変わらないな。

「いいわよー。みんなの修理があたしたちの仕事なんだし」

 そうやりとりしている間に、おっとりともう一隻の工作艦娘が現れる。こっちが朝日と言うことか。

「電ちゃんと雷ちゃんは無事なようね」

 おっとりとしたイントネーションが、朝日の穏やかな表情から放たれる。

「響がやってきたのです! 明石さん、朝日さん、よろしくお願いするのです!」

 頷いた電がそう言って私を前に立たせた。急に押し出されるような形になって、少し面食らう。ちらっと振り返ると、電はにっこりと笑っていた。

「…特Ⅲ型駆逐艦、二番艦の響です」

「電ちゃんのお姉さんね。私が担当するわ」

 私がそう言うと、朝日はそう言って私の手を取った。私たち駆逐艦のような小さく華奢な手ではない。手入れはされてるけど、歴戦で、それでいて職人の手。

「じゃあ、あたしは潮ちゃんを」

 朝日の言葉に、明石がそう反応する。そうして、明石は潮の手を取った。

「では、よろしくお願いするのです!」

「あたしたちは、司令官に報告してから、談話室にいるからね」

 電と雷はそう言って、船渠を去って行った。

 二隻が去ると、潮は第一船渠へ、私は第二船渠へ連れて行かれた。船渠は、艤装や兵装の修繕をする修理工廠と、「風呂」と言われる場所に分かれていた。私はまず修理工廠に連れて行かれ、次々と艤装兵装を外されていく。手際が良すぎて、止めることすらできない。

「なにを…?」

「艤装含めたちょっとしたチェックよ。悪いところがあるなら、早めに直しておかないとね」

 言いながら、朝日はおっとりとした口調に似合わずテキパキと艤装ののチェックを始める。

「…みんな、やってるの?」

 艤装兵装を全て預けた私は、椅子に腰を下ろして朝日の作業を見ながら、呟くように言う。眼鏡をかけて兵装を点検する朝日は、私の声にも顔を上げない。

「海上で拾われた子はね。電ちゃんみたいに、工廠で生まれた子はする必要がないんだけどね。悪いところがあれば、戦えないでしょ?」

 そう言って、12.7センチ連装砲の歪みを確認している。穏やかな表情だが、目には鋭い光が宿ってる。

「何か気になる?」

 そこで朝日はようやく振り向いた。その頬には、優しい笑顔が浮かんでいる。

「いや…、少し前の世界のことを思い出しただけ…。ソビエトに譲渡される前に、兵装は全て外されてしまったから、誰かに艤装を渡すのは苦手なんだ」

 俯いてそう言う私に、朝日の穏やかな声が届く。

「私も似たようなものよ。今はこうして工作艦なんて仕事をさせてもらってるけど、ワシントン軍縮条約の時に、私も兵装全部引き剥がされて練習艦にさせられた口だから」

 言いながら、また朝日は作業に戻った。カンカンと甲高い鉄槌の音が修理工廠に響く。

「こう見えても私、前弩級とは言っても元は戦艦だから」

 仕上がった12.7センチ連装砲を確かめながら、朝日はそう言う。前弩級…イギリスのドレッドノートより前に完成した戦艦のことだ。ドレッドノートが艦の中央線上に同一口径の主砲を並べて左右どちらにも艦橋からの距離観測と指示で最大火力での砲撃が可能になったことからそう言われるようになり、それまでの主砲副砲中間砲を亀甲配置にした戦艦は一夜にして旧型扱いになったと聞いた。

「旅順閉塞戦、黄海海戦、日本海海戦、全部参加したわ。敷島姉さん、初瀬、三笠と一緒にね。頑張ったけど、前の世界でももう遠い昔の話よ」

 言い終わると、朝日ははいっと私に12.7センチ連装砲を手渡してくる。連装砲は、私にとっても砲戦の要であって、歪みがないのに越したことはない。手入れされた連装砲は、手にしっくりと馴染みそうだった。

「ありがとう」

「後の調整はやっておくから、響ちゃんはお風呂に入ってきなさい」

 そう言って、朝日はひらひらと手を振る。

 手渡された12.7センチ連装砲をじっと見つめてから、私は口を開く。

「じゃあ…、後はお願いします」

 私が立ち上がった後、朝日はそのままの笑顔で私が修理工廠を出るまで見送ってくれていた。その笑顔は、少しこの世界への勇気をくれた。

 

 風呂と呼ばれる場所は、本当に風呂だった。艦娘となった以上、艦の頃のプールのような船渠とは違うのだろうなとは想像していたが、人が入るような風呂だった。湯気の煙る風呂には誰もおらず、私は熱い湯に戸惑いながら、身体を沈める。

「この世界は、前にいた世界とは随分違う…」

 湯船に映る自分の顔を見ながら、呟く。前の世界では艦である自分を意識はできたけど、今みたいな人型の自分を意識することはそうなかった。姉妹艦だった雷や電には、艦以外にも人型の姿を認識できはしていたけど。

 がらっと音がした方向を見ると、湯船の向こうに潮の姿が見えた。私の姿を見ておずおずとやってきて、掛かり湯をした後私の横に腰を下ろす。水面の姿が揺れて崩れる。私は潮の方は見ずに、ただじっと崩れた自分の姿を見ていた。

「響ちゃん…」

 声をかけられて、ようやく私は潮の方を振り向く。そこには、潮の、電とはまた違った気の弱そうな笑顔が見える。

「お見限り…だね」

「最後の第七駆逐隊…。私と潮の二人だけだったな」

 電を喪って私一人になった第六駆逐隊は解体され、私は同じように潮一人になった第七駆逐隊に編入された。それでも、横須賀から動けなかった潮と、舞鶴、新潟で作戦に従事した私とは、一緒にいた時間はほんの僅かだ。

「…私は、機関故障で動けなかったから、全然お役に立てなかったけど」

 潮は微苦笑を浮かべながらそう言う。

「潮からもらった主砲は役に立ったよ。当たらなかったけど、装備を痛めていた私の最後の砲撃は、潮からもらった主砲だった」

 私の言葉に潮は苦笑を浮かべる。私は少し怪訝な思いを乗せた表情を潮に向けていた。

「響ちゃんは、最後に会った時から変わらないね。アリューシャン攻略作戦の頃とは、違う人みたいに思ってた」

「そうかな…」

 潮の言葉に、私はそう呟いてまた水面に視線を落とす。アリューシャン攻略作戦の時とは何も変わっていない気がしていたんだけど。だけど、それは私にも気づくことがある。

「潮だって、アリューシャン攻略作戦の頃は、もっと無邪気に笑っていた気がする。一緒に大膺の護衛をした時だって…」

 私がそう言うと、潮は苦笑いを浮かべて視線を落とした。

「阿武隈さんが被弾して、その後の爆撃で魚雷が誘爆して沈んでるのも、曙ちゃんが私のすぐ横で沈んだのも覚えてるからね。曙ちゃんが沈んだ時は、私も被弾して助けられなかったから、忘れたくても忘れられない」

 そう言って、潮は口をつぐむ。悪いことを言ってしまったかなと少し後悔した。私にとっての電は、潮にとっての曙や阿武隈なんだ。それに、この艦隊に第七駆逐隊で一緒だった朧や漣、曙もいない。同型である特ⅡA型駆逐艦の面々も、他にはいないから淋しいって気持ちもあるのかな。そう思っていると、不意に潮は顔を上げた。じっと私を見てくる口元が、ゆっくりと綻ぶ。

「それでも、私は、また響ちゃんに会えて嬉しいよ」

 その言葉に、私は驚いた。ぎょっとしたように、潮を見てしまってたかも知れない。

「きっと、雷ちゃんも電ちゃんもそう思ってる。私は、まだ他の姉妹には出逢えてないけど、図面の上での吹雪型って大きなくくりでは、私と響ちゃんも姉妹だから」

 そうして、少しぎこちない感じだったけど、潮は笑顔を見せてくれた。

「潮…」

 面食らったままの表情で私は呟く。その表情が私の中にある淋しさも少し埋めてくれる気さえする。また潮は口を開く。

「また一緒に頑張ろう。また、あのアリューシャン攻略作戦の時みたいに、一緒に戦えることもあると思う」

「ありがとう、潮…」

 そう細く笑う潮に、私は思わず頭を下げていた。

「響ちゃーん。艤装の点検終わったわよー」

 風呂のスピーカーから、朝日の声が響く。私は思わず「今行きます」と応えてから立ち上がる。

「ありがとう、潮」

 そう言う私に、潮は首を振る。

「行っておいでよ」

 潮に頷いて、私は風呂を後にした。



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初めての出撃命令

 朝日から艤装を一式渡されると、思いの外しっくりくる状態になっていた。気にはしていなかったが、やはりどこか悪くなっていたらしい。歴戦の装備で、あの戦いの最後は物資の欠乏から満足な整備すら受けることができなかった。そんなことを思いながら、電たちがいるという談話室に向かう。艤装は、鎮守府では邪魔になるので収納しておいた。

「響、終わった?」

「大丈夫そうでホッとしたのです」

 談話室のドアをくぐるなり、雷と電がそう声を上げた。慣れた姉妹たちの歓待といっても、やはり久々で照れる。思わず艦内帽を目深にし直す私を、同じ部屋にいた天龍と由良が苦笑いを浮かべながら見守っている。

「…終わった」

「なんか飲む? 朝日さんおっとりしてるけど、仕事は確実なのよねー」

「とりあえず、サイダーを持ってきたのです」

 私が腰を下ろすと、雷と電が矢継ぎ早にそう言ってくる。一瞬面食らったが、電が持ってきてくれたサイダーのコップを手に取った。透明な炭酸水を口にするのはこれが初めてだ。

「…甘いのだな」

 そう素直な感想を口にする。電と雷が顔を見合わせて笑った。

「そりゃあそうよ。そのままの炭酸水なんて、味がなくて飲めたもんじゃないもの」

「お砂糖と香料で味付けがしてあるそうなのです」

「そうなのか…」

 雷と電の解説に、もう一度コップの中の液体を喉の奥に流し込む。甘さと炭酸の刺激が、喉を通り過ぎていった。風呂上がりの少し火照った身体には、心地いい。私はコップを置くと、休憩室をもう一度見渡した。広い休憩室は、休息する艦娘の数も少なく、電の言うようにこの艦隊…と言うよりも鎮守府に配属されている艦娘の数は本当に多くないらしい。海上では一緒じゃなかった時雨と朝潮の姿も見えた。

「…本当にこぢんまりした鎮守府なんだな」

「まだこれでも増えた方なのです」

 私の言葉に、電が笑顔で応える。

「私が工廠で生まれた時には、執務艦の敷島さん富士さんや、工作艦の朝日さん、明石さん、標的艦の摂津さんや矢風さんくらいしかいなくて、戦闘艦は誰もいなかったのです」

「それがこんなに増えたのよ。いずれは戦艦や空母だってくるでしょうし、水雷戦隊は水雷戦隊で出番増えると思うわ」

 雷はそう言って笑う。それが現実になればいいと思うけど。

「あ、電、こんなところにいました!」

 声の方を振り向くと、潮と同じ特Ⅱ型駆逐艦のネームシップである綾波が入り口で声を上げていた。

「綾波さん、どうしたのです?」

 かっくんと首を傾げながら、電は綾波を出迎える。綾波は小さく溜息をついて、私たちのいるテーブルへとやってきた。

「電は秘書艦でしょ? 司令官が探してましたわ」

 困った顔でそう言う綾波に、電と雷は顔を見合わせる。

「ここへ来る前に報告は済ませたはずよ?」

「雷には聞いてません!」

 ぴしゃりと言われても、雷はけろっとしてる。むしろ、首をすくめたのは電の方だ。

「とりあえず、司令官が探してましたから、電は司令室に行きなさいよ」

「わかったのです」

 そう言いながら、電は立ち上がる。

「ちょっと行ってくるのです」

「いってらっしゃーい。あたしと響はここで待っとくわ」

 ひらひらと手を振りながら、雷はそう笑う。私も、電に向けて頷いた。電は笑顔で小さく頷くと、パタパタと休憩室を小走りで出ていった。

「ここの司令は女の人でさ、あたしたちにはお姉ちゃんみたいな感じよ」

 ニッと笑いながら言う雷に、私は奇異の目を向ける。前の世界で私たちに女性が乗る事はなかったからだ。それに…。

「若いのか?」

 雷がお姉ちゃんと言うからには。

「そうね。歳の頃は二十四、五ってとこかしら」

 まるで自分の姉を誇るかのように、雷は言う。相当慕ってるんだな。

「響も会えばわかるわよ。司令官の良さがね」

 雷の言葉に、私は「そうか」と曖昧な返事をした。雷は工藤艦長のことをよく覚えてるだろうから、きっとそういう人なのだろうなと想像しておくだけにした。

「今、どういう状況なんだ?」

 聞く私に、雷は唇を曲げて、自分のコップに視線を落とした。

「あんまり芳しくないわね。洋上の制海権はほとんど敵さんに握られて、やっと近海の制海権を取り戻して輸送船を護衛付きで島伝いに出せるようになったところ。まだこの国の周囲しかあたしたちは動けないわ」

 雷は真面目な顔でそう語る。

「そんなにひどい状況なのか…」

 ふっと沖縄に特攻した大和たちの姿が浮かんで消えた。あんな末期的な状況なら、私たち駆逐艦の仕事は輸送艦の盾になることくらいだ。

「と言っても、敵は水雷戦隊が殆どで潜水艦もいないし、まだ空母も見たことないわ。重巡クラスですら稀だしね」

 雷はそう言って息をつく。

「軽巡と駆逐艦ばかりの後進国だと舐められている…?」

「かもしれないわね。でも、そう思ってもらってる内にこっちも練度を上げて軍備を整えなくちゃ」

 雷は握り拳を作ってそう力説する。だとすると、私もまだ力になれそうだ。航空機でなく同じくらいのクラスの深海棲艦が相手なら。

「雷、響、明日以降のことで司令官さんが話があるそうなのです」

 戻ってきた電が表情に少し緊張を奔らせてそう言った。こっちを見てくる雷に、チラッとだけ視線を送る。

「行くわよ、響」

 強気な笑顔で、雷が立ち上がる。私も、頷いて立ち上がる。

「了解した」

「天龍さんもお願いするのです!」

 電の声が響いて、天龍が力強く頷くのが見えた。

 

「電、戻りましたのです!」

 司令室の扉を開け、電がそう敬礼する。その肩越しに見えるのは、海軍二種軍装に身を包んだ、長い黒髪の女性。確かに若い。切れ長の瞳が意思を持って私たちを見ている。

「天龍、来たぜ!」

「若葉、来たぞ」

「時雨、来たよ」

 私の横で、次々と仲間が自分の名を告げる。雷がちらっと私の方を見て、強気な笑顔で小さく頷く。

「雷、来たわよ!」

 雷の声は淡々としている若葉や時雨よりも随分大きい。雷の後だとやり辛いな。

「響、来たよ」

 いつものように、淡々と私らしく言ったつもり。無愛想に見えていても、それが私だから仕方ない。

 司令官の右手が上がりゆっくりと下りた。私たちは敬礼姿勢を解除する。

「お疲れ様。寛いでたところ悪いね」

 さっきまでの厳しい表情を崩し、苦笑いを浮かべて司令官は言う。

「明日からの哨戒任務はこの六隻でやってもらう。旗艦は電だ」

「はいっ!」

 司令官の声に、電の元気な返事が被さる。

「哨戒と言っても、敵の艦隊はこちらの通商破壊を目論んでる公算が高い。特に南方産油地帯とのシーレーンが確保できなければ死活問題だ。無理はしなくていいが、できる限り敵戦力の撃退に努めてほしい」

 司令官の言葉に、息を呑む音が聞こえる。

「由良は連れて行かなくて平気か?」

 天龍がそう聞く。軽巡は一隻より二隻の方が戦力的には上なのは間違いない。ましてや、練度の全然ない私を連れて行く意味はあるのだろうか。

「由良には潮や綾波、白雪を連れて船団護衛に行ってもらう。船団護衛にもある程度の戦力を割かなくてはならないからな」

 納得したように天龍は頷く。私はとりあえず頭数か。実戦で練度を上げるしかないようだな。

「それじゃ、よろしく頼む」

「敬礼なのですっ!」

 電の声で銘々右手が敬礼位置に挙がる。司令官の右手も挙がって下りた。その一瞬、ようやく司令官の頬に歳相応の笑みが浮かんだ。



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出撃前夜

 新しい任務の出撃前というのは、なんとなくいつもと違った雰囲気になるものだ。この鎮守府に最初からいることもあって、全体の中で一番練度の高い電が旗艦を任されることが多いみたいだけど、電は頑張り屋さんな反面、少しどんくさくて気弱なところがあるから苦労してそう。もっとも、どんくさいに関しては、私も人のこと言えた義理じゃない。その夜も、緊張を見せていたものの、疲れ切っていた電は、「第六駆逐隊」に充てがわれている四人部屋の二段ベッドの上で、あっさりと眠りに落ちていた。私は、久々の実戦ということもあって、まだ眠れずにいる。夜の静寂に耳を澄ましていると、遠くで穏やかな波の音も聞こえる。ついこの間までいた「元の私」が眠っている浅い海の底を思い出す。元の暁、元の雷、元の電、姉妹たちから遅れること三十年、老朽化した私は実艦標的として爆撃訓練に供され、破壊されて海の底に沈んだ。武装も、装甲も、すべてを剥ぎ取られ、体中に標的をペイントされ、逃げることも許されずに味方の爆撃機に嬲られ、沈んだ。戦闘艦の一生なんて、こんなものだ。敵と戦って沈むか、味方の訓練の的になって沈むか、生き残っても鉄屑として解体され売られていく。武装解除されて民間へ売られていくような幸せな艦は殆どない。それでも…前の私は幸せだったと思う。戦闘艦として戦場を駆け回って、ソビエトに行ってからは訓練艦として育成に協力できた。こんな私でも、何かの役に立てたんだと思う。それだけは素直に誇りたい。

 ただ、この新しい世界で雷と電という妹たちに再び会うと、やっぱり思い出されることがある。やり残してたことと言ってもいい。いつかでいい。そのやり残したことをこの世界で遂げておきたい。

 そんなことを思っていると、隣のベッドから物音が聞こえた。雷もまだ眠れないらしい。

「雷、起きてる?」

 小声で問いかけてみる。向けられていた背中がくるっとこちらを向いた。

「起きてるわ。響も眠れないの?」

 そうは言いながらも雷の目は眠そうだ。今まさに寝入ろうとしているところを起こしてしまったらしい。

「少し…。電は他愛ないな」

「あの子は一番最初に来た子だから、本来天龍や由良がやるはずの仕事もやってるからね。司令官の相手もしてるし、疲れて当然よ」

 そう言って、雷も小さく欠伸をする。その電のバックアップをしているんだから、雷も疲れてるんだな。

「…暁のこと?」

 私がしばらく黙っていると、雷の方からそう聞いてきた。この辺りはさすが雷というべきなんだろうな。気が利くというか、人の気持ちに敏感で、それでいて知らんふりもできる。私には真似できそうにない。

「暁がこの鎮守府に来る予定はないんだね」

「今のところはね」

 雷はそう言って嘆息する。

「どういう順番なのかさっぱりわからないわ。あたしたちの前型のはずの睦月型はまだ誰も来てないし、特型だってⅠ型は白雪だけ、Ⅱ型が綾波、ⅡA型が潮、あたしたちの後継型の初春型が若葉、その後継型の白露型が時雨だけ。朝潮型もネームシップの朝潮だけ。陽炎型より後の駆逐艦も誰もいないしね。ホントあたしたち特Ⅲ型だけ三隻も揃ってるの奇跡だわ」

 そう聞くとホントにそうだ。バラバラだもんな。でも…。

「暁のこと、覚えてるか?」

 私がそう聞くと、雷はちらっと私の方を見て二段ベッドの低い天井に視線を向ける。

「忘れたくても忘れられないわ…。第三次ソロモン海戦の第一夜戦、警戒隊から夕立が行方不明になって、いつの間にか敵の向こう側に比叡がいて…。先頭艦になった暁が探照灯照射…。あとは見てられなかったわ。壮絶だったもの、暁の最期…。後方だった電は無事だったけど、あたしも大破しちゃうし…。敵も味方も入り乱れて、めちゃくちゃな戦いだったもの」

 それっきり、雷は黙り込んだ。

「私は、雷に教えて貰ったんだよ。暁の最期…」

 私もそう言って黙る。横須賀でアリューシャン攻略作戦時の損傷を修理していた私は、この戦いには参加できなかった。ようやく修理が終わって、南方への任務を貰った時に、私と入れ替わるように横須賀に帰ってきたのが雷だった。

「…覚えてるわよ。あたしは機関が無事だったから助かっただけ。沈んでてもおかしくなかったもの。横須賀鎮守府の入り口で、響に言ったわよね。『暁が沈んだ』って」

「ああ」

 落ちた声の雷に、私は頷く。今でも鮮明に覚えているあのシーン。雷は、前の私に負けないくらいボロボロになった姿で、笑顔でそう告げながら泣いていた。

「この世界ではね、誰も喪いたくないのよ。だから」

「わかってる」

 涙目の雷と視線が交差する。思い出して涙している雷に対して、私の瞳にも表情にも、なんの変化もない。薄情なと思われたかな。…でも、目の前で助けられなかった電だけじゃない。私がドックに入っている間に、私が行くはずだった海でたくさんの仲間が沈んだ。それは、私も繰り返したくはない。

「あたしたちが、海の底から暁を引き上げるの」

 眠っている電に配慮して小声ではあったけど、雷は潤んだ瞳のままそう言った。そうだよな。私たちが、暁の手を引くんだ。もうずっと離ればなれにならないように。

「余計眠れなくなったじゃない。どうしてくれるのよ、響」

 じっと見ている私に、雷は頬を膨らせる。私は思わず苦笑いを返すしかない。申し訳ないと言うしかないかな。

「眠くなるまで思い出話でもしようか」

「朝になるのがオチだと思うわ」

 雷はそう言うと、背中を向けて毛布を被り込んだ。その背中が動かなくなったのを見届けて、私も重たくなってきた瞼を閉じた。

 

 朝、総員起こしの起床ラッパで起こされ、私たちは身支度を整える。遅くまで眠れなかったこともあって、本来ならまだ眠いはずなのだが、高揚してしまっている気持ちは眠さを感じさせなかった。

 実戦。

 その二文字が怖れと不安を呼び起こす。

 誰かが沈んだら。

 自分が沈むことで、誰かが心を痛めたら。

 隊の中で一番練度の低い私は、後者を特に恐れた。

 電に、雷に、そんな思いをさせたくない。

 だから、私は生き残らなきゃいけない。

 もっと、経験を重ねて強くなって。

 同じ部屋で準備をすすめる電と雷も、少しの緊張感を見せているが、概ねいつもと変わった感じはなさそう。いつもより外洋に出る事だけが不安らしい。私は、まず足手まといにならないようにしなくちゃ。あの時のように。

「響、行ける?」

 前髪をピンで止めながら、雷は聞いてくる。心地のいいお節介が耳を通り抜けていく。

「ああ、行ける」

 そう言って、私は艦内帽を被った。電も頷いてくる。

「行くのです!」

 狭い部屋に、電の声が響いた。

 

 岸壁に出て行くと、既に天龍と時雨、若葉は来ていたようで、司令官の横で天龍が仁王立ちしていた。

「おっせえなあ! ちゃっちゃとやれよー」

 天龍の声が響く。首をすくめた電を見ていると、どっちが旗艦かわからなくなる。その横で、司令官は苦笑いだ。

「ごめんごめん。でも遅れてないわよ」

 明るく返す雷に、天龍が舌打ちする。いわゆる五分前行動って言うのはできてるはずだから、雷もそう言い返したんだろう。ちらりと電の方を見ると、電は困ったように眉を寄せて笑いかけてきた。ああ、いつものことなんだな。

「第一艦隊、第一水雷戦隊、集合しましたのです」

 先に来ていた天龍、若葉、時雨の横に並んで、電が敬礼しつつそう声を上げる。私たちもそれにしたがった。司令官の右手がゆっくり挙がって降りる。

「状況は昨日伝えたとおりだ。哨戒任務と言ったが、事実上制海権のない海域だから威力偵察に近い。敵艦隊を発見次第撃滅するように」

「はいっ!」

 電の元気な声が響く。その声を聞いて、司令官も頷いた。そうして柔らかく笑う。

「でも、みんな無事に帰って来るんだよ」

 その声に推されるように、私たちは出撃した。



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最大戦速の先

 南西へ島伝いに行っていた哨戒と船団護衛とは違って、今回の任務は鎮守府より南方へ少し離れた海域だ。いくつかの小さな島はあるようだが、産油地帯とは随分と離れている。そこまでは、まだ私たちの艦隊は手が出ないらしい。

 海図を見ながら進む電の前を、警戒しながら天龍が進む。その右後方に私、左後方に雷。私たちの後ろで若葉と時雨が警戒を続けていた。

「敵の制海エリアだ、気を抜くなよ」

 時折、天龍が振り向いてハッパをかけてくる。私が拾ってもらった海はもう遙か後方だ。

「この辺りが、司令官さん指定の哨戒エリアの南限なのです」

 電が告げたのは、もう昼を随分と回ってからだ。それまで、敵方の艦艇との接触はなかった。

「結構遠くまで来たなあ」

 天龍が感慨深げに来た海を振り返る。釣られたように私たちも振り返った。当然だが、鎮守府の影はもう見えないくらい遥か彼方だ。見えるのはただ果てしなく続く海原と空だけ。それでも、この海の南には産油地帯の島々が広がっていて、油槽船は危険を押して航海を続けている。もちろん、その被害は軽くないはず。

「救難信号受信」

 少し離れたところにいた若葉が、ボソッと呟くように言う。みんな一斉に若葉の方を見た。

「我レ、敵水雷戦隊ノ攻撃ヲ受ク。至急援護ヲ求厶。ボ六十八輸送船団」

「ボ六十八輸送船団は、丸腰のタンカーの集まりなのです!」

 若葉の声に、電が声を上げた。

「若葉、座標は!?」

「ポイントK七六五のG五」

 雷の上げる声に若葉が淡々と答える。電が海図を覗き込んだ。

「ここから南西に約十六海里なのです!」

「微妙な距離だな」

「最大戦速で三十分弱ね」

 電の声に、天龍と雷がそう言って黙り込む。急がないといけないな。

「意見具申いいかな?」

 その沈黙を破るように、時雨の声が小さく響く。みんなの視線が時雨に集まった。

「若葉、天龍は三十三ノット、僕は三十四ノットしか出ないけど、電たち特型は三十八ノット出る。ほんの僅かな差だけど、隊を分けて先行してもらったほうがいいと思う。輸送隊が全滅して、敵部隊が撤退した後なら、乗員の救助にあたってもらえればいいし、敵部隊が残存しているようなら、牽制をしてもらえれば」

「その五分を稼いだほうが良さそうだな」

 天龍の言葉に若葉が静かに頷く。電も頷いた。

「雷、響、行くのです!」

「任せなさい!」

 電の声に、雷が応える。二人の視線が私に集まった。やるしかないんだ。

「行くよ」

 いつものトーンでそう言ってから雷の横に歩み寄る。南海の温かい風が、髪を揺らした。

「天龍さん、後詰めお願いするのです」

「五分だけでいいから持ちこたえろ」

 真剣な顔でそういう天龍に続いて、若葉と時雨が頷く。私たちも、視線をかわし合って頷いた。

「第六駆逐隊、最大戦速! 輸送隊を助けるのです!」

 電の掛け声で、缶を最大圧にして、機関の出力を極大まで上げる。天龍たちの前を通り過ぎ、私たちは輸送隊が襲われた場所へ急いだ。

「煙が上がってるわ!」

 十五分ほど過ぎたあたりで雷が声を上げた。遠くで黒煙が数本上がっているのが確認できた。後ろを振り返ると、少しずつ離されてはいるけど、天龍たちが三十三ノットで追いかけてきているのも確認できる。

「一人でも、一隻でも助けるのです!」

 グッと電が拳を握るのが見える。雷も唇を噛んでいた。私も意識を集中する。音こそしないもののまた大きな爆発に続いて黒煙が上がる。

「まだ戦闘は続いてるようだね」

「あーッ、もう! もどかしいわね! なんであたしたちってば空飛べないのよ!」

 私の声に、雷がとても無理なことを喚く。でも、気持ちはわからなくもない。早く現場に着きたいのはみんな一緒なんだ。幸い、最大戦速を出し続けてる缶は順調に動いてくれてる。あと、十分。

「生き残っている船はいますか!? こちら第六駆逐隊旗艦、電なのです!」

 その間も、電は必死になって輸送隊と連絡を取ろうとしている。少しずつ、少しずつ戦闘海域が近づいてくる。

「響、初弾充填」

「了解」

 雷と頷きあって確認を取る。十二・七センチ連装砲に弾丸を込め、測距儀を起動させる。六十一センチ三連装魚雷も、第一第二とも準備完了。

「敵は軽巡二、駆逐三! 輸送隊はまだ二隻が無事なのです! 十一ノットで北東に退避中! 三隻が被弾して戦闘域に取り残されているのです!」

 電がそう声を上げた。

「突っ込むわよ! 電も初弾装填しときなさい!」

 誰が旗艦かわからなくなりそうな勢いで言う雷に、電が「了解なのです!」と声を返す。その間にも彼我の距離は縮まってきている。相手に軽巡がいるということは、相手がよほどのヘマをしない限り先手を打ってくるはずだ。

「敵艦見ゆ! 情報通り軽巡二、駆逐三! 砲雷撃戦用意なのです!」

 電が声を上げた。雷の「了解したわ!」の声を聞きながら、私は三番手の位置を堅持する。私たちの陣形は、いわゆる伝統とも言える旗艦先頭単縦陣というやつだ。電、雷、私という順番で突入する。敵艦五隻が急速に向きを変える。電もそれに反応して転進し航路を変えていく。まだ距離は遠いが同航戦になりそうだ。

「天龍! 会敵したわ! 軽巡二、駆逐三よ! 電がそっちに誘導するような航路に変えたから、後詰頼むわよ!」

「輸送隊の皆さんはそのまま北東に退避してください!」

 雷と電が混乱しそうな状況の中、的確に指示と連絡を出していく。輸送隊から引き離しつつ、天龍たちと早く合流した方がいい。その間にも、軽巡からの砲撃が私たちの周りに水柱を作り始めていた。敵艦を吊り上げるような状態になったから、最後尾の私が露払いだ。魚雷はまだ距離が遠いから、主砲の照準を固定し、放った。しばらくして水柱が上がる。…外れたようだ。続けざまに、向こうからも砲弾が返ってくる。次弾装填しつつ回避に努めた。その間にも敵艦からの砲撃はどんどん水柱を上げる。「ってー!」という雷のかけ声も聞こえた。電も砲撃を始めている。二、三、着弾も出てるようだけど、私のは当たらないみたいだ。

「やっぱり、私たち三隻じゃ力不足ね」

「天龍さんたちと合流しないと」

 砲撃を続けながら、雷と電がそう言い合う。天龍たちも全力で向かってくれてるけど、もう少しかかりそうだ。一瞬天龍たちがやってくるはずの方向を振り返ったその時。

「響っ!」

 雷の声が響いた。ふっと視線を敵艦の方へ戻すと、ほぼ全艦の砲弾が私の方へ向いて飛んできている。可能な限り回避と言っても、弾幕を張られたようなものだ。その内の一発が私を穿つ。防盾をはじき飛ばした五インチの砲弾。続けて避けようがなくなって身体を打つ六インチの砲弾。そうして、もう一度、六インチの砲弾。私はその場所から吹っ飛ばされて宙を舞っていた。

「響!」

 まるでユニゾンのような電と雷の声がする。ああ、油の臭いの中に、血の臭いまで混じってる。また、大怪我かな…。そう思った瞬間着水の衝撃が来て、それからしばらくしても私は立ち上がれずにいた。防盾を飛ばされた左腕は動かない。もし砲弾を腰の魚雷に食らっていたら、誘爆して助からなかっただろう。

「響!」

 雷が反撃を続けながらも慌てて駆け寄ってこようとする。その奥で、電は必死に砲撃を続けていた。私のことはいいから、二人共…。

 その私の肩をぐっと掴んで立ち上げさせた影。

「悪い、遅くなった」

 見上げると、天龍だった。

「時雨はここで響を援護しろ」

「了解だよ」

 そう言い捨てておいて、私を時雨に預けると、天龍は腰の得物を抜いた。

「電、雷、若葉! 吶喊だ!」

 敵艦に斬り込むように天龍が十四センチ砲を放ったのを見た後、私は時雨の肩を借りたまま気を失ってしまった。

 また、あの浅い海の底へ戻ることになるのかな…。今度は雷と電を置いて…。

 暗い海の底へ落ちるような感覚が私を包んでいた。



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独りの夜

 どれくらい気を失っていたのだろう。

 気がつくと、私は部屋で寝かされていた。見覚えのない白い天井と、私の顔をのぞき込む雷の顔が見える。

「あ、気がついたわ!」

 私が目を覚ましたのに気づいて、雷が声を上げた。

「痛ッ」

 慌てて起き上がろうとしたが、左腕はギプスで固定されているし、胸から腹にかけて激痛が走った。

「まだ無理してはダメなのです」

 電もそう言って顔を見せた。よく見ると、二人共頬やおでこに絆創膏やガーゼが貼り付けてあったり、腕に包帯が巻かれていたりしている。二人共、無事ではすまなかったんだ。

「…二人共、怪我したのか?」

「あの戦闘で怪我しなかったのは時雨だけよ」

「若葉も大破してしまって、隣の部屋で寝てるのです」

 そう言い合って、二人は笑顔を向けてくる。私の頬も緩みそうになった。でも。

「輸送隊は?」

「先に待避した二隻以外に、なんとかもう二隻助けられたわ。片方の船は機関をやられて五ノットしか出なくなってたから、護衛に残った時雨は大変そうだったけど」

 雷はそう苦笑する。時雨の疲れ切った顔っていうのは、確かに珍しいかも知れない。

「乗員の皆さんもほとんどは助けられたのです。でも、沈む船に巻き込まれた人も結構いて…。残念なのです…」

 そう言って、電は肩を落とす。ああ、電のそう言った性格は変わってないんだな。

「でも、完璧じゃなかったけど最善は尽くせたわ。響もなんとか無事だったしね」

 電にも見せるように、雷は笑う。その様子を見て、電も小さく頷いた。それでも、この様子じゃしばらくここからは離れられそうにない。また、長い養生でみんなを喪いたくないんだが…。

「このあとの艦隊運用は、どうなるんだ?」

 私と若葉が大破入渠中と言うことになれば、当然第一艦隊には空きが二隻分出る。その分第二艦隊も、鎮守府の周りを警護する艦も足りなくなるはずだし。

「響は修理が終わって怪我が治ったら、由良さんの第二艦隊に異動になるのです」

「第一艦隊はしばらく天龍と特型で固めるみたいね。時雨と若葉も第二艦隊に異動だって」

「そうか…」

 やはり練度が低い私は外されてしまうか。私も特型の一隻だけど、これは仕方がないな。潮、白雪、綾波が第一艦隊に配属になるのか。

「潮と白雪、綾波にもすまないと言っておいて。練度を上げて、また雷と電とも一緒にいられるようにするよ」

 私の言葉に、雷と電は顔を見合わせる。そして、二人で私を振り向いた。

「無理しなくてもいいわよ…と言いたいところだけど」

「待ってるのです!」

 そう言って、ようやく三人で笑いあった。やっぱり、私たち第六駆逐隊の、暁型姉妹はこうでないと…と思わせてくれた。

 

 入渠中の時間というのはジリジリと時間が過ぎていく。艦の時には数ヶ月も、場合によっては年単位で船渠に縛られていたけど、この身体は動けるようになるまで寝ておくしかないようだ。少なくとも今は、被弾した箇所の痛みが取れて、動けるようになれば、明石や朝日が艤装は修理してくれているはずだから、すぐにでも戦線に復帰できるはず。それでも、二人が部屋に戻ってしまうと、退屈と同時に淋しさもやってくる。

「もう…独りになるのは嫌だな…」

 呟いた声は、窓の外から聞こえてくる小さな波音に消されていく。沈まなかった幸運を、まだ得られない死に場所を、独りで噛みしめて時間は過ぎていった。

 

 動けるようになると、私は「風呂」に連れて行かれ、ほぼ強制的に入浴させられた。驚いたことに、入浴中に身体の痛みはどんどん消えていき、全く動かなかった左腕も普通に動くようになった。なんだろう、この風呂の効果ってのは。ともかく、信じられないような効果を得て、私が第六駆逐隊の部屋に戻ったのは、翌日の夜のことだった。

「雷、電、戻ったよ」

 そう言いながら開けたドアの向こうから、誰の返事も返ってこない。灯りの消えた部屋は、孤独をもって私を迎えてくれた。はじめは二人共眠っているのかと思ったが、のぞき込んだ雷のベッドできちんと畳まれた毛布が、主の不在を如実に物語る。

「そうか…。出撃中か…」

 自分の声が酷く空虚に聞こえる。また、置いてけぼりを食らったようだ。私が入渠すれば、誰かを喪う。毛布に潜り込んでも、その晩はなかなか眠りはやってきてくれなかった。



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再編

 遠くで総員起こしのラッパが聞こえている。結局一睡も出来ないまま朝になった。のろのろと食堂に行くと、朝食の盆を取って適当な席に着く。小さな鎮守府。出払った第一艦隊。残っている艦はたかだか知れていいた。

「前、いいかな?」

 のろのろと食事を始めていると、向かいから声がする。顔を上げてみると、時雨が笑っていた。

「構わない。どうせ一人だから」

「じゃあ、遠慮なく」

 そう言うと、時雨は椅子を引いて、私の前に腰を下ろし、朝食の盆を机に載せた。

「おーい、若葉も一緒にどう?」

 給仕口の物音に気づいて、時雨はそう声を上げた。あまり活発な方ではなかったように記憶しているが、今朝の時雨は元気がいい。気づいた若葉も、おっとり頷くと朝食の盆を手に時雨の横に腰を下ろした。

「二人共、もう身体は大丈夫?」

 朝食に箸を付けながら、時雨はそう聞いてくる。ああ、そうか。若葉もこの間の海戦で大破したんだっけ。

「私はもう大丈夫だ。次の作戦も問題ない」

 若葉は私以上の仏頂面だ。普段はいつも淡々としている。だから、受け答えも素っ気ない。それは私も同じだけど。

「響は?」

「私も、問題ない。第二艦隊は私たちに由良旗艦なんだろう?」

 箸を進めながら、時雨にそう聞く。この面子だと、大人しい時雨が少し賑やかに感じるくらいだな。私も、若葉もとにかく素っ気ないから。

「そうだね。由良さんが僕たち三隻を率いて、恐らく船団護衛だと思う」

 時雨は時に笑みを浮かべながら、箸を進めていく。

「鎮守府の守りはどうするんだ?」

 第一艦隊六隻、第二艦隊四隻が出払ってしまえば、この鎮守府は朝潮のみのがら空きになってしまうはずだ。旧式でかつては戦艦だった富士、敷島、朝日や摂津も、武装解除されて艦種変更された今では戦力としては私たち以下になってしまっている。

「心配ないとは言えないけどね。昨日工廠で龍田さん来たみたいだから」

 穏やかな表情で、時雨はそう言う。そうなると、軽巡一隻、駆逐艦一隻は確保できてるのか。

「誰もいないより随分ましだと思うよ」

「龍田なら、私たちが三隻いるよりいい戦いができるはずだ。任せておいて問題ないだろう」

 時雨と若葉は次々にそう言う。そう思う反面、他に海防艦でもいればなとは思う。来たばかりの私があまり役に立てないように、龍田も来たばかりだとあまり役に立てないのかもなとも思うからだ。朝潮の練度がどれくらいかは知らないけど、その双肩に鎮守府の守りは重くないのかな。

「なるようになるよ。提督はその辺も考えてるはずさ」

 時雨はにっこりと笑う。その力の抜けた笑顔は羨ましくさえあるな。私はまだそんな風に笑えそうにない。

 佐世保の時雨。

 武勲艦でもあり幸運艦でもある彼女は、同じような幸運艦だった雪風と並んでそう呼ばれていたはずだ。全滅に近かったスリガオ海峡海戦で唯一生き残って、辛い思いもしていたはず。そして、終戦の日を迎えることなく海の底へ逝ってしまった時雨。なぜ、今そんな風に微笑えるのだろう。

「時雨ちゃん、若葉ちゃん、響ちゃん」

 考え込んでいたようで、いつの間にか俯いてしまっていた頭が、由良の明るい声で上がる。

「護衛する輸送船団の準備が整ったみたいだけど、行ける?」

 そう言ってから、由良は私たち三人の顔とテーブルの上を見比べてにっこりと笑った。

「食事は終わったみたいね。準備が済んだら第一岸壁に集合ね」

 由良はそう言うと、くるっと踵を返し、片側に束ねた長い髪をリズミカルに揺らしながら食堂を出ていく。

「じゃあ、僕たちも準備を始めようか」

 時雨がそう言って立ち上がる。若葉と私も頷いて立ち上がった。

 一度部屋に戻り、艤装を点検する。朝日の修理は完璧で、まるで新品のようだ。艤装を収納すると、一度部屋の中を振り返ってから外へ出た。

 また、ここに帰ってくるんだ。



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時雨の涙

 弾薬と機関用の燃料の補給を受け、第一岸壁に赴くと、もうすでにみんな待っていた。淡々とした若葉以外は笑顔で迎えてくれる。

「遅くなった」

「じゃあ行きましょうか」

 司令官からの訓示もなく、由良の声でスロープから海へ足を下ろす。沖の方で今日護衛予定の輸送船が見えた。全部で五隻。制海権を失っている今、民間での航海や飛行は難しく、軍の徴用船を私たちが護衛しながらの航海が比較的安全といえた。それでも、船団護衛に割ける艦娘の数はまだ少なく、丸腰の船団は深海棲艦に襲われる危険を冒して航海を続ける。深海棲艦に通常兵器は通用しないから、私たちの持っている武装のみがその一矢となり得た。

 単縦陣で進む輸送船団と少し間隔を開けて、私たちも周囲で散開しつつ警戒しながら進んだ。陸地を右手に見ながら、島伝いに西南方面へ進む。初日は何事もなく終わった。夜間航行も続けるようなので、私たちも警戒を怠らず進む。輸送船の速度に合わせて進んでいるから機関は無理をしていないし順調だ。満点の星空の下、物資を満載した輸送船との旅は続いた。

 順調すぎる航海は、翌日の夕方、南西のP諸島のL島に到着して一旦終わった。鎮守府とは違う密度の濃い空気が、ここは南西だと教えてくれる。

「一休みして補給を受けたら、油槽船六隻の船団を護衛して鎮守府へ戻ることになったわ」

 港の休憩所で休んでいると、司令から届いていた電報の紙を持って、由良が指揮所から笑顔で戻ってきた。

「はは…。ちょっと寝ておきたかったけど休憩なしかあ」

 時雨が苦笑を浮かべながら、由良の声にそう応える。

「状況は逼迫しているんだ。仕方ないな」

「そこまで慌てなくてもいいわよ。油槽船の準備はまだ済んでないんだから」

 腰を浮かそうとする若葉に、今度は由良が苦笑して止めに入る。

「二三〇〇出港予定よ。それまでは食事を採ったりしながらゆっくりしましょ」

 由良の声に対して若干不服げに見える若葉に、時雨が微苦笑を噛み殺していた。

 食事を済ませ、燃料の補給を受けると、若葉などはさっさと仮眠に入ってしまったが、どうも眠れそにない。部屋を見渡すと、由良も横になっているようだ。照明のないうす暗い部屋は、夜だというのに温かい風と波音だけが流れ込んでくる。ふと、時雨がいないことに気づいた。私は、若葉と由良を起こさないようにそっと部屋を抜け出すと、岸壁へ歩いて行く。そこには、思った通り時雨の小さな背中があった。

「響?」

 足音に気づいたのだろう。時雨が少し驚いたように振り返った。

「こんなところでどうしたんだい? 若葉も由良も眠っているぞ」

 私はそう言いながら、時雨の横に腰を下ろす。月明かりに照らされるだけの海は、暗く柔らかなセルロイドのようだが、月明かりの映り込んでいるところだけはビロードのように見えた。

「疲れてるけど、眠れなくてね。響もだろう?」

 時雨は微苦笑を浮かべるとそう言った。全くその通りだ。眠れないのは私だけじゃなかったんだな。

「ここには何度か来たことあるけど、毎回そうなんだ。このL島の港は、最終目的地でもあったから」

「最終目的地?」

 私は何のことかわからずに時雨の顔をのぞき込む。そこには、いつもと違う時雨の表情があった。いつも明るく笑みを湛えているような穏やかな表情ではなく、今にも壊れてしまうそうなくらい、悲しい顔。

「そう。僕たち西村艦隊の」

 そう言って、時雨は目を伏せる。

「この先のスリガオ海峡で、西村艦隊は僕を残して全滅したんだ。山城、扶桑、最上、満潮、山雲、朝雲…。艦のみんなは、今でもこの海の底で眠ってるはずなんだ」

 つ…と時雨の頬を滴が伝う。いつもの穏やかな表情はもう完全に崩れていた。

「この海を見るとね、今でもこうやって涙が止まらないんだ。最後尾にいたから僕は助かっただけ。誰も助けられずに、一人で逃げ出すしかなかった」

 そう言いながら、時雨は瞳を伏せる。大粒の涙がまた頬を伝い、時雨のスカートを濡らす。私は黙っているしかない。坊ノ岬沖でも、私は触雷で大破して、朝霜に呉まで連れて帰って貰って、結果として生き延びた。私を連れて帰ってくれた朝霜は、機関故障で動けなくなり、艦隊から落伍しているところを真っ先に狙われ、誰にも知られずに沈んだんだ。時雨も、生き残ったとはいっても、すぐあとの輸送船団護衛任務で撃沈されてしまっている。

 ちら、と時雨を見ると、涙こそ流しているものの、その表情はしっかりしていて、もう崩れきるようなことはないようだ。その涙は、まだ海の底に眠る僚艦たちへの供養なのかな。死に場所を得られなかった私としては、正直に羨ましい。

「つまらない話をしたね」

 時雨の声で、私は弾かれたように時雨を振り向く。時雨はごしごしと拳で涙を拭うと、赤い目のまま私に笑いかける。その笑顔の方がいたたまれないな。時雨は強い。私なんかよりもずっと。

「二人共こんなところにいたのね」

 声に私と時雨が振り返る。由良がいつの間にかやってきていた。束ねた髪がゆらゆらと夜風に吹かれて揺れている。

「時間?」

 立ち上がりながら、時雨がそう聞く。由良は微笑いながら首を振る。

「時間まではまだあるわ。若葉ちゃんはまだぐっすりよ。起きた時に二人の姿が見えなかったから、目覚ましついでに探しに来ただけ」

 由良はそう笑う。その笑顔に曇りがないのは、この海に何も感じるところがないからなんだろうか。

「僕はちょっと顔を洗ってくるよ」

「いってらっしゃい」

 立ち上り駆けていく時雨を見送りながら、由良は小さく手を振り、私を振り向いた。

「驚いた? 時雨ちゃんはこの海に来ると、いつもこうなのよ」

 そう言う由良の瞳は、時雨に対しても、私に対しても優しさを浮かべてる。由良は、時雨のようなことはないんだろうか。喪った仲間を思って泣くような。

「不思議そうな顔してるわね」

 由良はそう言うとニッコリ笑う。そんなに顔に出ていたかな。

「私はみんなより比較的早くに沈んだから、そういうのはないわ」

 そう言うと、由良はいたずらっぽく笑う。

「…と言うより、考えないようにしてるって方が正しいかしら。一番先に見送られるのも、結構辛いもの、あるからね」

「そんなものなのか…」

「他の艦のことは知らないけど」

 そう言って由良は前髪をかき上げる。由良にも、何かしら思うところはあるようだ。私だけではないんだな。時雨も、由良も、何かを抱えて、それでも前を向いてる。私も、いい加減前を向かないとな。この新しい世界の雷や電がそうしてるように。

「響ちゃん」

 声をかけられ、私は由良を見上げる。

「帰るわよ。みんな一緒に」

 そう言って、由良はにっこりと笑う。その笑顔には曇りがなくて、私は思わず視線を落としてしまった。



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夜戦の果てに

 二三〇〇。時間が来た。

 岸壁を離れて油槽船が集まるポイントへ移動する。若葉はぐっすり眠ったようですっきりした顔をしているし、由良もいつも通り、時雨も私を見て照れたように微笑ったあとは、いつもの爽やかな表情を見せていた。複縦陣で進む六隻の油槽船を前後左右から四隻で護衛しながら、深夜の海を北東へ進んでいく。来た時と全く同じ航路を逆に戻るだけだ。まだ海域の大半は制海権が微妙なところだから、油槽船も私たちも、無灯火のまま進んで行く。夜間は安全と危険が隣り合わせだ。警戒だけは怠らずに、哨戒を続けながらの航海は続く。

 深更を過ぎる、〇二三五。

「右舷前方三十五度に敵影」

 時雨の声が海原に響く。

「若葉ちゃんは右舷側に移動して。私と響ちゃんは右舷へ進出。時雨ちゃんはそのまま前進して」

 由良の声に、「了解」という若葉と時雨の声が聞こえる。左舷側にいた若葉が時雨のいた右舷側に移動してきたのを確認しながら、私は時雨のところに急ぐ。前方を警戒していた由良もやってきた。

「敵影の数は?」

「駆逐艦と思われる影が三。通商破壊部隊かな」

 由良の声に、目を凝らしていた時雨がそう応える。その言葉に頷くと、由良は周囲に首を巡らせる。私も、周囲に目を配った。他に敵影はなさそうだ。時雨が見ていた先には、確かに月明かりに浮かぶ艦影が見えている。

「追い払うわよ。若葉ちゃんも最後尾で参加して」

 由良が先頭に立ちながら、若葉を振り返ってそう言う。若葉が頷いたのを確認知ると、由良、時雨、私、若葉の順で、敵駆逐艦隊に向けて進撃を開始した。

「必中距離まで近づいたら探照灯を照射するから、時雨ちゃん、響ちゃん、若葉ちゃん、頼んだわよ」

 由良は言うと、幾分緊張を走らせて言う。艤装から探照灯を取り外すと、由良は左手に持ち替えた。いよいよだ。彼我の距離は、もう随分と近づいている。主砲に初弾充填、魚雷も発射位置に固定した。

「行くわよ!」

 由良の声が響くと、敵の艦隊が由良の探照灯で浮かび上がる。それを確認した瞬間、時雨の主砲が火を噴いた。

「当たった!」

 時雨の声が響く。由良も探照灯を固定したまま、砲撃を始めているし、私と若葉も負けてはいない。反撃のために転進しだした敵駆逐艦に、容赦なく砲撃を加えつつ接近していく。敵の砲撃は、探照灯照射艦の由良に集中し出した。由良は、辛うじての回避を続けていく。少しずつ崩れていっていた陣形の結果、いつの間にか私が一番突出し、肉薄する状況になっていた。

「響、魚雷!」

 時雨が声を上げる。ああ、この距離は必中だ。

 やるさ。

 私は腰の魚雷六本を一斉に放つ。水中に落ちた魚雷は、まっすぐに被弾し炎を上げている敵駆逐艦へ向かった。数十秒後、轟音と共に水柱が上がる。その水柱が崩れ落ちると、敵駆逐艦の姿は水上になかった。

「命中。敵駆逐艦一隻の撃沈を確認」

「この瞬間を待っていた!」

「ここは譲れない」

 私が報告の声を上げるのとほぼ同時に、私の左右に展開してきた若葉と時雨も声を上げ、魚雷を放つ。敵の砲撃が時雨を掠めたが、轟音と共に残存の敵駆逐艦二隻から水柱が上がった。一隻は撃沈したが、大破炎上する一隻の主砲は、時雨を狙っていた。最期の主砲が放たれる直前、由良の砲撃が敵駆逐艦を穿ち、敵駆逐艦は大爆発を起こして水面から消えた。

「ありがとう、由良。助かったよ」

「被害は?」

 そう言う時雨に笑顔を向けておいて、由良の瞳が私たち三人を順に見ていく。

「油槽船に被害なし。艦隊は由良が中破、時雨が小破」

 周囲を見ていた若葉が淡々と現状を報告する。さっきの魚雷を撃った時のテンションは全く別人のようだ。

「さすがに探照灯点けると、無事じゃ済まないわね」

 由良は苦笑いを浮かべながらそう言うと、油槽船へ目を向ける。

「まだ護衛任務は終わったわけじゃないわ。戻るわよ」

「待って!」

 進もうとする由良を、時雨の声が追い越す。私たちが時雨の方を見ると、時雨の足下に一人の艦娘が倒れている。背中の艤装は、潮とそっくりだ。特ⅡA型…だな。

「潮の姉妹だね」

 時雨も気づいていたようだ。これで、鎮守府にいる綾波型は綾波、潮とこの艦娘って事になるな。

「あまり油槽船を空にしておく訳にもいかないわ。響ちゃんが曳航してくれる?」

「了解した」

 私が頷くのを確認すると、由良は時雨と若葉を連れて油槽船団に戻っていく。私は、曳航索を取り出すと、お互いの艤装をしっかりと結わえた。まだ意識が戻らないから、水上を引きずって行くような形になってしまうけど勘弁してほしい。私はゆっくりと機関の出力を上げていき、やがて極大に達した。それでも、駆逐艦二隻を巡航速度で動かせるだけの推力が私のエンジンにはない。少しずつ油槽船団に近づき、明け方近くにようやく船団にとりついた。油槽船がせいぜい十一ノットしか出ない状態で助かったな。

 それからは敵の攻撃もなく、警戒を続けながらの航海は順調に続き、その日の夜になってから、ようやく鎮守府の沿岸地帯まで戻ってきた。

「まだ目を覚まさないね、その子」

 沿岸まで戻ってきた安心感からか、時雨が最後尾を行く私のところに寄ってくる。艤装同士を結わえ、南西からここまで仰向けの状態で曳航してきたが、確かに彼女は目を覚まさない。もうすぐ十八時間が過ぎようとしている。由良も気づいたのだろう。同じようにやってきて、彼女をのぞき込んだ。

「ここまで来ればもう大丈夫でしょうから、響ちゃんはその子を連れて鎮守府へ直帰しなさい。手当が必要かも知れないわ」

「あとのことは、僕たちに任せなよ」

 由良と時雨が次々にそう言う。若葉も少し定位置から後方へ下がってきて、私たちの様子を横顔でうかがっていた。

「じゃあ、このまま鎮守府に戻る。船団のことはお願いする」

「先に提督さんには打電しとくわ。気をつけてね」

 由良の笑顔に見送られ、私は彼女を曳航したまま船団を離れた。鎮守府まではまだ少しある。こうしていると、立場は逆だけど暁に曳航されて大湊へ戻ったことを思い出すな。朝霜にも、こうして呉へ連れて帰って貰った。あの二隻はこの世界の何処でどうしてるんだろう。

 やがて、灯台の灯りが見え、鎮守府の灯りも見えてきた。岸壁でカンテラが揺れている。誰かが迎えに来てくれているようだ。もう結構遅い時間だというのに、ありがたい。

「響さーん!」

 岸壁に近づいてくると、それが朝潮だとわかった。昼の間は、龍田と二隻で近海の哨戒に出ていたはずだ。スロープに足をかけると、朝潮が駆け寄ってきた。艤装を装備していないから、靴やニーソが濡れるのも構わずに一緒になって曳航索の先にいる彼女を引き上げにかかってくれた。

「濡れるぞ」

「平気です!」

 生真面目な表情がそう言う。一本気なんだなと思いながら、朝潮と一緒になって彼女を陸に引き上げ、曳航索を解いた。

「目を覚まされてないんですね」

 朝潮は彼女の顔をのぞき込んでそう言う。

「未明に発見されてからずっとこうだ」

 言ってから、私は鎮守府の建物の方を振り返る。艤装を装備したままの艦娘を医務室まで運ぶのはさすがに骨が折れるな。さすがに陸上では引きずっていくわけにもいかない。艤装だけでもなんとかなれば、負ぶっていけるのだが、あいにく艤装解除の命令は本人か工廠のスタッフにしか出せない。

「朝潮、明石か朝日を呼んできてくれないか。このまま二人でここにいても仕方がない」

「わかりました! しばしのお待ちを!」

 朝潮は直立不動になって敬礼を返してきたあと、まるで犬のように工廠へ駆けていった。同じ駆逐艦なんだし、着任順なら朝潮の方が先輩なのになと思ったが、それは言わないでおくことにした。朝潮は、きっとあれが普通なんだろう。早く朝潮も姉妹に会えるといいのになと思う。姉妹と一緒の時くらいは、あの堅さが解れていればと願うだけだ。

 しばらく待っている間、カンテラの明かりを頼りに、彼女の艤装を確かめてみた。吹雪型準拠だが、潮と同じ兵装の様式でもある。どこかに艦名でも書いていないかと探してみると、艦尾に小さく書いてあった。海上では暗すぎてわからなかったんだな。

「オボロ…。朧か。潮の姉なんだな」

 一緒に戦ったことはなかったな。私が潮のいる第七駆逐隊に配属になった時には、朧はもう撃沈されてしまっていたから。

「新しい艦娘さん?」

 いつの間にか明石が私のすぐ横でのぞき込んできていたので、思わずぎょっとしてしまったが、明石の方は通常運転のようだ。人を驚かすのが好き…というわけではないらしい。私の方が集中しすぎていたようだ。

「潮の姉の朧らしい。海上で発見されてから、ずっと目を覚まさない」

「じゃあ、負ぶって医務室まで運びましょうか」

 明石はにっこりとそう言うと、朧の艤装も解除せず、易々と負ぶってしまった。何とも工作艦の馬力というのは凄いものだな。

「響ちゃんは提督に報告を。朝潮ちゃんは濡れちゃったんだからもう一度お風呂に入ってきなさい」

「はい!」という元気な朝潮の返事の横で、「了解した」という私の声が小さく響いた。



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つかの間の休息

 司令室を訪れると、由良からの連絡は随分前に届いていたらしい。執務中の提督は、書類の山に埋もれながら、私を迎えてくれた。

「こんな状態で済まないね、響」

 疲れの見える顔を上げて、司令官は苦笑いを作る。「問題ない。司令官も、ご苦労様」と私も返す。

「由良から聞いてるわ。海上で拾ったのは綾波型駆逐艦で間違いない?」

 再び書類に視線を落とし、ペンを走らせながら、司令官はそう聞いてくる。また何か問題でもあるのかな。司令官はいつも忙しそうだ。

「本人はまだ目を覚まさないけど、艤装から綾波型特ⅡAの朧だと確認した。明石に引き渡したから、今は医務室にいる」

 報告は手短に済ませた方がよさそうだと判断し、結論までを言う。

「そう、お疲れ様、響。船団護衛の報告は改めて由良に聞くわ。部屋に戻ってゆっくり休みなさい」

「了解した」

 そう言う司令官に敬礼をして見せたが、司令官は切れ長の目を細めて微笑っただけで、すぐに書類に視線を戻してしまった。

「失礼する」

 司令官の走らせるペンの音に混じって、私の声が司令室に響いた。

 

 夜の鎮守府は静かだ。第一艦隊が戻ってきていないなら、今この鎮守府にいるのは軽巡の龍田と、駆逐艦では私と朝潮だけ。普段秘書艦をつとめている電がいないところを見ても、第一艦隊はまだ戻っていないんだろう。私は、自分の靴音だけが響く廊下を抜け、駆逐艦寮に戻った。

「ただいま」

 第六駆逐隊の部屋に戻ると、やはりというか誰もいない。雷のベッドで畳まれた毛布は、私の出撃前と何も変わっていない。ふっと不安になる。艦隊全滅なんて事になってなきゃいいけど。

 眠れずにまんじりしていると、夜半になってから由良たちが帰投してきた。相変わらず無表情に近い若葉の様子を見ていても何もわからないけど、由良と時雨の力の抜けた表情を見ていると、護衛は無事成功したんだなと少しホッとする。廊下を行く足音で、若葉と時雨が部屋に戻ったのを確認してから目を閉じた。もう一度前を通り過ぎる足音がしたから、時雨は修理のために船渠へ行ったのだろう。

 

 朝になって食堂へ降りていくと、朝潮と時雨、若葉はもう食事を始めていた。常時仏頂面の若葉と生真面目な朝潮が相手だから、時雨は少し困っているようだ。ここに私が加わっても何も変わらない気もするけど、時雨は助けを求めるように、朝食を載せた盆を手にした私の方に苦笑いを送ってきた。

「おはよう」

「おはよう、響」

 時雨の前に腰を下ろす私に、時雨は助かったと言わんばかりに挨拶を返してきた。

「おはよう」

「おはようございます!」

 全く平坦な若葉の挨拶と、裏腹に声は大きいけどなぜか緊張も走らせる朝潮の挨拶も時雨の声に被ってきた。

「時雨はもう平気か?」

「あのくらいの被弾なら大したことないよ。艤装の修理が終わったら再出撃できる」

 時雨はそう言って箸を進める。

「昨日保護した朧さんなんですが、まだ目を覚まさないそうです」

 朝潮が、聞いてもいないのにそう報告してきた。朝潮はもうちょっと気楽でいた方がいいのになと思うが口にはしない。もしかしたら、そうしたくてもできない何かがあるのかも知れないし。

「こんなことは珍しいね。いままで僕も含めた海上で保護された艦娘は、たいていその場で目を覚ましてるのに」

「確かにな」

 原因はわからない。時雨も言ってから眉を寄せた。

「朧の本体に何かあるのかもな」

 ぼそっと若葉が言う。その可能性も否定できない。海上で保護される艦娘の現状は、全く誰にも解明されてないからだ。深海棲艦との戦闘で時折保護されることがあると言うだけで。保護される前の私たち海上保護艦がどういう状態だったのか、自分たちですら知る術はないし、覚えてもいない。だから、朧がどういう状態なのか、本人でない私たちには推測するしかない。

 その時、食堂のスピーカーが鳴り出した。

『第一艦隊が帰投する。各自持ち場にて出迎えろ』

 司令官の声だ。作戦内容はわからないけど、帰ってくるんだな。

「僕たちもご飯食べたら出迎えに行こう」

 そう言う時雨に、私と若葉は頷く。朝潮だけが「はい!」という元気な返事を返していた。



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姉と妹

 食事を終えると、私たちは岸壁へ移動する。先に来ていた由良ともそこで合流した。昨日の戦闘で中破した由良も、今はすっかり元通りのようだ。

 しばらく待っていると、鎮守府の近海にある水道を抜け、岬を回ってきた第一艦隊が姿を見せた。

「…結構酷い有様ね」

 由良が眉を寄せて呟く。パッと見えるだけでも、無事な艦はなさそうだ。雷と電はお互いを支えるようにしているし、白雪と潮、綾波もそれぞれボロボロになっている。天龍は一人気丈な表情で艦隊の最後を進んでるけど、艤装も服も被弾でボロボロになっていた。

「あらあらー。天龍ちゃんも酷くやられたみたいねー」

 声の方を見上げると、龍田もやってきていた。天龍型の二番艦。天龍の妹。いつも威勢のいい天龍とは違っておっとりしているように見えるけど…。天龍が、その龍田の姿を見つけると、他の五隻を追い越してもの凄い勢いで岸壁に向かってきた。被弾の箇所などお構いなしだ。スロープを一気に上がると、まろぶように龍田に飛びついた。

「龍田ぁ!」

「はいはい、私はここにいるわよー天龍ちゃん」

 泣きじゃくる天龍をあやすように、龍田は天龍の背をぽんぽんと叩いている。感動の再会ってところなのかな。ゆっくりと戻ってきた特型の五隻がぽかんとした顔で二人の様子を見ていた。まあ、普段の天龍の様子から見たらそうなるかな。実を言うと、私も少し面食らってる。時雨と目が合うと、時雨も苦笑いを返してきた。他の五隻の様子もそれぞれ、白雪と綾波、潮が中破、雷が小破、電が大破と言ったところかな。結構難敵と当たったんだな。

「電ちゃんと白雪ちゃん、綾波ちゃん、潮ちゃんはすぐに医務室へ! 雷ちゃんは、提督さんに報告へ」

 由良はそう指示すると、私たちの方を振り向いた。

「響ちゃんたちは、電ちゃんたちを医務室へ送ってあげて」

 そう言い残すと、由良は雷のところへ駆けていく。私たち駆逐艦四隻は、頷きあって電たちのところへ駆けていった。

「頼んだわよ、響」

「電、大丈夫か?」

 雷から電の肩を預かると、電はぐったりした様子で小さく頷く。破壊された艤装と服は見るのに忍びない。私もこの間はこんな感じだったんだろうな。由良と一緒に駆けていく雷を見送ったあと、私は電に肩を貸しながら、時雨たちと一緒に医務室へ向かった。

「橘丸さん、氷川丸さん、朝日丸さん、お願いします!」

 医務室へ入るなり、時雨がそう声を上げる。さすがに中破以上だから、全員怪我をしている。特に電は今にも倒れそうだ。

「電ちゃんはこっちへ。潮ちゃんと白雪ちゃん、綾波ちゃんはこっちへ来て」

 氷川丸がそう指示する。病院船として活躍した彼女たちもこんな形で鎮守府にいるのか。私は少し感銘を受けた後、電を氷川丸が指示したベッドに運び込む。電は既に艤装を解除していたから、ベッドに寝かせるとすぐに気を失ってしまった。

 ベッドのある場所を出ようとすると、隣のベッドに朧が寝かされているのが見えた。艤装はもう解除されていて、ボロボロの電と比べたら本当にただ眠っているだけに見える。

「朧はまだ目を覚まさないのか?」

 潮の治療をしている氷川丸に小声でそう聞いた。

「朧ちゃんが…見つかったの?」

 その声を聞き止めて、潮が顔を上げた。その大きな瞳の奥が揺れてる。

「昨日保護されたんだけど、まだ目を覚まさないのよ」

 潮は氷川丸のその声を聞くと、椅子を蹴るように立ち上がって、朧のベッドをのぞき込んだ。そうして、朧の肩を掴む。

「朧ちゃん! 潮だよ! 第七駆逐隊で一緒だった、妹の潮だよ!」

 今にも泣かんばかりの勢いで、潮は朧の肩を揺らす。白雪も、綾波も、時雨も、みんな驚いて潮の方を見つめていた。

「朧ちゃん、目を覚ましてよ! 朧ちゃん!」

 いつの間にか、潮の瞳からは涙が零れだしている。必死に、朧に呼びかけながら潮はしゃくりあげていた。ぐらぐらと揺れる朧の頭を見ていて、白雪が慌てたように潮を引き剥がしにかかった。

「潮ちゃん、だめよ!」

「朧ちゃん、朧ちゃん!」

「ダメです、潮さん!」

 朝潮まで、潮を止めにかかっている。半狂乱のようになりながら、潮は朧から引き剥がされ、怪我をしている白雪に代わって、無表情な若葉が潮を羽交い締めしていた。ぺたんと椅子に腰を下ろした白雪は、悲痛な瞳を潮に向けているし、時雨はなすすべもなく立ち尽くしている。綾波は視線を逸らして俯き、朝潮だけが一生懸命に潮に話しかけていた。その間にも、橘丸と朝日丸は白雪と綾波のチェックをさっさと済ませ、潮が落ち着くのを待っている。やがて、潮は若葉に羽交い締めにされたままがっくりと項垂れて肩を震わせはじめた。

「潮ちゃん。朧ちゃんは眠っているだけよ。ちゃんとその時が来たら目を覚ますわ」

 項垂れる潮をしゃがんで見上げながら、氷川丸が優しく声をかける。

「…それは、いつですか…」

 しゃくり声の間から、潮がそう聞く。その声に、氷川丸はまた微笑む。

「いつかはわからないわ。でもね、潮ちゃん。あなたも鎮守府に来た時、かなり長い間眠ったままだったのよ。だから大丈夫。心配しないで治療しましょ」

 まるで幼児に聞かせるように優しく言い、その氷川丸の言葉に潮は頷いた。若葉はようやくその戒めを解き、朝潮が気を利かせて持ってきた椅子に、潮はぺたんと腰を下ろした。

「時雨ちゃん、響ちゃん、若葉ちゃん、朝潮ちゃん。もう大丈夫よ、ありがとう。白雪ちゃんと綾波ちゃんは、一度部屋に戻って一休みしたらドックへ行きなさいね」

 氷川丸が潮の治療をしながら優しくそう言う。私たちは顔を見合わせて頷くと、それぞれ「失礼します」と言い合って医務室を出ていった。

「朧、早く目が覚めるといいね」

 ぽそっと呟くように言った時雨の声だけが、静かな廊下に小さく響いた。

 

 部屋に戻ると、雷は報告が終わったのか疲れた背をベッドの枠に預けて、放心したように天井を見上げていた。

「お疲れ、雷」

 私が、戻ってきたことにも気づいていないようだったので私の方から声をかけてみる。

「ああ、響。お疲れさま」

 はっと意識が戻ったように私を振り向いてから、雷は笑顔を向けてくる。あんなことのあとだから、その笑顔に少し癒されるな。

「かなり酷い様子だったけど、何があったんだい?」

 雷の横に腰を下ろしながら、そう聞く。雷は疲れているようだけど表情は明るい。

「威力偵察の任務だったんだけど、この海域を押さえてる敵の根拠地を発見したのよ。偵察任務だから、敵の状況を確認しようとしたんだけど、相手と鉢合わせしちゃって、もうしっちゃかめっちゃかよ」

 そう言って、雷は大きく溜息をつく。ああ、予想外の会敵で大混乱だったのか。それは仕方ないのかな。

「敵の戦力は?」

「重巡二の軽巡一、あと駆逐艦が三以上。ヘタすると二艦隊くらいはいるかもね」

 重巡とは捨て置けないな。こちらは最大戦力が軽巡三だ。それも、龍田はまだ練度が低い。重巡の相手となると、少々厳しいな。

「司令官はそれでも近海の制海権は奪回したいみたいだから、電が修理終わり次第艦隊を編成し直して敵根拠地へ突入する計画みたいね」

 そう言って、雷はもう一度大きく溜息をつく。相当疲れてるみたいだな。こういう時は、甘い物がいいんだっけ。

「雷、間宮さんのところにでも行こう。甘い物を食べれば、少しは気も晴れる」

 そう言うと、雷はパッと顔を上げてニッと笑う。

「そうね、それがいいわ。電がいないのは残念だけど」

 まるでさっきまでの疲れようが嘘のように、雷はさっと腰を上げた。

 やれやれ。



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総力出撃

 朧が目を覚ましたのは、それから二日も経ってからだった。メディカルチェックには異常がなく、本当に眠っていただけで状態は上々らしい。潮はとても喜んでいたようで、隣の第七駆逐隊の部屋も、少し賑やかになった。電の艤装も迅速に修理され、電自身も翌々日の朝には全回復していたので、いつでも全艦出撃できる状態にはなっていた。

「司令官さんから作戦要綱の説明があるのです! みんな、司令室に集まってください!」

 その日の昼、銘々に談話室で休憩を取っていた私たちに、電が慌てた声で声をかけた。ここ二日は船団護衛の任務もなく、交替で近海を哨戒していたくらいなので、何かあるなとはみんな思っていたところだ。

「全員揃ったのです」

 司令室にやってきたのは、またしても私と雷が最後だったようだ。電は一番声をかけやすい私たちを最後しにしている節があるな。見渡すと、今鎮守府にいる全戦闘用艦娘が集まっている。軽巡は天龍、由良、龍田。駆逐艦は、電、雷、白雪、綾波、朧、潮、時雨、若葉、朝潮、それに私。

「みんな、休憩中のところ悪いね」

 司令官は敬礼の手を下ろすと、おもむろに話し出す。

「先日電たちが発見してくれた、敵根拠地を制圧し、近海の制海権を取り戻す作戦に出ることにした」

 司令官の声に、天龍が「おおっ」と声を上げる。後ろから見ていても喜んでいるのがわかるな。

「敵の艦隊は、重巡二、軽巡一、駆逐艦が三隻以上だ。こちらも、二艦隊を組んで作戦に当たる」

 そう言って、司令官は後ろの作戦地図を示した。

「まず、第二艦隊が先行し、敵根拠地付近を威力偵察。敵艦隊を発見すればすぐさま転進し、敵をつり上げる。第一艦隊は、会敵した戦力によって、第二艦隊と共同で敵戦力を撃滅するか、敵根拠地に突入するか判断する。その場合、第二艦隊は敵部隊の足止めを行う」

 喜んでいる天龍とは裏腹に、幾人かが息を飲む音が聞こえた。緊張するなという方が無理だな。

「第一艦隊は、旗艦電。随伴艦は天龍、龍田、由良、雷、響」

「はい!」

 天龍の「おうっ!」と言う声を除けば、全員が声を揃えた。まあ、私もこんな時くらいは少し緊張した声が出る。

「第二艦隊は、旗艦時雨。随伴艦は若葉、綾波、白雪、潮、朧。朝潮は陸戦隊を輸送する第九、第十九輸送艦を護衛して後続。以上だ」

「鎮守府が、がら空きになってしまいます」

 由良が、司令官の話を聞いて重い声を出した。全十三隻、全てが出撃する。後を守る艦娘はいない。

「戦力を逐次投入して勝てる相手ではない。ここを勝たねば、いずれはジリ貧になる」

 司令官の言葉に、由良は頷いて黙る。場の空気が重くなる。

「それでは、作戦開始は本日二一〇〇。明日明朝に攻撃を仕掛ける」

「はいっ!」

 緊張の中、全員が声を上げた。さすがに天龍だけはいつものとおり「おうっ!」と声を上げていたが。

「みんな、生きて戻ってくるんだよ」

「司令官さんに敬礼なのです!」

 電の声で、全員が敬礼を決めて、解散となった。

 

 思い切った作戦だけに、解散した後もみんなの雰囲気は重い。私たちが全滅してしまえば、もうこの国を守る戦力はないのだ。双肩に乗っているものの重さに、身が引き締まる。

「と、とにかく、出撃時刻まではゆっくりと過ごすのです」

「そうね。ずっと緊張してても仕方ないわ」

 電と雷がそう言って部屋の空気を払拭しようと立ち上がる。私も立ち上がって二人についていった。向かう先は自然と談話室になる。みんな同じことを考えていたのか、朧を除く駆逐艦の全員がここにいた。

「潮ちゃん、朧ちゃんはどうしたのです?」

 電が湯飲みを震わせている潮にそう聞いた。潮、相当緊張してるんだな。湯飲みの中のお茶が波立つくらいだ。

「お、朧ちゃんは龍田さんと一緒に夕方まで哨戒に出てるよ…。電ちゃんが指示したのに、忘れたの…?」

 おどおどした表情のまま、潮は電にそう返す。電ははっとしたように目を見開いた。

「そうだったのです! 私が指示したのでした!」

「電ー、あんた旗艦なんだからもう少ししっかりしなさいよ」

 雷が苦笑いを浮かべながら電の肩を叩く。みんな本当にどことなく硬いな。こんなことで本当に大丈夫だろうか。

「僕も初めての旗艦で緊張してくるくらいだから、若葉以外はみんなあんな感じじゃないかな」

 時雨が苦笑いを浮かべながら声をかけてくる。そんなものかな。私も少しは緊張している。重巡二隻とは重すぎる相手だ。

「うまくやって、みんなで帰ってこよう」

「そうだね」

 時雨にはそう返しておいて、電たちの座った席へ向かった。

 とは言ったものの、みんな集まっていても誰もほぼ一言も話さない。談話室の空気は重いままだ。若葉だけが、全く普段と同じ雰囲気を纏っている。ほとんど会話らしい会話もないまま、時間はまんじりと過ぎていき、若葉が夕食を採りだしたのに気づいて、みんな夕食に手を付ける有様だ。既に日も落ちて、時間は出撃時刻に近づいてくる。

「おーい、おまえらー。そろそろ準備しろよー」

 天龍の声が談話室に響いて、みんな驚いたように入り口を振り返る。そこには、全くいつもと変わらない様子の天龍と龍田がいた。天龍は戦いたくて仕方がない…というような高揚感を見せているかと思ったが、意外にも本当にいつも通りだ。龍田も緩やかな中に鋭利な気を纏っている雰囲気のまま。私たちがあまり気にしても仕方ないかな。

「行こう」

 誰に言うでもなく若葉が立ち上がる。若葉が談話室を出て行ったのを見て、他の面子もぞろぞろと談話室を出て行く。

「さあ、私たちも行くわよ!」

 雷の声に促されて、大きく頷いた電が立ち上がる。私も、ゆっくりと立ち上がった。



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暁の襲撃戦

 部屋に戻って準備を済ますと、秘書艦で第一艦隊旗艦の電は先に司令室へ行ってしまう。私は雷と一緒に岸壁へ向かった。みんなももう揃ってきていて、後はそれぞれの旗艦である電と時雨、それに司令官を待っている状態だ。しばらく待っていると、電と時雨と司令官がやってくる。電は第一艦隊旗艦の位置へ、時雨は第二艦隊旗艦の位置へ、それぞれ並んで司令官がに正対した。

「司令官に敬礼なのです!」

 電のかけ声で、全員ピッと敬礼を決める。司令官の右手が挙がって降りた。

「これから、敵根拠地攻略作戦を発動する。昨日も言ったとおり、まずは第二艦隊が先行して偵察に当たり、敵艦隊をつり上げる。第一艦隊は第二艦隊と共同で撃破するか、そのまま敵根拠地に突入するかは、状況で判断する。目的はあくまで、敵根拠地の攻略だ」

「敵地突入予定は明朝〇四一五なのです。第二艦隊は、〇三三〇より威力偵察を開始するのです」

 司令官の説明の後、電が資料を見ながら詳しく補足する。全員が頷きながら聞いていた。

「近海に静かな海を取り戻すためだ。乾坤一擲、目にもの見せてやれ」

「かかれ、なのです!」

 司令官の後の電の声でに全員応と返して、作戦は発動した。

「お先に行くよ」

 時雨がそう言い残して、爽やかな雰囲気のまま潮たち第二艦隊を率いて出撃していく。

「よし、俺たちも行くぜ!」

 天龍が旗艦でもないのに相変わらず仕切ってるけど、電旗艦の艦隊はこれで釣り合いが取れてる感じだ。全員頷いてスロープへ向かい、海に足を降ろす。沈降感が浮遊感に変われば準備完了だ。

「司令官さん、行ってくるのです!」

「戦果を期待してるよ」

 優しい司令官の笑顔に見送られ、第二艦隊に遅れること五分、第一艦隊も出撃した。

 

 夜間航行を続けながら、敵棲地を目指す。五分前に出発した第二艦隊の姿は見えないままだ。電を先頭に、天龍、龍田、雷、由良、そして私が緩い編隊を組みながら進んで行く。日付が変わる頃には、第一哨戒線の沖に出ていた。

「第二種警戒配備なのです」

「よしきた!」

 電の声に、天龍が反応する。そうして、天龍と龍田が電を追い越して前に出た。私と雷が電を挟むように左右に展開する。由良が、その後を少し離れて続いた。月は西の海上に沈み、満点の星空が私たちを包み込む。まるで空が降りてきたような錯覚さえ受ける。電は時計とコンパス、艦隊速度を頼りに艦隊の位置を海図に記していく。敵棲地はもうすぐのようだ。

「第二艦隊より入電。我、コレヨリ威力偵察ニ向カフ。〇三三〇」

 由良が航行を続けながらそう報告する。月明かりのない暗い海の上だが、第二艦隊はうまくやっているようだ。第二艦隊はこれから戦闘速度に加速して一気に敵棲地に迫る。巡航速度のままの私たちとは距離が離れていくだけだ。これからの私たちは、第二艦隊の動きを見ながら、行動を起こすことになる。第二艦隊の続報を待ちながら、航行は続いた。

「第二艦隊より入電! 敵艦見ユ! 重巡二、軽巡一、駆逐三」

 由良が声を上げた。時間は、〇四〇〇。予定より早い。しかも、重巡と軽巡が三隻と言うことは、駆逐艦六隻の第二艦隊には荷が重すぎる相手だ。

「第二艦隊は、作戦海域Bへ敵艦を誘導してください! 第一艦隊もそっちへ向かうのです!」

 電が声を上げ、天龍と龍田が頷きあう。私も雷と頷きあい、由良を見ると彼女も頷いた。

「由良さんは水偵を敵棲地へ放ってください! 敵棲地が空なら、全力で敵艦隊に当たるのです!」

「了解よ」

 電の声に頷き、ようやく白み始めた空に向かって由良は水偵を解き放つ。単機の水偵は高度を上げ、やがて藍色の空に溶けていった。

「第一艦隊、最大戦速なのです!」

「おっしゃあ! 俺たちが行くまで持ちこたえろよ!」

 電の声に、天龍が反応する。艦隊の最大戦速は天龍型の三十三ノットに合わせる形で進んだ。私たち特Ⅲ型には、まだ少し余裕がある。やがて、暁の空に立ち上る黒煙が見えた。戦闘はもう始まっているようだ。

「第二艦隊! 損害を報告してください!」

 電は進みながら、連絡を試みる。激戦中の時雨たちにそんな余裕があるだろうかとは思いながらも、味方や敵の損害状況では、作戦行動も変わってくる。

「索敵機より入電。敵棲地周辺に深海棲艦はいない模様」

「時雨から入電よ! 味方の損害は、朧中破、若葉小破、潮小破。綾波と白雪は軽微な損害だって! 敵は駆逐二を撃沈したわよ!」

 由良と雷が声を上げる。敵棲地が空だと言うことは、今の相手に全力で当たれると言うことだ。

「敵艦隊の左側面へ突っ込むのです! 単縦陣で右舷砲雷撃戦、用意なのです!」

「初弾充填忘れんな!」

 電と天龍の声が響く。私たちは旗艦先頭の単縦陣へ陣形を切り替える。電、天龍、龍田、由良、雷、私の順だ。交戦中の海域へ近づいていくと、もうかなり乱戦状態になっていた。お互い旗艦を守りながらの撃ちあい。膠着してダメージだけが重なっていく感じになってる。このままじゃ、確かに危なかったかも知れないな。状況を変えるには、今しかない。

「軽巡の皆さん、初弾砲撃お願いするのです! 敵の注意をこっちに引き寄せます!」

 電が声を上げた。もう一方ここにいるぞの合図弾だ。それで、第二艦隊への攻撃が緩めばいい。

「龍田と由良はそのまま待機してろ! 俺がやるぜ!」

 天龍が隊を少し離れて前に出る。艤装の主砲が砲撃位置に固定された。

「っけー!」

 かけ声と共に、十四センチ単装砲が火を噴いた。距離はまだ遠いから、本当に威嚇だけだ。それでも、敵艦隊の軽巡に至近弾となる水柱が上がった。敵艦が一斉にこちらを振り向くのがわかる。

「突撃するのです! 重巡の射程を抜けるまで、重巡の主砲には気をつけてください!」

 電が声を上げたのが、合図だった。射程の長い天龍、龍田、由良の主砲が一斉に火を噴く。私たち特Ⅲ型三隻は、その脇を掠めて一気に加速し肉薄攻撃を試みる。第二艦隊も時雨を中心に動ける艦が攻勢に転じた。時雨の放った魚雷が、敵駆逐艦一隻にとどめを刺す。重巡の射線をくぐり抜け、ようやく十二・七センチ砲の届く距離まで侵入した。三隻とも、主砲を放ちながら、重巡に肉薄する。狙うのは、魚雷での一発轟沈だ。その内、重巡の主砲の一撃が雷を直撃した。

「きゃあっ!?」

「雷!」

 電と私は慌てて振り返る。吹っ飛ばされた雷は、まだ沈んではいない。

「あたしのことはいいから行きなさい! 魚雷を叩き込んでくるのよ!」

 立ち上がりながら、雷はそう叫ぶ。私と電は頷きあうと、更に重巡との間合いを詰めた。第二艦隊や天龍たちからも、砲撃が続く。とても長いと思われた時間が過ぎて、魚雷の必中距離まで潜り込んだ。

「なのです!」

 一足先に、電が魚雷を放つ。緩い放物線を描いた後、六本の魚雷は海中に沈み、一気に本来の猛々しい姿を現しながら目標へまっすぐに進む。加えて、他の艦からの援護射撃も続いているから、魚雷に構っている暇はないだろう。やがて、重巡の内一隻から大きな水柱が続けて上がった。命中だ。

「響も行くのです!」

 電に頷いてから、少し位置を変える。電が命中させた重巡はいずれ沈没は免れないだろう。ならば。敵もこちらの意図に気づいたようだ。押っ取り刀で敵の主砲が至近弾を放ってくる。

 無駄だね。

 特Ⅲ型は伊達じゃないんだ。

 私は水柱をかいくぐりながら、腰の魚雷を放った。そうして、一気に電のところへ離脱する。もちろん、砲撃を続けるのも忘れていない。魚雷の戦果は、すぐにわかった。巨大な水柱が崩れた後、そこにはもう敵重巡の姿はなかった。

「軽巡は俺たちに任せろ!」

「よく頑張ったわね」

「絶対逃がさないからー」

 私たちを追い抜いていく天龍、由良、龍田。もう後は見なくてもわかる。私たちは雷のところへ急いだ。その背後で、轟音が響いた。

「全ての敵艦を撃沈し、戦闘終了を確認したのです。〇四五〇なのです」

 電が、周囲の状況を見ながら打電する。私は、その間に雷を助け起こした。

「大丈夫か?」

「このくらい平気よ。鎮守府に戻って入渠すれば、なんてことないわ」

 気丈な笑みを浮かべてそう言っているが、さすがに重巡の一撃は重かったようで、艤装はボロボロだし、背を伸ばせないくらいの痛みはあるようだ。振り向くと、第二艦隊も相当の被害が出ているようで、全く無傷なのは時雨だけ。中破状態の若葉はいつも通り淡々としているけど、朧と潮はお互いを支えるようにしているし、綾波と白雪もホッとしたのか、海面にしゃがみ込んでいた。打電が終わった電が時雨に状況を確認しに行っている。

「おい! 特型の駆逐艦だぞ!」

 私たちの背後で、天龍の声が上がった。私と雷は一気に振り返る。誰かがまた、海の底から助けられたのだろうか。

「行ってきなさいよ。あたしは平気だから」

 雷はそう言って私に笑いかける。少しの距離だが動けないくらいのダメージなんだな。

「行ってくる」

 私は雷の肩をそっと外すと天龍たちのところへ急いだ。目の前で倒れているのは、私と同じ艦内帽を被った、黒い髪の少女。私たち特Ⅲ型と同じセーラー服。左の襟に付けられた「Ⅲ」のピンズ。

 間違いない。

 間違いようがない。

「暁!」

 私よりも先に、後ろまで来ていた電が声を上げた。

 そうだ、私たち特Ⅲ型の長姉でもあり、第六駆逐隊の旗艦でもあった、暁型の一番艦、暁だ。

 私を、キスカから大湊まで曳航してくれた、背伸びをしたがる姉。

 大湊で見送ってから、どれだけの時間が流れたんだろう。

 雷が、電が見届けた最期から、どれだけ経ったんだろう。

 その暁が、目の前にいる。

 もう会えないと思っていたから、自然に目頭が熱くなる。

「雷! 暁なのです! 暁が…!」

 電も、声をひっくり返らせて雷を呼ぶ。もう最後は涙声だ。電はそう言いながらも動けない雷を連れてくるためにこの場を離れた。遠くで聞こえる雷の声も、気丈なままだが湿っている。雷も嬉しいんだろうな。

 そっと、暁の手を取ってみた。

 元の鋼の船体ではないから、温かい。

 私の手に気づいたのか、うっすらと暁が目を覚ました。

「…響?」

 まだぼんやりとしている暁の目が、私を認識する。その声を聞いて、もう押さえられなくなった。私は、袖で目元を何度も擦ってから、やっと口を開く。

「おかえり、暁…」

 もう後は、声にならなかった。



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艦娘はどこへ行く?

 敵棲地はもぬけの空になっていたが、陸戦隊の到着まで由良と時雨と私で海域を警備することになった。せっかく確保した橋頭堡だ。再び奪われては苦労が水の泡になる。

「よかったわね。第六駆逐隊勢揃いして」

 由良に言われ、頷くことしかできない。

 あれから、暁は電たちに付き添われて鎮守府へ戻っていった。朧のように意識がなかったわけではないから、私と同じく、簡単なチェックだけで配備と言うことになるんだろう。

「僕ら白露型にも、姉妹が来てくれないかな。響たちを見ていると、少し羨ましいよ」

 時雨もそう言って笑いかけてきた。

「これから、こんなことはいくらでも続くから、心配することはないわ。私たち長良型軽巡も、その内六隻全部揃うわよ」

「そうだね」

 由良の声に、時雨は達観したように言って目を伏せる。それが、私たち艦娘なんだろうという時雨なりの解釈だと、私は感じた。

 北をはるか望んでも、鎮守府のある本土は見えない。南には、まだ奪還できていない果てしない海が広がっている。これから、まだまだ激戦が続くんだろうな。

 

 警戒を続けながら待っていると、日が変わった頃本土から派遣された陸戦隊が朝潮に護衛されて到着した。

「隊長の風間祐平少佐です。敵地奪還、ありがとうございました」

 陸戦隊を率いてきた若い隊長は、そう言って私たちに敬礼をしてくれた。やってきたのは、女性がほとんどだ。中に隊長も含めた数人の男性が含まれている程度。妖精も多数いる。この人たちが、これからこの根拠地を守っていくことになるんだ。測量や土木工事から始まって、人がまた暮らせるようにしながら。

「提督さんから連絡があったわ。響ちゃんと時雨ちゃんは、空の輸送艦を護衛して鎮守府に戻りなさいって」

 朝食を採っていると、由良がそう電信の紙を持ってやってきた。対面で食事を採っている時雨を見ると、にっこりと笑う。

「入れ替わりに、誰か来るの?」

「既に追加の施設部隊が鎮守府を出発したそうよ。護衛には白雪ちゃんと綾波ちゃんがついてるわ」

「ならよかった」

「それまでは、私と由良さんで、陸戦隊の皆さんをお守りします!」

 朝潮の飯粒を飛ばしながらの力強い声に、由良と時雨が苦笑いを浮かべていた。

 

 由良と朝潮に見送られ、私と時雨は第九、第十九輸送艦を護衛しながら、鎮守府へと向かう。元々根拠地以外には熱帯雨林が広がっているだけの島だったから、帰りの輸送艦は空船だ。それでも、貴重な資材である軍の輸送艦なので、護衛はきっちりやる。航海は至極順調だ。輸送艦の巡航速度は、私たちの巡航速度よりもかなり遅い。その日の夕刻が迫ってきていた。

「響。前後を変わろうか」

 艦隊の前を護衛巡航していた私に、時雨が後ろから上がってきて声をかける。別に、私はこのままでも問題ないんだけどな。

「じゃあ、陽が落ちるまでおにぎりでも食べながら巡航しよう」

 時雨はそう言いながら、私に陸戦隊が作ってくれた弁当を渡す。中は、おにぎりが二つと、たくあんが二切れ入っていた。

「ねえ、響。みんなに助けられる前のこと、覚えてる?」

 おにぎりを食べながら、時雨は突然そんなことを聞いてきた。どういう意味だろう? 電たちに助けられる前の記憶…は、ない。その前というと、もう艦だった頃の記憶だ。ソ連で私に優しくしてくれた老技官の顔を思い出す。

「そんなことを聞いて、どうするんだ?」

「ちょっと興味があってね。僕も全く記憶がないんだけど、僕たちはどこから来て、どこへ行くのかなって。ほら、人は母親の胎内から生まれて、大きくなって、やがて年老いて死んでいくだろ? 僕たちは、いきなりこの姿のまま、艦娘として存在したから不思議でさ」

 そう言って、時雨は指先に残った米粒を舌ですくい取る。その表情はいつもと同じで、あまり深いことを聞かれている気がしない。でも、それは私たちの深いところでもあるんだ。

 救われたところからいきなり始まる記憶。

 艦だった頃の記憶。

 これは共存している。

 響、である私以外の私が存在しているのか。

 それとも、この身体は作り物か何かなのか。

 自分の中に、答などない。

「響は、興味ない?」

「ないはずはない。でも、そんなことは考えたことがなかったな」

 私の答に、時雨は納得したように頷く。

「そうだよね。僕もよくわからないんだ。僕は誰なのか、僕は本当に駆逐艦時雨なのかってね」

 水平線に近くなっている夕陽を見ながら、時雨はそう言う。少し笑みを浮かべた、いつもの柔らかい表情だ。

「でも今は、やることをやるしかないか。深海棲艦との戦いが終わって、平和になったら全部わかるかも知れないし」

 そう言ってから、時雨は微苦笑を浮かべる。「つまらないことを言ったね」とも言った。

 その時雨の問いかけは、澱になって心の内に残った。

 私や暁、朧のように海で救われた艦娘と、電や龍田のように、工廠で建造されて生まれた艦娘。その違いはどこにあるのか。私たち艦娘と、護衛している輸送艦の操艦をしている女性技官たちは、何が違うのか。

 しばらくの間、答えの出ない問答を一人で続けていた。

 でも、やっぱり答えはどうやっても出なかった。

 私たちは、知らなさすぎたし、知らされていなかったんだと気づくのは、もっとずっと後のことになる。

 この時は、任された船の護衛に気持ちを戻した。



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第六駆逐隊

 夜間航行も順調に終わり、翌日の昼過ぎ、無事に輸送艦を母港に送り届けることができた。鎮守府にも夕方前に戻った。

「二人共、ご苦労だったね。次の任務までゆっくり休んでくれ」

 司令官は優しい笑みを浮かべて、作戦完了の報告をしに行った私たちを労ってくれた。私たちは、敬礼をして部屋を退出しようとする。

「あ、そうだ。時雨」

「なんだい、提督?」

 呼び止められた時雨に釣られて、私も振り向いてしまう。扉にかけていた手は、自然と離れた。

「今朝、白露型四番艦の夕立が建造されたんだ。まだ工廠で調整中だけど会ってくるといいよ」

 司令官にそう言われた後、時雨は一瞬きょとんとした顔をしていたけど、言葉の意味はすぐに飲み込めたのだろう。ぱっと顔が綻ぶのが、私にもわかった。相当嬉しかったんだろうな、時雨も。

「ありがとう、提督! すぐに行ってくるよ」

 時雨はそう言うと、敬礼するのももどかしく扉を開けて出て行ってしまった。私は、見事に置いてけぼりだ。

「響も。暁は六駆の部屋にいると思うよ」

「ありがとう、司令官」

 私も司令官に敬礼を返してから、司令室を出た。

 陽が落ち始めて薄暗い廊下を歩きながら、私は暁のことを考えた。

 第六駆逐隊に一番最後に配備された暁。第六駆逐隊で一緒にいられた時間は、本当に短い。それでも、私がキスカで被弾して暁に曳航されて大湊に戻るまで、私と暁は第六駆逐隊の第一小隊の構成艦としてずっと一緒だった。起工こそ一番の一番艦だけど、竣工は電の次の三番目。それでも第六駆逐隊の司令艦をつとめてることが多かったから、結局背伸びをすることが多くなったんだな。頼りがいって言うのは事実上竣工順で長女の雷の方があって、暁はそれも不満だったみたいだけど。

 そんなことを考えていると、私たちにあてがわれている部屋の前に着いた。

 …さて、実際にちゃんと会うのは本当に久しぶりだ。大湊で別れて以来…ってことになる。ちゃんと、お礼を言いたかったんだ。あの時は叶わなかったけど。

「まったく! 雷には一人前のレディとしての自覚が足りないわ!」

「何言ってんのよ。暁こそ、電みたいにもっと司令官に頼ってもらえるように頑張んなさいよ!」

「はわわわ! なんか矛先がこっちに向いてきたのです!?」

 …なんか、色々と考えてるのが馬鹿馬鹿しくなってくる声が聞こえてきたな。それが、私たち第六駆逐隊だっけ。これが、「日常」って奴か。意識しなくても、頬が緩むな。

 暁、帰ってきてくれてありがとう。

 私はドアノブに手をかけて、部屋のドアを開けた。その私に気づいたのは電だけだ。

「あっ、響! おかえりなのです」

 その電の声で、暁と雷も私を振り向く。

「何をやってるんだい、二人共」

「ちょっと聞いてよ、響! 雷ったら今晩夜戦の訓練をしようなんて言うのよ! レディには睡眠が大事だって言うのに!」

「まずは練度でしょう? いくら女子力を上げても、司令官に頼ってもらえないと意味ないって言ってるのよ」

「はわわ! 喧嘩はダメなのです!」

 私が問いかけると、暁と雷はそう私に言ってくる。電は相変わらずオロオロしてるだけだ。秘書艦の時の頼りがいはどこに行ったんだろうなと思わず遠い目をしたくなる。

「…どちらかというと、雷の言うことの方が正しく聞こえるな。私も練度が大事だと認識されられたばかりだ」

「でっしょ!」

 私の言葉に、雷が得意がる。みるみる内に暁の頬が膨れてきた。

「でも、睡眠も大事なのは確かだ。暁は来たばかりだし、私は夜間航行明けで正直眠い。今晩は寝かせてもらえないか」

「ほらね! 響はわかってるわね!」

 今度は暁が両手を腰に当てて背を反らす。その態度はあまりレディとは言えないな。雷は、そんな暁の態度を見ても、少し肩をすくめただけだ。

「今日のところは任務明けの響に免じてやめておくわ。でも、明日は任務がなければ訓練よ! 第六駆逐隊としての練度を上げて、もーっと司令官に頼って貰うんだから!」

「じゃあ、天龍さんにお願いしてくるのです」

 雷の言葉に、少し困ったような顔をして電が部屋を出て行こうとする。それを私は止めた。

「電、それは夕飯の後にしないか。私はお腹が減っているし、もうすぐ夕飯の時間だ。それに」

 そう言って、私は暁の方を見る。

「せっかく四人揃ったんだ。夕飯は全員で食べたい」

「そうね、それがいいわ!」

「響の言う通りね。それこそ、姉妹思いのレディだわ!」

 さっきまで言い争っていたのが嘘のように、雷と暁は意気投合して笑いあう。電の方を見ると、苦笑いを浮かべていた。やれやれ。

「じゃあ、食堂に行くわよ! 第六駆逐隊、抜錨!」

 暁がそう言って手を上げる。

 それを見て、雷と電が笑う。

 私は、三人の後について部屋を出た。

「夕立、行くよ」

「時雨ちゃーん、待つっぽいー」

 時雨一人だった第二十七駆逐隊の部屋はいったん空室になって、時雨は夕立と同じ第二駆逐隊の部屋に移動になったのか。その二人が、二駆の部屋から出てきて、同じように食堂へ向かってる。時雨も妹の夕立が来て嬉しそうだな。これからも、こうやって少しずつ艦娘の数も増えていくんだろう。私たち第六駆逐隊もようやく全員揃ったんだ。これから、いつ失われるかも知れない時間を、大切に過ごしていこう。

 先を歩く、三人の背中に語りかける、心の奥の声。

 

 暁、雷、電。

 もう私を、ひとりぼっちにしないでくれよ。

 

 後悔はしないと決めたんだ。

 だから、今日のこの気持ちと一緒に、私は歩いて行く。

 

    第一章 リインカネーション-再会-  完



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第二艦隊の一番長い日【天龍龍田と第六駆逐隊】(対潜撃滅戦編)
異変


 南西航路の船団護衛をこなして鎮守府に戻ってきたのは、もう夕方だった。船団の油槽船や輸送船は、次々と物資の荷揚げを行っている。その中には、俺たちが使うための物資もかなり含まれていた。

「響、荷揚げまだでしょ。早くすませなさいよ」

「わかってる。すぐに行く」

 岸壁では、俺たちと第二艦隊を形成している特Ⅲ型駆逐艦で構成された第六駆逐隊の面々が、船団護衛で得た資材を集積地に運んでいる。雷と電の姿は見えないが、暁は響を急かしながらきびきびと資材を運んでいた。

「天龍ちゃん、もう運び終わったの?」

 相棒の龍田が俺にそう聞いてくる。同じ天龍型軽巡洋艦娘の二番艦だ。

「当たり前だろ? 俺は天龍様だぜ」

「終わったなら駆逐隊のみんなを手伝ってあげればいいのに」

 胸を張る俺に、龍田はそう言って微笑う。

「あいつらのためだよ。力仕事も仕事の内だ」

 そう言う俺に、また龍田はおっとりと微笑う。あんなことを言っていたが、龍田にも手伝う気は全くない。小さな身体に大きな荷物を抱えて、暁と響は岸壁と倉庫を往復している。その内、姿が見えなかった電と雷が戻ってきた。

「報告終わりましたのです!」

「運び終わったら戻っていいってー」

 気苦労の多い優等生タイプの暁とは違う方向で気弱な真面目っこである末っ子の電と、少々お姉さんぶりたい三女の雷は、そう俺たちと暁たちに告げた。

「電は旗艦だから仕方ないけど、雷は何で手伝わないのよ!」

 荷物を運びながら、暁がそう声を上げる。まあ、もっともなご意見だな。

「あはは。私が行かないと、司令官が寂しがるでしょ?」

 そう言う雷に、暁が白けた顔を返す。響はちらと雷の方を見た。

「雷、取りあえず手伝って。早く終わらせて、ご飯にする」

「あ、うん。やるわよ、電!」

「なのです!」

 淡々とした響の声に、雷と電はそう返して岸壁に駆け出していく。「全くもう…」という暁の声だけがその場に残されていた。

 やがて、日もとっぷりと暮れる頃、ようやく資材は運び終えた。まあ、ここんとこ南西航路の船団護衛の繰り返しのようなもんだからな。俺たちの第二艦隊と、同じ軽巡洋艦娘の那珂と球磨が第七駆逐隊を率いる第三艦隊は、第一艦隊を動かすのに必要な資材を集めるのに奔走してる感じになってるからな。

「天龍さん、終わったのです!」

「お疲れさん」

 俺はそう駆け寄ってきた電に笑顔を向ける。横の龍田も何考えてるかはともかくとして笑顔だ。

「んじゃ、帰って飯食うか」

「そだ、さっき司令官に報告に行ったときなんだけど、なんか指揮所すごくざわついてたわよ」

 踵を返した俺と龍田に、雷がそう言う。

「ざわついてた?」

「どういうこと?」

 足を止めた俺と龍田がそう聞き返す。

「何があったのかはわからないのです。でも、司令官さんも少し慌ててるご様子でした」

 少し心配そうな電の表情を見てから、俺は龍田と顔を見合わせる。同じ日に他の船団護衛任務に出た第三艦隊も、もう戻っているはずだ。第一艦隊は戦闘中心の激務をこなしてるだろうから、その動向は船団護衛組の俺たちにはわからない。

「…俺たちみたいな戦闘では三軍以下の面子に関係のある話か?」

「どうだろうねえ? 護衛に出てる間に起きたことなら、あまり関係ないと思うけど」

 俺と龍田はそう言い合って首を捻る。なんにしても、不安げな表情の電は何とかしてやらないとな。

「那珂たちにも何があったのか聞いてみるか。あいつらの方が先に戻ってるはずだから、何か知ってるだろ。おまえたちも、気になったら七駆の面子に聞いてみろ」

 俺はそう言って、いつもの強気な笑顔を作る。一瞬してから、電が得心したように頷いた。

「明日からもまた護衛任務だろうから、ゆっくり休めよ」

 俺は電たちにそう声をかけてから、寮に足を向けた。

 

 寮に戻ると、電と雷の言うとおり、雰囲気は少し殺気だったようなところがある。執務官や工廠のスタッフが、慌てた顔で俺たちとすれ違っていく。

「本当に何かあったみたいだな」

 横を歩く龍田にそう声をかける。龍田は、少しだけ表情を動かした。

「あまりいいことじゃないみたいねぇ。第一艦隊に何かあったのかしら?」

 龍田の言葉に、俺は少し考えた。そのまま部屋に戻るよりも、休憩室に行った方がいいのかも知れない。

「龍田、休憩室に寄ってから戻る。先に戻っててくれ」

 俺の声に、龍田はおっとりと頷く。

「先に食堂に行って待ってるわぁ。何かわかったら聞かせてね」

 その声と笑顔を確認して、俺は休憩室に足を向けた。

 休憩室では、先に船団護衛から帰ってきた第三艦隊の面々の内、旗艦をつとめている那珂とそれを補佐する球磨の二隻が疲れた身体を休めていた。俺は遠慮なくその前の椅子に腰を下ろす。

「よお、那珂、球磨、お疲れ」

「天龍じゃん。お疲れ」

「お疲れだクマー」

 俺の声に気づいた二隻は顔を上げた。それなりに疲れた顔に見えるのは、個性派の第七駆逐隊の面倒を見ているからだろうか。

「どしたの、天龍。あなたがこんなとこに来るなんて珍しいじゃない」

 那珂が訝しんでそう聞く。まあそうだな。確かに珍しいっちゃあ珍しい。普段ならすぐに食堂へ行って部屋へ戻るからな。

「まあ、ちょっとな」

 そう言って、球磨の方へ視線をやる。球磨ははてといった感じで首を傾げるだけだ。球磨も俺のことは珍しいみたいだな。

「単刀直入に聞くが、この鎮守府に何かあったのか?」

 俺がそう言うと、那珂と球磨は顔を見合わせた。

「何か…って、第一艦隊のこと?」

 怪訝な顔をして、那珂がそう応える。隣の球磨はきょとんとしたままだ。

「第一艦隊に、何かあったのか?」

「何かも何も、第一艦隊、ボロボロになって戻ってきたのよ。おかげで入渠行列すごいことになってるわよ。ここのドック狭いし」

 怪訝な顔で那珂がそう言う。俺たちの艦隊の中では第一艦隊はエリート中のエリートというか、主力、だ。それがボロボロとはいったいどういうことだろうか。

「誰が行ってたんだ? 旗艦は?」

 俺がそう聞く。編成された構成メンバーで、何かわかるかも知れない。

「旗艦は霧島さんだったみたいよ。後は知らないわ。ドックには近寄ってないし」

 そう言う那珂にある程度の見切りをつけ、球磨の方を向く。球磨は何も知らないとばかりに小さく首を振った。

「なに? 天龍は何が聞きたかったの?」

 腕を組んで考え込んだ俺に、那珂がそう聞いてくる。まあ、そりゃそうか。

「俺たちに関係のある話か知りたかっただけだよ」

「ないないない。護衛任務にしか就けない那珂ちゃんたちに関係あるはずないもの」

 那珂はそう言って俺を笑い飛ばす。まあ、そうなんだろうけどな。

「念のためにだな」

「戦いたいわけ?」

 唇を尖らせるように那珂が言う。その瞳は俺を非難しているようだ。

「まあな」

「相手によると思うけどねえ。なにせ、霧島さんだって大破させるような相手よ。わたしたちじゃ敵いっこないって」

「回避しまくって、必殺の魚雷をだな」

「必中距離に近づくまでに砲撃で戦闘不能にさせられるのがオチよ」

 那珂はそう言って大きく息をつく。

「私たちは確かに戦闘艦だけどさ、船団護衛だって立派な任務よ」

「わかってるよ」

 俺はそう言うと、話を切り上げるために席を立つ。これ以上那珂からも球磨からも話を聞けそうにないしな。

「ちょっと天龍!」

 出口へ向かう俺の背中から那珂の声が追い越す。俺は振り返った。

「俺は死ぬまで戦うだけだ。前世でもそうやって生きてきた」

 俺がそう言い放つと、那珂は二の句を告げずに唇を絞る。那珂だって船団護衛や輸送ばかりの日々に満足してないのは知ってるからな。俺は背中で手を振ると、休憩室を出て行った。

 



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現れた宿敵

 ボロボロになって帰ってきた第一艦隊。旗艦は霧島。霧島は金剛型巡洋戦艦の末娘だ。戦艦とは思えない高速性が売り。俺たち天龍型と同じように古いが、数度の近代化改修で他の追随を許さないほどの能力を得た。その霧島が旗艦でありながら大破させられる相手なんて。相手はどんな強力な水上打撃部隊なんだ?

「天龍さーん!」

 思案しながら歩いていると、青葉の声が飛んできた。俺は思わず顔を上げる。小さなメモ用紙と鉛筆を片手に、青葉は俺に駆け寄ってきた。

「天龍さん、お疲れ様です。今回の護衛任務で何か変わったことは?」

「ただの船団護衛だよ。特に変わったこともない」

 何か面白い話はないかと、いつも目をキラッキラさせてくる青葉に苦笑を返しながら、俺はそう応える。そうだ、青葉はこうやって他の艦に話を聞くのが好きだから、何か知ってるかも知れないな。一応、第一艦隊のレギュラー重巡洋艦だしな。

「青葉、第一艦隊に何があったのか知ってるか?」

 俺がそう聞くと、青葉は一瞬きょとんとする。

「逆取材なんて、天龍さんにしては珍しいですね」

「鎮守府の空気がいつもと違うからな。少しでも情報は欲しい」

「そういうことなら」

 そう言って、青葉はにっこりと笑う。

「どこまでご存じですか?」

「第一艦隊がボロボロになって帰ってきたところまでだ。相手がどんな水上打撃部隊だったかを知りたくてな。それにしても、青葉も一緒に参加してたんじゃないのか?」

 全く無傷に見える青葉を見ながら、俺はその疑問を口にした。普段なら、第一艦隊に組み込まれて戦線を駆け回っているはずなのに。

「青葉はその前の戦闘で中破して、ドックで寝てたんです。だから、今回の戦闘には参加してないんですよー。でも、取材はバッチリです!」

 そう言いながら、青葉はメモをめくる。その目が戦場にいるとき以上に輝いてるのは、重巡洋艦娘としてどうかと思わなくもないけどな。

「えーっと、戦闘に参加したのは霧島さんを旗艦に、扶桑さん、山城さん、赤城さん、蒼龍、それに最上ですね」

「金剛と比叡は不参加か…」

 金剛型四姉妹の内、榛名がまだいないこの艦隊において、金剛と比叡は経験も積んでエース級の実力を持ってる。その二艦が不参加とは意外だった。

「お二人は疲労で休養だったようですね」

 そう言いながら、青葉はまたメモをめくる。

「敵の艦隊の構成は、重巡二、軽巡一、潜水三だったようです」

「潜水艦?」

 俺は声を上げた。この世界で、潜水艦を見たことはまだなかったからだ。潜水艦は、俺たちにとって、宿敵のようなものでもある。

「ええ、最上の艦載機しか攻撃手段がなくて相当苦戦したみたいです。潜水艦の魚雷攻撃で山城さんと扶桑さんが中破、蒼龍も潜水艦から魚雷を食らって大破、さらに赤城さんが軽巡から砲撃を食らって中破、続いて山城さんも砲撃を回避できずに大破してます。赤城さんがその後軽巡重巡の砲撃を立て続けに食らって大破。そのあとの砲撃で最上が大破、霧島さんが中破。更に霧島さんは魚雷の集中砲火を浴びて大破したみたいです。相手の被害は、重巡一隻が霧島さんの砲撃で撃沈されたものの、後は無傷です」

 一気に喋って、青葉は息をつく。

「完敗じゃねえか…」

 俺は思わず息を飲んだ。戦艦と空母を中心にした機動部隊だと思ったのだが、予想を全く外してくれた。やはり、この世界でも潜水艦は恐ろしいものらしいな。

「そうですね。司令は潜水艦に有効な装備を急遽開発しているみたいですけど、その前に第二次攻撃隊を編成するみたいです」

「そうなると、次は軽空母に軽巡洋艦、駆逐艦の組み合わせか…」

 俺はそう顎に手をやる。こうなると潜水艦への攻撃手段を持たない戦艦は辛いだろうからな。

「恐らくそうなると思います」

「ありがとな、青葉」

 俺はそう言って青葉に笑みを向ける。そうすると、青葉もニッと笑い返してきた。

「持ちつ持たれつです。また何か情報あったらお願いしますねー」

 そう言うと、青葉はメモを持ったまま、あっという間に駆け出していく。本当にじっとしてられない奴だなあ、としばし感心しつつ呆れた。

 青葉を見送った後、食堂に移動すると龍田はいつもの席でお茶を飲んでいた。目の前に飯の盆がないから、飯はまだ食ってないらしい。護衛任務で遅くなった俺たちの他に、食堂には誰もいない。

「あら、天龍ちゃん。何かわかった?」

 相変わらずのおっとりした笑顔で俺にそう聞いてくる。

「少しはな。飯まだ食ってないのか?」

「天龍ちゃんがいないとつまんないもの」

 椅子を引いて腰をかけようとする俺に、龍田はそう微笑む。

「じゃあ、食いながら説明するか」

 言いながら、降ろそうとしていた腰を再び上げて、盆を取りに移動する。龍田も、おっとりとついてきた。お櫃からご飯を茶碗によそい、椀に味噌汁を流し込む。作り置きになっていた鯖塩と小鉢を盆に載せると、また元の席に戻った。食前の挨拶をしてから、箸を動かし始める。

「それで、どうだったの?」

 動かし始めた箸を一度止めて、龍田はそう聞いてきた。

「第一艦隊がほぼ壊滅だってよ。原因は潜水艦だ」

「潜水艦…」

 ゆら…と龍田の雰囲気が変わる。一瞬どす黒いオーラが龍田の背後から上がった気さえする。

「そう…潜水艦なんだ…」

 穏やかな笑みの奥に、もの凄い殺気を漂わせてる。ああ、龍田は前世で船団護衛の途中で潜水艦に沈められてるから、潜水艦が憎いんだな…。俺も潜水艦に沈められたのは一緒だけどな。冬だってのにマダン沖の海は温かかったよな。

「霧島が旗艦を努めて、随伴艦は扶桑、山城、赤城、蒼龍、最上だ。全艦大破させられて帰ってきた」

「そんなに強力な潜水艦部隊なの?」

 さすがに驚いたようで、龍田から殺気のオーラが消える。

「重巡二、軽巡一、潜水三だってよ。不運も手伝ってる感じだったけど、相手は重巡に撃沈一以外はさしたる被害もないらしいからな」

「潜水艦相手の装備って、わたしたちも標準の爆雷くらいしか持ってないものね」

 少し難しい顔をしながら、龍田は小さく息をつく。

「わたしたちでできることってないのかしら?」

「どうだろうな。司令が対潜水艦用の新しい兵器を急いで開発させてるらしいから、それに期待するしかないな」

 龍田には悪いが相手の潜水艦の状態もわからないし、爆雷だけじゃどうしようもないのが現実だもんな。潜行された潜水艦は、通常装備じゃ見つけられないからな。忍び寄られて魚雷を食らったら、第一艦隊と同じ目に遭うのは一目瞭然だ。

「司令次第ねぇ」

 龍田が少し遠い目をする。手も足も出ず、いきなり背後から辻斬りにでもあったような死に方はお互い様だもんな。だからこそ、今度は何とかしたいと思うんだけども。

「明日には、何か変わってるかしら」

「そう願うしかないだろうな」

 瞳を伏せる龍田にそう言って、俺は仕上げのお茶を飲み干した。

 



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出撃命令

 夜が明けても、鎮守府のざわつきは収まっていない。第一艦隊壊滅の報は艦娘の間にも広まったようで、一線級にいない艦娘には動揺も広がっている。

 俺は、なんとなく岸壁に腰を下ろしながら、槌音を響かせる工廠を眺めていた。時間は意外なくらいのんべんだらりんと過ぎていく。昼を過ぎようというのに、今日は提督から今日行くはずの護衛任務の仕事が降りてこない。那珂と球磨の第三艦隊には、朝の内に指示があって出かけていったというのに。

「天龍さーん!」

 電の甲高い声が背中から聞こえてきた。俺は立ち上がりながら振り返る。

「探したのです」

「どうかしたのか?」

 息を切らせて肩を上下させる電に、俺はそう声をかけた。電は小さく息を整えると、顔を上げる。

「司令官さんがお呼びなのです!」

「やっといつものお使いか」

 俺はそう言って苦笑いを作るが、その声に電は頭を振る。

「違うのです! 第二艦隊、出撃なのです!」

 その悲壮な声に、俺たちに白羽の矢が立ったのだと初めて理解した。

 電に連れられて司令室へ行くと、そこにはもう龍田や暁をはじめとした第二艦隊の面々は揃っている。龍田はいつも通りだが、暁と雷の表情は硬い。

「司令官さん、お待たせしたのです」

「遅くなった」

 電と俺がそう言いながら並ぶと、提督は疲れて見える顔を上げた。

「第一艦隊が壊滅した話は聞いたな?」

「聞いた…のです」

 旗艦をつとめる電がそう返すが、声は語尾に行くにしたがって小さくなっていってる。

「敵の戦力は重巡二、軽巡一、潜水三だ。重巡は昨日霧島が一隻沈めたから、別の艦が来るかも知れない」

 提督はそう言って、一度言葉を切った。暁たち第六駆逐隊のメンバーが息を飲むのがわかる。

「そこでだ。君たち第二艦隊に、この敵と当たってもらいたい。ここを突破したら比叡たちに入れ替えた第一艦隊があとを受け持つ」

 第六駆逐隊に一瞬の強い緊張が流れる。そりゃあそうだよな。軽巡二、駆逐四の俺たち第二艦隊には、普通に見て荷が重い。ましてや、俺たちの中に潜水艦を得意としてるのはいない。

「なんで、いつもの第二艦隊の編成のままなんだ? 五十鈴や由良みたいに潜水艦が俺たちよりも得意な奴もいただろうに」

 そう言う俺に、暁たちの視線が集まるのがわかる。潜水艦が相手だとわかってるなら、得意な奴を第六駆逐隊の随伴艦にしてやった方が、第六駆逐隊も生き残る確率が上がるだろうに。

「確かに、五十鈴や由良の方が天龍、龍田よりも潜水艦相手は得意だ。それでも、電たちとの息は天龍と龍田の方が合ってる。君たちはほとんどメンバーを変えずに一緒に仕事をしてくれてる。私はそれに賭けたい」

 提督はそう言って、机に置いてあったバインダーを手に取る。

「戦場へ赴いてもらうに当たって、急遽開発に成功した三式爆雷投射機と三式水中探信儀が二セットある」

 提督は顔を上げて、第六駆逐隊のメンバーに顔を向ける。

「暁と響に預ける。上手く使って、潜水艦を沈めてくれ」

「はいっ」

「了解」

 うわずった暁の声と、押し殺した響の声が司令室に響く。暁の表情には緊張が見て取れるけど、響は相変わらずだ。淡々としていて、それでいて何を考えているかは読めない。

「頼む。霧島たちの無念を晴らしてやってくれ。出撃は明朝〇七〇〇」

「わかりました、なのです!」

 提督の重い声に、電のいつもより上ずった甲高い声が被さる。

 ああ、実戦は久しぶりだな。

 そう思った。

 

 その日は準備に追われるのかと思っていたが、電たち第六駆逐隊は支給してもらった対潜兵器を使いこなそうと、近海へ出て訓練に励んでいる。逆に、俺と龍田は手持ち無沙汰な感じで、沖で上がる爆雷の水飛沫を眺めていた。俺たちの相手は、潜水艦よりも随伴の巡洋艦だろうからな。だったら、いつもの通りやればいい。

「天龍ー、龍田ー」

 岸壁に座って沖を眺めていた俺と龍田が顔を上げると、そこには金剛型戦艦娘の金剛と比叡が立っていた。金剛の英国かぶれの妙なイントネーションはこの鎮守府でも有名だからな。顔見なくてもわかるよ。

「どうしたんですかぁ?」

 おっとりと立ち上がった龍田がそう聞く。いつも陽気な金剛が、珍しく神妙な顔をしていたからだ。

「明日の作戦、よろしくお願いするのデース。天龍たちが潜水艦部隊を撃破してくれたら、あとはワタシたちがなんとでもするのデース!」

「出撃できない霧島の分も頑張りたいんだ。本当に頼む」

 金剛の後を受けて、比叡がそう頭を下げる。龍田はまだ立ち上がっていない俺に表情のない顔を向けてくる。俺はゆっくりと立ち上がる。

「頑張んのはどっちかっつうと六駆なんだけどな」

 俺はそう言いながら、沖で再び上がった水飛沫に目を向ける。暁たちは頑張ってるみたいだしな。

「それでも、天龍と龍田のサポートがあってこそだ。随伴の巡洋艦がバカにできない」

 憂いの表情を浮かべながら、比叡は真剣な瞳を向けてくる。

「霧島が言ってマシタ。戦艦は潜水艦に手も足もデナイって。霧島の艦隊には潜水艦を攻撃できるのは最上しかいなかったのデス。赤城と蒼龍は…」

「わかってるよ」

 身振り手振りを交えながら話す金剛の言葉を遮る。戦艦はあくまで強大な砲撃力を以て、アウトレンジで水上に浮かぶ艦艇を破壊するためのものだからな。俺たち水雷戦隊とは、求められてるものが違う。俺たちは、高速を生かして敵の砲撃をかいくぐり、必中距離まで近づいて必殺の魚雷を叩き込むことだ。それと、小型爆弾を搭載した艦載機と同じように、潜水艦への水上からの攻撃。でも、正直こっちはあまり得意じゃない。

「俺たちが第六駆逐隊を守る。潜水艦を沈めるのはあいつらの仕事だ」

 俺がそう言うと、比叡はあからさまにホッとした顔になる。金剛の顔にも笑みが広がった。

「さすが軽巡洋艦一の古株デスネー!」

 金剛の台詞に、比叡の顔があっと言う表情に変わる。金剛の天然は今に始まったことじゃないしな。それに、金剛型だって戦艦の中じゃ一番の古株だ。

「古株はお互い様だ」

 俺は苦笑を浮かべながら言う。まだまだ同じ艦種の若い奴らには負けねえよ。

「それに、天龍ちゃんは第六駆逐隊のみんなが大好きだから、ちゃんとやってくれるよ」

 龍田がそう付け加える。俺は苦笑いを続けるしかない。なんだかんだで慕ってくれてるからな、あいつら。応えないわけにはいかないよ。

「頼んだのデース」

「ありがとう、天龍、龍田」

 笑顔の金剛に、笑顔を浮かべながらも軽く頭を下げる比叡。礼は無事に全部終わってからにしてくれよ。水雷戦隊に重巡二隻の艦隊の相手は荷が重いぜ?

 その言葉を最後に、金剛と比叡は宿舎へ戻っていく。俺はその後ろ姿をしばし見送ってから、また沖へ顔を向ける。爆雷が起爆する水柱がまた上がった。



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響の思い

 夕方までみっちりと訓練をしたはずの第六駆逐隊は、響を除いて一様に不安の色を顔に残したまま戻ってきた。いつもは四人でワイワイと食べていた夕食も、今日に限ってはことのほか静かで、いつも淡々としている響が返って明るく見えるくらいだ。

 あの後、俺たちにも普段装備してる14センチ単装砲に換えて、主に重巡用の20.3センチ連装砲と61センチ四連装酸素魚雷が支給された。いつものより装備は重くなったが、重巡相手ならこれくらいがちょうどいいかもしれねえな。電と雷にも普段の61センチ三連装魚雷に換えて61センチ四連装酸素魚雷が支給されたみたいだしな。

 夕食の後、龍田と新兵装を試験し終えると、俺たちは宿舎の部屋に戻って床についた。それでも、久々の実戦かと思うと、容易には眠れない。隣の龍田はあっさりと夢の中だから、龍田の神経の太さには恐れ入る。俺は部屋と宿舎を静かに抜け出すと、いつもの倉庫近くの岸壁へブラブラと歩いて行った。ふと岸壁の先に目をやると、暗闇の中に小さな影が見える。俺はその影に近づいていく。

「響」

 声をかけると、小さな影は俺を見上げた。

「天龍…」

 抑揚のあまりないその声の横に、俺は腰を下ろした。いつもは被っている帽子も被らず、寝間着のまま色の薄い長い髪を海風に吹かれながら、響は海を見ていた。

「お前も眠れないのか?」

「少し…。天龍も?」

 俺の方は見ずに、響は海に視線を落としたままそう聞いてくる。いつも以上に淡々とした感じになってるな。

「久しぶりの実戦かと思うと、昂ぶっちまってな。龍田の奴はもうぐっすりと夢の中だ。あいつの図太さには驚くよ」

 そう言って、俺は声を出して笑う。ちらっと、響が俺の方を向いた。

「暁たちは、少しの間緊張で眠れなかったみたいだが、昼の訓練で疲れ切っていてすぐに眠った。私は、起こさないように静かに出てきたんだ」

 ぽつりぽつりというように、響は言葉を漏らしていく。

「そうか」

 淡々とした表情の奥で何かに耐えているような響の雰囲気は、珍しいと言わざるを得ないな。響にも、龍田のように潜水艦に対する思いがあるんだろうか。

「天龍は、前世で同型艦の龍田とずっと一緒だったのか?」

 響は俺の方を見ずに聞いてきた。

「龍田なあ…。第一次ソロモン海戦の前までは一緒だったけど、俺だけが第一次ソロモン海戦に参加して、その後は別々に護衛任務に就いてたからな。俺がマダン沖で殺られた後も、龍田は二年近く頑張ってたよ」

 そう言って、前世の記憶を手繰る。そう言えば、マダン沖で潜水艦に殺られる直前、同じ任務に就いてた電も同じマダン沖で航空攻撃に遭って損傷して、ラバウルに戻ったんだっけな。思えば縁があるのか、俺と電にも。

「私たちは、四隻で一緒にいれたのは戦争前の二年ほどだけだった。暁が撃沈された第三次ソロモン海戦には、私だけがキスカ島攻略作戦の損傷で入渠していて参加できなかった」

「俺も二日目のガ島の砲撃には参加してたからな。暁、探照灯照射艦になって、一瞬で蜂の巣にされたんだって聞いたよ」

 ぽつぽつと話す響に、俺はそう応える。前世の暁は、この第三次ソロモン海戦の第一夜戦で戦没して、第六駆逐隊は三隻に減ったんだよな。雷も損傷して横須賀に戻った。無事だった電だけが、ラバウルに来て俺と一緒に輸送船団護衛に就いたんだ。俺の方が先に逝っちまったけどな。

「雷は、私や電とは別の船団護衛任務に就いていたときに行方不明になった。潜水艦に撃沈されたって知ったのは、戦争が終わってからだった」

 響はそう言うと、その大きな瞳を閉じる。そうして小さく息を吐いた。

「電は、私と一緒に船団護衛の任務に就いているときに、私の目の前で潜水艦の魚雷攻撃を食らって撃沈された。もう三十分早かったら、同じ位置にいた私が撃沈されていた。真っ二つにされて私の身代わりになって沈んでいく電の姿を、私は忘れられない」

 響の握りしめていた拳が震えている。

「私は、誰も助けられずに生き残って、二十年以上もソビエトで余生を送った。損傷と入渠を繰り返した私には、みんなのような死に場所はなかった」

「そうだな…」

 そう言って、俺は響の頭を撫でる。俺には生き残った者にしかわからない苦しみは理解の範疇を超えてる。それでも、響が電の戦没に責任を感じているのは痛いくらいにわかった。

「…私は、電や雷を撃沈した潜水艦が憎い」

「…辛かったら、泣いていいんだぞ」

 俺は、響の方は見ずにそう言う。生き残ったからこそ、背負い続けた思いがあるんだよな。賠償艦として異国に連れて行かれ、新たな名を与えられ、敵国で死ぬまで生活したんだよな。俺たちにはわからない辛さが響にはあったはずだ。だからこそ、響は第六駆逐隊のメンバーの中では格段に淡々としていたんだな。また一緒にいられる喜びと、姉妹たちを失っていった前世の記憶に板挟みになって。どう感情を制御していいかわからなくなって、能面を決め込むしかなくなったんだな。

「天龍…」

 驚いた顔で響が俺の方を見る。俺は響の方を向いた。

「提督が対潜水艦用の装備をおまえと暁に渡したのは、潜水艦の怖さを知る前に戦没した暁と、心底潜水艦を憎んでいるおまえの感情に賭けたんだろう。俺や龍田も含めて、他の奴は全員潜水艦に殺られてる。特に電や雷には潜水艦に対する怖れもあるだろうからな。おまえが今度こそ電を守りたいって気持ちを敵にぶつければいい。潜水艦はおまえと暁に任すけど、おまえと暁は、俺と龍田が守ってやる」

「天龍…」

 響の表情がみるみる崩れていく。しばらくもしない内に、まだ若い艦娘らしい感情を溢れさせた。

「…ずっと、辛かった。誰かに聞いてほしかった…。みんなには、心配かけたくなかったんだ…」

 俯いてそう零すと、号泣する響の声は波音に混じる。俺は、響が落ち着くまで、その頭を撫でていてやった。俺が死んだ後の龍田もこんな感じだったのかな。あいつにも感謝しないとな。

 

 響が落ち着いたのは、もう深更を過ぎていた。俺は響を先に宿舎へ帰すと、しばらく海を見てから宿舎に戻った。響の髪の感触がまだ掌にある。その感触を忘れないように、俺は拳を握った。

 



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荒れる海原

 朝になり、俺たちはいつもの集積用岸壁ではなく、第一艦隊が主に使っている出撃用の岸壁に集合して準備を進めていた。会うなり、響は誰にも気づかれないように俺にぺこりと頭を下げてくる。俺も軽く頷いただけで、後はいつも通りだ。響の能面のような硬い顔に、少し表情が戻ってた気がした。

 支給された装備品を再度調整し、自分たちのコンディションも確認する。〇六五五、提督がやってきた。

「頼んだぞ、電、雷、暁、響、天龍、龍田」

 一人ずつ、俺たちの名前を呼んでいく。銘々、その声に応えた。

「抜錨! 第二艦隊、出撃なのです!」

 暁に軽く肘で小突かれた電が、二分遅れで少しうわずった声を上げた。

 

 問題の海域までは、ピクニックのような行程だ。通い慣れた船団護衛の道とは違うといっても、海の上であることに変わりはない。

「…第一艦隊が会敵したのはこの辺りなのです」

 海図を見ながら、電がそう呟く。そろそろ警戒しておかないとダメか。

「戦闘配備しておくか。武装は初弾装填しておけよ」

 俺は第六駆逐隊にそう声をかける。銘々が、自身のかけ声や頷きで俺に返してきた。

「ソナーに反応。付近に潜水艦がいる模様」

 響の抑揚のない声がそう告げる。俺たちは一斉に周囲に目を配った。

「敵艦見ゆ! 重巡一、軽巡二!」

「ソナーの反応は三隻よ!」

 続けざまに雷と暁が声を上げた。

「来やがったな!」

 俺はそう声を上げて龍田を見る。龍田は笑みさえ浮かべておっとりと頷く。

「雷跡! 左舷から三本なのです!」

 電の声が、戦闘の始まりを告げた。

「取舵六十度だ。全員回避しろよ!」

 電の代わりに、俺が一斉転蛇の指示を出す。回避行動が功を奏して、魚雷は誰も掠めずに海中を疾走していった。この回避で、事実上の丁字有利の状況に持っていけた。敵の艦艇は前の砲門しか使えない。こっちは全砲門を使えるから、この上ない状況だ。

「死にたい艦はどこかしらぁ」

 龍田から、どす黒いオーラが一瞬上がったように見える。その声に釣られたように、俺も武装を構えた。

「さあ、行くか」

「なのです!」

 電の声が響いて、俺たちは敵艦隊に突撃していった。

 敵の魚雷を全て回避した俺たちは攻撃を始める。

「俺と龍田が先に行く! 電と雷は響と暁を掩護しろ!」

「了解なのです!」

 俺の声に電が応える。俺は龍田をちらっと見て主砲を射撃位置に固定する。

「いっけーッ!」

 いつもより格段に重い衝撃が艤装から響く。目標は敵重巡。龍田も砲撃を開始した。命中したが、ダメージはそんなにいってない感じだ。

「固えな」

「この砲は、いつものより射撃速度が遅いわねえ…」

 龍田とすれ違いざまにそう言葉を交わす。撃ち込んできた砲撃をかわしながらの第二撃も当たったがまだまだ時間はかかりそうだった。その間に、敵重巡も反撃してくる。爆雷投射準備に入っていた響が辛うじてその砲撃をかわす。

「おめえらの相手はこっちだってんだよ!」

 言いながら、俺はどんどん肉薄する。それでも、敵軽巡重巡は六駆のチビどもを狙っていた。ちらっと見ると、電と雷が響と暁を庇うような位置を航行し、響と暁は爆雷を投射し終えたようだ。水中から水柱が上がる。戦果確認は後回しだな。俺と龍田が重巡に苦戦している間に、敵の軽巡は六駆への砲撃を続けていた。集中砲火を喰らった雷が吹き飛ばされる。

「雷!」

 気づいた電が雷に駆け寄っていく。

「持ち場に戻りなさい! 戦闘中よ!」

 損傷箇所を庇いながら、雷はそう声を上げた。はっとしたように、電が雷の直前で立ち止まる。

「雷、電、雷跡!」

 暁の悲壮な声が響いた。生き残った潜水艦からの魚雷は、違わずに二隻の方を狙っている。このままだと、どちらかに命中して大破は免れない。何も言わず、響が電と雷の前に立ちはだかる。

「ちょっ、響!」

 暁が声を上げるのを意に介さず、響は怯える電の前で両手を広げた。

「天龍ちゃん」

 龍田が少しも慌てた風もなく、俺に左手を挙げる。ああ、そうか、その手があったな。俺と龍田は、急反転をかけ機銃を構えて魚雷を撃ちまくる。疾走してきた魚雷は、響の目の前で炸裂した。

「天龍さん、龍田さん…」

 半ば涙目になりながら、電が俺たちの方を見る。響も、ホッと息をついた。俺と龍田は三隻に笑いかけてその前に躍り出る。

「暁、響、残りの潜水艦は頼むぜ」

「了解」

 響の落ち着いた声が返ってくる。暁も頷いたようだった。

 敵の重巡の攻撃が俺の身体を掠める。致命傷にはならない。龍田にも、軽巡の砲撃が掠った。

「次は私たちの番ね」

 龍田の声に、俺も頷く。ぎゅっと、武装を握った。すぐ後ろで、響が投下した爆雷が轟音を上げる。どうやら潜水艦は片付いたようだ。

「さあ、行くぜ」

 俺と龍田は駆け出す。これが魚雷の必中距離だ。

「天龍様の攻撃だ!」

 俺と龍田は、敵の重巡と軽巡に、魚雷を叩き込んだ。轟音を上げて、敵の重巡は爆沈していく。残る敵の軽巡には、涙目の電が魚雷を叩き込んだ。「なのです!」といつものかけ声が響く。その間にも、俺と龍田はそれぞれの得物を抜いて残った軽巡ヘの肉薄を止めない。敵軽巡の驚いた顔が目の前にあった。

「よくもチビたちをやってくれたな」

 俺は得物を敵軽巡の喉元に突きつけながらそう言う。後ろには、長刀を構えた龍田がいつでもどうぞという表情で立ったいた。

「海の底へ帰りやがれ!」

 俺は得物を突き立て払うと、龍田は長刀を振り下ろした。敵の軽巡は崩れ落ちる。俺たちはそのまますれ違って敵軽巡を離れる。敵の軽巡は大爆発を起こして海の底へ消えた。

「ようやく片付いたな」

「みんな、大丈夫?」

 一息つく俺を無視するように、龍田が暁たちに声をかける。

「雷が中破」

「私は大丈夫なんだから!」

 響の声に、電が声を上げる。よく見たら、それなりに酷い状況だ。軽巡の主砲食らったんだから、当然といえば当然か。

「あと、天龍さんと龍田さんが…」

 おずおずと電がいう。まあ、俺のは完全にかすり傷だし、龍田のも知れてるといやあ知れてる。ドック行きにはなるだろうけど、これくらいならあっという間だ。

「あ」

 響の声に、俺たちは振り向く。そこには、一隻の艦娘が倒れていた。響が、そっと抱き起こす。それを集まってきた電たちがのぞき込んだ。やがて、その艦娘は目を覚ます。

「大丈夫なのですか?」

 心配そうな顔で、電が声をかける。少しぼうっとしていた艦娘のその顔は、やがてしっかりとしてきた。

「…ありがとう。私は駆逐艦島風。スピードなら誰にも負けない…」

 そう言って、島風はへへっと笑う。

「なにー、また私たちが追いつけない子が来たのぉ?」

 笑いながら、龍田が言う。全速力じゃ俺たち第六駆逐隊にも追いつけないもんな。笑うしかねえわ。

「立てる?」

 響がそう言うと、島風は頷いて立ち上がる。そうして第六駆逐隊のメンバーに笑いかけた。

「さて、じゃあ帰るか」

「なのです!」

 俺の声に、電が嬉しそうに応えた。

 行きと同じようにピクニックな行程は変わらない。雷は損傷箇所を庇って電に肩を預けるようにしてはいるが、島風が増えた駆逐隊は明るく談笑しながら進んでいる。俺たちは、周囲の警戒を続けながら、最後尾を進んでいた。

「ちょっと物足りなかったわねー」

 龍田が第六駆逐隊と島風を見ながら微笑う。

「相変わらずおぞましい発想するな、おまえは」

 もっと第六駆逐隊に阿鼻叫喚地獄を見せるつもりだったのかよ。

「あら、私たち戦争やってるのよ? 天龍ちゃんてば、本当にお人好しなんだから」

 そう言って、俺の方を見て改めて微笑う。俺はなんとなく呆れて笑う。

「いいんじゃねえの、酷い目見なくてよ。酷い目見るのは俺たちの仕事だろ? 前の世界じゃ駆逐艦は使い捨て、せっかく転生したんだし、怖いのはなしでいいじゃねえか」

「お人好し。でも天龍ちゃんらしいわね」

 龍田はまた笑う。

 蜂の巣にされて沈んだ暁。不意打ちを食らって船体を折られ沈んだ電。誰にも知られることなく沈んだ雷。電を助けられなかった響。もうそんなのはいいじゃねえか。島風を加え明るく笑う第六駆逐隊を見ながら、そんなこと思う。

「お人好し」

 龍田がもう一度言う。俺は苦笑を返した。

「だからこそ、私の立ち位置もあるんだけど」

 そう言って微笑う龍田の髪を、海風が揺らした。

 鎮守府はもうすぐだ。

 



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Спасибо

 鎮守府に戻ると、俺たちは早速司令室に足を運んで提督に報告を行った。この辺は旗艦の電の仕事だ。俺たちは横で見ているだけだけどな。

「電、雷、暁、響、天龍、龍田、ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」

 提督はそう言ってたちを下がらせる。

「それでは、失礼するのです」

 電がぱっと敬礼をする。俺たちもそれに倣った。提督の右手がゆっくりと敬礼の位置に挙がる。

「ありがとう」

 提督の口から漏れた言葉に、第六駆逐隊の顔が綻ぶのが見ていなくてもわかった。

「雷はすぐにドックに行きなさいよ」

「こんなの大丈夫なんだからー」

「修理のタイミングを失えば、どんな不死鳥でも死を招く」

「こんなにボロボロになって、強がっても仕方ないのです!」

「わかったわよ! 行けばいいんでしょ!」

 わいのわいのと、第六駆逐隊の面々は話しながら歩く。まずは武器庫へ行って、支給された装備を返却する。俺たちの通常任務に最新式のソナーや爆雷は普段いらないからな。これから潜水艦と当たることもあるんだろうし、五十鈴や由良なんかが有効に使えばいい。

「天龍さんと龍田さんは、どうするのですか?」

 武器庫から出てくると、電は雷に肩を貸しながらそう聞いてくる。俺はちらっと龍田を見た。

「まあ、俺たちもドックには行くわ。痛えとこ抱えたまま仕事ってのもなんかな」

「どうせ今日はお休みなんだし、直してから休むわー」

「じゃあ、雷はお願いする」

 そう言う俺たちに、響は電から雷の肩を預かって、俺たちに渡してくる。俺たちは、いたずら心で雷の両肩を二人で持ち上げる。そうなると、雷は捕らえられた宇宙人のようだ。

「ちょっと、天龍、龍田!」

「天龍さーん、龍田さーん!」

 抗議する雷の声の先で、青葉の明るい声が響く。

「あ、やべ、面倒くさいのが来た。おまえらも捕まる前に行けよ」

 俺は電たちにそう言うと、ひょいっと雷を負う。慌てたように雷が俺にしがみついた。俺は龍田とうなずき合うと、ドックへ駆けていく。青葉は、また次に見つかったときに相手してやるよ。

 

 修理の度合いというのもあるが、特に軽傷の俺の修理など、烏の行水であっという間に終わってしまう。龍田と雷はまだかかりそうだが、俺は遠慮なく置いてけぼりを食らわしてドックを離れた。あそこは辛気くさくていけねえわ。

 比較的に早く戻れたのもあって、外へ出てみるとまだ夕方だ。黄昏れる岸壁の先に、昨日の夜と同じように響がいた。今日は、出撃時と同じいつもの帽子にいつものセーラーだ。

「天龍、もう直ったのか?」

 近づいてきた俺に気づいて、響は顔を上げる。

「あんなのかすり傷だってばよ」

 俺は昨日と同じように響の横に腰を下ろした。

「雷はちょっと怪我したけど、みんなで帰ってこられてよかったな」

「ああ、本当によかった。誰も喪わずにすんだ」

 そう言う響の表情に、ほんのりと笑みが浮かぶ。その表情は、それでも他の第六駆逐隊のメンバーと比べて、格段に達観してるし、大人だ。

「天龍」

「あ?」

「Спасибо」

 未知の言語を話されて、俺は思わずきょとんとしてしまう。俺が返答に困っているのを見て、響ははっと口元を抑えた。

「すまない。ソビエトの生活の方が長かったから、つい気を抜くとロシア語が出る」

 ああ、ロシア語だったのか。そりゃあ俺にはわかんねえわ。そう言った恥じらうかのような表情は、響もまだ若いんだなと素直に思わせてくれるな。

「なんて意味だ?」

 俺が聞くと、響は恥ずかしそうに俯く。二度言うのは辛いのか。

「…ありがとう」

 蚊の鳴くような小さな声で、響は言う。俺は思わず笑った。抗議するように、響きは顔を上げてジト目で見てくる。

「悪い悪い。あんまり響が可愛かったもんだからさ」

「可愛いとか言うな。私は…」

 そう言う響の頭を帽子越しにぽんぽんと叩く。

「いいんじゃねえの? 雷みたいになれとは言わねえけど、おまえだって一隻の艦娘なんだぜ。いい加減重い荷物は降ろして、暁たちとの生活を楽しめばいい」

「天龍…」

「ま、俺みたいにさっさと戦没した奴に言われたかないだろうけどな」

 そう言う俺に、響は小さく首を振る。

「雷や電のようにはなれそうもないが、努力してみる。もう後悔はしたくない」

「そうだな」

 もう一度、俺は響の頭をぽんぽんと叩く。俺たち戦闘艦の一生は長いかも知れないし、短いかも知れない。戦いの中で死んだ俺たちが幸せだったのか、余生を全うした響が幸せだったのかはわからない。それでも、今を生きるという意味じゃ変わらないはずだ。

「雷の修理ももうすぐ終わるだろうから、今日は第二艦隊全員で晩飯食うか。たまにはな」

「それがいい。雷が戻ってきたら、電に呼びに行かせる」

 そう言って、響がほわっと微笑う。

「天龍、ありがとう」

「俺は何もしてねえぜ? 響が自分で頑張っただけだ」

 そう言うと、俺は立ち上がった。その後ろで響も立ち上がるのがわかる。

「じゃあまた飯の時にな」

 俺は響にそう言い残すと、岸壁を離れた。龍田ももうじき修理が終わる。迎えに行ってやらんとな、相棒を。

 



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仕事のあと

 翌日、俺たち第二艦隊は、いつものように船団護衛の任務をもらった。いつもの仕事なので特に準備するものは何もない。時間が来るのを休憩室で待っているだけだ。そこへ、金剛と比叡がやってきた。おーおー、金剛は笑顔満開だな。

「天龍、サンキューね!」

「聞いたよ。敵艦隊撃破だって」

 抱きついてくる金剛を脇にうっちゃりながら、比叡に苦笑いを返すしかない。比叡も若干苦笑いだ。

「出撃か?」

「ああ。編成を変えて、南へ進むことになりそうなんだ」

「ワタシが旗艦なのデース!」

 比叡の言葉を金剛が受け取る。俺は龍田と顔を見合わせて笑う。第六駆逐隊も、雲の上のような存在の金剛たちを見て微笑を浮かべていた。 

「昨日暁と響が有効に使ってくれたソナーと爆雷は、五十鈴と由良が装備して連れて行くことになった」

「後は、瑞鶴と飛龍が一緒なのデース」

「万全じゃねえの?」

 二隻に、俺は笑い返す。その編成なら、潜水艦が出てきても平気だな。俺たちより、五十鈴や由良は対潜攻撃の訓練を積んでるはずだ。由良なんか、伊達に第三艦隊の旗艦を外れてたわけじゃなかったもんな。第六駆逐隊が成果を出したから、ようやく出番ってわけだ。がんばれよ、五十鈴、由良。

「暁と響もありがとう。二隻が戦果を出してくれたおかげだ」

「雷と電もアリガトなのデース!」

「そっ、そんなことないです」

「そうなのです。自分たちの仕事をしたまでなのです」

 暁と電が恐縮してそう言う。おーおー、畏まっちゃって。ちらっと響を見ると、響もこっちを見返して微笑んでる。

「撃沈されんなよ?」

「霧島が待ってるから、ちゃんと帰ってくるよ」

「ワタシは、出撃ついでに榛名も探しマース!」

 そう笑顔を残して、比叡と金剛は休憩室を出て行く。第六駆逐隊にホッとした空気が流れた。まあ、いつも俺たちと一緒だから、普段戦艦娘と話することなんかないもんな。

「そろそろ時間じゃない?」

 龍田が懐から取り出した懐中時計を見ながら言う。もうそんな時間か。

「行こう」

 響が言って立ち上がる。ばらばらと、それに倣って第六駆逐隊のメンバーは立ち上がった。その後についていくように、俺と龍田も歩を進める。

 岸壁に出ると、護衛予定の船団はもう沖で待機しているようだ。電が全員を確かめるように俺たちを振り返る。目が合ったので、俺は頷いた。それに電もおずおずと頷き返す。

「第二艦隊、船団護衛に出撃なのです!」

 電の声が岸壁に響いた。その声を合図に、俺たちはまた、果てることのない海へ駆け出していく。

 

 

 そうして、第一艦隊大捷の知らせが届いたのは、俺たちが仕事を終え、鎮守府に戻ってからのことだった。



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思いは北の海に融けて【由良と風間大佐】(AL作戦編)
第三艦隊旗艦 由良


前章から半年以上が経過しています。

艦隊も随分と大所帯になりました。



 海軍大佐の風間祐平は、深海棲艦からの攻撃に耐性のある希少種の男性佐官だ。日々鎮守府司令・木村晶中将の補佐官として地味だが欠かすことのできない仕事を地道にこなしている。ある時は輸送艦隊の司令官、ある時は陸戦隊の指揮官、土木測量大隊の隊長や兵装の開発責任者をやっている時もある。今日も、軍令部へ行っている木村の留守を預かり、遠征部隊の指揮を代行しているところだった。

「大佐さーん」

 司令室を出た風間が振り返ると、由良と旗下の第七駆逐隊が司令室へ向かってくるところだった。先頭にいる由良が束ねた長い髪を揺らしながら大きく手を振っている。

「対潜哨戒任務終了しました」

 由良は笑顔でそう敬礼しながら報告する。司令室を出たばかりの風間は苦笑いだ。それでも、遠征帰りの彼女たちを待たせる気は起きないらしい。

「司令室で聞くよ。七駆のみんなはここでいいよ。ご苦労様」

「ご苦労様です!」

 主に朧と漣から元気な声が返ってくる。潮は照れた様に声が小さく、曙はそっぽを向いていた。

「失礼します」

 明るい声が廊下に響いた後、いたずらっぽい笑みを残し、風間を廊下に置き去りにして、由良は司令室へ消える。漣の興味ありげな視線に苦笑いを返しておいて、風間も司令室に戻った。

「大佐さんは本当に気を遣いすぎなのね」

 司令の席に着かず、脇の作業机の椅子に腰を下ろした風間を見て、由良は鼻を鳴らすように呆れてそう言う。

「ここは木村中将の席だからね。僕はここの司令官じゃない。ここで十分だよ」

 そう言う風間に、由良は形のいい唇を曲げる。

「大佐さんには野心とかないの? パーッと戦果を上げて昇進栄転、とか」

 煮え切らない態度に終始する風間に、机越しで顔をぐっと近づけ、由良はそう言った。風間は、苦笑いを浮かべて由良の肩を軽く押し戻す。

「近いよ」

「だって」

 拗ねたような表情を見せ、由良の唇はまた曲がる。風間はまた苦笑いを見せた。

「地道にやってれば、その内日の目を見ることもある。今はできることをしてるだけだよ」

 風間はそう言って、書類の束を揃え直す。そうすると、すっと緩やかな表情が消えた。察した由良も、部下として風間の前に直立になる。

「じゃあ、任務の報告を聞こうか、由良」

「はいっ!」

 そう敬礼する由良の頬にさっと赤みが差す。いつもは穏やかでやもすれば気弱にすら見える風間は、こういった切り替えのできる男なのだ。護衛や哨戒を主任務とする由良たちのような鎮守府の脇を固める艦娘にとって、今となっては主力の相手に忙しい木村以上に、風間は近しい人物となっていた。

 

 廊下に取り残されることとなった第七駆逐隊のメンバーは、哨戒任務帰りの少し疲れた体を談話室へ向けていた。

「由良ってば絶対風間っちに気があるよねー」

 漣が悪い顔でそう笑う。朧は軽く同意の頷きを見せた。潮はあわあわと慌てたように俯き、曙は興味なさそうに窓の外へ視線を送る。

「あんな煮え切らない男のどこがいいのかしら」

 曙の唇はそうつぶやく。

「優しいからじゃないの? でも、ただ優しいだけじゃないみたいだし」

 ニッと笑いながら、漣は曙の顔をのぞき込む。

「曙も結構好きだもんね風間っち」

「だ、誰があんなクソ大佐」

 そう言って、曙はまたぷいっと顔をそらす。にやにやしている漣の奥で、朧と潮は苦笑いだ。

「ま、そういうことにしときましょ」

「何がそういうことよ!」

 背を向けた漣の声が終わらないうちに、曙の声が狭い廊下に響いた。

「相変わらずおめーらは賑やかだな」

 声の方を振り返ると、電と天龍を先頭にした第二艦隊だ。

「船団護衛の任務終わったのね」

 曙が話題を変えたいのか、電にそう聞く。電はこっくりと頷いた。

「司令官さんは戻られてるのです?」

「ご主人様はまだ松本よ。今日の報告相手は風間大佐」

 電の問いに漣はそう答えた。電の視線がつつつーと天龍に注がれる。

「由良が報告中か?」

「そうよ。あたしたちも今戻ってきたところなんだから」

「では、わたしが由良さんの後で報告しておくのです。天龍さんも龍田さんも、六駆のみんなもご苦労様なのでした」

 天龍と曙のやりとりの後、電がそう言ってぺこっと頭を下げる。第六駆逐隊の雷、響、暁はお互い顔を見合わせて頷いた。

「じゃあ、あたしたちは談話室で待ってるわ。電も報告終わったら来なさいよ」

「はいなのです」

「俺たちも部屋に戻るな。じゃあな、六駆と七駆」

「それじゃあねえ~」

 暁と電のやりとりの後、天龍と龍田もそう言って電たちに背を向けた。

「あたしたちも行くわ。じゃあね、曙、漣、朧、潮」

 暁がそう言ったのを合図に、暁、響、雷の三隻はそのまま廊下の奥に消えていく。後には、第七駆逐隊と、第二艦隊旗艦を務める電だけが残された。

「あたしたちも行きましょ。電は由良が出てくるまでここで待ってんの?」

「ここで待ってるのです。いつ由良さんが出てくるかわからないので」

「大佐とよろしくやってるかもしれないから、出てくんの遅いかもよ」

 意味ありげな笑みを浮かべてそう言うと、漣は電の横を通り過ぎる。苦笑の朧と顔を真っ赤にした潮がそれに続いた。

「んなわけないでしょ」

 大きくため息をついた後、曙は電の肩を軽く叩いて横を通り過ぎていった。

「…よろしくってなんなのです?」

 通り過ぎていった第七駆逐隊の、メンバーを振り返りながら、電は首をかしげていた。

 それから待つこと十数分で、由良は司令室から出てきた。

「あら、電ちゃん」

「ご苦労様なのです」

 司令室の扉を開けた由良に、ぴっと電は敬礼を返す。

「帰港時間がかぶっちゃったのね。待った?」

 ドアを閉めながら言う由良に、電は小さく首を振る。

「まだ十分ほどなのです」

「そう。ならよかった。提督さんはまだ戻ってないから、風間大佐さんが報告を聞いてくれるわ」

 由良はふわっと柔らかい笑顔を電に向ける。電もその笑顔に頷いた。

「了解なのです。…あの」

 少し言いよどむ電に、由良はきょとんとした表情を返す。電は少し迷っているようにも見えたからだ。

「なに?」

「さっき漣ちゃんが、由良さんは大佐さんとよろしくやってるかもしれないから遅くなるかもって言ってのですが…それってどういうことなのです?」

 全く邪心のない電の視線にさらされ、由良の頬は真っ赤になる。「えっと…その…」と思わずどもってもしまった。やましいことは何もないが、それなりに親しいのは確かだと自覚するだけに。慕っているのも事実なだけに。

「た、たいしたことじゃないのよ。そんな事実ないし、ただ、普通に報告してただけだし…」

 言いながら、言い訳がましいなと自分でも思ってしまう。電がよく理解してないだけに余計に言いづらい。ちらりと電の顔を見ても、その大きな瞳は不思議そうに由良を見上げているだけだ。

「と、とにかく、電ちゃんは報告してらっしゃい。大佐さんも待ってるだろうから」

「はいなのです。由良さんもご苦労様なのです」

 電は由良の言葉に何のためらいも疑問も挟まず、再びぴっと敬礼を向けると、司令室のドアをノックしていた。その姿を見て、由良はほっと息をつく。同時に、漣は一度とっちめておかないととも思った。

 

 夕張の爆笑顔が目の前にある。その正面には、顔を赤くして拗ねたような由良の顔。

「ちょっと笑いすぎよ、夕張」

「ごめんごめん。ホント災難だったわね、由良も」

 由良の抗議で、夕張はようやく笑い終えたものの、まだ瞳の端に小さな涙を浮かべていた。談話室で落ち合うと、由良と夕張は決まって談笑をする仲だ。由良にはネームシップの長良を筆頭に、五十鈴、名取、鬼怒、阿武隈という姉妹がいるものの、夕張は姉妹もおらず、艦だった頃、同工廠において同時期に建造された幼なじみの由良を話し相手にしている。

「漣も悪い娘じゃないんだけどねえ。ちょっとおふざけが過ぎるときはあるかな。ま、由良はからかいやすそうだし」

 そう言って、夕張はニッと笑う。その夕張の表情に、由良の長い束ねた髪が揺れる。

「からかいやすいって」

「だってそうでしょ。わかりやすいというか、裏表がないというか、すぐに表情に出るもんね」

 そう言われて、由良の唇がまた曲がる。その表情を見て、また夕張がニッと笑った。

「ま、由良が風間大佐と仲いいのはホントだもんね。金剛さんも悪い気してないみたいだし、競争相手は他にもいるかもよ?」

「そんなんじゃないってば」

 由良はそう言っていたが、その頬は少し赤い。夕張は少しいじめすぎたかなと思うと、その矛を収めた。

「それにしても、提督、また軍令部に呼び出されてんだね。最近多いわね」

 そう言って退屈そうにぎっと椅子の背もたれに体重を預けた。夕張にとって、木村は工廠に入り浸る自分の良き理解者なのだ。修理に忙しい明石が留守にすることも多くなった工廠は、摂津と矢風と夕張の三隻で日々の仕事をこなしているようなものになっている

「軍令部に行くとき、いつも浮かない顔してるもんね、提督さん」

「なんかまた大っきな作戦があるのかなあ」

 そう言いながら、二人は談話室の窓から見える空を見上げた。試験飛行中だと思われる零式水偵が、鈍い音を立てながら空に浮かんでいる。それを見て、夕張は腰を上げた。

「千歳と千代田がもうすぐ来るから、工廠に戻るわ。ま、周りに冷やかされない程度にしときなさいよ」

 ニッと笑いながら、夕張はそう言うと席を離れる。由良は、その背中にモノ言いたそうな視線を送ったあと、テーブルの上のコーヒーに視線を落とした。

「大佐さんと由良、そんなじゃないし…」

 小さな独り言を聞いた者は、誰もいないようだった。

 



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人間模様

 木村が横須賀に戻ってきたのは、その日の夜遅くだった。鉄道網も寸断されている今、松本から横須賀への移動は楽ではない。制帽を脱ぎながら司令室のドアを開けると、執務中の風間が顔を上げた。

「お帰りなさい、中将」

「風間か…。いつも代役すまないな」

 そう言いつつ、制帽を衣紋掛けに掛けると、木村は疲れた体を自分の椅子に預けた。激務で艶を失いつつある長い髪が、背もたれの向こうで揺れる。

「江田総長は、どのようなご用だったのですか?」

 書類にペンを走らせる手を休めずに、風間はそう聞く。その風間の姿にちらっと視線を送ったあと、木村は口を開いた。

「また大規模な作戦を考えてるようだ。今度の作戦は、正直に言ってかなりきついな」

 そう言って木村は目を伏せる。史実のMI/AL作戦の帰結が頭を過ぎった。壊滅した機動部隊、大破して漂流する飛龍と三隈。艦娘たちにあのような惨敗を味わせたくはない。それに、二面作戦となると、MI作戦は自分が指揮をするとして、AL作戦を指揮する人間も必要だった。指揮を任せられるような部下の数は少ない。

「風間」

「はい」

 呼ばれて、ようやく風間は手を止めた。木村に視線を送ってみても、木村は背もたれに体を預けたまま、目を閉じて天井を見上げている。仕方なく、風間はまた書類に視線を落とした。部屋には、風間が走らせるペンの音だけが響く。

「今度はお前にも艦隊の指揮を執ってもらうことになるかもしれない。覚悟だけはしておいてくれ」

 風間は少し驚いて書類から顔を上げたが、木村は微動だにしない。その疲れた横顔は何も語ってはくれなかった。

「…はい」

 風間は静かに頭を下げたが、木村はその風間を振り向くことはしなかった。

 

 軽巡の中では天龍に続いて鎮守府では古株である由良の仕事の大半は、旗下の第七駆逐隊を率いての船団護衛任務や対潜哨戒任務が殆どだ。時に、白露型寄せ集めの仮の第二駆逐隊(白露、時雨、村雨、夕立)を代わりに率いていくことや、着任して日が浅い練度の低い駆逐艦の教導をすることもある。そんな由良も、ローテーションの都合で非番になるときもあった。今日は、護衛任務は姉妹艦の名取が第二駆逐隊を率いて出撃していた。非番だからと言っても、鎮守府にいればできることは限られる。中には外出許可を得て「外の世界」へ行く艦娘もいるが、今日の由良はそんな気分ではなかった。もっとも、深海棲艦の攻撃の結果、鎮守府や工廠の関連以外放棄された街には、鎮守府に関係のある人たちが暮らすだけであり、最低限の娯楽がわずかながら存在しているしかない世界だ。

 その日の由良は、訓練に明け暮れる長良と五十鈴の相手をすることも、同じように暇をもてあます鬼怒と阿武隈の相手をすることもせずに、夕張のいる工廠へ顔を出していた。工廠にいるときの夕張は、戦闘時よりも張り切っているように見え、試作武器のテスト要員として木村からの信頼も厚いので、いつもやる気に満ちている。そんな夕張の姿を、邪魔もせずに時に会話のやりとりをするのが、由良の楽しみの一つでもあった。

「あら、大佐さん」

 夕刻、夕張と別れて工廠から戻る道すがら、由良は風間を見つけた。当の風間はというと、タオルを頭に巻き、整備兵の服を着て、植木の手入れをしていた。

「やあ、由良かい」

 植木ばさみを動かす手を止め、汗を拭いながら、風間は脚立の上から由良に笑いかける。その笑顔を見て、由良は思わずため息をついた。

「大佐さん、今日は植木職人?」

「だいぶん手入れされてない状態が続いてたからね。そろそろ何とかしたいと思っていたんだ」

 全く屈託なく、風間は由良に笑いかける。その笑顔に由良の唇は曲がった。つかつかと脚立の下に歩み寄り、風間を見上げる。

「大佐さん、そんなことしてる場合じゃないじゃない。提督さんはなにやら忙しそうだし、秘書艦の日向さんだって、いつも難しい顔してるし」

 そう怒ったように言う由良に、風間は苦笑いを返す。由良にはとんっと胸をつかれたような笑顔だ。

「だからこそだよ。僕まで平静を失っちゃいけない。今日は僕も由良と一緒で非番だからね。非番の日にできることをやっとこうと思っただけだよ」

「だったら、由良も…」

 風間は、そう言う由良を笑っていなす。もう一度汗を拭うと、脚立から降りてきた。

「残念ながら、この辺の刈り込みは終わったよ。もうすぐ夕食だし、由良も寮に戻ったらどうだい?」

 由良はそう言われて、周りを見渡した。ぼんやりと記憶にある手入れの行き届いていなかった植木たちは、きれいに刈り込まれていた。きっと、この人は朝からやっていたんだろうなと言う推測は容易にできる。

「よう、風間!」

 由良が口ごもっていると、その背中から大きな声が追い越した。

「佐々木」

 風間の口がそう動く。風間と同じ海軍大佐の佐々木誠司だ。

「お前、またこんなうだつの上がらないことやってんのか?」

 そう言いながら、佐々木は由良のスカートの上から尻をわしづかんでいく。

「ちょっ!?」

 由良が慌ててその手を払おうとしたが、佐々木はまるで何事もなかったように風間の横にいた。

「佐々木、そう言うのは良くないぞ。艦娘だって、一人の女性だ」

 顔を真っ赤にして佐々木を睨みつける由良から視線を外すと、風間は佐々木にそう忠告する。佐々木はそれを笑い飛ばした。

「構わねえじゃねえかよ。減るもんじゃなし」

 由良に顔を近づけ、佐々木はそうニッと笑う。由良は佐々木を睨み返していたが、終始下卑た笑みを見せる佐々木に、最後は視線を逸らしてしまった。その右手に胸を揉まれ、由良は慌てて飛びすさる。

「佐々木!」

 それにはさすがに風間も声を上げた。

「お前は堅物すぎんだよ。艦娘だって一人の女だ。善がらせてやるのも、俺たち『希少種の男』の使命だろ?」

 佐々木はそう言うと、また笑う。由良は胸を両手で覆いながら、身構えるようにして佐々木を睨んだ。その顔は真っ赤だ。

「そういうことを部下や艦娘たちにするなと中将からも言われてるだろう!」

 普段温厚な風間も声を上げる。佐々木の素行の悪さは、鎮守府でも有名だ。それでも、陸戦隊長として勇猛果敢で実績も上げていることから、煙たがられてはいるものの、その軍籍を剥奪されずにいる。当然、女性である木村からも毛嫌いされていた。

「あの女提督も、いずれ誰かの下でヒンヒン鳴くことになるんだ。こいつらだって同じだよ」

 もう一度由良を振り返って、佐々木は言う。

「深海棲艦の攻撃で、俺たち男は激減したんだ。俺たち希少種の生き残りが、これからの人類を支えるんだぜ? それをこいつらにもわかってもらわねえとな」

「そんなことを考えるのは、平和になってからでも遅くない」

 風間も、頭に血が上ってきたのか、激高を堪えながら佐々木に言う。佐々木は鼻で笑った。

「それが甘いって言うんだよ。お前は何事にも貪欲さが足りない。いつまで経っても、あの女提督に使われるだけだぜ。成り上がって力を手に入れりゃ、金も女も思いのままだ」

 そう言いながら、佐々木は風間に背を向けて、ひらひらと手を振って去って行く。佐官の宿舎の方へ向かったようだった。

「…由良、あの人苦手…」

 胸を押さえるようにして言う由良は、風間の方を見ていない。俯いた視線は、自分の足下で揺れていた。

「僕も苦手だな。自分の欲望に忠実すぎて、他人と協調できない。自分を特別な何かだと誤解してるんだ」

 そう言うと、風間は頭のタオルを取って由良に頭を下げる。

「同輩が嫌な思いをさせて申し訳ない。何とかするとは言ってやれないのが心苦しいのだが…」

「そ、そんなのいい! 大佐さんが謝ることじゃないから!」

 由良は慌てて声を上げてしまう。タオルで巻かれていたくしゃくしゃの髪が、由良の眼前にあった。

「…大佐さんは、ホントに真面目すぎよ…。もう少し、その真面目さを解してもいいと思う…」

 由良がそう言うと、風間はやっと頭を上げた。驚いたようなその目に射貫かれ、由良は真っ赤になってまた俯いてしまった。

「…えと、寮に戻るね。大佐さんも、あとはゆっくりしなきゃダメよ」

 由良はそう言うと、逃げるように寮へ駆け去った。あとには、呆然とした風間だけが残されていた。

 



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作戦概要発表

 作戦の概要は発表されないまま、鎮守府の日々は過ぎていく。第一艦隊には特に大きな出撃もないまま、演習と遠征を繰り返している。

 そうして、夏がやってきた。

「風間、いいか?」

 今日も松本の軍令部に呼び出されていた木村が、帰って来るなり木村の仕事を代行していた風間に声をかけた。秘書艦として風間を補佐していた日向は、少し眉を動かしただけだ。

「はい。報告書をまとめているだけですので」

 そう言うと、風間は補佐官の席を立った。日向が、その風間をちらっと見る。

「私は、外しておいた方が良さそうだな」

 そう言って二人に背を向ける日向に、木村は微苦笑を向ける。

「終わったらすぐに呼びに行く。瑞雲の調整をしておいてくれ」

「わかった」

 ちらとだけ振り返って、日向は司令室を出て行った。

「大規模作戦のことですね?」

 確認するように聞く風間に、木村は頷く。いつも軍令部に行けば現れる瞳の奥の憂鬱は、今日もそのままだ。

「N日が確定した。攻略目標は、中部太平洋MI島と、北部太平洋AL列島」

「二面作戦ですか…」

 木村の声に、風間もさすがに憂いの表情を纏う。南西方面を重点的に攻略中の状態で、北方と東方に兵力を出すのはあまりにもリスクが高い。南方の敵とて沈黙したわけではなく、冬には正体不明の艦隊と手を組んで攻撃を仕掛けてきたばかりだ。

「軍令部は本気でH島を攻略するつもりらしい。その前哨戦として、MI島を攻略するそうだ。ALには陽動部隊を送り込む」

「補給線はどう考えても保ちませんね」

「そうだな。敵の勢力圏内の孤島MIを攻略したところで、おそらく維持はできまい。死力を尽くして奪取しても、ガ島と同じで血みどろの争奪戦になるだけだ」

 木村はそう言うと、大きくため息をつく。長い髪が揺れた。

「だが、軍令部が言ってきている以上従わねばならん。AL方面の作戦指揮は風間、お前が執れ」

「私がですか!?」

 風間の声が思わずうわずる。風間はいろいろな作戦に従事はしているが、人間を率いて戦ったことはあっても、艦娘を率いて戦ったことは今までにない。艦隊戦も始めてだ。

「お前以外に適任者がいない。やってくれ」

 木村が言ったのはこれだけだ。消去法で残ったのだとしても、選ばれた責任はとてつもなく重い。陽動作戦なので、失敗は許されない。失敗は即本作戦であるMI島攻略に影響するのだ。

「わかりました。作戦成功に向け尽力します」

 風間はそう言って頭を下げた。ふっと木村の気が緩むのがわかる。

「後は編成だ。風間の方にはあまり戦力を避けない。早速で悪いが、お互い連れて行く艦娘を決めよう」

 木村はそう言うと、自分の椅子に腰を下ろした。机の上の作戦ボードに乗っていた所属艦娘のプレートはこのためだったのかと、風間は改めて気づいた。

 

 翌日の夜、全艦娘にアナウンスがかかる。本来は休息時間である二十一時に作戦室へ集合せよという命令だ。本棟の五階にある作戦室に、ぞろぞろと艦娘たちが集まってくる。その中には、当然だが由良もいた。

「いよいよ大規模作戦の発表かしら?」

 由良の横で、夕張がわくわくした表情を見せながら言う。装備マニアの彼女にとって実戦はまたとない実験や調整のチャンスだ。明石や矢風、摂津とあーだこーだ言いながら開発した新装備をここぞとばかりに使いたい。

「おそらくそうね。あんまり遠出しないと嬉しいんだけど…」

「大規模なのに遠方じゃなかったら、それこそこの鎮守府だって火の海よ」

 由良の言葉に、夕張は呆れたように言う。それもそうかと納得して、由良は小さく頷いた。

 作戦室には、もうかなりの艦娘が集まっていた。戦いたい天龍や摩耶などは、それぞれの相棒である龍田と鳥海を伴って最前列の席を陣取っているし、長門などはあえて一番後ろで全員の背中を眺めている。壇上には、鎮守府司令の木村の他、風間と佐々木が左右にいた。

「時間が来たので始めます」

 入り口の鍵を閉め、防音用の分厚いカーテンを引き、部外者が紛れ込んでいないことを確認してから、風間は口を開いた。

「軍令部より、中部太平洋MI島の攻略が下命された。みんなも知っているとおり、MI島は敵の根拠地と目されているH島に近く、激しい抵抗が予想される。そのため、敵戦力を分断する目的で、陽動作戦としてAL列島の攻略も同時に行うこととなった」

 風間の声と共に、作戦地図が壇上のスクリーンに表示される。艦娘たちにどよめきが広がった。

「部隊はMI攻略隊を本隊とし、AL攻略隊を別働隊として扱う」

 風間の声に、会場はしんとなった。次に何が発表されるか、みんなわかっているのだ。

「本隊、および別働隊に従事する艦娘を発表する!」

 凜とした木村の声が作戦室に響いた。所々で息をのむ音が聞こえる。天龍や摩耶などは、気合いが声となって漏れていた。

「本隊! 航空戦艦日向!」

「は」

 木村の声に、日向がゆらりと立ち上がる。その日向に一部の視線が集まった。現在最も高い練度を維持する艦娘で、秘書艦としての働きもこなし、木村の覚えもめでたいだろうという視線だ。

「航空戦艦、伊勢!」

「はいっ!」

 姉妹艦の伊勢は、日向と違い勢いよく立ち上がる。これもまた、当然という視線が集まった。

「高速戦艦、金剛、比叡、榛名、霧島!」

「ハーイ!」「はいっ!」「はい」「はい!」と四者四様の声が返る。

「正規空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍! 航空巡洋艦、最上、三隈、鈴谷、熊野! 重巡洋艦、青葉、衣笠!」

 それぞれの艦娘がそれぞれの声を返しながら立ち上がる。

「軽巡洋艦!」

 その木村の声に、夕張と由良は顔を見合わせて頷いた。

「夕張!」

「はいっ!」

 夕張は驚いたようで、声を上ずらせて立ち上がった。由良も驚いてその夕張を見上げる。夕張は強武装が売りだとは言え、駆逐艦とさほど変わらない船体なので、耐久力は由良たち五千五百トンクラスの軽巡と比べるとかなり落ちた。それでも、高い練度と変幻自在な装備が買われたのだろうか。

「能代、矢矧!」

「はいっ!」

 最新鋭の阿賀野型軽巡の二隻が立ち上がる。小柄な夕張とは対照的だ。

「駆逐艦!」

 その木村の声が、軽巡枠の終わりを告げていた。由良は本隊では呼ばれなかった。見上げる夕張は、まだ別働隊があると言いたそうだった。

「浜風、浦風、谷風、夕立、時雨、朝潮!」

 新鋭の陽炎型以外は、由良もよく知る古くからの仲間だ。由良がよく護衛任務に連れ出していた時雨や朝潮も混じっている。

「本隊はこれに工作艦明石が随伴し、輸送艦みうらの陸戦隊および司令艦さわゆきの護衛も担当する。現場での指揮は私が執る」

 木村はそう宣言すると、わずかにどよめく艦娘たちを一瞥して段を降りた。続いて、風間が壇上に立つ。

「別働隊! 航空戦艦、扶桑、山城! 軽空母、飛鷹、隼鷹! 重巡洋艦、摩耶、鳥海!」

 風間はいつもと違った厳しい顔で、艦娘の名前を読み上げていく。

「軽巡洋艦、天龍、龍田!」

 そうして、ちらっと風間の視線が由良を見た。由良は思わず上体を起こす。

「由良!」

「はいっ!」

 由良は長い髪を揺らしながら、立ち上がる。既に腰を下ろしていた夕張が、軽く頷いて由良を祝福する。由良も微笑でその夕張に返した。

「駆逐艦、暁、響、雷、電、若葉、初霜、朧、潮、曙、漣!」

 駆逐艦たちから元気のいい声が返ってきた。そこで、風間の声はいったん止まる。

「これに工作艦朝日が随伴し、輸送艦おが、第十九輸送艦、第九輸送艦の陸戦隊および、司令艦はまゆきの護衛も担当する。現場での指揮は、私が執る」

 風間の声に、作戦室はどよめいた。風間が現場の指揮を執るのが初めてなのは、全員が理解していたからだ。

「後のメンバーは鎮守府の守備を任せる。鎮守府守備隊の指揮は、佐々木大佐が執る」

 風間がそう言うと、佐々木は作戦室内を睥睨し、一歩下がった。その佐々木も、評判が悪いだけに、小さなどよめきが起きた。そのどよめきを制するように、再び木村が壇上に上がる。

「作戦実行のN日は八月八日だ。それまでに各艦準備を怠るな」

「情報の漏洩は厳罰だ! わかってるな!」

 木村の声が切れるとともに、佐々木が声を上げる。返事の声が、作戦室に響いた。

「作戦の詳細はそれぞれ追って説明する。本日はこれにて解散!」

 風間の声で艦娘たちは一斉に立ち上がる。木村の右手が敬礼位置に上がると、ザッと一斉に艦娘たちの右手も上がった。

 

 作戦室から出た由良と夕張は、それぞれの面持ちで部屋への道を歩いていた。夕張の顔は希望に満ちており、由良の顔は少し沈んでいた。

「由良は大佐と一緒ね。良かったじゃない」

 その由良の表情を見て、夕張はわざと茶化すように口を開く。由良の頬にさっと赤みが差すがそれは一瞬で、また視線は足元に落ちた。作戦に従事する軽巡は、練度の高い物順だった。軽巡で一番練度の高い夕張は、エースとしての抜擢だろう。矢矧、能代も陽炎型駆逐艦を率いて任務に出ていることが多い。艦隊決戦には欠かせないだろう。AL作戦の方も、天龍、龍田は第六駆逐隊との息を買われたのだろう。自分は余ったピースを埋めているに過ぎない。由良はそう思えた。

「青葉さんから聞いたんだけどさ」

 夕張の声に、由良は弾かれたように顔を上げて夕張を振り向く。

「今回の出撃艦娘って、提督と大佐がそれぞれ指名して決めたらしいのよね。提督がMI作戦、大佐がAL作戦にそれぞれ連れて行く艦娘を選んだ…」

 夕張はそう言って、ニッと笑う。

「風間大佐はさ、五十鈴じゃなくて由良を選んだってコトよね。五十鈴の方が練度高いのに」

「たまたまよ、たまたま。五十鈴姉さんは対潜能力が高いから、鎮守府の守りに残ることになっただけで…」

 由良はそう言った後、頬を染める。

「そりゃあ、大佐さんに直接選んでもらえたのは嬉しいけど…」

 由良の顔をちらっとのぞき見てから夕張は口を開く。

「AL作戦は、随伴する輸送艦の数も多いし、結構護衛も大変よね。六駆に七駆、若葉に初霜…。お守りする駆逐艦の数も多いしね」

「天龍と龍田も一緒だから、そこは心配してないわ。七駆も六駆も、若葉も初霜も、どんな娘たちかはよく知ってるから」

 そう言って、由良は細く微笑った。この鎮守府に初期の頃からいる暁型、綾波型、吹雪型、初春型、白露型の駆逐艦たちは、本当によく知っていたのだ。彼女たちを引き連れて、船団護衛や輸送艦護衛、対潜哨戒などの任務を遂行していたのは、由良と天龍、龍田の三隻が殆どだった。

「むしろ、朝潮ちゃん以外の朝潮型、陽炎型や夕雲型の娘たちを任される方が、どう接していいかわからないもの」

 苦笑する由良に、夕張は小さくため息をつく。夕張は主力軽巡洋艦の一隻として、陽炎型を率いて行くことも多いが、鎮守府の脇を固めている地味だが欠かせない任務の旗艦としての由良の役目は、決して小さなものではない。だからこそ、風間は天龍、龍田と共に由良を指名したのだろうと思っていた。随伴の駆逐艦が、やはり脇を固めている第六駆逐隊、第七駆逐隊、若葉、初霜というところからも、その事実は容易に想像できるだろう。それでも、夕張にとって由良の煮え切らない態度は、少し残念でもあり、腹立たしくもあった。

「風間大佐と今まで以上に仲良くなれるチャンスじゃない。私たちがMIの方は決めてくるから、由良はALを攻略して、ついでに風間大佐も攻略しちゃいなさいよ」

 夕張はそう言うと、由良の背中をバンと叩く。思わずよろけた由良は、体勢を立て直すと自分より小柄な夕張をジト目で睨んだ。

「前向き、前向き!」

 夕張は、そのジト目に怯まず、そう言ってニカッと笑った。

 



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満ちる月

 N日まではまだ少し日があった。由良は第七駆逐隊を率いての船団護衛任務や対潜哨戒任務をいつものようにこなしている。数日経ったある日、船団護衛任務から戻ってくると、司令室の前で日向が待っていた。

「日向さん…」

「戻ったか」

 手入れをしていた瑞雲を仕舞うと、日向は由良と第七駆逐隊に近づく。

「今晩一九〇〇から、司令室でAL作戦の詳細を通達する。遅れずに来るようにな」

 小声で、日向は由良たちにそう言った。

「日向さん、それだけのために待っててくれたんですか…?」

「秘書艦の仕事だからな。こういった秘匿事項は、口伝が一番確実だ」

 驚く由良に、日向は微笑う。

「確かに伝えたぞ。時間まで司令室は立ち入り禁止だから、今日の報告はその時でいいそうだ。みんなそれまでゆっくり休め」

 それだけ言い残すと、日向は軽く手を振って戦艦寮へ消えていく。第七駆逐隊の面々は顔を見合わせてうなずいた。

「じゃあ、あたしたちも解散します!」

「ご苦労様でした!」

 漣と曙が由良の背中に敬礼しながら、そう声を上げた。由良が振り返ると、作り生真面目顔の漣と曙の後ろで、朧と潮が苦笑いのまま敬礼をしていた。思わず由良はため息をつく。

「じゃあ、時間まで解散。遅れずに来るのよ」

「はいっ!」

 漣と曙の声は必要以上に大きく、完全に遊ばれてるなとは思うが、由良は彼女たちに敬礼を返した。それを見届けると、第七駆逐隊の面々は踵を返してわいわいと駆逐艦寮へ戻っていく。由良は、一度司令室の扉を見つめてから巡洋艦寮へ足を向けた。

 頭の中で、夕張の言葉がリフレインする。「風間大佐はさ、五十鈴じゃなくて由良を選んだってコトよね」と。姉の五十鈴は、高い練度と二回の艤装の改装を経て、今は対潜および防空に特化した性能を得ていた。対する由良は、古参とはいえ練度は遠く及ばず、旧知の夕張がずば抜けた練度を持っていることを除いても、軽巡で七番目の位置にいるに過ぎない。他の姉妹艦である長良、名取、鬼怒、阿武隈ともそう大差ない状態だ。それなのに。

 それでも、素直に喜んでいいのかなとも思う。

 木村の補佐官として、風間は地味だが欠かすことのできない立ち位置にいる。その人に選んでもらえたのは、純粋に嬉しい。天龍龍田と共に、最初期から木村とこの鎮守府を支えてきた自負もある。いつしか、戦艦や空母たちに華やかな立ち位置を奪われてしまっている今になっても。だが、船団護衛や輸送、哨戒と言った、やはり地味であっても欠かすことのできない仕事を黙々と続けている自分は、風間の背中にも被るのだ。だからこそ、その人がちゃんと自分を見ていてくれたことが嬉しい。その反面、主力と認定されたMI攻略部隊に選ばれたかったという思いもある。二つの思いを抱えながら、由良の気持ちは全力で前を向けずにいた。

 

 由良が部屋に戻ると、同室の名取は本を読んでいた。改長良型、由良型とも呼ばれる由良と違って、純然たる長良の姉妹艦はこの名取までの三隻だ。活動的な二人の姉と違って、名取は引っ込み思案で大人しい。正直なところ、なんでこんな大人しい人に艦娘適正があったのかと思ったことは一度や二度ではない。木村もそれを感じたのか、名取に任せる主な任務は、由良が非番の時の遠征旗艦か、練度の低い駆逐艦の教導だ。

「あ、おかえり」

 ドアの音に気づいて、名取は読んでいた本から目を離して由良を見上げる。その穏やかな笑顔は、由良のささくれ立っていた気持ちを少し和らげてくれた。

「ただいま、名取姉さん」

 由良はそう名取に笑顔を向けると、湯飲みに茶を注ぎ、ちゃぶ台の名取の対面に腰を下ろした。

「今日はどうだった?」

「特に何もないわ。いつもどおり、漣ちゃんが調子いいことばっかり言ってるくらい」

 由良はそう言うと、大きく溜息をつく。その由良に、名取は微苦笑を返した。

「ほんっと、七駆には遊ばれてる感じするのよね。特に漣ちゃんには。名取姉さんが旗艦の時はどうなの?」

「潮ちゃんと朧ちゃんはすごく真面目だよ?」

「それは知ってるわ。あの二人には不満ないもの。曙ちゃんだって、ちょっと性格がひねてるだけで、根は真面目ないい子よ」

 由良がそう唇を尖らせると、名取ははやりというか苦笑いになった。名取にとっても、漣はやはり手を焼く相手らしい。

「なんかこういい手ないかなあ。漣ちゃんがもう少し真面目になるような」

「そのときが来れば、きっとちゃんとやるよ」

「慢心は艦娘を殺すわよ」

 そう言って、由良はため息をまたつく。名取はバツ悪そうに俯いてしまった。

「なんにもなく、無事に退役させてあげたいんだね」

「それが一番だもの…。沈んじゃったら、元も子もないから…」

 由良はそう言うと、優しく笑う名取をちらっと見てから、視線を湯飲みへ落とした。今度は激しい戦いが予想されるのだ。潮を除く第七駆逐隊にとっては、初の大規模作戦への参加だった。

 

 夕食の終わった後、由良は一緒に食事をしていた夕張と別れて、司令室へ向かった。入り口には、夕方と同じように日向が立っている。

「日向さん、ご苦労様です」

「由良か。入っていいぞ」

 夕方と同じように、瑞雲を磨いている手を止めて、日向は軽く微笑む。日向は司令室のドアを開け、由良の背中を軽く押した。

「長良型軽巡由良、参りました。失礼します!」

 由良は敬礼を解くと部屋の中を見渡す。司令席には木村がおり、脇の席には風間がいた。既に天龍と龍田は来ており、飛鷹と隼鷹も来ていた。廊下からドタドタと音がして、「おっ、日向さん、お疲れっ!」という摩耶の大きな声が聞こえてきた。少しずつ、作戦に参加する艦娘が集まってくる。時間通りに全員が揃う。由良の視線は方々を彷徨い、時には木村に、時には第七駆逐隊の面々に、時には僚艦の天龍へ注がれたりしながら、やはり時には風間のところへも行っていた。

「始めよう」

 木村が言うと、日向がドアを閉めて出て行く。おそらくまた司令室の前で立ち番をするのだろう。由良の思考が日向に注がれた一瞬の後、また木村の声が響く。

「作戦の中心は、AL列島のキス島、ウラナス島、アツタ島から深海棲艦を駆逐し、駐留部隊を現地に送り込むことだ。そのためには、各港湾施設の占領が重要になる」

 木村はここまで言って、ちらっと横の風間を見る。風間は頷いて立ち上がった。

「巡航速度の遅い工作艦朝日は、七月二十九日一足先に現場海域へ向かう。これには、若葉と初霜が護衛で行ってくれ」

 その声に、若葉と初霜から「はいっ」という声が上がる。

「それ以外の参加艦は、大湊に八月一日集合。翌二日〇二〇〇に出撃する」

 その声に、天龍や摩耶から声が上がった。由良も、思わず右手をグッと握ってしまう。

「あくまで攻略目標はALという偽電文を流す。無線封鎖は基本的に変わらないが、完全封鎖ではなく折を見て電文を流すから、MI作戦のことは忘れて返信するように」

「暗号で流すが、暗号は解読されているものと思ってくれ。MIの方は新暗号を用いた上に完全封鎖で作戦の行うから、心してかかってくれ」

 風間と木村が交代で言う。その意味を租借して、部屋の中の緊張の度合いが増した。

「摩耶、鳥海、扶桑、山城は第一戦隊として、目標海域までの露払いを頼む。天龍、龍田と第六駆逐隊は第二戦隊として飛鷹、隼鷹の護衛だ」

 そう言った風間の目が、一瞬由良に注がれる。由良は思わず唾を飲み込んだ。

「由良と第七駆逐隊、合流後の若葉、初霜は、司令艦はまゆきと、輸送艦おが、第十九輸送艦、第九輸送艦、工作艦朝日の護衛だ」

「はいっ!」

 由良だけでなく、第七駆逐隊からも、わずかに緊張した声が上がった。護るべき相手は深海棲艦への攻撃手段を持たない丸腰の艦ばかりだ。陸戦隊を搭載した輸送艦の護衛を預かると言うことは、それだけの人の命を預かっていることでもある。いやが上にも緊張の度合いは高まった。それに。はまゆきの護衛ということは、風間の命を預かったと言うことでもある。その重責に自分の率いる戦隊を選んでくれたと言うことは、素直に喜べた。

 その後も、攻略目標、作戦の細かい説明、朝日との落ち合い場所など、たくさんの連絡事項があった。そうして、その会議が終わったのは、二十一時を回ってからだ。第四艦隊を率いて同じように護衛任務に就いていた木曽がやってきて、由良と電が今日の任務の報告を済ませ、それぞれが解放されたのはさらに三十分遅れだった。

 



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由良の想い

 それからの日々は、訓練と任務で過ぎていく。MI組は訓練に余念がないが、AL組は護衛や哨戒についている艦娘が多いため、訓練より毎日の業務の方が忙しかった。そうして、由良も近海での対潜哨戒や、南西への船団護衛任務などをこなしている内に、作戦実行日は刻一刻と近づいてくる。鎮守府内の空気も、いつもと違ったものに変わっていった。

「明日以降の哨戒任務は五十鈴と第二駆逐隊に変えるぞ」

 二十七日の夕方、哨戒任務の報告に行くと、木村は別れ際、由良にそう告げた。翌々日の二十九日は朝日と若葉、初霜の出撃日であり、由良たちも大湊に移動する予定の日だ。

「あっ、はい」

 由良は思わず少し上ずった声を返してしまう。

「明日くらいゆっくり休め。電隊も明日は休ませる。明日が終われば、作戦完了まで休みなしだからな」

 そう言って、木村は年相応の笑顔を由良に向けてきた。その木村に、由良も思わず笑顔を返してしまう。秘書艦の日向も微笑で頷いていた。日向の奥に見えている作業机の主は、不在だった。

「風間は岸壁にいるはずだ。はまゆきの様子を見ているだろう」

 木村は由良の視線に気づいて、そう笑う。由良はさっと頬を赤らめた。そのまま、敬礼の姿勢を取る。

「それでは、失礼します」

 由良はそう言うと、敬礼の姿勢で不動になる。木村の返礼が終わるのを待ってから、由良は司令室を後にした。

 巡洋艦寮へ戻る道すがら、木村が言ったように岸壁へ顔を出してみた。司令艦はまゆきと、輸送艦おがの巨大な船体が遠目にも見える。司令艦は、深海棲艦からの最初の攻撃の時に生き残った現代の駆逐艦の名残だ。その主兵装である六十二口径七十六ミリ単装速射砲も、高性能二十ミリ機関砲も、シースパロー短SAMやハープーンSSMといった対空対艦ミサイルでさえ全く深海棲艦には効果を与えられなかった。多くの艦が撃沈され、こうして生き残った艦がその通信能力の高さから司令艦として第二の艦生を送っている。それでも、個艦としての防御力も攻撃力も皆無に等しいため、艦娘による護衛は必須だった。由良は、岸壁で休むはまゆきの脇まで近づいてくると、その船体に触れた。かつての由良に比べると一回り以上小さく、夕張と同じくらいの船体は、鋼鉄の塊でものは言わない。それでも、かつての自分と同じ様な何かが宿っているのではと思えるのだ。

「由良たちが護るから、大佐さんを護ってあげてね…」

 由良は瞳を閉じてそう呟く。その言葉を誰も聞いてはいない。と思っていた。

「由良じゃないか。どうかしたのかい?」

「うひゃああああっ!」

 風間の声が背中から聞こえて、思わず飛び上がるようにして由良は振り返った。その顔は真っ赤だ。

「たたたたた…大佐さん…?」

 その視線の先には、作業服を着た風間が不思議そうな顔をして立っていた。

「えと…今の…聞こえて…」

「はまゆきがどうかしたのかい?」

 動揺してどもる由良に、風間は全くいつも通りの笑顔を返してきた。その笑顔がいつも通り過ぎて、由良はまだほてる顔のまま、風間に向き直った。

「私は…はまゆきを激励に来ただけで…。大佐さんは?」

 由良は思わずそう言ってしまう。嘘は言っていないと自分に言い聞かせた。

「僕も似たようなもんさ。上官として、整備をしてくれてる乗員の激励にね。今日はこれくらいしかできないから」

 風間はそう言うと、はまゆきの船体に由良と同じように触れた。

「はまゆきは、何か応えてくれたかい?」

「何も…。だって、この子はまだ生きてますから。私たち艦娘とは違って、艦として現役です」

 由良は、もう一度はまゆきの船体に触れ、そう言う。その表情は、遠い過去に思いをはせるようでもあり、歳の離れた妹たちを慈しむようでもあった。風間は、その由良ににっこり笑う。

「そうか。明日から、こいつの護衛もしっかり頼む。二百名の乗員の命を預かる大切な艦だ」

「はい」

 風間の言葉に由良は頷き、またはまゆきの舷側を見上げた。託された命の重さを、もう一度噛みしめながら。

 

 AL作戦組は、いくらかの緊張を漂わせて、その日の夕食を終えた。いつもは周りを茶化してばかりの漣も、表情がいくらか硬い。曙の方がいつもと変わらないつんとした空気を漂わせているくらいだ。そんな第七駆逐隊の様子を見ながら、由良は食堂を後にした。部屋に戻ると、天龍の代わりに第十八駆逐隊を率いて船団護衛に出た名取の姿はない。部屋は静謐に包まれていた。由良は急須に作ったお茶を湯飲みに入れると、机の上に置いて便箋とペンを取り出した。しばらくの間、そのまま窓の外の暮れきらぬ空を眺めた後、おもむろにペンを走らせていく。青いインクの丁寧な文字が、便箋に由良の思いを残していく。時間をかけて書いたものを封筒に入れると、由良はその封筒を自分の私物入れの一番奥にしまい込んだ。

「…少し早いけど、寝ようかな」

 由良は誰もいない部屋でそう呟くと、寝間着に着替えるためにセーラーを脱ぎ捨てた。

 

 時間は、ゆっくりとそれでも確実に流れていく。部屋のベッドでごろごろしていた由良は、結局眠れないまま日付変更線を超えていた。蓄光式の目覚まし時計で時間を確認した後、由良は諦めたようにベッドを出る。いつもの服に着替えると、ゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。巡洋艦寮の廊下は死んだように静かで、AL作戦組の中でも特にテンションの高い天龍と摩耶の部屋も、今日は思った以上に静かだ。その静かさが返って不気味な気さえする。由良はそんなことを考えながら、出口へ歩いた。

 外へ出ると、晴れた夜空には夏の星座が降るように浮かんでいる。海に近い陸地での経済活動が崩壊した今、夜間照明を減らした鎮守府の空も、目に入る光は少なく暗い星までよく見えた。天の川が空に流れ、ベガとアルタイルがその対岸でお互いを見つめている。由良は巡洋艦寮を出たところでしばらくその空を眺めた後、ふっと本館の方へ目をやった。司令室の明かりはまだついているが、その私室区画にある風間の部屋の明かりもまだついていた。

「大佐さん、部屋にいるんだ…」

 由良は呟くと、少し逡巡した後、その足を本館へ向けた。

 本館の廊下も既に照明が落とされており、いつもより気を遣いながら、由良は二階へ上がっていく。佐官将官の私室は二階だ。その中で風間の名札のかかる部屋のドアの隙間から明かりが漏れていることを確認して、由良は思いきってそのドアを小さくノックした。しばらくの時間があってから、少し怪訝な顔をした風間が細く開けたドアから顔を出す。

「由良…?」

「あの…、眠れなくて…。少しお時間いいですか」

 顔を上げることができず、意図しない上目遣いになって由良はそう聞く。風間は一瞬考えたようだったが、「入りなさい」と由良を招き入れ、ドアを閉めた。

「こんな時間にどうしたんだ…と言いたいところだが、眠れないんだな」

 風間は苦笑いを浮かべながら、由良にそう言う。由良は照れたように笑いながら頷き、目の端に入った机を注視した。演習駒が並べられており、艦隊行動のシミュレーションをしていたのは明白だ。由良は、その中から自分の名前の書かれた駒をおもむろに取り上げる。

「大佐さんも、心配で眠れないのね」

 微苦笑を浮かべながら、由良は言う。風間も苦笑いを浮かべていた。

「預かってる命の数と、君たち艦娘の命の重さ。それを考えると準備はしすぎるほどでも足りない気がしてね」

 風間はそう言うと、机に歩み寄って陸地の一点を指す。

「最後は、陸上型の敵棲姫と戦うことになる可能性が高い」

 そう言う風間に、由良はこっくりと頷く。陸上型の棲姫には魚雷が効かない。由良のような軽巡洋艦や駆逐艦は、随伴艦の掃討がメインになる。主役は戦艦、重巡、空母だ。

「わかってる。大佐さんや陸戦隊のみんなに、敵は近づかせない」

 由良はそう言うと、自分の名前の書いてある演習駒をぎゅっと握る。そうしてから、『はまゆき』と書かれた駒の前に、演習駒をそっと置いた。風間は、その由良を見て優しく笑う。本来なら、まだ十代の少女であるはずなのだ。その双肩に乗っている使命の重さは、指揮を執る自分と比べても遜色ないだろう。開け放した窓から、夜の風が入り込んで、由良の長い髪を揺らした。机の演習駒を見つめるその佇まいは、美しいなと純粋に思いもするのだ。

「…さ、由良も部屋に戻って休んだ方がいい。僕もこれを片付けて横になるよ」

 そこまで自覚して、風間はそう由良に声をかけた。由良が少し驚いたように顔を上げる。こんなにすぐに追い出されるとは思っていなかったようだ。

「ほら。巡洋艦寮までは送っていこう」

「あ、その…。えっと…」

 由良はしどろもどろになりながら、長い髪をいじる。由良はしばらく葛藤していたが、意を決すると扉の前に歩いて行き、扉を背にしてその鍵をかけた。

「由良?」

 由良の行動を訝しんで、風間が由良に歩み寄りながら声をかける。由良は、風間の靴が視界に入ってきたところで顔を上げた。

「大佐さん」

 その声に、風間の歩みが止まる。

「戦いの前に、私を女にしてください」

「由良…」

 風間は由良の突然の言葉に虚を突かれた。だが、由良の表情は思い詰めたものでもなければ投げやりなものでもない。だからこそ、無碍にできないと悟った。

「…それはできない」

「どうして…ですか…?」

 由良の表情が揺れる。拒絶の言葉は、由良の心を乱していく。

「今の僕と由良は、指揮官と指揮下の艦娘と言う関係だ。だからこそ、君をどうこうすることはできない」

 風間の表情は真摯だった。由良の表情がゆっくりと崩れていく。

「そう…ですよね。私…余計なこと…言いました…」

 由良の背中で、カチリとドアの鍵が外れる音がする。

「でも」

 風間の声に、由良の顔が跳ね上がる。

「それは今という状態だからだ。二人共退役すれば、何の障害もない」

 そう言って、風間は由良に笑いかける。

「お互い生き残って、戦い抜いて、無事に退役できたらもう一度聞くよ。その時は僕もちゃんと応えよう」

「大佐さん…」

 由良の顔に、崩れたままではあるが笑顔が戻る。

「今日はもう戻りなさい。大湊までの護衛も頼んでるんだから」

「了解です!」

 ぴっと敬礼を返す由良は、瞳の端にうっすらと涙を浮かべていた。

 由良は敬礼を解くと、静かに風間の私室から出て行く。正直なところ、誰かに見られたら風間の評判が悪くなりそうな状況だ。そのまま滑るように廊下を抜けて、本館から出て行く。星が降りそうな夜空は相変わらずで、海風は優しく由良の頬を撫でた。

「…絶対、みんなで戻ってくるんだ。大佐さんも、由良も」

 きゅっと拳を握りながら、由良は静かに巡洋艦寮へ戻っていく。

 風間は、窓から小さくなっていく由良の姿を見届けた後、カーテンを閉めて演習駒を片付けだした。

「まさか、由良にあんなストレートなこと言われるとは思わなかったな」

 微苦笑を洩らしながら、由良の名の書かれた駒を手に取る。由良が自分を好く思っていてくれていることは気づいていた。だが、自分は二十代半ばの大人であり、由良にとっては直属ではないにしても上官だ。いろんな面でも艦娘であり十代半ばの少女である由良の好意は憚られた。だが、である。無事にこの戦いを戦い抜けば、由良もその頃には大人の女性になっているだろう。そうして、民間人同士になってしまえば、何も憚ることはないのだ。

「僕も頑張らなきゃな…。みんなを、一人も欠かさずに連れて帰ってくるんだ。中将のように…」

 そう呟いて、由良の演習駒を箱の中に戻した。

 



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北へ

 朝が来た。

 あまりすっきりとした寝起きとは言えないが、寝付けなかったにしては上々の寝起きで、由良は目を覚ました。寝間着からいつもの服に着替え、髪を結っていく。早朝には、足の遅い扶桑型を含んだ第一戦隊が大湊へ向かっているはずだ。じきに空母護衛部隊である第二戦隊も出撃していくはず。由良は準備を済ますと、朝食を採るために食堂へ向かった。食堂はまだがらんとしていたが、夕張の姿が見えたので、由良は朝食の盆を手に取ると、その夕張の前に腰を下ろした。

「おはよ、夕張」

「ああ、由良。おはよ」

 夕張は、屈託のない笑みを返してくれる。それだけでも、由良の気持ちはずいぶんと落ち着くのだ。

「いよいよね」

「そうね。今度夕張に会えるのはいつになるかな」

 そんなことを話しながら箸を進めていく。窓から見える岸壁には、おがの巨大な船体が見えた。物資や装備積み込みの最中であり、陸戦隊も第十九、第九輸送艦へ乗り込んでいるのだろう。

「がんばってよ、由良。あたしもがんばるからさ」

 窓の外を見つめる由良に、夕張が声をかける。由良は夕張に視線を戻すと、ゆっくり頷いた。

「うん。がんばってくる」

 由良はそう言うと、食べ終えた朝食の盆を手にして立ち上がった。夕張が軽く手を降りながら笑いかける。

「じゃあね、夕張」

「うん。終わったら詳しく聞かせてね」

 夕張の言葉に頷くと、由良は盆を返して食堂を出て行った。いよいよ、作戦が開始される。

 集合時間よりずいぶん前に、由良は岸壁の集合場所にいた。目の前には、司令艦のはまゆきが船体を休めている。出撃前の慌ただしさはあるものの、落ち着いた雰囲気が流れていた。

「早いな、由良」

「大佐さん」

 由良は風間に敬礼を返すと、はまゆきの艦橋を見上げる。

「いよいよですね」

「ああ、さっき第二戦隊を見送ってきた。大湊からの連絡だと、朝日と若葉、初霜も予定通り指定のポイントを通過したらしい。後は僕たちだけだ」

 由良はこっくりと頷く。その由良に、風間は笑いかけた。

「深海棲艦にとっては張りぼての艦だ。もしどうしようもなければ、はまゆきは見捨てて、陸戦隊を少しでも大湊へ戻せるように尽力してくれ」

「大佐さん…」

「作戦は成功するに越したことはない。でも駄目なときは殿くらいは努めてみせるさ。時間稼ぎにもならないかもしれないが、輸送艦は足が遅い。何とか逃げ切れるように頼む」

「はい」

 笑顔の風間に、由良は敬礼を返した。改めて、部下思いの人だなと確信する。だからこそ、人が集まってくるし、自分も惹かれたのだと思うのだ。

 時間が来た。

 はまゆきの前に風間が立って、由良と第七駆逐隊のメンバーが集まる。

「敬礼ッ!」

 由良の号令で由良と第七駆逐隊の右手がざっと挙がる。風間も敬礼を返した。

「いよいよ、AL作戦の開始だ。由良と第七駆逐隊は、司令艦はまゆきをはじめ、四隻の艦艇の護衛を頼む。大湊までの対潜哨戒は阿武隈隊が行っているが、気を抜かずに務めてほしい。以上だ」

 風間の声は、いつもと違い淡々としていた。何の感情もそこには見いだせない。それは風間の上司である木村も同じだった。二人共、人一倍感情が豊かなのに、兵器として扱う艦娘の前では必要以上に感情を殺しているのだ。

「敬礼ッ!」

 再び由良の声が響く。由良たちと風間の右手が挙がって降りた。

「第三戦隊出撃します! かかれッ!」

 由良の号令で、第七駆逐隊はスロープへ駆けていく。由良は一瞬だけ風間と目を合わせて頷くと、第七駆逐隊の後を追った。

 由良がスロープにたどり着くと、はまゆきの大きな船体がスクリューの波を立てながらゆっくりと岸壁から離れていこうとしていた。沖には、輸送艦おが、第十九輸送艦、第九輸送艦のさらに大きな船体も見える。その姿を確認してから、由良もスロープを滑り降りて着水した。一瞬の沈降感が浮遊感に変われば準備完了だ。

「由良さーん! 配置につきますよー!」

 少し沖で、朧が手を振りながら声を上げる。その後ろで、少し緊張した面持ちの潮と漣と曙がいた。

「打ち合わせの通りにねー!」

 由良もそう声を上げ、輪形陣の先頭へ躍り出る。由良が先導を務め、その後ろを朧、左舷を漣、右舷を曙が護り、殿を潮が務める。それぞれの肩には、九十三式聴音機の妖精の姿が見て取れた。

 司令船団は太平洋に出ると、本州沿岸を北上する。大湊でいったん集合した後は、全隻で単冠湾、幌筵を通過しつつベアリー海へ出る予定だ。

 時に漁船の姿を見ながら、順調に航海は続く。宮城沖で、阿武隈隊の接近を認めた。

「由良姉ー!」

 阿武隈はそう言いながら、手を振って近づいてくる。その後ろには、島風と綾波、白雪の姿が見えた。

「近海に異常なしよ。提督から大湊沖まで四海里離れて沖を哨戒しろって命令を受けたわ」

「頼むわね、阿武隈ちゃん」

 張り切り顔の阿武隈に、由良は笑顔を返しながら頷く。

「任せて。わたしのできるコトなんてたかがこれくらいだけど、大湊沖まではしっかり哨戒するから!」

 阿武隈はそう言うと、また手を振って島風たちのところへ戻っていく。反航状態だった阿武隈隊は、大きなカーブを描きつつ沖へ離れていった。それを見届けると、由良はを速度を落としてはまゆきに近づく。

「大佐さん、阿武隈隊が大湊沖まで四海里沖で哨戒しながら同行するように、提督さんから命令を受けたそうよ」

 はまゆきの船体に触れながら、由良はそう話しかける。舷側に風間が出てきた。

「阿武隈隊を確認した。由良たちはそのまま陣形を維持して航行してくれ」

「了解です、大佐さん」

 由良は笑顔で敬礼を返すと、すっとはまゆきから離れて増速していく。あっという間にその姿は朧を追い越して元の旗艦位置へ戻った。

 日も暮れる前になってから、穏やかな航海も大湊に近づき終わりを告げる。阿武隈隊はその位置から光信号で「ご武運を」と送ってきた。

「ありがとうと返信しておいてくれ」

 風間は航海士にそう命じておいて、前に視線を戻した。由良はずいぶん先で大湊にいる先行部隊を確認したようだ。短距離無線で入港指示を出した。

「とりあえず一息だな」

 遠くに見える大湊の町並みを見ながら、風間はそう一息ついた。

 

 大湊で補給を受け、出航予定は〇二〇〇だ。夜陰に乗じて出撃しようという腹づもりである。乗員の上陸は許されず、待ち構えていたスタッフが大急ぎではまゆき他三隻の燃料や食料を積み込んでいく。由良たちも艤装に燃料を補充してもらう。

「由良ー、こっちだぜー!」

 艤装を補給係に預けると、由良は天龍が呼んでいるのに気づいた。振り向くと、すぐ横で龍田も笑っている。

「出港まで俺たちも補給受けつつ暫時休憩だな」

 天蓋の下にたどり着くと、天龍がそう笑いかけた。第二戦隊の第六駆逐隊と天龍龍田が肩を寄せるようにして狭い天蓋の下で夕食を採っている。後からやってきた第七駆逐隊の面々…特に曙と漣は露骨に不満そうな顔をした。

「狭いのは仕方ないわよ。急ごしらえなんだし、何かあったら私たちはすぐに出なきゃいけないんだから」

「もう少しまともかと思ったのに」

「上陸できるのってここが最後なんでしょ? ちゃんと休憩したかったわね」

 漣と曙が次々に言う。

「でも、ちゃんとしたご飯は用意してくれてるよ」

「結構いけるね」

 夕食の盆をもらってきた潮と朧がそう言って天蓋の外で腰を下ろした。潮は月見そばに野菜の天ぷら、朧は親子丼をもらってきたらしい。

「あ、朧と潮だけずっこい! 漣ももらいに行くわよ」

 すぐに天蓋を出て行こうとする漣に一瞥くれてから、曙はやれやれというポーズを作って出て行った。

「由良ももらって来いよ。陸で食える飯はしばらくありつけねえからな」

 天龍が箸で天ぷらを取り上げながら笑う。由良もその天龍に笑顔を返した。

「由良ももらってくるわ。なにがいいかな…」

 そう呟きながら、由良も天蓋へ出て行く。天龍はそれを見送ると、旗下の第六駆逐隊に目をやる。すでに何度かの大規模作戦に従事してきた第六駆逐隊は普段と全く変わりがない。対して、初の大規模作戦への参加である第七駆逐隊は天龍の目から見ても少し浮き足立って見えていた。

「由良隊、何も起きなきゃいいんだけど…」

 龍田も同感だったようで、天龍にそう囁いてきた。天龍は小さく頷く。

「由良は落ち着いてるけどな。あいつも大規模作戦への参加は初めてなのに」

 酒保係に夕飯の盆を受け取る由良の姿を見ながら、天龍はそう呟く。鎮守府に二番目にやってきた軽巡。由良とはそれ以来の長いつきあいだ。できれば、無事に作戦を完遂して一緒に鎮守府へ戻りたい。

「サポートできる限りしてやるしかねえさ。六駆は放っといても大丈夫だ」

 そう呟いてから、天龍は夕食の箸を進める朧と潮を振り向く。潮以外の練度があまり高くない歪な編成になっている第七駆逐隊への不安は、そのまま司令艦であるはまゆきの護りへの不安に直結する。

「強烈な対空戦にならねえことを祈っとくわ」

「そうね」

 龍田は天龍の言葉に微笑を返してから箸を置いた。

 

 夕食を採った後、第一戦隊は沖へ展開して緊急事態に備え、第二戦隊と第三戦隊は港内で警戒に当たっていた。

 時間が来る。

 短距離無線で出発の号令が下り、第一戦隊を先頭にして大湊を出撃する。すぐ沖で待機していた由良たち第三部隊のそばに、出撃したはまゆき以下四隻が接近してきた。

「陣形は打ち合わせの通り。これから制海権のないところへ出て行くから、警戒を怠らないようにね」

 そう言って、由良は第七駆逐隊の面々を見て行く。いずれも奥底に緊張が見て取れた。護衛とは言っても、預かっている人の命の数がいつもの船団護衛とは比べものにならないくらい重いのだ。緊張するなという方が無理だった。

「何かあったら、すぐに報告すること。じゃあ、行くわよ」

 由良はそう言い置くと、前を向く。増速して隊を展開させた。大湊までと同じように船団を輪形陣で包み込む。旗艦位置に移動して、由良は前を向いた。同じように二隻の軽空母を輪形陣で護る第二戦隊の殿にいる龍田の姿が遠くに見えた。灯火を落とし、闇夜の海を東へ進んでいく。単冠湾、幌筵を左手に見ながらの長い航海になる。一週間ほどで作戦海域へたどり着く。いよいよ、作戦開始だった。



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雷跡

 単冠湾、幌筵を経由してから三日目、いよいよ作戦海域が近づいてきた。既に極秘で派遣していた偵察隊からも情報が入っている。有力な水上打撃部隊や、空母を伴った機動部隊、陸上型の棲姫も確認されている。基地と目されている島もいくつかあった。

「そろそろだな…」

 風間は双眼鏡で前方遙かに見える島嶼を望みながら、呟いていた。

「各隊に警戒を強化するように伝えてくれ。そろそろ敵の哨戒ラインに引っかかってもおかしくない」

 風間の声に、通信士は頷いて短距離無線のスイッチを入れる。飛鷹と隼鷹が風上へ増速するのが見えた。直掩機を上げておくつもりなのだろう。風上へ放った式神が烈風に変化し、上昇していく。艦娘の発したサイズだから模型のような大きさだが、それでもこの艦隊の空を護る立派な艦上戦闘機だ。その烈風が、直掩位置につくなり猟犬のように前方へ増速を始めた。

「敵の偵察機です! 機数一機!」

 通信士の声が艦橋に響く。直掩の烈風は瞬きする間に偵察機を撃墜し、火球は海に落ちて散華した。

「露見したな…」

 風間は小さくため息をつく。隠密行動はここまでだ。ここからは、敵の目を引きつけながら、占領作戦を完遂しなければならない。

「艦隊停止。各隊、はまゆきに集合」

 風間の声が、艦橋に凜として響いた。

 

 由良は、上空を旋回する烈風を見上げていた。偵察機は一機だけだったようで、対空戦闘を用意したが、由良隊に出番はなかった。撃墜前に無電の発信を確認したから、艦隊の進路と編成は露呈したと見ていいだろう。輸送艦を三隻も連れているのだから、上陸作戦を考えていることもわかってしまっただろう。

「ここからが本番ね…」

 上空の警戒を続ける朧の様子を見ながら、集まってくる他隊を見る。いずれも周囲を警戒しつつの集合だ。由良隊は輪形陣の輪を広げ、各隊も包み込んでの防衛ラインを敷く。隊長の由良だけがはまゆきの側に移動した。

「編成を少し変える。先行する第一戦隊は、鳥海、摩耶、山城、扶桑、暁、響。後続の第二戦隊に、電、天龍、龍田、飛鷹、隼鷹、雷。第三戦隊はこのまま、はまゆき、おが、第九、第十九輸送艦、朝日の護衛だ」

「はいっ」

 主に第六駆逐隊と軽空母が場所を移動し、隊を組み直す。由良はその様子を緊張した面持ちで見ていた。今艦は停船している。ここを襲われては、ひとたまりもないのだ。

「第一戦隊は敵艦隊を撃破しつつ、ウラナス島の敵棲姫撃破に向かう。第二戦隊は索敵を行いつつ、第一戦隊を航空戦力中心をにして掩護してくれ。現場の指揮は鳥海、頼んだぞ」

「はいっ!」

 鳥海が艦上の風間に敬礼を返す。それぞれの艦娘たちがうなずき合ったり視線を交わし合って確認する。

「よし、かかれっ!」

「はいっ!」

 ここから離れる艦娘たちが敬礼を返す。そこへ、朧の声が響いた。

「敵艦見ゆ! 重巡一、軽巡一、駆逐三!」

 その声で、一気に緊張が走る。由良も風間を見上げた。

「右舷に雷跡っ! 四本!」

 曙がそう声を上げ、機銃を海面に向かって撃ち始めた。一瞬で場は戦場に変わる。

「潜水艦か!?」

 風間の声よりも早く、由良もはまゆきの右舷へ急ぐ。魚雷を食らえば、はまゆきやおがといった通常艦はひとたまりもない。海中を疾走してくる魚雷に機銃を撃ち込んで、ひとつは爆発させた。

「もうっ!」

 曙がしびれを切らしたように主砲を構え、魚雷を狙う。その間に由良はさらにもう一本を破壊し、曙もおがに進んできていた一本を破壊したが、もう一本は設定深度が深く機銃では破壊できなかった。由良も主砲を構えて発砲するが、上手く当たらない。

「このままじゃ…!」

「なめんじゃないわよ!」

 曙は魚雷の前に躍り出て、主砲を連射するが当たらない。もう魚雷は目の前に迫っていた。

「曙ちゃん!」

 由良が声を上げるより早く、曙は海面に膝をついて自分の直前まで迫ってきていた魚雷に主砲を放つ。主砲が当たったのか、曙に命中したのか、曙の体は爆光に飲まれた。

「ったく、あり得ないわ!」

 爆光が消えた後、中破状態の曙の姿がそこにあった。敵艦迎撃に離れていく第一、第二戦隊を横目に見ながら、由良も対潜戦闘装備を準備しつつ、曙に駆け寄った。

「大丈夫!?」

「何とか至近弾で落としたわよ。由良、後はお願いね」

 言いながら、片膝をついて意地を張る曙は由良を見上げる。その様子にホッとした後、由良は力強く頷く。

「後は任せて。若葉ちゃん、右舷に回って! 初霜ちゃんは対潜戦闘用意!」

 由良は指示を出しながらはまゆきを離れ、ざっと沖へ進んで行く。魚雷の航跡の向こうに敵の潜水艦はいるはずだ。初霜、右舷に回ってきた若葉との三艦で敵潜水艦の方位を探る。出てきた方位が交わった一点こそが、由良が向かう先だ。

「由良、対潜攻撃に向かいます!」

 そう宣言して、由良は一気に増速した。目標点に潜望鏡を確認したが、由良が向かってきたことに気づき、敵潜水艦は急速潜行に移ったようだ。爆雷の爆破深度を設定し、目標地点付近に到達する。

「大佐さんの邪魔はさせないんだから…」

 由良は自身の航行音の混じる聴音機に集中しながら気合いを入れ直す。風間の邪魔は、誰にもさせたくなかった。

「由良、方位修正。三五四度五四分二五秒」

「了解」

 短距離無線の若葉の声に応えてから、舵を切る。再計算した目標点付近に到達した。敵潜水艦は機関を停止してやり過ごそうとしているのか、もう水中から音は聞こえなかった。

「テーッ!」

 かけ声と共に爆雷を投射する。海中に沈んでいく爆雷は、セットした深度で炸裂音を響かせた。由良は少し離れたところで様子をうかがう。やがて、水上に重油の紋が浮かんできた。いくつも、いくつも。もう一度聴音機を作動させるが、何も聞こえない。水中をのぞき見る術を持たない由良には確認しようがないものの、敵潜水艦を撃破したのは間違いなさそうだった。

「水上に油紋を確認。敵潜水艦撃破確実。これより戻ります」

 由良は短距離無線の先にいる風間にそう声を投げてから、はまゆきへ向かって舵を切り直した。はまゆきの遙か先では、既に第一戦隊と敵艦隊の戦闘が始まっているようで、閃光と黒煙の世界が繰り広げられているようだった。

 

 第一戦隊、第二戦隊と敵の先行迎撃部隊との戦いは、火力にものを言わせて艦娘側が勝利した。特に被害艦もなく、鳥海は隊を先に進めることを選んだようだ。戦闘戦隊とはまゆきたちを護る由良隊との間は開いていく。

 由良は低速で航行を続けるはまゆきたちを護りながら、旗艦位置で戦況を見守っていた。中破した曙は後ろに下げ、代わりに若葉が右舷を護っている。あれから、潜水艦の攻撃もなかった。じりじりとした時間が過ぎていく。いつの間にか日が暮れていた。無灯火で進みながら、星空の下で深海棲艦の襲撃以来無人列島になってしまったAL列島の島影を眺める。夜半過ぎ『敵艦見ゆ! 重巡一、軽巡二、駆逐三! 我、夜戦に突入します!』と鳥海から無電があり、遙か前方に視線をこらした。その無電から間を置かずに、海域が明るくなるほどの火柱が上がる。由良は目を焼かれないように視線を逸らして、それでも周囲の警戒を続けた。

「みんな、大丈夫ですよね…」

 一度隣まで上がってきた朧が、ぽそっとそう呟く。

「信じるしかないわ…」

 背を向けた戦闘海域で、また大きな火柱が上がった。

 



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AL列島沖の激戦

 夜戦は摩耶、山城、暁が小破したのみで敵艦を撃退できたようだった。そのままキス島の北側へ艦隊は進んでいる。由良たちも進路を変え、アツタ島を左に見ながら、列島の北側へ出た。キス島の北で、再び敵艦隊と接触したようだ。重巡三、軽巡一、駆逐二の編成。キス島守備艦隊だった。

「由良!」

 敵棲地が近いこともあって、対空および対潜警戒を続ける由良を、無線の風間の声が呼んだ。由良が振り返ると、はまゆきのデッキから手招きする風間の姿が見える。

「朧ちゃん、少しの間先頭よろしくね」

 朧にそう声をかけてから、由良ははまゆきの脇へ移動した。

「第一戦隊、第二戦隊とも戻ってくるから、少し輪形陣を広げてくれ。被弾した艦がかなり多いようだ」

「そんなに…」

 風間の声に、由良には暗い気持ちが降りてくる。目標としているウラナス島の敵陸上棲姫までは、まだまだ先なのだ。

「場合によっては、由良や潮には出てもらわなければならないかも知れない。頭の隅に置いておいてくれ」

「はいっ!」

 由良は敬礼を返すと、はまゆきを離れて第七駆逐隊と若葉、初霜に輪形陣を広げるように指示を出す。曙が中破状態だと言っても、もう構ってはいられなさそうだった。

 やがて、第一戦隊と第二戦隊が戻ってきた。その艦容を見て、全員が絶句する。

「うそ…」

 由良の目に映ったのは、中大破艦が続出した状態の第一、第二戦隊だった。

「くっそー! あの新型駆逐艦、マジでうぜーッ!」

 天龍が戻ってくるなりそう吐き捨てた。艤装も服もボロボロで、かなり苦戦したのが一目でわかる。気丈に振る舞っているのはいつもの強がりだろう。

「敵の重巡も新型だったの~。魚雷が強力でね~」

 普段と変わらない穏やかな様子で言う龍田にしても、天龍と同じようにボロボロの状態だ。それでも、やはりというか天龍と同じようにいつも通りに振る舞っている。視線を移せば、雷と電も戻ってくるなりへたり込んでいいるし、摩耶も悔しがってはいるが、やはりボロボロだ。「みんなだらしないわよ! そんなコトじゃ、一人前のレディとは言えないわ!」と声を上げた暁にしても、艤装と服の一部は被弾で痛んでいた。その後ろで、「朝日さんは山城さんと暁の修理を!」と鳥海が叫んでいる。

「電、雷と天龍は下げるしかないな」

 風間は全艦の様子を見ながらそう呟く。まだこの先に水上打撃部隊と機動部隊、敵棲姫が待っていると考えると、ここで三隻の脱落はかなり痛い。朝日では航行に支障のない程度までの応急修理がやっとだろう。それでも、中破状態の摩耶と龍田はまだ戦えるだろうし、飛鷹隼鷹の軽空母二隻と扶桑、鳥海と響が無傷なのは救いだった。

「由良」

「はい」

 風間と由良の視線が交差する。由良には、もう何を言われるかわかっていた。

「龍田の代わりに第二戦隊に入ってくれ。龍田は、由良の代わりに第三戦隊の指揮を」

「はいっ!」

「は~い。了解よ~」

 風間の声に由良と龍田の右手が挙がる。

「潮は、第二戦隊へ行ってくれ。司令隊の護衛は、龍田と朧、曙、漣、若葉、初霜の六隻で行う」

「ちょっと待てよ! 俺を前線から下げるなっての!」

 風間の声に、天龍が抗議の声を上げる。だが、その様子はどう強がって見せても戦えそうな状況ではない。

「天龍」

「なんだよ」

 静かな声の風間に多少気圧され、天龍はそう言ったきり口を噤む。風間は心配そうな様子でこちらを見つめる電にちらっと視線を送ってから、天龍を向き直った。

「今は休むのも戦いの内だ。はまゆきの中にいても、君はこの戦いから逃げたわけじゃない。今は前線で戦う仲間たちを、後方で支えてやってくれないか」

 真摯に向き合われ、天龍は思わずそっぽを向いてしまった。元より、素直な性格でもある。「仕方ねえな…。今回だけだぞ」と悪態をつきながら、はまゆきから下ろされた梯子に手をかけた。龍田が心配そうに見ていた由良に微笑みかける。

「大佐も、天龍ちゃんの扱い、上手くなったわね~。司令艦のコトはちゃ~んと見ておくから、由良ちゃんは心配せずに行ってきて平気よ~」

「ありがとう、龍田」

 由良はそう言うと、潮の元に駆け寄っていく。やはりというか、不安を隠せない様子でいた。

「潮ちゃん、気をつけなくちゃいけないのは空よ。この先には機動部隊もいるわ。可能な限り、飛膺さんと隼鷹さんを護りましょう」

「は…はい!」

 潮の肩を掴んで話しかける由良に、潮は少し気を取り直して大きく返事をした。その潮に、由良は微笑みかける。

「暁と山城の修理が済んだら、第一、第二戦隊は進撃してくれ」

 風間の声が、重々しく響く。

 いよいよ、ウラナス島に棲起する敵陸上棲姫を目指す戦いが始まろうとしていた。

 

 天龍、龍田、雷、電が抜け、由良と潮が加わった第二戦隊は、四隻で第一戦隊の後を航行していた。既に索敵機が飛鷹と隼鷹から出発している。山城と扶桑、鳥海も索敵機を出していた。

「索敵機から入電。敵機動部隊発見。空母一、軽空母一を伴う。随伴艦は、戦艦一、重巡一、駆逐二」

 淡々とした、それでも柔らかな扶桑の声が短距離無線から響いた。飛鷹と隼鷹がうなずき合う。

「攻撃隊、発艦させるわ」

「いくぜえ!」

 そう言うなり、二隻は風上へ増速する。飛行甲板巻物を開き、式神を風に向かって放った。式神は風に乗り、瞬く間に烈風や流星改、彗星へと姿を変え、空を滑るように進んで行く。観測用の彩雲がそれを追いかけた。隼鷹と飛鷹はしばらく空を睨み続ける。

「ちっ! 制空権確保は無理だったみたいだね。いくらかは来るよ!」

「対空戦闘用意!」

 隼鷹の声に、由良はそう声を上げて主砲を空に構える。潮も同じように主砲を空へ向けた。遠くから、胡麻粒のような敵艦載機が近づいてくる。第一戦隊が対空砲火を浴びせかけ、いくらかは数を減らしたようだが、彼らの狙いは飛鷹隼鷹の軽空母二隻だ。

「見たことのない…艦載機です…」

 潮が怯えたような声を出した。由良も主砲を構えながら驚きを隠せない。それまでのスマートな流線型をしていた敵艦載機は、禍々しいたこ焼きのような姿に変わっていた。

「それでもっ!」

 回避行動を始める飛鷹に続きながら、由良は接近してきた敵爆撃機に狙いを定めて主砲を撃つ。直掩の烈風も襲いかかった。それでも、その網をくぐり抜けた何機かが急降下を行いながら投弾を開始する。飛鷹の周りにいくつも水柱が上がった。

「飛膺さん!」

 迎撃を続けながら、由良は声を上げ飛鷹の無事を確かめる。

「大丈夫! 至近弾よ!」

 気丈にそう言いながらも、飛鷹はのの字回避を続ける。衝突しないように気をつけながら、由良も飛鷹に寄り添いつつ迎撃を続けた。やがて、雷撃機も突入してくるが、雷撃機は何とか水平射撃で全て打ち落とせた。第一戦隊では、派手な砲雷撃戦が開始されている。いつまでも続くかと思われた砲雷撃戦はやがて止み、第一戦隊から報告が入った。

「敵艦隊撃破。残存の駆逐二は撤退した模様。被害は扶桑さん小破のみ」

 鳥海の淡々とした声が無線から聞こえる。その声に、由良もホッと気を緩めた。飛鷹に近づくと、至近弾で多少の損害は出ているが、まだまだ十分戦えそうだ。

「第二戦隊は、飛膺さんが至近弾で軽微な損傷」

 由良も鳥海に習って無線の先にいるはずの風間にそう報告を上げた。

「そのまま進撃してくれ」

 無線の奥から風間の声が聞こえる。鳥海の「了解しました」の声に続いて、由良も「了解しました」と声を返した。前方の第一戦隊は、早くも動き出している。

「私たちも行きましょう」

 振り返って言う由良に、飛鷹と隼鷹、潮も頷いた。

 



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海に融ける

 キス島を回り、ウラナス島へ向かう間に日が落ちた。警戒は続けながら進むが、島影がやはり気になる。

「…ここで水上打撃部隊が来たら…」

 由良は満天の星の下の暗い海に目をこらす。右の島影の向こうに、明らかにおかしな影。由良はさらに目をこらした。

「右舷七〇度敵艦発見! 戦艦二! 駆逐二!」

 由良は声を上げた。明らかに移動する影。それは敵艦以外何物でもない。ならば、夜戦では艦載機を出せない空母である飛鷹と隼鷹を狙わせるわけにはいかない。

「飛膺さんと隼鷹さんは下がってください!」

 言いながら、潮に合図を送って前に出る。

「探照灯照射!」

 由良は、言いながらほんの少しの間だけ探照灯を照射する。そこには、由良が声を上げたとおり戦艦二隻と駆逐艦二隻の姿が浮かび上がった。第一戦隊にも動きが出る。摩耶と鳥海が前に出たようだ。

「砲撃開始!」

 無線から鳥海の声が響いた。由良は探照灯の火を落とし、間合いを詰めながら主砲を放つ。敵に第一戦隊の位置はまだ不明だろうがが、こちらの姿は丸わかりになったはずだ。激しく動きながら、先へ急いだ。第一戦隊の鳥海と摩耶の攻撃が敵艦で火柱を上げる。だが、それだけでは沈まない。敵の主砲が摩耶を穿ち、摩耶は大きく後ろへ吹き飛ばされた。

「摩耶!」

 鳥海の声が無線から響いていた。それを聞きながら、由良はさらに間合いを詰める。敵の戦艦までもう少し。由良は主砲の狙いを定めた。

「由良さん、魚雷!」

「えっ!?」

 潮の声に、由良は海面を凝視する。敵の駆逐艦からの魚雷がもう眼前まで迫っていた。

 避けられない。

 瞬時に判断した由良は、そのまま主砲を構えて敵の戦艦を穿った。戦艦で火柱が上がるとほぼ同時に由良からも大きな水柱が上がった。

「由良さん!」

 潮が声を上げる。

 由良はまだ、辛うじて水上にあった。

 だが、艤装は被弾で大きく破損したし、無事なのは機関くらいだろう。燻る魚雷は投棄するしかなかった。

 両脚をはじめ全身に痛みはあるが、まだ動けないわけではない。その間にも戦闘は続き、鳥海と山城、響の奮戦もあって、敵艦は全て海中に没していた。

「姉様の消火を!」

 山城の悲痛な声が響く。扶桑の艤装は火を噴いており、下手をすると弾薬に誘爆する危険すらあった。妖精が消火に走りまわっていた。

 由良はよろめく身体を支えながらその様子を眺めることしかできない。もう一撃浴びれば、由良は海中に没するだろう。周りを見ても、摩耶と暁はもう戦うことができない。もはや無事なのは鳥海、山城、響、潮、隼鷹しかいない。飛鷹のダメージはたかだか知れているので問題はないだろうが、扶桑はかなり難しい状態になった。はまゆきやおが、輸送艦の護衛も割くわけにはいかない。

「敵艦完全撃破しました。こちらの被害は、扶桑さん中破、摩耶大破、暁大破、由良大破です」

 鳥海の声が由良の耳に冷たく響く。目的のウラナス島はもうすぐだ。それでも、由良は引き上げろと言われてしまうだろうなと思う。魚雷は全て投棄したと言っても、まだ主砲のいくつかは発砲可能だし、航行だって支障はない。由良は、無線の奥に耳を澄ませた。風間の苦しげな息づかいが聞こえるようだった。

「そうか…」

 鳥海にそう返事をしたきり、風間も沈黙していた。

 作戦はまだ完遂しておらず、MI作戦も継続されているだろう。ここで撤退することになれば、MI作戦も頓挫するかも知れない。だが、進撃するには無事な艦が少なかった。指示を出せないまま、時間がじりじりと過ぎていく。

 そんな風間の気持ちを察して、由良の胸の奥も苦しい。敵の陸上棲姫の詳細な情報がわからない以上、進むにはリスクが大きすぎた。風間の気持ちを思うと、由良の心は少しずつ澄んでくる。

「…潮は大破した僚艦を護衛してはまゆきまで戻ってくれ。残った艦だけで突入する」

 風間の出した結論だった。鳥海、山城、扶桑、隼鷹、飛鷹、響の六隻で突入する。あまりにも貧弱になってしまった戦隊だが、もう朝日で補修可能な艦がない以上、そうするしかなかった。

「攻略部隊、進撃します」

 鳥海がそう宣言して、編隊を組み直した六隻がその場を離れていく。扶桑は鎮火したものの、まだ煙を噴いていた。

「皆さんも…、戻りましょう…」

 潮がおずおずとそう切り出す。取り残される形になった由良、摩耶、暁はそれでもウラナス島の方を見つめたまま動かなかった。

「敵棲姫発見! 護衛要塞一、駆逐四が随伴! 突入します!」

 その僅かな時間の差で、鳥海の声が無線から響いてきた。ここにいた由良たちも思わず空を仰いだ。遠いとはいえ、こちらの残存艦を狙われれば、ひとたまりもない。

「対空戦闘の用意はしておいた方が良さそうだな」

 摩耶がそう言って、痛む腕を上げ砲を上空に固定する。暁も、艤装に残っていた主砲を対空位置で固定した。

「皆さん、迎撃するより、待避してくださいっ!」

 潮の声が響く。今は停止しているようなもので、ここを襲われればひとたまりもないのだ。

「少なくとも、移動はしましょう。このままじゃ、回避もままならないわ」

 由良はそう言って立ち上がる。その姿を見て、摩耶が舌を打った。

「悔しいけど正論だな。暁、迎撃の用意はしたまま、可能な限り待避だ」

 暁はその摩耶に渋い顔を返していたが、最後には頷いてウラナス島に背を向ける。陽はもう完全に昇っていた。

「対空電探に感あり! ヤベえ、来たぞ!」

 退避を始めてすぐに摩耶がそう声を上げる。攻略部隊が吸収しきれなかった艦載機が、後続部隊を狙ったものだろう。新型の艦載機が、遠い空に見えた。

「潮ちゃん、可能な限り対空砲火!」

「はいっ!」

 由良の声に、潮は主砲を空に向け、まだ遠い敵艦載機に照準を合わそうとする。その潮に目もくれず、由良は摩耶を振り返った。

「私たちは散開しましょう!」

「おうよっ! 暁も沈むなよ!」

「わかってるわよ!」

 背中側の空に気を向けながら、由良たちは銘々にその場から散った。いずれも機関は損傷していないから、回避行動を取ることには問題がない。やがて、敵の艦載機は眼下に見える煙を吐いた艦を仕留めようと、攻撃に移ってきた。

「こんなところで沈んだりしないからっ!」

 由良は行き足を反転させて、残った主砲で対空戦闘を始める。予想したとおり、敵は健在艦の潮には目もくれず、重巡である摩耶に目標を定めたらしい。

「摩耶さん、来ます!」

「ざけんなぁっ!」

 由良の声に、摩耶も回避行動を続けながら、肩の機銃を放つ。だが、由良にしても摩耶にしても、損傷で対空砲火の力は弱かった。摩耶の周囲にいくつもの水柱が立つ。

「摩耶さん!」

「大丈夫だ! 当たってねえ!」

 空から目を離した、その一瞬だった。

「由良さん、雷撃機です!」

 潮の声が響いた。

「えっ!?」

 対空砲火をかいくぐった敵雷撃機は、由良を捉えていた。放たれた魚雷は、スローモーションのように見える。振り上げていた主砲を慌てて下ろし、最後に放った砲撃も、投弾の終わった雷撃機を粉砕しただけで、近距離から放たれた魚雷は、由良の脚を穿った。

「きゃああああっ!」

 炸裂した水柱から、由良は勢いよく放り出され、水面に叩きつけられた。痛む脚を堪えて立ち上がり、気づく。

「機関損傷!?」

 どんなに脚を動かしても、艤装が発生させている謎の浮力があるだけで、由良の身体は前にも後ろにも動かない。敵艦載機が舞う空の下で、動力を失った由良は、立ちすくむしかなかった。

「由良さぁん!」

 潮が悲鳴を上げる。動きの止まった由良の上空に、爆撃機が集まってきた。潮が対空砲火を続けるが、瀕死の獲物を狩人が見逃すはずがない。由良もありったけの反撃はする。それでも、固定砲台になってしまっている由良の砲撃は、急降下してくる爆撃機をいくつか落としただけで、根本的な解決にはならなかった。

 カシッと視線の先で音がする。爆撃機が、散華する数瞬前に爆弾を切り離した。それは、違わず由良を捉えている。その後続も次から次へと投弾を成功させる。

 ああ、由良、沈むんだ。

 そんな空虚な声が、胸の奥で響いた。

 大佐さんに、もう一度会いたかったな。

 会って、ちゃんと好きでしたって言いたかった。

 直撃した三つの爆弾は、炸裂して由良を包み込み、大きな火柱となった。

「由良ーっ!」

 摩耶の叫び声が耳に届いた後、由良の姿は海の中へ消えていた。

 艤装を完全に破壊され、艤装由来の浮力を失った由良は、少しずつ海の底へ沈んでいく。水面へ出るためにもがこうにも、もう由良には艦娘としての力はなかった。喉を、気管を、肺を海水が埋めてゆき、苦しみの中で由良の意識は少しずつ失われていく。

 大佐さん…ごめんね…。あなただけは…どうか無事で…。

 その意識を最後に、由良は完全に意識を消失し、艤装の呪いから解き放たれた。

 やがて、由良だった少女は、由良とは似ても似つかない栗色の短い髪をした少女の姿に変わっていく。ただの溺死体として海中を流され、やがて大きな鯨のような怪物の腹の中に飲まれていった。

 

 はまゆきの艦橋からも、二カ所で戦闘が起こっていたことはわかっていた。ひとつは、ウラナス島での敵棲姫との航空砲撃戦。もうひとつは、待避させようとしていた、損傷艦が取り残されていた海域。いずれでも、大きな火柱が確認されている。風間は、連絡を待つしかなかった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

「敵棲姫の撃破に成功しました。揚陸隊の派遣をお願いします」

 鳥海からの無線が入ったのは、永遠とも思える時間が去った後だった。鳥海の声は、いつもの冷静な落ち着いた声ではなく、激しい戦闘があったことを物語る、強く弾んだ声だった。

「隊の損傷は?」

「飛膺さんが大破、私と扶桑さん、山城さんが中破、隼鷹さんが小破です。飛膺さんの艦載機は、ウラナス島の飛行場へ避難させました」

 鳥海の声に、風間は頷く。溜めいていた大きな息を一気に吐いた。

「すぐに陸戦隊をそちらへ向かわせる。到着まで周囲を警戒しておいてくれ」

「了解しました」

 鳥海との通信が切れると、デッキの先端で、天龍が目をこらしているのが見える。あとは、待避艦がどうなったかだ。

「潮、そちらの様子はどうだ?」

 風間は潮との無線を開いた。だが、潮からすぐには返事がない。

「潮?」

 訝しんで、風間はヘッドセットの音量を少し上げる。かすかに聞こえてきたのは、小さな嗚咽だった。

「潮、応答しろ。どうした?」

 風間は努めて冷静に、潮に呼びかけた。冷静になっているつもりだった。

「摩耶だ。代わるぜ」

 そこへ飛び込んできたのは、回線に割り込んできた摩耶の声だ。その摩耶の声も、幾分疲労の色が濃い。風間の頭を、嫌な予感が走り抜ける。

「何があった?」

 それでも、風間は務めて冷静な声を出そうとした。自分が動揺してはいけないと言い聞かせた。

「敵の艦載機と交戦した。あたしと暁、潮は至近弾を食らっただけで無事だ」

 摩耶からの声は、いつもの気丈なものではあったが、それでもいつもより低い。まるで、絞り出しているような声だ。

「由良は、右舷に雷撃を食らって機関停止。行き足が止まったところを爆撃されて、直撃弾三で、沈んだ」

 その声は、風間の耳と心に突き刺さった。

「由良が…沈んだ…?」

 声が震えている。自分でもわかるくらいだった。それでも、努めて冷静にと自分に言い聞かせ続ける。

「響がこっちへ戻ってきて、捜索すると伝えてきてる」

「…わかった。摩耶たちはそのままこちらに向かってくれ。追いついたところで収容する」

「了解だ」

 摩耶との通信が切れると、風間は大きく息を吐いた。

 さっきまで、この艦を護ってくれていた由良はもういない。

 出撃の前日、同じく眠れない時を過ごした少女はもういない。

 こんなことになるなら、由良の願いを叶えてやれば良かった。

 臍を噛んでも始まらない後悔が押し寄せてくる。

 誰もが、こうなることを望んではいなかった。だからこそ、あの時はそのまま帰したのだ。由良が望む未来があると信じて。

「艦隊強速前進。ウラナス島へ向かう。途中で摩耶たちと合流すれば、収容する」

 それだけを傍らの航海士に告げると、風間は自らの席に腰を下ろした。

「みんなに、ちゃんと説明しないとな」

 呟いた声は、誰にも聞こえていないようだった。

 

 攻略戦隊を離れた響は、摩耶の誘導で由良が沈没した海域にやってきていたが、潜水艦でない彼女にできることは限りがあった。ソナーを使って海中の様子を確認し、時には顔を海中に突っ込んだりしながら由良の姿を探すが、一人で現場海域を捜索する姿は、悲壮感しかなかった。やがて、疲れ切った響は立ち止まってしまう。

「また…私は救うことができなかった…」

 ぽろぽろと大粒の涙を流す響を慰めるものはここにいない。

 まだ鎮守府に来てすぐの頃、由良の艦隊で優しくしてもらった思い出と、ほんの少し勝ち気だった笑顔が浮かんで消える。普段は自分のことを私と呼んでいるのに、気を抜くと由良になってしまうお茶目な癖も。

 やがて、響は声を上げて泣いた。

 帰らぬ仲間のことを思って泣いた。

 



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本土強襲さる

 ウラナス島へ投入した陸戦隊は、何の抵抗もなく港湾を占拠し、その日の内に内陸部も勢力下に置くことができた。深海棲艦の攻撃で島民は離散した後だったため、棲姫が去った島は無人だった。港湾の放棄されていた管理施設の一室に仮の司令室を置き、風間は次々と部下に指令を出している。その間は、由良のことを忘れることができた。だが、それが一段落すると、重くのしかかってくる現実だった。

 ドックのない港では、朝日が小破だった隼鷹の修理を既に終えていた。だが、他の傷ついた艦はここでは修理することはできない。状況が安定すれば、早い内に鎮守府に戻すしかなかった。

「今夜には、伝えないとな」

 風間はそう呟くと、艦娘たちに招集をかける。やがて、全員が姿を見せた。響、潮、漣、朧、若葉、初霜以外は、みんなひどい有様だった。激戦の後で、由良一隻の犠牲ですんだのは、僥倖だったのかも知れない。

「みんな、AL攻略ご苦労様だった。みんなお奮戦のおかげで、無事に作戦は完了した」

 風間がそう宣言しても、いつもは勝ち気な声を上げる天龍や摩耶も乗っては来ない。みんな、ここにいない由良がどうなったのか、わかっているからだ。

「状況が安定すれば、若葉と初霜はしばらく当海域で哨戒任務に当たることになるが、他のみんなは鎮守府に戻ることになる」

 風間の声だけが空虚に響く。誰も、威勢のいい返事は返さなかった。

 風間は艦娘たちを見渡す俯いている者もいれば既に瞳を真っ赤に腫らしている者もいる。風間は重い口を開いた。

「…この作戦の最中、残念ながら由良が敵艦載機の爆撃で沈没した。戦没した由良のために、黙祷を捧げたいと思う」

 風間がそう言うと、潮や電、雷たちからすすり泣く声が聞こえる。いずれも、由良とはつきあいの長い駆逐艦たちだった。風間は、背を向けていた海の方へ向き直った。

「総員、黙祷」

 すすり泣く駆逐艦たちの声の他、静寂の時間が訪れた。風間も、こみ上げてくるものを押さえながら、静かに由良の冥福を祈った。

「風間司令!」

 その静寂を破ったのは、一人の通信兵だった。血相を変えて仮の司令室へ飛び込んできたのだ。

「どうした?」

 風間だけでなく、驚いた艦娘たちもその通信兵を顧みる。

「木村中将から至急の通信です! はまゆきまでお戻りください!」

 息を切らしながら言う通信兵に、沈んだ空気は吹き飛んだ。なにかがあった。それがはっきりとわかる状態だった。

「すぐに戻る。全員このまま待機してくれ」

 風間はそう言い置くと、通信兵と共にはまゆきのブリッジへ駆け込んだ。そうして、通信機を手に取る。

「風間です」

「木村だ。そちらの攻略はどうだ?」

 無線の先の木村の声は、いつもより少しだけ粟立っている。その理由が今はわからない。

「由良を撃沈されましたが、AL列島の占領は完了しました」

 風間は務めて淡々と言う。木村からの返事は一拍あった。

「そうか…。由良のことは残念だが良くやってくれた。こちらも、無事にMI島を占拠し、反攻してきた敵機動部隊も追い払った」

「そうですか…。それは良かったです」

「だがな…」

 その木村の声に、風間は胸を衝かれる。良くないことがあったのだと声色が伝えてきた。

「敵の主力艦隊が、本土へ向かって侵攻中という情報が入ってきた。我々はこのままMI島を放棄して大至急で本土へ戻る。風間は陸戦隊のみ留め置いて、全ての艦を引き連れて大至急で鎮守府へ戻ってくれ」

 木村が伝えてきたのは、衝撃の事実だ。敵の規模はわからないが、今鎮守府に残っている艦娘の数も練度も、たかだか知れている。戦艦は長門だけ、空母も千歳と千代田、それに龍驤くらいしかいない。重巡は加古と古鷹、軽巡は由良以外の長良型と球磨多摩木曽那珂。駆逐艦の練度筆頭は改装練度にも到達しない白雪と綾波だ。いずれも、MI/AL作戦に出ている主力艦とは比べるべくもない。

「こちらは主力艦の殆どが損傷しています。巡航出力で戻れるかは微妙です」

「可能な限りでいい。被害はできるだけ小さくしておきたい。こちらも可能な限り急ぐ。頼んだぞ」

 そう言い残して、木村との通信は切れた。風間は、通信兵に礼を言うのも忘れて、仮の司令室へ駆け戻る。

「みんな、敵の主力艦隊が本土に向かって侵攻中という情報が入った! 今すぐここを引き払って、本土へ戻るぞ!」

 風間の声に、艦娘たちからもどよめきが上がった。

 

 指揮官を決めて引き継ぎを行い、はまゆき、おが、第十九、第九輸送艦の出港準備を済ませると、風間は艦隊を大湊へ向けた。響を先頭に配置し、潮、漣、朧、若葉、初霜に周囲を警護させる。その他の艦娘は、全てはまゆきに収容した。

「なんでこのタイミングで…」

「偶然だと信じたいがな…」

 天龍のぼやきが全てだった。風間はそう言って、先頭を航行する響の小さな姿を見つめた。もう何事も起こらなければいい。ただそう願うしかなかった。



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遺書

 本土に襲いかかった敵の主力部隊は、佐々木が指揮する残存艦隊で、辛うじて撃退できた。風間の部隊も、木村の部隊も、鎮守府に戻ってきたのはその後だ。本土東海上での迎撃戦になったため、本土への被害は皆無に等しかった。

 やがて、軍令部への作戦終了の報告が行われ、鎮守府にはいつもの日常が戻ってきていた。風間も、木村の補佐官としての日常に戻っており、その日も雑務に精を出していた。

「あの…提督、すみません…」

 名取が司令室に顔を出してきたのは、ある日の夕刻前のことだった。

「どうした、名取。珍しいな」

 木村は書類を書いていた手を止め、顔を上げる。脇机に腰掛けて瑞雲を磨いていた日向も、作業机で同じように書類を書いていた風間も顔を上げた。

「あの…由良の遺品を整理していたら…引き出しの奥からこんなのが出てきて…その…」

 名取は言いながら、二通の手紙を木村の机に差し出す。

 一通は木村宛になっており、一通は風間宛になっていた。木村と風間は思わず顔を見合わせる。

「遺書か」

 日向の淡々とした声が、風間の耳に届く。冷たい空気が一気に降りてきたようだった。

「開けてないのでわかりません…。提督と風間大佐宛だったので、持ってきました…」

 名取がそう言うと、木村は二通の便箋を手に取る。風間も席を立って木村の脇へ移動した。木村が風間宛の便箋を手渡す。名取は、頭を下げて司令室を出て行った。

「艦娘には、出撃前に遺書を書く習慣があるのか?」

 木村が、表情のない日向にそう聞く。日向は、少し考えた後、手に持っていた瑞雲に視線を落とした。

「基本的に書く習慣はないな。みんな帰ってくるつもりだし、今まで沈んだ艦娘はいないのだから」

「そうか」

 木村はそう言って由良が残したという便箋を見つめる。由良が何を残して逝ったのか、それは開ければわかることだった。

「…だが、これからはそう言う仲間が増えるかも知れないな。一番最初に沈んだ由良が、そう言った用意をしていたんだから」

 木村は、その日向の声には応えなかった。全員無事に連れて帰ってきたい。それが木村の願いだ。だが、戦闘行為をしている以上、いつかはこういった事態が起きることは覚悟していた。それが自分の率いる部隊でなく、急遽抜擢した風間の部隊で起きたのは不幸以外の何物でもない。風間の報告を聞いても、AL列島に駐留していた部隊は明らかにMI島近海にいた部隊よりも強力な部隊だった。そこへ二戦級の戦力を突っ込ませたのだから、ある意味当然の犠牲と言えた。

「風間、開けてみるか」

 沈痛な面持ちで封筒を見つめる風間に、木村はそう声をかけた。風間は、しばらく経ってから「はい」と小さく頷いた。

 ペーパーナイフを取り出し、封筒の封を解く。風間が封筒の中から取りだしたのは、青いインクが乗った一枚の手紙だった。

 

 

 

 

 風間大佐さんへ

 大佐さんがこの手紙を見ていると言うことは、もう私はこの世界にはいないのかな。これが最後だと思うから、言えなかったことを書きます。

 大佐さん。大佐さんは、もっと自信を持っていいと思う。もっと、積極的になっていいと思う。提督さんのサポートを献身的に務める大佐さんも、大佐さんらしくていいけど、大佐さんにはもっとたくさんのことが、大きなことができると思う。それは、私たち第三艦隊や、天龍たち第二艦隊でも同じ意見。みんな、提督さんがいないときの大佐さんには救われてる。感謝してる。だから、いつか、ううん、近い将来に、大佐さんには大きなことができると思う。だから、大佐さんにはもっと自信を持って、みんなを率いていってほしいの。それが、大佐さんのためで、提督さんのためで、みんなのためであるから。

 私は、日向さんや夕張たちに比べて、練度も置いて行かれて、教導と護衛艦隊の指揮くらいしかできなかったけど、大佐さんの側にいれて幸せだった。もう私はいなくなってしまったけど、時々は思い出してくれたら嬉しいな。大佐さんは、身体に気をつけて、いつまでもみんなに慕われる強くて優しい指揮官でいてね。今まで、本当にありがとうございました。叶わない夢だったけど、ずっとあなたの側にいたかった。さようなら、大佐さん。最期まで、私はあなたのことが大好きでした。

 長良型軽巡洋艦四番艦 由良

 

 

 

 

 

 由良の丁寧な字は、風間に自身の思いをそう伝えていた。

 ぽろぽろと、風間の双眸から涙が落ちる。

 あの夜の後悔が押し寄せる。

 もっと適切な艦隊配置ができなかったのかと何度も繰り返す。

 だが、どんなに思い返しても、悔やんでも、あの由良はもう還っては来ない。

 あの日、泣きながら海域で捜索を続ける響を収容したのは、もう夜になってからだった。いつもは淡々としていて、それでいてしっかり者だと思っていた響の打ちひしがれた姿を見たとき、自分はなんと浅はかだったのかと思い知らされた。彼女たちは確かに兵器ではある。だが、それ以前に一人の人格を持った娘たちなのだと。

 

 艦隊が帰還してからも、鎮守府の空気は微妙に晴れないままだ。駆逐艦の教導を長く務めてくれた由良の存在は、かなり大きかったのだろう。第七駆逐隊はいつもより元気がなく、ふさぎ込むことが多くなった。第六駆逐隊は、天龍のテンションが微妙に上がらないこともあるし、由良と過ごした時間も長いため、やはり静かなままだ。由良と仲の良かった夕張は、工廠へ隠りきりになってしまった。鳥海は責任を感じて謹慎したいと言い出すし、扶桑姉妹は自身の不幸が由良を沈めたのだと嘆いた。摩耶だけが、あいつは最期まで立派に戦った。嘆くことはないと強がっていた。

 



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ありがとう

 由良が務めていた第三艦隊の旗艦任務は、名取が務めることになり、鎮守府の日常は少しずつ穏やかさを取り戻していく。その中でも、風間は胸の奥に開いた風穴を意識せずにはいられない。今日も、軍令部に呼び出しを食らった木村の代わりに、鎮守府で司令代行の役割を果たしていた。

「それでは、失礼します…」

 名取から船団護衛任務の報告を聞いた後、風間はふっとため息をつく。名取に由良の姿は重ならない。日が経つにつれていなくなった由良の存在を大きく感じる。あの少女に救われていた部分が確かにあったのだなと。陸戦隊を率いている時も、幾度かは深海棲艦の艦載機に襲われたことはある。だが、艦載機の攻撃に怪我をした兵士はいても、死亡した兵士はいなかった。そのために、深海棲艦の攻撃に耐性のある兵士ばかりを連れて行ったのだ。だが、陸上でなく水上にいる艦娘は、同じように行かなかった。そのことが今でも悔やまれてならない。窓の外に目をやると、第七駆逐隊のメンバーが駆逐艦寮へ戻っていく。少し元気になったとはいえ、以前のような賑やかさはまだ取り戻せていない。そのことだけでも、風間の胸は痛んだ。

「風間、戻ったぞ」

 そんな時に、出し抜けにドアが開き、木村の柔らかい声が響いた。風間は思わず振り返る。

「ご苦労様でした。特に報告するようなことは何もありません。第二、第三、第四艦隊とも順調に任務を終えています」

「そうか」

 風間の声に、木村はふっと笑顔を浮かべて自分の椅子に腰を下ろす。そうして、持ち帰った荷物の中から一つの封筒を取りだした。

「風間宛の辞令を預かってきた。まあ、風間だけではないんだけどな」

 そう言って、無造作に封筒を風間の方へ差し出す。風間は思わず面食らった。内示もなく、譴責の話もない。いったいどういうことだろうかと。

「どうした? 私が読もうか?」

 木村は微苦笑を浮かべながら、半ば硬直している風間に向けていた封筒を引っ込めた。

「…できればお願いします。少し見るのが怖い気がします」

 風間も、木村に向かって苦笑を返す。どういう辞令か全く内容が読めないのだ。

「じゃあ、開けるぞ」

 木村は言いながら、封筒の封を切る。そうして、辞令を取り出した。

「海軍大佐、風間祐平。貴官を海軍少将に任ずる。また、トラック基地司令に任ずる」

 木村はわざとらしく声を作って、仰々しく読んで見せた。風間は思わず声を上げていた。

「ちょ、ちょっと待ってください。私が、少将ですか? それに、トラック基地司令というのは…」

「昇進はAL作戦の指揮を評価されてのことだ。そのまま素直に受け取っておけ」

「しかし、私は由良を…」

 言われて、風間は思わず俯いてしまう。完勝にはほど遠い内容だったのだ。評価に値するとは思えなかった。

「戦闘詳報は以前提出したぞ。総長は由良一隻の喪失でこの戦果は素晴らしいと褒めておいでだった」

 木村は敢えて明るい声でそう言った。風間が、このことを気に病んでいるのはわかりすぎるくらいわかっている。だからこそ、そろそろ吹っ切ってやりたい気持ちもあった。

「そうですか…」

 それでも、風間の声は暗い。まだ由良のことは前に向ける状況ではなかった。

「それと、艦娘の数も増えたし、最近は新規建造、海上で収容した艦娘に、同じ艦娘が増えてきた。南方への戦線拡大と防衛力強化のために、鎮守府や基地を増やすことになったそうだ。南方は、風間に任せると言っていたよ」

「有り難い配慮です…」

 まだ煮え切らない風間に、木村はさすがに小さくため息をつくしかなかった。そうして、改めて二枚の紙を取り出す。

「風間の部下になる二人だ」

 木村は立ち上がると、棒立ちの風間に書類を突きつけた。二人の青年将校のプロフィールが綴られている。

「秋嶋由衣中佐はラバウル基地、大沢拓巳中佐はパラオ泊地を任される。この間までの風間と同じで、艦隊指揮の経験はない。それぞれ南方の要衝だ。風間がしっかりしないでどうするか」

 木村は新人司令の二人のプロフィールに見入る風間に、些か強めにそう言った。秋嶋は意志の強そうな大きな瞳が特徴の女性将校だ。一方、大沢は少し険のある瞳が印象に残った。この二人を、これから風間が指導していかねばならない。トラック、ラバウル、パラオと離れた場所で。責任は重大だった。

「私も補佐官の風間を引き抜かれるのは正直辛いが、これもお互いのためだ。世界のためにそれぞれの場所で最善を尽くそう」

「…はい」

 風間はそう言って、木村に頭を下げた。佐官から将官へと階級も上がり、専属の艦隊も持たされる。身に余る栄光であり、分不相応な役職への抜擢だとも思う。だが、やるしかないのだ。南海は未だに混沌としており、島嶼国の国民は内陸部を持つ大きな国へ難民として避難していった。疎開先での軋轢も聞こえる今、彼らの帰る場所も確保せねばならない。由良のことは未だに吹っ切ることはできないが、それでもやるしかなかった。

「由良のことだがな、本当に辛いのはこれからかもしれないぞ」

 そう言い出した木村に、風間は思わず目を見張る。

「どういう…ことですか?」

「工廠で新しい由良が生まれる可能性も多い。そうして、今由良がいない以上、新たな由良は戦力として運用しないわけにはいかないからな」

 木村はそう言って、ため息をつく。

「なぜかわからないが、同じ艦名を持つ艦娘は、全く同じ容姿で現れる。工廠で建造された艤装を艦娘適正のある者に装備させてもだ。偶然の一致じゃ済まされない数だぞ」

 風間は、その言葉に微かにうなずく。

「次に由良が来たとして、全く外見が同じ由良が我々の前に現れることになる。そのことは肝に銘じておかないとな」

「酷い話ですね…。本人がそこにいるのに、それは僕たちの知っている本人じゃないなんて…」

「呪いだよ。艦娘と、艦娘を扱う我々に対するな」

 俯く風間に、木村はそう言って口を噤んだ。そうして、それきり書類に目を落としてもう風間を振り向かない。風間も、それ以上は何も言わず、渡された辞令と部下となる二人の佐官のプロフィールをもう一度眺めた。

 

 風間は、私室に戻る前に工廠へ顔を出した。そこには、いつものように摂津や矢風と共に、工具を握って汗を流す夕張の姿があった。

「夕張、ちょっといいかい?」

「風間大佐…」

 夕張は風間の姿を見かけると、一瞬絶句した後矢風と摂津を振り返る。二人の笑顔は「行ってこい」と言っていた。

「ちょっと待ってください」

 夕張はそう言うと、かけていた分厚いエプロンを外して、作業台に無造作に置く。そうして、風間を先導するように工廠の外へ歩いた。

「どうかしたんですか?」

「いや、たいした用事ではないんだが、工廠なら安全に火を使えるかと思ってね」

 急な来訪を訝しむ夕張に、風間はそう言って微苦笑を浮かべた。夕張の顔に、怪訝なものが浮かぶ。

「どういうことです?」

「ちょっと燃やしたいものがあってね。一斗缶とかでもいいから貸してもらえないかな」

 風間は夕張の視線に耐えながら、そう言った。作戦が終わって以来、一番の仲間だった由良を失った夕張の悲しみは深い。そうして、夕張本人も無意識に、その責を司令官であった風間に向けてしまっている。以前の夕張にはなかった刺々しい態度がそれを表していた。

「ちょっと待ってください」

 夕張はそう言うと、工廠の中へ引っ込んでいく。風間は小さくため息をついて夕張を待った。夏が暮れていくことを感じさせてくれる風が、風間の頬を撫でるようにすり抜けていく。

「これでいいですか?」

 夕張は本当に空の一斗缶を持ってきた。中では、冬に薪を焚いていたのだろうと思われる煤がびっしりこびりついている。

「ああ、ありがとう」

 風間はそう言うと、鞄の中から便せんとマッチを取りだした。

「それって…」

 夕張がその便せんを見て声を上げる。

「由良の遺書じゃないですか!」

 艦娘たちにも、どこで情報を仕入れたのかわからないが、青葉から由良が木村と風間宛に遺書を残していたという話は伝わっていた。夕張は、その話を聞いて木村と風間をほんの少しだけ羨んだのだ。自分には、一言も残してくれなかった由良が、上官の二人には、沈んでもしっかりと感謝を伝えようとしていたことに。

「燃やすんですか…!?」

「上官じゃなければ、こんなことはしたくないんだけどね」

 風間は言いながら、由良の遺書をそっと一斗缶の底に置く。中に入り込む風で、開いた便せんはかさかさと音を立てた。

「また別の由良が着任するかもしれない。その由良に、僕は沈んだ由良を重ねちゃダメなんだ。だから、これを持っておく訳にはいかない」

 マッチを擦る音がする。赤い炎が、暮れ始めた空と同じ色で夕張の頬を照らした。

「だからって…! 酷いですよ! 由良がどんな思いでこれを書いたか…」

 言いながら、夕張はもう泣いていた。風間には心の痛む光景だ。由良を無事に連れて帰ってこられれば、こんなことにはならなかったのに。

「…だからなんだ。僕には由良を弔うものが何もない。だから、これを焼いて、由良の弔いにしたいんだ。それに、書かれてあったことを忘れることはないよ」

 そう言うと、風間は炎を便せんに近づける。燃え移った炎は、あっという間に便せんを焼き尽くし、由良の書いた丁寧な文字と思いは、煙となって空へ上っていった。

「夕張」

 風間は火が消えたのを確認してから、夕張に声をかける。だが、夕張は俯いたまま返事をしなかった。仕方のないことだと、風間は理解する。

「いつか、夕張のいる鎮守府に、新しい由良が着任するかもしれない。その時は、また今までのように親しい友達でいてやってくれないか」

「…そんなこと…言われなくても…!」

 夕張はそう言うと、わずかな燃えかすが残る一斗缶をひったくるようにして工廠へ駆け込んでいく。風間はその夕張を見送ると、私室へ歩き出した。

 

 さようなら、由良。ありがとう。

 

 それだけを小さく呟いて。

 



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呪い

 しばらくして着任日が通達され、風間は私室の整理を始めていた。元々余りものをため込む性分ではない。少ない私物を新しく着任するトラック基地へ送る手はずを整えて、風間は鎮守府の人々と最後の挨拶を交わしていた。

 木村との挨拶も済み、トラック基地へ出立する司令艦はまゆきを中心とした特別編成の艦隊が停泊する岸壁へ向かおうとしていた。その道すがら、目の前から歩いてくるのは、よく見慣れた姿だ。風間は、思わず目を見はる。間違いようのない相手だった。

「風間少将さん?」

 相手も風間の姿を認めて立ち止まり、風間を見上げてきた。風間は「あ、ああ」とどもりながら返事をすることしかできない。まっすぐと見つめてくる瞳の向きまで、見覚えがありすぎた。

「初めまして。長良型軽巡、四番艦の由良です。どうぞよろしくお願いいたします」

 そう言って、由良と名乗った、沈んだ由良と全く同じ姿形をした少女は薄く微笑む。

 ああ、これが中将の言っていた呪いか。

 風間はそう思いながら、いったん目を閉じた。重なるようで重ならない二隻の由良の姿。だが、いずれ時間が経てば、その境界線もぼやけて完全に重なってしまうのだろう。あの由良とは違っても、目の前にいるのは間違いなく由良なのだ。風間は目を開けて、由良を見据える。錯覚しそうな愛おしさを胸の奥で振り切った。

「トラック基地司令、風間祐平少将だ。どこかで世話になるかも知れない。その時はよろしく頼む」

 そう言って、風間も笑った。上手く笑えている自信はない。それでも、この由良に何か特別な思いを持つわけにはいかない。生まれたばかりで、この由良の艦生は始まったばかりなのだから。

「はい。よろしくお願いします」

 由良は、そう言って風間に笑いかける。その長い髪を海風が揺らす。その髪の流れ方も、微笑み方の癖も、何もかもが由良だった。

「じゃあ」

「はい。失礼します」

 由良は笑顔のまま敬礼を返し、風間も軽く敬礼を返して歩き出した。

 これから、同じように沈む艦がまだまだ出るだろう。その度に、こうした思いを誰かが繰り返していくことになるんだな。

 振り返りたい気持ちを抑えつつ、風間は歩を進める。はまゆきの船体に触れながら自分の無事を祈ってくれた艦娘はもういない。

 はまゆきの側まで来ると、風間は由良がやったようにその船体に触れてみた。

 はまゆきは何も応えてはくれない。

 そうだよな。はまゆきはまだ生きてるんだ。

 由良の言葉を思い返し、風間はタラップに足をかける。

 海風が、秋の訪れを告げていた



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南海の雲と飛べない龍【天龍と熊野】(第二次SN作戦編)
野人とお嬢様


この章はpixiv投稿分の進行に原稿が追いつかなかったため、ハーメルンが初出になります。
pixivにはいつ投稿するかまだ決めてないしわかりませんが、ハーメルンで読んでくださる方のみ先にお楽しみください。

ドラマCDの鈴谷と熊野いい感じでしたが、それ聞く前に書き上がったので、熊野のしゃべりがまだまともです。




 天龍は、全鎮守府の中でも最古参の軽巡だ。普段の仕事は、相棒の龍田と共に第六駆逐隊と第二艦隊を構成して船団護衛や哨戒任務に勤しんでいる。この日も、第二艦隊旗艦である電を司令室へ送り出した後、任務明けの疲れた体を談話室の椅子に沈めていた。

「…騒がしいな」

 お茶の湯飲みを持ってきてくれた龍田に軽く感謝の右手を挙げてから、湯飲み片手に天龍は呟いた。龍田もふっと視線を上げて周囲を見る。普段護衛任務や哨戒に出ていない艦娘達の間が特に騒がしい。

「また大規模な侵攻作戦かしら?」

 薄い笑みを浮かべながら、龍田は湯飲みを口に運ぶ。今日の護衛任務も、他の鎮守府から偉いさんの乗船する貨客船団が対象だった。

「大規模ねえ…」

 言いながら天龍は思い返す。AL作戦以降、大規模作戦への参加はない。大規模作戦の間も、航路安定のための哨戒、物資輸送船団の護衛と、裏方としてやるべきことはたくさんあった。

「ま、俺達には関係ねえな」

 そう言う天龍に、龍田は微笑み返しただけで何も言わない。SN作戦だとかショートランド基地とか言う単語がチラチラと聞こえてくる。南方海域、鉄底海峡かしらと、龍田は想像を膨らませて、その想像をそこですぐにしぼませた。

「天龍さん、龍田さん! 司令官さんがお呼びなのです!」

 ちょうど一服ついたところで、電が談話室に駆け込んできた。電と天龍龍田も長い付き合いだ。電も今の時間ならどこに二隻がいるか確信があったようで、最短距離をやってきたと思われる乱れのない息で二人の名を呼ぶ。

「俺たちに?」

「なんの用事かしら~?」

 天龍と龍田はそう顔を見合わせてから立ち上がる。

「すぐに行く」

 天龍がそう言った側から、龍田はもう湯飲みを片付け始めていた。

 

「入るぜ!」

 天龍がいつもの勢いで威勢よく司令室のドアを開けると、相変わらず困ったような顔で眉を寄せる木村の姿があった。作戦前になるといつもこうだ。木村は総司令として軍令部からの無茶振りに対応しなくてはならない。大規模作戦前になると、その心労が顔に出ていた。

「相変わらずシケた面してんなあ、提督」

 天龍はその木村の顔を見て、思わずそう言ってしまう。それには、木村も苦笑いだ。

「私だって、好きでこういう顔になってるわけじゃないよ。色々考えることがあるんだ」

 そう言って、木村は立ち上がる。

「用件だけ伝える。次のSN作戦、前路哨戒と威力偵察を二人に任せたい」

「出撃か!?」

 木村の声を聞いて、天龍のトーンが一気に上がった。久々の遠方への出撃だ。

「そういうことになる。SN作戦の前段階として、ラバウル基地へ集結し、ソロモン海方面へ前路哨戒へ出てもらう」

「よっしゃー! 久々で腕が鳴るぜ!」

 喜色満面の天龍に対して、龍田はいつもの通り薄く笑みを浮かべたままだ。

「随伴艦はどうなってるの~、提督~?」

「随伴艦は、熊野と早霜、清霜、長波を考えてる」

「へ…? 六駆じゃねえのか?」

「六駆は護衛任務に残ってもらう。航路安定もまだ欠かせないからな」

「わかったわ~。天龍ちゃんがちゃ~んとやってくれるから~」

 唖然とする天龍を無視するように、龍田はそう返事をした。

 

 司令室を後にすると、二隻は示し合わせたように談話室に移動する。さっきの話が出てから、天龍にはいつもの勢いがない。

「天龍ちゃん、そんなに随伴駆逐は六駆の娘たちがよかったの~?」

 お茶の入った湯飲みを天龍に渡しながら、龍田はそう聞く。そう言うのはあまりこだわりがない方だと思っていたからだ。

「いや、正直駆逐はもう踏ん切りついてんだよ。電たちはもうほっといても大丈夫だろうしな。随伴が夕雲型後期ってのが俺たちと比べて新しすぎるのは引っかかるけどな」

「じゃあ、熊野さんってこと~?」

 腕を伸ばして天井を仰いでいる天龍に、龍田はそう聞く。天龍は伸びをやめてお茶を一口飲む。

「最上型はなんか苦手なんだよな…。四人が四人とも…」

 天龍はそっぽを向いてそう言う。龍田には天龍の言う意味がわからない。最上、三隈、鈴谷、熊野の四姉妹は、利根型が未改造の所属艦娘の中で唯一の航空巡洋艦だ。十一機の水上機を自在に扱えるため、木村も伊勢型、扶桑型の四隻と共に重宝しているはずだった。最上はお気楽で明るく、三隈はおっとりしているが少し変わり者で、鈴谷は賑やかで明るく、今度随伴する末っ子の熊野は気高く真面目というのが龍田の印象だ。

「…熊野さんが苦手というのならわかるけど~、四人ともって…」

「なんか、お嬢様って感じしねえか、最上型って」

 天龍が引きを感じさせる表情でそう言うので、龍田は思わずきょとんとしてしまった。

「最上型全員が…?」

 龍田は首をかしげる。三隈と熊野は確かに物腰が柔らかく、お嬢様風と言えないこともない。だが、長女の最上と三女の鈴谷はどちらかと言えばがさつな面が前面に出ていて、お嬢様と言うには少し無理がある気がする。

「最上さんと鈴谷さんも~?」

「なんかな、生まれの良さみたいな余裕を感じんだよ、あいつらには。俺たちみたいなたたき上げの野人とは合わねえって言うか」

「複雑なのね~、天龍ちゃんは~」

 天龍の言葉に、龍田は困ったように苦笑いを浮かべた。確かに自分たち天龍型は戦闘狂だ。天龍は剣、自分は長刀を持っていることからもそれはわかる。砲雷撃以外の接近戦でも敵を屠るための努力は厭わない。龍田もそのことに関しては異論を挟むつもりはない。だが、最上型の持つ余裕という面に関してはよくわからなかった。天龍にしかわからない何かなのだろう。

「おっ、ちーす、天龍ー、龍田ー」

 そんな雰囲気の二隻のところに、件の最上型の鈴谷がやってきた。

「相変わらず軽ぃノリだな、鈴谷」

 天龍は露骨に半ば不愉快な顔を向ける。龍田はいつも通りだ。

「鈴谷はいつもこんな感じだかんねー。天龍だっていつも通りじゃん」

 鈴谷は笑いながら天龍にそう返す。天龍は思わず舌打ちしていた。

「何かご用~?」

「そうそう、今度の戦闘哨戒、熊野が天龍たちと一緒だって聞いてさ、よろしくしとこうかなと思って」

 鈴谷は龍田にそう言うとニッと笑う。天龍はその鈴谷を少々鬱陶しそうに見上げる。だが、鈴谷はそんなことはお構いなしだ。

「天龍が旗艦だっけ? 熊野のこと、よろしくねー」

 鈴谷がそう言って明るい笑顔を天龍に向ける。天龍は不機嫌そうな顔を崩さないまま「ああ」とだけ言った。

「用はそれだけ。じゃあねー」

 鈴谷はそう手を振って談話室を出ていく。天龍は鈴谷を振り向きもしない。龍田だけがニコニコとその鈴谷に軽く手を振り返していた。

「あれがお嬢様なの?」

「俺にはそう見えるんだよ」

 天龍は不機嫌そうにそう言い返すと、湯飲みのお茶をあおった。

「でも、彼女達の水偵や瑞雲は前路哨戒だと特に戦力になるわよ~。そこは上手くやらないと~」

「わかってるよ」

 天龍は龍田にそう応えると、もう一度お茶をあおる。

「龍田、お茶頼む」

「は~い」

 天龍から湯飲みを受け取ると、龍田は楽しそうに席を立った。

 

 鈴谷が部屋に戻ると、熊野はまだプリプリしていた。ベッドの上で手近な本をバンバンとベッドに叩きつけている。

「熊野ー、まだ機嫌直んないの?」

「直るわけありませんわ! 提督ったら、何であんな粗野な軽巡の旗下に私を入れたのかしら!」

 そう言う熊野の眉はきーっと吊っており、言うなり唇はへの字に曲がった。鈴谷は思わず苦笑いを浮かべる。

「いちおー龍田と天龍にはよろしくしてきたよー。別に問題ないじゃん、あの二人」

「鈴谷だからそんなことが言えるんですわ! 私は鈴谷ほどできていませんもの!」

「それを自分で言っちゃうのが熊野だねー」

 鈴谷はそう言うと、ぺたんと熊野のベッドに腰を下ろす。きれいにセットされていたシーツはもうくちゃくちゃだ。

「熊野の考えすぎだと思うけど。粗野なのって摩耶も似たようなモンじゃん」

「ですけど…」

 鈴谷にそう言われて、熊野は言葉に詰まる。熊野と摩耶は同じ神戸生まれの重巡航巡と言うこともあって、普段からそれなりに親しい関係である。その摩耶は重巡の中でも特に口が悪いことで知られているが、根は正直でちっとも悪ぶれていなかった。

「それに、熊野鈴谷に初めて会ったときのこと覚えてるー?」

「そ、それは…」

 鈴谷から多少冷たい視線を投げられ、熊野は思わず俯いてしまう。忘れもしない、ほんの少し先に着任していた鈴谷と初めて会ったときのこと。

「熊野、鈴谷と会うなり『鈴谷がこんな軽いお調子者な訳ありませんわ!』って叫んだんだよね」

 鈴谷は楽しそうに言うが、熊野は脂汗を流しそうな勢いで俯いたままだ。

「それが今はどう? 鈴谷とも普通に接してるじゃん。むしろ同室なのも嫌がってないし、鈴谷は頼られてる自覚あるけど?」

「そっ、それは、鈴谷が私の姉だからですわ」

「うん。鈴谷も熊野のこと妹だから可愛いよー」

 満面笑みの鈴谷に言われ、熊野は思わず赤くなってしまう。鈴谷のこういったストレートな表現は本当に照れくさい。

「天龍も同じだと思うけど。鈴谷たちはあんまり絡むことがないからよく知らないだけで、関わってみないとどんな艦娘なのかはわかんないよ?」

「…それはそうですわね」

 ようやく、熊野はそう言って大きく溜息をついた。大人げないことはわかっているが、主力と認定されていない天龍の旗下というのも納得いっていないし、ましてや任務も前路哨戒であって主力の仕事ではない。

「とにかく、やるだけやってみますわ」

「そうそう。まずは一緒に仕事してみないとね」

 ようやく矛を収めた熊野に、鈴谷は笑いかけた。

 



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第二次SN作戦発動!

 第二次SN作戦自体はかなりの大規模作戦で、各鎮守府・基地・泊地から多くの艦娘がラバウル基地へ集結しようとしていた。横須賀からも天龍、龍田、熊野だけでなく最上、三隈、鈴谷、伊勢、日向、加賀、赤城、蒼龍、飛龍などが出発していた。

「結局最上型みんな参加するんじゃねえか」

 ラバウル基地へ集結した面々を見ながら、天龍はそうこぼす。他の鎮守府からは一線級の艦娘ばかりが集まっており、自分たち前路哨戒組は場違いな感じすらした。

「天龍、ちょっといいか?」

「手短にしてくれよ、提督」

 木村に呼ばれた天龍はそう悪態をつきながら控え室に充てられていた大広間を出て行く。それを見計らったように鈴谷が龍田に近寄った。

「ちーす、龍田」

「あら~、鈴谷さん」

 鈴谷の気の抜けた笑顔に、龍田もいつもの笑顔を返す。

「もしかしたら熊野がわけわかんない行動取るかもしんないから、そんときはうまいこと納めてやって」

「あらあら~。天龍ちゃんも訳のわからないこと言い出すかも知れませんよ~?」

 二人でそう言って鈴谷と龍田は笑いあう。

「とりあえず聞いておくわ~。天龍ちゃんと熊野さんの間をそれとなく取り持てばいいのね~?」

「そういうこと! じゃあ、よろしく頼むね~、龍田」

 鈴谷はそれだけ言うと、手を振りながら自分の待機場所へ駆けていく。相変わらずつむじ風のような艦娘だなと龍田はのんきに思っていた。やがて、天龍は相変わらず少し不機嫌な表情のまま戻ってきた。

「提督、なんて~?」

「前路哨戒は全艦揃ったから、準備でき次第出発してくれってさ。俺たちはいいとして、後は熊野と駆逐たちだな」

 天龍はそう言いながら、ざっと周囲を見渡す。同じ横須賀所属の熊野の姿はすぐに見つけたが、早霜たちの姿はよくわからない。

「とりあえず、正面の岸壁は司令艦が一杯停泊してるから、北の岸壁から出発するか」

「そうね~」

 天龍は龍田の返事を確認すると、すうっと息を吸った。

「前路哨戒部隊、準備でき次第北岸壁に集合だ!」

 天龍の大きな声が大広間に響く。天龍に慣れていない艦娘たちが振り返った。だが、天龍はそんなことお構いなしだ。

「龍田、行くぞ」

「は~い」

 踵を返す天龍に、龍田もそう頷いてあとにつく。呆然と見送ったメンツの中には熊野の姿もあった。

「ほらー、熊野、呼んでるじゃん。集合だってさ」

 そんな熊野に、鈴谷はそう声をかけて、振り返った熊野にニッと笑い返す。

「行って参りますわ」

「いってらー」

 少々むすっとしていた熊野を、鈴谷は笑って送り出した。

 

 天龍と龍田が北岸壁へ移動すると、後を追うように夕雲型の駆逐艦三隻がやってきた。三隻は息を切らして天龍の前に並ぶと、びっと敬礼を決めてくる。

「夕雲型駆逐艦四番艦、長波!」

「夕雲型駆逐艦十七番艦早霜です…」

「夕雲型駆逐艦十九番艦、清霜です!」

 夕雲型駆逐艦の三隻はそれぞれそう名乗りを上げる。お互い初顔合わせだ。

「旗艦の天龍型軽巡、天龍だ。しっかり頼むぜ」

「私は天龍ちゃんの妹の龍田よ~。よろしくね~」

 天龍と龍田がそう名乗ると、長波と清霜からは元気のいい声が返ってくる。天龍は満足げに頷いた。

「あとは熊野さんだけね~」

「なってねえな…。駆逐どもでさえすぐ来てんのに」

 天龍は舌打ちでもしそうな勢いで集合していた建物を眺める。そこから、ようやく熊野が姿を現せた。

「私が最後ですの?」

「おっせえんだよ。駆逐どもに遅れんなよ」

 天龍の態度と言葉は、熊野の癇に見事に障る。熊野の眉がきっとつり上がった。

「なんですって!? 準備ができ次第といったのはそちらの方ではなくて!?」

「その準備が遅いッつってんだよ!」

 天龍も負けてはいない。腕組みをしたまま、隻眼が熊野を睨めつける。その様子を見ながら、清霜だけがハラハラオロオロしていたが、早霜は静観しているし、長波はニヤニヤしているだけだった。もちろん、龍田はいつも通りこれも眺めるだけだ。まだ仲裁する気はないらしい。

「ともかく出撃するぜ。哨戒海域までは複縦陣で行く。先頭は俺と龍田。二番手に熊野と長波、最後に早霜と清霜だ。いいな」

 おっとりしている早霜がテンションの低い返事を返してきた以外、長波と清霜からは元気のいい返事が返ってきた。腕組みをしてむくれている熊野からの返事はない。

「熊野、わかったのか?」

「わかりましてよ」

 そう言い合う天龍と熊野の視線が交錯する。フンと熊野は顔を逸らした。天龍の顔は苦虫を噛みつぶしたようだ。それでも、天龍は気持ちを切り替えて熊野に背中を向けた。

「よし、出るぞ!」

 天龍はそう宣言すると、先陣切ってスロープに足をかける。着水すると巡航速度で岸壁を離れ始めた。

「熊野さん、行きましょう~」

「わかりましたわ」

 龍田に促されて、熊野もスロープから海へ降りた。長波たちもあとに続く。とりあえず、哨戒任務は始まった。

 



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第十八駆逐隊

 気に入りませんわ。

 熊野は先行する天龍の背中を見つめる。いかにも旧式の艤装や腰に挿した刀。速力も軽巡のくせに自分よりも遅く、軽巡の中では夕張と同じくらい小柄だ。なのに、あの大きな態度で口を開けば生意気な口上ばかり。胸の奥のイライラを抱えたまま、熊野は航行を続けた。

 ソロモン海の中で、艦娘側の最前線基地であるショートランド基地は既に包囲されているか陥落したのか、まだ何も連絡はない。守備についていた第十八駆逐隊にしても同じだ。近隣には、コロネハイカラ島やバニラ・バラ島をはじめとした、守備隊を置いている島がいくつもあるが、こちらも同様だった。天龍は状況を思い出しながら、ちらと後ろを振り向く。熊野は正直苦手だが、旗艦として手札は有効に使わなければならない。熊野の水上機はどう考えてもこの艦隊には有効だった。天龍は気持ちを着替える。

「熊野、索敵出してくれ。前方六十度を三十度ずつ三本で」

 ラバウルを出発していくらかも経たない内に、天龍は熊野をそう振り返った。

「こんなに早くですの!? まだラバウルを出てからそんなに経っていませんわよ!?」

 意表を突かれた熊野は思わずヒステリックな声を上げる。だが、天龍の顔は冷静そのものだった。

「何もなきゃそれでいいんだよ。何かあれば、すぐに対処するか報告しないとな」

「…わかりましてよ」

 熊野は天龍の言うことには納得したが、それでも渋々飛行甲板を空に向けた。

 なんですの。普通の指揮をできるんじゃないですの。用意のすんだ瑞雲をカタパルトに載せた。

「瑞雲、発艦ですわ!」

 カタパルトから順に三機の瑞雲が空へ放たれる。瑞雲は散開して予定通りのコースへ乗った。天龍はそれを一瞥すると、声を上げようとした。

「三番機から報告ですわ! 敵の偵察機と遭遇! これを撃墜!」

 その時に熊野の声が響く。天龍以外の全員が呆気にとられた。

「やっぱりいたか。こっちの存在もバレたろうし、気合い入れていくか!」

 天龍はそう言うと、腰の得物を抜く。

「艦隊、単縦陣だ! 俺のあとを熊野、龍田、長波、早霜、清霜の順で続け!」

 天龍の号令が響く。呆然とする熊野に、龍田が笑いかける。

「天龍ちゃんの勘は野生なのよ~。私ですら、何がそうさせるのかわからないもの~」

 龍田に言われて、熊野は天龍の背中を見た。それは鈴谷とも最上とも三隈とも違うオーラを纏っている。仲のいい摩耶とも違う気がした。その理由を考えていると、また索敵機からの入電が響く。

「今度は二番機からですわ! 撤退中の味方駆逐隊と遭遇! 引き返して誘導中!」

「十八駆かしらね~」

「恐らくそうだろうな。間に合わなかったか」

 龍田にそう応えてから天龍は舌を打つ。そうなれば護衛艦を失ったショートランド基地の状況は厳しいと言わざるを得ないだろう。

「十八駆と合流するぞ! 艦隊強速!」

 天龍はそう宣言すると、缶圧を上げて艦隊速度を速めた。

 先へ進むと、小一時間ほどで第十八駆逐隊と遭遇した。第十八駆逐隊は朝潮型の霰、霞と陽炎型の陽炎、不知火、黒潮の五隻で構成されている。そのいずれもが酷い損傷状態で、ショートランドを襲った惨状が垣間見える。

「大変だったわね~」

 龍田が息も絶え絶えの陽炎たちを介抱する。それでも、全員が航行に支障はないようだ。天龍は全員がラバウルまで帰還可能だと判断した。

「怪我をして大変なのは悪いが、状況を教えてくれ」

「敵は駆逐棲姫よ。昨日の晩突然夜襲をかけてきたの。こっちは準備がなくて、なすすべもなくこの有様よ」

 天龍に陽炎が悔しそうにそう言う。

「ですが、夜襲を仕掛けてきた敵は陸戦隊を有しておらず、航空機もいませんでした。ショートランド基地自体への被害はほぼないと考えます」

 不知火がそう続ける。

「他には?」

「それ以外の敵がいるかも知れへん。きっとあれは威力偵察か露払いや」

「敵の編成は駆逐棲姫に駆逐五よ。駆逐は恐らく後期型」

 黒潮と霞がそう言って大きく息を吐く。早霜や清霜、長波が陽炎たちに自分たちの食料や燃料を分けて一息ついてもらっていた。

「こりゃあ、気合い入れていかねえと、俺たちも酷い目見るな」

 天龍はそう言いながら、第十八駆逐隊が戻ってきた海の向こうを見つめる。撤退してきた第十八駆逐隊を追撃している可能性は捨てきれない。

「熊野、二番機のコースにもう一度索敵を出してくれ。お前の空の目が頼りだ」

 天龍の言葉に、思わず熊野はびっくりする。

「た、頼りって…」

「俺や龍田は水偵を積めねえ。電探だけじゃ限度がある」

 意表を突かれたままの熊野に、龍田が笑いかけた。

「提督は、水偵の積める軽巡を温存したかったのね~。だから、私たちと航巡の熊野さんの組み合わせなのよ~」

「…わかりましたわ」

 熊野は龍田の言葉に納得したわけではない。それでも、木村の意図は教えて貰えた気がした。なら、仕事をきっちりやるしかない。最上型の中で一番練度が低いのは自分なのだ。天龍と龍田が一線級を外されていることを自覚して作戦に臨んでいるように、自分も自分の立場でできることをするしかない。熊野は戻ってきた瑞雲に補給をすませると、もう一度カタパルトに載せた。

「もう一度行きましてよ! 瑞雲、発艦!」

 カタパルトから放たれた瑞雲は、高く舞い上がり所定のコースへ乗る。それを見送りながら、天龍は第十八駆逐隊のメンバーを振り返った。

「悪いが護衛して戻ってやることはできねえ。お前たちはまだ航行可能だ。一人残らずラバウルへ帰り着け」

 強い瞳が陽炎たちを見下ろす。全員が同じ瞳の強さを天龍に返した。

「誰一人欠けることなく、ラバウルに戻ってみせるわ」

 陽炎が代表するようにそう言いきった。第十八駆逐隊の全員を見渡した天龍が大きく頷く。

「早霜ちゃ~ん、ラバウルに無電しといてね~」

 龍田の声に早霜が頷き、打鍵を取り出して状況を報告する。その間にも、第十八駆逐隊はなんとか動けるだけの体力と気力を回復したようだ。

「天龍、行くわ。ありがとね」

「無事に帰り着けよ」

 そう言う天龍に、陽炎は笑い返す。

「十八駆、行くわよ!」

 右手を突き上げる陽炎に、残りの四隻も声を上げた。

 



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龍の咆吼

「二番機より入電ですわ! 敵艦発見! 軽巡一、駆逐四!」

 第十八駆逐隊を見送っていくらかも経たないうちに熊野が声を上げる。天龍と龍田は顔を見合わせた。

「やっぱりいたわね~」

「さあて、やるか」

 龍田にそう答えてから、天龍は熊野を振り返る。

「瑞雲で爆撃を頼む。それから、全艦突撃だ」

「了解ですわ」

 熊野はそう答えて天龍の勝ち気な笑顔に片側の口角を上げて笑い返す。瑞雲による航空攻撃は自分の仕事だ。旗艦の天龍の指揮は、きっちりと自分に仕事をさせてくれている。

「瑞雲、稼働全機爆装で発艦!」

 次々と熊野のカタパルトから瑞雲が発艦していく。それは艦隊上空で全機が揃った後、入電のあった場所へ猟犬のように飛び去っていった。

「戦果確認ですわ! 駆逐一、撃沈! 駆逐二、中破!」

「全艦、最大戦速で突入!」

 熊野の戦果を聞き終わると、天龍はすぐさまそう号令を出した。艦隊速度は天龍型の三十三ノットで彼我の距離がどんどん近づいてくる。やがて、煙を噴く敵駆逐艦隊が見えてきた。

「砲雷撃戦、行くぜ! 熊野は瑞雲を収容してから突撃してくれ」

「わかりましてよ。ただ、露払いはさせていただきますわ」

 ちらと振り返る天龍に、熊野はそう返しつつ主砲に初弾装填する。二十・三センチ連装砲は、熊野にしかない長射程砲だ。

「主砲、斉射ですわ! とおぉぉぉっ!」

 熊野の声で、主砲が火を噴く。その軌跡を見ながら、天龍と龍田は長波たちを率いて最大戦速で突入していく。

 熊野は瑞雲の収容作業を行いながら、時折主砲を放つ。近接戦になっている天龍たちを誤射しないように牽制弾だ。やがて、天龍たちは敵艦隊を片付けた。大きな被弾をした艦はいない。瑞雲を放ち、牽制弾を撃ち込んだこと以外ほぼすることがなかった熊野から見ていると、そつのない圧倒的な勝ち方だった。自分たちに比べ、練度の余り高くない長波たちを上手く護りながら、それでいて時に突出してとどめを刺す。軟硬自在の戦い方だった。

「みんな、無事か?」

 駆逐艦たちを見渡す天龍に、長波と清霜はテンションの高い返事を返す。熊野から見ても、長波、早霜、清霜の三隻は、ほぼ無傷といっても言い。天龍も龍田もそれは同じだ。

「よし、進むぞ。何とかショートランドの状況は確認しておきたいからな」

 天龍はそう言うと、前を向く。

「索敵機、出した方がよろしくて?」

 そう聞く熊野に、天龍はちらっと振り返ってニッと笑う。

「ああ、頼む。一本はブーゲンビルからショートランドへ向かわせてくれ。ブインとショートランドがどうなってるのかも確認したい」

「承りましたわ」

 熊野は静かに頷く。索敵本数を指示してこなかったと言うことは、任されたと言うことだ。熊野は四機の瑞雲に準備をさせた。途中で敵艦を発見したときに、爆装の稼働機をある程度残しておくなら、この本数が限界だ。

「瑞雲、行きましてよ!」

 二本のカタパルトから瑞雲が空へ放たれる。その飛行機雲を見送りながら、天龍は隊を更に前へ進める。

「偵察機から入電ですわ! ブイン基地は健在! ショートランド基地は被害甚大!」

「やっぱりな」

 熊野からの報告に、天龍は舌を打つ。そうなれば、できることはどの程度の戦力かを見極めることくらいだ。もしも有力な水上打撃部隊なら、発見次第反転するしかない。この戦力では玉砕するしかないのだ。

「恐らくショートランド周辺に敵部隊が展開してる。場合によれば激突するぜ」

 天龍はそう言って龍田と頷き合う。後ろを振り向くと、熊野は索敵機からの無線に耳を澄ましていた。長波たちも、警戒しながらついてきている。

「敵艦隊発見ですわ! 駆逐棲姫に駆逐五! こちらに向かって急速に接近中ですわ!」

「十八駆を襲った部隊か。逃がしてくれそうにねえな」

 熊野の注進に、天龍はそう言って口角を上げる。姫級の敵と戦うのは初めてだ。胸の奥からワクワクした気持ちが溢れ出てくる。

「熊野! 稼働機全機で爆撃を頼むぜ! 索敵機はそのまま索敵継続だ! こいつらを倒してもあとがあるかも知れねえ」

「了解ですわ!」

 天龍の声に、熊野も口角を上げる。まるで出るときはいがみ合っていたのが嘘のように、連携が取れていた。

 私の出番はないかしら。

 龍田はそう思いながら、長波たちを振り返る。

「初弾装填して、いつでも戦えるようにしといてね~」

「了解です!」「はいっ!」っと長波と清霜からはいい返事が返ってくる。早霜は小さく頷いただけだ。

「瑞雲、発艦ですわ!」

 熊野の声が響く。再び瑞雲が空へ舞った。艦隊上空で編隊を組むと、猟犬のように飛び立っていく。

「敵艦見ゆ! 情報通り駆逐棲姫に駆逐五! 同航戦になりそうですわ!」

「行っくぜえ! 戦い方は任せるぜ! 全艦、両舷一杯で突撃だ!」

 天龍は刀を抜いてそう指揮を執る。突入した瑞雲が投弾を成功させ、駆逐艦の内二隻が火を噴いた。

「とおおおおおおっ!」

 奇妙な叫び声を上げ、熊野も主砲を放つ。

「帰還した瑞雲は安全域に着水して待機してくださいまし! あとで回収いたしますわ!」

 そう言いながら、熊野は天龍の後ろに回る。それを見た龍田は長波たちへ近寄っていく。

「私たちは駆逐艦を殺るわよ~。魚雷の必中距離まで肉薄するから、攻撃はかわしてね~」

 龍田がそう言うと、長波、早霜、清霜はその後ろについて隊列を離れていく。龍田の主砲も火を噴いていた。

「死にたい艦はどこかしら~」

 龍田の声を聞きながら、天龍は駆逐棲姫と対決する。相手は戦艦すらも一撃で大破させる姫級の駆逐艦だ。どこか自分たちに似た容姿に、戦い辛さよりも歓喜を覚える。

「ククク…! こういうのを待ってたんだよ!」

 天龍は後ろに熊野がいることを確認しながら、どんどん肉薄していく。駆逐棲姫からの攻撃は左右に展開してかわした。熊野の主砲が駆逐棲姫を穿ったが、小さく仰け反っただけの駆逐棲姫は熊野を睨めつける。

「効きませんわね…」

「ワクワクするな」

 熊野の声に、天龍はそう返す。その間にも彼我の距離は近づいていく。天龍は主砲を牽制弾にしか使わない。熊野の主砲はその間に数回命中していたが、やはり決定打にならない。天龍と駆逐棲姫の距離がもう手の届くところまで来たときに、駆逐棲姫の主砲が熊野の主砲をはじき飛ばした。熊野は右手を押さえてうずくまる。

「熊野!」

「後は任せましたわよ! 天龍!」

 そう言うと、熊野は魚雷を放つ。かなり距離が近づいていたことと、天龍が牽制していたこともあって、熊野の魚雷は全て駆逐棲姫に命中した。崩れた水柱の中から現れた駆逐棲姫はまだ健在だ。駆逐艦を片付けた龍田と早霜も駆逐棲姫に後ろから近づいてきている。

「楽しませてくれよ!」

 天龍は砲撃を続けながら、抜いた刀で斬りつけた。駆逐棲姫はその刀を砲身で受け止める。そのままの姿勢で駆逐棲姫が発射した主砲を、天龍は仰け反ってかわし、一拍の距離を再び取る。そうして、再び抜いた剣を斬りつけた。それも同じように砲身で止められる。

「後ろががら空きね」

 天龍と対峙していた駆逐棲姫の後ろから、龍田が長刀の刀身を駆逐棲姫の身体に埋めた。叫び声を上げ、駆逐棲姫は龍田を睨めつける。だが、その間に天龍もその刀身を駆逐棲姫の胸に埋めていた。駆逐棲姫の身体を突き抜けた切っ先は龍田の眼前まで迫っているが、龍田は瞬き一つしない。

「オノレ…!」

 駆逐棲姫は天龍の刀を握って抜こうとするが、天龍はその刀身を渾身の力で捻る。龍田もまた、そのまま長刀を捻った。傷口から体液を噴出させながら、駆逐棲姫は悶え声を上げる。

「時雨ならこう言うな。君たちには失望したよってな」

 天龍はそう言うと、魚雷を抜き取って駆逐棲姫の口へねじ込んだ。

「早霜!」

 天龍の声に早霜は頷き、魚雷を発射する。

「俺たちと同じ姿を得たことを恨むんだな」

 天龍はそう言うと、刀を駆逐棲姫から引き抜いて安全距離へ飛びすさった。龍田も同じように長刀を抜き取ると、最後に一太刀浴びせて刀創に魚雷をねじ込み駆逐棲姫から離れた。やがて、瀕死の駆逐棲姫に早霜の魚雷が命中し、駆逐棲姫は大爆発を起こして海に還った。

「熊野、大丈夫か?」

 天龍は刀についた体液を払うと、刀を納めて熊野にそう声をかける。熊野は右手を押さえていたが立ち上がった。

「私は大丈夫ですわ。思っていた以上にえげつない戦い方をするんですのね」

「熊野もお嬢様がする顔じゃなかったぜ」

 呆れたように言う熊野に、天龍はそう笑い返した。熊野の唇が一瞬への字に曲がったが、やがて熊野の顔に微笑が浮かぶ。

「長波ちゃんと清霜ちゃんが中破ね~」

「さすがに少し荷が重かったか」

 龍田の報告に、天龍は戦闘が終わってへたり込む清霜と長波を見ながら苦笑を浮かべる。

「熊野、瑞雲の回収が終わったらもう一回索敵出してくれるか」

「人使いが荒いですわね」

 そう言いながら、もう熊野は海上に浮かんで待機していた瑞雲を回収している。その内損傷のない三機を選んで補給を行う。

「もう少し待っていただければ発艦できますわ」

「俺たちの隊はもう戦えねえ。なにか見つけたらそれを報告してラバウルに戻る」

「現実的な判断ですわね」

「あいつらを沈めたくないんでな」

 天龍はそう言うと、ちょいちょいと清霜たちを指した。無傷の早霜が清霜と長波に近づき、清霜と長波は苦笑いを早霜に返していた。

「それは同感ですわ」

 熊野はそう言うと、カタパルトを空へ向ける。

「瑞雲、発艦ですわ!」

 補給の終わった瑞雲が空へ舞う。その間にも天龍は長波たちのところへ近寄っていた。

「熊野の索敵の結果見たら戻るからな。もうしばらくの辛抱だ」

 そう言う天龍は勝ち気な笑顔を見せていたが、その端々に優しさも見て取れた。初めて旗下に入ったはずの長波と清霜も信頼の笑顔を向けている。

「ホント、鈴谷の言ったとおりでしたわ」

 点になっていく瑞雲を見上げながら、熊野はそう呟いた。

 あれほど嫌がっていたのが馬鹿らしく思える。人には添うてみよとはよく言ったものだと。天龍は自分を認めてくれた。そうした上で、最大限の力を出せるようにしてくれた。

「認めないわけにはいきませんわね」

 そう呟くと熊野も長波たちのところに移動する。自分はそこまで社交的ではないから輪の外にいるだけだが、それでもそこにいる意味はあると思うのだ。天龍たちの様子を眺めていると龍田と目が合う。龍田は微笑み、熊野も笑顔を返した。

 



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傘の下

 熊野の発艦させた索敵機は、ソロモン海に軽巡棲姫を中心とした艦隊を発見した。他にも、水母棲鬼を伴った機動部隊も確認される。天龍はその報を受けると、索敵結果を打電し、直ちにラバウルへ反転した。ラバウルに戻るまで会敵することはなく、天龍率いる前路哨戒部隊は、無事にラバウルへ帰り着いた。

「もう次の準備は完璧だな」

「そうみたいね~」

 北岸壁に集うメンバーを見ながら、天龍と龍田はそう言いあう。主力と目される戦艦、空母もいる。軽巡も同じく主力級の阿賀野型の姿が見えた。

「俺たちの出番はここまでかな」

 そう呟くと、天龍はスロープを上がってきた残りのメンバーを振り返る。

「みんなご苦労だったな。熊野と長波、清霜はすぐに入渠して次の指示を待ってくれ。これで解散する」

 天龍がそう言うと、長波や清霜はぴっと敬礼を返してくる。熊野の右手も挙がっていた。それにはさすがに天龍も驚いた。

「熊野は別に敬礼しなくてもよかったんだぜ」

 解散してから天龍は少しの戸惑いを乗せて熊野にそう声をかける。その天龍に、熊野は澄ました笑顔を見せた。

「あなたが私たちの旗艦でしてよ。航と軽の違いはあれど、同じ巡洋艦枠ですし。もっと自信持ってくださいまし」

 そう言って、熊野は右手を挙げようとしてその右手を痛めていることに気づき、左手を挙げた。

「ああ、ありがとな、熊野。助かったぜ」

「こちらこそ、ですわ」

 そう言って、二人は左手を打ち鳴らした。その様子を、龍田は笑顔で見守っていた。

 

 そのあとの第二次SN作戦はいくらかの苦戦はあったものの、概ね順調に進んだ。天龍と龍田の二隻は、結局それ以降艦隊運動への参加はなく、ラバウル所属の夕雲型を率いて周辺海域の警戒に当たっていただけだった。

 そうして、哨戒を由良の部隊に引き継いでから戻ってきた夕方、熊野が岸壁の端で遠く東の空を見つめていた。もう暮れ始めて空は紫を濃くしようとしている。

「熊野ー、なにやってんだ?」

「天龍」

 天龍が声をかけると、熊野はポニーテールを風に揺らしながら振り向いた。そうして、天龍が横にやってきたのを確認すると、また空を見上げる。

「鈴谷は元気にしているのかしらと思いまして」

「ああ、あのちょっと軽そうに見える熊野の姉ちゃんか?」

 天龍もそう言いながら、空を見上げる。天龍にとって、空は手の届かない代物だ。建造時の世界標準超えといっても、当時は航空機の黎明期であり、その後も艦体が小さいばかりにカタパルトの装備ができず、最期まで航空機とは縁がなかった。だが、熊野は航空巡洋艦だ。その熊野にとって、空はどう見えているんだろうなとは思う。

「一度艦隊が離れてしまうと、この基地でさえ私たちのような航空機を運用できる艦娘がいなければ空は自由になりませんのね。昔のように基地航空隊や水上機部隊を整備すればよろしいですのに」

 熊野はそう言いながら、カタパルトを空に向け、瑞雲を一機発進させる。瑞雲はやがて、空の闇に消えていく。

「航空機がもたらしてくれる情報は膨大だからな。俺たちが一時間かけていくようなところでも、航空機ならあっという間だしな」

 天龍もそう言って空に手を伸ばす。やはり、どうやってもオレンジから紫に変わりつつある空には手が届かない。

「そうすれば、天龍たちのような水雷戦隊でも、いくらかは航空機で傘をかけて差し上げることはできましてよ」

「それは確かにありがたいな」

 暗くなってきた空から瑞雲が戻ってくる。熊野は右手でその瑞雲を回収した。

「私たちの艦載機は、夜間飛行できるものも少ないですし、その辺は昨今の航空機には敵いませんわ」

「いつか基地航空隊に傘をさしかけてもらえるときが来るかね?」

「南方には必要ですわ。空母と航巡、航戦も数が限られてますし」

 熊野はそう言うと、また遠くを見る。遠くに見える島影の遙か向こうに作戦を遂行している艦隊はいる。そこには姉妹艦三艦が全て投入されているのだ。

「いつか…かつての私のように、単艦航行していても敵航空機に撃沈されるようなことがないように、基地の航空隊で制空権を維持し続ければ、空も還ってきますのに」

「そうだな…。そうなれば、俺たちは海に集中できる。俺たちの戦場は海だしな」

 そう言った後、天龍は熊野の肩をぽんと叩く。熊野が少し驚いて天龍を振り向いた。

「ま、それでも熊野たちの水上機は役に立つ。またよろしく頼むぜ」

 ニカッと笑う天龍に、熊野は微笑を浮かべて頷く。

「任せておいてくださいまし。航空巡洋艦は伊達ではなくってよ。それに…」

「それに?」

「天龍の目は、私の瑞雲よりもっと高い空の向こうから、戦局を見ていますわ。その目は私にはないものですから、羨ましい限りですわ」

「よせよ、らしくねえ」

 一瞬ぽかんとしたあと、天龍は照れたように笑った。

 そうして、二人で笑いあう。

 お互いの胸の奥にあったわだかまりは、もうなかった。

 

 やがて、天龍から熊野の意見は木村へ伝わり、同様の意見が他からも出てきたこともあって、このラバウルには基地航空隊が開設されることになるが、それはまだまだ先のことだった。

 

 



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バニラ湾沖の雨と風 【江風と時雨と川内】(海上輸送作戦編)
新しい風


 鎮守府が横須賀以外にも広げられてから、一年が経った。かつては横須賀に集められ、なにかあれば各地に派遣されていた艦娘たちも、それ以来それぞれ所属の鎮守府や基地、泊地で銘々の時間を過ごし戦っている。

 一年前に七隻を数えていた白露型駆逐艦は、横須賀に留め置かれた夕立を除いて全て佐世保に集められた。駆逐艦の中で練度筆頭の時雨もその中に含まれている。川内型を中心とした水雷戦隊の中で、第二駆逐隊及び第二十四駆逐隊を形成する予定になっていた。

 

 白露型の中でも改白露型と呼ばれるグループに属する江風は、この間の第二次SN作戦の最中、天龍隊に保護された。同作戦中に同じく保護された姉の海風と一緒に、横須賀で調整と訓練を行っている。

「日向さーん、今日も本気で行っていいっぽい?」

 演習場で、江風たちの姉に当たる夕立が訓練を見守る日向にそう手を振っていた。日向は小さく頷いたように見える。

「ちょっ、夕立姉貴そりゃあ勘弁だぜ!」

 江風は思わずそう声を上げてしまう。隣の海風も多少青ざめていた。ようやく改装が終わったばかりの二人にとって、時雨、電、浜風と並ぶ練度を持ち、「ソロモンの悪夢」と称される夕立は、いくら訓練とはいえ相手が悪すぎる。しかも、夕立は手加減する気が全くない。実際のところ、数日前にもコテンパンに打ちのめされ、その場から動けなくなって岸壁まで曳航されるという無残な状態も演じている。

「よし。演習始め」

 それでも無情な日向の声が無線から届いた。

「素敵なパーティー始めるっぽい!」

「こんなのパーティーじゃねえよ、夕立姉貴ー!」

「そうですよー、姉さーん!」

 一気に始動増速した夕立に、二隻は抗議の声を上げながら迎撃態勢をとる。猛進してくる夕立に主砲を放つが、夕立は右に左に避けながら、確実に間合いを詰めてくる。江風と海風は左右に展開しつつ砲撃を続けるが、その動きも予測ずみだったようで、移動しながら軽く放り投げられた魚雷で、まず海風が行き足を止められた。

「きゃあああッ!」

 いくら訓練用の魚雷とはいえ、当たれば普通に痛いし、小さいながら爆発も起こす。海風の足元でその身体を隠すくらいの水飛沫が上がった。

「海風姉貴ッ!」

 江風は声を上げたが、その間にも夕立は進路を変えてものすごい勢いで向かってくる。一瞬怯みそうになる気持ちをグッと堪え、江風も主砲を放ちながら増速する。

「いくら夕立姉貴でも、いつも負けっぱなしは嫌なんンだよ!」

 江風は夕立の予測進路に向けて魚雷を放つと、夕立がその進路にしか行けないように砲撃での誘導を試みる。砲撃をかわした夕立は、魚雷の進路上になるコースへ移動した。

「よっしゃ!」

 江風は思わず声を上げたが、夕立は魚雷を確認すると「ぽいっ」と一声上げてその魚雷を飛び越えてかわしてしまう。

「飛び越えるなんて反則だろっ!?」

 江風が驚愕している間にも、夕立は空中で身体を捻りながら主砲を放ってくる。その全てが江風の身体を捕らえていた。赤いペイント弾が江風を汚す。

「勝負あり、だな」

 無線から日向の声が響く。綺麗に着水した夕立の「ぽい!」という元気な声も聞こえてきた。

「ちくしょ~、今日も勝てなかった~」

「だが最後の機転は悪くなかったな。相手が夕立でなければ足を鈍らせることはできただろう」

 項垂れる江風に、日向は淡々とそう言った。褒められたことがわかって、江風は顔を上げる。

「仕留めるにはもう一手必要だがな。そこはもっと海風と連携がとれていないとな」

「だよな~」

 結局ダメ出しされ、また江風は項垂れる。海には秋の風が吹き始めていた。

「片付けて着替え終わったら、海風と江風は司令室に行くようにな。提督から話があるそうだ」

 日向はそう言うと軽く手を振って演習場から去っていく。江風と海風はお互い顔を見合わせていた。

 演習場から戻ると、江風と海風は着替えを手に風呂へ向かう。訓練魚雷が命中した海風はずぶ濡れだし、江風に命中したペイント弾は石鹸でないと落ちなかった。

「提督が海風たちに話があるなんて初めてね」

 解いた髪を洗いながら、海風が隣で同じように長い髪を洗う江風に言う。

「そうだよな。提督からなんて、なンだろうな?」

 そう言って、江風も思案顔になる。二人共、呼ばれている理由が全く思い当たらない。訓練を続けている以外には、時に他隊の駆逐艦と一緒に船団護衛や哨戒などの任務にかり出されているくらいだ。たとえ今回もそう言った任務だといっても、呼び出されての指示は今までなかった。風呂から出た二人は、首をかしげながら司令室へ向かう。

「海風と江風、参りました」

 司令室のドアをノックしてから、海風が姉らしい配慮で司令室の中へ声をかける。すぐに「入れ」という木村の声が聞こえてきた。

「改白露型駆逐艦海風、江風、参りました!」

 司令室に入ると、海風がそう言いながら敬礼を決める。その横で、江風も倣っていた。木村は席に座ったまま、軽く頷く。

「単刀直入に用件だけ伝える。二人共、佐世保鎮守府へ異動が決まった。今日これから準備をして、明日出発してもらいたい」

「異動!? 佐世保ですか!?」

「いよっしゃ!」

 木村の言葉に、海風は単純に驚き、江風は単純に喜んだ。佐世保には、未だ発見されていない山風と、この横須賀にいる夕立以外の全ての白露型駆逐艦が配備されている。二隻にとって、姉だったり妹だったりする存在だ。彼女たちと同じ鎮守府に配属されるのは、望外の喜びだった。

「夕立を護衛につけるから、気をつけて行ってくれ」

 そう言って、木村は笑顔を見せる。二人は顔を見合わせて頷いた。

「では、明日一九〇〇出発できるように準備しておいてくれ。以上だ」

「失礼いたします」

 木村にそう敬礼をしてから、海風と江風は司令室を辞した。

「姉貴姉貴、佐世保だぜ、佐世保!」

 部屋へ戻る道すがら、江風はそう言って子供のように顔を綻ばせる。艦だった頃の彼女たちも、佐世保に配属されていた。その様子を見て、海風も優しく微笑む。

「そうね。姉さんたちもいるし、夕立姉さんは横須賀だけど、他の姉妹はみんな一緒で嬉しいね」

「時雨姉貴も元気にしてるかなー」

 江風はそう言って少し遠い目をする。駆逐隊は別だったものの、彼女の最期となったベラ湾夜戦では、僚艦として時雨がその最期を看取っている。

「江風は時雨姉さん好きね」

「そりゃあ、時雨姉貴だからな。佐世保の時雨は伊達じゃねえって!」

 姉らしい優しい笑顔の海風に、江風はそう言ってニッと笑う。今でも、駆逐艦のエースとして他の駆逐艦を寄せ付けない戦果を誇っているのだ。それは江風にとっても誇りだった。

「準備して、夕立姉さんと一緒に行きましょう。明明後日の朝には時雨姉さんにも会えるわ」

「早く明日にならねえかなー」

 江風はそう言って、暮れ始めた空を見上げていた。

 

 前日の内に準備をすませ、時間前に岸壁へ着くと、護衛として同行してくれる夕立はもう海の上で待っていた。まるで踊るように、長い髪をなびかせて付近を航行していたらしい。

「夕立姉貴ー!」

 江風は沖の夕立に手を振る。気づいた夕立は、ものすごい勢いで戻ってきた。

「待ったっぽいー」

「遅れてねえじゃん」

 笑顔の夕立に、江風もカカカと笑い返す。海風は、その横で微笑んでいた。

「じゃあ、行きましょうか。姉さん、護衛よろしくお願いします」

「任せるっぽい! 向こうに着いたら時雨ちゃんたちも一緒にパーティーしたいっぽい!」

 夕立はそう言うと、すーっと二隻を置いて航行を始めてしまう。江風と海風は顔を見合わせて苦笑いを浮かべると、スロープを降りて着水し、夕立を追いかけた。



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佐世保鎮守府へようこそ

 横須賀からは太平洋沿岸を航行し、佐世保に向かう。夜間航行の巡航速度で少し涼しくなってきた海原を進んでいく。

 豊後水道から関門海峡を抜け、九州北岸を回り込んで佐世保鎮守府に近づいたのは翌々日の朝になってからだった。

「夕立ー! 海風ー! 江風ー!」

 岸壁から声を上げる小さな影が見える。少しハネのある黒髪を一本の三つ編みに編み、左肩の前に垂らしている。一房、元気のいい髪が頭の上で大きく跳ねていた。

「時雨ちゃーん!」

 夕立が大好きな姉を認識して大きく手を振る。江風と海風はその夕立に顔を見合わせて頷くと、同じように大きく手を振った。

「姉貴ー!」

「姉さーん!」

 声を上げる二隻に、岸壁の時雨も大きく手を振り返した。

 

「この姿では初めてだね。僕は二番艦の時雨。よろしくね、海風、江風」

 時雨はそう言うと、軽く会釈するように微笑む。海風と江風も初顔合わせの名乗りをすませた。

「改白露型一番艦の海風です。姉さん、よろしくお願いしますね」

「同じく三番艦の江風だよ。姉貴に会えるの楽しみだったから嬉しいなあ」

 そう言って、江風は相好を崩す。つられたように、時雨も笑った。

「まずは提督のところに案内するよ。部屋とかはそれからね」

「その間退屈っぽいー! わたしも時雨ちゃんと遊びたい!」

 歩き出した時雨に並びかけて、夕立がそう唇を尖らせる。時雨は微苦笑を浮かべた。

「夕立は貨物船の護衛しながら戻るんだろ? 準備しておいでよ。案内終わったらすぐに行くよ」

「じゃあ、村雨ちゃんと遊んでる! 時雨ちゃん、終わったら来るっぽい!」

 夕立はそう言うと、時雨たちを置いて駆けだしていく。「村雨ちゃーん!」という大きな声が辺りに響いた。

「夕立ももう少し大人しくなったらなあ」

 苦笑いの時雨に、江風たちも苦笑いを返すしかない。横須賀でも、夕立の突飛な行動には振り回されたのだから。

 やがて、三人は司令本部のある本館へたどり着いた。

「ここが司令室。提督に用がある時とか、秘書艦やってる僕に用がある時とかは来たらいいよ」

 そう言うと、時雨は慣れた手つきでドアをノックする。

「提督、時雨だよ。海風と江風が来たよ」

「入れ」

 柔らかい時雨の声に対して、野太い険のある声が部屋の中から返ってきた。時雨はまるでそこが自分の部屋のように入っていく。

「入ります」

 江風と海風はそう断ってから、時雨に続いた。時雨は司令机の脇に自然に立ち、その横には、厳つい目つきのがっしりした体格の男が座っていた。その威圧的な雰囲気は、江風と海風を多少なりとも圧倒する。

「改白露型駆逐艦、一番艦の海風です!」

「同じく三番艦の江風だよ」

 少し声を上ずらせて、二隻はそう名乗る。男が立ち上がった。

「佐世保鎮守府司令の佐々木大佐だ。ここへ配属されたからには、俺の命令には全部従ってもらうぞ。異を唱えることは許さん。わかったな」

 佐々木は二隻を睨みつけながら、そう言う。穏やかな表情の時雨とのコントラストは、とにかく違和感があった。

「はいっ!」

 二隻はその威圧感に押され、またしても声を上ずらせてしまう。江風などは、内心「ヤバいところに来た」と本気で思っていた。

「僕があとも案内してくるよ」

「終わったら戻ってこい」

「わかったよ」

 それだけのやりとりで、時雨は佐々木の脇を離れる。二隻の後ろに回って軽くその肩を叩いた。

「さ、行こう」

「失礼します!」

 江風と海風は敬礼をしたが、もう佐々木は見ていない。もう一度時雨が肩を叩いて退室を促した。

「おっかねえオッサンだなあ。時雨姉貴、あんなのの秘書艦務めてるのか?」

「オッサンは失礼でしょ、ここの司令なんだから」

 司令室を退出してしばらく経つと、江風と海風はそう言い合う。時雨は苦笑いだ。江風の言葉を否定はしない。

「時雨姉貴は平気なのか、あのオッサン?」

「もう慣れたよ」

 江風の言葉に、時雨はそう言って薄く笑う。そこにあった一瞬の表情の揺らぎに、江風も海風も気づけない。

 時雨は鎮守府内を一通り案内し、最後に二隻をあてがわれている部屋に連れてきた。第二十四駆逐隊と表札がかかっている。

「二人はこの部屋。五月雨と涼風が一緒だよ」

「おっ! 五月雨姉貴と涼風が一緒か!? いいねえ。アリだね!」

 時雨の声に、江風はそう言って指を鳴らす。海風もすぐ上の姉と末っ子が同室なことに、悪い気はしていない。

「五月雨ー、涼風ー、入るよー」

 時雨はドアを軽くノックすると、それだけ言って返事も待たずにドアを開けた。五月雨と涼風は煎餅をお茶請けにお茶をしているところだった。

「五月雨姉貴、涼風! 今日からよろしくな!」

「江風と、海風?」

「はい、そうです。五月雨姉さん、涼風、よろしくね」

「うわー、賑やかになるなあ! 嬉しいな、五月雨!」

 一気に四隻でできた輪を時雨は入り口で見て微笑んでいる。そうして、それが一段落つくまで待っていた。

「じゃあ、僕は夕立に会ってから司令室に戻るよ。なにかあったら白露たちに聞いてもいいし、僕を訪ねてくれても」

「ありがとな、時雨姉貴!」

「姉さん、ありがとう」

 そう返す江風と海風に微笑みを向けてから、時雨は部屋を出て行った。



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雨の向こうの闇

 賑やかな時間を鎮守府にまき散らしていた夕立も、昼食後には出発したらしく、夜の鎮守府は静寂が訪れていた。

「いつもなら川内さんがそろそろ賑やかになる頃なんだけど、今日は川内型三隻で訓練兼ねた船団護衛に出てるから、今日は静かよ」

 苦笑いを浮かべながら、五月雨が言う。全員寝間着に着替え、二十四駆の部屋はもうすっかりとくつろぎモードだ。そんな中、江風が立ち上がる。

「どこ行くの、江風?」

「寝る前に水飲んでくるわ」

 気づいて声をかけてきた海風にそう笑顔を向けておいて、江風は部屋を出て行く。今日来たばかりの建物の中の構造はまだ全部頭には入っていない。江風は迷いながら給湯室へたどり着くと、備え付けのコップで水を飲んだ。

「さて、こっからどうやって戻るんだっけ…?」

 照明の落ちた廊下は夕方と全く風景が違う。自分たちの部屋が二階だと言うことはわかっているが、階段からどうやって来たかは全く覚えていない。

「テキトーに歩いてりゃその内帰れるかな」

 そう呟くと、江風は歩き出した。中途半端な灯は闇を深くするとはよく言ったもので、外の照明が廊下を返って暗く見せていた。その中を、まるで夜戦の海を楽しむように江風はリズミカルに歩いてく。その途中、微かな悲鳴のようなものが江風の耳に届く。

「悲鳴? 誰のだ…?」

 江風は声が聞こえた方へ歩いていく。続けてまた、呻くような掠れた声が小さく届く。

「…時雨姉貴?」

 江風は声の主を確信して急ぐ。灯の漏れるドアの上には「司令室」の表札がかかっている。

「時雨姉貴!?」

 江風はドアをノックもせずに開ける。その瞬間、足元に時雨が倒れ込んできた。

「姉貴!?」

「江風!?」

 時雨は声のした方を見上げて驚く。その頬は腫れ、唇の端が切れていた。丁寧に結っていた三つ編みも乱れて解けかかっている。

「なにをしに来た!」

 倒れ込んだ時雨越しに、佐々木が仁王立ちになっている。江風は思わず息をのんだ。夕方とは比べものにならないくらいの威圧感が江風を襲う。その右腕が振り上げられたのを見て、江風は思わず目を瞑ってしまった。時雨の状態を見れば、殴られると思うのは自然な感情だ。

「提督!」

 時雨の声に江風がそっと目を開けると、時雨は立ち上がって、江風を庇うように両手を広げ、佐々木に立ち塞がっていた。佐々木の右手は時雨の頬に当たり、時雨はまたそのまま倒れ込んだ。

「姉貴!」

「いいんだよ。迷ったんだろ? 部屋まで送るよ」

 時雨は軽く唇の端の血を拭うと、何事もなかったように立ち上がり、江風の肩を軽く叩く。そうして、佐々木を振り向いた。

「提督、いいよね?」

「勝手にしろ」

 時雨の声に、佐々木は舌打ちしてからそう言い放つ。時雨は「すぐに戻るよ」というと、呆然とする江風をエスコートして部屋を出た。江風には、どう見ても異常な光景にしか見えない。秘書艦を殴打する提督。それに抗しない秘書艦。

「…姉貴、なにがあったンだ?」

 部屋を出てすぐに、江風は時雨にそう聞く。赤く腫らした頬に拭っても出血が止まらない唇は見ていて辛いものだった。

「提督とは色々あってね」

 時雨は苦笑いを浮かべながらそう言うと、いつもの穏やかな表情で前を向く。

「色々って…」

「色々だよ」

 それ以上聞かせない穏やかな口調で、時雨はそう言う。目の前に透明な壁を立てられたような気がして、江風はそれ以上聞けなかった。

「明日昼の内にでももう一回見て回るといいよ」

「…ありがと、姉貴」

 江風がそう言うのを確認して、時雨は笑顔で軽く手を振って戻っていく。江風は、その姿が廊下の角を曲がるまで立ち尽くしていた。

「五月雨姉貴、涼風…。ここの鎮守府はどうなってンだ…?」

 江風は部屋に戻ると、思わず先任である二隻にそう聞いてしまう。江風の辛そうな表情に、五月雨も涼風も驚いたあと俯いてしまった。ドアの外から聞こえていたのが時雨の声だったから、江風が遭遇した事態を察していた。

「なにがあったの、江風?」

 状況が理解できない海風だけが、困惑した表情で江風にそう聞く。江風は海風の横に腰を下ろすと、絞り出すように言う。

「時雨姉貴がオッサンに殴られてた。あのオッサン、迷い込んだ江風も殴ろうとしてきたンだけど、時雨姉貴が代わりに殴られてくれた」

 江風の言葉に海風は声が出ない。五月雨と涼風の方を見ると、二隻は俯いたまま沈黙している。

「五月雨姉貴、涼風。ありゃあいったい何だ? 時雨姉貴はいつもあんな目に遭ってンのか…?」

 江風の問いに二隻とも答えない。その沈黙は、否定に見えない。無言の答えが目の前にあった。

「軍令部に通報して、憲兵に…」

「それは、もうやったんだ…。ずいぶん前に…。でも、無視された」

 海風の声に、涼風の小さな声が応える。

「軍令部は、あたいたち艦娘の声なんて聞いちゃくれねえ…。そのあとで、時雨はまた酷い目に遭わされてた」

「そんなことが…」

 涼風の話に、海風は沈痛な表情を向ける。江風は沈黙したままだ。

「その…、時雨…殴られてただけじゃなくて…イヤらしいこともされてるみたいで…」

 五月雨は俯いたままそう言って目を伏せる。

「わたしたちのせいなの…。あの時のわたしたちの練度が低かったばかりに、時雨には…」

「あの時って…?」

「一年前、この鎮守府ができた時さ。当時の白露型は、夕立を除いて全部ここに集められた。その時のあたいと五月雨は、まだ着任したばっかりで、ロクに航行すらできなぐらいだったんだ」

 そう言う涼風に、海風と江風はちらと目を合わせる。

「わたしたちが余りに低い練度で配属されたから、司令はわたしと涼風には艦娘としての期待はしてないって言って、雑用ばっかりさせるようになったの」

「それである日、五月雨が司令に襲われそうになって、その時たまたま居合わせた時雨が…」

「自分を差し出す代わりに、みんなには手を出すなって言ったンだな」

 江風はそう言って、大きく溜息をつく。はらわたがひっくり返りそうだ。横須賀で優しくしてくれた木村が特別なのかと勘ぐってすらしまう。

「なンか、時雨姉貴らしいって言うか、馬鹿だよな、姉貴…」

 江風はそう言うと、くしゃくしゃと髪を掻く。時雨の行動の結果、五月雨も涼風も救われたのだろうが、明らかに二隻は姉の時雨に対して引け目を感じてしまっているのだ。それは、庇われた自分も同じだ。それから一年、時雨は時にサンドバックになり、時に慰み者になり、この檻の中で過ごしてきたのだろうと言うことは容易に想像がつく。時雨は姉妹艦や鎮守府の女性全てを人質に取られているようなもので、逆らうことなどできない。

「白露型以外の…例えば川内さんたちはこのこと、知らないの…?」

「多分知らない。あたいたち以外の艦娘の部屋は少し離れてるから、時雨が半軟禁状態にあることも知らないはずさ。大規模作戦で時雨に出撃命令がない限り、時雨はずっと提督の部屋だから」

「そうなのか…」

 海風と江風はまた顔を見合わす。時雨を何とかしてやりたちとは思っても、ことを知っているのは白露型だけで、他の艦娘は知らない。また、より上位の組織である軍令部がこのことを黙殺しているということは、事実上どうすることもできないのだ。

「…今は、時間を稼いでチャンスを待つしかないンだな」

 江風はそう呟く。が、その時間がさらに時雨を苦しめることも知っていた。誰もがこのままでいいとは思っていない。だが、艦娘の兵装は対深海棲艦用のもので、対人兵器としてはオモチャに過ぎない。艤装を装備していればそれなりの力も出るが、人に相対しているときはその出力を抑える制御がされているようで、鍛え上げた成人男子の腕力には敵わない位なのだ。つまり、人と敵対した艦娘には、人としての力しかないと言うことだ。

「江風たちがあのオッサンをここから追い出すには、なにか策を練るしかないンだ」

 そう言う江風の瞳に宿る色は鋭い。海風は、その瞳の強さを見て息を飲んだ。

「江風、無茶は…」

「このまま黙ってオッサンが転属するのを待ってるなンてできねえよ」

 江風は、海風の方を見ずにそう言って口を噤んだ。五月雨と涼風は小さくなるばかりだ。

「ごめん…わたしたちにもっと力があったら…」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、五月雨は握った拳を膝の上で振るわせる。涼風の目も真っ赤だ。二隻を責めたかったわけじゃねえのになと江風はぼんやり思う。自分になにができるのかと。権力もなければ力もない。ある種、この佐世保鎮守府は佐々木の恐怖政治が支配する独裁国家だ。それをひっくり返すにはどうすればいいのか。水戸黄門を待っても、それは物語の中のお話に過ぎない。

「五月雨姉さんと涼風は、演習に出れてるの?」

「洋上に出るのは禁じられてて、あたいたちは陸上の雑用しか振ってもらえてない。訓練も、一年前から全くできてねえんだ」

 涼風は海風にそう答える。それを聞いていた江風は、小さく息をついた。

「江風と海風姉貴は横須賀で夕立姉貴の無茶振りに付き合わされたから、それなりの練度はある。江風たちが強くなって、時雨姉貴を護るしかねえ」

 江風はそう言って五月雨と涼風に頭を下げた。

「五月雨姉貴、涼風、言い難いことを言わせてすまねえ。この江風に時雨姉貴のこと、任してくれねえか」

「江風…」

 江風の言い出したことに、海風は驚いて目を向ける。元々特攻精神旺盛な妹だ。姉としては心配で堪らない。だが、いつも江風は海風の心配の上を行く。手が届かないところで海風は見守ることしかできなかった。

「江風、お願い。時雨を救ってあげて。こんなことしか頼めない情けないお姉ちゃんでごめん…」

「あたいからも頼む。あたいと五月雨は、何もないようにいつものようにしておくから」

 五月雨と涼風も、そう言って江風に頭を下げた。海風だけが困惑してことの成り行きに追いつけない。そんな三隻の様子を見ながら、海風もなにかできないかと思いを巡らせ始めた。



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夜の瞳

 佐世保鎮守府には、第二駆逐隊、第二十四駆逐隊以外に、川内型軽巡の三隻が配属されていた。川内、神通、那珂の三姉妹だ。この内、那珂が最古参だが三隻とも練度はあまり高くない。神通に至っては最近配属になったばかりでもある。那珂と川内が交代で対潜哨戒や船団護衛の旗艦を務めるのが精一杯という状況だった。川内は、その状況を良しとせず、夜な夜な演習場に出ては夜戦の訓練をしていた。結果、演習場に面した区画は深夜の騒音に悩まされることになっている。

「んじゃ、訓練に行ってくるなー」

「姉さん、たまには休んだら?」

「そうそう、アイドルには休養も必要だよー」

 部屋を出ようとする川内に、神通と那珂が次々にそう言う。その妹たちに川内はニッと笑う。

「夜戦の目は闇の中でしか鍛えられないからね」

 川内はそう言うと、ヒラヒラと手を振って部屋を出て行く。そのまま迷うことなく演習場へ向かう。演習場の岸壁まで来ると、人影が見えた。

「川内さん」

「江風…だっけ?」

 挨拶の時にしか顔を合わしていない新任の駆逐艦の姿を認め、川内は怪訝な顔を向ける。その江風は既に艤装を展開してフル装備状態だ。

「どしたの? アンタも夜戦の訓練?」

「ご一緒してもいいか?」

 軽く笑いかけたつもりだったが、江風から返ってきたのは真剣な眼差しだった。川内は少し虚を突かれた。時雨を除けば春雨が練度一番だったはずの白露型で、こんな眼差しを返してくる艦はいなかった。

「いいよ。教導が希望?」

「川内さんの戦い方を見て自分のものにしたいだけさ」

 江風はそう言うと、スロープに足をかける。あっという間に着水して沖へ向かう。

「へえ…」

 川内は思わず鼻を鳴らした。自分も艤装を展開して江風のあとを追う。

「いい心意気だね。連携できる?」

 江風を追い越しながら、川内はそう声をかける。江風が頷く気配がわかった。沖の演習標的はもう起動している。

「じゃあ、右舷砲撃戦行こうか!」

 川内はそう言いながら左に舵を切っていく。少し離れて江風が続くいた。月のない夜だ。演習標的は夜戦慣れした川内でも見つけにくい。微かな星明かりで標的を探す。海影の中にちらりと標的の影が過ぎった。

「テーッ!」

 川内の口から漏れ出したかけ声で、右腕に装備した主砲が火を噴く。着弾の火花が演習標的から上がる。江風も続いた。いくつかは命中したようだ。

「そのまま接近して雷撃戦!」

 川内はそう声を上げると右に舵を切って回り込むような航路を取る。きっちりとは見えないが、江風が長い髪をなびかせながら後続するイメージはつかめる。川内は必中距離まで来ると、魚雷を放った。江風も川内から少し遅らせて同じ目標に魚雷を放つ。二段攻撃を狙ったのだろう。しばらくすると、ゴバッと演習標的から水柱が上がった。川内の口角が嬉しそうに上がる。

「次、左舷で行くよ!」

 川内の声が次の訓練を宣言していた。

 

 川内と江風が演習場の岸壁へ戻ってくると、まだ夜明けではないものの、見上げる星の位置はずいぶんと動いていた。江風は肩で息をしている。

「ほーい、飲みな」

 川内は先に持ってきていたスポーツドリンクを投げてよこした。そのペットボトルは江風の頭に当たって転がっていく。

「あらら。初日からちょっとキツすぎたか」

 転がっていくペットボトルを拾い上げて、改めて江風の脇に置いてやる。

「…毎晩こんなことやってンすか?」

 喘ぐ息の隙間から、江風がやっとの声を絞り出す。川内も江風の脇に腰を下ろす。息も絶え絶えの江風と違い、川内は少し息を弾ませているくらいだ。

「んー、毎晩ってことはないけど、今日は連れがいたからちょーっと張り切っちゃったな」

 そう言って川内はペットボトルの蓋を切る。軽い空気の抜ける音がして、中の液体は川内の喉を潤した。そうして、川内は江風の息が整うのを隣で待ってやる。声はかけない。やがて、江風の手が脇に置かれたペットボトルに伸び、一気に蓋を切ると飲み干した。

「明日も付き合っていいですか」

 顎に流れた液体を袖で拭うと、江風は川内を見据えてそう言う。川内はニッと笑った。

「大歓迎だよ」

 

 それから、川内が鎮守府にいる夜は毎晩江風との特訓が続いた。江風が部屋に戻ってくるのは夜明け前になることもある。翌日に任務がある日でもそれは続いた。非番の昼間、江風は毎日死んだように眠っていた。その様子を、同室の三隻は心配そうに見ていることしかできない。

「川内さん」

「お、海風。珍しいね、こっちの建物まで来るなんて」

 朝食…もとい川内にとっては寝る前の夕食を採っているところに、海風がやってきた。神通は訓練に出ていて、那珂は第二駆逐隊を率いて船団護衛に出ている。川内は一人で食事をしていた。

「お食事中すみません。江風のことなんですけど…」

「座りなよ」

 川内はそう言って、自分の隣の椅子を引いて、海風を促す。海風は少し躊躇してからその椅子に腰を下ろした。

「江風は根性あるね。私でも音を上げそうな内容、気合いでこなしてくるからこっちも負けてられないよ」

 川内はそう言って笑いながら、食事の箸を進めていく。目の端に海風の心配そうな顔を置いたまま。

「江風は、大丈夫でしょうか…。夜戦の訓練ばかりで、昼間は死んだように寝てるから心配で…」

「心配ないと思うよ」

 川内はこともなげにそう言いきった。海風の顔に驚きの表情が浮かぶ。

「江風は何も言ってこないけど、なにか考えがあってやってると思うから、そう簡単にはくたばらないよ。なにかあるんだろ?」

 川内は味噌汁を飲みながら、視線を初めて海風に向けた。海風は躊躇いながらも小さく頷く。

「その内ちゃんと話してくれると思うから、今は詳しく聞かないよ。私も一緒に訓練できる相手がいて、正直張りがあるしね。ま、壊れそうになったらちゃんと止めるからさ」

「ありがとうございます」

 海風はそう言って頭を下げる。川内は箸を置いて手を合わせた。

「私も一番艦で下ばっかりだから、姉のアンタが気を揉むのはよくわかるよ。私だって那珂がもう少し大人しくなんないかなとか、神通は普段からもう少しあの鬼神のような気合いを見せればいいのなとか思うこともあるし」

 そう言って、川内は身体ごと海風に向けた。海風は思わず姿勢を正してしまう。

「でも、アンタの妹は本物だ。心配しなくてもいいし、信じてやりなよ。きっとやろうとしてることは成し遂げられるよ」

「はい…。江風のこと、お願いします」

 川内の笑顔に、海風は小さく頷いてその席を辞した。

「川内さん、江風のことよく見てくれてる。海風もできること探そう…」

 海風はそう呟くと、部屋へ戻る足を速めた。



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下命と謀議

 秋は深まっていく。佐世保にも北風の声が聞こえてきた頃、一報がもたらされた。

「海風、江風、提督が呼んでるよ」

 出し抜けに時雨が現れ、本を読んでいた海風は飛び上がりそうになった。五月雨と涼風は雑用にかり出されて留守だ。

「あれ、江風は?」

「江風は、訓練で疲れて眠ってます」

 海風はそう言うと、立ち上がって二段ベッドの下段にある江風のスペースのカーテンを開けた。まさしく熟睡中の江風の姿がそこにある。

「なんか最近川内さんと夜戦の訓練してるんだってね。時折演習場からなにか聞こえることがあったから。江風も頑張ってるんだね」

 そう言いながら、時雨は江風の肩を揺する。

「江風ー、提督がお呼びだよ。起きてくれないと困るな」

 時雨がそう言ってしばらく揺すっていると、江風の目がゆっくりと開く。その目が時雨を認識したとたん、がばっと起き上がった。

「時雨姉貴!?」

「提督がお呼びだよ。着替えたらすぐ司令室」

 いたずらっぽく笑ってそう言うと、時雨はふわりと身を翻して部屋を出て行く。江風は思わず呆然と見送ってしまった。

「海風も呼ばれたの」

「なんだろな」

 江風はそう呟くと、ベッドから這い出て着替えを始める。いつもの服に着替え、髪を結んだら準備完了だ。

「行こうぜ、姉貴」

「うん、そうね」

 頷き合うと、二隻は部屋を出て司令室に向かった。

 佐々木から呼び出しがあるなど初めてのことだ。なにか勘ぐられたのではないかとヒヤヒヤする一方、さっき見た時雨の柔らかい笑顔はその考えを否定する。幾分悶々としながら、司令室へ着いた。

「海風、入ります!」

「江風、入るぜ」

 二隻がドアをくぐると、中には佐々木と時雨以外に川内の姿もあった。時雨も、いつもの定位置である佐々木の横でなく、今日は川内の横に並び、佐々木に正対している。

「遅い! さっさと来い!」

「はいっ、すみません!」

 海風がそう佐々木に反応して時雨の横に並びかける。江風は無言でそれに続いた。

「敬礼!」

 時雨の声で、四隻は佐々木に敬礼をするが、佐々木は頷きもせず返礼もない。時雨に合わせる形で、手を下ろした。

「コロネハイカラ島への輸送作戦を支援することになった。艦隊司令部からの要請で、佐世保からはこの四隻が出ることになる。俺にも要請があったから、俺も艦隊の指揮を執ることになるとは思うが、その時はわかってるな」

 そう言って、佐々木は四隻を睥睨する。海風が少し表情を動かした程度で、残りの三隻の表情は変わらない。佐々木は鼻を鳴らす。

「一週間後の十一月十二日に出発する。ショートランド基地までは俺の司令艦の護衛もしろ。いいな」

「敬礼!」

 時雨の見切りは早い。佐々木の話が終わったとみると、まるで阿吽の呼吸で敬礼の指示を出す。佐々木はこの時ばかりは無表情ながらも頷いた。

「解散!」

「はいっ!」

 時雨の声のあと、残りの三隻の声が揃う。時雨を残して三隻は司令室を出て行く。そうして、示し合わせたように食堂へ移動した。

「大規模作戦だったんですね」

「ま、順当なメンバーかな。あとは連れて行けそうなのって春雨くらいだしね」

 海風にそう言って、川内は笑う。だが、江風は笑わない。まだなにか考えながら俯いていた。

「とりあえず、訓練は続けるよ。どうせならベストを超えたところで作戦に挑みたいしね」

 川内はそう言ってまた海風に笑いかける。海風は江風の様子をちらっと見てから戸惑ったように頷いた。

 

 その夜も、川内と江風は示し合わせたわけでもなく、夜の演習場へやってきていた。始めた頃に比べると、二隻の動きは格段に良くなっており、江風ももうへばるようなこともない。数時間の演習をびっちりすませたあと、岸壁で飲み物を分け合った。

「そろそろ改二申請しても通るかな」

 川内はそう言って腕をさする。自分の動きに艤装が追いつかなくなっているのがわかるのだ。どちらかというと、艤装に動きを制限されている感じすらする。

「いいなー、川内さん改二か」

 江風はそう言って、ペットボトルの液体を開ける。川内の動きにはまだまだ追いつけないが、それでもここへ来たばかりの頃の自分とは比べものにならないくらいの練度を重ねることはできた。今なら春雨も超えて佐世保の時雨の妹分としてはそれなりに申し分ないかと思えるのだ。だからこそ、この作戦の中で、何かしらのチャンスをつかみたい。昼に見た時雨は、自分たちに殆ど顔を見せてくれなかった。それが気になるのだ。隠したい、見抜かれたくないなにかがあるのかと思う。もう、限界なのではないのかと。

「川内さん、オッサン殺したら解体ですかね」

 ぽそりと、江風は呟いてしまう。川内は少し驚いた顔をしたが、口元に笑みを浮かべる。

「そうだね。バレたら解体は免れないだろうね。反逆罪ってヤツになるのかな」

「ですよね」

 江風はそう言うと、またペットボトルの飲み物を口にする。

「時雨姉貴を助けたいンです。川内さん、協力してください」

 しっかりと川内を見据え、江風はそう言いきった。川内も真剣な瞳でその瞳を見返す。江風の瞳には揺らぎも迷いもなかった。

「時雨、酷い目に遭ってんだ?」

 川内はそう言うと、江風から視線を逸らし、自分も飲み物を口にする。そうして伸びをした。

「佐々木大佐の噂は横須賀の時から聞こえてたけど、時雨を囲ってやりたい放題か。私たちの敵みたいなもんだね」

「時雨姉貴が自分の存在と引き替えにここの全部の女を護ったンです。今度は、江風たちが時雨姉貴を護る番だって」

 江風は立てた膝に顔を埋めながら呟くように言う。

「それで私の夜戦訓練一緒にやってくれたんだね。強くなるために」

「強くなりたいンです。時雨姉貴を守れるぐらいに」

 江風の横顔は真摯だった。川内の胸の奥にも熱い炎が点る。

「夜戦になればチャンスがあるかもね。戦場では、なにが起こってもおかしくない」

 川内はそう言って笑いかける。その笑顔を見て、江風は頷く。

「逆襲されないようにしないとね。あとは、時雨に知られないようにすること。もう少し同志はほしいかな」

「海風姉貴も、このことは知ってます」

「海風じゃ残念だけど、戦力にはならないよ。彼女には、別の役目を考えた方がいい」

 川内はそう言って空を見上げる。満点の星空は天啓をもたらしてくれた。だが、それを江風に言うわけにはいかない。

「改二で訓練して、あとはチャンスを待つだけだね」

 そう言って川内は屈託なく笑う。江風は力強く頷いた。

「覚悟はできてます」

「できる限りのことはしとこうか」

 川内はそう言うと、ごろんと寝転んで星空を見上げた。ベラ湾で時雨に看取られた江風が時雨を救おうとしているのだ。上手くいくかどうかわからないが、やるだけの価値はありそうだった。それは、この佐世保にいる妹たちのためにもなるはずだ。あとは、横須賀に行ってから考えよう。艦隊司令の木村は、どう考えてるだろうか。そんなことを考えていた。

 



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艦隊集結

 川内の改二申請はあっさり通り、川内は一足先に横須賀へ移動し、改二改装を終えて横須賀から出発する艦隊に組み込まれて出撃することになったようだ。まるで何事もないかのように日々は日常を重ねていく。江風は最後の調整を続けながら出撃の日を待った。

 やがて、本当に何事もなく出撃の日が来る。佐々木の乗艦する司令艦いそゆきは、結局時雨と江風、海風の三隻でショートランドまで護衛することになった。

「じゃあ、行こうか」

 いつも通りの時雨の笑顔が出発を告げて沖へ出て行く。江風と海風は頷き合うと時雨に続いた。

 この日まで、川内からは何の連絡もない。横須賀を無事に出発できたのかもわからない状態だった。だが、便りがないのは良い便りだと思うことにして、江風はいそゆきの右後方を進んだ。何日も続く航海の途中から、時雨は護衛を外れて艦内に収容されていた。先頭を江風、後方を海風が守る二隻護衛の隊形になっていた。江風は任務にだけ集中して航海を続ける。ここでいそゆきを撃沈されてしまえば、佐々木のことなど知ったことではないが、他の乗員だけでなく艦内で無防備な時雨も失う可能性があるからだ。それはとにかく避けたかった。

 長い航海の果て、ショートランド基地へ到着した。基地には、既に横須賀からの司令艦さわゆき、輸送艦おが、みうら、ちた、おとみ、トラックから移動してきた司令艦はまゆき、パラオから来た司令艦あさゆきがその大きな艦体を休めていた。

「江風たちが一番最後かぁ」

 巨艦たちの脇を抜けて、江風と海風は上陸用スロープに移動する。接岸したいそゆきを見ると、時雨がタラップから上陸するのが見えた。艤装も展開せず、損傷しているわけでもないのに歩いて上陸する時雨の姿は、予想はしていたが江風には悲しく思えた。

 上陸すると、江風と海風は時雨と合流して艦娘の控え室へ案内された。そこには、各基地から集められた精鋭が顔を揃えている。その中に、川内の姿もあった。

「先遣部隊は囮になって敵棲地へ突入する。その間にこちらもすませてしまうことになる」

 日向が江風を見つけるなり、近寄ってきてそう声をかける。

「コロネハイカラ島へは艦隊を三つに分けて進むことになりそうだ。輸送艦隊の護衛隊、突入隊、遊撃支援隊ということだな」

 日向はそう言うと、川内と最上を手招きする。

「バニラ湾には敵の妨害部隊が既に遊弋している。先遣隊は川内旗艦で最上、夕立、時雨、江風、浜風になりそうだ。夜間戦闘になりそうだから、調整しておいてくれ」

 日向の言葉に、その場にいた川内、最上、江風が頷く。

「とにかく気負わず確実に行ってくれ。輸送艦隊が撃滅されればこちらの負けだ。主力部隊の働きも無駄になる。頼んだぞ」

 日向は江風たちが頷くのを確認すると、他の艦娘の方へ離れていった。江風がちらりと川内の方を見ると、川内はニッと笑い返してくる。元の制服を改装した忍者のような改二スタイルだ。江風が首を巡らせると、時雨の方は扶桑と山城に話しかけられているようで、苦笑いを浮かべていた。

「時雨、元気そうだね」

「道中はほぼいそゆきの中だったンで、気疲れはしてると思います」

 江風は川内にそう言って、また時雨の方を見る。「佐世保に移動してからあなた、瞳に光がなくなったわよ」という山城の声が聞こえてきた。時雨は苦笑いを浮かべるしかないようだ。

「わかる人にはわかるンですね」

「山城さんは西村艦隊で時雨と縁あるしなあ。元々横須賀時代でも時雨のことかわいがってたからな、あの二人は」

 川内に言われて江風は頷く。自分が沈んだあとの壮絶な戦いのことは耳に挟んでいる。その中で、時雨がどんな風に戦ったかも。

「とにかく、仕事は仕事。確実にやろう」

 川内の言葉に、江風はまた頷いた。

 

 やがて、トラック基地を預かっている風間少将がやってきて、編成表を貼り出す。

「各隊分かれてミーティングを行う。この表を見て、みんな移動してくれ」

 風間はそう言って表の横に立った。ぞろぞろと艦娘たちは集まってきて自分の部隊を確認する。

 作戦に先立って先遣し、敵の主力をコロネハイカラ島から遠ざけ、作戦の成功率を上げるための囮部隊には、山城、扶桑、金剛、榛名、摩耶、加賀、矢矧、比叡、霧島、島風、朝潮、秋月が選ばれていた。指揮官は木村中将。作戦の要たるコロネハイカラ島への輸送を担う護衛部隊には、阿武隈、初風、雪風、天津風、時津風、海風、指揮官はトラックの風間少将。バニラ湾に突入し、敵の遊弋隊を蹴散らし輸送作戦を容易にする突撃隊には、川内、最上、夕立、時雨、江風、浜風、指揮官に佐々木大佐。突入部隊、輸送部隊を掩護する遊撃艦隊に日向、飛龍、蒼龍、磯風、浦風、谷風、指揮官にパラオの大沢中佐が充てられていた。

「海風は輸送部隊掩護ね」

「頼むぜ姉貴。おおすみ型輸送艦四隻はかなり大変な護衛相手だぜ」

 そう言い合う海風と江風に、時雨が近寄ってくる。

「僕たちはあっちだね。行こうか」

「じゃあな、海風姉貴」

「気をつけて江風、時雨姉さん。無理はしちゃ駄目よ」

 その海風に、江風も時雨も笑う。

「今しなくていつすンだよ、姉貴」

「そうだよ。ここは僕たちが何とかしないとね」

 そう言うと、江風と時雨は踵を返して部屋を出て行く。海風の胸には胸騒ぎだけが残った。

 突入部隊は隣の部屋の一角に集められていた。既に浜風と夕立はやってきている。

「時雨ちゃんと一緒はうれしいっぽい!」

 時雨の姿を見かけるなり、夕立は飛びついていく。江風は苦笑いで見ているしかない。そうしていると、浜風が近づいてきた。

「パラオ基地所属、第十七駆逐隊の浜風です。よろしく」

 生真面目そうな顔が笑顔もなしにそう言ってくる。江風はニッと笑顔を向けた。

「佐世保の第二十四駆逐隊、江風だよ。よろしくな」

 そう言うと、浜風の唇が少しだけ綻ぶ。ああ、不器用なんだなと江風は理解した。

「時雨姉貴と夕立姉貴はいいの?」

「時雨と夕立とは、横須賀時代に一緒の艦隊だったこともあるから、面識はあるの」

「なるほどね」

 浜風とはそんな会話を交わす。彼女の所属する第十七駆逐隊は遊撃部隊に三隻配属され、浜風だけがこちらに参加している。そのあと、浜風と他愛もない話をしていると、川内と最上もやってきた。その直後、廊下で大沢の大きな声が響く。

「ウチの所属艦に手を出したら、いくら上官でも許しませんよ!」

 思わず江風も浜風も廊下を見た。佐々木と大沢が睨み合っている。

「お前んとこの所属艦って、そこの乳のでかいのか」

「なっ!?」

 佐々木の無遠慮な視線と言葉に晒され、浜風は思わず声を上げて真っ赤になってしまう。さすがに江風も不憫だと思い、佐々木へ硬い視線を送り返した。

「許さないって、どうすんだ、若造」

「提督!」

 佐々木が大沢に絡み出したのを境に、時雨の声が飛んだ。いつの間にか、時雨が大沢と佐々木の間に入ろうとしている。男二人の間で、時雨の身体はことのほか小さく見えた。その時雨の姿を見て、佐々木は舌打ちする。

「ま、聞いといてやるよ」

 そう言って、佐々木は大沢に背を向けた。大沢は鬼の形相で佐々木の背中を見つめている。

「大沢中佐、すみません。浜風のことは、僕がちゃんと見ておきます」

 時雨に頭を下げられ、大沢は一気に毒気を抜かれた。ぽかんとした顔で、時雨を見下ろす。

「君が何も大佐の代わりに謝ることは…」

「気にしないでください。浜風、お借りします」

 時雨はそう言うと、また大沢に頭を下げて部屋の中に戻ってきた。

「なんか、幼妻って感じだなあ。大佐も時雨に操られてないか?」

 川内が呆れたようにそう呟く。江風は返事を返さない。そこへ至るまでの時雨の痛みと悲しみは、想像に難くないからだ。真っ赤になって半泣き状態の浜風は、最上が声をかけて笑わせようとしていた。

「作戦を説明するぞ!」

 そんな状態の江風たちを、佐々木が怒鳴りつける。全員佐々木の前に整列した。

「敬礼!」

 川内の号令で、作戦説明が始まった。



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南風の夜

 主力が敵の主力艦隊を誘引してコロネハイカラ島付近の敵を弱体化し、その隙に乗じて輸送を完了させるというのが今回の作戦の趣旨だ。昼の間は二航戦の空からの護衛があるが、夜は突入部隊が敵の妨害部隊を食い破るしかない。その槍となるのは川内旗艦の突入部隊だ。主力艦隊が索敵を続けながら前進し、敵主力を見つけ次第全力で攻撃、撃滅し、そのあとを突入、遊撃、護衛の三部隊が進んでいく形になる。特に護衛部隊は輸送艦四隻と司令艦はまゆきを護りながらの突入になるので、不測の事態に備えなければならなかった。そう言った意味では、槍の役目たる自分たちは気楽なものだなと江風は思う。主力が取りこぼした、もしくは主力ではない邪魔な敵艦隊に当たればいいのだから。既に敵の偵察機にも大型輸送艦がショートランドにいることはバレているだろうし、あとはいかにこの輸送艦をコロネハイカラ島へ届けられるかだ。

 主力艦隊が先に出撃し、江風たち突入艦隊は、二時間遅れで出撃することになった。夜の間にバニラ湾を抜け、コロネハイカラ島へ取りつこうという算段だ。出発まで暫時休憩となった。

 夜になり、江風は岸壁でなく砂浜へやってきた。南方独特の熱風も夜には少しマシになる。満天の星空の下、夜戦に慣れた目は沖でショートランドの守備を続ける第十八駆逐隊の姿も見えた。

「いよいよか…」

 この世界ではバニラ湾と名前こそ変わっているが、かつて艦だった時代に夜戦で電探射撃の魚雷を喰らい、轟沈した自らの最期の海だ。あの時僚艦だった萩風と嵐はまだ発見すらされていない。そんな中でも、作戦を無事に終え、なおかつ時雨も救わねばならない。どちらも失敗したくはなかった。

「江風、こんなところにいたんだ」

 声を振り返ると、時雨だ。灯も持たずに夜の砂浜にやってきて、あっさりと自分を認識するあたり、歴戦の艦娘なのだなと思わせてくれる。

「姉貴もなンでこんなところに?」

「散歩…かな」

 そう言って、時雨は江風の脇に腰を下ろす。砂の音が聞こえた。

「よくオッサンが解放してくれたな」

「提督は指揮官同士で最後の打ち合わせさ。その間くらいは、抜けてても何も言われないよ」

 時雨はそう言うと、手元の砂を救ってぱっと中に放り投げる。

「どうせこのあとも色々と待ってるしね」

 そう言って笑う時雨の顔には、諦めの表情が見て取れた。江風はちらっと時雨の表情を盗み見てから、立てた膝に顔を埋める。

「いつ沈んでもおかしくない戦いをしてるのは、昔と変わらないから。たまにはこういう時間もないとね」

「姉貴は沈ませねえよ」

 自嘲気味な時雨の声に、江風はぽそりと呟く。自分の方を振り向いた時雨に、江風は顔を向けない。

「そのために川内さんに協力してもらって強くなった。江風が、佐世保の時雨の栄光を守るンだ」

「…海風が心配するわけだね。僕もそんな風に言われると心配になってきたよ」

 時雨もそう言って、江風がしているように立てた膝に顔を埋めた。悲劇の記憶が脳裏をかすめる。江風、萩風、嵐を一気に失ったあの夜。川内も、このソロモンを出ることは叶わなかった。今度は、ちゃんと全員でこのソロモン海から凱旋したい。

「強くなったと思うんだったら、いつも通りでいいんじゃない? 僕も、マイペースなんだから」

「そうだな…。姉貴は良くも悪くもマイペースだった」

 そう言って、江風は立ち上がる。沖の十八駆の姿はもう見えなくなっていた。

「帰ろうぜ。また姉貴が殴られるところなンて見たくねえよ」

「そうだね。みんないるのに腫らした顔はさすがに見せたくないや」

 時雨もそう言って立ち上がる。尻についた砂を払い落とすと、二隻は並んで基地施設へ歩き出した。

 

 簡易的な小屋が今晩の仮の宿だ。江風は大きく開いた窓から星空を見上げる。時雨以外の突入部隊の面々は既にこの小屋の簡易ベッドで横になっている。時雨だけがここにいない。クーラーの効いたいそゆきの司令室へ引っ込んだ佐々木とどんな夜を過ごしているのか、心を殺して夜明けを待っているだろう時雨を思うと、江風は眠れそうになかった。

 翌朝、主力艦隊はショートランドを出発した。既に早朝から敵偵察機の触接を受けており、主力艦隊が出発したことは知れているだろう。護衛、遊撃の各部隊に先行する突入部隊の出発も間近に迫る。

 主力艦隊は小勢力の艦隊を蹴散らしながらバニラ湾を抜けようとしている。いよいよ出撃のタイミングだ。

「出撃するよ」

 時雨がやってきてそう伝える。江風以外の全員が時雨に頷き返した。江風のみが右拳を左手に叩きつけて大きな音をさせていた。

「江風、気合い入れすぎるとしくじるよ」

 川内がそう言って苦笑いを浮かべる。江風の全身から気が漏れ出しているようだからだ。

「気楽に気楽に」

「最上はもう少し気合い入れてもいいと思うよ」

 最上と川内のやりとりに浜風が笑みをこぼす。夕立は時雨にまとわりついていた。

「よし、じゃあ行くよ!」

 川内の声に夕立が時雨の耳元で「ぽい!」と大きな声を上げて、苦笑いされていた。

 



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時雨の傷痕

 ショートランドを出発すると、二航戦の烈風、紫電改二が直掩機として日暮れまで警戒してくれる。彩雲も索敵に飛び立った。突入部隊でも、最上の瑞雲が索敵を行っている。

「バニラ湾に敵の警戒隊が戻って来てるみたいだね。主力との戦闘を避けた部隊なのかな。バニラ・バラ島の北側にも警戒隊がいるね」

 最上は瑞雲からの索敵情報と二航戦の索敵情報を照らし合わせながら、全艦に通報する。バニラ湾に到着するのは夜の予定だ。敵艦隊との正面対決は夜戦になりそうだった。

「全員夜戦の準備しとこうか。陣形はこのまま単縦陣を維持。いいね」

 川内はそう言いながら、前を見据える。旗艦戦闘単縦陣は、日本海海戦から続く海軍のお家芸だった。

 ショートランド基地からバニラ湾までは五時間。そこから上陸地点を抜けるまでさらに五時間。やはり無傷ではすみそうにない。夕刻が近づいて来た頃、バニラ・バラ島の北側で敵の駆逐隊を発見した。

「敵は駆逐六。他に付近には敵はいない模様。二航戦の攻撃隊が先に行くよ」

 最上はそう言いながら、帰ってきた瑞雲を収容する。そうして、すぐに爆装の準備を始めさせた。そうこうする内にも彼我の距離は近づいてきている。川内が最上に頷いた。

「瑞雲、発艦!」

 最上は飛行甲板を空に向け、瑞雲を次々に発艦させる。敵には制空戦闘できる艦はいない。航空戦はこちらの一方的な戦いができそうだった。

「戦果確認したよ。駆逐二、撃沈! 二航戦の部隊も駆逐二、撃沈だよ!」

 最上がそう報告してくる。

「じゃあ、残りは駆逐二だね。気を抜かずに行くよ!」

 川内がそう宣言して増速する。反航してくる敵駆逐の姿が見えてきた。陣形は単縦陣。川内、最上、夕立、浜風、江風、時雨の順番だった。

「砲撃始めっ!」

 川内の合図で、全艦砲撃を開始する。江風も後ろの時雨を気にしながら、砲撃を開始した。夕立が突出しながら一隻を沈め、川内の砲撃も一隻を沈め、この戦闘は終わった。

「出番なしか」

「やっぱり夕立はすごいね」

 江風と時雨はそう言い合う。陽がバニラ・バラ島の影に落ちようとしていた。もうすぐ夜がやってくる。いよいよバニラ湾に突入し、コロネハイカラ島へ向かうことになる。

「先へ行くよ」

 川内がそう宣言して先へ進む。バニラ・バラ島を右に見ながら、バニラ湾と呼ばれるバニラ・バラ島とコロネハイカラ島に囲まれた海域へ突入した。既に海域は深い闇に包まれており、島嶼の影に敵部隊は隠れている可能性が高い。江風にも時雨にも、この海域は苦い思い出がある。

「先に電単射撃喰らうと被害でかいからな」

「僕たちも気をつけとかないとね」

 二人は言いながら二十二号水上電探の解析結果を確認している。バニラ湾の半ばまで来た頃、浜風が声を上げる。

「水上電探に感あり! 左舷に敵戦隊がいる模様です!」

 その声で、艦隊に緊張が走る。全艦が闇の中に目をこらした。月明かりが僅かに差し込む左舷前方の島影に、小さな影が見える。

「敵艦見ゆ! 左舷前方二十度、駆逐六!」

 江風が声を上げた。川内と暗闇の中で夜戦の訓練をしていた甲斐があったというものだ。

「全艦水上電探起動! 左舷砲雷撃戦用意!」

 川内が応える。僅かな明かりだが、江風は時雨を振り返ってニッと笑った。時雨も、その江風に笑い返す。初弾を主砲と魚雷に装備し直して準備完了だ。

「突入するよ!」

 川内の声で砲撃が始まる。双方で夜闇の中水柱が上がり出した。

「チッ! さすがに敵さんの電探射撃は正確だな」

「まるであの時と同じみたいだね」

 江風の声に時雨が応える。時雨は自分の目だけでなく、電探での敵位置も計算に入れていた。やがて、夕立の砲撃が敵駆逐を捉え、一発で轟沈を奪う。

「当たったっぽい!」

「こちらも一隻撃沈です!」

 浜風も声を上げた。その中で、命中弾こそないものの、至近弾での損傷は少しずつ増えていく。

「江風、魚雷にしよう。砲撃は目くらましに使った方がいいかも知れない」

「そうだな。それで行くか!」

 江風と時雨はそう示し合わせ、砲撃を続けながらも魚雷の発射準備を終えた。

「テーッ!」

「行くよ!」

 江風と時雨は魚雷を放つ。十六本の雷跡が敵駆逐に伸びていった。江風と時雨はその先に目をこらす。やがて、大きな水柱が三本上がった。

「やりぃ、命中!」

「こっちも命中!」

 その声を聞きながら、夕立がやはり突出を始める。追うように川内もあとに続いた。やがて、最後の水柱が上がり、敵艦は水上から消える。

「ぽい!」

 夕立がはしゃぐように飛び跳ねた。

「敵艦撃沈を確認。残存艦はない模様」

 浜風の声が短距離無線から響く。

「輸送隊が揚陸作業に移る。そのまま島の東岸へ移動して警戒に当たれ」

 佐々木の声が無線から響いた。振り返ると、いそゆきの大きな艦体が闇の中に影となって見える。「了解」と川内の声が短く響いた。

「警戒しつつ、島を周回する航路を取るよ」

 川内がそう宣言してさらに先に進む。日向率いる支援艦隊からは、支援の必要なしと判断してか連絡はなく、位置も不明だった。

「水上電探に感あり! 右舷に敵がいるよ!」

 今度は最上が声を上げた。銘々電探の解析結果を感じながら、目をこらす。

「…嘘だ…」

 時雨が呟く声が江風に届く、江風はその声色に驚いて時雨を振り返った。闇の中の時雨は、明らかに様子がおかしく見える。

「時雨姉貴、どうした!?」

「そんな…まさか…」

 時雨の呟きが耳に入ってくる。さすがに川内もおかしいと感じて後ろを振り返った。

「時雨姉貴!」

「敵艦見ゆ! 輸送艦三、魚雷艇九!」

 浜風が声を上げた、その瞬間だった。

「僕たちのところに来るなぁーッ!」

 時雨がものすごい勢いで隊列を離れ敵に突出していく。誰も止める暇はなかった。

「時雨ちゃん待つっぽい!」

 盲滅法で砲撃を始めた時雨に向かって、夕立が慌てて続く。

「時雨姉貴!」

 江風も取り残されまいと追いかけた。浜風もそれに続く。川内と最上も頷き合って時雨を追う。ほぼ直線でまっすぐ敵艦隊に突入していく時雨は、魚雷艇にとっていい的だった。魚雷艇群は散開し、時雨に向かって魚雷の網を張る。

「時雨! 落ち着いて!」

 最上が無線で声をかけるが、時雨の耳には届いていない。時雨の砲撃は全くといっていいほど当たらず、むしろ輸送艦の砲座が時雨を捉えていた。

「ンなろー! 姉貴を被弾させて堪るか!」

 江風は一気に増速して時雨の脇に並びかけるコースと取りつつ、敵輸送艦に砲撃を始める。砲撃は当たるが、輸送艦の装甲は厚く、大きなダメージにはなっていないようだった。

「輸送艦はボクと川内に任せて、江風たちは魚雷艇を! 時雨を頼んだよ!」

 最上から無線が届く。江風が振り返ると、最上と川内はまっすぐ輸送艦へ突入していく。

「時雨ちゃん!」

「時雨!」

 夕立と浜風も声を上げて時雨を追いかけた。だが、時雨の背中は遠い。やがて、魚雷艇群から発射された魚雷の網に気づき、時雨が急停止をかけた。

「あ…あ…!」

 時雨の顔が恐怖にゆがみ、立ちすくむ。悲劇の記憶が、時雨を支配した。ないはずの炎が目の前を照らし、爆沈する扶桑と山城の姿が見える。山雲も、朝雲も、満潮も炎に包まれていた。その向こうに見えるのは、炎に照らされた魚雷艇群だ。反転し逃げ出すしかなかった無力感が時雨の心を刻んでいく。

「姉貴ッ! どけッ!」

 江風が時雨を突き飛ばし、向かってきていた魚雷を砲撃する。いくらかは被弾前に爆発させることができたが、さすがに網を食い破ることはできなかった。爆発の水飛沫が、江風を包み込む。

「か…わ…風…?」

 突き飛ばされたショックで我に返ったのか、時雨は呆然と江風の姿を眺めた。その時雨を夕立と浜風が追い越していく。

「時雨ちゃんはそこで待ってるっぽい!」

「江風が被雷しました!」

 そう言いながら、夕立と浜風は魚雷艇に砲撃を仕掛ける。魚雷艇は回避力こそ高いものの、撃ち抜かれれば呆気なく爆発し沈んでいく。

「姉貴…無事か?」

 時雨の目の前に、ずぶ濡れのボロボロになった江風が立つ。その顔は笑っていた。

「江風…」

 江風が差し出す手に捕まって、時雨は立ち上がった。笑ってはいるものの、江風は艤装も服も被雷で傷んでしまっている。これではもう戦えそうにない。

「江風…ごめん」

「なに言ってンだよ。江風は、あン時と違って沈んでないぜ」

 俯く時雨に、江風はそう言って笑う。その背後で、夕立と浜風は奮戦して魚雷艇を木っ端微塵に粉砕している。川内と最上も輸送艦を片付けたようだった。やがて、時雨に周りに川内たちが集まってくる。

「時雨、状態は?」

「僕は大丈夫だけど、江風が…」

 駆けつけた川内に、時雨はそう言って俯く。だが、江風は笑うばかりだ。

「江風は大丈夫、沈ンでないぜ。まだ戦えるよ」

 だが、そう言う江風を浜風は心配そうに見ていた。艤装はかなりのダメージを負っている。これ以上の大きな被弾は危険だった。

「時雨、魚雷艇を見て思い出したんだね、あの夜のことを」

 西村艦隊で僚艦だった最上が笑顔で時雨の肩を抱き、そう優しく言う。時雨は小さく頷いた。その瞳には大きな涙が浮かんでいる。

「魚雷艇を見たら、わけがわからなくなって、それで…」

「まさか敵が魚雷艇実装してるとは思わなかったからな」

 川内もそう言いながら髪を掻く。時雨の話を聞く最上の様子を見ながら、川内はもう一度江風の様子を見た。艤装の状態を見る限り、江風は下げた方が良さそうだとは思う。まだこの先になにかいる可能性は高い。ならばと断を下した。

「江風」

 川内はそう声をかけて、江風を手招きする。

「隊から外れて、いそゆきの後ろで護衛に当たって」

 川内は有無を言わせない視線で江風にそう言う。江風はややムッとした顔で川内を見た。無言でのやりとりが続く。無言の奥にある川内の言葉を、江風は汲み取った。

「わかったよ。川内さんが言うんなら仕方ない。隊を外れていそゆきの後ろに回るよ」

「時雨は行ける? この先、まだまだ魚雷艇と遭遇する可能性は高いよ」

 江風が頷いたのを確認して、川内は時雨に声をかけた。時雨は涙を拭いて力強く頷く。

「もう大丈夫。江風の気持ちは無にしないし、浜風と夕立が戦い方を見せてくれたから」

 だが、川内はその時雨にまだ揺らぎを見つけてしまう。時雨から顔を逸らすと、唇を結んだ。

「浜風、時雨をサポートしてやって」

「はい」

 最上の声に、浜風が生真面目な顔で頷く。川内は頷くと、いそゆきとの回線を開いた。

「江風が被雷、大破したのでいそゆき後方に下げます。この先は残りの五隻で進みます」

 無線の向こうで舌打ちする音が聞こえる。川内の唇が曲がった。

「他の被害状況は?」

「私と最上、時雨が軽微な損傷。夕立と浜風は損害なしです」

「なら江風は下げろ。残りはそのまま進め」

「了解しました」

 それだけ言うと、川内は無線を切る。そうして全員を振り返った。

「じゃあ、先に進むよ、島の北まで出て敵艦に出くわさなければ、折り返して支援艦隊と合流、護衛艦隊の支援に回るから」

 そう言って川内は改めて時雨を見る。その視線の強さに時雨は思わず肩を震わせた。

「時雨、次同じことしたら、私がアンタを沈めるよ。いいね」

「はい」

 時雨は頷き、同じ視線の強さで川内を見返す。川内はニッと笑い返した。

「じゃあ行くよ! 江風はいそゆき後方で不測の事態に備えて」

「了解」

 江風は川内にそう返すと、隊を離れていそゆきの後方へ回る。だが、いそゆきの脇から、隊が見える位置には常にいた。

 川内が言いたかったことを心の中で繰り返す。

 不測の事態は必ず起きる。その時がチャンスだと。

 誘爆の危険を認識しながら捨てなかった魚雷は、その時に使い道があるかも知れない。そう考えて江風は進んだ。

 



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バニラ湾沖の夜戦

 艦隊はコロネハイカラ島を東に回り込み北へ向かう。五隻の単縦陣。そのあとにいそゆきと江風。支援艦隊はさらに後ろにいそうだった。そこへ、不意に砲弾が撃ち込まれる。いそゆきが被弾して大きくかしいだ。

「どこからだ!?」

 江風は周囲を見渡す。電探にも反応はないし、何も見当たらない。

「敵艦見ゆ! 水鬼です!」

 浜風の粟立った声が無線から届いた。さらに砲撃はいそゆきを穿つ。

「いそゆきが狙われてる!」

 江風は無線に向かって声を上げた。いそゆきは左に傾斜し、艦橋付近から煙が上がっていた。

「随伴艦確認! 敵随伴艦は駆逐三、魚雷艇六!」

「支援艦隊突入する」

 最上の声に応えるように、無線から日向の声が届いた。江風が振り返ると、日向、浦風、谷風、磯風の四隻が接近してきていた。

「江風はいそゆきの脇を離れるな。場合によれば艦内に突入して要救護者を搬出しろ」

 日向は脇を通り過ぎながら、江風にそう言い残していく。日向の主砲は既に敵を捕らえているのか、斉射状態になっていた。

「主砲斉射」

 日向の押し殺した声を合図に、日向の主砲が火を噴いた。しばらくしてから、遠くで着弾の炎が上がる。

「あとはうちらに任しとき」

 浦風が通り過ぎながら、含みある笑顔を残していく。江風は日向たちを見送るといそゆきを見上げた。傾斜は深くなっていない。まだ航行はできそうだった。

 一方、駆逐水鬼の艦隊と遭遇した川内たちは苛烈な戦いに身を置くことになっていた。駆逐水鬼たちは、川内たちを一点突破で抜けようとしていたのだ。

「こいつら、いそゆきを沈めたら勝ちだってわかってる…!」

 駆逐艦の砲撃をかわしながら、川内はそう直感する。駆逐水鬼は明らかにその長射程を生かして、いそゆきを狙っていたからだ。日向の主砲弾がいくらかは当たったが、それでも怯まない。

「日向さんは水鬼を! ボクたちが駆逐と魚雷艇を片付けるから!」

 最上はそう日向に声をかける。日向は頷くと、その主砲を斉射する。違わずに駆逐水鬼を穿つが、駆逐水鬼は僅かにのけぞっただけでまだその突進を止めない。

「しぶといな…」

 日向はそう呟くと、また砲撃を繰り返す。その間にも、三撃、四撃と放たれた駆逐水鬼の砲弾はいそゆきを傷つけていた。

 時雨は心を奮い立たせて魚雷艇群の前に立っていた。隣で浜風と磯風が砲撃を続けているが、魚雷艇群は散開集結を繰り返し、なかなか数が減らない。

「このままでは突破されるな」

「そうね」

 磯風の声に、浜風が顎の汗を拭う。時雨の心にも焦りが募る。その時、魚雷艇群から一斉に魚雷が発射された。

「魚雷…っ!」

 時雨が声を上げる。その声に磯風と浜風が急旋回を行って射線を外れた。だが、線上に取り残されていた時雨の遙か海の中を通過していく。目の前の艦娘に対して魚雷の設定深度を間違えたとは考えにくい。

「まさか…!?」

 時雨は振り返った。その先には、煙を上げるいそゆきの艦体が黒く浮かんでいた。ギッと時雨は奥歯を噛みしめる。

 また、守れない。

 時雨はいそゆきに背を向けると、固まっている魚雷艇に向けて一気に接近して魚雷を放つ。魚雷を放つと主砲を構え直して、手近な魚雷艇から砲撃を叩き込んだ。それは、浜風も磯風も呆気にとられている間の出来事だった。だが、その時雨が無事でいられるはずもない。浜風と磯風が駆けつけた時、時雨は撃ち洩らした魚雷艇から至近距離で魚雷を叩き込まれていた。

「時雨っ!」

 浜風が手を伸ばす先で、崩れた水柱の中から現れた時雨は、更に駆逐艦の砲撃で横殴りに吹き飛ばされ、海面にたたきつけられていた。起き上がることのない時雨を横目で見ながら磯風が砲を構え直して撃つ直前に、時雨を撃った魚雷艇は爆沈した。磯風が振り向くと、そこには歴戦の磯風でさえぞっとするような狂気をまとった夕立の姿があった。

「時雨ちゃんをいじめるのは、許さない」

 夕立は手にしていた魚雷を的確に魚雷艇に叩き込んでいく。魚雷がなくなり魚雷艇が全て爆沈すれば、その砲撃は駆逐艦を確実に仕留めていく。

「これが、ソロモンの悪魔の本気…」

 磯風は砲撃することも忘れて、夕立の狂気を呆然と眺めた。

 夕立が魚雷艇と駆逐艦を全て仕留めた頃、いそゆきの左舷から大きな爆発が起きた。魚雷艇が放った魚雷はいそゆきの艦底を穿ち、違わずに爆発したようだった。いそゆきの傾斜が一気に酷くなる。行き足が止まり、艦首から沈没を始めた。だが、まだ突進を続ける駆逐水鬼が残っている以上、いそゆきには構っていられない。

「浦風、谷風。江風と協力していそゆきの要救護者を救出」

「了解じゃ」

「がってん」

 夕立の戦果を横目で確認した日向の声に、浦風と谷風が主戦場を離れていく。日向と最上、川内は水鬼の進路を妨害するように航路を取り、ありったけの砲弾を叩き込んでいた。浜風はその様子を見ながら、大破した時雨を助け起こしていた。

「時雨、時雨」

 浜風は時雨の名を呼びながら軽く頬を叩いたり肩を揺すったりする。夕立が心配そうに見ていたが、彼女と磯風もやがて駆逐水鬼を足止めするためにその場を離れていく。

「時雨」

 どれくらいそうしていただろう。ようやく、時雨はその目を開く。

「はま…かぜ?」

「大丈夫?」

 時雨はしばらく焦点の合わない目で浜風を見ていたが、やがて自分が浜風に抱き上げられているのだと気づいた。

「足が…動かない」

 時雨はそう言って悔しそうに表情を崩す。

「やっぱり僕は駄目だ…。また、同じことをした…。いそゆきを守れない…」

 時雨の視線の先で、炎を上げて沈みゆくいそゆきの姿が見える。浜風は、かける言葉が見つからずに時雨を抱き上げたまま、同じようにいそゆきを見上げるしかなかった。沈みゆくいそゆきの前で、ひときわ大きな爆発が起きた。炎に照らされた川内の姿が見える。日向も最上も、煤で汚れた顔を爆炎に向けていた。

「駆逐水鬼を撃沈」

 無線から川内の声が響いた。



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敵は提督

 江風は、浦風と谷風と合流してから、爆沈を始めたいそゆきの艦内へ潜り込んだ。既に艦内では艦の放棄が決まってまだ動ける怪我人を中心にタッカーに移乗する作業が進んでいた。通路には既に物言わぬ塊となった乗員が打ち棄てられている。

「ここはうちと谷風でやるけえ、江風は艦橋へ行き」

 浦風に言われて、江風は思わず浦風を振り返る。

「やることがあるんじゃろ? 今がチャンスじゃ」

 そう言って浦風は江風の背をぽんと押す。

「浦風…」

 呆気にとられる江風に、浦風はいたずらっぽく微笑む。そうして、谷風を振り返った。

「谷風は艦尾へ回り。うちはこの辺の要救護者を助けるけん」

「がってんだ」

 浦風の言葉に、谷風は江風を振り向くことなく艦内通路を艦尾へ駆けていく。浦風がもう一度江風を振り返って行けと顎で合図した。

「恩に着るぜ、浦風、谷風!」

 江風は声を上げると、艦橋へ続くラッタルを駆け上がった。

 左前に傾斜を深め、破壊もされている艦橋には、既に息を引き取ったブリッジ要員以外誰もいない。江風は足場の悪くなった艦橋をもう一度眺めた。どうせなら、佐々木にも戦死しておいてほしかった。そうすれば、自分たちの手を汚さずにすむ。江風は注意深く炎に照らされた艦橋内を見渡す。目的の佐々木はいないのかと思ったが、艦橋の隅に血まみれの二種軍装の足が見える。江風は注意しながら近づいていくと、佐々木が足を押さえて呻いていた。

「江風か?」

 脂汗を垂らしながら、佐々木は呆然と立ち尽くす江風を見上げた。その顔は、炎に照らされ悪鬼のようにも見えた。

「今すぐ俺をここから連れて脱出しろ! まだタッカーはあまってるはずだ!」

 佐々木は吠える。江風は放心したように一歩佐々木に近づいた。

「オッサン、なんで取り残されてンだ? アンタ、この艦隊の司令官だろ?」

「あいつら、総員退去命令を出したら怪我をした俺を置いて逃げやがった。帰ったら、全員厳罰にしてやる」

 佐々木はまたそう吠える。江風の表情が消えた。

 生き残った全員に見限られたのか。

 じゃあ、殺してもいいよな、姉貴。

 江風は、静かに魚雷発射管から魚雷を抜き取る。艤装を痛めた江風のとっておきだ。

「お前、なにを考えてる!?」

「死んでくれよ、オッサン。アンタをこのまま佐世保に帰すわけには行かねえンだ」

 江風は佐々木を見下ろしながら、魚雷を大きく構える。

「こんな至近距離で魚雷が爆発すれば、お前も助からんぞ、江風!」

「元より覚悟の上さ。佐世保の時雨の栄光は、この江風が守るのさ」

 明らかに狼狽が見える佐々木に、江風は冷たく言い放つ。この魚雷を床に叩きつければ、佐々木も江風も爆散して尽きるだろう。佐々木に比べて非力な江風には、そう言った作戦しか残されていなかった。

「この爆沈中のいそゆきの中でもう一つくらい爆発が起きても誰も気になんかしねえ。時雨姉貴を弄んだアンタは、許せねえンだよ」

「ふざけるなァッ!」

 佐々木は態勢を変えると、まだ動く右足で床を蹴り、江風に飛びかかった。不意を突かれた江風はよろめき、魚雷を奪われてしまう。床に激突した艤装が激しく背中を打った。

「時雨を弄んだだと!? あれは時雨が望んだことだ! お前たちの身代わりになるとな! それを好きにしてなにが悪い!」

 佐々木は江風に馬乗りになると、奪い取った魚雷を艦橋の外に放り投げる。魚雷は海へ落ちた。

「俺は死なん! 生きて佐世保へ帰ってやる!」

 佐々木はそう叫ぶと、江風の首に手をかけた。ギリと音がして、江風の喉が締まる。

「死にたいなら、俺が殺してやる。お前一人で死ね!」

 佐々木はギリギリと江風の首を締め上げた。江風はもがきながら声にならない潰れた声を上げるのがやっとだ。艦娘とて不死身で不死ではない。身体を何らかの方法で殺されてしまえば、艦娘としても死を迎える。轟沈だけが艦娘の死ではなかった。江風は精一杯の抵抗を試みるが、屈強な佐々木にはまるで歯が立たない。

 やべえ、死ぬ。

 脳裏にそんな言葉がかすめた。徐々に力が入らなくなってきている。ここで落ちてしまえば、それはもう死んだと言うことだろう。

 ごめん、時雨の姉貴…。江風、なんにもできなかったよ。

 江風は胸の奥で時雨に詫びてから、最後の力を振り絞る。それでも、喉にかかった佐々木の腕はびくともしなかった。

 江風の力が緩み、その指が佐々木の腕を離れた瞬間、轟音と共に佐々木の身体は江風の上から消えていた。ほんの少しの時間を置いて、江風は辛うじて蘇生する。その場から滑るように移動して大きく咳き込んだ。

「貴様、日向!」

 艦橋の壁に叩きつけられた佐々木は、驚いて声を上げた。その視線の先には、主砲を構えた日向の姿があった。

「大丈夫か、江風」

 声に顔を上げると、川内が艤装の隙間から背中をさすってくれていた。江風は、喘ぐ息の間に大きく頷いた。

「君にはここから出て行ってもらっては困る。艦娘の武器は人には無力だが、質量兵器として足止めすることくらいはできるさ」

 日向はそう言いながら、主砲を佐々木に叩き込む。その砲弾は爆発することなく佐々木を殴りつけた。佐々木が呻く。日向は、佐々木の抵抗がなくなるまで、何度も主砲を撃ち込む。やがて、艦橋の中に海水が流れ込んできた。佐々木の顔が青ざめてくる。足を痛めて泳げない状態で、死を意識し始めたのだろう。

「時雨、俺を助けろ! 時雨! 俺を助けてくれ!」

 佐々木はそう声を上げて喚く。日向の冷たい表情は変わらない。

「残念だが、時雨は先ほどの戦闘で大破して動ける状態じゃない。今は浜風が看ている」

 佐々木の顔に絶望が広がる。艦橋の中を海水が満たしていく。既に江風たちは海水に浮いている状態になっていた。佐々木は、もう胸まで水に浸かっている。

「時雨…助けてくれ…。俺を助けてくれ…」

 佐々木は震えながらそう言っていた。もうその目の焦点は合っていない。江風の胸に、やりきれない気持ちが湧いてくる。佐世保鎮守府を蹂躙した悪逆の独裁提督は、こんな弱い人間だったのかと。少しずつ、艦橋は水に浸されていく。

「時雨…」

 時雨の名前を最後に呟いて、佐々木の身体は海水の中に消えた。そうして、もう浮かんでこない。日向は遠巻きにその様子を確認する。艦の爆発はもうだいぶん進んでいた。ここもそろそろ巻き込まれそうだ。

「私たちも脱出するぞ。江風、行けるな?」

「ああ」

 江風は日向に頷くと、佐々木が消えた場所を一瞥してから、海面を滑り出す。

 自分がしたことは、これで良かったンだろうか。

 そんな淀みを心に残して、江風は時雨の元へ急いだ。

「いそゆき、沈むよ!」

 警戒に残っていた最上の声が無線から響く。時雨は、ぼんやりした顔でその声を聞いていた。大小の爆発を繰り返しながら、いそゆきは時雨の視界から消えていく。

 提督、助かったのかな。

 僕は、またやっちゃったから、川内さんに雷撃処分されるかな。

 そんなことを考えながら、時雨の意識はまた堕ちていく。

 最後に、江風の声が聞こえた気がした。

 



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交錯する思い

 コロネハイカラ島への強行輸送作戦は、突入部隊の司令艦いそゆきの爆沈とその乗員十数名の戦死、さらに司令官佐々木大佐を失うという痛手を被ったものの、何とか完遂した。だが、敵中の最前線である島はいつも敵の猛攻に晒されており、場合によっては撤退も視野に入れる必要が出てくるだろう。それでも、作戦で届けられた物資は、しばらく島を持ちこたえさせてはくれるはずだ。

 佐世保鎮守府は、司令官が空席のまま、日常が戻っていた。

 時雨と江風は数日入院することになり、作戦から戻るなり病院に放り込まれている。

「え、あんなのハッタリに決まってるじゃない。私に時雨を処分する権限なんてあるわけないし」

 見舞いに来た川内に時雨が詫びると、川内はそう言って笑っていた。

「やっぱり。川内さんがそンなことするはずねえしな」

 苦笑いの時雨に、江風はかかと笑う。

「まあ、今後魚雷艇と当たることは多いだろうから、佐世保のエースとしてはどこかで克服しないと駄目だろうけどね」

「そうだね」

 川内の言葉に、時雨はまた細く苦笑いを浮かべる。

「ま、元気そうで安心したよ。退院したらみんなで祝勝会やろうな」

 川内はそう言うと、病室を出て行く。江風は手を振り、時雨は会釈で見送った。

 川内が病室から出て行くと、時雨は小さく溜息をつく。川内の見立てとは違い、佐世保へ戻ってきてから、時雨は元気がなかった。江風は、隣のベッドでその理由を模索するだけだ。佐々木がいなくなって解放されたはずなのにと思う。夜になっても、時雨はなかなか寝付けないようで、窓から見える星空を遅くまで眺めていた。

 怪我は江風の方が軽い。結局時雨の気落ちの理由をちゃんとつかめないまま、江風は二十四駆の部屋に戻った。

 部屋に戻った翌日、江風は船渠で最後の調整をしたあと、時雨の病室を訪れた。時雨は眠っていたが、その眉は苦しそうに寄っている。

「…なンでそンなに苦しそうなんだよ…姉貴…」

 江風はそっと時雨の頬に触れる。時雨の頬は温かく、彼女が無事に生還していることを証明してくれた。江風は時雨の頬から手を離すと、その手をグッと握りしめる。被雷したことによる足を中心とした怪我以外の大きな外傷はない。艤装も既に工廠で修繕ずみだ。だとすればあるのは心の痛みだろう。江風は大きく溜息をつくと、脇の丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。時雨がいない状態の鎮守府は、海風と春雨が秘書艦代理として駆け回っている。二人共、時雨の仕事量の多さに今更ながら驚いていると言っていた。

「…戻れねえなンてことねえよな、姉貴」

 江風はぽつりと呟く。最期に垣間見せた佐々木の弱さがふっと脳裏に浮かぶ。元々優しい姉だ。時雨だけがあの佐々木の弱さを知っていたのだとしたら。負の連鎖を断ち切ったはずなのに、時雨の全てを濁った海の底から引き上げられていない。

「畜生…。江風の力はこンなものだったのか…」

 江風は呟いて項垂れる。

 どれくらいそうしていただろう。

「江風」

 ふっと時雨の声を感じ、江風は顔を上げた。時雨が目を覚ましていた。見た目は、いつもの優しい時雨の笑顔だ。

「姉貴…。目、覚めたンだな」

 江風も胸の内は時雨に見せない。いつもの勝ち気な笑顔を彼女に向けた。

「どうかしたの?」

 その時雨の言葉に、江風は思わず胸を衝かれる。時雨に対しては、かなり厚く心を護っていないとすぐに胸の内を見透かされる。そう思い直して、江風はまた勝ち気な笑顔を向けた。

「なンもないよ。姉貴がいねえと寂しいなって思ってただけだ」

 底の底は隠したまま、江風はそう心情を吐露する。時雨は微苦笑を漏らした。

「なんか、鎮守府に戻ってきてから胸の奥がぽっかり空いたみたいになってるんだ…。前はこんなこと感じたことなかったんだけど…。ああ、そうだ。レイテから戻ってきた時…みたいな感じかな」

 時雨はそう言うと、江風から視線を逸らして窓の外を見つめる。江風の表情が厳しくなる。

「提督が戦死したって聞いてからかな…。毎日毎日、色々あって逃げ出したいこともたくさんあったのに…変だね、僕」

 つ…と時雨の大きな瞳から涙がこぼれ出す。江風は見ていられなくなって、時雨から視線を逸らす。その佐々木を見殺しにしたのは自分たちなのだ。時雨と鎮守府のためになると信じて。

「好きだったのかな、提督のこと。僕との約束だけは、最期まで守ってくれたから…」

「やめてくれよ! あんな腐れ外道のこと、好きだったなン…て」

 江風は立ち上がってそう声を上げてしまう。驚いて振り向いた時雨の前で、江風の表情が崩れていく。ボロボロと涙があふれ出していた。

「江風…」

「姉貴は幸せにならなきゃいけねえンだ! あんな腐れ外道が、姉貴を幸せになんてできねえよ!」

 江風は頭を振りながら子供のようにそう喚く。胸の奥が痛い。自分のしたことは何だったのか。心が千切れそうだ。こんなことなら、あの時佐々木に殺されていれば良かった。そうとさえ思える。佐々木と共に爆死していれば、時雨のこんな顔は見なくてすんだのだ。自分の迂闊さを呪う。だが、その江風に時雨は涙目のまま優しく微笑む。

「でも、終わったのは終わったんだ。僕は自由になった。それだけは間違いないよ」

 時雨の言葉に、江風は涙を拭いて時雨を見る。必要なのは時間と、時雨を支えてくれる別の存在だと気づいた。それは、自分ではない。白露型の誰かでもない。川内たちでもない。この優しい姉の心を護ってくれる誰かだ。佐々木が時雨に依存を深めていったのと同じように、籠の中で時雨も佐々木への依存を起こしていた。ただそれだけだったのだ。殆ど誰とも接せず、一年を佐々木と二人だけで過ごしていたようなものだったのだから。江風はもう一度乱暴に涙を拭う。

「姉貴、退院したら、川内さんが言ってたみたいにみんなで祝勝会やろうぜ。もう咎めるヤツもいないんだし」

「そうだね。楽しみにしてる」

 そう言う時雨は、微笑んでいた。今はまだ心の底から笑えなくても、それは仕方がないのだ。自分が何もできないもどかしさはあるが、それは自分の役目じゃない。自分は自分の、自分にしかできない仕事をした。江風はそう思い直して、時雨に勝ち気な笑顔を向けた。

「時雨姉さん!」

 そこへ、海風が慌てた表情で飛び込んできた。

「あ、江風もいたのね」

「どうしたンだ、海風姉貴?」

 江風を認識した海風に、江風はそう聞く。海風は江風に言われて思い出したように口を開いた。

「明日、新しい司令官が着任するそうです! 出迎えとか、準備どうしたらいいかと思って…」

 海風はそう言って手元のバインダーを見る。二十代半ばと思われる若い軍人の姿が写った書類が挟まっていた。

「寝てられないね」

 時雨はそう言うと、身体を起こす。時間はどんどん流れているのだと思わされる。そう、僕は佐世保の時雨なんだ、と自分に言い聞かせた。一番艦の白露を支えるのも、姉妹たちをまとめるのも、全て僕の役目だと思い返す。

「江風、海風、僕を船渠まで連れて行ってくれないか。時間はかかるだろうけど、入渠した方が早そうだ」

「ちょっと待ってろ、時雨姉貴。車椅子取ってくる」

 時雨の言葉に江風は病室を飛び出していく。海風は驚いたように江風の後ろ姿を振り返った。

「江風と、なにかあったんですか…?」

 赤い目の二人を見て、海風は思わず時雨にそう聞いてしまう。時雨は微苦笑を浮かべた。

「江風に気合いを入れられたんだ。僕がメソメソしてたから」

 時雨はそう言うと、窓の外を見た。冬の重い雲が空を覆い、そこから一筋の光が差し込んでいた。

「もう、江風ったら、怪我してる姉さんに酷いコトして。あとで叱っときます」

「いいよいいよ。江風のおかげで少し目が覚めたから」

 唇を曲げる海風に、時雨は苦笑を返した。江風のストレートな気持ちは、時雨の胸の奥の穴を少し埋めてくれた。こうして自分を思ってくれる人は周囲にいくらでもいるのだと気づかせてくれた。今の「佐世保の時雨」は、みんなに支えられて初めて成り立つんだと思わせてくれた。

「さあ、新しい提督が来たら、忙しくなるね」

 頷く海風の後ろから、車椅子を持ってきた江風の快活な笑顔が見えた。

 

 翌日、夕立に護衛されて司令艦はるゆきが佐世保に到着した。タラップから一人の青年将校が降りてくる。佐世保に所属する艦娘たちはその様子を整列して見守った。

「敬礼!」

 時雨の声が響く。ザッと全員の右手が挙がる。青年将校も返礼を返した。

「今日からここの司令官としてみんなの世話になる荻野誠大佐だ。司令職は初めてでみんなに頼ったり迷惑をかけることも多いと思うが、よろしく頼む」

 荻野はそう言うと、時雨に視線を送る。時雨は目だけで頷いた。

「敬礼!」

 時雨の声が凜と響いた。

 

「君が時雨だな。木村中将から話は聞いてる。佐世保を切り盛りしてる有能な艦娘だって」

 解散させたあと、荻野は時雨に声をかける。時雨は小さく首を振った。

「佐世保は僕が代表をしてるだけで、みんなで回してるよ。横須賀と違って、軽巡と駆逐だけの小さな鎮守府だし」

「そうか。控え目なんだな。駆逐では練度一番だと聞いてるぞ」

「それも、たまたま長く中将にお世話になって、色んな経験をしただけ。僕なんかよりそこの夕立の方がすごいし、トラックにいる雪風だって」

 時雨はそう言って細く笑う。その様子を見ていて、江風は退屈だなあと思ってしまう。そうして、思いついた江風は荻野の持つスーツケースをひったくった。

「お、おい!」

「提督! 早く司令室に行こうぜ! 立ち話なンかしてても仕方ねえだろ!」

「わたしも早くみんなと遊びたいっぽい! わたしも今日から時雨ちゃんのお世話になるっぽい!」

 江風と夕立がそう言って荻野の荷物を持って駆けだしていく。荻野は呆然とその二人を見送ってしまった。

「提督、案内するよ」

 時雨に見上げられて、荻野は一瞬間を置いて頷いた。

「ああ、頼むよ」

 並んで歩き出した荻野と時雨を遠くから江風と夕立は眺める。

「へー、結構似合いだな、提督と時雨姉貴」

「時雨ちゃんが嬉しいなら、わたしも嬉しいっぽい!」

 そう言い合って、江風と夕立は笑い合う。あの少し頼りなさそうな荻野が、これから時雨の心の穴を埋めていってくれたらなと、江風は思った。

 



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素敵なパーティ

 夕立が横須賀から移籍してきた佐世保では、大規模な部屋の入れ替えが行われた。元々は時雨が佐々木に囲われていたこともあって、第二駆逐隊として白露、村雨、春雨が一部屋で、第二十七駆逐隊として五月雨、海風、江風、涼風が一部屋になっていた。九隻の白露型を二部屋に押し込むわけにもいかず、部屋もあまっていることから、結局白露と時雨と春雨、村雨と夕立、五月雨と涼風、海風と江風が同室となった。。荻野の私室も佐々木が使っていた部屋ではなく、別に使っていない倉庫だった部屋が掃除の上で用意され、荻野はそこに荷物を入れている。

 翌日、荻野の歓迎会が祝勝会を兼ねて行われた。荻野は厳格なところがあまりなく、頼りないところ、砕けたところばかりが目立つ宴となった。それは、佐々木の元で閉塞感の漂っていた佐世保の空気を一変させた。

 宴もずいぶんと時間が経ち、そろそろ銘々に行動するようになってから、江風はグラスを片手に会場を抜け出す。岸壁まで行くと、川内が海風に当たりながらグラスを傾けていた。

「川内さん、お疲れっス」

 そう声をかけながら、江風は川内の横に腰を下ろす。

「江風。お疲れさん」

 そう言って、川内はグラスの中身を開けた。よく見ると、隣には日本酒の一升瓶がある。

「うわ、川内さん抱え込みっスか」

「今日ぐらいはね。普段はあんま呑まないんだけど」

 そう言いながら、川内はグラスに酒を注いでいく。言葉もしっかりしているし、赤くなったところもないから、元々酒には強いんだろうなと江風は想像する。

「楽そうな提督っすね、荻野大佐」

「ま、佐世保は海上護衛が中心だからね。大規模作戦は、有能な指揮官が南方にたくさんいるし」

 川内はそう言ってニッと笑う。

「目的は達成して提督も替わったし、上々だな」

「そのことなンスけど…」

 江風はそう言うと、グラスの中身を煽る。炭酸ジュースの刺激が喉を通り過ぎていった。

「時雨の姉貴がちょっと塞ぎ込んでるンすよ。江風たち、余計なコトしたのかと思っちまって」

「ふーん」

 そう言って、川内はまた杯を煽る。そうして、戦いの最中の時雨のことを思い出す。優秀ではある。しっかり者で状況判断も悪くない。だが、抱えているものが大きすぎる。それが魚雷艇との戦いで破裂した。あのままでは、いつか自分自身だけでなく、仲間も巻き込む。現に、時雨の取った不適切な行動で江風は大破している。心は、まだまだ未熟なのだ。

「時間かかるかもね。時雨は、あんまり心の中が安定してないみたいだから。私たちも、戦闘で時雨にあんま負荷かけないように気をつけないと」

「提督、どうですかね」

「どうって?」

 江風の問いかけの意味を計りかね、川内はきょとんとした顔を返してしまう。

「時雨姉貴を支えてくれますかね」

 江風の顔は真剣だ。川内は思わず吹き出してしまった。

「ちょっ、川内さん! 江風が真面目に聞いてンのに!」

「ごめんごめん。まるで恋バナ聞いてるみたいだったからさ」

「恋バナって…」

 そう言う江風の唇が曲がる。完全に茶化されたとしか思えない。

「江風も、海風に負けないくらいの心配性だね。なるようにしかならないよ」

 川内はそう言うと、また杯を呷る。

「時雨や雪風みたいな前の戦いで長く戦った娘は、間近で仲間が次々沈んでいったのを見てるから、どうにも私らみたいに途中で沈んだのに比べてメンタルが厳しいみたいなんだよね。でも、それは私らがどうこうできるものじゃないよ」

 そう言って川内は優しく笑う。その笑顔に、江風は虚を突かれた。

「なるように…スか」

「また前の提督みたいに時雨に酷いコトする提督だったら、私らで始末すればいいし」

 川内はニッと笑う。

「冗談に聞こえないッスよ」

「本気だもん」

 川内はそう言うと宴の会場を振り返る。夕立にまとわりつかれたり、白露に自分が一番だとくどくど説明されたりしながら、荻野は楽しくお酒を飲んでいるようだ。その輪の中で、時雨も楽しそうに笑っている。佐々木と同じ様なことはないと信じたい。

「ま、あの様子じゃ大丈夫なんじゃない? 時雨のフォローは、佐世保全員でやる。それだけでさ」

 川内はそう言うと、グラスと瓶を持って立ち上がった。江風も、会場を振り返っていた身体をまた海に向ける。

「とりあえず、いったん会場に戻って寝る準備するよ。じゃあね、江風」

 川内はそう言うと、ヒラヒラと手を振って会場へ戻っていく。

 川内を見送ったあと、江風はまた身体を捻って会場へ視線を向けた。荻野も佐世保のことを知り尽くしている時雨を秘書艦に任ずるだろう。そうすれば、自分たち艦娘に拒否権はない。いつしか、秘書艦である時雨と、その直属の上官である荻野は親密になるだろう。それが、時雨にとっていい方向へ向かうと願いたい。

「なあ、時雨姉貴…。江風たちがしたことは、間違いじゃないよな…?」

 直接聞けない疑問を呟き、江風は腰を上げた。これから先、佐世保の駆逐艦練度三番の艦として、荻野と時雨の行く末を見守ろう。それが、自分にしかできないことだと言い聞かせる。一度汚してしまった手はもう二度と元には戻らない。なら、とことんまで行くだけだ、と。

「江風ー!」

 会場から、海風が手を振る。その顔からして、困り事が起きたようだ。

「どした、海風姉貴?」

「提督が寝ちゃったのよ。起こすか運ぶの手伝って!」

 駆け寄ってくる江風に、海風はそう声を上げる。江風は苦笑いを浮かべるしかない。なんとも、抜けた提督だなと。でも、その方が、時雨の気持ちの負担は楽かも知れないなとも。

「ったく、しゃーねー提督だな」

 江風はそう言うと、会場へまた舞い戻る。夕立と白露が起こそうと必死になっているが、荻野は眠り込んでびくともしない。その幸せそうな寝顔が全てを物語っていた。

「起こすのかわいそうだね」

 時雨がそう言ってくる。江風はその言葉に苦笑いを返した。

「ったく。五月雨姉貴、毛布持ってきてやってくれねえか。後片付けみんなでやって、このまま寝かしといてやろうぜ」

 江風の提案に、その場にいた全員が同意する。川内型はもうみんな退席していたから、姉妹艦ばかりだ。

「よし。じゃあさっさと片付けて、お開きにしよう」

 時雨がそう言うと、全員が一斉に動き出す。五月雨は涼風を誘って毛布を三枚持ってきた。白露たちは宴の後片付け、食器洗い、卓を片付けたりと全員が動く。小一時間で、宴の会場はいつもの大広間に戻っていた。荻野が眠りこけている卓だけが、ぽつんと残されている。

「じゃあ、これで歓迎会と祝勝会はお開き。明日からまた通常勤務よろしくね」

 時雨はそう言って、解散させる。ばらばらと全員が大広間をあとにしだした。

「時雨姉貴はどうするんだ?」

 荻野の毛布をかけ直す時雨に、江風はそう声をかける。時雨は顔を上げた。

「僕は提督が起きるまでここにいるよ。起きたところでまだここの様子がよくわかってないみたいだし、毛布まだあまってるしね」

 時雨はさも当たり前というような自然な笑顔でそう言う。江風は苦笑いを浮かべるしかない。

「じゃあ、江風も付き合うぜ。姉貴一人じゃ退屈だろうし、話し相手くらいにはなれるぜ」

「姉さん、海風も」

 江風と海風がそう言うのを時雨は制する。

「海風はいいよ。春雨と二人で殆ど準備してくれたんだし、今日は休みなよ。話し相手だけなら、なんにもしてない江風で十分」

「力仕事は手伝ったぜ、姉貴」

 時雨の言いぐさに、江風は苦笑いを浮かべる。だが、その時雨の砕けた笑顔に安心感も覚えるのだ。

「じゃあ…。江風、姉さんのことよろしくね」

「任しとけって」

「じゃあ、お休みなさい」

 ほんの少し心配そうな顔を残して、海風は大広間を出て行く。江風は時雨に何も言わずに電灯を落とした。部屋の中は、月光が差し込むだけの暗さに変わる。

「なんか安心したね。厳しい人じゃなくて」

 時雨は壁にもたれて腰を下ろすと、隣に腰を下ろそうとしている江風にそう呟いた。江風は、その時雨に頷く。

「その分、秘書艦は大変そうだぜ、姉貴。この提督フォローすんのはよ」

「それはそうかもね」

 時雨は楽しそうに小さく笑う。そう言った笑顔を見て、江風の気持ちもほぐれてきた。ああ、この提督なら、悪いことにはならないかなと。見守るだけでいいのかなと。

「江風、色々と心配してくれてありがとう」

「たいしたことじゃねえよ。姉貴が一人で頑張ってるから、支えてやンなきゃって思っただけで」

 江風は立てた膝に顔を埋める。時雨の言葉は心地よく、そうして照れくさい。それから、無言の状態が続く。波の音が岸壁から届いていた。ふと振り向くと、時雨はいつの間にか眠っている。ついこの間まで、寝付きが悪かったはずなのに。江風は毛布を持ってくると、時雨にかけてやった。

「これで、良かったんだな、姉貴」

 月明かりに照らされた時雨の寝顔に、江風はそう呟いた。

 



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取り戻した日常

 荻野は翌日から時雨を秘書艦に任じ、それなりに佐世保鎮守府の司令官としての仕事を始めた。佐々木のように時雨を囲うこともなく、時に非番を与え、夜になれば部屋に帰しと、当たり前ではあっても時雨には特別に思えるような待遇を与えている。五月雨と涼風の訓練も再開され、神通と那珂が二隻の教導も兼ねて護衛任務を精力的にこなしてくれていた。

 そんなある日、荻野が所用から司令室に戻ってくると、そこには時雨ではなく江風がいた。

「おっす。お帰り、提督」

「江風じゃないか。時雨は?」

 そう聞く荻野に、江風は意味ありげに笑って、ソファをちょんちょんと指さす。そこへ目をやると、時雨は横になって気持ちよさそうに眠っていた。

「時雨も疲れてるんだな。明日あたり休ませてやるか」

 コートを衣紋掛けにかけながら、荻野はそう江風に言った。江風はキシシと笑う。

「どっちかってえと退屈で寝ちゃったンだと思うぜ。提督事務官としてはそれなりだもンな。時雨姉貴、前ほど仕事ねえから」

「それなりはねえだろ」

 荻野は笑いながら席に腰を下ろした。自分が置いていった書類は、ほぼ片付いている。自分は確かにそれなりだが、時雨は間違いなく優秀だった。

「じゃあ、このまま寝かしといてやるか」

 荻野はそう言うと、衣紋掛けにかけたばかりのコートを持ってくる。

「毛布持ってくりゃいいのに」

「毛布取りに行くのは面倒なんだよ…。でも風邪ひいたらかわいそうだろ…って、風邪ひかないんだっけか、お前ら」

 荻野は時雨の目の前で立ち止まって江風にそう聞く。江風は「考えたこともねえよ」と首をかしげた。白露型の制服は半袖かノースリーブだ。冬になった今、見た目はとにかく寒そうに見える。

「まあいいか」

 荻野は考えるのやめて、コートを眠る時雨にかけてやった。コートの襟元を時雨の襟元に上げてやろうと近づいた時、時雨が目を覚ました。寝ぼけ眼が焦点の合わない状態で荻野を見上げている。

「…え…と…提督!?」

 時雨は慌てて起き上がろうとして、荻野の顔がそれなりに間近にあったことに気づく。荻野は時雨が起きたことに気づいても、そのままコートをかけてやると、ニッと笑いかけた。

「よう、時雨。おはよう」

「お、おはよう、提督」

 時雨は真っ赤な顔でそう言うと、荻野が身体をきっちり起こすまで待った。今のまま身体を起こすと、間違いなく衝突してしまう。

「眠かったらそのまま寝てていいぞ。きっちり書類作ってくれたおかげで、特にしてもらうこともなさそうだしな」

 荻野は身体を起こすと、そう言ってまた笑う。その笑顔を確認してから、時雨はコートを押さえながら身体を起こした。

「晩ご飯の支度とかあるし、もうずいぶん寝たと思うからいいよ」

「提督の相手なら、この江風がやっとくぜ、姉貴」

 江風が時雨の様子を楽しみながら、意地悪く笑う。時雨は苦笑いを浮かべた。

「ま、今日の残りと明日は休んでいいぞ。飯も海風か春雨に頼むし、ゆっくりしてろ」

 荻野はそう言うと、席に戻って腰を下ろした。そう言われてしまうと、時雨は何となく寂しい気持ちになる。休んでいいと言われても、特にすることもしたいこともない。

「僕は、ここにいちゃ迷惑かな…?」

 荻野のコートを腰のあたりで抱きしめるようにして、時雨は聞く。荻野も江風も一瞬きょとんとした顔を時雨に向けた。

「時雨がいたいなら構わないぞ。俺も退屈しなくてすむ」

「そンじゃあ、江風は退散しようかな。あとはごゆっくりー、姉貴ー」

 江風は茶化すようにそう言うと、キシシと笑ってから舞うように司令室から出て行く。扉を閉める前に時雨に意地悪く笑い、ゆっくりと扉を閉めた。

「なんだ、江風のやつ」

 荻野が不思議そうな顔をして江風が出て行ったドアを眺める。時雨は思わず溜息をついた。

「江風は僕で遊んでるんだよ。提督にコートかけてもらったりしたから」

 時雨は苦笑いを浮かべながらそう言う。荻野は思うところがあるらしく、苦笑いを返した。

「晩ご飯作るよ。なにか希望はある?」

「まだ時雨のカレー食べてなかったな。今日はカレーを頼む」

「うん。待ってて」

 荻野の笑顔にそう頷くと、時雨も笑顔になってソファを立つ。そのソファには、綺麗に畳まれた荻野のコートが残されたままになっていた。

 時雨が調理室へ行くと、そこには江風と海風がいた。いや、待っていたと言う方が正しいのかも知れない。

「海風に江風…」

 時雨はさすがに予想していなかったようで、驚きを隠さずにそう声に出す。

「姉さん、夕飯の支度、手伝います」

「江風は見てるだけだけどな」

 既にエプロンを着けている海風と違って、江風は調理場にいるというのに全くいつものままだ。

「江風は邪魔になるからとりあえず出とこうよ」

「へーい」

 壁にかかっていたエプロンを取る時雨に言われ、江風は素直に調理場から出て行き、調理場と繋がっている食堂から調理場をのぞき込んだ。

「なにを作るんですか?」

「提督はカレーがいいって。簡単なので助かったよ。みんなの分まとめて作れるし」

 時雨はそう言うと、冷蔵庫をのぞき込む。材料は揃っているようだった。

「海風は皮むき頼むよ。僕は道具とかルーの用意するから」

「わかりました。ご飯は炊けてます」

 そう言っててきぱきと調理を始めた姉妹艦を、江風はぼんやりと眺めている。時雨の表情は以前に比べて格段に穏やかになっており、海風と一緒にカレーを作るのも楽しそうだ。その時雨を見て、さっきの司令室で眠りこけていた時雨を思い出して、江風はようやく安心するのだ。これで、もう大丈夫だと。

「江風、本当に見てるだけのつもり?」

「味見くらいは手伝うぜー。せっかくのカレー台無しにされたくなけりゃな」

 江風はそう言うと時雨に笑う。その答えは、時雨も苦笑いを浮かべるしかない。海風も、仕方ないなと少しむっつりしていたが、やがては苦笑いを浮かべるしかなかった。

 この時は江風も、海風も、当の時雨自身もまだ知らなかった。

 今はまだ走り出したばかりの荻野と時雨の物語が、この先七十年にもわたって紡がれていくことに。



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日向は思う

 横須賀鎮守府は、先の大規模作戦で新規加入した嵐と萩風の訓練を中心に日々の任務をこなしている。第四駆逐隊の僚艦である野分と舞風がそれぞれつきっきりで様子を見ていた。同じく新規加入の鹿島は姉妹艦の香取が、風雲と高波は夕張が介添えをしている。

 日向は、秘書艦として訓練の監督の他、日々の細々した業務を平坦にこなしながら、木村の相手も務めていた。

「佐世保は落ち着いたようだね」

 荻野から上がってきた書類に目を通しながら、木村はそう言って一息つく。書類には荻野の字の他、見慣れた時雨の文字もあった。

「新しい司令官はすんなり馴染んだようだ」

 日向は瑞雲の手入れをしながら、木村の方は見ずに言う。木村ももうそんな日向の態度には慣れており、こちらも日向の方を見ない。

「しかし、この作戦を君がよく許可してくれたな」

「私は許可した覚えはないよ。黙っていただけで」

 そう言って苦笑いする木村を日向は鼻で笑う。

「それは許可したも同然じゃないか」

「日向だって私の目の前で話していただけで、明確な許可は取らなかったじゃないか。お互い暗黙の領域だよ」

 木村はそう言って細く笑う。

「佐々木はいずれ除かなきゃいけなかったからね。陸戦では使えても、佐々木の戦いは猪突猛進だ。深海棲艦は元々陸での活動は活発じゃない。本土強襲の撃退も、後がなくなった長門や千歳たちが頑張ってくれた結果だ」

「手厳しいな」

「今回だって、丸腰のいそゆきで前へ出すぎて、駆逐水鬼の攻撃を喰らったんだ。もしかすると、日向たちが手を下さなくてもどうにかなったかもな」

 日向の言葉に応えず、木村はそう言って小さく息をついた。

「悪しき前例を作ってしまったのは確かだけどね。艦娘が人を殺したっていう」

 そう言う木村と日向の視線が交錯する。だが、お互い心を読み合うようなことはない。日向はよく知っていたし、木村もよく知っていた。

「私たちの身体は宿主から借りているだけのものだ。時雨が受けたような仕打ちを許し続け、万が一にも宿主の身体になにかあれば、宿主に申し訳が立たない。それに、私たちはロボットじゃない、ちゃんと感情を持った艦娘だ。ロボット三原則は通用しないさ」

 日向はまた瑞雲に視線を戻してそう呟くように言う。

「愚問だったな。君がそのことをわかっていなはずはなかった」

「そういうことだよ」

 木村はそう言って笑う。日向も口の端に笑みを浮かべた。

「あとは、荻野が時雨を、佐世保の仲間たちを癒やしてくれるかだ。その辺は心配してないけどね」

「それは私も同感だ。荻野大佐なら、きっとやってくれると思う」

 日向はそう言って、すっと手にしていた瑞雲を空へ向かわせる。瑞雲はエンジン音をさせながら、部屋の中を舞い始めた。

「そのためにこの人事をねじ込んだんだろう? 荻野大佐が時雨に合うと信じて」

「ま、ね。時雨は大きなトラウマを抱えてる。それに佐々木との関係も異常だった。なら、小さなことは気にしない、いい意味で時雨が甘えられるような茫洋な人間の方がいいと思ってね。荻野に艦隊指揮官としての期待はしてない。佐世保の仕事だけをこなしてくれればいい」

 木村はそう言うと、ぎっと椅子の背もたれを鳴らす。長い髪が揺れた。

「時雨はここにいる時から少し心配だったんだ。響や潮と同じで、大きな悲しみを抱えてる。佐々木に持って行かれた時はしまったと思ったよ。そして、案の定酷いコトになった。これは私の失態だ」

「君でも自分を責めることがあるんだな」

「むしろそればっかりだよ。今でも悔やむことばかりだ」

 日向にそう言って、木村は自嘲気味に笑う。かつて画面の向こうで数字やモノとして扱っていたものの重さに押しつぶされそうになることもある。

「それでも、艦隊総司令としてやることはやらないと」

「私も手伝い甲斐がある。こうやって、瑞雲を飛ばしてやれる状況を作ってもらえた」

 日向はそう言うと、飛んでいた瑞雲を右手に戻す。かつて飛行甲板を持ちながら、一度たりとも航空機を飛ばす機会を与えられず、機銃設置場所や物資載積所に成れ果てた飛行甲板を抱え、最期は自身も対空砲座として着底した過去をふっと思い返す。

「私は仲間とこの世界のために戦う。それだけだ」

「そうだね。あとは、海が静かになって、みんなが安心して暮らせるようになるのを願うばかりだよ」

 そう言う木村に、日向は笑みをこぼす。

 それはまだまだ先の話だろう。近海こそ幾分ましになったとはいえ、南方にはまだまだ有力な棲地がいくつもあり、中部太平洋も手つかず。それ以外の海は状況すらわからない。だが、いつかはやり遂げねばならないのだ。それは、まだ見ぬ仲間たちの手も、他国の艦娘たちの手も借りねばならないかも知れない。そうしていつか、本当に静かな海をこの星に戻さねばならないのだ。

 そうして、日向は考える。

 静かな海を取り戻したその時、自分たち艦娘はどうなるのだろうな、と。

 

 



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雨が上がるその時に 【時雨と提督】(佐世保の新年編)
笑顔のわけ


 僕の中には雨が降っている。
 時雨って名前もそうだけど、それとは関係ない。
 いつの頃からか、僕の中では雨が降っている。
 重く立ちこめた曇天から、降り続ける雨。
 自分ではどうすることもできなくて、僕は濡れたまま立ち尽くす。
 見上げる空は本当に暗くて、光はなかった。



 僕は、提督の運転する車の助手席にいた。佐世保へやってきてから…というより、艦娘として海上で拾われてから、海以外の場所から鎮守府の外へ出るのは初めてだ。運転席の提督は上機嫌で、時に鼻歌なんかも出ながらハンドルを握っている。

「提督、どこへ行くんだい?」

「アテがあるんだよ。まあ、見てなって」

 そう言って提督はニカッと笑う。普段から結構いい加減で、仕事を終わらせればふらっといなくなることも多い提督は、こうやって見ていると同じ年の頃の男の子のようだ。もっとも、提督は二十八歳で、僕は艦娘だから見た目こそ中学生くらいだといっても、実際の年齢は不詳だといっていい。その提督である荻野誠大佐は、前任の佐々木大佐がバニラ湾で戦死して、後任として着任してから二ヶ月が経とうとしている。今日は、十二月三十日。今年もあと一日で終わりだった。

 

 話は五日前の二十五日に遡る。

「もうすぐ正月だな、時雨」

 昨晩はクリスマスパーティとかで大騒ぎした翌朝、提督は僕が司令室に行くなりそう言ってきた。その笑顔と言葉だけでは、さすがに提督がなにを言いたいのかまでは読めない。

「そうだね。今年もあと一週間ほどだね」

「掃除終わったら、またみんなで騒ぐか」

 僕の言葉に、提督はそう言ってニカッと笑う。発想はまるで遊びたい盛りの子供のようだ。さすがに、苦笑いするしかない。

「昨日騒いだばっかりだよ。さすがに木村中将とか軍令部の人たちに怒られないかな」

「佐世保鎮守府としての仕事さえきっちりやってれば、ここの責任者は俺だし問題ないよ。だから、大晦日までにやることはきっちりやる」

 そう言いながら、提督は書類の束をざららっと捲っていく。

「今日の船団護衛は神通と五月雨と涼風に行かせてくれ。川内と白露、村雨は帰ってきたら休ませてやってな」

 さっきまでのおふざけ混じりの雰囲気のまま、任務の話を急に振ってくる。佐世保は川内型軽巡と白露型駆逐艦だけの小さな鎮守府だ。船団護衛が主な仕事。川内さんたちは南西諸島から帰ってくる輸送船の護衛をもうすぐで終えるはず。神通たちは、その帰りの護衛だ。

「オーケー?」

「了解だよ、提督」

 僕はそう言うと、提督から書類を受け取る。護衛指令書と護衛報告書にはもう僕が書くところはほとんど残っていない。思いつきも早いし、仕事も早い。軍令部時代は事務官だったとは言ってたけど、本当に仕事が早くて僕は退屈してしまいそうだ。

「今日の哨戒は夕立でいいかな。あいつも少し退屈してるだろうし」

 そう言ってから伸びをする提督に、僕はもう一度苦笑いを返した。

 

 それから五日、任務の合間に全員で年末の掃除をすませ、今朝鎮守府の仕事を春雨と海風に託してから、提督は僕を車に乗せて走り出した。

 車は、佐世保を出てから北へ向かって走っている。九州の沿岸部は今でも所々に深海棲艦が最初に襲来したときの傷痕が残っていて、壊れて朽ち果てそうになっている建造物がまだまだ多くあった。

「さあ、着いたぞ」

 そう言って提督が車を止めたのは、山間部の農村のとある農家の庭先だった。

「栄のおばさーん、いるかい!?」

 車を降りるなり、提督は家の中へ向かってそう声を上げていた。少しびっくりする。すると、家の裏からいかにも年のいった農家の婦人といった感じのおばさんが姿を現した。

「あ~ら、あら、誠ちゃん。よく来たわね~」

 そのおばさんはそう言って提督に破顔する。僕は状況が飲み込めずにきょとんとするばかりだ。

「電話で頼んだとおり、野菜もらってくよ」

「いいともいいとも。好きなだけ持っていきな。なんなら、ハウスの方の夏野菜も持っていくといい」

「恩に着るよ」

 提督はそう言うと、こっちを向いた。そうして、手招きをする。

「時雨ー、行くぞ!」

「あ、うん」

 僕は頷くと、提督へ駆け寄っていく。

「可愛い娘だねえ。誠ちゃんの妹かなにかかい?」

 おばさんは僕を見ると、笑顔になって提督にそう聞いている。なんとなく、かしこまってしまう。

「違う違う。俺の部下だよ」

 提督は僕の肩をぽんぽんと叩きながら、おばさんにそう言って破顔する。

「まあまあ、じゃあこの子が艦娘さんかい?」

 おばさんはそう言うと、僕に近寄ってきて僕の手を取った。指ぬきの指に触れる肌は、僕の指のような柔らかさはなくて、苦労した人のごつごつした手だった。

「しっかりおいしいモノ食べて、頑張ってね。アンタたちが頑張ってくれてるおかげで、アタシたちゃ普通に生活できてるから」

 おばさんはそう言って人なつっこく笑う。そのおばさんの言葉の奥に、どれだけのことがあったのかはわからない。僕は小さく頷いて「ありがとう」と言うのがやっとだった。提督を見上げると、提督はにっこりと笑っていた。

 

「おばさーん、ありがとな」

「またいつでもおいでー」

 段ボールに一杯の野菜をもらったあと、提督はそうおばさんに手を振って車を出した。手を振ってくれるおばさんに僕も頭を下げると、車は角を曲がっておばさんの農家は遠くなっていく。

「佐世保へ戻るの?」

「まだ肉と魚がな」

 提督はそう言うと、子供のようにニッと笑う。僕は人手の役にも立ってない状態だから、今の状況はある意味秘書艦以下かな。提督は、僕といて退屈じゃないのかな。そんなことを思いながら、ハンドルを握る提督を見ていると、提督は楽しそうで、ちっとも退屈した様子はない。車は山の中をどんどん進んでいき、今度は酪農組合の建物の前で止まった。

「ここはちょっと待っててくれ」

 提督はそう言うと、車を降りて建物の中へ入っていく。その背中を見ていると、本当に楽しそうだ。その間に、僕はなんとなく運転席の周りを見てみると、この車はどうも提督の私物のようで、素っ気ない中にも提督のモノという雰囲気があった。待っている間は特にすることもないから、車の中を観察し終われば、あとは周りの景色くらいしか見るものはない。佐世保からそれなりに離れた山間の村といったところかな。深海棲艦の艦載機による攻撃には晒されていないようで、村は昔からの雰囲気を残してた。緩い寒風の中、冬枯れの木が鈍く揺れている。やがて、車の中がすっかりと冷えた頃、提督は発泡スチロールの箱を抱えて戻ってきた。箱を車に積み込むと、また笑顔で運転席へ戻ってくる。

「お待たせ、時雨。次行くぞ」

「次は魚?」

「そうそう。それが終わったら鎮守府に戻るぞ」

 首をかしげる僕にそう言うと、提督は車のエンジンをかけて酪農組合をあとにした。

 元来た道とは少し違う道を走りながら、車は海に向かっている。提督は相変わらず上機嫌だ。時に他愛もない話をしながら、車はやがて漁港に着く。

「さあ、着いたぞ」

「…ここは、佐世保からそう遠くないところだね」

 車から見える風景は、海からだけど見覚えがあった。いつも横須賀へ行くときに見かける小さな漁港だ。

「さあて、魚調達するか」

 提督はそう笑いかけると、エンジンを切ってドアを開けた。

 車を降りると、漁港はもう朝の漁の片付けが大方終わって、漁師の人たちは漁具や船の手入れをしていた。船は古いものが多く、修理の跡がたくさんあった。銃撃痕があるものもある。そして、漁港にいる人は、女性ばかりだった。

「こんちはー!」

「あらー誠ちゃんじゃない」

「よく来たわねー」

 提督が声を上げると、漁具の手入れをしていた人たちや船の手入れをしていた人たちが、顔を上げて提督に笑顔を向けてくる。これには僕も驚いてしまった。

「電話してた魚もらいに来ました」

「ちゃんと取ってあるわよー」

 年配の女性が提督にそう言って、冷蔵庫の中へ入っていく。提督も僕を置いてその中へ入っていってしまった。僕は全く知らないところで知らない人たちの中にぽつんと残された。

「あなた、誠ちゃんの部下の艦娘さん?」

 一人のおばさんが屈託なく笑顔で話しかけてくる。

「うん。佐世保鎮守府所属、白露型駆逐艦、二番艦の時雨」

 僕はそう名乗る。これ以外の名乗りは僕にはない。どう対応していいかわからなくて、いつも以上にぶっきらぼうな感じになってしまったかな。

「そう。時雨ちゃんていうの」

 おばさんはそう言うと嬉しそうに笑う。なにが嬉しいのか、僕にはわからない。おばさんは僕に近寄ってくると僕の頭を撫でてくる。

「あの…」

「こんなちっちゃい娘が頑張ってくれてるんだね」

 そう言うと、おばさんはまたにっこり笑う。

「アンタたちの活躍のおかげで、私たちは近い海だけだけど漁に出られるようになったんだよ。ありがとね。あのままだと、私たち漁師は干上がってしまうところだったから」

 その言葉は、僕の胸を衝く。農家のおばさんも同じことを言っていた。それはきっと、真実の言葉なんだろう。深海棲艦の攻撃は海上だけでなく、艦砲射撃や艦載機で陸上も襲ったって聞いている。海に出ている漁師の人たちならなおさらだろう。漁船にある銃撃痕は、きっと深海棲艦と交戦した跡なんだろうな。

「私たちにできるのはこれくらい。この辺で捕れた魚だけど、いっぱい食べて英気を養ってね」

「…ありがとう」

 その笑顔に、僕はそう言うことしかできなかった。

「よし、時雨、帰るぞ」

「あ、うん」

 戻ってきた提督にそう返事をしてから、僕はもう一度おばさんを見た。にっこり笑って手を振ってくれる。

「またおいで」

「ありがとな、おばさん」

 おばさんにそう手を振って、提督は車に発砲スチロールの箱を積み込み、運転席に乗り込んだ。僕も頭を下げると助手席へ戻る。やがて、車は漁港を出た。

「…漁港にいるのは、女の人ばかりなんだね」

 そう言う僕をちらっと見てから、提督はまた前を向いた。少し、その表情が厳しくなる。

「深海棲艦は最初船と飛行機を徹底的に狙ったからな。漁師の大半は男だ。たくさんの漁師が船と一緒に海の底へ沈んでいった」

「うん…」

 そう、艦だった頃の僕に乗っていたのも男の人ばかりだ。それは、今の時代でもほとんど変わってないんだ。だから…。

「そのあとも深海棲艦の陸上攻撃で多くの人が死ぬか、消えた。その大半は、男だ。その結果、この国の男女構成比は今一対六くらいになってる。海の側から、男は消えたも同然だな」

「だから、鎮守府も…」

「そう言うことだ。深海棲艦の攻撃に耐性があったのはほとんど女で、男は極めて稀だからな。結果として、海の仕事はほとんど女の仕事になった。海軍の仕事もそうだ」

 そう言って提督は溜息をつく。

「その中で希少種と呼ばれた深海棲艦の攻撃に耐性のある男が、結果として提督業や責任者なんかに選ばれる傾向が強くなったんだ」

「提督も、その希少種なの?」

 僕の問いかけに、提督は一瞬だけ僕を見た。その目は少し冷たい。ああ、そういう風に言われるのが嫌いなんだ。

「まあ、そう言うことになるな。たまたまそうだったっていうだけだがな」

「…悪いこと聞いたね」

 少し白んだ空気に、僕はそう謝る。提督にとっては、その希少種であることにはあまり価値はないんだ。むしろ、弊害の方が多いと思ってるのかな。

「別に悪くはないさ。そうでなければ、こうやってお前の上官なんかやってないしな。それは、それだ。そう呼ばれるのは確かに好きじゃないけどな」

 そう言って、提督は声を上げて笑いながら、僕の頭をぽんぽんと叩く。

「俺の方こそ、気を遣ってやれなくてすまんな」

「ううん。僕も無遠慮だった」

 そう言い合って、僕らは笑いあった。

「時雨、さっきの漁港のおばさんや、農家のおばさんのこと、覚えてるか」

 笑い終わると、提督は唐突にそう聞いてきた。僕はこっくりと頷く。

「覚えてるよ。二人とも、僕たちには感謝してるって言ってた」

「あの人たちの笑顔を覚えとけ。あの笑顔は、お前たち艦娘が取り戻したものだ。元々はみんな伴侶がいて、子供がいてって人たちだった。それを壊したのが深海棲艦で、絶望の中からでも、お前たちは海と一緒に暮らしや仕事を僅かながらでも取り戻した。たとえなくなったり消えてしまった人たちは戻らなくてもな」

「うん…」

 提督は運転しながら、そう言った。その表情は真剣そのもので、提督がどれだけ人たちの暮らしを憂いているかよくわかる。本当に、優しい人だな。

「ようやくこの国の近海は少し静かになったけど、まだ遠洋漁業に出るのは大きなリスクを伴う。さっきもらってきた魚も、近海で獲れるものばかりだ。遠洋魚は本当に高くなったんだぞ」

「…いつも海に出てるし、僕たちは自分で買い物しないから魚が高いって言われてもぴんとこないけどね」

 そう言う僕に、提督は苦笑いを浮かべる。提督も自分で買い物とかしないと思ってたんだけど、そうじゃないんだ。この人は時々ふらっといなくなることがあるけど、そうやって鎮守府の外で普通の暮らしの一部を持ってるのかな。

「まあ、お前らは道具さえあればいつでも遠洋で魚釣れるだろうしな。羨ましい話だ」

「提督は釣りとかするの?」

「こう見えて、漁師の伜だぜ? 釣りは得意中の得意よ。鎮守府の岸壁も結構色々釣れるんだぞ」

 そう言って提督は少し得意げな顔になる。本当に子供っぽい表情が似合う人だなあ。その表情は僕の頬も緩めてくれた。

「提督が時折いなくなるのってもしかして釣り?」

「たまにはな。俺には優秀な秘書艦がいるからな」

 そう言って、提督はまた得意げな顔になって、僕の頭をぽんぽんと叩く。それは信頼なのか頼られてるのか、利用されてるのかさっぱりわからない例えだったけど。

「それは僕もサボっていいってこと?」

 僕がそう言うと、提督は一瞬だけきょとんとしたあと、ニッと笑う。

「おう、構わんぞ。時雨だって息抜きしたいときもあるだろうさ。こっちから急ぎの用事がなければ、司令室に詰めとく必要もないからな」

「じゃあ、気が向いたらサボらせてもらうね」

 そう言う僕に、提督はまた笑う。そうして、最後にこう付け加えた。

「ま、勝手に時雨がサボろうなんて思わないことはよくわかってるつもりだけどな」

 その言葉に、僕は苦笑いを返すしかなかった。



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時雨を形作るモノ

 車は佐世保へ向かって快適に走り、やがて昼を少し回った頃には鎮守府に着いた。

「これでお節とか大晦日に騒ぐ分くらいはあるだろう」

 提督はそう言いながら、車から荷物を下ろす。僕も手伝ったけど、野菜と肉、魚だけで段ボール一つと大きな発泡スチロールの箱二つになってる。白露型九隻と川内型三隻、それに提督と大晦日の深夜勤の人たちの分くらいはあるのかな。

「酒保の冷蔵庫借りる手配してるから、酒保へ行こう」

 そう言う提督に頷くと、僕は肉の発泡スチロール箱を抱えて、提督のあとをついて歩いた。提督は野菜の段ボールと魚の段ボールを軽々と抱えて、歩いていく。意外に力持ちだったんだと感心するなあ。あれ二つで数十キロはありそうなのに。

 酒保に着くと、提督は酒保の担当者と少し話をして、冷蔵庫にどんどん荷物を運んでいく。

「料理してて必要になったらいつでも取りに来ていいぞ。一日までここの鍵を預かって管理は任された」

「うん、ありがとう」

 提督の笑顔に、僕はそう頷いた。

「おっ、お帰り、提督、時雨姉貴ー」

 酒保に荷物を運び終わって司令室に戻ると、江風と涼風がぞうきんと掃除機を手にして掃除の真っ最中だった。

「よう、終わったか掃除班」

「提督の部屋は綺麗だかんな。あたいたち二人もいらねえって言ったんだけどよ」

「ま、江風も涼風も料理では基本的に役に立たないからな」

 そう言って涼風と江風は笑う。部屋を見ると、司令室は出る前よりほんの少し綺麗になってる。というか、出る前から普通に綺麗な部屋だったんだけど。

「みんなの私室はもう終わったの?」

「散らかしてんのは夕立と村雨の部屋くらいじゃねえのかな?」

「あそこは夕立姉貴が物持ちだから、村雨姉貴も苦労してると思うぜ」

 涼風のあとを受けて江風はそう言うとキヒヒと笑う。もう村雨がげんなりしてる絵が見えて苦笑いするしかないな。

「提督、海風や春雨も呼んで、料理の準備しようと思うんだけど、いいかな?」

「おう、進めてくれ。明日は夕方から騒ぐ予定だから、お節は今日中だもんな」

 提督はそう言うとニッと笑う。本当に騒ぐつもりなんだなと苦笑いが自然に出る。

「じゃあ、行ってくるね。あとはよろしくね、江風、涼風」

「了解したぜ、姉貴ー」

「がってんだー!」

 妹二隻の声を背中に受けて、僕は司令室をあとにした。

 

 春雨と海風、それに掃除が終わっていた五月雨も加えて、お節の準備を始めたけど、煮物とかにはやっぱり手こずって、できあがったのはもう夜もずいぶん更けた頃になってしまった。途中で僕は普通の夕飯作りにも抜けたりして、結構バタバタしちゃったな。

「時雨姉さんは、提督に夕飯持っていってください」

「そうです、あとは私たちでやりますよ、はい」

「終わったらみんなにも夕飯配って、片付けて寝るね」

 三隻はそう言って僕に巻き寿司と付け合わせを持たせてくる。提督はまだ夕飯食べてないけど、僕たちはちょこちょこつまんだからなあ。でも、あまり提督を待たせても悪いし、ここはみんなの気持ちに甘えようかな。

「じゃあ、あとは任せるね。ありがとう」

「おやすみなさい、姉さん」

「おやすみなさいです、姉さん」

「おやすみ、時雨」

 手を振りあって、僕は調理室から出た。お節を作りながらの簡単な巻き寿司。それと付け合わせが今日の晩ご飯だ。お盆の上には、提督の分と僕の分が乗ってる。お茶は向こうで煎れたらいいか。

「提督、入るよ」

「おう、入っていいぞー」

 司令室のドアをノックすると、提督の声がドア越しに返ってくる。僕はお盆をひっくり返さないようにドアを開けると、司令室へ滑り込んだ。

「遅くなったけど夕飯持ってきたよ」

「おっ、腹減ってたんだよー。お節の進み具合はどうだ?」

 お盆の上の巻き寿司と付け合わせを机の上に並べる僕を見ながら、提督はそう聞いてくる。

「お節は海風たちに任せてきた。じきにできあがると思うよ」

「一日楽しみにしとくか。明日は餅搗いたりもしないとだしな」

 そう言って笑顔になる提督に、僕の頬も自然に緩んだ。

「お節作りながらだったから、簡単な巻き寿司だよ」

「時雨製?」

「うん。他の三人はかかりっきりになってもらったから」

「時雨の飯も旨いからありがたい。いただきまーす!」

「お茶煎れるね」

 提督は僕がそう言うよりも早く巻き寿司にかぶり付いてる。僕は苦笑いを浮かべながら、お茶っ葉を換えて湯を注ぐ。玄米茶の淡い米の香りが鼻腔をくすぐった。

「明日は午前中にお餅搗いて、午後からはパーティの準備でいいのかな?」

 提督の前に座って同じように巻き寿司を口にしながら、僕はそう聞く。提督はそうだと言わんばかりに破顔した。

「そのとおり。さっすが俺の秘書艦は優秀だな」

「褒めてもなにも出ないよ」

 楽しそうな提督に、僕は苦笑いを返す。褒められてるのは嫌じゃないけど、提督、どこまで本気かわからないからなあ。

「そうつれないこと言うな」

 さすがに提督も苦笑いだ。僕も改めてその苦笑いに苦笑いを返す。それでも、提督はおいしそうに巻き寿司と付け合わせを食べてくれる。時折お茶を飲みながら。なんか、少し心がほっこりする光景だな。作ったご飯をおいしそうに食べてもらうのは素直に嬉しい。

「ごっそさん! 旨かった!」

「どういたしまして」

 提督が箸を置いて手を合わせると、僕も食べ終わったので箸を置いて手を合わせた。あとはこれを片付ければ僕の今日の仕事は終わりかな。ふっと机の脇を見ると、書類の山は大方どころかほぼ片付いてるようだ。ホントに事務官としては優秀な人だと認識する。その中に、バニラ湾沖夜戦の戦闘詳報があるのが目に入った。

「…提督、これは?」

 僕は少し震える手でその戦闘詳報を手に取った。僕が魚雷艇にパニックを起こして、江風を大破させた上に、自分も大破して佐々木大佐が戦死した、滅茶苦茶だった戦い。思い出しても心が苦しい。僕が普段通り戦ってれば、結果は違ったかも知れなかった戦い。

「ああ、さっき手が空いたから読ませてもらった」

 提督はそう言うと、僕に戦闘詳報をよこせと手を差し伸べてくる。僕は導かれるまま、戦闘詳報を提督に手渡した。

「…時雨は、なんで魚雷艇が怖いんだ?」

「え…?」

 提督はぱらぱらとページを捲ると、静かな声でそう聞いてきた。僕にとって魚雷艇は、艦だったときの悔恨と恐怖の象徴だ。それは、提督も知ってると思ってた。

「僕は…スリガオ海峡夜戦で、山城たちを魚雷艇の攻撃で失って…」

「実際のスリガオ海峡夜戦の記録だと、西村艦隊は初戦で魚雷艇を撃退してるぞ。時雨も、被害はなしでその後の戦闘に参加してる」

 提督はそう言うと、僕に書類の束を手渡した。

「国際文書のアーカイブにアクセスして印刷した当時の戦闘詳報だ。西村艦隊を撃滅したのは、丁字戦法で待ち構えていた駆逐艦と戦艦だぞ」

 提督の言うことが旨く飲み込めない。でも、その見慣れた文字は艦だった僕の当時の艦長だった西野艦長の字だ。山城、満潮、山雲、朝雲が被雷。山城爆沈。山雲、朝雲もやがて爆沈した。満潮は火達磨になって更に砲撃を加えられて撃沈。扶桑も砲撃で撃沈された。最上も避雷して大破、僕も至近弾多数で艦体に亀裂及び破孔多数で舵や電信機、羅針盤なんかが故障して、撤退するのも大変だった戦い。

「当時の時雨は山城と扶桑を取り違えてたようだしな。時雨の記憶は、どこで入れ替わった?」

 提督の真っ直ぐな視線が僕を捉えている。この戦闘詳報は、恐らく本物のコピーだ。じゃあ、僕の記憶は? 燃えさかる炎の向こうに見える魚雷艇群は、いったいなに? 僕はきっと怯えた目で提督を見ていたと思う。自分の記憶が信じられなくなった瞬間。じゃあ、僕はいったいなに? 本当に、僕は駆逐艦時雨なの?

「…五月雨も比叡を誤射した記憶が飛んでるみたいだしな。何かしら、お前たちには記憶操作されてる形跡があるってことだ」

「記憶操作…?」

 自分の記憶に寄る瀬を失った僕の空洞に、提督の言葉は空虚に響く。それは、僕を救ってくれるのかな…。

「五月雨の場合、比叡を誤射したのは第三次ソロモン海戦のときだ。比叡はその翌日に沈没してる。その記憶は、もしかすると比叡と僚艦になったときに悪い方へ働くかも知れない」

 提督はそう言うと、一拍置いて僕を見た。その目には、鋭さと優しさが同居してる気がした。

「時雨の場合は、西村艦隊の僚艦への引け目となって出る可能性がある。お前はただでさえどっちかっつうと融通の利かない真面目な性格だ。一人だけ助かった記憶を元々の形で鮮明に覚えてたら、きっと山城や扶桑、最上なんかとも今の関係は築けてなかっただろうな」

 提督の言葉は、そうかも知れないと思えた。扶桑も山城も、最上も僕には優しい。今の僕は、そのことに引け目をあまり感じずにいられてる。単艦で生き残った記憶や奮闘したみんなの記憶は鮮明にあるけど、みんなの悲惨だった爆沈の様子はあまり覚えてない。

「それに、駆逐や戦艦は当初から戦う相手として確定だったからな。もしそんなの相手にいちいちパニック起こしてたら、今お前はここにいないだろうな」

「…うん。そうだね」

 やっと、喉を声がとおった。海上で拾われてから今まで、駆逐艦は数え切れないくらい戦ってきた。戦艦だって、何隻も沈めてきた。その相手と戦えなければ、僕は戦う意味もなかったはずなんだ…。

「ま、真実は闇の中だけどな。俺は軍令部にはいたが、そんな話は聞いたこともなかった。横須賀や前に佐世保にいたときもそうだ。艦娘は、艦の魂を持った少女たちだと言われてただけだったからな」

 提督はそう言って笑う。僕を和ませようとしてくれてるのかな。それでも、僕の胸には提督の言ったある言葉が引っかかった。

「提督、前に佐世保にいたの?」

 佐世保は去年開かれたばかりの新しい鎮守府だ。それまではただ中継基地としてあっただけで、根拠地じゃなかった。

「ああ、まだ言ってなかったか」

 提督はそう言うと、椅子から立ち上がって、椅子に座る僕の横に膝をついて、僕を見上げてた。…なんか、視点が新鮮すぎてどぎまぎする。

「今年最後の夜だし、白状しちまうが、俺は去年佐世保鎮守府が開かれたときに佐々木の副官としてここにいたんだ。奴とは同期だったが奴の方が結果を出しててな、階級は奴の方が上だった」

 衝撃の告白だった。まさか、提督が去年佐世保にいたなんて。

「でも、僕は提督を見た覚えがないよ?」

 心の動揺が声に乗る。いつもより掠れた声は震えた。なんで、僕は提督に知られたくないと思ってるんだろう。

 佐々木大佐との間にあったことを。

「それはそうだろうな。俺は副官と言っても、艦娘周りのことはなにもしてない。資材の手配、他鎮守府との連絡、軍令部との調整、全部裏方の仕事だ。会ったことはあったとしても、覚えてもらえるほどもいなかったしな」

 提督は僕を見上げながら、そう自嘲気味に笑う。

「俺は時雨のことを覚えてるぞ。佐世保に来たときのお前は、姉妹艦たちと明るく笑う普通の女の子に見えた」

 提督の声が、僕の胸をえぐる。ああ、僕も覚えてる。あの頃は、まだみんなでバカみたいに笑いあえてたんだ。あの日までは。

「ある日を境に、お前の顔から本物の笑顔が消えた。作り笑いだけが上手くなったお前の姿があった。他の姉妹艦もそうだ。みんな心から笑わなくなった」

 提督はそう言うと、ふっと目を伏せた。ああ、僕は観念した。提督は、僕と佐々木大佐の間になにがあったのか、全部知ってるんだ。

「お前が仲間のために佐々木に身体を預けたというのを知ったのは少しあとのことだ。勇気のある娘だと思ったよ。怖い娘だとも思った。そんなお前を見てて、俺もなんとかしなきゃって思ったんだがな…」

 提督はそう言うと、また僕を見上げてくる。その目には悔恨が浮かんでた。

「当時の俺じゃ力不足だった。佐々木とは何度もやり合ったさ。だが、軍令部は木村中将をゆくゆく廃して、佐々木に艦隊総司令を任せる気でいたんだ。だから、佐々木とやり合ってる俺は佐世保から軍令部に飛ばされた。ほとんどなにもしてやれずにな」

 提督はそう言うと、ゆっくりと頭を下げる。

「不甲斐ない大人ですまない。本当は、佐々木が戦死するより前になんとかしてやりたかった。軍令部では猫を被って、裏では木村中将とも綿密に連絡を取り合って佐々木の後がまを狙った。あのときの俺には、それしかできなかったんだ」

 鼻の奥がつんとする。顔を上げた提督の視線の強さが、僕の弱さを射貫いていく。提督は、僕のことを助けてくれようとしてたんだ…。僕が提督のことを知らない間にも…。

「軍令部で点数稼ぎをしてた甲斐もあって、佐々木が戦死したあとは木村中将の働きかけもあって、佐世保のことを少しでも知ってる俺がこうやってここの司令官になれた。そして、今やっとお前にこうして情けない過去を白状してる」

「そんなこと…ないよ…」

 僕はそう言うのがやっとだ。声が、ボロボロに震えてる。

「時雨…辛かったな」

 提督の優しい声が、僕の胸を射貫いた。噛みしめていた奥歯がカタカタと音を立てる。握りしめていた手の甲に、滴がこぼれた。

「泣いていいぞ、時雨。ここには俺しかいない。司令室は機密上の問題から防音されてる。姉妹艦たちに聞かれることもない。もう、我慢しなくていいんだ」

 ああ、色んな感情と過去がない交ぜになって溢れてくる。止めたいのに止まらない。もう、きっと限界だったんだ。やっと、自由になれた。

「うわああああぁぁぁぁぁ…っ」

 僕は声を上げて提督に飛びついた。中腰に近かった提督は僕を受け止め損なって、二人とも司令室の床に転がる。僕は、提督の胸を借りて思い切り泣いた。胸の奥の澱をはき出すために。提督は、そんな僕の髪をずっと撫でてくれていた。



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目を冷まして

 明けて大晦日の朝を、僕は司令室のソファの上で迎えた。目を覚ますとしんとした冷たい空気が司令室を覆ってる。僕に自分のコートを掛けてくれたこの部屋の主は、見当たらなかった。

 僕は提督のコートを畳むと、のそのそと起き出して小さな鏡で自分の顔を見た。泣きはらした目元が腫れて酷い顔だ。これじゃあ、みんなに泣いてましたって言ってるようだ。

「よう、時雨、起きたか?」

 出し抜けにドアが開いて、提督が颯爽と入ってきた。いきなりだったから少しびっくりした。

「う、うん。昨日はありがとう。僕、あのまま寝ちゃったんだね」

「さすがに白露や春雨のいる部屋まで抱えて戻すのもどうかと思ったから、悪いとは思ったがソファで寝てもらった。身体痛くないか?」

 提督は苦笑いをしながら、僕に湯気の立つマグカップを渡してくれる。中身は、コーンスープだった。

「インスタントで悪いがな、この部屋寒いから温まるぞ」

「ありがとう」

 そうお礼を言ってから、僕はマグカップに口をつける。ほんのりと甘い温かさが喉を下っていく。

「昨日の続きじゃないが、俺がここの司令官をやってる限り、お前は自由だ。下命された任務以外は好きにしてくれていい。秘書艦を外れたいなら、それでも構わないぞ」

 提督は同じスープを飲みながら、優しい表情でそう言ってくれる。

「ううん。海風にも春雨にも、この場所は譲らない。提督の筆頭秘書艦は僕だから」

 提督の横を離れちゃいけない気がする。この人は、僕を僕であろうとしてくれるから、僕も全力で応えたい。それが、きっと僕のためにもみんなのためにもなると思うから。

「そりゃあ光栄だな。でも、ちゃんと息抜きはするんだぞ」

 提督はそう言って最後は苦笑いを浮かべた。頑張りすぎるなってことだよね? この人のために頑張らなくて、誰のために頑張るんだろう。でも、過ぎたるは及ばざるがごとしってやつなのかな。

「ありがとう。時々は提督と一緒に岸壁でサボらせてもらうから」

「おっ、いいな。時雨も一緒に釣りするか。時雨がいたら水上航行できるからタモ網いらねえもんな。助かる」

 提督はそう言って笑う。また、いつもの子供みたいな笑顔だ。その笑顔がすっと胸の奥に入ってくる。ああ、溜まってた澱はずいぶん出たんだ。そこを、提督の優しさが埋めてくれてる。

「僕は釣り具の代わりじゃないよ?」

 そう言って、僕も笑った。本当に軽く、なにでもないことだけど、その冗談が楽しかった。

 

 やがて、提督は年末の激励にと鎮守府の各部署を回り出した。僕はその間、司令室で留守番を仰せつかった。表向きの理由は不測の事態に備えてってことだけど、その間に腫れた目元なんとかしろってことなんだろうな。窓からそろっと外を見ると、僕が不在でも餅搗きの用意は春雨と海風が中心になって進めてくれてる。司令室の大きな鏡餅はもう飾ってあるから、明日からのお雑煮用に使う分をつくだけだ。僕はハンカチを湿らせると、ソファで横になって目の上に載せた。冷たい感触が清涼さも伴う。目を閉じて横になっていると、昨日起きた色んなことが浮かんでは消えていく。

 農村や漁港の人たちの笑顔。

 それを取り戻した僕たちの手。

 その人たちの感謝の気持ち。

 佐々木大佐との間にあったこと。

 逃げ出したいくらい辛かったこの一年。

 それでも確かにあったと思う、佐々木大佐との信頼。

 バニラ湾沖夜戦で起きたこと。

 提督の優しい声。

 今思うと、嵐の中を単艦で航行しているようで、先も見えず、帰り道もわからないまま進んでた。五月雨を、鎮守府のみんなをただ救いたくて、佐々木大佐に差し出した僕の身体。執拗に僕の肌を求めた佐々木大佐はもういない。いつも暴力を振るって、時々反抗する僕を鎮めようとしてた。でも、その狂犬のような振る舞いの底に、いい知れない弱さがあったのを僕は知ってる。きっと、僕しか知らなかった佐々木大佐の弱さ。その弱さが、僕との約束だけは護るという姿勢になってたと思う。僕以外の誰にも手を触れないという、最初の約束というか、契約。結果として、僕は僕の存在で佐々木大佐を僕に縛り付けることができた。それ以来、威圧的なのは変わらなかったけど、誰も佐々木大佐の被害者はいない。僕は当初の目的を果たしたんだ。五月雨を、他の姉妹艦を、この鎮守府で働く全ての人を、佐々木大佐の魔手から護るって言う。でも、その代償として僕は佐々木大佐とお互いを縛りあうことになった。結果的に、僕は僕一人でできる佐々木大佐からの要求を全て飲んだ。心を殺さないとできないこともたくさんあった。いつか、僕は心を殺して、佐々木大佐だけを見るようになってた。姉妹艦とも、最低限度の接触以外はしなかった。自分で作った佐々木大佐の檻の中に、僕も入って佐々木大佐と過ごした。いつの間にか、それが当たり前だと思うようになってた。僕は、佐々木大佐への贄なんだって、素直に思い込むようになってた。逃げ出したいと思う日もあったけど、みんなが幸せになればいいと思ってた。でも、それは、バニラ湾沖夜戦で佐々木大佐が戦死して唐突に終わったんだ。感情の整理ができない僕に、江風は僕は幸せにならなきゃいけないって泣いた。佐々木大佐への依存が確かにあった僕に、江風の声は正直堪えた。でも、提督がここへやってきて、夕立もやってきて、提督が空気を入れ換えた鎮守府で、僕はいつの間にか前のように笑えるようになってた。それは、前からここにいる姉妹艦も同じだった。優しい提督が、みんなを佐々木大佐の呪縛から解き放ってくれた。それは、僕も同じだった。提督は、僕を優しく見守ってくれた。適度な距離を空けて、心地いい居場所を作ってくれた。

 ああ、そうか。

 僕は、提督の側にいたいんだ。

 好きだとか、そんなのはわからないけど。

 だから、佐々木大佐との間にあったことを知られたくなかったんだ。

 軽蔑されるかも知れない、嫌われるかも知れないって怖かったんだ。

 でも、提督はそんな僕も認めてくれた。

 辛かったなって言ってくれた。

 もう、肩肘張って頑張らなくていいんだ。

 僕は、僕のままで。

 



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かじかまない指先

 いつの間にか、またウトウトしてしまっていたらしい。本当に、提督にここの司令が替わってから、僕は司令室で眠りこけることが多くなった。以前に比べたら確かにいい傾向なんだろうけど、ちょっと緩みすぎかな? 身体を起こそうとして、また提督のコートが僕の身体に掛かっていることに気づいた。慌てて身体を起こすと、ハンカチが目元から落ちる。提督は、司令机の向こうから、子供のような笑みを浮かべて僕を見ていた。

「よ、おはよう、時雨」

「お、おはよう…」

 さすがに苦笑いするしかない。提督が仕事してくれてる間に眠りこける秘書艦ってのはさすがに様にならない。

「ごめん、提督。また寝ちゃってて…」

「目元の腫れは引いたみたいだな」

 そう言う僕に、提督は鏡を向けてくる。少しぼーっとした僕の姿が映ってた。目元は、確かに元に戻ってる。

「ありがとう、提督」

「じゃあ、餅搗きに行くか。眠り姫」

 そう言ってニッと笑う提督に、僕はまた苦笑いを返した。さすがに反論できないや。

 

 餅搗きは、もう既にみんなが始めてくれていた。江風と涼風がいいコンビネーションで進めている。春雨や村雨、五月雨は搗き上がったお餅を適当な大きさにちぎって形を整えてくれていた。海風は次の餅米の準備をしてくれてる。夕立はどこからともなく砂糖きな粉を持参してつまみ食い、白露は監督をしているけど、誰も白露の言うことは聞いてない。川内さんたちは春雨たちに混ざって楽しそうに様子を見ていた。

「よーし、替わるぞ!」

 提督は下へ降りるなりそう声を上げて、全員を振り返らせた。

「もう激励はよろしいんですか?」

 海風が手を止めずに笑顔でそう聞く。

「公式行事的なものは終わったぞ。あとは遊ぶだけだ」

 はっきり提督がそう言いきったので、夕立や白露、川内さんや那珂さんなんかが乗っかって声を上げた。

「よーし、こっちも搗き上がったぜ」

「時雨ー、交代してくれー」

 江風と涼風もそう声を上げた。さすがの二人も少し疲れたみたいだ。

「時雨、回す方やってくれるか?」

「僕の手ごと搗いちゃヤだよ」

「誰も血染めの餅なんか食いたくねえよ」

 そんな軽口を叩き合いながら、臼の前に行って指ぬきを外すと手桶を引き寄せる。春雨が搗き上がったお餅を引き上げて、海風が炊きあがった餅米を臼にいれた。さすがに二人は手際いいな。僕も見習わないと。

「よーし時雨、準備はいいか?」

「それ、僕の頭を搗く位置だよね?」

 見上げる提督の杵の打点は、明らかに僕の頭にセットされてる。そもそも立ち位置がおかしい。わざわざ僕から見て杵と太陽が重なるようにまで計算して。完全におふざけだよね。ツッコミ待ちだから、しっかりツッコんでおかないと。

「はいはい、提督はちゃんと臼の前に立って立って」

「ウチのエース撲殺してどうすンだよ」

 川内さんと江風がボケたままの提督を所定の位置へ連れ戻す。みんな笑ってる。僕も、自然に笑ってた。

「じゃあ気を取り直して」

「どうぞ」

 そう言って、僕は餅米に冷めた湯を塗る。提督がその餅米を搗く。杵が上がったタイミングで今度は僕が餅米を回す。いつの間にか、提督が杵を下ろすタイミングでみんなが「よいしょー!」とかけ声を上げてくれていた。みんな楽しそうだ。提督は意外に上手くて、打点は正確でぶれもない。リズムもいい。手を搗かれる心配は全然なさそうだった。

 やがて、提督と僕で搗いたお餅はできあがる。この回が最後だったみたいで、海風ができたお餅を引き上げると、もう餅米は残っていなかった。

「はいはーい。それではお二人にインタビューしてみましょう。提督、初めての共同作業、いかがでしたか?」

 村雨が手でマイクをかたどってそう提督に振ったものだから、僕も提督も飲みかけだったお茶を吹き出してしまった。

「ちょっ、村雨!」

 思わず抗議する僕に、村雨は涼しい顔だ。だが、提督はお茶こそ吹いたものの、もう切り替えがすんでるようだ。

「そうだな。ま、俺と時雨にかかれば、来年も旨い餅が食えるってことだ」

 まるで当然と言わんばかりの表情を作って、提督はそう応える。やんややんやとみんながはやし立てた。さすがに、僕は呆然としてしまう。

「時雨は?」

 少しにやけた顔の村雨が、こっちにも矛先を向けてきた。

「秘書艦だし、息があうのは当然だよ」

 ほんの少し、頬が熱を持ってるのがわかる。村雨はその応えに不満なようだ。

「もうちょっと気の利いたこと言えないの、時雨?」

「気の利いたことって…」

「そうねえ…。提督を愛しているから当然だよ。とか」

 つっけんどんな僕に、村雨はしなを作ってウィンクまでしながら、そう声を作る。

「なっ…」

「時雨姉貴にそりゃあ無理ゲーだぜ、村雨姉貴」

 真っ赤になる僕に、江風がキヒヒと笑いながらそう言う。もう、いいオモチャだな僕は。

「ま、時雨をいじめて楽しむのはそれくらいにしてだな、手の空いたメンバーは臼と杵を片付けて、パーティ用の飯や広間の準備をしてくれるか」

 提督も少しにやけながらそう言う。もう、本当にからかわれてんだなあ。まあ、みんなが楽しそうだからいいけど。

「はーい! 臼はものすごく重かったので、男の提督が片付けるべきだと思います!」

「賛成っぽい!」

 白露が真面目ぶった顔でそう言うものだから、夕立もそれに乗っかって手を上げた。夕立ったら、口の周りがきな粉で黄色くなってるよ…。どんだけ食べんたんだろう。

 ふっと提督の方を見ると、提督はちらっと僕の方を見てきた。ああ、手伝えってことかな。

「よし、じゃあ臼と杵は俺が片付けるから、ここの片付けは頼むぞ。時雨、手伝ってくれ」

 提督はこともなげにそう言ってくる。というか、アイコンタクトの結果だろうなあ。

「うん。了解したよ」

「よおし! じゃああたしたちは、ここを片付けてパーティの準備するわよー!」

「おー!」

 僕が頷いたのを確認して、白露が上げた声に、夕立や村雨の声が乗る。川内さんたちは笑うだけだ。提督を振り向くと、提督も楽しそうに笑っていた。

 

 提督は水道のあるところまで臼と脚を運ぶと、ざーっと水を流しながら洗い出す。これまたあっさりと重い臼を運んでしまった。僕には、杵も結構重く感じる。艤装はもっと重いはずなんだけどなあ。

「さすがにこの季節の水は冷てえなあ」

 提督はそう言いながら手についた水を払う。さすがに赤くなって冷たそうと言うより痛そうだ。

「替わるよ。僕なら水の冷たさは平気だから」

 僕はそう言って、指ぬきを外して提督の袖を引いた。提督が笑う。

「そっか。お前たちこういうのも平気なんだな」

 提督は僕と場所を入れ替えながらタオルで手を拭いていた。蛇口から流れ出す水はもう氷水のような冷たさだけど、僕たちにとってはそれを過度に冷たいとか痛いと思うことはない。いつもより少し冷たいかなと思う程度だ。臼に残ったお餅のカスを洗い流す僕の様子を、提督はじっと見ていた。やがて、臼は綺麗になり、杵も綺麗になった。

「終わったよ、提督」

「ホントに肌の色すら変わんねえんだなあ」

 提督は感心するような呆れるような口調でそう言う。氷水に手を浸してたような状態だったけど、僕の手は全く色を変えてない。そもそも、提督はコートを着てるけど、僕たちはいつもと同じ半袖の制服だし、五月雨からあとのグループはノースリーブですらあるんだから。

「季節感ないよね、僕ら」

 そう言って苦笑する僕に、提督も苦笑する。仕方ないよね、僕らはあくまで兵器なんだし。そう言うところはホント正直だなあ、提督は。

「寒くはないのか?」

「少し寒いなあ…とは思うけど、提督ほど寒さは感じてないと思う。ほら、冬でも北方の出撃とかもあるし、その場合は氷点下だから。艤装つけてたら、もっと寒さは感じにくいし」

「なるほどな。じゃあ、普段用のコート、全員分発注しとくか」

 提督はそう言いながら、臼を担いで、脚を持つ。僕は慌てて杵を担いだ。

「提督?」

「少しでも寒いと思うんなら持っといた方がいい。お前らの体調を管理するのも俺の仕事だ」

 振り返って提督はニッと笑う。

「全員同じのにする必要もないから、防寒具のリスト作ってみんなに選ばせるか。それもまた面白そうだ」

「ありがとう、提督」

 歩きながらそう笑う提督に、僕はそう言って並びかけた。

 

 



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村雨の涙

 臼と杵を倉庫で乾燥させる準備をすると、僕たちは一度司令室に戻った。提督は、パソコンを点けると防寒具を取り扱っているサイトを見だしてる。

「時雨、こんなのどうだ?」

 お茶を煎れる準備をしていた僕を、提督はそう呼び寄せる。僕はお茶を煎れてから、提督の元へ行った。そのサイトは、女子高生や女子大生向けのファッション店だったようで、季節がらおしゃれな防寒着が並んでいた。

「…いいのかな、僕たちがこんなおしゃれしてて」

 普段着やこの制服から考えても、ちょっと気後れする。村雨や海風なんかは普段からおしゃれな方だけど、僕なんかは無頓着な方だから。正直、軍支給の外套でもいいくらいだったけど…。

「ま、これ着て出撃したり訓練したりするわけじゃないからな。鎮守府にいる間くらいは多少のおしゃれをしても罰は当たらんさ」

 そう言って提督は笑う。「あとで、みんなにも見てもらおう」とも言った。

「…予算つくの?」

「そこを上手くやるのが俺の仕事」

 そう言って提督はいたずらっぽく笑う。ああ、そう言うところも有能な人だった。僕らのためなら書類の偽造とか裏帳簿とか普通にやりそうだもんなあ。

「よし、宴会までにリスト作って、このノーパソ持っていくか。スタンドアロンならハッキングの心配もないし…」

 そう言いながら、提督はてきぱきとパソコンで資料を作り出す。こうなると、パソコンに疎い僕はもう横で眺めてるかソファで時間を潰しておくしかない。みんなの準備を手伝いに行った方がいいかな。

「時雨、コート、マフラー、手袋あたりでいいか?」

 突然話しかけられて少しびっくりする。

「あ、うん。それで大丈夫だと思う。ありがとう」

 僕の返事を確認すると、提督は頷いてまた作業に戻る。「ピーコート、ダッフルコート…ああ、ボア付きのも女の子らしくていいよなあ」とかブツブツ呟きながら、真剣な顔でパソコンの画面とにらめっこをしてる。僕はその様子に苦笑いを浮かべると、ソファに移動して腰を下ろした。いつお呼びがかかるかわからなそうだし、ここで待っておこう。

 

 十八時を回った頃から、みんな大広間に集まってきた。調理場から料理を持ってきたり、飲み物を持ってきたりしながら。僕も大皿を一つ預かって、左手にはお茶の薬缶を持って大広間へ移動した。もう既に大広間はわいわいとみんな賑やかで、僅か十二隻と一人の宴席だけどそれなりに華やかだ。僕は最後に近かったからいわゆる末席に残ったところに座った。

「みんな揃ったなー」

 提督は最後にやってきて、入ってくるなりそう言って抱えていたパソコンをテーブルの脇へ下ろした。ノリのいい白露や川内さん、夕立なんかから提督に応えて声が上がる。

「まずは宴席の前に、お前たちに支給する防寒具を決めてもらうことになった。前の方にいるやつからこっちに来て決めてくれ」

 提督はそう言うと、テーブルにノートパソコンを広げて、一番前にいた白露を呼ぶ。夕立や江風なんかが興味深そうに白露が見ている画面を後ろからのぞき込んでいた。

「あたしはいっちばーん可愛いやつ!」

 白露は言いながら簡単に決めてしまったようだ。横にいたのは夕立だから、夕立も決めていく。川内さんたちも終わって、調理組だった海風が決めたあと、最後に僕の番が回ってきた。

「時雨はどれにする?」

 提督は僕の方を見ながら、にっこり笑う。ホント優しい笑顔だなあ…。ちょっと見惚れそうになりながら、慌ててパソコンに視線を向けた。もう誰がどれを選んだとかの情報も書き込まれていて、五月雨と涼風なんかは同じものを選んだりしてる。リストには提督が言っていたようにコートとマフラー、手袋が画像付きで並んでいた。

「…じゃあ、僕はこれかな」

 僕はそう言って、紺のダッフルコートと赤いマフラーを指さす。紺と赤は普段から着慣れてるから迷わなくていいし。

「手袋はいいのか?」

「普段から指ぬきしてるし、二重にするのは変だと思うから」

 僕は両手を挙げて提督に見せながらそう言った。僕の両手を見て、提督は苦笑いだ。

「指ぬきを外すという選択肢はないのか?」

「こっちの方が慣れてるから」

「じゃあ、これで決まりだな」

 提督は苦笑いを浮かべたあと、そう言って立ち上がった。

「よし、じゃあ始めるぞー! みんな飲み物注げー!」

「ようそろう!」

 提督と川内さんの声を背中で聞きながら、僕は自分の席へ戻った。グラスには海風が気を利かせて烏龍茶を入れてくれていた。

「みんな、今年一年色々あったと思うが頑張ってくれてありがとう! みんなのおかげでつつがなく年を越せそうだ。俺はまだ着任二ヶ月で至らんところも多いと思うが、来年もよろしく頼む。じゃあ、年忘れに騒ぐか、乾杯!」

「かんぱーい!」

 提督の音頭でグラスのぶつかりあう音が響く。僕も側にいた海風、春雨、村雨とグラスを合わせた。

「酒呑めないやつは無理するなよー。呑んでないのは非常時の出撃に回す予定だが、だからって無理して呑むなよー」

 提督はそう言いながら、もう呑んでる。非常時の出撃とか言ってる本人が呑んでて平気なのかな。

「時雨は呑まないの?」

 村雨がグラスを揺らしながらそう聞いてくる。中に入ってるのは…カクテルってやつなのかな。見た目はジュースみたいだけど。

「提督があの様子じゃね。僕がしっかりしとかないと非常事態に備えられないよ」

「優等生ねー、時雨は」

 村雨が呆れたように言うのに、海風と春雨も苦笑いだ。まあ、そうだろうね。

「それに、お酒はあまり好きじゃないんだ」

「無理強いはしないわよ」

 村雨はそう言ってグラスを呷る。料理に箸つける前になくなっちゃったよ。大丈夫なのかな。

「食べるわよ、おいしいの作ったんだし」

 僕の視線に気づいたのか、村雨は拗ねたようにそう言って目の前の肉じゃがに箸をつけた。

「さっすがに春雨と海風のご飯はおいしいわね。私も教えてもらおうかな」

「村雨姉さんなら筋がいいし、すぐにできると思いますよ、はい」

「そうですよ、姉さんも一緒にご飯作りましょうよ」

 春雨と海風がそう言って笑顔を村雨に向ける。だが、村雨はあまり乗り気とは言えない顔をしていた。

「料理できるとしょっちゅう料理当番回ってくるのがねー。そこまで熱心じゃないし…。春雨たちには感謝してるけど」

「分母が増えると回ってくる回数は減ると思うよ」

「時雨は提督の分だけ作っとけばいいの」

 村雨はそう言うと、手酌でグラスにカクテルを注ぎ直す。あ、これもう酔ってるな。

「そう言うわけにはいかないよ。春雨や海風だって休ませてあげないと」

「まあねー。海風と春雨が出撃しちゃったら時雨以外だと五月雨と私くらいしかご飯作れるのいないしね」

 そう言って、村雨はまたグラスを呷る。今度は一気に中身がなくなってしまった。春雨と海風はその様子を見て若干引き気味の苦笑いを浮かべてる。他のテーブルはわいのわいのと賑やかだけど、ここは既にお通夜状態だ。村雨ってこんなに酒癖悪かったっけ。

「時雨、提督とはどうなの?」

「え? どうって?」

 急に淀んだ目を向けてくる村雨に、思わず僕はびっくりしてしまう。カクテル二杯で泥酔状態って…。

「昨日の夜部屋に帰ってこなかったそうね。提督の部屋にいたの?」

 村雨にそう言われて、思わず僕はちらっと同室の春雨を見てしまう。春雨はその僕の視線に気づいてぷるぷると首を振った。

「…その、時雨姉さんが少し心配で…。あんなこともあったし…」

 そう言って春雨は俯いてしまう。

「よろしくやってたの?」

 思わず食べてるものを吹き出しそうになったけど、ああ、みんなそんな風に心配してくれてるのか。

「してないよ。司令室で提督の仕事終わるの待ってたら寝ちゃってただけ。提督は自分の仕事が終わったら自分の部屋に戻ったみたいだし。僕はソファで朝まで爆睡」

 泣いてたことだけは内緒にしとこう。みんなにこれ以上心配かけるのはさすがに気が引けるし。

「時雨には感謝してるわよ。時雨がいなかったら、私たちみんな今頃どうなってたかわからないもの。時雨が身体張ってくれたおかげで、みんなこうして今はニコニコ笑えてるんだから」

 肉じゃがに箸を進めながら、村雨は言う。

「だからこそ心配なのよ、みんな。提督の人柄はわかってるからそんなことないとは思うのよ。でもね、もしかしてってやっぱり思っちゃう」

「私も同じです…。時雨姉さんが部屋に帰ってこないと、また酷い目に遭ってるんじゃないかって…はい」

 村雨に続いて、春雨もそう言ってまた俯いた。海風も状況は知ってるのか、戸惑ったように春雨と村雨を見てる。

「提督に限ってそれはないよ。あの人は僕たちのことを大切に考えてくれてる」

 僕はそう言いきった。いつもではないけど、一緒にいる時間で見てきたたくさんの横顔は、子供っぽいけど優しさに溢れてた。

「時雨、さっさと提督とくっついちゃいなさいよ」

 村雨の突拍子もない提案に、僕はまた飲みかけの烏龍茶を吹き出しそうになった。

「なんだよ、それ」

「それが一番安心できるのよね。提督なら、ちゃんとしてくれそうだし。時雨と提督が夫婦みたいになれば言うことないしホント安心なんだけど」

 村雨はそう言うと淀んだ目でニッと笑う。僕だけじゃなくて、春雨も海風も顔が赤くなってる。

「そんなのは、提督が決めることじゃないか」

「じゃあ、時雨は異存ないんだ?」

 また村雨が笑う。けしかけてくるなあ。言葉尻を取られたな。

 でも。

 もし提督が望むなら、異存はないかも知れない。

 あの人は、本当に僕たちを大切にしてくれてるから。

「ここは大人しいな、おい! 食ってるか!」

 そこへ提督の声と姿が乱入してきた。僕も含めて、村雨以外がびっくりして少しのけぞってる。

「食べてますよー、呑んでますよー。提督は呑んでますね。顔赤いです」

 村雨がそう言ってからから笑う。その様子に僕たちは苦笑いだ。

「海風、春雨、いつも旨い飯ありがとな。村雨もたまに作ってくれるお菓子、旨かったぞ」

 提督は僕たちのテーブルの横に腰を下ろすと、グラス片手にそう僕らに頭を下げる。本当にこういったところに抵抗ない人なんだなあ。海風や春雨なんか恐縮しちゃってる。

「あんなのでよかったらまた作りますよー」

 そう言って村雨はまた杯を空けた。そろそろ止めないとヤバくないかな、これ。

「そうそう、提督ー。このあとのデザートもいかがですか?」

「おっ、なにか用意してくれてるのか?」

 村雨の声に、提督は乗ってきた。少し身を乗り出してきたところに、村雨は横にいた僕の肩をぐっと引き寄せた。

「こちらに時雨を用意してますー。そのままでも温めてからでもお召し上がりいただけます」

「ちょっ、村雨!」

 さすがに顔が熱い。なに言い出すんだよホントに! 春雨も海風も絶句して真っ赤になってるよ。

「皮を剥いてお召し上がりになると、よりいっそう味が引き立つのでおすすめです。もちろん、お好みでしたら皮付きのままでもおいしくいただけますよ」

「村雨ー!」

 ほら、提督も返事に困ってるじゃないか。

「…まだ完熟まで時間がかかるんじゃないか?」

 提督がそう言い出したので、さすがに僕も声を失う。えっと、僕の胸を見ながら言わないでほしいな。そりゃあ、村雨や夕立ほどないけどさ。

「熟したものだけが美味しいわけではありませんわ。未熟故のみずみずしさをご堪能いただけるかと」

 村雨も酔った勢いか、人のことを果物かなにかに例えるのやめようよ。もう春雨も海風も真っ赤になって俯いちゃってるよ。さすがに、苦笑いも出ないよ。

「じゃあ、いただこう。時雨、このあと鐘衝きに行くから、それ終わったら司令室」

 提督はにっこり笑いながらそう言う。その顔は酔ってるせいで今ひとつ表情も読めない。

「…提督、本気で言ってるの?」

「大マジだぞ」

 提督は大まじめな顔でそう言う。酔ってるけど。

「…もう一度聞くけど、本気?」

「おう、本気」

 やっぱりそう応える顔は赤いし、明らかに酔ってる。

 でも、望まれるのなら覚悟決めた方がいいのかな。

 恩を感じないわけじゃない。それも、恩返しの一つなのかな。

「わかった。じゃあ、鐘衝き終わったら、提督の部屋に行くよ」

 僕がそう言うと、春雨が小さく声を上げた。心配させちゃってるってことかな。僕は春雨を振り向くと、小さく頷いて見せた。大丈夫だよと。

「毎度ありがとうございます。お代は今月のお給金上げてもらうってことでいいですよー」

「村雨がお金取るの?」

「仲介金」

「女衒だね」

 僕は呆れてそう言うと、もう一度提督を見た。楽しそうに笑ってて邪気が全くない。なんか、全くなにもないような気もするし、一線越えちゃう気もするし。提督は本気なのか乗ってくれてるだけなのか、部屋に行ってみないとわからないかな。村雨は意味ありげな笑いを見せながら「なんとでもー」って言ってた。春雨だけが言葉の意味がわからずにきょとんとしてる。村雨に言ったのは売春宿の斡旋人のことだよ。覚えなくてもいいけど。

 それからは、他愛もない話に花が咲いた。提督がここに居座ってしまったから、他のテーブルからも姉妹たちがやってくる。入れ替わり立ち替わりで時間は過ぎていった。

「よーし、じゃあここでいったんお開きにするぞー。このあとは自由行動だ。部屋に戻るもよし、ここでテレビを見ててもいいし、まだ食っててもいいし。二三〇〇頃から鐘衝きに行くから、もう一回ここで集合なー」

 二十一時過ぎ、提督が突然立ち上がってそう言った。場はもうずいぶんと砕けた雰囲気になってたから、頃合いかな。

「部屋出るやつは自分の食器だけは片付けていけよー」

 そうとも言う。それは助かるな。洗い場へ持っていってもらうだけでもずいぶんと楽できる。

 その提督の声で腰を上げたのは川内型の三隻だ。元々少し離れたところでわいわいやってたから、順当なのかな。「じゃ、お先にー」「みなさん、よいお年を」「来年も鎮守府のセンターは那珂ちゃんがいただくからね」と三者三様の言葉を残して、大広間を去っていった。

「姉貴たちはどうすンだ?」

 川内さんたちがいなくなって、一緒に呑んでた江風がこっちへやってきた。一つのテーブルを提督込みで十人が囲んでるからせせこましいことこの上ないな。

「いっちばんに鐘を衝くのはあたしだからね!」

「お寺でも楽しむっぽい!」

 白露と夕立はいつも通りだ。

「こんな粋な行事、行かないわけにはいかないね」「涼風が行くなら、私も行くよ」と涼風と五月雨。

「私も片付けしてから参加します、はい」「私も洗い物を終わらせてから追いかけます」春雨と海風はなんかもう家事が板につきすぎてて、少し悪い気がする…。

「私はパス。もう眠いから部屋戻って寝るわ。すっかり酔っちゃったし」

 村雨はそう言うと、テーブルに手をついて立ち上がる。立ち上がった瞬間ふらっとよろけた。

「誰か村雨送ってやれー」

「僕が行くよ」

 提督が言うのに、僕は立ち上がった。ふらふらと歩き出した村雨に追いつくと、その肩を抱く。

「時雨は提督のとこにいなさいよ」

 村雨はそう言ってやぶにらみの視線を向けてくる。ホント泥酔ってのだなあ。

「ふらふらになってる妹をほっとけないよ」

「…そうやって、時雨はすぐにお姉ちゃん顔する」

 村雨は僕に肩を預けながら、そう唇を尖らす。

「白露はお姉ちゃんぽくないから、色々茶化したり一緒に遊んだりできるのに、時雨はいつも少し離れたところにいて、私たちのこと見てる」

 村雨はこっちを見ずに、拗ねたような口調でそう言ってきた。酔ってるから…きっと本心なんだろうな。ちょっと胸に刺さった。見抜かれてるな…って。

「それは…」

 僕の言い訳としたら、やっぱり白露の代わりをしなくちゃって思うから。でも、村雨はキッと睨んできた。

「みんな、どんだけ心配したと思ってんのよ! みんな、時雨には感謝してるわよ! でも、なにもできなかった私たちのこともちゃんと見てよ! なんであんな大事なこと、誰にも相談なしでやっちゃうのよ! 私たちってそんなに頼りない!?」

 言いながら、村雨の目からは大粒の涙がこぼれてた。…みんな、僕が傷つけたのかな…。

「…ごめん」

「謝ってほしいんじゃないの! もう二度と、あんな無茶しないでって言ってるの! ちゃんと私たちにも相談してよ! 頼ってよ! いつも、いつも時雨は一人で手の届かない遠くに行っちゃう…。そうして、私たちが手を伸ばそうと思っても届かない…」

 村雨はそうまくし立てるとずずっと鼻をすする。

「白露だって悩んでたのよ。時雨のお姉ちゃんなのになんにもしてやれてないって…」

 言葉を失う僕に、村雨はそう言って息をついた。白露にまで、そんな風に思わせてたのか。…だったら、春雨が心配するわけだよね。あの子は、姉妹の中でも気が弱い方だし。

「約束して。もう二度と、戦場以外で自分から傷つきに行くようなことはしないって。誰も時雨が傷ついてボロボロになっていくの、見ない振りなんてできないのよ」

 酔って濁ったままの瞳で、村雨はそう言ってくる。その視線の強さは僕を怯ませた。僕だけが傷つけばいいと思ってしたことは、結局僕の独りよがりだった…のかな。全てそうじゃなかったとしても、こうしてみんなを傷つけたのは間違いないんだね。

「夕立や江風なんて特にそうよ。あの子たちは時雨のことが大好きだもん。時雨が傷つくことを、放っとくわけないわ。それは、あの子たちを危険に晒すことだってこともわかって」

「うん…」

 ようやく声が出た。村雨の言うとおりだ。戦場ではあったけど、僕の不適切な行動が江風を大破させて、夕立を敵中のど真ん中に呼び込んでしまった。それは、戦場以外でも起きるんだね。むしろ、戦場以外の方があの二隻には危険なのかな。

「もう無理はしないよ。みんなにも、川内さんたちにも、提督にも相談する。約束するよ。独りよがりの無茶なしないって」

 江風の声が耳の奥に響く。姉貴は幸せにならなきゃいけねえンだって、病室で泣いてくれた声。

「…わかってくれたらいいわ。もうあんなことも起きないと思うし、起きてほしくもないから」

 村雨はそう言うと、僕の腕をすっとすり抜ける。

「ここまででいいわ、時雨。怒鳴ったらすっきりしちゃった。もう平気よ」

 村雨はそう言って、細く笑う。そうして僕に背中を向けた。その足取りは、もう確かにしっかりしている。

「僕は戻るよ」

 村雨の背中に投げかけた言葉に、返事はなかった。

 

 大広間に戻ると、さっきまでと同じように提督を囲んでみんなわいわいやってる。それは、確かにホッとする光景だな。

「おう、時雨、遅かったな」

「村雨は送ってきたよ」

 提督にはそれだけ言って、僕は輪の外側に腰を下ろした。気を利かせた海風がグラスを持ってきてくれる。

「姉さん、大丈夫ですか? ちょっと疲れた顔してますよ」

 海風はそう僕の顔をのぞき込んできた。確かに朝から色々あって疲れたのは疲れたのかな。

「そう見える?」

「少しお疲れのように見えます」

「そっか」

 僕はそう返事を返すと、烏龍茶を口に運んだ。もう温くなったお茶が喉を抜けていく。さすがにさっきの村雨のは堪えたかな。みんなにそこまで心配かけてると思ってなかったから。結局、僕がみんなを遠ざけてたんだ。もうそう言うのは気をつけないとな。僕のためにも、みんなのためにも。

「海風、僕って近寄りがたいイメージある? 率直なところ聞きたいんだけど」

 僕の言葉に海風は少し困惑した表情を浮かべてる。海風は江風と一緒に秋前に着任したから、僕の印象がみんなと違って見えたと思うから。

「…最初、この鎮守府に来たときはすごく近寄りがたいイメージありました。なんか、近寄っちゃいけないっていうか、近寄らないでって言われてるみたいで…」

 海風は自分のグラスをのぞき込みながらそうぽつりと言う。そっか。やっぱりそうなんだ。江風は、それでも僕の懐まで飛び込んできたんだなあ。

「ありがとう。言いにくいこと言わせちゃったね。ごめんね」

「そんなことないです。今の姉さんは、そんな雰囲気も消えて、全然そんなことないです」

 海風は一生懸命そう言ってくれる。その一生懸命さが嬉しいや。

「そっか。ありがとう」

 だとしたら、僕を変えてくれたのは、きっと提督なんだろうな。あの人の秘書艦として側にいることで、僕はきっといい影響を受けてるんだ。今はただの酔っ払いにしか見えないけど。

 

 



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