その晩は月が出ていた。
大学選抜チームとの試合の後、私達は大洗の学園艦に向かう船の甲板で一夜を過ごした。
大きく見える月がとても明るくて綺麗だった。
「麻子、寝なくて大丈夫なの?」
幼馴染の心配する声を聞きながらも、私はどうしても起きていたかった。
誰よりも一番に、私達の学園艦をこの目で見たかったからだ。
「徹夜なんてしちゃって、明日は一日寝て過ごすことになるよ?」
確かに眠い。
それでも私は甲板にいることを選んだ。
やがて朝焼けと共に、学園艦としては決して大きくはない、その見慣れたシルエットが見えてくる。
「あっ」
私とそど子が同時に声を上げた。
そういえば、あいつも目がいいんだったな。
段々とハッキリ見えてくる学園艦に、いつの間にか集まってきた戦車道の面々が歓声を上げる。
見慣れた街並みや、濃い緑の木々に朝日が射し、夜露に反射して幻想的な風景を作っていた。
私は、朝焼けの中で見た学園艦の美しさを生涯忘れないと思う。
もう「学校なんて無くなればいいのに」なんて二度と言わない。
横に並ぶチームメイトを見る。
喜びに沸いているⅣ号のチームメイト。
廃艦になってバラバラになってしまうことはまぬがれたけど、いつかは皆、自分の夢を持ち、自分の人生を歩み始める。
そんな当たり前のことが、なんだか信じられなくて、
でも、覚悟もしておかなくてはと、そう思った。
彼女たちとバラバラに進む人生。
いつかは戦車道なんていい思い出になって、おばさんになってから懐かしむ、
きっと、そんなもの。
当たり前のことなのに、今の私にはまだ信じられなかった。
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大会の翌日。
私は暗闇の中で目が覚めた。
徹夜なんて私らしくないことをしてしまったせいで、今日は昼間から居眠りをしてしまったようだ。
布団も敷かず、畳の上で眠りこけていたようで少し体が冷えていた。
近くにあるはずの携帯を手探りで見つけ、ボタンを押すと、時はすでに22時を過ぎていた。
しばしボーっとしていると、私は昨日から何も食べていないことに気が付いた。
部屋の電気をつけて、ささっと身支度をする。
何か作ってもよいが、今日は近くのコンビニで食べ物を買って済ますことに決めた、
それに、どうしても今日中に会いに行っておきたい仲間がいた。
コンビニに行って、そのまま会いに行こうと決めた。
街灯の明かりだけの薄暗い道を進む。
月は雲に隠れてしまっているようだ。
コンビニに近づくにつれて辺りが明るなると、やっと目が覚めた気がした。
自動ドアをくぐると同時に、軽快なBGMが私の周りを流れ始める。
そのまままっすぐ惣菜のコーナーに向かうと、そこには見知った顔があった。
「あれ? 冷泉殿?」
「おお、秋山さんか、こんな時間にどうした」
ピンピンと跳ねるいつもの髪型が、さらに跳ねあがっている。
「ね…寝癖か?」
そう私が言うと、彼女はテヘヘと頭を掻いた。
「いやー、実は先ほど目が覚めまして。食料を買いに来ました」
「なんだ、同じか」
「え?じゃあ冷泉殿も?」
「ああ、さっき起きてな。それに、最後に会っておきたいし…」
「なるほど、実は私もこの後会いに行くつもりだったのですよ」
「じゃあ、一緒に行くか」
「はい、是非お供させてください!」
そう言ってピシっと敬礼をキメる彼女と共に、飲み物とオニギリをいくつか買って、コンビニを後にした。
月はまだ雲に隠れたままなのか、あたりは相変わらず薄暗かった。
「しかし信じられませんねぇ。一昨日の試合に我々が勝つなんて」
「そうだな。正直何度もヒヤッとしたが」
「はい、私もですよ。でもですね…」
秋山さんが言葉を続けようとしたとき、聞きなれた声がそれを遮った。
「あれ~、麻子とゆかりんじゃん」
声の主を見やると、二つの見慣れた立ち姿があった。
「あ、武部殿に五十鈴殿!」
そこには、幼馴染の沙織と五十鈴さんが立っていた。
間髪入れず、沙織が不満の声を上げる。
「んもー、二人とも夕方から電話してるのに出ないんだもん」
え?
私と秋山さんが同時にポケットをまさぐる。
「すまん、ついさっきまで寝ていたんだ」
言い訳しつつポケットをまさぐるが、携帯は入っていなかった。
先ほど時間を確認した後、机の上に置っぱなしだったことを思い出した。
「あ、本当です。着信がいっぱい…」
秋山さんは持って来ていたようで、携帯の着信をチェックしている。
「メールも入れといたんだけど~、もぉ、二人ともぉ!」
沙織が口を尖らせるのを、五十鈴さんがなだめてくれる。
「まぁまぁ、きっとお二人とも疲れてたんですよ」
「すまんすまん」
「申し訳ありません、武部殿」
「んもう」と拗ねるふりをする沙織を見て、五十鈴さんが微笑む。
「実はわたくしも今日は夕方まで寝入ってしまいまして、夕方 沙織さんの電話で目が覚めたんですよ」
「そうでしたか、やはり五十鈴殿もお疲れだったのですね」
「はい」
私は沙織の方を向いて尋ねる。
「それで、二人でどこに行くんだ?」
「それを連絡したかったのにぃ、メールもしたんだよ?」
秋山さんはメールの内容を見て。
「ああ、それなら私と冷泉殿もこれから行くところだったんですよ」
「えぇ~、それなら誘ってくれてもいいじゃん~」
「すまんすまん」
また口が尖り始める沙織をなだめつつ、今度は四人で薄暗い道を歩き始める。
「それで、そこのコンビニで冷泉殿に会いまして」
「まぁ、偶然だったのですね」
秋山さんと五十鈴さんが他愛もない話をしつつ先を歩く。
沙織は口を尖らすのをやめ、私の隣を歩く。
「しかしアメリカかぁ」
夜空を見上げつつ、沙織がつぶやく。
「遠いな」
「みぽりん、英語喋れるのかなぁ?」
今度は心配そうにつぶやく。
「英語はあまり得意そうではないが……」
「それにしても急だよね。試合の二日後だよ?」
「うむ」
私は、船の上で考えたことを思い出していた。
(いつかはバラバラに進む人生…か)
そんな話をしているうちに、大洗女子学園の校門が見えてきた。
校門をくぐると、慣れた足取りで戦車が置かれている倉庫へと進む。
暗いと思っていた倉庫の一画には明かりが灯っていて、見慣れたⅣ号の姿を照らし出していた。
「あ、みんな」
Ⅳ号の横には西住さんが立っていて、私達に気付くと声を上げ軽く手を振った。
「やっほ~、みぽりーん」
「西住殿~」
沙織と秋山さんが嬉しそうに小走りで近づいていく。
五十鈴さんと私は歩いてその後ろを追う。
「いよいよアメリカだね~」
沙織が西住さんに話しかける。
「うん、いよいよだよ」
(いつかはみんなバラバラになって、戦車道なんていい思い出になる…)
「もう渡航の支度は出来ていますか?」
五十鈴さんが心配そうに話しかける。
「うん、今回の試合の前から支度していたから」
(おばさんになってから懐かしむだけのもの…)
「それにしても、きついスケジュールですよね~」
秋山さんは不満そうな声で話し掛ける。
「ほんとだね。試合の二日後に出発なんて、ね」
(そんなふうに思っていたころが懐かしい…)
「でも、プロリーグの世界大会はまだまだ開催回数が少ないから、運営も不慣れなんだと思うよ」
「まぁそうですよね~」
視線をⅣ号に移した沙織が、しみじみとした口調で独り言のように呟く。
「しっかし、みぽりんだけでなく、私達までプロになるとはね~」
「私には夢のような仕事ですよ~」
「ゆかりんは天職だよね~」
「はい、大学時代も戦車漬けでしたし、社会人になっても戦車漬けなんて、ほんと夢のような人生です」
「普通に就職活動しててもウチみたいな大企業入れないだろうしね~」
「華さんは、華道のお仕事と調整つけられそうなの?」
「はい、私の教室も軌道に乗ってますし、私のいない間、お母様のところから師範レベルの方に協力いただけることになりました」
「よかったぁ」
「でも、昨日の全日本の決勝はドキドキだったよぉ」
「そんなことないよ、おちついてやれば、絶対勝てた試合だったよ」
「今年はタージリン殿が寿退社で引退してますからね~、ライバルチームが減っていてラッキーでしたよ~」
「でもホント、日本代表戦の2日後に世界戦のキャンプ地に出発って早すぎぃ」
「現地で調整が必要だからしょうがないよ」
「たから、昨日は徹夜で祝賀会なんかせずに、大人しく帰っていればよかったのでは?」
「え~、華だって一晩中嬉しそうに食べ続けてたじゃん」
「わたし、アメリカいくの初めてなんですよ~。アメリカ陸軍兵器博物館行ってみたいです~」
「ははは。……そんな時間ないかも……」
チームメイトの話を聞きながら、私はコンビニで買ったオニギリにかぶりついた。
あの月夜の晩。
大洗に帰る船の上で考えていたこととは裏腹に、私たちは大学、プロリーグと、ずっと一緒に戦車道を続けていた。
しかも、廃校寸前の学園艦を立て直した高校生としてメディアに露出し、多少有名になっていたこともあり、戦車道世界的に盛り上げたい戦車道連盟の思惑もあり、どこに行ってもバラけることなく、いつも同じチームに配属されることになった。
おかげで、チームとしての練度は非常に高くなり、単騎でいえば国内ではほぼ無敵になっていた。
チームメイトの他愛もない話を聞きながらオニギリを平らげると、倉庫の窓から見える月に気が付いた。
どうやら先ほどまでの雲が晴れたようだ。
月はあの日のように大きく明るかった。
チームメイトの話はまだまだ終わらない。
このままではここに来た目的が果たせなくなりそうだ。
「おい、今日の目的」
「あ、そうでした」
西住さんがそう言うと、みな思い出したようにⅣ号に視線を向ける。
大洗戦車道復活の立役者として、Ⅳ号はじめ、我々の代の戦車はすべて、今でも大事にされていると聞いている。
現役を引退してもう何年も経つのに、埃ひとつ積もっていないのはその証拠だろう。
世界大会の前に、一度Ⅳ号に会いに行こうと皆で決めていた。
別に今日と決めていたわけでは無いが、沙織に呼ばれなかったとしても、私も秋山さんもここに来ていた。
つまりそういうことなんだろう。
しばらくの静寂の後、優花里さんが口を開く。
「この子から始まったんですよね~」
「はい。それに、みほさんが大洗に来てくれなかったら、今私はここにいませんね。廃校になっていたでしょうから」
「それを言ったら、みんなそうでしょ」
「うむ」
華さんの言葉に、沙織と私が相槌をうつ。
「ううん、私こそみんながいなかったら、きっと戦車道から逃げて、そのままだったと思う」
「だから、私、みんなとⅣ号には心から感謝してるの」
「ふふ、みんな気持ちは一緒ですね」
五十鈴さんが嬉しそうに笑った。
西住さんがⅣ号に歩み寄る。
「見ていてね、頑張るから」
そう言ってⅣ号に手をかける。
すると、誰とは無しに、西住さんの手に自分の手を重ねていく。
懐かしい。
西住さんは一瞬とまどったが、すぐに意味を理解したのかくすくす笑っている。
「思いだすね、初めての全国大会の決勝戦」」
皆、何か思うところがあるのだろう。
しばらく無言になる。
そして、唐突に沙織が大声を出した。
「よーし、じゃあ、次の世界大会もがんばるぞ~!!」
「「「おぉ~~!!」」」
我がチームのムードメーカーの掛け声に応えるように、みんなで声を上げる。
笑顔が溢れた後、久しぶりのⅣ号を名残惜しそうに見ながら、出口へと皆が歩き始めた。
私もその後を追う。
あの日、幸せな時間の先に待っていた、不透明な未来に抱いていた不安な気持ちは、
今の夜空のようにすっきりと晴れ渡っていた。
できることなら、あの時の自分に「お前らのことは心配するな」と言ってあげたい。
だが、まぁ、そんな無粋なまねはすまい。
人生、先に何が待っているか分からないから面白いんだろう。
倉庫を出ると、月のおかげで周りが少し明るくなっていた。
私は、明るくなった夜道を、チームメイトの後ろ姿を見ながら、すこしワクワクした気持ちで歩き始めた。
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