インフィニット・ストラトス 西の地にて。 (葉月乃継)
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ドイツ①

 

 

 オレこと織斑一夏がドイツに来てもう一年以上になる。

 中学二年の秋口に誘拐されかけたあと、教官としてドイツ連邦軍IS特殊部隊に赴任した姉についてきた。そこから日本に帰る勇気が持てず、そのままドイツの学校に通っている。

 今は、ドイツ陸軍の敷地内にある家族用兵舎の一角に一人暮らしだ。最近まで千冬姉と一緒に住んでいたが、何でもIS学園で教師をするために帰国するそうだ。

 千冬姉がドイツから日本に戻る前、オレに、

「まだ踏ん切りがつかないのか」

 と尋ねてきた。

「ごめん、千冬姉」

「いや、悪いのは私だ。巻き込むようなことになって」

「違う! 千冬姉は悪くねえよ!」

「一夏……」

「でもごめん、オレは自分の弱さがまだ許せないんだ……」

「わかった。ここはこのまま住めるように手配しておく」

「ありがとう、千冬姉」

「しかし、珍しいな」

「何が?」

「お前がそんな我が儘言うなんて」

 そう言って千冬姉が小さく微笑んだ。

「そ、そうか?」

「まあいい。この土地でもう少しやっていくというなら、クラリッサに声をかけておく。アイツは頼りになるからな」

 クラリッサというのは、千冬姉のドイツでの教え子であり、エリートIS部隊の副隊長を務めているお姉さんだ。何度か会ったことある、いかにも軍人然とした人だが面倒見は良い。彼女の紹介で、軍の食堂でのバイトも出来るようになった。生活費は気にしなくて良い、と千冬姉に言われているけど、余ってる時間があるなら少しでもお金にしておきたい。

 あっさりと日本に戻った千冬姉を見送り、オレのドイツでの一人暮らしが始まった。

 

 

 

 年も空け、今日も今日とて軍の基地の食堂でバイトに精を出していた。

 今は訓練が終わった後らしく、いかつい顔つきの軍人たちが食堂で笑いながらメシを食ってる。

 だいぶカツレツの味付けにも慣れてきたし、彼らの好むイモの皮を剥くスピードも早くなってきた。だが基本的には、食堂のボスである肝っ玉おばちゃんことアルベルタさんの小間使いが主な仕事である。

「イチ! いつものところにコーヒーの出前!」

「ヤー!」

 ドイツ語で元気よく返事をして、エプロン姿に厚手のジャケットを羽織って、オレはドイツ軍の基地を自転車で走る。二月だけあってかなり寒い。目的地はIS特殊部隊が使ってる建物である。

 食堂には他の若いヤツもいるのだが、IS関連の兵舎に入れるのはオレだけだ。教官を務めていた千冬姉の弟でありクラリッサさんが身元引受人をしてくれているゆえの信用らしい。他ではありえない待遇だそうだ。

 つっても、ただのコーヒーの出前に待遇も何もあったもんじゃないけどさ。

 厳重に管理されたゲートにIDを出そうとすると、馴染みの守衛が髭の下に笑みを浮かべながら、何も言わずに通してくれた。

 軽く左手を上げて中に入る。

 打ちっぱなしの寒々しい外壁の中の入り口には、モノリスのような柱が立っていた。そこから出る赤外線がオレの全身をスキャンすると、扉のロックが外れた。そのまま重々しいドアが横にスライドして開く。

 中は合金で構成された寒々しい廊下を歩く。目的地は奥の方にある副隊長室だ。

 廊下を歩くと、見知った顔の女の子たちが歩いてきた。軍服のジャケットにプリーツスカートという変わった制服だ。

「グーテンターク、イッチ」

「あ、イッチだ」

「コーヒーの出前?」

 と気さくにドイツ語で話しかけてくる。年頃はオレと同じぐらいか、ちょっと上ぐらいのはず。いずれも可愛い女の子たちだけど、その実は優秀なISパイロットである。

「グーテンターク、ティナ、リア、マリナ。そうだよ、クラリッサさんのところに」

「あ、ちょっと今は避けた方がいいかもね、イッチ」

「なんで?」

「えっと、隊長が副隊長の部屋に入ってるから……」

「あー」

 隊長というのは、若干15歳でIS特殊部隊の長となり少佐まで上り詰めたっていう天才だ。

「うーん、まあこれ届けないと終わらないから。忠告ありがとな、リア」

「気をつけてね、隊長、あんまりイッチのこと良く思ってないから」

「コーヒー注いで帰るだけだよ。ビス・バルト」

「ビス・バルト」

「チュース」

「フィール・グリュック」

 三者三様の挨拶でIS特殊部隊の隊員たちが手を振りながら歩き去っていく。

 ちなみにドイツ語で、またね、ばいばい、幸運を、の意味である。幸運をってのがちょっと嫌な言い方な気がしないでもない。

 通路の突き当たりの右側にクラリッサさんの部屋がある。ドアの横にある電子操作のインターホンを押そうとする直前、ドアが開いた。

 なんだ、まだ操作してないぞ?

「どけ」

 短く殺意のある声が、胸ぐらいの高さから届く。

「あ、ああ、ごめん」

「ふん」

 左目に眼帯をし、長い銀髪を揺らした小さな少女であった。

「お待ちください、ボーデヴィッヒ隊長」

「明日は先ほどのメニューで行く! これは決定だ!」

 一度だけ振り返ってクラリッサさんに大声で言うと、そのままどこかへ歩き去って行った。

「えーっと、クラリッサさん、出前でーす」

「イチカか。すまないな、見苦しいところを見せて。入って良いぞ」

「はい」

 部屋の片隅にあるカップを取り出し、それにポットからコーヒーを注いでいく。食堂の主アルベルタさん拘りの豆の匂いが部屋を満たしていった。

「はいどうぞ」

「ありがとう」

 デスクについていたクラリッサさんは帽子を脱いで、カップに口をつける。

「はあ、生き返る」

「これから残業ですか?」

「まあな」

「だと思って、軽く食事を持ってきました」

 手からオレがバイトの合間を見て作ったライベクーヘン、つまり摩り下ろしたジャガイモのパンケーキである。

「相変わらず気がきくな」

 手を使って食べられるように油をしっかり切ってラップで包んでおいたから、間食としても大丈夫だろう。

 ちなみに彼女が毎日オレにコーヒーを出前させるのは、ドイツでの身元引受人として、一日一度は顔を見ておきたいとのことだ。責任感の強い人だし、また忙しい人でもあるので、オレとしては喜んで出前するだけだ。

「なんかお疲れですね、クラリッサさん」

「そう見えるか? 私もまだまだ訓練が足りないようだな」

 大尉が小さな口でライベクーヘンを齧る。

「訓練も大事ですけど、あんまり無茶しないようにしてくださいね、クラリッサさん」

「うむ。わかってはいるのだがな。仕事中でなければヘーフェヴァイツェンでも飲みたいところだ」

 ヘーフェヴァイツェンというのは、バイエルン地方の伝統ビールだ。クラリッサさんはそちらの出身らしい。ちなみにアルコール度数は他のビールよりちょっと高い。

「明日はアルコホルフライでも持ってきましょうか?」

「酒精なしのビールを飲むなど、ドイツ軍人にあるまじき行為だ」

「オレは結構好きですけどね。でもホント、体には気をつけてください」

「わかったわかった」

「あと飲み過ぎにも」

 意地悪く笑いかけると、クラリッサさんはバツが悪そうに顔を逸らした。千冬姉の送別会で、飲み比べをして醜態を晒したことを気にしているようだった。

 ライベクーヘンを食べ終わると、それを包んでいたラップを丸めてオレに軽く投げつけた。

「も、もうあのような姿は見せん!」

「だといいんですけどね」

「ふん!」

 彼女がコーヒーを飲み干してカップを差し出す。オレはそこにおかわりを注いだ。

「隊長もお前ぐらい気がきけば良いのだが」

「隊長?」

「っとすまん。これは愚痴だな」

「いいえ、普段からお世話になってるんだし、愚痴の一つや二つ」

「すまんな。さっきも隊長がお前に」

「気にしてないですよ。あれが噂の?」

「ああ、ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長だ。お前と同い年だぞ」

「もうちょい下かと思いました」

「言うなよ殺されるぞ。冗談抜きで」

「あ、あははは」

「あと、隊長はお前のことを良く思ってないようだ。モンドグロッソのことが、教官の唯一の汚点だと思ってるようだ」

 モンドグロッソのこと、というのは、IS世界大会、通称モンドグロッソの第二回総合優勝を争う決勝を、オレが誘拐されたせいで千冬姉が棄権した件だ。

「汚点、ですか」

「気にするな。そんなことを思ってるのは隊長ぐらいだし、隊長も少しその、教官のことを尊敬しすぎているだけだ」

「はあ」

「……それもまあ頭を抱えている問題の一つなんだが」

 心底疲れたような表情で、クラリッサさんが大きくため息を吐く。

「問題?」

「お前の姉は少し優秀すぎたのだ。我々を欧州の軍でも有数のIS部隊に押し上げるぐらいにな」

「うーん。何かオレにはピンと来ない話です」

「正直な話をすれば、少佐はIS部隊に入ってきたときは自信を喪失していて、使い物にはならなかったのだ。我々の誰よりも弱かった。だが教官のおかげですぐに実力をつけ、今の位置についた。彼女にとって教官は恩人以上の、存在理由を与えてくれた神のような人なのだ」

「存在理由……ですか。そんな大げさな」

「大げさでもない。まあ詳しくは話せないがな。だから気をつけろイチカ。お前は隊長にとって、神を冒涜する人間だと思われているぞ」

 確かに千冬姉はすごいけど、家にいるときのだらしなさを見たら、神とは思えないなあ……。

「まあ、オレはただのバイトだし、話すこともないでしょ」

「だといいがな。お前が女でなくて良かったぞ。女なら無理やりにでもISに乗せられて、私刑紛いのことをしたかもしれん。もちろん、私が許さないが」

 男で良かった……ISに乗ることなんて全くもって可能性もないしな。

 オレこと織斑一夏は、そのときまでは『ちょっと気をつければ良いだけのこと』だと思ってた。

 この数日後、すっげえ気をつけておくんだったと後悔することになるんだけどな。

 

 

 

 今日も今日とて学校が終わり、ドイツ軍の基地でバイト中だ。

「ねえアルベルタさん、今日はクラリッサさんからの出前要請はまだなんです?」

「そういやまだ連絡来てないわねえ。時間はそろそろなんだけど」

「まあどのみちすぐ連絡があると思うし、先に持っていくかな。こんな時間まで連絡来てないってことは、結構忙しいんだろうし」

「かもねえ。ポットは用意したし、アンタも食材くすねて何か作ってるんだろ?」

「げ、バレてる」

「バレないわけないでしょうが。まあいいわよ、持っていきなっ」

 アルベルタおばさんの太鼓判を貰って、オレは余り物の食材で作ったホットドッグを二つ持って、ドイツ軍の基地を自転車で走る。一つはクラリッサさん用で、もうひとつはオレ用だ。今日はちょっと腹が減ってたし、いつもクラリッサさんが食べ終わるまで待っているので、どうせなら一緒にいただこう。食事するなら一人より二人だしな。

 いつもの守衛さんが何も言わずに通してくれたので、そのまま中に入る。全身を一瞬でチェックするモノリスを通過し、中に入る。

 外よりも冷たい気がする合金製のドアが開くと同時に、中に入る。

「Scheisse!」

 いきなりドイツ語の悪態が聞こえてきた。

 ドンと誰かにぶつかる。ここでぶつかるのは女の子しかいない。

「うわ、すみません!」

 相手はオレに当たって尻もちをついたようだ。慌てて手を差し伸べると、眼帯をつけた銀色の髪の少女がへたり込んでいた。

「誰だキサマ」

「あ、えっと食堂の出前です」

「ふん」

 鼻息荒く吐き捨てると、銀髪の少女が立ちあがろうとする。だが、そこでフラついた。よく見れば顔色が良くない。壁にもたれかかりながら立ち上がると、オレを睨む。

「どけ!」

「うわっ」

 左手で押しのけられてオレは少しよろける。それに構わず、彼女はフラフラと外へと歩き出した。

 確かラウラ・ボーデヴィッヒだっけ。オレと同い年の少女だが、背中を見るかぎり、ずっと小さく見える。

 うーん。

「クライネ・ダーメ」

 若い軍人さんに教えてもらった言葉でオレが呼びかけると、ラウラ隊長がゆっくりと首だけをオレに向けた。

「なんだと?」

「ほい」

 手に持ってたホットドッグを緩い角度で投げる。

「お、おっと」

 二、三回お手玉をした後、無事それは彼女の両手に乗った。

「いつも頑張ってる軍人さんに、食堂からのサービスです。それじゃ」

 それだけ言ってオレはクラリッサさんの部屋を目指す。

「お、おい」

 小さな隊長が何かを言っているが、突き返されても困るし、無視しておこう。

 

 

 

 そのまま早足でクラリッサさんの部屋に入った。

「連絡もしないうちに来るとはな。我が軍の兵站はイタリアにも勝るな」

 少し疲れた顔で気のないジョークを飛ばしてくる。

「今日はホットドッグ持ってきました」

「すまんな」

「ドイツだとフランクフルターでしたっけ」

「ありがたい。今日は凄く疲れていたからな!」

 オレの手から受け取ったホットドッグを一つ口に入れて、安堵したような溜息を吐く。

「はあ……イチカのおかげで今日の疲れが癒される」

「はい、コーヒーもどうぞ。何かあったんです?」

「今日は入隊希望者のテストだったんだがな。どうにも見込みがなくて。これはコーヒーとも合うな、すばらしい!」

「はあ。ラウラ隊長でしたっけ。彼女も疲れてましたね」

「隊長は昨日から休みなしで働いていたからな。スケジューリングが上手くないせいもあるのだろうが、昨日は空軍のIS部隊と全力演習までしてきたらしい。そのままこっちへトンボ返りして入隊試験に一日付き合っていた」

「真面目なんですね、あの子」

「任務にはな。だが、入隊試験の出来が悪かったせいで長引いたのだ。食事を取る暇もなかった」

「あ、じゃあちょうど良かったかな。もう一個あったんで、あの子に渡しておきました」

「む……失礼な口を聞いてないだろうな?」

「そ、それはちょっと自信ないかも。若い軍人さんに教えてもらった言葉で声かけたんですけど」

「何て言ったんだ?」

「クライネ・ダーメ」

 オレの言葉に、クラリッサさんの顔が険しくなる。

「お前、本当にそう呼びかけたのか」

「え、ええ? ダメでした?」

 ダーメって日本語と同じ意味じゃないよな?

「それはな、日本だと『オジョウチャン』とかそういう意味なんだ。小さい子にかける言葉だぞ」

「ホッ、間違ってなかった」

「イチカ……」

 大きくため息を吐く。

 あれ、ダメだった?

「お前はピンと来ないかもしれないが、あの年で少佐になろうともいうべきお方に『お嬢さん』はさすがにどうかと思うぞ……」

 うん、何か知らんけどダメだったらしい。

「す、すみません」

「イチカ、それはもう使うなよ。特に隊長にはな」

「や、ヤー」

「よろしい。あと間違っても自分が織斑一夏だと名乗るな」

「へ?」

「隊長はお前の顔を知らないようだ。写真で見たことぐらいあったと思ったが、見てないようだな。会う機会もなかったしな」

「りょ、りょうかい。気をつけます」

「さすがに一般人に何かをするとは思えんがな」

 クラリッサさんが大きなため息を吐く。どうにもオレとラウラの関係は頭痛の種の一つらしい。

 お世話になってるし、迷惑はかけないようにしよう……うん。

 

 

 クラリッサさんの部屋を出て、建物の出口に向かう。いつも通りモノリス上の黒い金属板に近づいて、全身チェックを受けて出ようと思った。

「動かん」

 普通なら問答無用で赤外線照射してくる機械が、何もしてこない。

 壊れてるのか?

 仕方なしにクラリッサさんの部屋に戻って、違う出口を教えてもらおうと通路を遡る。その途中で、圧縮された空気音を発しながら、いきなり重いドアが勝手に開いた。

 誰か出てきたら道を教えてもらおうと思ったが、誰も出てこない。

「センサー類が故障してるのか? すみませーん、誰かいますかー?」

 部屋を覗きこむが、誰の姿もない。

 ……ん?

「部屋の中から、誰かに呼ばれたような……」

 気のせいか?

 首を傾げながら、オレは部屋に入った。誰かが倒れたりしてないだろうな。

 いきなり天井のライトが光る。まるでスポットライトのように二つの明かりが交差する場所に、『それ』はいた。

「黒い……IS?」

 たぶん、この部隊で使ってるISだろう。

 インフィニット・ストラトス。篠ノ之束さんが開発したマルチフォーム・スーツの名称だ。その圧倒的な武力により、世界中の軍事を塗り替えた兵器である。

 何故か男には全く反応せず、女性だけが動かせる。なぜそうなのかは、束さんにもわからないらしい。

「呼んだのは、こいつか?」

 バカな、と思いながらも、オレの足が勝手に動く。

 ダメだろ、こんなところに勝手に入ったりしちゃ。

 理性ではわかってるんだが、オレの体はどんどん進んで行く。

 そして、ISの目の前に立つ。

 黒い機体。まるで中世の甲冑に無骨な近代兵器をつけたかのような、そんなスタイルだ。

 オレは何かに導かれるように、それに触れた。

「わかる……これが、何なのか」

 小さな少女が泣いてるようなイメージが脳内に浮かび上がる。だがそれはすぐに消え、同時にISの操作方法が頭に張り付いて行った。

 背後からバタバタバタという慌ただしい足音が聞こえる。

「レーゲンを勝手に動かしてるのは誰!?」

「って、イッチ?」

「え、うそ、レーゲンが、男に反応してるの?」

 いつもこの建物内で見かける女の子たちが、茫然とした表情で立ちすくんでた。

 女性しか反応しないはずのインフィニット・ストラトスが、何故か男のオレに反応している。その事実に愕然としているようだった。

 

 

 

 こうして、オレこと織斑一夏の波乱の人生の本編が今、幕を上げたのだった。

 

 

 

 オレは平たく言えば、拘束されていた。

 目隠しをされて、冷たいパイプイスに座らされ、手は後ろで縛られている。連行されるときも、建物の外に出てはなかったから、まだドイツ軍のIS兵舎内だと思う。

「ごめんね、イッチ」

 この声はリアか。クラリッサさんと仲の良い子ので、話すことは多いし、コーヒーを届けに行くときに同席することもある。

「逃げる気ないんだけどなあ。もうちょっと緩めてくれないか、リア」

「そうして上げたいんだけど、ごめんね」

「あのISは?」

「ごめんね、秘密なの」

「あ、そう」

 さすが軍人だ。

「オレ、どうなるんだ? さすがにこのままってことはないよな?」

「織斑教官が日本からこっちに向かってるし、副隊長も庇ってるから大丈夫だと思うけど、その……隊長がね」

「あ、ああ」

 銀髪の小さな少佐さんか。オレと同い年の。そういやあのISに触ったときに一瞬だけ見えた女の子、ちょっと似てたな。

 ブザーが鳴ると同時に、圧縮空気が解放される音が聞こえた。ドアが開いて、誰かが入ってきたようだ。

「こいつが織斑一夏か」

 冷たいドイツ語だが、声自体は幼さが取れない感じだ。たぶん、あの少佐だろう。目隠しされてるから、他に誰がいるかまでわからないけど。

 乾いた足音が響く。近づいてきてるんだろうか。

「がっ!?」

 いきなり殴られたぞこのヤロウ。

「これ以上、織斑教官の顔に泥を塗る気か」

「いってえな」

「ふん」

 顎を掴んで強引に顔を引き上げられる。その拍子に目隠しが右目の分だけズレた。

「……キサマはさっきの」

「どうも。美味かったか?」

 頬がヒリヒリ言っている。

 こいつはオレが織斑一夏だって気付いていなかったみたいだ。

「……クラリッサは?」

「基地司令部の長官殿のところに行っています」

「使えんやつだ」

 ムカっ。

「クラリッサさんはいつもアンタのことを心配してるぜ」

「軍人に必要なのは強さだ。副官は黙って従えばいい」

「あーそうかい」

 ムカムカッ。

「お前がどんだけエリートか知らねえけど、そういう態度じゃ部下はついていかねえよ。少なくともオレは嫌だね」

「私もお前のような部下はいらんな。ふん、男のくせに」

「男も女もねえだろ。こういうことには。筋が通っていないのは許せねえんだ」

 右目だけで精いっぱい、目の前のラウラ・ボーデヴィッヒを睨む。それにムカついたのか、相手はもう一回オレを叩こうと右手を振り上げる。

「た、隊長。まだ彼に関しては調べがついていません。あまり勝手をされては」

「うるさい!」

 ラウラが振り被った手でリアを撥ね退ける。

「きゃっ」

 短い悲鳴を上げて、リアが床に倒れ込んだ。

「てめえ!」

「何か文句でもあるのか。ここは軍隊だ。上官に従わないなら」

「そんなこと教えたかよ?」

「ん?」

「千冬姉が一度でも、そんな暴力をしろって教えたかって聞いてるんだよ!」

 断言しよう。千冬姉はわりと理不尽だが、そういう威張り腐った殴り方はしない。相手が嫌な気持ちになるような暴力を振るわれたことは、少なくともオレはない。

「キサマのような不出来な弟が、教官を語るか!」

「ああ語るさ! 千冬姉はオレの姉だ。弟が姉を語らなくて誰が語るってんだ」

 オレにとっての家族は千冬姉だけだ。

「キサマのせいで、教官の輝かしい経歴に汚点がついたというのにか。キサマなど助けずに行かなければ良かったのに」

「それは……」

 一年以上前、オレは謎の集団によって誘拐された。それはISの世界大会の決勝のときの話だ。千冬姉はドイツ軍の情報提供の元、オレを助け出した。結果、誰もが確実視していた第二回大会の優勝を逃すことになった。

 オレが汚点、と言われればそうだろう。

 誘拐されたのも、オレが弱いせいだ。弱いせいで友達まで危ない目にあった。だからオレは逃げるようにドイツまで来て、日本に帰る決心がつかない。

「何も言い返せないか」

「……確かにオレが弱かったし、そのせいで千冬姉は優勝を逃した。だけどな」

「なんだ、言ってみろ」

「だけど、千冬姉が人を助けたことまで、否定してんじゃねえよ!」

 そうだ。千冬姉は自慢の姉で、弟を見捨ててまで優勝を取るような人間じゃない。もしこれがオレでなくても、千冬姉はきっと助けに行ったと思う。オレたちとまるっきり関係ないヤツを盾に取られていても、きっとオレの自慢の姉は、それを助け出したはずだ。

「オレの代わりにお前が人質に取られてたって、千冬姉はきっと助け出したはずだ! そういう人なんだ。それを否定するようなヤツが、千冬姉の教え子を名乗ってんじゃねえ!」

 自分が弱いのを詰られるのは良い。否定も出来ないし、至極真っ当な指摘だ。だけど、千冬姉の行動まで他人に言われる筋合いはねえ。

「き、キサマ……良い度胸をしているな! ここで略式軍事法廷にかけられても、文句は言えん身だぞ」

「だからって、そこを曲げちゃ、オレはもっと弱くなる! さっき殴ったことをリアに謝れ!」

 ラウラがオレの襟首を掴むと、無理やりオレを立たせる。

「良い度胸だ。だが、弱い者に発言権などない」

「弱いヤツの声を聞かなくて、何が強さだ!」

「口だけはペラペラと回る。だが、ここは軍だ。私はここの責任者でキサマは侵入者であり、軍事機密に勝手に触れた。それは間違いではないな」

「ぐ、それは、そうだ」

「ではそうだな、一つ、条件を出そう。ISを動かしてみせろ。何でもキサマに反応したそうではないか」

 そう、あの黒いISはオレに反応して起動した。だが、だからと言ってオレが軍事機密に触れたことも確かに法に触れることだ。

「ISを動かしたら、リアに謝るのか」

「何でもしてやろう。男のお前がISを動かせたならな」

 目の前の少女が挑発的な笑みを浮かべる。乗せられた気がしないでもないが、だが曲げられない筋がオレにだってある。

「動かしてみせるさ。力ってのは、いつだって求めるヤツのところに来るもんだ」

 

 

 

 再びオレは黒いISの前に連れて来られる。

「これはシュヴァルツェア・レーゲン。私の専用機となる機体だ。まだフィッティングは済ませてないがな。ゆえに誰でもまだ起動が可能な状態だ」

「……かっこいいな」

 思わず素直な感想を漏らしてしまう。

「は?」

「いや、確かにお前が装着したら似合いそうだと思っただけだ」

「な、何を言ってる?」

「これを動かせば良いんだな」

「ああ。おい」

 ラウラが指で合図すると、控えていた隊員たちが周囲のコンソールを操作し始める。ISを乗せたキャリーの腕が動き、ISの真ん中にちょうど人が乗れるスペースが開く。

「ほら、やってみせろ」

「わかった。ただし条件がある」

「なんだ?」

「動かせなくても罰はオレだけで済ませろ。ここのドアは勝手に開いたんだし、オレが入ったのもオレの勝手だ」

「ほう、まあ良かろう。ただキサマにはスパイの容疑もかかっているのを忘れるなよ」

「何でもいいさ」

 ゆっくりと歩き、ISの横に立つ。小さなタラップが用意してあり、そこからISの脚部に足を入れられるようになっている。

「ね、ねえイッチ、今からでも隊長に謝ろうよ」

 先ほど、ラウラに叩かれたリアがオレに小声で話しかけてくる。

「嫌だ」

「イッチ!」

「オレはいい。だけどリアを殴ったのは許せない」

「……イッチ」

「それとイッヒみたいな呼び方はやめてくれ。オレはイチカ、織斑一夏だ」

「イチ……カ?」

「そう、一夏」

「イチカ、でもISは男の子には……さっき反応してたのも何かの間違いだよ」

「……たぶん大丈夫だ」

「大丈夫って……」

 チラリとラウラを見る。オレを蔑むような挑発的な顔を浮かべたままだ。

 だけど、オレには確信がある。何故かはわからない。だけど、この黒いIS、シュヴァルツェア・レーゲンはきっとオレの呼び声に答えてくれる。

「よし」

 タラップからジャンプしてISの脚部装甲に足を入れる。キャリーに固定されていた腕も装着する。

「さあ、やってみせろ織斑一夏」

 ラウラ・ボーデヴィッヒが挑戦的な言葉をくれる。

 やってやる。やれる気がする。

「……動け、シュヴァルツェア・レーゲン!」

 黒い雨、という機体に呼びかける。

「ふん、やはり動かないではないか」

 何の動作も起きないし反応もしない。

 ……さっきは確かにこれが反応したはずだ。何でだ。

「おい、動けよ、頼む動いてくれ」

「無駄だ男にはISは動かせない。それが定説だ」

 くそっ、動け!

 ガチャガチャと腕を動かそうとするが、一ミリたりとも動かない。

 動いてくれ、頼む、動いてくれよ! もう嫌なんだ! 何にも力がないのは! あんな思いをするのは嫌なんだよ!

 オレが誘拐されたとき、近くにいた友人は果敢にもオレを助けようとした。だけど、銃を向けられた。

 本当に嫌だった。もし引き金が引かれて、その弾丸が友達に当たってたなら、死んでたかもしれない。そのときのオレは、男たちに手足を掴まれ、身動き一つ出来ずに見てるだけしか出来なかった。あんな無力感はもう二度と、味わいたくない。

「ふ、ふふふ、ハハハハハッ、無様だ、無様だな織斑一夏!」

「くそ、動いてくれ、オレに、オレに何かを守る力をくれよ、シュヴァルツェア・レーゲン!」

 心からの渇望を叫びに変える。

「え?」

 ISの隣に立ってコンソールに注視していたリアが驚きを漏らした。

 それと同時に、ISの発する低い電子音が部屋に響く。

「うご……いた?」

 脚部装甲の一番上、足と接触していた部分が急速に閉じて、開口部がオレの太ももと同じサイズになった。腕部装甲も同様にオレのサイズまで締っていった。

「フィッティングを……開始しているのか?」

「そんな、何もしてないのに」

 黒兎隊の隊員たちの驚きをよそに、オレの胴にも装甲が密着し、頭にも機器が現れる。視界に仮想ウィンドウがいくつも現れ、ドイツ語の文字が現れては消えていった。

 ゆっくりと、オレは足に力を入れる。ISの脚部が動きだし、オレは真っ直ぐと立ち上がった。

「動いてる……そんな、男の子なのに」

 ISがオレに答えてくれた。

 ゆっくりと手を握ろうとすると、ISの手が思った通りの動きをする。

「は、ははははっ」

 はぁ……動いて良かった。

「バカな……」

 驚きで声を無くしたラウラに向かって、オレはレーゲンの腕を伸ばす。

「どうだ! 動かしてやったぞ、ISを!」

「な、なぜだ!」

「なぜって言われても困るが……うーん」

 ポリポリとISの腕で頭をかいてみる。思った通りに動いた。これがインフィニット・ストラトスか。

 って、あれ?

「い、イチカ?」

「足が勝手に……おわわわ」

 オレが何も意識していないのに、シュヴァルツェア・レーゲンがラウラに向かって歩き出す。

「な、なんだ、なぜこっちに」

「い、いや、ISが勝手に! くそ、止まれ、止まれよ!」

「くっ」

 ラウラがいつでも回避できるよう腰を落として身構える。

 ISが一歩一歩、フラフラと歩いて彼女に近づいていった。

「き、緊急停止!」

 黒兎隊の女の子たちが空間に浮いたホログラムディスプレイ上のボタンを押す。

「ダメ! 効かない!」

 しかしレーゲンは歩みを止めない。

「これは、暴走?」

「隊長! 逃げてください!」

 ラウラは無暗に駆け出さずに、冷静に隙を窺っているようだ。

「と、止まれ、止まってくれ!」

 オレの叫び声とともに、黒いISは片膝をついて上半身を倒した。

「な、なんだ?」

 その姿はまるでラウラに誓いを立てる騎士のようだった。

「なるほどな。オレが嫌いってことか」

「は?」

「この機体、早くラウラに着て欲しいみたいだぜ」

 何となくISの言いたいことがわかった気がした。

「何を言っている、キ、キサマ!」

「はははっ、なるほどな。こいつは良い機体だ。たぶん、きっと大丈夫だ」

「え?」

 オレはISとともにかしずいたまま、顔だけ上げた。

「お前を守りたいってことさ」

 このISが。

 ポカン、と口を開けたラウラの顔は年相応でちょっと可愛かった。いつもそうしてれば、隊員たちにも慕われるだろうに。いや、それはさすがに間抜け過ぎるか。

「な、ななななな」

「ん? どうした顔を真っ赤にして。疲れてるのか? オレのやったホットドッグ食ったか?」

「あれは中々美味かったが……」

「そりゃ良かった。また差し入れてやるよ」

「そ、そうか、それはありがたい……って、何を言わせる、このバカが!」

 ラウラが拳を振り上げた。

「へ?」

 その瞬間、ISがなぜか動作を停止した。そして操縦者の剥きだしの体を守るはずの皮膜装甲も何故か動作せず、ラウラの小さな拳がオレの頬に突き刺さる。

 このIS、オレがラウラと話したことに嫉妬してるのか?

 そんな馬鹿なことを考えながら、オレの本日の意識は閉店となりました。

 

 

 

 目を覚ましたオレが体を起こすと、目の前に何故か千冬姉がいた。

「起きたか馬鹿者」

「な、なんでここに」

「お前のせいで日本から直行してきた。まったく困ったやつだ」

 体を起して周囲を見回すと、オレの部屋の中だった。

「えーっと?」

「ISを動かしたそうだな」

「あ、ああ」

「まったく何がどうしてそうなる」

 心底呆れたように、大きなため息を吐かれた。

「す、すみません」

「さて、お前の身の振り方だがな」

「あ、うん」

「ISを動かせることは秘密にしろ。明日からは、お前はドイツ特殊部隊付きの専属コックだ」

「って、ええええ? 黒兎隊に入れってこと?」

「そういうことだ。良かったな就職おめでとう」

 ちっとも嬉しくねえ!

「ど、どうしてそうなったわけ? 意味がわからん。ちゃんと説明してくれよ千冬姉」

「お前はまた狙われることになるかもしれん」

「……今度はオレ自身が狙いで誘拐されるかもしれないってことか……」

「日本にどうしても帰りたいなら手配はするが」

 千冬姉がチラリとオレの顔を見る。

「それは……ごめん、千冬姉」

「好きにすればいい。元々、そういう約束で残したんだからな」

 もう感謝の言葉がいくつあっても足りないぐらいだ。こんな状況になっても、オレの我が儘を通してくれるなんて。

「でもドイツ連邦軍もよく外国人の入隊なんて許したなあ」

「実験体みたいなもんだからな」

「え? 今なんて」

「頑張って生き残れよ」

「ち、千冬姉!?」

「大丈夫だ、お前は私の弟だ」

「いや説得力ねえよ!?」

 わりと理不尽だが、これでもオレのために裏で精いっぱい動いてくれてるんだろう。

「千冬姉」

「なんだ」

「……もうちょっとドイツで頑張ってみる。もう少しだけ自信がついたら日本に、IS学園に入れてくれ」

「わかった。では私は日本に帰るぞ」

「え? もうちょっとゆっくりしていけば」

「仕事が山積みだ。ではな」

 千冬姉は本当にオレのためだけに飛んできてくれたんだ。

「ありがとう、千冬姉。世話ばっかりかけて」

「弟の世話を焼かん姉がいるか、馬鹿者」

 それだけ言って、千冬姉はドアを閉めて出て行った。

 うし、じゃあ頑張りますか。

 

 

 

 オレはまだ納品されたばかりの二号機、シュヴァルツェア・ツヴァイクを装着する。

 装備はまだデフォルトということで、この間のレーゲンと違いはほとんどない。

「ふむふむ、レーゲンとはあんまり変わらないみたいだな」

「気分が悪かったりしないか?」

 クラリッサさんが腕を組んでオレを見上げている。

「問題ないです。えっと何をすれば?」

「とりあえずはお前のデータ取りだな。何せ未知数すぎる。男がISを動かせるなど」

「どうすればいいんです?」

「今日はこのまま、黙って立ってろ。こちらでデータ取りをしていく。何かしなければならないときは、こちらから指示をする」

「えっと、どれくらい?」

「一日中だ」

「……うへぇ」

 思わず情けない声が出てしまう。

 しかし暇だな。今日の献立ぐらい考えておくか。何せコック兼実験体だから……。

「一夏、少し手を動かしてみせろ」

「あ、はい」

 無難にドイツ料理にしとくか。この間食ったコルドンブルー・シュニッチェル美味かったなあ。挑戦してみるか。チーズとハム挟むんだから、揚げ方にコツとかありそうだよな。アルベルタさんにあとで聞いてみようか。

「一夏、手がを動かせとは言ったが、フライパンを動かす真似はしなくて良い」

「あ、すみません」

 手が勝手に料理を始めていたようだ。

「軽く歩け。この部屋を一周しろ」

「はい」

 恐る恐る足を踏み出す。足が普段より長くなるけど、それでも普通に歩くのと変わらないな。

「ふむ」

「どうしたんです、クラリッサさん」

「お前」

「はい?」

「下手くそだな」

 ガックリ。いや、まだ二回目だし上手いとか思ってないけどさ……。

「すみません」

「謝ることではない。ただ、あんまり妙な癖をつけるなよ。その機体は私の専用機になるのだからな」

「変な癖?」

「ISは搭乗者に合わせて進化していく。ただ、多人数が交代で乗る場合はそれらを平均化していくようだからな。お前が走るのが速くて、私が飛ぶのが上手いとするだろう。そうすれば、経験は両方を平均化した形で積み上げられていく。まあ簡単に説明するとこんなものだ。実際にはもっと複雑なフラグメント構造とパラメータ蓄積が行われるのだが、まだ素人のお前にはそれぐらいで良い」

「逆に飛ぶのが上手いやつが使い続けると、どんどん速くなっていくってわけか」

「そういうことだ。リア、どうだ?」

「副隊長、やっぱり変ですね」

「変というと?」

「うーん、それとも男性と女性での脳構造の違いのせいなのか、イチカの個人的思考なのか、どうにも」

「ん?」

「一夏がやると不器用な感じに育ちそうです、このIS」

「……そ、そうか」

 何か色々言われているけど、大丈夫なのかオレが乗って。

「えっとリア、つまりどういうこと?」

「イチカが乗り続ける機体はたぶん、近接型特化になる傾向があるよってこと。普通はこんな風なパラメータ成長していかないはずなんだけど。ちょっと乗っただけなら、大体は全体的に少しずつ神経伝達速度が平均的に少しずつ伸びていく感じなんだけど」

「脳筋ってことか」

「ノウキン?」

「脳みそが筋肉で出来てるバカってこと」

「あー。なるほど」

 クラリッサさんがリアの横からホログラムウィンドウをしげしげと見つめている。

「ふむ、傾向としては、教官に似ているな。傾向としては暮桜のフラグメントマップと同様な感じを受けるな」

「あ、そうかもしれませんね」

「飛んでみなければ何とも言えんが」

「しかし姉弟と言っても、同じ風に育つものなんでしょうか? ひょっとしてイチカの場合、織斑教官の弟だから動かせるとか」

「安易な結論を出すのはやめよう。推測もだ。何せ世界で初だ。慎重にことに当たろう」

「副隊長?」

「お前らも扱いはいつもより厳重にしろ。この単純な計測データすら、計り知れない価値があるからな。ISを動かせるという男のデータ、何億で売れるか想像もつかん。それゆえの外国人の仮入隊だからな」

「や、ヤー」

 全員が返事をする。

 う、うーん、実はこれってすごいことなのか、やっぱり。

「一夏」

「や、ヤー」

「絶対に喋るなよ。男性IS操縦者という自分の価値を見誤るなよ」

「わかりました。そ、そういえば隊長は?」

「ボーデヴィッヒ隊長はメッサーシュミット・アハトの受け取りに行っている」

「メッサーシュミット?」

「ドイツ連邦陸軍のポンコツISだ。第二世代初期型の機体でな。本来ならISコアのリセットを行って新機体に換装する予定だったんだが、欧州軍のコンペが近くて、何も出来んのだ」

「コンペ?」

「イギリスのBT実験機、イタリアのテンペスタII、そしてこのシュヴァルツェア。これらの機体のどれかを欧州軍の標準機に採用するコンペティションだ。アハトもコアをリセットして、第三世代機に乗り変えようとしているのだが、長期運用的な実用性がどれもまだまだだ。つまり今はちょうど、谷間の世代というわけだ。迂闊に第二世代に換装するわけにもいかん。かといって、次に標準機になる第三世代の機体も決まらん。かといってテストするほどの内容もない古い機体だ」

「ははぁ。使い道のない機体ってことですか」

「ISコアをリセットして換装するのもまた連邦議会の予算案を通さねばならん。下院はともかく上院に軍縮派が多い今では、うかつな予算申請は自らの首を絞めるだけだ」

「で、遊んでるロートルの機体を借りて練習用にするわけですね」

「まあな。しばらくはお前の機体だから、大事に使えよ」

「へ?」

「良かったな。そんな古いISを今だに使ってるやつなど、世界に数えるほどしかおらん」

「せ、専用機を貰えるってのは嬉しいけど……」

「データ取り用だ。それでもボーデヴィッヒ隊長自ら受け取りに行ってるのだぞ、感謝しろ」

「や、ヤー」

 いきなりガンダムを貰えるほどIS界は生易しくないようだ。まあ、わかってたけどさ。

「噂をすれば」

 リアがウインドウをいくつか立ちあげる。その中の一つに、銀髪の隊長が映っていた。全員が姿勢を正して敬礼をする。

「お早いお戻りで」

『そうでもない。書類は全部、後でクラリッサの元に届く』

 副隊長の眉が一瞬、ピクリと動いた。顔が心なしか引きつってるように見える。

『馬鹿はいるか』

「います」

 いや、それで通じちゃうのかよ。

『あと二時間で戻る。準備させておけ』

「ヤー!」

 ウィンドウが閉じられると、全員が大きなため息を吐く。

「みんな、ラウラ隊長が苦手なんだ」

「得意な人なんていないよぅ」

 そこで初めて女の子たちが視線をディスプレイから外し、うんうんと頷いて同意を示した。

 クラリッサさんだけが少し困ったように帽子を脱いで、くるくると指で回し始める。

「まあそう言うな。あの方も気を張っているのだ。十五歳で少佐などに抜擢されるなど、並大抵の人事ではないからな」

「でも副隊長……ホントなら副隊長が」

「私は器ではないよ。ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長なら、ひょっとして織斑教官と同じぐらい強くなるかもしれないが、私には無理だ」

「副隊長は努力家ですのに」

「甘く見るな、隊長は誰よりも努力家だぞ。本来ならISになど乗れる適正はなかったのだからな」

「へ?」

「彼女は、本来ならIS適正はDランク以下だ。最初はそれはもう酷かったものだ。二メートル先の的に弾が当たらなかったのだからな」

「ええええ?」

「だが、織斑教官と出会ってからメキメキと実力を伸ばしていった。努力も並大抵ではなかったぞ」

 エリート中のエリートというイメージがあるんだけど、あの子って実は相当な頑張り屋なのか。まあ真面目そうだしなあ……。

 でもだからこそ、千冬姉を崇拝しきってるってことか。もっと自分の頑張りを認めてやればいいのに。

「まあそういうことだ、一夏、キサマも隊長には敬意を持って接するように」

「わ、わかりました」

 ……ちっちゃくて可愛いので、そんなイメージを抱けないんだが、そこは努力しよう。

「今日のデータ取りは中止だ。残りはメッサーシュミット・アハトの受け入れ準備に入る」

「ヤー!」

「まずいことにならなければいいが」

 クラリッサさんが不穏なことを言い始める。

「まずいことって……」

「前に、お前が女でなくて良かったと言ったな」

「あ、はい」

「お前は女ではないが、男でISを動かせてしまった。つまり訓練にかこつけて何か仕掛けてくるかもしれない。私も可能な限り気をつけるが」

 つまりこの間の、ISを動かしてみせろって件は、どちらに転んでもラウラにとっては都合が良かったのだ。もしオレがISを動かせても自分で私刑できるように、と。

「とりあえず何とか生き延びます」

「お前に何かあれば教官に申し訳が立たん。頼むぞ、無事にな」

 とはいうものの、いつかは超えないといけない壁ではある。何とかラウラと仲良くなれればいいんだけどな。

 

 

 

 三人の隊員とともにオレこと織斑一夏は、ヘリからロープで降ろされたコンテナの中身を開ける。

「こ、これは……」

 白い息とともに複雑な驚きが口から零れた。

 そのISは、印象で言うなら、これはたぶん二十世紀中盤のビートルとかまさしく第二次世界大戦中のメッサーシュミット社の複葉機っていうか。迷彩色に塗られた宇宙服の胴体と顔の部分を無くしただけっていうか……。

「さすが第二世代最初期タイプ……」

「動くの?」

「たぶん……この間まで現役だったわけだし」

 ロゴ入りのトレンチコートを羽織った黒兎隊の女の子たちの顔も引きつってる。

 ふむ、と一つ頷いてクラリッサさんの言った言葉は、

「ボト○ズ?」

「あー同じ感想でした。ボ○ムズっぽいですよね」

「うむ……」

 ていうか、よくそんなアニメ知ってたな、クラリッサさん。

 如何にも鈍重な印象を与える機体だ。背中に推進翼の類はなく、腰にあるスラスターで飛ぶタイプだろう。同じ第二世代機の暮桜や最後期のラファール・リヴァイヴなどとはまるで違う。

 いや、嫌いなデザインかって言われたら割と好きなデザインだけどさ、ボトム○。

「ではフィッティングに入れ。明日は演習場でテストだ」

 ラウラはそれだけ言って歩き去っていった。ただ、オレの顔を一瞥して不敵な笑みを浮かべたことだけが気になる。

「んじゃ運びますか。イチカ、格納庫まで頑張って」

「へ?」

「この子の乗ってるキャリー、人力だから」

「……マジすか」

 確かにただの台車にしか見えない。

 トレンチコートを脱いで、ISにかけると、台車に手をかける。

「い、行きます。ぐおおおおお!」

 力いっぱい押しても、四つん這いの赤ちゃんぐらいのスピードしか出ない。

「はいはい、頑張って、アイン・ツヴァイン」

 リアが楽しそうに手を叩きながら、声援を飛ばしてくる。他の子たちも同様だ。

「アイ……ン、ツヴァイン……!」

 腰が折れそうだ。

 昔の人、と言っても数年前はこんな感じでみんな作業してたわけか。ISのテクノロジーは日進月歩つーけど、これはマジできつい。

 でも、これがオレの第一歩だ。強さを手に入れるための。

 

 

 シュヴァルツェア・ツヴァイクの横まで運び込んだメッサーシュミット・アハト、通称『8(アハト)』に隊員たちがケーブルを繋いでいく。

「この子、センサー系はしっかりしてるね」

「初期はどんな些細なデータも取ってたらしいし、どのデータが重要かどうかすらわからなかったらしいしね」

「良い勉強になるかも」

 手際よく端末やホログラディスプレイにタッチしながらケーブルを繋いでいく。

「うわーコアナンバー二桁! しかも三十番だって。すっごい古い機体じゃない?」

「二桁コアなんて、初めて見たかも」

「三十番なんて、超レアよ超レア」

 彼女たちは楽しそうに会話しながらも、手は全く止まることがない。さすがエリートだと感心してしまう。

「あれ、もう全然初期化してないじゃない、これ。ちゃんとしてほしいよね、そういうとこ」

「初期化?」

「前の搭乗者の情報が残ってるってこと。ISは搭乗者に合わせてフラグメントマップ、まあ遺伝子みたいなものかな。それを構成しながら、その情報に合わせて進化してくからね」

「へー。さっぱりわからん」

「要するに、前の人が使った個人の癖がいっぱい残ってて使いづらいってこと。汎用機なら平均化できるけど……あ、これ、専用機だったのかな」

「誰が使ってたの?」

「待ってねー……って、え?」

「どしたの?」

「……最後に専用機にしてたのは、ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長だ」

「ええええ?」

「でも空白期間が一年近くあるね」

 つまりこの機体は、ラウラのお古らしい。その関係で簡単に借りてこられたんだろうか。

「うーん、どうする? フラグメントマップ、消しちゃう?」

 リアがコンソールをいじりながら、オレに問いかけてくる。

「時間かかるのか?」

「ちょっとかかるかも。でも隊長だったら、妙な癖は残ってなさそうかな。何だかんだでISの操縦はすごい上手だし」

「じゃあそのまま使おう」

「いいの?」

「問題ありそうなら、時間を取ってリセットするとか出来るの?」

「出来るよ。でも一応、副隊長に許可もらっておくね」

 女の子が端末を触ると、クラリッサさんの顔が空中に画面に出てくる。会話はすぐ終わったらしく、

「好きにしろだって」

 と肩をすくめながら言ってきた。

「じゃあこのまま行こうか」

「ヤー。んじゃイチカ、入っちゃって」

「ヤー」

 オレはタラップに足をかけ、アハトの中に滑り込む。腕と足の開口部がオレのサイズにまで閉じられた。

「フィッティングデータは上書きしていくね。違和感があったり気持ち悪かったりしたら、教えて」

「今のところ大丈夫だ」

「んじゃ続けていくよー。腕動かして」

 低いモーター音のような音が聞こえる。

「うわ、この機体、動力補助なんて無駄な機能つけてる」

「動力補助?」

「うん、電子モーターでISの力を増幅させようって機能。電子モーターなんか使わなくたって充分に力はあるし、この補助動力つけたって、パワーは1パーセントも上がらないの」

「なんでそんなものつけてんだよ、これ」

「軍の技術部の見栄だよ、あの時代はどうしてもISの優秀性を素直に認められなくて、オレたちがもっと強い機体にしてやるんだーって変な機能ばっかつけてるんだよね、主に男が」

「へー。シュヴァルツェアにも乗ってんの?」

「全然。だから言ったじゃない。男どもの見栄だって。自分たちの技術が素晴らしいんだって見せつけようとして、結局役立たずだって証明しただけなんだから」

「……気持ちがわからんでもないが、それで意味ないんじゃ、どうしようもないよな」

「そうそう」

 黎明期ならではの苦労なんだろうな、きっと。

 無駄口を叩きながらも、画面から一瞬たりとも目を外してないあたりがさすがだ。

 オレもオレで、自分の仕事に打ち込む。両手を持ちあげたり、左手と右手でジャンケンしてみたりする。

「思ったとおりに動くな、これ。シュヴァルツェアより相性いいのかも」

「えー? ツヴァイクとか凄い良い機体だし、アハトに負けてるわけないと思うけど」

「8(アハト)だと四倍だから?」

「ツヴァイクはツヴァインじゃないよ、ダジャレ好きなの? イチカ」

「そ、そんなことないぞ?」

 キョドってないよ?

 視界に浮かんでくるウィンドウもレーゲンに比べて古臭いデザインだ。透明度が低いのか、少し前方が見えにくく、古い車のメーターのようなグラフィックが視界の端に沢山並んでいる。

「んじゃ、二人で頑張りましょうか。なあ、ぱっつぁん」

「パッツァン? 何語?」

「日本語だよ。八がつく人間につけるニックネーム」

「ふーん。とりあえず足動かして、ちょっと準備運動でもしてみて」

「ほい」

 ゆっくりと足を一歩、踏み出す。

 これが初めて自分の意思で踏み出した一歩だった。

 

 

 

「結構な距離走ってますけど、どこに向かってるんです?」

 黒塗りの車の助手席で、隣の女の子に尋ねると、後部座席のクラリッサさんが、

「IS用の演習場だ」

 と答えてくれる。

「そんなのあったんですね」

「まあただの空き地だがな」

「あ、そうですか……」

「ただし全域を金網で囲まれ、警戒は厳重で無断で入れば殺される」

「……気をつけとこ」

 目的地に着いたのか、エンジンが止まる。全員が車から降りる。たしかにだだっぴろい何もない土地だ。一応、地面はアスファルトで舗装してあった。

「さむっ」

 今日の気温はマイナス7度だ。

「雪が降ってないだけマシだ。と言っても、もう少ししたら降るらしいがな」

「……ISスーツ着ないとダメですか?」

「乗れば暖かくなる。むしろ見ている私たちの方が寒々しいぐらいだ」

 先行したトレーラーの二台のウイングが開いていて、そこに多数の機材が乗っていた。よくわからんけど、兵舎の格納庫と同じぐらいは機材がありそうだ。

「では、展開してみせろ」

「いいんですけど、この待機状態、誰の趣味なんです?」

「知るか」

 もうそれは紛うことなく変身ベルトだった。仮面ライダーとかそういうのがつけてるやつ。

「来い、ぱっつぁん! ……あれ?」

「落ち着け。目を閉じて、ISを装着した自分を思い浮かべて、頭の中で撃鉄を起こせ」

「自分を思い浮かべる……撃鉄」

 ガチン、と脳内でリアルな音がした気がした。嫌な音だった。

 自分の体が自然と空中に浮く。四肢と胴体、そして頭部に緑の迷彩色で塗られた無骨な機体が現れた。

「おお、出来た」

「筋は良いな。だが銃は撃つなよ、下手が撃つと我々に当たる」

「は、はい」

「では飛んでみせろ」

「はい!」

 どんよりとした灰色の空を見上げる。

「クラリッサ副隊長!」

「なんだ」

「飛ぶって……どうやってやるんですか!?」

 その場にいた全員がズッコけた。あれー?

「……いやそうだな。我々の常識で考えていた。まずは一般的なイメージだと、角錐が頭上にあると思え。そして、それに引っ張られていく感じだ」

「角錐、ふむふむ。お、浮いた」

「ではそのまま頭上に飛び上がってみせろ」

「了解です」

 そのまま引っ張られるイメージね。

 ISに包まれたオレの体がゆっくりと浮いていく。

「上手上手」

 黒兎隊の女の子たちがパチパチと拍手をしてくれるが、それって「あんよが上手」状態じゃなかろうか。

『そのまま上空を軽く飛んでみせろ』

 声が届かない距離まで昇っていたらしく、クラリッサさんが通信で呼びかけてくる。

「ヤー」

 グルグルと上空を飛び始める。

『あんまり高く飛びすぎるなよ。見つかる』

「見つかる?」

『ああ。マスコミとか五月蠅いからな。長距離望遠レンズは欧州では所持を禁止されているが、それでも持ってるヤツが皆無とは言わん。あと最近は物騒だからな』

「物騒?」

『……まあIS乗りに伝わる噂だがな。亡霊のようなISがいるらしい』

「亡霊ですか……なんていうかその」

『言うな。ただ、確定に近い情報で一台のISの目撃情報があるのは確かだ』

「何なんです?」

『テンペスタII・ディアブロ、という機体だ』

「それって第三世代でしたっけ。てかテンペスタIIだと、新しい機体じゃないですか」

『ああ。黒いISでな。イタリア共和国空軍の実験機らしい。それが行方不明で、という話だ』

「それがまた何で」

『欧州各地で、演習中に襲撃された、という噂があるだけだ』

「パスタでも探してるんですかね。まあそれは置いておいても、この機体、弱いんですよね?」

『ああ。スペックで勝ってる機体を探す方が難しいぐらいだ。データ取りにしばらくかかる。高度を上げずに自由に飛んでいろ』

「ヤー」

 言われた通りに旋回したり八の字に飛んだりとグルグル回って色々試してみる。他のISをまともに操縦したことなんてないけど、このぱっつぁん、悪いヤツじゃなさそうだ。少なくともオレの思った通りに動いてくれる。

『……ボーデヴィッヒ隊長?』

 怪訝な声が聞こえてきた。クラリッサさんたちがいるトレーラーの方へ頭を動かすと、彼女たちの表情まで見える大きさに視界が拡大される。

 たしかにラウラ・ボーデヴィッヒだ。長い銀髪と黒い眼帯。いつも険しい表情をしている、オレと同い年の女の子。

『おやめ下さい、ボーデヴィッヒ隊長! まだ彼は』

 不穏な雰囲気になってきた。何やらラウラとクラリッサさんが言い争っているようだ。

「って、レーゲン?」

 ラウラがシュヴァルツェア・レーゲンを装着して、こちらを見上げる。その口元が不敵に笑った。

「ってまさか」

 次の瞬間、ラウラの機体がオレに向かって飛んでくる。腕にはプラズマブレードがついていた。

 慌てて回避しようとするが、速度が全然違う。その一撃が、オレのメッサー・シュミット・アハトの肩を抉った。

 錐揉みになってふっ飛ばされた機体を何とか立て直し、空中でシュヴァルツェア・レーゲンと向かい合う。

「何しやがる!」

「織斑一夏、遊んでやろう」

「なんだって」

「そのためにISを調達したのだからな」

「……そこまでやるか」

「教官の汚点、ここで教え子の私が引導を渡してやる」

 ブレードを構え、オレに向かって突撃してくる。振り下ろされる凶器を何とかかわすが、

「くそっ、スピードが全然違う!」

「当たり前だ!」

 何にも遮蔽する場所がない空間で、スピードの劣る機体じゃ何もできねえ。

「クラリッサさん、何か武器はないんですか!」

『腰の後ろに伸縮する警棒があるはずだが……くそっ、そんなものでは』

「ないよりはマシです!」

 言われたとおりに腰の後ろに手を回すと棒状の物体がある。掴んで抜き出すと、二メートルぐらいまで棒が伸びた。

 ISのシールドはインストールしてある部分全てを覆う。これで受ければ、余計な消耗は抑えられるかもしれないが、それでもゼロじゃない。

「ほらほら、どうした!」

 次々と振られる攻撃を、警棒で受け止めていく。だが、視界の端に移ったシールドエネルギーがどんどん削られていくだけだった。

 さらに言うなら、この機体はパワーすらもレーゲンより遥か下だ。

「何か手は……」

『一夏、まだ相手も本調子ではない。レーゲン本来の機能は発動できていないから……その』

「何か手があるんですか」

『……がんばれ』

「打つ手なしかよ!?」

『さすがの隊長も殺しまではしないと思うが、くそっ、どうして』

「……わかりました」

『一夏?』

「とりあえず負けます。それしかないみたいですし」

『すまない……』

 腕を降ろして、無防備な状態になる。ラウラが嘲笑した。

「ふん、もう諦めたのか」

「勝ち目ねえし……」

「ではこのまま嬲り殺してやろう」

「……好きにしろよ」

「ISの絶対防御も完璧ではない。殺さないように痛みを与える手段などいくらでもある」

 絶対防御とは、全てのISに搭載されている標準機能で、搭乗者の命を守る。生命に異常がある攻撃はシールドエネルギーを多量に消費することによって自動で防ぐ。

 だが、命に別状がない攻撃なら別ってことかよ。

「その機体とともに落ちろ!」

 これはオレの弱さに対する罰なんだろう。

 オレが弱いせいで千冬姉は世界一の操縦者の栄冠を失った。そしてダチまで危ない目に合わせた。逃げるようにドイツまで来て、ようやく帳尻合わせの罰が訪れたってことだ。

「ベッドの上で自分の弱さを悔いるがいい、織斑一夏!」

 目を閉じて、その瞬間に備える。

 ……あれ?

 右手が勝手に動いてる。

 恐る恐る瞼を上げると、オレの右腕、いや、第二世代最初期型IS『メッサー・シュミット・アハト』の右腕が降り上げられ、警棒によってラウラの攻撃を防いでいた。

「ISが勝手に……?」

「なんだと……」

 ラウラの驚きが聞こえる。

 って、なんだ? 機体が光り始めたぞ。

『フォームシフト!? いきなりか!』

 クラリッサさんの驚きが聞こえる。

「なんなんですか、これ!」

『ISが進化しているのだ! その機体はまだフィッティングが済んだだけの状態だ。ISは操縦者の情報や稼働経験からその人間にあった機体へと進化する。それが今、行われているというわけだ!』

 わかったような、わからんような。

「つまり、強くなってるってことですか」

『まだわからん。だが、その機体が二次移行を行った記録はない』

 眩い光が辺りを包む。

 それが収まったとき、メッサーシュミットの装甲が少し形を変えていた。鈍重な外見がややスリムになり、腕の装甲が分厚くなっている。

「ISはまだやる気みたいだ……」

 目の前のラウラの表情が、驚きから怒りへと変化していった。

「お前は……お前はまた私の邪魔をするのか! アハト!」

 また……って、ああそっか。この機体はラウラが一年以上前に専用機として与えられていた機体だっけ。

 シュヴァルツェア・レーゲンが加速とともにオレの機体へとプラズマブレードを振り下ろす。

 警棒でそれを受け止めるが、先ほどまでと違い全く押し込まれる様子はない。

「パワーが上がってるのか……?」

『……おそらくだが、動力補助機能を取り込んでIS自身が自分にあった形に適正化したのだろう』

「一パーセントも上がらないって話じゃ」

 それはISの黎明期に作られた機体に、男たちの見栄だけでつけられた、ほとんど意味もない機能だったはずだ。

『今の数値だけ見ても、先ほどと比べても二倍以上だ。今のレーゲンよりパワーだけはあるようだ』

 なら、一方的にやられるってことはないな!

「よーし、それじゃあ行くぞ、ぱっつぁん!」

 オレは警棒を両手で持ちかえて、力で押し返す。

「くっ、なんてパワーだ! これがあのアハトか!?」

 堪えられなかったのか、レーゲンが後ろへと回転しながら距離を取った。

「ぱっつぁんはまだまだ、アンタと遊びたかったらしいぜ!」

「クソクソクソッ! なぜ邪魔をするんだ、お前はいつもいつも!」

 まるで小さな子供のように悪態を吐くラウラがそこにいた。

『……そのアハトはな、ラウラ隊長を貶めるために渡された機体だったんだ』

 重苦しい声でクラリッサさんが教えてくれる。

「え?」

『ラウラ隊長は戦うために生まれたんだ。幼いときから優秀な軍人だった。だが、ISの登場によって隊長の価値観は落ちた。戦うために生まれたのに、ISという兵器と相性が悪くてな』

「だけど、専用機を貰ったってことは優秀だったんじゃ……」

『そのメッサーシュミット・アハトは彼女に渡されたときには、すでに退役寸前で性能も最低だった。鈍重な機体と適正の低いパイロット。まともに戦えるわけがない。事実、笑い物だった。おそらくそれまで優秀であったがゆえに恨まれていたのかもしれん』

「……酷いことをするな」

『軍とはそういうところなのだ。その機体は、弱い頃の隊長を象徴する物なのだろう』

 弱さ。

 だからオレに渡した。そこから救い出した千冬姉の、輝かしい経歴に汚点をつけたオレが、ラウラの弱さを身につける。

 皮肉な話だ。

「殺す、叩き潰して、影も形も見えないようにすり潰してやる!」

 怒りで我を失ってるのか、大ぶりで何度も切りかかってくるラウラ。オレのISがそれを受け止める。

 弱いオレ、弱いラウラ。強くなったラウラと、弱いままで力を手に入れたオレ。

「だけど、それって強さか?」

 つばぜり合い状態で、オレはラウラに問いかけた。

「何をほざく! キサマは弱い! その機体も進化しようがただの時代遅れだ!」

「……だけど、これは、こいつはオレを守ってくれた。勝手に動いてオレを守ってくれた」

「弱いヤツが、弱いヤツが何をほざいても、誰も聞き届けはしない!」

 いや、違う。

「千冬姉は違った」

「え?」

「千冬姉はお前の、ラウラの願いを聞き届けた。お前を強くすることで、お前を守ったんだ」

 そうだ。オレが欲しい物は何だった?

「……だからその織斑教官の経歴に汚点をつけたお前を!」

「オレは出来の悪い弟かもしれないけど、でも、千冬姉がオレを守ったことが汚点で良いはずがない! だってそうだろ! それじゃあお前を育て守ったことだって千冬姉の汚点になるじゃないか! それで良いのか、良いはずないだろラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 オレが欲しい物は、守る力だ。何かを守れる存在になりたいんだ。

「それは……」

 ラウラが視線をオレから外してうつむく。

「お前に」

「何だ」

「お前に私の屈辱の……何がわかる!」

 たぶん、心からの叫びなのだろう。

 ラウラはまだ十五歳、オレと同い年だ。そんな女の子が周りの大人たちから嘲笑され、それでも歯を食いしばって頑張ってきた。死にたい気分だったのかもしれない。

「オレとお前は同じなんだ、ラウラ」

「同じ?」

「オレはたぶん、弱いお前なんだ。だから今度はオレが何かを守れるように、千冬姉が育てたお前がオレを育ててくれ。それこそが強くなった証だろ。そうすることで、オレたちは千冬姉に近づけるんだ」

「織斑教官に……近づく」

「そして今度はオレがお前を守れる存在になってやる」

「え?」

「オレが強くなって、お前をいじめる全てから守れる存在になる」

 もうラウラの機体に力は込められていない。オレも力を抜いて、何も持っていない左手をラウラに差し出す。

「だから頼む、オレを強くしてくれ、ラウラ。千冬姉の教え子であるお前が」

 俯いたまま、ラウラが動かない。だが、左手がピクリと動いた。

『接近警報! 隊長、気をつけてください! 未確認ISが近くに、いやもうここに!』

 クラリッサさんの言葉に、オレたちはハッと周囲を見回す。

「上だ!」

 ラウラの叫びにオレも上空を見上げる。どんよりとした雲の中へ視界を飛ばすと、熱センサーがISの形を捕えた。

『これは……テンペスタIIです! まさか噂の!』

 ゆっくりと雲をかき分けて降りてくる漆黒の機体。フルスキンタイプのISが腕を組み、背中に黒い大きな翼を広げている。まるで悪魔のような凶悪さを持つフォルムだ。

「テンペスタII・ディアブロ……なぜここに」

 ラウラが呻く。

「どうする、ラウラ! 相手はやる気みたいだぞ」

「逃げろ一夏! ここは私が防ぐ!」

「だけど!」

「その機体はエネルギー総量が少なく燃費も悪い! シフトしたことでさらに消耗してるはずだ!」

「た、たしかに……何でわかったんだ?」

「その機体の前の持ち主は私だ、それぐらいわかる!」

 テンペスタIIが大きく羽ばたく。望遠状態の視界で捕えていた機体が、一瞬でオレたちの元へと詰めてきていた。

「速い!?」

 ラウラがオレの前に出て、相手の攻撃を受け止める。

「さっさと逃げろ!」

「女を置いて逃げられるか!」

 悪魔のようなISが腕を振るう。ラウラのレーゲンが一撃で地面へと落下していった。

 地響きを立て土煙りを上げる。

『なんて馬力だ……』

「くそっ、ラウラ、無事か!?」

『AICさえ装備していれば今のも防げたというのに!』

 テンペスタIIが再び翼を広げて羽ばたく。

「させるか!」

 精いっぱいの加速で黒い悪魔に飛びかかる。だが相手はヒラリと回避して、オレを蹴り落とした。

「がぁ!?」

 一瞬で地面に激突した。衝撃が辺りを揺らす。

 まるで複葉機で最新鋭無人戦闘機を相手にしているような感覚だ。

「くそっ、ラウラ! ラウラ!」

『ダメだ、レーゲンは具現維持限界、絶対防御を発動、操縦者保護を最優先にしている! 隊長の意識はない!』

「一撃でシールドエネルギーぶっ飛ばしたってことかよ!」

『く、どうにもならんぞ、せめてツヴァイクさえ持ってきていれば!』

 地面から黒い機体を見上げる。

 テンペスタII・ディアブロがラウラの墜ちた方向を見ていた。そのまま真っ直ぐ上昇した後、背中の巨大な推進翼を立てる。

「……トドメを刺す気か!?」

『今やられてはまずい!』

「クソォォォ!」

 黒い光が真っ直ぐラウラの方へと延びて行く。

「ぱっつぁん、ラウラを、ラウラを守らせてくれ!」

 自分のISへと呼びかける。

 すると、誰かが背中を押してくれたような気がした。

 今日一番の加速で、オレのメッサーシュミット・アハトと黒い光が交差する。

 意識があったのは、そこまでだった。

 

 

 

 目を覚ましたのは、ベッドの上だった。

「起きたのか」

 ベッドの横には、クラリッサさんが座っていた。

「えっと……ここは?」

「我々の基地の医務室だ」

「そ、そうだ、あの黒いISは?」

「お前を地面へと吹き飛ばして、何もせずにどこかへ飛び去った」

「はあ?」

「何の目的があったのか、さっぱりわからん。誰が乗っているのかもわからん」

「テンペスタII・ディアブロ……だっけ」

「悪魔の名にふさわしいISだったな」

「うん……ラウラは?」

「お前が飛びかかったおかげで、ラウラ隊長は無事だ。こっちで寝ている」

 クラリッサさんを挟んだ隣のベッドで、銀髪の女の子が眠っていた。

「絶対防御が発動し、意識不明状態だったが、それも解除された。今はただ眠っているだけだ」

「そっか……良かった」

「しかし」

「何でしょう」

「ラウラ隊長がお前を守るとはな」

「……逃げろって言ってましたね」

「お前と話して、何かが変わったのかもしれんし、何も変わってないのかもしれんが、だが感謝する」

「えっと、何で感謝?」

「我々は誰も隊長と向き合おうとしなかった。お前だけが隊長を一人の人間として向き合ってくれた」

「散々言い合っただけですよ」

「言い合うことは私もあったが、対等な目線で十五歳の少女と話したことは、私にはなかった」

 クラリッサさんが立ち上がる。

「もう少し寝ていろ。いいな」

「クラリッサさんは?」

「私はデスクワークが残っている。せめて隊長が起きたときに、何の心配もないようにしておかないとな」

「……ぷっ」

「なぜ笑う?」

「クラリッサさんって、ラウラのお姉さんみたいだ」

「お、お姉さん? 何をバカな。私は部下だぞ」

「我が儘な妹に手を焼いてるお姉さんみたいです」

「あまりバカなことを言って大人をからかうな。では失礼するぞ」

 そう言って、我らのクラリッサ姉さんは速足で医務室から出て行った。

 さて、もうひと眠りするか。

 そう思って目を閉じると、あっという間に睡魔が襲いかかってくる。

 

 

 

 何かゴソゴソしてる気配で目が覚めた。

 頑張って瞼を開くと、布団の中が妙に暖かい。

「起きたのか」

「ら、ラウラ!?」

 オレの鼻先に、布団から頭を出しているラウラがいた。

「うるさいぞ、寝かせろ」

「ね、寝るならそっちのベッドでだな」

「向こうはもう冷たい。それに男の腕の中ならよく眠れると、前にうちの隊員が言ってたぞ」

「それは何だか意味が違うぞ! って、お前、眼帯が」

「ベッドで寝るときは外す」

 ベッドで寝ないときがあるんですね。

「金色の目……」

「これはIS適正向上のために入れたナノマシンの副作用だ」

「それで隠してるのか」

「人が見て気持ちの良い物でもないからな。金色の目など」

「……キレイだと思うぜ」

 素直な感想を述べる。ラウラがその金色の目を丸くしたあと、シニカルな笑みを浮かべた。

「ふっ」

「な、なぜ笑う」

「そんなことを言ったのは、クラリッサぐらいなものだ」

「さすが姉」

「姉?」

「いや何でもない」

「ではもう一度寝るぞ。私はここ数日の激務で疲れているのだ」

 ふわぁと小さな欠伸をして、ラウラはすぐに寝息を立て始めた。

「ったく」

 そう言われたからには、オレも逃げるわけにはいかん。

 ……確かに暖かい。また眠気が襲いかかってくる。

 金色の目、気にしてるんだろうな。あんな眼帯をしていて隠してるなんて、女の子なのに……。

 ふと、オレの頭に一つのアイディアが浮かぶ。

 まあ訓練にもなるだろうしな。

「ん……」

 ラウラがまるで猫のように擦り寄ってくる。

「まあ可愛いかな……ってこれ」

 裸じゃないか、この子。

「おいいいいいいい、待て、起きろラウラ、これは何だかまずい!」

「んん?」

「なじぇ裸ですかラウラさん!」

「私はベッドで寝るときはいつも裸だ」

「いやカッコいいけど今は自重してくださいまし!?」

「うるさい、いいから寝ろ」

 ラウラの右手が、目に置えない速度で振るわれた。

 首の後ろに軽い衝撃が走ると同時に、急に意識が遠ざかる。

 あ、胸が全部見えた。

 そんな幸せを実感する間もなく、オレの世界は闇へと落ちて行った。

 

 

 

 IS部隊の基地に入り、黒兎隊の制服を身につける。唯一の男性隊員用らしく、クラリッサさんが手配してくれた。

 まあこの建物の外に出るときにはいちいち脱がないといけない。IS部隊所属の男なんて、怪しまれすぎるからだ。まだオレの存在は秘密にしなければならないそうだ。

 オレは前もって用意してあった装飾品を身につけて、廊下を歩く。目的地は一番奥にあるラウラの部屋だ。今日からの予定を申し渡されるはずだ。

 ラウラの執務室の前に立って、電子パネルのインターホンを押す。

『入れ』

「失礼します」

 分厚いドアが開いて、隊長室に入った。初めてだな、ここ。

「では、今日からのお前の仕ご……と、なんだその眼帯は」

「あれ? 似合わないか?」

 なるべくそっくりなように作ったんだけど。

「……なぜ、そんなものをつける」

「えっと、まあアレだ。ラウラ一人が眼帯だと寂しいかと思って」

「はぁ……」

 ラウラが呆れたように大きなため息を吐く。

「なんかごめん……」

「まあいい。好きにしろ。では今日からのキサマの予定を言い渡す」

 我が黒兎隊の隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐が手に持った文書の内容を読み上げて行った。

 オレは今、ドイツにいる。日本に帰る決心はまだつかないけど、ここにいれば強くなれる気がする。少しでも千冬姉に近づけるように、今日からラウラの元で頑張るとしよう。

 それと今日の夜ぐらいに、日本の友達へとメールを送ろうかな。詳細は話せないけど、オレはオレで頑張ってる、元気だって伝えておこう。

「内容は頭に入ったか」

「大丈夫です」

「では、任務に入れ」

「ヤー!」

 敬礼とともにドイツ語で元気に返事をすると、ラウラが小さく微笑んだ。

 やっぱりこの子は笑顔の似合う可愛い女の子だ。せめてこの笑顔を守れるよう、織斑一夏、頑張ります!

 

 

 

 

 

 

 







*ご都合主義万歳
*ドイツ→フランス止まり予定。
*作者はドイツに行ったことはない
*もう一つのオリジナル主人公話とはあんまり関係ない独立した話のつもりで書いてます。話題も出てこないしキャラも出てきません。(話のリンクはしてますが)


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ドイツ②

 

 

 オレこと織斑一夏は、ドイツ連邦軍のIS特殊部隊で隊員兼専属コックとして働いている。

 女性しか動かせないISを男で初めて動かしたという価値、姉である千冬姉が教官を務めた縁など色々理由がある。さらに言うなら中学二年のとき誘拐されたとき、情報を千冬姉に教えてくれたのもドイツ連邦軍だ。

 ドイツの暮らしも慣れてきて、仮入隊を果たして三週間、ぼちぼち部隊にも慣れてきたころだった。

 

 

 自室は相変わらずドイツ連邦軍の家庭持ち用の兵舎の一角だ。

 部隊にメシを出し、一緒に食って片づけが終わり、帰ってきたところだ。今は夜の九時だ。日本時間なら昼の一時である。

 部隊の制服は黒兎隊の兵舎に預けてあるので、トレンチコートを脱げばジーパンに厚手のTシャツとセーターだけだ。

 コートをハンガーにかけて、リビングのソファーに腰掛ける。

「帰ったか」

「なぜここにいるラウラ」

 ベッドルームから出てきた銀髪の少女が、何事もなかったかのように反対側のソファーに腰掛ける。

「隊長だからだ」

「意味がわからん」

 思わず大きなため息が漏れてくる。こいつは入隊直後の件から、この調子だ。訓練中は良いのだが、家に帰ると何故かオレより先に入っていることが多い。ここのセキュリティはどうなってるんだ……。

「しかし三月だというのに冷えるな」

「コーヒーでも飲むか」

「頼む」

 黒い軍服の襟を緩め、珍しく姿勢を崩してソファーにもたれかかった。やっぱりラウラも疲れているんだろうか。だったら自室で寝てればいいのに。

「なんで最近、オレの部屋に来るんだよ」

 リビングに隣接したキッチンでお湯を沸かし、コーヒーの用意をしながら尋ねる。

「織斑教官に連絡をしたら、よろしく頼むと言われたからだ」

「あ、そっスか」

 最近は段々とラウラの突飛な行動にも慣れてきた。とにかくこの子は少し常識がない。礼儀作法は一通りあるようだが、あくまで軍人としてなのである。

「この写真は?」

 リビングの様子は見えないが、たぶん壁にかけてあるコルクボードに貼ってある写真を見てるのだろう。

「日本にいたときのと、ドイツの学校のみんなかな。あの学校もいいヤツばっかりだったけど、もう通う時間がないからな」

 ドイツには日本にあるというIS学園のような教育機関がない。

 IS学園は非常に変わっている。全寮制の高校という風体を崩していないのだ。あくまで学校。本来ならISに関わる人間は早くから軍か企業に属し、学校などに通うことはないらしい。

「これは……織斑教官か」

「若いだろ。高校時代だ。オレはそんときゃ小学校か」

「……いい」

「ん? 何か言ったか?」

「いや何でもない」

「もう出来るぞ、座って待ってろ」

 トレイにカップ二つを乗せて戻る。ソファーにふんぞり返ったラウラの顔が少し赤いのは、部屋が少し寒いからだろうか。

「ほいどうぞ」

「ああ。ここで教官と二人で暮らしていたのか」

 ラウラが部屋を見回しながら、コーヒーを啜る。

「まあな。千冬姉、日本でもちゃんと掃除してるかなあ」

 いかん、すげえ不安になってきた。

「織斑教官だぞ。完璧のはずだ」

「お前がどんな教官像を抱いているかは知らないけど、結構ズボラだぞ」

「そんなわけはない」

 教官を完全に信じきったように断言をしてコーヒーを口に含む教え子。

「まあ家族にしか見せない姿もあるから、そんなものか」

 うん、今日も良いコーヒーが出来た。食堂のアルベルタおばさんの指導のおかげだろう。

「家族……」

「ん?」

「どんな生活をしてたのだ」

 眼帯に隠れていない右目が、少し子供のような目をしている。

「ここで?」

「いや日本からずっと二人だったのだろう?」

「うーん、普通だと思うけど……。そこらにいる姉弟と何にも変わらないと思うぜ」

 と思うんだけど、日本じゃシスコン呼ばわりされてた。失礼なヤツらだぜ。

 ラウラがぎこちない手つきで髪を撫で始める。ソファーと背中の間に挟まっていた髪を左肩の上に乗せ、垂れてきた髪を何やら撫でたり束にしたりしていた。

「何してんだ?」

「な、何でもない」

「あ、ひょっとして三つ編みにしようとしているのか」

「そ、そんなことはないぞ」

 さっきラウラが見ていた写真じゃ、高校生のときの千冬姉が三つ編みにしてたな。普段は後ろでまとめるぐらいなのだが、たまに束さんが強引に色々な髪型にしていた。懐かしい思い出だ。

「まとめたいなら、千冬姉が忘れて行った髪留め用のゴムがある」

 オレは立ち上がって、リビングの端にある小さな収納棚から、飾り気の少ない髪留め用のゴムを取り出す。

「もう使わないと思うし高い物でもないから、持ってけよ」

「いいのか!?」

「おう。この部屋にあっても仕方ないしな」

 ラウラに手渡すと、彼女はゴムを目の前に持ちあげて、少し嬉しそうに見つめている。

「つけないのか?」

「い、いやつけるぞ」

 髪を束ねて、ゴムを通す。ちょっと不格好だ。慣れてないんだろうか。

「お、おかしいか?」

「おかしくないかと言われたら、ちょっと変だな……」

 ゴムがゆるゆるで、斜めに止まっている。というか、あれってあんなに不器用に止められるものなのか。

「そうか……」

 銀髪の女の子がうつむいて項垂れてしまう。うーん。でもおかしくないって言って、後で恥をかくのはラウラだしな。

「ちょっと失礼するぞ」

 オレはラウラの隣に座って、

「触っていいか?」

 と尋ねる。

「あ、ああ」

「向こう向いてくれ」

「りょ、了解した!」

「オレもよくわかんないけど、千冬姉はこんな感じでやってたな」

 背中からラウラの髪を持つ。間近で見るとすごいキレイな髪だな。

「う、うむ、そうか」

「痛くないか?」

「い、痛くはないぞ」

「出来た。高さはこれぐらいか」

 立ち上がって、元の場所に戻った。ラウラが一束になった髪を肩の上に回す。

「うん、さっきよりは良いな。似合ってるぞラウラ」

「そ、そうか。うむ……」

 髪を撫でたり、ゴムで束ねられた部分を持ち上げては、嬉しそうにしてる。近所の小学生みたいだな。

「で、髪なんか束ねてどうしたんだ?」

「ね、寝る用意だ」

「は?」

 コーヒーを危うく吹き出すところだった。

「明日は早いからな」

「いやちょっと待て。ちょっと待ってくださいボーデヴィッヒ隊長」

「何だ」

「少佐は知らないかもしれないけど、実はこの部屋、男の一人暮らしです」

「知っている」

 そうだろう、何度もこの部屋に来てるからな。知らなかったらそれはそれでビックリだ。

「って、尚更まずいだろ!?」

「護衛だ。お前は弱いからな。隊長自ら、守ってやろうというのだ。感謝しろ」

「うわー超ありがてぇ」

「な、なんだその態度は! 嫌なのか?」

「い、嫌とかそういう問題ではなくてだな」

「お前はベッドで寝ろ。私はここで寝る。その方が安全だからな。毛布一枚あればいい」

 やばいよ、この少佐。男前なセリフが似合っててカッコいいけど、何か間違ってる。

「女をソファーに寝かせて男がベッドで眠れるか」

「妙なところに拘るヤツだな。敵の襲撃に備えるならば、ここに私が待機した方が得策だろう」

「嫌なものは嫌なんだ。てか護衛とか必要ないだろ。それを言うなら、お前がここにいた方が怪しまれるだろ?」

「なぜだ?」

 何故か立ち上がったラウラが、今度はオレの隣に座る。

「い、いや特殊部隊の少佐が日本人のアルバイトの家に泊まるなんて、怪しまれるんじゃないかっていうか」

「続けろ」

 段々とラウラの顔が近づいてきてくる。

「えっと少佐殿、ちょっと離れていただけるとありがたいんですけど」

「風邪か。心拍が上がってるぞ」

「い、いやそれは大丈夫だ。ていうかこの部屋はそもそも、家族用の宿舎なんだ。家族じゃないヤツを許可なしで宿泊させるのはダメだろ」

 我ながらナイス言い訳だ。さすがに軍規にまで反して泊まろうとはしまい。

「ふむ、それはもっともだな」

「そうだろうそうだろう」

「家族というのはどうやったら、なれるものなのだ?」

「は?」

「うむ、私とお前が家族になるには、どうしたら良い?」

 ちょっと千冬姉ー、アンタの教え子が変ですー元からかもしれないですけどー。

「い、いや家族っていうのはそう簡単になれるものじゃないし」

「だが、お前と織斑教官は家族なのだろう? 難しかったのか」

「難しいとかそういう問題じゃなくて、オレが千冬姉の弟として生まれたんだから、当たり前の話で……ラウラ、家族って何か知ってるだろ」

「知識としては何となくはわかる。だが、よくはわからん」

「はあ?」

「言ったことはなかったな。私はデザイナーチャイルドだからな」

 なんだっけ、それ。確か遺伝子を操作して……でもそれって、国連とかで禁止されてるんじゃなかったっけ。

「遺伝子強化試験体Cー0037、それが私の最初の名前だ」

「……えっと」

「親はいない。ゆえに家族などはわからん。どうした?」

 何を困った顔をしている? と平然な表情で聞いてくる。

 クラリッサさんが、ラウラは『戦うために生まれた』って言っていたのはこういうことか。そしてそのまま軍で育てられた。それがISによって一度は全否定され、千冬姉のおかげでまた存在理由を得ることが出来た。道理で千冬姉を心の底から尊敬しているわけだ。

「男女が出会って婚姻し役所に書類を提出し、家族となって子を生み、その子供もまた家族となるということは知っている」

 そう言われると身も蓋もないが、間違ってはないから否定もしづらい。

「家族か……言われてみたら、オレも普通の家族は知らないな。ずっと千冬姉と二人だし」

「ではお前が私に家族を語ろうとするのは手落ちだぞ。ゆえにお前が主張する家族ではない人間を宿泊させるのはダメ、という理論は根底から崩れたな」

 うむむ、やるな。痛いところを突かれた。

「ってただの詭弁じゃねーか。オレが普通の家族を知らないことと、家族以外を泊めちゃダメなことに関連性はねえ!」

「ちっ、気付いたか」

 ラウラが舌打ちをしてオレから離れる。あぶねえ、危うく納得しかけることだった。

「だが外は寒い。もう少し温まってから帰るぐらいは良いだろう?」

「そ、それぐらいなら」

「コーヒーのおかわりを頼む」

「いいけど、夜眠れなくなるぞ」

「寝付きは良い方だ」

 そう言いながらも、ラウラは右目をこする。眠いみたいだ。

「コーヒー淹れてくる」

「了解した」

 ソファーに座ったままのラウラから離れ、オレはカップを持ってキッチンに戻る。再びお湯を沸かしながら、先ほどの会話をボーっと考えていた。

 家族。

 オレに親はいない。いたかもしれないが、よく思い出せないし千冬姉も言いたがらないので、それで良いと思ってる。家族は千冬姉だけで充分過ぎてお釣りが来る。

 だが、ラウラには家族すら最初からいない。その辛さというのは想像しにくいけど、ずっと心を許せる人間がいなかったんじゃないだろうか。

 そう思えば、オレに心を許しているというのは、悪い気はしないしな。

 お湯が沸いたので、コーヒーに適した温度まで冷めるのを待って、フィルターに注ぐ。ドリップしたコーヒーをカップに注いで、リビングに戻った。

 するとラウラがソファーの上で横になって丸まっていた。静かな寝息が聞こえてくる。

「ったく、仕方ねえな。おいラウラ、ラウラ」

「む……ふみ」

 何だ猫みたいだぞ。

 頬っぺたをつんつんとしてみる。

「……うみゅ」

 妙な言葉を発するが、起きる気配がない。

 ……仕方ない。こいつを起こすのは今日は諦めよう。疲れてたみたいだしな。

 ラウラの眼帯をそっと外し、そっと抱きかかえる。すげえ軽い。そのままオレのベッドまで運んで、布団をかけてやった。

 オレは千冬姉が置いていった毛布を引っ張りだし、ソファーで寝る準備をする。

 ヨーロッパのパンと言えばフランスパンのイメージだったが、ドイツはドイツでパンの国と呼ばれるぐらいである。アルベルタさんに教えてもらった美味いライ麦パンを今日、買ってきたばかりだ。それとソーセージとコーヒーぐらいなら、二人分用意できるはず。

 普通の家族のことはわからないけど、千冬姉との二人暮らしはわかる。朝食を一緒にする、というのはそれこそ家族っぽいよな。

 そんなことを思いながら、オレもラウラとお揃いの眼帯を外し、寝る準備を始めた。

 

 

 意味のあること、意味のないこと、それすらもわからない時代のインフィニット・ストラトス、黎明期の第二世代メッサーシュミット・アハト。アハトは、同じコアを使った八番目の機体という意味らしい。

 ラウラ・ボーデヴィッヒの最初の専用機であり、オレこと織斑一夏に用意されたデータ収集用の機体だ。

 今日も格納庫でその鈍重な外見の初期型汎用IS実験機を動かしている。

「波形は女性の物と変わらないね。イチカって実は女の子?」

「んなわけあるか!」

「でも確かめたわけじゃないし……」

 確かめられても困る。

「少なくとも十五年以上、男でやってきたのは間違いないと思う」

「うーん、今度、フルチェックかける必要があるかなあ」

「フルチェックって?」

「もちろんイチカの身体検査」

「あ、オレですか……」

「IS側には特に問題はないしね」

「というかそもそも、何で女しか動かせないんだ?」

「それは今のところ不明、としか言いようがないかなぁ。私はホルモン仮説が一番最もらしいと思うけど」

 ホログラムディスプレイを操作しながら、リアが言う。

「えーそうかな? 私はシータ波説が好きだけど」

「ロマンチストだねーティナは」

「あたしはあれが好き、特定刺激説。ISが赤ん坊と一緒ってやつ」

「子供好きだったっけ、マリナ」

「全然。ガキんちょ嫌い」

 三人の女の子たちがわいわいと会話してるが、内容が学問的なことだけに全然ついていけない。まあ女の子っぽい会話を繰り広げられてもついていけないんだけど。

「でもホント、何で男のオレが動かせるんだろうな」

「ISコア男性説って与太話は?」

「なにそれ? ISに性別あるの?」

「さあ。でも特定刺激説は置いておいて、シータ波説もホルモン仮説も相手が男ならわかるってだけの与太話だよ」

「よくわからん……ってことは、オレがISを動かせるのは何でなんだよ」

「それはまあ、アレってことじゃない」

 三人がヒソヒソと密談し、オレの方をチラリと見て笑う。

「いやいやいや、まて、オレは普通だぞ。普通に女の子の方が」

「ホントに~?」

「疑われる理由がわからん!」

「ま、どっちにしてもそれを調べるためにも、一夏のデータ収集は大事ってわけなんだけどね」

 そりゃそっか。そのためにわざわざ極秘で調べてもらってるんだもんな。専用機まで貸し与えられて。

 装着したアハトの手をグッと握る。

「でもなんでアハトはいきなり第二次形態に移行したんだろ」

 キーボードを叩きながら、マリナと呼ばれている黒髪(ブルネット)の子が他の二人に尋ねる。

「ボーデヴィッヒ隊長が使ってたときって、フォーマットとフィッティングが終わった第一次形態までなんだよね」

「何でだろう。一夏、何かしたの?」

 三人がオレの方を見る。

「うーん、わかんねえ。やられる覚悟をしただけだったし」

「ワンオフアビリティーは発動してないのかな」

「ワンオフアビリティー?」

「ISが第二次形態になったときに稀に発動するって言われてる、その機体のみの能力だよ。織斑教官の『零落白夜』が有名じゃないかな」

「あー……あのすごい威力のヤツ。実はアハトのパワーがワンオフアビリティだったり?」

「副隊長の予想だと、元々ついてた動力補助をISが取り込んだだけで、ワンオフアビリティの発現じゃないって」

「クラリッサさんが言うなら、そうなんだろうなあ」

 正直、オレの頭と知識と経験ではISのことはさっぱりわからない。今は黒兎隊の女の子たちに教えてもらうことばかりだ。

「でも、みんなISのこと詳しいよな。素人の感想で申し訳ないけど」

「まあ仕事だしね」

「仕事かあ……まだピンと来ないな」

「これ、給料がすごい良いしね」

 急に生々しい話に変わってしまった。まあそうだよな、ISのパイロットは今じゃオリンピックの花形種目の選手以上の注目度だし、国家代表ともなれば芸能人なみの扱いだ。

「まあうちの一家も、私の稼ぎで生きてるようなもんだしねえ」

「リアの家は大変よね」

「給料良くなかったら、とっくに異動願い出してたわ」

 アハハハとリアが苦笑めいた笑いを浮かべる。

「軍属のISパイロットって、やっぱり給料良いんだ」

「そりゃあね。専門職だし、IS本体を扱える人間なんて今は一握りだしね。うちなんて病人ばっかりの一家で、治療費で持ってかれちゃうけど」

「……色々事情があるんだな、みんな」

「事情のない子なんていないよ」

 リア・エルメンライヒという名前の女の子が寂しそうに笑う。何かとオレを気にかけてくれる隊員で、黒兎隊に入る前からよく会話する仲だった。オレの後見人であるクラリッサさん直下の部下でもあるらしく、オレのデータ収集を担当してくれている一人だ。

「頑張らなきゃな、自分も」

 オレこと織斑一夏は、日本で誘拐され、IS操縦者の姉に助け出された。そのときの情報提供者であるドイツ軍に要請され、IS部隊の教官となった姉についてドイツに渡ってきたのは一年以上前だ。誘拐されるときに友人を巻き込んでしまい、まるで逃げるようにドイツに来てから、そのまま日本に帰る決心がつかないままでいる。

 先日、女性しか起動できないISを男の身で動かしてしまい、今は黒兎隊に仮所属している身だ。

 少しでも強くなりたい。何かを守れるように。

 オレもオレで事情がある。とりあえず今は、黒兎隊でこの子たちと一緒に頑張るだけだ。

 

 

 

「しかし、オレが訓練するたびに、ここに来なきゃいけないわけ、ひょっとして」

 山中にある何もないだたっぴろい訓練場。一応、四方八方を高いフェンスと有刺鉄線が囲んでおり、一般人が立ち寄ることはおよそ不可能である。

「仕方あるまい、基地の施設を使えば人目につく」

 オレという存在はまだ秘匿する必要があるらしい。

 黒いISを装着したラウラが腕を組んで立っている。もちろんオレも、ぱっつぁんことメッサーシュミット・アハトを装着済みだ。

 眼帯をつけた二人で十メートルの空間を挟んで向き合った。

「とりあえず全力でかかっていけばいいんだな?」

「シュヴァルツェア・レーゲンの機能テストだけでなく、お前の練習でもある。気にせずかかってこい」

 練習、というわりには、右肩にこの間は装備していなかったレールカノンを装着していた。

 腰の後ろから長い得物を取り出す。今のところまともに使える武器はこれしかない。

 左目の眼帯を正して、武器を上段に構えた。

「む?」

 ラウラが目を細める。それはそうだろう。尊敬する教官と同じ構えなのだから。

「行くぞ」

「来い、ルーキー」

「おおりゃあああ!!」

 腰のスラスターで加速し、最高速で接近、同時に長い警棒を振り下ろす。

 ラウラが手首から伸びたプラズマ手刀でそれを受け止めた。

「パワーはぱっつぁんの方が上だな!」

「それは大したものだ。あのアハトとは思えん。だが」

 レーゲンの肩からワイヤーが上方へと延びる。あっという間にオレの背後から胴体を縛り上げると、軽々と後方へと投げ飛ばした。

「接近したら近接武器しか使わないわけではない! 重心を考えてとれ!」

 重い音とともにオレの機体が地面へと落ちる。

 シールドのおかげで痛みはないが、軽くめまいがした。

 起き上って周囲を見回す。少し離れた場所にトレーラーが止まっていて、ウイングの開いた荷台の中に黒兎隊のメンバーがいた。それぞれが端末に触れながらこちらを注意していた。

 クラリッサさんだけが上空を見回しているようだ。天気でも気にしてるんだろうか。

「っと、そんなことより」

 訓練というだけあって、ラウラはオレの体勢が整うのを待っている。

「一夏、早くしろ。これはシュヴァルツェア・レーゲンのテストでもあるんだぞ」

「わかってる」

 起き上って、長さ二メートルの警棒を構える。昔、通っていた篠ノ之道場で覚えた剣術ぐらいしか、オレに身についている戦術はないんだ。

 ラウラもプラズマブレードを構えて腰を落とす。

 今出来る精いっぱいを持って、ラウラへと駆けだそうとした。

 そこへ、耳の奥へとつんざく警報が鳴る。

「接近警報! ラウラ!」

「わかっている! これを待っていた!」

 ラウラが油断なく周囲を見回す。トレーラーに控えている隊員たちにも緊張が走る。

「待ってたって、まさか、あのテンペスタIIを誘い込むつもりだったのか?」

「ドイツ国内に潜伏している可能性が高かったからだ。この間と同じ状況を作れば、もしやと思っていたが」

「どちらにしても、安心出来る状況じゃねえ」

 この間だって一瞬でやられたんだ。同じ状況じゃ、結果も同じ可能性が高い。

「いや、こちらにはもう一機ある」

 クラリッサさんの声が響く。後ろを振り向けば、レーゲンの姉妹機であるシュヴァルツェア・ツヴァイクを展開した副隊長が立っていた。

「一夏はなるべく後方で、トレーラーを守れ」

「だ、だけど!」

「お前のアハトのスピードでは足手まといだ。それに今回は前と違ってレーゲンも万全の状態。安心しろ」

「ぐ、りょ、りょうかい。危ないことするなよ!」

「相手次第だ」

 オレは機体を後ろへと後退させ、トレーラーの近くに立つ。

「隊長、二十時四十五度、上空です!」

「先手必勝!」

 ラウラとクラリッサさんが右肩のレールカノンを空へと向ける。オレのアハトのセンサーではまだ姿を捕えられていない。だが最新鋭機は敵を捕捉したようだ。

「撃て!」

 シュヴァルツェア二機の長距離射撃が空気を引き裂く。雲を打ちぬいて、何かに当たった。

「この間と違う機体!?」

 トレーラー内の隊員が叫んだ。

 時代遅れのアハトの視界でも、その機体が見えた。

 テンペスタII・ディアブロではない。見たことのない機体だ。一言で表現するなら、異形。フルスキンタイプの機体だが、腕は普通の機体より数倍大きい。頭部のセンサーは目の位置になく、頭頂部に三つほどのモノアイが見えるだけだ。

「続いてもう一発!」

 ラウラの声に合わせて、ツヴァイクとレーゲンの両機体の右肩から弾丸が発射される。

 だが、その黒い異形のISは、異常に太い腕の先から何本ものレーザーを打ち出してレールガンの砲撃を防いだ。

「……砲戦使用のISか? だが識別できない機体だ……」

「隊長、ここは私が前衛に」

「お前の方が器用だクラリッサ。後詰は頼む」

 黒い機体がゆっくりと地面に降り立つ。重量感あふれる音に対し、脚部装甲は人間の足と変わらないサイズだ。だが、腕の部分が凶悪だった。どう見ても砲門にしか見えない穴がいくつもついている。

「行くぞ!」

「ヤー!」

 シュヴァルツェア二機が襲いかかる。ラウラの機体が急加速し飛び上がる。敵機の腕から数本のビーム状兵器が打ち出された。レーゲンは空中で軌道を変えて辛くもそれを回避する。

 そこへツヴァイクがレールカノンを撃ち込んだ。着弾するまえにレーザーが放たれる。

 まるで機械のような反応速度だ。左腕の射撃でラウラを狙いつつ、右腕の砲撃でツヴァイクを落としにかかる。

「……何なんだ、あの機体は……」

「該当機体なし、全く未知の機体だよ!」

「トレーラー下げよう、ここじゃ危険すぎる!」

「や、ヤー!」

 オレの方が階級はもちろん下なのだが、素直に隊員たちは従ってくれる。顔なじみのリアが運転席へと飛び乗った。同時に荷台のウイングが閉まり始める。他の隊員たちが飛び降りた。

「危ない! 一夏!」

 ラウラの声が響く。オレは咄嗟にトレーラーの運転席の前に立った。

 狙い済まされたようなレーザーが撃ち込まれる。

「ぐっ」

 あっという間に、ぱっつぁんののシールドが削られていく。かといってここから逃げるわけにはいかない。後ろには黒兎隊の隊員たちがいるんだ。

「この!」

 ツヴァイクの肩部装甲から、エネルギーで作られたワイヤーが伸びる。オレに向かって砲撃し続ける右腕を無理やりに逸らした。

「大丈夫か、一夏!」

「だ、大丈夫です!」

 とはいうものの、アハトのシールドエネルギーはすでに半分以下だ。しかし、後ろのトレーラーも無事に済んだ。

「早く離れろ、エルメラインヒ! 任せた!」

「や、ヤー!」

 隊員たちがトレーラーの横にしがみつく。リアがアクセルを吹かしたのか、タイヤを滑らせながら急加速で発進し始める。

 オレはトレーラーとISの間に立ち、次の砲撃に備えた。

「させるか!」

 レーゲンもツヴァイクと同様に肩からワイヤーを伸ばし、その左腕を捕縛する。

 左右へと腕を引っ張られ、敵機の動きが止まった。だが、パワーが半端じゃないのか、ジリジリとその巨大な腕が二機を引っ張り始める。

 ……ここはやるしかねえ!

「頼むぜぱっつぁん!」

 動きの止まった機体へとオレは全速力でISを走らせる。警棒を上段に構え、間合いに入ると同時に振り下ろそうとした。

 そこに三つのモノアイが不気味に光る。

「バカ、一夏!」

 モノアイだと思ってた光る三つの物体は、砲門だった。赤い閃光がオレに走る。

「こなくそぉぉぉぉ」

 咄嗟に頭をずらし、そのまま片手上段になりながらも警棒を力の限り振り下ろした。

 強烈な打撃音が響く。

 面あり、一本だ!

 ぱっつぁんはスピードこそ優れてはいないものの、パワーだけはハンパじゃない。相手の機体が圧力に負けてふらついた。

「一夏、フルバック!」

「おう!」

 ラウラの声と同時にオレは意識をISの全速後退へと回す。

 離れたと同時に、レーゲン・ツヴァイクの両機のレールカノンが、敵機へと撃ち放たれた。秒速3キロの弾丸が撃ち込まれ、爆風でオレも吹き飛ばされた。

「ぐぬぬ」

 顔面から地面に突っ込んだオレは座り込んだまま顔を敵機の方へと向ける。

 土煙りが西風に飛ばされていった。

 そこには傷一つない異形のISが立っている。

「な、なんだこの機体は!」

 クラリッサさんが驚愕の声を上げた。あれだけの砲撃を受けて無傷なんて……。

 敵機の内部から、甲高い電子音が漏れる。

「一夏、下がれ!」

 肩から伸びたワイヤーを引っ張りながら、ラウラが叫んだ。

 異形の頭部にある三門のレーザー発射口が動き、ワイヤーブレードが断たれる。

「くっ、一夏!」

 敵ISは二機のワイヤーより解放された腕をオレに向けた。

「フルバック!」

 再び全速後退を行おうとする。

 プスン。

 後退用の前面に向けたスラスターから細い煙が漏れるだけだった。

「ってここで故障かよ、ぱっつぁん!! やる気だせええ!?」

「一夏、逃げろ!」

「こうなりゃ攻撃あるのみだ!」

 どのみち、このメッサーシュミット・アハトのスピードじゃ、相手のレーザーから逃げ切れない。滅多と使わない小さな後退用スラスターならなおさらだ。

 長い警棒を構え、生きてる前進用スラスターで突撃する。

 オレに向けられていた腕を横向きに薙ぎ払って、攻撃を逸らした。ギリギリ間に合った。

 返す刀で頭部を狙う。鈍い音と確かな手応えが返ってきた。

「って、えええ!?」

 相手の首が、あり得ない角度で曲がっている。

 殺した……?

 一瞬、冷や汗が走る。

 だが、相手は右腕を振り上げて、オレに全砲門を開いた。

「く、なんだコイツ!」

 思わず両腕で顔を覆った。

「手加減はいらんということだな」

 ラウラの声が聞こえた。

 オレに向けられていた腕がない。敵機の左側にはシュヴァルツェア・レーゲンがブレードを構えていた。

 太く凶悪な腕が地面に落ちている。ラウラが切り落としたのか? 

 首が折れ、右腕が落ち異形さを増したISは、それでも左腕を振り上げようとした。だが、そこで動きが止まる。

「ふん、どういう仕組みかわからんが、手加減無用とわかれば、我が黒兎隊の敵ではない」

 クラリッサさんがオレの前に立ち、右腕を相手に向けていた。前方の空間が歪み、相手はピクリとも動かない。

 黒兎隊の隊長が、無表情でブレードを振るう。曲がっていた首が切り落とされた。

 AICを展開していたツヴァイクの肩からワイヤーブレードが伸びる。上空から背後へと周り、胴に巻きつく。そこから掬いあげるように上空へと放り投げた。

「隊長!」

「了解だ」

 レーゲンが上空へと一気に加速し、ブレードを振るう。一撃で左肩から腕が切り落とされた。

「落ちろ!」

 ラウラの叫びとともに、零距離でのレールガン射撃が放たれる。

 轟音と主に地響きが起きた。

「敵機沈黙、エネルギー反応、起動音、電子センサー反応なし」

 クラリッサさんが淡々と告げる。

 どうやら何とか倒したらしい。

 ラウラがオレのすぐ横に音もなく着地する。こういう細かい動作は、今のオレには到底真似できない。

「……なんだったんだ、あれ。無人機なのか」

「わからん。これから一度、基地に戻って調べる。それより」

「ん?」

「む、無茶をするな、バカモノ!」

 へたり込むオレに対して、ラウラが覗きこむように上半身を曲げる。

「す、すまん」

「今のは訓練ではない! お、お前に何かあれば!」

 何で顔赤いんだ?

「ごめん、確かに無茶だった……でも、ラウラが危ないと思ったら体が勝手に……」

「わ、私が?」

「隊長だしな」

「そ、そうか……」

 今度は残念そうな顔になる。なんか悪いこと言ったっけ?

 クラリッサさんがツヴァイクを解除し、地面に降りる。

「まあまあ隊長、とりあえず今は無事であることを確認し、あの機体をトレーラーに運び込みましょう」

 なだめるように、クラリッサさんがなだめると、ラウラは一つ咳払いをして、

「一夏、まだ動けるか」

「おう」

「では、トレーラーにさっさとあの機体を運びこめ」

「え、一人で?」

「無茶をした新人に対する罰だ!」

「や、ヤー!」

 ラウラもISを解除して、地面に降り立つ。なんか怒ってるような……いや、そりゃそうか。オレが新人のくせに無茶したんだし、怒るのは当たり前か。

 まあともあれ、みんな無事で良かった。

 それだけは確かだ。

 

 

 

 基地に戻り、オレはISを装着して格納庫の床にバラバラになった異形のISを置いていく。

「ホントに人が乗ってない」

 リアが不思議そうにISの断面を触っていた。

「エルメラインヒ、出来そうか?」

 ラウラの言葉に、リアは小さく頷いて、

「やってみます」

 とだけ答えた。すぐに顔を逸らして、ISの分析に入ろうとする。だが、その表情は何というか、忌々しげというか、嫌悪感を剥きだしにしたものだった。

「リア?」

「ん? どうしたの、イチカ」

 オレの声に反応して上げた顔は、いつもどおり愛想の良い笑顔だった。何だったんだろう、今の顔。

「えっと、頼むな」

「ヤー。任しておいて」

 彼女は再び作業に戻る。

 オレはISを解除して、壁際に立っていたラウラの横に立つ。

「無人機か……そんなIS、聞いたことないぞ」

「可能性がないわけではない。そういう研究もあることはある」

「煮え切らない言葉だな」

「実現した、という話は聞いたことがないからな」

 ラウラが呆れるように肩をすくめた。

「何で実現しなかったんだ?」

「ISがなぜ動いているかが、いまだに判明していないからだ」

「へ?」

「ISはそもそも女にしか反応しない。この問題すら解決していないのだぞ。それなのに無人機なぞ成功するわけがない」

 そう説明する間も、ラウラはずっと異形のISの解析作業を見つめていた。あちらはクラリッサさんの担当らしく、彼女の指示によって隊員たちがテキパキと様々な機器を接続している。

「なるほどなあ。でも、動きも人間と違いがわからなかったし、どういうことなんだろう」

「それは今から調べる」

「そういやAICだっけ。あれも凄かったな。相手の動きがピタリと止まった。何で最初から使わなかったんだ?」

「……一夏」

 ラウラがオレの方をジロリと見つめる。

「な、なんだ?」

「名前から想像もつかないのか」

「え、えーっと、慣性を停止させるんだよな、あれ」

「はあ……今後、お前がどういう道を目指すかは知らないが、物理ぐらいは誰かに学んでおけ。レーザー兵器は慣性に影響されない。つまりAICでは防げない」

 思いっきり呆れた顔をされた。というか、珍しいな、こんな表情するなんて。

「な、なるほど」

「光の速度は不変だ。もちろん全てのレーザー兵器に対して全くの無意味とは言わんが」

「えっと、バカですんません」

「詳しくはエルメラインヒにでも解説してもらえ」

「リアに?」

「アイツが一番詳しい。他の隊員たちも優秀だがな」

「りょ、了解。とりあえず着替えてくる」

 何かラウラの言葉が刺々しいので一度、戦術的撤退を行おう。逃げるわけじゃないぞ逃げるわけじゃ。

 チラリとリア・エルメラインヒという隊員を見る。何かと世話を焼いてくれる女の子だけど、やっぱりIS関連の人間って伊達じゃねえなあ。

 その彼女が、またラウラの方をチラリと見ていた。すぐに視線を戻したが、その顔は決して好意的な物ではないように思えた。

 なんだろう、さっきから。

 いや、よく考えたら、黒兎隊のメンバーはラウラのことをそんなによく思っていないんだった。

 最年少が少佐で隊長、という戸惑いもあるだろうけど、この間までのラウラの態度は確かに好意的に接することが難しいものだ。ここ数週間は随分柔らかくなったものだけど、それでも隊員との溝は埋まっていないんだろう。

 ラウラも少しずつ歩み寄りを見せているんだけど、こういうのは時間が解決するんだろうなあ。

 何か出来ることがあると良いんだけど、と思いながらオレは格納庫を出て行った。

 

 

 さて、オレこと織斑一夏には、この黒兎隊でやらなければいけない大事な仕事がある。

 メシ作りだ。

 食堂のアルベルタさんから貰った食材を三つのトートバッグとリュックに詰め込んで、自転車でIS兵舎に戻る。今は眼帯も外し私服に着替えていた。

 白い息を吐き出しながらペダルに力を入れている。辺りは夕闇に包まれた。足元の高さの照明がアスファルトで固められた地面を等間隔で照らしている。

「さみぃー……」

 ダウンジャケットを羽織って手袋をしているとはいえ、顔に当たる風が痛い。

 ん?

 夜目を凝らして黒兎隊の兵舎近くを見つめる。リアが軍服を着た男と会話していた。

 男はオレに気付いて、手を軽く上げると悠々と歩いて去っていく。

「リア、今の誰?」

「おかえり。軍の備品管理の人。ちょっと計測器の追加を頼んでて」

「計測器?」

「そうよ、アハトの。古いタイプが必要だからね、黒いのと違って」

「そ、そっか、何か色々と迷惑かけてすまん。リアにはホント、色々と世話になっちゃって」

「いいよ別に。誰かの世話するの慣れてるし。うち、大家族だったからね。それより一個持とうか?」

 トートバック三つとリュックを背負い自転車を押すオレを見る。

 確かに重いが、重い物ゆえに女の子に頼むのは気が引けるな。

「自転車頼む」

「ヤー」

 馴染みの守衛さんに軽く会釈をし、オレとリアが歩く。

「最近、隊長と仲良いね」

 唐突にそんなことを聞かれた。

「まあ、よく話すかな。年も同じだし」

「どうせ私は年上ですよーだ」

「そういや大家族って言ってたよな、さっき」

「それがどしたの?」

「ドイツの家族って、どういうの?」

「へ?」

「いや、ラウラに『家族って何だ?』って聞かれてさ。オレ、千冬姉しか家族いないし、よくわかんなくて」

「ふーん……」

 リアが兵舎に自転車を立てかける。

「鍵は?」

「そのままでいいよ、盗むヤツなんていないだろ」

 二人で兵舎のゲートをくぐり、無機質な合金の通路を歩き始めた。

「そうだね。でも家族かー。私も他の家族なんて知らないから、何とも言えないけど」

「だよな」

「でも、家族って大事なんだよ。理屈抜きで。一夏だってそうでしょ?」

「そうだな、うん、それはわかる」

「ときには、面倒になるし抜けだしたいときもあるけど、でも家族から抜けることは出来ても、家族になることは簡単じゃないし」

「ふむふむ」

「って、これじゃドイツの家族のことなんてわからないか」

 アハハハと少し照れたような笑みを浮かべる。

「いや、よくわかった。ありがとな、リア」

「どういたしまして。今日の晩飯何かなー?」

 先輩隊員がオレの持っているトートバックの中身を覗きこむ。

「今日はみんな忙しそうだし、片手で食べられるものにしようかなって」

「お、気が効くね」

「黒兎隊の胃袋は握ってるからな。あとは軽く夜食用も作っておくから、夜中までかかるようだったら、食ってくれ。残したら朝食にして、量を見て追加で作るか考える」

 家事だけは昔から練習してきているので、自信はある。

「あははっ、でも今の家族っぽいと思うよ。お母さんってそんな感じ」

「えー? これなら千冬姉との会話と変わらないぞ?」

「そういうもんだよ。きっとさ。あんまり不自然でも家族っぽくないし」

「なるほど。まあ、オレらしくしろってことなのかな」

「うん。じゃあね、頑張って」

 用事があるのか、格納庫の隣にある電算室に入って行く。

「そっちも。メシは後で配って回るから」

「りょーかい」

 ドアが閉まるまで見送って、オレは急造で作られたキッチンを目指す。

「自分らしく出来るのが、家族か」

 正直、まだピンと来ない。でも、家族だろうと何だろうと仲が良いのに越したことはないよな。

 オレは今から作る献立の手順を組み立てながら、のんびりと黒兎隊の内部を歩いていった。

 

 

 メシを各部署に届けて回って、最後に副隊長室と隊長室が残るだけになった。

 クラリッサさんの部屋の前に立ち、ブザーを押す。

「一夏です。メシ持ってきました」

『入れ』

 圧縮空気の音とともに自動ドアが開く。

「あれ、ラウラ」

「あ、ああ。ご、ご苦労」

 部屋の真ん中にある来客応対用のソファーには、クラリッサさんの他にラウラが座っていた。間にあるガラスのテーブルには、何やら本が置いてある。

 ……マンガ? 日本の?

 クラリッサさんがオレの視線に気づき、慌ててテーブルの下に隠す。

「な、何でもないぞ、うん」

「はぁ……」

 休憩中に読んでたのかな。クラリッサさんってそういう趣味もあるのか。意外だな。

「ラウラはどうする? ここで食ってくか?」

「あ、ああ、そうしようか」

 クラリッサさんが少し驚いた顔をする。

「た、隊長がご一緒に?」

「そ、そうだが、何か?」

「いえ、珍しいこともあるな、と」

「今日は夜、長くなりそうだからな。兵站ぐらいはゆっくり取ろうかと。い、一夏もどうだ?」

「オレ? いいなら一緒に取ろうかな」

 私服姿のままのオレは、コーヒーの準備をし、手早くテーブルの上に夕飯を並べていく。普段はわりと魚料理多めにしているのだが、今日は手早く食べられるパン系が中心だ。

「あと、隊長用にシュヴァルツヴァルトの生ハムも、サービスで」

「わ、私だけか。い、いいのか?」

「うん、一番小さいからな。いっぱい食べろよ」

「余計なお世話だ!」

 フンとむくれた後、あらかじめカッティングしてあったフラムクーヘン、いわゆるアルザス風ピザに手をつける。

「こんなものまで作れるのか」

 クラリッサさんがオレの作品を手にとって、マジマジと眺める。

「クラリッサさんは南部出身でしたよね」

「そうだな、フラムクーヘンは子供のころ、よく食べたぞ」

「でもこれ、よく考えたらフランス料理なんですよね」

「まあそうだが、ドイツでもよく食べる。地続きだしな。うん、うまい」

「良かった。前に作ったとき、千冬姉にはちょっと不評で。理由は教えてくれなかったけど」

「おそらくこれは、ビールが欲しくなる味だからだろうな」

「……な、なるほど」

 アルコール接種可能な大人らしい意見だ。

「織斑教官は、よくビールを飲むのか」

 ラウラが興味津津に尋ねてくる。アルコールの入る場所には、ラウラと一緒に行くことはなかったようだ。良かったなラウラ。千冬姉のカッコいいところしか見てなくて。

 二人に飲み物を出してから、オレもラウラの隣に座った。その瞬間にクラリッサさんがオレに何か言おうとしたが、結局何も言わなかった。

「ドイツビールは好きみたいだったぞ。熱いのも気に入ってたみたいだぞラウラ」

「ほう? なぜだ? 熱いの?」

「日本じゃ冷たいのしかないからな」

 クラリッサさんが意外そうな顔でオレたちの顔を見比べている。

「何だ?」

 銀髪の隊長殿がクラリッサさんに不思議そうな顔で尋ねた。

「い、いえ何でもありません」

「変なヤツだな」

 ラウラが少し笑う。

「いや、ラウラが変なヤツだろ」

「な、なんだと? どこがだ!?」

「まず常識がない。クラリッサさんも言ってやってくださいよ、男の部屋に夜、突然やってくるなんて」

「バカ、待て」

 ラウラが慌ててオレの口を塞ぐ。

「隊長……それはやめて欲しいと言ったはずですが?」

「ち、違うんだクラリッサ、これはやむを得ない事情があってだな」

「ほほう?」

 不自然なほどの笑みを浮かべるクラリッサさんに、ラウラが必死で弁解しようとしている。何か珍しいというか、ちょっと前まで見られなかった構図だな。

「ご、護衛だ、この間の抜けた新人の護衛をだな」

「……隊長」

「……す、すまん」

「はぁ……わかりました。今後はしないでいただきたい。隊として示しがつきません」

「わ、わかった。善処する」

「善処?」

 ギラリ、とクラリッサさんがラウラを睨んだ。

「やめる、やめるとも!」

「結構です。一夏も、次来たら、すぐに追い返せよ?」

「や、ヤー!」

 凄い迫力だったので、慌てて姿勢を正して返事をする。

 そんな十五歳二人の様子を見て、副隊長が小さく吹き出した。

「いや失礼しました。あまりにも年少組が素直に言うことを聞くもので」

「悪趣味だぞクラリッサ」

「いえいえ、これは軍の大尉少佐ではなく、年長者として言っているのです」

「ぐ、ぐぬぬ」

「隊長が言ったのですよ、可能な限り十五歳として扱ってほしい、と」

 オレは驚いてラウラの顔を見る。

「な、なんだ一夏」

「いや、ちょっと驚いて。何でまた」

「か、考えることがあったのだ。その……」

「その?」

「……お前の方が隊に馴染んでいる」

 ちょっと申し訳なさそうにラウラが顔を逸らした。

「へ?」

「い、いや、少し考えたのだ。私はまだ人生経験が足りん。それはわかった。だがどうやって積めばいいのかと」

「へー、でもそれが何で十五歳として扱うという話になるんだ?」

「じゅ、十五歳として扱ってもらうことで、足りないものが見えてくると思ったのだ!」

 プイっと顔を逸らした。確かにオレと同い年の女の子みたいな感じだ。

 あの傍若無人だったラウラが、そんなことまで考えていたなんて。

「も、もちろん隊長として隊を牽引していくつもりだ」

「それは頼むよ。お前よりもっと頼りない十五歳がここにいるからな」

 軽く肩を竦めてからコーヒーを口に含む。

「……お前は強いな、一夏」

「ん? どこが?」

「自分の弱さをそうも簡単に認められるなど」

 ラウラの言葉に、クラリッサさんも頷いていた。

「素直なところは一夏の強さではありますね」

 そうか? 自分では割と頑固だと思うんだけどなあ……。

「まあとりあえず、オレが弱いってことに違いはないんだ。これからもよろしくお願いします、隊長、副隊長」

 ペコリと頭を下げる。

「ま、任せろ」

「うむ、励めよ」

 ラウラは少し照れたような笑みで、クラリッサさんは目を閉じて深く頷いてくれる。

 何はともあれ黒兎隊は、少しずつ問題が緩和しているようでなによりだ。仲が悪いよりは良い方が絶対にマシだ。

 その方が、メシだって美味いしな。

 

 

 基地の中をぐるっと回って食器やゴミを片付けて回る。これもオレの仕事だ。

 時刻は九時を回っている。

 残るは格納庫だけだ。ここに詰めている人間が今日は一番忙しいだろう。何せ正体不明のISを解析しているのだから。

「ゴミ回収に来ましたー」

「その辺にあるからよろしくー」

 ディスプレイから目を離さずに隊員たちが答える。床に寝かされた異形のISには様々な機器が接続されていた。

「何かわかったわけ?」

「……詳細は今だ不明。私たちでもここまでわからない機体ってのは、中々ないわね」

 ティナが呆れたような顔でため息を吐いた。

「リアはどこいったんだ?」

「あれ? その辺いない?」

「いや、いないけど」

「あー……電話か」

「電話?」

「ちょっとね。あの子んち、今、大変なのよ。でもすぐ戻ってくるでしょ。それより隊長と副隊長は?」

「クラリッサさんは仮眠に入った。ラウラはまだ起きて自室にいる」

「んじゃ起きてる方に伝えておいて。まだ何にもわかりませんって」

「ヤー」

 オレは踵を返して通路へと戻る。ちょうどそのとき、ラウラがこちらへと向かってきていた。

「お、伝言がある」

「なんだ?」

「あのIS、何もわかってないって」

 ラウラがふかーいため息を吐いた。

「……バカかキサマは」

「す、すまん」

 悪気はなかったんだが、一応、言っておこうと思っただけなんだけど。

「いいからさっさと片付けて部屋に帰って寝ろ。朝には戻る」

「了解。あんまり無理するなよ」

「わかった。ではな」

「おう」

 ん? なんか自然に不自然な気が……

「ってちょっと待て。何をさりげなくオレの部屋に入り込もうとしている!?」

「入り込む? 何を勘違いしている」

「え? 勘違い?」

「朝には部屋に戻ると言っただけだ」

「あ、自分の部屋か」

 そりゃそうだよな、これじゃ期待してるみたいじゃないか。恥ずかしい。

「いや、お前の部屋だが?」

「って、何にも勘違いしてねえじゃねーか!」

「入り込むではなく、戻る、もしくは、帰るだな。ドイツ語の勉強だ。理解しろ」

「言っている意味がわからんのだが……」

「ドイツに来てもう一年以上だろう? そんなことで大丈夫か、お前は」

「うーん、わりとドイツ語はわかってきたつもりなんだが」

「私は日本語も理解できる。自国が恋しくなったら付き合ってやろう」

「そ、そうなのか。さすがラウラ。じゃあ今度、日本の昔話にでも付き合ってもらおうかな」

「そのときは美味いコーヒーを出すように」

「任せろ、それは得意だ……って自然に流してんじゃねーよ!?」

 わざとなのか、天然なのかわかりにくいヤツだな……。

「しつこいやつだな。仕事があるんだぞ、私は」

「と、とにかく、オレんちじゃなくて自分の部屋に戻れよ! いいな? クラリッサさんに言いつけるぞ?」

「ぐっ……」

 オレの切り札にラウラが身構える。

「あれ一夏、それに隊長」

 オレの後ろから声がかかる。

「あ、リア。おつかれ」

 軽く手を上げる。

「最近、仲が良いね、隊長と一夏」

『そ、そうか?』

 思わずラウラとオレの声が被る。

「……ふーん。でもラウラ隊長にそんな気があったなんて意外ですね」

 妙に棘のある声色だった。この子が、というか、この隊の子がそんな口調で話すのは非常に珍しい。

 ラウラは小首を傾げ、

「どういう意味だ?」

 と尋ねる。

「いいえ、そうですよね、憧れの教官の弟ですもんね。近づいて仲良くするに越したことないですもんね」

「……どういう意味だ」

 さすがに侮辱されていると理解したのか、ラウラの表情が険しくなる。

「あ、それともコロっといっちゃったんですか」

「キサマ」

「あーすみません、これって上官侮辱罪ってヤツでしたっけ」

 アハハハとわざとらしい笑みを浮かべるリアに、ラウラの表情が一層険しくなるかと思ったが、ラウラは大きく肩を落とし、

「今のドイツ連邦軍に上官侮辱罪はない。からかうのも上官で遊ぶの自由だ。だが程々にしてもらえると助かる。あと軍にはなくても国の法律としてはあるからな」

 とわざとらしいため息を吐いた。

 おお、大人の対応……ラウラが成長している! 三週間で人はこれほど変わるのか。

「……今さらまともな上官気どりですか」

「今さらも何も、まともな上官であったことは今まで一度もない。そんなことはお前たちが一番知ってるだろう。だが、まあ、努力をするという約束はしよう」

「……このデザイナーチャイルド風情が」

 ボソリと、だが確実に聞こえる声で呟いた。

「おいリア、それは言い過ぎだろ!?」

 思わず言葉が出る。

 ラウラもいきなりの反応で、返す言葉を失っていた。カッとなるというより、驚いている様子だ。

「なに一夏、ボーデヴィッヒ隊長に籠絡されちゃったの? さすがだね。それとも家族ごっこにでも付き合ってるわけ?」

 リアはたぶんオレが彼女に漏らした『家族』の話をしているのだろう。

「関係ないだろ? どうしたんだよリア、そんなこと言うヤツじゃなかっただろ」

「……ごめん。ちょっと色々あって頭に来てるの。わかったような口聞かないくれる? 新人君」

 リアとオレが睨み合う。彼女にも色々と事情があるのはわかってるけど、それでもさっきの言葉は許せない。

 怒り心頭のオレの肩を、ラウラがポンと叩いた。

「いや一夏、別に侮辱には当たらない。それよりエルメラインヒ。母親の体調が良くないのか?」

「え?」

 突然の言葉に、リアがポカンと口を開けた。

「長いこと患っているのだろう?」

「な、んでそんなことを」

「隊員の状態の把握はしているつもりだ。と言ってもここ最近の話で威張れるものでも何でもないが」

 自嘲気味の笑みを銀髪の隊長が浮かべる。

「……まさか隊長がそんなことを気にするなんて」

「家族ごっこ、とやらをどうやって行うのかすらわからん。もちろんデザイナーチャイルドである私が家族というものを理解できないのも否定はしない。だが身内の調子が良くないのなら、無理はするべきではないと思う」

 少し自信なさげな様子だが、ラウラは何も間違っていなかった。彼女はわからないなりに、わかろうとしていた。

「それは、今の任務を外れろということでしょうか」

「もちろん違う。お前は優秀な隊員で、我が黒兎隊には欠かせない人材だ」

「……ですが隊長、今は忙しい時期です。あの謎のISもありますし、シュヴァルツェア二機の試験、そして一夏の仮入隊」

「その責任感はありがたい。だがこの先も長い間、ずっとお前の力を借りることになるだろう。このバカの教育にも。そうだな、一夏」

 隊長がオレに同意を求める。

「あ、ああ。リアが一番親身になってくれるし、オレにとっては得難い先輩だよ、間違いない」

「ということだ。まずはこの馬鹿に物理の基礎から理解しやすいように教える人間が必要だし、それはお前にお願いしたい、エルメラインヒ、いや、リア」

 オレがAICのレーザー兵器に対する弱点を理解してなかったとき、ラウラは最初に彼女の名前を上げていた。

「……意外でした、あの隊長がまさか」

「どうする?」

「ですが今、隊を離れては」

「安心しろ。シュヴァルツェアシリーズはまだテストしなければならないことが多い。次のパイロットを選ぶのはだいぶ先だし、今の時点の休暇が評価に影響することはない。それは私が保証するし、クラリッサもそんなことはしないだろう」

「……了解です」

「そんなに悪いのか」

「……はい。今日明日が峠だろうと」

「ではすぐに支度しろ。命令だ」

「や、ヤー!」

 リアが敬礼をしてから、出口へと走り出す。その姿が見えなくなってから、オレは大きく安堵のため息を吐いた。

「良かったよ、ありがとうラウラ」

「む、なぜキサマが礼を言う?」

「オレじゃリアのそんな事情までわからなかったし、さっきの様子じゃ、あの子に何て言ってたか」

「まあ正直、一瞬だけ頭に来たがな、すぐに少し考えたのだ」

「考えた?」

「織斑教官がもし倒れたとき、私は一夏にどうしろというべきか、と」

 ……そういうことか。ラウラはわからないなりに、自分で想像できる範囲内で考えたのだ。

「隊長」

 格納庫にいた隊員たちがぞろぞろと姿を現す。

「どうした?」

「ありがとうございます。あの子のこと」

「隊員だ。ま、まあ前の私なら、ああは言わなかったかもしれないが」

 チラリとラウラがオレの方を見たのは何でだろう?

「あの子、ずっと悩んでて、ホントは母親に付いていたかったんですけど、レーゲンとツヴァイクが来て、次期パイロット候補の話が現実味を帯びてきて、隊も忙しくなって」

 忙しくなった原因その一ぐらいに当てはまるオレには、何にも言えない。

「さあ、リアの分も働かなければ。一夏はさっさと戻れ。お前に出来ることは、明日の我々の朝食を可能な限り美味しく作ることだ」

「ヤー!」

 ラウラの言うとおりだ。リアのことにオレが罪悪感を抱いても、出来ることなんて限られている。それならしっかりと休んで、早起きし、みんなのためにコックとして腕を振るうだけだ。

「では黒兎隊、全員、自分の仕事に戻れ!」 

 長い銀髪に小さな体の隊長が、命令を飛ばす。場にいた全員が姿勢を正して、『了解しました少佐殿!』と声を合わせた。

 

 

 

 結局、朝方になって、夜勤を終えたラウラがオレの部屋に訪れた。

「男の部屋に来ないってクラリッサさんと約束したよな?」

「今は朝だ。問題ない」

「そうきますか……」

 すでにクラリッサさんと交代し今から非番に入るらしい。と言っても寝て起きるだけだということだ。

 寝る前に、とラウラに暖かいココアを出してやった。ソファーの上で膝をかかえて、隊長殿がチビチビと舐めている。まるで猫だ。

「そういやラウラ、リアは何で母親のこと言わなかったんだろう」

「いや、親しい人間には言ってたみたいだがな。やはり次期国家代表候補選抜の話が現実味を帯びてきたからだろう」

「それが黒兎隊と何の関係があるんだ?」

「我々IS操縦者は全員が国家代表を目指していると言っても過言ではない。国家代表ともなれば国の顔だ。目指す動機はそれぞれだがな」

「金とか名誉とか?」

「それぞれに事情があるだろう。国家代表が変われば、次の国家代表候補の座が一つ空く。つまりはそういうことだ」

「……なるほど」

「次は違うだろうが、その次の国家代表候補が操縦する機体はシュヴァルツェアシリーズが濃厚だ。今は私とクラリッサが専用機としているが、三機目の話ももちろん上がっている」

「ってことはつまり、黒兎隊から三人目の専用機持ちが出る可能性が高いってことか」

「国家代表候補で専用機持ちになれれば、国家代表も見えてくるからな」

「でも、家族を犠牲にしてまで目指すことなのかな……」

 現実に千冬姉は世界一の名誉を投げ捨ててまで、オレを助けにきてくれた。

「私にそれを聞いても困るが……」

「だよなあ。オレたちじゃあな」

「だが同じ疑問を持っていたので、先ほど交代の申し渡しのときに、クラリッサに聞いてみた」

「何て言ってたんだ?」

「母親に応援されているからこそ、動けなかったと教えてくれた」

「……そっか」

 本当は母親の元に駆け寄りたかったけど、何よりも母親自身が一番、国家代表を目指すリアを応援していたのだ。だからこそ、リアはジレンマに陥ったってことか。

 そこにラウラが今、部隊を離れていてもマイナス評価にならないと背中を押してくれた。

「難しいな、家族って」

「家族などいないからな、私は」

 返す言葉がない。オレには千冬姉がいるが、ラウラは本当に家族がいないデザイナーチャイルドなのだ。

「だが」

 なぜか得意げかつ不敵な笑みを浮かべるラウラが立ち上がっていた。

「家族になることは出来る」

「へ?」

「今日からお前は私の嫁だ」

 ビシっとオレの顔を指さして、銀髪の女の子が力強く言い放った。

 ……はえ?

「どういうことだ?」

 何言ってんだこの隊長様。

「クラリッサに聞いたのだ。クラリッサは日本文化に詳しいからな」

 そういや日本の漫画持ってたな。

「日本では何でも、気に入った人間を『オレの嫁』とか『私の嫁』とか言うらしいな」

 ……そうだっけ。いや、それはなんか違うような。

「ゆえに、お前は今日から『私の嫁』だ。これは決定だ。異論は認めん」

「ちょっと待てえええ!? 絶対に何か誤解してるぞラウラ!」

「ふふふ、これで今日から私とお前は家族だな! 喜べ一夏!」

「それだと夫婦っていうんじゃないのか? いや、それも家族か……いや何か色々間違ってるぞ!」

「では嫁よ、私は寝るぞ」

「なぜ服を脱ぐ!?」

「私は寝るときはいつも裸だ」

「ま、待て、脱ぐな、脱ぐんじゃない! そ、そうだ、まずはハミガキをしろ。お前が今朝使ったハブラシが洗面台にある!」

「それは言う通りだな、ではまずそうしよう」

 旦那様が素直なお方で良かったぜ。

 そのままリビングから洗面台に行ったのを確認し、オレの口から大きく安堵のため息が零れる。

 うちの隊長様は、真面目で天然の楽しいお方だったらしい。これって、この先ずっと嫁呼ばわりされるんだろうか。

 

 

 

 拝啓、千冬姉、日本のみんな。今日、オレに家族が増えました。旦那です。何故かオレが嫁です。意味不明ですが、そういうことらしいです。

 ……うん、こんな手紙を送ったら心配するよね、いろんな意味で。主に頭の心配とかされそうだ。

 何か間違ってるけど、とりあえず元気でやってます。心配しないでください。

 かしこ。織斑一夏より。

 

 

 

 

 







・捕捉(蛇足?)のこの話でドイツ編終わり、次はフランス
・ラウラが嫁と呼ぶまで(つまりIS学園でVTシステム事件後まで)状態へ。
・ドイツといえばホットなビールの印象……(ドイツに行ったことはありません)




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フランス①

「……ど、どうしてもこの格好じゃなきゃダメなのか、一夏」

「仕方ない。あの嬉しそうにその服を渡してきたクラリッサさんを思い出すと……」

「くぅ……」

 ラウラはいわゆる『ゴスロリ』という服を着ていた。至るところにヒラヒラとしたあフリルのついた黒いワンピースだ。

 確かにこれだと眼帯をつけていても、不自然じゃないかもしれない。存在自体が不自然すぎて、眼帯ぐらいは衣装の一部だと思われそうだ。

(クラリッサさんの趣味だろうな。写真撮りまくってたし)

 とはいえず、隣で所在なさげにモジモジとスカートの前を掴んでいるラウラを見る。

「い、一夏、嫁としてど、どうだ、似合ってるか!?」

「おう、可愛いと思うぞ」

「そ、そうか、可愛いか……かわいい……私が……」

「ラウラ?」

「な、何でも……かわいい……そんなこと言われたのは初めてだ」

 言ったことなかったっけ、オレ。

「さて、とりあえずはこの電車に乗ってフランスか」

 4月の上旬、オレはフランスで行われる欧州軍のコンペを見学することになった。コンペティションはIS開発国の中間発表会であり、これで欧州統合軍の正式採用機が決まるわけじゃないけど、現段階での完成度などは、採用に大きく響くらしい。

 それに参加と言っても、もちろんIS操縦者としてではない。織斑千冬の弟として、縁のある黒兎隊のラウラ・ボーデヴィッヒ隊長の引率の元、来賓客として客席から見学するというだけである。観客も基本は軍関係者ばかりらしいが、それでもヨーロッパ全土から来るとなると、かなりの人数だ。

 部隊の副隊長クラリッサさん曰く、色々なISを見ておくのは勉強になるということだ。

 で、ただの一般人として向かうので軍用の移動手段は使えず、オレは私服で国際列車を使うことになったんだが……。

「ラウラも無理に付き合わなくて良かったんだぞ? 電車ぐらい一人で乗れる」

「ふ、ふん、お前一人では何が起こるかわからんからな!」

 なぜかお怒りである。

 今から長旅で、和やかに行きたいところなんだけどな。

「さて、行きますか」

 電車に乗ろうとするが、ラウラが履きなれないスカートで歩きにくそうにしていた。

 ラウラの後ろをついていきていた自走キャリーを持ちあげて、左手でラウラの手を握る。

「い、一夏?」

「こうしないと、はぐれちゃいそうだしな」

「そ、そうだな」

「顔真っ赤にして、体調悪いのか?」

 ラウラだけに。ってドイツ語じゃ伝わらないな、うん。

「く、この唐変木め」

「ん? 何か言ったか?」

「何でもない!」

 変なラウラだな。

「んじゃ行こうぜ」

 隊長の手を引っ張って電車に乗り込む。

 オレこと織斑一夏は、日本での誘拐されかけた。そのときに一緒にいた友達を危ない目に遭わせ、逃げるようにドイツに渡った。今は黒兎隊の仮隊員として、隊長であるラウラの下でISの勉強に励んでいる。少しずつ強くなっている実感はあるけど、まだ日本に帰る勇気が持てない。

 せめて何か一つだけでも成し遂げられたなら。

 最近はそう思いながら、今日も今日とて、日本から離れた西の地で頑張ってます。

 

 

「しっかしラウラが何でまた、これを見に来たがったんだ?」

 コンペティションの一日目、国立の巨大なISアリーナにいた。数十席ある迎賓席の隅っこで、オレとラウラは準備が進んでいるコンペ会場を見つめている。

「簡単だ、テンペスタⅡを見に来たのだ」

「あー……」

「もちろん、このコンペに出ているのはディアブロではないがな」

 テンペスタⅡ・ディアブロ。黒い悪魔のような第三世代機だ。まだAICを装備していなかったとはいえ、同じ第三世代機であるシュヴァルツェアを軽々と倒した機体だった。あのあり得ないスピードは、IS操縦に慣れてきた今の方が恐ろしく感じる。

「結局、あれから一度も姿を見せてないのか?」

「わからん。もし他国が遭遇していたとしても、我が国のように恥を表には出さないだろうな」

 ふん、と面白く無さそうに鼻を鳴らす。

「お、そろそろ始まるみたいだぞ」

 会場にフランス語と英語のアナウンスが入る。座っていたイスの前に、ホログラムディスプレイが浮かび上がって、コンペに参加する機体のスペックが表示された。

「……第二世代?」

 表示されたのは、ラファール・リヴァイヴだ。第二世代機最後発機で、現行機種でもシェアが高い機種だけど……。

「フランスだからな。つまらん」

 ラウラがさも興味なさそうに吐き捨てた。

 そりゃそうだ。世の中の開発組織はどれも第三世代の開発に躍起になっている。オレの所属する黒兎隊だって、本題はシュヴァルツェアシリーズの実機テストが主な任務だ。

 次の欧州標準機を選ぶという段階で、第二世代機というのは確かに肩透かしのものがある。いくらラファール・リヴァイヴがフランス企業の機体とはいえ、世代的にライバルにすらなり得てない。

 まあ第二世代機の最初期の機体であるメッサーシュミット・アハトに乗ってるオレがいうセリフじゃないけどな……。

 事実、他の来賓客も興味を失い歓談したり、手元の端末をいじったりしている。

「簡単なデモストンレーションかな」

 それでもオレにとっては見るだけでも勉強だ。

「……なあ、あれって男かな?」

「そんなわけがなかろう」

「だよなあ」

 笑顔を振りまく搭乗者の顔がアップで映されるが、黒いバイザーによって口元しか見えない。

 椅子の腕掛けに内蔵された端末をいじるが、パイロットデータは無かった。

 やがて、巨大スクリーンにカウントが表示され始める。ゼロになると同時に、電子ターゲットがいくつも空中に表示された。数字が書いてあるってことは、それを順番通りに撃ち抜くってことか。

「速えぇ……」

 思わず感想が漏れる。年頃はオレたちと同じぐらいか? 金髪のISパイロットの腕は凄かった。

 空中を回転しながら飛び回り、さらに兵装を一瞬で変えながら、十二枚の電子ターゲットを全て違う武器で打ち抜いたのだ。

「……ふむ。悪くない腕だ」

「だ、だよな。代表候補かな?」

「大量の武装を保存可能なラファール・リヴァイヴならではのデモンストレーションだが、それを最大限に発揮しているパイロットも中々だ」

「世の中にはすごいヤツがいるもんだな」

「だが、このコンペとしては最悪だな」

「え?」

「第三世代と第二世代の差の違いは何だ?」

「えっと、確かイメージインターフェースを利用した武装だよな。っと、そういうことか」

「ああ。見せるのは、第三世代武装でなければ意味がない。出てきた武装は全て第二世代の共通インターフェース仕様の物だ。まあ、パイロット本人の売り込みだったなら、評価はされただろうな」

 再び興味を無くして、ラウラは手元の端末を操作し始めた。

「シュヴァルツェアは三日目だよな」

「二日目の夕方に他の搬入される。ちょうど、テンペスタⅡの後だ」

「今日の予定されている機体は、あとは大したことないな。第二世代の日、とでも言いたいのか。……ん、これは」

「どうした?」

「次は推進翼デモか。見ておくか」

「お?」

「テンペスタⅡも採用してるメーカーだ」

「部品かよ」

「それぐらいしか価値はないな」

 

 アリーナに隣接されたホテルの、自分用に用意された部屋に入る。なぜか違う部屋のはずのラウラもついてきた。

「……ラウラ」

「なんだ」

「お前の部屋、あっち」

「な、何故だ!? お前は私の嫁だぞ?」

「結婚前の男女は同じ部屋に泊まったりしねえの」

「では今すぐ結婚するぞ。近くに教会があったな神父を探すぞ行くぞ一夏隊長命令だ」

「嫁とか言ってるのにまだ結婚してないのは自覚してるのかよ!?」

 ラウラを何とか部屋から押し出そうとしていると、

「すみません、そこ、僕の部屋なんですけど」

 と申し訳なさそうな声が聞こえてきた。

 男か女か一見では判別しがたい、中性的な顔立ちの子がいた。身長はラウラよりちょっと高いくらいか。長い金髪を肩の上ぐらいでゆるくまとめている。申し訳なさそうにこちらを窺っている。年頃はオレたちと同じぐらいか?

 どっかで見た顔だけど、どこだったっけ。

「ああ、すみません」

「いえ、通していただけるとありがたいんですけど……ここ、僕の部屋なので」

 なぜか日本語だった。オレが日本人だからって気を使ってくれてるんだろうか。

 カードキーをオレに見せてくれる。

「いや、オレもそうなんだけど」

 オレの手に持ったカードキーに記された部屋番号と全く同じ物だった。

「ど、どういうことだ?」

「う、うーん、男の子同士だからかなぁ?」

 二人で首を傾げる。……男だったんだ。

「では一夏は、私の部屋に泊まるべきだな」

 ラウラがズイッと前に出て、男の子との間に割り込む。

「いやだからな、さすがにそういうわけにはいかないし、そんなことバレたら、またクラリッサさんに怒られちゃうだろ?」

「ぐ、い、いやクラリッサは、ここにはいない!」

「三日目に来るんだろ」

「く、くぅ……」

「うーん、どっちにしても他に部屋余ってないか聞いてみるよ」

 ロビーに向かって歩き出そうとすると、

「たぶん空いてないと思うよ。コンペ関連で毎年、一杯になるらしいし」

 と止められる。

「うーん、じゃあ近場のホテル探せば一室ぐらい」

「い、一夏」

 くいっとラウラに袖を引っ張られる。

 そうだよな、さすがにそこまで離れるわけにはいかないよなあ。

「んー……まあ仕方ないか。えっと、悪いけど一緒の部屋でもいいか?」

「私は構わんぞ」

「いや、ラウラじゃねえよ、そっちの子」

「あ、うん、僕はいいよ。そちらが気にしないなら」

 ちょっと照れたように笑う姿が、まるで王子様のようだ。

「シャルル・ファブレだよ、よろしくね」

 可愛らしい笑顔とともに差しだされた手を握り返す。

「イチカ・オリムラだ、よろしくな。じゃあ、ラウラ、荷物置いてメシ行こうぜ」

「了解だ、すぐに行くぞ」

 少し不機嫌そうな声色の返答が返ってくる。

「いや、荷物置いてからな」

「では40秒で用意しろ、いいな?」

「それ、部隊で流行ってるのはクラリッサさんのせいか? はぁ……了解だ」

 うちの部隊は何でも40秒準備で困る……。

 荷物を持って部屋に入ろうとすると、シャルルが、

「あ、ねえ、僕もご一緒していいかな?」

 と尋ねてきた。

「そうだな、同じ部屋になった縁だし」

「ありがとう! 優しいね!」

「そ、そうか? んじゃすぐ行くか」

「うん!」

 

 ホテルで立食式のパーティーが開かれていた。もちろん来賓であるオレたちはここに呼ばれている。

 ラウラは正装でもある軍服に着替えており、挨拶に来る人間と何やら会話をしていた。笑顔は得意ではないようだが、何とか無難にこなしているようだ。

 その近くでオレとシャルルの二人でグラスに口をつけていた。

「大変だね、軍人さんも」

「だな」

 可哀そうだとは思いつつも、表向きはIS操縦者ですら無いオレでは、助け舟すら出せず眺めてるだけだ。

「シャルル」

 そこに大人の声がかかる。見たことのない白髪まじりのおじさんだった。

「……こんにちは。こんなところにおいでになってどうしたんです?」

「私も様子を見に来たのだ。そちらは?」

「あ、彼は織斑一夏君です」

「は、はじめまして」

 とりあえず会釈をして握手を交わす。堅い表情の人で、笑顔一つない。

「よろしく頼むよ。シャルルも上手くやれ」

「はい」

 ずっと柔らかい笑みで会話してたシャルルも、堅い表情をしていた。

 そのオジサンが去っていくと、シャルルはホッと小さなため息を吐いた。

「誰なんだ?」

「デュノア社の社長だよ。僕はデュノア社の社員なんだ」

 デュノアって言うと、昼間にラウラが場違いだと言ってた第二世代機ラファール・リヴァイヴの開発企業だ。

「ふーん、男なのにその若さでIS関連企業とか凄いな」

「たまたまだよ、縁があってね。……っていうより他に行き場所がないんだ」

「行き場所……」

「居場所は自分で作らなきゃいけないって思うんだ」

 少し悲しそうな顔で物語る。

「オレは逃げてきたからなあ……」

 手に持ったジンジャーエールを口に含む。しっかりとショウガの味がする上質なヤツだ。

「逃げてきた?」

「まあな。友達が危ない目にあって、オレが原因でさ。いたたまれなくて、自分の居場所から逃げてきたんだよ。だからまあ、その……お前は頑張れよ」

「……ふふっ、一夏は優しいね」

「そ、そうか?」

「でも、今の一夏はどうなの?」

「今のオレ、か」

 ラウラが似たような軍服の人間と握手をしてから、こちらに戻ってくる。

「やれやれだ、肩が凝る」

「おつかれ、隊長」

「どうした、そんな顔をして」

 ラウラがオレの顔を覗きこむ。心配げな顔をしていた。

 思わず笑みが零れる。

「今は、ラウラがいて良かったって思うよ」

「ん?」

「何でもない」

 ポンポンとラウラの頭を撫でた。子供扱いされ、少し顔を赤くするラウラが可愛い。

 シャルルがオレに優しげに微笑んだ。

「逃げた先でも良いことあるんなら、逃げ出すって悪くないのかもね」

 

「一夏、朝だよー?」

 聞きなれない声で目を覚ます。そういやそうだった。フランスに来てて、シャルルってヤツと同じ部屋になったんだ。

「ん……あ、おはようシャルル」

「今日も会場、行くんだよね、一緒に行こうよ」

「おー。すぐ準備する」

 ぐいっとTシャツを脱いだ。

「いいいい、一夏、ここで着替えなくても」

「ん? ああ、悪い」

 寝ぼけ眼でベッドから起き上がって、Tシャツを首にかけたままバスルームに向かう。

 中に入ると、何か良い匂いがした。直前までシャルルが入ってたのか?

 とりあえず熱いシャワーを出しながら、広いバスルームで服を脱ぎ始める。

「うわああ、一夏、ちょっと待って!」

「ん?」

「そ、そこに僕の着替えが、って……」

 バスルームに乱入してきたシャルルがオレの裸を見て硬直していた。

「いいい、一夏!」

「いや、そんな直視されるとさすがに恥ずかしいんだが……」

「ごごごごごめん、すぐに出る、出るから!」

 シャルルは律義に顔を逸らして、オレの脱いだ服の近くから、布の塊を手に取った。

 ……パンツか、えらい小さいな……ああ見えてブーメランパンツ使いなのか。白いブーメランパンツとかマニアック過ぎる気がするけど……。

 とりあえずバスカーテンを引いて、シャワーを浴び始める。

「い、一夏、ごめんね、ごゆっくり!」

「すぐ出るっつーの。あ、やべえ、寝ぼけてて着替え持ってくるの忘れた……」

「持ってこようか? カバン開けていい?」

「いいよ大丈夫だって。男同士なんだし、裸でそっち行く」

 オレのカバンにはカギが掛ってるし、その中にある眼帯と軍服を見られるわけにはいかないしな。

「ええええ!? 裸で? それはダメだよ、一夏!」

「なんでだ?」

「え、ええっと、その」

「タオルぐらい巻くぞ」

「ま、まあそれなら」

 ゴニョゴニョとシャルロットが何か言ってるが、よく聞こえない。

 変なヤツだな……まあ女の子っぽいし、コンプレックスでもあるのか?

 ひとしきりシャワーを浴びて寝汗を落とし、頭を濡らしてからシャワーを止める。柔らかいバスタオルで体を拭いて水分を落とした後、腰にタオルを巻いて、バスルームから出た。

「い、一夏!? 何で隠してるのが腰だけなの?」

「へ? いや普通だろ」

「そ、そういえば男の子だもんね、そうだよね……」

「シャルル?」

「う、ううん、何でもない、……一夏って、その、良い体してるね」

「まあそれなりに鍛えてるからな」

 カバンを開けて新しいパンツを取り出し、シャルルに背中を向けて服を着ていく。

「……なんか視線を感じるんだが」

「みみみ、見てないよ、見てないって!」

「なら良いんだが」

 視線、感じるなあ。

 シャルル・ファブレ。良いヤツみたいだけど、ちょっと変わってるかも。

 

 欧州コンペ・イン・フランスの二日目、イギリスのBT実験機という機体を見たあと、いよいよイタリア製IS、テンペスタIIの出番になった。

「第二世代機であるテンペスタの正当後継機、様々なカスタム装備をテンペスタから流用可能で、色々な局面に合わせた換装が特徴だね」

「へー」

 シャルル、オレ、ラウラの順番で座り、イスのアームから浮かび上がったホログラムディスプレイの視線を見る。

 そこには今日、初めて公開される情報もいくつか記載されているらしく、ラウラが指先で画面をスライドさせて情報収集に集中していた。

 正直、今のオレではISの違いがよくわからないんだけど、そこはシャルルが解説してくれるから、助かってる。

「イギリスはイメージインターフェースを武装に上手く使ってきたね」

「テンペスタはどうなんだ?」

「テンペスタIIは逆だね。イメージインターフェースを駆動系に回してるみたい」

「駆動系? 意識からのフィードバックを優先してるってことか?」

「そうそう。より完成されたIS操縦を、ということ。一夏、IS詳しいね、男の子なのに」

「そ、そうか? そういうシャルルこそ」

「ぼ、僕はほら、デュノア社の人間だから」

 二人でアハハハーと誤魔化すような空笑いを浮かべ合う。いや、何でシャルルまで焦ってるんだ?

 ラウラがチラリとオレに視線を向ける。余計なことを喋るなよ、という意味だろうな、うん。了解した、とハンドサインを返し、オレは視線を会場に戻す。

「さて、そろそろテンペスタIIが出てくるのか」

「緑色の機体のようだな」

 スペックシートに記載された写真を見ながら、ラウラが呟く。オレとラウラが遭遇したテンペスタIIは黒い機体だった。

「他にも赤とかあるのかもしれん」

「戦隊モノか。黄色とか青とかもいるのかも。黒は途中から味方になったりするのか……?」

 それならわかりやすいな、うん。

「トリコロールカラーの話をしてるのだが」

 ……イタリアの国旗ですよねー。うわーはずかし……。

 ラウラがすげー馬鹿にした目でオレを見てた。

「お、男ならわかるよな?」

 思わずシャルルに同意を求めるが、苦笑いが返ってくるだけだ。

「え、えーっと、僕はあんまり……日本のアニメか何か?」

「正確には実写だけどな……」

 ふぅ、理解者がいないのはつらいぜ……。

 イタリアの国歌『マメーリの賛歌』が流れ、IS登場のアナウンスが響く。

 緑色のフルスキン機体が上空から猛スピードで降りてきた。会場がどよめきに包まれる。

 地面にぶつかるのか、と思った瞬間、イチゼロ停止でピタリと止まり、ゆっくりと地面に降り立った。それから観客席を見回し、両手を振って会場の喝采に答える。

「すげーな、今の停止」

 オレなら、間違いなく地面に大穴を開けてたと思うが、緑色のテンペスタIIは地面に埃一つ舞わせることなく止まった。

「ふむ、音速からの急停止か」

「会場のバリアがなければ、客が全員、飛んでたよな」

 オレが笑いかけるが、ラウラはこの手の下らないジョークには答えてこない。代わりにシャルルが、

「だよね、洗濯機みたいになってたかも」

 と調子を合わせて笑う。おお、さすが男同士。

「真っ白になっちゃうよな」

「まあ黒いよりはいいよね」

 そんなどうしようもなく、どうでもいい会話をしていると、ラウラが、

「ふん、黒の素晴らしさがわからんとは」

 と呟く。

「ラウラは黒好きだもんな」

 シュヴァルツェアは黒だし、プライドがあるのかもしれん。

「さて、本格的に始まるよ」

 やや緊張した声のシャルルと同じ方向に視線を動かす。

 空中に浮いたホログラムターゲットに向かって、空中を飛びながら次々とシューティングが決まって行く。

「精度は高いな。イメージインターフェースを駆動系に回して、パイロットの思考をよりダイレクトに反映する、という売り文句通りだ」

「うん、スコープサイトとの連動も上手く出来てるのかな。ターゲットロックの平均スコアが他の機体と段違いだよね」

「兵装に拘らず汎用的な用途が見込める。BT実験機は相性問題が壁になっていると言われているからな。今回の完成度はイタリアが高いか」

「ラファールの汎用性を第三世代に受け継ごうとしても、同じ切り口じゃ二番煎じで評価は低くなるし、あの完成度は中々越えられないかも……」

「イタリアにこれをやられては、フランスのデュノアとしては大変だな」

「ドイツも大変そうだね、これじゃ」

「欧州軍統一規格コンペは、まだ始まったばかりだ。今回だけで決まるわけではあるまい」

 ラウラとシャルルが専門家らしい会話をしているが、二人の間にいるオレにはさっぱりついていけない感じだ。リアがいれば解説してくれるんだけどなあ……。うちの隊長殿は残念ながらそこまで甘くない。

「だけどあの機体、速くないよな」

 とりあえず、思ったとおりの感想を口にしておいた。

「ふむ、どういうことだ? そうは見えんが」

「いや手足のスピードの話だよ。あれなら、初日のラファールの方が一つ一つの動作が機敏だ」

 最初の制動やターゲットを撃ち抜くスピードはすごいけど、動き自体は第二世代機の方が上に思える。

「……何かおかしいと思ったらそういうことだったんだ」

 ハッとした表情のあと、シャルルが端末を次々と操作していく。

「さすが私の嫁だな。良い目をしている」

「そんな良いこと言ったか?」

「それを誤魔化すために、最初に派手に登場したのか、なるほどな」

 なんか予想以上に褒められてるぞ。素人の思いつきだったんだが……。

「ほら、ラウラさんこれ見て」

「ふむ、なるほど」

「手足と推進翼の旋回速度、確かにラファールの方が速い。汎用性と正確性を増したかわりに、動作速度を犠牲にしてるんだ」

「これならBT実験機の方が速いな。スペック上のスピードが手足まで反映されていない」

「まだテンペスタIIも未完成ってことだよね」

「普通なら気付かないところだな。実際に動かしてみないとわからん」

「これ、動かしたらすごい違和感を覚えると思うよ」

「やったぞ一夏。これは致命的な欠陥だ」

「すごいね、一夏!」

 い、いやぁ、そこまで褒められると何か照れるんだけど……。

 シャルルとラウラが盛り上がってるのを見て、何か微笑ましい気分になった。専門的な会話とはいえ、ラウラが同年代とあんなに和気あいあいと話してるのは、オレとしては何か嬉しい。

 とりあえず素人意見が色々な意味で役に立って、オレはご満悦だった。

 

 シャルルはデータを自社に持ち替えるとのことで、昼食前に別れる形になった。嬉しそうに掛けていく姿を見送って、ラウラと二人で会場に供えられた昼食会場へと向かう。

 その道すがら、一つの疑問を投げかけることにした。

「なあラウラ」

「ああ、わかっている。ディアブロのことだろう」

「よくわかったな」

「あのテンペスタIIと我々が遭遇したディアブロでは、性能が違いすぎる」

 訓練中を襲撃してきたテンペスタII・ディアブロのデータは、残っているものを精密に調査し、予想されるスペックなども隊内では共有済みだ。

「フォルムも全然違ったな、ディアブロは。明日、クラリッサたちが到着したら、さっきの緑との比較データを作成する」

「……思うんだけど、いや、また素人意見で悪いんだけどさ」

「構わん。続けろ」

「イタリアは関わってないんじゃないのか? あのディアブロには」

「やはりそう思うか」

「ああ。やっぱりおかしいと思う」

「あの黒い悪魔と外見も似てなければ、中身も全く違うということだな」

「同意だ。それに、そもそもだ」

「ん?」

「あれは本当にテンペスタIIだったのか?」

「……それは」

 ラウラが立ち止まって押し黙る。

「テンペスタⅡって話を聞いて、オレはずっとあの黒い機体をテンペスタⅡとしか認識してなかった。本物のテンペスタⅡを見て、オレはあれをテンペスタⅡだとは思えなくなったんだ」

「それで、どう思うんだ」

「あの黒い機体。光線兵器特化のヤツ」

「無人機か」

「結局、あれからテンペスタⅡは現れてない。ラウラは何か掴んでるか?」

「いや、我が隊を襲った後、その情報は耳に入ってきていない。もちろん他国でも情報を隠している可能性はあるが」

「こう考えたらどうだろう、あれはテンペスタⅡと全く関係ない機体で、誰かがアレをテンペスタⅡと名付けたがってるってのは」

「その心は」

「今、最も評判の高い第三世代機の、その評価を下げたい輩がいるってことだ」

「つまり、テンペスタⅡ……以後、呼称をディアブロとしよう。ディアブロはむしろ、あの無人機と同様の個体で、テンペスタⅡの評判を下げたがってる何者かが噂を各国に流してるってことか」

「誰が? って聞かれると推測の上に推測を立ててしまうことになっちゃうんだけど、聞くか?」

「言ってみろ」

「……第三世代で一番出遅れてるところ」

「フランス、つまりデュノアか」

「もちろん、イタリア以外の他国だって可能性はあるけどな」

「スケジュールになかったラファールをねじ込んできた。ディアブロの噂がされている時点で、次のコンペはフランスと決まってたからな」

「自国でのコンペで、国内に最大のアピールをしたかったが、出来なかった企業。なら考えるのは、一番採用に近い機体を蹴落とす」

「ふむ、筋は通ってるな」

「ま、推測だけどな」

「当たらずとも遠からず、という印象だ。今度は私の予想だが」

「ん?」

「一夏の推測が当たっているなら、おそらくデュノアはもう一回、動くはずだ。コンペをひっくり返しに行くはず」

「……なるほど」

「ラファールのパイロットを覚えてるか?」

「顔は見えなかっただろ?」

「あれだけ器用に操縦したパイロットだったが結局、誰だったか名前すらわからん」

「バイザーで顔を隠してたしな」

「あれだけの腕なら、代表候補になっていてもおかしくない。なのに紹介すらなかった。ラファールのスペックだけはあんなに詳細にあったにも関わらず、だ」

「えっと、つまり」

「男」

「……シャルルがパイロットとか?」

「そうとは言わん。だが、私の嫁と同室というのが気に食わん」

「あのな……」

 そこかよ。

「それと一夏、このコンペティションが終われば、話がある。重要な話だ」

「重要な話?」

「とりあえずは今はまだいい。明日は我が隊の晴れ舞台だ。この話は、明日が終わるまで持ち越しとしよう。クラリッサの意見も聞きたいしな」

「了解だ。とりあえずフランス料理を食べるぞ。昨日のパーティーは名物料理とか何もなかったからな」

 とりあえず会期中しか滞在できないんだし、出来ればちゃんと食べたい。高級料理とかじゃなくて、フランスでしか食べれないようなものを。

「食い意地の張ったヤツだな」

「何言ってるんだ、コックの仕事を全うしてるんだぜ、食の研究さ、隊長殿」

「そういえばそうだったな。では、コック殿にエスコートしていただこうか」

 先ほどまでの真剣な表情とは打って変って、ラウラが少し楽しそうに、だけどどこか意地悪そうに笑う。

 全く可愛らしい隊長様だ。でもまあ、あらかじめ色々調べてきたし、ここは頑張らせてもらおう。

 ラウラの前に膝をついて、カッコつけて手を出すと、

「フェブレ・ファム(お嬢さん、お手柔らかに)」

 と古いフランス映画のタイトルで返しておいた。

 

 オレの奢りになったトリュファードとフロマージュのデザートを堪能したラウラと共に、会場の外で隊のトレーラーを待つ。

 やがて聞きなれた音とともに、黒い車両が到着した。助手席からクラリッサさんとリアが降りてくる。

「ただいま到着いたしました、隊長」

 クラリッサが敬礼すると、オレとラウラも返礼をする。

「あれ、隊長、なんかご機嫌ですね」

 リアが小首を傾げると、ラウラが感慨深げに、

「フランスのジャガイモも良いものだな」

 と何度も頷いた。リアとクラリッサがオレの方を恨めしそうに見る。

「……私たちがひたすら運転していたというのに」

「イチカ……何食べたの?」

 目が怖いです。

「いやいやいや、コックとして研究をですね。隊長も同伴ですし!」

「で、何を?」

「ちょっとオーヴェルニュ料理ってヤツを。興味あったから。ほ、ほらドイツだとジャガイモ料理が一杯あるし、同じ食材でフランス料理も作れたらなぁとか」

 しどろもどろに説明してると、ラウラがさらに追い打ちの言葉をプレゼントしてくれた。

「一夏の奢りだった」

「何だって!?」

 リアが超食いついてきた。やばい、撤退したい。

「ふふふっ、一夏、私は美味いロゼワインの店を知ってるのだ」

 クラリッサさんがオレの逃亡を阻止した!

「イチカ、私はフォンデュ・フロマージュ食べたいなぁ」

 リアがオレの捕獲に成功した!!

 フォンデュ・フロマージュは日本で言ういわゆるチーズ・フォンデュのことだ。カロリー高いぞ?

「ま、まて、フォンデュなら、部隊に戻ったらだな」

「あ、そういうこと言うんだ。みんな!」

 その掛け声とともに、トレーラーの後ろから黒兎隊の面々がゾロゾロと現れてきた。

「今夜は一夏の奢りだ。明日に向けて鋭意を養うとしよう!」

 副隊長の無慈悲な号令が響く。全員がキャー! と諸手を上げて喜んでいた。

「た、隊長、オレの財布がピンチです! ってあれ?」

 困ったときのラウラ頼み! と思って隣に視線を向けたが、そこに銀髪の少女はいない。すでに隊員たちに囲まれ、何やらフランス料理の感想を語っている。

「終わった」

 今月の給料、フランスの地にて墜つ! すっかりアンニュイな気分になったよマドモアゼル。ごめんあそばせ。

「とまあ、小粋なパリジェンヌジョークは置いておいて」

「いやどこにフランス成分あったんですか、クラリッサさん」

「隊長、持ってきたアハトはどうしますか?」            

「へ? 何でぱっつぁんを?」

 オレの専用機、メッサーシュミット・アハトはドイツに置いてきたはずなのに。そもそも男性IS操縦者ということ自体が内密だから、待機状態ですら持ってきてない。今回のオレは千冬姉の関係でドイツの黒兎隊の紹介を受けた、ただの来賓客だ。

「基地には最低限の人員しかいないからな。ISを置いておくには物騒すぎる。あと」

「あと?」

「女のカンだ」

「はぁ……さいですか」

 ラウラが言うとあんまり説得力を感じないな、うん。

「何か失礼なことを思っただろう?」

 ギラッとラウラの目が光る。

「何でもありません! 隊長!」

「ふん、失礼なヤツだなっ!」

 

 ホテルの部屋のドアを開けると、中は暗かった。

 シャルルはまだ戻ってきてないのかな。

 何も考えずに電気を点ける。

「おわっ!?」

 明るくなると、ベッドの上に人がいることに気付いた。

「しゃ、シャルル?」

「あ、ごめん」

「ど、どうしたんだよ、びっくりさせるなよ」

「ごめんね」

 膝を抱えて、すごい暗い顔してるんですけど……何かあったのかな。昼間、別れたときは嬉しそうな顔してたんだが。

「そういやメシ食ったか?」

 そのつらそうな顔が直視しづらくて、オレは視線を逸らすように部屋の中を見回す。ついでに話題も逸らした。

 ん?

 ゴミ箱の中に沢山の薬が捨ててあった。よく見れば中身が入ったまんまだ。シャルルのか?

「……今は食欲ないかな、うん」

「そっか」

 ともあれ、人のプライベートを漁る気にもならず、ベッドに寝転がってケータイを取り出した。

 あれ、このメール、誰からだ? 登録されてないぞ。

「……箒!?」

 六年ぶりの幼馴染からのメールだった。

「誰に聞いたんだろ。千冬姉かな。しっかし堅い文章だなぁ。手紙かっつーの」

 拝啓、から始まるメールなんて初めて見たぞ。季節の挨拶が入ってるし。

「一夏?」

「ああ、悪い、独り言。懐かしい友達からメールが届いてたもんだから」

「日本の友達?」

「そうそう。お、IS学園に入ったんだ」

「へー、いいな、IS学園かあ」

「昨日、入学式だったんだな、IS学園って」

「一夏はさ……」

「ん?」

「日本が恋しい?」

「難しい質問だな、それ。シャルルは元からフランスなのか?」

「うん、でもこんな都会じゃなくて、本当はもっと田舎の方なんだ。今は……お母さんが亡くなったから、親戚を頼ってデュノアで働いてるんだけど」

「そっか……でも、シャルルって育ち良さそうだよな」

「え? そうかな」

「お母さんの育て方が良かったんだな」

 オレの言葉に、シャルルが少し驚いたような顔をし、それから抱えた膝に顔を埋めた。

「……そうだね。お母さんのこと、大好きだった。一夏は?」

「オレ? そうだなぁ。名前で気付いてるかもしれないけど、オレの姉さん、有名人でさ」

「ブリュンヒルデだよね。第一回世界大会の」

「そうそう。……ま、二回目はオレのせいで優勝逃したんだけどな」

「一夏の?」

「ま、不肖の弟ってことだな。親代わりの姉さんにずっと迷惑掛けっ放しだ」

「お姉さんのこと、好き?」

「……難しい質問だな。うーん、尊敬してる。一つの目標だな。オレも姉さんみたいに、誰かを守れる人間になりたいって思うんだ」

「誰かを守る……」

「今は力足らずで、色んな人に迷惑かけて……逃げ出して、本当に何やってるんだろうなって思うよ」

「逃げ出して、か」

「でも、ドイツに来て良かったって思うんだ。ラウラやクラリッサさん、他にも仲間が一杯出来て、みんな良い人ばっかりでさ」

「そっか、周りの人に恵まれれてるんだね」

「シャルルにも出会えたし」

「え? 僕?」

「日本じゃ寝食共にすれば友達さ。だから、シャルルとオレだって友達だよ」

「友達……」

「そうだ、せっかくだし、メールアドレス交換しようぜ」

「い、いいの?」

「おう。ここで会ったのも何かの縁だろ」

「ちょ、ちょっと待ってね」

 シャルルが慌ててケータイを取り出し、オレのベッドの上に飛び乗ってペタンと座る。

 女の子みたいな座り方するヤツだな……。お母さんと二人だったからか?

 ケータイ同士をくっつけて、軽くシェイクするとデータ転送が終了する。最近の技術はホントすごいぜ。

「よし、完了」

 顔を上げると、すぐ近くにシャルルの顔があった。長い髪を解いてるせいか、中性的だと思ってた顔が、今はすごい女の子っぽく見える。それになんか良い匂いするし。

 向こうもオレと顔が近いことに気付いたのか、少し身を引いて距離を取った。

「ご、ごめんね」

 なぜ顔を赤らめる……。

 女の子っぽいとか言ったら失礼だよな、男なんだし。

「でも、友達かぁ」

「ん?」

「最近は連絡取ってないから……」

「たまにメール送ってみたらどうだ? 向こうだって喜ぶぞ」

「……ちょっとね。連絡取れない事情があるんだ」

 すぐ間近にある顔が暗くなる。

「悪い、友達にメール送るから、ちょっと時間くれ」

「う、うん。そういえば日本からメール届いたんだったね。ごめんね、邪魔しちゃって」

「すぐ終わるよ」

 オレはタッチパネルのケータイを操作して、メールを送信した。

 それと同時に、シャルルの手元からメロディが鳴る。

「あ、あれ、僕のモバイルが」

「友達からメールだろ」

「え? え?」

 戸惑うようにゆっくりと、ケータイの画面を人差し指で操作していく。

「な? 友達からメール届いただろ?」

「一夏……!」

 シャルルが見ているメールは、オレが今、送った物だ。嬉しそうに画面とオレの顔を交互に見ている。

「これからよろしくな、シャルル」

「うん! よろしくね!」

「そうだ、写真撮っていいか?」

「え? 写真?」

「そう。千冬姉が……オレの姉さんがさ、一緒にいた人たちのことを忘れるなって言ってて、そういう写真撮るのも見るのも好きみたいでさ。千冬姉にも新しい友達を紹介しなきゃな」

「で、でも今、髪ボサボサだし」

「そうか? 綺麗な髪してると思うけど」

「そ、そう? で、でもちょっと待って! すぐに整えるから」

 慌てて自分のベッドに戻ると、バッグの中から櫛を出して長い髪を梳いていく。何かすごい女の子っぽいんだが……。

 手鏡で色々な角度から確認してから、シャルルがオレの隣に戻ってくる。

「い、いいよ、いつでも!」

「そんな気合い入れなくても……。んじゃ撮るぞー」

「って、一緒に!?」

「そりゃそうだろ。ほら、もっとくっつけって。男同士なんだし、気にすんなよ」

「う、うん、じゃあ失礼して」

 肩を寄せ合って、オレの手に持ったケータイのカメラに向けて、二人で笑顔を作る。

「よーし、じゃあ取るぞ。ハイ、フロマージュ」

 パシャリと、シャッター音が聞こえた。この瞬間が切り取られ、一枚の画像として出来上がる。

「なにそれ、日本じゃ『ハイ、チーズ』って言って撮るんだよね?」

 シャルルがクスクスと笑う。

「フランス仕様だ。せっかくだしな。フランスじゃキュイキュイって言うんだっけ」

「人それぞれかな? 一夏って変な人だよね」

「そ そうか?」

 至って普通の日本人のつもりなんだが。

「でも、嬉しいな。写真、僕にもちょうだい?」

「おうよ、すぐ送る」

 またケータイを触り、今撮ったばかりの写真をメールで送った。

「……最後に、友達が出来て良かった」

 シャルルが妙なことを言う。

「最後?」

「ううん、何でもない。ありがとう、一夏」

 目の前の友達の笑みが少し寂しげに見えたのは、オレの気のせいだろうか。

 

 次の日、一人で来賓席に座って我が黒兎隊の出番を待つ。

 今日はシュヴァルツェア・ツヴァイクのお披露目だ。ラウラも下に降りて、部隊のメンバーと一緒にいるはずだ。今回は来賓扱いで、IS部隊に所属していることも内密なので、オレだけが客席にいる形になった。ちなみに今日はシャルルも会社の用事とやらで席を外していた。

 ケータイで時間を見て、今日のコンペのスケジュールを再確認する。

 毎日、選抜された機体が各種のテストを公開で実施、その後はIS関連の企業が自社の技術をプレゼンする、の繰り返しだ。一日目は開会式と開催国からのプレゼン、二日目はイギリス・イタリアで、今日はドイツだ。午後はほとんどがヨーロッパ以外の企業の発表に当てられる。明日の最終日は閉会式だけで終わるようだ。

「さて、そろそろかな」

 もう一度だけ時計を確認して、視線を戻す。

「やっほー、いっくん」

「どわぁ!?」

 すぐ眼前に女の人の顔があった。

「もうーひどいなあ、いっくん。IS操縦できるようになったんなら、わたしに教えてくれないと!」

「束さん!?」

 目の前にいた女性は、周りの様子を一切気にせずにオレにだけ話しかけてくる。周囲がざわつき始めた。

 そりゃそうだ。この人はインフィニット・ストラトスの開発者で、世界でただ一人、ISコアを作れる人なんだから。

「おっきくなったね! もうわたしより背が高いんじゃないかなっ!? ほら立って立って! ほらほら背比べ!」

「あ、うん」

「おおー。ちーちゃんよりも大きいんだ! いっくん、男の子なんだねー。束さんもびっくりだ!」

「えっと、まあ、一応男でした……」

 ずいっとオレの顔に近づいてくる。小さいときの記憶のまま、相変わらずの美人だけど。

「うんうん。それより、なんでわたしに言わなかったのかな!?」

「束さん、ちょ、ちょっと待って! 一応、それは秘密の話で! っていうかどうやってオレの居場所を」

「箒ちゃんがメールしてる相手が誰だろうなーって思って調べたんだよねー」

「ナチュラルに妹のメールを……」

「探し物ついでに、この辺りをウロウロしてたら、近くを通ったから寄ってみたんだー」

 頭を抱えてしまう。相変わらず常識と話が通じない人だ。

 篠ノ之束さん。マルチフォームドスーツ『インフィニット・ストラトス』の開発者であり、世界中のIS関係者がその姿を探す稀代の天才科学者で千冬姉の親友(だとオレは思ってるけど)。

 頭につけてたウサギの耳みたいなモジュールがピコピコと動く。この人に限って寂しくて死ぬなんてことはないだろうなぁ。

「なんでこんな外国にいるんだい? 日本にいるものだと思ったんだけど」

「それは……」

 相変わらず悪気なしに人の核心を突く人だな……。

「男の子の考えることなんてわかんないなぁ。私の知ってる男の子なんて、いっくんだけだし。ちーちゃんと一緒に日本にいた方が、みんな幸せだったと思うけど? 箒ちゃんだって会いたがってると思うし」

 返す言葉がない。

 だってオレはまだ答えがないんだから。

「……オレ、強くなりたいんだ」

「強く? 強いって何だい?」

「誰かを守れる、千冬姉みたいな」

「ちーちゃんみたいな? じゃあ強いISが必要なのかな? いっくんは大事な大事な男の子だから、それぐらいはしてるけど」

「そういうことじゃなくて」

「そういうことじゃないって? だってどんなに体を鍛えたってISを超えることはないよ? だったらISを強くした方が良いじゃない? いっくんはおかしな子だなあ」

「……そういうことじゃなくて」

「うーん、ま、いいや。いっくんは昔から言い出したら聞かない子だったしねー。気が変わったら言ってね。わりと何でも力になるから」

「……うん、ありがとう、束さん」

 この人は昔から、何かとオレに気を掛けてくれる。

 普段はまさに傍若無人という感じだが、妹の箒、千冬姉、そしてオレにだけは優しい。

 そして、それ以外には残酷なまでに興味がない。

「し、篠ノ之博士でしょうか!?」

 中年の男性が話しかけてくる。……確かデュノア社の社長だ。

 だが、束さんは声の主の方を振り向きさえしない。

「うーん、まあ今日は本当に様子を見に来ただけだし、いっくんが元気なようで何よりさ! それじゃあわたしは帰るよ、いっくん。いつ、日本に、IS学園に行くんだい?」

「え?」

「戻るんだよね?」

「……たぶん」

 ピコンと、ウサミミが真っ直ぐ立ち上がる。

「じゃあ、それぐらいにね。それまでに色々準備しておかないとねー。大忙しだー」

「篠ノ之博士! 少しお時間を」

 ずっと無視されていたデュノア社の社長が、少し腹立たそうに束さんの肩に触れようとした。

「うるさいな」

 耳元を飛ぶ蚊に対するような呟きだった。

 何も無い空中から現れた機械の腕が、デュノア社の社長を空中へと掴み上げる。

「それじゃ今度こそ帰るね、いっくん。ばいばーい」

「は、はい」

 ヒラヒラと手を振りながら、軽快なステップで走り去っていく。周囲の人間は言葉を発することも出来ずにそれをただ見送っていた。

 その姿が見えなくなったころ、ようやくマシンアームが音もなく消え、デュノア社の社長が地面に落ちる。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。くそ、小娘め」

 忌々しげにフランス語で悪態を吐く。気持ちはわからんでもないけどさ。

 ネクタイを締め直し、デュノア社長がオレを見下ろした。

「キミ、さっき博士が言っていたことは本当かね?」

 その言葉にざわつき始める。さっき言っていたことってのは、ISを動かせる男、という意味だろう。

「い、いや、ああいう人なんで……ジョークじゃないですか?」

「ふん……。織斑一夏君だったか」

「はい」

「よろしければ、後で昼食でも一緒しないか。シャルルも一緒だ」

「はぁ……申し訳ありません。今日はあいにく先約がありまして」

 仮がつくとはいえ、黒兎隊に入隊してる身だ。隊長の許可もなく予定を変更することなど出来ない。もちろん予定とは、黒兎隊のみんなとフランス料理に舌鼓を打つということだけど。

「ふむ、ではラウラ・ボーデヴィッヒ少佐にお願いするか」

「……許可が出るとは思えませんが、自分の身元はドイツ軍の客人です。そこが許可するなら、異論はありませんけど」

「了解した。ではキミはここにいるのだろう? また人をやるとしよう」

「わかりました」

 周囲のざわめきを尻目にデュノア社長が歩き去っていく。

 その様子が見えなくなってから、オレは小さなため息を吐いてイスに座りなおした。周囲がまだオレの方を見てヒソヒソと耳打ちし合っているが、気にしても仕方ない。

 アナウンスが流れる。

 いよいよ、我が部隊の登場だ。

 テンペスタⅡのような派手な登場ではなく、いかにもドイツ風に入場ゲートから一体のISが登場した。

 ゆっくりと一歩ずつ、シュヴァルツェア・ツヴァイクが歩いていく。反対側に対物理ライフルを乗せた装甲車が現れた。乗っているのはもちろん、黒兎隊の隊員だ。

 引き金に添えられた指に力が入れられる。

 炸薬の破裂とともに、車ぐらい軽く吹き飛ばす12.7mm口径の弾丸が発射された。フランス製のボルトアクション式だってことには深い意味なんてないだろうな。

 ツヴァイクが右手を伸ばす。空間が歪むのはAIC、慣性停止結界の発動による局所的な気圧変化のせいだ。

 弾丸が接触しても、何の音も起きずに黒い右腕の先で停止した。

 会場中に静かなどよめきが起きる。

 右肩のレールガン、ワイヤーブレードで空中に投影されるターゲットを確実に撃ち抜いていく。

 贔屓目があるかもしれないが、一番完成度が高いように見えるなぁ。

 そして最後にまた最初の位置に立った。装甲車と向き合う。

 クラリッサさんが構えた武器は、オレのメッサーシュミットと似たような長い棒状の武器だ。あれ、あんな物使う予定はなかったはずだけど……。

 大口径アンチマテリアルライフルがマズルフラッシュを焚く。

 シュヴァルツェア・ツヴァイクが得物を下から上へと振り上げた。爆発が起きる。

 最後の動作が、手元の仮想ディスプレイにスローモーションで表示された。

 あの速度の弾丸を警棒で撃ち抜いている。すげぇ……。目線をツヴァイクに戻すと、クラリッサさんがこっちを見て、ニヤリと得意げに笑った。

 最後のはつまり、オレのために見せた演武だ。これぐらい出来るようになれ、と応援の意味を込めて、AICがなくても、これぐらい出来るんだぞと。

 ……敵わないなぁ、うちの部隊の人たちには。

 どんなに体を鍛えたってISを超えることはない、ってISを開発した人が言ってた。それはそうだろう。

 でも、使う人間の心できっと変わる。少なくとも、守れる人間と守れない人間ぐらいの差は出ると思う。

 今は秘匿された存在で、誰にも見られることがないオレだけど、クラリッサさんのように強くなれたら何か変わるのかもしれない。

 周囲の誰よりも早く拍手を始める。

 せめてもの感謝を込めて、今は手を叩くしか出来ないオレだけど、誰かを守れるように、強くなりたい。

 憧れた姉のように、とは言わないまでも何かひとつ、誰かひとりでも守れたら束さんの言葉にも、胸を張って言い返せるようになるのかもしれない。

 

「みんなお疲れ様です」

 黒兎隊のトレーラー前でコンペに出ていた隊員たちを出迎える。

「手応えはあったな」

「うむ」

 クラリッサさんとラウラが頷いている。

「オレの主観で申し訳ないですけど、一番良い機体だったと思います」

「ふふ、そうだろうそうだろう。何せ我々が手塩をかけて調整・フィードバックし続けているからな」

 満足げに頷く副隊長さんはすでに黒い制服に着替えていた。

「今の段階では敵はいなさそうだね!」

「うんうん。一時はどうなるかと思ったけど、テンペスタⅡがあの出来なら、問題なさそうだよね」

「イギリスの実験機もかなりクセのある機体みたいだし、パイロットを選びすぎるらしいから、結果的にシュヴァルツェアが一番!」

 他の隊員たちがワイワイと嬉しそうにしている。こうやって一人、外から見てると、すごく良い部隊になってきたと思う。一番の実力者であるラウラを筆頭に、まとめ役のクラリッサさんが中心となりISパイロットから選抜された優秀な人材が揃っていて、チームワークも士気も高い。

「とりあえず、今日の午後はどうするんだ?」

「ふむ、どうするか」

 ラウラが少し考え込む。そこにリアが手を上げた。

「隊長、日本の推進翼メーカーの実験機が出されるらしいので、見てきても良いでしょうか?」

「ん?」

「あの『ディアブロ』のような速度が可能な機体のようです。サイクロトロン共鳴加熱高機動加速装置、と呼ばれる物ですが」

 さすがリア……真面目だなぁ。

「わかった。では私も行こう。残りは二班に分かれ、トレーラー待機と……そうだな。自由行動を許可する」

 ラウラの言葉に、隊員たちが一斉に歓声を上げる。

「クラリッサ、あとは頼む」

「了解しました」

「一夏はどうする?」

「あ、そうだった、デュノアの社長に昼食をどうかと聞かれたんだけど」

「その件は辞退しておいた」

「ありがとう。どうもあの人は苦手だな」

「私もだ。それにフランスの企業と下手な接触をしたくはない」

「了解した」

 異論はない。

 オレとラウラとリアは三人で会場へと引き返そうと歩き出す。

 その瞬間、ドーム上の頂点で爆発が起きる。地響きが周囲に伝わった。隊員たち全員の視線が少女から軍人へ一瞬で変わる。

 ラウラの女のカンとやらが当たったってわけか……。

「行動予定変更! クラリッサはツヴァイクの用意をして待機、リア、ティナ、マリナ、一緒に来い。他の隊員はツヴァイクの調整に入れ。装備は拠点防衛を視野に入れろ」

「ヤー!」

「ラウラ、オレは?」

「ここで待機だ、いいな?」

「ヤー」

 本当は見に行きたいところだが、隊長の命令がそうであるなら仕方ない。このトレーラーにはオレのメッサーシュミット・アハトも乗っている。何が起きてるか分からないうちから、自分の判断だけで動くわけにはいかない。

 ラウラが三人の隊員を連れて会場へと走って行くのを見送った。

 

 チラチラと時計を見ながら周囲を警戒する。

 五分以上経ったが、ラウラ達から何の連絡もない。

 ここは関係者用の入り口前だが、人が出てくる気配は一向になかった。何が起きてるのか、さっぱり把握できないのが不安になる。

 クラリッサさんも同じようで、右足で刻むリズムがいら立ちを表していた。

「ここまで何の連絡がないのが不自然すぎる」

 念のためか、黒いISスーツに着替えて軍服を羽織っているだけの姿になっている。

 全員がコンペの会場を見上げた。その瞬間、光る直線のレーザーがアリーナの中央部部分から上空へと延びる。

「あれは……」

 三月に見た黒い無人機のレーザーだ。

「ザーラ、計測!」

「副隊長、出力、成分予測、間違いありません。この間のプッペです!」

 プッペってのは人形って意味で、あの黒い無人機の部隊内での呼称だ。

「ルイーゼ、ミリ、ウーデ、トレーラーを回せ、その状況でアリーナから誰も出てこないのは妙だ!」

「ヤー!」

「ザーラは計測続け、フリーダ、マーヤはメッサーシュミット・アハトの準備、一夏は搭乗準備、ISスーツを着こめ!」

「ヤー!」

 クラリッサさんの指示が矢継ぎ早に飛んでくる。現場にいた隊員たちが即座に反応し、それぞれの任務に入った。

 オレも走ってトレーラーの後方から中に飛び乗る。

「一夏、ISは展開するなよ! あくまで待機状態、ステルスにしろ! 自分の身を守るときのみ許可する! 上に服を着ておけよ、簡単にバレるわけにはいかん!」

「や、ヤー!」

「あくまで中にいる人間を逃がすのが最優先だ、いいな?」

「わかりました!」

 トレーラーに全員が乗ったことを確認すると、クラリッサさんがISを展開し、荷台の上部に飛び乗る。

「真っ直ぐだ、そこに人間はいない、全員、対ショック姿勢! 運転は!?」

「ルイーゼです!」

「ルイーゼ、トレーラーの側面を叩きつけろ、先行してツヴァイクで穴を開ける!」

 中に乗っていた隊員たちが全員、固定されている機器にしがみつく。

 外部を映すカメラからの映像が、ホログラムディスプレイに表示された。アリーナの搬入口が見えた瞬間、爆発する。ツヴァイクが攻撃を仕掛けたのだ。

 次の瞬間、トレーラーの荷台がシェイクされる。運転しているルイーゼが思いっきりハンドルを切ったんだろう。二七〇度近く回転したか、と思った瞬間に激しい衝撃が訪れる。

 一瞬だけ揺れた外部カメラ映像だが、すぐに通常に戻る。

『よしトレーラーを離せ!』

 クラリッサさんの声が通信で流れた。

 たぶん、ツヴァイクで開けた穴にトレーラーをぶつけて、巨大な風穴を開けたんだろう。

「次、ミリとウーデは会場内のセキュリティをチェックしろ」

 オレは急いでISスーツを着こむ。後ろで女の子たちが小さな悲鳴を上げた気がするが、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。

 荷台の中で用意されていたISに飛び乗る。頑丈に固定されているので、もちろんさっきの衝撃ごときは問題ない。手足を通すと同時に、立ち上がった隊員たちが端末を叩いた。ISのロックが外れる。

「副隊長、会場内のセキュリティはおそらくハックされてます、悪性プログラムだと思われます、各所隔壁落ちていて、場内の人間が出てこない理由はこれです」

「解除できるか?」

「時間かかります、酷く趣味の悪い増殖型です」

「任せる、私はツヴァイクで隔壁をぶち破って隊長の元へ、連絡が取れん!」

「おそらく妨害波長の電波流れてます、IS同士の通信もカットなんて、どんな技術……!」

「探究心は後だ、今は会場内の一般人を逃がせ、プッペの位置は?」

「正確にはわかりませんが、伝わってくる振動と音から逆計測、アリーナ中央で数機が戦闘中!」

「わかった!」

 事態はかなり悪いようだ。たぶんラウラもレーゲンで交戦中なんだろう。他にもISはいるはずだが、たぶんどれもコンペ出展用の実験機だ。まともに戦えるのはシュヴァルツェア二機だけだろう。今、ここで戦えるのは黒兎隊だけってことか。

「イチカ、装着は!?」

「完了、今から待機状態に戻す」

「私たちは内部のプログラムの方を手伝うわ」

「ヤー! 頼んだ!」

 オレの準備を手伝ってくれた二人の女の子が拳銃と小型端末を手にして走り出す。

 トレーラーから降りる前に、オレは周囲の状況をサーチする。旧型なので大したセンサー群はないが、それでも有る程度の把握は出来る。

「会場側の状況はブラックアウト……妨害電波ってヤツか」

 って、会場外からIS反応!?

「全員、気をつけろ、プッペが来る!」

 ぱっつぁんをそのままトレーラーの外に走らせ、上空を見上げた。

 黒い点が見える。拡大表示すれば、それはまさしくあの異形の機体だ。

 クラリッサさんはタイミング悪く、内部に入ったようで、強力な妨害電波のせいか無人機に気がついてないようだ。

 人目があろうとやるしかない。仲間たちを守れるのは今、オレだけだ。

「行くぞ、ぱっつぁん!」

 オレは真っ直ぐと、上空から降りてくる敵へと向かって加速した。

 腰の後ろから長い警棒を取り出す。プッペが腕を振り上げながら急降下し、交錯した。

「ぐっ」

 最大推力を出すが、それでも相手のスピードを殺しきれない。

 クソッ!

 落下予測地点には黒兎隊のトレーラーがある。

 どうする、どうする!?

 相手の頭部にある三つのモノアイが光った。あれは小型の砲口のはずだ。

「もうそれは食らわねえ!」

 咄嗟に左腕でフックを食らわせる。パワーだけは一流のぱっつぁんだけあって、相手はバランスを崩し、レーザーの方向がズレて上空へと流れていった。

 安心してる場合じゃない。今度はこっちの番だ。

 上空へと位置取ると、全推力で地面へと押しつけようとした。

 だが、腕や足の力と違って、推力の面では全然パワーが追いついていない。逆に上空へと押し上げられていく。

 相手は第三世代機を二機相手に立ちまわれる化け物みたいな機体、こっちは第二世代黎明期の実験機、機体性能差がありすぎる。

「クラリッサさんを速く呼びもどしてくれ、このままじゃヤバい!」

『今追いかけてるけど、中は電波妨害が酷くて、徒歩で追いかけるしか出来ないの! 頑張って持ちこたえて!』

「なるべく早く頼む!」

 とりあえず今はここから離れるしかない。相手の大出力レーザーじゃ、部隊を巻き込む可能性が高い。

 手四つで組みあいながら、空中でグルグルと旋回し続ける。離れたいが、相手の推力が高すぎて自由に行動が出来ない。

 かといって、一回離れれば、今度は遠距離武装のないオレじゃただの的だ。

 頼む、ぱっつぁん!

 ISに祈りながら、左手を相手から外し、敵の右腕部を両手右足で挟んで折りにかかる。

 パワーだけなら勝ってるんだ、だったら長所を生かすしかない!

 その試みは成功した。破砕音が聞こえ、砲口だらけの巨大な右腕がL字に折れ曲がる。

 しかし気が緩んだ瞬間、左腕の砲口が光った。

「グッ!?」

 背中に衝撃が走る。

 咄嗟に防いだのは良いが、圧力に背中の推力が勝てず、会場の上へと叩きつけられた。

 巻きあがった粉じんと小さな瓦礫で視界が一瞬だけ封じられる。

『イチカ、回避!』

 通信が入る。だがもう遅かったようだ。有視界で捕えた黒い人形の左手と頭部の砲門が光る。

 到達する光によってシールドエネルギーがどんどん削られていく。もうすでに30%を切った。

「一夏!」

 オレの名前を呼ぶ声がした。

 眼前に現れるウィンドウに映る人間は、シャルル・ファブレだ。駐車場近くの入り口でオレを見上げていた。

「バカ、来るな!」

 出来るだけの声で叫ぶ。

 次の瞬間、無人機の左腕から、今までで最大級の口径を持った巨大なレーザーが打ち出される。

 一瞬で残りのシールドエネルギーを吹き飛ばされた。ISが解除され、オレは空中へと投げ出される。

 その余波で周囲の建材が巨大な瓦礫となり、下にいるシャルルに向かって落ちていった。

 驚いたような顔で空中を見上げるシャルル。

 くそ、なんで! なんでだよ?

 また友達を危ない目に合わせて、何やってんだよオレは!

 何とか体を動かそうとするが、ISは具現限界に達していて、うんともすんとも言わない。

 巨大な瓦礫がシャルルのいる場所に落ちていく。

 シャルルが唇を噛む姿が見えた。

 その瞬間、シャルルのいた場所で爆発が起きる。

「え?」

 時間が止まった気がした。

 爆煙と粉塵が風で流されていく。そこには、橙色のインフィニット・ストラトスを装着したシャルルが立っていた。

「一夏!」

 シャルルが軽く飛び上がって、空中でオレを捕まえた。

「シャルル?」

「ごめんね、黙ってて」

「お前……男だよな?」

 オレが尋ねると、シャルルが少し悲しそうな顔で微笑んだ。

 そのままオレを近くにゆっくりと降ろすと、彼は空中に浮かぶ人形を見上げ、上空へと疾走する。

「イチカ!」

 隊員たちがオレの上着を持って駆け寄ってきた。

「ダンケ。……あれ、ラファール・リヴァイヴかな」

「さあ……カスタム機だとは思うけど……あれ、男の子? イチカの友達?」

「あ、ああ。男だと思うんだけど……」

「とりあえずこっから撤退。また瓦礫が落ちてきたら洒落にならないし、今はあの子に任せて一夏は待機」

「や、ヤー」

 私服の上着を羽織り、空を見上げる。

 片腕になった黒い無人機と、ラファール・リヴァイヴとの戦闘が開始された。

 左肩に装備された巨大なシールドでレーザーをいなしながら、右手に装備したマシンガンでけん制している。

 無人機が左腕の砲門を合わせる。楕円を描くような光が走り、オレンジ色の機体に襲いかかるが、シャルルは旋回して最小限の動きだけで回避した。

「……すごい、あの子。隊長と同じくらいの腕かしら」

「う、うん、上手い、器用だわ……」

 右手の武器が一瞬消え、一秒経たずに次のライフルが現れた。

「武器換装が異常に速いわ、ラファールはドイツ軍にもあるけど、あそこまでは」

 黒兎隊の面々もシャルルの動きに見惚れていた。そうは言っても誰しもが片手で端末を叩いているのがさすがだ。

「妨害電波発生元の逆探知官僚、物理的な機器が置いてあるみたいね。いくわよ、遠くない。イチカは後ろに乗って、エネルギー補充、具現限界なんでしょ」

 鋭い眼差しと黒い三つ編みが印象的なウーデがオレに言う。彼女はチームの班長を務めるときが多いせいか、今も自然と隊員たちの統率を取っている。

「あ、ああ」

「破壊するだけの部分展開は出来るようにしとかないと。位置は会場の外かな。全員、トレーラーに!」

「ヤー!」

 残っていた隊員たちが次々とトレーラーに飛び乗る。オレは後方から荷台側に入る前に、空を見上げた。

 戦況は瞬間瞬間に武器換装を行うラファール・リヴァイヴが黒い無人機を押している。でも、オレには無鉄砲に攻撃しているようにしか見えなかった。後先考えずに、ここでやられてもいいと言わんばかりにギリギリで回避しながら、中近距離から多彩な実弾兵器を叩きこんで行く。

「イチカ!」

 ウーデの叫び声で我に返った。

「悪い!」

 トレーラーに飛び乗って、開きっぱなしの後方ハッチから、戦い続ける二機を見つめる。

 シャルル……無理すんなよ……。

 届きはしない声をかけて、オレを含む黒兎隊は妨害電波を発生している装置の元へと向かい、戦場を後にした。

 

 会場をグルリと回って、関係者搬入路から正面玄関側へと走って行く。それでもほとんど人間を見かけないのは、まだみんなが中に閉じ込められているからだろうか。

「見えた、あれ、空に浮いてるヤツ!」

 荷台の端末を操作している三つ編みのウーデが叫ぶ。空間投影ディスプレイを見れば、乗用車が何台も止まっている駐車場の遥か上空に浮遊している円筒状の物体が見えた。

 オレのISは、腰部分だけを展開し、そこのコネクタを補助バッテリーに繋いでシールドエネルギーを補充している状態だ。これがまた遅々として進まない。まだ1%というところだ。こういう細かい点で旧型機の不便さが出てくる、といつかリアがボヤいていた。

「マーヤ!」

 助手席から身を乗り出して、一人の隊員がハンドマシンガンでそれを狙い撃つ。だが、甲高い音とともに銃弾が弾かれていった。

「堅い! 誰か対物ライフルとか持ってない?」

「ダメ、あれは会場の中! そもそも武装なんてソレと拳銃ぐらい!」

「イチカ、飛んで落とせる?」

「無理だ、まだ1.5%、腕と腰の部分展開だけだ! PICを起動することも出来ない! あと5分はかかる!」

 そして5分もあれば、IS戦の決着はついてしまう。

「高さ10メートル付近、か」

 一人の隊員が呟く。

「トレーラーの上から叩き落とすのは?」

「無理、たぶんギリギリ届かない。武装のスティックとイチカのジャンプの高さとトレーラーの高さを計算して、一メートルぐらい足りないわ」

 空間ディスプレイを見る。駐車場には数台の乗用車が止まっていた。表向きの入場口のせいか、背の高いトラックやトレーラーはない。

「よし、トレーラーの上に登る。ルイーゼ、いけるか?」

 内部通信を通して、運転席へと尋ねた。

『イチカ? どうするの?』

「ジャンプ台がその辺転がってる。トレーラーを飛ばせてくれ」

『なるほど、オッケー。幸いフランスとイタリアと日本車しか見当たらない。思いっきり潰してやるわ!』

「後部ハッチ、斜め45度でストップ、一気に行く!」

『ヤー! 全員、捕まっててよ! さっきより酷いから!』

 補充用コネクタを引き抜いて、角度をつけた後部ハッチをキックし、三角飛びの要領で荷台の縁部分を掴む。そのまま部分展開した右腕のパワーだけでよじ登って、オレはトレーラーの上へと躍り出た。

「いつでもオッケーだ!」

『チャンスは一度、ジャンプ台は一発で潰れると思う! 逃したら充電待ってPICで飛ぶしかないけど、そのポンコツじゃ時間がかかりすぎるから、隊長や副隊長、さっきの美少年君がどんどんピンチ!』

 ウーデが状況を再度、全員に通達した。

 オッケー、やるしかないなら、やってやるだけ。

 加速しながら、トレーラーが駐車場の間を走る。

Das Countdown beginnt(カウントダウン開始)!』

「ドライ!」

『ツヴァイ!』

「アインス!」

『行くよ!』

 トレーラの前輪が日本車とイタリア車の上に乗り上げる。加速充分、重量感たっぷりに車体を潰しながら、黒いトレーラーが空中へと舞った。

「おおおりゃああああ!」

 気合い一発、荷台の後方部から前方へと向かって走る。

 空中の頂点を見極め、ジャンプした。空中に浮かぶ円筒状の妨害電波発生装置に向かって、右腕を伸ばした。長い警棒の先が弧を描き炸裂し、小さな爆発音を響かせる。

 トレーラーが派手な音を立てて地面に着地した。

『ナイス、イチカ!』

 って、しまった。

「オレはどうやって着地すんだコレ!!」

 何も考えずに飛んでしまったせいで、着地手段が何もないのを忘れてた。

「どわあああぁぁぁぁ!?」

 地上に向かって頭から落ちていく。オレンジ色の車が見えた。

 部分展開された右腕を丸め、そちらを下に落下する。

 盛大な破砕音とともに車に激突した。が、さすがインフィニット・ストラトス。右腕を下にしたおかげで衝撃は何とか吸収できたようだ。

『イチカ!?』

「な、何とか無事だ、足をちょっと打ったぐらい」

『ホッ』

「それより通信は!?」

『そ、そうだ。ラウラ隊長! クラリッサ副隊長、聞こえますか!?』

 駆け出して、右前輪を高そうなイタリア社の上に乗せたままのトレーラーの荷台へと走り込んだ。

 ウーデがオレに向かって、右の親指を立てる。

 通信は回復したようだ。どうにか一つ仕事をやり遂げたようだ。

 小さな安堵の息が全員から漏れる。

 だが、終わったわけじゃない。

「は、はい、了解しました!」

 班長ことウーデが通信を終えて、オレたち隊員たちの方を向いた。

「敵はおそらくプッペが二機、内部に一機、外部に一機よ。内部はラウラ隊長がイギリス・イタリアと協力して無力化。外部は今、クラリッサ隊長があのシャルルって子と合流。イチカが右腕を折ったおかげで何とか撃退出来そう、ラウラ隊長もすぐに合流する。会場セキュリティによる内部ハッキングは、妨害電波解除のおかげで、システム管理会社と連絡ついて、うちの隊員たちがそろそろ正常化できそう。たぶんケガ人はなし。さて」

「さて?」

「逃げるわよ」

「へ?」

「高級車何台ぶっ潰したと思ってんの」

 今もトレーラーの下にはイタリアのスポーツカーがある。

「に、逃げて良いもんなの?」

「提案者のイチカが全額責任取るなら良いけど?」

「そ、それはさすがに」

「バレたら、そのとき申し開きすればいいの。こっから先は頑張ってフランス側とコンペ主催者側に責任を押し付ける」

「や、ヤー」

 い、いいのかな。最近、うちの部隊が以前よりテキトーになってる気がします。

 恐ろしく金額の高そうな金属破壊音を喚き散らしながら、トレーラーが走り出す。

「これは隊長の指示だけど、システム正常化ついでにIS装着したイチカが映ってそうなデータを消してるわ」

「そ、そっか。でも、シャルルはどうすんだろ」

「あれが男のIS操縦者だったとして、それはフランスかデュノアの問題でしょ。さすがにそこまで内政干渉はできないわ」

「りょ、りょうかい」

 事態が収束に向かっているようで、何よりだ。

 周囲に立つ全員が再び作業に入る。オレはISの腰部分だけ展開して充電を再開した。

「あ、ラウラ隊長から連絡、外のプッペも無力化したそうよ。ケガ人はなし」

 隊員たちが近くの仲間同士でハイタッチをして喜ぶ。

 オレも大きくため息を吐き出した。

 何とか乗り切れたようだ。

 何か守れた、のかな。オレ。

 結局、ISの右腕をもぎ取って、小さな金属の物体を叩き落としただけだ。

 だけど、それが無駄だとは思いたくない。

 今はともかく、全員の無事を祝おう。

 オレを乗せた黒兎隊のトレーラーが走っていく。

 

 再び搬入口に戻ってきたオレたちを、ラウラを含む他の隊員たちが迎えてくれた。

「無茶をして、このバカものめ!」

 ラウラがオレの耳を思いっきり引っ張る。

「い、痛い痛い、ラウラ痛い!」

「単機であの黒い人形に挑むなど、何事だ! せめて私の到着をだな」

「ま、待ってくれ、だって、あの場は」

「言い訳は許さん」

 耳が千切れそう!

「まあまあ、隊長、一夏もよくやりましたよ。判断は間違ってないと思います」

 クラリッサさんがラウラをなだめてくる。

「ふん」

 ようやく解放されたけど、耳が超いてぇ。

「だが一夏、隊長の言うとおりだ。今回は色々な状況が重なったが、危うかったのも事実だ。あんまり我々を心配させるなよ」

「は、はい」

「ま、今日は休め。予想外の事態とはいえ、本来はただの見学者だからな」

 クラリッサさんがポンとオレの肩を叩く。

 ラウラがまだオレを睨んでいた。

「悪かったよ、ラウラ。でも、仕方なかったんだ。あそこで無人機に暴れられたら、うちの隊員たちも危なかった」

「そんなことはわかっている! まったく」

「じゃあなんで怒ってるんだよ。ラウラらしくないぞ」

「な!? お前というヤツは!」

「ちょ、ちょっと待て、ちゃんと説明してくれよ。オレのどこが悪かったんだ?」

 オレの言葉に、なぜか集まっていた隊員全員が呆れたような大きなため息を吐いた。なんでだよ……。

「っと、ラウラ、シャルルはどこに行ったんだ?」

「アイツはデュノアの社長がどこかに連れていったぞ」

「……そっか」

「そんなことより、お前は後で説教だ。いいな?」

「や、ヤー」

 シャルル、大丈夫だったかな。

 男のIS操縦者か……。

「た、隊長!」

「どうした?」

「会場内が……デュノアが! こちらで映像出します!」

 隊員の一人が叫ぶ。

 全員が荷台に掛け込んだ。空中に浮かんだ大きなホログラムディスプレイに、会場内の映像が映し出される。

「あれは、デュノアの社長か?」

「横にいるのは、シャルル……?」

 アリーナの中心で、デュノアの社長が英語で何やら演説していた。その横には張りついた笑顔のシャルルが立っている。

 オレは秘匿されている存在だけど、あいつは公開されるのか? 

「……何を言っている?」

 クラリッサさんがリアに尋ねた。

「先ほどの無人機との戦闘映像を映し出していますね。第三世代機が三機で何とか落としたのにも関わらず、デュノアのラファール・リヴァイヴは一機で右腕をもぎ取って、互角の戦いをした、と」

「バカな、プッペの右腕は一夏の……そういうことか。我々が一夏の映像を消し去ったのを幸いと、自分たちの手柄にしたのか」

 苦々しい顔の副隊長の隣で、ラウラが鋭い目つきを画面へと向けていた。

「シャルルだったか。アイツを男のIS操縦者とは発表しないようだが、要所要所で『彼』と言っているな。観客たちはそれに注意を奪われてる」

「上手いやり方ですね。正式な発表は明日に回すつもりでしょうか」

「かもしれん。そうすれば、明日も話題の中心だ。姑息なヤツらだ」

「どうしますか?」

「どうもこうもない。我々は成すべきことをした。それを恥じることはない。デュノアがどんな思惑で動いているかは知らんが」

 ラウラの言葉にオレは自然と頷いた。何も間違っちゃいない。

 第三世代機が三機がかりで、と言っても、普段は別の国で全く違う訓練をしている三機が、実戦でいきなり連係を取れるわけがない。しかもレーゲンはともかく他の二機はまともな実戦すら出来ないコンペ用の実験機だ。その割にはよくやったと半分素人のオレでさえわかる。

 だから、それに関してデュノアが何を言おうとオレは気にならない。どうせオレぐらいに判断できることは軍の上層部にだってわかるだろう。

 でも、シャルル大丈夫かな。

 ISパイロットだっていうのは驚きだけど、それよりも画面に映る張りついた笑みや、戦闘前に見せた辛そうな顔の方が気になった。

「とりあえず、我々の仕事は終わりだ。片づけに入るぞ。夜は今度こそ交代で自由行動だ!」

 ラウラの言葉に歓喜の声が湧きあがる。

 何はともあれ、今はこの疲れを癒そう……どうせ、メシはラウラに付き合わされるんだしな……。

 

 

 ラウラ始めとするうら若き隊員たちに散々に付き合わされて、ようやくホテルに戻ってくる。

 部屋に入ると、シャルルの姿はない。色々と会社の方で忙しいんだろうな、あの様子だと。

 備え付けの冷蔵庫から紙パックの果汁ドリンクを取り出して一気に飲み干すと、握りつぶしてゴミ箱に向けてシュートしようとした。

 そこにはまだ、シャルルが捨てたと思われる大量の薬剤が残っている。いや、増えてるな。

 ベッドのシーツを見る限り、部屋にはクリーニングが入ってるし、そうなればゴミは回収されたはずだ。ってことはシャルルが昼間に捨てたんだ。

「何の薬だ?」

 ゴミ箱を覗きこむと、何種類もの薬剤が捨ててある。というか注射器まで捨ててある。パッケージされたままってことは未使用なのか?

 残念ながら詳しくないので、何にもわからないが、ここまで種類が多いと気になるな。体が悪いんだろうか。

 ……画面越しに見たシャルルの張りついた笑顔を思い出される。

 普段なら見ちゃダメだって思うけど、やっぱり気になる。

 ケータイを取り出して、詳しそうな隊員へと電話をしてみた。

「もしもし、一夏だけど」

『どしたのー?』

「なあ、今から言う薬の効果を教えて欲しいんだ」

『薬ー? なんかあったの?』

「とりあえず読み上げていくから。え、エナルモンデポー? でいいのかな」

『ん? なんで一夏がそんなものを? 一夏ってやっぱ女の子だったの?』

 電話口でからかうような笑い声が聞こえる。

「どういうことだよ?」

『いいから、他にはー?』

「メチルテ……ストロンかな、これは」

『……マジ? イチカの?』

「い、いや違う。詳しくは言えないけど」

『う、ううん、えっと、聞くけどイチカって男の子だよね?』

「誓って男だけど、なんでそんなこと聞くんだよ。ってかオレのパーソナルデータなんて、飽きるほど見てるだろ」

『そ、そうだけど……他もあるの?』

 神妙な声で促されて、オレはゴミ箱の中から取り出した薬の名前を列挙していく。

「以上かな……どんな効果があるんだ?」

『……うん、その組み合わせなら、たぶん服用してる人は女性ホルモン抑制を目的にしてると思う』

「へ?」

『端的に言うと性転換とか、そういうの。女の子から男の子への』

「ど、どういうことだよ?」

『わ、私に聞かれても。各々に事情があると思うよ。性同一性障害とかもあるし』

「な、なるほど」

『とりあえず、本人が隠してるなら、それは言わない方がいいと思うよ。ていうか、イチカのじゃないんだよね?』

「違う」

『良かったぁ』

「助かったよ、それじゃあ」

『あいあい。隊長には内緒にしとくね。イチカがそんなこと聞いてきた、なんて一大事件になっちゃう』

「た、頼むよ」

『それじゃねー』

 回線が切れて、オレはベッドに座りこむ。

 これはシャルルの薬で、女性ホルモンの抑制なんかに使われるってことか。

 どういうことだ……。

 いや、シャルルだって色々と事情があるんだ。隠してることならこれ以上は探らない方が良いに決まってる。

 ……でも、今日の張りついた笑みが気になって仕方ない。。

 昨日、友達になろうってメアドを交換してたときは、もっと嬉しそうな笑みだった。

 それでオレにもわかるように捨てられた薬。つまり、オレに発見して欲しかったんじゃないのか、これ。だって、昨日の夜に捨てられてたのは、たぶんゴミとして回収されてた。にも関わらず、もう一回、見て分かるようにゴミ箱に捨てて行った。

 女の子と見間違えるような中性的な顔立ちのシャルル。ISに乗れるという事実。追いつめられたIS開発企業、そこに所属する彼。そして薬。

 導き出される答えは何だ?

 たぶん、シャルルは今日の夜、一度だけココに帰ってくるはず。

 ベッドに腰掛けて、オレはアイツを待つことにした。

 

 

 




・フランス編。ドイツ編と合わせて全四話+エピローグ予定
・次話は一週間後ぐらいに投稿予定。それで完結予定。
・注意! 筆者はフランスにもドイツにも行ったことはありません。
(写真撮るときの合図って何? ってフランス人に聞いたら、1,2,3ダーって言われたけど、きっと違うはず)
・劇中に一夏が言ったフランスの古い映画「お嬢さん、お手やわらかに」は、青春ハーレムコメディです


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フランス② +エピローグ

 オレが部屋に戻ってから3時間ほど経った頃、ためらいがちにノブが回された。そしてゆっくりとドアが開く。

「おかえり、シャルル」

「あ、た、ただいま、一夏」

 少し疲れたような笑みだった。

「昼間はありがとな、助かった」

「う、うん。でもびっくりしちゃった。一夏、ISに乗れるんだね、男の子なのに」

「まあな。お前こそ、すごいな。オレなんかよりよっぽど上手いじゃないか」

「……うん」

 シャルルが上着を脱いで、クローゼットの中に仕舞う。それから大きなため息を吐いて、自分のベッドに腰掛けた。

「なあシャルル、お前」

「ごめん、先にシャワー浴びてきていいかな、疲れちゃった」

「あ、ああ」

 話を切りだそうとしたオレを遮って、シャルルはバスルームへと入っていった。

 とりあえず、大きく深呼吸をしてベッドに倒れこむ。

「男性IS操縦者、か」

 ……たぶん、シャルルは女の子だ。

 ISに乗れる事実、あのホルモン調整剤、二つを掛け合わせれば、『彼』が『彼女』だってことは予想がつく。

 昨日の夜、オレの裸を見て恥ずかしがってたのも、女の子だって考えれば別におかしくない。……おかしくないよな? 男のダチとかにあんな反応されたことねえし。

 もちろん、男だって可能性も少なからずある。それを確かめたい。

 シャワーの音が止まって、少し経ってからバスルームのドアが開いた。

 部屋の電気が消される。

「シャルル?」

「ごめんね」

 ベッドサイドの照明だけになり、部屋が薄暗い。

 シャルルが姿を現した。タオルを胸の上まで巻きつけている。

 その姿は、どう見ても女の子だ。

「……えっと」

 先ほどまではサラシか特殊なサポーターでも巻いてたんだろうか。今ははっきりと女の子と主張する胸元がタオルを押し上げている。

 ゴクリと思わず喉が鳴ってしまう。

「女の子……なんだよな」

「うん、僕は女の子なんだ。騙してごめん、一夏」

「それは良いんだけど……でも、何でさ」

 一歩、一歩とオレに近づいてきた。潤んだ目がオレの心を掴んで離さない。

 ゆっくりとオレの隣へと座る。

 オレの方が身長が高いので、自然とシャルルを見下ろす形になる。そうすると、タオルで止められただけの胸元が飛び込んできた。

 首が折れんばかりの勢いで顔を逸らす。

「と、とりあえずわかったから、ふ、服を着てくれ、頼む!」

「ふふ、どうしよっかな……」

「か、からかうなよ! 頼む、服を」

 気を抜けば吸い寄せられそうな目を必死に逸らして懇願するが、シャルルが動く気配がない。

「ねえ一夏、僕、可愛いかな」

「か、可愛いと思うが、ちょっと待て」

「そっか……ありがと」

「って、あーーーーもう!」

 立ち上がって羽織っていた上着をシャルルに被せ、体ごと顔を逸らす。

「話ができねえ、とりあえずこれで!」

「……そっか……」

 安堵のため息が自分の喉から零れる。シャルルもホッと息を吐いたようだ。

「なあ、あの薬、なんだ?」

「調べたんだね」

 オレの言葉を予測してたような即答だった。

「ああ。ゴミ箱に捨てられてた薬を、全部組み合わせて飲むようなのは、その……女から男への性転換とか、そういうのだって」

 言葉を選びながら、知ったばかりの事実を一つ答える。

 そうすると、わずかの沈黙の後、

「あはは」

 と短く仄暗い乾いた笑い声が聞こえてきた。

「シャルル?」

「おかしいよね、僕、女の子なのに、男になれって」

「……どういうことなんだ?」

「僕は女の子だよ、正真正銘の。心も体も女の子なんだ。でも……」

「でも?」

「僕は本当はデュノア社長の子供なんだ。いわゆる妾の子って言えば良いのかな、日本語だと」

「デュノアの関係者ってのはそういうことか……」

「今まで田舎の方で、お母さんとずっと二人暮らしで……でも、大好きだったお母さんが死んじゃって、デュノアの社長に引き取られたんだ」

「ま、まあ父親だしな」

「そこで初めて父親が誰かって知ったんだ。それでIS適正が高いことがわかって、そのままテストパイロットの真似ごとみたいなことをしてた。そんな中、今年の2月にね、初めて父親と、デュノアの社長と会ったんだ」

「なんで2月なんだよ? それまであの社長だって、お前がいることは知ってたんだろ? どうして?」

「……わかんないよ。でも甘かったのかなぁ。僕、お母さんからずっと、お父さんは死んだって聞かされてて。でもお父さんはすごく優しい人って聞いてたから」

「実際はどうだったんだ?」

「会話は二言だけ。『話はついてる。あとは担当者に聞きなさい』。これで終わりだよ」

「……信じられねえ」

 オレには家族って呼べるのは千冬姉だけだ。親なんてのは、小さいころお世話になった友達の親ぐらいしか知らない。

 そんな自分が他人の家族の在り方に口出しするなんて出来ないけど、これは人として間違ってると思う。

「その内容ってのが、僕を男にするってこと。戸籍、口調、外見、そして最終的には性別まで。フランスの内部機関とデュノア社の取り組みなんだ」

「……そんなバカなこと。いや頭がイカれてる」

「そうかな? 君のところの隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒさんがデザイナーチャイルドだってのは、その筋じゃ有名な話だよ。遺伝子の時点で強靭な体を与えられた人間。だったらISを操縦できる女の子に、強靭な男の体を与えようって考える輩がいても不思議じゃない」

「だ、だからって言って、そんなの」

「男性操縦者の創造。そのための第一段階に選ばれたのが、僕。そしてその過程でISが女性しか操作できない仕組みを研究する。もちろん他にも候補がいるのかもしれない」

「……無茶苦茶だ」

「でも、倒産間近のデュノアに選択肢はなかった。いや、飛びついたのかな。このくだらない企みに乗ればISコアの剥奪はまずないし、研究開発も続けられる。資金提供だって受けられる」

「おかしいだろ、そんなの。だって、シャルルは女の子じゃないか! 身も心も女の子なんだろ?」

「僕がうってつけの人材、いや素材だったんだ。デュノア社長としては表に出すことが出来ない隠し子で、IS適正も高くて、正式にパイロットにもなってない」

 ひたすら事実だけを、心の抑揚を抑えるように平静と伝えるシャルルに、オレは言葉を失う。

「そんな折に、ドイツに男性ISパイロットがいるんじゃないかって話が出てきたんだ」

「……オレのことか」

「それが誰かってところまではわからなかったんだ、最近までは。でもたぶん、政府とデュノアの担当者は焦ったんだろうね。半ば半信半疑で予算が出ていた男性ISパイロット創出計画。ドイツがいつのまにか先んじてたんだ。ドイツはボーデヴィッヒ少佐の件で実績があることもわかってたからね。そしてIS第三世代機に関してだって頭角を現していたドイツ、そこに男性操縦者まで。そこで計画を早めることにしたんだ」

「……シャルルを、このコンペでデビューさせるってことか。男性操縦者として」

「ホントはそんな予定なかったんだけどね。元々は男性ISパイロットが誰か調べること。ドイツのエースパイロットと一緒に来るアルバイトの男の子が怪しいって話になって。その確認のためだけに、僕はここにいたんだ。男の姿なら近づきやすいしね」

 舐めやがって。怒りが込み上がってくる。

「シャルルは、シャルルはそれでいいのか」

「……良いわけないよ。僕は……僕も色々とやってみたよ。そんな生贄みたいな生き方じゃなくて、自分で作れる居場所を作ろうって頑張ってた。でもダメだった」

「ダメって、そ、そうだ、昼間のイタリアのISの欠陥の話だって、何か役に立たなかったのか?」

 シャルルはゆっくりと首を横に振る。

「そんなことは僕に求められてなかったんだ」

「だったら! 逃げるとか、その、離れたっていいじゃねえかよ」

 ……逃げてもいいじゃねえか、そんなにつらいなら。

 初めて、そう思った。誰も守ってくれる人もいない、周囲はみんな、自分の望まない道へと引き込みたがる。

「でも、僕にとっては、大好きなお母さんの愛した人なんだ……お母さんはいなくなったけど、これ以上、お母さんとの繋がりを無くしたくないんだ……」

 諦めしか込められていない言葉だった。

 シャルルは父親の命令だから従っているわけではなく、大好きな母親の子供として、ほとんど会話したこともない父親の言葉に従っている。

「オレには家族は千冬姉しかいない。だから父親とか母親の言うことを聞くってのがよくわからねえんだけど……でも、間違ってるってことはわかる」

「僕だって、ホントはよくわかんないんだ」

「間違ってるだろ、だって……ああ、クソッ、なんて言えば良いのかわかんねえ!」

 怒りにまかせて壁を殴るしか出来ない。

「ありがとう、一夏」

 悲しい行く末に巻き込まれた女の子が、オレの背中にそっと抱きついた。

「シャルル……?」

「シャルロット。本当の名前は、シャルロット。一夏、覚えておいて」

「シャルロット……」

「ここに、シャルロットって女の子がいたことを、一夏だけでも……覚えておいて」

 泣きそうな声でオレの耳に囁くと、シャルロットがオレから離れる。

「服を着るから、こっち向かないでね」

「あ、ああ」

 布同士が擦れる音が聞こえる。最後にジッパーの音がした。バッグを締めた音だろう。

「それじゃあ、一夏、行くね。ホントは荷物を取りに来ただけなんだ。長話しちゃった」

「……それで、ホントにそれで良いのかよシャルル、いやシャルロット!」

「うん、急な話だったけど、これでいいんだ、たぶんね」

 さっきとは打って変わった明るい声色だった。でも、空元気にしか思えない。

 ドアの前に立って、シャルロットがこっちを見た。そこには、シャルル・デュノアという男の子がいた。

「じゃあね、一夏。バイバイ、ありがとう、さようなら」

 重い木製のドアが閉まる。

 オレはしばらく立ち竦んでいた。やがて腰を抜かすようにベッドに座りこむ。

「……どうしたらいいんだ」

 目を閉じる。

 女の子のシャルロットを男にしようなんてバカげた計画。でも、アイツは大好きなお母さんが愛した男のために、自分を殺す。

 何だよ、そんなの間違ってるだろ。

 でも、アイツはそれを自分で決めたんだ。だったら……。

 大きくため息を吐いて、目を開けた。

「どうするんだ、一夏」

「どわああ!?」

 目の前にラウラがいた。

「失礼なヤツだな、そこまで驚くなど」

「い、いや驚くだろ! 気配消して、いつのまにか目の前にいたら!」

「まったく。女と二人きりになるなど、私の嫁の自覚が足りん」

 オレから離れて、ラウラはベッドの上で胡坐をかいて腕を組み、そっぽを向いた。

「全部聞いてたのか」

「ああ、もちろんだ。お前のカバンにはGPS搭載盗聴器がついてるからな」

「さらっとそんなことを……」

「ふん、話の途中で乗り込んでやろうかと何度思ったか。お前はもう少し、自分の重要性を自覚した方が良い」

「……悪い。いっつもラウラには迷惑をかけて」

「もう慣れた。さて、それでどうするのだ、一夏よ」

「へ?」

 ラウラは自身の長い銀髪を肩に乗せ、器用に毛先を編んで行く。

「女性しか動かせない兵器、インフィニット・ストラトス。肉体的には男性の方が優れているが、今の科学なら女を男にすることが出来る。ISを動かせる男が創造できたなら、より優れたパイロットになるのでは? という思想もわかる。なにせISコアは467しかないのだからな」

「量が増やせないなら質を上げるしかない、ってことか」

「そういうことだ。女を男にする、その過程でISが女性しか起動できない理由を研究するというのも間違ってはいないな。もちろん倫理的な話や法的な話は置いておいて、だ」

「……理屈はわかるよ。オレだって黒兎隊で毎日、色んな検査を受けてる身だし。でも、みんな、オレをすごい気遣ってくれてる……超法規的手段で色々とカバーしてくれてるってのも知ってる、何となくだけどさ」

「黒兎隊で良かったな」

 その何気ない言葉が、自分の心にストンとはまり込んだ気がした。まるでパズルの最後のピースをはめたような感覚だった。

「……そうだな、オレは黒兎隊で良かった」

「お前はどうしたいのだ」

「どうしたいってそりゃ」

「話を総合するなら、明日の閉会式で予定されているデュノア社長のスピーチ、そこであのシャルロットがシャルルという男として発表されてしまえば、後戻りは出来ない」

「逆に言えば、それまでに何とかすれば、まだ戻れるってことか」

「秘密裏にデュノア社長を脅したいところだが、情報収集の結果、ヤツは明日の閉会式までフランス軍の基地の中だろうと判明した」

「……さすがに色々と警戒してるってことか。つまり明日の閉会式がいわば最終防衛線」

「っと、ほら、出来たぞ」

 ラウラが自慢げに胸を張って、綺麗に編まれた銀色の三つ編みをオレに見せつける。

「おお、上手く出来たな。髪留めのゴムすら止められなかった頃からしてみれば、すごい進化だ」

「ふふん、だがな、一夏、これはお前のおかげだ」

「え?」

「もちろん努力は私のものだ。だがお前がいなければ、私は一生、髪を三つ編みにすることなどなかっただろう……隊員達から、からかわれることもなかったろうな」

「……わかったよ、ラウラ。何だかんだでホント、お前って優しいよな。でもいいのか?」

 オレの問いかけに、ラウラは目を閉じた。残念そうなため息のあと、

「構わん。お前の好きにすれば良い。それに正直、そろそろ限界が来ていた」

 と名残惜しそうな声色で零す。

「限界?」

「お前を隠し通すことが、だ。やはり少しずつだが確実に情報は漏洩している。織斑教官も遠く日本から色々と手を尽くしてはいるが、やはり距離があると対応は遅れる」

 淡々とオレの知らなかった事実を教えてくれる。……そっか。やっぱりみんなに迷惑をかけてたんだな

「ありがとう、ラウラ。千冬姉にも感謝しなくちゃな」

「アラスカ条約機構からの問い合わせも増えているし、我が国も単独ではこれ以上、お前の秘匿を続けることは出来そうもない。このコンペが終われば、お前に話そうと思っていた」

「大事な話ってのは、そのことか。……つまり日本に戻れって?」

「ああ。早めにIS学園へと入学する方が良い。あそこはある意味治外法権で、お前を守ることも可能だ。その手はずは織斑教官とすでに話し合っている」

 そろそろ、オレの逃走にも終わりが見えてきたってことか。だったら尚更、やらなきゃいけないな。

「でも、オレの我が儘にみんなを巻き込んで良いのかな」

「誰かを守れる人間になりたいと言ったのは、お前だろう」

 隊長の顔を見せて、ラウラが言う。どこか晴れがましい顔に、オレは姿勢を正して頭を下げた。

「ありがとう、本当に。今までずっと」

「これからも、感謝し続けろ」

 オレの師匠であり恩人であり友達であるラウラ・ボーデヴィッヒが、頼もしげに胸を張る。

 たぶん、自分のワガママを通せば、IS学園に戻るよりも早く、ドイツでの黒兎隊での日々は変化してしまうだろう。それをわかっていながら、いや、わかってるからこそ、ラウラはオレに好きにしろって言ってくれた。だったら、やることは一つだよな。

「では、ブリーフィングだ。全員でやる。部隊基地とも通信を繋げるぞ」

「いいのか?」

「黒兎隊はチームワークも欧州最強だというところを、このコンペで見せる」

 ラウラが立ち上がって、歩き出した。いつも通りの、小柄ながら凛として軍人然とした背中を見る。

 この三カ月近く、ずっとコイツと歩いてきた。色々あったけど楽しい日々だった。

「ああ、そうだな!」

 オレも歩き出す。

 旅路は、もう終わりが見えていた。

 

 

「では最終チェックは終了だ」

 翌日の午前11時、黒兎隊でフランスに来ている全員が会場外のトレーラーの荷台に集まっていた。他にもいくつか空間ディスプレイが浮かんでおり、ドイツの本拠地から通信でも参加している。

 この移動拠点の中は最大でISを三機収容でき、簡単なメンテとブリーフィングが行える作りになっている。

 前方に立ったクラリッサさんがレーザーポインターを仕舞い、空間投影ディスプレイを挟んで反対側に立つラウラに、

「隊長から何かありますか?」

 と尋ねた。

 銀髪に眼帯をつけたわずか15歳の少佐、ラウラ・ボーデヴィッヒが全員の顔を見回す。

「さて、我々も随分バカになったものだな、と思う」

 珍しくラウラが肩を竦めて自嘲するような笑みを浮かべた。みんなも隣同士で顔を見合わせてクスクスと笑う。

 これが今の黒兎隊だ。出会ったころからは考えられなかったけど、この頃はたまにブリーフィングでも冗談を言うようになった。

「本作戦の目的は、フランスとデュノア社の不正を暴き、黒兎隊の情報収集能力・戦闘力を見せつける。遥か昔からの隣国には申し訳ないが、ここで次期欧州軍IS採用戦争から降りていただく」

 その言葉を、隊のまとめ役でもあるクラリッサさんが頷きながら聞いている。

「おそらく、突発的な今回の作戦が、現在の黒兎隊人員での、最初で最後の大規模作戦になるだろう」

 全員が神妙な顔になっていた。たぶん、オレがいずれ日本のIS学園に行くということを、みんなは知っていたんだろう。

「作戦目的の再確認だ。デュノア社の下らない、唾棄すべき、そして『女』として微塵も許すことのできない計画を吹き飛ばす」

 ラウラが淡々と、だが力と怒りを込めながら言葉を継ぎ足していく。……あのラウラが『女』としてか。変わったなぁ。

「本来なら秘密裏に行いたいところだが、デュノア社長はフランスの基地に滞在しているらしい。ターゲットが表に出てくるのは、明日のコンペ閉会式での挨拶だ。そこで示威行動として、我が黒兎隊の欧州最強を示す。派手に行くぞ。最後に、織斑一夏、立て」

「や、ヤー!」

「お前はどうだ?」

「許せません」

「男としてか」

「男として、一人の人間として、彼女の友人として、ISを操縦できる男として、その他諸々を含んだ『織斑一夏』として、許せません」

「会ったばかりでもか」

「……ラウラと戦ったのだって、会ったばかりだった。それでも、オレはラウラと仲良くなりたいって思った」

 中学二年のとき、誘拐されそうになって友達を巻き込んだ。逃げるようにドイツに来て、何もしないままでいた。でもISと出会って、ラウラと出会った。クラリッサさんや黒兎隊のみんなと過ごして、少しずつ強くなっていったと思う。

「もし、ラウラが同じことになったら、オレはどこからだって飛んでくるし、何だってする」

「……そうか」

「みんな、本当にありがとう。オレ一人じゃ何一つ守れないけど、みんなの力があればきっと大丈夫だ」

 そうだ。オレ一人の力じゃ何も出来ない。織斑一夏は力がなくて知識もない未熟者だ。

「私たち黒兎隊は、お前の力だ。誇っていい」

 クラリッサさんが優しい声色で教えてくれた。本当に誇らしい事実だ。

「では行こう」

 ラウラが言うと、全員が立ち上がった。

「作戦行動、開始!」

 号令とともに、オレは仲間たちと走り出した。

 

『トレーラー班、ルイーゼ、どうだ?』

『まもなく現地到着、搬入口の閉鎖準備完了』

『ウーデ、会場内のセキュリティは?』

『昨日、ハックされたときに管理会社から盗んだ新しいマスターキーコードは認証可能です。いつでもどうぞ』

『部隊基地、通信コンデション再確認」

『専用回線、衛星回線共にオールグリーン。シュヴァルツェア・ハーゼ所属IS位置捕捉。バックアップ準備完了』

『リア、ISの準備は?』

『ISコンデション、武装チェック終了。シュヴァルツェア・レーゲン準備完了』

『クラリッサ』

『シュヴァルツェア・ツヴァイク、準備完了』

『一夏』

『メッサーシュミット・アハト。カスタムバイザー装備含めて準備完了』

『では、シュヴァルツェア・ハーゼ、作戦行動開始!』

 

 会場の中を自分の足でひたすら走る。

 今は黒兎隊の制服を着て、左目には眼帯を身に着けていた。これが今の織斑一夏だから。腰にはメッサーシュミット・アハトの待機状態である変身ベルトがあった。

「指定地点到着」

 耳につけた通信機で隊に情報を流す。

 インフィニット・ストラトス欧州統合軍採用機コンペティション。今回は各国の軍隊関係者だけでなく、来賓も多く来ていた。

 サッカーが5、6試合同時に行えそうな広いドームの中央北側に、ステージが設置され、そこの映像が会場客席上部の巨大スクリーンに投影されている。

 オレはステージの後ろ側にある入口に立っていた。周囲のコンペ関係者らしい人間が黒兎隊の軍服を着ているオレを見て、驚きながらヒソヒソと会話を始める。だけど、そんなことを気にしている場合じゃない。

 スケジュール通り、来賓の挨拶が進んでいた。

 丁度、今からデュノアの社長が挨拶を行うところだ。マイクの前に立ったオッサンの横に、青いセパレートタイプのISスーツを着たターゲットがいた。

『次はデュノア社社長のご挨拶です』

 司会の言葉が会場のスピーカーで流れる。デュノアの社長が一歩進んで、マイクの前に立った。

 スイッチを入れ、自己紹介の後にデュノア社長が視線で金髪のISパイロットを促す。俯いて拳を握ったまま動かなかったが、二度目の視線の後、ゆっくりと顔を上げて笑顔を作った。

 虚ろな笑顔だ。あれが、シャルル・デュノア。

 だが、オレの友達はシャルロット・ファブレだ。

「さて、昨日から注目の的であった彼についてお話をいたしましょう」

 デュノア社長が虚栄心に満ちた濁った眼で会場を見渡す。

『ウーデ、ショーの開幕だ』

『照明、落とします!』

 その返事とともに、会場の全照明が落ち、同時に会場中のホログラムスクリーンへ我が黒兎隊のマークが出現した。

『ボンジュール、欧州統合軍コンペティション関係者の皆さん、私はドイツ連邦共和国IS特殊部隊、通称『シュヴァルツェア・ハーゼ』の副隊長、クラリッサ・ハルフォーフだ』

 ステージ上のデュノア社長が心底驚いた顔をしながら、会場を見渡す。

 会場中もどよめき始めた。そりゃそうだろう。コンペに参加してたドイツのIS精鋭部隊が何の予告もなく、会場をジャックしたんだから。

『今から起こるギニョールは、我が盟友たるフランスの、デュノア社の不正を暴くものである』

 ギニョールはフランスの人形劇だっけ。

「何をバカな、我が社は何の不正も!」

 うちの部隊で会場のネットワークをハックし電子的にマイクをオフにしているせいで、彼の肉声しか聞こえない。それでも必死に、どこにいるかもわからないクラリッサさんに向かって吠える。

『おやデュノア社長、何をおっしゃってるのか、おわかりにならない? ではお聞きしましょう』

「な、何をだ?」

 ドーム会場の明かりが一斉に落とされる。

 これを合図に8秒後に動け、と指示されていた。8秒ってのは、舞台劇なんかで暗転後、8秒間は真っ暗でも舞台上の動きが客に見えてしまうって話から来てるらしい。

 つまり今回はまさしく『劇』の伝統に則った作戦ってわけだ。

 8秒を数えたのち、オレはISを展開し、空中に舞う。ステージを迂回しながら滑走し、ステージの前に静止した。

 スポットライトのように、ステージ前が照らされる。

 今のオレは鼻まで隠すバイザーをつけている。今日専用のカスタムバージョンだ。

『イチカ、マイク入ってる』

 通信を受けてから、オレは一つ、呼吸をした。

 そして、万感の思いを込めて、会場内に自分の存在を告げる。

『Hello,world. I'm a male I.S. Manipulator』

 こんにちは、みなさん。オレは男性のIS操縦者です。

 オレの短い挨拶で、会場中の呼吸が一瞬止まるのが感じられた。その呼吸が再開されるよりも早く、クラリッサさんが最後通告を始める。

『彼は、この欧州にいるただ一人の男性IS操縦者だ。詳細はまだ控えさせていただく。ではデュノア社長、聞かせていただこう。そこにいる少女、いや『彼』だったか。そこの彼が、なんでしょうか?』

 皮肉めいた口調に、会場の一部が笑いを浮かべた。

『こ、これは……』

 いつのまにかマイクが入っていたせいで、デュノア社長の動揺がスピーカーを通る。

 パチン、とクラリッサさんが指を鳴らした。同時に会場中のスクリーンに、昨日の戦闘映像が流される。

『あなたは昨日、謎のIS奇襲部隊との戦闘で『彼』だったかな。『彼』が敵機の腕を破壊した、と言ったが、真相はこうだ』

 オレの顔こそカットされているが、それは、昨日の戦闘中にオレが黒い無人機の腕を折ったシーンだった。

 デュノア社長の顔がどんどん青ざめていく。オレたちがこのタイミングで映像を公開するとは思ってなかったんだろう。

『さて、そこの『彼』いや、彼女か。彼女をどう紹介したい?』

 クラリッサさんの最後通告が告げられた。こちらは全て把握してる、黙っているなら最悪の事態は回避してやるぞ、という黒兎隊からの脅しだ。

 全スクリーンの映像が、デュノア社長の追い詰められた表情をアップにする。

『か、彼は我々が育てていた、男性ISパイロットだ!』

 泣き叫ぶような男の声が会場中に響く。会場中が沈黙した。

 そして、どよめきが走り始めるタイミングで、クラリッサさんが鼻で笑うように、こう言った。

『え? なんですって?』

 またもや会場の一部で笑いが走る。おそらく第三世代をコンペに出してきた国の関係者だろうな。デュノアの小細工を快く思ってなかったんだろう。

 しっかし、クラリッサさんも意地悪いなあ。これじゃデュノアの信頼は失墜するばかりだ。まあ、かばうような点もないけどさ。しかも、その上で『これ以上は黙っておいてやるから、喋るなよ』と脅してるのだ。

 暗転した会場の上空に光る物体が二つ登場した。イギリスのBT実験機とイタリアのテンペスタⅡのスラスターだ。

『茶番は終わりです、シュヴァルツェア・ハーゼのみなさん、投降してください。貴方がたの言い分はアラスカ条約機構の会議で議題となりましょう』

 ゆっくりと降下しながら、BT実験機のパイロットがオープンチャンネルで宣告してくる。

『さて、ここからが本当の欧州統合軍コンペティションだ』

 今まで一つたりとも喋ってなかったラウラの声が響いた。

『え?』

 イギリスのパイロットが驚いたが、もう遅い。レーゲンはBT実験機の後ろに音も無く潜んでいた。振り向いた顔を『黒い雨』が掴むと、スラスターを全力で加速させ、地面に激突させた。

 慌てたBT実験機のレーザーが会場内を照らす。しかし、そんな反撃は無意味だったようだ。

 5秒後に天井からスポットライトのように地面の一点を照らす。そこには、ワイヤーによってBT実験機が吊るされていた。その前にはISを装着したラウラが腕を組んで立っている。

『クッ』

 そこでようやく、緑色のテンペスタⅡがレーゲンに向かって加速し始めた。

 だが真横からふっ飛ばされ、壁に激突する。もちろん攻撃したのはシュヴァルツェア・ツヴァイクだ。

 その様子を確認した後、オレはゆっくりとステージへと振り向く。その上には、シャルロットがいた。

「さあ、迎えに来た、シャルロット」

「一夏……」

「こんなバカげた騒ぎは終わりにしよう」

「……ホントだね。黒兎隊はメチャクチャな人たちばっかりだ」

「だろ。でも、自慢の仲間たちなんだぜ」

「僕は……」

「行こうぜ、シャルロット」

 オレは一歩、また一歩とステージへと歩いていく。

「どうしたらいいのか……わかんないよ」

「そんなの、オレだってわかんねえよ。でもお前、女の子なんだろ、体も心も」

「……うん」

「男の振りなんてしなくて良いと思うぜ。せっかく可愛いのに、台無しだ」

 思っている言葉だけを紡ぎだしていく。もっと上手い説得術とかあるんだろうけど、オレは身につけてない。だから、心からの言葉を出していくしかない。

「お母さんみたいに……なれるかな」

「ああ。でも、お母さんの好きな人と、お前の好きな人は違う。そうだろ?」

 オレには両親とかいないから、目の前の女の子が、どういうことで悩んでるのか、本当には理解しきれないのかもしれない。でも、一つだけ言えることがある。

「お前がシャルロットじゃなくなったら、お母さんが悲しむだろ。大好きなお母さんが育てた『シャルロット』って女の子を、否定して殺したりするなよ」

 ISを装着したままの手を差し伸べる。

 オレに言えるのは、これぐらいしかない。オレぐらいの浅い人生で言えるのは、ドイツに来てから気づいたことぐらいだ。

 ラウラに会ったばかりの頃、オレを助けたせいで千冬姉の経歴に汚点がついた、と言われた。でも、千冬姉がオレを助けたってことは否定しちゃダメだと思った。

 シャルロットだってそうだ。お母さんがデュノア社長を愛したのは事実だろう。でも、お母さんが育てたシャルロットって女の子を否定しゃダメだ。

「……だけど、もう、こんなことしちゃって、僕は……きっと社長と同罪だよね」

「まだどうにでもなるさ。それにデュノアが何をしたか、までは誰も言及していない。中年のオッサンが何か戯言漏らしただけだろ」

 肩を竦めて笑うと、同じくステージにいたデュノアの社長が、怒りを露わにする。

 これは取引だ。まだ具体的に誰が何をした、なんて誰も喋ってない。デュノア社長には余計なことを言うなよ、とオレたちが脅しているのだ。

「き、キサマら、何のつもりだ! こんなことして、許されると思ってるのか!」

「アンタこそ、許されると思ってんのかよ! シャルロットはアンタの娘じゃねえのか!」

「こ、子供だからこそ、親の言うことを聞くものだろうが!」

「ハッ、なんだそりゃ。アンタのやってることはただの虐待だ。必要のない薬まで飲ませようとして。本人が望んでもない肉体改造なんてやろうとして、こんなことバレたら、大スキャンダルだぜ?」

 オレのセリフに、社長がシャルロットを睨む。

「お前、コイツに言ったのか! バラしたのか? これだから女は……!」

 デュノア社長がシャルロットの頬を叩く。

「シャルロット!」

「寄るな!」

 デュノア社長の拳銃を抜き、銃口をオレに向けた。

「ISにそんな物効くと思ってんのか」

「ど、どうせキサマのそれもハリボテだろうが!」

 引き金が引かれた。だが、オレの体に張られたISの皮膜装甲がそれを弾き返す。

 効かないのがわかってるのか、わかりたくないのか。後ずさりながら何度も引き金を引く男が、哀れに思えた。

「く、クソッ」

「どんどん自爆していくな、アンタ。もう終わりだぜ」

 レーゲンとツヴァイクは、イギリスとイタリアの第三世代機をねじ伏せていた。

「……社長、もう終わりにしましょう」

 シャルロットが意を決した顔で、一歩前に進む。

「何を言うか!」

「もう無理です、あなたも私も等しく法の裁きに任せましょう」

「このバカが!」

 デュノア社長が目を剥き、口から泡を吹きながら拳銃をシャルロットに向けた。

「シャルロット!」

 銃声が轟くと同時に、甲高い金属音が会場中に響いた。

「この力は、あなたにいただいたものです」

 着弾よりも速く、シャルロットが左腕を部分展開して、銃弾を防いでいた。

 そのまま両足、右腕、肩部装甲に背面スラスターと順番に展開されていく。そこに立っているのは、オレンジ色のラファール・リヴァイヴだった。

「時代についていけなかったんです、我々は。もう諦めましょう、ねえ、お父さん」

 瞬きする間に現れた長いライフルの銃口が、デュノア社長に向けて突きつけられる。

「こ、この、おい、あれを動かせ!」

 どこか別の場所に向かって指示を出し始める。

「何を言ってるかわかんねえけど、もうアンタは終わりだぜ」

「おい、早くしろ、やれと言っている!」

 醜く歪んだ顔で叫び続ける姿は、無残なものだった。これがIS関連の大企業を預かるトップってんだからな。

「え?」

 だが、反応があったのは、シャルロットからだった。

「な、なにこれ?」

「シャルロット?」

「ISが……言うことを……」

「な、何だ?」

 思わず何度も瞬きをしてしまう。

 シャルロットを包むオレンジ色のISが、溶けていっている。まるで不定形のゲル状生物のように、彼女を飲み込んでいった。

「い、一夏、たす……け」

「シャルロット!」

 ステージに飛び上がり、伸ばされるシャルロットの手を掴もうとしたが、不定形の物質が硬質化し、オレを薙ぎ払った。

 そのまま横倒しになるが、すぐに起き上る。

「これは……なんだよ」

「ふ、ふはははは」

「おい、アンタ、シャルロットに何をした!?」

「わ、私の言うことを聞くようにしたのだ!」

 液状化しモゾモゾと動いていた金属がどんどん固まっていき、やがて一つの形を成す。まるで、優しい聖母像のようなフォルムだ。頭の部分にある銀のマスクは、どことなくシャルロットに似てる気がしているが……なんか違う。

「一夏、下がれ!」

 ラウラの声に反応して、フルバックをかけて後方に飛び下がる。

 異形の聖母像ISの左腕から、オレの立っていた場所へと金属の棒が打ち出されていた。パイルバンカーか!?

「……なんだこれ」

「VTシステムだ」

 オレの横にクラリッサさんが立っていた。その後ろには緑色のテンペスタⅡもピンピンした姿で立っていた。

「VTシステム……ヴァルキリートレースシステムだっけ……モンドグロッソ優勝者の動きを再現するとか」

「ああ。アラスカ条約で研究開発使用全てが禁止されているシステムだ。まさか、あれを仕込むなど、もうデュノア社長は終わりだ」

 オレの前にラウラが立ちふさがる。BT実験機もワイヤーから解放され、後方に浮かんでいた。

「とりあえずアレを抑えるしかない。観客は逃がすぞ、リア、ウーデ」

『ヤー。隔壁解除します、一班二班の隊員は同時に誘導を』

 黒兎隊の隊員たちが指示に従って行動を始める。

「欧州のIS歴史上、最大の珍事件だな、これは」

 クラリッサさんが苦笑いを浮かべた。

 シャルロットを包んだ聖母像ISが、まるで誰かを抱きしめるかのように手を広げた。ラファールにインストールされていたであろう銃器が体中から突き出てくる。その数は二桁に達していた。

「……すげ」

 思わず声が出る。あんなに装備してたのか、あの機体。

「来るぞ! 各員、散らばれ!」

 ラウラの言葉に、オレとクラリッサさんだけでなく、テンペスタⅡとBT実験機も従う。

「ぜ、全員倒してしまえ! 第三世代機など使い物にならんと知らしめろ!」

 聖母像ISの後ろに隠れたデュノア社長が叫ぶ。

 悲鳴に包まれるコンペティション会場に、数多の銃声が轟いた。もはや移動要塞レベルの砲撃だ。

 全ISが空中に舞って、弾丸を回避していくが、あまりにも武装が多すぎる。

 特にオレのメッサーシュミットは足が遅い。自然と被弾も多くなる。それになんか妙に狙われている気もするんだけど!?

「一夏、いったん下がれ!」

 その声に従って下がろうとするが、聖母像ISの動きが思ったより速い。あっという間にオレの眼前に現れた。

 銀色の胴の中心が割れ、そこに巨大な口径のリボルバーが現れる。

「六連式パイルバンカー! 一夏!」

 悲壮な響きが聞こえた。

 

 そして、ヤツが現れる。

 全ての舞台を台無しにしてしまう、悪魔が。

 

 思わず目を疑う。

 オレに攻撃をしようとしていた聖母像ISの頭が、爪のような物でもぎ取られたのだ。そしてゆっくりと横に倒れていく。

 その頭を持って空中に立っていたのは、あの黒い悪魔だ。

「ディアブロ……!」

 以前、オレたちの前に姿を現した謎の黒いIS。

 欧州を席巻し、誰も正体を掴めなかった謎のインフィニット・ストラトス。テンペスタⅡのカスタム機だと言われていたが、やはりオレの視界に入った緑色のテンペスタⅡとはまるで違う。猛禽類のような手足の爪と巨大な推進翼を持った名前通りの獰猛な悪魔としか形容できない。オレの見てきたどのISにも似てない機体だ。

 ラウラの予想通り、おそらくは第三世代開発に遅れているフランスが、ディアブロの所業をイタリアに被せるために流した情報操作なんだろう。

 ISを装着していた全員が息を飲む。

 ディアブロは掴んでいたの頭を掴んだまま、ゆっくりと首を動かす。その視線の先には、横倒しになったまま動かない聖母像ISがあった。

 ふわりと着地し、モデルのような歩き方で悠々と近づいていく。そしてわずかに腰を曲げ、足首を掴んで軽々と頭上へと持ち上げると、また地面へと叩きつける。そのまま手を離さずに、自分の体を中心にして左右の地面へと何回も叩き続けていった。

「や……やめろ!」

 オレの言葉に、なぜかピタリと動作が止まる。

「眠っていては魚は捕れない。先にいただく」

 緑色のテンペスタⅡのパイロットがボソリと呟く。ずっとテンペスタⅡの名前を使われてきて、頭に来ていたのかもしれない。

 本家の意地として両手に構えた2丁のサブマシンガンの引き金を引いた。

 ディアブロは銃撃の撃ち手に顔を向けると、聖母像ISを持ちあげ、盾代わりに突き出す。

「クソッ!」

 あれがどんな仕組みになってるかわからないが、中にはシャルロットがいるんだ。銃撃を受け続けて大丈夫なわけがない。

 決死の覚悟で長い警棒を取り出すと、オレは聖母像ISを掴むディアブロの右腕へと殴りかかる。

「なっ!?」

 だが、左手に掴んだ頭部に当たる破片で受け止めると、右手のオブジェクトでオレを吹き飛ばした。

「一夏!」

 ラウラが回り込んで受け止めてくれる。

 青いBT実験機がスカートから銃口を持ったビットを打ち出し、手に持ったライフル状の兵器の銃口を向ける。

 イタリアとイギリスの第三世代機による集中攻撃で敵機が見えなくなる。

「シャルロット!」

 止めに入ろうとするが、ラウラに制止された。

「ラウラ!?」

「あれに近づいても巻き込まれるだけだ、冷静になれ!」

「だってシャルロットが!」

 振り解こうとするが、背後からAICを使われ、慣性そのものを止められているのでビクともしない。

「ラウラ!」

「離さんぞ一夏、それに」

 レーゲンがAICを解除してオレの腕を掴むと、距離を取るように後ろへと滑走する。

「ラウラ?」

「……ラファールの方もまだ生きてる」

 着弾の煙が張れていく。全員が息を止めて相手の動きを見定めようとした。

 BT実験機のビットが突如爆発する。

 同時に火薬の炸裂するような音が響き渡った。

 頭のない聖母像ISが起き上ってディアブロを掴み、腹から生えたパイルバンカーを撃ちこみ始めた。

 同時に背中に大量の銃器が生え、BT実験機とテンペスタⅡにフルファイアを開始する。イギリスの方は咄嗟に空中に回避したが、テンペスタⅡが逃げ遅れる。あの機体は細かい動作のスピードが遅い未完成機だ。大小多数の口径の銃器から撃ち出された弾丸がテンペスタⅡを躍らせる。

 パイロットの大きな悲鳴と共に、銃撃が止んだ。具現限界が訪れたのか、緑のISは消えパイロットは身動き一つしなくなった。絶対防御が発動しているとは思うけど……。

「クラリッサ」

 ラウラの声と同時にツヴァイクがテンペスタのパイロットを拾い、会場の入り口へとバックしていく。

 ホッと一息を吐くよりも速く、次の状況が始まった。

 六連発のパイルバンカーを受け、動きが止まったと思われたディアブロの目に当たる部分が光る。

 自分を掴んでいた聖母像ISの両腕を掴むと、力任せにもぎ取った。そのまま蹴りを食らわせてステージの方へと吹き飛ばす。

「化け物同士の争いだな……」

 ラウラが呆れたように呟いた。

 腕と頭の無くなったラファールが起き上がる。そのすぐ後ろには、怯えきった顔のデュノア社長がいた。

「しゃ、シャルロット、さっさとアイツらを……わが社を邪魔するヤツをぶちのめせ!」

 その言葉に呼応するかのように、頭の欠けたビーナスの表面がふたたび液状化する。そして頭と腕が復元された。

 だが、素材が足りなかったせいだろうか、今度は胴の厚みが薄くなり、シャルロットの顔がわずかに見える。気絶しているのか、まるで動く気配がない。

「どうする、どうしたらいいラウラ……」

「正直、このままあの二体が潰し合ったあと、残った方を倒したいのだが……」

「だけど、それじゃシャルロットが!」

「……私がディアブロを食い止める。その間に二人でシャルロットを救い出せ、出来るか?」

「で、出来るのか?」

「わからん。正直、AICがあっても、相手の性能は段違いだ。あのパワーとスピードはレーゲンのスペックを軽く上回っている」

 2月の記憶を思い出す。あのディアブロは加速からの一撃でレーゲンを吹き飛ばし、具現限界までエネルギーを吹き飛ばした。今はAICで相手の動作を止められるとはいえ、簡単な相手じゃないのは間違いない。

 BT実験機のパイロットは様子を窺う作戦なのか、空中で静止している。

「まずい、逃げろ!」

 クラリッサさんの叫びがイギリスのパイロットに届くよりも速く、ディアブロはその体を掴み取った。背中の巨大な推進翼が大きな光を発し、まるで白い翼のように見えた。

「イグニッションブースト!?」

 ディアブロはBT実験機を掴んだまま、最大加速を行い、壁面に激突する。瓦礫が天高く舞い上がった。

「……BT実験機沈黙」

 センサーの横に表示された窓から、BT実験機のIS反応が消える。今の一撃で残っていたエネルギーを削り取ったんだろう。

 ディアブロは標的を再度、ラファール・リヴァイヴが変化した聖母像ISに見定めたようだ。アリーナの反対側を向いて、アイセンサー部分を光らせる。

「ラウラ、クラリッサさん、シャルロットはオレが、二人はディアブロを頼む!」

「一夏?」

「あの悪魔はたぶん射撃武器がない。だったら、AICを持った二機でやるべきだ。その間は、オレがラファール・リヴァイヴを抑える」

「だがしかし!」

「……これしかないと思う。シャルロットを守るために、手を貸してくれ!」

「いいのだな?」

「ああ、助けて……みせる!」

「まったく、無鉄砲な嫁を持つと苦労する、了解だ! クラリッサ!」

『ヤー! 一夏、死ぬなよ!』

 聖母像ISが前面に銃器群を生やす。ディアブロが背中の推進翼を立てた。

 レーゲンとツヴァイクが二機の中心へと加速する。オレはシャルロットの元へと、持てる限りの力で走り出した。

「黒兎隊の意地を見せるぞ!」

「ヤー!」

 ディアブロが自身を巨大な砲弾として発射された。五本の線が交錯する。

 その中心点で、二羽の兎が跳ねる。展開されたAICでディアブロを受け止めた。

 変化したラファールが砲撃を開始するよりも早く、オレがその機体の足を払う。パワーだけは一流のメッサーシュミットだけあって、体勢を崩すには充分な威力だったようだ。

 オレにできることは、何だろう。

 メッサーシュミット・アハト。第二世代黎明期に開発された初期型インフィニット・ストラトス。スピードは並み以下。パワーは一流、たまにスラスターが勝手に壊れる。パイロットとしての織斑一夏は、かろうじてISが動かせる程度のぶっちゃけ新兵以下。まともな神経してたら、逃げるのが当たり前だ。

 だけど、やらなきゃいけないことがある。

「うおりゃあああ!」

 腰をついたまま銃器をオレに向ける聖母像IS。

 後退用の脚部スラスターフルバックをかけようとするが、

「また壊れた!」

 プスンと煙を吐いて止まる。

 何でこいつはいっつも後退用スラスターが壊れるんだ!

「前進だけしろってことかよ!」

 咄嗟に腕でガードを試みるが、十字砲火を食らいシールドエネルギーがみるみる減って行く。

 銃撃が止み、続いて油の切れた歯車のような動きで起き上がった。今度は右手を伸ばす。形を成していた金属が溶けていき、そこから機関銃が生えてきた。

「クソッ」

 咄嗟の反応で警棒を投げる。銃身にジャストミートして狙いが逸れた。

 持てる限りの加速で相手にぶつかり、抱え上げる。目の前にシャルロットの顔があった。

 そのまま壁面に向かって加速し続ける。

「シャルロット! シャルロット、目を覚ませ、シャルロット!」

 声をかけるが、起きる気配はない。

 壁に激突させ、会場が揺れる。

「シャルロット! 起きろ、こんなことしてる場合か、シャルロット!」

 だけどやっぱり目を覚まさず、異形の人形が腕を広げてオレを抱きしめた。

 一度融解したあと形成されたマスクがオレを覗きこんでくる。どこかシャルロットに似ていたが、やっぱり違う。

 ……これ、シャルロットのお母さんなのか、ひょっとして。

「リア、VTシステムって何だよ? どうやったら解除できる?」

『ヴァルキリートレースは、その名の通りにモンドグロッソのヴァルキリーの動きをトレースする機能だって聞いてるけど詳しいことは不明、っていうか、そんなことより早く振り解いて!』

 銀色のマスクが溶けていき、それは形を六連式リボルバーパイルバンカーへと変化させた。

『一夏!』

 オレの頭部に杭がぶち当たる。

 衝撃で吹き飛ばされるかと思ったが、絶対防御機能が発動したのか、ダメージは何一つない。ただ、シールドエネルギーが先ほどの数倍の勢いで減った。

「くそ、離せ、離せ!」

 凶悪な連発式杭打ち機のリボルバー機構がゆっくりと回る。火薬が炸裂した。

 可能な限り首を曲げ、何とか一撃をかわす。

 だが、今度はオレと抱きとめていた腕が伸び、胴体へと巻きついたあと手の平で頭を固定した。

 まるでキスを強要されるような体勢だ。一ミリたりとも首を動かせない。腕を振り解こうと思っても、メッサーシュミットのパワーですら動けない。

 伸び切った合金の杭がゆっくりと戻っていく。

 くそ、動け、動いてくれよ、ぱっつぁん! こいつだってラウラと一緒なんだ、生まれたときから逃げられない道が敷かれてたんだ、だから、オレに助けさせてくれよ! まだオレは誰も守れてないんだ、誰かを守らせてくれよ!

 暗く底の見えない丸い唇がオレの頭に照準を合わせる。シールドエネルギーはあと一発持つかどうか。

『隊長! 副隊長、一夏が!』

『くっ、一夏! くそ、邪魔をするな悪魔め!』

 自分の力の無さが悔しい。

 中学校二年のときから、ずっと何も手に出来てない。サボってたツケだ。逃げてきたツケがここで回ってきた。

 でも、もし未来を前借させてくれるなら、オレの未来から誰か力を持ってきてくれよ。きっとそのときまでには強くなってみせるから。

「ハハッ、そんな自分勝手なのは許されないよな」

 自嘲の笑みが浮かんでしまう。ホントに自分が情けない。

 悪い、ラウラ。お前の機体と期待に答えられなかった。

 出来るなら、ラウラやシャルロットやクラリッサさんが無事、こいつらから逃げ切れますように。

 祈るように目を閉じた。

「一夏!」

 ラウラの悲痛な声が聞こえてきた。

 すぐ近くで火薬の炸裂音が響く。

 ……何も起きない。

 恐る恐る目を開ける。

 黒い爪が、オレの前でパイルバンカーを受け止めていた。

「ディ……アブロ?」

 シュヴァルツェア2機と交戦していたはずのディアブロが、なぜかオレを守っていた。

『何が……起きて』

 クラリッサさんの呻くような声が聞こえる。

 ディアブロが初めて武器を取り出す。光る剣だった。溢れんばかりのエネルギーで包まれているそれは、見たことがある。千冬姉の使っていた機体の武装、『零落白夜』だ。

 どこかで見たことのあるような剣筋が振るわれると、オレを掴んでいた聖母像の腕が切り落とされる。

 そのまま左手一本でオレを抱えると、ディアブロは空中まで舞い上がった。

「あっちゃー、そこにあったんだ」

 やれやれと呆れ半分の、場違いなまでに能天気な声が聞こえる。

「た、束さん?」

「やっほー、いっくん」

 ニンジンの形をしたミサイルのようなものに腰掛けて空中に浮かんでいた。

「なんでここに……」

「いやいや、様子を見に来たんだよね。そしたら、見覚えのある機体がいて、びっくりしたわけでー」

「えっと、ディアブロを知ってるんですか?」

「ディアブロ? 変な名前ー、誰かつけたのかなー。まったくもってセンスないねウンザリだね」

 ケラケラと笑う。だが、すぐに真顔になった。

「それの名前は『白式』。色々といじってる最中で暴走したと思ったら、こんなところにいたんだ。いやー参った参った。束さんびっくり」

「え、えーっと、じゃあ」

「たぶんそれ、基本はいっくんの危機を感知して動いてるんじゃない? 原理は調べてみないとわかんないんだけど。自分自身で大雑把なプログラム組んでるのかな、ああ、いっくんの敵を排除するって設定になってるのかな」

 束さんは腕を組んで、誰にでもなくぶつぶつと呟いていた。

 オレを抱えるISを見上げる。

 言われてみればそうだ。こいつが前に現れたときは、オレがラウラと戦闘していたときだった。今回だって、あの変化したラファールにやられそうになったときに現れた。

「なんで黒くなってるのかなー。色々調べてみたいんだけど、どうしたものかなー」

 もう何がなんだかさっぱりわからん。

 呆けていると、バイザーの視界に一つのウインドウが現れた。

「サードシフト……? ただしエネルギー不足?」

 オレの意思に反して、ぱっつぁんがゆっくりとディアブロ、いや『白式』の顔へと手を伸ばす。その手を掴むと白式は一つ頷いた。

 視界を埋め尽くすように、次々とウィンドウが現れていく。

『一夏の機体がまた変化して……まさかサードシフト? ワンオフアビリィティの発動?』

 リアの震える声が聞こえてくる。

 眩いばかりの光がメッサーシュミット・アハトから発せられる。思わず目を閉じてしまう勢いだった。

 やがて瞼に当たる光が和らいだのを感じて、ゆっくりと目を開ける。

 黒い悪魔のごときディアブロが白くなりフォルムが変化している。そしてオレが装着していたメッサーシュミット・アハトがなくなって……いや、これは、剣か?

「エネルギーが足りなかったのかな、古い機体だったし」

 束さんがカラカラと笑うように教えてくれた。

 オレの目の前に、一本の光るエネルギー体が浮かんでいた。ゆっくりと手を伸ばす。

 光が形を成していき、最終的に固形化された形は、一本の剣だった。さっき、白式が取りだしていた剣と似たような、雄々しい一本の兵器となっていた。

「そっか……付き合ってくれるか、ぱっつぁん」

 こいつは形こそ剣でしかなくなったが、インフィニット・ストラトスだ。その証拠に、オレの視界にはIS装着時と同じステータスウィンドウが浮いている。

 オレの初めての機体、メッサーシュミットの八番目の機体、通称『ぱっつぁん』。

「さて、そろそろ終わらせようか、オレの逃走劇をさ」

 下を見れば、ラウラとクラリッサさんが聖母像IS相手に激戦を繰り広げている。シュヴァルツェアのAICは、ああいう手数の多い相手とは相性が悪いからだろう。

「頼む、白式」

 左手でオレを抱きかかえているISへと告げると、無人なのにも関わらず再び頷いてくれた。

「ラウラ、クラリッサさん、回避を!」

『一夏?』

 白式がオレを空中に放り投げた。っておい!?

 そのまま有り余る推進力で一気に加速し、聖母像ISへと突進していく。

 地面へと激突し、あまりの衝撃に周囲が揺れた。爆心地にいた聖母像ISが空中に浮かぶ。

「おおおおぉぉぉぉぉ!」

 目標を見定め、そこへ向かって真っ直ぐと落下していく。剣へと変化したメッサーシュミット・アハトを構え、真っ直ぐと突き出した。

 空中に浮かぶ聖母像の胸元に突き刺す。その勢いのまま、埋まっていたシャルロットの横を薙ぎ払った。その体が聖母像から解放されていく。

 そのまま地面へと激突し、すさまじい衝撃と轟音が訪れた。

 オレの意識はそこまでだった。

 

 

 まるでISのPICを起動させたときのような浮遊感で目を覚ます。

 場所がどこかすらわからない、地面すらない場所だったが、不思議と驚きはなかった。

 顔を上げると遠くにシャルロットが膝を抱えて座っているのが見える。

 そこへ行きたい、と思うと、オレの背中を誰かが押してくれた。

 ゆっくりと、シャルロットの元へと辿り着く。

『……一夏?』

 膝をかかえたまま、シャルロットが顔を上げる。

『泣くなよ』

『迷惑かけてばっかりでごめんね』

『いいさ、オレだって迷惑かけてばっかりだ』

『……僕、お母さんになりたかったんだ』

『そっか。じゃあ、なればいいさ』

『……え?』

『お前がお前のお母さんにしてもらったことを、次の誰かに渡せるように、生きていけばいいと思うぜ』

『でも……』

『まずは立ち上がれ。逃げてばかりじゃ何にも始まらないさ。考えること、自分で動くことから逃げるのはやめようぜ、お互い』

『……そうだね。お母さんはステキな人だったけど、お母さんそのものになれるわけじゃない……んだよね』

『オレだって、たぶん、そうなんだろうな。千冬姉みたいに何かを守れる人間になりたいけど、千冬姉になれるわけじゃない』

『お互い、頑張らなきゃってことかな』

 少し照れたように笑う。

『さ、まずは自分の足で歩くか』

 手を差し伸べると、シャルロットがオレを見上げる。そしておずおずとその手を握ろうと伸ばしてきた。

 まどろっこしいので、その手を掴み立ち上がらせる。

 驚いたような顔をした後、シャルロットが柔らかく微笑んだ。

『もう、一夏ってば、意外に強引なんだね』

『そうか? でも、強引なぐらいで行こう』

『うん!』

『じゃあ、また後でな』

『じゃあね、また後で……その、一夏?』

『ん?』

『僕を守ってくれて……ありがとう』

 彼女はゆっくりと歩き出す。オレはその背中を見送ってから、一つため息を吐いた。

 守れた、のかな。

 本当にそうなのかは、まだわからない。でも、出来る以上のことをしたと思える。オレにしては上出来だ。

 ふと背中に気配を感じて振り返る。

 そこには、メッサーシュミット・アハトが立っていた。宇宙服の胴を無くしたような鈍重なフォルムと、迷彩柄の手足。搭乗者の顔はバイザーに隠されて、口元しか見えない。

『どうした、ぱっつぁん』

 笑いかけると、搭乗者が微笑んだ。それから、小さく、

『ラウラをよろしくね、織斑一夏』

 と呟いて、シャルロットが去った方向と逆を向いた。

『どこ行くんだ、ぱっつぁん?』

 オレの言葉に振り返りもせず、軽く手を上げてから、ゆっくりと歩いていった。

『……そっか、ありがとな、ぱっつぁん』

 その姿が見えなくなるまで、オレはずっと見送っていた。

 

 

 目を覚ますと、ラウラの顔があった。

 オレが驚くよりも早く、

「一夏、言うことは?」

 と尋ねてくる。ったく。

「……ありがとうラウラ」

「よろしい。では、追加オーダーだ」

「つ、追加?」

「わ、私を好きだと言え」

「そんなことか、オレはラウラのこと好きだぞ」

 もっと無茶ぶり来るかと思った。

「ほほほほ、ホントか?」

「今じゃ親友だと思ってるぜ」

 会心の笑みで言ったのに、無言のパンチが飛んできた。声も出ないぐらい鼻が痛い。マジ痛い。

「目が覚めたなら、さっさと起きろ」

 ベッドから飛び降りたラウラの声がすげえ冷たい。なんでだよ。

 鼻を押さえながら起き上ると、そこは黒兎隊のトレーラーの中だった。壁に埋め込まれていた簡易ベッドを引きだしていたようだ。

「……みんなは?」

「色々と事後処理に走っている。今はもう夜だ」

「……シャルロットはどうなった?」

「命に別条はない。衰弱は酷かったので、近くの病院に運び込まれた。ついさっき、目が覚めたという報告があった」

「どうなったんだ、結局」

「デュノア社長はフランス軍に連れていかれた。どうなるかは知らん。死傷者はゼロ。お前とシャルロットが一番の重体だな」

「良かった」

 ホッとため息を吐いてから、トレーラー内を見渡す。

 壁際には、ボロボロになった金属片が吊るされてあった。わずかに見える迷彩柄は、メッサーシュミット・アハトと同じものだ。

「……ぱっつぁんは?」

「再起不能だ。もう動かん。急な形態変化のせいか、あのラファール・リヴァイヴを倒したあと、その姿になって反応がない。分析すら不可能だろうな。おそらくリセットをかけて、コアは次の機体に乗せ換えられる」

「そっか……。すげぇ世話になったな、アイツには」

 ラウラが少し悲しそうな顔をして、ボソリと、

「もう少し、上手く乗ってやれたら良かった」

 と呟いた。

「……ラウラをよろしくってさ」

「ん?」

「いや、何でもない。白式……いやディアブロは?」

「篠ノ之博士が持って行った。日本で再調整をかけるそうだ。まあスペックダウンは免れないだろうな。暴走していたがゆえの性能だったのかもしれん」

「そっか。ならこれで一件落着って感じかな」

 うーんと背筋を伸ばす。バキバキと骨が鳴った。

「何を落ち着いている」

「へ?」

 ラウラがニヤリと笑った。

「キサマは今から、関係各所に提出する報告書の作成だ。フランス語、英語、ドイツ語の三ヶ国語でだ。明朝までにな」

「ええええ!?」

「と言いたいところだが、まあドイツに帰ってからで良かろう。覚悟しておけよ」

 英語とドイツ語はともかく、フランス語とかほとんどわかんないんだけど……マジでどうしよう。

「さて、これから忙しくなるな」

 コキコキと首を鳴らしながら、ラウラが呟いた。

 それは今回の事後処理だけではなく、オレの行く末も含められてるんだろう。

「悪いな、世話をかけてばっかりで」

「構わん。今はまだ私の部下だ」

「……オレは良い上官に恵まれたみたいだ」

「あと、私もIS学園に行くからな。お前を放っておいては、いつまた無茶をするかわからん!」

 さらっとトンデモナイことをおっしゃったよ、この人。

「ちょ、ちょっと待て、行くって簡単に言うけど、お前、少佐だろ隊長だろどうすんだよ」

「な、何とかする! 」

「な、何とかって……はぁ……」

 何とかなるとは思えんが……というかクラリッサさんが許さんでしょ、たぶん。

 前途は多難、だけどまあ、これからも頑張っていきましょか。

 

 

 それからは忙しい日々だった。

 建前上はいないことになってる男性操縦者、という立場は変わらなかったが、欧州統合軍を中心にオレの情報は開示され、各国の軍へと顔を出しつつ、ドイツでは可能な限り黒兎隊のコックとして働き続けた。

 主にフランスに顔を出すことが多いのは、フランス国内のファンドに買収されたデュノア社のテストパイロットをしていたからだ。

 ホントは提案を蹴ってもよかったんだが、シャルロットの身柄をフランスで悪くしないための取引だった。もちろんオレ自身が交渉したわけじゃないけど。

 そんなわけで、フランスに行くたびにシャルロットと会う。今日もデュノアの本社ビル近くにあるオープンカフェでコーヒーを飲んでいた。

「一夏、いつIS学園に行くの?」

「もうちょいかかるかな。テストパイロットの契約がもう少しあるし。シャルロットは忙しいのか?」

「うーん、やっぱり元経営者の身内ってことで、ファンドからの目は厳しいかなあ。性別偽装の件は一夏のおかげでうやむやになったけど」

「仕事が忙しいのかー……」

「うん、今週末からちょっとアメリカに行ってくるよ。国際的なISのショーがあって、そこのコンパニオンでもして、真面目に働いてるところ見せないと」

「コンパニオン……」

 どんなことするんだろ?

「あ、でも水着だったりはしないからね!?」

「いや思ってないし」

 そこまでスケベに見えるかな、オレ。

「そ、そう。ね、ねえ一夏、僕の水着姿見たい?」

「んーそうだなー。夏になったら今度、海水浴でも行くか」

「え、ええ? いいの?」

「部隊のみんなも誘ってさ」

「……そんなことだと思いましたー」

 がっくりとうなだれるシャルロット。なんで?

「バーベキューとかしたら楽しそうじゃないか?」

「バーベキュー?」

「昔、日本にいたとき、夏に川原で友達とやったんだよ。懐かしいな。みんな元気してるかな」

 なんで外で食べただけで、あんなに美味くなるんだろう。

 そんな懐かしい思い出を浮かべてると、シャルロットがオレの顔を不思議そうな表情で目を丸くしていた。

「な、何だよ? なんか顔についてるか?」

「ううん。そんな風に自然に日本のことを言う一夏って、初めてだなーって」

「そうか? まあ話す機会がなかっただけじゃないか?」

「ねえ一夏、日本のこと聞かせてよ」

「ん? いいけど、何を話したらいいのか」

「じゃあ日本の友達のことから」

「おう、いいぞ。まずはそうだな、順番で行くなら箒からかな。ファースト幼馴染」

 シャルロットに促されるまま、日本の友達のことを思い出しては喋って行く。

 下らない話ばっかりだったけど、シャルロットは嫌な顔をせずに聞いてくれた。

 そのおかげか、今日は日本がすごく近く感じられた。

 

 

 五月も終わりに差しかかり、IS学園に入ることが正式に決まった。

 ラウラの入学に関しては、色々な部署ですごい揉めたらしいが、最終的にはクラリッサさんが調整をしてくれたようだった。最初は反対してたんだけど、この間、IS学園に行ってから急に賛成側に回ってくれた。たぶん、あれでラウラに当たり前の女の子としても生きて欲しいと思ってるみたいだから、日本の学校が良い影響があるとでも思ったんだろう。さすが溺愛してるだけはある。

 そして、いよいよ明日、日本に帰るという日になり、ドイツ軍基地の中にある自分の部屋を片付けてると、千冬姉がやってきた。

「だいぶ片付いたな」

 ソファーに座り、部屋の中を見回していた。

「家具は備え付けだったし、そんなに荷物もないけど。あ、コーヒー飲む?」

「ああ」

 ジャケットを脱いで、ダラダラとソファーで横になり始める。うん、この姿はラウラには見せられないな。

 来ると聞いていたので残していた調理器具で、オレはコーヒーの準備を始める。昨日、食堂のアルベルタおばさんにコーヒーの免許皆伝をいただいたばかりだ。

 お湯が沸くのを無言で待つが、別に息苦しさはない。千冬姉はそんなに喋る方じゃないし、オレだって生まれてからの付き合いだ。家の中での沈黙は気にならない。

 黒い液体を注いで、唯一の肉親の前に出した。カップを持って、コーヒーの匂いを嗅いだ千冬姉が少し驚いた後、微笑んだのを見て嬉しくなる。反対側のソファーに座って、自分のコーヒーを口に含んだ。うん、上手く出来てる。

「専用機がある。日本で受け取りだ」

「ひょっとして白式とかいうやつ?」

「ああ。再調整とデチューンが行われてるがな」

「あれって、何でああなってたわけ?」

 ディアブロこと白式は、オレのピンチに登場してきたが、オレもちょっと攻撃されてた。オレを守るとか言ってたけど、そこんとこどうなのと今になって思い出す。

「わからん。束曰く、基本はお前の危機に駆けつけるよう、自己プログラミングされていたらしいがな。お前の敵を倒すようになっていたが、目標設定が単一しか出来ないらしい」

「えーっと、つまり人間で言うなら、カッとなると周りが見えなくなるってことか」

「まるでどっかの誰かさんそっくりだ」

「だ、誰のことだろうなー」

 たぶん千冬姉の弟のことだろうなー。

「それで一夏」

「うん?」

「納得できたか?」

 本当に家族同士の世間話として、千冬姉はコーヒーを啜りながら尋ねる。

「……うん、とりあえず千冬姉、オレを助けてくれてありがとう」

「家族だからな。当たり前だ」

 そう、千冬姉にとっては、オレを守るのは当たり前だった。

「……当たり前に誰かを守れるように、なれたらいいな」

「そうか」

「結局、何かを守れたって気はしないけど、でもドイツでもフランスでも友達が出来たし」

「友達ねぇ」

 千冬姉が含みのある表情でオレを見る。あ、あれ、友達だよな、ラウラもシャルロットも。オレが一方的に思ってるだけだったらどうしよう……。

「と、友達だとオレは思ってるんだけど」

「……そういうことではないんだが……まあいい。それで?」

「周りに笑顔が増えたんだ。だから、日本で危ない目に合わせた友達と、また笑って話せたらいいかなって……まあ、そんな感じ」

 千冬姉がコーヒーを飲み終えて、カップを置く。

「上出来だ」

 コーヒーの話か、オレの話か。

「それじゃ千冬姉、これからまた世話になるけど、今後ともお願いします」

「まだまだ世話になるということだけ、自覚してれば良い。学園ではビシバシ行くからな、覚悟しておけよ?」

 姉がからかうように笑いかける。

「了解です、織斑先生」

「家では今まで通り千冬姉だ、馬鹿者」

「あいよ、千冬姉。コーヒーのおかわり飲む?」

「ああ」

 キッチンに向かう途中、壁にかけてあるコルクボードが視界に入る。最後に片付けてようと思ってたから、まだ壁にかけたままだ。

 ここ数カ月で写真がたくさん増えていた。ゴスロリ服のラウラと撮った写真や、黒兎隊のみんなと写ってるもの、パリ観光をしたときに案内してくれたシャルロットとのツーショットもある。

 うん、この写真が増えただけでも、ヨーロッパに来て良かったって思える。

 それだけは、本当に間違いない。

 

 フランクフルト空港の国際ゲート前に立つ。

「さて、行くか」

「ああ」

 ラウラが頷く。シャルロットはフランスからすでに日本に向かったらしい。

 準備でバタバタとしてたけど、三人とも来週からはIS学園の生徒だ。

 鞄を持って、ゲートに向かおうとした。

「一夏!」

 オレの名前を呼ぶ声に振り返る。

 リアだ。赤い髪の、いつもオレの世話を焼いてくれた女の子。

「わざわざ来てくれたのか。って、なんだその眼帯」

「えへへ、似合う? 隊長と一夏とお揃い。今日から部隊全員がつけてるんだよ」

 思わずラウラと顔を見合わせる。

「なぜまた、それを」

 隊長の質問に、リアが少し照れたように、

「えっとですねー、離れても、私たちはラウラ隊長率いるドイツの黒兎隊ですよ! って感じです」

 とガッツポーズを作った。

 ラウラの頬が赤く染まる。照れくさいのか嬉しいのか。

「そ、そうか」

「隊長、あのフランスの子に負けないでくださいよ?」

「う、うむ、もちろんだ、嫁は渡さん!」

「その意気です!」

「では、留守中は頼む」

「はい」

 二人がビシッと敬礼をする。

 リアがチラリとオレの顔を見上げた。

「では一夏、先に行ってるぞ」

「え、待てよ、オレも一緒に」

「もう少し別れを惜しんでいけ。ではな、リア」

「はい」

 ラウラは有無を言わさずゲートに入っていく。

「ったく、なんだって言うんだ。でもリア、本当に最初っから最後まで世話になった。ありがとな」

「う、うん。でも一夏ってば、日本でちゃんとやれるのー? こう言っちゃなんだけど、一夏ってちょっとおバカさんだし……」

「ぐ……そう言われると返す言葉はないけど、でもまあ、何とかなるだろ。ちょっと距離が遠くなるけど、サポートよろしくな」

「うんうん、何かあればすぐ連絡してよね!」

「じゃあ、行くよ。見送りありがとな、リア」

「あ、えっと、一夏、待って」

「うん?」

「ドイツのお土産。渡してなかったから……」

 少し照れくさそうに笑うリアの手には、何も乗ってないんだけど。

「なんだろ?」

「驚かせたいから、目を閉じて」

 言われた通りに目を閉じる。

 頬に吐息を感じた瞬間、柔らかい濡れた感触を覚えた。

「って、リア!?」

「ふふ、これがドイツ土産。秘密だよ?」

「え、ええーっと」

「ほら、じゃあ一夏、またね!」

 リアが背中を向けて駆け出した。

 まあ日本じゃないし、感謝のキスなんて、ここじゃ普通だ……だよな?

 ボーっとしているうちに、リアの姿を見失う。人ごみにまぎれ、もう彼女の背中は見えなくなっていた。

 もう届かないと思いつつも、オレは小さく、別れを告げる。

「ありがとうな、また来るよ、この西の地に」

 踵を返し、オレは日本へ向かうゲートへと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 




『インフィニット・ストラトス 西の地にて。』はこれにて終わりとなります。
(多少の改訂はするかもしれませんが、追加はありません)
何はともあれ、多々いたらぬ点があったかと思いますが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。



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