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カルネ村へようこそ


カルネ村って凄い! 凄い! 凄い!



 カルネ村。

 

 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の国境付近。雄大なアゼルリシア山脈南端の麓に広がるトブの大森林。その未開の地の外れに、村はあった。

 人口は僅か一二〇人ほど。王国辺境の村としては珍しくない規模だ。裕福な暮らしぶりをする者などおらず、村人の多くが辺境の小村らしく畑を耕したり薬草を採取したりして、日々の生計を立てている。

 しかしそんな環境ながらも人々の表情に笑顔は絶えず、老若男女問わず今の生活に小さな幸せを感じている様子が窺えた。

 

 

 

 そんな村人の一人──エンリ・エモットは、今日も溢れんばかりに井戸水の入った甕を両手に持ち、仕事に精を出している。

 エモット家は薬草関係の仕事を主な生業としているが、日々の仕事はそれだけではない。料理や編み物などの家事から畑仕事、日によっては村全体での共同作業もある。一六歳になったばかりとはいえ、村からすれば既に重要な労働力だ。

 既に井戸の水汲みも三往復目、ようやく家の大甕が一杯になったところで一先ず朝食前の仕事が終わる。

 

「お母さん、今日は何か手伝うことある?」

 

 持ち運び用の小さな甕を台所の隅に置くと、調理中の母に声をかける。まだ修行中ではあるが、女として今後のためにも少しずつ料理は覚えておかねばならない。

 もっともエンリ本人は「家族のために」という意識が強いが。 

 

「今日は大丈夫よ、エンリ。もうそろそろ出来上がるから、ネムを呼んできてちょうだい」

 

 母は首を振るとそのまま調理に戻った。手元の鍋を見るに、今日のメニューは麦のオートミールと野菜を炒めたものだ。既に料理も終盤らしく、母は火を止めている。これなら確かに手伝うこともなさそうだ。

 

「わかった。ついでにお父さんも呼んできちゃうね!」

 

「お願いね」

 

 妹のネムは、まだ小さいだけあって少しお寝坊だ。いつもであれば自分たちと同じように太陽が出る時間には起きるが、たまに寝過ごすことがある。

 ただ今日に限っては仕方ないかな、とエンリは思う。

 

(昨日は、薬草をたくさん磨り潰していたものね)

 

 まだ一〇歳の子供で遊びたい盛りだろうに、薪を集めたり畑仕事を手伝ったりと、忙しいときに家族を助けてくれている。相変わらず少し我が儘なところもあるが、そんな妹の成長をエンリは喜んでいた。

 

「ネムー? もうそろそろ朝食だから、起きなさい」

 

 姉妹で使っている共同部屋のドアをノックすると、「んむぅ……」と身動ぎしながら呻くような声が聞こえてくる。あまりに可愛らしい声音に少し顔が綻ぶが、姉らしく表情を引き締める。

 ドアノブを捻って部屋を覗けば、想像した通りベッドの上で身体をくしゃくしゃに捩っている妹の姿があった。思わず吹き出してしまいそうになるのを抑えて、傍まで近づいていく。

 

「ほら、起きなさい。せっかくのご飯が冷めちゃうよ」

 

「……起き、ぅ……」

 

 陽気な気候のせいか汗ばんだ額を片手で拭い、のそりと起き上がる。まるで小さな熊みたいだと、また吹き出しそうになるのを必死に抑える姉の姿がそこにはあった。

 

「私はお父さんも呼んでこなきゃいけないから、もういくよ? 眠気が覚めないようだったら、ちゃんと顔を洗ってね」

 

 誤魔化すように言葉を紡いで、足早に部屋から去っていく。

 背後からは未だ夢の世界に片足を突っ込んだままなような声で、「……うん」と肯定の声が返ってきていた。

 

 

 

 朝から村長の家で集会があるため出ていた父だが、そろそろ終わってもいい時間のはずだ。

 少しゆったりとした歩調で村長の家へと足を進めていく中で、エンリはぼんやりとこれからのことを考えていた。

 一六歳。世間的にはそろそろ結婚も視野に入れる年齢だ。しかし村にも同年代の男は少なからずいるが、どうにも合わない。年に数回エ・ランテルより訪れる薬師の友人も、ちょっと住む世界が違う気がする。

 また家族を思うと、少し踏ん切りがつかない。もちろん両親や妹のネムも祝福してくれるだろうが、実情は貴重な働き手を一人失い厳しくなるはずだ。小さな村なので実家の手伝いをすることもあるだろうが、やはり夫の家を支える時間のほうが多いだろう。

 

 ──それなら、結婚したくないな。

 

 エンリにとって、一番大切なのものは家族だ。カルネ村は大好きだし、そこに住む人々も同じだ。ただ、やはり心の多くを占めるのは自らの家族であった。

 自分が難しい顔をしていることに気付いて、両手で顔をグニグニと捏ねていると、前方から厳しい表情を浮かべている父が歩いてくるのがわかった。心なしか、その足取りも鈍い。

 それを見たエンリの表情にも、不安の色が差す。何か事件でも起こったのだろうか。

 

「お父さーん! ご飯もう出来ちゃってるからはやくー!」

 

 不安を掻き消すように努めて明るい声を出すと、父もエンリに気付いたようで少し引き攣りながらも笑顔で返してくれた。

 

「おお、エンリか。わざわざすまないな、ありがとう」

 

「ううん、気にしないで。それより……()()()あったの?」

 

 父は再び顔を顰めると、すっかり重たくなったように見える口を開く。

 

「仕立屋のとこの次男坊を知っているだろう? 隣村に頼まれていた手袋を届けに行っていたんだが、村を出てからもう一週間経つんだ」

 

 その言葉にエンリは思わずギョッと目を見開いた。

 カルネ村にいる仕立屋はそこそこ評判が良く、偶に国王の直轄地でもある、城塞都市『エ・ランテル』にも商品を卸しているほどだ。周辺の村にも仕事を頼まれることがあるので、今回もそうだったのだろう。

 しかし、今までは一日、遅くとも二日ほどで帰ってきていたはずだ。確かに()()といっても少し距離はあるが、それにしても一週間は遅すぎる。

 つまり今朝の集会は「次男坊の身に何かあったのではないか?」という集まりだったのだ。

 

「食事の後にまた話そうとも思うが、しばらくはトブの大森林に薬草採取に行くのもやめることになる」

 

「そんなっ!?」

 

「仕方のないことなんだ。何があるかわからない以上、家族を危険な可能性がある場所には行かせられん」

 

 理屈はわかるが納得は出来ない。この時期にしか採取出来ない薬草もあるのだ。決して裕福とは言えないエモット家の財政状況で、『薬草』という大きな資金源を失うのはあまりにも痛すぎる。

 しかし父の気持ちも理解できる。エンリはカルネ村が好きだ。そして、家族が大好きだ。それは目の前にいる父も同じことだろう。

 エンリは悲痛な面持ちで肯くと、トボトボとした足取りで帰路についた。

 

(こんなとき、頼りになる用心棒みたいな人がいればいいのに)

 

 期せずして、少女の願いは叶うこととなる。

 

 

 

 何時もより暗い雰囲気の朝餉を終えたリビングでは、姉妹の仲睦まじい画が映っていた。テーブルの上にはすり鉢が置かれており、中からは作業中の二人の可憐さとは真逆の、好んで近づきたくはない刺激臭が放たれている。

 それでも作業をしている二人の表情は朗らかに笑っており、姉妹の仲の良さが窺えた。

 

「……お姉ちゃん、またつらい顔してる。やっぱり、朝ごはんの時のこと?」

 

「……っ」

 

 ふと手を止めた姉の表情を上目に見やると、()()()にはない悲痛さが浮かんでいた。朝ごはんのときお父さんが話をしてから、時折こうなる。そんな姉を、ネムは子供心に心配していた。

 

「薬草、とっちゃだめって。私、せっかくお仕事覚えてきたのになぁー」

 

 プクゥと頬を膨らませると、つられてエンリも頬に空気を送り込む。

 

「そうよね! せっかくネムがいい子になってきたのに。お仕事がなくなったらまた悪い子になっちゃう」

 

「私、元から悪い子じゃないもん!」

 

 さらに頬を膨らませるネムに、エンリはクスクスと笑いを零す。

 

 ──心配させてしまった。気を付けないと。

 

 家族を想ってくれている妹の成長は素直に嬉しい。ただ、要らぬ心配までさせたくはない。

 エンリは両手で頬を数回叩くと、未だいじける妹の頭を撫でまわした。

 

 

 そのときだった。

 

 

 ──コン、コン。

 

 小気味の良いノック音が、エモット家に響く。入室してくる気配はない。

 基本的に親しい村民しかいないカルネ村で、丁寧にノックが交わされることは珍しい。余程非常識な時間でもない限り、みんな声掛け一つで入ってくる。

 不思議に思いしばし応対を逡巡していると、もう一度──しかし今度は心なしか怒気の籠った──ノック音が響いた。

 

「は、はいっ。申し訳ございません、今開けますので!」

 

「──いや、こちらこそ急かしてしまったようで申し訳ない」

 

 二度目のノックなど村民では考えられない。エンリは村へのお客様の可能性も含めて、出来るだけ丁寧に応対した。

 どうやらそれは正しかったらしく、返ってきた声は非常に理知的で、自分たちなどとは違う高貴な世界にいる者を想像させる。

 エンリは少し薬草臭くなった手を慌てて水で清めると、駆け足で木製のドアまで向かう。

 木製の板一枚挟んだ向こう側からは、圧倒的な上位者の気配が漂ってきていた。

 

「ど、どうぞお入りください!」

 

 気に当てられるままにドアノブを捻ると、そこには──

 

 

「すまない。君がエンリ・エモットで間違いないかね?」

 

 

 へんてこな仮面を被った長身の男が立っていた。

 思わず、エンリの肩が驚きで外れそうになる。念のため言っておくと、仮面が珍妙なこと以外は全ての装いが一級品だ。身に纏ったローブやガントレットなど、エンリが一生かけて働いても釣り合わない価値があるのだろう。傍に控えている従者の装備も、漆黒に輝くフルアーマーなど、名工の品と思わせるものばかりだ。

 王族など実際には見たこともないエンリからすれば、王族とはこういった人たちなのかもしれないと思わされる──しかし。

 

「は、はあ。確かに、私がエンリ・エモットですが……」

 

 ……その珍妙な仮面は何ですか、と続きそうになるのを慌てて抑え込む。

 

「失礼ですが、アインズ様。この者が自らの立場を理解しているとは思えません。ご命令くだされば今すぐにでも()()というものを……」

 

「よせ、よいのだアルベド」

 

 仮面の男──アインズは従者の女性の発言を手で制すと、コホンと咳ばらいを一つ。

 

「単刀直入に言おう。エンリ・エモットよ」

 

「は、はひっ」

 

 噛んでしまったことで赤面したエンリなど気にせず、アインズは続ける。

 

 

「──私を雇う気はないか?」

 

 

 この日を以て、カルネ村は類を見ないほどの速度で発展していくこととなる。





最初はやっぱりカルネ村。
次はナザリック視点の話。




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来ちゃったカルネ村


 カルネ村ッ! 到着ッ! 到着ッ! 到着ッ!




 

 

 ナザリック地下大墳墓。

 

 

 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の国境付近。雄大なアゼルリシア山脈南端の麓に広がるトブの大森林。その未開の地の外れに、墳墓はあった。

 人──かどうかは定かではない──口は陰気に増大中。一〇の階層から成る墳墓は、一般的な墳墓としては珍しいくらい大規模だ。裕福な暮らしぶりをする者しかおらず、行き来する者の多くは墳墓の主のシモベらしく、警備をしたり訓練をしたりと主のために励んでいる。

 そういった状況のシモベ達の表情には笑顔──かどうかは定かではない──が絶えず、善悪種族問わず今の生活に多大なる幸福を感じている様子が窺えた。

 

 

 

 しかし肝心の墳墓の主はというと──現在、頭を抱えて悩んでいた。

 

「どうかなさいましたか、モモンガ様。何かありましたら、何なりとお申し付けください」

 

「い、いや。なんでもないとも、セバスよ」

 

 傍に控えていたナザリックの執事(バトラー)、セバス・チャンが主人を気遣うように声をかける。執事であり家令(ハウス・スチュワード)でもあるセバスにとって、主の健康状態は何よりも優先される事だ。何か不調や不備があれば、同じくナザリック全体の生活面を任されるメイド長と共に迅速に対応せねばなるまい。

 そんなセバスのまさに執事然とした動きに、主人であるモモンガは心の中で一層深いため息を吐いた。

 

 ──疲れるんだよなあ。

 

 ナザリックに従属する者たちは、どうにも主人を畏敬し尊重しすぎる傾向がある。自分の言動一つでそこまで身構えられると、元が平凡な人間であるモモンガとしては息苦しい状況だった。

 しかし先ほど供無しで外出していたことで苦言を呈されたばかりなので、あまり強く言うことも出来ない。

 モモンガはもう一度深いため息を吐くと、手元の遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)に視線を落とす。ユグドラシル時代は隠蔽対策や攻性防壁などの手段で簡単に防がれてしまう微妙系アイテムだったが、指定したポイントを映し出すというのは現状外の世界を把握するのに役に立つ。

 地表部から帰ってきてからのモモンガは、こうしてマジックアイテムの力で外部の状況を観察していた。

 そして現在、鏡の中に映るのは小さな村の穏やか日常だった。

 

「やはり周辺に強大な存在は見当たらない、か……」

 

 ユグドラシルから転移してきたナザリックの面々にとって、現在の世界は未知数だ。ユグドラシル時代はそこそこ強大な力を持ったナザリックであろうと、この世界では塵芥のような存在かもしれない。

 そんな考えから周辺の探索を入念にしていたモモンガだったが、どうやら今のところ杞憂のようだった。

 

(だめだだめだ。あくまでこの村が特別脆弱なのかもしれない。油断せずに行こう)

 

 しばらくそのまま村の様子を見つめていたモモンガであったが、何かに気付いたのか少し身を乗り出すと食い入るように鏡を見つめる。

 

「どうかなさいましたか、モモンガ様」

 

 先ほどと同じようにセバスが問うと、モモンガは体を半身ほど横にずらして鏡を指さした。

 

「見よ、セバス。この者たちは何を行っていると思う?」

 

「……ふむ。私には薬草か何かを磨り潰しているように見えますが」

 

 鏡に映るのは仲睦まじい姉妹が笑いあいながら草を磨り潰してる様子。おそらく仕事なのだろうから、薬草など効能があるものなのだろう。

 何か間違っているだろうかと少し不安げに主人を表情を窺うと、主人はその応えに満足したように頷いていた。それを見て、セバスはホッとしたように肩を撫で下ろす。

 

「私にもそう見えるぞ、セバス。ナザリックには低位の薬草など存在しないためか、どうにも気になってな」

 

「左様でしたか」

 

 まずナザリックでは薬草やポーションを使用して回復出来る者が少ない。上位の道具を生産する際などに使用する薬草などはあるが、こういった野草のようなものを見るのはユグドラシルや()()()を含めても初めてのことだった。

 

(ブルー・プラネットさんが見たら、喜ぶだろうな)

 

 かつてのギルドメンバーの一人は、自然をこよなく愛していた。彼が愛する自然は、まさにこの世界にあるのだろう。

 

(そういえば、ブルー・プラネットさんとぷにっと萌えさんが薬草について熱く語っていたときがあったっけ)

 

 仲が別段悪いわけでも良いわけでもない二人が、珍しく熱中していたのを覚えている。

 

(確か……移民がくると電線が広まり薬草や医者が必要になるとか。確かに移民は何か異なる技術を持っていそうだものな。あれ、でも電線と薬草と、どう関係しているんだ?)

 

 微妙に腑に落ちない事柄に頭を傾げつつも、今一度鏡の中へと視線を向ける。相変わらず姉妹二人が薬草を磨り潰していた。

 

「薬、か……セバス、お前は自らが病にかかると思うか?」

 

 ここがユグドラシルであれば、それはあり得ない。勿論風邪などというステータスが存在しないこともあるが、何よりモモンガやセバスたちナザリックに属する者の殆どがそういったバッドステータスを無効にする異形種。そうではない者もマジックアイテムの力などでステータス異常を無効化している。

 しかし、ここは既にユグドラシルではない。

 

「……あり得ません、と申したいところですが、何分ここは未知の世界。断言出来ず、申し訳ございません」

 

「よい。しかし、この問題をそのまま放置しておくわけにもいくまい」

 

「と、申しますと?」

 

「……この世界の医療体系を調べてみようと思う」

 

 未知の世界において恐ろしいことは様々ある。食料問題や外交問題、未知なる敵との遭遇など、多岐にわたる。

 しかし現状、ナザリックにおいて考えなければならないのは、未知なる病についてかもしれない。

 

「実在する強大な敵であれば、まだ対処も出来よう。しかし、病とは目に見えぬ。流石の私も、目に見えぬモノからお前達を守る術がない。至らぬ主ですまないな、セバス」

 

「と、とんでもございませんっ! モモンガ様に至らぬ事などあらず、あるとすればそれはシモベである私たちの責任でございます」

 

 しかし、とセバスは言葉を続ける。

 

「確かにこの世界における病への対策は、早急に必要かと思われます。ナザリック内は安全でしょうが、今後外への接触をするとなると……」

 

「うむ。今後の計画と指針については、デミウルゴス・アルベドの両名と一度話すこととなるだろう」

 

「では、すぐに呼んでまいります」

 

「頼んだぞ。また八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を何体か村に送り込み、情報を探らせておけ」

 

 かしこまりました、とセバスは恭しく一礼すると、歩くとも走るとも言えない絶妙な速度で出口へと進んでいく。

 

「そうだ、セバスよ」

 

「どうかなさいましたか、モモンガ様」

 

 思い出したように放たれたモモンガの一言にも、セバスは俊敏に反応し踵を返す。

 

「人助けは、必要だと思うか?」

 

 ──どういう意味、だろうか。

 

 主の言葉に、セバスは動揺を隠しきれない。すぐにでも言葉を返すべきなのに、思わず詰まってしまう。

 このままでは不敬だ。当然の言葉を返せばいい。ナザリックの者として、至極当然の言葉を。

 

「──それがナザリックにとって、ひいては至高の御身にとって有益なものであれば、必要かと存じます」

 

「ほう」

 

 その応えに、モモンガは少しつまらなさそうに相槌を打つ。

 それを見て、ならばとセバスは言葉を続けた。

 

「しかし、私個人の考えを申してよいのでしたら」

 

「よい、言ってみよ」

 

 セバスは緊張で渇く喉を自らの唾液で少し湿らせると、意を決したように口を開く。

 

 

「──誰かが困っていたら助けるのは当たり前、かと」

 

 

 瞬間、この世界に転移してから一番の笑い声が、部屋中に響いた。

 

 

 

 

 

 

「つまり、この村を『世界征服』の足掛かりになさると?」

 

 東洋系の顔立ちにオールバックに固められた漆黒の髪、ビシっと決まった橙のスーツ姿はまるでやり手のビジネスマンだ。

 しかし全体を見れば──その邪悪な雰囲気によって一切の()の要素が消え失せる。

 ナザリック地下大墳墓、その第七階層を任される守護者デミウルゴスは、鏡の中で安穏と生活する()()()()共を少し羨ましく思っていた。

 勿論、生活環境を羨んでのことではない。デミウルゴス含めナザリックに属する者は、ナザリックの生活こそが至極だと思っている。

 だからこそ、デミウルゴスは嫉妬する。ナザリックという至極の地を統治する、至高の御方に興味を注がれる村に。そこに住む、ニンゲンに。

 

「無論、その視点からの行動でもある。しかし、今回はこの世界における医療技術の調査が最優先だと思え」

 

 一方モモンガはというと──やはり頭を抱えていた。

 数時間前に地表部でデミウルゴスと話していたことが、まさか『世界征服』に繋がるとは思ってもいなかったのだ。

 今回の呼び出しでも、気軽に村を調査しようという体だったにも関わらず、何やら張り切って侵略しようとするものだから、モモンガは慌てて止めていた。

 

「しかし、モモンガ様。至高なる御身自らが下等生物の住む村へと赴き、交渉なさるというのは納得出来かねます」

 

 純白のドレスを身に纏った絶世の美女──守護者統括アルベドが、少し目を潤ませて訴えかける。

 まるで物語に出てくるお姫様のような姿ではあるが、腰から生える黒い翼のような暗い感情が幻視出来てしまい、どうにも残念だ。

 

「アルベドよ。現状我らは窮地にあると知れ。そのような時に動かずして、何が主だと言うのだ」

 

「しかし……」

 

 ──この二人相手だと、より一層魔王ロールプレイが疲れる。

 ナザリックに属する者はモモンガを神算鬼謀の持ち主、端倪すべからざる人物、智謀の王などと評しているが、中身のは鈴木悟はただのしがないサラリーマンだ。誰かに使われることはあっても、使うことなど無かったに等しい。

 そんな鈴木悟(モモンガ)を追い詰めるように、まさに使()()に長けた二人が攻め込んでくる。任せてしまえば楽なのだろうが、決していい予感がしないところも、モモンガの精神をすり減らしていた。

 

 

「アルベド、デミウルゴス。お前達の心配は、素直に嬉しい。しかし、わかってほしい。お前達が私を心配するように、私もまたお前達のことが心配なのだ。かつて友人達が創造し愛した、子供のようなお前達を想う私の意を、汲んではくれぬだろうか?」

 

「……ッッッッッツ!!!!」

 

 

 なるべく親愛の情を込めた発言のつもりだったが、どうにも効き目がありすぎたらしい。

 一方はぶらさげた両手をこれでもかと握りしめると、その鉱物のような目から溢れんばかりの涙を流している。

 もう一方は金色の虹彩を放つ瞳をこれでもかと見開くと、なぜかプルプルと身体を震わしたまま何も発しようとしない。微妙に開いた口の端からは唾液と思わしきものがだらだらと流れ続けていた。

 

「……デミウルゴス、アルベドはどうかしたのか?」

 

「……いえ、いつも通りかと」

 

 いち早く冷静さを取り戻したデミウルゴスが応えるが、相変わらずアルベドに反応はない。その状況に一瞬『不敬』という考えが頭を過るが、これも主が決めた設定上の事だと切り捨てた。

 

「モモンガ様。その崇高なるお考えは理解致しました。しかし、やはり御一人でという訳には参りません。何人かシモベを──」

 

「はいっ! はいっはいっはいっ! (ワタクシ)がっ、ナザリックが誇る最硬の戦士である私がっ! モモンガ様の従者をっ! 警護をっ! そして夜伽をっ」

 

 いつ間にか再起動したのか、デミウルゴスの提案にこれでもかと手を振り上げると、アルベドは自信満々といった表情で立候補した。

 そんな同僚の醜態に思わずため息を吐きたくなるが、主人の前だと控えて頭を切り替える。確かに、アルベドは防御においてはナザリック随一。警護においてこれ以上の適任はいないだろう。

 

「少々不安は残りますが、アルベドが適任かと思います」

 

「う、うむ。では、そうしよう。任せるぞ、アルベド。ただし、真なる無(ギンヌンガガブ)は置いていくように」

 

 主からの言葉にくふーっと声を上げると、アルベドは一礼してそのまますっ飛ぶように部屋から出て行った。おそらく、装備を整えにいったのだろう。

 その様に多少呆れつつも、モモンガは残った一方の守護者に次の指示を出す。

 

「ではデミウルゴスよ。後詰の準備として既に配備した八肢刀の暗殺蟲の他に、何体か隠密能力に長けた者を」

 

「承知致しました。すぐに配備致します」

 

 一度腰を折ってそのまま扉へと足を向けると、主から待ったの声がかかる。

 

「デミウルゴス、私はお前に期待している。お前の考える『世界征服』にこそ、私の興味は注がれていると思え」

 

 ──ああ、本当に。この御方には敵わない。

 

 流れようとする涙を必死で抑え込むと、デミウルゴスは先ほどよりも深い一礼を主に向けた。

 

「不肖の身ながら、必ずやご期待に添える『世界征服』を御覧いただけるように尽力致します」

 

 

 

 

 

(結局デミウルゴスからは『世界征服』について聞き出せなかったな……)

 

 カルネ村から程近い開けた林道を、モモンガは傍らにアルベドを連れて歩いていく。

 思い起こされるのは先ほどの作戦会議。退室間際に何とか『世界征服』について聞き出そうとしたが、煙に巻かれてしまった。

 尤もデミウルゴスならばそう酷いことにはならないと思っているが、創造主が悪のロールプレイを主としたウルベルト・アレイン・オードルなだけに、一抹の不安が胸から無くならない。

 

(まあ、ウルベルトさんもあれで常識人だったからな)

 

 何かあったら恨みますよ、とひとりごちて、隣にいる従者兼警護へと目を向けた。

 悪魔を彷彿とさせる棘々しい漆黒の鎧を身に着けたアルベドは、普段の清楚な出で立ちとは打って変わって歴戦の戦士を彷彿とさせる見た目だ。時折呟かれる「やっべ、モモンガ様マジかっけ。つーかこれデートじゃん。やっべ、くふふふふ」などという発言を除けば、これほど頼りになる者もいないだろう。

 

(やっぱあの設定変更は不味かったかなあ。こんなのタブラさんに見せたらなんて言われるか……)

 

 いくらギャップ萌えの男とはいえ、自らの娘ともいえる存在がこうも残念になっては、タブラ・スマラグディナも笑ってくれるかどうか。最悪聖者殺しの槍(ロンギヌス)でも何でも受ける覚悟だ。

 

 頭の中でタブラへの謝罪の言葉を浮かべていると、ようやく村が見えてきた。ある程度近くに転移してきたとはいえ、やはり徒歩だと少し時間がかかる。

 

「モモンガ様、まずはどうされるのでしょうか?」

 

 アルベドもようやく現実に帰ってきたのか、守護者統括然とした態度で接してくる。それはそれで疲れるのだが、背に腹は代えられない。

 

「うむ。先に忍ばせておいた八肢刀の暗殺蟲からの報告で、村にこれといった脅威がないことは確認している。最終目的は薬師であろう姉妹だが、まずは村の長に会うとしよう」

 

 姉妹、というあたりで一瞬アルベドの怒気が湧きあがったような気配がしたが、あいにく鎧に覆われていてその表情を窺うことは出来ない。

 アルベド自身も怒ってなんかいませんよ、という風に話を進めていく。

 

「それでは私たちの立場はいかがしましょうか?」

 

「それは事前にデミウルゴスと打ち合わせた。私は旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、お前は従者であり仲間でもある戦士という設定だ」

 

 嘘の中に事実を混ぜると誤魔化しが効くというのは有名な話だ。今更アルベドの態度などを変えようとしても難しいだろうと判断し、上下関係の設定はそのまま据え置いた。

 途中「そこに妻と入れていただいても……」という発言もあったが、無視した。

 

「今回は情報収集も兼ねている。周辺地域の情勢や金銭の価値など、聞けることは聞いていくぞ」

 

「承知致しました」

 

 ──これでも交渉には少し自信がある。営業職のコミュニケーション能力なめるなよ。

 

 普段より二割増し程度の自信有り気な表情は、髑髏の顔立ちとそれを覆い隠す醜い嫉妬の仮面のせいで、決して表に現れることはなかった。

 

 

 

 

 

 村長と出会うことは、思った以上に簡単だった。

 村に足を踏み入れたときこそ装い──主に顔を覆う仮面だろう──から警戒されたが、旅の魔法詠唱者であり周辺地域の情報が欲しい旨を伝えると、暖かく迎え入れてくれた。若干気を許すのが早い気もするが、これが田舎の常なのだろう。

 第一村人に案内された村長宅は広さこそ他の家屋よりあるものの、置かれた椅子やテーブルなどはどれもみすぼらしい物で、機械用品の類も一切見られない。科学的な技術の発展はないのかもしれない。

 しかし、だとするのならば魔法は存在するのだろうか。もし強大な、それこそユグドラシルの位階魔法よりも発達した魔法があるならば、それは脅威だ。

 モモンガは気を引き締めると、目の前に座る村長へと視線を向ける。

 

「それで、旅の魔法詠唱者殿。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 思いがけない村長からのジャブに、モモンガは少し言葉に詰まる。単純に「モモンガです」といってもいいが、どうにもちょっと恥ずかしい。自分にネーミングセンスがないことは、ギルドメンバーから散々言われてきたことだ。

 

 ──なら、ちょっと名前を借りますよ、みなさん。

 

「──アインズ。アインズ・ウール・ゴウンと申します」

 

 その言葉に隣に座るアルベドが焦ったように身体を揺らす。重量のある全身鎧を着ているせいか、耐久力のなさそうな椅子が今にも壊れそうにギスギスと音を立てている。

 

(ん? 確かに予定にはなかったが、何をそんなに焦っているんだ?)

 

 アルベドの反応を不思議に思いながらも、とりあえずは支障がないことを確認して村長へと視線を戻す。

 村長もアルベド──というよりは座られている椅子だろう──を心配そうに見つめた後、アインズと視線を交わした。

 

「何かお飲み物でも用意しましょうか?」

 

「ああいや、結構です。喉は渇いておりませんので」

 

「では、アインズ殿。周辺地域の情報が欲しい、とのことでしたが」

 

「ええ。私たちは遠方から旅をしてきたため、この地域の情報に乏しいのです。些細なことで構いませんので」

 

「と、言われましても……私も狭い村での生活が殆どですので、それこそ本当に基本的なことしか」

 

 その基本的なことが知りてえんだよ、こっちは。

 アインズは一人心の中で突っ込むが、どうにも切り口を見い出せない。流石に余所者とはいえ、基本的な常識すらわからないというのは不味いだろう。

 どうしたものかと考えていると、アルベドが透き通るような声で言葉を紡ぎだした。

 

「私たちの国ではあまり他国と交流を持つ機会がなく、少々鎖国的な生活をしていましたの。なので本当に些細な、それこそ周辺地域の国の名前などでも構いませんので、お教えいただけませんか?」

 

 流暢な言葉の数々に、アインズは思わず感心する。なんだよやれば出来るじゃないか、と。

 村長も重厚な鎧を着た戦士の声がここまで美しいものだとは思わなかったらしく、少々取り乱すも質問に丁寧に答えてくれた。

 

「まず、私どもはリ・エスティーゼ王国に属するカルネ村という小村です。といってもここは王国領の中でも辺境で、少し先はすぐにバハルス帝国の領土です。南方にはご存知でしょうがスレイン法国という大国があり……あの、続けてよろしいでしょうか?」

 

 村長の口から繰り出される言葉に、アインズは思わずガントレットをはめた右手で頭を押さえる。

 ユグドラシルとは違う世界。想像はしていた。しかし、事実として突きつけられると()()ものがある。

 何より辛いのは、この世界に来たのは自分一人なのかもしれないという疑惑が強まっていること。

 アインズは心の中で首を振ると、嫌な疑惑を掻き消した。

 

「……いえ、聞きなれない名前に少々混乱しまして。王国領の中でも辺境ということでしたが、近くに何か都市などはありますでしょうか?」

 

「近く、とは言いづらいですが、ございます。城塞都市エ・ランテルと呼ばれ、王の直轄領でもあります」

 

「ここからですとどの程度の距離でしょうか?」

 

「馬を走らせれば一日、二日程度ですが……歩くとなると」

 

「なるほど」

 

 確かにここまで徒歩で来たと思っている村長たちからすれば、その行程は厳しく感じるだろう。実際には転移で行けてしまうので、距離などの情報は頭の中の簡易地図を埋めるだけのピースに他ならない。

 さて後は何を聞こうかと思案していると、村長が皺の深い顔を強張らせて重たそうに口を開いた。

 

「……実は最近、隣村へ向かった村人の一人が行方不明になりまして。もし、エ・ランテルへ向かうとしても、用心したほうがよろしいかと」

 

「行方不明、ですか」

 

 八肢刀の暗殺蟲からはなかった報告だ。村長の口ぶりから見て、行方不明というのは建前で、もはや生きているとは思っていないのだろう。

 

「この辺りではそれほど強いモンスターが現れるのですか?」

 

「いえ、周辺一帯はトブの大森林に縄張りを置く森の賢王によってここ数十年安寧を保たれています」

 

「では今回は特殊な事例だと?」

 

「はい。もちろんオーガやゴブリンと遭遇した可能性も否定しきれませんが」

 

 ふむ、とアインズは考える。数十年起きなかったことが起こる。確かに偶然とも言い切れないだろう。ましてや自分たちのような()()が混入してきているのだ。周辺に何らかの影響があってもおかしくはない。

 それに──自分と同じく転移してきた、プレイヤーが関わっている可能性もある。

 

「そこで、アインズ殿にお願いがあるのですが……」

 

 神妙な面持ちで身を乗り出してくる村長に、思わず後退しそうになる。

 

「お願い、とは?」

 

「カルネ村は御覧の通り小さな村ですので、それぞれが助け合って生きています。なので、一つの家が傾くと村全体が傾いていくのです」

 

「つまり?」

 

 煮え切らない態度の村長にやきもきとしつつも、アインズは静かに答えを促す。

 

「先の件の影響で、村では外に出ることが叶いません。村唯一の薬師であるエモット家も、薬草採取に行けず困っております」

 

 エモット、という単語を耳聡く聞いたアインズは、したり顔を浮かべる。ついにその名前を聞き出してやったぞ、と。

 

「なるほど。つまりは薬草採取の護衛の依頼ということでしょうか?」

 

「は、はい。薬草というのは村にとって貴重なものでして」

 

「ええ、それはわかっております。実は私たちも、この地域の薬草には興味があるのですよ」

 

 隣をちらりとみやると、アルベドも主の意を理解したように頷いている。

 

「情報提供のお礼も兼ねて、その依頼、引き受けさせていただきます」

 

 

 

 その答えに満面の笑みを浮かべてはしゃぐ村長を見て全く罪悪感が浮かばないことに、アインズは自分が人間ではないことを少し実感させられた。

 

 

 





 このまとめきれなかった感の借りはいずれ返すぞッ!

 また作中で事件が起きた直後なのに村長がアインズ様たちを平然と受け入れてますが、あくまで村長たちはモンスターの仕業だと思っているということで……。




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持つ者、持たざる者

 王国って凄いよね、中まで絶望たっぷりだ。




 

 

 エンリ・エモットは困惑していた。

 

 

 妹のネムと共に薬草を磨り潰していたのが数十分前。ポカポカと暖かい季節になってきたのを肌で感じながら、確かに家族との幸せな日常を過ごしていたはずだ。

 しかし、数分前に現れた()()()に、それは奪われてしまった。

 突然の訪問に驚きしばらくは動けないままでいたエンリも、そのまま対応しないでいるわけにもいかず、急いでテーブル上のすり鉢を片付けると目を白黒とさせているネムを寝室へと押し込んだ。ドアを閉める間際にやたらと「凄い」を連呼していたが、何がそんなに気に入ったのだろう。

 そうしてようやく家へと招き入れて現在に至るわけだが──。

 当のお客様はというと、慌てて注いだヒュエリ水に手をつける気配もなく、何が珍しいのか家の中をじろじろと見回している。訪問時まで一緒に居た村長からは旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと紹介されたが、何か異国情緒の琴線に触れるものがあったのだろうか。

 思いがけずじろじろと視線で舐めまわしていたのを、視線の横に座していたもう一人のお客様に見咎められ、エンリは肩を竦めた。

 

「それで、えーと……」

 

「ああ、これは申し訳ない。アインズ、アインズ・ウール・ゴウンだ。アインズと呼んでくれて構わない」

 

「うぇっ!?」

 

「……?」

 

 まさか初対面の男性に名前で呼べと言われるとは思ってもいなかった。

 これが人生経験豊富な人物であるならば「異国では名前の法則が違うのかな」などと思い浮かぶのかもしれないが、そこはただの村娘でしかないエンリである。

 漆黒の戦士から発せられる理不尽な怒気に気付く余裕もなく、頬を染めてはわたわたと顔の前で手を振っている。

 

(一体どうしたというのだ……? もしやアインズ・ウール・ゴウンという名前に憶えが? いや、だとしてもなぜ顔が赤くなる? 村長に名乗ったときの反応は別段おかしくなかったし、浮くような名前ではないはずだが……)

 

 そんなエンリの心境など知らず、アインズはアインズで様々な憶測を飛び交わせていた。尤もその中に正解は一つもないのだが。

 

「……アインズ様は慈悲深き御方のため、一介の村娘風情であろうとその御尊名をお呼びすることを許可されております。変な思い違いはなさらぬように」

 

「ふぇっ!? あ、ああっ!? こ、これは失礼致しました! でっ、ではアインズ様とお呼びさせていただきますっ」

 

 アルベドの言でようやく自らの勘違いに気付いたのか、エンリはスカートの腰かけ辺りをぎゅっと掴むと恥ずかしそうに頭を下げた。自分の家なのにも関わらず、なぜか針のむしろである。

 アインズもそこでようやく得心が行ったのか、何度か頷くと家の主人を落ち着かせるように声をかけた。

 

「いや、こちらこそすまない。初対面の女性に名前呼びさせるとは、混乱させてしまったかな」

 

「い、いえ。こちらこそ勝手な勘違いをしてしまい……」

 

「ははは。ならお互い様ということにしようじゃないか」

 

 なおも立ち上がって頭を下げようとするエンリにアインズは朗らかに笑いかけると、ようやく落ち着いてきたのか腰を下してくれた。

 

 ──優しい人だ。

 

 入室時とは打って変わった目の前に人物に対する自らの感情に、エンリは少し戸惑っていた。

 エンリはアインズが家を訪れた当初、貴族や王族といった高貴な身分の人物だと仮定していた。辺鄙な小村にそういった身分の方が訪れることは少ないが、聞いたことはある。高貴な身分の者には好事家が多く、気に入った村娘を見つけては自らの手元に連れていくと。

 もちろん、目の前に居られる方も貴族──いや、異国の王族に連なる方なのだろうが、どうやら話に聞くような下種ではない。それどころか改めて御姿を拝見すれば、お伽噺に聞く大英雄のような高潔さと神々しささえ感じる。へんてこな仮面も、自分のような庶民が臆せずにいられるよう、その御威光を和らげるための物なのだと、今なら理解できる。

 突然、胸中にちくりとした痛みが走るが、エンリはそれを気にもしない──それが例え、自らが新たなクラスを手に入れたことだとしても。

 既に主従関係が出来上がっているような様にアルベドは面白くない表情を浮かべるが、もちろんそれは漆黒の鎧兜(フルフェイス)に隠されている。

 

「おお、そうだ。供の紹介が遅れたな。隣にいるのはアルベド、私の信頼出来る者の一人だ」

 

 信頼出来る者、といったあたりで小さく「くふーっ」と奇声が聞こえたが、アインズはそれを切り捨てるとアルベドに手で自己紹介の続きを促した。

 アルベドは何度か小さな咳払いをして声を整えると、

 

()()()()()()()()()()()に仕える従者が一人、アルベドと申します。以後お見知りおきを」

 

 その言葉にアインズは少し違和感を覚えるが、どうにも正体が掴めない。

 

(特に気にすることでもない、か。それよりも……)

 

 何故か不機嫌そうなアルベドに対して「綺麗な声ですね」などと見当違いの世辞を振りまくのに必死なエンリを見て、アインズは今後の交渉の難航さを想像し、深いため息を吐いた。

 

 

 エンリからの話は、概ね村長宅で聞いたものと変わりなかった。

 仕立屋の次男坊が隣村に行ったっきり帰ってきていない。そのためカルネ村では暫くの間、トブの大森林への薬草採取など遠くへ行くことを禁ずることになった。それによって主に薬草採取を生業としているエモット家は困っている。単純な話ではあるが、それぞれが日々の生活を送るのに必死な小村にとって、これは手痛い事情だろう。

 

「そこで、私たちに白羽の矢が立ったわけだ」

 

「そのようです……普通は冒険者などに依頼するのでしょうが、御覧の通り村の財政は厳しいものでして」

 

「冒険者?」

 

「は、はい。エ・ランテルや王都などの大都市には冒険者組合というものがあり、お金さえ払えばそこに所属する冒険者に旅の警護やモンスターの討伐などを依頼できるんです」

 

「ほう」

 

 冒険者と聞いて一瞬ユグドラシルのような夢のある冒険生活を想像したが、どうやら違ったらしい。あまりにも夢がない。冒険者というよりは傭兵といったほうが正しいだろう。

 

(ん? 傭兵? そういえば、ここは国境付近の村だというのに、何も防衛能力がないのか?)

 

 カルネ村が位置するのは、隣国であるバハルス帝国の領土からは程近い場所である。鈴木悟の居た世界の常識からすれば、国境付近には何かしらの検閲所や防衛施設があるのは当たり前のことだ。村長から聞いた話では、王都から村に来るのは徴税吏くらいだという。

 近くで一番の都市は『城塞都市』と評されるエ・ランテル。つまり、王国からすれば領土を侵す者が来たとしてもエ・ランテルで()()()()いいということだろう。

 

 エ・ランテルよりも向こうにあるものは、王国領であって王国領ではない。

 

 言外にそう叩き付ける事実は、王国の実情をよく現していた。

 

(思っていた以上に、王国は()()がない国なのかもしれないな)

 

 アインズは心の中で王国に対する警戒レベルを少し下げると、エンリへと向き直った。

 

「私たちも流れの冒険者のように思ってもらって構わない。組合を通さない分安く済むし、何より初回は情報提供の礼も兼ねてサービスだ」

 

 もちろん実力も保証するぞ、と軽快に笑うアインズを見てエンリはホッと一息吐く。

 

(まあ本当は、実験も兼ねてなんだがな)

 

 この世界での自分、そしてナザリック勢の実力、それを把握しておきたい。エンリや村長の反応を見るにそこそこの強者としては見られるようだが、所詮は小村に住む者、広い世界は知らないだろう。

 アインズたちが今回の依頼を受ける意味は三つほどあった。一つは、自らの実力の把握。一つは、エンリに接触しこの世界の医療体系を学ぶ。そして最後の一つは──

 

(──セバスと約束した以上、人助けを拒むわけにもいくまい)

 

 どこまでも優しく、()()()超越者(オーバーロード)の姿が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 エモット家での話し合いも無事終わり、トブの大森林への薬草採取の警護を受けることになったアインズ一行は、その旨を伝えに村長宅前へと戻ってきていた。

 依頼受諾の件を聞いた村長はその農作業で鍛えられた両手でアインズのガントレットをがっちりと掴むと、何度も「ありがとうございます、ありがとうございます!」としわがれた声で感謝の言葉を繰り返した。

 仕事があると申し訳なさそうに言う村長を、アインズは何か遠いものを見るようにして送った。

 

(優しい村なのだな、ここは)

 

 国からの庇護も援助も、何もない場所。そこから仲間たちと共に村を興し、発展させていく。時には笑い、時には泣き、時には言い合ったのだろう。村長からの感謝の言葉には、暖かみのある村の歴史が感じられるようだった。

 鈴木悟の生活していた世界では、この暖かみはなかった。それをユグドラシルに見出し、現実(リアル)の生活もそこそこにハマっていった自分。だが、その暖かい世界(ユグドラシル)からさえも、遂には追放されてしまった。

 

(ならば、俺には──)

 

 

「──アインズ様。どうかなさいましたか?」

 

 

 聖女のような声が、脳裏に響く。どこまでも自分を慈しんでくれているような、包み込んでくれているような、そんな声だ。

 

「……アルベド」

 

 ──そうだ。俺には、ナザリックがある。かつての仲間たち『アインズ・ウール・ゴウン』と共に創り上げたナザリックが。そして、その友たちがいた証であるNPCたちも。

 

(俺は、今俺がいるべき場所を守るんだ。そのためにやれることは、全部やってやる)

 

 力強く頷いていると、アルベドは小首を傾げて可愛らしく──実際は鎧兜のせいか恐ろしく──此方を見ている。

 

「……いや、すまなかったな。あまりにも力強い握手だったもので、な?」

 

 照れ隠しに茶化すように先ほどまで掴まれていた右手をひらひらと振る。

 瞬間、アルベドの怒気が膨れ上がると共に一〇〇レベルのアインズの目にすらも止まらぬ速度で駆け寄ってくる。アルベドはそのまま右手を自らの両手で優しく包み込むと、なぜか頬ずり──実際は鎧兜なのだが──を始めた。

 

「アインズ様っ!! こちらでしょうか!? こちらの御手が傷ついたのでしょうかっ!? ご命令下されば今すぐにでもあの者を始末して参りますっ!! いえ、ご命令なくとも──」

 

「よ、よいっ! 落ち着くのだアルベド!」

 

(というより早く手を放してくれ痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイっ!!)

 

 一〇〇レベルである戦士アルベドの高速頬ずり(鎧兜装着Ver)は思いの他威力があり、今もなおアインズの精神力と生命力を削っている。

 

「こ、これは失礼致しました。し、しかしアインズ様。至高なる御身に傷をつけたとなれば極刑は免れません!」

 

 それお前もじゃん、などとはもちろん口に出来ない。掴まれていた右手をガントレット越しに優しく擦ると、効果はないのだろうがふぅっと息を吹きかける。

 

「先ほども言ったが、よいのだアルベド。むしろ私は嬉しかった。彼の者は、私のお前たちに対する想いをより強くしてくれたのだからな」

 

「想い……」

 

「そうだ。思えば私は、寂しい人生を送ってきた。しかし、アインズ・ウール・ゴウンという仲間に出会い──そしてお前たちに出会えた。これは何にも代え難いことだろう。そのお前たちに対する愛、彼の者はそれを再認識させてくれた」

 

「愛……」

 

 この世界に、寂しい鈴木悟は、もういない。いるのはモモンガ、いや──アインズ・ウール・ゴウンだ。

 

(皆さんが戻ってきたときには、またモモンガに戻ります。戻りますから、そのときまでは、私が皆さんの分も、子供たちを愛します)

 

 よし新しい目標が出来たぞ、と子供のように張り切っていると、村の周りに配備していた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の一体から<伝言(メッセージ)>が飛んでくる。

 どうやら緊急時の連絡用に持たせておいたスクロールを使用したらしい。

 

『どうした、何か問題が発生したのか?』

 

『はい、モモンガ様。村に武装した集団が向かってきております。後一〇分ほどで到着するかと』

 

『なんだと!?』

 

(武装ということは軍人だろうか。それとも野盗などの集団か? くそっ。いずれにしても解決せねばなるまい)

 

 依頼を受けた以上、それは完遂せねばならない。ここで何もせずに逃げ出しては、アインズ・ウール・ゴウンを、かつての仲間たちを穢すことになる。

 

『お前はそのまま武装集団の人数・戦力などを観察・把握し、報告しろ。一時的に他の八肢刀の暗殺蟲の指揮権はお前に委ねる』

 

『承知致しました』

 

 <伝言(メッセージ)>が遮断されると同時に行動を開始する。もはや一刻の猶予もない。

 先ほどまで「愛」だの「想い」だの呟いて惚けていたアルベドも、主人の緊迫感が伝わったのか背筋を伸ばして直立している。

 

「緊急事態だ。これより村に向かってくる武装集団への対策を講じる」

 

「敵、でしょうか?」

 

「わからん。しかし武装している以上、油断はできまい」

 

 アインズは<伝言(メッセージ)>でセバスとデミウルゴスに緊急時の指示を出すと、両名からは焦りながらも承知の意が返ってきた。

 

 

 

「これよりカルネ村防衛戦を開始する!」

 

 

 

 




 カルネ村─エ・ランテル間の距離は原作よりも伸ばしています。
 次回は遂にVS顔に傷を持つ男。
 この物語のカルネ村は果たして一体いつ発展していくのか……。





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そして誰もいなくなった



 デスナイトさんに立ち向かう、なかなか出来ることじゃないよ。



 

 

 ロンデス・ディ・グランプは己が信仰する神に法国と人類の繁栄を願う、敬虔なる信徒だ──いや、敬虔なる信徒()()()

 

 

「糞が、糞が、糞がっ!!」

 

 偉大なる六大神が創造せし国──スレイン法国に生を享け、自分なりに信心を高めてきたつもりだった。人間に仇なす亜人種を駆逐するため兵士に志願し、常に人類の平和と繁栄を第一に考えてきたつもりだった。下種な作戦であろうと、上司がどれだけ屑であろうと、全ては人類のためと割り切ってきたつもりだった。今は御隠れになられた神も、そんな矮小な自分たちをどこかで支えてくれていると、信じていた。

 

 しかし、そうではなかった。

 

 ──神は存在しない。それがこの数十分間でロンデスが学習したことだった。

 今まで生きてきた中で、そういった戯言をさえずる不信心者は腐るほどいた。その度に「何を愚かなことを」と馬鹿にしてきたものだったが、まさか()()()()()()()()()()()を信じた自分の方が愚かだったとは。

 

「ヒヒィンッ!」

 

 先ほどまでの恐怖が忘れられないのか、未だに嘶く馬を力一杯手綱を引いて何とか黙らせる。身体からは玉の汗が噴き出しており、頭を激しく上下に揺らしていた。おそらくはもう体力の限界が近いのだろう。

 

(それでも走ってもらわなきゃ困るんだよ!)

 

 自らの馬に限界が近いことなどとっくに気付いている。だが、立ち止まり後ろを振り返る事など出来るはずがない。振り返ればすぐそこには──()()()()()が存在しているのかもしれないのだから。

 

「エリオン、デズン、モーレット……すまねえ……!!」

 

 村──いや、もはや村と呼ぶのも烏滸がましいかつての目的地に置いてきた仲間たちを思い浮かべて、ロンデスは一人、平野に馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 

『……ってことで、一応村を取り囲むようにして、四〇〇のシモベを配備していますっ。モモンガ様のご用命があればすぐにでも動かせますよ!』

 

『ははは。それは頼もしいな、アウラ。マーレも元気にしているか?』

 

『はいっ! ただお姉ちゃんばっかりモモンガ様とお話してズルいよ~、なんて言ってます』

 

『ふふっ。ならばナザリックに帰還した際は二人ともたっぷりと可愛がらないとな』

 

『っ! 楽しみにしています!」

 

 では背中は任せたぞ、と締めるとアインズは<伝言(メッセージ)>を切断した。隣にいたアルベドは何やら剣呑な雰囲気を漂わせている。そのオーラは言外に「もちろん私も可愛がって下さいますよね?」と匂わせていたが、努めて無視した。

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)からの第一報後、アインズはデミウルゴスとセバスに指示を出し、カルネ村の周辺にシモベと指揮官を配備させた。いささか頼んでおいたよりも数が多く、高レベルな者ばかりだったのが少々悩みどころだったが、自分を心配する部下の配慮をどうにか言うほど、狭量ではないつもりだ──指揮官にマーレとアウラを置いたと聞いたときには、さすがに少し腰を抜かしたが。

 

 指示を出した後、現在アインズとアルベドの両名は村の中央広場で武装集団を待ち構えていた。既に村人には事情を説明し、村長宅周辺の家々に篭ってもらっている。念のため侵入者対策として<生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)>を、飛び道具対策として<矢守りの障壁(ウォールオブプロテクションフロムアローズ)>を展開してきたが、報告に受けた相手の力量を考えると過剰な防備であったかもしれない。

 

(いや、油断するよりはいいはずだ)

 

 現状相手の装備や練度の質は低いと思われるが、かつて主戦場だったユグドラシルでは相手をいかにして欺くかが勝負の決め手となった。外装自体は陳腐に見えても中身は高性能だったり、会敵と同時に装備を変更してくる可能性もある。

 ロールプレイに重点を置いたスキル・クラス構成のアインズは、ユグドラシルプレイヤーの中で決して絶対の強者ではなかった。それでいながらPvPにおいて好成績を残せていたのは、相手を徹底的に分析しそれに対応してきたからこそだ。

 

(戦闘は始める前に終わっている。そうですよね、()()()()()()さん)

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の諸葛孔明と呼ばれ、様々な戦術を編み出し授けてくれたかつての仲間。ギルドの中でもやたらと自分を持ち上げてくれた名軍師に応えるためにも、ここで負けるわけにはいかない。

 

「……ではアルベド、後は任せたぞ。いいか? 決して、決して油断するなよ?」

 

 アインズの考えた作戦は至ってシンプルだ。ナザリック最硬の戦士であるアルベドが会敵し、実際に刃を交える。不可視化状態の自分が相手の力量を見極め、強大であると判断すれば秘密兵器(とっておき)を、弱者だと判断すれば捕縛する手はずになっている。万が一不可視化が見破られた場合は撤退も視野にいれなければならないが、八肢刀の暗殺蟲の偵察にも気付かなかったのだ。不可視化対策はないと思っていいだろう。

 

「承知しております、アインズ様。ご存知の通り、私には()()()()がありますので」

 

「それでも、だ。私もお前の守りを破れる者などいないと信じているが、ここは未知の世界。何が起こるかわからんからな」

 

「御忠言、肝に銘じます。しかし、アインズ様。私の鉄壁の守りを破れるモノを、ただ一つ知っております。」

 

「ほう? それは興味深いな。何だ?」

 

「はい。それは愛しいアインズ様の──」

 

 真面目に聞いた俺が馬鹿だった。アインズはアルベドの言葉を最後まで耳にすることなく自らを完全不可視化する。そのまま拗ねた表情の女淫魔(サキュバス)の背後に陣取ると、小さくため息を吐いた。

 

(しかしアルベドの奇行は、やっぱり俺のせいだよな……参ったなぁ。なんでその場のノリであんなこと書いちゃったんだよ俺の馬鹿っ馬鹿っ馬鹿っ!)

 

 ユグドラシルサービス終了日のことを思い浮かべて、自己嫌悪に陥る。ビッチと一人を愛する淑女、どっちが良いかは言うべくもないが、それにしたってこれは極端すぎる。

 これもそれも全部糞運営のせいだ、と八つ当たり気味に零していると、馬の蹄が土を踏み鳴らす音が聞こえてくる。どうやら、ようやく敵が到着したようだった。

 

 

 

 五〇人ほどの部隊だろうか。防具は一様に全身鎧で揃えられており、頭部までがっちりと面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を装着している。胸元にはどこかの国の紋章だろうか、所属を表しているのだろう意匠が施されていた。あまりにも騎士然とした集団であったが、隊の練度は低いのか足並みは揃っておらず、雪崩れ込むようにして村の内部へと馬を走らせてきている。これでは騎士というよりは兵士や傭兵に近い。

 その雪崩の中心から一人がずいっと身体を出すと、広場の中心に構え立つアルベドへと厳しい視線を向ける。その怪しい佇まいに、男の手は今にも腰のロングソードに掛かりそうになっている。 

 

「おい、貴様。村人はどこへいったのだ!」

 

「……」

 

 他の者よりも少し小奇麗な装具を身に着けているあたり、おそらくは隊長格の者なのだろう。男は集団を代表するように詰問し、アルベドはそれに無言で返す。何度か同じようなやり取りが繰り返されるが、アルベドは全く反応しようとしない。代わりに返ってくる声といえば村で飼っている家畜の鳴き声くらいなもので、いい加減にしろと言わんばかりに隊長格の男の顔は赤くなっていく。

 

(作戦通りではあるんだけど、見ていて居た堪れないなぁ)

 

 今回の作戦において、アインズは相手に初手を取らせるよう指示していた。相手の力量がどうであれ、勇んで此方の実力を見せる必要もない。あくまで相手に対応する形で進行していく、そういったプランだ。

 アルベドの行動(シカト)もそのプランに基づいたものではあるのだが、アインズから見れば成人した男性が妙齢の女性──兵士から見れば性別不明なのだが──に無視され続ける悲しい絵面だ。

 

「チッ……いい度胸だ。おい、お前! 奴を切り伏せてこい!」

 

 膠着した状況が五分ほど続いただろうか、男は声を荒げると隣に居た部下らしき人物に指示を出した。

 

「し、しかしベリュース隊長。目標は非常に頑強な鎧を着ているかと思います。それこそ歴戦の冒険者なのでは……?」

 

 隊長に指名された男──リリクは、目の前にそびえ立つ敵が自分の手に負えるものではない言わんばかりに首を振った。追随するようにして、後ろの兵士たちも声をあげる。あれは不味い、と。御考え直しください、と。

 兵士たちの言い分は尤もなものだ。一流の冒険者というのは、一流の装備を身に着ける。勿論極稀に貴族の()()()()が見目麗しい装備をしていることもあるが、眼前に見える敵はその類ではない。

 

 ──あれは、手を出してはならない領域の()()だ。

 

 初歩程度であろうとも、戦士として手ほどきを受けたものにしかわからない、言いしれぬ圧迫感。放たれている雰囲気は、御伽噺に聞く英雄を彷彿とさせた。

 

 

(何をそんなに手間取っているんだ? 魔法を唱えている様子もないし……)

 

 アインズはいつまで経っても攻め込んでこない敵に、やきもきとさせられていた。様々な状況を考えてはいたが、この状況は全くの想定外だ。

 相手は五〇人を超えようかという部隊。かたや此方は戦士職一人──実際には四〇〇を超える兵が控えているが──どうみても目に見えて有利なのは向こうだ。

 自分たちよりも強者であれば、迷いなく初手を切り込んでくることだろう。同程度の実力であれば、何かしらの妨害魔法(デバフ)補助魔法(バフ)を詠唱していることだろう。弱者であるのだとすれば、速やかに撤退しているはずだ。

 だが、眼前の敵は何やら口論を始めたまま動こうとしない。想定していたどの状況にも当てはまらないものだ。

 

(つまり彼らにはこの村で何か為さないといけない事情があるのか?)

 

 となれば、より上位の指揮系統があるということだろう。

 そう匂わせる存在に警戒心を抱くが、現状の警戒レベルは下げてもいいはずだ。

 

(はあ。なんだかちょっと気が抜けちゃったな)

 

 ため息とともに前を見れば、未だ言い争っている敵の姿。ここがまともな戦場ならば既に全員の首は刎ねられているだろう。

 敵地において図々しく内輪喧嘩始められる肝の太さは大したものだが、どうにも肩透かし感は拭えない。

 

(このままだったらどうしよう……)

 

 隣で不動のままのアルベドを不憫そうに見やる。本来であればもっと早い段階で衝突が起こるはずだったのだ。

 アインズは自らの不手際で苦行を強いてしまった部下を不憫に思い、反省する──尤も苦行を強いられているアルベド自身は、アインズとの睦言を妄想し楽しんでいるのだが。

 

 

「ええいっ。何をまごついておるのだ! 貸せっ!」

 

 そんなアインズの悩みを打破するように、ベリュースが声を荒げる。その勢いのまま隣に立つリリクの腰から剣を引き抜くと、大きく振りかぶって投擲した。目標は勿論、眼前に直立する漆黒の戦士だ。

 放たれたロングソードは最初こそ勢いがあったものの、放った人間の筋力不足か空中でヨロヨロと迷子になっていた。そのまま地面にでも着陸してしまいそうだ。

 しかしその心配は、目標自身が凶器を受け入れるように前へ踏み出したことで解消される。鈍い光を放つ剣先がこつんと力なくアルベドの鎧に触れた──と思った瞬間。

 

 緑の病んだような色が、空を切り裂いた。

 

「……はっ?」

 

 間の抜けた言葉を最期に、ベリュースはその生涯を終えた。生まれの国ではある程度の財と力を持ち、今回の任務に参加したのも自らの見栄からくるものだった。

 俺は金だけの男じゃない、俺は臆病者なんかじゃない、俺は、俺は、俺は──綺麗に切り離された頭部は、今もなおをうわ言のように何かを呟いている。くるくると宙を回る様はまるで皿回しの皿のようだ。指令部を失った胴体は手を振り足を振り、へべれけに酔ったように踊っている。やがて頭部が緩やかに着地し鈍い音を立てると、糸が切れた人形のように胴体も崩れ落ちた。

 

 その様を見ていた反応はまさに三者三様だ。

 

 ほう、と感嘆を漏らす偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)。目の前で起こった凄惨な事件の加害者ではあるものの、相も変わらず無言を貫く漆黒の戦士。そして現状を理解できず、沈黙を()()()()()()()兵士たち。

 

 兵士たちは考える。目の前の戦士が何かやったことは間違いない。間違いないが、方法が見当たらない。あの一瞬、魔法を唱える時間すらなかったはずだ。

 僅かな情報でも探ろうと視線を向けると、そこにはどす黒い緑の残光が残るばかりで、漆黒の戦士は相変わらず直立の姿勢を崩していない。

 

「……あり、ありえない……」

 

 その場にいた兵士全員の思いを代弁した言葉が、どこからか零れ落ちた。信じたくない。目の前の光景はあり得ない。人間の出来ることではない。様々な思いが、悲壮感が、諦念が凝縮された言葉だった。

 

 

「……これ以上の計測は無意味か」

 

 

 虚空からの声。ごく普通の声だ。街中で聞こえてくることもあるだろう声色。普段なら気にかけることもなく、聞き流しているだろう。

 実際、兵士たちの大部分も危うく聞き間違いかと思うところであった。いや、聞き間違いだと思いたかったのだ。

 

 しかし、目の前の戦士がそれを許してはくれない。

 

「御推察の通りかと、アインズ様」

 

 漆黒の戦士の、その暗い見た目にそぐわないほど美しい声に呼応して、()()は現れた。

 

 陽に照らされ眩い光を放つ銀色のガントレット。その光を全て吸い取るように漆黒に染められ、所々に金の刺繍が施されたローブ。そして身に着けた装いの全てに不釣り合いな、珍妙な仮面。

 

 平和で牧歌的な、どこの国にもあるような小村。その日常は今、破壊されたのだ。

 

 自らに害なす者を裁くために、死の支配者(オーバーロード)が顕現する。

 

 

「君たちには非常にガッカリさせられた。不謹慎ではあるが、私はこの戦闘に少なからず好奇心を持って臨んでいたのだ。それが蓋を開けてみれば、散々仲間内で口論した挙句、子供も殺せぬような投擲一回で戦意喪失? 笑わせないでほしい」

 

「あ、あな、あなた様は……?」

 

 絞り出すようにして、リリクの隣に立つ青年──ロンデスが声を発する。

 

「私か? 私の名はアインズ・ウール・ゴウン。先ほど君たちと手合わせしたのは従者のアルベドというものだ。その節は世話になった」

 

 まったく思っていなさそうな声色で、支配者は応える。むしろ躾のなっていない駄犬の世話をしてやったぞ、と言わんばかりの佇まいだ。

 態度はともかく丁寧な言葉遣いで接してくる圧倒的上位者を前に、兵士たちは動揺を隠せない。目の前にいる存在は、どこからやってきたのか。どうして自分たちに対話を求めてくるのか。何が目的なのか。

 その疑問に答えが出ることはない。なぜならこれは、兵士たちにとって未知の体験でしかないのだ。

 

「なに、そう困惑することはない。先ほど私はガッカリしたと言ったが、あくまでそれは初手にとった対応の杜撰さを指したものだ。今後の君たちの対応次第では、評価を改めることも考えているよ」

 

 まるで子供に話すように努めて優しく振る舞われた声は、相変わらずの態度の者からと言えど少し安心感をもたらしてくれた。内容も兵士たちから見れば活路のあるものだ──それが自らを死へと誘うものであったとしても。

 

「で、ではあなた様はどういった行動をお望みなのでしょうか?」

 

「ふむ……」

 

 ロンデスから発せられた疑問に、アインズは一度間を置くと、まるで最初から用意してあったかのように滑らかに言葉を切り出した。

 

「私からの主な要求は二つだ。まず一つは実験を行うに際して、そこに放置されている死体を譲ってもらいたい」

 

 それ、と指さされた先にあるのはベリュースの亡骸だ。今もなお赤黒い液体を流し続け、池をつくっている。

 一瞬兵士たちの脳裏を「実験とは?」という疑問が駆け抜けるが、一様に慌ててそれを奥へと押し込める。それぞれが周りにいる者と顔を見合わせると、頷くことで上位者に肯定の意を返した。

 

「受け入れてもらえて何よりだ。では次の要求なのだが……」

 

 ロンデスは固唾を飲んで言葉の続きを待ちわびる。神よ、敬虔なる信徒である自分たちに慈悲を、と。願わくば目の前に居座る絶対的な死を浄化し給え、と。

 

「ここに、『情報』という餌に飢えた獣がいるとしよう。獣はとても凶暴で、一度暴れ始めると治まりそうにない」

 

 まるで他人事のような例え話。しかしそれが指し示す()()を、誰もが理解していた。

 

 そしてついに、死の宣告が下る。

 

 

「──さて、諸君らは一体どのような『餌』を私に与えてくれるのかな?」

 

 

 ロンデス・ディ・グランプは胸の内で声を大にして叫んだ。

 

 

 ──神など存在するものか、と。存在してなるものか、と。

 

 

 

 






 ニグン=サン登場せず。次回こそは必ず……必ず……。
 次々回あたりでようやく内政に取り掛かることが出来そうです。
 村一つ手に入れるのにこの苦労異形種ってつらい。





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民にすべてを

 安心してください、生きてますよ。




 

 

 リ・エスティーゼ王国、王国戦士長。

 

 その肩書は、並大抵の実力で名乗れるものではない。才能に恵まれ、研鑽に研鑽を重ね、尚且つ降ってきた機会(チャンス)を掴み取る握力が必要だ。

 その点、今代の王国戦士長──ガゼフ・ストロノーフは、そのすべてに優れているといえた。

 生まれは貧しい村の農民として。しかし類まれなる剣の才を有し、運よくそれを磨く環境を得ることも出来た。

 畑仕事をするよりも剣を振ることのほうが好むところではあったし、何よりも自分が強くなることで周りの環境が変わっていくことは、素直に喜ぶことであった。

 

 そして数年前に王都で開催された御前試合。

 数多くの才能ある剣客たちと刃を交え、武を競い合った。

 

 決勝で闘った相手は未だ忘れることが出来ない。

 手に持った長剣が擬人化したかと錯覚するほどの、研ぎ澄まされた使い手だった。

 今思い返しても、自分はどうやって奴との闘いに勝利したのだろうか。

 

(──ブレイン、ブレイン・アングラウス。あいつは元気だろうか……)

 

 思わず過去に浸っていると、部下の一人に声をかけられる。

 

「戦士長! 先に襲撃を受けた村の者たちから得た情報ですと、もうすぐカルネ村に着くかと」

 

「そうか。無事だと良いのだが……」

 

 エ・ランテル近郊の村を焼き討ちしてまわる集団がいるとの報告を王都で受け、王の勅命によりこれを調査しに来てから既に二週間ほど経つ。

 貴族たちの動きから見てかなりキナ臭い事件ではあったが、実際に王国の民が死んでいる。ならば動かないわけにもいくまいと不利な状況をおして行動を始めたのはいいが、どうにも後手に回ってしまっている。 

 

 昨日訪れた村は既に襲撃を受けた後だった。家屋は焼かれ、畑は荒らされ、働き手となる男や若い女は殺されていた。中には小さな子供や赤子と思われる焼死体などもあり、その状況は惨いの一言に尽きた。残されたのは僅か数人の老いた村人だけだ。

 村にやってきたガゼフたちに恨み言を連ねる老婆の姿が思い返される。しわがれた声で叫ぶ言葉は、とても助けに来た者たちに放つものではなく、しかしガゼフたちにとって言われて当然だと思う言葉でもあった。

 

 

 ────なんでもっとはやく来てくれなかった。私たちは見殺しにされたのか。

 

 

(そんなはずはない! 王国は、王は常に民のことを考えている)

 

 しかし、そう言い返すことは出来なかった。()()()()()()()()()()

 思わず力が入ってしまった拳を解くと、ガゼフは自らが指揮する戦士団へと指示を出す。

 

「これよりカルネ村へと進行する! 昨日の状況からいって目的地は既に敵の襲撃を受けている可能性もある! 十分に注意せよ!」

 

 呼応して了解の意が返される。

 戦士たちの装備などは皆統一性のないものだが、その練度と士気は並大抵の軍でも維持できないほど高いものだ。

 

(これ以上死なせるわけにはいかん。王国のためにも、そこに生きる民のためにも!)

 

 王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。

 まっすぐに生きる男は、ただひたすらまっすぐにカルネ村へと馬を走らせ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──以上が、現状わかっていることです」

 

 カルネ村の村長宅。

 とても広いとは言えない一室には、村の主要な人物が勢揃いしている。中には唯一の余所者として、アインズの姿もあった。傍にアルベドの姿は見られない。

 集まった面々の表情は一様に難しいもので統一されており、唸り声とも呻き声とも違う、何とも言えない声がそこら中から聞こえてくる。

 

 カルネ村は現在、村に降りかかる未曽有の災厄に向けて迅速な対応を強いられていた。

 アインズから『襲撃者はスレイン法国の者』と知らされた村長たちは急いで寄合を開いたは良いものの、どうにもいい案が浮かばない。

 村で一番の知恵者と知られるエモット夫妻ですら、未だ経験したことがない問題に対して手を焼いていた。

 

「はぁ……それにしても何でスレイン法国がこんな小村なんかを……」

 

 鍛冶師のモルガーがその大きな体に見合った深いため息を吐く。

 集まった一同もその言葉に深く頷いている。今回の襲撃はどうにもおかしい。理由がわからない。浮かぶ疑問符は、皆に共通しているものだった。

 アインズから襲撃者の素性こそ知らされたカルネ村の面々だが、襲撃の理由というのは一切わかっていない。というのも、兵士たちを尋問したアインズすらその情報を得られなかったからだ。

 

「アインズ殿。やはり捕らえた兵士たちからは、もう何も聞き出すことは出来ないのでしょうか?」

 

 無理と知りつつも村長がアインズに問う。繰り返された質問だ。答えはわかっている。ただ、聞かずにはいられなかった。

 アインズは何度目の質問かと多少呆れるが、気持ちは理解出来る。何せ村の一大事だ。

 

「……残念ですが、可能性は低いでしょう。先ほども言った通り、恐らく兵士たちは何かしら情報隠蔽系の魔法を付与されていたと推測します」

 

 静かに応えるアインズに、村長含め村人たちが顔を顰める。

 しかし、文句を言いたいのはアインズも同じだ。

 兵士からの情報奪取。それは自身も優先していた事。それが不可能になったと時の喪失感と言ったら、アンデッド特有の精神抑制作用がなければ膝をついていたかもしれないほどだ。

 

(ちくしょう。なんだよ、なんなんだよあの魔法は。ユグドラシルにはあんな魔法なかったはずだぞっ)

 

 遡ること一時間前。

 隊長を殺されたことで完全に戦意を失った兵士たちは、我先にとアインズへ情報を話し始めた。それこそ自らの家族構成から、出身国や街の名前、国の成り立ちなど様々だ。

 中には興味深いものもあったが、このままでは収集がつかないと判断したアインズは一人の兵士を指名していくつかの質問を投げかけた。

 どこから来たのか、別動部隊はいるのか、目的は何なのか──ナザリックとして聞きたいことではなく、現状知りたいことを優先しての質問だ。

 

 すると初めのうちこそ滑らかな話しぶりで祖国を自慢していた兵士だったが、段々とその顔は青ざめていき、終いにはふらっと倒れるとそのまま息を引き取った。

 この事態にはさすがのアインズも困惑し、兵士たちに説明を要求したが、兵士たちにとってもそれは未知の現象だった。

 

『これはあなたがやったことではないのか?』

 

 突然の仲間の死。目の前には悪役(ヒール)の似合う魔法詠唱者(マジック・キャスター)。兵士たちがそう思ったのも当然のことだろう。

 暴れだす者、逃げ出す者、斬りかかってくる者──混乱した兵士たちの行動は様々だったが、周りに配置させていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)に捕縛させ何とか事なきを得た。

 

 捕縛した兵士たちは現在アルベド監視の下、村長から指定された倉庫に押し込んではいるが、もはや何の役にも立たないだろう。

 

(しかしそうなるといよいよ手詰まりだよなぁ。スレイン法国はこの世界だと相当強い力を持ってるって話だし、カルネ村的にはやっぱり敵に回すのは不味かったかなぁ)

 

 ユグドラシルにはない未知の魔法を使い、周辺の国家からも強国と噂されるスレイン法国。

 反射的に隊長を殺してしまった──実行犯はアルベドだが──のは、さすがに不味かっただろうか。

 

 思わず周りの村人同様唸り声をあげそうになったところで、脳裏に何か回路のようなものが拓かれる感覚を覚える。おそらく、村の周りの索敵を命じていた守護者達による<伝言(メッセージ)>だ。

 アインズは不審に思われないように一度席を外すと、村長宅の外で応答を開始した。

 

『どうした、マーレ。何か問題でも起きたか?』

 

 アインズにとってこれ以上問題など起きてほしくはない。現状抱えているものでサラリーマン鈴木悟の許容量は既に一杯一杯だ。

 しかし愛すべき守護者から告げられた言葉は、そんな()()()の希望を打ち砕くものだった。

 

 

『は、はいモモンガ様。げ、現在モモンガ様が滞在しておられる村を目指して、所属不明の小隊が二組進行中です』

 

 

 ただでさえ問題が山積みにも関わらず、そこに正体不明──おそらく敵──の小隊が二組。

 まるで初期ダンジョンの雑魚MOBのごとく沸く問題の数々に、遂にアインズは()()()()()()()()()()()

 

『……? も、モモンガ様? ぼ、ボク達はこれからどうすれば……?』

 

『──マーレ。その二個小隊の戦力を早急に把握し格下と判断出来次第、アウラ及び八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)と協力し捕縛せよ。抵抗があった場合もなるべく生かすことを厳命する』

 

『ふ、ふぇっ!? ほ、捕縛、ですか?』

 

『そうだ、捕縛だ。圧倒的武力を持って捕縛しろ。もう知らん。俺は何にも知らん』

 

『……? で、では必ずやモモンガ様のご期待に応えられるようがんばりますっ!』

 

『頼んだぞ』

 

 マーレとの<伝言(メッセージ)>が切断されると、アインズは先ほどよりもずっと軽くなった肩を軽快に回す。

 

 

 ────やっぱり人間、働きすぎるもんじゃないな。

 

 

 ブラック会社で生命をすり減らし働いていたギルメンの一人に尊敬の念を抱きながら、両手を空に掲げるアンデッドの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村長宅から程近い家屋。

 外からの明かりを一切通さないよう施された部屋には、<永続光(コンティニュアル・ライト)> の光だけが揺らめいている。

 どこか神秘的な光に照らされ部屋に浮かび上がるのは、何か鉱物が織り込まれたような縄で縛られている男二人。先ほどからどちらも恐ろしい形相で叫び声をあげている。

 

「信じてくれっ!! 私は本当にリ・エスティーゼ王国、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフだ!」

 

「信じてやってくれっ!! この男は本当に王国戦士長のガゼフ・ストロノーフなんだよ!」

 

 繰り返される自己紹介。

 大の男がひたすら自らの名前を叫ぶ姿はシュールな光景だが、男たちの顔は混じり気なしに真剣なものだ。

 しかし男たちの目の前に座る()()()はお気に召さないようで、大きなため息を吐いている。

 

「はぁ……いい加減まともなことを言ったらどうだ? 王国戦士長の地位にあるものが民に顔を知られてないとか……あり得ないだろ」

 

 相変わらずの態度で裁定者──アインズは無下なくあしらう。

 この問答も既に数十回目。いい加減にしないといくらアンデッド化して冷静なアインズも、声を荒げてしまいそうになる。

 先ほどは脅しの意味も込めて<絶望のオーラ・Ⅰ(恐怖)>を一瞬放ってみたが、少し怯むだけだった。実力は明らかに格下なはずなのに、見上げた根性だ。

 

(ったく、情報隠蔽系魔法のせいで尋問出来ないからって、こいつら俺をなめてるな)

 

 マーレたちに二個小隊を捕縛させた後、彼らはスレイン法国の兵士たち同様倉庫に放り込んだ。

 アインズとしてはそのまま纏めて転移門(ゲート)でナザリック送りにしてもよかったのだが、捕らえた者の中で二人、主張を激しくする者たちがいた。

 

 それが現在目の前でなお喚いている男たちだ。

 一人は王国の戦士長だと自称し、自らと部下の解放を求めた。

 王国内の事情に詳しくないアインズは一応村長に確認をとったが、噂は聞いたことあれど誰も姿を見たことがないという。

 アインズからしてみれば、そんな馬鹿な話があるかと言いたい。

 王国戦士長、それも隣国からすら英傑と恐れられる戦士が、自国の民に顔も知られていないというのはあまりにもお粗末な話だ。

 もし真実彼が王国戦士長だったとするならば、民のことなど考えてもいない薄情者なのだろう。

 

 アインズは自称王国戦士長の要求を却下すると、もう一人の男の話を聞いた。

 もう一人はスレイン法国に所属する特殊部隊の隊長だと名乗った。

 こちらはまだ信用出来る。実際カルネ村にはスレイン法国の兵士たちが襲ってきていたし、捕縛していた兵士たちが男を見るや『ルーイン隊長!』と叫んでいたという事実もある。

 しかし、ならばなぜルーインという男はこれほどまでに自称王国戦士長を庇うのか。

 どちらの言い分も事実なら、二人は敵国の将同士ということになる。

 そんな二人が共闘してまで成し遂げたい任務。

 

(……何か裏がありそうだな。まったく、どの世界でも国の上層部というのは腐っているものか)

 

 行方不明になった仕立屋の次男坊。カルネ村に襲撃をしかけたスレイン法国。そしてその傍には本来民を守るべき薄情者の王国戦士長──。

 

 アインズは謎は全て解けたとばかりに年季の入った椅子から立ち上がると、足早に出口へと向かっていく。

 

「ま、待ってくれ! 少しは話を聞いてくれ。私は王の勅命でここに──」

 

「──くどい。その話は聞き飽きた」

 

 そのまま扉を開け、外へと去っていく。

 去り際に<永続光(コンティニュアル・ライト)>は消されているため、部屋の中は黒一色だ。

 色も音も限りなく薄れた世界で、男二人の息遣いだけが辺りを支配していた。

 

「……ルーイン。お前はなぜ私を庇う?」

 

 自称王国戦士長が、先ほどよりもずっと静かな声で問いかける。心なしか、力のない声には優しい色が加わっていた。

 

「勘違いするなよ、ストロノーフ。あくまで私の任務は人類を守ること。そのためならば、誰であろうと利用するまでだ」

 

 ニグン・グリッド・ルーイン、スレイン法国六色聖典が一つ、陽光聖典隊長。

 彼に与えられた任務は二つ。一つは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの抹殺。そしてもう一つは、陽光聖典に所属してから、いやスレイン法国に生を授かってからの使命──人類の救済。

 

「先ほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)、私にはその実力を測ることは出来ないが、お前の反応を見るに強大な者なのだろう?」

 

「……私も全てわかったわけではないが、おそらくは十三英雄級の実力を持つ者だろう」

 

「なっ!? ……それほどの者なら尚更協力せざるをえまい」

 

「ああ。幸い、村に被害は出ていないようだった。人類に味方する者ならば、私たちの釈放もすぐ行われるはずだ」

 

「だがもし人類に仇なす者だった場合……」

 

 

 ────その時は命ある限り、戦おう。

 

 

 スレイン法国とリ・エスティーゼ王国。

 

 本来ならば敵同士。それも暗殺者とその対象者。

 

 結ばれるはずのなかった盟約が今、暗室にて締結される。

 

 

 

 

 




 ニグン=サン、登場するもこの扱い。
 本作のニグンは原作よりも少し信仰心の厚い人類の救済者となっています。
 ガゼフとのコンビをお楽しみいただけたら幸いです。

 後日談を挟んだ後物語はようやく第一章へと移ります。
 ようやく内政が出来る……今しばらくお待ちください。




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