ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~ (相川葵)
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PROLOGUE 超高校級の凡人は超高校級の夢を見るか?
日常編① 最も普通な高校生


 

 

 

 

 普通。

 普通とは、果たして何なのだろうか。

 辞書を引けば、特筆することのない事、ありきたりな事、標準的なものだのといったことが書いてあるだろう。要するに、特徴がない平凡なものという認識で間違いないはずだ。

 

 だとすれば。

 

 希望ヶ空学園に【超高校級の普通】としてスカウトされたこの俺は。

 【超高校級の凡人】ということになるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

      PROLOGUE

 

        超

        高

        校

        級

    超高校級の凡人は

        夢

        を

        見

        る

        か

        ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 約50年前、希望ヶ峰学園で起きたある事件を発端として、人類史上最大最悪の事件が発生し、世界は絶望へと包まれた。しかし、未来機関をはじめとする希望を信じる人々の働きにより、世界に少しずつではあるが希望が広がっていった。その道のりは決して簡単なものではなかった、否、かなり厳しいものであったが、彼らは諦めるということをしなかった。

 そして、今からおよそ20年前、新生希望ヶ峰学園――『希望ヶ空学園』の誕生により、世界の復興は果たされたのだった。

 

 希望ヶ空学園は、前身となる希望ヶ峰学園と同じく『超高校級の才能を持つ高校生』を集めた学園だ。先に述べた誕生の経緯から、世界の希望の象徴とまで揶揄されている。

 さらに、この学園は希望育成のための研究機関でもあるために入学費用は格安であり、経営費用の多くは世界の財閥からの出資でまかなっているのだという。この情報からも全世界から期待と信頼を寄せられているのだということが伺えるだろう。

 

 そんな希望ヶ空学園は、希望ヶ峰学園と同じく完全スカウト制でそう簡単には入学することができない。そのスカウト条件は二つで、【現役高校生であること】と、【超高校級の才能を持つこと】だ。

 入学すれば将来の成功は約束されたも同然との評判があり、現代に生きる高校生なら誰もが希望ヶ空学園にスカウトされることを夢見ていることだろう。

 

 

 

 

 

 とまあ、こんな誰でも知ってるような話は置いといて、そろそろお決まりの自己紹介といこうか。

 俺の名前は平並凡一(ヒラナミボンイチ)。特徴は特にナシ。長所もナシ。平々凡々なごく普通の高校生だ。何をやってもうまくいかず、どれだけ頑張ってもせいぜい平均を超えるくらい。『普通』という単語を擬人化するなら俺を参考にしろという具合だ。当然のごとく、こんな俺が劇的な人生を歩んできたわけもなく、誰にだって勝てやしないような、そんな灰色の日常を過ごしていた。

 もちろん俺も希望ヶ空へのあこがれはあったが、人を魅了するような美貌も、軽やかな身体能力も、他人を率いるカリスマ性も、他人を圧巻させる芸術センスも、人生を豊かにする幸運すらも持っていない俺には、縁のない話だと思い込んでいた。

 

 ……俺の元に、あの封筒が届くまでは。

 

 

 

 

 

 

「『我々希望ヶ空学園は、平並凡一様を【超高校級の普通】として希望ヶ空学園20期生にスカウトいたします』……?」

 

 封筒は希望ヶ空学園からのスカウトの通知書だった。

 十中八九、希望ヶ空学園のミスか近所の誰かのいたずらだろうと思って確認の電話を3回ほどかけたが、俺は本当に【超高校級の普通】としてスカウトされたようだった。 毎年抽選で選ばれている【超高校級の幸運】とは違うのかということも聞いてみたが、担当の女性曰く、

 

『ですから、平並凡一様は紛れもなく【超高校級の普通】でございます。厳正な審査を経て、最も平均的で、最も普遍的であるという才能を私共は見出したのでございます。

 確かに、例年一般の高校生から抽選で一人【超高校級の幸運】としてスカウトしていますが、こちらもれっきとした【幸運】という才能を持った、人並み外れた高校生なのでございます。』

 

 とのことだった。

 

 正直に言ってあまりいい気分ではない。そりゃそうだ。いきなりあなたが一番普通な高校生ですと言われて喜ぶやつはそういないわけで、スカウトの件も断ってやろうかと思った。それに、俺みたいに何もできないやつが希望ヶ空に行く資格なんてないし、希望ヶ空に行ったところで俺には何もできないとも思っていた。

 ……けど、その考えは次第に変わっていった。このまま平凡な人生を歩んだところで、つまらない日々が待っているだけ。けれど、あの学園でなら、あらゆる才能の集う希望ヶ空学園でなら、この灰色の人生を少しだけでも色づいたものに変えられるかもしれないと、そんな淡い希望を抱きはじめたのだ。

 

 

 

 そして今、俺は希望ヶ空学園の前に立っている。俺は、希望ヶ空学園に20期生として入学することに決めたのだ。

 やっぱり、俺は【普通】の高校生だったようで、結局のところ、最後の最後まで、希望ヶ空への憧れを捨てられなかったのである。だが、それと同時に諦めも多分に感じている。なぜなら、()()希望ヶ空学園に【超高校級の普通】と認められた、 最も平均的で、最も普遍的な高校生の俺は、つまり【超高校級の凡人】に他ならないからだ。

 ……それでも、俺は夢を見たいんだと思う。

 

 とにかく、いつまでもここにいたってしょうがない。今日は別に入学式の日じゃない。制服の採寸を兼ねた身体測定にやってきたのだ。学園に入るのが初めてだから緊張はするけど、本当のどきどきは入学式まで取っておこう。

 

 

 

 ――なんてことを考えながら学園に足を踏み入れた瞬間、俺の意識はあっさりと闇へと消えていった。

 

 

 

 



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日常編② 偽りの青空の下で

 【1日目】

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 ザザーン……ザザザーン……。

 

 ……木々が揺れて、葉がこすれる音がする……。

 ……俺は希望ヶ空学園に入ろうとして、それで……。

 俺は……どうなったんだ……?

 

 ゆっくりと目を開けると、そこに広がっていたのは雲一つない青空だった。とてもよく澄んだ青空が……いや、違う。空じゃない。わずかな違和感の後によく目をこらしてから、ようやくそれが『空の映像が映し出された天井』であることに気が付いた。

 ……どういうことだ?

 

 身体を起こして周りを見渡せば、俺はどうやら巨大なドームの真ん中に倒れていたらしい、ということが分かった。直径が数百メートルはありそうなドームの中にはいくつかの建物があり、端の方には木々が並んでいた。いったいどこなんだ、ここは。

 と、そこでやっと、少し離れたところにしゃがんでこっちを見ている人がいることに気が付いた。白いベストの制服を着た、真っ赤な髪の男子だ。

 

「起きたみてェだな! いつまで寝てやがんだ!」

 

 彼は、すっと立ち上がるとこちらのほうに近づいてきた。聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずはこれを聞いてみよう。

 

「……ここはどこだ?」

「んなもん知るか! わかってんのは、どこかのドームの中ってことだけだ! 詳しいことは皆が戻ってこねェとわからねェな!」

 

 俺の質問に返ってきたのは怒号とも言えるような大声だったが、よく聞けばきちんと質問に答えていることが分かる。でもわざわざ叫ぶ必要はないと思うんだが……それより、気になることがある。

 皆ってことは、他にも人がいるのか?

 そのことを聞こうとしたが、それより先に向こうが口を開いた。

 

「それよりまずは自己紹介だな。オレは、【超高校級のクレーマー】として希望ヶ空学園20期生にスカウトされた火ノ宮範太(ヒノミヤハンタ)だァ! なんか文句でもあんのか!」

 

 

   【超高校級のクレーマー】

     《火ノ宮 範太/ヒノミヤ ハンタ》

 

 

 またしても、火ノ宮が怒号を上げた。いちいち叫ばないでくれ……どうして自己紹介するだけでけんか腰になるんだ。

 

「文句はないが……【クレーマー】?」

「おい、てめー! 今、クレーマーって聞いて『いちゃもんをつけてばっかの悪質な客』って思っただろォ!」

「あ、ああ……」

「オレをあんな奴らと一緒にするんじゃねェ!」

 

 いきり立つ火ノ宮。だんだんこのテンションにも慣れてきたな。

 

「いいか!? オレがクレームをつけるのは商品に欠陥があったときだけだ! 自分のミスすら企業のせいにする『悪質クレーマー』とはまったくもって別物なんだよォ!」

「そ、そうか……すまん」

「フン、わかりゃいいんだ!」

 

 広いドームの中で火ノ宮の声がこだまする。

 クレーマーという肩書で一瞬誤解をしてしまったが、彼は自分の肩書に誇りを持っているようだ。

 

「で、てめーの名前と才能はなんだ? どーせてめーも希望ヶ空の20期生なんだろ?」

 

 っと、今度は俺の番か……ん?

 

「ちょっと待て! どうして俺が希望ヶ空にスカウトされたことを知ってるんだ! しかも、20期生だって!」

「あ? ここに集められてた連中が皆そうだったから、多分そうじゃねーかと思ったんだよ。さっきも言ったがよ、オレも20期生なんだよ」

 

 ……なるほど。

 

「その反応から見るに、当たったみてェだな」

「さっきから気になってるんだが……皆って、他に何人いるんだ」

「オレ達を除いて14人だ」

 

 ということは、全員で16人か。このドームに16人という人数は、案外多い……いや、少ないのか? どうなんだろう。

 

「で? てめーの名前は?」

「あ、ああ。俺は、平並凡一。【超高校級の普通】として希望ヶ空にスカウトされたんだ」

 

 

   【超高校級の普通】

     《平並 凡一/ヒラナミ ボンイチ》

 

 

「【超高校級の普通】? それがてめーの才能なのか?」

「ああ。ざっくりといえば希望ヶ空学園が調べた一番普通な高校生が俺らしい。何の特技も特徴もない、いうなれば【超高校級の凡人】ってところだ」

「【凡人】ねェ……ま、そんなの関係ねェや。仲良くしようぜ!」

「凡人の俺なんかでよければ、よろしく」

「あァん? 仲良くすんのに凡人がどうとか関係ねェだろうが! 変な事言ってんじゃねェぞ!」

「……ああ、すまん」

 

 火ノ宮は、口調は荒いし喧嘩腰なのも気になるが、よく見ればベストやワイシャツはピシッと着ているし、悪い人じゃないみたいだな。その口調でだいぶ損をしているんじゃないか。

 

「んじゃあ、てめーが寝てた時のことを簡単に説明するぜ」

「ああ、頼む」

「多分てめーもそうなんだろうが、オレは身体測定のために希望ヶ空学園に行ったんだ。そんで、敷地の中に入った瞬間に気を失って、気が付いたらここに倒れてたんだ。他の連中と一緒にな」

 

 そう言いながら、火ノ宮は地面を指さした。 

 

「ああそうだ。俺も、身体測定の為に希望ヶ空に行って……!」

「だろうな」

「だろうな……ってことは、まさか全員?」

「おォ。最終的にてめー以外は全員気が付いたから、自己紹介と、どうしてここにいるのかを確認しあったんだが、全員希望ヶ空に20期生としてスカウトされた【超高校級】の奴らでここに来る経緯もおんなじだった」

 

 ……16人全員が、同じ経緯を経てここで気絶していた……? そんなこと、あり得るのか? それに、全員希望ヶ空の20期生……どう考えても、偶然じゃない、よな。

 

「てめーも気づいてる通りここは巨大なドームみてェだから、とりあえず手分けして調査することになった。そんで、オレはここでてめーが起きるのを待ってたってわけだ」

「そうだったのか。ありがとう」

「気にすんな。目を覚まさないからって、一人だけ放っておく訳にもいかねェだろうが」

 

 火ノ宮の気遣いに感謝しつつ現状を改めて整理してみるが、結局のところ、まだ何もわからない。一番可能性が高いのは誘拐だが……それにしたって、人質をこんなところに放置しておく理由はない。ついでに言えば、こんな巨大なドーム施設、見たことも聞いたこともない。一体、ここはどこなんだ?

 

「さて、事情も話したことだし、平並の自己紹介がてらオレ達も調査に行かねえか?」

 

 考え事をしていると、火ノ宮からそんな提案を受けた。

 

「……そうするか」

 

 このドームがなんなのか、それは少なくとも自分の目で確かめてみないことにはわからないだろう。まあ、確かめたからってドームの正体がわかるとも思えないが、他の皆に挨拶はしておいたほうがいいはずだ。俺の肩書を聞いた時の火ノ宮の反応からするに、他の人達は立派に超高校級の才能を持っているみたいだから、純粋に気になるというのもある。えーと、20期生のスカウトには誰がいたっけ……思い出せない。

 

「おら、そこにこのドームの地図があるから見てみろ。どこから行くかはてめーに任せた」

 

 火ノ宮の示す方に顔を向けてみれば、なるほど確かに、木の看板に地図が載っている。地図があるということは、少なくとも利用者を想定した施設ということになる。……とにかく、地図に目を通してみよう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 地図の上部には『宿泊エリア』との記述がある。こうやって明記するからにはこのドームは宿泊目的の施設なのだろうし、加えて言えば宿泊エリア以外のエリアもある、ということになるだろう。

 今俺達がいる場所……俺が倒れていたのは真ん中の【中央広場】だな。ここから八本の道が伸びていて、看板のほかにあるもの言えば、監視カメラとモニターくらいだけど……。

 

「このモニター、なんだ?」

 

 見た目は普通のモニターだけど、スイッチがどこにもない。リモコンがどこかに落ちているのかとも思ったが、見渡してみてもそんなものはなかった。なんでこんなものがこんなところに?

 

「知らねーよ、そんなもん」

「そりゃそうか」

 

 じゃあ、そうだな……『宿泊棟』から行ってみようか。

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

 宿泊棟とやらの前までやってきた。

 壁が真っ白に塗られた直方体の建物。規則的に並んだ窓や多少の汚れこそあるものの、その姿は豆腐を連想させる。高さからして二階建てのようだ。

 建物の中に入ると、広いロビーの壁に茶色いブレザーを着たオレンジ髪の女子がよっかかっていた。

 

「おや、キミの物語も無事に始まったみたいだね」

 

 彼女はこちらに気づくと、読んでいた分厚い辞書から視線を上げて話しかけてきた。

 

「……はい?」

「ああ、別に気にすることはないさ。これはボクの癖みたいなものだから」

 

 妙な言い回しをする彼女は、そう告げると辞書を閉じてこちらの方に歩いてきた。

 

「さて、自己紹介と行こうか。ボクの名前は明日川棗(アスガワナツメ)。【超高校級の図書委員】という役のしがない女子高生さ」

 

 

   【超高校級の図書委員】

     《明日川 棗/アスガワ ナツメ》

 

 

 若干芝居がかった彼女の台詞からは、きな臭さしか感じ取ることができない。

 

「【図書委員】……『役』ということは【演劇部】とかの肩書も持っているのか?」

「いや、そうじゃない。ボク達はもれなくすべての物語の登場人物(キャラクター)なんだ。キミにはキミの、そしてボクにはボクの物語があるんだ」

 

 要するに、【超高校級の図書委員】という肩書です、ということか。普通に話せばいいものを、とも思ったが、普通な高校生は俺一人で十分なのかもしれない。

 

「なあ、【超高校級の図書委員】だから、さっきから物語に絡めた台詞で話しているのか?」

「いや、それは因果が逆転しているな。正しくは、本好きが高じて【超高校級の図書委員】として認められたんだ」

 

 ……つまり、この中二病のようなしゃべりはただ単に本が好きだからそうしゃべっているわけか。冗談でそういう言葉選びをしているわけでもなさそうだ。

 

「それで? キミは一体、どんな役として物語を紡いでいるのかな?」

「は、はあ?」

 明日川の言葉の真意を図り損ねていると、隣にいた火ノ宮が助け船を出してくる。

 

「とっととてめーも自己紹介しろって言ってんだよ!」

「あ、ああ、なるほど……俺は平並凡一。【超高校級の普通】……いや、【超高校級の凡人】だ」

「【普通】、ね。『普通』とは、いつどこにでもあるような様子を表す言葉だけど、つまり君は一般高校生の代表であるという認識で問題はないかな?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 明日川は脇に携えていた辞書を手に取ると一発で『普通』という単語のページを開き、意味を述べる。ただ、明日川がそのページを見ている様子はないから、辞書の中身は頭の中に入っているのかもしれない。ならなんでわざわざ開いたんだ。

 

「で? この施設は何なんだ? ま、名前から大体わかるけどな」

「ふむ、火ノ宮君の予測は間違っていないはずだ。ここは『宿泊するための建物』のようだよ」

「まあ、そりゃそうか」

 

 『宿泊棟』という建物が宿泊のための建物でないなら、日本語の乱れにもほどがあるだろう。ここまではわかりきっている情報だ。

 

「ロビーにはいくつかのテーブルとイス、そしてドリンクボックスがある。地図を見る分だとほかにもランドリーやダストルーム……焼却炉があるようだし、あからさまに生活のための舞台だ」

「地図?」

「ほら、そこにかかっているだろう」

 

 明日川の示す先には、確かに壁に地図がかけられている。近づいて確認してみる。

 どれどれ……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 なるほど、明日川の言う通り、ランドリーやダストルームの文字が書かれていた。まあ、すぐそこにドラム式洗濯機のある部屋が見えているから、そこがランドリーなんだろうとは思っていたが。

 ただ、それよりも気になることがある。部屋ごとにいくつもの名前が書かれている小部屋だ。俺の名前や火ノ宮、明日川の名前が書いてあるということは、他の名前もおそらくここに集められた人たちの名前だろう。

 たまらず、明日川に質問を飛ばす。

 

「この、名前が書かれているのは?」

「ああ、それは多分――」

「あ、君、ちゃんと目を覚ましたんだね!」

 

 俺の質問に明日川が答えを返そうとしたその時、玄関ホールにそんな朗らかな声が響いた。

 声のする方を向けば、ちょうど緑色のパーカーを着たはねっ毛の女子が階段を下りてくるところだった。

 

「君の名前、ヒラナミ君であってるよね?」

「ああ、合ってるが、なんで俺なんかの名前を?」

「おい、マジで言ってんのかァ? この地図の名前から考えれば、すぐにわかんだろォ?」

 

 ああ、そうか。

 この地図に載っているのがここに集められた人たちの名前なら、すでに自己紹介しているだろう明日川達からすれば最後まで眠りこけていた俺の名前が余っている『ヒラナミ』だということは簡単に予測が付くだろう。

 

「それに、個室の前にかかってたドットのイラスト付きのネームプレートも見てたから間違いはないはずだけどね」

「個室? 明日川、この小部屋って個室なのか?」

「そうさ。おそらくそうだろうという推測の域は出ないけどね」

「推測って、どういう……」

「あくまで推測だ、というのは、カギがかかってて中に入れなかったからさ。だけど、『宿泊棟』にあってそれぞれ割り振られた部屋として考えられるのは個室しかないだろう? 奇妙な事件の起こる独特な名前を冠した館にだって、登場人物(キャラクター)ごとに個室は割り振られているんだから」

 

 後半はよく意味が分からなかったが、そういうことなら個室で間違いはないだろう。カギがかかっているのが気になるが……あとでカギが配られるのだろうか。

 

「あ、そうだ。私だけ名前を知ってるのも不公平だよね。私、七原菜々香(ナナハラナナカ)。【超高校級の幸運】として希望ヶ空にスカウトされたんだ」

 

 

   【超高校級の幸運】

     《七原 菜々香/ナナハラ ナナカ》

 

 

 手をパンと叩いて、笑顔で自己紹介をする七原。

 

「……お前が【幸運】だったのか」

「あれ? 私のこと知ってるの?」

「いや、そういうわけじゃないが、【超高校級の幸運】がどんな人なのか気になっていたからな」

 

 きょとんとする七原に、追加で説明を加える。

 

「俺は平並凡一。【超高校級の普通】としてスカウトされたんだが、【超高校級の幸運】とはあくまでも別枠みたいでな。普通の高校生から抽選で選ばれた【超高校級の幸運】はどんな人なんだろうと思ってたんだ」

「そういうこと……でも、私はただ抽選で選ばれたわけじゃないと思ってるの」

「どういうことだ?」

「私って、昔から運だけはよかったの。だから、私が【超高校級の幸運】としてスカウトされたのは、偶然なんかじゃなくてある意味で必然だったんだよ、きっと」

「……そうか」

 

 もしかしたら、その言葉の通り、七原は抽選で【超高校級の幸運】に選ばれたのではなく、その幸運を買われて希望ヶ空にスカウトされたのかもしれない。詳しいことは本人に聞いてみないとわからないが、七原は幸運の星のもとに生まれていたようだし。そして、例年は抽選枠だったところを新たに【超高校級の普通】という枠として俺をスカウトしたのだと考えれば、俺にスカウトが来た理由も納得がいく……のか?

 

「それで七原君、二階はどうだった?」

「全然ダメだよ。一応地図はあったんだけど、どの部屋も名前が隠されてる上にカギがかかってて何の部屋かもわからなかった。この建物でカギがかかってないのは、扉そのものがないランドリーとダストルームだけだね」

「カギがかかってる部屋にはなんかあんのかァ?」

「さあ、わからないよ」

 

 カギがかかってる部屋と掛かってない部屋がある? カギをかけるならすべての部屋にかければいいのに、どうして? 百歩譲って、個室の方は個人的な空間になるという理由が考えられるが、二階の部屋は……ダストルームと違って、俺達に隠しておきたい部屋ってことか?

 

「気になっていることは他にもある。キミたちも気づいているだろうが、中央広場にも存在していた監視カメラ(見張る者)モニター(映し出す者)だ」

 

 ……またややこしい言い方を……。

 

「モニターって、壁にかかってるアレのことだよな?」

「そうさ。まあ、モニターは娯楽のためのテレビである可能性があるが、それにしてはスイッチもリモコンも見当たらない。加えて言えば、監視カメラ(見張る者)は当然『何かを監視するため』に存在しているものなんだ。別に宿泊棟についていてもおかしいものではないが……何かが引っ掛かる」

 

 ……この分だと、このドームのいたるところに監視カメラとモニターは設置されているだろう。一体、何のために?

 

「あ、二階の地図は階段のところにあるよ。何の意味もないけど」

 

 七原の声を聞いて、階段の方を確認してみる。二階の地図……あれか。

 近づいて確認してみる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ……。

 無意味にもほどがあるだろ。

 

「マジでなんもわかんねェじゃねェか!」

「だからそう言ったよね」

「……そろそろ他の人にも挨拶してくるか」

「じゃあ、ボク達はもう少しここを調査してみるよ」

「あまり期待はできないけどね」

 

 そして、俺達は宿泊棟を後にした。

 

 宿泊棟には16人分全員の個室が用意されていた。寝泊りするのに問題はないだけの設備は整っていたようだが、あいかわらずドームの謎が解決しない。むしろ謎が深まっているようにさえ思える。

 少なくとも、あの宿泊棟に何者かの意図が介在していることは間違いない。

 

「火ノ宮、次は……順に、玄関ホールの方へ行ってみよう」

「あァ、わかった」

 

 中央広場で方向を変え、俺達は玄関ホールへと向かう。その道すがら、俺はここで目を覚ました時の事、そして先ほど確認した宿泊施設のことを思い返していた。誰に聞かせるでもなく、ポツリとつぶやく。

 

「……ここは一体、どこなんだ」

 

 その答えは、依然、見つからない。

 

 

 

 

 

 

 

 《玄関ホール》

 

 玄関ホール、と書かれていた場所まで来ると、そこは大きく、そして重厚な鉄の扉で閉ざされていた。見たこともないような扉だ。たとえて言うなら、銀行の巨大な金庫の扉が一番近いだろうか。とにかく、見た目からしてそう簡単には開けられそうにないし、おそらくその推測は当たっている。

 案の定用意されている監視カメラとモニターはさておくとして、ひときわ目を引くのは扉の右上に設置されている立派なマシンガンだ。……え、マシンガン? さすがにおかしいだろ。こんなの、施設の設備としてあまりにも突飛すぎる。

 ……とにかく、その扉の前にいた男女に声をかけようか、と思ったあたりで、どこからか声が聞こえてきた。

 

『おっ、目ぇ覚ましたのか。良かった良かった!』

 

 ……ん?

 誰だ、今の声は。目の前にいる二人は明らかにしゃべっていないし、当然火ノ宮の声でもない。もっと甲高くて子供のような声だった。辺りをキョロキョロと見回す俺の耳に、再びその声が届く。

 

『どこ見てんだ! 真正面だ、真正面! ……そんで、下だ!』

「真正面?」

 

 真正面にいるのは、淡いピンクの髪の女子だ。白いブラウスに白いスカートという格好をしている。ただ、一番目を引くのは決して明るい色のそれらではなく、彼女が左手にはめている黒い人形だ。点のような目が付いていて、かわいらしい印象がある。

 

『おう、やっと気づいたな!』

「え、人形?」

『おうとも、オレは人形さ』

 

 俺の目の前で、人形がしゃべりだした。いや、頭ではわかっている。人形がしゃべっているわけはないと、だからつまり、この人形は、この人形をはめているこの女子は……。

 そんな彼女が口を開く。

 

「この子の名前は黒峰琥珀(クロミネコハク)って言うの。気軽に琥珀ちゃんって呼んでね」

『おいおい、琥珀ちゃんはねえだろうがよ』

「いいの、琥珀ちゃんで」

 

 二人が、喋っている。女子と、黒い人形――黒峰が、軽快に会話を交わしている。俺は、眼前で繰り広げられる奇妙な光景に、ただただ絶句するばかりだった。

 

「えっと……この人形が黒峰……でいいのか?」

『そうそう。そんで、コイツは露草翡翠(ツユクサヒスイ)。もうわかっているだろうが、【超高校級の腹話術師】だ』

 

 

   【超高校級の腹話術師】

     《露草 翡翠/ツユクサ ヒスイ》

 

 

 露草翡翠……その名前を聞いて、ようやく思い出す。メディア露出を極端に嫌うその性格から一般的な認知度こそ低いものの、業界の間では一目置かれている、そんな腹話術師らしい。らしいというのは、あくまでもネット上の噂に過ぎず、俺自身直接見たことがないからだ。人形と本人の軽妙な言葉の掛け合いが人気、とのことだったが……。

 

『ほら、翡翠もなんか喋れって!』

「翡翠は特に言うことは無いからねー」

『そんなこと言わずに自分で自己紹介しろって! いつも腹話術でオレに紹介させてるじゃねえか!』

 

 なるほど、確かに二人の会話は流れるように続いていく。しかも、さっきから黒峰がしゃべっている間は露草の口がピクリとも動いていない。その技術の高さはトップクラスだろう。これが【超高校級の腹話術師】か……。

 

「腹話術なんてとんでもない。翡翠は、自分で喋れない琥珀ちゃんの代わりに声を出してあげてるだけなんだから」

『よく言うぜ! 俺がいないとまともに喋ることさえできないクセに!』

「もう、なんてこと言うの!」

「……てめーら、よくもまあこんなに喋れるよなァ」

『ひでえ言い草だな!』

 

 しかし、火ノ宮の言い分に全面的に賛成だ。掛け値なしに、露草と黒峰だけでいつまでも喋っていられるんじゃないかと思ってしまう。

 

『ところで、お前の名前はなんつーんだ?』

「俺は、平並凡一。一般人代表の、言うれば【超高校級の凡人】だ」

『【凡人】か、希望ヶ空はそんなヤツもスカウトするんだな』

「いや、凡人っていうのはあくまで俺が自分で言ってるだけだ。本当は【超高校級の普通】としてスカウトされたんだが……まあ、その認識で間違いない」

『そういうもんか』

 

 そういうもんだ。

 

「ってことは、凡一ちゃんって呼べばいいね!」

「ぼ、凡一ちゃん!?」

 

 生まれてこの方、そんな呼ばれ方をしたのは初めてだ。

 

『よろしくな、凡一!』

「……黒峰、後で露草にせめてちゃん付けをやめてくれって言っておいてくれ」

『ま、伝えるだけ伝えておいてやるよ』

「やめないよ?」

 

 ……勘弁してくれ。無性に気恥ずかしいから。

 

「次は俺様の番だな!」

 

 露草と会話劇を繰り広げていると、隣に立っていた真っ黒な服装のぼさぼさ髪の男子の自己紹介が始まった。……どうでもいいけど、やけに高圧的な態度だな。彼が、声を張り上げる。

 

「聞いて驚け! 俺様は【超高校級の王様】だ!」

「お、【王様】?」

 

 こんなぼさぼさな髪をした奴が王様なのか? いや、この横柄な態度からはまさに王様という雰囲気が出ているのだが……ううむ。

 

「そうだ! 俺様こそがかのインバスア王国の王様だ!」

「インバスア王国?」

 

 別に世界の国々について詳しいわけではないが、そんな国、聞いたことがない。

 

「インバスア王国を知らないのか? 250年前から続く由緒ある王国なのだぞ?」

「すまん、知らなかった……」

『凡一、知らなくて当然だぜ?』

 

 え?

 

「申し訳なさそうにしてっけどよォ、んな国はねェよ!」

「でも今【超高校級の王様】だって……え、嘘?」

 

 思わず振り向いて、目線で彼に真偽を確認する。すると、彼はへらへらと笑いだして、

 

「ごめんごめん。ちょっとしたジョークだよ。こんな状況だから、ちょっとでも和ませようと思ってさ。正直に言うね。僕は【超高校級の呪術師】なんだ」

「【呪術師】って、呪いか? 五寸釘だとか、そういう」

「そうそう。不幸の手紙から黒魔術までなんでもござれだ」

 

 希望ヶ空学園は、そんなオカルトじみた才能までスカウトしているのか?

 

「それは本当か?」

『嘘だぜ』

「……」

 

 ノータイムで黒峰の声が聞こえてきた。無言で嘘をつく彼をにらみつける。

 

「ちょっと露草っち、早すぎるネタバレは興がそがれるだけだぜ?」

「今のは翡翠じゃなくて琥珀ちゃんだよ?」

「ああ、そうだったな、ごめんごめん」

 

 またしてもへらへらと笑いだした。な、なんだこいつは……。

 

「……で、本当は?」

「わかったっちゃ、わっちの名前は陰陽師……なんだよその目は……わかったよ、正直に言うよ」

 

 すると、彼は右手で髪の毛をガシガシと搔いたかと思うと、へらへらとしていた顔をすっとけだるげな表情へと変えた。

 

「はぁ……俺の名前は古池河彦(フルイケカワヒコ)。【超高校級の帰宅部】だ」

 

 

   【超高校級の帰宅部】

     《古池 河彦/フルイケ カワヒコ》

 

 

 【帰宅部】? 一体どういう才能なんだ、それは。また嘘をついて、俺をからかってるんじゃないだろうな。

 

「あ、お前今『【帰宅部】なんてどうせ嘘だろう』とか思っただろ」

「……よくわかったな」

「思いっきり顔に出てたぜ、平並」

 

 そ、そうか……。そんなにわかりやすい顔のつくりはしてないと思うんだが、まあ、普通の高校生はこういう駆け引きは苦手だろうしな。

 

「本当なんだけどなあ……」

『そりゃ、あれだけ嘘をついてたらそう思うだろうよ。はっきり言ってオレもまだ完全には信じてないからな』

「悪いが、これは本当だぜ。証拠があるわけじゃないから何の証明もできないけどな」

「じゃあ、その【超高校級の帰宅部】ってのはどういう才能なんだ?」

「あー……それはまた今度にするわ。今言っても信じてもらえないだろうからな」

「……ふうん」

 

 まあ、とにかく古池は相当な嘘好きってのは伝わった。揃いも揃って個性的な人達だ、まったく……。

 さっきまでの元気はどこへやら。すっかり無気力になる古池を横目に、俺達の前にそびえたつ巨大な扉について質問する。

 

「それで、この扉は開きそうなのか?」

『てんでダメだな。びくともしねえ』

「それに見えてるだろ、あのマシンガン……下手なことをするのはやめた方がいいな。何があるかわからないからな」

 

 ……確かに。あのマシンガンの意図はなんだ?

 

「閉じ込められたってことかな……他の場所がどうなってるか知らないけど」

 

 マシンガンをまじまじと見上げていると、古池がそう切り出す。

 

「そうじゃない? だって、翡翠達は誘拐されてるんだし」

「やっぱり、誘拐か」

『あったりめえだろ! こんな大人数が同じタイミングで気を失って同じ場所に集められるなんて、誘拐以外ありえねえって!』

「しかも、全員希望ヶ空の新入生みたいだからな……ターゲットは決まってたってことだろ」

「綿密な計画もあっただろうし、そんな犯人が監禁場所に脱出経路を残すかな?」

「ま、残すわけねーな」

 

 つまり、このドームは犯人が用意したものということか。廃墟にはとても見えないし、犯人にはドームを準備するだけの資金があるということになるが……。

 

「まあ、ここはこんなところだ……そろそろ他のところに行ったらどうだ?」

「ああ、そうするよ古池。……そういえば、さっきから気になってるんだが、どうして急に古池はそんな無気力になったんだ?」

「あー……嘘つくとき以外は大体こんな感じなんだ」

「めんどくせェ性格してるよな、てめー」

「余計なお世話だ……とりあえずよろしくな、平田」

「……平並だよ」

 

 わざとだろ、それ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース/野外炊さん場》

 

 玄関ホールを後にした俺たちは食事スペースへと向かった。地図を参考にするなら、この道の先にあるはずなのだが、

 

「……さっきから視界には入っていたが、改めてみるとなんなんだこれ」

 

 食事スペースと野外炊さん場は高い鉄の柵に囲まれており、入り口にもしっかりとした扉が付いていた。三メートルほどの高さを誇るその柵のてっぺんには槍のような装飾が施されており、少なくともよじ登って超えるのは難しそうだ。

 中には三人ほどいる様子で、どうやら向こうも俺たちに気づいたようなので、扉を押し開けて中へと進む。

 

「おお、この扉ちゃんと開くんだな」

「いや、中に人がいるんだからそりゃ開くだろうよ」

「あァ? 文句でもあんのか?」

「め、めっそうもない」

 

 ギギギと音を立てながら中へと入ると、さっきの三人がこちらの方に歩いてきた。声をかけてきたのは、黒いジャケットを着た茶色の男子だ。

 

「おや、無事に起きれたみたいですね」

「おかげさまでな。あ、そうだ」

 

 と、せっかく三人もいるので、このタイミングでまとめて自己紹介を済ませてしまう。

 

「なるほど、【超高校級の普通】ですか。希望ヶ空学園も面白いことをやりますね」

「俺なんかが希望ヶ空なんかに来ていいのかってのは思うがな」

「いえいえ、それも一つの才能だと思いますよ。では、次は僕の番ですかね」

 

 そう言って、彼はコホンと軽く咳払いをした。最初に見たときにも思ったが、なかなかのイケメンだ。

 

「僕は杉野悠輔(スギノユウスケ)と申します。世間の皆さまからは【超高校級の声優】と呼ばれているようです」

 

 

   【超高校級の声優】

     《杉野 悠輔/スギノ ユウスケ》

 

 

「声優か」

「ええ。アニメの声優やバラエティのナレーターを務めさせていただいています。自分で言うのも恐縮ですが、名前だけは売れている方だと思いますが」

 

 はにかみながらさわやかな声でそう告げる杉野。様になっているのが悔しい。

 それはさておき、杉野悠輔という名前には見覚えがある。弟が見ていた夕方のアニメのエンディングでそんな名前を見たことがある気がするのだ。

 

「……ん? 確か渋い声のキャラクターを演じていた気がするんだが」

 

 記憶の中のクレジット欄を思い返してみるが、少なくともこんな明るい声ではなかったはずだ。そんな俺の疑問に、杉野は鮮やかすぎる解答をみせる。

 

「ふむ、それは『こんな感じじゃなかったかのう?』」

「んなっ!?」

 

 一瞬で、杉野の声がさわやかな声から渋い声へと移り変わった。その声は、確かに以前聞いたことのある声だ。

 

「他にも、『こんな声や』『あんな声や』『かわいらしい声も出せるんだから!』」

 

 そう言いながら、杉野は次々と声色を変えていった。す、すごい……。

 

「【超高校級の声優】の呼び名は伊達じゃないということですよ。この技術のおかげで様々な役がいただけるので名前を売るのにも一役買っているのです」

 

 目の前で見せつけられる【超高校級】の才能に、言葉を出すことができない。これが、【超高校級】……。

 そんな風に呆然とする俺だったが、二人目の自己紹介が始まったのを聞いて意識を取り戻す。今度は、セーラー服を着た紺色の長髪の毛の女子だ。襟元にはもともと彼女が通っていたであろう校章のピンバッジが付いている。

 

「わたくし、蒼神紫苑(アオガミシオン)と申します。僭越ながら、【超高校級の生徒会長】としてスカウトされましたわ」

 

 

   【超高校級の生徒会長】

     《蒼神 紫苑/アオガミ シオン》

 

 

 【超高校級の生徒会長】か。ぼんやりとうわさには聞いたことあるが、どんな人だったかな……。

 

「確か、超不良校を短期間で構成させた立役者だったか?」

「あら、お知りになられていたようで、光栄ですわ。そうですわね。以前在籍していた学校では、入学当初から生徒会……まだ一年生でしたから正式な役員でこそありませんでしたが、生徒会役員補佐として色々お手伝いさせていただきましたわ」

「そんで、一年生の時の生徒会選挙で生徒会長に当選したんだよな」

「ええ、その通りですわ、火ノ宮君。わたくしも夢の一つである生徒会長になれたので、あの時は本当にうれしかったですわね」

 

 ……ん?

 

「ちょっと待ってくれ、今の言い方だと、生徒のためを思って立候補したというよりも、むしろ……」

「わたくしのためですわよ?」

「え?」

 

 生徒会長っていうのは、普通は生徒の為に立候補するものじゃないのか……? と、一瞬考えたが、そうじゃない場合も多々あるか。

 

「ってことは、内申点狙いか。そんな荒れた高校とは言え、生徒会長になればだいぶ受験に有利だったろうからな」

「いえいえ、わたくしはそんなちっぽけなものが欲しくて生徒会長になったのではありませんわ」

「……違うのか?」

「ええ、まったく。よろしいですか? わたくしの本当の目的は、全国にわたくしの名をとどろかせることだったのです」

「自分の名前を?」

「自分で言うのは恥ずかしいですが、わたくし、自己顕示欲が他人よりも強いのです。ですから、どうにかしてわたくしの名前を広めようとして、生徒会長という立場にたどりついたのですわ」

 

 懇切丁寧に蒼神は説明してくれるが、まったくぴんと来ない。

 

「わたくしは実際にそれを成し遂げたわけですが、もしも超不良校を更生させる生徒会長が現れたら、マスコミはまず間違いなく取りあげるでしょう? それこそがわたくしの狙いだったのです」

「……ああ、なるほどな」

「勘違いなさって欲しくないのは、生徒会選挙の時にわたくしの目的のことは全校生徒にしっかりとお伝えいたしましたわ。そのうえで、彼らはわたくしに投票してくださったのです。『蒼神なら、この学校を変えられる』と、そう信じて」

「それは……すごいな。そんなこと並大抵の人じゃできないと思うが」

「そうですわね。でも、わたくしにはそれを成し遂げるだけの人望と実力がありましたから」

「自分で言うことか?」

「もちろん。そうでなくては生徒会長は務まりませんし、ましてやわたくしは【超高校級の生徒会長】ですから」

 

 なるほど。

 この確固たる自信こそが蒼神が【超高校級の生徒会長】たる何よりの所以なのだろう。蒼神は、蒼神と生徒たちの間にWin-Winの関係を作り上げたのだ。

 

「じゃあ、自己紹介も終わったことだしここの説明を――」

「ちょっと待った!」

「え?」

 

 突如挟まれた声の方を向けば、そこには黄色い安全ヘルメットをかぶった作業着の男子が立っていた。

 あ、もう一人いるのを忘れていた。

 

「おいおい、何やってんだ! こいつは……あー……てめー、名前なんつったっけ?」

「お前にはさっき説明したよな! 結局こうなるのか!」

「すまねえ! 本当にすまねえ!」

「その……すまん」

「いいんだよ、別に。慣れてるから」

 

 そして、彼はハァと一つ溜息をついてから、自己紹介を始めた。

 

新家柱(アラヤハシラ)だ。【超高校級の宮大工】とは、ボクの事だよ」

 

 

   【超高校級の宮大工】

     《新家 柱/アラヤ ハシラ》

 

 

「新家柱な、よし! もう覚えたァ!」

「嘘くさいなあ……」

 

 【超高校級の宮大工】?

 

「あ、その顔は『【超高校級の宮大工】なんて知らないぞ』って顔だろ!」

「い、いや、そんなことは……ごめん、その通りだ」

 

 やっぱり、俺って顔に出やすいタイプなのだろうか。

 

「まったく……誰でも知ってるところで言うと、そうだな、お前は塔和神宮って知ってるか?」

「あ、ああ。ちょっと前までニュースでやってたからな。建て替えがどうとかって」

「ボクはその建て替えに関わったんだよ」

「ふうん、なるほど……ん、ちょっと待て」

 

 一瞬無意識に納得しかけたが、俺の記憶が待ったをかける。

 

「塔和神宮の建て替えって、確か国家の威信をかけたプロジェクトの一つだが、規模にしては異様な速さで建築が完了した……って話をニュースでやっていたが、まさか、その異様な速さの理由って」

「そう、ボクが頑張ったんだよ。誰も知らないし、誰も覚えててくれないけど」

「それは……」

「あ、慰めとかは別にいらないよ。昔からボクは、えーと、ほらあれだよ」

「『空気』って言いたいのかァ?」

「そう、それ。昔から空気で存在感が薄くて……」

 

 うつむきながらぶつぶつと何かをつぶやいている新家を前にして、俺はハトが豆鉄砲を食らったかのように放心していた。才能に愛され、希望に満ち溢れているような【超高校級】の生徒でさえも、こうやって人並みに悩んでいるだなんて思いもしなかったのだ。当然といえば当然なのかもしれないが、とにかく俺にはそれが衝撃的だった。

 

「……」

「でも、良いんだ。宮大工として仕事ができるなら、その結果はみんなが認めてくれるから。ほら、ちょっと前に完成した希望ツリーってあるだろ?」

「ああ」

 

 希望ツリー。

 一年程前に完成した、完全木造の12階建ての仏塔だ。十二重の塔とでもいう方が、表現的にはあっているのだろうか。先の絶望的事件で失われた建造物に代わり、新たな時代の象徴とも呼べる建物だ。

 

「ボク、希望ツリーの責任者やってたんだぜ」

「それは……すごいな」

 

 俺は、素直に感心させられた。それ以外に言葉が出てこなかったのだ。

 

「さて、それでは自己紹介も済んだところで、食事スペースと野外炊さん場について説明させていただきますね」

「ああ、頼む」

「地図上では二つのエリアに分かれていましたが、実際は二つのエリアを分けるものは無いみたいですね」

「そうみたいだな」

 

 二つのエリアは堅そうな土の地面で地続きになっていた。校庭でよく見るような、あの感じだ。地図上で『食事スペース』とされていたところには、大きな長方形の丸太を模したテーブルが中央付近に二つと、周りに四人掛けのテーブルが4つほどおいてある。

 

「座り心地はそこそこでしたね」

「はあ……」

 

 どうでもいい情報だな。

 

「それと、そこにほら、監視カメラとモニターがありますね」

「……やっぱりここにもあるのか」

「ここにも、というのは?」

「ん、ああ。中央広場にもあったからわかると思うが、宿泊棟や玄関ホールにもこんなものが置いてあったんだ」

「……そうですか」

 

 もう気にするのはやめにしたいが……どうしても意識はしてしまうよな。

 

「まあいいや、それで、向こうの方は?」

 

 そういいながら、『野外炊さん場』の方に目をやる。屋根のついた調理場と加熱用の炊さん場があった。

 

「調理場はあまり広くありませんでしたわ。せいぜい6人が限界でしょう」

「それに、調理場の傍に2,3人が入れるような大きな冷蔵庫があったけど、その中には新鮮な食料が山ほどあったぞ」

「食料が?」

「ええ。もし僕達16人でここで暮らすことになっても、一週間程度は過ごせると思いますよ」

「……」

 

 そんな展開にはなりたくないとは思っているが、しかし、その可能性が少なからず存在している。16人で一週間だから、えーと、100日分以上の食材が用意されていることになる。これは、どう見繕っても犯人が用意したものに他ならない。

 ……犯人は、俺達をこのドームで生活させようとしている?

 

「それにしても、加熱はあそこでたき火をしなきゃいけないんだな」

 

 確かに野外炊さんではあるが、少々面倒である。

 

「それですが、どうやらあれにはガスが通っているようですので、普通に調理できるみたいですわ」

「……」

「案外便利なんだな」

 

 無言の俺に代わり相槌を打つ火ノ宮。あの見た目はただの演出か。

 

「調理器具とかは?」

「調理場のシンクの下に、包丁やボウル等おおよそ調理に使われるであろう道具のほとんどは置いてありました」

「まあ、食材があるんだから当然か」

「普通に調理できるだけの設備は整ってるみてえだな」

「そういうことだな」

「……じゃあ、他の人にも挨拶してくるから」

「分かりました。では、僕たちはもう少しここにいることにします」

 

 そして、食事スペースを後にして、次の目的地を目指して歩く。

 

 すべての場所を見て回ったわけでもないから何を言えるわけでもないが……このドームの正体、そして、俺達を誘拐した犯人、その目的に至るまで、まだ、何もわからない。

 




キャラおよび舞台紹介は次回へ続きます。
PROLOGUEだけで結構かかる予定です。


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日常編③ 超高校級の凡人と超高校級の高校生達

 《???ゲート前》

 

 次に俺達は、名称不明のゲートの前にやってきた。

 SF映画の宇宙船の中にあるような、両開きのスライド式のドアの前に立っていたのは、短パンを穿いた金髪ポニーテールの女子だった。

 

「あ、起きたんだね! 良かった良かった。一人だけいつまでたっても起きなかったからどうなっちゃったかと思って」

「心配かけたみたいだな。なんとか無事だったよ」

「そっか。よし、じゃあ自己紹介しないとだね! 私は大天翔(オオゾラカケル)! 気軽にカケルって呼んでくれてもいいよ!」

「い、いや、それはちょっと……」

「えー、遠慮しなくていいのに……まあいいや、肩書は【超高校級の運び屋】! よろしくね!」

 

 

   【超高校級の運び屋】

     《大天 翔/オオゾラ カケル》

 

 

 元気な笑顔で快活に挨拶をする大天。

 

「ああ、俺は【超高校級の普通】としてスカウトされた平並凡一だ。よろしく」

「うん、よろしく! 【普通】って、面白い肩書だね」

「まあな……そっちの【運び屋】も珍しいと思うが」

「そう? 私の職業だよ。手紙やプレゼントはもちろん、依頼さえあれば人や思い出、笑顔だって運んじゃうんだから!」

「へえ、だから運び屋か。それってなんでも運ぶのか?」

「お金さえもらえればね。よほどの物じゃなきゃ運ぶよ」

 

 運び屋という職業は身近にいないが、いろいろと耳にすることはある。郵便とかを使って運べないようなものを大天に依頼したりするのだろう。サスペンス小説のようなエピソードも持っていたりするのだろうか。

 

「よほどの物ってのはなんだァ?」

「さあ? さすがにいくらお金をもらっても死体とかは運びたくないからね」

「し、死体って……」

「まあでも、箱の中身とかは見ないで運ぶこともあるからヤバイヤツも運んだことがあるかもしれないし、別のそのあたりは深く考えてないよ。基本的には、依頼者が言いたくなければ何を運ぶかは知ろうとしないし」

「それってまずいんじゃないのか……色々と」

 

 すると、大天はやれやれとでも言いたげに首を振り、

 

「いい? ばれなきゃ犯罪じゃないんだよ」

「……いや、ダメだろォが!」

「私はお金がもらえればそれでいいからね。責任をもって、依頼者の気持ちを考えてきっちり物を運ぶ。それが私の仕事だよ」

 

 大天はずいぶんとお金本位の性格らしいが、それでも、自分の運び屋という仕事に誇りを持っているようだ。

 

「まあいいや……このゲートは?」

 

 ここも案の定監視カメラとモニターが置いてあるが、それ以外で特に気になる点はない。せいぜい、ドアの上にランプがついているくらいだ。そのランプは赤色に点灯している。

 

「さあ? 名前もわからないし、びくともしないからどうしようもないよ」

「やっぱりか……」

「というか、このドームの端をぐるっと回ってみたけど出られそうなところはなかったよ?」

「一周したのか?」

「うん。そんな苦になるようなサイズじゃないからね、このドーム。木が並んでて邪魔だったし、足元は悪かったけど……」

「ちッ、やっぱり閉じ込められたのか」

「そうなるね。あ、でも、反対側にあるゲートには名前がついているみたいだから、もしかしたら向こうなら何かあるかも」

「……そうか、分かった」

 

 向こう側……確か地図には自然ゲート、と名前がついていたか? もとよりそのつもりだったが、ちゃんと忘れずに見ておこう。

 

「大天は、この状況に何か心当たりはあるか?」

「心当たり、か。なくもないけど……」

「どういうことだ?」

「私、職業柄、いろんな地域でたくさんの人と接することが多いから結構噂を聞くんだけど、こういう状況の話は割と聞くんだよね」

「本当か?」

「うん。集団誘拐って、過去を見ると案外例があるんだよ」

「あァ、たまにテレビでも取り上げられてんな」

「でしょ? その目的は色々だけど、真っ先に考えられるのはやっぱりお金かな。私が言うのもなんだけどね」

「まあ……そうだよな」

 

 このドームに集められた16人は、誰もが【超高校級】だ。一応、俺でさえも【超高校級の普通】だなんて肩書をもらっている。人質としての価値は十分すぎるほどにあるだろうし、身代金も多額を要求できるだろう。親にも、希望ヶ空学園にも。

 

「でも、だとしたらこんな施設に監禁する理由が無い。小さな部屋にでも放り込んでおけばいいからね」

「……」

「そもそも、こんなドームは見たことがないからどこにあるのかもわからないし……正直、わからないことだらけだよ」

「……そうか」

 

 ……この施設は、そして俺達を閉じ込めた犯人は一体なんなんだろうか。

 

 

 

 

 《倉庫》

 

「これが倉庫か……」

 

 続いてやってきたのは、地図で倉庫と書かれていた建物だ。ただ、倉庫と名はついているものの、その建物を表現するなら旧家のお屋敷にあるような立派な蔵だった。

 

「割と大きいな」

「だなァ」

 

 とりあえず、扉を押し開けて中に入ってみる。倉庫の中には棚にずらりと物が並んでおり、その種類はロープやら地球儀やら、多種多様であった。そして、その中央に広がる空間には二人が立っており、ちょうどこちらに気づいたようだった。

 

「お前達は?」

 

 俺の質問に返ってきたのは、真っ白な白衣を着た緑髪の男子のひどくおびえた声だった。

 

「な、名前を聞くなら……自分から名乗るのが礼儀ってもんだろう……」

 

 確かに、それもそうだ。

 

「俺は平並凡一。【超高校級の普通】として希望ヶ空にスカウトされた」

「ちょ、【超高校級の普通】? おかしな肩書だな……」

「まあ、そう思うのも無理はないけど……実質【超高校級の凡人】の方が呼び名としては正しいかな」

「そ、そうか……じゃ、じゃあぼくの番だな……ぼ、ぼくは根岸章(ネギシアキラ)……気が付いたら【超高校級の化学者】になってた……よ、よろしく……」

 

 

   【超高校級の化学者】

     《根岸 章/ネギシ アキラ》

 

 

 弱々しい声でどもりながらも自己紹介をしてくれた。俺の自己紹介も大したもんじゃないが、根岸の自己紹介にも妙な言い回しがある。

 

「気が付いたらなってた? どういうことだ?」

「ぼ、ぼくがききたいよそんなの……ぼ、ぼくは自分のやりたいようにやってたら……気づいたらそんな風に呼ばれてたから……」

「確か、あの『スラチウム』を発見したのは根岸だったよなァ?」

「ひぃっ!」

 

 口をはさんだ火ノ宮に対して、短い悲鳴を上げる根岸。いや、今の火ノ宮は別にけんか腰ではなかっただろう。

 

「おい、なんでおびえてやがんだァ!」

「……ん? ちょっと待て、スラチウムって最近発見された新しい元素のことか?」

 

 ニュース番組でも新聞でも大々的に取り上げられていたから、その名前は聞いたことがある。俺は専門家じゃないから詳しいことはわからないが、世界的にも並大抵ではない出来事だったはずだ。まさか、それを発見したのがこの根岸だったのか。

 

「だ、だって……きゅ、急にそんな話が出てきたら、び、びっくりするだろ……」

 

 ……この、臆病な高校生の。

 

「それに、せ、正確には発見したかもしれないってだけだよ……」

「ん? でもニュースでは『新元素発見』って……」

「は、発見もなにも……ぼ、僕がいた学校はかなり設備が整ってたんだけど、こ、高校の設備じゃ未知の元素が、そ、存在するかもしれないってところまでしかわからなかったんだ……だ、だから、希望ヶ空学園でもっと詳しく実験するつもりだったんだ……」

 

 いや、たかが高校の設備だったら、それだけでも十分すごい事なんじゃないのか!?

 

「だ、だけど……」

「……こんなことになっちゃってるってわけか」

「あ、ああ、もうおしまいだ! き、きっとぼくがなにかしたせいでこんなことになったんだ!」

「……根岸?」

「け、今朝、ご飯粒を残したのがいけなかったのかな!? そ、それとも一昨日お母さんのお気に入りの食器を割っちゃったこと!? も、もしかして」

「お、落ち着け根岸!」

 

 大声で根岸を止めようとしてみるが、根岸の被害妄想は止まらない。この誘拐の原因が俺たちにあるとは思わないし、仮にあるとしてもそんな些細なものでないことは絶対にわかる。だからパニックから回復してほしいのだが……。

 そうやって慌てていると、メイド服を着た、背の低い銀髪の女子が声をかけてきた。

 

「どうやら彼は、時々そのようなかんじになるみたいです。ほおっておけばそのうち収まるはずですよ」

「えーと、お前は?」

「申し遅れました。わたし、城咲(シロサキ)かなたです。幸運にも、【超高校級のめいど】として希望ヶ空学園にすかうとされました」

 

 

   【超高校級のメイド】

     《城咲 かなた/シロサキ カナタ》

 

 

 【超高校級のメイド】、か。メイド服を着ているからもしやとは思ったけど、そのまんまだったか。

 

「本当はご主人様のお屋敷を離れたくはなかったのですが、人生経験のためとご主人様におっしゃられまして、希望ヶ空学園に通うことにいたしました」

「ご主人様?」

「ええ。十神財閥の当主、十神白夜様です」

「十神財閥……って、()()十神財閥か!?」

「少なくとも、オレが知ってる十神財閥は一つしかねェな」

 

 十神財閥。

 世界の富の三割を所持しているという噂もある財閥で、あらゆる分野における超一流の企業の多くが十神財閥の傘下であるはずだ。

 そんな財閥の屋敷に仕えているとは、さすがは【超高校級のメイド】……。

 

「【超高校級のメイド】ってのは、掃除や料理が上手いのか?」

「はい。わたしはお屋敷でめいど長をつとめていましたので、たとえば【超高校級の料理人】の方などにはおとるかもしれませんが、それでも一流のさあびすを提供することは可能だとじふしております」

「さすがは、【超高校級のメイド】だな」

「いえ、わたし自体はとくに何がすごいというわけではなく、十神財閥のめいどとして仕えていることが評価されたのだと思っています」

 

 城咲はそういうが、あの十神財閥のことだ。超一流のメイド技術を持っていなかったら仕えることなんてできないだろうし、ましてやメイド長になんてなれないだろう。

 さて、それじゃ自己紹介も済んだところで倉庫の情報を聞こう。根岸もずいぶん落ち着いたみたいだしな。

 

「ここの倉庫ですが、日用品から工具に至るまで様々なものが揃っているようです」

「へえ、そうなのか」

「か、カンヅメやお菓子みたいな食料品も……じゅ、十分あるみたいだよ……」

「窓は高いところに小さいものが一つあるだけか」

「そうですね。でも、電灯は最新式なので別段暗いわけでもありません」

 

 城咲の指さす頭上を確認してみれば、なるほど確かに煌々と明かりがついている。雑多な物に紛れてわからなかったが、ちゃんと監視カメラとモニターもある。

 それにしても……なんというか、この倉庫は生活感であふれている。誰かが用意したものではなく、誰かが使っていたものをそのまま持ってきたような、そんな雰囲気だ。なぜだ?

 

「あ、そうそう。一つだけ気になることがありました」

「気になること?」

「この倉庫、かなり物が乱雑に置かれておりましたので先ほど軽く整理をしたのですが、ほとんど埃はありませんでした」

 

 あ、そうだ。これだ、この違和感は。

 きれいに整理整頓されているわけではないのに埃をかぶっていないないということは、つまり……。

 

「ひ、頻繁に使われていたってこと……」

 

 言い換えれば……。

 

「この施設には、前に人がいた、ということか?」

「はい。しかも、ごく最近まで」

 

 城咲はそう言ってうなずいた。

 

 

 

 

 《???ゲート前(赤)》

 

 倉庫を離れた俺たちが次にやってきたのは、玄関ホールの真反対に位置するゲートだ。さっきのゲートと同じく名称が隠されているが、その見た目は似ても似つかない。SFチックだったさっきのゲートと違い、真っ赤なシャッターが下りているだけだった。

 その前に立っていた、暗い赤髪の学生服を着た男子はこちらを一瞥して……無視した。いや、なんで無視したんだ。

 

「あー、ちょっといいか?」

「……なんだ」

 

 明らかに興味のなさそうな返答が返ってくる。

 

「俺は平並凡一。【超高校級の普通】として希望ヶ空にスカウトされたんだが、簡単に言えば一般人代表。【超高校級の凡人】と思ってくれればそれで構わない」

「そうか」

「……」

「……」

 

 会話が終了した。

 

「いや、あの、それだけ?」

「何が言いたい?」

「いや、せっかくなら自己紹介してほしいからさ」

 

 その俺の言葉に、彼はちっと舌打ちをした後、

 

「……岩国琴刃(イワクニコトハ)。【超高校級の弁論部】だ」

 

 

   【超高校級の弁論部】

     《岩国 琴刃/イワクニ コトハ》

 

 

 と、非常に淡泊な自己紹介をした。

 

「初めに言っておくが、俺は誰かと馴れあう気なんて毛頭ない」

「馴れあうって……そんな言い方ないだろ」

「この妙なドームからの脱出において最低限の協力はしてやるが、それ以上の無駄な交流は控えさせてもらう」

「無駄って……」

「あきらめろ、平並。こいつはさっきもこんな調子だったぜ」

 

 岩国はもう俺から興味を無くしたようにふいと別の方向を向く。と言っても、最初から興味なんてなかったようだが。

 

「別に、お前達と敵対しようだなんて思ってないから心配するな。俺は、自分の賢さには自信があるが、完璧だなんて思うほどはうぬぼれていない。他人の意見が脱出のヒントになる可能性がある以上、それなりの協力はさせてもらう」

「なら、仲良くしようぜ。同じ男子なんだしな」

「仲良くしたって、何の意味もない。いや、中途半端な信頼は害にすらなり得る」

「だったら、中途半端じゃない、本当の信頼を築けばいいだろ」

 

 すると、岩国はぽつりと、

 

「……本当の信頼なんか、あるわけないだろ」

 

 と、つぶやいた。

 

「……岩国?」

「とにかく、何を言われても俺はこのスタンスを変えない。希望なんて持たなければ、絶望なんてしなくていいからな」

「絶望……?」

「絶望は、希望から生まれるんだ……話は済んだな。俺は他のところを見てくる」

「お、おい!」

「それと、俺はこんななりをしているが、心も戸籍も生物学上も紛れもなく女だ。勘違いするなよ、凡人」

 

 そう言って、岩国は中央広場の方へ歩いて行ってしまった。

 

「……え? 女子?」

 

 ……とにかく、岩国のことは置いておいてこの赤いゲートについて考えてみよう。

 さっきも言ったが、このゲートは玄関ホールの物とも、さっきのゲートとも似つかない代物だ。大きな半円形の穴が、商店街で見るようなシャッターで閉ざされているように見える。ただし、そのシャッターの色は、赤だ。

 ここにも監視カメラとモニターはあるけど、幸いにしてマシンガンはない。また、ゲート前の空間が、さっきのゲートよりも広めになっている。玄関ホールと同じくらいにはあるのではないか。

 

「なあ、火ノ宮。このゲート、どう思う?」

「さあな、知らねェけど、この先には特別な何かがあるってことだろ、明らかに」

「……だよな」

 

 そう思わせるだけの毒々しさが、このゲートからは感じられる。

 

「……次に行こう」

「あァ」

 

 

 

 

 《自然ゲート前》

 

 中央広場から続く道の先にあるのは、前に見たSFチックなゲートとほとんど見た目が同じゲートだ。赤いランプもあるし、例のごとく監視カメラとモニターもある。ただし、今度はゲートに名称がついている。

 

「『自然ゲート』、ねえ……」

 

 ゲートの前に、茶色いニット帽をかぶった金髪の男子が立っていた。

 

「起きたのか」

「ああ」

「なら、自己紹介でもしておくか。オレの名前はスコット・ブラウニング。世間じゃ【超高校級の手芸部】だとか呼ばれているらしい」

 

 

   【超高校級の手芸部】

     《スコット・ブラウニング》

 

 

 その外人のような見た目に反して、流暢な日本語で喋るスコット。

 

「オレのことはなんでも好きなように呼んでくれ」

「じゃあスコット……【超高校級の手芸部】って?」

「なんでも、オレの編んだぬいぐるみや刺繍が軒並みコンテストで優勝したらしい。プロも多数参加していたコンテストでな」

「本当か!? すごいじゃないか!」

「別に……あんな失敗作で賞をとっても嬉しくなんかないさ」

「え?」

 

 失敗作? どういうことだ?

 

「ほら、今度はオマエの番だぞ」

「あ、ああ。平並凡一、【超高校級の普通】……【超高校級の凡人】だよ」

「【凡人】ねえ……」

「それでここは……自然ゲートって書いてあったよな」

 

 向かいのゲートとは違って名称がついていることに、何か意味はあるのだろうか。

 

「ああ。中央広場に遭った地図には総会書いてあったし、上の方には【宿泊エリア】とも書いてあった。ここから推測するに、このドームが【宿泊エリア】であり、このゲートの先には【自然エリア】があるんじゃないかとオレは考えている」

「なるほどな……開かねェのか?」

「ああ。びくともしない。一応センサーはあるみたいだがな。ほら、上のランプが赤いだろ? たぶん、緑や青色になったら開くようになるんじゃないか?」

 

 ということは。

 

「今できることは何もない、か」

「そういうことだ」

 

 

 

 

 《???(建物)》

 

 最後にやってきたのは、宿泊棟の隣にある名称不明の建物。宿泊棟ほどの大きさはないが、外からじゃどんな建物かはさすがに推測することはできない。見た目としては和風な屋敷のように見えるが……なんか見覚えがあるんだよなぁ……。

 そんな謎の建物の前まで行ってみると、そこにいたのは二人の男女だった。監視カメラとモニターが見当たらないが、建物の中にあるのだろうか。

 

「おお、無事に目を覚ましたのであるな!」

 

 俺に声をかけてきたのは、ススで汚れた白衣を着た青い髪の男子。

 

「ああ、おかげさまでな」

「では、自己紹介をさせてもらうぞ! お主、『ティアラ』という会社に聞き覚えはあるか?」

 

 ティアラ? えーと、確か、

 

「それって、雑貨メーカーだったっけ。 『日常をほんの少しだけ豊かにする』ってキャッチコピーで斬新なアイデアとセンスで実用的な雑貨を開発しているって話の」

「うむ、そうであるな」

「確か、社長は現役高校生で【現代のトーマス・エジソン】と噂される人物ってネットニュースで見たことが……ん?」

 

 現役高校生って、まさか。

 

「気づいたようであるな? そう、この吾輩、遠城冬真(エンジョウトウマ)こそが、【現代のトーマス・エジソン】にして【超高校級の発明家】なのである!」

 

 

   【超高校級の発明家】

     《遠城 冬真/エンジョウ トウマ》

 

 

「それは……すごいな」

「そうであろうそうであろう! わっはっはっは!」

 

 確かにすごい実績だ。高笑いするのもうなずける。

 ただ。

 

「【発明家】ってのは何をするんだ? いまいちピンとこないんだが」

「読んで字のごとく何かを発明するんだろうがァ! 代表的なのは、それこそトーマス・エジソンだな!」

「あっはっは……! ……うむ。かのトーマス・エジソンは千を超える発明をしたといわれており、蓄音機や白熱電球といった、人々の生活を一変させるものを発明していったのである!」

 

 なるほど……。

 

「ただ、吾輩はエジソンほど天才的な発明はまだできていないのである」

「そうなのか? 【超高校級の発明家】なんだろ?」

「悔しいが、人々の生活のすべてを変えるような発明はできておらぬ。せいぜい、少しばかり生活を楽にするような、彩りを添えるような、そんな発明だけなのである」

 

 ……凡人の俺からすれば、それだけでも十分すごいことだけどな。

 

「ただ、まあそこは別に問題ではない。できないことはこれからできるようになれば良いのであるからな! わっはっはっは!」

 

 そう言った遠城は、腹の底から声を出して笑う。……ただ、ちょっと笑う時間が長くないか?

 

「あっはっは……ふう。それに、吾輩の真髄は日常を少しだけよくするアイデアにある。……む、また一つアイデアを思い付いたぞ。メモを取らねば!」

 

 そして、遠城はポケットからペンとメモを取り出し、すごい勢いで何かを書き始めた。なんて元気な奴だ……。

 

「次はアタシの番ね」

 

 遠城がメモを取っている隙に自己紹介を始めたのは、白いスカートをはいた水色の髪の女子だ。

 

「アタシは【超高校級のダイバー】、東雲瑞希(シノノメミズキ)よ」

 

 

   【超高校級のダイバー】

     《東雲 瑞希/シノノメ ミズキ》

 

 

「東雲瑞希……名前は聞いたことがあるな」

「ホント? 嬉しいじゃない」

「確か、海の美化運動の話で出てきたような気がするな」

「そうね。アタシは元々は地元の海の美化運動の代表者だったんだけど、他の地域の海の美化運動にも関わり始めたから、その関係かしら」

「へえ、代表者か」

「そうよ。……というか、もともとはアタシ一人しか海の掃除をしてなかったのよ」

「たった一人で美化運動を始めたのか?」

「ええ。でも、気づけばいろんな人が参加するようになって、あたしの地元の海は観光名所にまでなったわ」

「すごいじゃないか!」

「でも、あんまりアタシが頑張ったって感じはしないんだけどね。アタシはただ、海が汚れたままになってるのが嫌いだっただけだから」

 

 そう言う東雲の表情はとても生き生きとしている。海が好きなんだろうということがひしひしと伝わってくる。自分の好きな海が汚れているからと言って、たった一人でその掃除を始めるなんてなかなかできることではないだろう。

 

「それだけ聞くと、どっちかってーと【超高校級の美化委員】の方が近そうなんだがな」

「ああ、アタシがきれいにするのは海だけだから。別に陸地がどうなってもいいってわけじゃないけど、もともとダイビングが趣味で、海の掃除はその延長線上にあるだけなのよ」

「なるほどな」

 

 とは言っても、やはり【超高校級のダイバー】としてスカウトされるほどにはダイビング技術が卓越していることは間違いないのだろう。

 

「次は俺の番……っと、遠城、もういいのか?」

 

 遠城はいつの間にかメモを取り終えていた。

 

「ああ、いいのである……大したアイデアではなかったであるからな」

「そ、そうか。じゃあ自己紹介するけど、俺は平並凡一。【超高校級の普通】だよ」

「【超高校級の普通】?」

「まあ、一般人代表だと思ってくれればいい。【超高校級の凡人】の方が正しいかもな」

「ふうん……ねえ、アンタ趣味は?」

「趣味? 特にないけど……」

「じゃあさ、ダイビングやってみない? せっかくなら何かやってみようよ」

「いや、いいよ。泳ぎはあまり得意じゃないし……何かやったって俺なんかじゃ上達するわけないし」

 

 正確には、泳ぎが得意じゃないというより、得意な物がないと言った方がいい。これまで、いろいろと興味を持ったことはあったが結局ろくに身につかなかった。この才能のなさが【超高校級の凡人】たる所以なのかもしれない。

 

「平並よ。得意じゃないというのは理由にならんぞ」

「え?」

「出来ないことはできるようになるまで練習すればよいのだ。一見実現不可能なアイデアでも、努力して考え抜き、試行錯誤を繰り返せば可能となるものもある。やる前から諦めるというのは愚かな行動であるぞ。人間は初めから空を飛べたであるか? 電話は縄文時代からあったであるか? お湯を注ぐだけで食べられるラーメンは一体いつできたであるか? すべて、努力の上に達成されたことである」

「……」

 

 ……そんなのは、才能がある人間だからこそ言えることだ。

 才能がない俺みたいな凡人じゃ、どれだけ頑張ったところでできないことばかりだ。むしろ、できないことしかないと言ってもいい。

 

「もちろん、どうあがいたってできないこともあるであるが……あきらめるには早すぎると思うのである」

「それにさ、趣味にするんだったら別に上手じゃなくてもいいじゃない。そりゃあ上手な方が楽しいかもしれないけど、楽しみ方はそれだけじゃないわよ。……どうしてもやりたくないなら無理強いはしないけどね」

「……そういうものかな」

「そういうものよ。ま、気が向いたら教えてよ。手取り足取り教えてあげるわよ」

「わかったよ」

 

 ……。

 でも、俺は……。

 

「ところで、この建物はなんなんだァ?」

「あ、それを確認しないとな」

「その話であるが……地図では名称が確認できなかった上、建物の周りをまわってみても中は見えなかったのである」

「ってことは、外からは見えないような、ばれたらまずいようなものが入ってるって考えられるわよね」

「……今は、このあたりが限界か」

 

 このドーム全体に対して言えることだが、この建物に関しては特に、あまりにも情報が少なすぎる。何も判断を下せることは無い。

 

「そうね。アタシ達はもう中央広場に戻ろうとおもうんだけど、アンタ達は?」

「あ、それなら俺達も戻るよ。もう全員に挨拶できたからな」

「では、行くであるぞ」

 

 そして、俺達は謎の建物を後にした。

 

 

 

 

 《中央広場》

 

 俺達が到着すると、既に俺達以外の全員が揃っていた。

 

「これで全員揃いましたわね」

「俺達が最後か」

「そうだね。ボクはもう待ちくたびれてしまったよ」

「おせえよ、お前達」

「悪ぃな、新家」

 

 改めて数えてみるが、確かにこの場にいるのは16人だ。遅れてきた俺達に対して愚痴を言う人もいれば、何も言わず立っている人もいる。

 パンパンと手を叩き注目を集めた蒼神が、なにやら話し始める。

 

「さて、何はともあれ全員揃いましたので、食事スペースにでも移動して情報の共有を――」

 

 

 

 その時。

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 突如として、ドーム内に明るい奇天烈な音が鳴り響いた。

 

「な、なんだ……!?」

「何、今の……」

「静かにしろォ! なんか放送が来るぞ!」

 

 嫌が応にもざわつく俺達を、火ノ宮が一喝する。そして、すぐに火ノ宮の言う通り放送が聞こえてきた。

 

 

 

『あーもう、なっがすぎ! やる気あんのかオマエラ!』

 

 

 その放送の声はひどくだみ声で、そして、言いようのない不快感を感じさせる声だった。

 

 

『今すぐ【自然エリア】の『メインプラザ』に集合!』

 

 ブツッ!!

 

 

 そして、不快な音を立てて放送は終了した。

 その、たったの10秒にも満たないような放送は、俺達に際限のない戸惑いと不安を残していくには十分すぎるものだった。

 




 これでようやく自己紹介終了です。
 まあ、厳密に言うとまだ一匹残ってるんですけど。


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日常編④ さらば愛しき平凡な日々

 奇妙な放送の後、俺達に残されたのは沈黙だった。

 

「……終わった……?」

 

 静かなドームの中で、七原がそうつぶやいた。

 

「何、今の……」

「気分悪い……」

 

 突然流れたあの不快な放送に、誰からともなく自然と俺たちはざわつき始める。

 

「……なあ、皆、どうする?」

「どうするって……」

「どうするもなにも、行くしかねェだろ! 集合かけられてるんだからなァ!」

 

 当然ともいえる問いかけをした俺にそうはっきりと答えたのは、火ノ宮だった。その大ボリュームの声に、全員が耳を傾ける。

 

「で、でも……い、行ったら何か大変なことになるんじゃ……」

 

 震える声をあげながらも、それに根岸が反論する。

 

「だからって号令は守らねェといけねえだろ!」

「こ、こんな状況で何を言ってるんだ……! お、おまえ、もしかしてクソ真面目だろ……!」

「あァん? やんのかてめー!」

「お二人とも、やめて下さい!」

 

 ヒートアップする二人を似合わない大声で杉野が止める。

 

「あァ? てめーもここに残ろうって言うつもりかァ?」

「いえ……とりあえず、僕は火ノ宮君に賛成です」

「な、なんでだよ……」

「いいですか? この状況から見て、僕達が集団誘拐されたことは間違いありません。なら、今の放送は犯人によるものと考えていいでしょう」

「それは……そうでしょうね。このタイミングの放送の主が犯人以外にいるとは思えませんわ」

 

 杉野の推測はもっともであり、蒼神も賛同している。

 

「であれば、ここで犯人の要求に逆らっても無駄に犯人を刺激するだけです」

『ま、逆らうメリットもねーな!』

「そ、それもそうか……」

「そんなことをすれば、ここにいるボク達全員殺されてしまうという、最悪の展開(シナリオ)も考えられるだろうね」

「ころされてしまうのですか!?」

「そういう物語の可能性もある、ということさ」

「……とにかく、行くしかないのか」

「うむ、そうであるな」

 

 全員が口々に意見を出していき、とりあえずは犯人の放送に従って移動することになったようだ。

 犯人が指示したのは、【自然エリア】の『メインプラザ』……ん?

 

「ちょっと待ってくれ、【自然エリア】って、多分あの自然ゲートの先だろ? あのゲートって開かないんじゃなかったか?」

「それなら問題ない。さっき放送が終わったタイミングで、自然ゲートの上のランプが赤から緑に変わっていた」

 

 スコットに言われ目線を自然ゲートの方に移すと、なるほど確かにランプが緑色になっていた。ふと気になって反対側の名称不明のゲートの方を見れば、そちらの方は相変わらず赤いランプが煌々と点いている。

 

「スコット、お前よく気づいたな」

「細かいことが気になる性格なんでな」

「とにかく、あのゲートが通れるようになってるってことだよね?」

「なら、早く行くぞォ!」

「そうですわね。遅れたら何をされるか分かったものではありませんわ」

「……」

 

 すると、ここまで沈黙を保っていた岩国が何も言わぬまま自然ゲートの方へと歩き始めた。その岩国についていくようにして、俺達も歩き始める。

 不安はあるが、このまま何もしないわけにもいかない。虎穴に入らずんば虎児を得ず、という言葉もある。たとえ犯人の罠だろうが、俺達は先に進むしかないのだ。

 

 

 

 

 自然ゲートはすんなりと開いた。その先は50メートルほどのまっすぐな薄暗い通路になっており、人が三人ほど並んで歩けるくらいの幅だ。

 通路の先の扉が開くと、そこに広がっていたのは先ほどまで俺達がいた【宿泊エリア】とさほど変わらないような景色だった。

 

「なんか似たような景色だね」

「でも、こちらのどーむは建物がまるでありませんよ?」

「おそらくまた地図の看板があるはずです。とにかく中央まで行ってみましょう」

 

 杉野の声に従って俺達16人が中央に行くと、そこにはやはり看板があった。

 

『どれどれ?』

 

 

【挿絵表示】

 

 

 これが自然エリアか。確かに、その名のとおり【宿泊エリア】に比べて露骨に自然が多い。まともな建築物は多分森の中の展望台しかないだろう。

 

「犯人の言っていた『メインプラザ』は……あっちですわね」

「おらァ! 行くぞ!」

「アンタねえ……そんな大声出さなくてもわかるって」

「あァ!?」

「ほら、物語はもう始まってるんだ。早くページをめくらなければいつまでたっても話は進まないものだよ」

『さっきから棗の言ってることがよくわからねえんだよな』

「ふっ……ボクの物語はボクだけが読めれば何も問題ないさ」

「わ、わけわからないこと言ってないで、は、早く行こう……」

「そうですよ。はやくいかないと、なにをされてしまうことか……」

 

 そうやって、各々の胸に不安や焦燥は抱えつつも、ワイワイと騒ぎながら俺達はようやくメインプラザへと移動した。

 後になってから、はっきりと断言できる。この時の俺は……俺達は、危機感が全く足りていなかったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 《メインプラザ》

 

 メインプラザの奥の辺りには、木でできた簡易的なステージがあった。案の定、監視カメラとモニターのセットもおいてある。

 

「で、犯人の指示通りメインプラザに付いたけど、これからどうすればいいんだ?」

「とりあえず、次の指示を待つしかありませんわ。すぐに次の放送が入るはずですから」

「そうだな……」

 

 と、放送が始まるのを待っていた俺達だったが、そこに響いたのはさっきの奇天烈なチャイムどころか、放送ですらなかった。

 

 

 

 

「なんでメインプラザに集まるだけでこんな時間がかかるんだよ! ただでさえ時間が押してるってのに!」

 

 

 

 

 さっき聞いたあのダミ声が、今度は放送ではなくすぐ近くから聞こえてくる。全身を不快感が駆け巡る。

 

「それじゃ、集会をはじめまーーーーっす!!」

 

 その声とともに、ステージ上に白と黒で左右に塗り分けられたぬいぐるみが飛び出した。そのぬいぐるみは、とても見覚えのある……この世に生きる人間なら嫌が応にも目にしたことがあるであろうものだった。

 

「ぬいぐるみが動いて……喋った!?」

「い、いま、どこから……ど、どうやって……!」

「んな事どうでもいい! このクマは、こいつは!」

 

 それは、教科書に載っていた、『絶望の象徴』に他ならなかった。

 

「嘘だろ……嘘だろ、こんなの!」

「そんな、だって、【超高校級の絶望】はもうとっくの昔に滅んだんじゃ……!」

 

 騒然とする俺達を尻目に、そのぬいぐるみはステージの中央へとてとてとと歩いていった。

 

「あーあーあー、やっぱりこうなるよね。まあいいよ。オマエラだけがやるのも不公平だし、ボクも自己紹介をさせてもらうよ」

 

 

 

 高校生なら、いや、小学生でも知ってる世界の常識。

 歴史の教科書を開けば、縄文時代よりも先に習うはずの絶望的な事件。

 50年前、世界最大の希望を奪い去った、最大最悪の絶望。

 

 かつて、全世界を絶望に叩き落した、その象徴が、俺達の目の前にいた。

 その名前は――

 

 

 

「ボクはモノクマ! この【少年少女ゼツボウの家】の施設長なのだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モノ……クマ……。

 

「な、なんでコイツがこんなところに……!」

「大丈夫だよ、きっと! 希望ヶ空学園の用意したレクリエーションかなにか、だよ! だって、そうじゃなきゃ……!」

 

 根岸の声に七原が反応する。しかし、

 

「レクリエーションにしたって度が過ぎてるだろ!」

 

 すぐにそんな新家の悲痛な叫びが聞こえてくる。動揺が、どよめきが、恐怖が、俺達の間に広がっていく。

 

「皆さん、落ち着いてください! ……少なくともドッキリの類では無いはずですわね。こんな悪趣味なドッキリ、許されるわけがありませんわ。希望ヶ空が企画したというのであれば、なおさらです」

「おっ さすが蒼神さんは分かってるね! そうだよ、ドッキリなんかじゃないよ!」

 

 そんな俺達をおちょくるように、大きく体を動かしながらモノクマが話しかけてくる。

 

「……【閉鎖空間】……【超高校級の生徒達】……そして【モノクマ】……」

 

 そうした混乱状態のなか、一人だけ明日川がなにやらぶつぶつと呟いている。

 

「っていうかほら! 時間が押してるんだからとっととやることやっちゃわないと!」

「時間が押してる?」

「何言ってんだ! オマエのせいだよオマエの! 自覚ナシか!」

 

 そう言ってモノクマが指さしたのは、紛れもなく俺だった。

 

「お、俺のせい?」

「そうだよ! オマエがいつまでたっても起きないから自己紹介を何回もする羽目になって時間がかかったんだよ! ちゃんと反省しとけ!」

「は、反省って……起きなかったのは俺のせいじゃないだろ!」

「うるさい! 口答えをするな!」

 

 り、理不尽だ……。

 

「それで、僕達を集めたのは自己紹介をするためですか?」

「は? そんなわけないじゃん」

「……まあ、そうですよね」

 

 苦虫をかみつぶしたかのような顔をする杉野。モノクマの目的がそれだけではないと確信しつつも、聞かずにはいられなかったのだろう。

 

「じゃあ、そろそろ本題に入るよ」

 

 本題……か。

 これはつまり、俺達が誘拐された理由、ということになるのだろうか。

 

「えー、知っての通り、オマエラは全員希望ヶ空学園の20期生としてスカウトされました」

「そうですわね」

「そんなオマエラは世界の希望! ……なのですが、世界の希望となるにはオマエラは未熟すぎるとボクは思うのです」

「未熟って……」

「あんだとコラァ!」

 

 突拍子もないことを言うモノクマだが、少しだけなら言っていることもわかる。ここに集められた16人は【超高校級】の才能を持っているが、それでもまだ高校生なのだ。精神的に未熟な面も確かにあるのだろう。それに、俺に至ってはただの一般人だからな。

 

「というわけで、急遽オマエラをこの【少年少女ゼツボウの家】に招待し、強化合宿を開催することに致しました!」

「きょ、強化合宿……?」

「そう! ここで共同生活を送ることによってオマエラのたるんだ精神を叩きなおし、世界の希望として活躍できるよう成長してもらうのです!」

「話だけ聞けば、ずいぶんと立派なことだな」

『モノクマが絡んでる時点でやな予感しかしねーけどな!』

「そんなこと言わないでよ! これはオマエラのための強化合宿なんだから」

 

 スコットの言う通り、話の内容だけは褒められたものだ。だが、俺達のためにやっているという部分はまったく感じることができず、その口調の裏にあるのは紛れもないエゴだ。目の前にいる絶望の象徴は、何を言い出すつもりなのだろうか。

 ともあれ、ここにきてようやく分かったことがある。このドームの……違うな、ドームが複数あることが分かったから、このドーム群の名称が【少年少女ゼツボウの家】であることだ。まあ、モノクマが名付けたのだろうが。

 

「ねえ。その強化合宿とかいうのをやるのはいいとして。期間はどうなってるの?」

「……そうだ。期間だ。二泊三日か? 一週間か? まさか一ヶ月ってことは無いと思うが」

「……はあ~あ。これだからオマエラは未熟って言われるんだよ。強化合宿って、ボクちゃんと言ったよね? 期間なんて、オマエラの成長が見られるまでにきまってるでしょ?」

「え?」

 

 ……つまり、それは。

 

「言い換えると、こういうことになるかな」

 

 バッと大きく両手を広げたモノクマが、大きな声で宣言する。

 

 

 

 

「オマエラは、僕が成長したとみなさない限り、この施設から一歩も出られませーん!!!!」

 

 

 

 

 

「何を……何を言ってるの?」

「なんだよそれ! 成長したかどうかって……そんなのお前の気分次第じゃないか!」

「じゃ、じゃあ、私達、当分ここから出られない……ってことなの?」

「当分どころじゃねェ……こいつは【絶望の象徴】であるモノクマなんだぞ! 脱出の権限がモノクマにある以上、一生オレ達をここに閉じ込める気かもしれねえ!」

「い、いやだ……! ま、まだやり残したことがたくさんあるのに……!」

「失礼な! ちゃんと成長した生徒も家に帰さないほどボクは落ちぶれたクマじゃないぞ!」

「なら、帰せよ! とっととここからだせよ!」

「だーかーらー、オマエラはまだまだひよっこなんだから帰せるわけないでしょ! ……まあでも、そんなオマエラのことだからこうやって駄々をこねることは予想がついてます! そこで、誰でも分かるようなはっきりとした『基準』を決めました!」

「基準じゃと?」

「そう! だって、そうでもしないと青臭いオマエラは今みたいに文句たらたらでしょ?」

 

 そんなことをモノクマは言うが、誰だってそう反応するだろう。成長したら出られるという話だが、『成長』なんて尺度が曖昧すぎてどうとでも言えるわけだ。それを判断するのが【絶望の象徴】たるモノクマなんだから、文句は出て当然だ。

 

「いい? これから言う条件を満たした人物を、ボクは『一人前に成長した』と認めることにします」

「つまり、その条件さえ満たせは俺達は外に出られるということか?」

「ま。そういうことだね」

「だったらその条件はなんだァ!」

それではご期待に応えて発表します! その条件は――」

 

 すると、それまでぶつぶつと呟きながら考え事をしていた明日川が急にはっとした表情になった。

 

「その条件って……!」

 

 

 

 

 

 

「この中の誰かを、殺すことだよ」

 

 

 

 

 

 

 ……は?

 この中の誰かを殺す?

 何を言ってるんだ、こいつは?

 

「やっぱりそうか……!」

 

 戸惑いを見せる俺に耳に届いてきたのは、そんな明日川の声だった。

 

「おい、明日川。やっぱりって、何を……」

「殺すって、どういう意味ですか!」

 

 明日川に言葉の真意を聞こうとしたが、それよりも先に杉野がモノクマに対して啖呵を切っていた。

 

「どういう意味って、そのまんまだけど? 刺殺爆殺毒殺殴殺銃殺絞殺呪殺惨殺撲殺扼殺轢殺圧殺焼殺射殺なんでもござれ! とにかく、オマエラの中の誰かを殺せばここから出してやるって言ってんの! 逆に、何をしようが誰かを殺さない限りここから出してなんてやらないからね!」

「どうしてそれが『成長した』ってことになるんだよ!」

 

 新家もそれに続き異議を唱える。

 

「いい? オマエラはここで共同生活をするうちに、少なからず絆とかいうわけのわからないものを深めていくと思うんだよ。悲しいことにね」

「悲しいことって……」

「でもね! そんなもんは偽物なの! まやかしなの! 幻想なの! 薄っぺらい偽りの絆をぶっ壊してこそ、人は『成長』することができるのです!」

「む、むちゃくちゃだ……!」

「別に殺したくなかったら殺さなくてもいいよ? オマエラがここで一生を過ごすことになるだけだし」

「ですが、食料は? 冷蔵庫には一週間分程度しか備蓄がなかったはずですが」

「そこは心配しなくていいよ! 食料も含め、オマエラがここで生活する上では何の不自由もさせないから!」

「ここに閉じ込められてることがすでに不自由だろうがァ!」

「うるさいなあ、揚げ足を取るんじゃないよ、まったく」

 

 口々に皆がモノクマに反論するが、それをモノクマは飄々とかわしていく。

 何を……何を言ってるんだ。

 さっき、モノクマの言ってることが少しわかる、と言ったが、こうなると話が別だ。モノクマの目的は、なんだ?

 

「つまり、あなたは僕達に殺し合いを強いるために僕達をここに誘拐した、ということですか?」

「は? 何言ってんの? オマエラが自分の足でここまで来たんでしょ?」

「……は?」

 

 無意識に、口から声が出る。なんだ? モノクマは何を言っている?

 

「おい、それってどういう――」

 

 そんな俺の言葉はまたしても遮られた。

 

「もういや! ふざけないでよ!」

 

 大天が悲痛な叫び声を上げる。

 

「ん? どうしたの?」

「私を早く外に出してよ! 私は……こんなところにいる暇なんてないんだから!」

「だから、そのためには誰かを殺せって言ってんの! まったく、理解力がないねー、オマエラは。これだからオマエラはボクに未熟だなんて言われるんだよ!」

 

 ステージを降りて、こちらの方へ歩いてくるモノクマ。

 

「そんなの、いいから、早く……!」

 

 ……大天の様子がおかしい。

 

「お、おい、いったん落ち着けって!」

「落ち着けるわけないでしょ! 急にあんなことを言われて、なんで落ち着けるのよ!」

「だからって興奮したっていい事なんか……!」

 

 すると、モノクマは大天の目の前に来て止まり、こう言った。

 

「まあ、落ち着けないのもわかるけどねー。そんなんだとあっさり死んじゃうよ? 君のお姉さんみたいに」

 

 

 ガッ!!!

 

 

 その瞬間、大天はモノクマを蹴り飛ばしていた。

 

「何で知ってるのよ!!! お姉ちゃんを知った風な口を利かないで!!」

 

 大きく飛んで向こうの草むらに転がったモノクマは、大したこともなさそうにムクリと起き上がった。

 

「そんなくだらない話はどうでもいいんだよ。今、オマエ、ボクのこと蹴ったよね?」

「うん、蹴ったよ! それがどうしたって言うのよ!」

「『施設長への暴力の一切を禁じる』……規則違反は、死刑だよ」

 

 ……は?

 

「死ね」

 

 その不穏な言葉とともに、大天の前方の地面に穴が開き、そこから無数の槍が飛び出した。

 

「大天さん!」

「……え?」

 

 その幾重の槍は、大天を大きく貫いていた……ように見えたが、よく見ればその槍は大天の体を数ミリ単位でよけていた。顔の真横に鎮座する、頬をかすめた槍という凶器に腰を抜かし、大天はその場にへたり込む。

 

「とまあ、本来ならここで大天さんには死んでもらうところだったんだけど、まだ規則も知らせてないからこっちの落ち度ってことで許してあげるよ。無駄に人数減らしたくないしね。うん、ボクってばなんてやさしいんだ!」

「……今、私……」

 

 あくまでも飄々とした態度をとるモノクマ。

 は、はは……なんだよ、これ。いきなりこんなところに誘拐されたと思ったら、監禁されて、ここから出たかったら誰かを殺せって? 馬鹿げてる。こんなの、現実なわけがない……そう、思いたかった。

 だけど、もうわかった。これは、夢でも冗談でもない。今、大天は確かに死にかけた……死ななかったのは、あくまでもモノクマの気分が変わったからだ。下手をすれば、死ぬ。

 

「一つききてェことがあんだけどよォ」

「何、火ノ宮クン?」

「誰かを殺せばってのは、例えば今ここで誰かを殴り殺したらオレはここから出られんのかァ?」

「はぁ!?」

 

 急に物騒なことを言い始めた火ノ宮に、素っ頓狂な声を上げる新家。

 

「火ノ宮君、いったい何を言い出すんですか!」

「例えばの話だ、黙ってろォ! 条件や基準がルールとして定められてんなら、そのルールは確認しとかねェとダメだろうが!」

 

 杉野の異論を一刀両断する火ノ宮。なるほどな。実に【超高校級のクレーマー】の彼らしい発想だ。

 

「……だからって、たとえでもそんなことを言うのはやめてくれ」

 

 新家が呆れたように声を出す。

 

「そんな殺人は認めないよ! 詳しい規則はこれで確認しておいてよね!」

 

 そう言ってモノクマは再び俺達のもとに歩いてくると、俺達一人一人にあるものを渡してきた。これは……指輪か?

 

「それ、起動してみてよ。指にはめてもはめなくてもどっちでもいいからさ」

「起動って言われても……」

「これは……もしや、数年前にグレープ社の開発した簡易映像投影機であるか」

「ああ、空中に画面を表示するヤツだよな」

「うむ。数十年前の文献には『未来の道具』の代名詞ともなっていたものだな。実現可能とはなったが、このサイズのものとなるとコスト面の問題がクリアできずに一般販売はまだされていないはずであるが……」

『そんな高価なもんが16個も用意されてんのか?』

「そ、そんなことより……き、起動スイッチはどこだ……?」

「あ、これかな?」

 

 探ってみると、宝石部分の側面に何やら突起が見つかった。おそらくこれが起動スイッチだろう。それを押すと、目の前に画面が浮き出てきた。

 

「うお……」

 

 指輪の宝石の部分から投影されているようだ。

 まず初めに、【平並 凡一】と自分の名前が表示され、その後いくつかの項目が現れた。

 

「みんなちゃんと自分の名前が出たよね? その指輪は電子指輪『システム』って代物でね、電子生徒手帳を内蔵している上、象が踏んでも壊れないんだ。もちろん、耐火性、耐水性、耐寒性もバッチリだよ!」

「さっき言っていた『規則』とやらは、この『強化合宿のルール』か」

 

 スコットの言う通り、いくつか並んだ項目の中にそんな文字列があった。

 

「そうそう。それ、よく読んでおいてね。今度はもうさっきみたいな温情はないから。読んでないから知りませんでしたーなんてのが許されるのは、受精卵までなんだよ!」

「それじゃ誰も許されないじゃないか……」

「それと、『システム』はそれぞれの個室の鍵にもなってるから絶対に失くすなよ! 失くしても再発行なんてしてやらないからね!」

 

 新家のツッコミをスルーしたモノクマは、再び壇上へと上り、俺達の方を向く。

 

「それでは! ここに、『コロシアイ強化合宿』の開始を宣言いたします! じゃあ皆さん、じゃんじゃか殺っちゃってくださーい!」

 

 そして、そう物騒なフレーズを残したモノクマは、『アディオス!』という掛け声とともにどこかへと消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 沈黙が俺達を支配する。あの絶望の象徴は、この短時間で俺達にとてつもなく大きな爆弾を残していった。

 ……へたりこむ大天に近づき、話しかける。

 

「大天……その、大丈夫か?」

「あ、平並……大丈夫……じゃないよ」

「……」

 

 それはそうか。周りで見ていた俺達とは違って、大天だけは死の瀬戸際を実体験してるんだから。

 

「……でも、ありがと。ケガがあるわけじゃないから、その、心配かけてごめん」

「いや、謝ることはないよ。……正直、あのモノクマを蹴飛ばした時はスカッとしたからな」

「……そう? ならよかったかな」

 

 ほんのすこしだけ、大天に笑顔が戻る。

 

「それで……モノクマの言っていたことだけど」

「……お姉ちゃんのことでしょ?」

「……うん」

「ごめん、それは、ちょっと、今は言いたくない」

「……わかった。ごめんな、変な事聞いて」

「いや、あんな言い方したら誰だって気になるもんね……大丈夫だよ、うん」

 

 しまった、話す内容を間違えたか。……どうやら、お姉さんのことは大天にとってタブーらしい。

 バツが悪くなって周囲を見渡すと、どよめきや焦りの声が広がっていた。それを鎮めたのは杉野だった。

 

「とにかく、この自然エリアも先ほどと同じく調査しませんか?」

「そうですわね。手分けして行動して、調べ終わったら食事スペースに集合、という事でいかがでしょうか」

「そうですね。ただ、【自然エリア】はあまり調べるところもなさそうなので、すべて見て回っても構わないとは思いますが」

 

 ……杉野は人をまとめるのが上手なのだろう。先ほどから【超高校級の生徒会長】である蒼神とともに、俺達の行動の指針を立ててくれている。こんな状況下でもこういう風に冷静に行動できる人がいるというのは、とても心強い。

 

「ちょ、調査を始める前に……さ、さっきの『規則』を確認しておかない……?」

「そうだな。知らず知らずのうちに規則違反、なんてこともあるかもしれない。そうなったら今度こそ命はないぞ」

 

 震える声の根岸の提案にスコットが賛同すると、自然と俺達の視線は大天へと集まった。

 

「……」

 

 大天は何も言わず、肩を抱きかかえている。

 ……確認してみよう。

 

 『システム』を起動し、『強化合宿のルール』の項目をタップして選択する。いや、空中に画面が投影されているから触ることはできないんだが。

 そして、すぐにいくつもの文章が表示された。

 

 

=============================

 

  【強化合宿のルール】

 

規則1、生徒達は【少年少女ゼツボウの家】内だけで共同生活を行う。期限は無い。

規則2、【成長完了】と認定された生徒は強化合宿終了となり、この施設からの脱出が可能となる。これを、【卒業】と呼ぶ。

規則3、夜10時から朝7時までを【夜時間】とする。夜時間には【食事スペース】及び【野外炊さん場】は施錠され、立ち入りを禁じる。

規則4、就寝は宿泊棟に設けられた個室でのみ可能とする。その他の場所での故意の就寝は居眠りとみなし、禁じる。

規則5、ポイ捨てをはじめとする、施設内の自然を汚すような行為は全面的に禁じる。

規則6、この施設を含むあらゆる事柄について調べるのは自由とする。特に行動に制限は課せられないが、鍵のかかった扉、施設や監視カメラ等の破壊を禁じる。

規則7、施設長こと【モノクマ】への暴力の一切を禁じる。

規則8、生徒の誰かを殺したクロは【成長完了】と認定され【卒業】となるが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけない。

規則9、規則は順次追加されることがある。

 

=============================

 

 

 これが規則か……。

 

「んー?」

「どうかしましたか、火ノ宮君?」

「ん? いや、蒼神。他の規則はとりあえず置いておくにしてもよォ、さっきモノクマが言ってたのは【規則8】のことだよな?」

 

 規則8……『生徒の誰かを殺したクロは【成長完了】と認定され【卒業】となるが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけない。』……これか。

 

「ごちゃごちゃ回りくどく書いてるけど、前半はさっきモノクマが言ってた通り『誰かを殺せばここから出られる』ってことだ」

「そのようですね」

「問題は後半だ……『自分がクロと他の生徒に知られてはいけない』ってのは、どうやって判断するんだ?」

「……よくわからないね」

「ここでオレが誰かぶっ殺したところで、クロがオレだってのはまるわかりだから、校則違反になっちまう……モノクマが言いたかったのはこういう事なのかァ?」

 

 なるほど、確かに火ノ宮の疑問は納得だ。自分がクロだとばれずに殺す……それ自体の是非はともかくとして、ばれたかばれていないかの判断は誰がするんだ? それすらもモノクマが判断するというなら、いちゃもんをつけられて『あいつはお前のことを疑ってるから【卒業】はさせませーん!』なんて言われる可能性がある。そう考えるなら、いよいよもって脱出の手段が潰えたことになるが……。

 その疑問に答えを出したのは、明日川だった。

 

「……その点について、ボクから一つ小話を語らせてもらおう」

「あァん?」

「キミ達は、50年前の【人類史上最大最悪の絶望的事件】についてどれほど知っている?」

 

 なぜここでその名前が? ……いや、モノクマが現れた以上、それと無関係ではないのか。

 

「それがどうしたってんだよォ!」

「焦ってページをめくるんじゃない。これは大事な質問だ。読み飛ばしてくれるなよ」

 

 案の定妙な言い回しだが、明日川の表情は真剣そのものである。

 

「どれほど、と言われましても……教科書で習う程度の事ですよ」

「希望ヶ峰学園で起きた事件を発端として、世界中を絶望が支配し、暴動やテロが鳴りやまなかった……という程度は常識として知っているが」

 

 杉野とスコットが答える。俺も、その程度なら知っている。

 

「そのすべての首謀者は……江ノ島盾子(エノシマジュンコ)、だったよね。当時、希望ヶ峰学園に通っていたらしいけど……」

「ぜ、絶望に堕ちた連中の間じゃ、か、カリスマだったんだよな……た、確かに顔はよかったみたいだけど、く、狂ってるよ……」

 

 七原と根岸もそれに続く。

 

「……なら、その希望ヶ峰学園の超高校級の生徒達15名が、希望ヶ峰学園の中に閉じ込められてコロシアイを強要されたことは?」

「なっ!?」

 

 新家が驚きの声を上げる。

 コロシアイ……閉じ込められてって、どういうことだ!

 

「んな話、聞いたことねェぞ!」

「当然だろうね。そのことを記した図書はもれなく発禁処分や回収対象になっているし、インターネット上でも固くその情報は閉ざされている」

「……じゃあ、どうしてお前は知っているんだ」

 

 嘘をつく余裕もないのか、古池が低いテンションでそう尋ねる。

 

「幸いボクの通っていた高校の図書館は発禁図書も保管するような規模の大きなものだったからね。以前目を通したことがあるんだ」

『その図書館は大丈夫なのか? 色々と』

「ダメなんじゃないかな?」

「こ、こんな時に一人漫才をするなよ、露草……お、おい明日川……お、お前そうやって変な事を言って、お、俺達を混乱させようとしてるんじゃないだろうな……!」

「で、でも、私も聞いたことあるよ、その話……あくまでも噂だけど」

 

 今もなお肩を震わせている大天が、明日川の話の信憑性を高める。噂好きの大天がこう言っている……噂にだって、その噂が生まれるにはなにかしらのきっかけがあるはずだ。という事は、それに準ずる出来事があった可能性は低くないだろう。

 

「……じゃ、じゃあ、どういうことなんだよ……そ、その話」

「この点に関してボクから説明できることは何もないよ。約50年前、閉鎖空間に閉じ込められて生徒間でコロシアイを強要されていた事実があるというだけさ」

「お待ちください。その状況は、まるで……!」

 

 明日川の回りくどい言い回しに声上げたのは城咲だ。その声に、明日川は神妙な表情でうなずく。

 

「そう。この状況とまるで同じ……つまり、この犯人は、人数と場所の差異はあれど、50年前の再現をしているのさ」

「そうか……だからさっき、『やっぱり』なんてつぶやいたんだな」

「おや、平並君はボクの台詞を聞いていたのか。ああそうさ。モノクマが現れた段階で、その事件のことを思い返していた。まさかここまで模倣するとは思わなかったけどね」

「そんな……どうして……」

「そこまではボクにもわからないさ。犯人の目的までは、ね」

「……その口ぶりから察するに、明日川さんは八番目の規則の詳細をご存じなのですね?」

「そうだ、杉野君。その規則を補足するルール。それは――」

 

 

 

 

 

「――【学級裁判】だ」

 

 

 

 

 

 学級……裁判……。

 

「それは……どのようなものなのですか?」

「……ボクが説明してもいいけど、正確なルールを把握するために、この物語の語り部(ストーリーテラー)、モノクマから聞いた方がいいだろう」

「あいつをよぶの!?」

 

 大天が痛ましい声を上げる。

 

「……確かに、万全を期するためならその方が良いかもしれませんね」

「というわけだァ! でてこいモノクマァ!」

 

 そう火ノ宮が叫ぶと、先ほどと同じようにモノクマがステージ上へと飛び出してきた。

 

「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん!」

「ほ、ホントに出てきた……」

「なんなの根岸クン! 人を呼び出しておいてその反応はさ!」

「呼べば来てくださるのですね」

「まあね! 僕ってば誰よりも優しいクマだから、人に呼ばれると断れなくってね!」

 

 ……城咲は若干能天気な反応をしているような気もする。肝が据わっているとも言い換えられるが。

 

「それで、学級裁判の事だけど……まあ今までの話は聞いてたから答えるけどさ、はあ……明日川さん、そのルール知ってたんだね。せっかく初代に倣って隠していこうと思ったんだけどなあ」

「という事は、明日川の言っていたことは本当なのか」

「そうだよ!」

 

 モノクマは、そう言ってあっさりと認めた。

 学級裁判の存在を。

 

「じゃあ説明するけど、先に【強化合宿のルール】を追加するからそっちを確認してね」

 

 ルールの追加……もう一度規則を確認してみよう。すると、確かに規則が増えていた。増えた規則は……。

 

 

=============================

 

【強化合宿のルール】

 

~前略~

 

規則8、生徒の誰かを殺したクロは【成長完了】と認定され、【卒業】となるが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけない。

規則9、規則は順次追加されることがある。

規則10、生徒間で殺人が起きた場合は、その一定時間後に、生徒全員に参加が義務付けられる【学級裁判】が行われる。

規則11、【学級裁判】で正しいクロを指摘した場合は、クロだけが処刑される。

規則12、【学級裁判】で正しいクロを指摘できなかった場合は、クロだけが【卒業】となり、残りの生徒は全員処刑される。

 

=============================

 

 

 ……【処刑】?

 そこに並んでいたのは、おおよそ日常生活では見かけないような文字だった。周りの生徒に目をやると、ほとんどの生徒があからさまに動揺を見せていた。動揺していないのは、事前に学級裁判の詳細を知っていた明日川と……岩国だけか。

 

「こ、これ……」

「はい! じゃあ説明します!」

 

 そんな俺達もおかまいなく、モノクマが説明を開始する。

 

「規則8に書いてある通り、殺人を犯した生徒は【卒業】となりますが、それは、自分がクロでないと周りの生徒を欺くことが条件です! 自分の犯行が周囲にばれるような未熟なクロを【成長完了】なんて認めるわけにはいかないからね!」

「欺く……」

 

 新家がぽつりとつぶやく。

 

「クロがしっかりと他の生徒を欺けたのか? それを判定するのが【学級裁判】なのです!

 死体が発見された際、一定時間の捜査時間を設けます。その後、学級裁判にて、『殺人を犯したクロは誰なのか?』をオマエラに議論してもらいます。最終的に、クロを多数決で決定し、その答えが正解ならば、クロだけが処刑。不正解ならクロ以外の全員が処刑となります!」

「処刑って、どういうことなのよ?」

 

 東雲が、一番狂気を感じるフレーズについて質問を飛ばす。

 

「そのままだよ。別の言い方をするなら『オシオキ』だね。電気でビリビリ、毒ガスモクモク、炎でメラメラ……野球ボールでフルボッコでもいいし、プレス機でぺしゃんこ! ってのも譲れないね!」

「そ、そんな……」

 

 モノクマは、嬉しそうに体をくねらせながら【処刑】の詳細を語る。

 

「……要するに、【卒業】するためには自分以外の全員を殺さなきゃならねェってことか」

「そう! さっすが火ノ宮君! 冴えてるねェ!」

「うるせェ! クソみたいなルールじゃねェか!」

「はぅあ!?」

 

 火ノ宮の暴言に、胸を押さえて心を痛めるようなそぶりを見せるモノクマ。どうせそんなことは微塵も思ってないんだろう。

 

「ルールとして定められてる以上、俺はそのルールを破るようなことはしねェ……けどなァ、俺は人殺しなんてしねェぞ!」

「あー、そうやってもう『自分はクロになりませんよー』って周りにアピールしてるのか。うまいねえ~」

「あァん!? んな訳ねェだろうがァ!」

「火ノ宮君! 挑発に乗ってはモノクマの思う壺です。落ち着いてください」

「……チッ」

 

 火ノ宮は杉野に言われてようやく言葉を控えた。火ノ宮は、頭に血が上りやすいわりに、ルールは守るし暴力をふるいはしないから規則に抵触することは無いと思うが……何があるかはわからないから気を付けるに越したことは無い。

 

「杉野クンはそうやって常識人ぶるんだねえ……」

「……何が言いたいのですか?」

「いや別に? じゃあ、【学級裁判】の説明も済んだし、ボクは今度こそ……あ、そうだ」

 

 もうどこかに出ていこうか、という雰囲気を見せて歩いていたモノクマだったが、突如ピタッと動きを止め、くるりと方向を変えた。その視線の先にいたのは……明日川?

 

 

 

 

 

「食らえ! 電気ショック!」

 

 バチィッ!!!

 

「うわあっ!!」

 

 

 

 

 

 その瞬間、明日川の体は悲鳴とともにびくりと跳ね、そしてその場に倒れこんだ。

 

「お、おい!! 明日川!」

「明日川さん!」

 

 俺をはじめとして何人かが明日川のもとへ駆け寄る。抱きかかえてみると、明日川はピクリとも動かないが一応息はあるようだ。

 

「モノクマァ! 明日川に何しやがった!! 明日川はまだ規則違反をしてねェだろうがァ!」

「大丈夫、明日川さんは別に死んじゃいないから。さっきも言ったでしょ? 無駄に人数を減らしたくないって。それに……もし規則違反をしたらこの程度じゃ済まさないよ」

「……ッ!!」

 

 モノクマの言葉をきいたその時、背筋をゾクリと悪寒が走り抜けた。

 蒼神がモノクマに問いかける。

 

「では、明日川さんに何をなさったのですか?」

「明日川さんはこっちにとって都合の悪いことをたくさん覚えてそうだったからね。ちょっと記憶を消させてもらったんだ」

「き、記憶を……!?」

「そんなことできるのかよ!」

「できるよ」

 

 新家の叫び声のような問いかけに、モノクマはこともなげにそう答えた。

 

「明日川さんの記憶はちゃんと厄介なところだけ消したから、それ以外のことはきちんと思えてるよ。それじゃあね!」

 

 その言葉を残して、今度こそモノクマはいなくなった。

 メインプラザに残されたのは、俯く15人と、倒れこむ1人。そして重く暗い沈黙だった。俺達はここにきて、ようやく自分たちの置かれた状況を理解し始めていた。

 

 コロシアイ……学級裁判……処刑……記憶消去……。

 言葉だけ見ればすべてが現実味を帯びていないそれらは、紛れもない現実として、俺の心に刻まれていた。夢ならとっとと覚めてくれと何度も願ったが、その悪夢は依然現実として俺達の前に立ちふさがっている。

 

「……」

 

 誰も動こうとしていなかった中、初めに動いたのは岩国だった。岩国は、無言を保ったまま中央広場へと歩きだした。

 

「あら、岩国さん。どちらへ行かれるんですか?」

 

 蒼神が声をかける。

 

「……この【自然エリア】の探索だ。こんなところでとどまっていても、何も始まらない」

「それは……そうですわね」

「今俺達がすべきなのは、あのぬいぐるみに対抗するための情報の入手だ。人殺し? ばかばかしい。そんなくだらない遊びに付き合う道理など無い」

 

 ……それはその通りだ。

 その通りだが。

 

「もっとも、この中の一人くらいは、犯人の妄言に唆されて殺人を企てているかもしれないがな」

 

 そうなのだ。

 

 こんなくだらないゲームに乗る必要はどこにもない。殺人を犯さなくてもここで過ごすことを選択すればそれでいいし、別の方法での脱出の可能性がついえたわけでもない。犯人の見落とした出口を見つけられるかもしれないし、俺達の誘拐の通報を受けた警察がこのドームを発見して助けてくれるかもしれない。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

 しかしだ。

 

 

 

 ここにいる16人のうち、誰か一人でもこの絶望に耐え切れなくなり、今よりももっとひどい悪夢――【学級裁判】がはじまってしまうかもしれない。

 しかも、もしそうなったとき、【卒業】することに決めたクロの標的となるのは俺で、俺は【学級裁判】に参加することすらできないかもしれない。

 

 

 

 

 そして。

 俺が一番恐れているのは。

 

 

 

 

 

 最初にこの絶望に耐え切れなくなるのは、【超高校級の凡人】である、この俺なのかもしれないという事だった。

 

 その可能性を、俺は否定することができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PROLOGUE:【超高校級の凡人は超高校級の夢を見るか?】 END

 

 

 

【生き残りメンバー】 16人

【普通】平並 凡一 

     【手芸部】スコット・ブラウニング 

【化学者】根岸 章   

【発明家】遠城 冬真  

【声優】杉野 悠輔 

【帰宅部】古池 河彦  

【クレーマー】火ノ宮 範太   

【宮大工】新家 柱   

 【幸運】七原 菜々香 

【図書委員】明日川 棗   

【ダイバー】東雲 瑞希   

【生徒会長】蒼神 紫苑   

【弁論部】岩国 琴刃  

【メイド】城咲 かなた 

【運び屋】大天 翔   

【腹話術師】露草 翡翠   

 

 

 

 

     GET!!【白紙のネームプレート】

 

『何者にもなれない未熟者の証。一人前を目指して頑張ろう』

 

 

 

 

 




ようやくプロローグ終了。
参加者名簿を載せた後に本編を開始します。


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コロシアイ強化合宿 参加者名簿

 

【挿絵表示】

 

 

・男子

 

《平並 凡一/ヒラナミ ボンイチ》

肩書:【超高校級の普通】

   あらゆる才能に見放される才能の持ち主。

   極端に得意なことも極端に苦手なこともない。

   身長、体重、その他プロフィールは全国平均と同じ。

外見:少し伸ばした黒髪、アホ毛、紺色のパーカー

好き:ざる蕎麦  嫌い:「やればできる」という言葉

詳細:本作品の主人公。自他ともに認める凡人で、何をしても平均程度。自分に自信がなくいつも周囲に対して劣等感を抱いているが、友好的で友人は多い。

 

 「何をやったって同じだよ。だって、俺は凡人なんだから」

 

 

 

 

 

《スコット・ブラウニング》

肩書:【超高校級の手芸部】

   器用に手先を操る才能の持ち主。

   全日本手芸コンテストにて堂々の優勝。

   まるで機械で織り込んだかのように精密な作品を作り上げる。

外見:金色の長髪、茶色いニット帽

好き:和菓子  嫌い:途中放棄

詳細:几帳面な性格で、スケジュールは分刻みで決めておかないと気が済まない。常に完璧を目指す完璧主義者で、これまで自分が作った作品には全く満足していない。負けず嫌いで常にリベンジに燃えている。

 

 「オレは中途半端が嫌いなんだ。やるなら、徹底的にやるぞ」

 

 

 

 

 

《根岸 章/ネギシ アキラ》

肩書:【超高校級の化学者】

   自在に薬品を調合し、様々な物質を研究する才能の持ち主。

   粗末な備品、設備にもかかわらず新たな物質を発見。

   既存の薬品の調合や、毒の成分が分かれば解毒剤の作成も出来る。

外見:緑の長髪、白衣

好き:探求  嫌い:大声

詳細:いつも誰かに責められてると感じてしまい被害妄想が止まらない。常に様々なものに対して怯えている臆病者だが、それ以上に好奇心を抑えきれない知りたがりでもある。

 

 「ぼ、ぼくは知りたいだけなんだ……だ、だから研究するんだよ……」

 

 

 

 

 

《遠城 冬真/エンジョウ トウマ》

肩書:【超高校級の発明家】

   突飛なアイデアとそれを形にする才能の持ち主。

   人気雑貨メーカー『ティアラ』の社長。

   そのジャンルは、アナログ製品から電子機器、油圧機器など多岐にわたる。

外見:青色の短髪、ススで汚れた白衣

好き:試行錯誤  嫌い:二番煎じ

詳細:実は元来の技術力はあまり高くなく、努力でカバーした努力家である。笑い出すと止まらない笑い上戸。悩んでいる時間があったらとにかくやってみる行動派である。

 

 「吾輩の真髄はアイデアなのである! む、また一つひらめいたぞ! わっはっは!」

 

 

 

 

 

《杉野 悠輔/スギノ ユウスケ》

肩書:【超高校級の声優】

   七色の声色と歌声を操る才能の持ち主。

   養成所に入ってまだ日は浅いが、準主役級の役をもらい声優デビュー。

   主役のみならず、出せる声の幅の広さから脇役の声を演じることも多い。

外見:茶色の短髪、黒いジャケット

好き:歌  嫌い:いがみ合い

詳細:老若男女の声を出すことができるが、ほとんど練習することもなく身に着けていた技術。常に笑みを保っているイケメンで、歌唱力の高さからCDデビューも果たしている。人間関係のいざこざを解決する苦労人である。

 

 「僕、いつも貧乏くじを引くんですよね……喧嘩を抑えるのも毎回僕の役回りで」

 

 

 

 

 

《古池 河彦/フルイケ カワヒコ》

肩書:【超高校級の帰宅部】

   帰宅する才能の持ち主。

   詳細は不明。

外見:黒いぼさぼさ髪、全身黒のカジュアルな服

好き:嘘  嫌い:居残り補習

詳細:嘘をつくのが好きでしょっちゅう嘘をついており、自身の肩書である【超高校級の帰宅部】について言及されるのを避けている。嘘をつくのをやめると途端にやる気をなくし無気力になってしまう。

 

 「ボクは【超高校級の正直者】さ! ……ああ、もちろん嘘だぜ」

 

 

 

 

 

《火ノ宮 範太/ヒノミヤ ハンタ》

肩書:【超高校級のクレーマー】

   商品の欠点を見抜く才能の持ち主。

   日々様々な企業へクレームを行っているが、その指摘はすべて的を射たものである。

   企業に責任のない悪質なクレームは一度としてしたことがない。

外見:とげとげしい赤髪、白いヘッドバンド、学校指定のネクタイとベスト

好き:勉強  嫌い:有言不実行

詳細:決して悪気があるわけではないが、常にけんか腰で話をする。ただし、生真面目でありルールや常識、規則は順守している。クレームをつけるための勉強は欠かしておらず、圧倒的な知識量を誇る博識である。

 

 「ちゃんとルールは守れよ、オラァ! あァん? オレが悪いってのかァ!?」

 

 

 

 

 

《新家 柱/アラヤ ハシラ》

肩書:【超高校級の宮大工】

   日本古来の技術を受け継いだ木造の社を建築する才能の持ち主。

   金属を使わずに木材だけを用いて建築することを得意とする。

   国内最大級の木造建築である希望ツリーの責任者。

外見:黄色い安全ヘルメット、濃い紫の短髪、作業服

好き:日曜大工  嫌い:火

詳細:祖父が宮大工であり、小さいころから祖父の真似をして日曜大工をしていた。存在感がなく、周りからは忘れられてしまうこともしばしばあるが、今ではあまり気にしておらず自分の建てた建造物が皆に知られていればそれでいいと考えている。語彙が貧困。

 

「ボクは影が薄いんだよね。さながらボクは縁の下の……えっと、なんだっけ?」

 

 

 

 

 

・女子

 

《七原 菜々香/ナナハラ ナナカ》

肩書:【超高校級の幸運】

  幸運の女神に愛される才能の持ち主。

  自分にとって幸せだと思う偶然がよく起こっていた。

  自分が起こした行動は常に自分にとって大きな幸福となって返ってくる。

外見:黄緑色のはねっ毛、緑のパーカー

好き:サイコロ  嫌い:毛虫

詳細:自身の幸運を信じて疑わないため、非常にポジティブでどんなときでも前向き思考である。自分が幸福を願えばそれをかなえる偶然が引き起こされると考えている。マイペースで何事にも縛られないが、若干ドジをすることが多い。

 

 「偶然なんかじゃないよ。だって、私は幸運だから」

 

 

 

 

 

《明日川 棗/アスガワ ナツメ》

肩書:【超高校級の図書委員】

  書籍を読み解く力とすべてを記憶する才能の持ち主。

  超巨大図書館を学校施設に持つ仁科高校の図書委員長だった。

  図書委員としては司書代理としてその責務を果たしている。

外見:オレンジ色ショート、ブレザーの制服

好き:妄想  嫌い:運動

詳細:完全記憶能力を持っており、一度読んだ本の内容はおろか染み一つに至るまで鮮明に思い出すことができる。いつも片手に大辞典を携えているが、この能力のおかげですべて覚えている。例文から物語を考えるのが趣味。痛々しい発言をするが、出来事を一つの物語として捉えているためである。成人向け図書の影響をモロに受けており、そういった方面の知識が豊富。

 

自己紹介(プロフィール欄)か。つまり、ボクの物語はまだ始まったばかり、という事だね」

 

 

 

 

 

《東雲 瑞希/シノノメ ミズキ》

肩書:【超高校級のダイバー】

  潜水の技術と海を愛する才能の持ち主。

  一人で始めた海の美化運動が次第に賛同者を増やしてき、最終的には海が完全に復活するまでに至った。

  潜水技術も卓越しており、10分以上息を止めることもできる。

外見:水色の短髪、黄色いブラウス、白いスカート

好き:潜水  嫌い:海を汚す行為

詳細:とにかく海が好きで、特に潜って海の中を泳ぐことが大好き。ダイバーとしての功績はないが、潜水中の身のこなしは随一であり、その実力は確かである。基本的にどんなことでも楽しもうという姿勢でいる。

 

「ダイビングは楽しいわよ! アタシは、海で死ねたら本望ね!」

 

 

 

 

 

《蒼神 紫苑/アオガミ シオン》

肩書:【超高校級の生徒会長】

  人心を掌握し、人材を活用する才能の持ち主。

  不良校をたった一年で更生させた。

  人々の真価を見極めて適材適所に配置することができる。

外見:紺色のロング髪、セーラー服

好き:他人を率いること  嫌い:建前

詳細:人をまとめ上げるのに向いているリーダー気質で、人望が高い。他人の能力を生かす方法を知っており、的確なアドバイスを出すことができる。野心家で成り上がることを目指しているが、そのためには周囲からの人望を集めることが一番と考えている。

 

「皆さん全員の夢がかなう事が、結果的にわたくしの名を上げることになるのですわ」

 

 

 

 

 

《岩国 琴刃/イワクニ コトハ》

肩書:【超高校級の弁論部】

  言葉と証拠を操り論理をくみ上げる才能の持ち主。

  一年生の時にディベート大会最優秀賞を獲得。

  高圧的な話し方に反して、そのロジックは明瞭である。

外見:学生服、濃い赤髪の短髪

好き:一人でいること  嫌い:「仲間」という言葉

詳細:非常に敏く理解力があり、一を聞いて十を知ることができる。他人と馴れあうことを嫌っており、交流を拒もうとする。容姿や口調は男性の物だが、れっきとした女性である。

 

「俺を説得したいなら、明確な根拠を用意するんだな」

 

 

 

 

 

《城咲 かなた/シロサキ かなた》

肩書:【超高校級のメイド】

  最上級のもてなしを提供する才能の持ち主。

  十神財閥に仕えるメイド長。

  些細なことにまで心配りができている。

外見:銀髪ショート、メイド服

好き:掃除  嫌い:埃

詳細:きれい好きで、いつも片付けや掃除をしている。『常に完璧であれ』が旦那様の座右の銘であり、その意識が身についている。感情をあまり表に出さない。背は低く、見た目は幼い。少し舌足らずな話し方をする。

 

「わたしは『めいど』の名に懸けて、一流のさあびすを提供致します」

 

 

 

 

 

《大天 翔/オオゾラ カケル》

肩書:【超高校級の運び屋】

  あらゆる手段を用いて物を届ける才能の持ち主。

  運送屋をたった一人で運営している。

  通常は運送できないものを持ち前の身体能力などを用いて運送する。

外見:薄い黄色のポニーテール、短パン、半袖

好き:パルクール  嫌い:スカート

詳細:元気でとても明るい。運送料は若干割高だが、運ぶ品に制限はほとんどない。お金に厳しく、些細な頼み事でも見返りを要求する。ケチ。噂好きで、仕事で多くの人と関わる際、様々な噂を耳にしている。

 

「ねえねえ! 君、こんな噂を知ってる?」

 

 

 

 

 

《露草 翡翠/ツユクサ ヒスイ》

肩書:【超高校級の腹話術師】

  人形に心が宿っているように見せる才能の持ち主。

  人形と本人の軽妙な兼ね合いを売りとしている腹話術師。

  メディア露出は嫌っているが、高い腹話術の技能を持ち、業界では知名度が高い。

外見:桃色の髪のロング、ワンピース、左手に黒い人形

好き:会話  嫌い:沈黙

詳細:非常に饒舌で、放っておくと左手の人形の黒峰琥珀(クロミネコハク)とずっと喋っている。歯に衣着せぬ物言いで、誰に対してもずばずば発言する。本人は腹話術を否定しているが、人形の琥珀は腹話術の存在を認めている。頑固者で、自分がこうと決めたらテコでも動かない。

 

「琥珀ちゃんは琥珀ちゃんだよ。翡翠とは別人だから」

『まったく、よく言うぜ! いっつも翡翠が一人二役で話してるってのによ!』

 

 

 




16人のプロフィールです。
詳細は、主人公が何度か話して分かったこと、くらいの認識でいいと思います。


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CHAPTER1 あゝ絶望は凡人に微笑む
(非)日常編① 共同生活のすゝめ


 

 

 

 

 あ ゝ 絶 望 は

―――――――┐

       │凡

       │人

       |に    CHAPTER1

       │微    【(非)日常編】

       |笑       

       |む

 

 

 

 

 

 

 ついさっきまで、全員の敵意はモノクマに向いていた。俺たちをこんなところに閉じ込めて、コロシアイを強要する絶望的な犯人への強い反感を抱いていた。だが、岩国の発言により、その意識は互いへと移り変わった。

 俺達の視線が、信頼が、疑念が交錯する。もちろん、皆のことを信じたいという気持ちが大部分だ。誰かに唆されたからってそう簡単に人を殺す奴がいるとも思っていない。……それでも、全幅の信頼を寄せることはできない。だって、自分自身すらも信用できていないのだから。

 

「食事スペースでの報告会には参加するが、調査は一人でさせてもらう」

 

 そんな中、岩国はそんな台詞を残してメインプラザを去ってしまった。

 気まずい沈黙が流れる中、口を開いたのは蒼神だった。

 

「みなさん、互いに疑いあうのは仕方ありません。わたくし達はあくまでも初対面……現時点で100%相手を信用するのは難しいでしょう。

 ……ですが、岩国さんの言う通りいつまでも疑い合ってここにとどまっても何も始まりません。頭を冷やす意味も込めて、先ほど言ったようにまずはこの【自然エリア】を調査しましょう」

「……そうだね」

 

 七原が相槌を打つ。

 

「で、でも……こ、この中の誰かが殺人を企んでるかもしれないだろ……! そ、そんな奴がいるなら、だ、誰かと一緒になんていないぞ……!」

「根岸君、それは逆ですよ」

「ぎゃ、逆……? ど、どういうことだよ、杉野……」

「100%信用できないなら、逆に一緒に行動すべきです。二人きりなら確かに危険に感じるかもしれませんが、複数人なら互いを監視することができて、ぐっとリスクが減るはずです。それに、学級裁判の存在が明らかになった以上、今ここではっきりとチーム分けをしておけば誰もよからぬことをしようとは考えないでしょう」

 

 杉野の言うことはつまり、チーム分けした相方を殺せばクロはまるわかりになってしまうから、という事である。他の人に完璧なアリバイもあるしな。

 

「もし本当に変な事を考えてるヤツがいるんなら、全員バラバラに歩き回る方があぶねェしな」

「そういうことです……では、チーム分けは……」

 

 そう言って杉野は少し悩んでから、

 

「そうですね。まだ目を覚まさない明日川さんのもとに残る人を2名。もう岩国さんは行ってしまわれたのでどうしようもありませんが、残った12人は4人ずつ3組に分かれましょう」

「……そ、それなら……」

「何かほかに意見は……」

 

 ぐるっと俺達を見渡す杉野。

 

「なさそうですね」

「では、ここに残る人を決めましょう。立候補なさる方はいらっしゃいますか?」

「あー、じゃあ、俺はここに残るよ。……明日川の記憶のことも気になるしな」

 

 そう言って俺が手を上げると、同時に根岸も手を上げていた。

 

「ぼ、ぼくもここに残る……」

「では、平並君と根岸君はここに残るという事でお願いいたしますわ。明日川さんのこと、よろしくお願いしますね」

「ああ、任された」

「では、後は……」

 

 その後てきぱきとした蒼神の仕切りで皆は3組に分かれた。

 

「では、お二方。明日川さんが目を覚ましたら、少し安静にしてから先に食事スペースに移動していてください」

「わ、わかった……」

「じゃあ、オレ達はとっとと行くぞォ!」

『言われなくてもわかってるって!』

 

 そして、メインプラザには俺と根岸、そして、未だ倒れたままの明日川だけが残された。

 

「……それにしても意外だな」

「な、何がだよ……」

「いや、さっきの話だとなんとなく根岸は4人組になる方に行くと思ったから」

「べ、別に……こ、ここのことは気になるけど……よ、4人になると気を配る方が面倒になりそうだし……こ、ここに残れば気を付ける相手は、ひ、一人だけで済むからな……」

 

 ……なるほど、そういう理屈か。

 

「やっぱり、信用されてないのか」

「し、信用するとかしないとかじゃなくて……! こ、怖いだろ……こ、こんな状況で、み、みんながどう動くかなんてわからないんだし……お、おまえだってぼくのこと、う、疑ってるんだろ……!」

「……まあ、完全に否定は……できない」

 

 俺も、周りのみんなを完全無欠に安全だ、なんて断言することはできない。その点で、俺は根岸と同じだ。

 

「べ、別にいいけどさ……そ、それに、それだけが理由じゃないし……」

「と言うと?」

「お、おまえと一緒で、ぼ、ぼくも気になって仕方がないんだ……も、モノクマがやった記憶消去が……」

 

 やっぱり、気になるよな。さっきの、あれは……。

 

「あ、ああまできっぱりと言い切ってたから、き、記憶消去は多分できるんだと思う……そ、その方法も気になるけど、や、やっぱりその内容の方が知りたいんだ……。

 こ、このドームのことは大体、よ、予想がつくし……だ、だったら、ここに残って明日川から、は、話を聞いた方が良いと思ったんだ……」

「なるほどな……」

 

 そうだ。

 あそこでわざわざ足を止めて、俺達に責められる恐れも踏まえたうえでモノクマは明日川に電流を流した……ように見えた。仮に記憶消去を行ったとすると、モノクマが明日川の記憶から消したかったもの……それはきっと、過去のコロシアイの顛末だ。多分、過去のコロシアイの事を調べることさえできたらなにかヒントが見つかるかもしれないのに……。

 と、そんなことを考えていると、

 

「そ、それにしても……ど、どうしてこうなっちゃったんだろう! た、ただ誘拐されて監禁されるだけだと思ったのに、こ、コロシアイだなんて! あ、ああ、やっぱりぼくの日頃の行いが悪かったのかな!? お、一昨日二度寝しちゃったから神様が怒ったのかな!? あ、ああああ!!!」

 

 根岸が暴走状態になっていた。

 

「……明日川が起きるまで、放っておくか」

 

 

 

 

 

 そして数分が経ち根岸が落ち着いてきたころ、明日川が目を覚ました。

 

「……ううん……」

「明日川!」

「き、気が付いたのかな……?」

「ここは……」

 

 ゆっくりと体を起き上がらせて、周りをきょろきょろと見渡す明日川。

 

「明日川、大丈夫か?」

「平並君……根岸君。なんとか、大丈夫だ……ボクは一体何を……?」

「ね、ねえ、何があったか覚えてる……?」

「確か、モノクマから学級裁判の説明を受けて、それが終わって急にボクの方を向いたと思ったら、バチッって音がして体がしびれて……そこまでだ」

「そうか……」

 

 あの時、明日川が記憶を失う直前まではしっかりと覚えているようだ。という事は、モノクマは記憶消去に失敗した……という事にはならないだろうな。

 

「明日川。あの後、モノクマはあの電撃でお前の記憶の一部を消したと言っていた」

「ボクの記憶を……?」

「た、多分過去にあったコロシアイの話だと思うんだけど……ど、どうかな……?」

「ちょっと待ってくれ……」

 

 そして、手を顎に当てて考え込む明日川。この返答次第で、モノクマの記憶消去の件が解決する……と思った矢先。

 

「う……嘘だ……そんな、まさか……バカな!」

 

 と、急に明日川が声を上げ震え始めた。

 

「どうした……大丈夫か?」

「……思い出せない」

「……!」

「思い出せないんだ! 確かに読んだ、あの本の内容が!」

 

 綺麗な橙の短髪をくしゃくしゃに搔き上げて、怯えを露わにして叫ぶ。

 

「表紙は覚えてる。題名(タイトル)も覚えてる。確実に、あの悪夢(コロシアイ)の内容が記された本だったはずなんだ。なのに……なのに、なんで中身が何も思い出せないんだ!!」

「……やっぱり、モノクマに消されたのか」

「そんな、ボクが、このボクが思い出せないなんて、あり得ない、あり得ないあり得ない!」

 

 明日川は、目を見開き、ガクガクと震えている。

 

「だ、大丈夫……?」

「大丈夫な訳がないだろう! ボクが、ボクの記憶(ストーリー)を忘れてしまうなんて、そんなことあるはずがないのに!

 読んだ……ちゃんと読んだのに……」

 

 頭を抱えて体を丸め、絞り出すように声を出す明日川の瞳からは涙が零れ落ちていた。

 

「……根岸、少しそっとしておいてあげよう」

「そ、そうだね……」

 

 その後、しばらくの間、メインプラザには明日川の嗚咽の声だけが響いていた。

 

 

 

 

 数分後、震えの止まった明日川に声をかける。

 

「落ち着いたか?」

「ああ……とりあえずは、ね……」

 

 その声に、いつものように凛とした覇気といったものが感じ取ることはできなかった。

 

「……隠す気もないから言ってしまうけど、ボクは【完全記憶能力】を持っているんだ」

「完全記憶能力?」

「そ、それって……み、見ただけでなんでも覚えられるっていう、あの……?」

「そうだ。目にしたもの、耳にしたものは瞬時に自分の物語として記録し、しかも忘れることは決してない。……はずだったんだ」

「……だから、思い出せなかったことにそんな慌てていたのか」

「ああ……こんな事、今までなかったのに。忘れるという事が、こんなに不安になる事だとは思わなかったよ」

 

 ……。

 

「正直のところはまだ混乱しているけれど……いつまでもこうしているわけにもいくまい。忘れているのも一時的なショックの可能性がある以上、このことについては後回しにするよ」

「……わかった」

 

 明日川はそういうが、本気で一時的なショックだとは思っていないだろう。

 ……。

 

「それで、二人とも、他の皆は何をしているんだい?」

「さ、3組に分かれてこの【自然エリア】の調査をしているよ……」

「ふむ、調査か……」

「それで、後で食事スペースで報告会をするんだが、俺達は直接食事スペースに向かうことになっている」

「……わかった」

「も、もう歩けるか……?」

「ああ。問題ない。キミ達……いや、他の皆にもそうだが、心配をかけてしまったな。すまなかった」

「お、お前が謝る必要はないだろ……」

「悪いのは、モノクマなんだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 《【宿泊エリア】食事スペース》

 

 自然エリアから宿泊エリアに向かうゲートは、『宿泊ゲート』となっていた。俺達三人は宿泊ゲートを抜けて自然エリアの食事スペースへと向かった。

 食事スペースの中では、既に岩国が椅子の一つに腰かけており、机の上で何やらカードのようなものを弄っていた。……早々にここに来たから時間を持て余してるようだな。

 

「お前達か」

「い、岩国さん、ちょ、調査は終わった……?」

「終わったから、ここにいるんだ。少しは頭を使え、化学者」

「わ、わかってたよ……わ、わかったうえで聞いただけだろ……そ、そこまで言う事ないじゃないか……」

「分かってたならわざわざ聞くな」

「まあまあ、二人とも落ち着いて……」

 

 被害妄想が暴走しそうになる根岸をなだめていると、岩国が立ち上がってこちらへと歩いてきた。

 

「おい凡人。さっきこれを渡されたぞ」

 

 そう言いながら岩国が俺に渡してきたのは、先ほどから手で弄っていたカードだった。

 

「渡されたって誰にだ?」

「あのぬいぐるみだ。さっき渡し忘れたから、と言っていたな」

「な、なんなんだそのカード……」

「ダストルームのカードキーだ」

「ダストルーム?」

 

 それって確か……。

 

「それって、宿泊棟にあったあの部屋の事かい?」

 

 俺が思い出す前に、明日川が答えを出した。

 

「ああ。お前達がダストルームを見たかは知らないが、それはあの部屋にある焼却炉を作動させるためのカードキーだ」

「焼却炉……」

 

 確かに、明日川がそんなことを言っていた気がする。後でちゃんと行っておこう。

 

「さっき確認してきたが、そのカードキーは問題なく使えたぞ」

「もう調べてきた、という事か」

「当然。不確定な情報はすぐに確認すべきだからな。その情報の不足が敗北を招くこともある」

 

 敗北……ああ、そういえば岩国は弁論部だったっけ。ということは、ディベート大会とかの話だろうか。

 

「ということは……個室も?」

「ああ。きちんとこの指輪で開くことを確認してきた」

「ちゃ、ちゃんと動くんだな……」

「それ以上はお前達で勝手に調べろ。じゃあな」

 

 そう言って、岩国はさっきまで座っていたイスの方へと戻ろうとする。

 

「ちょ、ちょっと待て岩国。なんでこのカードキーを俺に?」

「あのぬいぐるみが言うには、そのカードキーは一枚しかないそうだ。面倒事を頼まれたくないからお前達が持っていろ。別に、お前じゃなくても誰でもいい」

「……そうか」

 

 確かに、これを持っていると誰かがゴミを燃やすのにいちいち駆り出されることになるからな。岩国はこれを持っているのは嫌だろう。

 しかし、俺もできることならそんな面倒な役回りは避けたい。とりあえずは俺が預かることになったが、誰かが持たなくてもダストルーム置いておけばいいんじゃないか?

 岩国の話を聞いてしばらくした後、他の皆も続々と食事スペースに集まってきた。

 

「明日川さん、もう大丈夫なのですか?」

 

 杉野が明日川を心配して話しかけてくる。

 

「……なんとか、立って歩けるくらいには回復したよ」

「そうですか……記憶の方は?」

「……っ!」

 

 びくりと体を震わせる明日川。

 

「それについては、あとで俺から話す。明日川はだいぶショックを受けているみたいだからな」

「分かりました」

 

 そうこうしているうちに、どうやら全員集まったみたいだ。食事スペースは、16人が集まっても十分な広さを確保できるくらい広かったことに、少しだけ驚く。

 食事スペースに揃った皆を、蒼神はまず見渡して、

 

「では、皆さん揃ったようですので、報告会とまいりましょうか。とりあえずわたくしが進行させていただきますが、よろしいですか?」

 

 そう言いながら俺達に確認をとるが、彼女は【超高校級の生徒会長】だ。こういったまとめ役をするにあたって反論のある人はいないだろう。

 

「それでは、まずはモノクマに集められる前に行った【宿泊エリア】の報告から行いましょう。では、わたくし達の調べたこの『食事スペース』ですが――」

 

 こうして報告会が始まったが、皆が宿泊エリアを調べたのは、俺が皆に自己紹介をしている時だ。ほとんどの人は一つの施設しか見ていないが、俺と火ノ宮は自己紹介の為に一通り確認しており、その報告もすでに知っているものだった。

 あ、でも、補足で付け加えなきゃいけないことがあるな。

 

「――というのが、私達が調べた『宿泊棟』についての情報だよ」

「あ、そのことなんだが、もう一つ加えて宿泊棟には追加された情報(プロフィール)があるんだ」

 

 七原が説明し終えたところを、明日川が補足する。

 

「追加されたもの? 一体何ですか、それは?」

「こっちについては、平並君にお願いするよ」

「ああ、わかった」

 

 俺はそう言いながら立ち上がり、ポケットからさっきもらったカードキーを取り出した。

 

「皆、ちょっとこれを見てくれないか」

「それは?」

「岩国が、モノクマからもらったものなんだが、宿泊棟のダストルームにある焼却炉のカードキーなんだ。動作確認は岩国がちゃんと確認してる」

「焼却炉……ですか」

「ああ。それで、このカードキーは一枚しかないんだけど、これは誰が持っておくべきだろうかとおもったんだが……」

「焼却炉の前に置いておくのはダメなの?」

「……だよな。やっぱりそうするのが一番だと俺も――」

 

 大天のその提案に賛同しようとしたその時、

 

「いえ、それはやめた方が良いでしょう」

 

 と、杉野に否定をされてしまった。

 

「どうしてだ? 誰かが持っていると、焼却炉を使いたいときはわざわざそいつに頼まないといけないだろ」

「だからこそ、ですよ」

「それって、どういう……?」

『もし焼却炉の前に置いちまったら、誰でも簡単に証拠隠滅ができちまうからな!』

「な、なるほど……も、もし犯人が返り血を浴びても、ふ、服ごと燃やせばなかったことにできるのか……」

「ええ。ですが、誰かが持っていた場合は、そういった証拠隠滅は容易にはできなくなりますから」

 

 杉野や露草……じゃない、黒峰達はそう主張するが、それはつまり……。

 

「ちょっと待ってよ! そんな、コロシアイが起こる前提みたいな考え方は……!」

 

 そうだ。今七原が主張した通り、俺達の間で殺人が起こることを仮定している話なのだ。

 

「で、でも、絶対に起こらないなんて、か、確証もないだろ……!」

「……七原さん。気持ちは分かりますが、少しでも、殺人の起こりやすい状況は避けるべきです。つまり、殺人を犯しにくい状況を作ることで事件の発生を防ぐのです」

『逆に言えば、殺しやすい状況になれば誰かが事件を起こすかもしれねえしな!』

 

 ……なるほど。確かにその方がよさそうだが……。

 

「なあ杉野。だからって、誰か一人にカードキーを持たせると、いちいちその人は呼び出されることになるんじゃないか?」

「では、誰か一人が持つことになった場合、その人は一日一回定期的に焼却炉を作動させることにしましょう。これなら、その方の負担も少なくすみますよね。焼却炉に入れたものをすぐさま燃やしたい人はそういません……それこそ、証拠の隠滅を謀る犯人以外は」

「……ああ、じゃあそうしよう」

 

 杉野の案は最大公約数的意見だ。確かにこれなら問題はないだろう。

 

「……それで? 結局、どうするのであるか?」

「理想だけを言えば、誰か一人がその一日一回焼却炉を作動させる役を引き受けるのが一番ですわね」

「でも、ソイツが人を殺したら? 証拠隠滅が簡単にできちゃうんじゃないかしら?」

「それでも、誰もがいつでも使える状況よりはよっぽどましですわ」

「……」

「……では、とりあえず当面の間は誰かにその役をお願いいたしましょうか。何日で交代するかはまた後で決めましょう」

「そ、そんな何日もこんなところに、い、いたくないけどな……」

「どうやって決めるんだァ?」

「公平に、じゃんけんで決めましょう。……岩国さん、あなたもですよ」

 

 杉野にそう言われ、岩国は長い沈黙の後、ちっと舌打ちをしながらもじゃんけんのために手を差し出した。……岩国も、決して悪いやつじゃないんだがなあ……。

 適当に何組かに分かれて負け残りのじゃんけんをした結果、カードキーを持つことになったのは、

 

「あら、負けちゃったわね」

 

 東雲だった。

 

「ま、じゃんけんだし仕方がないわね。わかった、アタシが持ってる」

「ああ、お願いするよ」

 

 東雲にカードキーを渡す。

 

「もしもこれで事件が起きたらアタシが疑われるのよね」

「……そうならないことを祈るしかないさ……あ、それと、岩国はカードキーのほかに個室のカギのことも調べたらしい。ちゃんと『システム』でカギの開け閉めができたんだよな、岩国?」

「ああ」

 

 岩国は、どうでもよさげに短く返答する。

 

「これで、宿泊棟の報告は終わりだ」

「分かりましたわ。では、次の場所を――」

 

 そして、【宿泊エリア】の報告が終わり、【自然エリア】の報告となった。こちらはほとんど把握できてないからきちんと聞く必要があるな。

 最初は火ノ宮からの報告だった。

 

「じゃあ、まずはオレからやらせてもらうぜ。『メインプラザ』のすぐ隣にあった『営火場』だが、ま、簡単に言えばキャンプファイヤーのための場所だな」

「キャンプファイヤー、か」

「あァ? 知らねェのかァ?」

「し、知ってる知ってる。続けてくれ、火ノ宮」

 

 どうして火ノ宮は相槌を打つだけでそんな睨んでくるんだ!

 

「ならいいけどよ。そうやって、大きな火をくべられるところが三つあった。まあここはそれ以上言うことはねェな」

「え、『営火場』の火も『野外炊さん場』と同じで、が、ガスが通ってるのか……?」

「あ? 通ってなかったぜ。ちゃんと燃料も用意しねェとダメだな、ありゃ」

「そ、そうか……」

 

 営火場……こんな状況でさえなければ、キャンンプファイヤーでもして楽しみたかったんだがな。にしても、根岸の疑問ももっともだが……単に、野外炊さん場の方は頻繁に使うから簡単に扱えるようにした、という事だろう。

 続いての報告は杉野からだ。

 

「では、次は僕が。【自然エリア】には宿泊ゲートともう一つのゲートがありましたが、そのもう一つのゲートは開きませんでした。ここのすぐそばにあるゲートと同じく、赤いランプが点灯していましたね」

「つまり、ボク達の生活圏(舞台)は、【宿泊エリア】と【自然エリア】の二つのドームの中だけ、という解釈で大丈夫かな?」

 

 多少回復した様子の明日川が要約する。

 

「そういう事です。そして、その二つのゲートのすぐ近くから森の中に入れる道がありました。その道はどちらも森の中の『展望台』へとつながっていましたよ」

「展望台……」

 

 【自然エリア】にある、唯一の建造物。

 

「ええ。ドームの中とは言え、見晴らしはそれなりの物でした。展望台にはベンチや掃除用具入れなどがありましたね」

 

 一応後で自分の目で確認しておいた方が良いな。

 

「【自然エリア】で報告すべき場所はもうありませんが、一つ注意事項を伝えておきます」

「ちゅ、注意事項……な、なんだよ、それ」

「【自然エリア】の森に物を捨てるのはポイ捨てになるので規則違反となる事はお分かりでしょうが、故意に『湖』に入るのも『自然を汚す』とのことで規則違反になるようです。モノクマ曰く、『事故の場合は十分な反省として見逃す』とのことでしたね」

「それはつまり……」

「モノクマも、そんなつまらないことで吾輩たちの人数を減らしたくないのであるな」

「……」

 

 その遠城の意見は、裏を返せばモノクマは是が非でも俺達にコロシアイをしてもらいたい、という事になる。

 静まりかえった食事スペースで、蒼神が口を開く。

 

「……探索の報告は以上ですわね」

「それじゃあ、明日川の記憶の件について俺から語らせてもらう。明日川は、その件についてはまだ強いショックを受けているみたいだから」

「なるほど。では、平並さん、お願いいたしますわ」

「ああ。……記憶だが、モノクマの言った通り、消去されていた」

「本当に記憶が……」

 

 七原の、消え入りそうな声。

 

「明日川が言うには、過去のコロシアイ……あの時言ってたやつだな、それの内容が書かれた本の内容が全く思い出せないらしい。本の表紙も、タイトルも覚えているのに、だ」

「それ以外は? 他に消えた記憶はねェのか?」

「……とりあえず、今はまだ混乱中なんだ。明日の朝にははっきりすると思うから、しばし待っていてくれ」

「……わかった」

「少なくとも電撃を食らった直前までの記憶もはっきりしていたから、モノクマはかなりピンポイントで記憶を消せると考えておいた方が良い」

「ど、どういう技術なんだろうな、あ、あの電撃は……」

「……さあな」

 

 モノクマの技術力……『システム』をこれだけ用意して資金力やコネと合わせて考えれば、俺達を誘拐した犯人は、もしかするととても大きな組織なのかもしれない。だとすれば……ますますもってその目的が謎だらけだ。

 

「それでは、ひとまず報告も終わりましたようですので、これからの事について話し合いましょうか」

「こ、これからの事……?」

「ええ、そうですわ。とりあえず、探索の結果、出口の類は見つかりませんでした。現状ここから脱出できそうにない以上、ここで生活していくしかありません。食料や宿舎に関しては問題なさそうですから。

 いつになったら助けがくるのか……それは分かりませんが、わたくし達は待ち続けるしかありません。明日かもしれませんし、一週間後、下手をすれば一か月単位という事も考えられるでしょう」

「そんなに待ってられるか!」

 

 蒼神の冷静な物言いに、新家が大声を上げて反論する。

 

「では、あなたは誰かを殺すつもりですか?」

「そんなこと! ……するわけないだろ……」

「……ええ、そうですわね。殺人を犯すことだけはしてはいけません。そうなっては取り返しがつきませんし、犯人の思う壺ですわ。幸いにも、モノクマはわたくし達にコロシアイをさせようとしている……つまり、モノクマからは手を出してくることは無いのです」

「……わかったよ」

 

 蒼神の言う通りだ。

 モノクマの目的を考えれば、俺達はモノクマに殺されるという事は無いだろう。少なくとも、規則を破らない限りは。

 俺達は、待つべきなのだ。外から助けが来るのを、ひたすらに。それが、今俺達ができる唯一の対抗策なのだから。

 

「そこで、わたくし達が共同生活する上で、ルールを決めようかと思いますわ」

「るーる、ですか?」

 

 城咲が聞き返す。

 

「ええ、といっても『規則』のように強制することはありませんし、破ったところで当然罰もありませんが。

 まず一つ目ですが、朝、皆さん全員揃って朝食をとりましょう」

「ちょ、朝食を……み、皆で……?」

「ええ。さしずめ朝食会といったところでしょうか。別に、同じものを食べろなどとは言いませんわ。全員で、集まることが大切なのです」

「……なぜそんなことをしなくてはいけないんだ」

 

 朝食会の提案に反発したのは、案の定岩国だった。

 

「理由としては、交流して絆を深めるためや、監禁生活の中でメリハリをつけるためなどが挙げられますが……あなたを説得するのに一番の理由は、『生存確認のため』でしょうね」

「……」

 

 岩国は無言で蒼神を見つめている。

 

「悲しいですが、おそらくわたくし達はこの生活の中で、常にいるかもわからない殺人犯の影におびえ続けることになると思います。全員が揃って朝を迎えられる、というのは大きな影響がありますわ」

『それと、単純に事件が起こらなかったことの安堵も得られるってのもデカイな』

「ええ。それに……万が一事件が起こってしまったとき、それに気づかず死んでしまった方を何日も放置するのは嫌ですわよね?」

「……そりゃあな」

 

 もし、もしの話だが、もしもそんなことになってしまったとしたら、すぐにでも弔ってやりたいと思う。……まあ、そうならないのが一番だが。

 そして。

 

「もう一つ、生存確認が必要な理由……それは、速やかに学級裁判を行うためですわ。岩国さん、納得していただけましたか?」

「……ああ」

「というわけで、岩国さんにも参加願います、ただそこで朝食を食べるだけでもよろしいので」

「……ちっ」

「ありがとうございます。では……そうですわね、【夜時間】が終わるのが7時ですから、朝食会は8時開始という事でよろしいですか? この食事スペースに8時に揃っていれば構いませんので」

 

 その提案に、反対意見は出なかった。

 

「では、ついでにもう一つ。こちらはルールというよりも心がけなのですが、昼の間はできるだけ個室に近らず外にいるようにいたしましょう」

「なぜだ蒼柳? 俺は【超高校級の帰宅部】……いや、【超高校級の自室愛好家】だ。自分のスペースにいることこそが至上なんだぞ!」

 

 妙なテンションで立ち上がり叫びだしたのは古池だ。

 

「もちろん、どうしても個室から出たくない、というのであれば構いませんわ。ただ、いつまでも狭い空間でいると息が詰まりストレスもかかってしまいます。幸いにもこの施設はドームの中とは言え自然があふれています。せっかくなら、外に出てみるのもいいでしょう」

「確かに、その方がストレスはかかりにくいかもしれねェな」

「なるほどな! それなら構わないぜ!」

 

 そう言って、古池は椅子にドカッと腰かける。なんだこいつ……。

 

「……古池さん。あなた、この意見に反対してたのは嘘ですわね?」

「ん? ああ、そりゃそうだろ。個室にこもってても健康に悪いし」

「……古池さんも嘘をつけるくらいには元気になったという事で水に流しておきますわ……」

 

 あきれるように頭を押さえる蒼神だったが、すぐに表情を戻した。

 

「とにかく、わたくしは、はっきり言ってこの生活は長期間にわたる可能性が高いと考えています。できるだけ気を張らずに過ごしていきましょう」

 

 そう話を切り上げる蒼神だが……こんな状況下で気を張らずに過ごせというのも、難しい話だ……。

 

「では、これにて報告会を終わりにいたしましょう。皆さん、決して忘れないでください。わたくし達は、仲間ですわ」

 

 こうして報告会が終わり、皆席を立ったり、近くの人と話したりしている。壁……というより食事スペースを取り囲む柵にかかっている時計を見ると、時刻はちょうど6時を回ったところだ。ドームの天井に広がっていた青空は、いつの間にか夕暮れの空へと変わっていた。ドームの映像は、時間によって変化する仕組みらしい。

 近くにいた明日川に話しかける。

 

「明日川、もう大丈夫か?」

「ああ、なんとか落ち着いたよ。キミも、根岸君も、すまなかったね」

「ぼ、ぼくはべつに……」

「いいさ、俺だって迷惑かけた……助け合いだろ、仲間なんだから」

「……そうだね」

「俺は、この後もう宿泊棟に戻るけど、お前達はどうする? ……食欲は無いが腹は減ったから、適当に冷蔵庫から果物を取っていくが」

「ボクも……そうさせてもらおうかな。今日はもう疲れてしまったよ」

「ぼ、ぼくも……」

 

 そんなわけで、俺達は冷蔵庫から各々好きな果物を取って、食事スペースを後にした。




日常から(非)日常へ。
とはいっても、まだまだ準備段階ですね。


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(非)日常編② そして静かに夜は更ける

 《宿泊棟》

 

「あ、そうだ。ダストルームを確認しておこう」

「だ、ダストルーム……しょ、焼却炉があるんだっけ……」

 

 宿泊棟へとやってきた俺達は、左手にはめた『システム』を起動して内蔵されている地図のデータを眺めていた。自分の個室の場所を把握するためだったが、それよりもダストルームが目についたのだ。

 

「ボクは一度確認しているから、先に個室に戻らせてもらうよ」

「ああ。大丈夫だろうけど、今日は安静にな」

「ご忠告感謝するよ」

「じゃ、じゃあね……」

 

 といった具合に、明日川と個室の前で別れ、俺と根岸はそのままダストルームへと向かった。ちょっと部屋の中と焼却炉を確認しておこうとだけ思っていたのだが、ダストルームにはすでに先客がいた。東雲だった。

 

「あ、平並と根岸」

「東雲か。カードキー、押し付けちゃって悪かったな」

「あら、じゃあ、代わりにやってくれる?」

「あ、いや、それは……」

「冗談よ。じゃんけんの結果だし、よく考えたらたまに燃やしに来るだけでいいから。それに、誰かがやらなきゃいけないことだしねー」

 

 そう言いながら東雲は軽く笑う。快諾してくれてよかった。

 

「ね、ねえ……そ、その焼却炉だけど、け、結構大きいんだね……」

 

 根岸の言葉を受けて、改めてダストルームの中を見渡す。

 電灯はついているが廊下に比べると多少薄暗い。部屋のサイズはそれなりに大きいが、その半分近くが焼却炉で埋まってしまっている。空いたもう半分のスペースには何も置いてないが、こんなところに物を置きたがる人もいないだろう。

 また、焼却炉の入れ口もなかなかのサイズがある。大きめの段ボールくらいなら難なく入ってしまうだろう。その中を覗き込めば、内部にはススが付き燃えカスがたまっており、新品ではなくそれなりに使われていたことが分かる。倉庫と同じだ。

 

「ちょっと作動させてみる?」

「ああ、東雲頼む」

 

 俺が焼却炉のふたを閉め焼却炉から少し離れると、東雲は傍の壁についていたカードリーダーにカードキーをかざした。すると、ピッという電子音の直後、一瞬で焼却炉の中は炎でいっぱいになったのがふたのガラス越しに見えた。

 

「……火力もすごいな」

「そ、そうだね……」

「これなら、簡単に証拠品が隠滅できちゃうわね」

「カードキーの管理は任せたぞ」

「ええ」

 

 もし仮に事件が起こったときを考えると、この焼却炉を自由に使えないようにしておくのはかなりいい判断だった。それだけ、この焼却炉の隠滅能力は高い。

 

「……なあ、東雲」

「何?」

「この生活、どう思う?」

「どう思うって言われても……正直、かなり厳しいわね。もちろん、モノクマに口先だけであんなことを言われたからって、殺人を犯す人がいるとは考えにくいわ」

「そ、それは、そ、そうだね……」

「ただ、それも時間の問題だと思うのよね。蒼神も言ってたけど、今のところアタシ達は助けが来るのをひたすら待つしかないのよ。一日や二日なら何とかなると思うけど、本当の戦いはそれ以降……極限状態に陥ってこそ人間の真価は問われるのよ」

「……そうか」

 

 この生活が何日続くのかは、誰にもわからない。しかし、それでも俺達は耐え抜かなければならないのだ。

 

「な、なあ……な、なんでそんなこと知ってるんだ?」

「え?」

「だ、だって……ふ、普通に生きてたらそんな事考えないだろ……? ま、マンガとか……?」

「ああ、違う違う。ほら、アタシって【超高校級のダイバー】でしょ? 海の中って、孤独で……死と隣り合わせなのよ」

 

 なるほど、確かに東雲の言う通り、海にはそういう側面がある。海を愛する彼女だからこそ、海の危険性を誰よりもわかるのだろう。

 

「アタシが直接見たことはないんだけど、海の中でパニックになっちゃって死んじゃうってこともあるらしいし、努めて冷静でいることはいつも意識しているわ」

「慌てても、どうにもならないってことか」

「ええ、そういう事ね。……ああ、それにしても、泳ぎたいわ」

「きゅ、急にどうしたんだ……」

「アタシ、【超高校級のダイバー】なんて肩書をもらう前から、暇さえあれば泳いでたのよ。だから、泳げない生活がこんなに辛いだとは思いもしなかったわ。なんであの湖は遊泳禁止なのかしら」

「さあな」

 

 東雲は、どうも俺達と認識がずれている節がある。彼女にとって、コロシアイを強要されることよりも泳ぐことを禁止されていることの方がよっぽど堪えるらしい。

 

「……どうにかモノクマと交渉して、あの湖で泳げるようにならないかしら」

「無理はするなよ」

「分かってるわよ。死んじゃったらそこでおしまいだもの」

 

 ただ、東雲は、ここにいる誰よりも、人が死ぬという事を理解していると、俺は思う。

 死……か。

 

 

 

 

 

 

 

 《個室前(ヒラナミ)》

 

 あの後、東雲達とともにダストルームを後にすると、今日はもう寝ようという事で解散してそれぞれの個室へと向かった。ドアにドットイラスト付きのネームプレートがかかっているからわかりやすいが、俺の個室は階段に近い廊下の真ん中あたりにあった。個室の名前を見る限り、男女で左右に分かれているようだ。

 

「ここか」

 

 とりあえず何もせずにドアノブに手をかけて開けようとするが、ガチャガチャと音を立てるだけで開きそうにない。さっき明日川達が調べていた通り、きちんとカギがかかっているようだ。

 よく見ると、ドアノブの上に小さな丸い鉄の板がついている。

 

「……これか?」

 

 左手に着けておいた『システム』をその板にかざすと、ガチャリと音がした。ドアノブをひねれば、すっとドアが開いた。中に入って後ろ手にドアを閉めるが、内鍵はなくまた同じような板があるだけ。そこにまた『システム』をかざすと、再びガチャリと音を立ててカギがかかった。

 

「内側からカギを閉めるのにも『システム』がいるのか……」

 

 ますますもって、ここでの生活において『システム』は欠かせないものになっているという事が分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 個室の中は、思っていたより広かった。窓ははめ殺しで開かないようにこそなっているが、ちゃんとカーテンもついているし、かなり分厚いものであることが分かる。窓際のベッドはシングルには十分な大きさだし、トイレやシャワールームも併設されていた。

 ただ、それらよりも壁際の棚にある物の方が俺の目を引いた。

 

「これ……俺がよく読んでたマンガじゃないか」

 

 そこにあったのは、俺が普段の生活でよく使っていたものだ。マンガや目覚まし、小説に雑誌、その他もろもろのおもちゃなど……。多少汚れてはいるが、明らかに俺の私物だ。なじみの品があるのはありがたいが、はっきり言っておかしい。これらの品々は俺の部屋にあるはずで、引っ越しの手続きなんてのも頼んだ覚えがない。仮に頼んだとしても今日一日で運び入れたと言うのか?

 

「というか、これがここにあるという事は……」

 

 モノクマは、俺の家に来た、のか?

 ……考えるのを放棄した俺は、ひとまず机の方に目を向けることにした。机の上には、一枚の紙が置いてあった。おそらくモノクマが用意したものだろうが、汚い字で、しかも言葉遣いが無駄に丁寧に書かれているのがますます腹立たしい。

 

 

 

=============================

 

【施設長からのお知らせ】

 

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。このコロシアイ強化合宿で初めての夜を迎える皆様は大きな不安にさいなまれていることかと申し上げございます。そこで、ささやかながらわたくしからプレゼントをご用意させていただきました。この机の二段目の引き出しの中をご覧になってくださいませ。

 

=============================

 

 

 

 と、そこまで読んで顔を上げる。敬語が明らかに間違っていることはさて置き、指示の通りに引き出しを開けてみる。その中に入っていたのは、直方体のプラスチックケース。ビニールで封はされているが、その中身は見ることができた。

 

「ナイフ、スパナ……そして、拳銃」

 

 なんだ、これは。

 再び紙に目を落とす。

 

 

 

=============================

 

 そちらは、凶器セットになっておりございます。日常生活のすべての物が使いようによっては凶器になりますとはいえ、まだまだ未熟な皆様ではなかなかそれも難しい話でございますです。そこで、わたくしは誰でも簡単に殺人ができるものを準備いたしました。

 いつ襲ってくるかもわからない殺人者への反撃に用いるも良し。周りの皆さまが動きを見せる前に先に行動するために用いるも良し。先手必勝、一撃必殺、八面六臂でございます。刺殺撲殺銃殺……使い方は皆様次第でございますので、存分に活用なさってくださいませ申し上げます。

 

=============================

 

 

 

「誰が活用なんかするか」

 

 内容だけでもろくでもないのに、めちゃくちゃな文章のせいで頭が痛くなってくる。封もあけずに凶器セットをゴミ箱に放り投げようとして……俺の手は止まった。

 万一……万一、これがあると役に立つかもしれない。そう思ってしまった俺は、引き出しの中に入れて引き出しを乱暴に閉める。……大丈夫だ。別に、捨てなくても使わなければ何の問題もない。

 

 

 

=============================

 

 また、夜時間の間は、宿泊棟は完全に断水となります。お手洗いやシャワーなどは夜時間になる前に済ましておくことをお勧めいたしますです。

 それでは、よきコロシアイ強化合宿ライフをお楽しみくださいませでございます。

 

=============================

 

 

 

 文章はここで終わっていた。

 

「断水、ねえ……」

 

 どうして断水なんてするのだろうか。モノクマは、俺達に生活面において不自由はさせないと言っていた。断水はこのことに反すると思うのだが……『システム』を用意したことや新鮮な食料があれほど用意されているところから見ても、資金面は全く問題ないはずだ。じゃあ、どうして?

 

「考えても仕方ないな……」

 

 きっと、何か思惑や意図があるんだろう。脱出のための、黒幕を出し抜くためのヒントにはなりそうだが、今はどうにも判断ができない。

 紙を丸めてゴミ箱に捨てようかと思ったその時、

 

「ん?」

 

 裏面にも何やら文章が書いてあることに気が付いた。

 

 

 

=============================

 

 また、個室は完全防音となっており、外の音は中に聞こえず、中の音は外に聞こえずとなっていらっしゃいます。殺るなら個室がオススメポイントであられますよ。

 

=============================

 

 

 

「余計なお世話だ」

 

 紙をくしゃくしゃに丸めて、ごみ箱めがけて投げた。

 が、入らなかった。

 

「幸先悪いな……」

 

 わざわざ捨て直す気にもなれず、紙を放置してベッドに腰かける。さっき冷蔵庫からとってきたバナナを食べながら、今日のこととこれからのことを考える。

 俺達16人は、全員、希望ヶ空学園に20期生として入学する予定だった。しかし、身体測定の為に希望ヶ空に行ったところで、誘拐されてしまった。そして、犯人はこの複合ドーム施設……【少年少女ゼツボウの家】に俺達を閉じ込めた。犯人は、絶望の象徴であるモノクマを操り、、直接手を下そうとはしないが、ココから出るためには誰かを殺し、そして全員を騙し抜く必要があると言っていた。つまり、殺し合いをさせたがっているのだ。

 明日川が言うには、犯人は過去の事件を模倣しているらしい。……過去にあったコロシアイ生活のことについて何かが分かれば、犯人の思惑もわかるのだろうか。

 

 そして、これからのことだ。俺達は、初対面同士でそこに信頼も何もないが、犯人に対抗するためには一致団結しなくてはならない。仮にそれができなくても、少なくとも、絶対に犯人の思惑に乗って殺人なんて犯してはいけない。どんな理由があっても、それは、人を殺していい理由には決してなりえないのだから。

 そう、それだけは、ダメなんだ……。

 

 食べ終わったバナナをゴミ箱へ放り投げる。今度はうまく入ってくれたので、ベッドに仰向けになる。当然、見知らぬ天井が視界に入る。

 急にこんなことになって、世間はどうなっているだろうか。希望ヶ空学園に入学するはずだった16人が突如として誘拐されたのだ。希望ヶ空学園がこの事態を把握しているとは限らないが、少なくとも家族は家に帰ってこない俺達を心配して警察に届けるだろうから

ニュースにはなる……はず……。

 そこまで考えて、ようやく俺はある事実に気づいた。

 

「あ、あれ……?」

 

 

 

 思い出せない。

 家族の顔が、思い出せないのだ。

 

 

 

「な、なんでだ……」

 

 必死に記憶をたどる。

 小学生の時、家族でキャンプに行った。テントを組み立ててネタが、弟の平次(ヘイジ)は虫が大嫌いで、入ってきた蛾を見てずっと泣きわめいていた。

 中学生になったら、家族で山登りに行った。山頂で父さんが作ってくれたインスタントラーメンは、格別の味がした。

 高校時代は、家族でテーマパークへ行った。絶叫系が好きな母さんに連れられて、ジェットコースターをハシゴした。

 希望ヶ空への入学を決めた日は、家族で豪華なレストランに行った。食べたこともないような料理が次々と出てきて、家族みんなでその雰囲気にのまれてしまったけど、皆笑いあっていた。

 

 思い出は確かにある。俺は完璧な記憶力を保持しているわけではないが、それでも家族構成や誰が何をしたかというのは俺の心の中に残されている。

 それなのに。

 

「なんで、顔が思い出せないんだ!」

 

 俺の思い出の中に映っている顔には、どれもこれもぼんやりともやがかかっていて、はっきりと思い出すことができない。

 その原因を追究しようとして、すぐにある事に思い至った。明日川の記憶消去だ。

 完全記憶能力を持った明日川ですら、あの一瞬でピンポイントに本の内容だけを記憶から消し去ることができたのだ。俺の記憶の中から家族の顔を奪い去ることだって、できないなんてことは言いきれない。

 

「どうして……こんなことをするんだよ……」

 

 気が付けば、俺は涙を流していた。いつだって俺の記憶にあったものが、わすれるはずのないものがなくなってしまったという事実を俺は受け止めきれないでいた。明日川の気持ちを、こんな形で体感することになるなんて、思いもしなかった。

 

「……くそっ!」

 

 恐怖を覆い隠すように掛け布団をかぶり、小さく丸まりガタガタと震える。それを抑えるために安心しようと家族の顔を思い出そうとする……が、その度にまた思い出せない恐怖に涙を流す。

 小さな暗闇の中で、俺はひどい悪循環に陥っていた。

 

 

 

 

 どのくらい時間が経っただろうか。

 泣きわめいて、少しだけ落ち着いてきた。少しだけ眠ってしまったかもしれない。喉が渇いた俺は、のそのそとベッドから出て個室を後にした。確か、ロビーにドリンクボックスがあったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 《ロビー》

 

 ロビーに出ると、目的のドリンクボックスの前に二人の人影があった。火ノ宮と新家だ。

 

「よう」

「あァ、平並か。どうしたんだァ?」

「喉が渇いたからな。飲み物を取りに来たんだが……これか?」

「そうみたいだよ」

 

 ドリンクボックス。

 身長ほどの高さがある直方体の箱の中に、飲み物がずらりと並んでいる。コンビニのドリンク売り場のように透明のガラス戸がついている。

 中にある飲み物は様々な種類のお茶やジュース、スポーツドリンクやミネラルウォーターなどであった。

 

「ほら、ここに説明がついてるぞ」

「説明?」

 

 新家が指さしたのは、ドリンクボックスの向こう側の側面。そちら側に回ってみると、確かに何か紙が貼ってあった。

 

「ご利用はご自由に、だってよ。モノクマのヤツが夜時間のうちに補充するみてェだぜ」

「ふうん……」

「モノクマは、ここで生活する上で不自由はさせない、って言ってたよな。多分、そのうちの一つだと思うんだ」

 

 新家がそんな考察を述べる。まあ、確かにそれは間違いないだろう。

 

「ということはさ、欲しいものをモノクマに言えば用意してくれるのかな?」

「欲しいもの……例えばなんだ?」

「ほら、ボクって【宮大工】だろ? だから、気を紛らわせようと大工仕事でもしようかと思ったんだよ。でも、(かんな)とかのこぎりとかは部屋にあったけど、肝心の材料がなかったんだ」

「へえ」

「だから、なにもできないなって諦めてたんだけど……よく考えたら、頼めば用意してくれそうだなって思ったんだ」

「それは……そうかもしれないな」

 

 俺がそう相槌を返した瞬間、

 

「なに? 新家クンは木材が欲しいの?」

 

 と、例の悪趣味な声が聞こえてきた。モノクマだ。

 

「うわっ! ……びっくりした」

「おどかすんじゃねェよ!」

「何驚いてるのさ! ボクは施設長だぞ! この施設のことなら何でもわかるし、どこにだって現れるよ!」

 

 そう言ってモノクマは胸を張る。

 

「で、新家クンの要望だけどさ、そういう事なら材料は後で個室に用意してあげるよ。道具ってなると倉庫から調達してもらうことになるけど、新家クンならもともと自分で持ってるしね!」

「……そう」

「あれあれ? そっけないね、新家クン。せっかくオマエの要望に応えてやったって言うのにさ!」

「応えてやったって、そもそもお前がこんなところに監禁したんだろ」

「何を言うのさ! ボクはオマエラのためを思ってやってやったんだぞ!」

 

 俺がモノクマに文句を言うと、モノクマはすぐさま言い返してくる。この分だと、何を言っても無駄なようだ。

 

「まあいいよ、オマエラも欲しいものがあったらボクに言いなよ! この【少年少女ゼツボウの家】にいる限り、オマエラの自由は保障するし、殺人の相談だって承ってるんだから!」

 

 少なくとも、殺人の相談なんかしてやらない。する必要がない。

 

「あ、でも、凶器は自分で調達してね! カタナをもって来いなんて言われてもそれは自分でしろって話!」

「……なんでだ? たとえ凶器だって『俺達の欲しいもの』には違いないだろ?」

「ん? 平並クンは凶器が欲しいの?」

「そんなわけないだろ!」

「……学級裁判の公平を期すためだろォ?」

 

 声を荒げる俺の傍で、ポツリと火ノ宮がそんなことをつぶやく。

 

「カタナにしろナイフにしろハンマーにしろ、モノクマが勝手に用意してたんじゃ推理が成り立たなくなっちまうだろォが」

「ま、そういうことだね。殺しをやるなら、こっそり正々堂々とやらなきゃね!」

「……人を殺すのに正々堂々も何も、あるもんか」

「それじゃ、いいコロシアイライフを! アディオス!」

 

 新家のつぶやきも何のその、そんなことを言い残したモノクマは去っていった。あのフレーズ、気に入ってるのか?

 ……凶器の話はともかくとして、今の一連の話からすると、最低限の生活は愚か趣味の面においてまでモノクマは俺達をサポートするようだ。その目的は計り知れないが……考えても、分かりっこない。

 ドリンクボックスのガラス戸を開けて、適当にジュースを取り出す。キャップを開けて一口飲んでから、二人に聞かなければならないことを思い出した。

 

「なあ、二人とも」

「あァ?」

「どうしたんだ?」

「一つ聞いておきたいんだが、お前達、自分の家族の顔は思い出せるか?」

 

 すると、二人ともすっと目線を下にずらした。その反応を見れば、答えは一択だ。二人が口を開く。

 

「……さっきてめーが来る前に、一度その話になった」

「火ノ宮もボクも、家族や親戚の顔を忘れていた……ボクに至っては、親友の顔も忘れているんだ」

 

 しかし、俺の耳に届いたのは俺の予想していたよりも少し上の回答だった。

 

「親友の顔、だって?」

「ああ。ボクの家の近くに住んでいたハルカって名前の奴なんだけど……ああ、もちろん男だよ。それで、小さいころから一緒になって遊んでたんだ。ボクと一緒によく工作をしたこともあるんだ。今はあいつも宮大工として頑張ってるって聞いているよ。……それなのに」

「思い出せない……のか」

 

 俺の言葉に、新家は無言でうなずいた。

 

「忘れるわけないんだ。家族と同じくらい、いや、それ以上に一緒に過ごした親友なのに!」

「……平並、お前も似たような感じなんじゃねェのか?」

「ああ。俺は家族だけだったが……そうだ。忘れるわけがない」

「だろォな。なら、なぜ忘れてるかだが……」

 

 そんなもの、一つしかない。

 

「モノクマが、奪ったんだろ」

「それしかねェな」

 

 さっき俺が個室で考察した通りだ。モノクマは、それをできるだけの技術を持っている。動機は……俺達の不安を煽る事だろうか。親しい人の顔を奪い、外への渇望を増幅させ俺達が殺人を起こすのを狙っているのかもしれない。もしそうなら、その企みは十分成功しつつあるといっていいかもしれない。

 

「この分だと、ボク達以外のヤツらも皆同じように記憶を消されてるんじゃないか?」

「そうだろうな、新家。俺達三人だけなんて、その方が違和感がある」

「だったら、それについては明日の朝食会できいてみるかァ。どうせ皆今夜中に記憶が消されてることに気づくだろうしなァ」

「ああ、それがいいな」

 

 モノクマに記憶を消されたという事実は依然として残っているが、それでもこれが自分だけの身に起こったことではないという事に、安堵を覚えた。恐怖は共有し、分け合うことができる。

 

「とにかく、もう今日は寝ようよ。あと数十分もすれば夜時間になるしさ」

「……そうだな」

「だな」

 

 新家のそんな提案に俺達は同意し、解散となった。もともと二人も偶然会って話し込み始めたようだったし。

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 個室へと戻った俺は、汗を流すためにすぐにシャワールームへと向かった。夜時間になってしまうと断水になってしまうからだ。

 いろいろな思いを洗い流すようにシャワーを浴びて出てくると、

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 と、例の奇天烈な音が鳴り響いた。

 ビクリと反応して、怯えながら放送を待っていると、壁にかかったモニターにモノクマが映った。

 

 

『間もなく、午後10時、夜時間になります!夜時間は一部立ち入り禁止区域となります!健やかな成長のため、どうか安らかにお眠りください!』

 

 ブツッ!

 

 

 あのひたすらに不愉快な声が流れ、そしてすぐに終わった。

 壁の時計を見れば、なるほど確かに、9時55分だった。

 

「誰のせいでこうなったと思ってるんだ……」

 

 とにかく、今日はもう寝るか。これから夜時間になり宿泊棟の水も止まる。誰も凶行に走ろうなんて考えているとは思わないが、もし仮にそんな人がいるとしても、このカギのかかった個室にいる限り俺の安全は保障されている。

 

 またベッドの中へと入る。

 

 

 

 

 

 

 俺は、ずっと、平凡な人生が大嫌いだった。周りの皆のように、輝けるような才能が欲しいと、劇的な日々が欲しいと、いつだって思い続けてきた。

 しかし、こんな絶望的な状況下になって初めて、俺は気づいた。月並みな日々というものが、どれだけ素晴らしいものだったのかを。

 

 もしも、神様がいるのなら、どうか、俺の平凡な日常を返してください。縋るようにそう願いながら、俺は眠りについた。

 

 

 

 




これでようやく一日目終了です。
当面の間は皆のことを知る時間になります。


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(非)日常編③ 囚われた才能たち

 【2日目】

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 目を覚ました俺の視界に映ったのは、見慣れない天井だった。ゆっくりと頭が覚醒するにつれて、少しずつ昨日のことが思い出されていく。ここは……?

 昨日……たしか、希望ヶ空学園を訪れた俺は、同じような境遇の火ノ宮たちとともに、この施設に閉じ込められたんだ。そこで、絶望に象徴であるモノクマが現れて……ここから出たければ、誰かを殺すように言われたんだ。

 

 もしかしたら、心のどこかでこれがたちの悪い夢なんじゃないかと思っていた。ひと眠りして目を覚ませば、いつも通りの平凡な日常が始まると願っていた。あの、ひどく退屈で、けれども大切な日常が。

 けれど、この悪夢は嘘偽りのない現実だった。

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 ベッドの上で現実を認識しつつある俺の耳に、またしてもあの奇天烈な音が流れてきた。すぐさまモニターにモノクマが映る。

 

 

『オマエラ、おはようございます! 施設長のモノクマが朝7時をお知らせします! 今日も張り切って、一人前目指して頑張りましょう!』

 

 ブツッ!

 

 

「……昨日の夜にもあった時報か」

 

 少なくとも、夜10時と朝7時に流れるらしい。他に流れるとしたら昼の12時くらいなわけだが、まあどうでもいいか。

 それにしても、相変わらずモノクマは悪趣味なヤツだ。モノクマの言う『一人前』とは、すなわち誰かを殺した人間、それも、学級裁判を勝ち抜いた人間のことだ。……そんな成長だったら、する必要なんかない。

 

「朝食会は8時からだったよな……時間はまだあるな」

 

 とはいえ、することも特にない。誰が持ち込んだかもわからないマンガを読む気にもなれなかった俺は、適当に寝癖を直して個室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟廊下》

 

 廊下に出ると、ロビーの方に歩いていく根岸の姿が見えた。

 

「おはよう、根岸」

「ひ、ひぃ……! な、なんだ、ひ、平並か……お、脅かすなよ……」

 

 ただ単に後ろから声をかけただけだったが、根岸は大きく体を震わせてそう声を返した。

 

「別に脅かしたつもりはないんだが……」

「ま、まあいいや……お、おはよう……」

「いちいちそんなビビるなよ、根岸」

「し、仕方ないだろ……こ、こういう性格なんだから……」

 

 前から思っていたが、根岸はかなり臆病な性格のようだ。誰かが大声を出すたびに驚いているような気もする。

 

「じ、自分でもそんな性分だとは思ってるけどさ、い、今更、直しようもないし……」

 

 まあ、確かに性格なんて直そうと思って直せるものでもない。

 

「でも、化学者って薬品とか扱うんだろ? 危険じゃないのか?」

「そ、そりゃ危険な薬品もあるよ……へ、下手に調合すれば爆発もするし、ゆ、有毒ですぐに気化するものが出来上がることもあるし」

 

 爆発!? 毒!?

 

「危ないじゃないか!」

「で、でも、気を付けて扱えば問題ないし……そ、それに、た、たとえリスクを負ってでも、し、知りたかったから……」

「知りたかった?」

「う、うん……ど、どういう調合で何ができるのかとか、げ、原子の仕組みはどんなものなのかとか……ぼ、ぼくは好奇心を抑えられないんだよ……」

「好奇心……ああ」

 

 そう言えば、昨日根岸が明日川のもとに残ったとき、そんなことを言っていた気がする。

 

 

 

――《「べ、別にいいけどさ……そ、それに、それだけが理由じゃないし……」》

――《「と言うと?」》

――《「お、おまえと一緒で、ぼ、ぼくも気になって仕方がないんだ……も、モノクマがやった記憶消去が……」》

 

 

 

 あの状況下では、記憶消去については誰しもが気になることではあったろうが、根岸の場合は特に、ということだろう。

 

「だ、だからぼくはやりたい研究をしてるだけなんだ……た、たまたま【超高校級の化学者】なんて才能があったんだよ」

「"たまたま才能があった"、か……」

 

 やりたいことがあって、しかもその才能があった……それがどれほど幸せで恵まれたことなのかは、【超高校級の凡人】たる俺には痛いほどよくわかる。

 

「あ、え、えと……ご、ごめん……」

「いや、大丈夫だ。別に気にしてないから」

 

 建前のようだが、これは本心から言っている。この期に及んで、俺が才能のないことを気にすることなんか、あるはずがない。……そんなの、今更過ぎる。

 それに、この施設に閉じ込められて、わずかな時間ながら皆と話して、わかったこともある。皆、ホンモノの【超高校級】だ。俺みたいな凡人とは比べ物にならないほどの才能に溢れている。俺がちょっと足掻いたところで、敵いやしない。

 変になってしまった空気に耐え切れず、無理やり話題を変える。

 

「にしても、根岸は朝は早いんだな」

「べ、別に……よ、よく眠れなかっただけだ……そ、それに、おまえだって人の事言えないだろ……」

「まあ、それはそうだけどさ」

 

 ……明らかに話題の転換に失敗してしまった。

 

「だ、大体、早く起きたからって何もすることないし……な、何かする気分でもないだろ……」

「……全く同じだ」

「そ、そんなもんだろ……」

 

 根岸に言われてよく考えてみれば、そういう発想に至るのは当然だし、いうなれば普通の発想だ。俺が思いつくくらいだからな。

 あまり時間が経たないうちに他の皆も出てくるだろう。そうは言っても、女子は色々と準備があるかもしれないから、やはり8時くらいになるまでは全員が揃うことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース/野外炊さん場》

 

 雑談を交わしながら俺達は食事スペースにやってきた。それなりに早い到着だと思ったがすでに先客が一人、調理場にいた。城咲だ。

 

「おはよう、城咲」

「お、おはよう……」

「おはようございます、お二方」

 

 調理場の方へ向かうと、城咲は返事を返してくれた。

 

「何やってんだ? まだ夜時間が終わってほとんど時間は経ってないのに」

「朝食の準備をさせていただいております」

 

 見れば、調理場には食材がいろいろと並んでいる。

 

「毎朝、朝食会を行うという事で、朝食は皆さんいっせいに取ることになります。夜時間が終わってからたった1時間しかありませんから、皆さん全員が朝食をよういするのは大変でしょうから、わたしが皆さんの朝食をおつくりすることにしたのです」

 

 なるほど……【超高校級のメイド】が作る朝食だ。そのおいしさは保障されているだろう。すくなくとも、俺が作るよりもずっと豪華でおいしいもの……しかも健康的な朝食ができるはずだ。

 ただ……。

 

「確かに全員が個別に調理するのは大変だろうが、だからって城咲一人でやるのも大変だろ。手伝おうか? それに、毎朝班を決めてローテーションで担当するのもいいんじゃないか?」

「いえ、ご主人様のお屋敷にいるさいに毎朝調理しておりましたし、わたしは仮にも【超高校級のめいど】ですよ? たった16人の朝食をつくることなんて、それこそ朝飯前です」

 

 そう言って、城咲は胸を張って見せた。

 たった16人とさらりと言うが……まあ、超高校級であるならこれくらいはできて当然かもしれないな……。

 

「そこまで言うなら、お言葉に甘えて――」

「ちょ、ちょっと待てよ……」

 

 城咲に朝食づくりを任せようとしたところ、根岸から横やりを入れられた。

 

「な、なんでそんな簡単に食事を任せられるんだよ……!」

「なんでって……どういう意味だよ」

「ど、どういう意味って……こ、こんな状況だぞ……し、城咲が毒を入れるかもしれないじゃないか……!」

「そんな、毒だなんて入れるはずがありません!」

「く、口では何とでも言える……! しょ、食事に毒を盛るのは、さ、殺人の常套手段だからな……!」

 

 熱くなる根岸に、きっぱりと返答する城咲。正直城咲が毒を盛るとは思えないが、根岸の言ってることもまるっきり的外れというわけでもない。……ただ、せっかくなら城咲の意図を酌んで、できれば皆で城咲の朝食を食べたいと思う。

 根岸をどう説得しようかと考えていると、

 

「どうされましたか?」

 

 と、後ろから声をかけられた。振り向けば、蒼神がそこに立っていた。

 

「いや、ちょっとな……」

 

 言い争う二人を横目に、蒼神に事情を説明する。すると、

 

「……なるほど、では、わたくしにお任せください」

 

 そう言って、蒼神は二人のもとへ歩み寄る。

 

「根岸君、少々よろしいですか?」

「あ、蒼神……な、なんだよ……」

「事情は先ほど平並君から教えてもらいましたわ。端的に言います。城咲さんが朝食に毒を盛る可能性はありませんわ」

「……ど、どうしてそんなことが言えるんだよ……」

「まず思い返してほしいのは、この施設に毒が存在しなかったことですわ。毒がなければ、毒を盛ることは不可能ですわ」

「け、けど、洗剤はあったよな……ど、毒ってのは、あ、案外簡単に手に入るんだよ……!」

 

 確かに、根岸のいう事にも一理ある……とも思ったが、ここにきてようやく俺は蒼神の言いたいことを理解した。

 

「では、もしも仮に毒が調達できたとして、この状況で城咲さんが毒を入れ死人が出たとして……学級裁判で疑われるのは果たして誰なのでしょうか?」

「……あ」

「つまり、こう言いたいんだろ」

 

 蒼神の求める答えを俺が言ってやる。

 

「もし朝食に毒なんて入れたら、疑われるのは城咲だ」

「ええ、そういう事です。学級裁判というルールがある以上、朝食で城咲さんが毒を盛る可能性はありませんわ」

「……」

 

 無言で蒼神をにらんでいる根岸。しかし、その目に敵意は宿っていない。

 

「ついでに言えば、朝食で死人が出る可能性があるとすれば、城咲さん以外が調理場に出入りして、調理中の料理や食材自体に毒を仕込む可能性ですが……」

「そのあたりは問題ありません。食材は調理前にしっかりと確認いたしますし、調理場にいる限りは、誰かが料理に何かしようとすれば絶対に気づきます」

「だ、そうですわ。根岸君、これでいかがですか?」

「……わ、わかったよ」

 

 そしてついに、根岸が折れた。

 

「じゃあ、城咲、お願いするよ」

「はい。かしこまりました」

 

 そう言って、城咲は調理場の中へと戻っていった。それを見送って、俺達は食事スペースのイスに座る。根岸たちとこの施設のことや記憶のことについて話しながら、他の皆が集まるのを待った。

 

 

 

 

 

 柵にかかった時計が8時を示したころ、既に食事スペースには16人全員が揃っていた。城咲の調理も済んでおり、後は盛り付けを待つばかりという状態だ。しかし、朝食会が始まる様子はなかった。その理由は、

 

「ねえ、城咲さんも忘れてるの?」

「はい……実は……」

 

「根岸、やっぱてめーもかァ」

「あ、ああ……な、なんで……そ、そんな……」

 

 こんな風に、皆のざわめきが止まらないからだ。皆が話す議題はもちろん、『親しい人の顔の記憶について』だ。ここにいる全員が、家族や親友の顔の記憶を消されている。

 

「明日川も、そうだったのか」

「……ああ」

 

 俺がそう声をかけると、隣に座る明日川は力なく声を漏らした。胸に抱えている辞書も落としてしまいそうだ。

 

「……顔が思い出せないんだ……ボクの親友で、同じ図書委員だった子がいて……いつも一緒の物語だったんだけれど……」

「……まあ、大体事情は分かるさ。俺も同じだからな」

「ボクの物語を読み返す度に、思い出せないこと(欠けたページ)が見つかるんだ。もう……もう、ボクの物語なんて、どこにも……」

 

 そこで、明日川は口をつぐんだ。俯いて震える彼女にかける言葉を、俺は持っていなかった。

 どうしようかと迷っていたその時、

 

 

 

「やあやあ、オマエラ。ご機嫌はいかがかな?」

 

 

 

 そんな声とともに、絶望の象徴がどこからともなく現れた。

 

「……ご機嫌良いワケないだろ」

「え、そう? こんな大自然あふれた中にいるのに?」

 

 ぽつりと悪態をついてみたが、モノクマにダメージは無さそうだった。

 

「そういう問題じゃねェだろうがァ! てめーオレ達に何しやがった!!!」

「どういうことなんだよ!」

『ふざけてんじゃねえぞ!』

「なんなのよ、もう!」

 

 大声で啖呵を切る火ノ宮に続いて皆が口々に叫びだした。

 しかし、

 

「あああああーー!!!! うるさああぁぁぁぁぁああああああいいいいい!!!! どうしてオマエラはそうやって文句しか言えないんだよ!!!」

 

 そんなモノクマの声でぴたりと俺達は黙り込んだ。

 

「ま、結局オマエラがまだまだ未熟だからってだけなんだけどね……うぷぷぷぷぷ……」

「用件はなんだ、ぬいぐるみ」

「ぬいぐるみじゃなくて、モノクマ! ボクは施設長なんだぞ!」

「いいから用件だけを伝えろ」

 

 飄々とした態度でくるくると回っていたモノクマだったが、岩国にぶっきらぼうに水を差されるとハァと溜息をついた。

 

「用件って、そりゃあオマエラの置かれた状況を確認してもらいに来たんだよ」

「じょ、状況って……」

「僕達がここの閉じ込められている、という状況のことですか?」

「違うよ、杉野クン。オマエラの記憶の事だね」

 

 俺達の……記憶……。

 

「やはり、奪ったのですね」

 

 城咲が声を漏らす。

 

「そうそう。実を言うとね、昨日明日川さんの記憶を奪ったのは、ボクが記憶を消せるっていうアピールでもあったんだ」

「アピール、であるか……」

「そんな簡単にボクの記憶を……!」

「で、実はオマエラが目を覚ます前に、明日川さんだけじゃなくて全員の記憶も奪ったんだ」

 

 つまり、その全員から奪った記憶というのが、

 

「全員の……大事な人の顔の記憶か」

「いや? それだけじゃないけど?」

「え?」

 

 ほかに何か別の記憶を奪ったってことか?

 けげんな表情の俺達を尻目にモノクマはコホンと一つ咳をした。

 

「ねえ、オマエラさあ。今っていつごろだと思ってる?」

「い、いつごろって……そ、そんなの」

「そう! 答えは、希望ヶ空学園20期生の入学から2年後だよ!」

「ま、まだ答えてないじゃないか……! ……って、え?」

 

 答えを返そうとした根岸が口を挟む暇もなく、モノクマはあっさりとそう告げた。

 希望ヶ空学園20期生って、俺達のことだよな……?

 

「おい! どういうことだ、モノクマァ!」

「さあね、ボクは嘘は絶対に付かない主義だから、後はオマエラで考えな! 考えてこそ、人は成長できるんだよ!」

「お、おい! 待て!」

「待てって言って待つヤツなんかいねーよ! じゃあね!」

 

 俺の静止の声は届くことはなく、モノクマはいつものようにどこかへと姿を消してしまった。

 

「け、結局、ど、どういう意味だったんだ……?」

「オレが知るかよォ!」

「でも、考えてみないと始まらないよね」

「……七原さんの言う通りですね。モノクマの言うことを鵜呑みにすることは危険ですが、完全に無視をするのもまた賢明な判断とは言えません」

 

 ざわつく俺達を止めたのは、案の定杉野だった。確かに、今のモノクマの台詞を無視することはできない。

 とりあえず、思い付いたことを口にしてみる。

 

「今が俺達の入学から2年後とモノクマは言っていたが……そもそも、俺達はいつの間に入学したんだ?」

「入学式はらいしゅうと聞いていたはずですが……」

「まさか、タイムスリップ!?」

 

 俺の言葉に反応した城咲と新家だったが、それに明日川が反論した。

 

「いいや、その物語(ストーリー)を考えることは愚かだろう。過去方向、未来方向に関わらず、時間旅行(タイムスリップ)が紛れもない幻想(フィクション)であることは、10年前にアメリカの論文で99.9パーセント証明されている。残りの可能性は新理論(コロンブスの卵)が生まれることを期待したもので、まず切り捨てていい可能性だ」

「……長々と言ってるけど、結局タイムスリップはありえないってことだよね? ほかに心当たりがあるの?」

「当然さ、大天君。むしろ、心当たりしかないといっても良い。モノクマの言っていたことも考慮すれば、おのずと結末(こたえ)は見えてくるさ」

 

 ここで、明日川は一呼吸おいてから、そのこたえを告げる。

 

「――すなわち、ボク達は2年間の記憶を丸々失っているだけなんだ。入学してから今までのね」

「そんな……!」

 

 明日川が告げたシンプルにして絶望的な仮説。しかし、この仮説を否定するだけの根拠を俺達は持っていないし、むしろ肯定する事実しか思い浮かばない。モノクマの残した言葉や、モノクマが記憶消去の(すべ)を持っていることなどはこの仮説を裏付ける。

 

「さっきのモノクマの言ったことが全くのでたらめである可能性もありますわよね?」

 

 と、蒼神が一応の反論を試みたが、

 

「当然それは否定できない。けれど、そうでない可能性の方が高いとボクは考えている。虚構(フィクション)現実(ノンフィクション)のどちらの方が絶望的かは、語るまでもないだろう?」

「……」

 

 明日川に一蹴されてしまった。

 

「仮に明日川の言う通りだとして、なんでモノクマはそんなことを?」

「……それは分かりませんわ。なにかしらの意図があると思いますが、こうしてわたくし達に不安を抱かせているというだけでも、十分効果はあると思いますわ」

「……」

 

 俺の疑問にそう答える蒼神。

 

「結局また謎が増えただけか」

「……そういうことになりますわね」

 

 …………。

 モノクマの言葉は、その軽さに反して大きな不安と、そして絶望を残していった。

 長い沈黙の後、

 

「……とりあえず、みなさん、朝食にいたしましょうか」

 

 という城咲の言葉で、ひとまず朝食を食べることにした。【超高校級のメイド】が作る料理はとてもおいしかったのだが、俺達の間には終始会話はなく、重苦しい空気のまま解散になった。

 ちなみに、岩国だけは、いつの間にか城咲の料理を食べることなく姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 《展望台》

 

 朝食を終えた俺は、昨日確認できなかった自然エリアの展望台へと向かった。森の中の遊歩道を抜けてたどり着けば、そこには七原、古池、そして大天の三人がいた。

 

「よう」

「お、裏並じゃねえか。どうしたんだ?」

「平並な。昨日来れなかったから、展望台を確認しに来たんだよ」

 

 古池のいつものボケに反応しつつ、周りを見渡す。

 展望台はコンクリートでできた無機質なもので、防波堤のような(へり)の先にはドームの景色が見える。奥にあるメインプラザや中央広場の手前にはさっき抜けてきた森が広がっている。ドームの端に位置する展望台の高さはそれなりのもので、背の高い人がジャンプすれば天井に届いてしまうんじゃないだろうか。

 昨日の報告であった通り、木製のベンチやロッカーがあった。ロッカーの中身は……葉っぱとかを払うような箒かな、これは。

 

「それで、お前達は何をしてたんだ?」

「別に何もしてないよ。ちょっとお話してただけ」

 

 そう七原は答えた。多分三人とも俺と同じような理由でなんとなくここに来たのだろう。

 

「そうそう! 俺様達はこのドームをぶっ壊してやろうって話してたんだぜ!」

 

 と、言い出したのは古池。

 

「……はぁ?」

「いやな、俺っちの部屋を調べたらダイナマイトがたくさん出てきてよお! これでこんなところともおさらばだ!」

「ダイナマイト!?」

 

 一瞬驚くが、ハイテンションの古池を見て思い直す。

 

「……どうせ嘘だろ」

「ああ、嘘嘘。そんなもんあるわけないだろ。それに、もしあったとしてもそんなことしたら例の規則違反とやらでモノクマに殺されるかもしれねえしな」

「本当に何がしたいんだお前……で、実際は?」

「実際? 才能の話だよ」

 

 才能?

 確認するように大天に目線をやると、大天は軽くうなずいた。これはどうやら本当らしい。

 

「私は【幸運】で、古池君は【帰宅部】、大天さんは【運び屋】……ほら、三人ともちょっとピンとこない才能でしょ?」

「まあ、言われてみれば……」

 

 なんとなくのイメージこそできるが、結局どんな才能なのかはいまいち反応できない。

 そんなことを考えていると、

 

「けどさ、一番よくわからないのって平並君の【超高校級の普通】だよね」

 

 と、七原に言われてしまった。確かにその通りだと俺も思う。

 

「なあ平神(ひらかみ)、【普通】ってのは、身長や体重が平均的ってことか?」

「……もう突っ込まないからな」

 

 と、古池のボケへのスルー宣言をしつつ、彼の疑問に答える。

 

「まあそうだな。身長体重は何度測っても、その時の歳の平均になるし、座高とかもそうだ」

「へえ……」

「他には……模擬試験や体力テストもそうだ。自分なりには色々勉強したりして頑張ったんだが、どうしても平均点しか取れないんだ」

 

 さすがに小数点以下まで揃うことは無いが、平均点を四捨五入すればそれが俺の点数になる。

 

「学校関連じゃなくても、趣味の話でもいい。色々と手を出してみたが、結局得意なものは見つからなかったな。まあ……苦手な物もないわけだから器用貧乏と言えるかもしれないがな」

「それは……大変だな」

 

 同情したのか何なのか、古池がそう相槌を打ってくれたが、

 

「いや、別に。大変な人生なんて歩んでないからな」

「……そう」

「とまあ、俺の話はこれくらいだが……俺に言わせてもらえば、古池の【帰宅部】だってよくわからないぞ」

「俺?」

「ああ。【超高校級の帰宅部】って、なんなんだ? 大会とかコンクールのある他の部活ならわかるんだ。剣道部とか吹奏楽部とかなら、そういう実績が残せるからな。だが、【帰宅部】って……」

「それはだな、お前は知らないだろうが、世の中には『全日本帰宅部選手権』が開催されてるんだよ。その選手権で二連覇したのが俺ってわけだな」

 

 は?

 

「『全日本きた』……何?」

「『全日本帰宅部選手権』。簡単に言えば、街中を走りながらいかにアクロバティックに学校から家まで帰ることができるかを競う大会だな。帰るって言っても、参加者は全員スタートとゴールが一緒なんだ。その中で、いかに相手よりも面白いルートを探すのかが勝負だな」

「ふうん、なら、パルクールに近いのかな」

 

 と、口をはさんだのは大天だ。

 パルクール? 名前は聞いたことがあるが……。

 

「ほら、街を自由に走り回るスポーツのことだよ。建物の上を飛び移ったり、塀を飛び越えたり。まあ、正確に言うとスポーツじゃないって意見もあるみたいだけど……」

「へえ」

「あー、確かに似たようなものだな」

「私、パルクール結構やるんだけど、そんな大会があるなんて知らなかったな」

「ま、嘘だからな」

「……だと思った」

 

 あきれた声の七原。俺も気づいてたがな。

 

「俺の話はこれくらいにして、次は大蔵(おおくら)な」

「……大天()のこと? 結局【帰宅部】の理由は言ってないと思うんだけど……まあいいや。私は【運び屋】。仕事は前にも言ったとおり、いろんなものを配達するの」

 

 【運び屋】、ねえ……。

 

「別に大々的に広告出してるわけでもないけどさ、そんな秘密裏の物でもないし、知ってる人がいてもおかしくないんだけどなあ……」

「悪いけど、初耳だったな」

 

 そう言った俺を含めて、この場に大天の仕事の存在を知っている人はいなかった。運び屋なんて完全に映画の世界の話だしなあ……。

 

「……なあ、運び屋に頼む人って、なんで宅配便じゃダメなんだ?」

 

 と、質問するのはテンションの落ちた古池。

 

「んー……一番多いのは、後ろめたいことがある場合かな」

「後ろめたいこと?」

「うん。色々とデータが残る宅配便とか使うと都合が悪い人って案外いるんだよ」

「……それって、犯罪とかそういう類のものなんじゃ……」

「かもね。でも、基本的に中身についてはかかわってないし、別にどうでもいいんじゃない?」

「いやいや! 良くないだろ!」

 

 我慢できずにツッコミを入れる。大天のやつ、自分の知らぬ間に犯罪の片棒を担いでる時もあるんじゃ……。

 

「あ、でも他のパターンもあるよ。人探しとか」

「人探し?」

「うん。ほら、昔の友達とかさ、今どこにいるかわからない人っているじゃん。私、そういう人を探し出して、手紙を届けたりできるの」

「それは……すごいな」

 

 人探しなんて、どういうツテで探してるのかは知らないが、もはや探偵の仕事だろう。

 

「……なんていうか、お前って本当に【運び屋】?」

「失礼な。私はれっきとした【運び屋】だよ!」

 

 少しむっとした表情で大天はそう答える。

 ……まあ、大天が自分でそう言うなら、きっとそうなんだろうな。そもそも運び屋という職業自体がよくわからないわけだし。

 

「私からはこんなもんかな。じゃあ、次は七原さんね!」

 

 才能紹介のバトンは七原へと渡る。

 

「七原は……【超高校級の幸運】だったよな?」

「うん! ……あ、今のはシャレじゃないよ?」

 

 今更確認することでもないが、七原は【超高校級の幸運】として希望ヶ空学園にスカウトされた。この【超高校級の幸運】というのは、毎年一般的な高校生の中から抽選で選ばれているものなので、七原もただの普通の高校生のはず……だが。

 

「七原さ、昨日の自己紹介の時に、『自分が選ばれたのは必然だった』って言ってたよな?」

「そうそう。私って、昔から運が良かったからね。多分今年は私が選ばれるんだろうな、って思ってたらホントに当選したんだ」

「……運がよかったってのは、どういう事なんだ?」

 

 古池がボサボサの髪をかきながら七原にそう質問する。確かに俺もそれが聞きたかった。

 

「そうだね……人生ってさ、選択の連続だよね?」

「まあ、そうだな」

「そこで、私が選んだことって、大体いい結果になるんだよね」

「と、言うと?」

「例えば、今日どんなことをして過ごすか悩んだときに、家にいたらちょうど親戚が訪ねてきておこずかいをもらったりとか、なんとなーく傘を持って出かけたら、たまたま雨が降ってきたりとかね」

「なるほど、それが七原さんの幸運ってなのね!」

「うん……まあ、こういう小さな幸せだけじゃないんだけど」

 

 と、大天に相槌を打った七原は急に顔を曇らせた。

 

「どうしたんだ?」

「……ねえ、三人はさ、【ASA154号墜落事故】って知ってる?」

「……まあ、大体は」

 

 名前と概要だけなら、俺も知っている。詳しいことを思い出そうとしたが、それより前に大天が詳細を語りだした。

 

「確か、8年前……モノクマのいう事を信じるなら10年前だけど、その時に起きた事故だったよね。大型旅客機の【ASA154号】が整備不良で墜落して、乗客のほとんどが亡くなったって……」

「そう、その事故。乗員768人中、助かったのはたったの1人……」

 

 七原が情報を補足する。

 

「助かったのは俺達と同年代で、プライバシー保護のため情報は何も出てこなかったが……」

 

 まさか。

 

「その、助かった一人っていうのが……!」

「いや、違う違う」

 

 早とちりした俺をいさめるように手を振る七原。

 

「そうじゃなくて、私はそもそもその旅客機に乗らずに済んだんだ」

「どういうことだ?」

「あの日、本当だったら私も家族と一緒に【ASA154号】に乗る予定だったの。家族旅行でね。でも、空港で私が迷子になっちゃって……それで、一本飛行機を遅らせることになったの。その時はお母さんたちにすごく迷惑かけちゃって……って思ってたんだけど」

「その、本来乗る予定だった旅客機が、墜落した……」

 

 俺が七原の言いたいことの後を継ぐ。

 

「……そう」

「そんなの……」

 

 そんなの、【幸運】の一言で済ましていいことじゃない。もっと、恐ろしい別の何かだ。

 俺達の間に、少しだけ重い空気が流れる。

 

「ごめん。暗くなっちゃったね。大丈夫だよ、私の幸運はこういう話ばかりじゃないから」

 

 明るい声で七原はそう言いながら、ポケットから3つのサイコロを取り出した。

 

「これ、ちょっと振ってみてよ」

「? 別にいいが」

 

 七原から受け取ったサイコロを何度かコンクリの地面に転がしてみる。大天と古池も転がすが、特に変なところはない。普通のサイコロだ。

 サイコロを七原に返す。

 

「今見た通り、このサイコロ、別に仕掛けはないんだけど……えいっ」

 

 七原が地面にサイコロを転がす。

 すると。

 

「うわっ」

「……出目が全部6だ」

「……昔から、ずっとこうなんだよね」

 

 そういう間もサイコロを振り続けているが、その出目は何度振っても3つともすべて6だ。

 

「怖い怖い怖い!」

 

 さっきの話よりも、このサイコロの方がよっぽど怖いぞ!

 

「これだから、私、すごろくは好きじゃないんだよね」

「もうやめてくれ、六原!」

 

 そんな悲痛な古池の声が、展望台に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース/野外炊さん場》

 

 

 時刻は昼過ぎ。

 展望台を後にした俺は、食事スペースに移動して昼食をとった。適当に蕎麦をゆでてざる蕎麦を作ったが……今度城咲にコツか何かを教えてもらおうか。自分で作るとどうにも味気ないものしかできない。何かおいしいつゆのつくり方を知っているかもしれない。

 そんなことを考えながら食器を片付けて調理場を出ると、言い争いながら食事スペースに入ってくる二人がいた。

 

『まったく、琴刃はすげえ強情だな!』

「その言葉をそっくりそのままお前に帰してやる、腹話術師」

 

 露草と岩国だ。やけに険悪な様子だ。

 心配になって近づくと、俺に気づいた露草が声をかけてきた。

 

「あ、凡一ちゃんだ」

「その呼び方はやめてくれって……で、何やってるんだ」

「今ね、琴刃ちゃんとお話してるんだ」

「違う。こいつが一方的に話しかけてきてるだけだ」

 

 露草の返答を岩国が即座に否定する。

 

『だってよ、琴刃は初めの時からずっと一人で過ごしてるじゃねえか。オレはお前とも仲良くやりたいってのに』

「鬱陶しいからもう話しかけてくるな」

『そんなこと言うなって!』

 

 二人は……いや、黒峰と岩国はそんなことを言い合いながら調理場へと向かっていく。大方昼飯用の食材を取りに来たんだろう。

 そんな喧騒を見ながら考える。

 岩国には悪いが、個人的には黒峰の意見に賛成だ。こんな状況下で一人だけ孤立した人がいるのはいいことじゃないだろうし、俺達は本来同級生になる予定だったんだ。せっかく知り合ったんだから仲良くなりたいのが本音だ。

 

「余計なお世話だ。話がしたかったらお得意の一人しゃべりでもしていろ」

「一人しゃべりってひどいよ、琴刃ちゃん! 琥珀ちゃんだって生きてるのに」

『いや、オレは生粋の人形だぜ』

「琥珀ちゃん! そんなこと言っちゃだめ!」

「ほら、そうやって一生話していればいいじゃないか」

 

 心底どうでもいいといった表情の岩国に、話しかける。

 

「なあ、岩国。そう邪険にしなくてもいいんじゃないか?」

「……はあ、凡人。お前もか」

 

 大きなため息。

 

「昨日言ったはずだ。お前達と無駄な交流はしないとな」

「そうだけど……」

「そんなこと言わずにさ、もっと素直になりなよ、琴刃ちゃん」

 

 素直?

 岩国も、顔をしかめて妙なことを言い出した露草の方を見た。

 

「おい、腹話術師。何を言っている」

「琴刃ちゃん、何か無理してるように見えるんだよね」

「そりゃあ、こんな状況なんだから無理もするだろ」

『いや、そうじゃなくてだな、凡一……』

「丁度いい。凡人、腹話術師の相手は任せた」

 

 黒峰が何やら説明しようとしたとき、岩国はそう言いながら食事スペースの外へ歩き出した。手には総菜パンを携えている。

 

「あ、待ってよ琴刃ちゃん!」

「うるさい。ついてくるな」

「でもさ、琴刃ちゃんって朝のかなたちゃんの作ってくれたご飯も食べてないよね? きちんとご飯食べないと、体壊すよ?」

「問題ない。最低限の食事は取っている」

『それ、本当か? 琴刃がちゃんと食べてるの見たことねえぞ!』

「……うるさい」

「なあ、仲良くしようぜ。俺達、同級生なんだから――」

 

 そう言いながら、岩国の後を追いかけようとした時だった。

 

「うるさい! 黙れ!」

「……っ!」

 

 岩国の叫び声が、俺と露草の動きを止める。

 

「……何も……知らないクセに」

 

 初めて感情を露わにした岩国は、そう言い残して食事スペースを後にした。残された俺達は呆然と彼女の背中を見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 《ロビー(宿泊棟)》

 

「まだですか? すこっとさん」

「ぐ……」

 

 午後、適当に施設の中を巡ったのちに宿泊棟に入ると、城咲とスコット、そして遠城がロビーのテーブルを囲んで座っていた。

 近づいてみてみると、城咲とスコットの間には格子状にひかれた線とたくさんのマルとバツが並んだメモ帳が置かれていた。これは……。

 

「五目並べか」

「む、平並か。いや、二人は連珠(れんじゅ)の最中であるぞ」

「……連珠?」

 

 ドリンクボックスからジュースを取って、遠城の向かいに座る。

 

「連珠って、なんだ? 聞いたことないんだが……」

「そうなのですか? 屋敷にいたころはご主人様と連珠をよく嗜んでおりましたけど……」

 

 五目並べなら、中学生の時に休み時間の暇つぶしに友達とやった記憶がある。ちょうど今の城咲達のように、ノートに格子状に線を引いて遊んでいた。

 

「連珠は、五目並べから派生したげーむですね。基本的なるーるは五目並べと同じで先に5つ並べた方が勝ちなのですが、連珠の場合少々禁じ手がございます。例えば、先手は6つ以上並べてはいけない、といったものがありますね」

「へえ……」

 

 それは知らなかったな、と思いつつメモ帳に目を落とす。

 

「どっちがどっちだ?」

「オレが先手のマルで、シロサキが後手のバツだ」

 

 俺としては城咲に質問したつもりだったが、答えを返してくれたのはスコットだった。スコットはそう言い終わると、格子点の一つにマルをつけた。

 

「よし。これでどうだ、シロサキ?」

「甘いですよ、すこっとさん」

「は?」

 

 城咲はそう言うと、そのすぐ隣にサッとバツをつける。

 

「……あ」

「城咲の勝ちであるな」

 

 その結果、斜めにバツが5つ並ぶことになった。決着がついたみたいだ。

 

「……負けたか」

 

 スコットもすぐに気付いたようで、そう呟いた直後にはあー! と言いながら背もたれに大きく背を預けて天を仰いでいた。

 

「くそ……見逃したか……かなり遠回しに作られたリーチとは言え、見抜けないとは……これで25戦25敗か」

「……そんなに負けてるのか?」

 

 と言うよりも、そんなに何度もやってるのか、というところにも驚いているが。

 

「すこっとさんはまだ、初心者ですから、しかたありませんよ」

 

 ぶつぶつと反省をするスコットを城咲がフォローしていた。

 

「初心者?」

「実は、この中で連珠の経験者は城咲一人だけなのであるよ。吾輩とスコットは少し前に城咲にルールを教えてもらったばかりなのである」

 

 と、言いながら遠城はテーブル上の1枚の紙を指差した。遠目から見ても、禁じ手などがまとめられているのが読み取れる。

 

「この施設、確かに自然環境はじゅうじつしておりますが、遊び道具が全くありませんでしたよね? 倉庫のびひんも、実用品ばかりで……」

「確かにな」

 

 城咲に言われなくとも、この2つのドームで半日過ごせばすぐにわかる。この施設には暇をつぶす道具がないのだ。倉庫にスポーツ道具はちらほらとあったような気もするが、少なくとも非運動系の道具はほとんどなかったはずだ。

 

「そこで、道具がなくても遊べるものとしてわたしが連珠を提案いたしました。このメモ帳とペンは個室に備え付けられておりましたので」

「なるほどな」

「吾輩も五目並べしかやったことがなかったのであるから、連珠というものをやってみたかったのであるが……」

 

 ん?

 

「その口ぶりからすると、まだやってないのか? スコットが25戦ってことは、結構長い時間やってるんだろ?」

「いや、それが……」

「おいシロサキ、もう一戦だ」

 

 遠城が言い終わるよりも早く、スコットがそう口をはさんだ。……なるほどな。

 

「ですが、そろそろ遠城さんのお相手をいたしませんと……」

「エンジョウの相手ならヒラナミが来たからいいだろ。それより、勝ち逃げなんかされてたまるか」

 

 そう言いながらスコットはメモ帳を1枚破り線を引いていく。もうすでに次の戦いの準備を始めているようだ。

 

「ずっとこの調子なのである」

「……お前、負けず嫌いなんだな」

「当たり前だ。いくら連珠は初めてだからって、五目並べ自体はやったことがあるからな。それに、オレは完璧主義者なんだ。こんな負けっぱなしで終われるわけないだろ」

 

 スコットの目には闘志の炎が灯っているようにも見える。案外スコットは熱い男なのかもしれない。

 

「なら、俺は遠城とやるから、城咲はまたスコットとやってくれよ。もちろん、城咲と遠城が良いならだけど」

「吾輩は問題ないであるぞ。初心者同士でやれば気も楽であるからな」

「わたしも大丈夫です。誰が相手でも負けることはありませんので」

「……城咲、やけに自信満々だな」

「もちろんです。わたしは、お屋敷にいたころにご主人様に徹底的に鍛え上げられましたから。『常に完璧であれ』がもっとーの十神財閥のお屋敷に仕えるめいどとして、勝負事で負けるわけにはいきません」

「今度こそ勝ってやるからな」

「ですが、はっきり言ってすこっとさんはあまりお強くは……」

「いや、むしろ城咲が強いだけだと吾輩は思うのであるが」

「いいから、やるぞ」

 

 そして、スコット達はすぐに次の勝負を始めてしまった。

 

「じゃあ、俺達もやろうか、遠城」

「うむ。メモ帳は吾輩のを使うとしよう」

「わかった。なら、ペンだけ俺も取ってくるよ」

「では、スコット達の邪魔にならぬよう隣のテーブルでな」

「ああ」

 

 その後、道具をとってきた俺達は、城咲の書いたルールメモを見ながら初めての連珠をした。

 ちなみに初戦はあっさりと負けた。

 

 

 

 

 

 

 

 《倉庫》

 

 食事スペースで夕食をとったあと、俺は倉庫へと向かった。この施設には娯楽がないので、倉庫には何か使えるものがあるかもしれないと思ったからだ。まあ、城咲が倉庫には何もないと言っていたが……。

 倉庫の扉を開けると、そこでは棚を漁る杉野とメモ帳を手にした火ノ宮がいた。

 

「ん? あァ、平並か。どうしたんだァ?」

「いや、何か面白いものでもないかと……お前達は?」

「オレ達は、倉庫の危険物をチェックしてたところだ」

「危険物?」

 

 俺がそう尋ねると、火ノ宮は持っていたメモ帳を俺に見せてくれた。メモ帳には、『小型ナイフ 16本』『ノコギリ 5本』などといった記述がずらりと並んでいる。

 

「こんなに、あるのか」

「あァ。つっても、無理やり凶器に含めてるモンもあるけどな」

「ん?」

 

 ほら、と言いながら火ノ宮はメモ帳を一枚めくる。そこに書かれていたのは、『ロープ 8本』『金属バット 3本』……なるほど、確かにこれらは凶器になり得るが、危険物とは言いがたい。

 

「やるなら徹底的にということで、凶器になりそうなものはできるだけチェックしているんです」

 

 棚から離れて顔を出す杉野がそんなことを言ってきた。

 

「火ノ宮君、ダンベル8つです」

「おォ」

 

 それを聞いて火ノ宮はメモにその旨を書き加える。

 

「そうだ。平並君も手伝ってくれませんか?」

「ああ、わかった」

 

 その後、俺は二人の作業を手伝った……まあ、さっきの杉野のように、棚の中の危険物を確認するだけなんだが。

 

 

 

 

 

「これで一通りチェックできましたね」

「あァ」

「つ、疲れた……」

 

 倉庫の備品は俺が思っているよりも多く、かなりの時間を使ってしまった。とは言え、倉庫の中身を知ることができたのは良かったが。

 それはそうと、メモ帳を確認する火ノ宮に、気になってきたことを聞く。

 

「なあ、この備品のチェックって、どっちが言い出したんだ?」

「ん、それはオレだ」

 

 即答する火ノ宮。

 

「僕が倉庫に入るとちょうどチェックを始めるところだったようで、このように駆り出されてしまったというわけです」

「あァ? 嫌だったら断ればよかったじゃねェか!」

「いえ、全然嫌ではありませんよ。これから生活していく場所の事ですからね」

「ならいいけどよォ……」

 

 怒鳴りつける火ノ宮にも動じず、涼しい顔で返答する杉野。確かに面倒な事ではあるが、火ノ宮は根はまじめなようだし、杉野も人の良いこの性格なら断ることは無いだろう。

 それはそれとして。

 

「火ノ宮はなんでこんなことをしようと思ったんだ?」

「あァ? オレのやる事にケチをつけようってのかァ!?」

「そ、そうじゃないって! 純粋に気になったんだよ」

 

 その後火ノ宮はチッと舌打ちをしたが、若干不機嫌になりながらも火ノ宮は質問に答えてくれた。

 

「……モノクマが、オレ達の生活に不自由はさせねェって言っただろォ? それを聞いて、生活に必要なモンが揃ってなかったらクレームを入れてやろォと思ったんだ。で、このコロシアイのルールがあるんなら、ついでに、危険物がどのぐらいあるか把握してやろォってところだな。やっといて損はねェからなァ」

「確かにな……」

 

 危険物……すなわち凶器。ガラス製の灰皿や電化製品のコードなど、日常に溢れるほとんどの物が凶器になる事は分かっているが、それでも明らかに凶器として危険視すべきものはある。この倉庫にもある小型ナイフはその典型だろう。それがこの施設の中に存在しているのだ、と意識しておくことは決して悪いことではないはずだ。

 

「生活必需品は揃っていましたので、食料が補充されていく事も考えれば、ここで何週間と過ごしていくのは十分に可能だと思いますよ」

「……そうか」

 

 その杉野の台詞は悪い情報ではなかった。モノクマは、本当にコロシアイ以外の点においては俺達の生活を保障するようだ。

 

「けど、遊び道具やその類の物はほとんどねェな。水槽やら地球儀やら、しょうもないモンはいくらでもあるってのに」

 

 そう言いながら倉庫内を見回す火ノ宮の視線を追ってみると、棚の上にまとめられた水槽などのガラス類や、角のスペースに無造作に置かれた雑貨類が目に入る。何でもそろっているように見えて、実際は使い勝手が悪そうだ。

 

「こんなんじゃァ、どのみち長期間過ごすのは危険だ。気が狂っちまう」

「……おそらく、これも僕達に殺し合いをさせようという目的があるんでしょう。『この退屈な世界から出たかったら、誰かを殺せ』という風に」

「…………」

 

 モノクマの底意地の悪さに、俺は溜息をつくことしかできなかった。

 

「んじゃあ、もうすぐ夜時間になっちまうし、解散にすっかァ。二人とも、ありがとな」

「…………」

「あ? なんだァその目は!」

「い、いや! なんでもない! そうだな、この倉庫って埃っぽいし、夜時間になる前に個室でシャワー浴びたいからな!」

「……? 変なヤツだな……」

 

 あのけんか腰の火ノ宮が素直にお礼を言うことに驚いた、なんてとても言えなかった。うん、今ので確信した。火ノ宮はいいやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 部屋に付いた俺はシャワーを浴びてからベッドに倒れこみつつ、今日のことを振り返る。

 今朝の朝食会で、モノクマは2年もの時間が経過していると告げた。それが真実かどうかは分からないが、無視することもできない。

 

「…………」

 

 今も記憶の中に家族の顔は思い浮かばないし、ここから出る方法も見つかっていない。

 だが。

 

 古池は今日も元気に嘘をついていた。

 露草と黒峰は昨日と同じく言葉をかけあっていた。

 スコットは城咲に連珠を挑んでいた。

 火ノ宮は、未来の為に危険物の確認をしていた。

 

 大丈夫だ。

 まだ、誰も絶望していない。

 

 

 絶望の象徴(モノクマ)なんかに、負けてたまるか。

 

 

 




仲間のことを知る交流回です。
何人か出てきていない人がいますが……。


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(非)日常編④ 華麗なる晩餐

 【3日目】

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

『オマエラ、おはようございます! 施設長のモノクマが朝7時をお知らせします! 今日も張り切って、一人前目指して頑張りましょう!』

 

 ブツッ!

 

「……ん」

 

 不快な声を聞きながら、ベッドの上で目を覚ます。見渡してみれば、昨日と同じく見慣れない部屋が広がっているだけ。

 覚悟はしていた。今更これが夢だとは思っていなかったし、そう簡単に助けが来るとも思えない。

 この非日常は、今日も変わらず現実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

「時に平並君、聞きたいことがある」

 

 まだ食事スペースには数人しか集まっていない。野外炊さん場から聞こえる城咲の調理音を聞きながら明日川と雑談をしていると、明日川は急に神妙な雰囲気を出してそんなことを言い出した。

 

「どうした、わざわざ改まって」

「いや、大したことではないんだが、キミは一体誰を狙っているんだい?」

「……は?」

 

 明日川は、詰まることなく一息で言い切った。

 狙っている? 何の話だ?

 

「狙うとすれば、やはりか弱い乙女たちだろうか……七原君か城咲君辺りじゃないかとボクは踏んでいるけれど。ああでも、城咲君はおおよそのことはできそうだし『か弱い』と評するのは間違っているかな」

「……何を言っているんだ、お前」

 

 狙う……って、まさか、俺が【卒業】の為に誰かを殺そうとしてると思ってるのか?

 そんな訳……そんな訳ないだろ!

 

「おい明日川、言いたいことがあるならもっとはっきり――」

「胸の大きさで見るなら蒼神君と露草君か? キミは知ってるかい? 黒峰君に隠れて見づらいけれど、露草君は案外巨乳だぞ」

「――ん?」

 

 ちょっと待て、今こいつなんて言った?

 

「キミの胸の好みは知らないけれどね。もしかしたら大天君や岩国君みたいに控えめな方が好きなのかな? まあ、岩国君は男装しているし実際のところは分からないけれど」

 

 呆気にとられる俺を無視して、明日川は一人で語り続ける。

 

「胸だけで判断するのは早計か。人当たりの良さで言うと七原君、大天君、東雲君辺りが該当するかな? 蒼神君もその傾向はあると思うけれど、やはり少し恋愛関係には堅そうな印象を受けるね。食事や掃除と言った家事全般において完璧な城咲君も魅力はあるだろうし、話していて楽しくなるのはやはり露草君か。岩国君はあの態度だから近寄りづらいように思えるけど、実際惚れたら一番凄いのは彼女だと――」

「待て待て待て! 明日川、ストップ!」

 

 飛びかけていた意識をようやく捕まえた俺は、暴走する明日川に待ったをかける。

 

「どうしたんだい、平並君。ここからが本番だというのに」

「いやもう十分喋っただろ……じゃなくて、何の話をしてるんだ?」

「何の話って、キミの想い人(パートナー)の話に決まっているだろう」

「……はい?」

 

 さも当然、と言いたげな表情で明日川はそう告げるが、さっぱりピンと来ない。

 

「……キミは、この状況を分かっているのか?」

 

 明日川の真意を図り損ねていると、明日川は眉間にしわを寄せてそんなことを訊いてきた。それ、こっちのセリフなんだが……。

 

「この状況って……当然だろ。俺達はこの施設に閉じ込められて、互いに殺しあうことを要求されている……そうだよな?」

「ああ、そうさ、よくわかってるじゃないか! こんな閉鎖空間で健全な男女が一緒に暮らしてるんだぞ! 間違いが起こるに決まってるじゃないか!」

「…………は?」

 

 俺は、この短時間でもう何度目になるかもわからない間抜けな声を出してしまったが、そんな俺にかまうことなく、明日川はバッと立ち上がり大声で語り始めた。

 

「しかも、ボク達はまだ高校生だ。青春の迸る熱い思いがどう向くかなんて想像に難くない。しかし、しかしだ。大人たちはこれを間違いと言ってしまうが、それこそ間違い(誤植)であるとボクは思うんだ。ボク達は一種の運命共同体とも言える。そんなボク達が絆を深めるために行うのであれば、それはむしろ推奨されるべきだ! そうだろう、平並君?」

「あ、ああ……」

 

 な、なんだ? 明日川は急にどうしたんだ?

 

時間が経過する(ページをめくる)たびに精神は疲弊していくんだ。吊り橋効果という言葉だってあるだろう? 追い詰められた男女は次第に感情を寄せ合い、そして――!」

「明日川! もういい! わかったからそれ以上は言うな!」

 

 次第に他の皆も食事スペースに集まってきているが、当然明日川が視線を集めてしまっているので、自然と俺も注目される。ここまで言われると明日川の言いたいこともなんとなく察してしまうので、俺は真っ赤な顔になりながら明日川を諫める。少なくとも朝からこんなところで話す話題じゃないだろ、これ。

 

「すまない、少々取り乱してしまったようだ」

「どうしたんだ急に……」

 

 乱れた服装をただして腰を下ろす明日川。

 

「で、結局、キミの想い人(パートナー)は誰なんだ?」

「諦めてなかったのかお前……いないよ、別に。というか、いたとしてもこんなところで言うわけないだろ」

「なるほど、つまり雰囲気(ムード)さえ整えれば答えてくれるということか」

「そうじゃなくてだな……」

 

 その後、全員が揃い朝食会が始まったことで俺は明日川の詰問から逃れられた。代わりに犠牲になった根岸はしどろもどろになっていたが。明日川の熱意は気になったがそれを質問するとまた絡まれそうなのでそれはさておくとして、食事中はこの施設にいる女子のことについて考えていた。

 ここに閉じ込められた女子達は皆見た目が良い。明日川はさっきの話の中で自分自身には言及していなかったが、明日川自身も十分その部類に入る。明日川や露草たちと話すのは疲れるが、それが楽しくないわけじゃない。城咲や蒼神は様々なスキルを持っているし、大天や七原、東雲はこんな状況下でも懸命に明るく過ごしている。とは言え、まだたった数日しか過ごしていない。惚れるにはさすがに日が短いし、俺はそこまで軽い男じゃない。

 そこまで考えたところで、

 

「……何考えてるんだろうな、俺」

 

 と、急に我に返った。

 

「どうしたんだい?」

「いや、なんでもない」

 

 明日川に怪訝な顔をされたが、そう言ってごまかした。

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん、少々よろしいですか?」

 

 朝食を食べ終える頃、杉野は手を叩いて立ち上がりながらそう言った。

 

「ここでの生活も三日目です。生活の為の最低限の設備は整っているとはいえ、時間をつぶす物もなく、息の詰まる生活に精神的に参ってしまうのも時間の問題でしょう」

 

 確かに杉野の言う通りで、ここから脱出するための術は見つかっていない以上は、どんなに楽しく振舞おうとしても限界が来る。先ほどの明日川としたようなしょうもない話ができる期間はそう長くない。

 絶望に抗うためには、希望がいる。

 

「そこで、親睦会を兼ねて今日の午後に皆さんでカレーを作りませんか?」

「カレー?」

 

 大天が反応する。

 

「ええ。幸いここには材料も道具もそろっています。気を晴らす意味でも悪くないと思いますが、どうでしょうか?」

「私は賛成かな。やっぱりさ、林間学校と言えばカレーだよね!」

 

 真っ先に賛同したのは七原だった。

 

『別に林間学校じゃねえけどな!』

「まあ言いたいことはなんとなく分かるしいいんじゃない? 面白そうだし」

「ふむ、悪くない企画(プロット)だね」

「いいアイデアであるな!」

 

 黒峰と露草が七原にツッコミを入れつつ賛同し、明日川と遠城もそれに続く。俺を含めて、他の人たちも賛成する人は増えていった。

 しかし、異を唱える人がいた。火ノ宮だった。

 

「別に悪かねェけどよ、安全対策はどうなんだァ? こんな状況じゃ、晴れる気も晴れねェだろォが」

「おい火ノ宮、それってつまり……」

「あァ? はっきり言ってやる、平並。誰かが毒を入れるんじゃねェのかってことだ」

 

 一瞬、ピリッとした空気が俺達の中に間に流れる。

 

「城咲が一人だけで作る朝食とはワケが違うだろォ? もしも誰かが悪意を持てば、事件を起こすのは簡単だぞ」

「もちろん、そのあたりの配慮は万全にいたします。皆さんを疑っているわけではないですが、安全が確保されてこその親睦会ですから」

「具体的な案はあんのかよ?」

「ええ、もちろん。そもそもこの施設に毒が存在しないことは皆さんご存知だと思いますが、それでも万一があります。そこで、まず僕と数人で食事スペースと野外炊さん場の中を徹底的に探し、その後、皆さんがこの中に入るときに二人以上でボディチェックを行います。また、カレー鍋にも常に見張りを用意すれば、誰かが毒を入れる隙はありませんよね」

 

 杉野の提示した案はそれなりに窮屈だったが、確実に安全を保障するものでもあった。

 

「チッ、確かにそれなら文句はねェな」

 

 舌打ちすることは無いだろ。

 

「な、なら大丈夫か……」

「さて、できる限り多くの方に参加していただきたいのですが……」

 

 根岸も賛同したのを見て杉野は周りを見渡したが、

 

「俺は参加しない」

 

 と、案の定岩国が不参加の旨を述べた。

 

「えー? 琴刃ちゃんも一緒にカレー作ろうよ」

「そんなことをして何の意味があるんだ」

「ですから、みなさんの親睦を深めようと」

「その『親睦を深める』という行為自体が無意味極まりないんだ」

 

 露草や杉野が引き止めるも、岩国はすげなく拒否する。

 

「またそれか……いいじゃないか、仲良くしようぜ」

 

 と、俺も誘ってみるが、

 

「ふん……別に、俺はお前達が親睦会を開くこと自体は反対しない。やりたいなら俺抜きでやっていろ」

 

 そう言い残して、岩国は食事スペースから出て行ってしまった。

 

『まったく、素直じゃねえなあ!』

「……俺の目には明らかに拒絶しているように見えたんだが」

 

 素直じゃないとか、そういう話ではないだろ、あれは。

 

「本当は、岩国さんも参加していただきたかったのですが……仕方ありませんね。他に参加を拒否する方はいないようですので……では、僕とともに準備や監視をしてくれる方を募ります。城咲さんには話をしていますので、男女それぞれあと2名ずつ、ですね」

 

 話を進めた杉野が再び俺達を見渡す。準備か……なら、朝食は城咲に世話になっているから、そのお礼をする意味でも立候補しようかな、と思い手を上げると、俺のほかに新家、大天、蒼神も立候補していた。

 

「ちょうどですね、ありがとうございます。では、平並君たちはこの後食事スペースに残ってください」

「ああ、わかった」

「他の皆さんは2時頃に食事スペースにいらしてください。岩国さん以外が揃ったらカレー作りを開始しますので、よろしくお願いします」

 

 そして、朝食会は解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 食事スペースに残った俺達は、カレー作りのための準備を始めた。

 

「皆さん、ご協力ありがとうございます」

「こんな状況だし、せっかく企画してくれたわけだしな」

「こういったイベントは皆さんの気持ちを一つにするのにうってつけですもの。まあ、全員参加ではありませんが……」

 

 礼を述べる杉野に俺と蒼神が声を返す。七原が言っていたことからもわかる通り、この施設はの設備は林間学校をイメージさせる。カレー作りというのはそういった意味でもぴったりだろう。

 

「じゃあここからは城咲さん、お願いします」

「はい。では、まずはここに怪しいものが何もないことを確認しておきましょうか。もちろん、わたしは何もないことははあくしておりますが、念のためですね」

「まあ、全員で確認しておいた方が良いからな。城咲を疑うわけじゃないけど」

 

 仕切り役を杉野から受け継いだ城咲の説明を、新家が補足する。

 

「そういうことです。では、調理場から確認しましょうか」

 

 城咲の言葉で俺達は調理場へと移動したが、調理場は6人が入るには狭すぎたため、男子は冷蔵庫の中を確認することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 《冷蔵庫》

 

 冷蔵庫、と言ってもそれなりの広さがある。少し大きめの物置というのが表現としては正しいのかもしれず、3人程度ならなんとか入れる大きさだ。

 

「やっぱり寒いな……」

 

 冷蔵庫なので当然なのだが、中に入ると体が急速に冷やされていくのを感じる。

 

「早く確認して戻ろう」

「ああ」

 

 新家の声に賛同し、冷蔵庫の中身を確認し始める。

 

「カレーの材料は、まあ大体そろってるな」

 

 ジャガイモや人参などの野菜をはじめとして、牛肉や豚肉などの肉も種類豊富に、人数分しっかりと揃っている。

 

「改めて思うけど、これだけの量の食材をそろえるだけでもかかる費用は尋常じゃないぞ」

「つまり、犯人はそれだけの資金を持っているという事ですね。わかっていたことですが」

「……なんなんだ、いったい」

 

 新家と杉野がそう話し合っている。

 

「今は考えても仕方ないぞ、二人とも」

「そうですね……毒になりそうなものは特になさそうですね」

「ああ。キノコや魚もメジャーな物ばかりだ。真っ当に調理すれば問題ないだろ」

 

 城咲の発言通り、特におかしなものは見当たらない。

 

「あれ? そう言えばカレールウはどうするんだ?」

 

 と、新家が疑問を呈したが、

 

「それなら、昨日倉庫からとってきて調理場の方に準備してあります」

 

 すぐに杉野が返答した。準備の良いやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 《野外炊さん場》

 

 冷蔵庫から出てきた俺達は、調理場を調べていた城咲達女子メンバーと何もないことを報告しあった。

 

「何もないことは確認できましたし、必要な材料もすでにそろっているので問題はないでしょうね」

「そういえば、皆でカレーを作るって言っても調理場に全員入るのは無理だろ? どうするんだ?」

 

 などと疑問に思ったことを訊けば、城咲や杉野がすでに答えを用意してくれている。

 

「そのことなのですが、今日の調理はきほんてきに食事すぺえすで行おうと思います。包丁も5本しかないので全員が同時に調理することはできないかもしれませんが、皮むき器もありますし大丈夫だと思います」

「人数的にも、皆さんが集まってから適当に2グループに分ければちょうどいいでしょう」

 

 杉野は続けて俺達に忠告する。

 

「それと、僕達も一応調理には参加しますが、役割としては調理よりも見張りの方がメインになりますのでよろしくお願いします」

「ああ、わかってる」

 

 その後、食事スペースの方も全員で確認して、これもやはりおかしなものは見当たらなかった。結局、ここにある危険物は包丁だけだったが、包丁は数に限りがある上に犯人はまるわかりになるため、問題はないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 少し時間が経過したのち、昼になったので昼食をとることになった。せっかくなのでこの6人でチャーハンを作ろうという話でまとまった。

 

「そういえば、皆の料理の腕前はどうなんだ? 城咲は分かってるが」

「わたくしは結構得意ですわよ? 料理が上手ければ学校内での人望にもつながりますから」

 

 と、蒼神。なんというか、蒼神の思考はいちいち打算的な節がある。蒼神に限れば、特別悪い意味ではないんだが。

 続いて答えたのは新家だ。

 

「ボクは味付けは微妙だけど、切ったりするのは得意だな」

「へえ、そうなのか」

「ああ。【宮大工】の仕事だと数ミリ単位で決まってる設計図通りに作らないといけないことも多いから、手先は器用なんだ。飾り包丁とかも簡単な物ならできるぞ」

 

 自信満々な新家に対して、大天は暗い雰囲気で答える。

 

「私はいまいちかな……野菜炒めとか作ると、いっつも焦がしちゃうんだよ」

「もしかしたら、むだに火が強すぎるのかもしれませんね」

「やっぱりそうなのかな……うん、気をつけてみるよ」

「実を言うと僕もあまり得意ではないのです。簡単な作業ならできますが……平並君はどうですか?」

「俺は、【超高校級の普通】の肩書通りだよ。本当に可もなく不可もなくって感じだな」

「そうですか。では、分担して野菜を切りましょうか。最後に炒めるのはわたしがやりましょう」

「それがいいな」

 

 そんなこんなで始まったチャーハン作りだったが、結果的にはおいしくできた。まあ、俺達は材料を準備したり野菜を切ったりしたくらいで、一番大事な痛めて味付けをする役割を城咲が担当したから、おいしいのは当然と言えば当然だが。それだけでも十分楽しかったから、この後のカレー作りも楽しくなりそうだ。

 

「そういえば料理の前に言ってたが、新家の飾り切り、本当にすごかったな」

「だろ? 昔から手先は器用だったからな。テレビでやってたから真似してみたんだけど、ちょっとやってみるとすぐ出来たんだよ」

「殆ど練習しなかったってことか?」

「いや、まったくしなかったな。さすがに宮大工の仕事になるとそうはいかなかったけどさ、それでもそんなに時間はかからなかったな」

 

 さもなげに新家はそう言ってのける。やはり、新家には【超高校級の宮大工】としての才能があるのだろう。

 

「城咲の技術も相変わらずすごいよな」

「ありがとうございます。ですが、この程度、十神財閥に仕えるめいどとしてとうぜんの技術です」

「当然ねえ……その技術って、屋敷にいるときに教えられたのか?」

「はい。お屋敷に仕えるようになってから、前めいど長から様々なことを教えていただきました。それいぜんはこのような技術は持っていなかったのですが……今のわたしがあるのは、前めいど長のおかげです」

「その前メイド長のためにも、ここから早く出ないとな」

 

 すると、城咲はにっこりと笑いながらこう告げた。

 

「ええ。もちろん、ご主人様のためにも」

 

 そうして話を交わすうちに、カレー作りの始まる2時が近づいてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 調理中の見張りの分担は、杉野と城咲、大天は鍋の方で、残った俺達は二班に分かれて調理班に合流することになった。あくまでも俺達はサポートという形になるが、ただ突っ立って監視するよりマシだという話になったらしい。

 洗った野菜や包丁、まな板といった調理器具を食事スペースのテーブルに並べてカレー作りの準備をしていると、一人目の生徒がやってきた。七原だ。

 

「あ、もう準備できてるんだね」

「早いな、七原」

「まあね。私、このカレー作り楽しみにしてたから。全員参加じゃないのは残念だけど、こんな状況だからね、楽しまないと!」

「……ああ、そうだな」

「では、七原さん。申し訳ありませんが、ボディチェックをさせてください。もちろん、女子の三人で行いますが」

「うん、蒼神さん! まあ、危ないものは何も出てこないと思うけどね」

 

 その後、蒼神と城咲、大天の手によって七原のボディチェックが行われた。七原の台詞通り危険物はでてこなかったが……。

 

「なんかいろいろ出てきたな」

 

 この前見せてもらったサイコロをはじめとして、コインや洗濯バサミといった小物が次々とパーカーのポケットから出てきた。マジシャンか、お前。

 

「ははは……ポケットの中でこういうのいじってないと落ち着かないんだよね……」

「気持ちは分からないでもないが……」

「まあ、問題はありませんね」

 

 と、杉野。

 

「じゃあ、皆が来るまで中で待ってるね」

「はい、お願いします」

 

 その後、次々とくる生徒たちにボディチェックを行ったが、特に危険物を持ち込む生徒は現れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 2時になると、既に岩国を除く15人の生徒が食事スペースに勢ぞろいしていた。杉野が口上を述べる。

 

「皆さん、カレー作りに参加していただき、ありがとうございます。こんな状況下ではありますが、今日は軽くリフレッシュと行きましょう」

「よし、皆、頑張っておいしいカレーを作ろうね!」

「ま、まあ……た、たまにはこういうのもいいよな……」

 

 東雲と根岸が声を出す。

 

「そこで、今日は二班に分かれてカレーを作ろうと思いますが……グループ分けはどういたしましょうか」

「ぐっぱーでいいんじゃない? 男女で分かれてさ」

 

 蒼神の発言を受けてそう反応したのは七原だ。

 

「ぐっぱーって、あれでしょうか? ぐーとぱーでわかれましょ、という」

「うん、それ」

「うむ、それなら平等であるな」

「では、そうしましょうか」

 

 遠城の賛同もあり、七原の案が採用された。

 その結果、火ノ宮、古池、露草、七原がA班、スコット、根岸、遠城、東雲、明日川がB班という風に分かれた。俺達の方は、俺と大天がA班、新家と蒼神はB班に合流することになった。

 

「それでは、後はそれぞれの班にお任せします」

 

 という杉野の台詞で、カレー作りが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

「よしてめーらァ! 文句のつけようのねェ完璧なカレーをつくんぞ!」

『別に張り合うもんでもないけどな』

 

 叫ぶ火ノ宮に黒峰は冷静にツッコミを入れるが、

 

「美味しくできるならなんだっていいよ!」

 

 と七原は元気な声をはさみ、

 

「じゃあ、俺様の【超高校級のカレー職人】としての才能を発揮してやるぜ!」

「河彦ちゃん、また嘘ついてるね!」

 

 古池と露草はそんな会話を繰り広げている。B班の声も聞こえてくるが、皆全体的にテンションが高い。この生活でたまっていたストレスを吐き出してるのだろう。

 

「よし、作り始めるか……そうだ、皆、料理の腕前はどうなんだ?」

 

 昼にも杉野達に聞いたが、役割分担をする上で知っておいた方が良いだろうと思って聞いてみると、古池が真っ先に答えを返してきた。

 

「さっきの【カレー職人】は嘘だが、それなりに得意だぞ。家に帰ってから親の手伝いは良くしていたからな」

『本当は?』

「……皮むきなら何とか」

 

 最後はかなりローテンションの言葉だったので、おそらくこれが本音だろう。

 

「オレは得意だぜェ」

 

 と答えたのは火ノ宮。

 

「確かに火ノ宮君はレシピとかきっちりグラム単位で守って作りそうだよね」

「あァ? その通りだがなんか文句あんのかァ!?」

「ないない、だから落ち着いて」

「お、おう」

 

 火ノ宮は軽く七原にあしらわれている。心なしか、皆が火ノ宮の扱い方を覚えてきたような気もする。

 

「女子二人はどうなんだ?」

 

 そう古池が訪ねると、七原は少し悩んだ後で、

 

「まあ、私は普通かな。あ、でもクッキーとかはたまに作るよ」

 

 と答えた。対する露草は、

 

「んー、翡翠はほとんどしないかな。ほら、こっちの手には琥珀ちゃんがいるから大変だし」

『いやいや、料理するときはオレを外せばいいじゃねえか』

「外す? そんなことしたくないし、そもそも物理的に出来ないよ!」

『いーや、出来るね! オレを手放して翡翠も料理をするべきだぜ!』

「翡翠には無理だよ……そんなこと!」

 

 と、茶番をしだして最終的に泣き真似まで始めてしまった。

 

「あー……盛り上がってるところ悪いが、そろそろ始めるぞ」

「はーい」

 

 止めようと思えばすぐに止まるからいいが……露草はちょっとフリーダムすぎる。

 気を取り直して俺達が囲むテーブルの上に目を落とす。こっちの班に用意された包丁は二本だ。

 

「野菜を切るのはオレと七原でいいかァ?」

「うん、大丈夫」

 

 火ノ宮の提案に七原が乗る。

 

「じゃあ、俺は皮むきするよ……」

 

 ローテンションの古池。

 

「ねえ、翡翠は何をすればいいかな?」

「結局、黒峰はどうするんだ?」

 

 と、俺が尋ねると、

 

「別に外せるよ」

 

 露草はあっさりとそう答えた。

 

「あんだけ騒いで普通に外すのかよ……」

「じゃあ翡翠も皮むきしようかな」

 

 古池のツッコミも無視して翡翠は役割を決めたようだ。

 

「なら、俺は野菜の皮とかゴミをまとめるか」

 

 と、こうして分担が決まり、カレー作りが始まった。

 しかし、開始してすぐに火ノ宮が待ったをかける。

 

「ま、待て! その持ち方はなんだァ!」

「え?」

 

 火ノ宮の視線の先にいるのは、ジャガイモをわしづかみにして今まさに皮むきを始めようとしている露草だ。

 

「あれ? 翡翠の持ち方、何かおかしかった?」

「おかしいというより、その持ち方だと確実のケガすることになんぞォ!」

「そうなの?」

 

 きょとんとした顔の露草。そういえば、さっき黒峰と露草で話していたが、結局露草の料理レベルの話はしていない。

 

「もしかして、露草さんって料理したことないの?」

 

 俺が聞こうとしたことを七原が先に聞くと、返ってきた答えは、

 

「料理してケガしたことはあるよ」

 

 というものだった。……なるほど。

 

「よし分かった、じゃあ露草は俺の代わりにゴミをまとめてくれ。俺が皮むきをしよう」

「その方が良いな……」

「わかったよ。これなら琥珀が一緒でも作業できるね!」

「……とにかく、もう始めんぞ。B班はもうとっくの昔に始めてっからなァ」

 

 火ノ宮の言う通りだ。露草が手を洗いに調理場に向かっている間に、俺達は調理を始めた。

 

「古池、言ってた割には皮むきは上手いな」

 

 皮むきならなんとか、と言った割には古池はかなりスムーズにジャガイモの皮をむいていく。

 

「皮むきにうまいも何もないだろ……まあ、手伝いで皮むきをしていたのは本当だからな」

 

 俺も負けていられないな。

 

「おらァ、皮がむけたやつからこっちによこせ」

「ああ、お願いするよ」

「出たごみはこの袋に入れるから翡翠に頂戴ね!」

『これなら片手でできるからオレもしゃべれるな!』

 

 露草の左手に着いた黒峰はそう楽しそうに話す。

 効率は悪そうだが……役割分担は上手くいったようだ。

 

 その後作業は順調に進み、材料を鍋の方へ持っていく。

 

「野菜を炒めるのは誰がするんだ?」

「あー、どうしようか」

 

 古池に言われて、その役割を失念していたことを思い出す。

 誰にやってもらおうかと考えていると、答えを出す前に火ノ宮が立候補した。

 

「それならオレがやる。こん中だとオレが一番得意みてェだし……少なくとも露草にはやらせらんねェだろ」

「翡翠だと焦がしちゃうからね」

「……ってよりは、火傷しそうだよね」

『ま、否定できねえな』

 

 炒める作業を5人で行うわけにもいかないので、材料炒め以降は火ノ宮と、補佐として七原に任せた。その間、残った俺達は調理器具の片づけや皿の準備をしていた。

 

 そして……。

 

「こんなもんだな」

「いい匂いだね」

 

 調理担当のそんな二人の声が聞こえてきた。

 

「完成したのか?」

「うん、出来たよ」

「向こうの班も完成したみたいだな」

 

 B班の様子をうかがっていた古池もそう言っているし、そろそろ夕食だろう。西の空が……いや、こんなドームの中で方角なんてわからないが、向こうの天井がほんのりオレンジに染まりつつあり、夕方の訪れを感じさせる。

 

「いやーおなかすいちゃったよ! 早く食べよう!」

『翡翠はほとんどなんにもしてねえけどな!』

「むっ、そんなことないよ。翡翠も頑張ったもん」

「……あれ?」

「どうした? 七原」

 

 また一人漫才を繰り広げる露草の横で、七原が何かに気づいたようにぽつりとつぶやいた。

 

「ねえ、今の今まで忘れてたけどさ、ごはんは?」

 

 ……あ。

 しまった。完全に忘れていた。

 

「おい、どうすんだ。もうカレーはできちまってんぞ!」

「どうするも何も、とにかく急いで炊くしか――」

「ごはんなら問題ありませんよ」

 

 慌てふためく俺達に聞こえてきたのは、そんな杉野の声だった。

 

「問題ない?」

 

 どういうことか訊いてみると、城咲が答えてくれた。

 

「ええ。わたしたちは鍋を見張る役割でしたけど、みなさんが鍋をつかいだす前に時間がありましたので、その時間でごはんをたいておきました」

「さっすが城咲さん、準備が良いね!」

「いえ、提案したのは杉野さんでしたから」

 

 七原の褒め言葉にも全く照れる様子も見せず、すっと視線を杉野にむける城咲。

 

「城咲さんの手際の良さのおかげですよ。それでは、夕食にしましょうか」

『だな!』

 

 

 

 

 

 

 

「えー、皆さんカレーが手元に揃ったようですね」

 

 俺達は、城咲が炊いてくれたご飯と各班で作ったカレーを皿に盛り、班ごとに固まって席に着いていた。企画の発案者として食事前に杉野が口上を述べることになったが、杉野は今か今かとそわそわする俺達を見て、

 

「長々と話しても仕方ありませんし、それではいただきましょうか」

 

 と、さっさと切り上げてくれた。

 そして、

 

「「「いただきます!」」」

 

 杉野の号令のもとそんな合唱をした俺達は、次々にカレーを口に運ぶ。

 

「おォ、結構うめェじゃねェか!」

「美味しいね!」

 

 火ノ宮や七原の言う通り、なかなかの出来だ。野菜はきちんと中まで火が通っているし、スープにもコクが出ている。細かい味の違いが分かるような舌でもないが、それでもおいしいと言えるだろう。惜しむらくは、城咲の炊いたご飯が段違いにおいしすぎることだろうか。強いて言えば、だが。

 

「案外作れるもんだな」

『まあ味付けは菜々香と範太にやってもらったけどな!』

「そういうこと言うなよ……」

「古池の言う通りだぞ、こういうのは皆で作るからおいしいんだから」

「分かってるよ、凡一ちゃん」

 

 などと、元も子もないことを言う黒峰を諫めながら向こうの班にも目をやってみる。

 

「ふむ、なかなか悪くない出来ではないかな?」

「いや、カレーが焦げ付いちまってる……ダメだ、こんなもん」

「スコットは理想が高すぎるのよ。充分おいしいからいいじゃない! 根岸もそう思うわよね?」

「な、なんでぼくに訊くんだよ……べ、別に美味しいよ、ふ、普通に……」

「スコット君、鍋の担当、ありがとうございます」

「ふん……」

 

 どうやらスコットだけは出来に満足していないようだが、最終的には褒められてまんざらでもない顔をしているし、他の皆の顔にも笑みが浮かんでいるのが見える。向こうの班も成功と言って差し支えなさそうだ。

 その後、俺達は次々とおかわりをし、すぐにカレーの鍋は空っぽになた。こうして、無事にカレー会は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 片付けを終えた準備メンバーは、食事スペースに集まっていた。作業を終えたのを見て、杉野が口を開く。

 

「今日は皆さんありがとうございました。おかげでカレー作りは無事に終えることができました」

「いや、こっちこそお礼を言うよ。おいしいカレーも食べられたし、元気になったしな」

 

 頭を下げる杉野に対して、俺は率直に思ったことを告げる。カレー作りを企画してくれた杉野と城咲には頭が上がらない。

 

「そうですね。すこしかじょうなほどに事件の対策はおこないましたけど、そのかいもありました」

「みんなリラックスしてたしなあ」

「そうだね。絆も深まったと思うし、やってよかったと思うよ」

 

 城咲達も、俺に続いてカレー会の成功を喜んでいる。

 

「後は岩国さんですが……根気強く話しかけていけばいつかは心を開いてくれると思いますわ」

「そうかなあ?」

「信じて話しかけていけば、きっと心は伝わるはずだ」

 

 と、どこかから聞こえてきた疑問の声に俺がそう帰した瞬間、ふと思い至る。今の声、誰だ!?

 慌てて周りを見渡すと、俺の背後にモノクマが立っていた。

 

「うわあ!」

「ていうか、他の皆だって内心でどう思ってるかなんてわからないけどね! 他人の心が分かるなんて、オマエラ何様のつもりなんだよ! めっちゃウケるんですけど!!」

「……何しに来たんですか、モノクマ」

「何しにって、杉野クン、そりゃあオマエラに説教をしに来たにきまってるだろ!」

 

 説教……?

 

「皆でカレーを作るって言うから黙ってみてたら、なんなのさ、あの体たらくは!」

「体たらくって……どういうことだよ」

「だから、なんで誰も事件を起こさなかったのかって言ってんの!」

 

 新家が聞き返すとモノクマはそんなことを言い出した。

 なんだ……モノクマは何を言っている?

 

「どうしてと言われましても……わたくしたちは断固として殺人をしないために行動していますから。今日のカレー会で、その決意はより強くなったと思いますわ」

「そうだよ!」

「いやさ、チャンスだったじゃんか。色々とさ」

「チャンス……?」

 

 戸惑いながら、俺がそんな声を絞り出すと、モノクマは奇妙な身振りをしながら答え始めた。

 

「毒なんて、根岸クンがいつか行っていたとおりちょちょいと洗剤を弄れば誰にだって作れるんだよ。カレー作りをするってことを決めてたんだったら、昨日のうちにカレールウに仕込むなり鍋に塗るなりしておけばよかったのに!」

「そんなこと、するわけないでしょう」

「うるさいな、そんなんじゃね! オマエラはこれっぽっちも成長なんかできやしないんだよ!」

「……お前に何を言われても、俺達は殺人なんて起こさないぞ」

「ふうん……」

 

 モノクマは、俺の決意表明を聞いて、にやりと笑いながらこっちを見ている……ような気がした。

 

「なんだよ……何か言いたいのか?」

「別に……そんな決意があるならさ、どうしてカレー作りなんてやろうと思ったの? それも、あんなに殺人を警戒してまで」

「どうしてって……より絆を深めるために……」

「それは違うよ」

 

 俺の答えはモノクマに一刀両断される。

 

「結局のところ、誰かが殺人を起こすかもしれないって考えてるのは、ボクじゃなくてオマエラの方じゃん。しかも、それを自分が起こさない保障なんかない……そう思ってるよね?」

「っ!」

 

 ……見透かされている。

 

「そんなことありません!」

 

 城咲が強い口調で否定するが、モノクマは飄々とした態度のままだ。

 

「ま、別にいいけどね。今日事件が起こらなかったのはボクの後押しが足りなかったってだけだし。まあ反省はしてるよ」

「後押し……?」

「オマエラ、明日を楽しみにしてろよ! アディオス!」

「お、おい!」

 

 新家の声もむなしく、モノクマは嵐のようにどこかへと消えていった。俺達は混乱の中、食事スペースに取り残された。

 

「なんだったんだよ、一体……」

 

 新家が、ぽつりとつぶやいた。

 

「明日……と、モノクマは言っていましたわね」

「……明日、ものくまは何をするつもりなのでしょうか」

「それは考えても仕方ありません。僕達にできることは、今まで通り自分自身を、皆さんを信じることしかありません」

 

 戸惑う蒼神や城咲を、杉野が励ます。

 

「……そう……だよね」

「……そうだ。今日の皆の顔を見ただろ? 完全に不安がなくなったとは思わないが、今日のカレー会は絶対にいい影響を与えているはずだ」

 

 俺の言葉に、皆はうなずいている。

 モノクマが何をしてきようが、関係ない。信じる事こそが、俺達にできる唯一の、そして最大の反撃なんだ。

 それさえしていれば、問題はないはずなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 モノクマによって楽しい雰囲気はぶち壊されたものの、カレー作りそのものは成功を収めた。少しでも、気分が楽になればいいのだが……。

 それにしても気になるのは、さっきのモノクマの台詞だ。『後押し』……モノクマは一体何をするつもりなんだろうか。

 色々と考えを巡らせていると、

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 と、例のチャイムが鳴る。もうこんな時間か。

 

『間もなく、午後10時、夜時間になります! 夜時間は一部立ち入り禁止区域となります! 健やかな成長のため、どうか安らかにお眠りください!』

 

ブツッ!

 

「……今日はもう寝るか」

 

 明日のことは明日考えればいいだろうと割り切って、カレー会の思い出を胸に眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すぐ傍に迫っている絶望に、気付かないふりをして。

 

 

 

 

 

 

 

 




林間学校と言えばカレーですよね。
一応全員と交流できたところで、そろそろ絶望のお時間です。


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(非)日常編⑤ 全ての道は絶望に通ず

 【4日目】

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 カレー作りから一夜明け、俺は今日もモノクマのアナウンスで目を覚ました。この監禁生活が終わったわけではないが、昨日で多少は気分が晴れた。

 しかし、もやもやとした気分が渦巻いているのも事実だ。原因は分かっている……昨日のモノクマの言葉だ。

 

 

 

――《「結局のところ、誰かが殺人を起こすかもしれないって考えてるのは、ボクじゃなくてオマエラの方じゃん」》

――《「ま、別にいいけどね。今日事件が起こらなかったのはボクの後押しが足りなかったってだけだし。まあ反省はしてるよ」》

――《「オマエラ、明日を楽しみにしてろよ!」》

 

 

 

 モノクマは、俺達に殺し合いをさせたがっている。直接手を出してくる可能性は低いだろうが、俺達が仲良くなるのを何もせずに指をくわえてみて眺めているわけでもあるまい。今日、間違いなくモノクマは何かを仕掛けてくるはずだ。

 とは言え。

 

「……考えても仕方ないか」

 

 今の俺にできることは、せいぜい警戒心を高めることだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

 ここでの共同生活も4日目を迎え、朝食会では自然とグループが出来てきている。遅刻する人こそいないが、大概の女子と古池や遠城は8時の直前にやってくる。

 そんな中、比較的早めに食事スペースに来る明日川や俺、根岸は自然と同じテーブルに着くため、一緒に朝食をとるようになっていた。

 

「……な、なあ、明日川……」

「なんだい、根岸君?」

「つ、辛いことを訊くけど……ご、50年前のコロシアイの事って、ま、まだ思い出せないのか……?」

 

 明日川の顔色をうかがいながら、根岸はそんな質問を口にした。

 

「……ああ。全く思い出せない。どんな人物か参加していたかも、どんな顛末だったのかも、一切をだ」

「そ、そうか……」

「どうしたんだ? 急に。あんな前置きをしたってことは、どうしても気になったんだろ?」

「……も、もうここでの生活も4日目で……た、助けが来る気配なんかない……あ、蒼神は数か月かかるかもとか、い、言ってたけど……も、モノクマの言葉を覚えてるだろ……?」

「モノクマの言葉?」

「ほ、ほら……も、もう2年間も経ってるって話……」

「ああ……」

 

 あの言葉の真意は、依然として不明のままだ。

 

「だ、だったらさ、最悪、ここに拉致されてからもう2年経ってる可能性だってあるよな……?」

「それは……」

 

 否定できない。

 いや、正直かなり可能性の低い話だとは思うが……断言は避けるべきだ。

 

「だ、だったら……た、助けなんて待つだけ無駄なんじゃないかって……」

「なら、キミは【卒業】を目指す、と言うつもりかい?」

「そ、そんなわけないだろ!」

 

 明日川の言葉に、顔を真っ赤にして根岸は答えた。

 

「分かってるさ。これでも皆は信用しているつもりだよ」

「……と、とにかく、じ、自分たちで脱出するとか……も、モノクマを倒すとか、そ、そういうことをしなきゃいけないってことだろ…………だ、だから、50年前のコロシアイ生活のことが分かれば、な、何かヒントが見つかるかもって思ったんだ……」

 

 なるほど。

 50年前のコロシアイ生活……モノクマがそれを模倣しているのだとしたら、そこから見えてくるモノクマへの対抗策もあるかもしれない。

 

「それは間違いないはずだ。しかし、それを恐れてモノクマはボクの記憶を消したんだろう。だから、思い出すことはないと考えるべきだな」

「そ、そうか……ご、ごめん明日川」

「いや、いいさ。ボクだって、こんなコロシアイ生活(絶望的な物語)は早く終わりにしたいからね」

 

 そうだ。

 こんな生活は、早く終わらせなければならない。

 

 そうこうしているうちに、食事スペースに全員が揃った。皆、少なからず元気になったようで、和気藹々とした空気で朝食を終えた。岩国だけは露草に絡まれて鬱陶しそうにしていたが……。

 ともあれ、やはりあのカレー作りは開催して正解だった。モノクマの思惑は知らないが、これなら殺人なんて誰も――

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 ――え?

 

 俺の甘い思考を遮るかのように、ドームにあのチャイムが鳴り響いた。

 

「な、なんだ……!?」

「どうしたんでしょうか?」

 

 突然のチャイムに、根岸や城咲が声を漏らしたのをきっかけに場は騒然となる。こんな時間にチャイムが鳴る事なんてなかったはずだ。だとすれば……。

 

「うるせェ! 静かにしろォ!」

 

 火ノ宮の怒号でドームには静寂が訪れ、モニターにモノクマの姿が映る。

 

『ハイ! と言うわけで和気藹々(あいあい)の青春物語はここまで! 全員メインプラザに集合! 来なきゃその場でおしおきだから絶対来いよ! 絶対だからな!』

 

 言うだけ言って、映像は切れてしまった。

 

「……なるほど、そういうことですか」

「え?」

 

 杉野のつぶやきに、七原が反応する。

 

「モノクマが仕掛けてきたんですよ」

「いつまでたっても殺人を犯さない(ストーリーを進めない)ボク達に、業を煮やした、と言うわけだね?」

「ええ、おそらくは」

 

 明日川の言う通りだ。このタイミングで、全員を集める理由……それは、昨日モノクマの言っていた『後押し』に他ならない。

 

「とにかく、行くしかねェな」

「……行かなきゃ『おしおき』、だもんね」

 

 俯きながら、大天が小さな声を漏らす。……初日のあの無数の槍を、目の前に迫った死を思い出しているのだろう。

 

「……急ごう。ケチをつけられても面倒だ」

 

 そして、俺達はメインプラザへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《メインプラザ》

 

 メインプラザに集まって俺達16人を待ち構えていたのは、壇上で仁王立ちする白と黒の絶望の象徴――モノクマだった。

 

「うん、今回はまあまあのタイムだね。ま、全員揃ってるところで招集をかけたんだから当然なんだけどさ!」

「御託はどうだっていい! オレ達を呼び出した理由はなんだァ!」

 

 当然の如く、モノクマの戯言に火ノ宮が食ってかかる。

 

「まあ待ちなよ。本題の前にお説教があるからさ」

「お、お説教……?」

「そう、お説教だよ、根岸クン! もう何人かには話しちゃったんですけどね」

 

 そして、モノクマは昨日俺や城咲達に話したことと同じような事を言い出した。すなわち、なぜ殺人を犯さないのか、という事を。

 その結果、皆は口々に叫び出す。

 

「何を言われたって、殺人なんかするわけねェだろうがァ!」

『大体、人を殺すなんて現実味がなさすぎるっつうの!』

「みんなを……友達を殺すわけないよ!」

 

 火ノ宮が、黒峰が、七原が反論する。昨日のカレー作りのおかげもあるのか、モノクマへの反抗心を露わにする。

 

「はいはい、そういうありきたりの上っ面の台詞はもういいんだよ。充分やったでしょ? こっちはもう飽き飽きしてるんだよ!」

 

 それを、モノクマはいとも軽くあしらった。

 

「それより、これでようやく本題に入れるね」

 

 本題……それは間違いなく、昨日言っていた『後押し』の事だろう。

 

「さて、僕はね、正直オマエラのことを買いかぶっていました。オマエラも、ここまでお膳立てしてやれば、あとは自分で『成長』してくれると思っていたのです。しかし! オマエラは、ぬっるい友情を育みくっだらない話で無駄に時間をつぶし、挙句の果てには偽りの笑顔でカレー作りなんかに勤しむ始末! 一向に殺人を犯す気配なんてないではありませんか!」

 

 くるくると回りボディーランゲージを多用しながらモノクマは怒る。

 

「……それは、ボクの知っている『買いかぶる』と言う言葉とは真逆の意味のように取れるのだけど」

「うるさいな、これであってるの!」

「明日川、何言っても無駄だぞ」

 

 仰々しく咳払いをする真似をしてから、モノクマはさらに言葉をつづける。

 

「ボクは、あまりにもオマエラが腑抜けていることに失望したのです! そして、思いました……これは、施設長たるボクがどうにかしなければならないと!」

 

 その言葉の意味するところは、すなわち、

 

「ボクがオマエラの背中を後押ししてあげようと決意したのです!」

「よ、余計なお世話だ……」

 

 根岸の声に、全面的に賛成だ。他の皆もそうに違いないはずだ。

 

「ところでさ……ねえ、ミステリーに必要な物って、なんだと思う?」

 

 敵意を丸出しにする俺達に対し、モノクマは急に話を変えた。

 

「オイ! 話を逸らすんじゃねェ! とっとと本題を話しやがれ!」

「逸らしてなんかないよ! 人の話はきちんと最後まで聞け!」

「ぐっ!」

 

 ……モノクマなんかのいう事をまともにとらえる必要もないのだが、火ノ宮は何も反論できず黙り込んでしまった。おそらく、根が真面目な火ノ宮にとっては、どんな状況下であってでも、今のような正論は堪えるのだろう。……難儀な性格だな。

 

「ミステリーに必要な物……トリックでしょうか」

「他に定番な物を挙げるとすれば、閉鎖空間(クローズドサークル)や、ボク達のような遭難者(登場人物)だろうか。場合によっては見立て殺人のためのわらべ歌や伝承なども必要かもしれないが」

 

 話を進めるために杉野が答え、それを明日川が補足する。

 

「まあ、そんなところだね。そして、その多くを【少年少女ゼツボウの家】は満たしてるんだよ!」

 

 言われて思い返してみれば、確かにその通りだ。

 トリックを実行に移すための小道具は倉庫にたんまりと用意してあるし、16人の参加者に各人の個室まで用意してある。犯行に及ぼうと思えば、俺達がかつて過ごした日常よりもよっぽど簡単に事を起こせるのかもしれない。

 想定していた回答を得られて満足したのか、モノクマは尚も続ける。

 

「けれど、なぜか殺人は起こらない……その理由が何なのか、ボクは気づいてしまったのです。 ズバリ、あるものが足りていなかったからなのです!」

「あるもの?」

 

 誰かの声が聞こえる。

 

「そう!」

 

 

 

 

 

「それこそが、動機なのです!」

 

 

 

 

 

 動機……。

 

「オマエラみたいな未熟者は、単純に閉じ込めてるだけじゃ、『ここから出たい』って動機にはならなかったんだね。うんうん、ま、仕方ないよね。という事で! オマエラに【動機】を配ってあげます!」

「い、いらない!」

 

 大天が悲痛な声を上げるが、それでモノクマがやめるはずもない。

 

「そう言わずにさ、せっかくのボクからのプレゼントなんだから! 【動機】はオマエラの『システム』に転送しておいたから、各自目を通しておくように! ……どうしても見たくなきゃ見なくてもいいけど、その【動機】はボクのサービスでもあるんだよ」

「……どういうことだ」

「【動機】の中身はね、オマエラが今一番知りたい情報なんだ。あー、ボクってばこんな情報をプレゼントしちゃうなんてクマができてるなあ!」

 

 ふいに口をついて出た疑問に、モノクマはそう答えた。『今一番知りたい情報』……何のことだ? 心当たりが多すぎて、見当が付かない。

 

「とにかく、渡すものは渡したから後は頑張ってね! それじゃ、良いコロシアイ生活を!」

 

 そして、モノクマはいつものようにどこかへと消えてしまった。俺達のもとに、【動機】と困惑と不安を残して。

 左手の人差し指に鎮座している『システム』を見つめる。この中にある【動機】とは、果たして何なのだろうか。今、俺が一番知りたい情報って、なんだ?

 

「ね、ねえ……こ、これどうするんだ……?」

 

 戸惑いの中、根岸が誰に向けるでもなくそう尋ねた。

 

「どうするって言ったって……見ない方が良いに決まってるのである」

 

 俺も遠城の意見と同じだ。コロシアイを企むモノクマからのプレゼントだ。下手をすれば、これによって殺人が起こる可能性だって否定できない。

 けれど、

 

「それはどうでしょうか?」

 

 その意見は杉野によって否定された。

 

「ど、どういう意味だよ……」

「確かに、この【動機】と言うのは危険な代物でしょう。かなりの確率で……いや、間違いなく、【動機】にはモノクマの悪意が入ってるはずです。ですが、僕はこの【動機】を、今この場で確認すべきだと考えます」

「なんでだ!? 危ないんだろ!?」

「危ないからですよ、新家君。もしここで【動機】を見ないことを約束して解散したとしましょう。……では、どうやってその約束が守られているか確認するのですか?」

「それは……」

「誰かとすれ違うたびに『【動機】を見ましたか?』『いいえ、見てません』と会話をする気ですか? それが本当だと証明する術は? ありませんよね?」

「……」

「断言してもいいでしょう。この場で【動機】を見ないことを選択しても、誰かが【動機】を見たのではないか、見ていないのは自分だけではないのか、もうすでに誰かが殺人を計画しているんじゃないかと疑心暗鬼に陥るのは間違いないと思います。そして、結果的に自らも【動機】を見てしまう……」

 

 皆、神妙な顔で杉野の言葉を聞いている。

 

「だったら、初めからここで全員で【動機】を見るべきです。下手に疑心暗鬼に駆られたり一人で見てしまったりするよりも、よっぽど安全だと思いますよ」

 

 どうにか言い返せないかと反論を考えていた新家も、理路整然とした杉野の言葉に黙り込んでしまう。俺も、杉野への反論は思いつかない。

 そして、

 

「……アタシは賛成」

 

 まず、東雲が、

 

「私も賛成。……モノクマの言う事を信じるなら、【動機】の中に私たちが知りたい情報が入ってるんだよね?」

 

 次いで大天が同意する。

 

「モノクマの言葉なんて、信じていいかは分かりませんがね」

「そんなのわかってるよ! 私だってあんなやつの事なんか信用してない! ……でも……でもさ!」

 

 蒼神の指摘も、意味はない。モノクマの悪意の裏に隠された真意なんか、誰にも分かるはずはないんだから。

 

「……皆、見よう。今、皆がそろってるときに確認するのが一番いいはずだ」

 

 この俺の言葉に反論する声は、上がらなかった。

 

 『システム』を操作すると、メインメニューの一番下に【モノクマからのプレゼント】という欄が表示されていた。その項目を選択すると、さらに【動機】という欄が現れた。

 ……これか。

 

「では、皆さん一斉に確認する、という事でよろしいですね?」

「ああ……」

 

 杉野の声にスコットが返答する。見渡せば、あの岩国を含めた全員が【動機】を確認しようとしていた。

 ……覚悟を決めて、【動機】を選択した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【あなたの一番知りたいことはなんですか?】

 

 真っ黒の画面に、そんな文章が白い文字で表示された。そのまま待っていると、映像が流れだした。画面には、どこかの家の玄関が映っている。いや、この家、見覚えがある。……これは、俺の家だ。

 カメラが、玄関から家の中に入っていく。その向かう先には確かリビングがあったはずだ。ドアを開けてその中にいたのは……。

 

「……これは!」

 

 そこにいたのは、笑みを浮かべた壮年の男女だった。顔は見覚えがない……けれど、自分の家にいる二人の心当たりなんて、一つしかない。

 俺の、両親だ。

 それに、この二人が俺の家族だという妙な確信もある。きっと、モノクマの記憶消去も万全じゃなかったんだろう。

 

 映像は尚も進む。二人が、こちらに向かって語り掛けてきている。音は流れないが、下の方に字幕が出た。

 

――「希望ヶ空学園での生活はどうだ?」

――「元気にやってる?」

 

 曰く、そんなことを言っていた。

 ……やっと、やっと思い出せた。ここ数日間忘れていた家族の顔をようやく思い出せたんだ。父さんも、母さんも、笑っている。

 ――そう安堵したのも、一瞬だった。

 

 突如、画面は暗転し、映し出されたのは【二年後】の文字。

 そして、光の戻った画面に映っていたのは、ズタボロになった我が家のリビングだった。壁紙は破れ、窓ガラスは割れ、ソファーは傷だらけ、机は二つに折られ……およそ形のある物全てが破壊されつくしていた。

 画面の中に、さっきまで笑顔で俺にメッセージを送っていたあの二人の姿は、俺の大切な家族の姿はない。

 三度暗転し、またしても文章が表示される。

 

 【あなたの家族の安否は、卒業の後にお教えいたします!】

 

 そこで、映像は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 な、なんだよこれ……。

 突然目に入ってきた衝撃的な映像に、思考は完全に停止する。俺の家族は……父さんは、母さんは……どうなった?

 それに、あの映像に移っていたのは二人だけ……そもそも、俺の弟はどこに行ったのだろう?

 

 気が付けば、皆も【動機】を見終わったらしい。

 

「いや……なんで、こんなこと……」

 

 七原が小声でつぶやき、

 

「やだ、やめて……またなの……!」

 

 大天がしゃがみ込み頭を抱え、

 

「ふざけんじゃねェぞ!」

 

 火ノ宮が怒号を上げ、

 

「……」

 

 岩国が憎々しい顔でにらみつけ、

 

「なるほど……これは……」

 

 杉野は思いつめた表情をしていた。他の皆も、それぞれの感情を露わにしており、場は混乱の極みにあった。

 

「……クソッ!」

 

 【動機】なんか、見るんじゃなかった。完全に、モノクマの罠だったんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 それから、時間がただ無為に経過していった。時間というのは偉大なもので、皆も興奮だけは押さえられたようだ。

 しかし、誰もが沈黙しながら俯いており、不安の色は顔に色濃く残っている。きっと、俺もそうなんだろう。

 皆が【動機】の映像を反芻し、それに仕組まれた不安と恐怖にさいなまれる中、一人の生徒が声を上げた。

 

「なあ……皆が見た【動機】って、どんなやつだった?」

 

 新家だ。

 

「……それは……」

 

 答えようとするが、どうしても口ごもってしまう。口に出したら、それが本物であると認めてしまうような気がして。

 

「……詳しくどんなものかは聞かないけど、多分、それぞれの大切な物の映像……そして、それが壊されたかもしれない……そういう映像だよな?」

 

 その新家の言葉に、俺は無言でうなずく。他の皆も同じような反応を見せている。もっとも、俺の場合は物ではなく人だったが、それはおそらくモノクマが生徒によって映像を変えているのだろう。それぞれが、一番大切にしているものの映像に。

 皆の反応を見て、俯きながら新家は語りだした。

 

「……ボクの【動機】は、ボクが建築に関わった、ボクの誇りである希望ツリーだった。はじめは空から撮影した希望ツリーの映像だったけど、すぐに、街が火ノ海になっている映像に切り替わった」

 

 その映像の意味するところは。【動機】の映像を見た俺達なら、それを容易に想像することができる。

 

「……映像はうまく希望ツリーが映らないようにされていたから、希望ツリーが燃えたかどうかはわからない。けど、あれを見て燃えていないなんて思う事なんて到底出来ない。……でも、それだけだ。希望ツリーが燃えていることも100%じゃない! 映像が合成やCG……偽物の可能性だってあるだろ?」

 

 そう言って、新家は顔を上げる。その表情は、明らかに怯えていた。

 

「そりゃあ、ボクにとって、希望ツリーはボクの命よりも大切な物だ。ボクの【宮大工】としての人生の結集でもある! でも、だからって殺人を犯していい理由になんかならない! そうだろ!?」

 

 新家の声が大きくなっていく。

 

「だって、ボク達は……仲間なんだろ?」

 

 ……『仲間』。

 

「だから……だから、こんな映像を見せられたからって、そんな顔すんなよ……! そんな、まるで【卒業】を考えてるような……そんな顔を!」

 

 新家の叫びが、メインプラザの中に、ドーム中に広がっていく。

 ……言われなくても、そんなことわかってる。俺の家族の映像があんな形で打ち切られたとはいえ、俺の家族がひどい目に遭っているとか……まして、死んでしまっているなんて、そんな確証はどこにもない。こんな【動機】に踊らされて殺人を犯すなんて、それこそモノクマの思う壺だ。

 しかし。

 誰もが新家のように割り切れるわけじゃない。

 

「で、でも……あ、あの映像が合成だなんて証拠もないよな……?」

 

 根岸が、弱々しい声を出す。

 

「も、もしも……あ、あの映像が本物だったら……!」

 

 それは、俺の考えていたこと……俺の恐怖そのものだった。

 

「そうだけど……だからって、殺人なんか!」

「も、もちろん……! だ、誰かを殺そうだなんて思ってない……! で、でも……!」

「でもじゃない!」

「……とりあえず、今はもう解散にしましょう」

 

 怯えた表情で口論する二人の間に、杉野が割って入った。

 

「……個室に戻って、各自頭を冷やしましょう。くれぐれも、めったなことは考えないように。いいですね?」

 

 その言葉を合図に、次々とメインプラザから人が消えていく。俺も、その流れに逆らうことなくメインプラザの出口へと歩きだす。

 

「あっ、おい!」

 

 背中越しに新家の声が聞こえる。……けれど、俺は、その声に返事をすることができなかった。

 いつしか歩くスピードは加速していき、俺は不安をかき消すように個室へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 個室へと戻ってきた俺は、ベッドに寝転んで息を整える。そしてそのまま、脳内で【動機】の映像を反芻し始めた。

 

「…………」

 

 あの映像は本物なのか……もしかしたら、新家の言う通りこの映像は偽物なのだろうか。偽物だとしたら、これ以上頭を悩ませる必要はない。もう、あんな映像のことは忘れてしまえばいい。

 けれど、そうじゃなかったとしたら……。

 

「…………」

 

 左手を宙にかざし、『システム』を見つめる。

 映像が本物かどうかを確かめるには再び映像を見て吟味するのが良いのだろうが、あんな衝撃的な映像、二度と見たくない。俺の家が……あんな無残な状態になっているだなんて。 

 

 父さんは、母さんは、果たして無事なのだろうか。もしかして、あのリビングと一緒に……。

 ()()()()()が、俺の頭をよぎった。

 平次だって、どこに行ったか分からない。どうして初めの映像にすら姿が映っていなかったんだろうか。もしかすると、その時点ですでに……。

 

「なんなんだよ、クソッ……」

 

 握りこぶしでドスンとベッドを叩く。

 なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ。俺は【超高校級の凡人】で、ずっと平凡な人生を歩んできて……それが、どうして、こんなことに……。

 

「俺が何したって言うんだよ……」

 

 ……その問いに答える声は、当然、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………もし。

 ……もしも。

 あくまでも、もしもの話だ。

 もしも、【卒業】を目指すとなると、まずは誰か1人を殺さなければならない。その上で、その後に開かれる【学級裁判】を勝ち抜き、皆を欺く必要がある。そして、最終的にはここにいる俺以外の15人全員を殺すことになるのだ。

 ……できるかどうかはひとまず置いておく。【やる】か【やらない】か、その二択が問題なのだ。

 身近な15人の命か、どこかにいる家族3人の安否か。

 

「…………」

 

 もしも仮に皆を殺してここから出たとして、それで家族の死を自分で確認してしまったら、俺はどうなってしまうのだろうか。

 そんな結末、あまりに絶望的すぎる。

 ……だからって、このまま家族に会いに行くのを、ここから脱出するのを諦めてしまうのか。

 

 ……この絶望的な二択には、答えがない。

 …………深い深い、暗い闇へと、意識が堕ちていく。

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………。

 ……………………。

 …………。

 

 一人っきりの個室で、何時間も時が流れていった。

 終わらない絶望的な思考の果てに、俺は一つの結論にたどり着いた。

 【やる】か【やらない】か……この二択は、身近にいる15人とどこかにいる家族3人――そんな選択肢じゃあなかった。

 たった4日間しか共に過ごしていない15人と、十数年の人生を共に歩んだ3人だ。

 

 ――そんな選択肢だったら、どっちを選ぶかなんて決まっているじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――殺さなきゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無意識に口から出ていたその声は、自分のものとは思えないほど、絶望的なまでに冷酷だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




動機の内容は一章の定番、【大切なもの】です。
今回のラストが書きたくてこの小説を書き始めたみたいなところがあります。


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(非)日常編⑥ 殺人計画進行中

 《個室(ヒラナミ)》

 

 ――――――殺人。

 

 それは、最大の禁忌にして、人間が人間であるために絶対にしてはいけない行為だ。その一線だけは、決して超えてはいけない。

 けれど、その先に希望があるのなら――――。

 

 頭では、わかっている。どんな理由があっても、殺人はしてはいけないのだと。殺人が正当化される理由なんて、本来は存在しない。

 しかし、これは仕方のないことなんだ。

 

 例えば、『殺人鬼が襲い掛かってきた』という状況ならどうだろうか? これなら、殺人鬼の凶器を奪って殺害しても、『正当防衛』が成立する。殺人の、正当化がなされるのだ。

 それと、同じことだ。

 他の何にも代えられない大事な家族のためなら、15人ぽっちの犠牲は仕方ない。どうせ、たった数日しか顔を合わせていない、赤の他人の連中なんだ。そんな連中、死んだってかまわない。

 だから、これは、仕方が、ない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望的な決意をした俺は、個室で【卒業】のための計画を練っていた。

 最終的に全員を殺すことになるとはいえ、誰か一人は俺自身がこの手で殺さなければならない。それが、【卒業】の絶対条件だ。さらに、その後には【学級裁判】も待ち構えている。

 ただ殺すだけじゃだめだ。俺が()ったとばれないように、綿密な計画を立てる必要がある。どんな殺し方なら、俺は【卒業】できるだろうか。

 

「なるべく確実に殺すためには……やるなら不意打ちでないとだめだな」

 

 まず、大前提がこれだ。

 俺は【超高校級の凡人】だ。運動的な才能を持つ生徒はいないとは言え、真っ向から挑んで殺せる自信はない。

 それを踏まえて次に考えるのは、殺害方法だ。

 

「すぐに思いつくのは、刺殺、撲殺、絞殺……こんなもんか」

 

 ナイフで後ろから一突きしたり、ハンマーで後頭部を殴れば、リスクは最小限に殺人をなせるだろう。ついた返り血は、犯行後にシャワーで洗い流してしまえば……あ。

 

「……このための断水か」

 

 初日に個室に置いてあった紙を思い出す。

 

 

――《また、夜時間の間は、宿泊棟は完全に断水となります。お手洗いやシャワーなどは夜時間になる前に済ましておくことをお勧めいたしますです。》

 

 

 きっと、簡単に証拠を消滅させないための措置だったのだ。モノクマは俺達にコロシアイをさせたがっているが、その先の【学級裁判】で何の証拠も出なければクロはやすやすと逃げおおせてしまう。それはモノクマの意図するところではないのかもしれない。

 

「なら、絞殺は?」

 

 悪くないかもしれない。絞殺なら、返り血は出ないから、証拠も残りにくい。……ただ、殺せるか? 油断しているところを狙えば可能かもしれないが、暴れられたりすると力に自信があるわけではない俺では反撃にあうかもしれない。殺せないことは無いかもしれないが、もっと確実な方法があるはずだ。

 

「…………」

 

 方法は一旦おいておくとして、殺害場所はどうしようか?

 この宿泊棟の個室は完全防音と例の紙には書いてあったので、個室が良いかもしれない。しかし、まさか自分の個室で殺すわけにもいかないだろう、これではクロがまるわかりだ。

 なら、殺す相手の個室ならどうだろうか? これなら、殺してすぐに立ち去れば問題は……いや、だめだ。どうやって個室に入る? 仮に入ったとして、それでは不意打ちはまず不可能だ。俺達は、不意打ちが可能なほど仲良くなってなんかいない。

 

 殺人計画は一つ候補が浮かぶたびに消えていき、一向に完成のめどは立たない。やはり、俺は凡人だ。殺人のための才能も、殺人に使える才能も持ち合わせていない。

 それでも、やるしかない。凡人の俺にだって、どうしても譲れないものがあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い長い時間をかけて脳内でシミュレーションを繰り返し、どうにか殺人計画を作り上げた。

 

 

 ターゲットは根岸章。

 殺害場所は倉庫。

 方法は刺殺。

 凶器は厨房の包丁だ。

 

 

 他の皆が寝静まった真夜中、根岸を倉庫に呼び出して、倉庫に入ったところを背後からグサリと刺してしまうのだ。返り血は、倉庫にあったジャージの中でサイズが大きめのものを着て防ぐ。犯行後、使用したジャージは元の場所に戻しておけばいい。

 凶器は、凶器セットの物を使うことも考えたが、俺の凶器セットはまだ未開封のまま。もしも俺以外の全員も同じように未開封なら、凶器の出どころから犯行がばれる可能性がある。ついでに、倉庫にあった小型ナイフでは一撃で殺せないかもしれないと、いろいろと考慮した結果、厨房の包丁を使うことにした。夜時間になる前にこっそり持ち出しておくつもりだ。

 手や頭に防ぎきれなかった返り血がつくかもしれないが、夜時間の間に倉庫に人が来ることもないだろう。なら、死体が発見されるのは夜時間が終わってからのはずだ。7時になったらすぐにシャワーを浴びて、何食わぬ顔で朝食会へ向かえばいい。そして、誰かが倉庫で死体を発見したら、俺も皆と一緒に倉庫に向かうのだ。

 これなら、誰も俺が犯人(クロ)だとはわからないはずだ。残す証拠も多くはない。大丈夫だ。問題ない。

 

 肝心の殺す相手だが……これは、計画を立てる段階で決まった。倉庫に呼び出せる可能性が高いのが、根岸だったのだ。

 倉庫に呼び出す方法は、こういうメモをその相手の個室に入れることにした。

 

『倉庫にて、面白いものを発見した。モノクマへの対抗策となるため、気付かれないように深夜一時に倉庫に集合』

 

 この疑心暗鬼の状況下で、呼び出されたからと言ってそう簡単に真夜中に倉庫に来る人間はまずいない。それでも、このメモで呼び出せると思ったのは、根岸はそうせざるを得ないと思ったからだ。

 根岸は、誰よりも臆病者のクセに、好奇心を抑えることができない人間だ。だから、こういう風にあいまいな表現で脱出をにおわせれば、必ず倉庫にやってくるのだと考えた……多分、来るだろう。

 

 これが、俺の立てた殺人計画の全容だ。凡人なりに、無い知恵を絞って作り上げた。皆に、根岸に恨みなんかない。けれど、殺さなければならない。だって、仕方がないんだから。

 

「……」

 

 自分自身に問う。

 これで本当にいいのか?

 これが正しい選択肢なのか?

 これ以外に何か方法はないのか?

 

「…………うるさい」

 

 家族を見捨てろと言うのか。

 家族に会えない方が間違っている。

 あったらもうとっくの昔に脱出しているだろ。

 

「………………やってやる」

 

 覚悟は決まった。

 

 気づけば、時計は午後8時を差していた。窓から差し込む光はとうに消え、ドームは夜の暗さに包まれている。

 ……もう時間もない。すぐに行動に移ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟(ロビー)》

 

 できるだけ平静を装って個室を出る。何気ない顔で、ドアに鍵をかける。

 表情から気取られるのはダメだ。平常心平常心……。

 

「……凡人か」

「うおっ……よう、岩国」

 

 すると、突然ロビーにいた岩国に声をかけられた。

 ……大丈夫か? 怪しまれなかったか?

 

「何やってるんだ、こんなところで」

「別に……」

 

 適当に尋ねてみたが、返ってきたのはそっけない返事。……特に追及は無いようだ。

 なら、とっとと準備をしてしまおうと、宿泊棟を出ようとすると、

 

「待て、凡人」

 

 と声をかけられた。

 

「なんだ、岩国」

「お前は、あの【動機】を見てどう思った?」

「…………」

 

 なぜ岩国はこんなことを訊いてくるのだろう。岩国は、他人と関わろうとなんかしなかったじゃないか。

 

「どうって……そりゃ、怖いさ……」

 

 そして、俺はその質問に、

 

「まあ、俺の【動機】は家族だったんだが……どうせ偽物だろ」

 

 嘘で、

 

「あんな映像に踊らされて、殺人なんかしたら……だめだ」

 

 自分の心とは裏腹に、

 

「そんなこと、人間として、していいわけがない」

 

 そんなきれいごとで答えた。

 これから俺は、皆を殺すというのに。

 それを聞いた岩国は、俺を強く睨み、

 

「嘘だな」

 

 と呟いた。

 ビクリと俺の体が震えた……ような気がした。まさか、俺の計画がバレたというのか。この短時間で?

 ……ありえない。そんなはずはない。

 平静を装いながら言葉を返す。

 

「何言ってるんだ。嘘なんかじゃない」

「お前は、誰かを殺すつもりでいる。そうだろ?」

「……そんなわけないだろ。何の根拠があってそんなことを言うんだ」

 

 すると、岩国はにらみつけていた目線をふっと外し、黙り込んだ。なんなんだ、一体。

 根拠がないのなら……まだ俺が本当に人を殺そうと思っているとは気づいていない、という事なのか。

 

「…………」

 

 岩国は黙ったまま個室へ向かおうとした。それを今度は俺が引き止めた。

 

「ちょっと待て。そう言うお前はどうなんだ?」

「……別に、答える義務はないだろ」

「そりゃそうだが……お前、俺に答えさせたくせに、自分は黙るつもりか」

 

 自分は嘘をついているくせに、我ながら白々しい……。

 

「…………」

 

 そんな俺の言葉を聞いた岩国は、すこしバツの悪そうな顔になった。そして、そっぽを向いたまま語りだした。

 

「…………あの動画の正体なんて、俺にもわからない。本物かもしれないし、偽物かもしれないな。けど、どんな理由があろうと、殺人は悪だ。糾弾されるべき罪だ。正当化される理由などない」

「それはそうだな」

「ただ、他の連中はどう考えているだろうな。今こうしている間にも、【卒業】のための計画を案じているヤツがいるかもしれない」

 

 …………。

 

「特に、だ。俺は、お前を全く信用していない」

 

 なんだ、どうして岩国はこんなに俺に敵意を向けるんだ。岩国の気に障るようなことを何かしただろうか。

 

「信じたって、どうせ裏切られるだけだろ。……それでも、信じてくれとお前は言うのか?」

 

 岩国は、こちらを向いて俺の目を射抜くように見る。

 

「当たり前だろ。俺はお前を……皆を裏切らない」

 

 そして俺はまた、嘘をついた。

 

「……ふん、どうだかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《倉庫》

 

 岩国から逃げるように宿泊棟を後にして、倉庫にやってきた。目的は言うまでもなく、殺人の下見だ。

 どこに隠れるか、返り血を防ぐためのジャージはきちんとあるか、他に殺人に使えそうなものはないか、そういうことを確認しに来たのだが、倉庫の中には先客がいた。火ノ宮が、倉庫の中央に仁王立ちで立っていたのだ。

 

「何やってるんだ? こんなところで」

「あァ?」

 

 純粋な疑問を口にすると、火ノ宮は不機嫌そうにそんな声を返してきた。いや、火ノ宮はいつもこんな声だが……。

 

「何って、見張りにきまってんだろォが」

「見張り?」

「あァ。この倉庫、危険物も含めていろんなモンがあんだろ? だから、変な事を考えるヤツがいたらここに来るんじゃねェかって思ってな」

「ああ、なるほど……」

 

 火ノ宮の説明に納得していると、火ノ宮は俺をにらみつけた。どうしたんだ、と聞こうとしたが、その説明からすると……。

 

「で、てめーはなんで倉庫に来たんだァ?」

 

 やはり、疑われたみたいだ。

 

「別に変なことは考えてないさ。腹は減ったが夕食を作る元気がなくてな。缶詰を取りに来たんだ」

 

 そう言って、棚に手を伸ばしフルーツの缶詰を一つとってごまかす。

 

「ならいいけどよォ……」

 

 すると、火ノ宮はあっさりと俺を信用した。

 

「くれぐれも【卒業】しようだなんて考えるんじゃねェぞ」

「当たり前だろ。それとも、俺がそんな風に見えるのか?」

「…………そんな訳ねェだろ。悪かったな、疑ってよォ」

 

 どちらかと言うと俺を疑ったというよりは念を押した、といったような火ノ宮のさっきの発言だったが、それでも仲間に疑いの目を向けることの罪悪感を火ノ宮は感じているらしい。こんな状況下だというのに、つくづく真面目な奴だ。

 それにしても、そんなことを言われると、こっちまで罪悪感を感じてしまう。

 

「……いや、いいさ」

 

 だって、俺は本当に【卒業】を企んでいるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース/野外炊さん場》

 

 倉庫の見張りを続けるという火ノ宮と別れ、食事スペースにやってきた。中央のテーブルでは、城咲、古池、露草が夕食をとっている。

 

「よう、平島。お前も夕飯か」

「……」

『凡一、古池のそのボケにはもう触れない方が良いぜ。面倒だ』

「あ、ああ……」

「ボケとは失礼な」

「河彦ちゃん、翡翠は名前を間違える方が失礼だと思うな」

 

 露草の正論を無視するように、古池はご飯を口に運ぶ。三人ともおかずはハンバーグでメニューは皆同じだ。

 

「それ、三人で作ったのか?」

『いや。全部かなたが作ってくれたぜ』

「もしよろしければ、平並さんもいかがですか? まだ調理場の方に残っておりますので。……みなさん、今日は個室にこもりっきりだったようで、たくさん余ってるんです」

「悪いが、遠慮しておく。あまり食欲がないんだ」

「そうですか……」

 

 そう言って、城咲はしょぼんとしたそぶりを見せる。正直城咲の善意を無下にするのは心が痛いが、悠長に夕食を食べる元気と時間があるわけじゃない。

 

「ここには缶切りを取りに来たんだ。倉庫になかったからこっちにあると思ったんだが」

 

 そう言いながら、俺はさっき倉庫からとってきた缶詰を三人に見せる。

 

「ええ、流し台の近くの引き出しにありましたが……」

「ありがとう、城咲」

 

 適当なでまかせで調理場に向かう口実を作った俺は、そのまま調理場へと向かった。

 

 

 

 

 調理場や冷蔵庫には誰もいなかった。城咲は前に、調理場にさえいれば調理場の中のことは把握できるというようなことを言っていたが、その城咲は今食事スペースにいる。さすがにこの距離なら【超高校級のメイド】と言えど俺の動きには気づけないだろう。

 

 疑われないように実際に引き出しから缶切りを持ち出した後は、城咲たちの方をうかがいながらシンクの下の扉を開ける。そこにはきちんと五本の包丁が並んでいた。

 そのうちの一本をこっそりと取り出し、服の下に隠す。下手に会話してボロを出しても怖るので、城咲達に話しかけられる前にそのまま調理場を、そして食事スペースを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 その後は、誰とも会わずに個室に戻ってくることができた。城咲の言っていた通り、個室にこもっている人が大半なのだろう。

 

 ベッドに腰かけ、自分の手元を見る。

 今、俺の右手には包丁が握られている。……持ってきてしまった。引き返すなら今のうちだが……今更やめる気なんてさらさらない。

 

 だって、俺はここから出ないといけないんだから。

 

 

 一旦、包丁は机の引き出しにしまい、部屋に備え付けてあった机上のメモ帳を手に取る。未使用のそれの、一番上に、出来るだけ筆跡が出ないように角ばった文字で呼び出しの手紙を書き始めた。

 

 

=============================

 

倉庫にて、面白いものを発見した。

モノクマへの対抗策となるため、気付かれないように深夜一時に倉庫に集合。

 

=============================

 

 

「……よし、できた」

 

 これなら筆跡からの特定は難しいだろうし、問題ないだろう。

 呼び出し状をメモ帳から破り取って、個室を出た。

 

 

 

 

 

 『システム』の地図とネームプレートを目印に、根岸の個室を探す。

 

「ここか……」

 

 根岸が個室の中にいればベストだが、いなかったとしても個室に戻ってきたときに呼び出し状に気づけばそれで十分だ。

 周りに誰もいないことを確認して、ドアポストから呼び出し状を部屋の中に差し入れる。念のために一応ドアチャイムを鳴らしてから、俺はピンポンダッシュのように自分の個室へと逃げ込んだ。

 

 根岸が百パーセント倉庫に来る保証はない。けれど、もしも根岸が倉庫に来たなら、その時は……。

 

「…………」

 

 ……後は、夜時間を待つだけだ。

 

 

 

 

 

 もう、止まれない。

 殺人計画は始まった。

 ……仕方のない事なんだ。どうせ、人生でかかわるかどうかもわからなかった人たちだ。

 家族に会うためだったら、殺したってかまわないじゃないか。

 

「……大丈夫だ」

 

 自分に強く言い聞かせるように、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 個室の時計は、既に日付を変え0時30分を示そうとしている。

 夜10時を告げるモノクマのアナウンスが流れてから、俺はずっとベッドに腰かけて包丁を握りしめていた。

 俺はこれから、人を殺すんだ……。

 

「……」

 

 ……そろそろ倉庫に行って根岸が来るのを待っていた方が良いかもな。

 包丁を服の下に隠し、腰を上げた。

 

 音を立てないようにしてこっそりと個室のドアを開ける。どのみち個室は防音なのだから聞こえやしないだろうが、念のためだ。

 首だけ廊下に出して辺りを見渡すが、誰もいない。当然だ。そのためにこんな時間を選んだんだから。

 誰かに見つかる前に早く倉庫に行ってしまおう。そう思って、ドアにカギをかけてロビーの方へと歩みを進める。そして、今まさに玄関の扉に手をかけようかとした瞬間。

 

 

 

 カツン、カツン……。

 

 

 

 背後から、足音が聞こえた。

 反射的に振り返ると、

 

「どこに行くの? 平並君」

 

 廊下に七原が立っていた。

 ……まずい、見つかった。

 

「ちょっとリフレッシュにな。怖くて不安で、眠れなかったからな」

 

 ごまかせるだろうか?

 

「……ずっと個室にいたら息も詰まっちゃうからね。でも、こんな時間に?」

 

 七原は壁に掛けられた時計に目線を飛ばした。時計はちょうど0時半を差している。

 

「……眠れなかったんだよ。そっちこそどうしたんだ?」

「私は飲み物を取りに来たんだけど……ねえ、そのリフレッシュ、私もついて行っていい?」

「……ああ、別にいいが」

 

 本音を言えばついてこられるのは嫌だったが、まだ約束の時刻までは30分もある。適当に切り上げて宿泊棟に戻れば大丈夫だろう。その後でまた倉庫へ向かえばいいのだ。

 

「ねえ、どこに行くつもりだったの?」

「別に。ちょっと宿泊棟を出るだけのつもりだった」

「ふうん……ならさ、自然エリアの展望台に行ってみない?」

「展望台?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 《【自然エリア】展望台》

 

 七原に言われるまま、俺と七原は自然エリアへとやってきた。 自然エリアには中央広場に街灯が一本立っているため、展望台は真っ暗闇というわけではない。

 彼女曰く、宿泊エリアよりも自然エリアの方が星がよく見えるのだという。実際の夜空ではなくドームの天井がそういう設定になっているだけらしいのだが、自然エリアの方が人工物が少ないためそうしているのだろう。

 実際、森を抜けて展望台まで来ると、きれいな星空とその淡い光で埋め尽くされた空間を見ることができた。

 

「きれいだね」

「……ああ」

 

 ほんの少しだけ、気分が晴れたような、そんな気がする。

 ……しかし、俺の胸中にはまだ明らかな殺意があることもまた事実だ。殺さなきゃいけないんだ、俺は。

 そうじゃないと、俺は、家族に会うことができない。

 

「……ねえ、平並君」

 

 そんなことを考えていると、隣に立つ七原が話しかけてきた。

 

「どうした?」

「すごく、言いづらいんだけどさ……平並君、誰かを殺そうって考えてるよね?」

 

 ……っ!

 どうして、そんなことを訊いてくるんだ! ばれたのか? どこから? なぜ?

 落ち着け、まだごまかせるはずだ。

 

「……そんなわけないだろ。そんな……人を殺すなんて考えてないぞ」

「それ、嘘でしょ?」

「嘘じゃない!」

 

 

 

「それは違うよ! きっと!」

 

 

 

「っ!」

 

 七原は、俺の台詞を強い口調で否定する。

 

「だって、本当に怖くて不安なんだったら、リフレッシュのためでも()()は個室から出てこないよね。誰かが殺人を企んでて、自分が狙われるかもしれないんだから」

 

 ……確かに、七原の言う通りだ。恐怖におびえるなら、気分転換なんてやろうと思ってもできないはずだ。

 

「それに、誰かを殺そうとしてないなら、そんな顔してないよ」

 

 その七原の言葉にハッとなり、咄嗟に手を顔に当てる。……俺は今、そんな顔をしているのか。俺は、そんなに顔に出やすいのか。

 

「お前、それが分かってて俺をここに連れてきたのか?」

「……そうだよ。だって、そんな平並君を放ってなんて置けないから」

 

 七原は、少し表情を曇らせてそう答えた。

 

「怖いのは分かるよ。誰だって、あんな映像見せられたら、不安になるに決まってるし……」

「…………」

「でもさ、だからって、誰かを殺すなんてダメだよ。そんな方法で外に出たって、意味なんか――」

 

 

 

「うるさい!」

 

 

 

 七原の話を遮って叫んだ声が、展望台に、自然エリア中にこだまする。

 

「偉そうなことを言うなよ! そんなこと、言われなくてもわかってるんだよ!」

「……」

「人を殺しちゃダメなんて、分からない訳ないだろ!」

「だったら、どうして!」

「仕方ないじゃないか! 家族が危険にさらされているかもしれないんだぞ! それを黙って見逃せって言うのかよ!」

「……家族」

「ああそうだ! 俺の【動機】は家族だった! だから、外に出て、会いに行って無事かどうか確かめないと……!」

「……ねえ、平並君の家族はさ、平並君が人を殺してまで会いに来て喜ぶと思う?」

「知るかよ、そんなこと! 俺が会いたいって思ってるんだ!」

「……でも」

「うるさいうるさいうるさい! なんなんだよ、さっきから! 散々悩んださ! これで本当にいいのかって! ……でも、こうするしかないんだよ!」

 

 そう言って、俺は服の下に隠していた包丁を取り出した。

 

「それ……!」

「予定とは違うが……お前を殺したっていいんだぞ! こんな時間に自然エリアにいる人なんかいない。お前を呼び出したわけでもない! だったら、ここでお前を殺したって、犯人(クロ)が俺だってばれるはずもない!」

「お、落ち着いてよ、平並君!」

「包丁を見せた以上、もう、お前を殺すしかない……!」

 

 包丁を強く握り直し、七原に刃先を向ける。怯えた表情になり一歩後ろに下がった七原だったが、それでも、俺に語り続ける。

 

「平並君、本気なの?」

「もちろん本気だ。冗談で、こんな事できるわけないだろ」

「やめようよ、こんな事。苦しいのは、不安なのは皆一緒だよ。でも、皆頑張ってそれに立ち向かってるんだよ!」

「黙れよ!」

「っ!」

 

 そりゃそうだろ! 皆は、俺なんかとは違うんだから!

 

「俺は、お前達みたいに才能のある人間じゃないんだよ! 何をやっても人並みで、胸を張って誇れることなんかなんにもなくて! それでも! たった一つの支えだったのが家族なんだ! 家族は、俺の日常そのものだったんだ!」

 

 包丁を強く握りながらそう叫んだが、それでも七原は言い返す。

 

「じゃあ、平並君は今の、この日常が壊れたっていいって言うの!?」

「はっ?」

 

 七原の叫びに驚き、間抜けな声を出してしまった。七原は、その隙を見逃さずに、言葉をつづける。

 

「たった数日だったかもしれないけど、狂ったルールがあったかもしれないけど、不安でいっぱいだったかもしれないけど! このドームで過ごした時間だって、大事な日常なんじゃないの!?」

「……それは……」

「それでも、自分の手でその日常を壊すって言うの? クラスメイトになるはずだった、私達を全員殺して!」

 

 

 

 

――《「おう。さっきも言った通り、全員希望ヶ空に20期生としてスカウトされた【超高校級】の奴らだった。ここに来る経緯もおんなじだ」》

――《「もし僕達16人でここで暮らすことになっても、一週間程度は過ごせると思いますよ」》

――《「……岩国琴刃(イワクニコトハ)。【超高校級の弁論部】だ」》

――《「む、また一つアイデアを思い付いたぞ。メモを取らねば!」》

――《「分かってるわよ。死んじゃったらそこでおしまいだもの」》

 

 

 

 

 七原の言葉で、脳内にここ数日の思い出がよみがえる。この施設に閉じ込められた俺達16人は、本来なら同級生になるはずだった。

 

「ぐ……だからって、家族を諦めろって言うのかよ……!」

「そうじゃなくて……! まだ浅い絆かもしれないけど……カレーだって一緒に作ったよね!」

 

 

 

 

――《「わたくしは結構得意ですわよ? 料理が上手ければ学校内での人望にもつながりますから」》

――《「じゃあ、俺様の【超高校級のカレー職人】としての才能を発揮してやるぜ!」》

――《「出たごみはこの袋に入れるから翡翠に頂戴ね!」》

――《『これなら片手でできるからオレもしゃべれるな!』》

――《「美味しいね!」》

 

 

 

 

 杉野の発案で始まったカレー作りは、皆、楽しそうにしていた。それは俺だって例外じゃない。この狂った世界でも新しい日常を築けていた。あの瞬間は、間違いなく楽しかった。

 

「で……でも……!」

「それでも本当に殺せるの!? このドームで一緒に過ごした【仲間】たちを!」

 

 

 

 

――《「そ、それにしても……ど、どうしてこうなっちゃったんだろう!」》

――《「皆さん全員が朝食をよういするのは大変でしょうから、わたしが皆さんの朝食をおつくりすることにしたのです」》

――《「失礼な。私はれっきとした【運び屋】だよ!」》

――《「それに、オレは完璧主義者なんだ。こんな負けっぱなしで終われるわけないだろ」》

――《「で、結局、キミの想い人(パートナー)は誰なんだ?」》

――《「だって、ボク達は……仲間なんだろ?」》

 

 

 

 

 ……俺は、とても大切なことを忘れていたのかもしれない。俺達は共に絶望に抗う仲間なのだという事を。

 

「あ……ああ……」

 

 全身の力が抜けていく。

 

「平並君にとって家族がかけがえのない物なのは分かるよ。きっと、モノクマもだからこそそれを平並君の【動機】にしたんだと思う。……でも、人の命なんて、比べちゃいけないんだよ」

「……俺は……俺は……!」

 

 そして。

 

 

 カラン……。

 

 

 俺の手から包丁が滑り落ちた。

 

「うぅ……あぁ……!」

 

 ――俺は、間違っていた!

 自分の決断を悔やみうなだれる俺の頬を、何かの液体が伝っていく。それが何かなんて、考えるまでもない。涙だ。

 

「……良かった」

「ごめん……ごめん……!」

 

 うわごとのように口から言葉が漏れる。

 

「大丈夫だよ。……誰だって、間違えることはあるんだから」

「……うぅ……ぁぁ……!」

 

 もはや言葉にならない。

 展望台には、ただひたすらに俺の嗚咽が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、十分ほどが経過した頃だろうか。自責の念に駆られて、夢中で涙を流し泣きわめいた俺は、ようやく心が落ち着き始めていた。

 

「平並君、もう大丈夫?」

「ああ……ごめん、ありがとう。本当に」

 

 これっぽっちの言葉では表しきれないほど、七原には助けられた。危うく、とんでもないことをしでかしてしまうところだった。

 

「いいよ、そんな。私たちは仲間なんだから。助け合うのが当然でしょ?」

「……【仲間】か」

 

 

――《「だって、ボク達は……仲間なんだろ?」》

 

 

 ……新家にも謝らないといけないな。俺は、あの時、新家の呼びかけに応えることができなかった。

 新家だけじゃない。直接殺そうとしてしまった根岸にも、学級裁判で出し抜いて殺そうとした皆にも、謝らなくちゃいけない。謝って済む問題じゃないが、それでも、だ。

 

「いつまでもここにいてもしょうがないからさ、もう宿泊棟に戻ろうよ。さすがに眠くなってきたし」

「……ああ」

 

 今日は、宿泊棟に戻ってもう寝よう。朝になったら、皆の前で、土下座でも何でもして、謝るんだ。それしか、俺にできることは無いんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊-自然ゲート》

 

 俺と七原は、自然エリアを後にして、宿泊エリアへとつながる廊下を歩いていた。途中で、自然エリアの中央広場にある時計が、1時少し前を示しているのが見えた。

 

「それにしても……七原、お前があの時ロビーに来てくれて、本当に助かったよ」

 

 あそこで七原に声をかけてもらわなかったら、おそらく俺は今頃……。

 

「そうだね。私が幸運でよかったよ」

「幸運……そうか、これが、お前の幸運か」

 

 確かに、あそこで七原が現れたのは、幸運以外の何物でもない。

 

「うん。隠すことでもないから言うけど、私、何かの決断はコイントスで決めることがあるんだよね」

「コイントス?」

 

 七原は、ポケットから一枚のコインを取り出す。カレー作りの時に見た、あのコインだ。

 

「小さいころからやってるんだ。前に、なんとなく決めた行動がいい結果になる、ってことは言ったよね?」

「……ああ、そういえば」

「でも、それだけじゃなくて、なんとなくで決められなかったときはこのコインで決めてるの」

「コインで、ねえ……」

「今日、あんな映像を見せられて、全然眠れなくて……喉が渇いたから、飲み物を取りに行こうと思ったの。でも、殺人を企んでる人と鉢合わせして、襲い掛かられたらどうしようって思っちゃって……そこで、コイントスをしたんだよ。飲み物を、取りに行くかどうかを決めるためにね」

 

 七原は、そう言いながらコインを手でもてあそんでいる。

 

「じゃあ、そのコイントスの結果が、飲み物を取りに行くってことだったのか」

「うん。ロビーで様子のおかしな平並君を見かけたときは驚いたけど……なんとなく、説得できそうな気がしたんだ。それで、説得したら平並君は思い直してくれたでしょ? だから、結果的にコインはいい方を選んだんだよ」

「そんなことが、あるのか……」

「あるよ。だって、私は幸運だから、ね?」

 

 七原は、そう言ってニコリとほほ笑んだ。

 

「……そうか」

 

 七原は、疑いようもなく【超高校級の幸運】だった。

 

「それより、平並君。訊きたいことがあるんだけど」

 

 そんな七原が、話題を変える。

 

「なんだ?」

「平並君は、本当は誰を殺すつもりだったの? 元々は別の誰かを殺そうとしてたんだよね?」

「あー……根岸だよ。手紙で1時に倉庫に呼び出したんだ」

 

 少し言いよどみながら、それでも本当のことを七原に伝える。

 

「そう、根岸君……」

「ああ。あの時の俺はどうかしていたよ……本気で、殺すつもりだったんだ」

 

 自分でも数え切れないほど自分の行動の是非を考えたというのに、結局七原に説得されるまでは、その愚かさに気づくことができなかった。【超高校級の凡人】だから、なんて言い訳は許されない。

 

「それに気付けたんだから、大丈夫だよ。凶器は、やっぱりその包丁?」

「ああ……色々考えたんだが、一突きで殺せるものって言ったら、これしか思いつかなかった」

「確かにそうかもね……じゃあ、包丁を持ち出したのは平並君だったんだね」

 

 ……ん?

 

「包丁が持ち出されたこと、知ってたのか?」

「知ってたっていうか……私、9時くらいに調理場に行ったんだ。その時に、包丁が無くなってることに気づいて……その時食事スペースにいた城咲さんたちにも聞いたから、間違いないよ」

「……そうだったのか」

 

 廊下を歩き切り、宿泊エリアへの扉が開く。

 すると、ちょうど倉庫の扉を開ける根岸の後ろ姿が見えた。どうやら、根岸は俺の呼び出し状を読んでちゃんと倉庫に来てくれたようだ。

 ……自分のしようとしていたことを思い出して、身震いする。きちんと、根岸に事情を全部説明して謝らないと。

 そう思って倉庫へ向かい始めた足は、次の七原の言葉で止まった。

 

 

 

「でもさ、どうして平並君は2本も包丁を持ち出したの?」

「………………は?」

 

 2本?

 

「ちょっと待て七原。それってどういう――」

 

 

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 悲鳴が、宿泊エリアに響き渡る。今の声は……!

 

「根岸の声だ!」

 

 急いで、倉庫へと向かう。入口の前につくと倉庫の中は明かりがついていて、中から腰を抜かした根岸が後ずさりではい出てくる。

 

「根岸! どうした!」

「っ! お、おまえたちも呼ばれたのか……!」

 

 呼ばれた、というのはきっと俺の出した呼び出し状の事だろう。あれを受け取ったのは根岸だけだが、とにかくそれはいい。

 

「そんなことより、今の叫び声はなんだ! 何があったんだ!」

「待って……ねえ、根岸君。その手に持ってるのは何なの……?」

「こ、これは……」

 

 七原に訊かれて、根岸はとっさに右手を背中に回して隠す。しかし、その手に持っていたものは、俺の目にはっきりと映っていた。

 

「お前それ……拳銃か……?」

 

 それは、あの凶器セットの中の一つである、拳銃だった。

 

「ち、違う……! ぼ、ぼくじゃない!」

「あっ、おい!」

 

 足をもつれさせながら、宿泊棟へと走り去る根岸。

 

「待ってくれ根岸!」

 

 とっさに根岸を追いかけようとしたが、瞬間、

 

「きゃあっ!」

 

 背後から、七原の叫び声が聞こえた。

 

「七原?」

「あ……あれ……!」

 

 七原は震えながら倉庫の中を指差していた。彼女の視線の先を追うように、倉庫の中を覗き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 倉庫の中は、鼻をつんざくような鉄の臭いが充満していた。床に散らばるのは無数のガラス片。それを覆いつくすように、真っ赤な液体が広がっている。

 

 いや、まさか、そんな。

 

 その液体の海に沈むように、何かが、違う、()()が倉庫の真ん中でうつぶせに横たわっていた。

 

 ああ、数時間前の俺は何を考えていたか。

 

 

 

――《他の何にも代えられない大事な家族のためなら、15人ぽっちの犠牲は仕方ない。どうせ、たった数日しか顔を合わせていない、赤の他人の連中なんだ。そんな連中、死んだってかまわない。》

 

 

 

 あの時の俺は、なんて愚かだったのか。人は死んだら、もうそれまでなのだ。死んでいい人間なんて、いやしないんだ。

 それがようやく分かったのに、どうして、ほら、俺の目の前で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずたずたに裂かれて深紅に染まったつなぎを着て、赤黒い液体の滴る安全ヘルメットが転がる傍で。

 

 

 

――――【超高校級の宮大工】新家柱が死んでいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 この時になって、俺はようやく知ったのだった。

 

 どうにかつなぎとめたと思っていた俺達の新たな【日常】は、俺の知らないところで、とっくに崩れ去っていたことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER1:【あゝ絶望は凡人に微笑む】 (非)日常編 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 最初の脱落者は【超高校級の宮大工】である新家君でした。
 さて、これからが本当の絶望です。


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非日常編① 現実はいつも残酷で

 

 

 

 あ ゝ 絶 望 は

―――――――┐

       │凡

       │人

       |に    CHAPTER1

       │微     【非日常編】

       |笑       

       |む

 

 

 

 

 

 

――《「新家柱だ。【超高校級の宮大工】とは、ボクの事だよ」》

 

 

 つなぎを着て安全ヘルメットをかぶった彼とは、食事スペースで出会った。

 初めて会った時、俺は彼の存在を忘れていた。本人の自称する通り、影は薄かったような気がする。

 それでも、彼は欠かせない俺達の仲間だった。

 

 

――《「ああ。【宮大工】の仕事だと数ミリ単位で決まってる設計図通りに作らないといけないことも多いから、手先は器用なんだ。飾り包丁とかも簡単な物ならできるぞ」》

 

 

 【超高校級の宮大工】である彼は、手先が器用で刃物の扱いにも優れていた。その技術はあの日、ともに昼食を作った時に活かされていた。

 

 

――《「なあ……皆が見た【動機】って、どんなやつだった?」》

 

 

 皆が絶望に叩き落されたとき、どうにか耐えて、皆を支えようとしていた。

 

 

――《「だって、ボク達は……仲間なんだろ?」》

 

 

 皆を信じ、奮い立たせることで、彼は絶望に抗おうとしていた。

 

 

 

 

 

 そんな新家柱が、俺の目の前で鮮血の中に倒れていた。

 

 

 

 

 

「おい、おい……なんなんだよ……! 冗談だろ、なあ……!」

 

 血の海に靴を染めながら、一歩ずつ新家の身体へと向かっていく。携えていた包丁を投げ捨て、ガチャリガチャリとガラスを踏み割りながら進んでいく。

 

「やめろ……やめてくれ……」

 

 まだ、新家に謝れていないのに。

 お前の想いを踏みにじって、裏切って、ごめんって、俺はまだ一言も言えていないのに。

 

「おい、こんなところで寝てたら【規則違反】になるだろ……起きろよ……なあ……!」

 

 わかっている。

 もう、心の底では、新家が生きているかどうかなんて、とっくにわかっている……。

 けれど……けれど……!

 そうして、ようやく新家の体にたどり着いた。けれど、すがるように触れた手は、既に冷たくなり始めていた。

 

「冗談だろ……何やってんだよ!」

 

 俺は、その事実が受け入れられなくて、何度も新家の体をゆする。もう、生者のぬくもりを保てていない、新家の体を。

 

「……っ!」

 

 ふと、背後から息をのむ音が聞こえた。

 振り向くと、七原のほかに、蒼神、城咲、東雲の三人が倉庫の入り口に立っていた。

 

「……これは……」

「冗談……ですよね?」

「本当に死んでるの……?」

 

 三者三様の反応を見せる彼女たち。三人もまた、目の前に広がっている光景が信じられない様子だ。

 

「わ、わたし、皆さんを呼んできます!」

 

 そう言って駆けだそうとする城咲の前に、突如白黒のぬいぐるみ……モノクマが立ちふさがった。

 

「その必要はないよ、城咲サン。ボクが皆に教えて回ったから、皆じきにここに集まると思うよ」

「教えて回ってる?」

「うん。さっきのアナウンス、聞いたでしょ?」

 

 さっきのアナウンス?

 

「……死体が発見された、というアナウンスのことですか?」

 

 何かを思い出したような蒼神がモノクマに尋ねた。

 そういえば、そんな放送を聞いたような……。

 

「そうそう。あのアナウンスはね、事件の発生を全員に伝えて出来る限り裁判を公平に行うために、死体を三人以上が発見したら流すものなの」

「確かに、わたしたちもあのあなうんすで事件のことを知りましたが……」

「でしょ? で、普通はこんなことはしないんだけど、ボクが皆を呼んできたから行く必要はないよ」

「呼んできたって……どうして」

「こんな夜中にオマエラが死体を発見するもんだから、アナウンスを流した意味がないんだよ! 皆寝てるからね! だから、ボクがわざわざ皆を起こして回ったんだよそうしないと『公平な裁判』にならないでしょ?」

「……そういうことでしたか」

 

 モノクマの弁を聞いて、城咲が一応は納得した。

 

「それでは、とりあえず皆さんが揃うのを待つとしますが……」

 

 蒼神は、そういいながら俺の方に目線を向ける。

 

「建前は嫌いですので、一応訊いておきます。平並君、あなたが犯人ですか?」

「……はっ?」

 

 蒼神の言っていることが理解できない。

 

「そんなわけないだろ! 俺が……誰かを殺すなんて……」

 

 そう返してみたものの、この言葉には微妙に嘘が紛れている。

 

「訊いただけですわ。ですが、今一番怪しいのは平並君ですから、そのあたりはわきまえておいてください」

「一番怪しいって……どういうことだ」

「……平並、アンタ今の自分の状況を一回きちんと把握しなさい」

 

 自分の状況?

 東雲にそう言われ、周りを見渡して自分の服装に気が付いた。

 ……血まみれだ。

 

「服は血まみれで、死体のそばに突っ立ってて、それで傍には包丁まで転がってるのよ? ……これで疑わない方がどうかしてるわ」

「……これは違うんだ! これは……!」

「東雲さん、蒼神さん、平並君は犯人じゃないよ」

 

 弁明をしようとしたが、それより先に七原が俺のことをかばってくれた。

 

「七原、どういうこと?」

「平並君は私と一緒に新家君の死体を発見したの……血は、その後に新家君に駆け寄ったときに着いたんだよ。だから、平並君は犯人じゃないんだよ」

「……ふうん、そう」

 

 東雲は、100パーセント信用したわけでもないだろうが、ひとまずは七原の意見に耳を傾けてくれたみたいだ。

 

「ごめん、七原」

「いや、いいよ。平並君が犯人じゃないのは私がよくわかってるから」

「……ありがとう」

 

 さっきから、ずっと七原に助けられっぱなしだ。……恩返しをしないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 十分ほどが経過して、倉庫の前に全員が……いや、違う、新家を除く15人が集まった。

 その全員が、倉庫の中の新家の死体を見てそれぞれなりの反応を見せた。

 

「……ちっ」

「ゆ、夢じゃなかったんだ……あ、ああ……」

『柱……どうして死んでんだ、オマエは……!』

 

 当然俺の服についた血も指摘されたが、これもまた七原が説明をしてくれた。

 そして、俺達の反応を満足げに観察していたモノクマが、俺達の視線の先に躍り出て口を開いた。

 

「はい、事件が起こるまでに丸四日間かかりました!」

 

 普段ならモノクマの軽口に誰かが文句を言うのだが、今ばかりは誰からもそんな声は上がらなかった。

 

「それにしても、ようやく! ようやく殺人が起こったね! いやあ、ここまで長かったよ。面白くない茶番ばっかり見せられて、ボクもぶち切れそうだったよ、危ない危ない。ま、【動機】を与えただけで、まさかここまでボクの思い通りになるとは思わなかったけどね……うぷぷぷ……」

「何言ってやがんだァ! モノクマァ!」

「ん? どうしたの、火ノ宮クン」

「どうせてめーが新家を殺したんだろォがァ! そうやって、オレ達の不和を起こそうって魂胆だろ!」

「そんなわけないじゃーん! そんなことしたって意味なんかないんだからさ!」

 

 ……意味?

 

「とにかく、新家君を殺したクロはオマエラの中にいるんだよ!」

「ど、どこにそんな証拠があるんだ……!」

「証拠? 証拠も何も、ボクがこの目でバッチリ見てたからね。録画もしてるから、見せてあげるよ」

 

 根岸の言葉にそう返したモノクマ。おい、おい、ちょっと待て!

 

「お前、誰かが新家を殺すのを黙ってみてたってことかよ!」

「え? 黙ってなんかないよ? そんな最高な映像、笑いながらじゃないと見てらんないでしょ!」

「は、はあ……?」

 

 俺の悲痛な叫びを聞いてもなお、モノクマは言葉遊びのような返事をする。

 狂ってる……【ホンモノ】だ、こいつは。

 

「でも、録画を見せるってことは答えを教えるってことだから、それは、学級裁判の後でね! ハイ、じゃあ学級裁判の説明に移りまーす!」

 

 モノクマはそうやって急に話を切り替えた。これ以上は追及しても無駄だろう。

 

「えー、オマエラが確認した通り、新家君は何者かに殺されてしまいました! というわけで、オマエラには学級裁判で、新家君を殺した真犯人、すなわちクロを見つけ出していただきます!」

 

 真犯人……それが、この中にいるというのか。

 俺が、スコットが、大天が、皆が互いに視線を交わしあう。

 

「それじゃ、これからの捜査の為に時間をとるので、じゃんじゃん捜査しちゃってください! あ、捜査時間は食事スペースと野外炊さん場のカギは開けておくからね。調べたいことがある人もいるかもしれないから、捜査はご自由にどうぞ」

「待ちやがれモノクマァ! オレ達は警察じゃねェんだぞ! 捜査なんかできるわけねェだろ!」

「知らないよ、そんなの! それがレギュレーションなんだから! オマエラ自身の命がかかってんだから、血反吐を吐いてでも捜査するんだよ!」

 

 火ノ宮のクレームも、モノクマはバッサリと切り捨てる。

 

「こんな時にまで甘ったれんな! オマエラはいつもそうだ! だからオマエラは未熟者とか言われるんだよ! ここで本気にならなきゃいつ本気になるんだよ!」

「ふん……未熟者を否定する気はないが、オマエにそんなことを言われる筋合いはない」

 

 スコットが不満をあらわにしている。俺だってそうだ。そもそもこんな状況になったのは誰のせいだと思っているのか。

 新家が死んだのは、誰が元凶だと思っているんだろうか。

 

「あ、でも、さすがに死体の検死ができる人はいないだろうから、それだけはやっておいたよ。【動機】と同じく『システム』に送っておいたから、確認しておいてね! ボクってばやっさしいなあ!」

「……」

「それじゃ、頑張ってね! アディオス!」

 

 モノクマはその台詞を最後に、例の如くどこかへと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重く停滞した空気が、15人を包んでいる。

 

「ねえ……これ、現実……なのよね……」

 

 そんな中、初めに口を開いたのは東雲だった。その言葉に、杉野が答える。

 

「ええ……夢や幻なんかじゃありません。もしそうだったらどれほどよかったことか……新家君は、確かに殺されていました。しかも、その犯人は、僕達の中にいる……」

「も、モノクマのいう事を、し、信じるのかよ……!」

「そういうわけではありませんが……」

「……俺からすれば、こいつらのことを妄信する方がどうかと思うがな」

 

 岩国が、不機嫌そうに言葉を吐き捨てる。

 

「な、なに言ってんだよおまえ……」

「誰かが俺達を裏切って殺人を犯した、と考える方がよっぽど現実的だろう」

「そんなわけねェだろうがァ!」

「黙れクレーマー。【超高校級のクレーマー】の癖に感情ですべてを否定する気か?」

「ぐぐぐ……」

 

 岩国の物言いに、火ノ宮はギリギリと歯ぎしりをするばかりだ。

 すると、根岸が岩国を震えながらビシリと指差した。

 

「お、おまえがやったんだろ……!」

「……何?」

「お、おまえが一番怪しいじゃないか……! だ、誰とも関わろうとしないで……」

「何を言うかと思えば……いいか、人を告発する時は明確な根拠を示せ。それが【告発】の責任というものだ」

「……そ、そうやって話を逸らすなよ……!」

「ねえ、もう喧嘩やめようよ! そんなことしてる場合じゃないはずだよ!」

 

 七原が仲裁に入るが、収まる様子はなく次第に騒ぎは大きくなっていく。

 けれど、俺はその口論には参加しなかった。参加できなかった。

 そんなことよりも、俺の脳内は、目の前で見た新家の死体で埋め尽くされていたのだ。俺がやろうとしたことの罪の大きさに、押しつぶされそうになっていた。

 だから、聞き逃してしまいそうだった。

 

 

 

 

「……ふふっ!」

 

 その、小さな笑い声を。

 

 

 

 

「おい……なんで笑ってんだ、お前!」

 

 俺は、思わずその笑い声の主に問いかける。

 俯いて手を口に当てながら笑っている、東雲に向かって。

 

「え? だって、笑わずにはいられないじゃない! こんな楽しいことが現実だったのよ!」

「……は?」

 

 そんな間抜けな声を、誰かが出した。

 

「何を言ってるんだ、東雲……」

「いや、いきなりこんなところに閉じ込められて殺しあえって言われても、現実味が全くなかったのよ。これはアタシが見てる夢なんじゃないかって不安だったのよ。皆もそうよね?」

 

 東雲の言う現実味の無さというのは、確かに感じていた。おそらくここにいる全員が感じているはずだ。

 けれど、夢であってくれとすら願った俺と東雲では、その認識がまるで違った。

 

「けど、あの新家の死体を見て確信したわ。やっぱりここは現実だったのね! 一歩間違えれば死んでいたのはアタシだったかもしれないわ……このスリルがずっと待ち望んでいたものだったのよ!」

 

 どうして、そんなことを言うんだ。

 東雲は、ここにいる誰よりも、人が死ぬという事を理解しているはずじゃなかったのか。

 

「この生と死が隣り合った空間が現実だったなんて最高じゃない! しかも、これで終わりじゃない……今度は全員が命を懸けた【学級裁判】が始まるのよ! 皆、楽しみましょうね!」

 

 この生活で初めて見るような満面の笑みで、東雲はそう言い切った。

 

「な、なに言ってるの……新家君は、ホントに死んでるんだよ!」

 

 理解できないといった表情で大天が東雲に詰め寄ったが、当の東雲は笑顔を保ったままだ。

 

「分かってるわ、だからこそよ! 死ぬリスクのないゲームなんてつまらないじゃない!」

「これはゲームなんかではないのであるぞ!」

 

 それどころか、東雲は火に油を注ぐ様な真似をする。その結果として、口論は収まる気配もなくヒートアップしていく。

 

「いい加減にしろ」

 

 そんな中、よく通る声で、鋭くとがった言葉が聞こえてきた。

 岩国だ。

 

「今は、倫理観の是非など話している時間じゃない。宮大工を殺した犯人を見つけるための時間だ。死にたくないなら今すぐその口を閉じろ」

 

 岩国の言葉には強烈な棘があったが、それでも、それは事実だった。

 

「……岩国さんの言う通りですわ」

 

 蒼神が同意する。

 

「今、わたくしたちはモノクマに監禁されています。もしも【学級裁判】を無視するのであれば、きっとモノクマはそれなりの対応をとるでしょう。ですから、学級裁判のために行動するのが最適のはずですわ」

 

 蒼神はあえてぼかした言い方をしたが、それはつまり、【学級裁判】に出なければ殺される、という事を意味している。

 

「わたくしたちが何と言おうと、新家君が殺されたのは動かしようのない事実です。……犯人が誰であっても、その真相を明らかにすることは、決して無駄ではないと思います」

「…………」

「ここにいるのは捜査に関しては素人ばかりですが、それでも、このような閉鎖空間で殺人を行えば何らかの証拠は残るはずですわ。真相を解明することは、決して不可能ではありません」

「ですが、そうさと言っても何をすればよいのですか?」

 

 城咲が不安そうに尋ねる。

 

「そうですわね……とにかく、普段と変わったことは無いか、もしくは怪しい行動をした人物を見なかったかなどを調べればよいかと思いますわ。幸い、この施設はとてつもなく広い施設というわけでもありませんし、規則違反に抵触する為にポイ捨ても行えません。この15人で協力すれば、きっと証拠は見つかるはずですわ」

「捜査に関しては俺も協力してやるが、捜査を始める前に決めておきたいことがある」

「なんですか? 岩国さん」

「現場の見張りだ。15人が自由に動けば隙が生まれる。その隙をついて、クロが証拠を隠滅する可能性があるからな」

「それは……確かにそうですわね」

 

 岩国の提案に蒼神は納得して、俺達を見渡しながら問いかける。

 

「誰か、現場の見張り……現場保全に努めてくださる方はいらっしゃいますか? 捜査はできなくなってしまいますが……」

「では、わたしがやりましょうか」

 

 立候補したのは城咲だ。

 

「狭いくうかんであれば、怪しい動きをしている人にはすぐにきづきますので」

 

 なるほど、【超高校級のメイド】のスキルが役に立つ、というわけか。

 

「念を入れて見張りはもう一人出したい。メイドの他に立候補する奴はいるか?」

「……だったら、オレもやる。オレも目はいい方だからな」

 

 二人目の見張りとしてスコットが手を挙げる。

 

「では、現場保全はお二方にお任せしますわ」

「な、なあ……つ、ついでに訊いておきたいんだけどさ……」

「どうしましたか、根岸君?」

「け、検死って、で、出来る人はいるのか……? も、モノクマがやったみたいだけど、ど、どこまで信用できるかわからないし……」

 

 検死、か……。そんな事ができる人、この中にいるのか?

 

「検死ですか……正直期待はできませんわね。【超高校級の鑑識】でもいれば話は別なのでしょうが……」

 

 ……確かに、俺達の中にそう言った才能の持ち主はいない。何か、死体に関して知識のある人がいるだろうか。

 悩んでいると、杉野が口を開いた。

 

「【超高級の図書委員】である明日川さんなら、そういった知識も持ち合わせているのではないですか?」

「な、なるほど……み、ミステリとか読んでるなら、も、もしかして……」

「……悪いけれど、ボクが好むのはフィクションばかりでね。現実の死体は見たことがないし、ボクの活躍できるシーンはなさそうだ」

 

 明日川ならもしやと思ったが、その知識は持っていないらしい。と、思っていると、

 

「……なら、オレがやる」

 

 火ノ宮が名乗りを上げた。

 

「ひ、火ノ宮が? お、おまえ、け、検死なんかできたのかよ?」

「あァ? できるわけねェだろ!」

「な、ならなんで名乗り出たんだ……!」

「検死はできねェが、知識ならある……オレは【超高校級のクレーマー】だからな。いつどんな知識が必要になるかも分からないから、知識はできるだけ詰め込んでんだ」

『へえ。クレーマーするのも大変なんだな』

 

 クレーマーって、そういうものだっけ?

 もしかすると火ノ宮は、クレーマーだから勉強するのではなく、勉強できるからこそ【超高校級のクレーマー】になれたのかもしれない。

 

「死体に詳しいわけじゃねェが……どっちにしたって、モノクマの検死がどこまで正しいか判断するヤツは必要だ。誰も出来るヤツがいねェなら、オレが検死をやってもいい。素人なりの判断しか下せねェだろうけどな」

「それで構いませんわ。では、火ノ宮君に検死はお願いいたしますわ」

 

 この非常時においても、蒼神の仕切りは健在だ。

 

「……とにかく、これで決めるべきことは決めましたかね」

「では、ひとまず解散にして、捜査を始めましょう。みなさん、懸かっているのはわたくし達の命です。そのことを、ゆめゆめ忘れないようにお願いいたします」

 

 蒼神は、そう言って話を切り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 【学級裁判】……。それは、仲間を殺した犯人(クロ)を見つけ出すための場。

 

 そして、モノクマの言葉を信じるならば、この中にそのクロは潜んでいるというのだ。

 

 

 クロは、きっとここから出るために新家を殺したのだ。かけがえのない、仲間を。

 俺にそのクロを責める権利なんてない。だって、俺も絶望に染まって根岸を殺そうとしたのだから。俺は、一度皆を裏切ってしまったのだ。

 けれど、いや、()()()()()、俺には皆を救う【義務】がある。

 

 ……だから、とにかく今は捜査をするんだ。

 俺のような凡人が、どこまでやれるかはわからない。

 けれど、たとえ推理力がなくたって、観察力がなくたって、いくら俺が【超高校級の凡人】なのだとしても、それは決して言い訳にはならない。

 俺が、この事件の犯人を見つけなくてはならない。

 

 そうすることでしか、この罪は償えないはずだから。

 

 

 

 




立ち止まってはいられない。
次回、捜査編。


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非日常編② 割れたガラスは直せない

 〈《【捜査開始】》〉

 

 《倉庫前》

 

 捜査のための会議を終えて捜査が始まった。倉庫の中へと入っていったのは、現場保全や検死を担当する城咲達以外は数人しかいない。そうでない人々は、倉庫の中に入ることなく倉庫から離れていった。

 

 まあ、倉庫の中には新家の死体がある。直視することはおろか、その存在自体を認めたくない人も多いのだろう。

 ……俺だってそうだ。できることなら、ここから悲鳴を上げて逃げ出したい。こんな現実を、現実とは認めたくない。

 

 それでも、逃げちゃいけないんだ。

 

「……さて、捜査とは言っても何をすればいいんだ」

 

 とりあえず、モノクマの検死の結果を見ておこう。

 『システム』を操作して、【動機】のデータが入っていた【モノクマからのプレゼント】の項目を選択する。

 この、【モノクマファイル1】がそうだろうか?

 

「なにが『1』だ」

 

 こんなこと、もう二度と起こしてはいけないのに。

 とにかく見てみよう。

 

 

=============================

 

 【モノクマファイル1】

 

 被害者は新家柱。

 死亡推定時刻は深夜0時過ぎ。

 死体発見現場は【宿泊エリア】の倉庫。

 死因は失血死。背面に無数の刺し傷がある。

 

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「……これだけか」

 

 書いてあることはあまりにシンプルだ。新家の死体を確認すれば分かることも書いてある。とはいえ、素人では判断することができない情報もある。死亡推定時刻だ。

 死亡推定時刻は深夜0時過ぎ。という事は、俺が個室で包丁を握りしめている間に事件が起きたのだ。

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 《倉庫》

 

 モノクマファイルを確認したのち、俺は倉庫の中に入った。

 倉庫の中には、現場を見張る城咲とスコット、検死を行っている火ノ宮に加えて、杉野、岩国、根岸の三人がいた。

 

 中央には、無残な姿になった新家も横たわっているし、これだけの人数が揃うとさすがに倉庫も狭く感じる。

 

「……根岸」

「う、うわっ!」

 

 入り口の近くでしゃがみこんでいた根岸に話しかける。

 

「な、なんだ……ひ、平並か……」

「何かあったか?」

「……べ、別に何もないよ……き、気になっただけだから」

「気になったってのは、このガラスの事か」

「う、うん……」

 

 新家の死体を見つけたときから気になっていた。

 倉庫の床全体に、ガラスの破片が散乱している。倉庫の中に入ると、嫌が応にもこのガラスを踏まなければならないほどだ。

 粉々に砕けているものも多いのは捜査の為に俺達が踏み込んだからか、とも思ったがどうもそうでもないように見える。

 

 棚の傍に目を向けてみれば、その正体が分かった。

 ビーカーや空き瓶、すりガラスなどといったものが割れていた。厚いガラスの大きな水槽も割られている。

 

「何かの拍子で落ちて割れたのか?」

 

 確か、この水槽は棚の上に置いてあったはずだ。もしかしたら犯行時にぶつかったのかもしれない。

 

「か、かもしれないけど……ぜ、全部……? そ、それにそうだったらこんなに、ゆ、床全体に散らばってないよな……?」

「……それもそうか」

「だ、だから気になってるんだよな……」

 

 一体どうして、こんなにガラスが散乱しているのだろうか?

 

「な、なあ……」

 

 根岸が話しかけてきた。

 

「なんだ?」

「ひ、平並……お、お前は本当にぼく達の中に犯人がいると思うか……?」

 

 ……モノクマは、確かにそう言っていた。

 犯人、か……。

 

「……いてほしくは、ない。だけど、いてもおかしくない、とは思っている」

「そ、そう……」

 

 ……だって、俺も、この根岸を……。

 もやを晴らすように頭を振る。今は、それを考える時間じゃない。

 

「お前は?」

「……ぼ、ぼくは……」

 

 根岸は、少し言葉をつぐんだ後、

 

「わ、わからない……。も、モノクマが仕組んだかもしれないし、だ、誰かが、そ、外に出ようとして新家を殺したのかもしれないし……ど、どんなことだって、か、考えられる……」

 

 ………………。

 

「……き、気になるんだよ。あ、新家がどうして殺されたのか……こ、この夜に、な、なにがあったのか……ぼ、ぼくは知りたいんだ」

 

 いつものようにどもりながらも、強い意志を持った目でそう答えた。

 

「……だ、だから、こ、怖くても捜査しないと……」

「そうか……」

 

 根岸も根岸で、俺とは違った想いを抱えて捜査に挑んでいる。

 

 

 

 

 

 

 棚の方へ移動する。

 そこでは、岩国と杉野が何やら話していた。

 

「……何かあったのか?」

「平並さん。ええ、これを見てもらえますか?」

「ビニールシートか? ……これは」

 

 杉野が見せてきたそのビニールシートには、赤い液体が、べっとりと付着していた。

 

「ええ、疑いようもありません。血液です」

 

 ……大量の血液。

 倉庫に広がる血を先に見ていなければ、これだけでも吐き出しそうになっていただろう。

 

「これだけの量だ。大きなケガをしているヤツもいなかったし、輸血パックも倉庫にはない。まず間違いなく、宮大工の血だろうな」

「どこにあったんだ?」

「折りたたんだ状態で、棚の奥に押し込まれていました。少なくとも、自然についたものではないでしょう」

 

 となると、このビニールシートは犯人が使用したもの……多分、新家を殺した後に棚に入れたのだろう。

 

「……ん?」

 

 ビニールシートの、中央部。しわが寄っている部分に、いくつか穴が開いている。何かでひっかいたような……なんだこれ?

 

「それと、こっちも見てくれますか?」

「ん?」

 

 続いて杉野が見せたのは、ジャージだ。俺が犯行に使おうと思っていたものでもある。

 そのジャージには、ぬぐったように血がついている。

 

「これも、ビニールシートと同様に棚に押し込まれていたものです」

「……そうか。なるほどな」

 

 おそらく、自分自身や凶器についた血をこれでぬぐったのだろう。

 良く見ると、このジャージもごく小さな物であるが穴が開いている。……どういうことだ?

 

「……他に、何かなかったか?」

 

 悩むのは、後にしておこう。とりあえず今は情報を集めるのが先だ。

 

「何かなかったと言うか……『何もなかった』、と言うのが適切ですかね」

 

 すると、杉野は何やら意味深なことを言い出した。

 

「見てもらえればわかりますが……無いんですよ。火ノ宮君と確認したはずの『危険物』が」

「え?」

 

 それを聞いて、棚の中を漁りだす。

 

「……無い」

 

 小型ナイフやノコギリ、ダンベルといった、以前確かにこの倉庫にあったはずの『危険物』が、どこにもないのだ。

 

「どうして……?」

「それは分かりませんが……おそらく、これも犯人の意図が関わっているのではないでしょうか」

 

 そう考えるのが自然ではある……けれど、倉庫にあった危険物はそうやすやすと運べるようなものじゃない。殺人を犯した後に、そんな面倒なことをする余裕があったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 棚から離れて、次に目指すのは倉庫の中央部。

 

 ……そう、新家の死体だ。

 

「…………」

 

 初めて見た時とは違って、もう新家が死んでいることは分かっている。

 見たくない。

 本音を言うなら逃げ出したい。

 

 だけど。

 

「……よし」

 

 覚悟を決めて、歩き出す。

 

「…………」

 

 新家の死体のそばに立って、それを見下ろす。

 うつぶせになった新家の着る作業着はずたずたに切り裂かれている。ズボンの方は傷ついていないが、血で赤く染まっている。靴底にも、無数のガラス片が刺さっている。

 

「うっ……」

 

 とても直視できない。後ずさってあわてて目をそらすと、検死をしていた火ノ宮が気分を悪そうに顔をしかめていた。

 

「火ノ宮……大丈夫か?」

「あァ? ……平並か。まァ大丈夫だ」

 

 とは言うものの、その顔色は優れない。

 それはそうだろう。検死という事は、あの新家の死体を間近で見たという事になる。まさか死体を見慣れているというわけでもあるまい。

 

「…………検死で何か分かったか?」

「いや、やっぱ素人には無理だな。モノクマファイル以上の事はわかんねェ」

「……そうか」

 

 わかっていたことだ。仕方がない。と思ったが、

 

「ただ、気になる事は見つかったぜ」

 

 火ノ宮はそう言葉をつづけた。

 

「気になる事?」

「あァ。傷を見せても大丈夫か? オレが言葉だけで伝えるより、実際に見た方がわかりやすいとは思うが……」

 

 ……傷というのは、モノクマファイルにもあった背面の傷のことだろう。

 大丈夫じゃなくても、見るべきだ。見たくないからと言って目を背けてはいけない。

 

「……ああ。問題ない、見せてくれ」

「なら……ほら」

 

 火ノ宮が新家の服をめくると、その下から無数の傷跡が現れた。

 

「うっ……!」

 

 事前にモノクマファイルで知っていたし、服自体がボロボロになっていた。けれど、実際にその目で見ると、その生々しさに吐き気が沸いてくる。

 傷だらけの生気のない新家の背中は、新家が死んだのだという現実を改めて俺に突き付けた。

 

「……まァ、一目見たからもういいな」

 

 火ノ宮がさっと服を戻す。

 

「ごめん、火ノ宮」

「いや、構わねェ。それより、今の傷だけどよ、かなり、傷口が荒いんだ」

「傷口が荒い?」

 

 言われて、今見たばかりの傷を思い出す。

 ……確かに、そうかもしれない。

 

「凶器はまず間違いなくあの包丁だろ?」

 

 そう言って火ノ宮が指さしたのは、血の海に転がる包丁。

 

「あれは……っ!」

 

 それは、俺自身が倉庫に持ってきたものだった。たしか、新家の死体を発見した時に落としたはずだ。

 

「ん? どうしたんだァ?」

 

 火ノ宮が怪訝そうに俺を見る。

 どうする。包丁の事を言うか? 包丁を持ち出したけど、新家の死体を発見した時に落としたと?

 正直に言ったところで、どこまで信用されるのだろうか。

 

「まァいいけどよォ、アレが凶器だと……あまりに傷口が荒らすぎんだよ」

 

 悩んでいるうちに、火ノ宮は話を先に進めた。

 

「……死体なんか見たことねェから断言はできねェが、相当な恨みを持って刺しまくったかもしれねェ。それか、あの包丁は犯人の罠で、よほど刃こぼれした刃物が凶器ってことも考えられなくもねェな」

 

 火ノ宮にしては珍しく、明言を避けた言い方だ。

 ……皆の命がかかってるんだ。当然か。

 

「凶器と言えば……なあ火ノ宮。この倉庫の『危険物』のこと、何か知らないか? かなりの量があったはずなのに、全部なくなってるんだが……」

「あァ、それならオレの個室にあるぜ」

 

 …………は?

 

「どういうことだ?」

「全部持ってったんだよ。夜時間になった直後にな」

「持ってったって……どうして!」

「昨日、オレは倉庫の見張りをしてただろ? で、そもそもあぶねェモンはオレが預かっちまえば心配することはねェと思ったんだ。そしたら夜時間になる10分くらい前に遠城が倉庫に来たから、一緒にオレの個室に運んでもらったんだ」

「そうだったのか……」

「だから、凶器は倉庫内にあるもんじゃねェ。そのほかの何かだ」

 

 なるほどな……。

 

「あと、死体以外で気になる事が二つある」

「二つ?」

「まずは、これだ」

 

 そう言って火ノ宮が見せてきたのは、血に染まった一枚の紙だった。

 

「これは?」

「新家の作業服のポケットに入ってたんだ」

「ああ……だから血がついてるのか」

「血で(にじ)んじゃいるが、まァ読めねェもんでもねェ。これは多分、呼び出し状だ」

 

 

 

=============================

 

 新家君へ

   さっきはすまなかった。

   謝罪したいので、12時に倉庫に来てほしい。

 

=============================

 

 

 

 確かに火ノ宮が言う通り、新家を倉庫に呼び出す手紙のようだ。

 俺が根岸に書いたものとはまた違った内容だ。

 しかし、それが書かれた紙は、俺と同じくメモ帳を使用しているようだ。切り取り方がずいぶん雑ではあるが。

 

「呼び出された時間から考えても、間違いないだろ」

「……そうだな」

 

 『さっきはすまなかった』、か……。

 

「で、もう一つの方だが、アレが見当たらなかった」

「アレ?」

「新家の『システム』だ。ポケットを色々探してみたが、どこにもなかった」

「『システム』が?」

「あァ。個室のカギにもなってんだ。手放すはずがねェ。指にはめてなかったからポケットに入れてるかと思ったんだがな」

「という事は、刺されたときに落としたとか?」

「そんなところだろうな。ま、これは特に気にしなくていいだろ。逆に、犯人ともみ合った証拠とも考えられる」

 

 確かに。火ノ宮のいう事ももっともだ。

 

「とりあえず、オレが分かったのはこんなもんだ」

「……そうか。悪かったな、こんなことやってもらって」

 

 検死なんか、誰もやりたがる人なんかいない。

 まして、火ノ宮はそういった【才能】を持っているわけじゃない。火ノ宮がやらなきゃいけない理由は無かったはずだ。

 

「仕方ねェだろ。本当に、新家が殺されちまったんだからな。モノクマファイルがあってるかどうかだけでも、確かめる必要があっただろ」

「それにしたって……」

「どのみち誰かがやらなきゃいけなかったんだ。モノクマの嘘を暴くためにはな」

 

 もう動かない新家を見つめながら火ノ宮は言葉を紡ぐ。

 

「モノクマの嘘?」

「犯人はオレ達の中にいるってヤツだ。そんなワケがあるか。こんな残虐な殺人が行えるような、仲間を裏切るようなヤツがいるはずがねェ」

「…………」

「新家を殺したのは、モノクマに決まってんだ。この後の学級裁判でそれを暴いてやる」

 

 火ノ宮は監視カメラをにらみつけた。きっと、彼の目にはその先にいるであろうモノクマが映っているはずだ。

 

「…………」

 

 そんな彼は、俺が根岸を殺そうとしたことを知ったらどう思うのだろうか。

 それを考えると、俺は何も言う事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火ノ宮のもとを離れ、今度は現場の見張りを担当したスコットと城咲に話を聞きに行った。

 

「……オレは特に何も見なかったな。夜は個室でとっとと寝たからな」

 

 何か怪しいものは見なかったかと尋ねたが、スコットは何も知らないそうだ。

 しかし、対する城咲はそうではなかった。

 

「一つ、気になる事はあります」

「……それは?」

「実は、調理場の包丁が持ち去られていたのです」

「包丁、だと?」

 

 スコットが反応する。

 おそらく城咲が言っているのは、俺がやったことだろう。その包丁は新家の傍に転がっている。

 と、思ったのだが。

 

「ええ。それも2本もです」

「2本?」

 

 今度の声は俺だ。

 

「1本だけじゃなくてか?」

「はい。間違いなく包丁は2本なくなっていました」

 

 城咲が何かを勘違いしているのか? と考えて思い出した。

 そういえば、新家の死体を見つける直前に七原がこんなことを言っていた。

 

 

――《「でもさ、どうして平並君は2本も包丁を持ち出したの?」》

 

 

 もしかして、城咲の言っていることは事実なのか。

 

「……ちょっと、詳しく教えてくれないか」

「はい。わたしは、夕方に夕飯を作った後はずっと食事すぺえすにいたのですが、最後に調理場を離れた8時頃には、包丁はすべて揃っていました。そして、9時半ごろに七原さんが調理場を訪れたときに、包丁が2本無くなっていたことに気づいたのです」

 

 ……だから、七原は包丁の事を知っていたのか。

 

「そういえばオレも一回調理場には行ったが、その時にいたフルイケやツユクサもずっと一緒にいたのか?」

「はい。ですから、お二方も包丁の事は存じていると思います」

 

 俺が包丁を取りに調理場に行ったときも、確かにその二人もいた。

 

「そうか……という事は、包丁は8時から9時半の間に持ち去られた、という事になるのか」

「ええ……何人か、調理場に出入りしていましたので、おそらく、その時に」

「シロサキ、誰が出入りしていたかは覚えてるか?」

「……はい、覚えてます。順に、平並さん、杉野さん、明日川さん、すこっとさん、大天さんが、全員ばらばらにやってきました。その後に七原さんがやってきたのです」

 

 ……という事は、2本目の包丁を持ち出したのは、その中で俺を除いだ4人の中の誰かか。

 それはつまり、その中に犯人がいるかもしれないという事でもある。

 

「オレは、包丁を持ち出してない」

 

 スコットはそう言った後に俺の方を見る。暗に、『お前はどうだ』と聞いていることはすぐにわかった。

 

 正直に言ってしまおうか……と、一瞬思ったが、

 

「……俺だって違う」

 

 と、嘘をついた。

 ここでバカ正直に包丁を持ち出したことを告白しても、疑われてしまうだけだ。捜査自体が出来なくなってしまうかもしれない。

 ……だから、今は、嘘をつく。

 

「……そうですよね」

 

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、城咲はそう返した。

 俺が今嘘をついているのと同じように、スコットが嘘をついている可能性がある。誰を信じていいのか、分からない。

 

「シロサキも、その後はずっと個室にいたのか?」

 

 重くなった空気を変えようとしてか、スコットが口を開く。

 

「いたことにはいましたが……」

「……ん? 何かあったのか?」

「いえ。夜時間の間は、ずっと蒼神さんと東雲さんと一緒にいたのです」

「一緒にいたって、どういうことだ?」

「夜時間になってすぐでしょうか……一人だと不安になったので、たまたま見かけたお二方と一緒に夜を過ごそう、という事になったのです。いわゆる"じょしかい"というやつでしょうか」

「……ああ、だから、死体発見のアナウンスが流れてから、すぐに倉庫にやってきたのか」

 

 城咲達は、他の人たちに比べて倉庫に来るのが明らかに早かった。その瞬間まで起きていたのなら、納得だ。

 そして、このことから明らかになる事実がもう一つ。

 

「はい。だから、わたしと蒼神さん、そして東雲さんは、絶対に犯人ではないとだんげんできます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ひとまずはこんなところか」

 

 城咲達に話を聞いた後、念のために倉庫内を軽く探してみたが特に何も見つからなかった。新家の『システム』も、だ。

 倉庫で調べられることはこのくらいだろう。

 犯行場所は倉庫で間違いないと思うが、他の場所に何か証拠が隠れているかもしれない。

 

「平並さん、どこに行かれるんですか?」

 

 そう考えて倉庫を後にしようとすると、杉野が話しかけてきた。

 

「どこって……そうだな、城咲から話は聞いたか?」

「ええ、包丁の件ですよね?」

「ああ。それを確かめに調理場に行こうかと」

「そうですか……せっかくなら、一緒に行きませんか? 人数は多い方が何かと便利でしょうし」

 

 確かに、一人より二人の方が証拠を見落とすという事が無いかもしれない。

 

「ああ、そうしようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース/野外炊さん場》

 

 俺と杉野が食事スペースにやってくると、そこにいたのは古池と露草の二人だけだった。倉庫にあまり人がいなかったから、もう少しいるかと思ったんだが……。

 

「……平並と杉野か」

 

 いつになく青ざめた顔で、古池が何とか言葉を絞り出す。

 

「大丈夫か?」

「……大丈夫な訳ないだろ。あんなものを見せられて、いつも通りに過ごせる奴の方がおかしいだろ」

 

 古池は、いつものように茶化すような返答をすることもなく、小さな声でそう答えた。

 その姿は、とても違和感を覚える。これまで見せていた、明るくひょうきんな姿とは全く異なったものだ。

 とはいえ、その気持ちは分かる。俺だって、今すぐ逃げ出したい。捜査なんか放り出してしまいたい。それが()()の反応だと自分でも思う。

 けれど……俺は、逃げちゃいけないんだ。

 

「……ところで、お二方は夕方ごろこの食事スペースにいらっしゃったんですよね?」

「そうだよ?」

『それがどうしたんだ?』

「いえ、城咲さんから話を伺ったので……なんでも、包丁が2本持ち去られたとか」

「……それなんだけどよ。ちょっとおかしいんだよな」

 

 杉野が包丁の話題を出すと、古池が何かを言いかける。

 

「何かあったのか?」

「……凡一ちゃんと悠輔ちゃん。自分で見た方が多分早いよ」

 

 露草はそう言って調理場へと向かう。慌てて俺と杉野もその後を追った。

 

 

 

 

 

 

「ほら、見てよ」

 

 調理場に着いた露草が、流し台の下を開ける。すると、その中には、

 

「……おや?」

 

 包丁が5本中4本揃っていたのだ。

 

「ですが、城咲さんの話だと、2本持ち去られたはずでは……」

『それは間違いねえぜ! このオレもバッチリ見たからな!』

「向こうにいる河彦ちゃんも見てるし、それは間違いないはずだよ」

「……じゃあ、持ち出された包丁はまたここに戻されたという事か」

「そうなると思う」

 

 俺のつぶやきに、露草がうなずきながらそう返す。

 

「2本の包丁の持ち出しを確認したのは9時半頃でしたよね?」

 

 城咲は確かそう言っていた。

 

『ああ、大体そんくらいの時間だったな』

 

 これは……どういうことだ?

 

 

 

 

 

 

 調理場から食事スペースに戻る。

 

「な、おかしいだろ?」

「ええ……これは一体……」

 

 杉野が、何か考え始めた。

 四人も証人がいるんだ。俺以外に誰かが包丁を持ち出したことは間違いないはず。

 だとしたら、どうして調理場に戻したんだ……? 包丁を持ち出したが、俺と同じように思いとどまって、という事なのだろうか。

 

「そういえば」

 

 そんな中、古池が口を開く。

 

「どうした?」

「いや、事件と関係がないかもしれないけどな……もしかしたらってこともあるからな……」

 

 どうにも歯切れが悪い。

 

「とりあえず、教えていただけませんか? 情報は多いにこしたことありませんから」

「……実はな、見たんだよ。夜時間になる直前だったな」

「見たって、何を」

「新家だよ」

 

 新家を?

 

「宿泊棟の中に入ったら、明日川の個室の前で、新家と明日川が言い争ってたんだ。って言っても、明日川は個室の中にいたから姿は見てないんだけどな。けど、あそこは確実に明日川の部屋だったし、声もバッチリ聞こえてたから間違いない」

 

 言い争い……か。

 

「その内容は聞こえましたか?」

「……いや、『もう関わらないでくれ!』みたいな感じで、結局何についての口論かはわからなかった」

「そうですか……」

「他に見ている人は?」

「……確証はないけど、多分いないはずだ。個室も防音だから、個室の中にいた人には聞こえていないだろうしな」

 

 確かに、夜時間前と言えば俺はちょうど個室にいた。けれど、そんな口論なんか全く聞こえなかった。

 

「貴重な情報、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちの方だ。捜査をしてくれて放蕩にありがとう。俺は、どうしても捜査する気になれないからな……命がかかってるのは分かるけど……それでも……」

 

 俯きながら、古池がそう言葉を漏らす。

 

「翡翠も、一応調べられそうなところは調べるつもりだけど……でも、頭は良くないし、それに倉庫はちょっと……」

『オレも所詮人形だしな。力にはなれそうにねえ』

「いえ、それで構わないと思いますよ。あれほどのショッキングな光景を見たのですから仕方ありません。……自分のできることを、自分のできる範囲ですればいいと思います」

「……そう言ってくれて、助かる」

 

 落ち込む二人(と一体)を、杉野が励ます。

 ……そして、その言葉は俺にも届いていた。

 

「さて、では他のところも探してみましょうか」

「他のところって……他に事件に関係がありそうなところがあるか?」

「それは分かりませんが、どちらにしても皆さんに一度はお話を伺っておきたいので……そうですね、皆さんのいそうな宿泊棟に行ってみましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟(ロビー)》

 

 露草たちを食事スペースに残して、俺達は宿泊棟にやってきた。

 玄関の扉を開けてロビーに進むと、そこにあるテーブルでは蒼神がペットボトルのミルクティーを飲んでいた。

 

「……捜査は順調ですか?」

 

 その蒼神が、話しかけてきた。

 杉野が答える。

 

「どうでしょうかね……情報は集まってますが、真相は、まだ……」

「そうですか……」

「蒼神の方はどうなんだ?」

「……わたくしも、同じような状況ですわ」

 

 神妙な顔で、蒼神が告げる。

 その顔からはいつものような凛々しさや覇気は感じられない。

 

「先ほど、事件現場である倉庫の捜査をしてきましたが……あまりにも、凄惨でした」

 

 蒼神が語りだす。

 

「……わたくしは、【超高校級の生徒会長】として、皆さんを率いなければならなかったのに……こうして、事件が起きてしまいました」

「蒼神さんが気を病むことはありませんよ。……蒼神さんが悪いわけではありませんから」

「………………」

 

 杉野の言っている通りなのだが、蒼神はそれを認めた様子はない。杉野も、これ以上言うのは酷だと感じたのか、話題を変えた。

 

「蒼神さんは、夜時間は城咲さん、東雲さんと一緒に過ごしていたのですよね?」

「ええ、まあ」

「そうですか……」

「……城咲さんに聞いたのですか?」

「はい」

 

 城咲の証言の裏が取れた。アナウンスの直後に三人は倉庫にやってきたから、もともとそのアリバイは事実だとは思っていたが。

 

「では、倉庫は僕達も調べましたので、それ以外で何かご存知ですか?」

「……いえ、残念ながら、何も。昨日は、新家君とは一度お会いしただけですし」

「会ったのか?」

「ええ。昼頃にこのロビーで。ああ、そういえば、その時に一つ彼にお願いをしましたわね」

「お願い……ですか?」

「はい。個室に置いてある小物が乱雑になったので、【超高校級の宮大工】である新家君に棚を制作してもらおうと思ったのです。派手な装飾が入るようにこちらから細かく注文を付けさせていただいたのですが、新家君は快く引き受けてくれました」

 

 ……そうだろうな。

 新家は、誰かの役に立つということに生きがいを感じていたようだったから。

 けれど、結局、その約束は……。

 

「今となっては……その棚を見ることは叶わなくなってしまいましたわ……」

「…………」

 

 ここでも、改めて新家が死んでしまったのだと再認識させられる。

 これが、この喪失感が、人が死ぬという事なのか。

 

「……そうだ。モノクマに聞いておきたいことがありましたわ」

 

 重い空気を変えるためか、蒼神がそう口を開いた。

 

「モノクマに?」

「ええ。そういうわけです、モノクマ。でてきてくれますか?」

「はいはーい!」

 

 蒼神の呼び出しに、モノクマがすぐさま現れる。

 

「で? 聞いておきたいことってなんなの? ボクのスリーサイズと年齢と体重以外なら大体答えてあげるよ」

 

 誰も知りたくないトップシークレットだ。

 

「……死体の発見を知らせるアナウンスの事ですわ」

 

 モノクマの軽口を気にも留めず、蒼神は質問を口にする。

 

「あのアナウンスについて、あなたは『死体を三人以上が発見したら流す』と説明いたしましたよね?」

「ん? そうそう」

「では、一つ尋ねますが……その『死体を発見した三人』の中に、クロは含まれるのですか?」

 

 意味深そうな蒼神の言葉。それに対するモノクマの答えは、

 

「そんなの言うわけないじゃーん!」

 

 というものだった。

 

「あのね、あのアナウンスはあくまで捜査や裁判を公平に行うための物なの! だから、ボクはもうアナウンスからクロは特定できないようにしたんだよ!」

「……そうでしたか」

「ま、厳密に言うとこうなるかな。『クロであっても、改めて死体を発見したら一人にカウントする』ってね」

「……」

 

 モノクマの返答を聞いて、蒼神は考え込んでいる。

 しかし、俺には今の質問の意図すらピンとこない。

 

「なあ、蒼神。今の質問ってどういう事なんだ?」

「……あわよくば、クロ特定のヒントになればいいと思ったのです。収穫はありませんでしたけれど」

 

 クロ特定のヒント?

 

「平並さん、こういう事ですよ」

 

 いまだに理解できていない俺に、杉野が説明をしてくれる。

 

「皆さんの話を総合すれば、誰がどの順番で死体を発見したかというのは発覚すると思います。その時、先ほどのモノクマの返答如何では、確実に犯人ではない人物が分かり、学級裁判は一歩前進する、というわけです」

 

 ……そうか。

 

 あのアナウンスは、俺が新家の死体を発見した直後に鳴った。

 根岸が第一発見者とすると、死体を発見した最初の三人は、順に根岸、七原、俺という事になる。もしも、アナウンスが流れるための最初の三人にクロが含まれないとなれば、この三人の無実が証明される形になる。

 実際は、根岸の前に死体の発見者がいた場合、など色々なパターンが考えられる。けれど、クロが誰なのかを特定するのに一役買う事は間違いないだろう。

 

 モノクマは、そうすることを避けたのか。確かに、そうなってしまうとアナウンスは『裁判を公平にするもの』ではなくなってしまう。

 

「……ねえ、もしかしてボクを呼んだのってそれだけ?」

「ええ。どうもありがとうございました」

 

 起伏の無い声で蒼神が礼を言う。

 

「失礼なヤツだなあもう……誰のおかげでここで暮らせてると思ってるの! 食料だって倉庫の備品だって、お前が今飲んでいるお茶だって、ボクがわざわざ補充してるんだからね!」

「それが面倒でしたら、わたくしたちを解放してくれませんか?」

「そういう問題じゃないでしょ! もう!」

 

 モノクマはプンスカと怒りを露わにしているが、その内容は相変わらず理不尽極まりない。

 

「まったく、ドリンクの予備はたくさんあるってのに、案外オマエラの好みって偏ってんだよね。ジュースが一番飲まれてて、ミネラルウォーターに誰一人手をつけないとか、子供か! あ、子供みたいなもんでしたね!」

「もう用は済んだので帰ってください」

「ムキー!」

 

 この程度のあしらいで騒ぐなんて、そっちの方が子供なんじゃないのか。と思ったが、言ったところでどうにかなるわけでもないので黙っていた。

 結局モノクマはまともに相手にしてもらえないことが分かると、諦めてどこかへと消えていった。

 

「さて、時間を無駄にしてしまいましたわね」

「……そうですね。捜査を再開しましょう」

「と言っても、どこを調べるんだ?」

「現状特に思いつきませんし、とりあえずは色々と話を伺ってみましょうか」

 

 話を伺うって、誰に? と俺が訊く前に杉野は廊下の先を指で示した。

 その先を追っていくと、そこでは七原が壁にもたれかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟(廊下)》

 

 蒼神も一緒に、七原のもとへと向かう。

 

「よう、七原」

「……あ」

 

 俺達に気づいた七原は、顔を上げて小さな声を出した。俺を説得した時のような、あの元気はない。

 

「何やってるんだ? こんなところで」

 

 捜査をしているようには見えない。蒼神のように気を休めているのだろうか?

 

「それが……大天さんが個室にこもっちゃったんだ」

 

 そう言って七原はすぐ傍の扉を指差す。

 確かに、そこには『オオゾラ』と書かれたプレートがかけられていた。

 

「さっき倉庫を離れた後、すぐに個室に走って行って……カギもかけちゃったけど、心配になってずっとここにいるんだ」

「……捜査が始まってから、ずっとか?」

「うん……だから私たちは捜査をしてないんだ。 私は【モノクマファイル】は一応見たけど……それだけだよ」

「そうか……」

 

 ……まあ、無理もないだろう。

 

「七原さん、何か怪しい人や物はみませんでしたか?」

 

 杉野がそう問いかけたが、七原はちらりと俺の方を見た後に、

 

「……ううん。何も見てないよ」

 

 と答えた。

 俺を説得したことは、話しても仕方がないと判断したのだろう。

 

「…………」

 

 そして、七原は黙り込んでしまった。

 彼女は一体何を考えているのだろうか。

 どう声をかけようかと悩んでいると、

 

 

 

『なんてことをしたのであるか!!!!』

 

 

 

 と、怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「今の……遠城か?」

「ダストルームの方から聞こえてきましたわ……行ってみましょう。七原さんは、大天さんを待っていてください」

「……うん。わかった」

 

 俺達は、七原をその場に残してダストルームへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ダストルーム》

 

「ちょっと、急に大きな声出さないでよ。耳が痛いじゃない」

「どうして、そんなふざけた態度を取れるのであるか……!」

 

 歩みを進めるにつれて声は大きくなっていった。

 開きっぱなしのドアから中に入ると、そこでは遠城と東雲が言い争っていた。

 

「二人とも、落ち着いてください!」

 

 蒼神が間に入って仲裁する。

 

「アタシは別に落ち着いてるけど」

「この……っ!」

「遠城さん!」

「……」

 

 遠城は完全に頭に血が上っている。

 

「何があったのですか?」

「……初日に、焼却炉のカードキーを東雲にあずけたであろう?」

「ああ、そうだったが」

「もしも事件が起きたときに簡単に証拠隠滅させないためだったであるが……東雲は、そのカードキーを焼却炉の前に放置していたのである!」

 

 放置……って!

 

「本当なのか、東雲!」

「ええ。ほら」

 

 そう言って東雲は床を指し示す。その先を追っていくと、確かにあの日東雲に預けたはずのカードキーが床に落ちていた。

 

「どうして!」

「だって、その方が面白いじゃない」

 

 ためらうことなく、東雲はそう告げた。

 

「事件の証拠隠滅を防ぐためにアタシはカードキーを預かってたわけだけど、もしも決定的な証拠を処分できずにクロがまるわかりだったら嫌じゃない。【動機】の事もあるし、誰かが事件を起こすなら今夜でしょ? だから、アタシは担当として焼却炉を稼働させた後にカードキーを放置したのよ」

「……な……」

 

 言葉にならない。

 自分たちの生死がかかっているのに、実際に新家が死んでいるというのに、どうしてここまで『面白さ』を追求できるのだろうか。

 

「まあ、とは言ってもクロだってアタシがカードキーを預かってることは知ってるわけだから、ダストルーム自体に来ない可能性もあったけどね。結果的にクロはこの焼却炉を使ったみたいだから、放置しておいて正解だったわね」

 

 ……ん? 今変な事言わなかったか?

 

「『正解』、ではないであろう!」

「お待ちください」

 

 遠城の叫びの直後、蒼神が待ったをかけた。

 

「東雲さん、どうしてクロが焼却炉に来たことが分かったのですか?」

 

 そう、それだ。東雲はずっと城咲の個室にいたはずだから、見張ることもできなかったはずなのに。

 

「カードキーの場所が変わっていたから、とかか?」

「いや、カードキーはほとんど変わってなかったわよ、平並。クロがごまかすためにわざわざそうしたんでしょうけどね」

 

 東雲は壁際のカードリーダーへと近づく。

 

「多分、頻繁に使ってたアタシくらいしか知らないでしょうけど、この焼却炉って履歴が残るのよ」

「履歴が?」

 

 そう言いながら、東雲はカードリーダーの側面にある小さなボタンを押した。

 すると、『システム』と同じように空中に画面が表示される。

 

 

 

=============================

 

 『Day1 18:07 18:09 18:15 18:19 21:41』

 『Day2 21:42』

 『Day3 21:41』

 『Day4 21:39』

 『Day5 00:37』

 

=============================

 

 

 

 

「この、『Day1』の18時台の四回は、ちゃんと稼働するか実験したやつね」

「ああ、確か、食事スペースの報告会が終わった後にそんなことしたな」

「でしょ? あの後も何回か他の人の前でやったのよ」

 

 そうだったのか。

 

「で、四日目までの21時40分くらいの履歴は、アタシが一日一回稼働したものね。そういう約束だったでしょ?」

「ええ、そうですが……」

「カードキーを預かっている、というのも約束だったはずである」

「それはそれよ」

 

 とはいえ、一応自分に託された仕事はしていたという事か。

 

「それで、問題なのは最後の一回よ」

 

 最後の一回……『Day5 00:37』か。

 

「これはアタシじゃないわ。となると、犯人が証拠隠滅に使ったと考えるのが自然よね。多分、焼却炉の中にでも隠して、アタシが焼却炉を稼働させたときにまとめて燃やさせようと考えてダストルームに来たんじゃないかしら。で、カードキーを見つけてそれを使って自分で処分したのよ」

 

 なるほど……その時間帯にわざわざ焼却炉を稼働する理由がある人物なんて、犯人しかいない。

 

「そうなると、何を処分したかが謎なのよね……もともと夜の間に燃やさなくてもよかったってことは、そこまで重要な物じゃないはずだけど」

「そもそもお主がカードキーを持っていれば悩む必要もなかったはずであるが」

 

 怒りを抑えつつ、それでもとげとげしく遠城は言う。

 

「……とにかく、このカードキーはわたくしが預かっておきますわね」

「それがいいでしょう。……すくなくとも、東雲さんには任せられません」

 

 杉野が、あきれた表情で告げる。

 

 

 

 

 

 

「……さて、これからどうしようか」

「そうですね……捜査時間ももう残りは多くないはずですし」

 

 杉野と二人でダストルームを出て、どこを調べようかと考えていると、

 

「…………」

 

 岩国が、新家の個室の中から出てきた。

 

「岩国じゃないか……どうしてそんなところから?」

「……それくらい自分で考えろ、凡人」

「そんな言い方……!」

 

 俺は言い返そうとしたが、岩国はそれを無視して廊下を歩いて行った。

 

「……ああ、なるほど」

 

 すると、俺の横で杉野が何かに気づいたようにつぶやいた。

 

「どうした?」

「いえ……岩国さんが新家君の個室にいたのは、間違いなく捜査のためでしょう」

「まあ、それはそうか。じゃあ、捜査のためだからって手あたり次第に調べてるってことか?」

「いや、何の根拠もなく新家君の個室に入ったという事は無いと思います」

「……どうして?」

「あなたも火ノ宮君と話していたようですし、新家君の『システム』がなくなっていたことはご存知ですよね?」

「ああ、まあ。犯人に刺された拍子に取れて転がったんだろ?」

「その可能性もありますが……もう一つの可能性があります。すなわち、犯人が犯行後に持ち去った可能性、です」

 

 犯行後に持ち去ったって……そうか。

 

「新家の個室に入るために、カギの『システム』を持ち去ったのか?」

「その可能性がある、というだけですが……とにかく、僕達も行ってみましょう」

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(アラヤ)》

 

 新家の個室のドアは簡単に開いた。

 さっき岩国が出てくるのを目撃しているから、当然ではあるが……。

 

「カギはかかっていないのか」

「現在は夜時間ですが捜査の為にと食事スペースは解放されていましたので、おそらくここのカギもモノクマが開錠したのではないでしょうか?」

「ああ、なるほど」

 

 そう反応した杉野の発言に俺が納得しかけると、

 

 

「それは違うよ!」

 

 

 という、薄気味悪い声が聞こえてきた。振り返ると、モノクマがそこに立っていた。

 

「捜査に必要だとボクを説得できない限りは、ボクは勝手にカギを開けたりしないよ。食事スペースは別だけどね」

「だったら、ここもか?」

「そう! カギは最初から開いてたんだよ」

「そうか」

 

 カギは開いていた?

 新家がカギをかけずに倉庫に向かうなんて考えにくい。じゃあ、本当に犯行後に犯人がこの部屋にやってきたのだろうか。

 

「わざわざ、ありがとうございます」

 

 杉野が話を適当に切り上げて部屋の中へと進んでいき、オレもその後についていく。

 

「ちぇっ、もっと施設長のボクの事を大事にしてくれてもいいんじゃないの!」

 

 背後でモノクマが何やら文句を言っているが、無視だ。

 

 

 

 

 

 

「さて、と……」

 

 申し訳ないと思いつつ、新家の個室を見渡す。個室の構造自体は俺のものと大して変わりがないが、置かれているものがかなり違う。

 

「これ、ほとんど大工関係か……」

「そのようですね」

 

 俺の個室で言う、マンガなどの私物が置いてあったスペースに、ノコギリやトンカチなどの大工道具が置いてある。

 そのほかにも、ここに来てから数日で作ったのであろう木組みの置物がいくつも並んでいる。見事な彫刻だ。

 

「才能のおかげもあるんだろうが、新家は手先が器用だったからな……」

「ええ……宮大工なら意匠を彫ることもあったでしょうし……」

 

 ここで、確かに新家は生きていたのだ。

 

 …………。

 

「……杉野、捜査をしよう」

「……そうですね」

 

 感傷に浸るのは、後だ。

 犯人が犯行後にここに来た可能性は高い。その痕跡を、見つけないと。

 

 そう思って、部屋を見渡すと、

 

「杉野、あれ」

「……これは」

 

 机の上に、誰かの『システム』が乗っている。けど、誰かのなんてわかりきっている。

 その『システム』を手に取り起動させると、予想通り【新家柱】の前が表示される。

 

「やっぱり、ここにあったんですね」

「ああ」

 

 犯人がここに来たのはこれで間違いない。となると、気になるのはその目的だ。

 何かおかしなものは無いだろうかと思い机の上に目をやる。

 

「……ん?」

「平並君、これ……」

 

 杉野も気づいたようだ。

 机の上に乗っているメモ帳……上の方から何枚かが使われているようで比較的きれいに破られているが、最後に使われた一枚だけ、乱暴に破られて少し紙が残っているのだ。かすかにペンの線もそれに残っている。

 

「何でまた……」

「新家君はどちらかというと几帳面だったはずですが」

 

 のっぴきならない事情があったのだろうか。

 続けて、机の引き出しを開けていく。文房具やクギなどの小さな大工道具類が入ってる中、一枚の紙が入っていた。

 

「設計図でしょうか?」

「……みたいだな」

 

 作ろうとしているのは……本棚か? 側面に薔薇の意匠を彫るように指示されている。

 

「……これ」

「ん?」

 

 設計図を見ていると、杉野が引き出しの中の何かを手に取った。

 ……俺の個室にもあった、凶器セットだ。

 

「未開封ですね」

「そうだな……まあ、誰かを殺そうとしなければ、開ける必要もないか」

 

 きっちりと封はなされている。

 

「他には……これはアメか」

 

 おそらく倉庫から持ってきたのだろう。アメの袋が4袋入っていた。

 

「新家君、甘いものが好きだったんでしょうね」

「……かもな」

 

 新家がアメを好んでるなんて知らなかった。

 言われてみれば、この数日でもまだ数えるほどしか新家と話していない。

 ……まだまだ、俺は新家のことを何も知らなかった。

 

「…………」

 

 言葉にならないこの感情を飲み込みながら引き出しを閉める。

 

「机の他にも、何かないか?」

「手分けして探してみましょう」

「ああ」

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「平並君、ちょっと来てください」

「何か見つけたのか?」

「ええ……」

 

 杉野が見下ろすのは、隅にあった黒いゴミ箱だ。

 

「これがどうしたんだ?」

「中身なんですが……アメの(から)やティッシュくらいしか入ってません」

「そんなもんじゃないか? 他に物があふれてるわけではないし」

「……では、使用済みのメモはどこに消えたのですか?」

「…………あ」

「もちろん、昨日までの間に焼却炉に捨てに行った可能性もあります。しかし、ごみ箱の周りだけ明らかに塵が多い……おそらく、一度ゴミ箱をひっくり返したのでしょう。塵の処理を忘れたのは、犯行後で慌てていたからではないでしょうか」

 

 ……な、なるほど。

 

「杉野、お前よくそんなことまで分かるな……」

「……たまたま、ですよ。犯人の行動や思考を想像するのです。もしもゴミ箱を漁ったのであれば、ひっくり返すのが普通ですよね」

「まあ、確かにな」

「……さて、そうだとすると、犯人はこのごみ箱からメモを持って行ったという事になりますが……」

 

 なぜメモを持って行ったんだ? 何の目的で?

 

 その後、新家の個室を捜査してみたが、

 

「……もう、特におかしなものはありませんね」

「そうだな……」

 

 結局のところ、犯人がここで行ったことはゴミ箱のメモを持っていくことだけしかわからなかった。

 ……何のために?

 

「さて、これからどうしましょうか」

「欲を言えばそれぞれの個室も見てみたいが……」

 

 と、その時。

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 もう何度目になるかもわからない、例のチャイムだ。

 どこからともなく、あの不愉快な声が鳴り響く。

 

『えー、捜査時間もだいぶ与えましたよね? もういいっすか? いいっすね? いいっすよ!』

 

 モノクマはそんな謎の三段活用を言い出した。

 

「時間のようですね」

「ああ」

 

『というわけで、始めちゃうよっ! お待ちかねの……【学級裁判】をっ!!』

 

 …………。

 

『それでは、オマエラ! 【宿泊エリア】の赤いシャッターの前にお集まりください! こんな時くらいシャキッと集まれよ!』

 

 ブツッ

 

 赤いシャッター……あそこか。

 どこにつながるかわからない二つのゲートのうち、まがまがしい雰囲気を持っている方だ。

 

「……杉野、行くぞ」

「ええ」

 

 そして、俺達は歩き出した。

 

 

 

 

 

 結局のところ、いくつも情報は集まったものの何も真相は分かっていない。

 新家を殺した犯人が誰かなんて、見当もつかない。

 【学級裁判】で俺達を待ち受ける絶望なんて、想像すらできない。

 

 けれど、行かなければ何も始まらない。

 

 覚悟を決めろ、俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《???ゲート前(赤)》

 

 俺と杉野がシャッター前に到着したとき、既に多くの人が到着していた。

 いないのは……大天と七原か。

 

「…………」

 

 その空気は重い。

 捜査をする前とは違って、殆どの人が新家の死体をしっかりと確認しているはずだ。改めて、実感したのだ。新家が死んだのだという事を。

 そして、話はそれにとどまらない。

 新家を殺した犯人は、俺達の中にいるのかもしれないのだ。それが何を意味するのか、分からない人はいないだろう。

 

 そんなことを考えていると。

 

「ほら、これがお前のと……杉野のだ」

 

 火ノ宮がそう言いながらメモ帳を渡してきた。

 これ……俺の物か?

 

「それ、お前ので間違いないよな?」

「ああ……しかし、なんでこんなものを?」

「必要だと思ったからだ。新家が持っていた呼び出し状はメモ帳の物だったから、新品のメモ帳を持っているヤツは犯人じゃねェってことになる。検死の後も時間がありそうだったからな。それぞれの部屋のカギをモノクマに開けてもらって、集めてきたんだ」

「勝手に俺達の部屋に入ったのか!?」

「仕方ねェだろ! ……もちろん良くねェことだってのは分かってる。だから、今謝っとく。すまなかった」

「いや、構わないが……」

「けど、誰がメモを使ったかが分かれば、それはモノクマが犯人だという事を示す大きな情報になる。現物があれば、その説得もしやすい」

 

 ……確かに、火ノ宮の言う通りだ。

 すると、杉野は何か言いたげに顔をしかめたが、すぐに顔を戻し、

 

「メモ帳を使っていなかった人は誰ですか?」

「ってより、使ってたヤツを言った方が早いな。オレ、平並、古池、遠城、東雲、城咲がメモを一枚でも使ってたヤツだ」

 

 それに加えて、新家も、一応メモ帳を使っていた。新家は被害者だから、考えなくてもいいが。

 すると、

 

「「……」」

 

 七原と大天がやってきた。

 

「じゃあ、アイツらにも渡してくるから」

「ああ」

 

 そう言い残して、火ノ宮は二人のもとへ駆け寄っていった。

 二人が来たことで、ここに15人が揃ったことになるが……見渡して、あることに気づいた。そういえば、捜査中に見なかった人物がいる。

 

「なあ」

「……どうしたんだい?」

 

 その人物、明日川に声をかけた。

 

「明日川は捜査時間中どこにいたんだ? たまたま入れ違いになって見てないだけかもしれないが」

「……殆どは、【自然エリア】にいたよ」

「【自然エリア】に?」

「ああ。ポイ捨ては規則で禁止されているとはいえ、禁止されない範囲でどこかに隠した可能性も否定できないからね。……とはいえ、成果はゼロだったけれど」

「じゃあ、倉庫にも行ってないのか?」

「……いや、行ったさ。捜査時間が終わる直前にだけどね」

 

 そう答えた明日川は、悲しそうな顔になる。

 

「新家君の物語が、あんな形で終わっていた。……どう見たって、本人の意図した形でのエンディングではないだろう」

「……」

「ボクはね、バッドエンドが大嫌いなんだ。もちろん、物語の結末は様々なものがあってしかるべきだとは思うけれどね。それでも、すべての物語はハッピーエンドで終わってほしいと願わずにはいられないんだ」

「そんなの、誰だってそうだろ」

「……そうだな」

 

 バッドエンドが好きな人間がいるのは知っている。それでも、人生という物語くらいはハッピーエンドでもいいんじゃないのか。

 あのモノクマでさえ、自分の信じたハッピーエンドを目指してるに違いない。それがどんなに狂った結末だとしても。

 

「だからせめて、今夜倉庫で繰り広げられた事件(物語)を……新家君の物語の結末を絶対に読み解いてみせる。この後の学級裁判で、それを彼のエピローグとして紡いでみせる。【超高校級の図書委員】の名に懸けて、ね」

「……そうか」

 

 俺がそう返事をしたのと同時に。

 

「いやー! やっと全員そろったね!」

 

 赤いシャッターの前に、どこからかモノクマが現れる。

 モノクマの言う全員の中に、新家は、いない。

 

「ま、大天サン達以外は優秀優秀! 二人も皆を見習ってよね!」

「「……」」

 

 二人は、じっと何の言葉も返さず、モノクマをじっと見つめている。

 

「何、シカト? まあいいよ。それじゃあ気を取り直して、オマエラ、【裁判場】に行くよ!」

 

 そんなモノクマの言葉の直後。

 ガラガラガラ……と音を立てて赤いシャッターが上がり、その奥に真っ白な四角い部屋が現れた。

 

「これが【裁判場】か?」

 

 スコットの声が聞こえる。

 

「違うよ! それはただのエレベータ-! ほらオマエラ、早くエレベーターに乗り込め!」

 

 ……エレベーターには、とても見えない。けれど、モノクマが言うんならそうなんだろう。これに乗って、【裁判場】とやらに向かうのだろうか。

 

 モノクマに乗り込めと言われても、誰も動こうとしない……と思っていたのだが、岩国が躊躇なくその真っ白な部屋へと入っていった。それにつられるように、俺達も、バラバラの歩みで次々と入っていく。

 そして、15人が乗り込むと、

 

「それじゃ! 15名様ごあんなーい!」

 

 ガラガラガラ……という音が再び聞こえて入り口がしまったかと思うと、直後エレベーターは下降を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゴウンゴウンという大仰な機械音が響き渡る。

 俺の胸中には、様々なものが渦巻いている。

 

 不安。

 疑心。

 悔恨。

 決意。

 絶望。

 

 きっとそれは、その種類こそ違えど他の14人だって同じはずだ。けれど、それを口にするものは誰一人としていない。

 15人の想いと沈黙を乗せたエレベーターは、地下へとどこまでも沈んでいく。

 

 

 

 

 まるで、底なし沼にでも捕らわれたかのように、深く、深く、深く…………。

 

 

 

 

 




捜査編ですが、それぞれの心情に触れる回でもあります。
それでは、Let's 学級裁判!


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非日常編③ はじめての学級裁判

遂に起こってしまった殺人事件。
殺されたのは、恐怖におびえながらも皆を支えようとしていた新家柱だった。
果たして、新家を殺したクロは誰なのか?
疑惑と裏切り、絶望の渦巻く学級裁判が、今始まる。


 《裁判場》

 

 それは突然訪れた。

 

 ガコンッ!

 ガラガラガラ……。

 

 エレベーターが急停止したのと同時に、入り口とは反対側の壁が左右に開く。

 

 その先に広がっていたのは、円形の薄暗いホールだった。

 

「ぶ、不気味だな……」

 

 壁に沿って点々と松明が設置され、炎が揺らめいている。

 ホールの真ん中には、裁判所にあるような証言台が円形に16個並べられており、その中央では小型だがメラメラと炎が燃えている。

 

「ほら、オマエラ! いつまでもそんなところに突っ立ってないでとっとと席に着け! まったく、これだからオマエラは……」

『ギャーギャーうるせえよ。心の準備くらいさせろっての』

「何言ってんだ! 社会はオマエラの都合なんかで動いちゃいないんだよ!」

「……とにかく、せきに着いた方が良さそうですね」

「そうだな」

 

 城咲に賛同しつつ、証言台の方へ向かう。

 よく見てみると、その一つ一つには小さく名前が彫ってあった。皆、その名前を確認しながら自分の証言台を探して、その前に立つ。

 中央の炎を取り囲むように15人が立っているため、さながらキャンプファイアーのようにも思える。と言っても、よく想像するようなキャンプファイアーのように巨大な炎ではないのだが。

 

「全員席に着いたみたいだね。いやあ、ここまで来るのに長かったよ、まったく。どれだけ待たされたと思ってるの!」

「知るか。こんなところ、来ない方が絶対いいだろ」

「まったくもってその通りだね。こんな状況(シーン)、ボクの物語には不必要なのに」

 

 スコットと明日川が文句を言っている。

 

「いちいちボクの言葉にケチをつけないでよ。せっかく盛り上がってるのに」

「……オイ、モノクマ。んなことより、あれはなんなんだァ?」

 

 いつも以上に不機嫌そうに火ノ宮が口を開いた。その原因は、火ノ宮の指差す先にある。

 

「アレって言われても……見たままだよ」

 

 ある証言台の前に設置されている立て看板のようなもの。灰色の新家の写真の上から、真っ赤なペンキでバッテンがつけられている。

 あれはおそらく――遺影だ。

 

「仲間外れは良くないから、ここに来られない人の分はボクの方でこうして用意させてもらいました! 全員揃わないなんて、ボクとしても残念残念……」

 

 相変わらず、モノクマの悪趣味さには反吐が出るような思いだ。

 

「なにが残念なの……全員でここに立つことなんかあり得ないクセに……」

 

 大天の言う通りだ。ここに来るのは【学級裁判】を行うためであって、それはつまり誰かが殺されているという事だ。16人でこの裁判場にやってくることなんか、あり得ない。

 

「ねえ! そろそろ始めましょうよ! もう待ちきれないわ!」

「……」

 

 目を爛々と輝かせている東雲をみて、他の皆はあきれたような表情になっている。

 

「オッケー! じゃあ、もう始めちゃいますか!」

 

 その一言で、裁判場の空気が引き締まったのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 かくして、絶望の幕は上がる。

 新家柱という大切な仲間を惨殺した人間が、本当に俺達の中に潜んでいるのだろうか。そんなこと、信じられない。信じたくない。

 けれど、俺自身だって、一度は絶望に堕ちて根岸を殺そうとしてしまった。この中に、俺と同じように絶望に堕ちた人間がいないなんて、断言することはできない。

 この学級裁判の中で、もしかしたら絶望的な真実を叩きつけられてしまうかもしれない。

 

 それでも、俺達は全員で真実を明らかにする。

 

 

 それが、唯一の希望だと信じているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

   【第一回学級裁判】

 

      開 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせいたしました! それでは、ここに第一回学級裁判の開廷を宣言いたします!」

「だ、誰も待ってないって……」

 

 根岸のツッコミも気に留めず、モノクマは一人で話を進める。

 

「えー、オマエラにはこれから学級裁判を行ってもらいますが、その前に改めてルールを説明いたします。

 学級裁判は、オマエラの中に潜んだクロをオマエラ自身の手で見つけ出してもらうためのものです。議論の後、オマエラの投票による多数決の結果をオマエラの導き出したクロとします。

 正しいクロを導き出せたなら、クロだけがおしおき。逆に、その結論が間違っていたなら、皆を欺いたクロ以外の全員がおしおきとなり、クロは【成長完了】とみなされ、晴れて【卒業】となります!」

 

 モノクマは『おしおき』という軽い言葉を使っているが、その本質は、処刑だ。ここにいる15人のうち、一人は確実に死ぬことになる。

 

「……モノクマ。本当にこの中に犯人はいるのであるか?」

「前も言った通り、それはこのボクが保障いたします! バッチャンの名に懸けて!」

「ほら、前置きはそれくらいにして、さっそく始めるわよ!」

「まあ……東雲君の言う通りだな」

 

 明日川はそう言ったが、決して東雲と同じ気持ちではないだろう。

 ともかく、学級裁判を始めようとしたところで、

 

「でも……議論なんて必要あるの?」

 

 口を開いてそう告げたのは、大天だった。

 

「どういう意味ですか?」

「だって、クロなんてもうわかりきってるじゃん。……血まみれだった平並君以外に、考えられないよ」

 

 杉野に言葉の真意を訊かれた大天は、うつむきがちに俺の方を向きながら、そう言った。

 

「い、いや、俺じゃない!」

「でも、他に怪しい人なんて……」

「捜査が始まる前に七原が説明してくれただろ? 血が付いたのは、新家の死体に抱き着いたからだって」

「そうだけど……じゃあ、七原さんも共犯だったんだよ! それなら筋が通るよね!」

 

 納得しかけた大天だったが、一転してそんなことを言い出した。

 

「共犯って……私、そんなことしてないよ!」

 

 七原が反論するが、大天は聞く耳を持たない。

 

「二人で新家君を襲ったんでしょ!? どっちかが新家君を羽交い絞めにして、もう一人が刺し殺したんだ! そうに決まってるよ!」

「ち、ちがっ……! そんなことしていない!」

 

 しどろもどろになりながら否定するが、大天は俺と七原の方を指差してにらんだままだ。

 

「大天さん! 私の事、信じてくれないの!?」

「信じるって……こんな状況で何を信じろって言うの!? 信じられるものなんて、なにもないじゃん!」

「そんな……!」

 

 どうすれば信じてもらえるんだ、と思ったその時、

 

 

「異議あり」

 

 

 と、声が聞こえてきた。

 

「論外だ。死にたいなら黙っていろ、迷惑だ」

 

 その声の主――岩国は、大天の方を向きながらきっぱりと言い切った。

 

「どういう意味……?」

「運び屋、お前は【モノクマファイル】に目は通したのか? ああ、言わなくていい。見ていないのは分かっている」

「な、な、な……」

 

 【モノクマファイル】……岩国にそう言われて、その文面を思い出す。

 

 

――《【モノクマファイル1】

    被害者は新家柱。

    死亡時刻は深夜12時過ぎ。

    死体発見現場は【宿泊エリア】の倉庫。

    死因は失血死。背面に無数の刺し傷がある。》

 

 

 大天も慌てて『システム』を起動して【モノクマファイル】を確認している。

 

「『背面に無数の刺し傷がある』……つまり、宮大工が刺されたのは背中側だという事だ。羽交い絞めにされて刺されたのなら、こうはならない」

 

 な、なるほど……。

 

「でも、モノクマファイルなんて信用できるの!? 偽の情報が書いてあるかもしれないじゃん!」

「それなら検死をしたオレが証明するぜ。死亡時刻や死因は知らねェが、傷の位置に関してはモノクマファイルの通り背面だけだ」

「そうなの……?」

「それに、モノクマはわたくし達にこうして推理ゲームを行わせています。そのことを考えれば、ゲームマスターであるモノクマが提示する情報は信用に値すると思いますわ」

 

 確かに、そうでなければフェアでない。ゲームとして成立しないのだ。

 そうやって蒼神の意見に納得していると、冷たい目をした岩国が話しかけてきた。

 

「……凡人、自分の潔白を証明したいなら、こうして証拠を示して否定しろ。死にたいのなら止めないが、俺を巻き込むな」

「あ、ああ……ありがとな」

「礼なんかいらん、俺は自分の為にやっただけだ」

 

 そう言って、岩国は正面を向いた。

 なるほどな……感情論じゃダメなんだ。何かを証明したいなら、ちゃんと根拠を示さないと……。

 

「オイ、モノクマ。ついでに聞いておきたいんだけどよォ、共犯者がいた場合はそいつも【卒業】できんのかァ?」

「それはダメだよ。規則にもちゃんと書いてあるでしょ? クロは誰かを殺した犯人だけだから、もしクロが逃げ切ったとしても共犯者はおしおきってことになるね」

「……ということは、共犯の可能性は潰えたというわけですね。もしも共犯がいたとすれば、今のモノクマの話を聞いて出てこない訳はありませんから」

 

 杉野がまとめてくれた通りで、この学級裁判と卒業というシステムがある限りは共犯はありえない。

 

「うう……」

「……」

 

 七原と大天の間には微妙な空気が流れている。その二人をフォローできるような言葉を、俺は持っていない。

 

「とにかく、これで俺の無実は証明できたな?」

「違う。あくまでも、お前の服についていた血が事件とは無関係だったことを示しただけだ。早とちりするな」

「……あ、ああ……わかったよ」

 

 辛辣だが、岩国の言葉は間違っていない。

 反論も出来ず、素直に納得する。

 

「現時点で無実が証明できているのは、アリバイが成立している連中だけだ」

「ありばい……?」

「城咲君は知らないのかい? アリバイ……つまり、現場不在証明とは、その名の通り犯行時刻に事件現場にいなかったという証明の事だ。ミステリではトリックの一種として頻繁に用いられているな」

 

 疑問符を呈した城咲に、明日川が得意げに説明する。

 

「今回の場合、モノクマファイルによって死亡時刻が深夜12時過ぎと確定されている。新家君が即死かどうかは分からないが、犯行から時間があったとも思えない。つまり、確認すべきなのは12時前後のアリバイだな」

 

 12時前後……その時間のアリバイを証明できる人たちがいたはずだ。

 それって確か……。

 

「なあ岩国、アリバイが成立している人って、蒼神たちの事か?」

「ああ。だったよな? 生徒会長」

 

 視線が蒼神に集まる。

 

「そうですわね。昨日の夜時間になる前から例の趣味の悪いアナウンスがなるまでの間、わたくしは東雲さん、城咲さんとの三人で一緒に過ごしておりました」

 

 例のアナウンス、というのは死体発見を告げるアナウンスの事で間違いないだろう。

 

「ですから、それこそ城咲さんも含めてアリバイが成立していることになりますわね」

「本当か? シロサキ」

「はい。間違いありません」

 

 スコットに訊かれ、城咲はそう肯定した。これで三人は容疑者から外れた。

 

「こんな簡単に無実の証明が出来ちゃって残念ね、まったく。もっと自分の無実の証明は楽しみたかったのに」

「……では、アリバイのあるわたくしが進行役という事でよろしいですか?」

「いいんじゃないか? 蒼神以上の適任もいないだろ」

「あれ? アタシ無視された?」

 

 ただでさえ【超高校級の生徒会長】という肩書を持っている蒼神は、そのうえクロでないことが証明されている。ここは蒼神にお願いしたいところだ。

 

「それでは議論を始めますが、まずは何から話しましょうか」

「……最初は、基本情報の共有及び確認からだ。モノクマファイルすら目を通していない人間もいたからな」

「うう……」

 

 岩国は、そう言いながらちらりと横目で大天を見る。

 それにしても、岩国は捜査や学級裁判には非常に協力的だ。理由は……自分自身の命がかかっているからだろうか。とにかく、岩国は頭もよさそうだし、議論のセオリーもわかっている。仲間としてはかなり心強い。

 ……岩国がクロでなければの話だが。

 

「では、死体の状況から……といっても、モノクマファイルの反芻になりますが。

 被害者は、【超高校級の宮大工】新家柱。死因は失血死で、その原因となったのは、背面の複数の刺し傷……事件は12時前後に発生……こんなところですかね」

「あの時間、倉庫で何が起きたのかしら?」

「何って……だから、クロが新家を刺したに決まってんだろォ? 検死をしたオレだからこそ言えるけどよォ、傷は無数についてたわけだから、クロは何度も何度も新家を刺したってことだ。恨みがあったのかどうかは知らねェがな」

「ひどい……」

 

 ……何度も新家を刺した……という事は!

 

「だったら、クロは大量の返り血を浴びたんじゃないか?」

 

 とは言ってみたものの、そんな血を浴びていた人なんていないわけだが……。

 そんなことを考えていると、根岸が口を開いた。

 

「そ、それをおまえが言うのかよ……ひ、平並……」

「……それって、俺の服に血がついてたからか? それは事件とは無関係だってさっき示しただろ」

「そ、そうだけど……」

「根岸君、なんでも疑っていては話が進みませんよ」

「べ、べつに疑ったわけじゃ……」

「まあ、それはともかくとして、平並君、それは違いますよ」

「……え?」

 

 俺の放った意見は、杉野に否定された。

 

「どうしてだ? 何度も新家を刺したってことは、血が大量に噴き出たはずだろ?」

「ええ、それは間違いないと思いますよ。ですが、クロはある物を用いて返り血を防いだのです――ビニールシートですよ」

「…………あっ」

「ビニールシート?」

 

 倉庫の情報を知らない大天が、杉野に説明を求める。

 

「ええ。倉庫の棚の裏に、大量に血の付いたビニールシートが隠されていたのです。これが偶然ついたものとは考えられないため、まず間違いなく事件に関係していると見ていいでしょう。

 では、犯人はどのようにこのシートを用いたのか……それはおそらく、返り血を防ぐためではないでしょうか」

「具体的にはどのようにびにーるしーとを使ったのですか?」

「あくまで推測にしかすぎませんが……凶器となった刃物をビニールシート越しに握ってしまえば、あとは新家君にビニールシートをかぶせるだけで返り血は防げますよね?」

『確かに……それで防げるな』

「というわけで、犯人は返り血は完全に防いだ……少なくとも、派手に返り血を浴びたという事は有り得ないと思います」

 

 ……完全にビニールシートの存在を失念していた。もっとよく情報と照らし合わせて考えなきゃいけないな。

 

「返り血の防ぎ方は分かった……なら、次は肝心の凶器の話をするか」

 

 スコットが新たな議題を提案する。

 今のビニールシートの一連の話にも出てきたが、傷跡からしても凶器は何らかの刃物のはずだ。

 

「肝心の凶器って……そんなの包丁しかありえないだろ? 俺はちゃんと見てないけど、床に転がってたんだよな?」

「確かに、そう見て間違いないでしょうね。倉庫の床に血まみれの状態で落ちていたことですし」

 

 古池の意見に蒼神も同意する。

 

「ってことは、その包丁の出どころを考えればクロを見つけられるんじゃねェか? 城咲、なんか知らねェか?」

「それでしたら、心当たりが――」

「皆、ちょっと待ってくれ」

 

 議論をすることもなく、凶器が倉庫に落ちていた包丁で確定しようとしている。確かに包丁は十分凶器となり得るものだし、新家の血の海に沈んで蒼神の言う通りに血まみれになってしまっている。

 けれど、俺は、あの包丁が事件とは無関係なことを知っている。だって、あの包丁は……。

 

「なんだァ? 平並」

「あの包丁は……凶器じゃないんだ」

「凶器じゃないって……なんでそんなことがわかるの?」

 

 俺の言葉を聞いた大天が怪訝そうな表情で訊く。他の皆も、同様の疑問を抱いているはずだ。

 

「あれは、新家の死体を発見した時に俺が落としたものなんだ。だから、あの包丁自体は事件とは関係がないんだ」

「……ん?」

「ちょっと待ってください、平並君。死体を発見した時に落としたという事は……あなたは、包丁を持って倉庫に向かったという事ですか?」

「ああ、そうだ……そこで、七原と一緒に倒れている新家を見つけたんだ」

「……色々と気になる点は多いのであるが、一番気になる事は……お主、何のために包丁を持っていたのであるか?」

「それは……」

 

 遠城の指摘に、思わず口ごもってしまう。

 けれど……。

 その理由を、俺は言わなくてはいけない。その義務が……責任が、ある。

 

「それに、アタシずっと気になってたんだけど、そもそもなんでアンタと七原はこんな真夜中に倉庫に行ったの?」

「まさかでえと……なのでしょうか?」

「包丁を持って逢引(デート)をする物語(ストーリー)もなかなか興味深いものではあるね」

「デ、デートじゃないよ!」

 

 ……そうだな。あれは、デートじゃない。

 覚悟を決めて、俺は口を開いた。

 

「……俺は……人を殺そうとしたんだ」

「……っ」

 

 皆の、息を飲む音が聞こえた。

 

「……凡人、事情を全部話せ」

「ああ……」

 

 そう岩国に催促され、俺はすべてを告白した。

 

「俺の【動機】は……家族だった。両親と弟の安否が確かめたければ、【卒業】しろ……まあ、大体そんな感じの内容だ。

 分かってたさ。どんな理由があったって、殺人は絶対にしてはいけないなんてことは。だが……決意してしまったんだ」

 

 皆、固唾を飲んで俺の話を聞いている。

 

「簡潔に言う。俺は、根岸を殺そうとした。夜時間になる前に調理場から包丁を持ち出して、部屋にあったメモ帳で根岸に呼び出し状を書いたんだ」

「……お、おまえっ! ぼ、ぼくを殺そうとしてたのか!」

 

 真っ先に反応したのは、当然根岸だ。根岸は、キッと俺をにらみながらポケットから一枚の紙を取り出した。

 

「こ、この手紙……! お、おまえが書いたんだな……!」

 

 

――《倉庫にて、面白いものを発見した。

    モノクマへの対抗策となるため、気付かれないように深夜一時に倉庫に集合。》

 

 

 それは、間違いなく俺が根岸に出した呼び出し状だった。

 

「ああ、そうだ。確かに、俺が書いたものだ。これが、俺が殺意を持っていたことの何よりの証拠になるはずだ。

 ……だが、殺す直前になって、踏みとどまったんだ! 七原に説得されて!」

 

 その言葉で視線を集められた七原は、ゆっくりとうなずいた。

 

「宿泊棟から倉庫に向かう途中で七原に声をかけられたんだ。その後自然エリアに移動して、そこで説得されたんだ。その時になってやっと、人を殺すことの……仲間を殺すことの罪の重さに気付いたんだ。

 その後、宿泊棟に戻ったんだが、倉庫に入る根岸を見た直後に根岸の悲鳴が聞こえて、慌てて駆け寄ったら……」

「新家君の死体を発見した、というわけですか……」

「ああ。これが、俺が包丁を持って倉庫に向かった理由だ」

「ついでに、私も証言しておくよ。……まあ、平並君と会ってからは平並君が言ってくれた通りなんだけど。倉庫に行く前に平並君が持っていた包丁を見たけど、血なんかついてなかったからこの事件にあの包丁は無関係だよ」

 

 七原も、援護の証言をしてくれた。

 

「オイ平並……本当なのかァ? 本気で、根岸を殺そうとしたのかよ!」

 

 黙って俺の話を聞いていた火ノ宮が叫ぶ。今までに見たことのないくらい、鬼の形相をしている。

 

「ああ……俺は、根岸を殺そうとした……」

「それがどういうことかわかってんのかァ!? 根岸を殺すってことは、【学級裁判】でオレ達の事もぶっ殺そうとしたってことだぞ!」

「ああ、分かってたよ、そんなことくらい! ()()()()()()()! その意味だって、十分考えたに決まってるだろ!」

 

 急に叫んだ俺に、火ノ宮は一瞬だけひるんだ様子を見せた。

 

「その上で、俺は殺人を決意したんだよ!

 本当に、ごめん! 皆を殺そうとして……皆を裏切って! ごめん!」

 

 謝って済む問題じゃないことなんて、百も承知だ。けれど、それでも、謝らなければならない。

 

「けど!」

 

 皆の困惑と敵意の目を受けながら、俺は叫ぶ。

 

「新家を殺したのは俺じゃないんだ! 信じてくれ!」

 

 静寂が俺達を包み込む。

 

『なあ凡一。その言葉を、オレ達が信じると思うか?』

 

 黒峰のそんな声が聞こえてくる。

 ……思わない。

 こんなことをしでかしておいて、信じてくれなんて虫が良いなんてもんじゃない。あまりにも都合がよすぎる。

 

「けど、俺にはそう言うことしかできないんだよ……」

 

 と、ぽつりとつぶやいたその直後、

 

「それは違うよ、きっと」

 

 そんな、七原の声が聞こえた。

 

「え……?」

「もしも、平並君が新家君を殺したんだったら、私と会ったときはもう犯行の後だったはずだよね? ……でも、私にはそうは見えなかった。

 本当に、平並君が無実なら、きっと、それを証明する証拠があるはずだよ」

 

 ……そうだ。

 この【学級裁判】で必要なのは、感情論じゃない。ゆるぎない証拠だけだ。

 

「……わかった」

 

 そう呟いて、俺は皆の顔を見る。

 ……言葉なんかなくてもわかる。これは俺を疑っている目だ。

 

「……とにかく、今の平並君の話をまとめると、平並君は厨房から包丁を持ち出した……その後、根岸君を倉庫に呼び出し殺害しようとしたが、その前に七原さんに説得された……そして、倉庫に呼び出されてやってきた根岸君の直後に、七原さんと二人そろって新家君の死体を発見した……という事ですわね?」

「ああ……間違いない」

「根岸にも聞いとくが、死体を見つけたときの状況はこれで間違いねェな?」

「う、うん……て、手紙の通りに倉庫に向かったら新家が倒れてて……ひ、悲鳴を上げたら平並たちが来たけど、び、びっくりしてすぐにげたんだ……」

 

 厳密に言うと些細なやり取りがあったが、そこは今話しても意味は無いだろう。

 

「おい、幸運。アナウンスが流れたタイミングを教えろ」

 

 すると、岩国がそんなことを言い出した。

 七原が聞き返す。

 

「アナウンス?」

「ああ。死体の発見を知らせるアナウンスだ。聞いたやつもいるだろ?」

「確か、平並君が発見した直後に流れたはずだけど……どうして?」

「誰が死体を発見した時に流れたかで、確実にクロでない人間が分かるかもしれないからな。発見した順番と合わせて考えれば、容疑者を減らすことができる」

 

 岩国はそう詰まることなくすらすらと説明したが、

 

「岩国さん、それは不可能ですわ」

「……なに?」

 

 蒼神がそれを否定した。

 

「わたくしも同じように考えてモノクマに確認しましたが、あのアナウンスは三人が死体を発見した段階で流すらしいのです。ですが、クロが再度死体を発見した際も一人にカウントするとおっしゃっていました。なんでも、アナウンスを推理の材料にされるのを防ぐため、らしいのですが」

 

 それを聞いた岩国は、驚いたように声を返す。

 

「……ぬいぐるみがそう言ったのか?」

「ええ。平並君や杉野君も確認していましたわ」

「…………」

 

 そして、岩国はしばらく考え込んでから、

 

「分かった。話を戻してくれ」

 

 と、告げた。

 

「話を戻す、と言うと……話すべきは平並君の証言の真偽でしょうか」

「それなんだけどよ。七原や根岸の証言もあるし、平並の言葉はひとまず信用していいんじゃねェか? 七原と一緒に死体を発見したんだろォ? もちろん、殺人を犯そうとしたことは許せねェし、徹底的に糾弾してやりてェが……それはそれだ」

 

 議題を提示した杉野に続けて、火ノ宮はそう口にした。火ノ宮は俺の言葉を信じてくれたようだ。しかし、もちろんそんな人ばかりじゃない。

 

「ちょ、ちょっと待てよ……」

 

 根岸が口を開く。

 

「こ、こいつは実際に包丁を持ち出してるんだぞ! そ、そんな簡単に、し、信用してもいいのかよ!」

「確かにそうですが……七原さんと一緒に新家君の死体を発見していますし、新家君の殺害には関与していないでしょう」

 

 火ノ宮の代わりに杉野が説明する。

 

「ど、どうしてそう言い切れるんだよ……は、犯行時刻は12時前後なんだろ……な、七原、お、おまえが平並と会ったのはいつだ……?」

「んーと……確か、ちょうど12時半だったかな?」

「じゃ、じゃあ、ひ、平並は新家を殺してから、い、一度宿泊棟に戻ったんだ……! そ、その後にもう一度宿泊棟から出てきたんだ……!」

「ちょっと待て、根岸」

 

 たまらず口を挟む。

 

「なんでわざわざそんなことをする必要があるんだよ。一回宿泊棟に戻ったんだったら、また倉庫に向かう必要なんかないだろ」

「そ、そんなの、い、今みたいに証人を作りたかったからだろ! お、おまえの思惑通りに、七原がおまえをクロじゃないって信じ込んでるじゃないか!」

「私が平並君を見つけたのは偶然だよ。私が、たまたま飲み物を取りに来なかったら証人なんて生まれなかったんだから、それはおかしいよ。それとも、誰かが自分を見つけてくれる可能性に賭けて、平並君は個室をでたの?」

「……っ! ……い、いや! な、七原がいなくてもぼくがいる! ひ、平並は、ぼ、ぼくを味方にするためにぼくを倉庫に呼び出したんだ!」

「……は?」

「ぼ、ぼくだって包丁を持った人を見たら説得くらいするし……た、たまたま七原と会ったから、な、七原に説得されたフリをしたけど、ほ、本当はぼくがその役目のはずだったんだ!」

「だとしたら、時間が早すぎるだろ。お前を1時に呼び出したんだから、宿泊棟を出るのは12時50分あたりで十分だったはずだ」

「そ、そんなの……ぼ、ぼくが先に倉庫に着いたらその作戦が使えなかったから、は、早めに準備しただけだろ……!」

「平並君は、そんな打算的な感情で包丁を持ってなかった! あの瞬間、平並君は本気の殺意を持っていたよ! ……きっと!」

「そ、そんなの、し、信じるやつがいるか! て、ていうかそれはそれで、も、問題があるんじゃないのか……」

 

 俺達三人の口論は激しさを増していく。

 根岸の意見は俺からしたら荒唐無稽だが、一応は筋が通っているように聞こえる。……けど、それは真実じゃない。

 七原は俺のことを信じてくれているんだ。どうにかして、その仮説が間違っていることを示さないと!

 ……何か……何か否定できる証拠は……そうだ!

 

「根岸、その話が本当なら、俺が持っていた包丁は血で汚れてなきゃいけないよな? 返り血はビニールシートで防いでも、包丁に着いた血は布やタオルで拭いたくらいじゃ取れないだろ? けど、さっき七原が言ってた通り、七原と会った時には包丁はきれいなままだった!」

「……ああっ……!」

 

 この事実は、根岸の考えを否定する証拠となりうるはずだ。……と思ったのだが。

 

「……ま、まだだ……あ、洗ったんだろ、包丁を!」

「洗ったって、どうやってだ? 夜時間の宿泊棟は断水になるんだぞ。野外炊さん場だって使えないからな」

「……そ、それは…………そ、そうだ、ド、ドリンクだ! ドリンク!」

「ドリンク?」

 

 七原が反芻する。

 

「ジュースとかってこと? でも、べたついては無かったけど……」

「ジュ、ジュースじゃない……つ、使ったのは、ミ、ミネラルウォーターだ! あ、あれをシャワールームで使えば、ほ、包丁の血も洗い流せたはずだ!」

 

 ……確かに、ミネラルウォーターなら、べたつくこともなく包丁をきれいにできただろう。

 けれど。

 

 

「それは違うぞ!」 

 

 

 それはありえない。

 

「な、なにが違うんだよ……」

「ミネラルウォーターなんだが……実は、この【コロシアイ強化合宿】が始まってから、まだ誰も使ってないらしいんだ」

「え?」

「そうだったよな? モノクマ?」

「はい、その通りです! 種類豊富なドリンクを用意したのはいいんだけどねえ……皆ジュースやお茶ばっかりで、だーれもミネラルウォーター飲まないんだよね! だから在庫があまりっぱなしでどうしようかと……」

「……だから、俺はミネラルウォーターで包丁を洗ってなんかいないんだ」

「……」

 

 根岸は、黙って俺を睨んでいる。

 

「他に洗う方法なんかない……なあ、根岸。許してくれなんて甘いことを言うつもりはない。けど、真犯人を見つけるために、俺のことを信じてくれないか」

「……………………わ、わかったよ」

 

 長考の末に、根岸はそう呟いた。

 

「い、言っとくけど、かなり可能性が低いだけで、お、おまえが新家を殺してから七原に会ったってことはまだ考えられるんだからな……い、今は、議論を進めるために、し、信じてやる……」

「……ありがとう」

 

 根岸は、実際にターゲットにされたという立場だ。その点で、火ノ宮や杉野達とは全く違う。それでも、仮の形ではあるが、根岸は俺のことを信じてくれた。おそらく、他の皆も同じような信用の仕方なのだろう。

 

 しかし、学級裁判はまだ始まったばかりだ。

 自分がクロと断定されるという流れは脱したものの、未だ真犯人の姿も、この事件の真相も見えてこない。

 

 

 依然として、俺達は先の見えない絶望の中にいた。

 

 




ついに学級裁判が始まりました。
本格的な議論は、次回。


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非日常編④ 信じよわが友、と彼女は言った

 《裁判場》

 

「平並君がクロかどうか、それを現時点で判断することはできませんわ。殺人を計画した平並君の処遇についてはひとまず保留にするとして、議論を再開させましょう」

 

 俺の罪の告白を受けて静まり返った裁判場内で、蒼神がそう口を開いた。

 

「再開……あれ、何の話してたんだっけ」

 

 大天が首をかしげている。

 えーと、確か……。

 

「凶器の話だな。倉庫に落ちた包丁が凶器じゃないか、と話していたところで平並君が待ったをかけたんだ」

 

 自力で思い出す前に、明日川がスラスラと答えてくれた。明日川の記憶力の良さを改めて感じる。

 

「そうでしたわね……あの包丁は凶器でないと判明したわけですが……そうなると、凶器はなんだったのでしょうか?」

「倉庫にあった刃物じゃないかしら? 確か、棚に色々あったはずだから、もしかしたらクロはそこから凶器を調達したのかもしれないわね」

 

 と、意見を出す東雲だったが、それを火ノ宮が、

 

「ねェな」

 

 ときっぱりと否定した。

 

「これが撲殺や絞殺だったらまだしも、新家を殺した凶器は刃物だっただろォ? そんなもん、この夜に倉庫にはなかったぜ」

 

 火ノ宮の言葉で、倉庫の棚の事を思い出す。確かに、棚から危険物はすべてなくなっていた。

 

「確かに捜査の時には棚に危険物はなかったが、犯人が持ち去ったんじゃないのか?」

『仮にスコットの言う通りだとしてもよ、なんでそんなことをする必要があるんだ?』

「…………それは知らないな」

 

 バツが悪そうにそっぽを向くスコット。

 

「だから、危険物なんかそもそも倉庫になかったっつってんだろォがァ!」

「な、なんでそう言い切れるんだよ……」

 

 火ノ宮がここまで断言する理由。それは、

 

「危険物は、火ノ宮が持って行ったんだよな?」

「……え?」

「あァ、危険物……少なくとも、凶器になるような刃物の類は全部オレの部屋にある」

「どういうことですか?」

 

 たまらず、といった様子で杉野が尋ねる。

 

「どういうこともなにも、平並が言ったまんまだっつーの。何人か会ったヤツもいるから分かると思うけどよォ、昨日の夕方以降はずっと倉庫にいたんだ。危険物の見張りってことでなァ。

 で、モノクマに訊いたら倉庫の備品の補充は朝の6時ごろにやるんだとよ。てことはだ、危険物は夜時間中は誰かが預かっちまえば良い訳だ。そう考えて、たまたまやってきた遠城にも頼んで、危険物は全部オレの部屋に運んだんだ」

「遠城君、本当ですか?」

「うむ。火ノ宮の言葉は本当であるぞ」

「そうですか……倉庫の危険物の個数は以前火ノ宮君と数えましたし、おそらくすべて運び出せたでしょうね」

 

 とにかく、これで倉庫の危険物が凶器でないことは分かった。となると、凶器はどこに……? と悩み始めたとき、

 

「だ、だったら……ひ、火ノ宮がクロなんじゃないか……?」

 

 根岸がぽつりとつぶやいた。

 

「あァん?」

「だ、だって、じ、自分の部屋に大量に凶器があったんだろ……」

「あァ!? オレが殺人なんかするわけねェだろ!」

「わ、分からないじゃないか、そ、そんなの! お、おまえが部屋に持ち帰った危険物のどれかが、きょ、凶器だ!」

「んなことしてねェっつーの!」

 

 火ノ宮が、クロ……? 火ノ宮が新家を惨殺したというのか?

 この可能性を、俺は肯定も否定もできない。

 ……心情的には、火ノ宮はそんなことはしないだろうと思っているが、それを言い出したらそもそも新家を殺すような人がこの中にいるとは思えない。

 それに、火ノ宮がクロなら凶器の問題が解決するというのも事実だ。

 

「待ってください、根岸君」

「な、なんだよ蒼神……」

「火ノ宮君がクロなら、危険物をわざわざ自分の部屋に持ってくるでしょうか? そんなことをすれば、自分がクロだと宣言するようなものだと思いますわ」

「し、知らないよそんなこと……へ、部屋の中で凶器を見て、こ、殺そうと思ったのかもしれないし……」

「だから、そんなことしてねェって言ってんだろォが!」

 

 埒が明かない。根岸の仮説の真偽を確かめるすべがなく、これでは水掛け論だ。どうしようか、と思っていると、

 

「あの、一つよろしいですか?」

 

 と、城咲が声を上げた。

 

「どうしましたか、城咲さん」

「いえ、さっきも言いかけたのですが、きょうきの議論をするならしておかないといけない話がありまして……火ノ宮さんがくろかどうかは分かりませんが、この話をむししてはいけないと思うのです」

 

 しておかないといけない話?

 

「それって……包丁の事か?」

「はい。先ほど平並さんが包丁を持ち出した、とおっしゃっていたのですが、昨晩調理場から持ち出された包丁は1本ではなかったのです」

「……どういうことだァ?」

「昨日は夕方ごろからずっと食事すぺえすにいたのですが、9時半ごろに厨房を確認すると、包丁が3本しかありませんでした。つまり、包丁は2本持ち出されていた、ということです」

「1本は平並とすると……もう一人、包丁を持ち出した人物がいるってこと?」

 

 東雲が尋ねる。

 

「そういうことになるとおもいます。平並さんが2本持ち出した、という可能性もありますが……とにかく、8時ごろに夕飯の調理を終えたときには包丁はすべてそろっていましたので、持ち出されたのはその後、わたしが食事すぺえすにいる間です」

「しょ、証人はいるのか……?」

「ああ、いるぜ」

 

 根岸の問いに答えたのは、いつになく真面目な古池だ。

 

「俺と露草は夕飯づくりを手伝ってたんだ。その後もずっと城咲と一緒だった」

『おい、手伝ったのは盛り付けだけだぞ! さらっと嘘つくんじゃねえ!』

「……別にそれはどうだっていいだろ」

「それと、私も証人かな。包丁が無くなってるのに城咲さんが気づいたとき、私も一緒にいたから」

 

 七原も声を上げる。

 

「なるほど……城咲さん、その間の食事スペースの出入りは覚えていますか?」

 

 七原の言葉を聞いて、蒼神が質問した。

 

「はい。順に、平並さん、杉野さん、明日川さん、すこっとさん、大天さんが、一人ずつやってきました。その後に七原さんがやってきて、その時に包丁が持ち出されたことに気づいたのです」

「翡翠もその順であってると思うよ」

「つまり、持ち出せたのはその5人というわけですわね?」

「そうみてェだな」

 

 蒼神のまとめに火ノ宮が同意した。

 皆の視線が、今名前の挙がった5人に集中する。

 

「俺は確かに包丁を持ち出したが……それだけだ。二本目が持ち去られたなんて、知らなかった」

「僕は昼に持っていった皿を戻しに来ただけです。流しの下は開けもしませんでした」

「ボクも、包丁の持ち出しなんて知らないね。冷蔵庫から果物を取っただけさ」

「オレだってそうだ。何か食べるかと思って野外炊さん場には行ったが、結局何も取らずに帰ってきた。包丁の件なんて知る由もない」

「私も違う! 明日川さんと同じで果物を取っていっただけだよ。包丁の事なんて、知らなかった!」

 

 これが、5人の言い訳だ。全員、二本目の包丁は持ち出していないと言っている。

 しかし、城咲達の証言がある以上、誰かが持ち出したのは確実で、それが俺でないことは俺が一番知っている。

 一体誰が嘘をついているのかを考えていると、

 

「ちょ、ちょっと待てよ……!」

 

 根岸が叫んだ。

 

「だ、だったら、さ、さっきの話が全部意味なくなるじゃないか……!」

「さっきの話、というのは」

「ひ、平並の包丁の話だ……!」

 

 明日川が言いきる前に、根岸が答えを出した。

 

「ほ、包丁を洗えないから、ひ、平並はクロじゃないって話だったけど……に、二本目があるなら別だ……! あ、新家を殺した時に使った包丁は、へ、部屋にでも隠してるんだろ……!」

「それはないと思うよ?」

 

 ヒステリックに俺に向かって叫ぶ根岸だったが、それを露草が止めた。

 

「……な、なんでだよ……」

『実は、その二本目の場所はもうわかってんだ』

「な!? ど、どこにあったんだ……!?」

「調理場の流し台の下だよ」

「…………そ、それって……」

『ああそうだ。オレ達が調べた時……捜査の時には、包丁は4本ちゃんと揃ってたぜ』

 

 黒峰は、そう告げた。

 

「ちょっと、どういうこと? 2本消えてたんじゃなかったの?」

 

 大天が慌てて口を挟む。

 

「それは間違いありません! わたしがはっきりとこの目で見ています! それに、さっきも言いましたが、露草さん本人も確認しています」

 

 城咲が驚愕を露わにしている。このことを知らない七原達もそうだ。

 

「けど、包丁が4本あったのも事実だ。俺も見てる」

『凡一もこう言ってるし、間違いないだろ?』

「もともと翡翠は2本消えたことを確認しに調理場に向かったんだよ」

『そうしたら、なんと1本は元に戻ってるからな。まったく、驚いたぜ』

「じゃあ、その2本目の包丁を持ち出した人はまた元の場所に戻した……ってこと?」

「おそらくそうだろうね」

 

 大天の推測を聞いて話し出したのは、明日川だ。

 

「殺人の意図があったかどうかはボク達には知る由もないが、包丁を持ち出した後で後悔したのではないか?」

「それは……そうかもしれないな」

 

 殺人の罪に気付いた人間がどれだけ後悔するかはよくわかっている。

 明日川はそのまましゃべり続ける。

 

「捜査時間に包丁が4本揃っていたことはボクも確認している。だとすれば、おそらく持ち出した人物は夜時間になる前に調理場に戻したのだろう。だから、ボクは2本目の包丁は事件とは無関係だと推理している」

 

 なるほど。まあ、その推理は分からなくもない、と思ったのだが、

 

「いや、それはねェな」

 

 火ノ宮がそれを否定した。

 

「……どうしてだい?」

「見てたからだ」

「見てた?」

 

 あっさりと答えた火ノ宮に対して、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「あァ。夜時間まで倉庫にいたのはさっきいっただろォ? 倉庫にいると、中央広場を通して宿泊棟が見えんだよ。食事スペースの入り口も視界には入る。つってもま、ずっと見張ってたわけじゃねェからいつ誰が通ったかってのは覚えてねェけどな。

 けど、これは断言できるぜェ。城咲達が食事スペースを出てからは、夜時間になってあそこが出入り禁止になるまでは誰も食事スペースに入っちゃいねェよ」

「だが、君が気付かなかった可能性をどうして無視できるんだい? 今君自身が言った通り、ずっと見張ってたわけではないのだろう?」

「あァ? んなもん、"誰も入らなかったから"に決まってんだろォ? 誰かが通れば、気にしてなくても気づくっつーの。ま、宿泊棟の出入りは気にしなかったから、中央広場を誰が通ったか、とかはあんまおぼえてねェけどな」

「……」

「どうやら、明日川さんの推理ははずれのようですわね」

 

 明日川の反論は、火ノ宮の根拠を覆すだけの物にはならなかった。

 火ノ宮は包丁を持ち出していないし、ここで嘘をつく必要はないはずだ。仮に火ノ宮がクロで嘘をついているとしたら、包丁を持ち出してすぐに戻した人が黙っている理由がわからない。

 

「つまり、二本目の包丁を持ち出した人物は、捜査時間中に包丁を戻した、という事になりますわ」

 

 蒼神がここまでの推理をまとめる。

 

 ……ん?

 まて、まて、何か引っかかるような……。

 

 落ち着いて考えろ。

 まず、二本目の包丁を持ち出せたのは、昨日俺の後に食事スペースに入った四人だけ。

 そして、その包丁は捜査時間中に戻された。

 

「……ああ、そうか」

 

 無意識に、俺の口から言葉が漏れた。

 

「二本目の包丁を持ち出したのは――」

 

 そして、()()()()をまっすぐに見つめる。

 

 

 

 

 

「――明日川。お前しかいないじゃないか」

「……急に何を言い出すんだい?」

 

 俺の視線の先にいる明日川は、眉間にしわを寄せてそう答えた。

 

 

 

 

 

「火ノ宮や城咲、そしてお前の話を総合すると、二本目の包丁を持ち出した人は、捜査時間の間にその包丁を調理場に戻したんだ。そして、この行動がとれる人物は……お前しかいない」

「…………」

 

 明日川は、黙って俺の話を聞いている。

 

「まず、二本目の包丁を持ち出せたのは俺、杉野、明日川、スコット、大天……この5人だけだ。

 その中で、スコットは現場保全の為に城咲とずっと倉庫にいた。

 大天は、捜査時間が始まるとすぐに自分の個室に向かった。これは、七原が証言してくれている。

 そして、俺と杉野は倉庫から捜査を始めたから調理場に着いた時にはもう露草が包丁が4本揃っていることを確認していた」

「そ、そうか……ほ、包丁を戻せるのは明日川だけなんだ……」

「ああ。どうだ、明日川? 反論があるか?」

 

 すると、俺の言葉を聞いた明日川は、

 

「……反論か。もしも君の推理(描いた物語)虚構(間違い)であるなら、反論があったのかもしれないね」

 

 と呟いた。

 

「それは、認めるという事でよろしいのですか?」

「ああ、認めるよ、認める。確かに、二本目の包丁を持ち出したのはこのボクだ」

 

 蒼神に訊かれ、両手を挙げて降参のポーズをとる明日川。

 

「な、なんでなんだよ……」

「……………………怖くなったんだ」

 

 そして、明日川はぽつぽつと語りだした。

 

「本当は、包丁を持ち出すつもりなんて無かった。

 夜の9時くらいか。さっきも言ったけれど、果物を食べようと思って調理場に行ったんだ。リンゴの皮を剥くための包丁を取ろうとして……1本足りないことに気づいたんだ。

 食事スペースには城咲君達がいたけれど、誰も包丁を使ってる様子はなかった。……そこで気が付いたんだ。『誰かが包丁を持って行ったかもしれない』という可能性(シナリオ)にね。それに気づいた瞬間、無性に恐怖の気持ちが沸いてきた。

 ……そして、どうしようもなくなって、気が付いたら包丁を隠し持って調理場を飛び出していたんだ」

 

 ……明日川の独白が終わった。

 それを聞いて、気付いたことがある。……明日川が包丁を持ち出したのは、俺のせいじゃないか。

 俺が、最初に包丁を持ち出したから、明日川は……。

 そんな俺の思いをよそに、議論が始まる。

 

「……ただ、ボクも包丁を持ち出しただけだ。新家君の殺人については、ボクのあずかり知らぬ話だ」

「お、お前もかよ……」

「ああ。ボクは誰も殺してなんかいないし、誰かを殺すつもりもなかった。包丁を持ち出したのは、自衛の意味が強いな」

「正直、信じられませんわ。もしもそうなら、早々にでてきてほしかったですわね」

「……出てきたところで、今みたいに疑われるだけじゃないか」

 

 明日川は、無実を主張している。

 

「とてもじゃありませんが、信じられませんね」

「平並君みたいに名乗り出たならともかく、指摘されてから自白したもんね」

「……こうなるから、名乗り出たくなかったし、わざわざ包丁を戻してごまかしたんだ。それが裏目に出たようだけどね」

 

 しかし、杉野や大天はそれを疑う。口に出さないだけで、他の皆だってそうだろう。俺も、その一人だ。

 

「……そうだ」

 

 そんな疑惑の目にさらされた明日川は、何かを思いついたように目を開く。

 

「キミ達の推理(描いた物語)は、ボクがあの包丁で新家君を殺した後、捜査時間になって包丁を調理場に戻した……そういう物語(ストーリー)で間違いないかい?」

「……まあ、その通りだ」

 

 明日川がクロであるならば、そういった行動を取ったはずだ。

 

「ありがとう、平並君。君からその言葉(セリフ)を聞けて良かったよ」

 

 意味深な言葉を述べる明日川。

 

「……どういうことだ?」

「平並君、先ほど行われた平並君の持ち出した包丁が事件とは無関係だった、という議論は覚えているかい?」

「ああ。俺があの包丁で新家を刺したとすれば、あの包丁は七原と会った時に血がついてないとおかしい……そんな話だったよな」

「その通りさ。夜時間の間に血を洗い流すことができない、ということが根拠にあったはずだ。……では訊くけれど、調理場にあった4本の包丁は、血で汚れていたかい?」

 

 調理場の4本の包丁。それは……。

 

「……汚れて、なかった」

「そう! ボクが犯人(クロ)なら、犯行に用いた包丁は血で汚れているはずだろう? だから、ボクは犯人(クロ)ではない」

 

 明日川は必死に、それでいて得意げに、無実の証明を述べる。

 なるほど、と納得しかけたが、

 

「そ、それは違うだろ……!」

 

 根岸から待ったがかかった。

 

「そ、捜査時間だったら、血を洗い流せたはずだ……! ちょ、調理場は宿泊棟とは違うから、水が出たんじゃないのか……?」

 

 ……確かにそうだ。

 けれど、水が出たかどうかなんて、確認していない。

 

「そんなのはただの可能性だ。ボクは調理場なんて使っていない」

「……どうなんだァ? モノクマ」

 

 火ノ宮がモノクマに確認する。

 

「訊かれたから答えると、捜査時間中は夜時間だったけど、普通に調理場の水は出るようになってるよ」

「ほ、ほらやっぱり……だ、だったら、あ、明日川は凶器に使った包丁を洗って調理場に戻したんだよ……!」

「待ってくれ、根岸君。ボクは捜査時間に水が使えたことなんて知らなかった。そもそも、そんな行動を取ろうとは思えないんだ!」

「も、モノクマにでも聞いて知ったんじゃないのか……? そ、それとも、し、知らなかったことを証明できるのかよ……!」

「そんなこと、出来るわけがないだろう! 悪魔の証明をしろと言うつもりかい?」

 

 明日川への疑惑が、強くなっていく。

 明日川は、本当に殺人を犯したのか……?

 

「吾輩は調理場に行っていないからわからないのであるが……明日川が包丁を洗った痕跡は残ってなかったのであるか?」

 

 遠城が誰にでもなく尋ねる。

 

「残っているわけがない! そんなことしていないんだから!」

「落ち着いてください、明日川さん。わたくしは確認できていませんが、包丁が4本あったことを確認したのは露草さんと平並君でしたよね。どうですか?」

「どうって言われても……翡翠は特に気づかなかったかな」

「……俺もだ」

 

 洗った痕跡……どうだろうか。

 

「捜査時間中に洗ったのなら、流し台や包丁が濡れてたんじゃないのか?」

「……それだ! ボクは包丁を洗ってないんだから、包丁は乾いていたはずだ! そうだろう、二人とも!」

 

 スコットのアイデアに明日川が便乗して、俺達に必死な形相を向ける。

 それを見た俺の答えは。

 

「包丁は渇いていた……ような気がする」

「! ほら、これがボクの無実を――」

「……『気がする』?」

 

 明日川のほころびかけた表情を、杉野が止める。

 

「平並君。その『包丁は乾いていた』という言葉……断言することができますか? この、全員の命がかかった【学級裁判】という場で」

「それは…………断言できない」

 

 そもそも、そんな4本の包丁を注意深く見ていたわけじゃない。そんな状況で断言できるのは、【完全記憶能力】をもつ明日川だけだが、今疑われているのがその明日川なのだ。

 

「ちなみに、僕自身も包丁は確認していますが……断言することは出来ません」

 

 俺に続いて杉野が、そして、

 

「翡翠も、かな……洗ったあとじゃない、なんて、証言はできないよ」

『はっきり言って覚えてねえな』

「そん、な……」

 

 露草も証言を避けた。

 いくら明日川が必死に無罪を主張しているからと言って、あいまいな記憶で堪えることなんかできない。

 

「違う! ボクじゃない! 信じてくれ!」

 

 皆の変わらない疑いの目を受けて、明日川は信じてくれと叫び続ける。俺は、この言葉を、明日川の台詞(セリフ)を信じてもいいのだろうか?

 何か、証拠はないのか。明日川が、無実なのかクロなのか。そのどちらかを示す証拠が。

 思い出せ。捜査中に見つけた数々の情報の中から、明日川の無実を示す何かか、明日川の犯行を裏付ける何かを。

 

「……もう認めろよ、明日川」

 

 そんな中口を開いたのは、古池だった。

 

「してもいないことを認めろと、キミはそう言うのか?」

「見てるんだよ、俺は……お前が新家と揉めてるのを!」

「なっ……」

 

 そういえば、捜査の時に古池からそんな話を聞いた。

 杉野が問いかける。

 

「揉めてるとは、事件当時の事ですか?」

「いや、そうじゃない。夜時間になるちょっと前だな。宿泊棟に入ったときに、明日川の部屋の入口のところで、明日川と新家が言い争ってたんだ。内容はよくわからなかったが、明日川が会話を打ち切って扉を閉めたんだ」

「夜時間になる前……明日川さん、それは本当ですか?」

「……確かに、ボクは新家君と口論をしたさ。それ自体は真実の物語さ。夜時間になる5分ほど前に、新家君と出会って……その時に包丁を見られて、それで少し口論になったんだ」

 

 明日川は、それをあっさりと認めた。

 

「けれど、古池君はそれだけでボクが犯人であると指摘するつもりかい?」

「疑うには十分すぎる根拠だろ」

「ボクがクロだと断定するにはあまりに不十分すぎる(落丁が多すぎる)。推敲の余地ありだ」

 

 にらみ合う古池と明日川。

 口論、か……確かに疑う理由にはなるが、犯人とするには弱すぎる。少なくとも、普通の日常ではそんなもの動機としては考えづらい。

 ただ、元々【卒業】するつもりがあったなら、それを理由に殺そうとすることはあるかもしれない。殺す相手は誰でもよくて、口論になってしまったから新家を殺すことにした、とか。

 俺だって、根岸を殺そうとしたのは、別に恨みがあったわけじゃない。たまたま呼び出すのに都合が良かったからだ。根岸なら倉庫に必ず来てくれるだろうと思って……。

 

「……ん?」

 

 そこまで考えて、思考が止まる。

 ちょっと待てよ、あれは確か……。

 

「……なあ、火ノ宮」

「あァ? どうした、平並」

「新家のポケットに、呼び出し状が入ってたよな。それを見せてくれないか?」

「別にかまわねェが……」

「呼び出し状?」

 

 古池が火ノ宮に問いかける。

 

「あァ。そもそも疑問に思ってたヤツもいるだろうが、新家が真夜中に倉庫なんかに行ったのはコイツが原因だったんだ」

 

 火ノ宮がそう言いながら取り出した一枚の紙に、皆の視線が集まる。

 

 

 

――《新家君へ

    さっきはすまなかった。

    謝罪したいので、12時に倉庫に来てほしい。》

 

 

 

 その紙は血に染まってこそいたが、確かにそう読むことができた。

 

「ぼ、ぼくと一緒ってことか……」

 

 根岸が落とした視線の先にあるのは、俺が出した根岸宛の呼び出し状だ。

 確かに、殺そうとした相手を呼び出した方法は全く同じだ。

 

「で、これがどうしたってんだァ?」

「そう怖い顔をするなよ、火ノ宮。俺が気になったのは、その文面だ。『さっきはすまなかった』、『謝罪したい』……これって、単に倉庫に呼び出したにしては何か不自然だと思わないか? 明らかに、何かあったことを前提にしている文章だ」

「……まさか」

「杉野は気づいたみたいだな。……この謝罪したいことって、古池が見たと言う、明日川の口論についてじゃないのか?」

「ッ!」

 

 明日川の息を飲む声。

 

「この呼び出し状を明日川が出したとすれば、この文章が自然なものになるんだ」

「なるほど! 明日川が、口論を利用して新家を倉庫に呼び出したのであるな!」

「違う!」

 

 遠城が膝を叩いた直後に、明日川が否定する。

 

「ボクはそんな呼び出し状なんか知らない!」

「俺だって、認めたくない。お前が、犯人だなんて、信じられない……けど、お前がクロだったとしたら、すべてがしっくりくるんだよ。凶器も、呼び出し方も、全部な」

「偶然、そう読めてしまうだけだ。ボクの物語は、そんなものじゃない!」

 

 必死に叫びながら俺を見つめる明日川。

 その目を見て、思う。

 

「……そうだよな。お前が、誰かを殺すなんて、そんなはずないか」

「信じてくれるのか!」

「ああ。ごめん、明日川」

 

 パッと明るくなる明日川。

 とても、明日川が犯人だなんて信じられない。

 

「けど、だとしたら俺の推理が間違ってるってことになる……お前が犯人だったら、すべてのつじつまが合うんだが、これは一体……」

 

 誰に向けるでもなく、そう口にしたその瞬間、

 

 

 

 

 

「欠陥だらけの推理だなァ!」

 

 

 

 

 

 そんな火ノ宮の声が裁判場に響いた。

 

「なんだよ、火ノ宮」

「黙って聞いてりゃあ、てめー本気でそう言ってんのか?」

「……ああ。明日川が犯人じゃないなんて分かってる。けど、そう説明すればしっくりくるのも事実だ」

「しっくりなんか来ねェな! その推理でつじつまなんかあってねェっつーの! 明日川はぜってェクロじゃねェ!」

 

 いつになく荒い口調の火ノ宮。その怒号を向けられて、委縮してしまう。

 どうして、そこまで断言できるんだ。

 

「しっくりこない?」

「あァ……いや、納得できねェっつった方が良いか……とにかく、元からオレは明日川をクロだとは思ってねェんだよ」

「どういうことですか?」

 

 火ノ宮の言葉の真意を蒼神が尋ねる。

 

「クロは新家を手紙を使って倉庫に呼び出したんだろォ? てことは、クロは自分のメモ帳を少なくとも一枚は使ってるってことだ」

「まあ……それはそうですわね」

「っ! そうか!」

 

 火ノ宮の言葉(セリフ)を聞いて、明日川が何かに気づく。

 

「皆、見てくれ!」

 

 そう言いながら明日川が掲げたのは、裁判の前にモノクマから渡されたメモ帳だった。

 

「ボクはまだメモ帳を一枚も使っていない! ボクが新家君の物語を終わらせたのだとしたら、こんなことは有り得ないだろう?」

 

 そのメモ帳は、明日川の言葉(セリフ)通りに新品だった。

 

「た、確かに……」

「だから、明日川はクロじゃねェ。本当に包丁を持ち出しただけだろォな」

「ていうか、そもそもこのメモ帳があれば容疑者は半分以下に絞れるじゃない。なんで黙ってたのよ? 呼び出し状の話が出たときに言えばよかったじゃない」

「言うタイミングを計ってただけだ。もともと呼び出し状の話になった時に言いだすつもりだったしな」

 

 東雲に対する火ノ宮の答えを聞いて、ここまでの流れを思い出す。現場の情報を共有した後は、ずっと凶器の話……というより、包丁の話をしていた。確かに、わざわざ話を打ち切ってメモ帳の話をするタイミングは無かったように思える。

 

「……まあ、包丁を持ち出した人物をそのままにしておくこともできませんし、これから先に必要な議論だったと思いますよ」

「別に、火ノ宮を責めてるわけじゃないわ」

 

 杉野が火ノ宮をフォローした。

 

「とにかく、これでボクの無実が証明されたわけだ。……さて、それじゃあ、本当の犯人(悪役)を探そうじゃないか」

「そうね。新品のメモ帳を持ってるのは誰だったかしら?」

 

 周囲を見渡す東雲。

 

「新品のメモ帳を持っているのは、スコット、根岸、杉野、七原、明日川、蒼神、岩国、大天、露草の9人だ。呼び出し状を出したのがクロで間違いねェんだから、コイツらは無実だ」

「そうですわね。なら、クロは、メモ帳を使った人の中で、殺された新家君とアリバイのある城咲さんと東雲さんを除いた4人の中にいるという事になりますわ」

 

 蒼神の言った4人とは、俺、火ノ宮、古池、遠城の事だ。そして、俺が犯人でないことは俺自身が知っているため、クロは残りの3人の中にいるという事になる。なるのだが……。

 引っかかるのはあの呼び出し状だ。火ノ宮たちの誰かが新家とトラブルがあった可能性もあるのだが、明日川と新家の口論を無視してもいいのだろうか。あの呼び出し状の文章を思い返す度に、明日川の事を指しているように思える。

 別に、明日川なら殺人しそうだ、と考えてるわけじゃない。むしろ、明日川はこの数日で親しくしていた方だ。それを通じて、明日川は人殺しとは無縁な方だとも考えている。

 ……だとするならば、やはり気にしすぎなのか。

 

「……」

「容疑者が半分どころじゃなくなったわね」

「……では、これからどういたしましょうか」

「ボクの無実が証明されたのはうれしいけれど、これから議論できそうなことは……」

「ねえ、ちょっと思ったんだけどさ」

 

 議論が停滞しかけたその時、露草が口を開いた。

 

「どうしましたか?」

「呼び出し状が誰のメモ帳の物かって、どうにかしてわからないのかな? それが分かれば柱ちゃんを殺したクロも分かるよね?」

「それはそうですが……破れ目を合わせるという事ですか?」

『ああそうだ、かなた。やってみる価値は十分あると思うぜ』

「……そうですわね。火ノ宮さん、呼び出し状を渡してくれますか?」

「あァ。ほらよ」

 

 そして、メモ帳との照合が始まった。

 しかし、4人のメモ帳を合わせてみてもイマイチ要領を得ず、結局得られるものは何もなかった。

 

「まあ……合ってなさそうには思えますが、確証はありませんね。【超高校級の鑑定士】がいればよかったのですが……無いものねだりしていてもしょうがありませんね」

「私も合ってないように見えるけど……でも、この中にクロがいるはずだもんね」

 

 

 蒼神に大天も賛同する。

 

「……仮に、全員のメモ帳が違うとなった場合、どうなるのであるか?」

 

 すると、遠城がそんなことを言い出した。

 

「なら、簡単な事だろ。この呼び出し状を出したのがモノクマしかいねェってことだ」

「何をー! ボクはそんなことしないって言ってるでしょ!」

 

 そうモノクマは言う。けれど、俺の目にもこの4人のメモ帳から呼び出し状が切り取られたとは見えない。

 落ち着いて、この呼び出し状のことについてひとつずつ考えよう。

 まず、新品のメモ帳を持っている人たちは、絶対に違う。メモ帳は一人一つだったから、それは絶対にありえない。次に、アリバイを持つ東雲と城咲も除外し、さらに、殺された新家も――。

 

「……ん?」

 

 ――そこまで考えて、思い出す。あの、新家のメモ帳に残った乱暴な破れ目を。

 

「誰か! 誰か、新家のメモ帳を持ってきている人はいないか!?」

 

 そう言いながら、俺は皆を見渡すが、

 

「新家君のメモ帳……ですか?」

『持ってきてるわけねえだろ』

 

 誰も手を挙げるものはいない。それはそうだ。

 

「な、なんで急に、あ、新家のメモ帳がいるんだよ……」

「……まさか、アラヤのメモ帳と一致するか確かめたいとでも言うつもりか?」

「ああ、そうだ。スコット。お前は見てないはずだが、新家のメモ帳の破り取り方がかなり乱暴だったんだ。この呼び出し状と同じようにな」

「だから、一致するかもしれねェってことか?」

「ああ……モノクマ。裁判を中断してくれないか? 新家の部屋からメモ帳を取ってきたい」

 

 そうモノクマに頼んでみたが、良い答えは期待できない。

 

「中断? 中断なんかするわけないじゃん!」

「……だよな」

 

 この可能性を検証することができないか……。

 そう思って俯いたのだが、

 

「だって、新家クンのメモ帳はここにあるからね!」

「……は?」

 

 聞こえてきたモノクマの声に、とっさに顔をあげると、モノクマは一つのメモ帳を掲げていた。

 

「こういう展開になるかと思って、持って来ちゃいましたー! まあ普通は捜査時間中に全部調べろってことでこんな真似はしないんだけど、オマエラは未熟だから調べきれないだろうし、初回サービスも兼ねてね! ほらよっ!」

 

 そして、呼び出し状を持っていた蒼神に向けてモノクマはメモ帳を投げた。

 蒼神は、それと呼び出し状の端を合わせる。すると……。

 

「……一致、しましたわね」

 

 新家のメモ帳に残された破れ目。それと、呼び出し状の破れ目が、完全に一致した。

 

「え……? なんで新家君のメモ帳と……?」

 

 七原が困惑の声を出す。

 

「ぐ、偶然じゃないのか……?」

「いや……偶然じゃない」

 

 根岸がそんな疑惑を呈するが、俺はそれを否定した。

 

「ほら、メモ帳に残った切れ端に、ペンの線が残っている」

「気のせいじゃ……無いみたいね」

「ええ。それも完全に一致しますわ。平並君の推測通りのようですわね」

「ああ……。考えもしなかった。呼び出し状を書いたメモが、新家の物だったなんて……」

 

 は?

 

 今、俺、なんて言った?

 呼び出し状を書いたメモが、新家の物だった?

 

「ちょ、ちょっと待てよ……! ど、どういうことなんだそれ……!」

 

 根岸が叫ぶ。

 

「どういうことって、俺が知るかよ!」

 

 俺だって混乱しているんだ。

 この事実は、何を示している?

 

「やっぱり何かの間違いなんじゃない?」

「違うよ、大天さん。私もそう思いたいけど……でも、どう見ても破れ目は一致してるから」

『呼び出し状を書いたのは柱ってことか?』

「んなワケねェだろ! 新家は殺されたんだからなァ!」

「で、でも、も、もしかしたら新家が誰かを殺そうと倉庫に呼び出して、ぎゃ、逆にそいつにころされたんじゃ……」

「……いや、その物語は有り得ない。もし反撃されたのなら、体の前面に傷がつくはずだ」

「そ、そっか……」

 

 いくつもの仮説が挙がり、その度に論破されていく。

 なんだ。真相は、なんだ。

 

「じゃあ、モノクマが持ってくるときに入れ替えたんじゃない?」

「何を言うのさ、東雲さん! ボクはそんなことしてないよ!」

「少なくとも、新家の部屋にあったのはこれで間違いありませんよ。僕だけでなく、平並君も確認していますから」

「じゃあ……クロが、自分のメモ帳と入れ替えた、とか?」

 

 ……クロが、入れ替えた?

 

「それだ!」

 

 古池が挙げた仮説に、俺は瞬時に同意した。

 

「入れ替えたって……そんな」

 

 いぶかしげな七原。

 

「いや、間違いない。まず、呼び出し状を書いたのは新家じゃない。『新家君』という宛名と本文の筆跡が同じだからな。じゃあ、やっぱりこれを書いたのは……このメモ帳を使ったのは、クロってことだ。クロのメモ帳が、新家の個室にあった……これが意味することは、一つだろ」

「筋は通るようであるが……何か証拠はあるのであるか?」

「……これが証拠になると思う」

 

 そう言って、俺はポケットから『システム』を取り出す。

 

「これは、新家の『システム』なんだが、新家の個室にあったんだ。個室のカギにもなるこんな大事なものを新家が個室に置いていくわけがない。じゃあどうしてこれが新家の個室にあったのか……クロが使ったんだ。新家のメモ帳と自分のメモ帳を入れ替えるために」

「どうして、わざわざそんなことを」

「呼び出し状とメモ帳を調べられて、そこからクロを突き止められるのを恐れたんじゃないか? 実際、オレ達はそういう作業をしたじゃないか」

 

 スコットがその理由を答えてくれた。

 

「……それに、もう一つ理由があるんじゃないか? 新家のメモ帳が新品だったら、どうだ? 『自分が持ってるメモ帳は新品だから自分はクロじゃない』……そういう主張ができるようになるよな」

 

 そして、古池が補足する。

 

「だ、だったら……く、クロは……!」

 

 それを受けて、根岸は視線をゆっくりとある人物へと向けていく。

 根岸だけじゃない。他の皆も、彼女へと疑惑を集めていく。

 

「……! 違う! ボクじゃない!」

 

 そう、明日川に。

 明日川の疑惑が晴れたのはどうしてだったか?

 ……『新品のメモ帳を持っていたから』だ。

 

「明日川がクロなわけねェだろ! 新家を殺したのはモノクマに決まってんだ!」

「気持ちは分かるけどな、火ノ宮……そう言うんだったら、証拠を見せてくれよ。モノクマが新家を殺した、その証拠を」

「ッ……」

 

 火ノ宮は、何かを言おうとして口を動かしているが、その口から言葉が出ることは無かった。

 ……俺だって、モノクマがクロであってほしかったさ。

 

「ボクは新家君を殺して(新家君の物語を終わらせて)なんかいない! 信じてくれ!」

 

 明日川の叫びが響き渡る。

 

 

 

 信じたい。

 明日川が誰かを殺せるような人間だなんて、とても思えない。

 けれど、これまでの議論のすべてが、明日川がクロであることを指し示している。信じたい気持ちを、たくさんのコトダマが打ち砕いていた。

 そんな状況で明日川を信じていられるほど、俺は強い人間じゃなかった。

 

 

 

「……明日川、認めてくれないか。もう、そんなお前を見たくないんだ」

「ッ…………!」

 

 俺の言葉を聞いた明日川はすっと顔を青ざめた。

 その絶望的な表情は、俺が想像している通りの意味を持っているのだろうか。

 

「今夜、何が起こったのかをはじめから振り返る。それで、終わりにしよう」

 

 俺に明日川を責める権利はない。けれど、クロを明らかにする義務がある。

 それが、俺の贖罪だからだ。

 

 

 

 

 

 14人の視線を受けて、俺は語り始める。

 

「事件の発端は、昨日の夜時間になる前に包丁が二本持ち出されたことだった。一本目を持ち出したのは、俺だ。……俺は、根岸を殺そうと思ってたんだ。けれど、最終的に事件を起こした人物は俺じゃない……二本目の包丁を持ち出した人物こそが、犯人だったんだ。

 その犯人は、夜時間になる直前に新家と口論をしてしまった。その原因は何かは分からないが、犯人は、この口論を逆に利用しようと考えた。その口論の謝罪を口実に、手紙を使って新家を倉庫に呼び出したんだ」

 

 包丁を持ち出した時点で殺意があったかどうかまでは分からない。けど、新家との口論で、新家を殺すことに決めたはずだ。

 

「しかし、その呼び出しは犯人の罠だったんだ。そうとも知らず、新家は手紙を信じて倉庫へと向かってしまった。そして、そこで潜んでいた犯人に背後から包丁で襲い掛かられ、殺されてしまったんだ。この時、犯人はビニールシートで返り血を防いでいたんだ」

 

 これが、惨殺の瞬間。

 

「犯行後、犯人は凶器である包丁をジャージでふき取った。そして、新家の『システム』と一緒に持ち去ったんだ。

 その後、宿泊棟へと戻った犯人は、持ち去った『システム』を使って新家の部屋へと入り、自分のメモ帳と新家のメモ帳を入れ替えたんだ。そう、新品である新家のメモ帳と!」

 

 メモ帳を使って自分の無実を示すためにだ。

 

「そして、用済みになった新家の『システム』を残して自分の個室に戻り、朝が来るのを待ったんだ。朝になったら、包丁に残った血はシャワーか何かで洗い流すつもりだったんじゃないか? 

 しかし、実際は、俺に呼び出された根岸と、俺と七原が夜時間に新家の死体を発見することになった。そこで、犯人は捜査時間中に調理場で血を洗い流して、包丁を元の場所に戻したんだ」

 

 これが、今夜起きた事件のすべてだ。

 

「この一連の犯行が可能だった、たった一人の人物。それは――」

 

 そのまま、絶望に染まった顔の彼女に向けてその名を告げようとした瞬間、

 

 

 

「その推理、リテイクお願いします!」

 

 

 

 杉野の、そんな声が裁判場に響き渡った。

 

「……なんだ、杉野」

「確かに僕も明日川さんは疑っていましたが……やはり、彼女は犯人ではありませんよ」

「どうしてだ? 今説明したことの中に、おかしなところなんかなかっただろ?」

「いえ、ただ一点、どうしても見過ごせない矛盾がありました」

 

 

 杉野は、俺の目をじっと見てそう告げた。

 俺の積み上げたロジックが、明日川を信じることをやめてまで組み上げた推理が、間違っていると告げたのだ。

 

 

 




学級裁判は次回に続きます。
平並君は主人公ですが、推理力が高いわけじゃありません。


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非日常編⑤ 突き刺さる真実

「見過ごせない矛盾って、なんなんだよ」

 

 ――明日川棗が犯人である。

 その推理を認めざるを得なくなった俺は、これまでの議論から今夜起こった出来事を振り返り、改めて明日川を犯人として告発しようとしていた。

 

「包丁を持ち出した犯人は、新家と口論をしてしまったが、その謝罪を口実に真夜中に倉庫へと呼びだした。そして、ビニールシートで返り血を防ぎながら、背後から新家を襲った……。

 そして、新家の個室で手紙に使った自分のメモ帳と新家の新品のメモ帳を交換して、自分の個室へと戻り朝を待った。

 その後、犯行に用いた凶器は捜査時間のうちに調理場で血を洗い流して元の場所に戻した」

 

 これが、犯人が行ったすべてのはずだ。しかし、杉野はそこに矛盾が潜んでいるという。

 

「これのどこがおかしいんだ」

「……ありがとうございます。今のまとめで、改めて確信しました。やはり、明日川さんは犯人ではありません」

 

 ……どういうことだ?

 

「先ほど平並君は、新家君のメモ帳は新品であると言いました。確かに、明日川さんが犯人であれば、そうでなくてはおかしいでしょう。明日川さんは新品のメモ帳を持っていますからね……ですが、その事が、ある証拠品と矛盾するのです」

 

 そう言いながら杉野が取り出したのは……設計図?

 

「それって確か……」

「これは、新家君の個室の引き出しに入っていた棚の設計図です」

 

 …………ああっ!

 

「平並君も気付いたみたいですね」

 

 そうだ、これがあるという事は!

 

「この設計図は、新家君がメモ帳を使ったという何よりの証拠――」

 

 

 

「そっちの推理()は行き止まりだ!」

 

 

 

 俺が杉野の反論に納得したその時、今度は古池から反論の声が上がる。

 

「甘いぞ、杉野。 それはクロの罠だ!」

「罠……どういうことでしょうか?」

 

 杉野が古池に問いかける。

 古池のテンションは高いが、いつもの茶化すようなものではなく、名前だって間違えずに呼んでいる。その目はいたって真剣だ。

 

「新家の個室の引き出しにそのメモがあった。だから新家はメモを使っている……お前はそう言ったな?」

「ええ、そうですが」

「違うんだよ……それは、新家のメモが使用済みだったと思わせるために、犯人が書いたものだ!」

「このメモの筆跡と呼び出し状の筆跡は一致していませんが?」

「筆跡なんていくらでもごまかせるだろ? むしろ、バカ正直に自分の筆跡のメモを残す方がありえない」

 

 古池の言う事にも一理あるが、それは決して古池の仮説を裏付ける証拠になるわけじゃない。

 

「では、書いてある内容はどうでしょう?」

 

 さらに杉野が反論を試みる。

 

「内容?」

「ええ。このメモは、どうみても設計図ですよね。こんな設計図を描けるのは、【超高校級の宮大工】である新家君しかいないと思いませんか?」

 

 しかし、それに対しても古池は尚も反論する。

 

「そうとは限らないだろ。確かに設計図だとは思うけど、単純な作図なら誰にだってできるはずだ。もしかしたら、新家を狙うって決めてから時間をかけて用意したのかもしれないぜ? 明日川が新家と口論してたのは夜時間の直前……10時前なんだ。犯行まで2時間もある。

 だから、その設計図は新家にしか描けない訳じゃない……いや、むしろ、明日川が描いたに違いない!」

 

 ……確かに、古池の説でも筋は通る。けれど、それは有り得ない。その説が間違っていることを、俺は知っているはずだ。

 

 

 

「いえ、それは有り得ませんわね」

 

 古池の反論に、蒼神がトドメを刺した。

 

 

 

 

「わたくしは昨日、新家さんに棚の制作をお願いしましたわ。きっと、その設計図はその棚の物でしょう」

「棚なんて、いかにも設計図を描きそうなものじゃないか。明日川が描いたものと、蒼神の注文が被っただけじゃないのか?」

「確かに、単に棚というだけならその可能性もあったかもしれませんわ。ですが、わたくしがお願いしたのは、側面と上面に派手な薔薇の装飾が入った棚です」

 

 そして、実際に設計図には薔薇の模様を彫るように指示が書いてある。

 

「……これは新家にしか描けないな」

「くっ……」

「えーと……結局、どうなったの?」

 

 微妙に話についていけていない様子の大天が、誰ともなしに問いかける。

 

「状況を整理すると……犯人は自分のメモ帳と新家君のメモ帳を入れ替えたため、自分が新品のメモ帳を持っていても無実の証明にはならない、という推理が浮上しました。しかし、新家君が自分自身でメモ帳を使っていたため、やはり、犯人は使用済みのメモ帳を持っているのです」

 

 これまでの議論で分かったことを、蒼神がまとめてくれた。

 

「つまり、ボクの無実がようやく証明されたというわけだ」

「明日川さんだけではありませんわ。新品のメモ帳を持っている人全員が、今度こそ本当に容疑者から外れることになります」

 

 ……という事は。

 俺は、本当に無実だった明日川を犯人だと決めつけてしまったことになる。

 

「……明日川、その」

「平並君、何も言わないでくれ」

 

 謝ろうとしたが、明日川に止められてしまった。

 

「……ボクの方も、色々と思うところがある(長いモノローグをした)。けれど、今はそんな状況(シーン)じゃないだろう」

「…………わかった」

 

 本当だったらいくら謝ったって足りないくらいだが、今は学級裁判中だ。……それより先に、すべきことがある。

 杉野が進行を促す。

 

「では、議論の続きと行きましょうか」

「つ、続きって言っても……ど、どうするんだよ……」

「今の容疑者をメモ帳やアリバイから考えると……平並、火ノ宮、古池、遠城の四人かしら。最初に比べるとだいぶ減ったわね」

 

 東雲の言うことに間違いはない。メモ帳を使った人の中で、殺された新家とアリバイのある東雲と城咲は容疑者からとっくに外れている。

 

「ねえ、平並君は容疑者から外してもいいんじゃない? ほら、包丁は洗えなかったって話があったよね?」

 

 七原が俺をかばってくれる。確かに、さっきの議論で俺が新家を殺していないことは皆に信用されたはずだ。

 しかし。

 

「その話なんですが」

 

 と、杉野が口を挟んだ。

 

「先ほどは議論を進めるためにあえて黙っていましたが、ミネラルウォーターを用いなくても、前もって水を溜めておけば包丁を洗うための水は確保できるのです。夜時間になる前に包丁を持ち出したのであれば、当然水を溜める時間もありましたから」

 

 ……なるほど。確かにそう言われてしまうと、これ以上の反論はできない。

 

「でも!」

「七原、大丈夫だ」

 

 なおも食い下がろうとする七原を止める。

 

「俺が犯人じゃないことは、俺がよく知っている。この後でも、俺が新家を殺していないことは証明できるはずだ」

「……分かった」

「では、七原さんも納得したようですし、平並君に火ノ宮君、古池君、遠城君の四人を容疑者として話を続けましょう」

 

 杉野がそう話をまとめた。

 俺を除けば、容疑者は後三人だ。この三人の中に、クロが潜んでいるという事になる。それと同時に、俺の潔白を示す方法も考えなければならない。

 東雲が話を切り出した。

 

「で、何から話す? 結局判明してない凶器かしら? 平並が犯人なら凶器は包丁だと思うけど」

「いや……凶器の前に、一つ気になる事がある。呼び出し状だ」

 

 そう提案したスコット。蒼神が説明を促す。

 

「気になる、というのは?」

「この文面だ」

 

 文面……。

 

 

――《新家君へ

    さっきは叫んでしまってすまなかった。

    謝罪したいので、12時に倉庫に来てほしい。》

 

 

 呼び出し状の文章は、こうだった。

 

「この『謝罪』とは、何に対してなんだ? アスガワが犯人なら口論の事になるが……」

「……メインプラザのことじゃない? ほら、皆、新家に対して冷たく当たってたよね? ……私もそうだけどさ」

 

 その謎に、大天は一つの答えを出した。

 それは確かに謝罪すべきことだし、それが正解と納得しかけたが、

 

「そりゃァねェんじゃねェか?」

 

 火ノ宮が否定した。

 

「『12時に来てほしい』って書いてあるだろォ? 文面だけじゃこれが昼の12時か夜の12時かわからねェだろ。けどよォ、新家はしっかりと夜の12時に倉庫に行ったんだ。てことは、この呼び出し状は夜か、早くても午後に出されたものだってことだ」

「……なるほどね。ボク達がメインプラザに集められたのは今朝の事だ。その出来事について謝罪したいなら、『さっき』ではなく『今朝』と書く方が自然である……そう言いたいわけだね?」

「あァ」

 

 火ノ宮の説明の後半を、明日川が代わりにしていた。

 

「……とすれば、この文章は何についての謝罪なのでしょうか」

「あ、明日川みたいに、あ、新家と口論した人がいるんじゃないのか……? つ、つまり、す、推理は殆どあってたんだよ……こ、口論をダシにして新家を呼び出したっていう推理はさ……」

『それはちげえな!』

「な、なんだよ……! ぼ、ぼくの意見なんて無価値だって、い、言いたいのか……!」

「琥珀ちゃんはそんな事言わないよ!」

『ああ。落ち着けよ章。推理が殆ど合ってたってところには同意するしな』

「どういうことですか?」

 

 何やら考えがある様子の露草に向かって、蒼神が尋ねる。

 

『紫苑。この呼び出し状って、なんでこんな書き方をしたんだろうな?』

「なんでと言われましても……長い文章を書くと、逆に怪しまれて倉庫に来てくれないと思ったのではないですか?」

「そうじゃなくて、今琥珀ちゃんが言ったのは、宛名のところだよ」

 

 宛名?

 

『これは皆と話してるオレだから分かるけどな、今疑われてる四人の中に、柱のことを『新家君』って呼ぶヤツはいねえんだぜ』

「あ……ほんとだ」

『だったら、もしもこの四人の中に口論や喧嘩をした人がいたとしても、こうやって書くはずねえよな?』

 

 言われてみて確かに思ったが、俺も火ノ宮も遠城も古池も、誰かを君付けで呼んだりしない。もしも呼び出し状を書くなら、俺が根岸に書いたように宛名を伏せるか、『新家へ』と書くはずだ。

 

「そこで翡翠は思ったんだけど、この手紙を書いた人は棗ちゃんの振りをしたんじゃないかな?

 多分、犯人は棗ちゃんと柱ちゃんの口論を見てたんだよ。そして、それを口実に柱ちゃんを呼び出そうとしたんだ」

「そうやって呼ぶのはアスガワだけじゃなかったはずだが?」

 

 スコットがそう指摘するが、

 

『じゃあ、他に『新家君』って呼ぶ悠輔や紫苑達は柱と口論したのか? 謝罪が必要なほどのな』

「いえ……特には」

「わたくしも、昨日は棚の依頼の後には顔も合わせていませんわね」

 

 黒峰に名前に出された杉野や蒼神たちは特にこれといった反応を見せなかった。

 

「じゃあ、やっぱりこれは棗ちゃんの振りをして書かれたんだよ」

 

 なるほど、確かにこれなら説明がつく。ついてしまう。

 今の露草の推理が正しいとするならば……。

 

「……確か、その二人の口論を見ていた人物って――」

 

 そう口走るのと同時に、俺は()()()()へと視線を移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――古池、お前だったよな」

「……」

 

 容疑者候補の一人である、古池へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやいや、待てよ。確かに俺は明日川達の口論を目撃した。けど、それで犯人扱いかよ」

「だけど、その口論の事……教えてくれたのは古池、お前だったじゃないか」

「犯人を見つけるためにやったことだろ? それを理由に犯人扱いされたらたまったもんじゃないな」

 

 あくまでも冷静に受け答えをする古池。

 

「ですが、あなたならこの呼び出し状を書けたんですよ。明日川さん達の口論を目撃していたあなたなら」

「それは、俺なら書けたってだけで、俺にしか書けなかったわけじゃない。他に見ていた奴がいるかもしれない」

「けど、捜査時間の時に言ってたじゃないか、口論を見てたのは自分だけだって」

 

 

――《「他に人は見えなかったし、多分これを知ってるのは俺だけだ」》

 

 

 古池の証言を思い返しながら口を挟むと、古池は周りを見渡して反論した。

 

「俺が見逃してたんだろうな。どこからかは知らないけど、どこかでこっそり見てたんだ」

「吾輩は見てないのである! 口論なんて、裁判に来るまでは知らなかったであるぞ!」

「どうだかな。そんな言葉、信用できるか!」

「……いや、遠城とオレはちげェよ。明日川達の口論なんか、ぜってェ知りようがねェからな」

 

 そんな中、口を開いたのは火ノ宮だ。

 

「どうしてそんなことが言えるんだよ!」

「その口論って、確か夜時間になる5分前とか言ってたよなァ?」

「……ん? それはボクへの台詞かい? ああ、確かにそうさ。ボクの記憶に誓って断言するよ」

「オレは言うまでもなくずっと倉庫にいたし、遠城が倉庫に来たのは夜時間になる10分前だ」

「そうである! 吾輩たちは、その口論があった時間は倉庫にいたのである!」

「ぐっ……」

 

 なるほど、確かに二人は口論の事を知りようがない。となれば、この二人は容疑者から外れる。

 ……じゃあ、やっぱり犯人は……。

 

「まだだ! まだ平並が残ってるだろ!」

「俺だって、口論の事は知らなかった!」

「それを証明できるのか? 出来なきゃ、状況は俺と代わりねえ」

「それは……!」

 

 証明できない。

 明日川の口論があったという時間、俺は個室にいた。もちろんそれは誰にも目撃されていない。

 

「いや、包丁を持ち出すという行動を取っている分、お前の方がよりクロに近いとも言えるんじゃないのか?」

「ぐ……」

「確かに……」

 

 ここぞとばかりに古池が俺を疑い、それに同調する声も聞こえる。

 この反応、やっぱり古池が新家を……いや、古池が無実なら俺をクロだと疑っていたっておかしくない。俺が今、古池を疑っているように。

 

「……それでも、俺じゃない」

「だから、それを証明しろって言ってるんだよ!」

 

 とにかく、疑惑を晴らさなくてはいけないが、口論を見てないことは証明できない。それ以外で、決定的に俺がクロでないと証明できる何かを示さなければ。

 犯人の行動を振り返って、俺にできないことは何かないのか?

 今までに分かっている犯人の行動……明日川の口論を見て、新家に呼び出し状を書く。そして、12時に倉庫で新家を刺し殺して、『システム』を奪って新家の部屋に向かったはずだ。そして、新家の部屋で、自分のメモ帳と新家のメモ帳の交換をして部屋に戻った……。

 些細な違いはあるかもしれないが、これでおおよそ間違いないはずだ。

 ……ダメだ。どれも、俺が個室に一人でいたときに起きた出来事だ。俺にアリバイは無い。

 

「平並君は犯人じゃないよ!」

「どうしてそう言えるんだよ、七原!」

「だって、あの時の平並君の顔は、人を殺した後の顔じゃなかったから! きっと!」

「そんなのお前の主観じゃないか! いいか、平並は新家を殺してからお前を味方につけるためにそんな演技をしたんだ。元々は根岸を味方に付けるつもりだっただろうけどな」

「そんなはずない!」

「そうとしか考えられないんだよ! お前と会った時、平並は犯行をすべて終えていたんだ!」

 

 そう。俺にアリバイがないのは、古池の言う通り、俺が七原と会った時間には犯人の行動は全部終わっていたからだ。

 犯人が新家を殺したのが12時頃。七原と会った12時半まで30分もある。その後は新家の個室に行くだけなんだから、30分もかかる訳がない。きっと、メモ帳を入れ替えて早々に部屋に戻って――

 

 

「違う! そうじゃない!」

 

 

 そこに考えが至った時、俺はそう叫んだ。

 あるじゃないか、もう一つ犯人の行動が!

 

「平並君?」

「なんだ、急に叫んで」

 

 言い争っていた七原と古池がこちらに視線を飛ばす。もちろん他の皆もだ。

 

「あったんだよ、アリバイがな!」

「……言ってみろ」

「いいか古池。犯人は新家の個室を出た後、どこへ行ったか分かるか?」

「さあな。自分の個室に戻ったんじゃないか?」

「違うんだ。犯人は自分の個室に戻る前に、ある場所に寄っている。ダストルームだ」

「ダストルーム?」

 

 事情を知らないであろう大天が俺の言葉を反芻する。

 

「ああ、そうだ」

「そんなわけないだろ。大体、何しに行くんだよ?」

「古池の言う通りだ。ダストルームに行ったところで、焼却炉のカードキーは東雲が持ってんだから、証拠の処分なんかできねェだろ」

「犯人もそれは承知だったはずだ。多分、最悪見つかってもいいが、出来るなら隠しておきたい……そんなものを隠すために、ダストルームへ向かったんだ」

「そんなの、お前の妄想だろ」

「違うぞ古池。証拠もある。そうだよな、東雲?」

「ええ」

 

 名前を呼ばれた東雲は、楽しそうにうなずいた。

 

「あの焼却炉って、使った時には履歴が残るのよ。もちろん、ほとんどはアタシが使ったものだけど、今晩、そうじゃない履歴が残っていたわ。きっと、犯人が証拠隠滅に使ったのね」

「オイ、何言ってやがんだァ! カードキーはてめーに持たせたんだから、焼却炉を使ったのはてめーしかいねェだろォがァ!」

「そうなるとシノノメにアリバイがある、という話もおかしくなってくるが……」

「いや、おかしくないわよ? だって、アタシはカードキーを焼却炉に放置してたんだもの」

「……はァ?」

 

 火ノ宮の口からそんな間抜けな声が漏れる。

 

「カードキーはずっと焼却炉の前にあったってことよ。これならアタシ以外も使えるわよね?」

「何のためにそんなことをしやがったんだァ!」

 

 鼓膜をつんざくほどの怒号。

 

「証拠隠滅のためよ。ほら、ここって証拠を隠滅できる場所がないでしょ? もしかしたら何か決定的な証拠が残って犯人がすぐにわかるかもしれないわよね? そうなったら、面白くないじゃない」

「面白くないって……命がかかってんだぞ!」

「だからこそよ! せっかく命がかかったゲームなのよ!? 楽しまない方がどうかしてるわ!」

 

 火ノ宮はらちが明かないと言わんばかりにわなわなと震えている。

 

「火ノ宮君。言いたいことはあるでしょうけれど、今はこらえてください。時間の無駄ですわ」

 

 そう言った蒼神は俺に目で続きを促す。

 

「……とにかく、東雲以外の誰かが焼却炉を使ったんだ。一応聞くが、この中に今夜焼却炉を使った人はいるか?」

「容疑者の二人がそうであれば、使った理由と今の今まで黙っていた理由も含めてお願いいたします」

 

 杉野が釘を刺す。当然、誰も手を挙げない。

 

「だろうな。じゃあ、焼却炉を使ったのは犯人なんだ。それも、間違いなく証拠隠滅のためだ。それ以外の目的がないからな。東雲、焼却炉が使われた時間は?」

「確か……0時37分だったわね」

「ああ、そうだ。じゃあ七原。俺と宿泊棟のロビーで会った時間は覚えてるか?」

「…………0時半! たまたま時計を見たから覚えてるよ!」

「ありがとう、二人とも」

 

 俺の期待通りの答えを、東雲と七原は返してくれた。

 さて、ここから導きされる真実がある。

 

「という事はだ。俺は、焼却炉が使われた時間は七原と一緒だった。これが、アリバイだ」

「く…………」

 

 これで、俺も容疑者から外れる。残った容疑者は、ただ一人だ。

 

「という事は、新家君を殺した犯人は古池君……あなたという事になりますね」

 

 杉野がまっすぐ古池を見つめて告げる。

 

「違う! 俺も犯人じゃない!」

「しょ、証拠はあるのかよ……」

「証拠か? あるに決まってるだろ!」

『あんのか?』

「ああ! 俺が犯人じゃない決定的な根拠を教えてやるよ!」

 

 そして、大きく息を吸い込んだ古池が叫んだ。

 

 

 

「俺にはな、凶器が無いんだよ、凶器が!」

 

 

 

「凶器……あ」

 

 大天の声。

 

「俺は、明日川や平並みたいに包丁を持ち出してないし、倉庫の刃物は全部火ノ宮が持って行ったんだろ! 俺が犯人だって言うんなら、俺が使った凶器を言ってみろよ!」

 

 ……確かにそうだ。

 古池には、凶器がない……。

 

「平並や火ノ宮は言うまでもない……、遠城だって、火ノ宮を手伝った時にこっそり持ち出せたかもしれないな。

 けどな、俺は違う! 新家を殺せる凶器を俺は持っていない!」

「きょ、凶器セットがあったじゃないか……そ、それを使ったんだろ……!」

「残念だったな! 俺の凶器セットは未開封だ!」

 

 根岸の反論も古池は一蹴に帰す。

 

「それは証明できますか?」

「あ、それは翡翠と琥珀ちゃんが証明するよ」

 

 慎重派らしい杉野が証拠を尋ねると、すぐに露草が名乗り出た。

 

『捜査時間が終わる少し前にな、少しでも捜査しておこうって話になって、とりあえずお互いの凶器セットを見せ合ったんだ』

「翡翠と河彦ちゃんの凶器セットは未開封だったよ!」

 

 古池の凶器セットは未開封、か……。

 

「だから言っただろ! 俺は犯人じゃないんだって!」

「……すいません、古池君」

 

 古池も、無実が示された。

 ……ということは。

 

「つまり、古池も容疑者から外れるってことに……あら? 容疑者がいなくなっちゃったわね?」

 

 そうだ。

 事件の謎が解けていくにつれて減っていった容疑者が、今古池が外れたことでゼロになったのだ。

 

「どうして……どういうことなの?」

 

 大天がそう呟いたのをきっかけに、皆がざわつき始める。

 ここまで議論を重ねて、たどり着いたのがこの結論なのだ。

 

「簡単な事だろォが! 最初からこの中に犯人なんていねェんだよ!」

 

 そんな中、俺達を一喝するように火ノ宮が叫ぶ。

 

「何言ってんの。オマエラの中にクロがいるって最初から言ってるでしょ!」

「うるせェな! どうせてめーが新家を殺したんだろ!」

「お、おい……」

「え? この期に及んでまだボクがクロとか言ってるの?」

()()()()()()()()()そう言ってんだ! てめーだって今のオレ達の議論を見てただろォが!」

「ま、まてよ……」

「じゃあわかったよ! 本当にボクがクロだったら、投票の結果に関係なく15人全員をすぐに開放してやるよ!」

「あァ!? 言ったな、もう訂正できねェからな! よし皆、とっとと投票だ! これでもうこんなところとはおさらば――」

「ちょ、ちょっと待てって言ってるだろ!!」

 

 火ノ宮が皆に投票を煽った瞬間、根岸の叫び声が裁判場に響いた。

 

「あァん? なんだ?」

「お、おまえ……ほ、本当にモノクマが新家を殺したと思ってるのか……? そ、その証拠はあるのかよ……!」

「当たり前だァ! これまでそういう話をずっとしてきたんだろォが!」

「そ、それは消去法だろ……? か、懸かってるのはぼく達の命なんだぞ……! ど、どうして議論のどこかが間違ってるとか、か、考えられないんだ……!」

「何言ってんだ! 大体、この中にあんな殺人を犯したやつがいるなんて思えねェ……モノクマがやったって考える方がずっと自然だろ! それともてめーはモノクマなんかのいう事を信じるのかよ!」

「お、おまえはそうやって、じ、自分の都合のいいことしか考えてないだけじゃないか……! ま、まだ解けてない謎もあるのに、そ、それをほっといて裁判を終わらせる気かよ!」

「妄想に囚われて仲間を信じられないヤツよりよっぽどマシだろォが!」

「な、仲間を信じていない訳じゃない!」

「二人とも! そこまでにしてください!」

 

 熱くなって我を忘れる二人を、その二人に挟まれている杉野が待ったをかけた。

 

「落ち着いてください、二人とも……双方の言い分はよくわかりました。……火ノ宮君、ここは議論を続けましょう」

「……てめーもこの中に犯人がいると思ってんのかよ」

「そうではない、と言えば嘘になってしまいますが……投票は議論の後だってできますよね? 議論を続けても、損はないと思いますよ」

「損はあるだろ。誰も犯人がいねェのに互いを疑い合うなんて、不毛すぎるからな」

 

 しかし、そう言いつつも火ノ宮は、

 

「……けど、ま、投票は待ってやるよ。たっぷり話し合った後にモノクマがクロだって結論をもう一度出せばいいだけだ」

 

 と、折れてくれた。

 それを聞いて、蒼神が語りだす。

 

「では、改めて状況を整理いたしましょうか。

 

 わたくしと城咲さん、東雲さんは、犯行時刻にアリバイがある。

 明日川さんをはじめ、新品のメモ帳を持っている方々は、新家君とのメモ帳の交換をしていない。

 火ノ宮君と遠城君は新家君と明日川さんの口論を目撃していない。

 平並君は、焼却炉を使っていない。

 そして、古池君には凶器がない。

 

 ……他にも理由はあると思いますが、それぞれが容疑者候補から外れた主な理由はこちらのはずです」

 

 もしも、モノクマの言う通り俺達の中に犯人がいるとすれば、この理由のどれかが間違っている、という事になる。

 逆に、そのどれもを打ち崩せないのであれば、犯人はモノクマ、という火ノ宮の言葉が真実だったという事だ。

 果たして真相は、どっちなのか。

 

 

 

 

 

「では、何から話しましょうか……」

「……一番怪しいのは、火ノ宮だろ」

「あァ?」

 

 蒼神の切り出しに対して答えたのは古池だった。

 

「だって、そうだろ? 明らかに議論を終わらせようとしたじゃないか」

「こん中に犯人がいねェのにつづけたって仕方ねェだろうがァ!」

「どうだかな。お前が容疑者から外れたのは、明日川の口論を見ていなかったからだ。なら、そもそもその前提が間違っていたらどうだ?」

「はァ?」

「間違っていた推理は、あの呼び出し状の謝罪についてだったんだ。火ノ宮は凶器の問題もメモ帳の問題もクリアしている。ほら、最大の容疑者じゃないか」

「あの推理のどこにミスがあったてんだァ!」

「それを今から考えるんだろ。大方、危険物を個室に運んだ後にでも新家に見つかって口論したんじゃないのか?」

 

 古池の推理を聞いて、確かに、と思った。

 火ノ宮が犯人だったら、議論を終わらせようとしたことにも理由がつけられる。

 ……けど。

 

「火ノ宮は誰かを呼ぶときに君づけはしないだろ。もし火ノ宮が出した呼び出し状なら、『新家へ』と書くんじゃないか? それに、手紙の本文だってもっとぶっきらぼうになるはずだ。『謝りてェから、倉庫に来てくれ』とかな」

 

 あれが、明日川の口論の事じゃなかった……そうとは思えない。

 

「新家の機嫌を損ねないように丁寧に書いただけだろ」

「怪しまれるかもしれないのにか? これは、明日川の口論の事を書いたと考えるべきだ」

「いや、そうやって決めつける方が危険だ。理由なんか犯人と新家にしかわからないんだから、この呼び出し状については話し合うだけ無駄だ」

 

 この違和感を、矛盾として突きつけることができない。

 そのもどかしさを感じていると、

 

「平並君、僕はあなたの意見に賛成です」

 

 杉野の声が聞こえた。

 

「皆さん、この呼び出し状をおかしいとは思いませんか?」

「お、おかしいってずっと言ってるだろ……しゃ、謝罪したいことなんて、い、意味深すぎる……」

「そうではありません。この呼び出し状自体ですよ」

「よ、呼び出し状自体……?」

「あ、そういう事か」

 

 露草のその声と同時に、左手の黒峰が納得したように手を打つ真似をした。

 

『火ノ宮が犯人なら、そんなもんを現場に残していくわけがねえもんな!』

「……なるほどね。ボクの記憶(物語)によると、新家君は『システム』をポケットに入れていたはず。その『システム』を凶行に及んだ後に持ち出しているのに、同じくポケットに入っていた呼び出し状の存在を読み飛ばすのはいささか不自然だ」

「ええ、その通りです」

「気づかなかっただけかもしれないだろ」

 

 露草たちの言葉を聞いて、古池は尚も反論した。

 

「いえ、犯人は加えてメモ帳を交換しています。これは、呼び出し状との照合を避けるためでしたが、そんなことをするくらいなら呼び出し状を粉々に破くなり処分するなりすればいいのです。ましてや、犯人は焼却炉を使っていますからね」

「じゃあ、クロはわざと倉庫に呼び出し状を残したってことね!」

「その通りです、東雲さん。そして、その目的は『明日川さんが口論を理由に新家君を呼び出した』、と誤認させることしか考えられません。

 加えて言うなら、おそらく焼却炉は新家君の個室にあった使用済みのメモを燃やすために使用したのでしょう。明日川さんの持っているメモ帳が使用済みでなければ、この入れ替えは破綻しますから」

 

 すなわち、新家の個室に使用済みのメモがあれば、入れ替えをした明日川は使用済みのメモ帳を持っていなければならないというわけだ。

 そして、実際に犯人のこの目論見は破綻した。設計図が見つかったし、明日川は新品のメモ帳を持っていたからだ。

 

「だから、明日川さんの口論を見てない火ノ宮君に犯行は不可能なんだね」

 

 七原のまとめに、杉野が満足そうにうなずいた。

 とにかく、これで火ノ宮と遠城の容疑は完全に晴れた。ついでに、犯人が焼却炉を使っていることも間違いないから、俺の無実もほぼ示されていると言っていい。つまり、残る容疑者はやはり古池だけとなる。

 しかし。

 

「……と、ここまで推理を披露してみましたが、古池さんが犯人だと断言するつもりもありません。凶器が無いこともまた事実ですからね」

 

 杉野の言葉通り、古池も無実だと俺も思う。

 古池には凶器の入手ができないのだ。犯行現場となった倉庫にある刃物はすべて火ノ宮の部屋に運ばれ、包丁も凶器セットのナイフも使えない。

 裁判場が静まり返る。

 

「……これでもう満足かァ? 分かっただろ、新家を殺したのはモノクマしか考えらんねェんだよ」

 

 呆れたように火ノ宮が投票を促す。きっと、火ノ宮は心の底からそう思っているのだろう。

 ……しかし、投票するには、まだ早い。

 

「まだだ、火ノ宮。議論を続けるべきだ」

「あァ? まだ何か話すことがあるってのかァ?」

「ああ。根岸に聞きたいことがある」

「ぼ、ぼくに……?」

「さっきお前、『まだ解けてない謎』、って言ってたよな?」

 

 火ノ宮と口論した時の事だ。

 

「それって何のことだ?」

「え……? あ、ああ……ど、どうしても気になる事があるんだよ……」

「なんだ?」

「じ、事件現場の倉庫でさ……お、おかしなところがあったじゃないか……」

 

 おかしなところ?

 

「大量に散らばっていたガラスの事か?」

「う、うん……」

 

 スコットがその答えを出した。

 

「あれって、犯人が新家を殺した時にどっちかが棚にぶつかって、ガラス製品が落ちて割れたんじゃないのか?」

 

 と、推理を述べてみたものの、

 

「そ、それだけであんな粉々になるのか……?」

 

 根岸に否定されてしまった。

 

「……これは、話し合う必要がありそうですわね」

 

 なぜガラスは散乱していたのか……それを明らかにすることで、真相が分かるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「み、皆見たから知ってるだろうけど……が、ガラスの破片はかなり広範囲に散らばってたんだ……し、しかも、か、かなり粉々になってた……」

 

 根岸が説明した通り、現場の状況はかなり不可解と言える。

 

「たまたま落ちてそうなったんじゃないのか?」

「普通に落ちただけじゃあんなに散らばらないはずだ」

「というか、そもそも落っこちて割れたんだったら、あんな粉々にならなくない?」

 

 古池が一つの答えを出すが、スコットと東雲に否定される。

 

「新家の靴の裏にもガラスの破片が刺さってたから、新家が倉庫に来る前にガラスが割られてたのは間違いねェ」

「吾輩達が倉庫を離れたときにはまだ割られてなかったであるから、ガラスが割られたのは夜時間であるな」

 

 倉庫にいた火ノ宮と遠城の証言も加わる。

 

「夜時間に、偶然の事故でもなくガラスが割られたんだったら、誰かに意図的に割られたんだな」

「平並君の言う通りです。誰か、というのはまず間違いなく犯人でしょう」

「東雲がまた撹乱のために行ったのではないであるか?」

「ちょっと、何でもかんでもアタシのせいにするのは勘弁してよ、遠城。アタシにはアリバイがあるんだって。夜時間前に割ってたら、火ノ宮が片付けてるでしょ」

「……そうであったな」

 

 東雲はそう反論しているが、ここまでにやってきたことを考えればそれくらいはしてもおかしくない。

 それはそれとして、

 

「……犯人は何のためにそんなことをしたんだ? 目的もないのにこんなことはしないよな?」

 

 そんな疑問が俺の口をついて出る。

 

「新家君をおびき寄せるために音を出した、というのはどうだろう?」

「そ、それでおびき寄せられるなら、そ、そんなことしなくても倉庫に来るだろ……す、すぐ近くまで来てるってことだからな……」

「……それもそうだな」

「ふかかいな状況を作り、裁判をかき乱したかっただけ……だったのでしょうか?」

「ありえなくもないけど……ピンとこないよね。ガラスの割れる音で他の人が来たら計画が台無しになっちゃうんだし」

 

 明日川の意見は根岸に、城咲の意見は七原にそれぞれ否定される。

 それだけのリスクがあっても、犯人にはガラスを割らなければいけない理由があった、という事か。

 一体どんな理由が、と考えていると、

 

「凶器に使うため……というのは、さすがに荒唐無稽であるな……」

 

 と、遠城。

 確かにそれは、と思いながら、凶器の事を考えて――

 

「そうかもしれない!」

「む? どうしたのであるか、平並?」

「犯人は、凶器に使うためにガラスを割ったんだ!」

「そ、そんなわけ……」

「新家についていた傷、傷口が相当荒かったらしいんだ……だったよな、火ノ宮」

「ああ、かなりの勢いで何度も刺した、ってことは分かるが、包丁やナイフでつけたとしたら、もっときれいな切り傷になるはずだ。例えばノコギリや刃こぼれした包丁みたいなものじゃねェとああはならねェ。

 ……ずっと不思議に思っていたけどよォ、ようやく納得がいった。ガラスの破片を刃物のように持って突き刺したんだったら、ああいう傷になるな」

 

 検死を担当した火ノ宮の弁に、皆も納得している。

 

「犯人は、このガラスの破片という凶器を手にれるために、ガラス製品をたくさん割ったんだ。多分、厚いガラスの水槽あたりが凶器になったんだろうな。しかも、床にはガラスが散乱しているわけだから……」

「なるほど、そういう事か。犯行後は床にたたきつけて処分してしまえるから、なおさら都合が良い、というわけだな」

「その通りだ」

 

 俺の言いたいことを明日川が継いでくれた。

 

「これなら、誰にだって凶器を手に入れることができた。……という事は」

「待てよ!」

 

 その名を挙げる前に、その人物は叫んだ。

 

「言いたいことは分かるぞ、誰にだって凶器が入手できたんだから、俺が犯人だって言いたいんだろ!」

 

 ――もちろん、古池だ。

 

「でもな、そのガラスの破片が凶器なんてただの妄想だろ! 確実に、それが凶器だったって、断言できるのかよ!?」

 

 妄想。そう言い切られてしまってはそれまでだが、この仮説が真実なら、何か証拠が残っているはずだ。

 思い出せ。捜査時間中に見たことを、違和感を、仮説を示す証拠を。

 ……あった。

 

「断言できる」

「なっ……」

「犯人が返り血を防いだビニールシート……犯人は、このビニールシート越しに凶器を握ったんだったよな?」

「まあ、その方が確実に返り血を防げますから」

「ありがとう、杉野。つまり、犯人は握ったんだよ。ガラスの破片を、ビニールシート越しに。その証拠がビニールシートに残っていた」

「……」

「ほら、ビニールシートに穴が開いてるだろ? 既製品の刃物じゃ、こうはならない」

「……わかった。百歩譲って凶器がガラスの破片だったことが認めてやる。でも、だったら余計に犯人は俺じゃない! ほら!」

 

 そう言いながら、古池は両手を俺達に見せる。何の傷もついていない、きれいな両手を。

 

「ガラスの破片を握ったんだったら、手に傷がついてるはずだ! それが無い俺は、犯人じゃない!」

「……いえ。やっぱりあなたが犯人です」

 

 自信満々に叫ぶ古池を一蹴したのは、杉野だった。

 

「倉庫にあったジャージ……血の付いたものでしたが、これも穴が開いていました。犯人は、手にこのジャージを巻いて凶器を握ることで、手に傷がつくことを避けたのでしょう」

「…………それは……その……」

 

 古池の語気が一気に弱まる。

 

「……そうだ、その凶器を使ったのが俺だって証拠はあるのか!」

「古池君。確かにここまでに出た証拠はすべて状況証拠だ。しかし、状況証拠も証拠なんだ。では逆に聞くが、この状況をひっくり返すどんでん返しをキミは用意できるのか?」

「…………」

 

 もう、古池がクロにしか思えない。

 けれど、それはさっきの明日川の時もそうだった。もしも古池が無実なら、俺はまた仲間を裏切ることになるんじゃないのか……。

 

 悩む。

 

 けれども。

 

 俺が出した結論は。

 

「古池。お前が、犯人なんだろ」

「…………違う」

 

 それでも、俺がこの事件を終わらせないといけない。俺が凡人だろうと、仲間を裏切ってしまうかもしれなくても、関係ない。

 

 

 足を止めるな、前へ進め。

 そうじゃないと、誰も救われない。

 

 

「これから、事件のすべてを明らかにする。……ここまでの推理が間違ってるかもしれない。いや、その可能性の方がずっと高いかもしれない」

「……」

「だから、もしもお前が犯人じゃないなら、おかしなところを指摘してくれて構わない。ただ、そうじゃなかったら……認めてくれ」

 

 黙り込んでしまった古池に向けてそう告げる。

 もう、こんなことは終わらせなくちゃいけない。絶望だけが支配する、こんな狂った裁判なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この事件は、夜時間前から始まっていたんだ。

 夕方ごろ調理場に訪れた人の中で、二人の人物が包丁を持ち出した。それが、俺――平並と明日川だったんだ」

 

 これが、すべての発端だ。

 

「そんな明日川は、ふとしたきっかけで新家と口論をしてしまった。偶然にも、その口論を目撃していた人物がいた……それが、新家を殺した犯人だったんだ。その人物は、その口論を見て殺人計画を思いついてしまったんじゃないか?。

 その後犯人は、新家に呼び出し状を書いた。内容は、明日川に成りすまし、口論を謝罪するというもの……そう、犯人は偽りの手紙で新家を倉庫に呼び出したんだ」

 

 この、偽りの手紙こそが、間違った推理のための罠だった。

 

「犯人の思惑通り倉庫にやってきた新家は、そのまま犯人に背後から襲われ殺されてしまう。その時使われた凶器は、あらかじめ犯人が用意しておいたナイフ状のガラスの破片だった。

 返り血をビニールシートで防いだ犯人は、凶器を床にたたきつけ、粉々にした。倉庫にガラスが散らばっていたのは、凶器を手に入れるためだけじゃない……凶器を隠す為でもあったんだ。

 その最大の目的は、俺達に凶器を包丁と誤認させ、明日川の犯行に見せかけるためだ」

 

 もちろん、凶器がないと主張することで容疑者から外れることも考えていただろう。

 

「その後犯人は新家から『システム』を奪い、新家の個室へと向かった。自分のメモ帳と新家のメモ帳を入れ替えるためだ。そして、新家がメモ帳を使ったかどうかわからなくするために新家のメモのゴミを回収して焼却炉で処分した」

 

 きっと、この時廊下で俺や七原の姿を目撃して身をひそめていたんだろう。下手に音を立てて、新家の個室に出入りしていることがバレないように。

 

「こうして、明日川に濡れ衣を着せるための偽装工作を終えた犯人は、『システム』を個室に残して悠々と自分の個室へと戻っていった。

 その後、俺に倉庫へ呼び出された根岸が、新家の死体を発見し事件が発覚した……」

 

 これが、事件の真相だ。

 

「この一連の犯行を行ったクロは――使用済みのメモ帳を持ち、明日川と新家の口論を見ていた人物は――」

 

 信じたくない。信じられない。

 それでも、俺は、指先を彼に突き付ける。

 

 

 

 

 

「――古池河彦……お前しか、いないんだ」

「…………」

 

 嘘が好きな、大切な仲間の一人へと。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「おかしな点は……ありませんわね」

「………………だ」

「犯人は、キミだったんだな」

「…………嘘だ」

「本当に……てめーが新家を殺したってのかよ」

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! そんなの全部、大嘘だ!」

 

 古池は、ぼさぼさの髪の毛をかき乱しながら叫ぶ。

 

「俺はクロなんかじゃない! お前の推理は、絶対にどこかが間違ってんだよ!」

 

 ……必死になって叫ぶ古池を見て、確信が揺らぐ。

 俺の推理は本当に完璧だったのだろうか? どこかにミスが潜んでいたりはしないだろうか? 俺の頓珍漢な推理を見て、真犯人がほくそえんでいたりするのだろうか?

 

 けれど、何度思い返しても、矛盾があるようには思えない。

 

「俺は新家を殺していない!」

 

 思い込みによる断定があるわけじゃない。

 

「俺は、明日川達の口論を見た後はすぐに個室に戻って寝たんだよ!」

 

 古池がクロであるという真相が、どうやっても疑いようのないものにしか思えない。

 

「俺は倉庫にすら行ってねえ! ガラスとかメモ帳とか、そんなもん知らねえよ!」

 

 それでも、俺は仲間を信じたい。今度も、明日川の時のように推理ミスであってほしい。

 そう、思ったから。

 

「……なあ、古池」

「なんだよ!」

 

 俺は古池に語り掛けた。

 本当に古池がクロでないのならば。

 

「お前の、靴底を見せてくれないか」

「………………は?」

 

 俺の推理は、それによって打ち崩されるはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

「倉庫にはガラスの破片が散乱してたよな?」

 

 そう言いながら、俺は靴を脱ぎ靴底を皆に見せる。

 

「それは犯人が凶器の為にガラスを割ったからだが……だから、ほら俺の靴底には細かいガラスの破片が刺さってるんだ」

「まあ、そうですよね」

 

 杉野が相槌を打つ。

 

「殺された新家もそうだったし、多分、検死した火ノ宮や現場の保全をしていた城咲達も同じなんじゃないか?」

「あ、確かにがらすがささっていますね」

「……何当たり前の事言ってんだてめー。あんだけガラスが散らばってたんだから、刺さってないヤツの方が少ねェだろ」

 

 怪訝な表情をしながら火ノ宮はそう言う。

 

「ああ、火ノ宮の言う通りだ。事件後に倉庫の中を捜査した人は皆同じはずだ。もちろん、それは犯人だって同じだ。大きな破片がずっと刺さっている、なんてことは無いと思うが、細かい破片までは取り除ききれないはずだ」

「そ、それが、ど、どうしたんだよ……」

「逆に言えば、倉庫の中を捜査していない人なら、靴底はきれいなままだってことだよな?」

「……うん、私の靴底は何も刺さってないよ」

 

 大天が靴底を確認しながらそう返した。

 それと同時に、

 

「…………あ」

 

 古池が、何かに気づいたように声を漏らす。

 

「なあ、古池。モノクマから学級裁判の説明を受けた後すぐに倉庫から離れたお前は、新家の死体を倉庫の外からしか見ていない。そして、お前は倉庫の中を捜査していなかったはずだ」

 

 俺は、古池の目をじっと見つめる。

 

「だったら、お前の靴底はきれいなままのはずだよな? ……お前の言葉が、嘘じゃなかったらな」

 

 すると。

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 長い沈黙の果てに。

 

 

 

 

「……ちくしょう」

 

 古池はそう呟き、靴を脱いで俺達に見せる。その靴底は、無数のガラス片が松明の光をキラキラと反射させていた。

 

 そのきらめきが、古池がクロであることの何よりの証明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   【第一回学級裁判】

 

 

      閉 廷 !

 

 

 

 

 

 

 




ようやく学級裁判を終わらせられました。
学級裁判がこんなに長くなったのは前から考えていた事件で、複雑になったからです。多分これから先これほど長いのは出てこないと思います。おそらく。

挿絵は一部トレスです。


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非日常編⑥ 死神の論理(lonely)

「うぷぷぷぷ……結論が出たみたいですね!」

 

 静まり返った裁判場に、そんな気味の悪い声が響き渡った。

 

 結論。

 ――古池河彦が、新家柱を殺した。

 議論の果てに導き出されたのは、そんな結論だった。

 

「はい! それでは投票タイムに移ります! お手元のウィンドウから、新家クンを殺したと思う生徒に投票してください! 最も得票数の多かった生徒をオマエラが導き出したクロとします! あ、もちろんだけど、投票放棄は許さないからね! 誰にも投票しなかったら、その時点でオシオキだよ!」

 

 愉快そうにつらつらと言葉を並べていくモノクマ。その口から、投票放棄は禁止という後だしのルールが告げられたというのに、【超高校級のクレーマー】の火ノ宮は、

 

「……」

 

 呆然と古池を見つめていた。けど、それは火ノ宮だけじゃない。俺も含めて、ほとんどは口を閉じて古池へと視線を向けていた。

 そんな針のむしろに立たされている古池はというと、ひたすら俯いて無言を貫いていた。

 

「分かっていたことだけど、やっぱり投票は強制なのね。その方がデスゲームの質が上がるもの」

「……東雲さん、少々静かにしていただけますか?」

「ちょっと蒼神、そんな睨まないでよ。アタシはクロじゃないんだからさ」

 

 こんな状況下でも、どこか人ごとのように東雲は軽口を叩いている。……それに文句をつけるような気力は、無い。

 

「さあ、それでは皆さん! 投票をどうぞ!」

 

 そのモノクマの声とともに、俺達がそれぞれ立っている証言台の手すりの上にウィンドウが浮かび上がる。『システム』やダストルームで何度も目にしたから、もはやなんの驚きもない、

 そのウィンドウには、名前が縦4列横4列で16個並んでいた。当然、俺達の物だ。もうすでにここにはいない彼の名前も、ちゃんと『新家 柱』と記されている。……新家の名前の部分だけは、くすんだ色になっているが。

 とにかく、投票したい人物の名前に触れれば投票したことになるのだろう。

 

 ゆっくりと、右腕を持ち上げる。人差し指を伸ばし、ある名前へと近づけていく。もちろん、『古池 河彦』の文字へと。

 そのままそれに触れようとして――ピタリと指を止めた。

 

「…………」

 

 新家を殺したのは、古池だ。それが正しい事は、俺の推理や古池の靴底、そして古池自身の態度が証明している。

 しかし、このまま古池に投票することは果たして正しい事なのだろうか? 古池は、まず間違いなく最多票を獲得するはずだ。そうなれば、古池はオシオキ、という事になる。

 

 この投票の結果が、古池を殺すのだ。

 

 確かに、古池は新家を殺した。そして、それを隠蔽し、俺達を欺こうとした。

 それはつまり、古池は俺達全員を殺すつもりだったことを意味する。

 それに、ここで俺が投票を放棄すれば、俺が殺されてしまう。

 けれど。

 だからって。

 

「ハイハイ! ほら皆早く投票してよ! こんなところでも時間がかかるのか、オマエラは! もう答えなんか見えてるんだから、さっさと投票しろよ! 10! 9! 8――」

 

 指を中空に止めたまま逡巡する俺の頭を、モノクマのだみ声が通り抜ける。

 突如始まったカウントダウンが進んでいく。

 その声を聞きながら、悩みながら、迷いながら、俺は――震える指でその文字に触れた。

 実際には、指はウィンドウに触れることなくすり抜けていったが、ウィンドウには赤く『投票完了』の文字が浮かび上がった。

 俺は、古池河彦に、投票したのだ。

 

「…………」

 

 悩んだ挙句古池に投票したのは、古池を強く恨んでいたからじゃない。この事件は俺が終わらせないといけない、と思ったからでもない。そんなこと、さっきまでの俺の頭には微塵も浮かんでいなかった。

 指を動かした時に俺の頭にあったのは、『死にたくない』というシンプルな答えだった。

 

「うぷぷ……無事に全員投票出来たようですね! いやあ、投票放棄なんかでオシオキしたくなかったから良かったよ! 死にたいならコロシアイで死んでもらわないとね!」

「…………」

「あれ? 無反応? つまらないなあ、まったく……まあいいよ。ハイ! それでは、結果発表と参りましょう! 投票の結果クロとなるのは誰なのか! そして、それは正解なのか不正解なのか~っ!」

 

 モノクマが不愉快な声を裁判場に響かせると、直後、けたたましいサイレンとともにモノクマの頭上に巨大なウィンドウが出現し、ムービーが流れ出した。

 

 

 

 

 派手な三列のスロットがやかましいドラムロールとともに回っている。そこに描かれた無数の顔のドット絵は宿泊棟の個室のドアにかかっていたものであり、紛れもなく俺達の顔だった。

 やがて、スロットは少しづつ動きを止めていき、ある一人の顔が並んで停止した。

 古池河彦のドット絵が三つ並んだそれは、大きな音を立ててジャラジャラと大量のコインを吐き出した。

 それが『当たり』の合図であることは、瞬時に理解できた。

 

 

 

 

「大正解ーーーーーッッ!! 【超高校級の宮大工】である新家柱クンを殺害したクロは、【超高校級の帰宅部】である古池河彦クンでしたーーッ!」

「……」

 

 モノクマにそう宣言されて、古池は大きく顔をしかめた。

 

「いやあ、最初の事件からちょっと複雑になっちゃったけど、まあ真実にたどり着いたからオールオッケーだよね! 大したトリックが使われたわけでもないし、こんなところでつまずいてもらっちゃこっちとしてもつまんないしさ! ぶっひゃっひゃっひゃ!」

「オイ、待ちやがれ!」

 

 モノクマの笑い声を止めたのは、火ノ宮だった。

 

「ん? どうしたの?」

「どうしたもこうしたもねェ! 古池が新家を殺しただなんて、そんなことあるワケねェだろ!」

「いやいや、そう言われてもねえ……ボクはちゃんとこの目で監視カメラ越しに見てたわけだし、キミもあの靴底を見たでしょ?」

「そうだけどよ……!」

「大体、火ノ宮クンだって古池クンに投票してるじゃん! それって、キミもその事実を認めたってことだよね?」

「そ、それは……」

 

 憤然とモノクマに食ってかかった火ノ宮だったが、モノクマにそう反論されて黙り込んでしまった。

 かなり癪だが、モノクマの言う通りだ。古池に投票したのならば……それは、古池をクロと認めてしまったことになる。

 

「クレーマ-」

 

 そんな火ノ宮に、岩国が声をかける。

 

「あァ?」

「ぬいぐるみに()()()()()を付けるなら、本人に訊いたらどうだ。この期に及んで言い訳をするかどうか、気になるところでもあるしな」

「……古池。本当にてめーが新家を殺したのか」

 

 岩国に言われて、火ノ宮はか細い声でそう尋ねた。

 問われた古池は言いよどむことなく、

 

「ああ、そうだ。俺が、新家を殺した」

 

 そう答えた。

 

「………………」

「……どうして、こんなことを? やはり、例の【動機】ですか?」

 

 絶句する火ノ宮の横で、杉野が俺をちらりと見ながら古池に尋ねた。俺が【動機】の動画を見て殺人計画を立てたからだろう。

 とは言え、俺も古池はあの動画が原因で凶行に走ったのだと思っていた。【動機】を見て気が動転している時に、明日川達の口論を見て殺人を決意したのだと。

 しかし、古池の言葉は予想に反したものだった。

 

「【動機】? あんなの、関係ねえよ」

「……はい?」

「いや、厳密に言えば関係ねえってこともねえか。アレのおかげで焦ったのは事実だし。けどな、アレを見る前から殺人の方法については考えてた」

「……どうしてですか」

「決まってんだろ。帰りたかったからだよ」

「帰りたかった?」

「ああ」

 

 自白してタガが外れたのか、流れるように古池は話していく。新家を殺すに至った、その動機を。

 

「『帰りたかった』、か。なるほど、【超高校級の帰宅部】であるキミらしい動機だね」

「今日で4日……いや、もう5日か。ここに閉じ込められて、それだけ経ってんだぞ? いい加減帰りたくなったんだよ。だから殺したんだ」

「帰りたくなったって……そんなの、皆一緒だよ! 私だってそうだし……新家君だって、そうだったはずだよ!」

「んなもん言われんでもわかってるっつーの。そんで?」

 

 七原の反論にも、古池は大した反応を見せずに切り返す。凍てつくような視線を、七原に向ける。そんな古池の話を聞いていて、何か違和感を覚えたが、その正体に気づく前に古池は話を進めた。

 

「お前らが帰りたいかどうかなんて、俺が帰るのを諦める理由になんのか? なんねえだろ?」

「ここにいる皆さんで脱出する方法があったかもしれませんわ。家に帰りたいという気持ちは分かりますが、殺人という凶行に至る前に、全員で脱出する方法を探すべきだったのではありませんか?」

「あ、そうか。お前ら、全員で脱出する方法があると思ってんのか。そんなもん、あるわけねえのに」

 

 あるわけない……?

 

「なんだよ、その言い方。古池、お前はこのコロシアイの何かを知ってるのか?」

「知るわけねえだろ。俺は明日川と違ってコロシアイについて心当たりなんかないっての。けどな、全員で脱出することが不可能だってことは、最初から分かってたんだよ」

『河彦、どういう意味だ?』

「どういう意味も何も、そのまんまだ。どうあがいたって全員死ぬ運命なんだよ。俺以外の全員がな」

「……は?」

 

 古池以外の全員が死ぬ運命。言い返せば、古池は自分だけが生き残ると確信しているという事である。

 

「なぜ、そう言い切れるのですか?」

「それが俺の才能だからだ、蒼神」

「才能……【超高校級の帰宅部】、というのが古池君の才能でしたわね?」

「ああ」

「……そもそも、結局お前の才能ってなんなんだ?」

 

 前から気になっていた疑問が口をついてでた。前にその話題になった時も、古池は嘘でごまかして結局答えてくれなかった。

 俺の質問を聞いた古池は、これまで流れるように紡いでいた言葉を止めて、一瞬考え込むように黙り込んだ。

 

「古池?」

 

 名前を呼び掛けて、ようやく古池は口を開く。

 

「…………お前達は、【ASA154号墜落事故】って知ってるか?」

「【ASA154号――って、知ってるも何も前に話しただろ」

 

 【ASA154号墜落事故】。

 いつだったか、古池と話した時に話題に上がった事故だ。確か、七原がたまたま巻き込まれずに済んだという話だったはずだが、どうしてその話を?

 

「ああ、平並。お前は知ってるよな。他の奴は?」

「……まあ、大体の事は知っていますよ。メディアで嫌というほど特集されましたし。日本人も多く乗っていたという大型旅客機の墜落事故ですよね?」

「添乗員やパイロットも含めて【ASA154号】に乗っていた768人中、死亡者531名、行方不明者236名で、生存者はたったの1人……凄惨な事故だったよ。今もなお航空事故の歴史の1ページに刻まれているね」

「その通りだ」

 

 杉野と明日川の説明にうなずいてそう呟いた古池は、そのまま言葉を続けた。

 

「俺は、そのたった1人の生存者なんだよ」

「……え?」

「あの日、俺は家族で【ASA154号】に乗っていたんだ。家族旅行で海外に行く予定でな。久々に家族と旅行に行けるってんで楽しかったさ。……飛行機が墜落するまではな」

 

 呆気にとられる俺達をよそに、古池の語りはどんどん熱を帯びていく。

 

「飛行機が大きく揺れて、阿鼻叫喚の渦だった! 操縦が効かなくなったのかは知らねえが、とにかく立っていられる状態ですらなかった! そして、そんな中俺は後頭部を打ち付けて気絶したんだ。

 気がついたら、何もかもが終わっていた。救助隊の隊員に抱えられて、海に沈む旅客機の中から救出される時だった。ああ、助かったって思ったよ。経緯はともかく、救助隊が来てるってことは皆も助かってるんだって。

 けど、違った! 生き残ったのは俺だけだった! 別にシートベルトをつけていたわけでもない俺がだ! 他に700人以上も死んだのに、俺だけは生き残ってしまったんだ! 両親も兄貴も姉貴もみんな死んだのにだ!」

 

 握りしめた拳を震わせて、古池が叫ぶ。胸の内に秘めていた、悲惨な過去を。

 

「じゃあ、お前の才能は『凄惨な事故からも生きて帰って来れた』っていうものなのか? そうだとして、さっきの言葉とどういう関係が……」

「早合点するなよ、平並。俺の才能はそれだけじゃねえ。俺の才能は【死神】なんだよ」

「【死神】……?」

「修学旅行の時はバスが崖下に落ちた。銀行に行ったら自爆テロが起きた。デパートでは火災が起きた。電車はビルに突っ込んだ。

 それに巻き込まれた奴らは全員死んだ! テロリストも、クラスメイトも、友達も、親戚も、赤の他人も! みんなみんな死んでいった! 俺を残して、一人残らず!」

 

 それは、初めて見る古池の感情の爆発だった。

 いつも嘘をついて飄々としていた古池が、涙ぐませながら感情を吐露していた。

 

「そうやって、俺は一人ぼっちになった。そのまま過ごして何年たった頃か、希望ヶ空からスカウトの通知が来たんだよ。その時に書いてあった肩書が、【超高校級の帰宅部】だった」

「……なるほど。古池君の【帰宅部】という才能は、『周囲の人間を全員死亡させる事件や事故を引き起こし、なおかつ自分自身は無事に生きて()()』、というものだったわけですわね?」

「ああ、そういうことだ」

 

 蒼神の要約を肯定する古池。

 もし、古池の言っていることがいつものような嘘でなく本当の事だとしたら……それは、どれほどの地獄なのだろう。近くにいる人間を例外なく死なせてしまい、それでいて自分は死ぬことは無いという『才能』は、どれほどの苦しみを生み出していたのだろうか。

 

「希望ヶ空からスカウトが来て、俺は嬉しかった。希望ヶ空なら……希望ヶ空に集う、『才能』あふれる誰かなら、この俺の『才能』をなんとかしてくれるって、思ったから!

 ……それなのにだ!」

「……こうして、さらわれて閉じ込められた」

 

 古池の言葉の続きを、俺が紡ぐ。

 

「ああ、そうだ。せっかく救われると思ったのに、またこうなったんだ。

 あの日、気を失って気づいたらドームにいて、また俺は事件に巻き込まれたのかと思った。今度は施設が爆発するか崩落でもするか……まあ、そんなところじゃねえかなと思ってた」

「…………」

「けど、モノクマに殺し合いをしろって言われて気づいたんだよ。もう一つ、この監禁生活を終わらせる方法があるってことに」

「それが()()()()()()()ですか」

「ああ。だから俺は、ずっとどうやって殺すかを考えていた。ここから出て、家に帰るためにな」

「ず、ずっとって……い、いつからだよ」

「いつからって、この学級裁判の存在が発覚してからだよ。俺はそれを知って、『こいつらは学級裁判で全滅すんのか』って思ったんだからな」

 

 淡々と、恐ろしいほどスムーズに古池は自身が殺意を抱いていたことを告白した。俺達と楽しそうに話していたあの時も、古池は心の底に殺意を隠していたのだ。

 と、そのことに思い至った瞬間に、先ほどから感じていた古池の違和感の正体に気づいた。昨日までの古池は、嘘をつかないときもこんなぶっきらぼうな喋り方ではなかった。もう少し丁寧な喋り方だったように思う。

 

 

 

――《「あー……嘘つくとき以外は大体こんな感じなんだ」》

――《「皮むきにうまいも何もないだろ……まあ、手伝いで皮むきをしていたのは本当だからな」》

――《「……確証はないけど、多分いないはずだ。個室も防音だから、個室の中にいた人には聞こえていないだろうしな」》

 

 

 

 結局、すべてが嘘だったのだ。この数日間、古池が俺達に見せていた姿のすべてが、偽物だったのだ。

 

 

「どうしてだァ……?」

「なんだ、火ノ宮?」

「どうして、モノクマの戯言なんかに耳を貸したんだァ! どこからか助けが来るかもしれねェじゃねェか! それを待つのが最善だろォが!」

「助けを待つ? いつになるのかもわかんねえのにか? さらわれてから2年も経ってるとか言われてんだぞ」

「それでも待つべきだろ! ここにいる皆で生き残るためによォ!」

「だから何度も言ってんだろ! 俺以外全員! 死ぬんだよ! だったら、手っ取り早く出られる方が良いに決まってんだろ!」

「誰かを殺すなんて、どんな理由があったってダメだろォが!」

「もう黙れよ! なんにも知らねえクセに正論言ってんじゃねえ!」

 

 火ノ宮の叫びにも、古池は一切動じなかった。

 

「俺と一緒に事件や事故に巻き込まれた奴はみんな死んでんだ。みんな、俺が巻き込んで殺したようなもんなんだ。だったら、一人くらい俺自身の手で殺したところで今更関係ねえだろ」

「…………てめー……」

「俺の手はな、とっくの昔に血まみれなんだよ」

 

 古池は、自分の手に視線を落としながらそう呟いた。

 

「……とにかくだ。俺はどうにかうまく殺人を行えないかをずっと考えてた。そしたら、明日川と口論する新家が目に入ったんだよ。その内容から明日川が包丁を持ち出したこともわかったし、最終的に明日川が強制的に話を打ち切るようにドアを閉めてたから、()()()使()()()と思ったんだ。元々ガラスの破片を使う殺し方は考えていたし、そのまま凶器を包丁に思わせることができると確信したしな」

「たったそれだけの理由で、新家君を殺したのですか?」

「何睨んでるんだよ、蒼神。どうせ皆死ぬんだ。誰を殺したって同じなんだから、殺すのに都合がいいヤツを殺すに決まってるだろ」

 

 その古池の言葉を聞いて、ドキリとした。その言葉は、俺が考えていたことにとても似通っていたから。

 

「殺すのなんて、誰でも良かったんだよ。生き残るのは、俺だけなんだからな」

「……でもさ」

 

 今まで沈黙を保っていた露草が、口を開いた。

 

「現実は、違うよ。河彦ちゃんは生き残れないんじゃないの?」

「……なに?」

『だって、河彦は柱を殺したことがばれたんだから、オシオキされるんだぞ』

 

 ……そうだ。

 この後の古池を待っているのはオシオキ……つまり、処刑だ。だというのに、古池は、

 

「ああ、そのことか。オシオキなんて怖くねえよ。俺は【超高校級の帰宅部】だぞ? 死ぬ訳ねえだろ」

 

 と答えた。

 

「あ、何? ボクのオシオキをナメてるの? 死ぬに決まってるじゃん」

「お前こそ俺の才能をバカにすんじゃねえ! 俺は絶対に家に帰るんだ! こんなわけわかんねえところで死んでたまるかよ!」

「あっそ。それじゃ、そろそろ話も出尽くしたようだし、行きますか」

 

 モノクマは、そう言い捨ててよっこいしょと座っていた椅子の上で立ち上がる。

 

「行きますかって……まさか」

「そう! アドレナリン全開の、みんなお待ちかねのオシオキタイムだよー!」

「ちょっと待ってください! 殺すだなんて、そんなことをする必要はないはずですわ! しかるべき罰を与えればそれで……」

「だから、これがそのしかるべき罰なの! 【強化合宿のルール】にも書いてるんだから今更ごちゃごちゃ抜かさないでよね、蒼神サン!」

「ですが!」

「ですがもヘチマもないんだよ! やっちゃうよ? やっちゃうからね?」

 

 それを聞いた古池は、モノクマにこう言い放った。

 

「やるならやれ。絶対に死なないからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 古池のその言葉を聞いて、モノクマはどこからともなく木槌を取り出した。

 

「さあ、それではまいりましょう! ワックワクでドッキドキのオシオキターイム!」

 

 モノクマは、いつの間にか前に出現していた赤いスイッチを木槌で叩きつけた。ピロピロピロと不快な電子音が鳴り響いたかと思うと、ジャラリと妙な音が耳に入った。

 音のした方に目をやれば、古池の背後にあったはずの壁は消え失せ、その暗闇の中から鎖のついた首輪が飛んできていた。その首輪はがっちりと古池の首を捕らえて、古池の体ごと暗闇の中へと引きずり込んでいった。

 

 

 ――オシオキが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【超高校級の帰宅部 古池河彦 処刑執行】

 

《バス・ゴー・ホーム

 

 

 

 バスがあった。

 スクールバスだった。

 

 『希望発 絶望行』と書かれたバスの最後列。

 そのど真ん中に、何重にもシートベルトを付けられて身動きの取れなくなった古池が座らされていた。その他の座席は、学生服やセーラー服、様々な制服に身を包んだ人形で埋め尽くされていた。

 

 やがて、バスは動き出し、猛スピードで走りだした。

 どこへ向かっているのかもわからないまま、どこかの街を、住宅地を、林道を、ひたすらに走り続ける。

 

 その時だった。

 

 

 ――ドン

 

 

 どこかから、爆発音が聞こえた。

 

 直後、爆風がバスの中に流れ込む。

 間髪入れずに、無数のミサイルがバスの中へと襲い掛かった。たくさんいた人形達が、一体、また一体とその犠牲となっていく。前に座る人形から、一体ずつ、はじけ飛び、壊れ、燃えさっていく。ガラスが割れ、シートが破れ、天井がはがれ。

 そんな蹂躙の限りが尽くされる中、古池はかすり傷を追いながらも前の一点を見つめていた。

 

 

 

 やがて、爆撃が止まるも、暴走するバスは止まらない。

 あれだけあった人形は、ただの一つも残っていなかった。

 無数の人形の残骸に囲まれた古池を乗せたバスは、さらにスピードを上げていく。

 

 

 

 ボロボロのバスは、民家の塀に突撃した。

 その衝撃で、シートごと古池の体は宙を舞い、穴の開いた天井からバスの外へと飛び出す。

 その勢いのまま古池は塀を飛び越え。

 

 そして。

 

 古池は、民家の壁に叩きつけられ。

 ぼさぼさ髪の黒い頭は、熟れたトマトのように弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……嘘、だろ」

 

 絶対に死なないとまで豪語した彼は、あっけなく、俺達の目の前で死んだ。

 彼の最期の言葉まで、全部が嘘だったかのように。

 

「ひゃっほーーーう!!! エックストリィィィィィィイイイイイイイーーーーーーームゥゥゥウ!!!!!!」

 

 モノクマの叫び声が響き渡る。

 不愉快だ。

 けれど、そんなことはどうだってよかった。

 俺達の目の前で起こった出来事は、それ以上に不愉快で、残酷で、非現実的で。

 

 それなのに、どうしようもなく現実だった。

 

「いやあああああああ!!!」

「あ、ああ……! ゆ、夢じゃないのか……!?」

「……反吐が出るね。最悪の終章だ」

「チッ」

 

 それぞれの悲鳴や嘆きが聞こえてくる。

 意味が分からない。

 訳が分からない。

 

 これまでだって、十分に非日常だった。

 謎の施設に監禁されて。

 コロシアイを宣言されて。

 殺人を決意して。

 新家が死んでいて。

 それでも、あれほど残酷な処刑は、常識をはるかに超える非日常だった。

 

 そんな中。

 

「……なるほど。【超高校級の帰宅部】だから、《帰宅》にかけて処刑したのね。面白いじゃない」

 

 場の空気にそぐわない明るい声が聞こえてきた。バッとその方を振り向けば、その声の主は予想通り東雲だった。

 

「何言ってるんだよ、お前……古池があんな方法で殺されたんだぞ!? お前はあれを見て何も思わないのか!?」

「そんなわけないじゃない、平並。あんな、尊厳を土足で踏みにじるような処刑は残酷で不愉快に思うし、ついでに言えば新家が殺されたのだって心は痛めてるわよ」

「だったら……!」

()()()()()、よ。だからこそ、面白いんじゃない。今のオシオキで、アタシ達の記憶に死への恐怖が強烈に刻まれたはずよ。そうよね?」

「…………」

 

 周りを見渡しながら俺達に質問する東雲。

 沈黙が、答えだ。

 

「だからこそ、生きることへの執着がより強いものになる。皆、アタシは何があっても生き延びて見せるわ。皆も頑張って生き延びましょうね!」

「……静かにしてよ、東雲さん」

 

 狂った理論を語り続ける東雲に、静かに声が上がった。七原だ。

 

「ん? 何よ、七原?」

「東雲さんがどう思ってるかは分かったけど、それでも、これはゲームなんかじゃない。君は、人が死ぬことの苦しみをなんにもわかってないよ」

「……ふうん。まあ何でもいいわ。どのみちここから出ない限りは嫌でもコロシアイに巻き込まれるんだから、どう思おうが関係ないわ。それに、そんな風に怖がっていてもモノクマの思う壺よ。私達の恐怖を煽るためにモノクマはこんなオシオキをしたんだから」

「だからって、おかしいよこんなの!」

 

 ついにこらえきれなくなったのか、七原が叫んだ。

 

「確かに古池君は新家君を殺したかもしれないけどさ! だからって、あんな方法で殺す必要があるの!?」

「必要? 必要ならあるよ」

 

 その叫びに、モノクマが答える。

 

「え……?」

「ただ処刑するんじゃダメなんだよ、七原サン」

「…………」

「……あの胸糞わりィ処刑に、意味があるってのか?」

「まあね。それをボクが教えることはないけど」

 

 火ノ宮の質問にも、モノクマはさもなげに答えた。

 

「……いい加減にしろよ」

 

 そのやり取りを見て、意図せずして俺の口から言葉が漏れる。

 

「お前の目的は何なんだよ! 俺達をこんなところに閉じ込めて、殺し合わせて、挙句の果てにあんな残虐な処刑をして! お前は、何がしたいんだ!」

「ああもう、質問ばっかで嫌になるね。これだから未熟な連中は……」

「おい、答えろよ!」

「答えろって言われてもなあ……最初から言ってるよね? これは『強化合宿』ってさ」

 

 

 

――《「というわけで、急遽オマエラをこの【少年少女ゼツボウの家】に招待し、強化合宿を開催することに致しました!」》

――《「きょ、強化合宿……?」》

――《「そう! ここで共同生活を送ることによってオマエラのたるんだ精神を叩きなおし、世界の希望として活躍できるよう成長してもらうのです!」》

 

 

 

 確かに、言っていた。

 言ってはいたが。

 

「ボクはね、オマエラに一人前になってほしいんだ。だから、オマエラにコロシアイをさせてるんだよ」

 

 そこに至る思考が全く理解できない。

 

 モノクマは、モノクマを操る黒幕は、俺達とは全く違う人種……いや、おそらくはもっと根本的なレベルで違う生物なのだろう。

 そう思わせるだけの異質さを、感じ取った。

 

「さて! それじゃあ学級裁判もオシオキも終わったことだし、もう解散! そこのエレベータから上に戻れるから、とっとと帰れ! そんじゃ、アディオス!」

 

 俺達に混乱と恐怖を植え付けて、絶望の象徴はどこかへと消えていった。

 

「………………」

 

 これまで俺達の間で流れていたものとは全く種類の違う、重い沈黙が場を支配していた。

 

「……とにかく、ひとまず戻りましょう。こんなところ、一秒でも早く立ち去るべきですわ」

「……そうですね」

 

 蒼神の一言で、俺達14人は裁判場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 《エレベーター》

 

 地上へと上っていく白い箱の中で、俺は古池の言葉を思い返していた。

 

 古池は、最初から殺人を考えていた、と言っていた。

 ガラスの破片を凶器にするという発想はとっさに出るものではないような気がするし、古池のあの言葉に嘘はない……と思う。古池のことだから、断言はできないが。

 

 けれど、そうだとしても、今夜殺人を結構すると決意していたかどうかは、分からない。【動機】のビデオを見て焦っていたと言っていたけれど、自分が生き残ると決意していたのなら、それほど慌てていたわけでもないのかもしれない。

 だったら、今夜の殺人を決意したのは新家と明日川の口論を見たその時のはずだ。新家を容易に殺せると思ったから、新家の殺人に踏み切ったのだ。

 

 その口論の原因は、明日川が包丁を持ち出したことだった。持ち出した包丁を新家に見られて、言い合いになってしまったと明日川は言っていた。だから、明日川が包丁を持ち出していなければ、その口論自体が無かったのだ。

 そして、明日川が包丁を持ち出した理由は――。

 

「…………」

 

 思考がたどり着いた結論に、身震いする。

 

 自分に悪い方に考えすぎているという事は分かっている。

 明日川が包丁を持ち出しても新家がそれを咎めなかったかもしれないし、第一、古池の殺意に気づくことなんて不可能だった。今夜殺人が起きなくとも、いずれは古池は殺人に踏み切っていたことはまず間違いないと思う。

 

 けれど。

 

 

 今回の事件が起こった原因は、俺にあるんじゃないのか。

 俺が犯行を決意して、包丁を持ち出したことが、すべての発端だったんじゃないのか。

 他でもないこの俺が、このコロシアイのドミノを倒したんじゃないのか。

 

 

 エレベーターが地上に到着しても、その考えが頭から離れることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER1:【あゝ絶望は凡人に微笑む】 非日常編 END

 

 

 

【生き残りメンバー】 16人→14人

【普通】平並 凡一 

     【手芸部】スコット・ブラウニング 

【化学者】根岸 章   

【発明家】遠城 冬真  

【声優】杉野 悠輔 

【クレーマー】火ノ宮 範太   

 【幸運】七原 菜々香 

【図書委員】明日川 棗   

【ダイバー】東雲 瑞希   

【生徒会長】蒼神 紫苑   

【弁論部】岩国 琴刃  

【メイド】城咲 かなた 

【運び屋】大天 翔   

【腹話術師】露草 翡翠   

 

 

《DEAD》

【帰宅部】古池 河彦  

【宮大工】新家 柱   

 

 

 

 

     GET!!  【歪んだ鍵】

 

 『絶望に押しつぶされた証。原型をとどめておらず、もうどの錠前も開けられない』

 

 

 

 

 




以上で一章完結です。
絶望は、これからです。


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CHAPTER2 あるいは絶望でいっぱいの川
(非)日常編① それでも朝日は昇る


      ||       ||

      ||   あ   ||

      ||   る   ||

      ||   い   ||

      ||   は   ||

      ||   絶   ||

      ||   望   ||

      ||   で   ||

      ||       ||

     \_________/

         CHAPTER2

       【(非)日常編】

     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\

      ||       ||

      ||   い   ||

      ||   っ   ||

      ||   ぱ   ||

      ||   い   ||

      ||   の   ||

      ||   川   ||

      ||       ||

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【6日目】

 

 《食事スペース/野外炊さん場》

 

 あの絶望から丸1日が経過した、朝。

 ぐちゃぐちゃになってしまった心を無理矢理落ち着かせた()は、初日に決めた約束の通り、朝食会のために食事スペースへとやってきた。

 

「おはようございます、七原さん」

 

 足を踏み入れてすぐに、蒼神さんからそう声を掛けられる。

 

「おはよう、蒼神さん」

 

 挨拶を返して食事スペースを見渡すと、既に多くの生徒が集合していた。その人数を数えてふと気づく。

 

「あれ? もしかして、私が最後だった?」

「ええ。皆さん、お揃いですわ。色々と思うところはあるでしょうが、こうして集まっていただけるのはありがたいことですわね」

「ごめんね、蒼神さん。支度してたら時間がかかっちゃって」

「まあ、特に遅刻もしていませんし問題はありませんわ。……もし仮に遅刻していたとしても、今日ばかりは責める気にはなりませんし」

「……」

 

 今、食事スペースには私を含めて13人の生徒がいる。でもそこに会話は無く、重苦しい雰囲気が場を支配していた。……無理もないけど。

 この場にいないのは、皆の支えになろうとして、その結果倉庫で殺されてしまった新家君。その新家君を殺し、最終的には残酷な処刑で死んでしまった古池君。

 

 そして、もう一人──

 

 

 

 

 

 

 

 

 【5日目(回想)】

 

 《裁判場ゲート前》

 

 永遠のようにも感じた学級裁判を終えた私たちは、エレベーターで地上へと戻った。エレベーターを降りると、既に東の空は……左手に見える宿泊エリアの天井は、明るくなり始めていた。

 

「皆さん、お疲れさまでした」

 

 私たちの沈黙に声を投げかけたのは、【超高校級の生徒会長】の肩書を持つ蒼神さんだった。

 

「新家君が殺されて、信じるべき仲間を疑いあい、そして、残酷な処刑を目の当たりにして……本当に、お疲れさまでした。精神的にもかなり限界が近い方は多いと思います」

 

 私たちの反応を見ながら、一言一句丁寧に言葉を選ぶ蒼神さん。

 どんどん明るくなっていく天井を一瞥して、蒼神さんはさらに話を続ける。

 

「もうこんな時間ですわ。今夜は殆ど眠れていない人ばかりでしょうから、本日の朝食会は中止致します。皆さん、どうぞゆっくりお休みください」

 

 言われて思い出せば、この夜は結局一睡もしていない。夜時間になっても色々不安なままだったし、飲み物でも取ってこようと思って廊下に出て平並君に出会って、そのまま学級裁判へと流れ込んだんだ。蒼神さんたちも女子会をしていたみたいだし、眠ってないんじゃないかな。

 

「今日一日体と心をゆっくり休ませて、明日の朝食会でお会いしましょう。精神的につらい方がいれば、ぜひわたくしの個室を訪ねてください。カウンセリングなどができるわけではありませんが、多少の気晴らしにはなると思いますわ」

「……わかりました」

 

 蒼神さんが確認を取るように皆を見渡すと、代表するように杉野君が返事をした。

 これで解散かな、と思ったら、そのまま蒼神さんが話を続けた。

 

「あと、解散の前に話しておかなければならないことがもう一つありますわね」

「もう一つ?」

 

 なんの話だろう、と思ってそんな声を上げると、

 

「……平並の処遇のことに決まってんだろォが」

 

 と、火ノ宮君が答えてくれた。

 

「その通りですわ、火ノ宮君。……平並君は、直前で踏みとどまったとはいえ、殺人を計画し、その一部を実行にまで移しています。なんのお咎めもなし、というわけにはいきませんわ」

 

 その言葉を受けて、みんなの視線が平並君のもとへと集まる。

 

「………………」

「待ってください、蒼神さん」

 

 沈黙を保つ平並君に対し、声を上げたのは杉野君だった。

 

「確かに平並君は僕たちを裏切りました……ですが、彼はそのことを反省し、学級裁判に率先して取り組んでくれました。それに、真相究明に彼がどれほど貢献したのかは、言うまでもありませんよね?」

「もちろん、そのことについては感謝していますし、彼が反省していることも十分承知しています」

「でしたら、もうお咎めなど必要ないのではありませんか? あの学級裁判という場で、仲間からクロを特定し糾弾することを進んで行ったこと自体が、彼に与えられた罰だと思いますが」

「確かに、その苦悩はわかります。その最も苦しい役割を押し付けてしまったことには謝罪申し上げたいところですし、多分に感謝致しますわ。……しかし、その苦しさとほぼ同等の哀しみと恐怖を皆味わったのです」

「……」

 

 蒼神さんに反論され、杉野君は黙り込んでしまった。

 

「集団生活において、仲間を裏切った人間を放置しておくことは、いずれ秩序の乱れへとつながります。ですから、適切な形で、何らかの処罰を与えるべきなのですわ」

「処罰って……」

 

 その言葉の重みに、ドキリとする。平並君は、新家君の死体を見た時からずっと、自分のしたことを反省し、後悔している。その後悔そのものが十分な罰になっているはずなのに、その上さらに処罰を与えようって言うの?

 

「それで、具体的にどのような処罰を与えるか、ですが……」

「……か、監禁しろよ」

 

 蒼神さんより先にその処罰の内容を告げたのは、平並君に命を狙われた、根岸君だった。

 

「監禁、ですか……」

「そ、そうだよ……し、縛り上げて、そ、倉庫にでも放り込んでおくんだよ!」

「ちょっと、根岸君!」

 

 その言葉に、私はたまらず口をはさんだ。

 

「縛り上げてなんて、そんなのダメだよ。私はそもそも処罰自体反対だけど……でも、監禁は絶対にやりすぎだよ!」

「や、やりすぎなもんか……! こ、こいつはぼく達全員を殺そうとしたんだぞ……!」

「そうだけど、でも、平並君はもう反省して……」

「ほ、本当に反省したかどうかなんて、わ、わからないだろ……! も、もう一度誰かを殺すチャンスを、う、窺ってるかもしれないんだぞ……!」

「でも!」

 

 どうして、根岸君は信じてくれないんだろう。

 

「……私も、平並君の監禁には賛成するよ」

 

 そんなことを考えていると、大天さんまでもが賛同しだした。

 

「大天さん!」

「……平並君には最初の日に声かけてもらったりしたけどさ、やっぱり怖いんだよ」

「そんな……」

「……私は、こんなところじゃ死ねないから」

 

 ぽつりと小さな声で、それでもはっきりと、大天さんはそう言った。

 

「…………」

「でもさ、一人だけ拘束して監禁するなんて、アンフェアじゃないかしら? やっぱり、正々堂々と勝負すべきだとアタシは思うんだけど」

「し、東雲は黙ってろ!」

「その反応はあんまりじゃない?」

「……個人的には、東雲にもなんかしらの処罰を与えるべきだとおもうのである」

「ちょっと、アタシが何をしたっていうのよ。実際のところ、焼却炉のキーを放置しただけで、結局ほとんど関係なかったじゃない。それどころか、平並の無実の証明に一役買ったわけだし」

『それは結果論じゃねえのか?』

「しかし、東雲君の思想(モノローグ)制限(検閲)をかけることはできない。それに、東雲君が処罰を受けるほどのことをしていないのは事実だ」

「そうそう。流石明日川はわかってるわね」

「どっちでもいい。早く決めろ、生徒会長」

「ですが、かんきんというのはさすがに……」

 

 夜通し学級裁判をやっていたせいか、皆ストレスが溜まっているみたい。全員好きにしゃべりだして収拾がつかなくなりだした、その時だった。

 

「……皆、落ち着いてくれ」

 

 話題の中心人物の、平並君が口を開いたのだ。その声を聞いて、私たちは水を打ったように静まった。

 続けて平並君が話す。

 

「根岸達の言う通りだ。俺を監禁してほしい」

「でも……!」

「俺は、もう誰も殺す気はない。誰も死んでほしくない。……けど、それを信じてもらえるなんて思ってないし、皆を裏切った罰は受けるべきだ。他でもない、根岸が言うんなら余計にな」

 

 それを聞いて、一瞬沈黙が流れたのちに、

 

「当人が言うのであれば、その方法で参りましょう」

 

 と、蒼神さんが告げた。

 ……あまり納得はできないけど、平並君本人が言うのなら、仕方ないのかな。

 

「具体的には……そうですわね。個室に閉じ込める、というのはいかがでしょうか?」

「こ、個室に……?」

「ええ。あの個室は、外側からはもちろん内側からも『システム』が無ければカギを開けることはできません。であれば、平並君から『システム』を預かり、個室にカギをかけてしまえば平並君を完全に閉じ込めることができます」

「な、なるほど……」

「それに、根岸君のおっしゃった倉庫への監禁という方法では、規則に抵触するという大きな問題がありますわ」

「規則……何かあったか?」

 

 スコット君が疑問の声を上げる。

 

「あァ? 個室以外で寝るなっつーのがあっただろォが!」

「ああ、あったな、そういえば」

「火ノ宮君の言う通りですわ」

 

 確かに、強化合宿のルールの中にそんなものがあった。 

 

 

=============================

 

【強化合宿のルール】

 

規則4、就寝は宿泊棟に設けられた個室でのみ可能とする。その他の場所での故意の就寝は居眠りとみなし、禁じる。

 

=============================

 

 

 平並君を倉庫に閉じ込めてしまったら、平並君は倉庫で就寝するしかなくなってしまう。

 

「もっとも、監禁されて倉庫に閉じ込められた状態を『故意の就寝』とみなすかどうかは疑問の余地がありますけれど」

「まあ、モノクマとしてもそんなことで人数を減らしたくないだろうし、案外平気なんじゃない?」

「その可能性はあります。しかし、万全を期して倉庫での監禁は避けた方がよろしいでしょう」

 

 確かに、蒼神さんの言う通りだ。リスクはできるだけ避けるに越したことは無いから。

 

「そういった理由で、わたくしは平並君の個室での監禁を提案いたします。ただし、拘束は致しませんわ。拘束してしまうと、食事等の世話のために人手が必要になりますから。平並君の反省の意を汲みたいとも思いますしね。根岸君と大天さん、それでも構いませんか?」

「そ、それなら……」

 

 そんな根岸君の言葉に次いで、大天さんもうなずいていた。

 

「となると、その場合は『監禁』ではなく『軟禁』と修正(校正)するべきだね。監禁には、拘束するという意味も含まれているから」

「ありがとうございます、明日川さん。では、平並君に対する処罰は個室への軟禁ということにしますわ。平並君、あなたの『システム』を預かってもよろしいでしょうか?」

「ああ。頼む、蒼神──」

 

 と、平並君が『システム』を左手から外し、蒼神さんに渡そうとしたその時。

 

 

 

「それは許しません!」

 

 

 

 そんな、絶望の声が聞こえた。

 

「モノクマァ! 何しにきやがったァ!」

 

 火ノ宮君が叫ぶ。

 

「何しにも何もないよ! 全く、何をしようとしてるんだ!」

 

 理由はわからないけど、モノクマはかなり怒っている様子だ。

 

「何って、『システム』を預けようと……」

「なんてことを!」

 

 素直に答えた平並君にぷんすかと怒るモノクマ。

 

「いい? システムってのは君たちの個人個人に合わせた特注品なの。そんな大事なものをホイホイ勝手に貸し出されちゃこっちとしても困るわけ。主に【動機】の件でね!」

「んなもん知るかァ!」

「うるさいうるさい! とにかく、この件は規則に追加しておくから、確認するように! アジュー!」

 

 好き放題に、言いたいだけ言ってモノクマは去っていった。

 

「……アジューって、なんか違うんじゃないかしら?」

「東雲さん、そのあたりのことにいちいち絡むのはもうよしましょう。時間の無駄です。とりあえず、規則を確認しましょう」

 

 杉野君のその言葉を合図に、私たちはいっせいに『システム』を操作した。

 

 

=============================

 

【強化合宿のルール】

 

~前略~

 

規則13、自身の電子指輪『システム』の貸与を禁じる。

 

=============================

 

 

 『システム』のやり取りの禁止か……あまり『システム』をやりとりする必要があるとは思わないし、あまり関係ない規則かな。……でも、一応気を付けておかないと。

 

「……この規則、禁止してるのは貸与だけだよなァ?」

 

 皆が規則を読み終えたころ、火ノ宮君が口を開いた。杉野君が問いかける。

 

「どういう意味ですか?」

「言い換えれば、『システム』を誰かから借りることは禁じてねェってことだ」

『確かにそう読み取れるな!』

「規則で禁止されたのは自身の『システム』の貸与だけだから、誰かから無断で借りることや、強奪することは何の問題もねェ」

「い、いや、も、問題はあるだろ……」

「あァ!? 規則上の話に決まってんだろォが!」

「ど、怒鳴るなって……」

「てめーがなんか言ってくるから……チッ。ついでに言えば、この規則で言及されてんのは自分のもんだけだから、自分以外の『システム』に関してはこれまで通りなんも関係ねえってことだな」

 

 やっぱり、ルールを読むことに関しては火ノ宮君が一番長けてると思う。

 

「じゃあ……どうすればいいんだ? 俺の『システム』を預けられなくなったが、どうやって俺を軟禁する?」

「それなら、もう一つの『システム』を使えばいいのですよ」

 

 平並君の質問に、杉野君が答えた。

 

「悲しいことですが、持ち主のいない『システム』と個室が存在します。そのうちの一つを平並君は現在所持していますし……それを使わせていただくことにしましょう」

「……これか」

 

 そう言って平並君がポケットから取り出したのは、学級裁判でも目にした新家君の『システム』だった。

 それを目にして、否が応でも新家君の横たわった姿と、古池君の最期の姿を思い出してしまう。きっと皆も思い出したかもしれない。

 

「規則には、就寝できる個室が自分のものに限るとは言及してねェ。他人の個室でも問題はねェだろ」

「では、平並君は新家君の個室に軟禁するということで、よろしいですか?」

「……ああ。『システム』も渡しておくよ」

 

 蒼神さんの確認に平並君がそう答えて、新家君の『システム』を渡していた。

 

「それでは、これで解散といたしましょう。皆さん、お疲れさまでした」

 

 その声を皮切りに、ぞろぞろと皆が宿泊棟へと歩き出した。

 平並君と蒼神さん、杉野君は、その場に残って何やら話していた。きっと、軟禁に関して色々決めているんだと思う。

 ……平並君に話しかけようかと思ったけど、やめておいた。立て込んでそうなのと、きっと、今はまだそっとしておいた方がいいと思ったから。

 

 色々な思いを胸に抱えながら、私もみんなの後を追って宿泊棟へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【6日目】

 

 《食事スペース/野外吹さん場》

 

 ──と、学級裁判の直後にこんなことがあったのだ。というわけで、この場には平並君もいない。今は新家君の個室にいるはずだ。

 

 一昨日までの朝食会には、16人が揃っていた。たった3人が欠けただけで、こんなにもこの空間を広く感じるとは思わなかった。この人数の差が意味するものが、この沈黙を作り出しているのだと思う。

 13人が揃い、いつも通り城咲さんが作ってくれた朝食をみんなで食べる。カチャカチャと、朝食を口に運ぶ音ばかりがこの空間を満たしていた。

 

「皆さん、改めて、おはようございます」

 

 殆どの人の朝食が終わったころに、蒼神さんが立ち上がり挨拶をした。思い思いに皆は挨拶を返したけど、どこか元気がない。

 

「わたくしたちは、昨日、二人の仲間を失ってしまいました」

 

 蒼神さんが、語り始める。皆、無言でそれを聞いている。

 

「その経緯も、理由も、何もかもが私たちに強い衝撃を残していきました。ほとんどの方の胸に、深い傷跡が残されていることでしょう」

 

 それはきっと、間違いない。昨日の夜に起きたすべてが、衝撃的過ぎた。

 

「ですが、それでもこの生活は続きます。人数が少し減った程度では、残念ながらこの非日常の理不尽は終わりません。わたくしたちは、この苦しみを耐え忍ばなければなりません」

「……いつまで?」

 

 大天さんの声だ。

 

「いつまで、こんなことを続けるの? 一体、私たちはいつまで、モノクマや誰かの殺意におびえながら過ごさなきゃいけないの?」

「……この施設にやってきたその日に申し上げました通り、助けが来るまでですわ。いつか助けが来る、その日まで」

 

 冷静に声を返す蒼神さんに対して、大天さんは勢いよく席を立った。

 

「ここにきてからもうすぐ一週間がたつのに、誰かが助けに来る気配なんてないじゃん。もうとっくに2年間経ってるっていうモノクマの話が嘘だったとしても、モノクマがあれだけ自信満々なのは、助けなんて来ないからじゃないの? それでも、助けが来るのをただ待ってろって言うの?」

 

 蒼神さんをにらみつける大天さん。その視線を受けてなお、蒼神さんは動じなかった。

 

「ええ、もちろん。()()()()、ですわ。現状モノクマへの有効な対抗策がない以上、わたくしたちにできる最善の策は、依然耐えることなのです」

「……」

「不安な気持ちはわかります。わたくしだって、憂鬱に押しつぶされてしまいそうになったことは一度や二度ではありませんし、昨日の出来事は、夢であったらいいのにと幾度となく願いました。自らの甘さを悔いたことに至っては、到底数え切れませんわ」

 

 ……神妙な顔で、蒼神さんが心情を吐き出す。

 

「それでも、わたくしたちは二人の死を胸に刻み、くじけずに、めげずに、前を向いていかなければなりません。わたくしたちはまだ、この現実で生きているのですから」

 

 そうだ。私たちは、生きている。

 モノクマの言葉の真偽が分からなくても、絶望に押しつぶされそうになっても、私たちが今ここで生きていることだけは、間違いないことなんだ。

 

「……二人の死、ねえ」

 

 そんな蒼神さんの説得に対しても、大天さんは蒼神さんをにらみながら言葉を続けた。

 

「一つ聞くけど、蒼神さんにとって古池君は『仲間』なの?」

 

 ピリッと、空気が震えた気がした。

 

「さっきも、『二人の仲間を失った』とかなんとか言ってたけど。私たちを裏切って、全滅させようとした古池君まで、蒼神さんは仲間だって言うの?」

「もちろんですわ」

 

 大天さんの問いかけに、蒼神さんは間を置かずにそう答えた。

 

「確かに古池君はわたくしたちを裏切りましたわ。そもそも、彼からしたらわたくしたちを共に脱出するべき仲間とは思っていなかったように思います」

「だったら」

「ですが、そうだとしても、古池君もやはりモノクマによって閉じ込められた被害者なのです」

 

 強く、そう断言する蒼神さん。

 

「確かに同じ被害者かもしれないけど、あんな、血も涙もないような人は仲間なんかじゃないよ」

「血も涙もない、ですか……大天さん。彼はなぜ倉庫に行かなかったのでしょう?」

「……え?」

 

 大天さんの反論に対して、蒼神さんは問いかけを投げた。

 

「倉庫って……」

「事件が露呈してからの話ですわ。新家君の死体が根岸君達により発見され、15人が倉庫前に集合して捜査を開始した……その後の話です」

 

 蒼神さんは、私たちにも語り掛けるように、周囲を見渡した。

 

「学級裁判で数々の証拠が彼を追い詰めましたが、どれも決定的な証拠にはなりえませんでした。最終的に彼が新家君を殺した犯人であると決定づけたのは、靴底に残ったガラスの破片でした。しかし、それもまた、彼が捜査時間に倉庫に入っていれば、証拠にはなりえなかったのです」

「……何が言いたいの?」

「いいですか、大天さん。古池君は、学級裁判の後でこうおっしゃっていました」

 

 

──《「みんな、俺が巻き込んで殺したようなもんなんだ。だったら、一人くらい俺自身の手で殺したところで今更関係ねえだろ」》

 

 

「彼はその才能に苦しみながらも、直接手を下したことは今までなかった……そんな口ぶりでしたわ」

「…………」

「彼が初めて手を下した新家君の死体を、死体は見慣れていたはずの彼が視界に入れることすら拒否したこと……これが、古池君が血も涙もある、一人の人間である証拠だと言うことはできませんか?」

「……どうだろうね?」

 

 大天さんは、そう呟いて、席に着いた。

 蒼神さんの言葉に納得したのかはわからないけれど、とりあえず大天さんは反論をやめたようだ。

 

「とにかく、皆さん。めったなことは考えてはいけません。何も、ここで一生を過ごすことを選択しろなどとは言いません。助けが来ることを信じてこの非日常を耐え忍んでいれば、いずれモノクマに対して隙が生まれる可能性も出てきます。だからこそ、今はただ耐えるべきなのです。

 昨日の今日で精神的にかなり不安定になっているとは思いますが、わたくしたちは一人ではありませんことを胸に刻んでください。共に絶望と戦う仲間が、こんなにもいるのですから」

 

 蒼神さんは、そう話を締めくくった。

 

「それでは、わたくしの話はこれで……」

「わりぃ、蒼神。ちょっといいか」

 

 話を切り上げようとした蒼神さんの言葉を、火ノ宮君が遮った。

 

「どうしました? 火ノ宮君」

「皆に聞きたいことがある」

 

 蒼神さんにそう告げて、皆の方を向いた。

 

「……オレたちの選択は、正しかったのかァ?」

「選択、とは?」

 

 杉野君が続きを促す。

 

「オレたちは、昨日の学級裁判で、古池がクロだってことを突き止めただろォ? ……それで、皆、古池に投票した。そうだよなァ?」

「……ええ」

 

 苦々しい顔になる杉野君。私も、あの時のことを思い出して顔を曇らせた。

 

「その結果、古池はオシオキされ、オレたちは生き残った。自分たちの命のために、古池の命を犠牲にした……」

「それは違うよ、きっと!」

 

 火ノ宮君の言いたいことを察して、それを言い切る前に否定した。

 

「自分たちが生き残るために誰かを犠牲にする選択が、正しかったのか……そう言いたいんだよね?」

「……あァ」

「そんなこと、考えちゃだめだよ。そんな選択を迫られること自体が、間違ってるんだから」

「…………」

「誰かを生き残らせるために自分が犠牲になることも、自分が生き残るために誰かを犠牲にすることも、どっちも正しくなんかない。……でも、あの状況下では、そのどっちかを選択しないといけなかった。だから、私たちの選択は、そもそも正しいとか間違いとかそういう話をしちゃいけないんだよ」

「七原……」

「間違ってるのは、そんな選択を強要したモノクマだよ。私たちは、間違ってなんかない」

 

 そうだよ。私は、間違ってない。

 だって、私は──

 

「フン。笑わせるな。幸運」

「……何? 岩国さん」

 

 食事スペースの隅のテーブルを一人で使っていた岩国さんが、口を開いた。

 

「『私たちは間違ってなんかいない』? そんな訳があるか。あの投票で、帰宅部は死んだんだ。そんな選択、間違ってるに決まっているだろう」

「……だから、それはモノクマが」

「『ぬいぐるみが強要したから、仕方がない』。これから先もそうやって言い訳していくつもりか? 自分が間違っていると認めずに」

「だったら、あそこで自分にでも投票していればよかったって言うの? それで自分が死ぬことが、正解だったって言うの!?」

「違う」

 

 岩国さんは、ハアと大きくため息をつく。

 

「俺たちは、自分たちと帰宅部の命を天秤にかけて、自分たちの命を選択したんだ。その選択から、逃げるな」

「……っ」

「さっきお前は言ったよな。どっちの選択も間違いだって。ああそうだ。誰かの命を奪うことは、どんな理由があろうと正当化なんてなされない」

 

 岩国さんの、刃のように鋭い言葉が私に突き刺さる。

 

「俺たちは、全員殺人犯だ。その事実を、認めろ」

「…………」

 

 私たちの視線がぶつかり合う。

 

「そこまでに致しましょう」

 

 そのにらみ合いが解けたのは、蒼神さんの声のおかげだった。

 

「これ以上話しても、信念の押し付けに他なりません。不毛ですわ」

「……チッ」

 

 耳に残る、岩国さんの舌打ち。

 

「……すまねェ。変なこと言いだして悪かった」

「そう気にすることは無いさ。多かれ少なかれ、皆考えていた(独白していた)だろう話題だ。一度も触れないまま過ごす(物語を進める)より、ずっとマシだろう」

 

 議論の発端である火ノ宮君が謝ると、明日川さんがフォローした。

 

 ……『俺たちは全員殺人犯だ』、か……。

 私の、あの選択は……。

 

「あれ? やけにしんみりしてるね。お通夜じゃないんだからもっと明るくしてろよ! 若者のクセに!」

 

 急に、そんなダミ声が聞こえた。

 その声のした方を向けば、案の定、モノクマがそこにいた。

 

「何の用でしょうか? 用件だけ伝えて速やかにお帰りくださいませんか?」

「うう、蒼神サンったら酷いなあ……せっかく耳寄りな情報を持ってきたのにさ」

「耳寄りな情報?」

 

 モノクマの言葉に、露草さんが反応した。

 

「そう! 実は、お前らにプレゼントがあるのです!」

「ぷ、プレゼントって……ま、まさか、ど、【動機】……!?」

 

 モノクマからのプレゼント。それを聞いて思い出すのは、あの無残な映像だった。

 事件が起きて間もないのに、また……?

 

「違う違う。オマエラの早とちりと言ったら一を聞いてマイナス五億を知るってな具合だね。あのねえ、確かに学級裁判は楽しいけど、そんなハイペースで事件起こされても困るって。5分おきにスイーツ食べてたら糖尿病になっちゃうよ!」

 

 やれやれ、とでも言いたげなポーズのモノクマ。

 

「……では、プレゼントとは?」

「ズバリ、施設の開放だよ!」

「施設の開放……」

「そう! 学級裁判を勝ち抜いたオマエラへのご褒美として、【自然エリア】の先のエリアである【体験エリア】を開放いたしました!」

 

 確かに、自然エリアには先へとつながるゲートがあった。言葉の節々にある嫌味は無視するとして、その先に行けるようになったってことか。

 

「【体験エリア】か……」

「他にも開放した場所はあるけど、それは面倒だからお前らで探してね」

「それぐらい教えてくれたって大した労力にはならないと思うが」

「あのねえ、スコットクン。ボクはオマエラが探索する楽しみを残してあげてるの。あ、スコットクンは、何でもかんでも教えてもらわないと何にもできない赤ん坊だったか! ごめんね、気づかなくて!」

「…………」

 

 スコット君が静かにモノクマをにらんだけど、それに構うようなモノクマじゃない。

 

「っていうか、そもそも昨日オマエラが宿泊エリアに戻ってきたときから施設は開放されてるの! それをオマエラは気づかずにいるから親切に教えてきてやったんだよ!」

「何が親切だァ! 情報の開示は管理者のてめーの仕事だろォが!」

「グッ、それを言われると……でもねえ、今の今までろくすっぽ集まらなかったオマエラにも責任はあると思うよ? 学級裁判直後に教えたって耳に入ってかなかっただろうしさ」

「グッ……」

 

 真っ当に反論されて悔しそうな火ノ宮君。

 

「ま、そんなわけでだから、新しいドームでリフレッシュして、元気にコロシアイを楽しんでね! グッバイ!」

 

 そんな言葉を残して、モノクマはどこかへと消えていった。

 

『ってことらしいけど、どうするよ?』

 

 真っ先に声を出したのは、黒峰君だった。

 

「どうするって言っても……あのモノクマの言うことだよ? もしかしたら罠かも……」

『翡翠、確かにその可能性が無いわけじゃないけどよ、そんなこと言ってたら何もできないぜ?』

「うーん……」

『今の皆を見てみろよ。皆落ち込んでるじゃねえか。モノクマの言葉に乗るのは癪だけど、リフレッシュするのは悪いことじゃないと思うぜ?』

「……確かにそうだね、琥珀ちゃん!」

『それに、いい加減この二つのドームにも飽きてたしな! 暇をつぶせるモンがあれば、多少は楽しくできるかもしれねえぞ!』

「そうだね! でも、翡翠は皆とおしゃべりしてるだけでも楽しいよ!」

『そいつはオレも楽しいぜ!』

「じゃあ皆、行こうよ!」

「……ちょ、ちょっと待てよ……ひ、一人で話し始めて、ひ、一人で完結するなよ……」

 

 露草さんの一人漫才に、ようやく根岸君がツッコミを入れた。

 

「あれ? (アキラ)ちゃんは行かないの?」

「い、行くけど……」

『じゃあ問題ねえな!』

「……まあ確かに、【体験エリア】に何があるにせよ、一度は行っておいた方が賢明ですわね。皆さんもそれでよろしいですか?」

 

 露草さんのテンションに少しあきれながらも、蒼神さんは皆に問いかける。反対の声は特に上がらなかった。それどころか、全体的に少し空気が穏やかになった気がする。露草さんのおかげかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《体験エリア》

 

 朝食会を終えた私たちは、新しいエリアの探索を始めた。

 自然エリアのゲートからつながる廊下を歩いてその先のゲートを抜けると、そこにはもう一つのドームが広がっていた。ここが【体験エリア】なのかな。

 そのドームに入った私たちを、さわやかな空気が出迎えた。それはきっと、目の前に広がる大きな川のおかげだ。

 

「大きな川ねー。こんな立派な川、ドームの中で見れるとは思わなかったわ!」

 

 心なしか東雲さんが嬉しそう。ダイバーだから水辺に来るとテンションが上がるのかな。

 

「確かに……手の込んだ作りですね。僕たちを閉じ込めるのに、なぜこんな立派な施設を……?」

 

 ぶつぶつとつぶやきながら考え込む杉野君の声を聞きながら、ゲートからつながる道を歩くと、川の中央にかかっている橋のふもとにたどり着いた。

 そこには、これまでのドームと同じように、地図の書かれた木の看板が立っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 このドームには、目の前の川を挟むようにして4つの建物が立っているようだ。図書館、製作場、実験棟、アトリエ……【体験エリア】っていうのは、その名の通り色々な体験ができるエリアってことなのかな? 知識体験とかって言葉もあるし。

 

「ふむ。このエリア(舞台)には図書館(神域)が存在するのか。ボクのいた学校ほどの蔵書数は望めないけれど、もしかすれば未だボクが読んだことのない本(出会っていない物語)を秘めているかもしれないな」

「じ、実験棟か……も、もしかしたら実験器具が色々揃ってるかも……な、なにか面白いものとか、み、見つからないかな……?」

「製作場、であるか……何をする場所かははっきりとしないであるが、吾輩のあふれ出るアイデアを形にすることができるかもしれぬな」

 

 看板の内容にいち早く反応したのは、明日川さんと根岸君、遠城君だ。それぞれがそれぞれの気になる施設を見つけると、足早に三方に分かれてしまった。それを合図にするように、岩国さんも橋を渡っていった。

 

「オイてめーら! 団体行動しやがれ!」

「まあ、よろしいのではありませんか? どのみちこの人数で一つ一つ施設を巡るわけにもいきませんし、ここからは自由行動ということで参りましょう」

「チッ……蒼神が言うならいいけどよォ」

 

 不服そうに見える火ノ宮君……でも、多分本人としてはそんなに不服でもないんだろう。ちょっとしたことでもこんな感じだし。

 

「というわけで、ここからはみなさん自由に【体験エリア】を探索してください。12時になったらまた食事スペースに集合し、報告会といたしましょう。先に行かれた4人にも、そうお伝えください」

 

 その声をきっかけに、皆は移動を始めた。

 私も探索しよう。最初は……図書館からにしようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《図書館》

 

「おしゃれだなあ……」

 

 川沿いに歩いて図書館の前までやってきた。

 図書館とは名がついているものの、その外観はまるで西洋のお城の一片のようだ。バロック様式、って言うんだっけ? よく覚えてないけど、昔の戦争で朽ち果てたナントカ美術館がこんな感じだった気がする。教科書で見ただけだけど。

 中へ入ると、まさに本の山という感想が頭に浮かんだ。流石に入口のあたりはスペースがあるけれど、少し先はもう本棚だ。人一人通れるかどうかというぐらいの間隔で並んだ本棚に、所狭しと本がびっしりと詰まっている。図書館というよりも書庫という方が適切な気がする。

 小説、漫画、雑誌、新聞……その種類は多岐にわたり、ジャンルも豊富。惜しむらくは、その整理が全くなされていないことだ。『新・現代版世界の歩き方』と『経済新聞10年間の歴史』の間に『3割当たるあなたの未来!』が挟まれている。雑多すぎる。

 

「なんでこんなに無理やり詰め込んでるんだろう……うっすら埃も被ってるし……」

 

 棚板を指でなぞると、埃が手に着いた。特段手入れがされているわけではないみたいだ。そんなことをぼんやり考えると、

 

「……ん?」

 

 一瞬、違和感にとらわれた。その正体を探ろうとしたけど、

 

「それにしても、モノクマは一体何を企んでいるのでしょうか」

 

 そんな声が私の思考を止めた。杉野君の声だ。

 

「杉野君、どうしたの?」

「いえ、たいしたことではないのですが」

 

 と、前置きして杉野君は話し始めた。

 

「この【体験エリア】、まだ軽く地図を見ただけですが、これまでの二つのエリアと比べてかなり充実しています。今僕たちがいるこの図書館に限っても、数多くの書籍が存在します。暇をつぶすにはこれ以上にないでしょう」

「そうだね」

 

 【自然エリア】は言わずもがな、【宿泊エリア】の倉庫であっても遊び道具は殆どなかった。体を動かせるような場所だってなかったし、褒められるのは自然豊かな場所ってだけだ。

 それがどうだろう。この【体験エリア】には、数多くの娯楽が揃っていそうだ。いや、遊び道具は無いのかもしれないけど、時間をつぶすようなものは大量にあるはずだ。

 

「僕たちを監禁……いえ、軟禁でしたかね。僕たちを軟禁する場所としてはあまりに不適切でしょう。なぜここまで施設を良いものにする必要があったのでしょうか?」

「ううん……例えば、私たちを元気にするためじゃないかな? 私たちが意気消沈してるのは、モノクマだって嫌なんだと思うんだよね。……癪な話だけどさ」

「確かに、『ご褒美』と称していましたからね」

 

 自分勝手に私たちを絶望に叩き落としておきながら、その一方でこうして元気づけようとする。ひどいマッチポンプだ。

 

「だとしても、モノクマがただ僕たちを元気づけるために施設を用意するとは思えません。きっとモノクマは悪意を仕込んでいるはずです」

「うん、きっとそうだよね」

 

 あの【動機】ほど露骨ではないかもしれないけど、私たちにコロシアイを起こさせるような何かがある可能性は十分にある。気を付けないと。

 

「それに、こちらはあまり大きな声では言いたくありませんが……蒼神さんは古池君のことを仲間と言いましたし、僕も彼のことは仲間だと思っています。しかし、彼のように殺意をひた隠しにしている人物が他にいないとも限りません」

「…………そう、だよね」

 

 そんなこと、思いたくない。考えたくない。けれど、一人存在した以上、二人目がいないとも限らない。それに、そうでなくても平並君のように暴走してしまう可能性だってある。平並君はもう大丈夫だと思うけど……他の皆は大丈夫かな。

 

「七原さんも、警戒は怠らないようにしてください。もう、誰かが死ぬのを見るのは嫌ですから」

 

 悲しげな目をして、そう告げた杉野君。

 

「……うん、わかったよ。杉野君も気を付けてね」

「お気遣いありがとうございます。あ、七原さんは二階には行かれましたか?」

「ここ、二階があるんだ。 階段は……あっち側かな?」

 

 そう呟きながら本棚の影から顔を出すと、まさしく上へと続く階段があった。

 

「ええ。一応確認しておくといいと思います」

「分かったよ。ありがとう、杉野君」

「いえ、礼には及びません。それでは、他の方にも忠告をお伝えしたいので、僕はこれで」

 

 そう言って、杉野君は図書館を後にした。

 

「……」

 

 あんなことがあってまだ時間がたってないというのに、もう杉野君は事件が起きないように動き出してるんだ。……私も、私の幸運を活かしてできることをやっていかないとな。

 そんなことを考えながら二階へ進んでいると、声が聞こえた。

 

「オイ、明日川ァ!」

 

 この怒鳴り声は、火ノ宮君だ。

 

「火ノ宮君?」

「あァ?」

「どうして叫んでるの? すごい大きな声だったよ」

「どうしてもクソもねェ。コイツがオレのことを無視するからだ」

 

 そう言って火ノ宮君が指さす先にあったのは、明日川さんが黙々と本を読む姿だった。

 二階は、全体の三分の一ほどが開けた空間になっている。多分ここが読書のスペースなんだろう。明日川さんも、いくつか置かれたソファに腰を下ろして本を読んでいた。

 

「『何の本読んでんだ?』って軽く聞いただけなのに一言も返さねェんだ! 何回聞いたってうんともすんとも言やしねえ!」

「ま、まあ、落ち着いて……」

 

 そんな風に火ノ宮君をなだめていると、当の明日川さんが本から目線を上げて私たちの方を向いた。

 そして、

 

「50文字以内にボクの物語で描写されないようにしろ。さもなくば、物語の終わりを告げる1行まで一つとして文字を消費するんじゃない」

 

 と、冷たい声で告げた。

 

「え、えーと……」

「あァ!? 言うに事欠いて一生黙ってろだァ!?」

「火ノ宮君、明日川さんもそこまでは言ってないんじゃ」

 

 そんな火ノ宮君の声にハッと我を取り戻したのか、明日川さんは改めて口を開いた。

 

「……確かに今のは言い過ぎたね」

「あ、言ってたんだ……」

 

 火ノ宮君、よくわかったなあ。怒ってるなってのは私もわかったけど、もしかして結構な暴言だったのかな。

 

「先ほどから火ノ宮君の声は聞こえていた(台詞は届いていた)んだが、読書中は(物語の世界にいる時は)本から目を離したくないんだ。だから、悪いけど無視させてもらったよ。すまなかった」

「そうだったんだ」

 

 そんな話を聞いてバツが悪くなったのか、火ノ宮君も、

 

「チッ……オレも読書の邪魔して悪かったな」

 

 と、謝った。

 ……自分が悪いと思ったらすぐに謝るのは火ノ宮君のいいところだけど、だったら最初からしなければいいのにと思う。口にしたらまた怒鳴りそうだから言わないけど。

 というか、明日川さんは結構温厚な人だと思ってたけど、読書中に邪魔すると人が変わったようになるんだね……気を付けよう。

 

「でェ? 結局何の本を読んでたんだァ?」

「ああ、ただの小説(文字の物語)さ。この図書館(神域)には、ボクの知らない本(初めて出会う物語)もたくさんあったからね」

「あァ? てめーでも知らない本があんのかァ?」

 

 不思議そうに声を出す火ノ宮君。私も不思議だ。【超高校級の図書委員】である明日川さんが知らない本なんて……。

 ……それって。

 

「それって、もしかして」

「七原君は気づいたようだね。モノクマに奪われた(検閲された)、2年間に出版された(物語)だ」

 

 そういいながら明日川さんが持っていた本の奥付を見せる。確かに、そこには未来の日付が載っていた。

 

「ほんとだ……」

「……だったら、モノクマの話はマジだってのかァ?」

「まだ断言はできない。これだけの施設(舞台)を準備する黒幕だ。奥付を未来にした書籍を用意してボクたちをだます(ミスリードする)ことだって容易だろう。……ただ、いくつか目を通したが、内容(その物語)は適当に書かれたものじゃない。作者が、全身全霊を掛けて書いた本物の物語ばかりだった」

 

 真剣な表情で、そう告げる明日川さん。

 明日川さんがそういうのなら、きっと、少なくともその中身は本物なんだと思う。だとしたら、やっぱり、私たちは2年間の記憶が奪われてるのかな。

 

「じゃあ、オレはもう少しこの図書館を調べるわ。2年間の書籍があるって言うんなら、なにかヒントになるものが紛れてるかもしれねェからな」

「なら、ボクは再び読書する(本の世界に飛び込む)とするよ」

「手伝うわけじゃないんだ」

「あァ? んなもん個人の勝手だろ。てめーも他のとこ見て来いよ」

「うん、そうするね」

 

 申し訳ないけど、ここの調査は火ノ宮君に任せることにしよう。

 二人に別れを告げて一階へと降りて、外へと向かう。

 その途中。

 

「……あれ?」

 

 不意に、視界に入った一冊の本に目が留まる。何気なくその本を開いた。

 

「これって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ボート乗り場(製作場前)》

 

 図書館を後にした私が次に目指したのは製作場。だけど、その前に目に入ったのは、その入り口の前にある二艘の木でできたボートだった。岸とボートの間には桟橋が岸と平行につけられている。さっきの地図で見た、それぞれの施設の前にあった茶色い四角はこの桟橋を表していたんだろう。

 

「ですから、下手に乗り込むと危ないと……」

「大丈夫よ」

 

 ボートの一つに乗り込もうとする東雲さんに、桟橋に立つ蒼神さんが話しかけている。

 

「蒼神さん、どうしたの?」

「あ、七原さん。東雲さんがボートに乗り込もうとしてるので、止めようとしてるのですが……」

「いいじゃない、別にこれくらい。逆に、なんで乗っちゃいけないの?」

 

 と、言いながら東雲さんはすでにボートに乗り込んでいる。素早い。

 

「見たところ、あまりに簡易的なボートです。オールはついているようですが、少々安全面に不安がありますわ」

 

 言われてボートをよく観察してみれば、確かに質素な作りだ。一応二人乗りみたいだけど、ヘリと底があるだけで他は特にない。意匠なのかはわからないけれど、ボートの先端が少し上に突き出た出っ張りになってるくらいだ。そのでっぱりが桟橋とつながる紐でぐるぐる巻きにされている。これで桟橋から離れないようにしているらしい。

 大きさも、一人寝っ転がればそれで埋まってしまうくらいしかない。これ、乗って大丈夫なのかな……?

 

「まあ確かに板は薄い感じはするけど、別に水漏れしてるわけでもないわ」

「……そうですか。あと気になるのは川の深さですかね。流れは緩やかですし」

 

 蒼神さんの言う通り、川の流れは緩やかだ。流れていく水を目で追っていくと、ドームの端で金網にぶつかった。これまでのエリアにはなかった外へつながるルートではあるけれど、見るからに頑丈で破れそうもないし、ここからの脱出は無理だ。ちなみに川幅は40mくらいかな。深さは……どうなんだろう。

 

「んー、岸の近くも中央も大体1.5mくらいかしらね」

 

 東雲さんがボートから少し身を乗り出してそう答えた。

 

「そうですか。多少深いですが、まあ、溺れるほどではないでしょうか」

「いや、それがそうでもないのよ、蒼神。確かにプールとかならそうそう溺れないけど、川の場合流れがあるから足がもつれたりする可能性があるわ。緩やかに見えても、水の塊ってそうそう跳ね返せるもんじゃないのよ」

「……そうでしたか」

「ええ。突き落とされただけでも、パニックになっちゃったら溺れ死んじゃう可能性があるわね。まあ、すぐに落ち着けば大丈夫だと思うけど」

 

 水辺の危険性に関しては、東雲さんほど詳しい人は他にいない。流石【超高校級のダイバー】だ。

 ……なのに。

 

「モノクマもさすがね。新しいエリアを開放する! なんて言っておきながら、こうやって危険性のある場所があるんだもの。建物の中にも危ないものを仕込んでるに違いないわ!」

 

 どうして、東雲さんはこんなに楽しそうにコロシアイの話をするんだろう。

 

「……はあ。あのですね、東雲さん」

 

 と、蒼神さんは声をかけたけど、

 

「じゃあ、アタシは色々見て回ってくるから!」

 

 東雲さんは意に介さず行ってしまった。

 

「……東雲さんには困ったものです。岩国さんとは違った形で、ですけれど。もう少し協調性を持っていただきたいものですわ」

「そうだね……」

 

 そして、蒼神さんはまた一つため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《制作場》

 

 蒼神さんは製作場を見た後だったそうなので、私一人で製作場の中に入った。製作場の外見は製鉄所のような感じだったけど、中は普通のビルと大差ないみたいだ。

 製作場は大きい二つの部屋に分かれている。入口から見て左側の部屋の入口には、『工作室』と書かれた札がかかっていた。

 工作室の中は、中央に作業台らしき大きな二つの机がほとんどを占めていて、壁際の棚に工具がたくさん押し込まれている。……けど、この部屋で一番目を引くのはそこじゃない。

 

「む、七原であるか」

 

 工作室の中にいたのは、遠城君だ。看板を見て真っ先に製作場に向かっていたけど、収穫はあったのかな。

 

「遠城君、何かあった?」

「何かあったどころではないのである!」

 

 私の質問に、遠城君は大きな声で返事をした。まさか、この部屋にもモノクマが何か仕掛けたのかな……と、思っていると。

 

「この部屋は、まさに宝の山である!」

 

 心底嬉しそうにそう叫ぶ遠城君。どうやら私の思惑とは逆だったみたい。

 

「宝の山って?」

「この素材たちを見れば分かるであろう?」

 

 この素材、という言葉とともに指し示されたのは、この部屋で一番目を引く部屋の片隅だった。そこには、テレビ、文房具、タイヤ、時計、ロープ、釣り竿、水着、ハンガー、提灯、冷蔵庫……私の目にはどう見てもガラクタにしか見えない沢山のモノたちが、うずたかく積まれていた。倉庫にあった日用品とは違って、壊れているものも多いし、箱も何もなく乱雑にただ積まれている。

 その隣には、なにかを解体したもののような鉄板やネジにナットも散らばっている。

 

「素材っていうか、ゴミかガラクタにしか見えないよ」

「なんてことを言うであるか! これらは無限の可能性を秘めた財宝であるぞ!」

 

 財宝、と遠城君は言うけれど、いまいちぴんと来ない。

 

「いいであるか? 新技術や新商品というのは無から生まれるものではないのである。どれもこれも、既に存在しているものから誰かがアイデアを膨らませ、そして形にしたものなのである。もっとも、このことは形あるものに限らないであるがな。『こうだったらいいのに』、『ああなればいいのに』、と考えたことが、すべて新たな発明などにつながっているのである」

「へえ、そうなんだ」

「それに、今あるものを組み合わせることでも新商品になること数えきれないほど存在するのである。おしりに消しゴムのついた鉛筆や、通話やカメラにゲーム機を一つにまとめたスマートフォンは立派に一時代を築いたではないか」

「あ、確かに」

「だからこそ、今ある様々なモノたちは宝物に等しいのである。そこにあるだけで、アイデアの源なのであるぞ。……まあ、吾輩が機械いじりが好きでかなり楽しめそう、というのも間違いないであるがな」

 

 なるほど……となると確かに、アイデアを大切にする遠城君にとっては、この日用品や家電の山は宝の山なのかもしれない。

 

「そうだったんだね。ガラクタなんて言ってごめん」

「謝るほどではないであるぞ。吾輩みたいにこれを使って色々試そうとする人はいないであろうし、実際ゴミではあるからな」

 

 うーん、でもやっぱり申し訳ないなあ……。

 

「それで、なにかアイデアはひらめいた?」

「……目下考え中である」

 

 残念。聞かせてもらおうと思ったのに。

 

「ううむ、必ずお主らを驚かせるアイデアを聞かせてみせるのである!」

「楽しみに待ってるから、あまり根を詰めすぎないでね」

 

 日用品の山を見ながら唸る遠城君を製作場に残し、私はもう一つの部屋へと向かった。

 

 その部屋の扉には、『手芸室』という札がかかっていた。その文字を見て思い浮かべた通り、部屋の中にはスコット君がいた。

 手芸室は、畳のいい香りのする和室だった。廊下と比べて段差一つ分だけ高くなった床に畳が敷き詰められていて、ちゃんと床の間も用意してある。

 

「スコット君、何かあった?」

「……ナナハラか」

 

 棚の引き出しを調べていたスコット君に声をかけると、スコット君は一瞬手を止めてこっちを見たけど、そのまま引き出しの調査を続けながらしゃべりだした。

 

「いわゆる手芸の道具や素材は一通りそろっている。裁縫、刺繍、編み物……それだけじゃない。折り紙やビーズにレースに関しても同様だ」

 

 スコット君の近くに行って私も棚を覗き込むと、確かに様々な手芸の材料がきっちりと並べられていた。同じ『素材』でも、さっきの工作室とは大違いだ。

 

「それに、糸も布も針も鋏もどれも一級品だ」

「そうなの?」

「ああ。モノクマのことだから粗悪な量産品でも置いているのかと思ったが、案外そうでもないらしい。結構快適みたいだな。悪いのは、あの掛け軸と壺の趣味だけだ」

「あー……」

 

 確かに、それは私も気になっていた。

 床の間にかけられた掛け軸には、標語よろしく『一日一殺』という四字熟語が書かれている。達筆で。その下に置かれた壺はモノクマを模しているようで、正直気持ち悪い。

 

「まあ、アレは後で押し入れにでも入れておくさ。……それよりも気になることがある」

「気になること?」

「あの掛け軸と壺は除くが、さっき、オレは結構快適って言ったよな」

「うん」

「……快適すぎるんだ」

 

 快適すぎる?

 疑問符を浮かべる私を見て、スコット君は話を続ける。

 

「オマエも確認してたが、手芸の道具や材料がキッチリ並べられてるだろ?」

「うん」

「キッチリ過ぎるんだよ。道具の並びも、色の並びも、嫌というほどオレの好みに合ってるんだ」

「スコット君の、好み……」

「ああ。左端を赤で始めて、色が少しずつ変わるようにして並べていく。……個室の私物の時も思ったが、モノクマのヤツはオレたちのことを調べ上げてるに違いない。その上で、ここまで快適な空間を用意するんだ」

「…………」

「モノクマ……一体何を考えてる?」

 

 この部屋からモノクマの悪意はほとんど感じられなかった。けれど、確実にモノクマの思惑はこの部屋にも潜んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《実験棟》

 

 製作場を後にして、今度は橋を渡って反対側の岸にやってきた。上流側の建物である実験棟の前には、製作場の前で見たようなボートが二艘川に浮かんでいた。図書館とアトリエの前にボートは無いみたいだし、この川に浮かぶボートはこの4つかな。さっき通ってきた橋と川の水面の間にはそれなりに高さがあるから、このボートで橋の下を通って上流と下流を行き来したりできるみたいだ。

 川の水は、金網を通ってこの【体験エリア】に流れてきている。下流と同じ感じだ。

 

「それにしても高いなあ」

 

 川から実験棟に視線を移す。きっと、この施設の中で一番高い建物がこの実験棟だ。窓を見る限り三階建てのようだけど、その分広さはない。

 中に入ると、入口にフロア表示が掲示してあった。1階は物理室、2階は化学室、3階は生物室、となっているらしい。

 まずは1階から、ということで物理室に足を踏み入れると、そこには城咲さんがいた。

 

「七原さん」

「城咲さん、もう朝食の片づけ終わったの?」

「はい」

「さすが城咲さん……」

 

 朝食会が始まってからずっとそうだけど、今日も朝食の片づけは城咲さんにやってもらった。朝食を作ってもらってるからせめて片付けくらいは、と何人か申し出たけど、城咲さんは「これもめいどの仕事ですから」と断ってしまった。火ノ宮君は平等じゃない、ってことで食い下がったけど「しょうじきに申しますと、わたしが一人で片づけた方がはやくきれいになるんです」との言葉に黙り込んでいた。そんなわけで、朝食会は準備から片付けまですべて城咲さんの担当なのだ。

 とはいえ、申し訳なさがあるのは間違いない。

 

「ごめんね、毎日やってもらっちゃって」

「いえ。構いません。この程度たいしたことではありませんし、わたしといたしましても、毎日朝食を作ることは気晴らしになりますから」

「そうなの?」

「はい。こんだてを考えたり、料理に集中したり、やることが多いですから。……ただ、けさはすこし落ち込みましたけど」

 

 声のボリュームも下がり、うつむきがちになる城咲さん。

 

「おとといよりも、けさは作る量を減らさなくてはならなくなってしまったのです。作業中も、そのことを考えると手が止まることもありまして……」

「……」

「わたしたちに、できることはなかったのでしょうか」

 

 城咲さんに、そう尋ねられる。

 

「わたしは、あの夜、とてもふあんでした。そのふあんを抑えるために蒼神さんたちとじょしかいを開きました。……もし、偶然見かけたあのお二方だけでなくみなさん全員に声をかけていれば、あの事件は防げていたのではないでしょうか」

 

 伏し目がちになりながら、城咲さんは言葉を紡いだ。そんな城咲さんに語り掛ける。

 

「……それは、事件が起こっちゃったあとだから言えることなんじゃないかな」

「……」

「私たちは、何もしなかったわけじゃない。カレー作りだってしたし、皆、モノクマに負けないために精一杯頑張ったことは間違いないと思う。だから、そうやって自分を責めないで。責めるとすれば……きっと、これは皆の責任だよ。皆で、背負わなきゃいけない罪だって私は思う」

 

 そうだ。きっと、これは全員の罪なんだ。

 

「大丈夫だよ、城咲さん。きっと、私たちはここから脱出できる。きっと、明るい未来が待ってるはずだよ」

「…………ありがとうございます、七原さん」

 

 城咲さんは、ぺこりと頭を下げた。

 

「そんな、頭なんて下げなくていいよ。それで、この部屋には何かあった?」

 

 それが照れくさくて、ちょっと無理やり話題を変えて部屋を見渡した。

 物理室と名はついていたけれど、学校にあったような物理実験室とは少し趣が違う。どちらかと言えば、研究室って言った方がイメージは近いのかな。よくわからないメーターのついたコンピュータ機器が所狭しと並んでいる。

 

「そうですね……一番はこのたくさんのこんぴゅーたですけど、電源はつくみたいですがねっとわーくにはつながっていないそうで脱出には役立ちそうにありません」

「まあ、そうだよね」

「というかそもそも、ろぐいんにはぱすわーどが必要のようでした。中身の確認はできなかったのです」

「そっか……」

「もしこのこんぴゅーたの中身を知ることができたら、ものくまの正体、つまり、黒幕が誰かということがわかるかと思ったのですが……」

 

 城咲さんは、そう言っておぼつかない動作でマウスを操作する。ログイン画面が表示され、パスワードの入力を求められた。当然、何を入力すればいいかはわからない。適当に入力すれば、もしかしたら私なら当たる可能性はある。……けど。

 

「このコンピュータに、あまり深入りするのは良くないと思う」

 

 私の言葉に、不思議そうに城咲さんが振り向いた。

 

「だって、あの用意周到なモノクマだよ? 下手にログインしようとして、パスワードを間違えたらどんな目に合うか……」

「これはものくまの罠ということですか?」

「だと思う」

 

 相手はあのモノクマだ。警戒するに越したことは無い。

 

「それにね」

 

 さらに私は付け加える。

 

「なんか嫌な予感がするの。決して見ちゃいけないような、そんな気がするんだ」

 

 理由は説明できない。ただ、私の直感がそう告げていた。

 

「……七原さんがそうおっしゃるのであれば、このこんぴゅーたを調べるのはひかえておきましょうか。どちらにしても、わたしではろぐいんはできませんし、それができそうな方もいらっしゃいませんから」

 

 そう告げて、城咲さんはコンピュータの電源を落とした。

 

「他に気になるものは、とくにはありません。参考書の類や力学や電気系の実験器具はそろっていますが、だっしゅつなどには役に立ちそうにないですね」

「そっか……」

 

 参考書も気にならないといえばうそになるけど、さっと読んだだけじゃほとんどわからないだろう。

 

「では、わたしはこの部屋の掃除を行いたいとおもいますので、七原さんは他の場所を見ていらしたらいかがでしょう?」

「うん、そうするよ。じゃあ、また後でね」

「はい」

 

 城咲さんに別れを告げて、階段を上って2階へと進んだ。2階の部屋は、確か化学室だったかな。

 ひょいと化学室の中を覗き込むと、にぎやかな声が聞こえてきた。

 

「いやあ、それにしてもすごいね。まさに(アキラ)ちゃんのための部屋って感じだよ」

『まったくだな! 流石化学室だぜ!』

「ほらみて、こんな、名前も分からないような実験器具があるよ!」

「そ、それは、で、デシケーター……み、右手のは、り、リービッヒ冷却器……」

 

 中にいたのは、根岸君と露草さん(と黒峰君)だ。根岸君は多分ここにいるかもと思ったけど、露草さんまでいたのはちょっと意外だった。

 

「章ちゃんならやっぱり知ってるんだね」

「ま、まあ……つ、使ったことあるし……」

『使ったことあっても名前は憶えてねえこともあんだろ』

「翡翠も、理科は苦手だったからなあ……」

『翡翠は理科だけじゃなくて勉強全般苦手だろ?』

「もう! 琥珀ちゃん、章ちゃんの前で言わないでよ!」

 

 いつも通り、にぎやかに一人芝居を繰り広げる露草さん。そろそろ足を踏み入れようかな、と思ったとき、

 

「……な、なあ」

 

 根岸君が口を開いた。

 

『章、なんだ?』

「ど、どうしておまえはそこまでいつも通りにふるまえるんだよ……お、おまえだって、あ、あれを見たよな……?」

 

 あれ、というのは、きっと、おしおきのことで間違いないはずだ。

 

「ふ、二人も目の前で死んで、さ、殺人を企んでたやつがまだいるのに、ど、どうしてそんなにのんきにいられるんだよ……」

『だってよ、翡翠』

「うう~ん……」

 

 少し唸ってから、露草さんは答えた。

 

「あのね、章ちゃん。翡翠は別に、のんきになったつもりはないよ?」

「……え?」

「死んじゃった二人のことは悲しいし、章ちゃんを殺そうとしちゃった凡一ちゃんやこの生活を楽しんでる瑞樹ちゃん、一人でいようとする琴刃ちゃんのことも気になるよ。だから、一刻も早くこんなところを出なきゃいけないと思ってる。もちろん、モノクマの言った方法とは違う方法でね?」

『モノクマなんかの言いなりになるのも癪だしな!』

「けど、だからってふさぎ込んだって、おびえてったってどうしようもないよ。そんなことしてたら、ますます追い詰められちゃうだけだもん。だから、少しでもいつも通りに、ね?」

『章がそういう性格なのは知ってっけど、せっかくこんな部屋があるんだから、好きな研究に打ち込んだらいいんじゃねえか?』

「章ちゃん、こういう部屋にいるの、好きでしょ?」

「…………」

 

 一人と一体の言葉を聞いて、根岸君は、

 

「……そ、そっか。……あ、ありがと、ふ、二人とも」

 

 と、答えた。

 

「ありがとだって。翡翠、なんかお礼言われるようなこと言ったかな?」

『すっとぼけるなって! お前、それっぽく決め顔してたじゃねえか』

「えー、そんな顔してないよ!」

「……ふ、ふふ」

 

 顔をほころばせる根岸君。

 ……なんか、お邪魔だったかな?

 そう思って、一旦この部屋は後回しにしようと部屋を離れようとしたその時、

 

「あ、菜々香ちゃん!」

 

 露草さんに見つかった。

 

『そんなところで何やってんだ? 入って来いよ?』

「あー、うん」

 

 黒峰君に促されて、化学室に足を踏み入れた。

 化学室の中には、ビーカーにフラスコ、試験管といった様々な実験器具や、さっき物理室で見たような参考書がたくさん並んでいた。さっき名前が挙がってたデシケーターってどれなんだろう。この箱みたいなやつかな?

 

「確かにこれは化学室だね」

 

 と言いながら、部屋を見渡して、《それ》に気づいた。

 

「や、やっぱり、気になるよな……」

 

 根岸君が、私の視線を追ってそう告げた。

 私の視線の先にあったのは、いくつかの棚だった。その中に、様々な大きさのビンに入れられた粉末や液体が並んでいる。その正体はきっと、

 

「薬品、だよね?」

「う、うん……」

 

 恐る恐る、といった風に根岸君が答えた。

 

「か、かなり扱い方が難しい薬品……そ、相当化学実験に慣れてないと、い、命にかかわるような薬品が、いくつかあって……」

『それこそ、【超高校級の化学者】の章じゃねえと扱えねえようなやつだな!』

「こ、高校の授業でも使うような、わ、わりと扱いやすいものもあるけど……そ、それだって、て、手順ひとつ間違えれば、だ、大事故につながるし……」

「そんなに危険なものが……」

「た、単純に、ど、毒薬や劇薬のものも、あ、あるから……」

 

 根岸君から、薬品棚に目を戻す。薬品の入った瓶には習字のフォントで薬品名が書かれている。エタノール、濃硫酸、黄リン、ニトロベンゼン、塩酸、ナトリウム……確かに、授業でよく聞いたものや実験で使ったものが並んでいた。薬品の分類やその危険性はわからないけれど、根岸君がそういうんなら下手に手を出すのはやめておこう。

 そんな風に薬品を確認していると、黒峰君の声が聞こえた。

 

『けど、この薬品棚がやべえのは、そこじゃねえんだ。菜々香』

 

 え? と思いながら振り返る。

 

「モノクマは、私たちにコロシアイをさせようとしてる。この薬品棚には、その道具が揃ってるんだよ」

 

 露草さんがその言葉を補足する。

 

「うん。それはそうだよね。こんな危険な薬品、何をしたって殺人につながるから」

『ああ、そうだけどそうじゃねえんだ』

「ん?」

 

 倉庫と同じで凶器がたくさんそろってるってことだと思ったけど、何か勘違いしてるみたい。

 

「睡眠薬や毒薬が、素人でも扱いやすいように改造された状態で置かれていたんだ」

「改造って……」

 

 露草さんが説明してくれたけど、まだぴんと来ていない。そんな私に、根岸君が追加で説明してくれる。

 

「さ、さっきも説明したけど、そ、そこに並んでる薬品のほとんどはかなり危険だから、へ、下手に殺人に使おうとすれば犯人の方が、し、死ぬ可能性があるんだよ……。ふ、フタを開けた瞬間に気化して吸い込んだり、て、手にかかって肌が変色したり……」

「そうなんだ」

「あ、あと、く、クロロホルムって知ってるか……?」

「うん。聞いたことある。ハンカチに染み込ませて臭いを嗅がせると、気絶しちゃうんだよね」

 

 二時間ドラマとかの誘拐のシーンで、そんな薬品が出てきた気がする。

 ふと気になって薬品棚を見れば、まさしくそのクロロホルムもそこに並んでいた。

 

「そ、そういう認識が一般的だと思うけど、じ、実はそんな都合のいい薬品じゃないんだ……は、ハンカチに染み込ませたくらいの量じゃ気絶なんかしないし、き、気絶するほどの量を嗅がせたら、そ、そのまま死んじゃうし……そ、そのあたりの注意事項は、び、ビンのラベルの説明欄に、ちゃ、ちゃんと書いてあったけど」

「あ、そうだったんだ」

「で、でも、そんな都合のいい薬品が、や、薬品棚に用意されてたんだ……ほら」

 

 と言って、根岸君が薬品棚から一つのビンを取って私に手渡した。そのビンのラベルには、『モノモノスイミンヤク』と書かれていた。白い錠剤のようだ。

 

「ふ、ふざけた名前だけど、せ、説明欄は、も、もっとふざけてた……」

 

 ビンを回して説明欄を確認する。

 『一粒飲めば一晩ぐっすり。二粒飲めば一日ぐっすり。三粒飲めば三日ぐっすり。水に溶かして臭いを嗅げばどんな場所でもおやすみなさい。眠れない夜と眠らせたい夜にどうぞ』と、書いてあった。その横に用法容量の詳細や、何粒飲んでも致死性は無いという説明も並んでいる。

 

「ぶ、分量と効果もふざけてるけど、す、水溶性で気化するのはいいとしてもすぐに効果が出るなんて、そ、そんなのどう考えてもおかしい……ど、どんな成分でできてるのかと思ったけど、成分表示は無いし……」

「確かに、これは……」

 

 明らかに、コロシアイに使ってくださいと言わんばかりの睡眠薬だ。

 

「そ、その癖、ち、致死性は無いって……ど、毒にならない薬なんて、あ、あり得ないのに……」

「誰かを眠らせるためだけに用意された、って感じだよね」

『あと、これもだ』

「ん?」

 

 続けて黒峰君が今度は小さなビンを渡してくる。そこに書かれていたのは、『モノモノサツガイヤク』という文字列だった。

 

「『モノモノサツガイヤク』……『モノモノ殺害薬』!?」

 

 一瞬何を意味するか分からなかったけれど、分かってみればあまりに直球過ぎるネーミングだった。慌てて効果を確認する。

 『一滴じゃまだまだ、五滴でムラムラ、十滴分ならドクドクと血が溢れます。口から噴き出す血のシャワー。鉄分豊富なあなたに』という説明欄の文章。

 

「何これ……」

 

 薬品名に反して直接的な言葉は無かったけど、それが死を意味していることは間違いない。

 

『……とんでもねえだろ?』

 

 黒峰君の言葉通り、とんでもない毒薬だった。

 個室に置いてあった凶器セットも恐ろしいものだったけど、目の前に現れた毒薬はそれ以上に強烈だった。

 ビンのラベルを確かめながら、その恐怖を噛みしめていると、

 

「ぼ、ぼくは、こ、この二つの薬のことは、ひ、秘密にしておこうと思ったんだけど……」

 

 根岸君がぽつりと呟いた。

 

「え? そういえば、私にも普通に教えてくれたね」

 

 本当は教えないつもりだったのかな? 確かに、こんなものがあると知れたらパニックになると思うけど……。

 

「あのね、さっき悠輔ちゃんとそんな話になったんだ」

「悠輔ちゃん……杉野君と?」

『ああ。悠輔も苦渋の決断ではあったみたいだけど、皆に知らせようってよ』

「そ、そんなことしたら、さ、殺人に使われるかもしれないって、い、言ったんだけど……」

「施設の開放から一日以上経ってる以上、今から隠したところで誰が毒薬のことを知ってるか把握しきれないって、悠輔ちゃんに言い返されたんだよね?」

 

 ……そういえば、昨日の時点でもう【体験エリア】は開放されてたんだっけ。

 

『だったらいっそのこと全員に知らせて警戒させた方が事件抑制のためになる、ってことでな。皆に知らせることにしたんだぜ!』

「そうだったんだ……」

「な、七原は、ど、どう思う……?」

 

 根岸君に話を振られて、少し考えた。そして、答える。

 

「……うん。悪くないんじゃないかな?」

「そ、そっか……」

「皆が知っている、ってなったら誰かが犯行を考えても毒薬は使いづらくなっちゃうだろうしさ。……それに、考えたくないことだけど、もし事件が起こっちゃった時に、隠してた根岸君達がきっと責められちゃうよ。杉野君の言う通り、誰が毒薬のことを知っていたかわからない以上、容疑者が減らせるわけじゃないしね」

 

 私の勘が、そう告げている。事件を防げるかどうかまでは断言できないけど、毒薬の存在が知れ渡ったことは、きっと悪いことじゃない。

 

「それに、もういろんな人に教えてるんでしょ? だったら、私が今更どうこう言えることでもないよ」

『それもそうだな!』

 

 とにかく、この二つの薬のことは重要だ。忘れないようにしないと。

 その後、化学室に残って実験器具の状態を調べると言った根岸君達に別れを告げて、三階へと上った。

 

 

 三階の部屋の名前は、生物室だったっけ。ここにも誰かいないかな、と思いながら生物室に足を踏み入れたけど、部屋の中には誰もいなかった。

 その静けさに身をゆだねながら、部屋の中を探索してみる。

 

「まあ、ここも大体同じ感じか」

 

 物理室や化学室と同じように、生物室の中には参考書や実験器具が並んでいた。顕微鏡とか、ずいぶん昔に使ったきりだなあ。

 棚を順々に眺めていくと、今度は薄気味悪いビンが並んでいた。ヘビ、カエル、ヤモリ、そういった類の動物たちが、ホルマリン漬けにされていたのだ。

 無意識に少しだけ後ずさってなおそのビンを追っていった私は、()()と目が合った。

 

「ひっ……」

 

 誰かの、生首が、ビンの中に浮かんでいた。

 

「なに、これ……」

 

 傷だらけの見覚えは無いその顔は、何かを恨むようにその目を見開いている。まるで、ビンの中で時が止まってしまったみたいだ。

 それに恐怖してつい目線を横へそらせば、今度は指、耳、目玉と、人間のパーツがビンに浮かんでいた。

 

「…………」

 

 とても見ていられず、棚から離れて別の場所に視点を移す。その視線の先には人体模型と人骨模型があったけど、さっきの生首のおかげで少しも怖くなかった。

 

「……これは?」

 

 その横にあった大きな直方体。どうやら、冷凍庫みたいだ。

 ガチャリとその扉を開けると、その中には小さな箱がこれでもかと詰め込まれていた。箱は透明じゃない上にぎちぎちにテープで巻かれていたから中は確認できないけど、何やらラベルが貼られていた。バッタ、モンシロチョウ、リレルバ、ゴキブリ、サンノル、グンタイアリ、タンポポ、カーネーション、レインゴーテ、ガーベラ、コスモス……その文字から察するに、様々な虫や植物の卵や種が冷凍保存されているのかもしれない。

 

「ああ……そういえばこんなのも生物の授業でやったっけ」

 

 いつだったかの生物の時間に、クラスの皆で校庭に出て色んな植物をスケッチしたことがある。良く晴れた日のことで、私が珍しい虫を見つけたとかで先生がとても盛り上がっていた気がする。

 ……いつかまた、あの青空の下へ。

 

「……ここはもうこれ以上見るものはなさそうかな」

 

 感傷に浸ってもいられない。そう区切りをつけて、冷凍庫の扉を閉める。

 

「なら、そろそろ次に行こうかな」

 

 そう思って部屋の入口を向いたら、そこには大天さんがいた。大天さんはこの部屋にやってきたところみたいで、ちょうど生物室に足を踏み入れるところだった。

 すると。

 

「……っ」

 

 大天さんはダッとひるがえし、部屋から逃げ出してしまった。

 

「ちょっと、大天さん!」

 

 大天さんを追いかけて、私も部屋を飛び出す。

 大天さんとは、この前学級裁判が終わってから、一度も話せていない。私は話したいことがあるのに、ずっと大天さんに避けられている。

 急いで実験棟を駆け下りたのに、大天さんの姿はもう見えなくなっていた。

 

「足早いなあ……」

 

 仕方ない。大天さんにはまた後で話しかけよう。

 せっかく外に出たんだ。このまま最後の施設、アトリエに向かおうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《アトリエ》

 

 アトリエは製作場のような平屋の建物だったけど、その中はひとつの巨大な部屋になっていた。体育館か、まさしく工場のような広さだ。

 中には数々の彫像や絵画が置かれている。そのほとんどが作りかけだったけど。ちゃんと新品のキャンバスや石材も置かれているから、美術活動はきちんとできるようになっているみたいだ。

 そんなアトリエで、部屋の壁際に立って棚の何かを眺めている岩国さんを見つけた。

 

「岩国さん、何見てるの?」

「……!」

 

 私が後ろから声をかけると、びくりと体を震わせた岩国さんは、バタンと眺めていたスケッチブックを閉じた。

 

「なんだ、幸運か」

 

 その言い方は無いと思うんだけど。

 

「それで、何見てたの?」

「何を見ていようが俺の勝手だろ」

「そうだけど……」

 

 ぶっきらぼうな岩国さんの返事を聞きながら、私もそのスケッチブックを開いてみた。

 中身は誰かが書いたスケッチのようで、人物画と風景画が半々くらいの割合で描かれている。枚数はそれなりにあるけれど、特別上手なわけじゃない。

 人物画はどれも知らない人で、風景画もほとんどは知らない景色……と思ったけど、いくつかはこの【体験エリア】や前の二つのドームの景色のように見えた。ここのスケッチブックがあるということは、この施設で描かれたということだから当然かもしれないけど。

 

「これ、どういうことなのかな?」

「……」

 

 岩国さんから返事は返ってこないけど、そのまま話し続けた。

 

「きっとこれ、前にこの施設にいた人のものだよね?」

「……さあな。その可能性もあるし、そうじゃない可能性もある。そもそも、あのぬいぐるみが言うことが本当だという保証もない以上、こうして解放された施設に置かれたものがぬいぐるみによって作られたものである可能性だってある。現時点では何の判断も下せない」

「……そっか」

 

 でも、このスケッチブックはこのコロシアイ生活にとって、とても大事な証拠になる。確証はないけれど、そんな気がした。

 

「……」

 

 スケッチブックをぺらぺらとめくっていく私を置いて、岩国さんがこっそりとアトリエを後にしようとしていた。そんな岩国さんに声をかける。

 

「あ、岩国さん。12時に食事スペースで報告会って話は聞いた?」

「……ハア。他の連中から何度も聞いた。お前で6人目だ」

「あはは、そっか。ごめんね」

 

 そして、そのまま岩国さんは外へ出ていった。

 

「……もう少し、仲良くなりたいんだけどなあ」

 

 やっぱり、岩国さんは私たちに心を開こうとはしないみたい。こんなとんでもないところに閉じ込められた仲間同士なんだから、せっかくなら仲良くなりたいのに。

 ……けど。

 

 

──《「俺たちは、全員殺人犯だ。その事実を、認めろ」》

 

 

 今朝、岩国さんはそんなことを言っていた。その時にぶつかった視線の先に、彼女は何かを秘めているような気がした。

 きっと、岩国さんも、苦しいんだ。岩国さんは、感情のない冷徹なロボットじゃない。彼女も、このコロシアイ生活の中で必死に戦っているんだ。

 なら、きっと、仲良くなれるはずだ。

 

「…………」

 

 その後も残って色々とアトリエを調べてみたけど、特にこれと言って気になるものは見つからなかった。乱雑に引き出しに押し込まれた色とりどりの画材に感心していると、気づけば12時間近になっていた。

 そろそろ食事スペースに向かわないと、と思ってアトリエを後にした。




14人の想いを乗せて、絶望は続いていく。


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(非)日常編② 軟禁生活のすゝめ

 《個室(アラヤ)》

 

 俺は、ただ茫然と天井を眺めていた。

 別に天井が見たいわけじゃない。体を起こすことすら、煩わしかったからだ。ベッドのスプリングに体を預けて寝転がったまま、俺はこの部屋に来るまでのことを思い返した。

 

 

 

 

 

 

 

 あの学級裁判という絶望を終えて、俺はこの新家の個室に軟禁されることになった。皆を裏切ったことに対する代償を、自身の軟禁という形で支払うことになったのだ。

 皆との相談で俺の軟禁が決まった後、蒼神や杉野と話して俺の軟禁の詳細が決まった。宿泊棟のこの個室にはベッドもトイレもシャワールームもあるため、消耗品を忘れずに持ち込んでおけば、問題なくここで生活することができる。というわけで、倉庫と自分の個室から、数日分の食料品と衣類を持ち込んで、この部屋にやってきたのだ。

 ちなみに、この軟禁の期限について蒼神はこう言っていた。

 

「わたくしは、皆さんが落ち着くまでの数日間……3日間程度を想定しております。先ほども申し上げましたが、わたくしは平並君の反省を十分に感じておりますので。ただ、今の時点でその期限を皆さんと話し合うことは致しません。今の皆さんに聞いたところで、おそらくは『脱出するまでずっと閉じ込めていろ』とおっしゃることでしょう。折を見て皆さんと相談するつもりですわ」

 

 きっと、蒼神のその推測は正しい。特に、俺に直接狙われた根岸は俺のことを決して許しはしないだろう。

 俺としては、期限は皆の総意に任せるつもりだ。罪を犯したのは俺だ。皆が決める罰を受ける責任があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな経緯で始まった俺の軟禁生活も、始まってからもう丸一日以上が経っている。時計を見れば、もう12時をとっくに回っている。今朝、皆は二日ぶりの朝食会で集まったはずだが、果たして何を話したのだろうか。

 そんな、考えても仕方のないことを頭に浮かべながら、ぼうっと天井を眺める。軟禁生活とは言うものの、この個室は牢屋のように無機質な部屋ではないし、はめ殺しの窓から光も入るので窮屈なものではない。

 けれど、俺がここにいる意味がどうしても頭をよぎり、ひたすらに憂鬱になる。この部屋にやってきてから、ずっと、同じことを考え続けている。

 

 あの惨劇のことが、どうやっても頭から離れないのだ。

 

 古池は、このコロシアイが始まってからずっと殺人の機会を虎視眈々と狙っていた。学級裁判のルールに則って、他の全員をだましてここから脱出するべく、殺人計画を練っていたのだ。

 皆に対して常に飄々とした態度をとっていた古池が、あれだけの狂気を、あれほどの過去を抱えていたなんて思いもしなかった。果たして、古池の狂気に誰が気づけたのだろうか?

 だから、古池の殺人は止めようがなかった。少なくとも、俺は古池の凶行には気づけなかった。

 

 しかし。

 

 古池が新家をターゲットにしたことに関しては、そこに俺の行動が介在している。

 古池が新家を狙ったのは、明日川との口論が利用できると判断したからだ。そして、その口論は、元をたどれば俺が包丁を持ち出したことに起因している。

 だから、古池に新家が狙われたのは、俺のせいということになる。

 

 ちらりと目線を横に向けると、そこには新家の私物と思われるいくつかの大工道具があった。俺の個室に置かれた私物同様、モノクマに用意されたものだろう。

 捜査時間に新家の部屋に入った時は、できるだけ感傷に浸らないようにしていた。けど、今はもう違う。俺のせいで新家を死なせたという事実が、俺の心をえぐっていく。

 

「ごめん……ごめん、新家……!」

 

 もう新家には絶対に届くことのない謝罪が、俺の口からあふれ出す。いくらその言葉を口にしたところで、新家は怒ることも許すこともできない。だから、この行為は自己満足にしかすぎず、ただ自分の罪を少しでも軽くするという意味しか持たない。その事実がさらに自己嫌悪を強めていくだけなのに、それでも俺の口からは謝罪が漏れ出ていく。

 

 右の拳にギュッと力を込めて目をつぶる。目に溜まっていた涙が一気にあふれて頬を伝う。

 

 俺は、どうして、あんなことを決意してしまったのだろう。殺人が決して許されない行為だなんてことは、十分に分かっていたはずなのに。自分が人間でいたいなら、誰かを殺すなんて絶対に決断してはいけないはずなのに。

 それなのに、あの時はあれが最善の選択だと思い込んでいた。本気で方法がそれしかないと思っていた。目の前にぶら下げられた、脱出という見せかけの希望にすがってしまった。

 家族は、何よりも大事だ。家族は何物にも変え難い存在だし、才能も特徴もない俺にとって、平凡な日常の象徴とも言える。その家族の平穏が侵されていると見せつけられて、それを見て見ぬふりをすることなんてできない。

 けれど、だからって、他の命を犠牲にしていいわけはなかった。知り合って数日だとしても、赤の他人だとしても、彼らはそこに確かに存在し、ここで生きていたのだから。

 

 タイムマシンがあるのなら、今すぐあの時の自分をぶん殴ってやりたい。ふざけるな、目を覚ませ、と叫びたい。

 けれど、いくら渇望しても時計の針は決して巻き戻らない。時間は常に前進するしかなく、俺の犯した罪は残り続ける。

 俺は、この後悔から逃げられない。

 

 もう、どうすればいいのかわからない。どうすればこの罪を償えるんだろう。何をしたって新家は生き返らない。古池の処刑は無かったことにはならない。

 俺はこれから、何をしていけばいいのだろう。

 

 分からない。

 

 

 

 分からない。

 

 

 

 

 

 分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、ドアチャイムが鳴った。

 

「……?」

 

 咄嗟に体を起こして入口の方を向く。俺が何かアクションを起こす前に、ガチャリとカギの開く音がして、続けざまにその扉が開いた。

 

「平並君。具合はいかがでしょうか?」

 

 そんな言葉とともに部屋に入ってきたのは、俺達を引っ張ってくれていた蒼神。そして、その後ろにもう一人訪問者がいた。

 

「平並君、大丈夫?」

 

 俺を絶望から救い上げてくれた、七原だ。

 

「あー……まあ、大丈夫だ」

 

 本当は全く大丈夫じゃないが、二人に心配を掛けさせるわけにもいかない。強がって、そんな嘘をつく。今の今まで考えていたことに一旦フタをして、二人に向き直った。

 それよりも、いきなり俺を訪ねてきたことの方が気になる。またモノクマによって何か良からぬことでも起きたんじゃないだろうか。

 

「どうしたんだ、急に。何かあったのか?」

「ええ、何かありましたので、そのご報告を。とはいえ、あなたが思うほど悪いものではありませんわ」

 

 そうなのか。それなら安心……ではあるが、『あなたが思うほど』ということは、両手を上げて喜べるものではないのだろう。

 

「【自然エリア】の先に、もう一つゲートがあったよね? その先の【体験エリア】っていうもう一つのドームが解放されたんだ。モノクマは学級裁判を乗り越えたご褒美って言ってたけど……それで、午前中は皆でそこを探索してたんだ」

「ふうん。【体験エリア】か……」

 

 そんな新たなドームの話を聞いて、ふと『システム』にこの施設の地図が内蔵されていることを思い出した。もしかして更新されているかもしれない、と思って『システム』を起動させると、思った通り【体験エリア】の地図が追加されていた。

 

「それで、一応その新しく解放された【体験エリア】のことを平並君にも教えておこうと思って」

「そんな、わざわざいいのに」

「いいんだよ。一人だけ軟禁されてて新しいエリアのことを知らないなんて、不公平すぎるし」

 

 不公平、と七原は言うが、それこそこの軟禁のなす罰だと思う。けれど、ここまでしてくれる七原たちの事をむげにできず、特にそれ以上は言い返さなかった。

 

「では、【体験エリア】の……図書館から説明していきますわ」

「ああ、よろしく頼む」

 

 そして、蒼神と七原は探索の成果を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 二人の話を聞くと、どうやら【体験エリア】はかなり充実した空間のようだ。読書も手芸も実験もアートもできる。コロシアイを強要される鬱屈な生活と、凄惨な学級裁判を終えた俺達の心を癒すには十分な施設だろう。事実、報告会を終えて、昼食もそこそこに再び【体験エリア】へ向かっていった人が何人かいるらしい。

 けれど、そうして喜んでばかりもいられない。【体験エリア】の中央を流れる川は下手に落ちれば溺れてしまうリスクがあるし、何より化学室の薬品類が問題だ。俺達の目の前に、死という恐怖をまざまざと見せつける存在である。

 と、【体験エリア】の話は一通り聞き終えたのだが、もう少し話は続くらしい。

 

「【体験エリア】の話はこんな感じなんだけど、他にも開放されたところがあったんだよね」

「ああ、さっきの話の中でモノクマがそんなこと言ってたな」

「うん。この宿泊棟の二階の事だったんだ」

「二階?」

 

 宿泊棟の二階と言えば、施錠された部屋がいくつか並んでいた場所だ。

 

「ええ。二階にある部屋の中で、『集会室』という部屋が解放されていましたわ」

 

 再び『システム』を操作すると、確かに部屋の名前がひとつ公開されているのが確認できた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「集会室の中は、まさしく名前の通りだったよ。細長い机とパイプ椅子がたくさん。40脚ぐらいあったけど、あんなに用意しなくてもいいのに」

「パイプ椅子はどこかに持っていくことを考慮したのでしょう。メインプラザなどにそういった腰かけるものはありませんでしたから」

 

 なるほど、そういう視点があるのか。

 

「古いものですがプロジェクターなどもあったので、話し合いや会議などの場にはもってこい……ですが、わたくしたちはおそらく使うことは無いでしょう。ここ数日で朝食会が日課になっていますし、今更わたくしたちの話し合いの集合場所を変えるのは面倒ですわ」

 

 確かに、今更話し合いの場を与えられてもどうしようもない。

 

「二階に関してはハズレって感じなんだよね。まあ、余計なものがあるよりいいけど」

「ですわね。あと伝えておかなければならないこととして、野外吹さん場が原則立ち入り禁止になりましたわ」

「立ち入り禁止? 新しく規則でも増えたのか?」

 

 そう思って『システム』をいじろうとしたが、蒼神に制された。

 

「いえ、モノクマからの規則ではなく、わたくしたちで決めたルールですわ。というのも、化学室にああいう形で劇薬が置かれていた以上、わたくしたちは毒薬へ対抗策を練る必要があるのです」

 

 確かに、蒼神の言う通りだ。ここにきてから二日目の朝の時点で、根岸が食事に毒を盛ることを警戒していた。あの時は毒こそなかったが、洗剤などが毒になりうるという話になっていた。そうなると、毒が分かりやすい形で与えられた今はますます警戒が必要だろう。

 

「ということで、野外吹さん場には城咲さんのみ立ち入れるように致しました。元より朝食の担当は彼女でしたし、あの空間を見張る人物として彼女以上の適役はいないでしょう。ほしい食料があれば城咲さんに頼んで取ってきてもらうことになりますわね」

「……それなら確かに毒殺のリスクは減るかもしれないが、あまりに城咲の負担が大きすぎるんじゃないのか? それって、城咲はほぼずっと野外吹さん場に常駐するってことだろ?」

「ええ、そのようになりますね」

 

 今蒼神が言った通り、朝食はほとんどすべて城咲の担当だ。ほとんど、というのは岩国のように自分で用意する人がたまに現れるからであり、実質的にすべてと言っていい。いくら城咲が【超高校級のメイド】だからって、四六時中気を張ることになっては精神的にも参ってしまうだろう。

 城咲が野外吹さん場を離れる時は代わりに見張りを立てるのだろうが、中に入れるのが城咲だけなら、結局城咲はあまり長い時間離れていられない。まるで、城咲まで軟禁されているようだ。

 

「平並さんがおっしゃりたいことはわかりますわ。ですから、【体験エリア】から色々持ち寄って一日の大半を食事スペースで過ごそうという方が何名かいらっしゃいました。もちろんわたくしもそのつもりです。責任を押し付けた城咲さんを一人きりにするのはあまりにも不誠実ですから」

「そうか。なら大丈夫かな」

 

 他でもない蒼神がこう言うのだ。きっと、彼女に任せていればそのあたりは問題ないだろう。

 

「それでは、わたくしたちはこれで失礼いたします。最後に一言伝えておきますが、平並君、あまり思いつめすぎないようにしてくださいね」

「……分かってる」

 

 それができるかどうかはまた別の話だが。

 俺に忠告を言い残して立ち上がる蒼神に対して、七原は座ったまま口を開いた。

 

「あ、蒼神さん。先に外に出てもらってもいい? すぐ終わるからさ」

「別に構いませんが……」

 

 蒼神は俺を一瞥する。

 

「まあ、貴方達でしたら、二人きりで話したいこともありますわね」

「うん。ごめんね、蒼神さん」

「いえ。では、廊下で待っておりますわ」

 

 そう言い残して、蒼神は個室を後にした。

 そして、七原と俺が残される形になる。女の子と二人きりなんて夢のあるシチュエーションだが、あいにくそんな気分じゃない。

 そんな状況で、七原が口を開いた。

 

「ねえ、本当に大丈夫なの?」

「……大丈夫って言っただろ。別にお前が心配するようなことにはなってないぞ」

 

 目をそらしながら、また嘘をついた。すると、

 

「それは違うよ。きっと」

「……っ」

 

 七原のそんな声がした。

 視線をもとに戻せば、彼女はまっすぐな目でこちらを見つめていた。

 

「平並君のことだから、また一人で考えこんでたんでしょ? ずっとこの部屋に一人でいたわけだから、仕方ないけどさ」

「……そんなこと」

「無いって言える?」

「…………」

 

 ……本当に、敵わないな。

 

「自分を追い詰めちゃ、ダメだよ。あの事件に平並君が関わってなかった、なんてことは言わない。けど、平並君だけの責任じゃないよ」

「でも、新家が狙われたのは」

「それも、きっと違う」

 

 強い口調で、七原は俺の絶望を否定する。

 

「古池君の事件を防げなかったってことは、どんな形であれ、古池君は誰かを狙うことになるってことだから。結果的に起こってしまった事件の被害者が新家君で、そこに平並君が関わってたってだけなんだと思う」

「……」

「それでも納得できないなら、前に進むべきなんじゃないかな」

「……前に?」

「うん。立ち止まっていても、後ろを向いていても、何も変わらないよ。新家君の死に責任を感じてるなら、尚更前に進まなきゃいけないと思う。新家君の想いを、無かったことにしないために」

「新家の、想いを……」

 

 俺の脳裏に、新家の声が蘇る。

 

 

──《「だって、ボク達は……仲間なんだろ?」》

 

 

 ……そうだ。

 

 新家の想いを踏みにじった俺ができることなんて、一つしかないじゃないか。

 

 

 あの想いを抱えて、生きることだ。

 

 

「……そうか。そうだよな」

 

 それは、感じ方一つの問題かもしれない。けれども、確かに今、心が軽くなった。

 

「七原。ありがとう」

 

 七原への何度目かの感謝の言葉を告げる。

 

「今の事だけじゃない。あの夜、俺を絶望から救い上げてくれて、本当にありがとう」

 

 あの夜、俺は七原に声を掛けられて、救われた。

 もしもあの時七原と出会わなかったとしても、既に倉庫では殺人事件が起こっていた。だから、結果論ではあるが、どちらにしても俺が殺人を犯すことは無かったと思う。

 けれど、もしもあの時七原に救われなかったら、きっと学級裁判に臨む気持ちは違ったものになっていたのではないか。今俺がこうしていられるのは、七原のおかげだ。

 だから、改めてこの言葉を伝えておきたかったのだ。

 

「どういたしまして、平並君」

 

 七原はそう言ってニコリと笑った。

 

「七原。お前には感謝してもしきれない……俺にできることがあったら、何でも言ってくれ」

 

 ……まあ、俺にできることなんて何もないと思うけどな。

 ともかく、俺がそう伝えると、

 

「じゃあ、相談に乗ってくれるかな?」

 

 七原はそんな言葉を返した。

 

「元々、この話をするつもりだったんだけどね」

 

 七原がそんな言葉とともにパーカーのポケットから取り出したのは、四つ折りにされた幾枚かの紙束だった。開いてみると、A4サイズのそれは左上がホチキスで留められている。何かのレポート……報告書のようだった。

 そこに書かれていたタイトルは、『希望ヶ空20期生スカウト台帳(裏)』であった。

 

「これは?」

「図書館で見つけたんだ。本に挟まってたのをたまたま見つけたんだよ」

 

 話を聞くに、図書館には膨大な量の本があったはずだが、【超高校級の幸運】である七原のことだ。本当に偶然見つけたんだろう。

 とにかく、そのスカウト台帳の中身に目を通すことにした。

 

「どうやら、希望ヶ空のスカウト候補生の報告書みたいなんだ」

「……みたいだな」

 

 スカウト台帳、と名付けられたそれには、俺達と同年代の超高校級の生徒たちが何名か載せられていた。七原の言う通り、希望ヶ空20期生としてスカウトする候補だったのだろう。

 しかし、『(裏)』と書かれている通り、そこに並ぶ才能はどれもこれも輝かしいものではなかった。

 

「【超高校級の放火犯】、【超高校級の怪盗】……ああ、確かに『(裏)』の才能だ」

 

 希望ヶ空にとっては、こんな才能までスカウト対象らしい。そもそも俺を【超高校級の普通】としてスカウトした時点で不思議ではあったが、超高校級でさえあればその才能の善悪は関係無いのか。

 そんなことを考えていると、表紙の裏に何やら文言が書かれているのが目に入った。

 

 

============================

 

 希望ヶ空学園の理念は、世界を絶望から守り、希望をより輝かしくゆるぎない希望へと成長させることである。

 世界では、未来ある超高校級の少年少女たちがすでに希望として活躍しており、我々は理念に従い彼らを希望ヶ空学園へとスカウトしている。

 しかし、世界で名を馳せる超高校級には、世界に悪影響を及ぼす者たちも少なからず存在する。彼らは世界を絶望に落としいれる可能性があり、彼ら自身が絶望へと変貌する未来を秘めている。

 そこで、我々は世界からの隔離及び彼らの更生のため、彼らも希望ヶ空へスカウトすると決定した。

 以下は、その候補生の詳細である。

 

============================

 

 

 というのが、どうやら()の才能を持つ彼らがスカウト候補に選ばれた理由のようだ。その文章に納得しながら、ぺらぺらと報告書をめくっていく。そこには才能とその詳細が記されていたが、名前や顔写真は黒塗りになっていた。おそらくモノクマがやったんだろう。何か都合が悪いことでもあったんだろうか。

 ともかく、一人ずつ確認していく。

 目の前で自殺を眺めるために自殺サイトを運営し、事実何度も集団自殺を主催した【超高校級の自殺愛好家】。意識的か無意識的かは不明だが、その行動で周囲の人間を不幸にする【超高校級の失望】。収監されるためにわざと適当な軽犯罪を犯し、その度に幾度となく脱獄を繰り返す【超高校級の脱獄王】。

 そういえば、このリストの中の何人かの話は耳にしたことがある。【脱獄王】に関しては、自分からSNSで写真を公開するほど自己顕示欲が高かったはずだ。実際に俺も写真を目にしたことがある。

 

「それで、七原はどうしてこれを?」

 

 スカウト台帳から目を離して七原に問いかける。

 すると、七原はスカウト台帳に手を伸ばし、あるページを開いた。

 

「……この説明を読んでほしいんだ」

 

 そこに書かれていたのは、【超高校級の心理学者】の肩書だった。

 

 

============================

 

 【超高校級の心理学者】

 

 自身を【言霊遣いの魔女】と名乗る連続殺人鬼である。

 犯行の特徴として、自身は一切手を下さないことがあげられる。言葉巧みに他人を扇動して殺人を犯させ、自身はそれを周囲から眺め観察する。

 実際に殺人を犯す実行犯は、ほとんどの場合それが【言霊遣いの魔女】により操られたものだと自覚しておらず、殺人の手段や事件そのものに関連性及び共通点は無い。しかし、【言霊遣いの魔女】は事件現場に毎回自身のサインを書いたカードを残すという行動のために、一連の事件が同一人物により引き起こされているものであると判明している。

 その人心掌握能力を我々は才能と見出し、この人物を【超高校級の心理学者】としてスカウトすべきだと結論付けた。

 

============================

 

 

 【言霊遣いの魔女】……もしここに書かれていることが本当なのだとしたら、それはどんなに恐ろしい人物なのだろうか。誰かを操ることに楽しみを見出すどころか、その相手に殺人を犯させるなんて。

 稀代の殺人鬼のその神経に恐れを抱いていると、七原が続けて口を開いた。

 

「私、その人が黒幕だと思ってるんだ」

「……なんだって?」

 

 その口から放たれたのは、そんな爆弾発言だった。

 スカウト台帳に落としていた視線を上げて七原の顔に向ける。

 

「黒幕って、つまりこいつがモノクマを操っているって言いたいのか?」

「……うん」

 

 こくりとうなずく七原。

 

「だって、考えてもみてよ。コロシアイをしないと外へは出さないっていう手段が強引だとしても、実際に殺人事件が一回起きちゃったんだよ? これって、黒幕が人の心を操るのに長けてる証拠じゃない?」

「…………」

 

 その点に関しては、七原の発言は間違っていない。モノクマは──黒幕は、俺達を絶望に陥れるためのすべを熟知している。

 

「けど、いくらなんでもこいつが黒幕ってことは無いだろ。だって、【超高校級】ってことは、まだこいつは高校生のはずだし」

 

 と、そんな反論をしてみたが、

 

「高校生だから黒幕じゃないなんて、言えないんじゃないかな? 【超高校級の絶望】っていう、前例があるんだから」

 

 容易にねじ伏せられた。

 そんな高校生が何人もいてたまるかとは思ったが、【超高校級】がどこまでやれるかなんて、勝手に想像して決めつけるのは危険ではある。【超高校級】とは、それだけ次元の違う存在なのだ。

 とはいえ。

 

「いや、それはそうだが……けど、俺はやっぱりこいつが黒幕とは言えないと思う。この文章からすると、この【言霊遣いの魔女】は自分は手を下さないことが信条なんだよな? だとしたら、あんな残虐なオシオキをするモノクマとはあまりに違いすぎるだろ」

「確かにそれは思うけど……うーん、私の思い違いだったのかな」

「まあ、俺達が忘れたっていう2年の間に思想が変わったかもしれないから可能性はゼロじゃないし、こいつが怪しいのも分かるが……少なくとも、こいつに固執するのは危険だろ。そもそも、この資料自体がその黒幕が用意したものなんだから」

 

 このスカウト台帳が本物である確証すらない以上、いるかどうかも分からない殺人鬼のことを考えても仕方がない。黒幕の正体にしたって、現時点じゃ候補が多すぎる。考えたところで答えが出るとは思えないし、仮に答えにたどり着いたとしてもその裏付けは見つからないだろう。

 だから、今はそれよりも目の前のことに集中すべきだ。……俺ができることは、ひたすら自分を責めることしかないが。

 

「そっか。……私、ちょっと焦ってたのかもしれない」

「焦ってた?」

「……うん。一日でも早く、このコロシアイを終わらせなきゃと思って」

 

 うつむきがちになって、そう呟く七原。

 ……焦る気持ちは分かる。あんなことがあったんだから。今はまだおとなしくしているようだが、あと数日もすればモノクマはまた何かを仕掛けてくるだろう。その前に黒幕の正体を暴けるのなら、それに越したことは無い。

 けれど、焦って答えを見誤れば、もっと恐ろしい事態になる可能性がある。

 

「コロシアイを終わらせたいのは皆同じはずだ。だから、焦る必要はないだろ」

「……そうだね」

 

 一度事件が起きてしまったからこそ、その想いはより一層強くなった。その想いさえあれば、きっと、コロシアイは止められるはずだ。

 七原も同じことを思ったようで、顔を上げて口を開いた。

 

「ごめんね、なんか変なこと話しちゃって」

「気にしないでくれ」

 

 俺の方が、よっぽど迷惑をかけてる。

 

「あ、そうだ。今の黒幕の話なんだけど、皆には内緒にしておいてほしいんだ」

「……ん?」

 

 そういえば、もともと蒼神を先に一人で行かせたのはこの話をするため、みたいなことを言っていた。てっきり報告会で話した話題かと思ったが、そうじゃないのか。

 

「内緒って……」

「もともとあまり確証がある話じゃなかったから。それに、下手に話して不安にさせたら、せっかくよくなった雰囲気がまた悪くなっちゃう気がして」

「……なら、どうして俺には話してくれたんだ? 蒼神にも言ってない話なんだろ?」

 

 余りにも不思議に思い、七原にそう問いかけた。

 すると七原は。

 

「うーん……特に理由は無いんだ」

「理由は無いって……」

「一人だと色々悩んじゃいそうだから誰かに相談しようと思って……それで、誰に相談するのが一番いいのかなって考えた時に、思いついたのが平並君だったんだ」

「……そうか」

 

 どんな形であれ、七原の力になれるのなら、良かった。

 

「それに、平並君なら何かわかるかもって思ったんだ。平並君、学級裁判でも色々考えて、事件の真相にたどり着いてたから」

「……それは、別に俺がやったことじゃない」

 

 確かに、最後に古池に引導を渡したのは俺だ。けれど、あの真相にたどり着いたのは俺のおかげじゃない。皆で話し合ったからこそたどり着いた真実だ。

 

「俺にできることなら何でも言ってくれってさっきは言ったが、正直そういう期待を俺にされても困る。俺は【超高校級の凡人】なんだから」

 

 だというのに、七原は、

 

「私はそうは思わないよ」

 

 そう告げた。

 

「平並君には、きっと、才能があると思う。それがどんな才能かはまだわからないけど、そんな風に卑下するのは間違ってるよ」

「………………」

 

 七原はそう言ってくれた。

 ……けれど、それに関しては絶対に間違いだと断言できる。

 俺に才能なんかないのは、俺が一番よく知ってることだから。

 

「……じゃあ、私はもう行くね。蒼神さんを待たせちゃってるし」

 

 微妙な空気になった個室で、七原がそう言って席を立つ。

 

「ああ」

「最後にもう一度言うけど、思いつめすぎないでね?」

 

 強く釘を刺された。よっぽど心配をかけたらしい。

 

「……大丈夫だ。俺はもう、間違えない」

 

 もう二度と、皆を裏切らない。このかけがえのない『仲間』と一緒に、ここから脱出してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 七原が個室を後にして数時間、再びドアチャイムが鳴った。開いたドアの先に立っていたのは、カギである『システム』を持つ蒼神と、火ノ宮と杉野だった。

 

「お二方が、それぞれ平並君に話があるそうですわ」

 

 蒼神はそう告げて二人を個室へと入れさせると、自分は廊下に残ったままドアを閉めた。どうやら話が終わるまで廊下で待っていてくれるらしい。

 個室に入った火ノ宮は、壁際に並んでいる新家の私物を見つめている。……そういえば、火ノ宮は新家の個室には入らなかったようだし、これを見るのは初めてになるのか。

 黙り込む火ノ宮から目をそらすと、杉野が口を開いた。

 

「早速ですが、本題に入ります。本題と言っても、たいしたことではありませんがね」

 

 ベッドや椅子に各々腰かける。

 

「学級裁判を終え、丸一日以上が経過した今、率直にお聞きします。平並君は、これから先、誰かを殺して『卒業』をする気はありますか?」

 

 ズバリと、杉野は俺の心に切り込んできた。

 その問いかけに、俺ははっきりと答える。

 

「ない」

「……ずいぶん力強いお答えですね」

「ああ。あれから、散々後悔したんだ。だから、俺はもう決めてる。皆と一緒に、ここから脱出するってな」

 

 それが、新家の想いを裏切った、俺がなすべきことだ。

 

「それを聞いて安心しました。自暴自棄になっているかとも心配しましたが、そういうわけでもなさそうですからね」

「まあ、似たような感じにはなったが……けど、もう大丈夫だ」

「ならよかったです」

 

 そう言って杉野は微笑む。

 

「確かに一度事件は起こってしまいました。悲しむべきことに、それは決して覆りませんし、平並君の行動が事件にかかわっていたことも事実です」

「…………」

「しかし……僕達はまだ、やり直せるはずです。そうですよね?」

 

 そう言って俺に問いかける杉野。答えは決まっている。

 しかし、俺がその答えを告げる前に火ノ宮が口を挟んだ。

 

「やり直せる? ふざけてんじゃねェよ」

「……火ノ宮君?」

「今すぐ撤回しやがれ!」

 

 その言葉とともに火ノ宮は勢いよく立ち上がり、杉野に詰め寄った。

 

「やり直せるわけねェだろ! 新家と古池は死んだんだ、もう生き返らねェんだぞ!」

「火ノ宮君、落ち着いてください。僕もそのことは重々承知しています」

「いや、分かってねェ! 本当に分かってんなら『やり直す』なんて言葉は出てこねェだろ!」

 

 いつも見る不機嫌な話し方とは違う、明確な怒り纏った言葉を火ノ宮はぶつけていた。

 

「仮に分かってて言ってるんだとしたら、『やり直す』って言葉はアイツらの命をなかったことにするのと変わんねェんじゃねェのか!?」

 

 手こそ出さないものの、今にも噛みつかんばかりの剣幕で叫ぶ火ノ宮。

 慌てて仲裁に入る。

 

「お、おい、ちょっと落ち着けって火ノ宮」

「あァ? てめーだって同じようなこと言ってたじゃねェか! 『皆と一緒に脱出する』? てめーも新家と古池を見捨てる気かァ!?」

「っ!」

 

 その物言いに、頭にかっと血が上る。

 

「見捨てるわけないだろ! あいつらが生き返らないなんて百も承知だ! だからこそ、これ以上犠牲を出さずにここから脱出しなくちゃいけないんだろ!」

「だったら、『皆』なんて言葉を使うんじゃねェ!」

「いや、『皆』だ! 死んだ二人の想いも抱えて、生きていかなきゃいけないんじゃないのかよ!」

「お二人とも」

 

 杉野が冷静に口を開く。

 

「それぞれが強い意志を持っているのは伝わりました。ですから、もう少し静かにそれを話しませんか?」

「あ、悪い……」

「……チッ」

 

 火ノ宮の言葉に俺のヒートアップは止まらず、結局杉野に仲介されてしまった。

 

「……揚げ足を取って悪かったなァ。少しイラついてたかもしんねェ」

「いや、僕の方こそ少々言葉選びが軽率でした」

「俺も、悪かった……」

 

 それぞれに謝罪をすると、バツが悪そうに目をそらしていた火ノ宮が口を開いた。

 

「……オレは【クレーマー】なんかやってっからよォ。別に間違えることが悪ィとは言わねェんだ。もしもなんかやらかしたとしても、クレームや批判を素直に受け入れてその後改善すりゃァそれでいい。

 けどなァ、『人の命』だけは、失っちゃダメなんだ。ケガも病気も紛失も偽装も、全部取り返しがつく。けど、命だけはどうやったって取り戻せねェんだ。代わりになるもんが何もねェからな。科学技術が発達したこの現代でさえ、それは覆らねェ」

 

 いつになく神妙な顔でそんな感情を吐露する火ノ宮。

 

「古池が新家を殺したってことが、オレは今でも信じられねェ。頭の中では分かってるんだが、どこかでそれを否定するオレがいるんだ。別に世の中に悪人がいねェと思ってるわけじゃねェが、自分が外に出るためだけに十数人も殺そうとするなんて、バカげてるだろ」

 

 ああ、バカげてる。

 数日前の俺を思い返して、そう思う。

 

「平並、この際だから言わせてもらう。オレは裏切りが許せねェ」

 

 その言葉とともに、火ノ宮は俺を強くにらんだ。

 

「裏切りってのは、誠実に、真っ当に生きてる人間をコケにする行為だからだ。誠意を無視した独りよがりな行動だ」

「…………」

「だから、オレはてめーを許せねェ」

 

 そう強く言い切った火ノ宮。しかし、火ノ宮はさらに言葉を続けた。

 

「……けど、それでもてめーは『未遂』だ。オレ達を裏切ったことは事実でも、直接手を下したわけじゃねェ。

 オレはてめーの事を信じていいのか、分からねェ。だからそれを、てめーの行動で教えてくれ」

「……ああ、分かった」

 

 俺を許さないと言い切った火ノ宮だったが、それでも、俺への信頼をゼロにすることは無かった。

 このわずかな信頼を、二度と手放してはならない。

 

「それでは僕からも少々よろしいでしょうか」

 

 火ノ宮に続いて、杉野が口を開く。

 

「平並さん。正直なところ、僕はあなたが殺人を決意したことをあまり責めたくありません」

「オイ……」

 

 口を挟もうとする火ノ宮を手で制して、杉野は話を続ける。

 

「殺人は決して許されないことです。そんなのは誰だってわかることです。……壮絶な過去を持っていた古池君を除いてはね。ですが、モノクマはあまりにも狡猾でした。モノクマがどこまで企んで【動機】を僕たちに与えたかはわかりませんが、その【動機】そのものがとてつもない脅威でしたし、そうでなくても殺人が起こるかもしれないという空気が僕たちを苦しめていました

 そして先日、遂に一つの殺人事件が起こってしまいました。しかし、あの夜このドームに渦巻いていた殺意は一体いくつあったのでしょう? ……その答えを僕達が知ることはできません」

 

 少なくとも、古池以外にもここに一つ、あの夜に殺意は確かに存在した。

 

「……杉野、てめーは何が言いてェんだ? 殺人を計画するのは普通なことだとでも言いてェのか?」

「いえ、そんなことはありません。殺意を抱くことが異常事態であることは間違いありませんから」

 

 かぶりを振って否定する杉野。

 

「僕が言いたいのは、敵はモノクマただ一人であるということです。僕達の感情を弄ぶ、このコロシアイの黒幕こそが、僕達が打ち倒すべき敵なのです」

「そんなことかよ。当たり前じゃねェか」

「ええ、当然のことです。しかし、この当然の事こそが、僕達がこのコロシアイに立ち向かう大事な鍵であると思いますよ」

「……そうだな」

 

 杉野の言う、そんな至極当然のことが、胸に強く響いた。

 

「だからこそ、僕は言いたいのです。モノクマは、きっとまた僕達に殺人を犯すよう何らかのアクションを取ってくるでしょう。おそらくそこで、誰かは殺意を抱いてしまうと思います」

「てめー、オレたちを信用してねェってのか!?」

「まさか。それほどまでに、モノクマは僕達の一枚も二枚も上手だということです。火ノ宮君、その事実を受け止めてこそ僕達はモノクマに立ち向かえるはずです」

「…………チッ」

 

 杉野の言葉に、火ノ宮は俺を一瞥してから強く舌打ちした。

 古池のように才能に呪われたわけじゃない俺が殺意を抱いたことが、何よりも杉野の言葉の証明になる。

 

「ですから、平並君。あなたはもう殺人を決意することは無いと僕は信じています。しかし、全員がそうとは決して思いこまないでください。僕達がこのドームを立ち去るその時まで、警戒を怠ってはいけません。全員が警戒してこそ、誰かの殺意を止めることができるのですから」

「……ああ、分かったよ」

 

 警戒を怠らない。

 それはつまり、ともに戦うべき『仲間』を疑う行為に他ならないように思える。しかし、きっとそれは違うのだ。仲間を疑わなくて済むように、仲間に真正面から向き合うのだ。

 とはいえ。

 

「けど、俺ができることは無いか。俺はこの個室から出られないわけだし」

 

 そう思ったのだが、杉野は首を振った。

 

「いいえ。平並君にもできることはありますよ」

「え?」

「僕達は確かに平並君を軟禁しましたが、あなたを孤立させたわけではありません。こうして僕達が訪れたように、あなたと話を交わしたい人は他にもいるはずです」

「……そうか?」

「ええ。もちろん、その話の内容は問いませんがね。あなたを慰めたいと思うかもしれないし、恨み節をぶつけるかもしれません」

「…………そう、か」

「とにかく、あなたは誰かと会話をする機会があるかもしれない、ということです。であるならば、その相手にあなたの想いを伝えることで何かを変えることができるかもしれません。言葉というものは、強い力がありますから」

 

 杉野は、いい声でそんな言葉をつづる。

 何かを変えることができる、か。

 

「あなたが本当に殺意を抱いたことを反省し悔いているのならば、そのことを伝えることで、誰かの殺意を止められるかもしれません。もちろん何の効果がないこともありますが……それでも、何もしないよりはずっとマシだとは思いませんか?」

「確かに、そうだな」

 

 あんなことをしでかした俺と話をしてくれる相手に対して、その俺が心を閉ざすのはお門違いだ。この想いを素直に伝えよう。それがコロシアイを止めることにつながるかもしれないのなら、尚更だ。

 

「と、僕が伝えたいのはおおむねこんなところです。火ノ宮君ももうよろしいですか?」

「あァ。言いたいことはもう言った」

「そうですか。では、これで」

「ああ」

 

 そして、杉野と火ノ宮は個室を後にした。

 

 一人残された個室で、考える。

 杉野と火ノ宮から、それぞれの言葉を聞いて、彼らの心の一端に触れることができたような気がした。こんな境遇で言うことではないかもしれないが、それが少し嬉しかった。

 けれど、そもそも俺はまだ皆のことをほとんど知らない。せいぜい才能と簡単な性格くらいだ。まだその内面にまで踏み込めていない。新家と古池は、詳しく彼らのことを知る前にいなくなってしまった。

 

 皆と話がしたい。心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 杉野たちの訪問からさらに数時間後。外がドームの夕焼けの映像で赤くなっている。夕飯代わりのサバの缶詰を口に運び終えて、そのゴミを処理する。ふうと一息をついてベッドに腰掛けたそのタイミングで、三度ドアチャイムが鳴った。

 今度の訪問者は明日川だった。『システム』を持つ蒼神がまた廊下で待とうとしたので流石に悪いと引き留めたが、明日川の話を邪魔したくないとのことで廊下に残ってしまった。

 ともかく、明日川と向かい合う。

 

「明日川、すまなかった」

 

 明日川が口を開く前に、俺はそう言って頭を下げた。

 彼女がどんな話をしたくて俺を訪ねたかはわからないが、明日川には、何より先に伝えなければならないことがある。

 

「お前が誰かを殺すなんて、思えなかったのに、思っちゃいけなかったのに、お前のことを新家を殺したクロだって思い込んでしまった。お前のことを、信じきれなかった」

 

 明日川は、結局のところ無実だった。

 調理場から包丁を持ち出しこそしたものの、それを誰かに向けるようなことは無かったし、皆を裏切る気も無かった。

 そんな明日川に向かって、俺はお前こそがクロだと告げようとしてしまった。いや、あれはもはや告げてしまっていた。結果的に杉野のおかげで最後まで言い切ることは無かったが、俺が何を言おうとしていたのかが分からなかった人は、あの空間にはいなかっただろう。

 

「俺にできることならなんだってする。本当に、すまなかった」

 

 罪滅ぼしを、しないと。

 

「……なら、ボクの(物語)を聞いてもらえるかな」

 

 ためらいがちに、そんな明日川の声が聞こえた。

 

「ボクは、悲しかった」

 

 恐る恐る顔を上げる。

 

「キミから間違った推理(虚構の物語)を聞かされている時、ボクの物語はここで終章を迎えてしまうのかと思った。こんな不本意な形でエンディングを迎えるのか、とね。けれども、ボクには何もできなかった。キミの論理(ロジック)を打ち崩す反論がないわけではなかったけれど、それで皆を納得させられるかは自信がなかったし、そもそも、ボクはあの時口が動かなかった(物語を紡ぐことができなかった)

 

 明日川はその絶望の物語を語っていく。

 

「誰にも信じられていないことがあれほど辛いことだというのを、ボクはあの時初めて知った。あんなに数多くの敵意の瞳を受けることがあれほど苦しいことだというのを、ボクはあの時痛感した。あんな経験、初めてだった。

 そして、あの学級裁判の中で、ボクという人間(登場人物)が殺人を犯すような人物だと思われたことが、何よりも悲しかったんだ」

 

 あの時、俺は明日川を最後まで信じることができなかった。見せかけの証拠に飛びついて、無実の仲間を糾弾してしまった。

 そのことが、明日川をこれほどまでに悲しませていたのだ。

 俺はまた、頭を下げる。

 

「……すまなかった」

 

 何か、贖罪になるようなことをしないといけないと思ったのに、俺の口からはそんな短い一言が飛び出すだけだった。

 これ以上何を言えばいいのかわからずに無言を貫いていると、

 

「頭を上げてくれ、平並君」

 

 明日川の、そんな優しい声が届いた。

 

「こんな(物語)を聞かせておいて言うことではないけれどね、ボクはキミからの謝罪が欲しいわけじゃないんだ」

「……え?」

「もちろん、謝罪がもらえるに越したことはないと思っていたけれど、それが目的じゃない。ああ、キミが謝らない人間(キャラクター)だなんて思っていないから安心してくれ。第一、キミからの謝罪はこの部屋に来てすぐに受け取っているだろう?」

「あ、ああ……けど、あんなことで許されるべきじゃないだろ」

「平並君、それは間違い(落丁)だ」

「…………」

 

 その台詞の真意を俺は無言で促した。

 

「なぜなら、そもそもキミの行動は責められるべきことじゃないからだ」

「……そんなことないだろ」

「いや、それは違う。あの裁判場という空間(舞台)で何よりも優先されることは、殺人を犯した犯人(クロ)を突き止めることだ。キミは、ただそれを遂行したに過ぎない。そして、それこそがキミの思う贖罪だったのだろう?」

「…………」

「だとすれば、キミがボクを糾弾したことは、結果的に(結末が)ミスであったとしてもその行動までもが責められる(赤ペンを入れられる)ことではないとボクは考えるけれどね」

 

 そう語る明日川の目は、まっすぐ俺をとらえていた。

 

「いいかい、平並君」

 

 一度話を区切って、間を入れる明日川。

 

「ボクがボクの心情(この物語)をキミに聞かせたのは、キミとわだかまりを残したまま物語を進めたくなかったからだ」

「明日川……」

「キミとは、良き友人でいたいと思っている。キミの方は、どうだい?」

 

 その表情に笑みを湛えて、そんな台詞を口にする明日川。

 そんなの、答えは決まってる。

 

「俺も、お前と友達でいたい」

「……いい台詞だよ、平並君」

 

 たっぷりと間を取って明日川はそう答えた。

 ……良かった。俺は、これからも明日川の友達でいられるらしい。

 そのことに安堵していると、

 

「それはそうと」

 

 明日川が何かを呟いた。

 ん? なんだ?

 

「謝罪はもう受け取っているが、キミが何かをしてくれるというなら、その話を受けようか」

「ん?」

「ボクが話をする直前、キミは言っただろう? 『俺にできることならなんだってする』、とね」

 

 ……あ。

 

「先ほど、学級裁判という(シーン)においてキミがボクを糾弾したことは責めるべきでない、と話したけれど、それはあくまでも客観的、理性的な話に過ぎない。主観的なボクの感情としては、何か埋め合わせになるものが欲しいと思わざるを得ないんだ。自分勝手な話だけれどね」

「……いや、そう思って当然だろ」

「そうかい?」

 

 一方的に殺人者の汚名を押し付けられたんだ。むしろ、客観的に俺の言動を赦すような言葉を言えたことが立派という他ない。俺に何かしらの償いを求めるのは当たり前のことであるし、俺としても望むところだ。

 

「それで、何をすればいい?」

「決まっているだろう。三日前の話の続きさ」

 

 三日前?

 ええと……何があったかすら覚えていない。けど、明日川と話をしたというのなら、それは確か……。

 

「さて、キミの想い人(未来のパートナー)は誰か、教えてもらおうか」

 

 不敵な笑みとともに、明日川はそんな台詞を口にした。

 

「……お前、諦めてなかったのか」

 

 明日川とした話と言えば、好きな人の話である。と言っても、あの時は一方的に明日川が話してきただけな気もするが。

 

「諦めるも何も、ボクはただ話を中断しただけさ。雰囲気(ムード)さえ良ければ話してくれるんだろう?」

「確かにそんなこと言ったような……ん? 言ったか?」

 

 よく覚えていない。

 

「まあ、そんな些細な物語の断片はどうだっていい。問題(主題)は、キミが果たして誰を想っているかというただ一点だけだ」

 

 うまいことはぐらかされた気もするが、ここは明日川に従っておこう。そもそも、明日川への償いなわけだし。

 とは言っても。

 

「前も言ったが、好きな人なんていないって。俺達が出会ってからまだ一週間もたってないんだぞ? そんな短期間で──」

「本当にそう言えるのかい?」

 

 俺の台詞を明日川が遮る。

 

「物語の長さなんて、備考欄にでも書いておけばいい程度の些末な情報に過ぎない。重要なのは、その物語の内容さ。いるだろう? キミの物語に深く名を刻む人物(キャラクター)が」

「……」

 

 正直に言えば、明日川の言葉を聞いて、俺の脳裏に浮かぶ人物が一人いる。

 いるけれど。

 

「これは多分、恋愛感情とは違うぞ」

 

 その笑顔に浮かれたとか、彼女の優しさに惚れたとか、そういうことではないと思う。そう言った側面が無いとは言わないが、俺の中に渦巻いているのは、おそらく恋心とは違う感情だ。

 

「それでも構わないさ。ボクはただ、キミの物語を読みたいだけなのだから」

「……そうか」

「それに、今はまだ形が違えども、いずれ物語が進んでゆけばキミ達はきっとラブストーリーを展開するはずさ! どんな関係性であろうとも、こんな極限状態で男女の距離が縮まれば、やがて唯一無二の熱いロマンスを紡ぐことはもはや確定事項と言えるだろう! そうは思わないか、平並君!」

「い、いや、そんなに……」

 

 親しくなったからって誰もがそういう関係になるわけじゃないと思うんだが……。

 

「そうか。まあいい」

 

 俺の意見にめげることもなく、明日川は俺に向き直る。

 

「それで、キミが想いを寄せる相手(キャラクター)は誰かな?」

「…………」

 

 気恥ずかしいが、言うしかないだろう。

 

「………………七原だよ」

 

 そして俺は、幸運な少女の名を告げた。

 すると明日川は、

 

「やはり彼女か」

 

 と、特に驚きもせずそう呟いた。

 

「……バレてたのか?」

「バレるも何も、恋愛感情じゃないということは何か相手の核心に触れるような出来事があったということだろう? とすれば、あの夜キミの凶行を止めた七原君以外にいるはずもない」

「……」

 

 図星だった。

 さっき明日川にも言ったが、俺が七原に抱いている感情は決して恋心とは言えないものだ。確かにあの夜七原の優しさに触れたが、俺はそれで七原に惚れたわけじゃない。多分。

 

「……七原には、感謝してもしきれないんだ」

 

 その感情を言葉にして、ぽつりと口から漏らす。

 

「俺を絶望から救い上げてくれて、その後の学級裁判でもアイツに助けられた」

 

 あの時以来、七原にはずっと助けられっぱなしだ。

 

「今日、昼に七原がここに来て少し話したんだ。その時、改めて思った。七原だけは、死なせたくないって」

 

 明日川が息をのんだ。

 

「もちろん、他の誰であれ、死人が出るのなんか嫌だ。それはお前も同じだろ?」

「ああ、殆どの参加者(登場人物)はそう思っているだろう」

「だよな。けど、特に七原に限っては、何があっても死んでほしくないんだ。あんないい奴が死ぬのなんか間違ってるし、アイツが死ぬのなんか想像すらしたくない」

 

 目の前で新家と古池の死を目にしたからこそ、強くそう思う。

 

「七原には、生きていて欲しいんだ」

 

 彼女にはあの幸運がある。死がすぐそばに転がっているこのコロシアイ生活の中にあっても、七原は多分生きていけると思う。それでも、万が一七原が死ぬようなことがあれば、きっと俺は耐えられない。

 

「……平並君、ありがとう。キミの熱い想い(物語)を聞けて良かったよ」

 

 明日川がその言葉とともに立ち上がる。

 

「明日川、くれぐれもこの話は……」

「ああ、分かっている。誰にも話したりしないさ。元々ボクは語り手ではなく読み手専門だからね」

「……そういうもんか?」

「そういうものだよ」

 

 ガチャリと明日川はドアを開けた。

 

「話は終わりましたか?」

「ああ、貴重な物語を聞かせてもらったよ」

 

 廊下で待機していた蒼神と、満足そうにそんな言葉を交わす明日川。

 それを見て、蒼神は『システム』を取り出す。

 

「それは良かったですわ。では、平並君、申し訳ありませんが引き続きこの個室に──」

「ちょっと待て、生徒会長」

 

 蒼神の声を、誰かが遮った。

 

「岩国さん、どうされましたか?」

 

 蒼神が振り返った廊下の先に、岩国が立っていた。どうやらたまたまやってきた所らしい。

 

「俺も凡人に話がある」

「岩国さんも、ですか?」

「ああ。一言話すだけだ。時間はそうかからない」

 

 岩国はそう答えると、蒼神や俺の返事を待たずに個室に押し入ってきた。別に断る気も無かったが。拒否する権利があるとも思わないし。

 後ろ手に扉を閉める岩国。

 

「岩国、話って?」

「たいした話じゃない。ただの、憂さ晴らしだ」

 

 俺をにらみつけながら、岩国は口を開く。

 

「お前、俺に嘘をついただろ」

 

 低い冷たい声色の岩国の言葉が、俺に突き刺さる。

 

「嘘、って」

「事件の起きたあの晩のことだ。お前、言ったよな。俺達を裏切らないって」

 

 

 

──《「信じたって、どうせ裏切られるだけだろ。……それでも、信じてくれとお前は言うのか?」》

──《「当たり前だろ。俺はお前を……皆を裏切らない」》

 

 

 

「けど、結局お前は俺を裏切った。いや、あの時点で既に裏切っていた」

「……それは」

「黙れ」

 

 しゃべりかけた俺を、岩国が強い口調で遮る。思わず口が止まる。

 

「俺は謝罪を求めに来たわけじゃない。弁明を聞きたいわけでもないし、お前の後悔なんかどうでもいい。俺はただ文句を言いに来ただけだ。嘘つきのお前にな」

 

 岩国は、俺の眼前に人差し指を突き付けてなおも言葉を続ける。

 

「俺はもう、お前を信じない」

 

 岩国はそう告げると、翻して個室のドアを開けた。

 

「あら、もうよろしいのですか?」

「ああ」

 

 そのまま、岩国は廊下を歩きだす。

 

「待ってくれ、岩国!」

 

 その背中に声を掛けるが、岩国は立ち止まることはおろか振り返ることもせず、廊下の角に消えていった。

 

「…………」

「平並君。もしよろしければ彼女を呼び戻してきましょうか?」

 

 呆然と岩国が消えていった先を見つめる俺に、蒼神がそんな提案をする。

 

「……いや、大丈夫だ」

 

 きっとあの調子では蒼神が呼んでも戻ってはこないだろう。それほど岩国を怒らせてしまったのだ。

 

「そうですか……では、他に人もいないようですのでカギを掛けたいと思いますが、平並君は何かございますか?」

「いや、特にない。……悪いな、何度も」

「気にすることはありませんわ。大した労ではありませんから。それでは、また明日お会いしましょう」

「ああ」

 

 そんな会話を交わした後、蒼神は個室のカギを掛けた。

 個室に、静寂が戻る。そんな空間でたった今聞いたばかりの岩国の言葉を思い返す。

 

 

──《「俺はもう、お前を信じない」》

 

 

 ……どうして、岩国はあんな言い方をしたのだろう。

 あんな、まるで、

 

「あの夜、俺のことを信じていた、みたいな……」

 

 岩国は、信頼など意味が無いと常に周囲の人間と距離を取っていた。事件が起こる前から俺達に敵意を振りまいていたし、誰かが殺人を犯すことを予見すらしていた。さらに、岩国は俺に面と向かって俺のことを信じない、とまで宣言した。

 けれども、岩国は、心の奥底で俺のことを信じてくれていた。全幅の信頼ではなかったかもしれないけれど、それでも、俺は殺人なんかしないと思ってくれていたようだ。

 

「………………」

 

 そんな、岩国の稀有な信用を、俺は踏みにじってしまった。俺が裁判場で罪の告白をした時、果たして岩国は何を思ったのだろうか。

 

「……クソッ」

 

 ドン、と握りこぶしで苛立ちを込めて壁を叩く。

 さっきの宣言の通り、岩国はもう俺のことを信じなどしないだろう。あの夜は、岩国と絆を紡ぐ、最初で最後のチャンスだったのだ。それを、俺はふいにしてしまった。

 岩国には、謝罪すらできなかった。それが、取り返しのつかない、決定的な決別を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩国が個室を去ってから、俺はまたベッドの上で考え事をしていた。どうしても、色んなことを考えざるを得ない。

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 そうしているうちに、チャイムが鳴り響いた。その後に聞こえてきたのは、例の夜時間を知らせる放送だった。

 思うところは数多くあるが、今日はもう寝ることにしよう。

 

「………………」

 

 今日一日、個室に閉じ込められていたというのに、何人もの人が尋ねてくれた。あんなことをしでかしたというのに、だ。おかげで、色んなことを話すことができた。

 俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。こんな俺をまだ見捨てないでくれる人はいるが、それ以上にいくつもの信用と信頼を失った。

 それでも、俺はここで、生きていきたい。皆と一緒に、絶望と戦う『仲間』としてここから脱出したい。

 

 だから、俺は必死に前を向く。

 願わくば、失った信頼を取り戻せるように。

 




ひたすら話す。
言葉を交わす。
それは、思いを伝える行為である。


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(非)日常編③ 限りなく日常に近い非日常

 【7日目】

 

 《化学室》

 

 カチャカチャと音を立てながら、()()はガラス製の実験器具を机の上に並べていった。

 

「ひ、ひとまずこれくらいあればいいかな……」

 

 食事スペースでのいつもの朝食会を終えた後、ぼくはすぐにこの化学室にやってきた。理由はもちろん、実験をするためだ。

 この化学室には実験設備も薬品もたくさんそろっている。ぼくが扱ったことのない高級なものや希少なものも多く、本当は昨日の時点ですぐにでも実験を始めたかった。でも、実験器具や化学室には少し埃が被っていて、掃除をする必要があった。その時一緒にいた露草にも手伝ってもらいながら実験器具の整備や化学室の掃除をしていると、それだけで一日が終わってしまった。

 ぼくはそのまま夜更かしして実験を始めようと思ったけど、露草にこんな環境で夜更かしして体調を崩したらどうするんだと止められて、半ば強引に宿泊棟に連れ戻されてしまった。黒峰にも夜中に一人でいて襲われたらどうするんだと言われたけど、もちろんそのリスクは承知の上で実験がしたいんだと思った。

 そのあと、露草たちは抜け出したらダメだよとクギを刺して、ぼくを個室に押し込んだ。20分待ってから個室の扉を開けると、廊下に立っていた露草と目が合い「やっぱり抜け出す気だったんだ」と言われてしまったので、流石に観念して昨日は実験を諦めることにした。

 そんなわけで、今からようやく実験ができる。

 

「ふ、ふふ……な、何から調べようかな……」

 

 やっぱり一番に思いつくのは、あのモノクマ特製の二種類の薬品だ。特製というだけあって、訳の分からない効果を持っている。何をどう調合すればそんな効果になるんだろう。それを考えるだけでわくわくする。

 けど、まずはこの薬品類の純度の確認を先にした方がいいかもしれない。ここまで設備が揃っていて、今更それらが欠陥品ということは無いと思うけど、実験をするためには完璧な道具が必要だ。もし薬品に不純物が入っていれば、実験の結果がまるで意味をなさないから。

 そう思って、まずは薬品の確認をすることにした。昨日この部屋を掃除したときに器具の確認はできたけど、薬品の中身まで調べるには実験をする必要があるからだ。

 そうと決まればすぐに実験だと立ち上がり、薬品棚へと体を向けたその時、ガラリという音が聞こえた。

 

「ん……?」

 

 化学室のドアが開いた音だ。首をひねって音のした方を見れば、そこには大きな箱を抱えた火ノ宮が立っていた。

 

「おォ、やっぱてめーがいたか。邪魔すんぞ」

 

 そう言うが早いか、火ノ宮はずかずかと部屋の中へと入ってくる。

 

「べ、別にいいけど……な、何の用……?」

「あァ? てめーに用はねェよ。それともてめーに用がねェと部屋に入っちゃいけねェってのかァ!?」

「お、大声出すなよ……そ、そんなこと言ってないだろ…」

 

 ……やっぱり、火ノ宮は苦手だ。

 ここ数日を共に過ごしあの学級裁判という恐ろしい空間を経て、火ノ宮が根の真面目な人間だというのはなんとなくわかってきた。リーダーシップを取るわけではないけど何かあれば真っ先に発言するし、学級裁判の時はモノクマが犯人だと最後まで信じていたくらいには良いヤツなんだとは思う。

 けど、しゃべり方はいつもぶっきらぼうだし、今みたいにいきなり叫んだりするから近くにいるととても心臓に悪い。できる限り距離を置いておきたい相手だ。なんのために化学室に来たのかはわからないけど、早く用を済ませて出て行ってほしい。

 と、考えていると、火ノ宮はぼくのそばをすり抜けてあろうことか薬品棚へと向かっていった。何をする気だろう、と思う間もなく火ノ宮はひょいひょいと薬品類を持ってきた箱の中へと入れていく。危険性の低いものから、素人には扱えない劇薬、そしてモノクマ特製薬も例外なく箱の中へと詰めていった。

 

「お、おい、な、なにしてるんだよ……!」

 

 そこでようやく、ぼくは声を出すことができた。まさか、薬品類を全部持ち出そうとしているのか。

 

「あァ? 何って、危険物の回収に決まってんだろォが。本当は昨日のうちにやっておくべきだったんだろうがな。図書館の整理に気を取られてすっかり忘れちまった」

 

 思った通りだった。この前だって倉庫の刃物類とかを自分の部屋に持ち帰っていたし、また部屋で管理するつもりなんだろう。

 

「や、やめろよ……」

「あァん?」

 

 とにかく、これを見過ごすわけにはいかない。

 

「そ、それを全部ここに置いて行けって、い、言ってるんだよ……!」

「なんだと? てめー、これで何する気だァ!」

「な、何って、じ、実験に決まってるだろ……! そ、その薬品は全部、ぼ、ぼくが実験に使うんだ……!」

「実験? 実験なんかする必要ねェだろ!」

「は、はあ……!?」

 

 実験なんかする必要ないだって?

 火ノ宮は、抱えていた箱を床に下ろして言葉を続ける。

 

「こんな危険な薬品、誰もが手が届く場所に置いておくのはリスク管理の点で問題がある。昨日の報告会の時にてめーはこの薬品を『素人には扱えない薬品』とか何とか云ってたけどよォ、だったら、誰にも手の届かないオレの個室においておけばいい。そうすれば、何も起こることはねェからな」

「……しょ、正気で言ってるのか……?」

「あァ!?」

「た、確かにその薬品類は危険なものばかりで、し、素人が簡単に手を出せるもんじゃない……け、けど、ぼ、ぼくなら扱い方を心得てる……!」

「そりゃァてめーは【超高校級の化学者】だからなァ。実験なんてお手の物だろうけどよ。この二つはちげェだろ!」

 

 そう言いながら火ノ宮は棚に残っている薬品を指さす。例の、モノクマ特製薬だ。

 

「オレにだって、この薬品が普通のモンじゃねェってのは分かる。睡眠薬にしろ殺害薬にしろ、中に何が入ってるか分かったもんじゃねェ」

「そ、そこまでわかってるなら、ど、どうしてぼくの実験の邪魔をするんだ……!」

「邪魔するに決まってんだろ!」

 

 バン、と火ノ宮が机を叩き、実験器具が揺れる。

 

「てめーがここで実験がしたいってんなら、最終的にはこのモノクマ特製薬を使って実験したいんだろ?」

「……う、うん」

「やっぱりな。けどよォ、てめーが実験のスペシャリストだとしても、このモノクマ特製薬で実験をすれば何が起こるかわからねェ。どんなリスクが潜んでるかが判然としない以上、これに手を出すのはキケンだ。だから、こんな場所で実験なんかハナっからやるべきじゃねェんだよ」

「…………」

「あァ? 言いたいことがあんならとっとと言えよ!」

「あ、い、いや……」

 

 ただ単に危険物だからって理由で火ノ宮は薬品を持ち出そうとしたんだと思っていたけど、今の話を聞くと、もしかしたら火ノ宮はぼくの安全のことも考えていたように思える。確かに、火ノ宮の言うことは一理ある。睡眠薬や毒薬になりうる物質、成分は多岐にわたるわけで、現時点だとモノクマ特製薬の中身は候補が多すぎて見当がつけられない。もしかしたらぼくの想像している仮説の中に答えがないかもしれないわけで、そうなると予期せぬ事故が起きてしまう可能性は確かにある。

 けど、そんなのは余計なお世話だ。

 

「お、おまえの言いたいことはわかった……け、けど、や、やっぱりぼくは実験をしたい……だ、だから、そ、その薬品を持ち出されると困る……」

「チッ、てめー、オレの話を聞いてなかったのか?」

「き、聞いてたよ……き、聞いてたけど、お、おまえが言ってるのは結局、き、危険なものにふたをして目をそらしてるだけじゃないか……」

「あァん?」

「い、いいか火ノ宮……き、危険なものってのは、ほ、ほとんどの場合『わからない』から危険なんだ……。か、化学の世界じゃ今も分からないことだらけだ……ち、知識がない、ま、まだ解明されていないからこそ、が、ガスの充満した洞窟で窒息したり、じ、実験中に放射線に被曝したりするんだ……。け、けど、そ、それを解き明かして、あ、安全を手に入れてきたのが化学の、か、科学の実験なんだ……」

「…………」

「き、危険なものを、な、中身が分からないまま封じ込めておくなんて、そ、それこそ危険だ……! き、危険だからこそ、わ、分からないからこそ、じ、実験や調査を重ねてその性質を究明しないといけないんだよ……! も、モノクマ特製薬を調べてその成分が分かれば、あ、安全な処分方法とか、げ、解毒薬の作り方とか……そ、そういうのも分かるかもしれない……! ま、まあ、そ、それが実践できる原料が揃ってるかはわからないけど……」

 

 危険だから、触らないでおく。一見安全のように見えるけど、それはいつか自分の首を絞めることになる。危険だったら、尚更それを調べてその対処法を知らなくちゃいけない。

 

「そ、それに……ぼ、ぼくは、わ、分からないことを分からないままになんてしておきたくないんだ……こ、この世界の中で、こ、答えが存在しないものなんてない……だ、だから、ぼ、ぼくは知りたいんだ……た、たとえ命の危険があったとしても……」

「…………チッ」

 

 ぼくが話し終えると、火ノ宮は一つ舌打ちをした。どういう意味の舌打ちかはわからないけれど、火ノ宮は箱に入れていた薬品類を一つずつ棚へと戻し始めた。

 

「ひ、火ノ宮……」

「……てめーの話にも一理ある。実験の邪魔はもうしねェ。悪かったなァ」

 

 そう話しているうちに、火ノ宮の持つ箱の中身は空っぽになった。

 

「ただし、実験が終わって引き上げる時になったら薬品類も回収するぞ。化学室やこの棚にはカギがかからねェからな」

「……う、うん」

「それと、実験の時はオレも近くにいることにする」

「え?」

「化学実験の知識はてめーに敵わねェが、万一の時のために人がそばにいた方がいいはずだ。それに、実験をするなら人手はあるに越したことねェだろ?」

「……そ、そうだね……」

 

 火ノ宮は知識はあると言っていたし、器具の準備や洗浄を手伝ってくれれば実験がはかどることは間違いない。

 けど、火ノ宮からしたら、せっかくこんな設備の充実したエリアが解放されたんだし、他にやりたいことがあってもおかしくない。それなのにぼくの実験を手伝ってくれるのは、一刻も早くモノクマ特製薬という危険物を何とかしたいからだろう。つくづく、根はいい奴なんだと思わされる。

 

「よし、じゃァ決まりだ。何から手伝えばいいんだ?」

「え、ええと……ま、まずは白衣を着てもらおうかな」

「白衣ィ?」

「う、うん……や、薬品が服に着いちゃうと困るだろうし、そ、それこそ危ないし……ぼ、ぼくの個室に替えの白衣が何着もあったから、い、一着取ってくるよ……」

「あァ。すまねェ。頼んだ」

 

 そんな火ノ宮の声を背中に受けながら、ぼくは化学室を後にした。思わぬ邪魔は入ったけど、ようやく実験を始めることができるのがうれしくて、ぼくは少し早足になって宿泊棟を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《図書館》

 

 バサバサと、()は本のページを次々とめくっていく。目当ての情報を得られないまま奥付のページにたどり着いた。

 

「これもハズレかあ……」

 

 はあ、とため息をついて本を閉じる。本棚には本がギュウギュウに詰まっていて戻しづらかったけど、無理やり押し込んだ。朝食会の後からこんなことを繰り返して2時間ぐらい経っているけど、いまだに収穫は無い。

 とはいえ、まだまだ目を通していない本は文字通り山のようにある。諦めるのにはまだ早い。

 そう思って、次の本を本棚から取り出したところで、

 

「おや、大天君じゃないか」

 

 と、声を掛けられた。声の主は、この図書館に常駐する明日川さんだった。手にした本を後ろ手に隠す。

 

「明日川さん、どうしたの?」

「なに、ボクはただ次の小説を取りに来ただけさ。ついさっき(数ページ前)までは初めての本を読んでいた(未知の物語の中にいた)んだが、息抜きにお気に入りの物語に浸ろうと思ってね」

 

 そう言いながら、明日川さんは私のすぐ近くまでやってきて、棚から一冊のハードカバーを手に取った。記憶を頼りにここまでやってきたみたいだ。

 

「ところで大天君。その本にはおそらくキミの求める情報は無いと思うよ」

「え?」

 

 脈絡もなく、明日川さんはそう言った。

 私の求める情報って……。

 

「……なんで私が探しものをしてるって分かったの?」

「ここの本棚だけれどね、本が詰まっているおかげで、一度抜いた本を元に戻そうとしても、完璧には戻らないんだ。それを踏まえてこのあたりの本棚を見ると、今朝と比べて手前にはみ出ている本がいくつも存在する。『サイコパス事件集』『世界の未解決事件』『絶望の歴史』……まあ、その類のドキュメンタリーやゴシップ本ばかりだ。その冊数の多さからすると、読み込んでいるわけではなく手当たり次第にページをめくっているんだろう。つまり、大天君は過去の何らかの事件に関する何らかのキーワードをカギにして情報を探しているんだ」

 

 ……完全に明日川さんの言う通りだ。

 

「すごいね、明日川さん」

「そうでもないさ。ただ、この図書館に関しては誰よりも詳しいからね。それで、君の手にしている『世界の凶悪事件コレクション』という本だが」

 

 そう言って、明日川さんは私の持っている一つの本を指さした。見られないように本は隠したつもりだったけど、ばっちり見られちゃってたみたいだ。瞬間記憶能力を持つ明日川さんなら、一瞬でも視界に入ればタイトルくらい読めちゃうのか。

 

「そこのはみ出している、つまり、君がすでにもう読んだ『本当にあった! サイコキラーが起こした殺人』という本と、中身はほとんど変わらないんだ。出版社が中身をそのままにタイトルだけを変えたようでね。だから、キミが何を探しているにせよ、そっちの本に目を通しているキミはその本を見ても収穫は得られないはずなんだ」

「……そっか」

 

 なら、素直に明日川さんのアドバイスを受け取っておこう。そう思って、『世界の凶悪事件コレクション』を棚へと押し込んだ。

 

「ところで、もしよければキミが何の情報を探しているか教えてくれないか?」

「え?」

「この図書館にはボクが読んだことのある本が多いからね。もしかしたらキミの力になれるかもしれない」

 

 確かに、【超高校級の図書委員】である明日川さんなら、私がむやみに探すよりも効率はきっといいはずだ。それに、下手に断ったら無駄に怪しまれてしまうかもしれない。

 ……どうしようかな。

 

「もちろん、キミが話したくないというのであれば無理強いはしないけれどね」

「……いや、話すよ」

 

 すこし考えてから、私はそう答えた。

 

「でも、多分明日川さんでもわからないかも。もし分かってたら皆に知らせてると思うし」

「うん?」

「私が調べてたのは、このコロシアイの事なんだ」

 

 不思議そうな声を出す明日川さんに対して、話を続ける。

 

「ほら、明日川さんがさ、このコロシアイ生活について昔本で読んだことがあるって言ってたじゃん」

「ああ。この物語が始まった時のことだね。その直後にモノクマによって記憶(ページ)を破り取られてしまったわけだけど」

「それで、その時に少し言ったけど、私はそのコロシアイについての噂を聞いたことあるんだ」

「ああ、そういえばキミはそんなことを言っていたね」

 

 

──《「で、でも、私も聞いたことあるよ、その話……あくまでも噂だけど」》

 

 

「うん。どこで聞いたのかまでは忘れたけど、確かに聞いたことがあるんだ」

 

 江ノ島盾子が猛威を振るっていた時代──【絶望全盛期】は、希望ヶ空学園の母体組織である『未来機関』が江ノ島盾子を殺したことで終わりを告げた、というのが私たちが学校で習った常識だ。けれど、運び屋の仕事で全国を回っている時にそれが嘘であるという噂を各地で聞いた。いくら情報統制をしても、人の絶望の思い出までは消し去ることはできないんだと思う。

 

「明日川さんみたいに学級裁判のことまでは知らなかったけど、【絶望全盛期】を終わらせたのは希望同士のコロシアイだったって噂を何度も聞いた。その時は詳しいことはわからなかったけど、多分、今私たちの身に起きてることが50年前にも起こったんだと思う」

「ああ、きっとそうだ。希望ヶ峰学園の生徒(キャラクター)たちがコロシアイに巻き込まれたんだろう」

「でも、結局、どうしてそのコロシアイが【絶望全盛期】の終わり、つまり、江ノ島盾子の死につながったのか……それがまだわからないんだ」

「……確かに。そもそもボクが記憶(ページ)を失ったせいで、50年前のコロシアイのその結末さえ分かっていない」

「そうなんだよね。コロシアイはどんな終わりを迎えたのか、どうしてコロシアイの果てに江ノ島盾子は死んだのか。ここに、私たちがコロシアイを終わらせるヒントがあると思ったんだ。だからこそモノクマは明日川さんの記憶を消したんだろうし」

「なるほどね。それで、過去のコロシアイのことが載っていそうな本を片っ端から調べていた、というわけか」

 

 どうやら、明日川さんは納得してくれたらしい。良かった。

 

「そういうことなら、確かにボクは力になれそうにない……というより、正直調査を打ち切ることをオススメする」

「え?」

「ボクの記憶の中で、過去のコロシアイのことに触れている本はこの中には一冊もないからだ。当然、ボクと言えどもすべての本に目を通したわけではないけれど、それでもこの図書館の蔵書のうち8割以上には目を通している。小説だけの数字じゃない、ノンフィクションやゴシップ本、オカルト本も含めての数字だ。その実績を持って、ボクはキミに調査をやめるべきだと進言する」

「…………」

「このまま調査を続けても、徒労に終わる可能性が非常に高い。そもそもそんな情報が載った本がモノクマの用意したこの図書館に存在するか自体が怪しいことも理由に挙げられる。今は動きのない(出番のない)モノクマだが、いつまた絶望の物語を再開させるかはわからない。であるなら、貴重なこの時間(シーン)を無駄に浪費するべきではないよ、大天君。もっと有意義に時間(ページ)を使うべきだ」

 

 徒労、か。実際この二時間で収穫はゼロだし、明日川さんが言うなら、その8割の本にコロシアイの情報は載っていないんだろう。それを踏まえると、このまま調査を続けても、私の知りたい情報が見つかる可能性はかなり低いかもしれない。

 けど、それは私が調査をやめる理由にはならない。今私が最優先すべきなのは、この図書館の本を調べ上げることだから。

 

「アドバイスありがとう、明日川さん。でも、もう少し調べてみる。モノクマが何もしてこない今だからこそ、調べておきたいから」

「そうか。大天君が決めたのなら、もうボクは何も言わないことにするよ」

 

 そう告げて、明日川さんは歩き始めた。ソファに戻って小説を読むんだろう。

 

「大天君。だったら、二階右奥の本棚を調べてみると良い。あの辺りにはボクがまだ読んだことのない本が固まっているから、もしもコロシアイの情報があるのならそこにある可能性が高い」

「分かった。ありがとう、明日川さん」

 

 明日川さんにお礼を言った後も、しばらくは近くの棚の本を調べていた。ここに目的の情報があるかもしれないし、ひとまずこの近辺を調べつくしておきたいと思ったから。

 そう思って調査を続けて1時間、結局収穫は無かった。

 

「……はあ」

 

 重いため息をつきながら本を棚へと戻す。とはいえ、ただ嘆いていても仕方ないから、今度は向こうの棚を調べようと思った、その時だった。

 

「大天さん」

 

 聞き覚えのある、今一番聞きたくない声が聞こえた。

 

「…………」

 

 恐る恐る振り向くと、私の想像通り、七原さんが立っていた。

 ダッと翻して、七原さんの前から逃げ出す。

 

「あ! 待って!」

 

 待てない。

 そう思いながら逃げたけど、私が逃げた先は積みあがった本で行き止まりになっていた。

 どうしよう、と思う間もなくすぐに七原さんに追いつかれてしまった。

 

「……うう」

 

 どうやら、そろそろ覚悟を決めないといけないらしい。

 

「大天さん、私はただお話がしたいだけなんだよ」

「…………」

 

 せっかくのチャンスと言わんばかりに、七原さんが話し始める。

 

「学級裁判が終わってからさ、まだ一度も話せてないよね。私が話そうとしても逃げ出しちゃうし……」

「……逃げ出すに決まってるよ」

「え?」

 

 小さくつぶやいた言葉は、七原さんには届かなかったらしい。

 なら、もう一度伝えるだけだ。

 

「逃げるに決まってるじゃん。今更、どんな顔して七原さんと話せばいいって言うの?」

「……どういうこと?」

 

 首をかしげる七原さん。どうやらぴんと来てないみたいだ。……どこから話せばいいだろうか。

 

「……私はさ、こんなところで死にたくなんか無いんだよ」

 

 少し悩んで、私はそう切り出した。

 

「死ぬ前に、どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ。それを叶えるまでは何があっても死ねないし、こんな窮屈な場所で無駄にする時間もない」

「…………」

「あの夜、倉庫で血まみれになった新家君を見た時、死の恐怖を肌で感じた。死が、私にまとわりつくような気がして、少しでもそれから目をそらしていたかった」

 

 だから、あの時私は捜査をしなかった。もちろん学級裁判のことが頭をよぎったけど、それすらも見ないふりをした。

 

「怖いんだ、私は。だから、平並君の軟禁にも賛成した。今だって、できるなら全員を閉じ込めたい。そうすれば絶対に安全でしょ?」

「……でも、それは」

「分かってる。あまりに自分勝手すぎるし、そもそも無理な話だし。だから、とにかく今は誰も信用しないようにしてる」

「…………」

 

 皆が仲間じゃない、とは言わない。けど、誰しもが敵になりうると思ってはいる。誰が殺意を持つかわからないこの状況で、信用なんてできやしない。

 

「でも、七原さんは私とは違う」

「そんな……私だって、不安で」

「違う。だって、七原さんはいい人だから」

 

 否定する七原さんの言葉を遮って、言葉をぶつける。

 

「捜査の時に私の部屋の前にいてくれたこともそう。平並君のことを信用してることもそう。そして、多分七原さんは皆のことを信頼してる。そうだよね?」

「…………」

 

 七原さんは、無言でうなずく。

 

「でも、私はそんな風にはなれない。私が自分勝手なのは十分わかってる。皆被害者なんだから、七原さんみたいに皆をもっと信用した方がいいはずなんて、分かり切ってるんだよ」

 

 ……それが分かってるから、七原さんがまぶしいんだ。

 そこまでは口にできなかったけど、七原さんは私の言いたいことを十分に感じ取ったらしい。

 

「……大天さん」

「…………」

 

 何か言いたげな七原さんの脇を駆け抜けて、私は図書館を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

「ねえ琥珀ちゃん」

『なんだ、翡翠?』

「パンはパンでも食べられないパンはな~んだ?」

『そりゃ、フライパンに決まってるだろ。何十年前からもあるなぞなぞだぜ?』

「残念、不正解だよ! 正解はね」

『かびたパンとか腐ったパンとかいうのも定番だな』

「…………ええっとね……正解は……あ!」

『短パンとかジーパンもあるか』

「あー、えっと、正解は……あ、そうだ!」

『シンプルに鉄板とかも──』

「もう! 琥珀ちゃん!」

『どうしたんだ翡翠! 大きな声を出すなよ、びっくりするだろ!』

「どうしたもこうしたもないよ! どうして私が考えた答えを先に言っちゃうの!」

『そんなの、オレは翡翠の操る人形なんだから翡翠の考えが分かって当然だろ』

「琥珀ちゃん、またそんなこと言ってるの? あのね、何回も言うけど琥珀ちゃんは人形なんかじゃないんだよ」

『いやいや、オレは人形だってそれこそ何回も言ってるだろ?』

「もう……かなたちゃんも何か言ってあげてよ!」

「えっ、わたしですか?」

 

 急に露草さんに話を振られたので、びっくりしてしまいました。

 今の時刻はちょうど午後三時。昼食の片付けはとっくに終わり、調理場の掃除も三度目を終えたところでした。皆さんとで決めたるーるのためにわたしはこの食事すぺーすから離れることはできません。それ自体は構わないのですが、やはりどうしても時間を持て余してしまうというものです。

 掃除は好きですが、同じところをずっと掃除していても仕方がありません。午前中はそれなりの方が食事すぺーすにいらっしゃいましたが、対して昼を過ぎてからは食事すぺーすにはわたしとすこっとさんの二人だけになってしまいました。でしたらまたすこっとさんと連珠をしようと思い立ちましたが、すこっとさんは何やら小さなぬいぐるみをせっせと作っていらしたので邪魔をしないように取りやめました。

 そんなゆったりとした時間が流れる中、食事すぺーすに現れて話し始めたのが露草さん達だったのです。……人形の方も黒峰さんとお呼びした方がよいのでしょうか。露草さんはどんな気持ちであの腹話術をしているのでしょう。

 

「そうだよ、かなたちゃんしかいないじゃない。スコットちゃんは忙しそうだしさ」

「まあ、確かにわたしはすることがありませんし別に構いませんが……急に話しかけてきたからすこし驚いてしまいまして」

『ああ、そりゃ悪かったな』

「いえ、だいじょうぶです」

 

 露草さんは、いつも急に話し始めて、時折周りを巻き込んでいきます。まるで嵐のような人だと思いますが、こんな状況でそういった方を見ると、自然とげんきが湧いてくるというものです。

 あの学級裁判というながいながい苦しい時間を終えてからというもの、みなさん元気を失っていました。とうぜんの事なのですが、今もなおその空気感は残っています。朝食会には平並さんをのぞいて皆さんそろいますが、昼食、夕食には顔を出さない人は少なくありません。……まあ、根岸さんなどはげんきがないのではなく化学室などにこもりっきりになってるそうなので、それはそれで健康面でしんぱいなのですが。

 ともかく、そんな状況で明るくふるまえる露草さんのそんざいはとてもおおきいと思います。【体験えりあ】がかいほうされた時も、露草さんのおかげで皆さんに穏やかな空気が戻った気もしますから。

 

「それで、かなたちゃんは琥珀ちゃんの事どう思う? 人形なんかじゃないよね?」

「えっと……」

『いやいや、どう見たって人形だろ! こんな見た目の人間がいるのか?』

「琥珀ちゃん! 人は見た目じゃないよ!」

 

 そういう話ではないと思います。

 

「まあ、やはり黒峰さんは人形、ですよね」

「えーっ! そんな!」

『ほら見たことか!』

「ですが、ただの人形とも思えません。こういう言い方がただしいかどうかわからないですが、露草さんとおはなしをする黒峰さんは……なんというか、いのちがあるように見えるのです」

 

 きっと、それが露草さんの【超高校級の腹話術師】としてのちからなのでしょう。見た目にはもちろん黒峰さんは人形にしかおもえません。それも、精巧なつくりをしているわけではなく、むしろ簡素な人形です。最低限のぱーつしかついていないようなものなのですが、それでもそれを露草さんが動かすと、不思議とまるで生きているかのように見えてしまいます。

 

「命ある人形……かなたちゃん、面白い表現だね!」

『確かに面白い表現だな! まあオレには命はないんだが』

「琥珀ちゃん、せっかくかなたちゃんがこう言ってくれてるのに! そんなにこだわらなくてもいいじゃない」

『こだわってるのはどっちかって言うと翡翠の方だと思うけどな。あ、そうだ、かなた。お前に聞きたいことがあったんだ』

「あ! 琥珀ちゃん、話そらした!」

 

 そんな露草さんの声から逃げるように顔をそむけた黒峰さん。もちろん正確にはそう見えるように露草さんが手を動かしてるだけなのですが、そこにつっこむのはあまりにやぼというものでしょう。

 

「なんでしょう、黒峰さん」

『どうしてそんなに色々家事ができるようになったんだ?』

「家事、ですか?」

『ああ。翡翠は家事スキルが壊滅的でな。少しは翡翠にも見習わせたいと思ったんだ』

「琥珀ちゃん、余計なお世話だよ」

 

 むっとする露草さん。そうは言いつつあまり言い返さないのは、その自覚があるからでしょうか。そういえば、かれー作りの時にそばから見ていた限りだと、露草さんはあまり料理の経験はなかったようにおもいます。他の家事に関してもそうなのかもしれません。

 それはともかく、まずは黒峰さんの質問に答えなくてはなりませんね。

 

「わたしの家事スキルは、お屋敷の前めいど長がてっていてきに指導してくださったおかげで身についたものなのです」

「前のメイド長さんに?」

「はい。実は、わたしが十神財閥でまずはめいど見習いとしてはたらくことになったとき、わたしは家事をなんにもできませんでした。そんなめいど見習いのわたしを指導してくださったのが前めいど長だったのです」

『へえ、どんな風に指導してもらったんだ?』

「そうですね。前めいど長は、とにかく細かな気配りができる方で……とても厳しい方でした。ですから、指導の際もとても些細なことに対して指摘が入ります。掃除のときにちりひとつでも残せば掃除をはじめからやり直すことを命じられますし、料理のあじがいまひとつであればそれが誰かのもとにだされることはありません。洗濯も、しわを残さないことはもちろん服の繊維を傷めないやり方を厳しく教わりました」

「うわ、大変そうだね」

「ええ、正直なところを言えばとても大変でした。前めいど長にたっぷりと叱られたときは、わたしと一緒にめいど見習いとして仕える親友となぐさめあったりもしました」

 

 そう露草さんたちに話して、ふとその親友のことを思い浮かべました。

 彼女は、わたしとほぼおなじ時期にめいど見習いとしてお屋敷にやってきました。へやも同じだった彼女とはまさしく寝食をともにしたなかで、彼女の性格も相まってわたしたちは切磋琢磨しながらめいどとしての技術をみがいていきました。そんな彼女は、わたしがめいど長になってからも、めいどとしてわたしをささえてくださいました。

 ものくまによってその顔は思い出せなくなってしまいましたが、彼女は間違いなくわたしの親友です。彼女もわたしとおなじく高校生ですから、今頃はお屋敷近くのがっこうに通いながら、わたくしがいない穴を埋めるべくめいどとして励んでいるはずです。

 

「なんでそんなに厳しかったの? ちり一つくらい残っててもいいと思うけどな」

「それは【完璧】であることが十神のめいどとしての……いえ、十神にかかわる人間としての絶対条件であるからです」

『完璧?』

「はい。というのも、常に完璧であるというのが十神財閥当主、十神百夜様のぽりしーなのです。『十神財閥は世界のとっぷに君臨する存在であり、世界を導く責任がある。そのためには欠点のない完璧な存在でなければならない』、と常々おっしゃっていました。そしてそれは、十神財閥の一員になった時からわたしの胸に強く刻んでおります」

 

 『完璧である』と口にすることは簡単ですが、それを実践することは生半可ではありません。完璧であり続けることは、たった一つのしっぱいも許されないということです。ですが、それこそが十神財閥の一員としての責任であると思います。まだ未熟なわたしですが、十神財閥に属する以上、それをめざさなくてはなりません。

 

『それなのに、どうしてメイドをやめなかったんだ? 大変じゃないか』

「確かに、めいどの鍛錬は苦しいものでした。実のところ、初めの方はご主人様にめいどとして雇ってもらった恩がある以上、そもそもめいどをやめるという選択肢がありませんでした。しかし、次第にめいどとしての楽しさ、よろこびを感じるようになっていったのです」

「喜び?」

「はい。先ほど、前めいど長はとても厳しい方と申しましたが、その反面とてもきれいな笑顔を見せる方でもありました。掃除を完璧にこなしたとき、最高の料理を作れたとき、そういった時に前めいど長がそのきれいな笑顔を見せてくださるのです。それを目にした時、苦労が報われたと思いました」

「ふむふむ」

「その後、めいど見習いを卒業すると、正式なめいどとして仕事が始まりました。もちろん、十神家の方々に仕えることになるのですが、実際の生活では部屋が綺麗というだけで笑顔になることはありません。しかし、わたしが完璧に仕事をこなすことで、ご主人様たちが気持ちよく仕事や生活をなさっているのが手に取るようにわかるのです。それこそが、わたしのめいどとしての楽しさであり、よろこびなのです」

 

 そして、それはこのどーむでの生活でも同じです。皆さんが気持ちよく生活できるようにすることがわたしの使命と言えるのかもしれません。

 

『なるほど。そうだったんだな』

「ですから、露草さんも教わればきっと上達すると思います。もしよろしければ、わたしがお教えしましょうか? もちろん、前めいど長のように厳しくなんて致しませんしから」

「本当? でも、どうしようかなー。大変かもしれないし」

『そうは言うけどな、翡翠。【超高校級のメイド】から直々に教わるなんてなかなかできることじゃないぜ?』

「うーん……」

「あの、別に強制はしませんので……」

「ほら、かなたちゃんもこう言ってるし」

『翡翠、苦手な家事を克服するチャンスだ! こんなチャンス、なかなかねえと思うぞ』

 

 そんな黒峰さんの言葉を聞いた露草さんは、

 

「……うん。せっかくだから少しやってみようかな」

 

 とおっしゃいました。

 露草さんは、不安になりながらも苦手を克服しようと一歩踏み出したのです。これは、わたしも頑張らなければなりませんね。

 

「わかりました。今すぐ始めますか?」

「んー、翡翠は今すぐ始めてもいいんだけど、そろそろ完成するみたいだからね」

「完成?」

 

 と、わたしが露草さんの言葉を聞き返すと、

 

「よし、できた」

 

 そんな声がわたしの耳に届きました。

 すこっとさんの声でした。

 露草さんがすこっとさんの方に歩いていきます。

 

『おっ、スコット、完成したか』

「ああ。スピードを重視したせいで雑になったのが腹立たしいが、やむを得ない」

「翡翠から見たら雑に見えないけど」

「オレがそう思うんだ」

 

 そんな会話をしています。そういえば、すこっとさんは何を作っていたんでしょうか。

 

「というわけだ、シロサキ。やるぞ」

「やるって、何をですか?」

「何って、チェスだ」

 

 すこっとさんは格子模様の書かれた布を机にばっと広げ、そこにものくろの小さな物体を次々とおいていきました。それはまさしく、ちぇすの駒に違いありませんでした。布を縫い合わせて綿を詰めて、この場でちぇすの駒を作り上げたのです。

 

『おっ、これってちゃんと立つようになってんだな』

「ああ。底にはビーズを詰めてある。そうじゃないとゲームにならないだろ」

『ま、確かにそうだな』

 

 そう言いながら、すこっとさんはそのお手製のちぇすの駒を並べていきます。

 

「ほら、シロサキ、オマエ前にチェスもできるって言っただろ?」

「ああ、はい。そうですね」

 

 あれは確か、この生活が始まってすぐの、すこっとさんと連珠をした時でしょうか。暇つぶしに何かで遊ぼうという話になって、お互いにちぇすができるとわかりました。ただ、残念ながら道具がなかったために紙とぺんでできる連珠を始めたのです。

 

「連珠では大敗を喫したが、チェスなら得意だからシロサキに勝てると思ってな」

『大敗って、何勝何敗だったんだ?』

「………………0勝43敗だ」

「えっ、スコットちゃん全敗したの?」

「違う。まだ勝ってないだけだ」

 

 ちょっと苦しい言い分な気がします。確かに、わたしが負けそうになった試合もあったので、わたしの全勝は運がよかった結果とも言えますが。

 

「ま、それはそれとしてだ。シロサキ、チェスやるだろ?」

「ええ、ぜひやりたいと思います」

「チェスクロックが無いから時間は無制限でやるぞ。あまり遅い場合は催促アリだけどな」

「わかりました。ああ、それと……」

「ん、なんだ?」

 

 すこっとさんは、ちぇすならわたしに勝てるとおもっているそうなので、これは言っておかなければなりませんね。

 

「連珠にはおとりますが、わたしはちぇすも得意です。連珠と同じく、ご主人様とはちぇすも嗜んでおりましたから。それでも構いませんか?」

「望むところだ、シロサキ」

 

 そして、わたしとすこっとさんのちぇす勝負が始まりました。

 初めの方こそ一進一退の攻防を繰り広げていましたが、じわりじわりと盤面はわたしに不利なように変化していきました。わたしもできる限りすこっとさんの手を読みながら攻撃を仕掛けますが、時折すこっとさんはわたしの想定外の手で攻撃をかわします。そのまま手薄になったわたしのきんぐを狙いに反撃を仕掛けてくることもあります。

 ちなみに露草さんは5分くらいで観戦を切り上げて自然えりあの方へ歩いていきました。きっと、話し相手を探しに行ったのだと思います。

 勝負が始まってからおおよそ40分が経過したころ、いよいよ局面は最終盤を迎えました。

 

「すこっとさん、ちぇっくです」

「まあ、そうして来るだろうな。ほら」

「そっちの逃げ道が……なら、こうします。どうぞ」

 

 逃げられたすこっとさんのきんぐを追いかけるように、わたしはるーくを動かしました。

 するとすこっとさんは、

 

「読み通りだ」

 

 と言いながら、ないとを進めました。

 あ、この配置は……。

 

「シロサキ、チェックメイトだ」

 

 ちぇっくめいと。詰みを表す言葉であるそれをすこっとさんが宣言したということは、わたしのまけが決まったということです。

 

「異論はないよな?」

「……そうですね」

 

 確かに、わたしのきんぐはすこっとさんのくいーん、ないと、るーくによって動けなくなっていました。わたしの他の駒はその状況を変えることもできず、完全に詰んでいました。

 

「よし! 勝った! 勝ったぞ! 見たかシロサキ!」

 

 連珠で一勝もできなかったのがよほど悔しかったのか、飛び上がるほどにすこっとさんは喜んでいました。

 

「……まあ、正直なところちぇすは連珠ほどは得意ではありませんからね」

「ま、なんだっていい。どのみちこれで連珠のリベンジができたとは思ってないからな。じゃあ、この勢いのまま今度はこの白黒のビーズを使って連珠を──」

 

 意気揚々とそんなことを話しながら、ちぇすのこまを片付け始めるすこっとさん。

 

「……もういちど」

「ん? どうした、シロサキ」

 

 十神に仕える人間が、このまま勝ち逃げさせていいはずがありません。もしここを脱出できても、きっとご主人様に叱られてしまうことでしょう。どんな時でも、完璧でなくてはなりませんから。

 

「もういちど、ちぇすをやりましょう。幸い時間はあります。十神財閥のめいど長として、負けっぱなしで終わるわけにはいきませんから」

「いいぞ、何回だってやってやる。連珠の時に食らった屈辱をオマエにも味わわせてやろう」

「いえ、今度は負けません。もうすこっとさんの勝利はありませんよ」

「その強気がいつまでもつか見物だな」

 

 そんな言葉を交わしながら、わたしたちはこまを盤面の上に並べていきました。

 今度こそ、すこっとさんにちぇっくめいとを突き付けてみせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあシロサキ、そろそろチェスは切り上げて夕飯にしないか?」

「なにをおっしゃるんですか。まだわたしが勝っていないのにやめるわけにはいきません」

「だが、もう7時だぞ」

「他の皆さんのぶんは食事すぺーすにお見えになるたびに提供させてもらってますから問題はありませんよ」

「いや、そうじゃなくてオレが……」

「それに、連珠の時はすこっとさんがなかなかやめさせてくださらなかったじゃないですか」

「……確かにそうなんだが」

「さあ、5戦目を始めましょう」

「……ああ、腹が空いた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(アラヤ)》

 

 静かだ。

 個室は完全防音だという看板に偽りは無いようで、本来なら聞こえてくるはずの外のざわめきは聞こえてこない。俺は新家の個室の中で、静かな一日を過ごしていた。

 

 何人もの俺を訪ねてくれた昨日とは違い、今日の俺のもとへは朝に蒼神が生存確認にやってきただけだった。皆と話がしたいとは思っていたが、こっちから呼びに行けるわけでもない以上、誰かが訪ねてこないと話はできない。

 というわけで、今日の俺はひたすら一人で時間をつぶしていたのだった。とはいえ、前のように自縄自縛の堂々巡りをしていたわけではなく、新家のことを知ろうと部屋を眺めていたり、モノクマの正体に近づけるようこれまでのことを思い返したりして過ごしていた。結果としてコロシアイを終わらせる何かにたどり着くことは無かったが。

 もう時計の針は8時を差している。遅くまで起きていてもどうしようもない。もうシャワーを浴びて眠りに着こうか。

 そう思ってベッドから腰を上げた時だった。

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 今朝以来のドアチャイムの音が個室に響き渡った。誰かが訪ねてきてくれたのだろうか。

 ガチャ、とカギが開く音がする。そのまま個室の扉が開いた。

 

「平並さん、今よろしいでしょうか?」

 

 そんな声を発するのは、この部屋のカギを持つ蒼神だ。

 

「ああ、大丈夫だ」

「すまないであるな。もう時間も遅いというのに」

 

 俺の声にそう返したのは、蒼神の後ろに立っていた遠城だった。遠城は、右手に大きめの紙袋を携えていた。

 

「いや、別に構わないが……蒼神、もしかして」

「ええ、遠城さんがあなたとお話がしたいそうですわ」

「うむ」

 

 俺の予想は当たったようで、蒼神の言葉とともに遠城がうなずいていた。

 

「構わないであるか?」

「ああ」

 

 拒否する気なんて更々ない。むしろ俺の方が待ち望んでいたくらいだ。

 

「では、終わったら教えてください」

 

 そう言って、蒼神は廊下に残って扉を閉めた。

 そんな蒼神を見送って、遠城は早々に話し始めた。

 

「さて。平並よ。話というのは他でもない。ちょっと意見をもらいたいと思ったのである」

「意見?」

 

 そう聞き返すと、遠城は何も告げずに紙袋の中に手を伸ばした。そこから現れたのは、つぎはぎの補修がなされた提灯だった。

 

「実はな、新たな雑貨を思いついたので、それについての意見を聞いて回っているのである」

「新たな雑貨……」

「うむ。ああ、つぎはぎは気にしないでほしいのである。ちょうどいいのがこれしかなかったのであるからな」

 

 そう言いながら、遠城は提灯に手を伸ばしスイッチを入れる。すると、

 

「おお……」

 

 提灯の中に光が灯る。それとともに、提灯の表面にはある影が浮かび上がる。その影は、現在の時刻を示していた。

 

「時計とライトスタンドを組み合わせた雑貨である。結構オシャレだとは思わぬか?」

「……確かに」

 

 光源のせいかフォントのせいか、それともその提灯のおかげか。その光には暖かみを感じる。部屋の隅に飾っておきたい、と少し思わされる。

 

「第一印象はすごくいい。見た目のインパクトもあるし、店頭でこれが並んでたら『おっ』って思うだろうな」

「ふむ」

「ただ、実際に買うかどうかは……時刻が大きく表示してあるのはいいけど、提灯が丸いからちょっと見づらい感じがするな」

「やはりそうであるか」

「けど、この提灯は代用品だし別の形のアイデアもあるんだろ?」

「うむ。これは試作品第一号であるしな」

 

 あ、時刻が切り替わった。これ、どういう仕組みなんだ……?

 

「ちなみに、これのアイデアのもとはこの『システム』である」

 

 遠城は、そう言って『システム』を起動させる。

 

「こんな風に空中に時刻を表示するような時計はどうであろうか? と思ったのがきっかけであるな。

 ただ、画面を表示する技術はすでにあるが、やはりどうしても高価になってしまうであるからな。もしかすると2年の間に技術革新があった可能性もあるのであるが、どちらにしても今の吾輩では実現不可能であったから別のアプローチをしたのである」

「それが、この提灯形式ってことか」

「うむ。改良は必要であるが、アイデアとしては十分アリのようであるな」

 

 遠城は、満足げにうなずきながら提灯時計を紙袋の中へと戻した。

 

「ところで、どうして俺にこれを?」

「うむ。他にも何人か聞いてきたのではあるが、せっかくなら一番適任であろう平並に聞いておかねばと思ってな」

「一番適任って、俺が?」

「その通りである」

 

 俺なんかが一番の適任って、どういうことだ。

 

「吾輩のアイデアは、基本的には将来我が『ティアラ』の商品として売り出すことも視野に入れているのである。であるならば、自身を【普通代表】と称するお主に話を聞きたいと思うのは当然であろう?」

「なるほど……」

 

 確かに、俺の好みはおおよそ世間一般の流行と似通っている。『ティアラ』、というのは遠城が社長を務める雑貨メーカーだったはずだが、そうなると俺の意見というのは気になるところではあるかもしれない。

 

「しかし、一応言っておくが、俺の意見は絶対じゃないぞ。俺は凡人中の凡人だと思ってはいるが、【超高校級のカリスマ】なんかじゃないから、俺の気に入ったものが絶対に流行るなんてことは無いわけだし」

 

 どちらかというと、流行しているものを後から好きになるという形の方が多い。好きだったお菓子がいつの間にか生産停止になっているなんてありきたりなことも経験してないわけじゃないし。

 

「ああ、分かっているのである。一つの意見として取り入れたいと思ったまでであるから安心するのである」

「それならいいが」

 

 遠城は立派な一企業の社長だ。そのあたりのやり方は心得ているだろう。むしろ、自分の意見は絶対じゃないなんてわざわざ忠告してしまった自分が恥ずかしくなってくる。俺の方にそんな自意識過剰のような意図は無いのに。

 

「なあ、遠城。雑貨の新作の開発って、こんな風に意見を聞いて回ってるのか?」

「うむ。顧客の生の声は貴重であるからな。できる限り試作品のマーケティングは欠かさないのである。まあ、初期段階では社内でのことになるが」

「へえ」

 

 実際に仕事としてそれをこなしている遠城から聞くと、余計に言葉の重みを感じる。

 

「それと……開発の時に気を配ることとしては、とにかくやってみる、というものが挙げられるであるな」

「とにかくやってみる?」

 

 うむ、とうなずく遠城。

 

「開発の時には吾輩だけではなく社の者がどんどんアイデアを出していくのであるが、基本的にその時点でそのアイデアを否定することはまずないのである」

「ああ、ブレーンストーミングってやつだっけ」

「うむ。どんなアイデアでも、まずはそれを検討し、実際に形にしてみるのである。机上の空論を何時間も続けるより、一度目にして手に取る方がずっと効率も良いし新たな発見もあるであるからな」

「けど、明らかに変なアイデアとか、どうしようもないものもあるだろ?」

「まあ確かに、現実的に不可能であったり以前全く同じものがでたアイデアなどは切り捨てるであるが……どんなにしょうもない、くだらないと思えるアイデアでも、時間と予算というコストの許す限りで実体化しその意見を募るのである。その凡庸なアイデアから発想が飛躍して新たなアイデアが生まれることもあるであるからな」

「なるほど……」

「吾輩たちの仕事はアイデア勝負である。もちろんそのアイデアを商品として世に出すための苦労も多いであるが、やはりその根幹にあるのはズバ抜けた至高のアイデアに違いないのである」

 

 至高のアイデア……遠城たちは、それをつかみ取るために日夜頭をひねっているのだろう。その先頭を走るのが遠城だ。

 実際、『ティアラ』の雑貨はどれも一ひねり加えられた商品ばかりだ。そのわずかな仕掛けのおかげで使いやすさ等が段違いになっている。それこそが遠城の言う至高のアイデアのなすところなのだろう。

 

「改めて思うが……すごいな、お前」

 

 ため息を漏らすように、そんな言葉がポロリとこぼれる。アイデア勝負と明言して、実際にそのアイデアを沢山生み出している遠城は、まさに才能に愛されていると言えると思った。

 そんな、羨望のような嫉妬のような気持ちの混じった言葉を受けて、遠城は口を開いた。

 

「なに、たいしたことではないのである。元々好きでやっていることであるからな」

 

 好きで、ねえ……。才能なんて、それがあるだけで羨ましく素晴らしいことだ。好きこそものの上手なれ、なんて言葉もあるが、好きなものにその才能がついてくることほど幸せなことは無いだろう。

 …………。

 

「なあ、遠城」

「む?」

 

 ふと思うところがあり、気まぐれにそれを遠城に問いかけてみようと思った。

 

 

 ──ガチャッ

 

 

 乱入者が現れたのは、そんな時だった。

 

「平並、邪魔するわね」

 

 突如としてドアが開き、東雲が部屋の中に入ってきたのだ。

 

「東雲さん!」

 

 背後から聞こえてくる蒼神の声も意に介さず、東雲はドアを閉めてしまう。

 

「……人が話してるのに、どうして部屋の中に入ってくるのであるか?」

「そんなの、アタシも話があったからに決まってるじゃない。わざわざ蒼神に頼むのは面倒だったからちょうどよかったわ」

 

 そう言いながら、東雲は俺達に歩み寄ってくる。

 

「吾輩が言いたいのはそういうことではなく……」

「あーはいはい、あとで聞くから」

 

 遠城を適当にあしらう東雲。

 

「それで平並──」

「いい加減にするのである!」

 

 そんな風に強引に俺に話しかけた東雲の言葉を、遠城が叫び声で遮った。

 

「お主には協調性というものが無いのであるか!?」

「協調性? それくらいあるわよ。誰かと海に潜るときに協調性が無かったら事故も起きやすいしね」

「だったらどうして……!」

「アタシ、協調性って言葉が大っ嫌いなのよ」

 

 直前の言葉と矛盾するようなことを、東雲はぴしゃりと言い放った。

 

「人生ってのはね、自分のためにあるものなのよ。協調性? 他人のために自分を抑えるなんて、そんなの本末転倒じゃない。自分以外の誰かのために生きて、なんになるって言うのよ」

「それは……」

 

 東雲の言葉を否定しようとして言葉が飛び出した俺の口は、その先を紡ぐことは無かった。

 

 

 

 誰かのために生きることが間違ってるなんてことは無い。それは断言できる。けれど、人生が自分のためにある、というのも間違ってはいないと思ったからだ。

 

「それなのにある程度は協力していかないと生きていけないってのが、この世界の一番の問題点だと思うわ」

「それが分かっているなら、どうして協調性を持とうとしないのであるか?」

「協力するのなんて、必要な時だけでいいじゃない。それこそ、学級裁判とかね?」

 

 学級裁判。アレは確かに、全員の協力なくしては生き抜くことはできなかっただろう。

 

「少なくとも、こんなどうでもいいところで協調性とか持ってらんないわよ」

「どうでもよくなどないのである! モノクマに対抗するために一致団結せねばならぬ状況であるぞ! 大体、お主には倫理観というものが欠けているのである!」

「そこらへんは個人の感性に依るところかしらね。人それぞれってやつよ」

 

 激情を飛ばす遠城に対し、あくまでマイペースに返事をする東雲。遠城の熱い正義感も含めて、とことん対照的な二人だ。

 

「遠城、あんまり熱くなってもしょうがないぞ」

「そうかもしれんが……」

「そうよ。頭に血が上ってもいいことなんかないんだから」

「お主のせいであるぞ!」

「わざわざ煽るようなことを言うな、東雲」

 

 お前、ちょっと楽しんでるだろ。

 

「……平並、お主が何か話そうとしていたところで申し訳ないが、吾輩はもう帰らせてもらうのである」

「ああ、分かった。どうせたいした話じゃないから気にしないでくれ」

 

 これは本当だ。どうしてもしたかった話ではない。

 

「すまないな。意見が聞けて有意義だったのである。それではな」

 

 そう言い残して、紙袋をつかんだ遠城は個室を後にした。出ていく直前、東雲を睨みつけていたのは気のせいではないだろう。

 

「短気な人は困るわね、まったく」

「……お前の自由っぷりの方がよっぽど困るぞ」

 

 ちなみに、俺としては東雲のマイペースさについてはもう慣れた。諦めていると言った方が正しいかもしれない。その思想に関して思うところはあるが。

 

「ま、いいわ。それで、アンタに聞きたいことがあるのよ」

 

 ドアから目を離して俺に向き直る東雲。怒り散らした遠城のことは取るに足らないことらしい。

 

「なんだ?」

「あの夜のことを聞いておきたいのよ」

 

 あの夜。

 言うまでもなく、事件の起きた夜のことを差しているはずだ。

 

「アンタが殺人を決意したのは、まあどうでもいいわ。『家族』とかなんとか言ってたし、そこらへんはモノクマの用意した動機に突き動かされたんでしょうね」

「…………」

「で、アタシが聞きたいのはその後なのよ。なんで七原の説得に素直に応じたの?」

「え?」

「だって、そうじゃない。アンタは、根岸を殺すつもりで包丁を持って倉庫に向かったんでしょ? その途中で七原に説得された、みたいなこと言ってたけど、だったらそこで七原を殺せばよかったじゃない」

 

 そのまま七原を殺してたらどうせ返り血とかですぐにクロだとばれてたでしょうけど、と東雲は付け加える。

 

「……殺せるわけないだろ」

 

 そんな意見を何のためらいもなく告げられてひるみながらも、俺は何とか言葉を返した。

 

「そりゃあ、七原には呼び出し状を出したわけでもないから殺すチャンスだったかもしれない。というか、実際殺そうとした」

「へえ?」

「隠してた包丁をあいつに向けたんだ。それなのに、七原は逃げようともせず、俺を説得してきた」

「具体的になんて言われたのよ?」

「具体的に……家族のことが大切かもしれないけど、ここでの生活も大切な日常なんじゃないかって。出会って数日かもしれないけど、本当に【仲間】を殺してもいいのかって。そんな風に七原に言われたんだ」

「ふうん……」

 

 そんな俺の言葉を聞いて東雲から出てきたのは。

 

「ありきたりね。普通だわ」

 

 という冷めた言葉だった。

 

「普通って……お前、何を期待してたんだ」

「生死のかかった瀬戸際の説得だから、もうちょっと過激な感じかと思ったのよ。ふたを開けてみればこんなものなのね」

「……そんなもんだろ」

 

 東雲の琴線には触れなかったようだが、他人から見ればそんなものなのかもしれない。それに、俺越しの言葉なわけだし。

 けれども、俺はあの時の七原の言葉に救われたのだ。それは間違いないと断言できる。

 

「がっかりよ。聞きたいことはこれだけだから、アタシはもう個室に戻って寝るわ」

「ちょっと待ってくれ、東雲」

 

 残念そうな表情でドアへと向かう東雲を、俺は呼び止めた。

 

「何?」

「俺からも、聞きたいことがある」

「手短に頼むわ」

 

 東雲は軽いあくびを一つ。そんな彼女に、俺が一番聞きたいことを問いかける。

 

「お前、どうしてこんなコロシアイ生活を楽しめるんだよ」

 

 その声には、少しだけ、怒りに似た感情が乗っていたかもしれない。

 

「学級裁判を楽しもうとか言ったり、それどころか、あの古池の処刑を見て面白いなんてつぶやいたり……お前は、人が死ぬことについて誰よりも詳しかったはずだ」

「あら? 古池は?」

「古池は……あいつは、また違うだろ」

 

 古池の場合は、人が死ぬことに詳しいというより、死に呪われているとでも言った方が良い。

 

「とにかく、海の中は孤独で死と隣り合わせって、そう言ってたじゃないか」

 

 

──《「ほら、アタシって【超高校級のダイバー】でしょ? 海の中って、孤独で……死と隣り合わせなのよ」》

 

 

 いつだったか、東雲はそんなことを言っていた。人が死ぬ危険性、その喪失感を知っているような口ぶりだったのに。

 

「それなのに、どうしてこんな、おぞましい空間を楽しめるんだ。それともお前は……死にたいのか?」

 

 言葉を紡ぐにつれて声はどんどん弱々しくなっていった。けれども、俺の言葉は何とか最後まで東雲に伝わったらしい。

 

「平並、分かってないわね。【逆】なのよ」

「逆……?」

「生きたいから、楽しいのよ」

 

 何を言っているんだ、という困惑は、口にせずとも東雲に伝わったようで東雲は言葉を続けた。

 

「元々アタシは楽しいことが好きだったのよ。楽しいことだけして生きていければ、そんな楽しいことは無いじゃない?」

「まあ、な」

 

 目的と手段がこんがらがったようなその台詞だが、言いたいことはなんとなく分かる。

 

「で、アタシが一番楽しいと思ったのがダイビング……というか海で潜ることそのものなわけ。海水に体をゆだねる感覚、少し籠った独特な音、陸上とは全く姿を変える光、海の中にしかない景色……そのどれを取ってもダイビングでしか味わえない楽しみなのよ」

 

 これも分かる。泳ぎは得意じゃないしダイビングもやったことは無いが、それがダイビングの醍醐味であることには想像が及ぶ。それが楽しいであろうことも。

 けれど。

 

「で、ここからが本題ね」

 

 この先が問題だ。

 

「ねえ、何よりも楽しいことって、なんだと思う?」

「え? ……それは」

「それはね、『生』を感じることよ」

 

 俺が答えを出すより先に、東雲は答えた。

 

「『生きてる』ことが一番楽しいのよ。だから、この生活は楽しいんじゃない」

 

 分からない。ここが分からない。

 

「生きてることが楽しいんだったら、こんな生活、楽しいわけがないだろ」

 

 こんな、死が常に隣に立っているような、地獄のような生活は。

 

「それは違うわね。『生』を強く感じる時っていうのは、『死』を強く感じた瞬間とイコールで結びつけることができる。塩のかかったスイカが甘く感じるようにね」

「…………」

「否定できないでしょ? 特にアンタはね」

 

 その通りだった。

 

「殺人を決意して、それを七原に説得されて取りやめて、それなのに新家の死体を目の当たりにして、そして古池の処刑を見て。あの夜、誰よりも生死の狭間を目撃したアンタは、誰よりも『生』を実感してるはずだもの」

 

 ……否定は、しなかった。

 

「アタシはね、小さいころに初めて海に行ったとき、足が攣って溺れかけたのよ」

「溺れかけた? 【超高校級のダイバー】のお前が?」

「ええ。まあ、準備運動もせずに入ったから今考えれば当然だけど。で、結局攣ってない方の足で無理やり泳いで足がつくところまで戻ってきたわ」

 

 溺れかけた、という言葉には耳を疑ったが、話を最後まで聞いてみると、まさに【超高校級のダイバー】に違いなかった。足が攣った状態で泳ぐなんて、どんな運動神経をしてるんだ。

 

「足が攣った時、アタシは本気で死を覚悟したわ。足は動かないし、水面は遠のいていくし、息はどんどんなくなっていくし。けどね、だからこそ、水面から顔を出した時、空気を吸い込んだ時、最高に気持ちがよかったわ!」

 

 恍惚を体現したような表情で、東雲はそう語る。

 

「それ以来かしらね、一歩間違えれば死んでしまうような、そんな状況に楽しみを見出すようになったのは」

「……だが、このコロシアイはそういう死のリスクとは少し話が違うだろ」

「そうかしらね? ピクリとも動かない新家の死体を見た時、アタシはゾクゾクしたもの。『ああ、アタシは生きている』ってね。あの快感は、何事にも替えがたい幸福だったわ」

「…………」

「アタシは、あの感覚をもう一度……いや、何度でも味わいたいと思っているの。だから、このコロシアイ生活が楽しいのよ」

 

 分からない。

 ただ、シンプルに。そう強く感じた。

 

「あ、別に死体に興奮する死体愛好家(ネクロフィリア)じゃないから勘違いしないでね。死体そのものじゃなくて、死がすぐそばに転がってる状況でアタシが生きてるってことが大事なんだから」

 

 なんて補足を東雲は付け足したが、正直そんな些細なことはどうでもよかった。

 

「質問はもう終わり?」

「あ、ああ……」

「なら、アタシはもう帰るわね」

 

 呆気にとられる俺を意に介すこともなく、東雲はそう言い残して個室を出ていった。

 

「…………」

 

 東雲は、生きることが楽しいと言っていた。なら、自分以外の人間の生死はどうだっていいのだろうか。

 ……いや、答えは出てるか。

 

 

──《「ピクリとも動かない新家の死体を見た時、アタシはゾクゾクしたもの。『ああ、アタシは生きている』ってね」》

 

 

 東雲は、どこまでも自分本位なヤツなのだ。

 そんな結論を出したところで、ドアがゆっくりと開く。

 

「平並君」

 

 その声の主は、蒼神だ。

 

「申し訳ありませんでした。わたくしが東雲さんを引き留めていれば遠城君との会話を邪魔することはありませんでしたのに……」

「いや、蒼神が謝ることじゃない」

 

 謝るのは東雲ただ一人のはずだからな。

 まあ、そんなことよりせっかくだからやっておきたいことがある。

 

「ところで蒼神、この後時間あるか?」

「ええ、特に予定はありませんが」

「それなら、蒼神、お前の話も聞かせてくれないか?」

「わたくしの……ですか?」

「ああ。昨日今日と色んな人と話したが、まだお前とはちゃんと話したことがなかったからな。構わないか?」

「はい。構いませんわ」

 

 よかった。やっておきたいこと、というのはこれだ。蒼神にはお世話になりっぱなしだが、その反面蒼神のことはあまり詳しくない。色んな人と話した勢いで、少しでも蒼神のことも知っておきたいと思ったのだ。

 

「お邪魔します」

 

 そう言って蒼神は個室に踏み入れる。そのまま椅子に腰かけた蒼神の姿勢は、背筋がピシリと伸びている。

 そんな背筋を、

 

「平並君、本当に申し訳ありませんでした」

 

 蒼神はそんな言葉とともに深く折り曲げた。

 

「あ、蒼神?」

「謝ればいい、というものでもありませんが、謝罪をさせてください」

「ちょ、ちょっと待て、顔を上げてくれ」

 

 急に始まった蒼神の謝罪を、そんな風に制する。

 

「蒼神、その謝罪はなんだ?」

 

 そんな俺の声を聞いた蒼神は、申し訳なさそうに頭を上げた。

 

「あなたが殺人を決意するほどに追い詰められていたと、わたくしは気づくことができませんでした。本来であれば、【超高校級の生徒会長】であるわたくしが気づくべきだったのです。あなたと、古池君の殺意に」

 

 神妙な表情で、蒼神はそう告げる。

 

「あなたを説得する役割は、七原さんでなくわたくしが担うべきだったのです。それなのに、わたくしは古池君を止めることも、新家君を守ることもできませんでした」

「…………」

「城咲さん、東雲さんと夜を明かそうとしていたのも、一人でいるのが怖かったからですわ。自分の責務も忘れ、ただ自身の安全しか考えられていませんでした」

 

 自分の責務だなんて蒼神は重い言葉を使う。

 

「その結果、事件を引き起こしてしまいました。平並君にも苦しい思いをさせました。わたくしの、【超高校級の生徒会長】にあるまじき失態ですわ」

「……そんなことないだろ」

 

 一つ一つ現れる蒼神の言葉を、俺は少し考えてから否定した。

 

「俺が殺意を抱いて根岸を殺そうとしたのは、俺が絶望に呑まれたから……俺が、弱かったからだ。古池だって、アレはアイツ自身の問題だ。蒼神は、何も悪くない」

「それこそ違いますわね」

 

 俺の言葉に間違いはないはずなのに、蒼神は反論する。

 

「明確に定めたわけではありませんが、わたくしはあなたたちの、皆さんのリーダーです。リーダーは、皆さんを安全で正しい道へと率いる責任があるのです。……ですが。わたくしはそれができなかった」

 

 蒼神はそこで沈黙し、うつむいた。何かが心の中で渦巻いているように見える。

 すこしして、蒼神はぽつりとつぶやいた。

 

「わたくしはリーダー失格です」

 

 珍しく、蒼神は弱々しい眼をしていた。そんな蒼神に、俺は思いの丈をぶつける。

 

「……蒼神は立派なリーダーだよ。不安でいっぱいだった俺達をまとめ上げてくれたし、学級裁判の時も蒼神がいてくれたから捜査に移れたし、裁判を進めることができた。裁判場から戻ってきた時だって、的確な指示を出してくれたじゃないか」

「…………」

「さっき、事件の夜はただ自身の安全しか考えていなかった、みたいなことを言ってたが、あの女子会は確実に城咲の不安を打ち消していただろ」

 

 東雲はわからない。東雲の場合は、単純に女子会が楽しそうとでも思ったから参加しただけかもしれない。

 

「それに、人を殺そうとした俺に、軟禁という的確な罰を与えてくれただろ。あれが無かったら俺はもっと孤立していただろうし、もっと苦しんでいた。ありがとう、蒼神」

 

 俺は、この点にこそ感謝したい。自分を責める俺自身に罰を与えてくれたからだ。蒼神がいなければ、もっとひどい現状になっていた可能性がある。

 

「……ありがとうございます。ですが、それがすべてではないのです。及第点は、満点しかありえません。それが人を率いる者の責任ですから」

 

 俺の言葉を聞いてなお、自分を責める蒼神。

 そのリーダーとしての姿勢に、『一人で抱え込まないでくれ』、『周りを頼ってくれ』という言葉を出しかけた。けれど、絶望に負けてしまった俺がその言葉を言うことはできなかった。

 

「「…………」」

 

 沈黙が重なる。今の俺では、蒼神の苦しみを癒せなかった。

 

「平並君。悩んでいることがあれば、わたくしに相談してください。今度こそ、あなたを救ってみせますわ」

「…………ああ。分かったよ」

 

 もし、これから先何かが待っているとして、蒼神に頼るべきか、頼らざるべきか。その二択から一つを選び取ることは、できそうにない。

 

「…………」

 

 空気が重い。

 蒼神の話が聞きたいとは思ったが、こんな空気にしたいとは思っていなかった。

 

「蒼神。どうしてそんなにリーダーにこだわるんだ」

「……どういう意味でしょうか?」

「お前、確か言ってたよな。『自分が生徒会長になったのは、自分の名を全国に轟かせたかったから』って。だったら、そんなに自分を責めてまでリーダーでいる必要はないんじゃないのか?」

「ああ、そういうことですか。それなら、答えは簡単ですわ」

 

 蒼神は、柔らかな笑みをたたえながら俺の疑問に答えてくれた。

 

「わたくしが、リーダーに向いているからです。これは驕りでも慢心でもありません」

「ああ、そうだな」

 

 混沌とした状況下でも冷静でいられ、皆を率いて適切に指示を出す。そんなリーダー適性の話をするなら、間違いなく蒼神が一番高い。

 

「誰かがやらねばならぬことに、わたくしが一番向いている。だから、わたくしはリーダーをするのです」

「……そうか」

 

 きっと、蒼神を突き動かすのはその責任感なのだろう。けれど、その責任感こそが、蒼神を支える軸である反面、蒼神を苦しめる枷にもなっているのだ。

 その枷の外し方を、俺は知らなかった。

 

「……蒼神。色々話してくれてありがとな」

「構いませんわ。わたくしといたしましても、ひとつ胸のつかえがとれたような気分ですもの」

 

 きっと、俺への負い目がずっとあったのだろう。それをなかなか吐き出せずにいたのだ。

 

「明日もよろしくな」

「ええ。こちらこそ」

 

 そんな言葉で、俺達は会話を切り上げた。

 

「では、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 そんな会話を経て、蒼神は廊下から個室にカギを掛けた。またこの個室の中には俺一人という状況になる。

 ドアから離れ、ふと窓からドームの天井を覗き込む。そこには、満天の星々が映し出されていた。

 

 

 

 俺達の想いも、苦しみも、悩みも、喜びも。

 星空はすべてを覆いつくして、俺達の頭上に存在していた。

 

 

 




今回は日常回でした。
少し人数の減った、仮初めの日常です。


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(非)日常編④ 世界に一つだけの夢

 【8日目】

 

 《個室(アラヤ)》

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 ドアチャイムの音を聞いて、俺はベッドから腰を上げた。特に急ぐわけでもなく入り口のほうへ歩いているうちに、ドアからはガチャリというカギの開く音がした。

 そのまま開いたドアから蒼神が顔をのぞかせる。

 

「おはようございます」

「蒼神、おはよう」

「お変わりの無いようで、何よりですわ」

 

 もはや日課となりつつある蒼神との朝の挨拶。これが、一日の初めに行われる生存確認である。

 俺がこの新家の個室に軟禁されたから、三度目の朝を迎えた。住めば都とはよく言ったもので、目を覚まして視界に映る景色もすでに見慣れたものになっている。毎朝生存確認のためにこの部屋を訪ねてくれる蒼神に対して申し訳ない気分になるが、こうしてコロシアイ生活を強制されている環境だとそれを欠かすことはできない。

 

「それで、平並君」

 

 薄ぼんやりとそんなことを考えていた俺に、蒼神が話しかけてきた。

 

「この軟禁の期限の話をしたいと思います」

「ああ……確か、三日間くらいのつもりだって言ってたよな」

 

 俺がこの部屋に荷物とともにやってきたあの日、蒼神は確かそんなことを言っていた。今朝でちょうど丸三日、ということになる。

 

「ええ、皆さんもだいぶ落ち着いてきましたし、そろそろ平並君の軟禁を終わらせようと考えております」

「……そう、か」

「あまり嬉しそうではありませんわね」

「まあ……」

 

 正直なところ、軟禁が終わるというのであればとてもありがたい話だ。半ば自分から望んだ生活とはいえ、この部屋の中は静か過ぎるし暇すぎる。【体験エリア】という新たなドームが開放されたのであれば、ますますそれを強く感じる。

 けれども、俺はこの生活を続けなければならないと思った。

 

「そもそもこの軟禁は俺がしでかしたことに対する罰だ。皆を裏切った罰としては軽いかもしれないが、それでも俺はこの罰を受け続けないといけない」

「……平並君。あまり思いつめすぎないようにと、以前申し上げたはずですが」

 

 少し不機嫌そうに、それでいて心配そうに蒼神は告げる。

 

「わかってる。思いつめてるわけじゃない。向き合いたいだけなんだ。俺の犯した罪に」

「それが分かっているのならよろしいですが……別に、軟禁が解かれたからといって罪を償えなくなるなんてことはありませんからね。罪を償う方法は、軟禁だけではありませんわ」

「……そうだな」

 

 それもそうか、と思った。具体的に何ができるかはまだわからないが。

 

「とはいえ、ここまで平並君を煽っておいて申し訳ありませんが、軟禁はもうしばらく続けることになるかもしれません。今日の朝食会で皆さんに軟禁の解除を申し出てみるつもりですが、皆さん全員を説得できるかは分かりませんから」

「ああ、分かったよ」

 

 無理もない。蒼神がなんと言おうと根岸は俺を許さないだろうから、俺の解放には断固反対するだろう。確か、大天も俺を軟禁すべきだといっていたし、彼女もまた同じだろう。時間が解決する問題が少なくないとはいえ、裏切られた恐怖はそう癒えはしないと思う。少なくとも、この短時間では。

 

「まあ、軽く掛け合ってだめだったら諦めてくれ。熱くなりすぎて口論にでもなったら大変だしな」

「ええ。もちろん分かってますわ。お気遣いありがとうございます」

 

 ……まあ、【超高校級の生徒会長】である蒼神にこんなことを言う必要もなかったか。

 

「では、そろそろこの辺で失礼いたしますわ。軟禁の終了に関しては朝食会が終わってからまた報告に参ります」

「ああ、頼んだ」

 

 その言葉とともに、蒼神はドアを閉めてガチャリとカギをかけた。そして、部屋の中に静けさが戻る。

 

「……朝食にするか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 適当に食べ物を口の奥に流し込んで、俺はまた静かな部屋でベッドに寝転がっていた。ちらりと時計を見ると、針が差すのは8時半。そろそろ朝食会が終わる時間だから、蒼神から俺の軟禁について話があるころだろう。

 もしも、俺の軟禁の解除を根岸が受け入れてくれたなら。その時は真っ先に根岸の元に向かおう。きっと化学室だろう。そして、ありったけの謝罪をするのだ。

 自己満足には違いない。根岸は嫌な顔をするかもしれない。

 けれど、俺のこの気持ちを伝えることは決して間違いなんかじゃないと思う。罪を償うために。罪に向き合うために。前を向くために。

 まあ、それもこれもこの軟禁が終わればの話だ。そうでなければ、俺は根岸と話す機会を得られないだろう。根岸はわざわざ自分を殺そうとしたやつのいる部屋を訪れたりはしないだろうし。

 そんなことを考えながら、俺は蒼神の鳴らすドアチャイムの音を待っていた。

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 

 けれども、その静寂を破ったのは、ドアチャイムの音なんかではなく、忌まわしき放送の始まりを告げる音だった。

 

「……なんでこんな時間に」

 

 朝7時を告げるアナウンスならもうとっくに鳴った。時報以外のアナウンスに、いい思い出はない。

 次の音を待つ俺の耳に、続けてモノクマの声が飛び込んでくる。

 

『オマエラ調子はどうすか? 新しいエリアが開放されてもやっぱり退屈だよね? ボクとしてはこんな茶番劇3分くらいで飽きたんだけど、さすがのオマエラもそろそろ飽きてきたよね?

 という訳で、全員メインプラザに集合! あ、生きてる人だけでいいからね! それじゃあ待ってるよ!』

 

 ブツッ!

 

 いつものごとく言いたい放題言って、モノクマの放送は終わった。『生きてる人だけでいい』なんて、わざわざ言わなくてもいい事を付け加えるあたり、本当に腹が立つ。

 ともかく、わざわざモノクマが俺達を集めるなんて、きっと用件はアレしかない。

 

 

 

 ──《【あなたの一番知りたいことはなんですか?】》

 

 

 

 俺達に絶望をもたらした、【動機】の配布に違いないだろう。

 また、あの悪夢が始まってしまうのだろうか。

 

「……嫌だ」

 

 あの絶望を、あの恐怖を、あの殺意を。俺はもう二度と味わいたくない。

 

「…………」

 

 放送からしばらくして、蒼神が俺を迎えに来てくれた。そんな蒼神とともに、メインプラザへと向かう。他の皆は先にメインプラザへ向かったらしい。

 

「それで、平並君の軟禁の話なのですが」

「ああ、どうなったんだ?」

 

 急ぎ足の道中で、蒼神が話しかけてきた。

 

「危惧していた通り、平並君の解放には反対する人も数名いらっしゃって、結局話はまとまりませんでした」

「……そうか」

「というよりも、話し合っている最中に例のモノクマの放送が流れたのです」

「ああ、なるほどな」

 

 モノクマとしても、収拾がつかなくなりそうだから話を打ち切らせたのだろうか。

 

「申し訳ありません。平並君にはもうしばらく軟禁を強いることになりそうです」

「わざわざ謝らないでくれ、蒼神。お前が気にするようなことじゃない」

 

 そもそも、俺が原因なわけだし。

 ともかく、軟禁解除の話は持ち越しとなったので俺の軟禁生活は続くことになるが、今はそれをどうこう言っている場合じゃない。

 もっと大きな困難が、俺達を待ち構えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《メインプラザ》

 

 いつもの集合場所であるメインプラザに到着すると、待機していた皆が一斉にこちらを向く。その数は12。心配そうに見つめる顔、特に気にした様子もない顔、おびえるように恐怖を露わにした顔、強くにらみつける顔……さまざまな顔が俺に向けられている。当然、新家と古池の顔はない。

 

「よ、よう……」

 

 何を言えばいいのかわからず、とりあえずそんな声を出して片手をあげて挨拶をしてみた。

 

「なんだ、案外元気そうだね、凡一ちゃん!」

 

 返って来た返事は、そんな露草の声だった。

 

『元気そうか?』

「元気そうだよ! もっと落ち込んで何もしゃべらないくらいかと思ったもん!」

『まあ確かにな。暗い顔でくるかと思えば、結構しっかりした顔つきだもんな』

「多分、一人で考えてる間に色々と吹っ切れたんじゃないかな?」

「吹っ切れた……まあ間違ってはないかもしれんが」

 

 急に始まった一人漫才にそんなボヤキをはさむ。

 

「いろんな人が話に来てくれたからだよ。それでなんとか、な」

『なるほどな。翡翠も話しに行けばよかったな』

「うーん。でも、わざわざ紫苑ちゃんに頼むのも面倒だし……」

「ともかく、それなりに実のある生活を送れたようで何よりです」

 

 そう口を挟んだのは、杉野だ。

 

「さすがに全員と話すことまでは出来なかったようですが、その言い方を聞くに満足にお話はできたようですね」

「ああ。ありがたいことにな」

 

 本当にありがたい話だ。無論、いいことだけじゃない。岩国には明確な拒絶を告げられたし、東雲は興味本位だけで俺を訪ねてきた。けれど、誰かと話ができるということは、できないよりもずっとましだ。

 

「ふ、ふん……み、みんなよくやるよ……よ、よくそんなやつと話せるよな……」

 

 そんな中、敵意の乗ったとげのある言葉が聞こえてきた。根岸だ。

 

「そ、そいつは、ぼ、ぼくたちを殺そうとしたんだぞ……! ど、どうしてそんな風に気軽に話せるんだよ……!」

「章ちゃん! そんなこと言っちゃだめだよ!」

「で、でも、ほ、ほんとのことだろ……!」

 

 確かに、そうだ。俺がしでかしたことはそう簡単に許されるようなことじゃない。話しかけてくれる他皆が優しいだけで、根岸のように俺を拒絶するのが当然なのだろう。

 それでも、謝りたい。謝らなくちゃいけない。

 そう思ったのに。

 根岸の元へ歩こうとして動かした足は、

 

「茶番はもういい」

 

 という声に止められた。

 

「俺はそんな話を聞きにここに来たんじゃない。全員そろったんだからとっとと始めろ、ぬいぐるみ」

 

 声の主は岩国だった。その視線の先にあった木製のステージには、絶望の象徴たるモノクマがすでに鎮座していた。

 

「いたのか……」

「平並クン、何だよその言い方! いたよ!」

 

 ぷんすかと擬音の出そうな身振りで怒るモノクマ。

 

「オマエのせいで開始が遅れたんだからな! ようやくメインプラザに来たと思ったらぺちゃくちゃしゃべり出すし! 偉いクマの前では静かにしろって習わなかったのかよ! あー、もうこれだから未熟者は……」

 

 モノクマは、そんな風に愚痴を垂れ流す。

 

「俺は、とっとと始めろと言ったはずだが」

「ああ、岩国サン、ごめんごめん。こんなガキンチョに怒り散らすなんて大人げ、いや大熊げのないことしちゃったよ」

 

 かと思えば、岩国の文句にケロっとした様子でステージに立ち直すモノクマ。

 

「はい! それじゃあ施設長からのありがたいお話です! 心して聞くように!」

 

 なんて前フリを入れて、モノクマは話し始めた。

 

「さて、この前初めて学級裁判をやったわけだけど、どうだった? 喜んでくれたかな? 喜んでくれたよね! 楽しかったよね!」

 

 俺たちに問いかけるような口調の癖に、俺たちの意見なんか聞く気はなさそうだ。あんな悪夢のような学級裁判が楽しいわけがない。喜ぶわけがない。「そうね!」なんて相槌を打っている東雲はもう無視しておく。

 

「で、あの学級裁判を経てオマエラは一回りくらいは成長したかと思うんだけど、学級裁判を続けてやっても疲れちゃうだろうから、ボクはここ数日オマエラに休憩を与えてたんだよね。あー、ボクってばなんてやさしいクマなんだろ!」

 

 チッ、という火ノ宮の舌打ちが聞こえる。同感だ。

 

「けど、いい加減休憩も終わり! そろそろ死体の一つでも見つかってくれないとボクとしてもつまらないんだよ! オマエラに分かるか!? 毎日だらっだらだらっだら過ごすオマエラを見せられてるボクの気持ちが!」

「分かりませんわ。 そう思うならわたくしたちを解放すればいいではありませんか」

「解放なんかするわけないっての! 黙って聞いてろよ!」

「オレ達に問いかけておいて黙っていろとは、随分ムチャな注文じゃないか」

「ああ言えばこう言う……オマエラはこれだから!」

 

 蒼神やスコットが口を挟むが、モノクマは話をやめそうにない。モノクマの方こそ黙っていてほしい。

 

「とにかく、ボクとしてはまた事件を起こしてほしいんだよ。というわけで、お待ちかねの【動機】のプレゼントだよ!」

「だ、だから待ってないって……」

「今度はどんな【動機】なの?」

「まあそう焦らないでよ、東雲サン!」

 

 そんなことを言いながら、モノクマはひょいとステージから降りる。

 

「ボクは考えました……オマエラがどうしたら殺人をしてくれるのかと……皆自分じゃ何にもできないひよっこじゃん? そんなオマエラでも誰かを殺してくれるようなすばらしい【動機】は何だろうなと考えて、そこで前回の【動機】を思い出して気づいたんだよ」

「気づいたってなににですか?」

「それはね、城咲サン! 前回の【動機】はアメとムチで言えばムチだったって事だよ! ま、情報をプレゼントするって意味だとアメなんだけど、オマエラを焦らせるのが目的だったからまあムチの【動機】で間違いないよね」

「……ということは」

「そう! 今回ボクがオマエラにプレゼントする【動機】は、アメって事!」

 

 アメでもムチでもどっちでもいい。【動機】の種類なんかどうでもよくて、問題なのはその中身だ。

 

「で、オマエラが一番欲しいものを考えたけど、それって一つしかないよね」

「一つ……?」

 

 欲しいもの、と言われて思いつくものはいくつかあるが、『一番』と言われて頭に浮かぶものが、確かに一つ存在した。

 

 

 

 

「──オマエラが失った、記憶。そうだよね?」

 

 

 

「記憶……」

 

 今の俺達に欠けている、大事な人生のピースだ。

 

「失ったんじゃなくて、てめーが奪ったんだろォが!」

「うるさいなあ。そんな些細なことはどうだっていいんだよ。肝心なのは、オマエラに足りない記憶があるってこと!」

 

 どうでもよくはない。しかし、それをモノクマに言ったところでどうしようもない。

 

「と言うわけで、今度の学級裁判を勝ち抜いたクロには、その記憶を返してあげるよ! これが今回の【動機】だよ!」

 

 記憶を返す……? そんなことが、いや、記憶を奪うことができるんだからその逆もできておかしくない、のか……? よく分からない。

 けれど、今更それがなんになると言うのだ。確かに、モノクマに奪われた2年間の記憶が取り戻せるのなら取り戻したい。一体2年の間に何があったのか、その記憶を思い出せるのであればそれに越したことはない。しかし、果たしてそれは皆の命よりも優先されることなのだろうか。

 想い出は、大切だ。俺があの日殺人を決意したのも、家族との想い出を忘れられなかったからだとも言える。そういう意味では、確かにこの【動機】は蠱惑(こわく)的な甘い()()になっている。

 

 だが。

 記憶そのものが、想い出そのものが。殺人のきっかけになりうるのだろうか。

 

「…………」

 

 仮に、なるとしても。

 

「……お前の思い通りになんかなるもんか」

「ん?」

 

 わきあがる感情をモノクマにぶつける。

 俺達は、俺は、立ち向かわなければならない。

 

「もう事件なんか起こさせない! 殺意なんか、抱かない!」

「ああ、誰かと思えば真っ先に人を殺そうとした平並クンじゃん。どうしたの? 早めの反抗期?」

「そんなんじゃ……!」

「はいはい、これを見た後でもう一回同じことが言えたらなんかプレゼントしてあげるよ。プラモを組み立てるときにあまった部品とか」

 

 いらねえ……って、

 

「まだ何かあるの……?」

 

 俺が反応するより先に、大天がそう声を漏らした。

 

「もちろん! 記憶を返すなんて言ったって、オマエラはどうせピンとこないだろうと思ってね。だから、『オマエラが失った記憶のヒント』を教えてあげることにしたんだよ!」

 

 記憶のヒントだって?

 

「余計なお世話だよ」

『まったくだな』

 

 七原と黒峰が反応する。

 

「まあまあ、短い人生何が起こるかわからないんだから、貰えるものは貰っておいたほうがいいと思うよ? じゃあ、前回みたいに『システム』に送っておいたから、見たい人は勝手に見てね。見たくなかったら見なくてもいいけど、オススメはしないよ。それじゃ、サイッコーのコロシアイを待ってるからね!」

 

 そんな言葉を最後に、モノクマはどこかへと消えてしまった。

 そして、例のごとくメインプラザに俺達が残されることになった。

 

「…………」

 

 皆、それぞれの『システム』を見る。何かを考え込むようにじっと見る人もいれば、一瞥しただけでそっぽを向く人もいる。

 そんな中、遠城が口を開いた。

 

「……それで、どうするのであるか?」

 

 どうする、とは、『システム』に送られたという記憶のヒントのことだろう。だったら、答えなんか決まってる。

 

「見るべきじゃない。こんなもの」

 

 前の【動機】が提示されたときもはじめはそんなことを思っていた。結局あの時は全員で【動機】を確認することにしたが、あの悪夢を経験した後なら、より強く見ないべきだと思える。

 

「これがどんな内容かは正直分からない。モノクマは記憶のヒントって言ってたが、どんな風になってるかも分からない。けど、これを見てしまえば、人を殺したくなるような……人を殺してでも、その記憶を取り戻したくなるようになってるはずだ。前回だってそうだっただろ。……俺が言えたことじゃないかもしれんが」

「いや、キミの台詞は誰より説得力がある。実際に明確な殺意を抱いた(絶望的な物語を描いた)キミの、ね」

 

 そんな台詞を放ってくれたのは明日川。彼女も、あの日とっさに包丁を持ち出してしまった。もちろんアレは俺のせいだから明日川が責められる謂れはないのだが、彼女としては思うところもあるのかもしれない。

 しかし、そんな俺達に反論があがる。

 

「……人を殺すなんて、考えなきゃいいだけだろォが」

 

 彼にしては珍しく、火ノ宮は静かにそう呟いた。

 

「殺人をしちゃいけねェなんて、倫理道徳の大前提に置かれるべきことだろ。『人を殺すべきかどうか』なんて悩むこと自体がおかしいんじゃねェのか? ……それに、てめー、言っただろ。卒業する気なんかねェって」

 

 

 

 ──《「学級裁判を終え、丸一日以上が経過した今、率直にお聞きします。平並君は、これから先、誰かを殺して『卒業』をする気はありますか?」》

 

 ──《ズバリと、杉野は俺の心に切り込んできた。》

 ──《その問いかけに、俺ははっきりと答える。》

 

 ──《「ない」》

 

 

 

 確かに、火ノ宮と杉野が個室を訪ねてきてくれたときにそんな話をした。

 したのだが。

 

「アレは、嘘だったって言うのか?」

「…………それは」

 

 返す言葉を探していると、杉野が口を開いた。

 

「火ノ宮君。その考え自体には賛同いたしますが、この状況下においては現実的ではありません。殺意は抱くものとして行動すべきだと、それこそあの時に伝えたはずですが?」

「…………チッ」

「では、この『しすてむ』に送られたひんとは確認しない、ということでよろしいのですか?」

「ええ、そうした方が賢明だと思いますわ、城咲さん。これを送りつけてきたモノクマの方も、見たくなければ見なくてもいいと断言しているのです。そんな状況下でわざわざ導火線に火をつけるような真似をする必要はありません」

 

 そう告げる蒼神。その言葉に異を唱えたのは、案の定というか、東雲だった。

 

「えー、つまんないじゃない。別に見たっていいんじゃないの? 減るもんじゃないでしょ」

「減るだろもし事件が起きてしまえば、さらにここで生活する人数は減ることになるんだからな」

「ああ、そうね、スコット。そうなったら1人か12人になっちゃうわね。今のは失言だったわ」

「……お主、何を反省すべきか、分かっているのであるか?」

「分かってるって。数字の計算が出来てなかっただけじゃない」

『瑞希の場合、いっつも失言だよな』

「失礼ね。人をなんだと──」

「とにかく!」

 

 東雲の台詞を打ち切って、蒼神が話をまとめる。

 

「『システム』に送られた記憶のヒントは、決して見ないようにいたしましょう。個人の自由に任せるのではありません。全員が、見ないようにするのです。規則のように強制力はない以上、この約束を守るどうかの判断は皆さんの良心に任せることになりますが……コロシアイが起きて欲しくない、という想いがあるのであれば、きっと守ることができると信じていますわ」

 

 それがいい。と、これで話し合いは終わったかと思ったのだが。

 

「そ、それでいいのかよ……」

 

 根岸から声が上がった。

 

「ど、【動機】には違いないけど……こ、これも情報には、ち、違いないだろ……? に、二年間の記憶のヒントだぞ……?」

「それはそうですが……根岸君、あなたがそれを言うのですか? 前回、【動機】を見て殺意を抱いた平並君に狙われたのは、他でもないあなたではありませんか」

「そ、それは……」

「あなたも、コロシアイが起きて欲しくないとはお思いでしょう?」

「…………」

 

 蒼神に反論されて根岸は黙り込んだが、それでもあのヒントが気になっているようだった。

 

「このヒントが気になるというのは、おそらく全員そうでしょう。何せ、自分の記憶のヒントなのです。……ですが、それこそが罠に違いないのです」

 

 そうだ。確かに俺も記憶のことは気になる。けれど、それに惑わされてはいけない。とは思いつつ、周囲のざわめきを聞くに、皆記憶のヒントに心が揺さぶられているようだ。

 

「では、このようにするのはいかがでしょうか」

 

 そんな中、杉野が声をあげた。

 

「事件の種はできる限り取り除いてしまうのがよいと思いますので、記憶のヒントを見ないようにするという意見には全面的に賛成です。賛成ですが、一方でそれを無視することができないという根岸君の気持ちも十分に理解できます」

「…………」

 

 おそらく、それがこの中の全員が思っていることだろう。

 

「この記憶のヒントというのは、すなわち僕達が失った2年間のヒントなのです。それを無視するというのは、(いささ)かもったいないのではないでしょうか。得られる情報はできる限り得ていくべきだと思います」

 

 一理、なくもない。なくもないと思う。が、

 

「じゃあ、ヒントを見るべきだっていうのか? それで事件が起きたら本末転倒だ。リスクが高すぎるだろ」

「ええ、その通りです、平並君。ですから、絶対に事件を起こさない人……殺人をしない人だけが確認すればよいのです」

 

 さもなげに、そんなことを言ってのける杉野。

 

「……杉野君。確かにその提案(プロット)に沿えば情報を得ることができるだろう。しかし、その絶対に殺人をしない(登場人物)とは誰のことを指している? どんな人間(キャラクター)であろうと、モノクマの策略(シナリオ)の元では誰しも殺意を持ってしまう可能性があるはずだ。ついさっき(たった数ページ前)、そういう台詞を放ったのはそれこそ杉野君だっただろう」

 

 明日川が、そんな台詞で杉野の提案を否定する。俺もそう思う。モノクマからの【動機】である記憶のヒントを見ても絶対に平常心でいられる人、なんて分からない。火ノ宮や蒼神、杉野なんかは一見問題ないように思えるが、何か致命的な心の弱点をモノクマが突いてくる可能性もある。その可能性が否定できない限り、杉野の提案は絵に描いた餅に過ぎない。

 

「ああ、そういう意味ではありません。言い方を変えましょう。殺意を抱く可能性はありますが、絶対に殺人を行えない人ですよ」

 

 ん? 妙な言い回しだ。殺人を、行えない人?

 俺が答えにたどり着く前に、蒼神が答えを告げた。

 

「……なるほど、平並君のことですわね」

 

 そこであがったのは、俺の名前だった。

 

「ああ、なるほど。俺は軟禁されるからか」

「その通りです。いかに殺意を抱こうと、鍵のかかった個室に閉じ込められてしまえば殺人を行うことはできないでしょう。というわけで、僕からは平並君だけが記憶のヒントを確認することを提案します。いかがでしょうか?」

 

 杉野がそうしゃべってから、少しの間が開いた。

 

「…………いいんじゃない?」

 

 ためらいがちにそう言ったのは、殺人を計画した俺を忌避していた大天だった。

 

「……いいのか?」

「この2年間の情報が手に入るなら、手に入れておいたほうがいいと思う、っていう根岸君や杉野君の意見には賛成なんだ。……それに、平並君が反省したとかはあまり信用してないから、平並君がヒントを見ようが見なかろうが、関係ないし。軟禁されるんだったら、もともと事件は起こしようがないしね」

「……そうか」

「他の皆さんはいかがですか?」

 

 杉野が周りを見渡す。

 

「ダメだよ!」

 

 否定する声。七原だ。

 

「軟禁されてるからって、関係ないよ! モノクマが用意したものなんだよ? 危ないに決まってるよ! 何が起こるかわからないし、そんなもの、見ちゃダメだよ!」

「……確かに、七原さんの意見も分かります。危険な代物には違いありません。では、当人に伺いましょう」

 

 そこで、杉野が俺のほうを向いた。

 

「平並君、あなたの意見をお聞かせください」

「俺は……」

 

 目を瞑って考える。欠けた記憶に思いを馳せる。

 七原の言ってることは分かる。こんなもの、見ないほうが絶対にいい。それでモノクマの思い通りになるのなんか嫌だし、殺意なんか抱きたくない。それに、【超高校級の幸運】の、俺を止めてくれた恩人である七原の言うことだ。その意見に乗るべきなのだろうと、思う。

 ……けれど。

 

「……記憶のヒントを、知りたい」

「平並君……」

 

 俺は、2年間の記憶を、無視することはできなかった。

 大丈夫だ。たかが、記憶のヒントだけだ。どのみち、俺に殺人はできないんだから、【動機】を見ようが、殺意なんか抱くことは無いはずだ。今一番安全な状況にいる俺が、確認するべきだ。

 そう、自分に無理やり言い聞かせる。

 

「そうですか」

 

 杉野は、そう言って軽くうなずいた。

 

「では、平並君。お願いします」

「……分かった」

 

 俺は蒼神の声を聞いて『システム』を起動した。衆人環視の中、それを操作する。

 メインメニューの【モノクマからのプレゼント】を選択すると、前回配られた『大切なもののビデオ』の【動機】の下に、新しく【動機2】という欄が増えていた。きっと、モノクマが言っているのはこれだろう。

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込んで、俺は【動機2】を選択した。

 

 

 

 

 

 すると、何の前触れもなく、画面にとある単語が表示される。

 前回のようなビデオではなく、たったの一言で完結していた。

 暗闇のような背景に浮かび上がる、白抜きの文字。

 これが、俺が失った、記憶──。

 

 

 

 

 

「平並君。何が表示されましたか?」

 

 ウィンドウ越しに、杉野が尋ねてくる。空中に現れるこの画面は、向こうが透けて見えるのに反対側からは見えないようになっているのだろう。けれどそれは、今はまったく重要ではなく。

 

「──ああ、ダメだ。これは」

 

 声にしようとは思わなかったのに、無意識に感情がもれ出てしまった。

 

「はい?」

 

 疑問符を頭に浮かべる杉野の声。それに反応するように、俺の口からその単語が発せられる。

 

 十数人の人生をかけてでも、なんとしてでも欲しいと思える()()の名を。

 

 

 

 

 

「【才能】……」

 

 それこそが、俺の失った記憶らしい。

 

 

 

 

 

「才能、ですか……」

 

 画面にはもうこれ以上表示されないようなので、『システム』を終了させた。

 才能……俺に、才能?

 希望ヶ空に入学してからの二年で、才能が開花したというのだろうか。【超高校級の凡人】の、この俺に……? 何をやってもぱっとしなかった、俺に、才能が?

 

 あれほど渇望して、

 それでも手に入らなかった、

 輝きに満ちた才能が、

 ただの凡人の、この俺に?

 

「平並君。大丈夫ですか?」

 

 その蒼神の言葉で、ようやく俺は思考のループから抜け出した。

 

「……皆」

 

 そして、なんとか、声を絞り出す。

 

「これは、見ちゃダメだ」

 

 その理由は、わざわざ言葉にしなくても伝わっただろう。

 俺の言葉を聴いて、蒼神が総括をする。

 

「ヒント、というには余りにも漠然としすぎていますわね。彼の場合、【超高校級の普通】という才能の詳細が判明したのか、それとも他の才能を手にしたのか。曖昧すぎて、情報としての価値はありませんわね」

 

 結局、アレだけじゃ2年間のことは分からない。ただただ精神が削り取られただけだった。

 

「とにかく、記憶のヒントがどれほどその人の心に刺さるかは明白ですわ。皆さん、決して見ないようにいたしましょう」

 

 そんな俺の様子を見て、蒼神がそうまとめた。

 ともかく、これで話し合いも終わるかと思ったが、

 

「すいません。もう一つだけ、提案をしてもよろしいでしょうか?」

 

 またしても、杉野がそんなことを言い出した。

 

「かまいませんわ。提案というのは?」

「今度は、明確にコロシアイを防ぐための提案です。前回の事件は、新家君が古池君に呼び出されて発生しました。そうですよね?」

『……その通りだな』

 

 『卒業』を企んでいた古池が、新家と明日川の口論を目撃して発生した事件。古池が、明日川のフリをして新家を呼び出し、ガラスの破片で刺し殺したのだ。

 

「そこから得られる教訓が一つ……殺人は、被害者側が自衛することができるのです」

 

 自衛、か。

 

「もちろん、世の中の事件すべてがそうであるとは言いませんし、新家君を貶める意図があるわけでもありません。強引に押し入られたり通り魔的に襲われたりした場合も当然その限りではないでしょう。ですが、事ここにいたった以上、積極的に自衛していくべきだと思います」

「要するに、何が言いてェ」

 

 杉野の回りくどい説明に痺れを切らした火ノ宮が、口を挟む。

 

「僕からは、今日一日、明日の朝まで全員が部屋に閉じこもることを提案します」

「へやに、ですか?」

「そうです、城咲さん。この後解散してから、僕たちはそれぞれの部屋に閉じこもるのです。誰かに呼び出されたとしても、何があっても部屋からは出ないようにするのです。そうすれば、事件は起こりえない。そうですよね?」

「確かに……そうであるな」

 

 遠城が相槌を打つ。

 杉野の言うとおりだ。もしも誰かが殺意を抱いて殺人計画を立てたとしても、相手が個室から出てこなければ殺しようがない。だからこそ、俺はあの日一番誘い出せそうな根岸をターゲットにしたのだから。

 

「ただ、これから先ずっと部屋にいるわけにもいきません。ですから、まずは今日一日を乗り越えるのです。……これが僕の提案なのですが、いかがでしょう?」

 

 それを聞いた蒼神は、

 

「概ね、いいと思いますわ。それで事件の発生を防ぐことは可能だと思います」

 

 と答えた。

 

「ただ、それでも日中は調理スペースの見張りが必要ですわね。全員が部屋に篭るのであれば、毒を食材に混入させようとする者が現れるかもしれません」

「ああ、そうでしたね」

「それでしたら、わたしは夜時間まで食事すぺーすにのこります。それならいかがでしょう?」

 

 城咲が案を出す。

 

「それじゃ城咲の安全が確保されねェだろォが。城咲が狙われたらどうするんだァ?」

「問題ありません。わたくしは【超高校級のめいど】としてごしんじゅつは身に着けておりますから」

「メイドってそういうもんだったかしら?」

 

 東雲がそんなツッコミを入れるが、論点はそこじゃない。

 

「それでも、万一って事があるだろ。もう一人見張りをつけた方がいい」

「でしたら、わたくしが城咲さんと一緒に食事スペースに残りましょう。城咲さん、よろしいですか?」

 

 蒼神の問いかけに、城咲がうなずく。

 

「それでは、話はまとまりましたわね。これで解散といたします。繰り返しますが、あの記憶のヒントは決して見ないように。そして、明日の朝まで、部屋の外へは絶対に出ないように。よろしいですわね?」

 

 その蒼神の呼びかけに、ほぼ全員がうなずいた。うなずかなかった岩国も、この場に残って尚異を唱えないところを見ると賛成なのだろう。

 

「明日の朝を、ここにいる14人で迎えましょう」

 

 蒼神は、そう締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼神の話が終わると、皆、ゆっくりと足を動かし始めた。不安そうな表情を浮かべてはいるものの、絶望しきった顔と言うわけでもない。

 ただ、そんな他人の心配よりも、今は俺自身のことを考えなくちゃいけない。

 

「…………」

 

 左手の人差し指にはめた『システム』に目を落とす。

 さっきウィンドウに表示された、【才能】の二文字。アレが本当に俺が失った2年間の記憶のことだと言うのなら、俺はその2年間で才能を手にしていたことになる。そうでなければ、希望ヶ空が俺につけた【超高校級の普通】という才能の本質を知ることになったかだ。どちらにしても、【超高校級の凡人】だなんて自嘲することはなくなるのかもしれない。

 俺が手にしていた才能とは、どんな才能だろう。これまで生きてきて、自分に向いた何かに出会ったことなど一度もなかったから、とんと見当がつかない。

 気になる。

 手に入れた才能が何だったのかさえ分かれば、記憶を奪われた今からでもその才能を再び手に入れることができるかも知れない。

 けれども。

 

「……平並君」

 

 ふと、そんな声がかかる。蒼神だ。隣には、七原も心配そうに俺の表情を伺っている。

 

「思いつめた顔をなさってますが、本当に大丈夫ですか?」

 

 よほどひどい表情をしていたらしい。

 

「ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事をしていただけだから」

「……そうですか」

「でも……」

 

 そうやって応えるも、七原は納得していないようだった。

 

「問題ないぞ。心配するほどじゃ……」

「…………」

 

 七原に見つめられる。ああもう、本当に敵わない。

 

「……悪かったよ。本当は全然大丈夫じゃない」

「やっぱり」

「けど、本当に、二人が心配するほどじゃないんだ」

 

 『システム』を一瞥して、言葉を続ける。

 

「【才能】っていう、俺がずっと欲しかったものを2年の間に手に入れていた、なんて言われて、ちょっと混乱してるだけだ。一人になって落ち着けば、多分大丈夫だろ」

「それならいいけど……」

 

 七原は余り納得していないような表情だが、それ以上の追求はしてこなかった。その代わりに、目を伏せてポツリと呟いた。

 

「やっぱり、見るべきじゃなかったんだよ。あんなもの」

 

 目を伏せてそうぼそりと呟く七原。七原はちゃんと警告してくれたのに、俺は記憶の誘惑に勝てなかった。

 

「……すまん、七原」

「もう見ちゃったものは仕方ないけど……もうちょっと、私の言葉を信じてほしかったな」

 

 七原のことは信用しているし、その幸運だって信頼している。……けれど、今それを口にしたところで、きっと薄ら寒い言葉にしか聞こえないだろう。

 

「…………」

 

 何を言えばいいか思考をめぐらせたものの、結局答えを見つけることはできなかった。

 

「無理、しちゃだめだからね」

「……ああ、分かってる」

 

 その後、七原は「じゃあ、また明日」と言い残して、七原はメインプラザを出て行った。

 そう、俺は混乱してるだけだ。

 確かに、この【動機】は俺に大きな衝撃を与えた。

 【才能】は、俺にとってはどんなことをしてでも欲しいと思えるものだ。しかし、俺はもう決めたんだ。皆と一緒にここから脱出すると。もう、皆を裏切ったりしないと。殺人なんて絶対にしないと。モノクマにだって、啖呵を切っただろう。殺意なんて、抱かないと。

 

「それでは、わたくしたちも参りましょうか」

 

 蒼神が、そう語りかけてきた。

 

「それとも、わたくしや城咲さんとともに食事スペースに残りますか? 一人でいるよりもそっちのほうが安心するのではありませんか?」

「いや、その必要はない。というか、皆だって個室に閉じこもるのに、最初から軟禁される予定だった俺が個室に戻らないわけにいかないだろ」

「……それもそうですわね」

 

 そんな会話を交わして、ふと思い至る。そうだ、第一俺には殺人が行えないじゃないか。俺は新家の個室に軟禁され、そのカギである新家の『システム』は蒼神が持っている。こんな状況じゃ、誰かを殺すなんて不可能だ。そうと分かれば、誰かに殺意を抱くこともないんじゃないか?

 もし俺が誰かを殺すには、カギをかけられる前に蒼神を殺すしかない。蒼神がカギをかける前に、適当なことを言って部屋の中にでも呼び入れて殺すのだ。それだと血痕が残ってしまうか? ……いや、だったら、絞殺にすればいい。タオルか何か、最悪靴紐やパーカーの紐だって凶器になる。そうすれば血は出ないから血痕は残りようがない。だが、抵抗されれば殺しきれない可能性が……だったら、先に手を縛れば……縛れるか? やはり刺殺か。血痕が気になるなら、このまま蒼神をどこかへ連れ出して……いや、蒼神はこのあと城咲と一緒に食事スペースに残るって話をしたばかりじゃないか。だったら、無理矢理夜に約束を取り付けて、そして──

 

「平並君?」

 

 ──その声で、俺は一気に現実に引き戻された。

 

 何だ、今、何をした?

 

 俺は今、何を考えていた?

 

 

 

 どうして俺は、蒼神を殺す方法を考えていたんだ?

 

 

 

「平並君、本当に大丈夫ですか? 苦しいなら苦しいと、辛いなら辛いと素直に仰ってください。泣き言を言わないのは美徳ですが、虚勢を張って余計苦しい思いをしては元も子もありませんわ」

 

 俺を叱るように、諭すような蒼神の声。

 

「…………なあ、蒼神」

 

 そんな彼女に、俺はこんな言葉を投げかけた。

 

「なんでしょう?」

「ちょっと、頼みがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《実験棟》

 

 初めて足を踏み入れた【体験エリア】。このエリアにも、案の定監視カメラの類は存在していた。その中で一番高い建物である実験棟へと、橋を渡ってやってきた。

 

「これが実験棟か……」

「ええ。もっとも、用途がピンポイント過ぎて、わたくしは探索の日以来近寄りませんでしたわ」

 

 蒼神とそんな会話をしながら実験棟の中に入り、階段を上っていく。そうして俺達は、目的地である化学室の前へとたどり着いた。

 

「電気がついてるな」

「ええ、きっと、彼がいるのでしょう」

 

 確かに、心当たりは一人しかいない。

 蒼神が、ガラリと音を立てて扉を開ける。

 

「やはり、根岸君でしたか」

「あ、蒼神と……ひ、平並……」

 

 思ったとおりに化学室の中にいた根岸は、棚の前に立って参考書を手に取っていた。一瞬驚いたような顔を見せ、そして俺を睨む。

 そんな根岸を見て、本来の目的とは違うが、やらねばならないことに思い至った。

 

「根岸」

「な、なんだよ……」

 

 蒼神の前に立ち、根岸のもとに歩み寄る。

 そして、告げる。

 

「すまなかった、根岸」

 

 その言葉とともに、大きく頭を下げる。土下座までするのは、逆に冗談染みてしまう気がして、あえてやらなかった。

 

「お前を裏切って、お前を殺そうとして、本当にすまなかった」

 

 その、俺の純粋な想いは、

 

「……あ、謝れば、い、いいってもんじゃないだろ……」

 

 根岸には、届かなかった。

 

「……それでも、ごめん」

「…………」

「それで、根岸君。あなたはここで何をなさっていたのですか?」

 

 俺達の空気に耐えかねたのか、それとも助け舟を出したのか。蒼神が根岸にそう尋ねた。

 

「べ、別に何も……きょ、今日も、じ、実験をするつもりだったけど、へ、部屋に篭らなきゃいけなくなったから……じ、時間つぶしのために、さ、参考書を持っていこうと思ったんだ……」

 

 根岸は、棚に並ぶ参考書を一瞥して答えた。

 

「なるほど、確かにそれはいいアイデアですわね」

「こ、ここの参考書は、ま、まだ読んだことないやつもたくさんあるから……」

 

 化学室の棚には、参考書がずらりと並んでいた。タイトルを見る限り、その中には原文で書かれたものも多いようだ。もしかして、根岸はこういうものも読めるのだろうか。

 

「そ、それで、お、おまえたちは何しに来たんだよ……ぼ、ぼくにあやまりにきたのか……?」

「いえ、それは目的ではありません。根岸君がここにいることは知りませんでしたから。彼が根岸君に謝りたいと思っていたことには間違いありませんけれど」

「そ、そうか……」

 

 参考書に向けていた視線を、根岸たちに向ける。

 

「平並君が、睡眠薬を欲したのです。一人でいると変なことを考えそうだから、いっそ眠ってしまいたいということだそうですわ」

 

 そう。

 俺の蒼神への頼みというのは、化学室にあるというモノクマの用意した睡眠薬のことだ。

 

 さっき、無意識に殺人計画を考え出したことにぞっとした。そうでなくとも、【才能】のことで頭の中はめちゃくちゃなのだ。いくら軟禁されていて他人に手出しはできないとはいえ、これで個室に独りきりになんてなったら俺が何をしでかすか、自分で自分のことが信用できない。

 だったら、無理にでも眠ってしまえばいいと思ったのだ。モノクマ特製という睡眠薬は、どうやらぐっすり眠れそうだと聞いている。()()モノクマ特製というところに不安を覚えないこともないが、説明欄に書いてあったという致死性がないというところは本当だろう。元々コロシアイのために用意したもののはずだから、そこに嘘があっては学級裁判が成立しなくなるはずだと思ったからだ。……自分自身も信じられないくせに、モノクマのことは信じられるなんて、とんだ皮肉な状況だと自分でも思う。

 

 ともかく、そんなことをさっき蒼神に説明し、今はそれを蒼神が根岸に伝えている。

 それをすべて聞いた根岸は。

 

「し、信じられるか……!」

 

 これまでの鬱憤を晴らすかのような声。

 

「信じられるか、とは?」

「こ、言葉通りだよ……ぼ、ぼくを殺そうとしたこいつのことだぞ……! ね、眠りたいからだなんて言って睡眠薬を手に入れたら、そ、それを殺人に使うに決まってるだろ……!」

 

 その言葉とともに、根岸は俺を険しい目つきでにらんだ。

 

「そんなことしない! 本当のことなんだ、信じてくれ!」

「ど、どうだか……」

 

 根岸から見たら、俺が睡眠薬をもらうのは殺人を意味するのか。

 ……当然か。

 

「大体、俺はこれから軟禁されるんだぞ」

「…………そ、それは……け、けど……!」

 

 軟禁、という言葉に根岸は一瞬ためらったが、その結論を変えるまでにはいたらなさそうだった。

 仕方ない、睡眠薬は諦めよう、と思ったが。

 

「根岸君。平並君はそんなことは考えておりませんわ」

 

 と、蒼神の言葉が発せられた。

 

「ど、どうしてそんなことが言えるんだよ……!」

「彼とはこの数日、度々話しましたから。その中で、彼は自分が殺意を抱くことに強い恐怖を抱いているようでした。だからこそ、睡眠薬を使って眠りたいと考えているのですわ」

「そ、そんなの根拠にならないだろ……! あ、諦めた振りをして、ま、まだ【卒業】を企んでるかも知れないだろ……!」

「【卒業】なんかしない!」

 

 と、反論はしてみるものの、俺が何を言った所で効果はないだろう。

 

「まあ、根岸君はそう思いますよね。実際根拠はあるようでありませんし。ですので、根岸君はわたくしを信用してください」

 

 俺がどうしたらいいのかと悩む横で、凛として声で蒼神はそう告げた。

 

「あ、蒼神を……?」

「ええ。先ほど平並君も仰いましたが、彼はこの後軟禁されるのです」

「…………」

「平並君が閉じこもる予定の新家君の個室のカギ、新家君の『システム』は、わたくしが持っていますわ。わたくしは、この後平並君を新家君の個室に閉じ込めます。それ以降は、翌日の朝になるまでカギを開けない事を約束いたします」

 

 胸を張って、蒼神はそう宣言する。

 

「まあ、もとよりそのつもりでしたが。第一、その前提があったからこそ平並君は記憶のヒントを見ることに決めたのです」

 

 確かに、その通りだ。

 

「根岸君がそれを信じてくれるのであれば、平並君に殺人を犯す余地はないと思いませんか?」

 

 そんな蒼神の言葉を聞いて。

 

「………………」

 

 無言でうつむきながら、根岸は考え込んで。

 

「…………や、約束だからな」

 

 そう答えた。

 

「根岸!」

「う、うるさい……! お、おまえを信じたんじゃない……あ、蒼神を信じたんだからな……!」

 

 相も変わらず俺をにらみつける根岸。それは俺もわかってる。けれど、これで個室で一人思い悩むということにはならなそうで、助かった。

 

「ありがとうございます。根岸君」

「ふ、ふん……」

「……ところで、この部屋の中には薬品の類が見当たりませんが……どうされたのですか?」

「あ、俺も気になったな」

 

 この化学室にはそれこそ『モノモノスイミンヤク』とやらをはじめとした薬品類がそろっている、と聞いていたのだが、どの棚を見てもその気配はない。

 

「あ、ああ……ひ、火ノ宮の提案で、よ、夜の間はぼくの部屋で管理することになってたんだ……そ、それで、ちょ、朝食会のときにモノクマに集められたから、や、薬品は全部ぼくの部屋にあるんだよ……」

「なるほど。そうでしたか」

「じゃ、じゃあ……も、持っていく参考書を選ぶから、そ、外で待ってて……」

「ええ、分かりましたわ」

 

 そんなわけで、俺達は化学室に根岸を残して実験棟の外へ出た。しばらくすると、数冊の参考書を抱えた根岸がやってきた。

 

「根岸、手伝おうか?」

「…………」

 

 根岸は、俺の言葉を無視したが、かといって先に歩き出すわけでもない。俺から目線をそらさないところを見ると、俺を警戒しているのだろう。

 

「それでは、参りましょう」

 

 その蒼神の声を合図に、俺達は宿泊棟を目指して歩き出した。橋を伝って向こう岸へと渡る。

 すると、

 

「いくらなんでも、その量は多すぎるんじゃないのか?」

「そうでもない。重量があることは否定しないが、丸一日という時間(ページ)があることを考えれば、これでも少ないくらいだ」

 

 そんな会話を繰り広げるスコットと明日川がいた。ちょうど橋のふもと、分かれ道の中央に二人は立っていた。

 

「何話してるんだ、お前達」

「おや、平並君に蒼神君、根岸君じゃないか」

「別にたいしたことは話してない。オレもアスガワも、同じ事を考えてたってだけだ」

「同じこと、ですか?」

「ああ。時間をかなりもてあますことになりそうだからな。個室からは出られないから、時間つぶしの用意をしてたんだ」

 

 そう語るスコットが持っていた手提げ袋には、毛糸や布の類が山ほど入っていた。編み針や縫い針などは見当たらないが、そのあたりの道具は個室にもうあるのだろう。

 対する明日川はといえば、足元に文庫本をこちらも山のように積みいれたカゴを置いていた。どう見ても一日で読みきれる量とは思えない。

 

「二人とも、こんなに必要なのか?」

「……オレは念のために、だな」

 

 俺の問いかけに、スコットは一瞬間を挟んでからそう応えた。俺に対して思うことがあるみたいだが、とりあえずはそれをそばに置いておいてくれるようだ。

 

「何を作るかはこれから決めるし、どんな色を使いたくなるかはまだ分からないからな。使いたい色がなくて妥協するのなんか御免こうむる。だから、使い切るって事はないだろう」

 

 そう語るスコットとは対照的に、

 

「さっきスコット君にも語ったけれど、ボクはもっと欲しいくらいさ。ただ、どうしてもボクが持てる重さの限界はあるからこの量に厳選(推敲)せざるを得なかったよ。ボクは実体のある紙の本のほうが好むけれど、電子書籍はこういったときに便利だね」

 

 と、残念そうに明日川は語る。

 そんな彼女に蒼神が尋ねる。

 

「ふと思ったのですが、明日川さんは速読を行っているのですか? 明らかに、本を読むスピードが早いですわよね?」

 

 明日川が読書している場面を見たことは無いが、そのかごに入ってる量を一日で読んでしまうのであれば、相当ずば抜けた速さで読むことになるはずだ。

 

「いや、別段速読を心がけているつもりはない。物語を一文字だって逃すつもりはないし、展開(ストーリー)をないがしろにするわけでもない。斜め読みなんて言語道断(発禁相当)だ。ただ、物語の世界にのめりこんでいると自然とそうなってしまうだけさ。ボクとしては、本を読むスピードはそれほどたいした問題じゃなく、どれだけその物語に深く触れられるかの方がよっぽど重視すべきだと考えているよ」

「そうでしたか」

 

 一文字も読み飛ばすことがないのであれば、それならむしろ読書スピードは下がってしまう気がするのだが、そうならないのは【超高校級の図書委員】たる明日川故なのだろう。明日川のことだから、本当に一冊一冊の本を大切にしているのだろうし。

 そんなことを考えていると、スコットが根岸の抱えていた参考書に反応した。

 

「見たところ、ネギシも同じ考えのようだな」

「う、うん……さ、さすがに、そ、そんなに沢山は読めないけど……」

 

 論文の類の参考書と物語とでは読み方も異なるだろう。

 

「ところで、平並君は何をしていたんだい?」

 

 そんな中、明日川が俺にそんな台詞を投げかけてくる。

 

「キミも部屋で時間を潰す(空きページを埋める)ために何かを取りに行ったのかと思ったが、手には何も持っていない。何か違う目的があったんだろう?」

「ああ、それは……」

 

 明日川の質問に、根岸を一瞥して答えようとしたその時。

 

「道の中央で群がるな。邪魔だ」

 

 という、氷のような声が耳に飛び込んできた。

 

「これは失礼いたしました。岩国さん」

 

 そう言いながら道端にずれる蒼神に倣って、俺達もずれて岩国の通る道を開ける。

 そのまま岩国は通り過ぎるのかと思ったが、岩国は俺を見て足を止めた。

 

「……どうした?」

「凡人、お前は宮大工の個室に軟禁されるんじゃなかったのか? どうしてこんなところをほっつき歩いている?」

 

 その質問は、言葉に強烈なトゲこそあれど先ほどの明日川の質問と同じものだった。

 どこまで話すべきか、とも思ったが、中途半端にはぐらかしてもいいことはないという結論に至った。

 

「……さっき、【動機】になってた記憶のヒントを見ただろ? それで、ちょっと不安になってな。部屋にいても変なことを考えそうだから、睡眠薬を飲もうと思ったんだ」

「睡眠薬をだと?」

 

 そう声を上げるスコットに対してうなずきながら、俺は話を続ける。

 

「それで蒼神に頼んで個室に戻る前に化学室に寄ったんだが、薬品類は根岸が個室で管理してるみたいでな。それで、根岸から睡眠薬をもらうために宿泊棟に戻るところだったんだ」

 

 それを聞いた岩国は、怒気を込めて強く俺を睨むと、

 

「あんな強力な睡眠薬を……またお前は殺人を企んでいるのか」

 

 と吐き捨て、自然エリアのほうへと歩き出した。

 

「ち、違う! 俺は何も──」

 

 と叫ぶ俺の声を彼女は気にすることもなく、そのまま歩いていってしまった。

 

「…………」

「……オマエは本当に眠るために睡眠薬が欲しいんだろうが、まあ、イワクニの気持ちも分かるな」

 

 と、スコット。

 

「実際、ヒラナミには前科がある」

「……分かってる」

 

 根岸にも同じような反応をされたし、岩国ならそういう反応になるだろうとは思っていた。

 

「だが、アオガミがカギをしっかりとかけるというなら、ヒラナミが睡眠薬を持ち出そうが関係ない。そのあたりはどうなんだ」

 

 スコットが蒼神の目を見てそう尋ねる。

 

「問題ありませんわ」

 

 蒼神は、胸を張ってそう応えた。

 

「ボクは平並君のことを信用しているし、蒼神君も皆との約束を破ることはないだろうと思っている。ただ、それとは別に気になることがある」

「なんだ?」

 

 なにやら語りだした明日川。気になること?

 

「その、キミが欲する睡眠薬というのは、化学室に用意されていた『モノモノスイミンヤク』だろう?」

「ああ」

「単純に、危険ではないのか? 致死性がないとは書いてあったが、安全が保障されているわけではないだろう。『一粒飲めば一晩ぐっすり。二粒飲めば一日ぐっすり。三粒飲めば三日ぐっすり。』などと書いてあったはずだ。その効果の強さは推して測ることが出来る」

 

 ……そのことか。

 実際、気にならないわけじゃない。モノクマが用意したものなわけだし。けど。

 

「致死性がないってのは本当だろ。それこそ、モノクマはコロシアイのために、犯行に使うためにこの睡眠薬を用意したんだ。ただ眠らせるつもりだったのにそのまま相手を殺してしまえば、トリックとか、アリバイ作りに影響が出るのは間違いないだろ」

「まあ、それは確かにそうなんだが」

「……それに、正直なところを言えば、俺はずっと一人で過ごすほうがよっぽど恐ろしい」

 

 明日川は俺のことを信用していると言ってくれた。

 けれど、あの【才能】の二文字を見てからの俺は、どこか様子がおかしい。こんな状態で何時間も一人で過ごしているとどうにかなってしまいそうだ。

 

「そうか。キミ自身がそう言うのなら、ボクはもう口を閉ざすとしよう」

 

 俺のそんな懊悩とした感情は明日川に届いたようだった。

 

「そ、そろそろいいか……?」

 

 明日川の話が一段落したのを見て、根岸が声を出す。

 

「ああ、すまなかったね。根岸君」

「べ、べつに……」

「それでは、行きましょうか」

 

 その蒼神の声を合図に、俺達は止まっていた足を宿泊棟へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

 その道すがら、宿泊棟から食事スペースへと向かう城咲とすれ違うだけで、他の誰とも出会うことはなく宿泊棟へと戻ってきた。もう他の皆は個室に戻ったんだろう。

 明日川やスコットと別れ、俺達は根岸の個室の前にいる。

 

「じゃ、じゃあ、く、薬を持ってくるから、ちょ、ちょっと待ってて……」

 

 そんな言葉を残して、根岸が部屋の中に入っていく。

 所在無く、視線を宙に漂わせて、記憶のヒントに思いを馳せると、

 

「……それにしても、平並君。本当によかったのですか?」

 

 ためらいがちに蒼神が、そんな言葉を投げかけてきた。

 

「よかったって、何がだ?」

「軟禁……というより、平並君のいる個室のカギをわたくしが持っていることについてです」

 

 どういうことだ? と、続きを目で促す。

 

「杉野君が提案した、個室の閉じこもりによって殺人を防ぐという手法ですが、これは各人がその個室のカギを自身で持ってるからこそ成立するのです。ですが」

 

 そこで、蒼神は自身の左手をちらりと見る。二つの『システム』が、その人差し指と中指にはめられていた。

 

「平並君の場合、個室のカギを持っているのはわたくしです。平並君のいる個室のカギを開けることが、わたくしの一存で決まってしまうのです」

「つまり、お前が裏切るかもしれないってことか?」

「……平並君からすれば、考えるべき可能性だとおもいますわ」

 

 顔を伏せてそんなことを言う蒼神。

 

「……そんなこと、考えてなかった」

 

 どうなんだろう、と考える必要もない。

 

「お前は、俺達を裏切ったりしない……と、思ってるんだが」

「そうですか」

 

 逆に、誰なら裏切るかと言われても思いつかないが、とりわけ蒼神は裏切って俺を殺そうとなんて思わないだろう。

 そう思えるだけの、信頼が蒼神にはある。

 

「頼りにしてるからな、蒼神」

「……ありがとうございます」

 

 そんな言葉を交わして、しばし待つ。

 

 ──ガチャリ

 

 ドアが開き根岸が廊下に出てくる。その手には一つのビンを携えていた。

 

「こ、これが睡眠薬……」

 

 その中には白い錠剤がいくつも入っていた。蒼神がそのビンを受け取って、説明欄に目を落とす。

 

「『一粒飲めば一晩ぐっすり。二粒飲めば一日ぐっすり。三粒飲めば三日ぐっすり』。……だ、そうですが。先ほど明日川さんも仰っていましたわね。平並君、何粒必要ですか?」

 

 そう言われ、考える。三日も眠る必要があるだろうか? それだけ寝てしまうと、逆に必要なときに起きられなくなってしまいそうな気がする。……明日の朝まで寝られれば十分か。

 

「二粒欲しい。いいか? 根岸」

 

 一応根岸に声をかけるが、根岸は何も答えなかった。それを俺は肯定と受け取った。

 それは蒼神も同じだったようで、ビンから二粒の錠剤を取り出して俺に手渡す。そして、ビンのふたを閉めて根岸へと返した。

 それを受け取った根岸は個室の中に戻るのかと思いきや、そんな素振りは見せなかった。

 

「……部屋に戻らないのか?」

「お、お前がちゃんと軟禁されるか、か、確認するんだよ……!」

 

 何気なく疑問を口にすると、根岸に強い口調で返された。なるほど……。

 ともかく、もらう物はもらったので、根岸に睨まれつつ新家の個室に戻ることにした。といっても、新家の個室は根岸の個室のすぐ右隣だ。すでに蒼神がドアを開けてくれていた。

 そそくさと、その中に入る。

 

「じゃあ、またな」

 

 二人にそう挨拶を投げかける。

 

「…………」

「ええ。また明日」

 

 返ってきたのは、根岸からの無言と蒼神からの再会を誓う言葉だった。

 直後、ドアが蒼神によって閉められる。

 

 ──ガチャリ

 

 そして、おそらくは蒼神が、ドアのカギをかける音がした。

 念のためにドアノブに力をかけてみるが、それが回ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(アラヤ)》

 

「……さて」

 

 俺の肌を伝っていた嫌な汗を流すためにシャワーを浴びた。

 睡眠薬と、軟禁されるときに持ち込んでいた水が机の上に乗っている。

 

「…………」

 

 

 思い返すのは、あの【才能】の二文字。

 本当に、俺なんかに才能があるのだろうか。

 もしも、本当に、才能が、あるのなら──

 

「ダメだ」

 

 頭を振って、嫌な考えを振り払う。それでも脳内にこびりついているような気がしたが、それには気づかない振りをした。

 これ以上、下手に考え事をすれば、いよいよ皆を裏切ってしまうことになる。それだけはダメだ。

 決めただろ。皆とここから脱出するって。皆を裏切らないって。

 前を、向こう。

 

「クソ……」

 

 寝てしまおう。そのために睡眠薬をもらったんだから。

 机の上に手を伸ばす、が。

 

「……」

 

 ふと、明日川の台詞を思い出した。

 

 

 

 ──《「単純に、危険ではないのか? 致死性がないとは書いてあったが、安全が保障されているわけではないだろう」》

 

 

 

 今更急に怖くなってきた。一気に二粒も飲んで大丈夫なのだろうか。

 

「……とりあえず一粒だけにするか」

 

 一粒だけ試してみて、問題がなければもう一粒も飲むことにしよう。一粒でも一晩と言い張るだけの時間は眠れるようだし。

 そう思い、一粒を机に残して睡眠薬を手に取り口に放り込む。それを水で流し込んだ。

 

「これでいいのか?」

 

 ともかく、これで眠れるはずだ。

 と、思ってベッドへと歩き出した瞬間、フラリ、と視界が揺れる。

 

「ぐ……これ、強、烈……」

 

 歩き出した惰性で何とかベッドに倒れ込んだが、俺の体が自由に動かせたのはそこまでだった。

 

 意識が、暗闇に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 




ナンバーワンは遥かに遠く、
オンリーワンすらなれやしない。


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(非)日常編⑤ 忘れがたき想い出

 《???》

 

『この夏開かれました全国中学校陸上選手権大会におきまして、我が校の一年生である月跳走矢(ツキトビソウヤ)君がたいへん優秀な成績を収めました』

 

 夏の暑さが残る9月の体育館に、スピーカー越しの教頭の声が反響する。それを俺は少し窮屈な体育座りをしながら聞き流していた。

 

『これを称しまして、表彰を行いたいと思います。月跳君、前へ』

「はい!」

 

 全校朝会で表彰が行われるのはいつものことだ。きびきびとした動きで壇上へと向かう月跳とかいう同級生も、この夏休みの間に大会に出て活躍したらしい。

 早く終われと思いながらボーっと前を眺める俺の耳に、近くの女子達のひそひそ声が聞こえてくる。

 

「ねえ、月跳君って、大会で優勝したらしいよ」

「本当? 三年生とかいるんでしょ?」

「それに、100mは大会記録でぶっちぎりだったって!」

「すごーい! やっぱりかっこいいなあ、月跳君!」

 

 少しずつ声が大きくなっていった二人だったが、近くにいた先生にとがめられてしぶしぶという風に黙り込んだ。

 そんな中でも朝会はつつがなく進行し、月跳が校長から賞状を受け取っていた。こちらを向いた月跳は晴れやかな笑顔で賞状を見せる。

 

 モノクロのような世界で、彼はとても色づいて見えた。

 きっと、彼のような人間が、いずれ【超高校級】の肩書きを冠することになるのだろう。

 

 

 

 やがて朝会が終わり喧騒とともに俺達は体育館を出て教室へと向かう。

 

「しっかし、すげえよな、月跳のやつ!」

 

 俺の右隣を歩む三島(ミシマ)がそう切り出した。

 

「一個の競技で全国に出るだけでもすげえのに、短距離走だけじゃなくて走り幅跳びとか槍投げでも全国行って入賞してるんだぜ? ほんと、同い年とは思えねえよ」

「あー、月跳君って将来は十種競技やりたいって言ってたからね」

 

 そう返したのは、俺の左隣の杉本だった。

 

「十種競技?」

「あれ、平並君は知らない? 短距離走とか砲丸投げとか、10種類の種目で総合得点を競うっていう競技だよ。当然色んな筋肉とか技術を使うから、優勝者はキング・オブ・アスリートって呼ばれてるんだってさ」

「ふうん……初めて聞いたな」

 

 俺が口を挟むと、杉本はぺらぺらとよどみなく教えてくれた。

 

「三島君は知ってるよね? 同じ陸上部だし」

「聞いたことがあるってだけで詳しくはねえけどな。大体、オレは長距離専門だし。クソ、オレも負けてらんねえな!」

 

 月跳の活躍に刺激されたのか、三島は両手で顔をバシッと叩いた。

 

「頑張れよ、三島。確か、もうすぐ駅伝のメンバー選考の部内戦があるって言ってたよな」

「ああ! ま、実際のところは厳しいだろうけどな。できるだけやってみるわ」

 

 気合を入れた握りこぶしを掲げたかと思えば、三島はすぐにそれを解いて下ろしてしまった。

 

「あれ、珍しく弱気だね、三島君」

「自分の実力だって分かってるからな。先輩方だってメンバー入りは当然狙ってるし、一年から活躍するなんてそうそうできることじゃねえ。……やっぱ、すげえよ。月跳は」

 

 そう言って、三島は少し前に視線をやる。そこには、賞状を手に歩く月跳の姿があった。後姿だからその表情までは読めないが、きっとにこやかに笑っていることだろう。

 

「ああいうのが天才って言うんだろうね」

 

 杉本がそう口にする。

 

「認めたくねえが、そうだろうな。もう希望ヶ空から声がかかってるんじゃねえのか?」

「え? 希望ヶ空学園って、スカウトするのは高校生だけだよ? 今は中一だから、あと三年もあるけど」

 

 月跳を見つめながら、三島と杉本が会話を重ねる。

 

「だから、もうツバつけてるってことだよ。ちょっとでも陸上をかじったことがあるヤツなら、月跳のやばさはすぐに分かる。【超高校級】にならねえわけがねえんだから、今のうちに希望ヶ空に入ってくれるように声かけててもおかしくねえよ」

「なるほどねえ……【超高校級】かあ、僕も何か【超高校級】に選ばれたりしたいなあ」

「……だな。オレも中学のうちに頑張って希望ヶ空からスカウトもらえるようになりてえわ」

 

 夢物語を追いかけるように、二人はそんな言葉を口にした。

 そんな二人の会話を聞いて、俺も少し考えた。

 

 【超高校級】。

 その称号をもらえたら、どんなに嬉しいことだろう。どれほど素敵なことだろう。それがどれほど難しいことなのかは想像するに余りあるものだが、皆それを夢見ている。それだけ、【超高校級】というのは強い憧れなのだ。

 けど、俺が憧れるのは【超高校級】だけじゃない。

 

「平並もそう思うよな?」

「ああ」

「だよねえ……」

 

 三島にそう問いかけられ、気の抜けた返事を返す。それに杉本が相槌を打った。そんな二人を眺めて、思う。

 さっき【超高校級】への羨望を口にしたこの二人にだって、俺は憧れている。

 

 三島は一年生のころから活躍する月跳を賞賛したが、その三島だってメンバー選考で先輩たちと椅子を争えるくらいには実力がある。それに何より、あの月跳に並ぶほどに努力を重ねている。放課後、学校に残って宿題を片付けていると、校庭を走り込む三島の姿が窓から見ることができる。家に帰ってからも自主練は絶やさないと前に言っていた。いずれ、ウチの陸上部の中枢を担うような、そんな選手になるはずだ。

 杉本もそうだ。自分も何か【超高校級】に選ばれてみたい、と杉本は言っていたが、彼は毎度の定期テストで上位に食い込むような秀才だ。ダントツの一位だなんてことはなくとも、学年一の優等生からライバル認定されているという話を聞いたことがある。杉本も、今度は必ず一位をとって見せると息巻いていた。そんな杉本の夢は学者になることらしく、それも決して絵空事とはいえないと思う。

 

 二人とも、月跳のように【超高校級】の称号がすぐに与えられるような存在というわけではない。それでも、その称号に手が届かないわけじゃない。自分が熱中して打ち込み、人生の軸にできる、誰かに誇ることができる確固たる【核】を二人は持っている。

 

 その【核】が、俺はどうしようもなくうらやましかった。

 

 

 気づけば、俺は自分の部屋に立っていた。そのすべてが、くすんだモノクロに見えた。

 

 

 部屋の棚には、漫画といくつかの小説が並ぶその端に、色んな教本が押し込められていた。水泳、サッカー、将棋、裁縫、ピアノ、工作、折り紙、テニス、英会話、そろばん……教本だけじゃない。さまざまな科目の参考書や、入門書だって色々ある。

 好奇心や興味が目移りしてるわけじゃない。無理矢理、色んなものにのめり込もうとしただけだ。何か極められるかもしれないと思って、まだ分からない才能を開花させることができると思って、色々手を出した。

 その結果、俺は何も手にすることができなかった。

 

 いつも、やりはじめる時は、うまく行った。教材の初めのほうは一発で理解することができたし、習い事に行っても通い始めは周りよりも飲み込みが早かった。これは俺に向いてるぞ、なんて事を、いつも思っていた。

 

 けど、それだけだった。

 

 少し時間がたてば、いつもどうしたらいいのか分からなくなってくる。水泳のタイムは後から入ってきたやつに抜かされるし、検定だって途中の級からめっきり合格できなくなる。勝負事だって、何度か繰り返せばコツをつかむのはいつも相手のほうだ。追い抜かれて、どん詰まって、いずれ負け倒す。所詮俺は人並みの能力しか持っていないと、毎度のように思い知らされる。

 

 俺が苦戦し伸び悩むその横を、ほとんどの人が抜き去っていく。長く続けても、それが華を咲かせることはない。

 

 そうして、いつも、諦める。

 

 なにくそと、そこで奮起できるような情熱もない。いつだって、一番になりたいという想いはある。何をやっていても、これを極めてみたいと常に想う。それでも、一向に上達しないままただ時間だけが過ぎていく。はたと気づいたときには、そんな気はどこかへ消え去ってしまっていた。

 どれだけ努力しても、これ以上の進歩はないのだと、理解してしまうのだ。

 そんなことを友達の柴田に愚痴った時は、

 

「平並君、僕より足が速いじゃん」

 

 なんてことを言われたが、そいつは格ゲーがクラスで一番強いことを俺は知っている。

 

「今度のテストで赤点回避しないとまずいんだよな……」

 

 なんて嘆いていた北村は、美術部で描いていた油絵がコンクールで入選したことを俺は知っている。

 

 何かが苦手だと哀しむ連中は、決まって何か得意なことがある。自分の才能に出会えないままもがき続ける俺とは違って、自分の道を歩んでいる。

 対して、俺はまだ、何も見つけられていない。何度も何度も挑戦して、結局俺の手には何も残っていない。残ったのは、夢の残骸と惨めに負けた記憶だけ。こんなもの、どうしようもない。

 

 俺は何にも手が届かない。

 【超高校級】なんて贅沢なことは言わない。

 少しでも、他人より優れていればそれでいい。

 他の全てが苦手でもいい。

 他に何もできなくて構わない。

 才能のかけらでもいいから、何かを手にしたい。

 天は二物を与えずなんて言葉があるのなら、一つくらい、俺に何かをくれてもいいはずだ。

 

 なにか、なにか一つ。

 たった一つでいいから、俺は生きる【核】が欲しい。

 

 誰か、教えてくれ。

 

 俺は、何ができるんだ。

 

 俺は、何をすればいいんだ。

 

 

 俺は。

 

 

 俺は。

 

 

 

 俺には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何があるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《個室(アラヤ)》

 

「ッハァ!」

 

 奇妙な声を上げて、意識が覚醒する。ベッドの上に体を投げ出している。

 手足の付け根から指の先へ、少しずつ感覚が伝播していく。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 荒ぶる息を必死に整えて、ゆっくりと記憶を掘り起こす。確か……そうだ、俺は睡眠薬を飲んで、そのまま……。どうやら体勢をそのままにすぐに眠ってしまったらしい。あの睡眠薬は、本当に強烈なものだったということか。

 けど、そんなことより、今のは。

 

「夢……」

 

 眠っていたのだから、見ていたのは夢に違いない。肝心なのはそんなことではなく、その中身にあった。

 

「……嫌なことを思い出した」

 

 今のは、俺の記憶だった。あんなもの、とっくに忘れたと思っていた。

 モノクマに奪われた二年間の記憶じゃない。中学生のころの、俺が一番才能を追い焦がれていた時期の記憶だ。確かにあの時抱いていた、俺の偽りない感情だった。

 

「…………」

 

 結局、俺は何も掴めないまま中学校の三年間を終えた。そして俺に才能なんかなかったのだと悟った。

 今更こんなことを思い出したのは、きっとのあの【才能】の二文字のせいだろう。それとも、薬の副作用だろうか。……まあ、それはどうだっていいかもしれない。

 

「……もう、才能なんか諦めたはずだったのにな」

 

 ポツリと、本心がこぼれる。

 いや、そう思い込んでいただけだったか。

 才能を諦め切れなかったから、【超高校級の普通】なんていう不名誉な称号を受け入れてまで希望ヶ空にいくことにしたわけだし、だからこそモノクマが【才能】の二文字を俺に突きつけてきたのだ。実際、それに大きく心を揺さぶられた。

 

「……クソ」

 

 苛立ちが募る。もう手に入らないと思っていた才能を得ていたという甘言に、手を伸ばしてしまう自分が腹立たしい。あんなものは、悪い幻想だ。あれだけ散々求めて手にすることができなかった才能が、そう簡単に開花するはずないだろう。

 もう嫌だ。考えたくもない。才能を求めて、自分の【核】を見つけようともがいていたあの時期には戻りたくなんかない。

 俺は、なんにもできないただの凡人。それでいいんだ。俺に【核】があるとするのなら、その虚無こそが【核】なのだ。

 

「……もう、寝よう」

 

 また、思考がよどみかけている。寝て全部忘れてしまおう。

 窓からは星の淡い光が差し込んでいる。時計を見れば、おおよそ夜の7時。薬を飲んだ時間を考えると、大体10時間くらい寝ていたことになるのか。睡眠薬の効果はばっちりだ。今からもう一度薬を飲めば、十分に夜をやり過ごせるはずだ。

 薬による強烈な眠気を考えて、ベッドに入り込んでからペットボトルの水で薬を流し込む。即座にペットボトルを脇に置けば、思ったとおりすぐに眠気がやってきた。その睡魔に意識を預け、体をベッドのスプリングに投げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅう」

 

 うめき声とともに、音もなくまぶたが開く。体の隅々まで感覚がいきわたるのにはもう少し時間がかかりそうだったが、眠気は不思議と過ぎ去っていた。

 夢は、見なかった。

 

「もう、朝か……?」

 

 眠気がない、ということは睡眠薬の効果は切れているはずだ。何事もなく、朝を迎えたはず。

 そう思ったが、窓から差し込むのは眠る前と変わらず星の淡い光だけ。

 

「……あれ?」

 

 妙に思って時計を見ると、朝どころかまだ日をまたいでいなかった。時計は11時過ぎを示している。睡眠薬を飲んでから、まだ4時間程度しか経っていない。

 

「まだこんな時間なのか?」

「あー、それなんだけどねえ」

 

 誰に向けたわけでもない独り言だったのに、悪魔のだみ声が返ってきた。ビクリと肩を震わせながら声のした方に顔を向ければ、当然のようにモノクマが立っていた。

 

「勝手に人の部屋に入ってくるな」

「ん? 勝手に新家クンの部屋に入ってるのは平並クンの方じゃないの?」

「…………」

 

 何も言い返せない。

 

「別にオマエに何かする気はないから安心してよ。ボクはただ補足説明に来ただけなんだから」

「補足説明?」

「そ! 施設長たるもの、説明責任は果たさないといけないからね!」

 

 そういいながらモノクマは胸を張る。無言で話の続きを待っていると、モノクマはやれやれとでもいいたげにため息をついて、話し始めた。

 

「平並クンが飲んだ『モノモノスイミンヤク』なんだけど、説明書に書いてある通りの効果を得るためには一度に飲まないといけないんだよね」

「一度に……」

 

 確か、一錠で一晩、二錠で一日、三錠で三日だったか。

 

「それだけじゃなくて、連続で服用すると効果が弱くなっちゃうんだよ」

「ってことは、起きてすぐまた薬を飲んだから、今度はこんな中途半端な時間に目を覚ましたってことか?」

「そういうこと! 寝起きにしては冴えてるジャン!」

「……」

 

 冴えてるも何も、そこまで説明されれば誰だって見当がつく。

 

「本当はこんな制限つけたくなかったんだけど、副作用と効果のバランスを考えるとつけざるを得なかったんだよね、はあ、まったく難しいもんだよ」

「……そういうことは、きちんと前もって説明しておくべきことなんじゃないのか。ビンの説明欄に明記しておくとか」

 

 説明責任だなんていうのなら、なおさらだ。

 

「ボクがそこまでする必要はないと思うけど? ていうか、聞かれればその都度答えてあげてるし、必要な人にはこうしてわざわざ出向いて説明してるんだから、オマエラはボクにもっと感謝すべきなんだよ」

 

 押し付けがましい親切心。

 

「とにかく、話はもう終わったよ。オマエなんかにこれ以上かまってる暇はないし、ボクは自分の部屋に戻るから。平並クンも、いい夢見なよ! うぷぷぷ……」

 

 意地の悪い、嫌な笑い声を残してモノクマは消えてしまった。……話しているだけで、敵意がわいてくる。俺達に手間をかけてるような言い回しが多いが、そもそも俺達をこんなところに閉じ込めてコロシアイをさせてるのはあのモノクマ……更に言えば、それを操る黒幕だ。記憶を奪い去った張本人でもある。思い返すだけで腹が立ってきた。

 

「……寝なおそう」

 

 眠気はない。睡眠薬も手元にないし、いい夢どころか眠ることができるかすら怪しい。

 けれど、無理やり寝る決意をして、布団をガバリとかぶってベッドに寝転がる。目を閉じた暗闇に浮かんできたのはモノクマへの敵意だったが、次第にそれが【才能】を追い求めた記憶へと変わっていく。やがて、この宿泊棟で眠っているはずの【超高校級】の皆へと思考が及び、そして、死んでしまった新家と古池のことが脳裏によぎる。

 色んなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。考えても仕方ないと脳の外へ叩き出しても、すぐに元に戻ってくる。

 だんだんと、後悔、殺意、悲痛が混ざり始め、自分でもわけが分からなくなってきた。

 思考の混線が心地よくなってくる。

 じわじわと意識が睡魔に吸い取られていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、ドアチャイムが鳴った。

 

「…………え?」

 

 布団の中で、音もなくまぶたを開き、暗闇を見る。

 旅立ちかけた意識がすっと冷えて体の中に戻ってくる。

 今、確かに、ドアチャイムが──

 

 

 ──ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーンピンポーン

 

 

 ドアチャイムが何度も何度も鳴らされる。

 何だ、何だ、何だ。

 どうして、ドアチャイムを鳴らすんだ。

 何の用があるんだ。こんな時間に、何をしに来たんだ。

 

 俺が混乱に陥っている間に、いつの間にかドアチャイムの雨はやんでいた。静寂が個室に満たされている。

 恐る恐るかぶっていた布団から顔を出し、ドアのほうを見る。

 

 一体誰がドアチャイムを? 蒼神か? 蒼神しか考えられない。だって、他の人が来たところで、あのドアは決して開きやしない。

 ほら、ドアはしっかりと閉まって、

 

「──え」

 

 ない。

 ドアが、わずかに開いている。

 その隙間から個室の中に廊下の光が差し込んでいる。

 なんで、どうして。

 

 布団をどかし、ベッドから這い出てドアへと歩み寄る。少し開いたドアに手を伸ばした瞬間、蒼神の言葉が脳裏をよぎる。

 

 

──《「明日の朝まで、部屋の外へは絶対に出ないように」》

 

 

 部屋の外へは、出ない約束だ。

 けれど。

 

「……もう、異常事態だろ」

 

 自主的に部屋に篭る皆とは、状況が違う。この部屋の、カギがかかっていたはずの新屋の個室のドアが開いているということは、それだけで『何かが起こった』ということを意味している。

 伸ばした手でドアを押し開くと、隙間がどんどんと大きくなる。

 顔を出して廊下を覗き込めば、そこには完璧な静寂が広がっている。誰も、いない。ドアチャイムを鳴らしたヤツは、どこに消えた?

 

「ん?」

 

 と、そこで足元に一枚の紙が落ちていることに気がついた。メモ帳を破り取ったらしい。

 拾って文章を読む。

 

 

=============================

 

 平並君へ

 

  緊急事態です。製作場の工作室で待っています。

 

                     蒼神紫苑

 

=============================

 

 丁寧な字で書かれた、呼び出し状。

 

 罠だ、と、一瞬で察した。

 蒼神が本当に俺を呼ぶのなら、直接俺をゆすり起こすだろう。ドアチャイムを鳴らして放置なんて、蒼神らしくない。第一、そんなところへ俺を呼んで何をするというのか。

 だとすれば、これは俺を呼び出す罠だ。ちょうど、俺が根岸にそうしたように。古池が、新家にそうしたように。

 

 間違いない。蒼神の身に何かが起きている。

 その上で、俺は誘い出されている。

 

 どうする、どうする、どうする。

 

 蒼神は、もしかしたら、もう……。

 

「いや」

 

 俺が呼び出されたのなら、蒼神はまだ生きている可能性はある。そうでないなら、俺を呼び出す必要はない……そのはずだ。だって、ターゲットは一人で十分のはずだから。

 

 だったら、まだ間に合う。

 

 誰かと一緒に、すぐに工作室へ行って、手紙を出した人を……誰と? 誰がこの呼び出し状を書いたかも分からないのに?

 それに、誰がその助けに応えてくれるだろう。助けてくれといって手伝ってくれる人はいくらでもいるだろう。けれど、今夜に限ってそれは通用しない。皆を呼ぼうとしてドアチャイムを鳴らしても、今夜は部屋から外に出ない約束だ。それを破ってまで、誰がドアを開けてくれるだろうか。出てくれるまでドアチャイムを鳴らす……出てくれる保証もないのに、そんなことをしている時間があるのか。

 

「…………」

 

 けれど、助けが得られないからって、明らかに何かに巻き込まれている蒼神を放っておけるはずもない。罠だと分かっていても、行かないわけにはいかない。

 

「クソッ!」

 

 苛立ちとともにそう吐き捨てる。握り締めた紙をポケットに突っ込んで、俺は駆け出した。目指すは製作場。宿泊棟を飛び出るときに視界に入った時計は、12時になる寸前だった。

 頼むから生きていてくれと願いながら、足を進める。

 【宿泊エリア】から【自然エリア】へとつながるゲートの前で止まる。ゲートが自動で開くのを待つ時間すらもどかしく、数瞬の足踏みの後に再び走り出す。ドームをつなぐ薄暗い通路を駆けて、再びゲートで足止めを食らう。

 そうして【自然エリア】へ飛び込んで、更に前へと進む。中央広場にたどり着き、右前方に体の向きを変えたそのときだった。

 

 ──ズザッ

 

「うわっ!」

 

 全力で走った勢いそのままに、転んでしまった。

 

「いってえ……」

 

 何か石にでもつまずいたかと思ったが、特に何も見当たらない。木々のすれる音がするだけだ。周りを見ても目に入るのはぴたりと閉まった二つのゲート、そして偽の星と一本の街灯に照らされた緑だけ。

 寝起きで走ったからか、足を滑らせたのか。

 

「クソ……」

 

 幸い、とっさに伸ばした手がしびれるだけでたいした怪我はない。すぐに立ち上がって【体験エリア】を目指す。

 再びゲートの待ち時間と薄暗い通路を経て、【体験エリア】にやってきた。道に沿って橋のふもとまで向かう。川沿いに立つ何本かの街灯が、大きな川と両岸の道を照らしている。

 

「確か、製作場は左だったか?」

 

 念のため立て看板で場所を確かめ、(くだん)の製作場にたどり着いた。

 

「工作室……こっちか」

 

 製作場の中は工作室と手芸室の二つの部屋に分かれていた。俺が呼び出されたのは、工作室だ。入って左側の擦りガラスの嵌められた引き戸のそばに、『工作室』と書かれた札がかけられていた。擦りガラスの向こうは暗い。

 息を整え、大きく深呼吸して、その引き戸に手をかける。

 ……緊張しろ、これは罠なんだ。

 意を決して、腕に力をこめる。

 

 ──ガラリ

 

 わざと大きな音を立てて、すぐに扉からはなれて様子を伺う。

 

 音はしない。何の反応もない。

 誰も、いないのか?

 

 慎重に、警戒しながら工作室の入り口へと足を進める。顔を中にいれ、照明をつけようと近くの壁に手を這わせた。

 

 

 何かが俺の体に近づいてきたのは、その瞬間だった。

 

 

「──グェッ!」

 

 何も反応できない俺の鳩尾に、強い衝撃が入る。潰れたカエルの鳴き声のような、肺の空気が抜ける音を出した。蹴られたのか。ふらりと、体が廊下へとよろめく。

 その痛みを感じてすぐ、目の前に誰かが立ちふさがった。上げた両腕をクロスさせて、何かをしようとしている。

 

 製作場の照明は点灯していないが、外の街灯の光が差し込んで来る。その光は、俺に襲い来る人物の正体をはっきりと示していた。

 

 

 薄暗い建物の中で、淡い金色のポニーテールを揺らすその人物は。

 

「大、天……!」

 

 【超高校級の運び屋】、大天翔に違いなかった。

 

 

 満足に息もできない中搾り出した俺の声に大天は何も返さず、クロスさせた腕を広げ俺の背後に回る。それを防ごうと体をひねったが、痛みが邪魔をしてうまく動けない。

 瞬間、首が何かで締め付けられた。

 

 ──まずい。

 

 と、思った時は、すでに手遅れだった。大天がそれを巻きつけたのだと、ようやく気がついた。

 俺の首が、締め付けられていく。痛い。首に後ろへの強い負荷がかかる。何とかそれをはずそうと、首に指を這わせる。苦しい。掴めない。首をただ掻くだけ。首との隙間に指を挟みこむことすらできない。

 何とか振りほどこうと身をよじっても、熱い、状況は変わらない。体を振るう。引き戸にぶつかり、ガラスが割れる。それでも苦しみは終わらない。

 ぐいと、背中を押される。痛い。床に倒れ込む。ガラスの破片からは少し離れた。でも少し手が痛い。背中に重い衝撃。上に乗られたのか。苦しい。もがけどももがけども、それはつづく。

 首への負荷はより強くなる。止まる。首が引っ張られ、上体起こしのように体が反る。止まる。どうすればいいのかわからない。呼吸が止まる。大天の体を掴もうと腕を振るう。止まってしまう。腕は空を切る。何もつかめない。血が止まる。

 

 止まる、止まる、止まる。

 

 

 

 生が、止まる。

 

 

 

「ガ、あァぁ……!」

 

 声が出た。

 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。

 

 やめろ、と口にすることもできない

 

   もう何も出てこない、どうしよう、誰か、何か

 首が絞まって、締まっていく、しまった、なんで、どうして、ああ、なんで

 

 からだが、 浮いて、 あ、あ、しびれてい熱い、

 

  痛 い焼け る 熱いあつ い 煮え え え

 

 

 首 が死まるしまって  なん

 

   で どう

 

          して、 いつも、  これで、        おわ り 

 

 

 俺は 俺  は  おれは   

 

 

   そ して   痛い 苦死い ぼ

 

 

 

  く は く  るし  あ、

 

 

 

 だ め   みえな   い  くら  い や だ

 

 

 

     や だ やみ   やだ   いや

 

 

   死  に       たく    な

 

 

 

 死

 

            し    

 

      止

 

 

 

 

 

 

 

   死

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにをなさっているんですか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カハッ! が、ハッ!」

 

 

 急に、生が体に戻ってくる。

 

 

 ふっ、と痛みが軽くなる。

 

 背中の重みも消える。

 

 乱れきった息で、急速に酸素を取り入れる。とっさに首に手を当てると、何かに触れる。ロープだった。これが俺の首を絞めていたのか。

 何が起こった、と体をねじって上を向こうとする俺の耳に、声が届いた。

 

「何するの、城咲さん!」

 

 大天の怒号。

 仰向けになった俺の視界の隅に映ったのは、大天を押さえつける城咲の姿だった。城咲が仰向けの大天に馬乗りになって、腕を掴んでいる。

 

「ばかなことはやめてください、大天さん!」

「バカなことなんかじゃない!」

 

 そう叫んだ大天は、城咲の手を払ってポケットに手を突っ込んだ。そして、何かを取り出す。

 ──凶器セットのナイフだ!

 

「私の邪魔をしないで!」

 

 大天が、城咲めがけてナイフを突き上げる。

 

「ッ! 城咲!」

 

 とっさにその名を叫ぶ。

 

 が。

 

 俺がそう口にする必要もなく、勝負は決していた。

 

「おちついてください!」

 

 城咲はそういいながら、ナイフをかわしながらその腕を掴む。そのまま勢いよくひねり、鮮やかな身のこなしで大天をうつぶせにさせ組み伏せる。

 気づけば、城咲は完全に大天を取り押さえていた。

 

「あきらめてください、大天さん」

「ぐぅ……」

 

 悔しそうに、大天が歯軋りをする。

 

「大丈夫ですか、平並さん」

「……あ、ああ」

 

 一通りの争いを眺めているうちに、体に少し痺れと痛みは残っているものの、乱れた呼吸は整っていた。

 ガラスの破片も、首が上に引っ張られていたせいで大きな怪我はない。手を少し切っただけだ。服についた破片を払う。

 そして、身動きの取れなくなった大天を見る。さっきの苦しみを思い出して、急に頭に血が上る。

 

「……大天! よくも……!」

 

 そんな言葉とともに立ち上がりかけた俺を、

 

「平並さん!」

 

 城咲が、俺の名を叫んで止めた。

 

「おちついてください。しんこきゅうしてください。苦しかったはずですし、怒るのもとうぜんです。ただ、どうか、今はこらえてください」

 

 その言葉を聞いて、目をつぶって、一つ深呼吸をした。

 大丈夫だ、俺は生きてる。

 落ち着け。

 間違っても、殺されかけても、殺意を抱こうとするな。

 

「ふう、ふう……」

 

 息遣いが妙になるが、何とかそれを押さえ込む。

 

「……ごめん、城咲」

「たいしたことではありません。それより、大天さん」

 

 大天を取り押さえたまま、城咲がたずねる。

 

「どうして、大天さんはこんなことを?」

「………………答える必要があるの?」

 

 たっぷりと間を取ってから、そう答える。その間も、大天は城咲の拘束を抜けようと睨みながら身を捩じらせ、それを城咲は押さえつけている。

 

「ないかもしれませんが……平並さんは、聞くけんりがあると思います」

 

 それを聞いて、大天が俺を見る。それでも、大天は黙っていた。

 

 大天に、殺されかけた。

 俺を殺そうとしたことを、許せはしない。本当に、死にかけたのだ。

 けど、殺意を抱いたことだけは、責められない。それを責めたら、俺は自分のことも許せなくなる。

 だから、大天の話を聞きたい。

 

「大天、教えてくれ。どうして、俺を殺そうとしたんだ」

「…………どの口がいうのよ」

 

 返ってきたのは、その一言だけ。すぐに大天は口をつぐむ。

 ……当然か。俺も、殺人未遂犯だ。

 そのやり取りを見て、城咲が口を開く。

 

「おそらく、あの記憶のひんとを見たのだとおもいますが……」

 

 それはそうだろう。このタイミングで犯行を起こすなら、原因はそれしかない。そのヒントを見て、記憶を取り戻したい、と思ったんだろう。

 となると。大天が、人を殺してでも取り戻したい記憶……心当たりが、一つだけある。

 

「もしかして、お姉さんのことか?」

「ッ!」

 

 大天がびくりと反応する。図星のようだ。

 このコロシアイ生活が始まったあの日、大天はモノクマの言葉に激しく反応していた。

 

 

 

──《すると、モノクマは大天の目の前に来て止まり、こう言った。》

 

──《「まあ、落ち着けないのもわかるけどねー。そんなんだとあっさり死んじゃうよ? 君のお姉さんみたいに」》

 

 

──《ガッ!!!》

 

 

──《その瞬間、大天はモノクマを蹴り飛ばしていた。》

 

──《「何で知ってるのよ!!! お姉ちゃんを知った風な口を利かないで!!」》

 

 

 

 

「覚えてたの?」

「……簡単に忘れられるもんじゃないだろ」

 

 その直後に、モノクマは規則違反として大天に槍を放った。そうそう忘れられる光景じゃない。

 とにかく、お姉さんのことは大天にとっての『地雷』のはずだ。俺にとっての【才能】がそうだったように。

 

「では、大天さんは、お姉さんとのおもいでを取り戻すために、はんこうにおよんだという事ですか?」

 

 城咲のその質問に、大天は、

 

「……………………」

 

 少しの間、考え込んだ。

 そして。

 

「……もう無理か」

 

 と呟いた。

 

「大天?」

「もう、クロになるのは無理みたいだから。城咲さん、全然力緩めてくれないし」

「あきらめてくださって、良かったです」

 

 その言葉の通り、大天は身をよじらせるのも、睨みつけるのもやめた。

 

「……私、二つ上のお姉ちゃんがいたの」

 

 そして、力なく語りだした。

 

「小さいころからよく二人で遊んでさ。両親が共働きだったから、お姉ちゃんが一番仲のいい家族だったんだ」

 

 その話の内容に反して、辛い想い出を語るような悲しげな目。

 

「運動神経抜群で、優しくてクラスの人気者で。私の自慢のお姉ちゃんだったんだよ」

 

 語る口調が、全て過去形であることに、おそらく城咲も気づいているだろう。

 だって、あのときのモノクマの言い方からすれば、きっと彼女はもう……。

 

「でも。私が小三のときに、学校で殺人事件が起きた」

「ッ……!」

「じゃあ、もしかして、大天さんのお姉さまは、その時に殺されて……」

「そうじゃないんだよ、城咲さん」

 

 城咲の台詞を大天がさえぎった。

 

「殺されたのは、お姉ちゃんのクラスメイトの女の子。事件が起こってしばらくは、下校中に通り魔に殺されたって噂されてた」

「…………」

「お姉ちゃんは、事件が起きてから学校に行かなくなったの。同級生が殺されて、ショックを受けてるんだと、その時はのんきにそう思ってた」

 

 一つ一つ、想い出を確かめるように大天は言葉を発していく。

 

「そして何日かして、ある日私が学校から帰ってきたら、お姉ちゃんがリビングで首を吊って自殺してた」

「「……え?」」

 

 声が、城咲とシンクロした。

 

「テーブルの上に、遺書が、置いてあって、そこに、自分が同級生を殺した犯人だって、ずっと後悔してて、命をもって償うって、書いてあって」

 

 ポツリポツリと、言葉が吐き出される。

 

「それで、結局それは本当で。警察が調べたけど、お姉ちゃんの机の中に、事件で使われた凶器があったんだって」

 

 自分の家族が、殺人事件の犯人。しかも、それを悔いて自殺してしまうだなんて、想像すら及ばない地獄に違いない。

 ……けれども。

 

「大天さんのお姉さまのことについては、分かりました。ですが、それが記憶を取り戻すこととどういった関係があるのですか?」

「……そうだ。失った記憶は個々最近の二年間の記憶。大天のお姉さんとの想い出は、もっと昔の小学生のころの話なんだよな?」

 

 大天に、犯行動機の核心を尋ねる。

 

「話は、まだ終わってないよ」

「つづきがあるのですか?」

「……うん」

 

 まだ、何かあるのか?

 

「ねえ」

 

 と、そこで大天が話を区切って俺達に尋ねる。

 

「二人は、【言霊遣いの魔女】って知ってる?」

「……え?」

 

 どうして。

 どうして、その名前が出てくるんだ。

 

「わたしは……ぞんじませんね」

「そう。平並君は?」

「……聞いたことはある」

 

 いつか七原と話したときに上がった名だ。このコロシアイ生活の黒幕なんじゃないかと、七原が推測した殺人鬼だ。

 

「周囲の人間を巧みに操って、殺人を起こさせる。そういう殺人鬼……って認識で合ってるか」

「そうだけど……よく知ってるね」

「……たまたまだ」

 

 と、答えてから思い至る。

 

「ちょっと待ってくれ。だったら……まさか」

「……お姉ちゃんは、【言霊遣いの魔女】に狙われたんだ」

 

 俺が言おうとした言葉を、大天が先に告げた。

 

「お姉ちゃんの遺品を整理してるときに、かばんの中から一枚のカードを見つけたんだ。その時はなんだろうって思ったけど、何年か経ってから偶然それが【言霊遣いの魔女】の犯行の印だって知ったの」

 

 カード。

 

「トランプのジョーカーに、【言霊遣いの魔女(Witch Of Word-Soul Handler)】のサイン。それが、【言霊遣いの魔女】の、犯行の証明なんだ」

 

 ……確かに、そんなことがあの報告書に書いてあった。犯行現場に、サインを記したカードを残していくと。

 

「それから、ずっと【言霊遣いの魔女】を探してる。【超高校級の運び屋】なんて肩書きをもらったけど、運び屋を始めたのもそれが目的なんだ」

「運び屋が?」

「そう。運び屋の仕事で情報を運ぶなんていう情報屋みたいなこともしたし、足がついたらヤバそうな人からも依頼を受けたりした。そうやって、表裏問わずコネを作って、必死に【言霊遣いの魔女】のことを調べたの。おかげで、今は現役の高校生だって事までは分かったけど、それ以上のことは分からなかった」

 

 現役の高校生……そうか、【言霊遣いの魔女】を希望ヶ空学園が【超高校級の心理学者】としてスカウトしようとしたのなら、そいつは高校生ということになるんだ。

 

「お姉ちゃんの人生をめちゃくちゃにしておいて、【言霊使いの魔女】はのうのうと生きてるなんて、そんなの、許せない。一刻でも早く、こんなところから出たかった」

「……だから、お前は早くここから出せってモノクマに啖呵を切ったのか」

 

 それこそ、あの日。モノクマがこのコロシアイ生活を宣言したとき、誰よりもそれに反抗したのは大天だった。

 

 

 

──《「もういや! ふざけないでよ!」》

 

──《大天が悲痛な叫び声を上げる。》

 

──《「ん? どうしたの?」》

──《「私を早く外に出してよ! 私は……こんなところにいる暇なんてないんだから!」》

 

 

 

「……そういえば、大天さんが図書館で熱心に調べごとをしていたと明日川さんが仰っていました。ころしあいのことについて調べているとききましたが、もしかして、調べていたのはその【ことだまつかいのまじょ】についてのことだったのですか?」

 

 大天の上に乗ったままの城咲がたずねた。

 

「……そうだよ。結局、何も収穫はなかったけどね」

「では、約束をやぶって記憶のひんとを見たのも、情報収集のためですか?」

「当然でしょ。少しでも情報が得られるなら、見たほうが良いに決まってるから。……目立ちたくなかったから、約束を守る振りをしたけど」

 

 言われてみれば、大天はことごとく【動機】を見るのに賛成していた気がする。

 けれど、ここにいたってまだ気になることがある。

 

「……だが、お前は一つ目の動機では殺人を決意しなかっただろ。【卒業】をして外に出て【言霊遣いの魔女】のことを調べることを、一度は我慢したはずだ」

 

 あの夜、大天は何もしなかった。

 

「だったら、どうして今度は【卒業】しようとしたんだ。……お前の失った記憶は、なんだったんだ」

 

 俺が、そう問いかける。

 お姉さんとの想い出じゃない。だったら。大天が皆を犠牲にしてまで取り戻そうとした記憶は。

 

「『【言霊遣いの魔女】の正体』。それが私が失った記憶なんだって」

 

 大天が、告げる。

 

「私は、二年間で【言霊遣いの魔女】の正体を突き止めてたんだ! お姉ちゃんの仇が一体どこの誰なのか、全部分かってたんだ! だったら、それを取り戻さないわけにいかないじゃん!」

 

 悲痛な声で叫ぶ。これが、大天が凶行に至った【動機】か。

 

「大天さん」

 

 静かに、城咲が彼女の名を呟いた。

 

「同情でもしてくれるの? だったら……私に殺されてよ」

「……それはできません。みなさんのためにも」

 

 城咲の返答に、大天は知ってたといわんばかりにため息をついた。

 

「ひとつ、聞きたいことがあるのです。大天さんは、もしも仮に【卒業】をして、【ことだまつかいのまじょ】の正体を思い出したとして……その後はどうするおつもりなのですか?」

 

 それを聞いた大天は、

 

「殺すに決まってるじゃん」

 

 と、あっさりと告げた。

 

「お姉ちゃんの人生を奪った、そんなヤツをどうするかなんて、一つしかないでしょ」

「そんなの、だめだろ」

 

 とっさに、言葉が口をついて出る。

 

「何?」

「復讐なんて、やっちゃダメだろ!」

「どうして?」

「どうしてって……そんなことしても意味なんかないだろ」

「意味ならあるじゃん。【言霊遣いの魔女】が、この世から消える。それが何より一番大事でしょ。それとも、平並君は、【魔女】のことを許せって言うの?」

「そうじゃないが……」

「ですが、ふくしゅうは何も生みません。殺人はしてはいけません」

 

 城咲も、大天の復讐に異を唱えた。

 

「何それ。なんでだめなの? 相手は殺人鬼なんだよ?」

「あいてが誰だとしても、法やるーるには従うべきです。人が人であるために、超えてはならない一線なのではないですか?」

「その一線を越えてきたのが向こうでしょ。先に法を破ったのはあっちじゃん。やられた方はそれを黙って受け入れろって言うの? そっちのほうがよっぽどおかしな話じゃないの?」

「法をやぶった人に罰を与えるのが、法だと思います」

「それは城咲さんの価値観でしょ」

 

 城咲の言葉にも、大天は聞く耳を持たない。

 

「私は、お姉ちゃんに殺人を犯させて、それを嘲笑っていた【魔女】を許せない」

「でも、復讐なんかお姉さんだって望んでないだろ! 【言霊遣いの魔女】にそそのかされて殺人したことを、自殺するほど後悔したんだろ? だったら、お前に仇をとってほしいなんて、人を殺してほしいなんて、思ってるわけない!」

「うるさい! これは私の問題なの! お姉ちゃんの気持ちなんか関係ない! 私が、【魔女】を殺したいんだよ!」

 

 大声で、大天が叫ぶ。

 

「【言霊遣いの魔女】をこの手で殺す! それが私の人生なの!」

 

 そんな。

 そんな人生が、あっていいのか。

 大天の魂の叫びに、俺はそれ以上何も言い返せなかった。

 

「…………」

 

 城咲も、黙り込んでいる。どんな言葉をかけるべきか、見当たらないようだ。

 大天の語った心情に衝撃を受けていると、

 

「大体、平並君に言われたくないよ」

 

 彼女がまた口を開き、告げた。

 

 

 

()()、【卒業】を企んだくせに」

 

 心当たりのない、その言葉を、吐き捨てた。

 

 

 

「ちょっと待て、どういうことだ。『また』って、なんだ」

「シラを切る気?」

 

 じろりと、俺を睨む大天。

 なんだ、何が起こっている?

 

「ここに私を呼び出して、殺そうとしたんでしょ?」

 

 どうして、大天はそんな勘違いをしている?

 

「違うだろ、呼び出したのはお前の方だろ」

 

 いつの間にかカラカラに乾いた口から、言葉を搾り出す。ポケットから例の呼び出し状を取って二人に見せる。

 

「蒼神からカギを奪って、この手紙で俺をここに呼び出したんだよな。お前はここで待ち伏せして俺を殺そうとしたんだよな?」

「蒼神さんから……そんなことしてないよ」

 

 この困惑の表情は演技なのか、それとも本当に戸惑っているのか。

 

「私は、記憶のヒントを見て、誰かを殺そうと思って、でも、殺そうとしても誰も部屋から出てきてくれなくて……そんなときに、私の個室に手紙が届いてたんだよ」

 

 と、言いながら手を動かそうとして、城咲によって身動きが取れなくなっていることに気づく。

 

「城咲さん、もう離してくれないかな」

「……かまいませんが、少しでもみょうなことをすれば」

「分かってるよ。っていうか、城咲さんに敵う気しないし」

 

 そんな会話の後、城咲が警戒しながら大天の上から退き腕を解放する。

 そして、大天もポケットから一枚の紙を取り出した。

 

「……ほら、これ」

 

 

=============================

 

 大天さんへ

 

  大天さんに相談したいことがあります。

  0時丁度に工作室に来てください。

 

                     七原

 

=============================

 

 

 紙は、俺のものと違ってメモ用紙じゃない。何かのノートを切ったもののようだ。ノートなんてあっただろうか。

 それに、差出人も七原になっているし、筆跡も少し丸みを帯びている。

 けど、そこは余り重要ではないだろう。大事なのは、これが大天の個室に入れられたという事実だ。

 

「偽物だって、すぐに分かった。私を殺すために呼び出そうとしてるんだって。だから、返り討ちにしてやろうと思った。誰かを殺すためには、それしかないから」

 

 大天は更に話を続ける。

 

「呼び出した犯人に先回りできるように、30分くらい前から待って、それで、ずっと手紙の差出人が来るのを待ってたんだ」

「そこに……俺が現れたっていうのか?」

「……うん」

 

 本当か?

 つじつまは、合う。けど、それを信じられるか? 大天は俺を本気で殺そうとしたんだぞ。城咲が助けてくれなかったら、俺は絶対大天に絞め殺されていた。

 スッと締め付けられていた首を指でなぞってそんなことを考えて、ふと気づく。

 

「そういえば、城咲、お前は、どうしてここにいるんだ? どうして、個室から出ているんだ?」

「それが……わたしも、てがみをうけとったのです」

 

 城咲もまた戸惑った表情を見せながら、折りたたまれた紙を取り出す。今度は、俺が受け取ったものと同じくメモ用紙だった。

 

 

=============================

 

 城咲さんへ

 

  助けてください。

  12時に展望台で会いましょう。

 

                     蒼神

 

=============================

 

 

 城咲も、手紙を……。

 差出人は、俺のものと同じく蒼神になっている。けれど、こっちのメモは少し角ばった字で書いてある。

 

「それが、個室に入れられていたのです。それで、展望台でてがみの差出人をまっていたときに、中央広場で平並さんがころんでいるのをみかけたのです」

「見てたのか」

「はい。……それで、何かあったと思い後をおってみたら、大天さんが平並さんをおそっているところだったのです」

「そうだったのか」

 

 再び、手紙に目を通して、城咲にたずねる。

 

「お前は、これを信じたのか?」

「いえ……新家さんの事件のことがありますから、わたしもすぐに偽物だと分かりました。蒼神さんが、率先して個室に篭るという約束を破るとは思えませんから」

 

 確かに、その通りだ。

 

「じゃあ、なんでお前は展望台に行ったんだ」

「……私と同じでしょ」

 

 城咲にたずねたその疑問に、大天が返答した。

 

「相手を返り討ちにして【卒業】しようと思ったんじゃないの?」

「そんなこと、おもってません!」

「それ以外に、呼び出しに応える理由はないでしょ。じゃあ、何で?」

「もちろん、てがみの差出人を説得するためです」

 

 城咲は、はっきりと答えた。

 

「前の事件のとき、七原さんが平並さんを説得したように、わたしも事件をおこそうとした方を説得しようとおもったのです。わたしが呼び出しにこたえなければ、たしかに事件はおこりません。ですが、それでは、あしたの夜、そのつぎの夜に、たーげっとを変えて事件がおこるかもしれませんから」

「…………」

 

 大天は、何も言わない。

 

「せいしんせいい説得すればきっと殺人をおもいなおしてくれるとおもいましたし、もし説得できなくても、おみせした通りごしんじゅつには自信がありますから」

 

 確かに、そこに関して心配は不要かもしれない。罠と分かっていておそわれた、俺なんかよりもずっと安全だ。

 

「それよりも」

 

 城咲が話し出す。

 

「お二人がそれぞれ呼び出されたというのであれば、蒼神さんはどうなさったのですか?」

 

 そうだ。蒼神だ。

 

「平並さんがここにいるのであれば、手紙の差出人は蒼神さんの持っていた新家さんの個室のカギを空けたはずです。なら、蒼神さんの身に何か起きているはずです」

「ずっと、俺を呼び出したやつ……大天が新家の『システム』を奪うために蒼神を気絶させたと思ってたんだが……違うのか」

「だから、蒼神さんなんか知らないって! 私も呼び出されただけだし……それより、平並君が私を殺すために自由になろうと蒼神さんを気絶させたんじゃないの!?」

「そんなことはしていない! お前が嘘をついてるんだろ!」

「今更そんな嘘ついてどうするの? 私は全部話したよ! そっちこそ、嘘ついてるんじゃないの!?」

 

 大天も、呼び出されただけ?

 じゃあ、俺を呼び出したのは、誰だ?

 蒼神は、どこにいるんだ?

 

「いいあらそっていてもどうしようもありません! 蒼神さんをさがしましょう!」

 

 城咲が叫ぶ。

 大天も俺も、互いの様子のおかしさを感じ取ったのだろう。一瞬目を合わせる。異は唱えない。

 

「工作室や手芸室は誰かいないか確認したけど、誰もいなかったよ」

 

 工作室に潜んでいた大天の意見。自分でも言っていたが、今更嘘はついてもしょうがない気がする。ひとまず、ここは信用しておく。

 それに、俺や大天を呼び出したやつがいるのなら、呼び出し場所である製作場に蒼神は隠さない気がする。もしかしたら、気絶させた蒼神は蒼神の個室に隠した可能性もある。

 

「手分けして探すか?」

「すでになにかが起きているかもしれません。なら、さんにんで行動したほうがいいとおもいます。とにかく、外に出ましょう」

 

 確かにそうだ。

 城咲が先陣を切り、三人で製作場を飛び出す。

 目の前に広がるのは、大きな川。非常事態だというのに、川には雄大に水が流れている。

 

「なあ、一旦、宿泊棟に戻らないか? 俺達みたいに呼び出されたやつがいて、もしかしたら個室から出てるかもしれない。蒼神を探すなら、人出はあったほうがいいよな?」

「はい、そうしましょう」

 

 城咲が相槌を打つ。宿泊棟へ戻ろうとした城咲だが、その足がぴたりと止まる。

 

「どうしたの、城咲さん」

 

 城咲は、何かを見つめている。

 川下のほうだ。

 

 

「──あれ、なんでしょう」

 

 

 声を震わせ、城咲が呟く。

 その視線を追いかけると、流れる水が吸い込まれていく金網に寄り添うように、一艘のボートが浮かんでいた。

 

 それに、何かが乗っている。

 何かが、横たわっている。

 それは、人のように見えた。

 

 

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 

「…………え」

 

 数日ぶりに、耳にするアナウンス。

 もう二度と聞きたくなかった、アナウンス。

 

 どうして、これが流れたんだ?

 

 アナウンスを聞いて、俺達三人は何かを確かめるように、何かにすがるように一歩ずつ足を進めていった。

 川沿いに道を下り、近寄っていく。

 

 次第に、ボートに横たわる()()の正体が少しずつ明らかになっていった。

 

 

 

 

 もしかしたら、初めから分かっていたのかもしれない。

 あの個室のカギが開いていた時点で、彼女の身に何かがおこっていることなんか分かり切っていた。

 その悪夢的な予想が裏切られると信じて、無理矢理救いのある展開を予想して個室を飛び出して。

 そうして必死に目をそらしていた現実が、川に浮かんでいる。

 

 壁際までたどり着く。

 ボートの中身が、はっきりと分かる。

 

 その人物は、水の入ったボートの中でうつぶせになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 長い紺色の麗しい髪の毛。

 

 しわのないセーラー服。

 

 顔をふせたままピクリとも動かない体。

 

 

 

 ああ、もう認めないわけにはいかない。

 

 あれが死体だというのならば。

 

 

 

 

────あれは、【超高校級の生徒会長】蒼神紫苑の死体に他ならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER2:【あるいは絶望でいっぱいの川】 (非)日常編 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




希望は緩やかに消えていく。
そして、死体が流れ着く。


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非日常編① 三途の川を引き返せ

      ||       ||

      ||   あ   ||

      ||   る   ||

      ||   い   ||

      ||   は   ||

      ||   絶   ||

      ||   望   ||

      ||   で   ||

      ||       ||

     \_________/

         CHAPTER2

        【非日常編】

     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\

      ||       ||

      ||   い   ||

      ||   っ   ||

      ||   ぱ   ||

      ||   い   ||

      ||   の   ||

      ||   川   ||

      ||       ||

 

 

 

 

 

 

──()《「わたくし、蒼神紫苑と申します。僭越ながら、【超高校級の生徒会長】としてスカウトされましたわ」》

 

 

 そう名乗った彼女は、絶望的なこのドームの中で、その肩書きの通り俺達を率いてくれた。

 不安に襲われる俺達を、纏め上げてくれた。

 

 

──《「今、わたくしたちはモノクマに監禁されています。もしも【学級裁判】を無視するのであれば、きっとモノクマはそれなりの対応をとるでしょう。ですから、【学級裁判】のために行動するのが最適のはずですわ」》

 

 

 新家が殺されたあの夜、【学級裁判】を前に戸惑う俺達を、捜査をするように動かしてくれたのは彼女だった。

 いつだって、俺達が前に進めたのは、彼女の存在があったからだ。

 

 

──《「平並君。悩んでいることがあれば、わたくしに相談してください。今度こそ、あなたを救ってみせますわ」》

 

 

 自分だって苦しいはずなのに、それでも他人を救うことを諦めなかった。

 そんな彼女の力になれないまま、その心に頼ってしまったまま。

 

 

──《「明日の朝を、ここにいる14人で迎えましょう」》

 

 

 俺達に向かって、そう強く述べた彼女は。

 蒼神紫苑は。

 

 

 

 

 

 死体となって、目の前に現れていた。

 

 

 

 

「あ、ああ……」

 

 この光景が悪夢だと断じる事ができたなら、どれほど幸せなのだろう。

 そんなことを考えてしまうほどに、現実はどうしようもなく立ちはだかっている。

 

「くぅ……!」

 

 悔しそうに息を漏らしながら、城咲が製作場前の桟橋に泊められていたボートに飛び乗った。

 

「城咲?」

「蒼神さんを助けましょう!」

「……え?」

 

 返ってきた城咲の声に、大天が反応した。

 

「あのぼーとは、平並さんを追いかけているときにはありませんでした! となると、わたしたちが製作場のなかにいるときに流されたということになります!」

 

 そう話しながら、城咲はボートにくくりつけられていたロープをはずす。

 

「ものくまが、何を持って蒼神さんが死んでいると判断したのかは分かりません! 蒼神さんがいつどのようにころされたのかも分かりません! もう、ておくれかもしれません! ですが、蒼神さんは血を流しているようには見えません! もしも、まんがいち、はんこうがたった今行われ、それが見ての通りできしだったのなら! 今すぐ救命措置を行えば、助けられるかもしれません!」

 

 その叫びとともに、城咲は蒼神の乗ったボートへ向けて川をオールで漕ぎ出した。

 救命措置。確かに、それができる可能性はある。その可能性がどれほど薄いかなんて考えるまでもないが、それでも、蒼神を助けられるかもしれないという希望はそこに残っている。逆に言えば、そのかすかな希望にすがるしかない。

 城咲は、蒼神の姿を前にしても尚、冷静に一瞬でそこまでの判断をしてのけたのか。……いや、あのボートを目にした瞬間、確かに城咲の声は震えていた。そこから、蒼神を救う方法を探すように頭を切り替えたんだ。

 

「城咲! 俺は何をすればいい!」

 

 城咲が必死に行動しているのに、俺がただ突っ立っているわけには行かない。何か、できることはないか。

 

「今はそこで待っていてください! ボートになにか紐がくくりつけてあるので、それを使って岸にたぐりよせましょう!」

 

 返ってきたのは、そんな言葉。言われて目を凝らしてみれば、確かにボートの頭に黒い毛糸のようなものが結びつけれられているのが街灯の光に照らされていた。その先は川の中に沈んでいる。よく見つけられたものだ。

 少しして、蒼神のボートにたどり着いた城咲が、毛糸を川から引っ張りあげる。予想以上に長かった毛糸に一瞬驚いた様子を見せた。それを持って乗っているボートを少しだけこちらに近づけると、城咲はその毛糸を俺のほうへ投げてきた。

 

「平並さんと大天さん! おねがいします!」

 

 城咲の鬼気迫る声に促され、俺は毛糸を引っ張る。川の流れに逆らってはいるが無理なものでもない。毛糸が細く手に食い込むが、そんなことは気にしていられない。

 

「大天、手伝ってくれ!」

 

 ボートを手繰り寄せながらそう声をかけると、呆然と蒼神の乗ったボートを見つめていた大天は、ハッと何かに気づいたような顔になった。

 

「わ、分かった!」

 

 大天は、そう答えてピンと張った毛糸に手を伸ばした。

 しばらく二人でボートを引き寄せる。城咲が桟橋に戻ってきたあたりで、蒼神の乗ったボートも岸にぶつかる。それを城咲が桟橋についてた紐を使って桟橋と結びつけて、ボートは川岸に沿うように固定された。

 間近で見る蒼神の体。ボートの中に水がたまっていて、そこに蒼神は顔を突っ伏している。乾いた背中は、波に揺られて静かに上下するだけだった。

 ボートは頭のほうに少しだけ下に傾いている。足の方はほとんど濡れていない。

 

「平並さん、足のほうをお願いします!」

 

 俺にそう指示する城咲は、蒼神の両肩に手を当てている。このまま持ち上げる気だ。あわてて俺も蒼神の足を掴む。

 その肌には、まだぬくもりが残っていた。

 

「せーの!」

 

 と、掛け声を合わせて蒼神を持ち上げる。慎重に陸に寝かせて、城咲はすぐに仰向けに体を転がした。

 水に濡れたその顔は、とても死んでいるとは思えないほど、穏やかだった。だが、そこに生気は感じられず、息をする音も心臓の胎動もない。額に、横向きに一本軽い痣のような跡が走っているのが気になった。

 

「ええと、こういうときは人工呼吸するんだっけ?」

「いえ、それよりも心臓まっさーじの方がよいでしょう」

 

 と、言いながら城咲は蒼神の胸に手を当ててその上に身を乗り出し、蘇生処置の構えを取る。

 

「蒼神さんの、心臓は、動いて、いません。まずは、心臓を、動かすことが、先決です」

 

 テンポよく蒼神の胸を押しながら、そう答えてくれる城咲。

 

「それに、どくの、かのうせいも、ありますから、こちらの、方を、優先、しましょう」

 

 毒……そうか、蒼神は毒を飲まされたかも知れないのか。

 暗闇にぼんやりと浮かぶ実験棟に目をやる。アレは根岸が管理しているはずだが、万が一、ということもあるかもしれない。

 ともかく、今は城咲に託すしかない。ただひたすらに、祈る。蒼神が死んでから、何分経った? まだ間に合うのか。それすら分からない。

 

「おねがい……」

 

 ポツリと呟くのは大天。両手を組んで目を瞑って必死に祈っている。そうだ、祈るしかない。

 

 城咲が蒼神の胸を押す音が、川の中へと消えていく。

 

 それが、ずっと続いていた。

 

 

 

 

 

 

 そして、何分経っただろう。

 

「オイ! 何があったァ!」

 

 ゲートが開き、ドタドタといくつもの足音とともに皆が【体験エリア】に駆け込んできた。全員が、揃っている。

 

「……蒼神さん!」

 

 杉野が叫ぶ。城咲が蒼神を心臓マッサージしているのを見つけたようだ。

 

「ひっ……」

 

 他の皆からも、悲鳴が上がる。

 皆、城咲の姿を見て理解したのだろう。発見された『死体』が、一体誰だったのかを。

 

「うぷぷ……うぷぷぷぷ……」

 

 そして、あのダミ声が耳に届いた。

 

「ぶひゃひゃひゃひゃ! サイッコーの気分だね!」

 

 案の定、モノクマがそこにいた。

 一体何が。何がそんなに面白いのだろう。人が、死んだというのに。

 その笑い声を背にしながら、城咲は尚も心臓マッサージを続けている。

 

「はーい! というわけで、二度目の事件が発生しました! なんか色々悪あがきしたみたいだけど、全然意味なかったね!」

 

 無言を貫く俺達に、モノクマは心底楽しそうに語りかける。

 腹立たしいその言い分は、確かに的を射ているだけに何も言い返せない。ただ、自分の無力さを呪うしかない。

 

「だからほら、城咲サンもいい加減諦めなよ」

「ですがっ!」

「ていうか、もう無理だって分かってるでしょ。そんだけやって生き返らないんだから」

「…………」

 

 ……救命方法に詳しいということは、つまり、その逆もしかりなんだろう。きっと、蒼神が生き返る望みが限りなく薄いことなんか、城咲自身がよく分かっているのかもしれない。

 けれど、城咲は何も答えない。その手も止めない。

 

「大体、城咲サンの頑張りを認めて話しかけるのはやめてあげたんだから感謝してよ。蘇生活動に集中できたでしょ? ま、無駄だったけどねー!」

「黙れよ、モノクマ!」

「はいはい、口先だけの人こそ黙ってなよ」

 

 必死に誰かの命を守ろうとする行動を、無駄の一言で片付けるモノクマに怒りが湧いた。けれども、モノクマは簡単にあしらった。

 

「おい、メイド」

 

 そんな中、岩国が口を開く。

 

「いい加減手を止めろ。話が進まん」

「てめー……どォしてそんな態度がとれんだよ!」

 

 火ノ宮が、岩国から冷たく言い放たれた言葉に噛み付いた。

 

「アレを見て、なんとも思わねェのかよ!」

「……鬱陶しい、と言えばいいのか?」

「てめーッ!」

 

 その叫びとともに、ガッと岩国の胸倉を掴む。

 

「落ち着いてください!」

 

 杉野が必死に取り押さえる。

 

「内輪もめをして何になるのですか! 今はそんなことをしている場合ではないでしょう!」

「んなこたァ分かってる! 分かってっけどよォ!」

「だったら手を離せ、クレーマー。このままだと捜査できずにクロ以外全滅だ。それでもいいなら構わないが」

「………………チッ!」

 

 岩国の言葉を聞いて、火ノ宮はこれまでで一番大きな舌打ちと共に、岩国を突き飛ばすように手を離す。

 ……火ノ宮が、誰かに手を出しているのは初めて見た。よほど、岩国の言葉が許せなかったのだろう。

 

「岩国さんも、わざわざ火に油を注ぐような真似をする必要はないでしょう。対立するつもりはないと仰っていたではありませんか」

「……ふん」

 

 よれた学生服を直しながらそっぽを向く岩国。彼女は、どうして死体を見ても冷静でいられるのだろう。生来の性格の強さがあるのだろうか。

 

「……そして、城咲さん」

 

 混沌としかけた場を収めた杉野が、更に言葉を続ける。

 

「城咲さんの、諦めたくないという気持ちは十分に理解できます。蘇生処置が無駄だとも言いません。ですが、僕たちは足を進めなくてはなりません」

「…………」

「この先に待つ学級裁判を乗り切るために、捜査を行わなくてはなりません。ほかならぬ蒼神さんも、きっとそう言うでしょう」

 

 杉野にそう諭されて。

 ここで、ようやく城咲はその手を止めた。

 

「…………」

 

 無言で、蒼神の体を見つめている。

 場が、静まった。

 

「はい、杉野クンお疲れ様! オマエはこの中だとちょっとばかし優秀だよね。あとは蒼神サンも優秀で助かるよ。 ま、死んじゃったけど!」

「……僕は、あなたのために皆さんを落ち着かせたのではありません。話を進めましょう」

「じゃ、ヤル気満々の杉野クンのために、本題に入ろっか!」

 

 楽しげに両手を掲げるモノクマ。

 

「それでは、この後蒼神サンを殺したクロを見つける学級裁判を執り行います! というわけで、そのための捜査時間をあげるから、頑張って捜査してね! 例によって食事スペースのカギは開けておくから。それじゃ、ファイトだよ!」

 

 ファイト、だなんて明るい言葉をよく使えるものだ。

 

「あと、死体の検死結果も『システム』に送っておいてあげたよ! 感謝してよね!」

「話すことはそれだけですよね。それでは、早く帰ってください」

「なんだよ、その扱いは! もういいよ! 裁判場で待ってるからな!」

 

 杉野にあしらわれたモノクマは、ぷんすかと音を立てていつものようにどこかへと消えてしまった。

 それを確認して、続けて杉野は口を開く。

 

「……それでは、捜査を始めましょう」

 

 まるで、蒼神がいなくなった穴を埋めるかのように、杉野が場を仕切る。蒼神が生きていた頃だって杉野はこういう役回りだったが、いざこうして杉野が進行役になると、その欠けた穴を強く感じる。

 

「前回の、新家君が殺されたときと同じように、現場の見張りと検死役を立てたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「その提案には賛成する。だが、その前に聞いておきたいことがある」

 

 そんな意見を口にしたのは、岩国だった。

 

「死体を発見したときの状況。それと、発見までの経緯。その二つをこの三人に聞かなければ、捜査は始められない」

 

 そのまま、岩国は俺のいる方を向く。それに釣られるように、他の皆の視線もこちらに集まる。

 俺達三人……俺と、城咲と大天へと。

 

「こんな時間に、こんな所で、どのように死体を発見したのか。それ今この場で話してもらうぞ」

 

 突き刺すような岩国の言葉。

 

「そォだ。大体、オレ達は個室に閉じこもるっつー約束だったじゃねェか!」

 

 火ノ宮の怒号。

 分かってる。その約束を破って、俺達はここで蒼神の死体を発見した。

 その経緯を説明すること自体は、たいした問題じゃない。けれど、その中身に一つ問題がある。

 

「…………」

 

 ちらりと、大天を一瞥すれば、彼女は下を向いて黙り込んでいた。

 言うべきなのだろうか。大天が、俺を殺そうとしたことを。

 

「火ノ宮君、そう憤るな。見当はつけられる(展開の予測はできる)だろう?」

 

 どうすべきかを考えていた俺の耳に、そんな明日川の声が届く。

 

「彼らも、ボク達と同じように『手紙』を受け取った。それしかないはずだ」

「「……え?」」

 

 続いた明日川の台詞を受けて、俺と城咲の声が重なった。

 

「そりゃァそうだろォけどよ。オレが言いてェのは、何でその誘いに乗ったかって事だァ!」

「ちょっとまってください! まさか、みなさんも、よびだし状をうけとったのですか?」

 

 たまらず、といったように城咲が口を挟む。

 

「全員ではありませんがね。現に、僕の元には呼び出し状は届いていません」

 

 そう答えたのは杉野。

 

「他にも、届いていない方が何名かいらっしゃいますが……」

「その情報共有は後にしろ。今は、凡人どもの話を聞く時間だ」

 

 杉野の言葉を岩国が止めた。それ以上は喋らず、こちらが話し出すのを待っていた。

 

「お前達の言うとおりだ。俺達は、三人とも呼び出し状で呼び出された」

 

 いつまでも皆に時間を取らせるわけに行かない。

 まずはじめに俺から経緯を話し始めた。夜中に、部屋のチャイムを鳴らされたこと。ドアが開いていたこと。落ちていた呼び出し状を見て、緊急事態だと思って製作場に向かったこと。

 

「そうしたら、製作場の工作室に大天がいたんだ」

 

 と、そこまで話して言葉が止まる。

 ……ここであったことを、話すべきか? 話す必要は、あるのか?

 

「どうしましたか、平並君?」

 

 杉野が尋ねてくる。

 

「ああ、いや……」

 

 大天を見る。

 俺は大天に殺されかけた。けれど、話を聞けば彼女も呼び出されただけのだという。彼女だって、かつての俺のように追い詰められただけなのだ。

 事実、直後に心臓マッサージを受ける蒼神を見ていたときは、必死に彼女の蘇生を祈っていた。

 

 それに。

 

 

──《「【言霊遣いの魔女】をこの手で殺す! それが私の人生なの!」》

 

 

 …………。

 

「とりあえず、俺が話すのはここまでだ。じゃあ次は大天が……」

「一つ言っておくが」

 

 話を切り上げようとした俺に、岩国の言葉が突き刺さった。

 

「情報を隠すなよ。自己保身のつもりか何なのか知らないが、言うべきことを言わないのはクロに味方する人間と判断するからな」

「情報って……」

「ぬいぐるみから【動機】を与えられて、こんな夜中に遭遇して、それでも何もなかったと言うつもりか」

「いや……」

 

 見透かされている。

 

「そうでなくとも、お前はなにかしでかすんじゃないかと思っているが」

「どうなのですか、平並君。僕としては、何事もないというのも十分ありうる話だと思っていますが」

 

 と、言葉を続けるのは杉野。

 返答に困って大天を見ると、返ってきたのは、

 

「……話せばいいじゃん」

 

 という言葉だった。

 

「……隠して悪かった。大天に、殺されそうになったんだ」

「殺されそうになった?」

「う、嘘だ!」

 

 驚いたような岩国の声を掻き消すように、根岸が叫んだ。

 

「こ、殺そうとしたのは、お、お前の方だろ! と、というか、あ、蒼神を殺したのもお前なんじゃないのかよ!」

「何を、言って」

「お、お前がここにいるのが何よりの証拠だ!」

 

 ダムが決壊するように、怒りが流れ込んでくる。

 

「お、お前! す、睡眠薬はどうしたんだよ! お、お前は部屋で朝まで眠ってるはずだろ!」

「睡眠薬、であるか?」

「そ、そうだよ……! ふ、不安で寝れないとか言って、す、睡眠薬をくれって蒼神と一緒に頼んできたんだよ……!」

「睡眠薬って、化学室の? どうして根岸君に?」

「……薬品は、危険なモンもあるだろ。夜中は根岸が管理することにしてたんだ。つっても、開放されて何日かしてからやりだしたから完全な管理にはなってねェんだが、それでも今日平並が薬を得るなら、根岸からもらうしかなかったんだよ」

 

 大天が上げた疑問に、その管理の発案者であるらしい火ノ宮が答えた。

 

「それで、お前は何も考えず凡人に薬をあげたというわけか」

「な、何も考えてないわけじゃない……! あ、蒼神が、絶対に平並のいる部屋のドアを開けないって、い、言ったから……!」

 

 少し震えながら、岩国に反論する根岸。

 

「そ、それなのに、こ、こいつは! す、睡眠薬を飲む気なんか最初からなかったんだ! あ、蒼神をだまして、へ、部屋を抜け出した! だ、だからお前はここにいるんだろ!」

「そんなことしてない!」 

「睡眠薬……確かに、ありゃァかなり強力な薬だったはずだ。てめーは、なんでこんな時間に起きてられるんだァ?」

「それならちゃんと理由がある! 薬の飲み方を間違えたんだ!」

 

 その言葉に続けて、俺はモノクマから聞いた薬の効果について説明した。二回に分けて飲んでしまったからだと、皆に伝えた。

 

「う、嘘に決まってるだろ……! で、でっち上げだ……!」

 

 けれども返ってきたのはそんな反応だった。

 

「嘘じゃない! 後でモノクマにでも聞けば分かる。アイツは、聞けば答えると言っていたから」

「……そ、その効果が本当だとしても、お、お前が薬を飲んだ証拠にはならないだろ……!」

「そ、それは……そうだが」

 

 確かに、それは根岸の言う通りなのだ。俺が睡眠薬を飲んだことは証明できない。もし俺が本当に薬を飲んでいないのなら、もらった二錠の睡眠薬を見せればそれで済む話なのに。

 

「な、なんだったら、す、睡眠薬は、あ、蒼神を殺すのに利用したんじゃないのかよ!」

「根岸君。今はそこまでにしましょう」

 

 更に憤る根岸を、杉野がいさめた。

 

「な、なんでだよ杉野! ど、どう考えても、こ、こいつは怪しいだろ!」

「ええ、怪しいです。ただでさえ先日の殺人未遂と【動機】の件がありますし、今の睡眠薬の話を聞けばなおさら怪しいと、僕も思います」

「だ、だったら!」

「ですが、それは一方的に決め付けるべきではありません。この後の学級裁判で、皆で議論して決めることです」

「…………」

「今は、捜査のための時間です。平並さんへの追及は後にして、まずは話を聞きましょう」

「……わ、わかったよ」

 

 根岸は強く俺を睨んだままだが、そう答えて口を閉ざした。

 

「それで、平並君。殺されかけた、というのは?」

「あ、ああ。そのままの意味だ。置き手紙の通りに工作室に向かったら、そこで大天に襲われた。警戒はしてたんだが……な」

「そうですか。大天さん、本当ですか?」

 

 そんな風に話を振られた大天は、

 

「……本当だよ」

 

 と、ぶっきらぼうに返した。

 そして、そのまま自分が工作室に至った経緯を話した。部屋に戻ってから【動機】の記憶のヒントを見て殺人を決意したこと。試行錯誤してうまく行かなかったが、そんな時に呼び出し状が来ているのに気づいたこと。その相手を返り討ちにするつもりで工作室で待ち伏せし、そしてやってきた俺を殺そうとしたこと。それをぽつぽつと皆に語っていた。

 

「……ねえ、大天さん。殺人を決意するほど、取り戻したかった記憶って、なんだったの?」

「…………」

 

 七原がそうたずねるが、大天は何も答えなかった。

 

「それは、まあ色々あったんだろ。それより、最後に城咲から話してくれ」

「あ……はい」

 

 無理矢理話を切り上げて城咲にバトンタッチする。

 

「えっ?」

「わたしは、展望台に来るようにとよびだし状で呼び出されました」

 

 戸惑う七原だったが、城咲が呼び出し状を見せながらそう説明を始めると追及をやめた。……大天だって、あの過去のことは何度も話したくないだろう。あんな話は、わざわざ皆に伝える話じゃないはずだ。……俺と城咲だけ聞いておいて、勝手なことを言っているかもしれないが。

 

「わたしもこれがわなであることはわかりましたが、このよびだし状をだしたかたを説得するため、展望台に向かいました。無視したところで、その方のさついを抑えることができなければ、いずれ事件はおこってしまいますから」

「それで、部屋に篭る約束を破った、というわけですか」

「提案していただいた杉野さんには申し訳ないと思ったのですが、なによりも、自分ができることをすべきだと思いましたから」

「……シロサキ、オマエは自分が殺されるとは考えなかったのか?」

「なんども申し上げていますとおり、わたしは身を守るすべを持っています。足の速さにもじしんがありますし。それに、じぶんが殺されることよりも、みなさんを救えないことのほうがずっといやでしたから」

「…………」

「心配しなくても大丈夫だよ、スコット君。城咲さん、すごい強かったから。私も荒事にはなれてるつもりだったけどさ」

 

 ふてくされるように、大天がそう告げる。

 

「…………」

「はなしをつづけますね。そういった経緯で、やくそくの時間から……そうですね、20分ほど前から展望台で待っていました」

 

 その後、中央広場で転ぶ俺を見かけて、異常事態と判断してそれを追いかけたら俺に襲い掛かる大天を見つけたので止めに入ったこと。それぞれが呼び出し状に呼び出されたことを知り、蒼神を探そうと製作場の外に出てすぐに妙なボートを見つけてあのアナウンスがなったこと。それを確認すれば、うつ伏せでボートに倒れ込む蒼神の姿があったこと。そして、蒼神を助けようとしてボートを手繰り寄せ救命活動を行っていたことを、城咲は話した。

 

「と、わたしから話すことはここまででしょうか」

「ありがとうございます、城咲さん」

「……お前達」

 

 礼を述べる杉野と対照的に、冷たい声色でまたしても口をはさむ岩国。

 

「いや、この際だから全員に言っておく。死体を見つけたら、現場保存を徹底しろ。少なくとも、全員がそろうまで場を荒らすな」

「ちょっと待ってよ、琴刃ちゃん。そんな言い方はないんじゃない?」

「なんだ、腹話術師」

「かなたちゃん達は、紫苑ちゃんを助けようとしたんだよ? それって悪いことなの?」

「……まだ生きているのならともかく、死体発見アナウンスが鳴った以上、生徒会長はもう死んでいると判断すべきだ。死体を動かすことは、証拠の消失につながる恐れがある」

「紫苑ちゃんを助けられたら、裁判自体がなくなるかもしれないよ。助けられる可能性があったんだから、かなたちゃん達の行動は責められないと思うけど」

「だが、助けられなかっただろう。初めの状況の死体を目撃したのが三人だけというのは、裁判に大きな影響が出る。裁判に影響が出るということは、俺達の命が脅かされるということでもある。『俺達は仲間だ』とかほざくんだったら、学級裁判のことも考慮に入れて行動しろ」

「でもさ」

『もうやめとけ、翡翠。琴刃の言うことだって間違ってねえだろ』

「……分かったよ、琥珀ちゃん」

「自分で話を切り上げるなら最初から口を挟むな」

「今のは琥珀ちゃんが言ったんだもん!」

「そこまでにしてください」

 

 終わりそうにない二人の口論を打ち切って、杉野が強引に話を進める。

 

「お三方からお話は聞けました。時間もありませんので捜査に移りましょう。現場の見張りは、前回と同じく城咲さんとスコット君にお願いしてもよろしいでしょうか?」

「かまいません」

「オレも問題ない」

「ありがとうございます。では、検死の方ですが……」

 

 杉野は一旦言葉を止めて、火ノ宮の方を見た。見張りとは違って、軽率には頼めないからだろう。

 

「……かまわねェぜ。今回もオレがやる」

「ありがとうございます」

「その(テーマ)に関してなんだが」

「なんでしょう、明日川さん」

検死(結末の回顧)はボクもやろう。経験はない(物語は存在しない)が、知識なら他の誰よりもあるはずだ」

 

 言葉選びこそ相変わらず独特なものの、真剣な表情でそう口にする明日川。確かに、【超高校級の図書委員】の才能を持つ明日川なら、そのくらいの知識は……ん、ちょっと待てよ。

 

「明日川。お前、この前は『自分が読むのはフィクションだから』とか言ってなかったか?」

「……あの時(前章)は、持ち出してしまった包丁をどうにかする必要があったからな。だから、検死(結末の再読)はしたくなかったんだ」

「あ……」

 

 そのバツの悪そうな声を聞いて、罪悪感を覚えた。

 

「……言いてェことは色々あるが、今はそんな場合じゃねェ。その記憶力は頼りにしてっからな」

「ああ。期待していてくれ」

「では、検死役はお二方にお頼みします。それと……大天さん」

 

 その名を呼び、杉野が彼女に目を向ける。

 

「先程殺人未遂を行ったということで、大天さんもこの現場に残っていただけますか? 捜査をするなとは言いませんが、あなたを自由に動き回らせるわけにはいきません。少なくとも、城咲さんの目の届くところにいてください」

「……分かったよ」

 

 今更、無理に反発する気はなかったのだろう。時間が惜しいのは彼女も同じだ。

 

「そ、それを言うんだったらそいつはどうなるんだよ……!」

「根岸?」

「ひ、平並だって、ぼ、ぼくたちを殺そうとしたじゃないか……!」

「それは……」

 

 そんな叫びを聞いて、口ごもる。何も言い返せないが、捜査ができなくなるのは困る。

 

「根岸君の意見も尤もですが、今回に限っては彼は僕達と同じく白とも黒とも言えないグレーの存在と言うべきでしょう。大天さんに殺されかけてもいますしね。それに、前回の学級裁判での彼の貢献を無視するのは些か勿体無いように思います。ですから、そうですね……彼には、僕と一緒に捜査をしてもらう、というのはどうでしょうか? 単独行動は、決して取らせません」

「……け、けど……」

「ネギシ。納得出来ないのはわかるが、このままだといつまで経っても捜査が始まらないぞ」

「…………」

 

 スコットに諭され、根岸は黙り込んだ。

 

「それでは、捜査に移りましょう。何が証拠となるかは分かりません。何がクロを限定する根拠になるかは分かりません。どんな些細な事でもかまいませんので、とにかく情報を集めましょう」

 

 そう言って、杉野は話を切り上げた。

 

 

 

 

 

 【学級裁判】の時は近い。また、全員の命を懸けた絶望的な時間が始まってしまうのだ。

 蒼神は、もう二度とこんな時間は訪れて欲しくなかっただろう。それはきっと、自分のためなんかではなく、皆のためだったのだ。いくらそこに野望が絡んでいようと、全員でここを脱出することこそが蒼神の願いであったことに間違いはない。

 それでも、そんな彼女の死をもって、【学級裁判】は始まってしまう。

 

 

 瞬間、脳裏に【才能】の二文字が蘇る。

 その才能さえ手にしていれば、この惨劇は回避できたのだろうか。俺が凡人でさえなければ、もっと違った未来(いま)が待っていたのだろうか。

 けれど、何を考えたところで、モノクマに奪われた才能はかえってきやしない。蒼神が殺された現実も消え去らない。

 

 

 だから、必死に、捜査をしよう。死んでしまった蒼神の願いを、せめて少しでも叶えるために。

 【才能】のない俺にできるのは、それだけだから。

 

 

 




本年の投稿はこれでラストになります。
本格的な捜査開始は次回です。よいお年を。


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非日常編② 人間万事四面楚歌

 〈《【捜査開始】》〉

 

 《製作場前》

 

「それでは皆さん、よろしくお願いいたします」

 

 杉野の言葉をきっかけに、それぞれが動き出す。

 といっても、この現場を離れた者は少ない。前回新家が殺されていた倉庫と違ってこの空間は開けていてそれなりの広さがあるし、他に調べるべき場所も特に思いつかない。蒼神の死体へ向かっていく人が何人かいるのは……まだ、蒼神の死が信じられないからだろうか。蒼神の体は、とても殺されたとは思えないほどに綺麗だ。検死を行う火ノ宮や明日川は当然だが、岩国や根岸の姿もある。

 

「平並君。勝手に決めてしまいましたが、あなたには僕と一緒に行動していただきます」

「ああ、別に構わないぞ。捜査できるだけで御の字だ」

 

 丁寧にそんなことを言ってきてくれた杉野にそう返答する。

 じゃあ、始めるか。

 

「まずは……モノクマの検死結果を見るか」

「そうですね。明日川さん達もいらっしゃいますが、やはり一つ大きな情報になるものですから」

 

 前回同様、『システム』を操作して検死結果を探す。【モノクマからのプレゼント】の項目の中に、新たに【モノクマファイル2】が追加されていた。これだな。

 選択して内容を確認する。

 

 

=============================

 

 【モノクマファイル2】

 

 被害者は蒼神紫苑。

 死亡推定時刻は深夜11:45~0時過ぎ前後。

 死体発見現場は【体験エリア】の下流側。

 ボートに乗せられ流されていたところを発見された。

 死因は溺死。

 外傷はなく、服薬の痕跡がある。

 

=============================

 

 

「溺死、か」

 

 見ての通りといえば、見ての通りではある。蒼神は水に顔をつけた状態で発見されたのだ。だが、蒼神が川で溺死させられたのか、それともどこかで溺死させられてから川に運ばれたのかまではわからない。どこかに痕跡が残っていないだろうか。

 どちらにしても、城咲の心臓マッサージは無意味なんかじゃなかったんだ。それが、実を結ぶことがなかっただけで。

 

「…………」

 

 それと、気になるのは『服薬』の文字。

 

「服薬ってことは……」

「ええ、蒼神さんはクロに何か薬品を飲まされたということになります。蒼神さんが日常的に何か薬を飲んでいた、というのなら話は別ですが」

「そのようなはなしはきいていませんね。きょうの昼も、なにも飲まれておりませんでしたし」

 

 と、答えてくれたのは城咲。

 

「いきなり口をはさんでもうしわけありません。ですが、しっていることは話したほうがいいとおもいまして」

「ありがとうございます。それでは、やはり蒼神さんはクロに薬品を飲まされたのですね。おそらく、蒼神さんの殺害に利用されたのでしょう」

 

 薬品……そう聞いて思いかべるのは、『モノモノスイミンヤク』と『モノモノサツガイヤク』だ。他にも様々な薬品があったらしいが、素人が扱うのならその2つだろう。

 『モノモノスイミンヤク』は、俺が身をもって体験したとおり、強烈な睡眠効果をもたらす睡眠薬だ。アレを飲めば、一瞬で眠ってしまう。『モノモノサツガイヤク』は……これもまた強烈な効果の毒薬、としか覚えていない。数滴で死に至らせるらしいが……蒼神の死因が溺死であるなら、これは関係なさそうだ。

 

「それと、僕としては気になることがもう一つあります」

「なんだ?」

「この、『死亡推定時刻』のところです」

 

 死亡推定時刻……『深夜11:45~0時過ぎ前後』と書いてある。

 

「この時間帯に、何かあったのか?」

「それも確かに気になるところではありますが、僕が引っかかったのはこの書き方です」

 

 書き方?

 疑問符を頭に浮かべる俺に、杉野は『システム』を操作して【モノクマファイル1】を開いてみせた。

 

「ほら、見てください。前回は、『深夜0時過ぎ』と、ほとんど断定できるような書き方をしています。ですが、今回はどうでしょう、『深夜11:45~0時過ぎ前後』と、妙に幅をもたせた書き方になっています。たかが15分ではありますが、逆に、その短さならもっと端的に表現できたのではありませんか?」

「たしかに……」

「言われてみれば、そんな気もしてくるが」

 

 それは、言われて初めて感じる違和感だ。特に気にならなかった。

 

「何か、意味があるのでしょうか」

「それなんだけどねえ」

 

 突如、降って湧いただみ声。

 

「うお、モノクマ!」

「ボクってば、嘘はつけない性格でしょ? 【モノクマファイル】は正しい情報だけを伝えるのがモットーだから別に嘘を書く気はないんだけどさ」

 

 俺の声にも反応せず、モノクマは話し出す。

 

「そうでなくては困ります」

「それでさ、今回の蒼神サンの死因は溺死でしょ? 溺死ってさ、死んだタイミングがわかりづらいじゃん?」

「『じゃん?』って聞かれても、別に溺死に詳しくないんだが」

「……確か、溺死は水を飲み込んでから死に至るまで多少時間差があったはずです。溺死の本質は、酸素を取り込めなくなることによる窒息ですからね」

「杉野さん、おくわしいですね」

「実は、以前推理モノのアニメで被害者役を演じたことがあるのです。その際の死因がまさしく溺死でしたからね。おかげで、溺死には少し詳しくなってしまいました」

 

 やはり、自分が演じる役についてはしっかり調査を行うのだろう。そのあたりは、【超高校級】というよりも杉野のプロ意識を感じた。

 

「ま、そんなわけで、バイタルチェックを逐一やってるわけでもないし、そこまで正確に死亡時刻を判断できなかったんだよ」

「それで、この曖昧な表現というわけですか」

「そういうこと! ま、ボクの努力の賜物だと思ってちょうだいな! それじゃあね!」

 

 言いたいことを言い終えたのか、モノクマはどこかへと消えてしまった。まあ、こちらとしてもこれ以上用はないので勝手に消えてくれるならありがたい。

 それにしても、溺死ってそういうものだったのか。ドラマとかだと結構激しい死に方をしてたから、死んだ瞬間は分かりやすいと思っていたが。……ん、激しい死に方?

 モノクマファイルに再度目を通す。ちょっと待て、じゃあ、この薬物って……いや、まだ確証は……。

 

「【モノクマファイル】から読み取れる情報はこの程度でしょうか。次は……そうですね。城咲さんにお話を伺っても?」

 

 悩みながら思考をまとめているうちに、杉野が話を進めてしまった。まあ、学級裁判の時に話そう。

 

「ええ、かまいませんよ」

「城咲さんは、日中蒼神さんとご一緒でしたよね? その際、蒼神さんの様子や他になにか気になることはありませんでしたか?」

 

 杉野に問われ、目線を上げて思い出す城咲。

 

「いえ、特にきになることはありませんでしたね。蒼神さんとは、たあいのないお話をしておりました。ぜったいに、事件を起こしてはいけないと、おっしゃっていたのですが……」

「……そうですか」

 

 やるせなさが募っていく。

 

「ついでにお聞きしたいのですが、城咲さんは夜中、展望台にいらっしゃったのですよね?」

「はい、20分ほどですが」

「その間になんか気になる出来事はありましたか?」

「……いえ、こちらも特にありません。平並さんの件いがいは何もありませんでしたし、あればとっくにおつたえしております」

「ああ、それはそうですよね」

 

 こちらも収穫はナシ。いや、何もなかった、ということがわかったのか。

 

「ありがとうございました、城咲さん。それとついでに……大天さん! お話を伺えますか?」

 

 現場の隅っこで、システムをいじっていた大天を呼んだ。モノクマファイルを確認していたのだろうか。

 

「……何?」

 

 しぶしぶ、という様子でこちらに歩いてきた大天。

 

「大天さんは犯行を決意して早めに【体験エリア】にやってきたのですよね?」

「うん、そうだけど」

「その際、何かおかしなことが起きたり、誰かを見かけたりはしませんでしたか?」

「……別に何も。ずっと工作室で返り討ちにするために息を潜めて集中してたから、何かあったらわかると思うけど」

「そうでしたか、ありがとうございます」

 

 ふむ、というように考える素振りをする杉野。

 

「話ってそれだけ?」

「はい。とりあえずですが」

「だったら、俺から杉野に聞いてもいいか? さっき、皆も呼び出し状を受け取ってるって話があったよな。それについて少し詳しく聞きたい」

「ええ、構いませんよ」

 

 今夜の経緯を話す時に、そんな話が上がったはずだ。あの時は岩国に止められてしまったが。

 

「とは言っても、先程申し上げたとおり、僕のもとに呼び出し状は届いていません。全員の呼び出し状を確認したわけではありませんが、確か、スコットさんと岩国さんも呼び出し状は受け取っていなかったようですね」

「逆に言えば、他の人は呼び出し状が届いてるってことか?」

「断言はできませんが、おそらくは」

「……そうか」

「それなら、よびだし状を受け取ったほんにんにお話をうかがったほうがよさそうですね」

「でしたら……」

 

 あたりを見渡して、話を聞けそうな相手を探している。

 

「お三方、少々よろしいですか?」

 

 杉野は、蒼神の死体を遠目に見ながら話していた三人にそう声をかけて、歩み寄った。見張りに戻るという城咲とそれに付く大天と別れ、杉野の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 杉野が話しかけたのは、遠城と露草。それに、

 

「お、おまえ……」

 

 俺をにらみつける根岸だった。

 

「改めて、少々お話を伺いたいのですが」

 

 そう杉野が歩み寄ったが、

 

「こ、こいつに話すことなんか何もない……!」

 

 根岸は俺を指さしてそう言い放つと、俺達から離れていった。向かった先は【自然エリア】につながるゲート。もう現場の捜査は終えたのだろうか。

 

「凡一ちゃん、気を悪くしないでね。(アキラ)ちゃんも気が立ってるだけだから」

「……俺のことを疑うのも嫌うのも当然だからな。別に今更どう思うこともないさ」

 

 それよりも、残ってくれた二人から話を聞こう。

 

「お前達は呼び出し状を受け取ったのか?」

「うむ。いつ届いたのかはわからぬが、吾輩は11時過ぎくらいに見つけたであるな」

『オレ達もだ。そういえば、章ももらったって言ってたな』

「根岸も?」

「うん。11時半に展望台だったかな。無視したみたいだけど」

 

 ……まあ、そりゃそうだよな。根岸は今更呼び出しに応えたりなどしないだろう。

 

「なあ、よかったら呼び出し状を見せてもらえないか?」

『ああ、ほらよ』

「この通りである」

 

 それぞれが、呼び出し状を差し出して見せてくれた。

 

 

=============================

 

 露草さんへ

 

  あなたの秘密を知っています。

  バラされたくなければ、12時に僕の個室まで来てください。

 

                     杉野より

 

=============================

 

=============================

 

 遠城君へ

 

  あなたの才能を見込んで頼みがあります。

  12時に僕の個室で待っています。

 

                     杉野より

 

=============================

 

 

「……なんだこれ」

 

 二通の呼び出し状を読んだ感想として、真っ先に浮かんだのがそれだった。

 小さめのルーズリーフに丁寧な字で書かれたその呼び出し状は、片や脅迫めいてはいるが、差出人も場所も時間も全く同じ。どう見ても同じ人物が書いたものとしか思えない。

 

「これ、杉野が?」

「まさか。僕は個室への閉じこもりの発案者ですよ? こんな呼び出し状を出すわけがありません。それに、露草さんの秘密とやらも心当たりはありませんしね」

「露草の秘密……」

 

 このコロシアイが始まるまではあまり意識したことはなかったが、他人がどんな秘密を抱えているかは全く推し量れるもんじゃない。古池だって、大天だって、俺の想像の及ばない秘密を抱えていた。この、いつも黒峰と楽しげに漫才を繰り広げている露草がとてつもない秘密を抱えていたとしても、おかしくはないのかもしれない。

 

「でもさ、翡翠には別に秘密なんてないんだよね」

「そうなのか?」

『ああ。オレ達には隠すようなことなんかねえからな!』

「そうそう。翡翠はありのままの自分で生きてるからね」

『ま、大した人生を送ってないってことでもあるんだけどな』

「琥珀ちゃん、言い方が悪いよ!」

 

 また一人漫才が始まった。

 

『とにかく、呼び出し状の意味も分かんねえし、第一部屋にこもる約束だったからな。呼び出し状は無視してずっと翡翠と二人で話してたぜ』

「翡翠は眠かったんだけど、琥珀ちゃんが寝かせてくれなくて」

『おいおい、それはこっちの台詞だぞ、翡翠』

「……まあ、どちらの主張が正しいのかはさておくとして、露草さんが呼び出し状を無視したというのは本当のようですよ。事実、彼女は僕の部屋には来なかったようですし」

「ふうん……ん?」

 

 露草の漫才を聞き流しながら杉野の話を聞いていたが、その言い回しが引っかかった。

 

「どうして、そんな曖昧な言い方をするんだ? お前の部屋の話だろ」

 

 今の言い方だと、まるで誰かから聞いたかのようだ。

 

「誰も来なければそう証言できたのですけどね。口約束というのはひどく脆いものだと改めて思い知らされました」

 

 そういいながら、杉野は遠城へと視線を向けた。その動作を見て察する。

 

「お前は、行ったのか」

「……仕方ないであろう」

 

 俺の言葉を聞いて、バツが悪そうに遠城はそっぽを向いてそう答えた。

 

「吾輩の才能を引き合いに出されては、多少浮かれるのも無理はないのである」

「冬真ちゃん、他人事みたいに言うんだね」

「恥ずかしがってるだけのようにも思えますが」

「それで? 遠城は時間通り杉野の部屋に行ったってことか?」

「うむ……。気がついたら部屋の中に呼び出し状が入っていたのでな。才能のこともそうであるが、杉野からの呼び出し状ならそう悪いことにはならんと思ったのである」

「あんな呼び出し状を信用したのか? この前の事件のこと、忘れたわけじゃないよな」

 

 古池が新家を惨殺した、あの事件。それに使われたのが、偽の呼び出し状だった。

 

「無論、偽物である可能性も考えたのである。しかし、偽物だったとしたら杉野が『そんな呼び出し状は出していない』と否定するであろう。それに、杉野の部屋に行ったところで殺される可能性は低いと思ったのでな。そんなところで殺せば、クロは自分だと宣言するようなものであろう?」

「まあ……それは、確かに」

「そんなわけで、吾輩は杉野の部屋を訪ねてドアチャイムを鳴らしたのである」

「僕としては、かなり驚きましたよ。もう眠りについていたところを、いきなりドアチャイムで叩き起こされたわけですから。それこそ、その呼び出し状に書いてある12時ちょうどですかね」

「正直今となっては申し訳ないことをしたと思っているのである。かなり怖い思いをさせたようであるからな」

「まったくですよ」

 

 ため息をつく杉野。

 

「ともかく、僕の部屋のドアチャイムはそれからしばらく……ニ、三分ほど鳴らされていました。連打されていたわけではありませんでしたがね」

「おそらくそれはすべて吾輩が鳴らしたものであるが、その間露草はやっては来なかったぞ」

「と、遠城君がおっしゃるので、露草さんが個室から出なかったのはホントだろうと思ったのです」

 

 ふうん、そうか。

 

「ねえ、冬真ちゃん。ちょっと聞いてもいい?」

「む、何であるか?」

『冬真、あの呼び出し状が悠輔が出したものだと思ったんだろ? なら、ちょっと鳴らして悠輔が出て来なかった時に、おかしいとは思わなかったのか?』

 

 言われてみれば、確かにそのとおりだ。反応がなくても、遠城はしばらくドアチャイムを鳴らしていたらしいし。

 

「あー……先にも述べたのであるが、あの時吾輩は少々浮かれておったのでな。何度か鳴らしても音沙汰がないので、さすがに妙だとは思ったのであるが、単に寝ているだけかと思い少し粘ってみたのである。本来ならおかしいと思った時点で部屋に引き返すべきだったのであろうが、正直なところ、何を頼られるかワクワクしていたのもあって長居してしまったのである」

 

 ふむ、そうか……まあ、頼りにされれば誰だって嬉しくはなると思う。それにしたって遠城はもう少し危機感を抱くべきだとは思うが。

 それにしても、遠城が杉野の部屋を訪ねた12時は、俺がチャイムで起こされた時間とほぼ同じだ。きっと、俺が宿泊棟を飛び出してすぐに、遠城が杉野を訪ねたのだろう。もう少し宿泊棟で待っていれば、遠城に助けを求められたのかもしれない。結果論だからどうしようもないが。

 ……あれ、待てよ。

 

「遠城、その時は俺がいた新家の個室のドアが空いていたはずなんだが、それは気にならなかったのか?」

 

 と、ふと思い至った疑問を口にすると、

 

「む? ドアなぞ開いてはおらんかったぞ?」

「え?」

「個室のドアがあいていれば、当然気づくし異常事態と判断するのである」

「そんなはずないぞ。確か、ドアは開けっ放しで【体験エリア】に向かったはずだ!」

「ですが、僕もドアがしまっているのを確認しています。カギこそかかってはいませんでしたが」

 

 それはおかしいと反論したが、杉野もそう証言した。

 

『無意識に閉めたんじゃねえのか?』

「かもしれぬな。人間誰しも、そういった基本的な日常動作は体に染み付いてしまっているものであるし」

 

 無意識……? そうなのだろうか。いや、そんなわけ……。

 まあいい、ひとまずこの話は置いておこう。

 

「話の腰を折って悪かった。それで、しばらく粘って結局反応がないから諦めて部屋に戻ったってことか」

「あ、いや。そうではないのである」

「ん? じゃあなんで粘るのをやめたんだ?」

「杉野の反応を待っていた時に七原に話しかけられて、ドアチャイムを鳴らすのを止めたのである。どのみち、何もなくてももうすぐ引き上げようとは思ったのではあるがな」

「七原に?」

 

 急に、遠城の口からその名前が飛び出してきた。

 

「うむ。詳しいことは七原本人に聞いたほうがいいであるが、七原もどうやら呼び出し状で呼び出されたようであるぞ。宿泊棟の外から戻ってきたところで吾輩を見かけたと言っていたのである」

 

 宿泊棟の外から……七原はどこに呼び出されたんだ? それに、七原も閉じこもる約束を破ったってことなのか。彼女なりになにか思うことがあったのかもしれない。これは確かに後で七原に確認したほうが良さそうだ。

 

「それで、七原とお互いに自分が部屋を出ている理由や呼び出し状のことを話し合っているうちに、例のアナウンスが流れたのである」

「例のアナウンス……死体発見アナウンスか」

「うむ」

 

 つまり、俺達が蒼神の死体を発見したあの瞬間だ。

 

「そのアナウンスを聞いて、僕も個室を出ました。事件が発生した以上、個室に閉じこもっていても意味はありませんからね」

「翡翠もおんなじかな。廊下には冬真ちゃん達がいたし、他の皆も出てきたよ」

「皆? 皆、個室にいたのか?」

「ええ。殺された蒼神さんと、【体験エリア】にいたお三方以外は全員宿泊棟に揃っていました。その皆さんは約束通り個室に籠っていたようです。」

「東雲は、出てくるのが異常に早かったであるがな」

『逆に、棗や範太はちょっと出てくるのが遅かったな!』

「どうやら眠っていたり約束を固持していたりしていたようですがね。ともかく、当然全員で行動することにしたのですが、最期に明日川さんが出てきた時点でモノクマに『これで宿泊塔にいるのは全員』だと言われまして、火ノ宮君の主導で残りの皆さんを……いえ、あえてこう言いましょう。死体を探し始めたのです」

「……そうだったのか」

 

 宿泊棟にいた彼らが【体験エリア】にやってきた経緯が判明した。俺達が蒼神の死体を発見した時、彼らは宿泊棟に揃っていた。なんなら、遠城が杉野の部屋を訪ねた12時以降は宿泊棟には七原が戻ってきただけということになる。

 ということは、犯行時刻の時間帯を考えると、もし彼らの中に犯人がいるのなら、【体験エリア】で犯行を終えてすぐさま宿泊棟に戻ったということか。まあ、今夜はほとんど皆個室に閉じこもっていた。人の目を盗んで行動するのはそう難しいことじゃ……。

 

「いや、待てよ」

 

 【体験エリア】から、宿泊棟に戻れるのか? だって、その時間帯は……大天も、城咲も、外にいたんじゃなかったのか? 二人に見つからずに、宿泊棟まで戻ることなんか、できるのか?

 だったら、クロは……。そう考えて、嫌な予感が身を走る。

 

「…………」

「平並君? どうしましたか?」

「……いや、なんでもない。他に、何か気になることはなかったか?」

「むう、吾輩は特に思いつかんな」

『気になること、か』

 

 首をひねってそう答える遠城に対して、露草は思い当たる節があるようだった。

 

「事件と関係があるかはわかんないんだけど、翡翠の部屋に一回誰かがやってきたんだよね」

「やってきた?」

『ああ。アレは10時の……30分くらいだったかな。翡翠と話してる時に、いきなりドアチャイムが鳴ったんだ』

「いきなりだったからびっくりしちゃったよ。約束があるから何回か無視してたら、それで終わっちゃった」

『アレ、誰だったんだろうな』

「名乗り出てくれてもいいのに」

「……それは確かに妙ですね」

「そうだな」

 

 誰かが、事件とは別に動いていたということだろうか。それとも、これもクロが?

 

「なんか、章ちゃんもおんなじこと言ってたよ。翡翠と一緒で、10時半過ぎにドアチャイムが鳴ったんだって」

「根岸君もですか?」

『めちゃくちゃキレながらビビってたぞ。誰かがぼくを殺しに来たーってな』

「章ちゃんが気が立ってるっていうの、このせいもあるんだよ」

 

 根岸はただでさえ俺に狙われた経験がある。それにそのチャイムに呼び出し状と重なれば、確かに冷静ではいられないかもしれない。そして実際、事件は起こっているわけだし。

 

「ふたりとも、ありがとう」

「礼には及ばん」

『大したことじゃねえぜ』

「じゃあ翡翠は章ちゃんを探しに行こうかな」

『ああ、ちょっと心配だな』

 

 そんな会話を交わして、二人と別れた。次はどうするか、と周りを見渡して、死体のそばにいた火ノ宮と明日川が立ち上がったのが見えた。検死が終わったところだろうか。

 杉野も同じく彼らを見つけたようで、一緒に二人に近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 

「お二方。検死の結果は出ましたでしょうか?」

「杉野に……平並か」

 

 妙に間の空いた火ノ宮の台詞。心なしか俺のことを睨んでいる気もする。気のせいだろうか。

 

「もしよかったら、色々話を聞いてもいいか?」

「…………」

 

 そう俺が問いかけたが、火ノ宮は何も答えずに俺にその鋭い視線をぶつけるだけだった。

 

「火ノ宮?」

「火ノ宮君。キミの内心(モノローグ)はわかるが、今は結論を出す場(最終章)ではないだろう。捜査が終わって(すべてを読んで)からでも遅くはないはずだ」

「……チッ。どっちにしても杉野には言うべきか」

「なあ、何の話をしてるんだ?」

 

 妙なことを話し合う二人。

 

「……なんでもないさ。ページの端の戯言(いたずら書き)だとでも思ってくれ」

「それでは、検死の結果から教えていただけますか?」

「検死結果は、あのモノクマファイル以上の情報はねェ。死因は溺死に違いねェし、外傷は見当たらなかった。城咲の心臓マッサージ以外は服の乱れや拘束の跡もなかった。一箇所を除いてな」

「一箇所って、あの額の痣か?」

 

 城咲が心臓マッサージを始めたときから、気にはなっていた。蒼神の額に、横一文字の跡が残っているのだ。

 

「あァ。ま、後でボートを調べりゃわかることだ。どうせボートに寝かされた時についた跡だろうからな」

「ああ、だと思う」

「モノクマはこれを『外傷』とは判断しなかったんだろ」

「この程度、普通に生活していても(物語を進めても)つく跡だ。それに、死体には地面との接地面による痣もつくことがあるし、この程度をいちいち取り沙汰してはいられなかったのだろう」

 

 モノクマファイルは、基本的には必要なことしか書かないはずだ。……多分。直接死因に関することでもなさそうだし、現場を見れば直ぐに解決しそうなことでもある。後でボートも捜査するつもりだから、その時に確認しておこう。

 

「蒼神君の死亡時刻(物語が終わった時刻)も、モノクマファイル(悪魔の脚注)より狭く特定することはできそうにない。死後硬直は起きていなかったから、少なくとも蒼神君の死からあまり時間は経っていない(あまりページが流れていない)のは間違いない、という程度だ」

「薬物反応は?」

「根岸君にも協力してもらったが、はっきりとはわからなかった(白黒つけられなかった)。解剖したり本格的な検死を行えれば別な(違った結末になる)のかもしれないが、今は時間(ページ)道具(装丁)もない」

「モノクマファイルを信用するしかない、ということですか」

「そうなるな」

「どうせ、モノクマは監視カメラの映像からアレを書いたんだ。今更嘘を書いたりはしねェだろうよ」

 

 憎々しげにつぶやく火ノ宮。前回もモノクマファイルには本当のことが書いてあったし、検死の結果といいながら結局は自分が犯行を見てモノクマファイルを書いているのだろう。

 ともあれ、今回もモノクマファイル頼りになってしまうことは確かだ。

 他に聞くことは……そうだ。

 

「蒼神のポケットにはなにか入ってたか?」

 

 ふと気になったことを口にすると、

 

「……どォして、そんなことを聞く?」

 

 火ノ宮にそう言い返された。おかしなことを言ってしまっただろうか。

 

「どうしてって、この前の時は呼び出し状が入ってただろ。今回もなにかあるかもって、ちょっと気になっただけなんだが」

 

 前回、死体となった新家のポケットからは呼出状が見つかった。結局、それは古池が明日川に罪を着せるためにわざと残したものだったが、それも真実を暴くのに一役買っていた。犯人の意図が絡んでいるかは知らないが、蒼神の持ち物を気にするのは当然だと思う。それに、俺も皆も呼び出し状を受け取っているから、もしかしたら蒼神も、と思っただけだ。

 

「そうですよ。……先程からどうされたんですか、火ノ宮君」

「なんでもねェ」

 

 なんでもないことはないと思うが……。

 

「平並君の推察どおり、蒼神君のポケットからいくつか気になるもの(証拠のかけら)が見つかったよ。身だしなみの道具を除けば……左ポケットには焼却炉のカードキー(炎の管理者)、右ポケットには呼び出し状が入っていた」

 

 やっぱり、呼び出し状か。

 明日川が見せてくれたその呼び出し状を覗き込む。新家のときと同じ、メモ帳に書かれたものだった。

 

 

=============================

 

 蒼神へ

 

  生物室の生首が誰か分かった。きっと黒幕につながるヒントになる。

  12時に生物室で話す。皆で脱出しよう。

 

                    明日川より

 

=============================

 

 

「生首……ああ、そういえばそんなのあったな」

 

 七原と蒼神が【体験エリア】のことを報告してくれた時、そんな話が出たはずだ。ホルマリン漬けされた生首。そんなものがあるとはとても信じられないが。

 それはさておいて、この呼び出し状だってどう考えたって罠だ。明日川という差出人の名前もどうせでっち上げだろう。蒼神も俺達と一緒で、危険を承知で呼び出しに乗ったということか。そして、蒼神だけ、殺された。

 ……蒼神は、何を思って生物室に行ったのだろうか。

 

「とりあえず、これではっきりしたか。蒼神もこれで呼び出されたんだな」

 

 そう言って、杉野達に同意を求めた。

 が。

 

「…………」

 

 返事はなく、俺を見つめる視線とぶつかった。

 

「どうした、杉野」

「いえ……ですが、これって」

「杉野」

 

 何かをいいかけた彼に、火ノ宮がぐいと近寄り耳打ちをした。

 

「それは……しかし……」

 

 話の内容は聞こえてこない。何やら火ノ宮が杉野に頼み込んでいるようだ、という雰囲気がかろうじてわかるだけだ。

 

「……」

「頼むぞ」

「……なんだったんだ?」

「いえ、なんでもありません。ちょっとした野暮用です」

「そうか……じゃあ、さっき言いかけたことは?」

「ああ、それも撤回します。僕の気のせいでしたから」

 

 気のせい、か。どう考えたって何か隠されている気がする……が、追及しても教えて貰えそうにない。まあ、事件に関わることなら、学級裁判の時に嫌でも聞くことになるだろう。

 

「あ、そうだ。一応聞いておくが、焼却炉のカードキーって蒼神が預かることになってたのか?」

「いや、そのような話は聞いていないな」

「僕も存じませんね……平並君の軟禁などに気が取られ、完全に失念していました」

 

 蒼神が持っていたのならそういうことなのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 

「……後で東雲に聞いておくか」

「それがいいでしょう」

 

 蒼神が預かるのでないのなら、このカードキーは東雲が持っていたはずだ。彼女に一度聞いておくべきではあるだろう。

 

「他に蒼神君について言及すべきことは、『電子指輪(システム)』のことだな」

「『システム』?」

「ああ、キミも見た(読んだ)と思うが、彼女は左手に2つの『電子指輪(システム)』をしていただろう?」

「蒼神のものと、俺を軟禁するための新家のもの……そうだよな」

「その通りだ。だが、彼女の指には片方……蒼神君本人のものしか残っていなかった」

 

 それはそうだろうな、と思った。

 

「新家の『システム』は、俺を個室から誘い出すために持っていったんだろうな。その後にどうしたかは知らんが」

「……ああ、その可能性が高いとボクは思う」

「他の可能性もあるがな」

「他の可能性って?」

「…………」

 

 まただ。火ノ宮に何を聞いても、答えてくれない。

 

「それと、蒼神君の『電子指輪(システム)』だが、使用された痕跡がなかった」

「使用された痕跡? ログ機能なんかあったか?」

「いや、そうではない。より正確に言えば、指から外された痕跡がなかったんだ。外されて半日や一日と経っているのならともかく、一度外してもう一度指にはめたのなら、指に残された跡が二重になるはずだから見ればわかる」

「なるほど……」

 

 すると、クロは新家の『システム』だけ持ち去ったということになる。……俺のいた、新家の個室にだけ用があったということか?

 ふと、蒼神の『システム』を見つめる。この中には、【動機】として与えられた、大切なものの映像や奪われた記憶のヒントがあるはずだ。見れば、蒼神のことをもっと知れるかもしれない。

 

「…………」

 

 いや、それは違うだろ。

 伸ばしかけた手を、引っ込める。

 あの【動機】は、個人にクリティカルに突き刺さるように出来ている。それさえわかっていれば、捜査に影響はないはずだ。本人が見たかどうかはわからないんだから。

 だから、勝手にそれを覗き見ることは、プライバシーを土足で踏み荒らすことのように思えた。ようにというか、まさにそのとおりだな。

 

「そうか……色々分かったよ、ありがとな」

「それでは、続けてになりますが、お二方に質問しても?」

「……なんだァ?」

「火ノ宮君と明日川さんは、呼び出し状を受け取ったのですよね?」

「受け取った、腹立たしいことにな。ほらよ」

「ボクも受け取っていたらしい。これだ」

 

 そして差し出される二通の呼び出し状。

 

 

=============================

 

 火ノ宮君へ

 

  コロシアイを終わらせるため、相談したいことがあります。

  11:30に集会室で話しましょう。

 

                    蒼神紫苑

 

=============================

 

=============================

 

 明日川へ

 

  記憶のヒントに気になるものがありました。

  相談したいので、0時に製作場まで来て欲しいです。

 

                    蒼神より

 

=============================

 

 

「……まあ、こんなものだよな」

 

 文面は、これまでに見てきたものとだいたい同じ。その文意に大した意味はないだろう。火ノ宮へのものは、ノートを切ったものに丁寧な字。明日川へのものは、小さなルーズリーフにこれまた丁寧な字。どちらも蒼神を騙っているのだ、そのくらいの小細工はするだろう。

 それにしても、ここまで呼び出し状が多いとなると、最終的に情報をまとめたほうがいいかもしれない。時間と場所くらいはメモしておくか。

 

「で、二人は行かなかった、ってことだよな」

「当たり前だろ! そういう約束だろォが!」

 

 呼び出し状を握りしめて、怒り散らす火ノ宮。

 

「蒼神本人か偽物かは知らねェがこんな呼び出し状よこしやがって。怒鳴りつけてェとこだったが、個室にとじこもる約束を破るわけにいかねェからな。けどよォ!」

 

 さらに一際大きくなる怒鳴り声。

 

「蓋を開けて見りゃァ、皆破りまくってるじゃねェか! 結構な人数個室の外に出やがって! ふざけんな、何のための約束だァ!」

「一度落ち着きたまえ(ページから目を離せ)、火ノ宮君。怒ってばかりでは何も伝わらない(物語にならない)

「チッ!」

 

 明日川になだめられ、舌打ちをしながらも少し熱量を下げる火ノ宮。

 

「何より、蒼神が約束を破ったことが信じられねェし許せねェ」

 

 そう言いながら、動かなくなった蒼神を見つめる。

 

「蒼神が死んでるってことは、どんな過程を経たとしても蒼神が個室のドアを開けたってことだ。……もし蒼神をだまくらかしたやつがいるんなら、学級裁判で徹底的に糾弾してやる」

 

 その言葉と共に俺に向けられた視線には、どんな意図があるのだろうか。ただの宣誓なのか、それとも。

 

「…………」

「明日川さん、あなたの方は?」

「ボクは、この呼び出し状は気づかなかった(読み飛ばしていた)よ。存在を知ったのが、それこそ死体発見アナウンス(死を告げる定型文)が流れた後だったからね」

「どういうことだ?」

「ボクは夢という物語を旅していたということさ」

「要するに寝てたのか」

「ああ。不穏な展開のせいでボクにしては珍しく物語に集中できなかったからね。非常に口惜しいが、夜時間になる前に布団の中へ舞台を移したんだ」

「そうか」

「ボクは一度シーンが夢へと移るとなかなか幕を引けない体質のようでね。結局、モノクマに強制的に現実という物語を始めさせられたんだ。だから、実を言うとあのアナウンスもボクは読んでいないんだ」

 

 アナウンスも聞いていない……それほどぐっすり眠っていたということか。寝付きのいいことだ。

 

「ボク達から話せることはここまでだ。ボク達も捜査に取りかかりたい(捜査パートに移りたい)と思うのだが、問題はないか?」

「ああ、大丈夫だ。ありがとう」

 

 と、俺は明日川達にお礼を述べたが、

 

「……明日川。てめー、まだ情報が必要なのか?」

 

 火ノ宮が明日川に噛みついた。

 

「これ以上捜査する意味があんのかよ」

「火ノ宮、どうした……」

「てめーは黙ってろ」

 

 食い気味に制される。これ以上の捜査ってどういうことだ。火ノ宮と明日川は、まだ死体の検死しかやっていないはずだろ。火ノ宮は、もうクロがわかったっていうのか? これだけの情報で?

 

「……火ノ宮君の思い描いている推理(物語)間違っている(虚構である)と断じるつもりは毛頭ないけれどね。しかし、ボクは断片的に小説を読んで感想を結論付けるタイプじゃない。それに、この学級裁判にはボクたちの(物語)がかかっているんだ。慎重に事を進めてしかるべきだろう?」

「…………チッ」

 

 わかるようなわからないような、結局のところ俺には何も伝わらない明日川の台詞は、火ノ宮には伝わったらしい。

 

「なあ、一体さっきから何を」

「なんでもないでしょう、平並君。彼らには彼らの事情があるということです。ありがとうございました、二人共」

「ああ。お互い捜査に励むとしよう」

 

 杉野に強引に連れ出され、二人との話が終わる。二人は、城咲や大天に話を聞きに行ったらしい。

 

「どうしたんだ、杉野。火ノ宮もだが、なんかおかしいぞ」

「いえ、なんでもありません。次はボートを調べましょうか」

「…………」

 

 大きな違和感を抱えながら、俺は例のボートのある桟橋へ向かう杉野の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 川岸に平行に設置されたその桟橋には、腰くらいまでの杭が数本打たれている。普段からボートはその杭とロープで繋がれているようで、もとからここにあるらしい2つのボートがロープで泊まっていた。蒼神が乗せられていたボートは、ついていた毛糸でその杭の一つにくくりつけられていた。

 

「これが蒼神さんが乗っていたボートですか」

「ああ。水も入ってるだろ。ここに顔を伏せて倒れていたんだ」

 

 と、説明してボートを見る。水は前の方に溜まっており、そのせいでボート全体が前に傾いている。

 

「ん?」

 

 ボートの中の水が溜まっているところに、四角いブロックのようなものが置いてあった。蒼神の頭があった位置だ。杉野がしゃがみ、それに手を伸ばす。よく見れば、それは二冊のハードカバーの本が重ねられているものだった。上に乗っている方の参考書の表紙の厚みの分だけ、なんとか水面から顔を出している。

 

「これ、生物室の参考書ですね」

「生物室の?」

 

 杉野が表紙をみて、水に手を入れて中身を少し確認してそうつぶやいた。水に濡れているせいで、力加減を間違えれば破いてしまいそうだ。杉野が参考書から手を離して立ち上がり、水を払う。

 

「なんでこんなところに」

「置いたのは間違いなくクロでしょうが……目的は何でしょうね」

「わからないな。だが、蒼神の痣の原因はこれか」

「ええ。意図はわかりませんが、枕のように置かれています。ここに額を載せていたので、跡が付いたのでしょう」

 

 何の意味もなく参考書をボートに置くとは思えない。けれど、蒼神の死体に枕を用意して、何になるというのか。

 

「わからないと言えば、この毛糸もそうだ」

 

 ボートの頭にくくりつけられていた、黒色の毛糸。

 

「これ、最初からついていたんですよね?」

「ああ。川に流されているときにはもうくくりつけられていた」

 

 それを使って、ボートを岸まで引き寄せたのだ。これのお陰で蒼神を陸にあげることは出来たのだが……。

 その暗い糸を見て思う。こんなもの、普通遠目では気付きようが無いんじゃないのか?

 

「…………」

 

 杉野が、桟橋にくくりつけられたそれを解いて持ち上げた。一旦思考を打ち切り、捜査に集中する。

 

「かなり長いですね」

「……そうだな」

 

 毛糸を持って後ろに下がりながら杉野はそんな感想を口にした。

 

「橋まで……いや、もっとか?」

「ええ、ここから図書館の前ほどまではありそうです」

 

 毛糸には結び目もある。何本かを繋いで意図的にこの長さにしたということだ。……この長さにして、何がしたかったんだ?

 

「それと、これを見てください」

「ん……?」

 

 杉野に見せられたのは、件の毛糸の端。ボートに結ばれている方とは反対側のその端は、結ばれて輪っかになっていた。親指と人差し指で作った輪と大体同じくらいだ。

 

「なんで輪っかになってるんだ?」

「さあ……どこかに引っ掛けるため、ということでしょうか」

 

 輪にする、ということはそうなるだろう。けれど、どこに?

 このボートには、いくつもの証拠が残されている。クロの意図の痕跡も。

 

「……本当に、よくわからないな」

「全くです」

 

 長い長い毛糸をまとめ、桟橋にくくりつける杉野。その様子を見ていて、ふとボートの先頭の違和感に気づいた。

 

「なんかそれ、削られてないか?」

「はい?」

「ほら、そこの、棒のところだよ」

 

 まさに黒い毛糸がくくりつけられていた、ボートの先端部分に突き出ている四角い棒。デザインの一種としてボートの先端から上に生えるように突き出ていて、その根本に毛糸がくくりつけられているのだが、その棒の内側が少し削られていたのだ。ちょうど、辺の角を取るように。

 

「……確かに、そのようですね」

 

 露骨に削られているわけではないが、隣に並ぶ他のボートから突き出ているその棒はそこにしっかりと角ばった辺がある。蒼神のいたボートのものは上に登るに連れてより大きく辺が削り取られている。

 

「ここまで来ると、気持ちが悪いな。なんなんだこれ」

 

 証拠は手に入った。しかし、同時に謎も手に入った。

 

「……これらの証拠が何を指し示しているかは、今はまだわかりません。他に証拠を集めて謎が解けるとも限りません……が、きっと、僕たちはこの謎を解かなければなりません」

「ああ、多分そうだろう」

「この際ですから、平並君に僕の意見を伝えておきます」

 

 毛糸をくくりつけ終わった杉野が、立ち上がって告げる。

 

「クロとして【卒業】を企んだ以上、蒼神さんを殺した人物は、少なくともなにか一つ罪を逃れるための『仕掛け』を用意しているはずです。先日、古池君が明日川さんに罪を着せようとしたように」

「…………」

 

 その、古池の『仕掛け』に俺は嵌ってしまった。明日川を、クロだと思いこんでしまった。

 今回のクロだって何か仕掛けているのは間違いない。クロの方だって、命を賭けているのだから。

 

「気を、引き締めないとな」

「ええ。……とはいっても、今回の事件で使われた仕掛けがどのようなものなのか、見当が付きませんけれどね。複雑な仕掛けを施しているのかもしれません。どうして、蒼神さんを殺すことができたんでしょうか」

「ん? それ、どういう意味だ?」

「え、ああ……蒼神さんがどういう経緯で外に出たにしろ、警戒はするはずじゃないですか。それでも尚なぜ蒼神さんは襲われたのか、ということですよ」

「そうか」

 

 まあ、確かに気になるところではあるか。

 

「ボートはこの程度でしょう。スコットさんに話を聞きに行きますか?」

「ん、ああ。そうするか」

 

 

 

 

 

 

 ボートの捜査を切り上げて、現場の見張り……今は蒼神の死体を見張っているスコットのもとへ向かった。

 

「スコットさん、少々よろしいですか?」

「スギノとヒラナミか。大丈夫だ」

 

 この場に残っている人の中だと、話を聞くのはスコットが最後になる。岩国は気づかないうちにどこかに行ってしまったから、後で探さないとな。

 

「確か、スコットは呼び出し状はもらってないんだったよな?」

「ええ、そう聞いていますが」

「そのとおりだ。オレは呼び出し状をもらってない」

 

 さっき、確か杉野はそんな事を言っていた。

 

「これだけの人数に呼び出し状を出しておいて、どうしてオレには出してないんだ。出すなら全員に出せばいいのに」

「……欲しかったのか?」

「そういうわけじゃないが、中途半端だろ。やるなら徹底的にやれとオレは言いたいんだ」

 

 徹底的に、ねえ。

 まあ確かに、今まで話を聞いていた限りクロはほとんどの人物に呼び出し状を出しているようである。どうして全員に出さなかったんだろう。

 

「じゃあ、スコットは何か気になることはあったか?」

「気になること、か。この辺は捜査したんだよな?」

「ああ。一通りな」

「なら、オレから言えることは特にないな。部屋にいたときだって、あの死体発見アナウンスがなるまで妙なことは何も起きなかった。ずっと編みぐるみを作っていただけだったな」

「編みぐるみか」

「ああ。結局時間がなくて完成しなかったが、完成したら見せてやる。学級裁判をクリアできたら、の話だが」

「……ああ、楽しみにしてるよ」

「まあ、もしそうなっても死んでも完成させるがな。未完の作品を放置して死ねるか」

 

 なにやら息巻いている様子のスコット。中途半端な状態で作品をそのままにしていることが、彼としてはよっぽど堪えることらしい。

 

「ちなみになんだが、あのボートについていた毛糸ってどこにあったかわかるか?」

「それなら、手芸室のはずだ。素材の質が、手芸室にあったものと同じだったからな」

 

 スコットは、製作場の方を指で示した。

 

「だが、見に行ってもよくわからないと思うぞ。歯抜けになってるのは、オレが部屋に持っていったせいだしな」

「そうか。ありがとう、スコット」

「ああ」

 

 そう短く答えた後、スコットは伏し目がちになって動かない蒼神を見る。

 

「……どうして、アオガミが殺されなくちゃならなかったんだろうな」

「それは……」

「アオガミは、殺されるだけのことをしたっていうのか……? この前の、アラヤに関してだってそうだ。人を殺すなんて、どうかしてる。誰かを殺すとか、そう簡単に下していい選択肢じゃないはずだ。……いくらモノクマに唆されたからって、違うやりようはなかったのか」

 

 拳を握りしめ、震えながらそうつぶやいている。

 それに、俺は何も答えることが出来ない。他ならぬ、俺には前科がある。

 

「…………」

「……悪い、オマエ達に言ってもどうしようもなかった」

「いえ、お気になさらず」

 

 ……絶対に、真実を暴かなくてはならない。皆の無念を、晴らすためにも。

 スコットと別れ、現場での捜査を切り上げる。

 さて、他に捜査すべき場所はどこだろうか。

 

 




捜査パートは後編に続きます。
今回の捜査時間、かなり長い。


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非日常編③ 絶望からの手紙

 《対岸》

 

 他の場所を捜査しようとした俺達だったが、ぱっと思いつく場所はなく、ひとまず対岸を捜査していた東雲に話を聞こうという事になった。

 

「東雲さん。何か見つかりましたか?」

「んー、ぼちぼちってところね。事件の概要はつかめないけど、事件に関わりそうなものなら見つけたわ」

「事件に関わりそうなもの? 何があったんだ?」

「なんでアンタ達に教えなきゃいけないのよ」

 

 俺の質問に、東雲はすげない反応を返す。

 

「なんでって、学級裁判でクロを見つけるために……」

「そうやって手柄を横取りするつもりね? そうは行かないわ」

「手柄って……」

「アンタ、自分も【卒業】を企んだ割には前回結構な手柄だったじゃない。何度かミスってたけど、最終的には古池を追い詰めてたし。アタシとしても、ああいうのをやってみたいのよ。ズバッと指を突きつけてね!」

「手柄とか、そういう話じゃないだろ。命がかかってるんだぞ。古池は死んだんだぞ!」

 

 最後に古池を追い詰めたのは、たしかに俺だ。裏切った罪を償うために、俺は必死にクロを突き止めた。けれど、その結果として古池は死んでしまった。そんなもの、手柄という言葉で表していいわけが無い。

 そもそも、クロを暴いたのは俺の功績じゃない。皆で話し合って出した結論だ。

 

「死んで当然……とは思わないけど、古池だって新家を殺したじゃない。そこについてはどう考えてるわけ?」

「それは……」

「その是非は今はおいておきましょう。今は捜査時間なのですから」

 

 答えに詰まったところを、杉野に救われる。

 

「そんなわけだから、アンタ達も証拠が欲しかったら自分で見つけなさい」

「そのことですが……もしも、ボク達が証拠を見つけられなければ、東雲さんはどうなさるおつもりですか?」

「ん?」

 

 妙なことを聞く。

 

「どうって、学級裁判の中で皆が悩んでたら、アタシだけが知ってる証拠をズバーンと叩きつけてやるのよ! これが証拠よってね!」

「……それ、信用されますか?」

「え?」

「学級裁判の中で、もしあなたが何か証拠が残されていると発言したとして、他の皆さんはどう思うでしょうか。あなたがでっち上げたと思うのではないでしょうか」

「でっち上げって、アタシはクロじゃないんだからそんなことする必要ないじゃない。アタシ、結構誠実よ?」

「周りからしたらそうは思えない、ということです。あなたは学級裁判を楽しもうとしているとおっしゃっていますが、学級裁判をかき乱したいという印象を強く受けますので。そもそも、あなたがクロかどうかはまだ判断できませんからね」

「…………」

 

 杉野の言葉を聞いて、東雲はしばし考えた。

 

「……ま、それもそうね。証人はいた方がいいかしら」

「賢明な判断ですね」

「言っておくけど、でっち上げなんかしてないわよ」

「わかりましたよ」

 

 東雲としては、誠実にやってるつもりなんだろうか。まあ、学級裁判を本気で楽しもうとしているのなら、俺達の邪魔はしない……いや、前回は裁判を複雑にするために焼却炉のカードキーを放置していたな。結果的に俺の無実の証明に役に立ったとは言え、何をしでかすかはわからない。警戒は保つべきか。

 

「まずアタシが気になったのは、この道の跡ね」

 

 そう言って、東雲は足元を指差す。川沿いに連なる道の土を、ざっざと足で払ったような跡がずっと続いている。

 

「なんだこれ?」

「何かの痕跡を消そうと足で払ったみたいだけど、消しきれなくて諦めたようね。ほら」

 

 東雲が示すとおり、少し離れたところには何本もの車輪の跡がある。ちょうど、こちら側の岸にある2つの桟橋を往復するような形だ。

 

「車輪のついているものなんてあったか?」

 

 七原たちの報告を思い返すが、思い至るものがない。

 

「車輪……ああ、もしかして」

「杉野はわかったようね。まあ、まともに【体験エリア】を探索してない平並がピンとこないのも無理ないわ」

 

 そう言いながら東雲がアトリエの方へ歩いていくので、慌ててついていく。だだっ広いアトリエの中に入り、東雲はその奥にどんどんと進んでいく。そこにあるのは、キャンバスや彫刻の素材や石膏像などなど。美術創作に使うものが用意されている。そして、その山の端にそれはあった。

 

「これよ」

「これって、台車か」

 

 青い台車が数台並んでいる。アトリエの中には運搬に苦労しそうなもののもいくつかあるから、そのために用意されているのだろう。奥の方にあるから気づきにくいし、気づいたとしてもわざわざ台車があることなど言わなそうだ。

 

「何のためにかはわからないけど、きっとクロはこの台車を使ったはずよ」

「……そのようですね」

 

 杉野が、一番右にある台車の車輪を見ながらそうつぶやいた。よく見ると、みぞのところに土が入っている。軽く拭いた跡はあるが、痕跡は残っている。

 

「それと……気になるのはその石材ね」

 

 続けて東雲が示したのは、まさしく台車のそばにある素材の数々。その中に積まれている、ブロック状の石材だった。

 

「へえ、こんなものもあるのか」

「彫刻用、ですかね。素人に扱えるものとは思えませんが」

「石膏とかそれこそ彫刻材とかもあるし、手広く用意してるんでしょうね」

「どれどれ……重っ」

 

 試しに手にとって見れば、片手でつかめるそのサイズに反して想像以上に重かった。10kgくらいか? 持てないものでもないが、落としそうで怖い。

 怪我をする前に戻そうとしたところで、違和感に気づく。

 

「ん?」

「あ、気づいた? その石材、置き直した跡があるのよ」

 

 積み上げられた数列の石材が、微妙にずれて置かれている。その横に並んだ彫刻材はピシリと揃っているので、確かに一度どけて置き直したのだろう。

 

「で、気になって調べてみたら、下の方の石材が何個か濡れてるのよね。これを隠すために石材を置き直したと思うんだけど」

「平並君、少々よろしいですか?」

 

 そう言って割り入ってきた杉野と共に石材を調べる。すると、確かに東雲の言う通りに妙な石材が見つかった。それらは、一部分に水が染み込んで湿っていた。半分以上が染み込んでいるものもある。

 

「確かに、そのようです。これも……これもそうですね」

「濡れてる石材は全部で5個あったわ。隠されるように置かれてたから、どう考えても事件に関係があるのは間違いないようだけど」

「だな……」

 

 だが、実際何のために使われたのかはわからない。

 

「蒼神が殴り殺されたんだったら凶器を洗った跡ってことになりそうなんだが、蒼神は溺死なんだよな」

「仮にそうだとしても、濡れているのは1つだけのはずですよね」

「そうね。ここで水をぶちまけたんなら他の素材も濡れてるはずだし、昨日までに何かあったんだったらもう少し乾いててもいいと思うわ」

「……確かに妙だな」

 

 石材なんて、使いどころがさっぱりわからない。せいぜいダンベルの代わりになるくらいだ。

 それに、石材の湿り方に気になる点が一つ。どうして、湿っている部分とそうでない部分の境目が斜めに走っているのだろう?

 

「ま、色々考えていることはあるけど、それを言うのは学級裁判までとっておくわ。とりあえず、アトリエで気になったところはこのくらいかしらね」

 

 と、東雲がまとめる。念の為、周りを少し調べてみたが、他におかしなものは見つからなかった。

 

「実験棟の方は見られましたか?」

「一応確認したわ。そっちでも気になる物はあったから、それもアンタたちに見せておこうかしら」

「お願いします、東雲さん」

 

 そんな会話を交わし、俺達は実験等へ移動した。

 東雲が入っていったのは、その一階に位置する物理室だった。

 

「これよ」

「ロッカー、ですか?」

「そう」

 

 東雲が示したのは、物理室に配置されていた掃除用具入れのロッカー。どの部屋にも標準配備されている。

 

「さっきここに入ってきた時に、ロッカーの扉が開いてたのよ。それでなにかと思って見てみたら、ほら、雑巾が濡れてたのよ」

「……まあ、確かに」

 

 扉の裏側に設置されている雑巾掛け。その一番下に干されている雑巾が、湿っていた。結構しっかり濡れている。

 

「でもこれは別に、誰かが使っただけじゃないのか? それこそ、掃除とかにさ。城咲……は食事スペースにいなきゃいけなかったから違うとしても、火ノ宮とか、やってそうじゃないか?」

「……確かに、彼はそういうことをしてくださる人物ではありますが」

 

 俺としては東雲に反論したつもりだったが、答えだしたのは顎に手を当てて考え込む杉野だった。

 

「それって、いつのお話ですか?」

「いつって、昨日とかだろ。今日はそんな時間もなく部屋にこもることになったんだから」

「では、この雑巾がここまで濡れているのはおかしくありませんか? 完全に乾かなくとも、多少は乾いているのでは?」

「……ああ、そうか」

「そういうことよ。今日は誰も使ってないはずなのにこの濡れ方は異常でしょ。それに、見てちょうだい」

 

 そう言いながら、東雲はロッカーの中に置かれていた青いバケツを手に取った。

 

「このバケツは濡れてないけど、こっちは綺麗すぎるわよね。ロッカーの底にはホコリが積もってるのに、このバケツはそうじゃないわ」

「……ってことは」

「使われたってことよ。いつ、誰が使ったのかまではわからないけどね」

 

 バケツが使われた……? 使ったのがクロなら蒼神を殺すために使ったってことなのか? だったら、蒼神の殺し方は……。

 

「…………」

「アタシが見つけたのはこれくらいね」

「ありがとうございました、東雲さん」

「それじゃ、学級裁判の時は証言よろしく頼むわね」

「あ、ちょっと待ってくれ」

 

 そう告げて立ち去ろうとする東雲を呼び止めた。危ない、まだ話を聞けていなかった。

 

「何よ、平並」

「ちょっと話が聞きたくてな。お前は呼び出し状をもらったのか?」

「それよ!」

 

 俺の質問を聞いて、急に叫びだした東雲。

 

「どうしたんだ、いきなり……」

「聞いてくれる? 今日、時間を持て余してずーっと暇だったのよ。持ってきた本は途中で飽きるし、シャワーずっと浴びてても泳げないストレスが逆に高くなるだけだし。外に出たって、どうせ蒼神達に注意されるだけだからどうしようもないしね。そしたら、11時位かしらね、気づいたらこの紙が届いてたのよ!」

 

 バッと紙を開き、俺に見せつけてくる。ルーズリーフの切れ端に、角ばった字だ。

 

 

=============================

 

 東雲へ

 

  アトリエに変な物が落ちてた。

  見てほしいから、皆が寝た1時に東雲の部屋に持っていく。

 

                     根岸章

 

=============================

 

 

「これ、どう考えたってコロシアイのための『罠』よね? 根岸がこんなもの書く気しないし。だからワクワクして待ってたのよ」

「ワクワクしてたのか……。罠だってわかってたなら、ほとんど殺害予告に近いと思うんだが。お前は、何がしたいんだ?」

「アタシは死にたくない、ってのは前に言ったと思うけど。そうね、加えて言うなら、アタシは当事者でいたいのよ。まっさらな状態で推理に挑むのも面白そうだけど、せっかくなら色々巻き込まれた方が面白そうじゃない? アンタばっかりずるいわよ」

「…………」

 

 呆れた。何かを言う気にもなれない。

 

「それなのに、蓋を開けてみればこの有様よ。誰かが来るより先に、あのアナウンスが流れてもうとっくに殺人が起きてたって知ったわ。まったく、どういうことよ」

「……結局、呼び出し状――じゃないな、手紙のとおりにずっと部屋にいたってことでいいんだよな?」

「手紙をもらってからはそうね。死体発見アナウンスが流れた時はすぐ出ていったけど」

 

 引っかかる言い回しだ。

 

「手紙を貰う前は出てたのか?」

「一回だけね。個室に入ってすぐ、蒼神と城咲が訪ねてきたのよ」

「城咲達って、食事スペースにいたはずだろ?」

「……もしかして、焼却炉のカードキーの話ですか?」

「よくわかったわね、杉野。まさにその話よ」

「焼却炉のカードキー……蒼神のポケットに入っていた件か」

「ああ、なるほどね」

 

 そうだ、その話も聞いておきたいと思ってたんだ。

 

「あのカードキー、結局この前の事件の後もずっとアタシが持ってたのよ。なんだかんだで回収もされなかったしね。一応ちゃんと毎日焼却炉は稼動させてたわよ?」

 

 変なところで律儀ではあるんだよな。

 

「でも、今朝個室に来た蒼神達にカードキーを渡すように言われたのよ。忘れてたけど、念のために預かっておくってね。馬鹿の一つ覚えじゃないんだから今夜はカードキーの放置なんてする気なかったし、素直に預けたわ」

「だから、蒼神がカードキーを持っていたのか」

 

 となると、特にここに謎はなさそうだ。

 

「わかった。ありがとう、東雲」

「それじゃ、また後でね」

 

 そう言って、東雲は物理室を去っていった。

 

「東雲の価値観はともかく、証拠は色々集まったか」

「そうですね。事件の全容はまだ判然としませんが」

 

 けど、証拠さえ集まれば、なんとかなる。そのはずだ。

 物理室を軽く調べ、俺達も外に出る。まだ話せていない人がいる。

 

「あ、そうだ。桟橋も一応見ておくか」

「蒼神さんが乗せられていたボートがあったところですからね」

 

 実験棟を出たその足で、正面にある桟橋へ向かう。

 桟橋に数本立っている杭の中には、製作場前と同様にロープがくくりつけられたものが2つある。ただ、ボートが泊まっているのはそのうちの一つだけで、もう一つのロープの端は川に投げ出されている。ということは、やはり蒼神のボートはここから流されたのだろうか。

 

「うーん、特に気になることはないか?」

「そうですね……ボートが全部で4つというのもわかっていたことですし」

「仕方ない、ここは切り上げて次へ……ん」

 

 なんとなく一つ一つ杭を眺めていって、一つの杭で目が止まる。一番下流側に近い杭だ。

 

「どうしました?」

「いや、多分ただのゴミ……」

 

 しゃがんで、杭にひっついていたそれを見る。

 

「…………毛糸?」

「……の、ようですね」

 

 細い細い、黒い繊維のようなもの……おそらくは、毛糸のゴミのようなものがついていた。

 なんでこんなところに。自然につく訳がないし、こんなものがここに付くってことは……。

 

「……これは、大きな収穫かもしれませんよ」

「……かもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 《【自然エリア】》

 

 【体験エリア】での捜査を終えて、俺と杉野は宿泊棟を目指した。図書室や他の桟橋も見てみたが特におかしなものは見つけられなかった。他に事件に関係の有りそうな場所はないかと考えて思いついたのが蒼神の個室だった。女子の、それも死んでしまった人の部屋に入るのは申し訳がないが、一度は目を通しておくべきだというのが杉野の談だった。前回、殺された新家の個室に証拠が残っていたことを考えれば、そうすべき、なのだろう。

 ともかく宿泊棟を目指して【自然エリア】の道を歩いているが、改めて思うに、この施設はドームごとに見れば一本道の形になっている。それなりに距離もあるし、なんだか暮らしづらい気もするがそれはそれは今は置いておこう。

 ちらりと展望台へ視線をやる。城咲がもしあそこにいたというのなら、やはり、彼女に気づかれずに【自然エリア】と【体験エリア】を行き来することはできないだろう。

 

「平並君、呼び出し状を受けて製作場へ向かった時、城咲さんはどの程度遅れてきましたか?」

 

 そんな事を考えていると、ふいに杉野にそんな事を尋ねられた。

 

「どの程度って……せいぜい数分くらいだと思う」

 

 思い返してみても、工作室に入るのをためらったり大天に襲われたりしていたから正確な時間はわからない。けれど、

 

「はっきりとは覚えてないが、大した時間は経ってないはずだ」

「そうですか……」

「どうして急にそんな事を?」

「大したことではないのですが。あなたと平並君と城咲さん、それぞれにどれだけ自由時間があったのかを考えてみたのです。裁判で必要になるかもしれませんからね」

「そうか……だが、はっきりと時計を見ながら動いていたわけじゃないし、何かの根拠にはなり得ないと思うぞ」

「まあ、そうですよね」

「自由時間か……」

 

 自由時間と言えば、大天はかなり自由に動けたはずだ。蒼神が殺された【体験エリア】でずっとひとりきりだったわけだから。

 逆に、俺や城咲は殆どないと言っていい……と思う。城咲のいた展望台というのは、登るのにも降りるのにも森の中の曲がりくねった道を通る必要があるから、それなりの時間がかかる。城咲は俺から少し遅れて製作場にやってきたわけだが、もし展望台にいたというのならその時間差は結構妥当なラインだと思う。だったら、蒼神を殺せたのは……?

 

 そんな事を考えながら中央広場に到着すると、ちょうど【宿泊エリア】の方から中央広場にやってきた人物がいた。

 

「あ、平並君に杉野君」

「七原か」

「捜査は順調?」

「まあ、ぼちぼちって感じだな。情報は集まってるが……」

「そっか」

「七原さんはどうですか?」

「こっちはイマイチかな。人が多そうだから現場の捜査は後回しにしてたから、それで今から調べに戻るところなんだ。それに、大天さんのことも気になるし」

 

 それで、七原は現場にいなかったのか。

 

「あ、そうだ。七原って、呼び出し状をもらってそれに応えたんだよな? よかったらその事をちょっと聞かせてくれないか?」

「うん、いいよ」

 

 そう応えながら七原はパーカーのポケットをごそごそと探る。そして、一枚の紙を取り出した。メモ帳を切り離したもののようだ。

 

 

=============================

 

 七原さんへ

 

  日中、蒼神さんの様子に気になることがありました。

  話したいので、集会室に0時に待ち合わせしましょう。

 

                     城咲かなたより

 

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 小さな字で書かれた、そんな呼び出し状。肝心な場所と時刻は集会室と0時になっている。集会室……二階で唯一開放されている部屋、だったか。

 

「11時過ぎくらいだったかな……気づいたらそんな呼び出し状が来てたんだ。まあ、城咲さんがこんな呼び出し状を書く気はあんまりしなかったからなんとなく偽物な気はしたんだけど……」

「でも、七原さんはそれに応えたのですよね?」

「……うん」

「……もしかして、コイントスか?」

「覚えててくれたんだ」

「覚えてるに決まってるだろ」

 

 あの夜、七原が俺の前に現れたのは、そのコイントスによる七原の幸運のおかげだったんだから。

 七原が、コイントスの信頼性を杉野に説明してから話を続ける。

 

「コイントスで表が出たから、行くことにしたんだ。結局、10分位前から集会室にいたのかな。それで、呼び出し状の相手を待ってたんだけど、12時になる少し前かな。一階から、扉が開く音が聞こえたんだ」

「扉が開く音……もしかして、俺か?」

 

 確か、宿泊棟を出る時に勢いよく飛び出たから、音もそれなりにしたはずだ。

 

「……平並くんの話を聞いた後だと、多分そうだと思う。でもその時は、よくわからなかったな。その音を聞いて集会室を出て確認してみたんだけど、入り口の扉はしまってたし」

「個室のドアとは違って、宿泊棟の入り口の扉はしっかりと止めないと勝手に閉まってしまいますからね」

「それで、一瞬気のせいかなって思ったんだけど、ちょっと気になって念のために宿泊棟の外を確認してみることにしたんだ」

「…………」

「その後、倉庫を見たり自然ゲートもちょっと見てみたんだけど、誰もいなくて……【自然エリア】の方もちょっと覗いてみたんだけど、誰も見つからなかったし、ちょっと怖くもなってきたから宿泊棟に戻ったんだ」

「そして、戻ってきた時に遠城君と遭遇したということですか」

「……そういう経緯だったのか」

「うん。その後のことはもうほかの人から聞いてるんじゃないかな」

「ああ、遠城達に教えてもらった」

 

 つまるところ、七原も誰も目撃していないということだ。

 

「七原さん。他になにか、気になったことはありませんか?」

「気になったこと……あ、一個あるかな」

「なんだ?」

「多分、今回のクロとは関係ない気がするんだけどね? 10時半より少し前だったと思うんだけど、何回か、ドアチャイムが鳴ったんだよね」

「10時半にドアチャイム?」

「うん。出たらまずい気がして、しばらく無視してたら止んだんだけど、アレって誰だったんだろう?」

 

 ……これって。

 

「なあ、杉野。もしかして」

「ええ。おそらく……いや、ほぼ間違いなく、露草さんや根岸君を訪ねた人物と同一人物でしょう」

「ん? 露草さん達のところにもきたの?」

「ああ。二人も、大体10時半くらいに誰かが訪ねてきたって言ってたぞ」

「そうなんだ」

 

 七原のところにも、誰かが……。クロとは別に、誰かが何かを企んでいたのか? それとも、クロが? 何のために?

 

「わかった。七原、ありがとう」

「どういたしまして。捜査、頑張ろうね」

 

 その言葉とともに、彼女はにこやかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《【宿泊エリア】宿泊棟》

 

 七原と別れ、宿泊棟にやってきた。気はあまり進まないが、蒼神の個室を調べよう。女子の個室は右側だよな、と思って足を進めようとして、

 

「はあ?」

 

 という、呆れた声が聞こえてきた。岩国の声だ。

 一体どうしたんだと思ったら、岩国が蒼神の個室の前でモノクマと話しているようだった。

 

「どうしたんだ、岩国」

「……チッ、凡人どもか」

「何があったんですか、岩国さん」

 

 俺に対して敵対心をあらわにする彼女に対して、杉野は穏やかな声色で話しかける。

 

「……生徒会長の個室を調べようとしたら鍵がかかっていたからな。ぬいぐるみに解除してもらうように頼んだんだが、この個室を調べるのは俺が最初だと言われたんだ」

「ボクの方もいつでも鍵を開けられるように待機してたんだけど、仕事がなくて退屈だったよ……」

「被害者の個室なんて、必ず調べるべき重要箇所だ。それを誰も調べていないと聞いて、呆れてあんな声が出たんだ」

 

 頭を抱える素振りをする岩国。

 

「ちょうどよかった。一緒に捜査しても構いませんか?」

「……勝手にしろ」

「ねえ、ボクは何したらいい?」

「とっとと失せろ、ぬいぐるみ」

「岩国サン、ボクに辛辣じゃない?」

 

 泣き真似をしながら消えるモノクマ。岩国は誰にでも辛辣だし、モノクマに対しては誰だって辛辣だろう。

 ともかく、捜査に戻ろう。三人で蒼神の個室に入る。

 綺麗に整頓されたその空間。私物が置かれている場所もきっちりと整理されているし、ベッドだってシワもなくメイキングされている。かと言って生活感が感じられないわけでもなく、ちらほらとピンク色の小物や動物のぬいぐるみが置いてあるのは、やはり女子の部屋らしさが出ていると思う。

 ………………。

 

「…………」

 

 感傷に浸ったまま動けない俺に対し、無言でずんずんと机に近づいていく。その視線の先には、一枚のメモが乗っていた。岩国がそれを取り上げる。

 

「何があったんだ?」

「…………」

 

 岩国は露骨に嫌な顔を俺に見せたが、メモを机に置いて俺にも見せてくれた。三人でそれを覗き込む。

 

 

=============================

 

 蒼神さんへ。

 あなたに渡したいものがありますので、

 十時半にアトリエで待っています。

 

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 達筆で書かれた、それは。

 

「これ、呼び出し状じゃないか!」

「……そのようですね」

「なんで、こんなところにも呼び出し状があるんだ? 呼び出し状は、蒼神が持ってたよな?」

「…………」

 

 岩国は、何のリアクションも見せず、何かを考え込んでいるようだった。杉野も、俺の疑問には答えない。彼も彼で謎を整理しているのか。

 二枚目の呼び出し状……これは何を示しているんだ?

 

「……他になにか無いか、探しましょう」

「わかった」

 

 杉野の提案に乗って、蒼神の個室を捜索する。岩国も、呼び出し状から目を外し蒼神の個室を捜索しだした。

 

 その後、少しの間蒼神の個室を三人で捜索したが、結局の所、彼女の存外可愛らしい私物がちらほらと見つかるだけで、事件に繋がりそうなものは何も見つからなかった。

 

「徒労だったか」

 

 と呟いて、岩国が蒼神の個室を出ていこうとする。確かに、最初の呼び出し状以外は完全に空振り、と思ったところで、

 

「あ、ちょっといいか、岩国」

 

 まだ岩国から話を聞いていないことを思い出して呼び止めた。

 

「…………なんだ、凡人」

「お前から話を聞いてもいいか?」

「……呼び出し状はもらっていない。ずっと個室にいた。それだけ言えば十分だろ」

 

 岩国は冷たくそう答え、俺の返事も待たずに個室を出ていった。

 

「岩国さん、一応答えてくれましたね」

「……捜査は、フェアにやりたいんだろ」

 

 それか、無駄に疑われるのが嫌だったのかもしれない。

 ともかく、これで一応全員から話は聞けたことになるか。根岸とは話せていないが、露草から間接的に情報は聞けた。

 

「あとは……焼却炉を確認しておくか」

「そうですね。使われたかどうかだけでも確かめておきましょうか」

 

 杉野とそう話して、ダストルームへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 誰もいないダストルームに明かりをつけ、カードリーダーに近づく。確か、履歴を出すには側面にあるボタンをおせばいいんだったか。そう思いながら、ボタンを押すと、履歴が空中に投影された。

 

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  ▲

 

 『Day4 21:39』

 『Day5 00:37 21:52』

 『Day6 21:47』

 『Day7 21:44』

 『Day8 09:07』

 

=============================

 

 どうやら履歴が出るのは直近五日間のもののようだ。三角ボタンに触れたら過去のものも見れるようだが。

 

「これを見る限りですと……どうやら、クロは焼却炉を利用していないようですね」

「みたいだな」

 

 というか、結構こまめに稼働されている。ずっと東雲がカードキーを持っていた事を踏まえると、東雲は本当に毎日稼働していたのか。この前の裁判から戻ってきた日の夜や今朝部屋にこもる前にも稼働しているようだし、このあたりは本当にきっちりしている。

 念の為焼却炉の中も漁ってみたが、めぼしいものは見つからなかった。

 

「とにかく、これで調べられそうなところは調べられたか」

 

 履歴の表示を消して、ダストルームを出る。

 

「そうですね。捜査時間がまだあるのなら、一度情報をまとめてみても――」

 

 

 

 

「露草っ!!」

 

 

 

 

 急に、根岸の悲痛な叫び声が聞こえた。

 

「なんだ、今の!」

「つ、露草! だ、大丈夫か!」

 

 続けて根岸の声が聞こえてくる。

 

「こっちです!」

 

 ダストルームから見て右手側。走れば、すぐに俺が軟禁されていた新家の個室が見える。扉が開いている。

 

「お、おい! だ、大丈夫か!」

「どうしたんだ!」

 

 中に駆け込むと、床に崩れ落ちる露草の姿と、それを必死に揺する根岸の姿が見えた。その根岸が、駆け込んできた俺にきづく。

 

「ひ、平並ぃ! こ、これはどういうことだよ!」

 

 怒りを灯した表情で、俺に詰め寄って何かを突き出してくる。

 指紋をつけないためなのか白衣の袖越しに持たれたそれは、見覚えのない白いハンカチだった。

 

「知らないぞ、こんなの!」

「し、知らないわけないだろ! こ、ここのゴミ箱の中に入ってたんだぞ!」

「はあ!?」

 

 こんなハンカチ、見たこと無い。何かが染みているようなそのハンカチが本当にゴミ箱の中に入っていたというのか。

 

「根岸君、何があったんですか?」

「な、何があったって……つ、露草とここを捜査してて、ご、ゴミ箱から、あ、新家の『システム』と一緒にこのハンカチを見つけたんだけど、つ、露草がその匂いを嗅いだら、きゅ、急に意識を失って……つ、露草が…………」

 

 涙を目に溜めながら、状況を杉野に説明する根岸。

 

「これ、倉庫にあったハンカチですね」

「そうなのか?」

「ええ。落ち着いてください、根岸君。露草さんは多分大丈夫ですから」

「う、うぅ……」

 

 そうだ。死体発見アナウンスも流れてないしハンカチに染みているもの……というか薬品には、心当たりがある。

 

「モノクマ! 見てるんだろ!」

 

 

 俺がそう叫ぶと、すぐにモノクマが現れる。

 

「はいはーい! 呼ばれて飛び出てモノクマだよー!」

「モノクマ」

「なになに? 食い気味に」

「あれは」

「つ、露草が吸い込んだの、も、『モノモノスイミンヤク』だよな……!」

 

 俺が質問しようとしたが、それより先に根岸が叫ぶ。

 

「んー、それってボクが答える必要ある? 捜査時間中にそういう事を答えるのはフェアじゃないとボクは考えるわけですよ」

「吸って即気を失って、揺すっても起きない。それでも死んでるわけじゃない……こんな都合の良い薬、お前特製の『モノモノスイミンヤク』以外にないだろ」

 

 と、俺が根岸の追及を補足すると、

 

「でへへ、そこまで褒められちゃうと答えるしかないなあ~!」

 

 モノクマはいつものように気味の悪い笑い声ではなく純粋に気持ちの悪い笑い声を出した。褒めてない。

 

「オマエラの思ってるとおりだよ。アレは『モノモノスイミンヤク』だね」

「……やっぱりそうだよな」

 

 それなら、まあ安心だ。アレが命に関わるものでないことは身をもって証明している。

 

「ためらいなく吸い込んだからねえ。まあ数時間は起きないんじゃないかな。学級裁判は終わっちゃうね! 基本的に『モノモノスイミンヤク』を摂取したら、薬の効果が切れるまでは何をしても起きないし!」

「な、何をしても……? お、おかしくないか……す、睡眠薬って、が、外部から刺激を与えれば、い、一応覚醒させることはできるはずだけど……」

「そうなのですか?」

「う、うん……も、もちろん起きてからだるさとかは残るけど……」

「そこが他の睡眠薬と一線を画するところなんだよ! スイミンヤクって名乗っておいて途中で目を覚ますなんて名前負けもいいところでしょ? だから、薬の効果が効いてる間は絶対に起きないようにしたってわけ! 具体的には、神経の伝達とか筋肉繊維そのものに働きかけて、必要最低限の生命維持だけするようにしたって感じだね。脳を止めちゃうと死んじゃうから普通に夢とかは見るんだけどさ」

 

 絶対に起きないって……神経とか、色々ヤバそうな感じもするし……。

 

「……平並君。あの薬はもう使わないほうがいいですよ」

「……そうする」

 

 やっぱり、腐ってもモノクマ特製だ。確かに一人の夜を不安に覚える必要はなくなっていたが、今更そんな話を聞いて恐ろしくなった。いくら命に危険は無いと言われてもな。

 

「じゃ、じゃあ、つ、露草はしばらく寝たままってことか……?」

「そういうことになるね。まあ、普通にしてれば死ぬことはないから安心しなよ」

「…………」

 

 安心なんかできるか。

 

「モノクマ、どうにかして彼女を起こす事はできませんか? この後学級裁判も控えていますし」

 

 杉野が慎重な声色でモノクマに尋ねる。

 

「できるできないで言えばできるよ? モノクマ特製『モノモノキツケグスリ』を使えば一発で起こせるし」

「なんだよそれ」

「もしものためにこっちで用意してる薬だよ。でもねえ……基本的にオマエラには干渉したくないんだよね。正直今回のは事件とは関係ない事故みたいなもんだし、なんなら寝てるだけだから緊張感も無いんだけどさ」

「じゃ、じゃあ……」

「ケド! やっぱりオマエラの自主性を尊重してそのままにしておきます! 起きたら裁判が全部終わってて、自分が負けててハイオシオキー! っていうのも絶望的でいいんじゃない? ていうか、オマエラの失態の尻拭いをボクがするのもおかしな話だしね。なんでもかんでも匂いを嗅ぐのが危ないのは根岸クンなら知ってるでしょ?」

「ふ、ふざけるなよ……!」

「あ、一応ルール的なことを言っておくと、露草サンは普通に学級裁判には参加してもらうよ。生きてるからね。でも、故意の睡眠じゃないしそのへんの罰則はないよ。安心してね!」

 

 根岸の抗議を意に介すこともなく、淡々と述べていくモノクマ。それを根岸はにらみつける。

 

「……つまり、露草さんは完全に裁判場にいるだけ、ということになりますか」

「そうだね。まあ、1人くらいそういう人がいてもいいんじゃない? 16人もいるんだから。あ、3人死んだから13人か。でもまだ多いもんね!」

「…………」

「車椅子は用意しておいたから、それ使ってね。それじゃ!」

 

 そんな言葉を言い残して、モノクマは消え去った。その言葉通り、いつの間にか個室の中に電動車椅子が置かれていた。俺の記憶の中にある最新型よりも更に新しい型のようだ。

 

「…………」

 

 無言のまま、車椅子の方へと歩いていく根岸。露草を車椅子に乗せるのだろう。それを手伝おうと動き出した時。

 

「つ、露草に近づくなよ!」

 

 根岸に叫ばれた。

 

「ぼ、ぼくがやる……!」

 

 その気迫に飲まれ、動きが止まる。

 根岸は車椅子を露草のそばまで運ぶ。露草の体をゆっくりと持ち上げて車椅子に乗せると、車椅子を押しながら個室の出口に向かう。

 そして、その途中で俺を睨みつけて、

 

「が、学級裁判なんか、す、すぐに終わらせてやるからな……!」

 

 と、宣言した。

 そのまま、露草と共に根岸は個室を出ていった。

 

「………………」

 

 例のハンカチは見当たらない。根岸が証拠として持っていったんだろう。

 ……冤罪だ。きっと、クロの偽装に違いない。けれど、根岸がそれを信じてしまったのは、俺の裏切りが根底にある。やり場のない苛立ちを、いや、俺の罪への苛立ちを、右手の握りこぶしに込めて震わせる。

 

「平並君。僕はあなたを信じています」

 

 そんな俺に、杉野が声がかけた。

 

「あの日、あなたは僕に【卒業】の意志はないと言ってくれました」

 

 いつだったか、たしかに俺はそう言った。そして、それは今でも変わらない。

 

「まだ事件の全容がつかめているわけではありませんが、それでも、あなたのその言葉を信じたいと思います」

「杉野……」

「あなたがクロでないのなら。必ず、その事を証明できるはずです」

「…………」

 

 そうだ。諦めるにはまだ早い。

 俺には、信じてくれる仲間がいるのだから。

 

「ありがとな、杉野」

「がんばりましょう、平並君」

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 そして突如鳴り響いたのは、絶望を告げる例のチャイム。

 

『えー、ちょっとトラブルも発生しましたけど、捜査終了のお時間ですよ! オマエラ、準備は出来てるかな?』

 

 そして続けざまに、モノクマからのアナウンス。

 

「時間か」

『準備が出来てても出来てなくても! 時計の針は止まりません! 始まりますよ~、待ちに待った【学級裁判】がっ!!』

 

 始まる。始まってしまう。

 

『それでは、オマエラ! 【宿泊エリア】の赤いシャッターの前にお集まりください! 前と一緒だから、とっとと集まれよ!』

 

 ブツッ!

 

 …………。

 

「行くぞ、杉野」

「ええ」

 

 一つ自分に気合を入れて、歩き出した。

 

 

 

 

 未だに、クロはわからない。

 違和感はいくつもあった。犯行の証拠も随所にあった。

 それでも、謎はいくらでも湧いて来る。

 

 それを全て暴いて、たどり着くのだ。

 

 

 蒼神の死の、真相へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《裁判場ゲート前(赤)》

 

 前回とは違い、俺と杉野が赤いゲートの前に来ても皆は殆ど揃っていなかった。殆どが事件現場のある【体験エリア】にいるからだろう。俺より先にいたのは岩国と根岸達。気まずいし、居心地が悪い。

 とりあえずまだ時間はあるようなので、手に入れた情報の整理をしていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 各人に出された呼び出し状の文面を整理するとこうなる。クロは、どうしてこんなに沢山の呼び出し状を出したんだ? いや、筆跡も紙もバラバラだった。まさか、クロ以外にも、誰かが……。

 

 思考を重ね真相を探っていたその時、現場にいたらしい皆がやってきた。いくつもの足音が聞こえてくる。皆捜査の具合はどうだったろうか、と顔を伺おうとして、ゾッとした。

 

 その全員が、俺を見ている。その顔は様々で、何かを危惧するような者がいれば、敵意を示す者さえいる。

 

「…………え?」

 

 俺が出した、そんな間抜けな声を聞いて、皆はぽつぽつと顔をそらした。なんなんだ。何が起きているんだ。

 

「……ねえ、平並君」

 

 そんな中、【体験エリア】から戻ってきたうちの一人である七原が声をかけてきた。

 不安そうな、声色だった。

 

「なんだ、七原」

「ちょっと話したいことがあって……杉野君、ちょっと二人で話してきても大丈夫かな?」

「ええまあ、大丈夫だと思いますよ。今更現場を荒らすことも出来ませんし。モノクマが出てくる前にすばやく切り上げたほうが良いと思いますが」

「うん。ありがとう、杉野君」

 

 そんな会話の後、七原に連れられ、人の輪から外れゲート前スペースの端に寄る。内緒話をするように皆に背を向けた。

 

「話したいことって?」

「…………」

 

 自然と小声になって訪ねたが、七原は声を出すのをためらうように、なにか大きな不安材料があるように、口をぱくぱくと動かしている。

 本当に、どうしたんだ。

 

「……平並君」

 

 そしてようやく、その言葉が振り絞られた。

 

「君のこと。信じて、いいんだよね」

「ああ、もちろん」

 

 間髪を入れず、そう強く答える。

 かつて、岩国に嘘をついた時とは違う。あれほど後悔したんだ。少なくとも、あの事件以来、俺はやましいことなんかしていない。

 けれど、そんなことは他人からはわからない。七原が何を思ってそう言ったのかはわからないが、俺を盲目的に信じるこなどは出来なくて当然かもしれない。

 だったら。

 

「もしそれでも信じられないなら……七原は、自分の幸運を信じてくれ」

「私の……幸運を?」

「ああ。お前は【超高校級の幸運】だろ。そのお前の幸運を、俺は信じてる」

 

 あの夜、俺を救ってくれたのは、彼女の幸運と優しさだ。それは絶対に揺らがない。

 きっと、これからも。

 

「……ありがとう、平並君」

 

 何か、吹っ切れたのか。七原は微かに微笑んだ。

 

「それで、話ってこのことか?」

「違うの。この話をするかどうか、不安になっちゃって。けど、話すよ。平並君のこと、信じてるから」

「……ありがとう」

「……それで、さ。さっき、現場を調べてたんだけど……」

 

 そう言って、また不安げな表情に戻った七原はポケットから何かを取り出した。

 

「こんなのを、見つけたんだ」

 

 

 

 それは。

 何者かのサインが書かれた、トランプのジョーカーだった。

 そのサインは筆記体で書かれていたが、その文字は十分に読み取ることができた。

 俺が、いまだ夢でも見ていない限りは。

 

 そのカードには、『Witch Of Word-Soul Handler』――そう、書かれていた。

 

 

 

「これ……!」

「これって、アレ、だよね。単語を一つ一つ訳していけば、出来上がるのって……」

 

 このフレーズを、俺は知っている。

 

 

「「【言霊遣いの】、【魔女】……!」」

 

 

 小声で揃う、俺と七原の声。

 なんで……どうして、こんなものが、落ちてるんだよ!

 

「これ、どこにっ!?」

「ボートに入ってた水の中に、参考書が沈んでたよね」

「ああ。二冊な」

「うん、その参考書のところに何かはみ出てて、それで気になって手にとってみたら、それだったんだ」

 

 参考書? でも、俺が見た時はそんなもの……。

 

「しっかり沈んで水中になっちゃってたから、平並君は見落としちゃったのかも……」

 

 見落とした……? いや、この問題の本質はそこじゃない。このカードが、現場に落ちていたというその事実だ。

 それが、指し示しているものは。

 

 

 

「いるっていうのか……この中に、【言霊遣いの魔女】が!」

 

 

 

「オマエラ! 何やってんだよ!」

 

 思考をたたっ斬るように、モノクマの声が届く。即座に、七原はカードをポケットに隠した。

 

「集合したんだから早くエレベーターに乗れ! 【学級裁判】の時間なんだよ!」

「わかった、すぐ行くから!」

 

 気づけば、俺達以外の全員はいつの間にか開いていたエレベーターの中に乗り込んでいる。慌てて、二人でエレベーターへ駆け込んだが、皆俺を見ている。流石に今のは妙に思われても仕方ないが。

 

「それじゃ! 13人で下降しまーす! やっとかよ!」

 

 心底待ちくたびれていたかのように、俺達が乗り込んだ直後にガラガラガラという音と共に入り口がしまる。そのままエレベーターは下降を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゴウンゴウンと、重い機械音が体に響き渡る。

 俺の胸中で、感情がぐちゃぐちゃに絡み合っている。

 

 無念。

 苦痛。

 悲傷。

 混乱。

 絶望。

 

 皆が、それぞれの感情を抱えたまま、それを心の中に閉じ込めながら、ただひたすらに時が来るのを待っている。

 13人の想いと沈黙を乗せたエレベーターは、地中へとどこまでも沈んでいく。

 

 

 

 

 さながら、泥舟が沈没するように、俺達は下へ下へと墜ちていった。

 

 

 

 




色々あった捜査編もこれでおしまいです。
次回、二度目の学級裁判!


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非日常編④ それでも俺は殺ってない

一度広がった絶望は、尚も世界を蝕んでいく。
皆をまとめ率いていた蒼神紫苑が殺された。
果たして、蒼神を殺したクロは誰なのか?
狂気と絶望の潜む学級裁判が、再び始まる。



 《裁判場》

 

 箱の下降が、突如として終了する。

 

 ガコンッ!

 ガラガラガラ……。

 

 その音とともに、入り口とは反対側の壁が左右に開く。前回と同じだ。

 また、薄暗い裁判場が広がっているのだろうと思っていた俺の目は、想像を裏切る明るい光を捉えていた。

 

「あれ、変わってる?」

 

 裁判場は、キャンプファイアーを模した幽々たる空間だったはずだ。だが、今俺の目には、まるで真夏の昼のような鋭い日差しと、それを受ける大きな川が映っていた。裁判場を埋め尽くすほどに幅の広い川の中央にはまるい中洲が存在し、そこまで橋が伸びている。その中州に、前回同様16の証言台で作られた議論場が設置されていた。

 

「せっかくだから、模様替えをしてみました! 今回のテーマはズバリ川! 【体験エリア】と一緒だね!」

 

 模様替え、とモノクマは簡単に言ったが、壁紙やカーペットを張り替えるのとはわけが違う。こんな大きな川、水深もしっかりあるようだし、大規模工事が必要なはずだ。それを、このたった数日で行ったって言うのか?

 

「一種の雰囲気作りのためだよ。毎回新鮮な気持ちで学級裁判に挑んでほしいからさ!」

「なんでもいい」

 

 そう口にして岩国が中洲に向かって歩き出す。それに追従するように、皆も動き出した。

 雰囲気が変わっても、議論場は変わらない。自分の名が刻まれた証言台へ進み、中央を向く。議論場の中は雑草が生い茂っている。

 

「……チッ」

「相変わらず、悪趣味ですね」

 

 火ノ宮の舌打ちに、杉野の声。彼らの視点は、『空席』へと向けられている。

 前回の裁判と比べて、古池と蒼神の二人がここにはいない。そのかわり、例の遺影が証言台に立てられていた。モノクロの写真に赤いバツ。まるでゲームか何かのように、人の死がコミカルに扱われている。

 

「さて、改めて確認(推敲)させてもらうが、今回露草君はこの状態で(眠り姫として)の参加になるということで決定稿なんだな?」

 

 そんな中、明日川がモノクマに問いかける。その議題は、車椅子に乗って首を前にかしげている露草だった。左手にはめた黒峰を膝の上に載せ、かすかに呼吸音と共に肩を上下させている。ご丁寧に、目の高さが俺達と揃うように証言台の床がせり上がっていた。

 

「そうだよ! 根岸クンから話は聞いたでしょ? 少なくとも、露草サンは学級裁判の間は起きないだろうね!」

「命がかかった学級裁判で起こしてもらえないなんて、ちょっと不公平なんじゃない?」

「不公平で結構だよ、東雲サン! 世の中ね、不公平も不平等もどこにでも転がってるもんなの。むしろ、社会は不公平でできてると言ってもいいね! そうでしょ、平並クン!」

 

 ここで俺に話を振る意味なんか、考えるまでもなくわかる。ただ、そんな当たり前の話を、理不尽の象徴にされたくなんかない。

 

「その逆境をオマエラ自身の手で切り開いてこそ未来は掴めるんだよ!」

「言葉だけは立派であるな」

「っていうか、露草サンにだけ肩入れする方が不公平な気がするんだけどね」

「ですが……」

「も、もういいよ……!」

 

 さらに反論しかけた城咲の言葉を、根岸が遮った。

 

「ど、どうせ、け、結論なんか決まってるんだから……!」

 

 そう口にして、根岸は俺を睨む。ただでさえ、根岸は俺を恨む理由も怪しむ理由もある。そこに例のハンカチの件が加われば、その疑惑は決定的なものになるだろう。

 だが、それは真実ではない。なら、必ず俺が無実であることを証明できるはずだ。

 

 そう、思ったのに。

 

「ああ、根岸の言うとおりだ」

「そうね。せっかく楽しみにしてたのに残念だわ」

 

 火ノ宮と東雲がそんな事を話している。俺の方に顔を向けながら。

 まただ。何故か、皆は俺に敵意を向けている。俺の知らない何かが起きている。

 なんなんだよ、一体。

 

「今回のオマエラ、やる気があるんだか無いんだかよくわかんないんだよなあ。これが現代の若者か……」

 

 それを聞こうとしたのに、モノクマが喋りだしてしまう。

 

「ま、学級裁判に前向きなのはいいことだと考えることにします! それでは参りましょう!」

 

 楽しげに、モノクマは叫んだ。

 

 

 

 

 かくして、再び幕は上がる。

 蒼神紫苑は殺された。誰かの記憶を取り戻すための、その代償として。

 そんなことをしてしまった人間がこの中にいるのかなんて、今更疑いようもない。俺が抱いた殺意が、大天が晒した殺意が、それを証明しているからだ。

 

 だから。

 

 彼女の無念を晴らすために、俺達は戦う。

 自分の命を守るために、俺達は戦う。

 誰かの人生を葬るために、俺達は戦う。

 

 

 それが、絶望への道だと気づいていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   【第ニ回学級裁判】

 

 

     開 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせいたしました! ここに第ニ回学級裁判の開廷を宣言いたします!」

 

 誰も待っていない、というツッコミは、今回は誰からも上がらなかった。そんなくだらないことよりも、話すべきことがある。

 

「それでは、学級裁判を始める前に改めてルールを説明いたします。

 学級裁判は、オマエラの中に潜んだクロをオマエラ自身の手で見つけ出してもらうためのものです。議論の後、オマエラの投票による多数決の結果をオマエラの導き出したクロとします」

「その説明、前も聞いたんだけど」

「うるさいなあ、大天サン! いいの、これで! 正しいクロを導き出せたなら、クロだけがオシオキ。逆に、その結論が間違っていたなら、皆を欺いたクロ以外の全員がオシオキとなり、クロは【成長完了】とみなされ、晴れて【卒業】となります!」

 

 ……オシオキ。

 さらりとモノクマが述べたその単語で、俺達の脳裏にあの光景が蘇る。

 古池の頭が弾けた、あの光景が。

 

「…………」

 

 だから、こんなところになんか来たくなかったんだ。ここに来てしまった以上、誰かが、死ぬ。

 自分は死にたくないから。皆が死ぬよりマシだから。そいつは蒼神を殺したから。

 そんな理由を並べあげて、一人に死を押し付ける。

 

 いや、考えるのはよそう。その意味を考えず、ただ暴けばいい。この夜の、真実を。どうせ、することはそれしか無いんだから。

 

「はい! それじゃ、あとはよろしくねー!」

 

 ルールを告げ終えたモノクマは、そう告げて大きな椅子に寝そべった。

 

「……それでは、始めましょうか」

 

 神妙な顔で、杉野が口を開く。

 

「前回と同じく、まずは基本情報の確認から行いましょう。蒼神さんの死体状況や、発見状況を――」

 

 

「く、クロは、ひ、平並だ!」

 

 

 杉野の言葉を遮って、根岸が叫んだ。

 

「……根岸、お前の言いたいことはわかるが、まずは議論を」

「議論なんかいらねェ」

 

 俺にそう反論したのは、根岸ではなく火ノ宮だった。

 

「てめーがクロなのは明白だからなァ!」

「は……え?」

 

 強い口調とともに、俺を睨む火ノ宮。気づけば、周りの皆も、同じような目で俺を見ていた。「お前がクロなんだろ」と、念じられているような気がした。

 

「待ってください、皆さん。まずは議論をするべきです」

「そうだよ! 平並君はクロなんかじゃないよ、きっと!」

「う、うるさい!」

 

 杉野と七原の異論も、根岸は意に介さない。

 

「……証拠はあるのか」

 

 どうしようもなくなって、ひとまず根岸や火ノ宮の話を聞くことにした。その矛盾を指摘できればそれでいいし、そうでなくともまずは俺をクロだと思ったロジックは聞いておくべきだと思ったからだ。

 

「お前の思い込みとか、勝手な決めつけで俺をクロだって言ってるんじゃないだろうな」

「当然ある。無ェわけねェだろ」

 

 それに答えたのは火ノ宮。

 

「蒼神のポケットに入っていた、呼び出し状だ」

「呼び出し状……」

 

 火ノ宮が、それを俺に突きつけた。

 

 

=============================

 

 蒼神へ

 

  生物室の生首が誰か分かった。きっと黒幕につながるヒントになる。

  12時に生物室で話す。皆で脱出しよう。

 

                    明日川より

 

=============================

 

 現場でも見た、蒼神への呼び出し状。

 

「これが、何だって言うんだよ」

「……ありえないんだ。その『手紙』は」

 

 明日川が、ためらいがちにその台詞を口にする。

 

「ありえないって……」

 

 俺も、呼び出し状に違和感は抱いている。蒼神は、呼び出し状を二通もらっていたからだ。しかし、彼らが話しているのは、どうもそういうことではないらしい。

 

「蒼神君は、その手紙で呼び出されるわけがないし、クロがその手紙で呼び出すわけがないからだ」

「どういう、ことだよ」

「アンタだけは知らなかったみたいだけどね。その話はもうとっくにケリが付いてるのよ」

「その話って」

「……平並君」

 

 そして、杉野が語りだす。

 

「生物室の生首は、既に正体が判明しているんですよ」

「……正体が?」

「ええ。昨日(さくじつ)……モノクマにより動機が提示される、その前日の朝食会でのことです。明日川さんから、あの生首が誰のものか、お話があったんですよ」

「そうなのか、明日川」

「ああ。君が知りえない物語だが、確かにボクは皆にその話を語った」

 

 念のために尋ねると、明日川は肯定した。

 

「探索を行ったあの日だが、夜時間になる直前、宿泊棟に戻る前に図書館以外にも目を通しておこうと思ったんだ。まあ、概ね昼に報告を聞いたとおりだったが、一箇所だけ、ボクが情報を追記できそうな箇所があったんだ」

「それが、その生首の正体ってことか?」

「そうさ。皆も顔くらいは知っているはずだが、その表情(装丁)は鬼気迫るものだった。だから、皆がその正体に気づけなくとも無理はない。かく言うボクもホクロや骨格を記憶(ボクの物語)と照らし合わせてようやく本人だと断定できたのだからね」

「確かに言われれば彼だとわかったのであるが、初見ではなかなか気づけぬであるな。仲のいい友人というわけでも無いのであるから」

「ん? その生首の正体って、そんなに有名人だったのか?」

 

 明日川と遠城の言葉を聞いて、そんな事を思う。

 

「ああ、なんせ【超高校級】……それも、ボク達の先輩だからね」

「先輩? 【超高校級】の?」

「彼は、希望ヶ空学園に、第18期生……つまり、ボク達の2期先輩としてスカウトされたんだ。【超高校級のアスリート】としてね」

 

 『2期先輩』、そして『【超高校級のアスリート】』。

 その2つのフレーズから、悪夢的な思い出と予感が脳裏をよぎる。待て、待て! まさか、そいつは!

 

 

 

 

「『月跳走矢(ツキトビ ソウヤ)』……それが彼の名前だ」

 

 

 

 

 俺の願いも虚しく、明日川はその名を口にした。

 

「月跳……なのか!?」

 

 アイツが……もう死んでる? 生首になってる? そんな……そんな、バカな!

 

「中学時代からその名を馳せ、高校一年生にして十種競技の高校生記録を塗り替えた彼だが……残念ながら、生首として生物室に鎮座していたよ。どういう経緯(物語)があったのか、までは計り知ることはできないけれどね。その様子だと、やはり平並君も彼のことを知っていたようだ」

「知っているなんてもんじゃない! 一方的に知ってただけだが、アイツとは中学で同級生だったんだ!」

 

 月跳走矢。

 俺のいた中学校で、誰よりも輝いていた同級生だ。俺が才能を欲してあがく横で、文字通り栄光へと駆け上がっていった人物。

 中二の時点で彼は夢を叶えるために十種競技を始めた。はじめこそその難しさに苦戦したようだったが、すぐに彼は適性を見せると、次々と記録を打ち立てていった。その容姿も相まって、彼は学校の人気者になった。テレビの取材も度々受けていたはずだ。そして、スポーツ強豪校へと進学した彼は、入学したその年に【超高校級のアスリート】として希望ヶ空学園からスカウトを受けたのだった。

 そんな経緯で高校一年生の秋に早々と希望ヶ空学園へと入学した彼のことを、俺はテレビ越しに暗い目で眺めていた。結局、才能が無ければどうにもならないのだと悟った後のことである。

 才能に溢れた彼を三年間ずっと妬み続けていた。月跳走矢は、俺の憧れの存在であったと同時に、暗闇の象徴でもあった。アイツを見ていると、俺が惨めに思えて仕方なかったから。

 

 そんな彼が、もう、死んでいた……?

 

「それは……すまない。キミにどんな台詞を投げかけるべきか、思いつかない(白紙のままだ)

「いや、明日川が気にすることじゃ」

「ん? 同級生?」

 

 俺の話に、東雲がなにか引っかかったような様子を見せた。

 

「でも、その月跳ってヤツはアタシ達の二個上なんじゃないの? なんで平並と同級生なわけ?」

「有り得る話だと思いますよ、東雲さん。希望ヶ空学園は、スカウト対象は『現役高校生』と定めているだけで、その学年は考慮の対象に入っていません。月跳君は一年生でスカウトされ、平並君は三年生でスカウトされた……そういうことでしょう。平並君に留年した経験があれば話は変わってきますが」

「留年なんかしてないぞ」

 

 杉野の推測通り、俺にスカウトの封筒が届いたのは受験を控えた三年の夏のことだった。月跳からは二年遅れで【超高校級】に選ばれたということになる。

 

「そう言えば、アタシ達は同じ希望ヶ空の20期生なワケだけど、学年とか年齢とかは気にしてこなかったわね。皆何年生なの? アタシは二年生なんだけどさ」

「お前、年下だったのか……」

「そんなくだらねェ雑談は後にしろ。今は年齢なんかどうだっていいだろォが」

 

 低いテンションで、しかし熱のこもった火ノ宮の声が遮った。……年齢はともかく月跳の事は気になるが、今はそれよりも大事な話がある。

 

「あの生首は月跳君のものだった。そして、その話を翌日の朝食会で皆に語ったというわけだ」

「つまりだ。全員、生首の正体は知ってたんだよ。てめー以外はなァ。そうなると、これはどう考えてもおかしいんだよ」

 

 火ノ宮は、そう言ってヒラヒラと蒼神が持っていた呼び出し状を揺らす。

 

「こいつは、『生物室の生首』をダシにして蒼神を呼び出す……そんな呼び出し状だ。けどよォ、そんなとっくに判明したことを呼び出しの名目に使うワケねェだろォが」

 

 生首の正体を教えるも何も、蒼神も差出人もその正体を知っていたはず。言われてみれば、確かにおかしい。

 そのことに気づいたと同時に、もう一つの違和感に気づく。

 

「……あれ、杉野。お前、どうして捜査の時に教えてくれなかったんだ?」

 

 杉野も生首の正体が判明していた事を知っていた。なら、捜査の時にそれを俺に教えてくれても良かったのに。

 

「呼び出し状の違和感には気づいたんだよな?」

「ええ、まあ……ですが……」

 

 煮え切らない杉野の反応。

 

「一体何が……」

「オレが止めたんだ。杉野に頼んでな」

 

 杉野に変わって答えてくれたのは、火ノ宮だった。

 

「もしかして、あの耳打ちの時か?」

「……ええ、その通りです。彼に頼まれて、君には黙っていました」

「そうか。だが、どうして?」

「学級裁判までは、言いたくなかったんだ。それが、クロへの決定打となるからなァ」

 

 クロへの、決定打?

 その言葉が何を意味するか、俺が気づく前に根岸が口を開いた。

 

「こ、この呼び出し状、お、おまえが書いたんだろ……! お、おまえ以外は、な、生首の正体を知ってたんだから、そ、そんな呼び出し状を書くわけない……!」

「はあ!?」

 

 根岸が語る『真実』。きっと、火ノ宮が思い至ったのもこれなのだろう。

 

「俺がこの呼び出し状で蒼神を呼び出したっていうのか? 無理だ!」

 

 落ち着け、俺。一つ一つ反論していけば、俺が無実だときっと証明できるはずだ。

 

「俺は新家の個室に軟禁されていたんだぞ! その鍵は、他ならぬ蒼神が持っていた! それでどうやって蒼神に呼び出し状を出すんだよ!」

 

 そう思って、その言葉を撃ち出したのだが、

 

「ち、違う! あ、あの手紙は後からポケットに入れられた、ま、真っ赤な偽物だったんだよ……!」

「偽物?」

「そ、そうだ……! あ、蒼神はただ単に【体験エリア】まで連れてこられただけだったんだ……」

「連れてこられたって、夜時間にか」

「と、当然だろ……! き、きっとおまえは、な、何か適当な理由をつけて、あ、蒼神と約束してたんだ……よ、夜時間に部屋を尋ねてくれって……。そ、それを偽装するために、に、偽の呼び出し状を用意したんだよ!」

「適当な理由、とは何でしょう? そう簡単に蒼神さんが扉を開けるのでしょうか?」

「んなの、どォだっていいだろ、杉野。蒼神が何を思ったかなんて、知りようがねェんだからな。蒼神をどうだまくらかしたのかは、クロだけが知ってることだ」

 

 根岸の推理を擁護したのは、火ノ宮だった。

 

「思えば、蒼神は平並を開放したいと話していた。あいつは、平並を軟禁し続けることに罪悪感を覚えていたんだろォな。平並は、それを利用したってとこだろ」

「そんな……」

「大事なのは、そんな些細なことじゃねェ。蒼神の持っていたあの呼び出し状が偽物だったってことだ。要するに、『蒼神は呼び出し状で呼び出されて【体験エリア】までやってきた』……クロはそう思わせたかったってことになる」

 

 火ノ宮は一旦言葉を区切って、息を吸い込む。そして、痛烈な言葉を撃ち出した。

 

「だからこそ、てめーは『生物室の生首』なんていう、黒幕に繋がりそうで蒼神が興味を持ちそうな名目を選んだんだ! それが、自分の犯行だと証明するとも知らずなァ!」

 

 そんな名目で偽の呼び出し状を作ってしまうのは生首の正体が判明していることを知らなかった俺だけ、という火ノ宮のその理論。

 

「違う……俺じゃない……!」

「お、おまえは、ほ、本当は口約束で蒼神を部屋に呼んだんだ……! そ、そして【体験エリア】まで連れて行って、あ、蒼神を殺したんだよ……! そ、その時に『モノモノスイミンヤク』を使ったんだろ……! お、おまえになんか、渡すんじゃなかった……!」

「そんなの滅茶苦茶だよ!」

 

 根岸の推理にもなっていない話を聞いて我慢できなくなったのか、七原が叫んだ。

 

「蒼神さんを眠らせて【体験エリア】まで運んだっていうの?」

「……平並君を擁護するわけじゃないけど、人間を運ぶのって素人には大変だよ? 腕とか脚が動いて重心がずれるし、単純に重いし。筋力がかなりついてるならともかく、平並君はそうじゃないじゃん」

 

 意外だったが、大天が援護射撃をしてくれた。【超高校級の運び屋】である大天が言えば、そこに説得力が生まれる。

 が。

 

「ち、ちがう……そ、それくらい分かってる……! ひ、平並は蒼神を【体験エリア】まで連れて行ってから、ね、眠らせたんだよ……!」

「待ってください、根岸君。そもそも、どこで眠らせたかなんて関係ないのではありませんか?」

「は、はあ……?」

「だって、どこで蒼神さんを眠らせたにせよ、平並君がクロであれば平並君は蒼神さんと共に【体験エリア】に向かったことになりますよね?」

「あ、当たり前だろ……な、何が言いたいんだよ」

「そうか……そういうことか!」

 

 困惑する根岸に対して、杉野の言葉を聞いて思い至ったことがある。

 

「いいか根岸! そもそも、俺は蒼神を運んだり蒼神と一緒に【体験エリア】に行ったりなんかしてないんだよ! 城咲! 俺を目撃した時は俺一人だったよな!」

「ええ、確かに、あの時平並さんはお一人でした。蒼神さんのことは見かけませんでしたよ」

「ほら!」

 

 と、城咲の証言を借りて根岸の推理を論破した――そう思ったのは一瞬だった。

 

「それが何になるっていうのよ? 城咲が展望台に来る前に済ませておいただけでしょ。実際、城咲は大天のことを見逃してるじゃない」

「ぐっ……」

 

 反論に反論を返されてしまう。東雲の意見が通ってしまった。

 

「よ、呼び出し状をぼくたちに出してた事を考えると、あ、蒼神を眠らせたのは12時よりもずっと前だったんだろ……!」

「確か、アタシが手紙に気づいたのは11時くらいだったかしらね。個室に入れられたのも大体そのくらいだと思うけど」

「ああ、吾輩も同じくらいであるぞ」

「ほ、ほら……お、おまえは、あ、蒼神を眠らせて自由になった後に、み、皆に呼び出し状を配ったんだ!」

「ちょっと待てよ! それじゃあ、蒼神を殺したのは11時前ってことになるだろ! モノクマファイルが嘘だっていうのかよ!」

 

 モノクマファイルに書かれていた死亡時刻は、少なくともそんな早い時刻は書かれていなかったはずだ。

 

(虚構)ではないだろう。ボクも蒼神君が死後(終章から)間もない状況であったと確認(読了)している」

「わたしも、心臓まっさーじをしたときのじっかんですが、蒼神さんが亡くなられたのは直前だとおもいます」

「こ、殺したのは、も、もう一度【体験エリア】に行った時……し、城咲が目撃した直後なんだろ……! そ、そうすれば、し、死亡時刻の矛盾は消える……!」

「それって、最初は蒼神を眠らせただけで、後でもう一回【体験エリア】に行った時に殺したってことだよな。どうしてわざわざそんな事をする必要があるんだよ?」

「そ、それはアリバイづくりのためだろ……! お、おまえは、じゅ、12時に大天達を呼び出して、じ、自分もその時間に【体験エリア】に向かってる……! じゅ、『12時に宿泊棟を飛び出してその直後に大天ともあってるから蒼神を殺す時間なんかない』って主張できるだろ……!」

「……確かに、『その時には一人だけだった』という主張をさっきヒラナミはしていたな。呼び出し状は、自分のアリバイを作るための工作だったと見ることもできるのか」

「ぐぅっ!」

 

 俺達の言い合いを聞いて精査するスコット。俺をクロだと決めつけているのは根岸たちだけのようだが、その他の皆も俺を怪しんではいるらしい。だからこそ、しっかりと反論しないといけないのに。

 

「ついでに言えば、てめーは発見者になる必要があったんだ。殺した蒼神を朝まで放置していたら、発見されたの時はてめーがいた新家の個室のカギは開きっぱなしだ。もし自分が持ち去ってカギをかけたとしても、そのカギである新家の『システム』は部屋の中だ。どうやっても、てめーは疑惑を払拭できない。

 だから、『自分も呼び出し状で呼び出された』ってただの発見者を装ったんだろ。そうするしか、てめーが外にいる理由はつけられねェからなァ」

 

 そう思っているのに、火ノ宮の追撃が入る。

 俺や俺をかばってくれる七原達の反論は間違っていないはずなのに、じわりじわりと追い詰められている気がする。根岸や火ノ宮の心は折れない。尚も俺が犯人であると主張し続けている。

 

「要するに、だ。てめーがばらまいた呼び出し状には、二重三重の意味があった。これでも自分じゃないって言うつもりかァ?」

「当たり前だろ! そんなの、言いがかりじゃないか!」

 

 諦めるな、まだ反論の目はあるはずだ。

 

「じゃ、じゃあ、そもそも、【体験エリア】に蒼神を連れて行ったのはどうなんだよ。蒼神の個室で殺したって良かったんじゃないのか? あそこまで行って蒼神を殺さなきゃいけない理由は何だったんだよ!」

「そんなの、さっきも言っただろォが。城咲や大天に、『自分は一人で【体験エリア】に向かった』って証言させるためだ。犯行現場が宿泊棟じゃ、そういう主張は出来ねェだろ。結局、犯行の全部がてめーのアリバイ工作に繋がってんだ」

 

 またしても火ノ宮に反論される。

 何を言っても、切り返される。

 

「違う! これは罠だ! 本当のクロが、俺をハメるために全部仕組んだんだよ!」

「じゃ、じゃあこれはどういうことなんだよ……!」

 

 その言葉とともに根岸が取り出したのは、例の睡眠薬の染み込んだハンカチだった。

 

「それが、露草を眠らせたハンカチであるか?」

「そ、そうだよ……」

 

 スヤスヤと眠っている露草を一瞥してから遠城はそう尋ね、根岸が肯定する。

 

「ひ、平並……! お、おまえのいた新家の個室のゴミ箱に、も、『モノモノスイミンヤク』の染み込んだハンカチが捨てられてたんだぞ! こ、これが、おまえがクロだっていう何よりの証拠なんじゃないのかよ!」

「それこそ、クロが俺に罪を着せるために捨てたに決まってるだろ! 本当に俺がクロだったら、そんなわかりやすいところに捨てるわけ無いじゃないか!」

「あ、敢えてそうしたんだろ……! そ、そうやって言い訳するために……!」

「『敢えて』なんか言い出したら、どうとでも言えるじゃないか! もっとちゃんとした根拠はないのかよ!」

「だ、だったら、そ、そっちこそクロじゃない証拠を出してみろよ……!」

「証拠って、そんなのいくらでも!」

 

 と、口にしかけて、反論はさっき散々したことを思い出した。そして、そのすべてを切り捨てられたことも。

 

「ほ、ほらみろ、い、言えないじゃないか……!」

「これは……そうじゃなくて!」

「う、うるさい! や、やっぱり、お、おまえが蒼神を殺した犯人だ――」

 

 

 

 

「いい加減にしろ」

 

 

 

 

 凛とした、冷徹な声が裁判場に轟いた。全員が口を閉ざし、ザザザという川音だけが耳に届く。

 

「……岩国?」

「黙って聞いていればうだうだと、お前達は本当に学級裁判をクリアする気があるのか? やけに息巻いているからクロを見つけたのかと思えば、ただただ自分の妄想を思いついたままに垂れ流すだけとはな。本当に頭が痛くなってくる」

「も、妄想ってなんだよ……! ちゃ、ちゃんと証拠から推理して……!」

「妄想だろ、化学者」

「な……!」

「なら、てめーは反論できるのかよ。平並はクロじゃねェって証明できんのか?」

「クロが誰なのか、お前達の話した内容が真実かどうか。俺はそんなことに文句を言ってるわけじゃない」

「じゃ、じゃあ何を……!」

「問題は、事件に対するお前達のスタンスにある」

 

 更に何かを言いかけた根岸の言葉をピシャリと遮って、岩国は冷然と語り始めた。

 

「確かに、化学者達の意見は一理ある。凡人には、前科も動機も十分に存在する。凡人は十分殺人を犯し得る人物だ。そして、多少の不備はあるが、化学者の述べた方法で凡人による生徒会長の殺害は可能だろう。呼び出し状の件もアリバイの件も概ね異論があるわけじゃない。

 だが、その方法が取られたという証拠はどこにもない。お前達は『凡人がクロである』と決めつけ、それが成り立つように証拠を強引に解釈しているだけに過ぎない。だから、妄想だと言ったんだ。そんな下らん思い込みに俺の命は預けられない」

「だ、だったらどうするんだよ……!」

「話し合うに決まってるだろ。4日前、一度目の学級裁判で俺達がやったようにだ。学級裁判は、個人的な感情を押し付ける場では決して無い。全員で議論を尽くして、事実を積み重ねる場だ」

「け、けど…………」

「僕からも、言わせてもらえるならば」

 

 岩国の言葉を聞いて、杉野が口を開く。

 

「主に、根岸君と火ノ宮君。君たちが平並くんに敵意を抱くお気持ちはわかります。ですが、結論ありきで話を進めてしまうのは、【超高校級の化学者】、そして【超高校級のクレーマー】である君たちらしくありませんよ」

「…………」

 

 そして、二人は完全に沈黙した。火ノ宮は、そっぽを向いて舌打ちをしながら頭をガシガシと掻いている。苛立ちを隠す気もないようだ。

 

「あら、一時撤退? んー、そうね。もっと色々推理を立ててみようかしら。せっかくの学級裁判なんだし!」

「東雲さん、静かにしてもらえますか」

「はいはい。そんな怖い顔しなくても黙るわよ」

「……しょ、証明すればいいだけだ」

 

 ポツリと、根岸がつぶやいた。

 

「こ、これからの議論で、お、お前がクロだって証明すればいいんだろ!」

「根岸……」

「……その心構えがダメだと言ったはずだが」

 

 岩国はそう口にしたが、更に言葉を続けることはなかった。これ以上言っても無駄だと思ったのか、それとも一応は根岸が議論をしようとしたことを良しとしたのか、ともあれ、ようやく議論ができる状況が整った。

 

「岩国、助かった」

 

 俺の右に立つ岩国にそう礼をこっそりと伝えると、彼女は大きなため息を1つついて俺をゴミを見るような目で睨んだ。

 

「なにか勘違いをしているようだが、俺は化学者どものやり方を否定しただけで、あいつらの推理を否定したわけじゃないからな。お前が一番の容疑者なのは間違いじゃないし、それに」

 

 そこで言葉を区切って、岩国は一段と声の温度を下げる。

 

「お前なんか、信じられないからな」

 

 鋭い目付きと尖った言葉が俺を突き刺す。それに怯んだ俺だったが、なんとか声を絞り出した。

 

「それでも、助かった。ありがとう」

「……フン」

 

 この言葉を聞いてくれただけで、今は十分だ。あの時の謝罪はまた今度にしよう。それをしているような時間は、なさそうだから。

 

「声優。進行は任せた」

「……わかりました」

 

 岩国がそう言葉を投げかけ、杉野が応えた。進行役は、彼しかいない。

 そして、そのまま杉野は静まった皆に向けて言葉を投げかける。

 

「それでは皆さん。議論を始めます」

 

 その真剣な澄んだ声で、ようやく二度目の学級裁判が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「先程の根岸君や平並君達の言い合いの中で気になる点も見られましたが、まずは基本事項を確認いたしましょう。見落としている事があっては議論になりませんからね」

 

 そう語る杉野に反応する声はない。

 

「蒼神さんが殺されたのは、12時前。厳密に時刻を定めることは出来ませんが、概ねその時間帯でよいでしょう。その時間に、蒼神さんは溺殺されました」

 

 杉野が『モノクマファイル』を見ながらスラスラと語っていく。

 

「そして、その際には『モノモノスイミンヤク』が使用されたと思われます。強力な睡眠薬ですね。睡眠導入剤というより、一定時間無理やり気絶させる、と言ったほうが良いでしょう」

「露草も、その『モノモノスイミンヤク』で眠らされたんだったよなァ?」

「あ、ああ……」

 

 すうすうと寝息を立てる露草に視線が集まった。

 

「だ、だいたい、そ、その『モノモノスイミンヤク』が染み込んだハンカチが、あ、新家の個室のゴミ箱にあったんだから、く、クロは決定的なんじゃないのかよ……」

「その検証は後で行いましょう」

 

 小さな声で愚痴のようにつぶやく根岸を杉野が諌めた。

 

「ねえ、それ以外の薬が使われた可能性は?」

 

 そんなツッコミを入れたのは、大天。

 

「化学室には沢山薬があったじゃん。そのことは考えなくてもいいの?」

「ああ、問題ないだろう。今回のクロは蒼神君を溺死させたわけだが、溺死の場合、呼吸困難になった時点で本人の意志とはかかわらず酸素を求め暴れるんだ。しかし、蒼神君の死体に暴れた跡はなく、服の濡れ方もそれを物語っていた」

「濡れ方?」

「体の前面だけが濡れ、後頭部や背面、足の部分は全く濡れていなかった。城咲君達から話を聞いて判断するに、濡れていたのは水に浸っていた部分だけだな。つまり、蒼神君は溺死させられた際に一切の抵抗をしなかったということになる」

「そ、そんなことができるのは、な、並の睡眠薬じゃ比にならないくらい強力な、も、『モノモノスイミンヤク』しかありえないんだよ……」

 

 あの『モノモノスイミンヤク』が効いているうちは、モノクマの持つ気付け薬がなければ目を覚ますことはない。俺があの薬を飲んだときも、一撃で意識を刈り取られるような、そんな強烈な印象があった。

 車椅子の上で眠る露草を見る。彼女の様子を見ても、その強さは分かるはずだ。

 

「なら、間違いなさそうだね」

「どちらにしても、蒼神さんの体には抵抗した跡も縛られた跡もありませんでした。襲われて尚その綺麗な状態を保ったというのなら、蒼神さんは『モノモノスイミンヤク』で眠らされたと考えて良いと思います」

「となると、クロは『モノモノスイミンヤク』を使えた人物、ということになるのであるよな?」

「……ああ、その通りだな」

 

 遠城の言葉に、苦しそうに明日川が肯定した。

 

「ほ、ほら! だ、だったら、く、クロは平並だろ! こ、コイツはぼくから『モノモノスイミンヤク』を受け取ったんだぞ……!」

 

 ここぞとばかりに、根岸が俺を指さしながら叫ぶ。

 

「だからアレは全部飲んだって言ってるだろ!」

「そ、その証拠はないだろ……!」

「あら? でも、それだったら根岸も十分な容疑者じゃない。薬は全部アンタが持ってたんでしょ?」

「そ、それは……ぼ、ぼくがクロだったら、そ、そんなわかりやすいことしないって……」

「『敢えて』、やった可能性があるじゃない」

「う……!」

 

 言い返せず、黙り込んだ。根岸はさっき俺に似たようなことを言った。反論するすべがなかったのだろう。

 

「東雲さん、そんないじわるな言い方しなくても……」

「別にそんな気は無いわよ、七原。実際、そういう可能性も検討すべきでしょ?」

「それはそうだけど」

「とにかく、薬は根岸さんがかんりしていたのですよね? そして、平並さんはじけんの前に『ものものすいみんやく』をうけとっていたと…。そう考えると、犯人は、お二人のどちらか、ということになるのでしょうか」

「そんなことはない」

 

 城咲の意見を一刀両断したのは、岩国だ。

 

「化学者による薬の管理は万全ではなかった。そうだよな、クレーマー」

「……あァ。根岸に管理を任せたのは、探索の翌日からだ。日中は根岸が化学室にいたようだから持ち出すのは無理だが、探索当日の夜なら持ち出すことができる」

「第一、探索を行う以前から化学室は開放されていた。その時点で持ち出した人物がいれば、そいつにも犯行は可能だ」

「ちょっと待て。もし、ネギシやヒラナミ以外がクロだったら、そのクロはモノクマの動機なんか関係なく犯行を企んでいたってことになるぞ」

「それがどうした? 1つ目の動機はなくなったわけじゃない。帰宅部の処刑を見ても尚、外に出たいという奴がいてもおかしくないだろう」

「それに、最初から殺す気だったとは限りません。もしものために手に入れておいて、そしてそのもしもの時が、来てしまったと考えることもできます」

「……てめー、クロをかばってんのかァ?」

「まさか。ですが、嫌でしょう。そんな、殺意にまみれた人間が僕達の中に潜んでいたなんて」

「だ、だから、平並がクロなんだって……」

「…………」

 

 もしも、根岸がクロでないのなら、今回のクロは用意周到に殺人計画を練っていた可能性がある。

 そんなやつが、いるのか……?

 

「ということは、容疑者は全員ってことになるのか?」

「あくまで薬の面からだけだがな」

「とにかく、蒼神さんは『モノモノスイミンヤク』を用いて殺されたということです」

 

 杉野がそう言って、話を戻す。

 

「睡眠薬を用いて殺されたこと、そして、蒼神さんの発見状況を考えれば、蒼神さんは、あのボートの水で溺死させられたと考えるのが自然でしょう」

「そうね。根拠もあるし」

「こ、根拠……?」

「ええ。物理室のロッカーに、使ったあとのあるバケツと濡れた雑巾があったのよ。勝手にボートに水が入ることなんかないし、犯人はバケツで意図的にボートに水を注いだことになるわ。となると、具体的な犯行が見えてくるわね」

 

 楽しそうに、推理を語る東雲。

 

「まず、蒼神を眠らせたクロは、蒼神をボートにうつ伏せの形で寝かせたのよ。そして、そこにバケツで川からすくった水をザバザバと注ぎ入れた。するとどうなるかしら? 蒼神の口や鼻は、水面下に沈むことになるわ」

「蒼神さんは『モノモノスイミンヤク』で眠らされ、呼吸しか行えない状況になっていました。その状態で顔を水で満たされれば、水を吸い込み、酸素を吸入できなくなり……そして、やがて、死亡することになります」

 

 東雲の推理を、杉野が補足する。

 

「……蒼神は、そんなあっけねェ方法で殺されたっていうのかよ」

「ええ、おそらくは。1つ、幸いに思うことがあるとすれば、蒼神さんは苦しまずに死ねたということだけでしょう。意識を失ったまま、その命を落としたのですから」

 

 沈痛な表情で、杉野が語る。前回、新家はガラスの破片で背中を刺されて殺された。その痛みは、推して測るべきだろう。それがなかっただけでも、良しとするしかない。

 今回のクロの犯行は、静かに、一瞬で、それでいて確実に蒼神の命を奪える方法だ。犯行時刻は12時前。あの時、クロがそんな単純な方法で、蒼神を殺していたのか。

 

「……ん、ちょっと待て」

 

 そう考えていた時、何か引っかかりを覚えた。

 

「どうしましたか、平並さん」

「なあ、今の話だと、クロは12時のちょっと前にバケツを使ったってことだよな?」

「そうね。蒼神が死んだのはそのあたりなわけだし」

「だったら、バケツが乾いてるのはおかしいだろ。あのバケツを調べた時、犯行時刻からそう時間は経っていなかった。多少濡れたり湿ってなきゃいけないはずだ」

 

 乾いてたの? と口にする七原。彼女も含めて、皆にバケツの状況を説明した。

 

「だったら、そのタイミングでバケツは使われていないんじゃないか?」

 

 そして、東雲達の論にそう異を唱えたが、

 

 

 

「ふっ、浅いわね。推理が浅すぎるわよ、平並」

 

 

 

 東雲はあっさりとそう答えた。

 

「さっきも言ったけど、ロッカーには濡れた雑巾があったじゃない。しっかりと濡れていた雑巾が」

「ああ、あったな」

「あの雑巾がどうして濡れたのかってことだけど、そこがクロの隠蔽工作を見破るカギなのよ」

「隠蔽工作?」

「ええ。()()()()()、バケツを」

 

 自信満々に、語る彼女。

 

「きっと、クロはバケツが完全には乾かない事を危惧したのよ。蒼神の死体が見つかって捜査が始まるのも時間の問題だからね。そこで、クロは雑巾で拭いてバケツを使ったとバレないようにしたってわけ。これなら雑巾が湿ってた理由付けにもなるわ」

「もしバケツを使ったまま放置すれば多少は水が残ってしまいますが、雑巾で拭いたのなら数分もあれば乾きます。東雲さんの推理どおりだと思いますよ」

「なるほどな……」

 

 二人の意見が腑に落ちる。確かに、雑巾の問題もあったか。それなら雑巾が濡れていた理由も説明が……いや、だが、だとしたらあんなに濡れてるものなのか? 確かあの雑巾は……。

 

「というわけで、バケツを使ってクロは蒼神を殺したのね。返り血もない、反撃される恐れもない、証拠隠滅も簡単。殺し方としては大分いい案だと思うわ」

 

 まあ、些細な問題か。考えていたことを脇へ置き、杉野の話を聞くことにした。

 

「さて、そうなると、やはり怪しいのは犯行時刻付近に【体験エリア】にいた人物ということになります。犯行を行い、あまつさえボートを川へ流していますからね」

「だ、だったら、ひ、平並が……」

「平並だけではない。城咲と大天も相応に怪しいであろう」

 

 未だ俺をクロと疑っている根岸の発言を途中で遮って、そう述べたのは遠城だった。

 

「話を聞くに、三者三様に【体験エリア】で一人きりの時間はあったのであろう?」

「……まあ、あったけどさ」

 

 そうつぶやく大天も、城咲も、そして俺も。短時間ではあったが、一人になった時間は確かにあった。

 

「さっきの方法なら、少しでも時間があれば犯行は可能のはず。だから、アンタ達の中に、クロがいるはずよ」

「そう言う東雲さん達はどうなの?」

 

 はっきりと考えを述べる彼女に、大天は負けじと切り返す。

 

「【体験エリア】で蒼神さんを溺死させた後は、隙を見て宿泊棟に戻ればいいだけじゃん」

「戻ればいい? その時間帯は【自然エリア】の展望台で城咲が見張ってただろォが。そうだったよな、城咲」

「はい」

 

 火ノ宮に問われ、城咲が肯定する。

 

「わたしは展望台についてからさしだし人がいらっしゃるのを待っていました。展望台からは、中央広場もみえますし、平並さんいがいはだれもとおりませんでした」

「いや、それでも隙はあったはずだよ。私が平並君を殺そうとしたのを城咲さんに邪魔された時、私達は三人とも製作場の中にいたんだから。その瞬間なら、誰にも見られずに宿泊棟まで戻れるんじゃないの?」

 

 一見筋が通ったような、喧嘩腰の大天の論。

 

「それは違うぞ」

 

 しかし、その論は撃ち抜ける。『見張り』は、もう一人いたんだ。

 

「俺の後を追って城咲が展望台を離れた時間帯、宿泊棟の前には七原がいたはずだ」

「七原さんが?」

「ああ、集会室にいた七原は、俺が宿泊棟を飛び出す音を聞いて宿泊棟の外に出たんだ。そうだったよな、七原?」

「うん。時間的にも間違い無いと思う。音が気になったから倉庫とか自然ゲートの方とか調べてたんだけど、誰も来なかったよ」

「……そ」

 

 七原の話を聞いて、大天は短くそう答えるだけだった。

 

「ついでに言えば、オレ達はてめーら三人と蒼神以外の全員が揃ってから宿泊棟を出てる。あの時間帯に【体験エリア】にいたのはてめーらだけだ」

「だから、やっぱりアンタ達しかいないのよ。蒼神を殺せたのはね」

 

 その、東雲の言葉が俺達三人へと突き刺さる。結局、推理はここにたどり着く。

 

 俺と、大天と、城咲。

 

 互いを疑う視線がぶつかり合う。

 

 さあ、糾弾すべきクロは、誰だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つ、確認したいことがある」

 

 容疑者の絞れたこの段階で、スコットが口を開く。

 なんとか早く俺の無実を証明したいが、これまでの俺の行動がそれを妨害している。それなら、今は真実の断片を明らかにしていくほうが先決だろう。そうすれば、自ずと無実も証明できるはずだ。

 

「はい、何でしょう」

「容疑者の三人に聞きたい。アオガミを発見する前……つまり、それぞれが製作場に入る前だ。その時は、アオガミが寝かされていたのボートには気が付かなかったのか?」

 

 製作場に入る前か……。その時の事を思い出してみる。

 

「俺は気が付かなかったな」

「私も何も……」

「わたしも、気が付きませんでしたね」

 

 三人とも、記憶をたどって同じ答えを返した。

 

「見逃した可能性は無いのか? 街灯があるとは言え、真夜中はかなり暗かったはずだが」

「……まあ、そうだな。俺は、あの時は一刻も早く工作室に行かないとと思ってたから、そもそも川のことなんか気にも止めなかったし」

 

 火ノ宮の案を聞いて俺はそう答えた。しかし、残る二人は。

 

「見逃してなんか無いよ。もちろん、一つ一つ見て回ったりちゃんと調べたりなんかしてないけど、呼び出した相手より先に【体験エリア】に来なきゃ行けなかったから、かなり警戒してた。少なくとも、川下にあんなボートは流されてなかったよ」

「わたしも、見逃したなんてありえません。いくらあのくうかんが暗く、平並さんをおっていた途中だとしても、あんなぼーとがあれば気づきます。平並さんを探すために周りも確認しましたし」

 

 はっきりと、ボートなど流されていなかったと主張した。

 

「シロサキが、それを言うのか……」

「少なくとも、城咲の証言は信頼できると思うぞ。製作場から出た時にボートに気づいたのは城咲だからな」

「…………シロサキ、本当に見てないのか?」

「……げんみつに言うのなら、かわの上流、あのぼーとがとまっていたはずのさんばし付近は、かくにんしておりません。ですから、そこに異常があったかのうせいは否定できません」

「まあ、ボートが泊まっていた実験棟前の桟橋は、平並が向かった製作場とは対極の位置にあるであるからな」

「ですが、かわの下流がわにぼーとは浮いてなどおりませんでした。これは確実にもうしあげられます」

 

 くどく、もう一度質問をするスコットは、返ってきた答えを聞いて苦い顔をした。

 

「ともかく、俺達は誰もボートを見てないんだ……え?」

 

 それに引っかかりを覚えながらもまとめた意見を口にして、その違和感に気づく。

 

「おかしい、ですよね」

「……あァ」

「おかしいって、何が?」

 

 他の皆も、次々に気づき始めたらしい。それを聞いて、大天がツッコんだ。

 

「本当に誰もボートを見てないのなら、ボートはアンタ達三人が制作場の中にいた時に流されたことになるわ。となると、クロはアンタ達以外ってことになるわね」

「……あ」

「おかしいじゃない。クロはアンタ達の中にいるはずなのに」

 

 そうだ。こんなことはありえない。

 

「【体験エリア】に向かったのは大天さん、平並君、城咲さんの順番です。もし、大天さんか平並君がクロだとすれば、最後にやってきた城咲さんは流されたボートを見ていなければおかしいのです」

「……そうだな」

「となると、クロは城咲ということになるのであるな」

「そんな……わたしはただ、ほんとうのことを……」

「シロサキがクロなわけ無いだろ!」

 

 うろたえる城咲を、スコットがそう叫んでかばった。

 

「クロじゃない? どうしてそんなことが言えるのよ」

「シロサキがクロなら、ボートは見ていないなんて、そんなことは言わないだろ。……考えにくいが、シロサキはボートを見逃したんだろう。いくら自分で完璧だと思っていても、どこか綻びはあるもんだ。たとえ城咲であってもな」

「しかし、わたしはほんとうに……!」

「シロサキ」

「っ……」

 

 再度自身の証言を主張しようとした城咲を、スコットが名前を呼んで止めた。城咲が、ボートは無かったと証言するほど、自身のクロを証明してしまうのだから。

 

「ま、確かにその可能性は無視できないわね。『敢えて』、城咲がボートなんか無かったって主張した可能性も加味して、結局この情報からクロはわからなそうね」

「……変なことを聞いて悪かったな」

「いえ、真相解明のために、ボートが流されたタイミングは検討する価値がある話題でしたから」

 

 スコットを慰めながら、話題を切り替える杉野。

 

「今度は、蒼神さんの行動について話をしましょうか」

「行動?」

「はい。すなわち、蒼神さんはいつ、どうして【体験エリア】に行ったのか、という問題です」

 

 杉野は、二本の指を立ててそう告げた。

 

「城咲さん。念のために確認したいのですが、食事スペースの見張りを終えたあとはお二人とも個室に戻られたのですよね?」

「はい。そのとおりです」

「となると、やはり蒼神さんは夜時間に【体験エリア】に向かったということになりますね」

 

 蒼神が、なぜそんな行動を取ったのか。その答えを、俺はもう知っているはずだ。

 

「だ、だから、ひ、平並が蒼神を騙して呼び出したんだって……」

「いや、違うんだよ。根岸」

「な、なんだよ……な、何が違うんだよ……!」

「蒼神は、呼び出し状で呼び出されたんだ」

「は、はあ……? お、おまえ話聞いてなかったのかよ……あ、あの呼び出し状は偽物なんだって……な、生首の正体なんかおまえ以外は知ってたんだよ……」

「違う。そっちじゃない」

 

 そう言いながら、俺は一枚の紙を皆に見せる。

 

「蒼神の個室にあった、もう一つの呼び出し状だ。きっと、蒼神はこれで呼び出されたんだ」

 

 

=============================

 

 蒼神さんへ。

 あなたに渡したいものがありますので、

 十時半にアトリエで待っています。

 

=============================

 

 

「10時半にアトリエ……確かに、呼び出し状(死を招く手紙)には違いなさそうだが」

「……それ、本物なのであるか?」

 

 訝しむ遠城の声。

 

「そ、そうだ! ひ、平並のでっちあげだろ……!」

「でっちあげなんかじゃない。蒼神の個室の机の上に置いてあったんだ。杉野と岩国が証人だ」

「ええ、決してでっちあげなんかではありませんよ」

「おい化学者。凡人の言うこと全てにケチを付けるのをいい加減やめろ。議論のテンポが悪い」

「……う、うう」

「あ、いや、吾輩が言ったのはそういうことではないのであるが」

 

 一連の話を聞いて、遠城は手を横に振って流れを否定した。

 

「先程、蒼神のポケットに入れられていた手紙は偽物という話があったであろう。こちらもクロの偽装という可能性を検討したいのであるが」

「……いや、それは無いはずだ。だって、クロは蒼神の個室には入っていないはずだから。そうだったよな、明日川」

「ああ」

 

 俺の呼びかけに、明日川は応える。

 

「蒼神君が指にはめていた『システム』だが、彼女自身のものは持ち出された痕跡がなかった。つまり、クロは蒼神君の個室へは侵入していないわけだ」

「この呼び出し状は、個室に入らないと絶対に置けない机の上に置かれていた。ってことは、蒼神がこれに目を通したのは間違いないってことだろ」

「……いや、しかしだ。そもそもの話、アオガミがこんな呼び出しに応えるのか? 前回の事件のことを忘れたわけじゃないだろ」

 

 眉間にシワを寄せ、そんな疑問をスコットは口にした。前回の事件。犯行現場である倉庫へ新家が向かったのは、呼び出し状が理由だった。

 

「オレだって信じたくねェが、呼び出し状を見て個室を出たやつがこんだけいるんだ。蒼神が呼び出し状に誘い出されたっておかしくねェ」

 

 個室を出た俺達を睨みつけながら、火ノ宮が答える。

 

「蒼神が殺された以上、アイツが個室の外に出たのは間違いねェんだ」

「だが、あのアオガミだぞ。こんな嘘くさい、ワナ同然の呼び出しに応えるものか?」

「……()()()()()()()、応えたのかもしれない」

 

 ぽつりと、俺はそんな声を漏らした。

 

「城咲と、同じだったんだ。殺意を持ったクラスメイトを、蒼神は放っておけなかったんだよ」

 

 同級生を殺して【卒業】しようと企んだ俺を、蒼神はそれでも救おうとした。新家と古池の死に、蒼神は強く心を痛めていた。

 そんな彼女が、殺意を抱いた誰かを無視することなんて出来なかったのだろう。それが、自分の死につながる可能性を孕んでいたとしても。

 

「蒼神は、救おうとしたんだ。殺意を抱いた、誰かを」

「それはどうかしら? 同じだったのは、()()()じゃなくて()()()だったんじゃないの?」

「……どういう意味だよ、東雲」

「蒼神は、自分を呼び出した相手を殺そうとしてアトリエに行ったかもしれないってことよ」

「そんなワケ無いだろ! 蒼神が、誰かを殺そうとなんかするはずがない!」

「どうしてそんなことが言えるのよ。そんなの蒼神本人しかわかりっこないじゃない」

「お前はこの一週間、蒼神の何を見てたんだよ! アイツが俺達を裏切るなんて……!」

「まあ、立派だったとは思うわよ。けど、蒼神だって完璧超人ってわけじゃないんだし、殺意を抱いたっておかしくないと思うけど」

「それは……」

 

 いや、でも。蒼神に限って、そんなことは。

 

「もしそうだとしても、良い人に違いは無いでしょうけどね。なんせ、【動機】になってるのが『見殺しにしたクラスメイト』なんだもの」

「……え?」

「……東雲さん、今なんとおっしゃいました?」

「だから『見殺しに……何、アンタ達、蒼神の【動機】見てないの?」

 

 ざわざわと、皆が小声で話し合っている。

 『見殺しにしたクラスメイト』だって? 蒼神に、そんな記憶が?

 

「お前は、見たのか……!?」

「当然でしょ。情報はできる限り集めたほうがいいに決まってるし」

「だからって、そんなプライバシーの侵害みたいなことしなくてもいいだろ!」

「ああ、そういうのはどうでもいいわ」

「どうでもいいって……!」

「とにかくアタシが言いたいのは、蒼神は失った二年の間にクラスメイトを見殺しにしてるってことよ。我が身可愛さに誰かを助けることを諦めた……蒼神は、そういう選択肢も取ることができる人間なの」

「だからって、俺達を裏切ることにはつながらないだろ」

「確かにつながらないわ。けど、『蒼神は絶対に【卒業】を企んだりしない』なんて言うことも出来ないはずよ」

「…………」

「念の為言うけど、さっきも言ったとおり蒼神が良い人なのは間違いないと思うわよ。そうじゃなきゃ、モノクマだって『見殺しにしたクラスメイト』のことなんて【動機】にしないはずだもの」

 

 ……確かに、そうだ。そんなものを思い出したいと思うのは、皆のことを想っている良い奴しかいないんだから。

 

「蒼神さんが、どのような想いでこの呼び出し状を読んだのかはわかりません。しかし、それに応え、個室を出たのは間違いないでしょう。この呼び出し状を無視して他に個室を出る用事は考えられません」

「だったら!」

 

 杉野が出したその結論を聞いて、思わず叫ぶ。これでようやく、1つの事実を証明できるのだから。

 

「俺は、無実だ!だって、個室に軟禁されていた俺には、蒼神を呼び出す呼び出し状なんか出せるわけないんだから! そうだよな、根岸?」

「う、うう……い、いや、まず部屋に来るように約束して、そのあと部屋に手紙を……あ、いや、て、手紙を直接渡して……ああ、い、意味ないか……う、うう……」

 

 悔しそうに、ぶつぶつと呟く根岸。彼の中で、様々な推理が渦巻き、自分でその荒唐無稽さを否定する。そして、ついに彼は黙り込んだ。

 

「……根岸。何度でも謝る。この前は、本当にすまなかった」

 

 そんな彼に、俺は頭を下げた。

 

「俺を嫌っても構わない。俺を恨んでも構わない。……だが、俺は、蒼神を殺してないんだ。これだけは、信じてくれ」

「…………」

「『信じてくれ』も何も。ここまで証拠が揃えば認めねェわけにはいかねェだろうが」

 

 何も答えない根岸の代わりに、返ってきた言葉があった。

 

「……クロだと決めつけて、悪かった」

「火ノ宮……」

 

 しんみりと、そう告げながら彼は俺に頭を下げた。

 

「だったら、あの、生首の方の呼び出し状はどうなるの?」

 

 そんな疑問を出したのは大天。

 

「生首の事に触れてたから、偽装工作であんな呼び出し状を書くのは平並君しかいない。だって、他の人だったら呼び出す名目としておかしすぎるから。そういう話だったじゃん」

「……おそらく、あれは平並君に罪を着せるための偽装だったのでしょう。『平並君にしか書けない偽装の手紙』という偽装……根岸君が見つけた、睡眠薬の染み込んだハンカチもおそらくは、同じく冤罪のために置かれたもののはずです」

「う……うう……」

 

 そしてまさしく、そのクロの思惑はハマっていた。ついさっきまで、この裁判場が俺をクロとする空気に染まっていたのだから。

 

「さて、平並さんが無実となると、クロは城咲さんと大天さんのどちらか、ということになりますね」

「……私じゃないよ」

「わたしでもありません!」

「ま、二人共そう言うわよね」

 

 残る容疑者は二人。

 

「んー、でも、アタシは城咲の方が怪しいと思うわ。だって、大天は平並を本気で殺しかけてたんでしょ?」

 

 パズルを解くかのように、ためらいもなく俺に尋ねる東雲。

 

「あ、ああ」

 

 あの時、確かに俺は殺されかけた。首に手を当てる。ロープの跡はもう消えていた。

 

「だとしたら、大天が蒼神を殺したとは考えにくいわ。だって、そうだとしたら平並を殺す理由がないもの」

「そうですね。【卒業】するためには、一人殺せば十分のはずですから。二人以上に手をかけるのは、リスクしか発生しません」

「いや、そうとは限らないだろう」

 

 東雲や杉野の意見に異を唱えたのは、明日川だった。

 

「なぜなら、平並君は殺されて(退場させられて)いないからだ」

「ちょっと待てよ、明日川。それは、間一髪で城咲が駆けつけてくれたからなんとか助かったってだけだろ。城咲がいなきゃ、俺は確実に殺されていた」

「ではキミに尋ねよう。なぜ城咲君は製作場に駆けつける事ができた?」

「そんなの、展望台にいたからだろ。展望台にいたから、【体験エリア】に向かう俺を見つけられたんだ」

「ああ、そうだ。何者かによって、城咲君は展望台に呼び出された。そういう経緯(シナリオ)だった」

「……そォか」

 

 なにかに思い至った様子の火ノ宮。

 

「城咲が、大天に殺されかけている平並を助けること……それも、クロの思惑通りだったかもしれねェってことか」

「そんな……」

 

 俺の命が消えかけ、必死に生を取り戻したあの瞬間が、クロの描いた脚本通りだったと言うのか。まさか、そんなバカな。

 

「つまり、殺人未遂の汚名をかぶることで、オオゾラはアオガミを殺したクロ候補からはずれようと企んだ可能性があるってことか」

「そういうことさ、スコット君。もちろん、これは二通りの解釈(読み方)ができる。一つは、今キミが述べたように『大天君は平並君を殺しかけたのだから蒼神君を殺した後ではない』という物語。そしてもう一つは、『城咲君は平並君を救ったのだから蒼神君を殺すはずがない』という物語だ」

「じゃ、じゃあ、ど、どっちが無実とも言えるじゃないか……!」

「ああ、そうだ。片方は本心から行った行為(真実の物語)、そして、もう片方はクロを躱すための行為(虚構の物語)ということになる。

 だからこそ話し合う必要がある。ボク達に届けられた、呼び出し状(偽りの手紙)の、その真の物語を」

 

 明日川は自分宛ての手紙を掲げながら、そう告げた。

 

 学級裁判は、まだ始まったばかりだ。

 

 




どんな暗闇でも、前にさえ進めばいつか光は見えるはず。
推理はまだTwitterとかで受け付けてます。


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非日常編⑤ 疑わしきを信じよ

 疑心と謀略で幕を開けた学級裁判は、少しずつではあったものの今夜起きた事件を明らかにしていった。

 

 学級裁判の開始が宣言された時、クロの策略によって、皆は俺をクロだと糾弾した。蒼神が所持していた生物室の生首に関する呼び出し状は、俺に罪をなすりつけるための偽装工作だったのだ。その呼び出し状を受けて皆は俺をクロだと断じたが、岩国や杉野、七原のお陰でその流れを脱し、ようやく学級裁判が本当の意味で始まった。

 議論の結果、まず判明したのは蒼神の殺害方法だった。モノモノスイミンヤクで蒼神の意識を奪いボートに寝かせ、そこにバケツで水を注いで蒼神を溺死させたのだ。それにより容疑者は、12時前後に【体験エリア】にいた俺、大天、城咲の三人に絞られた。

 しかし、その後、蒼神は10時半に別の呼び出し状でアトリエに呼び出されていた事が判明した。軟禁されていた俺に蒼神に呼び出し状を出すことは出来ず、俺の無実が証明されたのだった。

 

 残る容疑者は、大天と城咲の二人。

 大天は、『俺を殺そうとしたからこそ』蒼神を殺していないのか。

 城咲は、『俺を救ってくれたからこそ』蒼神を殺していないのか。

 

 その真実は、誰も知らない。蒼神を殺した、クロ以外は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日川の、呼び出し状の真の意図を話し合う必要があるという台詞を受けて、ひとまず呼び出し状の出されている状況をまとめることになった。

 それぞれが自身に宛てられた呼び出し状を見せあう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「つまり、僕とスコット君、岩国さんの三人以外は、蒼神さんも含めて全員が呼び出し状を受けとっているということになりますね」

「どうして、くろはこれほどのよびだし状をだしたのでしょうか」

「数を出すことに意味があったのか、それとも特定の人物への呼び出し状をごまかすための偽装工作(ミスリード)か……そのどちらかだと思うが」

「少々思ったのであるが」

 

 遠城が、手を上げて発言権を求める。

 

「何でしょうか?」

「先程から、呼び出し状を出したのはすべてクロだという前提で話が進んでおるが、それを疑うべきでは無いのか?」

「この呼び出し状が事件と無関係だって言いてェのか?」

「そうではない。中にはクロが出したものもあろう。しかしだ、見てみよ」

 

 そう言って、遠城は自分のものと隣にいた大天のものを近づけた。

 

「吾輩宛の呼び出し状は倉庫にあったルーズリーフに書かれておるが、大天宛の呼び出し状はノートを切ったものであるぞ」

「あ、ルーズリーフの出処が気になってたが、倉庫だったか」

「む? うむ。以前調べた時に見たことがあるのでな。ノートもルーズリーフも倉庫にあったものである。が、吾輩が話したいのはそこではない。差出人が違うのではないか、という話である」

「た、確かに、ひ、筆跡も違うように見えるけど……」

「そうであろう?」

「皆、ちょっと見せてもらってもいいかしら?」

 

 東雲の声で、互いに呼び出し状を回しあった。何箇所かで、手紙を複数枚見比べている。俺も、右隣の岩国のもとに数枚集まっていたのでそれを見る。

 

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 平並君へ

 

 

 

  緊急事態です。製作場の工作室で待っています。

 

 

 

                     蒼神紫苑

 

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 破り取ったメモ用紙に、丁寧な字。

 

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 蒼神へ

 

  生物室の生首が誰か分かった。きっと黒幕につながるヒントになる。

  12時に生物室で話す。皆で脱出しよう。

 

                     明日川より

 

=============================

 

 メモ用紙に、丁寧な字。

 

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 七原さんへ

 

  日中、蒼神さんの様子に気になることがありました。

  話したいので、集会室に0時に待ち合わせしましょう。

 

                     城咲かなたより

 

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 メモ用紙に、小さな字。

 

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 城咲さんへ

 

  助けてください。

  12時に展望台で会いましょう。

 

                     蒼神

 

=============================

 

 メモ用紙に、角ばった字。

 

 岩国の手元にあったのはどれもメモ用紙に書かれたものだが、その筆跡は様々だ。

 

「そもそもが複数人を騙って出された手紙であるが、こうも筆跡がバラけるようでは、呼び出し状を出した人物自体が複数人いると考えるべきなのではないか?」

「確かに、メモ帳、ルーズリーフ、ノート……書かれている紙も色々ありますね」

「だが、クロ以外が手紙を出して何になるって言うんだァ? 何もおこりゃしねェだろ」

「蒼神を殺したクロだけじゃなくて他にも【卒業】を企んだ人がいるんじゃない? それを、何かの理由で諦めたとか」

「なにかのりゆうとは?」

「さあ? 予定外の出来事があったのかもしれないし、それこそ城咲が展望台にいたことが邪魔だったかもしれないわ」

 

 議論が進む。

 確かに遠城の言う通り、ここまでバラバラなのだとしたら差出人はひとりじゃないと考えるべきなのかもしれない。呼び出す場所もバラけているし、時間は12時付近に偏っているが日付の変わる時間は思いつきやすいから重なっても不思議じゃない。何か手紙に共通点があるわけでも……。

 

「……ん?」

 

 手紙を見比べていて、ふとあることに気がついた。これも、これも、これもそうだ。いや、こんなの偶然か……?

 

「東雲、それもちょっと見せてくれ」

「別にいいけど」

 

 少し離れた東雲に声をかけ、数枚の手紙を受け取る。

 

 

=============================

 

 東雲へ

 

  アトリエに変な物が落ちてた。

  見てほしいから、皆が寝た1時に東雲の部屋に持っていく。

 

                     根岸章

 

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 大天さんへ

 

  大天さんに相談したいことがあります。

  0時丁度に工作室に来てください。

 

                     七原

 

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 火ノ宮君へ

 

  コロシアイを終わらせるため、相談したいことがあります。

  11:30に集会室で話しましょう。

 

                     蒼神紫苑

 

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 明日川へ

 

  記憶のヒントに気になるものがありました。

  相談したいので、0時に製作場まで来て欲しいです。

 

                     蒼神より

 

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 これも……これも、これも! 全部そうだ!

 

「これを書いたのは、一人だ!」

 

 呼び出し状のとある部分を次々とチェックして、最後に俺はそう結論を出した。

 

「……その根拠は何でしょうか?」

「ほら、呼び出し状のここを見てくれ」

 

 その言葉とともに、俺は手紙の書き出しの部分を指さした。

 

「宛て名であるか?」

「それと、本文の先頭だ」

 

 手紙を皆に回しながら、判断の根拠を説明する。

 

「どれもこれも、全部本文が宛て名の一字下げなんだよ。ご丁寧に、差出人の名前の位置もおんなじだ」

「……あっ」

 

 

=============================

 

 七原さんへ

 

  日中、蒼神さんの様子に気になることがありました。

  話したいので、集会室に0時に待ち合わせしましょう。

 

                     城咲かなたより

 

=============================

=============================

 

 東雲へ

 

  アトリエに変な物が落ちてた。

  見てほしいから、皆が寝た1時に東雲の部屋に持っていく。

 

                     根岸章

 

=============================

 

 

「本当ね……」

「確かに一字下げは文章を書く時のルールだ。だが、そこだけじゃない。手紙のフォーマット全体が全部一緒なんだ」

「言われてみれば、確かにその通りだな。他にも……宛て名や差出人に句点をつけていないこと、それらと本文との間を開けていることもすべて一致している」

 

 俺の言葉を聞いて、明日川が更に共通点を見つける。

 

「ああ、もし本当に何人もが呼び出し状を書いたんだとしたら、ここまで書き方が一致するものか?」

「ということは、紙や筆跡がいくつもあるのはクロの偽装工作であった、ということであるか……?」

「そうだと思う、遠城。実際、呼び出した理由や差出人の名前は色んなパターンで書いてあるしな。だが、その内容に気を取られて、手紙のフォーマットにまで気を配るのを忘れたんだ」

 

 一人で10枚近くも手紙を書いて、筆跡や内容に気をつけながら別人が書いたように見せる。……それができる人物は果たしてどれほどいるのだろう。この【超高校級】ばかりが集まる空間といえども、そう簡単なことではなかったはずだ。

 

「それに、こうして見比べれば、筆跡や紙の共通点がバラバラすぎる。『複数人が一度に手紙を出した』なんて風には思えない」

「つまり、クロはすべて計算ずくでこの呼び出し状を書いた、ということになりますか」

「ああそうだ。呼び出す場所、呼び出す時間、そして呼び出す相手。すべてをクロは想定して呼び出し状を皆に出したんだ。もちろん、蒼神にも」

 

 そう言って、例の蒼神宛の本当の呼び出し状を皆に見せる。蒼神が呼び出された10時半から、1時間以上も遅れて俺達が呼び出されたこと。そこには大きな意味があるはずだ。

 

「……ん?」

「あれ?」

 

 そんな事を俺は考えていたが、その思考は皆のざわめきによって中断させられた。

 なんだ?

 

「平並君、それ……」

 

 七原が、俺の手を……正確には手に持っていた蒼神宛の、本当の呼び出し状を指さす。一体何が、と思ってそれを見る。

 

 

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 蒼神さんへ。

 あなたに渡したいものがありますので、

 十時半にアトリエで待っています。

 

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「……え?」

 

 

 おかしい。おかしいぞ、これ!

 

「本文が、一字下げになってないじゃないか!」

「それだけじゃない。宛て名に、句点がついてる」

「……宛て名と本文も離れてねェな」

 

 俺に続いて、スコットと火ノ宮が他の呼び出し状との相違点が指摘する。

 

「ど、どういうことだよ……ぜ、ぜんぶクロが書いたんじゃないのかよ……!」

「俺に聞かれても……」

「お、おまえが言ったんだろ……!」

 

 そう言われても、わからないものはわからない。なんで、よりによって、肝心要のこれだけが……。

 

「平並君」

 

 戸惑う俺に、声がかかる。優しい、七原の声だった。

 

「落ち着いて考えてみて。平並君なら、きっと謎が解けるはずだから」

「俺なら……いや、何言ってる、俺なんかじゃ……」

「……そんな事言わないでさ」

「そうか」

 

 俺に何かを言いかけた七原の言葉を遮って、スコットが呟いた。

 

「簡単なことだ。クロが書いたのは、そのアオガミ宛の呼び出し状だけだったってことだ」

「クロが書いたのは、あれだけ……?」

「そうだ」

 

 疑問符を浮かべる大天に、スコットがそう答えながらうなずく。

 

「こうして比べれば、アオガミ宛の呼び出し状だけが別人によって書かれたものなのは一目瞭然だ。そして、それ以外の手紙を書いたのはすべて同一人物ということになる」

「それは、まあわかるけど」

「なら、アオガミを10時半に呼び出したその手紙を出したのが、アオガミを殺したクロに決まってる」

「じゃ、じゃあ……ぼ、ぼくたちに呼び出し状を出したのは、い、一体誰なんだよ……!」

 

 震えた声で、根岸が叫ぶ。

 

「愉快犯、ということになるのでしょうか」

「……ゆかいはん、ですか?」

「はい。出したのがクロでないのなら、出された呼び出し状には【卒業】以外の意図があったということになります」

 

 愉快犯……その言葉を聞いて、思い浮かぶ人物が一人だけいる。この裁判場に来る直前、七原と交わした会話に出てきた、あの人物。

 

 【言霊遣いの魔女】なら、あるいは。

 

「…………」

 

 だが。

 

「ねえ、愉快犯だったら」

「七原」

 

 何かを喋りかけた七原を、俺は名前を呼んで止めた。

 

「え?」

 

 彼女が、困惑しながらこちらを向く。その顔を見ながら、俺は静かに首を横に振った。

 

 【言霊遣いの魔女】がこの中にいるなんて、そんなことをここで言う訳にはいかない。その内容は皆に衝撃と動揺を与えてしまうだろうし、それに……。

 

 ちらりと、ばれないように大天を見る。

 彼女は、【言霊遣いの魔女】へ復讐するために生きていると語った。事実、そのために【卒業】を企み俺を殺そうとした。……そんな彼女が、この中に【魔女】がいると知ってしまったら。どんな行動を取るか、想像もつかない。

 【魔女】をかばうわけじゃない。しかし、彼女の【魔女】への殺意を暴走させるわけにはいかない。

 

 そういう理由で、俺は【言霊遣いの魔女】の話はしないでほしいと思ったのだ。ただ、それを口に出して説明するわけにもいかず、俺は七原の目を見てそれを訴えた。

 

「…………」

 

 すると彼女は、小さく、コクリとうなずいた。どれほど俺の思いが伝わったのかは知る由もないが、彼女は俺の意図を感じ取ってくれたらしい。

 それでいい。少なくとも、必要に迫られない限りは、【魔女】のことは黙っておくべきだ。

 

「七原さん、今何か言いかけませんでしたか?」

 

 口をつぐんだ彼女に、杉野から追及が入る。

 

「あ、えっと……もしも、愉快犯が呼び出し状を書いたんだったら、名乗り出てほしいって思ったんだけど……」

「だ、そうですが。愉快犯さん、いかがですか?」

 

 彼の呼びかけに、返ってくる声はない。

 

「ま、だろォな。大量に呼び出し状を書くくらい意地の悪いヤツなんだ。素直に名乗り出るワケがねェ」

「そうだよね……」

 

 と、残念そうに撤退する七原。うまく皆をごまかせたようだ。

 

「ゆ、愉快犯なら、ひ、一人、こ、心あたりがあるだろ……!」

 

 今度は、根岸が口を開く。

 

「あら、誰かしら?」

「だ、誰かしらじゃない……! お、おまえのことだよ、し、東雲ぇ……!」

 

 そんな叫び声と共に、彼はビシリと人差し指を突きつける。

 

「アタシ?」

「そ、そうだよ……! こ、こんな事するの、お、おまえ以外にありえないだろ……!」

「どうしてよ。根拠もなしに人を疑うのは良くないわ」

「こ、根拠ならあるだろ……! お、おまえ以外に愉快犯がいてたまるか……!」

「根拠になってないわよ、それ」

 

 興奮する根岸の言葉を、さほど気にする様子もなく躱していく東雲。根岸の弁に理論が伴っていないのは確かなのだが。見ていられず、根岸に助け舟を出す。

 

「だが、お前だったらやりかねないのも事実だろ。学級裁判どころか事件そのものをお前は楽しんでるし、前回は事件が難しくなるように動いたよな」

「それは否定しないけどね」

「ど、どうせ、て、適当に手紙を出しとけば、か、勝手に疑心暗鬼になって事件でも起きるだろうって、そ、そういう意図があったんじゃないのか……?」

「……ハァ、あのねえ」

 

 根岸の言葉を聞いて、東雲はため息をつく。

 

「アタシだったら、もっとうまくやるわ」

「は?」

 

 自信満々に呟いたその言葉をきいて、思わずそんな声が漏れてしまった。

 

「う、うまくやるって……」

「アタシだったら、こんな出し方はしないってことよ。ちょっと貸して」

 

 そう言いながら、東雲は何通かの手紙を手元に集めた。

 

「呼び出す場所と時間が一致してるのは、12時に製作場に呼び出された大天と明日川だけ……まあ、一応平並もだけど。でも、城咲と同時刻に展望台に呼び出されたヤツはいないし、これじゃ何か起こりようにも確率が低すぎるわ」

「遠城君と露草君は? どちらも12時(日付の変わる瞬間)に杉野君の個室(舞台)に呼び出されたはずだが」

「そんなところで何が起こるって言うのよ。この点で言えば、集会室に呼び出された七原もそうね。製作場や展望台とか、前回事件が起きた倉庫ならともかく、いつ誰が個室から出てくるかもわからない宿泊棟の中じゃ人の目が怖すぎるもの」

「……確かに、東雲さんの言うとおりですね」

 

 淡々と情報を羅列する東雲だが、その論理は馬鹿にできない。東雲がやったかはさておき、そもそも『愉快犯』の行動としては疑問の余地がある。

 

「大体、アタシに言わせれば人選も意味不明ね。クソ真面目な火ノ宮は約束を破ることなんかしないでしょうし、前回平並に狙われた根岸も呼び出しに応えたりなんかしないでしょ」

 

 東雲が、手元の呼び出し状を一枚一枚目を通しながらケチをつけていく。

 

「ま、まあ……じ、実際行かなかったし……」

「確かに、スコット君や杉野君のように始めから出さなくても問題はなかったはずだな」

「そうよ。他にも文句のつけようは」

 

 と、呼び出し状の束を見ていた東雲の動きが止まった。

 

「…………」

「東雲?」

「……ねえ、確か、こっちの、皆への呼び出し状を書いたのはクロじゃなかった……そういう話だったわよね?」

「ええ、その通りですが」

「じゃあ、これって……どういうことかしら?」

 

 珍しく戸惑いを見せた東雲が束から引き抜いたのは、二通の呼び出し状。

 

 

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 蒼神へ

 

  生物室の生首が誰か分かった。きっと黒幕につながるヒントになる。

  12時に生物室で話す。皆で脱出しよう。

 

                     明日川より

 

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 平並君へ

 

 

 

  緊急事態です。製作場の工作室で待っています。

 

 

 

                     蒼神紫苑

 

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 蒼神のポケットに入れられていた偽の呼び出し状。

 そして、俺の個室の前に置かれていた俺宛の呼び出し状だった。

 

 ……え? ……あ!

 

「いや、おかしい! これはクロじゃないと書けないぞ!」

 

 その違和感に気づき、思わず叫んだ。

 

「そう、よね!?」

「ちょっと待ってくれ、一旦話を復習する(読み返す)ぞ。その、蒼神君宛の12時の呼び出し状は、平並君にクロをなすりつけるための罠だったはずだ」

「ええ。それに、平並君宛の呼び出し状は、新家君の『システム』を奪い個室のカギを開けなければ意味をなしません」

「ど、どっちも、く、クロが書いた呼び出し状ってことになるよな……!」

 

 それぞれの手紙を検証する明日川達の話を聞いて、戸惑う根岸の声。

 

「待って、それこそ愉快犯の仕業ってことはないの? 例えば、蒼神さんのポケットに捜査中に呼び出し状を入れたとか」

「ありえねェな、大天。そんなヤツがいたらオレらが見つけてる。検死のために何人か立ち会ってもらったし、そんなチャンスはねェ」

機会(チャンス)があるとすれば、城咲君たちが蒼神君をボートから下ろし、心臓マッサージをしているタイミング(ページ)だが」

「それはない。蒼神から目なんて離してないんだから」

 

 それだけは、強く断言できる。どれだけ動揺していても、城咲や大天がポケットに呼び出し状を入れていれば気づく。

 

「ヒラナミの方はどうだ。偶然、ヒラナミのいたアラヤの個室のカギが開いてることに気づいた愉快犯がヒラナミに呼び出し状を出した、とか」

「……いえ、先程も申した通り、今回のクロは偽の呼び出し状を利用して平並君にクロをなすりつけようとしています。そうなると、蒼神さんの死亡時刻に平並君を製作場に呼び出したことも、クロの策略のうちと考えるのが自然です」

「では、こちらもくろがかいたよびだし状、ということになるのでしょうか……」

 

 混乱した、城咲の声。

 

「ああ、犯行時刻に合わせて俺を製作場に呼び出してるからな。これを書いたのはクロだと考えるべきだ」

「一体、どういうことなの……?」

 

 混沌とした裁判場にぽつんと流れる、悲痛な七原の呟き。

 

 呼び出し状を出した人物は、二人いる。蒼神を呼び出した人物と、皆に呼び出し状をばらまいた人物。手紙の書き方から見てそれは間違いない。

 そして、愉快犯が書いたはずの呼び出し状の中で、確実にクロが書いたと言える呼び出し状が二通。

 これが、意味するものは。

 

「…………そうか」

 

 そして、たった一つの結論にたどり着いた。

 

 

「『逆』だったんだ。クロが書いたのは、蒼神を呼び出した10時半の呼び出し状じゃない……()()()()()、皆に出した大量の呼び出し状の方だったんだよ!」

 

 

 そうとしか、考えられない。

 

「ちょ、ちょっと待てよ……!」

 

 俺の出した結論に、根岸が異を唱える。

 

「じゃ、じゃあ、あ、蒼神を呼び出したのは、く、クロじゃないって言いたいのかよ……!」

「……考えにくいが、そういうことになる。きっと、そっちの方が愉快犯だったんだ――」

 

 

 

 

「ちらかった推理は、わたしがきれいにいたしましょう!」

 

 

 

 

 俺の言葉が届くやいなや、城咲が強く俺にそう叫んだ。

 

「はんろんいたします、平並さん」

 

 冷静沈着に、彼女はそう告げる。

 

「たしかに、平並さんや蒼神さんあてのよびだし状はくろが書いたと考えるのがしぜんのようにおもえます。よびだし状を書いたかたが二名いらっしゃることも異論はありません。しかし、やはり、そちらは『ゆかいはん』が書いたと考えるしかないとおもうのです」

「どうして? クロにしか書けない理由はさっき議論したよな」

「なぜなら、蒼神さんをよびだす10時半のよびだし状こそ、くろにしか書けないものだからです」

 

 彼女の中に既に理論が立っているのだろう。よどみなく、彼女は語る。

 

「クロにしか書けない……本当にそうか? アトリエに呼び出す手紙なんか、誰にだって書けるんじゃないのか? 内容だって、何か書き手を特定するものがあるわけじゃない」

「はい、平並さんのおっしゃるとおり、よびだし状を書くことだけならくろでなくてもできるでしょう」

「だったら」

「しかし、蒼神さんはこのよびだしによって殺されているのです。このじじつは、蒼神さんをあとりえによびだした人物がくろであることの、なによりの証拠ではありませんか!」

 

 

「それは違うぞ!」

 

 

 城咲の反論を、撃ち砕く。

 

「……どうしてでしょう? 蒼神さんをあとりえによびだした人物でなければ、蒼神さんを殺すことなどふかのうではありませんか?」

「そんなことはない。蒼神を呼び出した人物でなくても、蒼神を殺してしまう状況は存在する」

「一体、どのような?」

「愉快犯が呼び出したのは、蒼神だけじゃなかったんだよ。()()()、呼び出したんだ」

「……っ!」

 

 声にならない、驚きをあげる。

 

「つまり、キミはこう言いたいのかい? クロも10時半に呼び出され、そこで同時に呼び出された蒼神君を殺害したと」

「ああ、そうだ」

「しかし、そんなことが……?」

「ありえないなんてことはない。だって、一度起こってるんだから」

「……あ」

 

 俺の言葉に、大天が反応した。

 

「それって、私達のこと?」

「ああ。互いの言葉を信じるなら、という前提は必要だが、俺も大天も製作場に呼び出された。そして、互いに互いを差出人だと誤解して、大天は俺を殺そうとした」

「…………」

「もちろん、蒼神やクロが何を考えてアトリエに向かったかはわからない。だが、その結果殺人が起きたことは、現実として有り得る話なんだ」

 

 そんな俺の話を吟味して、城咲はなにかに納得した様子を見せた。

 

「……平並さん、変なことをいってもうしわけありませんでした」

「謝らないでくれ。別に変なことでもないしな」

「しかし、本当にそんな出来事(物語)があったのだろうか」

 

 そうつぶやくのは明日川。

 

「物語が存在しうる可能性は理解した。しかし、できることなら根拠が欲しい」

「根拠なら……挙げられるかもしれねェ」

「ひ、火ノ宮……?」

「一つ引っかかってたことがあった。どォして、クロは10時半の呼び出し状をほったらかしにしたのかだ」

 

 証言台のふちを両手でつかみ、力強く火ノ宮は語る。

 

「平並にクロをなすりつけようとしたのなら、あの10時半の呼び出し状はクロにとって邪魔でしか無かったはずだ」

「確かに、そのせいで平並は無実って話になったんだしね」

「それなのに、クロはあの呼び出し状を放置した……この事が気になってたが、クロは呼び出し状を放置したんじゃねェ。呼び出し状には気づかなかったんだ」

「きっと、クロは蒼神さんも呼び出し状をもらってるなんて思わなかったんだね」

「……そういうことだろうな」

 

 火ノ宮の意見で、仮説がより強固なものになる。七原の意見にも賛同し、意見を総括する。

 

「じゃ、じゃあ、ひ、平並が無実ってのも変わってくるぞ……!」

 

 そんな中、根岸が唐突に叫ぶ。

 

「あ、あの10時半の呼び出し状を出せないから、ひ、平並はクロじゃないって話だったよな……! け、けど、そ、その呼び出し状は愉快犯が出したものだったじゃないか……!」

「だが、愉快犯は蒼神と一緒にクロも呼び出したはずだろ。俺の個室のカギは蒼神が持っていた。蒼神と俺を同時に呼び出すのは無理だ」

「そ、それは分かってる……ほ、他の可能性があるんだよ……」

 

 他の可能性?

 

「ゆ、愉快犯は、あ、蒼神を呼び出した時に蒼神を眠らせたんだ……そ、そして新家の『システム』でカギを開けて、ひ、平並を誘い出して眠らせた蒼神を見つけさせたんだよ……」

「見つけさせた?」

「そ、そう……そ、そして、ひ、平並はそれを見て、こ、今回の犯行を思いついたんだ……だ、だってそうだろ……? じ、自分は自由に動けて周りの皆は部屋にこもっている……こ、こんな都合がいい状況を見逃すはずがないんじゃないのか……?」

 

 

「そんな穴しかねェ推理、捨てちまえ」

 

 

 根岸の絞り出した推理を、その声で火ノ宮がバッサリと切り捨てた。

 

「確かに、てめーの言う通りもしそんな状況だったら、平並にとってはかなり都合がいい。逃さない手はねェだろォな」

「だ、だったら……!」

「けどよォ、蒼神の体に拘束された跡は無かっただろ。蒼神が眠らされた時間と犯行までに時間が開いてたんだから、クロはその間は睡眠薬が効くことを知ってたってことになる」

「……う」

「もし、クロが眠らされた蒼神を発見し犯行に及んだんだとしたら、縛りもしねェのはありえねェ。だから、蒼神を眠らせたのはクロで間違いねェ。愉快犯が蒼神とクロを同時にアトリエに呼び出したのも揺るがねェだろォな」

「…………」

 

 そんな火ノ宮の推理を聞いて、

 

「……ひ、平並は……ほ、本当にクロじゃない……のか……?」

 

 根岸は声を震わせながらそう呟いた。

 

「……ああ」

 

 彼からしたら、認めたくないだろう。クロがいるなら、平並凡一しかありえないだろう。

 けれども、俺はクロではないのだ。

 

「…………」

「話を戻します」

 

 根岸の返事を待たずに、杉野が喋りだす。

 

「クロは、蒼神さんと同じ時刻にアトリエに呼び出されました。そして、蒼神さんを差出人と思い込み、返り討ちの形で蒼神さんを殺害することに決めたのです。

 そして、平並君をクロに仕立て上げる作戦を思いつき、蒼神さんへの偽の呼び出し状や皆さんへの呼び出し状を書いたのでしょう」

「つまり、ボク達に出されたあの手紙は、全て犯人(クロ)計画(プロット)のうち、という話になるね」

「全て……」

「ああ。ボク達にばらまいた手紙も、蒼神君に持たせた偽の手紙も、平並君を製作場へと誘った置き手紙も。その全てを(全ページを)クロが操っていたんだ(綴っていたんだ)

 

 この夜、何通も出された呼び出し状。それはたった一つを除き全てをクロが出したのだ。

 

 誰が、何のために?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かったわ!」

 

 その真相はなんだろう、と考える前に、楽しそうな叫び声が耳に届いた。

 

「何が分かったんだ、東雲。クロの目的か?」

「クロの目的なんて、ハナから分かってるじゃない。【体験エリア】に何人か呼び出して、容疑者を増やすことよ。それ以外は撹乱かカモフラージュね」

「容疑者を増やす……確かに、そのせいでまだクロを絞りきれてないわけだしな」

 

 【体験エリア】に集まったのは、俺を含めて三人。クロの策はあたっていると言える。

 

「でしたら、一体何がわかったというのですか?」

「決まってるじゃない。クロの正体よ!」

「しょ、正体って……ほ、本当に……?」

「もちろん!」

 

 胸を張って、笑顔でそう告げる東雲。何がそんなに楽しいのだろう。……何が、なんてわかりきってるか。彼女は、学級裁判が楽しいのだ。

 それにしても、クロの正体が分かっただって? 今の話の中に、なにかヒントがあっただろうか。

 

「誰なんだ、クロは」

「待って、一つだけ確認したいことがあるわ」

 

 催促した俺に対し、東雲はそう告げる。

 

「アンタ、製作場で大天に襲われたって言ったわよね」

「あ、ああ」

「どんな風に襲われたか、教えてちょうだい」

「どうしてそんなこと」

「いいから」

 

 東雲の意図が読めないまま、あの時の事を思い出す。

 

「ええと、置き手紙のとおりに製作場に向かったんだが、工作室に入る時は一応警戒して、一度ドアを開けて飛び退いたんだよ。それでも反応がなかったから誰もいないのかと思って工作室に入ろうとしたら、中にいた大天に腹を……蹴られたのか、あれは? まあ、攻撃されたんだよ」

「蹴ったよ」

「もう十分だわ、平並。背後から攻撃されたなら微妙に話は変わってくるけど、そうじゃないなら確定ね」

「……それで、一体誰なのであるか。蒼神を殺したクロとは」

 

 一人で納得した様子の東雲にしびれを切らした様子の遠城。

 その声を聞いて、東雲はニヤリと笑って息を吸い込む。

 

 

 

 

「ズバリ、クロは城咲よ」

 

 そして彼女は、ピンと張った指を、メイド服姿の彼女へ突きつけた。

 

 

 

 

 

「……シロサキがクロ、だと?」

「そんな、わたしじゃ」

 

 反論を口にしかけた城咲を、杉野が右手で制した。

 

「まずはお話を聞きましょう。東雲さん、根拠は何でしょうか」

「あの10時半の手紙以外はクロが出したものだったのよね。その中でも、肝心なのは平並に出された手紙だったのよ」

「俺の手紙?」

「ええ。容疑者の片割れの大天には、アンタに手紙を出すことが……アンタを製作場に誘い出すことそのものが出来ないのよ」

「……どういうことでしょう」

 

 今度は冷静に、城咲は東雲に続きを促す。

 

「クロは、平並を呼び出すために平並のいた新家の個室のドアチャイムを鳴らしたんだったわよね?」

「……ええ」

「もし仮にクロが大天だとすれば……大天は、平並を起こしてから工作室に向かったことになるわね。大天は平並を工作室で待ち伏せしてたはずなのに」

「それがどうしたっていうんだ。ヒラナミが個室を出る前に工作室に向かえば済む話――ッ!」

 

 そんな反論を言いかけ、なにかに気づいたように城咲を見るスコット。

 

「自己解決したかしら? 無理なのよ。そんな事は」

「そうか! 城咲の見張りがあるのか!」

 

 その様子を見て、俺も気づく。大天がクロでない理由。

 

「そうよ。確かに平並より先に宿泊棟を出れば、工作室に先回りすることなんか余裕でできるわ。けど、城咲は確か、平並以外は誰も見てなかったはずよね? 工作室に行くには、城咲の見張る【自然エリア】を通らなきゃいけないはずなのに」

「…………」

 

 城咲が目撃したのは、製作場へ駆ける俺だけ。彼女はそう証言したはずだ。

 

「城咲が平並以外見てないってことは、大天が【体験エリア】に向かったのは城咲より前なのよ。つまり、平並を叩き起こしたり手紙を出したりなんてのは、大天には不可能ってこと! だから、クロは城咲――」

 

「み、みました……」

 

 蚊の鳴くような、小さな声。

 

「城咲さん?」

 

 

 

「みました! 【体験えりあ】に向けて、大天さんがはしっていくのを!」

 

 杉野に促され、今度ははっきりと、彼女はそう告げた。

 

 

 

「ちょっと! 嘘つかないでよ、城咲さん! 私、ずっと工作室にいたんだけど!」

「そちらこそ、うそをつかないでください! 深刻なかおで、はしっていたではありませんか!」

「城咲君。本当に目撃した(読んだ)というのか? 【体験エリア】に向かう大天君を」

「はい! この両目で、しっかりとみました! 平並さんがやってくるほんの少し前に、大天さんも【自然えりあ】を通って【体験】エリアへはしっていったのです」

「ならば、どうしてそれを隠していた(語らなかった)? キミはハッキリと証言した(台詞にした)はずだ。平並君以外は目撃していない、とね」

 

 

――《「わたしは展望台についてからさしだし人がいらっしゃるのを待っていました。展望台からは、中央広場もみえますし、平並さんいがいはだれもとおりませんでした」》

 

 

 明日川の言う通り、城咲は確かにそう証言していた。

 

「かくしていたのではありません。たったいま、思い出したのです」

「忘れてたって言うつもりか? 信じらんねェな」

「信じられないのもむりはありませんが……ほんとうのことなのです。どうか、信じてください」

 

 城咲はそう語る。しかし、その証言はとても信じられるものではない。その内容が問題なのではない。証言を変えたタイミングと、その強引さが問題なのだ。先程まで、何かにつけて城咲をかばっていたスコットも、今度は彼女をじっと見て黙り込んでいる。

 

「そのような妄言、信じられるわけが無いであろう!」

「え、遠城の言うとおりだ……! お、大天を見たのを忘れたのも、こ、こんな都合のいいタイミングで思い出すのも、ぜ、全部ありえないだろ……!」

「ありえないなんてことこそ、ありえないのではありませんか? まさに今、わたしがたいけんしているのですから!」

「クロであることがバレて、なんとかごまかそうと嘘をついている……アタシにはそんなふうに見えるけど?」

「そんなことはありません! 平並さんをよびだし、蒼神さんをころすために【体験えりあ】へとむかった、大天さんがくろなのです!」

 

 断固として、証言の正しさを主張する城咲。

 

 

 

 

「本当の声を、聴かせてください」

 

 そんな彼女に、優しく強く、杉野は言葉を突き刺した。

 

 

 

 

「杉野さん、いったいなにを……」

「嘘はいけません、城咲さん。まだあなたがクロと確定しているわけではありません。焦って嘘をついてしまえば、真相には決してたどり着けなくなってしまいます」

「わたしはうそなどついておりません!」

「いいえ、あなたは嘘をついています」

 

 城咲の目を見て、ハッキリと断言する杉野。

 

「アタシも城咲の言ってることは嘘だと思うけど。そこまで断言するってことは、何か根拠でもあるわけ?」

「ええ、もちろん」

「……教えろ、スギノ」

「もし仮に大天さんがクロだとしても、城咲さんの証言はありえないのです。だって、クロは平並さんより後に宿泊棟を出たのですから」

「俺より後に?」

「はい」

 

 クロが俺より後に宿泊棟を出た……そう言える根拠は何だ? クロは、宿泊棟に残って何かをしたのか?

 

「……ああ、なるほど」

 

 少し考えて、すぐに答えにたどり着く。

 

「俺が個室を出て【体験エリア】に向かった時、新家の個室のドアは開け放して行ったんだ。だが、皆が廊下に出た時は閉まっていたらしい。そうだったよな、遠城?」

「うむ。開いていれば流石に気づくのである」

「それは僕達も確認していましたよね」

 

 杉野の声に、大半がうなずく。早々に廊下に出てきた人たちだろうか。

 

「ということは、クロがドアを閉めたんだ。呼び出し状で廊下に出た人たち……遠城や七原が、非常事態だと思わないように」

「これが、クロが平並君より後に宿泊棟を出た理由です。おわかりいただけたでしょうか、城咲さん」

 

 杉野に名を呼ばれた彼女は。

 

「…………」

 

 メイド服を握りしめて、無言で床を見つめていた。

 

「あなたの、『平並君の前に大天さんが【自然エリア】を通過した』という証言はありえないのです。たとえあなたが無実であってもね」

「…………」

「これで、決まりね。クロは、城咲よ」

「……ちがいます。わたしじゃありません」

「どの口が言うのよ。証拠も、アンタの言動も、全てがアンタがクロだと示しているわ」

「…………」

 

 城咲は黙り込む。

 

「どうして、嘘をついたんだ」

 

 わずかに怒りのこもった、スコットの声。

 

「……このままでは、くろにされてしまうと思ったからです」

「『クロにされてしまう』? 『クロだとバレてしまう』の間違いであろう」

「そんなこと、ありません。わたしはほんとうに、蒼神さんを、ころしてなんか、いません」

 

 語るごとに、弱々しくなっていく城咲の声。

 

「だったら胸を張れ、シロサキ」

「スコット、さん……?」

「オマエが無実だというのなら、嘘なんかつかずに堂々としていろ。本当に清廉潔白なら、間違いなくそれが証明されるはずだ」

「…………」

「城咲をかばう気? どう考えてもソイツがクロだと思うけど」

 

 無言を返した城咲に代わり、東雲がスコットにそう語りかけた。

 

「蒼神を殺せるのは【体験エリア】にいた三人だけ。そのうち、平並は蒼神に呼び出し状を出せないし、大天は平並を叩き起こせない。残った容疑者は、城咲だけよ」

 

 東雲が語るロジックそのものに異論はない。結論は出た。クロは、城咲かなたである。

 ……それでも、そう簡単に、彼女がクロであるとは認めたくない。

 

 

 

――《「ばかなことはやめてください、大天さん!」》

 

 

 

 城咲は、俺を命がけで助けてくれた。文字通り、命の恩人だ。そんな彼女を、そう簡単に見限るような真似はしたくない。あの行為が、自己保身のための計画の一部だったなんて、思いたくないだけかもしれないが。

 

「それに、さっき城咲は苦し紛れの嘘をついたわ。これこそが、何よりの証拠じゃない?」

「自分がクロでないからこそ、なりふり構わず嘘をついてしまった。そう考えることもできるんじゃないのか」

 

 スコットは尚も食い下がる。

 

「もっとハッキリとした反論をちょうだい。城咲がクロじゃないって言うなら、その証拠を見せなさいよ」

「証拠か。証拠なら、ある」

「え?」

 

 自信満々に告げるスコットの様子に、戸惑ったのは東雲の方だった。

 

 

「シロサキは、ずっと展望台にいただろ。だからこそ、【体験エリア】に向かうヒラナミを目撃できたはずだ」

「そ、そんなの、ひ、平並を起こした後で向かえば……」

「いえ、それは出来ないはずです」

 

 根岸の意見を、杉野が否定する。

 

「展望台へ向かうには、あの森の中を登らなくてはなりません。平並君が通過する前に展望台へ到達するには、どう考えても時間が足りません」

「なにより、クロが宿泊棟を出たのはヒラナミの後だ。だから、シロサキがヒラナミを目撃出来たことが、シロサキがクロでない証明になるはずだ」

「いやいや、何言ってるのよ。そんなの何の証明にもなってないわ」

 

 その意見を、更に東雲が反論する。

 

「展望台になんか行く必要がないじゃない。そんなところまで登らなくても、自分が平並を起こして製作場に誘い出したんだから、平並の行動なんかわかるはずよ」

「ぐっ……」

 

 東雲の反論に、言葉が詰まるスコット。

 

「城咲が証言したのは、【体験エリア】に向かう平並を見たってだけ。そんなの、本当に見なくたって証言できるわ!」

 

 ……本当に、そうか? 思い出せ、城咲の証言を。

 いや、それだけじゃない!

 

「それは違うぞ!」

 

 その事に気づいた瞬間、ほとんど反射的に俺はそう叫んでいた。

 

「違うって、何がよ」

「城咲は、本当に展望台にいたんだよ。そうじゃないと、あんな証言は出来ないからだ」

「あ、あんな証言……?」

「ああ。城咲はハッキリと口にした。『【自然エリア】の中央広場で転ぶ俺を見た』とな」

 

 蒼神の死体を発見する直前、城咲に個室の外にいる理由を尋ねた時に、城咲は確かにそう告げた。

 

 

――《城咲も、手紙を……。》

――《差出人は、俺のものと同じく蒼神になっている。けれど、こっちのメモは少し角ばった字で書いてある。》

 

――《「それが、個室に入れられていたのです。それで、展望台でてがみの差出人をまっていたときに、中央広場で平並さんがころんでいるのをみかけたのです」》

――《「見てたのか」》

 

 

「大天も、聞いてたよな」

「……そうだね」

「ほら。それに、確かこの事はお前達にも伝わってるはずだ」

「確かに、捜査に入る直前にキミたちから死体発見に至る物語を語ってもらった際に、城咲君は述べていた。『中央広場で転ぶ平並君を目撃し、後を追った』と」

「そうか。ヒラナミが転んだと言えるのは、シロサキがその瞬間を目撃していたから。そういうことだな」

「ああ」

 

 スコットのまとめにうなずく。城咲は、俺が転んだことを知っていた。それはつまり、俺のことを展望台から目撃していた事を示している。

 

「そんなの、本当に目撃したかどうかわからないじゃない。転んだせいで、アンタの服は汚れているわ。城咲はそれを見てその事を付け加えたのかもしれないじゃない」

「ああ、確かに服の汚れを見れば転んだ事自体はわかるかもしれない。だが、城咲は俺が【自然エリア】の中央広場で転んでいたことまで言い当てていた。これは、目撃していないと不可能だ」

「……わかったわ、城咲がアンタが転んだことを目撃したのは認めるわ。けど、それは展望台にいた証拠にはならないんじゃないかしら」

 

 俺の言葉を聞いて尚、反論を打ち出す東雲。

 

「城咲は、アンタをすぐに追いかけたのよ」

「追いかけた?」

「ええ。アンタを後ろから見てたのね。だから、アンタが中央広場で転んだことを城咲は知ってたのよ」

「……いや、それは無理だ」

 

 俺が転んだ、あの瞬間を思い出す。この推理は、俺にしか論破できない。

 

「あの時、俺は周囲を見渡したが、誰も見かけなかった。【宿泊エリア】からつながるゲートは閉まっていたから後をつけられていたってことはない」

「……周囲を見て誰も見かけなかったなら、展望台にも誰もいなかったんじゃないの?」

「いや、俺が誰も見てないことが、城咲が展望台にいた証明になる」

「どういうことでしょうか」

「城咲が俺が転んだことを目撃したのなら、城咲が【自然エリア】の中にいたのは間違いない。けど、俺は城咲を目撃していない。つまり、中央広場を目撃できるのに、中央広場からは目撃できない場所に城咲はいた事になる」

 

 そんな場所、一つしか無い。

 

「城咲がいたのは、展望台しかありえない。展望台は、中央広場よりもずっと高い位置にある。中央広場で周りを見渡しただけじゃ、そこに誰かがいても気づけないだろ」

 

 その俺の論理を聞いて、城咲がクロであると主張していた東雲は。

 

「……降参ね」

 

 そう告げて、両手を上げた。

 

「アンタの方が正しいわ。城咲は、クロじゃなさそうね」

「……わかっていただけてよかったです。ほんとうに」

 

 東雲の言葉を聞いて、胸をなでおろす城咲。無実なのにクロだと断定される事がどれだけ恐ろしいことか、俺は身をもって知っている。

 

「ちょっと待ってよ」

 

 その城咲の様子を見てか、大天が声を上げる。

 

「じゃあ、一体誰なの? 蒼神さんを殺したのは」

「それなのよね」

 

 東雲が反応する。

 

「それぞれのクロの可能性は、それぞれの理由で否定できるわ。なら、一体誰がクロなのかしら」

 

 議論を重ねて、推理を否定して、真相を暴いて、そして、俺達はここにたどり着いた。

 

「容疑者が、誰もいない……?」

 

 全員が無実であるという、歪んだ真実に。

 そんなわけがない。何かがおかしいと、全員が気づいていた。

 

 俺達は、何を間違えた?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なァ。こんな可能性はねェのか」

 

 皆が黙り込む中、考え込みながら火ノ宮が口を開く。

 

「なんでしょう、火ノ宮君。まさか、またモノクマの仕業だと?」

「ボクはそんなことしないよ!」

「……そうじゃねェ。いつまでも夢見てらんねェことは、もう理解した」

「それでは?」

「本当に、この施設にはオレ達しかいねェのか」

 

 え?

 

「ど、どういうことだよ……」

「17人目がいるんじゃねェのかっつー話だ。全員クロじゃねェなら、それしかねェだろ」

「ですが、そんなかた、どこにいらっしゃるのですか? もしだれか他のかたがいれば、とっくにきづくのでは無いでしょうか」

「まだ開いてねェゲートの奥があるだろ。そこに潜んでた何者かが、蒼神を……」

「あのねえ、火ノ宮クン」

 

 モノクマが、呆れた声で割って入る。

 

「結局まだ、オマエは夢見てるジャン。この【少年少女ゼツボウの家】には、生徒だけしかいないの! 部外者がいたらコロシアイにならないでしょうが! て言うかそれ、ボクが殺したって言ってるのとなにも変わらないじゃん!」

「…………」

「いい? ハッキリ言うけど、蒼神さんを殺したクロはオマエラの中にいるんだよ! いいかげん目を覚ませ! 目覚めの時間だ!」

「…………チッ」

 

 火ノ宮は、強く舌打ちをするだけだった。彼の気持ちも十分にわかる。容疑者がいなくなってしまった以上、俺達の中に蒼神を殺した奴なんかいないと、結論づけてしまえばどれほど楽なのか。

 けれど、逃げてはダメなのだ。

 

「……何でも構いません。何か、事件について思いついたことがある方はいらっしゃいますか?」

 

 真実を探すため、俺達は再び議論を始める。

 

「……であれば、吾輩からひとつ、よろしいであるか?」

「はい、お願いします」

 

 軽く挙手をする遠城に、杉野が手で発言を促す。

 

「確認したいことがあるのである。先程、容疑者が平並、大天、城咲に絞られたタイミングがあったであろう。その理由とは、蒼神の殺害やボートが流された12時付近に【体験エリア】に一人でいたから……そうであったよな?」

「ええ、その通りですが」

「……なら、彼ら以外にもいるのではないか? その時刻、【体験エリア】に一人でいることができる人物が」

「え?」

 

 容疑者が、もうひとりいるってことか?

 そんな困惑の声を聞いて、遠城が説明を続ける。

 

「さっき……容疑者がお主ら三人に絞られたときであるな。お主ら三人が皆製作場の中にいる時なら、他の人間にも犯行は可能であるという話が上がったであろう」

「大天が話したやつか? それは、誰も宿泊棟に出入りしてなかったってことで決着がついただろ。だからこそ、俺達三人だけが容疑者になったはずじゃなかったのかよ」

 

 

「……そのシナリオは、推敲の余地がある」

 

 

 苦しそうに、明日川が告げた。

 

「明日川? なんだ、今の話が間違ってるっていうのか」

「平並君。たった一人だけ、犯行が可能な人物(キャラクター)がいるんだ。これをキミに告げるのは、心苦しいが」

 

 心苦しい?

 

「いや、だから、死体発見アナウンスのときには他の皆は宿泊棟に揃ってたんだろ。宿泊棟に誰も出入りしなかった以上、犯行が可能なやつはいないだろ」

「『彼女』が嘘をついているとすれば?」

 

 そして明日川は、視線を俺から外してそのすぐ隣へと移す。

 

「どうして彼女の証言が真実であると断言できる? 『【自然エリア】にいたが誰も宿泊棟を出ていない』という証言をなぜ信用できる?」

「……おい」

「犯行が行われたあの時刻。宿泊棟の外にいた彼女なら。【体験エリア】まで向かい、誰にもその様子を見つかる(読まれる)事なく宿泊棟へ帰ってくる事が可能だろう」

「待て、待て、待て! ……明日川お前、何を言おうとしてる!」

 

 とっさに、俺はそう叫ぶ。その後に続く明日川の台詞なんか、わかりきってるのに。

 

 

 

 

「七原菜々香君。蒼神君を殺したのは、キミじゃないのか」

 

 

 

 

「そんなわけないだろ! 七原が蒼神を殺すはずなんかない!」

 

 その台詞を無かったことにするかのように、俺はその言葉を明日川にぶつける。

 

「……一応、理由を聞いておこうか」

「だって、七原は俺が【卒業】のために根岸を殺そうとしてるのを止めてくれたんだぞ! 自分が殺される可能性すらあったのに、それでも俺を説得してくれたんだ!」

 

 

――《「じゃあ、平並君は今の、この日常が壊れたっていいって言うの!?」》

――《「たった数日だったかもしれないけど、狂ったルールがあったかもしれないけど、不安でいっぱいだったかもしれないけど! このドームで過ごした時間だって、大事な日常なんじゃないの!?」》

――《「平並君にとって家族がかけがえのない物なのは分かるよ。きっと、モノクマもだからこそそれを平並君の【動機】にしたんだと思う。……でも、人の命なんて、比べちゃいけないんだよ」》

 

 

 七原は、俺に日常の尊さを、命の気高さを教えてくれた。 

 だから。

 

「そんな七原が、クロになんかなるはずがない!」

「平並。そんなの理由になってないわ」

 

 分かってる。そんなこと、東雲に言われるまでもなく、分かってる。

 

「証明すればいいんだろ。七原が無実だってことを!」

「そうは言うが、平並。もう、クロ候補は七原以外に残ってはおらぬぞ」

「どうしてそう言い切れる。まだ見落としがあるかもしれないだろ」

「け、けど……」

「七原。てめー自身の話だ。てめーはどォなんだ」

「……私は、蒼神さんを殺してなんかないよ」

「ほら、七原もこう言ってるだろ」

「何が『ほら』よ。クロがバカ正直に認めるわけないじゃない」

「……検討しましょう。七原さんに、犯行が可能だったかどうか」

 

 ヒートアップする言い合いを見かねて、杉野が告げる。

 そうだ、議論だ。真実のために、議論をする。やることは何も変わらない。

 

「…………」

「七原……」

 

 俺を見つめる渦中の彼女に、不安げな表情はない。自分の幸運によって、冤罪が晴れることを信じているからだろうか。

 それなら、それでもいい。彼女の幸運が、彼女を救わないわけがないんだから。

 

「まず、七原さんがクロだった場合、どのような行動になるかという話ですが」

「その場合、こんな経緯になるはずだ」

 

 火ノ宮が語り始める。

 皆の話をよく聞け。きっと、ここが正念場だ。

 

「平並を叩き起こすために新家の個室のドアチャイムを連打したあと、ダストルームあたりに隠れて製作場へ向かう平並をやり過ごす。そして、平並が開け放した個室のドアを閉めてから自分も【体験エリア】に向かったんだ。

 その頃にはもう、城咲も平並を見つけて後を追ってる頃だろォな。クロは城咲を展望台に呼び出してるワケだから、それを警戒しながら城咲が森を抜ける前か後か、ともかく城咲に見つからねェように【体験エリア】にたどり着く。

 そして、三人が制作場の中で一悶着してるのを尻目に、蒼神を殺してボートを流し、とっとと宿泊棟へ引き返す。そして、杉野の個室の前にいた遠城と何食わぬ顔で合流した……こういう流れになるよなァ?」

「……ええ、間違いないでしょう」

 

 火ノ宮が語った犯行に、反論を突きつけることは出来ない。

 改めて思えば、その犯人の行動に違和感が無いわけじゃない。だが、それは七原がクロであるという間違った推理を撃ち抜く突破口にはならない。

 

「しょうしょう、じかん的にかのうかどうかが気になるところですが……」

「不可能だ、と断じる事ができない以上、出来たと考えても構わないはずだ。他に選択肢の残っていないこの状況(場面)においてはね」

「ナナハラがやったっていう、積極的な証拠はないのか」

「そ、それはないけど……ほ、他の皆に犯行ができないっていう反証が、な、七原がクロっていう証拠になるんじゃないか……?」

 

 思い出せ。何かを思い出せ。

 きっと何か見落としてることがあるはずなんだ。

 

 あの夜、城咲達の目を盗んで犯行は行えたのか? いや、三人が制作場の中にいた瞬間がある以上、そこは疑えない。犯行はあの瞬間に行われたと考えるべきか……?

 あの時、犯行に使える時間はどれほどの余裕があっただろうか。俺達がすぐに蒼神を探し始める可能性もあった。なら、犯行時間はなるべく短くしていたはずだ。蒼神を実験棟前のボートに寝かせ、なんなら水も汲んでおいたのかもしれない。それなら水を蒼神に駆けるだけで犯行が終わる。

 そうだ、犯行を一瞬で行うのなら、犯行の準備を蒼神を眠らせたその時にもう終えていたんだ。10時半に愉快犯に呼び出され、蒼神を差出人と勘違いして彼女を襲った時に――

 

「ああッ!!」

 

 俺の脳内で、点がつながった。

 

「何か、わかったんですか」

「ああ。これで証明できる」

「……先程、火ノ宮くんが証明しただろう。七原君になら、七原君にだけ、犯行が可能であることを(殺戮劇を演じれることを)

 

 

 腹に力を込めて、大きく息を吸い込んで。

 

 

「それは違うぞ!」

 

 

 その言葉を、裁判場に響かせた。

 

「七原には、アリバイがある!」

現場不在証明(アリバイ)……犯行時刻(惨殺の章)、【自然エリア】に彼女が留まっていたという証拠があるというのか?」

「七原にアリバイがあるのは、その時間帯じゃない。クロが【自然エリア】に向かったのは、12時だけじゃなかっただろ」

「蒼神さんを眠らせた、10時半のことでしょうか」

「ああそうだ。その時刻、七原にはアリバイがあるんだよ」

「その時刻は、夜時間であるぞ。全員が個室に閉じ籠っていた時間帯に、アリバイなんかあるはずないであろう」

「いや、あるんだ。クロが蒼神とアトリエで鉢合わせたその時刻、宿泊棟でも動いた人物がいる」

 

 七原の証言を思い出す。

 

「10時半ごろ、七原の個室を訪ねたやつがいるんだ。そうだったよな、七原」

「うん。個室にいたら、いきなりドアチャイムが鳴ったんだ。約束もあるから無視したんだけど、もう何度か鳴ったらそれ以降は鳴らなかったよ」

「ほら、こうやって証言できるのは、個室の中にいたからだ。アトリエに呼び出されていたら、そんな事わかりっこないだろ」

「待ちなさいよ。納得出来ないわ」

 

 東雲が、異を唱える。

 

「ドアチャイム? そんなの、適当にでっち上げればいいじゃない。逆に、そんな都合のいいタイミングで誰かが訪ねてきたなんて、ソッチのほうが嘘くさいわ」

「でっちあげなんかじゃない。他にも、10時半にドアチャイムを聞いてる奴はいるんだからな。だよな、根岸」

「え、ぼ、ぼく……? そ、そうだけど……ど、どうして知ってるんだよ……!」

「露草から聞いたんだ。露草も、ドアチャイムを聞いたって言ってたぞ」

「あ、あいつ……か、勝手にぼくの話を……」

 

 東雲が言った都合のいいタイミングというのは、きっと七原の才能が関係しているのだと思う。【超高校級の幸運】という、彼女の才能が。

 

「そう。なら、本当のようね」

「……誰が、そんな時間に何の用事で鳴らしやがったんだァ? まるで、七原達を殺しに来たみてェじゃねェか」

「まるで、じゃないよ」

「はァ?」

「七原さん達を殺すつもりで、個室を訪ねたんだから」

 

 淡々とそう告げたのは、俺を殺しかけた、大天だった。

 

「てめー……!」

「その時間帯を選んだのは、夜時間になるまで食事スペースを見張っていた蒼神さん達と鉢合わせたくなかったから。格闘なら自信があったから、ドアさえ開けてもらえば殺せると思ったんだよ。誰も開けてくれなかったから、結局無駄足だったけどね」

 

 ……そういえば、大天は確かにそんな事を言っていた。

 

 

――《「私は、記憶のヒントを見て、誰かを殺そうと思って、でも、殺そうとしても誰も部屋から出てきてくれなくて……そんなときに、私の個室に手紙が届いてたんだよ」》

 

 

 大天は、呼び出し状を見る前から殺意を抱いていたと。

 

「……ホントは黙ってるつもりだったけど、七原さんのアリバイを証明するには名乗り出るしか無かったから」

「大天さん! ありがとう!」

「別に……私も、こんな所で死にたくないだけだよ」

「ちょ、ちょっとまてよ……! や、やっぱり、お、お前も、ぼ、ぼくを殺そうとしたのかよ……!」

「うん。弱そうだったし」

「……!」

 

 恐怖と驚愕と怒気が同時に表情に出た。

 

「東雲さんとかはドアを開けてくれそうだと思ったけど……運動神経良さそうだったし、相手にしたくなかったんだよね」

「うーん、正直アタシは喧嘩になれてるわけじゃないからなんとも言えないわね。火事場の馬鹿力ってこともあるし、いい勝負になった可能性はあるわ」

「ちなみに聞くが、てめーが殺そうとしたのは七原と露草、根岸だけなのかァ?」

「いや、明日川さんの個室も行ったけど」

「ボクもかい?」

「……明日川は寝てたみてェだからな。呼び出し状も気づかなかったっつってるし、ドアチャイムを鳴らされても気づかず寝てたんだろ」

「ああ、今晩は夢物語を堪能していたからね」

「『ゆめものがたり』って、そういう言い方をするといわかんがあるのですが……」

「とにかくだ」

 

 好き勝手に話し始めた皆に介入して議論をまとめる。

 

「七原は、無実だ。それで間違いないよな」

「……ああ。ボクの語った推理(物語)の方が間違っていた(推敲すべきだった)ようだ」

 

 はあ……良かった。

 明日川の台詞に、胸をなでおろす。

 

「ありがとう、平並君」

「たまたまうまく行っただけだ」

 

 それでも、七原を助けられて、良かった。

 

「だ、だったら……」

 

 そんな中、小さく、根岸が声を漏らす。

 

「だ、誰なんだよ……あ、蒼神を殺したのは……!」

 

 それに答える声は、誰からも上がらない。

 容疑者は、ゼロ。再びこの結論に戻ってくる。

 

 何度も何度も議論を重ねた先で、俺達の学級裁判は完全に停止した。




進んでいるのか、戻っているのか。
クロの姿は、どこに。


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非日常編⑥ 水流のロジック

 裁判場は、沈黙していた。

 長く続いた学級裁判の果てに、全員が容疑者から外れてしまったからだ。

 

 犯行は、12時に【体験エリア】で行われた。『モノモノスイミンヤク』を使って蒼神をボートに眠らせ、川の水をバケツでボートに注ぎ込み殺害した。この時点で、クロはその時間帯に【体験エリア】にいた俺と城咲、大天の三人と、一人宿泊棟の外にいた七原に絞られる。

 また、蒼神とクロは、10時半に愉快犯によってアトリエに呼び出されており、クロはそこで蒼神を眠らせた。だから、軟禁されていた俺と、10時半に個室で大天の鳴らしたドアチャイムを聞いた七原は容疑者から外される。

 そして、クロは俺に罪をかぶせるため、12時に新家の個室のドアチャイムを鳴らし俺を叩き起こしている。しかしその時刻には、城咲は展望台に、大天は製作場にいたため、俺を叩き起こすのは不可能だった。だから、城咲も大天もクロではありえない。

 

 故に、容疑者は、いなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「何? もう終わり? じゃあ投票タイムにいこっか!」

 

 停滞した俺達の様子を見て、モノクマが高らかに叫ぶ。

 

「待ってください! まだ議論は終わっていません!」

 

 杉野の言う通り、議論はまだ終わってなんかいない。クロは未だ判明していないし、こんな状況で投票が始まれば『不正解』になるのは目に見えている。

 

「そうは言うけどさあ、時間は有限なワケ! オマエラの自主性を尊重してちょっとグダグダしてても自由にやらせてるけど、みーんな黙っちゃったら流石に終わらせないワケにはいかないの! 分かる?」

 

 お前の事情なんか知ったことじゃない、と言い返したいが、モノクマの機嫌を損ねて学級裁判が打ち切られてしまえば目も当てられない。

 

「まだ議論時間が欲しいとかそういうことは、せめて議論してから言えっての!」

「う……」

「だったら、議論させてもらうぞ」

 

 火ノ宮が口を開いた。

 

「気になることは残ってるからなァ」

「あっそ! じゃあ、とっとと結論出せよ!」

「言われるまでもねェ」

 

 モノクマにそう吐き捨てて、彼は中央を向く。

 

「気になることとは?」

「【モノクマファイル】に書いてあった、死亡時刻のことだ」

「ああ、それは僕も気になりました」

 

 『システム』を操作しながら、火ノ宮は語る。

 死亡時刻に関しては、確か杉野も言及していた。

 

「【モノクマファイル】に記載されていた死亡推定時刻は『深夜11:45~12:00前後』……妙に時間に幅がありました。モノクマの説明では、溺死のため死亡時刻の特定が難しいということでしたが」

「だとしても、この書き方はおかしいだろォが。オレ達が議論していた推理と決定的に食い違ってんだからなァ」

 

 決定的に食い違ってる?

 

「どういうことだ?」

「クロは、12時直前にてめー……平並を叩き起こして、その後【体験エリア】に移動して蒼神を殺害した。そういう推理だったよなァ」

「ああ。そして、それに該当する人物(キャラクター)がいなくなったんだ」

「だとしたら、『深夜11:45~12:00前後』なんて記述はどう考えてもおかしいだろォが。そんな時間に水が注がれてるワケねェんだからな」

「……あ」

 

 確かに、その通りだ。

 

「オレ達の推理通りなら、素直に『12時前後』って書けばよかったはずなんだ。そうじゃなくても、『12時~12:15前後』みてェな書き方になるはずだろ。けど、【モノクマファイル】はそうなってねェ」

「だとすると、蒼神さんのボートに水が注がれたのは11時45分か、その直前と考えるべきでしょうか」

「まってください! そのじこくには、すでにわたしは展望台におりました!」

「あァ、そうなると、クロは【体験エリア】から抜け出せねェ……それなのに、クロは宿泊棟で平並を叩き起こしている」

 

 ……一体、どういうことなんだ。

 

「オレ達は、何か致命的な勘違いをしてるんじゃねェのか」

「か、勘違いって、な、なんだよ……」

「それはまだ分からねェ。だから、それを議論してェんだ」

「……わかりました」

 

 火ノ宮のおかげで、再び議論は動き出す。

 

「僕達は、何を間違えたのでしょうか」

「し、城咲が、ちゃ、ちゃんと見張ってなかったっていうのは……?」

「わたしはきちんとみはっておりました! ……といいますか、あの展望台からは、中央広場も含めて【体験えりあ】がよくみえます。わたしはよびだし状の差出人をまっていましたし、誰かが通るのをみのがすなんてありえません」

「平並を叩き起こしたのが、クロでは無いのであろう。それこそ、愉快犯なのではないか?」

「いや、クロ以外に誰が俺をあんなタイミングで呼べるんだ。手紙の書き方もそうだし、蒼神の死んだタイミングや新家の『システム』のこともそうだ。俺を起こしたのはクロ以外ありえない」

「だったら、【モノクマファイル】に問題があるのよ。モノクマがアタシ達を混乱させるためにわざとああいう書き方をしたのね」

「そんな不公平なこと、ボクはしません! あれはね、ああ書くしか無かったんだよ!」

 

 皆が出した意見が、それぞれ反論されていく。

 じゃあ、なんだ? あとはどんな可能性がある?

 これまでの議論を思い出せ。なんでもいい。何か、違和感はなかったか。ほころびはなかったか――

 

 ――あ。

 

 一つ、違和感を、思い出した。

 もしもその違和感が突破口になるのなら。

 

「……蒼神の、殺害方法が違うんじゃないか?」

 

 そう口にした瞬間、真実の欠片に手が触れた気がした。

 

「何言ってるのよ、平並」

「クロは、バケツで蒼神の眠るボートに水を注いで溺死させた。俺達はそう推理したよな」

「そうよ。それが違うって言うの?」

「ああ」

「そんなの有り得ないわ。バケツにはホコリが積もって無かったし、雑巾も濡れていた。クロはバケツを使ったことがばれないように、バケツを雑巾で拭いたのよ。だからこそ、雑巾は濡れてたんじゃない」

 

 そう、それが東雲の語った推理だった。そして、俺が違和感を抱いたのは、それを聞いた時だったはずだ。

 

「だとしたら、雑巾が濡れすぎなんじゃないのか?」

「え?」

「使ったバケツの表面を拭いたっていうんだったら、片面が湿ってるくらいで十分のはずだろ。それなのに、どうして、あの雑巾はあんなしっかりと濡れていたんだ?」

「……オレはその雑巾を見てねェ。そォなのか、杉野」

「え、ええ。言われてみれば、確かに濡れすぎだったような気がしますが」

「……何が言いたいのよ」

 

 俺の質問に答えず、東雲は逆に俺に問いかけた。

 

「あの雑巾こそ、偽装だったんじゃないのか。『蒼神の殺害にバケツが使われた』――俺達にそう思わせるために、クロが濡らしたんじゃないのか?」

「ちょっと待ちなさいよ。だったら!」

「ああ。犯行に、バケツは使われてなかったんだよ。『クロはバケツを使ったことをごまかすために雑巾でバケツを拭いた』……そう俺達に推理させるために、わざと雑巾は濡らされたんだ!」

 

 これなら、あの雑巾の濡れ方も説明できる!

 

「雑巾と乾いたバケツをセットにすることで、そういう推理へ誘導することができるからな!」

「どうして、そんな回りくどい方法を取る必要があるのよ! だったら、桟橋のそばにバケツを置いておけばいいじゃない!」

「それだと()()()()()って考えたんだろ。露骨すぎて、疑われるかもしれない。逆に、答えを得るまでに何度か議論があれば、そこでたどり着いた答えで満足してしまう」

「……っ!」

 

 実際、俺達はそうだった。何度か反論を重ねたのだから、間違いはないだろうと、無意識に思ってしまったのかもしれない。

 

「それに、ただバケツを放置したんだったら、直前に水を汲んでないんだからバケツはカラカラに乾いてしまう。それだと、『バケツで水を注いだ』って思ってくれないだろ」

 

 犯行にバケツを使っていないのだから、バケツはどうしても乾いてしまう。そこからバケツが使われていないことがバレてしまうかもしれない。だから、濡らした雑巾をそばに置いておくことで、それでバケツを拭いたんだと俺達が推理するように誘導したんだ。

 

「そして何より。お前は言ったよな」

「……何をよ」

「お前がバケツと雑巾を見つけたあのロッカーの扉は、開いてたって」

 

 

――《「さっきここに入ってきた時に、ロッカーの扉が開いてたのよ。それでなにかと思って見てみたら、ほら、雑巾が濡れてたのよ」》

 

 

「クロは、その証拠を見つけてもらいたかったから、扉を開けてたんじゃないのか? 雑巾でバケツを拭くような慎重なヤツが、扉を閉め忘れるなんてことあるのか?」

「――っ!」

 

 そしてついに、東雲は黙り込んだ。

 

「つまり、東雲君が見つけたというバケツと雑巾は、クロによる偽装工作(ミスリード)だった。そういう話だったんだな」

「……ああ」

「じゃ、じゃあ、ど、どうやってクロは蒼神を殺したんだよ……そ、そんな偽装工作までして、く、クロは何を隠してるんだよ……!」

「それはわからない。だが、きっとクロは何か特別な殺し方をしたんだ。それが、あの死亡時刻の謎に繋がってるのかもしれない」

「そ、そんなこと言ったって……」

 

 その根岸の言葉を最後に、皆が沈黙する。

 俺達が暴いた蒼神の殺害方法が間違っていたことはわかった。けれども、結局の所蒼神はどのように殺されたのか。それに答えを出せる奴はいない。

 

 議論は再び停滞する。

 

「ねえ、まだ~?」

「うるせェ。議論の邪魔だ。黙ってやがれ」

「だから、そう言うなら議論しなって」

 

 退屈そうなモノクマに食って掛かる火ノ宮。早く議論を再開しないと、今すぐにでも学級裁判が終わってしまいそうだ。

 蒼神の殺し方じゃなくてもいい。なにかないか。

 そう考えて思い出すのは、やはり【言霊遣いの魔女】のことだ。この事件に一枚噛んでいる【魔女】。話したくはないが、話すしか無いのか。少なくとも、時間稼ぎにはなるだろうが。

 

 そう思って、再び七原を見て。ふと思い至る。

 

 七原は、【言霊遣いの魔女】のサインが書かれたカードをボートで見つけたと言っていた。それなのに、どうして俺はあのカードを見逃したのだろう。杉野にも言えることだが、俺達だって証拠探しのためにボートはよく調べたはずだ。

 

「……いや、関係ないか」

 

 小さく、そう結論を出す。きっと、七原はその幸運の力でカードを見つけたのかもしれない。七原も言っていたはずだ。

 

 

――《「これ、どこにっ!?」》

――《「ボートに入ってた水の中に、参考書が沈んでたよね」》

――《「ああ。二冊な」》

――《「うん、その参考書のところに何かはみ出てて、それで気になって手にとってみたら、それだったんだ」》

――《「しっかり沈んで水中になっちゃってたから、平並君は見落としちゃったのかも……」》

 

 

 水の中にあったのなら、水面のゆらぎか光の反射か、とにかく見逃す理由が存在しないわけじゃない。だったら見逃してもおかしくは――

 

 

「……ん?」

 

 

 その思考に、何か引っかかりを覚えた。ちょっと待てよ……。

 

「オイ平並。さっきから何をぶつぶつ言ってやがる。なんか気になることでもあんのか」

「あ、いや、大したことじゃなくて……」

「大したことじゃなくても構いません。少しでも気になることがあったのなら、教えてください」

 

 気になること、とすらまとまっていないのだが、この違和感はきっと本物だ。なぜだか、そんな確信がある。

 

「……七原、一つ聞いてもいいか」

「……? いいけど」

「蒼神が寝かされていたボートに、参考書が二冊あったよな。積み重ねられてさ」

「うん、そうだったよ」

「……それってさ、お前が言うには、たしか水に完全に沈んでたんだったよな。それって、全部水面の下にあったってことだよな」

「え?」

 

 どうしてそんな事を聞くの、と表情に出しながらも、七原は自分が見た光景を思い出そうと上を向く。

 

「えっと……うん、そうだよ。全部水に浸かってた」

「……そうか」

 

 その答えを受けて、俺もボートの参考書を思い出す。

 

 やっぱり、おかしい。

 

「……ん?」

 

 俺達の会話を聞いて、皆もその光景を思い出しているようだ。そして、その大半が、疑問の声を上げた。

 

「それがどうかしたの?」

「……今、七原が言った事は、おかしいんだ」

「おかしいって、何が?」

 

 疑問符を頭上に浮かべる七原。その彼女に、俺の違和感をぶつける。

 

「俺が見た時、参考書は、完全に水に沈んではいなかった。少しだけだが、水面より上にはみ出ていたはずだ」

 

 

――《ボートの中の水が溜まっているところに、四角いブロックのようなものが置いてあった。蒼神の頭があった位置だ。杉野がしゃがみ、それに手を伸ばす。よく見れば、それは二冊のハードカバーの本が重ねられているものだった。上に乗っている方の参考書の表紙の厚みの分だけ、なんとか水面から顔を出している。》

 

 

 あの状況を見て、『完全に水に沈んでる』とは言えないんじゃないのか。

 

「そうだったよな、杉野」

「ええ……確かにその通りです。全部水に浸かっていた、とはいい難いでしょう」

「なら、ナナハラが嘘をついてるってことか?」

「嘘なんかついてないよ!」

「そうよ、嘘ついてるのはアンタ達の方じゃないの?」

 

 一転、七原を擁護する声が上がる。東雲だ。

 

「嘘っていうか、勘違いだと思うけど。対岸を調べたあとにアタシも調べたけど、参考書はちゃんと水に沈んでたわよ」

「か、勘違いしてるのはそっちじゃないのか……? ぼ、ぼくも見たけど、し、しずんではいなかっただろ……」

「勘違いなんかしてないわよ」

「……正直、そんな細かいこと覚えてないんだけど。他に覚えている人はいる?」

 

 妙に食い違う双方の意見を聞きながら、大天が問いかける。

 

「わたしは……げんば全体のみはりをしていましたから、はっきりとは……」

「覚えてるやつならいるはずだろ。いつまでも言い合ってねェでソイツに答えを聞けばいい」

「明日川か」

 

 【超高校級の図書委員】である彼女は、完全記憶能力を有している。彼女に聞けば、この違和感を解消できるかもしれない。

 と、思ったのだが、件の彼女は話を振られて、

 

「……すまない」

 

 小さく謝った。

 

「あァ?」

「ボクは、火ノ宮君と共に検死(死に際の再読)を行った後、城咲君達に話を聞いてからボートの調査に向かったんだ。……だが、水位については断言できない」

「断言できないって、どういうことだ?」

「……記憶(物語)が、矛盾しているんだ」

 

 沈痛な面持ちで語られる明日川の台詞。

 

「そもそも、ボクは直接見ずとも視界に入りさえすればいつでも完璧に思い出せる(読み直せる)はずなんだ。だから、今の話題になった時から頭の中で読み返しているんだが、ボートを直接見た時、現場にたどり着いた時、裁判場に向かう時……それぞれの場面で、水位が変動しているように思えるんだ」

「変動?」

「ああ……おそらくは、死体(物語の残骸)をまじまじと調べた(読んだ)おかげで精神が参っているんじゃないかと、ボクは思っている」

「……チッ」

「力になれず、すまない」

 

 そんな台詞と共に、明日川はわざわざ頭を下げる。

 精神が参った……確かに、検死として蒼神に向き合っていたならそういうこともあるかもしれない。けれど、それだけで明日川の完全記憶能力が揺らぐっていうのか?

 

「そう気に病むことでも無いであろう。どうせ、川の流れや波によって水面が揺れていただけである」

「んー、まあそうなのかしら。イマイチ納得できないけど」

「でも、たかだかそれっぽっちのことが何になるっていうの? どうだって良くない?」

「……それはそうかも知れませんが」

 

 確かに、些細なことには違いない。けれど、何か引っかかる。

 

「いや、きっと、ちゃんと話し合ったほうがいいと思う」

 

 そんな中、収束に向かっていた議論を七原が止めた。

 

「この違和感は、無視しちゃいけない気がするんだ」

「そうもうされましても……」

 

 この違和感を解消する答えが、きっとあるはずなんだ。

 参考書が水に沈んていたと語った七原と東雲。どうして二人はそう思ったんだ? どうして二人『だけ』が、そう思ったんだ? 何か、二人に共通点が……。

 

「……あ」

 

 あるじゃないか、共通点なら。

 

「七原と東雲……参考書は水に沈んでたって言った二人には、共通点がある」

「きょ、共通点……?」

「ああ。二人とも、遅い時間に現場付近を……ボートを調べてるんだ」

 

 七原も東雲も、それぞれの理由で現場の捜査を後回しにしていた。七原は先に【体験エリア】の外を調べていたし、東雲は対岸を優先した。

 

「たしかに、おふたかたとも時間がたってから現場にいらっしゃいましたね」

「逆に言えば、水に沈んでなかったって言った人は皆先に現場を調べた人だ」

「それが何だと言うのであるか?」

 

 証言された水位。皆がボートを調べた時間。そして、矛盾した明日川の記憶。

 これらから導かれる答えは。

 

「明日川。さっき、水位が変動してるように思えるって言ったよな」

「……ああ」

 

 

「それってさ――水が、増えてたんじゃないのか?」

 

 

「増えてた?」

 

 驚きに満ちた、大天の声。

 

「どうなのですか、明日川さん」

「……あ、ああ、よくわかったな、平並君。確かに、わずかだが水は増えてたように思う。だが、先程(数十行前)遠城君が述べたようにボートは波に揺られているし、ボクの記憶違いの可能性もある」

「記憶違いなわけあるか!」

「ひ、平並?」

 

 明日川の台詞を聞いて、思わずそんな叫びが喉をついて出る。

 

「それがお前の才能だろ! 自分の記憶を信じろよ!」

「何熱くなってるのよ。そんな興奮することでもないでしょ」

「あ、いや、悪い……だが、水が増えていたんだったら、七原と東雲だけが参考書が沈んでたって証言した理由になるだろ」

「……それはそうだけど」

「いやしかし、それではなぜ水は増えたのでしょう。それこそ、バケツで注いだ人でもいるのでしょうか」

「そんなかたはいません!」

「ああ、そんな事をするヤツがいればオレ達が気づかないわけがない」

 

 杉野の言葉を、見張りをしていた城咲とスコットが否定する。

 

「では何か? 勝手に水が増えたとでも言うのであるか? やはり、東雲達の勘違いなのではなかろうか」

「そんなわけ無いだろ。明日川の記憶の中でだって、水は増えてるんだぞ」

「だから、本人の言う通り記憶違いであったのであろう。では、お主は水が増えた理由を説明できるのであるか?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる。その時。

 

「そ、そうか……!」

 

 顎に手を当てて思案していた根岸が、唐突に叫ぶ。

 

 

「あ、あのボートは、し、浸水してたんだよ……! だ、だから勝手に水が増えたんだ……!」

 

 

 浸水。根岸の言葉が、腑に落ちる。

 

「浸水……そうだ、浸水だ! それなら、現場で誰が見張ってても関係ない!」

「だから、私の意見と皆の意見が食い違ってたんだ」

「そう。勘違いでも記憶違いでもない。水は、本当に増えてたんだよ!」

 

 これなら、明日川の記憶についても説明がつけられる。明日川の視界の隅で、俺達が捜査をするそばで、ボートの水位はどんどん上昇していたんだ。

 

「それが何なの? 捜査中にボートの水が増えたからって、何にもならないじゃん」

「それは違うぞ、大天」

「え?」

 

 そう、あのボートが浸水していたのなら。

 蒼神がうつ伏せに寝かされていた、あのボートが水に沈んでいっていたのなら。

 

「この事実が、蒼神の殺害方法につながるんだからな」

 

 俺の言葉に次いで、息を飲む声がいくつも聞こえる。皆、気づいたのだ。

 

 

 

「蒼神は、ボートの浸水によって殺されたんだ! 浸水のせいでボートの水はどんどん増えていく! それが顔まで達したから、蒼神は溺死したんだ!」

 

 ようやく、『真実』に手が届いた。

 

 

 

「つまり、クロは直接手を下す事なく蒼神を殺したんだ。これなら、さっきの『モノクマファイル』の死亡時刻の事も納得がいく。蒼神が死んだのが『11:45』頃だとしても、そもそもクロは【体験エリア】にいる必要がないんだから、城咲に見つからずに俺を叩き起こす事は可能だ!」

「……それに、死亡時刻に幅があったのも解決しますね。蒼神さんは眠らされていました。傍から見ただけじゃ、水が顔まで達したかどうか、そしてそれで死に至ったかどうかは判断がつけづらいですから」

 

 杉野も、俺の意見に便乗する。

 

「だからこそ、モノクマは15分も余裕を持って書くしか無かったのです。そうですよね?」

「さあね~」

 

 大きな椅子に寝そべりながら、モノクマは生返事を返す。その真偽は分からないが、少なくとも、否定はされなかった。

 

「待った。本当にボートは浸水していたのか?」

 

 そんな俺達に、異を唱えたのはスコットだ。

 

「浸水した証拠は他にないのか? ここは、慎重になる場面だぞ」

「……証拠なら、ある」

 

 スコットの問に、火ノ宮が答える。

 

「なんだ、それは」

「蒼神の体は濡れていた……が、濡れていたのは前面、それもほとんど上半身だった。後頭部や背中は濡れちゃいねェ。そうだったよな、明日川」

「ああ。火ノ宮君の台詞通りだ。死体を発見した城咲君達にも問おうか」

 

 濡れ方か……言われてみれば、たしかにそうだった気がする。

 

 

――《間近で見る蒼神の体。ボートの中に水がたまっていて、そこに蒼神は顔を突っ伏している。乾いた背中は、波に揺られて静かに上下するだけだった。》

――《ボートは頭のほうに少しだけ傾いている。足の方はほとんど濡れていない。》

 

 

「はい、たしかにそのような濡れ方でした」

「だが、それがアオガミの殺害方法とどう関係があるんだ」

「水を注いで殺したんなら、もっと水は飛び散るもんだろォが。ただでさえ、犯行に使える時間は短かったはずだ。んな、後頭部や背中、足が濡れるのが気にして注ぐわけがない」

「バケツが使われていたという前提があった頃は、ずっと、クロはよほど慎重に水を注いだのかと思っていた(地の文をつけていた)。だが、そんな犯行方法(シナリオ)よりも浸水による水位の上昇で殺害したと考える方が状況的にもよっぽど自然だ」

「……そうか」

 

 二人の説明をうけて、納得した様子のスコット。それを見て、杉野が話し出す。

 

「他に、ボートの浸水について異論がある方はいらっしゃいますか?」

 

 声は、もう上がらない。

 

「それでは、蒼神さんはボートの浸水により殺されたとして議論を進めます。

 蒼神さんの殺害は、ボートの浸水を利用して自動的に行われました。つまり、12時に【体験エリア】に来なくとも犯行は可能ということになります。よって、容疑者は」

「そのことにかんして、わたしにいけんがあるのですが」

 

 杉野の声を制しながら、おもむろに城咲が手を挙げた。

 

「あァ? 今異論はねェってなったろォが」

「いえ、ぼーとの浸水にかんしては、なっとくいたしました。ただ、やはりクロは【体験えりあ】にやってきたのだとおもうのです」

「……なぜでしょうか」

「さきほどももうしました通り、わたしは製作場に入る前にぼーとをもくげきしていないのです」

 

 確かに、城咲はそんな証言をしていた。俺も大天もそうだ。

 

「ですから、わたしたち三人が製作場のなかにいるときに、くろがぼーとを流したはずなのです」

「だから、それはアンタが見逃しただけなんだって。最初からボートはあそこにあったのよ」

「みのがしてなど……!」

「……私は城咲さんの意見に賛成かな」

 

 そう口を開いたのは大天。

 

「見逃した可能性もあるかもしれないけど、私達を【体験エリア】に呼び出しておいてボートをそんな所に放置するのは、ちょっとリスクが高いんじゃないの」

 

 ……確かに。

 

「言われてみればそうだな。ボートの浸水で蒼神が死ぬ前に誰かに見つけられたら、計画がおじゃんだ」

「それどころか、蒼神君を見つけた誰かにクロの役を横取りされてしまう可能性(ストーリー)も考えられる」

「一理はあるけど」

「ですから、ぼーとはわたしたちが製作場にいたときにながされたのですよ。それまではどこか別のところにとめておきまして……」

「待ちやがれ。別のところってどこだ」

 

 城咲の言葉に、火ノ宮が口を挟む。

 

「それは、ええと……上流の、実験棟の前のさんばしではありませんか? あのあたりは、わたしはかくにんしておりませんから」

「いや、おかしいぞシロサキ。そこも結局見つかるリスクはある。人が横たわってるんだぞ。かなり目立つはずだ」

「そ、そんなこと言ったら、川の上だとどこに泊めても見つかっちゃうじゃないか……!」

 

 ……ボートは、どこにあったんだ?

 

「そ、そもそも、か、川の上にボートを隠せるところなんかないだろ……」

「いや、一箇所(一ページ)だけあるはずだ」

 

 そんな彼の反論を断ち切ったのは、明日川のそんな声。

 

「川の上で、ボートを隠せる場所なら――橋の下がある」

 

 ……あ!

 

「ボートは、橋の下にあったんだ。あそこなら橋の上からも見つからない(読まれることはない)し、街灯の光も橋で遮られて届かない。そこにボートがあると思って見なければ(精読しなければ)、見つけられるはずがない」

「そういうことか!」

「でしたら、やはりぼーとは隠されていたのです! そして、わたしたちに発見させるためにながしたのです!」

 

 息を吹き返すように、元気よく推理を述べる城咲。そうなると、クロはやはり【体験エリア】に来ていたのか?

 

「い、いや、それでもやっぱりおかしいだろ……そ、それって、せっかく蒼神を遠隔で殺したのに、わ、わざわざ自分の手で流したってことだろ……? そんなの、遠隔殺人の意味がないだろ……! し、城咲たちに見つかるリスクもある……!」

 

 そんな推理を切り捨てる、的を射た根岸の反論。

 

「ですが、これならわたしがぼーとを見なかった理由もせつめいできます」

「だが、根岸君の意見も無視できないだろう。せっかくの犯行計画(トリック)が台無しになるのだから」

「なら、それもトリックなんじゃないのか」

 

 彼女達の議論を聞いて、そんな発想に思い至る。

 

「とりっく、といいますと」

「自動で、ボートを流す仕掛けだよ。殺人すら遠隔で行ったんだ。それくらい仕掛けていてもおかしくないだろ。まさしく、クロが【体験エリア】に行ったのだと思わせるために」

 

 実際はそこまでの意図はないのかもしれない。けれど、蒼神が死ぬまでは見つからないように隠して、蒼神が死んでからは見つかりやすいように移動させたかった、とは十分に考えられる。

 

「……平並君の言う通りですね」

 

 杉野が賛同してくれた。

 

「なら、皆で考えるぞ。その、クロの仕掛けたトリックってヤツをな」

「そうですね。幸いにも、考えるための材料はありますから」

「ざいりょう、ですか?」

「ええ。ボートに残されていた異様な痕跡。それがそのトリックに関わっているのは明白です」

「異様な痕跡というのは、妙に削られた飾り棒とそれにくくりつけられていた黒い毛糸のことで間違いない(決定稿)か?」

「はい」

 

 明日川も目撃していたのだろう、スラスラと答えてくれた。

 ボートの先頭部分に突き出た四角い棒。その内側の一片が削られて斜めになっていた。さらに、そこに異様な長さの毛糸がくくりつけられていた。

 

「確か、毛糸は先が輪っかになってたわね」

 

 と、東雲は指で輪を作って示す。

 これらを利用した、トリックとは?

 

「で、でも、ど、どこから考えればいいんだよ……け、毛糸とか、つ、使おうと思えばどうとでも使えるだろ……」

「他に、何かヒントになるような痕跡は残ってなかったの?」

 

 その大天の声を聞いて考える。ヒント……毛糸……あ。

 

「痕跡なら、あった」

「……どんなやつ?」

「実験棟前の、桟橋。そこに立ってた杭の中で、一番川下に近い杭に毛糸のクズがついてたんだ。黒い毛糸のな」

「確かにありましたね」

「黒い毛糸って……じゃあ、もしかして」

 

 七原の言葉に反応するように、俺の頭に光景が浮かぶ。あそこに、毛糸のクズが付くのなら。

 

「あの輪っかを、あの杭に引っ掛けたんじゃないのか? だから、あんなところに毛糸のクズがついたんだよ」

「それは違うわ、平並。あの毛糸は長すぎるもの」

「……あ」

 

 言われて、毛糸は製作場から図書館までとどきそうなほどに長かったことを思い出した。それほどの長さがあるのなら、橋の下など簡単に越えてしまう。

 

「でも、杭に毛糸のクズがついてたんだったらその杭がトリックに関わってるのは間違いなさそうだよね」

 

 と、七原。

 

「それはそうでしょうけど。やっぱり、毛糸の長さが問題よ。橋の下に泊めたいのに、なんであんな長さにしたのかしら」

「……長さ」

 

 杉野がその言葉を反芻する。

 

「……あの長さなら…………もしそうなら……しかしどんな意味が……いや、そうか…………」

 

 ぶつぶつと、彼は何かを呟きながら考えていた。

 

「……そういうことですか」

 

 彼は最後にそう口にした。

 

「杉野君、分かったのか」

「ええ」

「……言ってみろ」

 

 火ノ宮にそう催促され、彼は語りだす。

 

「毛糸のクズが付いてたのなら、あの桟橋の杭に毛糸が引っ掛かったのは間違いないはずです。毛糸の長さは桟橋から橋までの距離のおよそ二倍でした……なら、毛糸を半分に折ってしまえばちょうど良くなりますよね」

「半分に折る?」

「はい。輪っかの部分は杭ではなくボートの先頭の飾り棒に引っ掛けて、折り曲げた方を杭に引っ掛けたのですよ」

 

 腕を曲げて、ジェスチャーと共に説明した。

 

「ええと……」

 

 毛糸に作られていた輪っかを飾り棒に引っ掛けることで、あの長い毛糸はボートを起点にして大きな輪になる。その大きな輪を、杭に引っ掛けたのだ。こうして毛糸を半分の長さにすることで、ボートを橋の下に泊めた、ということか。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そして、こうしてこそ完成するのです。自動でボートを流すトリックが」

 

 なんだって?

 

「こんな簡単な仕掛けで?」

「ええ。大事な事は、あのボートは浸水していたということ。そして、参考書などのせいで前に傾いてたと言うことなのです」

 

 再度ジェスチャーを交えながら、説明が始まる。

 

「先程申した通り、ボートは杭を介して、飾り棒に輪っかを引っ掛けて泊まっていたのです」

 

 杉野は人差し指を立て、そこにもう片方の手で作った輪を引っ掛ける。人差し指を横に引っ張るが、輪に引っかかって止まる。

 

「その状態で、時間が経過すると一体どうなるでしょう?」

「どうなるって、浸水すんだから、水が溜まってくに決まってんだろォが」

「そのとおりです。水が溜まって、大きく傾くことになります。参考書などのおかげで、水は前にばかり溜まりますからね。その結果」

 

 その言葉とともに、人差し指が傾いていく。水平に近づくに連れて、徐々に輪は滑り、そして。

 

「傾いたボートの飾り棒から、毛糸の輪が外れます」

 

 人差し指が、輪から抜けた。

 ああっ、と。皆から声が上がる。

 

「これで、自動的にボートは川の流れに乗って流されることになります。毛糸も端が外れたので、ボートに引っ張られて杭からも離れます。……こうして、城咲さん達が発見した状況が出来上がるのです」

「……そういう、ことだったのか」

 

 おもわず、そんな声が漏れる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「更に根拠を加えるとするなら、飾り棒が削られていたのもこのトリックのためでしょう。毛糸が引っかかる内側の一辺を斜めに削ることで、毛糸が外れるタイミングを調整したのではないでしょうか。そのままだと、かなりボートが傾かなければ毛糸が外れませんからね」

「なるほど……」

「ちょ、ちょっと待てよ……そ、それだったら、ぼ、ボートに毛糸をくくりつけなくても良いだろ……さ、最初から半分の長さにして、く、杭にくくりつければ済んだ話じゃないか……」

「ええ、確かにそれでもこのトリックは成立したでしょう。しかし、その場合毛糸はボートでなく杭に残ることになります。そうなると、その長さからボートを橋の下に隠した事は容易に想像がついてしまいますよね。

 クロは、そこに推理が至ってしまう事を忌避したのでしょう。クロが偽装したバケツを用いた殺害ならば、眠らせた蒼神さんを毛糸を使ってまでそんなところに隠す必要など無く、実験棟やアトリエの中に隠せばよいはずですから」

「そ、そうか……」

 

 さらなる杉野の補足を持って、その推理は完成する。

 

「……これ以上、異論はありませんね?」

「…………」

 

 誰からも声は上がらない。

 殺害方法は、暴かれた。

 

「つまり、こういうことになります。――誰にでも、どこにいても、蒼神さんの殺害及びボートの移動は可能だった、と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、容疑者の特定に参りましょう」

 

 静まった裁判場で、杉野が話し始める。

 

「蒼神さんが遠隔で殺害された以上、クロの条件として、あの時間帯に完璧なアリバイを持っていた事が挙げられます」

「それは間違いないはずだ。だからこそ、クロはあれほど呼び出し状を出したんだろうし」

 

 ここまでの流れを受けて、思いついたことがある。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「クロが出した呼び出し状は、全部アリバイ工作のためだったんだ。12時に俺や大天を製作場へ呼び出したのも、城咲を展望台に呼び出したのも、全部、クロが死亡時刻である12時に【体験エリア】に行っていないと証言してもらうためだったんだよ」

「ネギシやヒノミヤは? あの二人が呼び出されたのは11時半だっただろ」

「そ、それは多分、か、カモフラージュだったんじゃないかな……じゅ、12時だけに出すと怪しまれるから……」

「根岸君は前回その命を狙われているし、火ノ宮君は非常に真面目な性格をもつ人物(キャラクター)だ。どちらも呼び出しに応えそうにないからこそ、死亡時刻より早い11時半の『手紙』を出されたんだろうな」

「じゃあ、アタシは?」

 

 東雲が、自身に出された手紙を揺らしながら声を上げる。東雲は1時に自身の部屋にいるように指示されていた。

 

「東雲は多分、個室にとどめておきたかったんじゃないか? 東雲の行動は正直読めない。犯行を邪魔されないように、事件が露呈するまで個室にいてほしかったんだよ」

「何よ平並、人を幼稚園児みたいな言い方して」

 

 そんなかわいいもんじゃない。

 

「今の平並君の話も踏まえれば、アリバイを持った人物がクロであるのは間違いなさそうですね」

「あ、あえて、く、クロが自分のアリバイをなくした可能性は……?」

「ありえねェこともねェが、そもそもこいつらは全員それ以外の理由で容疑者から外れるだろ。殺害方法が変わろォが、10時半に蒼神とクロが呼び出されたのも、クロが12時に平並を叩き起こしたのも変わんねェからな。その四人は無実だ」

 

 さっきまで容疑者だった俺達四人が、今度は一転真っ先に容疑者から外された。

 

「七原さんと同様に大天さんのドアチャイムの音を聞いたという、露草さんと根岸君もクロではないでしょう」

「ねえ、ちょっと気になったんだけど」

 

 杉野の言葉を聞いて、大天が口を開く。

 

「私のドアチャイムを聞いたって理由で七原さん達が容疑者から外れるなら……私のドアチャイムを聞いていなかった明日川さんは、怪しいんじゃないの?」

 

 視線が、彼女に集中する。そうだ、大天は、明日川の個室のドアチャイムも鳴らしていた。

 

さっき(前話で)も伝えたはずだ。ボクは夢の物語を読んでいたと」

「そんなの、理由になんないじゃん。……本当は、蒼神さんを眠らせに行ってたから、聞こえなかったんじゃないの?」

「それは数ある物語の中の一つに過ぎない。キミの妄想だ」

 

 大天の追及をかわす明日川。そんな彼女に、更に追及が入る。

 

「……いや、クロは、アスガワだろ」

「どうしてだい?」

「思い出してみろ。今回のクロは、ヒラナミをクロに仕立て上げようとしただろ」

 

 学級裁判が始まってすぐ、俺はクロと断定された。クロの残した、偽の呼び出し状や睡眠薬の染み込んだハンカチによって。

 

「クロは、『モノモノスイミンヤク』を使用している……その上で、ヒラナミにクロを押し付けられるのは、ヒラナミが『モノモノスイミンヤク』を持っていると知っているヤツだけだ。アスガワ、お前はそれを知っていただろ」

 

 俺が蒼神に頼んで『モノモノスイミンヤク』を貰いに行ったあの時。明日川達と遭遇して、その事を確かに伝えた。

 

「……ボクじゃない」

 

 ポツリと、つぶやく。自分が劣勢にいると、気づいたのだ。

 

「ボクは蒼神君を殺して(蒼神君の物語を終わらせて)なんかいない! 本当に、ボクじゃないんだ!」

 

 いつぞやも聞いたような、その台詞。あの時は、明日川は本当の事を話していた。

 けれど、まさか、今度こそ。

 

「……っ!」

 

 顔を青ざめた明日川と、目が合う。

 ……今度こそ、明日川がクロなのか? それとも、明日川を信じていいのか?

 

 

――《「俺も、お前と友達でいたい」》

――《「……いい台詞だよ、平並君」》

 

 

 瞬間、いつか交わした会話を思い出す。

 ……信じるべきだ。明日川と友達でいたいなら!

 

「明日川、お前を信じる」

「平並君!」

「……アスガワをかばうのか?」

「かばうって言うが、俺が『モノモノスイミンヤク』を持っていたことを知ってるって理由で明日川を疑うなら、お前だって容疑者だろ」

「それくらい分かってる」

 

 さもなげにスコットは答える。

 

「だが、アスガワはオオゾラのドアチャイムを聞いていなかった。それはクロと思える大きな理由だろ」

「だから、明日川は寝てたって言ってるだろ? 寝てる人間の耳にドアチャイムの音が聞こえるわけがない」

「聞こえるだろ。だって、オマエ自身が言ったじゃないか。寝てたところをドアチャイムで叩き起こされたと」

「それは俺の眠りが浅かったからだろ。明日川は眠りが深い体質みたいだし、それならドアチャイムに気づかなくてもおかしくは……」

 

 自分の言葉に引っかかる。眠りが深ければ、ドアチャイムに気づかない。それはそうだ。なら、睡眠薬を飲んでいたら? その状況だってドアチャイムには気づかないはずだよな?

 だったら、だったら!

 

「どうした、ヒラナミ」

「わかったんだよ! やっぱり明日川はクロじゃない。お前の推理は、間違ってるんだ!」

 

 考えるべきは、明日川のことじゃなくて、俺のことだったんだ。

 

「……理由を、聞こうか」

「さっきお前は言ったよな。俺にクロを押し付けられるのは、俺が『モノモノスイミンヤク』を貰うことを知ってるやつだけだって」

「……ああ」

 

 いぶかしみながらも、肯定が返ってくる。

 

「逆なんだ。俺が『モノモノスイミンヤク』を貰うことを知ってるやつなら、俺にクロを押し付けようとするわけがないんだよ。だって、俺はこの夜中はずっと眠っているはずだったんだから!」

「っ!」

「クロは、俺を【体験エリア】に呼び出して、偽の呼び出し状まで用意して、俺をクロに仕立てあげた。でも、この計画は俺がドアチャイムで目を覚ます事が前提になってる。なら、俺が『モノモノスイミンヤク』で眠ることを知っていた明日川は、こんな計画を立てるわけがない!」

 

 俺が目を覚まさなければ、自分のためにやった呼び出し状のアリバイ工作がそっくりそのまま俺のアリバイになってしまう。

 

「べ、べつに、お、おまえが薬を持ってるからってそれを飲むとは限らないじゃないか……お、おまえが薬を飲んでないことに、く、クロは賭けたんじゃないのか……? お、起きてこなかったらおまえの事をほっとけばいいわけだし……」

「そうしたら、蒼神に持たせた偽の呼び出し状が何の効果も為さなくなる。俺にクロを押し付けたのは、完全に仕組まれたものだったはずだ。だから、クロは俺が『モノモノスイミンヤク』を貰ったことを知らない人物だ」

 

 クロがどの段階でこの計画を思い付いたのかは知らない。だが、蒼神を浸水するボートに乗せた時点で、俺をクロに仕立てあげる事は決定していたはずだ。つまり、俺が睡眠薬を飲んだことは全くの計画外だったということになる。

 

「平並君の薬の件を知っていた方は?」

「彼に薬を渡した根岸君は当然として、ボクとスコット君、そして岩国君だ。他にはいるか?」

「いや、いないはずだ」

「では、新たに三名が容疑者から外れますね」

「な、なあ……ちょ、ちょっといいか……?」

「あァ?」

「そ、そんな声出すなよ……」

 

 火ノ宮に怯えながら、根岸は語る。

 

「く、クロは平並をクロに仕立てあげようとしたけどさ……ぼ、ぼくから薬を貰わないと平並は薬を手に入れられないよな……?」

「ええ、平並君はずっと軟禁されていましたし、唯一平並君が自由になった今夜は根岸君がが薬を管理していましたからね」

「だ、だったら、ひ、平並が薬を貰ったことを知らないやつは、ひ、平並をクロに仕立てあげようなんて思わないんじゃないか……?」

「……確かに」

 

 クロは、わざわざ薬を染み込ませたハンカチを新家の個室に捨ててまで、『俺が薬を使って反抗に及んだ』と印象づけた。でも、俺には薬を得る手段なんかない。

 

「そ、そうなると、ほ、他のやつもクロじゃないってことに……」

「そうはならないはずよ」

 

 そこで異を唱えたのは東雲だ。

 

「だって、アタシはその薬の管理なんか知らなかったもの。化学室にあるもんだと思ってたわ。だから、アタシからしたら、『平並が化学室の薬を使って犯行に及んだ』ってシナリオは十分成立する話なのよ。それこそ、眠れないから夜中に蒼神と一緒に化学室に行った、とかね」

「東雲君の言うとおりだ。となると……確か、薬の管理を提案したのは火ノ宮君だったな」

「あァ」

「なら、容疑者から外せるのは彼だけだ」

「そうね」

 

 あの停滞が嘘のように、議論が進行していく。

 

「では……残る容疑者は東雲さんと遠城君、そして僕の三人になりますね」

 

 三人。大分少なくなってきた。

 

「ふふ……良いわね、真相に近づいて来た感じがするわ。あと少しね!」

「な、なんでそんな楽しそうなんだよ……お、おまえもまだ容疑者だろ……」

「だって、本当に楽しいんだもの! クロのミスリードにはまっちゃったのは癪だけど、次々と真実が明らかになっていくカタルシスは気持ちいいわね」

 

 微妙に答えが噛み合ってない。根岸は推理ゲームの感想を聞いたわけじゃないのだ。

 

「シノノメ、オマエに焦りはないのか? オマエがクロだとしてもそうでないとしても、この期に及んでまだ容疑者に含まれているのは望ましくないはずだが」

「焦りならあるわよ。それがいいんじゃない! だからこそ、アタシ達はどこまでも本気になれるんだから!」

 

 ……呆れた。

 

「では、あなたの無実を証明する方法はまだ無いと?」

「そうね、杉野。こんなことなら、もっとミステリを読んでおけばよかったわ。明日川、何かオススメない?」

「キミに物語を紹介するのは今度(次章)にしよう。今は学級裁判の時間(シーン)だ」

「それはそうね。じゃ、次は何について話す?」

「それではボクから議題(テーマ)を提案させてもらおうか」

 

 東雲をあしらったその口で、明日川が語り始める。

 

「平並君は、蒼神君が息絶える時刻に合わせて呼び出された。そうだったよな?」

「ええ、彼をクロは仕立て上げるために。それが同化されたのですか?」

「なぜ、クロは12時に蒼神君が死ぬと知っていたんだ?」

「え?」

「だって、その通りだろう? もしも12時よりずっと前に蒼神君が事切れる(蒼神君の終章)事があれば現場不在証明(アリバイ)や冤罪の偽装は成立しないし、逆にそれが遅れれば蒼神君の死亡(エンドロール)を迎える前に平並君が蒼神君を発見してしまう可能性も出てくる。クロが蒼神君の死亡時刻を把握していたのは間違いないんだよ」

「けどよォ、蒼神が死ぬ時刻の把握なんかできねェだろ。そん時には城咲が展望台にいたんだから、ボートをチェックしてるのは無理だろォしな」

「ああ。だからこそ、謎なんだ」

「そんなの、計算でもして予測してたんじゃないの?」

 

 と、大天は言うが、

 

「そ、そんなの、で、できるわけない……!」

 

 根岸が、ハッキリと否定する。

 

「じゃ、蛇口をひねってコップに水を溜めるのとは、わ、わけが違う……ど、どれくらいの速度で水がボートに入るかは、あ、圧力によって変わるから、ぼ、ボートの重さや蒼神の体重で変わってくるし……す、水位の上がり方だって、ボートの形や人体の形も影響してきそうだし……け、計算なんか無理だ……!」

「言われてみれば、さっきスギノが言った毛糸が外れる仕掛けだって、時間の予測は出来ないよな? 浸水スピードがわからない以上、どれほどの時間でボートがどれだけ傾くかもわかり得ない」

 

 それでも、クロは計画に蒼神の死を組み込んだ。クロは、何らかの方法で蒼神が死ぬタイミングを知っていたんだ。その方法は――?

 

「『練習』したのよ!」

 

 突如、嬉しそうに東雲が叫ぶ。

 

「クロは、殺人の『リハーサル』をしたから、浸水スピードがわかったのよ!」

「『リハーサル』?」

「そう! 実際に、試してやってみたから、水が溜まって蒼神が死ぬまで、そして、毛糸がボートの飾り棒から外れるまでの大体の時間を知ってたのよ。その証拠だってあるわ。そうよね、杉野に平並」

「……そうですね」

 

 東雲の言う、練習の証拠……きっと、【体験エリア】に残されていたアレのことだ。

 

「台車の跡、だよな」

「そうよ」

「……てめーらだけで納得してねェで、説明しやがれ」

「言われなくても。【体験エリア】の向こう側の岸に、台車の跡が何本もあったのよ。ちょうど、二つの桟橋を往復するようにね」

 

 皆は目で杉野や俺にその信憑性を尋ね、俺達のうなずきを見て本当であると理解する。

 

「クロは多分何回も練習したのよ。毛糸のトリックも一回でできるとは思えないし、浸水のスピードもせっかくなら何度か実験して調べたほうがいいし。その時に台車の跡がついたのね」

「でも、だいしゃなんて何につかったのですか?」

「上流にボートを上げるため……っていう可能性もあると思うけど、練習に使った道具があるから、それを運んだのかもしれないわ」

「ど、道具?」

「ええ、アトリエにあった、石材よ」

 

 そう切り出して、彼女は石材の事を説明しだした。いくつも斜めに水が染み込んでいたこと、そして、それらが明らかに隠される様に置かれていたことを。

 

「そう言えば、あの時お前は何か考えていることがあるって言ってたよな。それってなんだ?」

「あ、そんな事言ったわね。あれは嘘よ」

「は?」

「ワケわかんなかったけど、それを正直に言うのは癪だったし。でも、今は違うわ」

 

 困惑する俺をよそに、彼女はニヤリと笑う。

 

「さっき根岸もちらっと言ってたけど、ボートの沈むスピードは蒼神の体重も考慮擦る必要があるのよね。ただボートを浮かべただけじゃ実際に蒼神の死ぬ時間は分からない。ってことは、練習の時にはその蒼神の代わりが必要だったってことになるわ」

「それが、石材ってことか」

「ええ。蒼神の体重はわからないけど、石材は大体一つ10キロだから5個ぐらい積めばおおよそのシュミレーションはできたはずよ」

 

 それで大体50キロ……実際、女の子の体重ってどれくらいなんだろう。

 

「……だから、あの石材は濡れていたんですか」

「ええ。浸水するボートに乗せてたから濡れたのよ。ま、蒼神の死ぬ時間を測るなら石材じゃなくてクロ本人が乗ってもいいかもしれないけど、桟橋からボートをセットする練習もするなら石材を乗せてやったほうがいいわね」

「……で、でもそんなの、い、いつやったんだ……?」

「そんなの、今日の日中しかありえないわ。夜時間になってからじゃそんな時間はないし、今朝の時点でボートが浸水するようになってたら誰か気づくでしょう?」

「……ああ、確かに、今朝個室に閉じこもる前の時点では、ボートに異常はなかった」

 

 明日川が、記憶をたどってそう相槌を打つ。

 

「なら、やっぱり練習は日中に行われたのよ。今日の日中は皆個室に閉じ籠っていたんだし。クロは、人の目を気にすることなく思う存分練習できたんじゃないかしら」

「……ということは」

 

 静かに、杉野が呟く。

 

「事件を行わせないために個室へ閉じ籠ったのに、それが事件を起こしやすくしてしまった……そういうことですか」

「そうね」

 

 悔しそうな、杉野の表情。今回の閉じ籠もりを提案したのは、杉野だった。皆を助けるために出した自分の作戦が、逆にクロに利用されてしまったのだ。その苦しみは想像するに余りある。

 

「いえ、まってください」

「何よ、城咲」

「ひるのうちにくろは犯行のれんしゅうをした、とのことでしたが、そんなことはありえません!」

「ど、どうして……?」

「だって、にっちゅうは、だれも宿泊棟からでてはいませんから! わたしと蒼神さんがいた食事すぺーすはかべでなく鉄柵でかこまれていますから、宿泊棟のいりぐちも【自然えりあ】へつながるげーとが確認できます。もしだれかが宿泊棟からでてくれば、きづかないわけがありません!」

 

 声高に、城咲はそう主張する。

 今更彼女の証言を疑う必要はない。その場にはまだ蒼神もいたのだし、本当に誰も宿泊棟を抜け出さなかったのだろう。しかし、今日の日中にクロが【体験エリア】で犯行の練習をしたのも間違いはないはずだ。あの数々の痕跡を残せるのはその時間しかないんだから。

 となると、そこから導き出される結論は。

 

「クロは、個室に戻らなかったんだ」

 

 これしかない。

 

「もどらなかった……」

「クロは、【動機】が提示された時点で、記憶のヒントを見るまでもなく犯行を決意したんだ。多分、ボートの浸水を利用したトリックは前々から思いついていたんじゃないのか」

 

 思い返せば、古池もそうだった。元々思いついてたガラスの破片を利用したトリックを、明日川と新家の口論をきっかけに実行することに決めたのだから。

 

「解散になってから、隙を見て【体験エリア】に移動したんだろう。そして、俺達が【宿泊エリア】にいる間に、犯行の練習を始めたんだ」

「それだと、クロは最初から殺す気満々だったってことになるじゃん。【動機】とか関係なくさ」

「きっと、そうだったんだよ、大天さん。だって、そもそもクロは人知れず『モノモノスイミンヤク』を持ち出してたんだし」

「……そうだったね」

 

 真相が明るみになるに連れ、クロの殺意がより色濃く現れる。……今はそれを気にしてはいられない。なぜ殺意を抱いたかは、その正体を突き止めてから、本人に聞くしか無い。

 

「ま、待って……く、クロは蒼神と一緒にアトリエに呼び出されて、それで犯行に及んだんだろ……? こ、殺す気満々だったようにはおもえないけど……」

「……いや、どのみち、蒼神と城咲が食事スペースにいたんだから、クロが誰かを呼び出そうとしても夜時間までは宿泊棟に戻れない。夜時間になってようやく宿泊棟に戻った時に呼び出し状を見つけて、それを犯行に利用しようと考えたんだろ」

「…………」

 

 ともかく、クロが個室に戻らなかったというのなら、容疑者から外れる人間が、一人だけいる。

 

「なら、アタシは無実よね」

 

 俺が気づくと同時に、その人物が声を発した。

 

「ああ。東雲はクロじゃない。東雲はきちんと個室に戻ったはずだ。そうだよな、城咲」

「はい。かんぜんにみなさんがとじこもる直前、わたしと蒼神さんは東雲さんから焼却炉のかーどきーを預かるために個室を訪ねました。東雲さんはでてくださいましたよ」

「ああ、だから蒼神君がカードキーを持っていたのか」

「そうよ」

「…………個室に戻ったらドアは開けねェっつー約束だろォが」

「細かいことは良いじゃない。ああ、やっと容疑者から外れたわ。このまま無実を証明できなかったらどうしようかと思っちゃった」

「と、とにかく……の、残る容疑者は二人ってことになるのか……」

「ああ、そうだ」

 

 東雲が容疑者から外れたことで、容疑者は二人に絞られる。

 すなわち、杉野と、遠城だ。

 

「シロサキ……いや、他のヤツでもいい。この二人のどちらかが個室に入ったところを見たヤツはいるか?」

 

 スコットの呼びかけに答える声はない。確か、城咲も一度個室に戻ったはずだったし、宿泊棟に全員が戻ったかを確認はしていないだろう。誰かが個室に戻った杉野か遠城を見ていればその人物の無実が証明されるが、それはできなさそうだ。

 

「ならば、クロは杉野であろう。吾輩はクロではないのであるからな」

「僕だって蒼神さんを殺してなどいません。……遠城君がクロだと、思わざるを得ません」

 

 互いに相手がクロだと主張する。本人からすれば、そう言うしか無い。

 

「僕がクロなら、ここまで積極的に真相を明らかにするでしょうか? ボートの毛糸の仕掛けも、僕が暴いたんですよ」

「まさに今ここで、そう主張するための布石であったのであろう。吾輩に無実を証明する手立てが無いと踏んだ上でな」

 

 どっちなんだろう。正直な事を言えば、どちらもクロとは思えない。思いたくない。

 杉野は、蒼神とともに俺達をまとめてくれた。諍いが起きればそれを仲裁し、円滑に事が進むようにサポートしてくれた。【動機】が提示されるたびに、事件を防ごうと色々な案を出してくれたし、蒼神が死んでからは一人でリーダー役を担っていた。学級裁判だって、積極的に推理を披露してくれた。

 それに。

 

 

――《「平並君。僕はあなたを信じています」》

――《そんな俺に、杉野が声がかけた。》

――《「あの日、あなたは僕に【卒業】の意志はないと言ってくれました」》

――《いつだったか、たしかに俺はそう言った。そして、それは今でも変わらない。》

――《「まだ事件の全容がつかめているわけではありませんが、それでも、あなたのその言葉を信じたいと思います」》

 

 

 クロの策略により、限りなくクロとして疑わしくなってしまった俺を、杉野はそれでも信じてくれた。そんな彼の信頼を信じたい。

 

 しかし、遠城だって、殺人に及ぶようなやつとは思えない。

 杉野ほど一緒に過ごした時間があるわけではないが、その短い時間でも、彼が正義感に溢れた人間だということは理解できる。

 

 

――《「少なくとも、こんなどうでもいいところで協調性とか持ってらんないわよ」》

――《「どうでもよくなどないのである! モノクマに対抗するために一致団結せねばならぬ状況であるぞ! 大体、お主には倫理観というものが欠けているのである!」》

――《「そこらへんは個人の感性に依るところかしらね。人それぞれってやつよ」》

――《激情を飛ばす遠城に対し、あくまでマイペースに返事をする東雲。遠城の熱い正義感も含めて、とことん対照的な二人だ。》

 

 

 コロシアイを楽しむ東雲に怒りを抱き、それを真正面からぶつけることができる。殺人を忌避し、真っ当な倫理観を掲げている。そんな彼の激情を信じたい。

 

 

 信じたい、二人とも。

 本当に、この中にクロがいるのだろうか。いざ、クロを突き止める段階になって、不意にそんな事を考えてしまう。いないんじゃないのか。だって、二人とも間違いなくいいやつだ。消去法で、ここまで容疑者として残ってしまっただけで、そのどちらにも怪しいところなんか。

 

「――っ!」

 

 怪しいところなんかない、と判断しかけて、瞬間、あの会話を思い出す。捜査時間の時に交わしたあの会話。あの違和感。ただの気恥ずかしい失敗談が、まったく違う意味を持って蘇る。

 なぜアイツはあんな事をしたのか。その答えは――。

 

 待て、本当にそうか。目の前のわかりやすい真実に飛びついているだけじゃないのか。

 アイツを信じることは、出来ないのか。ちょっと怪しい事をしただけで、そんな結論を出してもいいのか。

 

「………………」

 

 悩む。

 

 それでも。

 

「なあ、皆」

 

 誰かが、口にしないといけない。

 

「あァ?」

「今回のクロは、アリバイトリックを成立させるために行動していたよな」

「あァ。わざわざ練習を繰り返して、クロは蒼神が死ぬまでの時間を確認して、それをトリックに組み込んでいた。12時に誰かを宿泊棟の外に呼び出して証人にすることで、犯行時刻に【体験エリア】には行けねェっつーアリバイを作り出したんだ」

「そうだ。だからこそ、クロはあんなに沢山呼び出し状を出したんだ。もしも、一人二人にだけ出して、そいつらが呼び出しに応えてくれなかったらアリバイにならないからな」

「そ、それがどうしたんだよ……」

「逆に言えば、クロはどうしてもアリバイを作る必要があった。何かのトラブルで……例えば、【体験エリア】に呼んだ三人が全員製作場に入ってしまうなんてことがあったとしても、アリバイを主張しなくちゃいけなかった」

 

 例えば、誰も呼び出しに応えなければ。

 例えば、自分の予期せぬ何かが起こってしまったら。

 

「だから、クロは何があってもアリバイが主張できるように、自分のアリバイだけは強固に作ったはずなんだ」

「そういうこと」

 

 東雲は、そう呟いてニヤリと笑う。

 

「クロは、自分の個室に他の人を呼んだのね。蒼神の死体が発見された時に何気ない顔で個室から出ていくことで、個室に呼んでずっとドアの前にいた相手をアリバイの証人にしたのよ」

「じゃあ、クロは……」

「そう! 遠城や露草を呼んでアリバイ工作を図った、杉野がクロ――」

 

「それは違うぞ!」

 

 推理を語った東雲に、大きな声でその言葉をぶつける。

 

「逆なんだよ。そうしたって結局、アリバイが成立するかは呼び出しに応えるかどうかにかかっている。実際、露草は杉野の個室に行ってないだろ」

 

 そう、それじゃ、100%のアリバイにならない。

 

「個室で待ってる方と、個室を訪ねる方。アリバイを確実に作れるのは、訪ねる方に決まってる」

 

 

 

 

「そうだよな、遠城」

 

 そして、俺は彼の顔を見据えた。

 

 

 

 

「…………ふはははは!」

 

 一瞬の沈黙の後に、彼は笑う。

 そして、すっと笑みを消し、

 

 

「……そのアイデア、実に滑稽であるぞ!」

 

 

 激情とともに反論した。

 

「滑稽なもんか。お前は、自分のアリバイを示すために自分宛てに呼び出し状を作り、杉野の個室を訪ねた。そうだろ」

「そんなもの、言いがかりであろう! お主の妄想であるぞ!」

 

 違う。遠城がクロであることは、きっと想像なんかじゃない。

 

「クロは、杉野である! 杉野は自分から動くのはリスクが高いと考えたのであろう。だから、吾輩や露草を利用してアリバイを作ろうと考えたのである」

「それは違うぞ。遠城」

「何?」

「お前がドアチャイムを鳴らした時、杉野は出てこなかった。そうだよな?」

「そうである。それがどうしたのであるか!」

 

 この事実が、杉野がクロでない証拠になる。

 

「もし杉野がクロなら、どうして個室から出てこなかったんだよ」

「どうしてって、そんなもの! ……ッ!?」

 

 失態に気づいたかのように、遠城は目を見開く。

 

「もしお前の言う通り杉野がお前を呼んだんだとしたら、杉野はすぐに個室から出てお前と合流するはずだ。そうしないと、アリバイが成立しないからな」

「いや、吾輩がドアの外にいたことで、杉野は個室の中にいてもアリバイが成立しているのであるぞ」

 

 遠城は間を開けることもなくすぐに反論のアイデアをひねり出す。ならそれを撃ち砕くだけだ。

 

「そんなの、お前がしばらくドアの前にいるってわかってないと成立しないだろ。一回ドアチャイムを鳴らしてお前がもし妙に思って個室に戻っちゃったらアリバイは成り立たなくなる」

「ぐ……」

 

 遠城が言葉に詰まる。畳み掛けるなら今だ。

 

「お前がなぜ何度もドアチャイムを鳴らしたのか……それこそ、アリバイ工作なんじゃないのか」

「言ったであろう! 吾輩は自分の才能を褒められて浮かれてしまったと。そこをほじくり返されてはかなわんぞ!」

「そういう言い訳ができるように、そういう文面にしたんだろ。浮かれていたとしても、流石に長過ぎるんじゃないのか」

「杉野が寝てると思ったからである! だから、ドアチャイムで起こそうとしただけであるぞ!」

「起こそうとした……そうだよな。だって、お前は杉野には起きてもらわないと困るんだからな」

「……っ!」

 

 図星のようだった。

 

「僕に起きてもらわないと困る……ですか?」

「ああ。そもそも遠城はどうアリバイを主張するつもりだったのか……杉野が個室から出てきたらそれでいいが、そうでないなら、誰も自分とは合流しない。そんな場合でもアリバイが主張できるように、遠城は何度も何度もドアチャイムを鳴らして杉野を起こしたんだ。

 そうすれば、杉野に『遠城は12時からずっと自分の個室のドアチャイムを鳴らしていた、だから犯行は無理だ』って、証言してもらえるからな」

「……なるほど」

「杉野に呼び出し状を出さなかったのは、杉野に部屋にいてもらわないと困るからだ。東雲みたいに手紙を出してもいいが、個室から逃げられる可能性もある。スコットと岩国に呼び出し状を出さなかったのは杉野のカモフラージュだ。違うか」

「…………」

 

 遠城は、無言のまま俺を睨んでいる。俺の推理が当たっているのか、それとも無実を信じてもらえず諦めたのか。

 

 そのどちらにしても、前に進むしか無い。

 凡人である俺でも蒼神の無念を晴らすことができるのなら、俺は足を止めたくない。

 

「事件のすべてを振り返る。もしも、そこに矛盾が無かったのなら、お前がクロであることを認めてくれ。それで、終わりにしよう」

 

 長い長い夜も、とっくに明けているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

「この事件は、モノクマによって【動機】を提示された直後から始まった。クロは、【動機】である記憶のヒントを見ることなく殺人計画を始動させた。きっと、前々から練っていた計画だったんだ。そして、今こそがそのチャンスだと感じ取って、実行に移ったんだ。

 人知れず体験エリアへ移動したクロは、ボートが浸水するように細工を施した。毛糸と桟橋の杭を利用してそのボートを橋の下に隠すことができるようにすると、クロは石材を利用して犯行のために練習を重ねた。

 ボートが浸水するスピード、そして仕掛けそのものがうまく作動するかどうかを、クロは日中の間の練習で全て把握したんだよ」

 

 そしてその練習は、誰にも邪魔されず、誰にも目撃されずにクロは存分に行うことが出来た。だって、他の皆は全員【宿泊エリア】にいたのだから。

 

「夜時間になり、蒼神達が個室に戻ったタイミングで自分も個室に戻る。きっと、その時に自分を10時半に呼び出す手紙を見つけ、その差出人をターゲットにしようと企んだんだ」

 

 当初は誰を殺すつもりだったのかはわからない。けれど、自分を誘い出す手紙は正に渡りに船だったのかもしれない。

 

「10時半、クロはアトリエに向かう。そして、アトリエにやってきた蒼神を差出人と思い、事前に手に入れていた『モノモノスイミンヤク』で蒼神を眠らせたんだ。……蒼神も何者かにアトリエに呼び出されたのだとは、夢にも思わずに。

 また、クロは偽の呼び出し状を用意していた。それは生首の正体に言及した、12時に蒼神を呼び出す呼び出し状だったが、これは生首の正体を知らなかった俺をクロに仕立て上げるものだったんだ。それを蒼神のポケットに入れておく。後の工作のために、新家の『システム』を持ち出すことも忘れずにな」

 

 それも、俺をクロに仕立て上げるための行動だ。

 

「蒼神を眠らせたクロは、彼女をうつ伏せにして浸水の仕掛けを施したボートに乗せる。そして、練習の通りに、ボートを橋の下に隠したんだ。たったこれだけのことで、クロは犯行を終えたんだ。

 後行うのは、クロを逃れるための工作だ。クロは物理室のバケツに使用した跡を残して雑巾を濡らしておく。犯行にバケツを使ったと、蒼神の死亡時刻に【体験エリア】にいた人物がクロだと、俺達に誤認させるために」

 

 クロが仕掛けた、大きな大きなワナ。

 

「その後、宿泊棟に戻ったクロは、倉庫から持ってきていたノートやルーズリーフで皆に手紙を書いた。それはアリバイ工作のために行われた。

 本命は、蒼神の死亡時刻である12時。展望台や製作場、集会室……そのどれもが、12時にクロが犯行現場に向かっていない事の証人を作るためだった。そして、自分の目的がバレてしまう事を危惧したクロは、カモフラージュとして呼び出しには応えるわけがない火ノ宮達に時間をずらした手紙を出したり、いろんな筆跡で手紙を書いたりしたんだ」

 

 他にも、行動の読めない東雲に対しては、個室から出てこないように仕向けていた。

 

「12時目前。クロの出した呼び出し状に応えて、大天が製作場の工作室に、城咲が展望台に、七原が宿泊棟の集会室にいたあの時間。

 川に浮かぶ蒼神の乗せられたボートでは、浸水が進んでいた。モノモノスイミンヤクで眠らされた蒼神は上昇する水面を避けることが出来ない。やがて彼女の顔は水で覆われ、そのまま水を吸い込んで、蒼神は溺死した。

 日中の練習によって、その蒼神が死ぬタイミングを把握していたクロは、それに合わせて俺のいた個室のカギを蒼神から奪い去った新家の『システム』で開け、俺をドアチャイムで叩き起こし【体験エリア】へと誘い出した。そして、その後個室に侵入し、新家の『システム』と犯行に使用した『モノモノスイミンヤク』の染み込んだハンカチをゴミ箱に捨てて、退室してドアを閉じる。全ては、俺がクロであると偽装するために」

 

 そしてその目論見は達成された。少なくとも、学級裁判が始まった時点では。

 

「そして、クロにまんまと誘い出された俺が大天に殺されかけ、城咲に助けられていた12時。あの裏で、犯行の最後の仕上げが行われていた。

 蒼神の乗ったボートは、浸水によって大きく傾いていた。それにより、飾り棒から毛糸が抜けてボートは勝手に川下へと流れた。まるで、誰かが【体験エリア】でボートを流したように。

 それと同時にクロは自分宛てに作った呼び出し状を持って、杉野の個室へと向かう。そして、自分が宿泊棟にいたままだと主張するため、何度も何度もドアチャイムを鳴らした。

 そうしているうちに、宿泊棟の外からもどって来た七原と合流する。これで、クロのアリバイは完成した。しかし、七原が来なくとも、個室の中にいた杉野がドアチャイムの音でクロのアリバイを証言しただろう」

 

 これが、この夜に起きた全ての真相だ。

 

「この一連の犯行を行ったクロは――その行動で自身の確固たるアリバイを作り、あんな絶望的なトリックを思い付いた、思い付けた人物は――」

 

 信じたくなどはない。

 その感情を押し殺して、俺はその名を告げる。

 

 

 

 

 

「――遠城冬真……お前なんだよな」

 

 アイデアを生み出し続ける、一人の天才の名を。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「ずいぶんな妄想であるな。その妄想こそ、お主の才能なのではないか?」

「認めて、くれないのか」

「認めるわけ無いであろう。そのような、トンチキな閃きをな!」

 

 もう、認めてほしかった。終わって欲しかった。誰かの罪を暴くなんて、そんな苦しいことを、まだ続けなくちゃいけないのか。

 

「じゃあ、反論があるっていうのか?」

「そもそも、蒼神が遠隔で殺されたということ自体、疑わしいのではないのか」

 

 遠城のその言葉は、反論になっているとは言い難い。それでも、遠城は無実を主張するためにアイデアを生み出す。

 

「蒼神はボートの浸水によって殺されたと言ったであるな。しかし、その証拠はあるのであるか? あれは各人の記憶の食い違いから導いただけであろう。明日川の完全記憶能力とやらも、どこまで信用できるか怪しいものである」

「そんなの散々話し合っただろ。蒼神の体の濡れ方から考えれば浸水したと考えるべきだ。だから、蒼神の体の背中側は全く濡れてなかったんだ」

「音を消すためにそっと注いだのであろう。であるからこそ、浸水したように見えたのである」

「じゃああの雑巾は? あれだけ濡れていたのならカモフラージュだって考えるべきだろ」

「それこそ、偽装である。掃除用のバケツなど、他の部屋にだってあるのであるからな」

 

 遠城の言葉に次々と反論していくが、遠城はのらりくらりと躱していく。

 

「だが、浸水したと考えれば、ボートが勝手に流れたことや長い毛糸や削られた飾り棒の意味、濡れた石材も俺に出した呼び出し状も、全部全部説明がつくんだぞ!」

「説明がつく、では根拠にならないであろう! もっと明確な証拠がなければ浸水は立証できないはずである! そんな記憶や妄想に頼ったものなどでなくな!」

「明確な証拠って……」

「そう、例えば、浸水したのならボートには穴が開いていたはずである! その穴を見つけた者はおるのか!」

 

 皆に問いかけられる。ざわつく彼らから、肯定する声は上がらない。

 

「どうであるか! 誰も穴を見つけていないのであるなら、浸水など起きていなかったのである! つまり、遠隔殺人などではないということであるぞ!」

「穴は発見できないようにしてただけだろ! 穴があっても見つけられない場所……そうだ、参考書の下だ! あの参考書は穴を隠すために置かれたんだよ!」

「違うのである! あれは蒼神の頭を上げるためのものであるからな! 穴はあの下になど無いのである!」

「参考書の下に無い? じゃあ、側面だ! 側面にうまく穴を開けて、上からは見えないように!」

 

 

「ありがとうございます、平並君」

 

 

「……えっ?」

 

 急に、杉野から礼を言われる。

 

「なんだよ、杉野」

「君のおかげで、クロが遠城君であると、確定いたしました」

 

 確定……?

 

「皆さんも、気づきましたよね?」

 

 杉野が周りにそう尋ねれば、全員ではないにしろ、その大半がうなずいた。

 

「気づいたって何に」

「今の遠城の言葉が決定的に遠城がクロであることを示しているのよ」

「わけのわからないことを……吾輩が、何を言ったと言うのであるか!」

 

 その遠城の怒鳴り声に向けて。

 

 

「『あれは蒼神の頭を上げるためのものであるからな』」

 

 

 明日川が、静かに台詞を放つ。

 

「キミは、参考書にたいしてこう言った」

「おかしいじゃねェか。どうして、参考書の置かれた理由を、そんなハッキリ断言できんだよ」

「じ、自分が置いたから……じゃ、じゃないのかよ……?」

「違う、あれは!」

「キミはこうも言った」

 

 狼狽する遠城に、明日川が更に台詞を突き刺す。

 

「『穴はあの下になど無いのである』と」

「まるで、参考書の下以外には穴があるような言い回しではありませんか?」

「……っ!」

「アンタは何かトリックを使って、浸水のための穴を見つからないようにしたんじゃないかしら。けど、そのトリックがあるという慢心のせいで、アンタは正に墓穴を掘ったのよ。違う?」

 

 皆が、遠城の言葉のほころびを一斉に攻撃する。

 

「違うに決まっているであろう! 今のはただの言葉の綾である! 些細な言い間違いの揚げ足をとっては、間違った推理まで真実に思えるであるぞ!」

「『言葉の綾』とは、『微妙な意味合いを表現する巧みな言い回し』を意味する。君が放った台詞には、もっと的確な表現が存在する(辞典に載っている)

 ――『口が滑る』だ。そうだろう?」

「…………ち、違うのである…………」

 

 遠城は、その言葉とともにかすかに息を漏らす。

 

「参考書の置かれた目的、そして浸水の穴がその下に存在しないこと。それを君がどうして断言できたのか。その答えを、『自分がクロだから』以外の理由で、果たして説明することができるのですか」

 

 怒りを込めて、杉野が遠城にトドメを刺す。

 

「……あ……ああ…………」

 

 そして、遠城は、力なくうなだれる。

 

 その反論のアイデアは、ようやく枯渇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

   【第ニ回学級裁判】

 

 

      閉 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




かくして、そのアイデアは撃ち崩された。
彼の犯行動機は、また次回で。


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非日常編⑦ 才能よ、燦爛と輝け

「なげえよ、オマエラ! 今何時だと思ってるんだ! どうして一人しか死んでないのにこんな時間がかかるんだよ!」

 

 遠城冬真が、蒼神紫苑を殺したクロである。

 その真実にたどり着いた裁判場に、耳障りなだみ声が響いた。

 

「あのさあ! もう上ではとっくに日が昇ってんの! 待たされるボクの気持ちもちょっとは考えたらどうなんだよ!」

 

 モノクマの軽口に応える者は誰もいない。皆、一様に遠城を見つめている。

 彼は、なぜ殺意を抱いたのだろう。その答えは、まだ分からない。

 

「ま、それでも結論が出たみたいだから良しとしましょう! ボクは優しいクマだからね!」

 

 俺達が無視を続けても、モノクマは喋り続ける。

 

「はい! それでは投票タイムに移ります! お手元のウィンドウから、蒼神サンを殺したと思う生徒に投票してください! 最も得票数の多かった生徒をオマエラが導き出したクロとします! 改めて言うけど、投票放棄はオシオキだからね!」

 

 いつかも聞いた、学級裁判を締めくくる投票のルール。

 

「さあ、それでは皆さん! 投票をどうぞ!」

 

 その声と共に、前回同様証言台の手すりの上にウィンドウが浮かび上がる。四角く並んだ16の名前の内、すでに3つがモノクロになっている。

 『遠城 冬真』の文字の寸前まで、右の人差し指を近づける。後少しでその名に触れるといったところで、指が止まる。

 

 思い出したのは、前回、クロとして処刑された古池の事だった。

 暴走するバスに乗せられた古池は、その挙げ句に宙を舞った。そして、壁に激突しその頭は弾けた。比喩ではなく、文字通りに。

 

 それがまた、繰り返される。俺達はこの手で、遠城を処刑台へと送るのだ。

 

「…………」

 

 今更、もう戻れない。絶望はとっくに幕を開けた。

 

 蒼神の敵を討つために。

 自分の命を繋げるために。

 遠城の人生を終わらせるために。

 

 俺は、まっすぐ、指を前へ進めた。古池の時に、そうしたように。

 

 今度は、指は震えなかった。

 

「うぷぷ、全員投票できたようですね! この前より投票時間が短く済んでボクは嬉しいよ……ホロリ」

 

 ウィンドウに表示された『投票完了』の文字。情緒不安定なモノクマの戯言を聞き流す。

 

「ハイ! それでは早速結果発表と参りましょう! 投票の結果クロとなるのは誰なのか! そして、それは正解なのか不正解なのか~っ!」

 

 その不愉快な声に合わせて、けたたましいサイレンと共にモノクマの頭上に巨大なウィンドウが現れる。数秒もしないうちに、ムービーが流れ出した。

 

 

 

 

 

 そのムービーは、前回と同じものだった。三列に並んだ、ドット絵の描かれた豪華なスロットが騒々しいドラムロールと共に回る。やがて動きは緩やかになり、ある一人の顔が並んで停止する。ジャラジャラと吐き出る大量のコインが、俺達の投票が『正解』だったことを示す。

 

 並んだ三つのドット絵が遠城冬真のものであったことだけが、前回との相違点だった。

 

 

 

 

 

「大正解ーーーーーーーーーッッ!! 【超高校級の生徒会長】である蒼神紫苑サンを殺害したクロは、【超高校級の発明家】である遠城冬真クンでしたーーッ!」

「…………」

 

 その不愉快な宣言を聞いて、遠城の顔は青ざめる。自らの末路が確定したこの瞬間、彼は絶望の表情を見せた。

 

「今回は正直どっちに転ぶか分からなかったねえ……もうちょっと楽しみたいからここは頑張ってほしかったけど、クロが勝ち抜けてもおかしくないくらいよく練られてたし。けどさ! オマエラ、裁判に時間かけすぎ! もっと短くしないと! 分かるか!」

「黙ってろ」

 

 好き勝手に喋り散らすモノクマに、そんな言葉をぶつける。

 

「なんだよ、その言い方!」

「遠城」

 

 憤るモノクマを無視して、彼に語りかける。

 

「どうして、こんな事したんだよ」

「…………」

「どうして、殺人なんてバカな真似したんだよ!」

「アンタが言う?」

 

 東雲の軽口も無視して、遠城に詰め寄る。

 

「答えてくれよ、なあ!」

「……吾輩は」

 

 そして、彼は口を開き。

 

 

「吾輩は悪くなどない! 全部、あの女が悪いのであるぞ!」

 

 

 怒りを、吐き出した。

 

「あの女……蒼神さんのことですか?」

「そうである! 吾輩だって、あやつさえいなければこんな事しなかったのである!」

 

 大きく右腕を横に開きながら、遠城はそう主張する。蒼神が、すべての元凶だと。

 蒼神が、()()蒼神が、一体何をしたというのか。

 

「今宵、殺人を企んでおったのは吾輩や大天だけでは無い! 蒼神も、お主らを陥れようとしていたのであるぞ!」

「……は?」

「何、言ってるんだよ、お前……」

「蒼神も、殺人を企んでいたのである!」

 

 蒼神も誰かを殺そうとしていたと、彼はハッキリとそう告げた。

 

「てめー!」

 

 それを聞いて、遠城の様子を伺っていた火ノ宮が烈火のごとく叫ぶ。

 

「言うに事欠いて、蒼神が殺人を企んでいただァ? ふざけんじゃねェ! 蒼神を殺しておいて、その上裏切り者の汚名まで着せるってのかァ!?」

「着せるも何も、それが事実なのである。その証拠に、蒼神は吾輩を呼び出したであろう」

「呼び出した? 10時半のアトリエのことか? あれは、お前がそう勘違いしただけで、あれを出したのは愉快犯だぞ」

「なぜそう言い切れるのであるか? なぜ蒼神が手紙を出していないと言い切れるのである? あの蒼神の個室に残されていた呼び出し状が、なぜ蒼神本人による偽装でないと断言できるのである?」

 

 その強い口調に、思わずひるむ。

 遠城は、あの手紙を出したのが蒼神だと、どういうわけだか確信してしまっている。

 

「……お前は、一体何を勘違いしてるんだよ」

「勘違いなどではない! あやつは、間違いなく殺意を抱いていたのであるぞ!」

「ど、どうしてそんな事が断言できるんだよ……! あ、蒼神を不意打ちで眠らせたんだから、あ、蒼神に襲われたってわけでもないだろ……」

「そんなもの、聞いたからに決まっているであろう!」

 

 あっさりと、彼は告げる。

 

「聞いた?」

「そうである! 探索をした日、昼の集まりを終えてすぐである……アイデアのために図書館の蔵書を調べていた吾輩の耳に、ハッキリと届いたのである! 蒼神のつぶやきがな!」

 

 興奮したままの遠城が、声量を上げながら淀むことなく語っていく。彼が絶望に至ったその理由を。

 

 

「『彼を殺して【卒業】を狙うなら、もう少し待つべきでしょうか』と。『皆さんには、わたくしのために死んでもらいませんと』と! 蒼神は言ったのである!」

 

 

 ……は。

 

 その意味を理解するのに時間を要したせいで、疑問符すら上がらない。

 何を言ってるんだ、遠城は。

 

「蒼神は、吾輩達を出し抜いて殺人を犯すことを考えていたのであるぞ! 吾輩達を導くような真似をしておったが、それも全て自分が【卒業】するための策略だったのである!」

「そんなわけ……そんなわけないだろ!」

 

 そんな事が、あり得るはずがない!

 

「蒼神は、そんな身勝手な人間じゃない! 蒼神は、集団のために行動できる人間だ! だからあいつは率先してリーダーを引き受けたんだ! わかるだろ!?」

 

 コロシアイを告げられた時も、コロシアイが始まってしまった時も、俺達という集団が最善の結果にたどり着けるように蒼神は努めていた。俺達が立ち止まった時は、動き出せるように導いてくれた。それが分からないほど、遠城は盲目じゃないはずなのに。

 

「だから、そんなものは全部まやかしだったと言っているであろう。最後の最後で裏切るために、あやつは信頼をかき集めていたのであるぞ」

 

 全部、まやかしだった……?

 蒼神と交わした会話が、蘇る。

 

 

 

――《「あなたが殺人を決意するほどに追い詰められていたと、わたくしは気づくことができませんでした。本来であれば、【超高校級の生徒会長】であるわたくしが気づくべきだったのです。あなたと、古池君の殺意に」》

――《「わたくしはリーダー失格です」》

――《「平並君。悩んでいることがあれば、わたくしに相談してください。今度こそ、あなたを救ってみせますわ」》

 

 

 

 苦しそうに彼女が語った後悔が、凛々しく彼女が語った決意が、俺達を陥れるための嘘だったというのか。

 

「んなもん、てめーの聞き間違いだろ!」

「聞き間違いなどであるものか。あの殺意を、聞き違えるはずがない」

「だって、そうじゃなかったら……!」

「見苦しいぞ、凡人ども」

 

 遠城の衝撃的な暴露を信じられないでいた俺達に、岩国が冷酷に告げる。

 

「心の奥底で誰が何を考えているかなど、分かりようもない。分かるはずもない。分かろうとすることすらおこがましい。どうして、生徒会長が善人であると信じ込んでいたんだ」

「蒼神の言葉を聞けば分かるだろ! アイツが本心から俺達を救おうとしてたって!」

「エスパーでもないのになぜそんな事が言える。もし言葉を聞いて誰かの心が分かるなら、俺達はそもそも裁判場(こんな所)には来ていない。そうだろ」

「うっ……」

 

 古池も、大天も、そしてまさしく遠城も。皆、外からはその殺意が見えなかった。手遅れになってしまった後に、それはようやく露呈する。殺意を抱いているかどうかが分かりっこないことなんか、重々承知している。

 それでも、蒼神が俺達を裏切ろうとしていたなんて、信じたくない。疑いたくもない。

 

「とにかく、あやつも【卒業】を企んでいたのである! もし蒼神がクロになった時に、誰がそれを追及できるのであるか!? 今のように、蒼神を盲信するのが見えているのである! そうなれば、吾輩達を待ってるのは破滅であるぞ!」

 

 声高に、遠城が叫ぶ。

 

「だから、吾輩は行動に移ったのである。その夜に化学室から睡眠薬を奪い、【卒業】のためのアイデアを練り始めたのであるぞ」

「チッ。やっぱ薬を取ったのはそのタイミングしかねェよな。クソッ!」

 

 苛立ちを露骨にあらわにする火ノ宮。皆が探索をしてから彼が薬の管理を根岸に提案するまでに、一日の猶予があった。結果から見れば、その一日がまさに命取りになってしまった。

 

「見つけた時点でとっとと手を打っておくべきだった!」

「そうなったとしても吾輩は別の方法を取っただけであるがな。まあしかし、睡眠薬を使用できたのは助かったのである」

 

 結局の所、彼は随分前からその殺意を抱えていたのだ。【体験エリア】が開放され、皆が探索をしたあの日から、ずっと。

 ……え。

 

「ちょっと待ってくれ……じゃあ、アレは何だったんだよ」

 

 彼が飛ばした激情を思い出す。

 

「お前が俺を尋ねてくれた時、お前は東雲に怒ったじゃないか!」

「あ、そうじゃない。アンタ、協調性がどうとか色々言ってくれたわよね」

 

 

 

――《「お主には協調性というものが無いのであるか!?」》

 

――《「どうでもよくなどないのである! モノクマに対抗するために一致団結せねばならぬ状況であるぞ! 大体、お主には倫理観というものが欠けているのである!」》

 

 

 

「アレは、演技だったって言うのかよ!」

「演技などではない。あれも純然たる吾輩の怒りである。別に矛盾はしないであろう」

「いや、矛盾するでしょ。アタシにあんなこと言っておいて、よく殺人なんか出来たわね」

「だから、それは全部あの女のせいだと言っておるであろう!」

 

 裁判場を震わせるような大きな声で、顔を真っ赤にして叫ぶ遠城。

 『演技じゃない』。せめて、遠城のあの怒りだけは、信じても良いのか。

 

「吾輩は、ただ生きるために手を打っただけである! 先に仕掛けねば、吾輩が死んでしまうのであるからな! 事実、蒼神は吾輩を呼び出したであろう!」

「やっぱりおかしいよ!」

 

 それに反論するのは、七原。

 

「蒼神さんが遠城君を呼び出すわけないよ、きっと!」

「お主らがどう思おうと勝手であるがな。蒼神は、お主らの思い描くような人間ではないぞ!」

「ま、それに関してはそうね。なんせ、蒼神は他人を見殺しにできる人間だし」

「さっき言ってた、【動機】の記憶のヒントのことか? それだって、積極的に他人を殺したわけじゃない。見殺さざるを得ない事情があったんだろ」

「そういう選択を取れるってだけで、蒼神を疑うきっかけにはなると思うけど?」

「私が言いたいのはそういうことじゃなくて、もっと根本的な……」

「根本的もなにもない! あやつがあんなことを言ったから吾輩は!」

 

 

「ふざけないでください」

 

 

 遠城の熱のこもった叫びを、杉野が一刀両断する。その声には、怒りが灯っていた。

 

「先程岩国さんもおっしゃられた通り、僕達に彼女の心中を知るすべなどありません。僕は蒼神さんを信じていますが、あなたがおっしゃる通りに蒼神さんが僕達を裏切ろうとしていた可能性も、ゼロとは言い切れません」

「ならば!」

「ですが、蒼神さんが殺意を抱いていたかどうかなど、関係のないことなのです。あなたが、蒼神さんを殺したこととはね」

「……っ」

 

 その言葉とともに杉野に強く睨まれ、遠城は息を呑んだ。

 

「もしも蒼神さんが殺意を抱いていたのなら、誰かに相談すれば良かったでしょう。朝食会の時や僕達が集まった時に告発すれば良かったでしょう。あなたの言葉を100パーセント信じることは出来なかったかもしれませんが、それでも僕たちは蒼神さんの裏切りを警戒することは出来ます。そうすれば、もし本当に蒼神さんが【卒業】を企んだとしてもそれを阻止することができたかもしれません。

 あなたの前にはいくつも選択肢があり、その中で最悪のものをあなたは選択したのです」

「…………」

「あなたが蒼神さんを殺したのは、あなた自身の意志によるもののはずです。あなた自身の、罪なのです! その罪を、あまつさえ殺した相手に押し付けるだなんて、あなたはどれほど卑怯な人間なのですか!」

 

 その鮮烈な言葉は、澄んだ声に乗って遠城に刺さっていく。

 

「殺人なんて恐ろしいこと、生半可な決意では出来ないでしょう。なら、せめて、あなたが抱いた決意の理由を、あなた自身の殺意を、教えてはいただけないでしょうか」

 

 それを聞いたところで、今更彼女の惨状も彼の命運も変わらない。それでも、それを聞かずにはいられない。

 川の音が裁判場を支配して、数秒。

 

「……し」

 

 彼はかすかに口を開く。

 

 

「……仕方が、無かったのである」

 

 

 そして、そんな言葉を吐き出した。

 

「仕方が無かっただァ!? てめーはまだふざけてやがんのか! 何が仕方ねェっつーんだよ!」

「仕方が無いであろう! 吾輩のアイデアを、この頭脳の中に閉じ込めておけというのであるか!?」

「……はァ!?」

 

 素っ頓狂な声が響く。

 アイデア、だって?

 

「吾輩の崇高なアイデアを、このちっぽけな脳髄(はこ)の中に封じ込めておけるわけが無いであろう!」

「な、何を言ってんだよ、お、おまえ……!」

「……記憶のヒントのことじゃないの? 遠城君が失った記憶が、『二年間のアイデア』だったとか」

「それはおかしいわ、大天。だって、遠城が今回の計画を始めたのはモノクマから【動機】の発表があった直後からだもの。記憶のヒントを見るまでもなく殺意を抱いたから、すぐに【体験エリア】に移動できたんじゃなかったの?」

「あ」

「東雲の言うとおりである。まあ、後で確認したら記憶のヒントはまさしく『アイデア集』ではあったのであるが、そんなもの人を殺してまで得る価値など無い。吾輩の頭脳ならば、それを再び思い付くのは容易であろう。元々吾輩自身が生み出したアイデアなのであるからな」

 

 二年間のアイデアは動機じゃない?

 

「記憶を取り戻したかったわけじゃないなら、お前は何がしたかったんだよ」

「分からぬのか。あれほど素晴らしいアイデアを披露したというのに」

「は?」

 

 何を、遠城は何を言っている? 遠城は披露した? アイデアを?

 と、悩んだ瞬間に思い至る。

 

 俺達は、目の当たりにしたじゃないか。殺人的な、アイデアを。

 

「お前まさか……あの、遠隔殺人トリックの事を言ってるのか……!?」

「うむ。そのとおりである!」

 

 俺が気づいたことに、どこか満足げな遠城。

 

「ゆっくりと浸水するように仕掛けを施したボート……それとバケツの証拠をわざと作り出すことであたかもその場で蒼神を殺した様に見せた、あの自動殺人のことである!」

「お、おまえ……な、なにを……」

「優れたアイデアであったであろう! 呼び出し状と組み合わせることで、アリバイづくりと容疑者のでっち上げをも成し遂げたのであるからな!」

 

 そんな事を語りながら、遠城はわずかに胸すら張り始める。

 

「この殺人が生活の軸になるコロシアイの中で、必然と殺しのトリックは思い付くものである。図書館の死角の多さを利用したトリックや個室の防音と人間の心理的盲点を活かしたトリックも思いついてはいたのであるが、やはり大掛かりなものほどそのアイデアの根本が活かせると思いあのトリックを実行したのである」

「やめろよ……」

「ちなみに、ボートの浸水の穴の件であるが、アレはボートの裏から開けたのである。開けたと言ってもほぼ貫通はしておらぬがな。薄皮一枚残すように、ギリギリまで穴を開けたのであるぞ。これならボートをひっくり返しでもしない限り穴には気づかれまい」

「やめろって言ってるだろ! 遠城!」

「何を言うか! せっかく趣向を凝らしたアイデアなのであるぞ。お主らに暴かれなかったのだから、吾輩が言ってやらねばアイデアも報われぬであろう!」

 

 遠城の言葉が、理解できない。彼が内に秘めていた狂気にゾッとしてしまう。

 

「だからやめろよ! 人の殺し方を、そんなあっさりと喋るなよ……!」

「そうだ。殺されたアオガミの命まで、軽く見えてくる」

「ふん、あやつなどどうでもいいであろう」

「ど、どうでもいいって……」

「んなことより!」

 

 火ノ宮が吠える。

 

「だったらてめーはなにか? 思いついた殺人トリックを披露したかったから、蒼神を殺したっつーのか?」

「うむ、そういうことになるであるな」

「それこそ、ふざけんじゃねェ!」

 

 ダン、と証言台に両手が振り下ろされる。

 

「んな動機、認められるかァ! んな理由で人を殺すヤツがいるわけねェだろ! 今更嘘なんかついてんじゃねェ!」

「嘘などではない! この頭脳とそれが生み出すアイデアこそが、凡百の命よりも優先されるものであるからな!」

「意味わかんねェこと言ってんじゃねェぞ!」

 

 そんな火ノ宮の怒号も、遠城は気にする様子はない。

 

「まあ、分からぬ奴には分からぬであろうな。正に天啓と言えるアイデアを閃いたことのない奴には、それを脳の内に秘めておく苦しみなど知る由もないであろう」

 

 本当に、それが動機なんだろう。自分がひらめいた、殺人アイデアを公開することが。

 だとしても、理解できない。

 

「どうして……どうしてなんだよ」

「うむ? だから吾輩のアイデアを皆にしろしめすためだと言っているであろう」

「そうじゃない!」

 

 俺が聞きたいのは、そんなことじゃない。

 

「お前が殺人的なアイデアを閃いてしまうのは仕方ないさ。だって、お前は【超高校級の発明家】なんだから。それを黙っておく苦しみは俺には分からないが、それでも、言いたいけど言えないもどかしさくらいなら分かる」

 

 まさに、俺にとって【言霊遣いの魔女】の存在がそれに当たる。

 

「そのようなものとは比べ物にならぬがな。では、なんだというのであるか」

「『秘める苦しみ』なんて言葉を使ったってことは、それが許されないアイデアだってことは分かってるんだろ。人を殺すんだぞ。どうしても披露したかったとしても、どうして実行しちゃったんだよ」

「…………」

「そのアイデアを披露したかったなら、誰かに口で言えばよかったじゃないか。披露する方法だったら、いくらでもあったはずだろ!」

「そんなことしたら、ぎしんあんきの火種になってしまうのでは……」

「そんな事分かってる! 自分は誰かを殺しますって言ってるようなもんだからな! だが、だからって、本当に殺す必要なんか無かったはずだ! お前が東雲に抱いた怒りが本物だったなら、人を殺す罪の重さだって分かってたはずだろ!」

 

 その俺の叫びを聞いて。

 

「……それでは、意味がないであろう」

 

 遠城は、ポツリと漏らす。

 

「『誰かに口で言えば良かった』? こういった方法ならクロとバレずに殺人ができるのではないかと、話せばよかったと? そんな机上の空論にどんな意味があるのであるか?」

 

 彼の、【超高校級の発明家】としてのプライドが、語られる。

 

「机上の空論に意味など無い! 現実に行なってこそ、アイデアは価値が出るのである! 実際にやって、成し遂げてこそ、意味は生まれるのである!」

 

 意味? 価値? ……何だよ、それ。

 

「正直なところ、あのアイデアを形にするには単純に労力がかかりすぎではあった。練習が必要なほど小手先の技術も要求されたのであるしな。しかし、吾輩はこうして現実に! アリバイを確保したまま蒼神を殺すことが出来たのである! 吾輩の生んだアイデアは、現実のものへと昇華したのである!」

 

 遠城は、両手を広げて天を仰ぎ、そう声を荒ぶらせた。

 

「だから、吾輩は蒼神を殺したのである! 【超高校級の発明家】の誇りにかけて、アイデアに命を吹き込むために!」

「なんでだよ……」

 

 思わずそんな言葉が漏れる。何かに向けた言葉じゃない。強いて言うなら、その言葉は運命に向けられていた。

 どうして、才能があるくせに、こんな末路を歩まなければならないんだ。

 

「本当に、んな理由で蒼神を殺したってのかよ……」

「ためらいは、無かったのですか」

 

 杉野が、静かに問いかける。

 

「……吾輩だって、ためらいは当然あったのである。リスクは確かに存在するし、何より、殺人なぞ許されない罪であるからな。

 しかし、しかしである!」

 

 後悔に呑まれそうになりながら、それでも彼は語る。

 

「あの蒼神が殺人を企んでいたのであるぞ! 今更吾輩が殺人をためらったところで何になるというのであるか!」

 

 堰を切ったように、彼から癇癪が溢れ出る。

 

「吾輩達の中に不穏な空気が漂っていたであろう! 誰にも邪魔されずにトリック(アイデア)の練習が出来る環境があったであろう! そして、殺すのに遠慮のいらぬ蒼神(ターゲット)も、冤罪を押し付けられる平並(身代わり)もいた!

 これだけ条件が揃っているというのに、アイデアを留めておくことなど、出来るわけが無いであろう!」

 

 ありったけの感情を乗せた叫びが、裁判場に響き渡る。

 

「……それを我慢すんのが、人間じゃねェのかよ」

 

 小さな、呟き。

 

「どんなに欲望があっても、どんなに叶えたい願いがあっても! それで誰が傷つくなら、必死に耐えなきゃいけねェだろォが! それが人間ってもんだろ!」

「そのような聖人君子の方が、よっぽど人間とは程遠いと思うのであるが」

「アンタ、よくそんな自己中の癖にアタシに協調性がどうのって言えたわね」

「何を言うか。協調性ならお主よりもよほどあったであろう。ただ、それよりも優先すべき事項が出来ただけである」

 

 東雲の文句にも、遠城はあっさりと答えてみせた。

 

「……はあ。ま、アンタのアイデアのおかげで楽しい学級裁判だったから、それだけは礼を言っておくわ。ありがと、遠城」

「フン、お主なんぞに礼を言われても嬉しくないのである」

「素直じゃないわね。アイデアを褒めてやったってのに」

 

 そんなやり取りを最後に、裁判場に静寂が戻る。

 

「……遠城君。もう、話は十分だな」

 

 その沈黙を破ったのは、明日川のそんな台詞だった。

 

「ならば、もうこんなこと(学級裁判編)は終わりにしよう」

 

 終わりにする。それはつまり。

 

「モノクマ。遠城君のオシオキ(終章)を始めてくれ」

「ん? オマエラの事だからまた長くなるって覚悟してたけど、もういいの?」

「……ああ」

「明日川さん、何を……そんな、彼の死を望むようなこと……」

「ボクだって望んでなんかいない!」

 

 沈痛な、悲鳴にも似た叫び。

 

「ボクだって、彼の動機(物語)を理解することは叶わないが、彼が法の下で裁かれるべきだと願っている。だが、ボク達がモノクマ(管理者)の支配からは逃れられない以上、彼の末路(エンディング)はたった一つに確定してしまっている。反論出来る(キャラ)はいるか?」

「…………」

「……彼からは、彼が蒼神君を殺害した(道を違えた)物語をすべて聞くことが出来た。ボク達もまた彼に台詞をぶつけきった。……ならば、もう終わらせるべきだ。もう、これ以上物語は前に進まないのだから」

 

 重く、彼女は台詞を紡ぐ。

 

「………………」

 

 沈黙が重なる。

 誰もが、理解している。蒼神を襲った不条理に決着を付けるには、それしか無いのだと。

 

「……い、嫌である」

 

 そう呟いた、彼以外は。

 

「はァ?」

「死んでたまるものか! 吾輩の脳髄には、まだ明かしていないアイデアが山の如く詰まっているのであるぞ! それを秘めたまま、吾輩にくたばれと言うのであるか!」

 

 やめろ。もう、やめてくれ。俺は、才能に溢れたお前にだって、憧れていたんだぞ。

 もう、これ以上、失望させないでくれ。

 

「そうは言うけどね! これがルールだからね!」

「では、こういう条件はどうであるか!」

 

 真っ青な顔で、彼は叫び続ける。

 

 

「お主の仲間になろう!」

 

 

「……へえ?」

「は?」

「吾輩の頭脳を、絶望のために提供してやるのである!」

 

 何を言っているんだ、遠城は。

 

「吾輩なら、きっと、世界を絶望に陥れるために至高のアイデアをひらめくことができるのである! お主の力になれるであるぞ!」

「チッ! てめー! ふざけたこと言ってんじゃねェぞ!」

「ふうん。ま、確かにそれはあるかもね。【超高校級の発明家】っていう才能は殺すには惜しいところではあるし」

「そうであろう!」

 

 必死のアイデアが実を結んだのか、一瞬彼は安堵の表情を見せる。

 

「お主の望む【成長】とは、すなわち【絶望】であろう? ならば、お主の望み通り【絶望】になったって良いのである! だから、だからどうか、吾輩の頭脳だけは!」

「でもダメです!」

「――え」

 

 遠城が、息を漏らす。

 

「【成長】(イコール)【絶望】ってことに気づいたのは褒めるべきところだけど、そんな薄っぺらい上辺だけの絶望でボクが満足するわけ無いでしょ! 浅い浅い絶望で成長したなんて思ってもらったら困るんだよ! 芯が変わらなかったら本当の成長とは言えないからね! もっと、心の底から絶望してもらわないと!」

「……そん、な」

「そう、今のオマエのようにね! 大体、トリックが見破られて負けてるくせに何が『至高のアイデア』だよ! 寝言は死んでから言いな!」

「……え、あ」

 

 モノクマの暴言に、遠城は言葉を返せない。

 

「じゃ、もういいかな。一通りやることはやったみたいだから、サクッとやっちゃいますか!」

 

 

 

 

 

 

 遠城の当惑を無視して、モノクマはすっと木槌を取り出した。

 

「ま、待つのである!」

 

 その叫びを聞いても、モノクマは止まらない。

 

「さあ、それではまいりましょう!」

「待てと言っているであろう!」

「ワックワクでドッキドキのオシオキターイム!」

 

 モノクマは、目の前の赤いスイッチに木槌を叩きつける。不快な電子音のあとに、ジャラリという金属音が耳に届く。この前と、同じだ。

 

「死にたくなどないのである!」

 

 証言台から駆け下りどこかへと逃げ出そうとした遠城の首を、猛スピードで飛んできた鎖付きの首輪がひっつかむ。遠城の証言台の背後にあった壁の代わりに佇む暗闇へ、首輪は遠城を引きずっていく。

 必死にあがく遠城の悲鳴と叫び声が、その暗闇に飲み込まれていった。

 

 

 ――オシオキが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【超高校級の発明家 遠城冬真 処刑執行】

 

《必要は閃光の母》

 

 

 

 暗闇が、広がっていた。

 

 

 ピカリと円い光が灯る。モノクマが、懐中電灯を点けて辺りを照らした。

 そしてあらわになるのは、うず高く積まれた雑貨、雑貨、雑貨。『ティアラ』の社名とロゴが刻まれた無数のアイデア商品の頂点に、両手両足を縛られた遠城が打ち捨てられていた。

 

 それを見たモノクマは、満足気にうなずいてから懐中電灯を違う方へ向ける。

照らし出されたのは、巨大な電球。そこから伸びる二本の太い銅線が、いかつい様相の発電機へと繋がっている。

 

 発電機へと近づいたモノクマが、そのスイッチを入れた。轟々と、発電機がうなりだす。

 

 

 

 しかし、いつになっても電球に光は灯らない。怪訝に思ったモノクマが、首を傾げて懐中電灯で銅線を追いかける。

 すると、片方の銅線が途中で途絶えていた。欠けているのは、長さにして1メートルと少し。バチバチと、銅線から電流が溢れている。

 

 その、装置の欠陥を見つけたモノクマは、わかりやすく頭を抱えてから周囲を見渡す。

 

 銅線と電球をつなぐ、『代用品』を探し出したのだ。

 

 雑貨を一つ一つ手にとっては、使いものにならないと投げ捨てる。杖を捨てる。手帳を捨てる。ペン立てを捨てる。時計を捨てる。遠城のアイデアの結晶を、捨て続ける。

 

 漁る。

 捨てる。

 漁る。

 捨てる。

 

 漁る。

 

 捨てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、モノクマがグイと山のてっぺんを見上げる。ロープをほどこうともがいていた遠城と、目線がぶつかる。

 

 ニヤリと笑ったモノクマを見て、遠城の頭脳は全てを悟る。モノクマが、()を銅線の『代用品』にしようと思い至ったのかを。

 

 

 

 アイデアの結晶を蹴散らしながら、遠城はモノクマから逃げるべく雑貨の山を転げ落ちる。不自由な体をくねらせて、必死に生きるための道を探す。

 

 ある雑貨に取り付けられていた金属片で、遠城の手を縛っていたロープが切れる。ようやく自由になった両手で、更に遠城は死に抗うためにもがき続ける。

 

 

 

 あ、と遠城が歓喜の表情とともに口を開ける。起死回生のアイデアを閃いた――そんな表情で、眼前に転がるある一つの雑貨に勢いよく手を伸ばす。

 

 

 

 その手は、空を切った。

 

 

 

 遠城の足を掴んだモノクマが、遠城を宙へと放り投げたのだ。

 

 高々と上がった遠城の体が、重力に引っ張られて墜ちていく。

 ダン、と床で強くハネたそれは、その勢いのまま横に転がる。

 

 

 そして。

 

 

 その先に、光を放つ銅線があった。

 

 

 

 

 遠城の脳が四肢へ命令を下すより早く、その指が、紫電に触れる。

 

 

 

 

 

 ――バチィッ!

 

 

 

 

 

 まばゆい閃光と共に、巨大な電球が白く輝き部屋中を明るく照らす。

 しかし、その白い光は、一瞬で失われた。

 

 

 

 

 激しい電流を受けた遠城の体が、瞬く間に火を上げる。

 ススで汚れた白衣が、メラメラと燃えていく。

 

 

 電流を受けて麻痺した体で、遠城は必死に生を求めてあがく。炎をその身にまといながら、叫び声と共に床を転がる。

 何かを欲して、どこかへ手を伸ばす。

 

 必然、遠城の炎は雑貨の山へと飛び火する。遠城のアイデアが燃料となり、更に炎は勢いを増していく。

 まるで、遠城の存在すべてを消し去ろうとするかのように。

 

 

 

 

 

 燃えて、燃えて、燃えて。

 赤い質量を持った輝きが、部屋を埋め尽くす。

 

 

 

 

 

 やがて、才能の結晶がただの残骸へと姿を変えた頃、遠城の体は崩れ落ちた。

 

 遠城の誇った頭脳と共に、真っ黒になって、焼け落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 もはや、言葉も出なかった。

 彼は確かに罪を犯した。けれども、その罰として与えられるのは、こんな残虐なものでは無いはずなんだ。

 こんなイカれたルールの中で、俺達はいつまで生きていかなくちゃいけないんだ。

 

「いやっほーーーう!! エックスットリィィィィィィィイイイイイイイムゥゥ!!」

 

 まだ、目の前の光景がまぶたの裏に焼き付いて離れない。その現場を直接見たわけじゃない。宙に浮かぶ大きなウィンドウ越しではあった。けれど、そんな些細なノイズで残酷さが和らぐほど、映し出されていた映像に容赦など存在していなかった。

 

「ああ……そんな……」

「…………」

 

 一度目とは違って、聞こえてくる声は少ない。クロに対して行われるオシオキが凶悪なものであると覚悟していたからだ。その上で、俺達は遠城冬真に投票したのだ。

 けれどもそれは遠城のオシオキを受け入れられるという意味ではない。犯した罪がどれだけ重かろうと、その動機がどれほど自分勝手だろうと、命が弄ばれる瞬間を許容することなど決して出来ない。

 

 だと言うのに。

 

「……サイコーね、ゾクゾクするわ」

 

 残酷なオシオキを目にしてもたった一人明るさを残した東雲が、そんな事をつぶやいた。

 

「……この期に及んで、まだそんな事を言ってるのかよ」

 

 彼女はそういう人間だとわかっていたはずなのに、そんな文句を言わずにはいられなかった。

 

「アレを見て、どうしてそんな感想が出てくるんだよ!」

「どうしても何も、そう感じたんだから仕方ないでしょ」

 

 そう言いつつも、彼女はその理由を語る。

 

「遠城の【超高校級の発明家】っていう才能にかけた処刑……その中で遠城が受けた痛みも苦しみも、嫌というほど伝わってくるわ。ゴミみたいに捨てられた命の扱いだって、全部全部反吐が出るほど最悪ね」

「だったら!」

「――でも、アタシは生きてる。それが何より気持ちいいんじゃない」

 

 陶然と、イカれた笑みすら(たた)えて、彼女は告げた。

 

「……分かりませんね。分かりたくもありませんが。自分が生きていれば、他人はどうなっても構わないと?」

 

 杉野が、苦い顔をしながら問いかける。

 

「そうね。だって、それが人生ってもんじゃない。自分が今ここで生きてることが、何よりの幸福のはずよ」

「…………」

「ていうか、遠城が死んだからって、どうしてアンタ達がそんな顔をする必要があるのよ。アイツの動機、聞いたでしょ? 同情の余地もない自己中心的な理由だったじゃない。皆して、大声でなじるくらいに」

「それは……」

 

 杉野が言葉を渋ったのを見て、東雲は更に言葉を続ける。

 

「モノクマの出してきた【動機】なんか関係なく、アイツのせいで起こった殺人よ」

「だから何だっつーんだよ」

 

 東雲にそう食って掛かったのは、火ノ宮だった。

 

「遠城が悪人かどうかは関係ねェ。人の命が無残に葬られて、それを笑って見てられるもんか。命は誰にだって平等なんだ。遠城が自分勝手に蒼神を殺したクソヤロウだとしてもな」

「そう。難儀な性格してるのね」

 

 火ノ宮の熾烈な反論も、東雲は意に介さない。何を言ったとしても、彼女が聞く耳を持つわけがない。

 

「……チッ」

 

 小さな舌打ち。結局、いつもの通り東雲へ誰かが不満をぶつけて終わった。

 

「ま、またそんな事言ってるのかよ……ひ、火ノ宮……!」

 

 根岸が怒りをこぼすまでは、そう思っていた。

 

「あァ?」

「よ、よくそんな綺麗事が言えるな……な、なんであんなわけの分からない事を言った遠城をかばえるんだよ……え、遠城なんか、し、死んで当然だろ……! あ、あいつのせいでぼく達は命を賭けさせられたんだぞ……!」

「……根岸?」

 

 どうも、様子がおかしい。

 

「チッ。別にかばってるわけじゃねェよ。どんな罪人だろうと、尊厳だけは守られるべきだっつってるだけだ。たとえ死刑が妥当な殺人鬼だとしても、それを娯楽にするような真似を許すわけにはいかねェ」

「り、立派な言葉だな……そ、そうやってぼく達に信用されようとしてるのか……」

「……あァん?」

 

 火ノ宮が、一層強く眉をひそめる。

 そんな彼に向けて、根岸が言い放つ。

 

 

 

「だ、騙されないぞ! お、おまえも、ぼ、ぼくを殺そうとしてるんだろ!」

 

 

 

 怯えながら、怒りながら放たれた言葉は、火ノ宮だけじゃなく議論場を囲む全員にぶち当たる。

 

「何言ってやがる!」

「だ、だってそうだろ……! こ、こんな状況でそんな人格者みたいなことが言えるわけ無いんだからな……! ぜ、全部ぼく達を騙すための演技なんだろ……!」

「あァ!? んなわけねェだろ!」

「根岸君、落ち着いてください。あなたは今混乱しているだけなのです」

 

 証言台の位置によって彼らに挟まれている杉野が、仲裁に入る。

 

「う、うるさい……! お、おまえだってそうだろ、す、杉野……! あ、蒼神が死んでおまえがリーダーみたいになったけど、そ、そうやって信頼を得ながらぼくを殺すタイミングを窺ってるんじゃないのか……!?」

「そんなはず無いじゃないですか。僕はただ、みなさんと一緒に生きて外に出たいだけなのです」

「だ、だったら証拠を見せてみろよ……!」

「証拠と言われましても……」

 

 杉野が何を言おうと、根岸は聞く耳を持たない。

 

「根岸君、一度口を閉ざせ(本を閉じろ)。それ以上台詞を紡いでいても、誰も幸せにはならない。ボク達も、キミ自身も」

「お、おまえだってそうだ……! お、おまえも、お、おまえらだって……!」

 

 順々に、根岸は俺達にピンと伸ばした指を向ける。

 

「あ、あんなわけわかんない理由で人を殺すやつすらいたんだぞ……! も、もう誰も信用できるか……! お、おまえら全員、ぼ、ぼくを殺そうとしてるんだろ!」

 

 かつて俺が【卒業】のためのターゲットに選んだ根岸は、今宵も大天にその命を狙われた。その経験を持って、遠城の動機の告白を聞いた彼には、周りの全員が敵に見えているのだろう。

 

 ……もしも俺が、彼に殺意を抱くことがなければ。彼は被害妄想に囚われずに済んだのだろうか。

 

「根岸ィ! てめーいい加減にしやがれ!」

「ぎゃ、逆に訊くけど、ど、どうしてそんな落ち着いていられるんだよ……! お、おまえたちは、ゆ、『愉快犯』のことを忘れたのかよ……!」

「……!」

「え、遠城は死んだけど、あ、蒼神と遠城をアトリエに呼び出した愉快犯はまだ残ってるじゃないか……! そ、そうだろ……!?」

「……遠城君の言い分では、その正体は蒼神さんだったそうですが」

「そ、そんなのわかんないだろ……! あ、あれが遠城の勘違いだとしたら、ゆ、愉快犯はまだ生き残ってる可能性がある……!」

「だからって、全員を疑ったってどうしようもねェだろォが!」

「……はあ。どうしようも無いのはお前の方だ」

 

 根岸を諭す火ノ宮に、冷たく岩国が告げる。

 

「あァん!?」

「化学者の言うことのほうが正論だろ。妄想が激しいきらいはあるがな」

「どこが正論だァ!」

「他人なんか、信頼できなくて当然だ。殺人を引き起こした愉快犯がまだ潜んでいるかいないか……そんな事を気にするまでもなく、全員敵だと思い込んだ所で別に問題も間違いもない」

「そういやァ、てめーはハナっからんな事言ってるクチだったな。んなワケねェだろ! オレ達は仲間だ!」

「一度ならず二度も事件を目の当たりにしておいて、よくそんな事が言えるな。お前もずっと事件発生をかなり警戒しているだろ。殺人を企むヤツがいるって分かってるじゃないか」

「モノクマが俺達の殺意を煽ったから警戒したんだろォが! 遠城みてェに自分勝手な殺人を犯すクソヤロウが、これ以上いてたまるかっつってんだよ! もし愉快犯がまだ生きてんだったら、ソイツを突き止めてふん縛ればいい!」

「夢を見るのは勝手だがな、それを周囲に押し付けるな、クレーマー。夢を見たまま一人で死んでいけ」

 

 鋭い言葉を、火ノ宮に突き刺していく。

 

「けどよォ!」

「ま、根岸や岩国の言葉も一理あるわよね。愉快犯のこともそうだけど、いくらモノクマに煽られたからと言っても、この場には殺人未遂犯が二人いるのよ? その二人が裁判を起こしてくれる可能性は充分あるわ」

「……本当に、裁判が楽しいんだね」

「当たり前じゃない、七原」

「…………」

「だが、ネギシの言い方はともかく、警戒するに越したことはないだろ。次、誰が裏切るかなんて分かるわけがないんだからな」

「だからって、誰も彼も疑ってたら終わりだろォが!」

「も、もう終わりなんだよ……!」

 

 喧騒が、怒号が、論争が、けたたましくなっていく。そのざわめきを、ヤツはどんな想いで聞いているんだろう。

 

「ああもう、うるさいなあ! オマエラ、いい加減静かにしろよ!」

「……チッ!」

 

 大きな舌打ちと共に、火ノ宮は証言台へドンと強く拳を振り下ろす。その行為すら、根岸は怒気を放ちながら睨みつけていた。

 

「ちょっと! 怒るのは勝手だけど備品は壊さないでよね! 証言台は使い回しなんだから!」

「どうでもいい。それよりお前達、もう地上へ帰るぞ」

「ん? もう解散で良いのかしら」

「いいよ、東雲サン。全員乗ったらエレベーターが動くようになってるから。ていうか帰れ!」

 

 しっしと、俺達を追い払うようなジェスチャーを見せるモノクマ。ふと気づけば、地上へのエレベーターの扉が開いていた。

 

「あのねえ、イベントが終わったら即時撤収が大原則なの! それをオマエラと来たらいつまでもダラダラとしょうもない雑談をして……これだからオマエラは未熟者って言われるんだよ!」

「言ってるのはてめーじゃねェか!」

「うるさいなあ、ボクはオマエラ暇人と違って忙しいんだからな! ほら、帰った帰った!」

 

 そんな言い合いを聞く気もなく、岩国が証言台を降りてエレベーターへと向かう。それに続くように、根岸も動く。俺達を警戒するように睨みながら足早に露草のもとへ向かい、車椅子を押して彼女と共にエレベーターを目指す。

 

「チッ。モノクマ、解散の前に一つ提案をさせろ」

「ん?」

 

 そんな彼らを気にしながら、火ノ宮がモノクマに語りかける。

 

「学級裁判が終わったってことは、次のエリアの開放があるよなァ」

「そうだよ。オマエラへのご褒美としてね!」

「その開放を遅らせろ。明日の朝に開放しろ」

 

 開放を遅らせる?

 

「なんでそんな事しなくちゃ行けないわけ? こっちはもう準備万端なんだけど」

「オレ達が準備万端じゃねェからだ。夜通しで捜査と学級裁判をしたんだ。んな状況で開放されても探索はどうせ明日になる。だから、開放を遅らせた所で問題はねェわけだ」

「でもその提案をボクが受けるメリット無くない? それって、新エリアに前もって誰かが向かうのを防ぐためでしょ? コロシアイが起きやすくなるんだからボクとしてはバンバンザイなんだけど!」

「…………」

 

 ……確かにそうだ。次に開放される新エリアに、今回のように毒薬や睡眠薬があった場合、明日の探索を待たずにして誰かがそれを入手してしまう可能性がある。火ノ宮はそれを危惧したが、そもそもモノクマはむしろそれを望んでいる。

 だから、火ノ宮の提案は受け入れられず、誰か見張りをする必要がありそうだ。

 と、思ったが。

 

「まあでも、今のボクはハチャメチャに機嫌がいいからその提案を受けてあげます!」

「え?」

「お望み通り、新エリアと施設の開放は明日の朝にしてやるよ! あー、なんて懐の広いクマなんだ! バドミントンコートくらいは有るね!」

 

 バドミントンコート、言うほど広いか?

 

「……礼は言わねェぞ」

「よく施設長に向かってそんな態度が言えるね。まあいいよ。それでいいからとっとと上に帰れ!」

「……チッ」

 

 モノクマにあしらわれ、舌打ちを残して火ノ宮はエレベーターへ向かう。他の皆も、東雲以外は暗い表情で、証言台を降りる。先にエレベータに乗り込んだ彼らが、それぞれの表情でこちらを向いている。

 

「…………」

 

 殺人事件。そして、学級裁判。

 二度目の非日常を終えて、仮初めの日常に戻るために、皆歩みを進める。疑心暗鬼に支配された空気を引きずりながら、それを振り払うように足を前へ運ぶ。

 

 もう、日常になんか戻れないと知っていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、俺は証言台から動けないままでいた。

 とある幸運な少女が見つけた、一枚のカードのことを思い浮かべていたから。

 

 

 

 遠城は、蒼神を殺害した。彼自身にしか理解できない、彼独自の身勝手な動機で。

 けれども、憎むべきは彼ではない。彼もまた、彼女とはまた違った形の被害者なのだ。学級裁判があれほど長引いたのに、モノクマが上機嫌だったのは、きっとこの事実があったからだ。

 

 

 

 真に憎むべきは、その遠城の殺意を操って今宵の事件を引き起こした、悪意に満ちた殺人鬼だ。

 

 自分の快楽のためだけに二人の人生を葬り去ったその悪魔は、今尚俺達の中に潜んでほくそ笑んでいる。

 再び誰かの殺意を弄ぼうと、その狂気をひた隠しにして俺達を嘲笑っているのだ。

 

 

 

 

 

 そうなんだろ、【言霊遣いの魔女】。

 

 

 

 

 

 

 俺は心中でそう呟いて、その背中を強く睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER2:【あるいは絶望でいっぱいの川】 非日常編 END

 

 

 

【生き残りメンバー】 14人→12人

【普通】平並 凡一 

     【手芸部】スコット・ブラウニング 

【化学者】根岸 章   

【声優】杉野 悠輔 

【クレーマー】火ノ宮 範太   

 【幸運】七原 菜々香 

【図書委員】明日川 棗   

【ダイバー】東雲 瑞希   

【弁論部】岩国 琴刃  

【メイド】城咲 かなた 

【運び屋】大天 翔   

【腹話術師】露草 翡翠   

 

 

《DEAD》

【発明家】遠城 冬真  

【生徒会長】蒼神 紫苑   

【帰宅部】古池 河彦  

【宮大工】新家 柱   

 

 

 

 

     GET!!  【燃えたメモ帳】

 

 『絶望に絡め取られた証。全てのページが焼け焦げ、もうアイデアが書き加えられる事はない』

 

 




かくして、非日常は幕を下ろす。
二人の被害者の、無念と共に。


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暗躍編 そして享楽という名の牙

 《エレベーター》

 

 証言台から足を動かせずにいた俺だったが、モノクマに怒鳴られてエレベーターに駆け込んだ。俺が乗り込んだ瞬間にドアが勢いよく閉まり、上昇が始まる。1人減った12人で、地上へ向かっていく。

 

 根岸は、すばやく瞳を動かしながら、俺達を睨んでいる。

 大天は、バツが悪そうに拗ねつつも、敵意を滲ませている。

 杉野は、自分の選択を悔やむような顔で、床を見つめている。

 岩国は、他人のことなどどうでもいいと言いたげに、白い壁を眺めている。

 

 それぞれが、それぞれの思いを抱えて、日常に戻ろうとしている。

 

「あー、楽しかった! 次の裁判もこれくらいボリュームが有ると良いわね!」

 

 底抜けに明るい東雲の声も、今となっては現実離れして聞こえる。

 

「……チッ」

「何よ。舌打ちするくらいなら何か言いなさいよ」

「言いたいことなら山程あるけどよ、言い出したら上に着くまでに終わんねェからな。後で手紙に書いて押し付けてやる」

「そう。暇があったら読んであげるわ」

 

 はあ、といくつかのため息が聞こえる。

 

「……そうだ」

 

 そんな不毛な会話を打ち切るように、俺は口を開く。

 

「俺、これからどうしたらいい?」

「あァ?」

「いや、ほら。軟禁、って話だっただろ」

 

 一度目の事件の時、俺は皆を裏切って【卒業】を企んだ。その代償として、俺はこの数日間新家の個室に軟禁されていた。

 

「確か、まだ俺が開放されるのに反対の人がいたんだよな」

「……ええまあ」

「あ、当たり前だろ……!」

「と、この様に根岸君が猛反対しておりましたので。他にも反対の方はいらっしゃいましたがね」

 

 ……まあ、それはそうだろうな。

 

「け、けどもうどうでもいい……!」

「え?」

「だ、だって、お、おまえだけじゃなくて、み、みんな殺人を企んでるんだぞ……! お、おまえ一人だけ閉じ込めたところで、な、何にもならないじゃないか……! か、勝手にしろ……!」

「…………」

 

 きっと、彼の中では筋の通ったロジックなのだろう。それを打ち崩すことはできそうにない。

 

「根岸の言い方は気に食わねェが、平並の軟禁はもう終わらせていいだろ。もう十分反省してるのは目に見えるからなァ」

「火ノ宮……」

「それより、軟禁しなきゃならねェのは他にいるだろ。なァ、大天ァ!」

 

 彼の叫びに、名を呼ばれた彼女はビクリと体を震わせる。

 

「てめー、平並を殺しかけたんだよな。城咲が来なきゃ、てめーは間違いなく平並を殺したはずだ。そうだよなァ、平並」

「……ああ」

 

 思わず、首をなぞる。凶器の跡こそ消えたものの、あの痛みと恐怖はまだ俺の心に刻まれている。

 

「どこまで遠城の計画だったかは知らねェが、少なくとも、てめーはてめーの意志で俺達を裏切ったことは間違いねェ。そうだよなァ!」

「……だったらなんなの?」

「あァ!?」

「私がやったことが悪くないなんて言わない。でも、後悔もしてないし反省もしてない。私は、私がやりたい事をやっただけじゃん。火ノ宮君みたいに、のんきに生きてきた人にはわからないだろうけど」

「てめー!」

「抑えてください、火ノ宮君」

 

 詰め寄ろうとした彼を、杉野が止める。

 

「大天さん。いくら理由を並べ立てても、誰かの命を奪っても良いことにはなりませんよ」

「それくらいわかってるよ。でも、どうしても殺さなきゃいけない理由だってあると思うけど」

「……では、軟禁されていただくわけにはいかないと?」

「当たり前でしょ。ふざけないでよ。それって、私の命を誰かに預けろってことじゃん。そんな信頼できる人が、この中にいるっていうの?」

「てめーが信頼できねェっつーんだよ! てめーの許可なんかいるか! 強引にでも軟禁してやる!」

「だめです! ちからづくなんて……!」

「チッ、じゃあこのままほっとくっていうのかァ!? 蒼神だって言ってただろォが! 裏切りには処罰を与えるべきだってよォ!」

 

 

――《「集団生活において、仲間を裏切った人間を放置しておくことは、いずれ秩序の乱れへとつながります。ですから、適切な形で、何らかの処罰を与えるべきなのですわ」》

 

 

「ですが、強引に罰を与えても、軋轢を生むだけです!」

「けどよォ!」

 

 そんな言い合いの最中(さなか)、エレベーターが止まり扉が開く。【宿泊エリア】に帰ってきた。

 大天は、それを見てすぐにエレベーターの外に出る。

 

「言っておくけど、今は誰かを殺そうとなんか思ってないから」

「……一応、理由を伺っておきましょうか」

「もう二番目の動機……記憶の件は無くなったからね。急いで【卒業】する必要はなくなったんだよ」

 

 今回モノクマが提示した記憶を取り戻すという動機は、確か、二度目の殺人に限った話だったはずだ。こうしてその二度目の殺人を解決した今、その動機は無効のはずだ。

 そして、大天が殺人に至った動機は、記憶を取り戻すことだった。そうなると、確かに彼女が殺人を起こす理由は無い。

 

「そんなモン信じられるワケねェだろォが!」

「別に信じてもらわなくてもいいよ。……でも、誰が殺意を抱くかわからないなんて、()()()()()()()()()()。軟禁なんかされて、命を危険に晒したくなんか無い」

 

 そう吐き捨てて、大天は宿泊棟へ駆け出した。

 

「大天さん!」

「てめー、待ちやがれ!」

「火ノ宮君!」

 

 彼女を追って七原と火ノ宮が、そして火ノ宮を止めるために杉野もその後を追った。

 

「…………」

 

 無言のまま、根岸も車椅子に乗った露草を連れて宿泊棟へ歩き出す。岩国や東雲も動き出し、場の空気を見極めていた残りの人々もそれに続く。

 

「……なあ、明日川。ちょっといいか」

 

 そんな中、暗い顔の彼女に俺はそう声をかけた。

 

「うん? どうした、平並君」

「一つだけ、聞きたいことがある」

 

 

 

 そして十数秒後、彼女から想定通りの答えを聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《生物室》

 

 【体験エリア】の中でも一際高さのある実験棟。その最上階に、生物室はあった。部屋の明かりを点けなくとも、ドームの天井の光が部屋の中に差し込んでくる。

 

 その光を、棚に鎮座する生首は受けていた。

 

「…………」

 

 顔面のいたるところにひっかき傷がつき、まさに鬼気迫るという言葉を体現したようにその目は見開かれている。俺では想像もつかないような恐怖を味わった事を、その表情が伝えている。

 

 他の人なら、きっと見たことがないと勘違いしてしまうほどに原形からかけ離れたそれだったが、完全記憶能力を持つ明日川でなくとも、俺には、その正体がすぐに分かる。

 

 忘れるものか。

 俺が妬んだ、彼のことを。

 

 

 

――《「『月跳走矢(ツキトビ ソウヤ)』……それが彼の名前だ」》

 

 

 

 学級裁判で明日川がそう告げた通り、それは月跳に違いなかった。

 

 彼の生首の浮かぶビンに手を伸ばす。その表面を指の腹でなぞる。ひんやりとした感触が、彼の死を俺に突き付けて来るようで嫌になる。

 

「月跳……」

 

 どうして、彼が、こんな所で、こんな姿に。

 謎は尽きない。それに対する解答は思いつかないわけではないが、どれも妄想の域を出ない。その中に正解があるとも限らない。この謎が解ける日は来るのだろうか。

 

 はあ、と自分でも驚くほど大きなため息をついて、彼から目をそらす。

 机の上には、濡れた参考書が二冊。例のボートに置かれていた、そして、遠城の失言を引き出すきっかけになった代物だ。

 

 ここに来る途中、蒼神の死体は見なかった。ボートは4つとも定位置にあったが、一つだけ底が濡れたまま浮かんでいた。俺達が学級裁判をしている間に彼女の死体を回収して、ボートも修繕したのだろう。思い返せば、新家の死体も、彼が死んでいた倉庫も、同じ様に綺麗に処理されていた。

 消えていく。事件の証拠が。狂気の気配が。それなのに日常へ戻ることは出来ない。確かに俺達と一緒にいたはずの4人の存在こそが、とっくにこの世から消え去ってしまっているのだから。

 

「…………」

 

 参考書も本来なら棚に戻されていたはずだ。そうなっていないのは、学級裁判中に乾ききらなかったからだろう。他の参考書まで濡らすわけにはいかない。

 

 川の水を吸い込んだそれに触れようと手を伸ばした瞬間、

 

 ――ガラリ

 

 ドアが開く音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……平並君?」

 

 音の主は、怪訝な表情をした杉野だった。

 

「よう、杉野」

「どうなさったんですか、こんな所で」

 

 そんな質問を投げかけながら、杉野は後ろ手にドアを閉める。

 

「月跳の事を確認しに来たんだ。俺はまだ生物室に来たことがなかったからな」

「ああ。晴れて自由になりましたからね。……それで、彼は?」

「間違いない。やっぱり、月跳の生首だった」

「……そうですか」

 

 哀悼の意を顔に浮かべて杉野は呟く。そんな彼に、今度は俺から問いかける。

 

「杉野は? お前こそ、なんでこんな所に来たんだ?」

「いえ、僕も同じ用件です。どう考えてもこの生首の存在は異様ですからね。眠る前にもう一度調べに来たんですよ」

 

 

 

「嘘をつくなよ、クソ野郎」

 

 

 

 杉野が答えを言い終わるや否や、俺はその言葉を彼に向けて撃ち出した。

 

「……はい?」

「お前が生物室にやってきたのは、これが目的なんだろ」

 

 

 そう言って、俺はバンと参考書を叩く。

 

「誰も自分の存在に言及しなかったもんだから、お前はカードが見つかってないと思った。それで、参考書に残っているはずのカードを放置するわけにもいかず、回収しにここまでやって来た」

 

 それを見越して、俺は生物室で彼を待っていた。そして、思惑通りに彼はやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだよな、杉野。……いや、【言霊遣いの魔女】!」

 

 大きな声で、ありったけの怒りを込めて、その名を叫ぶ。

 

 今宵起きた事件を裏で操っていた、糾弾すべき殺人鬼の名を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……話が見えませんね。何の話をしているのですか?」

 

 首を傾けて、冷静にそう言葉を返す杉野。

 

「とぼける気か?」

「とぼけるも何も、本当に分からないのです。カードだって、何のことだか……」

「…………」

「平並君が何を勘違いしているのかわかりませんが、そう思った経緯をお話いただけませんか?」

 

 まあいい。どちらにしても、すぐに認めてくれるなんて思ってなかった。証拠を並べあげて、白状させればいいだけだ。

 

「分かった。教えてやるよ」

「それでは、まずその【言霊遣いの魔女】というのが何なのか説明していただけますか? やけに仰々しい肩書のように思えますが」

 

 白々しい……とは思うが、これを説明しないと杉野は話を前には進めてくれないだろう。

 

「他人をそそのかして、殺人を犯させる殺人鬼だ。自分の手は汚さずに、誰かに殺人という重い罪を着せる。ただ、自分の快楽のために。それが【言霊遣いの魔女】だ」

「……そんな人物がいるのですか?」

「いる。というか、それがお前だって言ってるんだよ」

「…………仮にそのような狡猾な殺人鬼が存在するとして、それがどうして僕になるのか、説明していただきましょうか」

「【魔女】が、遠城をそそのかしたからだ。だから、お前が【魔女】なんだ」

 

 相手に反論を思いつかせないよう、わざと、飛躍したロジックを告げる。

 

「まず、大前提の話をする。【言霊遣いの魔女】が、今回の事件の真の黒幕だ」

「…………」

「蒼神が寝かされていたボートに乗っていた参考書。その中に、カードが挟まっていた。【魔女】が犯行の証拠に必ず残していく、特徴的なカードがな」

「特徴的?」

「ああ。【Witch Of Word-Soul Handler(言霊遣いの魔女)】のサインが書かれた、トランプのジョーカーだ」

「……そんなもの、見つけたのならすぐに教えてくださいよ」

「お前だって、生首の正体の事を俺に黙ってただろ」

「……まあいいでしょう。それで?」

「要するに、今夜の遠城の犯行に、【魔女】が関わってるってことだ。言い換えれば、遠城が蒼神を殺すように、【魔女】がそそのかしたってことになる。俺達の中にいる、誰かがな」

 

 数学の証明問題を解くように、学級裁判でクロを追い詰めるように、ロジックを積み重ねていく。

 

「それはどうでしょう?」

 

 しかし、杉野はそれを止める。止まってたまるか。

 

「……どういう意味だよ」

「【言霊遣いの魔女】なんて、この中にはいないのではありませんか? その【魔女】が残していくというカードの特徴を知っている人物が、【魔女】を騙って僕達を混乱に陥れようとしているのではないでしょうか?」

 

 その可能性は考えた。けれど、それは否定せざるを得ない。

 

「もしも【魔女】を騙ったのなら、もっと盛んにその存在をアピールするはずだ。俺がカードを手に入れたことを黙っていても、学級裁判で触れたはずだ。そうしなかったのは、カードを置いたのが【魔女】本人だったからに決まってる」

「ですが」

「第一、この施設にトランプは無かったはずだ。私物も含めてな。娯楽がないって散々愚痴っただろ。ってことは、あのジョーカーは、【魔女】が犯行現場に残すために隠し持っていた私物って考えるのが自然だ」

「……もしそうだとしても、まだ僕達の中に【魔女】がいるとは限りませんよ」

「…………」

 

 杉野こそが【言霊遣いの魔女】である。俺のその推理を打ち崩すため、杉野は反論を続ける。

 

「【言霊遣いの魔女】というのは、他人に殺人を犯させることを楽しんでいるのでしょう? であれば、僕達にコロシアイを強いるモノクマ……それを操る人物である黒幕こそが、【魔女】なのではありませんか?」

 

 七原も【魔女】の存在を俺に教えてくれたときに同時に語った、【魔女】が黒幕であるという説だ。

 

「さっきも言っただろ。【魔女】は自分の手を下さないのが信条なんだ。俺達を疑心暗鬼にさせるコロシアイはともかく、クロをオシオキするのはあまりにも【魔女】の犯行として妙だ」

「そうは言いますが、あなたは【魔女】の事をどれほど知っているのですか? ああいった殺戮劇も好みである、というだけだと思いますが」

「そうだとしたら、あのカードが一度目の事件……新家の時に無かったのはおかしいだろ。もしも黒幕が【魔女】なら、二度目の事件からカードを置くなんてありえない」

「一度目の時もカードを置いたのですよ。それを、発見した人物が黙っているのです。ちょうど、今のあなたの様に」

 

 その反論だけなら、一応筋は通っている。しかし、やはりそれは違うのだ。

 

「……一度目の時も置いた。それは可能性としては十分考えられる。だが、それでもやっぱり黒幕が置いたとは考えにくい」

「……と、おっしゃいますと?」

「黒幕が置いたなら、死体が発見される前にカードを置けるはずだ。つまり、捜査を始めてからすぐにカードを見つけたはずだ。……二度目の事件はそれでもおかしいところはない。死体をボートから移したから、ボートは捜査の中心からは外れた。だから、最初は誰もカードに気づかなかった……そう考えれば自然だからな」

「…………」

「だが、一度目は違う。新家の死体も捜査の中心も倉庫の中にあった。死体を発見した時点で、カードを見つけたって良かったはずだ」

 

 ……正直、苦しい反論だ。そもそも俺が見つけられなかっただけだ、と言われてしまえばそれ以上の反論は水掛け論にしかならない。

 だが、それ以外の理由で杉野が【魔女】であると確信できる以上、この反論は間違ってはいないはずなのだ。

 

「だから、もし仮に一度目もカードがあったとしても、それは黒幕でない、誰かが捜査中に置いたと考えるべきだ。だから、二度目だって同じだろう。お前が、ボートの調査をした時にこっそり隠し置いたんじゃないのか?」

「……()()()()()()()()、まずはあなたの推理を最後まで聞くことにします」

 

 幸いにも、ロジックの弱点を杉野は見逃した。水掛け論になると、彼も思ったのか。

 

「僕達の中に【言霊遣いの魔女】がいるとして、どうして、僕が【魔女】になるのですか? 【言霊遣いの魔女】……その肩書を聞くに、その人物は女性であるように思えますが」

 

 あくまで冷静に、しかし僅かに苛立ちを孕ませて、杉野は話の続きを促した。

 

「そんなの、肩書一つで断定できるわけないだろ。フェイクのためにわざとそう名乗ってるのかもしれないしな」

「…………」

 

 実際の所、どういう意図があって杉野が【魔女】を名乗っているのかは分からない。しかし、彼はその理由を知っているはずだ。

 

 だって、杉野こそが、【魔女】本人なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【魔女】が俺達の中にいる。そう思えば、その正体が杉野であることには容易にたどり着いた。

 

「……お前、遠城がどうして蒼神を殺したのか、言えるか」

 

 その論拠を突きつけるため、杉野に問いを投げかける。

 

「それは、彼自身がおっしゃっていたではありませんか。……思いついた殺人的なアイデアを、実行せずにはいられなかったからです」

 

 

「――それは違うぞ」

 

 

「……はい?」

「お前、確か言ったよな。蒼神が殺意を抱いたことは、犯行に関係なんか無いって」

 

 

 

――《「ですが、蒼神さんが殺意を抱いていたかどうかなど、関係のないことなのです。あなたが、蒼神さんを殺したこととはね」》

 

 

 

「そんなワケ無いだろ。確かに、遠城が語ったアイデアを披露したいっていう動機もきっとあったんだろう。だが、蒼神のことさえ無かったら、遠城は殺人なんかしなかったはずだ!」

「何を言うかと思えば……蒼神さんの事は、遠城君の嘘でしょう。本当の動機をごまかすためのね」

「違う。少なくとも、遠城は嘘なんかついていないはずだ。だって、アイデアのことを言ってからも、遠城は蒼神に敵意を抱いていただろ」

 

 

 

――《「だからやめろよ! 人の殺し方を、そんなあっさりと喋るなよ……!」》

――《「そうだ。殺されたアオガミの命まで、軽く見えてくる」》

――《「ふん、あやつなどどうでもいいであろう」》

――《「ど、どうでもいいって……」》

 

 

 

 

「もし蒼神のことが完全に口からでまかせだったら、その敵意も嘘だったはずだ」

 

 だから、遠城は確かに聞いて確信していたはずなのだ。蒼神が、殺意を抱いていたことを。

 

「……だとしても、僕の言ったことは間違っていますか? 殺意を抱いた人間のことなら殺してもいいと? ……蒼神さんの殺意と、遠城君が犯行に及んだことは切り離して考えるべきだと思いますが」

「そんな事はない。切り離しちゃダメだ。蒼神のことだって殺人の動機には違いないんだから」

「どうしてそう言い切れるのです!」

「だって、正に遠城が言っていたじゃないか! 蒼神の殺意を知ったことが、殺人に踏み切ったきっかけだって!」

 

 

 

――《「……吾輩だって、ためらいは当然あったのである。リスクは確かに存在するし、何より、殺人なぞ許されない罪であるからな。

 しかし、しかしである!」》

――《「あの蒼神が殺人を企んでいたのであるぞ! 今更吾輩が殺人をためらったところで何になるというのであるか!」》

 

 

 

「遠城だって、きっとアイデアを思いついただけならそれを実行しようなんか思わなかったはずだ!」

「そうとは思いませんね」

 

 そんな言葉で、杉野は俺の推理を否定する。

 

「あなたも見たでしょう。誇らしげに自分のトリックを語る彼の姿を。あの姿こそが、彼の本性です。真実から目を反らしてはいけません」

 

 ……本性、か。

 

「あれが遠城の本性じゃない、なんてことは言わない。人の殺し方を自慢げに語っていたのは、明らかに遠城の意志だ」

「でしたら……」

「だがそれは、ずっと黙っていたアイデアを披露できたからだろ。あれを本性だって言うなら、殺人を許されない罪だとためらっていたことだって遠城の本性だ」

「それはどうでしょうか。殺人を犯した人物の発言など、信用の置けるものではありませんよ。せめて最後に自分を良く見せようと思ったのでしょう」

 

 その杉野の意見も、的外れと断言できるわけじゃない。実に巧妙だ。しかし、遠城が殺人をためらっていたと思える根拠なら、ある。

 

「発言じゃない。アイツの行動を信じればいい。遠城は【超高校級の発明家】なんだ。殺人トリックなら、最初の動機が配られた時点で……もっと言えば、最初にモノクマからコロシアイを宣言されたときから思いついていたっておかしくない。それでも一度目は行動に移らなかったのは、アイツの中で殺人はダメだと、一線を引いていたからじゃないのか」

「…………」

「その一線を、【魔女】がぶち破ったんだ。蒼神の殺意の籠もった声を、遠城に聴かせることでな。だからこそ、遠城は殺人トリックを実行に移したし、手紙の差出人を蒼神だと勘違いしたんだ」

 

 そう、それこそが、【魔女】が遠城に仕掛けた、最大のワナだ。

 

「……ということは、何ですか。【魔女】が、蒼神さんが独り言を呟くように誘導して、それを遠城君に聴かせたというのですか?」

「違う。そもそも、遠城が蒼神の独り言を聞いたっていう話自体おかしいんだよ」

 

 ここが、一番大きな矛盾だった。

 

「遠城は言った。【体験エリア】の探索の日、昼の集まりの直後に図書館で蒼神の呟きを聞いたって」

 

 

 

――《「そうである! 探索をした日、昼の集まりを終えてすぐである……アイデアのために図書館の蔵書を調べていた吾輩の耳に、ハッキリと届いたのである! 蒼神のつぶやきがな!」》

 

 

 

「だが、そんな事はありえないんだ。蒼神はその時間、宿泊棟で俺に【体験エリア】の情報を教えてくれていたんだからな!」

 

 探索があったあの日の昼過ぎ。俺が軟禁されて個室の中で思考の泥沼に嵌っていたあの時、蒼神は七原と共に俺を尋ねて探索の成果を話してくれた。

 

 

 

――《 不意に、ドアチャイムが鳴った。》

――《「……?」》

――《 咄嗟に体を起こして入口の方を向く。俺が何かアクションを起こす前に、ガチャリとカギの開く音がして、続けざまにその扉が開いた。》

――《「平並君。具合はいかがでしょうか?」》

――《 そんな言葉とともに部屋に入ってきたのは、俺達を引っ張ってくれていた蒼神。そして、その後ろにもう一人訪問者がいた。》

――《「平並君、大丈夫?」》

 

 

 

もう遠い昔のことにすら思えるが、遠城が蒼神の声を聞いたというあの時間、蒼神は確かに宿泊棟の新家の個室にいたのだ。

 

 だから、遠城のあの話は、おかしいんだ。

 

「…………」

「さっき明日川に訊いて、あの日遠城が図書館にいた時間を確認した。『蒼神の姿は見なかったが、遠城のことは目撃した』らしいが、その時刻は蒼神が宿泊棟にいた時間帯と重なる。要するに、蒼神にはアリバイがあるんだよ」

 

 厳密に言えば、蒼神が一人になった時間は存在する。七原と俺を二人きりにするために、蒼神は先に廊下に出た。しかし、その僅かな時間に図書館に移動して殺意を呟き、七原の話が終わるまでに宿泊棟に戻ってくる――そんなバカな行動を取る訳がない。ということは、やはり蒼神にはアリバイがあるのだ。

 ロジックの詳細を説明する必要はない。杉野が知りえない情報はバッサリと切り捨ててしまえばいい。

 

「だとすると、遠城が聴いた蒼神の独り言は何だったのか、という話になる。誰かの声を聞き間違えた? それはどうだろう。聞き間違える可能性があるなら口調の似ている城咲の声しか無いが、城咲は野外炊さん場の見張りをしてたんだろ。それを放って図書館になんか行くはずがない」

 

 杉野に遮られないように、早口で一気にまくしたてる。

 

「つまり、誰かが意図的に出した『蒼神の独り言』を、遠城は蒼神本人の独り言だと勘違いしたんだ」

「……まさか」

 

 俺の言葉を聞いて、杉野は何かに思い至る。思い至った、()()()()()

 

 俺だって、信じたくなかった。【言霊遣いの魔女】なんて悪魔的な人物とは、対極の存在だと思っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

「お前が、蒼神の声を出したんだろ。【超高校級の声優】である、お前が!」

 

 ――それでも、そんな事ができるヤツは、コイツしかいない。

 

 

 

 

 

 

「……だから、僕が【言霊遣いの魔女】だと言うのですか」

「ああ。お前なら、蒼神の声帯模写くらい出来るだろ」

「……ええ、確かに、それは可能です。『【超高校級の声優】の肩書に恥じない程度には、声帯模写は可能ですわ』」

 

 鮮やかに、杉野は声色を変える。それは紛れもなく、蒼神の声だった。

 

「ですが、ただ僕にそれが可能であるというだけです。声を操るという点で言えば【超高校級の腹話術師】である露草さんも声帯模写くらい出来ても不思議ではありませんし、そうでなくとも一発芸的に声帯模写の技術を隠し持っている人物がいるかもしれません。

 たった、声真似が出来るというだけで僕を【魔女】だと断じるのは、いささか強引なのではありませんか?」

「それだけが理由でお前を【魔女】って言ってるんじゃない。反証ならいくらでも探したさ。だが、やっぱりお前が【魔女】なんだよ」

 

 今杉野にぶつけた声の件は、あくまでも杉野を疑いだしたきっかけに過ぎない。

 しかし、考えれば考えるほどその疑心は確信へと変わっていった。だから、こうして杉野を糾弾しているのだ。

 

「お前、事件が起きるように俺達を誘導してただろ」

「…………」

「今回の【動機】がモノクマから与えられた時、今度は【動機】を見ないでおこうって話になった。そこでお前はこう提案した。『平並()だけが確認しよう』ってな」

 

 

 

――《「この記憶のヒントというのは、すなわち僕達が失った2年間のヒントなのです。それを無視するというのは、(いささ)かもったいないのではないでしょうか。得られる情報はできる限り得ていくべきだと思います」》

 

――《「じゃあ、ヒントを見るべきだっていうのか? それで事件が起きたら本末転倒だ。リスクが高すぎるだろ」》

――《「ええ、その通りです、平並君。ですから、絶対に事件を起こさない人……殺人をしない人だけが確認すればよいのです」》

 

――《「いかに殺意を抱こうと、鍵のかかった個室に閉じ込められてしまえば殺人を行うことはできないでしょう。というわけで、僕からは平並君だけが記憶のヒントを確認することを提案します。いかがでしょうか?」》

 

 

「その提案の理由は確かに筋が通ったものだった。けれど、結局出来上がったのは、俺唯一人が【動機】を知った状況だ。いくら俺が軟禁されていると言っても、殺意を抱いた人間がいることは不和をもたらす。それに何より、俺の軟禁さえ解除させれば、限りなく俺をクロに近い人間にすることが出来る」

 

 事実、遠城は俺をクロに仕立て上げた。

 

「そして、お前はこうも提案した。『これから全員個室に閉じこもろう』と」

 

 

 

――《「僕からは、今日一日、明日の朝まで全員が部屋に閉じこもることを提案します」》

――《「へやに、ですか?」》

――《「そうです、城咲さん。この後解散してから、僕たちはそれぞれの部屋に閉じこもるのです。誰かに呼び出されたとしても、何があっても部屋からは出ないようにするのです。そうすれば、事件は起こりえない。そうですよね?」》

 

 

 

「確かに、全員が個室の中にいれば事件は起こりえない。その()()()をエサにして、お前は殺人を企んだ人物が自由に動けるようにしたんだ。全員を宿泊棟に押し込めて、誰に見られることもなく殺人の練習や実行が出来る環境を作り出した」

 

 事実、遠城は正に殺人トリックのリハーサルを行い、実行した。

 

「事件を起こさないため、俺達を守るため……そんな名目で俺達を誘導した結果、お前はクロにとって最高の環境を作り出したんだ! 遠城が、殺人に踏み切るように仕立て上げたんだ!」

「それが、僕を【魔女】だと思った理由なのですか? ……ふざけないでください!」

 

 俺の推理を聞いていた杉野だったが、ついに彼は憤慨した。突き抜けるような澄んだ声で、鬱憤を俺へと撃ち返す。

 

「あなたの推理は、全部あなたが状況を曲解しているだけではありませんか! 僕の声帯模写を平並君が怪しんだ事を許すとしても、それ以降は到底見逃せません!」

 

 大きな身振りと共に、俺の推理を否定する。

 

「事件を起こさないために、僕がどれほど苦心して頭を悩ませたかあなたなら分かってくれるでしょう! 僕達を絶望に叩き落とすモノクマに対抗するために、どうすれば良いか必死に考えた結果があの作戦なのです! 僕の考えた作戦は、あなたが言うほど的はずれなものだったのですか!?」

 

 蒼神を救えなかった後悔を、俺に信じてもらえない苦悩を、杉野は声に乗せる。悲しみに声を震わせることで、俺の同情を誘う。

 ……これが、【魔女】の悪意か。そうと知っていなければ、それに潜む悪意なんかには気づきようもない。

 杉野の声が俺の耳に届く度に、より一層杉野に向ける目も鋭くなる。

 

「あなたが今おっしゃった僕の誘導というのは、ただの結果論に過ぎません! 僕が遠城君のために用意したのではなく、遠城君がその頭脳をもって僕の作戦を殺人に利用したのです!」

 

 確かに、そう見ることも出来る。それは当然だろう。杉野は俺達の目をごまかすために、狡猾に『有用そうに思える』作戦を提案したのだから。

 

「僕を、信じてくれないのですか」

「…………」

「僕は信じたじゃないですか! 平並君のことを!」

 

 ドラマチックな声色で、彼は告げる。

 

 

 

――《「平並君。僕はあなたを信じています」》

――《 そんな俺に、杉野が声がかけた。》

――《「あの日、あなたは僕に【卒業】の意志はないと言ってくれました」》

――《 いつだったか、たしかに俺はそう言った。そして、それは今でも変わらない。》

――《「まだ事件の全容がつかめているわけではありませんが、それでも、あなたのその言葉を信じたいと思います」》

 

 

 

「あなたに【卒業】の意志がないというあなたの言葉を僕は信じたのです! あなたは、その僕の信頼すら踏みにじるというのですか!?」

「……踏みにじるに決まってるだろ」

「……っ!」

 

 沈痛な声が、彼の喉奥に消える。

 

「だって、お前があんなことを言ったのは、俺の言葉を信用したからじゃないだろ。俺がクロじゃないって事をお前が知っていたからだ。そうだよな?」

「何を言って……」

「お前は最初から、遠城が犯人だって知っていたんじゃないのか」

「…………」

 

 彼は俺の言葉を聞いても表情を変えない。【魔女】は、【超高校級の心理学者】としてのスカウトも検討されていたんだ。心理戦じゃ敵わない。俺の唯一の武器である、ロジックをぶつけろ。

 

「ボートを調べていた時、お前は変なことを呟いた。『どうして、蒼神を殺すことができたのか』って」

 

 

 

――《「気を、引き締めないとな」》

――《「ええ。……とはいっても、今回の事件で使われた仕掛けがどのようなものなのか、見当が付きませんけれどね。ですが、複雑な仕掛けを施しているのかもしれません。どうして、蒼神さんを殺すことができたんでしょうか」》

――《「ん? それは睡眠薬を使ったからだろ」》

――《「え、ああ、それはそうなんですが……蒼神さんがどういう経緯で外に出たにしろ、警戒はするはずじゃないですか。それでも尚なぜ蒼神さんは襲われたのか、ということですよ」》

――《「そうか……」》

 

 

 

 あの時は杉野の説明に納得したが、警戒していても不意打ちを加えることは十分可能のはずだ。そこに別の意味があると考えると、全てが明らかになった今ならその答えが見えてくる。

 

「あれって、遠城にアリバイがあったからだよな。『遠城は宿泊棟にいたのに、どうして【体験エリア】にいた蒼神を殺せたのか』……そう思ったから、ついそんな言葉が出てきたんだろ」

「…………」

「それだけじゃない。学級裁判の最中、容疑者が東雲とお前と遠城に絞られて、東雲が自論を語った時も、お前は変なことを言った」

 

 

 

――《 ……呆れた。》

 

――《「では、あなたの無実を証明する方法はまだ無いと?」》

――《「そうね、杉野。こんなことなら、もっとミステリを読んでおけばよかったわ。明日川、何かオススメない?」》

 

 

 

「東雲に向かって、『お前の無実はまだ証明できないのか』と。おかしいよな。まるで、東雲が無実だってとっくに知ってたみたいじゃないか」

 

 逃がすな。

 

「いや、知ってたんだお前は。遠城が殺人を犯すように、蒼神を殺すように仕向けたのはお前だったんだから」

 

 【魔女】を、追い詰めろ。

 

「遠城は必死に殺人的なアイデアを披露する事を我慢していたはずなんだ! それが許されないことだって分かっていたから! 自分がオシオキされる事以上に、誰かを殺す事を許さなかったはずなんだ!」

 

 

――《 ――《「どうでもよくなどないのである! モノクマに対抗するために一致団結せねばならぬ状況であるぞ! 大体、お主には倫理観というものが欠けているのである!」》 》

 

――《「アレは、演技だったって言うのかよ!」

――《「演技などではない。あれも純然たる吾輩の怒りである。別に矛盾はしないであろう」

 

 

 

 彼が叫んだあの激情が演技じゃなかったのなら、彼は自分勝手な殺人狂なんかでは決してない。信じるべき、共に絶望に抗う仲間だったんだ。

 

 

 それを、この【魔女】がぶち壊した。

 

 

 その内に秘めた創作意欲を彼の外へと引きずり出すことで、遠城をエゴイスティックな殺人鬼に仕立て上げた。俺達を裏切った、非情な狂人であるかのように彼を振る舞わせた。

 それが何より、許せなかった。

 

 

 

 

――《「吾輩達の中に不穏な空気が漂っていたであろう! 誰にも邪魔されずにトリックの練習が出来る環境があったであろう! そして、殺すのに遠慮のいらぬ蒼神(ターゲット)も、冤罪を押し付けられる平並(身代わり)もいた!

 これだけ条件が揃っているというのに、アイデアを留めておくことなど、出来るわけが無いであろう!」》

 

 

 

「つまり、今夜蒼神と遠城をアトリエに呼び出した愉快犯ってのは、お前だったんだよ。蒼神が殺意を抱いているとうそぶき、遠城に殺人を犯させる環境を整え、そして事件の引き金を引いた!

 遠城を善人に押し留めていた倫理観を、甘い囁きで殺人の舞台を整えてお前が取り去ったんだ!

 だから遠城は犯行に及んだ! だから蒼神は殺された!」

 

 二人の仇を伐つために、全身全霊をささげて喉を枯らす。

 

「蒼神は遠城に殺されたんじゃない! 遠城はモノクマに殺されたんじゃない! 二人とも、お前に殺されたんだ!」

 

 怒りを込めて、恨みを込めて、鋭く言葉を撃ち出す。

 

 

 

 

「お前のせいで、遠城も蒼神も死んだんだ! お前が二人を殺したんだ! 違うか! 【言霊遣いの魔女】!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……クククッ」

 

 声が、聞こえた。

 

「それ以上余を褒めるのはやめるのじゃ。照れるじゃろ」

 

 妖艶で、妖しい、脳をくすぐるような、女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ?」

 

 耳を、疑った。

 聞こえるはずのない声が、聞こえてきたから。

 

「どうしたのじゃ、平並凡一よ。そなたが見抜いたのじゃろうが。余が【言霊遣いの魔女】であるとな。何をぼけっとしておるのじゃ?」

「え、は……え?」

 

 突然のことに、頭が思いつかない。

 杉野が、初めて聞く口調で、初めて聴く声を出している。姿はついさっきと何も変わっていないはずなのに、そこから聴こえてくる艶やかな声のせいで、蠱惑的な魅力を感じる。その瞳に、五芒星が浮かんでいるようにも見えた。

 

「お前、女だったのか……?」

「まさか。余はれっきとした男じゃ。まあ、この地声は女のものであると自覚はしておるがのう。じゃからこそ【魔女】と名乗っておるのじゃし」

「地声だって?」

「そうじゃ。それがどうしたのじゃ?」

 

 落ち着け、落ち着け。惑わされるな。今、杉野は自分で認めたじゃないか。自分が、【言霊遣いの魔女】であると。その事実だけを、受け止めろ。

 

「……お前が【言霊遣いの魔女】。それでいいんだな」

「うむ! 当初はそなたが何を言ってこようとも冤罪だの思い過ごしだのと言ってシラをを切り通そうと思っていたのじゃが、あまりにそなたが余の事を褒めるものじゃから、つい声を出してしまったのう」

 

 その色気のある声を聴くだけで、頭がクラクラしてくる。おかしくなりそうだ。

 

「……ちょっと待て、褒めてなんかないぞ」

「褒めたじゃろ。余が遠城冬真の殺意を巧みに操り、蒼神紫苑を殺させるように仕向けたと。余のおかげで二人が死んだと。

 余の功績をこうも称賛してもらうと、暗躍した甲斐もあるというものじゃ」

「…………」

 

 開いた口が塞がらない。何を言っているんだ、この悪魔は。

 人を殺したことを、『功績』だって? それを追及したことを、『称賛』だって?

 

「ふざけるな! 人の命を何だと思ってるんだ!」

「む?」

「遠城も、蒼神も、絶望に抗うために必死で生きてたんだ! それを踏みにじって、何が功績だ! 俺達は、お前のおもちゃなんかじゃない!」

「おもちゃじゃない? そんな事、そなたに言われるまでもなくわかっておるのじゃ」

「は……?」

 

 怒りをぶつけても、返ってきたのは想像していた声ではなかった。

 

「おもちゃを壊して何が楽しいのじゃ。積み木をビルに見立てて巨大怪獣のように破壊した所で、それは積み木を崩しただけじゃ。それでは、ただの一人遊びに過ぎんじゃろ」

 

 朗々と、()()はその狂気を語る。

 

「人間は、余の所有物ではない。それぞれが意志と過去を持った独立した存在じゃ。()()()()()、壊す価値があるのではないか。そうじゃろ?」

「そんなわけ……そんなわけないだろ! 壊す価値なんか有るわけがない! 人間を壊しても――人間を殺しても、存在価値をぶっ潰すことになるだけだ!」

「じゃから、その存在価値を壊すことこそが快楽に繋がるのじゃろ。話の通じない(やから)はこれだから困るのじゃ」

 

 共感はおろか理解も出来ない。人間の形をした、まったく別の生き物のように見えてくる。

 こんな、こんなヤツのために、蒼神と遠城は死んだのか。報われない。あまりにも、報われない。

 

「わからない……なんなんだよ、お前!」

「なんなんだと言われてものう。余を指して【言霊遣いの魔女】と言ったのはそなたじゃろうに。わからない、というのならこれ以上余の事を話しても無駄じゃな」

 

 ああ、そうだ。無駄だ。こんな会話、不毛すぎる。

 

「で、そなたは何がしたいのじゃ?」

「あ?」

 

 怒りを隠す気もない。

 

「余が【魔女】であると見抜いて、それを余に伝えて、それがどうしたというのじゃ。よもや、余の事をここで殺す気じゃろうか。はっ、そのような度胸が平並凡一に有るはずなかろう」

「……そんな事」

「そう言うならば余を殺せば良い。あの残虐なオシオキを受けることを承知で、余にナイフでもなんでも突き立てれば良かろう」

 

 両手を大きく開いて、口を歪ませながら【魔女】はがら空きの胸を晒す。

 ……出来るわけがない。どれだけ【魔女】のことを殺したいほど憎悪したとしても、命を弄ぶ処刑を二度も見せつけられて、それを受け入れることなんかできない。俺はまだ死にたくない。それを全部わかった上で、【魔女】は俺を過激な言葉で煽っている。

 

「……クソ野郎」

 

 憎々しげに、俺は【魔女】を睨む。

 復讐なんかダメだと大天に言っておきながら、それでも【魔女】に殺意を抱いてしまう。落ち着け、こいつを殺したところでなんにもならない。それこそ、蒼神や遠城がそんなことを望むだろうか。

 

「では、改めて問おうぞ。平並凡一、そなたは余の正体を暴いて、どうするつもりじゃ?」

「……決まってるだろ。お前の悪事を止めるんだよ」

「ほう?」

「警告だ。お前はもう、影に隠れた存在じゃない。俺がお前が悪魔であることを知っている。お前を自由になんか、させるもんか」

「……ククク、余を止めると言うのか。何の才能もないそなたが、この余を!」

 

 俺の言葉を聞いても、【魔女】はその余裕を崩さない。

 

「そんなことが出来ると思っておるのか?」

「……出来る出来ないじゃない。『やる』しかないんだよ」

「ククク、とんだ夢を見ておるのう。【言霊遣いの魔女】を舐めてもらっては困るのじゃ」

 

 【魔女】の笑みを、怨念を込めて()めつける。

 

「大体、先ほどそなたは遠城冬真の殺人を余のせい(功績)責め立てた(褒め称えた)が、そなただってそれに一役買っておるじゃろう。第一の事件の時、古池河彦以外にも殺人を企む者がいた事も、遠城冬真の背中を押したはずじゃろうし」

「ぐ……それは……」

 

 視線が揺らぐ。

 

「そなたの殺人未遂のおかげで、余としても動きやすくなったのじゃ。それに関しては感謝しておる」

「…………」

「そのようなやつが、余を止めようなどと、身の程知らずも甚だしいのじゃ」

 

 反論は、出来ない。俺がコロシアイに寄与してしまったことは、紛れもない事実だったから。

 

「それに、そなたよりは、余は七原菜々香の幸運の方を警戒したいがな。カードを見つけたのは七原菜々香なのであるから、あやつも【魔女】の存在を知っておるのじゃろ? 正体が余であることまで突き止めているかは知らぬが」

「……な、なんでそれを」

「余がボートの参考書にカードを隠してからそなたはボートに近づいてはおらぬ。それなのにカードのことを知っているとなると、知ったのは学級裁判の直前、七原菜々香と密話を交わした時じゃ。そうじゃろ?」

「…………」

「だんまりか。まあ良い。その沈黙が答えじゃからな」

 

 ……クソ。全部【魔女】の言うとおりだ。

 心の内をすべて見透かされているような、そんな錯覚に陥る。もしかしたら錯覚ではないとすら、思わされる。

 

「それと気になる点はもう一つあるのじゃ」

「……なんだよ」

「どうして秘密裏に余を糾弾するのじゃ? 全員が揃った状態で……まあ、もう12人しかいないのじゃが、その時に余を糾弾すればよかろう。捜査の時に余の存在に気づいたのなら、学級裁判中にその存在を皆に伝えれば良かったじゃろ。よしんば学級裁判に集中したかったとしても、遠城冬真のオシオキの後は格好の機会であったろうに。それをしなかったのは、何故じゃ?」

「…………」

 

 その質問の答えなら、念のために用意しておいた。全部【魔女】に知られてたまるか。

 

「皆をこれ以上混乱させるわけにはいかないだろ。ただでさえ、根岸はアレだけ怯えてたし、【魔女】の存在は知らなくても事件に愉快犯(第三者)が関わってた事は皆が知ってる。その上さらにお前みたいな悪魔の存在を伝えたら、それこそ俺達は崩壊する」

「もう崩壊しているようなものじゃと思うがのう。ま、その無駄な気配りのおかげでまだまだ楽しめそうじゃからよしとしようかの」

 

 事実、この答えは嘘ではない。大天を暴走させないためという理由を隠して、【魔女】に伝えても構わない理由だけをピックアップした。

 

「で、他に何を隠しておる?」

 

 だというのに、【魔女】はそんな台詞を続けた。

 

「……な、何のことだよ」

「右手を強く握る」

 

 急に、【魔女】はそう呟く。

 

「は?」

「目線は僅かに左にずれる。右に口をかすかに寄せる。腰が後ろに下がる。胸を少し反らす」

「な、なんだよ……」

「そなたは気づいていないじゃろうが、そなたの『嘘』の癖じゃ。お望みならもっと列挙してやるぞ?」

 

 ……クソ。

 慌てて、手を開く。体をよじりながら顔をそらす。なにもかも、お見通しなのか。

 

「……嘘ついて悪いかよ」

「悪いとは言わん。現に余も、今嘘をついたのじゃしな。今のは適当に言っただけじゃ」

「は?」

 

 俺のあげた間抜けな声に、【魔女】は嬉しそうに顔を歪ませる。

 

「……お前! ハッタリか!」

「ああ、御しやすい。実に御しやすいのう。流石は【超高校級の凡人】じゃな」

 

 楽しそうな、喜悦を孕んだ声が聞こえる。

 

「ぐ……!」

 

 ギリ、と骨を伝って歯ぎしりの音がする。

 

「ククク、そなたの【才能】に免じて今はその嘘の追及は止めておいてやろうかの。どうせ、これからたっぷり時間は有るのじゃ」

「…………」

 

 煽る【魔女】を、強い敵意を込めて睨みつける。

 

「ま、これでわかったじゃろ。そなたは余には勝てん。所詮そなたも余の手のひらの上じゃ」

「……だからって、お前を野放しにするわけにはいかないだろ!」

「ククク、そなたの悪あがき、楽しみにしておるのじゃ」

 

 【魔女】はそう告げて、翻してドアを開ける。

 ともかく、宣戦布告は出来た。【魔女】の存在をおおっぴらに出来ない以上、きっとこれが今取れる最善策のはずだ。

 ほっ、と一息つこうとしたその時、

 

「あ、そうじゃ」

 

 再び【魔女】の妖しい声が届く。

 

「……なんだよ」

「何、そなたの推理を一つだけ訂正しておいてやろうと思ったのじゃ。余の正体に気づいた褒美としてな」

 

 訂正?

 

「どこが間違ってるんだよ」

「そなたの推理どおり、遠城冬真に蒼神紫苑の声を聴かせたのは余じゃ。あやつが殺人に存分に取り組めるよう皆を誘導したのも推理どおりじゃ。――じゃが、余はあの二人をアトリエに呼び出してなどおらぬ」

「……は?」

 

 今、こいつはなんて言った?

 

「余は遠城冬真の心に疑心のタネを蒔いてそっと背中を押しただけじゃ。直接的には事件の関与などしておらんのじゃ」

「そんなわけないだろ。お前が手紙を二人に出したからこそ、遠城が蒼神を殺したって確信してたんだろ」

「いや? 余はそんな事せずとも遠城冬真がターゲットにするのは蒼神紫苑しかありえぬと思っていたのじゃ。手紙の件で頭を悩ませたのは余もそなたらと同じじゃよ」

 

 二人を呼び出したのは【魔女】じゃない……?

 

「だったら……!」

「そうじゃ。愉快犯は、余以外にいるのじゃよ」

「……!」

 

 死を楽しむやつが、殺人を引き起こそうとするやつが、【魔女】以外にも、いるのか。

 

「嘘だ! 俺に皆を疑わせようと嘘をついてるんだろ!」

「まあ、そう思っても余は構わぬ。そなたが信じようと信じまいと、いい余興になるのじゃからな」

 

 嘘に決まってる。こいつが全部仕組んだに決まってる! それをするのが、【言霊遣いの魔女】じゃないか! 

 

 ……けどもし、もしも【魔女】の言うことが本当なら。愉快犯を野放しにしてしまうのではないか。

 皆を疑わざるを得ない。少なくとも、【魔女】が真実を言っている可能性を切り捨てることが出来ない。【魔女】の一言で、疑心暗鬼という『爆弾』を埋め込まれた。

 

「……クソッ!」

「いい顔じゃな。平並凡一よ」

 

 そう告げて、【魔女】はより一層、笑みを強くする。愉悦に満ちた、艶やかな笑顔を見せる。

 

「では、また明日、朝食会でな」

 

 そして、【言霊遣いの魔女】は、背中越しに俺に手を振りながら生物室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 【魔女】が退室してから少し、間を空けて。

 

「……はあっ」

 

 緊張の糸が切れる。足の力が抜け、どかりと腰を床に落とす。

 

「なんなんだ一体……!」

 

 相応に覚悟は決めて【魔女】と対峙したはずだ。遠城と蒼神を殺したことを徹底的に糾弾するつもりで生物室で杉野を待ち構えていた。

 それなのに、【魔女】が本性を表してからは終始アイツのペースだった。少しでもアイツを上回れるなんて考えちゃいけない。アイツは【超高校級の心理学者】としてスカウトされることすら考慮されていたやつだ。もっと、強く警戒して自分をしっかり持って挑むべきだった。

 

「……けど、上々か」

 

 【魔女】の本性に翻弄されたり、最後に『爆弾』を押し付けられたりはしたが、当初の目標だった【魔女】への警告は出来た。後は、全力で【魔女】の犯行を阻止するだけだ。

 

 ふう、と一つ息をつき、立ち上がって窓の外を見る。ちょうど、杉野が【自然エリア】へと向かうゲートをくぐったところだった。

 

 

 

「もういいぞ、七原」

 

 

 

 俺がそう声を出してすぐ、掃除用具入れのロッカーがギィと音を出す。中から、七原が現れた。

 

「お疲れ、平並君」

 

 杉野が生物室に来る前に、七原にはそこに隠れてもらっていた。杉野が【言霊遣いの魔女】であることの証人になってもらうためだ。本人の自白を聞いてもらうのが一番確実だから。

 七原も、遠城から蒼神の独り言の事を聞いた時から違和感に気づいていたらしい。そして、俺と同じ様に杉野が【魔女】である可能性に思い至っていた。

 

「……それにしても、やっぱり信じられないよ。杉野君が、【言霊遣いの魔女】だったなんて」

「……ああ、俺もまだ信じがたい。だが、そう認めないと、また被害者を出すことになる」

 

 戦わなくてはいけない。モノクマだけでなく、あの【魔女】とも。

 

「それで、平並君が【魔女】のことを皆に黙ってたのって、本当に他に理由があるの?」

 

 他に……とは、俺が【魔女】に追及された時のことを踏まえてそう言ってるのだろう。

 

「ああ。皆を混乱させられないってのも、本心だがな」

 

 と、答えてから考える。言うべきだろうか。七原に、大天の話(本当の事)を。

 

「そっか。わかった」

 

 そう思案していると、七原はそう呟いて話を切り上げた。

 

「訊かないのか?」

「今はいいよ。だって、言いたくないんだよね? ……必要になったら、教えてよ」

「……ありがとう」

 

 ああ、本当に七原には救われる。

 ……救われるついでに、この事も確認しておきたい。

 

「なあ、七原。杉野が言ってた、愉快犯の件、どう思う。本当にアイツは手紙を出してないと思うか?」

「それは……わからない。わからないけど……杉野君は、きっと、嘘はついてないと思う」

「……そうか」

 

 なら、きっと、本当に愉快犯は別にいるのだ。

 

「クソッ……」

 

 問題が、多すぎる。

 

 解散する直前、大天は今は誰かを殺す気は無いと言っていた。彼女にとっては【魔女】を殺すまでは死んでも死にきれないだろうし、殺人未遂をしてしまったこの状況では学級裁判で勝ち抜けるのは容易ではない。だから、その言葉は信用に値すると思う。だが、このまま放っておくわけにもいかない。

 

 俺達全員を疑っている根岸の誤解だって解いておきたいし、東雲の行動だって警戒する必要がある。【魔女】の他に潜んでいるという愉快犯だって、その正体を暴かなくてはならない。

 

 そして何より、その【魔女】の正体が杉野だった以上、もうアイツに頼ってはいられない。また、気づかない内に殺人の舞台を整えさせてしまう可能性がある。……いや、誰かが止めない限り、アイツは絶対にまた同じことをする。そう確信出来るだけの狂気を、【魔女】からは感じた。

 

 俺達を率いてくれた蒼神はもう居ない。誰かが、その代わりをしないといけない。

 

 誰が?

 

 その問いに答えは出せない。

 けれど、なんとかしないと、きっとまた誰かが死ぬ。もう嫌だ、そんなのは。

 

「…………」

 

 昨日の朝に見た、モノクマからの【動機】を思い出した。

 暗闇に浮かぶ【才能】の二文字。モノクマ曰く、どうやら俺には才能があるらしい。

 

 けれど、その正体は皆目見当がつかない。俺が凡人であることは、誰より俺がよく知っている。

 だから、幻想(そんなもの)には頼れない。

 

 『やる』しか無いのは分かってる。

 出来るのか、俺なんかに。皆を助けることが。

 

「平並君」

 

 突如、七原に名を呼ばれる。

 

「一人で抱え込んじゃダメだよ。私も、頑張るから」

「……ああ」

 

 七原の幸運があれば。七原が居てくれれば。

 きっと、なんとかなる。

 

 彼女の優しい声を聞いて、何故かそう思えた。

 

「……ありがとう、七原」

 

 頑張ろう。

 死んでしまった四人の想いを抱えて、生き抜くために。

 




これでホントに二章完結。
大量の問題と爆弾と一緒に、いざ、三章へ。


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CHAPTER3 絶望に立ち向かう100の方法
(非)日常編① 十二人のいさかう子どもたち


 俺はずっと、才能さえあれば、人生が幸せで溢れてくれると思っていた。

 才能に恵まれた個性溢れる皆が、とても幸せそうに思えたから。

 

 

 けれども、才能を持った彼らが次々と死んでいく。

 それどころか、殺人は彼らのその才能故に発生した。

 

 

 

 超高校級の彼らでさえ幸せになれないのなら。

 

 才能すらない俺は、どうすれば幸せを手に入れられるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶                  

 望                  

 に       CHAPTER3       

 立                  

 ち                  

 向      【(非)日常編】     

 か                  

 う                  

 ▅█  ▅▀▀▅ ▅▀▀▅      

 ▀█  █  █ █  █      

  █  █  █ █  █      

  ▅█▅ ▀▅▅▀ ▀▅▅▀  の 方 法  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【10日目】

 

 《宿泊棟/ロビー》

 

 宿泊棟は、朝特有の冷たい静けさに包まれていた。

 

 現在時刻は、間もなく夜時間の終わる6時40分。俺は、腕を組んでロビーの壁に寄りかかりながら、男子側の通路をただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 昨日、【言霊遣いの魔女】と邂逅した後は、宿泊棟へと戻ってひたすらに眠っていた。事件が起こる直前まで『モノモノスイミンヤク』で十分に睡眠をとったはずだったのに、ベッドに潜ってすぐに気を失うように眠りについた。

 あの夜は、色々なことが起こりすぎた。多くの人が、その心に傷を負った。たった一日程度の時間は、その傷を癒やすには短すぎる。

 

 それでも、心に傷跡を残したまま、新しい日々が幕を開ける。

 これまでと何も変わらない──いや、これまで以上に、絶望的な日々が。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……平並さん。おはようございます」

 

 これから、どう動くべきか。それを悩んでいた俺の耳に、弱々しい声が届く。城咲だ。

 

「……ああ、おはよう」

 

 一度思考を止め、彼女にそう挨拶を返す。

 

「昨日は何もなかったか?」

「……はい。何名か食事にいらっしゃったいがいは、ほとんどのみなさんは個室で休んでいたようです」

 

 と、彼女が語れるのは、裁判明けの休憩としてなっていた昨日も、彼女は食事スペースにいたからだ。今度は、スコットと共に。

 昨日、七原と共に生物室から宿泊棟へと戻った時、スコットと城咲が宿泊棟のロビーで話していた。夜時間が空けるまでの時間つぶしをしていたようだったが、話を聞くと、彼らは昨日の日中も食材に毒を入れられる事を警戒して食事スペースで見張りをすることにしたという事だった。

 正直、城咲に言われるまでその警戒はすっかり失念していた。裁判が、そしてオシオキがあった直後に殺人を企むやつが居る可能性を、無意識に排除してしまっていた。殺人が起こることを、あれほど恐れたと言うのに。

 裁判の直後だからこそ警戒すべきだったのだ。ただでさえ、俺達の間には不穏な空気が漂っていたのだから。

 

「ほとんどってのは?」

「東雲さんだけは、としょかんにでかけていきましたから。あの方は、いつもどおりのようすでした」

「……ああ、まあそうだよな」

 

 東雲は、このコロシアイを純粋無垢に楽しんでいる。誰かが殺されたことを気になどしない。図書館……そう言えば、学級裁判の時にもっとミステリ小説を読んでおけばとかなんとか言っていたな。次の学級裁判を見据えて動いてるのか。……殺人が、起こると信じて。

 

「…………」

 

 【魔女】とは全く違った意味で、彼女の純粋性を恐ろしく感じる。

 

「ほかのみなさんは……いちように元気のない様子でした。……しかたありませんが」

「……わかった。ありがとう」

「……いえ。それで平並さんはこんな所でどうされたのですか? 平並さんは、たしかとくべつ早起きをするほうではなかったように思うのですが」

「ちょっと、人を待ってるんだ。それに、最近は深く眠れなくてな」

「あ……すみません、むしんけいなことを……」

「いや、謝ることじゃ……」

 

 どうにも、会話のリズムが悪い。お互いメンタルが万全じゃないせいか。ともかく、そんな会話の後に城咲は食事スペースに向かっていった。

 7時になり、モノクマの時報アナウンスが流れてから更に暫し待つ。早起きの明日川とぽつぽつと挨拶を交わしていると、待ち人が現れた。

 

 【言霊遣いの魔女】という本性を隠し持つ、杉野だ。

 

「杉野、おはよう」

「……おはよう、杉野君」

 

 先んじて、俺達がそう声を投げる。

 

「……おはようございます、お二方」

 

 いつもと変わらぬように彼は挨拶を返す。優等生の、杉野悠輔として。

 

「昨日は眠れたか?」

「……いえ、あまり。やはり、色々と堪えますね」

「そうか」

 

 友人の体調を気遣うように、会話を交わす。

 

「……仕方あるまい。ボク達は絶望という物語の真っ只中に居る。特に、キミは亡くなった(退場した)蒼神君の遺志を継いでリーダー役を買っていた。物語を比べる事自体がナンセンスだが……杉野君の精神的負担は軽くは無いだろう」

「……ええ。しかし、誰かが引き受けなくてはならないことです。リーダーが居ない状況でモノクマに……モノクマに与えられる絶望に立ち向かうことは困難ですから」

「あまり無理するなよ。それでお前まで潰れたらどうしようもない。だから」

 

 一呼吸入れて、彼に告げる。

 

「俺が手伝う。ずっとお前の側についてな」

「……ずっとですか?」

「ああ、ずっとだ。ここを脱出するまで」

 

 暗に、宣言する。これからお前を、ずっと監視すると。

 

「…………!」

 

 少しの沈黙の後、【魔女】はかすかに口を歪ませ、嗤う。その反応を見るに、俺の意図は伝わったらしい。

 

「そうですか。では、お言葉に甘えることにしましょうか。信頼できる人手は多いに越したことありませんからね」

 

 そして、【魔女】はそれを了承した。俺の監視を受けて尚、『犯行』に及ぶ自信があるのか。

 ……実際、俺一人の監視には限界がある。24時間見張っていることはできないし、隙がゼロというわけではない。それでも、やる価値はある。少なくとも、これが今できる精一杯のはずだ。

 

「まあ、皆の前に立って先導するのはお前の方になると思うけどな。俺じゃ力不足だ」

「それでも構いませんよ。気持ちだけでさえ十分ですから」

 

 表面上、当たり障りのない会話を続ける。互いに、本心を隠しながら。

 

「……ずっと側につくというのはできないが、ボクも出来る限りは手伝おう」

 

 そんな会話に、明日川が口を挟む。

 

「よろしいのですか?」

「当然だ。あんな絶望的な物語を読みたくないのはボクも同じだからね。……数日前(数話前)には存在していたキャラクターがいなくなるそのやるせなさは、誰もが感じている」

「……そうだな」

 

 哀傷の表情と共につぶやかれる、明日川の台詞。その想いは、痛いほどに伝わってくる。

 

「それでは、食事スペースに向かいましょうか。ずっと立ち話をするのもよくありませんからね」

 

 と、杉野の先導で俺達は宿泊棟を出る。

 

 

 

 

 

 食事スペースへ向かう道中、【魔女】の背中を睨みつけながら決意を新たにする。

 

 敵は、この【魔女】だけではない。そもそもの元凶である、俺達をここに閉じ込めたモノクマ……それを操る黒幕こそが最大の敵だし、蒼神と遠城を引き合わせて殺人を引き起こした愉快犯の存在も対処すべき問題だ。

 

 

 

 集中しろ、警戒しろ、覚悟しろ。

 

 

 絶望に、立ち向かうために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

 久しぶりに足を踏み入れた食事スペース。思い返せば、一度目の事件の前以来になる。中央テーブルの入り口側に杉野と共に陣取って、全員が揃うのを待つ。

 少しずつ人がやってくる。それでも、会話はない。当然だ。この狭い空間で立て続けに人が死んだ。たった10日足らずで、4人も死んだ。会話をする気力はもちろんのこと、話のタネもなかった。

 

「……おはよう、皆」

 

 そんな中、また一人食事スペースに人が増える。七原だ。

 

「おはようございます」

「……おはよう」

 

 口々に、気のない挨拶を返す。さっきから、それの繰り返しだった。

 

「……杉野君」

「なんでしょう」

「さっき、宿泊棟で大天さんを呼んでみたんだけど」

 

 その声に、火ノ宮が反応して顔を向ける。

 

「なんとか顔は見せてくれたけど、『朝食会には参加しない』だって」

「まあ、そうですよね」

「……チッ」

 

 小さく舌打ちをする彼は、大天の対処をどうするか悩んだんだろう。殺人未遂に至った、彼女のことを。

 

「それを話してくれた後はまた個室に閉じ籠っちゃって……だから城咲さん、大天さんの分の朝食は要らないと思う」

「わかりました。……それとも、後でおもちしたほうがよろしいでしょうか?」

「……どうでしょう。大天さんはあの態度でしたからね。食事を持っていっても、口にしてくれるとは思えません」

「そう……ですよね」

 

 城咲もまた、彼女の事を心配している。とりわけ、城咲は俺と同じく大天の動機を聞いている。その重みを知ってるからこそ、一人にしておくのが不安なのだろう。

 

「じゃあ、私はこれで」

 

 そう言って、一瞬俺と視線を合わせてから七原は俺達の近くを離れる。そして、他のテーブルの席に座っていた明日川達の方へ移動した。途中で、端に座っていた岩国にも声をかけて。

 ……七原も、作戦通りに行動しているようだ。

 

 

 

 昨日、【魔女】と別れた後、俺と七原は作戦会議をした。色々と懸念事項は多いが、目下【魔女】の存在以外で対処すべきは俺達の間の不和だと結論が出た。愉快犯やモノクマによる次なる【動機】も問題ではあるが、今は手の打ち様がない。だから、今は絆を深めるべきだという事になったのだ。

 そんなわけで、俺は【魔女】である杉野の監視を、七原は皆の不和の解決をする作戦になった。皆の仲を取り持つの事は簡単ではないが、優しい七原ならその役割に適任だと思うし、()()()()の俺ではその役割を負うことはできないからだ。

 

 

 

 そんな事を回想しながら、七原を見る。明日川やスコットにも声をかけたが、その空気はやはり重い。

 仲間の死を嘆いているのか。仲間の殺人を悲しんでいるのか。仲間への投票を悔いているのか。その想いは人それぞれだろうが、明るく振る舞える道理なんて無い。

 

 重苦しい空気が、食事スペースに座る俺達をがんじがらめに支配していた。

 

 

「皆、おはよう!」

『やっぱり朝日を浴びるのは良いもんだな!』

 

 

 そんな鬱屈な空間に、明るい二つの声が風穴を開けた。前回の学級裁判の間、『モノモノスイミンヤク』で眠らされていた露草と黒峰の声だった。

 

「…………」

 

 その後ろから、露草の影に隠れるようにして、根岸も食事スペースの中へと入ってくる。

 

「……露草、おはよう」

「おはよう、凡一ちゃん!」

「具合は大丈夫か?」

『ああ、問題ないぜ!』

「おかげでぐっすり眠れたからね!」

『ま、逆に良かったかもしれねえな。最近は寝不足だったし』

「琥珀ちゃんが寝かせてくれないからね」

『何言ってる。翡翠がお話しようってうるさいんだろ』

「そんな言い方ないでしょ、もう!」

 

 と、怒った素振りを見せてはいるが、その声はかわいらしいものだ。いつも通りの、黒峰との漫才だ。

 

「まあいいや。ほら、(アキラ)ちゃんも挨拶しようよ!」

「…………」

『挨拶ってのは大事だぜ』

「そうだよ。早起きは三文の得って言葉もあるんだから!」

「……い、いや、そ、それは挨拶と関係ないだろ……」

 

 沈黙を保っていた根岸が、露草につられて声を出す。

 

「でも朝の諺だよ」

「じ、時間帯が合ってればなんでも良いのかよ……はあ」

 

 そして、ため息を一つつくと、一瞬俺を睨みつけてから話を続ける。

 

「あ、挨拶なんかするわけないだろ……! だ、大体ぼくは朝食会になんか来たくなかったんだ……そ、それなのに、お、おまえがどうしても行きたいって言うから……!」

『だったら、章は部屋にいれば良かっただろ』

「……そ、それは……」

「そんな言い方しちゃだめだよ、琥珀ちゃん。章ちゃんには章ちゃんの事情があるんだから!」

『だろうけどよ』

「そうだよね、章ちゃん!」

「……し、知ってるくせに……」

「ん?」

「な、なんでもない……!」

 

 そう言って、彼はそっぽを向く。

 ……根岸は、俺達を敵視する一方で、露草とはこうして話をしている。そもそも、眠った露草を押し運んでいたのも根岸だった。なぜ彼は露草に対してだけ好意的なのだろう。

 

「挨拶したくないなら仕方ないけど……でも、せっかくなら何か喋ろうよ!」

『そうだぜ、章。せっかくオレ達以外に会ったんだし』

 

 そんな疑問を打ち消すように、露草と黒峰はさらに言葉を続ける。

 

「……な、何を話せっていうんだよ……こ、こんな奴らと……!」

「そうだなあ、なんでも良いんじゃない? 好きなお菓子の話でも良いし」

「そ、そう言う意味じゃ……!」

「よく聞く音楽の話でも良いかも。 翡翠はあんまり音楽聞かないけど」

『音楽聞いてると、皆と話せねえもんな』

「そうそう! やっぱりお話したいもん!」

『ま、話題なんてなんでも良いんだよ。話すことが大事なんだから』

「そうだね。あ、そう言えば皆寝るときってうつ伏せ派? 仰向け派?」

「騒々しい。静かにしろ、腹話術師ども」

 

 快活に舌を回す露草の声に、岩国が眉をひそめながら苦言を呈した。

 

「琴刃ちゃん! 琴刃ちゃんはどんな体勢で寝るの?」

「俺の話を聞いてなかったのか。静かにしろ、と言ったんだ」

「静かになんかできないよ。せっかくの朝なんだもん!」

「お前は朝だけじゃなくていつでも喧しいだろうが」

『言われてるぞ、翡翠』

「琴刃ちゃんたらひどいなあ」

「そのおどけた顔を今すぐやめろ。俺の言葉を漫才に組み込むな」

「お二方、落ち着いてください」

 

 杉野が仲裁に入る。

 

「…………チッ」

「翡翠は落ち着いてるよ?」

「……ならよろしいですが」

 

 子供の喧嘩に呆れるように、杉野は声を漏らす。

 

「わりィ、露草。ちょっと黙れ。……今は、んな気分じゃねェんだよ」

「範太ちゃんまで……」

「火ノ宮君、その台詞はあまりよろしくない。彼女に悪気があるとは思えない」

「それくらい分かってる」

 

 いつも以上にぶっきらぼうな火ノ宮。

 

「……ほ、ほら、言ったろ……こ、こんなヤツと話さなくていいって……」

「あァん!?」

「お、大きい声だすなよ……! お、おまえが先に話すなって言ったんだろ……!」

「章ちゃん! ケンカしないの!」

「な、なんでぼくが叱られるんだ……」

「火ノ宮君も、大きな声は出さないでさ」

「チッ」

 

 火ノ宮を七原がなだめる。

 

「……はあ。いいですか、露草さん。元気があるのは大変よろしいことです。こんな環境なら尚の事。ですが、あなたもご存知でしょう。僕達が、あなたとは事情が異なるのは」

「……うん」

 

 ためらいがちに、彼女はうなずく。異なる事情……すなわち、二度目の学級裁判を経験したことだ。

 

「露草さんはごぞんじなのですか? その……じけんのてんまつを」

『おう。章に聞いたからな』

「だから、知ってる。学級裁判で起きたことも、冬真ちゃんのことも。……愉快犯の、ことも」

 

 一瞬、空気がひりつく。

 

「だったら分かるだろ。……オレ達がテメーみてェに笑えねェってことくらい」

「……それくらい、最初から分かってるよ」

 

 バツの悪そうな火ノ宮の言葉を聞いて、なおも露草はめげずに語る。

 

『確かにオレと翡翠はこの前の学級裁判には参加してねえし、冬真のオシオキも見てねえ。けど、オマエたちのショックが分からねえわけねえだろ』

「一回目の学級裁判はちゃんと参加した。河彦ちゃんのオシオキも見たから、皆がどう思ったのかだって、考えることはできるよ」

「…………」

「でも、だからって、落ち込んでても何も良いこと無いよ! 元気になるのが難しくても、せめてお話くらいはしないと、いつまでも暗くなったままじゃないかな。そんなの、死んじゃった皆だって悲しむもん!」

「『死んじゃった皆』か。まるで他人事だな」

 

 間髪入れずに、岩国が言葉を突き刺す。

 

「そりゃあ他人事だよな。お前は発明家を処刑台に送る投票はしていないからな」

「投票……そう言えば、確かに露草は参加してなかったな」

 

 言われて、気づく。

 

「あれって、強制参加じゃなかったのか」

「……まあ、寝てる人間に投票は不可能ですからね。そこはモノクマが融通を効かせたのでしょう」

「ぬいぐるみの事情はどうでもいいが、だからお前は他人事で笑ってられるんだな」

「他人事なんかじゃないよ!」

 

 露草が叫ぶ。

 

「何?」

「他人事なんかじゃ、ない」

『翡翠とオレが生きてるのは、章達が謎を問いてくれたおかげだ』

「そして、皆が冬真ちゃんに投票してくれたおかげ。だから、その責任は翡翠も琥珀ちゃんも負ってる。もし翡翠が起きてても、きっと冬真ちゃんに投票したんだし」

『だからこそ、殺された紫苑や冬真の分まで頑張って明るく生きていかなきゃならねえだろ』

「そこまで分かってんなら、なんで分からねェんだよ。岩国が前に言ってただろォが」

 

 と、火ノ宮は口にしてから、俺の顔をちらりと見た。

 

「……あァ、あの時は平並は居なかったな。なら、今度はオレが言ってやる」

 

 力の抜けた様子で椅子に座る火ノ宮は、それでも言葉に強い遺志を灯して語る。俺がいない時……俺が軟禁されていた頃の話だろうか。

 

「古池と遠城は、人を殺した。家に帰るために、アイデアをひけらかすために、新家と蒼神を殺した。そして、オレ達はそんなアイツらを糾弾した。当たり前だ、事故や過失なんかじゃなく、自分の意志で殺人に及んだんだからな。許すことなんかできねェ」

 

 火ノ宮は、誰よりクロを憎んでいた。誰かの命を奪うことを、絶対的に忌避すべきことだと分かっているから。

 

「けど」

 

 だからこそ。

 

「オレ達だって、同じだ」

 

 彼こそ、その結論に至る。

 

「あの二人が処刑台に送られたのは、オレ達がアイツらに投票したからだ。けど、投票なんかやっぱり間違ってたんだ! それでアイツらが死ぬんだから! それでもオレ達は投票した! 生きるために!」

 

 ダン、と、握りこぶしを机に強く振り下ろす。

 

「オレ達は、自分が生きるために古池と遠城を殺した。オレ達も、殺人者なんだ」

 

 沈黙が重なる。

 

「明るく生きる、だなんて。そんな事を言うんじゃねェ、露草。人を殺した自覚があるなら、んな事は言えるワケがねェんだ」

 

 その彼の言葉には、哀しい苛立ちが伴っていた。

 ……彼の、言うとおりだ。俺達は罪にまみれている。殺人を犯したクロを死に追いやって、生き延びる。それを、俺達はもう二回繰り返した。

 

 だと言うのに、露草は。

 

「でも、そうやって自分を傷つけたって意味なんかないよ」

『オレ達は何もアイツらの事を忘れろって言ってるんじゃねえ。責任を負った上で、前を向こうっつってんだよ』

「傷つかなきゃ、いけねェだろ」

 

 すっと、彼は立ち上がって露草に歩み寄る。

 

「前なんか、向けるか。誰かの命を葬り去って生きるってのは、そういうことじゃねェのかよ」

「そんな事無いよ、きっと」

 

 火ノ宮を諭す、七原の声。

 

「罪を背負ってても、前を向くことは出来るんじゃないかな」

「……そんなこと、出来るわけ無ェだろ」

「出来るよ、きっと」

「…………」

「それこそ、前に私言ったよね。私たちは間違ってない。間違ってるのは、モノクマだけなんだよ」

「……幸運。またそれか」

「私、変なこと言ってるかな? 誰よりもモノクマが悪い、そうだよね」

「俺が文句を言いたいのはそこじゃない」

「…………」

 

 視線が、思想が、ぶつかり合う。

 ……きっと、誰の意見も間違ってなんかいないのだ。それぞれの心の奥底に、誰にも譲れない信念がある。それがただ、すれ違っているだけだ。だから、俺は何も声を出せないでいた。

 

 

「ふわぁ……」

 

 

 そんな重い沈黙を、大きなあくびが打ち破る。

 

「学級裁判は楽しいけど、生活リズムがめちゃくちゃね。健康に悪いし、早くもとに戻さないと」

 

 場違いな独り言と共に、東雲が食事スペースに入ってきた。

 

「……チッ」

 

 火ノ宮が硬直を解いて動き出す。

 それを合図にしたかのように、それぞれが無言のまま席に戻る。

 

「え? 何よ、この空気」

 

 その異様な空気を東雲は察知したようだが、その理由までは見当が及ぶことはなかったらしい。

 

「……はあ」

 

 それは誰のため息だったか。少なくとも、俺達の気持ちを代弁していたことだけは確かだった。

 ともかく、これで大天以外の11人が食事スペースに揃った。

 

 

 

 少ない。

 

 率直に、そう感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城咲が、朝食を配膳してくれた。メニューは、白ごはんと味噌汁におかずはベーコンエッグ。香ばしい香りが鼻腔をくすぐる……はずなのに、食欲はわかない。久しぶりのまともな食事だと言うのに、それに魅力を感じないことがひどく悔しく思えた。

 

「メイド。俺の分は要らないと何度も言っているはずだが」

 

 岩国の声が聞こえる。ちょうど、城咲が彼女に配膳をしたときだった。そんな岩国の前には、城咲の料理の他に、倉庫の缶詰や宿泊棟のジュースボックスにあったペットボトルのお茶があった。岩国はそれを食べる気だろう。

 

「ですが、そんな食生活ではいつかからだをこわしてしまいます」

「余計なお世話だ。とにかく、食料の無駄だからやめろ。もったいないだろ」

「あ、琴刃ちゃんそういうの気にするタイプなんだ」

「…………別にそういうわけじゃない。単純に生き残るための話だ。ぬいぐるみからの支給がいつ止まるかも分からないんだぞ。今供給されているものをムダにするのは非合理的だろ」

「そういうことは城咲の料理を食べてから言いやがれ。どうせ食わねェくせに」

「…………ふん」

「大体、食料庫の食料には毒が仕込まれないように最大限警戒しているはずだ。シロサキだけに管理させることでな。シロサキの好意を無下にしてまで、どうしてそう意地を張るんだ」

「意地なんか張ってない。ただ、お前たちと不必要に関わりたくないだけだ。こうして朝食会には顔を出してるんだからそれで十分だろ」

「……チッ」

 

 いいやもっと仲良くしろ、と言い返すこともできず、火ノ宮は舌打ちだけを返した。その会話を聞いて、城咲はどうすればよいか分からずうろたえていた。

 

「ぼ、ぼくもいらない……」

「章ちゃん、好き嫌いしちゃダメだよ」

「そ、そういうことじゃなくて……」

『ま、章の言いてえことも分かるけど、さっき琴刃が言った通り、もう作っちまったんだからしょうがねェだろ』

「…………」

 

 一連のやり取りを見た根岸も城咲の配膳を拒否したが、露草と黒峰に言いくるめられていた。

 ともあれ、岩国以外への配膳も終わった。いただきます、と、小さな声が重なって、朝食会が始まった。

 時折、懲りない露草の喋り声は聞こえるものの、それ以外はカチャカチャと食器のぶつかる音ばかりが響く。さっきの口論を、皆それぞれに反芻しているのか。

 

 しばらくして、それぞれが朝食を食べ終わったのを見て杉野が立ち上がる。

 

「皆さん、おはようございます」

 

 かつて蒼神が担当していた朝食会の仕切りを、杉野が始めた。【魔女】がそんな事をするのは、ある程度の秩序を守るためか自分の信用を高めるためか。ともあれ、化けの皮を被っている時の杉野なら仕切り役に適任ではある。【魔女】の思惑は警戒すべきだが、利用できるところは利用していきたい。……正直、【魔女】に多くの事を喋らせる事はしたくないのだが、ここで杉野を止めて俺が仕切り役をすることもできない。

 

「昨日起こった出来事について、僕から多くを語ることはしません。先程も言い合いがありましたし、おそらく、皆さん心の中で十二分に考えたでしょうから」

「…………」

 

 白々しい。その大きな関係者であるくせに、事件を痛み入る善人のようなことを杉野は平気で口にする。その面の皮の厚さに辟易する。

 

「あの事件へどう向き合うかは、人それぞれです。ですが、僕達は今ここに生きています。生きている以上、これからどうするかを考えなくてはなりません」

「これからどうするか?」

「そうです、スコット君。二度の殺人事件、そして、学級裁判を終えても尚、ここでの生活は続きますから」

「……具体的に、何か案はあんのか」

 

 続きを促す火ノ宮。

 

「具体的、とは言えないかもしれませんが。僕からは改めて、『団結』を提案したいと思います」

「……団結」

「ええ。もう二度と、殺人を起こさないために」

 

 ――ふざけるな!

 

 喉まで出かかったその言葉を、なんとか封じ込める。今俺が杉野にそんな事を言うのは、ありえない。

 しかし、

 

「……ふ、ふざけるなよ……!」

 

 俺の気持ちを代弁するように、根岸が口を開いた。その意図するものは、きっと違うのだが。

 

「だ、団結なんか出来るわけ無いだろ……! こ、こんな連中と……!」

「…………まだ、みなさんを疑っているのですか」

「あ、当たり前だろ……こ、この前そういったじゃないか……! し、信用できるわけ無い……! み、皆殺人を企んでるんだろ!」

「そんなモノローグは誰もしていない……とは断言はできないが、皆がそう考えていると断言する事もできないはずだぞ」

「……う、うるさい!」

『章。別に疑うのをやめろなんて言わねえ。それは仕方ねえからな。……それに、悪いヤツがいねえとも言わねえ』

「でもさ、そんな風に皆が悪いこと考えてるって決めつけたらさ、本当に団結したい人たちの気持ちを踏みにじることになるんじゃないかな」

「…………ほ、本当に団結したい人なんか、い、いるのかよ……」

「章ちゃん!」

「…………」

 

 彼は、それ以上言葉を続けなかった。

 

「根岸みてェに全員を疑うのは論外だけどよ」

 

 代わりに、火ノ宮が口を開いた。

 

「どのみち、この状況じゃ団結なんか無理だろ。愉快犯が潜んでる可能性があるんだ。忘れたわけじゃねェよな」

「……ええ、もちろん」

「だったら、そいつを見つけるか、そんなヤツはいねェって証明しねェと団結はできねェんじゃねえのか?」

「火ノ宮君は、皆さんのことを信用していると思っていましたが」

「あァ? 信用してるに決まってんだろ。信用してっからこういう話をしてんだろォが。……そりゃァ、全員じゃねェけどよ」

 

 ……きっと、彼は大天の事を思い出したんだろう。彼女は、【卒業】しようとしたことを悪びれもしなかったから。

 

「で、どうすんだァ? 愉快犯をどうやって見つける?」

「……見つけません」

「え?」

「少なくとも、今すぐに探すことはしません。『愉快犯が居る前提で』、団結しましょう」

 

 ……何だって?

 

「お前……何を言ってる? 愉快犯を見逃すっていうのか?」

「そうは言っていませんよ、平並君。ただ、愉快犯を躍起になって捜索するのを止めにしようと言っているのです」

「…………」

「確かに愉快犯が僕達の中に潜んでいる可能性はあります。けれども、その正体を暴くことが果たして可能でしょうか? ……不可能でしょう。愉快犯がやったことと言えば、二通の手紙を出しただけ。そこに何のトリックもありません。証拠が、明らかに足りません」

「だからって、愉快犯を見ねェふりした所で愉快犯が野放しになるだけだろォが」

「見ないふりなんかしません。愉快犯はこの人かもしれない……頭の片隅でそう考えながら、団結しようと言っているのです」

「なにをおっしゃるのですか!」

 

 杉野の言葉に、城咲が慌てるように声を上げる。

 

「そのようなもの、だんけつなんてよべないと思います! 100ぱーせんとの信頼をしていないということではありませんか!」

「ええ。ですが、信頼を1パーセントもしないよりはよっぽどマシでしょう」

「……それはそうですが」

「その信頼は、80パーセントでも50パーセントでも構いません。『疑いながら団結をする』。これが、今僕達に取れる最善の戦略でありませんか?」

 

 彼にそう問いかけられ、それぞれがどうするべきかを考える。俺と七原は、そこに別の視点が入る。

 尤もらしい、一見最良の提案に思える。だが、その提案に諸手を挙げて賛同するわけにはいかない。提案者が、あの【魔女】なのだから。

 【魔女】は、なぜこんな事を提案した? この前のアイツの提案には、裏があった。今回の提案はどうだ? 愉快犯を泳がすためか? 愉快犯の存在を認知していたからって、その正体を積極的に暴こうとしないのであれば、結局それは何もしないのと一緒じゃないのか?

 なら、この提案に反対すべきだろうか。……『反対』? 団結なんてやめようと言えば良いのか。言えるわけがない。それで愉快犯を警戒したとしても、バラバラになってしまえば、結局また誰かが殺意を抱くことになる。だから、七原には皆の仲を取り持つように頼んだのだし。

 

 どっちだ。どうすればいい。

 

「くだらないな」

 

 杉野の案を吟味する俺達の中で、いち早く結論を打ち出すヤツが居た。岩国だった。

 

「随分な言い方ですね」

「これでもマシな言葉だ。愉快犯がいる前提で団結? そんなものに何の意味がある」

「信頼や絆を深めるというメリットがありますが」

「一番に出てくる利点がそれか。なら、ますます団結なんか無意味だ」

「……どういう意味です?」

 

 彼女の中には、何か確固たるロジックがあるように思える。

 

「団結は……はじめはそれなりにうまくいくだろ。表面上はな。だが、そんなものいずれほころぶ。愉快犯だけの事を言ってるわけじゃない。他の連中だって、いざという時になれば裏切る可能性がある。いや、裏切るやつは絶対に出てくる。そうなれば、一度団結しようとした分余計に大きく瓦解するはずだ」

 

 それに反論の声が上がらなかったのは、誰しもが、その光景を思い浮かべたからだろう。だって、今まさに、それを実感しているのだから。

 

「それでも構わないんだったら、薄っぺらい団結でもなんでもすればいい。俺の関係のないところでな」

 

 岩国は、最後にそう吐き捨てた。

 ……その言葉を聞いていて、ふと、思ったことがある。その疑問を、杉野が代弁した。

 

「岩国さん……もしかして、僕達の事を心配してくれていうのですか?」

「まさか。お前達が殺し合うのも絶望するのも勝手にすればいい。だが、そう何度も学級裁判を開かれると面倒だ。無駄なリスクと責任を負うことになるからな」

 

 そう言って、彼女は立ち上がる。

 

「朝食会なんてもう十分だろ。変な言いがかりをつけられたくないから探索は待ってやったが、くだらないことを話すだけなら俺はもう行くぞ」

「そうね。団結とか愉快犯とかどうでもいいわ。こんなしょうもない話してるくらいなら、早く探索に行きましょ」

 

 それに東雲も追従した。それを咎める人は居ない。どちらにせよ、話し合いは停滞しているのだ。その流れを受けて、杉野が話をまとめる。

 

「……では、この話はここまでにして探索に行きましょうか。ですが、一言だけ伝えておきます。僕達は、絶望に抗う仲間です。それだけは、忘れないでください」

 

 いつか聞いたようなその言葉で、杉野は朝食会を締めくくった。

 

 ……杉野が【魔女】だと知らない皆には、その声は力強い励みに聴こえたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《【??エリア】(新エリア)》

 

 厨房の見張りのために城咲を食事スペースに残し、俺達は新しく開放されたドームへと向かう。体験エリアから繋がる通路を歩いていた。

 

「この先に、脱出口があればいいんだけどな」

 

 そうポツリと呟いたのは、スコット。

 

「その可能性は低い……というよりありえないでしょうね。今更そんなものをモノクマが見落とすとは思えません」

「……分かってる。言ってみただけだ」

 

 彼は気落ちしながら、杉野の言葉にそう返した。

 

「アンタ達、何暗い顔してんのよ。せっかくの新しいエリアなんだからワクワクとかしないわけ?」

「ワクワクなんかするわけ無いだろ。そんな呑気なのはお前だけだ」

「そう言われてもね、平並。じゃあなんで探索なんかするわけ? 脱出ができないってわかりきってるんだし、わざわざ来る必要も無いじゃない」

「……脱出口がなくても、危険物はあるかもしれねェだろォが」

 

 火ノ宮が答える。

 

「前回開放された【体験エリア】には毒薬や睡眠薬があったからな。今度のドームにだって何か妙なもんがあってもおかしくねェ。っつか、だからこうして皆で探索してんだろ」

「ま、そうだけど。おかげで一日待たされたわけだし」

「…………」

「範太ちゃん、そんな怖い顔しちゃダメだよ」

『気持ちは分かるけどな!』

 

 そんな言葉を交わしているうちに通路を進み終えて、件の新しいドームへとたどり着いた。そのドームは、妙に広く感じた。

 俺の視界にはいくつかの建物が映る。真っ先に目を引いたのは左側に鎮座する巨大なカマボコ型の建物だった。あれは体育館だろうか?

 一度、俺達は中央広場に移動する。例のごとく監視カメラやモニターに並んでいた立て看板で、このドームの全容を知る。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 運動エリア。まさしく、このドームには運動に関わる施設が集まっているようで、さっき目を引いた建物は思ったとおりに体育館だった。

 

「では、ここで一度解散にいたしましょう」

 

 そう杉野が口を開く。その後報告会の集合時間を彼が告げた辺りで、無言のまま岩国が歩き始める。

 

「待ちやがれ。単独行動は禁止だ」

 

 それを、火ノ宮が諌めた。

 

「…………」

「単独行動は禁止って、どういうことよ。ここまで一緒に来たんだからもう良いじゃない」

 

 岩国は足を止め、無言を貫きながら振り向く。代わりに声を返したのは、不満げな東雲だった。

 

「どういう事も何も、そうじゃねェとわざわざ集団で来た意味がねェだろォが」

『まあそうだな。危険物を知らない内に持ち出されちゃ困るってのがそもそもの発端なわけだし』

「あァ。だから、一人での探索を許すわけにはいかねェ」

 

 それを聞いて。

 

「…………」

 

 何も告げずに、岩国は再び歩き出す。

 

「岩国さん。余計な疑いをかけられたくなければ、協調性を持つべきだと思いますが。一人で探索して危険物を掠め取っただのと言われるのは、あなたにとっても不利益でしょう」

「……別に、異論が有るわけじゃない」

 

 そこでようやく、彼女の言葉が聞こえてきた。

 

「コロシアイの……いや、学級裁判の対策としては合理的だからな」

「では、なぜ一人で探索を始めるのですか?」

「組分けに時間を取られたくないからだ。単独行動を禁止するのなら、誰でもいいから着いてこい」

『だったら最初からそう言えばいいのにな』

「琴刃ちゃん、ちゃんと言わなきゃわからないよ!」

「…………」

 

 露草に正論でツッコまれた岩国は、何も言い返さず再び歩き出した。

 

「オイ、岩国ィ!」

「いいよ、火ノ宮君。私が行く」

 

 そう告げて、一人で更衣棟へ向かう彼女の後を七原が追いかけた。

 

「ま、岩国の言うことも一理あるわね。アタシも組分けめんどくさいから、誰かついてきてよ」

 

 その様子を見ていた東雲も、彼女を真似て一人で体育館へと向かう。

 

「チッ、どいつもこいつも自分勝手しやがって……クソッ! 杉野、後は任せたァ!」

 

 そう叫んで、火ノ宮が彼女の後を追った。すぐに追いついて、文句を大声で叫んでいる。鬱陶しそうに耳を抑える東雲と共に、体育館の中へと消えていった。

 

「ぼ、ぼく達も行くぞ……も、もう十分だろ……!」

『おい! 勝手に動くなって!』

「もう、章ちゃんまで……!」

 

 露草を先導し、彼女と共に根岸が病院へと進んでいく。敵意を撒き散らしながら、彼も建物の中に入っていった。

 

「……まあ、皆で【運動エリア】まで来れただけでも十分ですかね」

 

 そんな、俺達の協調性の無さを見ていた杉野が、そんな事をぼやく。

 

「団結、できればいいのですが」

「……あまり言いたくないが、もう団結なんか無理だろ」

「……スコット君」

「愉快犯の件を除いたって、目に見えてる部分だけでも問題が多すぎる。ここまで10人で固まって来れたのだって、別段絆があるからとかそういう理由じゃない。スギノだってわかるだろ」

「……」

 

 杉野は肯定を意味する沈黙を返す。

 皆でここまでこれただけでも十分な成果だ、というようなことを杉野は言ったが、それは大きな間違いだ。俺達が集団で探索を……特に岩国が、わざわざ朝食会にまで参加して俺達と行動をともにしたのは、単独行動によって悪印象が生まれることを危惧したからだ。

 今まで何度も話してきたことだが、一人で探索すれば容易に危険物を手に入れることができる。それをさせないために、それをしていないと示すために、俺達は集団で探索を行うことにした。すなわち相互監視の意味が強く、それは敵意と言い換える事もできる。コロシアイが非日常ではなく日常にすり替わりつつあるこの状況で、仲良しこよしの探索など行えそうにはない。

 

「もっとも、シノノメやイワクニみたいなヤツらを放っておけば団結もできない話じゃ無いとは思うが……」

「それでは意味がありません」

 

 毅然と、スコットの意見を否定する杉野。

 

「だろうな。オマエならそう言うと思った」

「……どっちにしたって、こんな険悪な状況が続いて良い訳がない」

 

 そこでようやく、俺は口を挟んだ。……ずっと杉野に喋らせているのは得策じゃない。

 

「別に団結しなきゃいけないわけじゃない。12人全員で団結しなくても、孤立さえしなければそう危ないことも無いはずだ。だが、どこかでこんな雰囲気だけはなんとかするべきだ」

 

 杉野の意見を全肯定するのは危険だが、少なくとも、この殺伐さを放って置く訳にはいかない。

 

「では、平並君にはそのなんとかする術があるのですか?」

「……それは無いが」

「そうですか……さて、どうするべきでしょうか」

 

 ………………。

 さもコロシアイを止めるために悩んでるようなふりをするなという俺の怒りと、それがどうしたと言いたげな杉野の挑発が、視線の上でぶつかり合う。

 

「何を見つめ合っているんだキミ達は」

 

 明日川のそんな声でそのいさかいが止む。彼女の目にどう写っていたかは分からないが。

 

「この先のページでどんな文が紡がれるかは分からないが、ただ団結しようという台詞を何度も書き記すだけでは、望む物語を描くことは難しいだろう」

「………………それで?」

 

 スコットの返事に間があったのは、彼女の言葉を解読するのに時間がかかったからだろうか。俺もたまによく分からなくなる。ニュアンスで理解しようとすると少し分かる。

 

「なにか行動を起こさなくてはならないということだ。かつてボク達はカレーを共に作っただろう」

「ああ……あったな、そんな事」

 

 あれは、そう、まだ誰も死んでいない時の話だ。絆を深めるという名目で、俺達は協力してカレーを作った。

 …………あの時居た彼らが、今はもう居ない。

 

「あの時の様になにかイベントを起こせれば、何かが変わる(物語のジャンルを変えられる)かもしれない……というのがボクのモノローグだ」

 

 イベント、か。必ずしも望んだ結果を得られるとは限らない。事実、あのカレー作りは古池の凶行を止めるには至らなかった。俺だって、一度は殺意を抱いた。けれども、ただ理想論を語るよりはきっとマシだろう。

 

「ただ、如何せん具体的な(プロット)は思いついていないし、今はそれを話し合うより先にこなすべき事(書くべきパート)がある」

「……そうですね」

「さあ、ボク達も探索編を始めようじゃないか。彼らには大分(数十行も)遅れを取ったけれどね」

 

 その明日川の言葉で、俺達も話を切り上げた。今ここに残るのはたった4人。俺と杉野、そして明日川とスコットの二組に分かれて、【運動エリア】の探索が始まった。

 

 




こんな感じで三章開幕です。
探索編(書くべきパート)は長くなったので次回。


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(非)日常編② 健全な絶望は健全な肉体に宿る

 《更衣棟》

 

 杉野と共に、まずは更衣棟へと移動する。ここが【運動エリア】であることとその名前からその用途は推察できる。更衣棟は特筆することのない平屋だったが、その用途を考えるとこのくらいシンプルで構わないのかもしれない。

 中央に位置する入り口を開けると、広い通路がまっすぐに伸びていた。その中央部の左側にも通路が続いている。これまでの建物同様に監視カメラやモニターが設置してあるのも見えた。

 

「岩国さん、何か気になるものでもあった?」

「…………」

 

 その真ん中あたりで、先に探索をしていた七原と岩国が立っていた。彼女らの会話が聴こえてくる。会話、と言っても七原が一方的に話しかけているだけだが。 

 

「あ、平並君に杉野君」

 

 彼女がこちらに気づく。

 

「ちょうど良かった。声優、そっちを見てこい」

 

 それに続いて、岩国もそんな言葉を発した。指でどこかを示している。

 その示す先、入り口から見て右側に視線を向けると、そこには赤と青の二つの扉が並んでいた。

 

「あちらは……」

「ロッカールーム……なんだけど、男女で別れてるから男子の方は見れなかったんだ」

「見れなかった?」

「うん。カギがかかってるんだけど、自分の性別の方のカギしか開けられないんだって」

 

 そんな七原の声を聞きながら、青い方の扉のドアノブを掴む。ガチャガチャと音がするだけで扉は開かず、確かにカギがかかってるようだった。そのドアノブの下を見ると、個室の扉にもついていたまるい金属の円盤があった。ということは。

 ふと思い至って、指にはめていた『システム』をそれにかざす。

 

 ――ガチャリ

 

 そんな音が鳴ったのを聞いてドアノブに力を込めると、今度は扉がすっと動いた。

 

男子()の『システム』なら、こっちのドアが開けられるってことか」

「うん。私も岩国さんも女子の方しか開けられなくて。一応男子の方も開けられないか試してみたけど、エラー音が鳴っちゃった」

 

 ともかく、その扉の先には広い部屋が広がっていた。壁際に個人用のロッカーが8つ並んでいて、中央にはベンチも二つある。まさしく更衣室といった感じだ。床や壁にモノクマの顔がデザインされている事以外は、特筆することはない。

 部屋の中に入ってロッカーの中身を確認してみる。その中のハンガーに、白い体操服と青いジャージがかけられていた。胸の所に『火ノ宮』と刺繍がしてあるところを見るに、俺達のためにモノクマが用意したものだろう。名前の上には、希望ヶ空の校章も刺繍されていた。…………よく見たら、モノクマ風にアレンジがされていたが。

 

「男子の方もあんまり変わらないみたいだね」

 

 廊下から部屋の中を覗いていた七原がそんな事をつぶやく。隣りにいた岩国は無言だったが、特に異論は無いようだった。

 

「ってことは、女子の方も?」

「うん、大体こんな感じ。特に危険なものはなかったよ」

「そうですか」

 

 そんなやり取りをしていると、岩国がすっと外へ歩き出した。

 

「岩国さん?」

「もうここは調べただろ。次に行く」

「そんな急がなくても……」

 

 そう言いながら、七原が彼女の後を追う。

 

「岩国!」

 

 慌ててロッカールームを飛び出して、その彼女に声をかけた。

 ピタと足が止まる。首をひねって、冷たい視線を俺に突き刺す。

 

「…………」

「あ、えっと……」

 

 呼び止めたはいいものの、言葉が出てこない。何を話せばいいんだろう。

 

 ………………。

 

「……岩国。お前を裏切って、ごめん」

 

 なんとか、俺はその本心を絞り出した。

 

「…………」

 

 彼女からは、何の返答もない。俺の言葉は、今度も嘘だと思われたのだろうか。

 首を戻して前を向き、彼女は再び歩き出す。七原が俺の様子を伺うように一瞬こちらを向いたが、俺が黙って岩国を指すとすぐに彼女の後を追い、そのまま更衣棟を後にした。

 

「随分嫌われておるのう、平並凡一よ」

 

 周りに人がいなくなったからか、杉野が【魔女】の声でそう語りかけてきた。その声を聴くだけで敵意が湧いてくる。

 

「……黙ってろ」

 

 岩国に好かれていないことなんか百も承知だ。それでも、この謝罪はしておきたかった。彼女が、俺の言葉に耳を傾けてくれたこのチャンスに。

 

 

──《「俺はもう、お前を信じない」》

 

 

 俺に向かってはっきりとそう告げた彼女の信頼を、いつか取り戻せる日は来るのだろうか。

 

「……調査の続きをするぞ。まだ更衣棟を調べきってない」

「言われなくても分かっておるのじゃ」

 

 飄々とした【魔女】の態度に苛立ちを覚えながら、ロッカールームの扉とは逆側にあった通路を覗き込む。その通路には、左右に2枚ずつの扉があった。1から4の番号が振られている。

 適当に、1番の扉のドアノブに手をかける。こっちの扉はカギもかかっておらず、軽い力で開いた。ドアノブの近くに例の円盤もなかったし。……と思ったら、内側には付いていた。内側からはカギをかけられるようだ。

 

「この部屋は……シャワールームか」

 

 扉の先には、二つの部屋が縦に連なっていた。手前側が脱衣所だろう。左右の壁に棚が埋め込まれていて、カゴやハンガーが用意されている。

 奥側の部屋はシャワー室になっていた。全面の水色のタイルが張られた清潔感溢れるその空間の上部に、シャワーヘッドが設置されている。壁には水温や水量を調節するノブも付いていた。

 まあ、この空間にも特に危険そうなものはない。死ぬほどの熱湯がかけられるというわけでもないだろう。……ないよな?

 一応確かめてみたが、常識的な範疇に収まる水温だった。神経質になりすぎか。

 

「他の部屋も同じような構造のようじゃぞ」

 

 廊下に居る【魔女】からそんな声が飛んでくる。

 

「…………」

 

 1番のシャワールームを出て、他の扉の先にも目を通す。シャワールームのタイルがそれぞれピンク、黄緑、黄色になっていることを除けば、どれも判で押したように同じ構造だった。

 

「余がどれも同じじゃと言ったのじゃから、再び確かめるのは二度手間じゃぞ」

「うるさいな。お前の言葉を信用なんか出来るか」

「余もこんな見ればすぐ分かる嘘なぞつかぬわ」

 

 それこそ、信用できない。

 

 

 

 

 

 

 

 《体育館》

 

 更衣棟の調査を終えた俺達は、次に体育館へとやってきた。俺が通っていた学校のものよりは大きなサイズだが、見慣れたカマボコ型の建物を見ると、かつての日常を思い出してどこか安心感を覚える。それが油断に繋がると思って、すぐに気を引き締めた。

 確か、体育館には火ノ宮達がいたか。そう思いながらガラガラと体育館の引き戸を開ける。

 が。

 

「……誰もいないな」

 

 体育館の中に人の気配はなかった。

 

「火ノ宮君達は探索を終えて他の場所に行ったんでしょう」

 

 きっと杉野の言うとおりだろう。まあ、別にいないなら改めて探索するだけだ。

 中に入って体育館を見渡す。広い広い体育館は、概ね俺達に馴染み深い一般的なものだった。ステージはなく、完全に運動のための施設のようだが。角には一つの扉がある。その先は用具室にでも鳴っているのだろうか。そして、高い高い天井の隅に申し訳程度に監視カメラが付いていた。それとモニターも。……あんな所につけたら誰も見れないだろうに。ボールが飛んで壊れるのを防ぐためか?

 足元に目を向ければ、茶色い床板が敷き詰められそこに様々な色でコートのラインが引かれている。バドミントンコート、バスケコート……ん?

 

「何だこれ、めちゃくちゃじゃないか」

 

 バスケコートのラインだと思った白い線は、途中からグニャグニャと曲がりくねって、魔法陣のようなまるい模様を形成していた。よく見ると、他の線も途中からまともに機能していない。正しく引かれている線は……一つもない。

 

「まるで意味がない……」

「モノクマらしいと言えばモノクマらしい施設じゃの」

 

 いつの間にか、杉野の声が【魔女】のものになっていた。

 

「……さっきもそうだったが、鬱陶しいからその声はやめろ」

「そう言われてもの、ずっと声を変えているのも面倒なのじゃ。せめてそなたの前でくらい地声を使わせてほしいものじゃの。見方を変えればそなたを特別扱いしているともいえるのじゃから、光栄に思うがよい」

「そんな特別扱いは要らない」

 

 呆れ返りながら、とりあえず探索を進める。

 体育館の端には、トランポリンが2つ並んでいた。その周りにはクッションとしてのマットがいくつも敷かれている。競技用のトランポリンだ。中学時代に通っていた体操教室にもあった気がする。

 試しに乗ってみると、ギシギシとスプリングが鳴る。少し揺らせば、重力に逆らって体が宙に浮く。まともに機能するらしい。

 

「…………」

 

 なぜ、急にトランポリン? 唐突な気がする……が、そもそも床にメチャクチャな線を引くヤツの意図を考えてもしょうがないだろう。

 

「向こうの扉も確認しておこうかの」

「…………」

 

 杉野が示したのは、先程も目についた隅の扉。その上には予想通り『用具室』と掲示がある。鍵はかかっておらず、重い引き戸に力を込めるとガラガラと開いた。

 コンクリートの壁や床に囲まれたその冷えた空間には、スポーツ用具がギュウギュウに押し込められていた。折り畳まれた器械体操用のマット、12段の跳び箱やロイター板、カゴに積まれたバスケやバレーにドッジボール用のボール、バドミントンのラケットとシャトルに、ネットやそれを立てるための重い金属製の支柱……屋内スポーツの道具が一通り揃っているようだった。道具が揃っていても、コートがあの有様では意味がないが。

 凶器になりそうなものは……どうだろう。ネットで首を閉めることはできるか? できなくはないだろうがわざわざそれを凶器に選ぶとは考えにくい。ネットをかける支柱はどうだろうか。重すぎて一人では持てず、撲殺することはできないか。じゃあ跳び箱は……。

 

 と、そこで、思考が殺意に染まっていることに気づく。どうしてこんな日常品で誰かを殺すことを考えているんだ。コロシアイを防ぐために必要なこととは言え、そんな事を自然に考えてしまった自分が嫌になる。

 

「…………」

 

 首を上に傾げて、暗い天井を見て気持ちを落ち着かせる。

 

 もはや、殺人も殺意もどこか遠い国の話では、決して無くなってしまった。

 もちろん、殺人事件のニュースなんかいくらでも目にしていた。毎日のようにメディアは猟奇殺人をとりあげるし、パトカーのサイレンだって耳馴染みがある。殺人がフィクションだけの存在だなんて思ったことなんか一度もない。

 けれど、誰かの命を奪うことや奪われることが自分の身に起きるなんてことは考えたこともなかった。代わり映えのない平穏で平凡な日常がずっと続いていくと思っていた。

 

 それなのに、気づけば血にまみれた日常に慣れてしまっている。誰かが殺される事に震え、誰かに殺される事に怯え、そして、誰かを殺す事を恐れている。

 

 こんな生活を続けていたら、いつか本当に頭が狂ってしまうんじゃないかと思えてくる。

 

「…………はぁ」

 

 無意識に、ため息が漏れる。頭を切り替えよう。

 ともかく、殺人が起こせないわけでは無いだろうが、取り立てて危険があるわけでもなさそうだ。というか、殺人が起こせない場所なんて基本的には存在しないし。

 

「体育館はこんな所かのう。つまらん場所じゃな」

 

 杉野も用具室を調べ終えたようで、そう結論づけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《大迷宮前》

 

 次にやってきたのは大迷宮。【運動エリア】という名前から一番かけ離れた施設だが、こうして近寄ってみるとかなり大きく壁も高い。その真っ白い巨大な豆腐のような建物の中が迷宮になっているのだとしたら、それは確かにかなり体力を使いそうだ。

 その大迷宮の前に、明日川とスコットが居た。

 

「おや、二人とも。探索編の進捗はどうだい?」

「ぼちぼち、と言ったところです。お二方はここで何を?」

「別に何もしていない。オレ達も今着いたところだ」

 

 そんな彼ら越しに大迷宮を見る。全面すりガラスの扉が二つポツポツと並んでいる。それぞれの扉の上には、『入り口』『GOAL』と看板が掛かっていた。言語がズレてる。

 何の気なしに、『GOAL』の扉に近づきドアノブに手をかける。カラカラと軽くノブが回るが、押しても引いてもドアは動かない。

 

「開かない……」

「当たり前でしょ!」

 

 突如、だみ声が響く。

 

「うおっ、モノクマ」

 

 その声に驚きながら、そんな声を出す。振り向いた先に、モノクマが居た。

 

「何だよ急に」

「『何だよ』って何だよ! 親切心で出てきてやったのに!」

「親切心、ですか?」

「そう! 大迷宮の扉のことだよ!」

 

 そう言って、モノクマは俺の立つ『GOAL』の扉まで歩いてくる。

 

「あのねえ、大迷宮は入り口から入ってGOALから出るもんなの。その逆はありえないワケ。だから、入り口の扉は外からしか開かないし、GOALの扉は中からしか開かないようになってるの! 逆走なんて、卑怯でしょ?」

「では、迷路(ストーリー)の途中で棄権する(本を閉じる)場合は? 引き返して入り口(表紙)から出る事はできないのか?」

「当っ然! 人生はどれだけ迷っても引き返すことなんてできないし、ワープすることもできないの。大迷宮から出たかったらなんとしてでもGOALまで辿りつくんだね」

「じゃあ、たどり着けなかったらずっと出られないってことかよ」

「まあそうだけど……でもそんな何日もさまようような代物じゃないし、右手法で突破できるんだからそう簡単に諦めるなよ!」

「右手法って、力技じゃないか」

 

 右手法。右手を壁に添わせてそのまま歩いていけばいずれは出口にたどり着けるという方法だ。その代り時間はかなり掛かるが。

 とはいえ、永久に大迷宮の中に閉じ込められる、なんてことは無さそうで良かった。大迷宮の中で衰弱死なんてつまらない死に方をモノクマは望まないだろうし。

 

「話は以上でしょうか?」

「あ、ボクをすぐに帰らせようとしたな! そうやってボクをのけもの扱いして!」

「では、なにか話の続きが?」

「………………無いよ!」

 

 そう叫ぶと、モノクマはどこかへと消えた。話がないならすぐに消えてほしかった。

 

「……さて、どうしましょうか」

「とりあえず、オレは中に入るつもりだ。一度は目を通しておきたいからな。アスガワもそれでいいか?」

「ああ、問題ない。ボクなら迷宮の踏破(読破)もたやすいだろう」

 

 明日川は完全記憶能力を持っている。大迷宮の中がどうなっているかはわからないが、少なくとも常人よりはずっとその攻略はやりやすいはずだ。

 

「では、僕達は別のところを探索しましょうか。大迷宮で迷子になる可能性を考慮すると、わざわざ二組で入る必要もないと思います。どうでしょう、平並君」

 

 名を呼ばれて、杉野の言葉を検討する。確かに、大迷宮の中の探索は明日川達に任せたほうが良い気がする。

 

「わかった。そうしよう」

「では、僕達はこれで。お二方、よろしくお願いします」

「ああ」

 

 と、スコットが短く答え、二人は『入り口』の扉から大迷宮の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《中央広場》

 

 大迷宮から離れて中央広場に戻ってきた俺達は、そのまま反対側のグラウンドに目を向けた。踏みしめられた土の地面が一面に広がっている。

 そこにはしっかりと整備された400mトラックがあった。広々とした空間で、競技に使われる線もちゃんと引いてある。そのトラックの中には大きな扇形が白い消石灰で描かれている。おそらくは投てき競技用のものだろう。

 

「こんな立派な……誰が使うんだ」

「確かに……別に僕達の中に陸上選手などいませんからね」

 

 前回開放された【体験エリア】には、俺達の中の誰かのためのような施設がいくつもあった。図書館は明日川のためのように思えるし、実験棟の化学室は根岸に打って付けだろう。アトリエはよくわからないが、制作場の部屋は遠城やスコット向けだったように思う。一転、【運動エリア】の施設は、どれも誰に向けたものかよくわからない。ただのモノクマの気まぐれだろうか。

 グラウンドから目を反らし、体育館との間にある競技スペースに視線を移した。

 

「……色々あるな」

 

 無駄に高さのある鉄棒がドームの壁沿いにズラッと並んでいる。どう考えても供給過多だ。その側にはブランコやうんてい、ジャングルジムもある。これもサイズは大きく大人用なのだろうが、これでは競技スペースと言うより公園だ。一応【運動エリア】に名に恥じない物が揃っているようだが。

 とはいえ、遊具ではなくれっきとしたスポーツのための設備もある。長く伸びるレーンとそこに連なる砂場。きっと走り幅跳び用だ。その横に並ぶ同じようなレーンは……棒高跳び用だろうか。

 

「…………」

 

 走り幅跳びや、ましてや棒高跳びなんてめったにするもんじゃない。練習した経験はあるが、やろうと思わなければやる機会などない。トラックや遊具はまだ分かるが、どうしてこんな物まで作ったのだろう。スペースが余ったのか?

 

「体育倉庫の中も確認しておきましょうか」

 

 そう告げる杉野と共にドームの端に位置する体育倉庫へと移動すると、その扉は開いており、中から声が聞こえてきた。

 

「そういえばさ、翡翠は運動はあんまり得意じゃないんだよね」

『そりゃまあそんだけ長い髪してたらな。膝くらいまであるじゃねえか。縛るにしたって限界があるだろうし、切っちまったらどうだ?』

「え、やだ! せっかくここまで伸ばしたのに!」

『でもそのうち地面に付いちまうぞ』

「そうなる前に折り返すから大丈夫だよ」

『折り返す……ってどうするんだよ』

「えっと、だから……こう、先っぽを頭に持ってきて……あれ、章ちゃん、どうしたらいいかな?」

「し、知らないよ……」

 

 体育倉庫の中には、露草と根岸がいた。彼らも【運動エリア】の中を順に探索しているようだ。

 

「あ、悠輔ちゃんと凡一ちゃん!」

「……!」

 

 俺達に露草が気づいてそんな声を上げると、それに反応して根岸が肩を震わせた。振り向いて、こちらを見つめて……いや、睨んでいる。根岸のこの敵意をどうにかしたいと思うのは、傲慢だろうか。…………傲慢だろうな。

 

「露草さんに根岸君。ここの探索は終えましたか?」

 

 体育用具のひしめく体育倉庫の中に足を踏み入れながら、杉野がそう声をかける。それに露草が答えた。

 

「うん! 章ちゃんと一通り確認したよ」

『危ないもんは……まあ無えわけじゃねえな』

「そうなのですか?」

『ああ』

 

 と、露草(達)が杉野に返答したが、

 

「つ、露草……そ、そんな奴らと話すなって……い、いくぞ……」

 

 根岸がそう口を挟んだ。

 

「章ちゃん、どうしてそんな事言うの? せっかく会ったんだからお話してから行こうよ」

「こ、こんな連中と、な、何を話すっていうんだ……! ぼ、ぼくたちを殺そうとしてるかもしれないって、ず、ずっと言ってるだろ……!」

『そんな事ねえって。皆、仲間なんだぞ』

「だ、だったら、な、なんで二回も事件が起きたんだよ……! ほ、本当に仲間なんだったら、じ、事件なんか起こるはずないだろ……!」

 

 健気な露草の反論も、根岸は取り合おうとしない。

 

「だ、大体、お、おまえもこのまえ大天に命を狙われてたって説明しただろ……! あ、あのドアチャイムは、お、おまえを殺すために個室に来て鳴らしたんだって……!」

 

 ……そう言えば、あの夜大天は露草もターゲットに選んでいた。その殺意が明かされたのは露草が眠っていた裁判中だったが、その事も根岸は彼女に説明したようだ。

 

「そうだけど……それでも、仲間だもん! 悪いのはモノクマなんだから!」

「そ、それはこいつらを警戒しない理由にならないだろ……!」

「根岸」

「……な、なんだよ」

 

 興奮する彼をなだめようと名前を呼ぶと、彼は敵意を真っ直ぐ俺にぶつける。

 

「俺はもう誰かを殺そうなんて思ってない。お前にだって、皆にだって、もう誰にも死んで欲しくない。誰かの死を見るってことが、何よりも辛いことだって分かったから」

「…………」

 

 根岸は何も答えない。

 

「俺を嫌ったままでもいいから、それだけは、信じてくれ」

「…………」

「根岸君、僕からもお願いします。こうしてあなたが孤立しようとすることがいい結果に繋がるとは思えません。団結、いたしませんか」

「…………だ、誰かを信じたって、う、裏切られるだけだろ……」

 

 ポツリとつぶやく。

 

「す、杉野……お、お前だって、ほ、本当は何を考えてるかわからないじゃないか……」

「その点に関しては、信じてもらうしかありません。これでも、皆さんのために頑張ってきたつもりなのですが」

「…………」

 

 杉野を睨む根岸。……きっと、俺も杉野を睨んでしまっている。

 実際の所、少なくとも杉野に関してだけは、この根岸の疑心は当たっている。杉野は、他人を破滅させることに快楽を見出す【言霊遣いの魔女】なのだから。

 当たっているからこそ、根岸の疑心暗鬼を完全に取り除くこともまたリスクになる。だから、根岸の敵意は取り除いても、危機感まで消し去る訳にはいかない。

 ……だったら、このまま対立していた方が、いいのだろうか?

 それすら、わからなくなってきた。

 

「…………」

 

 一瞬口を開いた彼だったが、杉野には何も言い返さずに根岸は俺達の傍を通り体育倉庫の外へ出た。彼もまた、一言では表し切れない葛藤を抱いているのかもしれない。……いや、きっとそうだろう。俺達は、一つの感情だけでは生きてはいないのだから。

 

「……いがみ合ったって、どうにもならないよ」

 

 そのやり取りを聞いていた露草がつぶやく。

 

「色々あるかもしれないけど。そんなの全部無視して皆で仲良くなろうよ」

『喧嘩とかしててもよ、無理やり仲良くなっちまえばどうにかなるもんだ。皆で話して、皆で騒いで、それで仲良くなってモノクマに立ち向かえば良いんだ』

「……それができたら、良いんだけどね」

 

 露草も、この現状をどうにかしたいと思っているらしい。ただ、それを実践する事はただそう思うよりも遥かに難しい。どうすれば、この袋小路を抜け出せるのだろう。

 

「つ、露草……!」

「あ、ごめん章ちゃん! 今行くね!」

 

 出口に立つ根岸に呼ばれると、彼女は「じゃあまた後でね」と言葉を残して彼の方へ歩いていった。

 

「…………」

「それでは、僕達も体育倉庫を調べましょうか。何か危ないものがあるようですからね」

 

 杉野の声を聞いて、ため息をつきながら体育倉庫を見渡す。この体育倉庫には、【宿泊エリア】の倉庫のように手狭な空間に物が押し込まれている。ただ、そのどれもが運動に使われるものだ。体育館の用具室には屋内用の用具が揃っていたが、大してこちらにあるのは屋外用の用具だ。

 数十個と重ねられたハードルに、綱引き用の綱や玉入れの玉とカゴ。山のようになっている無数のストップウォッチや、無造作に積まれた小さい三角コーンもある。薄い円盤みたいなアレだ。

 他にも、高跳び用の支柱やマットもある。棒高跳びの棒や、バー、計測用のメジャーも揃っていた。

 それと、コートもフィールドもなかったのに、サッカーボールや野球ボールがある。他のものと違って使い込まれた様子はないし、これらは本当に使われていないのだろう。じゃあ、どうしてあるんだ。気まぐれか? 野球にはバットやグローブも必要だし。……そう言えば、金属バットは倉庫にあったな。

 そんな風に体育倉庫の備品を順に見ていくと、さっきみた投てきエリアで使うのだろうやりや砲丸、円盤を見つけた。

 

「……これは」

 

 砲丸を手にする。ずっしりと重い。

 

「これは凶器になりそうじゃの。どうするのじゃ?」

 

 耳に届く【魔女】の声。その声の通り、他に比べてこの砲丸は鈍器として扱うには十分な重さだ。やり投げのやりも危険と言えば危険だ。……ただ、神経質になりすぎだろうか。この砲丸をどうにかしたところで、凶器が消え失せるわけではない。

 

「あとで火ノ宮に持っていってもらうか」

 

 それでも、一応出来ることはやっておこう。妥協はするべきじゃない。……だったらアトリエの石材、というか彫刻材もどうにかしたほうが良いだろうか。

 

「……キリがないな」

 

 とりあえず、探索に集中しよう。他の設備のことまでは、今は手が回らない。

 とはいえ、体育倉庫の中は概ね確認した。それにしても、どうして円盤投げといいやり投げといい投てき競技がしっかり揃っているんだろう。あらゆるスポーツをカバーしているというわけでもないのに。

 

「ん……?」

 

 円盤投げ、やり投げ、砲丸投げ……聞いたことのある並びだ。

 ふと引っかかりを覚えて記憶を辿ろうとした俺の視界に、高跳び用のマットが映る。

 

「…………あ」

 

 思い出した。これ、全部十種競技の競技なんだ。

 走り幅跳びと走り高跳びに棒高跳び、あとやり投げ砲丸投げ円盤投げ。それにハードル走と中距離に短距離二つを加えて十種競技だったはずだ。月跳が【超高校級のアスリート】に選ばれた時に調べて、そのまま記憶に残っている。

 

 ……だとすると、まさかこれは、全部月跳のため?

 

「…………」

 

 いや、決めつけは良くない。大体月跳は……もう死んでいる。

 

「どうしたのじゃ」

 

 その【魔女】の声で、我に返る。

 

「……いや、なんでもない」

 

 頭を振って、思考を中断する。

 

「どう見ても何かあったようじゃがの。まあ良いじゃろ。次に行こうかの」

「ちょっと待て」

 

 俺の様子を気に留めず、外に出ようとする杉野。その後ろ姿を、呼び止めた。

 

「はい?」

 

 先に外に出て周りに誰も居ないことを確認すると、中に戻って体育倉庫の扉を閉める。

 

「……さっきのあれは何だったんだよ」

 

 そして、口を開いた。

 

「あれ、とはなんじゃ?」

「『団結』の話だ」

 

 今、狭い密室でちょうど杉野と二人きりになれた。さっき杉野は根岸にもそんな事を言っていたし、いい加減この話をしておきたい。

 

「お前はどうして『団結』なんか提案したんだよ。いがみ合ってる今の状況の方がお前にとっては都合がいいんじゃないのか?」

 

 【言霊遣いの魔女】として誰かに殺意を抱かせるのなら、むしろこの険悪な雰囲気の方が打って付けのように思える。

 

「それとも、ただ善人のふりをしているだけか。どうせ団結なんかできないと高を括って」

「それも理由の一つではあるがの」

 

 【魔女】が口を開く。

 

「そなたが今言ったように善人を装ってとりあえず皆からの信頼を集める、という戦略は確かに実行しておる。が、そなたらに団結してほしいというのも本心ではあるのじゃ」

 

 本心?

 

「……嘘だろ」

「嘘ではない。まず第一に、ある程度団結してもらわねば【魔女】としても面白みに欠けるのじゃ」

 

 人差し指を立ててそう告げる。

 

「根岸章をはじめとして全員が対立し疑心暗鬼になればそりゃ殺人は起こるじゃろ。容易に起こせる自信もある。じゃが、そんな補助輪をつけて自転車に乗るような真似をして何が楽しいのじゃ」

「…………」

「殺人は起きない。人は殺さない。そう思っているようなヤツをけしかけるのが面白いのじゃろ」

 

 陽気に語られる狂気に、思わず眉をひそめる。

 

「ただまあ、正直それとは別の理由もある。ここから脱出するためじゃ」

「……脱出?」

「うむ。現状発生している解決せねばならない最大の問題は、この施設に軟禁されていることじゃろ。小手先で何をしたところで、結局の所この問題をどうにかせねば余の未来はどん詰まりじゃ。それはそなたらも同じはずじゃぞ」

「…………」

「その問題を解決するには、モノクマ……というよりはそれを操る黒幕を打破せねばならん。ただ、それには団結が必要不可欠じゃ。いつまでもいがみ合っていては、モノクマの掌の上から抜け出すことなどできようはずもない。余は間違ったことを言っておるか?」

 

 否定は、しない。

 否定はしないが。

 

「そんな事、お前が言うなよ」

「む?」

 

 【魔女】の言っている事の意味自体は分からないでもないし、間違いだとも言い切れない。俺達がモノクマの支配下にある以上、どうにかしてモノクマを出し抜かなければこの絶望の終わりは訪れない。

 だとしても、こいつだけはそんな事を言う資格なんか無いはずだ。

 

「その団結をぶち壊したのは誰だ? お前だろ」

「それにはそなたの犯行も加担しておるはずじゃが」

「……っ」

「そこで黙るくらいなら始めから啖呵を切るでない、平並凡一よ」

 

 呆れるように、嘲笑うようにそう述べる【魔女】。

 

「で? 余が団結をぶち壊したとして、それが何だというのじゃ」

「……そんな事しでかしておいて、団結が必要だなんて言うなって言ってるんだよ」

「では、団結などしないほうが良いと?」

「…………そんなこと言ってないだろ」

 

 腹立たしい。そもそも、【魔女】の他人に殺人を行わせる犯行と、それでも脱出のために団結してほしいという言い分が矛盾している。そんなヤツとまともに議論しようとした俺がバカだった。

 

「とにかく、口先の嘘じゃなくて本気で団結してほしいんだったら、今すぐ【魔女】を辞めろ。そうすれば団結だってずっとやりやすくなるだろ」

「そんなもの断るに決まっておろう。余が【魔女】でなくなるなどありえん」

「……嘘でも辞めるって言わないんだな」

「当たり前じゃ。すぐバレる嘘はつかんとさっきも言ったじゃろ」

「…………ああそう」

「そうじゃな、あとニ度ほど楽しんだら本気で脱出に取り組もうかの」

「…………」

 

 ためらいもなく、【魔女】はそう語る。あんな事を、まだ二回もやるというのか。

 怒りが右手の握りこぶしに灯る。こんなヤツが、どうして今まで野放しになっていたんだ。

 

「ま、少なくとも表面上は真っ当に団結を目指すから安心せい。杉野悠輔は優等生でなければならぬからな」

「……安心なんか出来るかよ。お前なんか微塵も信用出来ないんだからな」

「そうは言うがの。色々とスタンスの違いはあるとしても、ここからの脱出は12人全員が共通して持つ最終目標じゃ。どこかで息を潜めておる愉快犯も含めてな」

「…………」

「【卒業】も脱出手段の一つではあるのじゃが、実行犯はどうしても証拠が残りやすいからのう。現場も容疑者も限られた密室空間で、殺人を犯して逃げ切るのは難度があまりにも高すぎるのじゃ。バレたら即処刑とリスクも高いしの」

 

 ……それが分かっていて、遠城を唆したのか。

 

「それに、自分で手を下すのは余のポリシーに反するのじゃ。となれば、一致団結して黒幕を倒す方法しかなかろう」

「…………」

 

 支離滅裂のように見えて、【魔女】の論理は一つの筋が通っている。結局の所、自分の事しか考えていないのだ。だから、狂気的な犯行の一方で団結を目指すことが出来る。

 ……ああ、反吐が出る。

 

「話はもう良いじゃろ。次に行くぞ、平並凡一よ」

 

 俺の胸中に渦巻く鈍色の敵意を気にかける様子もなく、あっさりと【魔女】は告げて扉を開けて外へ出る。

 敵意が殺意に変わらないうちに、俺はその背中を追うために足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《病院》

 

「一体どういうことよっ!」

 

 病院に入るなり、そんな甲高い怒鳴り声が聞こえた。何事かと思えば、病院の玄関ホールで東雲がモノクマに向かって何かを叫んでいた。側で火ノ宮が呆れている。

 

「どういうことって言われてもねえ……」

「おい、どうしたんだ」

 

 慌てて駆け寄って、ただ事ではない様子の東雲に問いかける。

 

「どうしたもこうしたもないわよ! アンタ達も探索したなら分かるでしょ!」

 

 彼女の興奮は止まらない。

 

「分かるって、何が」

「どうして【運動エリア】なのにプールが無いのよ! どうかしてるんじゃないの!?」

 

 …………えーと。

 

「そんなことでそんなに怒ってたのか?」

 

 確かに、言われてみればプール……というか水場はなかった。

 

「そんなことって何よ! とっても大事なことじゃない! ただでさえ遊泳禁止の湖と流れのある川しかなくて、アタシここ最近ずっと潜れてないのよ。ここに来る前は毎日潜ってたっていうのに」

 

 少し落ち着きを取り戻して、彼女はここでの生活の不満を語る。

 

「そんな時に、新しくこのエリアが開放されたってわけ。でも、看板には【運動エリア】なんて書いてたくせにプールがなかったじゃない。万が一隠されてる可能性を信じて探索してたけどもう我慢の限界よ! 泳げもしないくせに【運動エリア】なんて名乗るんじゃないわよ、まったく!」

 

 と、思ったらまた声の音量が上がる。いつも飄々としている彼女も、彼女なりにストレスを抱えていたようだ。……まあ、東雲は【超高校級のダイバー】と呼ばれるほどに潜ることが好きなんだ。それも仕方がないのかもしれない。

 

「そうは言うけどねえ……」

「何よ、言い訳でもあるの?」

「わざわざここにプールは作らなくても良かったんだよ。そんなスペースもなかったし」

「トランポリンなんかおいてたくせに水泳はどうでもいいってこと?」

「そうじゃなくて……うーん。めんどくさいな、言っちゃえ」

 

 東雲に追求され、投げやりな台詞を放つモノクマ。

 

「実はさ、次のエリアに海があるんだよ。だから、別にこっちでわざわざプールを作らなくても」

「海!?」

 

 モノクマが言葉を言い終わる前に、東雲が勢いよく反応した。

 

「海があるの!?」

「……それ、本当の話か? どうせ次も同じようなドームなんだろ?」

 

 どちらにしても閉鎖空間には変わりなく、海なんてありえないんじゃないかと思ったが。

 

「いえ、ありえない話ではないでしょう。【体験エリア】にだって、大きな川がありましたから」

 

 杉野にそう反論される。

 

「……そうか」

「ま、詳しいことはまだ言えないけどね。楽しみにしててよ!」

「わかったわ! じゃあもうどっかいって良いわよ!」

「今回くらいはもうちょっと良い扱いしてくれても良くない?」

 

 晴れ晴れとした様子の東雲にあしらわれ、モノクマはぶつくさと愚痴をこぼしながらどこかへと姿を消した。

 

「海があるならちょっとくらい我慢できるわ! そうならそうとさっさと言ってくれればよかったのに!」

 

 と、不満を漏らす形ではあるが、東雲はいつものペースを取り戻したようだった。

 

「あー、早く次のエリアが開放されないかしらね。海に潜るの、久しぶりだから楽しみだわ!」

 

 …………いや、ちょっと待て。

 

「……てめー、それがどういう意味だか分かって言ってんのかァ?」

 

 俺と同じ様に、東雲の言葉に違和感を覚えた火ノ宮が口を開いた。

 

「何よ」

「『次のエリアが開放される』ってことは、『次の学級裁判を乗り越える』ってことだぞ。誰かが殺されて、誰かをクロとして殺す。その結果がエリアの開放なんじゃねェか」

 

 そうだ。次のエリアにたどり着くということは、少なくとも二人の死を見ていることになる。それなのに、東雲は海が開放されるのを待ち望んでいる。

 

「分かってるわよ、そんな事。さっきアンタが散々言ってきたじゃない。()()()?」

 

 ……そうだよな。これが東雲の倫理観だ。

 

「チッ!」

 

 火ノ宮も、舌打ちをするだけでそれ以上追求はしなかった。探索の途中でも散々文句を言っても効果がなく、諦めたのかもしれない。

 

「…………火ノ宮君。病院には何がありましたか?」

 

 東雲の様子に言及することを避け、杉野が火ノ宮に探索の成果を聞いた。

 

「あァ? ま、色々あったよ。あぶねェもんもな」

 

 そんな言葉とともに、火ノ宮が病院を案内してくれた。

 玄関ホールには左右二つの引き戸があった。右側の引き戸をガラガラと開けながら火ノ宮は説明する。

 

「こっちは病室だ」

 

 その言葉通り、その扉の先の大部屋はベッドが3つ並んでいた。仕切り用のカーテンや各ベッドの側にテーブルや棚も付属している。例によって監視カメラやモニターもある。この分だと他の部屋にもあるだろうな。

 

「基本的な設備は整ってっから、万が一があっても入院出来るな」

「万が一……」

「あとで説明するけどよォ、この施設はちゃんと治療も出来るようになってんだ。だから、もし軟禁生活が長引いても健康面は問題ねェ」

「ふむ。その点はモノクマに感謝するべきでしょうか」

「あァ!? 感謝なんかしねェよ! こういう医務施設は生活の基盤なんだから生活が始まってすぐに開放するべきだろォが!」

「まあ確かにその通りね」

「それを今更開放しやがって! 最初から宿泊棟に併設しとけってんだ!」

 

 憤る火ノ宮。彼の言い分は尤もだ。ただ、運動にはケガがつきものであることを考えると、病院を【運動エリア】に建てるのも一応理にかなってはいるのだろう。

 

「……火ノ宮君、入院の件ですが」

「あァ?」

 

 と、なにかに気づいたように杉野が口を開く。

 

「先程あなたは入院とおっしゃいましたが、規則で睡眠に関するものがあったでしょう。ここで眠るのは規則違反になるのではありませんか?」

 

 ……あ。

 言われて、思い至る。

 

 

=============================

 

【強化合宿のルール】

 

規則4、就寝は宿泊棟に設けられた個室でのみ可能とする。その他の場所での故意の就寝は居眠りとみなし、禁じる。

 

=============================

 

 

 そうだ。眠るのは個室じゃなきゃいけなかったはずだ。ただ、こんな事に火ノ宮が気づいていないとも思えない。

 

「んなもんとっくに解決済みだ」

「やっぱりか」

「さっきモノクマに訊いたら、病室でも眠れる様に規則を付け足したんだとよ。相応の手続きは必要みてェだけどな。ほら」

 

 そう言って、火ノ宮が『システム』を起動させて『強化合宿のルール』を見せてくれた。

 

 

=============================

 

【強化合宿のルール】

 

~前略~

 

規則4、就寝は宿泊棟に設けられた個室でのみ可能とする。その他の場所での故意の就寝は居眠りとみなし、禁じる。

 規則4 (2)、例外として、【入院患者】は病院の病室での就寝が可能とする。

 

=============================

 

 

 確かに、就寝に関する規則が増えている。

 

「この【入院患者】というのは?」

「そこの受付カウンターで手続きが出来る。逆に言うと、手続きしねェで寝ると規則違反だからな」

「わかりました。気をつけましょう」

 

 特に普段の生活に影響が出るわけではないが、念のために覚えておこう。入院するような病気にかからないのが一番だが。

 

「ここのカギは?」

「……かからねェ」

「えっ?」

「そもそも無ェんだとよ、カギなんて。病室ってのは看護するヤツが出入りする必要があるから、個室みてェにカギをつけるわけにはいかねェってよ」

「……そうか」

 

 だったら、入院中は無防備になってしまう。

 

「けどよォ、病室のドアは幸い引き戸だ。突っ張り棒かなんか使えば戸を開かねェようには出来るだろ」

「あ、なるほど」

 

 物理的にカギを作ってしまえば良いのか。

 

「ま、そうでなくても宿泊棟の個室を使えば済む話だけどな。入院するにしたって病院に居なきゃならねェ理由もねェし。病室の説明はこれくらいだ。次に行くぞ」

 

 その杉野の先導で玄関ホールに戻り、もう一つの引き戸の先に行く。

 

「こちらは?」

「診察室だ」

 

 その先は火ノ宮が述べた通り、まさしく診察室になっていた。医者や患者の座る椅子や診察に使うのだろう簡易ベッドも設置してある。更に奥へと繋がる広い戸の側には、緊急搬送のためのストレッチャーも折り畳まれて置かれていた。

 医者用の机や棚には、実験棟のように医学書がこれでもかというほど詰め込まれていた。その一つを手にとってみたが、なんとなくの理解も怪しい。これは生半可な知識で理解できる代物じゃ無さそうだ。そっと医学書を棚に戻す。

 

「これは……タブレットですか」

 

 杉野が机の本棚に刺さっていた薄っぺらい白い板を手に取る。

 

「電子カルテだってよ。データがイカれちまってて、ほとんど読めねェけどな」

「……そうですか」

 

 そんな生返事をしながら、杉野が電子カルテの電源を入れた。横から覗き込むと十数人分の名前がズラリと並んでいたが、データの破損によってその名前はほとんど判別できなかった。

 

「……『羽鳥 茜(ハトリ アカネ)』……『水戸水 有水(ミトミズ ユミズ)』」

 

 かろうじて判読できた名前を口に出す。聞き覚えのある、その名前を。

 

「これ、()()()の名前だよな」

「……あァ」

 

 その名前は、月跳と同級生に当たる希望ヶ空18期生の【超高校級】の名前だった。月跳が入学した時に調べた時に名前を見かけたのを覚えている。そうでなくとも当時から二人共有名人だが。確か、どちらも女の先輩だったか。

 羽鳥さんは競技トランポリンのずば抜けた才能を買われた【超高校級のトランポリニスト】。そして、水戸水さんは生み出した作品が軒並み超高額で取引される【超高校級の芸術家】だったはずだ。

 そんな先輩達のカルテが、どうしてこんな所にあるのだろうか。モノクマが用意した? わざわざ、何のために? いや、だが、カルテというものは……。

 

「……ん」

 

 そんな謎に思考を巡らせるうちに、奇妙な一致が頭に浮かぶ。体育館にあった、あのトランポリン。もしかして、羽鳥さんのカルテがあることとなにか関係があるのだろうか。

 

「こちらはどうなっているんでしょう」

 

 そんな事を考えていると、杉野が電子カルテの電源を落としてそんな事を口にした。その視線は診察室から更に奥へと繋がるドアに向いていた。

 一旦そこで思考を止めて、そのドアへと歩み寄る。すると、ひとりでに左右に開いた。自動ドアのようだ。

 ぶわぁっと上下左右から数秒強く風が吹く。そして俺の目に映るのは、中央に横たわる細長い台とそれを照らすために天井から生えている大きなライト達。

 

「……手術室?」

「あァ」

 

 そこはまさしく、テレビドラマで見るような手術室だった。簡単に見る限りでもどう扱うのかもわからない大仰な機械もあるし、妙に本格的だ。

 

「だから自動ドアだったのか。衛生面で」

「診察室から直結しておいて衛生もクソもねェんだよ。つってもまあ、特殊加工だかウルトラハイパーエアーシャワーだかで雑菌の持ち込みはありえねェとか言ってたけどな」

「ああ、さっきの風」

 

 あんな物がどこまで効果があるのかわからないが、ここまで本格的ならそれなりに効果があるのかもしれない。そんな事を思いながら、手術室の中を確認する。

 

「手術室の中も色々あったが、とりあえずこれだけは回収すべき代物だ」

 

 そう言いながら、火ノ宮が四角いステンレスのトレイを持って棚の中へ手をのばす。そこから取り出したのは、大小様々なメスだった。

 

「……確かに、それを放置しておくのは不味いですね」

「設備が整ってんのは良いはずなんだけどな。これはオレが預かっとく」

 

 そう答えながら、彼はガチャガチャとトレイの中へメスやハサミを……刺殺に使えそうな危険物を入れていく。

 

「ねえ、どうでもいいけど、アンタばっかり凶器を回収してちょっと不公平じゃないかしら」

 

 そう口を挟むのは東雲。

 

「…………東雲さんの『不公平』の意味には敢えて触れませんが、不公平で良いのです。どうせ凶器を管理するのなら一人に集中したほうが良いでしょう」

「ふうん」

 

 杉野の返答に大した反応も見せず、適当に棚を眺める東雲。本当にどうでも良かったのだろう。

 

「……正直、これだけで事件を防げるとは思えねェけどな」

 

 反応したのは、火ノ宮の方だった。危険物を回収する手を止め、悔しそうにそう呟く。

 

「らしくありませんね。確かに僕もそう思いますが、君は僕達の事を信用していたのでは?」

「…………チッ」

 

 苦々しい顔になって、彼は舌を打つ。

 

「てめーらの事は信用してる。けど、大天は別だ。あいつは、いざとなりゃまた殺意を抱くはずだ。そうだろ」

「……ええ、まあ、あの態度からすればそうでしょうね。機が来れば犯行に及ぶ可能性は大いにあるでしょう」

 

 大天。

 他ならぬこの【魔女】への復讐を企む彼女は、その他のすべてを犠牲にできる。

 

 

――《「【言霊遣いの魔女】をこの手で殺す! それが私の人生なの!」》

 

 

 城咲に妨害されたことで俺を殺すことは失敗に終わったものの、その復讐心は潰えてはいない。

 復讐なんて、絶対に間違ってる。この【魔女】が許されざる存在であることは今更疑いようもないが、だからって、殺人なんてして良いはずがない。そのために他人を巻き込むのはもってのほかだが、そうでなくとも凶行に手を染めてしまえば、その先に明るい未来なんてきっと有りはしないだろう。……どうにか、できれば良いんだが。

 

「だから、大天と……それと愉快犯の二人は警戒しないといけねェ。この前は睡眠薬を遠城に使われたんだ。犯行に利用できそうなもんはできる限りきちんと管理するべきだ」

 

 静かに、火ノ宮は語る。

 

「とは言え、結局の所限界はありますが。僕達にはそれぞれ『凶器セット』が配布されています。それを使えば犯行は容易でしょう」

 

 『凶器セット』、か……。俺の『凶器セット』は未だ未開封だが、確か中にはナイフとスパナと、あと拳銃が入っていたか。

 

「あ、そう言えば、この前大天もその『凶器セット』のナイフを持ってたぞ」

「……あァ、制作場に落ちてたやつか。経緯は城咲から聞いてオレが預かってる」

「そうだったのか」

 

 それを火ノ宮が預かってるのなら、もしかして。

 

「もしかして、焼却炉のカードキーも火ノ宮が預かってるのか?」

「一応な。とにかく、基本的にオレが預かることにしてんだ。別にカードキーくれェなら誰かに預けてもいいけどよ」

 

 ふむ。危険物はともかく、カードキーまで火ノ宮に任せてしまうのは流石に頼り過ぎだろう。

 

「なら、俺が預かろうか」

「……じゃァ、頼む」

 

 ポケットから取り出された焼却炉のカードキーを受け取った。

 

「カードキーやナイフはそれでいいとして、まだ油断はできません。まだ大天さんの元にはスパナと拳銃がありますからね」

「ねえ、『凶器セット』ってそんなに気にすること?」

 

 と、純朴そうな声で東雲が口を挟む。

 

「当たり前だろ。()()だぞ」

「いや、そうだけど。【卒業】するんだったら、『凶器セット』の凶器なんか普通使わないでしょ。だって、検証されたら誰が使ったか丸わかりじゃない。仮に拳銃が使われたなら、皆の弾数を調べればクロはすぐに判明するわ」

「……それはそうですが」

「城咲から聞いた分だと、大天がそのナイフを使ったのは緊急事態だったからで、最初はロープで平並を殺すつもりだったんでしょ?」

「……ああ」

「そうじゃなきゃ、ナイフなんて使わないものね。凶器がそれってバレたら未開封の人は無実がすぐに証明できちゃうし。……あ」

 

 会話の最中、東雲は急に口を空けて一瞬言葉を止める。

 

「いや、そうでもないかしら。死んだ人達の『凶器セット』を使えば良いわね。そうすれば検査されても無実を主張できるわ」

「え?」

「……あっ」

 

 東雲の言葉に、俺達は固まった。

 

「チッ。宿泊棟に戻ったら、蒼神達の『凶器セット』もオレが回収しておく」

「お願いします。東雲さん、ありがとうございます」

「……言わなきゃよかったわね」

「……残念がるなよ」

 

 そんなやり取りを終えて、俺は一つ一つ棚の中を確認しはじめた。先程火ノ宮が設備は整っている、と述べた通り、メスやハサミ以外にもよくわからないチューブや機材、手術着や手袋も揃っていた。本当に、医者さえいれば手術が出来る環境が整っている。その肝心の医者が居ないのだが。

 

「と、これは……」

 

 そして俺の目にとまるのは、小さな冷蔵庫。その扉を開けると、輸血パックが大量に押し込まれていた。……ちゃんと冷えてるんだろうか、これ。

 

「輸血パックは、全員分揃ってたわよ。そうよね?」

 

 背中越しに、そんな声が聞こえてくる。

 

「あァ。オレ達それぞれに合わせた輸血パックが、一人あたり5袋入ってた。……16人分、な」

 

 16人分? と、彼の言葉に疑問符を浮かべながらその中の一つを手にとって見ると、『蒼神紫苑』とパッケージに刻まれていた。……蒼神、か。彼女の顔を思い浮かべて、ため息をつく。どうにかして、あの事件を防ぐことはできなかったのだろうか。

 ちらりと、杉野の顔を見る。

 

「どうしました、平並君」

「……別に」

 

 視線に気づいた彼と、そんな言葉を交わす。

 ……無理だろうな。少なくとも、杉野の本性に気づかなかった限りは。

 

「病院はこんなところか?」

 

 蒼神の輸血パックを冷蔵庫に戻してから、ちょうど危険物の回収を終えた火ノ宮にそう尋ねる。彼は軽くうなずいた。

 

「では、そろそろ戻りましょうか。時間もいい頃合いです」

「そうだな。【運動エリア】は一通り見たし」

「だったら、体育倉庫の砲丸を運ぶのを手伝ってくれ。あんなもんオレ一人で運んでらんねェ」

「砲丸……ああ、そう言えばあの砲丸の管理も火ノ宮君に託そうかと思っていたところです」

「言われるまでもねェ。ほら、行くぞ」

「ああ」

 

 そんな経緯で、俺達は【運動エリア】を後にした。砲丸を運搬するために一度アトリエまで向かって台車やついでに彫刻材を持ってきたが、東雲は「もう集団行動は良いでしょ」と告げて、そのまま一人で【宿泊エリア】へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《【宿泊エリア】》

 

 ガラガラと、中央広場まで砲丸やアトリエの彫刻材を載せた台車を押して来た。

 

「ありがとな。後は自分でやる」

「もういいのか? どうせここまで来たんだ。個室まで運ぶぞ」

「いや、もう十分だ。先に食事スペースに戻ってろ」

 

 火ノ宮にそう告げられ、台車の押し手から手を離す。

 

「……それと」

 

 すると、彼は更に言葉を続けた。

 

「ん?」

「こないだは、すまなかった」

 

 そんな言葉とともに、彼は深々と頭を下げた。

 

「え? こないだって……」

「……学級裁判のことだ」

 

 彼の謝罪の意味が読み取れず困惑していた俺に、火ノ宮は説明をしてくれた。

 

「あの時、蒼神のポケットから出てきた呼び出し状を読んだ時点で、てめーがクロだと思いこんじまった。……てめーは、無実だったのに、だ」

 

 重い罪を告白するように、彼は言葉を紡ぐ。……ああ、その事か。

 この前の学級裁判が始まった時……いや、始まる前から、彼は俺をクロだと断じていた。裁判が始まってすぐの時は、根岸と共に俺を追及した。

 

「いや、だが、あれはクロの……遠城が仕組んだ罠だったじゃないか。お前が俺を疑ったのは、遠城にそう仕向けられたからだろ。それに、俺は一度【卒業】を企んでる。疑われたって文句は言えない」

「けど、てめーはクロじゃなかった。本当に蒼神を心配して宿泊棟を飛び出したんだ。ってことは、てめーがオレ達を裏切ったのを後悔してんのも、本当なんだろ」

「…………」

 

 無言のまま、うなずく。

 

「……それなのに、オレはてめーを信じきれなかった。てめーはやっぱりオレ達を裏切ったままだと、思っちまった」

 

 悔しそうに、彼は呟く。

 

「だとしても、お前は一回もう謝ってるじゃないか。それこそ、学級裁判の最中に」

 

 

――《「……クロだと決めつけて、悪かった」》

――《「火ノ宮……」》

――《しんみりと、そう告げながら彼は俺に頭を下げた。》

 

 

 確かあれは、俺がクロではないと発覚した時だったか。火ノ宮はもう俺に謝ってくれている。別に謝ってくれなかった根岸にどうのこうのと言うつもりは毛頭ないが。だって、そっちの方が普通だろうし、根岸が俺を疑ったのはそもそも俺が彼を狙ったからというのが大きいはずだし。

 

「あれっぽっち謝ったくれェで許されるなんざ思ってねェよ」

「別に、そんな重く受け止めなくていいぞ。俺は別に気にしてないから」

「……悪ィな」

 

 と、彼は返答すると、宿泊棟へと向かっていった。

 

「律儀な方ですね」

 

 杉野のその声に、わざわざ言葉は返さなかった。

 

 さて、こんな所で突っ立っていても仕方がない、食事スペースに行こう。そう思って歩き出そうとした時、ガラガラと音が聴こえてきた。

 

「……えっ?」

 

 俺がそんな疑問符を出したのは、その音がありえない所からしていたからだった。

 【宿泊エリア】の建物の中で、唯一その正体が判明していなかった和風の屋敷のような建物。音の正体は、その建物の引き戸が開いた事によるものだった。

 その中から、岩国と七原が出てきた。

 

「七原、岩国!」

 

 と、声を掛けると、向こうもこちらに気づいたようだった。そのままこちらに歩いてくる。

 

「この建物も開放されたのか?」

「うん。岩国さんが気づいたんだ」

「気づいたって」

「ほら」

 

 そう言って七原が指さしたのは、【宿泊エリア】の地図が書かれた立て看板だった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「……『大浴場』?」

 

 それをよく見ると、確かに名称不明だったはずの建物に名前がついていた。いつの間にか書き換えられていたらしい。

 

「うん。それで、今岩国さんと一緒に確認してきたところなんだ。だよね?」

「…………」

 

 岩国は否定も肯定もしない。ただまあ、七原の嘘ってことはないだろう。今まさにその大浴場から出てきたところなのだから。

 と、大浴場に目線をやってふと思い至ったことがある。瓦がずらりとならんだ屋根が特徴的なその和風な建物にはずっと既視感を抱いていたのだが、その正体に気づいたのだ。そのレトロな外観が、教科書で見たかつての銭湯に似ていたのだ。ここが大浴場だと言うのなら、かつての銭湯がモチーフになっているのにも納得がいく。窓がなかったのも、外から覗かれないようにするためだろうか。

 

「まあ、更衣棟のロッカールームと一緒で女子の方しか見れなかったんだけど……でも、中身は普通の浴場だったよ」

「ふむ、そうですか。僕達も一応確認してきましょうか?」

「ただの確認なら後にしろ。もうすぐ集合時間のはずだぞ」

 

 杉野の提案は、岩国に一蹴された。

 

「確認自体を否定するわけじゃないが、他の連中が男子の大浴場を確かめた可能性もある。無駄に俺を待たすな」

 

 そう言って、岩国は先に食事スペースへと向かってしまった。

 

「……まあ、彼女の言うことも尤もですね」

 

 時計を確認して、杉野はそう呟く。

 

「岩国さんもそうですが、他の皆さんを待たせるわけにもいきません」

「……だな」

「じゃあ、行こっか」

 

 そんな言葉をかわして、俺達は彼女の後を追って食事スペースへと移動した。

 




というわけで探索編でした。
誰かと会う度に大抵一悶着起きるので、文字数が妙に増える。


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(非)日常編③ あの素晴らしい日々をもう一度

 《食事スペース》

 

「…………」

 

 俺達が食事スペースに到着して数分が経ち、報告会を始める時間になった。しかし、報告会は始まらず、沈黙が続いている。各自、城咲が配ってくれたお茶やコーヒーを啜っていた。

 報告会が始まらないのは、まだ人数が揃っていないからだ。部屋にこもってしまった大天はともかくとしても、まだ三人足りない。

 

「火ノ宮さんたち、どうされたんでしょうか」

「彼が遅刻するとは思えませんが……」

 

 と、城咲達が話す通り、まだ食事スペースに来ていない人物のうちの一人は個室に危険物を置きにいった火ノ宮だった。真面目な彼らしくない。その他に来ていないのは、根岸と露草だ。

 

「私、見てこようか?」

「そうですね、何かあったのかもしれません」

 

 そんな会話をしながら七原が腰を上げた所で、小さくガチャという音がした。音のしたほうに目を向けると、宿泊棟の入り口から火ノ宮が出てくるところだった。その後ろから根岸達もやってくる。

 

「遅い」

 

 そのまま食事スペースにやってきた彼らに対し、開口一番岩国が文句を告げる。信頼を寄せることはなくとも律儀に約束の時間は守っている彼女からすれば、彼らの遅刻は相当苛立たしいことだっただろう。

 

「あァ!? チッ、悪かったよ!」

 

 火ノ宮はぶっきらぼうにそう返して、ドカッと椅子に腰を落とす。返答を受けた岩国は大きく顔をしかめた。謝罪になっていない謝罪やその態度を見る限り、火ノ宮はかなり虫の居所が悪いらしい。

 

「い、いちいちうるさいヤツだな……!」

 

 そして、虫の居所が悪いのは根岸も同じようだった。眉を潜めて火ノ宮を睨みつけながら、トゲトゲしくそんな事を口にする。

 

「チッ! なんか言いてェことでもあんのか!」

「し、静かにしろよ……! み、耳障りなんだよ、い、いつもいつも!」

「あァ!? 何だその言い方はァ!?」

『お前達、喧嘩するなって! これから報告会だろ!』

「そうです。お二方、どうかお気を沈めてください」

「…………チッ!」

「…………」

 

 黒峰と杉野になだめられ、二人共にらみ合いつつも黙り込んだ。

 

「ごめんごめん、琴刃ちゃん。ちょっと探索に時間がかかっちゃって」

 

 そんな彼らとは対象的に、露草は朗らかに岩国にそう告げる。

 

「探索?」

『ああ、宿泊棟の二階の部屋が一つ開放されてたからな』

「……二階、か」

 

 会話を聞いて、そんな事を呟く。そう言えば、前回は集会室が開放されていたらしいし、宿泊棟の中も探索すべきだったか。

 だが、三人が遅れてきたのはきっと探索だけが原因じゃないだろう。火ノ宮達の様子を見れば一悶着あっただろう事は想像がつく。彼らはただでさえ水と油というか火に油というか、とにかく相性が悪い。露草一人で仲を取り持つのも限界があったのかもしれない。

 どちらも、悪いヤツでは無いはずなんだがな……。少なくとも、こんな状況でさえなければこうも不穏な衝突はしなかっただろう。

 

「でも、遅れたって言ってもたかが数分だよ」

「たかが数分なら無駄にしてもいいと?」

「そうは言ってないけど……」

『翡翠、今回は遅れたオレ達が悪い。ちゃんと謝ったほうが良いぜ』

「……そうだね。ごめんね、琴刃ちゃん」

「……揃ったんだから早く始めろ、声優」

 

 岩国は露草の言葉には反応せず、そっぽを向いて杉野にそう声をかける。

 

「それでは岩国さんもこうおっしゃってますし、始めましょうか」

 

 不穏な空気に頭を抱えるフリをしながら杉野がそう告げて、報告会は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 報告会は、杉野が施設の名をあげて簡単に説明し、俺達がそれを補足するという形式で行われた。と言っても、城咲以外は皆一通り新しく開放された【運動エリア】の施設を調べている。その施設に危険があったかどうかの再確認が実質的な目的だった。その結果を言えば、開放された施設に対する俺の認識は間違っていないようだった。

 

「では、続いて大迷宮について情報共有を行いたいと思いますが……僕と平並君は外観を見ただけでその中までは確認していません。ですので、報告は明日川さんにお願いしてもよろしいですか?」

「ああ。引き受けよう」

 

 軽く手をあげながら、彼女はそんな台詞を吐く。

 

「大迷宮の(本文)だが、ひたすらに真っ白な床と幾何学模様が無数に並んだ壁で構成されていた。天井はなかったが、その代わりに金網が張られていたから、真っ当に出口から抜ける(エンディングまで読み切る)他に脱出する方法は無いだろうな」

「幾何学模様?」

「ああ。白地に様々な色で描かれていた。丸に、三角や四角を始めとする多角形、それに太さがまちまちな直線や曲線も引かれていたよ」

 

 明日川の台詞を聞きながら、頭の中でその光景を思い描く。

 

「ということは、その模様が迷路を抜ける時の目印になるのか?」

「いや、それは無理(空想)だ」

 

 俺の疑問は即座に否定された。

 

「大迷宮としては実に巧妙なことに、似たような模様があらゆる箇所に描かれていたからね。道のつながりを覚えながら進めば良いが、一度迷った時に(場面で)模様を目印にして場所(ページ)を把握しようとすると、逆にひどく迷う可能性がある」

「そうなのか」

「オレも壁の模様には気をつけていたが、何度か勘違いしたな」

「厳密に言えば、全く同じ模様(装丁)が描かれている箇所は存在しない。壁の長さ(サイズ)も異なるしね」

「それでも、その違いもアスガワに言われてようやく気づくレベルだ。アスガワの記憶力がなければ、かなり苦戦すると断言できる」

 

 自分が模様の勘違いに気づけなかった事が悔しかったのか、スコットは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。あえて似たような目印を作り、挑戦者を惑わせているのか。なかなかにいやらしい建物だ。

 

「ふうん。面白そうね。後で行ってみようかしら。ゴールまでたどり着くのにどれくらい時間かかるの?」

「ふむ。ボク達は隅々まで探索していたからかなり時間を要したからね。東雲君がどれほど迷うかによるとしか答えられないな」

「そりゃそうでしょ。そんな事訊いてるんじゃないわよ」

「ただ、道さえわかれば5、6分で抜けられる、とは言っておこう。無論走ればもっと早いけれど」

「あァ? んな短ェ時間で抜けれんのか? 『大迷宮』なんて名前がついてるクセによォ」

「郊外にあるような土地の確保が容易にできる巨大迷路と違い、あれはドームの中に作られた一施設だ。サイズ(ページ数)を大きくするのにも限度があったのだろうね」

 

 モノクマが、どのようにしてこのドーム群を作ったのかわからない。そもそも、ここがどこなのかもわからないし。ただ、モノクマはプールを作るスペースは無かったと言うようなことを東雲に話していたし、どうもドーム有りきの建築のような気がする。明日川の推測は概ね当たっていそうだ。

 

「それと、チェックポイントもあった」

「ちぇっくぽいんと……ですか?」

「大迷宮の中央付近にある、ドア(表紙)の無い小部屋だ。ちょうど、ゴール(エンディング)へ向かう道の中頃にある」

「壁にもチェックポイントと書いてあったからな。恐らく、ここを通らないとゴールには着けない構造になっているんだろう」

「どうしてチェックポイントなんか作ったんだ?」

「あの部屋にはベンチが設置されていたから、休憩所としての機能があるんだろう。景観のためか、スノードロップの鉢植えが壁にかけられていたしね」

 

 明日川は、俺の疑問に簡単に答えてくれた。

 

「……スノードロップ」

 

 告げられた花の名前を反芻する。

 

「平並君。どうかしたの?」

「いや……花言葉が気になったんだ」

「花言葉……すのーどろっぷの花言葉をご存知なのですか?」

「ああ。確か、『希望』って意味だったはずだが」

 

 こんな絶望まみれの空間で、どうしてそんな花が用意されているんだろうか。『希望』なんて、どこにも有りはしないのに。

 

「……そうとは限らないな」

 

 俺の言葉を聞いて、明日川が口を開いた。

 

「花というのは、往々にして複数の花言葉を持っているものだ。そしてそれは、当然スノードロップも例外じゃない」

「……というと?」

先程(数行前に)平並君が述べたように、スノードロップには確かに『希望』という意味がある。ただ、これを用意したのがモノクマ(絶望の象徴)であることを考えれば、そのような回りくどい皮肉めいた意味(暗示)ではなく直接的な意味(メッセージ)が込められているはずだ」

「…………」

 

 無言で、続きを促す。

 

「『あなたの死を望みます』……スノードロップには、そういう意味(ページ)もあるんだ」

「なっ……!」

「……チッ。どっちにしたって趣味が悪ィな」

「まあ、花言葉というのは後から人類がそれぞれの花に設定(記述)しただけに過ぎない。もし警戒するというのなら、花言葉よりもスノードロップの持つ毒性の方を警戒すべきだ」

「毒性……毒があるのですか?」

「ある。とは言ってもスノードロップの毒に致死性は無いし、そもそも大迷宮の中にあった程度の少量では作用しない。あの花は純粋に嫌がらせの名目(題名)で用意されたものと見るべきだろうな」

「ああ。気になることなら他にもあるからな」

「……まだ何か?」

「チェックポイントを越えた先の行き止まりの一つに、真っ白な(表紙)があった」

「それは……でぐちの、ですか?」

「いいや。当然それとは別に、だ」

 

 ……大迷宮の中に、扉?

 

「カギがかかっていたからどこに繋がっているかはわからなかったけれどね。カードかなにかをかざすような装飾(装丁)はあったが、ボクやスコット君の『システム』に反応しなかったから。可能性があるとすれば焼却炉(煉獄)のカードキーだけだが……正直、開けられはしないとボクは思う」

 

 明日川の言う通り、焼却炉のカードキーでその扉が開くとは考えにくい。念のために確認はすべきだろうが、あのカードキーは別にマスターキーでもなんでもないわけだし。

 

「そうですか……大迷宮で迷った時用の緊急脱出口でしょうか?」

「スギノ、それは違うんじゃないか? 大迷宮に救済措置は無かったはずだ。出たかったらゴールまでたどり着けってモノクマが言ってただろ」

「ええ、僕もその言葉は覚えています。ただ、万が一のために脱出口を用意だけしておいた可能性はあります。だからこそ、今は施錠してあるのではありませんか?」

「杉野君の台詞も尤もだが、単に大迷宮の掃除用具入れや、管理室の類いのモノクマ用の部屋の可能性もある。少なくとも、あの(ページ)をボク達に開ける(めくる)すべがない以上、その先の記述を考察しても意味はないだろうね」

 

 その台詞に、杉野を含めて皆がうなずく。扉の事は気になるが、取り立てて危険なものでも無さそうだし深入りする必要はないと思う。

 

「さて、大迷宮の報告は終了(終幕)だ」

「ありがとうございました、お二方。これで一通り【運動エリア】の報告は終わりましたし、他の施設の報告に移りましょうか。露草さん」

「ん、翡翠?」

 

 と、彼女は可愛らしい声で聞き返す。

 

「宿泊棟で開放された部屋を調べていらしたんですよね?」

『ああ。さっきも言ったが、二階の部屋が一つ入れるようになってたぞ』

「章ちゃんと一緒に見てきたんだ」

「よろしければ、その報告をお願いしたいのですが。僕達は確認できていませんからね」

「うん、わかった」

『それくらいお安い御用だぜ!』

 

 そんな会話をして、露草が立ち上がった。

 

「宿泊棟の二階の、真ん中の部屋が開放されてたよ」

 

 露草の声に耳を傾けながら、『システム』を操作して宿泊棟の地図を開く。すると、確かに中央の部屋の名前が明らかになっていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

『その部屋はAVルームって言うんだってよ』

「AVルーム!?」

 

 ガタッと椅子を鳴らして明日川が立ち上がる。

 

「……あ、ああ。視聴覚室(Audio-Visual Room)か。すまない、取り乱した」

 

 そして数秒後、そんな台詞と共に彼女はゆっくりと腰を下ろした。

 

「チッ。何を勘違いしてんだてめー」

 

 冷たい目を向けてそんな言葉を告げる火ノ宮。……まあ、大体分かるが。

 

「何をって、勿論 Ad――」

「露草。続けてくれ」

「わかったよ、凡一ちゃん」

『つっても、わざわざ説明することはねえな。さっき視聴覚室って棗は言ったけど、どっちかっつーと映画館の方が近えぞ』

「と、言いますと?」

「集会室の椅子はパイプ椅子だったけど、AVルームはふかふかのソファーみたいな椅子が並んでたからね。あれなら何十時間でも座ってられるよ!」

『それは言い過ぎだ! けどまあ、観賞用の椅子には間違いねえな』

 

 露草がAVルームの中身を伝えてくれるが、ボケが挟まるのが少し気になる。視界の端で岩国が苛ついているのが見えた。

 

「隅っこに動画を選べる機械があって、それでまとめて再生とか色々操作するみたいだったよ。前の方にでっかいスクリーンがあって、そこに映像が映るんだよ!」

「スクリーン? いつもみたいに空中に投影されるんじゃないのか」

『凡一、『システム』とかはそれでいいだろうけど、映画は向こうが透けたら困るだろ。そもそも透けない前提で作ってんだからよ』

「あ、そうか」

 

 真っ当に論破されてしまった。

 

「なんか、沢山映画があったよ。二年くらい前に出てた『ネイチャーズ37』とかもあったし、古いのだと『磯の香りの消えぬ間に』とか『シン・ノミラ』とか有名なのが揃ってたかな。見たこと無いけど」

『最後の一言は完全に余計だろ』

「そうかな? これから見れば良いんだよ!」

『翡翠がそう言って見たこと無えじゃねえか!』

「これまではね! でも、今は皆が居るし、映画の感想を言い合うのも楽しそうだと思うんだよね。そのためだったら、映画を見るのも良いかなって」

『目的と手段がひっくり返ってねえか?』

「腹話術師。報告はもう終わりか?」

「あ、琴刃ちゃんは映画って見る?」

「…………腹話術師。報告はもう終わりか?」

「琥珀ちゃん。琴刃ちゃんがなんか怒ってるみたい」

『怒るのも当たり前だと思うがな』

「………………」

 

 今にも苛立ちを爆発させそうな顔で、彼女が睨みつけている。

 

「ごめんごめん、琴刃ちゃん。あとひとつだけ報告が残ってる」

「ならとっとと話せ。無駄口を叩くな」

「……うん」

 

 岩国に続きを促されると、露草は露骨にテンションを落とした。その様子を見て、岩国も怪訝な表情になる。

 

「えっと……これを見てほしいんだけど」

 

 そう言って、彼女は一枚の紙を中央のテーブルに差し出した。

 それは、写真のようだった。

 

「……あァ?」

 

 その写真を覗き込んだ火ノ宮が、そんな声を上げる。俺も彼に続いてその写真を覗き込んだ。

 

 監視カメラが覗き込むようなアングルで撮られていたその写真。場所は、本棚が写っているところを見るに恐らくは図書館だろう。

 一つの本棚が倒れ、文字通り本の山が出来ている。しかし、この写真で注目すべき点はその山ではなく、写っている四人の人物にあった。

 

「……え?」

 

 乱雑に積まれてしまった本の山に下半身を埋めて、困ったような表情を見せる彼は、作業着を着て、頭には安全ヘルメットを被っていて。

 

 それは、どう見ても新家柱に違いなかった。俺が死なせてしまった、彼だった。

 

 写真に映る彼以外の人物も、皆見覚えのある顔だった。

 家に帰るために新家を惨殺したはずの古池河彦が、焦った表情で新家の伸ばした手を取って本の山から救出しようとしている。

 川の上で一人静かに息絶えたはずの蒼神紫苑が、新家の上に乗っている本をどけている。

 

 そして、もう一人。

 

「…………?」

 

 その彼の顔を覗えば、彼は無言のまま疑問符を浮かべていた。

 

()()()()()。この写真に心当たりは?」

「……いや、無い」

 

 写真の中で本の山に覆いかぶさる本棚を起こそうとしていたスコットは、神妙な表情でそう答えた。

 

「ツユクサ。この写真はどうしたんだ」

「AVルームで見つけたんだ」

『座席の下に落ちてたのを翡翠が気づいたんだぜ』

「あれ、見つけたのは琥珀ちゃんじゃなかった?」

「……てめーら、ちょっと黙ってろ」

 

 また漫才を始めようとした露草を、静かに火ノ宮が制する。ひどいとは思うが、今はそれどころじゃない。

 

「なんだ? この写真」

 

 無数の本を見て図書館を連想した俺は、一瞬、この写真が俺が軟禁されている間に撮られたものかと思った。だが、それは最初の学級裁判の後……つまり、新家と古池が死んだ後のことだったはずだ。だから、それはありえない。

 となると、考えられるのは。

 

「失った二年間の写真、のようですね」

 

 俺の思考を読むように、杉野が口を開く。そうだ。それしか考えられない。写っているスコット本人が覚えていないと言っているのだし、この写真はモノクマによって奪い去られた二年間の出来事を写しているはずだ。

 そのスコットはしかめっ面をして顎に手を当てて考え込んでいた。誰よりも彼が謎を抱いているだろう。唯一、写真に写った生存者なのだから。

 

「……じゃァ、こういうことか?」

 

 火ノ宮が、杉野の言葉を継ぐ。

 

「写ってるのは、図書館だよなァ。ってことはだ、オレ達は……少なくともコイツら4人は、モノクマに集められるよりも前にこの施設に来てたってのかァ?」

「……そう考えるのが、自然でしょう。思い出してください。そもそも、この施設には僕達が来る以前にも人がいた痕跡が有りました。その人物というのが、彼ら……ひいては、僕達自身なのではないでしょうか」

「いや、そう結論(決定稿)を出すのは早計だ」

「あァ?」

 

 二人の議論に、明日川が口を挟む。

 

「本の量からして、この写真が撮られたのが図書館に準ずる場所(舞台)ではあるはずだが、恐らくはあの【体験エリア】の図書館ではないはずだ」

「……どこか違うところの図書館だって言うのか? 何か、根拠が?」

「新家君が埋まっている本の山の、タイトルを見てほしい」

 

 と、言いながら彼女が写真を指差す。その先をなぞるように明日川が文字を読む。

 

「『月の下の雪の華』、『探偵は聴いているか』、『結晶館の殺人』、『荒野で罪人を殺す方法』、『氷と糸の密室』……」

「……物騒な話が多いな」

「ここまで読み上げれば十分だろう。散らばっている本……すなわち、その倒れている本棚に収まっていたはずの本は、どれもミステリ小説(謎を解明する物語)なんだ」

 

 更にタイトルをいくつか目で追ってみるが、確かに明日川の言うとおりのようだ。

 

「そうみたいだな。それで?」

 

 と、話の続きを促す俺に対して、火ノ宮達はなにか納得したような様子を見せた。

 

「ん?」

「平並君には未読(未知)の情報かもしれないが、あの図書館は本が整理整頓されていないんだ(索引が壊滅しているんだ)。ジャンルもタイトルも、不規則に本棚に詰め込まれている」

「……あー」

 

 言われて図書館の性質の事を思い出す。確か、蒼神が教えてくれたか。

 

「あ、そういう事か」

「気づいたかい? この写真が()()図書館でのシーンを切り取ったの物なら、こうもミステリ(謎解き)ばかりが散乱するはずもない。だから、この写真はボク達の知らない(読めていない)どこか別の場所()の出来事が撮られた(描いている)と考えるべきだ」

 

 確かに、そんな手間をかける必要があるとは思えない。

 

「そうなると、これは希望ヶ空学園のとしょかんなのでしょうか」

「ボクはそう見当をつけている(プロットを立てている)が」

「……アスガワ、断言は出来るか?」

「いや、ボクとしても100%の断言(辞書のような記述)ができるわけではない。可能性(物語)として考えにくいとボクは思うが、この写真が撮られた後にバラバラに入れ直されたというシナリオもある」

「わかった。ありがとう」

 

 そのスコットの言葉で、議論が一段落する。

 

「場所に関して結論は出せませんね。ただ、この写真が撮られたのが僕達がここに集められる以前であることは間違いありません。すなわち、モノクマが僕達の二年間の記憶を消していることの証拠になるのでしょう」

「ふん、記憶が消されたことなんか、今更再確認する必要もない。この期に及んでそれを疑っている奴もいないだろ」

 

 岩国の声に、誰も反論はしなかった。

 俺達は全員大切な人の顔を思い出せないようにされている。このコロシアイ生活が告げられた日、俺達の目の前で明日川の記憶が奪われたし、ハイテク機器や図書館にあるらしい未来の書籍が時間の乖離を示している。

 

「……俺達は、この二年で、何をしていたんだろうな」

 

 ポツリと、俺の口から不安が溢れる。

 

「…………わからない。モノクマに破り取られたページに何が書かれていたのか……それを、ボク達は空想することしか出来ない」

 

 写真に映る彼らは、決して楽しそうには見えない。当然だ、本棚が崩れる事故に新家が巻き込まれているのだから。けれど、彼らの間に敵意や疑心を抱えている様にも見えない。

 俺達が失ってしまった二年間には、不毛な疑心暗鬼など無い、確かな青春があったのだろうか。その真偽すら、俺達は判断するすべを持たなかった。

 

「露草さん。報告は以上ですか?」

「うん」

『もう話すことはねえよ』

 

 杉野が沈黙を破り話を進めた。……【魔女】は、消えた記憶の事はどう思っているのだろう。最終的に脱出のためにモノクマを打破したいとは言っていた。あんなヤツでも、記憶を奪われて不安になったりはするのだろうか。……どうでもいいか。

 

「わかりました。では最後に……七原さん。大浴場の報告をお願いできますか?」

「うん、いいよ」

 

 杉野に話を振られて、今度は七原が立ち上がる。

 

『大浴場?』

「うん。ほら、すぐそこの瓦屋根の建物がずっと閉まってたよね? そこが大浴場として開放されたんだ」

「そうなんだ! 中はどんな感じだったの?」

「ロビーから先は男女別になってて、岩国さんと一緒だったから女子の方しか確認できなかったけど、広めの浴場だったよ。普通の浴槽の他にも、ジェットバスとかサウナとかあったかな」

「まァ大浴場って言うくれェだ。そんくらいの設備はあってもおかしくねェな」

「ゆっくり体を休められそうで良かったね、琥珀ちゃん!」

『そうだな。俺は入らねえけど』

「まあそうだね。いくら琥珀ちゃんでも一緒に入るのは翡翠も恥ずかしいし」

『そういうことじゃねえよ』

 

 気づけば、また露草の一人漫才が始まっていた。大浴場の報告をしていた七原も、あははと苦笑いをしている。

 

「他に話すことは……あんまりないかな。別に危険物もなかったし。だよね、岩国さん?」

「…………ああ」

 

 名を呼ばれた岩国は、そっぽを向きながら答えると更に言葉を続けた。

 

「俺達の他に大浴場を探索したやつはいるか。特に男子」

 

 その言葉を聞いて手を挙げる人はおらず、彼女はため息をついて立ち上がった。

 

「……新しい情報が聞ければと思っていたが、無駄だったか」

 

 そう小さくつぶやきをこぼしながら、そのまま食事スペースの外に向かって歩き出した。彼女が律儀に報告会に参加する理由が気になっていたが、男子側の浴場の情報が欲しかったからのようだ。

 

「岩国さん。どちらへ?」

「報告会はもう終わりだろ。なら、どこに行ったって俺の自由だ。それとも、まだ話す事があるのか?」

「それは……ありませんが」

 

 【運動エリア】のドーム、そしてAVルームと大浴場で、今回開放された施設は全部のはずだ。そのすべての報告が済んだので、報告会も当然終わりになる。

 

「だからって、そんな早く出る必要もないだろ」

「ここにとどまる意味もないだろ、凡人」

 

 冷たく強く睨まれながら、岩国に正論を返される。その奥にある敵意をひしひしと感じた。

 

「……まあ、そうだが」

「ふん」

 

 敵意を振りまきながらこの場から立ち去ろうとする岩国。

  

「待ってよ、琴刃ちゃん!」

 

 露草が岩国に声をかける。が、彼女は返事もしなければ足を止めることも無い。露草が追いすがって手首を掴む。

 

「待ってってば!」

「何の用だ、腹話術師!」

 

 言葉に怒気を含ませながら、露草の手を払う。

 そんな彼女に、明るくのんきな声で露草が告げた。

 

 

「皆でお風呂に入ろうよ!」

「…………はあ?」

 

 

 岩国の、気の抜けた声が食事スペースに響いた。

 

「おふろ、ですか?」

「そう!」

『せっかく大浴場が開放されたんだ。使わねえと損だろ!』

「それはそうかも」

「だよね、菜々香ちゃん!」

『男女別ならますます都合がいい。混浴するわけじゃねえし、これなら皆で入れるだろ』

「ちょ、ちょっと待てよ……!」

 

 慌てたように根岸が口を挟む。

 

「ぼ、ぼく達も入るのかよ……!」

「うん。章ちゃんは男の子だから、範太ちゃん達と一緒にね」

「は、入るわけ無いだろ……! こ、こんなヤツらとなんで風呂なんか入らなきゃいけないんだよ……!」

「チッ。てめーとなんかこっちだって願い下げだァ!」

 

 過激に反応したのはその二人。火ノ宮がこうまで言うなんて、よほど根岸と軋轢があったらしい。

 そんな二人をなだめようとして、言葉に詰まる。根岸の言う『こんなヤツら』には当然俺も含まれているのだし、俺が何を言っても火に油を注ぐ真似にしかならない。

 

『二人共そんな事言うなって! 良いじゃねえか、たかが風呂に入るだけだぜ?』

「な、何がたかがだよ……」

「でもさ、お風呂に入るだけなら、別に命の危険だって無いでしょ? 章ちゃんが心配するようなことは何も無いと思うよ?」

「そ、それはそうだけど……そ、それ以前の問題だ……! ぼ、ぼく達を殺そうとしてる連中と、仲良くなんかできないってことだよ……!」

「てめーはまたそうやって決めつけやがって! オレは誰かを殺そうとなんかしてねェっつってんだろォが!」

 

 ガン、と机を蹴りながら火ノ宮が立ち上がる。

 『また』ということは、報告会の前に宿泊棟で起きた口論の中身が、それだったのだろう。大天の凶行を知り、東雲の狂気に呆れ、愉快犯の存在に頭を悩ます火ノ宮も、かなり余裕が無くなっているのが見て取れた。

 

「お二方、そう熱くならずに」

「す、杉野……な、何他人事みたいな顔してるんだよ……! お、おまえだって……!」

「章ちゃん、喧嘩しないの!」

「腹話術師、何が目的だ?」

 

 根岸をなだめる露草に、岩国が問いかける。

 

『目的って?』

「俺達を大浴場に集めて、何がしたい。何を企んでいる」

「何も企んでなんかないよ」

 

 冷たい視線を受けながら、彼女は間を開けることなくそう答えた。

 

「翡翠はただ、皆でお話したいだけだもん。琴刃ちゃんともっと沢山お話したいし、翔ちゃんだってまだ話し足りないよ」

「……話して、なんになる」

『それは分からねえよ。翡翠は楽しく話すことが目的なんだからな』

「でも、絶対それは悪いことなんかじゃないよ。章ちゃんや範太ちゃんも今は喧嘩ばっかりしてるけど、もっともっとお話すればきっと仲良くなれると思うんだ」

 

 真剣な眼差しで、彼女ははっきりと告げる。話せば分かり合えると、心の底から信じている。

 

 

――《「色々あるかもしれないけど。そんなの全部無視して皆で仲良くなろうよ」》

――《『喧嘩とかしててもよ、無理やり仲良くなっちまえばどうにかなるもんだ。皆で話して、皆で騒いで、それで仲良くなってモノクマに立ち向かえば良いんだ』》

――《「……それができたら、良いんだけどね」》

 

 

 探索の時、彼女はそんな事を口にしていた。それはある種、杉野が提案した愉快犯を無視して強引に団結するようなやり方に似ている。けれど、彼女はおそらく、愉快犯すら巻き込んで仲良くなろうとしている。そう思えるだけの決意の強さが、彼女からはにじみ出ていた。

 

「皆でさ、仲良くお話しようよ。思ってることをちゃんと伝えて、相手がどう思ってるかをちゃんと聞いてさ」

『今みてえに喧嘩しまくって、疑い合って、文句ばっか言って……それこそ、何になるって言うんだよ』

「う、うう……!」

 

 そんな彼女の言葉を聞いて、根岸が唸る。俺達とのわだかまりをそう簡単になくせはしないだろう。けれども、露草の熱意をそう簡単に無碍にすることも出来ないのだろう。

 

「…………もうさ、いがみ合うのはやめようよ」

 

 そんな彼に、七原が語りかける。

 

「根岸君の気持ちは分かるよ。根岸君は何度も命を狙われてるし、そうじゃなくたって二回も事件が起きてるんだから、皆の事が信じられなくても仕方ないと思う」

「…………」

「でもさ、皆と仲良くしたいって気持ちもきっとあるんじゃないかな」

「そ、そんなわけ」

「そうじゃなかったら、こうして悩んだりしてないでしょ?」

「…………」

 

 否定する言葉が、口から出せないようだった。

 

「私達、こんなコロシアイに巻き込まれなかったら、普通に希望ヶ空で学園生活を送ってたはずなんだよ」

 

 そんな根岸に、いや、俺達全員に、七原は更に言葉をぶつける。

 

「というか、モノクマに消された二年間の記憶……それってきっと、希望ヶ空での記憶なんだよね」

 

 誰も口を挟まない。

 

「私達がどんな学園生活を送ってきたのかはわからないけどさ、このドームに来た頃のことを思い出してみてよ。コロシアイなんて滅茶苦茶な事言われても、仲良くやれてたよね。朝は皆でここに集まって、皆で話して、思い思いに過ごしてさ」

 

 最初の惨劇が起こる前。最初の【動機】が配られる前。俺達は共に、『日常』を過ごしていた。

 

「岩国さんは居なかったけど、皆でカレー作りだってやったでしょ。楽しかったよね?」

 

 それぞれが、あの始めの数日間の思い出を振り返る。

 

「仲良くできる、はずなんだよ。モノクマさえ居なかったら……モノクマの【動機】にさえ、惑わされなかったら。きっと私達は、絆を深めることができるはずなんだよ! 根岸君も、岩国さんもそうだよ。古池君達だって、きっとそうだったんだよ!」

 

 力強く、彼女は述べる。 

 

「古池君は、自分以外は皆死ぬだなんて言って、私達をどうでもいいように思ってたみたいだけどさ。でも、さっきの写真に写ってた古池君は、そんな事思ってるようには見えなかったでしょ。そうじゃなかったら、あんな慌てた顔して新家君を助けようとなんてしないじゃない」

 

 自分以外は死ぬと達観していたはずの古池が、必死に本の山から新家を助けようとしていた。まるで、自分の【才能】から新家を守るように。その事実が、彼らの間にあった絆を証明しているはずだ。

 

「だからきっと、モノクマは私達の記憶を消したんだ! 絆があったら、コロシアイの邪魔だから! ……だったら、もう一回絆を作ればいいんだよ! 二年前、初めて出会った私達がきっとそうしたみたいに!」

 

 恐らく彼女は、俺と立てた作戦のためにそんな事を言ってるわけじゃない。本心から、失った絆を取り戻したいと思ってそう皆に語りかけている。

 

「裏切られるのは怖いかもしれないけど。もう、新家君も古池君も、蒼神さんも遠城君も居ないけど」

 

 ゆっくりと、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「でも、まだここで、私達は生きてる。まだ、こうして話せてる。……だから、今しか無いと思うんだ。私達が、もう一度絆を結ぶには。きっとね」

「…………」

「露草さんがせっかく提案してくれたんだしさ。ね?」

 

 七原にそう諭されて。

 

「…………わ、わかったよ。は、話すだけ……は、話すだけだからな!」

 

 最大限の譲歩として、根岸が折れた。

 

 わだかまりも、不信も、消えやしない。けれども、それらを消そうとする意思は、彼も持っていた。

 

「ありがとう、章ちゃん!」

「火ノ宮君も、いいでしょ?」

「チッ……あァ」

 

 根岸と言い争って彼を毛嫌いしていた火ノ宮も、七原の言を聞いて思うところがあったらしく反発はしなかった。

 

「くだらないな」

 

 そんな中、岩国だけが反対のスタンスを変えずにいた。

 

「何が絆だ、バカバカしい。裏切られる可能性があるくせにまた信じようなどと、自傷行為にしかならない。俺は抜けるぞ」

「待ってよ、琴刃ちゃん!」

「……別に、お前達が勝手に馴れ合うのは止めない。俺を巻き込むなと言っているだけだ」

「だから、琴刃ちゃんとも話したいって言ってるでしょ!」

「うるさい! 俺にかまうな、腹話術師!」

落ち着いてくれ(本を閉じてくれ)、岩国君」

 

 声を荒げる岩国を、明日川がなだめる。

 

「文句は腹話術師に言え」

「ボクはキミに文句を言いたい(かき連ねたい)わけじゃない。むしろ、ボクとしてはキミと共に湯船に浸かりたい(サービスシーンを描きたい)と思っているんだ。どうだい、岩国君」

「バ、バカな事言うな。というかそう言われて俺が行こうとするわけないだろ」

「……それもそうだな」

「あの、岩国さん」

 

 憤る岩国に、城咲がおそるおそる声を掛けた。

 

「どうか、一緒におふろに入っていただけませんか? わたしには、野外炊さん場をみはる義務があります。岩国さんがおふろにはいらないと言うのであれば、わたしもここを離れるわけにはいかないのです。わたしもおふろにはいりたいのですけど」

「ふん、お前の話には穴が多すぎるな。いちいち指摘するまでも無いが、そんなに入りたいなら男子と交互に入れ。お前が入るときは男子に野外炊さん場の見張りをしてもらえば良いだろ」

「…………」

 

 城咲の論を組み入れた上で岩国は鮮やかに論破した。城咲は岩国の情に訴えたように見えたが、それで岩国が意見を変えることは無いだろう。

 

「せっかくだし、皆おんなじ時間に入りたいんだよ」

「しつこいな。俺はお前達と風呂に入る気は無い!」

『でもよ、琴刃だって足伸ばして湯船に浸かりてえだろ? 個室にはシャワーしかねえし』

「俺は俺のタイミングで一人で入る」

『けどよ』

「もう俺に関わるな!」

「……………………」

 

 岩国の叫びを聞いて、露草はじっくりと考え込む。

 

「……ふん」

 

 それを見て、彼女が観念したと判断したのか、岩国は足を動かして食事スペースの外へと向かう。

 

「じゃあ、こうしようよ!」

 

 その背中に露草が声を掛けるが、彼女はそれを無視する。それでもなお露草は語りかける。

 

「一緒にお風呂に入ってくれたら、その後はもう翡翠は琴刃ちゃんに話しかけない! それでどうかな!」

「…………」

 

 その声を聞いて、岩国はようやく足を止めた。

 

「……露草さん、いいの?」

「良くないけど……でも、こうでもしないと、琴刃ちゃんとお話出来ないから」

「………………」

 

 しゅんとする露草を、吟味するように岩国が見つめている。

 

「どういう意味だ」

「どういう意味も何も、そのまんまだよ。お風呂でたっくさんお話する代わりに、それからはもう翡翠からは話しかけない」

「…………お前、それを交渉材料にしてくるってことは、自分の迷惑さを自覚してるだろ……!」

 

 頭を抑えながら、岩国が苛立ちと共につぶやいた。

 

「何のこと?」

「すっとぼけるなよ………………くそっ」

 

 眉間にシワを寄せて考え込む彼女は、しばらくして一瞬明日川の方を見る。そして。

 

「…………わかった。入ってやる」

「ホント!?」

「ただし、入るからにはお前も約束を守れ。風呂から上がったら金輪際俺に話しかけるな」

「うん! もちろん!」

「『この人形は自分じゃないから』とかいう理由をつけてそっちで話しかけるのも無しだからな」

「……………………………………………………………………………………どうしても?」

「当たり前だ」

 

 ……露草のやつ、黒峰を使って岩国に話しかけるつもりだったな。

 その後しばらく押し問答をしていたが、結局露草は当初の約束を守ることになった。

 

「はあ、仕方ないなあ」

「お前から言い出した事だろ」

「あの、岩国さんが入られるのはよろしいのですけど、まだ全員じゃありませんよね」

『そうだな、かなた。翔も誘わねえと』

「……オオゾラは、来るのか?」

 

 そんな当然の懸念を口にしたのはスコット。彼女は、自分の凶行を正当化し、完全に俺達と敵対した。誘われたとしても、今更皆と一緒に風呂に入ろうなどと思うだろうか。

 

「来るよ、きっと」

 

 一瞬の沈黙は、そんな声で破られる。

 

「大天さんのことは私に任せて。絶対につれてくるから」

 

 七原が、自信を持ってそう答えた。

 

「七原さんがそうおっしゃるのであれば、大天さんのことはおまかせしましょうか」

 

 そんな口ぶりで杉野が話をまとめ始める。

 

「では夕飯の後にでも浴場に集合して……」

「そんなに待ってられないよ、悠輔ちゃん! どうせ午後もやること無いんだから、この後すぐ入ろうよ! 皆もそれでいいよね!」

「いや、別にそんなすぐに入らなくても」

「いいよね! ね!」

 

 風呂なんて夜に入ればいいと思ったが、露草は待ちきれないと言った様子で皆に声を掛ける。よっぽど皆と話したいらしい。

 

「今からでも構わないだろう。露草君もこう言っていることだし」

「まあ、僕としても構いませんが。反対する人も……いらっしゃらないようですね」

 

 当初反対していた根岸や岩国も、ここでわざわざ声を上げる事はなかった。その様子を受けて、杉野が檻のような柵にかかった時計を見て話を続ける。

 

「大天さんを説得する時間や準備の時間もありますし……ニ時に大浴場に集まりましょう。調理場を見張る城咲さんは、皆さんが集まったのを確認してから移動ということで」

『ああ、それで行こう』

「皆、楽しみだね!」

 

 露草が、そんな明るい声を出した。

 




終わらない10日目。
心なしか女子勢の活躍がすごい気がする。


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(非)日常編④ 凡人よ、ロマンを抱くな

先に伝えておきますと、今回は大分長くなりました。


 《大浴場/ロビー》

 

 約束の時間を前に、大浴場へとやってくる。ガラガラと音を立てながら、大浴場の引き戸を開けた。

 ロビーには既にそれなりの人数がいた。岩国も、露草の言葉を鬱陶しそうに受け流しながら全員の集合を待っている。……岩国には軽く声をかけてみたが無視された。

 

「概ねお揃いのようですね」

 

 と、杉野が口を開く。確認してみると、男子は全員揃っていた。

 

「女子は……七原さんと大天さん、それに城咲さんがまだいらっしゃっていませんか」

「そのようだね。城咲君は、七原君達待ちだろう。彼女達が大浴場に来なければ(登場しなければ)、城咲君は野外炊さん場を離れられないからね」

「となると、後は七原さん次第ということになりますが……果たして説得はうまく行ったでしょうか」

「……大丈夫だろ」

 

 二人の会話に、そう口を挟む。

 

「七原が任せてって言ったんだ。なら、心配いらないはずだ」

「何の根拠にもなってねェぞ」

「……まあ、そうだが」

「別に良いじゃありませんか。誰かを信じることは良いことでしょう?」

「悪ィなんて一言も言ってねェだろォが」

 

 ……俺の言葉が体よく杉野に使われた気がする。腹立たしいが、今更そういうことを気にしてもしょうがない。

 

「さて、では七原さん達を待ちますか?」

「いや、男子だけで先に入っていてくれ」

「いいのか?」

「待たせるのも忍びないからね。露草君、それでも良いかい?」

「うん、仕方ないし。翡翠達はお話しながら待ってるよ」

「……チッ」

『琴刃、舌打ちはよくねえぞ』

 

 そんなわけで、俺達は先に入ることになった。杉野の先導で動き始めようとしたが、

 

「おい、凡人」

 

 岩国に声をかけられて俺は足を止めた。さっきは無視したのに、何の用だろう。

 

「なんだ、岩国」

「……覗くなよ」

「え?」

「こっちの風呂を覗こうとなんかするなよ」

 

 俺を睨みつけながら彼女がそう口にする。

 

「なんだよ、急に。覗くわけないだろ」

「覗いたら本気で殴るからな」

「だから覗かないって。……お前そんなキャラだったか?」

「……ふん」

 

 それ以上岩国は何も言ってこなかった。わざわざ嫌いな俺を呼び止めて言うことがそれか。嫌いだから言ってきたのか。

 というか、そんなに俺は信用できないか。いや、信用されていないのは知ってるが、なんというか、覗きとかそういう話は違うだろう。俺ってそんなに女風呂を覗きそうなふしだらな男に見えるのだろうか。

 

「何やってる、ヒラナミ」

「いや、なんでもない。今行く」

 

 岩国の中の俺の印象に首を傾げながら、スコットの後を追った。大体、覗けるような場所があるとも思えないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《脱衣所(男子)》

 

「ところがどっこい! ちゃんと覗き穴は作ってあるんだなこれが!」

 

 服を脱いでいたところに突然現れたモノクマが、そんな事を言い放った。俺の思考を読むな。

 

「あァ? いきなり何言ってやがる」

「いやあ、やっぱりオマエラのほとばしる情熱には、ボクとしても応えなきゃいけないと思ったんだよね」

「……分かるように話していただけませんか」

「んもう、杉野クンは鈍いなあ」

 

 やれやれとモノクマは首を振りながら、壁の向こうを指す。女子の脱衣所や浴場があるはずの方面だ。

 

「今は誰も居ないけどさ、あの先にはムフフでメヘヘな桃源郷が広がってるわけ。浴場までいけば、モハハな事になっちゃうの! 大浴場で大欲情ってか!」

 

 気持ち悪い擬態語を使いながらモノクマが事情を話し始める。手垢の付きまくった下らないダジャレまで口にしている。

 

「で、当然血気盛んなオマエラは壁の向こうをなんとかして覗こうとするでしょ? 実際、浴場は壁があるって言っても天井近くは繋がってるからそこまで登れば覗けないこともないんだけど……ぶっちゃけ結構高さがあるから危険だし、それで落ちて死なれたりしても困るんだよ。死因:のぞきで転落死って逆に笑えてくるけど。あ、それはそれでアリだな。

 まあいいや。そこでさ、前もって覗き穴を開けておいてあげたんだ。角度的構造的な問題はあったんだけど、そこは現代のハイテク技術を駆使してバッチリ女湯が覗けるようにしておいたよ! これでケガする心配もなし! ジャンジャカドドドピンク世界を覗けるね! いやあ、いい仕事したもんだよまったく!」

「バカか! 何が覗きだ、ふざけんなァ!」

 

 誇らしげなモノクマに火ノ宮が食って掛かる。

 

「覗きはれっきとした犯罪だろォが! 施設長が犯罪を推奨してんじゃねェ!」

「そ、そっち……? ぼ、ぼく達が覗く気満々みたいに言われたのも嫌なんだけど……」

「そうです。そんな不埒な考えを持つ人はこの中にはいません」

 

 杉野が毅然と言い放つが、モノクマは気にも止めない。

 

「えー、なんでそんな事が断言できるわけ? オマエラ華の高校生でしょ? 女の子のハダカとか想像して悶々としないの? ねえ、平並君」

「どうして俺に振るんだよ」

「なんてったって普通代表だからね。で、どうなの、どうなの?」

「…………想像するわけ無いだろ」

「だったら即答したほうが良いぞ」

 

 わざわざ言うな、スコット。

 

「とにかく、僕達は女子風呂を覗くつもりはありませんので」

「そんな……覗き穴を作るために費やされた日数と汗と涙と血と涙は無駄だったっていうの……? せっかく女子側からは気付けないようにしてやったんだぞ!」

「無駄な努力でしたね」

「分かったらとっとと帰りやがれ」

「もう! 言われなくても帰るっつーの! バーカバーカ! このムッツリスケベども!」

 

 嫌な捨て台詞を吐いて、モノクマはどこかに消えていった。

 

「ったく、ふざけたこと言いやがって。犯罪どうこう以前に、覗きなんてアイツラに失礼だろ」

「まったくだな」

 

 憤る火ノ宮にスコットが賛同していた。俺も同意見だ。

 正直なところを言えば、興味がゼロというわけではない。……うん、そりゃそうだ。壁の向こうに関心が無いと言えば嘘になってしまう。だがしかし、そんな不誠実なことはとても出来ない。

 というか、なんとか信頼を得ようとしてるこんな時に、覗きなんかしてられない。岩国に殴られたくないし。七原に嫌われるかもしれないし。

 

「……風呂入るか」

「あァ」

 

 モノクマの戯言を頭から追い出して、シャツに手をかける。

 あ、そうだ。

 

「なあ、火ノ宮」

 

 少し声を潜めて、声を掛ける。

 

「あァ?」

「新家達の『凶器セット』はどうなった?」

「そんならさっき回収しといた。全員分、未開封だったみてェだ」

「そうか。そういえば、カギは?」

 

 個室のカギを開けるには、各人の『システム』が必要だが。

 

最初(はな)っから開いてた。『システム』も見当たんなかったし、死んだやつの部屋にカギなんか必要ねェって事だろ」

「…………」

「……チッ。ムカついてくる」

 

 本当に、モノクマはやることなすことすべてが腹立たしい。

 

「話はもう良いよな」

「ああ」

 

 ……あんな奴の考えることなんて無視して、風呂に入ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《浴場(男子)》

 

 杉野のそばで髪や体を洗い終えて、湯船の方へ移動する。女子浴場とこちらを隔てる高い壁沿いに、大きな湯船が作られている。そこにはもうスコットと根岸が浸かっていた。

 

「あれ、火ノ宮は?」

「あっちだ」

 

 と、スコットが浴場の隅を指差した。その先には、壁の前でタオルを腰に巻いて仁王立ちする火ノ宮が居た。

 

「……お前、何やってるんだ?」

「あァ? 見張りに決まってんだろ」

「見張り?」

 

 疑問符を浮かべながら火ノ宮の背後を伺うと、壁に小さな穴が空いていた。……アレが覗き穴か。ご丁寧に『←ノゾキアナ』だなんて落書きもあるし。

 

「女風呂を覗くようなヤツがいねェとも限らねェだろ」

「だ、だれも覗かないよ……さ、さっきそんな話しただろ……」

「……そうだけどよォ」

「っていうか、今は向こうに誰も居ないんだから覗く意味もないだろ。なんで見張ってたんだ」

「念の為だ」

「念の為って……いいからお前もこっち来いよ」

 

 火ノ宮にそう告げながら、湯船に体を入れる。熱めのお湯に体を震わせながらゆっくり腰を下ろす。ああ、心地良い。

 火ノ宮も、濡れた頭を掻きながら覗き穴の前を離れて湯船にやってきていた。そのまま彼も俺と同じ様に湯に体を沈めた。

 

「あァ……こうしてゆっくり風呂入んのも久しぶりだな……」

 

 天井をぼんやりと眺めながら火ノ宮がぼやく。彼の言う通り、この施設に連れ去られてきてから初めて湯船に浸かる。足を伸ばして体を温めるのも、実に10日ぶりだ。この10日で、色々……本当に色々あった。少しだけ、ほんの少しだけ、心を落ち着かせられる。

 とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。隣に座る杉野のこともあるが、今できる事をしなければ。そう思い、湯船の隅でうつむいていた根岸に近寄った。

 

「……!」

 

 ビク、と根岸が体を震わせたので、近づくのをそこでやめた。少し離れたところから声を掛ける。話題を探そうとした段階で、根岸が何かを手にしている事に気がついた。あれは……。

 

「根岸。それ、黒峰か?」

「………………」

 

 コクリと、無言のまま彼はうなずいた。彼の手にはチャック付きのポリ袋に包まれた黒い人形……黒峰が握られていた。

 

「なんでそんなもの…」

「…………つ、露草に頼まれたんだ……く、黒峰は男の子だからそっちに入れてあげてって……」

「なんというか、相変わらず露草さんは抜かり無いですね」

 

 人形だから濡れたら困るはずなのに。袋の中のぐでっとした黒峰を見て、なんとも言えない物悲しさを感じた。

 

「……なあ、ずっと気になってたんだが」

「な、なんだよ……」

 

 根岸は怯えるように俺をにらみながらも、そう言葉を返してくれた。俺達の間を漂う湯気が、言葉の刺々しさを緩和してくれるように思える。

 

「その、お前と露草ってどういう関係なんだ? 無関係、ってことはないよな」

「あ、それはオレも気になっていた」

 

 スコットも話に乗ってきた。

 

「オレ達を一切信用しなかったのに、ツユクサとはあれだけ一緒に居たんだ」

「もしかして、前からの知り合いとか?」

「…………そ、そんなとこ……」

 

 小さく根岸がつぶやく。

 

「あれ、でも初めて会った時にそんな事言ってなかったじゃないか」

「そ、それは、ぼ、ぼくも最初は忘れてたし……」

「と、言いますと?」

「つ、露草とは小さい頃に遊んだことがあるんだけど、だ、だいぶ昔のことで……だ、だから露草に言われて思い出したっていうか……」

「ふうん、なるほど」

 

 具体的な経緯までは分からないが、根岸達の間には過去の絆があったらしい。それを踏まえると、彼が露草だけは疑わなかったのもなんとなく腑に落ちる。今思い返せば、根岸は露草を守ろうとしていたようにも思えた。

 

「にしても、そんならそうと言やいいじゃねェか。隠しやがって」

「べ、別に隠してたわけじゃない……わ、わざわざ言うことじゃないだけだ……」

 

 恥ずかしくなったのか、根岸の顔が少し赤くなった。

 彼の言葉で、話が一段落する。その隙を見て、今度はこの()()を話す。

 

「……根岸」

「な、なんだよ……」

「本当に、ごめん」

 

 何についての謝罪かは、言わなくても伝わるはずだ。こうしてまともに話が出来た今だからこそ、言っておかなければならない気がした。

 

「……も、もう謝るなよ、しつこいな……」

「え?」

「…………お、おまえが、あ、あの夜のことを後悔してるのは、も、もうわかったから……」

 

 俺から目をそらして、根岸はそんな言葉を口にしてくれた。

 

「す、少なくとも、も、もうそのことは、ほ、ほとんど疑ってない……し、しつこいし……」

「根岸……」

「け、けど!」

 

 誤解を恐れるように、根岸の声のボリュームが大きくなる。自分でもその大きさに驚いていた。

 

「……や、やっぱり、し、信頼はできない……! い、今後悔してたって、い、いつまた殺意を抱くかわからないだろ……!?」

「それは……」

「い、言えないよな……! に、二番目の【動機】でだって、あ、あれだけ動揺してたんだし……!」

「…………」

 

 その根岸の問いかけに、否定はしない。できないからだ。

 

「ぼ、ぼくだって、いつまでもこのままなんてやだよ……! せ、せっかく同級生になるはずだったのに、お、お前達のことだって信じたいのに! そ、それなのに、こ、こんなずっと怯えて、う、疑って……!」

 

 目元をにじませながら、言葉が紡がれていく。

 

「で、でも! こ、怖いものは怖いんだよ! お、おまえも、お、大天も……ほ、他のやつらも! ぼ、ぼくをまた殺そうとするんじゃないかって考えたら、ど、どうしようもなくなって……!」

「…………オレはんなこたしねェよ。てめーらを裏切るもんか」

「だ、だから、そ、それを信じられないんだって……!」

 

 彼の号哭が、俺達の胸に刺さる。

 

「………………し、死んだら、そ、それでおしまいなんだぞ……」

 

 最後に、潤んだ声でそうつぶやいた。

 その、彼の想いをじっくりと咀嚼する。真正面から、受け止める。

 

「……お前はそれでいい」

 

 そして、俺はそんな言葉を絞り出した。

 

「……は、はあ?」

「お前の言うとおりだ。俺がまた殺意を抱くかもなんて、俺自身だって不安なんだ。お前が信じられなくても当然だ」

 

 あの夜の決断をいくら悔やんだって、俺の中に眠る殺意は消えてはくれない。今はただ、息を潜めているだけに過ぎない。

 

「だから、お前はその警戒心を持っていてくれ。きっと、それが一番良い」

「…………」

「あの後悔をお前が信じてくれただけで、十分だ」

「…………そ、そう……」

 

 返答に困った様子の根岸が、なんとかそんな声を絞り出した。妙なことを言ってしまったかもしれない。

 皆の事を信じたいのに、それでも疑い続ける事は心を強く蝕むほどに苦しい事のはずだ。それを、俺は根岸に強要しようとしている。

 それでも、ひどい話ではあるがそれは必要なことだと思う。その警戒心が、俺の殺意を、【魔女】の悪意を、止めてくれるかもしれない。だから、今の状況ならこれが最善のはずなんだ。

 

 これは、敵対なんかじゃない。根岸が皆との絆を消し去りたくないという想いを抱える限り、それは自信を持って断言できる事実だった。

 

「……オマエは?」

 

 スコットが腕にお湯をかけながら尋ねる。

 

「な、なに……」

「オマエは、自分が殺意を抱くかもとは思わないのか?」

「お、思うわけ無いだろ……!」

「……どうしてそう言えるんだ? モノクマは、いずれまた【動機】を出してくるはずだぞ。それも、これまで通りに強烈な」

「そ、そうだけど……だ、だからって、ぼ、ぼく一人で外に出たって、しょ、しょうがないだろ……!」

 

 ……………………あー。

 

「ふむ、なるほど」

「ああ、そういう事か」

 

 おそらく、今俺達は全員同じ顔を思い浮かべているだろう。

 

「……い、いや! と、特に深い意味はないから……!」

 

 その事に気づいた根岸が、ザバッと波を立てて慌てるように立ち上がる。

 

「さ、サウナ行ってくる……!」

 

 そのまま湯船を飛び出してしまった。

 

「……ま、【卒業】する気がねェんならいいか」

 

 その背中を見ながら、火ノ宮がそうつぶやいた。

 

「ちなみに訊いとくが、てめーらは?」

「僕とスコット君ですか?」

「あァ。てめーらは、【卒業】したいって思うか」

「僕は思いませんよ。勿論、モノクマの策は狡猾だとは思いますから、これから先微塵も揺れる事が無いとは断言できかねますが」

 

 真剣な表情でそう即答する杉野。俺は心の中で舌打ちするように顔をしかめた。

 

「スコット君は?」

「……………………オレは」

 

 しばし返答に悩んでから、口を開いた。

 

「殺意を抱かない自信はあまりない」

「……!」

「というか、正直に言えば、モノクマが【動機】を提示するたびに、【卒業】するかどうか悩んではいたんだ。『殺人なんてしちゃいけない。』『真っ当に生きたいなら、そんな事考えるべきじゃない。』……そう思って、これまでは無理やり抑え込んできただけだ」

「……チッ」

 

 正直な弱音を吐露するスコットに、小さく火ノ宮が舌打ちをする。

 

「悪いな、ヒノミヤ」

「いや、別にいい。そうかもしれねェと思って訊いたんだからな」

「まあ、とはいっても、やはり実際に殺人なんかしたくない。それ自体が禁忌だし、未練もあるしな」

「未練?」

「ああ。今手をつけてる作品も作りかけだし、シロサキに連珠で負けっぱなしだ。未練なんか数え切れないほどある」

「……そうかい」

 

 スコットの話を、火ノ宮は静かに受け止めた。彼から、スコットが【卒業】を悩んだことを責めるような言葉は出てこなかった。

 

「わかった。話してくれてありがとよ」

 

 そう言いながら、火ノ宮が立ち上がる。

 

「サウナですか?」

「あァ。根岸ともう少し話してくる」

「……喧嘩、しないでくださいよ」

「チッ、分かってる」

 

 そのタイミングで、スコットも湯船を離れ、ジェットバスの方へ歩き出した。

 

「良かったですね。皆さんと無事お話ができて」

 

 杉野が、呑気な声で話しかけてくる。同意はするが、無視した。

 

 根岸の心情も、スコットの弱音も聞くことが出来た。団結は難しいかもしれないが、敵意をぶつけ合うような、そんな最悪の状況からは脱したんじゃないか。水滴のしたたる天井を眺めながら、そんな事を考えた。

 

『おっ、結構広いじゃない!』

『東雲さん、はしるところびますよ!』

 

 そんな時、壁の向こうからそんな東雲と城咲の声が聞こえてきた。

 城咲がいるということは……。

 

「女子も、皆揃ったのか」

「そのようですね」

 

 そうでないと、城咲は調理場を離れられないし。

 さて、女子の方は仲良くやれているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《浴場(女子)》

 

 シャワーから出る熱いお湯を頭から被って、髪についた泡を洗い流す。いつもは外に跳ねて仕方ない()の髪の毛も、今は水分を含んでまっすぐ重力に従っている。

 

「…………」

 

 隣を見ると、大天さんがムスッとした表情で私と同じく髪の泡を洗い流したところだった。そんな彼女に声をかける。

 

「大天さん。ありがとね、来てくれて」

「……何が『ありがとね』よ。七原さんが無理矢理連れてきたんじゃん」

 

 不機嫌そうな声が返ってきた。

 

「ずーっと私の個室のチャイム鳴らしてさ。ノイローゼになるかと思った」

「あはは、それはごめん」

「……あんまりごめんって思ってないでしょ」

「ホントだって」

 

 大天さんをお風呂に連れて行くために露草さんの強引さを見習ってみたけど、正直申し訳ないとは思ってる。すごい不機嫌そうな顔で出てきたし。

 

「……別に、私は良いけどさ」

 

 キュッとノブを締めて大天さんはシャワーを止めた。

 

「ん?」

「誰かに襲われたりする心配がないんだったら、私は外を出歩いたって良いんだよ。お風呂入るのだって、朝食会だって。ただ、あのままだと火ノ宮君に軟禁……いや、いっそ監禁されそうだったから部屋に閉じこもってただけでさ」

 

 黄色く輝く長い髪からお湯が滴って床に落ちる。

 

「でも、七原さん達はそうじゃないでしょ」

「えっと……そうじゃないって?」

「……七原さん達からしたら、私は部屋に閉じこもってた方が良いでしょって事」

 

 拗ねるように、さも当然のように、大天さんはそんな事を口にした。

 どうして、とは訊かない。大天さんが自覚している彼女の罪は、私だって分かってる。

 でも、大天さんは私の事を誤解してる。

 

「そんな事無いよ」

「……え?」

「大天さんは友達だから。またこうして話ができて嬉しいよ」

「……嘘でしょ。そんなわけないじゃん」

 

 私は純粋な本心を告げたのに、大天さんは疑った。

 

「私は皆を裏切って【卒業】しようとしたんだよ。……平並君の首を本気で締めて、殺す寸前だった」

「……うん。知ってる」

「だったらなんで? なんで私の事を友達なんて言えるわけ!?」

 

 その表情に、困惑の色が混ざる。

 

「分かってない訳ないと思うけど、はっきり言ってあげる。私は、七原さん達の事なんて友達とも仲間とも思ってない」

「……そっか」

 

 私と決別するために彼女が口にした言葉を、私はそんなつぶやきで受け止めた。

 

「じゃあ、これからまた友達になろうよ」

「……何言ってるの?」

「大天さんが私の事をどう思ってるかはわかったけど、それはこれまでの話だから。これからはまた別だよ」

「…………」

 

 まさしく、呆気にとられたといった様子で口をぽかんと開ける大天さん。

 

「大天さんがどうして【卒業】しようと思ったのか……それは私にはわからないけど、きっと、大天さんにとってすごく大切なことのためなんだよね」

「…………そうだよ」

 

 大天さんは、失った記憶を取り戻すために【卒業】を企んだらしい。だからその取り戻したかった記憶というのは、私達の命なんかどうでもよくなるほどに大切なはずなんだ。

 

「大天さんが選んだ道は間違ってる。でも、それは大天さんが悪いわけじゃない。悪いのは、そんな道を選ばせたモノクマだから」

「……でも、私は七原さん達を裏切って」

「関係ないよ」

 

 大天さんに、その言葉は最後まで言わせない。

 

「私達、出会った頃は友達にだったよね?」

「それは……まあ……」

「だから大丈夫だよ。裏切っても、間違えても、また友達になれるよ。きっとね」

「…………」

 

 沈黙が返ってくる。

 

「それにさ」

 

 それでもめげずに、言葉を重ねる。

 

「私と大天さんって、なんか仲良くやれそうな気がするんだよね」

「……何それ。勘?」

「うん。でも、私の勘って当たるから」

「………………そう」

 

 興味なさげにそんな相槌を返して、大天さんは体を洗い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 体を洗い終えた私達は、広い湯船の方へ移動した。

 

「東雲さん、潜ったりしてはいけませんからね」

「分かってるわよ。潜るほど深くもないし。泳ぐだけにするわ」

「……泳ぐのもだめです!」

「東雲君、風呂場で泳ぐのはマナー違反だ」

「マナーなんてどっかの誰かが勝手に決めたモンじゃない」

 

 湯船の中では、城咲さん達がそんな言い争いをしていた。こんなに広いんだから良いじゃない、なんて愚痴を東雲さんが零している。

 

「マナーに関しての考察(記述)は特に否定はしないが、湯が揺れるのは正直迷惑だ。はしゃぐ気持ちは分かるけれどね」

「ま、そこまで言うならやめるわよ。今度一人で来た時に泳ぐことにするわ」

「……まあ、ひとりきりのときなら構いませんけど、のぼせないようにしてくださいね」

「平気よ。温水プールみたいなもんだし」

「温水プールと浴場ではそれなりに温度差があるのだが」

 

 そんな城咲さん達からは離れて、手前側の隅っこに収まるように岩国さんが身を縮めて湯船に浸かっていた。

 

「岩国さん、なんでそんな端っこにいるの?」

 

 そう語りかけながら、私達も湯船の中に入った。揺れるぬくもりが体を包み込んでいく。

 

「……覗かれたら嫌だろ」

「覗かれる? 誰に?」

「…………」

 

 岩国さんは、無言でもたれていた壁の向こうを顎で示した。案の定、壁の向こうにいる平並君達男子の事を言っているみたいだった。

 

「あー…………」

 

 そしてそのまま、私はその高い壁を見上げていった。女子浴場と男子浴場の間には壁があるけれど、完全に区切られているわけではないから、そこから顔を出せばこちらを覗くことは確かに出来なくはない。

 出来なくはないけれど……。

 

「もしかして、これを乗り越えてくるかもってこと?」

 

 私を真似するように壁の上を見ていた岩国さんに尋ねる。

 

「…………ありえない話じゃないだろ」

「ううん……ありえないと思うけどなあ……。よじ登れそうな壁でもないし」

「…………」

「というか、そんなひどい事する人なんていないよ」

「それはお前が勝手にそう思ってるだけだろ」

「そうだけど」

「……誰かが覗こうとしても、火ノ宮君が止めるんじゃないの」

 

 ぼそっと吐き捨てるように大天さんが呟く。それを聞いて、私達は首を戻した。それもそうだ。

 

「そういえば、露草さんは? あれだけ話したいって言ってたのに」

「……腹話術師なら――」

「やっと洗い終わったよ!」

 

 岩国さんが言い終わる前に、露草さんが湯船のそばへとやってきた。

 洗い終わった……? と、その言葉に引っかかりを覚えたけど、彼女の背中をなぞる長い髪の毛を見て疑問が解けた。それだけ長い髪をしてれば、洗うのも一苦労なのは間違いない。

 

「今入るからね、琴刃ちゃん!」

 

 岩国さんにそう告げながら、露草さんはタオルを使って器用にその長い髪を頭上でまとめた。そして岩国さんの直ぐ側に座る。

 

「来なくてよかったんだが」

 

 と、嫌な顔をしながらも彼女から離れはしないのは、あの約束があるからだろう。お風呂の中でたくさん話す代わりに、お風呂から上がったらもう話しかけないようにするという約束が。

 

「さあ琴刃ちゃん、何の話をしようか!」

「お前が話題を提供しろ」

「つれないなあ……じゃあ手始めにしりとりでもしよっか」

「……チッ」

「じゃあ翡翠からね。『りんご』」

「『拷問』」

「『ん廻し』」

「お前っ……! 『ん』がついたんだから終わらせろ!」

「翡翠そんなルール一言も言ってないよ」

 

 なんて話しながら、露草さんはニコニコと笑っていた。実に楽しそうだ。

 

「『ん廻し』って何?」

「そういう落語の演目だよ、菜々香ちゃん」

「落語……へえ、露草さん落語詳しいんだ」

 

 伝統芸能って事で存在は知ってるけど、落語を聞いたことはあんまりない。今となっては聴く機会もあんまりないし。

 

「翡翠、よく聞いてるからね。古典落語は大体知ってるよ」

「そうだったんだ」

「……腹話術師はやってることが一人喋りだからな。参考にしてる部分もあるんだろう」

「ああ、なるほど」

 

 と、岩国さんの言葉に納得する。確かに落語と露草さんの芸は通じるところがあるのかもしれない。

 

「琴刃ちゃん、翡翠は琥珀ちゃんと喋ってるんだからね! 一人喋りなんかじゃないよ!」

「どう見たって一人喋りだろ」

「もう! 琥珀ちゃんもなにか言ってやって……あ、今はいないんだった」

 

 湯の上に掲げた、何もはめていない左手をパクパクと動かしている。

 

「濡らすわけにはいかないもんね」

「っていうか、琥珀ちゃんは男の子だし」

「徹底してるなあ……」

 

 そう言えば、お風呂の提案をした時もそんな事を言っていた。その辺りの設定はきちんとしているらしい。前にカレー作りをしたときは普通に外してたから、本人の中で都合よく折り合いをつけてるみたいだけど。

 

「人形が居なくても普通に喋れるんだな。前に人形に『オレが居ないとコイツはまともに喋れない』みたいな事言わせてただろ」

「確かにそんな事を琥珀ちゃんが言うときはあるけど……あれは琥珀ちゃんが言ってるだけだし」

「都合のいいヤツめ……」

「それに、琴刃ちゃんと沢山お話したいんだから黙ってられないもん」

「………………ふん」

 

 そう軽く声を漏らして岩国さんはそっぽを向く。……岩国さんって、こうやって黙って顔をそらすこと多いよね。もしかして。

 

「岩国さん、照れてる?」

「呆れてるだけだ」

 

 ホントかな。

 

「ねえ、琴刃ちゃん」

 

 そんな彼女に、少し神妙なトーンで露草さんが話しかける。

 

「一つ、聞いても良い?」

「何だ今更。お前は一々俺の了承を得るような奴じゃないだろ」

「なんで琴刃ちゃんは一人でいようとするの?」

「……お前」

 

 さっきまでのおちゃらけた様子とは打って変わって、露草さんは静かに答えを待っている。岩国さんも、その様子を見ていつもとは違う彼女の様子に気づいたようだ。

 

「……他人と仲良くなってどうする。何の意味がある」

「楽しい、ってだけじゃだめ?」

「それ自体がお前の価値観だろ。俺は他人とつるんでも楽しくなんか無い」

「……そうかなあ」

 

 そんな呟きと共に彼女は首をかしげる。

 

「誰かと話してる時の琴刃ちゃん、楽しそうに見えるけど」

「そう見えるのはお前の目が節穴だからだ。妄言は人形に話せ」

「……私も、それは違うと思うよ」

 

 私達の話を黙って聞いていた大天さんも口を挟んだ。

 

「あんなしかめっ面してる人が楽しんでるわけ無いじゃん」

「確かにそれはそうだけど……でも、琴刃ちゃんって話しかけるとすぐに答えてくれるもん。いろんな言い回しするし」

 

 それは露草さんが変なことを言うからじゃないかな……と思ったけど、口には出さない。

 

「多分、元々話すのが好きなんだと思うんだよね」

「…………別に、そういうわけじゃない。文句を黙ってられないだけだ」

 

 そんな言葉で、岩国さんは露草さんの言葉を否定する。

 

「まあまあ、照れないでよ」

「本当にお前は俺の話を聞かないな……!」

「でもさ、琴刃ちゃんはそうやって誰かと話すのが楽しいはずなのに、無理矢理壁作ってるよね。それって、どうして?」

「だからその前提が間違っているんだよ」

 

 それでも尚意見を変えようとしない露草さんの様子を見て、岩国さんはため息をついた。

 

「……逆に聞くが、壁を作ることの何が問題なんだ」

「え?」

「俺の本心について言い合うのはやめだ。どのみちお前は俺の話を聞かないだろうしな」

 

 確かに、露草さんは変なところで頑固、というか強情だから、岩国さんが何を言っても意味ないと思う。

 改めて、岩国さんが露草さんに向き直る。

 

「他人と仲良くなって、何のメリットが有る。どうせ、裏切られるのに」

 

 冷たく、彼女が言い放った。

 

「実際に事件を起こした帰宅部や発明家は言うに及ばず、凡人やそこにいる運び屋だって、犯行に及ぼうとしただろ。俺達の命を無視して、自分だけのエゴのために」

 

 指をさされた大天さんが、ピクリと肩を震わせる。特に反論はしなかった。

 

「誰も裏切らない、なんて言わせないぞ。それこそ妄言だ。裏切る奴は必ず出てくる。そうだろ」

「…………」

 

 誰も異を唱えない。岩国さんのその論を否定することは、難しい。口で何を言っても、岩国さんを論破することはきっと出来ないだろう。

 何より、実を言えば私もそう感じている。誰もが私達を裏切る、とまでは思わないけれど、誰も裏切らないとは言えない。確証はないけれど、きっと、またここにいる誰かが殺意を抱くかもしれないと思っている。その私の『勘』を、私は否定できない。

 露草さんも、岩国さんの言葉を否定しなかった。誰も【卒業】を企まないなんてことがかなり非現実的であることは、彼女も分かっているようだった。

 

「親しくなって、心を開けば開くほど、裏切られた時の傷が大きくなるはずだ。それが分かっていて、どうしてお前は他人と馴れ合おうとするんだ」

「……でも、壁を作ったって結局辛いだけだと思うなあ」

 

 露草さんが口を開く。

 

「そうやって心を閉じれば将来傷つく事は無いかもしれないけど、今が辛いんじゃないかな。それじゃ意味ないよ。傷つかないために傷ついてるんだもん」

「……どうして、壁を作ることが辛いんだ」

「本当は仲良くなりたいのに、その気持ちに嘘ついてるから」

「…………だったらお前は、今さえ楽しければ将来裏切られたってどうでもいいっていうのか」

「そんな事無いよ。裏切られるのは翡翠だって嫌だし、悲しいもん。でも……たとえ裏切られても、楽しかった想い出まで消えるわけじゃないから」

「…………」

「だから、翡翠は沢山お話したいんだ。これから先、どうなるかわからないけど、それって今を楽しまない理由にはならないと思うな」

 

 真剣な表情で、それでもその顔に笑みを湛えながら露草さんははっきりと述べた。こんな状況でも皆とたくさん話そうとしているのは、そういう理由があるのか。

 

「………………そうか、分かった。やはりお前とは分かり合えないな」

 

 それを聞いて、岩国さんが返したのはそんな言葉だった。

 

「えっ、なんでそんなこと言うの、琴刃ちゃん」

「俺の正直な気持ちを言ったまでだ。自分の気持ちには正直になるべきなんだろ」

「それならいいのかな……いや、良くないよ! それとこれとは別だと思う!」

 

 いつもよりわざと大仰に、岩国さんの言葉に対してそんなリアクションを取る露草さん。真面目なムードを長い時間続けるのは、ちょっとしんどかったみたいだ。

 

「………………」

 

 岩国さんはというと、真剣な表情で水面を見つめている。口では分かり合えないなんて言ってたけど、露草さんの話を聞いて何か思うところがあるのだろうか。

 ……気になるところだけど、訊くのは良くない気がする。代わりの話題を探そうかな。

 

「そうだ。私も岩国さんに訊きたいことがあったんだ」

「答える義理も無いが……なんだ、幸運」

「最初に会ったときから気になってたんだけどさ、どうして岩国さんって男装してるの?」

「あ、それは翡翠も気になってた」

「何か言いたくない理由があるんだったら、それこそ別に答えなくても良いんだけど」

「……別に大した理由はない。趣味と実益を兼ねてるだけだ」

 

 ちょっと悩んだ素振りを見せたけど、岩国さんはそう答えてくれた。

 

「趣味は何となく分かるけど、実益って?」

「ディベートの時、こっちが女だとそれだけでナメてかかって来る奴がいるからな。腹立たしいから見かけ上だけでも男に寄せた」

「ああ、なるほど」

「それで琴刃ちゃんは男の子のフリをしてるの? 口調までこだわって」

「ディベートの時にわざわざ性別を言う必要はないからな。相手が勝手に勘違いすればそれで良い」

 

 そうだったんだ。

 こうして男装を解いたところを見ると、岩国さんは元から中性的な顔立ちをしている事がわかる。そんな岩国さんが学ランを着てこんな口調で話せば、男の子と勘違いするのも無理はないと思う。というか、私も初めて顔をあわせたときは一瞬勘違いしたし。

 

「しかしだ」

 

 初対面の事を思い出していると、輪の外からそんな声が聞こえてきた。明日川さんの声だった。

 

「岩国君が男子の見た目(装丁)をしていることに対して、常々ボクはもったいないと思っていたんだ」

「……来たか、図書委員」

 

 水面を揺らしながら明日川さんがこちらに近づいてくる。

 

「もったいない?」

「もったいないだろう。見ての通り(一読して分かる通り)彼女は容姿端麗だ。それなのにわざわざ男子のふりをしているんだぞ。宝の持ち腐れと表現しても良い」

「俺がどんな格好しようとお前には関係ないだろ」

「関係はない。が、それについて感情を抱く(モノローグを綴る)事は自由だろう」

「モノローグならモノローグらしく黙っていろ」

「キミの男性的(マニッシュ)な振る舞いと服装にまぎれているけれど、キミには大きな(描ききれない)魅力があるはずだ」

「結局こうなるのか……! どいつもこいつも話を聞け!」

 

 と、文句を叫びながら両腕で体を隠す。

 

「魅力?」

「ああ。その凛とした声やスラリと伸びた高い背丈も勿論魅力だが、ボクが言いたい(かき記したい)のはそういうことではない。情欲的な魅力のことさ」

「情欲的……」

「……お前っ! 今すぐ口を閉じろ!」

 

 明日川さんの次の台詞をいち早く察知した岩国さんが、彼女に向かってそう叫ぶ。私もなんとなく察した。

 

「見給え、このサラシから開放された2つの膨らみを! この果実を隠して男装をしていた事それ自体にも心が(たかぶ)るが、やはりこの双丘を見逃す訳にはいかないだろう!」

「お前が勝手にそう思うことは止めない! だからそれ以上声に出すな! 黙れ!」

「無駄な脂肪のない健康的で細身の(からだ)の中にあって、存在感を見せつける確かな膨らみ……それを包んでいる白い柔肌へと思わず手を伸ばして撫でまわしたくなるだろう? そして何より、その先端に鎮座する鮮やかな珊瑚色の――!」

「黙れと言ってるだろ! この変態!」

「わぷっ」

 

 真っ赤に顔を染めた岩国さんにバシャッっとお湯をかけられて、明日川さんは言葉を止めた。ふるふると頭を振って、雫を払う。

 

「ううむ、まだ台詞の途中だったんだが」

「同性間でもセクハラは成立するんだからな。覚えておけ」

「棗ちゃん、過激だね」

 

 ちょっと顔を赤くした露草さんがそんな事をぼやく。確かに、直接的な単語は殆どなかったけど、なぜか官能小説的な艶めかしさを感じた。そういう小説は読んだこと無いけど。まだ読んじゃだめだし。

 

「……うん、やっぱり納得できない」

 

 一通りの騒ぎを端で聞いていた大天さんが、ポツリと呟く。

 

「納得できないって、何が?」

「岩国さんのその胸だよ!」

 

 ビシ、と指をさして叫ぶ大天さん。

 

「……俺の胸がどうした」

 

 まだこの話を続けるのか、と言いたげに岩国さんがつぶやく。

 

「普段はぺったんこの癖に、裸になったら結構あるじゃん! なにそれ! 詐欺じゃん!」

「人聞きの悪い……男装のためにサラシで胸を潰してるだけだ」

「結構あるって言っても、人並みくらいだと思うけど」

「そういう問題じゃないんだよ、七原さん!」

「人並みもない。大体、胸なんか育っても男装の邪魔になるだけでデメリットしかない」

「だったらそれ私にちょうだいよ! うう……」

 

 と、しょげる大天さんの胸は、なんというか、かなり控えめというか。首筋から肌を伝う水滴が、そのまま真っすぐに水面に落ちていた。普段着でも察してたけど、こうして直接素肌を見ると、こう、慎ましい感じというのがよくわかってしまう。失礼なこと考えてるな、私。

 

「お前、あんな事しでかしておいて、どうしてのんきにそんな文句を言えるんだ……」

 

 呆れる岩国さんの言うあんな事というのは殺人未遂のことだと思うけど、大天さんにとってはきっとそんな事はどうでも良くなるくらい大事なことなのかもしれない。もしかしたら大天さんは岩国さんの事を『控えめ仲間』だと思っていたのかも。いや、どうでもよくなるのはあまり良いことじゃないけど。

 

「そう落ち込むことはない、大天君。胸は大きさで優劣がつくことなど無い。個人の好みはあるだろうけれど、すべてが等しく尊く価値あるものなんだ。『乳に貴賎なし』とは上手く言ったものだな」

「誰の言葉?」

「東雲君を見てみるといい。キミと同じくアウトドア派だし、彼女も胸の膨らみは決して大きくはない」

「ちょっと、アタシを巻き込まないでよ。胸のサイズなんかどうでもいいわ」

 

 明日川さんの言葉に反応した東雲さんと、一緒に話していた城咲さんがこちらにやってくる。皆集まってきた。

 

「しかしだ、東雲君の持つ筋肉を内に抱えた細い肉体と、胸から腰にかけてのラインは目を見張る物がある」

「褒めてくれてるみたいだけど、これって礼は言ったほうがいいのかしらね」

「つけあがるから褒めるな」

「東雲さんだって私よりはあるじゃん……」

「いいかい、大天君。たとえキミの胸が絶壁であろうと、キミにはキミだけの魅力があるだろう」

「今絶壁って言った?」

「残念ながら今は湯に沈んでいるが、脱衣所で見えたキミの臀部はかなり引き締まっていたじゃないか。仕事のために鍛えられたであろう脚部も、美しい曲線を描いている。キミの真の魅力は下半身に詰まっているとボクは思っているよ」

「ねえ今絶壁って言った?」

 

 明日川さんの説得を聞いても、大天さんの機嫌は治らないままだ。というか明日川さん、もしかしてしっかり見てたの?

 

「あの、わたしもむねはほとんどありませんので……」

「子供みたいな身長の城咲さんに慰められても」

「こ、子供……」

 

 まずい、二次被害が出てる。

 

「まあまあ、落ち着いてよ大天さん」

「人並み以上に育ってる七原さんにはこの辛さはわかんないよ!」

 

 うーん、胸の大きさってそんなに気にすることなのかな。別にそんなの、気にかけたことすら無かったけど。……でも、大天さんの言う通り、これは私にはわからない問題なのかもしれない。中途半端に慰めるのはやめよう。

 

「元気だしてよ、翔ちゃん。それに、翡翠からしたらそんな風にスレンダーなのって羨ましいし」

 

 とか思ってたら、露草さんがそんなふうに声をかけた。

 

「あー! 露草さんにバカにされた!」

「バカになんてしてないもん!」

「……露草君。この中で誰よりその果実を豊満に実らせているキミがその台詞を吐くのはあまりにも残酷だぞ」

「アタシもそう思うわ」

 

 明日川さんの言葉を聞いて、私や東雲さんも頷いて同意する。

 

「えっ?」

服の上からでも(表紙だけを見ても)キミの胸部の発達は読み取れたが、こうして実際に中身(本文)を見ると、なかなか(ロマン)を感じるじゃないか」

「いや、翡翠はそんな、うん、えっと」

 

 分かりやすく照れている。露草さんでも動揺することがあるんだ。

 

「翡翠はただ、太ってるだけだよ。昔から消化が悪くて、すぐお肉がついちゃって……」

 

 珍しく言葉をつまらせながら露草さんが話す。胸を隠しながら、お腹のお肉をつまんでる。

 

「確かに露草さんの事をスレンダーとは言わないと思うけど、別に太ってるってわけでもないと思うよ。それこそ人並みくらいじゃないの?」

 

 別にお世辞でも何でもなく、本当にそれくらいだと思う。どうしてそんなに気にしているんだろう。

 

「そうかなあ……でも、中学生に入ったくらいからびっくりするくらい体重が増えていって……」

「それ絶対胸が育ったからじゃん! 私そんな経験ないし!」

 

 あるよね、体重の増えるスピードに青ざめる時期。それを口に出して同意すると大天さんに睨まれそうだから黙っておくけど。

 

「ふむ、露草君は露草君なりに自分の体型に思うところがあるみたいだが、キミの体つきはかなり性的な欲情をそそるものだと自覚したほうがいい」

「棗ちゃん、もうちょっと言葉を選んでほしいな」

「ていうか何。さっきから聞いてれば、アンタってそっちの気があるの?」

「確かにボクの恋愛対象条件に性別は入っていないけれどね、これはボク個人の(私小説的)意見というより世間一般常識の(ベストセラー的)意見として伝えたいんだ」

「あの、今さらっと大事なことおっしゃったきがするのですけど」

「ボクの趣味嗜好なんてどうだっていいさ」

 

 どうだって良くはない、というかこの状況だとちょっと気にしたいところではあるんだけど、それはそれとして露草さんの体つきは実際すごい。私もちょっと憧れるくらいだし。世の男の子達は、やっぱりこうボリュームがある方が良いんだろうな。

 

「…………」

 

 ……そういうのが一般論ってことは、やっぱり平並君も大きいほうが好きなのかな。

 

「もう、棗ちゃん、冗談はやめてよ」

 

 露草さんの声で我に返る。あれ、今私変なこと考えてた気がする。今の無し。

 

「冗談なんかじゃない。ボクもこんな事でお世辞や嘘はつかないさ」

「かもしれないけど、こんな事誰にも言われたことなかったし」

「言わないだけさ。キミが普段行動を共にする(同じページにいる)根岸君だって、おそらくはキミの双丘をどうにか我が手に出来ないかと日々悶々としているはずだ」

「章ちゃんはそんな変なこと考えないよ! 棗ちゃんのばか!」

「明日川さん、やってることがおじさんみたいだよ」

「というかそれそのものだろ」

 

 苛立ちを伴って、岩国さんもぼやく。やっぱりそうだよね。

 

「もう…………」

 

 胸を隠しながら、いじらしげに照れる露草さん。そんな露草さんを恨めしげに……いや、これは違うか。羨ましげに大天さんが見つめていた。

 

「太るなら太るで全部太るならまだ納得できたのに、なんでそんな胸ばっかり大きくなるの! 不公平じゃん!」

「そんな事翡翠に言われても」

「アンタね、そんなどうしようも無いこと嘆いてもしょうがないわよ。個人差なんだから仕方ないじゃない」

「私も分かってるけどさ! ……別に巨乳じゃなくてもいいから、少しくらいはさ、育ってくれても良かったじゃん……どうしていくら食べても肉がつかないんだろう……」

「ちょっと待って翔ちゃん。今翡翠もすごい不公平な話を聞いた気がする」

 

 がっくりと肩を落として落ち込む大天さんだったけど、それはそれで露草さんにとっては羨ましい体質だったらしい。

 

「時に、七原君の肉体もまた官能的な魅力があると思うんだ」

 

 そんな事を考えていると、一通り露草さんを褒め終えたのか、明日川さんの標的が私に移った。

 

「ちょっとやめてよ、明日川さん。恥ずかしいよ」

「そう照れることはない。それはキミの魅力のひとつなのだからな」

 

 理由になってない気がする。

 

「キミは【幸運】という才能()の持ち主だが、その肩書きに恥じることなく見事なプロポーションを得ているじゃないか。露草君にこそ大きさは敵わないものの、彼女の次に豊かなバストを持っているのはキミだ」

「そんなこと……」

 

 と、否定しようとして周りを見たけど、確かにそうみたいだった。特別大きいわけじゃ無いはずなんだけどな。

 

「……今私の方見る必要あった?」

 

 しまった。大天さんを刺激してしまった。

 

「事実だろう? それに、キミの乳房の魅力は大きさだけじゃない」

「ま、まだなにかあるの?」

「惚れ惚れとするほどに美しく丸く育った、お椀のようなその形も実に素晴らしいとボクは思う。芸術性すら感じるじゃないか。自分でもそう思うんじゃないのかい?」

「お、思うわけないでしょ!」

「……ホント、七原さんって【()()】だよね」

 

 大天さんにジト目で(胸を)睨まれながら、そうつぶやかれる。大天さんの言う通り私は幸運だし自分でもそう思ってるけど、別にそういう意味じゃないのに……。私の胸って、そんなに良いのかな。

 

「アンタ、さっきから胸ばっかりじゃない? 露草も胸しか褒めてなかったじゃない」

「胸以外を褒めろと言うのであれば、そうさせてもらおうか。七原君の魅力は……例えば、この首筋の吸い付くような肌にもある。こうして湯で濡れれば更に魅力が増すのも分かるだろう」

「東雲さん、なんで余計なこと言うの!?」

「いやだって、こう返してくるとは思わないじゃない」

 

 それはそうだけど。

 

「うう……!」

 

 このままだと明日川さんに褒め殺されてしまう。周りに助けを求めようと見渡したけど、露草さんはのぼせたみたいに呆けているし、他の皆も呆れていたり苦笑いでそっぽを向いたりしていた。

 こ、こうなったら……!

 

「明日川さんもさ、結構えっちな体してると思うんだ!」

「……ん?」

 

 こっちも褒め返そう。それで明日川さんを照れさせるんだ。

 

「ずっと皆のこと褒めてたけど、明日川さんの胸だってハリがあっていい感じじゃない?」

「七原君、照れたからといって適当なこと(台詞)を言うのはよろしくないな」

「適当じゃないって」

 

 見抜かれてる気がするけど、構わず続ける。

 

「さっき散々皆のこと褒めてたけどさ、明日川さんも自分の体のやらしさを自覚したほうがいいんじゃないかな」

「七原君、そういうキミ自身が照れているようだけれど」

「うっ」

 

 ……わざと『えっち』とか『やらしさ』なんて言葉使ったけど、これ、すごい恥ずかしい。明日川さん、よくずっと真剣な顔で喋れたなあ。

 

「でもさ、棗ちゃんの体も魅力的なのは間違いないと思うよ!」

 

 どうしたものかと思っていたら、露草さんが援護してくれた。いつの間にか復活したらしい。

 

「棗ちゃんだって結構お胸が育ってるみたいだしさ」

「ふっ、これでも客観視は出来ているつもりだ。確かにボクの胸部は平均程度には発達しているけれど、露草君や七原君には及ばないし、美しさも岩国君達に劣っていると言えるだろう」

「……いや、それはお前の主観だろ。お前の乳を見て周囲の人間がどう思うかはお前が判断できることじゃない」

 

 驚いたことに、岩国さんも参戦してきた。さっき恥ずかしい目にあったのがよほど嫌だったのかもしれない。

 

「では岩国君、もっと具体的にボクの体を褒めてみてくれないか?」

「……だそうだ、腹話術師」

「今指名されたの琴刃ちゃんだよ」

「…………」

 

 かと思ったら、すぐに黙っちゃった。うん、人の体を褒めるって恥ずかしいよね。

 岩国さんは黙ったまま、明日川さんの体を見つめる。

 

「ふむ、こうまじまじと見つめられるというのは稀覯(きこう)経験(エピソード)だね」

「……ん?」

 

 岩国さんが、何かに気づいて眉をひそめる。

 

「どうかしたの、琴刃ちゃん」

「………………ほくろ」

「ほくろ?」

「ほら」

 

 と、岩国さんの指差す先を見ると、確かに明日川さんの胸のところにホクロがあった。

 

「あ、ホントだ」

「棗ちゃん、すごいところにほくろがあるね!」

「……ふむ?」

 

 自分でもそのほくろを見つけた明日川さんが首をひねる。

 

「おかしいな。こんなところにほくろなんて無かったはずだが」

「記憶違いじゃないの?」

「……ちょっと待ちなさい。そんなことは無いはずよ。だって明日川には」

「完全記憶能力がある、だろう」

 

 東雲さんの台詞を、途中で明日川さんが奪い取った。

 

「……みょうですね」

 

 ……確かに。自分の体なんてそれこそ何回も見ているはずなのに、よりにもよって明日川さんが記憶違い?

 

「……増えたんでしょ」

 

 その謎に答えを出したのは大天さんだった。

 

「ほくろなんて勝手に増えてることあるじゃん。そりゃ、一日や二日で変わらないと思うけどさ、二年間も経ってるんだからほくろが増えててもおかしくないでしょ」

「……なるほど」

 

 こんなところでも二年間の空白を感じることになるなんて思わなかった。

 二年間。そう口にしてしまうのは簡単だけど、対してその時間はとても長い。何より、期間以上に私達の青春というその中身が失われてしまったことが、私はとても悲しい。

 ……私達の大切な記憶を奪ったモノクマなんかに、絶対に屈するもんか。

 

「今、ここに来てからのシャワーシーンの記憶を辿って(読み返して)みたが、確かにほくろが確認できたよ。今まで気づかなかったが」

「まあ、自分じゃ気づきにくいところだもんね」

 

 と、そんな事を口にしてふと思い至る。明日川さんに完全記憶能力があるということは、さっきから見られている私達の裸もしっかりと記憶されていると言うことだ。

 ……なんか、恥ずかしいなあ。

 

「それにしても、ほくろか。時として性的なチャームポイントとして挙げられることもあるが、それを岩国君に指摘されるとはね。存外、キミはほくろ主義(フェチ)だったりするのかい? 確かにセクシーな位置についているとは思うが」

「……目についたから口にしただけだ。深い意味はない」

「琴刃ちゃん、それじゃだめだよ! 棗ちゃんを褒めて恥ずかしがらせないといけないんだから!」

「露草さん、全部言っちゃうとそれこそ意味が……」

「あ」

「いや、ボクもはじめから気づいていたから問題はないぞ」

 

 こんな話をしてるのに、明日川さんはずっと通常運転を続けている。

 

「ふむ、では露草君から話を聞いてみようか」

「わかった! んーと、そうだね……。あ、棗ちゃんの肌ってすべすべしてそうで触り心地良さそうだよね。肌も白いし」

「肌が白いのは外に出ないからさ。ボクの場合はね。こう言ってはなんだが不健康の証とも言える」

「……そんな不健康なのに胸だけは人並みに育つんだね」

 

 大天さんがまた胸に対する愚痴を言ってる。よほど恨めしいみたいだ。

 

「おかげさまでね。身長も同じく平均程度に伸びたし、ありがたい事に成長という点では恵まれているようだ」

「……うらやましいですね」

 

 身長、という言葉に城咲さんが反応した。

 

「うらやましがることはないさ、城咲君。岩国君達に合流する前にキミの体の若々しさという魅力も語っただろう?」

「そうですけど」

「ねえ明日川さん。実際、自分でもいい胸してると思ってるんじゃない? さっき、胸に大きさなんか関係ないとか言ってたでしょ」

「それを撤回するつもりはないが、ボクに魅力が無い事もまた客観的な事実ではないか?」

「そうかしら。十分揉みがいはあるサイズなわけだし、七原も言ったとおりハリだって凄そうじゃない」

 

 東雲さんから援護射撃が入る。

 

「はっきり言ってあげるけど、男子がアンタの裸で欲情しないってことは無いと思うわよ。十分エロい体してるし」

「ふむ。キミの目にもそう映るのか。そうなると、ボクの体は他人を不快にさせるものではないと自己評価を少し高めるべきかな」

「何コイツ、無敵なの?」

 

 私もそう思った。

 東雲さんも明日川さんに恥ずかしい思いをさせようと結構過激なワードを使ってたけど、無駄だったみたい。明日川さんが照れる様子も動揺する様子もない。

 

「……これ以上変態に張り合うのは無駄だろ」

「ふむ、それならまたボクから……ちょっと待った(ページを戻せ)岩国君。今ボクの事を『変態』と呼んだ(読んだ)か?」

「文句あるか、変態」

「流石にその呼び名は訂正(校正)してくれないか。ボクにも恥という感情はある」

「断る、変態」

「なっ……!」

「あ、何。アンタ言葉責めが効くの?」

「待て、流石に全員からそう呼ばれるのは流石に堪えきれないぞ。それにだ、別にボクは言葉責めで興奮するわけじゃない。勘弁してくれと言っている(台詞を紡いでいる)だけだ」

「……そうとは限らないよ、棗ちゃん」

「ん?」

 

 反撃の隙を見つけた、と言わんばかりに露草さんが口を挟む。

 

「自分が本当に興奮しないのか、それはやってみないとわからないはずだよ! もしこれまでそういう経験がなくても、もしかしたら新しい扉が開けるかもしれないよ!」

「ま、待つんだ露草君。なぜ興奮するしないが話の主題(メインテーマ)になっているんだ」

 

 顔を真っ赤にして何か覚悟を決めたような様子の露草さんに、明日川さんがうろたえている。

 

「つべこべ言わないでよ、変態ちゃん!」

「ぐぅっ!」

「どう、変態ちゃん。興奮する?」

「しない! 分かっていたことだが、苦しいだけだ! もっと語らせてもらえば、岩国君の台詞よりも心が傷つけられるぞ!」

「え、そうなの? 変態ちゃん」

「ぐ……わかった、これ以上キミ達の肉体から溢れ出す浪漫を褒めるのはよそう。だからもうやめて(その本を閉じて)くれないか」

「えー……」

「なぜ残念がるんだ、露草君」

「…………あれ、よく考えたらそうだね」

「露草さん、おちついてください」

「……うん」

 

 はー、と息を吐きながら、露草さんは顔を冷ますようにパタパタと手で仰ぐ。どうでもいいけど、新しい扉が開きかけてるのって明日川さんの方じゃないんじゃないかな……。

 まあ、それはそれとして。

 

「のぼせてきてるのかも。そろそろ上がらない?」

「そうですね」

「えー! もっと琴刃ちゃんと話したいよ!」

「……本格的にのぼせるぞ。俺ももう上がる」

 

 ザバッという音を立てて、岩国さんが立ち上がった。

 

「でも……!」

「腹話術師。約束は忘れるなよ」

 

 慌てて立ち上がって引き止めようとする露草さんに、岩国さんがそう声を掛ける。

 

「あっ……」

 

 寂しそうな声を漏らす。

 二人の間には、例の約束がある。お話が好きな露草さんが寂しがるのも仕方ないけど、このまま見て見ぬふりはしたくない。約束を提案したのは露草さんだけど、おかげでこうして皆でお風呂に入れたわけだし。

 どうしたら良いかな、とかける言葉を悩んでいたら。

 

「…………そんな顔をするな」

「えっ?」

 

 岩国さんが、そう言葉を続けた。

 

「お前から話しかけられるのは鬱陶しいから金輪際勘弁させてもらう。……が、まあ、暇な時は適当に話しかけてやる」

「……琴刃ちゃん!」

 

 ぱあっという擬音すら聞こえてきそうなくらいに、露草さんは笑顔を咲かせる。

 

「暇な時だけだからな」

「それでもいいよ! 待ってるからね琴刃ちゃん!」

 

 にこやかに、そしてとても嬉しそうに、露草さんが声を飛ばす。

 これまでの岩国さんだったら、きっとこんな事は言わなかった気がする。『暇な時だけ』だなんて条件がついているけれど、これは岩国さんが心を開いてくれた証なんじゃないかな。たとえそれが、ほんの少しだけだとしても。

 それはきっと、露草さんの『今を一緒に楽しみたい』という熱意を感じ取ったからじゃないかなと思う。まさか、終盤のやり取りでそんな事を思ったわけじゃないだろうし、ね。

 

「では、あがりましょうか」

「そうだね」

 

 岩国さん達に続くように、私達も立ち上がった。

 女三人寄れば姦しいだなんて言うけれど、終わってみれば私達の会話は相当盛り上がった。なんか、途中からずっとバカバカしい話をしていた気がするけど、殺伐としているよりはずっといいと思う。こんな下らない話ができるのだから、きっと私達はまだ大丈夫のはずだ。

 

 ふと、高い壁の向こうに想いを馳せる。

 平並君の方は大丈夫かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《浴場(男子)》

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 大浴場の湯船で、重い沈黙が重なる。その主は俺と杉野、そしてサウナから戻ってきて湯船の奥の方に腰をおろした根岸の三人だ。この光景を誰かが見れば、きっと険悪なムードを感じ取ってしまうかもしれない。

 けれども、ここに漂っているムードはそんな物騒なものではない。というか、俺や根岸にそんな事を気にしている余裕は無い。周りに気を配える余裕があるのは、腹立たしいが杉野だけだ。

 そんな、一人だけ涼しい顔をしているその杉野が口を開く。

 

「お二方とも、初心(うぶ)すぎませんか?」

「う、うるさいな……」

 

 根岸がそう返答し、俺も頷く。俺達の顔は茹でダコの様に真っ赤になっていた。

 その理由はのぼせたからじゃない。のぼせたのならすぐに上がる。

 だったらどうして俺達はこんな事になっているのか、と言えば。

 

「あ、あんな話聞いて平静でいられる訳ないだろ……!」

 

 と、バッと根岸が指差す。その瞬間。

 

『おい、変態。こっちを見るな』

『別にキミの一糸まとわぬ艶姿を見ては……その前に、変態と呼ぶのは勘弁してくれと言っているだろう!』

『だったらそんな描写を口にするな!』

 

 壁の向こうから、岩国と明日川の声が飛んできた。

 

 ……女子風呂の湯船の会話が、こちらに筒抜けだったのだ。流石に会話のすべてが聞こえてきたわけではないのだが、おそらくは湯船でかわされたであろう会話はおおよそ聞き取れた。壁際で近かったし、大声なら特に。

 いや、その、ただの会話なら別に構わないのだ。それなら盗み聞きすることの罪悪感だけで済む。しかし、聴こえてきた会話……特に後半はそうではなく。

 

 

――《「見給え、このサラシから開放された2つの膨らみを! この果実を隠して男装をしていた事それ自体にも心が(たかぶ)るが、やはりこの双丘を見逃す訳にはいかないだろう!」》

 

 

 なんというか、健全な男子高校生にとって実に魅力的……あ、いや、気にせざるを得ない内容だったのだ。主に明日川のせいで。

 

「確かに少々過激な内容だったようですが。別に実際にのぞき見たわけでも無いのですから、そう興奮すること無いじゃありませんか」

「こ、興奮なんてしてない……へ、変なことを言うなよ……!」

「そうだ、杉野。別に見えてなくてもあんな話を聞いたらこっちまで恥ずかしくなって当然だろ」

 

 というか、見えていないからこそ余計に、こう、想像力が掻き立てられてよろしくない妄そ、いや、想像をしてしまう。岩国が男装してるくせにそこそこ胸があるとか、七原の胸が非常に綺麗な形をしているとか、そんな情報だけ聞かされた俺の脳内は……いや、これ以上は何も言うまい。何が珊瑚色なのかも俺にはさっぱり分からないということにしておく。……風呂を出てから、七原達とまともに顔を合わせられるだろうか。

 

 そんな俺の言葉を聞いて、根岸がそうだそうだとうなずきかける。が、俺の顔を見てやめる。一瞬忘れかけた俺に対する不信を思い出したのだろう。

 その様子を見て杉野が口を開く。

 

「……お二方とも、仲直りされてはどうですか? 先程色々とお話されてましたが……正直今の様子を見てると、あなた方は仲良くできると思いますが」

「う、うるさい……!」

「…………」

 

 ……ここで、杉野の言葉に便乗して根岸に話しかけてみようかとも思った。しかし、他でもない【魔女】の言葉だ。軽率に便乗はしたくない。【魔女】が何を考えてるかなんてわからないのだから。

 

「……す、杉野……ぎゃ、逆に聞くけど、な、なんでお前は平気なんだよ……」

 

 結局、根岸に話しかけるのをためらっている内に根岸が杉野に尋ねた。

 

「なぜ平気かと聞かれましても……そうですね。一々女性の魅力に翻弄されては仕事にならないというのが理由になるでしょうか」

「は…………? …………い、いや、そ、そっちじゃない!」

「ああ、違いましたか。すみません」

 

 杉野があの猥だ――過激な会話に大した反応を見せなかった理由を語ったが、根岸が知りたかったのは違う理由だ。というか、そっちにしても理由になってない気がするが。まあ、【魔女】なんかがあんな事を気にするようなまともな神経を持っているはずもない。

 

「……皆を裏切った俺と普通に接する理由だろ」

「…………」

 

 根岸が無言のままうなずく。

 

「……それなら、大した理由じゃありませんよ」

 

 人の良さそうな笑みが浮かぶ。

 

「僕は彼を信じているだけですよ。殺意を抱いたことを悔み、仲間の死を悲しむ彼の事をね」

「…………」

 

 爽やかな声で思ってもいないことを言ってのける杉野と、何か思うところのありそうな根岸。俺は、その杉野の嘘を暴くことも出来ず、ただ彼らを見つめるだけだった。

 

「さて、それでは僕達もあがりましょうか。このままだと本当にのぼせてしまいます」

「……だな」

 

 杉野がその声を会話を切り上げて立ち上がる。それに俺と根岸も追従した。

 

「……あ、あれ? ひ、火ノ宮とスコットは……?」

「ふむ……二人共サウナでしょうかね。呼んできましょう」

 

 連れ立ってサウナへと向かう。その木製の扉についた鍵穴には、水滴が溜まっていた。サウナに鍵なんて妙だな。

 ギィと音を立てながら杉野が扉を引いた。

 

「お二方、もう上がりましょう」

「……あァ」

「……わかった」

 

 と、汗だくになった二人の静かな返事。しかし、彼らが動く気配はなかった。

 

「どうしました?」

「いや別になんでもねェ。ほら、出やがれスコット」

「オマエこそ先に出たらどうだ。オレより先に入ってただろ」

「も、もしかして、ず、ずっと張り合ってたから出てこなかったのか……?」

 

 呆れるように、根岸が驚いた声を上げた。

 

「……オレの前にいたヒノミヤより先に出るわけにはいかないだろ」

「サウナで張り合うのは健康上やめたほうが懸命だと思いますよ」

「……分かってっけどよォ」

「スコットが負けず嫌いなのは知ってたが、まさか火ノ宮までとはな」

「……そりゃァ、オレだって人並みには負けんのは嫌に決まってんだろォが……まァ、今のは意地張ってたら引くに引けなくなっただけだけどよォ」

 

 ハァ、とため息をついて、ようやく火ノ宮が腰を上げた。

 

「けど、いい加減上がるわ。これ以上は体に悪ィ」

「……も、もうだいぶ無理してる気がするけど」

 

 心なしか、根岸の火ノ宮に対する当たりも弱くなってる気がする。もしかしたら、さっきサウナで二人きりになった時にうまく話せたのかもしれない。

 

「……ああ、やっと出れる」

 

 満身創痍の様子のスコットもサウナから出てきた。疲れを癒やすための風呂でこんなに体力を使ったら本末転倒だ。とはいえ、本人の様子を見れば満足げだから、彼にとってはそれで良かったのかもしれない。

 

 ザバーっと、火ノ宮とスコットの冷水を浴びる音が浴場に響く。その音を背中に受けながら、俺達は脱衣所に向かう。

 今朝まで俺達の間にあった不穏な空気は、もはやここにはない。絶対的な信頼が無くとも、お互いが共に絶望と恐怖に立ち向かうべき仲間であることを知っている。

 

 だから、俺達は同じ方向を向ける。

 

 

 

 

 

 これでも【魔女】は、殺人を引き起こせると思っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

 風呂から上がった俺達は、しばし休んでからそのまま皆で夕飯をとる事になった。大浴場を出てそそくさと個室に戻ってしまった岩国以外は、全員が食事スペースに集まっていた。調理場では城咲が手際よく夕飯を作っている。

 懸念材料の一人だった大天も、少しバツが悪そうではあるが七原とぽつぽつと雑談している。……そんな光景を見ているうちに、あの夜彼女が顕にした殺意を思い出す。

 

 

――《「【言霊遣いの魔女】をこの手で殺す! それが私の人生なの!」》

 

 

 首筋に手を当てる。大天が抱いていた殺意は、他でもない【魔女】に向けたものだった。彼女は、【魔女】を殺すためならどんな選択肢も取ることができる。あの夜は、その殺意がたまたま俺に向いただけだ。その殺意を消すすべは、俺にはわからない。

 大天の殺意を溶かすことが出来るとすれば、それはきっと七原にしか出来ないはずだ。度々大天と行動を共にする七原の存在が、彼女の人生を築く一つにはならないだろうか。

 

「…………」

 

 火ノ宮も、神妙な顔で彼女達を見つめていた。大浴場で積極的に俺達と話しかけていた彼は、大天に対してもなにか話したいことがあるのかもしれない。それでも話しかけようとしないのは、まだ彼女の殺意を飲み込めないからなのか。

 ともかく、今この状況で大天のために俺ができる事は、一つだけだ。

 

「どうしました? 平並君」

「……別に」

 

 俺の視線に気づいたのか、杉野がそんな声をだす。

 ……大天が憎む【魔女】が俺達の中に潜んでいる事。そして、その正体が他でもない杉野である事。この事実を、決して彼女に知られてはならない。彼女の殺意を、押し留めておくためには。

 

「琥珀ちゃん。お風呂はどうだった?」

『どうも何も、オレはただビニール袋に入ってただけだぜ』

 

 食事スペースに響く露草達の声。

 

「ビニール袋ごしにでもさ、なんか感想とかあるんじゃない」

『感想って言われてもよ……あ、けど、そういやオレ風呂に入ったのは初めてだな』

「そうだよね。翡翠と一緒に入るわけにも行かないし」

『いや、人形が風呂に入ること自体がおかしいんだけどな。洗濯されたことはあるけどよ』

 

 再び黒峰を装着した露草がまた漫才を繰り広げている。

 

「章ちゃんのおかげだね。ありがとね、章ちゃん!」

『オレからも礼を言うぜ。わざわざありがとな』

 

 そんな中、彼女は向かいに座る根岸に声をかけた。それなのに彼は、

 

「……あ、べ、別に……」

 

 と、いつも以上にどもりながら小さく答えた。

 

「ん? 章ちゃんどうしたの?」

「な、なんでもない……」

 

 そう答えながら、根岸は横を向く。

 

「嘘! なんか変だよ?」

『章、大丈夫か? 湯上がりで風邪でも引いたんじゃ……』

「い、いや! ほ、ほんとにそういうんじゃないから!」

 

 顔を真っ赤にして、否定する根岸。その最中、彼の視線はちらちらと露草を捉えていた。……厳密に言えば、彼女の顔ではなく、その少し下を。

 

「ならいいけど……」

 

 疑問符を浮かべたままの露草だが、俺と、そして恐らく杉野には根岸の様子が妙だった理由がわかる。

 

 

――《「服の上からでも(表紙だけを見ても)キミの胸部の発達は読み取れたが、こうして実際に中身(本文)を見ると、なかなか(ロマン)を感じるじゃないか」》

 

 

 大浴場で、明日川は露草の胸を……特にその大きさを忌憚なく褒めていた。アレを聞いてまともに接することが出来る男子はそう居ないと思う。今更そんな反応するって事は、今日初めて意識したんだと思うが。

 

「ふむ。経緯(あらすじ)は分からないけれど、何やら面白いことになっている気がするな」

 

 根岸達の様子を見て、明日川がそんな事を呟く。まあ確かに、今になって露草相手に根岸が照れるのは妙に見えるだろう。

 

「後で根岸君に話を伺ってみるとしよう」

「……ほっといてやれ」

 

 なんて事を話しながら時間を潰していると。

 

「皆様、おまたせしました」

 

 城咲が夕食の完成を告げた。

 

「待ってたわよ、城咲。メニューは?」

「本日はきゃべつと魚介のぺぺろんちーのにいたしました。ご飯をご用意するのにはじかんがかかりますから」

 

 そう答えながら、城咲は食事スペースに散らばった俺達にテキパキと料理を配膳する。この短時間で十数人の料理を作ってしまうのは、さすが【超高校級のメイド】と言ったところか。

 各人の好みに合わせて調整されたその料理がテーブルに並ぶ。

 

「では、いただきましょうか」

 

 杉野の号令で皆が食器を手に取る。口々にいただきますと唱えて、美味しそうに盛られたペペロンチーノを口に運んでいく。その見た目と香りに、そして期待に違わず、それはまさに美味と言えた。唐辛子の小さな刺激が舌を刺し、更に食欲を加速させる。

 

 そんな折、ガタッと誰かが椅子を鳴らして立ち上がる音が聞こえた。

 

「大天さん? どうしたの?」

「タバスコ持ってくるだけだよ」

 

 そう七原に答えて中央にやってくる大天に、城咲がタバスコを手にとって渡す。

 

「……ありがと、城咲さん」

「いえ、お気になさらず。それより、大天さんのものは辛めにあじつけしておいたんですけど、足りませんでしたでしょうか……?」

「……うん」

「そうですか……もうしわけありません」

「……別に謝ることじゃないでしょ」

 

 大天は気まずそうに言葉を返して、元の席へ戻っていった。そしてタバスコをパスタにかける。かける。かける。

 

「……え、いや、かけ過ぎじゃないか!?」

 

 シャカシャカという軽快な音に合わせて、大天のパスタがみるみる赤く染まっていく。その光景に俺が驚く間も大天の手は止まらない。

 

「ほっとけ、平並。アイツはアレで良いんだとよ」

「え?」

「いつだったか……てめーが軟禁されてた時の夕飯でパスタが出たときがあったんだ。そん時も今みてェにタバスコかけまくって平気な顔して食ってたんだよ」

 

 ……そうなのか。

 

「……別に私がどう食べようと私の勝手でしょ。パスタは辛いほうが好きなんだよ」

「いや、まあ、それはそうなんだが」

 

 タバスコをかけ終えた大天に刺々しく文句を言われる。大天が辛いもの好きとは知らなかったが、それにしたってかけ過ぎな気もする。しかし、他人の食事にケチをつけたいわけじゃないし、それ以上は何も言わない。

 今はとにかく、この城咲の料理を堪能しよう。そう思って、料理に向き直ったその時。

 

「…………」

 

 ザッと土を踏み鳴らして、岩国が食事スペースに入ってきた。

 

「……どうされたんですか?」

 

 怪訝な表情で尋ねた杉野の声を無視して、彼女は城咲のそばまで歩み寄る。

 

「あの……?」

「…………」

 

 一瞬岩国はためらいを見せてから、口を開いた。

 

「俺の分はあるか」

「え?」

「…………無いなら良い」

 

 疑問符を浮かべる城咲の様子を見て、踵を返す岩国。その足を、彼女の言葉の意味を察した城咲の声が止めた。

 

「あ、あります、あります! もちろん岩国さんの夕飯も作っております!」

「……そうか」

「今用意してまいります。少々お待ちください」

「ああ」

 

 その返事を聞いた城咲は調理場へ向かう。彼女のために、念を入れておいたのだろうか。

 

「どういう風の吹き回しですか? 今朝はあれほど城咲さんの料理を拒否していたではありませんか」

「……別に。どうせ作られているんだから、食べてやらないと食材が勿体無いと思っただけだ」

 

 そう彼女は告げるが、それだけが理由なら今朝の時点で城咲の料理に手を付けていたはずだ。あの大浴場での会話が彼女の心情に変化をもたらしたのならば、懸命に彼女と会話しようとした露草のおかげかもしれない。

 

「もう、素直じゃないなあ、琴刃ちゃ……あっ」

 

 そんな露草が話しかけようとして、途中で言葉を止める。例の約束を思い出したらしい。

 

「……はあ。返事しないからな」

「しているぞ、岩国君」

「変態は黙ってろ」

「……まだ言うのか!」

「あァ? 変態だァ?」

「クレーマーには関係ない」

「岩国さん、お持ちしました」

 

 調理場から戻った城咲が、パスタの盛られた皿を岩国に渡す。

 

「岩国さんの味の好みがわかりませんでしたので、味の調整はご自分でやってもらうことになりますが……」

「……ああ、構わない」

 

 城咲に言われた通り、岩国はテーブル上のタバスコを手にとってパスタに数滴振りかけた。フォークでかき混ぜる。

 そして、

 

「メイド、毒味をしろ」

 

 その言葉とともに城咲へと突き返した。

 

「おい、岩国ィ!」

「いいんです、火ノ宮さん!」

 

 その様子を見て激高しかけた火ノ宮を、慌てて城咲が止める。

 

「岩国さんがそれを心配するきもちもわかりますから」

「……チッ」

「ですが、そもそもどくなんて入っておりませんので、安心してください」

 

 城咲はそう告げて、岩国のパスタをためらうこと無く口にした。そのまま咀嚼して飲み込む。

 

「岩国さん、これでいかがですか?」

「…………」

 

 岩国はその問いかけに何も答えず、しばし城咲の様子を伺う。そして、無言のまま誰も居ないテーブルの方へと移動した。城咲の様子を見て、彼女が毒を盛っていないことを理解したのだろう。

 

「……良かったです。さあ、みなさんもおたべになってください」

 

 満足気に笑みを浮かべる城咲に促され、様子を見守っていた俺達も食器を手にとった。

 

 ふと岩国の様子を伺うと、少しためらいがちになりながらも彼女もパスタを口に入れていた。……よかった。

 

「とりあえず、一段落といったところですかね」

 

 杉野が、比較的緩やかになった空気を察知してそんな事をぼやく。

 

「……そうだな」

 

 心の中で顔をしかめつつ、しかしそれを表には出さないようにそう相槌を打った。

 皆の対立が少しずつ穏やかになっているのなら、目下最大の問題はこの【魔女】ということになる。とりあえず常にそばにいることで妙な動きを止めているが、根本的な解決にはならない。なにか、【魔女】を改心……とは言わずとも、犯行を止めさせるようなことができれば良いんだが。しかし、その方法が思いつくわけでもない。

 

 あと数日もすればモノクマは3つ目の【動機】を与えてくるはずだ。そうなれば、【魔女】の存在など関係なく誰かが【卒業】を企んでしまうかもしれない。……いや、きっとそれは間違いないのだ。過去二回の【動機】と俺自身の事を考えれば、それが限りなく不可能に近いことは分かる。

 

 となると、誰かが殺意を抱く事を前提として行動する方が、事件を止めるためには有効かもしれない。例えば、七原が俺を説得したように。例えば、城咲が大天を組み伏せたように。ただ、それが出来なかった時のリスクは果てしなく大きい。事実、蒼神は説得のために個室を出て、遠城に眠らされ殺されたのだから。

 

「…………はあ」

「何溜め息をついているんだい、平並君」

「なんでもない」

 

 考えれば考えるほど、超えるべき壁の高さを実感する。

 それでも、へこたれるわけにはいかない。また、あの平凡な日常を取り戻すために。

 そうやって、皿に目を落として思案していると、

 

「ゲホッ、ゲホッ」

 

 と、誰かがむせる声が耳に届いた。声の主は、タバスコで真っ赤になったパスタを前にする大天だった。

 

「大丈夫!?」

 

 と、言いながら七原が慌ててコップの水を差し出す。

 言わんこっちゃない。あんな、これでもかと言うほどにタバスコをかけたんだ。そんなものを食べれば、いくら辛い物が好きでもむせるに決まってる。

 

「うぅ、ゲホッ」

 

 と、涙目になりながら大天がコップを受け取る。

 

 

 ――ガチャン

 

 

 そして、地面に落とした。

 

「……ん?」

 

 大天の苦しそうな声に、そしてガラスの割れる音に、他の皆も反応して彼女に視線を向ける。

 

「大天さん?」

「ゲホッ、う、……カハッ」

 

 

 咳き込む彼女が、口からタバスコを飛ばす。

 パスタに、皿に、テーブルに飛散する。

 

 いや、まさか、あれは、タバスコなんかではなく――

 

 

 

「ぅぐっ、が、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」

 

 

 

 口から赤い液体を吹き出しながら。

 震える手で胸を掻き毟りながら。

 苦痛に顔を鋭く歪ませながら。

 

 大天が、絶叫と共に地面に倒れ込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かが叫んだ。

 

 

 

「――毒だッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけでロマンイベント(SoundOnly)でした。
それなりに良い思いはしてるのに何のお咎めもないの、一番卑怯な気がしなくもないです。
ちなみに蒼神さんのは『美』&『巨』って感じです。露草さんのと同じくらいのボリュームです。


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(非)日常編⑤ 夢見る子供じゃいられない

三章、長くなります。
というか、今話がかなり長いです。
よろしくお願いします。


 《食事スペース》

 

「……は?」

 

 目を疑うような惨状を前にして、俺はただそんな間抜けな声を出すことしかできなかった。

 

 

 地面の上で悶える大天の口から、ダラダラと赤い液体が溢れていく。

 鼻を刺す嫌な臭いがこの空間を支配していく。

 誰かが叫んだ通り、それが毒によるものだと、誰の目にも明らかだった。

 

 

「大天さん!? ねえ、大天さん! 大丈夫!?」

 

 と、大天の正面に座っていた七原が、彼女に駆け寄って必死に声をかける。

 その声に反応することもできず、大天の体は痙攣を続ける。虚空を捉える目が揺れ動いている。

 その様子が、大天の生命の危機をありありと告げていた。

 

「……ッ!」

 

 その様子を見て金縛りが解けたかのように、岩国がダッと出口へ向けて駆け出した。

 

「てめー! どこに行きやがる!」

()()()()()んだ! 疑うなら誰かついてこい!」

 

 彼女にしては珍しく焦りに満ちた声で、俺達も彼女の脳内にある可能性に思い至る。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()という可能性に。

 

 

「――まさか」

「嘘でしょ……?」

 

 弱々しく声が漏れる。

 脳のフリーズによって辛うじて抑えられていたパニックが、ダムが決壊するように溢れ出す。伝染する。

 

 そこに一喝、声が響く。

 

「皆さん冷静になってください! 最善の行動を、取りましょう!」

 

 パニックをかき消すほどの大声で、杉野がそう叫んだ。

 

「あァ!?」

「まず1つ、この空間から誰も出ないように! 岩国さん、吐くのならここで吐いてください!」

 

 大きく眉をひそめる岩国。

 

「あなたなら、納得していただけると思いますが」

「チッ!」

「城咲さん、バケツかビニール袋か、それに準ずる物を厨房から持ってきてください!」

「……はい!」

 

 はきはきと、こんな状況においても杉野が適確に指示を出していく。まるで計画していたことなのではないか、と訝しんでしまう程に。

 

「後は……」

「章ちゃん、どうして突っ立ってるの!」

 

 さらに何か指示を出そうとした杉野の声を遮って、露草が叫んだ。

 

「え……?」

 

 呆然と、身悶える大天を眺めながら怯えていた根岸が、彼女の声で我に返る。

 

『翔を助けねえと!』

 

 鬼気迫る声で根岸に迫る黒峰。

 

「助ける……? 大天を助けられるってのかァ!?」

 

 その声に、根岸より先に火ノ宮が反応する。

 

「助けられるよ、章ちゃんなら!」

『解毒薬、作ってたじゃねえか!』

「……『解毒薬』!」

 

 ……なんだって?

 死をただ迎える他なかった大天の未来を変えられる可能性に、火ノ宮も目を開いた。

 

「根岸さん、それはいまどこに――」

「た、助ける必要があるのかよ……」

「……え」

 

 動きを止める露草と黒峰。

 

「……何言ってるんだよ、お前」

 

 俺の口からそんな言葉が漏れる。

 

「だ、だってそうだろ……!? そ、そいつがしたことを忘れたのかよ……!」

「それは……」

「ぼ、ぼく達を殺そうとしたんだぞ……! お、おまえだって殺されかけたじゃないか……! ち、違うのかよ……!?」

「…………」

 

 反論できない。俺が殺人計画を立てたという負い目があったとしても、大天のした事自体は擁護できるものではない。

 だが。

 彼女を見殺しにして良いわけがない。

 

「おえっ、げほっ……ック。馬鹿なことを言うな、化学者」

 

 バケツに顔を伏せていた岩国が、口を拭きながら根岸の方を見て口を開く。周りを見れば、スコットや東雲も吐いているようだった。

 

「……運び屋が死ねば学級裁判が始まる。また命を賭けて推理をする事になるんだぞ。避けられるリスクは避けるべきだ」

「学級裁判なんて関係ないよ! 大天さんがこのまま死んだっていいの!?」

 

 大天のそばで絶えず言葉をかけていた七原が、自論を語った岩国に反論しつつ、共に根岸を説得する。

 

「そ、そんなやつ、し、死んだって「章ちゃん!」

 

 根岸の言葉を打ち消すように、根岸にその先の言葉を言わせないために、露草が声を張った。

 

「本当にそれでいいの!? 章ちゃんは今翔ちゃんを見殺しにして、本当に後悔しないの!?」

「……っ」

「章ちゃんはなんのために解毒薬を作ったの!? 章ちゃんは、自分のためだけに作るような人じゃないはずだよ!」

 

 露草の言葉を聞いて、根岸が戸惑ったように目線をあちこちに散らす。逡巡しているのだ。今、自分が何をすべきなのかを。

 ばらまいた敵意と警戒の奥底で、彼が絆を育みたがっていたことを、俺は知っている。

 

「く、くそっ……! し、城咲……! み、水を用意してくれ……!」

「わかりました!」

「……水なら見張りがいたほうが良いだろう。オレも行く」

 

 白衣をはためかせて、大天の元へ……正確には、大天が食事をしていたテーブルに歩み寄った。

 

「章ちゃん……!」

「…………」

 

 露草の安堵を含んだ声に、根岸は何も答えなかった。そのかわりに、ポケットから取り出した小さなスプレーを大天の皿に吹きかけた。

 

「根岸、解毒薬をマジで作ったのか」

「つ、作った……も、『モノモノサツガイヤク』に限った解毒薬だけど……よ、よし、これなら使える……」

 

 根岸は、皿に残っていた赤いソースが紫色に変わったのを見て、そう呟く。

 

「それは?」

「も、『モノモノサツガイヤク』用の試薬……あ、あの毒薬と反応して色が変わる仕組み……」

 

 杉野の問いかけに、根岸が素直に答える。

 

「あァ!? そんなもんあんなら最初から使いやがれ!」

「つ、使ったよ! こ、これかけたら食べられなくなるから少しだけだけど……!」

 

 言われてみれば、根岸の席にはわずかにパスタが取り分けられた小皿があった。色など変わっていないそれが、きっと毒を調べるのに使ったものだろう。

 

「どうして教えてくれなかったんですか。それがあれば大天さんだって」

「ど、毒が入れられるなんて誰も思わなかっただろ……! ぼ、ぼくが調べたのも、念には念を入れただけだし……!」

 

 責めるような杉野の声に、根岸が苛立ちを込めて噛み付く。

 ……確かにそうだ。食材の管理は城咲だけがすることで、毒を入れる余地をなくしたはずだ。どうして毒が料理に入ったんだ。

 と、考えるうちに、俺や皆の体に異変がないことに気づく。皆同じパスタを食べた。それなのに、大天以外はまるで毒の影響がない。俺達は岩国達のように吐いてすらいないのに。それに、根岸のパスタには毒が入っていなかったことを根岸自身が検証している。

 だとすれば、そもそも大天の皿だけにしか毒が入っていなかったのかもしれない。もしもそうだとするならば、毒は……。

 と、俺が思考を巡らせる間に、根岸が透明な液体の入ったを小さなビンを手に大天に近寄った。あれが解毒薬のようだ。

 

「ちょ、ちょっとごめん、な、七原……」

「あ、うん」

 

 彼女をどかせて、大天のそばにひざまずく。城咲達の用意した水で口内の血を洗い流してから、その小ビンの液体を大天に飲ませた。

 

「んぅっ……ふっ、はあっ……!」

 

 意識を手放しかけていた大天から声と嗚咽が漏れる。けれども、彼女は依然苦しそうなままだ。

 

「根岸君、大丈夫なの?」

「う、うん……く、詳しいことは言ってもわからないと思うから説明しないけど、も、『モノモノサツガイヤク』の致命的な劇薬成分は打ち消せてる……ふ、副作用で、呼吸は苦しくなるはずだけど……」

「……そっか」

 

 彼女が顔を歪めているのはその副作用が原因なのだろう。大天の苦しみはまだ続くようだが、ひとまずは死の危険が去ったと知り七原は安堵の表情を浮かべていた。俺も同じような心情だが、ほっと一息を付く間は与えられない。

 

「……誰だ」

 

 それは、怒りの声だった。

 

「毒を盛ったのは誰だァ!」

 

 耳をつんざく大声に、皆が肩を震わせる。そして、火ノ宮の目線に射抜かれる。

 

「……ひ、一人しか居ないだろ……!」

 

 その声に答えたのは根岸。

 

「しょ、食事スペースにずっと居たのは誰だよ……? ちょ、調理場に自由に入れて、ぼ、ぼく達の料理を作ったのは、あ、あいつだろ……!」

「根岸、お前まさか」

「し、城咲ぃ……! お、おまえが毒を盛ったんだろ……!」

 

 ビシリと彼女に指をさし、大きな声で断言する。

 

「ち、ちがいます! わたしではありません!」

「お、おまえ以外に誰がいるっていうんだよ……! ちょ、調理場にはおまえしか入れなかっただろ……! りょ、料理の配膳だって、ぜ、全部お前がやってた!」

「ですが……」

「一方的に怪しむのならオマエだって怪しいぞ、ネギシ。薬品の管理はすべてオマエが管理していたはずだ」

「そ、そんなのこの前の裁判で話しただろ……! え、遠城が『モノモノスイミンヤク』をこっそり持ち出せたんだから、ど、毒でもなんでも誰だって自由に持ち出せたんだよ……!」

「……」

 

 スコットの反論は、鮮やかに根岸に論破された。

 

「落ち着いてください、根岸君」

「な、なんだよ……ま、間違ったことは言ってないだろ……」

「さあ、どうでしょう。確かにあなたの推測は正しいように聞こえますが、もしかしたらそうではないかもしれません」

「……な、何が言いたいんだよ」

「殺人を企んだ人物を突き止める正しい方法を、僕達はもう知っているでしょう、という話です。二度も経験したじゃありませんか」

 

 城咲が毒を盛った犯人であると決めつけた根岸の興を削ぐように、ゆっくりと語る杉野。その言葉に、嫌な想い出が蘇る。

 

「……学級裁判の事を言ってるのか?」

 

 想像以上に棘のある声が出た。

 

「ええ。正確に言えば、あの残酷なルールではなくその過程を指していますが。証拠を集め、それを元に話し合い真相を看破する……それこそが、犯人にたどり着く最良の方法のはずです。違いますか?」

「…………」

 

 否定はしない。

 

「それなら、さっさと始めましょうよ。まずは捜査ね。モノクマファイルとか検死とかどうするの?」

「大天は死んでねェだろォが!」

「事件は起きたんだから似たようなもんでしょ。そうだ、モノクマは協力してくんないの?」

「てめー……」

 

 あまりにドライに話をすすめる東雲に、火ノ宮の怒りが爆発しかけたその時、

 

『誰も死んでないんだからオマエラが勝手にやれ! こんなときまでボクの手を借りようとするなよ! ボクだってディナータイムの時間なんだぞ!』

 

 前触れもなく、だみ声が天から降ってきた。

 

「頭痛が痛いみたいな事言ってるわね」

「……チッ」

 

 出鼻をくじかれた火ノ宮は、結局舌打ちだけを残した。

 

「ぬいぐるみの助力なんて受けるべきじゃない」

「岩国さんの言うとおりです。被害の状況の詳しい話は根岸君に聞けば分かるでしょう」

「う、うん、まあ……」

「ちょっと待ってよ、みんな。捜査するのは良いけど、それより大天さんの手当をしないと……解毒薬を飲んだなら毒の危険はないと思うけど、たくさん吐いて苦しそうだし……」

 

 捜査の準備のためにまとまり始めた議論を、七原の焦った声が遮った。彼女の言う通りだ。

 

「では、何名かは病院で大天さんの手当をすることにいたしましょうか」

「でしたらわたしが」

「いや、メイドはここに残れ」

 

 城咲が立候補の言葉を言い終える前に、岩国がそれを否定した。

 

「さっきの化学者の発言は決めつけに過ぎないが、それでもお前が最大の容疑者であることに変わりは無い。そうでなくとも、常に調理場を管理していたお前は捜査のためにこっちに残るべきだ」

「……そう、ですね」

「なら、ボクが行こう」

 

 と、城咲に代わって立候補したのは明日川。完全記憶能力を持ち、様々な書籍を読む彼女なら、手当に必要な知識も持っているだろう。

 

「となると、男手も必要ですかね。僕も行きましょう」

「だったら俺も行く」

 

 手当への参加意思を表明した杉野に追随するように、俺もそう告げて手を挙げる。

 すると、

 

「いえ、平並君はここに残っていてください。平並君の学級裁判での活躍を鑑みるに、あなたはこちらに残って捜査をすべきだと思います」

 

 淀みなく理由を述べて杉野は俺の同行を断った。学級裁判での活躍だなんて言葉で俺をおだてているその真意は、俺を自分から引き離すことにあるんだろう。そうはさせない。させる訳にはいかない。

 

「男手が理由で行くんだったら、多いに越したことは無いだろ」

「何渋ってんだ。捜査の人手こそ多いほうが良いだろォが」

「それはそうだが……」

 

 病院に行く理由をこじつけたが、事情を知らない火ノ宮に反論された。実際、手当をするのなら七原、明日川、杉野の三人がいれば十分事足りる。問題なのは、そこに【魔女】が入っていることだ。あいつの側から離れるわけにはいかない。

 ……下手に説得しようとして、だったら自分がこっちに残るだなんて杉野が言い始めたらますます厄介なことになる。早めに切り上げよう。

 

「なんか気になることでもあんのか」

「何でもいいだろ。そんなことより早く大天の手当をしないと。俺と杉野がストレッチャーを持ってくるから、残りの皆は捜査を頼む。火ノ宮に指揮を頼んでもいいか」

「あァ……構わねェけど」

 

 強引に話を打ち切った俺を火ノ宮が怪訝な表情で見つめる。そんな彼を無視して、杉野に声をかけながら食事スペースを出た。俺の心を見透かすような嫌な笑みを浮かべた杉野を引き連れて、病院へと走った。

 

 思わぬ事態になったが、それでも不幸中の幸いと言えるのは、あくまでも事件が『未遂』に終わったということだった。

 まだ、何もかもが終わってしまったわけではない。そう何度も念じて、不安を心中に押し込めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《病院/病室》

 

「これでひとまずは問題ないはずだ」

 

 大天を病室へ運んだ後は、知識を持つ明日川を司令塔にして彼女の手当を行った。吐き出してしまった血を補うための輸血と、毒による衰弱から回復するための点滴を順に行っている。

 七原達の手によって病院着に着替えさせられた大天が、今は入院患者として病室で眠っている。心なしか、その表情は穏やかなものになっていた。

 

「ありがとうございます、明日川さん」

礼を言われるほどじゃない(そんな台詞はふさわしくない)。……やはり簡単な手当ならともかく、実際に器具を使うとなると知識があるだけでは一筋縄ではいかないものだな」

「仕方ないだろ。輸血とか初めてやっただろうし」

 

 妙にテンションの低い明日川をそう言って慰めてはみたものの、おそらく意味はない。

 

「……明日川さんって結構不器用だったんですね」

 

 彼女が落ち込んでいるその原因は、今杉野が述べた通りだ。医学的知識こそあったものの輸血パックを取り扱う明日川の手先はおぼつかなく、実際の作業は彼女の代わりに七原や俺がやった。

 

「ああ。……自分の不器用加減(自分の設定)は自覚していたが……。せっかく皆の役に立てると思った(独白した)んだけれど」

「何言ってる。お前は十分役に立ってるだろ」

「……その台詞は、素直に受け取っておくことにしようか」

 

 ともかく、こちらは一段落ついた。あとは食事スペースに残った皆がどれだけ証拠を見つけられたか、だが……。

 と、それに思いを馳せたその時、ギィと病院のドアが開く音がした。

 

「大天の具合はどうだァ?」

 

 食事スペースの捜査をしていた火ノ宮達だった。7人全員揃っている。

 

「経過は順調、といったところです。捜査の方は?」

「とりあえず調べられる所は調べた。てめーらにも一応話を聞いた方が良いんだろォが……正直有益な情報が得られるとは思えねェ」

「そうですね……時間をかける意味もありませんし、必要があれば議論の中で話すとしましょうか」

「あァ」

 

 トントン拍子に話がまとまる。病室に大天を残して、病院のロビーへ移動した。

 

「それでは……始めましょうか。()()学級裁判を」

 

 その杉野の声で、部屋中に緊張が走る。

 

 

 

 かつての日常を取り戻すべくあがいた俺達をあざ笑うかのように、大天翔の料理に毒が混入された。

 繋がりかけた絆は再び綻び、疑心が飛び交っている。

 

 この議論には、誰の命も懸かっていない。

 けれども、俺達の未来がこの議論に懸かっている。

 

 悪意を持った人間の正体を明らかにできなければ、それは全員を疑う未来へとつながってしまう。そんな未来に希望なんてある訳がない。

 

 だから俺達は、モノクマに指示されたからでも、規則に縛られたからでもなく、自主的に犯人探しに挑む。

 

 

 

 俺達は、俺達の未来のために、学級裁判を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、学級裁判はいいけど、今回は何から話すわけ?」

 

 椅子に座って足をプラプラと揺らす東雲。その姿から緊張感は感じられない。

 

「僕達は捜査をしていませんからね。まずはその成果を聞きましょう。捜査の過程で組み上げた推理もあるかもしれませんし」

「ああ、そうだな。毒の話を詳しく聞きたい」

 

 如何にして大天は『モノモノサツガイヤク』を摂取する事になったのか。犯人を探す前に、その話をしない訳にはいかない。

 

「では、火ノ宮君……いえ、根岸君に聞いたほうが良いでしょうか」

「あァ。毒を調べたのは根岸だからなァ。念の為に言っておくと、毒の現物も使いながら分かる奴で一緒に調べたから内容については偽装の余地はねェ」

 

 一緒に調べた、というのは根岸が犯人だった場合を想定したのだろう。きっと火ノ宮が提案したのだ。彼もかなり抜かり無い。

 

「なるほど、分かりました。では根岸君、お願いします」

「……わ、分かった」

 

 名を呼ばれ、根岸はためらいがちに返事をする。周囲の人間を信用などできないだろうが、毒を混入させた犯人は突き止めるべきだという感情は彼も抱いているらしく、素直に毒に関する情報を語り始めた。

 

「こ、今回の事件で使われた『モノモノサツガイヤク』……あ、あれは、タバスコの中に混ざってたよ……」

「タバスコ?」

 

 それを聞いて、疑問符が俺の頭上に浮かんだ。

 毒については手当の最中にも少し考えていた。皆が同じものを食べたのに『モノモノサツガイヤク』の症状が出たのは大天だけだった。なら、毒は大天だけが食べたものの中に入っていたか、彼女の使った食器に塗られていたはずだと思った。

 大天が食べたもの、として連想するのはあの大量のタバスコだ。あのタバスコの中に毒が入っていたのなら、大天がその被害を受けてしまったのも当然だ。だから、タバスコに毒が入っていると聞いて、ある種納得はした。

 しかしだ。

 

「タバスコに毒が入っていたんだったら、大天だけに症状が出たのはおかしいだろ。あのタバスコは皆で使いまわしていたはずだぞ」

 

 あのタバスコは、大天一人だけが口にしたものじゃない。少なくとも、タバスコのかかった岩国のパスタを、俺達の目の前で城咲が毒味として口にしていた。岩国だって、あの後そのパスタを食べていた。岩国は急いで吐き戻していたが、タバスコに毒が含まれていたのなら彼女達にも何らかの症状は出ていてもおかしくない。

 だから、毒は大天の食器のどれかに塗られていたんじゃないか、と考えていた。

 そんな俺の推理を、根岸はただ事実を述べるだけで打ち砕く。

 

「そ、それは多分、りょ、量が少なかったからだと思う……お、おまえ、も、『モノモノサツガイヤク』の致死量は知ってるか……?」

「致死量……」

 

 根岸に問われてその知識を思い返そうとするが、何も思い出せなかった。

 

「……知らない」

「や、やっぱり……」

『致死量って、確か『モノモノサツガイヤク』のラベルに書いてあったよな』

「凡一ちゃんは【体験エリア】の探索をしてないから知らなかったんだよ」

「あー……」

 

 化学室のある【体験エリア】が開放されたのは、一度目の事件が起きた直後。その時は俺は新家の個室に軟禁されていたから、毒薬の情報は七原達から間接的に聞いただけだった。

 

「根岸、早く続き話してよ。ただの情報の共有なんだからさっさと終わらせちゃいましょ」

 

 と、捜査組だった東雲が根岸を煽る。早く議論に移りたいんだろう。

 

「わ、分かってるよ……も、『モノモノサツガイヤク』の致死量は、こ、個人差を考えても約十滴くらい……」

「あのビンのラベル(裏表紙)には、『一滴じゃまだまだ、五滴でムラムラ、十滴分ならドクドクと血が溢れます。口から噴き出す血のシャワー。鉄分豊富なあなたに』と書かれていたな」

「い、今明日川が言った説明文の通りで、す、少し摂取しただけじゃ影響ないんだよ……ご、『五滴でムラムラ』ってのが、しょ、症状が現れる目安になってる……」

「……なるほど」

 

 だから、タバスコを口にしても大天以外は無事だったのか。となると、岩国達が吐く必要はなかったということになるが……まあ、あの時自分の身を守る方法としては最善だっただろう。自分がどれだけ『モノモノサツガイヤク』を摂取したのかなんてわからないわけだし。

 

「で、こ、この致死量が問題で……」

「問題、ですか」

「た、タバスコに入っていた毒の量が、す、少なすぎるんだ……」

「少なすぎる?」

「さ、さっきも言った通り、も、『モノモノサツガイヤク』の致死量は十滴分なんだけど……あ、あのタバスコに入っていた『モノモノサツガイヤク』を濃度から計算すると、ひ、一ビン全部で十滴分しか入ってなかったんだよ……!」

 

 一ビンで十滴……?

 

「……ちょっと待て。大天って、どれぐらいタバスコを使ってた?」

 

 特に気にしていなかったから、かなり大量にかけていたとしか俺には分からない。けれど、いくら大量とは言っても、一ビン丸々使ったわけじゃない。その後に岩国が使っている。

 

「ボクの記憶(物語)によれば……およそ三分の二。それが彼女がパスタにかけたタバスコの量だ」

 

 明日川が静かに答えてくれる。

 

「三分の二……」

「オレ達も、記憶は曖昧だが残ったタバスコの量から大体そんくれェだと判断した」

「……だ、だから、お、大天の皿に混入した『モノモノサツガイヤク』は、お、多めに見積もっても七滴分……し、しかも、た、タバスコは皿にも残るから、お、大天が摂取したのはそこから更に少なくなる……」

 

 大天が『モノモノサツガイヤク』を摂取した経路をたどるようにしながら、彼女の『モノモノサツガイヤク』の摂取量を概算する。

 ということは。

 

「大天が摂取した『モノモノサツガイヤク』の量は、致死量を越えていない?」

「そ、そういうことになる……さ、さっき言った、しょ、症状が現れる五滴は越えてるから、そのせいで大天は血を吐いたんだろうけど……」

「つまり、根岸君が解毒薬を大天君に飲ませなくとも、彼女が死に至る(終章を迎える)ことはなかった、ということになるのか?」

「どうもそうらしい。もちろん、どちらにしても衰弱はするから手当は必要だが。あのまま放置していたとしても、早急にオオゾラは生死の境をさまようような事態にはならなかっただろう、というのがネギシの見解だ」

 

 混入された毒は少量だった……。

 いや、ちょっと待て。混入された毒が全部で十滴分?

 

「……その計算だと、仮に大天が一本丸々タバスコを使ったって、致死量には届かないよな?」

「そこなのよね」

 

 俺の疑問に、のんきな声で東雲が答える。

 

「毒はタバスコ全体で十滴分。もしも全部料理にかけたとしても、その一部はどうしても皿に残るはずよ。皿に残ったソースをなめたりするようなら話は別だけど大天はそんな卑しいことしないし」

「それ以前の問題として、そもそもタバスコを一本すべて使うような奴がいない。あの舌のイカれた運び屋でさえ三分の二しか使っていないんだからな」

 

 東雲と岩国がそれぞれ私見を述べる。そのどちらもが正しく、異論の入る余地はない。

 

「ではこういうことになりますか。この事件は、殺人未遂()()()()、ただの傷害事件であると」

「……あァ。実際の法律がどうこうってのは一旦置いとくが、少なくとも今回の犯人に殺意はねェって考えたほうが自然だ」

「だったらなんのためにこんな事……」

 

 一連の話を聞いて、七原がポツリと呟く。

 

「大天の狂言の可能性は無い?」

 

 その疑問に、東雲が答えた。その突拍子のなさに、思わず反応する。

 

「大天が、自分で毒を入れたって言うのか?」

「そうよ。絶対に死ぬことは無いけど、症状は出るだけの毒を入れて、自分で被害者のふりをしたんじゃない? これから、何かをしでかすために」

「そんな事……」

 

 無いとは言い切れない、が。

 

「犯人が分かっていない現状では、犯人の目的を推測するのは困難です。そういった話は後回しにしましょう」

 

 杉野が話をそう切り上げる。犯人のおぼろげな姿すら捉えられていない今、詳しい動機は考えても仕方がない。議論は次の議題へ進む。

 

「では、肝心の誰が毒を混入させたかについて話し合いましょうか」

「……あァ」

 

 毒の摂取経路は判明した。何者かがタバスコに毒を混入させたのだ。

 まず聞くべきは……。

 

「タバスコの管理は?」

「そのほかの調味料と同じく、調理場のたなにしまっておきました。たばすこに手を加えるのであれば、調理場に入らなければなりません」

 

 と、ハキハキした声で城咲が答える。

 タバスコは調理場にあった。そして、その調理場は、『モノモノサツガイヤク』が手に入れられる様になってからは常に城咲が見張っていた……。

 

「な、なあ……や、やっぱり、ど、毒を盛ったのは城咲じゃないのか……?」

 

 根岸がためらいがちにそう告げる。感情の昂ぶりがないのは、今度は一方的な決めつけでなく、きちんと根拠を持って結論を出したからだろう。

 

「……シロサキはそんな事しない」

「け、けどさ……ほ、他にタバスコに毒を仕込める奴は居ないだろ……」

『食事中はどうだ? タバスコが食事スペースに出てる時なら、こっそり入れられるんじゃねえか?』

「……いえ、無理でしょう。図書館のように入り組んだ場所ならともかく、食事スペースはかなり開けていますから。タバスコに毒を入れるなんて作業に城咲さんが気づかないとは思えません。ですよね?」

「……はい」

 

 静かに、城咲が答える。

 

「……じぶんの首を締めるような事をいいますが、みなさんをしんじて本当のことだけをお話します」

「…………」

 

 この間の学級裁判で、城咲は自分に疑惑が向いた時に嘘をついた。事実彼女はクロではなかったし、自分の、そして皆のためにそれが一番いいと判断した末の行動だったのだろう。

 

 しかし、結局その嘘は杉野に暴かれ、互いに事実を話し合うことで真実を突き止めることになった。皆で真実を見つけるために議論するのなら、たとえ本当に自分が潔白でも嘘はつくべきではないのだ。

 

「わたしは、『ものものさつがいやく』が使えるようになってから、食事すぺーすのかぎが開いているときがつねにあそこにいました。そうなった理由が理由ですから、もうしわけありませんがみなさんの動きは警戒していました」

『謝ることじゃねえだろ。俺達がそれを頼んだんだ』

「ですが、誰もみょうなことはしてなさっていませんでした。【超高校級のめいど】と十神財閥の名にかけて、あのようなせまい空間でどくの混入をみのがしてなどおりません」

 

 はっきりと、彼女は力強く述べる。

 

「まァ、他の人の目もあるからな。そのタイミングで毒を入れたとは考えにくい」

「でしたら、ますます城咲さんを疑わないわけにはいきませんね」

「……そう思われるのも、むりはないと思います」

「だとしても、シロサキが料理に毒を盛るメリットがない」

 

 城咲が毒を入れた犯人であると疑いが強くなる流れに、スコットが待ったをかける。

 

「そもそも、調理場の管理をシロサキ一人に任せたのは、もし毒を盛ってもシロサキが真っ先に疑われるからシロサキが毒を盛ることはないという理由があったはずだ。そして今、まさにシロサキが疑われている。こうなる事はわかりきっていたはずなのに、それでもシロサキが毒を盛ったって言うのか?」

「そ、それは……」

「更に言うなら、シロサキが犯人だとすれば怪しい行動を取った人物はいなかったなんて証言するのはあまりにも不自然だ。アオガミの裁判の時にも同じ話をしたよな」

「そういえばそんな事言ってたわね。結局城咲は犯人じゃなかったし」

 

 確かにスコットの言う通りだ。毒殺という殺害方法には、自身が直接手を下す必要がないというメリットが有る。現場にいる必要すらないため、直接自分へとつながる証拠は残りにくい。しかし、城咲に限っては別だ。もし城咲が犯人なら、料理に毒を盛った時点で自分が犯人だと告げるようなものだから。

 そう考えると、俺も城咲が犯人とは思えない。

 

「けど、事実としてタバスコには毒が入っていたじゃない。そういう心理的なデメリットを理解した上で、だからこそあえて毒を入れたのかもしれないわ」

「『あえて』取る行動にしてはあまりにもデメリットが大きすぎる。誰かがシロサキに罪を着せるために毒を混入させたと考えるほうが自然なはずだ」

「手芸部の意見に正当性がある。メイド以外に毒の混入が可能だったかどうか、議論する必要があるな」

 

 冷静に双方の意見を見極める岩国。

 

「今日より前で、最後にタバスコを使ったのはいつだ? 俺が軟禁されている時に使ったんだったよな?」

「二番目の動機が与えられた日(動機公開編)の前日の夜だ。その日のメニュー(題材)はナポリタンだった」

「あァ……あん時も大天は狂ったみてェにタバスコをかけてたな」

「ほ、ほんと初めて見たときはびっくりした……」

「その時は毒は入ってなかったってことだよな」

「ええ。大天さんはピンピンしていらっしゃいましたよ」

 

 となると、毒はそれから今日の夕方までの間のどこかで混入されたということになる。

 

「ふしぎなんです……前回たばすこを使用してから丸三日間……かぎの開放されている日中は常にわたしは食事すぺーすにおりました。ゆいいつ今日のおふろのときは離れましたが……他のみなさんが全員大浴場に向かってから離れています」

「うん、それは私が保証するよ。私が大浴場に大天さんを連れて行くまで城咲さんは食事スペースにいたし、もちろん私達はずっと一緒にいたし」

「男子で、風呂入ってるときに抜け出した方はいませんね」

女子風呂(サービスシーン)も同様だ。単独行動は誰も取っていない」

「変態。妙な言い方をやめろ」

「……キミこそその呼び名はもう勘弁してくれないか」

「お前が反省したらやめてやる」

「……とにかく、入浴のタイミングを狙って毒を混入させるなんてのはできそうにないな」

 

 二人の言い合いを無視して話をまとめる。裸一貫の相互監視ができるあの場で、一人だけこっそりと行動することなんかできない。

 

「夜時間には鍵がかかりますが……その前後はいかがでしょうか。鍵がかかる直前、または鍵が開く直後。そこに隙間があれば、毒の混入は可能になりますが」

「すきまなんてありません。夜はかぎがかかったことをかくにんしてから個室に戻っていますし、朝もかぎが開く前に移動しています」

「じゃあ、こっそり毒を入れる隙なんか無いじゃないか」

「よ、夜時間の間に、う、上から入るのは……? た、高い策で囲まれてるだけだから、よ、よじ登れば入れるんじゃないか……?」

「いや、それは無理な脚本だ。夜時間を主題とした規則には、鍵がかかる(禁書になる)事だけでなく、はっきりと出入りの禁止が書かれているからな」

 

 

――《規則3、夜10時から朝7時までを【夜時間】とする。夜時間には【食事スペース】及び【野外炊さん場】は施錠され、立ち入りを禁じる。》

 

 

 夜時間に関する規則を思い返すと、確かに明日川の台詞の通りだった。

 

「そ、そうか……」

 

 意見を総括すれば、一つの結論が見えてくる。

 

「日中は城咲が見張ってて、夜はずっと鍵がかかっている。誰にも見つからずに調理場に行くことなんか無理だ」

 

 じゃあ、やっぱり、犯人は。

 

 

「いや。それは違ェぞ!」

 

 

 導きかけた結論が、火ノ宮の声にかき消される。

 

「誰にも見られずに調理場に侵入できる時間が、一度だけある!」

「一度だけ?」

「あァ――捜査時間だ」

 

 え?

 

「……あ!」

 

 瞬間、モノクマのかつての言葉が脳裏をよぎる。

 

 

――《「それでは、この後蒼神サンを殺したクロを見つける学級裁判を執り行います! というわけで、そのための捜査時間をあげるから、頑張って捜査してね! 例によって食事スペースのカギは開けておくから。それじゃ、ファイトだよ!」》

 

 

 確かにモノクマはそんな事を言っていた!

 

「この前の事件に食事スペースは全く関与してなかったから意識してなかったけどよォ、捜査中は夜時間でも鍵が開く! 捜査中は規則による立入禁止の例外になんのは、一度目の時に証明済みだ! しかもオレ達は誰も見張りを立ててねェ! クソッ!」

 

 ここに来て今更気づく見張りの穴に、火ノ宮は歯ぎしりをして床を蹴りつけた。

 

「……確かに、可能ですね。前回の捜査中は、ほとんどが【体験エリア】に留まっていました。それに、事件現場付近はともかく、他のエリアへの単独行動は特に気にかけていませんでしたし……その隙をついて、毒の混入を実行することは不可能ではありません」

「じゃ、じゃあ、ど、毒を入れた犯人は、これから学級裁判があるのに、そ、その先で事件起こそうと毒を仕込んだってことか……!?」

「……そういうことになるな。それ以外のタイミングは……考えられない」

 

 ……まさか。

 でも、そうとしか考えられない。目の前で蒼神が静かに息絶える姿を見て、これから命懸けの学級裁判が待っているというのに、事件を起こすべく行動したんだ。犯人が城咲でないという仮定の上だが。

 

「そんなのおかしいよ! だって、もしも学級裁判でクロを見つけられなかったら、そこで自分も死んじゃうんだよ! 毒を仕掛けたって、無駄になっちゃうもん!」

『……いや、あながち無い話とも言えねえぞ、翡翠』

「えっ?」

『毒を仕掛けても仕掛けなくても、どのみち学級裁判ですることは変わんねえ。どうせクロを見つけないと死んじまうんだから、クロを当てて生き残った時のことだけ考えるのは理に適ってる。()を見据えて行動するのも、ありえないとは言い切れねえ』

「でも、紫苑ちゃんの死体を見た後で、毒を仕掛けるなんて……」

『オレだって別に毒を入れてもいいなんて思ってねえよ。ただ、その考えには一応筋が通っているって言いてえだけだ』

「……そっか」

「露草。一人で議論すんのやめてくんない?」

「一人じゃないよ、瑞希ちゃん」

 

 二人の(一人の)会話を聞いて、犯人の行動に少し納得はした。……が、それを咀嚼するうちに別の考えも思いついた。

 

「け、けど、そ、捜査する時間を削ってまでわざわざ毒を仕込まなくても……」

「……もしかしたら、犯人は蒼神を殺したクロが分かってたんじゃないのか?」

「あァ? 捜査の時点でかァ?」

「ああ。だったら、捜査をする必要なんかないだろ?」

「何言ってやがる。裁判の前にクロが分かってたのは、クロ自身しかいねェ。けど、クロは勝てば【卒業】するんだからクロが毒を仕込む意味なんかねェだろォが」

「いえ、そういうことではありませんよ」

 

 そう言って火ノ宮に反論するのは、杉野。

 

「どういう意味だァ!」

「通常の事件であれば……例えば、一度目の新家君の事件であれば火ノ宮君の考えに間違いはありませんが、蒼神さんの事件の場合は少し事情が異なります。あの事件には、もうひとり関係者がいたではありませんか」

「……ッ!」

「それが言いたかったのですよね? 平並君」

「ああ。……愉快犯だよ」

 

 その言葉を口にした途端、皆の息を呑む音が聞こえた。

 

「蒼神と遠城をアトリエに呼び出したっていう愉快犯。そいつは、捜査をするまでもなく遠城がクロだって事を知っていたはずなんだ。だから、次の事を考える余裕もあったんじゃないか?」

「……なるほど。確かに、理屈の通ったシナリオだ」

 

 厳密に言えば、裁判の前にクロを知っていた人物はもうひとりいる。遠城をけしかけた【言霊遣いの魔女】である杉野だ。だが、杉野はあの時俺とずっと一緒に行動していた。コイツに毒を仕掛けることはできない。だから、候補としては愉快犯しかいなくなる。

 

「それに、今回の犯行なら毒殺することだってできたはずなのに、あえて犯人は人が死なないように『モノモノサツガイヤク』の量を調整していた。俺達をバカにするみたいに騒動だけを起こしたかったなんて、実に愉快犯らしいと俺は思う」

「……それには異議があるな、凡人」

 

 犯人は愉快犯である、という俺の意見だったが、反対意見が入る。

 

「それはお前の主観に過ぎない。お前の意見は筋は通っているが、証拠がない。犯人が愉快犯でないとしても、腹話術師の意見を考えれば十分成立する」

「……そうだな」

 

 反論の余地がない……というより、犯人が愉快犯だと断言できる根拠がない。議論を進めれば見えてくるものがあるだろうか。

 

「まあ、やってることは完全に愉快犯だからちょっとややこしいね」

 

 と、七原。手紙を出した人物と毒を仕込んだ人物が同一人物なら、まだマシなんだが。ただでさえ【魔女】がいるのに、愉快犯が二人もいてたまるか。

 

「では、以上を踏まえて容疑者を確認いたしましょう」

 

 今回の犯人の異常性を感じ始めた皆を鎮めるように、杉野が次の段階に話をすすめる。

 一人しかいなかった今回の事件の容疑者だが、見張りの穴が見つかることでその数は増えることになるはずだ。

 

「まず、他の方にも毒の混入が可能だったとは言え、城咲さんを容疑者から外すことはできません。よろしいですよね?」

「……はい。いたしかたありません」

 

 杉野に念を押されるように問われ、静かに彼女はそう答える。不服そうな顔をしてはいた。

 

「そして、容疑者に新しく加えられるのは、前回の捜査時間で単独で【体験エリア】を離れた人物です。……一人一人リストアップするのは面倒ですし、自己申告していただけますか」

 

 彼の声を聞いて、ちらほらと手が挙がる。おずおずと、しかしはっきりと手を上げたのは、根岸に露草、七原と岩国。そして東雲の五人だった。

 

「だよなァ。オレは明日川と検死の後も一緒になって行動してたし、平並と杉野も一緒に捜査してたはずだ。スコットも大天や城咲と一緒に現場にいたしなァ。少なくともオレ達は容疑者から外せる」

「ってことは大天の狂言の線は消えたわね」

「……ん? 東雲、お前は違うだろ」

 

 火ノ宮の声とともにその真偽を確かめていると、ふと違和感に気づいた。

 

「何が?」

「お前、手を上げてるが……お前は【宿泊エリア】に行ってないだろ。お前は【体験エリア】の中で対岸のアトリエや実験棟の捜査をして、その後現場に戻っただけじゃなかったか?」

「まあそうだけど。でも単独行動をしてたのは事実だし、アタシが【体験エリア】を出てないのは証明できることじゃないでしょ。明日川が四六時中見張ってたって言うんなら話は別だけど」

「いや、ボクは検死(死の解読)をしていた。【自然エリア】へとつながるゲートが視界(描写)から外れていた時間(ページ)もある」

「でしょ? だからアタシは晴れて容疑者の仲間入りってわけ」

「……まあ、東雲さんがいいのならそれで話を進めますが」

 

 呆れたような声の杉野。

 

「今手を上げてくださった5名と城咲さん。この6名が今回の毒物事件の容疑者ということになります」

「そうだな。異論(校正)はない」

 

 容疑者6人。今生き残っているのが12人だから、その半数に登る。

 

「では、ここから容疑者を減らしていくために事件について議論していきたいと思います。直接誰かの容疑を晴らすようなものでなくてもかまいません。何か、気になることのある方は?」

 

 発言を誘うように軽く手を上げて、杉野は俺たちを見渡す。

 

「…………」

 

 しばし沈黙が流れる。気になること、と言われてパッと思いつくことは無い。まだ事件を漠然ととしか捉えられていないのか。

 

「……なぜ、たばすこだったのでしょう」

 

 何を話せば、と悩んでいるうちに城咲が声を絞り出した。

 

「と、言いますと?」

「調理場にはさまざまな食材や調味料がそろっています。その中で、なぜたばすこにどくを入れることにしたのでしょうか」

 

 調理場を知り尽くしているからこそ出る城咲の疑問。

 

「意味なんて無いんじゃないのか? 『モノモノサツガイヤク』は液体だ。それを仕込めるような液体なら何でも良かっただけだと思うが」

 

 それに、俺はそんな答えをつけた。

 

「液体の調味料っつーと、タバスコ以外には醤油やソース……あとは酢とかかァ?」

「……醤油じゃダメだったのかも」

「あァ?」

 

 異を唱えたのは七原。

 

「なんとなくだけど、きっと、犯人はタバスコじゃないといけない理由があったんだよ」

「勘じゃねェか」

「そうだけど……」

 

 しかし、七原の勘はバカにはできない。なにせ、彼女は【超高校級の幸運】なのだから。

 

「醤油じゃダメな理由、か」

「ひんどの問題ではないでしょうか」

 

 俺のつぶやきに答えを出したのは城咲。

 

「醤油はりょうりする際にもおおく使用しますし、和食の定番ですからたびたびてーぶるに用意します。それにくらべて、たばすこをめいんの味付けではつかいません」

「使わないんだったら意味ないんじゃないの? 毒を仕込んだのに誰も口にしないってことだよね」

『それは違うぜ、翡翠。別に使わないったってまったく使わないわけじゃねえ。今日みてえにな』

「黒峰さんの言うとおりです。おそらく、犯人はすぐに事件を起こしたいわけではなかったのではないでしょうか」

「……なるほど。一理ありますね」

 

 昨日の朝二度目の学級裁判を終え、今朝新たなエリアであるこの【運動エリア】が開放されたばかりだ。こんなに早く事件が発生するとは、犯人も予想外だった可能性はあるかもしれない。

 

「い、一理はあるけど……で、でも、た、タバスコに毒を仕込んだって意味ない……」

「あァ?」

「ぼ、ぼくも、ず、ずっと気になってたんだ……な、なんでタバスコなんかに毒を仕込んだのかって……だ、だってそうだろ……? さ、さっきも言ったけど、あ、あの毒は少量じゃ反応しないんだ……た、タバスコなんて出てくる頻度も少ないし、い、一度に掛ける量だって少ない……」

 

 一本ずつ指を伸ばしながら、根岸は自論を唱えていく。

 

「大天がバカみたいに掛けまくったから症状が出たけど……そ、そうじゃなかったら、毒を仕込んだことすら知られなかったかもしれないんだぞ……!」

 

 確か、タバスコに入っていた毒は一本でようやく致死量に達するくらいだったか。大天のように大量に使う人がいなければ、症状が現れることすらなかった。仮に少しずつ摂取していったとしても一人や二人で使い切るわけじゃないから、その結果は変わらないだろう。

 

「でも、事実、こうして事件は起きた」

 

 はっきりと、東雲が告げる。なにかに気づいたのか、嬉しそうに口を歪ませて。

 

「ってことは、最初から犯人は大天が毒を口にするのを狙ってたってことになるわね。醤油でも他の調味料でもなく、わざわざタバスコに毒を盛ったんだから」

「……犯人はオオゾラに恨みがあったってことか? だから、オオゾラ以外には被害が出ないようにした……」

「そうじゃないわ、スコット。いや、その可能性もあるけど。アタシが言いたいのはそういうことじゃないのよ」

 

 仰々しく手振りをつけて彼女は語る。

 

「まるで犯人がわかったみてェな口ぶりじゃねェか」

「ああ、別にそういうわけじゃないの。でも、少なくとも容疑者は減らせるはずよ」

「な、何が言いたいんだよ……」

「犯人は、大天がタバスコを大量に掛ける事を知ってたってことよ。そうじゃなきゃ、タバスコに毒を仕込もうなんて考えない。そうよね? だって、タバスコを一度に大量に使ってくれる人がいなかったら誰にも症状は現れないんだから」

「……確かに」

 

 シンプルなロジックとして、東雲の言葉に間違いはない。

 

「そして、それは全員が知っていたわけじゃないわ。毎日料理を作ってた城咲やそれを食べに行ってたアタシは知ってたけど、例えば軟禁されてた平並なんかは知らなかったわ」

「ああ」

「容疑者の中にも、そんな人がいるわよね?」

 

 そう告げて、彼女はニヤリと笑う。

 

「……俺だ」

 

 その楽しげな顔に、冷たい言葉がぴしゃりと突き刺さった。出会った当初から俺達と壁を作っていた、岩国だった。

 

「そう! アンタはずっと夕飯を食べになんか来なかったわ。そもそも朝だって顔は見せるけど城咲の料理は食べてなかったわけだし。大天のタバスコのことなんて知らないでしょうね」

「……なるほど。ちなみに、彼女に大天さんの事を話した方はいらっしゃいますか?」

 

 誰も反応しない。

 

「でしょうね。彼女は僕達と距離を取っていましたし、わざわざ大天さんの事を話す理由もありません。人づてに聞いた可能性も消せますね」

「なら、俺は容疑者から外させてもらうぞ」

「ええ。問題ないと思います」

 

 と、杉野が判断する。それに異を唱える人も居なかった。

 

「他にもそういう人はいるんじゃないのか? 夕食は、朝食とは違って時間を合わせてなかった気がするが」

 

 そう問いかけてみるが、

 

『ダメだな。今容疑者になってる奴らは皆あの日大天と同じ時間にメシを食べてた』

「この考え方だとこれ以上容疑者は減らせないと思うよ」

 

 黒峰と露草に二人がかりで否定されてしまった。そうか……。

 

「しかし、一人容疑者を減らせただけでも進展はしています。他に意見のある方は?」

 

 議論を一度取りまとめて、再び杉野が議題を募る。

 

「…………」

 

 再び沈黙。

 

 沈黙。

 

 そして沈黙。

 

「……何も、出ませんか」

「……てめーは?」

「残念ながら、僕もです。議論をしたいのは山々ですが……如何せん議題がありません」

 

 そうなのだ。杉野の言う通り、事件を解き明かすためのきっかけになりようなとっかかりが思いつかない。

 

「…………」

 

 ため息のような沈黙が重なって、そのまましばし時が流れる。

 誰も、何も喋れない。これ以上、何を喋れば真相にたどり着けるのだろうか。

 

「……や、やっぱり、し、城咲がやったんじゃないのか……?」

 

 ポツリとそんな疑惑が再び花開く。

 

「それを言うなら、毒を管理していたオマエだって十分怪しいだろ」

「だ、だから、そんなの関係ないって言ってるだろ……!」

「わたしだってちがいます!」

「……あえて言うんだったら、城咲も根岸も真っ先に疑われるような状況で犯行に及ぶとは思えねェ」

「でも、さっきも言ったけど、それを承知の上であえて毒を仕込んだ可能性はあるわ」

「……チッ。分かってる」

 

 堂々巡りだ。さっきもした会話を繰り返している。皆苛つき始めている……いや、焦り始めているのだ。このまま俺達がたどる末路を想像できてしまっているから。

 

「どうしよう……これじゃ、いつまで経っても水掛け論だよ」

 

 と、不安げな七原の声。少なくとも、こうして感情をむき出しにして議論するのは絶対に良くない。

 かといって、それを打破する方法もない。

 

「というかそもそも、こんな事しでかすのはシノノメしかいないんじゃないのか。予行演習がしたかった、とかな」

 

 こうなると、どれだけ怪しいかでしか話を進められない。そんなもの、結局の所決めつけにしかならず、そこに犯人を突き止められるような建設的な議論はない。

 

「そう言われるのも分かるけどね。アタシもぶっつけ本番は怖いし。でも、七原や露草だって毒を仕込む可能性はあり得るでしょ」

「七原がそんな事するわけ無いだろ!」

「って言う風に平並がかばってくれると踏んだんじゃないの?」

「そこまでです」

 

 俺と東雲の口論を杉野が遮った。

 

「何よ」

「これ以上言い合っても、意味ないでしょう。互いに暴言を吐きあうだけに過ぎません」

「……学級裁判をやめるっつーのかよ」

「……はい。非常に不服ですが、それしかないでしょう。幸いにも、犯人を当てられなくともペナルティはありません」

「けどよォ! それって毒を盛った犯人を野放しにするってことじゃねェか!」

「僕だってしたくてそうするわけじゃありません! ですが、こうなった以上致し方ないじゃありませんか」

「…………ッ」

 

 この他に打つ手など無い、とでも言いたげに、悔しそうな声で杉野は告げる。

 まるで杉野がこの場を支配しているかのようだった。

 

「いや、しかし……」

 

 嫌な予感とともに、【魔女】の行動を止めようと声を上げる。

 

「何でしょう、平並君」

「…………」

 

 だが、名を呼ばれてもその言葉の続きを口から出すことはできなかった。杉野が……【魔女】が場を支配するのを止めたくて声を上げたが、それを実行する力量も理屈もない。

 

「野放しにしないというのなら、現在の容疑者を全員縛り上げる、ないし軟禁するという手段を取ることになりますが」

「ふ、ふざけるな……!」

「……大丈夫だ、根岸。そんな事はしない」

 

 出来るわけがない。その中に毒物事件の犯人がいると言っても、そいつ以外は無実なんだ。誰が犯人かもわからないまま、半数近くのただ怪しい人物を拘束したとして、いつまでそれを続けるのだろう。このモノクマによる軟禁生活の終わりが見えない以上、その拘束を続けても途中で開放してもどちらにしても不和は目に見える。

 

 何が何でも、今、犯人を特定すべきなんだ。

 けれども、それができない。できないから、こんな事態に陥っている。これ以上学級裁判の真似事を続けたところで真相が見えてくる気配はなく、それより先に俺達は互いに傷つけ合うだろう。だから、議論を止めた杉野の判断は正しい。正しいと言わざるを得ない。

 

「クソ……」

「…………」

 

 小さく悪態をつくスコット。無言で床を見つめる城咲。他の皆もそれぞれ暗い空気をまとっていた。きっと俺もそうなんだろう。

 

 

 疑わしきは5人。しかし犯人(クロ)は不明。そんな結末で、俺達の疑似学級裁判は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまんねー学級裁判。そんなオチなら最初からするんじゃないよ」

 

 いつまでそうしていただろう。止まった時が、だみ声によって動き出す。

 

「……モノクマ」

「まーだオマエラはボクがいないとまともに学級裁判もできないんだな! ボクの偉大さが身にしみて分かっただろうけど、いつまでもボクの手をわずらわせるなよ! いい加減ボク離れしろ、この青零才!」

 

 モノクマはマシンガンのように文句を言い続ける。

 

「うるせェ。てめーがいても裁判中に何も喋んねェだろォが」

「まあでも、オマエラがこんな決着で満足してるのは、やっぱ命がかかってないからだよね。命がかかれば、もっと必死になって頑張ってくれるだろうしさ!」

 

 そして、そんな恐ろしい事を言いだした。

 

「何をする気だ、モノクマ!」

 

 まさか、今からこの学級裁判にペナルティでもつける気か。

 

「大天は死んでねェ。誰もオシオキされる理由はねェはずだ」

 

 俺と同じ発想に至ったのか、火ノ宮がモノクマに先じて噛み付く。

 

「分かってるよ! ボクとしてはノンペナルティの学級裁判なんてゴミもいいところだと思うけど、だからって死人が出てない以上はオシオキをするわけにも行かないし。だから、とっとと誰かに死んでもらおうと思って」

「は?」

「というわけで、ボクにちゅうも~~く! プレゼントの時間だよ!」

 

 ――プレゼント。

 モノクマの放ったその言葉は、俺達の記憶を呼び覚ますのには十分すぎる重みを持っていた。

 

「【動機】か」

「明日川サン、その通り! ま、三度目だし誰でも分かるよね!」

「待て! 【動機】を出してくるには早すぎるだろ! 今朝【運動エリア】が開放されたばかり……前や最初の時はもっと期間があったはずだ!」

 

 過去の絶望を思い返して、そんな言葉をモノクマにぶつける。一度目の学級裁判が終わってから【動機】が配られるまでに俺は丸三日軟禁されていたし、モノクマも『続けて学級裁判をやっても疲れるから休憩を与える』というようなことを言っていたはずだ。

 

「『早すぎる』ゥ? それはこっちの台詞だっつーの! こっちがわざわざ休憩時間を用意してやってんのに、その休憩時間にこんな事件を起こしたのはオマエラだろ!」

「オレが事件を起こしたわけじゃねェ!」

「オマエはいい加減揚げ足を取るのをやめろッ! 話が進まないだろ!」

 

 顔を真っ赤にしたまま、モノクマは言葉を続ける。

 

「こっちだって段取りってもんがあるんだよ! せっかく【動機】を用意したのに無駄になっちゃうでしょ!」

「そ、そんなのぼくたちが気にすることじゃないだろ……!」

「気にしろ! っていうか黙って聞いてろよ! 今はボクが話す時間なの! 人の話を遮るんじゃない!」

 

 だなんて、内容だけは至極真っ当そうな事をモノクマは言って、ふうと一息をついた。

 

「そんなわけで、ホントに事件を起こされちゃう前にとっとと【動機】を配っちゃおうと思ったんだよ。今なら皆集まってるから丁度いいでしょ? 大天サンも目を覚ましたみたいだしさ」

「えっ?」

 

 モノクマの言葉を聞いて開いたドア越しに病室を覗きこむと、確かに大天が体を起こしてこちらを向いていた。

 

「大天さん!」

「おっと、七原サン。そういうのは後にしてね。先にこっちの話をやっちゃうから」

 

 駆け寄ろうとした彼女の足は、モノクマのそんな言葉に止められた。

 

「さて、やっと始められるね。まったく、前振りが長い……」

 

 そんな文句を言いながら、モノクマはテーブルによじ登る。メインプラザで言うステージの代わりだろう。

 

「はい! 皆さん、いかがお過ごしでしょうか! こないだの学級裁判から何日か経ったけど、そろそろ事件が恋しくなってきたんじゃないの?」

「まだ二日しか経っていないが」

「じ、事件なら今起きたばっかりだろ……!」

「もしかして、用意しといた台本そんまま読んでんじゃねェのか」

「黙って聞けって言ってるだろ!」

 

 だんだんと地団駄を踏んでから、仕切り直すようにゴホンと咳き込むモノクマ。

 

「そんなわけでオマエラに【動機】をプレゼントしようと思うんだけど、せっかくオマエラは二回も学級裁判をクリアしたんだし、それを褒め称えてボクからはボーナスをあげようと思うんだ!」

「ボーナス?」

「そう!」

 

 と、元気よく答えたモノクマは、テーブルから降りると俺達に一枚の紙を手渡して回った。病床の大天も含めてだ。

 おおよそ手のひらに収まるくらいの大きさの長方形のその紙には、髭の生えた男性の肖像が描かれている。その角にある数字は、10000000000(1の隣に0が十個)

 

 

 

「ここまで生き残ったオマエラには特別ボーナス! ずばり! ひゃっくおっくえーーーーーーーん!!!」

 

 それはまさしく、『百億円札』に違いなかった。

 

 

 

「いやー、口にすると気分がいいね! 『百億円(ひゃっくおっくえーーん)』って、トップクラスに声に出したい日本語だと思うんだけど、オマエラはどう思う?」

「……いや、おかしいだろ。こんなもん、【動機】として成立してねェ」

 

 楽しいゲームでも勧めるかのごとく明るくしゃべるモノクマに、冷静に火ノ宮がツッコミを入れた。

 

「え? でも、外に出たら使い放題だよ? それに、お金ってのは古今東西殺人を引き起こすトリガーになってるのに、今更何言ってんの?」

「そういう事を言いてェんじゃねェ。こんな紙切れに、自分や他人の命を掛けるほどの価値があるわけねェっつってんだ」

 

 怒気よりも困惑を強く表面に出して、彼はモノクマに語りかける。俺も彼と同じことを考えていたし、きっとこの場にいる皆がそう思っているだろう。

 

「それってオマエの価値観じゃーん! 心配しなくてもボクにはボクの考えがあるから大丈夫だよ! っていうか、ぶっちゃけ今のオマエラにボクの【動機】なんか要らないだろ!」

「ぐッ……」

 

 痛い所を突かれて、火ノ宮は黙り込む。……この光景も見慣れたものだが、実際の所モノクマの言うとおりだ。モノクマが何もしてこなくとも毒物事件が発生した。強いて言うなら、この毒物事件が【動機】と言えてしまう。

 

「そんなわけで、それがオマエラへのボーナスだから。オマエラ、気張っていこーぜ! 殺れば出来るからさ! それじゃ解散!」

 

 俺達の戸惑いをよそに、そんな言葉で話を打ち切ったかと思うと、モノクマはいつものようにいずこへと消えていた。

 残された俺達は、それぞれが手元の百億円札を見つめて何かを考えていた。おそらくは、これが本当に【動機】になりうるのかどうかを。

 

「ねえ、ちょっと聞いてもいいかしら」

 

 そんな中、東雲が口を開く。了承も得ないまま、彼女は続けて疑問を言い放つ。

 

 

 

「『円』って何処の国の通貨よ?」

 

 

 ……は?

 何を言ってるんだ、こいつは。

 

「お前知らないのか。日本の通貨単位だよ。【()()()】時代の」

 

 そんな風に、俺は呆れた声で東雲の疑問に答えた。

 

「【旧日本】……? あー、なるほど」

「近代史の授業で習わなかったか?」

「歴史は苦手なのよ。そりゃ絶望がどうこうって話くらいは知ってるけど」

 

 スコットからの追及から逃れるように、東雲はそっぽを向く。そんな彼女に、優しく諭すように明日川が語りかける。

 

「江ノ島盾子が猛威を振るった【絶望全盛期】から25年が経過した西暦2036年、ついに絶望の残党の殲滅には成功したものの、日本列島という島国は絶望との戦いによって激しく汚染されてしまった……その汚染された土地の復興を諦め、人工列島へ国ごと移住した、というのは東雲君も知っているだろう?」

「そうね。流石にそれを知らない人はいないでしょ」

 

 人工列島。

 【旧日本】を構成していた日本列島をおよそ1パーセントの面積で再現したその人工島は、本来リゾート地として南鳥島の北側の海に建設されていたものだった。絶望が世界に蔓延する以前から希望ヶ峰学園と政府が提携して進められていたそのプロジェクトは、日本が絶望に堕ちた当時、新たな希望をイチから始める方法としてはうってつけのものだったらしい。

 

「その新天地へと移住してからの日本を【新希望日本】って呼んで、その前の日本を【旧日本】って呼ぶんでしょ?」

「ああ、その通りだ。移住計画の主体となった未来期間は絶望への強い決別を表して【新希望日本】という大仰な呼称を使ったわけだが、自然な流れでもう一方の呼称も決まったというわけだ。【旧絶望日本】と揶揄する(やから)もいたようだけれど」

 

 当然、【新希望日本】という名に日本が正式に改名したわけではないが、この呼称は至るところで目にすることが出来る。移住からもう25年も経つのだから、そろそろ『新』の字は外してもいいんじゃないかとその度に思う。

 

『にしても、これが百億円札か。実物は初めて見るぜ』

「今は『(じん)』だもんね」

 

 そんな会話につられて、モノクマから配られた百億円札に目を落とす。シワや折り目があるから新札というわけでもない。

 【旧日本】時代の末期、熾烈を極めた絶望との抗争の果てに過去に類を見ないハイパーインフレーションが発生したらしい。その象徴として教科書に載せられていたのが、この百億円札だった。

 そして、その混乱した経済を【新希望日本】へ持ち込むわけには行かないと、移住を期にデノミ政策……つまり通貨の変更が実施されたらしい。これにより、日本の通貨単位は『円』から今七原の口にした『仁』に切り替わった。目論見通りこの政策は成功を納め、【絶望全盛期】以前と同程度には経済状況は落ち着いた、というのが教科書に載っていた移住前後の日本経済の一部始終だったはずだ。

 

「……明日川。百億円札の価値は分かるか?」

 

 そんな会話を静かに聞きながら百億円札を見つめていた火ノ宮が口を開く。

 

「それは当時の百億円の価値の事を言っているのかい? それとも、百億円札そのものの現在の価値の事か?」

「どっちもだ」

「ふむ。当時の価値なら、百億円でようやく500ミリのジュースが一本買えるかどうかといった程度だな」

「うわ! ぼったくりもいいとこ!」

「い、インフレの結果をぼったくりって言うなよ……」

「対して百億円札自体の価値だが、ボクは鑑定士じゃないから厳密な台詞が吐けるわけでもないが、シワのない新札(新刊)で百仁程度が関の山だろう」

「結局ジュース一本くらいじゃない」

「そういう事になるね」

 

 スラスラと火ノ宮の質問に答える明日川。過去の通貨の価値なんてよほどのことがないと知る機会も無いだろうに、よくも答えられるものだ。明日川の記憶力は今更驚くものではないが、その知識の広さに感服する。

 

「……そォか」

 

 そして、火ノ宮はそれを聞いて静かに頷いた。

 

「やっぱ、どう考えても分からねェ。こんなもんがどうして【動機】になるってんだ」

「……やはり気になりますよね」

「あァ。百歩譲って百億仁ならわかる。金が命より優先されて良い訳がねェし、そんなもんのために誰かを殺すなんざあっちゃなんねェが、それでも金の重さはバカにできねェ。百億仁なら生涯年収の数十倍だから、他人の命と天秤に掛けたら揺れるレベルの額になる」

「……ああ」

 

 火ノ宮の言葉の意味はわかる。考えたくはないが、それほどに巨額のお金の与える影響は大きいのは間違いない。

 

「けどよォ。百億円になるととたんに意味が分からねェ。金銭的価値はおろか、収集的価値もねェもんに、誰が命を賭けるっつーんだ」

「……ものくまは、何を考えているんでしょうか」

 

 モノクマは、【動機】としてこれを渡してきた。つまり、この百億円札を手にすることで殺意を持つ人間がいるということになる。一体どういう理屈で殺意を抱くことになるのだろう。

 それに、過去二回の【動機】はどちらも全員の殺意を煽ってきた。対して、今回の【動機】が引き起こしたのは殺意ではなく困惑だった。仮にこの中に殺意を抱いた人物がいるとして、その人数はごく僅かだろう。そんな、特定の人物を狙い撃ちするような真似をしたことも少し気にかかる。殺意の数が多ければ多いほど殺人も発生しやすくなるというのに、なぜそんな事をしたのだろう。

 ただ、いつまでもこうして考え込んでいる訳には行かない。

 

「分かりようも無いことを悩んでも仕方ない。これからの事を考えよう」

 

 皆の視線を集めるように、少し声を張る。

 

「モノクマの【動機】は気になるが、これが無くたって毒物事件の事がある。直接的でないにしても、色々と危うい状況になっている……と思う」

 

 そもそもモノクマ本人も言っていたが、今の俺達に【動機】なんて必要ないのだ。

 

「な、なんでおまえが仕切ってるんだよ……」

「えっ?」

「い、『色々と危うい』のはおまえだろ……」

「…………」

 

 根岸に突っ込まれて、黙り込む。毒物事件があったって俺は誰かを殺そうとなんか思ってない、と本当の事をはっきり言えればよかったが、二度も殺意を抱いておいてそんな事を言ってのける神経は俺にはなかった。

 

「落ち着いてください、根岸君。建設的な議論をしましょう」

「…………お、落ち着けるかよ。さ、殺意もないのにあんな事件を起こしたやつがいるんだぞ……! し、しかもまだぼくたちの中に潜んでる……ぼ、ぼくたちの事をバカにしてるんだ……!」

 

 顔を青ざめさせながら、根岸が震えた声を出す。

 

「……ええ、もちろん分かっています。百億円札なんかよりも毒物事件が起きたことよりも、その犯人の正体が不明という事が何よりも大きな懸念事項です」

「実際、毒物事件の犯人は何をしたかったのかしらね。致死量の毒を仕込んでおけば良かったのに。そうすれば、晴れて【卒業】よ?」

「んなもん知るか。もし自分がクロになった時にそれがバレるかどうか実験したかったのかもしれねェし、オレ達をこうして疑心暗鬼にさせる事が目的だったのかもしれねェ」

「……もしかしたら、僕達はまんまと犯人の目論見通りになってしまっているかもしれませんね。犯人を突き止めきれない以上、容疑者である5人を警戒せざるを得ません」

 

 ……何?

 

「待てよ、杉野。『警戒』なんて言う必要ないだろ。その中に犯人がいるって認識さえあれば、それでいいはずだ」

「それを警戒というのではありませんか? この5人の中に、大天さんを苦しめた犯人がいるのですよ? しかも、【卒業】を企んだわけでは無いのです。他人を傷つけることを娯楽のように感じている可能性もあるのです。警戒して当然でしょう」

 

 それはお前だろ! という叫びをすんでの所で飲み込む。

 

「そういうことを言ってるんじゃない! この中に犯人がいるって言ったって、それでもそれ以外の4人は無実だろ! それをそんな、ひとまとめにして敵視するようなこと……」

「仕方ねェだろ。事件が起きちまったんだから」

 

 重い声色で、静かに怒りの炎を燃やして火ノ宮は俺の言葉を遮る。

 

「これ以上誰も死なせねェためには、それしかねェだろ。そいつがこの前の愉快犯と同じ奴か知らねェが、これ以上好きにさせてたまるか」

 

 分かってる。そんな事誰だって分かってる。

 毒物事件の犯人が判明していない以上、そいつは今度こそ殺人をしでかすかもしれない。だからその警戒を怠るわけにはいかない。それは揺るぎない正論だ。

 

 けれども。

 その正論はわざわざ口にしなきゃいけないものだったのか。

 

「……な、なんだよそれ……」

 

 杉野や火ノ宮の言葉を聞いた彼が、青ざめた声を紡ぎだした。

 

「ぼ、ぼくたちがそんなことするように見えるってことかよ……!」

「そうじゃない! 誰もそうは言ってないだろ!」

「ですが、そういうスタンスでいなければならないという事です。例えば、根岸君が僕達の命を弄ぶような悪人である可能性も考慮しなくては、殺人を止められはしないでしょう」

「な……!」

 

 もう黙れ、と杉野を睨む。反応が返ってくる前に、根岸が口を開いた。

 

「……ぼ、ぼくだって、は、犯人を見つけようって思って頑張ってたんだぞ……! お、大天のやったことにも目をつぶってやったのに……ど、どうしてそんな事言われなきゃいけないんだよ……!」

 

 絶望的な失意が、やがて熾烈な怒りに変わる。

 待て。待ってくれ。

 

「ふ、ふざけるなよ! も、もう沢山だ!」

 

 そんな怒声を残して、根岸が病院を飛び出した。

 きっと、ずっと前から限界だったのだ。それをなんとか押し殺して犯人探しに励んでいたが、それでも自分に向けられる敵意に耐えきれなくなってしまったのだ。

 

「章ちゃん!」

「…………」

 

 慌てて露草がその後を追う。それを、火ノ宮はただ見つめていた。

 彼のパニックを止められなかった。どうすれば良かったのか、分からない。

 

「……ねえ。他に言い方はなかったの?」

 

 杉野の本性を知る七原が、彼にそう問いかける。

 

「……少々角が立つ言い方でした。申し訳ありません」

「俺達に謝ったって仕方ないだろ。謝る相手が違う」

「……杉野もストレスが溜まってんだろ。言い過ぎだとは思うが、内容はあながち間違ったもんじゃねェ」

 

 杉野を擁護するかのように呟く火ノ宮。……明らかに根岸を煽ったあの言葉が、杉野の本性を知らないとそんな風に聞こえるのか。

 

「碌な話をしないなら俺はもう帰らせてもらう」

 

 そんな最中、岩国が立ち上がりながらそう告げた。

 

「毒物事件の犯人を警戒するのは当然だが、他の連中の動きも注意しておけよ。誰かに殺されるくらいならその前に殺してしまおうというのは、誰にでもよぎる自然な発想だからな」

 

 と、警告を言い残したかと思うと、そのまま彼女は病院を出ていってしまった。

 

「……しんぱいしてくださったのでしょうか」

「いえ、彼女は学級裁判のリスクを避けたいだけでしょう。僕達の誰かが死ぬこと自体を恐れているとは思えません」

「……なんでそんな風にしか見れないんだよ」

 

 顔をしかめてそんな言葉を杉野にぶつける。

 

「そりゃあ、岩国が俺達に絆や友情を抱いてることは無いだろうが、何も感じてないってことも無いんじゃないのか」

 

 今夜発生した毒物事件は、生まれかけた俺達の信頼を切り裂いた。それでも確かに一度、岩国は夕食を共に食べることを選択していた。今の忠告の裏に、そこに至る想いが残っていないだなんて思えない。

 

「彼女自身が、他人を信頼することなど馬鹿らしいとおっしゃっていたではありませんか」

「だからって……」

「……平並。なんかてめーおかしいぞ」

 

 警戒を含んだ、火ノ宮の声。

 

「どうしてそう杉野に突っかかるんだ。さっきからずっとそうじゃねェか?」

「……別に。気になることがあったら口を挟んだって良いだろ。お前だってそうしてるじゃないか」

「そりゃそうだけどよ」

 

 適当な言い訳を付けてその追及を躱そうとしたが、火ノ宮を始めとして皆が俺を見る目は鋭いままだった。

 

「……なんだよ」

「いや、オマエの言い分も分かるが、妙にスギノに噛み付いているのも事実だろう。スギノとずっと一緒にいるくせに、何がそんなに気に食わないんだ」

「あ、そういえばそうね。なんであんたらって一緒にいるわけ? 今日一日ずっとそうじゃない?」

 

 話は今日の俺の行動にまで及び始める。

 

「俺が誰とどう過ごそうが俺の自由だろ」

「彼の台詞の通りだ。蒼神君が退場してしまってから、まとめ役を杉野君一人に委ねてしまっているだろう。それが緩和される事を期待してのことだそうだ」

「というわけです。実際、僕自身厳しいことを言っているという自覚はあります。先程も根岸君に厳しくあたってしまいましたし……彼が反対意見をその都度述べてくれるのはありがたいと思いますよ」

「……てめーが良いなら良いけどよォ」

 

 結局杉野が寛大な心を見せた形で話がまとまる。その構図が腹立たしいが、せっかく話が終わったんだ。蒸し返すわけにも行かない。

 

「ともかく、そろそろ僕達も解散といたしましょう。話し合って得られる結論はすべて出尽くしたように思いますから」

 

 俺の内心を気にすることも無く、杉野が総括に入る。結局、コイツを話の中心からどかせない。

 

「僕達はあまりにも死に触れすぎてしまいました。岩国さんの忠告にもありましたが、もはや殺意を抱くなという言葉は意味をなしません」

 

 過去に二度も殺意を抱いた俺だったが、対して今回は胸中にくすぶる殺意は弱い。守りたい人がいる。止めねばならない人がいる。だから、【卒業】なんて考えている余裕はない。

 けれども、それでも【卒業】の二文字が頭をよぎらないなんてことはない。毒物事件の犯人の存在が、愉快犯の存在が、それを忘れさせてはくれない。殺人という選択肢は、かつて俺が手にした時よりもずっと近くに存在する。

 

「ですから、警戒してください。自分が死なないように。自分が殺されないように。他人の事を考えるのは、まず自分が万全であると証明した後です」

 

 杉野は、事件の発生を止めるための手段として警戒を提案した。確かに、無思慮に他人を妄信するよりはずっと効果はあるだろう。分かっている。たとえそれが【魔女】の企んだ結論であろうとも、今はそれしか無いと思ってしまうから、それを否定できない。

 

「過去二回、殺人事件はどちらも夜時間に発生しました。人の目が消えるという事以上に、夜という時間帯やその暗闇によって不安や間違った覚悟が引き起こされているように思います。悪意を持った人間が潜んでいるというこんな状況だからこそ、この夜を、共に耐え抜きましょう」

 

 この言葉に、どれほどの意味があるのだろう。誰が何を告げたとして、誰かの心に芽生えた殺意をかき消すことなんて出来ないように思える。

 

「では、これで解散に」

「最後に俺からいいか」

 

 それでも、悪あがきはすることにした。

 

「ええ、どうぞ。平並君」

 

 杉野に名を呼ばれると、皆の訝しげな視線が俺に集まる。

 そして、一つ息を吸い込んで、皆の殺意を食い止めるために声を投げた。

 

「皆は、俺みたいに間違えないでくれ。俺達の敵は、モノクマだけなんだ」

 

 【魔女(悪魔)】の心にもそれが届けばいいと、ありえない事を願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

「本当に大丈夫?」

「…………」

 

 病院着の大天に向けて、心配そうに声をかける七原。その声を無視して、大天は歩みを進める。

 病院で点滴を受けていた大天だったが、【動機】絡みの話が終わるとそれを止めて宿泊棟に戻ると言い出した。鍵もかからない部屋にいられるか、というのが彼女の主張だった。

 彼女が病室で元々着ていた服をまとめるのを俺を含めて数人は待っていたが、それ以外は先に個室に戻ってしまった。

 

「ねえってば」

「……うるさいなあ」

 

 しつこく話しかける七原に、大天が折れた。

 

「……私だって、助けてくれた事には感謝してるよ。輸血とかもしてくれたらしいし。……でも、それとは別の話」

 

 立ち止まって、七原の目をじっと見つめる。

 

「今回の毒物事件の犯人には殺意がなかったとか言ってたけど、そんなの私からしたらどうでもいい。本気で死ぬかと思ったんだから」

「…………」

「私は、何があっても死ぬわけになんかいかないの。……だから、中途半端に関わるのはやめた。私は一人で過ごす。もう私に関わらないで」

 

 そう吐き捨てて、彼女は足を動かし始める。

 毒物事件を経て、彼女は『孤立』を選択した。それは、俺や七原が最も恐れていた選択だった。

 ……もちろん、その結論に至る想いも理解できるから、彼女を責めることなんてできないのだが。

 

「待ってよ、大天さん!」

 

 そんな七原の叫びを背に受けた彼女は、何も言葉を返さぬまま個室へと入っていった。決別を示すように、強くドアがしまった。

 

「…………」

「……無理もありませんね。今は精神的にも参っているでしょう」

 

 その様子を見て、杉野がそう呟く。

 

「ああ。今夜(夜の部)何事もなく(白紙のページで)やり過ごすことが前提だが、大天君のメンタルケアは明日(次話)に回すべきだな。現在(今話)では手の打ちようがない」

「そうだけど……」

 

 と、七原は明日川の意見に賛同しかねていたが、結局それ以外に方法がないという結論に至ると特に反論は唱えなかった。

 

「では、僕達も個室に戻るとしましょう。また明日、無事に顔を合わせられることを願っています」

 

 杉野のその声掛けで、残っていた皆も各々個室へと歩き出す。その様子を見ていた彼自身も、満足げな表情をして動き出した。

 

「ちょっといいか、杉野」

 

 その背中に声をかけた。既に俺達以外には七原しか残っていない。

 

「……なんでしょう?」

「大したことじゃない。ちょっとお前に訊きたいことがあるだけだ」

 

 敵意を持って、そう告げる。

 

「ここじゃ話せないから、集会室にでも行って……」

「そうやって僕を殺すつもりですか?」

「……!」

 

 思わず言葉に詰まる。そんなつもりは当然無い。今夜起きた毒物事件に【魔女】として関与したのかどうかを確認したかっただけだ。

 

「……冗談ですよ。平並君が今更そんな事を考えるとは思いませんし、七原さんという証人もいますからね」

「……その冗談、笑えないよ」

「ええ、僕としても悪趣味だったなと反省しています。ただ……この状況ではそう取られかねないという事は覚えておいたほうが良いと思いますよ」

「……わかったよ」

 

 内心で一つため息をつく。

 

「それでそのお誘いですが……遠慮させていただきます。あんな事が起きて僕も大変疲れましたし、平並君もおそらくそうでしょう。そのお話、明日でもよろしいですか?」

「……ああ。別にいいよ」

 

 【魔女】が関与したのかどうか……それについて考えが無いわけじゃない。わざわざ杉野を引き止める気にはならなかった。

 

「ありがとうございます。では、また明日」

 

 その胡散臭い声が、個室のドアの向こうへと消えていった。

 

「…………」

 

 ようやく、張り詰めていた気を緩められる。そう思った途端に、どっと疲れが押し寄せてくる。

 

 長い、一日だった。

 二度の殺し合いを経て、俺達は互いに疑心を向けざるを得なくなった。モノクマに立ち向かうために協力することなんか、もはや幻想としか思えなくなっていた。

 そんな状況を打破するために、皆で一緒に大浴場に入った。裸一貫で互いの想いをぶつけることで、多少は互いへの敵意は薄まった。全員で夕食を取れたのがその証拠と言えるだろう。

 

 だから、そこまでは良かったんだ。そこまでは、問題なんかなかったんだ。

 

 その夕食の最中に、毒物事件が起きた。大天がその被害にあい、その犯人が不明のままになってしまったことで、俺達の間に再び疑心が満ちる。そして、誰かが一線を越えてしまうのではないかと誰もが怯えている。あるいは、さもなくば。

 

「平並君」

 

 そこで思考が止まる。降ってきた七原の声に、無言のまま目で返事をする。

 

「…………」

 

 なにか言いたげにしていたその口は、少し動いたかと思うとすぐに閉ざされてしまった。

 

「……大天さん、このまま無事だと良いね」

 

 そして振られた話題は、明らかに今見繕ったであろうものだった。そこには触れず、相槌を打つ。

 

「……ああ。根岸が解毒薬を飲ませたし、明日川の主導で手当をしたんだ。途中で点滴は抜かれたけど、明日川が強く言ってこなかったってことはもう大丈夫ってことだろ」

「そうだよね」

「それに、お前がそう思ってるならますますそうなんじゃないか? お前は【幸運】なんだから」

「……うん」

「とにかく、大天が死なないでくれて良かった」

 

 七原が大天の無事を祈っているなら、きっとその願いは叶うんじゃないかと、思う。

 

「平並君はさ、優しいよね」

 

 大天の容態に意識をはせていると、唐突に、七原にそんな事を言われた。

 

「な、なんだよ急に」

「急じゃないよ。前からずっと思ってた」

 

 まっすぐに、真剣な瞳で見つめられる。照れくさくて、すぐに目をそらした。

 

「こんな状況なのに、自分より他の人の事を考えてるよね。皆が絶望に負けないように、どうしたら良いかってずっと考えてる。自分を殺しかけた大天さんのことも心配してるし」

「そんなの、誰だってそうだろ。皆のことを考えてるのはお前だってそうだし、城咲なんかその最たる例だと思うが。大天のことだって……あれは、大天が悪いわけじゃないし」

「ううん、そうだけど、そうじゃなくて」

 

 静かに彼女は首を振る。

 

「平並君は、優しすぎると思うんだ」

「優しすぎる?」

「うん。なんていうか……自分の事なんて、どうでもいいように思ってるみたいな気がする」

「…………」

 

 その表情は、何かを訴えているように、いや、俺を責めているように思えた。

 

「……どうでもいいだろ、俺なんて」

「え?」

「それより、これからの事を考えないと。大天が無事だったのは良いが、ケアはしなくちゃいけないし、明日からの食事だって問題だ。何より、今夜を乗り越えないと」

「ちょっと待って」

 

 慌てて七原が俺の言葉を遮る。

 

「自分がどうでもいいなんて、そんな事言わないでよ」

「……どうして」

「どうしてって……」

「俺は、皆とは違う。皆みたいに【超高校級】の才能を持った特別な人間じゃないし、生きてる価値だって皆よりはずっとずっと小さい」

「そんな事無い!」

 

 優しく、そして鋭い声が、ロビーに響いた。

 

「生きる価値なんて、そんなの誰にもわからないはずだよ。そんな事を気にして自分を追い詰めちゃだめだよ。そんなの、辛いだけだよ」

「…………そうかもしれないが、やっぱり、俺なんて」

「……そうやって自分を卑下するのも、もうやめてよ。誰も、そんな風になんか思ってないからさ」

 

 きっと、その言葉に嘘は無いのだろう。他の人はともかくとしても、少なくとも彼女は本当に俺を認めてくれているのかもしれない。一度道を踏み外して、それでもなんとか皆のために頑張ろうとした俺のことを。

 

「……分かってる、つもりなんだ。俺が思ってるほどには、皆俺には興味なんか無くて……いや、興味がないって言うと語弊があるかもしれないが、とにかく、俺が自分を悪いように考えすぎてるんだろうってことは、なんとなく分かってる」

「…………」

 

 自分を認めてくれる人は、確かにいる。例えば、両親のように。例えば、目の前で不安げな表情をする彼女のように。それを、嘘だと切って捨てる事は難しい。

 けれども。

 

「それでも、俺が俺のことを認められないんだ。皆には才能が溢れていて、その才能を皆のために活かしてるのに、俺には、俺には何もなくて、何もできなくて。こんな俺を、認められるわけがないだろ」

 

 一度それを口にしてしまうと、嗚咽のような声がとめどなく流れてしまう。こんなことを誰かの前で言うつもりなんかなかったのに。

 

「頑張っても、いつも失敗するんだ。……今日だってそうだろ。事件を起こさないように動いたのに、結局毒物事件が起きた。大天だって、俺じゃ助けられなかった。俺は、また、何も出来なかった」

「……悔しいのは、皆一緒だよ。平並君だけがそう思ってるわけじゃない」

「……それは……そうだな」

 

 きっと、それは七原もそうなのだろう。分かってる。そんな事は、とっくに分かってる。

 

「それにさ」

 

 七原の言葉を受け止めたくて、それでも受け止めきれずに葛藤する俺に向けて、更に彼女は言葉を続ける。

 

「平並君にも、才能があるよ。きっと」

「……才能が?」

「うん。皆を救えるような、すごい才能が。ほら、この前の【動機】にもあったし……それって、本当に平並君が才能を手にしたんだって、私はそう信じてるよ」

 

 彼女の、慰めるような声が耳に届く。

 

「……ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

「お世辞なんかじゃないよ。私は、本当にそう思ってるの。だから、私の『勘』を……私の【幸運】を、信じて」

「…………」

 

 彼女の真っ直ぐな目が少し怖くて、視線を中空に投げる。

 

「……七原の【幸運】を、信じてないわけじゃない。他でもないその【幸運】に俺は救われたんだし」

「じゃあ……!」

「……だが、こればっかりは、ダメなんだ。才能があるなんて夢を見たら、それこそまた辛い思いをするだけだから」

 

 俺にも才能があるんじゃないか、なんて思いは、俺を包み込む無力感が邪魔をする。どうしたって、この枷のような苦しみから逃れられない。

 

「平並君……」

「七原には感謝してる。大天のケアは俺には出来ないし、こうやって話を聞いてくれるだけで十分救われる。だから、もうそっとしておいてくれ」

「でも!」

「もうほっといてくれよ!」

「っ!」

 

 執拗に語りかける七原にむけて、反射的に大声が飛び出した。

 一瞬、彼女は怯えたような表情を見せた。

 

「あ……」

 

 とっさに、口を抑えた。

 けれど、飛び出した言葉は戻らない。

 

「……ごめん。ちょっと図々しい事言っちゃった」

 

 七原は、顔を伏せて小さく呟く。

 

「えっと、いや……」

「……もう、寝よっか」

 

 そして、再び顔を上げる。その目は、わずかに潤んでいるように見えた。

 

「おやすみ、平並君。また、明日ね」

 

 寂しそうな声でそう告げると、彼女は早足で個室の方へと動き出した。

 

「七原!」

 

 俺のかけた声を振り切るように彼女は廊下の角へと消えていった。

 

「…………」

 

 静まり返ったロビーに、ひとり取り残される。

 七原に、ひどいことを言ってしまった。彼女は、俺のことを心配してくれたのに。それを無下にするような真似をしてしまった。心に残る虚しさが、自分のしでかしたとてつもない失態を物語っていた。

 

 俺には皆を救えるような才能があると、彼女は言ってくれた。……その言葉を、信じても良いのだろうか。もう一度、夢を見ても良いのだろうか。

 

「…………」

 

 ……明日の朝、起きたら七原に謝ろう。本当に申し訳ない事をしてしまった。

 

 そう決意をして、俺も個室へ戻ろうと足を動かし始めた。

 

「あァ? てめー、何してやがる」

 

 そこに、声がかけられる。火ノ宮が、何やら色々な物を抱えて宿泊棟の外から戻ってきたようだった。

 

「今から個室に戻るところだが……お前こそ、何してたんだよ」

 

 火ノ宮は、解散になってすぐに病院を後にしていた。てっきりもう個室に戻っているとばかり思っていたが。

 

「見張りをするからその準備をしてたんだよ」

「見張り? ここの?」

「あァ。ここにいりゃ全員の動きを見れるだろ」

「一晩中するつもりなのか?」

「当たり前だ。杉野が言ってただろォが。次に誰かが動くとしたらこの夜時間に違いねェ」

 

 それを聞きながら彼の荷物を確認してみれば、暇つぶし用であろう雑誌や本の他に、竹刀があった。

 

「その竹刀は?」

「体育館の用具室で掘り当ててきた。()()なにかがあったときのために武器が欲しかったが、なるべく殺傷能力が無いヤツが良かったからな。……ま、なにもねェのが一番だけどよ」

「……ああ、そうだな。そうだ、個室以外の就寝は規則違反のはずだったが」

「寝るわけねェだろ。見張りが寝てどうする。ちゃんと気をつけるに決まってんだろ」

 

 【超高校級のクレーマー】である火ノ宮だ。当然、あの規則も心得ているだろう。となると、わざわざ俺からなにか忠告をする必要はない。

 

 だから、心配する事はたった一つ。【魔女】の犯行だけだ。

 

「……なあ」

 

 ここで火ノ宮とともに二人で見張りをすれば、万一もなくせるし【魔女】が彼を(たぶら)かすようなこともできなくなる。事件を止めようと動くのなら、今ここで一緒に見張りをすべきなのだろう。

 しかし、夜通しそんな事をすれば、明日は【魔女】を自由にしてしまうということになる。どちらかと言えば、それこそ避けたい事態だ。明日を無視して今夜をしのいでも意味はない。

 だから、俺にはただ忠告することしか出来なかった。

 

「誰に何を言われても、お前は間違えないでくれ。お前のこと、信じてるぞ」

「あァ? 何訳わかんねェこと言ってやがんだ。何もしねェならとっとと寝やがれ」

 

 顔をしかめて、火ノ宮はそんな言葉を返す。

 

「そうするよ。じゃあ、頼んだ」

「あァ。任せろ」

「……火ノ宮、死ぬなよ」

「言われなくても、死ぬつもりなんざねェよ」

 

 そんな会話で別れを告げて、俺も個室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、長い一日が終わる。

 今日一日で生まれた後悔を胸に刻んで、それでもまだかすかな希望を夢に見て。

 

 何も起きるなと、誰も死ぬなと願いながら、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 窓から差す光を顔に浴びて、俺はゆっくりと目を覚ます。夢と現実の狭間でぼんやりと個室を眺めて、ふと違和感に気づいた。

 

 

 

 

 

 昨晩まではなかった異物が、個室の中に存在している。

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色に染まった刀が、机の上に我が物顔で鎮座していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一応彼女が生きていることに弁明をしておくと、
前回のラストに(非)日常編のエンドマークは打たれていません。

あと、経済絡みの話で何か勘違いして変なことになってたらすいません。


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(非)日常編⑥ 君が為に鐘は鳴る

 【11日目】

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 誰かの、あるいは俺自身の殺意に怯えながら迎えた朝。

 目を覚ました俺が視界に捉えたのは、机の上に出現していた金色の刀だった。

 

「……なんだこれ」

 

 ゆっくりとベッドから抜け出して、慎重に机に近寄る。日本刀のように見えるその刀は、収まっている鞘から柄まで、見る限りすべてが金色に染まっていた。金箔が使われているようだった。

 どうしてこんなものが、俺の部屋に。

 頭に浮かんだその疑問の答えに思い至るより早く、無意識に刀へと手を伸ばす。が、柄を掴んだその手に違和感を覚えた。

 

「ん……? うわっ!」

 

 とっさに手を離したが、その甲斐もなく俺の手のひらにはベッタリと金箔が張り付いてしまっていた。恐る恐る鞘を指で突けば、その指に金箔が付着する。簡単に取れる様になっているらしい。いたずらに引っかかったようで苛ついた。

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 手にまとわりつく不快感に顔をしかめた途端、奇天烈なチャイムが鳴り響いた。それが示すのは、絶望からのアナウンス。

 瞬間、嫌な想像が脳裏を駆け巡る。

 まさか、また、誰かが。

 

『オマエラ、おはようございます! 施設長のモノクマが朝7時をお知らせします!』

 

 そんな風に身構えた俺の耳に届いたのは、もはや耳馴染みとなった能天気な挨拶だった。

 

『今日も張り切って、一人前目指して頑張りましょう!』

 

 そして、いつもと変わらないお決まりの文言が続く。

 ……良かった。ただの時報だ。そう胸をなでおろした直後だった。

 

『そうそう、オマエラ。ボクからのプレゼント、気に入ってくれた?』

「ん?」

 

 普段ならもう終わるはずの時報が、なぜか更に言葉が続いた。プレゼントというその単語が、目の前に横たわる金色の刀と結びつく。

 

「まさか」

 

 そして思いつく、一つの仮説。

 

『もう気づいてるよね? そう! オマエラに配ったのは、ズバリ【凶器】!』

 

 愉快そうにモノクマは告げる。その言葉は、まさしく俺の思い至った仮説どおりだった。

 

『ボクが腕によりをかけて選んだ個性あふれる【凶器】を、一人に一つずつ、オマエラ全員にお配りいたしました! これが今回の【動機】だよ!』

「今回の【動機】……?」

 

 何を言ってる。【動機】ならもう与えられた。【旧日本】時代の経済崩壊を象徴する百億円札。それが今回の【動機】だったはずだ。

 

『あ、念の為に一応言っておくけど、ボクはあの百億円が【動機】だなんて一言も言ってないからね』

「え?」

 

 俺の心を読むかのように、そう告げるモノクマ。

 ……そうだっけ?

 

『クマの話はちゃんと聞かないと損する事しかないんだぞ! 耳にドリルぶっ刺してボクの言葉をよーく聞くように! 忘れそうならメモを取れ! いいか! オマエラの目の前にあるその【凶器】はなあ、れっきとした今回の【動機】なんだよ!』

 

 そんな俺の困惑をよそに、モノクマは話を続ける。

 

『この少年少女ゼツボウの家にはさ、多種多様な凶器を頑張って用意してるわけ。でも、オマエラときたらすぐに管理だの監視だの、ボクの気持ちを踏みにじるかのように色々やってくれちゃって……。用意しておいた凶器セットも全然活躍しないし。だから、ここで改めてオマエラには【凶器】を配ることにしたんだよ! 厳密に言えば凶器じゃないやつも交ざってるんだけど……ま、そんなのは些細な問題だよね! 一応全部コロシアイに使えるやつだからさ!』

 

 全部コロシアイに使える……それはそうだろう。そうでないものをモノクマが俺達に与える意味などない。これが【動機】だというのなら、尚更。

 

『そんなわけで、それはオマエラの自由にしていいよ。ボクはオマエラの益々の成長とコロシアイを心から願ってるんだから、今度こそボクの気持ちと労力と手間と努力と作業コストと時間と費用を無駄にしないでよね! それじゃ、バイナラ!』

 

 ブツッ!

 

 放送の終了を示す雑音が耳に刺さって、顔をしかめる。

 言いたいことを好き放題言いまくった挙げ句に、モノクマは一方的に放送を打ち切ってしまった。

 

「……【凶器】」

 

 個性あふれる【凶器】、とモノクマは言っていた。つまり、人によって配られた【凶器】は異なり、俺の場合はこの金色の刀がそうなのだろう。

 不安とともに、手に金箔が張り付くのも無視してそれに手を伸ばす。金色の鞘から、金色の刀身が抜き出てくる。

 幸か不幸か、それとも不幸中の幸いと言うべきか。その刀身に沿う刃は鈍く、真剣ではなかった。模造刀というやつだろうか。

 

「…………良かった」

 

 とはいえ、だからといってこれが安全な代物とみなすことはできない。誰かを斬ることが出来なくとも、撲殺、それか刺殺は出来るはずだし、何より他でもないモノクマから【凶器】として配られたものなのだから。

 

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 

 誰かの人生を終わらせることが出来る重量をその手に感じていると、個室のチャイムが鳴った。用件は聞かずとも分かる。皆に配られた、この【凶器】のことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

「てめーで最後だ、平並」

 

 金箔を洗い流すのに思った以上に時間がかかってしまい、チャイムから少し遅れて食事スペースにやってくると開口一番に火ノ宮にそう声をかけられた。

 

「悪い」

 

 と、返してから周りを見渡したが、見当たらない人がいる。

 

「根岸と露草は?」

「彼らなら、早々に出ていってしまわれました」

「だろうな」

 

 杉野にはぶっきらぼうに返答する。思った通りだ。きっと、反発する根岸に露草が付いていったのだろう。根岸がそうする気持ちは分かるし、露草が付いているのならひとまず根岸のことは彼女に任せておこう。

 

「ついでに言えば、大天さんは個室です。当然呼びかけはしましたが、一度顔を出して強く反発されてしまいました」

「……ああ、それも何となく分かってた」

 

 根岸達以外にも、大天の姿も見当たらない。『中途半端に関わるのはやめた』と昨晩彼女は言っていた。この場に彼女がいない事も、ある種当然だ。

 対して、岩国はこの食事スペースにやってきている。彼女が俺達のことを未だに信用できない相手だと思っているのかはともかくとして、新たに提示された【動機】についての話し合いに参加する意義を見出したことは間違いなさそうだ。

 

「平並。さっきの放送は聞いてたよなァ」

 

 無言でうなずきを返す。

 

「そんなら話は早ェ」

 

 反応を見るに、他の皆も放送は聞いていたようだ。

 

「【凶器】の配布、ときましたか。確かに、疑心暗鬼になっている状態の僕達に殺人を連想させるものを見せれば、より僕達の殺意を煽ることが出来ます。そっと背中を押すような、実にいやらしい【動機】です」

 

 そう言いながら、杉野はカチャリと何かを机に置く。禍々しく歪んだ、銀色にきらめくハサミだった。

 

「それがお前に配られた【凶器】なのか?」

「はい。通常のハサミよりも鋭く先が尖っています。おそらくは刺殺用として配布された【凶器】でしょう」

 

 そう告げる杉野の声にはモノクマへの怒りが込められていた。その演技の上手さが、相変わらず腹立たしい。

 

「とは言え、このハサミはちょっとした曰く付きだそうですが」

「曰く付き?」

「ええ。僕も、先程明日川さんに教えられて知ったことなんですが。平並君は、『ジェノサイダー翔』という名前に聞き覚えは?」

「……いや」

 

 そんな名前、初めて聞いた。集団殺害者(ジェノサイダー)だなんて、やけに物騒な名前だ。

 

「明日川さん曰く、その名を語って殺戮を繰り返した殺人鬼がかつての日本に存在したのだそうです。【絶望全盛期】を目前にした頃だったそうですが」

「殺人鬼……」

「それも、殺した相手を磔にして、血で『チミドロフィーバー』等と言う文字を書き残すような猟奇的な殺人鬼だったようです」

「そして、そのジェノサイダー翔(殺戮者)が凶器としてこよなく愛したのが、特製(オリジナル)の銀鋏だったんだ。犯行(本文)はおろか、被害者を磔にする際にもそれが使われていた」

「それが、その杉野に配られたハサミだって言うのか?」

厳密に(辞書的に)言えば、その模造品(写本)だろうね。形こそ本物(原作)に酷似しているが、そもそも半世紀も前の代物だ。もしも本物(オリジナル)ならばこうも輝いていようはずもない。おそらくは、後世の狂信者(フォロワー)が模倣して作成(執筆)したものだろう」

 

 彼女の説明を聞いて、改めて杉野に配られたというハサミを見る。なぜそんな昔の殺人鬼に関連する品をモノクマが用意したのかはわからないが、もしかすると、そのジェノサイダー翔とモノクマの間には浅からぬ縁があるのかもしれない。なんせ、モノクマという存在自体が50年前の【絶望全盛期】に生まれたものなのだから。

 もしくは、悪辣な本性を隠し持つ杉野にそんな殺人鬼が愛用したハサミを与えることが、モノクマからの嫌味の可能性がある。俺達を常に監視し、記憶を奪うことさえ出来るモノクマが杉野の正体を知らぬはずはないからだ。そうなると、その嫌味は神経の図太い杉野本人でなく、その正体を知る俺や七原に充てられたものかもしれない。そうでなければ、単純な連想ゲームの結果か。

 ともかく、やはり俺達に配られた【凶器】は人それぞれに異なるらしい。

 

「っていうか、アタシ達に配られた凶器が【動機】だって言うんなら、これはなんだったわけ?」

 

 そんな言葉と共に東雲がヒラヒラと揺らすのは、昨日モノクマに手渡されたあの百億円札。

 

「モノクマは、百億円札が【動機】だなんて言ってない……ってさっきの放送で言ってたよな」

 

 そう告げて、それが正しいかどうか確認できる人物、明日川に目線を飛ばす。

 目をつぶって頭に手を当てて、自分の記憶を読み返す彼女は、数秒後に結論を出す。

 

「……確かに、匂わすような台詞こそ並んでいたもの、あの百億円札(超高額銀行券)が【動機】であると断言する台詞は無かったな。あくまでもあれはここまで(本章まで)生き抜いた特別ボーナスとしか説明されていない。どうにも、そうと勘違いさせるような台詞回しであったことは間違いないが」

 

 つまるところ、モノクマの放送通りだったということらしい。

 

「だったら、これってホントにただのボーナスだってこと? でも、ジュース飲めるくらいの価値しかないんでしょ? どのみち外に出なきゃ使えないけど」

「オレ達の命にはそれっぽっちの価値しかねェとでも言いてェんだろ」

 

 火ノ宮の出したそんな答えに、はっと息を飲む。

 

「いつもの嫌味と一緒だ。……そりゃ、俺達は自分達のために古池達を殺して今日まで生き延びてる。そういう意味じゃァ、オレ達の命に大した価値なんざねェだろうけどよ」

「……火ノ宮君。それは違うよ、きっと」

「んだよ、七原」

「古池君達を殺したのはモノクマだよ。悪いのはモノクマだって、前にも言ったはずだけど」

 

 臆することなく、まっすぐに彼女は火ノ宮を見つめてそう告げた。不安げな表情をした城咲もそれに続く。

 

「七原さんのおっしゃる通りです。それに、いのちの価値なんて、みんなびょうどうなものなのではありませんか?」

「というかそもそも、命の価値なんて考えること自体間違ってると思うけど」

「……チッ。ンな事くれェ分かってる。……悪ィ、眠くて気が立ってるみてェだ」

 

 バツが悪そうに目をそらしながら、火ノ宮はガシガシと頭を掻く。火ノ宮は夜通し宿泊棟の見張りをしていた。この話し合いが終わったらもう寝かせたほうがいい。過度の眠気は精神を消耗させるだけだ。

 

「とにかく、百億円札の件は考えてもしょうがありません。今考えるべきは、僕達に配られた【凶器】の対処です」

「……あァ。そうだな。で、どうするかだけどよ」

「ねえ、【凶器】を公開しない?」

 

 火ノ宮の言葉を奪うようにして、東雲がそんな提案をした。

 

「皆で、配られた【凶器】を見せ合うのよ」

「…………」

「ん、何よ」

 

 口を開けたまま、ぽかんと彼女に目を向ける火ノ宮。

 

「アタシ、妙なこと言ったかしら?」

「いえ、正直僕もその提案をしようと思っていましたから、それ自体は妙ではないのですが……」

「てめーがそれを言い出すことが妙だろ。てめーは学級裁判を待ち望んでるはずだ。なんでそのための【動機】をみすみす潰すような提案をするんだ」

「別に大した理由なんかないわよ。モノクマがアタシ達に何を配ったのかが気になるし、隠し持ってたってどうせ裁判になったら見せ合うんだから意味ないじゃない。だったら最初から見せ合っちゃったほうがこっちとしてもやりようがあるわ」

 

 やりようってなんだよ、とは思いつつ、だからといってその提案を断る意味もない。

 

「……まァいい。てめーに言われなくても【凶器】の公開はする。ひとまず、全員ここに持ってきやがれ。【凶器】って一口に言っても、殺し方なんて山ほどある。まずは何が配られたのか把握すべきだ。そうだろ?」

「ああ」

 

 モノクマは、配られた【凶器】は俺達の自由にしていいと言った。自分の気持ちも考えろだなんて事も言っていたが、そんなのは無視して公開でも管理でもやってしまえばいい。やることはこれまでと何も変わらない。

 他の皆もそれに同意する。……と思っていたが。

 

「俺は断る」

 

 一人、異を唱えた人物がいた。岩国だ。

 

「……なぜです? 配られた【凶器】が何であるかの情報を共有することは、全員にとってメリットでしかないと思いますが。【凶器】の情報を得ることができれば存在しない【凶器】に怯える必要はありませんし」

「そんなもの、化学者や運び屋達がいない時点で不完全だろ。俺達が【凶器】を見せあったところで、見せないやつがいる時点ですべての【凶器】の把握はできない」

 

 あっさりと反論する岩国。杉野に言葉を続けるのは癪だが、俺も岩国を説得するために口を開く。

 

「だが、【凶器】を公開すれば自分への疑いは消せる。変な言いがかりをつけられたくないって前に言ってたじゃないか」

「こっちにも事情があるんだ」

「事情だァ? どんな事情だよ。言ってみやがれ」

「【凶器】を公開できない事情だ」

「説明になってねェぞ!」

 

 火ノ宮の怒号を無視して、岩国は立ち上がる。

 

「おい、待ちやがれ!」

「火ノ宮君。無理に追っても逆効果ですよ」

「……チッ!」

 

 頭に血を上らせた彼を杉野が止める間に、岩国はすたすたと歩いて宿泊棟へ戻ってしまった。

 【凶器】を公開できない事情……? なんにしたって、【凶器】を隠し持つことに対外的なメリットはない。さっき東雲が言ったように、もしそれを使って殺人を犯したとしても、学級裁判でどうせ強制的に明かされる。岩国はそれを理解した上で【凶器】を明かせないと言った。理由は何だろうか。彼女に配られた【凶器】に何か問題があるのか、それとも彼女自身の問題か。それの答えに至ることは出来ない。

 ……と、そこまで考えてはたと気づく。【凶器】を公開しないメリットがないのであれば、配布された【凶器】で殺人を犯すことのメリットもない。クロ以外の全員が【凶器】を明かしてしまえば、消去法でクロが確定する。最初から配られていた『凶器セット』と同じ理屈だ。

 ならば、この【凶器】に意味はあるのか?

 

「協力していただけない方は仕方ありません。ここにいる僕達だけでも【凶器】を見せ合うことにしましょう。よろしいですね?」

 

 俺の思考は、その悔しさを纏った杉野の声に打ち切られる。どちらにせよ、【凶器】の公開に意味があるのならそれをしない手はない。杉野の他にも城咲や火ノ宮は【凶器】をすでに食事スペースに持ってきていたらしく、彼ら以外は一度個室から【凶器】を取ってくることになった。

 

「平並君」

 

 俺もあの金色の刀を取ってこようと立ち上がったあたりで、七原に声をかけられた。

 

「七原……」

「…………」

 

 一瞬、沈黙が交錯する。

 

「昨日は、悪かった。ごめん」

「どうして平並君が謝るの? こっちこそ、ごめんね。嫌な思いさせちゃって」

「……それこそ、お前が謝るようなことじゃないだろ」

 

 水掛け論になる。どうも譲る気はないらしい。彼女は俺を心配してくれただけで、それを俺が払い除けたのだからどう考えたって悪いのは俺なのに。

 

「お前が気に病むことなんかない。本当に悪かった。……ところで七原、お前は【凶器】を持って来たか?」

 

 このまま言い合っても仕方がない。最低限言いたいことを伝えて、話を切り替える。こっちの話もしなければならない。

 

「ううん。だから取ってこないと行けないんだけど……」

「……そうか」

 

 七原が残るなら問題はなかったが、そうでないなら問題が生まれる。

 さり気なく、目を滑らせて杉野に目を向ける。【言霊遣いの魔女】である杉野を、出来る限り動き回らせるような真似はしたくない。急いで取ってくるしかないか。

 と、俺の視線を追ってその意図に気づいたらしい七原が口を開く。

 

「あ、私もそのことでちょっと提案があって」

「ん?」

「謝りたかったってのも本当なんだけど、こっちも本題なんだ。私、ちょっと城咲さんとお話したい事があるから、平並君は先に取ってきてよ」

 

 言外に、俺が食事スペースを離れる間は自分が残る、と彼女は告げた。願ってもない提案だ。七原にあの悪魔を関わらせたくはないが、同じ空間で見張るだけなら何も起きないだろう。ましてや、彼女は幸運なのだし。

 

「じゃあ、急いで取ってくる。できるだけ、城咲との話が終わる前に」

「うん、わかった」

 

 そんな会話を交わして食事スペースを出る。横目で捉えた杉野は、特に誰と言葉を交わすでもなく銀色のハサミを弄んでいた。

 

 早歩きで個室まで向かい、金色の刀を手にとってから食事スペースまでまた早足で戻る。その俺の姿を捉えて、七原は城咲との会話を切り上げる。

 

「もう取ってきたんだ。それが平並君に配られた【凶器】なの?」

「ああ。……アイツは?」

 

 声のボリュームを下げて尋ねる。

 

「……特に何も。火ノ宮君とは話してたけど、相槌打ってただけだったよ。それに、さっき食事スペースに集合するときも見てたけど、変なことは言ってなかった」

 

 俺と同じように小さな声で、質問の答えを返してくれた。

 

「そう、か。ありがとう。七原も取ってきてくれ」

「うん。……あ、そうだ」

「ん?」

「【凶器】を取ってくるついでにさ、もう一度大天さんに声をかけてみる。他の皆にどんな【凶器】が配られたのかを知らないのってやっぱり良くないし、今の大天さんを一人にしたくないし。今朝は一度断られちゃったみたいだけど、声をかけるのが私なら、もしかしたら出てきてくれるかもしれないしさ」

「……わかった。無理はするなよ」

「うん。分かってる。だから、戻ってくるのが遅くなるかもしれないけど……」

「なら後で俺から皆に伝えておく。誰も責めたりしないだろ」

「ごめん、お願い」

 

 そう告げて、七原は食事スペースを後にした。

 残された俺は、そのまま杉野の隣に腰を下ろす。

 

「仲良さそうに話されてましたね。何の話をされてたんです?」

「……さあな」

 

 杉野と仲良く話す義理なんかないし、話すこともない。適当に言葉を返してやり過ごす。

 そうこうしているうちに、パラパラと皆も食事スペースへ戻ってくる。

 

「もう全員揃っ……て、ないわね。あとは七原?」

「そうみてェだな」

「何やってんのかしらね。取りに行くだけでしょうに」

 

 と、東雲が文句を垂れたので、七原の遅れる理由を伝えた。それを聞いた彼女は、

 

「あらそう。ほっときゃいいのによくやるわね」

 

 なんて、どうでも良さげな返事を返した。実際のところ、他人が引きこもってようがどうでもいいのだろう。

 

「そうだ、ずっと聞きそびれてたけど、結局皆何年生なの? 希望ヶ空に入るなら全員同じ一年生になるはずだけど、それまでは皆普通に学校に通ってたんでしょ?」

 

 そういえば、そんな話をこの前の学級裁判の時にしたな。確か、東雲が一年後輩の二年生だって事は聞いたはずだ。

 

「普通に、と言われると仕事で休むことが多かった僕は否定したくなってしまいますが……まあそれはともかく、僕は三年生です」

「オレも三年だ。平並も確か三年だったよなァ」

「ああ」

 

 そんな会話を聞いて。

 

「……先輩だったのか」

 

 スコットがそんな呟きを漏らす。

 

「え? ってことは、お前は三年じゃなかったのか?」

「オレは二年だ。……です」

 

 慌てて丁寧語を付け足すスコット。この中で一番背が高いのに。

 

「今更敬語なんかつけてんじゃねェ。年上を敬うのは当然だけどよォ、希望ヶ空じゃオレ達は同級生なんだ」

「それに、俺達は一緒にモノクマに立ち向かう仲間だ。上も下もないだろ」

「……わかった」

「じゃあ、アンタって同い年だったのね。他に同い年っているのかしら」

 

 そう言いながら見渡す東雲だったが、特に反応する人物はいない。

 

「あら、いないのね」

「キミの期待に応えられず残念だが、ボクが仁科高校という学校(書架)在籍していた(格納されていた)のは二年半……つまりボクは第三学年だ。同い年(同じ刊行年)なのは平並君達ということになるな」

「アンタ、日に日に言い回しがめんどくさくなってない?」

 

 初めて会ったときからこれくらい面倒臭かった気がする。

 

「わたしは、もともといた学校でもおなじ一年生でした」

 

 城咲は一年生でスカウトされたってことか。さすがは十神財閥のメイド、といったところだろうか。

 

「ああ、それは何となく分かるわ。アンタ背、低いし」

「…………」

 

 あ、わかりやすくムッとした表情になった。

 

「たしかに今のわたしはみなさんの中で一番背はひくいのですけど、これでもものくまにうばわれたという二年間でいちおう背はのびてるんですよ。それに、わたしはみなさんとくらべて生まれるのが遅かったのですから、つまりこれからまさにせいちょうきを迎えるはずなんです」

 

 と思ったら一気に喋りだした。大浴場で大天に子供みたいな身長と言われた時もショックを受けていたようだったし、彼女にとって身長の話はタブーのようだ。

 

「……二年間経ってるのが本当なら、成長期はとっくに過ぎてるんじゃないの?」

「うっ……」

 

 だと言うのに、更に余計な一言を付け加える東雲。

 

「シノノメ、ちょっと黙ってろ」

「アタシ、間違ったこと言ってないわよ。今回は特に」

 

 東雲は不服そうな顔でスコットをジトリと睨む。確かに今の言葉は正論ではあったが、言っても城咲が傷つくだけだだった。

 そうやって、城咲を慰めたり東雲を諌めたりするうちに時間は流れ、七原が黒い何かを携えて戻ってきた。あれが、七原に配られた【凶器】か?

 

「あ、七原。アンタって何年生?」

「…………え?」

 

 帰ってきた彼女に、東雲が前置きもなしに尋ねる。彼女は少し遅れてから反応した。

 

「えっと……三年生だけど……あ、その話をしてたの?」

「ええ。七原さんが戻るまでの時間つぶしとして」

「……そっか。待たせてごめん」

「いえ。それで、大天さんのことですが……だめだったようですね」

 

 と、杉野がぼやいたのは、七原が一人で戻ってきた様子を見たからだった。それに、どうも気落ち気味で何か思い悩んでいる様に見える。大天を連れてくる事は今回ばかりは出来なかったから、落ち込んでいるのかもしれない。

 

「うん……」

 

 無念そうに目線を下げる七原。

 

「……事情が事情だ。仕方ない」

「…………うん、大丈夫。ありがとう」

 

 俺の慰めにそう殊勝に返してはくれた。いつものように明るい声ではあったが、どこか覇気が感じられない事が、彼女の心中を表しているだろう。

 

「さて、皆さん揃いましたし、各自配られた【凶器】の説明をしていきましょうか」

 

 そんな杉野の声を背景に、七原が腰をおろす。そして、すでに説明を終えた杉野は飛ばして、その隣にいた俺から説明をすることになった。

 俺の目の前に置かれた金色の刀に視線が集まる。それがどんなものであるか、皆が何を想像しているかは口に出さずとも伝わってくるが、この刀はそうではなくただの模造刀であることを伝えた。

 

「ん、じゃあ、それって本物じゃないってこと?」

「そうだ」

 

 と返事を返しながら刀身を鞘から抜く。

 

「……本当にそうみたいね。日本刀なんて初めて見るからワクワクしてたのに」

「つっても、斬る能力がねェだけで【凶器】としての性能は十分だ。そうだろ」

「ああ。殴れば致命傷になり得る傷をつけられるからな。あと、見ての通りこの模造刀は金箔が貼られているんだが、すぐに剥がれるようになっている」

 

 そう告げながら、金色に汚れてしまった手を見せる。

 

「妙ですね。【凶器】を配るのであれば、そんな欠点など無い方がいいはずですが。何か理由でもあるのでしょうか」

「さあな」

「……ッ」

 

 瞬間、明日川が眉をひそめたのが視界に入った。

 

「どうした?」

「……いや……その刀に、見覚えがあるような気がしただけだ」

「きが、ということは、じっさいに見たことがあるわけではないのですか?」

「……ああ」

 

 見覚えがある、という現象は誰の身にも起こることだろうが、完全記憶能力を持つ明日川に限っては少し事情が異なる。

 

「どこかのページでみたような気がしたのだが……錯覚だったようだ。ボクの物語の中に、その金色の刀は登場しない」

「……それって、モノクマに消された記憶の話なんじゃないの?」

「え?」

 

 不安げな明日川に、七原がふと思いついたように語りかけた。

 

「それって、既視感(デジャヴ)ってやつだと思うけど……この刀が明日川さんの記憶に引っかかったんだったら、もしかしたら、本当にあったことなのかも」

「……確かに、可能性はありますが」

「だから、二年間の記憶か……それか、明日川さんの記憶なら、50年前に起きたって言うコロシアイに何か関係してるのかも」

 

 明日川だからこそ、そんな推測が成り立つ。ただの気のせい、で片付けるのは危険な気もする。

 しかし。

 

「まあ、だからなんだ、って話なんだけど……」

 

 そう彼女自身が語る通り、その推測が正しいかどうかを判断する(すべ)はないし、正しかったところで進展もない。せいぜい、モノクマが50年前のコロシアイを模倣しているという事実がより強固に保証されるだけだ。

 

「まあ、意見が出るのは良いことだろ。とりあえず、俺の説明はもう終わりだ。次は七原か」

「あ、うん」

 

 と、返事をした七原が手に持っていたのは、真っ黒なフルフェイスヘルメットだった。

 

「鈍器……というよりは、顔を隠すためでしょうかね」

「多分そうだと思う」

 

 厳密には凶器と言えないものもある、とモノクマは言っていた。七原に配られたヘルメットが、それに当たるのだろう。被ってしまえば、顔を見られるリスクを減らすことができる。『万一』をためらう必要がなくなり、より殺人に踏み込みやすくなる……という寸法なのだろう。

 

「……ま、殺傷能力はねェが、警戒は必要な代物かもな」

 

 火ノ宮がそんな結論を出して、次に移る。

 

「じゃあ次はアタシね。アタシに配られた【凶器】はこれよ」

 

 そう告げながら、東雲は小指ほどの透明な瓶をテーブルにのせた。中に入った液体も透き通っている。

 

「あァ? んだそりゃ」

「青酸カリよ」

「なっ……!」

 

 言葉をためることもなく、彼女はあっさりと劇薬の名を告げた。

 

「青酸カリって、ミステリだと定番の毒薬でしょ? だからモノクマもこうして用意したんでしょうね」

 

 東雲の意見も一理ある。金色の刀やハサミに比べれば、【凶器】としてよっぽど自然だ。

 そんな風に彼女の【凶器】に納得して、次に行こうとした時だった。

 

「……東雲君。一行だけ、質問を投げ掛けてもいいだろうか?」

 

 明日川が、不穏な表情でそんな台詞を口にした。

 

「ん、別にいいけど」

「キミは、なぜそれが青酸カリだと気づいたんだ?」

「え?」

「見たところ、化学室の薬品とは違ってそのビンにはラベル(装丁)がなく、薬品名(タイトル)分からなかった(読めなかった)はずだ。モノクマ(白黒の絶望)から【凶器】に関しての個別の説明(注釈)があるならそもそもラベル(表紙)をつけただろうし、キミはなぜそのビンに封じ込められた液体が青酸カリだと断言できたのか、気になったんだ。……ふ、もう一行分ではとっくに収まらないな」

 

 思いの外伸びた台詞の長さに自嘲する明日川。その台詞に刻まれた疑問の答えを求めて、東雲に視線が集まる。渦中の彼女は、青酸カリの入ったビンを手に取り、弄んでいる。

 

「おいシノノメ。オマエ、今時間稼ぎしてないか?」

「そんなんじゃないわよ」

 

 スコットの疑問に答えると共にビンをテーブルに戻す。そして、明日川に投げられた質問の答えを語りだした。

 

「匂いよ、()()

「匂い?」

「そ。青酸カリと言えばさ、特徴的な匂いが有名じゃない」

 

 それって……。

 

「アーモンド臭よ。アタシは別に毒とかミステリとかには詳しくないけど、青酸カリがアーモンドの匂いがするって事くらいは知ってるわ」

 

 確かに、青酸カリと言えばアーモンド臭、というのはかなり有名な連想だろう。何の作品がきっかけなのかは知らないが、大抵の人は耳にしたことがあるはずだ。

 

「このビンを見つけたときに、見るからに怪しいしすぐに毒だとわかったわ。けど、何の毒かまでは分からなかったから、試しに匂いを嗅いでみる事にしたのよ」

「何かもわかんねェ薬を嗅ぐんじゃねェ」

「別に良いじゃない」

「つまり、ナッツの匂いがしたから、それが青酸カリだと気づいたと。そういう解釈で問題ないか?」

「ええそうよ。どう? これで満足?」

 

 堂々と言葉を綴る東雲。

 ……だが、その内容は見過ごせるような物じゃなかった。

 

「やはりボクの思った(独白した)通りだ」

「……何がよ」

「端的に言おう(語ろう)、東雲君。キミの台詞は虚構だ」

 

 明日川も、その不備に気付いたようだ。

 

「嘘ってこと? 何を根拠に」

「青酸カリはナッツの香りを放っていないからだ」

「……なんですって?」

 

 そう、それこそが東雲の語った説明の不備。

 

「青酸カリはアーモンド臭を放っている、という話はよく耳にするが、キミはこの『アーモンド臭』という単語に騙され誤解している。青酸カリの服毒によって発生するアーモンド臭は、ナッツの匂いではなく、()()()()()()()()()()()()()()だ」

「……!」

 

 ハッと、彼女は息を飲んだ。

 昔、ミステリ小説を書こうとした時に、そういう話を知った。大体、青酸カリといえばアーモンド臭なんて連想もかなり古くからある論説で、最近の小説で青酸カリに触れるならこの解説も大抵入っている。あまり小説を読まないらしい東雲は知らなかったようだが。

 明日川はさらに台詞を伸ばす。

 

「そもそも、青酸カリ……物質名はシアン化カリウムという名前(章題)を冠しているが、それ単体ではアーモンド臭は発していない。青酸カリはそれを服薬した人物(キャラクター)の体内で、胃酸と反応して青酸ガスへと変化する(書き変わる)。この青酸ガスが放つ匂いこそが、俗にアーモンド臭と呼ばれる匂いなんだ。この場に【超高校級の化学者】である根岸君がいれば、より詳細な説明を聞けた(読めた)のだろうけどね」

「…………」

「更に台詞を加えると、もし仮に君がナッツの匂いでなく本当にアーモンドの花の匂いを感じ取ったとしたら、キミはきっと死んでしまっているだろう(物語を終えているだろう)。それは青酸ガスを吸い込んだに違いないのだから。さて、何か反論(校正)はあるかい?」

「……無いわよ。あー、こんなあっさりバレるなんてね」

 

 残念そうに、それでも少し愉快さを残した表情で東雲は告げた。

 

「では、本当に嘘をついていたんですね」

「ええ。これは毒じゃなくて、海で使う目薬よ。まあ、飲んで良い物じゃないでしょうけど、死ぬほどのものじゃないわ」

「てめー……どォして嘘つきやがったァ!」

「どうしてって、ここで【凶器】を誤魔化せれば、一人だけ誰も知らない【凶器】を隠し持てるでしょ?」

「なっ……」

「東雲さん……まさか、そのさくせんのために、【きょうき】を見せあうことをていあんしたのですか?」

「当たり前じゃない。でも、ま、安心してよ。次に解放されるエリアに海があるっていうし、わざわざこんなタイミングで事件を起こす気なんて無いわ。それに、今はまだ謎を解く方をやってたいしね」

 

 ……安心しろ、などと言われても、『今はまだ』という言葉の裏にはいずれは事件を起こすつもりだという意図が隠されている。その気になりさえなれば、いつだって彼女は事件を起こすだろう。自分がただ、学級裁判を楽しむためだけに。今すぐに事件を起こす可能性は低いと思っているが、そういう意味だと危険性はある。今だって、【凶器】を隠し持とうとしたわけだし。

 

「で、お前の本当の【凶器】は何だったんだよ」

「ん? ああ、これよ」

 

 そう尋ねると、東雲はポケットから細長い球状の何かを取り出した。

 ……は!?

 

「それ! 手榴弾じゃないか!」

「そうみたいね。実物は初めて見たわ」

 

 どうしてそんな冷静にしていられるんだ! 爆弾だぞ!

 

「別に焦んなくても何もしないわよ。危険物だってのも十分わかってるつもりよ」

 

 その言葉とともに、東雲は手榴弾をそっと机に置く。こんな危ないものをこっそり隠し持とうとしていたのか、と戦慄が食事スペースを走る。

 

「……そういえば、アスガワ」

「ん、どうした(何か補足か)? スコット君」

「オマエ、よくシノノメがウソついてるって気づいたな。最初に質問したときにはもう確信があったみたいだが」

「ああ、それは俺も気になった」

 

 明日川が東雲に質問を投げかけた時点では、まだ東雲に失言はなかった。しかし、あの時明日川が不穏な表情をしていたのは、東雲の嘘を見抜いていたからだろうし。

 

「大した理由はないさ。ボクが(虚構)を見抜くのに長けているわけでも、彼女の台詞に白々しさを覚えたわけでもない」

 

 そんな台詞とともに、ポケットに手を差し込む。そして、彼女は茶色いビンを取り出した。

 

「簡単な話さ。ボクの元に配られた【凶器】こそが、青酸カリだったというわけだ」

 

 明日川が軽く振るビンの中で粉末が踊る。そのビンに貼られたラベルに明朝体で書かれていたのは、紛れもなく『青酸カリ』。

 

「……ついてないわね」

 

 東雲はハア、とため息をついた。

 

 結局、騒ぎがあったのはこの東雲の一件だけで、その後は順調に【凶器】の見せ合いは続いた。スコットはダンベル、城咲は鉄串。そして、火ノ宮は、

 

「カギ?」

「あァ。サウナのカギだ」

 

 キラリと光る銅色のカギを見せた。サウナのカギであることを示すタグも付いている。言われて、大浴場のサウナに鍵穴が付いていた事を思い出した。

 

「オレは部屋にいなかったからなァ、直接手渡してきやがった。さっき食事スペースに来る前に大浴場のサウナで使える事を確認してる。男子の方だけだけどなァ」

「ふーん。なるほど、あのサウナ自体が凶器になるのね」

「……チッ。あァ」

 

 サウナ自体は、中に入っても即死するようなものじゃない。ただ、中にいる状態で外からカギをかけられてしまえば、建物やカギの破壊を禁ずる規則と相まって、サウナの中に閉じ込められてしまう。そうなれば、いずれ訪れる死は避けられないはずだ。何死になるかまではわからないが。脱水死か?

 

「あのサウナは女子側にもあったんだったか?」

「うん。火ノ宮君の持ってるカギにはサウナって書いてあるだけだし、もしかしらた男女兼用なのかも」

 

 どちらにせよ、こうして公開してしまえばそもそもサウナに入ろうとは思わなくなる。【凶器】として意義はなくなるが、ずっとサウナが使えなくなるのはあまり良くない。……いや、そんなサウナに入れない事が辛くなるほどこんなところに長居するつもりはないが。

 

「ともかく、これで僕達の【凶器】は全員公開しましたかね」

「あァ。どれもこの施設の中にはなかったモンだ。城咲の鉄串も、似たようなモンはあっても微妙に異なってる。全部モノクマから配られた【凶器】に違いねェだろォよ」

 

 その火ノ宮の意見に反論は上がらない。

 ひとまず、ここに集まった8つの【凶器】に関しては、全て火ノ宮が預かることになった。もう公開された【凶器】の所在さえはっきりさせてしまえば、少なくともそれで事件が起きる可能性はかなり減少する。それが、他にも危険物を管理する火ノ宮の元に集まったのであれば、よりその意識はしやすい。

 男子で分担して【凶器】を個室に運び入れると、

 

「……じゃァ、もう寝る」

 

 と、静かに火ノ宮が告げる。

 

「あ、最後にちょっといいか」

「……あァん?」

 

 その彼を呼び止めると、不快そうな声が返ってくる。眠気が限界なのだ。手短に終わらせよう。

 

「お前、昨日の夜宿泊棟を見張ってたよな。何もなかったか?」

「モノクマが【凶器】を配ってたこと以外は何もねェよ」

 

 そう彼はぼやく。火ノ宮はモノクマに直接手渡されたと言っていたな。その時に嫌味でも言われたのだろう。火ノ宮は顔をしかめていた。

 何も無いなら良かった、と話を切り上げようとした時、

 

「杉野ともロクな話はしてねェしな」

 

 彼はそんな言葉を続けた。

 

「杉野? コイツと会ったのか!?」

 

 予想だにしないその名前の登場に声が荒ぶる。その声に火ノ宮は更に顔をしかめた。

 

「てめーが部屋に戻って少ししたくれェにコイツも部屋から出てきたから少し話しただけだ」

 

 その言葉とともに、火ノ宮は俺の側に立つ杉野を指差す。

 

「何を話した!」

「別に大したことは話してねェ。何興奮してやがる」

 

 怪訝な目で睨まれて、更に質問を投げかけることは出来なかった。

 

「話すことねェならもォ寝させてもらう」

「あ、ああ……」

 

 そして重い足取りのまま、火ノ宮は個室へ消えていった。……ゆっくり休んでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《図書館》

 

 【凶器】の処理が終わると杉野は【体験エリア】の図書館へ向かっていったので、俺もそれに着いていった。朝食は食べていない。とても何かを口に入れる気分じゃなかった。

 図書館に着いてすぐ、杉野は雑誌を何冊か抜き出してソファーに腰を下ろした。

 

「……何もしないのか?」

「こうして、雑誌を読んでいますが」

「…………」

「そんな怖い顔で睨まないでくださいよ。分かってますよ、あなたの言いたいことは」

 

 誰かが来る可能性を見越してか、魔女は杉野の声で語る。

 俺の言いたいこと、というのは、すなわち魔女としての作業だ。誰かの殺意を煽り殺人を引き起こす魔女が暗躍するには、疑心暗鬼が折り重なり【凶器】まで与えられた現状はこの上ないチャンスのはずだ。それなのに、こいつはなにもすることなく図書館で時間を浪費しようとする。

 

「そんな怖い顔をしないでください。しばらく僕はなにもしませんよ。もう全部やり終えましたから」

「……なんだって?」

「種は蒔き終えたということです」

 

 ……っ!

 

「……いつだ」

「さあ。少し考えてみれば分かるのではないでしょうか」

「……」

 

 俺の見る限り、誰かの殺意を煽るような動きはなかった……はずだ。いや、唯一、根岸を悪人であるかのように煽る発言はあったか。あの発言のせいで、根岸は俺達と決別する事を決めた。……ただ、彼には露草がいる。彼女がいる限り、根岸は誰かを殺そうとなんて考えないんじゃないのか。もしも根岸の殺意を煽ったのなら、露草も同時に唆さないといけないように思える。

 杉野の皆の前での発言も、それ自体は杉野悠輔として信頼を集めるためなのか、殺意を抑えようと呼びかけるものだった。その裏に何か意図は隠されている可能性があるとは言え。

 

 だから、心当たりは、一つだ。

 

「……夜か」

 

 夜時間。それぞれの個室で俺達が睡眠を取ったあの時間帯、俺達を見張るために個室の外にいた火ノ宮は、杉野と言葉を交わしたと言っていた。その会話の内容を、俺は知らない。

 

「…………」

 

 俺の告げた答えに、魔女は妖艶な笑みを浮かべるだけで何も答えなかった。

 

「お前、火ノ宮に何を言ったんだよ」

「ただの世間話ですよ」

「…………」

 

 それが嘘とも本当ともわからない。結局の所、自分の行動が全部裏目に……いや、違うな。もし昨日の夜に俺が火ノ宮と一緒にいれば、今この時間帯にこいつが暗躍するだけだ。

 クソッ……。

 

「そんな怖い顔しないでください。まだ事件は起きていません。せめて裁判が行われないこの時間位は気を休めなければ、いざという時に対処できなくなってしまいますよ」

 

 そんな言葉を告げて、杉野は視線を雑誌に落とした。気を休める? 違うだろ。お前はただ自分の撒いた種が芽生えるのを待っているだけだろうが。

 

「……はあ」

 

 とはいえ、何もしないのであれば今更何か出来ることはない。火ノ宮は個室で寝てるから接触できないし、根岸だって話しかけに行っても悪化する気しかしない。仕方なく、杉野を見張りながら俺も何か本を読むことにした。

 

「ええと……」

 

 杉野が視界に入る位置でめぼしい本を探す。

 そう言えば、図書館には初めて来た。所狭しと詰められた本を端から見ていく。『初恋は硝煙の香り』『完全自殺マニュアル』『世界の整形のココがスゴイ!』『NEOコミックス 11月号』……昨日、話に聞いた通り、ジャンルも本の形態もバラバラだった。

 

「おや、平並君じゃないか」

 

 そこにかけられる声。図書館の主とも言える、明日川だった。

 

「もしや、平並君は図書館(このシーン)来る(登場する)のは初めてかい?」

「ああ。ずっと個室にいたからな」

「そうか。この図書館では検索(索引)が機能しないのは見ての(読んだ)通りだ。何か目的の物語を探すより、視界に入った(描写された)中で目についた物語を読む方が良いだろう」

「分かった。ありがとう」

 

 彼女の言うとおりだ。大抵の本は読んだことがないみたいだし、タイトルで決めるか。

 そんな事を考えて本棚を眺めていると。

 

「で、どうだい。順調か?」

 

 明日川からそんな台詞が飛んできた。

 

「……何が」

 

 順調か、と問われてああ順調だ、と答えられるようなものはなにもないが、念のため詳細を聞いた。

 すると、彼女は杉野の様子をちらりと伺って、彼に聞こえないよう俺の耳に顔を近づけて囁いた。

 

「七原君との事だ」

「…………」

 

 やっぱりな、と思った。明日川が気にする話といえばこれ以外に無い。

 

「順調も何もない。それどころじゃないのはお前だって分かるだろ」

 

 こっちも小声で返す。

 

「確かに、(今話)は緊迫したシーンと言えるだろう。絶望から【動機】が与えられ、殺人劇への移行を意識させられている」

「それが分かってるんだったら……」

「しかしだ。物語のジャンルは何も単一と決められているわけではない。緊張感あふれるシーンの裏でラブシーンが行われていたとして何か問題があるわけでもないだろう。否、むしろ推奨されるべきなのではないか? キミも吊り橋効果という単語は知っているだろう?」

 

 ……こいつ、どうせラブシーンの意味が分かって言ってるんだろうな。単に色恋沙汰って意味ならまだいいが。

 

「…………まあ、否定はしないが」

「そうだろう。……で、どうなんだい。今までの様子を伺う(読む)限り、親愛度は着実に積み上がっているように思えるが」

 

 そんな台詞を聞いて、昨晩の事を思い出す。俺を励ましてくれた彼女を、俺は怒鳴りつけてしまった。

 

「……別に、そんな事は無い」

「そうかい? しかし、今朝七原君は大天君に声をかける事をキミにだけ告げていたじゃないか。この環境でそうできるというのは、親愛の現れなのではないか?」

「ただの話のついでだよ。別に俺がいなきゃ火ノ宮やお前に告げてただけだ」

「ふむ……」

 

 何かを疑うように、俺の顔を見る明日川。

 

「なんだよ」

「一つ確認しておきたいのだけれど……以前キミは、自分が七原君に抱く感情は恋愛感情ではないという台詞を告げたな? それは、今でも変わらないのか?」

「そりゃあ、勿論――」

「キミがそう言うのであれば、そうなんだろう。決めつける(レッテルを貼る)ような真似はしない。しかし、答えを出す前に、もう一度だけ心の中で(モノローグで)考えてみてくれないか」

 

 俺の言葉を途中で遮って、そんな台詞が飛んできた。

 ……俺が、七原に抱えている想いは。

 

「…………」

 

 

――《七原の幸運があれば。七原が居てくれれば。》

――《きっと、なんとかなる。》

 

 

 いつしか抱いた感情を思い出した。

 彼女にそばにいてほしいと願ったのは、この絶望を止めるためか。

 いや、きっと、それだけではなく。

 

 俺が、彼女と共にいたいと、そう思ったからで。

 

 

 もしかしたら、きっと、この想いに名前がついているのかもしれない。

 

 

「答えは出たかい?」

「…………」

 

 声は出さなかった。けれども、彼女を見据えて頷いた。

 

「……ふ、自覚するのは、良いことだ」

 

 ニヤついた明日川とぶつかった視線を横にずらす。

 

「で、告白はいつ(どのページで)するんだ」

「は?」

 

 急に、明日川はそんな素っ頓狂な事を言い出した。

 

「ボク達が描くはずだった学園生活とは違って、これから先に告白に適した文化祭や修学旅行(一大イベント)があるとは思えない。まさか、今はそれどころじゃないという理由でここから脱出する(この絶望の最終章)まで告白をとどめておくつもりか?」

「……それが悪いって言うのかよ」

 

 魔女じゃあるまいに、明日川は俺の心中を見抜かんとばかりに台詞を紡ぐ。さっきも言ったが、そもそもモノクマをどうにかしてここから脱出するまではそれどころじゃない。

 だと言うのに。

 

「悪いさ。こんな環境(ジャンル)だからこそ愛は必要だ。無論、愛が凶行を引き起こす物語の存在も認知しているが、それでも心が絶望に苛まれそうになった時、愛は最後の一歩で踏みとどまらせてくれる事はキミも認めるだろう。それに、いずれ伝えたいと思ったのならなるべく早く伝えるべきだ。その分だけ共に愛を育む期間(ページ数)は増えるのだからね。そして、ボクにその顛末を語ってくれ」

「お前、最後のやつが本音だろ」

「全ての行が偽りないボクの本音(地の文)さ」

 

 なんだかんだ言いながら、結局そういう話を聞きたいだけなんじゃないだろうか、こいつ……。

 ため息とともに、肩から力が抜ける。

 

「……大体、告白なんかするか。したって断られるだけなんだし、こんな時に気まずくなってどうする」

「ん? なぜそう言い切る?」

「え?」

 

 まさかそんな事を聞かれると思っていなかったので、言葉に詰まる。

 

「他の誰か(キャラクター)の心中なんて分かりや(読めや)しないというのを、ボク達は嫌というほどに学んできただろう。キミの告白を彼女が断るだなんて、断言できないはずだが」

「……それでも、それくらいなら流石に分かる」

 

 俺が七原の事を好きだとしても、向こうからしたらそんな事は関係ないことだ。俺が彼女に告白したとして、きっとそれは失敗する。

 

「そう思う根拠を語ってくれないか。彼女はキミを絶望から救っただろう」

「だが、それは俺だからじゃない。きっと、誰があの場にいても、七原はその誰かを救ったはずだ。今朝、火ノ宮にも言ってただろ。悪いのはモノクマだって。誰相手でも、あの優しさを持ってるんだ」

 

 そう口にして、はたと思い至る。

 

「だからこそ、俺は彼女に特別な感情を抱いているのかもしれない」

「…………」

「……だが、俺はアイツとは違う。俺には何の魅力もない」

 

 何も出来ない。何もなせない。七原は才能があると言ってくれたが、それが何かもわからない。

 

 

 俺でさえ俺を好きになれないのに、どうして周りの誰かが俺を好きになるんだ。

 

 

「……それを決める権利は、彼女にもあると思うけれどね」

「…………」

 

 その明日川の台詞は、俺の耳をかすめてどこかへ過ぎ去っていった。

 

「先程から何の話をされてるんです?」

 

 突如、小声でかわされていた会話に新たな声が投げ込まれる。杉野だ。

 

「大した物語じゃない。彼にとっては主軸(メイン)だが、キミにとっては番外編だ。気にすることじゃない」

「……そう言われてしまいますと気になるのですが」

 

 結局、その杉野の介入によって密談は終わり、その後は各自本を読んで過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

 時刻は正午を回った。

 毒物事件や【凶器】の配布があっても、生きている限り腹は減る。食欲はあまりないが、何かを体に入れないとそろそろ限界だ。そんなわけで、杉野と俺は図書館を離れて食事スペースを目指した。明日川にも声をかけたが、読書中の彼女には無視されたので図書館に残してきた。

 『モノモノサツガイヤク』にしろそうでないにしろ、タバスコ以外の食料にも何かしらの毒が盛られている可能性がある。それを避けるためにはどうすればいいか、と考えながらたどり着いた食事スペースの中央テーブルには、いくつかの食材がズラリと並んでいた。

 そして、そのそばには。

 

「根岸……」

「……っ」

 

 俺の声に反応して、テーブルに向かって座っていた根岸が肩を震わせた。しかし、声の主が俺である事を察したのか、こちらを向くことはなかった。

 彼のそばには露草、そして少し離れてスコットが座っていた。

 

「スコット君。どういう状況か、お聞きしても?」

 

 と杉野は尋ねたが、根岸の前に置かれた実験器具を見れば、おおよその見当はつく。案の定、スコットの発した答えはその通りだった。

 

「ネギシに頼んで、毒の検査をやってもらってるんだ。タバスコに毒が入れられていた以上、どの食材、調理器具に毒が仕込まれていてもおかしくないからな」

 

 ただ、想像通りとは言え疑問は残る。

 

「それはいいんだが……根岸がよく引き受けてくれたな。だって、その、根岸は」

「お、おまえ達のことなんか、だ、大嫌いだ……!」

 

 作業の手を止め、根岸が俺の言葉の先を告げた。首をひねってこちらを見た彼に、睨みつけられる。

 

「も、もうおまえ達なんか信じるか……! な、仲間を信じろだなんて言うばっかりで、ぼ、ぼくのことなんかちっとも信じてくれない……! ば、バカバカしい……!」

「……ですが、こうしてあなたに毒の検査を頼んでいるのは、あなたの事を信じているからでは無いのですか?」

「そ、それはぼくのことを利用してるだけだろ……! し、信じてるんだったら、ぼ、ぼくのことを見張るなよ……!」

 

 出来るわけがない事を吐き捨てて、彼はまた毒の検査作業に戻った。

 

「…………」

 

 致命的に根岸の心を傷つけたのは、『根岸が悪人であるかもしれないと疑わざるを得ない』という毒物事件の際の杉野の言葉だろう。言葉遣い一つで信頼関係に傷を入れた張本人は、素知らぬ顔をしていた。

 

「と、言いつつも、こうして毒の検査をしていただいているのは?」

「露草さんのおかげです」

 

 と、調理場の中にいた城咲が答えた。どうやら調理の準備をしているらしい。

 

「正確には琥珀ちゃんが頑張って説得したんだけどね」

『翡翠、今はふざける場面じゃねえぞ』

 

 それを自分の操る黒峰に言わせてしまうところが、ふざけているとは思う。が、ツッコミを入れるのはやめてそのまま話を聞いた。

 

「どこに毒が入ってるかわかんないし、それを調べるなら章ちゃんが一番だよね」

「ええ、勿論。彼は【超高校級の化学者】ですから」

『最初スコットと城咲が頼みに来たときは頑なに断ってたけど、それじゃ皆がまともに食事できねえだろ』

「だから、翡翠と琥珀ちゃんでお願いしたんだ」

『倉庫の缶詰とか毒を警戒しやすいものもあるけど、そればっかじゃ気も滅入るしよ』

「それに、翡翠、またかなたちゃんのご飯食べたいし! だからさ、翡翠達からも章ちゃんにお願いしたんだ」

「なるほど、そういう経緯でしたか」

「い、言っておくけど……!」

 

 再び、根岸が口を挟む。

 

「か、缶詰ばっかりじゃ体壊すから城咲に作らせてるだけだし、お、おまえ達の分まで調べてやってるのは、も、もう学級裁判なんかやりたくないからだからな……! お、おまえ達が死ぬのなんか、ど、どうだって良いけど、そ、それでこっちまで命をかけるなんてまっぴらだ……!」

 

 言いたいだけ言って、根岸はまたしても作業に戻る。

 

 根岸は、岩国と同じようなスタンスを取ることにしたらしい。その変化は、最悪ではないにしても、十分に悪いと言えるものだった。

 かつての根岸は、誰かが死んでもいいと言うような人間だっただろうか。『モノモノサツガイヤク』の解毒薬を作った事だって、露草達との会話を聞けば、死にゆく誰かを救うためだったはずだ。現状は、彼の心情が転がり落ちるのを、学級裁判という残虐な一蓮托生のルールがギリギリで踏みとどまらせているに過ぎないのだ。

 

 そんな彼に掛ける言葉は見当たらなかった。

 

「ともかく、ネギシにはひとまず今日の昼食と夕食の分の食材の検査をしてもらってる。ここは一度無人にしたからな。昨日の夜使ったものも含めて、改めて全部疑ったほうが良い」

「無人に? 城咲はまたここに残ってたんじゃないのか?」

「あ、いえ……わたしはそうしようとおもったのですが……」

「オレが止めた。……シロサキは昨日の事件をかなり気にしてるようだったからな。一度食事スペースから離れてリフレッシュしたほうが良いと思ったんだ。どうせどこに毒が入ってるかわからないのなら、見張りを止めても問題ないだろ」

 

 ああ、それは良い判断だったかもしれない。城咲が毒物を仕込んだ犯人でなかったとすれば、彼女は自分の管理する食事スペースでそんな事件を起こしてしまった事を相当悔やんだことだろう。彼女に責任があるだなんて言い難いような事件だったのに。

 

『それで、全部の食料を調べさせてるんだな』

「はい」

「ちなみに、どちらへ?」

「手芸室だ。これの仕上げを手伝ってもらった」

 

 と、スコットは角にあるテーブルの上を示す。

 ……そう、それについては食事スペースに入ったときから気になっていた。それ以上に根岸のことが気になったから後回しにしていたが、そろそろ触れてもいい頃合いだろう。

 

「それ、すごいよね! さすがスコットちゃん!」

「それほどじゃない。スピード重視で作ったからな、全体的にバランスが甘い……が、まあ、作れてよかった」

 

 そうスコットの評するそれらは、色鮮やかな毛糸で作られた総勢16体の編みぐるみだった。二頭身にデフォルメされた、およそ手に乗るくらいの大きさのそれらが、前後二列に整列して座っていた。わざわざ後列が高くなるように箱がセッティングされている。

 それは、明確に俺達をモデルにしたものだとすぐに分かった。作成者であるスコットは勿論、俺や根岸に七原や、俺達との馴れ合いを拒む岩国……そして、この10日あまりでこの世を去ってしまった新家達4人をモデルにした編みぐるみもいる。

 

 全員。(まご)うことなき全員が、そこに揃っていた。

 

「すごいな、これ……」

 

 近寄って、細部に目を通す。スピード重視で作ったとは思えないほど、細部までよく観察されて作られていた。古池の無造作ヘア、火ノ宮の目つき、明日川の持つ辞典、城咲のヘッドドレス。どれもが精巧で、本人を縮小したようなクオリティだった。

 

『皆はともかく、オレも作ってもらえるなんて光栄だぜ』

 

 と、黒峰が告げる通り、露草の編みぐるみの左手には、より縮小された黒峰の編みぐるみがはめられていた。

 

「作るならそこまで徹底したいからな。ちゃんと外れるぞ。外す気はないがな」

 

 ああ、それぞれの服や黒峰は一段と細い糸と針で編んで細かい調整が出来るようにしてるのか。その拘りとそれを作りきってしまう実力に、憧れを超えて畏怖すら覚え始める。【超高校級の手芸部】の名は伊達じゃない……なんてもんじゃないな。

 

「こんなもの、いつから?」

「最初の裁判が終わってからだ。アラヤもフルイケも、あっという間に死んだ。……嫌だったんだ。また、これから先もいがみ合って、疑い合って、裏切り合うことになるのが。オレ自身も含めてな」

 

 静かに言葉が紡がれていく。大浴場で、彼は言った。モノクマから【動機】が与えられる度に、【卒業】するかどうかを悩んでいたと。殺意にのまれそうになったのは彼も同じだったことを、俺はあの時に知った。

 

「だから、()()()()()()()()()これを作った。オレ達16人は仲間なんだって忘れないために……これ以上犠牲を出さずに脱出するためにな。……結局、間に合わなかったが」

 

 そう言いながら、彼は蒼神の編みぐるみに触れた。彼の密かな思いも虚しく、二度目の事件は起きてしまった。そして、毒物事件も。

 

「……ですが、その想いは無駄ではないでしょう」

 

 杉野が……悪辣な魔女がその本性を隠して口を開く。

 

「失われてしまった命も確かにあります。しかし、それは僕達が絶望していい理由にはなりません。決意を持ち続ける事が、いつかその願いを叶えるのですから」

「……そうであって欲しいものだな。そうじゃないと、死んでいったアイツ達も報われない」

 

 死後の世界があるのかどうか。そんな事を知る方法など無いし、あったとしても死者の声を聞くことは出来ない。なればこそ、俺達は生きなくてはならない。それが、死んでしまった4人の想いを生かすことになる。

 

「だいじょうぶです」

 

 ぽつりと、城咲の声が聞こえてきた。

 

「もう、じけんなんておこさせません。だれも、死なせません」

 

 その言葉には、力と決意が宿っていた。

 

「もちろん、だれもじけんなど起こさないことがりそうですが……もし、なにかがあっても、今度こそほんとうにさつじんをとめてみせます」

 

 城咲は、あの日の夜、大天の殺人を止めてくれた。そのおかげで、俺はここで息をしている。それでも、遠城の殺人を止めることは叶わなかった。毒物事件は当然として、古池の殺人だってそうだ。城咲はきっと、ここまでの悲劇の全てを悔やんでいるはずだ。

 

「……シロサキ。そうやって過剰に責任を負おうとするなと言っただろ」

「わかっています。ただ、わたしもみなさんとおなじように、もうだれにも死んでほしくないだけなのです」

 

 そして、目線を中央のテーブルに動かす。

 

「もちろん、根岸さんにもです」

 

 名を呼ばれた彼は、何も答えることはなく、カチャカチャと検査作業の音を響かせた。

 

「さて、きょうのお昼はいつも以上にうでによりをかけることにいたしましょう」

「ほんと? やった!」

『良かったな、翡翠』

「楽しみですね」

「……ああ」

 

 呼び掛けてくる杉野にはそう答えつつ、俺の意識は根岸に向いていた。

 

「……ぼ、ぼくの昼ごはんはいらないからな」

 

 ぼそっと、まるで独り言のように彼は呟く。

 

「何言ってるの、章ちゃん。食べないと体に悪いよ! ただでさえ朝ごはん食べてないんだし!」

『そうだぜ、こんなときこそちゃんと』

「も、もう、そういうのはいいんだよ……ほ、ほんとに……」

 

 静かに、彼は露草と黒峰の言葉を止める。

 これまで彼が俺達に向けていた敵意は、常に激情に依るものだった。落ち着き(クールダウン)さえすれば、こんな決別はしなかった。

 それが今や、冷静な思考の上で俺達を拒絶している。

 

「た、食べたかったらおまえは一人で食べてろ……」

「章ちゃん……」

「…………」

 

 ついに露草の言葉すら拒んで、彼は、毒の検査を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《体育館》

 

 毒の検査にたっぷりと時間をかけて、その後遅い昼食をとった。露草の懸命な説得も実らず、結局根岸は城咲の料理を拒否し続けていた。

 途中から食事スペースにやって来た明日川は、食事を取るとまたすぐに図書館へと戻っていった。杉野もそうするのだろうかと思っていたが、こいつがたどり着いたのは体育館だった。誰もおらず、がらんどうとしていた。

 

「なんでこんな所に」

「体育館なんぞ、体を動かす目的以外に用事なんて無いじゃろ」

 

 返ってきたのは、魔女の声。

 

「そんなことは知ってる。なんでそんなことをしに来たんだと言ってるんだ」

「余としても、当初は午前中と同じように図書館で過ごそうと思っておったのじゃがの。せっかくそなたが側につくのじゃから、一人では出来ぬことをして過ごす方が有意義なのではないかと思ったのじゃ」

 

 いつもと変わらぬ表情で流れるように語る魔女。

 

「……もっと分かりやすく話せ」

「この体育館、コートはともかく道具はそれなりに揃っていたじゃろ? バドミントンでもして、共に体を動かして汗を流さぬか、というお誘いじゃよ」

 

 どうじゃ? とでも言いたげに手が差し出される。

 その手を、強く払い除けた。

 

「ふざけるな。誰がお前なんかと」

「そうカッカするでない。そなたは監視のために余に引っ付いておるが、正直なところ暇じゃろう。どうせそなたは余から離れんのじゃ。ならば、共に遊ぶくらい自然な発想じゃろ」

「一人でやってろ」

「つれないのう」

 

 やれやれとでも言いたげに肩をすくめる魔女。その一挙手一投足が腹立たしさを誘う。

 

「勘違いするなよ。俺はお前を監視するためにお前の側にいるんだ。そうじゃなきゃ、誰がお前の側になんかいるか」

「そんなこと分かっておる。そなたに好かれているなどと勘違いなどせん。まあただ、余としてはそなたのことを気に入っておるがの」

「は?」

「大抵の人間なら上手く操れると思っておるがの、その中でもそなたは群を抜いて扱いやすいのじゃ。ここまで何もかもが思い通りに動かせる人間などそうはおらん。誇ってよいぞ、平並凡一」

「黙れ。誰が誇るか。というか、扱いやすくなんかないだろ、今まさにお前の提案に反論したところだろうが」

 

 そう告げた直後、ガラガラと扉の開く音がした。

 

「おや、東雲さんじゃないですか」

 

 魔女が声色を杉野に戻す。それにつられて入り口に目を向け、彼女の姿を視界に捉える。その姿は、いつもの彼女とは異なっていた。

 

「……なんだお前、その格好」

「なんだとはいい挨拶ね。見ればわかるじゃない。体操着よ」

 

 そう本人が語る通り、彼女はいつものスカート姿でなく、更衣棟に置かれていた体操着……半袖短パンを身に付けていた。

 

「暇だし、せっかくだからトランポリンででも遊ぼうかと思ったのよ。やったことないしね。で、流石にスカート姿じゃ出来ないから着替えてきたってわけ」

「ああ、なるほど」

「せっかくアタシ達の為に用意されてるんだもの。使わなきゃ損ってもんでしょ」

 

 こんな状況にあっても彼女は事件の発生を恐れているようには見えない。ドームの外と変わらない日常を過ごすかのように振る舞っている。

 

「それより、アンタ達こそ何やってんのよ。なんか話し合ってたみたいだけど」

「いえ、大したことではありません」

 

 俺が何かを口にするより早く、杉野が喋りだす。

 

「僕達も東雲さんと同じですよ。気分を紛らわすためにも、少し体でも動かそうという事になったのです。そして、今まさにバドミントンをやろうと決まったところだったんですよ」

「……は?」

 

 さも当然の事を語るかのように、嘘八百を並べ立てる杉野。

 

「そうですよね? 平並君」

「ぐ……」

 

 そしてわざわざ俺に同意を求める。ここで、そんなことはないなんて事を言えばそれは杉野と俺に対する明確な違和感になる。東雲の前でそんな事をすることも出来ず、

 

「……ああ、そうだよ」

 

 しぶしぶそれに同意した。

 もう分かった。こいつに何か喋らす事自体がまずいんだ。自分の発言力の強さと、それを聞いて俺がどうするかを完璧に理解して言葉を喋っている。だから全部、こいつの思い通りになる。

 

「あらそう」

 

 と、杉野と俺の言葉を聞いた東雲は、それを特に気に留めるでもなくトランポリンに向けて歩き出した。

 

「さて、それでは僕達も道具を持ってきましょうか」

「……ああ」

 

 それから、体育館にはトランポリンのバネが軋む音とシャトルを打ち合う音が響き出した。

 トランポリンはやったことが無い、と言っていた東雲だったが、元来の運動神経の良さが幸いしたのか、高々とまっすぐに跳ね上がる。図書館から持ってきたらしいトランポリンの教本に載せられた技表を眺めては、体をひねりながら空中を舞っていた。

 その様子を伺いながら、俺と杉野はラケットを振り合う。こんな事をしている場合か、他にすべきことがあるんじゃないのか、でもコイツを野放しにするわけにもいかないだろう。ぐるぐるとそんな思考が頭をめぐる中で、俺はどうすることも出来ずただ杉野へシャトルを打ち返し続けた。

 

 それが、体育館に差し込む光がオレンジ色になるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、やってみると案外楽しいものね!」

 

 トランポリンから降りた東雲がそう語る。彼女の肌を這う汗が夕日を反射して煌めいていた。

 

「そりゃあ、あれだけ跳べれば楽しいだろうよ」

「アンタもやればよかったのに」

「別にいい。前やった事あるし」

 

 そして、今東雲がやったほどには上手く跳べなかったのだ。

 

「まあいいわ。じゃあね」

 

 教本を手にした東雲はそう告げて、すぐに体育館を出ていってしまった。更衣棟に戻ったんだろう。

 

(せわ)しないヤツじゃのう」

 

 ドアが完全に閉まった事を確認して、杉野は魔女の声でそう語る。忙しないというより、こちらに対する興味が無いだけだと思うが。

 ともかく、東雲がいなくなったのなら律儀にバドミントンをする必要はない。ラケットを床に置いて、そのまま腰を下ろす。

 

「む、そなたももう止めるのかの」

「当たり前だろ。これ以上付き合う理由がない」

「何を言う。理由ならあるじゃろ。こんな環境で久々に体を動かしたのじゃ。多少なりとも楽しかったじゃろうに」

「相手がお前じゃなかったらそう思ったよ。……お前、どうせ分かって言ってるんだろ」

 

 その俺の言葉に、魔女はニンマリと口を歪ませる。無意識のうちに、ため息がこぼれた。

 

「……いつからなんだ」

「む?」

「いつからお前はそんなイカれた思考をしてるんだ。他人の心を(もてあそ)んで、誰かの言動を操って。何か、きっかけがあったのか」

「ふむ。そんなもの考えた事なんぞなかったのう……特に思いつかんのじゃ」

「…………」

 

 何か、コイツが魔女になるきっかけがあったのなら良かったと思ってしまった。魔女の異質さから目をそらしたくて、せめて杉野が元は俺と同じまっとうな人間であればと思ってしまった。そうであれば、コイツがまだ理解できる存在に留まってくれると思ったから。

 けれど、そんなものはなく、魔女は純然と魔女だった。俺の目の前で立つ人間の形をした何かは、悪意と愉悦で出来ていた。

 それがどうしようもなく、おぞましかった。

 

「まあしかし、元より他人を操る遊びはしておったな。クラスの空気を誘導するような些細な真似ばかりだったのじゃがの」

「…………」

 

 俺が何の反応も返さない事も気に留めず、魔女は言葉を続ける。

 

「そこでじゃ。クラスメイトを標的にして、余がどれほどそやつを破滅させられるかを試してみたのじゃ。それが思いの外上手くいってのう。【言霊遣いの魔女】を名乗りだしたのはその時からじゃな」

 

 悪魔の自分語りに興味など無いのに、魔女は揚々と語っていく。破滅とは何を意味しているのか。【言霊遣いの魔女】の犯行内容を知っていれば、その想像は容易だった。

 俺はいつまでこんな頭がおかしくなるような話を聞かされなくちゃいけないんだ。と、頭を抱えた時だった。

 

「そなたも知っておるじゃろ? 詳細を大天翔から話を聞いておるはずじゃが」

「なっ!」

 

 突如魔女の口から飛び出したその名前に、思わず上を向いて目を開く。

 

「お前、気づいてたのか!? 大天の姉をけしかけたことに!」

「ふむ。その反応を見るにやはりそうでおったか」

「……!」

 

 失言に気づいて口を抑える。意味がないと分かっていても。

 

「お前……! また鎌をかけたな!」

 

 ぐっと力の入った目で魔女を睨みつける。

 

「鎌かけ、というよりは最終確認にすぎんがの」

「……どこで気づいた?」

「最初は全く気づかなかったのじゃ。標的の名前も顔もバッチリ覚えておるが、その中に『大天』なんて名字のやつをけしかけたことなど無いしのう。ただ、そなたが余の事を皆に公表しない理由を考えていて思い至ったのじゃ」

 

 俺をまた嵌めた事がよほど嬉しいのか、楽しそうに言葉を連ねる魔女。魔女の正体を看破したあの時、逆に魔女は俺が秘密裏に看破した理由を隠している事を見抜いていた。

 

「余の事を公表しないメリットとしては、情報を握りつぶせる点にある。つまり、そなたは誰かに伝えたくなかったのじゃ。余が【言霊遣いの魔女】であることをの」

「…………」

「では伝えたくない理由は何か? その答えは多岐多様に渡るが、大部分に共通するのはその伝えたくない相手が【言霊遣いの魔女】の関係者であるケースじゃろうな。例えば、何の関係もない根岸章が余の存在を知れば激怒はするじゃろうが、わざわざ隠しておきたい動機にしてはちと弱いからのう」

 

 次々と、答えに至るロジックが語られる。かつて魔女の正体を暴いた時のように。

 

「となると、真っ先に思い浮かぶのは余の標的の関係者……身内や友人、それに準ずる人物じゃ。では、一体誰が関係者なのか? ……を考えるより先に、それをなぜ平並凡一が知っておるのかという点を考えたのじゃ。自分の身内が殺人を犯したなど、よほどの事がなければ語るまい。ここで引っかかったのが、死体となった蒼神紫苑を発見した時の様子じゃ」

「え?」

「そなた、あからさまに大天翔の犯行動機を隠したじゃろ」

「…………」

 

 

──《「……ねえ、大天さん。殺人を決意するほど、取り戻したかった記憶って、なんだったの?」》

──《「…………」》

 

──《七原がそうたずねるが、大天は何も答えなかった。》

 

──《「それは、まあ色々あったんだろ。それより、最後に城咲から話してくれ」》

──《「あ……はい」》

 

 

 魔女の言う通りだ。姉が悪魔に唆されて殺人を犯した末に自殺したなど、わざわざ語らせるべきじゃないと思ってスルーさせた。

 

「そなたは自分を殺しかけた相手の動機を見逃すような聖人君子ではあるまい。となれば、そなたは大天翔の動機を知った上で隠したはずじゃ。その動機こそが、余がらみなのじゃろ?

 ……と、まあ考えが及んだのはここまでじゃ。『大天』という名字に聞き覚えがないのじゃから、大天翔は標的の友人かと推測しておったのじゃが……あやつの姉ということは、事件の後に両親が離婚でもしたのじゃろうな」

「…………」

 

 今更黙る意味はないが、ただ嫌悪感だけを視線に乗せる。

 

「最終的にはそなたの反応を見て結論を出そうと思ったのじゃが、予想通りの反応をしてくれて助かったのじゃ。例を言うぞ、平並凡一」

「……クソ」

 

 愉快そうな魔女の声を聞いて、俺はそんな暴言を吐くことしか出来なかった。

 

「それにしても、大天翔がのう……どうせ復讐を考えておるからそれを阻止すべく余の存在を隠したのじゃろ? 大天翔も、出来もしないことによくそう気張れるものじゃ」

「あ?」

 

 呆れるような魔女の声を聞いて、怒りが漏れる。

 

「……そうだ。そもそもお前、復讐されることは怖くないのかよ。上手く身を隠してるみたいだが、お前を殺そうと企んでるやつは山ほどいるはずだろ」

「そんなもの、正体がバレなければ全く問題はないし、正体がバレたとしてもそやつの殺意を操れば逆にそやつを破滅させられるじゃろ。誰が狙ってくるのかが分かっておるなら、ますます対処は容易いのじゃ」

「…………」

 

 この悪魔は、何も恐れる事なくここに立っている。その姿勢を支えているのは、絶対的な自信だ。他人を自分の思い通りにすることが出来るという自負と、それを裏付ける経験。俺にはないそれを、どうしてこんな奴が持っているんだ。

 

「……ふざけるな」

「む?」

「何もかもお前の思い通りになるわけが無い! なってたまるか!」

「思い通りになる? それは違うのじゃ、平並凡一よ。余が、思い通りにするのじゃよ」

「……!」

「余の力が及びにくい人間は確かにおる。じゃが、それを諦めるなど余は嫌じゃ。そういう人間を思い通りにしてこそ、楽しいのじゃしな」

「……いつか痛い目見るぞ、お前」

「ふ、そうならんように日々頑張ってるのじゃろうに」

「…………」

 

 分かってるはずだ。コイツに何を言っても無意味だって。

 だが、言わずにはいられない。黙ってなんて、いられない。

 

「お前、種は蒔き終わったって言ったよな」

「うむ。それがどうしたのじゃ?」

「……お前の思い通りになんかさせるもんか」

 

 強く、拳を握りしめる。

 

「散々苦しんだんだ。散々悔やんだんだ。もう誰一人だって死なせてたまるか。ましてや、お前の犠牲になんてさせるものか」

 

 怒りで頭に血が上る。それがどれほど難しいのかなんて、考えるまでもなく理解している。

 それでも、やらなければならない。

 

「俺達はもう事件なんか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅう゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 突如、悲鳴が聞こえた。

 おぞましい何かを見た、恐怖による悲鳴ではなかった。

 体育館の外から聞こえてきたその声は、苦痛に耐える、声だった。

 

「『俺達はもう事件なんか』……その続きは何じゃ?」

 

 ニヤニヤと、弧を描く目に見つめられる。その主を押しのけて、体育館を飛び出した。

 

 どこだ。

 アイツはどこにいる。

 

 中央広場であたりを見渡す。

 

「クソッ……」

 

 悲鳴ははっきりと聞こえた。

 なら、この【運動エリア】の中にいるはずだ。

 

 グラウンドには誰もいない。静寂が広がっている。すなわち、アイツは建物の中にいる。

 エリア内の建物に一つ一つ目をやって、そして気づく。

 病院の、扉が開いていた。

 

「そこかっ!?」

 

 一目散に、駆け出す。

 飛び込んだ病院の中に、生命が存在する気配は無かった。

 

「誰もいないのではありませんか?」

 

 ゆっくりと俺を追ってきた杉野の声を背に、狭い病院の中を、走り回る。

 病室。診察室。手術室。

 はじめに抱いた直感の通り、誰の姿も見当たらない。

 

 病院を飛び出して、今度は目の前の体育倉庫の扉を開ける。中にあるのは静けさだけ。

 少し中をうかがって、アイツがここにはいないことを悟る。

 ここも違う。

 

「焦っていますね。もう手遅れかもしれないのに」

 

 無視だ。

 まだ可能性はある。

 だって、悲鳴を聞いたのに間に合わないだなんて。

 

 

 彼女に限って、そんな()()なことが起こるはず無いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――バンッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 強い音がした。

 誰かが何かを叩いた音だった。

 

 音のした方へ駆け寄る。

 

 手形があった。

 赤い手形が付いている。

 

 大迷宮の、『GOAL』と書かれた看板の下。

 磨りガラスの扉の向こうで、床に這う誰かが手形を付けた。

 

 

 

 その、赤い手のひらの奥に、鮮やかな緑色が見えた。

 

 

 

 

 

「七原!」

 

 

 

 

 

 ありったけの声を出して、彼女へ駆け寄った。

 

「七原! 七原! おい! 大丈夫か!」

 

 ドアノブを必死にひねる。ノブがカラカラと回り続ける。

 

「無理です。大迷宮の扉は正しい方向からしか開けることは出来ません」

 

 杉野が、声に焦りを含ませて語る。

 その内心に潜む笑顔を睨んでから、更に声を鳴らす。

 

「七原、開けろ! 開けてくれ!」

 

 うごめく気配はする。微かな声も聞こえる。けれども、手はもはや上へは動かない。

 

「ちょっと! 何があったのよ!」

 

 背後から飛び込む声。

 振り返れば、全身をじっとりと濡らした東雲が立っていた。

 

「なんですか、そのみっともない格好は」

「シャワー浴びてる時に悲鳴が聞こえたから慌てて出てきたの」

 

 よく観察するまでもなく、彼女の服のボタン等々はまともに止まっていない。そんなものを二の次にして、更衣棟を飛び出してきたのか。

 

「で、どういう状況なわけ?」

「七原が襲われたんだ!」

 

 その声と、俺の指差す先を見て、彼女は事態を理解したらしい。

 

「なら、アタシもやっと発見者になれるわね!」

 

 その声とともに、彼女は走り出す。大迷宮の中へとびこんだ。

 

「あ、おい! 道分かるのか!?」

「今朝何度か入ったからだいたい分かるわ!」

 

 その声が大迷宮に消えていく。七原の元へ駆けたのだろう。過去二回なることが出来なかった、死体の発見者となるために。反吐が出る。

 ともかく、外からドアを開けられないのなら、中から開けるしか無い。そう判断して東雲の後を追おうとして、足を踏み留める。

 

「杉野。何もするなよ」

「この状況じゃ何も出来ませんよ」

「……ふん」

 

 そして、慌てて駆け出した。

 

 大迷宮の道の壁には、昨日の報告通り、色とりどりの図形が並んでいる。鬱陶しい。すでに東雲の姿は無かった。

 大迷宮に入るのは初めてだ。正解のルートも何もわからない。

 確実にたどり着ける右手法を使うか。いや、あれは時間がかかりすぎる。一か八か、とにかく走りまくって。

 

「ん?」

 

 そう思考した俺の視界に、赤い床が映り込む。

 

 違う。

 血だ。

 血が、床に擦り付けられている。

 

「七原の血か……?」

 

 その床に付いた血へ駆け寄ると、それは何かを引きずった跡のようにどこかに続いている。

 宛はない。

 その血の先を追って、足を踏み出した。

 

 

 

 そしてそのまま懸命に走り続ける、その最中にそれは訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 三度目。

 これ以上耳にしたくなかったアナウンスが、耳を貫いた。

 

 もう東雲は大迷宮を踏破したのか。

 七原は、息絶えてしまったのか。

 

 違う、何かの間違いだ。

 そうに決まってる。

 信じたくない音に耳を塞いで、足を止めずに大迷宮を駆ける。

 

 徐々に濃くなる血の跡を追っていく。

 

 曲がり角を曲がったその先に、東雲は立っていた。

 そこは、少し開けた空間だった。

 

「……?」

 

 昨日の報告を思い出す。

 出口に至るまでに、チェックポイントと名のついた小部屋があると。

 なぜそんなところで東雲は立ち止まっている?

 

 どうして、この部屋の床は赤く染まっている?

 

「……ハ、面白いじゃない」

 

 震える声で、恐怖と興奮に顔を染め、東雲がぽつりと呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その視線の先に、死体は転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モノクロの服は、倒れ込む赤い池の色を吸っている。

 

 切り裂かれた背中の無数の穴が、ジクジクと血を吐いている。

 

 短く切り揃えられた髪から覗く首筋には、黒い傷が走っている。

 

 そして何より、彼女からは斧が()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の死などありえない。

 

 彼女の死なんて認めたくない。

 

 それでも、そこにあるのは、死体なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――【超高校級のメイド】城咲かなたは、後頭部を叩き割られて死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんで……城咲が……」

 

 口を突いて、言葉が飛び出す。

 だって、この大迷宮の中にいたのは。

 

「っ! 七原!」

 

 そして彼女の事を思い出す。

 七原は。

 彼女はまだ生きているのか。

 

「クソッ!」

 

 チェックポイントを飛び出す。

 これまでと同じように、血の跡が続いている。それを追った。

 慌てたように、東雲も俺を追いかけた。

 

「頼む、頼む、頼む……!」

 

 まだ死んでくれるなと、誰かに祈りを託す。

 誰に祈りを捧げているのか。

 強いて答えを出すならば、幸運の女神の他にはいなかった。

 

 途中、ひどく広がる血溜まりを飛び越えて、血を追いかけた先で、大迷宮は終わりを告げる。

 

 『GOAL』の摺りガラスの扉の前で、赤に侵略された緑色の彼女が倒れていた。

 

 

「七原!」

 

 

 この数分で何度呼んだかわからないその名を叫ぶ。

 

 

 ――ピクリ

 

 

 微かに、指が動く。

 

 それが、僅かに俺に安堵をもたらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は血にまみれていたが。

 

 彼女の体からは血が流れ続けていたが。

 

 

 

 それでも。

 

 

「……ひ……くん……」

 

 

 

 幸運の女神は、彼女を見放してはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER3:【絶望に立ち向かう100の方法】 (非)日常編 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 




絶望からは逃げられない。
さあ、立ち向かえ。


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非日常編① 死線上のアリア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶                  

 望                  

 に       CHAPTER3       

 立                  

 ち                  

 向       【非日常編】       

 か                  

 う                  

 ▅█  ▅▀▀▅ ▅▀▀▅      

 ▀█  █  █ █  █      

  █  █  █ █  █      

  ▅█▅  ▀▅▅▀ ▀▅▅▀  の 方 法 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──《「七原には、生きていて欲しいんだ」》

 

 

 かつて抱いた、そんな願いを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──《「私、七原菜々香。【超高校級の幸運】として希望ヶ空にスカウトされたんだ」》

 

 

 朗らかな笑顔とともに、彼女はそう告げた。

 幸運の女神に愛された彼女は、その自分の才能をいつだって信じていた。

 

 

──《「私たちは間違ってない。間違ってるのは、モノクマだけなんだよ」》

 

 

 絶望に押しつぶされそうになった俺達に、彼女は毅然と正しさを示してくれた。

 正解の見えない地獄の中で、彼女は自分の進むべき道を揺るぎない瞳で見つめていた。

 

 

──《「じゃあ、平並君は今の、この日常が壊れたっていいって言うの!?」》

──《「たった数日だったかもしれないけど、狂ったルールがあったかもしれないけど、不安でいっぱいだったかもしれないけど! このドームで過ごした時間だって、大事な日常なんじゃないの!?」》

 

 

 絶望的な殺意を抱いた、抱いてしまったあの夜。

 その真っ直ぐな正しさで俺を引き止めてくれたのが、彼女だった。

 彼女のおかげで、俺はここに立っている。あの時からずっと、彼女に救われ続けている。

 

 

──《「自分がどうでもいいなんて、そんな事言わないでよ」》

 

 

 昨晩、彼女はそう俺に語りかけてくれた。その奥に見える優しさが、俺の心臓を掴んで離さない。

 彼女と共に人生を歩めたのなら、それはどんなに素晴らしいことなのかと、俺は今日ようやく気がついたばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女の。

 

 七原菜々香の命の灯火が。

 

 

 

 

 

 

 

 今、まさに目の前で、失われようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「おい! 七原!」

 

 名を呼びながら、赤く染まった床に倒れ込む彼女に駆け寄る。勢いよく踏み込む足が壁に血しぶきを飛ばした。

 その俺の叫び声に呼応しようとするかのように、彼女の首が微かに動く。

 

「よか…………」

 

 吐息のように声が漏れる。俺の姿を見つけた彼女の発したその声は、安堵の情を含んでいるように聞こえた。

 

「大丈夫か、七原!」

 

 彼女の震える右手をとって、両手で包み込む。ヌメリとした感触の先にあったのは、消えかける彼女のぬくもりだった。

 

「平並君、この扉を開けてください!」

 

 俺の声が聞こえたのか、迷宮の外からそんな杉野の声が飛んできた。

 

「うるさい!」

 

 何を企んでるのかは知らないが、あんな奴に構っている余裕なんて無い。

 高鳴る鼓動を抑えながら、床に横たわる彼女を見つめる。焦点の合わない視線とぶつかった。

 

「しろさき……さんが……お……斧で……!」

 

 それは、これまでよりもわずかにはっきりとした声だった。自らが目撃した事実を俺に伝えようと、声を振り絞っている。

 

「ああ、分かってる! 分かってるから喋らなくていい! 無理するな!」

 

 彼女の口からなにかの真実を得たとして、それが彼女の命と引き換えになってしまうのなら、そんな真実なんて要らない。彼女の命より優先されるべきものなど無い。

 

「…………あ」

 

 張り詰めた糸がちぎれるように、突如彼女の体が重力に負ける。それが、彼女に限界が訪れるのがそう遠い未来の話でないと告げている。

 

「おい、七原! しっかりしろ! 死ぬな! 七原!」

 

 願いが口から溢れ出す。生きてくれと、彼女の才能に願う。

 その俺の声が聞こえているのかいないのか。彼女は俺の両手から手を引き抜いて、ずるりと床を這わせた。

 

「七原、どうした……」

 

 その手が、とある箇所で動きを止める。何かを示すために動かされたということを、真っ直ぐに伸びた人差し指が示している。

 彼女の示したその床には、血で描かれた線が何本も走っていた。

 それは、まるで文字のようで。

 

 

 

「……『白衣』?」

 

 

 

 背後から、東雲の声がした。俺達の様子をじっと伺っていた彼女が口にした通り、その文字はそう読むことができた。

 どうしてこんな文字があるのか。きっとこれを書いたのは七原自身だ。ならば、彼女が伝えたいことは。

 いや、そんなことは今はどうでもいい。それが何を意味するかなど必要になったときに考えれば良く、今最優先すべき事は他にある。

 

「七原……!」

 

 秒を読むごとに虚ろになっていく彼女の呼吸。もみ合ったかのようにヨレた緑の服からは、今も尚赤い血が染み出してくる。

 なんだ。どうすれば良い。何をすれば、彼女を死の淵から救い出すことができる。

 その答えを模索して、結局何も見つからない。

 己の無力さを、暴力的なまでに知らしめられる。

 

「シロサキ!」

 

 再び、迷宮の外から声が聞こえてくる。

 

「……じゃ、ないのか?」

 

 その怪訝なスコットの声と共に、いくつかの足音が響く。死体発見アナウンスを聞いて、集まってきたらしい。

 

「平並君。この扉を開けてください」

 

 そして、先ほどと同じ言葉が杉野からかけられる。これ以上無視することもできず、その言葉に従った。

 扉の先には、城咲の名を呼んでいたスコットの他にも何人かがいた。

 

殺されたの(退場者)は、彼女か?」

 

 髪を濡らして雫を垂らす明日川が、七原に近づきながらそんな台詞を口にした。

 

「違う! 七原はまだ生きてる!」

「……そのようだな」

 

 七原の口に手をかざし、その息を確かめる明日川。

 

「殺されたのは……」

 

 と、その名を口にしようとして、同時に脳裏にあの惨状が蘇る。

 

「凡一ちゃん、大丈夫?」

 

 言い淀んだ俺を見て、露草が心配そうに声をあげる。その奥から、睨み付けるような根岸の視線も飛んでくる。

 

「……誰が殺されたんだ」

 

 静かに俺を急かすスコットの表情には、何か確信めいた不安が表れていた。

 

「……っ」

「城咲よ」

 

 その妙な気迫に気圧された俺に代わって、東雲があっさりとその名を告げた。

 

 迷宮の中で事切れていた、彼女の名を。

 

「嘘だ!」

 

 叫び声が耳を貫く。

 

「シロサキが! ……シロサキが死ぬなんて、嘘に、決まってる……」

 

 その強い言葉とは裏腹に、語気はみるみる弱まっていく。彼女の死を必死に否定しようとしても、理性がそれを許してくれないのだ。

 

「スコット君。先程あなたは、七原さんの血を見て城咲さんの名を呼びました。そう勘違いするだけの理由があった、ということですよね」

「……少し前(前話)から、城咲君の姿(書影)が行方知れずになっていたんだ」

「……そうですか」

 

 スコットの代わりに明日川が答えた。その台詞が本当なら、彼らは城咲の姿を追い求めてここまでやって来たはずだ。だからこそ、彼は大迷宮の中で誰が殺されたのかを本能で察してしまっていたのだろう。磨りガラス越しの血を見て、一瞬彼女と勘違いするのも無理はない。

 

「ありえない、そんな……!」

「どこへ行くんですか?」

 

 とっさに駆け出そうとしたスコットだったが、その腕をすれ違い様に杉野が掴んだ。

 

「迷宮の中に決まってるだろ! シロサキが本当に死んだのかどうか、確かめてくるんだ!」

「残念ですが、それは看過できません」

「なんだと……?」

「……事件の詳細はわかりませんが、事件は大迷宮の中で発生したことは間違いありません」

「そんなこと、シノノメ達がそこから出てきたのを見れば分かる。だから行くんだろ!」

「だから止めるのです。詳細はまた後で説明しますが、僕は事件発生の直後からずっとこの大迷宮の出入り口にいます。その間怪しい人物は見ていませんから、この大迷宮の中で依然犯人が潜んでいる可能性があります」

 

 ……犯人が、この中に?

 

『じゃあ、全員集まるまでここで待ってりゃあ、誰が犯人が一発で分かるんじゃねえか?』

「……いえ、僕がここに来るまでに犯人が大迷宮から抜け出してしまった可能性もありますから、必ずしもそうとは限りません。しかし、犯人の動向が掴めない以上、今から大迷宮の中に入るのは避けるべきでしょう。スコット君、そうですよね?」

「それに、まだぬいぐるみから検死結果も送られてきていないんだ。勝手な行動はよせ」

「………………」

 

 そのやり取りを聞いて、スコットは足を止め、悔しそうに拳を握りこんだ。彼がこうも取り乱すのを初めて見た。

 

「……おい、シロサキは本当に死んだのか? 何かの間違いで、本当は」

「いい加減認めろっつーの! 話が進まないだろ!」

 

 スコットのすがるような言葉を遮ったのは、そんな怒号だった。

 

「……モノクマ!」

「現実ってのはさ、思い通りにならないこともたっくさんあるわけ。いや、むしろそんなことしか無いと言っても良いね! だからさ、オマエラは襲い来る現実を受け入れなきゃ何も始まらないんだよ! そうでしょ?」

 

 誰も同意の声など挙げない。

 

「城咲サンは死んだんだよ! その現実を認めてこそ、オマエラは前に進めるんだ!」

「ぐ……」

 

 悔しそうな、歯ぎしりの音が聞こえる。

 

「諦めろ、手芸部。お前だって、本当は分かっているんだろう」

「…………」

 

 死体を目撃していない彼らがそれを信じがたいのも無理はない。俺だってそんなことを認めたくなどないし、この目で生気の欠け落ちた彼女の姿を見ていなければ、俺も同じような反応をしていただろう。

 それでも、そんな感情など関係なく、事件は起こってしまった。皆の力になろうと皆に尽くしていた城咲は、この中の誰かに惨殺されたのだ。

 

 ……事件は起こった?

 

 自分の思考に自分で待ったをかけて、そして一つの結論を出す。

 

「……おい、モノクマ!」

「何何、平並クン?」

 

 わざとらしく耳を傾けるモノクマへの苛立ちを無視して、さらに言葉をぶつける。

 

「七原を助けろ!」

「……ハア?」

 

 言葉が理解できない、とでも言いたげにムカつく声をあげるモノクマ。

 

「出来るだろ、お前なら! こんな巨大な施設を作ったり記憶を消したり妙な薬を作ったりしてるんだから、七原を助けることくらい出来るだろ!?」

「そりゃまあ、ボクって何でも出来ちゃうスーパーベアーだし? 死んでないなら助けるのなんかお茶の子さいさいだよ。ぶっちゃけ色々やりようはあるし。でもさ、何でそんなめんどくさいことをボクがしなきゃいけないわけ?」

「なんでって……七原をこのまま見殺しにする意味がないだろ!」

 

 今、モノクマは七原を助けられると言った。なら、こいつさえ説得できれば、あいつを救える。

 

「事件はもう起きた! 城咲が殺された! 七原がどうなっても学級裁判は開かれるだろ!」

「そうだね。そういう風にさっきアナウンスしたでしょ」

「なら、七原が死ぬ必要はないはずだ! 七原が死んだところで無駄死ににしかならない! お前、確か言ってたよな。無駄に人数減らしたくないって!」

 

 あれはそう、俺達が初めてこの施設にやって来た日。モノクマを蹴り飛ばした大天に無数の槍を突きつけて、モノクマはそんなことを言いながら大天の規則違反を見逃した。

 

「だったら! 今ここで七原を助けた方がお前にとっても都合が良いんじゃないのかよ!」

 

 俺の必死の叫びを聞いて、

 

「…………」

 

 モノクマは黙り込んで俺を見つめた。

 

「……なんだよ。なにか言えよ!」

「じゃあ言わせてもらうけどさあ」

 

 心底どうでもいいという口ぶりで、わがままを叫ぶ子供を諭すように声が届く。

 

「なんでそんなんでボクを説得したつもりになってるの? ボクにとって何が都合がいいかなんて、オマエが勝手に決めるんじゃねーよ!」

 

 ビシリと、短い指を伸ばして俺に向ける。

 

「ぶっちゃけ、都合不都合の話をするんだったら、七原サンにはこのまま死んでもらった方が都合はいいんだよね。事件ももう三回目でしょ? 被害者は二人いる方がむしろ理想的なんだよ」

「どういう意味です? マンネリを回避したいとでも言いたいのですか」

「いや別に? でもいいねそれ! ()()()()()()! オマエラもさ、人が一人死んだくらいじゃもう真新しさもないでしょ?」

「ふざけるなよ……! どこまでオレ達をバカにしたら気が済むんだ!」

 

 城咲の喪失に怒りを燃やすスコットを無視して、更にモノクマは言葉を続ける。

 

「それに、前提からして間違ってるんだよ! 七原サンが無駄死に? 何言ってんの?」

「……え?」

「オマエが絶望するでしょ。それで十分じゃん」

 

 ヒュッ。と、喉の奥が鳴った。気安く差し向けられた禍々しい悪意に悪寒が走る。

 

「大体さあ、こんなことでいちいちボクがでしゃばりたくないんだよね。何度も言ってるでしょ、オマエラの自主性を尊重するって! 今、ここで起きてる現実は、オマエラが自分達で招いたものなワケ。だったらさ、その責任もオマエラで取るのが筋ってもんじゃない?」

「なら、そうさせてもらおう」

 

 突如、そんな台詞が挟み込まれる。七原のそばについていた明日川の台詞だった。

 ブレザーを脱いで七原の腹部……血の流れる傷口に押し当てていた彼女が、続けて台詞を紡ぐ。

 

「平並君。説得は無駄だ。前回(前章)の学級裁判で、モノクマ(管理者)は露草君の眠りを解かなかった(本を開かなかった)捜査時間(捜査編)に睡眠薬を吸い込んだだけの彼女にすら、関わろうとしなかったんだ。それよりも事件への関与が深い七原君への干渉はしないだろう」

「そうそう! 流石は明日川サンだね! ボクのことをバッチリ分かってくれて助かるよ!」

「だから、ボク達で彼女を救う。ボク達が、手術をすればいい」

「……手術? 手術だって!?」

 

 明日川が口にしたその言葉を反芻する。

 

「ああ。この舞台には、場所も道具も揃っていたはずだ。主に傷口の縫合と輸血処理が正しく行えれば……あるいは、彼女の命運(筋書き)を変えられるかもしれない」

「お前、手術なんかできるのか!?」

経験(既刊)は無い。が、必要な知識なら揃っている」

 

 深刻な表情のまま、彼女は自信を漲らせながらそう語る。

 

『知識があれば出来るもんじゃねえと思うが』

「勿論それはボクも承知している。残念だが、ボクが不器用だという設定は誰よりボク自身が熟読しているからね。だから、キミに協力を頼みたい」

 

 その遊びの無い視線の先には。

 

「……オレか?」

 

 瞳を絶望に染めた彼がいた。

 

「ああ、キミだ。スコット君。【超高校級の手芸部】たるキミの技術が、必要なんだ」

「……オレだって、手術なんかしたこと無いぞ」

「その設定は百も承知だ。ただ、キミの手芸の技術は手術へと転用できるだろう。執刀医として、キミ以上の適役はいない」

「……」

「別にやりたきゃやっても良いけどさあ」

 

 スコットが返事をするより先に、モノクマが口を開く。

 

「やるなら捜査時間のうちにやってよね。そんなもんに時間を割く気なんて無いから」

「分かっている。だから、気がかりなのはそれだ」

「と、言いますと?」

 

 杉野の催促を受けて、伏し目がちになって明日川は台詞を繋ぐ。

 

「……ボク達の中で、殺されたという城咲君と最も長い時間(ページ)を同じ空間(シーン)で過ごしたキャラクターは、他ならぬスコット君だろう。彼が彼女にどんな想いを抱いているのか……それをボク達は推察する事しかできないが、その推察はそう外れたものでは無いはずだ」

「……」

「それは……そうでしょう、恐らくは」

「となれば、誰よりもこの謎を解きたがっているのもスコット君に違いないだろう。……その彼を捜査時間(捜査編)から退場させてしまうことに、ボクは負い目を感じている」

 

 妙に婉曲な明日川の表現でも、その言葉の意味するところは俺にも分かる。けれども、そのひどくエゴな頼みが受け入れられなければ、七原は救われない。

 

「頼む、スコット! 捜査は俺が代わりに……いや、俺なんてたかが知れてるかもしれないが、とにかく俺は全力を尽くす! だから、七原を、七原を助けてくれ!」

「…………そんなに叫ばなくてもいい」

 

 ほんのわずかに逡巡した様子を見せたスコットだったが、何かを決意したように、覚悟したように目を閉じた。

 

「ナナハラの手術に協力する」

「本当か!」

「……よろしいのですか?」

「……ああ」

 

 杉野に念を押すように尋ねられて、彼は小さく答えた。

 

「……シロサキなら、そうするだろ」

「スコット……」

 

 その瞳は大迷宮の壁をとらえていた。恐らくは、そこに彼女の姿を幻視しているのだ。

 そしてきっと、彼の言う通りだろう。彼女なら、捜査よりも救命を優先したに違いない。

 

「無駄だと思うけどなあ」

 

 冷めた声でモノクマが喋りだす。

 

「大体、もう気も失ってるし、死んだも同然じゃん。諦めなって」

「……っ!」

 

 その発言につられて七原に視線を飛ばす。モノクマが言い放った通り彼女はすでに意識を手放しているようだった。

 

「……ならば、死体発見アナウンス(絶望のチャイム)を鳴らせば良いだろう。それをしないのは、まだ彼女が死んではいない(彼女の物語が続いている)からではないか?」

「どう解釈するかはオマエラの自由だけどさ、ボクとしては誤報を流したくないだけだよ。ぶっちゃけもう死亡判定してもいいんだけど……ほら、ボクって石橋は叩いて飛び越えるタイプだから」

 

 そんなことどうだっていい。

 

「ま、学級裁判を頑張ってくれるならなんでもいいよ。うまくいくといいね」

 

 そのモノクマの声は、上滑りするような中身のない物だった。

 

「じゃあもう捜査時間始めるよ。城咲さんの検死結果はこれまで通り『システム』に送っておいたから。まったく、全員揃うまで待ってあげようと思ってたのに」

「全員……」

 

 と、その言葉を聞いて露草が辺りを見渡した。つられて俺も見渡す。火ノ宮と大天がまだ集まっていなかった。

 

「何してんのよ、アイツら」

「ま、まさか……」

 

 根岸が顔を青くして、そんな言葉を漏らす。その一言は、彼の想像の中身を察するには十分だった。

 火ノ宮も大天も、個室にいたはずだ。今に至るまで彼らがここに来ていないのであれば、寝ているのか、放送を無視しているのか、それとも、あるいは。

 最悪の光景を脳裏によぎらせた俺達に、モノクマは相変わらず軽い調子で語りかけた。

 

「あー、ほっとけば来るんじゃない? ボクとしては、最終的に例のエレベーターのところに集まってくれればそれでいいから」

 

 ……この反応は、どういう意味だろうか。少なくとも、死んではいないと判断しても良いのか。

 

『そんなテキトーでいいのかよ』

「オマエラがちゃんとやらないからこっちが譲歩してやってんだぞ! 黙って裁判の準備しろ!」

「琥珀ちゃん、余計なこと言っちゃダメだよ」

「オマエが言わせてるんだろ! ほらもう始めるから! つまんねーから証拠不足で議論が止まるのだけはやめろよ! じゃあな!」

 

 そんな捨て台詞を残して、モノクマはどこかへ消えた。

 

「……善は急げだ。七原君に残されたページは少ない。平並君、ストレッチャーを持ってきてくれ」

「分かった! 杉野! ついてこい!」

「そう怒鳴らずとも、手伝いますよ」

 

 念のため声をかけると、杉野は意外にも俺の言葉に素直に従った。もう事件が起きて、満足しているのかもしれない。

 ともあれ、素直に越したことはなく、彼を引き連れて病院へ向けて走り出した。

 

「……ん?」

 

 更衣棟の影から、つまり体験ゲートの方から駆けてくる人物を見つけたのはその時だった。その彼と、中央広場で落ち合う。

 

「……ハァ、ハァ……てめーらは、無事みてェだな……」

 

 ここまで急いで走ってきたのだろう、火ノ宮は派手に息を切らしていた。 

 

「ああ、俺達はなんとか……」

「火ノ宮君は何をされてたんですか? 放送は聞こえてましたよね?」

 

 俺の言葉を遮って、杉野が詰め寄った。明らかに、強い口調になっている。

 

「……別にやましいことなんざなんもしてねェよ」

「僕はただ何をされてたのか訊いただけですが」

「口調がそう言ってんだろォが。宿泊棟の個室……そのシャワールームで、シャワー浴びてただけだ。ほら」

 

 と、告げながら彼は髪を一束つまんで見せた。彼の主張通り、その髪は水分を含んでいる。東雲や明日川と同じだ。

 

「本当にそうでしょうか」

 

 だというのに、杉野は追及をやめない。

 

「あァ? オレが嘘ついてるって言いてェのかァ?」

「心当たりがありそうですが」

「あるわけねェだろ!」

「いい加減にしろ! そんなことやってる場合じゃないだろ!」

 

 妙に噛みつき合う二人の間に割って入る。

 

「何か気になることがあるなら後にしろ! 早くストレッチャーを取ってくるぞ!」

「ストレッチャーだァ?」

「ええ。七原さんの手術のために」

「七原ァ? 城咲じゃねェのかよ」

「違う。城咲は……今更、どうしようもないんだよ」

 

 そこで城咲の名が出るということは、彼もスコット達と同じように彼女の失踪に気づいていたのか。

 

「あ、そうだ。そう言えば、お前手術器具を回収してたよな」

「あァ? あァ、そうだ。個室にある」

 

 やはりそうか、思い出せて良かった。

 

「なら、現場に向かう前にそれを病院に持ってきてくれ。それがないと手術ができないだろうし」

「ああ、確かに必要ですね」

「七原のためなんだ。頼む」

「……わかった」

 

 一瞬視線を大迷宮にやっておおよその事態を把握したのか、火ノ宮は翻して体験ゲートへと駆け出した。俺達も急がないと。

 

 ストレッチャーを引きながら迷宮の出入り口へ戻ると、すぐに明日川の指揮で七原を乗せた。スコットと共に簡易的な止血作業はしたらしいが、もはや息の有無すら分からない。けれども、死体発見アナウンスはまだ鳴っていない。

 

運ぶぞ(場面転換だ)

「手伝おうか?」

「いや、オレ達だけで十分だ。行くぞ」

 

 そして、スコットと明日川が病院へとストレッチャーを引いていった。その様子を、俺は無言のまま見送った。

 

 本音を言えば、彼女に付き添っていたかった。他の誰よりも大切な人が死線を彷徨(さまよ)っているのだ。限りなく近い場所にいたいに決まっている。

 けれども、それで彼女が救われたりはしないのだ。いくら俺が彼女の身を案じたところで、何一つ彼女のためになりはしない。

 だから、俺にできることは、ここに残って捜査をすることだけなのだ。

 

「……いい加減、捜査を始めるぞ」

 

 無言を貫く俺たちにしびれを切らしたようで、『システム』を操作していた岩国がそれを閉じて口を開く。おそらく【モノクマファイル】を確認していたのだろう。そしてそのまま、大迷宮の中へと歩み始めた。

 

「岩国さん、単独行動は」

「控えろと言うんだろう。昨日のように誰かがついてこい。それでいいだろ」

「駄目です。探索の時とは違い、検死や見張りなどを考慮する必要があります。きちんと組分けは検討すべきです」

「……チッ」

 

 舌打ちと共に彼女は振り返る。

 

「なら早くしろ。いつぬいぐるみが捜査を打ち切るかわからないからな」

「ええ、わかっています」

「ねえ、組分けはいいけどさ」

 

 杉野の返答に、東雲が声を被せる。

 

「さっきちらっと見えた火ノ宮はいいけど、大天はほっといていいわけ? どこにいるのかもわからないじゃない。てっきりどこかで殺されてるかモノクマに引っ張り出されるもんだと思ってたけど、モノクマの様子からして生きてはいるんでしょ?」

「放置しておくわけにもいきませんが……今この場にいない以上どうすることもできないでしょう。捜査の際に探すしかありません」

「……ま、やっぱそうするしかないわよね」

 

 そう東雲が相づちを打った辺りで、病院に手術器具を届けてきた火ノ宮が合流した。

 

「ちょうどよかったです。火ノ宮君、今回も検死をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「あァ、別に俺は、構わねえ、よ」

 

 息を切らしながら、思っていた通り彼は了承した。

 

「となると、次は現場の見張りになりますが……」

 

 そこで言葉が止まる。これまで、見張りは城咲とスコットに任せていた。しかし今、スコットは七原の手術をしているし、大迷宮で殺された人物こそが城咲だ。誰か代わりを立てなければならない。

 互いに目配せをしあうが、誰も立候補はしない。唯一露草だけが手をあげかけたが、根岸が止めていた。

 そして、しびれを切らした岩国がため息を一つついた。

 

「現場の見張りは不要だろ」

「はい?」

「全員が相互監視する事になるんだ。わざわざ現場に限って見張りを立てる意味がない。ただでさえ捜査する人数を減らしているわけだしな」

『言われてみりゃあそうだな』

「どうせ現場に人が集まるだろ。そいつらがいるならクレーマーが検死する間の見張りも問題ないはずだ」

 

 反論の余地のない正論だった。

 

「じゃあ、早く組み合わせを決めましょうか」

「な、なら、ぼ、ぼくは露草と一緒にやる……そ、それでいいよな……!」

 

 杉野が案を出す前に、根岸が露草の手を取ってそう言った。

 

「ええ。元よりそのつもりです。露草さん、根岸君をお願いします」

「おっけー! 任せてよ!」

「な、なんでぼくがお荷物みたいに言われなきゃいけないんだよ……」

 

 不服そうにしながらも、提案が通った事でそれ以上の文句は言わなかった。俺も根岸に便乗して、先に提案を強引に通すことにした。

 

「じゃあ、俺と杉野は火ノ宮に着いて現場を見る。検死が終わったら、火ノ宮は俺たちと一緒に動く。それでどうだ」

「オレは別にいいけどよォ」

「ええまあ。僕も構いませんが」

 

 そう答える彼らは、残った彼女らに視線を向ける。

 

「え、じゃあアタシがコイツと組むの?」

 

 残されたのは、東雲と岩国だった。……二組決めただけで、もう残りが二人だけになってしまうのか。

 

「俺は誰でもいい」

 

 岩国はそう吐き捨てて、『GOAL』の扉から迷宮の中へと歩き出した。床についた血をじっと見つめながら、それを踏まないように足を進めている。

 

「ちょっと、アタシの意思は? 別にアタシ、一人で捜査してもいいんだけど」

「それでは証拠が信用されないと以前お話したはずですが」

「……だからって、別にアタシがアイツと組む必要はないと思うわ」

 

 と言いつつ、東雲は迷宮に消え行く岩国の後を追った。一度決まってしまったペアを覆す方が面倒に思ったらしい。

 正直、俺と杉野が二人にそれぞれついた方がマシだとは思う。……コイツが、魔女でさえなければ。

 

「あれは良ィのかァ?」

「良いかどうかはわかりませんが……岩国さんは裁判には真面目に取り組んでくださいます。東雲さんの事は彼女に任せておけば大丈夫でしょう」

「……そうかァ?」

 

 杉野の予測に火ノ宮が首をかしげたその時。

 

 

「──よ──アンタ──」

「これは────じゃな──!」

 

 

「あァ?」

 

 大迷宮の中から、言い争う声が聞こえた。

 一際大きく聞こえたその片割れは、事件が発生してから一度も姿を目にしていない大天のものに聞こえた。

 

 

 ──それがどうして、大迷宮の中から?

 

 

「…………」

 

 無言のまま大迷宮へ駆け込む火ノ宮。それに俺や杉野、様子をうかがっていた根岸達も続く。

 血の絨毯に意識を割きながら大迷宮を逆走する。しばし走ったその先には、残念そうな顔の東雲と、腕を組んで行く末を見守る岩国と。

 

 

 

 

「なんだお前……その格好」

「だから、違うって言ってるじゃん!」

 

 そう必死に弁明する、全身を血に染め上げた大天がいた。

 

 

 

 

「違う、とはなんです?」

「なんていうか、そういうんじゃないっていうか……」

 

 服だけじゃない。手にも顔にも、淡い黄色の髪に至るまで、ベッタリと赤い血がついている。そんな異様な姿の彼女は、しどろもどろに目を泳がせていた。

 

「岩国、経緯を聞かせろ」

 

 火ノ宮の指名に、彼女はため息と共に答える。

 

「経緯も何もない。迷宮の中を調べようとしたら、そこの行き止まりに運び屋が潜んでただけだ」

「コイツ、ずっとこの調子なのよ」

「いや、だから、本当に、なんでもなくて……」

 

 彼女の言葉はまったく要領を得ない。どうして、彼女はよりによって大迷宮の中になどいたのだろう。

 

「……なるほど。モノクマが彼女を集めなかったのはこういう理由ですか」

「あァ?」

「他の場所であればいざ知らず、彼女は大迷宮の中にいたのです。大天さんは何らかの形で事件に関わっているかもしれません」

「そんな、私は何も!」

「その可能性は否定できない、という話です。モノクマは、不用意に干渉して事件に……いえ、学級裁判に影響が出ることを避けたのでしょう」

 

 杉野は大天の応答を食い気味に封殺した。

 

「事件に関わっているっていうか、クロそのものでしょ」

 

 直後、やる気のない東雲の声が聞こえてくる。

 

「さっきアンタが言ったんじゃない。クロが大迷宮の中に潜んでるかもって。要は、コイツがそうだったってことなんじゃないの? せっかく発見者になれたってのに、こんなつまんない事件だったなんて最悪よ」

「違う! 私は何もしてない! 私は、ただ……」

 

 弁明しようとして、彼女はその先を言い淀んだ。言えない理由があるのか。

 

「大天さん。今が捜査時間ということは理解しているのですよね?」

「う、うん……」

「でしたら、あなたが今ここにいる経緯を……そうですね、大迷宮に入る前から教えていただけますか。死体発見アナウンスを聞いたタイミングも、お忘れなく」

「……わかった」

 

 乱れる鼓動を抑えるように、彼女は胸に手を当てる。

 そして、彼女は語り出した。

 

「昨日の夜、部屋に戻る時に病院に忘れ物しちゃったんだよ。で、それにさっき気付いて、取りに行ってたんだけど……その帰りに、大迷宮に城咲さんが入っていくのが見えて……」

「城咲が? 一人でか?」

「うん……で、城咲さんって、食事スペースにいるはずじゃん。それなのにこんなところにいるなんて、多分何かあったんだと思って、それで私も大迷宮に入ったんだ」

「……それは何故です? あなたは今更、僕達に何かあったところで心配などしないでしょう。無視して部屋に戻るのが自然なのではないですか?」

 

 大天の独白に、時々こうして疑問を挟み込む。その様子は、既に学級裁判が始まっているようにも思えた。

 

「別に心配とかそんなんじゃないよ。心配なんてするわけないじゃん。……単純に、気になっただけだよ」

「……ふむ。まあ良いでしょう。続けてください」

「えーと、それで、私も大迷宮に入っていったら、真ん中の……小部屋みたいなところ?」

「チェックポイントか」

「ああ、そんなこと書いてあったね。そのチェックポイントで、城咲さんが死んでたんだ」

 

 伏し目がちになる大天。彼女自身も前回殺人を企んだとはいえ、嬉々としてそうした訳じゃない。三度目といえども、死体を目撃したことに少なからずショックを受けている……ようには見える。実際のところは、誰にもわからないが。

 彼女の言葉に嘘はないか。それを判断するためにも、一言一句聞き逃してはいけない。

 

「で、すぐ近くに犯人がいると思ったから、怖くなって逃げようとしたんだけど、足がもつれて転んじゃって……この血は、その時に付いたんだよ。でもほら、血が付いてるのは前だけだし、ね?」

 

 そう言いながら、大天は体を捻って血の染み込んだ服を見せつける。本人の申告通り、血が付着しているのは前面だけで、背中側は綺麗なものだった。

 

「確かにチェックポイントの床は血だらけだったから、前に転べばそうなるでしょうね」

「それがどォした。返り血こそ前しか付かねェだろォが。何の証拠にもなってねェぞ」

「ホントに転んだんだからそう言うしかないじゃん! 嘘じゃないんだって!」

「無駄な主張は要らない」

 

 大天が叫びだそうとして、それを岩国が止めた。

 

「まだ話の途中だろう。証言は最後まで話せ、運び屋」

「そんな言い方しなくても良いじゃん。話すよ。話せばいいんでしょ。転んだあと必死に逃げたんだよ。でも、大迷宮なんて初めて入ったから迷っちゃって……どうしよって思ってるうちに悲鳴が聞こえてきて……多分七原さんの悲鳴だと思うんだけど」

「僕たちが聞いた悲鳴と同じものですかね」

「聞こえてたんなら多分そうじゃないかな。で、その悲鳴がすぐ近くだったから、下手に動いたら犯人と鉢合わせるかもって思って、動けなかったんだよ。そのあとはずっとここで隠れてた。あのアナウンスも、ここで聞いてた」

 

 彼女の言葉の真偽はまだ分からないが、犯人がうろついているのなら大迷宮の中で隠れていようという判断は自然なものに思える。

 

「じゃあアタシ達が来たのにも気づいてたのよね?」

「……足音とかも聞こえたからね。その後にスコット君達が集まってきたのも、なんかモノクマと言い争ってたのも聞こえてた」

「なら出てくれば良かったのに」

「出ていけるわけないじゃん。こんな血だらけで皆の前に出たら、犯人ですって言ってるようなもんでしょ」

「まあ、ぎょっとはするよね」

「そ、それじゃ済まないだろ……」

『少なくとも、真っ先に怪しまれるよな』

「結局こうしてアタシ達に見つかってるんだから、意味なかったけどね」

「分かってるよ……」

 

 正直大天の印象は最悪だ。きっとそれは、自分から俺達の前に姿を表したとしてもそう変わらなかっただろう。

 けれども。

 

「しかし、僕達は第一印象だけですべてを決定付けることの危うさを、身を持って知っています。事実、平並君も最初の事件では服に血をつけていましたし、二度目の事件ではアリバイが完璧に思えた遠城君こそが犯人でした。

 先程、東雲さんは大天さんをクロそのものと評しましたが、まさか、100%そうだと確信してる訳ではないでしょう?」

「……ま、そうね。そうじゃなければ良いとは思ってるわ。もし大天以外がクロなら、きっと逆に面白い裁判になるはずだもの」

「『もし』じゃなくてそうなんだよ! 大体、私が犯人だったらもっとうまくやるって!」

「それを決めるのはてめーじゃねェ。オレ達だ」

「…………」

 

 ともあれ、大天から一連の経緯を聞くことはできた。その内容をすべて信じることは出来なくとも、そう主張した、ということは揺るぎない事実だ。証拠を集めてからまた吟味すれば、なにか新しい真実が見えてくるかもしれない。

 

「……行くぞ、ダイバー」

「なんでアンタが仕切んのよ」

 

 大天がすべて話し終えたと判断すると、岩国が城咲の倒れていたチェックポイントへ向けて歩き出した。根岸達もその後を追う。

 

「では、僕たちも捜査に移りましょう。大天さんは僕たちと一緒に来てください。いいですね」

「……うん」

 

 この前の裁判から自主的に孤立していた大天も、この状況で単独行動するのはあまりに悪手だと判断したらしく、素直に杉野の言葉にうなずいた。

 それを見て、俺達も現場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ようやく捜査が始まる。

 

 

 大迷宮の中で惨殺された城咲は、献身的に俺達を支え続けてくれていた。

 それは彼女の才能に由来するものだったのか、それとも生来の性格がそうさせていたのか。どちらにしても、この極限状態で今まで俺達が人間的な生活を送ってこれた背景には、彼女の存在がある。皆で揃って脱出するために自分がすべき事を、彼女は十全に理解していた。

 

 そして、大迷宮では皆の平穏を願い続けた七原までもが襲われた。

 彼女の言動は、いつだって皆を希望で照らそうとするものだったはずだ。孤立した大天を案じ、自責する火ノ宮に反論し、苦悩する根岸に日常を取り戻そうと提案した。彼女に救われたのは、俺だけではない。皆だれしも、彼女に救われた瞬間があった。

 

 

 そんな彼女達の想いを踏みにじった、残酷な人間が存在する。絶望に思考を染めてしまった人間は、確かに俺達の中に潜んでいる。これから俺達は、その正体を突き止めて処刑台へと叩き込まなければならない。

 

 もはやそこにためらいなどない。

 倫理観が麻痺したわけではないはずだ。犯人が死ぬべき人間だと思っているわけでもないはずだ。

 ただ、そうする他に俺達の生きる道はないと理解しているだけだ。

 

 

 ……ひとつだけ懸念があるとすれば、それは病院に運ばれていった七原の事だけだ。

 大丈夫だ。俺が心配することなんて、なにもない。そう自分に言い聞かせて、不安と恐怖を唾と共に飲み込む。

 

 

 七原が死んでしまうなんて、そんなことがあり得るはずなどないのだ。

 だって、明日川の知識は疑いようもないし、スコットの技術だって折り紙つきだ。

 

 

 

 それに、何より。

 

 

 彼女は、【超高校級の幸運】なのだから。

 

 

 




短いですが、キリが良いので今回はここまで。
次回、捜査編です。


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非日常編② 赤い絶望の迷宮

 

 

 〈《【捜査開始】》〉

 

 

──《「申し遅れました。わたし、城咲かなたです。幸運にも、【超高校級のめいど】として希望ヶ空学園にすかうとされました」》

 

 

 俺たちが初めて出会ったあの日、見た目に幼さを残す彼女はそんな自己紹介を告げた。

 

 

──《「いえ、ご主人様のお屋敷にいるさいに毎朝調理しておりましたし、わたしは仮にも【超高校級のめいど】ですよ? たった16人の朝食をつくることなんて、それこそ朝飯前です」》

 

 

 その謙虚な口調の奥には、確かな自信と誇りがあった。十神財閥に仕える者として完璧であることを信条としていた彼女は、その高い技術を尽くし皆を支えていた。

 こんな非日常の中にあっても俺達が健全に息を吸えているのは、彼女の献身があったからに他ならない。

 

 

──《「なにをなさっているんですか!」》

 

 

 失われた記憶の奪還を願った大天に襲われたあの夜。死の淵から俺を救い上げてくれたのが、彼女だった。

 自身が殺されるかもしれないというリスクを微塵も恐れず、誰かを救いたいと心から願い行動に移した彼女がいたからこそ、俺は今こうして生きている。

 

 

──《「もう、じけんなんておこさせません。だれも、死なせません」》

 

 

 二度の殺人と一度の毒物事件を経て、彼女は迷いのない覚悟を瞳に宿してそう告げた。

 皆の事を失いたくないと心の底から願い、それを達成することが自分の使命であると信じていたからこそ、彼女はそう口にすることができたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女の決意ごと破壊してしまうかのように。

 

 城咲かなたは、無惨な死体として転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 《大迷宮/チェックポイント》

 

 血にまみれた大天を連れ立って、俺達は城咲が殺されたチェックポイントへとやってきた。

 鮮烈な赤と鉄の臭いが場を支配するこの空間で、俺達の視点はただ一点に集められる。

 

「……っ」

 

 息を飲む声が聞こえる。一度この凄惨な光景を目撃している俺でさえ、彼女の死に様を前にして鼓動が乱れるのだ。初めてこの惨状に知る彼らの衝撃は、想像するに余りある。

 

「……一度、【モノクマファイル】を確認しておきましょうか」

 

 重い空気の中、杉野が口を開く。俺はその言葉に異を唱えることもなく『システム』を起動させた。今更こいつへの悪感情を気にしても仕方がない。

 

 

 


 

 【モノクマファイル3】

 

 被害者は城咲かなた。

 死亡時刻はついさっき。

 死体発見現場は【運動エリア】の大迷宮内、チェックポイント。

 死因は失血死。

 主な外傷は、頭部の割創、腹部から背部にかけての刺し傷、後頚部の火傷。

 


 

 

 

「……ひでェことしやがる」

 

 『システム』から城咲の死体へと視線を移し、強く拳を握りしめて静かに怒りを燃やす火ノ宮。その麗しい銀髪も瀟洒なメイド服も、小さな靴底に至るまで、血に染まっていた。

 この惨劇を見て自然と脳裏をよぎるのは、城咲と同様に失血死でこの世を去った、最初の事件の被害者である新家の姿だった。ガラスの破片で何度も刺された彼の背中も無惨なものだったし、彼の周りにも俺達をまるごと飲み込んでしまうような血溜まりが広がっていた。

 それでも、目の前の光景はあの時よりも遥かにおぞましいものだった。

 

「……あれ、本物よね?」

「……そのようですね」

 

 その原因は、彼女の頭部に深々と突き刺さった斧にある。割れた頭から生々しい何かが見える。その残虐さは、モノクマによるオシオキに近いものがあった。

 

「なんだってこんなことをする必要があるんだ」

「その答えがすぐに出るようなら苦労はない。今は情報を集める時間だ」

 

 死体のそばで傷口を覗きこむ岩国が視線をそのままにそう答える。

 

「……チッ。分かってる。別にてめーに訊いた訳じゃねェ」

 

 覚悟を決めるようにため息をひとつついて、火ノ宮も死体のそばに近づいた。俺も、今出来ることをやらなければ。

 

「傷については火ノ宮が調べてから検討するとして……この死亡時刻はどうなってるんだ? 『ついさっき』だなんて、検死結果になってないだろ」

 

 と、まずは【モノクマファイル】で気になったことを口にしてみた。過去二回の【モノクマファイル】には、ある程度詳しく時間が記載されていた。蒼神の時はその記述がトリックを看破する突破口になったのだし。

 

「……わざわざ厳密に書く必要はないってことなんじゃないの」

 

 城咲の頭蓋骨の中身を覗いていた東雲が、青ざめた表情と共に口を押さえながらそう答えを出した。東雲は、他人の死を望む割にはグロテスクな光景への耐性があるわけではない。どうせ気持ち悪くなるのなら、興味本意で覗き見などしなければいいのに。

 

「事件の起きた時間は、おおよそ把握できれば問題ないということでしょうか」

「そうじゃない? これまでと違って今回は日中の犯行よ。証言を突き合わせれば、城咲がいつ大迷宮に来たのかも何となくわかるんじゃないかしら」

「証言か……最後に城咲と一緒にいたのは誰なんだ?」

 

 そんな疑問を投げ掛ける。

 

「それならスコットちゃんじゃないかな」

 

 と、ここにいない彼の名をあげたのは露草だ。止めようとする根岸を適当に黒峰であしらいつつ、話を続ける。

 

「凡一ちゃん達が病院にストレッチャーを取りに行ってる時にね、スコットちゃん達が話してたんだ。ちょっと目を話した隙にかなたちゃんがいなくなったって」

「目を話した隙に……もう少し詳しく話せるか?」

「うん。お昼のあともかなたちゃんは食事スペースの見張りをしてて、スコットちゃんと棗ちゃんも一緒に食事スペースにいたらしんだよね」

「スコット君は分かりますが、明日川さんもですか?」

『ああ。なんか、料理物を読んでたら腹が空いたとかなんとか言ってたな』

「それで、おやつを食べに来て、そのままそこで本を読んでたんだって」

「ふうん……」

 

 納得のいくような、そうでないような。少なくともその光景は容易く想像できるものではあるが。

 

「では、その状況から彼女はどのように失踪したのですか?」

「えーと……まず、かなたちゃんが転んで、運んでたコーヒーを棗ちゃんに思いっきりかけちゃったんだって」

「え? 転んだ? 城咲がか!?」

 

 露草の言葉に驚き、裏返るような声で話を止める。

 

「城咲は【超高校級のメイド】だぞ。あんな何もないところで転ぶとか、ましてやそれで誰かに迷惑をかけるなんて……」

『それにはオレも驚いたんだけどよ。でも、スコットも棗もそうだって言ってたから間違いねえと思うぞ』

 

 本当に? と疑問を浮かべて根岸や東雲に視線を向けると、どちらも軽くうなずいた。

 そんな、バカな……。

 

「……城咲も、平静じゃなかったってことなんじゃねェのか。絶対安全だって思ってたのに、ああやって毒を仕込まれてたんだからよ」

 

 俺の困惑が聞こえたのか、検死中の火ノ宮からそんな声が飛んできた。

 確かに、最後に見た彼女は毒物事件にショックを受けているようだった。その推測も間違いではないだろうが……それでも、これ以上事件が起こらぬように決意を新たにしてもいたはずだ。

 

「…………」

「続けるね? そういうわけで服ごと汚れちゃったから、棗ちゃんは体を洗いに行ったんだって」

『せっかく使えるようになったからってことで、大浴場に行ったらしいぜ。ま、オレも同じ状況ならそうすると思うけどよ』

「それで、明日川さんの髪が濡れていたんですね」

「そうみたい。多分、お風呂から上がったあたりでアナウンスを聞いたんじゃないんかな」

『そういやあ、範太と瑞希も髪が濡れてるけど、二人はどうしたんだ?』

 

 黒峰が顔をキョロキョロさせてそんな疑問を告げる。

 

「ああ、火ノ宮は個室でシャワーを浴びてたらしい。アイツは寝起きだしな」

「アタシもシャワーを浴びてたからだけど、アタシの方は更衣棟のシャワールームね。直前まで体育館のトランポリンで遊んでたから、その汗を流してたのよ」

「だ、だから、お、おまえはすぐに大迷宮にこれたのか……」

「そうね。シャワーを浴びてる時に七原の悲鳴が聞こえてきたもんだから、慌てて飛び出したのよ」

『菜々香の悲鳴が?』

「ええ」

 

 そういえば、その辺りの説明をしていなかったか。そう思って、露草の話に割り込んで死体を見つけるまでの経緯を簡単に説明した。七原の悲鳴を聞いた三人が大迷宮の前に集まって、七原の元へ向かうために入った大迷宮の中で城咲の死体を発見した、という話だ。

 

『ふうん。そういう経緯だったんだな』

「それにしてもトランポリンかあ。瑞希ちゃん、難しそうなのによく出来たね」

「やってみると意外と簡単よ? 今度やってみなさいよ」

『おい、翡翠。今そんな話してる場合じゃないだろ』

「……ごめん、そうだったね」

 

 と、黒峰に突っ込まれて少ししょげる露草。……改めて思うが、一人芝居でやる会話じゃない。

 

「それで、スコットちゃん達なんだけど、二人は食事スペースでゲームしてたんだって。で、棗ちゃんがお風呂に行ってからも少し続けてたみたい」

『けど、途中で中断してスコットがトイレに行ったんだと。宿泊棟にあるトイレな』

「で、それでスコットちゃんが戻ってきたら……」

「城咲さんがいなくなっていた……そういう訳ですね」

 

 台詞を先に告げた杉野の声に、露草と黒峰が同時にうなずいた。つまり、城咲が食事スペースに取り残されたわずかなその瞬間が、城咲が大迷宮に移動したタイミングとなる。

 

「火ノ宮君は城咲さんのことについて何かご存じですか? 【宿泊エリア】にいらっしゃったんですよね?」

「あァ? 別になんも知らねェよ。オレは個室で寝てたって知ってんだろォが。誰とも会って……いや、明日川には会ったか」

 

 記憶を探るように視線を上に投げる。

 

「目ェ覚ました後、廊下のドリンクボックスに飲み物取りに行ったんだよ。そん時に、着替えを取りに来た明日川に会った」

「着替えを取りに……ってことは、大浴場に行く前か」

「あァ。それ以外はあのアナウンスが鳴るまでずっと個室にいたし、誰とも会ってねェ。だから城咲のこともなんも知らねェよ」

 

 火ノ宮はもう少しだけ検死をするそうなので、次の議題を探すために部屋の中を見渡す。相変わらず、一面真っ赤な血液が床に広がっている。

 

「……にしてもひどい血だな。こんなに広がるものなのか?」

 

 そう考えた比較対象は、新家の死体が転がっていたあの倉庫。城咲は新家よりも体格が小さいのに、どう見てもあの時より血が広がっている。

 

「どう考えても不自然ですね。人間一人から出る血の量を超えています」

 

 と、杉野は妙なリアリティを持って語る。……実際、この【魔女】はそういう話に詳しいはずだ。直接手をくださなくとも、殺人の手段に詳しくないわけがない。思い返せば、前回蒼神の死因について話していたときもそうだった。

 

 

──《「……確か、溺死は水を飲み込んでから死に至るまで多少時間差があったはずです。溺死の本質は、酸素を取り込めなくなることによる窒息ですからね」》

 

 

 結局この知識も、仕事のためではなく【魔女(趣味)】のためについた知識なのだろう。

 

「じゃあ何? 七原もここで刺されたってこと?」

「そこまでは断言できません。単なる事実として述べているだけです」

「……ふうん?」

 

 杉野の言葉を受けて、東雲は推理を引っ込めた。今はまだ証拠を集める段階と理解しているようだ。

 

「血痕はこのチェックポイントの外にも広がっているようですし、まずはその全容を把握しなければなりません」

 

 杉野はチェックポイントの二つの出入り口を見てそう告げた。

 

 その言葉を聞いて、思い出す。

 確か、この大迷宮に入ってすぐの廊下から、このチェックポイントまでずっと血痕が続いていた。液体が流れてできたような跡ではなく、何かを引きずったような跡だった。対して、出口側につながる方はそんな人為的な跡はなく、自然に血が流れたのだろうという印象だ。つまり、むしろ入り口につながる方にだけ何か手を加えた、ということになる。

 犯人は、どんな目的で一体何を引きずったのだろうか。

 

「とりあえず、死体の傷の確認は済んだぞ。ついでに色々調べておいた」

 

 そんなふうに頭を悩ませていると、火ノ宮が検死を終えてこちらに合流した。

 

「傷に関しちゃあ【モノクマファイル】の通りで問題ねェだろォな」

「そうですか。ありがとうございます」

「一応確認しておきたいんだが、やっぱり致命傷はその……頭だったのか?」

 

 単なる事実確認のつもりでそう尋ねると、想定とは違う答えが帰ってきた。

 

「……いや、多分違ェはずだ」

「違う?」

「オレも最初に見た時はそう思ってたけどよォ。そもそも、城咲の死因は失血死なんだろ。生きてる時に頭を割られたらそっちの方が死因になるんじゃねェのか」

「それは……確かにそうかもしれませんね。脳を破壊された人間の死因を失血死とは言いません」

「それで、実際調べてみたら死因自体は失血死で間違いなさそうだ。それを踏まえて頭を調べてみりゃあ、割られる前にもう血は流れ出してたみてェだった」

「……つまり?」

 

 東雲の催促。

 

「斧で頭を割られたのは、城咲が死んだ後ってことだ」

 

 そして放たれる火ノ宮の言葉。

 

「……どういうことだよ。どうしてそんなことする必要があるんだよ! 死んだ後に頭を割ったって、なんの意味もないじゃないか!」

「オレが知るわけねェだろ! ……けど、意味もなく犯人がこんなことをするとは思えねェ。何か、意図がなきゃおかしい」

「まず思い付くこととしては、犯人が彼女に酷い恨みを抱いていた、ということが考えられますが」

 

 城咲に恨み。それこそあり得ない。……あり得ないはずなのだが、1%も可能性がない、とまでは断言できない。他人が彼女にどんな感情を抱いていたのかなど、証明するものはなにもないのだから。

 

「……他の傷は?」

 

 死して尚残忍に刃を振るうほどに彼女を恨んでいる人間がいる、という想像に嫌気が刺して話題を変える。真相がどうであれ、彼女を殺したクロが息を潜めていることには違いがないのだが。

 

「腹の傷がひとつで、背中の傷が大きくみっつ……うつ伏せに倒れてたことと傷の深さを考えると、致命傷は背中の方だな」

『凶器は何だったんだ? 刺し傷だって書いてあるし、斧でやった訳じゃないんだろ?』

「あァ、斧じゃねえ。けど……」

 

 言葉を一度区切って、チェックポイントの中を見渡す火ノ宮。特に城咲の回りを確認してから、また口を開く。

 

「そうなると凶器は断定できねェな」

 

 この部屋の中に、斧以外の凶器はない。ましてや刺し傷を作れるような刃物など。

 

「ナイフや包丁みてェな、れっきとした刃物にはちがいねェはずだけどよ」

「ってことは、古池がやったみたいなガラスの破片とかじゃないってこと?」

「あァ」

 

 となると、凶器はどこかへ持ち去られたということになる。……いや、持ち去られたというより……。

 

「七原を刺す時に使ったんじゃないか? わざわざ凶器を使い分ける意味もないし」

 

 七原が襲われた経緯はわからないが、確か七原も腹部から血を流していたはずだ。同じような刺し傷と考えるのが妥当なんじゃないだろうか。

 

「でも菜々香ちゃんの近くに危ないものは落ちてなかったよ?」

「となれば、犯行後に大迷宮の中のどこかに捨てたのかもしれませんね」

「す、捨てたって……ぽ、ポイ捨ては規則違反なんじゃないのかよ……」

「……いや、禁止されてんのはあくまでも『自然を汚す行為』だ。使った凶器を部屋の隅に隠すくれェなら規則には触れねェ」

「…………」

「あァ? 文句でもあんのかよ!」

「べ、別にないよ……!」

「こんな時にまで争うな。もう三度目になるんだ。捜査に集中しろ」

「…………チッ」

 

 岩国に咎められ、二人とも睨み合うのをやめる。今のは火ノ宮が悪い。

 

「凶器は後で探すとして次に行くぞ。『後頚部』……つまり首の後ろ側の火傷だ。長さは大体2センチで、真っ黒に焦げてやがった」

「焦げていた……なんの傷だ?」

「はっきりとはわかんねェ。こうじゃねェかって推測はあるけどな」

「一応聞かせてくれ」

「……スタンガンだ」

 

 彼にしては珍しく、自信の無さそうな声だった。続けて、彼はその判断の根拠を語る。

 

「そもそも、そんなピンポイントに、しかも首筋なんて所を火傷するっていう状況は限られてくる。しかも、単に皮膚がただれたんじゃなく焦げてるわけだしな」

「それで、スタンガンが使用されたと?」

「……相手を一発で気絶させるほどの高電圧なら、スタンガンでも皮膚に十分火傷痕が残るっつー話は聞いたことがあんだよ。殺された人間の首筋に火傷痕が残ってんだから、それを疑うのが筋だろ」

「だが、スタンガンなんてどこにあるんだよ」

「オレが知るわけねェだろ! 凶器と一緒にどっかに捨てたんじゃねェのか。……ただまあ、そもそもスタンガンじゃねェって可能性もあるけどな。こればっかりは推測が過ぎる」

「……いや」

 

 自分の唱えた論を否定する火ノ宮を、さらに大天が否定する。

 

「私も今見たけど、スタンガンでいいんじゃないかな。それこそ火ノ宮君の言う通りそう考えるのが自然だし、私が昔見たスタンガンの痕にそっくりだから」

「スタンガンの痕なんていつ見るのよ」

「……ま、運び屋(こんな仕事)やってると、危ない橋を渡ることも多いからね」

『説明になってんのか?』

「なってるじゃん。安心してよ。一緒に捕まった人にそういう痕がついてただけだから。誘拐の片棒担いだりするのは私も好きじゃないからちゃんと断ってるし」

「依頼は来るんですね……」

 

 ……今の口ぶりからすると、もしや大天は誘拐されたことがあるのだろうか。その辺りの話を少し詳しく聞いてみたいと思ったが、正直何が出てくるか怖くてそんなことはできないし、そもそもそんな場合じゃない。ともかく、ひとまずあの首筋の傷はスタンガンによるものと想定しておこう。

 

「首の傷が本当にスタンガンだとして……そんなもの、どうやって手に入れたんだ」

「もしあの傷がスタンガンによる傷でないとしても、何かしらの道具が使われたことは間違いないでしょう」

『それを言うんだったら、斧だってそうじゃねえか? あんなの、どこにもなかっただろ』

「……その結論を出すために、はっきりさせとかねェといけねェ事がある」

 

 俺と黒峰が口にした疑問を聞いて、口を開いたのは火ノ宮。

 

「配布凶器だ」

 

 配布凶器……。

 

「モノクマから今回の【動機】として凶器や犯行に使えるもんが配られただろ」

「それが城咲さんの殺害に使われたと? 配られた道具は一人一つだったはずですが」

 

 杉野の反論通り、配布凶器は一人一つだ。クロ一人にだけ斧とスタンガンの二つが配られたとは思えない。

 

「んなこたオレもわかってるっつーの! ちゃんと考えはある。その推理のために配布凶器の情報が必要だっつってんだよ」

「……そうですか」

「チッ。オイ、てめーら」

 

 そして、火ノ宮は辺りを見渡す。根岸に、露草に、大天に、そして岩国に視線を飛ばす。

 

「てめーらは自分に配られた凶器を公開してなかったよな」

『……そうだな』

「これまでこの施設になかったもんがこうして出てきたんだ。てめーらの凶器を教えやがれ。この期に及んで言えねェとは言わせねェぞ」

 

 火ノ宮から漂う、有無を言わさぬ気迫。それに押されて、半ばキレるように根岸が反応した。

 

「ぼ、ぼくはクロじゃない……! ほ、ほら……! つ、露草もだせよ……!」

『落ち着けよ、章。誰もお前を疑ってるわけじゃねえんだから』

「……いえ、まったく疑いがないわけでは」

「根岸、お前に配られたのはなんだ?」

 

 また余計なことを言いかけた杉野の声を掻き消すように慌てて声を出す。根岸と露草は、それぞれ凶器を差し出していた。

 

「ぼ、ぼくに配られたのは、わ、ワイヤー……」

「翡翠はアイスピックだったよ。ほら」

 

 彼らが手にしていたのは、彼らの言葉通りのものだった。ワイヤーに、千枚通しのようなアイスピック。どちらもミステリの凶器として見たことはある。少なくとも、あの金の刀よりは一般的だ。

 

「アイスピックは刺殺用だと思いますが、ワイヤーは……絞殺用でしょうか」

「そうでしょうね」

 

 その根岸の持つ5ミリ程の太さのワイヤーは、金属でできているのか銀色に輝いている。少なくとも首を絞めるのには充分足りる長さだ。それに、人の手はおろかよほど上等な道具がなければ断ち切ることはできないように見える。

 

「……どっちも倉庫には置いてなかったな。アイスピックは調理場にもあったが、形状が違ェ。二つとも、配布凶器で間違いねェだろォな」

 

 火ノ宮の言葉に杉野達も頷く。俺も同意見だ。

 

「岩国さんはどうです?」

「…………」

 

 杉野にそう尋ねられた彼女は、数秒の沈黙ののち、

 

「…………現物は、ここにはない」

 

 と、ためらうように告げた。……何をためらう必要があるんだ?

 

「じゃァ、学級裁判のときでも良いから後で見せやがれ。個室にでも置きっぱなしなんだろ」

「いや、その必要はない。この場で証明できる」

 

 え?

 

「証明、ですか?」

 

 俺の脳内に、そして皆の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

 

「ああ。……あまり言いたくはないがな」

「そういやてめー、他の連中と違って凶器の公開自体を拒否してたよなァ」

 

 今朝、食事スペースに集まって凶器の公開をすることになった時、大天や根岸達はそもそもその場にいなかった。対して、岩国はその場にいたにも関わらず、凶器を公開することなく食事スペースを去った。その理由はなんだったのだろうか。

 その疑問の解を告げるように、岩国は静かに告げた。

 

「……俺に配られたのは、『秘密ノート』だった」

「………………『秘密ノート』?」

 

 聞いた瞬間は、その言葉の意味を理解できなかった。

 そして、遅れて衝撃がやって来る。

 

「……っ!」

「俺を含めた十六人それぞれの秘密が記されたノート、だそうだ」

「秘密……」

「それを知れば、誰が相手でも脅迫をかけることができる。帰宅部や発明家のようにターゲットを呼び出す時に内容を凝る必要がない。俺に配られたのはそういう【凶器】だった」

 

 つまり、アイスピックや毒のような直接的な凶器ではないが、犯行に利用し殺人の実行を可能にする間接的な凶器だったのだ。

 

「そ、そんなの信用できるか……!」

 

 突如、根岸が叫ぶ。

 

「しょ、証明できるなんて言ってたけど、な、なにも証明できてないじゃないか……! そ、その『秘密ノート』を持ってこいよ……!」

「早まるな、化学者。ちゃんと証明する。俺に配られたのが『秘密ノート』だってことをな」

 

 顔色を変えずにそう告げたかと思うと、岩国はスタスタと歩き始めた。まっすぐ、他でもない俺に向かって。

 

「な、なんだよ」

「耳を貸せ、凡人」

 

 そう言うが早いか、俺の返答も待たずに岩国は俺の襟首をつかんでぐいと引き寄せる。

 そして、一瞬ためらってから小さく囁いた。

 

 

 

「お前、パソコンの『二学期のテスト勉強用』ってフォルダに……エ、エロ画像、を隠してるんだってな」

 

 !?

 

 

 

「……」

 

 直後、岩国はふいっと顔を背けた。

 耳に残るくすぐったさを感じながら、彼女の口にした言葉の意味に混乱する。そんな俗っぽい話を彼女の口から聞くとは思わなかった。

 

「……これがお前の秘密。そうだよな」

 

 手を離して、皆にも聞こえるように尋ねてくる。

 

「……ああ。こんな事誰にも言ってないし、言うわけがない。岩国がこの事を知ってるのはおかしい」

 

 彼女の発言した内容は紛れもなく真実だった。適当にそれっぽいことを言ったとしても、『二学期』まで一致するはずがない。という事は。

 

「なら、岩国に『秘密ノート』が配られたってのは間違いなさそォだな」

 

 俺達の様子をうかがっていた火ノ宮が、俺のたどり着いた考えを口にする。本当に、その俺達の秘密が書かれたノートを手にしたのだろう。

 というか、岩国は俺のそんな秘密を知ってどう思っただろうか。そんな秘密のフォルダがある事を、あまつさえ女子に知られたことがあまりにも恥ずかしい。『秘密ノート』に書かれてたのはフォルダ名だけだよな? まさか、その中身にまで書かれてなんかないと思うが。そこまで知られていたらどんな顔をして岩国と話せばいいかわからない。

 

 ………………じゃなくて!

 

 邪念を払うように頭をぶんぶんと振る。そんなくだらない事を考えている場合ではない。ちゃんと捜査に貢献しないと。

 

「……今岩国が言った俺の秘密なんだが、そんなに重い秘密じゃない」

「と、おっしゃいますと?」

「誰にも知られたくない秘密ではあるんだが、是が非でも、という程じゃないというか……例えば、これで脅しをかけられてどこかに呼び出されたとして、そんなの殺されるって明白だし、だったら無視しようって思える位だ」

 

 この秘密がバラされるとしても、それで命が守られるなら安いものだ。白い目で見られるかもしれないが、殺人を企んだやつの方が批難されるに決まってる。

 

「ですが、それは平並君に限った話なのではありませんか?」

「え?」

「秘密の重要度が、個人によってばらつきがあるかもしれません。平並君の秘密が何かは分かりませんが、命の危機があっても呼び出しに応えなくてはならない……むしろ、知った人間を逆に殺さねばならないとまで思ってしまうような秘密が書かれた方がいる可能性があります」

「……」

 

 腹が立つことに、正論だ。ただ、こうして岩国が秘密ノートを持っていることを公表した以上、脅しをかけることも出来ない気がするが。

 

「アンタから見てどうなのよ、岩国。全員分の秘密を把握してるワケでしょ?」

「……いや、全員分は知らない。『秘密ノート』に関するさっき言った説明も最初のページに書かれていたものだし、後は適当にページをめくってやめた。名前と秘密が書いてあったのは確認できたし、お前達の秘密を知ったところでメリットなんてないからな。ここにいる奴らだと……俺が知っているのは凡人の秘密だけだ」

 

 全員の秘密を見たわけじゃない、か。

 

「そ、それこそ信用できるわけないだろ……!」

 

 再び、根岸が岩国に吠える。

 

「お、おまえが本当に『秘密ノート』を貰ったのはわかったけど、だ、だったらぼくたちの秘密を知ることだって出来るってことだろ……? ひ、平並の秘密しか知らないなんて、そ、そんなの信じられるかよ……!」

「章ちゃん、落ち着いて」

「なるほど、だから凶器の公開を渋っていたんですね。『秘密ノート』なんてものを持っていると知られれば、不安に駆られた誰かに狙われるかもしれません。たとえ、皆の秘密も知らないと主張しても、それを信じることはできませんからね」

「…………」

 

 根岸の言い分も尤もではある。知っているということを証明することは可能だが、知らないという事を証明することは不可能だ。

 それでも、それを岩国自身が分かっているのなら、『秘密を見ていない』と嘘をついても意味がないということも理解しているはずだ。なら、この岩国の言葉は信用に値するんじゃないかと思う。……俺が彼女に負い目を感じているからかもしれないが。

 

「それで? てめーに配られた凶器はなんだったんだァ?」

 

 岩国の無言を肯定と受け取って、火ノ宮は大天へと質問を投げる。

 

「私は…………写真。そう、写真だったよ」

「写真、ですか?」

「うん」

 

 写真と聞いて思い出すのは、露草がAVルームで見つけたという新家達の写真だ。けれども、彼女が受け取ったものはあれほど違和感のあるものでは無かったらしい。

 

「隠し撮りみたいな感じで、ここに来てからの皆が撮られてた。まあ、山程監視カメラがあるし、別に撮られてても不思議じゃないけど」

 

 ただの隠し撮り? そんなものが【凶器】として成立するのか、と一瞬考えたが、すぐに岩国の件を思い出す。

 

「それも、脅迫に利用できるってことか?」

「……多分。正直私にはただの写真なんだけど、本人からしたらとんでもない写真なのかも。だから、岩国さんの『秘密ノート』と同じで、これを使って脅迫しろってことだと思う」

 

 先程迷宮にいたところを見つかった時よりは幾分か落ち着いたのか、冷静に語る大天。その彼女が受け取ったという写真について考える。

 ここに来てから隠し撮りされたような写真、と大天は言っていた。けれど、正直俺は見られて困るような行動をここに来てからは取っていない。唯一あるとすれば、初めの事件の時の俺の犯行未遂に関わる一連の行為だけだが、そんなものはもう周知の事実だ。

 見られて困る行動を取っているのは、と考えれば、思い当たるのは一人だ。

 

「どうされましたか、平並君」

「いや、なんでもない」

 

 【言霊遣いの魔女】として暗躍する杉野には、撮られれば致命的になる一瞬が無数にある。もしもそんな一瞬が撮られていたとすれば、それがよりによって大天の手に渡っているということになる。そんな状況になっているのなら、警戒すべきは『脅迫』なんて生易しいものではない。

 

「…………」

 

 ……けれど、もしも今そうなっているのなら、彼女はこんなにも冷静にいられるのだろうか。下手に状況を決めつけるのは賢明じゃない。

 

「大天。その写真はどこにある。今持ってんのか個室にあんのか知らねェが、現物を見ねえと信用できねェ」

「……あー、見せるのは無理かな」

「あァ?」

 

 火ノ宮の当然の疑問に対して、大天はバツが悪そうにそう返した。

 

「どういうことだ?」

「だってもう捨てちゃったし。ビリビリに破いて」

「や、破いてって……」

「だったら、写真の話自体信じらんねェぞ。さっきの根岸じゃねェけどよ」

「捨てちゃったものはしょうがないじゃん! あんな写真いつまでも持ってたくないし!」

「チッ……!」

 

 大天の言葉に、苛つきながら火ノ宮は頭をガシガシと掻いた。その様子を見て、杉野が口を開く。

 

「破いた残骸はどうされたんですか? どこに捨てたにせよ、破いたのなら破片が残るでしょう。それをつなぎ合わせれば、大天さんが写真を受け取った根拠になるかもしれません」

「あー、えーと……」

 

 一瞬言葉をつまらせてから、

 

「個室の、ゴミ箱に捨てたよ」

「……ウソついたりしてねェよな?」

「……うん」

 

 鋭く射抜くような火ノ宮の目線を受けながら、大天はなんとか返事をした。

 

「チッ。んなら、後で調べてくる。コイツの言ってることが本当なら、ちゃんと残骸が見つかんだろ」

「わかりました。その件は後で改めて伺いたいと思います。必要なら僕も調べますしね」

 

 とりあえず、配布凶器については大天以外は全員裏付けが取れたということになる。大天に関しては、捜査が進むまでは保留だ。

 

「じゃあ結局、あの斧やらスタンガンはどこから来たわけ? 火ノ宮、なんか考えがあるっぽかったわよね?」

「……配布凶器が無関係なら、誰かの私物しか考えられねェ。スタンガンはまだわかんねェけどよォ、斧ならまだ心当たりがねェわけじゃねェ」

『心当たり?』

「新家だ。新家の個室には大工用具があんだろ。少なくとものこぎりがあんのは前に本人から聞いてるからなァ。そこに斧があったかもしれねェ。斧と新家の個室にある工具が例えば同じメーカーだったりすりゃあ、裏付けになる」

 

 言われてみれば、たしかに昔新家は火ノ宮とそんな話をしていた。確かに、と納得するような声も聞こえてくる。けれど、俺はそれにうなずかなかった。

 

「ちょっと待ってくれ。確かに新家の個室には色々置いてあったが、斧なんて無かったはずだぞ」

「それは絶対かァ?」

「……絶対かって言われると困るが……自信はある」

「…………」

 

 丸三日もあの個室の中にいたのだ。大抵のことならわかる。

 

「……んじゃあ、わかった。けど、一応調べるだけ調べとく」

「ああ」

 

 念の為、俺も後で調べようか。

 ともあれ、これで火ノ宮の検死結果の検証が終わった。となれば、次に確認することは……。

 

「火ノ宮、城咲の死体で気になる事は無かったか? 呼び出し状を持ってたりとか」

「あァ? 妙なとこはあったけどよォ、呼び出し状なんかねェよ」

「そうか……」

 

 そもそも、城咲はなぜ大迷宮で殺されたのか。過去二回の事件でも利用された呼び出し状がその答えになるかと思ったが、そうではなかったらしい。

 

「しかし、城咲さんが呼び出しを無視しないのは前回で証明済みです。呼び出し状は個室に残したのかもしれませんし、単に口約束だったかもしれません」

「……かもなァ」

 

 そう言いながら、火ノ宮は城咲の元へ歩いていく。俺たちもそれに連なった。近づけば近づくほど、その凄惨さを突きつけられる。

 

「とりあえず城咲の様子を調べて分かったことを言ってく。どォせ裁判で明日川達にも改めて説明するが、今大体頭に入れとけ」

「ええ、わかっています」

 

 何が裁判で重要な証拠になるかはわからない。よく確認しておこう。

 

「分かりやすい所でいうと、まず口だな」

 

 と、火ノ宮に示されるままに城咲の顔を確認する。

 その絶望に染まった顔の口の中に、タオルが押し込まれていた。

 

「多分猿轡(さるぐつわ)のためだろォな。タオルが詰められてやがる」

「このタオルは……倉庫にあったものでしょうか?」

「あァ。見たことがある。間違いねェ」

 

 俺もこれは倉庫で見たことがある。思えば、俺たちが聞いた悲鳴は七原のものだけで、城咲の声は聞こえてきていない。完全に防ぐことは不可能だろうが、ドーム中に響き渡る事はこのタオルで防げるはずだ。

 

「それと、手も妙なことになってやがる」

 

 そう告げてから、火ノ宮はまず城咲の右手に視線を向ける。

 血のついた人差し指を何かを示すように伸ばしたその右手は、チェックポイントの壁に触れていた。人差し指が這ったであろう血の線も壁に残っている。彼女が一体何をしたのかは一目瞭然だった。

 

「これ、ダイイングメッセージを()()()()()()のかしら」

 

 死に際の遺言(ダイイングメッセージ)

 死因が失血死ならば、彼女にはそれを残せる時間があったということになる。いや、あったのだ。この姿勢と壁の痕跡がそれを物語っている。

 しかし、彼女の懸命な想いが実を結ぶことはなかった。その、彼女のダイイングメッセージは、上から血を塗りたくられて掻き消されていたのだから。

 

「そうでしょうね。おそらく、犯人が消したのでしょう」

「なら、クロに感謝しなきゃね。こんな凡ミスでクロが分かっちゃったらたまったもんじゃないもの」

「……チッ」

「範太ちゃん、左手の方は?」

 

 不穏な空気を感じ取ったらしい露草。火ノ宮も一つ舌打ちをするに留め、話を進めた。

 

「情報としてはこっちの方が少しはマシだな。大した意味はねェけどよ」

 

 『システム』を人差し指に付けたままの彼女の左手は、右手とは違って丸く握り込まれていた。

 

「情報ってのは?」

「見てみろ」

 

 と、火ノ宮に示されるままその握りこぶしの中を覗く。その中からは、小さな紙切れがはみ出ていた。

 これは……。

 

「百億円札?」

「あァ。その切れ端だ」

 

 モノクマからボーナスとして配られた百億円札。その角の一部分だった。

 

「ひゃ、百億円札……?」

 

 そのやり取りを聞いて、少し距離を取りながら城咲の死体を見ていた根岸が、俺を押しのけて城咲の左手を確認する。そして、何かを確信したような表情になった。

 

「あァ。何も間違った事言ってねェだろ!」

「べ、別に文句を言いたいわけじゃない……!」

 

 苛つく火ノ宮にそう叫び返して、根岸は白衣のポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。根岸に配られた百億円札だった。

 

「し、城咲がこんなものを握り込んでるってことは、は、犯人ともみ合った時にとっさに掴んだってことだろ……!?」

「あァ。自分の百億円札ならこうなる状況が意味不明だ。まず間違いなく犯人のモンだろうよ」

「だ、だったら、じ、自分の百億円札が破り取られてなかったら、む、無実ってことになるよな……!」

 

 火ノ宮の真正面から担架を切る根岸。なるほど、たしかにそのとおりだ。これで無実の証明ができるなら、間違いなくグッと容疑者を減らせる……いや、クロの特定までできるんじゃないだろうか。

 そう思い至ったが、火ノ宮はというと、

 

「ならねェ。んなもん何の証明にもならねェよ」

 

 と、否定を返した。

 

「……は、はあ?」

「オレも調べてる時におんなじ事を思ったけどよォ」

 

 そう言いながら、火ノ宮は城咲のメイド服……そのポケットに手を入れた。

 そこから出てきたのは、彼女自身の血に染め上げられた、角の欠けた百億円札だった。

 

「その百億円札の片割れは城咲が自分で持ってやがる」

「な……」

「……先程お二方が話していたとおり、その破られた百億円札は犯人のものでしょう。それを城咲さんが持っているという事は……」

『入れ替えたのか。破れた自分の百億円札と、完全なかなたの百億円札を』

「……だろォな。さっき根岸の言ったことに犯人も気づいたんだろ。このままだと一瞬で犯人だとばれちまうって」

 

自分の持ち物を殺した相手の持ち物と入れ替える。このアイデアには、ここにいる全員が最初の裁判の時に気づいている。犯人にとって百億円札を破り取られた事は不測の事態だろうが、とっさにあの裁判を思い出して行動したのかもしれない。

 

「だからさっき、大した意味はないって言ってたのか」

「あァ。城咲も必死に一矢を報おうとしたみてェだが、結局犯人にうまく処理されちまった」

「…………」

 

 死に際の彼女の想いを考えると、やるせなくなる。あの百億円札は、必死に抵抗した証のはずだ。それでも犯人に殺されることになってしまったが、彼女は消えゆく意識の中で、俺達に犯人の名を伝えようとダイイングメッセージを残したはずだ。それすらも、犯人は血の中に消してしまった。

 ……なんとしても、解き明かさねばならない。そうでなければ、城咲のこの想いが何も報われない。

 

「オレが調べて気になったことはこれで全部だ。…………岩国。てめーはなんかあんのか」

 

 火ノ宮は、少し悩んでから岩国に質問を飛ばした。火ノ宮とともに岩国は死体を調べていた。火ノ宮は、冷徹気味な岩国に思うところがあるようだが、捜査を優先したらしい。

 

「俺から言及することはない」

 

 ただ、彼女から有益な情報は返ってこなかった。火ノ宮もそれは予想していたらしく、特に舌打ちしたりはしなかった。

 

「じゃァ、ここで調べられる事はもう無さそォだな」

「あ、じゃあ、翡翠行きたいところあるんだけど、いいかな章ちゃん」

 

 火ノ宮が捜査に区切りを付けたのを見て、露草がそんな事を告げる。

 

「い、行きたい所……?」

『病院だろ? 菜々香の事が気になるみてえだしな』

「うん。よく分かったね、琥珀ちゃん」

『そんなそわそわしてるの見りゃ誰でもわかるっての』

 

 ……そんな風には見えないが。

 

「びょ、病院なんか行かなくてもいいだろ……」

「章ちゃんは菜々香ちゃんが心配じゃないの?」

「………………だ、だからって、おまえが行ってどうするんだよ……」

 

 根岸は露草の質問には答えず、ただし否定もしないまま目をそらす。言い訳を探すように部屋を見渡していたが、何かに気づいたように目を細めた。

 

「ま、まあいいよ……い、行くならとっとと行こう……」

『いいのか?』

「そ、そっちが言い出したんだろ……!」

「あー、待ってよ!」

 

 また後でねと俺達に別れを告げて、露草は根岸を追いかけて出口へ続く道を駆けていった。

 

「……」

 

 それを受けて、岩国もその後を追うように歩き出す。

 

「アンタも病院に行くわけ?」

「まさか。迷宮の中を調べきったわけじゃないだろ」

「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 チェックポイントの捜査を終えて、岩国達も場所を変える。

 

「なら私もいい?」

 

 その様子を見て次いで手を上げたのは大天だ。

 

「あァ?」

「いい加減着替えたいんだよ。顔も髪も服も血だらけで、気持ち悪くて」

 

 その言葉とともに、血の染みたシャツを不快そうにつまみ上げる。

 

「まあ……確かに気持ち悪いだろうが」

「自分の立場が分かって仰ってるんですか? 証言も疑わしいものでしたし、現状の最大の容疑者はあなたですよ」

「分かってるよ、それくらい。それが分かってて言ってるんじゃん。裁判が始まってもずっとこんななんて、勘弁してよ。せめて顔くらい洗わせてよ」

 

 と、むくれるように反論する大天を見て、火ノ宮がため息をついた。

 

「チッ。どうせ調べなきゃならねェんだ。コイツが顔を洗うついでに宿泊棟を調べてくる」

「いいんですか?」

「別に顔を洗うくれェじゃ何もできねェだろ。服を着替えさせるのは流石にさせらんねェが」

 

 そして舌打ちを残して、火ノ宮は大天とともにチェックポイントを後にした。期せずして、俺と杉野の二人きりになった。

 

「さて、僕たちはどうします? 平並君におまかせしますよ」

「……もう少し迷宮の中を調べる」

 

 その余裕ぶった表情に嫌気を覚えながら、適当に返事をして俺も足を動かし始めた。

 正直これ以上この大迷宮から情報が出てくるとは思えなかったが、それでも七原が刺された場所くらいははっきりさせておいた方がいいと思った。

 

「分かりました」

 

 と、杉野は何も異を唱えず俺のあとに続く。

 

 杉野は四六時中俺のそばにいた。つまり、こいつは犯人じゃない。どれだけこいつが凶悪な存在だとしても、この後開かれる学級裁判で追求しなければならないクロはこいつではない。

 

 ……いっそ、こいつがクロだったら良かったのに。そんな嫌な考えが、一瞬頭をよぎった。

 

 




捜査編は次回に続きます。
いつもより捜査が長くなっちゃいましたが……まあ、三章ということで、どうかひとつ。


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非日常編③ その扉の先には真実が眠っている

 《大迷宮/通路》

 

 捜査を続ける俺達は、チェックポイントを離れて大迷宮の通路を歩んでいた。足が止まったのは、少し歩いてすぐのことである。

 

「…………」

 

 これ以上大迷宮から情報は得られない、という判断は早計だったらしい。

 そう判断したのは、通路に残る血痕を目にしたからだった。

 

「七原さんが刺されたのはここのようですね」

 

 チェックポイントから出口へと繋がる通路のその道中。初めてこの惨劇を目にしたときから気になっていた、通路に一際大きく広がる血溜まり。そこから出口まで七原の這いずってできた血痕が続いていた事を踏まえると、杉野の推測に異論は無かった。

 ただ、この血溜まりは最初から嫌でも目についていたし、その推測もすでに見当がついていた。それとは別に、改めてここにやってきてようやく気がついた物がある。

 

「何だ、この血痕……?」

 

 その広がる血溜まりから、点々と小銭ほどのサイズの血痕がどこかへと続いている。そもそも、同じような血痕はチェックポイントからこの血溜まりに至るまでにも続いていた。それを辿ってここまで来たのだし。

 

「犯人の服から滴った血の跡でしょう。犯人が返り血を浴びているのは間違い無いでしょうし」

「そんな事分かってる」

 

 俺が疑問を浮かべたのは、その血痕の続く先である。その血痕は、血溜まりから少しチェックポイントの方へ引き返し、分かれ道で別方向へ曲がっていた。

 チェックポイントからここまで血痕が続いているのはわかる。チェックポイントで城咲を殺した後、七原を追ってここで追いついたのだろう。であれば、この行き先の妙な血痕が、七原を刺した後の犯人の行動を示しているはずだ。

 それが、出口ならいざ知らず、なぜ迷宮の中に続いているのだろう。大天が潜んでいた場所につながる方向でもない。

 

「…………」

 

 考えていても埒が明かない。その血痕をたどって行き先を明らかにすることにした。背後から、俺に続く杉野の足音も聞こえる。

 そして無言のまましばし歩いた俺達が目にしたのは、驚愕の光景だった。

 

「……なっ!」

 

 血痕は、()()()()()()()()()()

 開いたドアの向こうに薄暗い空間が広がっている。少し下り坂になっているようで、地下へと潜っていく通路になっていた。

 

「な、なんだよこれ……」

「確か、大迷宮の中に鍵のかかった扉がある、という話が明日川さん達の報告にありましたね」

 

 

──《「チェックポイントを越えた先の行き止まりの一つに、真っ白な(表紙)があった」》

──《「それは……でぐちの、ですか?」》

──《「いいや。当然それとは別に、だ」》

 

 

 そう、確かに明日川はそんな事を言っていた。この扉が閉じていれば行き止まりの形になるし、間違いないだろう。

 そんな扉が、なぜ開いているんだ。

 そして、血痕が残っているということは、犯人はここを通ったという事になる。この、どこかへ続く道を。

 

「…………」

 

 いくつかの謎の答えに見当を付けながら、俺達は更に点々と連なる血痕を追って通路を下っていった。下り坂がやがて平坦になっても、通路は先に続いている。天井に頭をぶつけないよう軽くかがみながら、儚い灯りに照らされた通路を進む。

 そして、ついに行き止まりにたどり着いた。目の前の壁にははしごがかけられ、天井に空いた四角い穴から光が差している。はしごに手をかけ、その穴から顔を出した。

 

「あ、アンタも来たのね」

 

 かけられたのは、そんな東雲の声。

 そこは、更衣棟のシャワールームの一室だった。

 

「……隠し通路か」

 

 大迷宮の出入り口はそれぞれ一つずつしかない、と思いこんでいた。そんな大迷宮から、こんなところに繋がる通路があったなんて。

 

「これは、推理を考え直す必要があるかもしれませんね」

 

 杉野共々隠し通路から這い出て、改めてシャワールームを見渡した。

 隠し通路に繋がる穴があるのは脱衣所。その穴を塞いでいたであろう床板が壁に立てかけられている。その脱衣所の床にも、大迷宮と同じように血溜まりがあった。

 大迷宮からここまで隠し通路に血痕が残されていた事を考えると……。

 

「……犯人は、隠し通路を通って大迷宮を抜け出したのか!」

「そう考えるのが順当でしょうね」

 

 と、東雲が同意する。脱衣所の棚を漁っていた岩国の横から東雲が手を伸ばして、棚から血のついたカードを取り出す。

 

「これが隠し通路のカードキーみたいよ。まったく、犯人を当てなきゃならないってのに隠し通路なんてルール違反でしょ」

 

 そのカードには大迷宮の略地図と隠し通路に繋がるドアの場所が描かれていた。なるほど、ドアには何かをかざすようなパーツがあったし、ロックを解除できるカードキーのようだ。

 ……カードキー?

 

「それって……もしかして、誰かに配られた【凶器】なのか……?」

「でしょうね」

 

 思い浮かんだアイデアを、東雲があっさりと肯定した。

 

「城咲に刺さってた斧は、誰かの私物って可能性もあるわ。それこそ、アンタが見落としただけで新家が持ってたとかね。でも、こればっかりはそうは行かないわ。だって、このカードキーは大迷宮ありきだもの」

 

 そうだ。火ノ宮に【凶器】として配られたというサウナの鍵と同じで、このカードキーは施設と直接関係がある代物だ。施設長を名乗るモノクマに配られる以外にこれを手にする方法はない。

 

「ということは……誰かが、自分に配られた【凶器】をごまかしている?」

「アタシもそう思うわ。じゃなきゃありえないもの」

 

 ま、アタシが言えたことじゃないでしょうけど、と、【凶器】を見せあった時に一度嘘をついた東雲は付け加えた。

 

「……嘘をついている可能性が一番高いのは大天さんでしょうね。彼女だけ、現物がまだ見つかっていませんから」

「よりにもよって大天ね……ま、いいわ。学級裁判までにはそのあたりもハッキリするでしょ」

 

 本当に、大天には写真が配られたのか。今一度、確認する必要がある。

 

「東雲さん。あの隠し通路のドアは、最初から開いていたんですか?」

 

 確認事項が増えたところで、杉野が隠し通路とシャワールームの捜査を始めた。

 

「そうね。あのドアは開きっぱなしだったし、そこの床板も外れたままだったわ」

 

 開きっぱなし……まあ、あのドアまで血痕は続いていたわけだし、このシャワールームもこの惨状だ。例え鍵までかけたとしても、大迷宮とシャワールームをつなぐ隠し通路があるということは推測できただろう。

 ともかく、こうなってしまうと、さっき杉野が告げたとおり推理を改めて考え直さなくてはいけなくなる。正しく、犯人の動向を追わないと。

 

「それにしてもひどい有様だな……」

「東雲さん、確かあなた、七原さんの悲鳴が聞こえた時はシャワールームにいたんですよね。何も気づかなかったんですか?」

「別に何も。アタシが使ってたのは1番のシャワールームだし、関係ないわよ」

 

 使ってた部屋が違うのか。大迷宮から隠し通路がつながっていたこの部屋は、タイルが黄緑色だから4番の部屋だろう。

 それに、犯人がここに来たのは七原を刺した後だ。時間差を考えると、何も気づきようが無いとは思う。部屋が別なら、なおさら。

 

「棚には他に何かあったのか?」

 

 岩国にそう尋ねてみたが、案の定返答はなかった。仕方なく彼女のそばに近づいて、自分で棚の中身を確認することにした。

 棚には倉庫にあったブルーシートが敷かれている。かつて古池が殺人に用いたものよりはいくぶん小さなものだったが、その上に血に塗れた様々なものが置かれており、どうやらブルーシートはそれらを包んでいたようだった。

 

「多分、これが凶器ね」

 

 そう告げながら東雲が掴み取ったのは、鋭利に先端を尖らせたサバイバルナイフだった。東雲が凶器と判断したのは赤黒い血がべったりと付着していたからだろうが、このサバイバルナイフは火ノ宮が言っていた『れっきとした刃物』という条件に合致している。

 

「傷のサイズから判断してもその可能性は高い」

 

 城咲の死体を詳しく見ていた岩国が更にダメ押しをした。七原の手術をしている明日川達にも後で話を聞きたいところだ。

 

「それで、これは……もしかして」

 

 そんな言葉とともに、俺は大きな布を手にする。その形状と血に染まりきっていない白地の部分から推測した通り、広げてみれば、それが白衣である事は明白だった。すなわち、七原が血文字で示していた存在である。

 ところどころがすすで汚れたそれは、主に背中の全面がその裾に至るまで赤く血で染まっていた。他に特筆すべきことがあるとすれば、裾付近が土や塵で汚れていることか。

 

「白衣ですか。白衣といえば、根岸君と遠城君ですが……」

「すすで汚れてるし、裾も長いから遠城の白衣でしょうね。というか、ほら」

 

 そんな言葉とともに、東雲は棚の中に手を突っ込む。

 

「これ、遠城の服でしょ?」

 

 そして取り出したのは、淡い色のシャツとズボン……それらも白衣と同じく血に染まっていたが、誰のものかを判別できないほどではない。それは紛れもなく、遠城の服だった。

 

「ってことは、犯人はわざわざ遠城の個室から服を取ってきたってことか」

「そうなりますね。真っ当に考えれば、ですが」

 

 個室のクローゼットには着替えが何着かしまわれている。鍵になる『システム』がない以上、遠城を含めて死んでしまった人の個室には誰でも入れるから、犯人が遠城の服を持ち出すことも可能だったはずだ。

 犯人が服や白衣を持ち出してどうしたかを真っ当に考えると、返り血を防ぐために犯行時に着たという案が浮かぶ。犯行後に、服をこうしてシャワー室に捨て置いて、着替えて外に出たのだろう。単に服を着るよりは、上から前後逆に白衣を羽織ればより返り血を防ぐ効果はある。だから遠城の服を選んだのかもしれない。

 

「にしても、七原のダイイングメッセージに『白衣』なんて書いてあったから、まさか根岸がクロじゃないかと思ってたけど、こういう事だったのね」

「ダイイングメッセージ……ああ、確かに迷宮の出口にそんな血文字がありましたね」

「……七原は死んでないんだ。ダイイングメッセージなんて言うのはやめろ」

「死にかけの時に書いたメッセージなんだから間違ってないでしょ」

 

 縁起でもないからやめてほしい。言って聞いてくれるとも思ってないが。

 呆れながら更に棚に目を向ければ、黒い目出し帽があることに気づいた。毛糸製の、伸縮性のあるそれも他の例に漏れず血に浸っていた。

 

「目出し帽も使ったのか」

 

 そうと気づけば、七原が残したメッセージのことも腑に落ちる。

 自分が誰かに襲われたとして、何かメッセージを書くのならその犯人の名前を書いてしまえばいいはずだ。ましてや、このコロシアイ生活の中では全員の顔も名前も割れているのだし。

 けれども七原はそうしなかった。その理由が、犯人が白衣を着て目出し帽を付けていたからなのだろう。そんな状況であれば、名前を書き残すことなどできなくて当然だ。『白衣』と書き残したのは、せめてもの抵抗だったのだ。

 ……だとすれば、犯人によって消された城咲のダイイングメッセージも、もしかしたらあまり意味のないものだったのかもしれない。それでも、犯人は念には念を入れて血で塗りつぶしたのだろうが。

 

「…………」

 

 ただ気になるのは、この目出し帽の出どころである。倉庫にだってこんなものなかったはずだ。だとすれば……。

 

「そして、最後に輸血パックですか」

 

 その杉野の声で思考を中断し、意識を切り替える。杉野が手にしていたのは、病院に保管されていたはずの輸血パックだった。四袋もあるが、そのすべてが空になっていた。

 

「この床の血溜まりって、輸血パックの血だよな?」

 

 そう俺が判断したのは、まさにこの輸血パックの置かれていたブルーシートから床へと血溜まりがぼたぼたと垂れ落ちていたからである。そもそも、ブルーシートの中が血でまみれていたのも、この輸血パックから血が流れ出ていたからだろう。そうでなければ、こんな犯行現場から離れた場所に血溜まりが広がるはずはない。

 

「ええ、そうでしょう」

「……別にお前には訊いてない」

「そう邪険にしないでくださいよ。犯人は何らかの意図があってブルーシートの中を血で浸し、その結果床にも血がこぼれた……こんなところでしょうか」

 

 ……発言者が【魔女】であることは推理から差し引くとしても、一番順当な考えではある。だとすれば、犯人はどんな目的があったのだろうか。真っ先に考えられるのは、輸血パックの血で何かをごまかしたかった、とか。不用意な所に血がついて、それをごまかすために輸血パックの血を……。

 

「……違うな」

 

 輸血パックはもともと病院にあったんだ。俺たちは犯行後すぐに【運動エリア】に集まったわけだから、病院に輸血パックを取りに行くことなどできなかったはずだ。つまり、犯人は事前に輸血パックを用意していた、ということになる。

 だとすると、輸血パックの血をブルーシートの中に撒く事は最初から犯人の計画のうちだったという事になる。

 

「…………」

「ねえ、杉野。一応アンタの意見も聞いておきたいんだけどさ、ブルーシートにかけるだけで輸血パックは四袋も使わないわよね?」

「そうですね。血の量から見て、ここで空けられたのは一袋だけでしょう」

「え? じゃああとの三袋の血はどこに……あ」

 

 疑問を途中まで口にして、すぐにその答えが思い浮かんだ。

 

「チェックポイントでしょ」

 

 杉野に質問をした時点でその答えに思い至っていたらしく、東雲があっさりと俺の疑問に答えてくれた。

 

「それこそ杉野が言ってたじゃない。一人から出る血の量じゃないって。他の輸血パックの血はチェックポイントに撒かれたんでしょうね」

 

 どうして犯人はそんな事をしたのだろう。……今はまだ、考えてもわからないか。

 棚にはブルーシートのみになったので、今度はシャワー室の方へ目を向けた。床に血の広がる脱衣所とは違って、一見するときれいなものだった。

 しかし、その床は濡れていた。

 

「犯行以前に誰かが利用したのでしょうか?」

 

 もしそうなら、これは別に犯行とは無関係という事になるが、現場の情報を短絡的に無視するのも……。

 

「……ん?」

 

 そんな事を考えながらよく目をこらせば、敷き詰められた黄緑色のタイルに、微かに排水溝へと伸びる薄い血の跡が残っている事に気がついた。

 

「おや」

 

 杉野もそれに気づいたようだった。

 その痕跡を見て、ふと思う。

 ここに血の跡が残るという事は、ここで血を、おそらくは犯人が洗い流したという事になるはずだ。……何の血を?

 

「…………」

 

 真っ先に思いつくのは、返り血だ。けれども、返り血なら白衣で防いだはずじゃ。

 そう思って、血に染まった白衣を見る。

 

「何か、思いつきましたか?」

「……別に、何も」

 

 杉野の質問に生返事で答えながら、棚まで近づいて白衣を広げてみる。血は当然のように、裏地まで染みている。犯人が着ていたと思しきシャツにも手を伸ばす。その薄手の生地は、血をジュクジュクと吸い込んでいた。

 ……これ、完全に返り血を防げたのか? 白衣もシャツも、決して血を弾くような素材でもなければ染みるのを防ぐほど厚手というわけではない。目出し帽だってそうだ。目出し帽はその正体を隠すだけで、自らにかかる返り血を防いではくれない。だから、もしかして、犯人は返り血を……。

 そして、このシャワールーム……。

 

「何か考えがあるなら教えなさいよ」

 

 と、思案にふける最中、声をかけられた。

 

「あ、いや。なんでもない」

「……変なやつね」

 

 急に声をかけられて、とっさに嘘をついてしまった。どのみち、今はまだ結論は出せない。

 東雲はそんな俺を見て眉を潜めつつ、けれどもどうでも良さそうに目線を元に戻す。濡れた髪から滴る水が血溜まりに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟》

 

 岩国達は調査を先に終えて更衣棟を出ていった。俺たちも残って少し調べてみたが、東雲が使ったという1番のシャワールームに使用された痕跡が残っていたこと以外の収穫は得られなかった。

 真面目に捜査に取り組む……少なくとも傍目にはそう見える杉野に顔をしかめながら、俺達は宿泊棟に移動した。斧や白衣の件を少しは調べておきたい。

 

「てめー、いい加減にしやがれ!!」

 

 宿泊棟に足を踏み入れて、さてどこから調べようかと思った矢先、そんな火ノ宮の怒鳴り声が聞こえてきた。何があったのだろうか。

 声を辿って火ノ宮を探す。彼は、顔や髪についた血を洗い流した大天とともにダストルームにいた。

 

「おい、どうしたんだ」

「あァ!? チッ、てめーらか。どォしたもこうしたもねェよ!」

 

 その顔や服をところどころ黒く汚していた火ノ宮は、耳を抑えたくなるほどの憤りを顕にする。その怒りの矛先と思われる大天は、むくれたままそっぽを向いていた。

 

「コイツ、自分に配られた凶器が写真だって言ってただろ」

「ええ。怖くなって破いて、自室のゴミ箱に捨てたとも」

「あァ。だからその裏付けでコイツの個室を調べたんだよ。そしたらよォ!」

 

 また声のギアが上がる。

 

「ゴミ箱の中から写真の残骸なんか見つかんなかったんだよ!」

「はあ?」

「それを問い詰めたら『ゴミは昼に焼却炉に移した』とか言い出しやがったからこっちも調べたけどよォ、結局焼却炉にも写真なんか捨てられてねェんだよ」

 

 汚れているのは焼却炉の中を調べたからか、と納得しつつ、火ノ宮の言葉を訝しみながら大天に視線を移す。反論しない、ということは火ノ宮の言葉は本当なのか。

 

「どういうことです、大天さん。写真が配られたというのは嘘だったんですか?」

「……嘘じゃないよ。火ノ宮君が見つけられなかっただけじゃん」

「ちゃんと探したっつーの! 今日は焼却炉が稼働してねェんだから、ここに捨てたなら破いた写真を見つけられねェとおかしいじゃねェか!」

「あんなもの誰かに見つかったら嫌だから、灰の下に隠したんだよ。自分が探しきれなかった癖に私のせいにしないでよ」

「てめーが嘘ついてんだろっつってんだよ!」

 

 今にも飛びかからんとする火ノ宮をなんとかなだめる。ただ、そもそも前回殺人を企みそれを反省しない大天に、火ノ宮は強い敵意を抱いている。今更俺が何かを言ってもその感情をどうにかすることはできないはずだ。

 それよりも気になるのは、大天に配られた写真の話だ。火ノ宮がこういうことで手を抜くとは思えないし、ビリビリに破いたのなら切れ端の一つでも見つかったっておかしくはないだろう。それなのに何も見つからないというのは、流石に異常だ。

 

「……大天。本当の事を話してくれ」

「嘘なんてついてないって言ってるじゃん」

 

 大天はそうぼそりとつぶやいて、またそっぽを向いた。……大天が嘘をついていたとしても、本当の事は話してくれなそうだ。

 

「大天さん。嘘をつくのは自由ですが、嘘という物はいずれ必ずバレるものです。学級裁判では、真実を語っていただきますからね」

 

 一番の大嘘吐きの杉野がそんな事を言う。

 

「……嘘じゃないって」

 

 大天は、そう返すのが精一杯なようだった。

 

「チッ。もういい。ついてこい、大天」

 

 頭を強く掻いて、苛つきながら火ノ宮がダストルームを出る。

 

「どちらへ?」

「倉庫だ。あのモノクマのことだ。こっそり新しく凶器を追加したとか言い出してもおかしくねェだろ。その追加された凶器が今回の事件で使われたのかもしれねェ」

「ちょーっとそれは聞き捨てなりませんなー!」

 

 吐き捨てるような火ノ宮の言葉の直後、やかましく張り切った声が飛び出してきた。

 

「あァ? 呼んでねェぞ、モノクマ」

「オマエラに呼ばれなきゃ出てこれないルールなんて無いでしょ? っていうか、こちとらオマエに言いたいことがあるんだよ!」

 

 言いたいこと?

 

「あのねえ、ボクは清廉潔白で誠実なクマってことで通してるわけ。そこを疑われちゃあボクとしてはたまったもんじゃないの!」

「……何が言いてェんだよ」

「さっきオマエ、こっそり新しく凶器を追加してもおかしくないって言ったでしょ? ボクはそういう不誠実な事はしないの。ちゃんとオマエラにわかるように通知するし」

「【体験エリア】に毒が置いてあったことなんざ通知されてねェぞ」

「そりゃそうでしょ。ネタバレしたらつまんないし」

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 

 言い争う火ノ宮とモノクマの間に慌てて割って入る。

 

「何が『不誠実な事はしない』だ。隠し通路のどこが誠実なんだよ」

「あ、見つけた?」

「あァ!? 隠し通路だァ!?」

 

 会話の勢いそのままに、大声を出す火ノ宮。耳が痛い。

 

「大迷宮に、更衣棟のシャワールームへ繋がる隠し通路があったのですよ。凶器と思われるナイフもそこにありましたし、犯人が移動した痕跡もありました」

「えっ……」

「んだと……オイ、どういう事だモノクマァ!」

「いちいちうるさいなあ、オマエラは」

 

 火ノ宮の叫び諸共、モノクマは一蹴する。

 

「いいから答えろよ」

「ハイハイ。確かに隠し通路は作ったけどさあ、でもこれだってちゃんと誠実なんだよ。オーケー?」

「説明になってない。何が言いたいんだ」

「オマエラは捜査で隠し通路の存在にちゃんと気づいたでしょ? なら何の問題もないじゃん」

「……それは痕跡が残ってたからだろ。きれいに痕跡を消されたら、隠し通路の存在には気づけなかったはずだ」

「いやー、それはないでしょ。だってあの隠し通路のドア、大迷宮側からじゃないとカギをかけられないもん」

「え?」

 

 カギ? と疑問符を上げた火ノ宮に、杉野がカードキーの事を説明していた。

 

「そうなのか?」

「そうだよ! だから使ったならちゃんと分かるようになってんの。それに、もしどうにかしてカギをかけたとしても、学級裁判の難易度が上がるだけだよ。そうなっても、学級裁判の時にあのドアは何なんだって話には絶対になるでしょ。そこで隠し通路の可能性に思い至らなかったら、それまでって事だよ」

「…………」

「とにかく! ボクはちゃんとオマエラがちゃんと推理が出来るように色々気をつけて準備してるの! 推理のしようがないようなアンフェアな状況は排除してるワケ!」

 

 モノクマは、両手を大きく広げて自分の公平さを語る。

 

「オマエラに配った『凶器セット』は一人一組だし、凶器になりそうなものは出どころが分かるようにしてるんだよ。例えば、新家クンの大工工具とかはそのまま用意したけど、元々護身用に持ってたりした刃物は没収したし」

「護身用の刃物って……そんなの、誰が」

「……それ、私だ。仕事が仕事だから、念の為ね」

「あ、言っちゃうんだ。そうそう、大天サンだよ。そんなの一人だけ持ってたら学級裁判で有利すぎるから、コロシアイが始まる時に没収させてもらったんだ!」

 

 何故か胸を張るモノクマ。何を誇っているかは知らないが、学級裁判を公平に行うという名目でモノクマなりのルールは存在するらしい。

 このモノクマの説明はどう解釈するべきか。信用に値する、なんて言葉は使いたくはないが、モノクマが『誠実だ』と主張する理由はなんとなく理解できた。

 

「チッ!」

 

 しばし考え込んでいた様子の火ノ宮だったが、強く舌打ちして、止めていた足を再び動かし始めた。

 

「あれ、どこ行くの、火ノ宮クン」

「倉庫に決まってんだろ。てめーの言うことを鵜呑みになんて出来るか」

「あっそ! 無駄だと思うけど倉庫の捜査頑張れよ!」

 

 モノクマも面倒になったのか、火ノ宮の背中にそんな言葉を投げて話を切り上げた。

 

「大天、早く来い!」

「……分かってるよ」

 

 そして、むすっとしたままの大天も火ノ宮を追いかけた。

 

「……お前も早くどっかいけよ」

「何だよ、平並クン。七原サンがいなくなってカリカリしちゃってさあ。ちゃんとコラーゲン摂ってる?」

 

 カルシウムだろ。

 

「まあいいや。ボクもやることあるしもう帰るよ」

「一つ、質問してもよろしいですか?」

 

 姿を消そうとしたモノクマを、杉野が引き止めた。

 

「なんだよ、もう! こっちのペースを乱すなよ!」

「すいません。ですが、どうしても確認しておきたい事があるもので」

 

 ……何を聞く気だ?

 

「まったく……で、何? ボクは優しいクマだから聞かれたことにはちゃんと答えるよ!」

「死体発見時に鳴らされる、アナウンスのことです」

 

 モノクマのテンションの乱高下には触れず、杉野が淡々と話し始める。

 

「あの死体発見アナウンスは三人以上が死体を発見した時に鳴らす……ただし、その三人に犯人が含まれているかどうかは公開しない。そういう話でしたよね?」

「そうだね。杉野クン達には前に話したっけ」

「ええ。改めて死体を発見したら発見者とする、という事も聞きました」

 

 その話を聞いたのは、最初の事件の捜査の時だったか。

 

 

──《「では、一つ尋ねますが……その『死体を発見した三人』の中に、クロは含まれるのですか?」》

 

──《「そんなの言うわけないじゃーん!」》

 

──《「ま、厳密に言うとこうなるかな。『クロであっても、改めて死体を発見したら一人にカウントする』ってね」》

 

 

 蒼神が、捜査のためにモノクマに質問したのだ。結局、アナウンスは捜査に使えない、という結論になった。そんな話を今更掘り返してどうするつもりなのだろう。

 

「で? 何が聞きたいわけ?」

「いえ、その定義を詳しく訊いておこうと思ったのです。すなわち、『改めて死体を発見する』というのはどういう状況を指すかという話です」

「定義も何も、ソイツが死体を発見した時に発見者としてカウントしてるだけだよ。強いて言うならその場のノリだよ。時と場合による(ケースバイケース)ってヤツ?」

「ですが、誰かを殺した瞬間……例えば、古池君のように刺し殺した直後は発見者としては確実に認めないでしょう?」

「ん……まあそうだね。大抵の場合クロは殺人現場にいるし、それじゃあクロが実質的な第一発見者になっちゃうからね」

 

 初めは答えるのを渋っていたようなモノクマだったが、自然と会話に移行している。これが【魔女】の話術か?

 

「では毒殺の場合は? 先日大天さんが毒物を摂取させられましたが、あの時死亡したとして、もしも目撃者が犯人を含めた三人だけだった場合、アナウンスは流れるのですか?」

「……おい、そんな事を聞いてどうするんだよ」

「念の為ですよ」

 

 何が念の為だ。

 

「うーん、その時だったらクロも発見者も含めてアナウンスを流すかなあ。物理的に直接手を下したってわけじゃないし。杉野クン、難しいところを訊いてくるね。ドキドキしちゃうよ」

 

 そもそも毒殺でそういう少人数になるケースをあまり想定してないんだよな、なんてことをモノクマはぶつくさつぶやいている。

 

「まあでも基本的には、死んでるのを発見したら発見者としてカウントするってのがベースなんだよ。ただ、直接手を下したクロがそのまま死ぬ瞬間を目撃してもそこはスルーしてあげる、って感じかなあ。こんな答えで満足?」

「そうですね。ありがとうございます。ではもう用は済んだので帰ってください」

「あのさあ! 今回かなりオマエに譲歩してやったんだけど! 忙しいのにわざわざオマエの質問に答えてやってんだからもっと扱いを良くしろよ! 敬語の癖にオマエからはちっとも敬意が感じられないんだよ! 敬語ってのは敬う(言葉)って書くんだぞ! 聞いてんのか!」

「…………」

「聞け!」

 

 モノクマの怒号を気にも止めず、【魔女(杉野)】は黙ったまま何かを考え込んでいる。……嫌な予感がする。

 

 

 何だ。

 

 何を考えてやがる。

 

 

「はあ、ま、いいよ。楽しそうなことを考えてるみたいだし、杉野クンの【才能】に免じて許してあげるよ!」

「え?」

「平並クンも頑張ってね。まずは今回の裁判も乗り越えないとなんにもならないからさ!」

「おい、待て!」

「アデュー!」

 

 俺の声には答えることなく、モノクマはまた姿を消した。毎回、どうやって消えてるんだ。

 ……それより!

 

「おい杉野! 今のは何だ!」

「何と聞かれてものう。情報収集に決まっておろうに」

 

 返ってきたのは、あの恨めしい【魔女】の声だった。

 

「そんな事分かってる! 何のためのかって訊いてるんだよ!」

「それは後でのお楽しみじゃ。そなたを退屈させることは無いから安心せい」

「安心なんか出来るか! どうせ何か事件を起こそうと……いや、()()()()()()()してるんだろ!」

「む、勘がいいの。分かっておるではないか。ではなぜ訊いたのじゃ?」

「なぜって……」

「単に怒りを発散したいだけじゃろ。まさか、余の意見を変えようとしているわけではあるまい?」

「……」

 

 図星、ではある。少なくとも、言って聞くようなやつじゃないことはとっくに理解している。

 ……不毛だな。時間とエネルギーの浪費にしかならないか。

 

「はあ」

「うむ。そなたは凡人の癖に聞き分けはよくて助かるのう。分かったらとっとと捜査を続けようぞ。余が何をするにしても、それはこの学級裁判の後じゃ」

 

 満足そうにそう告げて、ダストルームを後にする。

 モヤモヤとした疑念を胸中に、俺もそれに続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《宿泊棟/個室》

 

「うわっ」

 

 意図せず、そんな声を漏らした。

 ダストルームを出た俺は、白衣の出どころをはっきりさせようと遠城の個室にやってきた。前に火ノ宮が言っていたとおり、死んでしまった彼らの個室には誰でも入れるようになっているようだった。

 

 そして俺の目に飛び込んできたのは、まさしく惨状であった。ただし、城咲が殺されていたチェックポイントとは違う意味でだが。

 

「汚い部屋じゃのう。高々10日そこらでどうしてここまで物を散らかせるのじゃ」

 

 【体験エリア】の工作室よろしく、雑貨が床に散らばっている。あの部屋ほど山のように積み上がっているわけではないが、ろくに整理もされていないのは一目瞭然だった。多分どれも遠城の私物だろう。各人の個室がそれぞれの趣味にあったものになっている事を考えると、この部屋は初めからこの状態だったのかもしれない。

 けれども、そうだとしたらここに拉致される前の部屋もこの様子だったという事になる。棚はあるが雑貨が乱雑に押し込まれて溢れているし、結構な数のある本も床に積まれている。適当に積んだのか、本の山が一つ崩れてしまっている。『ゼロから学ぶ特許法』、『一流経営者への道』、『法律に会社を殺されないために』『判例で学ぶ法の抜け道』『脱税ダメ絶対!』だのといった、経営に関わるような崩れた本のタイトルを眺めて、そういえば遠城は一社の社長だったなと思い出す。単純な地頭の良さだけでなく、こういう社会的知識も会社を経営するには欠かせないのだろう。

 

「…………」

 

 【魔女】によって失われた彼の人生に想いを馳せてから、クローゼットを開けた。遠城の服がかけられていたが、思ったとおり妙に空のハンガーが多い。犯人が犯行に利用した衣服は、やはりここから持ち出されたもので間違い無さそうだ。

 

「……で、お前は何をやってるんだ?」

 

 クローゼットを閉じて再度部屋の中に目を向けると、杉野が机の引き出しを開けていた。

 

「めぼしいものでも無いかと思ったのじゃがの。何も入っておらんわい」

 

 全員の個室に備え付けられた机。確か新家は設計図をしまったりしていたが、遠城は特に机を使おうと思わなかったのだろう。杉野の言う通り引き出しは空だし、机の上にも何も乗っていない。……いや、机のそばには妙に雑貨が落ちているし、一度机に乗っていた物を押しのけたように見える。なにかに使おうとはしたのか。

 

「……」

 

 遠城の個室で調べたい事は白衣の件だけだった。こう物が散らかっていると確認しないわけには行かないので軽く調べては見たが、今回の事件に使われたものがここにあったとは言えなそうだった。殺傷できるほどの刃物もないし、そもそも斧やサバイバルナイフなんてものを持っていれば、さっきモノクマの言った『誠実』の話に反する。

 ……だとすれば、あの凶器はどこから来たのだろう。何か、致命的な見落としをしているとしか思えない。

 

「次はどこに?」

 

 考え込む俺を見て、杉野が催促する。それには答えず、遠城の個室を後にした。

 次に俺が向かうべきは……おそらくは唯一斧があった可能性の残された、新家の個室か。他はともかく、斧に関しては俺が見落としていただけで、大工道具の中に紛れていた可能性がある。斧が大工道具と言えるかは分からないが、のこぎりやトンカチと共に置かれていても違和感はない。

 ああ、火ノ宮にもう調べたかを聞けばよかったか、と思いながら新家の個室に入る。真っ先に大工道具の置かれた棚を見ようとして、視界の端に何かが写り込んだ。

 

「……ん?」

 

 視線がそれに吸い寄せられる。

 机の上。そこに何かが置かれていた。

 

「…………」

 

 思考が止まったまま、机に歩み寄ってそれを手にする。ずっしりと腕にかかる重量を持つそれは、レンガのように分厚い一冊の本だった。

 『六法全書』。表紙にははっきりとそう書かれていた。

 

「……どういう、ことだ」

 

 三日間もこの個室にいたのに、こんな物は初めて見た。こんな存在感のあるものを見落とすわけがない。

 

「六法全書か。なるほどのう」

 

 なるほど? 杉野は何を納得している?

 机の上にぽつんと置かれた、鈍器のような本。こんな異物のどこに、何を納得する要素が……。

 

「……あ」

 

 机の上に、凶器。連想されるのは、今朝俺が見た光景だった。

 まさか。

 

「死んだ新家達にも凶器を配ったのか!?」

 

 モノクマが今回の【動機】として俺達に配った凶器。てっきり今生きている十二人だけに配ったものだと思っていた。それが、新家達にも配られたものだとすれば、この六法全書の謎も解ける。

 

「なんじゃ。今更気づいたのか」

 

 呆れるような声を投げかける【魔女】。

 

「斧一つだけならまだしも、ナイフに迷宮の隠し通路のカードキーもあったじゃろ? 二つ三つと出自不明の凶器が使われたのなら、一人が嘘の【凶器】を公開したという話にはならんじゃろ。複数人が結託して複数の凶器を偽装して公開した可能性も無いことはないのじゃが、公開された凶器の中で偽装かもしれんと疑えるものはそう多くはない。とすれば、そもそも配られた【凶器】は十二個しかなかったのか、を疑うべきじゃろ」

 

 【魔女】の口から、愉しそうに推理が語られる。

 

「そうしてよくよく思い返してみれば、モノクマは【凶器】を配る際に余達を『オマエラ』とひとまとめにしておった。その中に、もう死んでいる新家柱達も含まれておったのじゃろ。これなら、出自不明の【凶器】の謎も解けるというものじゃ」

「……」

 

 悔しいが、反論できない。手元にある六法全書が何よりの証拠だし、筋も通っている。

 

「加えて言うなら、その前に配った百億円札に関しては生存ボーナスと称して、『ここまで生き残ったオマエラ』と対象に制限をかけたじゃろ。おそらく、百億円札は本当に十二人にしか配られてないのじゃろうし、そもそも百億円札を配ったのはカモフラージュじゃろうな」

「カモフラージュ?」

「要するに、誰でも自由に出入りできる死人の個室に【凶器】を置く、というのが今回の【動機】じゃったのじゃな。先に生存者だけに百億円札を配ることで、【凶器】も生存者だけに配った、と思わせたかったのじゃろ」

「…………」

 

 今回の【動機】の意味に関しては、俺も思うところはあった。皆で見せ合えば意味をなさなくなってしまうとは今朝にも思ったわけだし。

 

「っ! だったら!」

 

 新家の個室を飛び出して、古池の個室に駆け込む。

 がらんどうとした、人のいた気配のない個室。その机の上にも、何も置かれていない。

 次に駆け込んだ蒼神の個室の机の上も、凶器になりそうな物は何もなかった。

 そして思い出す。遠城の個室の机の上も、この二つの部屋と同じ様になっていた。

 

「そういうことか……!」

 

 つまり、犯人が持ち出したのは遠城の衣服だけではなく、三人に配られた三つの【凶器】をも持ち出して犯行に利用したのだ。

 もっとモノクマの言葉を吟味すれば。もっと【動機】の意味を考えていれば。ともすれば、犯行を止められたのかもしれない。

 

「くそっ……!」

「そなたが死人の【凶器】に対処したとして、クロの殺意が消えるわけではないがの」

 

 背後から、俺の心中を見透かした【魔女】の声が聞こえてくる。

 

「っ……」

「そう驚くことでもあるまい。そなたの考えくらい寝ててもわかるのじゃ」

 

 飄々と、ニヤつきながら壁により掛かる【魔女】。

 

「……凶器がなければ、犯人は犯行を諦めたかもしれないだろ」

「ま、確かに一度くらいは諦めるかもしれんの。そなたがそれで十分というのなら、余は何も言わんが」

 

 ……十分なわけがない。

 分かっている。凶器を隠すとか、互いに見張るとか……そういうことをしても問題を先送りしているだけで、心の中で(くすぶ)る殺意が消えたりなどしないのだ。

 

 それが分かっているだけでは、なんにもならないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調べるべきところは概ね調べ終えた、はずだ。更に調べなければならないところがあるとすれば……。

 そう考えて出た答えが、城咲の個室だった。この前の事件の捜査の時に、被害者の個室は必ず調べるべきだと岩国が呆れていたのを思い出したからだ。

 

「……カギがかかってる」

 

 そんな経緯で城咲の個室までやってきたものの、遠城達の個室と違ってここの扉は開かなかった。城咲の『システム』は城咲が身につけたままだったし、それも当然か。

 

「おい、モノクマ」

「あのね、平並クン。オマエラにボクを敬う気持ちがないのはとっくに知ってるけど、それでもクマに頼み事をするときにはそれなりの態度ってもんがあるんだからね」

 

 適当に名前を呼ぶと、長ったらしいセリフとともにモノクマが現れる。

 

「捜査の一環だ。このドアのカギを開けろ」

「えー! 平並クンったら勝手に女の子の部屋に入っちゃうんだ! そういうのを世間では変態って呼ぶんだよ!」

「…………」

「ウッソ、無反応!? そこは『いや、さっき蒼神の部屋にも入ってただろ!』とか、『そうそう実は俺って変態……ってなんでだよ!』とかツッコミを入れるところでしょ! あのねえ、何も思いつかないのは仕方ないけど、せめて何か言わないと! ノーリアクションなんてテレビじゃ一番使いづらいんだから!」

 

 サムい言葉を並べ立てるモノクマに冷たい視線を返す。ここはいつからお笑いスクールになったんだ。

 

「いいから早くしろ」

「ノリ悪っ……」

「ついでに七原さんの個室のカギも開けてくださいますか?」

 

 ガチャガチャと、七原の個室のドアノブをひねりながら杉野が告げる。

 

「七原の個室で何をするつもりだ」

「捜査以外にありますか? 心配しなくても妙な事はしませんよ。どのみち七原さんの個室も調べるのでしょうし、まとめて開けてもらったほうがいいと思ったまでです」

 

 七原は刺されただけで殺されてはいない。けれども、確かに呼び出し状の有無くらいは調べておくに越したことはない。

 

「…………」

「面倒だからもう個室のカギは全部開けてやるよ! 何遍も呼び出されたくないし!」 

 

 癪だが、【魔女】のおかげで手間は省けた。

 

「まったく、そろそろ捜査終了のチャイムを鳴らそうとしてたってのに……まあいいよ、ここまで来たらもう少しだけ待ってやるから、とびっきりの学級裁判を頼むよ!」

 

 ガチャガチャガチャガチャン! と、いくつものカギの開く音とともにモノクマは姿を消す。

 とびっきりの学級裁判……学級裁判ですることなんて、謎を解いて犯人を突き止める以外にすることなんて無いだろう。それの良し悪しなんて、モノクマが勝手に決めればいい。モノクマに対する態度だって、これでも優しいくらいだ。

 

 

 

 その後、城咲の個室、そして七原の個室を順に巡って妙なものを調べた。結局、呼び出し状を含めて怪しいものなど出てこなかった。仕事人間のようにきれいに整頓された城咲の個室からは雑貨も殆ど出てこなかったし、とても女子らしい雰囲気の七原の個室からも細々とした小物や雑貨が出てくるだけだった。二人のイメージに反するものも特に見つからず、成果としてはゼロ……いや、何も事件に関係していないという成果が出た、という結果になった。

 

「…………」

 

 捜査すべき所として思い浮かんだ場所は、これで一通り巡れた事になる。

 ……捜査は、問題なくできているだろうか。見落としはないか。証拠は十分か。そんな不安がずっと脳内を駆け巡っている。

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

 その俺の際限のない不安を助長するように、例のチャイムが鳴り響いた。モノクマも、我慢の限界らしい。

 

『迷える子羊達よ……迷って迷って迷い続けるのが人生ですが、迷っても誰も助けてはくれないのです……だからこそ! 歩む道を自分自身で決断する勇気が何より大切なのです!』

 

 妙に意味深なモノクマの声。どうせ、大した意味なんて無いくせに。

 

『はい! というわけで捜査時間は終了ですよ! オマエラ! 【宿泊エリア】の赤いシャッターの前に早急にお集まりください! 学級裁判の時間だよ!』

 

 

 ブツッ!

 

 

 ……時間か。

 どうせ逃げられないし、逃げるわけにも行かないのだから逃げる気もない。行くべき道が見えなくとも、歩みを止めるわけにはいかない。

 

「何をぼけっとしておる。気味の悪いヤツじゃの」

 

 覚悟を決めようとする俺に、緊張感のない声がかけられる。

 

「……お前、どうしてそんな余裕ぶってられるんだよ。この後の学級裁判で犯人を突き止められなきゃ処刑されるんだぞ。まさか死ぬのが怖くないなんて言い出すんじゃないだろうな」

「そんな事言うわけがなかろう。少し前に根岸章が良い事を言っておったの。人生は死んだらそれまでなのじゃ。こんなところで死んで良いわけないじゃろ」

 

 ……こいつの言葉を聞くたびに(はらわた)が煮えくり返る。こいつの事を理解しようなんて思うことが間違いなんだろう。

 そう思って、とっととエレベーターまで移動することにした。

 ああ、だが、その前に病院に言って七原を迎えに行くべきか。そんな事を考えだした、その時だった。

 

「それに、余には今回のクロが分かっておるからの。余が死ぬなどありえんのじゃよ」

「……は?」

 

 思わず足を止めて振り返る。

 

「クロが分かってるだって?」

「無論じゃ」

 

 愉しそうな笑みを揺らす杉野。今手元にある証拠だけで、本当に犯人が……。

 いや、そうじゃない。【魔女】たるコイツが犯人を知っていると言っているのだ。それが意味することは。

 

「ほれ、そなたにプレゼントじゃ」

 

 俺が答えにたどり着いた瞬間、すっと杉野が俺に何かを差し出した。

 【Witch Of Word-Soul Handler(言霊遣いの魔女)】と記された、ジョーカーだった。

 

「……お前っ!」

「いつもじゃったら現場にカードを残すのじゃがな。今回はそんな余裕もなさそうじゃったし、せっかく余の事を知っている人間がおるのじゃ。こうして直接手渡すのも興が乗るじゃろ?」

 

 こいつがこのカードを差し出したという事が、俺の思い至った答えが正解だった事を意味している。

 

「本当にまた、仕向けたのか……!」

 

 つまり、遠城のときと同じだ。こいつはまた誰かの殺意を操り、そして殺人を引き起こしたのだ。

 また、誰かがこの悪魔の犠牲になった。

 

「うむ。余の撒いた種は立派に育ってくれたようじゃ」

 

 対岸の火事を嘲笑うかのように口を歪める【魔女】。そのままカードを胸元に押し付けられて、俺はそれを手にした。カードに書かれたサインが愉しそうに踊っているように見えてしまった。

 確かに、コイツは種はもう蒔いたと言っていた。コイツの才能を今更疑ったりなんかしない。

 だからって、どうしてこうもなにもかもがこの【魔女】の思い通りになるんだ。

 

「そなたは散々余を止めると言っておったのう。わざわざ余にぴたりと張り付きおって、それでも余は成し遂げたぞ? どんな気分じゃ、凡人の平並凡一よ?」

「ぐ…………!」

 

 悔しさと怒りがふつふつと煮えたぎる。それなのに、何を言ってもみじめになってしまうような気がして、口がどうにも動かない。

 

「全く、何も言えんとは呆れるの。そんなわけじゃから、そなたはせいぜい学級裁判に励むといい。何、心配するでない。ヒントくらいは出してやらんこともないからのう」

 

 俺を黙らせたのがよほど嬉しかったのか、杉野は笑みをたたえたままペラペラとしゃべり続ける。

 学級裁判そのものを楽しむ東雲とは違って、俺達の破滅を愉しむ【魔女】は、むしろモノクマにも似た悪辣さをまとっていた。

 

「クククッ。いい目をしておるの、平並凡一」

「あ?」

「これだけ自らの無力さを知って、それでも尚それほどに反骨的でいられるのは一種の()()じゃぞ。まだまだ楽しめそうで何よりじゃ」

 

 そしてまた、【魔女】はクククと喉を鳴らした。

 

「さて、アナウンスも鳴ったことじゃし、ゲートまで移動するぞい」

「……待て」

「む?」

 

 個室の外へ出ようとする【魔女】を引き止める。

 ……【魔女】が本当に誰かをそそのかしたのなら。その相手は誰なのか。誰なら、【魔女】がそそのかす事ができたのか。

 

 何より、【魔女】が殺人を犯させたいのは誰なのか。

 

「……集合する前に、一つだけ、調べておきたいことがある」

 

 そうして考えると、浮かびがってくる顔が一つある。

 ソイツが犯人だなんて、万に一つもありえない。ただ、【魔女】を敵に回しているのなら、そこに一厘の可能性の存在を考慮する必要があるのかもしれない。

 

「どけ」

 

 ニヤつく【魔女】を押しのけて、七原の個室を出る。

 ロビーを経由して目的の個室の前までやってきた。先程モノクマがキレてすべての個室のカギを解除したおかげで、そのドアはスルリと開く。

 個室の中に入って、さらにガチャリと、一つの扉を開ける。

 

「…………!」

 

 そうしてたどり着いた俺の目の前に広がる光景は、俺のかすかな希望を打ち砕くもので、しかし、ある種俺の不安通りでもあった。

 それが、彼の証言が嘘である事を証明してしまうという事実に、俺の視界がぐらりと揺れる。

 

「おや、これは果たしてどういうことなのじゃろうな?」

 

 愉悦に満ちた【魔女】の声が聞こえてくる。

 ああ、さぞ、愉しいことだろう。

 

 

 

 ――火ノ宮の個室のシャワールームの床が、カラカラに乾いていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《裁判場ゲート前》

 

 手術を受けていた七原を迎えに行こうとしたが、もう時間だと叫ぶモノクマに止められたので、俺達は直接裁判場へ繋がるエレベーターの前まで行くことにした。

 その最中も、ずっと脳内では先程見た光景の意味を考えていた。

 

「……」

 

 火ノ宮は、個室のシャワールームでシャワーを浴びていたと言っていた。それが、彼の髪が濡れていた事の説明だったはずだ。

 けれど、本当にそうなのだとしたら、あの光景はおかしい。だとすれば、彼が嘘をついているという事になる。

 

 だったら、まさか。あの髪が濡れていた理由は。

 

「捜査の具合はどォだ」

 

 突如、思考を止める声。先にエレベーター前で待っていた、俺の頭を悩ます火ノ宮の声だった。

 

「ぼちぼち、といった具合ですね。正直まだ犯人は分かっていませんし、学級裁判で謎を解き明かせるかも分かりません。無論、全力を尽くすつもりですが」

「……まァ、しゃァねェか。古池と遠城が処刑されたのを見ているはずなのに、それでも事件を起こしたんだ。そう簡単にボロは出さねェはずだ。……限りなく怪しいヤツはいるけどなァ」

 

 と、壁際で黙り込んでいる大天をにらみながら告げる。しかし、その火ノ宮自身のことも、俺は疑わざるを得ない。

 

「なあ、火ノ宮――」

「あら? まだ全然集まってないじゃない」

 

 あの証言の真意を聞き出そうとした俺の言葉は、放り込まれた東雲の声によって掻き消される。

 

「こんなんならもう少し捜査を続けても良かったわね。正直これ以上証拠が見つかる気もしないけど」

「…………」

 

 相変わらず軽い調子で愚痴をこぼす東雲の後ろから、いつもどおり難しい顔をした岩国がやってくる。何か文句を言いたげに東雲を見つめていたが、結局口は開かずに視線を外した。別ベクトルでマイペースな二人のことだ。互いに振り回されあったのかもしれない。

 

「チッ」

「……何よ、火ノ宮。人の顔見て舌打ちなんてあんまりじゃない」

「別になんでもねェ。何も言わねェよ。今てめーに割く時間なんか無ェ」

「なら絡んで来ないでよ。ムカつくわね」

 

 俺が話しかけようとした火ノ宮も、意識が東雲に持ってかれる。声をかけるタイミングを失ってしまった。

 

「焦らなくても良いのではありませんか」

 

 背後から、諭すような杉野の声。

 

「どのみち、これから学級裁判で追求する事になるのです。どうせ暴くのなら、全員が揃っている場のほうが良いでしょう」

 

 果たしてコイツが何を指して()()と告げたのかは無視するとしても、今更火ノ宮に声をかけ直すのもどこかはばかられた。決して【魔女】の言葉に従ったわけではないと自分で言い訳を付けていると、ガラガラと車輪の音が耳に届く。

 

 その音に反応して首をひねった俺の視界に映ったのは、根岸がストレッチャーを押してくる姿だった。

 そのストレッチャーの上で、誰かが眠るように横たわっている。それが誰かといえば、答えは当然一つしかない。

 

「七原!」

 

 彼女の名を呼びながらストレッチャーに駆け寄る。病院着に着替えさせられた七原が、人形のように寝かされていた。

 

「七原の手術は……というか、そもそもどうしてお前が……」

「こ、ここまで運べばもういいだろ……!」

 

 ストレッチャーから手を離す根岸。事情が理解できない俺に、根岸の後ろからついてきていた露草が説明を始める。

 

「菜々香ちゃんの手術は……成功って言って良いのかな」

「……どういう意味だ?」

『少なくとも大失敗じゃねえ、ってだけだ。命はなんとかつながったみてえだけど、意識は戻ってねえ。詳しいことは棗達から直接聞いてくれ』

 

 大失敗じゃない……ストレッチャーの上に横たわる彼女の手には、ほのかに体温が戻っている。人形のように目をつむったままでも、かすかに、本当にかすかだが呼吸音が聞こえる。峠は超えたと判断しても良いのだろうか。

 

「ああ、わかった。それで、その二人は?」

「えっと、ここに集まるようにってアナウンスが流れた頃には、もう菜々香ちゃんの手術は終わってたみたいなんだけど……ほら、スコットちゃんと棗ちゃんって、すぐに病院に手術しに行ったでしょ?」

『だから、あの二人はかなたが死んでるのを見てなかったんだよ』

「……ああ、そうだな」

 

 彼らに手術を頼んだ時、結果としてそうなってしまう事も理解していた。

 

「それで、このまま学級裁判が始まっちゃったら、もしここに戻ってきても、かなたちゃんにはもう会えなくなっちゃうから……」

「…………」

 

 もし学級裁判で犯人を突き止めたとして、地上に戻ってきたときには死体は跡形もなく処理されてしまっている。そこに死体があったなどと思えないほどに。

 

「なら、二人は大迷宮に?」

『ああ。捜査はできねえけど、どうしても、ひと目だけでも会いに行きたいってな』

「それで、菜々香ちゃんをここまで運ぶのは翡翠が引き受けたんだ!」

『翡翠じゃあぶなっかしくて結局章が運んだけどな』

「危なっかしかったからじゃないもん! 琥珀ちゃんが手伝ってくれないからだよ!」

『そりゃオレを手に付けたままストレッチャーを押すのは難しいわな』

 

 ……おそらくは、翡翠がやるといったのをかわりに根岸が請け負ったのだろう。露草一人に運ばせて自分は後ろからついていくだけ、なんてことを彼は良しとはしまい。

 

「それとあと……棗ちゃんが少しだけ菜々香ちゃんの事を話してたよ」

『縫合手術はスムーズだったとか、妙なものは持ってなかったとかな。これも詳しいことはまた皆に説明するんじゃねえかな』

「……そうか。分かった、ありがとう」

『大したことじゃねえよ』

 

 今の話からすると、七原も城咲同様に呼び出し状は貰っていないと考えるべきか。……なら、どうして彼女達は大迷宮になどいたのだろう。この疑問の答えを、たまたまと結論付けてはいけないはずだ。

 

「全くさあ、いい加減にしてほしいんだよね」

 

 そんなふうに頭を悩ませていたところに、モノクマが声を放り込んだ。

 

「七原サンの手術のためにこっちとしても捜査時間を長めに取ってやったのに、この上さらに待たされるなんてやってらんないんだけど!」

「でもさ、ここまで来たら追加で何分待っても対して変わらないって翡翠は思うんだよね」

「何言ってるの、露草サン! 時間が押してるからこそ1秒でも早く始めたいんでしょ!」

『そうだぜ。十分の遅刻と五分の遅刻じゃ全然ちげえからな』

「ちょっと琥珀ちゃん! どうしてモノクマなんかの味方をするの!」

「オマエが喋らせてるんだろ! なんなんだオマエ!」

 

 モノクマすら自分のペースに巻き込んで、露草は楽しそうに喋り続ける。……楽しそうにではあるが、少しだけ、無理をしているように見えなくもない。

 

「そんな愚痴を言うのなら、二人が城咲さんの元に行くのを止めれば良かったじゃないですか。僕達の事だって止めたでしょう」

「止めたよ! 止めたけど、こうやって露草サンにだる絡みされてるうちに逃げられたんだよ!」

 

 そう叫びながらモノクマはヘタクソなタップダンスのように地団駄を踏む。

 ……ああ、なるほど。露草がこうしてモノクマに絡んだのは、二人が城咲に会いに行った分の時間稼ぎなのか。そりゃあ、無理もするわけだ。

 そのモノクマの叫びを聞いて尚、更に露草は黒峰と漫才を続ける。それを見て、モノクマはため息をついた。

 

「あのさあ、オマエラ最近緊張感に欠けてるよね。ボクをナメてるっていうかさ。……ここらでもう一発、()()()()()あげないといけないかな?」

「……っ」

 

 モノクマの爪が鋭く光る。

 瞬間、ピシリと恐怖が駆け巡った。その言葉に隠された意味がわからない人間は、ここにはいない。

 無駄に人数を減らしたくない、とはモノクマは言った事がある。学級裁判のためにこうして譲歩を続けているのだから、その言葉に嘘は無いのだと思う。

 それでも、この世界のルールはモノクマだ。それに逆らうことはできないし、できないからこそ、こうして命を削り合い続けている。

 

「……んな必要なんかねェよ。てめーをナメてるやつなんか一人もいねェ。きっちり全員、てめーを憎んでるよ」

「あ、そう? 別に憎んでほしいわけじゃないんだけど……」

「安心しなさい、モノクマ。感謝してる人間もここにいるわ」

「それはそれで思ってる反応と違うんだよなあ」

 

 などと言いながら、モノクマは爪を引っ込めた。……最初から、単にビビらせるのが目的だったのか。それは定かではないが、少なくとも今の火ノ宮の言葉は、俺が知っている、情に溢れた火ノ宮のそれだった。

 ……彼の事を、信じても良いのだろうか。

 

「――ハァ、ハァ……遅くなって、すまない……」

 

 しばし彼の嘘の真意を考えて、結局答えが出ないまま悩み続けていると、息を切らした明日川とスコットが駆けつけてきた。

 

「やっと来たか! ま、オマエラの息切れに免じて遅刻は何も言わないでおいてやるよ! ほら、とっとと裁判場にいくよ!」

 

 叫ぶモノクマの声に合わせて、赤いシャッターがガラガラと上がる。

 その向こうのエレベーターへ、ゆっくりと皆が歩き始める。

 

「あ、誰でもいいから七原サンも連れてきてね。残念だけど死んでないし、生きてる以上は学級裁判に参加してもらうのがルールだから」

「参加って……そんな事が出来る状態じゃないだろ」

「一緒に裁判場にいるだけでいいんだよ。ほら、露草サンもそうだったでしょ?」

 

 前回の学級裁判。捜査中に睡眠薬を吸い込んで昏睡した露草も、車椅子に乗せられて学級裁判に形式だけの参加をした。七原もそうしろ、ということなのだろう。

 ただ、手術を終えたばかりの七原は横にしたままの方が良いだろう。そうでなくともモノクマは車椅子を用意してくれる気配がないので、ストレッチャーごと裁判場まで運ぼうと手をかけた。

 

「なあ、明日川、手術の結果は……」

 

 エレベーターへ足を進めつつ、七原の手術について詳しく聞こうとしたが、ゼハゼハと息を整える明日川がこっちに手を突き出したので言葉を止めた。今は会話できる状態じゃ無さそうだ。

 

「……成功か失敗かは、まだわからない」

 

 ただ、俺の台詞の続きを悟ったのか、既におおよそ息を整えたスコットが答えてくれた。

 

「アスガワの言う通りに手術をした。ほとんど傷の縫合と輸血だが、オレもアスガワもナナハラを助けるためにベストは尽くした」

「……ありがとな、ふたりとも」

「礼なんて言うな。まだナナハラを助けられたと決まったわけじゃないんだ」

「……え?」

「少なくとも、ナナハラを大迷宮で放置するよりは確実に延命はできた。けれど、オレ達がナナハラを病院に運び込んだ時点でひどい失血だった。それからどれだけ輸血をしても、脳や身体機能が壊死していたらもう救いようがない」

 

 悔しそうなスコットの声の意味に気づいて、キュッと唇を噛む。

 

「ナナハラが死線をさまよっているのは変わらない。……息を吹き返す可能性は一割もあれば良い方だ、とアスガワが言っていた」

 

 それを聞いて、明日川に目線で真偽を確かめる。未だ息を切らす明日川は、ゆっくりと頷いた。

 

 一割。言い換えれば、九割の確率で、七原はこのまま命を落としてしまうという話になる。

 だが。

 

「……それなら、大丈夫だ」

「大丈夫……?」

「ああ。七原は【超高校級の幸運】だ。一割も可能性があるなら、十分すぎるさ」

「……だといいな」

 

 そんな会話を交わしながら、俺達はエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラガラとシャッターが閉じて、白い箱が墜ち始める。

 

 揺れるエレベーターの中で、ポケットの中に忍ばせた一枚のカードに手を這わせる。【言霊遣いの魔女】たる杉野に押し付けられた、忌まわしきジョーカーだ。

 城咲を殺し、七原を刺した犯人。すなわち、これから突き止めなければならないクロは、【魔女】によってそそのかされた誰かなのだ。

 

「……」

 

 俺達を見張る監視カメラと、真剣な顔で謎に悩むふりをする杉野を順に睨みつける。

 

 悪いのはモノクマと【魔女】だけで、それなのに俺達が苦しみ続け、互いに殺し合い続けている。この不条理を打破できないまま、結局こうしてまたエレベーターに乗っておぞましき裁判場に向かっている。

 

 自らの無力さを呪いながら、ストレッチャーの上で横たわる七原に目を落とした。

 

 彼女を刺したのは誰なのか。城咲を殺したのは誰なのか。

 その答えに見当がついていないわけではないが、それが正解だと確証はない。七原はきっと目を覚ますだろうが、その前に俺達が犯人を間違えてしまえば彼女も死なせてしまう事になる。

 今回のクロは悪魔に唆されただけで、クロに恨みを抱くのは筋違いだ。処刑台に送り込むのだって、もっとふさわしい人間が他にいる。

 それでも、俺はクロを突き止めてその命を奪わねばならない。眠り続ける七原が、生きて地上へ帰れるように。

 

 ……そんな事が出来るだろうか。

 謎を解き明かし真相をあらわにする事が、【超高校級の凡人】であるこの俺に。

 

「……ん」

 

 不安に飲み込まれそうになったその間際、七原が何かを握りしめている事に気がついた。

 

 コイン。

 いつの日か七原が見せてくれた、あのコインだ。彼女は教えてくれた。迷った時にこそこのコインを投げるのだと。

 いわば、このコインは彼女の【幸運】の象徴なのだ。

 

「…………大丈夫だ」

 

 その黄金(こがね)色の円盤を見て、決意を固める。

 七原に、そして誰よりも自分に強く言い聞かせる。

 

 

 

──《「平並君にも、才能があるよ。きっと」》

 

 

 

 あの日、七原はそう言ってくれた。

 虚無のようなからっぽに思えた俺の中に、確かに何かが存在すると言ってくれたのだ。

 それを口にしたのが、他でもないあの七原なのだから、もしかしたら、本当にその通りなのかもしれない。

 

 

 

 

 だったら。

 

 俺にも才能があるのなら。

 

 きっと、俺にだって彼女を救えるはずだ。

 

 

 

 

 そんな言葉で自分を奮い立たせて、重い振動を体に受けながら目を瞑る。

 

 

 後悔。

 自信。

 疑念。

 殺意。

 絶望。

 

 

 きっと、誰かと全く同じ感情を抱いているヤツはいない。それぞれが、それぞれの事情と秘密を抱えている。

 11人の想いと沈黙を乗せたエレベーターは、どこまでも下降を続ける。

 

 

 

 

 

 

 嘘と謀略の飛び交う裁判場まで、あと、数十秒。

 

 

 

 

 

 

 




予想以上に時間がかかりましたが、これで捜査もおしまいです。
次回、三度目の学級裁判!


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非日常編④ 嘘つきが多すぎる

必死の抵抗も実ることなく、三度目の殺人が発生した。
城咲かなたは大迷宮の中で惨殺され、
七原菜々香は今なお死線をさまよっている。
果たして、城咲と七原を襲ったクロは誰なのか?
出口の見えない学級裁判が、始まる。


 《裁判場》

 

 そして、ついにエレベーターが静止する。

 

 ガコンッ!

 ガラガラガラ……。

 

 過去二回と同様に、入り口とは反対の壁が開く。そして姿を表した裁判場は、またしても装いを新たにしていた。

 この前裁判場を横断するように流れていた川は見る影もなく、床に敷き詰められた木の板の上をカラフルなラインが無秩序に走っている。それを取り囲む白い壁には、見覚えのある幾何学模様が散りばめられていた。

 これはつまり……

 

「えー、今回の裁判場のモチーフは体育館と大迷宮だよ! 見りゃ分かると思うけど!」

 

 そう、まさしくモノクマの言うとおりだった。要するに、今回は【運動エリア】をテーマにしたということだろう。中央にまるく並べられた16の証言台は、いつもどおりに鎮座していたが。

 それにしても、今度の模様替えも突貫工事にしては早業だ。前回わざわざ作った川を埋め立てているわけだし。前回の裁判が終わってすぐに工事を始めたのだろうか。……いや、だとしても、モノクマ一人で?

 

「…………」

「あ、平並クン! それは適当に壁際に置いといてよ。学級裁判の邪魔になるといけないからね!」

 

 それ、とモノクマが指し示したのは、七原の乗ったストレッチャーである。その扱いにため息をつきつつ、意味もなく逆らうメリットもないので素直に従う。七原の証言台の後方の壁際にストレッチャーを添えた。

 

「……ゆっくり寝ていてくれ。その間に、俺が全部片付ける」

 

 眠り続ける彼女にそう告げて、自分の証言台へと移動する。

 俺が最後だったようで、俺が到着すると七原を除いた15の顔が並んだ。前回のクロである遠城と、今回の被害者である城咲の姿が遺影に変わっていた。

 

「学級裁判が始まる前に一応言っておくと、裁判中に七原サンが死んだらアナウンスを流すからね。誰かしらの視界に入ってるだろうし」

「……ええ、覚悟はしています」

「縁起でもないことを言うな。七原が死ぬわけ無いだろ」

「その自信はどこから湧いてくるんだか……まあいいや。裁判には前向きみたいだしね」

 

 俺を見下すモノクマと視線がぶつかる。……前向きなんかじゃない。後ろを向けないだけだ。

 

「……また、ここへ来てしまったな」

 

 ポツリとつぶやいたのは、明日川だった。

 

殺人者(クロ)の役を演じているのは誰か……それを題目に、皆の本心(カバー下)を探り合うような真似をする場面(シーン)など、参加する(演じる)方からすればたまったものではない」

「まあそう言わないでよ。楽しんでるのはボクだけじゃないんだから」

「そうよ、明日川。勝手に決めつけないでくれる?」

「…………悪かったな、東雲君。訂正(校正)するよ」

 

 頭を痛めたように手を置きながら、明日川はそんな台詞を吐いた。

 

「……いいから始めんぞ」

 

 そしてそう切り出すのは火ノ宮。

 

「学級裁判なんか一分一秒でも早く終わらせて、とっとと地上に戻んだよ」

「おや、火ノ宮君は犯人を処刑する事にためらいは無いのですか?」

「んなわけねェだろ!!」

 

 彼のことを気にかけるような、俺から見れば煽るようなその杉野の言葉に、火ノ宮がいつも以上の声量で吠える。

 

「こんなクソみてェなシステムを認めるわけがねェ! ……けど、どうしようもねェだろォが」

「火ノ宮……」

「杉野。だったらてめーはモノクマに逆らえんのかよ。学級裁判を放棄できんのか? 処刑を妨害できんのか? ……オレだってそうしてェが、んなことしてもモノクマに殺されて(しま)いだろ。それこそ、何の意味があるってんだ」

「……すいません」

 

 沈痛な声で、辛い心情を吐露する火ノ宮。

 

「……前に、露草や七原が言ってただろ。古池達を殺した責任を負って前を向こうって。罪を背負っても前を向けるって。正直言ってまだその感覚は分からねェけどよォ、オレだって、前を向きてェんだよ」

「…………」

「学級裁判なんか認めねェ。けど、こんなところで殺されたら、それこそ、古池達を殺してまで生き残ってる意味が無ェだろォが!」

 

 その火ノ宮の叫びを、皆が黙って聞いている。

 

「……どのみち、殺人を止められなかった時点でオレ達の負けなんだ。正当化なんざしねェ。オレ達が生き残るために、城咲を殺したやつを殺す。それだけだ」

 

 彼の目は、静かに燃えていた。

 この気迫は、本物か、それとも彼の証言と同じく(ブラフ)なのか。その決断を今下すことはできなかった。

 

「良いね良いね、気合入ってるね! 自分のために誰かを蹴落とすことがどういうことか、理解してきてるね! その調子だよ、火ノ宮クン!」

「うるせェ。早くしろ」

「はいよ!」

 

 と、モノクマは明るく返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【学級裁判】。

 

 仲間と信じていた者同士で、言葉を疑い、感情を疑い、そして、その本質を疑い合う場。

 

 俺達はそこから必死に逃げようとして、あがき続けていた。

 悪魔を見張り、恐怖を吐露し、絆を紡ぎ、凶器を隠し……。惨劇を止めるべく、持てるすべての力を注いでいた。

 

 

 それでも、俺達はたどり着いてしまった。

 

 城咲かなたの死を持って、【学級裁判】という地獄へ三度舞い戻る。

 

 

 

 

 

 この地獄から脱出する方法は、真実を見つけ出すという明快かつ難解な修羅の道しかあり得ない。

 

 だからこそ、解き明かさねばならない。

 

 

 

 俺のために。城咲のために。

 

 そして、七原のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三回学級裁判】

 

 

開 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせいたしました! ここに第三回学級裁判の開廷を宣言いたします!」

 

 いつも通りにモノクマは開廷宣言をすると、これまたいつも通りに言葉を続けた。

 

「それでは、学級裁判を始める前に改めてルールを説明いたします」

「いらねェよ。二回も聞いてんだ。説明が必要なやつなんかいねェ」

「うるさいな! いるんだよ! 良いから黙って聞いてろ! えー、ごほん。学級裁判は、オマエラの中に潜んだクロをオマエラ自身の手で見つけ出してもらうためのものです。議論の後、オマエラの投票による多数決の結果をオマエラの導き出したクロとします」

 

 無駄に大声で叫んで火ノ宮を黙らせると、淡々と説明を開始する。

 

「正しいクロを導き出せたなら、クロだけがオシオキ。逆に、その結論が間違っていたなら、皆を欺いたクロ以外の全員がオシオキとなり、クロは【成長完了】とみなされ、晴れて【卒業】となります!」

 

 そのモノクマの説明は俺の理解と相違するものではなく、わざわざ時間を割いて聞くほどのものではなかった。

 そんな事は疾うに理解している。理解しているからこそ覚悟を決めてここに立っているのだし、クロだってそれを理解せずに城咲を殺してなどいないはずだ。古池と遠城の処刑を忘れられるわけがないのだから。

 

「はい! じゃあ後はよろしく! 張り切っていけよ!」

 

 ドッカと擬音が聞こえるような勢いで、モノクマは大きな玉座のような椅子に腰掛けた。

 

「それでは、始めましょう」

 

 そして口を開いたのは、当然のように杉野だった。

 

「…………」

 

 杉野(魔女)はこの場を仕切るのに最もふさわしくない人間ではあるが、他の人から見れば最もふさわしい人間に映るだろう。それは否定できないし、否定する気もない。何を言っても意味がないだろうし、この裁判場ではクロ以外の人間を糾弾する時間が惜しいからだ。

 

「議論の前に一つ聞いてもいいか」

 

 杉野が議題を探し始めようとして、スコットが待ったをかけた。彼と明日川は七原の手術のために捜査をしていないわけだから、証拠をほぼ何も手に入れずに学級裁判に挑んでいるということになる。一つと言わず、聞きたいことは山ほどあるだろう。

 

「なんでしょう。証拠なら、議論の最中で共有していこうと思っていますが」

「それはそれでいい。だが、これは先に説明してもらうぞ」

 

 そんな言葉とともにスコットが指し示したのは、服を血で染め上げた大天だった。

 

「オオゾラはアナウンスが鳴ってからも姿を表さなかったはずだ。今ここにいるってことはどこかで合流したんだろうが、血で汚れている理由は何だ? オオゾラ、オマエはどこで何をしていたんだ?」

「えっと……」

 

 スコットに詰問されて彼女は口を開いたが、どう説明するべきかを探した挙げ句に黙り込んでしまった。

 

「大天さんは、迷宮の中にいらっしゃいました」

「……は?」

 

 見かねた杉野が口を挟むと、スコットがパッと目を開く。

 

「そいつ、迷宮の行き止まりで縮こまってたのよ。もう洗ったみたいだけど、顔や髪も血だらけだったわ。本人は、チェックポイントで転んで血がついたって言ってるけど」

「なんだ、それ……」

 

 一瞬絶句した後、キッと目を細めた。

 

「そんなの、決定的じゃないのか!」

 

 バン! と証言台を叩く。

 

「スギノ、オマエ言ったよな。事件が発生してすぐに大迷宮に来て、出入り口を見張ってたと。誰も出入りしなかったんだよな!」

「……ええ。七原さんの悲鳴を聞いて大迷宮に入った平並君達以外は」

「それなのに大迷宮の中にいたなんて、クロしかありえないだろ! オオゾラ以外は皆大迷宮の前に集合したんだからな!」

 

 そうだよな、と同意を求めるようにスコットは俺達を見回した。

 

「スコット君。このあたりで話を止めた(本を閉じた)方が良い」

「なぜだ? あの血を見てどうしてクロじゃないなんて言える? 何が転んだだ。シロサキを殺したときの返り血に決まってる!」

 

 激高するスコット。

 実際、大天を見つけたときは俺達も同じような疑いを持った。疑うな、という方が無理があるほどに証拠は揃っているし、実際俺達もそう追求するような真似をした。

 

「違う! 私じゃない!」

「口では何とでも言える! オマエが、オマエがシロサキを殺したんだ!」

 

 

「黙れ、手芸部」

 

 

 しかし、その主張を肯定することはできない。大天をクロだと断じるには、まだ、あまりにも早すぎるのだ。

 

「お前がそう推理する理由は理解できる。が、お前に推理を口にする権利はない」

「なんだと……」

「お前が得ている証拠はこの事件の些事に過ぎず、到底真実にたどり着けるものではない。そんな不十分な証拠しか持っていないのだから、議論を先導するな。学級裁判の邪魔だ」

「ッ……」

 

 岩国に矢継ぎ早に正論を説かれ、反論を飲み込むスコット。

 

「スコット君……今の岩国君の台詞と他の(キャラ)から賛同の台詞が飛んでこない所を見ると、ボク達が不在だったシーンで何かを見つけた(読んだ)のではないか?」

「……そうなのか?」

 

 と、スコットに問われて、岩国がそのまま口を開いた。

 

「ああ。大迷宮から更衣棟に繋がる隠し通路があった。そこを通れば、たとえ大迷宮の中で事件を起こしても外から大迷宮に集合する事が可能だ」

「……!」

「……そういうわけです。ですから、結論を導き出すためには議論が必要なのです」

「…………」

 

 二人の言葉を聞いて、スコットは口元に手を当てて何かを考え始めた。そんな彼に、明日川が語りかける。

 

「スコット君。城咲君が殺されて悔しい気持ちは理解できる。それを承知で七原君の手術を依頼したボクとしては胸が痛むところだが、岩国君の台詞の通り証拠を持たない(捜査パートを読み飛ばした)ボク達には議論に参加する資格がない。ここは身を引く(読者になる)べきだ」

「……クソッ」

 

 そして、彼は小さく言葉をこぼした。明日川の意見を認めたのだろう。

 

「……別に、口を挟むなとまでは言っていない。疑問提起やただアイデアを提案するだけなら捜査をしていないお前達でも可能だろう」

 

 そんなスコットの様子を見て、驚いたことに岩国は励ますような台詞を口にした。

 事実、それなら問題はないだろうが、七原を救うために捜査を放棄した彼らがそういう立場になってしまった事に罪悪感を覚える。何よりまずは情報共有をして、二人との情報の差をなくすべきだ。

 

「琴刃ちゃん、優しいね」

『なんだかんだ言っても、皆の事を気にかけてんだぜ』

「腹話術師。俺に話しかけるな。約束はどうした」

「え? 翡翠は琥珀ちゃんと話してただけだよ?」

『だからあれだ。独り言だ、独り言』

「……」

 

 あ、イラっとしたな。

 

「冗談はともかくとしても」

「冗談じゃないよ!」

「……すいません、露草さん。えー、彼女の言う通り、あなたがそんな事を言うのは不自然ではありませんか? 他人の情など気にする人ではなかったでしょう」

「俺からすればお前のその難癖の方がよっぽど不自然だがな。俺はただ一番合理的な判断をしただけだ。学級裁判ももう三度目で、ただでさえ人数が減ってるんだ。捜査をしていなくとも裁判に参加してもらわないと困る。大体、手芸部の心情を気にするのなら邪魔なんて言葉は使わない」

 

 ……それもそうだな。

 むしろ気になるのは、彼女も触れた杉野の真意だが……考えても分かる気がしないし、強いて言うなら引っ掻き回したいだけだろう。裁判場に来てしまった以上、俺も杉野(魔女)も今更何が出来るわけでもないと思うが。

 

「岩国君。先程(1ページ前)、隠し通路があったと告げたな? それはもしや、例の扉のことか?」

「お前達が探索の時に見つけた扉が一つしかなかったのなら、その扉で間違いない」

 

 回りくどくも思える岩国の台詞。ただ、その言葉は論理的に並べられている。明日川は、探索の時に一通り大迷宮の中を調べていたはずだし。

 

「多分アンタ達が見つけたときには閉まってたんでしょうけど、その扉が開いてて、更衣棟のシャワールームに繋がる地下通路になってたのよ」

「シャワールーム……ちなみに、クロが隠し通路を使った痕跡は?」

「痕跡なんて大アリよ。迷宮の中からシャワールームまで血痕が続いてたし、シャワールームの床も血まみれだったわ。凶器とかも置いてあったわね」

「なんだそれ。シノノメ、詳しく聞かせろ」

「詳しくって言われても……面倒ね。誰かやってくんない?」

 

 自分の推理を話せるわけでもないからか、彼女はつまらなそうな顔をした。こいつ……。

 

「はあ。なら俺がやる」

 

 岩国がするとは思えなかったし、杉野にやらせるのも嫌だったので、俺が名乗り出て隠し通路とシャワールームについての事を話しだした。

 あまり細かく説明する時間はないし、けれども情報を絞るような真似もしたくない。とりあえず何があったかだけでも教えておこう。

 

「地下通路はシャワールームの床板に繋がっていた。東雲達が先に見つけたんだが、扉もその床板も開きっぱなしだったらしい。

 それで、脱衣所の棚に、ブルーシートに覆われて犯行に使われたものが置いてあったんだ。凶器のナイフ、隠し通路のカードキー、白衣とかの遠城の服と目出し帽と……あとは輸血パックか。さっき東雲が血まみれになってるって言っていたが、その輸血パックの血が流れてたんだ」

「……色々と気になることが多いな」

言われてみれば(ページを読み返すと)、七原君が大迷宮の床に血で『白衣』と書き記していたな」

 

 そう告げる明日川の目線は、現在唯一白衣を身につけている根岸に向いていた。

 

「ぼ、ぼくのじゃない……! い、今、え、遠城のだって言っただろ……!」

 

 慌てて叫ぶ根岸。そう俺の言葉に素直に便乗出来るのなら、根岸達もシャワールームを調べたのかもしれない。捜査時間が終了した時も【運動エリア】に残っていたようだし。

 

「ああ、すまない。別に根岸君を疑った訳ではないんだ。ただ視線が向いてしまっただけでね」

「ど、どうだか……」

「多分、クロは遠城の服を着て犯行に及んだのね。そうすれば、返り血を浴びても着替えれば済むわけだし。死んだヤツの部屋は誰でも入れるから、そん中から適当に持ってきたんでしょ」

 

 何か文句を口にしかけた根岸だったが、東雲が所見を述べたのを聞いて黙り込んだ。

 

「ともかく、そういう証拠があったから、クロは犯行後に大迷宮から更衣棟に逃げ出したんだろうという話になったんだ」

 

 そして俺はそう話をまとめた。単に隠し通路があっただけでなく証拠にあふれていたからこそ、容疑者が大天以外へと広がったのだ。

 

「それと、シャワー室の方は使った痕跡があった」

「使った痕跡?」

「ええ。床が濡れていましたし、流れそこねた血も少し残っていましたから、犯人が利用したと見て間違いないかと」

「血が残っていた……血を洗い流したっていうのか?」

「おそらくは」

「……ちょっと待て。クロが犯行後にシャワー室を使ったんだったら、クロは――」

 

 

「そこまでだ。議論を止めろ」

 

 

 何かに思い至ったと思しきスコットを、またも岩国の冷たい声が止めた。怒っているようなわけではなく、むしろ呆れているようだった。

 

「今度は何だ、イワクニ。またオレの考えが間違っていると言いたいのか?」

「違う。俺が危惧しているのはお前の推理の正誤じゃない。お前の推理は大体想像がつくが、俺も同じような考えだからな。俺が言いたいのは、話が進み過ぎているという事だ」

 

 話が進みすぎている……?

 

「な、なんだよ、は、話が進んで何が悪いんだよ……! お、お前がクロだから、そ、そんな事を言うんじゃないのか……!」

「それは話が進むどころじゃないな。妄想は口にせずに飲み込め、化学者」

 

 と、根岸に冷たい言葉を刺してから、彼女は真意を語る。

 

「俺は前回の学級裁判の初めに、お前達のスタンスを批判した。覚えてるか」

「……お、覚えてるよ……」

 

 

──《「だが、その方法が取られたという証拠はどこにもない。お前達は『凡人がクロである』と決めつけ、それが成り立つように証拠を強引に解釈しているだけに過ぎない。だから、妄想だと言ったんだ。そんな下らん思い込みに俺の命は預けられない」》

 

 

 前回、クロである遠城のトリックに誘導され、俺がクロだと皆は思い込まされた。ろくな議論もできずにそれが結論となりかけた時、止めてくれたのが岩国だった。直接批判された根岸が忘れることなどないだろう。

 

「今回は結論ありきの推理はしていないはずだぞ」

「結論ありきではないが、焦りすぎだ。制限時間がぬいぐるみの一存で決まる以上のんびりやれとは言わないが、すべての証拠を先にさらうべきだ。ぬいぐるみがそれすら待てない短気でないことはこれまでの学級裁判で証明済みだ」

「……だが、わざわざ遠回りをする意味が」

「宮大工を殺したのは凡人だったか? 宮大工を殺した凶器は調理場の包丁だったか? 生徒会長の殺害にバケツは使われたか? 発明家は初めから容疑者に上がっていたか?」

 

 台詞を遮って放たれた四つの問いかけに、スコットは黙り込む。その問いの答えがすべてNOで有ることの意味を理解したからこそ黙ったのだし、それを聞いていた俺達も何も口にしなかった。

 

「推理ができているつもりになっててんで見当外れな推理を語っている、という失態を俺達は過去二回の学級裁判の中で経験しただろう。その失態に気づくには、別の証拠や異なる切り口で事件を俯瞰する事が必要になる」

「…………」

「遠回りだというのなら、一つの推理に固執することこそが遠回りだ。死体周りの基礎情報から議論していくのが学級裁判の基本じゃないのか」

 

 これまでの経験から語られる、学級裁判の正しい進め方。

 懸かっているのが俺達の命である以上、勇み足は厳禁ということなのだろう。

 

「……わかった。オマエのやり方に従おう」

 

 少しためらいがちに、スコットはそう告げて黙り込んだ。城咲を殺した人間を突き止めるには、岩国の唱えた方法のほうが確実だと判断したらしい。俺も、そう思った。

 

「別に指揮を執りたいわけじゃ無いがな」

 

 そして、岩国も口を閉ざす。

 

「それでは、議論を始めましょう」

 

 そうなると場を仕切るのはやはり杉野になる。この流れをどうにかするのは無理だろう。

 

 だから今は、それに便乗するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最初は、城咲さんの死体の状況から確認していきましょう」

 

 岩国の提案に従って、これまでと同様に基本的な情報から検討していくことになった。

 

「城咲さんの死因は失血死。大きな傷は頭部、腹部、背部にありましたが、致命傷になったのは背部の傷だった。そうでしたよね?」

「あァ。腹側の傷は一つしかねェし深くはねェ。別に浅いわけじゃねェが、背中の方は傷も複数あるし内臓も傷つけてる。これだけ刺されりゃまともに動けるワケがねェし、そのまま血を流しての失血死だ」

 

 大迷宮でも告げた、火ノ宮の死体検証。……彼がクロであるならば、この証言自体も疑わしいという事になってしまう。素直にこれを信じても良いのだろうか。

 

「背中の傷が致命傷? 致命傷はどう見てもあの斧だろ」

 

 そうスコットが指摘したのは、捜査中にも俺が抱いた疑問だった。火ノ宮は、あの時と同じように死因が失血死である事を理由の一つとして、頭部の割創が致命傷では無いことを説明した。それが、死後に付けられたものだとの見解と共に。

 

「なん……だそれ……」

 

 愕然と、青ざめるスコット。

 

「オマエの、勘違いじゃ無いのか」

「勘違いじゃねェ。明日川。てめーなら俺の言ってる意味がわかんだろ」

 

 名を呼ばれた彼女は、頭に手を当てて城咲の死体の情景を思い返して(読み返して)いた。彼女が目撃した光景と彼女の持つ知識とを合わせれば、彼女なりの結論が出せるはずだ。

 

「確かに、火ノ宮君の台詞に誤植は見受けられない。あの斧は、城咲君が命を落とした(物語を終えた)後に振るわれている」

「……岩国。お前も同じ考えでいいか。お前、火ノ宮の次に死体をよく見てただろ」

 

 念の為、もう一人証言者が欲しくて岩国に話を振った。

 

「ああ。異論はない」

「…………」

 

 三人がそう言うのなら、少なくとも斧が振るわれたタイミングは信用しても良いはずだ。正直、死因だけでも十分な根拠ではあったが。

 

「……死んだ後に、どうして斧を振るう必要があるっていうんだ」

 

 三人の意見を咀嚼したスコットが、つぶやく。

 

「オレはてっきり、シロサキを確実に殺すために斧を使ったんだと思っていた。腹や背中を刺しただけじゃ、ナナハラのように生き延びる可能性があるから、それを潰すためにな」

「念押しのため、ですか」

「ああ。だが、クロが斧を振るったのがシロサキが死んだ後だとしたら、そんな意図はなかったってことだろ。それじゃまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()みたいじゃないか……!」

 

 自然、そういう発想に思い至る。犯行を終えたらすぐに逃げれば良いはずなのに、犯人はその前にわざわざ斧を振るっているのだから。

 

「……ンなバカな事は考えたくねェけどな」

「だが、少なくとも、何か城咲の頭を割りたかった理由があるのは間違いないだろ。現場にとどまるリスクを負ってでもな」

 

 と、自分を述べてみると。

 

「そ、そうとは限らないんじゃないのか……?」

 

 根岸から反論が飛んでくる。

 

「し、城咲が死んだ後に斧を使ったって話だけど……は、犯人はそんなつもりなかったかもしれないだろ……」

「というと?」

「い、いや、ぼ、ぼくも別にわかんないけど……し、城咲が死んだって気づかないで、そ、それこそ念押しのために頭を割った可能性があるんじゃないか……? さ、最初から斧を使うつもりでさ……」

 

 ふむ、一理はあるなと思った。ただ、そうだとすると違和感が残る。その違和感を東雲が口にした。

 

「いや、それにしたってわざわざ斧を使う必要なんて無いわ。ナイフを持ってるんだから、そのナイフで首を切ったほうがよっぽど楽だし早いもの。斧なんて使えば証拠を増やすことにもなるわけだし」

「そ、そっか……」

「だからアタシは、クロは快楽殺人者(サイコキラー)だって線を押すわ。そう考えるのが一番合理的じゃないかしら」

「合理的、か。そんなキャラクターの存在自体が非合理的だな」

「そうですね。そんな人が僕達の中にいるだなんて思いたくありません」

 

 お前が言うな!

 と、心の中で叫びつつ、城咲に振るわれた斧の真意を考える。やはりどう考えても、斧を使うのは合理的じゃない。そう考えてみると、東雲の考えに賛同せざるを得なくなる。

 少なくとも、【言霊遣いの魔女(イカれたサイコパス)】がそこに一人潜んでいる事を俺だけは知っている。だから、誰かの頭の中身を見たいと願っているような狂った人間がいないだなんて、そんな事は断言できようはずもない。

 

「城咲に何か個人的な恨みがあったのかもしれねェな」

 

 そんな中、火ノ宮はまた違うアイデアを述べた。

 

『何かってなんだ?』

「そうだ。シロサキは誰かの恨みを買うようなヤツじゃない」

「そこまでは知らねェよ! 逆恨みかもしれねェしな。けど、逆恨みだろうがなんだろうが、個人的な感情がねェとあんな事しねェ……っつーかできねェだろ」

「…………」

 

 例え既に息絶えていたとしても、それが自分が手にかけた結果だとしても、その頭を叩き割るだなんてそう簡単に出来ることじゃないはずだ。よほどの覚悟か、熾烈な想いか、あるいは何も感じていないか。そのどれかなのは、間違いない。

 

「ねえ、斧を使った理由ってそんなに重要? 他に話すことがあるんじゃないの?」

 

 悩む皆の顔色をうかがいつつ、大天がそんな事を告げる。そのとおりだ。

 

「……では、一旦保留として話を戻しましょう。どのみち、真意はクロにしか分かりませんし」

「確か、致命傷は背中の傷だって話だったわよね」

「あァ。内臓の損傷による失血死だ。そんでその凶器は……更衣棟にあったっつーナイフだろうな」

 

 火ノ宮本人は更衣棟のシャワールームを調べてはいない。が、さっきもシャワールームの話はしたし、その発想は自然なものだ。

 

「これまでの事件のように、凶器が偽装されている可能性(シナリオ)も検討したい所だな」

「それなら心配はいらないでしょう。火ノ宮君曰く今回の凶器はれっきとした刃物のようです。他にそれらしい刃物や凶器になりうるものは見当たりませんでしたから、十中八九あのサバイバルナイフが凶器でしょう」

「確かに、そういう(あらすじ)のようだが……」

「な、なら、じ、自分で確かめれば良いんじゃないのか……?」

 

 どうやら石橋を叩いて渡りたい様子の明日川の台詞に、そんな根岸の声が割り込んだ。

 

「ほ、ほら、更衣棟にあったサバイバルナイフ……」

「持ってきていたのか」

「……げ、現場保存した方がいいのかと思ったけど、こ、こんな危ないものを放置するのも嫌だったし、ど、どうせ皆捜査した後だと思ったから……」

 

 まあ、妙なことができないように二人組で捜査をしていたのだ。皆が捜査をした後なら、学級裁判のために持ち出しても文句は特に無い。

 明日川は七原の手術をしたし、城咲の傷跡も覚えているはずだ。現物を見れば、傷と矛盾しないかを確かめられるだろう。

 

「……ふむ。このサバイバルナイフが凶器という話で間違い無さそう(推敲は不要みたい)だな」

 

 そして、明日川はそう結論づけた。

 ……もし彼女がクロなら、この確認に意味はないのだが。いや、明日川が城咲を殺したんだとしたら、七原を助ける意味が無い。……それとも、俺がそう思う事も計算づくで?

 

「傷と凶器の話は分かった」

 

 スコットの声で我に返る。

 やめよう。無意味だ。そう判断して一瞬浮かんだその考えを振り払う。明日川は七原を助けてくれた。その彼女を信じないでどうする。

 ……もし明日川を疑うことになるにしても、少なくともそれは今じゃないはずだ。無駄に仲間を疑うなんて、すべきじゃない。

 

「なら、『首筋の火傷』は何なんだ。まさか、火でもつけられたわけじゃないだろ」

「そんなら一応案は出てる。スタンガンだ」

 

 スタンガン? と眉をひそめたスコットに、火ノ宮が捜査中にも告げた推理を語りだした。すなわち、あの位置に焦げ跡のような火傷がつくのなら、スタンガンが使われたと推測すべきだ、という話だ。

 

「まあ、確かに、そう考えるのが自然か……」

「その推理(物語)異論はない(赤ペンは入れない)。ただ、その犯行に使われたと思しき電撃銃(スタンガン)を、捜査中に(捜査編で)見つけたキャラクターはいるのか?」

 

 明日川の質問には互いに目配せをしあって、結局誰も答えなかった。

 

「……見つかっていないのか。まあ、ここまでに発見の報告(台詞)がない時点で察してはいたが」

「オイ、シャワールームに凶器や白衣が棚に押し込まれてたっつー話だったよなァ。そこにスタンガンも紛れ込んでたんじゃねェのか?」

「……いや、なかった」

 

 見落とした? まさか。断言すらして良いはずだ。そうならないように気をつけて捜査をしたし、あのシャワールームを捜査したのは俺だけじゃない。その他の人たちも何も見つけていないのだ。

 

「……そォか」

 

 俺の答えや皆の反応を見て、火ノ宮はガシガシと頭を掻いた。

 

「じゃ、じゃあ、す、スタンガンが使われたって事自体、ま、間違ってるんじゃ……」

「でも、翔ちゃんもあの傷跡はスタンガンの跡だって言ってたよ?」

「あ、あいつの何が信用できるんだよ……!」

「…………」

 

 露草の言葉に、指までさして反論する根岸。大天は唯一の容疑者というわけではなくなったものの、そもそも前科を持っている。根岸からすれば、彼女の言葉は信用に値しなくて当然かも知れない。

 

「……信じてくれなくても別にいいよ。私はちゃんと私の考えを言ったし」

 

 その様子を見て、大天は拗ねるようにそうつぶやく。彼女が嘘をついているかは分からないが、分からないなら分からないで、彼女が本当の事を言っている可能性だって追う必要がある。それを踏まえて、どう考えるべきか。

 

「俺はスタンガンの可能性が高いと思ってるが、仮に火ノ宮や大天の推理が間違ってたとしても、少なくとも何か城咲の首筋に火傷をつけた道具は使われたはずだろ」

「……そォなるな」

『じゃあ、その何かはどこに行ったんだ?』

 

 誰に宛てるでもなく放たれたその問いに、一瞬静まり返る。

 

「……最も考えられるのは、見つからないように隠した、という可能性(シナリオ)か?」

 

 そして口を開いたのは、明日川だった。

 

「隠したって、どこに」

「そこまでは読み解けていない。ただ、キミ達の捜査は四組(四冊)に分かれて行われた(執筆された)。捜査編でこの施設(舞台)を隅から隅まで捜索しきれたわけじゃないはずだ。犯人がそれを、大迷宮かシャワールームか、はたまたまるで関係のない施設(ページ)の隅か……盲点に思えるような場所に巧妙に隠したとしたら、キミ達が見落としてしまった可能性も捨てきれないだろう」

 

 事実、それは否定できない。たったの八人でこの施設を調べきるなんて、不可能だ。

 とはいえ、それだけで済む話でもない。

 

『確かに、オレ達の捜査は十分じゃなかったかもしれねえな。けど、そもそも犯人はどうしてそんな事をする必要があるんだ? ナイフと一緒にシャワールームに置いとけば楽じゃねえか』

「例えば、実は使われたのはスタンガンではなく、正体を暴かれたらまずい代物だった、という(オチ)はどうだ? 無論、これは根拠のないボクの妄想に過ぎないが」

「……根拠がないならあまり話さないほうが良いんじゃないかな。また琴刃ちゃんに怒られちゃうよ? ね、琥珀ちゃん」

『まあそう言うなよ。無理に訊いたのはこっちだ』

「…………」

 

 岩国は無言のまま彼女を睨みつけたが、嬉しそうに露草が顔をほころばせると呆れたように視線を外した。

 

「むー」

「スタンガンでも何でもいいわ」

 

 着地点の見えなそうな話に見切りをつけて、東雲が話をすすめる。

 

「結局、その出所はどこなのよ。他の凶器の斧やサバイバルナイフだって、どこにあったものだか分かってないじゃない」

「それは……そうですね」

「それに、一番気になるのは隠し通路のカードキーよ。斧やナイフは最悪誰かの私物って説明が付けられるかもしれないけど、こればっかりはそうは行かないわ。この施設のカギなんだから、モノクマから配られたものに決まってるもの」

 

 まさに立て板に水といった様子で彼女は自身の考えを語る。その答えを知っているわけでもないのに微かに笑みすら湛えているのは、学級裁判が楽しくて仕方ないからか。

 

「だからあのカードキーは、今回【動機】として配られた【凶器】なのよ。これは断言できるはずよね」

「……確かに、キミの言うとおりだ(推敲の余地はない)な」

「でしょ? でも、アタシ達は全員配られた【凶器】は教えあったはずじゃない。これってどういうことかしら?」

「簡単な話だろ。嘘ついてるヤツがいんだよ。なァ! 大天ァ!」

 

 火ノ宮に吠えられ、大天が肩を震わせる。

 

「どういう意味だ、ヒノミヤ」

「どうもこうもねえ。コイツ以外は全員配られた【凶器】が判明してるし、現物を出したりして確証もある。けど、コイツは口で答えただけで証拠がねェんだよ! 結局写真の破片も見つからなかったしよォ! てめーが嘘をついてんだろ!」

「ちょっと待て、火ノ宮」

 

 熾烈に怒りのボルテージを上げる彼の言葉に待ったをかける。内容にも言いたいことがあるし、感情的になりすぎるのもあまり良くない。

 

「あァ? なんでてめーがコイツをかばうんだ」

「別にかばいたいわけじゃない。けど、その【凶器】の話はもう答えが分かってるんだ」

 

 どういう意味だと言いたげに眉をひそめた彼に、俺はその答えを告げる。

 

「今朝、【動機】として俺達に凶器が配られたよな。その中に、斧やカードキーがあったんだ」

「だから、ウソついてるヤツがいるってことだろォが」

「そうじゃない。……【凶器】を配られたのは、俺達だけじゃなかったんだよ」

「……あァ?」

「新家に、古池、遠城に、蒼神。これまでに死んだ四人にも、【凶器】は配られてたんだ」

「…………!」

 

 目を見開く火ノ宮。他の人も同じように驚愕はしていたが、どこか納得したような表情をしている人もいた。出所不明の【凶器】の多さに、少なからずそうじゃないかと思っていたのだろう。

 

「根拠はあんのかよ」

「新家の個室、お前も調べたはずだよな」

「あァ。斧が新家の私物かどうかを調べるためになァ。結局、違ったみてェだったが」

「なら、お前も見ただろ。机の上に、六法全書が置かれてたんだ」

「知ってるよ。じゃァ、まさか……」

「あの六法全書だが、俺が個室にいた頃はなかったんだ。つまり、誰かがあれをわざわざ置いたって事になる。誰かを殺せるほどに重い、分厚い本をな」

「…………」

「それを見て、気づいたんだ。新家達にも、【凶器】が配られていたということに」

 

 新家に配られていたのなら、当然、他の三人にも配られていたはずだ。

 

「確かに、新家君らしくない本を持ってるなって思ったけど」

「それに、そう考えれば今回の【動機】の真意も見えてきたのです」

 

 そして、杉野は【動機】についての説明を始めた。初めに配られた百億円札がその後に配る【凶器】の布石だった事、本当の【動機】は秘密裏に死者へ【凶器】を配る事だった事、そして、それを証明するモノクマの巧妙な言い回しを説明した。

 

「モノクマは捜査中に、あくまでも自分は誠実だと告げました。僕達を騙す気ではあったかもしれませんが、凶器の出所をこうして推理できるように台詞に気を配っている点に限ってはフェアだと言えます」

「……モノクマ、そうなのか?」

「んー?」

 

 怒りをギリギリで抑え込むような声で、スコットが尋ねる。

 

「何が? ボクが誠実だって話? そうだよ、ボクほど誠実なクマはこの世で他にいないからね。学級裁判もさ、フェアにやりたいし」

「違う。本当に死んだ新家達にも凶器を配ったのかと聞いているんだ」

「え? ボクちゃんとそう言ったじゃん。オマエラ全員に配るって。あ、オマエラって死んだら仲間でもなんでも無いとか言っちゃうタイプなの!? 今の若者はひどいなあ……昔じゃゆとり世代とかさとり世代とか流行ったらしいけど、さしずめオマエラは…………」

 

 生き生きと喋っていたモノクマだったが、急に黙り込んだかと思うと、結局その続きを言わずに椅子に寝そべった。……思いつかないなら最初から言わなきゃ良いのに。

 

「ともかく、モノクマから裏も取れましたね。今回殺人に使われた【凶器】は、死んでしまった彼らの個室から持ち出されたものだったのです」

「…………オイ、平並。新家以外の三人の個室も調べたんだよなァ?」

「ああ。三人とも、机の上は何も乗ってなかった。【凶器】が持ち出されてなかったのは、新家だけだ」

「……そォか」

 

 そしてまた、考え込む火ノ宮。何かを指折り数えている。

 

「どうした、火ノ宮。気になる事でもあるのか?」

「あァ。てめーらの話を聞いても、やっぱりこの状況はおかしいだろォが」

「おかしい? 新家達に凶器を配ったのは今モノクマも認めただろ」

「そォじゃねえよ。そうだとしても数が合わねェっつってんだ」

 

 ……数?

 

「今回の事件で使われた凶器の数だ。斧、サバイバルナイフ、カードキー、それとスタンガンかそれに準ずる何か。四つ使われてるだろ」

「……あ!」

「新家に配られた凶器の六法全書は個室に残ってたんだろ? んなら、クロが自由に使える凶器は古池、遠城、蒼神の分の三つだけだ。一つ足らねェだろ」

 

 言われて気づく。確かにその通りだ。

 

「んなら、やっぱ嘘をついてるやつがいるってことだろォが」

 

 そして、またしても火ノ宮は大天を睨む。その視線の意味する所は彼女も理解しているだろうが、そっぽを向いて黙り込んでいた。

 

「大天ァ! それがてめーだっつってんだよ! 写真が配られたなんて、嘘だったんだろ!」

「嘘じゃない! ホントに写真だったんだって!」

「だったらなんで何も見つからねェんだよ! 残骸の一つも見つからねェなんざありえねェだろォが!」

「それはそっちの問題じゃん! 私のせいにしないでよ!」

 

 火ノ宮の追求を必死に否定する大天。しかしその反論に芯がなく、彼女がそれを口にする度に疑惑が高まっていく。まさか、本当に、大天が……。

 そんな時だった。

 

「ん、おかしいわ」

 

 東雲が何かに気づいて声を上げる。

 

「何がだァ?」

「出所がよくわからないものがもう一個あるじゃない。目出し帽よ」

「目出し帽?」

「多分、顔を隠すのに使ったんでしょうね。それはどこから持ってきたわけ?」

 

 そうか、それもあった!

 

「んなもんどこに……シャワールームか!」

「ええ、そうよ」

「そういえば、さっきヒラナミがシャワールームの説明をした時に出てきたな。……ヒラナミ、シャワールームに何があったか、もう一度教えてくれ」

「ああ、分かった……ええと、棚にあったのは、サバイバルナイフと隠し通路のカードキーに、服や白衣と目出し帽と空の輸血パックが四つ。あと、厳密に言えばブルーシートもそうか」

 

 この中で、出所の分かっているものはいくつあるだろうか。

 

「服や白衣は遠城のものだったよな。輸血パックは病院だし、ブルーシートは倉庫にあったものだ。だから、残りは……」

「サバイバルナイフとカードキー、そして目出し帽。この三つの出所が不明です」

「そうよね。それに、斧とスタンガンか何か……ああもう、めんどくさいわね。とりあえずスタンガンで話をすすめるわよ。斧とスタンガンの二つを加えて、出所がわからないものは全部で五つもあるのよ」

『冬真たちの部屋から持ち出された【凶器】は三つ……』

「だから、大天が自分に配られた【凶器】をごまかして隠し持てたとしても、あと一つ、どこからか調達して来なきゃいけないじゃない」

「…………」

 

 東雲のその指摘に、火ノ宮は答えられなかった。正当な意見だったからだ。

 

「……なんか、私の言ったことが嘘ってのが前提になってるみたいで嫌なんだけど」

「うるせェ。何も証明できねェんだからてめーは黙ってろ」

 

 そう吐き捨てる彼だったが、これ以上大天への追求はしなかった。大天が自身に配られた本当の【凶器】を明かしていないことには確信を持っているようだったが、それを根拠に彼女をクロと決めつけるには壁があることに気づいたようだった。

 ……けれど。

 

「これって、別に大天に限った話じゃないんじゃないか?」

「あァ?」

「もしも大天が無実で、他の誰かがうまく【凶器】をごまかしてたとして、それでも結局【凶器】が一つ足りない問題は解決しないだろ」

「当然、そうなりますね」

「じゃ、じゃあ、ぜ、全員に犯行が不可能ってことになるんじゃ……」

 

 会話のラリーによって導かれた結論を、根岸が震える声で口にする。

 

「……んなこと、ありえねェだろ」

 

 その可能性を否定したのは、火ノ宮だった。

 

「誰かがオレ達を裏切って、城咲を殺したんだ。それだけは間違いねェんだ」

 

 一度目の学級裁判で、そして二度目の学級裁判で、俺達以外に犯人がいる可能性を最後まで捨てていなかったのが、火ノ宮だった。そんな彼が、その可能性を既に破棄していることに、苦しみを覚えた。

 殺人はこれで三度目だし、直前に毒物事件も起きた。今更、犯人がモノクマなどと思うには、あまりにも裏切りが多すぎたのだ。

 

「……そうですね。全員に不可能という事は、ある意味で全員に可能という事です。何かしらのトリックが使われた事には違いないのですから」

『トリック、か……』

「あ、翡翠、一個思いついた事があるんだけど」

 

 と、そんな言葉とともに挙手をした露草。

 

『なんだ?』

「例えばさ、共犯って可能性は無いのかな?」

「……何言ってやがる。共犯したって、クロとして判定されるのは実行犯だけだって、最初の学級裁判の時に言われただろ。忘れたのか」

「あ、ううん。忘れたわけじゃないよ。でも、もしも、かなたちゃんと菜々香ちゃんを襲ったのが、別々の人で、もしもあのまま菜々香ちゃんが死んじゃってたら……」

 

 露草が語ったのは、架空の話。けれども、その嫌な架空の話は妙に鮮明にイメージできた。

 

「クロが、二人いる……!?」

『けどまあ、実際は菜々香はまだ生きてるからそうはなってねえけど』

「でも、元々そういう計画だった……っていうふうには考えられないかな」

 

 突如浮上した共犯説。その可能性は本当にあるのだろうか。

 

「もし誰か二人のキャラクターが結託して犯行に及んだ(事件を執筆した)のなら、先程の【凶器】の個数(冊数)の問題は解決するが……」

「おい、モノクマ。二人がそれぞれ別に殺人を犯した時は、二人ともクロと見なされるのか?」

「あのねえ、平並君。何でもかんでも聞けば答えてくれると思ってるんじゃないよ」

 

 呆れるように喋りだすモノクマ。

 

「でもボクは優しいから答えてあげちゃう! そうそう、その通りなんだよ。学級裁判のルールとしては、誰かを殺した人間は例外なくクロになるからね。ローカルルールも色々あるにはあるんだけど、別に一回の裁判でクロが一人しかいないなんて条件はないから。だから、極論を言っちゃうと、三つ四つの事件が同時に発生したら、その学級裁判ですべてのクロを見つけてもらうことになるね」

「……ん?」

 

 モノクマの言葉を聞いて、一瞬何かに引っかかった。何だ?

 

「クロが複数いる場合は、シロの皆は当然全員を見抜かないとおしおきになるよ。クロは、自分が見抜かれたら、例え他に騙し勝ったクロがいてもおしおきだから。クロは個人戦だって考えるのが一番わかりやすいかな?」

「ともかく、共犯はあり得るのですね」

「ルール上はね」

「……もし共犯がいるんなら、名乗り出やがれ」

 

 その疑問に答えを出す前に、話が進む。

 

「城咲は殺されたが、七原は助かった。七原を刺したヤツは、クロじゃねェんだ。このまま黙り続けていりゃあソイツもまとめて処刑されることくらい分かんだろ」

「名乗り出るわけないじゃない。七原はまだ確実に助かったわけじゃないんでしょ? 名乗り出てから七原が死んだら最悪でしょ」

「……てめーはただ学級裁判がやりたいだけだろうが」

「ま、別に否定はしないわ」

「あー、一応言っておくけど」

 

 彼らのやり取りに、何故かモノクマが割って入る。訊きたいことはもう訊けたから黙っていてほしい、と思っていると、

 

 

「このまま七原サンが死んだら、そのクロはスコットクンだから。そこんとこ、間違えないようにね?」

 

 

 なんて、とんでもないことを言い出した。

 

「……はァ?」

「何を急に……どうしてオレがナナハラを殺したことになるんだ!」

「いやだって、ちゃんと考えてみてよ。例えば平並クンが七原サンを刺してほっときゃ死ぬって時にさ、それを見つけた杉野クンがその前に首を締めて殺したら、クロは誰になると思う? はい、火ノ宮クン!」

「…………そりゃァ、平並と杉野じゃねェのか。共犯者は【卒業】できねェって最初の学級裁判で言ってたけどよォ、そんなもん、二人がかりで殺したも同然だろ」

 

 いきなり指名された火ノ宮は、先の言葉に戸惑いながら自分なりに答えを告げる。

 

「ブーーーッ! 残念不正解! 正解は杉野クンだけだよ! クロってのはねえ、トドメを刺した人間だけなの!」

「……チッ!」

「勝手に問題にされて勝手にクロにされる僕の方がよっぽど不愉快なんですが」

「良かったねえ、これが本番じゃなくて。ま、これは説明不備だから本番になる前に伝えたんだけどさ」

「じゃあ、オレがクロだってのも……」

「正確にルールに当てはめるとそうなっちゃうんだよね。七原サンを最初に刺したのが誰であれ、最後にメスや麻酔で七原サンの体をいじくり回したのはスコットクンでしょ? そうなると、スコットクンをクロって判定せざるを得なくなるんだよ」

「ふざけるなよ……! だったら、手術なんか――!」

 

 と、何かを口走りかけて、とっさにスコットは口を抑えて俺を見た。

 ……彼が言おうとしたことは、何となく分かる。とっさにそう言いかけた彼を責められるはずもないし、それを途中で止めたことこそが、彼の理性と善性を物語っている。

 

「にしても、明日川サンはうまくやったよね。執刀はスコットクンにまかせて自分はクロのリスクを避けるなんて。こんなんで退場とかやってらんないもんね」

「ち、違う! ボクはそんなつもり(伏線)で彼に頼んだわけじゃない! ボクはただ、七原君のためを思って!」

「……アスガワ、大丈夫だ」

 

 叫ぶ彼女を、拳を握りしめながらスコットが止める。

 

「コイツはただ、オレ達を煽りたいだけなんだ。オマエがオレに頼んだことも、オレが執刀したことも、何一つ間違ったことじゃない」

「ふーん、まだそんな事言えるんだ。そういうのを立派だと思ってる時点で未熟なガキンチョなんだよなあ。本質をなんにも理解できてないんだから」

 

 スコットを値踏みするように見下すモノクマ。

 

「まあいいや。ボクはただ、ルールを勘違いしてミスになるのが嫌なんだよ。クロが勝ち抜けるのは別にいいんだけど、そんなオチはそれこそ最悪でしょ。んじゃ、それを踏まえて続きをどうぞ!」

 

 楽しそうなモノクマは、そうやって勝手に話を切り上げた。

 

「つ、続きをどうぞって言われても……」

『なあ、もしも今回の事件に共犯がいるんだったら、今のモノクマの話を聞いて菜々香を襲った方は出てくるんじゃねえか?』

「そうですね。七原さんの生死に関わらず、自分は確実にクロでなくなったわけですから。黙っていれば、自分が処刑されてしまうかもしれませんし」

 

 杉野はそう告げて、しばし誰かが名乗り出るのを待った。

 しかし、誰からも声を上がらない。

 

「…………そうですか」

「チッ。これで出てきてくりゃァ早かったんだがな」

「ま、楽しめそうで何よりよ。これって、そもそも共犯じゃないってことよね」

「いや、まだ共犯のシナリオは潰えたわけじゃない。この極限のシチュエーションで共犯関係を結んだんだ。自分の物語が終焉を迎えるとしても、共犯相手を守る事を選択したとは考えられないか?」

「何バカなこと言ってんのよ。そんな事あるわけ無いでしょ。どこの世界に自分の命より他人を優先するヤツがいるのよ」

 

 明日川の意見を、呆れた声で一笑に付す東雲。俺としても諸手を挙げて賛同できるような意見ではないが、可能性はゼロではないと思うが。

 

「いや、しかしだ」

「う、うん……や、やっぱり共犯はおかしい……!」

 

 さらに反論しようとする明日川だったが、その台詞を根岸が封じた。

 

「何か気づきましたか」

「きょ、共犯になるってことは、そ、それぞれが城咲と七原を殺して二人ともクロになるってことだろ……? だ、だったら、な、七原にもトドメを刺してなきゃおかしいだろ……!」

「……言われてみれば、そうだな」

「そ、それなのに、さ、刺された跡も普通に動けるくらいの傷しか付けてないって……そ、それこそ、あ、あのナイフで襲った後に、く、首を切れば確実に殺せたはずだし……」

 

 根岸の言葉通りだ。確かに、七原は大迷宮の中で襲われて死にかけていた。手術をしなければそのまま息絶えてしまうほどに。けれども、裏を返せば即座に死んでしまうほどではなかったということになる。城咲の方は、斧を振るってすらいるのに。

 となると……。

 

「七原を殺すつもりはなかった?」

 

 そういう結論が導き出される。

 

「そ、そうなるかも……た、たまたま、ふ、深く刺さっちゃって死にかけてるってだけで……」

「……そうなると、共犯の線は薄そうですね」

「うーん、ごめん、時間取っちゃったね」

『いや、どうせ話しておいた方が良かった話だろ。あんま落ち込むな』

「うん、ありがとね、琥珀ちゃん」

「…………」

 

 便利な性格だな、という感想で、全員の感情が一致した気がする。

 

「一回、チェックポイントで何が起きたのかを整理しましょうよ。傷にしろ凶器にしろ、話が散らかりすぎてるわ」

 

 呆れながら、東雲が告げた。それを聞いて、大天が口を開いた。

 

「スタンガンの傷があったってことは、クロは城咲さんの背後から襲いかかったんでしょ? それであのサバイバルナイフでそのまま城咲さんを襲ったんだよね?」

「何言ってやがる。何聞いてたんだてめー」

「な……!」

 

 大天の語ったまとめを火ノ宮が即座に否定した。俺も、その推理は間違っていると思う。

 

「スタンガンなんだから最初に使って気絶させたって考えるのが普通じゃないの!?」

「普通ならな。けどよォ、死体の状況がそうなってねェだろォが」

「え?」

「スタンガンで最初に気絶させたとしたら、城咲の腹と背中に傷が付いてるのはおかしいんじゃないか?」

 

 火ノ宮に便乗するように、彼女の推理のミスを指摘した。

 

「……あ」

「腹の方の傷は一つだけで、最終的にうつ伏せで倒れてた事を踏まえると、多分、城咲は最初に腹を刺されてから、その後に背中を刺されたっていう流れになるはずだ。スタンガンで気絶させられたんだったら、こうはならない」

「じゃあ、スタンガンはいつ使われたの?」

「……腹部を刺した後、逃げられそうになったから、慌てて使ったんじゃないでしょうか」

 

 そんな意見を述べる杉野。

 

「そんな事をするくらいなら最初から使えばいいだろ。どうして途中から使うんだ」

「例えば、出来ることなら使いたくなかった、という線はどうでしょう。傷跡という証拠も残ってしまいますからね」

「それは……」

「それに、元々最初から使う予定だったのかもしれません。それが、彼女に躱されてしまったために途中で使うハメになってしまった、という線も考えられるのではありませんか?」

「…………」

 

 どうにも否定しきれない。述べているのが杉野だからって、無駄に反論しても仕方がないか、と思ったが。

 

「いや、そりゃねェな」

「と、おっしゃいますと?」

「そもそも、あのスタンガンが使われたのは、城咲が死んだ後だ」

 

 火ノ宮が、そんな推理で杉野の考えを否定した。

 

「根拠をお聞かせください」

「火傷の跡が残ってるって事は使われたスタンガンは超強力のはずだっつー話はしたよなァ。城咲がスタンガンを食らったのは腹を刺された後だろ? そんなもんを死にかけの人間に使ったら、それが死因になる」

「……ああ、なるほど。城咲さんの死因は失血死ですからね」

「そういう事だ。死因が失血死である以上、クロは、城咲が死んだ後にスタンガンを使ったんだ。斧とどっちが先かまでは分かんねェけどな」

 

 そして、華麗に論破する。そういう知識が深そうな明日川にも目で裏を取った。

 ……杉野も、【言霊遣いの魔女】である以上、これくらいの話なら知っていてもおかしくないが。たまたま本当に知らなかっただけなのか、それとも知らなかったふりをしているのか。……考えても無意味か。

 

「し、死んだ後にスタンガンって……お、斧以上に意味が分からないんだけど……」

「ですが、意味のないことをする必要はありません。何かクロの意図があるのでしょう。それはまだ不明ですが」

「とにかく、それを踏まえて話をまとめんぞ」

 

 状況を整理して、火ノ宮がもう一度流れを整理する。

 

「迷宮にやってきた城咲は、クロにまず腹を刺される。それで、逃げようとしたのか転んだのか、城咲はクロに背を向けちまう。そこをクロが狙って背中を刺して、城咲が息絶える。その後、順序は分かんねェけどスタンガンと斧を死んだ城咲に向けて使う……こうなるか」

 

 こうして流れを追ってみると、やはり城咲の死後にとったクロの行動が謎だ。その意図を読み解くことは出来るのだろうか。

 

「ねえ、ちょっといい?」

「あァ? なんか文句あんのか」

「文句じゃなくて。でも一つ気になってることがあるのよ」

 

 気になってること?

 

「城咲のダイイングメッセージのことよ」

「ダイイングメッセージ?」

 

 その存在を知らないスコットが声を上げる。

 

「終章に書き遺す最期の言伝だな」

「意味は知ってる。何か残されてたのか」

「厳密にはその痕跡だけどね」

 

 そう前置きして、城咲が迷宮の中でダイイングメッセージを遺した事、そしてそれがクロに血で塗りつぶされてしまった事をスコット達に伝えた。

 

「アンタ達もチェックポイントには行ったんでしょ? 気づかなかったの?」

「……言われて思い出した」

 

 まあ、彼らは一瞬城咲の死体を確認しに行っただけだ。あの衝撃的な光景を前にして、その周囲の証拠に気づけというのは酷な話だ。

 

「それで、何が気になるんです? 内容ですか?」

「内容なんて、クロの名前かそうじゃなくても七原と同じ『白衣』とかでしょ。そうじゃなくて、ダイイングメッセージを残せたこと自体が妙なのよ」

 

 妙、という割には少し誇らしげな表情で、彼女は話を続ける。

 

「あのダイイングメッセージって、どのタイミングで書いたわけ?」

「ど、どのタイミングって、し、死ぬ寸前だろ……お、襲われた直後に決まってる……」

「そうね。でも、クロの身になって考えてみなさいよ。クロは城咲のダイイングメッセージを上から塗りつぶしてるじゃない」

 

 ああそうだ。チェックポイント調べた俺達はよく知っている。

 ……何が言いたいんだ?

 

「当たり前だろ。もしかしたらそれが原因でクロがバレるかもしれないし、消すに決まって」

「そんな事するくらいなら、最初から書かせなきゃ良いじゃない」

 

 俺の言葉を途中で遮って放たれた東雲の言葉。最初から……あ。

 

「普通ダイイングメッセージが残るのって、犯行後に被害者がまだ生きてるのに犯人が先に逃げたケースじゃない。七原がそのケースね。この場合はダイイングメッセージが残るのは納得できるわ。だって、犯人が現場にいないんだもの。

 けど、城咲の場合は違うわ。サバイバルナイフで襲いかかって、その後城咲が死んでから斧とかを使ったんでしょ? 刺されてから死ぬまでにダイイングメッセージを書いたんでしょうけど、殺そうと襲った相手が何かを残そうとしてたら、そもそも書かせないように妨害するはずよ」

「でも、クロはそうしなかった……」

「そう!」

 

 彼女の説明で、その違和感が浮き彫りになる。確かに、妙だ。

 

「どうせ塗りつぶすのにわざと書かせるメリットは無いわ。つまり、クロは城咲がダイイングメッセージを書くのを妨害できなかったってことになるわね」

「ってことは……もしかして、一度現場から離れた、とか?」

 

 そんなアイデアを述べる露草。

 

「そうね。アタシはそう考えてる。例えば、サバイバルナイフで城咲を刺した後、動かなくなった城咲を見て死んだと判断して一度その部屋から離れたとか。その後の行動を考えれば、別のところに隠しておいた斧を取りに行った、とかそういう可能性があるわね」

『けど、ホントはかなたは生きてて、その隙にダイイングメッセージを残したのか』

「ってのがアタシの意見ね」

 

 東雲の話を聞いて、それぞれがその可能性を吟味する。

 

「別に一度部屋を出たとは限んねェよな? 斧を取るために少し目を離しただけかもしんねェ」

「いや、その(シナリオ)は落丁だな。それほどの短い時間(ページ)最期の伝言(ダイイングメッセージ)を遺せるとは思えない。犯人がすぐに気づいて妨害しただろう」

「そ、そうだ……そ、そうなったら、く、クロはスタンガンを使うだろうし……」

 

 けれども、クロがスタンガンを使ったのは城咲の死後だったはずだ。

 

『つまり?』

「……クロは、一度チェックポイントを出たんだ。そして、シロサキがダイイングメッセージを書いて、息絶えた後に戻ってきた……。おそらく、斧を手にして」

 

 スコットがそう結論づけた。その推理が100%当たっているとは断言できないが、きっと、そう外れたものでもないはずだ。

 

「……やはり、クロの動きが妙ですね」

 

 城咲の死因を起点に議論を重ね、おぼろげながらに事件のあらましが見えてきた。

 それでも、白白しく杉野が語る通り、クロの思惑はより不明瞭になっていく一方だった。なぜ、わざわざ一度現場を離れてまで、城咲に斧を振るう必要があったのだろう。

 

 

 真実という名の出口は、まだ見えそうにない。

 

 




いよいよ幕を開けた三度目の学級裁判。
クロの思惑は、果たして。


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非日常編⑤ 凡人は残酷な弓を射る

 三度目の学級裁判は、未だ混迷を極めていた。

 

 議論を重ね、クロが城咲の死後にわざわざチェックポイントに戻ってきた、という事まではたどり着いた。だが、そうまでしてクロが城咲に斧を振るいたかった理由まではまだ解明できていない。

 

「で、次は何の話をする?」

 

 相変わらず楽しそうな東雲が、誰に宛てるでもなく語りかける。

 

「城咲君に関する議論(エピソード)はまだ尽きていないだろう。大半(大筋)は語られただろうが、所持品など些細なストーリーも確認して(読んで)おきたい」

「あァ、分かった」

 

 七原を救うべく手術をしていた明日川、そしてスコットが必要なのは、とにもかくにも情報だ。現場を一瞥しただけでは得られない情報を手にしておかなければ、彼女らは議論に参加する権利を得られない。

 

「つってもそんな多くねェぞ。口にタオルが突っ込まれてたのは気づいたか?」

「ああ。倉庫のタオルだろう?」

「あれは猿轡の代わり、と判断していいのか?」

 

 そう疑問を投げるスコット。

 

「その判断で問題ないと思います。僕達が事件に気づいたきっかけは【運動エリア】に響いた悲鳴を聞いた事ですが、聞こえてきたのは城咲さんのものでなく七原さんのものでしたから」

「……ん。シロサキの悲鳴は聞こえなかったのか?」

「はい。七原さんの悲鳴が聞こえるまでずっと体育館にいましたが。おそらく、城咲さんを襲った時点で、同時に口をタオルで抑えたのでしょう。多少声が漏れることはあったかもしれませんが、少なくともドーム中に響き渡ったりなどはしていません」

「そのまま城咲の方は声を抑えたまま殺せたのね」

「……わかった」

 

 彼らの説明で納得した様子のスコット達。それを見て、火ノ宮が話を続ける。

 

「あと一つ、城咲に関して言っとかねェといけねェ事がある」

 

 その言葉とともに、彼は血に染め上げられた紙切れを取り出した。当然、それには見覚えがあった。

 

「それは何だ、火ノ宮君? 百億円札(超高額紙幣)のようだが」

「コイツが城咲のポケットに入ってたんだ」

「それがどうした……ん? それ、破けてないか?」

 

 スコットが指摘したとおり、その百億円札は角が欠けている。

 

「破けてる。切れ端は、城咲が握りしめてた。多分、クロともみ合って、城咲が百億円札の一部を破り取ったんだ。偶然そうなったのか意図してそうなったのかは分からねェが、少なくとも、一糸報おうとしたんだろォな」

「ん? だが、その破いた百億円札がシロサキのポケットにあったんだったら……」

「あァ。城咲を殺した後にクロが城咲が元々持ってた百億円札と入れ替えたんだ」

 

 そう、確か捜査中にもそんな話になったはずだ。結局、ここから犯人の特定には繋がりそうにない。

 ……ん? 本当にそうか?

 

「明日川。ちょっと確認してもいいか」

 

 火ノ宮の持つ百億円札を見ているうちに、あるアイデアを思いついた。

 

「お札には識別番号が載ってるだろ?」

「識別番号……記番号の事だな?」

「いや、正式名称までは知らなかったが……」

 

 今明日川が記番号と答えたのは、お札に印字されているアルファベットと数字で構成された文字列の事だ。

 

「この番号って、確か同じ番号はなかったはずだよな?」

「ああ。数行前のキミの台詞にあった通り、識別するための番号だからね。昔は重複も許していたようだが、【絶望全盛期】以降に発行された紙幣は記番号の桁を増やして完全に重複をなくしている」

「……あ。も、もしかして……」

 

 俺の思いついた考えを、根岸も察したらしい。

 

「お前、あの血のついた百億円札の記番号に見覚えはないか? あれは元々クロに配られた百億円札だ。あれと同じ記番号の百億円札を事件前に持っている奴がいれば……」

「そ、そいつが犯人だ……!」

 

 俺の言葉尻を根岸が奪う。

 

「何、これで終わっちゃうわけ?」

「明日川が答えられればな」

 

 そして、俺達の視線が一箇所に集まる。

 

「どうなんだ、アスガワ」

「……生憎だが」

 

 しかし、返ってきた台詞は望んでいたものではなかった。

 

「確かにボクは完全記憶能力を有している設定だが、視界に入ったもの(ページに書かれた文字)を正確に読み解けるかはまた別の話だ」

「えっと……棗ちゃん、どういう事?」

「ボクの視力は常人並、という話さ。現に、数ページ前から火ノ宮君が掲げている赤く染まった百億円札の記番号も、ボクには読めていない」

「……そうか」

 

 言われてみれば、至極当然の話ではある。実際、俺も読めていないわけだし。明日川の完全記憶能力も何にでも使えるようなものじゃないということか。

 

「力になれず、すまないね」

「いや、こっちが無理を言ったんだ」

 

 しかし、そうなると本当にあの百億円札から犯人にたどり着くのは厳しそうだ。

 

「んなら、城咲に関連して話せる内容はもうねェな」

「そうか、ありがとう。ならば、次の議題(テーマ)に本を移すとしよう」

 

 殺された城咲についての情報共有が済んだのなら、次は当然、もう一人の被害者についての話になる。

 

「なら、七原について話をしよう。明日川。七原について何か情報があれば教えてくれ。七原の傷についてとか、一応確認しておきたいからな」

「わかった」

 

 彼女はそう短い返事で了承し、手術で得た情報を語りだした。

 

「七原君がクロにつけられた傷は、右の脇腹後方付近の一つだけだった。その位置から推察するに、逃げている最中に後ろから刺された、という物語が彼女にはあったのだろう」

「一つだけ? 城咲には何度も刺したのに?」

「ああ。ただ、その一つの傷が致命傷になりうる傷だった。内蔵を大きく傷つけたわけではないが、激痛が彼女を襲ったのは違いないし、出血量があまりにも多い。忌憚なく所見を述べさせてもらうならば、病院に運んだ(シーンを移した)時点で彼女は息絶えていても(本を閉じていても)おかしくはなかったほどだ」

 

 事実、自らの血にまみれた七原を俺達は目撃している。その時点で、彼女は死線をさまよっていた。

 

「さっきも、んな話をしてたけどよォ、七原はまだ確実に助かったワケじゃねェって認識でいいんだよなァ?」

「ああ。無論、ボク達も最善を尽くしたが……意識はまだ取り戻せていないし、このまま終章を迎えてしまう可能性(プロット)も、否定はできない」

「……こうやって話しているうちに目を覚ましてくれれば、オレもクロにならずに済むんだがな」

 

 話題の中心となっている七原に視線が集まっても、彼女が意識を取り戻す気配は未だに感じられない。

 それでも、彼女は必ず目を覚ますはずなのだ。

 

「大丈夫だ。七原は【超高校級の幸運】なんだ。きっと、目を覚ますさ」

「そうですね。今は、彼女の才能を信じるしかありません」

「……明日川。七原の持ち物はどォだ。妙なもんはなかったか」

 

 彼女から視線を外して、議論を再開する。

 

「特筆する内容はないが、一応説明して(書き記して)おくとだ。彼女のパーカーのポケットからは、賽子(サイコロ)やダブルクリップ、洗濯バサミといった小物が多数出てはきたよ」

「あ、それ私知ってる。なんとなく手でいじってると落ち着くとか……」

 

 そういえば、最初の事件が起きる前に皆でカレーを作ったあの日、持ち物検査と称して七原のポケットの中身を確認した時にそういう小物が色々出てきたか。

 

「ボクも随分昔(何章も前)に彼女本人からその話を聞いていたよ。その他には、それこそ彼女に配られた百億円札があったくらいだな」

「まあ、持ち歩いていてもおかしくはありませんね。僕も持ち歩いていますし」

「翡翠もなんとなくポケットに入れたままだなあ」

『別に持ち歩く必要はねえんだけどな』

 

 聞こえてくる話からすると、大半の人がそうしているらしい。

 

「他はァ?」

「いや、もう無い(これで在庫切れだ)。ああ、彼女の持ち物がどれも血まみれだったことは告げておこう」

「そんなのわざわざ言われなくても分かるわよ。あんな血まみれで倒れてたんだし、城咲の百億円札があんな真っ赤だったんだから」

 

 明日川の親切心から出た台詞を煽られているとでも受け取ったのか、東雲が口を尖らせて文句をつけた。どんな勘違いがあるかわからないんだから、一応付け足したっていいだろうに。

 

「それでは、七原さんの身に何が起きたのかを議論してみましょうか」

 

 明日川達からは必要な情報を得られたと判断して、杉野が議論の音頭をとる。

 

「な、何が起きたのか……な、七原は後ろから刺されたんだったよな?」

「ああ。傷から読み解くとね」

「じゃ、じゃあ、な、七原はクロから逃げようとして、に、逃げてる途中に刺されたんじゃないか……?」

「逃げる途中に? シロサキはクロの思惑通り襲われたはずだろ。なぜナナハラは一度逃げられているんだ」

「し、知らないよ……! く、クロが何か失敗したんだろ……!」

「そんな適当な……」

「いや、根岸の推理であってると思う」

 

 七原は犯人から逃げる途中に襲われた。きっと、それが真実のはずだ。

 

「さっき、クロは元々七原を殺すつもりじゃなかったって話になっただろ。そもそも、クロにとって七原を襲うことはアクシデントだったんだよ」

「そう断言できる根拠を語ってもらおうか。元々七原君を殺さない程度に傷つける計画(プロット)だったという可能性(シナリオ)もあるだろう?」

「……いや、その可能性は限りなく低いと思う」

 

 明日川の疑問に、少し考えてからそう答えを出す。

 

「もし最初からそんな風に七原を襲うつもりだったら、七原は確実に生かして何か自分に有利な証言をさせるとか、そういう目的があったはずだろ。それなのに、死にかけるほどの傷を負わせてるのは筋が通っていない。二人も殺す必要なんかないわけだし。それに、大迷宮に七原が残したメッセージも『白衣』っていう更衣棟を調べればすぐに分かる情報だけだ。初めから七原を襲う計画だったとすれば、リスクに対してメリットが少なすぎないか?」

「……ふむ。確かに一理あるな」

 

 無事に明日川を説得できたようだ。

 

「推測だが、七原は犯行現場を目撃して、だからクロに襲われたんじゃないかと思う」

『まあ、真っ先に思いつくのはそれだよな』

「一応そう思った理由もある」

 

 そう前置きして、俺は推理の根拠を語る。

 

「そもそも前提として、七原は城咲の死体を見てるんだ」

「死体を?」

「ああ。俺と東雲が迷宮に入って最初に七原を見つけた時、まだ七原は少し喋れるだけの元気があったんだ」

 

 

──《「しろさき……さんが……お……斧で……!」》

 

 

 弱った小さな声で、それでも確かに彼女はそう告げた。

 

「その時に、城咲が斧で襲われたって事を言ってたんだ。斧のことまで知ってるんだから、七原が城咲を見つけた時点で城咲は死んでいたはずだ」

「そういう事になりますね。城咲さんに斧が振るわれたのは、彼女の死後ですから」

 

 その前提の元、七原がクロに襲われた理由を考える。

 

「だから七原は、犯行現場を……いや、犯行現場と言うより、犯行後に斧で城咲の頭を割っている所を目撃したんじゃないかと思う。その時にクロが七原の存在に気づいて、慌てて追いかけた……こういう流れが自然だと思う」

「そうね。チェックポイントから出口までの途中に血溜まりがあったでしょ。そこから出口まで七原が這った跡もあったし、チェックポイントから逃げようとしてあそこで追いつかれたんでしょうね」

 

 東雲も彼女なりの推理を語る。その内容は、俺の想像している通りだった。

 

「加えて説明するなら、チェックポイントからその血溜まりまで、そしてそこから隠し通路を通ってシャワールームまで点々と、滴り落ちたような血痕が続いていました」

「ああ、さっきシノノメが血痕が残ってたって話をしてたな」

「ええ、その血痕です。おそらくこれが犯人の通った経路なのでしょう」

「だったらなんで犯人は菜々香ちゃんにトドメを刺さなかったんだろ。菜々香ちゃんに見られてまずいと思ったから慌てて追いかけたんだよね?」

「と、とどめを刺す必要は無いって思ったんじゃないか……?」

 

 露草がつぶやいた疑問に、根岸が答えを出した。

 

「な、七原を襲った時は口を抑えそこねて、ひ、悲鳴を上げられたんだろ……? そ、それで誰か来るかもって思って、す、すぐに逃げようと思ったんじゃないかな……」

「実際、その悲鳴を聞いて俺達が大迷宮まで来たからな」

「そ、そうだろ……?」

『犯人は目出し帽をかぶってたんだよな。なら、菜々香を殺せなくても正体はバレないと思ったのかもしれねえ』

 

 そういう自信があるからこそ、犯人は七原を襲うのをやめて更衣棟を目指したのだろう。

 

「そうかもね。実際、七原のダイイングメッセージにも『白衣』としか書かれてなかったわけだし」

「だ、だから、と、トドメを刺す時間も惜しんで逃げ出したんだと思う……へ、下手に大迷宮に長居するほうが、り、リスクが大きい気がするし……」

「最初から、誰かに見つかる可能性も考慮して目出し帽を被っていたのかもしれませんね。殺す相手から顔を隠しても、さほど意味はありませんし」

 

 微かに、あくまで微かにだが、事件の流れが明らかになっていく。

 この議論の先に出口があるかもしれないと、少しずつ、思えてくる。

 

「あと、もう一つ気になる事があるわ」

 

 そんな議論に、そんな東雲の声が拍車をかける。

 

「そもそも、どうして七原は大迷宮にいたのかって事よ。城咲と違って、七原が大迷宮に来たのはアクシデントだったわけでしょ?」

 

 そう告げて、東雲は皆の顔を窺う。犯人の思惑が絡んでいないのなら、なぜ七原はあんなところに。

 

「……それが一番の問題だよなァ」

「もしかすると、特別意味があるわけでは無いのかもしれませんよ」

 

 その疑問に、一つの答えを出したのは杉野だった。

 

「ただの気晴らしや、遊びの一環で大迷宮に行っただけかもしれません。この状況下で果たしてわざわざ大迷宮に向かう理由があるのか、という疑問も尤もですが、気まぐれに向かった先で事件に巻き込まれた可能性がゼロとは言い切れないでしょう」

「まあそりゃ、アタシも普通に大迷宮に遊びに行ったりはしたけど……」

「……もしかしたら」

 

 その会話を聞いて、ふと思いついたことがある。

 七原が気まぐれに大迷宮に向かったのなら、その要因に一つだけ思い当たるものがある。

 

「コイントスでもしたのかもしれない」

「コイントス?」

「前に教えてくれたんだ。何か迷った時は、コイントスで決めるって」

「ああ」

 

 何かに思い至ったように、明日川が声を上げる。

 

「確かに、七原君は硬貨(コイン)を握りしめていたな」

「そう、そのコインだ。七原は自分が【超高校級の幸運】だって自覚してたからな。何をして過ごそうかを考えたアイツは、そのコインの結果に従って大迷宮に向かったのかもしれない」

『ちょっと待て、凡一』

 

 そんな声とともに、露草がグッと左手にはめた黒峰を突き出した。

 

『別にコイントスの話を疑うわけじゃねえが、なんかおかしくねえか?』

「琥珀ちゃんの言うとおりだよ! だって、菜々香ちゃんは【幸運】なんだよ? それなのに、菜々香ちゃんがたまたま犯人を見ちゃって襲われちゃうなんて、なんか変じゃない?」

「…………」

 

 その露草の言葉は、確かに俺も抱いた疑問だった。彼女がコインに従って、その結果自分が刺されてしまうという不幸に陥るなんて、【超高校級の幸運】たる彼女らしくはない。

 けれども。

 

「…………この状況が、七原の【幸運】なんじゃないか」

 

 七原菜々香は【超高校級の幸運】である。その絶対的な前提の元この現状を解釈すると、浮かび上がってくる答えがあった。

 

「どういう意味ですか、平並君」

「……七原は偶然クロを目撃して、それで襲われる事になったわけだが、それはクロにとっても()()な事だったはずだろ」

「そりゃァそォだろォな。隠し通路のカードキーを用意してたってことは最初から隠し通路で逃げる計画だったんだろォが、七原に悲鳴を上げられたもんだから慌てて逃げなきゃいけなくなったわけだ」

「実際、アタシ達が駆けつけたしね」

 

 賛同する声が上がる。

 

「そうだろ。こんな日中に事件を起こしたんだ。本当なら十分に凶器や血の処理をしてから合流するとか、何か綿密なクロの計画があったはずなんだ」

「それが、七原君の【幸運】のおかげ(せい)崩壊(落丁)した、というわけか」

「……ああ」

 

 犯人にとっての不幸は、すなわちその正体を明らかにする俺達にとっての幸運という事になる。この結果を引き起こすのに、七原自身が傷を負う必要があったかまでは分からない。けれども、七原が取った行動が、巡り巡って犯人特定へと繋がりそうであることに異論はなかった。

 

「何が【幸運】だ」

 

 そこに、憎々しげな声が放りこまれた。

 

「ナナハラが【幸運】だって言うなら、どうしてシロサキは殺されたんだ。後少しでも早く大迷宮に向かっていれば、犯行を止められたはずだろ」

「……スコット」

「ナナハラにとって、シロサキはどうでもいい存在だったって事なのか?」

 

 まっすぐに、彼と視線がぶつかる。苛立ちと不安が共存した瞳が、静かに揺れていた。

 

「……違う。それは違うぞ」

 

 その勘違いだけは否定しなくてはならない。七原がそんな薄情な人間だと、そんなことなどあり得るはずがない。

 

「そもそも、七原の幸運は何もかもがうまくいくようなものじゃないんだ。もし七原の幸運がそんな万能なものだったら、今回の事件どころかこれまでの事件だってきっと起きていないし、そもそもこんなコロシアイに巻き込まれてなんかいないはずだ」

 

 きっと、七原の幸運はもっと限定的なものなのかもしれない。例えば、彼女自身にのみ影響するような。

 彼女が奇跡的に回避したという飛行機事故も、その事故自体を止めたわけではない。彼女の幸運をもってしてもどうしようもないことだって、この世界には存在するのだ。

 

「スコット君。先程から何度か話されている通り、今回の事件において、七原さんが襲われたことはアクシデントです。その結果をもって七原さんを責めるような言い方をするのは、あまり好ましくはありませんよ」

「…………分かってる」

「一応聞きたいんだけど、城咲さんが大迷宮に来たのはクロの計画通りなんだよね?」

当たり前(たりめェ)だろ。こんだけ凶器も血痕も準備してんだから、殺す相手を呼び出してねェわけねェだろ」

「分かってるよ。だから『一応』って言ったじゃん」

 

 ぶっきらぼうな答えを返されて憤慨する大天だが、火ノ宮はそれを無視した。……今の彼が大天に抱いている感情を考えれば、それもやむなしか。

 

「でも、結局、呼び出し状は見つからなかったんだっけ?」

 

 そんな険悪なムードに気づいているのかいないのか、のんきな声で東雲が尋ねる。

 

「あァ。個室の方は調べてねェが……」

「俺と杉野が調べた。個室にも見当たらなかったぞ。焼却炉は火ノ宮が調べてたはずだし、今回は呼び出し状は使われてないんだろうな」

 

 火ノ宮に視線で問われたので、捜査の結果を答える。

 

「ってことは、城咲は口約束で大迷宮に呼ばれたのかしらね。ま、これまで二回とも呼び出し状で色々議論したし、呼び出し状を使っても無駄に証拠を残すことになるわけだからそうしたんでしょうけど」

「……そうなると、城咲さんはクロが誰なのか知っていた、という事になりますね」

「じゃァ、あのダイイングメッセージには、クロの名前が書かれてたのか」

「ええ、おそらくは。だからこそ、クロが塗りつぶしたのでしょうけど」

 

 呼び出された先で襲われたのだから、クロがどんな格好をしてようとも、彼女にとってその正体は火を見るより明らかだったはずだ。

 

「そ、それにしても……な、なんでそんな誘いに乗ったんだろ……? わ、わざわざ大迷宮に呼び出すなんて、さ、殺害予告と同じようなもんだろ……!」

「……城咲さんだから、じゃないかな。罠だって分かってて犯人を止めるために呼び出しに応える人だから。もしかしたら、城咲さんを狙ったのも、そういう理由があるのかも」

 

 と、大天は実体験を想起させるような口調で根岸の疑問に答えを出す。

 

「ああ、俺もそう思う。城咲が護身術に優れてることなんて、俺や大天以外にも周知の事実だったはずだ。それでも城咲を狙った理由が気になっていたが、今回の事件は、大迷宮に殺す相手を呼び出すことが前提だ。だからクロは、城咲の優しさにつけ込んで――」

 

 

「違う」

 

 

 瞬間、俺の思考を止める呟き。

 

「…………違う、違うんだ……」

 

 その声の主、スコットは、床に視線を落としながら、うつろにそう呟いていた。

 

「……スコット君。その台詞に至った背景(地の文)は何だ?」

「約束、したんだ……」

 

 明日川に促され、彼は語りだす。

 

「……アイツは、一人で抱え込みすぎるきらいがある。皆に奉仕するのが自分の幸せだって思ってるのはいいんだが、いつも自分のことが誰かの二の次になってる上に、誰かに頼ろうって想いが少なすぎるんだ」

「…………」

「この前の事件で呼び出し状に応えた事だってそう。毒物事件の後に思いつめてた事だってそうだ。悲劇を止めるのは自分一人の役目だと、アイツはなぜか勘違いしていた」

「それで、約束を?」

「ああ。『一人で無茶はするな』と。『何かがあった時はオレを頼れ』と。『これ以上事件を起こしたくないのは、お前だけじゃない』と」

 

 城咲との会話を思い出しながら語る彼は、悔しそうに右手を握りしめていた。

 

「だから、もしも大迷宮に呼び出されたとしても、一人で向かうはずがないんだ! 犯行を止めるために呼び出しに応えようとしたんだったら、オレを引き連れて大迷宮に行ったはずなんだ!」

「……そうだったんですか」

「け、けど、実際、し、城咲は一人で大迷宮に行ったんだろ……?」

「…………それが、謎なんだ。オレに何か言ってくれたって良かったのに」

 

 急浮上した、城咲の謎。なぜ城咲は、一人きりで大迷宮にむかったのか?

 その理由を考えてみる。あれ程の事を言われ、それでもスコットに相談しなかったのは……。

 

「……言わなかったんじゃなくて言えなかったんじゃないのか?」

「……何?」

「一人で来るように、クロに指示されたから。そのクロが誰かってことが分かっていたのに、それでも相手が誰かを言うことすらできなかったんじゃないのか」

「……脅されてたって言いてェのか?」

「…………ああ」

「お、脅されてたって……じゃ、じゃあ、クロは……!」

 

 何かに思い至った様子の根岸。その彼の視線の先には、ため息をつく岩国がいた。

 

「その短絡的な思考をやめろ。大方俺が『秘密ノート』を受け取ったからそう考えたんだろうが、そもそもメイドが脅されていたかどうかすら今凡人が語った推理の一端に過ぎない。確証のない根拠で他人を疑うな」

 

 根岸の暴論に、岩国は静かに正論を返す。実際、他人を脅す『秘密』を知っている岩国は疑わしいが、それだけで岩国をクロと決め付けてしまうのはあまりに雑なロジックだ。

 

「は、はぐらかすなよ……!」

「確実性のある話をしろと言っているんだ。現状確実なことは、『メイドが脅された』という事じゃない。『メイドが一人で大迷宮に向かった』という事だ」

 

 現状でどこまで断言できるのか。学級裁判では、それを履き違えないように慎重になる必要がある。

 

「だが、城咲はスコットと約束したんだろ。その約束を破る理由なんて、脅されたから以外に何があるんだよ」

「そもそも、メイドが手芸部の事を信用していなかった可能性は?」

「……そんなはず!」

「無いと言い切れるのか? 手芸部」

 

 否定しようとしたスコットの言葉を、冷たく切り裂く岩国の声。

 

「………………」

 

 それきり、スコットは黙ってしまった。どれだけ親しく話していても、どれだけ相手のことを想っていても、誰かの心中を知ることなど、不可能なのだから。

 

「ねえ、スコットちゃん。かなたちゃんがいなくなったときのこと、もう一回教えてもらってもいいかな?」

「…………ああ」

 

 彼は暗い表情のまま、それでもわずかに声を返した。

 

「……元々、食事スペースにオレとシロサキとアスガワの三人がいたんだが、シロサキがアスガワにコーヒーをかけて、アスガワが風呂に行くために食事スペースを離れたんだ。その後、少ししてオレが宿泊棟のトイレに行って、食事スペースに戻ってきたときにはもうシロサキがいなくなってた」

「その後は、ずっと食事スペースに?」

「……ああ。当然不審には思ったが、食事スペースを離れるわけにも行かないからな。倉庫に何かを取りに行ったか、シロサキもトイレに行ったのか……考えにくいがそう判断して、食事スペースに残っていた」

 

 スコットがそう考えるのも無理はない。大迷宮に向かったなどとは露ほども考えなかっただろう。

 

「それで、シロサキを待っているうちに、例のアナウンスが鳴ったんだ」

「では、その後すぐに大迷宮へ?」

「いや……その時点じゃ現場が分からなかったからな。倉庫や宿泊棟のトイレの様子を窺っているうちに大浴場から出てきたアスガワと合流したから、別のエリアを探しに行ったんだ」

「合流?」

 

 言われてみれば、スコットは明日川と共に大迷宮にやってきた。視線が明日川に集まって、目線で話を促す。

 

「ボクが大浴場で入浴していた(サービスシーンを演じていた)という話は伝わっているだろう? ボクが着替え終わって髪の毛を乾かしている時にあのアナウンスが流れて、慌てて大浴場を飛び出したら中央広場のあたりに焦っているスコット君がいた、というあらすじだ。その時に(ページで)、城咲君の失踪(落丁)を知ったんだ」

「ふむ、そういう経緯でしたか」

「……やっぱり、改めて考えると、【超高校級のメイド】である城咲が明日川にコーヒーをかけるなんてドジを踏むのは違和感がある。だが、あれがわざとだったって話なら納得できる」

「ボクを食事スペースから引き離すためにしたと?」

「そっちの方が自然だろ?」

「……たしかにそうだな。偶然城咲君が一人になったと考えるより、有り得るシナリオだ」

 

 城咲が明日川を食事スペースから遠ざけたのが城咲の意図によるものだとしたら、当然、もう一人の方にも同じ可能性が出てくる。

 

「じゃ、じゃあ、スコットがトイレに行ったのも、し、城咲が何かやったんじゃ……」

「何を言ってる。オレは別にシロサキに促されてトイレに行ったわけじゃないぞ」

「い、いや、そ、そうかも知れないけど……り、利尿作用のある食材とか、は、腹を下しやすい料理とか、何か食べさせられたんじゃ……」

「シロサキが、オレにそんな事……!」

「スコット君。何か、城咲さんから提供されたものを飲んだり、もしくは食べたりしましたか?」

「………………飲んだ」

「……そうですか」

 

 もちろん、これで決まり、という話にはならない。けれども、城咲が自分一人になるために仕組んだ可能性は高まってきた。

 

「ともかく、経緯はどうあれ城咲さんは一人で大迷宮に向かったのです。そして、自分でわざとそうなる状況を作ったのかもしれない、という可能性があることも覚えておいたほうがいいかもしれませんね」

 

 杉野が、今の一連の流れを総括した。

 その背景はともあれ、城咲はクロの思惑通りに、そして七原はクロの想定外に大迷宮にやってきた。そして、ふたりとも事件に巻き込まれたということになる。

 

「さて、お二方についての話はもうよろしいでしょうか?」

「そうね。大概話したでしょ」

「では、これで城咲さんと七原さんに関しての情報共有は済んだという事になりますが……他に何か、気になることはありますか?」

 

 と、杉野がスコット達に尋ねる。彼は少し悩んでから、口を開いた。

 

「……チェックポイントの血が気になる」

『かなたが倒れてたところか?』

「ああ。あの血の量はなんだ?」

「確かに、城咲君一人の血液とは思えないな。七原君が流した血液も含まれていたのならまだ理解できる(筋が通る)けれど、彼女が刺されたのはチェックポイントでなく通路だ。あの血は、どこから湧いてきたんだ?」

 

 チェックポイントに広がっていた巨大な血溜まり。彼らが疑問に思うのも当然だ。

 

「それなら結論が出ています。先程、更衣棟のシャワールームの話になった際に、輸血パックの空が置かれていたと説明があったでしょう? 城咲さんと七原さん以外に血を流している人も見られませんし、あの血は輸血パックのもので間違いないでしょう」

「ん? 先程(前話)で、輸血パックの血はシャワールームに撒かれていたと平並君の台詞に書かれていたが……」

「あー、言い方が悪かったな。輸血パックが四つあったってことは言っただろ? シャワールームに撒かれたのは、量からするとそのうちの一つだけだ。それも厳密に言うと、シャワールームに撒かれたんじゃなくてブルーシートの中の凶器やらにかけたのが床に滴っただけなんだが……」

「ですから、残り三つ分がチェックポイントに撒かれたものだろう、と判断したのです」

「……なるほど」

 

 スコットが、納得の声を上げる。

 

「あ、あの血って、は、犯行の前に撒いたんだよな……? は、犯行中にそんな暇は無いし、お、斧を使った後は、な、七原を追ったんだし……」

「ええと……ああ、そうだと思う。城咲の靴底に血がついてたから、犯行の前に血を撒いておいて、そこに城咲がやってきたはずだ」

「な、なんで……?」

「え?」

 

 想定外の返しで、つい疑問符を浮かべてしまった。

 

「は、犯行後に血を撒いたんだったら、な、何か都合の悪いものを消したとか考えられるけど……ほ、ほら、シャワールームの方はそういう目的だろうし、し、城咲のダイイングメッセージを消したのもそういうやり方だし……け、けど、は、犯行の前にわざわざ血を撒いて、な、何の意味が……」

「……言われてみりゃァそォだな」

 

 根岸の意見を聞いて、各々がその理由を考える。

 真っ先に口を開いたのは大天だった。

 

「血で、城咲さんの足を滑らせたかった、とか」

「と、いいますと?」

「城咲さんって護身術を身に着けてるみたいだから何か対策がないと殺すのって難しいじゃん。実際、私は前に邪魔されたし……」

「その意見(台詞)間違っている(書き直すべき)かもしれないな。床に血を撒いて理想の状態(ベストコンディション)で振る舞えないのは犯人も同じだろう」

「……そっか」

「ショッキングな光景を作りたかった、とかはどう? 床一面に血が広がってたら、相当刺激的な光景になるでしょ。これなら斧を使った理由も、『そっちの方が派手だから』って説明が付けられるわ」

「確かに筋は通りますから、それを否定はしませんが……そういった、犯人の思考が狂っていることを前提にした解釈は、議論を尽くした後の最終手段とすべきでしょう。そういうアイデアを安易に採用しては、何でもアリになってしまいます」

「何よ。じゃあアンタもなんか意見出しなさいよ」

「そう言われましても……」

 

 提案と否定が続く。

 死体の頭を斧で叩き割るようなヤツの行動に、合理的な理由などあるのだろうか。それならいっそ、東雲が唱えたイカれた推理の方がよっぽど正解に思えてくる。

 けれども、それを安易に答えとしたくない。掴みどころのない謎を前にして、分かりやすい答えに飛びついているだけな気がしたから。

 

「…………」

 

 考えよう。これまでに議論で明らかになった事実がカギになるのか。それとも、まだ議論できていない何かが関わっているのか。

 俺が手に入れた情報を、全て吟味しろ。

 

「……あ」

 

 声が漏れた。

 待てよ。まだ話し合っていない事がなかったか? それこそ、血溜まりに関する事柄で。

 

「なんかひらめいたか、平並」

「ひらめいたと言うか……血溜まりに関係することで、まだ話し合っていない事があっただろ」

「は、話し合っていないこと……」

「もしかして、入口側に続く引きずった跡のことですか?」

「そう、それだ」

 

 答えてくれたのは杉野。まあいい。

 

「明日川達も、何を言ってるかは分かるだろ」

「ああ。城咲君の死体(書影)を確認した時に、チェックポイント(惨劇の舞台)から入口(表紙)側へ血が続いているのは視界に捉えている(描写されている)。もっとも、ボク達はその後出口(裏表紙)側へ引き返したから、その詳細までは確認できていない(読めていない)が」

 

 ……明日川の言ってる事のほうがよくわからないな。話は通じるようだからいいが。

 

「チェックポイントから入口に向けて、何かで引きずったみたいに血の跡が残ってたんだ。入り口につく少し前にかすれて途切れたみたいだったが」

『そんなとこまで、何を引きずったんだ?』

「……は、白衣じゃないのか……?」

 

 確信めいた自信を持って根岸が答える。

 

「白衣だァ?」

「う、うん……あ! い、いや、ぼくのじゃなくて……! しゃ、シャワールームに置かれてたっていう、く、クロが使った遠城の白衣の方……!」

「章ちゃん、理由があるの?」

「お、おまえはぼくと一緒に調べたから知ってると思うけど、あ、あの白衣の(すそ)が土とかで汚れてて……ふ、普通に着て裾が汚れるような身長の奴はいないし、だ、だったら、わ、わざとどこかで引きずったってことだろ……?」

「……そうですね。そうなると、その白衣を引きずったのは迷宮の中のあそことしか考えられません」

「そ、そうだよな……!」

 

 自分の意見が賛同され、興奮する根岸。

 

『犯人がそれをしたのって、犯行の前だよな?』

「そうでしょ。さっきも誰かが言ってたけど犯行後にそんな時間無いし」

「ってことは、えっと、犯人は何かやりたいことがあって白衣を引きずって、それであんな血の跡が残っちゃったの?」

「……いや、逆だな」

 

 露草の推理を聞いて、とっさにそんな言葉を出した。

 

「クロはああやって血の跡を残したかったんじゃないか? そのために迷宮に血を撒いて、白衣を引きずったんだよ。単に白衣を汚すために引きずりたかっただけなら血をつける必要は無いだろ。迷宮の廊下に血を残すことが目的だったんだ」

「も、目的って……じゃ、じゃあ、く、クロはなんでそんな事をしたんだよ……?」

 

 ……そうだ、さらにもう一歩先の目的があるはずだ。

 廊下に血がある状況と無い状況で、何が変わる? クロや城咲の動きは、どう変わる……?

 

「……あ」

 

 犯行の状況を頭で思い描くために、俺が大迷宮に足を踏み入れた時の事を思い出して気づいた。その時の俺の動きが、そのままこの謎の答えになっていた。

 

「道案内だ」

「…………あァ、そう言うことか」

 

 火ノ宮の、納得する声が聞こえる。

 

「クロが城咲を大迷宮に……例えばチェックポイントに呼び出したとして、中は迷路になってるんだから何の道するべもなくチェックポイントには到達できないだろ。そんな事が出来るのは、一度迷宮を踏破して、かつ記憶力に優れている明日川ぐらいだ」

「ああ、おそらくそうだろう」

「城咲に迷われたら犯行に影響が出るかもしれないし、下手をすれば真正面に鉢合わせてしまうかもしれない。それを防ぐために、道標として血を廊下に残したんだ」

「なるほどね。確かにアタシもそれを追いかけてチェックポイントまで一発でたどり着けたし」

 

 東雲も、そして俺も、あの血痕のおかげで迷路を踏破できたのだ。わざわざチェックポイントに呼び出さなくとも、大迷宮の中にさえ呼び出すことができれば、後は勝手に血を追ってチェックポイントまで走ってくれる。

 

「だから、わざわざチェックポイントに血を撒いたんですね。城咲さんをチェックポイントへと誘い出す、道標を作るために」

「そのはずだ」

「だが、そのためにあれだけ大量に血を撒く必要があるのか? 輸血パックを3袋分も使ったんだろ?」

『途中で血がかすれたらまずいし、多めに用意したんじゃないのか?』

「も、もしかしたら、さ、さっき東雲が言った事も間違ってなかったのかも……ほ、ほら、しょ、ショッキングにしたかったってやつ……そ、そうすれば、し、城咲の気を引く事ができるから、お、襲いやすくなるはずだし……」

 

 そして明らかになる、床一面の血溜まりの真相。

 あれは、偽装工作ではなく、犯行そのものの手段の一つとして用いられたものだった。

 

 

 大迷宮に散らばった証拠と謎が、議論によって一つの大きな流れにまとまっていく。

 それは微かに、けれども確実に、学級裁判という名の迷宮の出口を照らし始めている。

 

 

「ねえ、そろそろいいんじゃないの?」

 

 そして、議論はついに核心に迫る。

 

「大概の情報は共有できたわ。謎も残ってるけど、証拠の大部分については議論できたでしょ」

「ええ、そうですね」

 

 もう、真実を明らかにする証拠はそろっているはずだ。

 

「それでは、話し合うといたしましょう。城咲さんを殺したクロは一体誰なのか、という最大の謎について」

 

 ピリッ、と、裁判場に冷たい空気が駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、クロを突き止めるために、クロの動きを確認してみましょうか」

 

 例によって、杉野が指揮を執る。犯行時のクロの動きを追えれば、クロの条件が見えてくる事になる。

 

「犯人は、大迷宮に城咲さんを呼び出し、背後からナイフで襲いかかりました。そして、複数回城咲さんにナイフを刺した犯人は、一度チェックポイントから離れます。その後、おそらく斧を手にして現場に戻ってきた犯人はスタンガンと斧を城咲さんに使用しますが、この現場を七原さんに目撃されてしまいます」

「で、七原を口封じに襲った後に、隠し通路を使ってシャワールームに逃げたのよね。その後、着替えたクロはそこに凶器や白衣を放置して、アタシ達に合流した……そういう流れだったかしら」

「はい、その通りです」

 

 杉野のまとめを、東雲が途中から奪う。クロは、巧妙に大迷宮を逃げ出したのだ。今更、大天をクロだと決めつけているヤツなどいない。

 

「そして、この一連の流れの中で、犯人特定に繋がるのは、シャワールームでの行動でしょう」

 

 ……ん?

 

 何故か、その杉野の声に違和感を覚えた。

 今の言葉に異論があるわけではない。それなのに、なんだ、この、気持ち悪さは。

 

「岩国さん、この学級裁判の序盤で、シャワールームについて話した時に『話が進みすぎている』としてお止めになりましたが、今もまだそうおっしゃいますか?」

「……まさか。もう基本的な議論は終えた。好きに話せ」

「では、そうさせていただきます」

 

 議論のセオリーを知る岩国にも確認をとって、杉野は話を始める。

 皆、杉野の言葉を待っている。まるで、彼の独擅場のように。

 

「犯人は、犯行後に大迷宮から更衣棟のシャワールームへと逃走しました。先程東雲さんも語られましたが、凶器などをそこに放置して僕達に合流したわけですが……平並君」

 

 突如、杉野に名前を呼ばれる。

 

「……なんだ?」

「犯人がシャワールームでその他にしたことは何か分かりますか?」

 

 その答えは分かる。あの現場を見ればきっとその予測は立つし、学級裁判の序盤でスコットが言おうとして岩国に止められたのもそれだ。

 ただ、それを俺に聞く意味が分からない。どうせ杉野自身も答えにたどり着いているだろうし、そのまま言えばいいのに。

 

「……返り血を洗い流したんだろ」

 

 意図もわからないまま、その問いに素直に答える。

 

「クロがシャワー室を使ったという事はさっきも話しただろ。シャワールームで何かの血を洗い流したようだが、凶器は全部棚に放置したんだから、洗い流したのは返り血のはずだ」

「ええ、僕も同じ意見です」

 

 穏やかな声色で、優等生を褒めるような声で杉野が告げる。嫌な寒気が肌をなぞる。

 

「クロは遠城君の服を着て、更に目出し帽まで被って犯行に及びましたが、それでも血を受ければ裏にまで透けてしまうはずです。例えばシャツの上から白衣を前後逆に羽織ったとしても、その下まで血が透ければ当然その処理が必要になるはずです。そうですよね?」

「……あァ」

「それなら良かったです」

 

 安心した、とでもいいたげな声の杉野。そしてそのまま彼は喋りだす。

 

「では、今の推理からクロの満たしている条件を考えましょう」

「条件……」

「クロは、犯行後に訪れたシャワールームで着ていた遠城君の服を脱ぎ捨てると、返り血を流すためにシャワーを浴びた(のち)に、自分の服に着替えて更衣棟を後にしました。そして、その後僕達と合流するまで数分と経っていません。すなわち、その時点で、クロは……」

「か、髪が濡れてるんだ……!」

 

 丁寧に、思考を誘導する杉野の声。その杉野が言葉を溜めた瞬間に、根岸が叫んだ。

 

「その通りです、根岸君」

 

 それを待っていた、と言わんばかりの杉野。

 

「この時点で容疑者は三人に絞られるのです。大迷宮へと合流した時点で、髪を濡らしていた三人に」

 

 三本指を立てた手を胸の前に示しながら、コイツは語り続ける。

 

「すなわち、明日川さんに東雲さん。そして、火ノ宮君。この三人が容疑者です。異論はありませんね?」

「無論だ」

「そうね」

「あァ」

 

 杉野に名前を挙げられた三人は、それぞれに返事をする。

 

「一応、それぞれ髪が濡れている理由を今一度お伺いしましょうか。僕が言うよりも、本人に説明してもらった方が良いでしょう」

「では、ボクから台詞を並べようか。ボクの場合は大浴場で体についたコーヒーを洗い流した結果さ。湯船での入浴(サービスシーン)を終えて体を拭いた(ページ)であの絶望のチャイムを聞いたからね」

 

 明日川は、大浴場で。

 

「アタシがシャワーを浴びたのはクロと同じ更衣棟のシャワールームだけど、アタシはただ汗を流しただけよ。使ったシャワールームも違うわ。アタシが使ったのは1番のシャワールームよ。ほら、水色の」

 

 東雲は、更衣棟で、髪を濡らした。

 そして、火ノ宮は。

 

「オレは個室でシャワーを浴びただけだ。浴びた理由も単に眠気覚ましのためだけで、別に大した意味はねェ。目ェ覚ましたばっかだったからなァ」

 

 個室で、シャワーを浴びたと。そう主張した。

 彼の主張は、以前と変わらなかった。

 

「…………」

 

 その主張が嘘であると、俺と杉野は知っている。

 なぜ、彼は嘘をつくのだろう。

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 その嘘に、なぜか杉野は言及しなかった。……どうして?

 だったら俺はどうすればいい。今、その嘘に触れるべきか。

 けれど、それをすれば、信じたくない答えが返って来るかもしれないと。そんな恐怖が、俺の声を喉奥に引き止めた。

 

「さて、それではこの中で一体誰が城咲さんを殺したのかを議論いたしましょう」

「……なら、まず一人、容疑者から外せるヤツがいる」

 

 彼の嘘を暴くべきかと、ためらっているうちにスコットが声を上げた。……火ノ宮の件は、ひとまず今は置いておこう。

 

「アスガワは、犯人じゃない」

「ふむ。その理由をお伺いしましょうか」

「犯行時間、明日川は証言通り大浴場にいた。コーヒーをかけられた後、アスガワがちゃんと大浴場に入ったのも、あのアナウンスの後にその大浴場からから出てくるのもオレが目撃してる」

「つまり、ボクの現場不在証明(アリバイ)は成立している、というわけだな?」

「ああ」

 

 先程の明日川自身の説明にもあったが、明日川は死体発見アナウンスを聞いて、大浴場を飛び出てスコットと合流している。二人の証言が一致しているのなら、そこに疑いの余地はない。

 

「では、犯行の間中、明日川さんはずっと大浴場の中にいたということになりますね。城咲さんが失踪したタイミングにはスコット君は席を外していましたが……もしもそのタイミングで大浴場を抜け出し犯行を行っていたのなら、アナウンスの流れた後に大浴場から現れる事は不可能です」

『なら、棗は容疑者から外してもよさそうだな』

「それはどうかしら?」

 

 黒峰の言葉に、異を唱える声が上がる。

 

「そうやって安易に結論づけるのは早いと思うわ」

 

 挑発的な目の東雲だった。

 

「でも、棗ちゃんにかなたちゃんを殺すのは無理だよ」

「たった今申し上げたでしょう。大浴場を抜け出すことは出来ても、戻ってくることが出来ないのです」

「大浴場へ続く道は食事スペースで城咲君を待つスコット君に見張られている。【自然エリア】から繋がるゲートで立ち往生するのが結末(オチ)だ」

「一見すればそう思えるでしょうね。けど……そうね。アンタ風に言うなら、アンタはそう主張することが犯行計画(プロット)だったのよ」

 

 彼女らの主張に、明日川の台詞を揶揄しながら反論する東雲。

 

「アンタのその主張(台詞)、もしも隠し通路があったって考えれば、何の意味もないじゃない」

「……隠し通路?」

「ええ。更衣棟から大浴場まで隠し通路があったとしたら、犯行の後もスコットに見つからずに大浴場に戻ってくる事が出来るわ」

「それは……」

 

 確かに、東雲の言う通り、それなら明日川にも城咲を殺すことは可能だ。可能だが。

 

「明日川はクロじゃねェよ。変なとこに拘るのはやめろ」

「変なとこなんかじゃないでしょ。現に、大迷宮から更衣棟に繋がる隠し通路はあったじゃない。大浴場に隠し通路がないってどうして断言できるわけ?」

「……仮にあったとしても、明日川は使ってねェ」

「何それ。反論になってないわ。明日川がクロじゃないって言うなら、ちゃんと理由を言ってちょうだい」

「…………」

 

 東雲にそう返されて、火ノ宮は黙り込んでしまった。

 更衣棟から大浴場に隠し通路……? 俺達が捜査の時に使った大迷宮から繋がる隠し通路と違って、もしそんなものが存在すれば、遠く離れたエリアをつないでいる事になる。それほど大きなものが存在するのか?

 ……違うな。技術力を考えても意味がない。だから、考えるべきはそうではなく……。

 

「いえ、これ以上隠し通路は存在しないでしょう」

 

 思考の果てに至った結論が、俺が口にするより先に杉野によって語られた。

 

「へえ……その根拠は?」

「この施設が、モノクマが『推理ゲーム』のために用意した施設だからです。隠し通路なんて推理を根底から覆すようなものを、モノクマが用意するとは思えません。なにせ、モノクマは『公平』を謳っていますから」

 

 

──《「とにかく! ボクはちゃんとオマエラがちゃんと推理が出来るように色々気をつけて準備してるの! 推理のしようがないようなアンフェアな状況は排除してるワケ!」》

 

 

 捜査をしているさなか、モノクマは俺達にそう語った。きちんと捜査をすれば、学級裁判で必ずクロを見つけられる……少なくとも、それが可能になるほどに情報は集められるということだ。

 

「そんなこと言ったって、もう現実に一つ隠し通路があるじゃない。一個でも隠し通路がある以上、二個目三個目が無いなんて言い切れないはずよ」

「いえ。モノクマ曰く、あの隠し通路に繋がる扉のカギは大迷宮側からはかけられず、隠し通路を通って逃走したのならカギが開いた状態になるそうです。つまり、隠し通路が使われたならその存在が捜査の時に必ず明らかになるのです」

「だから、あの隠し通路は推理に組み込める、『公平』なものということか?」

「その通りです、スコット君。逆説的に、そうでなければ隠し通路など存在しない、ということになりますね。大浴場や更衣棟に怪しい扉があった、というのであれば話は変わってきますが」

「…………」

 

 杉野の言葉を聞いて、東雲は顎に手を当てて考え込む。

 そして。

 

「オーケー、分かったわ。明日川は本当にクロじゃなさそうね」

「ご理解いただけたようで、何よりです」

 

 穏やかな声を出して話を終える杉野。

 

「それでは、残る容疑者は東雲さんと火ノ宮君のお二方、ということになりますね」

 

 そして更に絞られる容疑者。

 

「……ならもう、決まりだろォが!」

 

 先陣を切るようにして、叫び声が聞こえる。火ノ宮の声だった。

 

「そもそも、明日川が容疑者から外れるかどうかなんて関係ねェんだよ! 東雲がクロに決まってるんだからなァ!」

「アタシ? ま、アンタからすればそう言うしか無いでしょうけど」

「んなこたどうだっていいんだよ。てめー、更衣棟から出てきたんだろォが!」

「そうね。確かに犯行の時間、アタシは更衣棟にいたし、シャワーも浴びてたわ。でもそれは、トランポリンで遊んでかいた汗を流したかったからだって言ったでしょ。そうよね、平並?」

「あ、ああ……」

「フン、どうだかな。城咲を殺した後、慌てて返り血を流してから平並達に合流しただけじゃねェのかァ?」

「……確かに、かなり慌てた様子だったが」

 

 大迷宮の前に俺達から少し遅れてやってきた東雲は、服のボタンもまともに留めていなかった。七原の悲鳴を聞いて慌てて更衣棟を飛び出した、というのが彼女の説明だった。

 

「だが、七原の悲鳴を聞けば誰だって慌てる。実際、俺もかなり慌てて大迷宮に駆けつけた」

「まったく、言いがかりもいいところね。反論なんか山程思いつくわ」

 

 余裕綽々、といった様子の東雲。

 

「いい? アタシには城咲を殺す時間なんか無いのよ」

「時間だァ?」

「そ。アタシは体育館でトランポリンで遊んでたわけだけど、ずっと平並と杉野と一緒だったって事は知ってるでしょ?。で、先にアタシは切り上げて更衣棟に向かったわけだけど、一人になった時間はそう長くはないはずよ。そんな短時間で大迷宮に行って城咲と七原を襲って戻ってくる? 無理よ無理無理」

「っ……」

 

 彼女の説明を聞いて、火ノ宮は裏を取るように杉野を見る。

 

「ええ、確かに、犯行が行われた時間の直前まで……正確に言えば、七原さんの悲鳴が聞こえるその少し前まで、東雲さんは体育館にいました」

「ほらね」

「…………」

「け、けどさ……」

 

 沈黙した火ノ宮に代わって、根岸が反論を試みる。

 

「そ、それって、時間とか測ってたのかよ……?」

「……いや、測ってたわけじゃないが」

「お、おまえには訊いてない……!」

 

 ……厳しいな。

 

「ま、まあいいよ……で、じ、時間をちゃんと測ってないんだったら、か、確実に東雲に犯行が無理だ、なんて言えないんじゃないのか……?」

「それこそ言いがかりじゃない。アタシをクロだって決めつけてるだけでしょ」

「い、いや、別に東雲がクロだって決めつけたいわけじゃない……! け、けど、ど、どう考えたって怪しいのは東雲の方だろ? そ、そこは慎重にならなきゃいけないから……」

「……確かにな。シノノメが体育館にいたのも、更衣棟に行くための言い分を作るためかもしれない。どれだけ気を付けても、犯行後に更衣棟から出ていく所を見られるリスクはあるだろ」

「俺は東雲が更衣棟から出てくる所を見たわけじゃないが、万一見られてもいいように最初から言い訳を作っておいたと?」

「かもしれない、という話だ」

 

 ……真実はどうなのだろう。東雲のこれまでの言動を振り返ると、東雲は十分に犯行に及び得る人間だ。命を懸けた学級裁判を『樂しい』と表現してしまう彼女は、その楽しさとスリルを味わうためだけに城咲を殺したっておかしくないと思える。火ノ宮とは対極の人間だ。

 けれども、東雲を怪しい、と疑うことはできない。彼女は次に開放される海を楽しみにしていたし、それに、何より……。

 

「東雲さんは、おそらくクロではないでしょう」

 

 怪しいのは東雲だという意見が飛び交うさなかを、芯の通ったその声が切り裂いた。

 

「あら、信じてくれるの?」

「も、もっとハッキリとした根拠があるのか……?」

「申し訳ありませんが、東雲さんを信じたと言ってしまうと嘘になってしまいますし、明確な根拠があるというわけでもありません」

「じゃ、じゃあ、なんで……」

「そもそも疑うべき人物が東雲さんではないのです」

 

 凛と、ハッキリと告げる杉野。

 

「東雲さんは確かに怪しいです。普段の言動もそうですが、体が濡れていた、身だしなみに気を使う余裕もなくやってきた、そして、渦中の更衣棟にいた……疑う理由も十分揃っています。けれども、これらは偶然が積み重なった結果ともいえます。東雲さんが悪意なく取った行動なのに、それが怪しい行動として見えてしまっているだけかもしれません」

「そ、それは……まあ……」

「しかし、そうではなく、悪意を持って不審な行動を取った人物がいるのです」

 

 『悪意を持って』。

 それが杉野の告げた通り、本当に悪意によるものなのか、そこまでは俺にはわからない。けれども、それが俺達を騙そうとする行為であることは確かであり、だからこそ俺は東雲を疑いきれなかった。彼を、疑うしか無かった。

 東雲以外に、疑うべき人物。それは、容疑者が二人に絞られた今となっては、誰の目にも明白なものだった。

 

「火ノ宮君。あなたのことですよ」

「…………オレが何したっつーんだよ」

 

 心当たりは、あるはずだ。

 

「こう仰っていますが。平並君、どう思われますか?」

 

 火ノ宮の様子を見て、杉野は俺の名を呼ぶ。

 ……ああ、そういうことか。ようやく杉野が……【魔女】が何をしたいのかを理解する。これまで、コイツの声から感じた気味の悪さの正体にも気づく。

 退路を全て断った上で、劇的に彼を追い詰めんとしたかったのだ、コイツは。

 

「…………」

「……答えていただけませんか。気持ちは分からないでもありませんが……真実から目をそらしても、その果てには破滅があるだけですよ」

「ッ!」

 

 どの口が言うんだ。全部、お前が仕組んだんだろうが。

 

「何をごちゃごちゃ言ってやがる。さっさと答えろ!」

「では、言わせていただきますが。火ノ宮君。先程あなたは自身の髪が濡れている事について、『個室でシャワーを浴びていた』、そう答えましたよね?」

「あァ」

 

 肯定する火ノ宮。……やはり、彼はそれを肯定してしまう。

 

「それ、嘘ですよね? あなたがシャワーを浴びたのは、個室などでは無いのですから」

 

 そして、ついに杉野は告げる。火ノ宮の証言が嘘であることを。

 

「……えっ?」

 

 その声を聞いて、皆が戸惑いを顕にしながら火ノ宮を見る。

 

「……何を根拠に、んなこと言いやがるんだ」

「根拠も何も、この目で見ましたから」

 

 焦るような火ノ宮に問われ、杉野は淡々と告げる。

 

「……ッ」

「念の為に証言の裏を取ろうと、火ノ宮君の個室のシャワールームを確認したんですよ。ですが、その床はまっさらに乾いていました。そうですよね?」

 

 杉野の目線が、それに釣られるようにして皆の視線が俺に移る。杉野とペアを組んで捜査をしていたのは、俺だ。

 

「……ああ」

 

 そして、俺はその光景を目撃した。それを否定する事はできず、力なく首肯と共に声を漏らした。

 それを見た杉野は軽くうなずく。その表情が、俺の目には満足そうな笑顔に映った。

 

「これで皆さんもおわかりでしょう。火ノ宮君の髪が濡れていたのは、個室でシャワーを浴びていたからなどではないからだと」

「…………」

 

 火ノ宮は、杉野の声を聞きながら少し俯いて床をにらみ付けていた。

 

「どうしてそんな事を今の今まで(学級裁判編の終盤まで)黙っていたんだい? 議論に欠かせない重要な要素(ページ)だろう」

「申し訳ありません。ですが、この嘘を暴くならこのタイミングでしか無いと思ったのです。余計な先入観を抱いてもいけませんし。特に打ち合わせたわけでもありませんが、平並君もおそらく同じ考えで黙っていたのでしょう」

 

 違う。

 俺はそんな打算的な感情でこの事を黙っていたわけじゃない。ただ、信じたくなかっただけだ。あの火ノ宮が嘘をついていると。あの、火ノ宮が……。

 

「ど、どういうことだよ、ひ、火ノ宮……!」

「……嘘ついてて悪かった」

「…………なら、オマエの髪はどこで濡れたんだ」

 

 静かな、感情を押し殺すようなスコットの声。それを聞く火ノ宮には、いつもの、そして先程までの覇気はなく、少し考え込んでから口を開いた。

 

「……本当は、オレも大浴場に行ったんだ。そこでシャワーを」

「それも嘘でしょう」

 

 火ノ宮の声を遮って、杉野がピシャリと告げる。

 

「もし本当にそうなのであれば、最初からそうと言えば良かったのです。それなのに、あなたはそうしなかった。そうできない、理由があった」

「…………」

 

 杉野は、追い詰める。

 致命的な嘘をついた火ノ宮を、理路整然と、追い詰める。

 

「なぜ、個室でシャワーを浴びたと嘘をついたのか。その答えが何を意味するのか……もう、この場の全員が理解しています」

「違ェ……! オレは何もやってねェ! オレは……オレは!」

 

 懸命に反論する火ノ宮だが、その口からロジックが出てこない。そんな芯の無い言葉では、何を言っても信用することはできないし、おそらくはそれを彼自身も理解しているはずなのに。

 

「……平並君」

 

 そして急に、杉野は俺の名を呼んだ。

 

「お願いします。これまでのように、いつものように、彼の犯行を明らかにしていただけませんか。きっと、彼に罪を認めさせるには、あなたの言葉が必要なのです」

 

 真剣な声に乗せて杉野は俺にそう頼むと、そのまま口を閉ざして俺の言葉を待つ。その杉野の声に誘導されたように、皆も彼に倣って俺を見つめていた。

 

 謀られた。

 

 どう考えても、ここで杉野が俺に託す意味がない。俺の言葉が必要? そんなはずはない。杉野がそのまま喋り続けていればよかったのだ。

 それなのに、杉野は俺に押し付けた。火ノ宮の罪を暴く致命的な一言を。

 この一言を俺が口にすることで、【魔女】の描いた愉快な物語は完成する。

 

 シリアスな表情で俺を見つめる【言霊遣いの魔女】と、視線がぶつかる。

 【魔女】は、火ノ宮を言葉巧みにそそのかして殺人を犯させたのだ。そしてそれを俺の口から告げさせようとしている。【魔女】の犯行を必死に止めようとした、俺の口から。

 すべては、自らの享楽のために。そのために、俺が語らざるを得ないこの状況を作り上げたのだ。

 

 【魔女】を睨みつける俺の口の中で、ギリと歯ぎしりの音が鳴る。

 何もかもが、コイツの思い通りになんてなってたまるか。まさか、本当に火ノ宮が人を殺すはずなど無い。きっとまた、何かを勘違いしているのだ。

 そう自分に言い聞かせようとしても、脳裏に浮かぶのはあの使われていないシャワールームだけ。俺が何を言い繕ったとして、火ノ宮が嘘の証言をしたことは疑いようのない事実なのだ。だからこそ、こんなにも火ノ宮は疑わしく見えてしまっている。

 

 信じたい、火ノ宮を。殺人を忌避すべきだと唱え続けてきた火ノ宮を。仲間達を信じ続けてきた火ノ宮を。古池達を殺した責任を負って前を向きたいと呟いた火ノ宮を。

 火ノ宮は、人を殺すということに、誰より真面目に真正面から向き合っている。そんな彼が、あまつさえあんなやり方で城咲を殺すはずなど無いのだ。

 

 けれども、彼が無意味に嘘をつくことこそあり得ない。あの火ノ宮が嘘をついたということは、何か隠したい真実があったという事にほかならない。それが、殺人という罪だったのなら、嘘をついた理由はあまりにも明白なものになる。

 

「…………」

 

 決断を迫られている。

 

 まだだ、諦めるな。思考を止めるな。脳を回せ。

 火ノ宮が疑わしいのは、嘘をついたという一点だけだ。この一点に合理的な理由を付けることができれば、火ノ宮がクロだという結論にはならないはずだ。

 

 なぜ火ノ宮は嘘をついた。個室でシャワーを浴びていた――そう偽って、彼はどこで何をしていた?

 アイツの言動を思い出せ。その中に、その疑問の答えが潜んではいなかったか。

 

 

 

 

 

 

 悩んで、悩んで、悩んで。

 

 

 

 

 

 

 その思考の果てに、俺は一つの結論を出した。

 

 彼は、罪を犯してしまったのだと。その罪を隠すために、彼は嘘の証言をしたのだと。

 

 

 

 

 

 

 信じたくない。彼がそんな事をする人間だとは思えない。否、思いたくない。

 

 けれども、その真実以外に答えは見つからなかった。

 

 

 

「……火ノ宮」

 

 

 

 息を吸い込んで、証言台の縁を握りしめて。そして遂に、俺はその言葉を口にした。

 

 彼の罪を明らかにする、一言を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、明日川の風呂を覗いたんだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 間の抜けた杉野のそんな声が、裁判場に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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非日常編⑥ 善き人のためのカノン

「今、なんとおっしゃいました?」

 

 珍しく困惑した声色で、杉野が俺に問いかけてくる。その声色は、きっと(ブラフ)じゃないのかもしれない。

 

「火ノ宮は明日川の風呂を覗いたんだよ。大浴場で。それを隠したくて、火ノ宮は個室でシャワーを浴びていたと嘘をついたんだ」

 

 そんな杉野に、俺は導き出した結論を告げた。

 

「何を、バカなことを……」

 

 そう告げて顔をしかめたのも一瞬で、すぐに杉野は諭すような表情を作る。

 

「……平並君。あなたが火ノ宮君の事を信じたいのは分かります。もちろん、僕だってそうです」

 

 聞こえてくる声色は、認めたくない真実に心を痛めているかのようだった。

 

「ですが、真実から逃げた先に何があるというのです。……あなたが言わないのなら、僕が言いましょう。火ノ宮君は、城咲さんを殺したのです。その罪から逃れようと、彼は嘘をついていたのです」

 

 

「それは違うぞ!」

 

 

 確信を持って告げる杉野に、それでもNOを叩きつける。

 

「火ノ宮は城咲を殺してなんかない!」

「……強情ですね」

「コイツらはこう言ってるけど?」

 

 俺達の言い合いを見て東雲が疑問を投げたのは、渦中の火ノ宮だった。

 嘘が暴かれ、何かを隠していることが明らかになった彼は。

 

「……オレは」

 

 ポツリと、本心を漏らした。

 

「オレは、明日川の風呂を覗いた……」

「……!」

 

 やはり、そうだったのか。

 

「火ノ宮君、本気で言っているのか?」

「……あァ」

 

 眉をひそめる明日川に、彼は力なく肯定を返した。

 

「ななな、何やってるの! 最低だよ! 範太ちゃん!」

「…………クレーマーの名が聞いて呆れるな。この性犯罪者め」

「ぐ……!」

 

 女性陣に驚愕と侮蔑の目を向けられ、苦しそうに胸を抑える火ノ宮。

 

「返す言葉も、ねェ……!」

「お、おまえ、ま、まじか……」

「覗きって……何、あの高い壁をよじ登ったってこと?」

 

 そんな彼の様子を見て、東雲が呟く。

 

「いや、そうじゃないんだ。……あの大浴場は、壁にうまく穴が開いてて、男子風呂から女子風呂が覗けるようになってるんだよ」

「何それ。聞いてないんだけど! ……皆知ってたの?」

 

 順に男子陣の顔を見渡す大天。それを受けて、彼らは一様にバツが悪そうに顔をそらした。

 

「どういう事?」

「……昨日、皆で大浴場に行っただろ。その時にモノクマが教えてきたんだ。そういう穴を用意したって。……俺達は覗いてないからな!」

「ふーん……」

 

 まるで信じてないとでも言いたげな目。

 

「章ちゃん、そんなものがあるってどうして教えてくれなかったの?」

「ど、どう言えって言うんだよ! い、言い出すきっかけなんかなかったし、そ、その覗き穴を使ったと疑われるのもやだったし……」

 

 と、根岸は大天の疑うような目線を見ながら答える。謂れのない疑惑を受けたままなのも癪と思ってなにか弁明をしようとしたところで、

 

「信用できないわね」

 

 と、東雲の声が聞こえてくる。

 

「そう言われても、覗いてなんか……一応、あの時は全員見張り合ってたから互いに証明は出来るぞ」

「そっちじゃないわよ。いや、そっちにしたって全員グルになってたら意味ないけど、一旦それは置いておくわ」

 

 グルって……そんなの変態集団だぞ。

 

「アタシが言いたいのは、火ノ宮の自白の事よ」

 

 つまり、火ノ宮が明日川の風呂を覗いたという事に関してか。確かに、俺も火ノ宮がそんなことをするとは思えないし、信じがたいという事には同意する。

 ただ、東雲が言いたいのはそう言うことでは無いようだった。

 

「明日川の風呂を覗いたって言ったけど、それこそ、自分の犯行を隠すための嘘でしょ」

「僕も同意見ですね」

 

 そして、その言葉に賛同する声が上がった。言わずもがな、杉野だった。

 

「でも、覗きなんて不埒な事、範太ちゃんは嘘なら言わないと思うけど」

「それが殺人と覗きの二択であれば、覗き魔の汚名くらい平気で被るでしょう。なにせ、自分が城咲さんを殺したと認めてしまえば、自分は『おしおき』されてしまうのですから」

『まあ、死ぬよりはマシだな』

 

 その言葉だけを聞けば、筋が通っているようにも思える。火ノ宮の自白は言ってしまえば口先だけだ。なんとでも言えてしまう。

 

「嘘を暴かれた彼は、どうここから弁明すべきかを考えたのでしょう。そこで、貴方が言い出した『覗き』という意見に便乗して僕達を欺こうとしているのです」

「と、というか……そ、そもそも、ど、どこから覗きなんて出てきたんだよ……ぼ、ぼくもてっきり、ひ、火ノ宮がクロだと思ったんだけど……」

 

 当然のように訝しむ根岸。俺がその結論に至った理由を説明できれば、【魔女】はともかく他のみんなは説得できるかもしれない。

 

「最初は、単に火ノ宮がクロって思いたくないだけだったんだ。だから、何か反証が無いか色々考えて、それで思い出したんだ」

『思い出したって、何をだ?』

「火ノ宮の言葉だよ」

 

 

 

──《「明日川はクロじゃねェよ。変なとこに拘るのはやめろ」》

 

──《「変なとこなんかじゃないでしょ。現に、大迷宮から更衣棟に繋がる隠し通路はあったじゃない。大浴場に隠し通路がないってどうして断言できるわけ?」》

 

──《「……仮にあったとしても、明日川は使ってねェ」》

 

 

 

「さっき明日川を容疑者から外すかどうかの話になった時に、火ノ宮は明日川をかばっただろ。明日川は無実だって。妙な確信もありそうな様子だった」

「そ、それがどうしたんだよ……け、結局明日川にはアリバイがあったんだから、その主張は当たってたってだけじゃないのか……?」

「だが、火ノ宮はその明確な根拠を言わなかったよな。アリバイの件はスコットから出た話だし、それを補強した隠し通路がこれ以上存在しないという話をしたのは杉野だ」

 

 実際の所は、杉野は火ノ宮がクロだと思い込んでいたから、そういう話をして主導権を握り、火ノ宮がクロだという話に誘導したかっただけかもしれない。けれども、コイツが何を考えながら行動したかはどうでもいい。

 

「自分自身も容疑者なのに、根拠もなしに明日川の無実を主張するなんてあり得ない。となると、火ノ宮が抱いていた根拠は人には言えないものだったんだ。じゃあ、その人に言えない理由は何か?」

「……その答えが、大浴場でボクの入浴場面(サービスシーン)を覗いていたから、というわけか」

「そういうことだ。だから火ノ宮は、嘘はついたがクロじゃないんだ。火ノ宮はただ、覗きを隠そうとしただけで――」

 

 

 

「そんな歪んだ声、聞きたくありませんね」

 

 

 

 俺の声をかき消すように、杉野の澄んだ声が響いた。

 

「……何が言いたい」

「あなたの推理が、到底聞けたものではないという事です。岩国さんの忠告を忘れたのですか? 今の貴方の言葉は『火ノ宮君がクロではない』という結論ありきで真実を歪めているようにしか聞こえませんでした」

「…………」

 

 事実、その結論を導くために頭を回したことを否定はしない。けれど、真実を歪めた気など毛頭ない。

 

「じゃあ、俺の推理のどこが間違っているかを教えてもらおうか」

「間違っているも何も、あなたの発想は突飛すぎるでしょう。岩国さんの言うところの、妄想というやつです」

 

 呆れたような声で、杉野は俺の推理を打ち崩そうとする。

 

「確かに火ノ宮君は明日川さんを無実だと判断した根拠を語ってはくれませんでした。しかしそれは、自分がクロだったからなのではありませんか?」

「……何?」

「自分がクロなら、当然明日川さんが無実ということも把握しています。だからこそ確信を持って明日川さんをかばうことができたのでしょう」

「バカ言うな。クロがそんな事をして何になる。自分から容疑者の枠を減らす事になるんだぞ」

「あの時点での容疑者は火ノ宮君を除くと明日川さんと東雲さんの二人……この状況下で、火ノ宮君がクロだと疑うのなら状況証拠を考えやすい東雲さんしかいないでしょう。後でその主張をするために、明日川さんの方に対しては無実を主張したのではありませんか? 実際、火ノ宮君はその後東雲さんを攻め立てましたよね?」

 

 

──《「そもそも、明日川が容疑者から外れるかどうかなんて関係ねェんだよ! 東雲がクロに決まってるんだからなァ!」》

 

 

 確かに、そういう流れにはなった。なったが。

 

「お前だって気づいてないわけじゃないだろ。容疑者が残り二人だけになったら、互いが互いをクロだと主張するしかあり得ないんだよ」

「そうですね。自分がクロだということを隠さなければなりませんから」

「そうじゃない! 自分がクロじゃないんだから、相手をクロだって指摘するのは自然なことだって言ってるんだ!」

 

 と、わずかに反論を試みるものの、本質的な反論にはなっていない。俺は杉野が口にした可能性を何も否定できていないし、火ノ宮が風呂を覗いたという自分の主張も何一つ証明できていない。

 

「いかがです? 自分の主張がどれほど荒唐無稽なのかが理解できましたでしょうか」

「…………」

 

 ……厳密に言えば、致命的に俺の主張が否定されたわけじゃない。杉野の主張だって不十分のはずだ。まだ、互いに自分の意見を言い合っているだけに過ぎない。けれども、俺と杉野の口論になれば、他のみんながどっちを信用するのかはなんとなく肌でわかる。

 互いにロジックが完璧でないのなら、あとは口八丁の杉野の言葉のほうが説得力が強く聞こえてしまう。火ノ宮がクロでないと信じている俺でさえ、杉野の言葉に揺さぶられているのだから。

 まさか、本当に、火ノ宮が……そんな想像が脳裏をかすめる。

 

 違う。惑わされるな。信じろ、火ノ宮を。……覗きをしたやつを信じるというのも、おかしな話だが。それでも、人を殺すという行為の前には遥かなる壁がある。火ノ宮はその壁を飛び越えるようなやつじゃないはずなんだ。

 

 とにかく、なんでもいいから確実に火ノ宮が覗きをしたという証拠が必要だ。俺が根拠にしたような台詞回しを捉えたようなものじゃなく、もっと確定的な、何かが。

 けれども、何も思いつかない。男子風呂の床でも濡れていれば話は別だが、誰もそんな所を捜査などしていないだろう。

 

 考え方を変えよう。要は、覗きそのものを証明できなくとも、火ノ宮と明日川が同じ時間に大浴場にいたことさえ証明できればいいのだ。その証拠を今俺が持っていなくとも、渦中の明日川か火ノ宮から引き出せればいい。

 そうだ、音はどうだろう。明日川に聞いて、男子風呂から音や声が聞こえなかったかを質問すれば……いや、聞こえていたのならもうとっくに言っているか。洗い場のシャワーの音が向こうまで届いているかは定かじゃないし、火ノ宮が覗きのために大浴場に来たのなら、下手に音を立てて明日川に気取られるのは避けたはずだ。

 となると、他に証明できそうなことは……。

 

「……明日川。お前が大浴場で風呂に入っている時、何か独り言を喋ったりしたか」

 

 そう考えて、次に思いついたのはこれだった。

 

「いや、すまない。ボクは地の文は多いが独り言を語るキャラクターではないのでね。大浴場で独りごちてなどいないんだ」

「そうか……」

 

 返ってきたのはそんな台詞。

 明日川が女子風呂で呟いた台詞を火ノ宮が言い当てることができたのなら、火ノ宮が明日川と同じ時間に大浴場にいたことになり、すなわち、火ノ宮にもアリバイが成立する。これなら、火ノ宮の無実を証明できる。そう思ったのだが、そもそも喋っていないというのなら言い当てるも何もない。

 言われてみれば、至極当然である。湯船に浸かる音くらいは聞けたかもしれないが、一人でべらべらと喋り続けるやつはいな……いても露草くらいだ。皆で大浴場に行った時に破廉恥な話を明日川は楽しそうに喋っていたが、アレも皆がいてこそだろうし。

 

「……あ」

 

 と、あの時の会話に思いを馳せた瞬間だった。

 あるじゃないか、明日川の風呂を覗いた人間しか知り得ない事実が!

 

「……ほくろだ!」

「え?」

「明日川のほくろだよ! 明日川は確か、服の下にほくろがあったはずだろ? その位置を火ノ宮が正確に言い当てられたら、火ノ宮が明日川の風呂を覗いた証拠になるんじゃないか!?」

「そ、そっか……!」

 

 俺のひらめきに賛同した根岸とともに、バッと明日川の方を見る。そんな俺達に突き刺さるのは、女子勢の冷たい視線だった。

 あれ?

 

「あったはずだよな? あ、細かい位置を言うと確かめられなくなるから、あったかどうかだけ教えてくれればそれでいいが」

「いや、確かにボクの胸部には、素肌(カバー下)の、入浴時でなければ見つけられない(読めない)位置にほくろがあったけれど……」

「そうだろ? だったら、それを……」

「アンタ、なんでそれを知ってんのよ」

「えっ?」

 

 …………あ。

 

「おい、凡人。やっぱりお前あの時俺達の事を覗いたのか!」

「そういえばさっき章ちゃんも知ってたみたいだけど、もしかして、章ちゃんも……」

「違う違う!」

「ご、誤解だ……!」

 

 二人揃って手をブンブン振って、あらぬ疑惑を否定する。

 そうか、そういう勘違いをされるのか……!

 

「ええと、別に覗いたんじゃなくて……」

 

 一瞬、口ごもる。しかし、まあ、言わないといけないか。気恥ずかしくて黙っていたことだったが、黙り続ければ根岸ともども覗き魔の汚名を被る事になってしまうし。

 

「覗いたんじゃないなら、どうして図書委員のほくろの事を……ああ、そうか。聞こえたのか?」

「ああ……ほら、皆で風呂に入った時に、お前たち色々騒いでただろ。その時に、岩国が明日川の胸のところにほくろがあるって言ったのが聞こえたんだよ」

「聞こえたって……ちょっと待って。あの大浴場、声が届くの?」

 

 眉間にシワを寄せる東雲。

 

「アタシ達が入ってる時は、別に男子風呂の声なんて聞こえなかったけど」

「オレも初耳だ。何だァ、その話は?」

「……女子が来てからは、俺達は喋らなかったからな。火ノ宮は、女子がいる間はずっとサウナにいただろ。だから知らなかったんだよ」

 

 途中でサウナから戻ってきた根岸も当然知っている。スコットも知っているはずだが、彼は途中でサウナに行ったからほくろのことまでは知らなかったかもしれない。

 

「ああ、だから数行前、ボクに独り言の有無を聞いたのか。それを火ノ宮君が聞いて(読んで)いれば、証言することが可能になるからな」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! じゃ、じゃあ、あの会話、全部聞かれてたの!?」

 

 顔を赤くして露草が叫ぶ。

 

「だ、だからお風呂から上がってからの章ちゃん、様子がおかしかったんだ!」

「う、うう……し、仕方ないだろ! あ、あんな話聞かされてたんだから!」

「ていうか、黙ってたって事は私達の会話をじっくり聞いてたってことでしょ!? それって盗み聞きじゃん!」

「盗み聞きというか、いや、まあ、そうなんだが、じっくり聞いてたというよりは、話すことが無かったと言うか……」

 

 大天の指摘に、しどろもどろになりながら返答する。

 

「不可抗力、そう、不可抗力みたいなもので」

「何が不可抗力よ。聞こえてるってそれこそ壁越しに叫んでくれたら済む話じゃない」

 

 呆れたように白い目で睨みつけてくる東雲に反論される。返す言葉もない。

 

「うう……」

「まあ、皆、そう言ってやるな。彼らは皆たぎる情熱を溜め込んだ現役男子高校生なんだ。猥談に台詞を挟み込む余裕などなく、脳内をピンク色(官能的表現)に埋め尽くされたのだろう。まともな性的発散もできずにもう10日も経っているのだから、健全な男子にはさぞ辛かろう」

「アンタ、どの立場で言ってんのよ」

「全部お前のせいだろ、変態!」

「その呼び名の(くだり)、まだ終わっていないのか!?」

「棗ちゃんが変なこと言うから思い出したんでしょ!」

「て、ていうか、そ、そこまでやましい事考えたわけじゃないからな!」

『そこまで、ってことはちょっとは考えたのか?』

「………………べ、別に、そういうわけじゃ……」

『顔真っ赤だな』

「う、うるさい……!」

 

 猥談の盗み聞きを巡って、口論が激しくなる。

 そのやかましい声が飛び交うさなか、今までそれを黙って聞いていた杉野が口を開いた。

 

「いい加減にしてください。岩国さんまでどうしたのです。今は学級裁判中ですよ?」

「……ふん」

「わ、わかってるよ……」

「はあ。ま、それもそうね」

「……その、盗み聞きして悪かった」

「もういいわよ。アタシはそんなに恥かいてないし、悪いのは変な話してた明日川だし。それよりどうなのよ、火ノ宮。ほくろの場所、答えられるわけ?」

 

 結局、東雲がそう火ノ宮に質問を振る。

 火ノ宮が明日川のほくろの位置を答えられれば、火ノ宮の潔白が……いや、覗きはしたから潔白とは言えないが。とにかく、火ノ宮がクロじゃないということが証明される。

 

 視線を一身に浴びる火ノ宮はしばらく黙りこくっていたが、意を決したように口を開いた。そして聞こえてきたのは、彼らしくない細く弱い声だった。

 

 

 

「…………向かって右…………だから、本人からすれば左の乳首の一センチ下。そこにほくろがあった」

 

 

 

 それは、自らの覗き行為を証明する決定的な自白だった。

 

「ふむ。確かに火ノ宮君は、ボクの入浴シーン(サービスシーン)を覗いていたらしい。彼の台詞に校閲すべき所はないな」

「……そうか」

 

 明日川本人も、それが口から出任せでないことを認めた。

 

「決まりだ」

「………………」

 

 そのやり取りを受けて、杉野はついぞ黙り込んだ。彼自身も理解したのだ。自分の主張が間違っていた事を。【魔女】として、火ノ宮に犯行を行わせる事に失敗したという事を。

 それがショックだったのか、彼は苦い顔をしながら問いかけた。

 

「……なぜ、覗きなんてしたのです」

「……………………魔が、差したんだ」

 

 その問いに、火ノ宮はたっぷり間を開けてから答える。

 

「元々、目ェ覚ました直後だったから個室でシャワー浴びようと思ってたんだよ。ただ、宿泊棟で明日川と会った時に大浴場に行くっつー話を聞いて……今なら覗けるかもしれねェって思っちまった」

「そ、それで、あ、明日川の後を追って大浴場に行ったのかよ……?」

「……あァ」

 

 力なく頷く火ノ宮。

 

「食事スペースにいた城咲には見つかったけど、普通に風呂に入るっつったら何も疑われなかった。……話を聞くに、ちょうどスコットがトイレに行ったタイミングだったんだろォな」

「……それで、覗きをしたというんですか」

「…………あァ、そうだ」

「……ちょっと待て、ヒノミヤ」

 

 杉野に肯定を返す火ノ宮に、スコットが待ったをかける。

 

「タイミングからして、お前も明日川と同じように大浴場であのアナウンスを聞いたんだよな」

「あァ」

「……だったら、なんで個室でシャワーを浴びたなんて嘘をついたんだ。だって、オマエが大浴場に行ったことはシロサキが知ってるだろ。嘘なんてついたってすぐにバレるとは思わなかったのか」

「…………」

 

 そう、スコットに問われて。

 

「…………明日川から少し遅れて大浴場を出た時に、お前達が中央広場で話してるのが聞こえたんだ。さっきから、城咲がいねェって」

「……おい、火ノ宮。お前まさか……」

「そん時、思ったんだ。俺が大浴場に行ったことを知ってるのは城咲だけだっだから……もし死んだのが城咲だったら、覗きどころか俺が大浴場に行った事自体隠し通せるかもしれねェって、思ったんだ。それなら、万が一にも覗きなんかバレねェかもって、思っちまったんだ……」

「……オマエっ!」

 

 バン、と証言台を叩く音。

 

「シロサキが死んだかもしれないって時に、そんなくだらない保身を考えてたのか! ふざけるな!」

「…………ぐゥ……」

 

 スコットのその叫びを、火ノ宮はただうなりながら聞いていた。彼の正論に返せる言葉なんて、なにもなかったのだろう。

 

「……なあ、火ノ宮」

 

 そんな、覇気のない姿に失望を覚えながら、彼に問いを投げかける。

 

「その状況で覗きができるかもって考えてしまうのは、なんとなく、分からないでもない。だが、それにしたって、どうしてよりによってお前が覗きなんて実行に移してしまうんだ。モノクマが覗き穴のことを教えてきたときだって、誰より一番に食ってかかってたのはお前じゃないか」

 

 

 

──《「覗きはれっきとした犯罪だろォが! 施設長が犯罪を推奨してんじゃねェ!」》

 

 

 

「ルールや規則を絶対的に守ろうとするのが、お前の一番の個性(才能)だろ……? そんなお前がどうして……」

「……別に、オレァそこまでできた人間じゃねェよ」

 

 返ってきたのは、そんな自嘲的な言葉だった。

 

「ダメな事はダメだって、自分にそう言い聞かせて清廉潔白な人間であろうとしてただけだ。…………もう今更だから言うけどよ、普段から女子連中の裸を見てェって思ったり、四六時中服の下の胸や尻を妄想したりしてるような人間なんだよ、オレは。そりゃァ、裁判や処刑の直後とかまで考えてるわけじゃねェけどよ」

「……!」

「そ、そういえば、み、皆で風呂に入った時に、い、意味もなく見張りとか言って覗き穴の前に立ってたけど……」

「……あァ。覗き穴があるっつーからどんなもんか気になって……んで、調べようとしたところにてめーらが来たから、とっさに適当に言い訳付けただけだ」

「…………」

「……何、男子って皆こうなわけ?」

「一緒にするな。それに、覗きだってやろうとは思わない」

 

 呆れながら軽蔑の目を向ける東雲の嘆きに、スコットが即答した。

 

「……オレだって、覗きがやりたくて生きてるわけじゃねェよ。いつも我慢してっし、覗きなんて初めてやった」

『我慢が必要なのかよ』

「あれ? でも、なんで今日は我慢できなかったの? そんなに棗ちゃんの裸が見たかったの?」

 

 素朴な露草の質問。それに、火ノ宮は明日川を一瞥してから答えた。

 

「……別に、そういうわけじゃねェよ。裸が見てェのは明日川だけじゃねェし。……もっと胸のでかいヤツは多いし、そうじゃなくても皆美人揃いだろ」

「…………胸があるのがそんなに偉いの……!?」

 

 小声でぼそりとつぶやく大天を無視して、火ノ宮は話を続けた。

 

「……人のせいにするワケじゃねェけどよ。明日川の風呂を覗けるかもって思った時に、杉野に言われた事を思い出したんだよ」

「…………僕は、どんな事を言いましたっけ」

「昨日の晩、少し話したよな。そん時に、あまり神経質になっても仕方ねェ、もっと自分に素直になってもバチは当たらねェ……んな事を言ってくれただろ。それを思い出して……我慢できなくなったんだ」

 

 その返答を聞いた杉野は、顔をしかめて頭を抑えた。

 

「…………僕が言いたかったのは、そういうことじゃありませんよ……」

「あァ、わかってる。……てめーは俺をねぎらっただけだ」

 

 違う。

 おそらく杉野は、【言霊遣いの魔女】として火ノ宮に語りかけたのだ。本当はもっと緻密な会話の誘導があった上で、誰かに敵意を抱くような、そんな過程(フェイズ)を経て、殺人を犯させるきっかけとして杉野はその言葉を火ノ宮に送ったのだ。

 『僕が言いたかったのはそういうことではない』という杉野の言葉は、きっと【魔女】としての本音だったのかもしれない。

 

「………………」

 

 沈黙を経てから、杉野は一つため息をつく。

 

「平並君」

 

 そして唐突に俺の名を読んだ。

 

「……なんだよ」

「先程お渡ししたアレ、無かったことにしてください。どうやら、この事件は僕が思っているものとはどうも異なっているようですから」

 

 自然、ズボンのポケットに意識が向かう。杉野が告げているのは、あの忌まわしきジョーカーの事だ。【言霊遣いの魔女】として他人に殺人を犯させた、その宣言となるカード。

 そんな悪魔的な物を、うまく行かなかったから無かったことにしろなどと都合のいいことをよくぞ言えたものだ。

 

「…………ああ、そうかい」

 

 取り消すのなら勝手にしろ。今更、お前の図々しさに腹も立てない。そんな思いを込めながら、俺はぶっきらぼうにそう返した。

 

「……な、何の話……?」

「ちょっとした、個人的な話です。お気になさらず」

「そ、そう……」

 

 軽く眉をひそめながらも、根岸はそれ以上問い詰めてきたりはしなかった。杉野の堂々とした返答に、妙な納得を覚えたのかもしれない。

 

「それにしても、火ノ宮君には悪い事をしたかもしれないな」

 

 杉野のそつのないふるまいに内心ため息をついたところで、そんな明日川の台詞が聞こえてきた。

 

「あァ? なんでてめーがんな事言い出すんだ。悪ィのはどう考えても覗いたオレの方だろ」

「その台詞は間違っていないし、キミは十分に反省すべきだとは思うが。しかし、キミも数ページ前に述べたとおり、この物語には魅力的な女の子(ヒロイン)が大勢いるだろう? せっかく訪れた覗きの機会(チャンス)だというのに、その相手がボクみたいな魅力の薄いサブキャラだったなんて、キミとしても不満のある所ではないかと思ってね」

 

 魅力の薄い、ねえ……思い返せば、女子風呂から聞こえてきた会話でも、明日川はあまり自分の体に良い印象を持っていなかったような気がする。皆を物語の登場人物として見る明日川は、反面自分を主役の一人とは思っていないようだ。

 それは、卑下しているからというよりは、そんな価値観を持っているから、そういう台詞を告げるのかもしれない。

 

「あァ!? 何言ってやがる!」

 

 そんな明日川に向けて、火ノ宮が吠えた。

 

「魅力が薄いだァ? んなわけねェだろ! あんだけイイ体してるくせにとぼけたこと言ってんじゃねェぞ! インドア気質のおかげで全身卸したての絹みてェに真っ白な肌してんじゃねェか! そんだけで芸術品みてえな目を奪う魅力があんだろ! 幻想的っつーか神秘的っつーか、その綺麗な肌のおかげで胸もでかい真珠みたいに輝いてたしよォ、そのくせ腕が胸に当たるたびに擬音が聞こえて来るかと思うぐれェ柔らかそうに潰れてたし魅力満点どころじゃねェんだよ! てめーは体型が華奢なんだからコントラストで余計立派に見えて湯船に入ってねェのに逆上(のぼ)せるかと思ったんだよこっちは! それにその先端にある遠目からでもはっきり分かる薄紅色! 恥じらうみてェに小さくぽつんと存在してっから余計に目を引いて視線が釘付けになっちまうんだって! その直ぐ下にあるくっきりとした黒子(ホクロ)が淡い色の乳首のエロさと美しさを増幅させてんだよ! 尻だってそうだ! 真っ白で滑るような肌に包まれて丸く光ってただろォが! 小ぶりな癖にちゃんと柔らかそうな上にハリがあったしよォ! あとやっぱ何と言っても鎖骨だろ! 真っ白で綺麗な素肌から浮き出るまっすぐな鎖骨! けど浮きすぎてるわけでもなくて、首元にできる浅い三角形が全身の中で良いアクセントになってんだよ! ちょっと力を加えたら折れちまいそうなくらい細いのに確かにそこに影を落とす存在感が、柔らかそうなまんまるの乳と相まって裸のお前の立体感を強調させてんだ! 全身くまなく天使みてェに綺麗で濃艶な体してんだから魅力が薄いとかなんとかふざけたこと言ってんじゃねェ! 意味分かんねェ謙遜なんかしてんじゃねェよ!」

 

 その叫びは中空に吸い込まれ、裁判場には静寂が訪れた。

 

「…………」

 

 沈黙と共に、皆一様に火ノ宮を見つめていた。嫌悪とも幻滅とも軽蔑ともつかない目を向けて。少なくとも、驚愕という想いがその大部分を占めていることに間違いはなかった。

 

「………………ハッ!」

 

 そして一瞬黙り込んだのち、自分が何を口走ったのかを理解して火ノ宮は口を抑えた。

 

「ふむ。キミに覗かれたことに対しても恥じらいは覚えていたが、こうして公衆の面前でボクの裸体について描写されるのもとびきり恥ずかしいものだな。それほどの長台詞を、これほどまでに熱を込めて言われたのなら、なおさらね。それにしても、キミもこうして他のキャラクターの艶姿を広く知らしめんとする趣味を持っていたとはな。いやはや、キミの意外な側面(設定)をこうも立て続けに知ることが出来るとは、思ってもいなかったよ」

「ちげェ! 誤解だ! んな意図なんざねェ! 悪かった!」

「意外ではあるが、キミは博識だ。先程のキミの台詞を鑑みても、キミはさぞ多くの官能小説を読んできたことなのだろうな。描写がやけに詳しいじゃないか」

「読んできてねェよ! まだ七冊だけだァ!」

「そ、そんだけ読んでれば十分だろ……! ふ、普通は一冊もないよ……!」

「というか火ノ宮君、鎖骨って……趣味がすごいニッチじゃん」

「うるせェ! 良いだろ好きなんだからよォ!」

 

 恥ずかしい、と口にする明日川は流石に頬を少しだけ赤らめていたが、対する火ノ宮は彼女以上に顔を真っ赤に染め上げて叫び倒している。覗き覗かれた関係としては逆じゃないのか、と思わなくもない。……キミ『も』って事は、明日川自身もそういう趣味があるのか。

 呆れながら明日川の様子を眺めていると、先程火ノ宮が口にした言葉が脳裏によぎる。自然とそれを映像に組み直すように、彼女の……彼女の言うところの『カバー下』に想像が及ぶ。天使と称されるほどの白い肌に包まれた膨らみの先端に、一つほくろを添えた乳首が

 

 

 

「あー! 変なこと考えてる!」

 

 

 

 露草の叫びで、ビクリと体が震えて意識が現実に帰ってくる。

 

「琥珀ちゃん! 今棗ちゃんの裸想像してたでしょ! そんな事しちゃダメだよ!」

『そ、そんなこと考えてねえよ! なあ、凡一!』

「なんでこっちに振るんだよ! 当たり前だろ!」

 

 と、嘘をつきつつ、変な妄想を振り払う。明日川に失礼だし、そんな事をしている場合じゃない。

 

「……もう覗きの話はどうでもいいわ」

 

 軽蔑するような目を俺にも向けて、ため息と共に東雲がそう口にした。俺は覗きなんてしていないのに、そんな目で見ないでほしい。

 

「学級裁判中よ? クロを見つけ出す話をしましょう。火ノ宮のことは覗かれた明日川に任せるわ。アンタ達似た者同士みたいだし、変態にこれ以上関わりたくないもの」

「ぐっ…………」

「俺もそれには賛成だ。ただ、クロを見つけ出すと言ったが、お前、今の状況がわかってるのか?」

「わかってるわよ? もちろん」

 

 そう答える東雲は、なぜか挑戦的な笑みを湛えていた。

 

「火ノ宮が明日川の風呂を覗いてたってことは、火ノ宮は無実ね。姿は見られてないけど、明日川と一緒のタイミングにいたんだからアリバイが成立するもの」

「……ああ。そうなると、容疑者は……」

「アタシ一人、って事になるわね」

 

 俺の台詞を途中で奪ってまで、現状の窮地を告げる東雲。

 

「じゃ、じゃあ、お、お前がクロってことに……」

「そうなるわね。けど、当然アタシはそんなの認めないわ。だって、アタシはクロじゃないんだもの」

 

 彼女の言葉の真偽がどうあれ、容疑者に一人取り残された時点で彼女はかつてない窮地に立たされているはずだ。

 

「それじゃ、議論を始めましょうか!」

 

 それでも尚、その彼女の声は喜悦を孕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロを突き止めるに当たって、アタシとしては容疑者の考え直しからしたいところだけど」

 

 東雲は、そう議論を切り出した。東雲がもし本当にクロでないのならば、彼女からすれば容疑者の絞り込みの時点でミスがあったという事になる。

 

「その前に、あなたがクロなのかそうでないのか、という議論が必要でしょう。その他の可能性を考えるのは、東雲さんがクロでないと証明できた後です」

「そうなるわよね。さて、どうしたもんかしら」

 

 ただ、そうするには自らの無実の証明が必要だと本人も最初からわかっていたのだろう。東雲は、顎に手を当てて考え出す。

 

「凶器の数の問題はあるけど、どうせ何かトリックが使われたに決まってるんだからこれは言ってもしょうがないし……」

「ど、どうせ証明なんか無理だろ……お、お前がクロなんだろうし……」

『それをこれから話し合うんだろ?』

「で、でも、も、もう東雲しかいないじゃないか……あ、明日川も火ノ宮もクロじゃなかったんだし……そ、それに、い、一番怪しいのは東雲だって言っただろ……?」

「そんな事言うなら、犯行を完遂する時間がアタシにはなかったってのも言ったはずだけど。けどまあ、それじゃアンタは認めないのよね」

 

 現在、容疑者として疑われているのは東雲ただ一人。髪を濡らして大迷宮に現れた三人のうち、明日川と火ノ宮は犯行時間に大浴場にいた事が証明されたからだ。

 その東雲は、事件が発生する直前まで俺達と共に体育館にいた。そこで彼女と別れてから七原の悲鳴を聞くまでそう時間は経っていない。それを東雲が無実である根拠と見ることもできるが、どうにもそれ以上に東雲がクロだと思える根拠が多い。何より、火ノ宮とは違って『コイツならやりかねない』という疑惑が全員の共通認識に刻まれている。

 

「だから、他にもっとはっきりとした証拠が見つけられたらいいんだけど……」

 

 つぶやきながら視線を上げ、東雲は何かを思い出そうと脳を絞る。

 

「……あ」

 

 そして、その何かに思い至った。

 

「何か見つかりましたか?」

「そうね……いや、んー……」

「なんだい、その煮え切らない台詞は」

「思いついた事はあるけど、反論になってなかったのよ。だから言わないでおくわ」

 

 まあ、学級裁判で色々考えているとそういうことはよくある。

 

『一応教えてくれよ。それがヒントになるかもしれねえだろ』

「……死体発見アナウンスよ」

 

 意味はない、と思っているのだろう。ためらいがちに、東雲は口を開いた。

 

「死体発見アナウンスが鳴ったのは、アタシが城咲の死体を見つけたときよ。その時はアタシ一人だったけど、そのすぐ後に平並が来たからそれは証明できるはずよ」

 

 東雲から送られる視線に、俺はうなずきを返す。タイミングを鑑みれば、確かに東雲が城咲を発見したことによってアナウンスは鳴ったのだろう。そうでなければ、誰かが名乗り出なければおかしいし。

 

「つまり、アタシは三人目の死体発見者ってことになるのよ」

「け、けど、そ、それって」

「無実の証明になんてならないって言いたいんでしょ。分かってるわよ」

 

 死体発見アナウンスは、三人が死体を発見した時に流される。けれども、そこからクロを特定することはできない。

 

「犯行を終えたシノノメがヒラナミと合流して、その後シロサキの死体を発見したところで発見者として数えられてアナウンスが鳴った……そう考えられるよな」

「本当にアタシがクロならね」

 

 飄々とした東雲の態度。タフと言うべきか図太いというべきか。

 

「そうですね……今回の捜査中にも念の為に確認しましたが、あのアナウンスが流れる条件である『三人の発見者』には、たとえそれがクロだとしても改めて死体を発見したのなら含まれるそうですから。アナウンスからクロの特定が行われないようにね」

 

 今杉野が口にした理由が、アナウンスがクロの特定に役立たない理由だ。

 

「改めて、か。辞書的な意味としては、一度現場を……今回であれば大迷宮を離れた後に、という解釈で誤植はないか?」

「ああ、問題ないと思う。モノクマは、クロに限っては犯行時は死体を見てもそれは見逃すと言っていた。そうしないとクロが必ず第一発見者に、なってしまう、し…………」

 

 そこで、口が止まった。

 自分の喋った言葉に、自分で妙な違和感を覚えた。

 

 ……本当にそう言っていたっけ?

 

「む? どうした?」

「…………」

 

 思い出せ、モノクマの言葉を。アイツは、なんと言っていた?

 

 

 

──《「まあでも基本的には、死んでるのを発見したら発見者としてカウントするってのがベースなんだよ。ただ、直接手を下したクロがそのまま死ぬ瞬間を目撃してもそこはスルーしてあげる、って感じかなあ。こんな答えで満足?」》

 

 

 

 ……『死ぬ瞬間を目撃』?

 

「……あ!」

「……何か、ひらめいたようだな」

「ニュアンスが違うんだよ! 勘違いしてたんだ!」

 

 俺のその言葉を聞いて、皆が眉をひそめる。

 これが勘違いなら、もしかして……!

 

「勘違いとは、どういう意味です?」

「杉野、お前がモノクマに聞いてただろ。発見者の条件だよ。さっき俺は、『クロに限っては死体を見ても見逃す』って言ったけど、モノクマの言葉は、厳密には少し違ったはずだ」

「…………ああ」

「ど、どういうこと……?」

 

 杉野は今の言葉でわかったようだが、他の皆には説明が必要だ。

 

「杉野がモノクマに発見者の条件について聞いたとき、モノクマはこう答えたんだよ。『直接手を下したクロがそのまま死ぬ瞬間を見てもそこは見逃す』って。だから例えば、古池が新家を殺した時にはこのルールが当てはまったはずだ」

 

 あの最初の事件で発見者となった三人は、根岸と七原、そして俺だった。この中にクロの古池は含まれていない。

 

「ああ、だから犯行時は発見者にならないという話だろ? シノノメがもう一度発見した時に発見者としてカウントされて――」

「今回の事件は、このルールが適用されたのか?」

 

 スコットの言葉を遮る。

 

「……え?」

「あ、当たり前だろ……し、城咲をナイフで刺して、そ、そのまま城咲が死ぬのを見てたはず………………あ」

 

 根岸も、気づいたようだった。

 

「違うよな。クロは城咲を刺した後、一度現場を離れてる。犯人が目を離したその隙に、城咲はダイイングメッセージを残して死んだんだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」

「……!」

 

 衝撃が走る。

 

「でも、それだって結局、瑞希ちゃんがクロかもしれないって話は変わらないんじゃないの? 犯行の時に発見者に数えられなかったって話なんだよね?」

 

 

 

「随分浅い考えね。もっと深く考えなさいよ」

 

 

 

 露草の言葉を、東雲がぶったぎる。

 発見者の条件と今回のクロの動きを突き合わせて考えれば、真実が見えてくる。それに、東雲自身も気づいているようだった。

 

「クロが斧を持ってチェックポイントに戻ってきた時、城咲はどうなってるかしら?」

「えっと……クロが戻ってくる前にかなたちゃんは死んじゃったんだから、もう、死体になってるってことで……」

「そう! それって、『クロが城咲の死体を発見した』ってことよね?」

「………………!」

「じゃ、じゃあ……ま、まさか……!」

 

 東雲の言葉で、その真実に全員が思い至る。

 

 

 

「ああ、そうだ。クロは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ!」

 

 

 

 誰かが息を呑む音が聞こえた。

 

「……モノクマ、実際のところ、そうなのですか?」

「『そう』って? 質問を明確にしてくれないと余計なヒントになっちゃうし、こっちも答えようが無いんだけど!」

「……クロが現場を離れている間に被害者が死亡し、そしてその後にクロが現場に戻ってきた場合は、死体発見アナウンスの条件となる発見者としてカウントされるのですか?」

 

 めんどくさそうに杉野は眉をひそめながら、それでも丁寧にモノクマに質問を投げかける。

 

「んー、その場合はそうなるかな。色々どうかとも思ったんだけどさ、やっぱルールは厳密に適用するべきだからね! これで変なことになったらまたルールを考えればいいし!」

 

 果たして返ってきた言葉は、俺達の推理が正しいことの証明だった。

 

「なら、クロは城咲の頭を叩き割った時点で、死体の発見者として数えられていたって事になるわね」

「だから、東雲はクロじゃない! 東雲が死体の発見者としてカウントされたのは、俺達と合流した後に死体を発見してアナウンスが流れた、あのタイミングなんだから!」

 

 そして、俺は彼女の無実を声高に叫ぶ。彼女がクロなら、彼女が死体を再発見してアナウンスが鳴るなんてありえないのだ。

 

「……じゃ、じゃあ、よ、容疑者がいなくなっちゃうじゃないか……!」

 

 東雲は、最後に残った一人の容疑者だった。その東雲が無実だったのなら、確かにそうなってしまう。

 

「いや、容疑者ならいる」

 

 けれども、今たどり着いた真実によって、俺達の推理の前提はひっくり返った。

 

「俺達は、容疑者の条件をシャワーを浴びた人間だと思っていた。だが、本当に考えるべきは、誰がアナウンスの前に死体を発見したのかだったんだ」

「で、でも、あ、あのシャワールームが……」

「全部、コイツの手の上で踊らされてたんだ。更衣棟にあった数々の証拠も、あのシャワールームの痕跡も、全部フェイクだったんだ。誰も、シャワーを浴びてなんかいなかったんだ」

 

 俺は、その人物を見つめながら推理を語る。東雲の前に城咲の死体を見たのは、誰だ。

 

「クロは城咲を襲った後、シャワーで返り血を流して外に逃げた……俺達にそう推理させる前提で、自分はあえて迷宮に留まっていたんだ」

 

 その人物へ、俺達の視線も集まっていく。

 

「だが、わざと迷宮の中にとどまるのなら、どうしても城咲の死体を東雲よりも先に見たと言わざるを得なかった。東雲より先に大迷宮に来たことは覆しようがないし、あの誘導のための血痕を付けてしまった以上『城咲の死体を見つけられずに迷った』なんて事も言えなかったから」

 

 自分が犯行の時点で発見者としてカウントされていることに気づいてはいなかっただろう。それでも、そう主張するのが一番自然だったはずだ。それが、モノクマの判定と一致した。

 

「だから、お前は城咲の死体を見ざるを得なかった。見たと主張しない訳にはいかなかった。それが、巡り巡って自分の首を締めるとも知らずに」

 

 そして、俺は遂にその名を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだろ、大天」

 

「…………」

 

 射抜くような鋭い視線が、俺の視線とぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何言ってるのかよくわかんないんだけど」

 

 彼女が絞り出したのは、そんな言葉だった。

 

「お前がクロだって言ってるんだ。お前が、城咲を殺したんだろ」

「……違う。私じゃない! どうして私がクロなんて話になるの!? クロは更衣棟でシャワーを浴びたんだから、髪が濡れてた三人のうちの誰かじゃなかったの!?」

「言っただろ、そう思わせることがお前の作戦だったんだ。偽装工作によってそう思わせておいて、自分自身は返り血を付けたまま堂々と大迷宮に残ることで、容疑者から外れることを目論んだんだ」

 

 そして、その術中に俺達はまんまとハマっていた。

 

「そんなのこじつけじゃん! たまたまそうなっちゃっただけだって!」

 

 俺の言葉に、大天は懸命に反論を返す。

 

「しかしだ、髪を濡らしたボク達は三人とも犯人(クロ)では無いんだ。ならば、少なくともあのシャワーの件が偽装工作(ミスリード)であることに反論の余地は無いはずだが」

「じゃあ、本当のクロもシャワーを使わずに逃げたんだよ!」

「しゃ、シャワーを使わずに、ど、どうやって返り血を処理したんだよ……! ち、血がついてたのはお前だけだぞ!」

「知らないよそんなの! ほら、白衣と目出し帽を着てたんでしょ? じゃあ、そもそも返り血なんてつかなかったんだよ!」

「あんな薄い布で返り血は防ぎきれないって、それこそずっと前に話したはずだろ。それでも返り血がつかなかったって言うなら、その返り血を防いだ方法を教えてくれ」

「つーかよォ、他のヤツにクロの可能性があるかなんて関係ねェんだよ。アナウンスの件が覆らねェ以上は、てめーがクロかどうかが問題なんだ」

「ぐぅ……」

 

 彼女の反論を俺達は次々に封殺する。

 尚も彼女は自らの無実を主張するが、それは疑いを晴らすほどのロジックを孕んでいなかった。

 

「じゃあ、凶器は? 凶器の数はどうなるわけ!? モノクマに配られた凶器が使われたはずなのに、数が足りないんでしょ!? じゃあ、私にも犯行は無理ってことじゃん!」

「それこそ何度も申し上げているでしょう。それは誰がクロであれ降りかかる問題です。あなたがクロではないと証明するものではありません」

「うるさいうるさいうるさい! そんなの詭弁だ! 屁理屈じゃん!」

『そうでもねえと思うけどな』

 

 ……凶器の数か。

 まるで意味のない反論の中に含まれた言葉に引っかかった。

 今回の事件で使われた五つの配布凶器。それを用意した方法が、未だ判明していないことは事実だった。

 

「……な、なあ……そ、その凶器の数の話を解決しないと、ほ、本当に解決とは言えないんじゃないのか……?」

 

 そして、根岸がそんな事を口にする。

 

「解決する必要がありますか? この大天さんの様子を見れば、彼女がクロである事はもはや決定的にも思えますが」

「わ、分かってるよ……い、言ってることはめちゃくちゃだし、あ、アナウンスの事もあるし……け、けど、き、気になるだろ……? そ、それに、も、もしもそこに何かがあったら……」

「……『何か』、とは?」

「わ、わからないけど……こ、これまでも、そ、そういうことがあっただろ……!」

「…………」

 

 無言になる杉野。確かに、謎を放置したまま学級裁判を終わろうとするのは危険だ。たとえクロが大天だという事に変わりがなくとも、見えてくるモノがあるのかもしれない。

 

「……わかりました。この謎について、話し合ってみましょう。答えを出せるかはわかりませんが」

「う、うん……そ、それでも、た、多分やったほうがいい……」

 

 それが、杉野が下した結論だった。

 

「では、この謎についておさらいしましょう。今回の事件で使われた配布凶器は、サバイバルナイフ、斧、スタンガン、隠し通路のカードキー、そして目出し帽の五つです。そして、亡くなってしまった遠城君達の部屋から持ち出された配布凶器が三つでした」

 

 六法全書がそのまま個室の机に残されていた新家以外は、三人共配布凶器が持ち去られていた。それが犯行に使われたのだ。

 

「つまり、他の手段で用意した凶器が二つある、という事になりますが……」

「大天に配られた凶器が写真だっつーのは嘘だろ。だから、一つは自分に配られた凶器だ。のこり一つの凶器の出所を考えればいい」

「ちょっと、どうして決めつけるの!?」

「今更てめーの言葉を信じるやつなんざいねェよ。そうじゃなくても現物がねェだろォが」

「…………」

 

 残り一つ。大天はどこから配布凶器を持ってきたのだろうか。

 

「……配布凶器じゃないものが混ざってるんじゃないか?」

 

 そんな推理を口にしたのはスコット。

 

「と、おっしゃいますと?」

「私物を犯行に利用した可能性かもしれない、と思ったんだ。これなら、俺達が勝手にそれを配布凶器と勘違いして謎にしている事になるだろ」

 

 確かに、斧に関しては新家の私物なんじゃないか、という話が上がっていた。結果としてそれは間違っていたが、そうであれば謎はそもそも最初からなかったことになる。

 けれども。

 

「いや、そりゃァねェな。さっき、これ以上隠し通路はねェって話の時にも出てきたが、モノクマは推理が成立するようにしてんだ。私物として凶器を持ってるって事はありえねェ。実際、大天は護身用に刃物を持ってたらしいが、ここに拉致られた時点で没収されたらしい」

『でも、スタンガンとか目出し帽なら凶器じゃねェよな』

「それだって、犯行にかなり活用できるはずのものじゃないか?」

 

 黒峰の意見には俺が反論する。

 

「睡眠薬や毒も全部出所が分かるようにしてるのに、スタンガンを一人だけ隠し持ってるなんてあまりにも有利すぎる。アンフェアだ。目出し帽はまだ可能性はあるが……それでも、そんなものを私物として持ってるやつがいるなんて考えづらいし、きっと七原に配られたフルフェイスヘルメットと同じように、覆面のために配られたってだけなんだと思う」

『うーん、そうか……』

「じゃあ、結局、五つ全部がモノクマに配られた【凶器】なんだね」

「ええ、それは間違いないと思われます」

 

 やはり、大天はどうにかして配布凶器を用意したのだ。

 となると、考えられるのは……。

 

「……誰かが、大天に自分の配布凶器をあげた、とか」

「あァ?」

「どうにかしてどこかかから配布凶器を持ってきたという事は、誰かの手元には配布凶器が無いはずだ。それなのに誰も何も言わないのなら、誰かが大天みたいに自分に配られた【凶器】をごまかしてるって事になるだろ。ごまかす理由は、自分も、犯行に加担しているから……」

「きょ、共犯って事……? で、でも、共犯の可能性は低いって……」

「共犯とは言ってない。……俺が言ってるのは、愉快犯だよ」

「……!」

 

 毒物事件を引き起こした犯人は、未だ判明していない。その愉快犯が、今回の事件にも関わっている可能性は、否定しきれないはずだ。

 そういう考えもあっての発言だったが、

 

「いえ、それは考えにくいと思います」

 

 寄りにも寄って杉野に否定されてしまった。

 

「……理由をきかせろ」

「僕なりに皆に配られた【凶器】を一つ一つ検証していたんですが、大天さん以外に嘘をついた人はいないように思えるんです。僕や平並君のようにその現物を見せてくれた人は嘘をついていないでしょう。それが、東雲さんが最初にしたように私物を凶器に見立てたとも考えられませんし。あなたも、考えれば同じ結論になるでしょう」

 

 杉野に問われ、配布凶器を思い出す。……反論はできない。

 

「………………」

「そして、唯一現物を確認できていない岩国さんの『秘密ノート』ですが、これに関してはその内容が他でもないあなたによって証明されています。もしもあなたが岩国さんとグルになって僕達を騙そうとしているのなら別ですが……」

「……そんな事、するわけないだろ」

「そうでしょうね。少なくとも今回の事件に関してはあなたを信用していますし」

「……ああそう」

 

 ぶっきらぼうに言葉を返す。何が信用だ、反吐が出る。

 

「は、話は分かったけど……で、でも、ひ、一つは誰かが配布凶器をごまかしてないと数が合わないだろ……! だ、誰かは必ず嘘をついてるはずなんだ……!」

 

 杉野の言葉に納得してしまう一方で、根岸の言葉も否定できない。元々、その事実が俺の推理の発端だったわけだし。

 この矛盾の答えは、一体……。

 

「……あ、分かったわ!」

 

 思考の海に潜りかけた俺の意識を、東雲の明るい声が呼び戻す。

 

「東雲さん、何かお気づきに?」

「本当に、大天以外は全員嘘なんてついていないのよ。アタシ達が勝手に勘違いしてただけだったのよ」

「か、勘違い……?」

「ええ――」

 

 俺達の注目が自分に集まるのを待って、東雲はその謎の答えを口にする。

 

 

 

「――『新家に配られた【凶器】が六法全書だった』っていう、勘違いをね」

 

 

 

 ……!

 

「つまり、大天は新家の部屋からも配布凶器を持ち出したのよ! そして、それをごまかすために六法全書を机の上に置いたってわけ!」

 

 確かに、誰も嘘をついていないのなら、凶器を失ったのは嘘をつけない死人だけだ。筋は通る、辻褄はある。

 

「待て。じゃあ、その六法全書はどこから来たんだ?」

「そんなの知らないわよ。新家が元々持ってたんじゃないの? 本棚から適当に引っこ抜いて、配布凶器に見せかけたのよ。六法全書は凶器になりうるけど、私物として十分有りうる物でしょ?」

「いや、それは違うぞ」

 

 スコットの疑問に答えを出した東雲。けれど、その考えは間違っている。

 

「新家の部屋に六法全書なんか無かったって言っただろ。机の上だけじゃない、部屋のどこにもなかったんだ。あそこに三日もいた俺が保証する」

「あら、そう。じゃあ……」

「と、図書館は……? あ、アレだけ本があるんだから、ろ、六法全書だってあると思うけど……」

「それも却下(ボツ)だな。確かに図書館に六法全書(ルールブック)が一冊所蔵されていたが、それは今ボクの個室にある」

「そ、そう……」

「……てめー、なんでんなもん個室に持ってってんだよ。小説なら分かっけどよ」

「何を言うんだ。すべての法律は何かの悪や不平等を封じるために一つ一つ定義されているんだ。そう思えば、条文の背景にある経緯(物語)想像できる(読める)だろう?」

「いい加減ワケわかんないこと言うのやめなさいよ、めんどくさい」

 

 とにかく、新家の個室にあった六法全書は図書館にあったものでは無いらしい。

 なら、あの六法全書の出所は、どこだ。

 

「…………」

 

 『モノクマが用意したこの施設のどこかにあった』、というのがまず浮かんだ案である。

 それこそ、図書館に一冊あった。けれども、そこ以外に六法全書なんてものが置かれるべき場所があるだろうか。理学の参考書であれば、実験棟の各教室に置かれていたが……やはり、図書館以外に六法全書の似合いそうな場所はない。

 

 となると、残るは各人の個室……つまり、やはりあれは誰かの私物だった可能性だ。

 その可能性を検討してみると、クロの大天が自分の私物から凶器になりそうなものを見繕って新家の個室に放置した、というアイデアを思いついた。しかし、あの六法全書が大天の私物という点があまりにも不自然だ。似つかわしくない。

 けれども、それを言い出してしまうとそもそも私物として六法全書を持ってるヤツなんているのだろうか。だって、あんな大量に法律が書かれた本を持っていたところで、何の役に立つわけでも……。

 

「――!」

 

 そこまで考えて、とある光景を思い出す。一人だけ、可能性のある人物がいる!

 

「遠城だ!」

「あァ?」

「あの六法全書は、遠城の私物だったんだよ!」

「冬真ちゃんの?」

「な、なんでそんなことが分かるんだよ……」

「あいつの部屋には、大量に本があったんだ」

 

 根岸に問われ、俺はその根拠を語る。

 

「遠城の個室を調べたやつがどれだけいるかは知らないが……遠城の部屋は、なんと言うか、物があふれていたんだ。その一角に、山のように本が積まれてるスペースがあった」

「でも、沢山本があっただけじゃ、六法全書を持ってた根拠には弱いんじゃないかしら」

「それだけならな。ただ、その本の山が一つだけ崩れてたんだが、その崩れた本の内容は、経営学とか税金だとか特許法とか……そういう政経の関わるような物ばかりだった。杉野、お前も覚えてるだろ」

「ええ……確かに、そうでした。あのラインナップの中になら、六法全書が紛れていてもおかしくはないかもしれません」

 

 杉野からも言質が取れた。

 

「ということは、オオゾラはエンジョウの本の山から六法全書を引っこ抜いて、凶器に見立てたのか。わざわざアラヤの部屋まで持っていったのは……そのままエンジョウの机に置いたんじゃバレると思ったのか」

「ああ、そうだと思う」

 

 実際、新家と六法全書はあまりにも結びつかない。だからこそそれが私物である可能性を見落としていた。

 

「な、なんでそんな事……」

「それなら、もう答えが出てるじゃない。さっき、大天が言ったでしょ。『私がクロなら凶器の数はどうなるんだー』って。要は、そういう主張をするためにそういうトリックを仕掛けたのよ」

 

 根岸の疑問に、東雲が答える。

 

「クロが使える【凶器】は、新家以外の三人の死人の凶器と自分の凶器の四つだけ。そういう風にアタシ達に思わせた上で大天は手に入れた五つの【凶器】を使い切る事で、『凶器の数』に矛盾を生み出したのよ」

「……じゃあ、何か? シロサキが死んだ後に斧が振るわれたのは」

「城咲に恨みがあったわけでもなんでもないの。ただ、【凶器】を全て使い切るため。だからクロは……いや、大天は斧やスタンガンを死体に使う必要があったのよ。そうなんでしょ?」

「…………」

 

 そう問われた大天は、ただひたすらに沈黙していた。けれど、今更その答えを確認する意味など無かった。

 

「これで、謎は全部解けたよな」

「……そういう事になりますね」

 

 そして、俺達の視線は再び一点へ集まる。

 いくつもの凶器がどこから湧いて出てきたのか。今回の事件でずっと立ちふさがっていたその謎が解けた今、彼女の犯行を否定するロジックは存在していなかった。

 

「……違う。私じゃない」

 

 尚も否定を続ける大天。その声にもはや覇気はないのは、行く末を心のどこかで諦観しているからか。

 

「証拠は出揃っているでしょう。なぜ、認めないのですか」

「…………たまたま、そう見えてるだけだよ。ほら、状況証拠ってやつじゃないの」

「状況証拠も証拠だろォが」

「だ、だいたい、お、お前が血だらけだったこと自体が、しょ、証拠みたいなもんだろ……!」

「これは、転んだだけだって言ってるじゃん」

 

 ……状況証拠、か。

 

「なら、直接的な証拠があれば、認めてくれるのか?」

「……え?」

 

 パッと大天は顔を上げて俺の顔を見る。そんなに俺の言葉が意外に思えたのだろうか。

 

「平並君、何か心当たりが?」

「…………無いわけじゃない」

 

 この期に及んで犯行を認めない彼女を見て、何か根拠がないかと考える。そのために彼女の服に染み込む黒ずんだ血を見て、あのチェックポイントに広がる血の海を思い出して。そうして思い当たった事が、一つあった。

 

「百億円札だ」

 

 生き残っている特別ボーナスと称して俺達に配った、百億円札。

 

「クロは、城咲に百億円札を破られて、城咲と百億円札を交換したんだったよな」

「あァ」

「それって、いつ交換したんだ?」

「……無論、城咲君を刺した後のページだろう。刺しているページの中で交換する余裕(余白)など無いだろうからな」

「ああ、そうだ」

 

 明日川は、俺の思った通りの答えを返してくれた。

 

「つまり、クロが交換のために城咲の百億円札を手にした時点で、その百億円札は血だらけだった、という事になるんじゃないか?」

『……あ!』

 

 黒峰がそう声を上げた瞬間、大天もハッと口を開けて尻ポケットを手で抑える。

 

「だから、クロの手にしている百億円札は、血に染まっているはずなんだ。俺とは違ってな」

 

 そんな彼女に見せつけるように、俺はポケットから百億円札を取り出して掲げる。血などついていない、まっさらな百億円札を。

 

「大天。お前が本当に無実なんだったら、お前の百億円札に血なんかついていない……そうなるよな」

「………………」

「ちょ、ちょっと待てよ、ひ、平並……」

 

 待ったをかけたのは、根岸。

 

「お、大天はこんな全身に血がついてるだろ……! ど、どうせ返り血だろうけど、ま、万が一こいつが無実でも、ひゃ、百億円札には血がついてるんじゃないのか……? ちょ、直接的な証拠とは言えないぞ……!」

 

 ……あ。

 

「あんたねえ。どうせクロは大天なんだから黙ってりゃいいじゃない」

「う、うるさいな……し、仕方ないだろ、き、気になっちゃったんだから……!」

「その心配はありませんよ、根岸君」

 

 ダメか、と思ったその時、杉野が優しく口を開く。

 

「…………」

「これは僕達にとって幸運なことですか。今、大天さんは尻ポケットを抑えました。百億円札はそこにあるのでしょうが……彼女についた血は前面にしかついていません。もし彼女の主張に嘘がないのであれば、彼女の百億円札に血などつくはずが無いのです」

「あ、そ、そうか……」

 

 最後の逃げ道も、彼女にとっては忌まわしいことに、杉野によって封じられる。

 

「おい、オオゾラ。百億円札を見せてみろ」

 

 怒りを込めたそのスコットの言葉を聞いて、

 

「うう…………ぐうう……!!」

 

 大天は、尻ポケットを強く抑えながら呻き声を上げるだけだった。

 

「……見せられねェんだな」

 

 その行動が、すべての答えを示している。

 

「………………」

 

 正直なことを言えば、この追求は確定的なものじゃない。もしも百億円札に血がついていたとしても、まだ言い訳をする余地はあるはずだ。大迷宮で落としてしまった、とでも言えば、まだ()()()()はできた。

 

 けれども、もう、否定の言葉は出てこなかった。彼女の、心は折れたのだ。

 

 俯いた彼女の表情は見えない。

 

 大天が犯行に及んだ経緯は、想像がつく。

 彼女の胸中には【言霊遣いの魔女】への強い殺意が渦巻いている。過去に彼女の身に降りかかった悲劇によって、その復讐こそが自分の人生の本懐なのだと彼女は思い込んでしまっている。それこそが、彼女を凶行へと駆り立てる強い【動機】なのだ。

 

「……じゃあ、これからこの事件の全てを振り返る。それでもう、終わりにしよう」

 

 これまでの学級裁判でそうしたように。

 この推理が誤っていない事を証明するために、俺は半ばお決まりとなった事件の振り返りをもって彼女に最後通牒を突きつける。

 

 

 【魔女】への復讐に身を燃やす彼女に、最悪の選択を取らせてしまった事を悔やみながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回、【動機】としてモノクマから俺達に【凶器】が与えられた。直前に配られた百億円札の事もあって、はじめそれは俺達十二人だけに配られたものだと思っていた。だが、実は、その時点で死んでいた四人にも【凶器】が個室に配られていた……その事にいち早く気づいて犯行に利用したのが、今回の犯人だった」

 

 あの時点で、その凶器を回収することができていれば。そう思っても、もはや後の祭りだ。

 

「まず犯人は、死人に配られた四つの【凶器】を回収した。それと同時に遠城の部屋からは服の一式と六法全書を持ち出したが、そのうち六法全書は、回収した新家の【凶器】の代わりに新家の個室に残していった。こうすることで、新家に配られた【凶器】は未回収と思わせたまま、犯人は自分に配られたものを含めて五つの【凶器】を手にしたんだ」

 

 隠し通路のカードキー、斧、サバイバルナイフ、目出し帽、そしてスタンガンに準ずる何か。この五つの【凶器】を元に、今回の犯行計画は組み立てられた。

 

「犯人は、手にした【凶器】の一つである隠し通路のカードキーを目にして今回のトリックを思いついたはずだ。隠し通路とその先の更衣棟に犯人が逃げた痕跡を残すことで、犯人は大迷宮の外にいるはずだと俺達に勘違いさせるトリックをな。

 そのトリックのために、犯人は大迷宮に城咲を呼び出した。個人的に秘密を握ったのか、あるいは言葉巧みに騙したのか、それとも完璧に処分しただけで呼び出し状が使われていたのか……その方法はともかく、犯人は城咲を一人で大迷宮に呼び出すことに成功した。そして城咲は、犯人が事前に大迷宮に用意した血痕に従ってチェックポイントまでおびき出されてしまった」

 

 何を思って城咲は大迷宮を訪れたのか。もはやそれを知る術など無い。

 

「そこに、白衣と目出し帽を身に着けてやってきた犯人が、背中から城咲にサバイバルナイフで襲いかかった。傷の位置を考えると、きっと城咲は最初の一撃は避けられたのかもしれないが、結局犯人ともみ合って腹を、そして背中を刺されてしまった。その時に必死の抵抗として、犯人から百億円札をちぎり取ったんだろう。

 城咲を襲った犯人は、城咲を殺せたと判断して一度チェックポイントを離れた。おそらくは、斧を取ってくるために。そして戻ってきた犯人は、殺したと思った城咲がダイイングメッセージを残した事に驚いたかもしれない。けれども、犯人は慌てずダイイングメッセージを消した。

 もしかしたら、城咲に百億円札を破り取られた事に気づいたのもこの時かもしれない。ただ、城咲と百億円札を交換することでそれも意味の無いものにした」

 

 死にゆくさなか、俺達に犯人を伝えんとする城咲の行動は、全て犯人にもみ消されてしまう。けれども、その執念は、巡り巡って犯人の特定へと繋がった。

 

「自らの正体に繋がりそうな証拠を消した犯人は、今度は城咲の死体に手をかける。斧を振るって城咲の頭を叩き割り、スタンガンかなにかを首筋に押し当てる。その目的は城咲の死体を損壊する事自体ではなく、【凶器】を使った痕跡を城咲の死体に残すことだった。犯人が使える【凶器】は四つだと思わせていたから、手にした五つすべての【凶器】を利用することで不可能犯罪だと思わせたんだ」

 

 あの残酷な光景は、城咲への恨みによるものではなかった。すべての【凶器】を使い切る事が、犯人の計画にとって最も重要だったのだ。そうすれば、例え自分が【凶器】を公開できなくとも、それだけでクロだと決めつけられてしまう事はなくなるから。

 

「ところが、ここで犯人の思惑は大きく崩れる事になる。何の偶然か、七原に現場を目撃されてしまったんだ。犯人は慌てて城咲からサバイバルナイフを抜き取り、逃げる七原を追いかけると、大迷宮の廊下で追いついて脇腹を刺した。けれども、ここで七原に悲鳴を上げられてしまったために、最後の偽装工作を急いでしなくてはならなくなったんだ」

 

 ここで七原にトドメを刺さなかったのは、七原に『白衣』という強烈なイメージを残したかったからかもしれない。事実、七原はそうメッセージを残したし、そのイメージが更衣棟に残された白衣と強く結びついてしまった。

 

「七原を刺した後、犯人は隠し通路を通って更衣棟のシャワールームへ向かう。犯行に利用した白衣や目出し帽を捨てると、輸血パックの血で血だらけに染め上げる。遠城のシャツやズボンはもしかしたら犯行時は着ていなくて、一緒に血をつけることで白衣と同じくそれらが犯行時に身につけられていた、と思わせようとしたのかもしれない。そして、シャワー室の床を濡らしてシャワーを使用した痕跡を残した。

 こうして、『犯人は犯行後に更衣棟で着替えて外に脱出した』……そう思わせるための偽装工作を全て終えた犯人は、自分は血を付けたまま大迷宮の中に戻っていった。最初に敢えて最も疑わしい容疑者となることで、逆に最も疑われないポジションに身を隠したんだ」

 

 そして、犯人は俺達の到着を待つことになる。城咲を殺し、七原を刺した大迷宮の中で、こっそりと、その時を待っていた。

 これが、この事件の真相だった。

 

「この犯行を行ったクロは――大迷宮の中で発見され、敢えて最も疑わしい人物として振る舞い続けていた人物は――」

 

 もはや、疑いの余地など無い。

 俺は、覚悟を決めて彼女の名を告げる。

 

 

 

 

 

 

 

「――大天翔。お前だ」

 

 悪魔に人生を狂わされた、悲しき復讐鬼の名を。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 沈黙。

 その名を告げられた大天は、何かを言おうとして、けれどもハッキリとした言葉は出せずにいた。

 

 針のような無数の視線を受けて、遂に彼女は声を出す。

 

「……ここまで、なのかな」

 

 無念そうなその声は、事実上の降伏宣言に他ならなかった。

 

「認める、ということですね」

「……うん。こんなの、もう無理じゃん」

 

 悲しげに肩を落とした彼女は、しゃがみこんで自らの靴に手を伸ばす。

 

「な、何をする気だ……!」

「別に何も……もう、観念したってだけだよ」

 

 そして、彼女は右の靴のかかと部分に手をかけると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あァ!? んだそりゃァ!?」

「……これでも運び屋だからね。色々隠せるように靴や服には仕掛けがしてあるの。小物を隠せるように、靴底を厚くしてあるんだよ」

 

 そう告げながらその()()()()から、彼女は小さな黒いブロックのようなものを取り出すと、俺に向けて放り投げた。

 

「ちょっ……」

 

 慌ててそれを受け取る。小指ほどの大きさのそれの側面についたボタンを押し込むと、先端でバチバチと強い紫電が走った。

 

「……それはもしや、スタンガンですか?」

「…………そうだよ」

 

 これを彼女が所持していたこと。それが、すなわち彼女がクロであることの揺るぎない証明であった。

 

「…………」

 

 追い詰められて、全てを諦めた彼女は暗く俯いている。

 諦めの境地にいるそんな彼女を見て、数日前に俺を殺そうとして城咲に妨害された時の事を思い出した。あの時も、諦めの判断は潔かった。

 

「皆の、言うとおりだよ。…………私が、城咲さんを殺した」

 

 その、吐き捨てられた無念の言葉が、学級裁判の終了を告げていた。

 

 




長く続いた、議論の果てに。
火ノ宮の株が急下落する音が聞こえる気がする。


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非日常編⑦ I Am The Killer!!

「出ました? 出ちゃいました? 長々長々長々長々と話してたけど、そろそろ流石に結論が出ちゃいましたよね?」

 

 俺達の議論を黙って眺めていたモノクマが、議論の終焉を察して口を出してくる。

 ただ、そんなちょっかいにかまっていられるほど、俺達に余裕など無かった。

 

「…………本当に、オマエがシロサキを殺したんだな」

 

 覇気をなくした大天へ、怒りに声を震わせてスコットが尋ねる。

 

「……そう言ったじゃん。聞こえてなかったの?」

 

 もはやどうでもいいとでも言いたげに、彼女は冷たく答えた。

 

「私が、城咲さんを殺したんだよ。ナイフで刺して、頭を叩き割ってさ。これで満足?」

「なっ……!」

 

 自嘲的に哀しく笑い声をこぼしながら、大天は挑発的に語る。

 

「……人を一人殺しておいて、その態度はあんまりではありませんか?」

「別に私が何を言っても私の勝手でしょ」

「オオゾラ! どうしてシロサキを殺した!」

 

 煽るような大天に、スコットはまたも疑問をぶつける。

 

「こんなとこから出たかったから。私は毒で殺されかけたんだよ? だから、正当防衛じゃん」

「何が正当防衛だ! シロサキがいつオマエを殺そうとしたんだ!」

「……これから私達を殺そうと考えてたかもよ?」

「シロサキがそんな事するか!」

 

 ドン、と証言台を拳で叩き、怒りの抗議を続けるスコット。

 

「それに、ここから出られるなら殺すのは誰でも良かったんだって」

「……ならば、なぜ城咲君を被害者(退場者)に選んだんだ? キミは一度、城咲君に犯行を妨害された経験(エピソード)を持っているだろうに。犯行を今回も止められる(打ち切られる)とは思わなかったのか?」

 

 すべてを諦めて素直に答える大天に、明日川が問いかける。……言われてみれば、そうだ。大天が殺人を決意した事はともかく、城咲を選んだ理由が判然としない。あの時は不意を突かれていたとは言え、城咲の体捌きをその身を持って知っているはずなのに。

 

「……別に。そんな大した理由なんてないよ。負けっぱなしが癪だっただけ」

「……そうか」

「もういい。もう、十分だ」

 

 淡々と殺意を語る大天の声を聞いて、スコットが強く睨みつける。

 

「オマエが毒の被害に遭った事については同情する。愉快犯はオマエを狙い撃ちにしたようだからな。だが、そんなものはオマエがシロサキを殺していい免罪符になんかならない」

「分かってるよ、そんなの。いいカッコして楽しい?」

「…………モノクマ、投票だ! 早くしろ!」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。何を言っても無意味だと判断したスコットが、玉座でくつろぐモノクマに向けてそう叫んだ。

 

「はいはい。学級裁判の結論が出たら投票だからね。じゃあ行くよ!」

 

 よいしょ、とモノクマは玉座の上で立ち上がる。

 

「はい! それでは投票タイムに移ります!」

 

 そして、もはや三度目となる投票のルールの説明を始めた。多数決で議論の結論を決定するという、今更聞く意味もないルールを聞き流しながら、俺は今回のクロである大天へと目を向けた。

 

 先程、彼女は犯行に及んだ動機をここから出たかったからと告げた。その言葉自体に嘘はないだろう。ただし、そこには悲願が隠されている。【言霊遣いの魔女】を殺すという、絶望的な悲願が。その、なんとしてでも叶えたい悲願が、彼女を凶行に走らせたのだ。

 ……大天が【卒業】を企むだけの理由があることを、俺は知っていた。彼女がその復讐を何より優先していることにも気づいていた。それでも、俺は彼女の犯行を止めることができなかった。

 

 ……いつ。

 いつ彼女は【卒業】を決意したのだろう。いつ、犯行を止めるチャンスがあったのだろう。

 それこそ、彼女の言葉通り、自分が毒で死にかけた時に【卒業】を決意したのだろうか。先に誰かに殺されてしまう可能性を危惧して【卒業】を考えた。そして、あの【凶器】を配るという動機がトドメになってしまった……そういう事だろうか。

 

 ……そうだとして。

 結局、俺は杉野のそばを離れられなかった。杉野すら予想できなかった彼女の犯行を止めることなど、どちらにしても出来なかったのかもしれない。

 

「……はあ」

 

 無力感に苛まれ、ため息をこぼす。

 大天が殺人に及んだのは、これで二度目になる。城咲は言うに及ばず、その他の誰にも邪魔されないように用意周到に計画が練られていたはずだ。

 実際、結局未遂に終わった前回の彼女の殺人は、無計画に個室を訪ねたり送られた手紙に便乗したりとかなり突発(アドリブ)的なものだった。それに比べれば、今回の犯行は事前によく考えられている。五つの凶器を手に入れ、それをすべて利用するために大迷宮を犯行の舞台とした。それにとどまらず、カードキーやナイフをシャワールームに放置することで犯人が外に逃げたという偽装工作まで計画して……。

 

「………………?」

 

 瞬間、俺の脳内を一つの些細な疑問がよぎった。

 小さな、けれども確かな疑問点。

 

「もう言わなくても大丈夫だと思うけど、投票放棄はオシオキだからね!」

 

 玉座の上では、モノクマが投票の説明を終えていた。

 

「さあ、それでは参りましょう!」

 

 眼前に、ウィンドウが浮かび上がる。十六人の、名が並ぶ。

 投票の準備が、整った。

 

「投票ターイ――」

 

 

 

 

「待った!」

 

 

 

 

 

 その疑問の答えが出るより早く、ほぼ無意識的に俺は叫んだ。

 投票の開始を告げようとしたモノクマは動きを止める。そして、全員の視線が俺に集まった。

 

「何さ、平並クン! 良いところなのに!」

 

 この疑問を無視してはいけないと、何故かそんな直感が働いた。

 

 なんだ、なんだ、どういう事だ?

 頭を巡らせてその答えを探る。大天は、どうしてそんな事をしたんだ。それで大天に一体何の得があるというんだ。そんな、自分で自分の首を締めるような行為をして。

 城咲を殺せただけで満足だったのだろうか。前回邪魔をされたその腹いせに城咲を殺したかった? いや、それをしたところで自分はオシオキされてしまうだけだ。そんなはずがない。彼女には悲願があるのだから。

 では、城咲が【魔女】だと勘違いしたのか? だから、彼女を殺しただけで大天は満足して……勘違いする要素がどこにある。それに、そうだったのならこんな複雑な事件を起こす必要など無い。犯人が外に逃げたように見せかける偽装工作など、無駄でしかない。

 

 

 ならば。

 

 あるいは。

 

 もしかして。

 

 

 突拍子もない、あり得ない発想が浮かぶ。けれども、辻褄は、合ってしまう。

 

 

 

「なんで無視するんだ! 何か答えろよ!」

 

 モノクマが叫ぶ。それに合わせて、投票のウィンドウも消えた。

 

「どうした、ヒラナミ。早く投票するぞ」

 

 困惑を顕にするスコット。他の皆も怪訝な表情をしていた。

 

「……投票の前に、大天に聞いておきたい事がある」

 

 そして俺はようやく口を開く。おそらくは、合理的な答えなど返ってこないだろうと思いながら。

 

「…………何?」

 

 冷たい声だった。嫌そうな顔で、俺を見つめている。

 

 

 

 

「……お前。どうしてスタンガンを捨てなかったんだ?」

 

 ピシリと、空気が引き締まった。

 

 

 

 

「…………」

 

 大天は黙り込む。

 

「い、言われてみれば……」

「……大天、どうなんだ。どうして、そんなクロを証明するようなものを持ち続けていたんだ」

 

 そう催促して、ようやく彼女は口を開いた。

 

「……捨てたいけど捨てられなかったんだよ。火ノ宮君がずっと近くにいたし、かなり私を怪しんでたでしょ。こっそり捨てられるような隙なんて無かったから、それなら自分で持ってた方が安全だと思っただけ。靴底の仕掛けに気づく人なんているわけないし」

 

 少し間を開けてから、大天はスラスラと喋りだす。けれども、俺の耳にはどうにも胡散臭い建前のようにしか聞こえなかった。

 

「俺が聞きたいのはそのずっと前だ。七原を刺したあとに向かったシャワールームに、ナイフや白衣を放置しただろ。どうしてそのタイミングでスタンガンを手放さなかったんだ。スタンガンもそこに放置すれば良かっただろ。その存在がバレて困ることもなかっただろうに」

 

 なぜ、スタンガンだけを大天は持ち続けていたのだろう。他の【凶器】と一緒に捨ててしまった方が、メリットはずっと多いはずなのに。

 

「…………忘れてたんだよ」

「……忘れてただァ?」

「その台詞は推敲の余地があるな。今回の事件は緻密にプロットが組まれていただろう。順当(ベタ)に考えれば忘れる(落丁する)などとは考えにくいが」

 

 その様子に、他の皆も疑いを覚え始めたようだった。

 

「私だって忘れたくて忘れたんじゃないよ! こんな頑張って考えたのにさ! でも、人を殺した直後にそんな思い通りに出来るわけないじゃん!

 大迷宮まで戻ってきた時にやっとスタンガンを置き忘れたことに気付いたの! でも、もう誰かが来るかもしれないから戻れなかったし、靴の中ならバレないからずっと持ってただけ! なにも変なことなんてないじゃん!」

「……本当に?」

 

 忘れただけ。

 そう主張する大天は、なぜか焦っているように見えた。

 

「本当に決まってるじゃん! さっきから何が言いたいの!?」

 

 叫び続ける彼女にそう問われ、俺はその答えを口にする。

 

「お前がスタンガンを捨てなかったのは、最後の最後で自分がクロだと主張するためだったんじゃないのか」

「……っ!」

 

 大天が、顔をひきつらせた。

 

「……どォいう意味だ」

「そのまんまの意味だ。学級裁判でスタンガンを見せればそれが何よりの証拠になる。それが目的で、大天はスタンガンを持ち続けていたんじゃないか?」

「な……何を根拠にそんな事!」

「お前、最初からあの首筋についた傷を『スタンガンの傷だ』って言ってたよな。それって、最後にクロの証拠としてスタンガンを見せるための布石として言ってたんじゃないのか?」

「そんなの平並君の妄想じゃん! 勝手に決めつけないでよ!」

「そ、そうだよ……! じ、自分で何を言ってるのか、わ、分かってるのか……!? こ、こんな事件を起こしておいて、そ、【卒業】する気なんて無かったってことになるんだぞ……!」

 

 根岸が叫ぶ。

 確かに、俺もこの疑念を抱いた時に一度はそんな結論が出た。クロが自分で証拠を持ち続けていたのなら、そういう意味になってしまう。

 

「オオゾラが回りくどい自殺のためにシロサキを殺した……なんて言うつもりじゃないだろうな」

「違う。俺がいいたいのは、そんなことじゃない」

 

 それが違うと言える根拠はある。彼女が悲願を達成できないまま、死になどしないだろうから。

 それでも、彼女がスタンガンを持ち続けていたのだから、彼女の目的は、たった一つしか無い。

 

 

 

「……大天。お前、本当に城咲を殺したのか?」

 

 そして、俺は静かに核心をついた。

 

 

 

「…………」

 

 大天は、何も反応しなかった。スタンガンの事を言及された時点で、俺がその可能性に思い至っている事に気づいていたのかもしれない。

 

「……もしかして、てめーが言いてェのは」

「ああ。大天は、クロじゃない。クロのフリをしているだけだ」

「……っ!」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

 誰かの息を呑む声を切り裂いて、東雲が叫んだ。

 

「そんなのありえないわ! さっきから黙って聞いてれば……大体、大天は自分が城咲を殺したって認めたのよ!? じゃあ、コイツがクロで決まりよ!」

「……だが、スタンガンが」

「だから、捨てるのを忘れたって言ってたじゃない。あの靴の仕掛けなら誰も気づきようがないし、そこに入れておくほうが安全だって考えるのは何もおかしなことじゃないわ。それより、クロじゃないのにクロだって言う方がよっぽど異常よ! そんな事してなんのメリットがあるって言うのよ! 自分が死ぬだけじゃない!」

 

 メリットなら、ある。

 彼女がなぜそんな結論に至ったかは分からないが、それでも、大天にだけは、自分がクロのフリをするメリットが存在する。それが東雲の想像の及ぶものでは無いと思うが。

 

「……メリットについては、考えても仕方ないでしょう。彼女が僕達の常識では計れない狂人であれば、そんなものは考えるだけ無駄ですから」

「そうでしょうけど……」

 

 納得の行かない様子の東雲に向けて、杉野はさらに言葉を続ける。

 

「それよりも、考えるべきは犯行の合理性です」

『合理性?』

「ええ。本人が罪を認めるのならと見逃していましたが、今回の犯行には違和感がありましたよね。それこそ、スタンガンに関連して」

 

 違和感。大天がクロのフリをしていると思える今なら、その違和感もすぐに思い至る。

 

「凶器の数の話だろ」

「流石ですね」

 

 うるさい。

 

「クロは新家君に配られた配布凶器を偽装することで、四つしか凶器を使えないはずなのに五つの凶器が使われている……そう主張できる状況を作り出した、というのが今回の事件に対する推理でした。これがトリックとして機能していないことは、これまで幾度となく述べたとおりです」

 

 死人の部屋から持ち出した凶器が本当に三つだったのなら、自分に配られた一つの凶器を加えても五つには届かない。クロが身を守るためにそんなトリックを仕掛けたとしても、それで犯行が不可能になるのはクロだけでなく全員である。全員に不可能ならば何らかのトリックが使われた事は明らかなのだから、だからこそトリックとしては成立していないのだ。

 

「配布凶器を偽装して、城咲さんの頭に斧まで振るって、その結果がこの無意味なトリックなんてあまりに合理性に欠けるじゃありませんか」

「た、確かに……」

「しかし、もしも大天さんがクロでなく、クロのフリをしているだけというのであれば……この疑問は解決することになります。

 つまり、元々犯行に使われた凶器は死人に配られた四つだけだったのです。そうであれば、犯行には死人の三つと自身に配られた一つだけが使われた、という偽装が成立します。その状況でクロが自分の配布凶器を見せれば、配布凶器を見せていない人物か見せても偽物だと疑われるような人物に容疑を被せることができるでしょう」

 

 これなら、トリックに合理性が生まれる。トリックを仕掛ける、意味がある。それに、もしもトリックを看破されたとしても、自分に配られた凶器は未使用なのだから、そこからクロだとばれることはない。

 

「ところが、大天さんが現場にやってきて、自身に配られたスタンガンを押し当てた……これで傍目には五つの凶器が使われたように見えたのです」

「スタンガンをわざわざ押し当てたのは、こうして犯行に利用した凶器を見せつけて自分をクロだと思わせるため。そうなんだろ」

 

 杉野の説明を受けて彼女に問いかける。

 間違っては、いないはずなんだ。

 

「さっきからなに言ってるかわかんないんだけど! 考えすぎだって! 城咲さんを殺したのはホントに私なの!」

「おや。妙な台詞だな、大天君」

 

 慌てたように叫ぶ大天に、静かに明日川が語りかける。

 

「なぜキミは今、自分がクロであることを主張した? 黙って彼らの主張を受け入れれば、自らが投票先になることは避けられるだろうに」

「……!」

 

 直前まで懸命に無実を訴えていた彼女が、今では必死に自分がクロだと叫んでいる。その歪な言動が、彼女への疑いを加速させる。

 

「…………アンタ、まさか、本当に」

「違う!」

 

 それでも、彼女は叫びを止めない。

 

「今のは言葉の綾って言うか……ほら、口が滑る? ってやつだよ! いきなり変なこと言われて急に嘘つくなんて、そんな頭の良いこと私には無理だし!」

「ですが」

「だったらさ! そう言ったらホントに私に投票しないでくれるの!? 私がクロじゃないとかなんとか言ってくるけど、そんな証拠もない話に命張れるワケ!? 平並君たちが勝手に言ってるだけだよ!?」

 

 杉野の声すら封殺し、彼女の声が裁判場に響く。

 

「そ、それは……」

「犯行を全部暴かれて、自白までしちゃったのに今更ひっくり返せるなんて思うわけないじゃん! 私の命を弄ぶのがそんなに楽しいの!?」

「……そうじゃない。そんなことがしたいわけじゃない」

「うるさいうるさいうるさい! そうやって平並君が変なことを言う度に、もしかしたらまだ行けるかもって思っちゃうんだよ!? そんなこと、できるわけないのに! 殺すなら一思いに殺してよ! 余計な希望なんて持たせないで!」

 

 ……どっちだろうか、これは。

 

 俺達から思考を奪うような大天の叫びに引っ張られそうになる。本当に彼女は城咲を殺して、その罪から逃れられないと自覚しているために投票を煽っているのではないかと。

 しかし、論理的にはやはりそれを認めるのは難しい。何より、彼女がクロを主張する行為そのものが彼女がクロでない証明に思えてならない。もしも彼女に票が集まりそれが不正解だったのなら、彼女の【悲願】は達成することになるのだから。

 

「モノクマ! 学級裁判は終わったはずじゃん! 早く投票を初めてよ!」

「うーん、ボクとしてもいい加減話を進めたいところだけどさ。こんな中途半端な状況で投票タイムに移るのは、ボクのゲームマスターとしてのプライドが許さないっていうかさ」

「なっ……なにそれ!」

「大天」

 

 モノクマの言葉に目を見開く彼女に、火ノ宮が声をかける。

 

「……なに?」

「てめーは捜査中、オレと一緒に行動してた。チェックポイントを調べた後は直接宿泊棟に向かって、その後もずっと【宿泊エリア】にいた」

「わざわざ確認されなくても分かってるよ。それがどうしたっていうの?」

「だから、オレ達は更衣棟のシャワールームには行ってねえ。隠し通路もそこに捨てられた凶器も、全部平並達から聞いただけだ。……それでも、てめーがクロなら答えられるはずだよな。犯人が凶器を捨てたシャワールームの、タイルの色を」

「…………!」

 

 火ノ宮は当然それを知らない。けれども、大天は知っているはずなのだ。本当に、城咲を殺してシャワールームの偽装工作を行ったのならば。

 

「……え、えーと。……あれー……思い出せるかなー……」

 

 両目をせわしなく左右へ泳がせる。火ノ宮はそれをじっと見つめ、急かすことなく彼女の答えを待っていた。

 やがて、彼女は何かに思い至ったように目を見開く。

 

「あ! そうだ! 水色! 水色だよ!」

 

 水色。それが彼女の答えだった。

 

「…………そォか。じゃァやっぱり、てめーはクロじゃねェんだな」

「……え? なんでそうなるの!? っていうか、正解が何色かは火ノ宮君には分からないじゃん!」

「あァ、分かんねェよ。けど、それが間違ってるっつーのだけは分かる。水色は、東雲が使ってたシャワールームのタイルの色だろ」

「ええ、そうね」

「何言ってるの!? だから、水色で合ってるじゃん!」

「……あ、そ、そうか……」

 

 焦る大天の様子を見て、根岸が何か気づく。

 

「お、お前、う、【運動エリア】の探索をしなかったから、こ、更衣棟のシャワールームのタイルの色が部屋ごとに違うって知らないのか……!」

「…………!」

 

 ハッと口を開き、失言に気づいて口を手で抑える。

 

「なるほど。確かに先程東雲君の台詞にシャワールームのタイル(装丁)が水色であるという話が含まれていたな。だから、キミは水色と答えたのか」

「ちなみに、正しい答えは黄緑色です。……これは決定的、ですかね」

「…………まだだよ。まだ終わってない」

 

 致命的な失言をしてもなお、彼女は視線を落としながら小さくつぶやく。

 

「あァ?」

「今のは嘘だよ! 知ってたよ、黄緑色なんて!」

 

 そして、イカれたように瞳孔の開いた瞳を晒して叫びだした。

 

「こうやって嘘をつくことで、自分が無実だってフリをしてるんだよ! だから騙されちゃダメだよ! 本当にクロは私なんだから!」

「それをアンタが言ってる時点で破綻してるじゃない! さっきから何がしたいのよ、アンタは! 自殺行為の何が楽しいわけ!? アンタが本当にクロでもそうじゃなくても、議論が続いてるなら無実の主張をしなさいよ! 自分でクロを主張するなんて、どう考えたっておかしいじゃない!」

「うるさいうるさいうるさい! これでいいの! これが正解なの! だから早く私に投票してよ!」

「……支離滅裂ですね。議論にもなりません」

 

 叫び続ける大天に、杉野がそんな評を告げる。同意だ。もはや答えは出ていると言っていい。

 それでも、そんな彼女をこれ以上見ていたくない。彼女を諦めさせる証拠を突きつけない限り、彼女は叫び続けるだろう。

 

 ……何か、彼女の無実を証明する直接的な証拠は無いだろうか。そう考えてすぐに結論は出た。同じ疑問を、全く違う意味でさっきしたばかりだったからだ。

 

「……大天」

「なに!?」

「お前がクロだって言うんなら。見せてみろ、お前の百億円札を」

「え? ……あ」

 

 クロは、犯行後に百億円札を城咲のものと交換した。だから、その百億円札は血に染まっている。百億円札が血に染まっていればクロ。そうでなければ無実。至極単純な証明だ。

 

「お前、さっき俺に百億円札を見せろって言われた時、結局ずっとポケットを抑えたままで最後まで見せなかったよな。あの時は、自分がクロであることを証明してしまうから見せなかったと思っていたが、違ったんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()見せられなかったんだ。そうだろ」

「そ……そんなわけ」

「だったら見せてくれ。お前の百億円札に血がついていれば、お前がクロだって認めてやる」

「…………」

 

 数秒、無言のまま視線をさまよわせた。

 そして、

 

「……嫌だ! 見せる必要なんか無いじゃん!」

 

 尚も彼女は抵抗することに決めた。

 

「だったら無理矢理にでも見せてもらうぞ、オオゾラ!」

 

 それを聞いて、スコットが証言台から降りて彼女の元へ駆け寄る。力ずくの手段の是非を悩むほど、彼に余裕など無かった。

 近づくスコットを拒否すべく、大天はそのスコットの腹を蹴り飛ばす。

 

「グフッ……!」

「こっち来ないで! ……ちょっと! 足掴まないで……きゃっ!」

 

 みぞおちに蹴りを喰らいながら、彼はその足を掴んで床に倒れ込む。それに引っ張られ、大天も同じく床に転がった。

 

「……悪い、大天」

 

 大天は荒事になれていると言っていた。一人で抑えきれるかは分からないと思い、俺も彼女を拘束すべく駆け寄ると、腕を掴んで背中に体重をかけた。

 

「ちょっ、痛……やめてよ!」

「ごめん」

「謝るくらいならしないで!」

 

 大天の尻ポケットが無防備になる。それを見て火ノ宮も彼女の元へ駆け寄ると、その尻ポケットに手を伸ばす。

 

「お尻触らないでよ! 変態!」

「ッ!」

 

 が、大天にそう怒鳴られてその手は止まった。

 

「何怯んでるんだバカ! そんな事気にしてる場合じゃないだろ!」

「もういい! オレがやる!」

 

 掴んでいた大天の脚に体重をかけて拘束し、スコットは大天の尻ポケットに手を突っ込んだ。

 

「やめて! 待って! ほんとに待って――!」

 

 彼女の叫びに耳を貸すことなく、スコットは尻ポケットから百億円札を引き抜く。そしてそれを、空中へと掲げた。

 

 

 スコットの指に挟まれたその百億円札には、血痕など微かにもついていなかった。

 大天が無実であることの何よりの証明が、そこにあった。

 

 

「あ……」

 

 大天から力が抜ける。もう抑える意味もない。俺も彼女の背中からどいて床にへたり込んだ。

 

「もはや言い逃れはできませんね。大天さんは、無実です」

「…………くぅ……」

「おい、オオゾラ!」

 

 悔しそうに声を漏らす彼女の胸元を掴むスコット。

 

「オマエ、どうしてこんな嘘をついた!」

「………………」

『だんまり、みたいだな』

「まあ、ここでその答えを言うのなら、嘘をついていた意味がありませんからね」

 

 杉野の言うとおりだ。彼女はもう何も言わないだろう。

 

「り、理由なんかどうでもいいよ!」

 

 そんな中、根岸が叫ぶ。

 

「ど、どうせ、だ、誰かをかばってたとかそんなだろ……も、問題は、そ、それが誰かってことじゃないのかよ……!」

「……そうですね。城咲さんを殺したのは誰か。大天さんの嘘を暴いたところで、その答えを見つけなければ結局僕達はおしおきされてしまいます」

 

 城咲を殺したのは誰か。

 

 ずっと大天の無実を証明することばかり考えていたから、今更ようやくその疑問について改めて考えた。

 

 

 

 

 

 

 その答えは、一瞬で出た。

 

 酷く冴えた頭が、たった一つの真実を導き出す。

 

 3から2を引けば1が残る。そんな簡単な算数が正しいかどうかなど、吟味する意味すら無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「……七原だ」

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことはあり得ないのに。そんな結論が存在して良いわけがないのに。

 それでも、俺の口からこぼれ落ちたのは、他の誰にも代えがたい彼女の名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………てめー、今なんつった?」

 

 火ノ宮が、俺の声に反応して問いかけてくる。

 

「………………七原なんだよ。……城咲を殺したのは」

 

 言いたくない。

 口にしてしまえばそれが絶対の真実になってしまうんじゃないかと、そう思えるのに、震える声は止まらない。

 

「なぜそんな結論(結末)になる? そんな奇妙な物語を、なぜ思いついたんだ?」

 

 奇妙。

 そうだ、おかしい。こんな結論は、間違っている。

 

 そのはず、なのに。

 

「……死体発見アナウンスだ」

 

 俺のたどり着いたあり得ない結論は、確固たる真相として立ちはだかっていた。

 

「クロは犯行中に死体を発見したと判定された。だから、死体発見アナウンスが流れる条件の、最初に発見した三人の中にクロが含まれているはずなんだ」

 

 大天がクロであると、そう判断したきっかけとなったロジック。それが、もう一つの結論を導き出す。

 

「最後に発見してアナウンスを鳴らした東雲はクロじゃない。大天も、死体にスタンガンを押し付けたんだから当然発見者には含まれているはずだが、大天もクロじゃなかった。…………なら、残った七原が、クロになる……」

 

 他に可能性はないか。そういくら考えても、そこに疑う余地など無かった。

 東雲と、大天と、七原。

東雲はアナウンスを鳴らした。大天はスタンガンを押し付けた。七原は斧に言及していた。だから、この三人が、最初に死体を発見した三人であることに間違いはない。

 つまり、クロは。

 

「け、けど、お、おかしいだろ……!」

 

 思考を、根岸の叫びが止める。

 

「だ、だって七原は、く、クロに襲われた被害者だろ……!? そ、それがなんで七原がクロだってことになるんだよ……!」

「…………そう思わせることが、七原の目的だったんだ」

 

 暗く澄み渡る頭脳が、反論を即座に切り捨てるロジックを作り出す。

 学級裁判が始まったときには何も見えなかった真実が、皆で語り尽くした議論によって鮮やかに暴かれていく。

 もはや、目を背けることなどできないほどに。

 

「まさか、体を刺された人間が人を殺してなどいないだろう――俺達がそう思うことを見越して、七原は自分で自分の脇腹を刺したんだ」

「…………!」

「……さっき大天をクロだって指摘した時、最初に疑われてしまえばその後は疑われにくくなるという話をしたよな。……自分から被害者の枠に入れば、そもそも容疑者として疑われることすらなくなるんだ。それが、七原の狙いで――」

 

 

 

「その糸、編み直せ」

 

 

 

 突如、俺の言葉に割り入って、スコットの声が聞こえてきた。

 

「七原はわざと自分の脇腹にナイフを刺した……そう言いたいんだよな」

「……ああ」

「そんなことが有り得るはずがない。オレとアスガワが証人だ」

 

 親指で彼女の方を指し示す。明日川も、険しい顔のままうなずいていた。

 

「手術をしたオレだから言える。あの傷は本物だ。オレ達の目をごまかすためだとか、そんな打算でついたような浅い傷じゃない。刺された時点で死んでもおかしくないほど深かったし、そもそもオレ達が手術をしなければナナハラは出血多量で確実に死んでいた。……いや、それどころか、手を尽くして手術をした今でさえ、ナナハラは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ。そんな傷が、自分でつけた傷? そんなこと、あり得るわけがない」

 

 まくしたてるように彼は語る。

 七原についた傷が、彼女の生死を左右するものだった事を否定はしない。スコット達の手術が無かったら七原が死んでいた事も。

 けれども、それは七原の犯行を否定する根拠にはなり得なかった。

 

「……だが、死んでない」

「は?」

「生きるか死ぬかの瀬戸際だとしても、七原はまだ死んでない。あれほどの血を流して気を失っても、アイツはまだ、生きている」

 

 ストレッチャーの上で眠る彼女に視線を送る。彼女はただ、静かに横たわっていた。

 

「ナイフは奇跡的に致命傷を避けた。大迷宮の悲鳴は図らずも俺達の耳に届いた。大迷宮の出口が開いた時は幸いにも手術のできる明日川とスコットが揃っていた。器具を持っていた火ノ宮も、仕組まれたように手術に間に合った」

「……そんなの、たまたまだろ」

「たまたまだ。全部偶然だ。……それでも、七原にとってはすべてが必然なんだ。だって、七原は【超高校級の幸運】なんだから」

 

 何もかもが彼女を中心に回る。

 それが、七原の才能だ。

 

「この狂言を成功させるには、中途半端な傷をつけることは出来ない。死線をさまようほどに、強くナイフを刺さなければ意味がない。それでも七原は、自分の脇腹を刺すことができた。アイツは、自分の幸運を何より信じていたから。自分が死ぬわけがないと、信じていたから……」

 

 ぽつぽつと、彼女がクロである理由を告げる。彼女がクロたり得る理由を告げる。

 

「……キミがそんな推理(シナリオ)を書いた根拠は理解した。しかし、なぜキミがそんな台詞を吐くんだ! 他のどのキャラクターが彼女を疑おうとも、キミだけは彼女を信じなくちゃいけないはずだろう!」

「信じたいに決まってるだろ!」

 

 明日川の台詞に噛み付くように吠えた。

 

「アイツが殺人なんかするはずないって、そんなの俺が一番分かってる! ……けど、ダメなんだよ。いくら考えたって、もう、アイツがクロとしか、考えられないんだ……」

 

 皆の反論を切り捨てながら、何度も何度も考えた。七原がクロだなんて推理、絶対に何かが間違ってると、そう思ってどれほど思考を巡らせても結論は何故か変わらなかった。

 視線が、床に落ちる。どうして、こんな結論になるのだろう。

 

「凶器の数のトリックも、七原はとっくに配布凶器を公開していたんだから十分に成立する。クロが大迷宮の外に逃げたという偽の筋書きだって、七原が残した『白衣』の血文字が効いている。城咲と交換した百億円札も、自分自身が血まみれなんだから百億円札に最初から血がついていても関係ない」

 

 ここまで積み重ねた議論のすべてが、七原がクロであることにつながっていく。

 七原がクロだと、証明されていく。

 

「……まだ、そうと決まったわけじゃないんじゃないかな?」

「…………え?」

 

 その声に俺はふっと顔を上げた。希望にすがるように。

 

『菜々香がクロなら、ナイフはどうなるんだ? 自分で自分の脇腹を刺したんだったら、ナイフは大迷宮の中に落ちてねえとおかしんじゃねえか?』

「……い、言われてみれば……」

「でも、ナイフは更衣棟にあったよね。大迷宮には他におなかを刺せるようなものなんてなかったし……」

「……確かに、斧で脇腹を刺すことは出来ませんが」

『それに、そもそも七原の傷はあのサバイバルナイフでつけられた傷だって棗が言ってただろ』

 

 黒峰が、口をパクパクさせながら明日川に確認を取る。

 

「ああ。ボクの記憶に賭けて証言しよう」

「だから、菜々香ちゃんが自分で自分を刺したなんて、ありえないと思う」

 

 だから、七原はクロではないと。露草はそう主張した。彼女は、まだ七原の事を信じている。

 

「大天がやったんじゃないの?」

 

 そんな露草の推理に反論を唱えるのは東雲。

 

「どういう魂胆か知らないけど、大天は自分がクロだって嘘ついてたじゃない。事件をごまかすために、大迷宮に落ちてたナイフを拾って更衣棟に持っていったとか、そんなとこじゃないの?」

「そりゃァあり得ねェだろ。大天は更衣棟のシャワールームには行ってなかっただろォが」

「……そうだったわね」

「もしかしたら、大天君は隠し通路の存在自体知らなかったかもしれないな。事件(物語)の詳細を知らないまま、クロを演じたのかもしれない」

「………………」

「…………何も言わないつもりか」

 

 スコットが、口をつぐんでうつむいたままの大天に苦言を呈していた。

 

『とにかく、ナイフが更衣棟にあった以上、七原がクロで、自分の脇腹を自分で刺したって推理は間違ってるんじゃねえのか?』

 

 不安げに、けれども力強い黒峰の反論。

 それは、待望の反論ではあった。ああ、けれども、

 

「……それは違うぞ」

 

 それは、すでに自分でとっくに思いついていた反論だった。そして、俺はそれを切り捨てる推理すらも思いついていた。

 

「それでも、俺の推理は成立する。……七原が脇腹を刺したのは、大迷宮の通路の血溜まりの広がっていた場所だと思っていた。だが、違ったんだ。七原は、更衣棟のシャワールームで自分の脇腹を刺したんだよ」

『……!』

「……その後、大迷宮に戻る前にナイフを抜いて放置して、傷を抑えたまま大迷宮まで戻ってきたんじゃないのか」

 

 つまるところ、あの隠し通路に残る点々とした血痕は、更衣棟へ向かったときに返り血がこぼれ落ちてついたものではなく、大迷宮の中へ戻るときに七原の傷跡から流れ落ちたものだった……そう考えることができるのかもしれない。

 

「……大迷宮まで戻ってきて、そこでようやく手を離して悲鳴をあげたんじゃないか。そこで倒れ込んで通路に血溜まりを作った後に、出口まで這っていった…………」

 

 俺の推理を聞いて、黒峰は露草と共に黙り込む。

 

 裁判場が、重い静けさに包まれた。

 

 

 

 

 違う。

 

 

 違う。

 

 

 違う。

 

 

 

 

 

 永遠にも思える静寂の中で、俺は懸命にそれを否定する。

 

 

 

 

 

 俺は、こんな結論のために学級裁判に臨んだんじゃない。

 

 こんな苦しい思いをするために、推理を組み上げたんじゃない。

 

 七原が認めてくれた俺の才能は、こんな事のためにあるんじゃない。

 

「……なーんて、違う、違うよな。そんなわけ、無いよな」

 

 そんな言葉で何も変わらないなんてことは分かりきっていても、それでも、そんな寒々しい言葉を口にせずには入れらなかった。

 

「ずっと俺は何を言ってたんだろうな。七原が誰かを殺すなんて、そんな事あるはずがないのに」

 

 俺はずっと、間違っていた。謎を解くということに固執しすぎていたのかもしれない。証拠やルールのロジックとか、そんなものは何も重要なんかではないのだ。

 大事なのは、彼女を信じることだけじゃないか。

 

「だからさ、また誰か俺の推理に反論してくれよ。実を言うと、俺が考えた反証はさっきのでもう全部出尽くしたんだ。だから、次に出てくる反論を俺はきっと否定できない。それで、七原の無実が証明されるはずなんだ」

 

 俺はそう告げたのに、誰も、言葉を返してくれない。

 

 なぜだろう。

 

 なぜ、何も言ってくれないのだろう。

 

「……どうして、皆黙り込んでるんだ。まだ、何かあるだろ? なあ?」

 

 皆、視線をさまよわせている。思考を巡らせている。それでも、何も言葉は出てこない。

 

「……っ! おい、火ノ宮!」

 

 慌てるように、その名を呼ぶ。すがるなら、彼しかいないと。

 

「何か言ってくれ! 俺の推理を否定してくれよ! 超高校級の、クレーマーだろ!?」

「…………」

「なあ、火ノ宮!」

 

 俺の叫びを受けて、彼はためらいながら口を開いた。

 

「……今更、てめーの推理にケチのつけようはねェ。さっきの大天の時みてェな非合理的な部分がねェかも考えたけどよォ、七原がクロなら、全部の証拠が一本の線でつながっちまう」

「な……なんで、そんな事を言うんだよ」

「オレだって七原がクロだなんて思いたくねェよ! オレ達も皆、アイツにずっと励まされて来てんだよ。アイツが殺人なんかするわけねェって思ってんのは、てめーだけじゃねェ」

 

 悔しそうに、握りこぶしを震わせる火ノ宮。

 

「けど、もう認める以外にねェだろォが! 証拠も、何もかもが出揃ってんだよ! ……それを教えてくれたのは、てめーじゃねェか」

「な……!」

「てめーが証明したんだぞ、平並! てめーが、七原がクロだって突き止めたんだぞ! 皆の反論を、全部切り捨ててよォ! ……てめーの気持ちは痛いほど分かるけどよォ、あの推理の何もかもを無かった事になんざ、出来ねェだろ」

「…………ぐっ……」

 

 俺が、突き止めた。この残酷な真相を。

 どうしてだろう。どうしてこんな事になってしまっているのだろう。

 

「なんっで……なんで、なんで! なんでなんだよ! 違う違う違う、違う!」

 

 髪をかきむしって、グシャグシャになった頭と顔で叫び続ける。

 こんな物が真相? そんな事がありえるはずが無い。絶対、必ず、何があったとしても。

 

「七原がクロなわけがない! アイツは俺が誰かを殺そうとするのを止めてくれた! 俺が苦しんでる時に、優しく手を差し伸べてくれた! 俺と一緒に、殺人が起こらないように頑張ってくれた! こんな理不尽な世界でも、この日々が大切な日常だって、アイツは教えてくれたんだ!」

 

 

──《「たった数日だったかもしれないけど、狂ったルールがあったかもしれないけど、不安でいっぱいだったかもしれないけど! このドームで過ごした時間だって、大事な日常なんじゃないの!?」》

 

 

 七原がいたから、俺はここにいる。七原がいたから、俺は絶望せずにいられる。

 

 そんな七原がクロだと断じるなんて、たとえ死んでもそんなミスを犯すわけにはいかない。

 

「で、でも、お、お前が言い出した推理だろ……!」

 

 わかってる。

 さっきも火ノ宮に言われた。その推理を、最初に口にしたのは俺だ。

 

 ……だったら!

 

「そうだ、俺の推理だ。七原がクロだって、俺が言ったんだ。だったら、そんな推理、当たっているはずがないんじゃないか?」

「あァ?」

 

 もっと早くに気づくべきだった。どうして、こんな事に自信を持っていたのだろう。

 【超高校級の凡人】たる俺が推理の真似事をしたところで、価値も意味もあるはずが無いというのに。

 

「俺なんかの推理、間違ってるに決まってるんだ。それこそ、大天がクロだって推理だって外れてたじゃないか。七原がクロだって推理も間違ってるに決まってる」

「凡一ちゃん、一体何を……!」

「いつもいつもそうだった! 出来たと浮かれて調子に乗って、結局どこかで失敗してるんだ! 何をしたって、ダメだったんだ! 今回だって絶対そうに決まってる! 俺なんて才能のない人間が、殺人事件の真相を当てるなんてことができるわけないんだから!」

 

 

 

 

 

 

「それは違うよ、きっと」

 

 

 

 

 聞こえてくるはずのない声が、俺の言葉を否定した。

 優しく、穏やかな、声だった。

 

 

 

 

 

 その声は、証言台を囲む俺達の、更にその外から聞こえてきた。

 

「…………七原!」

 

 声につられて彼女の方を見ると、彼女はストレッチャーの上で患部を抑えながらゆっくりと体を起こしていた。

 

「いてて……やっぱり、痛むね」

「……七原君。目を覚まして(本を開いて)いたのか」

「いつから、僕達の話を聞いていたんですか?」

「えっと……火ノ宮君が疑われたあたり、かな」

「ず、随分前じゃないか……!」

 

 杉野の質問に答えつつ、彼女は体勢を整える。最終的にはストレッチャーに腰掛ける形になった。

 

「黙って聞いてるつもりはなかった……っていうと嘘になっちゃうんだけどね。でも、起きようとしても体に力が入らなくて、やっとこうやって喋れるようになったんだ」

「そんな事どうだっていい!」

 

 七原がいつ目を覚ましたのか。どうして今まで黙っていたのか。そんな些細な事よりも、聞かなければならないことがある。

 

「さっきのはどういう意味なんだ!」

「言葉のとおりだよ。平並君は、何も間違ってない。平並君は、色んな事を考えて、皆のことを思いやれる人だから。だから、君ならどんな事件の真相だってたどり着けるんだよ」

 

 そんな砂糖菓子のような優しい言葉をかけられて、頭がクラクラと揺れる。

 

 彼女は、なぜ、俺の推理を肯定するような事を言うのだろう。

 

「……おい、ナナハラ。自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「分かってるよ、もちろん。全部、聞いてたから」

「じゃあ、認めるって事でいいのね。アンタがクロだって」

「……うん、そうだよ。私が城咲さんを――」

「そんな訳無いだろ!」

 

 何かを口走りかける七原を、ありったけの叫びで止める。

 ダメだ。それだけは言わせちゃダメだ。

 

「七原がクロなわけ、無い。何度も言ってるだろ」

「平並君」

「七原、お前は寝てろ。刺されたショックで記憶が混濁してるだけなんだ」

「違うの、平並君」

「俺がいくら間違えたって、皆がきっと正してくれる。だから、お前は何も言わなくていいんだ」

「自分を否定しちゃダメだよ。平並君は、何も間違えてなんかないんだから」

 

 俺の言葉は、七原には届かない。

 なんで。どうして。

 

「七原、頼むから、頼むから……!」

「聞いて、平並君」

「……!」

 

 それでも尚折れない彼女の声に、俺の口は止まる。

 

「今から、平並君の推理が正しいことを証明する」

「証明って、お前、何を」

「この事件を、最初から最後まで全部説明する。平並君なら、それできっと分かってくれるはずだから」

「……!」

 

 それは、かつて二度……いや、三度と俺がしてきたことだった。

 それを彼女は、自分自身でやろうと告げている。

 

「……何を考えてやがる。んなこと、自分ですることじゃねェだろ」

『まさか、菜々香まで翔みたいにクロのフリをしようっていうんじゃ……』

「あはは、そんなんじゃないよ。もしそうだったら、わざわざこんな事言わないほうがいいでしょ?」

「それはそうですが……では、なぜ?」

「……理由なら、もう言ったよ」

 

 そう告げて、彼女は一つ深呼吸をする。

 

「平並君、よく聞いてね。これが、君が暴いた真相なんだよ」

 

 その暖かな瞳は、困惑に揺れる俺の瞳をじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の朝、皆で【凶器】を見せ合うために宿泊棟から【凶器】を取ってくる時があったでしょ? その時に一人だけ遅れて宿泊棟に戻った犯人は、返り血を防ぐための白衣を取ってこようと遠城君の部屋に向かったんだ。元々は体育倉庫で硬そうなものを見繕って凶器にしようと思ってたんだけど、遠城君の机の上にサバイバルナイフが乗ってるのを見つけて……それで、遠城君達にも【凶器】が配られてた事に気づいたの。【凶器】の個数をごまかすトリックを思いついたのもこの時で、急いで四人分の【凶器】を自分の部屋に集めたんだ。隠し通路のカードキーとか、斧とかね」

 

他人事のはずの犯行を語っているにも関わらず、その口調はまるでそうでないかのように聞こえた。

 

「その後、その四つの【凶器】を見ながら犯行計画を練った犯人は、その【凶器】や、一緒に持ち出した遠城君の服を持って大迷宮まで向かったんだ。そこで始めて隠し通路の先が更衣棟に繋がってることを知ったんだけど、ああいう小さな密室に道が繋がってたことは犯人の立てた計画にとって好都合だったんだよね。いくらでも自由に偽装工作ができるし、犯行に使う道具も全部そこに隠しておけるから」

 

 俺が魔女の犯行を止めようと見張り続けているまさにその裏で、犯人は犯行の準備を着々と進めていた。彼女が語っているのは、そういうことである。

 

「夕方になって、犯人は事件を起こし始めたの。これまでの事件は二回とも夜に起きたけど、今回犯人が立てた計画では事件後すぐに大迷宮に駆けつけてくれる人が必要だったから、夜になる前に事件を起こしたんだよね。まあ、夜中は火ノ宮君がずっと見張る気だったみたいだから、そういう意味でもその時間しかなかったんだけど。ちなみに、昼間じゃなくて夕方だったのは、一番皆がバラバラの場所にいそうなタイミングを狙ったからなんだ」

 

 すべての行動の理由が、犯行に潜んだ合理性が、説明されていく。

 

「犯人は、一通り大迷宮で犯行の準備を終えると、食事スペースに向かって一人きりで座ってた城咲さんに声をかけたんだ。『大迷宮で東雲さんが刺されて死にかけてる』って。今から急いで救命措置を行えば助けられるかもしれないって話したら、城咲さんは顔色を変えて大迷宮に駆けて行ったの。城咲さんは犯人に他の人も呼ぶように告げたんだけど、犯人はすぐに城咲さんの後を追ったんだ。だって、城咲さんを大迷宮に呼び出すことが、犯人の目的だったから。

 城咲さんを追いかけて大迷宮に入ると、城咲さんはチェックポイントで立ち尽くしてた。通路の床には誘導のために血痕をつけたけど、余った血は目を引くようにチェックポイントにばらまいてたからね。そんな血を前にして立ち尽くす城咲さんに、犯人は隠し持ってたサバイバルナイフで襲いかかったんだけど、気配を感じ取られたのかそれは避けられちゃったんだ」

 

 城咲が一人で大迷宮に向かったのは、傷ついた誰かを死なせないために一刻も早く救命措置を行おうとしたから。そうと言われてみれば、他の何よりも納得の行く理由だった。そこに至る彼女の決意が、最悪の結果を呼び込んだ。

 

「犯行を思いとどまるように抵抗しながら犯人を説得してた城咲さんだったけど、床に広がった血溜まりで足が滑った隙に犯人にお腹を刺されて、床に倒れ込んじゃったの。これはまずいと思ったのか城咲さんは逃げだそうとしたけど、そんな城咲さんの背中に犯人はナイフを突き立てたんだ。

 動かなくなった城咲さんを見て殺せたと判断した犯人は、急いで更衣棟のシャワールームに向かって、斧をチェックポイントまで持ってきたの。戻ってきた犯人は自分の名前が血で残されていることに気づいて、それを血で塗りつぶしたんだ。その後、念の為に城咲さんが本当に死んでるかを確かめる時に犯人は自分の百億円札が破り取られた事に気がついたんだけど、その破られた百億円札と城咲さんが持っていた百億円札を交換することを思いついたの。城咲さんの百億円札は犯人がナイフで襲ったせいで血まみれだったけど、犯人は何も気にしなかった。だって、この後自分自身も血まみれになる予定だったから」

 

 そうでなくても返り血まみれなんだけどね、と付け足しつつ、彼女は更に喋り続ける。

 

「そして、犯人は更衣棟から持ってきた斧を城咲さんに振るったんだ。犯人は城咲さんに怒りも恨みも抱いてなかったけど、どうしても犯行に遠城君達の部屋から持ち出した四つの【凶器】を使う必要があったから。死んだ皆の部屋から持ち出した【凶器】の数を三つと思わせたまま四つの【凶器】を使う事で、配られた【凶器】を知らせていない人に疑いを向けさせること。それが犯人のトリックの一つだった。直接犯行には使わなかった目出し帽も、更衣棟のシャワールームに血まみれにして置いておくことで、あたかもそれも犯人が利用したように見せかけたの。遠城君の服や白衣と同じでね」

 

 つまり、最初から白衣も目出し帽も使っていなかったのだろう。それらはトリックのために使ったフリをしていただけで、だからこそ、城咲も犯人の名を残すことが出来たのだ。

 

「城咲さんに斧を振るった犯人は、城咲さんの体に刺したままだったサバイバルナイフを回収して更衣棟へ向かったの。さっき斧を取りに行ったときもそうだったけど、通路には血がつかないように気をつけてね。それで、更衣棟のシャワールームは、犯人が後処理をして逃げ出したように見せかけるために、犯行の前に血まみれにしておいてシャワー室の床も濡らしておいたんだけど、そこで最後の仕掛けが残ってたんだ。

 犯人は、城咲さんを刺したサバイバルナイフで自分の脇腹を……襲われたように見せかけるために少し後ろから刺したの。自分で刺したと疑われないように、死ぬかもしれないほど、強く。そしたら、サバイバルナイフを抜いて血まみれの棚の中に放り込んで、犯人は傷跡を必死に抑えながら大迷宮へと戻っていったんだ」

 

 被害者という絶対的な隠れ蓑のために、それは行われた。自分が死んでしまうなどとは、犯人は微塵も思わなかった。

 

「大迷宮の中まで戻ってきたら手を離して通路の中に血溜まりを作って、そこで初めて犯人は悲鳴を上げたの。今まさに、この大迷宮の中で犯人に刺されたと思わせるために。

 そして、犯人はそのまま出口まで這いずっていったんだ。誰かが、自分の悲鳴を聞いて大迷宮まで来てくれると、信じて。そして、その自分を見つけてくれる誰かに、犯人は最後のメッセージを託したの。城咲さんを殺した犯人が更衣棟へ逃げ出したって思わせるために、『白衣』の血文字をね」

 

 そうやって、長い時間を懸けて、彼女はすべてを語り終えた。

 

「これが、今回の事件の全容。君が暴いた、城咲さん殺しの真相」

 

 彼女が何を思いながら俺を見つめているのかなんて、俺にはさっぱりわからない。

 

「こんな事件を起こせたクロは――【凶器】の運搬を誰にも見られず、計画に利用できる隠し通路が用意されていて、呼びに行った城咲さんがちょうど一人きりで、襲う時には相手が血で足を滑らせて、あげた悲鳴が聞こえる位置に人がいて、気を失うほど血を流しても息絶えることもなくて、そして、自分以上に疑われる人が何人も出てきて……そんな、誰より運のいい犯人は――」

 

 けれども、そんな俺でも、理解してしまえる事は。

 

 

 

 

 

 

 

「――この私。七原菜々香しか、いないんだよ」

 

 彼女の言葉が、絶対的な真実であるという事だけだった。 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐう……うぐぅっ……!」

 

 否定したい。

 反論したい。

 論破したい。

 

 それでも、俺はただうめき声を上げることしか出来なかった。

 

 それが、七原の言葉だったから。

 

「なんで……なんでなんだよ……!」

 

 苦しみが、そんな言葉に乗って俺の口から溢れ出す。

 

「動機は……動機は一体何なんだ……! どうして、お前が城咲を殺さなくちゃいけなかったんだ!」

 

 滲む視界越しに彼女を見つめる。

 その絶望的な真実はもはや受け入れざるを得ない。けれど、どうしてもそれがわからない。あの七原が、どうしてこんな事を。

 

「……平並君なら、きっと、分かるはずだよ」

「は……? 分かるって、それ、どういう……」

「そんな事、悩むまでも無い。【卒業】するため。それ以外にあるものか」

 

 俺の困惑を遮って、聞こえてきたのは冷たい声。岩国だ。

 

「自分以外を死に追いやって、自分一人だけが【卒業】する。幸運がお前を助けた事も、お前達を励ますような言葉をかけた事も、そのための布石に過ぎなかったんだよ。結局、それが幸運の本性だった、というだけの話だろ」

 

 

 

 

 

「違う!!」

 

 

 

 

 

 自分でも驚くほど、大きな声が出た。

 

「っ……」

「七原はそんな事をしない……七原は俺を裏切るようなやつじゃない……七原は皆を見捨てたりなんかしない!」

「……なぜそう言い切れる?」

 

 眉をひそめて、不機嫌そうに岩国は尋ねてきた。

 

「凡人。お前だって、認めただろ。幸運がメイドを殺したのだと。どうして、それでもまだ幸運を信じられるんだ」

「だって、アイツは俺を救ってくれたんだぞ!」

「だからそれは、信頼を得るためにそうしただけだ。そんな嘘をいつまで信じているつもりだ」

「嘘……違う、嘘じゃない。嘘なわけがない」

「何の根拠がある。こうして幸運がメイドを殺したことこそが、幸運がお前に嘘を吐き続けていた証明だろ」

 

 妙にしつこく追求してくる岩国に違和感を覚えながら、反論を考える。

 信用を得たいなら、俺なんかよりももっと適役がいる……そんな事を告げようとして、直前ではたと思い直す。

 

 そうじゃない。

 

 七原のあの優しさが嘘でないと、そんなロジックはきっといくらでも言える。けれど、そう言えてしまう理由は、何なのだろう。

 

「……信じたいからだ」

「は?」

 

 どの口が言うのだろう。

 古池の嘘も、遠城の嘘も、杉野の嘘も火ノ宮の嘘も大天の嘘も、そして七原の嘘も。今まで散々信じたい仲間の嘘を暴き続けてきた。

 それでも、それでも。

 

「……それでも、まだ、信じたいんだ」

「…………縋りたいだけか。ただお前が見たいだけの、幻想に」

「……分かってる、そんなこと」

 

 岩国は、どんな顔をしているだろう。きっと、軽蔑か、幻滅か……いや、そもそもそう思われるほど信頼されてなどいなかったか。

 

「け、けど……」

 

 次いで聞こえてきたのは根岸のためらいがちな声。

 

「お、おまえがどう思ったって、く、クロになる理由なんて【卒業】以外にないだろ……! な、七原は、お、おまえもろともぼく達のことを、こ、殺そうとしたんだぞ……!」

「…………」

 

 クロになる理由。城咲を殺した動機。殺人を決意した要因。

 それを七原は、俺なら分かると言った。

 俺なら分かる。つまり、俺だけが知っている……?

 

「……!」

 

 そして、思い至る。

 何も悩む必要なんか無かった。七原が殺人を犯したのなら、原因はそいつ以外にはあり得ない。

 

「杉野っ!!!」

 

 ありったけの感情を乗せて叫ぶ。

 

「どうしたんです、いきなり僕の名前なんて呼んで」

「お前だろ。お前がけしかけたんだろ!」

 

 ぴんと伸ばした指先を、突き刺すように悪魔へ向ける。

 

「何を言い出すんですか、急に。七原さんを信じたい気持ちは分かりますが……僕を疑ってどうするのです。僕がそんな事をする人間に見えるのですか?」

 

 困惑した表情を作って、戸惑う声で悪魔はそう答える。見えるぞ、その奥に、俺を嘲笑うその顔が!

 

「ふざけるな! 全部お前が仕組んだんだろ! カードだって俺に直接押し付けてきたくせに!」

「申し訳ありませんが、話が見えません。……それに、あの件は無かったことにしてくれと言ったはずですが」

「なんだと……お前!」

「……おい、平並。落ち着きやがれ。どォして杉野を疑う必要がある。意味わかんねェぞ」

「覗き野郎は黙ってろ!!」

「ゥグッ……!」

「杉野、お前だ! お前なんだ!」

 

 他の皆が何も分からなくても関係ない。こいつが、この悪魔が悪いのだと叫ぶ事ができればそれでいい。

 そう思って、いたけれど。

 

「それは違うよ、平並君」

「……え?」

 

 なぜ、彼女が否定するのだろう。

 

「私が殺人を決意したのに、杉野君なんか関係ない」

「そんな訳無いだろ! だって、それ以外に、お前がクロになる理由なんて!」

 

 瞬間、何かが脳裏をよぎった。

 

 薄い、小さな、黄金(こがね)色の円盤。

 

「まさか、お前…………()()()()()()()()()()()!?」

 

 どよめきが走る。皆の視線を一身に浴びて、彼女はあっさりと答えた。

 

「ほら。やっぱり、分かったでしょ?」

 

 ああ、もはや、揺るぎない。

 

 自分の幸運を信じる彼女が、コイントスの結果に従わない理由など、存在しないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ! 議論も終わったみたいだし投票と行きましょうか!」

 

 七原菜々香が城咲かなたを殺したクロであると。

 そんな絶望的な真実が暴かれたのを見て、モノクマは玉座から立ち上がりそう告げる。

 

「ま、待ってくれ。投票は、まだ」

「何言っちゃってんの! もう結論は出たでしょ?」

「そう、だが、けど、待ってくれ!」

「さっき一回待ったでしょ? これ以上は待てません! クマの顔も一度までって言うでしょ! 二度はないの!」

 

 二度目にキレるなら『二度まで』だろ、という火ノ宮の言葉も無視して、モノクマは喋り続ける。

 

「投票のルールはさっき説明したから今度は省略するよ! 多数決でクロを決定するよ! 投票放棄は問答無用でオシオキ! じゃあ、行くよ!」

「待て! 待ってくれよ!」

「ほらほら、自分の席に戻って。さあ、それでは参りましょう!」

「待てって言ってるだろ!」

「いざ! 投票ターイム!」

 

 俺がどれだけ叫んでも、モノクマは言葉を一切止めなかった。そして、証言台の手すりの上にウィンドウが浮かび上がった。

 

「ほらほら、平並君も投票しろって! さあ!」

 

 その言葉に背中を押されるように、俺はうつろな足で自分の証言台まで戻る。

 すでに五つもモノクロになったその名前の中で、ひと際目を引く『七原 菜々香』の五文字。城咲を殺したのは七原。だから、彼女に投票しないといけない。けど、けど、けど。

 

「そろそろ皆投票終わったかな? ……なんだよ! まだ終わってね―じゃん! 早く入れてよ、平並君!」

 

 そんなモノクマの声が届く。バッと周りを見渡せば、全員俺の方を見ていた。本当に、皆は投票を終えたのだろう。おそらくは、七原の名前に触れて。

 首をひねってその七原本人を見る。彼女の『システム』から何か画面が投影されているのを見るに、ストレッチャーの上から動けない七原はそれを使って投票をしろということだろう。そして、きっと彼女も投票を終えている。誰に票を入れたのかまでは分からない。

 

 とにかく、投票をしなくてはならない。さもなければ、死が待つのみだ。

 

「カウントダウンするからね! はい十! 九! 八――」

 

 画面の隅で数字が踊る。

 投票、しないと。

 

 揺れる腕が、震える指が、画面の一箇所に吸い込まれていく。

 そして、『七原 菜々香』の名に、まさに触れようかというところで、指が止まった。

 

「平並君?」

 

 位置関係のせいで、七原から俺の投票の様子はわからないはずだ。けれども、やまないカウントダウンに、彼女は違和感を覚えたらしい。

 他の皆が俺の名を呼ぶ声も聞こえる。

 

 押さないと。

 そう思っても、指は動かない。

 

 七原が必死に組み上げたトリックを全て暴いて、そして処刑台へと送り込んで。それでどうやって、俺はこれから生きていけばいいのだろう。

 俺なんかに、生きる価値があるのか。

 

 きっと、俺の一票で結果は何も変わらない。けれども、彼女がクロであると俺が突き止めたのなら、それは俺が彼女を殺すのと何も違わない。

 そんな事をしておいて、のうのうと生きていくくらいなら。いっそここで、七原と、一緒に。

 

「四! 三! 二!」

 

 カウントダウンが進む。

 皆の声も喧しく響く。

 それでも、俺の指は動かない。

 

 嫌だ。死にたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 

「一!」

 

 けど、これで、いい!

 これが、きっと、一番、良い――

 

 

 

 

「――凡人! 押せッ!」

 

 突如、その鋭い声が、俺の脳を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

「ゼロ!」

 

 モノクマが、高らかにタイムアップを叫ぶ。

 

 俺の眼前に『投票完了』の文字が見えた、その一瞬後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三回学級裁判】

 

 

閉 廷 !

 

 

 

 

 

 

 

 




これでホントに裁判終了。お疲れさまでした。
長かった……。

一応触れておくと、(非)日常編の時と同じ様にエンドマークを前回出さなかったんですが、これから先はエンドマークを打った後もこういう事があるかもしれません。無いかもしれません。その辺りは未来の自分が考えることなので。


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非日常編⑧ 死んで花実よ咲き誇れ

「おっ。なんだかんだ言って平並クンも投票してくれたね。うんうん、ルールを守るってのは人として大事なことだよね! 立派立派!」

 

 三度目の学級裁判は、ついにその最終解答となるクロへの投票を終えた。

 薄ら寒いモノクマの軽口をよそに、俺は呆然とすぐ右隣に立つ彼女の顔を見た。

 

「お前、今、どうして……?」

 

 投票をためらった俺の指をタイムアップ寸前に動かしたのは、岩国の怒鳴り声だった。そんな彼女は、俺の方を見ようともせず、ただ、中空を見つめていた。

 

「さあ、それでは結果発表と参りましょう! 投票の結果クロとなるのは誰なのか! そして、それは正解なのか不正解なのか~っ!」

 

 俺の困惑を気にもとめず、モノクマはいつもの口上を述べる。サイレンの音が騒々しく鳴り出し、モノクマの頭上に巨大なウィンドウが現れた。視線がそれに吸い寄せられる。

 

 ああ。

 

 投票の、結果が出てしまう。

 

 

 

 

 その姿を見るのもこれで三度目となる派手な三列のスロットは、ぐるぐるぐるぐると回っている。順に並んだ俺達の顔を描いたドット絵が、目まぐるしく移り変わる。俺の心を打ち砕かんと鳴り響くドラムロールに合わせて、その回転は速度を緩めていく。

 やがて、一つ、また一つとスロットは"その顔"を表示して静止する。

 

 やめろ、という声の出ない呟きを押しつぶすように、三番目のスロットもその動きを止めた。

 

 綺麗に並んだ三つの七原菜々香の顔の下で、ジャラジャラとコインが無数に吐き出される。

 俺達がたどり着いた学級裁判の結末を、祝福するかのように。

 

 

 

 

「大! 正!! 解!!! 【超高校級のメイド】である城咲かなたサンを殺害したクロは、【超高校級の幸運】である七原菜々香サンでしたーーッ!!」

 

 分かっていた。それが正解であることなど。自分で突き止めたのだ。彼女の自白もあったのだ。

 それでも、改めて告げられたその言葉が、俺の頭をガツンと揺らす。

 

 七原が、城咲を……人を、殺した。

 

「……おい」

 

 沈黙を破る、怒りの声。

 

「ナナハラ。本当に、コイントスなんかでシロサキを殺したのか」

 

 スコットが、証言台から声を震わせて問いかける。

 

「……コイントスなんか、か」

 

 ストレッチャーに腰掛ける彼女は、反芻するようにそうつぶやいた。

 

「あァ?」

「そうだよ。コインを投げて、表が出たから。だから、城咲さんを殺した」

「…………!」

「……う、嘘だ……!」

 

 絶句するスコットに代わって、根岸が叫ぶ。

 

「ひ、人を殺すんだぞ……! そ、そんな、運なんかを信じて人を殺すなんて事、で、できるわけがない……!」

「できるわけない? どうして?」

「ど、どうして、って……」

 

 焦る様子すら見せない、落ち着き払った七原の様子に彼はたじろいだ。

 

「……普通に考えて、あり得ないでしょう」

 

 杉野が台詞の続きを奪う。

 

「そんな事、あまりにも馬鹿げています。殺人なんかするなと、そう言って殺意に溺れた平並君を止めたのはあなただったのでしょう?」

「……そうだね。確かに、あの夜私は平並君を止めた。殺人なんて、ダメだって」

「だったら、どォして城咲を殺した。表が出るか裏が出るか、高々確率二分の一のコイントスなんかを、どォして信用しちまったんだ」

 

 信じがたい。信じられない。それは、誰でも同じだろう。

 何より俺だってそう思ってる。人殺しなんかしてはいけないと、この日常を壊してはいけないと、そう語った彼女が人を殺めてしまうだなんて、そんな事があっていいはずが無い。

 それでも、彼女はコインを投げたのだ。

 

 だって、彼女は。

 

「だって、私は幸運だから」

 

 他の誰がなんと言おうと、彼女はそれを疑わない。それが、彼女の才能(アイデンティティ)だから。

 

「私の投げたこのコインが、間違えたことなんて一度もない。殺人をするべきなのか、しないべきなのか。私が自分で考えるより、ずっと良い答えをくれる」

「だから、キミは城咲君の物語を終わらせたのか。その硬貨(コイン)を、免罪符と信じて」

「……別に、コインがあるから許されるなんて思ってないよ。人を、殺すんだし」

「……それでも、城咲を殺すことにしたってのか。コインが、示す通りに」

「うん。そうだよ。許される事じゃなくても、それでも、これが最善の道だから」

 

 さもなげに、彼女は告げる。そんな台詞に、皆一様に絶句していた。

 自分が誰より幸運である事に自信を持っている彼女は、コインをその人生の指標にしてきた。今更、それを疑えやしない。

 どうするべきかを迷った彼女を導いてきたのはコイン(幸運)なのだし、俺もその幸運に救われた一人だ。かつて俺が根岸を殺そうとした夜、個室を出ようか出るまいか、その決断をしたのはあのコインだったのだから。

 

「…………ん?」

 

 そんな回想に溺れそうになったその時、疑問がふっと湧き上がる。

 

「いや、おかしい……おかしいぞ!」

「あァ?」

「平並君。その台詞の真意はなんだ? 彼女が迷った時にはコイントスで決める、という台詞は、キミから出てきたものだぞ」

「……分かってる」

 

 明日川にはそう台詞を告げて、壁際の七原の顔を見る。

 

「お前がコイントスをする時って、自分じゃ決断できないような二択を決断する時……だったよな」

「うん。いつもコイントスしてるわけじゃないから。どうしても決められない時だけ、だよ」

「……なら、シロサキを殺すかどうか、悩んだ挙げ句にコインなんかに頼ったというのか?」

 

 コクリとうなずく七原。

 ……だったら。

 

「だったら、そもそも、どうしてそんな事を悩んだんだ。悩む必要なんか、無いだろ」

 

 コイントスの結論よりも、コイントスをした大本の理由が、気になった。

 

「お前は、俺なんかよりもずっと殺人がダメだって分かってたはずだ。人を殺していい理由なんか無いって。だったら、自分で十分決断できたはずじゃないのか! 城咲を殺すべきじゃないなんてことは!」

 

 本来なら、こんな事を俺が言う資格なんて無いのかもしれない。それでも、それを抑えることなど出来なかった。

 

「それでも、悩んだからコインを投げたんだよな。人を殺す事の罪を十分に理解していて、それでも城咲を殺すことを諦めきれなかったから、コインに頼ったんだよな。

 ……なぜだ。どうしても、外に出なきゃいけない理由ができたのか。それとも、お前と城咲の間に、何かがあったのか」

 

 そうして投げかけた疑問を噛み締めて、彼女は答える。

 

「別に、そういう訳じゃないよ。城咲さんと何かがあったわけでもない。城咲さんを殺したかったわけじゃなくて、事件を起こしたかっただけ……ううん、違うか。私は、【学級裁判】を開きたかっただけだから」

 

 そんな、絶望的な答えを告げた。

 

「……何、言ってるんだ、七原」

 

 理解できない。

 分からない。

 

 【学級裁判】を開くことが、目的……?

 

「そんな事をして、何の意味があるんだよ。人を一人殺して、自分も痛い思いをして、そうまでしてやりたかったのが、こんな命がけの【学級裁判】……?」

 

 まだ、外が恋しくなったとか、【言霊遣いの魔女】や愉快犯の存在に怯えたとか、そんな理由なら理解できた。いくら七原でも、そういった感情が湧き出る事は何もおかしなことじゃないから。

 けれど、そうじゃなかった。七原は、【学級裁判】を開きたかった。この地獄に三度舞い戻ることが、目的だった。

 

 なぜ?

 

「……何が言いてェのかさっぱり分かんねェ。分かるように話しやがれ」

 

 そう火ノ宮が催促する。

 それまでつかえる事なく話していた七原は、ここで初めて数度言いよどんだ。何かを口にするのを何度もためらって、そして、声を出した。

 

 

 

 

 

「…………好きな男の子が落ち込んでたら、励ましてあげたくなるでしょ」

 

 

 

 

 

 ……………………?

 

 

 

 ……?

 

 

 

 ………………………………?

 

 

 

 

 

 何度もその言葉を咀嚼しようとして、それでも、それをまったく飲み込めなかった。その、同意を求めるような文字列の、意味が全くわからない。

 七原は、何を言っている?

 

「……全然、分かるように、話せてないじゃないか。何を、言ってるんだよ……」

 

 一言ずつ、絞り出すように声を吐く。

 それを聞いて、七原は更に言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「……その人はね、自分のことを、何も出来ない人だって思い込んでたんだ。そんな事無いのに。その人に救われた人だって、たくさんいるはずなのに」

 

 

 彼女の声は、とても穏やかなものだった。本当に人を殺した後だとは、思えないほどに。

 

 

「生きる価値なんてものを自分で勝手に決めて自分を貶めて、それは、本当は自分を認めたいからで。それでも、周りの皆にあこがれて無理やり頑張ってるのに、なかなか成果が出なくて落ち込んで……」

 

 

 どこかで聞いた話だ、と思った。

 けれども、七原の話す()()の正体にとんと思い至らない。

 

 

「本当は、その人にも立派な【才能】があるのに。それにまだ気づいてないだけなのに。自分に自信が持てないから、そうやって、自分の可能性を、自分で信じられなくて。せっかくの、皆を救えるすごい【才能】のはずなのに」

 

 

 誰、なのだろう。

 そんな、素晴らしい、【才能】を持っているのは。

 

 

「私が言ってもダメだった。きっと、誰が言ってもダメなんだと思う。きっと、自分で実感しないと、自分の【才能】を信じてあげられないと思うんだ」

 

 

 自分の【才能】を信じてあげられない人。

 自分の【才能】を、信じることが、出来ない人。

 

 

「それさえ出来れば。自分の【才能】を信じる事さえ出来れば。きっと、元気を出せる。きっと、胸を張れる。きっと、自分に誇りを持てる。そう、思ったの」

 

 

 ……分かっているはずだ。

 それが誰のことかなんて。

 

 

「そのためには、【学級裁判】が必要だった。その人が、その【才能】を一番に発揮してたのは、【学級裁判】でクロの正体を暴く時だったから。だから、この私が事件を起こせば、何もかもがうまくいくんじゃないかと思ったんだ」

 

 

 これが、この事件の本当の真相。

 七原が殺意を抱いた、一番最初の動機。

 

 

「そして、今回も事件の謎は全て暴かれた。私の思った通り、色んな人がついた嘘を全部見抜いて、私がクロだって、私が城咲さんを殺したって、見事に証明できた。……もう、分かるよね。もう、信じてあげられるよね」

 

 

 故に、彼女は、俺を見る。

 

 

 

 

 

「平並君。誰かの嘘を暴いて、皆を救える事。それが、きっと、君の【才能】なんだよ」

 

 

 その瞳は、一点の曇りもなく。ただ、俺を撃ち抜いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 唖然と、口を開けることしか出来なかった。

 

 あの時だ。

 

 

 

──《「平並君……」》

──《「七原には感謝してる。大天のケアは俺には出来ないし、こうやって話を聞いてくれるだけで十分救われる。だから、もうそっとしておいてくれ」》

──《「でも!」》

──《「もうほっといてくれよ!」》

──《「っ!」》

 

 

 

 昨日の夜、俺を励まそうとしてくれた七原を、怒鳴り声で拒絶した、あの時。

 その優しさを突っぱねた俺を、それでも見捨てなかった彼女の想いが、彼女の心に殺意を生んでしまったのだ。

 

 どうすれば俺に自分の【才能】を信じさせることができるのか。

 それを考えて、彼女は学級裁判を開くという選択肢を思いついてしまった。それが、殺人という禁忌を犯す行為が必要だったとしても、それでも俺を救いたい彼女の想いが、彼女を迷わせ、コイントスへと繋がってしまった……。

 

「……そんな事を、俺に、教えるために……こんな、こんな事件を起こしたって言うのか……?」

「…………」

 

 コクリと、彼女はうなずく。

 

「…………!」

 

 七原の言葉を、もう、疑えない。

 それほどの決意の元に行われた【学級裁判】で、俺は謎を解いた。火ノ宮の嘘を暴き、大天の偽証を暴き、そして、七原の罪を暴いた。それができた、俺の【才能】を、否定することなんかできやしない。

 

 酷い自作自演(マッチポンプ)だ、と思った。事件が起きたきっかけも、その事件の謎を解いたのも、どちらも他ならぬ俺だったのだから。

 

「……つまり、今章の事件は、平並君に解いてもらうための事件だった……そういう話だったのか」

 

 ならば、最初から、そう、最初から彼女は覚悟していたことになる。

 俺の手で処刑台へと送られる、この時を。

 

「じゃ、じゃあ、お、おまえ……そ、【卒業】する気なんか無かったってことかよ……!」

「……何言ってるのよ。ありえないでしょ、そんなの。自殺同然ってことじゃない」

「そんな事無いよ、東雲さん」

 

 東雲の、どこか焦るような言葉を七原が即座に否定する。

 

「私の一番の目的は、事件を起こすことだけだったから。皆を殺して外に出ようだなんて、そんな怖い事、考えたこともなかった。そうじゃなかったら、きっと私はクロだなんてバレなかったはずだし」

 

 【超高校級の幸運】たる彼女の犯行が明るみになったこと。それすらも、幸運によってもたらされたのだと、彼女は確信しているようだった。

 

「……そもそもアンタの幸運をアタシはあまり信用してないけど、仮に信用したならしたで、アンタは死ぬ気なんか無いでしょって言いたいのよ」

 

 それでも、東雲は食い下がる。なぜ、七原の死を東雲が否定しようとするのか、その理由はよく分からなかった。

 

「アンタ、自分が幸運だから、オシオキされてもなんとかなるって思ってるんじゃないの?」

「……っ」

「なるほど」

 

 それに杉野が同意する。

 

「七原さんは【超高校級の幸運】です。あの凄惨なオシオキが行われても、彼女ならば、生き延びることが出来る……少なくとも、彼女自身がそう信じていてもおかしくありません」

「……それは違うよ」

 

 その言葉すら、彼女は否定した。

 

「無理だよ、きっと。どうやっても生きて帰る才能を持ってるっていう、【超高校級の帰宅部】の古池君も死んじゃったんだよ? ……きっと、私も死んじゃうよ。それに、城咲さんを殺しておいて私は生き残るだなんて、そんな自分勝手なこと、出来ないよ」

「……し、城咲を殺すことの方が、よ、よっぽど自分勝手だろ……」

「あはは、それもそうかもね」

 

 …………。

 

 彼女は、それすら覚悟していたのだ。自らの命を失うことすら、自分の幸運を信じて。

 その信念は、もはや疑いようもなく理解できた。

 

 それでも尚、俺には分からない事があった。

 

「……どうしてなんだよ」

「どうして、って?」

「どうして、俺を好きになったんだよ。俺に自信を持ってもらうために人を殺そうとまで思うほどに、どうして、こんな俺なんかを好きになってくれたんだよ」

「…………また、『俺なんか』って言った……」

 

 そう小さくつぶやいて、彼女は軽く、諭すように微笑む。

 

「好きになったのに、そんなわかりやすい理由なんて無いよ。いつの間にか、平並君を気にかけてて、いつの間にか、平並君を目で追いかけてて、それでいつの間にか、平並君がかけがえのない人になってたってだけでさ」

 

 それは、ある意味で、俺と似たような話だった。

 

「でもね、平並君。こんな俺なんか、じゃないよ。そんな平並君だから、好きになったんだよ」

 

 その頬にわずかに恥じらいと、少しの哀しみを乗せて、彼女は語る。

 

「……実はね。これでも、本当に私が【超高校級の幸運】なのかなって、悩んだことだってあるの。蒼神さんが殺された時に、二回も事件が起きたのに本当に私は幸せになれるのかなって。あの時遠城君の偽装のせいで平並君がとても怪しく思えて、信じても良いのか分からなくなって。私の勘は平並君は無実だって言ってるのに、それを信じきれなくって」

 

 蒼神殺しの捜査中、【言霊遣いの魔女】のカードを見つけた彼女は、それを俺に相談するべきか……俺を信じるべきかを悩んでいた。否、それは、自分の才能を信じるべきかを迷っていた。

 

「その時にさ、平並君が言ってくれたでしょ。『俺のことを信じられないなら、自分の幸運を信じてくれ』って。『【超高校級の幸運】の、そのお前の幸運を俺は信じてる』って。それが、嬉しかったの。私は私を信じて良いんだって、思えたから」

「………………」

 

 ……認めるべきだ。くだらない自己嫌悪など捨てて、七原が、俺のことを好いてくれていると。そうしなければ、彼女の心を踏みにじってしまう。

 

「ふざけるな……ふざけるなよ……」

 

 ふいに、怒りに震える声が聞こえた。

 

「そんなくだらない色恋沙汰のためにシロサキを殺したっていうのか! ヒラナミに自信をつけさせる、ただそれだけのために!」

 

 何度目だ。この学級裁判が始まってから、スコットが激情をさらけ出すのは。意味不明だと言わんばかりに、涙すら流している。

 

「……別に、平並君のためだけじゃないよ。今言ったのは、あくまでも最初のきっかけだけだから。他の皆がどうでも良いなんて思ってない。皆が……ここにいる皆で幸せになりたいって、ずっと前から思ってる」

「シロサキだって、その"皆"の一員なんじゃないのか!?」

「一員だよ。当たり前でしょ?」

「っ……だったら、どういうことだ……シロサキにとって、殺されることが幸せだったとでも言うつもりか?」

「うん。きっと、そうなんじゃないかな」

「…………!」

 

 何を躊躇うこともなく、彼女はただ、そう告げた。

 

「何言ってやがる、てめー……城咲は、自殺志願者なんかじゃ!」

「わかってるよ。私が言いたいのは、そういう事じゃなくて」

 

 興奮する火ノ宮を抑えつつ、彼女は語る。

 

「……きっと、城咲さんは、今、私に殺されるのが一番良かったんだよ」

「……なんだと……」

 

 またも叫びそうになるスコットを、杉野がすっと手を伸ばして制した。

 

「……聞かせてもらえますか。あなたの、考えを」

「…………」

 

 今更、それを聞いたところで何が変わるものでもない。けれども、俺達にはそれを知る必要があると思った。

 

「……別に、博愛主義ってわけじゃないんだけどさ。でも、私の周りにいる人くらいは、幸せになって欲しいなって、ずっと思ってた。そうやって思いながら過ごしてると、私の行動によって皆、幸せになってくれてるように見えた。……ううん。ほんとにそうだったんだと思う。だって、私は幸運だから。私の選んだ道が、間違ってるはずなんて無いから」

 

 きっと、それは彼女の人生の話だ。自分が並外れた【幸運】であると自覚して生きてきたその人生で、彼女は、自分の選んだ選択肢を後悔したことなど無いのだろう。後悔する必要も意味も、無いのだから。

 

「このコロシアイの生活だって、最初はびっくりしたけど、でも、これだって、幸せな未来に繋がってるはずなんだよ」

『幸せな未来……本気でそう思ってんのか? こんなに、バタバタ人が死んでいってるのに』

「この先に、翡翠達の()()()()()があるって、菜々香ちゃんは言いたいの?」

「もちろん。そうじゃなかったら、私がこんな事に巻き込まれるはずなんて無いし」

 

 故に彼女は断言する。彼女の人生に、不幸なんて降りかかりはしない。そう、彼女は信じているから。

 

「古池君の事件も、遠城君の事件も、止めようと思えばきっと止められた。事件を起こしたその時に部屋を出れば、きっと二人を説得できた。けど、そうはならなかった。だから、四人も死んじゃった」

 

 最初の事件の夜、七原が俺を引き止めたのは既に事件の起きた後だった。次の事件では、彼女はアリバイ工作の最中の遠城と顔を合わせた。結果的に、彼女の行動は事件を防ぐことにはならなかった。

 けれども。

 

「でも、きっと、それで良かったんだよ。新家君と蒼神さんが殺されたことも、古池君と遠城君に私達が投票したことも、全部全部、皆にとって一番良い結果に決まってるんだよ。だって、私は【超高校級の幸運】なんだから」

 

 もしも彼らが今日まで生きていたとしたら、あの時の死よりもっと悲惨な現状()になっていたはずだと、七原はそう告げている。

 彼らが死んでいるから、この、()()()()()が俺達のもとに訪れているのだと。

 

「……てめーが、オレ達が古池達を殺したことを『間違ってない』っつってたのは、そんな選択を強要したモノクマが悪いからってだけじゃなかったってことかよ」

「うん。勿論、誰も彼もが死んだ方が良いなんて思ってない。でも、本当に皆が生き残った方が良いんだったら、私は誰も死なせてない。私達が古池君と遠城君を殺して生き延びたことにも、きっと意味がある」

「…………」

「だから、城咲さんが今殺されたことも、私が今から死ぬことも、きっと、一番良い未来に繋がってるんだよ。城咲さんにとっても、ね」

「何が良い未来だ! そのシロサキの未来を奪ったのは、オマエだろうが!」

「違うよ。きっと、城咲さんは、今死ぬべきだったの。今死なないと、もっと苦しい未来が城咲さんを待ってたんだよ。だからきっと、城咲さんのクジを引いたんだしさ」

 

 ……え?

 彼女の口からこぼれた単語に耳を疑う。

 

「クジ……クジだって?」

 

 ずっと疑問だった。七原の目的が【学級裁判】で俺に謎を解かせることだったのなら、殺す相手は城咲でなくても良いはずだ。それどころか、むしろ殺すべきとも言える人間が、そこに一人いることを七原は知っていたはずなのに。

 それでも、城咲を殺した、その理由は。

 

「そうだよ。メモ帳を破いて皆の名前を書いて、そこから一枚引いたの。それで引いたのが城咲さんの名前だったから、城咲さんを殺すことにした。それが、正しい選択になるはずだから」

「…………!」

 

 絶句が裁判場を支配する。殺しやすさでも、その性格の善悪でも、個人的な感情ですら無く、ただ、クジを引いて誰を殺すかを決めたなんて。

 けれど、そうと知ってしまえば、あまりにも彼女にとって合理的な理由だった。運。ただそれだけが、大切だったのだ。

 

「そんな……そんな、理不尽が、あるか……なんのために、シロサキは……シロサキは……」

 

 スコットが、虚ろに声を漏らす。そして、呆然と口をつぐんだ。

 

「……本気で、そう思ってるのかよ」

 

 そんな彼を横目に捉えながら、俺はまた七原に問いかけた。答えなど疾うに分かっていたから、返事は待たなかった。

 

「本当に、お前が城咲を殺すことが正しい選択だって、そう思ってるのか」

「……当たり前でしょ。だって、コインが」

「コインなんか関係ない」

 

 一瞬瞳の揺らいだ彼女の言葉を、途中で断ち切って断言する。

 

「お前が幸運を、あのコインを信じてるのはもう分かってる。そうじゃなくて、お前自身に聞きたいんだ」

「私、自身に?」

 

 この質問の答えが、YESでないことを確信しながら、俺はそれを彼女に告げる。

 

「こんな結末で、お前は幸せになれてるのかよ。お前は、心の奥底で誰かを殺すことを望んでたのか。それとも、実は破滅願望があったと、そんな事を言い出すつもりなのか」

「そんな訳ないよ!」

 

 果たして、その返答は俺の予想通りだった。

 

「誰も、殺したくなんてなかった! 誰かの命を奪うなんて、そんな事考えるだけで怖かったし、人を殺しちゃいけない事も十分分かってる! それに、よりによって皆がバラバラになってるこんな時に事件を起こしたら、今度こそ何もかも終わっちゃうかもって思ってた!」

 

 ああ、分かってる。七原が殺人を望むことなんて、無意識下ですらあり得るはずがない。

 

「……それに、私、本当はまだ死にたくなんかないよ……まだ、平並君と、手だって繋いでないのに……!」

「七原……」

 

 そう悔しそうに呟く彼女は、潤んだ瞳で力なく開いた手のひらを見つめていた。

 

「でも! でもね!」

 

 その手を、ぐっと握りしめた。

 

「私は殺さなきゃいけなかったの! 皆に軽蔑されても! 平並君に嫌われても! それでも、私はやらなきゃいけなかったんだよ!」

 

 

 

「それは違うぞ!」

 

 

 

 胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。頭で考えるより先に、言葉が飛び出してしまう。

 

「え……?」

「城咲と、そして何よりお前が死んで、それで得られる幸せなんかあってたまるか! お前達に、俺達がどれだけ助けられてきたと思ってるんだ!」

 

 その詳細を今更説明する必要など無い。皆に対しては言うに及ばす、俺に限れば、二度の事件で心と命をそれぞれに救われた。

 

「でも、でも……!」

「お前が事件を起こそうとした切っ掛けは、俺を励まそうと思ったことだったよな。俺に【才能】を認めさせたかったからなんだよな……だったら、その【学級裁判】を起こせばというその考え自体が間違ってるんだよ」

 

 俺を救うためにこの事件が始まったのなら、その否定を彼女に突きつけられるのも、俺しかいない。

 

「確かに俺は、ずっと【才能】に憧れてきた。それさえあれば、幸せになれるって、自分を誇れるってずっとずっと思ってた。……けど、たとえ【才能】に気づけたって、そばにお前がいてくれなきゃ何の意味もないんだよ!」

「……!」

「俺は、誰よりお前とずっと一緒にいたかったのに! これから先も、ずっと……!」

 

 これは、何一つ彼女の主張を論破など出来ていない。ただ、俺のエゴを並べ立てただけだ。

 

「……ダメだよ、平並君。人を殺した女の子に、そんな優しい(ひどい)事言っちゃ……!」

 

 小さく、震えた声が俺の耳に届く。

 

「君の事、もっと好きになっちゃうから……!」

 

 彼女の頬を、涙が優しく撫でていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっだらないラブコメは終わった?」

 

 沈黙に耐えきれず声を発したのは、退屈そうにあくびをするモノクマだった。

 

「投票も終わったってのに意味のない話をぐだぐだと……それに至った経緯とかもしもの話とか、そんなもんはいくら話したって意味なんかないの。大事なのは、今ココにある結果だけ! そうでしょ?」

「……お前は黙ってろよ」

「黙ってたでしょ、さっきまで。でも、もう十分でしょ? 投票の後の一大イベントを始めないとさ!」

 

 一大イベント。

 それが何を指してるかなんて、嫌でもわかる。七原のオシオキ。それしかない。

 

「十分なもんか、まだ、まだ……!」

「こっちはちゃんと時間をあげたでしょ! いくらあがいたってオシオキがなくなるわけじゃないんだから、いい加減覚悟を決めろよ! もう三回目でしょ!」

 

 覚悟なんか決まるはずもない。過去二回のオシオキを見てるからこそ、受け入れられないのだ。

 

「あ、もしかして、さっきから散々どうでも良い話をしてたのって、オシオキを遅らせるためなの? オマエの気持ちも分からなくもないけど、だからって誰も興味のない話するのは良くないと思うよ、ボクは」

「そんなんじゃ……とにかく、オシオキは、まだ……!」

「……良いんだよ。平並君」

 

 策もなくモノクマに反論する俺の言葉を遮ったのは、病院着の袖で涙を拭った七原だった。

 

「何、言ってる……何が良いって言うんだ! 死ぬんだぞ、お前が!」

「覚悟は出来てるよ。城咲さんを殺した罪は、償わないと」

「っ……」

 

 たとえお前に覚悟ができていても、俺に覚悟ができていない。

 

「だめだ、諦めるな! お前が生きるのを諦めたら、本当に、そうなっちゃうだろ……! お前は、幸運なんだから……!」

「……何が幸運だ」

 

 そこに突き刺さる、鋭い言葉。

 

「オマエは【超高校級の幸運】なんかじゃない! オマエはただオレ達に……シロサキに絶望をもたらしただけの、悪魔だ!」

「…………」

 

 それを聞いて、七原は。

 

「……違う。私は――」

「もうそういう話はいいから! 何回言う気だ、ソレ!」

 

 モノクマが、強制的に彼女の台詞に割って入る。

 

「ハイ! じゃあ行っちゃうからね!」

 

 そして取り出したのは、見覚えのある木槌だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあそれでは参りましょう!」

 

 気がつけば、モノクマの前に赤いスイッチが出現していた。

 

「待て、待て!」

「待たね―よ!」

「待ってくれって!」

「ワックワクでドッキドキのオシオキターイム!!!!」

 

 懇願する俺の声を叩き潰すように、モノクマは木槌をそのボタンへと打ち付けた。

 不快な電子音がピロピロピロと耳を引っ掻くその先で、ジャラリと鎖の金属音が聞こえた。

 

 モノクマから目を切って、七原の方を向く。

 ストレッチャーが寄り添っていたはずの壁は消え失せ、闇から伸びた首輪が既に彼女の細い首筋を捕らえていた。

 

「七原っ!」

 

 証言台から駆け下りて、彼女のもとへ向かう。

 

「痛っ…………」

 

 首輪の鎖がピンと張り、七原の首が闇へと引きずり込まれだす。

 その痛みに、彼女は顔を歪めた。

 

「手を伸ばせ!」

 

 到底手が届く距離ではないと、そう分かっていても俺は掌を開いて彼女にまっすぐ差し伸べる。

 その手を、彼女は掴み返そうともしなかった。

 

 その数メートルが無限のように遠い。

 ついに鎖は彼女をストレッチャーの上から引きずり出し、宙に彼女の体が浮く。

 俺の目に映ったのは、寂しそうに俺を見つめる不安げな彼女の顔だった。

 

「ッ……!」

 

 自分のしたことが本当は間違っていたんじゃないかと、後悔するような様子を彼女は初めて見せた。

 

 

 

 言わなければ。

 

 言いたい事は山のようにある。言わなきゃいけない事も数え切れないほどにある。だから、今ここで言うべきなのは、こんな事では無いかもしれない。

 

 それでも、今、彼女が闇に消えてしまう前に、どうしてもこの言葉を伝えなくちゃいけない気がした。

 

 

 

 

「好きだ! 七原!」

 

 

 

 

 彼女が、パッと目を見開いた。

 

「……ほら! やっぱり私、幸運だ!」

 

 その嬉しそうな声が、幸せそうな満面の笑みと共に暗闇へと吸い込まれていった。

 

「…………っ」

 

 姿の見えなくなった彼女を追いかけようと、必死で走る。

 道を塞ぐように鎮座するストレッチャーを飛び越えようとジャンプした所で、

 

「だぁッ!」

 

 右足がストレッチャーの縁に引っかかり、空中で体勢を崩した俺はそのまま床に顔面をぶつけた。

 

「ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ! だっせーの!」

 

 耳障りな笑い声が聞こえてくる。

 

「追いつけるわけねーじゃん! あんだけ距離開いてたんだからさ!」

 

 玉座に寝そべるモノクマが腹を抱えながら、どたどたと足をばたつかせてゲラゲラと笑っている。

 神経を逆撫でするその言葉を切り捨てるように、モノクマを睨みつける。

 

「……止めろ。オシオキを、止めろ!」

「あー、笑った笑った。全く、まーだ言ってんのかよ。しつこい男は嫌われるよ?」

 

 やれやれと肩をすくめるジェスチャー。

 

「クロが覚悟決めちゃってるし、リアクションとしては平並クンみたいな人がいてくれると助かるんだけどさ、なんでそんなこだわってんの? あんな自己中で何するか読めないヤツ、このさき生きてたってろくなことしでかさないでしょ! 自分でも言ってたけどさ、とっとと死んだ方がオマエラのためだったりしてね! だっはっはっは!」

「笑うなっ!」

 

 そのふざけた言葉に、視界がほのかに赤く染まる。

 

「ふざけるな、冒涜するな、お前が七原を笑うな!」

 

 邪魔なストレッチャーを蹴飛ばして、玉座の上のモノクマに歩み寄る。怒りに任せて踏みしめる足は勇ましくスピードを上げていく。

 

「お前がいなければ何も始まらなかったんだ! お前が……お前が! お前さえ、いなければ!」

「止まれ、平並ィ!」

 

 突如、横からタックルを食らう。突っ込んで来た火ノ宮とともに、床に倒れ込む。

 

「何をするんだ! 火ノ宮!」

「てめー今何するつもりだった! モノクマへの暴力は規則違反だろォが!」

 

 その言葉を聞いて、ようやく自分の右手が硬く握りしめられている事に気づいた。掌に、爪の跡が深く残っている。

 

「っ……!」

「おー、怖……最近の若者は血の気多すぎでしょ。ボクのプリチーフェイスに傷がついたらどう責任とってくれるんだよ! 替えのボディがあることがボクが傷ついてもいい理由にはならないんだぞ!」

 

 そんなだみ声を聞きながら、火ノ宮の焦った表情を見る。

 

「……てめーがコイツをぶん殴りたくなる気持ちはわかる。けど、んなことして何になる。七原のオシオキは止まらねェ。てめーがただ死ぬだけだ。……んな事を、七原が望むかよ。色々理由はあったけどよ、結局の所、七原はてめーのために事件を起こしたんだぞ」

「…………分かってるよ。言われなくても。だったら、俺はどうすればいいんだよ。……アイツのために! 俺は何ができるんだよ!」

 

 視界が滲む。暗く、絶望が襲う。

 

「読むんだ」

 

 そこに、短い台詞が差し込まれた。

 

見る(読む)べきだ、キミは。七原君の最後の物語を、一文字も逃さずに。キミが出来るのはそれしか無いし、彼女のためにキミはそうすべきだ。この事件(物語)は、キミのために執筆されたのだから」

「…………」

 

 その台詞に俺は何も言葉を返せなかった。そこに、異論は何一つ無かったから。

 

 そして、宙に、巨大なウィンドウが浮かび上がる。真っ暗だったその画面に、映像が映し出される。

 そこに、七原の姿があった。

 

 目をそらしたくなるのをぐっとこらえて、俺はそのウィンドウを見開いた両目でとらえた。

 

 

 ――オシオキが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【超高校級の幸運 七原菜々香 処刑執行】

 

《1/6の幸運少女》

 

七原さんのオシオキが始まった。

 

 ルーレットがあった。

 裁判場を超える大きさのそのルーレットの皿の部分に、七原は大の字に寝かされていた。

 手首と足首を金具で固定され、七原はその時を待っていた。

 

結局、私の思った通りに学級裁判は進まなかった。

 

 ふいに、唸るモーター音と共にルーレットがゆっくりと動き出す。

 やがてルーレットはその機能を果たすほどに加速し、七原は重い遠心力によって皿に押し付けられていた。

迷宮で死体とダイイングメッセージ、そしてあのカードを見つけた私は、あの悪魔がこの中に潜んでる事に気づいた。

 ぐるぐるぐるぐると回るルーレットの遠心力に耐える七原。

だから、私は自分がクロだと嘘を吐くために迷宮の中に残る事にした。

 トスン、と、その手に白い何かが当たった。

 飴ほどの大きさの、精密な立方体。

そうすれば、唆された七原さんの代わりに、私もろとも【言霊遣いの魔女】を殺せるから。

 サイコロだった。

だけど、失敗した。

 その正体に気づいてすぐに、七原の体にトスントスンとサイコロが転がってくる。そのスパンは徐々に短くなり、やがて、ゼロになった。

私と七原さんの嘘は、暴かれた。

 ザラザラとルーレットに追加される波のような数多のサイコロが七原に襲いかかる。

 その鬱陶しさに七原が顔をしかめたその時。

 

……まあ、七原さんが魔女に騙されたのは私の勘違いだったみたいだけど。

 

 ――ドスン

 

でも、むしろこの状況の方が、私にとっては良い展開だった。

 

 ゲホ、と七原がむせた。七原の腹部に、拳ほどに大きくなったサイコロがぶち当たった。

 続けざまに、それと同じ、あるいはそれを超える大きさのサイコロが七原を襲う。

だって、平並君が【言霊遣いの魔女】の正体を教えてくれたから。

 頭を、足を、腕を、無骨に無数のサイコロが殴りつけていく。

おかげで、私はこの手で、あの悪魔を葬れる。

 いつしか、脇腹の傷が開き、そこから血がどくどくとルーレットへとこぼれだす。

 それでも、サイコロの雨による殴打は止まらない。サイコロの大きさは頭蓋を越え、中には人の半身に及ぶものすらあった。

 

鋭くとがる殺意が、私を包み込んでくれるような気がした。

 

 運が良いとか、悪いとか、そういうものをすべてなぎ倒すサイコロの波に、七原は呑まれていた。

皆、息を呑んで巨大なウィンドウを見つめている。

 立方体に、殴られ、殴られ、殴られ、殴られ。

 

だから、一番後ろにいた私が証言台を降りても、誰もそれに気づきはしない。

 

 やがて、そのサイコロの波が弱くなる。推進力を失ってルーレットの中央にサイコロがずり落ち、七原の姿がはっきりと映る。

 全身を立方体に殴られ続けた七原は、無数の痣に包まれ、虚ろに空中を見つめていた。

 七原の四肢をルーレットに留めていた金具は、サイコロの打撃によって破損したのか今や右手首のものだけになっている。

 

七原さんのオシオキは、いつの間にか佳境に入っていた。

 

 その、半死半生の七原を乗せて回り続けるルーレットに、一際大きなサイコロが投げ込まれた。

 

 人の身長を遥かに超えるサイコロが、七原をめがけてルーレットの上を転がっていく。

 

 ゴロゴロと、地鳴りを響かせて七原に立方体が迫った。

 

こっそりと、私はさっきとは逆の左の靴に仕込んだ引き出しを開けた。

 

 ガン!

 

そこから折りたたみナイフを取り出して、刃を開いて柄を強く握りしめる。

 

 金属音が響く。

 誰かの幸運によるものか、猛進するサイコロの角が七原をルーレットに縫い付けていた最後の金具にぶち当たる。それがひしゃげて機能を失うと主に、七原の体が遠心力に沿ってルーレットの外へと投げ出された。

 

 どさりと、真っ白な床に転げ落ちた七原は、最終的に空を視界に捉えて停止した。

 

 弱くなった呼吸で、腫れ上がった顔で、傷だらけの体で、仰向けになっていた。

 

息を殺しながら、少し手を伸ばせば魔女に手が届く距離まで辿り着く。

 

 まだ、息は、ある。

 

魔女も食い入るようにしてウィンドウを見ていたから、その後ろに回り込むことは思ったよりも簡単だった。

 

 そう気づいた直後、ルーレットから白い何かが飛び出した。

 

 言わずもがな、サイコロだった。教室すら飲み込んでしまうほどのその巨大なサイコロが、ぐるぐると回転しながら宙を舞う。

 不幸にも、あるいは、幸運にも。それは運命に導かれるように、まっすぐに飛んでくる。

 

 

 それを見て、七原は満足げに微笑んだ。

 

その無防備な姿に、私の口が大きく歪んだ。

 

 

 

ぐさり。
 ぐちゅり。

 

 

 床に横たわる七原を、その暴力的な速度のサイコロが轢き潰した。

 

重い重い恨みを込めて、ナイフを魔女の首筋へと突き立てた。

 

 

 

 

 

 悪夢と見紛うサイコロはどこかへ転がっていき、七原が、七原だった肉塊だけが、白い床の上に静かに残されていた。

 

 

手のひらに伝わる肉の感触が、この上なく気持ちいい。

 

 

 真っ赤な血が、まるく、まるく、広がっていく。

 

 

 それはまるで、サイコロの一の目のようだった。

 

 

〘──《『私と大天さんって、なんか仲良くやれそうな気がするんだよね』》

 

昨日七原さんに言われたそんな言葉がフラッシュバックした。

 

ホント、いいコンビじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アハッ☆」

 

 

 笑い声が、聞こえた。

 

 

 モノクマ……ではない。アイツはこんな可愛げのある声を出さない。

 だったら東雲……でもない。アイツの笑い声は、これほどの狂気を孕んではいない。

 

 そんな段階を踏んで、思考が巡った。

 

 

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()と気づくと同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「……え?」

 

 

 ギギギと、錆びついたブリキの人形のように、ゆっくりと首をひねる。

 

 

 その視界に、恍惚な表情で返り血を浴びる大天と、糸の切れた人形のように床に倒れ込む杉野の姿が映った。

 顔を伏せる杉野の首の後ろから、脈打つ血液が溢れ出ていた。

 

 

「ひっ……!」

 

 誰ともなく、悲鳴が上がる。

 

「何、やってんだ……?」

 

 呆然と、火ノ宮が問いかける。目の前の光景の異様さに、誰の理解も追いついていない。モノクマすら、ポカンと口を開けている。

 そんな俺達を無視して、大天は両手に握りしめたナイフ――小型の折りたたみ(フォールディング)ナイフを振りかぶり、そして、おぞましいうめき声をあげ続ける杉野へ突き立てる。

 

「が……はっ……」

 

 首へ。背中へ。腕へ。

 

 大天は目に映る杉野の……否、【言霊遣いの魔女】の全てを破壊するべく、ナイフを振るい続ける。

 

 抜いて、刺して、抜いて、刺して、抜いて、刺して。

 

「…………ぐ、あ……」

 

 ついに、漏れ出す声が【魔女】のものに変わる。

 大天を睨みつけようとする【魔女】だったが、もはやそれが出来る余力も残ってはいない。

 

 そして、

 

「……あは」

 

 切り裂かれた【魔女】のジャケットから、大量のカードがこぼれた。悪魔のサインが描かれた、大量のジョーカー。おそらくは内側に仕込んだポケットにでも隠しておいたのだろう。

 その一枚を拾い上げた彼女はそれを冷たい目で一瞥し、そして(あざけ)り笑って投げ捨てた。

 

「やっぱり。やっぱりそうだったんだ! やっぱり、間違ってなかったんだ!」

 

 そして、ガンと【魔女】の頭を踏みにじる。何度も、恨みを込めて強く踏みつける。

 いつしか、【魔女】の声も聞こえなくなっていた。

 

「なん、なんだ……なぜ、笑っているんだ、オオゾラ?」

 

 そんな声、彼女には届いていない。

 

「自分は殺されないとでも思ってた? だったら最高に笑えるよね! 魔女を殺そうとして返り討ちにあってるだなんて話も散々聞いてるからさぁ! こっちも色々警戒したに決まってるじゃん! だから狙ったんだよ、あんたが気を抜くこの一瞬を! オシオキなんて残虐な映像、あんたが見逃すわけ無いもんね!」

 

 殺意に満ちた足をぐりぐりと杉野の頭に押しつけて、ゲラゲラと笑いながら叫ぶ大天。

 

 止めなくては。

 そう思っても、足は動かない。動かせないのだ。狂喜に満ちた彼女の表情に、気圧(けお)されてしまっているから。

 

 尤も、今更止めたところで杉野の命が助かる訳でもないのだけれど。

 

「……何やってんだオマエーッ!」

 

 ようやく、モノクマが心底慌てた様子で玉座の上から叫びを飛ばす。

 

「今はそういう時間じゃねーだろ!? 空気の一つも読めねーのかよ! 七原のオシオキの余韻を楽しむ時間を邪魔すんなよ!」

 

 そんな怒号も無視して、大天は右足をフリーキックが如く大きく振りかぶる。恐ろしいほどにゆっくりと時が流れた。

 

 やめてくれ。

 

 

 ――ゴキン

 

 

 強く振られた大天の右足は、彼の頭を的確にとらえた。その、首の骨が折れる音を最後に、杉野悠輔の命は鳴動を止めた。

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 悪夢を知らせるチャイムが裁判場に鳴り響いた。

 無意味に、ただただ無機質に、杉野の死が告げられた。

 

「あは、あはは! やった! ヤった! ついに()った!」

 

 そのイカれた笑い声で、ようやく俺達の金縛りも解けた。

 

「翔ちゃん……?」

 

 危険物に触れるがごとく、恐る恐るその名を呼ぶ露草。

 

「てめー、自分が何やったか分かってんのかァ!?」

 

 それに対して火ノ宮は困惑と怒りを顕にして彼女に歩み寄ろうとしたが、すっと向けられたナイフにその足を止めた。

 

「分かってるに決まってるじゃん! やっと! やっと! やっと、魔女をこの手で、殺せたんだから!」

 

 そして彼女は、快感に貫かれたように自分の体を抱きしめて身をねじる。

 

 ……大天が杉野を殺したのなら、その動機はそれしか無い。姉の人生を狂わせた【言霊遣いの魔女】への、復讐。

 

 最初から、大天は気づいていたのか。杉野こそが、憎むべき悪魔であると。だから、その命を奪うその時を、息を潜めて待っていた……。

 いや、だとすれば七原をかばってまでクロを演じていた理由が分からない。あれは、何らかの経緯で俺達の中に【言霊遣いの魔女】が潜んでいる事に気づいた大天が、【学級裁判】の誤投票による全滅を利用して【魔女】を殺すことが目的だった……はずだ。それ以外に彼女が自殺同然の嘘をつく必要なんか無いのだから。逆に言えば、それは【魔女】が誰であるかの特定は出来なかったからこその方法だった。

 それなのに、今、大天は杉野を襲った。彼女は『やっぱり』と、杉野が【魔女】であると予想していた。それは、なぜ……。

 

 と、考え始めればすぐに答えに思い至った。それと同じタイミングで、全身を血に染めた大天がぐりんと首を捻って俺の方を見た。

 

「ありがとね、平並君。私に教えてくれて」

 

 歪んだ笑みが、俺の瞳を射抜く。

 

 バカか……バカか俺は! さっきから隠そうともせず何度も杉野を疑った! カードの事まで話したんだ! 【魔女】がこの中に潜んでいると確信している人間なら、それで何もかも推察がついてしまうというのに!

 

「おかげで、やっと殺せた! 私自身の、この手で! この、悪魔を!」

 

 そんな言葉とともに、彼女は文字通り何度も足蹴にする。もはや何の声も発する事もできなくなった、杉野の死体を。

 

「違う、俺は、そんなつもりじゃ……!」

 

 俺はむしろ、彼女の復讐を止めたかったのだ。そんなものに囚われて人生を棒に振るだなんて、あってはならないはずだから。

 

 俺は止められたはずだ。彼女の想いを知っていたから。

 俺にしか止められなかったはずだ。彼女の想いを知っていたのは、今や俺だけだったのだから。

 

「……キミ達、一体何の物語を語っているんだ? キミの殺戮に、何か背景(裏設定)が秘められているのか?」

「悪魔っつーのはなんだ。さっき平並が杉野を疑った事と関係あんのかァ?」

 

 大天はその質問に答えることもなく、恍惚に頬を染めている。そうなれば当然、その矛先は俺へと向かう。……どう話せと言うのだ、こんな事を。

 

「あのさあ!」

 

 困惑に満ちた火ノ宮が俺に詰め寄らんとしたその時、苛立ちをあけすけにするモノクマの声が聞こえてきた。

 

「誰を殺すもどう殺すも自由だし、殺せって言ったのはこっちだけどさあ! 殺すんだったら秘密裏に殺せよ! 学級裁判が成立しなくなるだろ! ふざけんじゃねえぞオマエ!」

 

 珍しく怒りを顕にするモノクマだったが、大天はそれすら意に介さずナイフを強く握りしめた。

 

「……何なのよ。アンタ、何がしたいのよ」

 

 震える声で、東雲が問いかける。

 

「アンタと杉野の間に何があったか知らないけど、全員の目の前で殺すなんて……言い逃れのしようが無いじゃない。アンタ、死ぬのよ……? なんでそんな、平然としてられるわけ……?」

 

 いつもの、他人の死を自らの生の興奮に変える彼女らしくないその声は、やはり大天に届くはずもない。

 しかし、直後の大天の行動が、その答えになっていた。

 

「ごめんね」

 

 なぜか、彼女はそんな謝罪をした。それは、この場にいる誰かに向けられたものではない。そう気づいたのは、彼女が空中に誰かを幻視していたからだった。

 

「ずっと一人で寂しかったよね。でも、もう、大丈夫だから」

 

 そして、握りしめたナイフの切っ先を自らに向けた。

 

「あっ!」

 

 誰もが、その行動の意図を悟る。彼女が何を企んでいるのかに思い至る。

 

「オイオイオイ、マジかオマエ! クロはクロとして、オシオキで死ななきゃいけないんだよ!」

 

 天井から、そして玉座から数本のマジックハンドが現れる。高速で近づいてくるそれが辿り着くより早く、どこか憑き物が落ちたような大天は、刃を鋭く動かした。

 

 

「やっと会えるね、お姉ちゃん」

 

 

 それが、彼女の最期の言葉になった。

 

 大天翔は、ためらいもせず自らの首筋をナイフで切り裂いた。

 真紅の血液を撒き散らしながら、彼女は床に倒れ込む。

 

 晴れやかな笑顔のまま、彼女は血を垂れ流す。それが既に死体となっている事など、誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん! 

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 そして、再びシステマチックに鳴らされたアナウンス。

 

「…………」

 

 そのアナウンスが、嫌に脳内にこだまする。

 耳の痛くなるような静寂によって、二度続けて鳴らされたアナウンスがより強烈に刻み込まれる。

 

 裁判場の床に転がっているまだ体温の残る二つの死体を目の前にして、俺達はただ立ち尽くしていた。

 七原の最期の姿すらまだ受け止めきれていないのに、更に追い打ちをかけるような二人の死を前に動き出せるわけがなかった。

 

 この悪夢のような惨劇を、果たして何人が現実と捉えることが出来ているのだろうか。

 

「あーあーあー……マジで最悪だ……」

 

 そんな中聞こえてくるのは、どこかしょげた様子のモノクマの声。その残念そうな声は、皿の一つでも割ってしまったかのような軽いものだった。

 

「ふざけんなよ、もう……せっかく今回はここまで順調に来てたのに、結局こうなるのかよ……ああ、クソ、うまく行かないなあ……」

 

 ……え?

 

「……オイ、モノクマ。今の言葉は何だァ? 『今回』って、どォいう意味だ」

「え? あ。なんでもないよ。それよりやることやんないと」

 

 俺と同じ疑問を抱いた火ノ宮に対して、無意味な言葉を返すモノクマ。その言葉の真意は分からないが、今のは純粋な失言だったのだろうか。

 

「オイ!」

「ほらほら、皆自分の席に戻ってよ」

『戻ってどうするんだよ』

「学級裁判に決まってるだろ! 殺人が起きたら学級裁判! さっきのアナウンス聞いてなかったのかよ!」

 

 ……聞いていないわけがない。あんな絶望のチャイムを。そうでなくとも、殺人の発生が学級裁判へ繋がることは痛いほどに知っている。

 けれど。

 

「が、学級裁判もなにも、く、クロなんて丸わかりじゃ……」

「それでもやるんだよ! 形式だけになっちゃうけどね。ほら、早くしろ! キビキビ歩け!」

 

 そう急かされて、席を離れていた俺達は戸惑いと衝撃を頭に残したまま、証言台に戻る。この僅かな間に死んでしまった七原達の証言台には、ドカドカと遺影が降ってきた。

 

「はい、それでは、第四回学級裁判の開廷をここに宣言いたしますよ。はあ、面倒だけどルールの説明をするからね」

 

 やる気など微塵も感じられないその声で、モノクマは告げる。

 

「そんなもんもういらねェっつってんだろ」

「ボクだって時間無駄に使うだけなんだからそうしたいよ! ……いいから黙って聞いてろって。えー、学級裁判は、オマエラの中に潜んだクロをオマエラ自身の手で見つけ出してもらうためのものです。議論の後、オマエラの投票による多数決の結果をオマエラの導き出したクロとします。正しいクロを導き出せたなら、クロだけがオシオキ。逆に、その結論が間違っていたなら、皆を欺いたクロ以外の全員がオシオキとなり、クロは【成長完了】とみなされ、晴れて【卒業】となります。

 はい、それじゃ議論開始。そんで終了! 閉廷閉廷!」

 

 そんな、もはや話す意味もないその定型句を聞き流していると、いつの間にか議論が始まり、そして終わった。

 

「……議論はしないのか?」

「必要無いでしょ」

 

 スコットの疑問には、そう即答するモノクマ。確かに、議論の余地など無い。杉野を殺したのが誰であるかなど、最初(はな)から一人に決まっている。

 

「はい、じゃあ投票に移るから。さっさと投票してね」

 

 そんなつまらなそうな声を合図に、ウィンドウが浮かび上がる。『杉野悠輔を殺したのは誰?』という文字列の下に並ぶ、見慣れた十六の名前。今やその半分が、灰色に変わっていた。

 

「ほら、ぼけっとすんなって! 投票しろ!」

 

 未だ、どこか現実離れした衝撃の連続に呆然としている俺達に、モノクマはそう叫んで活を入れる。言われるがまま、俺達は『大天 翔』の名を押した。

 

「ん、皆投票できたね。じゃあ次ね」

 

 次? と誰かが声を上げると、一度閉じたウィンドウが再び開いて現れる。表示されたのは先程と同じような画面だったが、上に書かれた文章が『大天翔を殺したのは誰?』というものに変わっていた。

 

「……あァ? 大天は自殺だろォが。殺人じゃねェ」

 

 そんな、誰もが抱いた疑問を火ノ宮が口にする。

 

「自殺も『自分自身を殺した』っていう立派な殺人だろ!」

「……チッ」

「確かに、そんな解釈(言葉遊び)も出来なくはないが……それはもはや暴論だろう」

「あのねえ、明日川サン。経緯はどうあれ、死んだのがオシオキでも規則違反でもないのなら、それは殺人扱いになるの。事故死は勿論、自然死や病死であっても突き詰めれば本人か周りの誰かの責任だからね。どのケースも、少なくともコロシアイ中は殺人として扱われるんだよ」

「…………」

「……多分、この学級裁判だなんだのゲーム的な所が関係してるんでしょ。今回みたいに分かりやすい自殺じゃなかったら、自殺でも学級裁判として処理した方が面白そうってのが本音なんじゃないかしら」

 

 沈黙する明日川に代わって、惨劇に顔を青くした東雲が私見を述べた。反論は特に上がらない。

 

「とにかく、自殺だって思うなら大天サンにとっとと投票してよ。こんな何の意味もない裁判なんだから……まったく、どうせ死ぬなら投票の前に死んでくれれば、同じ三回目の学級裁判で処理できたのに……」

 

 ぶつぶつと、よく意味の分からない……いや、意図の分からない事をモノクマはつぶやいていた。それをどう解釈すれば良いのかなんて、今の泥のように鈍った俺の頭では分からなかった。

 ともあれ、モノクマにどやされる前に、俺は再び『大天 翔』の名を押した。

 

「皆投票できた? 出来たみたいだね。はい、じゃあ投票結果だよー……一応、ちゃんとやるかな」

 

 はーあ、と苛立ちを含ませたため息をついて、モノクマは玉座にまっすぐ座り直した。

 

「ハイ、それでは結果発表と参りましょー。投票の結果クロとなるのは誰なのかー、それは正解なのか不正解なのかー」

 

 ちゃんとやる、といった割にはテキトーな棒読みで定型句を読み上げ、それに伴い耳をつんざくサイレンに合わせてウィンドウが現れる。

 

 例の結果発表ムービーには、いつもの見た目のうるさいスロットが二台並んでいた。そのスロットが大天の顔で止まり、合わせて六つの顔がそこに並ぶ。結果、ユニゾンする吐き出し音とともに大量のコインが二台のスロットから溢れ出す。

 その映像を、俺達は冷めた目で見ていた。

 

「はいはい、正解正解。クロは大天サンだよ。前もって準備しておいてよかったよ、まったく……」

 

 俺達の投票が正解だったなんて、こんな映像で示されるまでも無い。あの狂喜が、俺達の心に深く刻み込まれているのだから。

 

「んじゃ、とっととやることやって解散しようか。もう夜だしね。ボクも眠いし」

 

 そんな事を、モノクマは告げる。つまらない事務仕事が残っているかのようなだるさで。

 

「……何言ってるんだ? もうやることなら済んだだろ。学級裁判を終わらせるための投票と、その結果発表が済んだんだから、もうこれ以上することなんか……」

「は? 何言ってんのはこっちの台詞なんだけど、平並クン。やっぱルール説明して正解じゃん。『正しいクロを指摘できたらクロだけがオシオキ』って、ちゃんと言ったでしょ?」

 

 どうしてこんな事も理解できないのか、と見下すような声色で告げるモノクマ。

 

「いやだから、そのクロである大天はもう死んでるだろ」

「……あー、そういう事? 関係ないって、そんなの」

 

 関係ない、というのは。

 

「……ま、まさか、お、大天の死体にオシオキするってことか……!?」

 

 誰より早く、根岸がその答えにたどり着いた。

 

「うん、そうなるね」

「意味ねェだろ! そんな事して何になるっつーんだ! 確かにアイツは杉野を殺しやがったけどよォ、そんな、そんな、最後の尊厳すら踏みにじるような事……!」

「ボクだってねえ、死体にオシオキなんてただボクが楽しくなるだけの事なんかしたくないの! オシオキってのは、クロの心をへし折って絶望させてこそな訳だし……。でも、クロ以外にオシオキするわけにもいかないでしょ? だからどうしてもそうなっちゃうんだよね」

 

 死体へのオシオキは、モノクマにとっても本意ではないらしい。だったら、しなければいいのに。

 

「……あんなイカれたヤツの死体がどうなったって、別に良いじゃない」

『瑞希。そういう話じゃねえんだよ』

「どうしてあんな事をしたのかわからなくても、もう死んじゃったとしても……でも、その体をどうこうしようなんて、そんなの絶対おかしいよ」

「…………分からないわね。死んだら、ただの人形でしょ」

「……瑞希ちゃん!」

 

 これから起こるおぞましい光景を想像して、パニックが静かに起こり始める。その様子を見て、モノクマはニヤリと口元を歪めた。

 

「まあでも、オマエラがそんな反応してくれるならやる価値はあるかもね! これは収穫だなあ……やっぱりやってみないと分からない事も多いんだね。勉強になったよ」

「……ッ」

「それじゃ、張り切っていこうか!」

 

 そうして、モノクマは元気を取り戻すと、玉座の上にスタと立ち上がった。

 

「それでは参りましょう! ワックワクでドッキドキ……はしないけど、楽しい楽しいオシオキターイム!」

 

 いつものように口上を述べたモノクマが、これまたいつものように赤いスイッチを木槌で叩く。ほんの少し前に七原を闇に連れ去った鎖が、今度は大天の傷ついた首をひっつかむ。

 もう動かない、抜け殻になった大天の死体が、暗闇に溶けていった。

 

 

 ――オシオキが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【超高校級の運び屋 大天翔 処刑執行】

 

《お代は六文銭

 

 

 

 大きな川が流れていた。

 あらゆる希望を飲み込むような激流に沿うようにして、ゴロゴロと丸石の転がる河原が広がっている。

 小さな塔のように積まれた丸石の山が点在している事が、そこが賽の河原である事を示唆している。

 

 

 すなわち、それは三途の川であった。

 

 

 

 

 そこに、足音がやってくる。

 簀巻きにされた大天が……否、大天の死体が、三体のモノクマに頭上に担がれて運ばれてくる。

 ジャリジャリと石を踏み鳴らして、それらは川辺に留まる渡し船に辿り着く。船頭に扮したモノクマが、船の上で暇そうに揺れていた。

 

 その渡し船に、モノクマたちは簀巻きの大天をドサリと下ろすと、六枚の銅銭をゴミを捨てるように投げ入れる。

 それを見て、船頭のモノクマがだるそうに船の留め具を外した。

 モノクマは六文銭を回収すると古ぼけた長い木の棹で川底を突き押す。渡し船は大天を乗せて激流へと漕ぎ出した。

 

 

 荒れ狂う波の中を、渡し船が突き進む。

 船頭のモノクマは慣れた棹捌きで渡し船を操るが、ふいに大きく船が揺れる。上流から流れてきた丸太が、渡し船を横殴りにした。

 その強大な力に逆らえず、船の天地がひっくり返り転覆する――

 

 その数瞬前に、モノクマの背中からジェットパックが飛び出した。

 およそその地獄的雰囲気にそぐわない近未来的なアイテムから吹き出す噴射によって、モノクマは宙へ逃げ延び波を回避する。

 胸をなでおろすモノクマのその下で、船に残された大天の体は波に飲み込まれた。

 

 

 激流の中に沈みながら、大天は三途の川を流されていく。

 

 横柄に鎮座する岩石に何度も頭をぶつける。

 無秩序に広がる川底に幾度も両脚を打ち付ける。

 もはや空気など必要としない大天の体は、荒ぶる水流の思うがままにその全身を傷つけられていく。

 

 その濁流に、いつしか刃物や鈍器が混ざり大天を襲い始めた。

 向こう岸へなど到底たどり着けない大天は、その水圧と奔流の暴力を受け入れる他になく。

 

 大天の皮膚が、肉が、骨が。

 破かれ、斬り裂かれ、砕かれていった。

 

 ふいに、一際鋭く光る刀が、勢いよく大天に近づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、三途の川の激流が穏やかになり、浅く広い川になった頃。

 

 緩やかに川を流れるその物体を、ジェットパックで浮遊する船頭のモノクマがひっつかむ。

 そして、身を捻って勢いをつけ、モノクマはそれを対岸へと放り投げた。

 

 仕事を果たしたと言わんばかりのモノクマは自らの定位置へとホバリングしながら戻っていく。

 

 

 

 

 三途の川の対岸には、原形のない上半身だけの大天の屍体が、ただ無意味に転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 オシオキが終わった。

 既に息絶えた大天の死体が、ただひたすらに破壊されていくのを、俺達は見送った。

 

 ……皆にとって、大天翔という人間がどう映っていたのかはわからない。けれども、俺は彼女の過去を知っている。【魔女】への復讐だけを考え続けるような人生を歩んできた彼女は、ついにその悲願を果たし、そして自らも息絶えた。そしてその体は、オシオキの名のもとに破壊され尽くした。尊厳すら残らぬ形で、下半身は行方すら知れない状況となって。

 

 何のために、彼女は生きたのだろう。復讐に脳を焦がして生きて、その末路がこんな無残な姿だなんて。こんな……こんな人生、絶対に間違っている。

 間違って、いるけれど。

 

 ならば、どうすれば良かったのだろう。少なくとも、彼女が笑顔でこの世を去れた事には違いなかったのに。

 

「えっくすっとりーーむ、ってね。はあ、やっぱり死体相手じゃこんなもんだよね」

 

 ……大天の死体を弄んでおいて、出る感想がそれか。安らかに彼女を眠らせることすらしなかったくせに、何を残念がっているんだ。

 

「はい、んじゃもう解散ね。ボクはそれ掃除しないといけないから、とっととエレベーターで上に帰れよな」

 

 その前にジュースでも飲んでこよ、とモノクマはどこかへ消える。裁判場には、不快な血の匂いと沈黙が残された。

 

「……平並」

 

 突如、火ノ宮に名を呼ばれる。重い、感情の読めない声だった。

 

「てめー。何か知ってんだよな」

 

 その声に覇気はない。けれど、俺はそれにただ首肯を返した。

 

「凡一ちゃん。教えてくれる?」

 

 露草にそう問われ、俺は口を開いた。

 

 分かりやすい、順序立てた説明ではない。一体どうすれば良かったのかと、ぐるぐるとそんな後悔が駆け巡る頭では、思いついた順にぽつぽつと言葉を並べるだけで精一杯だった。

 

「【言霊遣いの魔女】。……明日川なら知ってるよな」

「……ああ。存在(エピソード)知っている(読んだことがある)。……そういえば、数ページ前の大天君の台詞にも、魔女という単語が出てきたな」

 

 まず、そう反応してから、彼女は語った。【言霊遣いの魔女】という悪魔の、悪辣さ、邪悪さ、凶悪さを。

 意味不明だと、そんな人間が要るわけ無いと、誰かが否定する声が聞こえる。けれども、それは覆しようのない事実であると、明日川の台詞と杉野の死体から溢れる大量のジョーカーが証明した。それと同時に、杉野が魔女であることもまた、証明される。

 

「そう言えば。アンタ、妙に杉野に突っかかってたわね。あれは杉野の正体を知ってたからって事なの?」

「……ああ」

『じゃあ、凡一が悠輔と一緒に行動してたのも……』

「……アイツを見張って、【魔女】としての犯行を止めるため、だったんだ」

『…………』

 

 その悪魔の正体が杉野である事に全員の納得がいったのを見て、俺は話を続ける。

 

 かつて大天の姉が【魔女】のターゲットになった事。その結果、彼女が【魔女】に強い恨みを持った事。前回大天が俺を殺そうとした動機もそれが一因であった事。

 それと、遠城の殺人は杉野が唆したものである事。それを自分の功績と語った事。七原と一緒に正体を突き止めて、それから【魔女】の犯行を止めるために動き始めた事。

 

 そんな事を、赤い血の這いずる床を視界に捉えながら一つずつ語った。小さく、情けない声で。

 

 一通り、語り終えて。まず飛んできたのは。

 

「てめー! なんでんな大事な事を黙ってやがった!」

 

 そんな火ノ宮の怒号だった。

 

「他人に人殺しをさせる殺人鬼だァ!? んなヤツがいるって、どうして教えてくれなかったんだよ!」

「……そんな事を言えば、パニックになるだろ。俺が正体を突き止める前でさえ、皆……特に根岸が限界だったじゃないか」

「……!」

 

 俺に名を告げられ、ビクリと体を震わせる根岸。杉野の正体を聞いて、一番怯えていたのは彼だった。根岸は杉野の事も疑ってはいたが、まさかここまでとは思わなかっただろう。

 

「……確かに、今でさえ杉野君が殺人鬼であったなど、容易に認められた設定では無いが」

「……さっきも少し言ったが、一応、七原も知っていたんだ。というかそもそも、蒼神の事件の時に【言霊遣いの魔女】のカードを拾って相談してくれたのはアイツだったし、アイツの事は、その才能も含めて、信用していたから」

 

 ……だが、その七原は。

 

「……翡翠達は、信用できなかったかな」

 

 悔恨をする隙すらなく、そんな悲しげな声が聞こえた。

 

「……そういう、わけじゃない。だが、いたずらにそんな情報を広めるくらいなら、いっそ、黙るべきだと思ったんだ。なにかの切っ掛けでその事を大天が知れば、何をしでかすか、わからないとも、思ったし……」

 

 言いながら、声がどんどん小さくなる。

 

「……その結果がこれか」

 

 スコットに、そんな言葉を突き立てられる。

 

「オマエの発言から、オオゾラはスギノが魔女だと気づいた。そして、オレ達がナナハラのオシオキに気を取られている隙をついて復讐を遂げた……結局、オマエじゃ、何も出来なかったじゃないか!」

 

 ズガン。

 

 と、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 スコットの、言うとおりだ。

 

 俺は、何も、出来なかった。

 

「……」

「……スコットちゃん。そんな言い方……」

 

 露草がなだめようとして、それでもスコットは言葉を続けた。

 

「どうして、どいつもこいつも一人で解決しようとするんだ……!」

 

 その微妙に的はずれなその言葉に、別に一人でやろうとしたわけじゃないと思ったが、それを口にはしなかった。その言葉が、既に俺に向けられたものではなくなっていた事に気づいたから。

 

「もっと頼ってくれれば良かっただろ……! 何でもかんでも一人でやろうとするから、だから、そうやって失敗したり死んだりするんだろ……!」

 

 その声は、身長の低い遺影へとぶつかって、かき消えた。

 

「……スコット君も、一度落ち着くべきだ。キミも……端的に言えばパニックになっている。キミのそれは、もはや八つ当たりだ」

「…………」

 

 そう指摘され、バツが悪そうに、キュっと口をつぐむ。

 

「な、なんで、お、おまえはそんなに落ち着いてられるんだよ……! お、おまえは、な、なんとも思ってないのかよ……!」

「ボクだって何もモノローグをしていないわけではないよ。けれど、ボクのような語り部(ストーリーテラー)が誰もいなくなってしまえば、物語は停滞してしまう」

「……そ、そうやって冷静に考えられる事自体がおかしいって言ってるんだよ……! お、お前も、な、何か企んでるんじゃ……!」

「一つだけ、いいか」

 

 そんな、静かな混沌(カオス)が渦巻く中で、冷たい声が差し込まれる。

 

「な、なんだよ、い、岩国……い、言っとくけど、お、お前だって最初からずっと怪しいんだからな……!」

「そんな話は俺のいない所で勝手にやっていろ。俺が言いたいのは、運び屋が持っていたあのナイフの事だ」

 

 目線で、床に転がった折りたたみ(フォールディング)ナイフを示す岩国。

 

「お前達、アレを見て何も思わないのか?」

『何もって言われてもな』

 

 困った様子の黒峰の声につられて、視線がそのナイフへと集まる。たためば八センチほどになりそうな折りたたみ(フォールディング)ナイフが、静かに床に転がっている。

 

「……あァ?」

 

 火ノ宮がなにかに気づいた。それに、他の皆も続く。

 

「気づいたか。このドームの中の凶器は全て把握しているはずだ。三番目の【動機】として配られた凶器も十六人分すべて判明しただろう。ならば、なぜ運び屋はナイフを手にできている?」

「……ありえねェ。あんな形状のナイフ、このドームのどこにもなかった。私物の危険物だって出処が特定できなきゃ没収するっつー話も、モノクマから言質が取れてる」

「じゃ、じゃあ、あ、あのナイフは何なんだよ!」

「オレが知るわけねェだろ!」

 

 ただでさえ、立て続けの衝撃に精神が疲弊しているのだ。そんな状況で突如降って湧いた謎に、到底答えなど出るわけがない。

 

 その正解を知る彼女も、今や無残な屍体となっているのだから。

 

「あー美味しかった……あ!? なんでまだオマエラこんな所にいるんだよ! 早く帰れよ!」

 

 困惑が喧騒へと変わり始めたところで、モップとバケツを持ったモノクマが戻ってきた。

 これ以上話し合うことも出来ない。ガミガミと叫ぶモノクマに顔をしかめながら、皆エレベーターへと向かう。床に転がったナイフは、恐怖心に駆られた根岸が拾っていた。

 

「…………」

 

 そんな裁判場で、俺は無言のまま立ち尽くしていた。五寸釘を打ち込まれたかのように、俺の両足は床に貼り付いたままだった。

 

 俺の脳内にこびりついて離れないのは、目の前で起きた二つの惨劇だった。

 俺に未来を託した七原がサイコロに押しつぶされる姿と、狂喜に身を震わせた大天がナイフを何度も振るう姿。

 

 それが彼女たちの望みだったとしても、それは悲劇に変わりはなくて。

 結果それによって俺達にもたらされたのは、確かな混乱(パニック)だけだった。

 

「……ん」

 

 ふと、眼下に見下ろした足元から光を反射する何かがあることに気がついた。ゆっくりとそれを拾い上げる。

 それは、七原が握りしめていた、七原を死へ導いたコインだった。首輪に連れ去られる時に、その手からこぼれ落ちたのだろう。

 

「…………」

「……平並君。戻るぞ」

 

 遠くから、台詞が聞こえる。

 

「誰しも、特にキミにはモノローグが必要だとは思うが、ともあれいい加減舞台()を変えなければ、次なる物語も始められないだろう」

「……ああ」

 

 まるで意味の分からない台詞に生返事を返して、一人裁判場に取り残された俺はそこでようやく歩き出す。俺がエレベーターに乗り込むと、待ちわびていたかのように扉が閉まり上昇が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 地上へと駆け昇る白い箱。その重い駆動音と窒息しそうな沈黙の中で、俺は手にしたコインを見つめていた。

 

 自然、七原の顔が脳裏に浮かび上がる。

 俺には【才能】があると、そう七原は教えてくれた。

 

 ……もしも、それが本当だとしても。俺に皆を救えるだなんて、到底思えなかった。

 

 

「…………はは」

 

 

 空虚な笑いが漏れる。

 

 いつも通り。結局、いつも通りだ。

 数日前夢に見た、昏い記憶と何も変わりがない。

 

 自分が描いた理想を追い求めて、必死にあがいて、あがいたつもりになって、そしていつも同じ末路に帰結する。

 今もまた、俺の手に残されたのは惨めな夢の欠片だけ。それが、まざまざと俺の無力さを突きつける。

 

 

 スコットの言うとおりだった。

 俺がこの数日で……いや、今までのうのうと生きてきて成せたことなど何一つ無い。それどころか、今回の惨劇は俺の愚鈍で浅慮な行動がもたらしたものですらあった。

 

 俺が七原の懇情を素直に受け止めていれば、彼女は俺を元気づけようと悪魔的な方法を画策することなど無かった。そうすれば、当然城咲が殺されてしまうこともなかった。

 いや、それ以前の話として。そもそも俺という人間がここにいなければ、七原が事件を起こそうとすることはおろか、そう悩むことすら無かったんだ。

 

 それに、【魔女】の正体に気づいたのが俺でなければ、大天が復讐を遂げるのを阻止できたのかもしれない。彼女に人生の尊さを説ける人間であれば、あるいは、彼女に【魔女】の正体を悟らせないような思慮深い人間であれば、大天にその凶刃を振るわせてしまうことも無かったはずだ。

 

 考えれば考えるほどに、その思考は研ぎ澄まされていく。

 すなわち、ここに立っているのが俺でなく、俺以外の誰かであれば、こんな惨劇は最初から止められたんじゃないのか。大天の過去を知り、七原とともに【言霊遣いの魔女】の存在に立ち向かう人物が、俺なんかではないもっと優れた人間だったのなら、もっと良い未来(現在)になっていたんじゃないのか。

 

 

 そうやって、至極論理的な思考を無限に繰り返した俺は。

 

 エレベーターが静止する頃には、一つの真理にたどり着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰より早く、俺が死ぬべきだったのだ。

 

 

 

 そうすれば、誰もこんな絶望になど、始めから出会わずに済んだのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER3:【絶望に立ち向かう100の方法】

 

非日常編 END

 

 

 

 

 

【生き残りメンバー】 12人→ 8人

【普通】平並 凡一 

     【手芸部】スコット・ブラウニング 

【化学者】根岸 章   

【クレーマー】火ノ宮 範太   

【図書委員】明日川 棗   

【ダイバー】東雲 瑞希   

【弁論部】岩国 琴刃  

【腹話術師】露草 翡翠   

 

 

《DEAD》

【運び屋】大天 翔   

【声優】杉野 悠輔 

 【幸運】七原 菜々香 

【メイド】城咲 かなた 

【発明家】遠城 冬真  

【生徒会長】蒼神 紫苑   

【帰宅部】古池 河彦  

【宮大工】新家 柱   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     GET!!  【幸運のコイン】

 

 『絶望に立ち向かった証。このコインに従えば、きっと幸せになれるはずだ』

 

 

 

 

 

 

 




幕間を出す予定ではありますが、これでようやく三章完結です。

ここまでの全ては三章のラスト五話のためにある……とまでいくと過言ですが、それでもこのために色々積み重ねてきたのは事実なので、実を結んでたら嬉しいですね。





P.S. 七原さんのオシオキシーンをガッと範囲選択するとちょっとだけ良い事があります。
意味がわからない人はそのシーンをまるごとメモ帳か何かにコピペしてみてください。



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悩乱編 揺れる天秤

 

 

 

 

 

 

 死ねばいい。

 

 ただ息を吸って、吐いて、また、吸って。

 

 その無為な繰り返しに、意味なんか無い。

 

 初めから、何もかもを間違えていた。

 

 俺は、一秒でも早く、死んでしまうべきなのだ。

 

 そうすれば、これ以上、夢を見ずに済むのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《【自然エリア】展望台》

 

 

 三度目の学級裁判を終えて、俺達は地上へと戻って来た。

 解散して宿泊棟に戻る前にいくつか話をしていたようだったが、あまりその内容は覚えていない。覗きをはたらいた火ノ宮の処遇をどうするかとか、そんな話だったような気がする。

 

 

 どうだっていいのだ、そんなことは。

 

 

 いつの間にか、話し合いは終わっていた。裁判場へのエレベーターの前に取り残された俺も、誰かに声をかけられて宿泊棟へと戻った。けれど、胸の奥で燻ぶる苦しみに耐えかねて、俺の足は自然と動き出していた。

 

 

 この行き場のない悲しさが、どうしようもなく俺を締めつける。

 

 

 頭上で、まん丸の月……天井に投影された満月が、昏い自然エリアを青白く照らしている。ちょうど、日が変わった頃なのだろう。シンと静まり返ったドームの中で、俺は焦点も定まらないままにその月を見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死にたい。

 

 

 

 重く、そして確かな声が、俺の全てを支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるい月を眺めている内に、ふと、コインの存在を思い出した。ポケットに入れた手の先に、冷たい円盤が触れる。つまみあげて、ちょうど月と並ぶようにかざしてみた。

 

 見知らぬ国章に重なって、中央に50の数字が刻み込まれている。日本ではない、どこかの国の硬貨なのだろう。現存している国であれば、選択肢はそう多くはないけれど。……その答えを知ることは、もうできない。

 このコインの詳細も、コインを手にした経緯も、そして、なぜ執着したのがこのコインだったのかも、そのどれも知ることができないまま、彼女はこの世を去ってしまった。笑顔のまま、それが幸福につながると信じて。

 

 

 おそらく、七原は怖かったのだ。

 

 彼女は言っていた。誰も殺したくなんてなかったと。その上で、殺さなければいけなかった、とも言った。

 彼女はコインを信じていたのではなく、コインを裏切れなかったのだ。コインが示す道を逸れても幸福になれるのか自信を持てなかった。だから、コインを信じて、彼女は殺人という誤った選択肢を選ぶことになってしまったのだ。

 だからこそ、俺がコインの選択を否定した時に揺らいだのだろう。本当に、自分がコインを盲信したのは正しかったのか、と。……尤も、彼女は最期の最期でそれが正しかったと確信したわけだが。俺の、告白を聞いた時に。

 

 結局の所、彼女は幸運を信じているようで、コインに呪われていただけだった。

 本当は、彼女の幸運(才能)にそんなものは必要なかったはずなのに。

 

 

 それを後押ししてしまったのが、俺なのだろう。

 

 そもそも七原が犯行を思いついた事自体、俺が原因であったし、彼女が自分の幸運を信じたのも、俺の言葉に励まされたからだと言っていた。

 ならば、俺が彼女を励まさなければ、彼女は自分の幸運を信じてしまうこともなく、万一の時にコインを否定する事もできたのかもしれない。

 

 ああ、嫌だ。嫌な結論がまた一つ増えた。結局、俺じゃないか。

 

 ただ七原へ想いを馳せただけで、自然と俺への罪に思考が戻ってくる。逃げられない。逃げる気もないから、どうだっていいけれど。

 

 俺は何もできていないし、そればかりか悪い結果ばかりを引き寄せている。【言霊遣いの魔女】の件だってそうだ。俺はヤツの犯行をただの一つも止められていないし、大天の復讐もむしろ助けた形になった。やることなすこと、すべてが裏目に出てしまった。

 

 分かりきっていたことだった。いつもそうだったろうに、どうして今回は出来るだなんて勘違いをしてしまったんだろう。

 

 

 ……それこそ、分かりきっているか。

 

 

 

──《「一人で抱え込んじゃダメだよ。私も、頑張るから」》

 

 

 

 七原がいてくれたから。それしか、理由はない。

 

 ……だと言うのに、俺は、その、七原を。

 

 

 

 そんな経緯で彼女の言葉を思い出して、そこでようやく、ある疑問にたどり着いた。

 

 

 

 七原が持っていた【魔女】のカードはどこへ消えた?

 

 

 

 彼女が見つけた、蒼神と遠城の事件の【言霊遣いの魔女】のカード。あれは確か、学級裁判の前に一度俺に見せた後、七原がそのまま回収した。それ以来俺は一度も見ていないし、【魔女】の事を誰も知らなかったのだから彼女が誰かに渡したこともないはずだ。

 それなのに、七原の持ち物に特筆するものはなかったと明日川は言っていた。そして、七原の部屋は俺自身が捜索して、何も発見できなかった。

 

 おかしい。誰も、あのカードを発見できないなんて。

 

 可能性としてまず考えられるのは、俺と共に七原の部屋を捜索した【魔女】本人が発見して隠したケースだ。けれど、ヤツからはなるべく目を離さなかったし、仮に俺に気づかれずに【魔女】がカードを見つけたとして、ヤツならばそれを俺に報告しないなんてことがあるだろうか。むしろ、嬉々として俺に伝えてくるだろう。カードを見つけたのが俺でなく七原であることも見抜いていたし、その推理を裏付ける証拠を俺に見せつけて高らかに笑うのがヤツらしい。

 

 そうなると、カードはどこへ行ったのだろう。モノクマが処分するはずもないし、この施設のどこかか誰かの手元にあるはずなのだが。しかし、誰かが拾ったのなら、俺が【魔女】の事を話した時に言及しないはずが……。

 

 

 

 と、そこまで考えて、それが既に抱いていた疑問の答えであることに思い至った。

 

 

 大天だ。

 

 ずっと不思議に思っていた。なぜ、大天が俺達の中に【言霊遣いの魔女】が潜んでいる事を知っていたのかを。その謎の答えが、あのカードだったのだ。

 

 

 

 先の学級裁判で、大天が城咲を殺したクロを騙った目的。それは、俺達の中に潜む【言霊遣いの魔女】を学級裁判の誤答の罰によって自分諸共おしおきすることだった。彼女がその正体が杉野であると知ったのは俺の言動によるものだったはずだから、裁判の時点ではその存在しかわからなかったはずだ。

 

 つまり、きっと、七原は犯行時に……おそらくは城咲に抵抗された時に【言霊遣いの魔女】のカードをチェックポイントに落としたのだ。それを、たまたまそこにやってきた、おそらくは大迷宮の中へ入る七原の姿を目撃して追いかけてきた大天が拾い上げ、その惨状が【言霊遣いの魔女】の犯行であると誤認して、クロの乗っ取りを思いついたのだ。だから、その時点で隠し持っていたスタンガンを城咲に当て、クロだと勘違いしてもらえるように大迷宮の中で留まっていた……。

 

 

 

 気づくべきだった! 【魔女】の事をあれほど忌み嫌っていたくせに、どうしてそのカードの存在を意識の外へ追いやっていたんだ!

 

 

 

 

 気づけたはずだ。どこを探しても見つからない【魔女】のカードと、それを落とす可能性のある場所、そしてそれに言及をしない人物。それらを考えれば、大天が【魔女】の存在を知ってしまうと気づくことは決して不可能ではなかったはずなのだ。

 

 

 

 ……けど、まあ。

 

 

 

 興奮した脳の熱が、すっと静かに冷めていく。

 

 

 それに気づいたからと言って、何ができたわけでもないのだ。

 問題はその正体が杉野であると気づかせてしまったことと、その凶行を止められなかったことなのだから、その配慮が欠けていた時点で、どうあがいてもあの惨劇にたどり着いていた。

 

 

 

 

 

 だから、今更何に気づこうと、そんなもの、意味がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ガサ

 

 

 どれほど、そうしていただろう。

 

 鈍く澱んだ頭で月を眺めていた俺の耳に、草の擦れる耳障りな音が聞こえてきた。

 

「……ッ!」

 

 力なく顔を向ければ、ちょうど岩国が展望台へとやってきた所だった。まさか人がいるとは思わなかったのか、彼女は一瞬目を見開いていた。すぐにすっと目を細め、俺を睨んだが。俺だって、こんな時間に人が来るなんて思っていない。

 

「ここで何をしている」

 

 冷たい声が、彼女の口から放たれる。

 

「……別に、何も。多分、お前と一緒だよ」

 

 月を見に来たか、気晴らしに来たか。岩国だって、どうせその程度の理由で展望台に来たんだろう。少しばかり、彼女には似合わないとも思うが。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙が重なる。

 岩国は俺に話したいことなどないだろうし、俺も彼女に何を話せばいいか分からない。そもそも、誰かと話す気になんてならないから、その方が丁度いい。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙が続く。

 

 ……岩国の様子がおかしい。黙り込んだまま、俺を睨んでいる。

 何故だろう。無能を晒した俺を厭んでいるのだろうか。……いや、彼女は俺に期待などしていない。今更そんな感情を抱くとは思えない。ならば……マッチポンプの学級裁判に付き合わされたことへの恨みか。ああ、その方が、彼女らしい。

 

 …………その、突き刺すような視線から逃げるように、そっぽを向いた。

 責められる事が怖いわけではないけれど、彼女の恨み節に返す言葉を俺は持っていなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 けれど、彼女は何も言わない。

 何も言わないくせに、立ち去ろうとはしない。

 

 分からない。彼女が何をしたいのか、彼女が何を思っているのか、俺には到底想像がつかなかった。

 

「……岩国」

「…………なんだ」

 

 どうせ答えてくれないだろうから、今何を考えているのかなんて事を訊くつもりはない。

 けれど、真意不明の不可解なあの言葉の意味は知っておきたいと思った。

 

「どうして、俺を助けたんだ」

 

 

 

──《「――凡人! 押せッ!」》

 

 

 

 モノクマのカウントダウンが響く中、俺は七原への投票を寸前でためらっていた。七原の罪を暴いてまで生きる意味が分からなくて、だったら彼女と共に死んでしまったほうが良いとすら思って、俺は投票を放棄しようとしていた。

 

 けれど、結局俺はモノクマがゼロを告げるより早く彼女の名に触れた。

 その俺の凍りついた指を動かしたのが、岩国の叫びだったのだ。

 

「どうして、あんな声を出してまで、俺を助けたんだ。お前は俺を信用していないはずだし、あんなの、お前らしくないだろ」

 

 そもそも、あれほど皆の叫びを無視していたのに、どうして彼女の声にだけ反応してしまったのか。それは俺自身にもわからない。単に、耳のそばで大声が聞こえたから指が動いてしまっただけかもしれないが。

 それはそれとして、岩国は時に冷酷ではあるが、東雲のように死や殺人を望んでいるわけではない。だから、単に誰かが死ぬのを嫌がったとか、そういう事ではないかと推測はしていた。

 しかし、どうもその推測は外れだったらしい。

 

「助けた?」

 

 その証拠に、彼女は一層眉をひそめて怪訝な声を上げた。

 

「……違う、のか? だって、そうじゃなければ、そういう意図でもなければ、言わないだろ、あんなこと……。あの、お前の、言葉のせいで……俺は、死に損ねたんだぞ……?」

 

 『死に損ねた』なんてことを、よりによって助けてくれた彼女の前で言うべきではない。それはなんとなく気づいていたけれど、その言葉を止めようとは思わないほどに、誰かを気遣う気力は失せていた。

 

「なら、死ねばいい」

 

 フッ、と彼女はそんな俺の声を笑い飛ばして、冷たく言い放つ。

 

「俺がお前を助けた? フン、バカバカしい。どうして俺がお前を助けなければならない。俺がお前を助ける道理など無いし、お前を助けるメリットも無い。お前が生きようが死のうが俺にとって何の関係も無いんだから、あの言葉に何の意味もない。例えお前が死んでも俺は構わなかったんだ」

 

 その目は、俺を見ていない。俺を見ているようで、その視線はどこか遠くを見ている。

 畳み掛けるように放たれた言葉は、俺でなく、彼女自身に告げているように思えた。

 

「お前、何を……」

「俺はお前を助けてなどいない。あれは、あの言葉は……そう、あれはただ単にお前を急かしただけだ。投票先なんて一つしか無いのだから、とっとと投票を終わらせろという意味に過ぎない。お前に投票を促す連中の声があまりに(やかま)しかったから、だから俺もあんな言葉が口をついて出てしまった、ただそれだけの話だ」

 

 早口でまくし立てる岩国に対して、俺はただ閉口するだけだった。初めに黙りこくっていた事も含めてどうにも彼女の様子がおかしいと、気付いてはいてもそれを指摘することはできなかった。

 

「他人が投票放棄で処刑されようが俺の知ったことじゃあないし、それがお前なら尚更だ。仮にお前を助けて恩を売ったのだとして、そこに何の意味がある。お前に売った恩が返ってくることなどないだろう」

「そんな事」

「返せない」

 

 スラリと伸ばした人差し指を、冷たく鋭い視線に乗せて俺の眼前に突き立てる。その迫力に、思わず唾を飲んだ。

 

「いや、返さないんだ、お前は。他人の信頼を信じようともしないで、挙げ句俺達は痛い目を見る。それがお前という人間だ。違うか」

「…………」

 

 ……反論は、できなかった。

 それは、彼女の言葉が嫌というほど見せつけられた俺の無能さを的確に現した言葉であったからでもあるけれど、黙り込んでしまった理由はもう一つあった。

 

「お前を信じて裏切られるのは……もう、うんざりなんだ……」

 

 彼女の瞳が、何かを押し殺すように揺れていた。その真意を俺は推し測ることすらできなかったけれど、この時初めて、俺は彼女の表情に弱さを見た気がした。

 

 

 

──《「俺はもう、お前を信じない」》

 

 

 

 かつて彼女は、一度だけ俺を信じてくれた事があった。それを、俺は、裏切った。

 

「…………」

 

 返す言葉も、それを探す気も見つからないまま黙って彼女の顔を見ていたが、やがて彼女はすっと指を下ろして顔をそむけた。

 

「……余計なことを話した。とにかく、『死に損ねた』と言うのであれば、自分の意志で死ねばいい。誰にも迷惑をかけずに死ぬのなら、それを止める気も理由もない」

「…………」

 

 至極真っ当な事を言う。

 死ねばいいと、死にたいと何度も口にするのなら、悩む前に行動に移せばいいのだ。

 

「……だが、()()()()()()()死ぬことなんかできないだろ。俺が自殺をしても、そのクロを突き止めるための【学級裁判】が起こる。この、()()()()()()()()()だ。それで、もしも、誰かが何かを勘ぐって俺が誰かに殺されたと、そんな結論が出てしまえば……」

 

 その先の言葉は、言いたくなかった。三度……いや、四度と学級裁判を経た上でこの結論が出ることなどあるのだろうかとも思うが、それだけの経験があるからこそ、最悪の末路をたどってしまう可能性も無視はできないとも思った。

 

「ならば、【学級裁判】を起こさなければいい」

 

 そんな俺の思考を、岩国の言葉が切り裂く。

 

「……え?」

「【学級裁判】を起こさずに自発的に死ぬ方法は、ルール上存在する」

 

 それは何だ、とこちらが訊く前に、彼女はポケットから何かを取り出して俺の手のひらに押し付けた。

 

「……飴の殻?」

 

 と、疑問符をあげる俺を無視して、淡々と説明が続く。

 

「死んでも【学級裁判】が発生しないケースが、2つだけある。先の裁判でもぬいぐるみが言及していたはずだ。だからこそ、自殺でも【学級裁判】が発生すると認識したんだろ」

「…………ああ」

 

 そう言われ、冷静にモノクマの言葉を思い出して、納得する。

 

 

 

──《「あのねえ、明日川サン。経緯はどうあれ、死んだのがオシオキでも規則違反でもないのなら、それは殺人扱いになるの」》

 

 

 

 あのモノクマの言葉……言い換えれば、突き止めたクロを処刑するオシオキは当然のこと、規則違反による死刑では殺人にならず、【学級裁判】は発生しない、ということになるはずだ。

 なら、自発的に死ねる方法は……。

 

「……規則違反……」

 

 そうつぶやいて、押し付けられた飴の殻を見る。そして、そのまま視線を展望台の眼下に広がる森へと向けた。

 そして、一つの規則を思い出す。

 

 

──《「規則5、ポイ捨てをはじめとする、施設内の自然を汚すような行為は全面的に禁じる」》

 

 

 ハッキリと、禁止行為として例示されたポイ捨て。意図的に、それをすれば。無駄に人数を減らしたくないらしいモノクマでも、無視はしないだろう。

 

「規則違反による処刑なら、オシオキよりもずっと短い時間で絶命出来る。あるいは、自分で死ぬよりもな」

 

 その言葉で蘇るのは、ここに初めて来た日の光景。モノクマを蹴飛ばした大天に迫った無数の槍だった。あれを全身に受ければ、一瞬の激痛とともに死に至れるはずだ。あるいは意識がしばらく残っても……それはそれで構わない。

 

「…………」

 

 俺の無言をどう受け取ったかはわからないが、彼女は展望台の出口へと歩き出す。そこに、少しの苛立ちを読み取ったのは気のせいだろうか。

 

()()()()、凡人」

 

 そんな、彼女らしくもない別れの言葉を告げて、岩国は森の中へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、また、展望台に一人になった。

 

 俺の手元には、飴の殻が……死ぬための道具が残されている。

 これを、目の前の森へ投げ捨てれば、それで、死ねる。それだけで、死ねる。

 

 

 

 もう、限界だろ。

 

 

 

 結局何も為せないままに俺が生きてきたのは、いつか何かを為せると夢を見ていたからだ。だから、俺の中の【核】を見つけられなくても、いつかそれが見つかるかもしれないと、そんな夢を見て無様に今日まで生きてきた。

 

 

 

 だから、こんな事態を引き起こしたんだ。

 

 

 

 俺が何もできない事を理解しているくせに、俺が何者でもない事に気付いているくせに、それを受け止めたフリをしてそれを否定しようと必死にあがいてきた。俺でも何かが出来るのだと、今度こそ、望んだ未来を得られるのだと、それを、ずっと、証明したかった。

 

 

 

 それでも、これが、俺という人間なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、飴の殻を強く握りしめて、大きく振りかぶる。

 

 

 

 

 

 どうやら俺には、【才能】があるらしい。

 

 けれど、そんなものがあったって、俺が望んだ未来には遠く及ばなかった。

 

 結局【才能】の有無なんて関係がなく、これが俺という人間の【核】だったのだということなのだろう。

 

 

 

 死ねばいいのだ、今、すぐに。

 

 それで、俺も、皆も、幸せになれるのだから。

 

 

 

 散々死にたいと呟いた。

 

 今更、生きたい理由も思いつかない。

 

 

 

 

 

 だから、これで、おしまいだ。

 

 

 

 

 

 死ぬんだ。

 

 

 死んでくれ。

 

 

 

 死ぬだけでいいんだ。

 

 

 

 

 死ねば、それで、いいんだ。

 

 

 

 

 

 死ね。

 

 

 

 

 

 死ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 死ね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──《「平並君。誰かの嘘を暴いて、皆を救える事。それが、きっと、君の【才能】なんだよ」》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 瞬間、彼女の顔を思い出す。

 

 じっと、真剣な瞳で俺を見つめる、七原の顔を。

 

 

 

 

 

 

「ぐ、うぅうっ!」

 

 うめき声をあげてその場にへたり込む。振り上げた拳は力なく落ちて、封じ込めた飴の殻を両手で抱え込むように握りしめた。

 

「くそぉっ!」

 

 ギュッと閉じた両目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちて、コンクリートの地面を濡らす。

 

 俺の情けない声が、みっともなくドームに響く。

 

 

 

 

 

 俺の【才能】を信じて疑わない彼女の顔が、脳裏に貼り付いて離れない。

 

 俺の【才能】で、皆が救えると、彼女はハッキリとそう言った。

 

 俺というくだらない人間の存在価値を、俺以上に彼女は信じていた。

 

 

 

 だから、死ねない。

 

 どれほど俺が死を望んでも、こんな無意味に死ぬことは許されない。

 

 俺が無意味に死んでしまえば、彼女の死こそ無意味になってしまうから。

 

 

 

 

「どうすればいいんだよっ……!」

 

 このまま惨めに生きたって、また皆に迷惑をかけて、どうせ、また、死人を出して、結局皆を苦しめる。

 

 それでも、俺の手で皆を救うことを諦めたら、七原を裏切る事になってしまう。

 

 

「信じろって言うのか……! 俺の【才能】を……この俺を!」

 

 

 どれほど夢に敗れても。

 

 どれほど皆を苦しめても。

 

 どれほど失態を繰り返しても。

 

 

 俺という人間に、生きる価値が見いだせなくても。

 

 

 

 

 

 

 俺はこの【才能】で、皆を救わなければならない。

 

 

 それが、七原菜々香の遺した(呪い)だから。

 

 

 

 

 

 

「何もできなかったんだぞ……! 何も、分からないんだぞ!」

 

 事実として俺は救われてばかりで、誰も救えないままにここにいる。

 この閉じられた施設から脱出する(すべ)やモノクマを打破する方法はおろか、愉快犯の正体すら見当の一つもつけられない。

 

 それでも、やらなくちゃいけないのか。

 

 

「……もう、死なせてくれよ」

 

 

 その、かすれた声の願いを聞く人は、もう、この世にはいない。

 

 

 

 




この【才能】、君のために。




というわけで、短いですが3章の後始末です。

前話後書きのP.S.で触れた範囲選択の件ですが、見えない文字で色々書いてます。範囲選択しただけでは見えなくても、メモ帳などにコピーすると読めるようになると思うので、よろしくお願いします。


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