真剣で私に振り向きなさい! (賢者神)
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01 武神の思い出


 もし、川神鉄心の若い頃に師匠がいたら?という前提です。







 

 

 

 ある所に少年と青年がいた。道場らしき場所で少年は倒れ、青年は涼しげな顔をしながら少年を見下ろす。自然体、リラックスしている様子の青年に対し、少年はボロボロで息を荒く繰り返していた。

 

 

「これで二千三百戦全勝。まだまだ甘いな」

 

「まだッ……まだ負けていない! もう一度だけお願いします!」

 

 

 青年の容姿は二十歳前後、多く見積もっても三十未満に見えるだろう。少年はまだ幼い子供だが、実年齢は十三歳と思春期真っ只中の少年であった。

 倒れる少年は必死に立ち上がろうとする。プルプルと震える腕を必死に動かしながら立ち上がろうとしている。そんな少年をただ見つめる青年。何をするのでもなく、ただ見る。必死に足掻く少年を無感情で見ている。

 必死に動かすも、力が抜けたのか、今度こそ動かなくなる少年。立ち上がれなかった事が悔しいのか、握り締められた拳が震えていた。ギリッと歯を食い縛る音が青年の耳に届く。

 

 

「――う。――くしょう。畜生。畜生畜生畜生」

 

「今日はここまでだ。相手ならいつでもしてやる……悔しいか?」

 

 

 震えながら確かに少年は肯定を表すようにコクリと頭を上下させる。その反応を見た青年は倒れる少年の傍に歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがむ。

 俯く少年の顔を両手で掴むと、自分の額にコツンと合わせる。汗だらけの少年の額は熱く、濡れていた。自分の額にも付くのも構わずに青年は間近にある少年の顔に向かって語りかける。

 

 

「悔しいか? ずっと俺に勝てない事が。 悔しいか? 今までの自信とプライドを尽く粉砕されて。 悔しいか? 自分が井の中の蛙だと知って」

 

 

 一言、一言。言葉を刻み付けるように少年にゆっくりと確実に言い聞かせる。その言葉に何を思ったか。少年の嗚咽が大きくなる。

 悔しい。悔しいと少年の身をその感情が襲う。青年と額を合わせているため、顔は隠せずにボロボロと涙を流すのを青年からははっきり見えている。

 それを見ても青年は叱る事はしない。泣くな。悔しいなら泣くんじゃないとは決して言わない。

 

 

「その感情は正しい。悔しいという思いがお前を更に強くしてくれる。更なる高みへと誘い、いつかは勝てない者を超えていくだろう」

 

「――そ、それがあなたでも、ですか?」

 

 

 その表情を少年は一生忘れないだろう。二千を越える手合わせの中、日常でも初めて見る表情だったから。

 

 

「――アホ言え。俺は誰にも負けないさ」

 

 

 子供のように純粋無垢。大人である青年が悪戯っぽく少年に笑いかけた。額を離し、指で少年の額を小突いた。不思議と痛みは無い。逆に暖かさを感じる動作であった。

 いつの間にか涙は止まっていた。青年の横顔の笑顔を少年は倒れたまま見つめていた。少年に背中を向け、道場の入口に向かう青年は少年に対して人差し指と中指を合わせた手を見せ、振る。それは『またな』というメッセージが込められていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「――ホッホッホ。また懐かしい夢を見たもんじゃ」

 

 

 老人、川神鉄心は嬉しそうに笑う。自慢の髭を撫でながら自分の弟子達の修練を優しい眼差しで見つめていた。

 せいっ。はあっ。と掛け声と道場の床を揺らす踏み込みの音を聞きながら昔に思いを馳せる鉄心。本当に懐かしいと思いながら今朝の夢を思い出す。

 あれはまだ老人である鉄心が幼い、武道家駆け出しだった頃。生まれながらにして武道家として最高の才能を持っていた鉄心は大人顔負けの実力で手合わせという手合わせを全て勝ち抜いた。

 ある日のこと。ふらりと迷い込んだ武道家らしき人間にも戦いを挑んだ。天狗になりかけていた当時の鉄心はその人間に完敗する。完膚なきまでにボロボロにやられた。

 それが後に川神鉄心自身が人生の師とあおぐ青年とのファーストコンタクトであった。

 

 

「ホッホ。まだワシも若かったもんじゃのぅ」

 

 

 朗らかに、けれど恥ずかしそうに笑う。天狗であった鉄心はその青年にまぐれだと何度も戦いを挑んだ。その数、万を行く。

 結果、全敗。手も足も出ないとはまさにこの事かと言える惨敗っぷりだった。放つ技は全て一見で見切られ、反撃を受ける。技術も青年の足元にも及ばない大きな差がそこにはあった。

 何度も何度も戦っていたからか、二人には奇妙な絆が結ばれる。放浪者と自称する青年の自由な時間を狙い、修行そっちのけで戦いを挑んで敗れる。戦いの最中に指南まで受ける始末であった。踏み込みが甘い、拳に力を入れすぎ。と的確な指示をしていた。

 回を重ねる度にいつしか鉄心は青年を認めていく。戦い方だけではなく、信念や志の話を聞かせてもらう事が多くなったのだ。

 

 

「総代! 終わりました!」

 

「よい。では各自、汗を流し食卓にて集合じゃ。朝食を取ろう」

 

 

 弟子の一人に朝の修練を終えた事を聞くと、鉄心はホッホッホと笑いながらその場から退出する。

 武の総本山、川神院。経験を積み、青年とよく語り合った場所。現在の世界最大と言われる武道家の憧れの門でもある建築物だ。

 川神院の中をゆっくりと歩いていく。ちゅんちゅんと小鳥のさえずりも聞こえ、鉄心の心を癒していく。

 そんな雰囲気をぶち壊す音が遠くから聞こえてくる。ズドドドドドと何かが駆ける音に鉄心は重い、重い溜め息を吐く。

 

 

「おいジジイ! 何で私が今日の朝食抜きなんだ!」

 

「自分でわからんかの。精神統一修行をサボりおったじゃろう」

 

「あんなジッとしているだけの事なんかできるか! まだ成長期の美少女を虐待する気かクソジジイ!」

 

「口が悪いの……何処で育て方を間違えたんじゃろう」

 

 

 鉄心に掴みかかる幼い少女。名を川神百代、川神鉄心の実の孫である。女の子らしい黒い長い髪の毛が吠える度に揺れ、真紅の眼が不満を訴えているようだった。

 年を重ねた鉄心に子が生まれ、孫もできた。小さい頃を覚えている身としては何とも幸せだと感じる瞬間であった。

 

 

「……仕方ない。釈迦堂さんに頼んで分けてもらう!」

 

「あやつがそうそう渡すわけなかろうが。一食抜いても人間は死にはせんよ」

 

 

 冷たい態度に百代は何を思ったか、鉄心の脛を八つ当たりのように蹴った。しかし、痛がるのは鉄心ではなく百代だった。ピョンピョンと足を抱えて飛び上がり、悶えていた。鍛え上げられた肉体は老いようとも健在である。

 

 

「ジジイのクソバカヤロー!」

 

「自業自得じゃろうて」

 

 

 痛がる百代を借りてきた子猫のように持ち上げると、鉄心は川神院の廊下をひたりひたりと歩く。鉄心自身が青年に出会った時よりも百代は幼い。今年で年齢が二桁に到達する頃だろうと鉄心は思う。

 ――自分もこうだったのだろうか。

 そう鉄心は思う。今の孫の百代のように好き勝手物を言っては青年を困らせていたのではないだろうか? と思う。今は青年はもういない。聞く機会が無いのが悔やまれるところであった。

 結論から言えば人生の師である青年はある日、突然姿を消した。何も言わず、何も告げず、何も残さず。当時は鉄心は彼の搜索に力を入れるほど依存していた節があったのだろう。

 

 

「――イ。ジジイ」

 

「ジジイと呼ぶなと言うとろうが。何か用かの?」

 

「また話を聞かせてくれよー。昔の大事な師匠って奴の事をさー」

 

 

 青年、師と思っていた彼の存在していた事実を伝えようと鉄心は時折、誰かに彼の事を話している。覚えている人間はもういない、共に生きていた時代で彼と会話をした事がある者は寿命で逝った。青年を直接知る者は鉄心のみ。

 現在の川神鉄心があるのは青年の存在が大きい。あらゆる事を青年に教わったのだから。

 鉄心は孫に語る。自分の人生の師がどんな人間で尊敬できる人間かを詳しく。食卓へ向かう途中、話している間に顔を思い出しながら当時を振り返っていた。

 もう会う事も無い、青年の事を思いながら。

 

 

 

 

 

 





 修正改訂 13/05/24






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02 少年少女


 大体こんな感じのノリでやります。







 

 

 

 

 

「しゃらっ! ツモった!」

 

 

 ぐあーっと悲痛な叫びが木霊する。黒髪黒目、生粋の日本人である少年がホクホク顔で手にある札の数を数えていた。フヒヒヒと気持ちの悪い声も同時に出しながら。目までもがドルのマークになっているのを見れば、守銭奴である事がわかりそうだ。

 

 

「畜生。喧嘩が弱い癖にギャンブルだけは強いよな」

 

「フヒヒ。運ですよ旦那……って遊びは終わりにして。ありがとうよ。また一ヶ月食い繋げられるぜ」

 

「ギャンブルで食費を稼ぐ学生なんかお前くらいだよクソガキ。持ってけ泥棒」

 

「まいどまいどっ」

 

 

 煙草臭い場所。麻雀荘からルンルンとスキップを刻みながら先程の少年が出てくる。黒い制服姿のままで麻雀荘から出るのを見られれば間違いなく停学になるだろうが、少年はそんな事を気にしておらず、寧ろ自分から進んでギャンブルといった賭博をする性格であった。

 軽い足取りのまま、少年は暗い道路を歩いている。何に金を使おうか、今日の晩飯は奮発しようかと少年は頭の中で考える。

 少年はある意味、ギャンブルの天才だ。天運とも言える運の良さ、金に対する執着心が生み出す凄まじい逆転劇を可能にする実力。どれを取っても博打の申し子の称号に相応しいものだ。それ故に簡単に金を稼ぐ事を可能にしている。

 

 

「おっちゃーん。奮発してうな重くれうな重!」

 

「……ふぅ。また麻雀か。本当に博打には強いな坊主」

 

「ホントはパチンコとかがいいけど俺、学生じゃん? 前に大当たりしたら店員につまみ出されちゃってさー!」

 

「当たり前だろ。オメェ、まだ学生で高校生になったばかりじゃねーか」

 

「退屈な勉強より博打がいいって。並の成績があれば教師も何も言わないって。トップレベルよりも普通の方が目立ちにくいしね……それよかうな重うな重!」

 

 

 ニヒヒッと笑い掛ける少年は財布にある本日の儲けである金の札を数枚取り出す。財布から顔を突き出した諭吉さんの顔が眩しく感じる。それに対し、前にいる少年がおっちゃんと呼んだ壮年の男性はやれやれと肩を竦め、待っていろと料理を作り始める。

 行儀悪く、カッツンカッツンと箸を一本ずつ片手に持ってテーブルを叩く少年。ここは少年行きつけの飲食店、正確には酒屋である。店長である壮年の男性は以前から少年に無料(ツケ)で作る事がある。賭博で稼いだ金を支払いに使われる事が最近の悩みである。

 

 

「おっちゃんおっちゃん。何かこう、金が稼げる賭け事ない? ワクワクする感じの」

 

「俺はそんな汚い事はしない主義だ。あの麻雀荘を紹介したのも少し後悔してんだぞ俺は」

 

「ニヒヒ。代わりにおっちゃんの懐が潤うからいいだろ。奥さんを食事に誘えたから寧ろいいと思うけど?」

 

「まあ、な……それは感謝している。これで食い繋いどけ」

 

 

 コトンと置かれたのは前菜のきんぴらごぼうであった。ヤフーと嬉しそうに箸できんぴらごぼうを啄いて食べ始める。パクパクと食べている間に男性は料理を作り進める。鰻の焼けるいい匂いが漂い、少年は顔を緩ませる。

 壮年の男性、彼は少年をぞんざいに扱っているようだが、少年を実の息子のように思って可愛がっている。こうして食事を与えるのもその感情からであり、少年もその好意を甘んじて受け入れていた。実の両親とはまた違う親という存在に新鮮だと感じている。ちなみにだが、少年の両親はDVを起こす最低な両親でもなく普通の良い親である。

 

 

「ほれ」

 

「うっひょー! 久々の贅沢だ!」

 

 

 少年は嬉々とした様子でその丼を受け取る。鰻とタレの香ばしい香りが鼻を付き、少年は箸を持つ。いただきますと大きな声で宣言すると、上に乗った鰻を箸で摘んで――。

 

 ――そこで何故か少年の意識は途切れる。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「誰だお前。というかうまそうなうな重だな。私にもくれ」

 

 

 鰻を箸で持ち、食べようとすればいきなり景色がガラリと変化する。

 口を開けたまま固まる少年の前に知らない少女が話し掛ける。固まる少年を余所に、少女は少年のうな重に狙いを付けて寄越せと言っている。

 え。誰? と思う少年。先程まで暗い夜の知り合いの酒屋で適当に喋りながらうな重を食べようとした。その証拠に手にはホカホカと暖かそうな匂いを漂わせているうな重がある。

 

 

「おいおいよー。こんな可愛い美少女が強請っているんだ。貢ごうと思わないのかー?」

 

「――いやいや。これ、俺のうな重だし。というか君誰?」

 

「それをくれるなら教えてやってもいい」

 

「あ。ならいいです」

 

 

 胸を張ってドヤ顔をする少女を無視し、少年は持ったままの鰻を口の中に入れた。久々の贅沢な味にじーんと感動する少年。

 そんな様子に唖然とする少女。自分が考えていたような返しをしてくれなかった事か、目の前でご馳走を食べられた事か。口を開けたまま今度は少女が固まり、パクパクと食べ進める少年を見ていた。だんだんとうな重の量が消えていく事に危機感を覚えたのか、慌てて少年の食事の手を止める。

 

 

「おい! そこは可愛い子なら仕方がないな。って言いながら渡すところだろ! 何でパクパクと食べているんだお前は!」

 

「え。だって俺のだし。君の事は知らないし。何で見ず知らずの人間に自分の晩飯を渡さないといけないわけ?」

 

 

 正論であった。確かに少年の言う事は正しく、間違いなど何処にもない。けれどそれが通じるのはあくまでも普通の人間のみで、目の前の人間にはその対応は間違いであった。

 

 

「いいから寄越せよ! 私だって腹が減っているんだ!」

 

「お前は子供か――って何だこの怪力!? 何で俺、持ち上げられているの!? つーか何をするつもアッーーーーー!!」

 

 

 後になってわかる事だが、この少女の名は川神百代。この地、世界で武神として名を轟かせ始めた頃の少女であった。百代はうな重を食べる少年を軽々と持ち上げると空に放り投げる。

 放り投げられた少年は声にならぬ悲鳴を上げながら姿勢を正す事等はせず、何故か空中で残ったうな重を高速で掻き込んで全部食べ始めた。そんな少年の奇行に放り投げた百代自身が驚かせられた。もし、落ちてきてもうな重を確保した上で助けるつもりだったのに目的であるうな重はすぐに無くなっていく。冷静にうな重を空中で食べる少年、シュールすぎる絵面である。

 

 

「いやあああぁぁぁぁぁ…………――」

 

 

 最高点に達し、そのまま自由落下を始める少年。声にならぬ悲鳴から悲鳴に変わると、どんどん地面に落下する。手にあるうな重は丼があるだけで中身は一切残っていなかった。落胆する百代に少年を助けようという気持ちは無かった。食べたかったうな重(他人のもの)を食べられ、空腹でイライラしているのも合わせて助ける気が起きなかったのだ。

 結果、地面に激突して死ぬと思いきや突如吹いた神風が命運をわける事になる。普通の風ではなく強風だったので空中を落下する少年にも影響が表れる。落下地点の変化、風に流された少年の落ちる場所が移ったのだ……そう。空中を漂う原因を作った人間の元にピンポイントに。

 

 

「そこの美少女さん! お願いだから受け止めてぇぇぇー!!」

 

「なっ! 何でこっちに来るんだよお前――!」

 

 

 ドグシャッ。落下する少年は百代に向かって飛び込む事になった。

 

 ――さて。ここで説明をしよう。少年には賭博に常勝できる天運がある。その天運はツキを呼び込む神に愛されているかのような運の良さを持っている。更に、例外なく賭博以外にもその天運は働く――“ラッキースケベ”というジャンルにも。

 

 少年の目の前。すぐ近くに自分を放り投げた少女の顔がある。驚きに目を開き、徐々に顔の色を真っ赤に変えていく。そこで少年は気付く。

 はて。と。自分の唇にある柔らかい感触は何なのだろうかと。何故少女の顔が近くにあるのだろうかと。顔を真っ赤にしているのは何でだろうと。自分の股間が誰かに触られている感覚があるのは何でだろうと。

 

 

「――――――!!」

 

 

 まさか。と気付いた時はもう遅かった。少女、百代に無理矢理引き剥がされて挙句の果てには顔面をダンプカーがぶつかったかと思える威力の拳が少年の顔に食い込んでいた。少年の見た景色はそこまでだ。

 殴られた少年は錐揉み回転しながら吹き飛び、少し離れた場所にある川まで飛ばされる。少年の末路は、川の藻屑(比喩)になる事であった。

 

 ここから始まる少年の苦難。勘違いに勘違いを重ねた壮絶な勘違いストーリーの幕開けである。

 

 

 

 

 

 

 





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03 第一災難



 注意。実際の川神百代はこんなキャラではありません。






 

 

 

 

 

 ラッキースケベを体験した少年。乙女の怒りの矛先とばかりに少女、百代に殴り飛ばされた後に土左衛門となったまま川をどんぶらこどんぶらこと流されていた。流石に殴るのまでは後悔、反省しているのか、百代は川に流される少年の救助をする事にした。ずぶ濡れなので百代が触れると服が濡れる。心なしか、百代自身も嫌そうであった。

 可愛らしい美少女である彼女は男らしくダランとして動かない少年を俵担ぎしており、有り得ない事に川の水の上を地面を走るのと同じように走っていた。正確には、とん、とん、とんとステップを刻むように等間隔でジャンプして渡っている感じだった。

 

 

「……どうしよう。こいつ」

 

 

 川から救助した百代は新たな課題にぶつかる。ずぶ濡れである少年をどうするか、である。水に濡れた服を着たままだと風邪を引く可能性もあり、見知らぬ人間だとしても一般人である少年を殴り飛ばした罪悪感も持っており、体調を気遣う事を第一に考え始めた。

 取り敢えず百代は見様見真似、テレビのドラマなどで得た知識を有効活用する事にする。濡れた服を全て脱がし、焚き火を焚いて木の枝を通して濡れた服を乾かす。まさに無人島に遭難した対処を住宅街も近くにある場所で行う彼女は愛すべき馬鹿であった。下着一枚になった気絶している少年を火の近くに置き、冷えた体も暖めていた。傍から見れば、少年を裸同然に剥いた美少女と薄い本ができそうな展開である。

 少年が起きるまでの間、少年の素性を知ろうと濡れた制服のポケットから財布や水に濡れたために壊れた携帯電話を取り出す。まずは財布の中身、百代は身分証明書を調べる前に何故か札の数を数えようとする。

 

 

「――何ィ!? 何でこんなにあるんだよ! 同じくらいなのに私よりも金持ちじゃないか!」

 

 

 その枚数に圧倒され、思わず叫んだ。福沢諭吉様がこんなにいるのは初めてだ――と百代は呆然とする。少なくとも、百代の倍以上の金額の金が財布にあった。ネコババしようと邪な考えをすれば、そのタイミングを見計らったように気絶している少年が呻いてネコババを阻止する。天運、ここに極めり。

 気を取り直して百代は身分証明書らしき物のカードを調べる事にした。何かの会員証、学生証、そして何故かある原付免許。全てを調べると少年の名前と素性が大体わかったが、同時におかしいと思う場所が出てきた。

 

 

「川…崎、市? そんなのあったか? それに天牌なんて麻雀荘も知らないし。何か謎が増えたなこいつ」

 

 

 原付免許にある住所、会員証にある天牌という麻雀荘の住所と名前、学生証にある学校の名前と住所。全てが百代の知らないものだった。日本、地元である川神市の近くにはこの住所の名前も無く、聞いた事が無い名前であった。

 携帯電話を調べるも、水に濡れて壊れてしまっていて調べる事ができない。百代の知る携帯電話よりも高性能なので性能がわからないという事もあるが。携帯電話を調べる事を諦め、他の事を調べようと今度は“裸同然”の少年を触り始めた。ペタペタ、ではなくつつーっと妖艶な手の動きをしながら触診する。完全に少年を襲う痴女の図であった。

 キスをされた恨みを晴らすためか、ビクンビクンと反応する少年を見ながらほくそ笑んでいた。性感帯を調べるついでに乳首を重点的に責めている百代は完全に悪魔の顔である。

 

 

「ヌフフフッ。女の子を触るのもいいがこれも中々――ん?」

 

 

 触る事を楽しんでいた百代はある事に気付く。彼の肉体のあらゆる場所を触ったからこそ気付いたその違和感。脇腹と何かが貫通したような場所にある背中、瘡蓋(カサブタ)のような感触が手に伝わる。ゴロリと少年を転がすと、うつ伏せにして背中を見る。

 古傷か。と百代は思う。これを見れば誰もが思うであろう傷跡。まるで刃物で腹部を刺されたようなものだと、背中からか腹部からかそこまではわからないが酷い傷だったのかと考える。

 暫し、考える間ができる。そしてすぐに考えるだけ無駄だと結論付けて少年を弄る手を再開させる。難しい顔で考える先程の様子が嘘のように今は子供の悪戯をする時の楽しそうな笑顔で今度は背中の性感帯を探しながら背中から乳首を弄る。乳首フェチなのだろうか、川神百代。

 

 

「……こいつ、本当に男か? 女の子みたいなモチモチな肌だな。いつまでも触ってても飽きないなコレ……フヒヒ」

 

「――あの、何をしているんですか」

 

「おまわりさん助けてください! こいつがパンツ一枚になって私を襲おうとしたんです! 怖かったから気絶させてしまったんです!」

 

「なにっ! マル変確保ォ! …大丈夫ですか。カウンセリング担当の女性警官をお呼びしましょうか?」

 

「だ、大丈夫です。うぅ……帰って祖父に慰めてもらいます」

 

 

 最低だった。外道であった。

 少年を弄る事を楽しんでいた百代は後ろから聞こえる声の主、青い国家権力の公務員に助けを求める。演技であろう泣き真似をしてあたかも自分が被害者であるように見せる徹底ぶり。少年に非があるとはいえ、流石にこれはやり過ぎだ。下着一枚の少年は手に手錠を掛けられ、原因を作った百代は涙を流しているフリをしている。

 

 ――ここで思い出して欲しい。公然猥褻罪として逮捕された少年だが、彼の持ち物は警官に“押収されていない”。この意味がおわかりだろうか?

 

 

(慰謝料として回収しとこう)

 

 

 川神百代、小遣い削減による金銭不足。少年の財布をまるごと盗むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「いや、だから! 俺は何もしてないって! 本当だって! 信じてくれよハゲた刑事さん!」

 

「テメッ、クソガキ! 気にしてるんだから言うんじゃねえ! それより何で下着一枚で女の子に迫った? 学生特有のムラムラしたからやりましたってか? これだから童貞って奴は――」

 

「俺、童貞じゃねーし。ムラムラなんか初対面の女にしないよ」

 

「死刑。送検の用意しとけ」

 

「完全に私情だろアンタ! そして知りたくなかった魔法使い説!」

 

 

 少年の現在地、尋問室。公然猥褻罪で逮捕されると、気絶したまま連行される。気が付いたら強面の頭が寂しい刑事が煙草を吸っていた。ポルナレフコピペがそのまま付ける状況であった。

 身に覚えのない罪を着せられ、変態の犯人扱いされる事を知った少年は勿論、反論する。同時にある事を思い出し、反論に反論を重ねる反論で刑事に食って掛かる。

 

 

「こう、黒い髪の毛が長い女の子で珍しい赤い目をしている奴だ! あの野郎、俺を空にぶん投げた挙句に受け止めようとしなかったんだぞ!」

 

「ああ、はいはい」

 

「――班長、それって川神百代では? 軽々と空に投げるなんて武神である彼女くらいですよ」

 

「……ちょっと待った。そこのイケメンの刑事さん」

 

 

 尋問室で弁論する少年と班長と言われた男性の間に若い刑事が割り込む。その言葉が気になった少年が手を伸ばして止め、言葉の真意を聞こうとする。

 

 

「川神百代っていうのか? あの女、俺の財布を――って何そのマジかよ。みたいな顔は」

 

 

 二人の刑事は驚いたように、それ以上に驚愕を表して少年を見る。尋問室であるにも関わらず、やけにリラックスしているので刑事は驚愕と唖然と様々な感情が入り混じって変な表情になっていた。ズズズと温かいお茶を啜る少年。犯罪者扱いなのに妙に適応しすぎである。

 怒るのも疲れたのか、取り敢えずは落ち着こうという考えに変わったからこそ、ここまでリラックスしているのだ。怒りに身を任せては勝てる勝負も勝てないと賭博、麻雀を通じてそれを学んでいる。なので、自分の感情のある程度のコントロールと切り換えの早さがウリでもある。

 

 

「……班長。この子、キメてますね」

 

「ああ。武神を知らないなんてシャブ以外にはあるまい」

 

「待て待て待て。俺をシャブ常用者みたいな扱いをすんな。寧ろ武神とかワロスってのがこっちの考え方なんだが」

 

「いや、だって川神百代と言えば世界的にも有名だし」

 

「マジで? 俺が時代の流行に乗れてない感じ? 麻雀しすぎて頭がアホになったのか?」

 

「賭博関与の罪で別件逮捕」

 

「遊びだっつーの! ハゲ刑事、アンタ俺の事が嫌いだろ!」

 

 

 うがーっと吠える少年。どうも少年と二人の刑事の間で価値観の違いがあるようで、切り換えの早い少年でも混乱し始める。自分の知らない知識、常識と言っている事を今まで聞いた事がない。それが混乱する主な原因である。

 考える。考える。考える。考える――この違和感の正体を考える。

 

 

「むぬぬぬぬ……わかんね」

 

 

 そして、少年は考える事をやめた。麻雀ができればいいやと堕落した人間の考えを示すのであった。

 

 

 

 

 

 





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04 楽観視できない現実

 

 

 

 

 

「娑婆の空気が旨い。あのクソ野郎を麻雀で丸裸にしてやる」

 

「犯行予告で留置所にぶち込むぞガキ」

 

「それならあの川神百代って奴は殺人未遂だぞ殺人未遂。空に投げられてノーバンジー体験とかアンタもしてみる?」

 

「そいつぁ、ゴメンだな」

 

「あ。今度来る時はカツ丼か牛丼を奢ってよ。刑事ドラマのあれ、憧れているんだ」

 

「自腹なら可。経費で落ちないのが現実だ……ほら。釈放なんだからさっさと帰れ」

 

 

 シッシッと煙草を咥える強面の頭の寂しい刑事。無事、公然猥褻罪の容疑が晴れた少年は釈放された。目撃証言、少年側が川神百代に公然猥褻罪に値する行為はやっていないと証明された。寧ろ、川神百代が少年の服を剥く姿を見られ、通報されていた。通報を受けた小さな警察署では川神百代=痴女の方程式が成り立ちつつある。

 釈放された少年はこれ幸いと乾かされていた制服のポケットから消えた財布と携帯電話の行方の調査も頼んでいた。今の状況を考えると、盗んだのは自然と限られる。警察にその犯人がいないとなれば百代が盗ったと考えるべきであろう。某子供探偵や某名探偵の孫でなくても導ける答えだ。

 身分証明をしろと警察に言われたが、財布にあると言ったので行方が判明してからの記入という事で落ち着いた。通信手段として使い捨ての携帯電話を借りる事になり、僅かな金も受け取る。実家に連絡が繋がらないために設けた緊急措置である。そう、あくまでも当分の生活費に使わせるための金である。

 

 

(ニヒヒヒッ。タダで借りられて利子が無いのなら倍以上にしよう――)

 

 

 馬鹿。阿呆。ギャンブル狂い。大馬鹿。今の少年を言い表す言葉。

 警察署から離れると、茶色の封筒の中身の金をペラペラと数える少年の姿が。浮かべる表情はゲヘヘと笑う中年男性そのものであった。気分良く歩きながら道行く人に目的地の場所を聞いて回っていた。質問内容は賭博関係の金が稼げる場所は何処かである。麻雀荘、競馬場、競艇場、否認違法賭博場。金が一気に稼げる場所を求め、徘徊していた。

 無謀だと誰かが言うだろう。けれど、少年はそれを気にしていない。命を賭けた賭博、ギャンブルは彼の生きがいと言えるものになっているほど、重度のギャンブル狂いであった。既に都市伝説レベルの大金を狙ったギャンブルを一度、体験している。

 

 

「――麻雀荘ならそこにあるよ。詳しい事はわからないからそこの人に聞いてみたら?」

 

「まいどっ。教えてくれてありがと!」

 

「ああ、気を付けた方がいいよ。親不孝通りの連中がたむろしている場所だから」

 

「……親不孝通り? 何その非行少年少女がいそうな場所の名前。ちょっと興味があるんだけど」

 

「ん? 知らないという事は余所から来たのかい? 簡単に言うと、犯罪者とか犯罪者予備軍がたくさんいる場所さ」

 

 

 とある男性。道行く人間の一人である男性に道を尋ね、目的の場所を見つけた。その際に男性から親不孝通りという場所の事を聞く。また自分の知らない地名に興味津々で聞き入っている。

 犯罪者、犯罪者予備軍のいる場所。となれば賭博もかなり充実しているのでは? 少年の頭に危険極まりない方程式が成立してしまった。男性は少年を気遣うように言っているが、それは逆効果、少年の心とギャンブルに対する闘争心を燃やしてしまった。

 

 

「だからあんまり調子に乗るような事をしたら――あれ?」

 

 

 注意を促すように男性は続けるが、少年のいた場所にはもう少年はいない。疑問を持ちながら少年を探すと、信じられない光景が男性の目に入る。普通は叫ぶだろうに男性は叫ばない。それは褒めてもいいだろう。

 真剣に注意をしていたのに少年はその話を聞いていなかったのか、一直線にその麻雀荘に走って入ろうとしていた。走る背中を見れば、嬉しそうな感情が伝わってくる。実際に少年のテンションは頂点にまで達しており、気分がハイになっている。まるで投げられたフリスビーを追い掛ける犬のようであった。

 その様子を見た男性が止めようと手を伸ばし、声を出そうとする。しかし、それよりも早くその麻雀荘に勢い良くドアを開いて少年は麻雀荘の中に入って行ってしまった。

 唖然とする男性。それでも少年にその麻雀荘を教えた事に罪悪感があるのか、優しい性格をしているから心配なのか。仕事をしつつも、その麻雀荘を見つめる男性であった。その間、作る牛丼の味は最低なのは内緒である。

 

 ――心配したまま一時間経過。

 

 男性の働く場所、梅屋の店の外から見える麻雀荘から件の少年が上機嫌に出てくる。満面の笑顔でスキップをするのを見れば男性の思う最悪の展開は免れているようで、一安心する。客の注文も無いので男性はその少年に声を掛ける。

 

 

「――君!」

 

「お? 麻雀荘の事を教えてくれた親切な人じゃないか」

 

「だ、大丈夫なのかい? 狡賢い連中が多いけど麻雀が強いのもたくさんいたはずだろう?」

 

「ああ、快勝快勝! 儲かった儲かった! 偉そうな奴等を身包み剥いですげー快感だったぜ!」

 

「…………はい?」

 

 

 男性は素っ頓狂な声を出す。ニヒヒヒと笑う少年を見れば嘘では無いのは伺える。立って話すのもあれだと男性は店の中に招き入れて話を聞く事にする。飲食店なのを知り、少年は牛丼を注文する。

 

 

「私は麻雀の事は詳しく知らないけど勝ったのかい?」

 

「楽勝。偉そうな割には弱くて期待外れだったけど――あ、現金のやりとりは内緒でお願いします」

 

「げ、現金を賭けたのかい? ……今、何歳?」

 

「ピチピチの高校一年生でっっす。サボリ常習、成績は普通、彼女はいませぬ」

 

「そ、そこまでは聞いてないけど……何というかマイペースだね君。はい、注文のとろろ牛丼」

 

 

 二人の間に世間話が行き交い、その合間に一手を入れるように少年の注文した品が運ばれる。白いとろろが掛けられた珍しい牛丼に目を見開いて涎を垂らす少年に、男性は何故だか和んだ。まるで大きな良い意味での子供のようだと思っていた。

 美味しそうに食べ始める少年。警察に逮捕され、口にしたのは水と茶に饅頭のみ。気絶した時間が長いのもあり、空腹感が酷いのもあったりする。ギャンブルの高揚感で空腹は誤魔化していたようだが、それも終わって一気に空腹が襲ったのだ。

 

 

「とろろって牛丼に意外と合うんだね。新鮮な味でいい感じじゃん。豚丼にとろろもいいけどこっちもいいもんだよ!」

 

「はは。とろろ好きだなんてあの人にそっくりだね。バイトの釈迦堂さんって人」

 

「残念。議事堂って名前だったらキャバクラの話のネタになったのに。国会・議事堂、渾名は総理で。結構ウケる気がする」

 

 

 ブホッと男性は咽せる。不意打ちなのか、内容がくだらなすぎたのか。淡々と話す少年の態度も相まっていそうである。

 

 

「ねえねえ。ここって川神市っていうの?」

 

「え。知らないのかい?」

 

「うん。気が付いたらこんな場所にいたの。詳しい説明を求める」

 

「……普通は知っていると思うんだけど」

 

「固い事は言わないでって」

 

 

 とろろ牛丼を完食した少年はニヒヒと人懐っこい笑顔を見せる。初めは渋る男性だったが、少し位ならばいいだろうと話す事にした。自分の住む川神市の良い場所も知ってもらおうという企みも裏にあったりするのだが。

 仕事も無い、客足も遠のいたので男性はカウンター席に座って少年に川神市についてゆっくりと説明する事にした。ツマミにイカのスルメまで用意する辺り、ノリノリだったりする。お冷、冷水を飲んでいるが、夜であればビールや日本酒で語っていただろう。

 川神市の魅力を男性の口から語られ、少年は最初は興味津々に聞いていたがだんだんと明るい表情に陰りを差していく。心なしか顔色も悪くなっており、冷水のコップを持つ手がカタカタと震えていた。

 

 

(こ、このおっさんが嘘をついていないと考えればこの話は真実? けど何で知らない事まで話しているんだ。どういう事なの――?)

 

「大丈夫かい? 疲れたのなら少し休憩しようか?」

 

「だ、大丈夫。それよりこの天牌って麻雀荘知ってる?」

 

「うーん。聞いた事が無いね。この近くにあるのかい?」

 

「や、やっぱいいや。忘れておっさん」

 

「本当に大丈夫? 手が凄い震えているよ」

 

 

 天牌。少年がよく通う麻雀荘の名前である。少年の地元では結構有名な場所であり、そこからなら例え知らない土地でも帰る手段があるはずであった。とある事件をきっかけにその天牌は日本中で有名なので知らないはずはないと少年は思っていた。

 気丈に振舞う少年だが、男性の言うように手の震えが先程よりも酷くなっており、顔色も青を通り越して真っ白になっていた。

 

 

(……知らない土地。どうすりゃいいんだ――!?)

 

 

 ここで少年は自分の置かれた事態を正確に把握する事になる。未知なる土地、自分の知らない土地、自分の地元の名前を知らないその土地の住人。楽観的ではいられない事をようやく理解するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 





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05 デジャヴ

 

 

 

 

『川神百代? ああ、それなら川神鉄心さんのお孫さんだね。たまにここに食べに来る事があるよ。川神院って場所に住んでいるから会いたいのなら訪ねてみれば? 地図も書いてあげるから』

 

「――でっか」

 

 

 声を漏らす少年。梅屋の主人である男性に地図を書いてもらい、訪れた場所は川神院と呼ばれる川神市名物。世界に轟く武神のいる場所だと男性から少年は聞いている。同時に、自分の財布を盗んだ最有力容疑者の川神百代がここにいるのだ。混乱していた少年は財布と携帯電話があれば警察に相談できるだろうと踏んで梅屋から場所を移して川神院まで来たのだ。

 着いたのはいいが、そのあまりにも大きさの建物に少年は圧倒される。と、同時に見覚えのある構造なのを思い出す。

 

 

(川神院って……平間寺かよっ!? 何で名前が変わってんだ!)

 

 

 少年はその名前をすぐに導き出した。地元にある物だからか、覚えていないと恥ずかしいと思われる事であるが。少年の見上げる川神院のそれは少年のいた場所だと平間寺大山門という名称であり、似ているという点を完全に除いてしまうと“いまいる土地が少年のいた地元の土地”という答えに結びついてしまう。偶然だと決めつけ、少年は再び震え始めた手の指を見ながら川神院内のを探索する事にした。同時に、川神鉄心か川神百代を探そうとする。

 震える手を服のポケットに仕舞いこんで何もないように振る舞いながら川神院内を歩く。少し違う場所があるとはいえ、それは少年の知る景色そのものだった。立てた仮説が事実に結べる可能性が高くなると、クラッと眩暈を感じる少年。気分も悪くなり、胃の中をぶちまけそうなり始めるがグッと堪えて人を探す。

 

 

「――もし。そこの若者」

 

「……んんっ。はいはい何でしょう――ぶはっ!」

 

「人の顔を見て笑うのは失礼なのでは?」

 

 

 盛大に噴いた。それはもう盛大に。声を掛けてきた主を見て少年は腹を抱えて笑いを堪える。気分が悪いのを誤魔化しているのだが、同時に不意打ちを受けてツボに命中した事もあって大爆笑している。

 声を掛けた人間は川神院の門下生の一人なのだが、少年のツボを突いたのは服装もそうだが、何よりがその人物の頭であった。刺青だろう。文字で『エロ坊主』と書かれていた。ウケを狙うにしても狙いすぎである。真面目そうな顔でエロ坊主と書かれると、誰でも噴かずにはいられないだろう。

 坊主頭の人物、門下生の男性は不機嫌そうに顔を歪ませる。不機嫌そうだが、何処か諦めたような顔をしている。この反応も慣れているのか、それともいつもそんな反応をされて反応するのにも疲れたのか。ただ、腹を抱えて悶絶する少年を見ていた。

 

 

「――はぁ。昔の百代嬢の悪戯がこんな事に――」

 

「ちょっと待ったエロ坊主さん」

 

「その言い方はやめていただけませんか。これでも傷つくんですよ」

 

「今、百代嬢って? それって川神百代のこと?」

 

「そうですが……挑戦者の方ですか?」

 

「いえ。俺の財布とケータイを盗んだ泥棒です。殴りたいんで案内してくれませんか?」

 

「証拠は無いでしょう。言いがかりを付けるのなら警察を呼びますよ」

 

「本人に聞けばわかるでしょ。というわけで勝手におじゃまします!」

 

「あっ、待ちなさい!」

 

 

 門下生の男は中に向かって走り出す少年を追う。いきなり走り出した少年に虚を突かれたのもあって、反応が一寸遅れてしまう。その間にも少年は普通の人間よりも速いスピードで川神院内を爆走し、視界に入る大きな建物に向かっていた。そこが本堂のポジションに値する場所だと推定して少年は一直線に。体調を崩しているのにも関わらず、走る。

 吐き気を我慢し、誤魔化す事に神経を集中しているためか、少年は前を向いていながらも“前を向いていなかった”のである大きな誤算を犯す。

 

 

「侵入者発見んんんんんんん!!」

 

「ほげぇっ!?」

 

 

 隣から飛んでくる人物に気が付かなかったのだ。その結果がこれであると言わんばかりの事が起きてしまった。人物、黒髪の美少女である川神百代が満面の笑顔で爆走する少年を襲う。ギリギリで気付いた少年は命辛々《からがら》、回避に成功してボッとパンチの威力に相応しくない音のするパンチを避けられた。

 少年の視線が百代のパンチの先に向くと、パンチの着弾点が手の伸びた場所の先にあるのを見つける。遠い場所の地面なのに抉れているのを見て少年はつつーっと冷や汗を顔に張り付かせて流す。

 

 

「チッ。当たれよ」

 

「危ないだろ! 俺を殺す気――ってお前は!?」

 

「あん? 私を知って――ダレデスカオマエサマハ?」

 

「惚けんなクソ野郎! 俺の財布とケータイを返せ泥棒!」

 

「アッハッハッハ。ワタシガヤッタッテショウコデモアルノカ?」

 

 

 襲ってきた人物が自分の知っている、自分が探している人物である事を知った少年は百代に掴み掛かる。当の本人、百代は知らぬ存ぜぬで白を切る。だが、冷や汗ダラダラで片言で話す彼女の様子を見れば、嘘だとわかった。

 

 

「……凄い金額の金があったろ?」

 

「二十七万円もあって色々使えた――はっ!?」

 

「何で金額を知ってんだテメェ! テメェが盗んだのがバレバレじゃねーか! いいから返せ!」

 

 

 見事な子供騙しに引っ掛かる百代。少年は百代が盗んだ事をはっきりとわかって一気に攻める事にする。一気に捲し立てるように百代をあれよこれよと言葉で責め、財布と携帯電話を出すように要求する。百代は話を逸らそうとするが、怒り狂う少年の前では抵抗は無意味だった。どれだけ嘘を重ねても全てを看破され、どんどん追い詰められていく。

 普通であれば、すぐに白状するだろう。しかし、百代にはそれができない理由があった。頑なにそれを隠す理由、それは一つだけだ。

 

 ――盗んだ金を使った。もしくは無くなった。考えられるのはその二択のみだ。

 

 

(ま、不味い。全部使ったなんて知られたら――!)

 

「早く返せ! 財布がなきゃ俺は困るんだよ!」

 

「い、いや。でもほら。財布は他にも買えるだろ? あれである必要が……」

 

「それ以前に人の物を盗んだだろうが! ……テメェ、まさかとは思うが俺の金を使ったわけじゃないよな?」

 

「ふぎゅっ」

 

 

 百代は可愛い呻き声を上げる。自分の隠している事を的確に当てられたので呻いたのが丸分かりである。その反応に少年の尋問が強くなる。口だけだったのが手振り身振りと大きな動きをして半ば脅迫し始める。とはいえ、悪いのは完全に百代なので強く言えないため、正当行為に値するものではあるが。

 観念しようかと考え始める百代だが、金を全部使った事を知られたらどうなるか。その前に一般人である少年を空中にぶん投げた事が百代の祖父である川神鉄心に知られればどうなるか? 力の封印と小遣い削減の悪化と下手すれば使った分の金を少年に返すために自分のもらうはずであった小遣いを全て彼に渡す事になるかもしれない。二十七万円もの大金だ。百代の小遣いは一年単位で無くなるだろう。

 

 

「金はどうでもいいから財布を返せ。免許証と会員証、学生証があればそれでいいんだぐぶへぇ」

 

「本当だな? 使っていても怒らないよな? 後でやっぱり返せなんて言わないよな?」

 

「く、苦じい……!」

 

 

 少年の発言に百代は少年の首を掴んでガクガクと揺さぶる。見事に極まっているので少年の呼吸ができず、息も絶え絶えに掴み掛かる百代の腕をタップしていた。心なしか、来る前の時の青い表情と同じ顔色であった。

 

 

「こりゃモモ。何をしておるか――」

 

「じ、ジジイ!? 何でも無……ってどうしたんだ?」

 

 

 そんな風に(じゃ)れていたら新しい人物が現れる。川神鉄心、百代の祖父である老人を見ると、百代は焦る。しかし、鉄心は百代の話を聞かずに百代の掴んでいる青くなっている少年を信じられない目で見ていた。ゆっくりと少年に近付いていくと、少年の顔を掴んでガン見する。

 

 

「――! 少年、君の名前は? 教えてくれんかの?」

 

「――! ――!」

 

 

 その前にこれを何とかして。と指でジェスチャーする少年。青い顔がどんどん真っ白になっているが、興奮している鉄心と鉄心の様子に驚いている百代はそれに気付かない。少年の視界が暗くなり始めると、問い詰める鉄心の声すらも遠くなっていく。気絶するのはゴメンだと少年はタップしている手で文字を書く試みをする。

 

 

「ん? ――テンジョウ コウキ?」

 

「!! やはりお師匠の! 君はお師匠のご家族の!?」

 

 

 言葉を聞くまでが限界であった。鉄心の強くなった問い詰め方により、少年は何度目になるかの気絶を体験するのであった。

 

 ――そして始まる本格的な少年の苦難の日々。将来、必ず口癖である言葉を発する。

 

 『大体川神鉄心のせいだ』

 

 

 

 

 

 





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06 二つ名


 サブタイ、二つの名前って事でお願いします。

 人物紹介はある程度行ったら纏めます。




 では続きをどうぞ。違和感が無ければいいのですが。







 

 

 

「ホッホッホ。すまんの。ついつい興奮してしまったわい」

 

「全くだよ。何回気絶したと思ってんだよ爺さん。肉おかわり」

 

「構わんよ。ほれ、たんと食べなさい」

 

 

 夜から突然の朝、昼までは警察で拘留され、金を貰った後で麻雀を嗜んでとろろ牛丼を食す。その後、川神院にて。この間に二回気絶している濃い一日を送っている不幸な少年は天運持ちのラッキー少年のはずである。

 だが、目の前の黒髪の少女である川神百代と関わってから碌な目に遭っていないと少年は思う。口には大きな調理された肉塊が詰まっており、グニュグニュと噛む音が人間をやめている川神鉄心と川神百代の耳に届いていた。食事をする少年は苛立たしそうに肉を噛みながら特に川神百代を睨んでいた。百代自身は睨まれてバツが悪そうにしており、少年と視線を合わせないようにしていた。

 

 

「半分だけならまだしも全部使っているとか馬鹿なのか。アンタの孫」

 

「うっ……い、慰謝料だからいいだろ! あれでも足りない位だぞ!」

 

「うっわ。開き直りやがった。ファーストキスじゃあるまい――その反応だと初めてか。犬に噛まれたと思って諦めろ」

 

 

 遠くにある皿の料理を取ろうと、身を乗り出す少年。身を乗り出した瞬間、少年のいた場所を殺人的な暴力が通り過ぎる。顔を真っ赤にし、怒った様子の百代が拳を突き出した状態で少年を睨んでいた。流石にそれは駄目だと、鉄心は一喝で百代を叱る。怒られた本人はプルプルと震えながら身を小さくし、武神と言われているとは思えない様子であった。現在、気絶し過ぎて賢者モードになっている少年は死にそうになった事に何も思っておらず、黙々と川神院の貯蔵されている肉類を食べていた。

 気絶させてしまったお詫びで夕食に誘われている少年は食事前に百代から盗まれた財布と携帯電話を返してもらっていた。食べている最中に財布の中身を改め、前まであった金額がほぼゼロになったのには三度目の気絶をしそうなショックを受けたが免許証や会員証、学生証と自分の身元を証明できる物を取り戻せたのでそれなら。と諦めた。

 

 

「というか名前の呼び方を間違えるかフツー。テンジョウ コウキって何だ。俺の名前は天井(アマイ)宏輝(ヒロキ)だっつーのに」

 

「すまんの。ワシのお師匠の名前もそれだったので早とちりしてしまったわい。ちなみにこう書く」

 

 

 『天上皇輝』と鉄心は何処からか取り出した紙に筆で書いた。それを少年、天井宏輝に見せるが、興味なさげにモゴモゴと骨の着いた肉を口の中で転がして遊ぶ。口から飛び出た白い骨が煙草を吸うように見え、注意をしようとする食事を共にする門下生だが、宏輝が骨を手で取り出す。カランカランと骨を捨てる皿に置くと、骨と皿が擦れる音が響く。

 

 

「いやいや。アンタのお師匠だかお寿司だか知らんけど間違えるか?」

 

「間違えるほど似ているんじゃよ。瓜二つと言っても過言ではない。雰囲気は違うが、顔の作りなどは同じに思えるんじゃよ」

 

「だからって人を気絶させるか。武の総本山の総代なんだから気を付けようよ」

 

「ホッホ。お師匠は本当に強かった。若いピチピチだった頃のワシよりも強くての……」

 

「聞いてねぇし。どうして老人とかは昔話が好きなんだろうか。そこんとこどうよ」

 

「知らん!」

 

「えぇー。キスしたのは悪いと思うけどその原因を作ったのはそっちが俺を空にぶん投げるからでしょ。事故キスの最中に俺の股間も触ったじゃなむぐっ」

 

 

 ワーワーワーワーと百代は宏輝の口を塞いで言葉を止める。顔を赤くして止めるのを見れば、よっぽど恥ずかしかったのが伺える。それとも自分のイメージを崩されたくないからこそ静かにしたのかもしれない。

 塞がれた手をペシッと宏輝が払うと、片方の手が再び塞ぐ。不機嫌そうになると、喋らないからどかせとジェスチャーを百代に伝える。渋々と手をどかすが、まだ言葉を発する事を警戒しているのか、赤い顔をしたまま宏輝を睨む百代であった。

 

 

「くぅっ。弟にはここまで遊ばれる事は無かったのに――!」

 

「遊んでねーよ。本気で遊んでいたら今頃、俺の奴隷になっているぞ」

 

「なっ、本当か!? 何というげど――」

 

「嘘に決まってんだろ」

 

 

 バンバンバン。百代は癇癪を起こして食事をしている食台を叩いた。ニヒヒッと笑う宏輝に遊ばれ、悔しそうにしている百代に彼女を知る人間は驚きを隠せない。ここまで簡単にお手玉にする事に対し、畏怖の感情を宏輝に抱き始めるが――。

 

 

「オマエ、ムカツク」

 

「ニヒヒ。そんな事を言っても……何で引き摺られているの俺? ゴリゴリと頭が削れてハゲそうなんだけど。エロ坊主さんみたいなツルツルな頭になりそうなんだけど」

 

 

 仏の顔も三度まで。弄られに弄られた百代の我慢は限界を迎え、皿に積もった肉を食台に置かされて百代に足を持たれる。ズルズルと頭部を擦るように引き摺られ、二人は食事をしていた大部屋から消えていった。後に残るのは静寂、遠くから宏輝の疑問の声と引き摺られる音が聞こえてくるが、だんだんと遠のいてストン。という音と共に完全な静寂が訪れた。

 

 

「――での。ワシは負けて……」

 

「総代。百代さんも少年もいませんよ」

 

 

 ただ一人、鉄心だけは話し続けており、一人の門下生の男が注意を促す。ホッホッホと笑いながら語る鉄心の耳にはそんな言葉は入らず、いなくなった二人に気付く事も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―― なっ、何をする! 俺を裸にして何をするつもりだ痴漢!

 

 ―― 八つ当たりだ。気にするな

 

 ―― 気にするわ! というかパンツだけは勘弁して! お婿に行けなくなっちゃう!

 

 ―― ……フヒヒヒヒ……

 

 ―― 誰か助けてぇぇぇぇ! この女変態だぁぁぁぁ!!

 

 

 そんなやりとりは騒がしい夜の帳に消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 明朝。死んだ目をする少年とバツが悪そうにする少女が向かい合って沈黙を貫いていた。片や、少年は上半身は裸で髪の毛は争った跡が見られ、酷く疲れきったような顔をしていた。少年、天井宏輝は本当に泣きたい気分であった。

 

 

「……忘れよう。一夜の過ちだったんだ」

 

「……そうだな。悪かった」

 

「……こっちこそ申し訳ない」

 

「……こっちこそ」

 

 

 ――ハァ。同時に二人は重い溜め息を吐いた。ゆっくりとした動きで上半身裸の上に灰色の下着を着、制服に付いてくる白いヨレヨレとし始めたカッターシャツの袖に腕を通して一部だけのボタンを留める。胸の部分になる部分だけ留め、下はダボダボになるように着ている。宏輝の着替えの様子を百代がガン見しているのはご愛嬌。

 昨日の夜。食事の後で百代に攫われた後に繰り広げられた攻防、何故そんな事を始めたか朝になってもわからない。一つだけ言えるのは宏輝のモチモチした肌の感触を忘れられない+散々弄られた腹いせをしたい=そうだ。脱がせよう。と意味がわからない方程式が成り立ってしまった。これは俗に言う、“夜中のテンション”による暴走である。気が付けば暗い夜中が朝日が昇る明朝になるまで休まずに飽きもせずに宏輝は触らせない、百代は触りたいと不毛な争いをしたのだ。

 朝になり、正気に戻ればお通夜の雰囲気になり、反省会をするという流れになった。それが現状である。

 

 

「――へえ。川神って俺と同い年なんだな」

 

「百代でいい。他に川神の姓はジジイにワン子と二人いるからな。わかりやすいように名前で呼んでくれ」

 

「じゃあ俺も。宏輝でいい。親しい奴からはヒロって言われてる。悪戯で宏輝をコウキって呼ぶアホもいるけどな」

 

 

 邪険な、チグハグとしていた雰囲気は緩和されて今は和気藹々と二人は語り合っていた。宏輝が着替え終わり、二人の腹が空腹を訴え始めたので広い川神院の廊下を歩きながら二人は話す。まずは自己紹介から。改めてフルネームを名乗り、簡単に自分の事を互いに話す。あんな事があったせいか、すぐに打ち解けた二人は互いを名前で呼び始める。

 百代は廊下を歩きながら隣を歩く少年、天井宏輝をチラリと見る。

 

 

(親しみやすい奴だな。顔が少し子供っぽいのも合わせて女性受けしそうだなコイツ)

 

 

 曰く、天井宏輝は童顔である。ほんの少しでも交流を持った人間ならばこう言うだろう幼い顔つきをしていた。百代と会話を交わしながら自分の髪の毛の先を摘んで弄っている宏輝。ちょっとした仕草、動作にも子供っぽい所があるというのが百代の感想だ。自分の祖父である鉄心が瓜二つとまで言う鉄心以上の実力を持った昔の武人である青年、天上皇輝。天井宏輝と天上皇輝と呼び方を少し変えれば何か共通点があるのではと勘ぐる。

 鉄心から耳にタコができるほど聞かされた鉄心の今の武神という形を作るのに大きく貢献、関係している謎の青年。初めは鉄心の無駄話かと思っていた。けれど時を重ねる度にその青年の事が気になり出した。自分よりも強い祖父よりも強い青年、師匠の天上皇輝。いつしかその男ならば自分の乾きを満たしてくれるのでは?と思うようになった百代。

 

 

「……観光?」

 

「ちょっと川神市を見て回りたいって思っているんだ。できたらギャンブルができる場所も教えてプリーズ」

 

「んんー。今日は暇だから大丈夫だが……」

 

「借金チャラにしてあげるからさ」

 

「美少女ツアーガイド川神百代にお任せあれ!」

 

 

 後で鉄心に話を聞き直そう。そう決めた百代はまず泥棒した分の金だけ働く事にした。

 

 

 

 

 

 



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07 川神観光案内


 コンセプトが固まりました。なので、あらすじや題名を変えて完全に決定いたしました。コロコロと変えてすいません。

 ある程度の進行は考えていますが、原作と他の方の小説の影響でハーレムになる可能性が濃厚になりそうです。ただし、京は大和の嫁。これは変えられぬ(キリッ








 

 

 

「う、嘘だろ……?」

 

 

 ―― だらっしゃあ! また俺の勝ちだ、ブラックジャック!

 

 ―― あ、有り得ねぇ! 何回ブラックジャック出してんだよ!

 

 ―― まだガキなのになんて強さだ!

 

 ―― ニヒヒヒ。まだやる?

 

 ―― ……クッ、参った。降参だ。持っていけ!

 

 ―― まいどまいどっ

 

 

 有り得ないと百代は呆然と呟く。友人となった少年、宏輝のその実力を目の当たりにして驚く以外の感情が出なかった。あくどい顔をしながら新品のトランプの数枚を手に持ち、相手を貶めるような言い方をする宏輝。短い時間だけとはいえ、人柄が良いと思っていたのに浮かべている表情を見れば別人のようだと感じる百代。

 悔しそうに歯軋りする相手の男性は憎しみを込めてテーブルにバンと数枚の札を出し、荒々しく建物から出て行った。そんな様子を見た宏輝はあくどい顔から人懐っこい、百代の人柄が良いと感じた表情に戻る。テーブルに置かれた札、合計七万円のそれを取ると、近くにいる如何にもホームレスに見える男性の手に握らせた。

 

 

「ほいおっちゃん。二度と騙されんなよ」

 

「おおぉ。ありがたい。本当に取り返してくれるとは……ありがとうあんちゃん」

 

「困った時はお互い様。悪いのはあの馬鹿だし? おっちゃんが頑張って稼いだ金を奪うなんて許されないって。また取られたら言って? ギャンブルは得意だからいつでも取り返せるよ」

 

「ありがたい。ありがたい……こんなに優しくしてもらえたのはいつ以来だろう……」

 

 

 ニヒヒと笑う宏輝に涙を流すホームレスの男性。ペコペコと宏輝に頭を下げながら建物、賭博場から出るのを見計らって手を振っている宏輝に近付く百代。労いの言葉を掛けようかと考えたが、背中を軽く叩くだけにした百代。

 

 

「お人好しだなヒロ」

 

「まあね。俺、昔にホームレスの人等にギャンブルを教わった事もあったから助けようと考えているんだ」

 

「マジか。そういえばホームレスの中でギャンブルに強いのがいるってジジイが言ってたな」

 

 

 顎に手を当て、考える百代。ギャンブル、先程やっていたのはトランプを使うブラックジャックだ。カジノ定番のゲームでカードの合計が21こ越えないようにプレイヤーがディーラーよりも高い得点を取る事で勝利を得られるものである。先程のゲームでは、ホームレスから金を巻き上げた元ディーラーの経験がある“その筋の人間”である。新たなカモとして現れたと思っていた少年はギャンブラーの才能を持ったギャンブル狂い、天才であった。デック、ショートデックと呼ばれるブラックジャックでの代表的なイカサマを使い、勝率を最低まで下げた状態でディーラーは勝負を挑んだ。結果、一枚しかないエースと10カードを全て抜いて圧倒的な勝利を収めた。ルールを詳しく理解していないであろう百代にペットボトルの水を飲みながら説明する宏輝。

 

 

「――つまり、さっきのは普通の人がどう足掻いても勝てない仕組みになってたってわけ。結構使われるイカサマなんだ」

 

「詳しいな。さっき以外にも経験があるのか?」

 

「あるよ。子供だからわからないって思ってやったらボロ負けして唖然。って顔を何度も見た」

 

「……鬼畜だな。それだけを聞くと」

 

「イカサマを仕掛けた方が悪い。もっと言えば見抜かれるのが一番悪い。イカサマは見抜かれないからこそのイカサマだ。簡単に見抜かれるお粗末なイカサマはイカサマとは言わないよ」

 

 

 ふと、百代は気が付いた。宏輝がペットボトルを持っていない方の手で無意識に腹部に触れるのを。百代の記憶が正しければあの位置には傷のような物があったはずだ。ギャンブルの事を話し、無意識か意識的か、どちらにしてもその傷はギャンブルに関係するのだろうと百代は思った。イカサマの事をそこまで詳しく言う事を考えると、そんな事があったのかと百代は心が痛むのを感じる。まだ若いのに――と。

 何やらシリアスな雰囲気を出す百代だが、宏輝の心中は全く別の事を思っていた。

 

 

(肉の食べ過ぎで胃が凭れた)

 

(ヒロ、今まで苦労してきたんだな……クッ)

 

 

「んでピーチ。他に面白い場所ある?」

 

「クッ……まあ他にも面白い―――って何だその呼び方は」

 

「百代で桃、ピーチ。姫を付けたら攫われそうだと思わない?」

 

「やめろ。その呼び方だけはやめろ……えーじゃない。せめてモモにしろ。攫われるくらいなら尻尾を掴んで振り回すわ」

 

「じゃあモモちゃんで。同い年っていうけど、どうにもモモちゃんって子供っぽいよね。マリオ知ってるの?」

 

「お前が言うかお前が。スーファミで何度かやった」

 

 

 百代は宏輝を叩いた。叩かれた側、宏輝はニヒヒと口癖である子供っぽい笑い方で応える。少し怒っていた百代はそんな笑顔に毒気を抜かれた気分になり、苦笑する。こんな一面も天井宏輝という少年の良い場所なのだろうと思っていた。二人は並んで歩きながら川神の街を歩く。時折、百代のツアーガイドらしい観光案内もして宏輝はへーと相槌を打ちながらも興味深そうに説明された場所を眺めたりしていた。

 ほい。とたまにある店でおやつ扱いのお菓子やコロッケを宏輝自身と百代の二人分を買って食べ歩きをしたりする。警察の手当を倍にしたため、金だけはある宏輝は観光気分で百代と雑談しながら――というより、修学旅行気分で川神市を練り歩いていた。男とは仲の良い人間以外とは初めてのため、少し新鮮だと感じ、楽しいとも感じている百代。パチンコ、パチスロを見掛けるとフラフラと導かれるように店の中に入ろうとする宏輝を止めたり、自分で買ったお菓子を道行く子供に与えたりする宏輝を見たり。新しい景色が見えていた。

 

 

「うお。ぬこだぬこ。しかも真っ黒。これ食うか? ――え? 死んじゃう? ノー?」

 

(猫かヒロ。自由奔放すぎるぞ)

 

「モンプチか。やっぱりモンプチか。コンビニで買ってくる」

 

「待て待て。少しは落ち着け。さっきからあっち行ったりこっち行ったりと忙しい奴だな」

 

 

 猫と同じようににゃーと鳴き真似をする宏輝を借りてきた猫のように襟を持って持ち上げる百代。野良猫である黒猫もにゃーと鳴きながら浮いている宏輝を見上げ、少し高い位置にある靴に手を伸ばそうとジャンプしては猫パンチを繰り返していた。

 

 

「思うんだが、動物とか人に関係なく好かれるんだな」

 

「自分でも思う。ばーちゃんが言うには俺には“天”が付いてるって事らしいよ。だからホームレスの人とか初対面の人との交流を簡単にこなせるって聞いた。天運だけでなんでそこまで言えるかわからんけど」

 

「不思議な奴だなぁ、お前」

 

「自分でも自分がわからないよ全く……それより離してくれない? モモちゃん」

 

「やだ」

 

 

 ぷらんぷらんとてるてる坊主のように揺れる宏輝を少女とは思えない怪力で軽々と持ち上げる百代は流石、武神と言わざるを得ない。少し暴れても微動だにせず、持ち上げられている場所を支点に揺れるだけであった。

 

 

「はーなーせー」

 

 

 宏輝の声に合わせ、黒猫も合唱するようににゃーと鳴く。宏輝の足で遊んでいた黒猫は対象を変え、百代の足元に擦り寄って遊んでいる。肉球のある手でふにふにと少し露出した靴下で覆われた足の甲の部分を触っては楽しんでいる。そんな様子に、彼女は空いた片手で黒猫を摘んで宏輝の前に出して見せる。両手は自由なので、黒猫は宏輝の手の中に収まった。おーよしよしと手馴れた様子で黒猫の首を撫でると、ゴロゴロと嬉しそうに鳴く。

 

 

(何か和む)

 

「おっちゃんおっちゃん。この猫ちゃんに救いの手を差し伸べてくださいませんか?」

 

「……っていつの間に抜けた」

 

 

 宏輝を持っていた手を見た百代は宏輝がいなくなっている事に気付く。気付かぬ間に抜け出していた事に驚き、黒猫を前に突き出して餌こと食事をくれるようにお願いしている宏輝を見つける。相手は土産屋で働く店の主人である男性であり、少年の宏輝と楽しそうに笑いながら会話をしていた。初対面であるはずなのに、すぐに仲良くなっているのにも百代は驚いていた。馴染み易いのは知っていたが、まさかここまでとは思わなかったようだ。

 また来いよ坊主と土産屋の男性の声を聞きながら二人はまた場所を変えるように歩き出す。新しい連れに、黒猫がチョコチョコと宏輝と百代の後ろを歩いて付いて来ていた。チリンチリンと鈴、黒猫の首に着けられた赤い首輪の黄色い鈴が周りに鳴り響いていた。

 

 

「名前はクロにしよう」

 

「飼うのか? 凄い懐いているなこの黒猫。変なフェロモンでも出ているのか?」

 

「否定できないのが現状である。このせいでどれだけ苦労した事か――」

 

 

 主にこんな事が。と語り始める。初めは興味本位で聞いていたが、だんだん話が進む度に顔を引き攣らせる。自分が思っていた事と違っていた事が起きていた事に引き攣っているのだ。

 

 

「犬に寄られて舐め回される。動物園に行けば必ず動物が脱走して絡まれる。宝くじを買えば一等以外は当たらない――」

 

「も、もういい。幸運なのはわかったけど同時に不幸なのがよくわかった」

 

 

 疲れた感じで話している宏輝に百代は話を止める。天運といっても、幸運が幸運になるわけではないのだと彼女は悟った。宝くじが一等なのは魅力的だが、話の中にあった幽霊に会える幸運だけは体験したくないと考えていた。幽霊嫌いな川神百代、少女らしい可愛い一面であった。

 話を逸らすように、百代は陽が暮れるまで宏輝を川神市を案内する事にした。朝から練り歩き、昼食を一緒に取るなど。世間で言う『デート』である行動であった事は百代はこの時点ではまだ気付いていない。

 

 

 

 

 

 ――しかし、そんな楽しい時は終わりを告げる。

 

 

 

 

 

 

 

「ん? 電話か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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08 嘘を吐いた日










 

 

 

 

「――ッ!!」

 

「おいヒロ! 待て! どうしたんだ!」

 

 

 突然、宏輝は弾かれたように走り出す。急に様子が急変して何かから逃げるように凄まじい速さで走り、背中が百代の視点から小さくなっていった。百代から見ても、宏輝の走る足の速さは普通と比べても速いと思えた。すぐに追い掛けようかと考える百代だが、すぐ目の前に小さな物体が写って足を止める。咄嗟にそれを掴んでしまい、意識をズラしてしまった事で彼の姿を見失っていた。

 後で追い掛けようと決め、百代は咄嗟に掴んだ物を見る。手に収まる小さな長方形の物体、携帯電話と呼ばれるものがあった。まだ通話中のようで、百代はまだ繋がっている携帯電話を耳に当て声を出してみる。

 

 

「もしもし」

 

『ん? 誰だ。女か? クソガキはどうしたんだ?』

 

「ヒロならどっかに走って行ったぞ。それより誰だ?」

 

『刑事だ。クソガキ、天井宏輝はどうした? まだ説明の途中なんだが』

 

「説明? ちょっと私にも聞かせてくれよオジサン。後で私が教えとくから」

 

『その前に身分を明かして欲しいものだな』

 

「川神百代だ」

 

『――ってお前さんがMOMOYOかっ! あのクソガキの財布と携帯電話を盗んだって被害届があるぞ!』

 

「和解した。今は川神市の観光案内をしている」

 

 

 和解したと言っているが、保留しているという表現が正しい。こうして宏輝が百代と川神市を歩いているのは、たまたま近くに弱み(借金)を握った百代がいたからこそ、それを利用しただけのこと。借金、勝手に金を使い込んだ事を解消するために百代は動いているだけという考え方もできるが、純粋に宏輝に興味を持って接している。

 携帯電話を持ち、耳に当てて会話をしながら百代は移動する。気の感じる場所を目指しながら電話の相手である刑事、以前に宏輝を逮捕して尋問を行った頭の寂しい刑事とやりとりをする。説明、宏輝が身分を証明できる物を取り返した時に連絡をして自分の地元と住所を照会してもらうように頼んでいた。その結果を聞いている最中で宏輝は何故か逃げるように走って行ったわけだ。今もまだ彼が走り続けている事は百代の優れた気の探知能力でわかっているが、正確な位置はわかっていない。

 

 

『続きだ。照会した結果、適合するのを見つけた。が、天井宏輝という人間はいたが“年齢は現在七歳”だ』

 

「……は? でもアイツはもっと年齢が上のはずだぞ?」

 

『戸籍も確認した結果だから間違いない。それを話したら声が聞こえなくなった。逃げたんだとしたらそのタイミングだ』

 

「ん、ん? イマイチ理解できん。詳しく」

 

『俺もよくわからん。その違和感が気になって調べてみたが、俺とお前が知っている年齢の天井宏輝の存在は、戸籍上存在しない』

 

「お、おかしいだろ。ヒロはこの川神にいるんだから戸籍が無ければおかしいじゃないか!」

 

 

 百代は狼狽えながら声を出す。自分の新しい友人の戸籍が無いと言うのだ、普通であれば有り得ないと思う。何故なら天井宏輝はこの川神の地にいて確かに彼女は彼と話したのだから。だが、世の中とはそういうものだ。何かの陰謀で戸籍を消される、存在自体を抹消されて天井宏輝という人間を追い詰める手段として使われる可能性も捨てきれない。実際は違うが、その可能性もある。

 たん、たん、たんと百代は電話をしながら建物、建物を飛び移りながらいなくなった彼を探す。黒猫は宏輝が抱えたまま逃げているのでいない。黒猫と宏輝、一度だけ感じた気を頼りに川神の街を駆け抜ける。通話も終わり、説明を全て聞いた百代は移動するスピードを上げる。

 

 

(どういう事かわからないが今はヒロを探さないとっ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

(いたっ!)

 

 

 探す事、数十分。百代は消えた宏輝を見つける事ができた。川原の斜面、草が生えている場所で背中を向け、陽が沈み始めている景色も合わせて哀愁感がかなり漂っていた。宏輝を少し知った百代はただならぬ様子を感じ、彼に近付く。ただ、ボーッとして目の前の景色を眺めるだけの宏輝の隣にそれとなく座る。遠い目をしながら胡座をかき、黒猫を乗せたままの宏輝の様子は普通ではない。何と声を掛けようかと考える百代だが、言葉が浮かばない。時間だけが流れ、冷たい風が二人を叩き始めた。

 

 

「……なあ。モモちゃん」

 

「どうした?」

 

「聞いたんだろ? あの刑事から。俺の事を」

 

「まあ。少しはな―――戸籍が無いこと」

 

「はははっ。やっぱりか……ここには俺の居場所は――」

 

 

 乾いたような笑いをする。自分の手で自分の顔を隠すように覆う。百代から見れば、泣いているのを隠しているかのように見えた。その動作の前に呟いた言葉は百代の耳に届いていた。自分の場所は―――と続く言葉は『無い』。この場所には自分の居場所は無いと言いたいのだと百代はすぐにわかった。

 

 

「――モモちゃん。嘘みたいな話だけど聞いてくれる? 会って間も無いのにこんな事を話すのは少し抵抗があるけど……」

 

 

 前を向いたまま百代の方を見ないで淡々と感情の無い声で語り始める。チラリと百代が宏輝を見れば、何故だか普通の雰囲気であった。勘の良い百代は危険、危うい雰囲気を漂わせていたのにそれが元から無かったように普通である事におかしいと感じていた。

 あの哀愁感が漂う背中は見間違いだったのだろうかと思うが、確かにあの雰囲気は只事では無かったと百代は言い切れる。問おうと考えるが、下手に手を出して藪蛇にはなりたくない。更に空気が険悪化するのだけは避けたい。

 

 

「いつか来るとは思っていたけどここまで早いとは思わなかった。本当の両親じゃないんだ。俺の今の両親は」

 

「つまり、義理の子なのか?」

 

「うん。だから俺の持っている天運は両親は持っていない、普通の人間なんだ。それが災いしたんだ」

 

 

 先程の天運の弊害、幸運の裏側にあるデメリット。その幸運が逆に不幸を呼び寄せる事になってしまった。天運による、ギャンブルや宝くじで得られた莫大な金額の金銭。それを巡った醜い争いは天運持ちの宏輝ではなく、無関係の人間や身近な人間を巻き込む事になった――と宏輝は話した。自分が疎ましくなり、自分を誰かに“譲渡”しようとしていたのだと百代に話した。それを行うためがこの戸籍の偽装、書き換え、消去なのだと。自分は亡霊なのだと。そう話した。

 

 

「だけど両親を怒らないで欲しい。仕方がない事なんだよ」

 

「……お前は大丈夫なのか?」

 

「覚悟はしていたよ。望んでいなくても必ず起きる事だったから。ギャンブルに打ち込んでいる身でこんな事は言えないけど」

 

 

 ははっと笑う宏輝。膝小僧を抱えて俯いてしまう。膝に乗っていた黒猫がコロリンと百代の隣に落ちる。

 

 

「……ヒロ。居場所が無いならウチに来い」

 

「無理だ。これ以上迷惑は掛けられない。あの痴呆ジジイに何をされるかわからないのが嫌だ」

 

「う、うん。大丈夫だと思うぞ! そっちの趣味は無いはず。間違いない、はず――」

 

「余計不安になったよ」

 

「うっ」

 

 

 膝小僧を抱えた腕の隙間、腕の下の腋からジト目で百代を見る。祖父である鉄心の様子に不安を感じているのは百代も同じであった。自分の尊敬し、探している人生の師匠に瓜二つの容姿をしている宏輝。名前も呼び方を変えれば見事に一致するというまさに奇跡と呼べる事が起きているのだ。あの信狂ぶりから“間違い”を起こさぬ事に対して不安を感じてしまうのであった。如何わしい女子高生のオカズのネタになるのも近い未来だろうか――。

 

 

「宿は自分で確保するから暫くは探さないでくれると嬉しい」

 

 

 ここで百代は純粋に驚愕を表す。確かに隣に座っていて気も感じられていたはずなのにその網から逃げるように立ち上がって、移動していた。一言だけ百代に言い残すと背中を向けて歩き出す。思わず追い掛けようとするが、脚に何かが引っ掛かって転んでしまう。顔面を強打し、痛む場所を摩りながら見れば足の部分に草が巻きついていた。よくよく見れば、誰かに結ばれたような後があり、それが宏輝の仕業だと知って文句を言おうとする。しかし、さっきまでいた場所にはもう彼はいない。彼に懐いている黒猫も一緒に。

 力任せに草を引きちぎると、いなくなった宏輝を探そうと駆け出す。何故そうしたかは百代自身にもわからない。会って一日、ファーストキスも奪われた乙女の敵であるはずなのにと。だが、宏輝の持ち前の温かい人柄に触れて毒されたのだろうと彼女は走りながら思う。何よりも彼女を突き動かすのは“義理の子”というキーワード。

 

 ――川神百代には血の繋がらない妹がいる。義理の子である所で同情しているのか、それとも別の感情を抱いているのか。赤の他人であるはずの天井宏輝の事が本格的に気になり始めている百代だった。が、その日の間に百代は宏輝は見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走っている百代から隠れるように物陰、路地裏から彼女を見る人間が一人。

 

 

「ゴメン。少しだけ整理させて欲しい。だって俺はモモちゃんを騙してる――畜生」

 

 

 黒髪の少年は黒猫を抱えたまま路地裏の壁に背中を預け、力無くしゃがみ込む。片手で顔を覆うと、見えない顔の頬を一つの雫が零れ落ちる。そんな少年の様子を不思議そうに黒猫は見上げるだけだった。

 

 

「――もう帰れない。だってここは――」

 

 

 少年の呟きは表の喧騒に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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09 嘘吐真隠

 

 

 

 

 

 喧しい音が響く。金属と金属の擦れる音があり、BGMが大音量で流れている。煙草の臭いも充満し、大人のみがいれる場所だという印象が強く持てる。

 

 

「見つけたぞ」

 

 

 そんな場所に似つかわしくない人物が現れる。黒髪長髪の少女、川神百代が不機嫌そうな顔を隠さずにパチンコをしているもう一人、似つかわしくない少年を睨んでいた。少年は何も言わず、パチンコ台に向かったまま顔を百代に向けようとしない。ジャラジャラと流れる金属の玉が百代のイライラを倍増させる。

 

 

「おい聞いているのか」

 

 

 呼び掛けるが返事は無い。流れる金属の玉を見逃すまいとガン見したまま百代には一切、見向きもしない。

 

 

「――ヒロッ!」

 

「来たァ!!」

 

 

 痺れを切らして少年――宏輝に叫んだ百代だが、それ以上の声量で宏輝が大声を出してグンッとパチンコ台に顔を近付けて興奮する。そんな様子に唖然とする百代。しかし、周りのパチンコをしている男性や女性は興味深そうに宏輝のやっているパチンコ台をゾロゾロと見に来る。来い来い来いと声を出しながら操作をしていると――。

 

 

「キタァァァァァァ!! 大当たりだ!!」

 

 

 両手を挙げ、喜びを示す宏輝。ジャラジャラと金属の玉が下の排出口から大量に流れ出るのを見、喜んでいる。無視されていたと思っていた百代はそんな宏輝の態度にポカンとしていたが、全てを理解すると、プルプルと震え始める。あまりのくだらなさに。

 ガシッと宏輝の肩を掴むと、ギリギリギリと万力の力で握り潰す勢いで力を入れ始める。その痛みにやっと百代に気付いたのか、パチンコ台のレバーを握った状態で振り返る。喜びの表情から徐々に驚愕、顔を真っ青にし始める宏輝。

 

 

「も、モモちゃん?」

 

「久し振りだなァ。ヒロよォ。あぁん? 無視し続けるなんて酷いじゃないか」

 

「い、いや。これには事情があって――」

 

「二週間もか? 高校生がパチンコなんてしていいのか?」

 

「モモちゃんシーシー!」

 

 

 慌てて百代の口を塞ぐ。が、その発言は周りの人間に聞かれてしまった。特に聞かれたくないと思っていたパチンコ店の店長にも聞かれてしまい、思いっきり顔を引き攣らせる宏輝。それに合わせ、店長は満面の笑みを浮かべる――。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「モモちゃん空気読んでよ。わざわざ変装してまでパチンコしてたのにさー」

 

「……制服から私服に変わっていたのはそれが理由か。イメチェンかと思った私が馬鹿だった」

 

「だってホラ。いつまでも制服でいるわけにはいかないじゃん? 無駄な努力で大人に見せようとしているのに何で俺は童顔なのだろうか」

 

 

 百代の記憶の中にある宏輝のいつもの笑顔を見せる。苦笑しながら缶コーヒーを片手に飲んで顔を顰める。コトン、と近くの公園の座っているベンチの上に置くと仁王立ちの百代を見上げる。宏輝に奢られたからか、少し機嫌が直った状態で手の缶ジュースを飲んでいた。

 パチンコ店で遊んでいた宏輝は未成年である事がバレ、店長に締め出されてしまった。大量の玉は没収され、稼いだ分が無くなった事に肩を落としている宏輝。ここ二週間、百代と鉄心に会ってから姿を眩ませていた彼は百代から見て雰囲気も少し変わっていた。黒い制服から少しお洒落な大人の服装にチェンジしている影響もあるが、まだ立ち直っていないのだろうかと思える節を感じていた。それもそうだ。実の両親に捨てられたも同然の事をされたのだ。二週間程度では立ち直らないだろうと百代は考える。

 

 

(まだあの事を気にしているのか?)

 

「畜生。今日の分の金を稼ごうと思っていたのに……」

 

「ギャンブルに関してはブレないなヒロ。そんなに中毒かお前は」

 

「正直、ギャンブルだけで毎日食って生きていける気がする。天運って恐ろしいね」

 

(……ジジイの言う事を信じればこの発言も可能性の内に入るのか)

 

 

 宏輝に怪しまれぬよう、百代は観察するような目で見る。

 彼女は宏輝が姿を消している間、祖父である鉄心から天井宏輝と天上皇輝の関係、天上皇輝の素性を聞いていた。無論、鉄心が知る天上皇輝の事を殆どを知った事になる。天井宏輝と天上皇輝の容姿が瓜二つ、発言に天上皇輝を匂わせる。それが何より百代は気になって仕方がなかった。

 

 

(天眼、天運、天心。どれも天上皇輝が話していたらしいが……天が付いているのってそういう事なのか?)

 

「――も、モモちゃん? そんなに見られると俺でも恥ずかしいんだけど?」

 

「何でも無い。それより今は何処にいるんだ? まさか野宿しているわけじゃないよな?」

 

「仲良くなったマダムの家の一室を借りてる。結構洋風と和風でミックスされていい感じだぜ?」

 

「……はい?」

 

 

 その発言に虚を突かれる百代。今、何と言っただろうかこの少年はというのが心情である。改めて見ると、この少年の着ている服は結構高価な物ではないかと思い始める。川神市のとある男性用の高級ファッション専門店に似たような物があったような、とも思ってタラリと冷や汗を流す。目の前の少年の人脈の広げっぷりを油断していた。まさかここまでとは。と戦慄する。

 

 

「キャバクラで鍛えたトーク力で仲良くなりました。取り敢えずキャバクラのお姉さんの指導が良かったんだと思う」

 

「……お前、何歳だ。キャバクラなんて高校生が入れるのか?」

 

「意外と楽勝。たまたま麻雀で知り合った企業の社長さんと一緒だったら意外と歓迎された」

 

「羨ましいッ。私もキャバクラで綺麗なお姉さんとお話したいのにッ!」

 

「――百合趣味か。身の置き方も考えないと」

 

 

 若干話がズレ始める。宏輝が意図的に話を逸らしたのもあるが、このキャバクラの話題を出してここまで食い付くとは思わなかったのだろう。百代を見る目が一変し、変な目で見るようになっていた。

 

 

「……はっ。違う。違うからな? 女の子やお姉さんは好きだけど男の方も好きだからな?」

 

「“も”? まさかの両刀使いですか……キモッ」

 

「ちっがあああああうっ!! 何でそんなにドン引きしてるんだ!?」

 

 

 弁明しても宏輝は百代=両刀使いというイメージを消さなかった。消せなかった。どれだけ百代が弁解しようとも、下位に変換された百代の印象は固定されてしまった。冷たい視線を百代に送る宏輝は逃げるように彼女から離れていき、百代もそれを追い掛けるように付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま帰りました。これ、頼まれた物です」

 

「ありがとうね。助かるわ」

 

「居候なんでこの程度ならいつでもやりますよ。あ、こちらは僕の友人である川神百代です。上げてもいいですか?」

 

「ヒロちゃんのお友達? 構わないわ。お茶でも?」

 

「お願いします」

 

 

 場所を移して宏輝の言うマダムから借りた家の一室。空いた口が塞がらないという言葉を体現するもう一人の客人、宏輝の友人である彼女。目の前に聳える高級住宅街の一つの建物、豪邸の前に三人の人物。人の良い印象が持てる老婆、少年の天井宏輝、ポカンとしたままの川神百代。老婆と宏輝は仲良く雑談しており、百代は仲間外れの扱いを受けていた。

 スイスイと家の中を歩く宏輝に対し、戸惑ったまま宏輝の後に続く百代。ここまで豪邸の中を歩いた経験が無いため、宏輝の服をちょこんと摘みながら歩く。そんなしおらしい様子にニヤニヤと笑い出す彼。

 

 

「ん? こんな場所は初めてか?」

 

「あ、当たり前だろ! 見た事が無い上に近付いた事が無いんだよ私は! 何で持ち主の人と仲が良いんだヒロはっ!」

 

「あー、話したら長くなるんだけど――」

 

 

 

 困った様子で頭を掻く宏輝。長くなる話をしなければならないのだが、どのように説明をすればいいか迷っているようだ。そんな時、なーと可愛らしい鳴き声が二人の耳に入る。同時に鳴き声がする方を見れば、二週間前に百代が見た事がある黒い毛並みの子猫がててててと宏輝に向かって歩いていた。その後ろからは老婆のマダムが高そうな陶器のティーカップが乗ったトレーを持ち運んでいる。それには宏輝は慌てる。

 

 

「ああ、マダム。そんなに用意しなくてもいいですのに」

 

「折角のお友達ですもの。おもてなしをするのは当然でしょう」

 

「俺……僕が持ちます。もうお年なのですから重労働はお控えください」

 

 

 トレーを老婆から取ると、運び始める。黒猫もまた、そんな宏輝に付いて行く。百代もそれに続こうとするが、老婆の手によって止められてしまう。

 

 

「ヒロちゃん。少しこの子と話したいから先に行ってもらえる?」

 

「いいですけど。できるだけ早くしないと折角のおもてなしが冷めてしまいます」

 

「わかってるわ――少しこっちに来てもらえるかしら。川神百代ちゃん」

 

「え、あ、ちょっと」

 

「マダムは優しいから大丈夫だって。すぐに馴染めると思うよ。クロ、おいで」

 

 

 トントントンと軽い足取りで豪邸の中にある二階に続く階段を登る。百代は老婆に捕まり、どうしようかと迷っていると、老婆に導かれるようにある部屋に案内される。豪邸の外見に似合う広い部屋にタジタジする百代。こちらに座ってと言われ、戸惑いながら百代は手で示された席に座る。

 朗らかに笑う老婆。宏輝がマダムと呼ぶ老いた女性と向き合って話す事になるのだが、こういった人間と会話をする事の経験が少ない百代にとっては地獄にも等しいものだった。金持ち、人の良さそうなお婆さん、誰でも普通に接する(と勝手に思っている)宏輝があそこまで畏まって話す相手である。これだけの要因があれば、慄くのは仕方がない事だ。

 

 

「突然でごめんなさいね。お友達であるアナタにヒロちゃんについて話しておきたいのよ。このお話は私があの子をここに連れて来た事にも説明ができるわ」

 

「ヒロ、あ、いや。宏輝の事ですか?」

 

「固い話し方じゃなくてもいいわ。あの子と話す時と同じ喋り方でいいわよ」

 

「えっと……」

 

「こんなお婆ちゃんだと話し辛い?」

 

「ま、まあ。そ、それより! どうやってヒロと仲良くなったというか交流が持てたのか気になるけど!」

 

「今から話すわ――そして老い先短いお婆ちゃんのお願いもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――話を聞いた後はあの子とずっと友達でいて欲しいの。ずっとじゃなくても気に掛けるようにして欲しいわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10 見えぬ亀裂

 

 

 

 

 

『一言だけ。あの子、明るく振舞ってはいるけど――誰よりも泣き虫で、辛い事を内に隠す子なのよ。二週間前にあの子を見つけた時、路地裏でずっと泣いていたわ』

 

 

「ん? どったのモモちゃん。俺の顔に何か付いてる?」

 

「……何でも無い」

 

 

 紅茶の入ったティーカップを片手に、ただジッと足を組んで優雅に紅茶を飲んでいる宏輝を見つめる百代。先程、少ない時間の間で聞いた二週間前の出来事と行方が知れない理由を聞いた彼女はいつその事を聞こうかと迷っていた。

 百代がマダム、老婆から聞いた話の内容は路地裏で泣いていたという話。たまたま猫の声を聞いた老婆がそこに行ってみれば、涙を流したまま寝ている所だった。まだ寒い環境だったので、わざわざタクシーを使ってまで自宅に運び、話を聞いている間に仲良くなったと老婆は話している。だが、これは偽りの話である。これに気付くのは大分先の話になる。

 

 

「そんなに固くならないでよ。聞いたんでしょ? マダムから二週間前の話」

 

「……何の事だ?」

 

「隠さなくてもいいよ。その様子を見ればわかる。お人好しのマダムだったら話すだろうって思っていたしね」

 

 

 淡々と言葉にする。そんな宏輝に百代は訝しげに顔を歪める。まだ短い付き合いではあるが、またわかった事がある。普通に考えればわかる事なのだが、天井宏輝という人物の勘は鋭い、鋭すぎる気がすると百代は思う。彼からすれば、現在の状況と百代の様子と少し把握している人間の性格を考えればすぐにわかる事なのだが。それでもその推理力は異常だと感じるであろう。

 

 

「多分、マダムの話した内容は大体合っているよ。そんな経緯があってここで世話になっているんだ」

 

「泣いていたのは本当なのか?」

 

「泣いていない。と誤魔化すところだけどここは泣いていたって言わせてもらうよ。義理とはいえ、両親に捨てられたんだもの。誰でもなくと思うよ。親孝行者ならね」

 

「何で私に相談してくれなかった? 急に逃げて何も言わずに一人で抱え込んで」

 

「モモちゃん。今から最低な発言をするけど許してね? ――会って一日だけの人間にそこまで心を許すほど甘くはないよ。俺は。いきなり何でも話すような奴はただの甘ちゃんか馬鹿だよ」

 

 

 バキッと。殴打する音が響き、続くように陶器が割る音がする。件の百代は拳を突き出し、宏輝は百代から顔を背けるように横を向いて口の端から血を流していた。彼女が彼を殴った。発言が許せなかったのか、喋るのをやめさせるためか。どちらにせよ、強い力で殴ったので口の中を切って血を流す事になっている。殴られた宏輝は恨み言の一つも言わず、指で口の端にある血の痕を拭う。

 

 

「私は謝らないぞ」

 

「それでいいよ。許されようとも思っていないから」

 

「捻くれているな」

 

「よく言われる」

 

 

 割れた陶器、ティーカップの破片を拾い集めて袋にまとめる。不機嫌な態度を隠さないまま片付ける宏輝を睨み付ける百代。あーと唸る様子の彼をまるで親の敵を見るかのような目であり、睨まれている本人は凄まじい殺気を込められた視線であるにも関わらずに飄々とした態度を貫いていた。

 飄々としているが、表情の裏は色々と策略を張り巡らしていた。彼女に気付かれないように片付ける間に不機嫌な態度の百代の様子を観察する。

 

 

(激情家か。芯が真っ直ぐで曲がった事が嫌いな人種のようだ――俺の嫌いで最も憧れるタイプだな)

 

「あー、これ高いのに。確か二十万はいってるのに」

 

「!?」

 

「仕方がないなぁ。弁償しないといけないね。マダムのお気に入りだから怒られそうだ」

 

「!?」

 

「経緯を話そう――都合の悪い部分だけは省いて」

 

「わ、私のせいじゃないぞ!」

 

「え。誰もモモちゃんのせいだって言ってないよ? ――ニヤッ」

 

「脅迫紛いはアウトだぞヒロ!」

 

「脅してないよ? ただ普通に話しているだけだよ俺は」

 

 

 と言う宏輝の顔は悪巧みをするような顔をしていた。財布を盗んだ事に対して強く出られない百代は脅迫材料が増える事に戦慄し、先程までの不機嫌な様子が吹き飛んでしまう。普段であればそんな事は無い百代だが、宏輝の雰囲気と話術によって意識が逸れてしまう。人の心にスルッと入り込んで誑かす。奇しくも、それはギャンブラーの最も必要とされる素質であった。人を騙し、人の心を操る。麻雀やポーカー、ギャンブルにおいて最高の才能である。それを天井宏輝という少年は若い年齢で会得しているのだ。彼の異常さが際立つ。

 自称ギャンブル狂いと言うだけあって、自分のポテンシャルは大抵把握している宏輝。できる事とできない事、自分の性格、自分の行動理念、自分の好み等あらゆる事を把握している。自分の持ち味である天運も含め、ギャンブルの勝負どころである手札(カード)のなる武器も知っている事になる。

 

 

(川神百代。大体は把握できたな)

 

「え? 四十七万円? 高いですねコレ」

 

「わ、わわわわわ、私は関係ないからなっ!!」

 

 

 こうして二人の間の僅かな亀裂が生まれ始める。人格の違いと歩んだ人生の経験の違いが小さな勘違いを重ね、大きな勘違いを生むきっかけとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「……風間ファミリー?」

 

「ああ。私の親しい人間の集まりなんだ。紹介しようかと思ってる」

 

「何で? 風間ファミリーとか言うのを聞くと、閉鎖的なグループだろ? 俺みたいな赤の他人が関わっていいの?」

 

「私は中心的なポジションだからな。紹介するだけなら――というか閉鎖的ってどういう事だ?」

 

 

 高級ティーカップ破壊事件。暫くして帰ると言った百代を見送るために宏輝は彼女と一緒に自宅である川神院への道を歩いている途中で二人は会話を交わしていた。パチンコ店で遊んでいた時の服装のままなのでナンパをした男とされた女の関係に見えるだろう。

 

 

「普通だとファミリーだなんて付けない。グループとかナントカ組とか、任侠とか極道でも柴田組とか青田組とか言うでしょ? それと同じで思い入れの深さで無意識に名前を決めるんだ。ファミリー、家族だなんて余程の事だと思うよ俺は」

 

「――」

 

 

 絶句する。今まで自分がいるグループの事をそんな風に言われた事が無かったから。確かに宏輝の言う事は正しくあって間違いでもあるが、可能性の一つとして挙げるとすれば正しい事である。

 

 

「そんな集まりは大体、普通以上に絆が結ばれていて強い武器にもなるけど同時に弱点でもあるんだ。仲間が一人でも欠けると自分を見失う人が一人は必ずいる。いい事だけど、時期を間違えば一気に崩れる事なんてよくある話だよ」

 

「……風間ファミリーはそんな事は起きはしない」

 

「あ。ゴメンゴメン。つい言い過ぎたみたいだね俺。こういう事に関しては口が止まらなくなるタチなんだ」

 

(自分達はいつまでも仲間だなんて言う奴等が一番嫌いだからな)

 

 

 一瞬だけ。本当に一瞬だけだが、百代は宏輝の気が淀むのを感じた。弾かれたように彼を見るが、当の本人は道端を自転車で走っていく小学生の少年を見ていた。挨拶されるのを聞くと、ヒラヒラと手を振って応えていた。浮かべる表情は笑顔、淀んだ気の持ち主とは思えないものである。

 そんな様子を何度も見せる天井宏輝という少年を訝しく思い始める。チグハグに感じる気の質。天運などと言う、普通の人間には無い素質。川神百代にとって一番気になるのが自分よりも強い存在の人生の師と瓜二つであること。悪魔の笑顔、天使の笑顔、二つの顔を持っていると感じているのだ。

 

 

「なぁ、ヒロ……」

 

「へえ。最近じゃそんなのが流行ってるの? 俺、世間知らずだからよくわかんないんだよね。アハハ」

 

「……っていつの間に。凄い集まってるな。私が気付かない間に何があったんだ」

 

 

 少し目を離した隙に宏輝に四人の子供、ランドセルを背負った小学生が群がっていた。世間話のようで、宏輝と小学生の間で話が膨らんでワイワイとなっていた。百代がその現状に気付くと、小学生達が手を振ってその場から立ち去る。じゃあな兄ちゃんと聞こえ、宏輝もまた手を振り返す。

 

 

「――モモちゃん、考え事してたでしょ? 人間って考え事をしている間って殆ど無防備になるんだよ。それが武神(笑)であっても同様」

 

「違うニュアンスに聞こえたのは気のせいか? 子供相手にも人気なんだなホントに」

 

「気のせいでしょ」

 

 

 好きで好かれているわけじゃないと付け加える。グシャグシャと髪の毛を掻いて崩す宏輝は百代に早急の帰宅を促す。そろそろ時刻も夕刻へと変わり始める頃、太陽も沈み始めていた。

 

 

「悪いんだけど今日はその風間ファミリーの面々とは会わないよ。これからマダムの食事会の付き添いがあるんだ」

 

「……居候というか執事じゃないか?」

 

「ポーカーできるから燕尾服を着ろと言われたら着るよ。大きなパーティーらしいからそういった事もするんだってさ――っとと。はいコレ」

 

「何だこれ?」

 

「新しい携帯も契約できたから電話番号。メールアドレスもあるから暇な時に連絡してもいいよ」

 

 

 紙切れを渡す宏輝の手には青く輝くボディの折り畳み式の携帯電話が。それも百代の知る最新型の高性能テレビ付きのものであった。

 

 

「何で持っているかって聞きそうだから言うけど」

 

「何で持っているんだ……ハッ!?」

 

「……ノリが良くてよろしいようで。マダムは身元保証をしてくれただけ。月々の使用料金は自己負担、契約時にも色々と手を回してくれて色々できる仕様。魅力的なのが電話帳の登録数の豊富。ほい」

 

「――!? 多すぎだろ! 何で二週間の間に五十を越えてんだ!」

 

「ホームレスのおっさん、麻雀荘の親父、梅屋の主人――」

 

「わかったわかった! わかったからもういい!」

 

「まあ、後々に役に立つかな?と思える人達とは交流を図って成功しているわけである。なっはっはっは」

 

(や、大和以上に知り合うのが上手いんじゃないか? ヒロの性格も考えれば大和以上かも――!)

 

「にひひひっ。そんなわけだから俺は帰るよ。また明日以降ね」

 

 

 ポンと百代の肩を叩いて立ち去ろうとする宏輝。格好良く立ち去るかと思いきや、百代の高速で伸びてきた腕の手に捉えられる。首を掴まれたのでぐえっと宏輝の口から漏れる。宏輝の進もうとした進路と逆の方向に向かって百代は歩き始める。

 

 

「今日は川神院に泊まるようにとあのマダムさんから言われてる。というわけで行くぞ」

 

「えぇ! 俺、聞いてない!」

 

 

 ズルズルと宏輝は百代に引き摺られながら川神院に向かう事になる。滑稽な姿をしている彼をほんの少しだけ顔を出す太陽が嘲笑っているかのようであり、そのまま辺りが暗闇に包まれ始める――。

 

 

 

 

 

 

 







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11 忠犬少女

 

 

 

 

 

 川神市にて、天井宏輝と会った人物は皆、こう評価する。

 

 

 ―― 今時、珍しい子。礼儀正しい

 

 ―― 馴れ馴れしく感じるけど不思議と嫌では無い。不思議な雰囲気を持っている子

 

 ―― 義理深い子。身分とか関係なく接してくれる優しい子

 

 

 人によっては評価はバラバラだが、誰もが宏輝に好印象を抱いている。川神百代の睨んだ通り、彼の親しみやすい雰囲気と天運というアドバンテージで“最悪な結果を簡単に避けられる”事ができる。初対面の時点で悪印象があったりする事があるが、この件の少年にはそれが無い。まさに天に愛されていると言える選ばれた人間と言っても過言ではないだろう。故に、誰もが幸運あるこの少年を羨むだろう。些細な事で羨ましがるという行動をされる宏輝にとってはその対応を嫌っていた。初めは良かった。ちやほやされる事に喜びを感じていたが、徐々にそれを疎ましく感じるようになった。

 

 

 ―― 俺だって好きでこんな幸運を持っているわけじゃない

 

 

 この認識の違いが亀裂を生むきっかけとなる。自分は冗談で言っているが、言われる人間はたまったものではない。それを繰り返した事で生まれたのが“ギャンブルに狂う天井宏輝”であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーと、ポチ子ちゃんだっけ?」

 

「違う。川神一子、皆からワン子って言われているわ!」

 

「あ、そうだっけ? ワンコなんて言われているから犬の名前かと思ってた。お手」

 

「わんっ!」

 

「……何この子可愛い」

 

 

 川神市川神院。百代に引き摺られた宏輝は自分よりも背が低い少女と戯れていた。赤い髪の毛を纏めたポニーテールの髪の毛と頭をまるで犬を愛でるように撫でるのを見れば、その少女が気に入った事は一目瞭然である。

 この少女は川神一子。川神百代の義理の妹にあたる少女であり、初めて川神院に訪れた時にはいなかった者である。なので一子側から挨拶をすれば、このような事態になったわけだが。どうやら一子自身を宏輝は気に入ったようで、先程から犬相手に命令する言葉を何度か繰り返しては遊んでおり、ご褒美にわしゃわしゃと撫でたり、自分に用意された茶請けを餌のように与えたりしていた。そんな二人の様子を眺める影が二つ、三つ。

 

 

「……すんごい懐いているな」

 

「……懐いておるの」

 

「……懐いていますネ」

 

 

 川神百代、川神鉄心、川神院の師範代であるルー・イー。彼等三人が戯れている宏輝と一子の様子を眺めていた。宏輝の差し出した右手に一子が左手を乗せ、宏輝に滅茶苦茶に撫でられる。何度か繰り返されるその行為をただ眺めている三人の一人、百代は面白くなさそうであった。ムスッとした顔をし、特に宏輝を睨んでいた。人によっては嫉妬をしているのかと思うだろうが、それは正解である。

 

 

(ヒロめぇ……! ワン子にあんなけしからん事をっ! 私もまだしていないのにっ!)

 

「天井宏輝? 宏輝って呼んでいいかしら?」

 

「いいよ。アダ名はヒロ、姉のモモちゃんからはそう呼ばれている」

 

「じゃあヒロって呼ばせてもらうわ! その代わり、ワン子って呼んでもいいわ!」

 

「元気一杯でよろしい。おすわり」

 

「わんっ!」

 

「マジ可愛い。モモちゃん、変態ジジイ。この子頂戴」

 

 

 真顔で三人に向かってそうほざく宏輝。真顔であっても、目が本気だった。

 

 

「誰がやるかこの変態めっ!!」

 

「代わりに宏輝君がワシの孫にな――冗談じゃモモ」

 

 

 ギロリ。武神の名を持っていた鉄心ですら気圧される殺気を放つ百代に睨まれ、縮こまっていた。その殺気に反応したのは何も鉄心だけではない。義理の妹である一子、ワン子も禍々しいそれに反応して影響を受けてなさそうな宏輝の後ろに隠れ、涙目で震えていた。一見、ケロッとしているように見えるが、宏輝の心の中では冷や汗ダラダラで今にも倒れたいと思っていた。ポーカーフェイスが得意なのがここで仇になってしまう。

 何とも無いように見える。それは百代に大きな勘違いを与えてしまう。

 

 

(ふふふふっ。この様子を見るとやはり只者ではなかったかっ!!)

 

 

 私の殺気を受けて怯えない。 → つまり、私よりも強い。 → キター!

 

 まさに馬鹿と言える思考回路であった。短絡的な考え方により、大きな勘違いをしてしまう百代。今までに受けた印象を考えれば普通の人間であればその結論に至るのは仕方のない事だが。その結論が誤りだと気付くのは川神百代という人物では不可能だ。相当頭がいい人物でなければ察する事もできない。無論、そんな人物であってもバレないように振る舞えるのが天井宏輝という少年ではあるが。

 

 

「ねえ。なんかモモちゃんの目がやばいんだけど」

 

「ワシに聞かれても」

 

「こんな事になったのはお爺ちゃんのせいでしょ!」

 

「天上皇輝の弟子たる者ならこれくらいできるんじゃないの? 上手くできたら褒められ――」

 

「ワシに任せておれ。必ず食い止めてみせよう」

 

 

 ふぉぉぉと叫びながら鉄心は修羅と化した百代に向かう。豊かな髭を揺らしながら百代の意識を刈り取ろうとする鋭い蹴りが鉄心から放たれる。難なく受け止めると、二人は同時に外へ飛び出してしまう。それを見届けると、宏輝は一気に脱力して息を吐く。彼の額には少なくない汗が付着していた。

 

 

「もう勘弁してくれよ。何なんだよあの化け物二匹――」

 

「だ、大丈夫? お姉様も相変わらず怖いわ」

 

「“この世界”の奴等は理不尽だ。何でアニメみたいな事ができるんだ」

 

 

 宏輝はげんなりとしながら僅かに見える外の景色の一部を見る。そこには地面に足を着けずに空中で浮きながら激突を繰り返し、殴ったりと蹴ったりと二次元的なバトルをしているのが見えた。人体から有り得ない音が響いては宏輝の耳に入り、彼は顔を顰める。

 彼の様子を間近で見ている一子は宏輝の言動に違和感を感じられなかった。濃厚な殺気、殺す気を今までよりも大きなそれを受けて解放された事で気が緩んだのだろう。“本音”が口から漏れてしまったのだ。宏輝にしては珍しい事だが、初めて会った一子には見抜けない。寧ろ、現段階では百代でも見抜けないだろう。“この世界”、この言葉の意味をはっきりと理解できる者が何人いるだろうか。

 

 

(しまった。ポロってしまっ――)

 

「アニメみたいって例えばどんなのかしら」

 

(嗚呼、何ていい馬鹿なのだろう。この子は。ますます愛おしくなってきた――)

 

「? 何でまた撫でるの?」

 

「可愛くてつい」

 

 

 心行くまで一子を撫で続け、愛で続ける宏輝であった。バックコーラスは川神鉄心、川神百代。殴り合う二人の声と音が静かな夜に響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「――世界が違っても月と星の輝きは変わらないって誰かが言ってた気がするよばーちゃん」

 

 

 宏輝は一人、星が瞬く夜天の空を見上げながら呟く。時折、欠伸をしながらも顔を上に向けたまま微動だにしない。そんな彼の顔には憂いがあった。彼はある事を二週間前の日からいつも毎日思っては考えていた。

 天井宏輝は今、自分がいる場所が元の彼が住んで暮らしていた地とは違う土地にいると断定している。断定するきっかけは自分を逮捕した刑事からの連絡、マダムに拾われてから時間をフルに使って調べ上げたこと。世界地図と日本地図、世界の歴史。中学校と高等学校の教育課程で学ぶであろう事を一から調べた。幸い、時間だけはあったので“異なる世界”にいる仮説は真説となってしまう。信じられない真実を知ってからは夜に月を見上げる行為を繰り返していた。

 

 

(異世界、か。ばーちゃん、元気にしてっかな?)

 

 

 彼が思うは自らの祖母。彼がギャンブルにどっぷりとハマるきっかけを作った人物である。宏輝がまだ幼少の頃、遊びと称してポーカーやブラックジャックとアメリカのラスベガスのカジノにあるようなゲームを祖母と遊んでいた。また、金の絡むゲーム全般を教えられたギャンブルの師匠でもある女性である。天運が開花したのは彼女の功績、彼の醸し出す雰囲気も宏輝の祖母の教育の賜物であり、全てに置いて学んだと言っても過言ではない。

 

 

「絶対今までと変わってない気が――」

 

 

 タラリと冷や汗を一つ、額から頬まで流す。自分の知る祖母の素性を考えると、何も変わらないと思っている。年の割には若い声で高笑いをするため、その声が宏輝の頭でリピートされては祖母の姿が浮かび上がる。同時に、体が震え始めて震えを抑えるように自分の体を抱く。あれは悪夢だと宏輝は言えるほど、思い出と共にトラウマとなっている。

 実際に、宏輝は祖母に天運を合わせて現在の状態の全盛期とも言える現状でも祖母に勝利した事は無い。惨敗、全敗、圧倒的敗北。唯一、最強のギャンブラーと他称される天井宏輝が未来永劫、勝てないと思っている女性である。何度も敗北して見返りを与え、何度心が折れただろうかと思う。

 

 

(……ばーちゃん)

 

 

 二つの意味を込めて宏輝は涙を流す。一つはもう会えなくなった悲しみの涙、もう一つは苦労まみれの過去の祖母の思い出に不甲斐なく思った涙である。凍える夜の空で一人、寂しく涙を流す宏輝であった。

 

 

 

 

 

 

 



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12 風間ファミリー



 NTR、お好きですか? → 知らん。






 

 

 

 

「あのさ。ワン子が言ったのもなんだけど俺、重くない?」

 

「鍛錬だと思えば問題無いわ。ゆーおーまいっしん!」

 

「勇往邁進。恐れずに目標に向かって前進するって意味だね。いい言葉だ」

 

 

 ガリガリガリと響く音を聞きながら宏輝は一子と会話を交わす。現在、一子の腰に巻かれた紐に繋がれたタイヤの上にバランス良く座って運搬されている宏輝。車のタイヤの重さに加え、宏輝自身の高校生基準より少し軽い体重では普通の少女では運べないというのに一子はそんな重さをものともせずに常人以上の凄まじいスピードでタイヤの上に乗る宏輝と共に爆走している。

 

 

「で、そのワン子デリバリーは何処まで行くの? モモちゃんはモモちゃんで空を飛んでるし。サイヤ人か何かか?」

 

「お姉様によれば二段ジャンプをしているそうよ」

 

「ゲームか何かかよ……ッ! ここは別の物理法則が存在してんのかって言いたくなるぜ――!」

 

 

 絶句という感情を隠しきれていないままに上空を見上げ、空中に浮いている百代を目で追い掛ける。それほど高くない高度のため、目視できている。残念ながらスカートではなく、ズボンなのでオトコのロマンである絶対領域は見れずにいた。速いと言えるスピードなのに、何故だか宏輝はこう感じていた。

 

 

(まだまだ速くなるだろ、あれ。この世界の物理法則とか狂っているんじゃないか? ニュートンさんも真っ青なくらい無視し過ぎだと思う)

 

「目的地だけ言えば風間ファミリーの秘密基地よ。お姉様が皆に紹介したいんだって」

 

「――マジ?」

 

「お姉様は嘘は言わないわ」

 

「俺、会わないって言ったんだけどなー」

 

 

 有り得ないと頭を抱える宏輝。散々言いたい放題言った身としては会い辛いのだろう。嫌そうな顔をしていた百代を思い出し、憂鬱になる。自分が大切、大事に思っているのを悪く言われれば誰だっていい気分にはならない。少し浅はかだったかと宏輝は反省し、これからを考える。風間ファミリーなる物のメンバーは軽く百代と一子から聞いている。それを踏まえると、中々濃いメンバーが多いのだろうと推測していた。中でも気になっているのは風間ファミリーの軍師と呼ばれる“直江大和”。宏輝自身の勘が何かがあると告げ、嫌な予感を感じざるを得なかった。

 

 

「あー、しょうがないか。ワン子。少し予定を変更。進路を変えてくれる? 後でお菓子あげるから」

 

「わかったわ。何処に行けばいい?」

 

「まず――」

 

 

 指差しと声で道案内をする宏輝。目的地は彼が現在、住居として使っているマダム宅。

 これから風間ファミリーに会うにあたって、着替える必要があると考えたのだろう。方向転換をする一子の引っ張るタイヤから落ちないように体を傾けてバランスを保ちながら成り行きに身を任せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いッ!! 何をしてるんだアイツはッ!!」

 

 

 場所を移して川神市某所。風間ファミリーの秘密基地として使っている取り壊し予定だった廃墟にて、川神百代は叫ぶ。

 

 

「ま、まあまあ。落ち着きなよモモ先輩」

 

「そうだぞ姉さん。俺達に会わせたい人がいるのはわかっているけどそこまでイライラしなくてもいいじゃないか」

 

 

 叫ぶ百代を諌める少年二人。一人は諸岡卓也、もう一人は直江大和。共に風間ファミリーのメンバーであり、直江大和は風間ファミリーの軍師的ポジションにいる少年である。二人は百代の一個下の年齢であり、後輩である。尤も、直江大和だけは百代のパシリ兼舎弟で苦労している。

 二人の少年以外に少年少女がおり、今いるビルの一室にあるソファから三人の様子を見ていた。イライラした様子の百代に何事かと思うが、すぐにいつもの事かと各々が自分のやりたい事をやっている。

 

 

「キャップはいないのか?」

 

「歓迎会やるから準備をするって。ワン子は知らない」

 

「ワン子はワン子で何をしてんだろ」

 

「ヒロを運ぶ役目だ。途中でいなくなったけどな! 変な事をしていたらぶっ殺す!」

 

「ヒロ……って姉さんが前にできたって言う友達? 歓迎しようって言いだしたのはそれか」

 

 

 成程といった様子の大和。そんな様子の彼に、とある少女がほんのりと頬を染めて熱のある視線で見ていた。少女の名は椎名京、直江大和という少年に恋している一途な少女なのだが。

 

 

「真剣な表情もイイ……大和、結婚して」

 

「お友達で。姉さん、そのヒロって人はワン子と一緒にいるのか?」

 

「ああ。空は飛びたくないって駄々をこねたからワン子のタイヤに乗って移動させる事にした」

 

「……よく身に染みて理解したよ」

 

 

 大和はまだ名前しか知らぬ宏輝に同情を感じ、仲間意識を持ち始めた。百代の舎弟という名の奴隷兼玩具の扱いを受けている彼としては、同じような目に遭っているのだろうと仮説を立てた。大体合っているのが否定できないのが彼女、川神百代と付き合う人間が誰もが持つ心情だ。

 友人ではあるが、宏輝としては泥棒と付き合いたくないと考えるだろう。しかし、彼女自身の持つ名声と付き合う際に感じる空気を考えれば金を犠牲にしてでも付き合う価値があると思っているのは彼女には内緒だ。

 

 

「……ん? ガクト、何をしてるの?」

 

「新しいメンバーになるかもしれないからな。こう、構えている必要があるだろ?」

 

「だからってわざわざポーシングする必要は無いと思うけど」

 

「ヒロは男だ。女ではないからな」

 

「畜生! 男の名前を持っている女の子かと思ったのに!」

 

「普通に考えればわかるだろ……」

 

 

 和気藹々と風間ファミリーのメンバー。部屋にいる最後の一人である島津岳人。色々な意味で濃い性格を持ち、ガッシリとした肉体を持つ少年でもある。

 楽しみながら会話をしていると、百代はある事に気付く。自分達がいるこの場所に近付いてくる人間が三人分、気を感じ取っていた。全てが全て、百代自身が知る気なので窓に向かって歩き始める。突然動き始めた百代に他の人間は何事かと共に窓に向かって外の景色を見ようとする。建物の下を見れば、風間ファミリー全員が知っている川神一子、風間ファミリーのリーダーである風間翔一が百代以外知らない少年と雑談をしていた。紺色の上着で身を包んだ、二人よりも背が高い少年で両手に荷物を持ちながら何かを咥えていた。

 

 

「オイ、ヒロ!」

 

「――お。モモちゃん、お待たせ」

 

「お待たせじゃない! ワン子に手を出していないよな!?」

 

「性的には出していないよ。手伝う時とか肩に手を置いたりはしたけどぶふぇ」

 

 

 言葉を全て言えなかった。窓から飛び降りた百代に落下スピードによる腹部キックにより、言葉を紡げなかったのだ。

 

 

「イタタ。モモちゃん、俺の手を見て? 歓迎会をするって言う翔一の手伝いをして食べ物があるのにオジャンにするつもりかい?」

 

「いきなり姿を消したお前が悪い!」

 

「よく見てよ。昨日、碌に着替えられなかったから着替えたんだよ。あんな高い物を着て会ってみたらブルジョワ死ねとか思われるじゃん。だから少しオシャレをした程度の服装に変えたの」

 

「似合うからいいけどファッションセンスがいいのがムカつく!」

 

「キャバクラでトークと一緒に教えてもらったんだ。できるオトナになるには子供から教育が一番って言われてたし」

 

 

 少し前屈みになる紺色の上着を着る少年、天井宏輝。痛む腹部を撫でたいと思っているようだが、両手が塞がっているのでできない。百代にぎゃあぎゃあと耳元で怒鳴られ、げんなりとする宏輝に目を見開いて驚く部屋にいるメンバー、大和、京、岳人、卓也。ここまで百代と打ち解けられるのが信じられないようで宏輝が誰なのかと気になり始めていた。

 

 ――が、一人だけ宏輝を鋭い目で見ている者がいた。

 

 

(何アイツ。嫌な感じがする)

 

 

 椎名京。彼女の体感した過去の経験から、天井宏輝という人物に危険な臭いを感じている。奇しくも、この勘は正しいのだと気付くのは遠い未来である。というよりも彼を見抜くと同時に自分の暗い本性を暴く事になるだけなのだが。

 

 

 

 

 

 

 



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13 腹の探り合い

 

 

 

 

「初めまして、でいいかな? 天井宏輝だ。モモちゃんの友達でもあるかな?」

 

 

 数分後、風間ファミリーの秘密基地にて天井宏輝、彼の歓迎会が開かれていた。当の本人は飄々とした態度で自己紹介をしており、友達である百代に睨まれるような目をされていた。

 

 

「何で疑問形なんだよ。友達じゃなくて親友だろー」

 

「俺としてはご主人様かと思っていたりする」

 

「何ィ!? まさかモモ先輩とそんなアブノーマルな関係なのか!?」

 

「誤解を招くような言い方をするな! 違うからな? 普通の健全な関係だからな?」

 

「借金で縛り上げるのもいいかもと最近思っております次第です」

 

「お前黙れ!」

 

 

 宏輝を殴るかと思えば、手を滑らせて宏輝に詰め寄っていたガクトを殴り飛ばす百代。危険な目に遭ったのにも関わらず、態度を変えずに焼きそばをズゾゾゾと食べる宏輝に大和は驚く。川神百代は世界に武神として名を轟かせる武人であり、実力も世界トップレベルで人間をやめている身体能力を持っている。殴られるだけで命に関わる事があるので普通なら怯えるはずなのにと大和は考える。風間ファミリーの軍師である彼としては自分の姉と仰ぐ少女の連れてきた男の素性を調べようとしているが、よくわからないというのが第一印象であった。

 また、宏輝を見極めるのが大和だけではない。椎名京、彼女も宏輝から感じる嫌悪感の正体を探ろうと興味の無いフリをしながら気付かれないように宏輝の動きを観察していた。――そして、また一人、観察をする者がいる。

 

 

(露骨だな)

 

 

 天井宏輝。この少年だ。何気ないフリをしながらも、自分を見る視線を受け流しながらも逆に観察するように値踏みする直江大和と椎名京を見て観察している。本当に然りげ無い動作なので気付けるのはそうそういないだろう。唯一の川神百代は歓迎会のムードに呑まれ、完全に油断して宏輝の様子に気付かない。

 宏輝は大人だ。子供だが、ギャンブルという大人の世界で人生を過ごした彼だからこそ無意識にそれを行う癖が付いてしまった。駆け引きが大事であるギャンブル全般において、天才的な才能と実力を持つ宏輝の優れた観察力と洞察力によってそれを可能にする。

 

 

(直江大和と椎名京。モモちゃんの言う通り、軍師と言われるだけ頭がキレるようだ)

 

「ヒロー。お前も食えよー」

 

「食べてる食べてる。そんな一気には食えな――」

 

 

 ボゴッ。ソファに座る宏輝の口にアメリカンホットドックを突っ込む百代。これだけを聞けば卑猥に聞こえるが、宏輝は少年で童顔である人間だ。そういった性癖がある者だと需要はあるかもしれないが、宏輝自身は口を動かして口の中に突っ込まれたモゴモゴと食べる。木の棒を掴むと、それを引っ張り出して口を自由にする。

 

 

「あのね、モモちゃん。前から言ってるけどこういう悪戯はやめようよ」

 

「いいじゃないか。私とお前の仲だろ? ほれほれもっと食え。太れ」

 

「残念だけど漫画とかである太らない体質だから。少食でも十分だしね」

 

「女の敵ィ!」

 

「死ね」

 

 

 ぬおぉぉぉう!?と宏輝は慌てて回避する。百代のパンチ、驚く事に京までもが先の尖った銀の針を投げるのを間一髪で避ける。宏輝の心臓がバクバクと鳴る中、百代が宏輝の胸倉を掴んで前後に揺さぶる。表情を変えずに乱暴に揺さぶるため、段々と顔を青くし始める。

 

 

「太らないってどういう事だァ! 太りにくい体質だなんてチートすぎんだろ! 羨ましい!」

 

「体質、だから、しょうがない、だろ。酔う、から、やめ、て」

 

「姉さんの方がチートだと思うんだけど」

 

「同感。宏輝先輩の顔、青を通り越して白くなってない?」

 

 

 真っ青から真っ白にシフトチェンジした宏輝の顔色。痩せないというのは魅力的なのか、女性の敵だと言う太らない体質に嫉妬をしているのか。鬱憤をぶつけるように揺さぶり続けるため、宏輝側は溜まったものではなかった。

 ここで誤解のないように説明するが、太らない体質ではある。だが、自分でも言ったように少食である宏輝。あまり食べないからこそ、普通の人間が太るであろう食事の量以下なので太らないのだ。元々、貧乏性なので大量の食事を食べようとは思っていないのだ。なので太らない、という感じだ。

 流石にまずいと思ったのか、軍師である大和と常識人である諸岡卓也ことモロが揺さぶる百代を止める。解放された宏輝は咽せるように咳を繰り返し、蹲っている。そんな彼を川神一子ことワン子が背中を摩って撫でる。

 

 

「し、死ぬかと思った」

 

「大丈夫?」

 

「ああ、うん。ありがと、ワン子」

 

「えっと、宏輝先輩って読んだ方がいいですか?」

 

「好きに呼んで構わないよ。タメでも可。名前もヒロでいいよ」

 

「じゃあヒロ先輩って呼ばせてもらいます。僕のアダ名もモロなんでそっちで呼んで欲しいです」

 

「よろしくモロ。お近付きの印に携帯番号を交換しておこう」

 

 

 ワン子に撫でられている宏輝に近付き、自然な流れで携帯電話の番号を交換し合う宏輝とモロ。その際に宏輝が持っている携帯電話が新しい事に一悶着あったが、無事に交換ができた。それをきっかけに、島津岳人も自己紹介、という名のポーシングによる自己主張をし始める。

 ガクトと呼び始め、携帯電話の電話まで交換する事に成功する二人。すぐに打ち解け、モロとガクトの二人とワン子と雑談をする。ガルルルと唸る百代に、手に危ない凶器を構える京。直江大和が必死に二人を諌めるように止めている。慌てるように二人の前に立って修羅と化している乙女を説得しようとしているが、百代は新しい友人である宏輝しか目に入っていなかった。歓迎会の雰囲気に呑まれ、気の合う同い年という要素もあって暴走しているのだ。

 

 

「ひ、宏輝センパイ! ヘルプヘルプ!」

 

「死にたくないから頑張ってと普段は言うけど、俺のために開いてくれた歓迎会を血の海にはしたくないから助けてあげよう。カモンベイベー」

 

「ヒィィィロォォォォ!!」

 

「危ないヒロ先輩!」

 

 

 キシャーと両手を挙げ、飛び掛かる百代に周りの人間が顔を青くして行方を見守る。座る宏輝の上に馬乗りになり、クケケケと悪魔の笑い声をする百代。悪魔の如きの顔に近いワン子が涙目になって震えていた。

 

 

「フフーフフ。年貢の仕入れ時だァ」

 

「それを言うなら年貢の納め時ね。たまにわからないボケをかますのはやめてほしいんだけど。仕入れたらまた意味が違ってくるから」

 

「五月蝿い。私をイラつかせた罰として為すがままにされろ」

 

「俺は玩具じゃねーって。弄ってもいいけどその前にちょっと耳を貸してちょ」

 

 

 ハラハラと見守る中、宏輝は手招きして百代の耳にボソリと一言。すると、先程までの攻めの姿勢から一転して目を左右上下に高速で泳がせる。まるで言われたくない事を言われて動揺しているかのように。

 

 

「な、なななな、なんでそれを!?」

 

「いや。あのジジイと話してたら教えてもらったんだ。モモちゃんって変態趣味だったんだね」

 

「ちがぁぁぁぁぁうっ!! あれは誤解だ。間違いなんだ!」

 

「ハッハッハッハ。照れなくてもいいのに」

 

 

 目を丸くする一同。馬乗りにされている宏輝がしている百代の膝をポンポンと叩いているのを見て誰もが驚いているのだ。

 

 ――あの川神百代がこうまで誰かにいいようにあしらわれるなんて。

 

 

「というかモモちゃん。変態趣味って言ったけどこれもその内に入るの?」

 

「…………」

 

 

 百代は下を見る。宏輝の上半身があり、少し服が乱れている。横を見渡す。自分の仲間である風間ファミリーの面々が見ている。事態を完全に把握すると、百代は顔を一気に真っ赤にすると、少女らしい叫びを出しながら飛び上がるのだった。

 

 

 

 



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14 老人のうっかり

 

 

 

 

 

 歓迎会の百代の悲劇。新たな恥ずかしい経歴が付いた事件の後、椎名京と直江大和を除いて風間ファミリーの面々と大体仲が良くなった。

 

 

「冒険好きなんだ」

 

「色々な場所に行っているわ。昨日も何処かに行ってたみたいだし」

 

「……学校、どうしてんの?」

 

「義務教育だから問題はないぜ☆」

 

(さか)しい知識を持っているね翔一。もしかしたらあの直江大和クンから教えてもらったのかな?」

 

 

 自転車に乗る三人。正確には二人が運転してある一人が運転している片方の肩に手を乗せて支えにし、立った状態で二人乗りをしている。今回では、宏輝が自転車を漕いでワン子がスカートがヒラヒラするのにも関わらずに高く立っていた。

 この三人は風間ファミリーの面々、川神市にいる宏輝と同年代の少年少女と比べても仲が良い。歓迎会の前に準備をする時に食べ物や飲み物の調達をする時にワン子を通じて風間翔一と出会い、仲を深める。性格が合うのか、仲が良くなるのに時間は掛からなかった。風間翔一とすぐに打ち解けた宏輝は彼とのんびりとまったりと川神の街を自転車で走っているのだ。

 

 

「うーん。風が気持ちいいわ。ヒロ、もう少しスピードを上げて」

 

「疲れるからヤダ。俺は君等みたいにハイスペックな身体能力を持っているわけじゃないの。疲れるし、面倒くさいのよ」

 

「キャップ、勝負よ!」

 

「おし来た!」

 

「ねえ、話を聞いてる?」

 

 

 ガン無視であった。宏輝の言い分を聞こうともしない二人は宏輝を放置して勝手に競争をしようとしていた。漕ぐのがワン子ではないのに、あたかも自分と風間翔一、風間ファミリーのリーダーでキャップと呼ばれる少年と対決をするかのように話を進めていた。キコキコと自転車を漕ぐ間に宏輝はもうげんなりするしかなかった。

 

 

(この街の人間って人の話を聞かない奴ばかりなのか? 一部は違うみたいだけどさぁ)

 

 

 自分の事を棚に上げる宏輝だった。大体話を聞く方ではあるが、状況によっては人の話を聞かない事が多いのだ。今までに出会った人間で言えば、年配の人間だと話を聞いてくれる事がある。最年長の川神鉄心は言うまでもなく、例外である。自分の師に似た少年が現れて舞い上がっているのだから余計に始末が悪い。

 自転車のペダルを漕いでいる二人を差し置いて、ワン子はテンションがアゲアゲになっている。前方を指差し、元気な声で高らかに宣言する。前に進め、レッツゴーと。

 

 

「ワン子。お願いだから静かにしてよ。俺は五月蝿いのは嫌いなんだ」

 

「何を言ってるの! 元気なのが子供の特権よ!」

 

「そりゃそうだけどさ・・・静かな方が好きな俺としては耳障りなんだけど。騒ぐなとは言わないけど声を下げて欲しい」

 

「わかったわ!」

 

「わかってないし」

 

「宏輝先輩。ドンマイ」

 

「君に慰められても嬉しくないよ翔一。ワン子が癒しかと思ったらムードメーカーで苦手な部類だったでござる」

 

 

 自転車、ママチャリのハンドルに肘を乗せて溜め息を吐く。キコキコと古臭い自転車のサドルが金属の擦れる音を響かせる。それは宏輝の心を表しているようだった。

 宏輝が落ち込んでいる間にも、ワン子とキャップは楽しく会話をする。元々、二人の仲が良いのか話題が無くても次々と話題を見つけ出しては会話を長続きさせていた。二人の会話を間近で聞いている宏輝は新鮮な気持ちになっていた。同年代の会話とはこうだったと、今までに話した人間を思って懐かしく振り返る。

 

 

(ふふっ。確かにこうだったな。懐かしいと思える)

 

 

 目を細め、二人の会話を聞きながら自転車に当たる風に身を委ねる宏輝。彼の表情は穏やかとも言え、偶然それを見るとドキッとするような仕草であった。もし、軽い女性や少女であれば、すぐにコロッと落ちてしまう魔性の微笑みに見えてしまうだろう。

 少し心が穏やかになった宏輝は足取りが軽くなり、自転車を漕ぐ速さが少し上がる。並行するキャップもまた、スピードを上げて立ち漕ぎをしながら楽しそうに笑う。

 

 

「いやっほーう! 風になるぜ!」

 

「風間だけに? ワン子、落ちないようにしっかり捕まっててね」

 

「あいよっ」

 

「ノリがよくて嬉しいよお兄さん。キャラじゃないけどそれーっと」

 

 

 キャップに続くように宏輝もまた、立ち漕ぎをして先を走るキャップを追い掛ける。立った宏輝の方が背が高いので、ワン子は落ちないようにバランスを取りながら宏輝の上の方にある宏輝の肩を掴む。ほどよく晴れた川神市の下で三人は駆け抜けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だよジジイ。わざわざ私まで呼び出して」

 

「ホッホ。まあそんな事は言わずに座らんかい。後はモモだけなんじゃからの――これで全員、揃ったようじゃ」

 

 

 所変わって川神院。歓迎会の後、川神院総代である鉄心に呼び出された百代は宏輝と話したいのをグッと堪えて呼び出しに応じて川神院に帰宅。そこには祖父の鉄心だけでなく、数人の人間が待っていた。

 

 

「さて。呼び出したのは他でもない、天井宏輝君の事じゃ」

 

 

 そう切り出す鉄心の顔は真剣そのもの。いつもふざけている印象がある百代にしてみれば、圧倒されて有無を言わさぬ迫力があった。しかも話題の中心は先程まで一緒にいた少年、天井宏輝のこと。何故という気持ちが百代を占めており、話を真面目に聞くも内容の半分も耳に入らなかった。まだ少ししか話してない、確信に迫る話をしていないので幸いと言えば幸いなのだが。

 

 

「嘗て、ワシには人生の師とも言える恩人がおった。知っている者もおろう、天上皇輝殿じゃ」

 

「総代が全盛期時代でも勝てないと言わしめる武人ですカ。耳にタコができるくらい何度も聞かされていますネ」

 

 

 鉄心の語りにまず、言葉を発したのは川神院師範代であるルー・イー。心なしか、少し疲れた顔をしている。何度も何度も酒の肴に語られては話すので嫌でも覚えたのだ。と、同時にあの世界最強とも言える川神鉄心が勝てないと言う、天上皇輝の正体も気になり始めている。

 また、部屋にいるルー以外の人間でわからない人間は疑問符を頭に浮かべていた。誰もが川神百代に並ぶ有名な武人であり、武の頂点である川神鉄心の招集を受けたわけである。中には、百代の顔見知りの者もいた。

 

 

「ジジイ、天上皇輝の話の前に何でこんなに人を呼ぶ必要があるんだ? 天衣さんまでいるし」

 

「それも説明しよう。まずは座らんかモモ」

 

「正直、私も戸惑っている。いきなり鉄心殿に呼び出されて驚いているんだ」

 

 

 少し戸惑った様子の女性、橘天衣。彼女は百代と同じ武道四天王と言われる若い人間の優秀な武人のグループの一人である。余談だが、何故か武道四天王は少女と女性のみで構成されている。更に付け加えると、橘天衣は天運持ちの宏輝の正反対である絶望を感じるほどの不幸体質である。

 

 

「知らない奴もいる」

 

「古今東西、隠居をしておる武人も呼んだのじゃ。今回の話は下手すれば世界を動かしかねない事態になるかもしれんのでの」

 

「ヒロの奴がそんな大層な人間か? ジジイの言う天上皇輝に瓜二つなのは知ってるがどう関係あるんだ」

 

「百代。今から話されるから黙って静かに聞きなさイ」

 

 

 師範代であるルーに言われ、渋々と口を閉ざす百代。百代の言うように、今川神院は武神川神鉄心の名に埋もれながらも武神と共に新たな武の時代を切り拓いた古き良き老人達。三人の老人が静かに佇みながら鉄心の声に耳を傾けていた。残念だが、百代は三人の老人の全盛期以上の力を身に付けている。川神鉄心という祖父の血族なので実力は頭を抜き出ている。

 

 

「困った事になっての。昔、ワシがまだヒヨっ子だった時代の敵が動き始めた」

 

「敵?」

 

「うむ。正確には皇輝殿の因縁の、と呼べばいいじゃろうか」

 

 

 髭を撫でながら静かに語りを続ける鉄心。ゆったりとした行為なのに妙な覇気が込められており、全員が緊張に包まれていた。尤も、百代だけはあのジジイが真面目だと……!? と戦慄して別の事を思っていたりするのだが。

 

 

「少々ヤンチャしてた時代での。喧嘩を売って返り討ちにされたんじゃよ、ワシ。仇討ちに皇輝殿が壊滅寸前まで追い込んだ事がある」

 

「少々言いにくいのですが、鉄心殿のせいですよね。それ。何をしてたんですか」

 

 

 鋭い橘天衣のツッコミに誰もが頭を縦に振る。その昔、鉄心がまだ天上皇輝の弟子(自称)の時に起きたこと。天狗が抜けきれなかった鉄心は調子に乗って当時、武の集団としては最強の部類に入るとある場所に大いに喧嘩を売り、惨敗して天上皇輝が仇討ちをした事がある。橘天衣の言う通り、完全に鉄心が悪いのだが、当の本人はテヘペロ☆と言い出しそうなムカつく笑顔をしていた。すぐにコホン、と取り直してシリアスな雰囲気を出す鉄心だが、あまりにも間抜けな事が起きたので真面目に話を聞こうとは誰も思っていなかった。

 シリアスな話は終わりだ。とばかりに老人組は久々に酒宴を開くと言って百代と天衣はそっちのけにされてしまう。何を話そうか気になったが、酒に酔い始めた老人の相手はゴメンだと部屋から出る。

 

 

「それよりも百代。久し振りに会ったから少し話さないか? 甘味でも食べながら」

 

「いいですね。美味い店を知っているので案内しますよ」

 

 

 ――ここで天井宏輝の苦難は決定される。もし、二人が残って様子を見ていれば未来は変わったのにと嘆く事になるのはちょっと先の未来である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んでのんでの。もしかしたら天井宏輝君は皇輝殿に――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15 始まる苦難

 

 

 

 

 

「天井宏輝だな! 我が名は龍斗。いざ、尋常に勝負願う!」

 

 

 どうしてこうなったと宏輝は混乱する。川神市に訪れ、“迷い込んでから(・・・・・・・)”もう少しで一ヶ月が過ぎようという頃、いつものように川神市の朝の街を歩いて住人に挨拶を交わし、多馬川のある変態大橋と呼ばれる橋を歩いている時にそれは起きた。見るだけで武術の類をやっているとわかる男性が一人、宏輝の名前を高らかに宣言して宣戦布告をしたのだ。一般人である宏輝からしてみれば混乱するであろう。

 

 

「いやいやいや。俺は一般人ですよって。そんなに強くないし」

 

「噂は聞いておる! 天下無双の実力を持ちながらも隠して生きているそうだな! そんな腑抜けた輩に天下無双を名乗られても気に食わないのだ!」

 

「完全に八つ当たりじゃねーか! つーかいい年してブルースの格好してんじゃねぇ! 股間が異様に盛り上がって気持ち悪いんだよ!」

 

 

 思わず突っ込んだ宏輝。混乱していてもツッコミができる彼は生まれながらにしてツッコミ体質なのだろう。

 

 

「ええい! つべこべ言わずに戦え! ホオォォォォアァァァァァ!!」

 

 

 反論なんかせずに戦えと暗に言う男性、武人は奇妙な掛け声をしながら高く飛び上がり、宏輝に向かって踵落としをしようとする。隙だらけだったので宏輝は難なくそれを躱す事ができるが、彼には反撃をする事はできなかった。故に、彼らしい男性にとって外道で最悪の手段を実行する。息をしっかりと吸い込み、手を遠くまで声が届くように丸くして叫ぶ――。

 

 

「助けてモモちゃーーーーん!!」

 

「何を言ってるか! 真面目にたたか――」

 

 

 全てを言い切る事は適わなかった。空から飛来した高速物体に男性は弾き飛ばされ、星となったからだ。手を額に当て、遠くを見る仕草をする宏輝は感嘆する。一寸してから飛来した高速物体に目を向ける。

 

 

「呼ばれて飛来して空から美少女川神百代推参ッ!!」

 

「飛来しては要らないけど」

 

 

 その正体は川神百代であった。腕を組んで君臨者のようにドヤ顔を決めながら宏輝を見る彼女のバックは戦隊モノの変身後の爆発のように何かが爆発するのが宏輝には見えた。疲れているのか? と思いながらツッコミを入れ、百代に近付く。

 

 

「取り敢えずありがとうモモちゃん」

 

「む。呼ばれたから来たが何かあったのか?」

 

「ああ、そうそう。何かさっき変なブルース被れのオッサンが俺と戦えって言ってきてさ。俺、弱いからモモちゃんに助けを求めたわけ。吹っ飛ばしてお星様になっちゃったけど」

 

 

 宏輝はポンポンと労うように百代の肩を叩いた。先程の男性は弱い部類に入っていたとしても、自分を明確に狙う敵意には慣れていない彼としては恐怖であった。ギャンブルでも敵意を向けられる事もあったが、勘違いをされ、下手すれば大怪我する危険があった攻撃をやられた身としてはたまったものではない。百代を労う宏輝は心の底からホッとしていたりする。

 

 

「……ん、ん? 何でヒロが狙われたんだ? おかしくないか?」

 

「誰かと間違っていたと思うよ。何だって俺が天下無双の力を持たなきゃなんねーんだろ。しかも力を隠して――本当だからね? 俺、強くないからそんなライオンが獲物を狙うような目はやめてほしいな?」

 

 

 ハァハァ。いつの間にか宏輝の背中を取って息を荒げて手をワキワキさせる百代。宏輝の言う通り、目が危険極まりない肉食獣のような目をしていた。身の危険を感じたのか少しずつ後ろに下がる彼だが、野獣と化した百代は止まりそうになかった。なので、宏輝はジョーカーを切る。

 

 

「借金(ボソッ」

 

「おっと。今日はヒロに伝える事があったんだった」

 

「助かった。それで伝えたい事ってあれ。その服はどうしたの? 制服っぽいけど制服趣味?」

 

「違う。というか私達はまだ高校生だろう。来週から川神学園に行くんだよ」

 

「アホのモモちゃんでも合格できるんだ」

 

 

 ガスン。宏輝の頭を殴る百代であった。殴られた頭を抱えて悶絶する彼を不機嫌そうに見ながら言葉を続ける。

 

 

「エレベーター式だか知らんがジジイが手配してくれたんだ」

 

「そ、それを言うならエスカレーターね。エレベーターだったら大人の就職先まで選べてしまうから余計カオスになるって。もう少し勉強をしようよ」

 

「五月蝿い!! それで話は――」

 

「今の話で流れはわかった。俺にも川神学園を受験しろとかそんなんでしょ?」

 

 

 殴られた場所を摩りながら涙目で言う。余程、痛かったのか若干泣きそうな様子であった。自分の力をちゃんと考えて欲しいと思いながら掌を百代に向けて話を語り継ぐ。

 

 

「残念だけど無理だよ。中学校なら義務教育だから何とかなるかもしれないけど高等学校は入学試験は必須なの。今はもう四月、来週に高校が始まるなら今から手続きをしても無駄なんだよ」

 

「……よくわからん!」

 

「真面目に聞け。んでわかれ。一般常識だよコレ」

 

 

 別の意味で頭痛を感じ始める宏輝。いっそのこと、呼称もモモちゃんからアホの子やらアホと変えようかと本気で思い始める。そんな百代(アホの子)に丁寧にわかるように説明をする事にするのだが。

 

 

「わからん。ジジイがお前を連れて来いと言うだけで入学試験とかは聞いていない」

 

「モモちゃん、もしかしてあのホモジジイの話を半分聞き逃していない?」

 

「……ギクリ」

 

「口で言うかなぁ」

 

 

 段々と会話をする事自体、嫌になってくる。気のせいか、フラリと眩暈まで感じている彼は彼なりに考えてホモジジイと呼ぶ鉄心の言いたい事を考えて推理する。

 百代の言った事を全て思い出し、パズルのピースを重ね合わせるように推理を進めていく。頭痛もあるが、現状把握が大事だと思っているのでそれを無視して考えて考えて考え抜く。元々、考える力はある彼は朧げながらも答えを思い付く。

 

 

「もしかして編入生扱いで川神学園に入れるから説明を聞きに来い?」

 

「大体そんな感じだった。あ、他にも編入試験を受けて欲しいって言われてたんだった。今から」

 

「急すぎだろ! 遊んでばかりで勉強なんか全くやってねーぞ!?」

 

 

 叫ぶ。兎に角叫んだ。頭痛で頭を抱えていた手をそのままに膝から崩れ落ちて絶望を吐き出すように叫ぶのであった。自分が知らない間に話が進んでいるとわかって改めて川神市にいる人間が話を聞かないというイメージを強くしたのだ。編入試験? 真剣(マジ)でクソ食らえ。と思う宏輝であった。

 崩れる彼を百代がドンマイと背中を叩いて慰める。彼女の服装は今まで宏輝が見た事のない白い制服のようなもの。早速百代は改造しているのか、黒いシャツの上に白い制服の上着を羽織るように肩に掛けていた。見てくれはまるでレディースのリーダーのようであった。ちなみに風で短いスカートが揺らいで中が見えそうなのは割愛する。

 

 

「……よくよく考えたら受ける必要ないよな。義務教育じゃないから浪人に――」

 

「あ。ちなみに入学できなかったらジジイからお前を好きにしていいと言われてるから」

 

「借金」

 

「ジジイが立て替えるって……フフヒヒヒ」

 

「さーあ、頑張るぜ! 編入試験なんか満点で突破してやらぁ!!」

 

 

 自棄糞(ヤケクソ)になりながら彼は決意する。川神学園の編入試験を突破せねば、彼の貞操は奪われているが、玩具にされるだろう。そんな決意も余所に、編入試験の会場である川神学園まで百代に抱き抱えられて文字通り、飛ぶのであった。

 百代の柔らかい体の感触を楽しむ間もなく、抱えられる宏輝は悲鳴を上げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーむ。これは予想外だったのう」

 

 

 川神鉄心は一人、川神学園の学長室で呟いた。学長である鉄心は川神院の、自分が今までに築き上げてきた財産を惜しまずに使って川神学園を援助している。

 そんな老人が手に持つ紙にはある事が書かれていた。それ故に、予想外という言葉が出ているのだ。紙の内容は本日、先程にある少年が受けた特別措置編入試験の結果である。たった一人だけなので採点も早く終わっている。

 

 

「いやはや。あの子が現れてから本当に楽しい事が繰り返し起きておるのう。モモの戦闘衝動も彼と付き合っている御蔭で抑えられておるし」

 

 

 ホッホッホと笑う鉄心。彼の顔には本当に嬉しそうで楽しそうな表情が表れている。癖である髭を撫でながらとある少年の編入試験の結果が書かれている紙を学長室にある机に置くのだった。

 

 

 ―― 天井宏輝。編入試験結果 ・・・ 全教科満点。編入規定を大きく超えている。故に、編入を許可する

 

 

 こうして宏輝の新しい道が決まるのであった。鉄心の川神院帰宅により、宏輝の編入試験合格を聞いた百代は喜んで入浴途中だった宏輝の家まで突撃するのであった。

 

 ―――その後、どうなったかは想像にお任せする。

 

 

 

 

 

 



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16 川神学園入学

 

 

 

 

 

 四月。桜が舞い、桜が散る新しい時が始まるに相応しい季節だ。そんな季節にとある少年、天井宏輝もまた、新しい季節を始めようとしていた。

 

 

「あらあらまあまあ。似合うわねぇ」

 

「ど、どうも。あんまり褒めちぎらないでください。照れます」

 

「照れちゃって可愛いわ。ヒロちゃん、次はこっちを試してみてご覧なさい?」

 

 

 シュルと白いシャツの襟に巻いたチェック柄のネクタイを解き、老婆のマダムから手渡された別の柄のネクタイを受け取る。新しい学校、川神学園への入学兼編入が決まって制服も身元保証人であるマダム宅に届き、試着してネクタイをしようとプチファッションショーを開いていた。

 本当は指定されたネクタイがあるのだが、比較的自由な校風にネクタイの種類や制服を改造をする事は許されている。大人のファッションに着慣れている宏輝としては、ネクタイを着ける事に抵抗は一切無い。次々と渡されるネクタイを着け替えている。

 

 

「珍しいわ。今時の子ってネクタイは堅苦しいから嫌って言う事が多いのにね」

 

「要は慣れです。僕はこういった服を着る事が多かったので嫌いだとは思わないです。寧ろ、大人の魅力を引き出せると思っています」

 

「まあまあ」

 

 

 ほっこり。それが似合う仕草をするマダムを余所に、宏輝は慣れた手付きでネクタイを結んで綺麗に着ける。鏡を見ながら歪んでいるのが無いように微調整をしていると、マダムに肩を叩かれてその動作を止める。マダム自身が宏輝のネクタイを結び直すように微調整する。宏輝の方が背が高いので少し身を屈むのであった。

 

 

「ありがとうございます」

 

「ううん。こんなお婆ちゃんの我が儘だから。ヒロちゃんには大人の格好が似合う子でいてあって欲しいの」

 

「は、はあ。少し重い感じですね」

 

「そこまで受け止めなくてもいいわ。あなたはあなたの人生を歩めばいいの。ギャンブルが好きなら楽しめばいい。百代ちゃんのような可愛い子と付き合いたいなら付き合いなさい。あなたには未来が沢山あるのよ」

 

 

 ネクタイを結びながらマダムは宏輝に諭すように語り掛ける。その言葉に宏輝はどう反応すれば良いかわからず、為すがままにマダムにネクタイを結ばれていた。宏輝が大人の服装を着慣らしているのはギャンブル場に入るため、子供ではなく大人に見えるようにしているからだ。以前に、彼の師である彼の祖母と共にアメリカにあるラスベガスで荒稼ぎをした経歴がある。その経験もあって、ネクタイを結んで大人っぽく見える格好に抵抗を感じなくなっているのだ。

 また、マダム自身はまだ子供である大人に見せる背伸びをしている彼に道を説く。自分が歩んだ人生の経験を活かして間違った道を歩まないようにしたいと思っている。

 

 

「悪い事はするなとは言わないわ」

 

「や。それはそれで問題でしょマダム」

 

 

 犯罪を勧めるような言い方に宏輝は顔を引き攣らせる。まさか悪い事をするなではなくしてもいいみたいな言い方をするとは思わなかったのだろう。マダムの見た目からは優しそうな老婆でそんな事を言うはずがないと宏輝自身も思うほどなのだが。

 

 

「悪い事をしてもいい。良い事をしたくないならしなくてもいい」

 

「マダムマダム。ただの犯罪講座みたいになってますって」

 

「だけどこれは忘れないで。『自分が決めた道は何があっても貫き通す事』、人に言われて縛られない自由な子であって欲しいの。少し使い古された言葉だけどわかるかしら」

 

「まあ、大体は。縛られないで自由に生きたら会社ですぐにクビになりますって」

 

「大丈夫よ。いざとなれば私の知り合いの経営する企業に加えてもらうから」

 

 

 何といういきなりの大きなコネ。と宏輝は呟いた。このマダム、名の通りに川神市どころか世界でも屈指の大金持ちなのである。それ故にコネは幾らでもあるのだが、まさか高校生から就職先が見つかるとは夢にも思っていなかったのだろう。戸惑いを隠せずにズルリとシャツがズレていた。

 

 

「さっ。これでいいわ。今から入学式でしょ? 私は行けないけどしっかりとね」

 

「はい。感謝します」

 

 

 ネクタイをしっかりと結んだ彼はマダムに頭を下げると、川神学園から送られていた物の中にあったペラペラの鞄を持って家から飛び出す宏輝だった。マダム宅の二階から川神学園の方向に走る彼の姿をマダムはまるで孫を見詰めるような眼差しをしていた。

 

 ――そして、入学式。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーいモモちゃん」

 

「意外と遅かったなヒロ」

 

 

 川神学園体育館。入学式の会場である会場前に宏輝の友人である百代が白い制服を身に包んで彼を待っていた。タッタッタッタと彼女に走り寄る彼の額には少ない汗が付着しており、ずっと走っていた事が伺える。

 

 

「勘弁してよ。ここからマダムの家までどれくらい離れていると思ってんの? 十分走り続けたんだよ俺」

 

「……あー、遠いもんな。ばーちゃんの家から」

 

「そういうこと。そろそろ行こっか? 入学式には決まった席があるんでしょ?」

 

「ふふふ……もう調べているぞ。何故かお前は成績最優秀なのに私と同じFクラスなんだが、何でだ?」

 

「知らないよ」

 

 

 乱れた息を整えながら百代と歩き、入学式の会場である体育館に向かう。美少女の百代に童顔の宏輝は注目の的になっており、新しい同級生となる少年少女に見られていた。正確には、天井宏輝という少年一人を見ている人間が多かったりする。

 

 

 ―― アイツが天井宏輝

 

 ―― 編入試験を満点で突破した奴か

 

 ―― Sクラストップなのにわざわざ一番下のFクラスに移ったらしいぞ

 

 ―― 腹立つ。成績が優秀だからって余裕を見せやがって

 

 

「――ねえねえモモちゃん。何か背中が寒くなってるんだけど何で?」

 

「こんな美少女の私と一緒にいるからだろ。うりうり」

 

「ちょ!? おっぱい当たってるって! 押し付けないでって!」

 

「おっぱいって言うな。せめて豊かな胸と言え」

 

 

 宏輝の頭を抱え、グリグリとする。その際に腋に挟んでいるので百代の豊かな胸が顔に当たっており、必死に抵抗をしようとするが、歴然な力の差にビクともせずに百代に為すがままの宏輝だった。それには周りの目を更に強くし、男子の嫉妬に塗れた視線が宏輝に中心に射抜くのであった。

 キリキリと痛み始める胃と頭を摩りながら二人は移動し、指定された席に座る。その間にも、Sクラスからキツい視線が宏輝を射抜いており、始まる前からグッタリとしていた。

 

 

「モモちゃん。俺、死にそう」

 

「辛いのか? なら膝枕をしてやろうか?」

 

「もう黙って。その発言のせいで目線がキツくなるんだよ」

 

『オーイ。ワシの話はちゃんと聞こうの? ワシ、学長じゃよ?』

 

「そもそもの原因はテメェだろ……!」

 

 

 静かに怒る宏輝に百代は楽しそうに背中をバシバシと叩いて遊ぶ。真っ白に燃え尽きたボクサーのように項垂れている彼に救いはないのだろうか。入学式から疲れる宏輝だった。

 

 

『今年から新しい校則を導入しようと考えておる。担任の教師から説明をするように頼んでおるからしっかりと話を聞くように。以上、学長からじゃ。長ったらしい話は好きではないのでここで入学式は終わり。それぞれのクラスに移動して担任の先生を待つのじゃ』

 

 

 もう嫌な予感しかしないと宏輝は心の中で思っていた。彼の予想は的中し、Fクラスに移動した後に気絶する程のショックを受ける事になるのだ。

 肩を落とし、トボトボと歩く彼はもう疲れ切っていた。反対に胸を張って歩く百代に注目が行く・・・主に胸に。豊かな胸が揺れる様を思春期を抜け出そうとしている新高校生はガン見していた。

 

 

「もうサボりたい」

 

 

 この一言に全てが詰まる。宏輝と百代の所属するFクラスに移動し、自分の席に座っている間に宏輝は疲れた様子で机に顔を付けて死んでいた。入学式から目立っているため、疲れている彼の様子を見ているクラスメイトが多かった。

 さて。ここで誤解の無いように説明をしておこう。天井宏輝という人物は高校生ではあるが、正確には“高校一年生の半年目”である。よくサボっていたが、成績は上位に食い込むほど優秀な生徒であった。なので、出席日数が足りなくとも、優秀だったのでギャンブルにのめり込んでいるのが以前の彼であった。今回の川神学園に入学したとしても、早速サボる気満々であったのだが更にサボりたい気持ちが強くなるのだった。

 

 ――始まって早々、前途多難な展開になるのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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17 新たな日常と犠牲者

 

 

 

 

 

 ――川神学園。四月某日。

 

 新学期、新学年が始まって早二週間。初めは慣れていなかった学生も学園生活に慣れ始め、それぞれが各々に自分がやりたい事をして学園生活を楽しんでいた。

 そして、この少年も。天井宏輝もまた、存分に学園生活を堪能していた。

 

 

「俺の勝ち。じゃ、これに判子よろ」

 

「ぬぅ」

 

 

 にひひと笑う宏輝。目の前には唸る老人、川神鉄心。勝敗を決した将棋の盤上を見て思いっきり唸っていた。勝ったのは宏輝、負けたのは鉄心。勝った側である宏輝は指の先で将棋の駒をクルクルと回しており、もう片方の手で文字列が並んだ紙が握られていた。

 

 

「三十戦全勝。約束通りこの新しい部活創設許可の紙に判子頂戴」

 

「仕方がないのう。じゃが、約束だけは守ってもらうぞい宏輝君」

 

「成績をトップで維持する事っしょ? そこも抜かりないぜ。がくちょー」

 

 

 新しい部活。名を“娯楽部”、自分達がやりたいと思った事を気侭にやる宏輝の本性を表した夢の堕落した部活なのである。だが、そんな部活は普通は認められないとばかりに川神学園の殆どの教師が反対をした。当然の反応である。

 が。狡猾な人間である宏輝は言葉を駆使してほぼ全員の教師を言いくるめた。その時の宏輝はまさに新世界の神であったと誰かが語る。全てが無条件とまでは行かず、厳しい条件付きであれば容認される事になったのだ。

 

 

「にしても、大丈夫かの? 編入試験が優秀と言ってもSクラスの子には頭がいい子もおるんじゃよ?」

 

「成績トップ維持なら楽。寧ろ無遅刻無欠席だったら川神学園の事が明日の朝に大ニュースになってたと思うよ。俺の首吊り死体で」

 

「自殺するつもりじゃったんかい。ワシ、学長よ? そんな事を言われても困るんじゃけど」

 

「にひひっ。怠惰がモットーですので」

 

「……完ッ全にギャンブルに明け暮れる駄目人間じゃの……」

 

 

 宏輝に呆れる鉄心。ポンと紙に学長の証である鉄心の名前の判子を押すと、両手(もろて)を上げて喜びを示す宏輝。娯楽部なんて部活が認められるのは比較的自由な校風である川神学園だけであろう。

 こうしてまた一つ、川神学園に新たな伝説が刻まれる――事は無い。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「喜べ! 最強の後ろ盾である学長のお墨付きだぜ! 娯楽部結成だ!」

 

 

 うおおおと喜びを見せる少年達。テンションの高い少年達を置いて、同じクラスである少女達はやれやれと苦笑していた。こういったテンションマックスなクラスは川神学園一年F組、天井宏輝と川神百代が所属しているクラスである。

 娯楽部認可ペーパーを持って裁判の勝訴を告げる人間が如く、Fクラスに飛び込んできた宏輝を迎える迎える迎える。殆どが暴力によるもので、宏輝はボコボコにされていた。

 

 

「おぉ宏輝! 認可されたのか!」

 

「イエス。麻呂は一番苦労したが最強の後ろ盾のジジイは将棋三十戦全勝だったから楽だった。ちなみに顧問はまだ決まっていない」

 

「やっほーう! サボり場確保!」

 

 

 その言葉に飛び上がる名も無きクラスメイト男子。が、絶望に叩き落とす台詞が宏輝の口から放たれる。

 

 

「あ。忘れてたけど入部には成績がとある基準以上を満たしていないと無理だからね。無論、俺は娯楽部部長だから成績はトップ維持の必要があるけど」

 

 

 空気が凍った。確かにピシリと空気に亀裂が走るような音が響いた。笑顔のまま表情が固まって時間が止まっていた。それに構わず、鼻歌を奏でながら宏輝はクラスメイト男子の合間を縫って自分の席に座る。最後列の窓側とベストポジションと言えるか言えない場所であった。

 学長、川神鉄心のお墨付きの判子をもらったその紙を大事そうにクリアファイルに入れると、厳重に机の奥側に仕舞う。

 

 

「――ん? あれ、モモちゃんはどったの?」

 

「百代ちゃん? 何処かに行ったのは見たけど何処に行ったかまではわからないな」

 

 

 クラスメイト女子と会話をし、ふーんと曖昧な答え方をする宏輝。新学年が始まってまだ短い時間しか共に過ごしていないが、宏輝の持ち前の明るさと好かれやすい体質で良好な関係を築けている。男子女子に関係なく人気者である彼はすぐに一年Fクラスの中心人物でリーダー的な存在となっていた。

 頭脳に成績は最低のFクラスでありながら最高のSクラスの中でもトップの成績を持っている。成績等を考えないお気楽なFクラスだからこそ受け入れられているのだ。もし、Sクラスだとどうやって蹴落そうかと考えてお気楽である宏輝にとっては地獄以外の何物でもない最悪の環境であっただろう。

 

 

「あ、天井君。部活の掛け持ちの話はどうする?」

 

「堕落がモットーなので運動系は勘弁。疲れるのは嫌い、面倒なのも嫌である」

 

「……前から思ったけど天井君って完全に駄目人間だよね。将来、駄目亭主になる姿がまざまざと見えるよ」

 

「なっはっはっは。褒め言葉でございます。駄目人間なのは自覚しておりまする。フヒヒ」

 

「笑い方もキモイよ」

 

 

 某新世界の神以上に黒い笑いを見せるが、同時に笑い声も気持ち悪かった。委員長タイプである少女が嫌そうに突っ込みながら宏輝から少し離れる。普通であれば傷付くだろうが、宏輝は色々な意味で図太かった。めげません傷付きません許してあげよう。そして玩具にしてあげようと心の中で思う彼であった。何という外道だろうか。

 

 

「あ。それでだけど前の時間のノート」

 

「サンクス。放課後にスイーツを奢って差し上げようお嬢さん」

 

「もう。遊んでそうに見えないのに遊んでいるような言い方をするね」

 

「惚れた? 惚れちゃった?」

 

「……少し」

 

「……その反応は予想していなかった。間違いなく君はギャルゲのチョロインポジションですな。おめでとう」

 

 

 委員長タイプの女子の肩をポンポンと叩きながら死刑宣告にも等しい事を言われた彼女は心を折られる。毒舌でもある少年に高校生に成りたての乙女の乙女心は折られるのであった。

 一般の同年代よりも大人と付き合う機会が多い彼からしてみればこの毒舌は学んだものでもある。童顔だからか、ある一定の年齢以上のお姉様方に人気であるため大人の黒い部分も学んでいる。特にキャバクラで。未成年のくせに飲酒もしている問題児まっしぐらな少年なのだ。

 

 

「取り敢えずありがと矢場。すぐに写すから返すわ」

 

「本当に乙女心をわかっているのかわかっていないのかわかんないよね」

 

「おちょくってるしね」

 

「……もういや。何でちょっと可愛いかもって思った私を殴りたい」

 

 

 天井宏輝。最悪な天邪鬼である。高校生活開始から僅かな時間の間で女性を誑かす少年であった。

 

 

「ヒーロー。授業サボってあーそーぼー」

 

「モモちゃんはアホだから勉強しなきゃね」

 

 

 が、彼の天敵で親友である川神百代には頭が上がらない。馬鹿にしては殴られるというのが日常であり、Fクラス名物である。殴られ、気絶した宏輝はそのまま保健室直行であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「ねえお腹が痛いんだけどモモちゃん。ねえねえ」

 

「食中毒だろ。食べ物には気を使わないといけないんじゃないか?」

 

「ねえねえ。最後の記憶が正しかったらモモちゃんが俺の腹をぶん殴ったような?」

 

「夢だ」

 

 

 時間は変わって放課後。仲の良い友人同士である宏輝と百代は共に帰っていた。宏輝が自分の家、マダムから借りている部屋から通う際に使っている自転車を操って漕いでおり、百代はその後ろに乗っている。二人乗りは厳禁なのだが、見つからなければいいという考えを両方が持っているのでやめようとはしなかった。

 

 

「やっぱりこういうのもいいな。今までは歩いていたりしたけどこうして誰かの後ろに乗るのも新鮮な感覚だ」

 

「そりゃ、今までモモちゃんが女の子扱いされていなかったからでしょ。言い方が悪いけど無敵なモモちゃんだから気遣われる事もなかったんでしょ? だからこんな風に接されて新鮮だって感じているんだと思うよ。やっぱ女の子なんだよモモちゃん」

 

「なんだとコラ。今まで私を女の子と見てなかったてのかアアン?」

 

「いやいや――やめて! 運転中なんだから転ぶでしょ!」

 

 

 前を見て運転する宏輝の首を絞めるように抱き着く百代。宏輝からすれば女の子として見ていないと言われて怒っているのだと思っているようだが百代自身は違う事を思っていた。

 確かに百代は世界に名を轟かせる最強の武士(もののふ)であり、祖父の武神の称号を受け継いでいる。故に、その実力は誰もが知っており、誰も彼女が危険な目に遭わないと無意識に思っている者が多い。だが、百代もまだ高校生になったばかり。其処ら辺にいる普通の女子高生と変わらぬ恋する乙女、少女である。よって宏輝の説明の言葉に少なからずの影響を受けており、内心ドキドキしているのだ。純粋に一人の少女として見ているような発言に照れており、照れ隠しに宏輝の首を絞めているのだ。

 

 

(な、なんだ。ヒロってこんな事を考えていたのか? 私が一人の女の、子……)

 

 

 片手で自転車を操りながら百代の手をパシパシと叩いている宏輝。少しヨロヨロとしているので結構危険なのだろう。離してと宏輝の言葉が百代の耳に入るが、先程の宏輝の言葉で動揺しているので聞こえていない。背中に感じる柔らかい感触はご馳走様ですと言わんばかりだが、事故を起こす危険が消えていないので焦る。

 

 

「も、モモちゃんモモちゃんお願いだから離して! 事故る事故る!」

 

 

 叩いても反応が無いので直接言おうと後ろを見た。いや、“見てしまった”。前方不注意によって、ある意味宏輝の天運であるラッキースケベがまたもや発動する事になる。

 道端の大きな石に車輪が引っ掛かり、自転車が空を舞う。アッーーと宏輝の情けない声がスローモーションで聞こえ、百代は持ち前の運動神経と染み付いた反射運動によって放り出された空中で体勢を直し、優雅に着地をする。空中を舞う宏輝を助けようと振り返るが、自転車が目の前にあったためにほぼ無意識に蹴り飛ばしてしまう。数瞬遅れて宏輝を助けようとするが――。

 

 

「ど、どうも」

 

「あ、ああ」

 

 

 百代は固まる。助けようと思っていた少年が百代の知り合いと抱き合いながらあたかもキスをするような至近距離で話していたのだから。宏輝の手は知り合いの腰の、臀部の上に置かれており、知り合い――橘天衣は飛んでいた宏輝を受け止めたのだろう。彼の背中に手を回していた。誰が見ても熱いカップルである。それもキスをしそうな。

 そんな光景をまざまざと見せられた百代はプツンとキレる。助走を付け、強力となった飛び蹴りを綺麗に宏輝の頭を蹴り抜くのであった。そんな事をすれば勿論、宏輝は頭を前に動かす事になる・・・そう、橘天衣の胸に顔を埋める事になってしまうのだ。

 

 

「こんのぉぉぉぉ、スケベ野郎がァァァァァァァァァァァァ!!」

 

「お、男の子に胸に顔を埋められるなんて」

 

 

 まさにカオス。百代は気絶した宏輝に向かって叫び、天衣は自分の胸に顔を埋める宏輝に戸惑いながら赤面するのであった。

 

 ――ラッキースケベモゲロ。

 

 

 

 

 



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18 女王陥落


 宏輝「計画通り・・・!(ニヤリ」

 チョロくなったけどいいよね! コイツ、完全に考えてやっているから鈍感主人公よりもタチが悪い気がするのは自分だけではないはず。

 あんまりフラグ建てると【規制】ハーレム二次になるから避けたいんだよなぁ。








 

 

 

 

 

「君が良ければ私と友人になってもらえないだろうか!」

 

「いいともー」

 

(……何かモヤモヤする)

 

 

 川神市内のとある喫茶店。橘天衣、天井宏輝、川神百代の三人がいる席にて。天衣はスプーンを咥える宏輝の手を情熱的に両手で握っており、握られている宏輝はまるで昼の定番の番組の台詞を言って、百代はそんな二人の様子をブスッとした表情で見ていた。

 さて、こうなった理由を時間を遡って見てみよう。宏輝の固定特殊能力であるラッキースケベが発動して一時間、喫茶店に行くまで。喫茶店の席を取って軽い自己紹介をした時にそれは起きた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「すんません。胸に顔を埋めてしまって。ついでに柔らかくて役得でした、ご馳走様です」

 

「こんのスケベめ」

 

 

 バシンと頭を突っ込むように頭を叩く百代。何気に不機嫌そうな顔をしている百代であった。反対に、同じ席に座っている天衣は顔をほんのりと赤くして珈琲を飲んでおり、若干モジモジとしている。元凶である宏輝は喫茶店限定ビックパフェを食べながら悪気が無いように振舞っていた。女性の胸に顔を埋めてその反応とは最低な男性、少年である。

 百代に二度目の気絶をさせられ、すぐに意識を戻した宏輝の提案によって喫茶店で自己紹介ついでに謝罪をしようと言うのだが、この態度である。

 

 

「というかさ。モモちゃんが蹴らなかったらこのおねーさんのおっぱいにも突っ込まなかったし、抱き合うだけで終わってたんだよ? 悪いのはモモちゃんもじゃない?」

 

「う゛。そう言われると」

 

「そ、そんなに淡々と言わないでくれないか。こう見えても恥ずかしいんだ」

 

「おねーさん、クールな感じなのに照れるって可愛いね」

 

「や、やめてくれ……」

 

 

 顔を真っ赤にして俯く天衣。それには百代は面白くなく、人を殺しそうな目線で宏輝を睨んでいた。地雷を踏み抜いたと後悔しながら心の中で冷や汗をダラダラ流す彼はポーカーフェイス、笑顔を保ちながらパフェを食べ進める。鬼神の視線が宏輝を蝕む――。

 

 

「あ。自己紹介だけど。俺の名前は天井宏輝。モモちゃんからはヒロって呼ばれているよ」

 

「あ、ああ。橘天衣。そこの百代と同じ武道四天王の一員だ。よろしく。天の衣装と書いてたかえ、と呼ぶよ」

 

「何それ格好良い。武道四天王って厨二病を擽るネーミングだよね。称号とかあるの? 『閃光』とか『剣聖』みたいなの」

 

 

 二人は自己紹介をする。天衣と百代は同じ武道四天王であるため、自己紹介は不要であり、天衣と宏輝、二人の間の会話を聞いており、面白くなさそうな顔をしている百代。

 初めの羞恥心は何処へか。天衣の恥ずかしそうな態度から普段の態度に戻り、宏輝との会話に花を咲かせていた。これも宏輝が為せる話術、本筋から逸れさせて違う話題へ変えて楽しませるという事が上手なのだ。それも彼の魅力であり、いい所である。

 

 

「へー。スピードクィーン。何かレースクイーンの称号みたいだね」

 

「言わないでくれ。自分でもわかっている」

 

「変わりにモモちゃんは武神と。ぶっちゃけモモちゃんが格好良いよね」

 

 

 その言葉にムスッとなる天衣。反対にちょくちょく宏輝のパフェを盗んで食べている百代は見てわかるように機嫌が良くなる。称号というか、自分を褒められて嬉しいのだろう。ふふんと挑発するように天衣を見る百代。なんという子供だろうか。

 

 

「俺は……何だろ。モモちゃん、何か称号を付けてよ」

 

「変態、スケベ、エロガキ」

 

「ひっでぇ! というか変態はモモちゃんでしょ! 前なんか俺の股間を――」

 

 

 百代は狩人の目でスプーンを宏輝の口に突っ込んで黙らせる。初めて会った時のラッキースケベは余程恥ずかしいのだろう。先程の一連の動きは同じ武道四天王である天衣すら見切れるものではなかった。驚く天衣を尻目に、スプーンを口から出して仏頂面をする宏輝。いきなり口の中にスプーンを入れられ、不機嫌になっている。

 確かに百代は股間を鷲掴みにした。竿をしっかりと握った。男の勲章とも言える場所をそんな風に扱われて嫌なのは百代だけではなく触られた宏輝自身も嫌である。行為で【規制】された事があったとしても嫌のは嫌なのだ。

 

 

「……忘れろ。あれは事故だ」

 

「うん。キスして御免」

 

 

 ガゴンッ。全く反省しない宏輝であった。不用意な一言が百代を怒らせ、顔面をテーブルに叩き付けられるのであった。叩き付けられた宏輝はプシューと頭から煙を噴き、テーブルに突っ伏したまま。顔を引き攣らせる天衣は百代にこう聞く。

 

 

「百代……もしかして付き合っているのか?」

 

「ちっがぁぁぁぁぁぁぁぁう!!」

 

 

 吠える百代。喫茶店のオーナーに叱られる二人であった。

 

 

 

 

 

 

 閑話休題(おちついたところで)

 

 

 

 

 

 

 大きな絆創膏をクロスさせて額に貼っている幻覚を見ている二人は頭を擦る宏輝を見る。本気で痛がっているようで実行犯である百代は気まずそうな顔をしていた。

 

 

「あのね。俺は女の子からの暴力は我慢できる方だけどこれはやり過ぎだと思うんだよ」

 

「わ、悪い」

 

「大丈夫か? まだ痛いのなら病院へ行くか?」

 

「オウフ。女の子、おねーさんに心配されるのもやっぱり悪くないな。橘さん、付き合って」

 

「あ、いや」

 

 

 宏輝に告白紛いの事をされ、慌てる天衣。小悪魔なんてレベルじゃない宏輝の言動に心を揺らされる天衣としてはたまったものではない。というか宏輝はこんなナンパキャラだったか? と疑問を持ち始める百代。

 まだ知らない事だが、宏輝の一面にはこんなナンパ野郎の一面がある。祖母の教育により、人と人の間に繋がりを持つ際に男性、女性で接し方を変える方法がある。男性は持ち前の話術により悪い印象を持たせないようにする、女性は兎に角ベタ褒めをして落とせとの事が教育の賜物である。結果、完成したのが女たらしならぬ人間たらしの天井宏輝であるのだ。

 

 

(マジ可愛い。ワン子とは違ったギャップ萌えですな)

 

「天運持ちだから天啓でいいんじゃないか?」

 

「・・・ねえ、意味を理解して言ってる? 神などの超自然物から与えられたお告げのことを言うんだよ? そんな大層な存在じゃ――」

 

「何ッ! 君は天運を持っているのか!?」

 

 

 溶け始めているパフェにスプーンを挿そうとすれば、天衣がその言葉を聞いて一気に宏輝に顔を近付ける。あまりにも近い距離に、宏輝ですら圧倒されて少し後ろに身を引いていた。心無しか、目が興味津々とばかりに爛々と輝いていた。

 

 

「運が良いのか? 宝くじとか当たった事とかあるのか?」

 

「ま、まあ。ハズレは生まれてこの方無いし、大体八割以上で二等以上が出ますね。他があってもハズレは全く無いです」

 

「…………」

 

(こ、この子……鉄心殿の言う通り只者ではない。この子と一緒にいればもしや――!?)

 

「運が良いってレベルじゃないだろ。今度宝くじをして当てて遊びに行こう。いいよないいよな?」

 

「えー。出禁になると思うよ。前なんか当て過ぎて出禁ってなった事があったし」

 

「ヒロだけだ。それは」

 

 

 真実である。前の世界で宏輝は自分の運の良さを調べる段階で一等賞を当てに当てまくって宝くじを売っている店全体から出禁となっていたのだ。こんな事になったのは宏輝が初であり、当てた金額は十数億という大金を得るはずだったが、イカサマと言われて貰えないという事があった。

 まさに天に愛された少年。天運と呼んでもいい恩恵を確かに彼は受けているのだ。故に、誰もが彼を羨む。そう目の前の橘天衣のように。

 

 

「天井君!」

 

「名前でいいです。けど俺は橘さんって呼ぶけど、いいで」

 

「宏輝君!」

 

 

 ガッと宏輝の手を両手で掴んで顔を近付ける。天衣の顔がほんのりと興奮で赤くなっているのでドキリとはしない宏輝。耐性があるため、生半可な誘いでは受け付けない。

 

 ――そして場面は初めに戻る。

 

 

「友人程度なら大丈夫っすけど。ここまで上手く誘導できるとは」

 

 

 最後の部分はボソリと呟く。だが、興奮している天衣には聞こえずに嬉しそうに宏輝の手を上下に振って喜ぶ。

 

 

「ああ! よろしくな宏輝君!」

 

(……何か面白くない)

 

 

 百代は面白くなさそうだ。この時から無意識に宏輝を意識し始める事になるのだが、それに気付くのは大分後である。

 

 

 

 

 

 





 橘さんは天運不幸コンビで宏輝のパートナーとして動かしたい。弱い宏輝の百代に代わる護衛役・・・あれ? 百代が使い捨て? ・・・と、兎に角。原作開始には百代がマジ百代って展開を考えているので安心を。深い深い関係は多くても四人までって感じかな?

 なお、言われると思いますので先に。









 R-18は書きませぬ。








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19 嫌悪感と絶句

 

 

 

 ――橘天衣。

 

 彼女は武道に心得のある若い者を総称する武道四天王の一人である。二つ名は“スピードクィーン”、速さが売りの武道家である。武道四天王最速とも言われ、注目の的になっていたのだが、同じ武道四天王の川神百代に敗れ、武道四天王の地位が揺らぎ始めている。

 また、彼女は類に見ない最悪の不運であり、友人の家に遊びに行った際に隕石が落下して疎まれているエピソードが過去にある。不運に続く不運で心が折れそうになる彼女は――。

 

 ――現在、幸せの絶頂である。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「お、おお、おおおおおぉぉぉぉ……!」

 

「橘さん橘さん。嬉しいのはわかるけどその喜びようがパネェっす。正直、ドン引きです」

 

 

 川神に来てからあれほど引いたのは初めてだ。と宏輝は後に話す。クールなイメージがある橘さんと呼ぶ橘天衣は目をキラキラさせてある物を掲げて喜びの声を徐々に上げていく。あまりにもキャラが崩れているので流石の宏輝も引いてしまうのだろう。ピクピクと顔の筋肉を引き攣らせながら幸せの絶頂とも表せる表情をする彼女を見ている。

 

 

「ひ、ひひひひ、宏輝君! 見てくれ! 生まれて初めて景品が! 景品を当てたんだ!!」

 

「オボェアブェ! 目が、目がまわ――」

 

 

 ぐわんぐわんと天衣に揺さぶられ、宏輝は思いっきり酔ってしまう。心無しか、顔が真っ青である。というか死にそうである。武道四天王に名を連ねる百代と同じ天衣が、百代よりは力が弱いと言っても宏輝の膂力を大きく超えている天衣が揺さぶれば脳は揺さぶられてしまう。

 さて。橘天衣という女性がここまで喜びを顕にするのはとある理由からだ。今、彼女が手に持っている粗品。唯一にしてこれだけで橘天衣がここまで喜びを見せているのだ。ストレートに言えば、この粗品は福引の残念賞を除いて一番下の景品である。

 

 

「い、生きててこんなに嬉しい事はない! 心の底から君と友人になれて嬉しいと思っている!」

 

「わ、わかったから手を離して橘さん! 死ぬ死ぬ!」

 

 

 何もそこまで喜ばなくては? と思うだろうが、橘天衣という女性は今までこういった福引等の運が絡む掛けに勝った、当たったのは初めてである。昔から不運ばかりだった彼女からすればまさに奇跡だろう。故に、ここまで喜びを顕にしているのだ。喜びをぶつけられる側である宏輝からすれば、たまったものではないが。頭を乱暴に揺らされて気分が悪くなり始めている。

 

 説明をする必要もないだろう。彼と彼女は男女同士が遊びに行く“デート”をしている。きっかけは橘天衣から。天運とは何なのかを知りたい意味合いで遊びに誘ったのだ。宏輝自身は即答でデートに賛成した。途中、福引をして歓喜して今に至るわけだ。

 やっと解放された宏輝は電柱に手を置いて激しく咳き込んでおり、原因である天衣は申し訳なさそうに背中を摩っている。

 

 

「ゲホッゲホ。酸欠で死にそうな思いをしたのは四度目だよこんちくしょう」

 

「す、すまない。つい嬉しくて」

 

 

 ゼェゼェと息を荒く繰り返しながら呼吸をする宏輝。本当に悪いと思っているのか、声色が気遣うそれであり、献身的に宏輝の背中を摩って楽にさせようとする天衣。傍から見れば仲の良い男女関係、カップル。酒に泥酔した夫を気遣う妻にも見えなくもなかった。

 

 

「一度も当たらないってどんだけ不運なんすか橘さん。前に友人とやったけど皆低くても当たりがありましたよ?」

 

「う、うむ。あくまでも私の考えなんだが、君の天運は伝染するのではないだろうか? だからこそ私でさえも当たりが出たんじゃないかと思っているんだ。君の才能とも言える天運が羨ましいよ」

 

「……そっすか」

 

(……無知は罪也とはよく言ったもんだ。人の気も知らないで)

 

 

 喜ぶ天衣を傍目に宏輝は上辺だけを取り繕って内心、冷たい感情を宿していた。もし、天衣が普段通りであればその変化にすぐに気付いただろうが、生まれて初めての福引の景品を得られた事に対して舞い上がっているために気付けない。とはいえ、宏輝自身の天運も恩恵の補正もあるので普段通りでも何らかの“偶然”が重なって悟らせないように事が動いてしまう。

 

 

「それより橘さん。次はあそこ、行きましょうよ」

 

「あ、ああ。そうだな。もう少し付き合ってもらうよ、宏輝君」

 

「喜んで」

 

(無知は罪也……とは言うが、川神の人達は俺の事は詳しく知らない。憎んではお門違いだ。落ち着け俺よ)

 

 

 天衣の手を引きながら宏輝は気持ちを切り替えようとする。自分が言われて嫌な事を嬉しそうに言われ、宏輝自身も嫌になっているのだ。人によっては利点だと思うだろうが、宏輝にとっては武器であり忌み嫌う物だ。彼が体験した過去と天運が引き起こした悲劇が天運に恨みを抱くようになっている。叶うなら、他人にそれを渡したいと願うほどに。何でも無い振る舞いをする裏側には何事も物事があるのだ。

 福引で当たり、気分が高揚している天衣を見て共に楽しむ宏輝だったが、心の中に芽生えたモヤモヤは晴れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「――は?」

 

「は? じゃないわい。当たり前じゃろ」

 

 

 川神院、総代川神鉄心の部屋に舞台を移す。そこには唖然とする百代に髭を撫でながら唖然としている百代を見る鉄心。

 

 

「い、いやいやいやいや! まだ始まってから一ヶ月も経ってないのに早すぎないか!?」

 

「しょうがないじゃろ。他にも何人かおるが、モモもかなりやばいんじゃよ」

 

 

 勿体ぶるような言い方をする鉄心はゴソゴソと何処からか紙を取り出す。それはもう、重い溜め息を吐きながら紙の内容を声に出して読み始める。

 

 

「川神百代、川神学園高等部一年F組。一学期恒例第一回実力試験結果」

 

「うっ」

 

 

 百代はたじろぐ。その読み上げた言葉に心当たりがあるのか、少し嫌そうな顔をして気圧されるように少し後ろに下がる。半目で上目遣いの鉄心にドキリと嫌な意味で心臓が高鳴る。

 

 

「数学、17点。現代文、三32点。英語、6点。理系選択生物、5点。文系選択日本史、28点――」

 

「わ、わかってる! わかってるからそんな低い声で読むな! 怖いんだよジジイ!」

 

「事実じゃろ。学長の孫という立場上でワシも学園の教師から注意をするように言われとるんじゃ。体力テストは全校生徒中トップだが馬鹿過ぎじゃわい」

 

「そ、それならジジイはどうなんだ! 他人に誇れる学力を持っているのか!?」

 

 

 苦し紛れ。百代はもう言われるのは勘弁だと矛先を自分の祖父に向けて話題を逸らそうとする。百代は鉄心が自分の過去を振り返って話を逸らすかもしれないと思っているようだが、鉄心は百代が思う動きをせずに寧ろやれやれとする様子に何故だか圧倒される。

 

 

「こう見えてもワシ、国立大学を主席合格しておるんじゃよ? 経済学に経営学。でなければワシが学園の学長になれると思っておったのかの?」

 

「――――――」

 

 

 文字通り、言葉を失う百代。金魚のように口をパクパクしながら震える手の指先で鉄心を差しながら驚きを隠せない様子に、鉄心は過去を振り返るような懐かしい顔をして髭を撫でる動作を再びする。

 

 

「懐かしいの。師匠がワシと戦ってくれるのに必死に勉強をしとったらいつの間にか他所様(よそさま)に顔を出しても恥ずかしくない学力を得ての・・・」

 

(し、知らなかった。ジジイって頭が良かったのか!)

 

 

 百代、祖父の新たな一面を知る。ただの師匠、天上皇輝に依存するクソジジイかと思いきや頭が良かった。これではポルナレフコピペが大歓喜である。

 

 

「っとと。また話がズレてしまうわい」

 

「じ、ジジイって頭が良かったんだな」

 

「ワシを馬鹿にしおってからに。学園の学長をやっとる時点で馬鹿なわけがなかろう……可愛い孫娘に忠告じゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このままだとお前さん、夏休みの休暇期間返上で補習をする事になるぞい」

 

 

 ―― ももよは めのまえが まっくらに なった!

 

 川神百代。うら若き少女、地獄の釜が開いた瞬間であった。

 

 

 

 

 





 実際に鉄心って頭は良さそう。川神学園の学長やってるし。百代は何というか・・・まあ、頑張れって感じ。実際はどうかわからんけどここではアホの子として扱いたい。

 橘さんって完全に堕ちてる? 天運持ちだから上がり幅がカンストしているかもしれませんね。

 ここから着実に宏輝の闇を描きたい。天運とはいえ、欠点もある事を上手く書きたいんだが自分の腕で何処までできるか。具体的な例はとあるの女教皇さんみたいなイメージ。






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20 天才と天災

 

 

 

 

 

「……はい? 俺が?」

 

「うむ。頼めないかの?」

 

「ああ、まあ。友達だから教えるのはいいけどアホのモモちゃんが根気良くできると思ってるの?」

 

 

 パチン。

 

 

「そう言われると弱いのぅ。自分がやりたい事や楽しめる事なら夢中になれるが、勉強方面はどうしても苦手での」

 

「それが普通。勉強熱心なのはあまりいないと思う。俺なんか過程があったから成績が良いだけでその過程が無かったらモモちゃん以上の馬鹿だったかもしれないよ? ギャンブルだけに夢中で裏の人間に殺されてる未来があったかもしれないし」

 

 

 パチン、パチン。

 

 

「……ま」

「待った無し」

 

「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬ……年寄りはもっと労らんかの?」

 

「――ねえ知ってる? ライオンって弱い獲物を狩る時も全力を出すんだよ?」

 

 

 腕を組んでドヤ顔。碁盤の状況を見ながら宏輝は鉄心にトドメと差すように言葉を発する。唸る鉄心が待ったを言っても宏輝は容赦をしない。勝負事は真剣に本気でと信念を持っている彼は後先の事を考えずに発言して煽りに煽って煽りまくる。相手が鉄心でなければどうなるかは目に見えているだろう。特に百代が相手だとボコボコにリンチされるだろう。

 言わずもがな。宏輝と鉄心は何回目になるか、学長室の将棋盤で将棋で勝負していた。圧勝を収めた宏輝は将棋盤の駒を片付け、髭を撫でながらしょんぼりとした顔をしている。

 

 

「ハァ。ワシ、いつまでも宏輝君に勝てんわい」

 

「頑張れとメッセージを送ろうジジイ。何事も回数を重ねる事で上手になるよ。俺なんか初めはばあちゃんに負けに続く負けで心を折られた事も何回もあった」

 

「ばあちゃん。つまりは、宏輝君の祖母さんかの?」

 

 

 度々、宏輝から出る彼の祖母の話題。謎に包まれているが、今の天井宏輝を形成する事に大きな影響を与えているのだが、まだ誰にも話していないので鉄心が知る由もない。

 

 

「いい人だったよ。勉強もギャンブルも色々教えてくれた」

 

「ホッホ。性格が捻くれているが本質は優しい子のお主だ。さぞ、美しい女性だったじゃろうな」

 

「…………ウン、ソウダネ」

 

 

 ふい、と宏輝はそこはかとなく鉄心から目を逸らす。自分だけ知っている祖母の実態を知っている宏輝としては顔を逸らさざるを得ない。

 

 

(あれは美しいけど魔性の女、魔女が適切な言い方だ。あんなヒト、もうこれからも会えそうにないと思うぞ)

 

「ところで授業はどうした? 宏輝君、まだ授業があるじゃろ?」

 

「面談だよ。自習時間だけど何か話したそうな顔をしてたから将棋のついでに来てみた」

 

「うむぅ。まあ、致し方あるまい。学長直々の成績優秀者との面談という名目にしておこう。特例でよいか?」

 

「感謝感謝。本来ならSクラスだからその事について面談をするって事にしておこう」

 

 

 いそいそと将棋盤を片付ける。そんな様子を学長室の偉そうな社長椅子に座る鉄心は子や孫を見守るような生暖かい視線を宏輝に送りながら茶を啜っている。将棋を堪能したので満足なのか、ホッホッホッホと笑っている。

 

 

「それで引き受けてくれるかの? モモの件」

 

 

 ガタガタと学長室の棚を触っている宏輝に声を掛けると、少し悩むように頭の米神をポリポリと掻いて唸る。色々と考えて今後の予定を立てている彼はこの話を受ける事で得られるメリットとデメリットを考えているのだ。短い付き合いの百代の性格を考えると、重労働になるのは目に見えている。まだ遊びたいと思っている宏輝にとっては百代の教師をして時間を潰されるのは勘弁願いたいと思っている。悩みに、悩む。

 

 

「ふむ。仕方あるまい。教師をしてくれるのであれば夏休みの補習は免除しよう」

 

「成績優秀だから免除はされると思うんだけど?」

 

「ふむむ、あいわかった。上食券三十枚でどうじゃ?」

 

「五十」

 

「……わかったわい。手配しよう」

 

 

 やっふーと喜ぶ。天井宏輝、川神百代の個人教師に任命されるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 少年は目を閉じる。何かを考えるのではなく思うのでもなくただ無心に心と意識を欲求に委ねる。周りの声も気にせずにゆっくりとゆっくりと・・・。

 

 

「Zzzz」

 

 

 居眠りである。この少年、堂々と授業中に昼寝をするが如く居眠りをし始めているのだ。その顔は幸せそうに、涎を垂らす勢いで破顔して綻んでおり、とある特定の人物を苛立たせるには充分な理由だ。

 

 

「天井。起きろ天井」

 

 

 授業を担当する教師はピクピクと青筋を立てて居眠りをする彼を見下すように睨んでいる。睨んでいる教師の心情が見るだけですぐにわかるほど、憤慨している。

 居眠りを堂々とする宏輝を見て教師は頭を抱えたくなる。川神学園内の教師陣の間では、天井宏輝という生徒は成績最優秀、難しい編入試験を満点で突破しているので期待の的であるのだが、ある意味期待外れの生徒だ。

 付け加えると、この授業をしている教師も宏輝の娯楽部創設に反対する人間であった。が、天井宏輝をあまり知らなかったからこそ言いくるめられて多数決による創設承認を許してしまう事になったわけだ。

 

 

「天井ィィィィィィィ!!」

 

「ぬおっ! 何だ何だ。誰かが屁をこいて臭くなったのか!?」

 

「んなわけがあるか! いいから廊下に立ってろ馬鹿モンが!!」

 

 

 ベシベシベシベシと額を教材の教科書の角で叩きまくられる目が虚ろな宏輝。一回叩かれる毎に眠気が吹き飛んで意識がシャキッとし始めるが、殴られ続けて額にジンジンと痛みが伝わる。

 

 

(やっべ。ついまた居眠りしちまった)

 

「あー、サーセン。少し昨日の夜にパーチーに行ってたもんで。睡眠不足っす」

 

「知るか! ガキがパーティーとか生意気すぎるぞ! 反省文書いて提出しろ!」

 

「えー。でも学長も一緒にいたんすけど。もっと言えば川神学園の先生方が殆どいたんすけど? 呼ばれませんでした? あっ。ボッチですか」

 

 

 ゴスッ。トドメが如く、教師の持っている教科書の角を思いっきり宏輝の額に命中させた。グラングランと頭が揺れる彼を極限まで憤慨した教師の手によって廊下に投げられるのであった。完全に自業自得ではあるが、おちょくる宏輝も悪い。目がチカチカするのを自覚しながら校舎の廊下で情けない姿で寝転がる。

 痛みに悶える彼に救いの手が。たまたま廊下を歩いているある人間が彼を助け起こし、廊下の僅かな埃が付着している服を払う。

 

 

「大丈夫か?」

 

「畜生。思いっきり殴りやがって……って誰? 着物とはまた斬新な奴だね」

 

「嗚呼、私の事は知らないのか。無理もないだろう。私と君は何の関係も無いが、君は川神学園では有名すぎるからな」

 

「有名で悪いな」

 

 

 宏輝に手を貸しながら立ち上がらせるのは男性、年齢的には少年だが見た目はイイ大人というイメージが似合いそうな者だった。川神学園指定の制服ではなく、茶会を開く時のお偉いさんが着るような見事な和服である。長い袴に羽織と地面スレスレなのを宏輝が気にしている。

 この少年が言う有名なのは編入試験でトップの成績を修めただけではなく、高校生活の始まりである一年目から濃すぎるキャラを貫いて爆走しているために良い意味でも悪い意味でも有名なのだ。おそらく、今の川神学園在校生徒に質問すれば誰もが天井宏輝という少年を知っていると答えるだろう。それほど短い時間で人々の記憶に強烈な印象を刻んでいるというわけである。

 

 

「自己紹介は必要かな?」

 

「ああ。こうして会うのは初めてで……もしかして先輩?」

 

「いや、同学年だ。一年S組に所属している京極彦一。よろしく」

 

「うむ。天井宏輝。よろしゅうしてやろう。よきにはからえ」

 

「ふむ。生意気というのも噂通りか」

 

 

 少年、京極彦一と名乗る彼は肩を竦めて宏輝の態度に呆れ果てていた。反対に、宏輝自身は京極の見た目から似非貴族のように挨拶を交わすというお茶目な部分を見せているだけだが、初対面相手では失礼だと思う者もいるだろう事を忘れてはいけない。

 

 

「あ、あー。思い出した。京極彦一ってSクラスの成績トップのか」

 

「残念だが君には負けるよ。天井君。入学試験よりも難しい編入試験で全教科満点は私でも無理だよ」

 

「そう? 結構基本的な事ばかり出てたから少し考えればわかると思うぞ」

 

「成程。君はかなりの変人のようだな」

 

「ストレートだねェ。ダイヤモンドでできた俺の心でもその言葉は傷付くんですけど」

 

「顔が笑っているぞ」

 

 

 その言葉に、にひっと誤魔化す。京極から見れば傷付くという発言をした時に笑っている顔が宏輝の顔に張り付いていた。

 

 

「五月蝿いぞ天井ィ! 大人しく立ってろと言っただろ!」

 

「む。先生」

 

「――京極? お前、授業はどうしたんだ?」

 

「お忘れですか? 担当の教諭が急な風邪で休んで自習になったのですよ」

 

「ああ。そうだったな……オイ、天井はどうした?」

 

 

 そこで京極は気付く。隣にいたはずの宏輝が忽然と姿を消していた事を。同時に、京極はこう思った。

 ――あの野郎、逃げやがった。

 

 これが後に川神学園を代表する成績優秀者の名を連ねる二人の初めての出会いであった。

 余談だが、宏輝は川神学園学長室に逃げ込んでおり、放課後に怒られた教師に更に怒鳴られる事になっていた。

 

 

 

 

 

 





 京極彦一は天才です。所謂、正統派の天才で勉強ができる真面目というイメージ。変わりに天井宏輝は天災であり、正統派や王道ではなく邪道の天才というイメージで変人の天才です。二人は頭が良いのですが、思考回路は全く違います。

 京極彦一 → 堅物。真面目。

 天井宏輝 → 発想が柔軟。非真面目。

 でよろしいかと。今年の一年で言えば、トップは宏輝で次点が京極を設定に。実際はどうか知らんけど。






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21 這い寄る災難


 今回から三点リーダ使用。所謂、ちゃんとした小説の書き方に変更。それに合わせて今までの話を少し改訂します。次回辺りで描写を変えた話を書きます。







 

 

 

 

 

 川神学園一年F組。昼休みという時間帯に二人の男女が勉強をしている。一人は携帯を操作しながら所々で指示しながら説明をする。一人は難しそうな顔をしながらシャープペンシルを持って考える素振りを見せている。男、少年は天井宏輝。女は少女である川神百代だ。

 

 

「う、うぬぬぬぬぬ」

 

「あ。そこは関係代名詞があるから少し意味が違うよ」

 

「ガーッ! んなモンわかるかー!」

 

 

 音を上げるように百代がダンと机を両手で叩いた。怪力である百代が叩けば机の上にあった物が浮くが、対面に座っている宏輝は(あらかじ)めわかっていたかのように浮いた教科書やノートを見事にキャッチし、ノートに書かれている文章を読む。読んでいる間に段々と顔の表情が曇り始め、自然と呆れたような溜め息が出る。

 

 

「モモちゃんさ。同じ学年のクラス名物でももう少しできるよ? 人に得手不得手があるのがわかるけど基本的な知識をしっかりと着けていないのは少しヤバいよ」

 

「五月蝿い! そもそも英語なんて何に使うんだ!」

 

「俺の場合だと渡米した時。高校生で学ぶのはまだ基本の部分だけどその基本の部分を大事にすれば応用もできるの。それは他の教科に関しても言える事だよ?」

 

 

 パタンとノートを片手で閉じながら宏輝は百代に言う。真面目な説明をしているのにもう片手では携帯をカチカチと弄っているので説得力はほぼ皆無であった。自分を見ずに説明をする態度にイラッとしているのか、百代の堪忍袋の緒が切れる寸前の状態になっていた。

 

 

「というか! お前は何をやっているんだ! 今は私に勉強を教えているんだろ!」

 

「普通だったらね。けど今教えているのは課題だからね? 宿題なのにやってないから貴重な昼休みを潰してまで教えているんだよ。寧ろ今の時間は感謝してもらいたいんだけど」

 

「うぬぐッ」

 

「ちなみに携帯は橘さんと会話。モモちゃんに紹介されてから仲良くなってね。またデートしないかって誘われていたり」

 

 

 ガタッ。その言葉に百代だけではなくF組の男子が立ち上がる。殆ど同時に立ち上がるので流石の宏輝ですら圧倒され、携帯を触っている手を止める。

 

 

「な、何だよ。モモちゃんなら兎も角、何でお前等まで反応する?」

 

「天井ィ! 貴様女連れか! 百代さんがいながら浮気者め!」

 

「えー。俺とモモちゃんってそんな関係じゃないんだけど」

 

 

 詰め寄る名無しのクラスメイト男子の顔を押し返しながら宏輝はズバッと切り捨てる。橘さん、橘天衣とも恋人的な関係ではなくどちらかといえば友人のような関係である。疚しい気持ちは無いに等しいが、発情期(ししゅんき)真っ只中、大人の一歩手前の高校生である男子にはそんな事は関係なかった。噛み付く勢いのままに興奮した様子で宏輝にあれこれと質問を繰り返す。当の宏輝はげんなりとした顔で詰め寄る男子を見ていた。

 

 

「ああ、ああ。五月蝿い五月蝿い。勝手に妄想してシコシコしてろチェリー共。今はモモちゃんの勉強会なの。モモちゃん(アホの子)の成績を上げないといけないんだよ」

 

「……今アホの子って言わなかったか?」

 

「気のせい気のせい。頑張って成績を上げよう。そして一緒に美味い飯を食べよう」

 

 

 見る人が見れば優しい笑顔をする宏輝であるが、実際の事情は百代の成績向上による川神学園専用のグルメな学食を食べる際に必要になる上食券を得るために引き受けたので親切心からではないクソ野郎と罵られてもおかしくない事をしているのだ。もし、それを知る人間がいればその優しい笑顔の裏にドス黒い感情を感じ取る事ができるであろう。

 

 

「……なんか、腑に落ちないな」

 

「ほらほら。難しい事は考えずに問題を終わらせよう……お。土曜日オーケーですか。少し、遠出をして、遊びませんか」

 

「デートなら私がいるじゃないか。私では不満か?」

 

「妬いてるの?」

 

「妬いてない! 誰がお前なんかに妬くか!」

 

「モモちゃん、かーわーいーいー」

 

 

 ヤキモチ発言から不機嫌になる百代だが、可愛いと言われて今度は顔を少し赤くして照れる。そんな彼女の様子に宏輝は嬉しそうに楽しそうに笑う。彼女の照れる姿に宏輝の何かにどストライクに決まったのだろう。彼の穏やかな笑顔に目を奪われるクラスメイトの女子も少なくはなかった。

 こんな感じで過ごす宏輝であるが、最近では照れる事が多くなる百代に癒される事が多い事を追記しておく。

 

 ――無論、からかい過ぎて百代に照れ隠し(ほうふく)を受けたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 ――天上皇輝。天井宏輝と瓜二つと言われる武神川神鉄心の師匠(自称)である。謎の多い人物、青年であるが彼と直接面識があるのは何も鉄心だけではない。鉄心同様、天上皇輝と拳や脚を交わした人間がまだいるのだ。まだ若い頃の若気の至りで完敗した者が。

 

 

「――ふん。確かに似ているな。このまま成長すれば面構えも全く同じになるだろうな。武人ではないから雰囲気の違いはあるだろうが」

 

「全く。急に宏輝君を見たいと言うから何かと思えばそんな事かい。言っとくがワシは彼を鍛えるなんて事はせんからの? 初めは期待しておったが師とあの子では似ていても才能までは似ていないとわかったんじゃ」

 

「当たり前だ。あんな奴が何人もホイホイいてたまるか。アイツだけはもう二度と相手にしたくない」

 

 

 ふんと鼻を鳴らす金の男性は川神学園の学長である鉄心の横で教室で授業を受けている天井宏輝という少年を見ながら忌々しげに彼を見ていた。只ならぬ雰囲気に敏感に感じた宏輝に悪寒が襲っているが、それはまた別のお話。

 鉄心の横にいる者はまだ若かった鉄心が共に切磋琢磨して互いを高め合った友人で戦友でライバルある人間。鉄心とは違って鋭い刃のような雰囲気を発する人間は天上皇輝という過去の人間を嫌っている。嫌うと言っても根本から嫌っているわけではない。

 

 

「おぉ。そういえばヒュームちゃんは皇輝殿にボコボコにやられておったのう。少し後に彼は姿を消したが」

 

「……チッ。勝ち逃げされたから気に食わんだけだ。唯一の黒星がアイツだけだからな。俺は負けっぱなしは嫌いだ」

 

「ホッホッホ。確かにあの人だけには勝てておらんわい」

 

「今なら勝てる」

 

「自信満々じゃの。ワシ、もう勝つ事は諦めたわい。実力も何もかもが勝てる気がせんわい」

 

「偉く弱気だな鉄心。それでも武神か」

 

「真に武神と言われる資格があるのは天上皇輝という人間じゃよ。まさに天に愛されたような武の才気、大きな力に驕らぬ精神力、ワシを誤った道から引き戻してくれたりと。武人として完成しておるワシ等でも勝てんじゃろうと思っておるよ」

 

 

 そう語る鉄心の顔は穏やかであった。それを見れば彼がどれだけ天上皇輝という人間を尊敬しているかがわかる。だが、鉄心の横に立っている男は何よりもそれが気に入らなかった。仏頂面を更に深くし、不機嫌なのを隠さないで授業を受ける宏輝をまるで親の敵を見るような目で睨んでいる。睨まれている宏輝は悪寒に怯え、キョロキョロとして隣のクラスメイトに不思議そうに見られていた。

 金の髪の毛、金の髭が特徴の男性は川神鉄心のライバルであるヒューム・ヘルシング。彼もまた、若い頃に謎の多い天上皇輝に会って戦った事がある人間である。川神鉄心同様、まだ未熟であったために天上皇輝という武人に完敗をし、新たな道を見つけた天上皇輝に影響を受けた者である。だが、影響を受けた上で黒星なのでそこが何よりも気に入らないのだ。

 

 

「……鉄心。あの赤子を借りるぞ」

 

「とは言ってもの。あの子、ヒュームちゃんが思っておるような人間じゃないぞ? 天上皇輝の血族ではないし、武の才気もあるわけではないぞい」

 

「安心しろ。あの赤子には遊びに付き合ってもらうだけだ。丁度、揚羽があれくらいの年齢の小僧の話し相手が欲しいそうなのでな」

 

「……死なんよね?」

 

「……チェスをするだけだ。死にはせん……多分」

 

 

 多分。という言葉でどうしようもなく嫌な予感がする鉄心であった。自分の親友であるヒュームがそこまで言葉を濁すのは珍しい事なので宏輝の身を心配するのであった。

 

 

(巷で噂のチェスキングを負かした高校生。報告の容姿からまさかとは思ったが本当にあの天上皇輝に似ているものだな。全く、揚羽もいきなり対戦したいなどと我が儘を言いおって)

 

 

 

 

 





 露骨な登場。天上皇輝と面識があるのはこの二人とあと一人だけいます。この事がS本編で更にカオスになります。清楚さん以上にキャラが濃くなるかもしれん。

 以前に感想で清楚さんヒロイン希望が多いのは何故? そんなに人気なの? 二重人格のあの人。ぶっちゃけ私は燕先輩派なんだけど。






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22 執事と令嬢


 更新の遅れた言い訳 → うつ病って怖いよね。








 

 

 

 

 

「あ、ありのままに今起こった事を話すぜ……! 麻雀をしようとしたら喧嘩を売られて殴られそうになって気が付けば金のオッサンに抱えられていた。な…何を言っているかわからねーと思うが――」

 

「何をブツブツと言っている」

 

「な、何でもありませんぜ旦那……ってか誰?」

 

 

 通称、ポルナレフ状態。何が起きたかわからないまま混乱する彼は文字通り、オッサンに俵を担ぐように肩に乗せられて担がれていた。頭がオッサン、金の男性の胸の前にあるために男性のフサフサな髭が顔に当たり、擽ったい思いをしていた。同時に何故こうなったと戸惑いながら隣の厳つい男性の顔を眺める。その顔に見覚えがないか記憶を探る宏輝だが、うんと頷いて心当たりが全くない事を知る。

 

 

「自己紹介は後だ。悪いが俺に抱えられたままでいろ」

 

「俺、ホモじゃないんだけど。そんな趣味は受け入れられないんだけど」

 

「……アイツとはまた違ったウザさだな。次に余計な口を利いたら顎を外すぞ」

 

「黙ってます」

 

 

 声色が本気であった。と後に宏輝は話す。冗談、ユーモアの欠片も無い真剣で厳しい顔をしているオッサンを見れば誰もがそう思うであろう。強ばらせていた体を完全に脱力させ、担がれた状態を維持したままされるがままに米俵の気分を体験しながらどうしてこうなったと考察する。

 時刻は午後四時半。日付は次の日から休みになる土曜日。本来であれば土曜日も川神学園は授業を行うのだが、第二土曜日だけは休みになる。それを利用して帰り道に麻雀荘に寄って徹夜で楽しもうと考えた矢先、いつの間にか担がれていたのである。何度も言うが、気分はポルナレフである。

 

 

「えっと、オッサン誰?」

 

「九鬼家従者。そう言えばわかるだろう」

 

(……九鬼家。世界を代表する大企業の一家か。ジジイの昔の戦友がいるってのは聞いてるがこのオッサンの事なのか?)

 

 

 むむと宏輝は唸る。九鬼家という存在は鉄心から聞いた事があっても詳細は知らない大きな企業を考え、頭を悩ませる。

 

 

(てんで知らない。急成長するにしても有り得ないスピードだし、従者というグループにも心当たりがまるで無い。やっぱ世界が異なるって説は正しいそうだ……参ったねぇ)

 

 

 その考えに至ると、重い重い溜め息が自然に出る。その音、声を聞いたオッサンは嫌悪感を露わにして宏輝を抱える手に力を入れる。無言の圧力、無言の抗議をするようにしたのは宏輝でもわかった。普段から怪力、人外の力をぶつけられている彼はすぐに謝罪をしてこれ以上悪化しないようにする。

 

 

「すんませんすんません! やめてください死んでしまいます!」

 

「ふっ。安心しろ。人に何本の骨があると思う? ……一本や二本、折れても前よりも丈夫になってくっつくだけだ」

 

「怖いよこの人! モモちゃん以上に鬼畜すぎる! 誰か助け……! モモちゃん、ヘルーープッ!!」

 

 

 「現実は非常である」という言葉が頭に浮かぶ。天運持ちである彼だが、絶対強者相手では意味を為さない事を学んでいる。主に武神、川神百代の天罰からを指している。

 ジタバタと暴れるが、オッサンは難なく抑え付けると、音も無く宏輝と共に姿を消す。後に残るのは痛いほどの沈黙であり、何事も無かったかのように静かに時は流れる。まだ春、五月に入ろうとしているのに冷たい風が川神の土地を駆け抜けるのだった。

 

 ――数分後。百代ヘルプの叫びを聞いた百代がその場に来るが、誰もいない事に首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――本日、何度目のポルナレフを体験した事か。何度も驚いて驚き過ぎて賢者モードに突入しかけている彼は目が死んでいた。

 目の前に広がるは、別世界。思わず写真を撮りたくなる衝動に駆られるほど、壮大で美しい光景に圧倒されながらドン引きするという巧みな感情を見せる。正確には、どう感情を表現すればいいかわからないので複雑極まりない表情を見せているのだ。似たような景色に見慣れている彼でもレベルが違い過ぎた。

 

 

「……オッサン、写真を撮ってもいい?」

 

「機密保持のためにカメラとお前を削除する。それでもいいなら構わんぞ」

 

「諦めます」

 

(え。俺って何かしたっけ? 何でこのオッサンから遊ばれるように脅し文句を言うの? 元々お茶目な性格なのか? だとしたらかわ――)

 

「赤子。良からぬ事を考えてないか?」

 

「ノ、ノーノーノー! 考えてませんサー!」

 

 

 ギラリと目を光らせる宏輝を誘拐したオッサン、男性。獲物を狩るような目線に、力の無い少年である彼はただ怯えるしかなかった。ヒィと情けない声を出しながら距離を離そうとするが、野獣の眼光とも言える男性の視線に足が動かなかった。

 

 

(ヘ、ヘルプミー、モモちゃん。アナタ様の友人が死にそうな目に遭っております。大好きなジャンボピーチパフェを何杯でも奢るから助けて……)

 

 

 少年の切なる願いだった。生きた心地のしない彼は心の中で最強のボディガードである川神百代に助けを求めていた。

 首根っこを掴まれた状態で睨まれるという二重苦に、ガリガリと精神を削られる彼に救いの手が訪れる。豪華な飾りが為された昔のフランスの宮殿のような景色の奥から数人の人間が現れる。その態度は威風堂々、人の上に立つ素質を持っていると一目見てもわかるようなオーラを放つ異質な人間の女性に宏輝の頭はカチリと意識を変える。怯えていた少年から掴み所の無い空気を纏う物へと。宏輝の異質なスキルが発動した瞬間であった。

 

 

(あの人……ばーちゃんと見間違うオーラ。年代、容姿、あの感じ。元武道四天王の九鬼揚羽って人か。九鬼家長女、九鬼財閥の正統後継者の一人である女性……モモちゃんもだけど何でこんなに美人が多いんだ。橘さんとか椎名ちゃんとか)

 

 

 思考を切り替えた宏輝は冷静に目の前の女性を見極める。彼女が誰かを推理できたのは、一重に宏輝が今までに情報収集を怠らなかった成果だ。主に川神学園の学長である川神鉄心との日常会話の中での然りげ無い情報収集だ。

 威圧感、妙なオーラを発しながら歩み寄る女性は宏輝が推理した九鬼揚羽に間違いはない。長く、美しい銀髪を揺らしながら優雅に宏輝へと近付く。後ろに三人の従者を従えながら来る姿は圧巻、気圧されるものだ。

 

 

「……はじめまして」

 

「うむ。お初、お目に掛かる。我は九鬼揚羽と申す」

 

「ご丁寧にどうも。天井宏輝です」

 

「……ふむ。確かに良い目をしている……と使い古された言葉は抜きにしよう。ヒュームの言うように天津神(アマツカミ)天上皇輝と瓜二つなのを考えると、良い目をしているのは当然だがな」

 

(天上皇輝ってどんだけ有名なんだ)

 

 

 心の中で思う宏輝。百代と出会ってからその名を聞かない日は無いほど、耳にタコができる回数を聞いてきた。その割には情報を集めても実態は掴めずにいるので不思議で堪らない様子だった。

 

 

「丁重に持て成した甲斐があったな。さぞ、驚いた事だろうが今日は我の我侭に付き合ってもらいたい。無論、報酬は用意してあるし、迎えは我が九鬼家の誇る従者でも優秀な者を選んでおる」

 

(優……秀……!?)

 

 

 戦慄する。何処が優秀だと言おうとすれば無言の重圧に無言の圧力(あくりょく)によって強制的に口を閉ざされる。彼の首を掴んでいるヒュームによるものであり、目の前の従者及びに九鬼揚羽にはバレぬようにしているので余計にタチが悪い。

 

 

「本日はお近付きの印に我等の九鬼財閥を紹介しようと思う。聞けば、九鬼財閥を知らないらしいではないか」

 

「まあ……一般常識なのに知らなくてすみません」

 

「ふふ。構わぬ。知らないのであれば教えれば良い。無知の子供に諭すように説明するのは大人の役目であろう?」

 

「あながち嘘ではないけどそんな考え方をしては傲慢で愚かな大人と同じになりますよ。クソ政治家みたいなのにはなりたくないでしょう」

 

「同感だな……ふむ。発想が柔軟と言っていいのか? そういった考え方をする者はいるだろうが、我のような者に面と向かって堂々と言える者は少ないだろう。面白いとは聞いていたが、予想以上に楽しめそうな少年だ」

 

(喜んでいいのかわからん。というか天津神って何だ天津神って)

 

 

 新しい天上皇輝の代名詞を知ってげんなりとする宏輝。以前から天上皇輝という人物に瓜二つだという事で天上皇輝を知る人間から懐かしいと言われては比較され、勘違いされて非日常に非日常という更なる爆弾を投下されている。ヒュームに誘拐される前に百代に助けを求めている彼だが、以前からも武道家を名乗る人間に襲われている。そう、全ては天上皇輝から始まっている。何も知らない人間のはずなのに何故自分は比較されているのだろうかと何時も思う。

 妙に機嫌の良い九鬼揚羽に案内され、九鬼財閥を知る。日常生活からあらゆる事にまで手を伸ばして技術を発展させている財閥に純粋に驚愕を見せる彼はそこにある物が以前までにいた場所と比較する事も愚かだと思える技術力がある。嘘だろ、と呟く彼の反応に満足そうに頷く九鬼揚羽の姿が確かにあった。

 

 

「最近では医療方面で特効薬を開発している。アルツハイマー病に効く薬が主だ。チンパンジーといった動物で実験をしている」

 

「おいやめろ。まさかシーザーって名前を付けてないよね?」

 

「ほう。よくわかったな」

 

 

 「どうやら猿の惑星のフラグが建ったようです」と宏輝の脳裏にテロップとして浮かぶのだった。その他にも様々なSF映画に似た設定があり、顔を引き攣らせるしかない宏輝だった。

 

 

 

 

 

 





 新しい別名、天津神……(笑)。厨二病的な称号と言えばこんな感じ。天上皇輝は厨二病的な名前なので設定もトコトン厨二病にしようかと思っております。天上皇輝は後々で重要人物というか原作オリジナルキャラさんとして出ます。ある設定に絡ませているけど今、気付ける人は凄いと思う。

 ヒント → マブラヴみたいなん。







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23 対局と本性


 うつで展開を忘れかけてるけどネタノートを見て思い出しながら頑張りたいと思います。








 A-2発売延期とかどういうことなの……?







 

 

 

 

 

 ――チェックメイト。と声が響いた。

 

 

「……む。負けたか」

 

「……俺の勝ち、ですね」

 

 

 少し悔しそうな九鬼揚羽。一息ついて、安心する天井宏輝。

 察しの通り、この二人はチェスをしている。当初の目的通り、九鬼財閥という場所を案内して息抜きついでに遊びをしているわけだが、案外白熱して真剣勝負に変わっていた。結果は言うまでもなく、宏輝の勝利。だが、辛勝である。

 

 

(マジ強ぇ。趣味かはわからんけど結構な腕で普通に驚いた)

 

「我も得意なのだが……悔しいものだ。三手差で敗れるとは」

 

「いえいえ。一手差ですって。揚羽さんは強かったです」

 

「慰めてくれるのは嬉しいが、これでも自信があってな。いざ、負けると悔しいものなのだ」

 

「人間、そんなモンです。悔しいと思うのは嫉妬の感情から。自分よりも強い相手の腕に嫉妬して悔しいと思うんです。それがあるから人は上達できる、夢中になれる。俺も初めはチェスや将棋は弱かったんですよ」

 

 

 クルリと宏輝はチェスで取った揚羽の黒いナイトの駒を器用に回す。心地良い音と共に駒が盤の乗るテーブルに置かれ、にひっと笑う彼に彼女はふっとクールな表情で笑顔を見せる。

 九鬼財閥を案内した時間に対決した時間、一日の内の大半の時間を宏輝のために費やした九鬼揚羽。元々、天井宏輝という少年の事を聞いていた彼女は上向きの好感を更に伸ばした。九鬼揚羽は九鬼財閥の長女という立場から見れば食えない狡猾な人間だと印象が、普通の女性という立場から見れば普通の男性という異性の人間と比べて好感が持てる。と考えている。

 大企業の令嬢という立場上の経験から天井宏輝という人物は味方になれば心強いものになる。だが、敵に回ればこれ以上ない厄介な敵になるだろうと確信していた。表面上は性格が少し軽い少年だが、彼女は少年の本質を見抜いていた。

 

 

(面白い。本当に面白い)

 

「あの……そんな顔されると惚れそうなんですけど。モモちゃんとか橘さんに申し訳がないんですけど」

 

「ふふっ。略奪愛も良かろう……嘘だ。冗談だから逃げようとするな」

 

 

 言葉を聞いた途端に宏輝は逃げようとする。“そういった”人種に苦手意識を持っている彼としては冗談だと言っても冗談に聞こえない。冗談だと言っている彼女の目は一瞬、本気のように思えたので逃げようとしたのだ。

 

 

「ふむ。取り敢えずもう一度、やるとしよう。時間もたっぷりある事だしな」

 

「……え。今から帰ろうと思ってたんですけど? ウチの猫に餌をあげる必要もあるんですけど」

 

 

 少し戸惑う宏輝に、揚羽は指を格好良く鳴らす。パチン……と部屋に響くだけで彼は自然な動きで首を横に傾げる。何だ? という疑問がありありと表れており、足を組んで指を鳴らした後の格好で固まっている揚羽を見る。特に変化はなく、何がしたいのかと聞こうとすると視界に黒が写る。突然の変化に驚いた彼は俊敏な動きで横を見る。

 

 

「猫でございます」

 

「みぎゃあっ!」

 

 

 驚愕のあまりによくわからない悲鳴を出しながら引っ繰り返る。頭を後ろの床にぶつける前に驚かせた原因である人間……執事とわかる格好の老人が倒れないように支えていた。顔を後ろに向けてヒュームとは違うタイプの老人の表情を伺い、すぐに腕に抱えられた黒い猫がいるのに気付く。また、その猫が見覚えのある猫で自分が飼っている猫だとも気付いた。老執事の手の中で大人しくしており、呑気ににゃーと鳴いていた。

 

 

「紹介しよう。我が九鬼財閥の従者の中で自慢の執事だ。名はクラウディオ・ネエロ」

 

「クラウディオ・ネエロでございます。こちらの猫はお渡しします。大人しくて可愛い子ですね」

 

「ど、どうも……天井宏輝です」

 

「存じております。天井様の噂は我等従者に伝わっております。どうぞよろしくお願いいたします」

 

(……俺、ストーカーでもされてんの?)

 

 

 マジ怖い。と思う。あらゆる情報が筒抜けになっていて得体の知れない恐怖を感じている。同時に、九鬼財閥という場所にはこんな輩しかいないのかと思っている彼はモフモフしている黒い毛の猫を持ちながら顔をヒクヒクさせていた。九鬼揚羽はまだ似たような雰囲気を持っている女性を知っているのでそこまで衝撃は無かったが、ヒュームとは違う老執事のキャラの濃さに面食らっているのだ。

 取り敢えず撫でる。モフる。現実逃避をする宏輝は足と腕を組んで優雅に紅茶を飲んでいる揚羽と執事の鏡とも言える立ち振る舞いで揚羽の後ろで控えている二人を呆然と見つめる。唯一の癒しが猫である今はただモフる事に集中しかできなかった。にゃーと鳴く猫に徐々に正気を取り戻すのであった。

 

 

「さて。少し話したい事があるからもう一勝負しながら聞くとしよう」

 

「断ればジジイの髭で首の後ろを撫でます」

 

「……喜んで引き受けさせてもらいます」

 

 

 にーと呑気にまた猫が鳴く。地味に嫌な攻撃を避けるために宏輝は仕方がなくもう一局やる事になるのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「……む」

 

 

 コトン。宏輝が駒を動かして置くと、揚羽が唸る。

 

 

「まるで読めん。一手一手が独立しているように思えてならんな」

 

「こうでもしないと祖母に勝てないもので」

 

 

 腕を組んで唸る揚羽に宏輝は淡々と答える。というか腕を組んでいる彼女の豊満な胸が潰されているのをチラ見している。考えている揚羽の反対、宏輝は余裕を持って盤上の状況を観察しながら先の手を読んでいた。

 天井宏輝という少年は頭脳を使う勝負は得意分野であり、天運とはまた別の彼自身の特技だ。対局している間、回数を重ねる事で相手の癖と思考を見抜ける事もできている。これもまた、彼の祖母の教育の賜物であるが、全てを知っているのが本人だけなので付き合いが長い百代ですら知らない。

 

 

「祖母……ふむ。君には家族はいるのか?」

 

「いません。捨てられたものなんで」

 

「――本当は何処にもいないのではないか?」

 

 

 コトン……と揚羽が動かした駒の音が大きく宏輝の耳に入り、いつまでも響いた。それを動揺と取ったのか、表情を変えぬままに揚羽は宏輝を問い詰めるように言葉を投げ掛ける。

 パサッと紙の束を宏輝に見えるようにチェスの盤の横に置く。細かい文字列がすぐに目に入り、書かれた情報を読み取る。

 

 

「天井宏輝の名であらゆる身分を証明する物を我が財閥の全力を尽くして調べさせてもらった。天井宏輝という人間はいたが……君と同じだと言える戸籍は何故だか“七歳の少年”だった。その時点で改竄された可能性を調べたが、その跡も無かった……」

 

 

 トントンと指で紙の中心を叩く。そこには「調査結果:素性不明」とあり、調べた内容が宏輝の身元がわからない事を意味していた。彼はいるのにまるで幽霊のような存在ではないかと揚羽は推察しており、一つ一つの動作を注意深く観察しようと目を凝らして見ていた。

 見られている宏輝といえば、表面上は動揺しているように見えて心の内では冷静に動揺しているように見せかけて紙の文字列に目を通してできるだけの情報を得ようとしている。

 二人の間に見えないやり取りが為されており、油断すればあっという間に食われるだろうと第三者の立場になっているクラウディオ・ネエロは感じた。長年、荒療治に慣れているからこそわかる事でジッと二人のやり取りを見守るのだった。

 

 

「……プライバシーの侵害ですよ」

 

「そこは謝ろう。だが、こんなものが出てきたとなれば話をしないわけにはいくまい?」

 

「両親は俺を捨てました。七歳の養子とすり替えて存在を無かった事にされたんです」

 

「有り得んな。我が九鬼財閥の力を以てすれば、改竄された事も調べられる。そんな痕跡は無かった上に両親の性格からしてその行動をしないとも報告がある。借金、闇金、そちらの方面から売買関係を洗ってもみたがそんな話は無かったとも報告がある」

 

「凄いですね。この企業は犯罪行為までするんですか。世界規模の企業だから何か裏があるとは思っていましたが、最低ですね」

 

「承知している。何度も言うようだが、君のように存在が確定できない人間は見過ごせないタチなのでな。世界を悪い方面に変えられるのであれば我は見定めなければならんのだ」

 

「……ひひっ」

 

 

 一転、状況は変わる。言葉の応酬を繰り返していた二人の片方、宏輝が笑い始める。ピクリと動きを見せるクラウディオを揚羽が手を上げて制する。主である揚羽に手を出そうと思ったのか、クラウディオの顔は厳しかった。

 その声は狂人の笑い声に聞こえるが、揚羽はその認識が違う事を悟る。視線が下なので表情は窺えないが、纏っている雰囲気が危険ではないと勘でわかったのだ。

 

 

「あ。すんません。いきなり笑うのは失礼ですよね」

 

「構わんよ。寧ろ、堅い輩よりは好感が持てる」

 

「珍しいですね。大企業のお偉いさんって公共の場以外でもお堅い態度なんすよね。揚羽さん、厳しいように見えて親しみやすい人ですよね」

 

「そう言ってもらえると嬉しい。我も君が好きな方だな」

 

 

 うっと咽せそうになるクラウディオ。真面目な顔をして色々と問題発言をする主に、見守る事からそろそろ止めるべきかと考え始める頃、揚羽が出した調査結果の紙の束を宏輝が持ってじっくりと読んでいる様子を見て本気でどうしようかと悩み始める。しかし、膝に乗る黒猫と戯れる様子を見て危機感が薄れてしまう。

 

 

「それで、君の事を話してくれるか?」

 

「んー、構いませんけど……」

 

 

 黒猫と戯れる宏輝を諌めるように言葉を投げ掛ける。言葉を返し、言葉に詰まる彼は何かを考えてある仕草をする。まずは揚羽を指差し、胸の少し上の服に着けられたアゲハ蝶のアクセサリーを指差す。次に、クラウディオを指差して彼が使っている眼鏡のフレームの部分とスーツの胸ポケットに手首を指で示す。何も知らない人間だったら何の事かわからないが、その場所を示された二人は冷静さを隠せずに目を見開いて驚いている。

 実際に、宏輝が示した場所には二人が用意した盗聴器と超小型カメラがある。それを見抜いた事に何よりも驚いている。宏輝は一目見れば普通の高校生と変わらない容貌で、裏の世界の人間にも見抜かれないような小さい物を見抜いたのだ。それも使っている物全てを。揚羽ならまだしも、まだ短い時間しか見るチャンスが無かった上に数も多いクラウディオを見抜いたのは何よりも見抜かれた本人が驚いていた。

 観念したようにアクセサリーを外した揚羽はクラウディオに目配せをし、自分と同じように外せと目で指示を出す。

 

 

「何故見抜けた? と思っていますね」

 

「……ええ。九鬼財閥の兵器開発部門の最高傑作で従者でも数える程度しか見抜けなかったのにアナタのような少年が見抜けたのは些か疑問が湧いて止みません」

 

「同感だ。あやつ等の腕を知る我としては手抜きを作るとは思えんからな」

 

 

 二人がカメラや盗聴器を外した事を知った宏輝は沈黙から饒舌に言葉を発し始める。一転して警戒し始める二人に、弁明と説明をするように言葉を選ぶ。

 

 

「何というか……俺、見られたり聞かれたりする事に敏感なんですよ。体質というか天運のせいで一時、とある組織に半年も見られた事があったんでその経験で……」

 

 

 クッと声を漏らす。見れば、勘違いさせてしまうだろう反応をしていた。言っている事は半分が本当で半分が嘘であるのだが……。

 

 

「……苦労していたんだな」

 

「ご愁傷様でございます」

 

(演技力は鈍ってないようで安心した)

 

 

 騙される二人だった。下手な俳優よりも演技が上手いどうでもいい特技を持っているので彼をよく知らない人間だと初見では演技だと見抜けない。心の中で自分の腕が錆び付いてない事にほくそ笑みながら黒猫を机の上に置いてチェスの駒を肉球で動かすのだった。

 

 

「あ。いちいち言うのが嫌なんで先に言っておきます」

 

「む?」

 

 

 

 

 

「――俺、まだ隠している事があるんで頑張って見抜いてください」

 

 

 世界が違うこと、天運の秘密。世界を変える事になる抱える秘密を秘めている事を敢えて教える。

 ――唯一の誤算は九鬼揚羽という知的欲求を計り知れなかったことだった。

 

 

 

 

 

 





 覇王清楚さんハァハァ。紋白までヒロインでエロゲをやっている自分ではロリコン野郎だと思い始める大和でした。魔を断つ剣は……いや、何でもない。

 組織云々のくだりは半分本当です。推理すると面白いかもしれません。後である人物が登場してからは宏輝自身の口から語られるのでお楽しみに。

 ダラダラするよりも一気に進めようかと考えるこの頃。



 宏輝は以前に発想が柔軟だといいましたが、別の言い方をすればIQが凄まじく高いです。チェスのような頭脳を使う競技では九鬼帝のここ一番の場面で勝つ部分をいつでも持てるイメージ……かな?

 今回、揚羽さんが宏輝を招いたのには後の展開で必要な物を【ネタバレカット】






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24 小さな人生相談


 ちょい真面目に書いたらイミフになったので思いつくままに書いてみた。大体最近の漫画とかもこんな軽いので改心したりするよね、って思っておく。


 ※天道総司が湧いてますので天に指を伸ばしましょう。







 

 

 

 

 

「――揚羽さんに?」

 

「うん。何か九鬼財閥について色々教えてもらってチェスやってた。一泊二日の旅行気分で楽しかったよ」

 

「羨ましい! 私なんか精神を静める修行をして出掛ける暇も無かったのに!」

 

「御苦労様。取り敢えず形だけ慰めておくよ」

 

「本気で心配しろー!」

 

 

 ああ、これだ。とクラスメイトは感じていた。休み明けで月曜日の朝、恒例となった宏輝と百代のやり取りで一日が始まると予感を感じる。声の大きい二人のやり取りにほっこりしながら一限目の授業の用意を各々がしていた。

 九鬼財閥、九鬼揚羽に招待されてチェスの対局の途中でしてしまった発言から空気が微妙になると思われたが、新しい挑戦状と受け取った揚羽がノリノリになった上に上機嫌になったので特に悪くなる事はなかった。最高のもてなしをされたので宏輝としては万々歳だが、一つに二つ。大きな問題があった。

 

 

「飯も美味かったし風呂もでかくて最高だったんだけどさ。これ見てよ」

 

「うわ。どうしたんだコレ」

 

 

 ズズイと百代は髪を額が見えるように上げる宏輝に顔を寄せる。額の髪の根元の近くに一筋の線の傷があり、刃物で切れたような傷だったので百代は触りながら心配する。少し感触の違うそれに指を這わせると、擽ったそうに彼は身を捩る。

 

 

「バイキング飯を食った後に用意された部屋に向かおうとしたらさ、ドジっ子メイドさんのスキルが発動してこう……テガスベリマシター的な」

 

「何があったんだ!?」

 

「使われなかったナイフがスパッと。目にまで血が入る勢いで流れたから大騒ぎになったんだ。軟膏塗ってもらったからそこまで酷くなってないけどメイドさんが凄い怒られて罪悪感を感じちった。俺は悪くないのにね」

 

 

 人事のように大変だったなぁと人並みの感想を思う百代。何かを切るようなジェスチャーを繰り返す宏輝の傷を見て呆れた顔をしており、本当に何があったんだとも思っている。普通のドジスキルの恩恵を受けたナイフでそこまで深く切れるのだろうかと武道家の立場から考察していた。生々しい傷跡に指を這わせては感触を確かめる彼に災難よりも良い方の感想を聞こうとする。

 

 

「言ったじゃん。飯はバイキングで高級食材ばかりだったよ。風呂もリアルでライオンの頭から湯が流れているのだった。隣が女湯で壁で遮って上が空いているベタなので感動した」

 

「覗いたのか。このスケベ」

 

「俺、非力な一般高校生なんだよ? 自分の身長の倍はある壁を出っ張りも無いのに登れると思ってる? 変なオッサンがいて袋叩きにされているのは見たけど。正確に風呂桶が爆撃しているのなんて初めて見たよホント」

 

「いいないいなぁ。私も混ざって楽しみたかった」

 

「夏休みにバカンス行くからそれで埋め合わせをするよ」

 

 

 本気で落ち込んでいる様子の百代を慰めるように子供にするように頭をポンポンと優しく叩く。が、百代は受け入れるどころか拒絶反応を示す。

 

 

「……なんで逃げんの」

 

「こ、このチャームポイントだけは駄目だ! 乱されると力が入らなくなるんだ!」

 

「アンパ○マンかい。というかチャームポイントなんだそのバッテン」

 

 

 必死にチャームポイントだと言う髪のクロスを隠す百代に宏輝は面白そうな顔をする。百代の特徴と言える前髪クロスがまさかチャームポイントだと思わなかったのか、触ろうとする。咄嗟の反応、その手を蠅を叩くように払い除ける百代。

 二人に沈黙が訪れると、何かの冗談だと思った宏輝が再び手を伸ばして再び払い除けられる。手を伸ばす、払い除けられる。いつの間にかそんなやり取りに変わっていた。

 

 

「……そんなに嫌なん?」

 

「やだ!」

 

 

 キッパリと拒否の姿勢を見せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「ほい」

 

「ん。サンキュ」

 

 

 宙を舞う桃が描かれている缶を片手で受け取る。投げた本人である彼は渋く大人の珈琲とキャッチフレーズがある缶珈琲を一啜り。苦い味をした珈琲が口の中に広がるのを感じながら顰めっ面をする友人を見る。

 

 

「それ、苦くないのか?」

 

「風味があって良いと感想を言わせてもらう」

 

「うへぇ」

 

「ま。味覚なんて人それぞれだしね。俺は結構子供の頃から飲んでいるから慣れているだけ。大人でも珈琲の苦さが苦手って人がいるからそんなに気にしなくても大丈夫だよ」

 

 

 缶の中の珈琲を飲みながら言う宏輝に、少し百代はむっとする。何をするにしても大人っぽい事をしている彼に嫉妬している事は彼女自身、自分で気付いていた。珈琲を飲む事が大人である事とイコールであるわけではないが、諭すように言われて同い年なのに年上に感じてそれが気に食わない事から嫉妬していたりするのだが。

 時期は放課後。特に何事もなく授業を全て終えた二人は恒例と言える帰路を共にしていた。飲み物を百代に奢るのも恒例、駄弁りながら宏輝にからかわれて諭されるのも恒例だ。そしてオチに必ずからかわれる事に嫌になった百代にグーパンをもらうという流れがある。

 今回は休みの日に九鬼財閥を案内された事を土産話として話題にしており、揚羽と会った事とバイキング式の夕飯を饗された事に食いついて二人は楽しく会話をしていた。

 

 

「へー。ジジイからモモちゃんと同じ武道四天王の一人だって聞いてたけど先輩だったんだ」

 

「元だけどな。怪我して引退したけど私と対等に戦える唯一の人だったんだ……少し残念にも思うな。今じゃ、誰も歯応えが無いし」

 

 

 ブスッとする百代。唇を尖らせて暗い表情をするのでかなり深い悩みなのだと悟る。そういえば、と川神鉄心の言葉を思い出していた。百代に関して注意のように受けていた言葉に心当たりがあると思い出し、百代の暗い表情にそれが関係しているのだと彼はわかった。

 

 ――川神百代は武神である。世界に名を轟かせる最強の武道家として有名であり、世界ではそちらの道で知らなければモグリだと言われるほど憧れている者もいる。天下無双と称されており、挑戦者が後を絶たないのだが誰もが百代が求めている実力を持っているわけではなかった。最近では殆どが純粋な勝負をする者がおらず、自分の名を遊び半分で上げようとする不良や彼女の強さを信じずに自分の井の中の蛙を惜しげもなく晒してはボコボコにされるという事が多い。

 自分と対等の者を望んでいる彼女としてはフラストレーションが溜まる一方で数少ない自分と渡り合える者である同じ武道四天王の九鬼揚羽は憧れであり、何よりも求める者だった。戦いたい、そんな感情を強く持っているので余計に歯止めが効かないようになってきている。

 

 

「――だから揚羽さんは私の希望なんだ。私をあそこまで満足してくれる人はジジイ以外だとあの人だけだった」

 

 

 ポツポツと語る百代に、宏輝は沈黙する。話の重さに黙るしかなく、どう声を掛けようかと考えている最中なのだが、自分の心中を語った百代には彼の様子はわからない。

 

 

(言葉を選ばないとマズイなこりゃ)

 

「あっ、あー……」

 

「……」

 

「んんー。先に言っとくけど俺はモモちゃんみたいなスーパーパワー無いから全ての悩みはわかるわけじゃないけど」

 

 

 川原。話をするのに定番である場所に百代を座らせる彼は隣に座って夕焼けが見え始める景色を二人で見詰めながら言葉を慎重に選んで語り掛ける。

 

 

「誰かと対等でいたいという気持ちはわかるよ。自分だけが他人と違うと孤立しているって錯覚を感じるのは俺もあったから」

 

「ヒロも?」

 

「うん。俺も天運とか持ってギャンブルは負け無しでしょ? 頭も良いしテストの成績も良いし」

 

「……自慢じゃないか。ただの」

 

 

 ハッハッハと誤魔化すように笑う。ジト目の百代だが、自然に笑っている宏輝を見て少しだけ笑みが溢れる。

 

 

「他人と違う事で疎外感を感じるのは人間だからこそだよ。普通だと自分よりも弱い人間を殴って悦に入る場合もあるから強い人と戦いたいと思うモモちゃんはそんなアホと比べたら格段に良いけどね。モモちゃんもそんなアホは嫌いでしょ?」

 

「……ま、まあな」

 

「? どったの? 少し歯切れが悪いけど」

 

 

 言えない。と百代は思う。宏輝と面識を持って遊ぶ仲になってからそれをしていないが、弱い者イジメに近い事はしていた。不良に分類される人間をボコボコにして玩具にして遊んだ事もある彼女は罪悪感をヒシヒシと感じており、言葉を濁しているのだ。

 そんな事を知る由もない宏輝は必死に言葉を選びながらどうやって慰めるべきかを考えていた。口上手だが、立ち直らせる高等な技術を持ち合わせていない彼は兎に角必死に考えて考える。

 

 

「ありきたりの言葉になるけど、生まれる場所は誰にも選べないんだ。けど、生き方は自分で選べる。出生を嘆いても何もならない、嘆くよりも自分が生きたい人生を探す方が良い」

 

 

 川原の風で靡く草の斜面から立ち上がると、天に浮かぶ沈みかける太陽を指差す。もし、知識がある人間がいれば、あれ? と感じる仕草だった。

 

 

「――おばあちゃんが言ってた。人が歩むのは人の道、その道を拓くのは天の道だと……っても、ウチのばあちゃんが好きな特撮の名言なんだけどね? だけど俺はその言葉を何よりも気に入っている。道に迷ったらこの言葉を思い出してみ? 自分の道は人の道でも天の道でも選べるって事がわかるよ。自分の道は自分で決められる。それを忘れないようにすれば些細な悩みなんて吹っ飛んで人生楽しく生きられるよ……たぶん」

 

「最後の言葉が無かったら感動してたのにな。残念な奴だ」

 

「……ごめん。こういうの、苦手なんだ。ばあちゃんでもいればすぐに悩みを解決してくれるんだけどさ……」

 

「ありがと。少しだけ元気が出た」

 

 

 困ったようにポリポリと頭を掻いた彼に、百代は笑う。感謝しているとも言葉を添えると、宏輝は珍しく照れる。そっぽを向いて頬をポリポリする様子に面白いものを見たというように顔を緩ませる百代。

 

 

「おっおっ? 照れてるのか?」

 

「そ、そそそそ、そそそんな事ないやい! ……畜生。純粋に感謝されると照れちまうじゃねーか……ハッ」

 

「聞こえたぞ聞こえたぞー? 可愛いところもあるじゃないかヒロ。お姉さんがナデナデしてやろう」

 

「やめて! そんなに優しくしたら狂っちゃう! いじるのは好きだけどいじられるのは慣れてないんだよ!」

 

「むふふっ。今までのお返しができるな……ふひひ」

 

「犯されるぅー!!」

 

 

 美談となるはずなのにオチが付くのは二人の性格ゆえだった。

 

 

 

 

 

 

 





 おばあちゃんが言ってた――こう言えば何でも許されるのが天道のクオリティ。明らかに変身後で考えたのもありそうな気がする。

 百代が天道化してもイメージ変わらないよね。








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25 分岐点


 さあ、ターニングポイントでございます。

 治療を受けながらのんびり適当に思い付いた事を書いております。うつが完全に治るまではかなり不定期に更新しますが、ゆっくりと待って頂ければ幸いです。










 

 

 

 

 

「ヒーロー!」

 

 

 悲鳴を上げながら突撃してくるロケットを受け止める。鳩尾に赤毛の頭が直撃しているので息が一瞬詰まって後ろに倒れる。

 ツッコミとして誰がヒーロー(英雄)かと言いたかったが、息を詰まらせて思いっきりむせて言葉を発する事ができずにいた。視線を下に向ければ、赤毛の頭が見え、更に尻尾のように靡いている髪の毛が視界の端に写る。見覚えのある今まで会ってなかった少女が純粋な満面の笑顔を浮かべて腹に埋めている。

 

 

「久し振りね! 元気にしてた!?」

 

「……あのさ、ワン子。元気なのはいいけど俺は体の頑丈さは一般人そのものなんだから死ぬだろうがっ」

 

 

 てへへと笑う少女、川神一子ことワン子。久々の再会に気分が高揚しているのだろう。テンションが妙に高く、子犬のようにはしゃいでいた。倒れる宏輝に馬乗りになってニコニコしており、押し倒されている宏輝は痛む鳩尾の腹を摩りながらワン子をどかそうとするが、ワン子は定位置とばかりに馬乗りのまま動こうとしない。

 

 

「おっとぉ? 愛しのヒロはどうやらワン子に気があるようだな? ん?」

 

「取り敢えず病院に行こうモモちゃん。何処をどう見たらそうなるんだ! いいからヘルプヘルプ!」

 

「――ヒロが言ってた。時には誰かを見捨てる時もあると」

 

「アホ言ってないで助けなさい! ワン子もどきなさい! 重くないけど服が汚れるからお願い!」

 

 

 はしゃぐワン子、必死にどかそうとする宏輝。そこに更にカオスになる百代が登場し、地面に倒れる宏輝の顔をつついては遊んでいた。ジーパンなのでスカートのようなロマンの奥側は見れなかったが、スタイルの良い百代の隠されたナイスバディーの曲線がすぐに理解できるので反応に困る宏輝だった。

 あの一件、人生相談(偽)の後から川神百代という少女は変わってしまったと嘆く。プチと言っても過言ではない軽い相談のつもりだったが、受けた側はそうは思ってはいなかったようで受け取り方を間違ってしまったようだ。

 

 

「直江君とかはどうしたの? 風間ファミリーで集まるって聞いたんだけど」

 

「大和と京はデートだ。ガクトはモロと女を漁りに行くと言ってたな。キャップはいつも通りにどっかに行った」

 

「まあ休みの日だから各々が好きなようにしてもいいと思うよ。翔一はメールで北海道にいるって聞いてたから知ってるし。お土産にカニを贈るようにも頼んどいた。経費は俺持ちで」

 

「……んん? キャップってお金持ってたかしら?」

 

「バイト代貰って遊びに行くって言ってたからあるでしょ。カニ雑炊が楽しみで仕方がない」

 

「普通は冬に食べるんじゃないか?」

 

「前に言ったじゃない。人の道と天の道だよ。自分がやりたい事をやるのがモットーだから使えるのは何でも使うタチだし? 俺も北海道じゃないけどラスベガスに今度行こうと思っております」

 

 

 やっとの事でワン子を退かす事ができた宏輝は大人、少しチャラいホストのようなシャツの襟を整えて立ち上がる。ホスト独特の空気はなく、それが天井宏輝の人柄と性格を表すようなシックな着こなしでワン子から見れば似合うと感じる。自分の姉も宏輝と似たような服装だが、ここまで印象が違うのかとも思っていた。

 今日は宏輝と風間ファミリーが会う予定だったが、百代の口から語られたようにワン子と百代しかファミリーのメンバーはいない。それでも、ワン子は宏輝と会える事を楽しみにしていたようで幻視でワン子の臀部に犬の尻尾があるのが見える。錯覚かと目を擦るがこれもワン子の味だろうと気にしない事にする。

 

 

「うんうん。あの言葉はいいものだ。まさに私に合う素晴らしい言葉だ」

 

(あ。駄目だコレ)

 

 

 満足そうに頷いている彼女に、脳裏にオワタ。と言葉が浮かぶ。危惧している勘違いを完全にしている事に気付いた彼は同時に絶句する。アホの子だと思っていた事に間違いはないとわかったので対応を間違えたか、と後悔するが時はもう既に遅しであった。

 

 

「――世界は私を中心に回ってる、か。本当にいい言葉だな」

 

(本当はそう思った方が気が楽になるって事なんだけどね。こうなるなら本当に言葉に気を付ける必要があった……)

 

 

 唯我独尊、と言葉が浮かぶ。前から唯我独尊という言葉が似合う少女だったのだが、更に手が着けられないくなっているとも感じている。彼女の為に思って言った言葉がこんな事態を引き起こすと思わなかったのだろう、顎を撫でるような仕草で考える素振りをしながら私服姿の百代をジッと見る。

 

 

「ん? どうした? 私の美貌に酔いしれたか?」

 

「元々可愛いから大丈夫だって。その性格が無かったら完璧なんだけどねぇ……」

 

「ハッハッハッハ。そうだろそうだろ。なんたって私は美少女だからな」

 

「うっわ……」

 

 

 ヒクヒクと顔を引き攣らせる。自信満々で腰に手を当て、笑う姿に心底ウザいと感じるようになってしまった変わり果てた友に、頭を抱えて地面に蹲りたくなる衝動を必死に抑えて逃げるようにワン子に向き合う。赤毛を持つ可愛らしい少女に少しだけ心が軽くなる。

 

 

「ワン子、あの子を無視して遊びに行こう。何かもう疲れたんだよ……」

 

「? よくわかんないけどわかったわ!」

 

 

 無邪気な様子のワン子に可愛い、と思う宏輝だった。心が疲れ切った彼にとって川神一子はオアシスだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「――そうかそうか。孫の面倒を見てもらって済まなかったのう」

 

「や。俺、モモちゃんとワン子と同い年だから。そんな年上の保護者みたいな扱いされても困るんだけど? ネクタイ外していい?」

 

「構わんよ。ワシが学長だからって気を遣わんでも良いし、普段から嘗めた態度をしておるではないか」

 

「初対面の印象が残念だったからしょうがないだろ。ホモかゲイだと思われる態度をすれば距離を離すし、これでも譲歩している方だよ」

 

 

 普通であれば男色家趣味でも年上には敬意を払う必要があり、彼も年上には敬意を払うようにしているのだが、目の前の老人への態度を考えればかなり譲歩をして初めは苦手だと感じているようだ。爺で男色家なんて誰得だろうかとも彼は考えていた。

 

 ワン子と百代と遊んだ宏輝は何故か川神院の鉄心の場所にいた。日本らしい卓袱台を挟んで向かい合って座っており、しっかりと締めているネクタイを緩ませながら正座をしている。そんな様子を鉄心は湯呑みのお茶を飲みながら眺め、会話をしていた。自分の孫娘とデートをしたと聞いて祖父として経緯を聞こうとしていたのだが、何より聞きたいのは百代の状態である。ある日を境に手の着けられなさを疑問に思ってこうして保護者として面談をしようとしている。

 川神院までは一緒に来た姉妹だが、今は別行動で入浴中である。その間に、鉄心は話を済ませてしまおうと考えている。今日は日曜日であり、自分の学園の生徒でもある彼を夜更しさせて遅刻させるわけにもいかない。

 

 

「本題に入ろう……モモ、なんでああなったん?」

 

「……素直に謝ります。あれは完全に俺のせいでございます」

 

 

 事情を説明する前に見事な土下座をする。任侠によくある握り拳を床の畳に着けて頭を下げる形だったので少し驚く鉄心だがコイツのせいかとも思う。現在、破天荒な孫娘の百代の性格をあそこまで変えられるのは宏輝だけしか候補にないと考えていたので驚いた後に静かに溜め息を吐く。

 宏輝は何があったかを説明する。自分が何をしたのかを、人生相談をして自分がちゃんと説明をするのを忘れて大きな勘違いをして厨二病を発症させてしまった事を丁寧に説明しながらバツが悪そうな顔をやめない。

 

 

「成程。つまりは価値観の違いでああなったわけじゃな」

 

「本当にすんません。完全に俺の責任です」

 

「事態を甘く見ておるわけではないがしょうがないじゃろう。あの子は元々、他の者の影響を受けやすい子。特に心を許している宏輝君に相談を受けてもらって嬉しいのかもしれん。宏輝君、言葉が上手いじゃろ?」

 

「言葉遊びは好きだけど人生を左右するほどの言霊の力は無いと思うんだけどね。言葉の意味を間違えて俺の知っているその語源よりウザい感じに……いや、なんでもない」

 

「否定できんわい」

 

「ばあちゃんなら新しい道を切り拓ける言葉を投げてくれるけど。俺なんかクソだと思える人生の相談士だぜ」

 

 

 落ち込む宏輝。普段は達観する性格なのだが百代の件は流石に気まずいと思い、反省しているようだ。何度も言うが、彼の祖母は彼の原点とも言える偉大な人物。些細な悩み相談から大きな人生を左右する相談もこなす先駆者の手腕を考えれば、自分はクソだと低評価を下していた。逆に言えば、それほど彼の祖母の手腕は凄まじいものである。

 百代に関する話に二人は沈黙し、片方の一人は難しそうな顔で腕を組んで唸る。真剣に迷っている様子に鉄心は共に迷って考えるどころか彼を見て無性に嬉しい気分になる。自分の孫娘の変わった原因とはいえ、ここまで真剣に考えてくれる事に祖父として素直に喜べた。

 

 

(……ホッホッホ。これは曾孫の顔を見るのも早いかもしれんのう)

 

「――催眠術でも使うか? いや、けど奴隷になって――」

 

(……前言撤回じゃ。少し不安になってしまうわい)

 

 

 言い様のない不安を感じる鉄心だった。言葉に不適切な表現があり、孫娘の人生に左右するとなれば不安を感じざるを得ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ゴホッ」

 

 

 

 

 静かに歯車は回り始める。誰にも、本人すら気付かない所で歯車は狂い始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 





 ※嫌な予感しかしない

 人によっては幸せに感じるエンドとバッドエンド。一つの終わり方が人の感性によって様々に感じる終わり方になりそう。

 本当はダラダラとやる予定ですが次回から時期が飛び飛びになります。






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26 不運の幸運


 取り敢えず久し振り。書き方とか設定が変わってるかもしれないので矛盾があるかもです。






 

 

 

 

 

「おーきーろー!」

 

「ウボァー!」

 

 

 川神の朝。恒例になりつつある少年の叫びが響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年、天井宏輝は腹部の痛みに耐えながら恨めしそうに腹部に乗る満面の笑顔の少女を見る。不機嫌な宏輝に対して、百代は気にしていないようで彼の上でロデオ、乗馬マシンのように腰をグライドさせて痛みを更に与えて遊んでいた。何も知らない第三者が見れば勘違いしそうな光景である。

 

 

「ほれほれ起きろ。今日はバカンスだろ」

 

「その前にどかんかっ!」

 

 

 怒り心頭と腹に乗る百代を投げ飛ばす。ムチッとした太腿を抓るように掴んで後ろに放り投げたが、武術の心得を持つ百代にとっては何の苦でもなく空中で一回転すると華麗に着地して宏輝を煽るように妙なダンスを始める。

 イライラする宏輝。妙にハイテンションな百代。最近の二人の関係を言い表すのであれば今の心情が殆どだろう。以前は逆で最終的に百代が殴って終わりになるが、格上の百代に手出しできない宏輝はいじめられて耐える人のようにやり返しもできずにいた。

 

 

「カルシウム足りてないんじゃないか? ん? ん?」

 

「ファック! クソ野郎め! 何でこんな性格になったんだモモちゃん!」

 

 

 最後に俺のせいだけど、と付け加える辺り自分が原因である事は理解しているのだろう。ガリガリと髪の毛が乱れるまで掻き回し、発狂する。そんな様子に満足しているのか、百代は何故だか慈愛に満ちた笑顔で乱れた髪の毛を直すように撫でる。

 

 

「ストレスを溜めると碌な事にならんぞー」

 

「……それ、俺の台詞。ここぞとばかりに仕返しするねホント」

 

「ヌフフー。それはヒロ次第だなー」

 

「イラつく超ムカつく! モモちゃんの癖に生意気だぞゴホゴホッ!」

 

「オイオイ大丈夫か? 最近多いじゃないか。少し気を分けるから落ち着くんだぞ」

 

 

 急に激しく咳き込んだ彼を気遣うように百代は自分の身に宿る膨大な気の一部を宏輝の治療のために分け与える。本来であれば大きな百代の気に武術のぶの心得もない宏輝の体が耐えられないはずなのだ。前提として指紋や声紋と同じように違う特徴を持っている気を他人の気と混ざる事はまず、ありえない。それでも宏輝に分け与えられるのは百代自身の才能故か、宏輝の気が百代に合っていたのか。二人の間を気が伝い、宏輝の体調を整える。

 

 

「ほら。これでいい」

 

「ありがと」

 

 

 内心、複雑な気分である。原因が目の前の百代なのに気分が優れていないのを見れば、気遣ってくれる。最近では患者を世話する看護師以上に看病してくれる事が多い。咳き込む事が多くなった宏輝の専属看護師のようなポジションにいるというわけだ。

 

 

「にしてもそんなに貧弱だったか? 前は口から出るのは咳じゃなくて罵倒だったろ?」

 

「俺をどんな風に思っていたのかわかる一言だな」

 

 

 不思議そうに見る彼女に、本気で後悔する彼。以前、百代の人生相談をした時からこんな調子の宏輝は少し興奮しただけで激しく咳き込む事がしょっちゅう起きていた。医者に見せた時は原因不明だと言われたが本人はある仮説を持っており、それが有力ではないかと考えている。

 天井宏輝は別世界の人間だ。世界を越える力も無い、魔法の文化すら仮想である世界から別の世界に渡る時に果たしてデメリットは無いと言い切れるだろうか? 否。彼の頭脳はデメリットが原因で体調不良を引き起こしているのではないかと考えているのだ。冷静に考えれば今まで体に異常を起こさない方が不思議だったのだ。

 

 

「まあ、原因不明と言われても全てが悪い方向に解釈できるわけじゃないからさ。ポジティブに物事を考えよう。若くして死ぬのなんてそれこそ運の良い俺には無縁な事だよ?」

 

 

 敢えて目を背ける。何もわからない事をいつまでも考えるよりもポジティブに、前向きに生きていく性格をしている彼は他人に秘密を隠し通す。

 高そうなベッドの横にある時計を見遣ると時刻は午前六時。バカンスのリゾート地へ行く予約した飛行機の時間は午前七時半。まだ覚醒していない頭を軽く叩くと宏輝はのそのそとベッドから抜け出して準備をする。トランクケースの上に引っ掛けている服を取ると、着替えをしようとするのだが……。

 

 

「……通報しようか?」

 

「私の事は気にせずに着替えろ。眼福だ眼福」

 

 

 着替えようとする彼を百代は何かを期待するかのような目をしながら見詰めていた。というより、手がワキワキしていて何を考えているか駄々漏れである。

 疲れた様子でドアを指差しても百代は動かない。中々着替えない宏輝を無理矢理脱がそうかと考え始めた頃にトランクケースの下に置いてある封筒を水戸黄門の印籠のように突き付けて見せると彼女は何だと首を傾げる。だが、手はワキワキしたままだが。

 

 

「これ、何かわかる?」

 

「封筒だな。それがどうした?」

 

「ではモモちゃんに選択肢を与えましょう。今すぐに出るなら渡すけど残るなら渡さないけどいい?」

 

「ここは敢えて残ってお前の着替えの手伝いをする事を選択してやろうッ!!」

 

 

 ガシッと距離があった二人の間を百代が高速で駆け抜け、宏輝の足首を掴む。表情には歓喜と今から行われるであろう彼の体を弄る行為への期待があった。足を引っ張ってベッドに放り込もうと考えたところで自分の上から声が掛かる。

 

 

「仕方がないのでこの封筒の中にあるモモちゃんの小遣いは没収します。バカンスではお土産も何も買えなくなるけどいいよね?」

 

「出る」

 

 

 お金の魅力には勝てなかったよ……と思う百代は二秒もかからずにドアを開け、外で待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 さて。今の状況を一言で言い表すのなら旅行である。以前から約束していたバカンスの約束を百代を宏輝が誘って行くわけだが。名目としては宏輝の護衛で百代が付いて行く、だ。

 飛行機の座席に慣れた様子で足を組み、肘掛けに肘を置いて立てた腕の手に顎を乗せた大物スタイルで座る宏輝にそわそわと外の景色を見ては落ち着かない様子の百代。二人だけの旅行かと思いきや、もう一人だけ連れがいたりする。

 

 

「ひ、ひひひ、宏輝君。本当にこの飛行機は落ちないんだな?」

 

「大丈夫ですって。折角の安全フライトなんですから外の景色とか楽しみましょうよ橘さん」

 

 

 百代以上に落ち着かない、怯えた様子でしきりに隣に座る宏輝に声を掛け服の袖を引っ張ってとを繰り返す女性は橘天衣。そんな彼女に心配ないと腕を叩いて落ち着かせようとしているようだが、一旦は落ち着いても一分後にまた落ち着かなくなる事を繰り返していた。

 

 

「というか何で橘さんまで呼んだんだ?」

 

「別にいいだろ。今まで飛行機に乗れたのは一度だけでしかも墜落経験しかないから不憫じゃん。俺の側にいれば不運はかなり緩和されるしボディガードとして雇ったし? モモちゃんの場合だとあっちこっちに行くじゃん」

 

「うぐっ」

 

「その点では橘さんはプロだよ。実力もモモちゃんレベルに並ぶらしいしこれ以上ないほど心強い人だと思ってる。マダムも物騒だからって橘さんを雇う金を負担してくれたしね……あ、すいません。飲み物ください」

 

 

 手を上げて飛行機に乗るスチュワーデスを呼ぶと、飲み物を呑気に注文する宏輝。何かを言いたそうにする百代だが、先程の言葉に反論できなかった事と飲み物の注文に気が向いたので口を閉じて飲む事に集中する事になった。また、天衣にも気分転換に酒を飲む事にしたが緊張のあまりに味が全くしなかったのは余談である。

 飛行機は何気に初めてである百代は極端に怯える天衣に気付かないまま外の景色に感嘆したり、ファーストクラスの座席に備えられたテレビを弄って映画を見たりと自由奔放な無垢な子供のようだった。

 

 

「絶対に落ちない絶対に落ちない絶対に落ちない」

 

「大丈夫大丈夫。というか手が痛いんで離してください!」

 

「なあなあヒロ。オレンジジュース以外に何かないのか?」

 

「前の座席のポケットにメニューがあるからそっち見て。だけど有料は駄目酒は駄目……橘さんマジ痛いんで本当に離してくださいッ!」

 

「だ、だがな。不安で堪らないんだ……もう少し手を握ってくれないか?」

 

 

 涙目上目遣い。美人の部類に入る橘天衣がそれをすれば魔性の武器となる。普通の男性ならコロッとやられるだろうその仕草だった。

 

 

「……わかりました。取り敢えずもう少し優しく握ってくれると嬉しいです」

 

 

 しかし、諦めた様子を見せるだけで照れる様子を見せない。元々、異性に凄まじい耐性のある宏輝だからこそ胸がトキめく仕草にも平静を保てるし冷静に物事を考える事も可能だ。片手を骨が砕けるまで握り続けている天衣の手にもう片手を包み込むように優しく握れば落ち着いたのか、力が弱まって肩の力も抜け始める天衣。そんな二人の様子を反対側に座る百代が白けた目で見ていた。

 

 

「何?」

 

「私のヒロが天衣さんに寝取られそうな件について」

 

「はあ?」

 

「ち、違うぞ百代! こ、これは恋愛ではなく……そう、親愛の証なんだぞ!」

 

「さっきから見ていればあざとい。狙ってやったと思えば悪女だと思うぞ天衣さん。ヒロが好きなのか?」

 

「何を言ってるんだお前は」

 

 

 手は繋いだままで宏輝は隣の百代を見て絶句したような表情を見せる。彼女の言動が意味不明で何を言っているか理解ができないからだ。

 

 

「普通に繋ぐならいいけどさ。天衣さん、ヒロと恋人繋ぎをしてるだろ?」

 

「――はっ!」

 

 

 天衣は改めて自分が宏輝と繋いでいる手を見て現状を理解する。それから慌てて離すと顔を真っ赤にして手をあたふたさせながら慌てる様子を見せる。取り敢えず可愛い天衣だった。

 

 

「……ん? これが普通じゃねーの? 男と女で手の繋ぎ方が変わると聞いたけど違うんか?」

 

 

 ピタリと動きを止め、信じられないといった目で二人は真ん中に座る彼を見る。先程まで手を繋いでいた手をプラプラさせながらそう曰う宏輝はそれが本当であり、間違いではないと思っている様子だった。恋人繋ぎと呼ばれる掌を合わせて手を繋ぐ行為は名の通り、恋人相手にするものなのだが。

 自分が何を言っているかわかっていない状態で訝しげな目をすると、それとなく百代と天衣は目を合わせる。そんな二人を遮るように前部座席のモニターを着け、何かを見始める宏輝は完全に空気が読めない状態だった。

 

 

「ヒロ。お前は何を言っているんだ?」

 

「ん? あの繋ぎ方のこと? あれ、今では異性の恋人相手にするものって言われてるけど昔は異性相手と同性相手で変えるものだったんだぜ?」

 

「ほ、本当か? それは知らなかった……」

 

「適当にでっち上げた嘘ですけどね」

 

 

 サラッと嘘を空気を吸うように吐いた。それには罰として百代が鉄拳制裁をブチ込むしかなかった。顔面が埋まるほどの力で殴られた宏輝の鼻からは鼻血が垂れて始め、天衣は慌ててポケットティッシュを取り出して血を止めようとする。

 

 

「痛いよモモちゃん」

 

「嘘を言うお前が悪い」

 

「ああ、大丈夫か宏輝君。取り敢えずこれで血が止まるまで待つんだ、いいね?」

 

「これだよモモちゃん。理想的な奥さんの鑑だよ。結婚しよう橘さん」

 

 

 突然のプロポーズ。百代からすればいつもの冗談だと分かっているが、数えるほどの付き合いとメールによる文通でまだ宏輝の人柄と性格をしっかりと理解できていない天衣からすればそれは冗談のようには聞こえなかった。

 

 

「え、え? 結婚? わ、私と宏輝君がか?」

 

「はい。子供は三人欲しいですね橘さん」

 

「あ、だけど。まだ私と君はそんな関係じゃ……」

 

「大丈夫です。今は好きじゃなくても寝たらすぐに俺を好きになれますよ」

 

 

 完全にセクハラである。とはいうものの、橘天衣のタイプを攻める点では適したものだ。この最低とも言える口説きテクニックは過去のキャバクラの変態社長やキャバ嬢による特訓の成果だが、残念な結果である。

 

 

「あ、あうぅ」

 

「おいヒロ。いい加減にしろ」

 

「えー、いいじゃない。橘さんみたいなタイプって川神にはいないじゃん。いるのは男勝りな性格の格好良い美少女ばっかりじゃんか」

 

 

 特にモモちゃん、と加えれば不機嫌そうに唇を尖らせてそっぽを向いて飛行機の外の景色を見る。青く澄んだ空、浮かんだ空を彩る白い雲に今まで見てきた景色の中でも美しいと感じる百代だった。

 散々とも言うべきか、天衣で遊んだ宏輝は咳を一つ。目をグルグルさせる天衣と繋がれた手をポンポンと叩くと未だに不安な様子の天衣を落ち着かせる。人の温もりを感じるだけで安心するという逸話があるが、人との付き合いが多い宏輝にとっては特技ともいえるもので誰かを落ち着かせる点では横に並ぶ者はいない。彼の心の本質故か、だからこそ誰もが彼に好意を持つ。親愛、恋愛から至るまで。

 

 

「取り敢えずさ。俺は現地に着いたら少し寄る場所があるけどモモちゃんはどうすんの? 英語話せるん?」

 

「……」

 

「ゴメン。アホのモモちゃんには英会話は無理か」

 

「う、うるさいやい! そもそも英語なんか覚えても役には立たないじゃないか! 勉強するのが負けなんだよ!」

 

「えー、なんという暴論。俺が将来ラスベガスのカジノに行く為にばーちゃんから必死こいて教わった俺の努力を無に帰す最低な物言いだよそれ」

 

「む。宏輝君は君のおばあさんから英語を教わっていたのかい?」

 

「ええ、まあ。俺が小さい時に一度だけアメリカの魅力を教わる為にギャンブルをしたんですよ。今思えば俺がギャンブル好きになったのもそん時からかな? 英語も聞いていれば大体理解できましたし。本場の英語と学校で教わる英語に違いがあるのは一番驚きましたね」

 

 

 自分の始まり。ギャンブルという違った駆け引きのやりとりの世界へ足を踏み込むきっかけとなった出来事を宏輝は明かす。煌びやかな装飾のカジノ、陽気なアメリカ人の笑い声と騒々しい場、自分の横で高笑いしながら荒稼ぎする祖母、奥に連行されそうになれば昇竜拳を繰り出す祖母、カジノに出禁を食らうかと思いきや孫の宏輝が気に入られて賭博のイロハを祖母とギャンブラーから教わる。何とも楽しい過去の思い出か。

 

 

「……百代。どこを突っ込めばいいのだろうか」

 

「お前のばーちゃん強いのか?」

 

「第二次世界大戦を生き抜いたって聞いた事があるんだけど。若作りしたババアって印象なんだけど若々しいのって今思えばモモちゃんの言う“気”の恩恵なのかもね。多分モモちゃんレベルで強いんじゃない? 言っとくけど会えないからね。そんな期待した目をされても俺はマッチングできないよ」

 

「ちぇ。この鬱憤、ヒロで晴らさせてもらおう」

 

 

 そういうと空いた片手を手に取って天衣と同じような繋ぎ方にすると咳払いをして声を撫で声に変え、宏輝に寄り掛かる。

 

 

「ねーん。海に行ったらオイル塗ってよぉ」

 

「キモイ」

 

「百代、流石にそれはない」

 

 

 八つ当たりの一撃が二つ出されるが、響いた打撃音は一つだけであった。

 

 

 

 

 

 

 





 時系列は忘れた。前半は書かれて放置されていたので適当に繋げたものがこれです。この後の展開はあまり期待しないでね。





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27 診察と診療



 投稿忘れてた。毎週、土曜日に更新するように頑張ります。

 何度も言うようですが、内容は期待しないでね?





 

 

 

 

 

「キタ! キタキタキタキター!」

 

 

 テンション高く声を張り上げながら川神の地とは違う空気、蒸し暑い天候に百代は嬉しそうに叫んでいた……その後ろではとんでもない事が起きていたりするが。

 

 

「バカンス初日でドクターストップレベルの怪我を負うとは」

 

「百代! 謝罪の一つ位はしないか!」

 

「あー、いいですよ。殴られる事は初めてじゃないんで。怪我したのは予想外でしたケド」

 

 

 テンションの高い百代とは正反対の少し切羽詰った様子の天衣。彼女はバカンスへ来れた最大の貢献者である宏輝を介抱していた。鼻にティッシュを詰め、氷の入った袋を頭に当てて冷やしている。

 飛行機でド下手くそな演技をしてキモイと発言した宏輝を百代は殴った。その時に負った怪我が思ったよりも深く、鼻血という怪我になったわけで。鼻だけではなく脳も揺らされて頭にできた瘤も冷やすというバカンスにはあるまじき事態になっている。

 

 

「にしても、俺ってとことん幸運だよな……このバカンスのもう一つの大きな目的を達成できるなんて」

 

 

 彼の視線の先には如何にも外人ですと言わんばかりの容姿の女性。白衣を着ているので殆どの人が医者だと思うだろう女性こそが宏輝の大きな目的の一つ。今、彼を治療しているのも彼女であり今いる場所も彼女の診療所だ。

 白衣を着た女性は英語を流暢に話す。日本語が主流の日本ではない外国なので当然といえば当然だが知らないフリをしている百代は何を話しているかサッパリであった。対する話しかけられている相手である宏輝は頷きながら女性の言葉を聞いており、英語を理解しているような素振りを見せる。

 

 

「あー、暫く冷やすようにですって。後、ここに来た事はマダムから聞いているからようこそとも言ってますね。何か今から血を抜かれるみたいです」

 

「採血、か? 何故?」

 

「や。最近俺が弱っているのを調べる為です。マダムが心配してくれてさっきの先生に相談してくれたんです。結構有名な名医で色々な治療とか経験して知識もトップクラスらしいです。その人なら原因がわかるんじゃないかって」

 

「そ、そうだったのか。それよりも宏輝君。その事は初耳なのだが?」

 

「あー、はい。あんまり心配もさせたくなかったんで黙ってました。すんません」

 

 

 天衣に謝る宏輝。彼が少しずつ体が弱っているのを知っているのは百代と住居を提供してくれているマダムのみ。知らなくても仕方がないのだが、弱っているという兆しは見られていたので気付こうと思えば気付けたのだが会える回数が少なかった天衣には時間が足りなかったようだ。

 川神学園に在籍している彼は休みこそサボりをする事が多いが最近は大好きな賭博、ギャンブル関連に出掛けたりはせずに家で自堕落な生活を送っていたりする。マダムとチェスをしたり拾った黒猫と昼寝をしたりと、うつ病患者のような毎日を過ごしていたのだ。

 流石にそれはまずいと思った住む場所を提供しているマダムは昔のコネで名医と賞賛されている友人に助けを求めたのだ。現在、住んでいる場所が彼等のいるバカンスの地。息抜きにもなればとよく家を尋ねる百代を誘い、ボディガードに天衣を雇ったのが今回の経緯だ。息抜きと診療、それがバカンスの目的。診療結果が出るまでは心ゆくまで遊ぶだけだ。

 

 

「……あ、あー。イエス?」

 

「何かあったのかい?」

 

「ぶっちゃけまだ英語はマスターしてないけど何が言いたいかは理解できた気がする。俺、血以外にレントゲンとかも撮るらしいからもう少し時間が必要になるんだって。だから先に二人は遊んどく?」

 

「遊ぶ!」

 

「だが宏輝君は?」

 

「今日は遊ばないと思いますね。絶対安静とは言われてないけど飛行機の中でえらい疲れましたし」

 

 

 俺ってこんなに虚弱体質だっけ? と首を捻りながら考える宏輝。心当たりはあるのだがそれが果たして本当なのかはまだ確信を得ない上、他人に話しても理解してもらえるかどうかの前提がクリアできるのかもわからないのだ。なので口を閉ざす事しかできない。

 真面目な雰囲気で話す宏輝の真反対、海コールを繰り返す百代。完全に空気の読めないアホの子に成り下がっている彼女だがあの名言(迷言)を教えたのがまずかったと今になって後悔する。

 

 

「遊んでもいいけどモモちゃん、英語わかんの? 観光案内所なら日本語で通訳してくれる人がいるかもだけどビーチとかは観光客がいても助けてもらえるかどうかはわかんないよ? それでもいいならどうぞ?」

 

「橘さんが英語はできるだろう」

 

「すまん。簡単な会話はできるが日常会話までは無理だ」

 

「俺はこれだからね。英語がわからなくて八つ当たりして捕まる事はやめてよ。絶対に迎えに行かないし保釈金も払わないからね」

 

「……大人しくしてる」

 

 

 ショボンとする百代。流石に言葉もわからない場所で川神の地と同じように動こうとは思わなかったのだろう。英語は話せない、心強い通訳もできる宏輝は診察から診療へ、年上で先輩四天王の天衣は心許ない。心が折れるのは普通だった。

 先程までのハイテンションは何処へやら。楽しみを奪われた子供のように沈む百代は遠くに見えるビーチを見詰めていた。誰でも可哀想、と思うだろうが付き合いがある宏輝はその楽しみが何を意味するかわかる。否、嫌でもわかってしまう。

 

 

「どうせ金髪の水着ギャルとお近付きになりたいだけでしょ」

 

「それ以外に何がある!?」

 

 

 血涙を流さん勢いで掴みかかる。そんな彼女を冷めた目で見る宏輝。やはりという気持ちと百合趣味は受け付けないよな、やっぱ。と心の中で思う。

 

 

「噂だと同級生の可愛い子、モモちゃんが性的に食ったらしいですよ。橘さんも毒牙にかからないように注意した方がいいです」

 

「百代……」

 

「ち、違うからな! ちょっと遊んだりはするけどそんな事はしてない!」

 

「と言うモモちゃんですが実際に証言した人によればおっぱいは普通に揉むそうです。女同士だからいいだろうと完全にセクハラですがどう思われますか。酷い時はケツタッチまでするそうで」

 

「付き合いを考えるぞ百代」

 

 

 が、言い返せない。何故なら全てが本当の事だから。人たらし、人との付き合いが上手で面識をほぼ学園全体、川神市の住人達と持つ彼はあらゆる情報を持っている。しょうもない与太話、どこから生じたかもわからない噂話、本当かどうかもわからない都市伝説。違う世界から来た天井宏輝にとっては情報が命だ。例え、嘘みたいな話でも少しでも情報を欲している。

 繋ぎ合わせ。パズルのピースを組み合わせて絵を完成させるように膨大な噂や情報を必要最低限引き出して組み合わせる事で生まれるのは一つの真実という絵。昔から、川神に来る前から得意だった彼は人たらしの才能を活用しているのだ。

 川神百代のレズ疑惑もそうした事で推理し、得たものというわけだ。情報さえあれば間違いなく答えを導ける。宛ら、稀代の名探偵のように。

 

 

「ちなみにですがセクハラ+えっちは彼氏(仮)の俺に宣戦布告する時に偶然、相手の方から言われました。百代様は渡さない! ってストレートに言われてあれほど驚いて笑いを堪える事はないと思います」

 

「違う違う違う!」

 

「大体が真実なわけですが、そこのところどう思います?」

 

「男の子的に言えば尻が痒くなる現象が起きているな」

 

「つまりは掘られそうだと。キモイってさ、モモちゃん」

 

「何で二人で虐めるんだ!?」

 

「今までの仕返しだ」

 

「ジジイからの依頼で調教して前の状態に戻す過程の一つ」

 

 

 橘天衣からすれば過去に未熟な百代に完膚無きまでに完敗した事を少なからず根に持ち、天井宏輝からすれば自分の過ちを正す為に人格矯正を行おうとしていること。天運不運コンビの二人は百代をいじる名目で目的が一致し、ここぞとばかりにこの地でいびりにいびりまくっている。

 元々、マスター側の性癖を持つ彼女はスレイヴという立場に陥る事に慣れていない。自分以上の被虐志向である宏輝が本気を出せば百代の心を容易く折る事はできる。だけどそれはしない。ストレートに言えば彼女と仲良くなる事で生まれるメリットとデメリット、メリットの方に大きく傾くので気に入らない者の心をへし折った時のように彼女と付き合おうとは思っていないのだ。

 狡猾。もっと悪い言い方をすれば天井宏輝は川神百代を利用している。彼女の純粋な気持ちを弄ぶかの如く、虎の威を借る狐のように彼女の持つ力をアテにしている。それに対する見返りに彼女が離れないように賄賂を贈る徹底ぶり。もし百代がそれを知れば宏輝との付き合いをどう考えるだろうか。あくまでも仮説であって真実かどうかはわからない。物事の見方によってはそう捉えられる。

 

 二人に容赦のないツッコミを受け、涙目になる百代。天衣までもが参加したのは飛行機内で宏輝に怪我をさせて見て見ぬフリをしている事に怒っているので自業自得と言えばそうなのだが。

 キモイ発言をしたのも百代の似合わぬ言動からだし、正直な気持ちを吐露した宏輝が悪いかと問われたら微妙だが割合で言えば百代に大きく傾く。ほんの少し、宏輝が悪いとも言えるが調子に乗った結果がこれであるので殆どは百代が悪いと落ち着く。

 

 

「ヒロー、慰めてくれよー」

 

「甘えるな百代。甘えるのならまず宏輝君に謝らないか。出血までさせる怪我を負わせてお咎めなしとはいかないのだぞ。事の次第では鉄心殿からお前の気を封じる対応もしなければならない」

 

「う、うぅ。ご、ご、ご……」

 

「ゴマ団子が食べたいの?」

 

「ご……ごめんなさい」

 

「はい、よくできました。ご褒美にナデナデしてあげよう。キャバクラのお姉さん相手に鍛えたナデテクニックに酔いしれるのだ。ちなみに効果は猫のみ有効。ワン子にもしたけどだいしゅきホールドされて死ぬ思いをしたから人間相手には使いたくないんだけど」

 

「ならやらなくてもいいだろう、宏輝君。真面目な話をしているのにふざけるのはやめてもらえないかな?」

 

 

 調教プロセス、第一段階。心をへし折って自分のアイデンティティを崩す。第二段階、飴と鞭による絶妙な使い分けによる依存症を高め、自分へ好意を向けさせてアイデンティティにアイデンティティを組み込む。第三段階、知識と知恵を自分の思い通りに刷り込む。

 あらゆる人と付き合いのある宏輝。調教プロセスという普通は使い道のない事を教えたのは彼の祖母。将来役に立つ、と言われて半信半疑で教わったがまさかここで出番が生まれるとはと宏輝は思う。未来を見据えているかのように知恵を授けた祖母に改めて畏怖を抱くのであった。

 

 

「お、おぉぉ。こそばゆいけど何かポカポカするぞ」

 

「って、効果絶大じゃないか。宏輝君、動物園の飼育員にも向いているんじゃないかい?」

 

「アルバイトしました。もう二度とやりたくありません」

 

「そ、そうか。大変な目に遭ったようだな。もう聞かない事にするよ」

 

「そうしてくれると嬉しいです」

 

 

 祖母に勧められ、年上の友人に誘われ。一度だけ一日動物園飼育員を体験したが悲惨な事になったのを彼はハッキリと覚えている。動物側からすればじゃれているのだが、猿には誘拐され、ライオンには頭を甘噛みされ、ゴリラには天に放り投げられ、あらゆる動物園の動物が人間の少年にとって致命傷になるじゃれ方をされた経緯がある。今は消えた小さな古傷の一部はそれに当たる。

 撫でテクニックが昇華すればそれは伝説のオタクが何よりも求めるナデポに進化する。今の彼はそれに入るテクニックを身に付けているのだ。響きはエロいがとにかく凄いのである。

 

 

「で、どうする? 待つ? 先にホテルへ行く?」

 

「チェックインは私で大丈夫なのか」

 

「一応。マダムが保護者として橘さんを選んだそうで。ホテルの支配人にも連絡をしているそうなので英語とかは必要ないですよ。日本語を話せるスタッフもいるそうなんで。明日と豪華な夕飯に備えて飛行機の疲れを癒したら? モモちゃん」

 

「部屋はどうなんだ?」

 

「前にパンフレット見せたでしょ。言っておくけど部屋は別々。フロアは一緒だけど男性女性で分かれるから……そんな不満そうな顔しないでよ。最近、モモちゃんに貞操奪われそうで怖いんだからさ」

 

「百代……」

 

「違うって! そんな誤解を招くような言い方をするなヒロ!」

 

「にひひ。飛行機での仕返しと思って」

 

 

 会話の締めくくりのように宏輝は見慣れた人懐っこい笑顔を浮かべて笑うのだった。女性陣、百代と天衣は診療のまだ残る宏輝を置いて先にホテルにチェックインする事になった。

 そして、残った宏輝といえば。

 

 

「あ、あ、あー」

 

 

 明らかに慣れてませんよと言わんばかりに早口に発音する女医に苦戦するのだった。説明にも時間が必要になり、帰れたのは夜も遅い時であった。先にチェックインした二人が見たのは疲れきった彼の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 






 虚弱体質(笑)になりそうな予感。まあ、そうなんだけどね。





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