銀の星 (ししゃも丸)
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注意事項+主人公設定(17/3月時点)

この度、本作品を読んでいただくにあたっての注意事項です。

 

注意1

本作品はオリジナルのプロデューサーです。赤羽根Pも登場しますがメインは彼です。

歳も三十代と設定しています。

 

注意2

本作品においては(765編に関しては)、メインヒロインが貴音、サブヒロインが美希。そして、本作主人公であるプロデューサーこの三人を主軸にして書いていきます。

よって、アニマス本編に突入した際に、そのアイドルのメイン回でも描写が薄かったり、その話自体を回想等での描写、又は省く可能性があります。

また赤羽根P の扱いも好みが分かれると思います。

 

注意3

本作品の設定には二次創作等の設定も取り入れております。苦手な方は、ご注意を。

 

 

現在以上の三点が注意事項となります。特に注意2に至っては私の実力不足もありますが、さすがに全員を描写するのは難しいと判断しました。

本来であるなら連載開始につくるべきでした。申し訳ありません。

 

 

 

プロフィール

 

名前 通称“プロデューサー”

性別 男

年齢 30歳(本編開始時) (デレマス編32歳)

容姿 髪は黒、サングラスをかけた筋肉モリモリマッチョマンの変態

経歴 

順一朗、順二朗、黒井、小鳥が所属する事務所にプロデューサー見習いとして在籍

18歳~24歳頃まで961プロに所属。また、ハリウッドへの研修を体験。

961プロ退社後、フリーのプロデューサーとしてテレビ局、事務所と各地を転々とする。この頃にアイドルをプロデュースし始める。346プロ、東豪寺麗華が運営する事務所にも所属。

765プロ

346プロ(今ここ)

 

詳細

高校○年の頃(2,3年頃を設定しています)東京に来ていた彼は、街中で高木順一朗に突然スカウトされる。就活か進学するかで迷っていた彼は、これを機にプロデューサーを目指す。高木達が経営する事務所に見習いプロデューサーとして過ごす。

しかし、日高舞の登場によりすべてが終わり、始まった。

高木達と別れた黒井に付いて行った彼は、黒井の下で過激な日々を過ごす。それから24歳になり、961プロを退社。以後、フリーのプロデューサーとして活動する。

テレビ局で数多くの企画を成功させ、多くの芸能人やアーティストの活動に協力する。ある日を境にアイドルのプロデュースを開始。どんなアイドルでも絶対に成功せることで名を広めた。だが、彼は一つの場所に留まることなく、多くのアイドルをデビューさせる。また、彼がプロデュースしたアイドルは、形はどうであれ成功を収めている(アイドルをやめてタレント、女優、歌手と様々)。

この頃に、346プロから仕事を受け、後の今西部長と交流を持つ。また、東豪寺麗華自身が所属、経営している魔王エンジェルのプロデュースも行う。

2012年にかつて働いていた346プロがアイドル部門を設立するにあたって、そこのプロデューサーをしないかと誘われる。それを了承した直後に、恩師でもある高木順二朗から連絡を貰う。

346プロと交渉し、期間限定での765プロでの仕事を引き受ける。

四条貴音を選び、彼女共にトップアイドルを目指す(期間限定)。

 

コンセプト(後で追加しておきます)

容姿はほぼ、シンデレラガールズ基準の各アイドル像から考えた結果こうなりました。デレマスの武内Pと似たような感じですね。じゃなきゃ、きらりを受け止められないだろ!

コマンドーネタも入れているので上にかいてある容姿になりました。

憧れている人はいますかと問われれば「シュワちゃんかスターロン」と答える男です。

 

 

※随時設定を修正及び追加する予定また、時系列というか年表も入れる予定です。



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765編
プロローグ


                                 二〇一三年 十一月下旬

 

 

 

「頼む、貴音……。これ以上は、もう――」

「……何を申して、いるのですか……。今日まで、ん……。お預けだったのですから……」

 

 貴音と呼ばれたのは、銀色の髪をした女性だった。彼女はずるずると音をたて、男の言うことを聞かなかった。止まることを知らない口と右手。額から頬へと流れ落ちる汗に加え、空いている左手で、前に垂れた髪を後ろにやる仕草は彼女のいやらしさを何倍にも引き立ていた。

 

「…ごくり」

 

 貴音はアイドルで、男は彼女のプロデューサーであった。彼女の言う通りここ最近仕事が立て込み、中々休みが取れなかった。そして、今日の仕事でようやくひと段落。

 先程の仕事が終わってから明日まで休むことができる。

 貴音のお願いでプロデューサーは、今までお預けだったご褒美を与えていた。

 だがしかし、これ以上は駄目だ。プロデューサーも我慢の限界だった。当の本人はその一連の動作を止めることはない。

 

「こほっ、こほっ。少し、むせてしまいました……」

 

 動きを一度は止めたがまた動き出す。

 なんて顔をしているんだ、とプロデューサーは思った。こんなの他の人間にみせられる顔じゃない。ましてやファンの皆様にみせていいものじゃない。

 確かにそそられる顔はしている。貴音はアイドルで、ビジュアルに関しても美少女と言っても差し支えない。でも、これは駄目だ。

 だから、だからこそ俺は――。

 

「おやじいぃ、お勘定!」

 

 男は立ち上がり、前の前にいる年配の店主に言った。

 

「なっ!?」

 

 貴音は、食べていたラーメンの箸の手を止めた。口に麺を垂らしまま。

 

「今食べてるので合計、えぇと……お得意様価格でピッタシ1万円ですわ」

「はいよ」

「確かに」

 

 プロデューサーは財布から一万円札を渡し、店主はこれを受けった。この時点で食事は終わりだ。

 しかし、貴音は納得ができなかったらしい。

 

「あなた様!まだたったの10杯しか食べておりません!」

「ああ、そうだな。まだ10杯だな」

 

 貴音にとってラーメンの10杯など序の口だとプロデューサーもわかっている。貴音の好物が“らぁめん”だともわかっている。

 しかし、しかしなとプロデューサーは続けて言った。

 

「この、麺特盛(二倍)、野菜もろもろ、チャーシュー山盛りのラーメンでいうところの10杯はな、普通サイズでいけば20杯なんだ。わかるか、20杯だ!」

「そう、なのですか?」

「ああそうだ」

 

 貴音はまるで、これで20杯相当のらぁめんなのですか?と言っているように首を傾げた。

 プロデューサーはなんとか納得させるために続ける。

 

「わかってくれ、貴音。明日事務所にいって最初にする仕事が、担当アイドルのスリーサイズの修正なんて俺は嫌なんだ」

 

 ただ、ラーメンを沢山食べても太らないことは知っていた。何故か貴音の場合、食べても太らない体質らしい。仲間内の何人からは羨ましそうにみられていたのを覚えている。

 

「ぐぬぬ」

 

 ぐぬぬってなんだ、ぐぬぬって。なんで悔しそうな顔をしているんだ。

 プロデューサーはちらりと店主に目をやった。店主もそれに気付いたのか、

 

「お嬢、うまそうにたくさん食べてくれるのはありがたいんですが、その……このあとのお客さんの分の食材の都合もあるもんで」

「……そういうことなら仕方がありません」

 

 店主の一言のおかげで納得してもらえたようだ。ほっと肩をおろしたその矢先だ。

 

「では、最後に替え玉を」

 

 容器を差し出す貴音に開いた口が塞がらない。いや、なんとなく予想は付いていたが。今度は店主がプロデューサーに目をやった。言葉に出さず、お願いしますと頷いた。

 

「じゃあ、これはサービスね」

「まぁ、ありがとうございます」

 

 満面の笑みを浮かべるその顔は今日一番の、仕事で見せたものよりとてもいい笑顔であった。

 そのあと最後の替え玉を平らげ、ごちそうさまと箸をおき立ち上がった。さて、帰るかと思ったが貴音は店主の方を向き、

 

「店主、今度は大量の食材を用意しておくことです!」

 

 ビシッと指で店主をさし言った。漫画なら集中線が描かれていることだろう。

 

「何様なんだ……お前は」

「ははっ、毎度。またのお越しを!」

 

 常連だからか店主も笑顔で見送ってくれた。多分、貴音のデビューした時からだと思う。

 暖簾をくぐり外に出る。

 今は11 月のため辺りはすでに暗くなってきていた。外に出た貴音は黒髪の長いカツラと帽子をかぶり、レンズが黒の眼鏡をかけた。変装のために買ってやった一式だ。普通なら帽子と眼鏡でいいのだが、貴音の髪は銀色で、とても帽子と眼鏡だけで誤魔化せるものではなかった。車で移動するならともかく、今日のように行きつけの店にいくには問題だったのでカツラも用意した。また、意外にも貴音は視力が低いため普段はコンタクト。プライベートでは眼鏡をするようにもなった。今もコンタクトでいるためこの眼鏡に度は入っていない。

 

「ちょっとずれてるぞ」

「どこですか?」

「動くな、治すから」

 

 上手い具合に元の髪が見えないようにするには大変だ。何せ、ロングヘアだ。誤魔化すのも一苦労だ。

 

「よし、治った」

「ありがとうございます」

「なに、いつものことだ」

 

 トップアイドルの仲間入りをしてからというものの、こういうことをしてやるのはよくあることだ。貴音は担当アイドルであり、それなりに一緒にいる時間が多かったとプロデューサーは思った。

 

「このあと事務所に戻るのですか?あなた様」

 

 貴音はプロデューサーのこと「あなた様」と呼んでいた。担当し始めて少し経ってからだったとプロデューサーは思い出した。最初は他のアイドル達と同じプロデューサーと呼んでいたのだが……。

 

「俺はな。お前は帰っていいぞ」

「ふむ……。長くかかりますか?」

「いや、そこまではかからん。お前が食っている間に少しやっていたからな」

「そうでしたか?」

「そうだよ」

 

 集中していたからな、食べるのに。と付け足す。

 事務所に帰ってやることといっても今日の仕事の整理や報告書やら。あとは不在の間のメールや連絡のチェック等。それと一応他のアイドル達の仕事の確認もある。

 プロデューサーは貴音の担当ではあるが、その手腕から他のアイドル達にあった仕事などもとってきていた。

 

「では、終わるまでご一緒してもよろしいですか?」

「構わんが……」

 

 あとに続けて言おうとしたがそれを貴音が遮った。

 

「少しでも、傍に居たいのです。駄目、ですか?」

 

 捨てられた子犬のような目をしてプロデューサーを見上げる。

 それに負けたのか、プロデューサーが言った。

 

「……わかった。戻ったら、食後のお茶でも淹れてくれ」

「――はい!」

 

 腕に抱き着く貴音。やめろと言っても離れなかった。

 しょうがない、このまま行くか。と腹をくくった。

 プロデューサーはあたりにその手の人間はいないと確認し、歩き始めた。

 

「早いものですね」

 

 寂しそうな声で貴音が言った。

 

「そうだな、去年の今頃だったか?初めてお前らと顔合わせをしたのは」

「そうですね。わたくしだけが先にデビューして……今に至るのですね。あの頃は少し罪悪感もありましたけど、今は皆、アイドルとして忙しい日々です」

「なに、お前が一番忙しいさ。〈銀色の王女〉様」

 

 765プロ唯一のトップアイドルである四条貴音の通り名である。その特徴的な髪の色とまるで貴族、どちらかと言えば王族のような振る舞いからそう名付けられた。他の子達も今では名の売れたアイドルだ。あともう少しすれば貴音と同じ、トップアイドルへの道に踏み入るだろう。

 

「では、休みをわたくしに献上するがよい。……なんて」

「年末、年明けに向けての収録がごたごたし始めるからな。これからもっと忙しくなる。それに12月にはクリスマスライブもあるしな」

「久しぶりに全員で揃うライブ、ですしね」

「ああ、赤羽根もようやく安心して仕事を任せられるようになった。社長も優秀な人材をよくみつけてくるよ」

 

 相変わらず高木社長の観察眼に恐れ入る。というより、勘だろうな。ティンときたと言って。

 

「では、あと半年ですか?」

「いや、今年一杯だ」

「そう、ですか」

 

貴音は辛そうに言った。

 

「……」

 

 そう、俺はあと少しで765プロを離れる。そういう契約だからだ。契約内容としては十分以上に成果を出した。その成果が今の四条貴音である。

 765プロを離れ、前々から誘われていた346プロへと俺の職場は移る。

 しかし、貴音は不服であった。当然だろうなとプロデューサーは思った。

 貴音が彼の腕を握る力が強くなる。

 

「皆はこのことを知っているのですか?」

「赤羽根にはもちろん律子の二人には最初から話してある。例外として、美希はあの一件の時に教えた。他の皆には、クリスマスライブが終わった時に言おうと思ってる。始まる前に言うと何が起きるかわからんからな」

 

 貴音と竜宮小町を除く8人全員は一応赤羽根プロデューサーの担当だ。それでも、プロデューサーとの接点がないわけではない。普段いた人間が突然いなくなれば混乱もするだろう。だから、クリスマスライブが丁度よかったのだ。今年最後のライブということも一つの理由だった。

 

「別にまったく会えないわけじゃないさ。美希なんて――」

『美希、ハニーに毎日L○NEするのー!』

「って、言ってたぐらいだ」

 

 何故かはわからないがさらに腕を掴んでいる貴音の手に力が入った気がした。

 ただまぁ、別事務所のプロデューサーがいくら自分の元アイドルといっても会うのは問題だろうなと思った。

 

「どうせそちらに行って、新しい女(アイドル)をつくるのでしょうね、あなた様は」

 

 いくらプロデューサーと言えど、そこまで鈍感ではない。貴音の思いには気付いている。

 だから言った。

 

「ああ、そうさ。アイドルをデビューさせたらまた、別のアイドルをデビューさせる。酷い男さ、俺は」

 

 けどなと、プロデューサーは続けて言った。

 

「でもお前を含め、今まで送り出したアイドルを俺は誇りに思っている。これが、俺の育てたアイドルだ。そう自信を持って言える。特にお前は――」

 

 貴音と正面で向き合う。

 

「俺がプロデュースしたアイドルの中で一番のアイドルだ。だからこそ、俺がいる間はもっとお前を上に連れて行く。それが俺の仕事だからだ」

 

 貴音はかつて、プロデューサーが言った言葉を思い出した。

 

(俺は最初、お前か星井のどちらかをプロデュースする予定だった。けど、星井はあの時アイドルとして熱意がなく、お前を選んだ。もしもあいつにその気があったら星井を選んでいたかもしれない。765プロの中じゃ、星井が一番の才能を持っていたからだ)

 

 これを聞いた時、美希に生まれて初めての嫉妬をした。羨ましかった。この人にこれだけのことを言っていただけるのがとても羨ましかった。

 けど、この人はわたくしを選んだ。そして、今ここに立っている。美希はわたくしを羨ましいと思っているでしょう。けれど自分も、あなた以上にあなたを羨ましいと思っている。

 だから、貴音は言った。

 

「では、あなた様のおっしゃる通り、あなたがいるそれまでの間わたくしをもっと高みへと連れて行ってください」

「もちろん、そのつもりだ」

「お願いします。わたくしのプロデューサー様(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ふっとプロデューサーを言った。貴音も先程とは違って優しく彼の腕を組んだ。二人は歩みを再び始めた。

 月の光が二人を照らしていた。

 

「……」

 

 プロデューサーは空を見上げた。もう一年。765プロに来て、貴音をプロデュースしてもう一年。

 プロデューサーは今日までの出来事を、事務所に着くまで思い出し始めた。

 

 

 

 

 




デレステで限定復刻来ましたね。
お金ないのでもう課金はできませんがね、ふふ……(泣)

※銀髪の女王→銀色の王女に修正
※貴音とプロデューサーの会話を一部修正(9/1)


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第1話 前編

                              二〇一二年 十一月中旬頃

 

 

「えーと、次はここをまっすぐ」

 

 スマートフォンを片手に一人の男が歩いていた。表示されている地図を頼りに、慣れない道を歩く。身長はおそらく180cmはあるだろう。スーツを着こなし、レイバンのサングラスをかけている男性は見た目からして普通には見えなかった。

 男は俗にいうプロデューサーであった。意味合い的にはTV番組等をイメージする人も多いが、彼はどちらかと言うとアイドルのプロデューサーであった。フリー、と前についてしまうが。

 しかし彼は前者の方でも経験は長く、結果もだしてきた。また、多くのアイドルをデビューさせた実績もあったが、彼は専属としてつくことはなかった。

 それでも伊達に十年以上もこの業界に関わっていない。それ故に彼を知る人は、親しみを込めてこう呼ぶのだ。

 〈プロデューサー〉と。

 

「ここか」

 

 この東京という街にはよくある雑居ビル。その一階にはたるき亭とあり、その店の二階。その窓に黄色のテープだろうか。765と貼ってあった。

 ここが新たな自分の職場である。

 765プロダクション。そう、アイドル事務所である。

 外にある階段を上り通路を少し歩き扉の前へ。そして、扉を開けた。

 

「失礼します。今日こちらに伺うと連絡した―――」

「はい、お待ちしておりました。……お久しぶりです、プロデューサーさん!」

 

 出迎えたのは765プロただ一人の事務員音無小鳥。緑色の髪の毛が特徴で、それらしい事務員の制服を着ており彼女にピッタリだ。そして、その太腿というか絶対領域は目を張るものがある。

 プロデューサーは挨拶をし、サングラスを胸ポケットにかけた。

 

「久しぶり、小鳥ちゃん」

 

 プロデューサーと小鳥は旧知の間柄である。かれこれ10年ぐらいは経つだろうか。

 初めて出会った時はまだ○校生だったから今は――。

 

(それ以上思ったらどうなるかわかりませんよ)

(こいつ、直接脳内に)

 

 しかし、まったく会っていなかったわけではなく一年に数回は会う機会もあった。特に向こうからだったが。主に独り身ではつらい時期に。

 

「こちらへどうぞ。社長がお待ちです」

 

 小鳥に案内され中に入る。一言で言えば狭い。それも当然だ。辛辣な言い方をすれば、765プロは弱小事務所。しょうがない。

 

「社長、プロデューサーさんをお連れしました」

「おお、入ってくれたまえ」

 

 社長室と書かれたプレートがかかっている扉の前に案内され、中へ入る。

 そこには久しく会う、恩師である高木順二朗が座って待っていた。

 

「久しぶりだね。キミの噂は聞いているよ」

「お久しぶりです、順二朗さん。順一朗さんはどうしてます?」

「まぁまぁ、コーヒーでも飲みながら話そうじゃないか。音無君、頼むよ」

「はい」

 

 そう言って小鳥は一旦部屋からでた。彼女が戻ってくる間にもう一人の恩師である順一朗についてプロデューサーは聞いた。

 765プロの社長は目の前にいる順二朗の方であり、順一朗は会長なのだという。で、その会長は、

 

「多分海外だと思うな。最後に話した時にハワイに行こうかな的なことを言っていたからね」

「はは、相変わらずのようですね」

「キミもさ。立派に成長したキミをあいつにみせられないのが残念だがね」

「まぁ、三十にもなってそういうのはちょっと」

「そうか、私も歳をとるわけだな!」

 

 失礼しますと小鳥がコーヒーを乗せたお盆を持ち入ってきた。二人にコーヒーを渡しながら彼女は言った。

 

「楽しそうに話すのもいいですけど、社長?……仕事のお話はいいんですか?」

「そうだったね。では、君に我が事務所のアイドルを紹介しよう!小鳥君、例の資料を」

「はい。プロデューサーさん、こちらがアイドル達の資料になります」

 

 小鳥から茶色の封筒を渡され、中身を取り出した。ごく一般的なプロフィールに写真が一枚貼ってある。

 プロデューサーはゆっくりとかつ素早く一つ一つの項目をチェックしていく。

 総勢十二人。ふと、プロデューサーはあることを思い出した。

 

「そう言えば、765プロに一人アイドルがデビューしていませんでしたっけ?」

「ああ、知っていたのかね。秋月律子君。確かに彼女もアイドルだった」

「だった?」

 

 なにかあったのだろうか。

 

「本人は元々プロデューサーとしてやっていきたいという希望があってね。まぁ、アイドルとして活動できなくなるのは少し残念だ。だが、私としては本人の希望を尊重したいからね。彼女の指導も仕事に含まれる」

「ええ、それは構いません」

 

 プロデューサーはそう言うと再び視線を資料の方に戻った。

 一通り見て彼は資料をおいた。それをみて、高木社長が聞いてきた。

 

「で、どうかね。キミがプロデュースしてみたいというアイドルはいたかね?ちなみに全員、会長がスカウトしたんだ」

 

 やっぱり凄い人だとプロデューサーは思った。そして、社長の問いに答えた。

 

「はっきり申し上げれば、全員素質はあると思います。この目で見たわけではありませんが」

「ほう、その心は?」

 

 意地悪な人だと思いつつも彼は答えた。指で頭を指しながら言った。

 

「ここですよ。会長の言葉を借りるなら……ティンときた、ですかね。全員トップアイドルとしての素質があると感じました。ただ……この中から一人となると」

 

 プロデューサーがそう言うと高木社長が顔を渋くした。

 

「むう、やはり一人かね?できれば専属として我が765プロに来てほしいのだが」

 

 それはできません、とプロデューサーははっきり答えた。

 

「一応まだ企画段階と言っても、346ではすでに本格的に動きだそうとしています」

 

 彼の言葉に小鳥が反応した。

 

「346ってあの大手芸能事務所の346プロダクションですか?!」

「ああ。歌手や俳優、女優と多く所属していて、この業界じゃそれなりの古株さ」

「つまり、プロデューサーさんはその346プロから勧誘を受けてるんですよね?一体どういう経緯で……」

「それは私も気になるな」

 

 二人の視線がプロデューサーに注がれる。

 別に話しても問題ないので言った。

 

「少し前に346プロで仕事をしていた時があったんですよ。主に、TV局や脚本家、作曲家とのパイプ役。あと色々」

「へぇ。プロデューサーさん、コネが一杯あるんですね」

「そこはもっとオブラートに言ってくれ、その通りだけど」

「けど、仕事は大分充実していたんじゃないか?346プロとなれば尚更」

「ええ、いい勉強になりました。まさか、あちらから声がかかるとは思っていませんでしたけどね」

 

 後で聞いた話では、テレビ局だったか、この業界の人間が彼のことを346プロの関係者に話したのが始まりだと聞いた。それで、346プロがスカウトに来て一時的な契約を結んだ。期間は確か約二年ぐらいだったとプロデューサーは思い出していた。

 

「現在のアイドルブームは昔と比べれば下火になったとは言え、今も根強い力が残っています。それで、346プロでも〈アイドル部門〉を立ち上げる話が持ち上がったんですよ。その当時お世話になった部長さんが、俺がアイドルのプロデューサーをしていて、それなりの実績と経験があるからと上に推薦したのが始まりです。それを聞いたあとに社長から連絡を貰ったんです」

 

 もう少し早ければ……と社長は漏らした。お世話になった人達に恩返し、というわけではないが少しでも助けになればと思い、346プロに駄目元でお願いしたのだ。

 意外にもそれは通り、今ここにいる。

 話が持ち上がっているといってもまだ企画としてちゃんと設立もされていない。未だ、白紙の段階だ。それでも、速くて一年から二年の間には〈アイドル部門〉を設立し、多くの計画を練る予定とのことだ。アイドル専用のレッスン場、寮も建てるとも小耳に挟んだ。

 

「短くて一年、長くて二年は765プロのプロデューサーとして活動できるというわけか」

「はい。ただ、新たに部門をたてるわけですから時間がかかります。それに、人材がいない。アイドルもゼロ、ですからね」

「なるほど。で、話は戻るんだが……。決まったかね、アイドルは」

 

 そうだったと思いプロデューサーは答えた。

 資料から二枚抜いて置いた。

 

「星井美希と四条貴音。この二人のどちらかにしようかと」

 

 先程の契約期間のこともあり、765プロでアイドルをプロデュースするのは一人と決めていた。ユニットを組ませて全員をプロデュースという案も提案されたが断った。自慢のように聞こえてしまうができなくはない。しかしそれがアイドル達にとって、なによりも765プロにとっていい事ではないからと考えたからだ。

 

「この二人か。どうするかね、直接会ってみるかい?」

「ええ。面接って訳じゃないですけど、二人から直接話を聞いてみたいです」

「わかった。音無君、二人に連絡を頼むよ。午後からなら問題ないだろう。ああ、それと時間はずらして呼んでくれ」

「わかりました」

 

 幸いにも今日は日曜日だったのに救われた。

 小鳥は二人に連絡するため部屋から出て行った。

 

「アイドルと言ってもまだ宣材もとってないし、候補生でもないんだがね」

「え?」

「いやぁ、全員揃ったのがつい最近なんだよ!」

 

 社長曰く、高木会長が全員そろって(候補生として)デビューさせたい!と言ったのが原因らしい。一応アイドル達全員の顔合わせは済んでおり、特に問題なく仲の良い関係を築いているとのこと。

 一応今年にかけて候補生としてデビューさせてレッスンを積み、仕事を与えるつもりでいたらしい。

 プロデューサーもそれには驚いたが同時に今後の計画を既に考え始めていた。

 

「この二人のどちらかをプロデュースするに当たってすぐにデビューさせるのかね?」

 

 多分これからの方針を聞いているのだろう。

 プロデューサーは元々予定していた内容を話した。

 

「ええ、そのつもりです。来月に行われる『新人アイドルでてこいやぁ!冬の陣』に出演させる予定です」

 

 それを聞いた社長は驚いたのか目を丸くしていた。

 その番組のことはもちろん高木も知っていた。四か月周期で開催される新人アイドルの活躍を設けるためにできた番組だった。春夏冬の年三回。全国生放送でテレビに流れる。ここで活躍できれば今後の活動に大きく影響するのは約束されていて、大手アイドルプロダクションから弱小と平等なチャンスの場を与えられている。

 参加資格はデビューをしてから四か月以内。年齢問わず。ソロ限定。審査内容は簡単で、ただ歌うのみ。曲はデビューCDでもカバーでも構わない。ただ、その歌う中でどれだけ歌と踊り、そして自分をアピールすることが問われていた。

 審査員も各分野から三人。ゲスト二人による審査によって決まる。

 

「確かに冬の方が時期的に参加するアイドルが少ないとはいえもう一カ月は切っている。それよりも応募期限が……」

「ええ、終わってますね。ちょうど少し前に」

「駄目じゃないか!」

 

 大丈夫ですとプロデューサーは立ち上がりスマートフォンを取り出した。

 

「この企画のプロデューサーとは知り合いなんでなんとなります。それに、貸もありますしね」

 

 そう言って彼は扉へ向かった。ドアノブを掴んで部屋から出ると振り返って、

 

「ああそうだ。社長、後釜のプロデューサー、ちゃんとみつけてくださいよ?」

 

 社長は胸を張って答えた。

 

「もちろんだ。来年の春までに皆を引っ張ってくれる男を探してみせるさ!」

「お願いしますよ」

 

 そう言って今度こそ部屋から出た。

 そして、彼が所属するTV局に電話。その知り合いのプロデューサーを呼んでもらった。

 結果だけ言えば問題なく済んだ。枠が空いていたので別に問題なかったそうだ。

 これで、とりあえずの目標ができた。あとは、アイドルだ。プロデューサーは小鳥の元へ歩いていった。

 

 

 

 その日の午後。プロデューサーは久しぶりに三人と昼食をとった。そのあと事務所の応接室で座って待っていた。左腕にある高級そうな腕時計をみる。時間は二時をまわっていた。この時計も思い出の品だ。成人祝いだったか。あの人に買ってもらい、それ以来ずっと身に着けていた。

 昔の思い出に浸っているところに小鳥が声をかけてきた。

 

「プロデューサーさん、美希ちゃんをお連れしました。美希ちゃん、こっちにきて」

「はーいなの」

 

 小鳥の後ろから先ほどの写真の女の子がやってきた。長い金色の髪の毛。資料にあった15歳という年齢とは思えないほどのスタイル。

 

(最近の子って凄いな)

 

 そう思ったプロデューサーであった。

 

「では、私はこれで」

 

 そう言って小鳥は離れた。美希はプロデューサーと反対側のソファーに座った。

 

「あふぅ」

 

 眠そうな顔をしていた。いや、むしろ退屈だと思っているのだろうか。いくら15歳と言え、目上の人に対しての態度ではなかった。あとでの話だが、彼女は敬語等を使うのが苦手だと聞いた。

 とりあえず、面接らしいことをしなくては。

 

「初めまして、星井さん」

「初めまして。えぇと、お兄さん?」

 

 お兄さんと言われ少し嬉しかった。自分の顔は老け顔だから、少し若く見えるのだろうと。

 おじさんと言われるのも少し嫌なので、そのままお兄さんで構わないと言った。

 そして、質問を始めた。

 

「じゃあ、星井さん。君はアイドルとしてデビューするとして何か思うことはあるかい」

「思うこと?」

 

 美希は首を傾げた。

 

「まぁ、アイドルとしてやりたいこととか。なんだっていい」

 

 んーと美希は唸り、質問に答えた。

 

「特にないかなぁ。美希、やればなんでもできると思うし」

「なんでも?」

「うん。アイドルにスカウトされてね、たまたま見たアイドルのダンスを踊ってみたの」

「それで?」

「意外と簡単だったの(・・・・・・)

 

 その言葉を聞いてプロデューサーは確信した。この子は天才に近いものだと。一度見たアイドルのダンスを簡単だったと言った。踊れた、ではなく。簡単だったと言ったのだ。

 

(こりゃあ、予想を遥に超えた大物だぞ……)

 

 気持ちが昂る。素質はあるものは多く見た。しかし、ここまでくるとまさに逸材と言っていいのかもしれない。

 しかし、当の本人から思わぬ台詞が出た。

 

「でも美希、努力とか頑張るとかそうゆうの好きじゃないなぁ」

 

 顔の表情を変えることなく話を続けた。それから数分、よくある質問をして彼女との面接は終わった。

 彼女が事務所から出たのを確認し溜息をついた。

 それをみた小鳥が声をかけた。

 

「プロデューサーさん、美希ちゃんがなにかしちゃいました?」

「いや、なんていうのかな。凄く残念な……」

「残念?」

「いや、残念っていうより可哀そう……すまん、上手く言えない」

 

 言葉が見つからない。なって言ったらいいのか。

 ただそれでも、星井美希という存在は凄かった。

 

「彼女は天才だな。故に向上心というモノがないんだろうね、彼女は」

「向上心、ですか?」

「あの子、よくあくびをするだろう?」

「ええ、いつも眠たそうにしていますね」

 

 あのあくびが彼女の今を現しているとプロデューサーは感じた。

 例えるなら飢えが足りていないんだ。やることが簡単に満たされてしまうからすぐに飽きてしまっている。

 

「なんでもできるが故に苦労を知らないんだ」

「でも、それをPさんが教えてあげれば……」

「そうかもね。でも、俺はそれに関しては自分で気付いて欲しいんだ。本当はもっと高く羽ばたけるはずなのにそれをしない。俺はね、はっきり言って立ち止まってる奴を育てる気はないよ」

 

 彼の言葉に小鳥も共感する部分があった。過去の自分も必死に努力して成し遂げようしたことがあったと。けど、あることが原因でそれを果たすことができなかったことを思い出した。

 

「それじゃあ、貴音ちゃんに決まりですか?」

 

 言っている内容からすればそうなると小鳥は思った。

 

「とりあえず、彼女と会ってからさ」

 

 

 四条貴音は最近通い慣れた道を歩いていた。自身が所属するアイドル事務所へとその歩みを進めていた。

 午前中に小鳥から連絡を貰った貴音は、とりあえず用もなかったので彼女の言われた通り指定された時間に事務所に向かっていた。時間を確認すると少し早かったが。

 

(しかし、一体なんの話なのでしょう)

 

 ただ、話があると言われてやってきたはいいが内容がわからないのは流石に疑問に思った。

 

(まぁ、いけばわかりますか)

 

 色々考えなら歩いていたら事務所近くまで来ていた。すると、見覚えのある髪の色をした女性が目に入った。

 

「……美希?」

 

 口には出したが当の本人には聞こえていない。美希は口に手を当てていた。多分、あくびをしたのだろう。彼女はそのまま貴音の方には向かず、そのまま歩いて行った。

 色々考えたが答えは出ず、貴音は事務所の扉を開いた。

 そして、その疑問はすぐに解けた。

 

 

 

 

「プロデューサーさん、少し早いですけど貴音ちゃんが来ましたよ」

 

 予定より10分ぐらい早かったがすでに星井はいないので丁度良かった。

 小鳥に連れ来るようにと言い、奥から彼女がやってきた。四条貴音だ。

 先程と同じように自己紹介から始めた。

 

「初めまして、まぁ座ってくれ」

「こちらこそ、四条貴音と申します。えぇと……なんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

「ん?ああ、プロデューサーと呼んでくれ。それで通ってるんでな」

 

 そう言うと貴音は察したのか、

 

「もしかして私達の担当になるプロデューサー、ですか?」

「まぁ、そんなところだ」

 

 プロデューサーは会話をしながら貴音を美希と同じように観察した。美希と同じようにスタイルに関しては問題ない。むしろ、彼女同様男受けするのは間違いないと思った。

 そして、美希と同じ質問を彼女に言った。

 

「やりたいこと、ですか……。その、質問に質問で返すのは失礼なのですがいいですか?」

「構わない。言ってごらん」

「“とっぷ”アイドルとはどういったものなのですか?」

 

 難しい質問をされた。プロデューサーはそう思いつつも答えた。

 

「今、世間的に言うトップアイドルとは異名がついた子を言うんだ」

「異名、ですか?」

「肩書きとでもいえばいいか。当人や事務所が決めるのはなく、ファンの間で広まったり、雑誌の何気ない一言でつくこともある。あとは話題性、ライブ等で活躍したことを讃えられたりすると自然と定着している」

「例えばどんな感じになるのですか?」

「そうだな。四条さんの場合、その特徴的な髪から〈銀髪の○○ 四条貴音〉って感じだと思う」

 

 異名持ちアイドル。トップアイドルは昔に比べれば減った。別に異名を持たなくても名を轟かせているアイドルは勿論存在する。が、トップアイドルかと問われれば違うと答えてしまう。

 

「で、君の質問には答えた。今度は俺の質問に答えてくれるかな」

 

 気付けば自分の方が熱心に答えていたことに気付き、やっと話を戻せた。

 

「はい。わたくし、そのとっぷアイドルを目指してみたくなりました」

「どうして?」

「やるからに全力でやりたい、というのも一つです」

「一つ? まだなにかあるのか?」

 プロデューサーは彼女の考えが読めず、ただ聞くことに専念していた。

 

「ええ、それは――」

 

 貴音は真っ直ぐな瞳でプロデューサーをみた。その紫色をした瞳は、何もかも見透かされているような感じだった。サングラス越しでも彼女は彼の目を、得物を狙う獣のように捕えているようだ。

 彼女は閉じていた口を開き、言った。

 

「貴方です」

「俺?」

「貴方からはそれを成し遂げようと、いえ。成し遂げられるという自信がある、そう感じました。それに貴方からは他の人とは違う“おーら”を感じます」

 

 前者については正にその通りである。後者については意外な言葉が出てきたことに驚いた。

 

「そのオーラなら俺も君から感じている」

「?」

「君からは普通の人とは違うモノを感じる。君のその振る舞いはそう――貴族みたいだ」

 

 いや、本物の貴族のようだと思った。その貴族とやらにはあったことはないので確信はない。

 

「――プロデューサー」

「……なんだい」

「今ここにいるのは765プロ所属アイドル、四条貴音です。それ以上でもそれ以下でもありません。そして、あなたはそのアイドルをプロデュースするプロデューサー。違いますか?」

 

 確かに彼女の言う通りであった。その言葉の通り彼女はアイドルで、自分はプロデューサー。それでいいのだ。四条貴音が本物貴族だろうがなかろうが関係ない。

 その言葉が決めてだった。

 

「決めたよ」

「お聞きしても?」

「お前をプロデュースする」

 

 そう言うと、予想とは違ったと思ったのか。先程とは違う表情になった。

 

「四条さん、いや貴音。俺がお前をトップアイドルにしてやる。君はどうする?」

 

 立ち上がり手を差し出す。その問いに貴音は、

 

「答えは先程申しました。よろしくお願いします、プロデューサー」

 

 その手をとり、貴音は笑みを浮かべた。プロデューサーも笑みを返した。

 ドラマであるならここでエンディングが始まることだろう。キャストにスタッフロールが画面下に流れるのだ。だがそれは彼の言った言葉のあとに始まるのだと思う。

 

「ちなみに俺、一年とちょっとしかいないんで、その間にトップアイドルにするから。ハードスケジュールになると思うけど、頑張れよ!」

 

 俺は慣れてるから平気だけど。そう付け足してプロデューサーは言った。

 

「……面妖な!」

 

 しかし、エンディングなど現実では流れる筈がないのであった。

 

 

 

 太陽が沈み始めた頃、貴音は自宅があるマンションの一室に帰ってきていた。

 貴音は、自宅から事務所は徒歩だったら一時間程かかる位置に住んでいた。この街は交通網が十分整っているので特に苦労はしていなかったが、アイドルになってからは不便と感じるようになった。

 

「……そういえば、初めてでしたね。殿方の手に触れたのは」

 

 身内を除けば、だが。

 そもそも貴音は男性とまともに触れ合ったり、会話したりいうことがあまりなかった。

 

「大きく、逞しい手をしておりましたね」

 

 自分の右手を見て、彼の手の感触を思い出した。同時に明日のことについて言われたことも思い出した。

 明日、プロデューサーの紹介とわたしくしがアイドルとしてデビューすることを伝える。そう言っていた。

 正直に言えば罪悪感があった。皆に初めて出会い、最初は不安だったが今ではよき友人、仲間と思っている。

 元々、社長からも来年の春から本格的に活動すると言われていた。そんな中、自分だけが先にアイドルとしてデビューするのに不安があった。

 それを見越していたのか、見透かされていたのか。あの御方に言われた。

 

『お前の気持ちもわかる。確かに、全員をプロデュースする自信はある。けど、それがこのあとに来るプロデューサーのためにもならない。だからそいつと他の仲間達のために、俺とお前で道をつくるんだよ』

『道、ですか?』

『どこへ行っても、知らない道っていうのは怖いだろ?それに、まったく関わらないわけじゃない。メインはお前だ』

 

 そう言われて納得し、気持ちを切り替えた。ただ一つ、悩みの種は残されたままだった。

 

(もし、美希がわたくしと同じようにプロデューサーと会っていたなら……)

 

 一番傷つくのは美希かもしれないと思った。貴音は美希の本質を見抜いていた。彼女は天才であると。普段はやる気がなく、だらだらとしているが愚か者ではない。今回のことも明日に自分が彼の担当アイドルになったと聞けばすぐに気付くだろう。

 何も起きなければよいのですが……貴音は窓の外にある空を眺めながら思った。

 しかし、明日から始まる怒涛なアイドル生活でこの悩みを考えている余裕などなくなり、

 貴音は忘れてしまうだろう。

 この悩みが時限式爆弾に例えるなら、爆発するのは大分先のことであった。

 

 

 

 翌日。

 平日の月曜日であるため、765プロ全員が揃うのは午後であった。学生が多いので当然であった。

 全員が集まる中、貴音は事務所のソファーで力尽きるようにもたれかかっていた。皆が貴音を心配しはじめ、特に貴音と仲の良い我那覇響が声をかけた。

 

「貴音……大丈夫か?」

 

 なんだか貴音が白く見えるぞ……とも言われた。

 

「響、それにみなも心配せずとも大丈夫……です」

 

 それに反応し水瀬伊織が割り込んだ。

 

「大丈夫に見えないから心配しているんでしょ」

「そうよー、皆貴音ちゃんが心配なの」

 

 おっとりした声で言ったのはここにいるアイドルの中で一番の年長者である三浦あずさであった。

 

「まるで、全力疾走したあとみたいだ」

「言われてみれば真くんの言う通り、それっぽく見えるね」

 

 男よりも男らしくみえるのが菊池真。逆におどおどしているのが萩原雪歩。

 

「でも、本当に大丈夫? 貴音さん」

「流石に、ねぇ……」

 

 赤いリボンがトレンドマークが天海春香。真面目そうな顔をしつつも心配しているのが如月千早。

 

「いえ……。ただ、わたくしの未熟さが招いたことなのです……」

 

 声は震えたままだった。

 

「うぅ、貴音さん心配です」

 

 この中で一番の年下である高槻やよいが心配そうな顔をしてみつめる。

 

「これは何か事件の臭いがしますな」

「そうですな、亜美警部」

 

 双海亜美と双海真美。二人は双子で、髪が短いのが亜美で、サイドポニーにしているのが真美だ。

 

「あふぅ」

 

 貴音の向かい側で美希は興味なそうに寝ていた。

 

(うわぁ。昨日社長から聞いていたけど、これは……)

 

 この中でただ一人、アイドルからプロデューサーになった秋月律子は貴音の現状をみて察した。

 貴音がすでに今日の午前中からレッスンを開始したのを律子だけは知っていた。

 けど、その担当にはまだ会っていなかった。

 貴音がレッスンをしているのも、事務所に来て小鳥さんから聞いただけだ。

 そんな空気の中、高木社長と小鳥がやってきた。

 

「皆揃っているね。実は今日、キミ達に報告することがあって集まってもらったんだ」

「社長、それって今の貴音と何か関係あるのかー?」

 

 手をあげて響が聞いた。

 

「うむ、何を隠そう。貴音くんは今日から本格的にアイドル活動することになったのだよ!」

『『『えーーーー!!!』』』

 

 事情を知っている社長と小鳥に律子。そして、貴音は予想通りの展開が目の前で繰り広げられた。

 彼女達の言っていることはバラバラだ。しかし、それは当然の反応だ。社長はこの状況を予想していたため理由を説明した。

 とりあえずメインでアイドルをプロデュースするのが貴音であること。他の子も律子君主導の下、アイドル活動を開始する。そして来年の春までにもう一人、プロデューサーをみつけることを説明した。

 

「つまり、もう一人のプロデューサーが来るまでにレッスンを積みながらアイドルとしてデビューする。で、いいのかしら?」

「伊織君の言う通りだ」

「皆の気持ちは私もわかるわ。でもプロデューサーとしての経験が私にはまだないし、いきなり全員をプロデュースはできないのよ」

 

 律子が社長の援護に入った。

 

(でも、できるんだよねぇ。彼は)

(プロデューサーさんだったらできちゃうのよねぇ)

 

 彼の素性を知っている二人はただ胸の内に思い留めた。

 幸いなことに誰もなぜ貴音が選ばれたとは聞いてこなかった。聞かれても、相談し合ったとか、プロデューサーが選んだ等々……。理由は考えていたが無駄に終わった。

 

「で、そのプロデューサーさんはどこにいらっしゃるんですか?」

 

 あずさがもっともなことを言った。他の子も、そうだそうだとざわめく。

 

「それもそうよねぇ、社長?」

「うむ、音無君」

「はい。プロデューサーさんどうぞー」

 

 小鳥が事務所の出入り口の方に向かって言った。扉が開き、そこから話題のプロデューサーがやってきた。

 

「初めまして。今日からこの765ぷ『ひぃいいい』……」

 

 紹介の途中、突如悲鳴が上がった。

 お、男の人……そう呟きながら雪歩は真の後ろに隠れた。

 雪歩だけではないが何人かは驚いた表情をしていた。なにせ、身長は180cmにサングラスをかけているのだ。パッと見て、ヤクザとかそっち系の人にしか見えないのも無理はなかった。ただ、顔をみても若く見える所為か、年齢がいまいちわからなかった。

 

「俺はまだ何もしてないぞ……」

「すみません、雪歩は男の人が苦手なんです」

 

 あと犬も、とつけたして真が理由を説明した。

 

「まぁ、それは追々なんとするとしてだ。改めまして、今日からそこで燃え尽きている貴音をプロデュースすることになったプロデューサーだ。先程、社長が言ったように貴音以外をプロデュースする彼女に指導しながら君達のこともみていくつもりだ。今日からよろしく頼む」

 

 よろしくお願いします! 皆が声を合わせて言った。

 

「……そういうことなんだ」

「美希、どうしたの?」

 

 美希の声は聞こえなかったがその一瞬の変化に春香が気付き聞いた。

 

「別になんでもないの……あふぅ」

 

 そう言ってまた眠り始めた。

 そのあとそれぞれ自己紹介をした後、社長室で律子にプロデューサーの契約内容について説明した。

 流石に彼女も驚いた。

 

「で、とりあえずの方針をまとめると。貴音が来月に開催される歌番組のためにレッスンをメイン。他の子達は宣材をつくり、レッスンをしながらゆっくりとデビュー。こんな感じですか」

 

 律子は確認のために要所をまとめて言った。

 

「そうだ。あと彼女達が使うレッスン場は、君も通っていたところだから送迎なども頼むと思う」

「それは構いません」

「あとプロデューサーとしての指導だが……そうだな。来月の番組に出演したあと、本格的に貴音を売り込んでいくからその時に同伴してもらおうかな」

 

 話題性を大きくするためにあえて営業は控えるつもりだ。

『突如現れた新人アイドル! デビューはまだ一カ月?!』そんな風に注目を浴びれないかと期待していた。

 

「それで律子の顔を覚えてもらえれば一番いいかな」

「はい、頑張ります!」

 

 律子はプロデューサーとしてはまだゼロからのスタート。つまり、彼女達と一緒なのだ。だからこそ、はりきっている。

 

(若いっていいな)

 

 やる気に満ち溢れている。そんな彼女をみてプロデューサーは羨ましく思った。

 プロデューサーは立ち上がり貴音の下へ歩き始めた。午後のレッスンの時間だ。

 

「それじゃ、しばらく彼女達の面倒は頼んだ。なにかあれば携帯に連絡を。」

「はい、わかりました。……また、レッスンですか」

 

 本人ではないが律子の顔は引きつっていた。対してプロデューサーは悪い笑みを浮かべていた。

 

「おーい、貴音。楽しい楽しいレッスンの時間だぁ。はりきってイってみよう」

「うぅ、今度はどちらですか?」

「喜べ、ダンスレッスンだ」

 

 場所は移りダンスレッスンの教室。

 午前中、貴音の力量を測るためダンスとボイスレッスン両方を既に行っていた。

 午前中と同じダンスレッスンの先生とプロデューサー二人による指導。ボイスレッスンもそうだが、貴音にとって初めての体験であり、思うようにできなかった。

 それでも貴音は嫌だともやめるとも言わなかった。先生とプロデューサーの指摘は正確。その指示に従い駄目だったところ何度も繰り返した。

 おそらく人生で一番身体を動かし、声を出した一日だったと貴音は思った。

 

「流石に、疲れました……」

 

 レッスン部屋の壁によりかかる。ひんやりとして少し気持ちよかった。

 扉が開く音がするとプロデューサーが飲み物を持ってきたこちらにやってきた。

 

「お疲れさん、ほれ」

「ありがとうございます」

 

 スポーツドリンクを受け取り、一口飲んだ。貴音はスポーツドリンクも中々飲む機会がなかったと思った。

 

「足をだしてみろ、マッサージしてやる」

 

 そう言われてとりあえず右足を伸ばした。プロデューサーは慣れた手つきマッサージを始めた。

 

「今日のレッスンでお前のだいたいの力量はわかった。声量もあるし、音程もとれている……。それに、綺麗な声をしているよ。午前中にやったボイスレッスンに関しては左程問題ないから基本をしっかり学んでいけば大丈夫だ」

「ダンスは……苦手です」

「当然だ。そんなに悲観することじゃない。動きはうまく意識できてる。ただ、身体がそれに追いついていないのと体力がなぁ……」

 

 プロデューサーは、アイドルは体力も特に大事。そう言って今度は右足から左足へ移った。

 

「若いからそれなりにあると思ったんだが……。まぁ、少しずつ体力はつけていけばいいさ。まだ、時間はある」

「はい。それにしても、プロデューサーは平然としておりますね」

 

 貴音は午前中のダンスレッスンの時、先生と一緒にお手本として踊っていたのを思い出しながら言った。

 

「まぁ、プロデューサーだから当然だな」

「……そういうモノなのですか?」

「そういうもんさ」

 

 そのあとプロデューサーに体をマッサージしてもらいながら、今日のおさらいや今後の話をして一日を終えた。

 自宅まで車で送ってもらったがすでに時計の針は八時をまわっていた。

 貴音は、まず風呂に入ろうと思いお湯を出しておく。そのあと、軽く食事をとりつつ時間を潰した。そろそろかなとお風呂場に向かう。衣類を脱ぎ、籠に入れる。湯船につかり、身を委ねた。

 疲れたときに入るお風呂はなんとも心地よいものかと再確認。一回湯船から出て体を洗いはじめる。あまり長風呂を好んでしているわけではないが自分の髪は長いのでそれが一番時間をとらされていた。洗いを終わるとまだ湯船につかる。それから少し経ってお風呂場から出た。

 体をバスタオルでふき、寝間着に着替える。自室にある化粧台にすわりドライヤーのスイッチをいれる。髪が長いので乾かすのも一苦労だ。

 以前はやってもらっていたので、自分でやるのには少し時間がかかる。慣れないことだったから余計に大変だった。

 

(頼んだらやってくれるのでしょうか)

 

 ふと自分の担当であるプロデューサーを思った。さすがにそれはないと思い考えるのをやめた。

 髪がかわいき、暇だったのでリビングに戻ってテレビをつけた。

 番組を何回か変えて丁度アイドルが出ている番組があったのでそれをみてみた。

 そのアイドルは多分ゲストとして出演しているのだろうか。

 

(改めてわたくしがアイドルとは……あまり実感できませんね)

 

 テレビに映るアイドルをみて思った。

 あまり想像はできなかった。けど、いずれ実現されると思った。あのプロデューサーによって。

 テレビの電源を切り、窓際に置いてある椅子に座る。

 

「今日は月がよく見えますね」

 

 貴音は懐かしむようで恋しそうな瞳で月を眺めていた。

 そのあと自室に戻り眠りについた。思いのほかすぐ寝付くことができた。

 翌朝、目覚めると体に疲れは残っておらずむしろ軽かった。

 事務所に言ってプロデューサーに聞いてみた。

 

「プロデューサーはまっさーじ師の資格でも持っておられるのですか?」

「いや、持ってないぞ」

「その割には随分と慣れた手つきでしたが」

「だって、プロデューサーだしな」

 

(プロデューサーとは一体……)

 

 まだ、彼のことを理解するのには大分時間がかかる。そう思った。

 

「よし、今日もレッスンしにいくか!」

「はい」

 

 貴音は元気よく返事をして彼のあとに付いていった。

 




あとがきという名の設定補足等々

※1 
プロデューサーの年齢は30歳という設定にしてあります。もしかしたら時系列の関係で修正するかもしれません。
名前はゲームなど意識しているので「プロデューサー」が名前となります。

※2
346プロの話がでてきましたが実際デレマス第一話にも描写があります(武内Pが卯月に渡した資料に2年前、とある)。アニメ放送時2015年。劇中のカレンダーにも2015とあり(多分)、仮に2015年春とすると2013年には〈アイドル部門〉ができて活動していることになるんですよね。つまり、その前に構想から企画が動き始めていると思われるので本作品では多少設定をかえてあります。
話は変わりますが346プロはアイドルとしてのノウハウがないだけで芸能方面のノウハウがある分アイドル達のデビューや仕事は早いと思うんですよね(劇中で武内Pの仕事の手腕をみると)。ファンサービス等の理由もあると思いますがポスターに写っているアイドルはすでにアイドルとして大きく活動していると思っています。

※3
公式?で貴音は外来語等の片仮名が苦手という設定なのですがキリがないのであまり言わなそうな単語のみひらがなで表記しようと思っています。今回はひらがなだったのに次は片仮名になっていると思いますがご了承ください。

※4
美希に関して。天才肌だったか、そんな設定を本物の天才に変更しよくある天才キャラみたいな扱いをしました(あんまりかわらないけど)。そのため、原作より飽きやすく現状に満足してしまっている風にしています。美希と貴音を色で表すなら金と銀。そんな対極って訳ではないですがそんな感じです。一応美希は本作品においてはサブヒロインです。

今回はこんな感じですかね。自分でも再確認のためにあとがきに設定みたいな補足的なことを載せると思います。

一言ぐらいですが765プロのアイドルを全員出しましたが、全員の描写大変です……。
もう……むりぃ……。
次回の後編を含め、あと一話を使ってアニマス開始前までの話を終わらせればと思っています。そうすれば少しは楽になるはず……。

あと貴音のダンスが苦手という台詞を書いているときに、

満足P「踊れ、貴音!死のダンス(ライブ)を!」
貴音「ダンスは…苦手です」

こんな構図が浮かんだ。

あとかなりの文字数などで一応チェックはしていますが、もし誤字脱字等がありましたら報告お願いします。



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第1話 中編

まさか後編が二万文字もいってしまったため、急遽分割することにしました。


 二〇一二年 十二月上旬

 

 

 

(ようやく形になってきたな)

 

 目の前で先生のリズムに合わせて踊る、四条貴音を見てプロデューサーは思った。

 ボイスレッスンに関してはある程度問題なく、どちらかと言うとダンスレッスンを中心に予定を組んでいた。既に十二月に入ったが貴音の頑張りもあり、あと少しで番組収録が控えている中、なんとか及第点を出せるところまで来ていた。

 歌う曲も最初から決めており、早い段階で練習ができたのも幸いしていた。

 

「はい、今日はここまで。四条さん、お疲れ様」

「はぁ、はぁ……。ありがとうございます」

「最初に比べればちゃんと上達しているから焦らず最後までやっていきましょ」

「はいっ」

「それじゃあ、着替えてきなさい。その間、プロデューサーさんと打ち合わせするから」

「ありがとうございました、先生」

 

 先生と別れ、別の部屋にある更衣室へ向かう貴音。先生がこちらにやってきた。

 

「今日もありがとうございます」

「いえ、それが仕事ですから。それにしても、プロデューサーさんも面白いことしますねぇ」

「ん?」

「態々本人ではなくて、別人のダンス映像をみせるなんて。まぁ、選曲の時点で予想はついてましたけど……」

「それについては色々と、ね」

 

 先生の年齢はプロデューサーと左程変わらない。丁度アイドルブームの全盛期を知っているため、この曲のことも知っていた。

 

「確かにアピール、話題性としては最高でしょうね。ただその分、難易度も上がります。始めてまだ一カ月も経っていないのに、四条さんはよくやっていますよ」

「それが狙いですからね。やることが全部初めてですから、貴音が本番でどれだけやれるかが鍵です」

「今思えば、初心者にやらせる内容じゃないですよ」

「自覚はしていますよ」

 

 無茶、無謀と遠回しに言っているように聞こえたがプロデューサー本人は特に気にしていないようだ。

 むしろこれぐらいしないといけない理由があった。プロデューサーは765プロとの契約が約一年か二年ということになっているが恐らく前者であると考えている。この限られた時間でプロデューサーは四条貴音をトップアイドルにすると言った。

 それを貴音も合意した上で行っている。

 

「はぁ。何度も言いますけど、彼女はこの短期間で一通りの動きはできています。あとは、細かい所の調整だけです。もちろんオリジナルと比べなければ、ですけど」

 

 それをさらに短期間でやってしまいそうなのが身内にいることを思い出したが、やめた。貴音に失礼だ。

 

「ですから、ちゃんと褒めてあげないと駄目ですよ」

「ええ、もちろん」

 

 きぃと教室の扉が開く音が鳴った。着替えた貴音がこちらにやってきた。ジャージなどが入ったバックを持ちいつも見慣れた服装。貴音はプロデューサーの隣までくると歩みを止めた。

 

「プロデューサー用意が整いました」

「おう。それじゃ、先生。また明日お願いします」

「ありがとうございました」

「はい、また明日ね」

 

 あいさつを済ませ教室を出ていく二人。外に停めてある765プロが所有するトヨタのアルファードがある。色は白で窓ガラスは将来を見据えスモークフィルムがちゃんとある。といっても貴音は無名。正式にはまだアイドルとしてデビューはしていないのだ。

 プロデューサーは色々と根回しをしていた。結局は番組本番でアクションを起こしてからでないとなにも始まらない。

 

「さてと、事務所に帰るついでに衣装でも取りに行くか」

「衣装、ですか?」

「そ。本番で着る、お前専用の衣装だ」

 

 貴音は以前、小鳥と律子の二人に寸法を測られた。プロデューサーにも写真を何枚か撮られた。このためだったのかとあの時の疑問が解けた。

 

「どういう衣装なのですか?」

 

 貴音は自分が着る衣装なので気になって聞いた。そもそも衣装のこと自体、教えてもらってもいなかったのだ。

 

「はは、着てからのお楽しみさ」

 

 プロデューサーに笑いながらはぐらかされてしまった。

 

 

 

 

 

 帰り道の途中、依頼したスタイリストから衣装を受け取り事務所に帰ってきた二人。小鳥に手伝ってもらいながら貴音は現在試着している最中。一方プロデューサーは、んーと唸っていた。

 

(なんでああなった?)

 

 依頼したスタイリストは、以前からアイドルをプロデュースしていた時に利用していたので知らない仲ではなかった。

 腕は確かで、着る本人の寸法とスリーサイズに写真があればこちらの希望する衣装を作ることができるぐらいだ。

 少し前、メールで完成予想図が送られてきた。特に不満もなくこれでいいと返信。

 で、完成したから先程受け取りに伺えばまったく別のモノができていた。いい意味で。

 なんでも、

 

『突如、別の衣装の案が閃いた。仕事を依頼された身としては最低だが、彼女に合う最高の衣装ができた』

 

 そう言っていた。当初のモノとはまったく方向性が違ったが、良い仕上がりだったので文句を言う事はなかった。

 そのスタイリストは自分の作った衣装に気に入ったモノがある名前をつける癖があった。

 あの衣装にスタイリストは、

 

「はーい、皆お待たせ。貴音ちゃんのアイドル衣装のお披露目でーす」

「うぅ……あまりこういった服は慣れていないので少し恥ずかしいです」

 

 黄色基調の配色とその大きく開いた胸元、短いスカート。

 〈ビヨンドザノーブルス〉。そう名付けた。

 

「「「おぉー!」」」

 

 今事務所には春香、千早、やよい、美希、響の五人がいた。美希は相変わらず寝ていたが、興味を示したのか起きて貴音の傍にやってくる。

 

「うっうー、貴音さんすごく可愛いです!」

「わー、貴音さんいいなぁ」

「似合ってるぞ、貴音!」

「……」

 

 美希を除いて貴音の姿をみて感想を言う中、千早の視線は強調されている胸元と自分の平らな胸元を行ったり来たりしていた。

 なんとも言えない顔をして、くっと内なる思いを漏らした。

 

「どうです、プロデューサーさん?!」

 

 小鳥が聞いてきた。横にいる貴音は顔を少し赤くしていた。慣れてもらわないと困るんだがなと思いつつ。

 

「ああ、似合ってるよ」

「もう、プロデューサーさんったら。もっとこう、男して言うべきことがあるんじゃないんですか?」

 

 小鳥が望んでいた答えじゃなかったらしい。

 

(男の俺が、まして三十にもなっているやつがそういった事を言えるわけないだろ……)

 

 プロデューサーの顔は呆れていた。

 

「んーこの衣装、自分で言うのもなんだけど私や響にも似合うと美希は思うなぁ」

 

 美希が割って入ってきた。

 

「自分もか?」

「スカートじゃなくてズボンみたいのだったら似合うと思うな」

 

 確かに言われてみればとプロデューサーは思った。

 自分の中で星井と響の衣装をイメージする。うん、似合うな。ユニットを組ませるならこの三人でもいいな。しかし、それが叶うことはないだろうと思って後に来るであろうプロデューサーに託すことにした。

 

「で、どうだ?どこか違和感とかあるか?」

「特にこれと言って……。ただ、その……」

「慣れろ」

 

 恥ずかしいのだろう。だが、それを伝える前に無慈悲な言葉を告げられた。

 

「別に似合ってるから平気だろ。春香はどう思う?」

「私ですか? 可愛いですよね、早く私も着てみたいです」

「そうですよ、貴音さん!」

「とりあえず、着替えていいぞ」

 

 プロデューサーにそう言われると貴音は小鳥と再び更衣室へ戻っていった。

 

(さてと……)

 

 お姫様の衣装(ドレス)は用意した。あとはレッスンを積み、番組収録(舞踏会)を待つだけだ。

 

 

 

 

 二〇一二年 十二月 番組収録当日 

 

 

 番組収録当日。プロデューサーと貴音はすでに収録会場である某テレビ局に到着していた。放送開始が午後十九時。かなり早いが二人は十六時に来ていた。

 プロデューサーは仕事の関係上何度も足を運んだことのある場所ではあるが、貴音には初めての場所である。

 貴音は事前にプロデューサーに言われた通りすれ違う人にはできるだけ挨拶をするよう心掛けた。

 返事を返す人もいれば、そのまま通り過ぎてしまう人もいた。ただ、それよりも、

 

「あ、プロデューサーさん。お久しぶりじゃないですか!」

「あれ、プロデューサーさんじゃないですか。元気にしてました?」

「プロデューサーちゃ~ん。うちの部署にきてよー」

 

 などなど。多くの社員やスタッフが声をかけてくるのだ。貴音はそれに驚いたがそれを目の当たりにして、彼の凄さを身を持って知った。

 

「いいか、貴音。まず、この番組のプロデューサーに挨拶するから粗相のないようにな」

「はい」

「今は俺が間に入って話したりするが、仕事が増えるようになれば自分から動くんだ。とりあえず、相手が何か言ってきたらそれに答えるだけでいい」

「わかりました」

 

 挨拶は特にどこへ行っても大事と貴音に教える。特にこの業界はなにかあればすぐ伝わる。伝染病にように次から次へとだ。

 それは上から下まで問わず、一人が誰かに言えばそれが広まる。そうして、知らずに消えていった人間も少ない。

 

「ここだ」

 

 気付けば収録スタジオの入口まで来ていた。二人は中に入る。プロデューサーにとっては見慣れた光景だ。奥に今回の舞台セット、カメラ証明etc……。それに観客席もある。

 まだ始まる3時間も前だがスタッフは各々仕事を黙々とやっていた。

 するとプロデューサーは目的の人物をみつけたのか、貴音と共にその人物へと歩いていった。

 それに、気付いたのか向こうから声をかけてきた。眼鏡をかけ、少し小太りな男性だ。

 

「ん?おお、プロデューサー君じゃないか!相変わらず仕事(・・)が早いねぇ」

「どうも、高田さん。貴音、こちらが今回の番組を任されている高田プロデューサーだ。で、この子が――」

「どうも初めまして。765プロ所属の四条貴音と申します。本日はよろしくお願いします」

「うんうん。プロデューサー君の教育が行き届いてるねー」

 

 模範的な解答だが十分だった。

 プロデューサーは話を続けた。

 

「今回は我儘言ってすみませんでしたね」

「いいの、いいの。プロデューサー君には十分お世話になってるし、それに枠も空いてたしね。まぁ、どこのプロダクションもこの時期にはあんまり動かないから」

 

 年三回の内、最後の冬の時期はあまり応募は少ない。応募が多いのがやはり春で、一番人数も多い。春という時期は始まりの季節でもあるように、多くのプロダクションが動き始めるのが理由だ。

 

「にしても、写真で見たときも思ったけど貴音ちゃんだっけ? 結構自信持っていいと思うよ」

「はい、ありがとうございます」

「まぁ、プロデューサー君が担当しているから他の子とは別に贔屓しちゃうけどアドバイスね。挨拶はちゃんとね。この業界じゃただのスタッフでも色々と広がっちゃうからさ。あと、愛想よくしておいたた方がいいよ。男なんてそれでコロッと騙されるからさ」

「はい、その辺りの事はプロデューサーに前もって教えていただきました。高田さんも今後ともお仕事をご一緒する機会があればどうかよろしくお願いします」

 

(へぇ……)

 

 プロデューサーは貴音がもう自分を売り込み始めていることに関心していた。結局この業界は名前を覚えてもらうのも仕事の内だ。

 彼みたいな大きな影響力を持つ人間がいるからこそ成り立つ会話で、ただの無関係な人間ならこうはいかない。

 

「本当によくできてるよ。関心、関心」

「ところで司会の今多さん、もう来てます?」

「ちょっと待ってね」

 

 そういうと高田は近くのスタッフを呼び止めて聞いた。答えはすぐに返ってきた。

 

「もう、楽屋に入ってるって。本当、仕事が早いねぇ」

「まぁ、仕事ですからね。それじゃあ、失礼します」

「うん、またね。貴音ちゃんも今日は頑張ってね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 そう言って二人は楽屋の方へ向かった。二人の背中を眺めながら高田は今日のことが楽しみで仕方がなかった。

 書類には本人のプロフィールと共に歌う曲も記載されている。彼女の資料が送られてきたときは彼の本気が窺えた。

 

「さーて、今日は楽しくなるぞー!」

 

 そう言って高田は仕事に戻った。

 

 楽屋があるとこまで来て、二人はとりえず荷物をあてがわれた部屋に置いた。765プロダクション様と紙が貼ってあった。普段なら個室など用意されることはないのだろうがこの時期は応募が少ないためか個室が用意される。

 

「さて、じゃあいくか」

「司会の今多さん、でよろしいのですね?」

「ああ」

 

 貴音もその人の名前は見覚えがあった。お笑いタレントでよく司会をしているのを目にした。

 

「なに、そんなに緊張することないさ」

 

 貴音は平静を装っていた。が、内心は少し緊張していた。なにせ、有名人だ。自分も緊張していることに驚く。

 気付けば部屋の前、プロデューサーはノックをしてから彼の返事を確認し入室した。

 

「どうもご無沙汰してます、今多さん」

「なんや、プロデューサーはんじゃないの!最近みないからどうしたかと思ったわぁ」

 

 またもプロデューサーの知り合いか。貴音は口には出さなかった、隣にいる彼の底が知れないと思った。

 

「ここにいるってことはその子が()の担当かいな?」

「ええ」

「四条貴音と申します。今日はよろしくお願いします」

「えらい別嬪さんやなぁ。にしても仕事が早いなぁ、ほんま」

 

 貴音は先程の高田も言っていた仕事という単語がひっかかった。よく考えれば、今こうしていることも立派な仕事だと気付いた。

 

「それが俺の仕事ですから」

「せやね、このあとぞろぞろと他の子達もやってくるし、俺も最終確認の打ち合わせとかで忙しいからね」

「生放送ですから。俺も何回か参加したことがあるのでその大変さは知ってます」

 

 そう言えば以前テレビ局にも勤めていたことを聞いた。貴音はこれが生放送だと改めて自覚し、緊張した。

 

「せや、貴音ちゃん」

「はいっ!」

 

 緊張したのか変な声を出してしまった。恥ずかしい。

 

「まぁまぁ、そんな緊張せんへんでも。しょうがないけどな。一応俺からこういうことを言うのはアカンのやけど出血大サービス。今回に限らず、ワイもやけど司会をしている奴は出演者に急に話を振ってくることがある。それを自然と返せればいい感じに受けると思うで」

「ご助言、ありがとうございます」

「ええんやで」

 

 ニッコリと今多は笑った。

 

「それじゃあ、俺達はこれで。改めて今日はよろしくお願いします」

「お願いします」

「こちらこそ、よろしく頼むで」

 

 そのあと今多の楽屋をあとにし、自分達の部屋へと戻った。プロデューサーはスタッフに今回の収録に関して説明を受けにいっていた。貴音はまだ時間があるので歌詞とダンスの確認を行っていた。

 しばらくしてプロデューサーが戻ってきて、今日の事について説明を始めた。

 

「今日の参加者は十二人だそうだ。意外と多いな、この時期にしては」

「普段はもっと?」

「ああ。二十人以上はざらにいる。番号は十二番。つまり、最後ってわけだ」

「……緊張します」

 

 初の番組出演が生放送、それに加え最後となると緊張しないとはさすがに言えない。

 

「なに、少し緊張するぐらいが身も心も引き締まる。大丈夫、自信を持て。一番間近でみてきた俺が言うんだ。大丈夫だよ。もし、なんかあったら俺の所為にすればいいさ」

「そんなこと、できません。いえ、しません。わたくしはとっぷアイドルを目指すと、プロデューサーの手を取りました。ですから、今日はその第一歩。プロデューサーの期待にも応えて見せます!」

 

(本当、うれしいこと言ってくれる)

 

 貴音は、覚悟を決めたようなそんな顔をしていた。レッスンは十分、経験は不十分。しかし、それを補うほどの強い意思を感じられた。

 

「よし、時間ギリギリまで最後の調整でもしてるか」

「はい、お願いします。プロデューサー」

 

 そのあと収録開始の一時間半前まで、プロデューサーの確認の下最終チャックを行った。

 衣装に着替えるためプロデューサーは一旦外に出ていた。少し経って、貴音に呼ばれて部屋に戻る。

 

「どうですか?」

 

 普通だったらスタッフがチェックしてくれるが、一人一人につけている余裕はない。放送開始前に出演するアイドル全員が部屋に集められ、そこでメイクさんに軽い化粧などをしてもらうぐらいだ。だから、今はプロデューサーが確認をした。

 くるっと、貴音が一回転。特に問題はなかった。

 そうだ、と言いだしたプロデューサーは自分のスマートフォンを取出した。カメラのアイコンをタッチ。貴音にピントを合わせる。

 

「貴音、ちょっとピースしてみ」

「ぴーす?」

「こうだ」

 

 プロデューサーが空いている手でそれを教える。

 

「よし撮るぞ……」

 

 カシャカシャと連続で音が鳴る。設定を変えていなかった。

 

「あの、どうして写真を?」

「なに、今後のためにな」

 

 アイドルとして本格的にデビューすることになればブログやSNSやることになるだろう。他にも何かに使えると思い撮った。

 もう一個、事務所から支給されたスマートフォンをとりだしもう一度撮った。

 

「では、わたしくも」

 

 バックから自分の“すまーとふぉん”を取り出した。

 正直に言えばまだ使いこなせていなかった。なんとか電話とLI○Eといった、それぐらいは使えるようになった。

 

「すみません。写真を撮るにはどうしたらよいのですか?」

「ここのアイコンをタッチするんだ」

「あいんこん……なるほど」

「で、ここの丸をタッチすると撮れる」

 

 試しに撮ってみると二人の足が撮れた。二人の距離は近い。彼は身長がある分、屈んで貴音の目線に合わせていた。二人は意外にも気付かなかった。

 

「では、プロデューサーもうちょっと屈んでください」

「お、おう」

 

 貴音はスマートフォンを持っている手を伸ばす。カメラの反転機能をつかい、二人が映し出される。

 

「はい、ぴーす」

「……ピース?」

 

 そこにはアイドルとプロデューサーではなく、どうみても貴音を護衛しているシークレットサービスのように見える。

 

「これは……なんと面白いのでしょう」

(なんかスイッチ入った)

 

 予感は的中した。今度はサングラスを取ってくださいと言われ、渋々外す。先程とは違うポーズで写真を撮る。

 二人だけの空間にカシャカシャとシャッター音が響き渡る。

 プロデューサーは飽きるのを待ったが、それは来ないと悟り強制的に撮影会を終わりにした。

 物足りなそうな顔をされたがそれなりに満足したのか、撮った写真をスライドさせながら見ている。

 

「あとでプロデューサーの方に送信しておきますね」

「お、おう」

 

 アイドル達には業務用の方の番号が教えてある。プライベートの方は社長と小鳥に律子、そして貴音には教えていた。

 貴音は担当なのでもしもの時のために一応教えておいた。

 

(あとで指導しておくか)

 

 SNSを利用している有名人は多い。そのおかげで情報がいち早く伝わるようにはなったが、その分問題も起きていた。なにかのキッカケで問題を起こされても困ると思い、あとで指導することに決めた。

 

(にしても……いい感じに緊張は解けたな)

 

 未だに写真をみて楽しんでいる貴音をみてそう感じた。

 それから三十分後。出演するアイドル達はスタッフから収録の説明を受けていた。

 貴音を含めた一二名のアイドル。彼女達は貴音より前にデビューを果たしている(貴音は今日が正式にデビューすることになるのだが)。

 何人かは小さなライブ等で慣れているように見える。あとの子はやはり緊張しているのか落ち着かない表情だった。

 

「まず最初に、三番の方までがステージの裏で待機していてください。そのあと司会の方が呼びますので、ステージに出てください。終わったらまたこの部屋で待機をお願いします」

 

 次にスタッフが彼女達を連れステージ裏まできて説明を始めた。待っている間はここで待機してください。出るところはここ、帰るときも同じ。大雑把に説明した。

 

「こんな感じです。質問ある方は……いないみたなんでこれで終わりです。一応放送開始の三十分前には部屋に居てください。待機している皆さんの様子をカメラが映す予定なので」

 

 そう言ってスタッフは去っていった。アイドル達も各々楽屋へ一旦戻る。貴音もその列に続いて楽屋に戻った。

 

「説明は終わったようだな」

「はい、凄く簡単な説明でしたが」

「特にこれといって何かするわけじゃないからな。呼ばれて、トークをして、歌を歌って帰る。それだけだしな」

「言葉で言うだけなら簡単です」

 

 貴音は先程のステージの上にたちその光景を思い出す。本番になれば正面には一般席にいる人間から視線を注がれ、カメラが常に自分をみている。そんな光景を想像した。

 

「そうだな。まず、目線はカメラに意識を向ければいい。今多さんがなにか言ってくるだろうから、それは臨機応変に対応。あとはお前次第」

「いささか勝手すぎます、プロデューサーは」

「信頼しているからな。お前ならできるって」

 

 貴音は彼の言葉に疑問を抱いた。まだ知り合って一カ月も経っていない。それなのに彼は信用ではなく、信頼と言った。信頼を得るほど自分は彼に何かをしていたのかと考えたが、わからなかった。

 

「どうしてって言う顔をしている」

「失礼ながらその通りです」

 

 プロデューサーは部屋の壁に左腕の肘をつけて貴音を見つめた。

 

「まだ知り合って互いのことなんか全然知らない。なんで、わたくしにこんなにも信頼を寄せるのかわからない」

「……はい」

「お前が言ったろ。俺はプロデューサーで、お前はアイドル。プロデューサーである俺が、お前を信頼しなくてどうする」

「……ぁ」

 

 疑問は解けたようだ。

 プロデューサーも貴音に聞いた。

 

「で、お前はどうなんだ?」

 

 一瞬言葉に詰まった。が、すぐに答えを出した。

 

「わたくしも信頼しています。今日までずっと私を見て、傍に居てくれたあなたを。もう一度言います。絶対にあなたの期待に応えて見せます」

 

 互いに真剣な眼差しを向ける。ただ見詰め合っているだけで時間が過ぎる。すると二人同時に笑い出した。

 

「ははっ、なにやってんだ俺は。あー恥ずかし」

「まったく、いい歳をした殿方がカッコつけてもしょうがないですよ?」

「男はね、カッコつけたがり屋なの。……今日で一番、いい顔をしてるぜ」

 

 いつもと変わらない顔。緊張しているわけでも、心配だという風には見えない。

 四条貴音がするいつものいい顔だ。

 

「プロデューサーは変な顔をしてましたね。

「お前なぁ」

 

 プロデューサーとこんな風に喋ったのは初めてかもしれない。彼と自分の距離がかなり縮まった日であると貴音は思った。

 

「じゃ、そろそろいくか」

「はい!」

 

 そして、十九時になり放送が開始された。

 アイドルとその担当が待機している部屋の一室にあるテレビでも確認ができる。

 一番から三番でのアイドルは既にステージ裏へ。それから後ろの番号のアイドルはメイクアーティストとそのアシスタントよってメイクアップが行われた。

 

『それでは。そろそろ登場して来てもらおうか』

 

 遂に始まった。

 トークと歌う曲を含めれば一人だいたい五、六分。貴音は大分先だ。

 隣に座っている貴音は目を閉じ、ただ待っていた。

 プロデューサーはテレビの方に視線を向けた。テレビ越しだが、観察するには十分だ。

 どのアイドルも貴音と違って十分な時間を使いレッスンをしてきたのがわかる。ビジュアルもアイドルらしいと言えばいいのか、特に普通だった。普通という評価もアイドルの中でだが。世間一般の感覚であれば美人になるのだろう。ただ、この業界では可愛いという評価がまずくる。アイドルと一般人という単語をつけるとそれだけ感じ方が違ってくる。

 彼自身も貴音以前に、多くのアイドルをプロデュースしている。しかし、隣に座る彼女をみる。可愛いというより、可憐、高貴と言った言葉が先にでる。

 他のアイドルと違う印象を与えられることもアイドルとして必要な素質の一つだと思っている。

 

 そして、放送開始から一時間と少し経過。すでに出番を終えたアイドル達は安堵していた。

 スタッフに呼ばれ、プロデューサーと貴音はステージ裏までやってきた。

 すでにステージでは貴音の前である十一番のアイドルが歌っていた。

 いよいよである。

 

(長かったな……待ち時間が)

 

 この瞬間ではなく、それまでの待機時間が長く退屈だったことを漏らした。

 プロデューサーの仕事はすでにない。あとは貴音次第である。

 しかしそれと裏腹に、彼は胸の高鳴りを感じていた。このあとに起こるべき事が楽しみで仕方がない。

 そんな彼に貴音が言った。

 

「プロデューサー。しっかりとその目でわたくしをみていてください」

「もちろん」

 

 スタジオに観客の拍手が響き渡る。出入り口からアイドルが帰ってきた。

 

「それではいよいよ最後のアイドルやで!」

「では、あなた様(・・・・)行ってまいります!」

「では、どうぞ!」

「よし、行って来い!」

 

 プロデューサーは貴音の背中を押すように送り出し、彼女は光輝くステージへと駆け出した。

 

 

 

 




後半は近いうちにあげます。
その時に設定補足もまとめて載せる予定です。


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第1話 後編

 

 765プロダクション 事務所内

 

 貴音が登場する数分前。

 765プロの事務所では高木と小鳥が残ってテレビを見ていた。

 放送時間の関係もあり、アイドル達には帰ってもらっていた。なにせ、未成年が多いからだ。

 現在の時刻は画面の右下に表示されているのをみると二十時一五分を周っていた。

 

「社長、いよいよですよ」

「うむ。いやぁ、見ているこっちまで緊張してくるよ」

「そうですね」

 

 放送開始前にプロデューサーから連絡があり貴音の順番が一二番目。つまり、最後だった。

 最後とは運がいいのか悪いのかわからないと高木は思った。

 これは生放送のため、時間の都合で急かされる場合もあるが終了時間は二十一時。余裕がありもしかしたら他の出演者より時間が多くもらえるかもしれない。アピールするにはチャンスでもあった。

 

「そう言えば、社長はプロデューサーさんから何を歌うか聞いてます?」

「おや、音無君もかい? 私も聞いてないんだよ」

『それではいよいよ最後のアイドルやで!』

 

 二人は司会の声でテレビの方へ再び顔を向けた。

 どうやら始まったようだ。

 

『では、どうぞ!』

 

 司会の声のあとステージ中央の入口から貴音が出てきた。観客がスタッフの指示で歓声と拍手で盛り上げた。そのまま司会である今多の隣まで駆け寄ってきた。

 

『まず、自己紹介を頼むで』

『はい。765プロダクションから参りました、四条貴音と申します』

『おお。名前へと見た目からしてえらく高貴な感じやなぁ』

『ありがとうございます』

 

 よしと二人は声を漏らした。スタートは問題なく始められた。

 また、小鳥は自分のスマートフォンで“3ちゃんねる”を開き実況スレを追っていた。かなりの勢いでスレが増えていた。

 

『なんやこの子?!』、『こんな子いたっけ? 新人アイドルの特集とかにもいなかったぞw』、『ふつくしい』、『思わず前かがみになります』、『ていうか、衣装エロすぎwww』、『服脱いだ』、『めちゃシコ』、『マジでレベルたけぇよ』、等々。内容はともかくかなりの影響を既に与えていた。

 

『にしても、貴音ちゃんってどこかのお姫様みたいやね』

『あら、よくわかりましたね』

『お、本当かいな!じゃあおじさんにちょこっと、どこのお姫様なのか教えてや!』

『それは――』

『それは?』

『ひ・み・つ、ですわ』

 

 この直後、3ちゃんねるスレは一気に消化され、次スレが立った。

 内容は左程変わらない。この時、小鳥はある文章を打ちこんだ。

『お姫ちんマジお姫ちん』、と。亜美と真美の二人が貴音をこうして呼んでいたのを思い出し拾われないと思いつつ打ちこんだ。

 だが、彼女の考えとは裏腹にネットでは〈お姫ちん〉とあだ名が付けられるのだった。

 

『あぁー、こりゃあかん。あかんって。貴音ちゃんの声、色気ありすぎやん』

『ふふ。女の子には秘密の一つや二つあるものです』

『そうやった!女の子って怖いわー。そんなところでそろそろ一曲、頼むで!』

『はい、それでは聞いてください。〈ALIVE〉――」

「「!」」

『『『!!!』』』

 

 二人だけではなく、画面に映る司会者、審査員の表情が一瞬変わる。

 この瞬間理解した。なぜ、彼が歌う曲を教えなかったのかと。

 

 

 

 同時刻 某テレビ局 番組収録スタジオ

 

 プロデューサーはステージの裏側で貴音の曲が始まる瞬間の光景を見て、ぎゅっと右手で握り拳をつくった。

 この反応を待っていた。特に三十代から上の世代には知らぬ者はいないと言われている曲だ。

 若い世代にはおそらく店とかで聞いたことがあるような、そんな感じだ。だからこそ、前者に該当する人間は特に反応をしている。

 プロデューサーはそれに満足して今度は貴音を見た。今の所問題はないが、

 

『どんな()も 願っていればいつかは叶うよ』

 

 間違えた。そこは『時』ではなく『夢』だ。こちらからではわからないが特に動揺をみせず歌い続けている。それでいい。間違えたのはしょうがないが、それを見せる素振りさえしなければあまり減点はされないだろう。

 そして、歌い終わり曲が止まる。入場してきた時より歓声と拍手が送られた。

 司会者席から今多が貴音の下へ向かう。

 

「いやぁよかったで、貴音ちゃん」

「……はいっ、ありがとうございます」

「で、一つ聞きたいんやけど」

 

 はい?と貴音は首を傾げながら答えた。

 

「貴音ちゃん、これがどんな曲か知ってるん?」

「恥ずかしながらわたくし、こういったモノには疎いものでして」

「ふぇぇ、無知って怖いわぁ。まぁ、でもすごく良かったで !では、歌い切った貴音ちゃんにもう一度拍手!」

 

 再び大きな拍手が送られる。貴音はありがとうございますと言いながらステージから退場した。

 そしてすぐにプロデューサーが待っておりそのまま駆け寄ってきたのを彼は受け止めた。

 

「はぁ、はぁ……わたくし、ちゃんとでてきましたか?」

 

 肩で息をしながら貴音は聞いた。プロデューサーは笑顔で答えた。

 

「ああ、上出来だ。四条貴音の最初のライブとしては最高さ」

 

 これをライブと表現していいかわからなかったがそう言った。

 歌詞を間違えたことを言おうと思ったがそれはあとでもいいかと判断した。二人はそのまま控室へと戻っていった。

 全員のアピールタイムが終わった後、審査員五人による協議があるためその間は司会者とそのアシスタントによるトークで場を繋いだ。

 

「では、これから結果発表や!」

 

 結果発表が行われ、出演したアイドル十二名もステージに登場している。

 入賞は一位から三位まで発表される。この三人にはミニトロフィーが贈られる。

 

「ではまず三位から――」

 

 はっきり言えば、貴音が呼ばれることはなかった。一位もだ。呼ばれたのは貴音の隣にいた十一番のアイドルだった。

 

「おめでとう」

「ありがとうございますっ」

 

 審査員からトロフィーが渡される。その目には涙がみえた。プロデューサーも彼女の担当と思われるプロデューサーが嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 対して、彼は無表情。

 

(なんでだ?)

 

 別に、表彰されたアイドル達が貴音より劣っているとは思わない。が、それでも貴音が呼ばれないことに違和感を覚えた。怒りではない。納得できないと言えばそうだ。

 貴音に視線を向ける。彼女は唇をかみしめていた。

 

(貴音……)

 

 彼女の手はぎゅっと拳をつくり震えていた。

 

(あとでカチコミにいくか)

 

 漆黒の決意をした。審査員の三人は知らない人間ではない。だからこそ、理由を聞きにあとで乗り込もうと思った。

 しかし二人の思いとは裏腹に、予想外のことが起きた。

 

「で、本来やったらこれで終わりなんやけど……。実はもう一つあるんや!」

「「?!」」

 

 二人だけではない。出演したアイドル、観客席、他のプロデューサー達も驚いていた。驚かないのはスタッフだけだった。

 

「なんと今回特別に、審査員特別賞が贈られます!」

 

 アシスタントが付け加えて言った。

 

(そう来たか……!)

 

 プロデューサーは、笑いを堪えた自分を褒めてやりたいと思った。

 これは今回の仕返しか? と審査員の三人をみる。その表情はニヤついていた。

 

「では、発表します。……十二番765プロダクションの四条貴音さんです!」

「……ぇ」

 

 鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔をしていた。貴音は現状の展開に頭の処理が追いついていないらしい。

 今多に呼ばれてやっと我に返った。

 

「ほら貴音ちゃん、こっちに来てや」

「あ、は、はい!」

 

 慌ててステージ中央にいく。そして、審査員の代表でボイス審査員の歌田がマイクをとった。

 

「えーと、四条貴音さん。まずはおめでとう」

「は、はいっ。ありがとうございますっ!」

「あなたにとっては残念だろうけどトロフィーはないの」

 

 当然であった。なぜなら、今までは表彰されるのは三人までである。今回もその予定だった。

 そもそも審査員特別賞とはコンテストでは稀にある。その人に将来光ものがあるとか、期待を込めてとか。控えめに言わなければ審査員のお気に入りと言っても過言ではない。

 

「あなたの功績を称えて、審査員特別賞を送りたいと私達がお願いしました。ですから、四条さんにはこれからも頑張って活動してほしいです」

 

 歌田は右手を出して拍手を求めた。貴音もそれに応え、もう一度感謝の言葉を述べた。

 

「本当に、ありがとうございますっ!」

 

 形あるものがすべてではない。貴音はそれ以上なモノを手に入れた。

 そして、今日この日が後に〈銀色の王女〉と呼ばれるアイドルの第一歩にして誕生の日となった。

 

「それでは、皆さん!これを持って『新人アイドルでてこいやぁ! 冬の陣』を終わりにさせてもらいます!」

「また、春の陣でお会いしましょう!」

 

 音楽と拍手がしばらく続く。『はい、オッケーでーす』とスタッフが番組の収録が終わったことを告げた。『お疲れ様でしたー』とその場にいるスタッフ出演者らが言い、また出演したらアイドル達に労いの言葉を送っていた。そのあと解散するために動き出した。

 居ても立ってもいられなかった貴音は真っ直ぐプロデューサーの下へ走り出した。

 先程とは違いそのまま彼の胸に飛び込んだ。その割にはプロデューサーは反動などなかったかのように彼女を受け止めた。

 貴音は顔を上に向けた。貴音とプロデューサーの身長差は約十㎝もある。十㎝だが今の二人にとっては距離など関係ない。

 

「あなた様……わたくし、わたくしっ!」

「ああ。よくやったな、貴音。お前が自分で勝ち取ったんだ」

「はいっ……」

 

 涙を流す貴音。彼はそっと指で彼女の涙を拭いた。

 この場にいる誰もが聞いたら驚くだろう。まだ、活動してから一ヶ月も経っていないなんて。まして、この日ために四条貴音というアイドルを知らしめるために営業などの活動は控えたのだ。

 審査員特別賞。これをもぎ取ったのは紛れもなく彼女の実力だ。

 

「俺も色々言葉を掛けたいがこれしか言えない。――おめでとう、貴音」

「それだけで……それだけで十分です。わたくしは、あなたの期待に応えられましたか?」

 

 こくりとプロデューサーは頷いた。言葉は不要だと。

 貴音は再び抱きしめる腕に力を込めた。プロデューサーは優しく彼女の頭をぽんぽんと撫でた。

 

「あら、熱いわねぇ。若いっていいわぁ」

 

 そんな二人の所に三人の男女がやってきた。貴音も先程、拍手をかわした歌田である。

 もう二人はダンス審査員の軽口、ビジュアル審査員の山崎であった。

 

「プロデューサーさんもやるねー。もう、自分のアイドルに手を出しちゃって」

「本当よぉ、私ならいつだって大、歓迎よ!」

 

 軽口はそのまま二人を見てそう言ったが特に含みのある言い方ではなかった。そして、山崎はオカマだった。

 

「どうも、三人ともお久しぶりです」

 

 そう言いながら貴音を引き離した。貴音が小さく名残惜しそうに声を漏らしたが聞こえてはいなかった。

 

「まさか、あの曲を選んでくるなんて意外だったわ」

「高田が今回に限ってリストから外してたんぜ? 可笑しいと思ったんだよ」

「でも、それがプロデューサーの狙いなんでしょ? 流石よぉ」

「それはどうも」

 

 プロデューサーは特にこれと言って反応しなかった。当然だと言っているように貴音には見えた。

 

「あの曲を選んだってことはその子。物凄く期待してるってことでしょ?」

「それは勿論。自分がプロデュースするアイドルですから」

「まぁ、そういうことにしておきましょう。ところで、四条さん?」

 

 まさか、こちらに話が来るとは思わず声が上がってしまった。そんな貴音の様子をみて歌田はふふっと笑った。

 

「まぁ、しょうがないけど。四条さん、あなた歌詞を間違えたのわかった?」

 

 えっとプロデューサーの方を向く。彼は一か所だけなと言った。

 

「やっぱりね。間違っていたと気付いたらもう少しそれなりの顔をしたものね」

「ダンスはまぁまぁだったな」

「ビジュアルに関しては、私的にははなまるよ! 貴音ちゃん、すっごく可愛いもの!」 

 三人はそれぞれ貴音の評価を下していた。

 貴音は照れているのか下を向いていた。

 

「で、この子。デビューしてどのくらい?」

 

 待ってましたと言わんばかりにプロデューサーは答えた。

 

「活動を始めたのが先月中旬で、公式なデビューは今日です」

「「「はぁ?」」」

 

 三人揃えて声をあげた。再び貴音の方をみて頭を抱えた。

 

「もぉ、やってくれるわね」

「呆れて何も言えねぇ」

「それを実行したプロデューサーもそうだけど、それをやり遂げた貴音ちゃんも凄いわ」

 

(やっぱり、普通ではないのですね……)

 

 貴音は今までの日々がフラッシュバックした。しかし、レッスンの風景しか思い浮かんでこなかった。

 

「それじゃ、私達はこれで。四条さん、これから忙しくなるだろうけど頑張ってね」

「プロデューサーさんもたまには遊びにきなよ。ついでにみてやるから」

「困ったら連絡して頂戴。じゃあね、二人とも」

 

 そう言って三人は去って行った。三人がいなくなった隙をみかけて今度は今多がやってきた。

 わざわざ待っていてくれたのだろう。普通ならもう帰っていてもおかしくはなかった。

 

「おう、貴音ちゃんお疲れー。いやぁ、ワイは最初から貴音ちゃんは絶、対にやってくれると思ったで!」

「今多さん、都合よすぎません?」

「ほんまやって!でも、貴音ちゃん。よく頑張ったね」

「今多さんのおかげで、わたくしも上手くやれることができました。本当にありがとうございます」

 

 頭を下げる貴音。それをみた今多はくうぅと言い、

 

「ならワイも出血大サービスや。ま、いまやないんやけど」

 

 そう言ってプロデューサーの方へと目をやっていた。プロデューサーもその意図を理解したのかこくりと頷いた。

 

「じゃあ、二人とも。また近いうちにまた会おうなぁ!」

 

 手を振りながら今多は去っていった。

 貴音の頭にはおそらくはてなマークがあることだろう。三人と今多が言った事を理解しているのはこの時点でプロデューサーだけだった。

 

「じゃ、俺達も帰るか」

「はい」

 

 二人もスタジオから出っていった。

 貴音が楽屋に戻る合間に、プロデューサーは軽くスタッフや高田にも挨拶をしておいた。高田には偉く感謝されたし貴音のことも随分と褒めていた。

 飲みにいこうとも誘われ、また後でと返事を返した。

 楽屋の前まで戻ると部屋の中からやけに音が聞こえた。多分、LI○Eの着信音だろう。

 

「み、皆からめっせーじが……。一体どうすれば……」

 

 かなり慌てている様子。皆も貴音を祝っているのがわかった。

 すると胸ポケットにあるスマホが電話の着信を知らせた。

 相手は高木社長であった。

 

「はい」

『いやぁ、見てたよ。とりあえず、おめでとう!流石のお手並みだったよ』

「ありがとうございます。でも、やったのは貴音です」

『謙遜しなくてもいいさ。で、貴音くんは?』

「貴音は……『うぅ、皆にとりあえず一言送ればいいのでしょうか?』皆から称賛を送られていますよ」

 

 部屋の中で悪戦苦闘している貴音の声を聴いてそう言った。

 

『はは、そうかね。でも、あの選曲には恐れ入ったよ。確かに効果は抜群だ』

 

 〈ALIVE〉。かつて一つの時代を築きあげたと言っても過言ではない伝説的なアイドルの大ヒット曲。今の若者はあまり知らないだろう。その世代にとってはその逆だ。

 オリジナルの印象が強すぎて今ではカバーすらするアイドルもいない。当時はその多くのアイドルが彼女の曲を歌ってみせたが、当然オリジナルを超えることはなかった。彼女が凄すぎたのだ。

 だから今では、まして新人アイドルが歌える曲ではなかった。

 それを貴音に歌わせたのはそういった効果があると同時に、彼女ならやってみせると確信していたからだ。

 

「あ、社長。小鳥ちゃんいます?」

『いるよ、ちょっと待ってくれ』

 

 そう言って数秒後、彼女の声が聞こえる。

 

『プロデューサーさん』

「小鳥ちゃん、その……」

『いいんです。ちょっと驚きましたけど。もう、過去は……あの時のことはもう納得していますから』

「……俺は納得してないよ」

『え、何か言いました?』

 

 小さな声で言ったので聞こえなかったらしい。

 

『ごめん、社長に代わってもらえる?』

『あ、はい』

『……で、どうしたんだい?』

「とりあえず、今日はこのまま直帰でいいですかね?」

『構わんよ。どうせ、忙しくなるのは明日からさ』

 

 よくお分かりでとプロデューサーも思った。

 

「それじゃあ、このまま貴音を送って帰ります」

『ああ、気を付けてね。貴音くんだが……』

「一応、俺が朝迎えに行きます。何かあると困りますからね」

『それじゃあ、頼んだよ』

「それでは失礼します」

 

 通話終了のアイコンをタッチしてスマホをしまう。

 昨日の今日だ。通りすがりの人にどうせ捕まる。有名人の宿命だなと思った。

 壁に寄り掛かる。少し耳を澄まして中の様子を探ってみたが、

 

「ど、どうしましょう……」

 

 どうやら進展してないらしい。

 

「しょうがない……。貴音、まだか?」

「あなた様?! す、すみません、もう少し待っていてください!」

「できるだけ早くなー」

 

 そう言って貴音を急かした。しかし、貴音が出てくるのはそれから数十分後のことだった。

 

 

 

 某所 とある住宅街にある一軒家

 

 リビングで一人の女性がソファーに座りテレビをみていた。女性は一人の娘をもつ母親であった。夕飯の後片付けも終わり、娘がお風呂から出るのを待っていた。

 今、こうしてみている番組も偶然最初に出たからみていたに過ぎなかった。

 一年に何回かやっているので存在は知っていた。新人アイドルを後押しするような番組だったと思う。

 

(……つまらないわね)

 

 番組に対してではなく出てくるアイドルの評価だった。

 

(私の時はもっとこう……)

 

 昔のことを思い出す。昔はこんな番組なんてなかった、はず。とにかく自分を売って、それから全力でライブに挑む。そんな感じだったと記憶していた。

 

(でも、私ってそんな苦労した覚えないわね)

 

 そう思い、目の前のアイドルを批判する権利などないと思うことにした。

 そしてとうとう最後のアイドルらしい。

 銀色の髪をした綺麗な子だった。司会とのトークは上手くやっているなと思った。

 

『はい、それでは聞いてください。〈ALIVE〉――」

 

 それを聞いて驚いた。この曲を選んで歌うアイドルは最近滅多にいない。

 

(あ、歌詞間違えた)

 

 一か所だけだったが他は平気そうだった。なにせ、私の曲だ。わからないわけない。

 そして、最後まで歌いきった。

 

(この子もそうだけど、これを選んだプロデューサーはどうかしてるわ)

 

 いい意味でだ。もちろん、私を基準にだが。

 すると後ろから娘の愛に声をかけられた。

 

「あれ、お母さん珍しいね」

「なんで?」

「だって、いつもだったらつまんないって言ってすぐ番組替えるもん」

「そうだったかしら」

「うん。それに、なんだか嬉しそう」

 

 そんな顔をしているかと思ったが多分していたのだろう。

 テレビの中では四条貴音というアイドルが審査員特別賞を受賞されていた。

 

(なんだか、これから面白くなりそうね)

 

 例えるなら今まで使われなくなった釜戸に薪をいれ火種をつけられているところといったところか。しかし、まだ。まだ、燃え足りない。

 

(って、私何考えてるのかしら)

 

 今現在の彼女、日高舞はただの専業主婦である。アイドルではないのだ。

 そう、もう伝説のトップアイドル日高舞は誰もが過去の思い出になっているのだから。

 

 

 

 都内某所 車内

 

 辺りはすでに暗い。街灯と街の光が照らしているだけだ。765プロが所有するアルファードを運転するプロデューサーは助手席にいる貴音をちらりと横目でみた。

 静かに座っていた。皆からの返事は返したのか、ただ窓の外を眺めていた。

 そういえばとプロデューサーはある事を思い出し貴音に聞いた。

 

「なぁ、貴音」

「はい、なんでしょう」

「今思い出したんだが、あなた様ってなんだ?」

 

 今までプロデューサーと呼んでいたのがいきなりあなた様と呼んできたので違和感を覚えた。

 

「そうですね。信愛を込めて呼んだのですが……嫌、でしたか?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、いきなりだったからな」

「ふふっ、確かにそうですね」

 

 別に嫌というわけでもないし、特に問題はない。

 

「そう言えば……」

 

 ふとある事を思い出し、車の電子時計をみた。すでに二十一時をとうに過ぎていた。

 夕飯を食べてないと思い提案した。

 

「なぁ、貴音。腹減ってないか?」

「……確かに何も口にしていませんでした。緊張と嬉しさのあまり、忘れていました」

「じゃあ、俺がよく通ってた店があるんだがそこでもいいか?」

「構いません」

 

 彼女の返事をもらい進路を変えた。車はいつも走る道を外れ、別の道を出した。

 

 それから数十分後。

 プロデューサーは都内ではよくあるパーキングの一つに車を停めた。ここらかは歩いて行くと言われ貴音は彼の後に続いて歩き出す。

 外に出るとやはり寒い。もう十二月だったと改めて体感した。

 歩いて行くと貴音はなんだか見覚えのある風景が見えてきたと思った。あれだと思いだした。よくドラマなどであるような風景だと。線路が上に通っていて電車がくるとガタコン、ガタコンと音を響きかせるのだ。

 あと定番なのは夜に屋台がある。手押し車を使った奴だ。

 

「ほら、あれだ」

「……まぁ」

 

 プロデューサーに言われてその方向へ目を凝らしてみると先程思っていた通りの光景がそこにあった。暖簾と提灯に『ラーメン』と書かれている。

 

「らぁめんですか」

「? そ、ラーメン」

 

 なにか違和感があったが特に気にせず、プロデューサーは暖簾をくぐった。

 そこにはドラマでよくいそうな頭に手ぬぐいを巻いた男性がいた。六十ぐらいだろうかと貴音は推測した。

 

「おやじ、まだやってるかい?」

「ん? お、大将じゃないか。丁度店じまいするところだったんだけど、久しぶりの来店だ。構わないよ」

「ありがとう」

 

 そう言って二人はカウンターに座る。店主はいつもと同じ手馴れた動きで調理を始めた。

 作業しながら店主が懐かしむように離し始めた。

 

「にしても……久しぶりだ。最後に来たのはいつだったか。一年前だったような」

「そんぐらいだっと思うよ」

「あなた様は頻繁に前は通っていらしたのですか?」

「そうだよ、嬢ちゃん。大将がまだひよっ子だった頃さ」

「ひよっ子?」

 

 プロデューサーは差し出されていた水を一口飲みながら顔を渋くしていた。誰だって自分の昔話を他人にされるのは恥ずかしい。

 

「まぁ、二十代の頃たまたま見つけてその時から頻繁に通ってたんだよ」

 

 話に割り込んで無理やり主導権を握ろうとするが、

 

「仕事が終わってうちに来てさ、愚痴の一つの二つなんてもんじゃないほど俺は聞かされてたんだぜ?」

「あー。やめてくれよおやじ、そういうの。人間誰だって愚痴を零すじゃないか」

「何言ってんだ。あの糞野郎とか無能がとか。俺がやればもっと利益でるんだとか」

 

 両手で耳を抑え首を横に振る。あー聞こえない、聞こえないとまるで子供のようだ。

 貴音はくすりと笑った。

 

「――でもさ、それがあるから今があるんだろ?」

「……まあ、ね。今思えばいい思い出さ」

「じゃあ、もっと色々話しても平気だろ?」

「それとことは話が別」

 

 二人がはははと笑う。貴音はそんな二人をみて楽しそうでもあり羨ましいなとちょっぴり思った。

 

「へい、お待ち。ラスト二人分だ。トッピングはサービスね」

「おお、これはなんと」

 

 二人に差し出されたのは醤油ラーメンだ。しかし、量が多い。メンマ、ネギ、卵、チャーシュと普通より多くのせられていたいた。確かに、サービスされている。

 そうそう、これこれ。隣でプロデューサーはそう言いながら箸を割る。

 

「いやぁ、本当に懐かしいわ」

「感傷に浸らないで、食べたらどうだい。あまりの懐かしさに涙が……でるからよ」

 

 ん? と店主の言葉がだんだん遠のくことに気付いた。視線は自分の横。そこには貴音にしかいない。

 彼も顔を彼女に向けた。

 

「……」

 

 そこには黙々とラーメンを食べるアイドルがいた。ずる、ずると音を立てているが汚くはない。むしろ、いい食べっぷりだと思う。

 プロデューサーと店主は何故か茫然とそれを見ている事しかできなかった。

 気付けば全部平らげていた。すると両手で器を持ちスープを飲み始めた。

 なぜだろう、よく似合う。

 飲み干すと台の上におき、

 

「店主、おかわりを」

「ご、ごめんな嬢ちゃん。今日はそれで終わりなんだよ」

「なんと!」

 

 先程言っていた言葉を聞いていなかったのか。

 プロデューサーは自分のラーメンをみる。まだ手を付けていない。箸を割っただけ。

 ごくりと唾を飲む。自分の両耳にいる天使と悪魔が囁くようだ。

 

 《食べちゃえよ、腹減ってんだろ?》

 《いいえ、我慢せず食べるのです》

 

 おいおい、意見が一緒だ。なんてことだ。天使も悪魔も俺に味方しているぞ。

 

(……!)

 

 ぞっと寒気がした。ちらりと目を細め貴音に向ける。貴音は店主と意味のない交渉中だ。

 だが何故だ。一瞬、ほんの一瞬自分の方へ向けたに違いないと思ってしまう。

 プロデューサーは割っただけの箸を置き、

 

「た、貴音。俺の一口も手を付けてないから……食べる?」

「まあ、いいんですか?」

「お、おう。今日は無礼講だ。お前のアイドルデビューを祝ってな」

「それでは遠慮なく」

 

 さっとラーメンを奪い取るとうに自分の前に持ってきた。再び食べる作業に戻っていった。

 

「はぁ……」

 

 まるで脅された気分だ。いや、そんな経験はないが。

 彼はポケットにある財布を取出した。

 

「値段変わってないよね?」

「あ、ああ」

「じゃあ、これ」

 

 千円札を二枚渡す。釣りはいいよと彼は言いながら立ち上がり、

 

「どうせ……次からはまた通うことになるさ」

 

 その背中には哀愁に満ちているようだと店主は察し、今度来たらまたサービスしてやろうと思った。が、再び目の前にいる少女がやらかすとはこの時思いもしなかったのだ。

 

「……ふぅ。ご馳走様でした。店主、とても美味しかったです」

「お粗末様でした、あんがとよ」

「はて、店主。あの人はどちらに?」

 

 気付いてなかったのかいと店主に言われたがまったく気付いていなかった。

 

「大将なら外で待ってるよ。お代は貰ってるから」

「ありがとうございます」

 

 暖簾をくぐるとすぐそこに彼は居た。口に何かを加えていたが良く見ればそれは煙草だった。

 

「ん、食い終わったか」

「はい、すみません。あなた様の分まで頂いて」

「いいんだよ。おやじ、また来るよ」

 

 毎度ーと屋台の中から声を返した。おそらく店じまいのために片づけに入ったのだろう。

 二人は来た道を戻り始めた。

 貴音はプロデューサーが煙草を吸っていることは知らなかったので興味本位で聞いた。

 

「あなた様、煙草を吸っていらしたんですか?」

「ああ。けど、最近は忙しくてな」

 

 フィルターの少し手前まで吸って満足したのか、彼は携帯灰皿を取出しそこに入れた。

 

「特にここ(都内)は喫煙者にはキツイし、事務所はアイドルもいるから臭いはつけたくないしな。まあ、たまに屋上で吸ってけど」

 

 歩き煙草は駄目とか煙草は身体を蝕みます等々、そんなポスターばかりを見るし、耳にタコができるぐらい言われた。

 

「煙草はあまり身体にはよくないですよ」

「これでも前よりは減ったんだぞ? 少し前からタイミング逃して全然吸ってないし、家じゃ臭いつけたくないから吸わんし」

 

 たまにベランダで吸うけど。ぼそっと呟いたが貴音は聞き逃さなかった。

 

「この歳になると楽しみが減って仕方がないんだ。あるとすれば休憩でする一服、仕事が終わった後で飲むビールぐらいなんだ。おっさんの楽しみを奪わんでくれ」

「駄目です。一日2本までなら許します」

 

「お前は俺のお母んか……。ま、担当アイドルに言われちゃ仕方ねぇな」

 

 右手で頭をかきながら渋々納得したような顔をする。が、やっぱり納得できないのか、

 

「一日五本にしてくれ」

「駄目です」

 

 

 時刻は既に二十三時を過ぎていた。

 結局、煙草の件については必死の言葉の攻防戦により、なんとか一日三本までという勝ったのか負けたのか分からない結果となった。

 いや、一本増えたから俺の勝だな。うん。

 貴音が住むマンションまで送り届け自宅に帰宅し、真っ先にシャワーを浴びた。流石に風呂が沸くまでの時間を待っていられなかったからだ。

 風呂場から出て着替える。冷蔵庫から買い置きしてあるアサヒの缶ビールを取り出して開ける。

 プシュっと音がなる。聞きなれた音だ。ぐいっと一口、うめぇ。

 

「ん、貴音か?」

 

 ソファーに放り投げていた二つある自分用のスマホが鳴っているのに気付いた。この音はLI○E等のメッセージが着信した時に設定してあるやつだ。

 アプリを開く。するとシャワーを浴びている間に、楽屋で撮った写真が何枚も送られてきた。するとまた一枚来た。既読の文字を確認し、再び送ってきたのだろう。

 

 《わかったから もう寝ろ》

 

 打ちこんで送信した。するとまた写真が送られてきた。サングラスを外した自分と貴音が写っているやつだ。

 

(う、うぜぇ……)

 

 二十歳にもなっていない小娘に苛立ちを覚える。

 自分に何度も言い聞かせる。

 落ち着け、俺は大人。クールになれ。相手は子供だ。余裕を持って寛大な心を持つのだ。

 

(仕返しになんか送ってやる)

 

 彼もまた子供であった。

 写真のカメラロールを開く。自分も彼女のノリに釣られてなんだかんだ写真を撮っていた。

 

(……)

 

 しかしそこには仕返しする程の面白い写真はなかった。どれも、こちらが要求したポーズとかさり気無いところを撮ったものばかり。それらに写る彼女は笑顔であった。

 それを見て、仕返しなどする気も失せた。

 

「寝よ」

 

 寝室にいき、ベッドの近くにあるコンセントに差してある充電器のコードスマホに差しておく。

 ベッドにうつ伏せに寝る。だが、すぐに起き上がり一言打って送信。

 少し経って返信の音が鳴ったが気にせず眠りについた。

 

 翌朝。いつもの仕事着であるスーツを着る。腕時計をつけて、身支度を確認。

 私用と仕事用のスマホも持った。

 ふと思い出して昨日送られてきたメッセージを見た。

 

 《既読 明日からもよろしく 貴音》

 《こちらこそよろしくお願いします あなた様》

 

 なんて清々しい気持ちなんだろうと思った。こういうのも悪くない。

 今日も一日頑張れそうだ。そう思いながら事務所へと出社した。

 

 そんな気持ちで出社したのにかかわらず、今日一番の仕事が返信を寄越さなくて怒っている担当アイドルをなだめることになろうとは……。この時、思ってもみなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 





 あとがきという名の設定補足~




 ※1 〈ALIVE〉
 アイドルマスターDSにおいて日高愛の持ち歌ですね。母親である日高舞のヒット曲。二次創作?の設定かはちょっとわからないんですけど現役時代最大のヒット曲という設定を使ってます。あと謝罪。ALIVEの動画を1話後編が完成する前に見て「これ、ダンスよりもボイスのが重要じゃん……」。と思い、前編の時点でダンス云々と書いてしまっているため諦めました。貴音は、ミリマスだとタイプがボーカルとあったのでまぁいいかと思い強行しました。ほら、貴音ってダンス大変そうじゃん?主に胸が原因で。

 ※2 〈ビヨンドザノーブルス〉
 自分はアイドルマスターSPが最初なので特にこの衣装が印象に残ってます。貴音と響が初めて登場した作品ですね。調べている時に名前があったことに驚きました。アイドルマスター2でもあったみたいですね。自分はSPをやっていて楽しかったけど中々ゲーム自体の特性? というかやり方を掴めなくてクリアしてないです(魔王エンジェルが凄い強かった印象)。ていうか、貴音をプロデュースできると思ってました。

 ※3 審査員の三人
 ボイスが歌田音、ダンスが軽口哲也、ビジュアルが山崎すぎお。ゲームで出てくる赤、青、黄のシルエット三人です。名前があったことに気付きそのまま採用。
 各分野の専門家(スペシャリスト)という設定にしています。

 上にも書きましたが自分はアイドルマスターのゲームはSPしかやったことがないです。現在はデレステのみ。モバマスもやってましたけどね。
 安いので2かワンフォーオールかシャイニーフェスタのどれか買ってやってみようかな。
 プラチナスターズはライブの出来はいいけどその他の評価があまりよくないみたいですね。
 なんかサイコロとか?

 もしプレイしたことのある読者さんがいたら教えてほしいんですけど、2かワンフォーオール買うならどっちがいいですかね?


 あと、いまアニマスをレンタルして一話ずつ見直してるんですが、結構記憶に穴があいてて駄目でしたね。社長は小鳥さんのことを音無君だし。細かいところをあとで修正しておきます。
 多分、ゲームとかでごっちゃになってたのかもしれませんね……。
アニマスはそこまでストーリで悩むところはあまりないと思うんですけど、仮にデレマス編をやる場合は美城常務で躓くと思いますね。

 一応次回で原作開始前を回想で省略して多分原作一話が少し入る予定です。

 では、また次回で。




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第2話

 二〇一三年 四月某日 765事務所

 

 765プロ。そこで宛がわれた机の上でノートパソコンと向き合って仕事をする人間が一人。

 

「んー」

 

 カタカタと慣れた手つきで文字を打ちこんでいるのはこの765プロ所属のプロデューサーであった。

 現在昼休みのため、ここにいるのは彼一人。事務の小鳥も休憩に入っていた。

 まあ、彼が買って出て留守番を引き受けたのだが。

 アイドル達も今日は平日のためまだいない。学校に通っていない自分の担当アイドル四条貴音は小鳥と一緒にランチタイムだ。

 学校に通っていないは語弊があった。正確には、すでに卒業している。

 

「もう四月か、早いな」

 

 貴音がデビューして早四ヶ月。

 彼は外の景色を見ながらその間のことを思い出し始めた。

 

 

 

 二〇一二年 十二月 番組収録から翌日 765事務所 

 

 昨日の生放送から翌日。清々しい気持ちで出社したらすでに貴音がいた。顔は不機嫌で腕を組み仁王立ち。理由を聞く前に貴音が、

 

「なんですぐ返事をよこさないのですか!」

 

 朝から怒られた。清々しい気持ちはどこにいったのやら。

 なんですかその顔はと付け足されて言われた。

 結論から言えば、後日またおやじの店にいくという約束で手を打った。

 

 その日の765プロはかなりの電話が鳴った。当然昨日の生放送で突然現れた新人アイドルを取材するためだろう。予定通りだった。予想外と言えば、小鳥ちゃんだけでは手が足りなく律子までもが電話の対応していたことだろう。

 まず初めに、社長との旧知の中である善澤さんに取材をしてもらった。というより、社長がすでに手をまわしていたらしい。流石だ。

 後はまとめて言えば、アイドル雑誌やそういう特集を放送したりしているテレビ局とか。

 某ヤングの週刊誌でグラビアの仕事等の打診の電話もあった。とにかく効果は絶大だ。

 特に大きな収穫と言えば……。

 

「貴音、お前の歌を作りたいっていう作詞家のとこにいくぞ」

「え?」

「「え?!」」

 

 突然の発言に貴音、その場にいた小鳥ちゃんと律子驚いていた。

 お昼前、私用のスマホに連絡があった。相手は歌田さんだった。電話にでると、

 

『四条さんの歌を是非作らせてほしいっていう人がいるんだけど、どうする?』

 

 当たり前のことを聞いてきたのでもちろん、今すぐいきますよと返した。

 早速手を回したのか、それともその作詞家が彼女経由で言ったのかはどちらでもよかった。

 その日、すぐに貴音を連れ作詞家の下へ訪ねた。

 こちらの都合もあり、一時間ぐらいしか打ち合わせができなかったが満足していた。

 後日、とりあえずではあるが作詞ができたのことで、双方時間を合わせながら曲を調整していった。また、ダンスの方も軽口さん、衣装の方を山崎さんに依頼した。

 仮ではあったが後にタイトルは〈フラワーガール〉と正式に決まった。

 

 

 

 同年 十二月下旬

 

 クリスマスが近づく中、世間は大忙し。貴音本人はどう思っているかはわらかないが、クリスマス当日にサンタコスで売り子をすることになった。アイドルの仕事なのかは意見がわかれるが、知人が経営しているケーキ屋からオファーが来た。。知人には話してないのだがこれは偶然だった。もちろん引き受けたし、その日生放送でテレビ局も取材にくるとのことだったので当然了承した。

 サンタコスの貴音を恥ずかしがる本人の前でたくさん撮ってやった。

 

 仕事が終わり、お礼でケーキを貰ったので皆でクリスマスパーティーを事務所でやった。

 ケーキは美味しかった。

 

「お姫ちん、可愛かったよ」

「そうそう!」

 

 仕事の内容なのかそれとも、俺が写真を撮ったのが原因かはわからないが不機嫌で、黙々とケーキを食べていた貴音。そんな彼女に亜美と真美がからかっていたが無反応であった。

 

「ケーキも美味いが俺、シュークリームのが好きなんだよ」

「あら、そうなのですか。では私が食べて差し上げます」

 

 そう言ってひょいっとケーキを盗られた。

 やはり、機嫌がよくない。他の子たちから色々問われたが原因はさっぱりだった。

 そんな時、まさかの今多さんからの連絡がきた。

 

『あ、プロデューサーはん? あとで正式に俺が司会やってる番組から連絡いくと思うんやけど、今度の収録に貴音ちゃんに出てもらうから』

 

 早速だ。あの人も手が早かった。

 翌日にその番組のテレビ局から出演のオファーがあった。特別ゲストでの出演となった。

 

 後日談というわけではないが、パーティーが終わって帰宅したあと貴音に、

 

 《なんで機嫌が悪かったんだ?》 

 

 デリカシーがないと言えば否定できないが、気になって仕方がなかったので聞いた。すると返事がすぐに来た。

 

 《教えてあげません》

 

 結局謎のまま終わった。

 

 

 同年 十二月下旬 番組収録日

 

 この日は今多さんが司会を務めているレギュラー番組に出演する日だった。年内最後の収録であり年末スペシャルとして後日放送するらしい。出演する人達も有名な人ばかりなのによくこんな時に収録できたなと思った。

 この日驚いたのが、俺が挨拶や打ち合わせに参加している間、自分ですでに出演する人達に挨拶周りを貴音が済ませていたことだ。

 有言実行とはまさにこのことかと思った。この日を境に、貴音は自分から挨拶回り等を自らし出した。

 で、収録開始。

 番組内容としてはバラエティー番組という至って普通なやつだ。年末特集という奴で色々とコーナーを設けていた。

 今多さんや他の出演者たちも気を使ってくれたのか貴音をフォローしてくれているように思えた。

 しかし、収録中あることが起きた。いや、至って普通なのだが今後に影響した内容だと思う。

 それは食べ物のお題になって貴音に話が振られたときのことだ。

 

「そう言えば、貴音ちゃんって好きな食べ物とかあるん?」

「そうですね。強いてあげるなら……らぁめんですね」

「意外やわぁ。なんていうかもっと別のを想像しとったわ。なんか拘りとかあるん?」

「いえ、特には。ただ最近……かっぷらぁめんに嵌っておりまして」

「わかる。コンビニ行くと偶に限定とかあるとつい買っちゃうわ、俺」

「そうなんです! 私もそれで最近よくコンビにいったり……あ、これはおふれこでお願いします」

 

 残念だがそれは編集されずそのまま放送された。

 今思えば、ここ最近見覚えのないカップラーメンの写真が送られてきたのはこれかと納得した。

 

「そう言えば、貴音ちゃん今度CD出すって聞いたんやけど」

「あら、ご存知でしたか」

「そりゃあ勿論、ワイは貴音ちゃんの大ファンやで!」

「発売は未定なのですが、現在頑張ってれこーでぃんぐしていますので楽しみにしていてください!」

 

 こんな感じで今多さんは現在収録中のCDの宣伝もやらしてくれた。

 全体的にいい感じで収録を終えることができた

 後日、番組が放送され意外にも好評であり、番組の方から準レギュラーとして今後も出演してほしいとの打診あった。こちらとしてはねがったりかなったりだった。

 

 

 同年 十二月三十一日 大晦日

 

 その日は事務所も休業という形になっていた。他のアイドル達もレッスンもなく自宅や実家で過ごしたことだろう。貴音もこの日は、仕事は入っていないのでのんびりできたはずだ。

 対して俺はあちこち動きまわっていた。先の放送で貴音の好物がラーメンと知って某テレビ局が話を持ちかけてきたのだ。その番組は平日の午前十時から十二時までの生放送を行っている番組だった。月曜日から金曜日のどれか一つの枠に貴音をメインにしたコーナーを設けたいとの話だった。撮影は前もって行い、放送日は毎回出演してもらうとのこと。実質、レギュラー番組への出演オファーだった。

 コーナーの内容は貴音とゲスト一人を招いて各地にあるラーメン店に赴きそれを貴音が食べて評価するという至ってシンプル内容であった。

 もし、好評だったら定期的にそのコーナーを生放送できるかもと言っていた。

 俺はその話に乗った。放送開始は来年の一月頃になった。

 余談だが、当然今回の紅白歌合戦には参加することができなかった。

 ただ、来年なら貴音を含む765プロ全員が出場できることを願った。

 

 

 二〇一三年 一月

 

 お正月に関しては、貴音には仕事が入っておらず、あるとすれば今回も俺の方だった。

 年末に話していた貴音のコーナーの件もそうだし、グラビア雑誌の撮影、雑誌の取材等オファーが立て込んでおりスケジュール調整やらで二日目から仕事はじめだった。一日だけでも休めたのはよかったと思っている。

 また、この一月に関しては他のアイドル達もレッスンを再開。小さな仕事であるがそれぞれに合った仕事を割り当てたりした。

 

 一月の大きな出来事としてまず一つが貴音の初のデビューシングルとなる〈フラワーガール〉の発売。その間にかなりの宣伝をしていため初動からかなりの枚数を売り上げた。翌週のランキングではTOP10以内には入っており、最終的にはTOP3にランクインした。

 後日、某音楽ショップで発売記念のミニライブを開催。平日ながらも多くのファンや立ち寄った人が見に来てくれた。

 

 次に月曜から金曜日のお昼の番組で、貴音は水曜日に専用コーナーを受けさせてもらえることが正式に決まった。これが貴音の初めてのレギュラー番組となる。

 放送されたのは今年初の放送日(年が明けて第二週目のこと)。収録は前もって行われた。収録日には律子も後学のために連れてきた。

 初のゲストには、グルメ番組等でよく出ているタレントの岩塚さんに出てもらった。もちろん、俺が頼んだ。こういう時に今までの経験や交友関係が役に立つ。

 律子にも見習ってもらいたい。

 ちなみにコーナーのタイトルは「お姫ちんのらぁめん道」である。内容はゲストとともにラーメン店に赴き、貴音が食べて評価するだけである。ゆくゆくはリスナーからのリクエストなども取り入れる予定になっていた。

 

「そういえば、なぜお姫ちんなのですか?」

「あれ、貴音ちゃん知らないの? ネットとかじゃ貴音ちゃんのあだ名がお姫ちんで有名だよ?」

「なんと、面妖なこともあるものです」

 

 この収録後に知ったが原因は小鳥ちゃんだった。俺自身も亜美と真美がそう言っているのを聞いていたから二人かと思ったが3チャンネルなんてやっていないと言っていた。

 初回放送は普通で次回から意外にも辛口な評価をし始めたことから徐々に人気が出始める。

 ゲストともいい感じでトークをしたりもしていたので順調な運び出しとなった。

 ただ二月に入って、第五回目の放送で伝説を作った。

 

 俺は番組スタッフと第五回目の収録日の打ち合わせに出向いていた。この頃にはすでにリスナーからのリクエストや実際にお店からもぜひ家に来て評価してくれといった手紙、メールなどが数多く寄せられていた。

 ただ、今回いくことに決まった店はどうにもおかしかった。

 あらかじめスタッフが確認しにいくのだがどうも味は上手くもなし客はあまりいなかったとのこと。

 なんでこの店に選ばれたかと言うとどうみても何枚もの手紙やらメールを、名前を変えて送りつけてその店を指名してきていたからだ。

 結局スタッフと相談した結果、

 

「とりあえず行ってみて、本当に駄目だったら後日別のところで収録しましょう」

 

 ということになった。

 結果、収録当日。

 差し出されたラーメンを一口食べた貴音はドンと箸を叩きつけ、

 

「これを作ったのは誰です!」

 

 目の前にいるにもかかわらず、某漫画みたいなことを言いだした。そして、ネチネチとこのらぁめんはらぁめんではない、らぁめんの冒涜だとか言っていた。あと、ダシがどうとか、麺はああだと言っていた。

 当の俺は、撮影している店の端で腹を抱えて笑っていた。

 

「あははは! あいつが怒ってるの初めてみたわ!」

 

 そして、それは無修正で放送され話題を呼んだ。生放送で出演中の貴音も司会や出演者たちに色々言われていた。生放送で、

 

「本当に不味かったの?」

「ええ、まったく。かっぷらぁめんのがマシなくらいです」

 

 それがファンや視聴者が興味を持ったのか実際にその店に行き、やっぱり不味いと評価を下した。

 その後、あの店はひっそりと閉店したそうな。

 まあ、結果的にこれのおかげでコーナー事態は好評で今も放送がされている。

 

 

 

 同年 一月二十一日

 

 今日は、貴音の誕生日である。

 俺自身、当日なって気付いた。プレゼントを渡した方がいいのか頭を悩まされていたのだが、

 

「あなた様、今日は何の日かご存知ですか?

 

 まさかの催促と来た。

 俺は咄嗟に、

 

「あ、ああ。貴音の誕生日だろ。俺はお前のプロデューサーだからな。もちろん、覚えているよ」

 

 嘘をつきました。プレゼントはちょっと訳ありで時間がかかるからと付け足して。

 

 ヤバイヤバイ、どうするよ俺! 

 貴音に何をプレゼントする、あれかカップラーメンを一箱まるごと買ってくればいいか?

 いや、だめだ。きっと見抜かれている。

 どうしよ……。

 

 そう思いながらスマホで〈月 ペンダント〉と検索した。貴音と言えば月をイメージするし、ペンダントのような無難なものでいいかと思ったからだ。

 

「ムーンストーン?」

 

 検索して出てきた中に初めて聞いた単語だ。商品ページを流し読みでみて、これだと思いすぐに行動した。

 

「ちょっと営業で外回りに行ってくるから」

「え、プロデューサーさん?!」

 

 聞こえぬフリをして飛び出した。

 とりあえず、有名なパワーストーンを販売、制作している店に向かった。というかあってよかった。

 そこで、店内に入りお店の人と相談した。希望している形を伝えた。

 

「で、レインボーの奴で、ペンダントにしてもらいたいんですが」

「レインボームーンストーンのペンダントですね」

 

 実際にはホワイトラブドライトなんですよと説明されるが知ったことではない。

 三十分もかからず話は纏まった。

 値段はそれなりにしたがそれどころではない。どうせ、金なんて生活費と食費ぐらいしか使ってないし、こういう時に使わなくては。

 

「では、お渡しできるのは数日後になります」

「あ、お願いします」

「にしても、送る相手は恋人ですか? 相手の方が羨ましいですよ」

「へ? ああ、そんなようなもんです」

 

 適当に誤魔化した。

 後日、ペンダントを受け取り貴音に渡した。

 とても喜ばれた。なんていうか、達成感があった。おかしな話だが。

 だが、翌日。

 

「あの……あなた様?」

「どうした、急にかしこまって」

「この頂いたペンダントの……意味を知っての上で、私にプレゼントしてくださった……のですよね?」

 

 多分、意味とかを自分で調べたのだろう。パワーストーンには色々意味とか効果があると聞いたから、それでだろうと思った。けど、俺は全然知らないので正直に言った。

 

「え、知らん」

「……!」

 

 足を踏まれた。少し痛かった。事務所にいた女性陣には白い目で見られた。

 

「え、なに。俺、頑張って選んだのに。酷くない?」

「プロデューサーさん、最低です」

「小鳥さんと以下同文」

「自分もあれはないと思うぞ」

「知らずに送るとはある意味凄いわね」

 

 上から小鳥ちゃん、律子、響、伊織の順で言われた。

 

「キミ、ちょっとお話しようか」

「え、社長。仕事の話ですか?」

「……そうだね。今度、そういった仕事を私もみつけてこよう」

 

 社長にまで呆れられた。

 その日、帰宅してからムーンストーンの意味を改めて調べて頭を抱えた。

 〈ムーンストーンの石言葉〉、女性性をサポート、月のエネルギーを取り込む、感覚、感受性を高める……幸せな結婚をもたらす、愛を伝えることをサポート、永遠の愛。

 〈ムーンストーン こんな方におススメ!〉、感性や直観力を高めたい、高い理想、人に何か伝える、芸能関係の職業……永遠の愛を願う方。

 

「やっちまった……」

 

 よりによって自分が担当するアイドルにだ。

 

「ちょっと待てよ。もしかして……」

 

 流石に俺もそこまで鈍感ではなかった。俺にこのことを聞いていたということはつまり……。

 まだ出会って二ヶ月。されど二カ月。人が恋をするのには十分か。

 俺はLI○Eを使って、

 

 《今日はすまなかった でもこれだけは言っておきたかった》

 《……なんですか》

 《すごく、似合ってたぞ》

 

 返信は来なかったが俺は続けて最後にこう送った。

 

 《あとそれを選んだことについてはご想像にお任せします》

 《なんですか、それは!》

 《黙秘します》

 

 あとはその繰り返しだった。ていうか、疲れた。色々な意味で。

 今でも俺は、貴音が向ける想いから目を逸らしている。

 

 

 

 同年 二月

 

 

 二月に起きた主な出来事があるとすればまずラジオ番組を持つことになったことだろうか。

 午後十五時からの三十分の番組。

 先月から話はあったのだが予定が埋まっており、枠が空き次第出演の許可は頂いてた。のだが、とある番組が急遽降板。その空いた枠に滑り込んだ形になる。

 ラジオ番組自体はこの先の765プロにも大きなプラスとなる。他のアイドル達の宣伝にもなるからだ。

 

 他の子達もCDデビューが決まり、順次収録から発表されることになった。この時点で律子いい感じにプロデューサーとしての仕事が板につき始めてきた。

 

 二月下旬頃だったか。〈フラワーガール〉の売り上げも今の所順調で次のセカンドシングルについて視野に入れていた時のことだ。

 765プロ宛に別の作詞家から連絡を貰い制作を開始した。

 二月は全体にみても問題なく進んでいたと思う。

 

 

 

 同年 三月

 

 

 この三月には大仕事があった。三月末に某県、某アリーナで行われるミュージックフェスティバルに参加することになった。話は少し前からあったのだが。

 数多くのアーティスト達が参加するこのライブは貴音にとってもいい経験だ。それに勉強にもなる。

 今回はセカンドシングルとして発売予定である新曲の〈風花〉を歌うことに決めた。

 初のアリーナライブということもあり貴音も十分気合が入っていた。

 俺はと言えば、〈ビヨンドザノーブルス〉に代わる衣装を知人のスタイリスト共に意見を交わしていた。

 

 そして完成したのが黒と白をメインにしたドレス(モバマスのSレア銀色の王女である特訓後の衣装をメインに、特訓前の衣装を足した感じの衣装をご想像ください)。

 アイドル衣装のようなドレスではなく、ドレスのようなアイドル衣装と言った感じか。

 質感も本物のドレスのようだった。

 

「あの……どうですか?」

「あ、ああ。すまない、あまりにもその……見惚れてた」

「あ、ありがとうございます」

 

 互いに何故か照れていた。

 見惚れていたのは本心だ。ある意味四条貴音という存在を真の意味で表しているような感じがした。本当に王女のようだった。

 この時、記念に何枚か撮った。一番のお気に入りだ。貴音は俺が一緒に写っているやつがお気に入りらしい。

 あとはこの姿の四条貴音を100%活かせるステージを作らなければならない。

 実際に会場でスタッフと打ち合わせ。あまりにも手がかかり過ぎて律子に少し貴音を任せたぐらいだ。だが、いいものができた。

 

 そしてライブ当日。

 会場は満員御礼。各アーティストのファンが訪れていた。もちろん、貴音のファンもいる。後になって気付いたが、紫色のサイリウムを振っていたのがそうだった。

 貴音の番は丁度真ん中と言ったところだ。

 待っている間、

 

「練習では観客がいなかったとは言え、流石に緊張してきました」

「それだけか?」

「いえ、緊張以上に興奮しております。興奮というよりは……わくわく。と言えばいいのでしょうか」

「それでいいんだ。お前はその気持ちで歌ってくればいい。勝負とかじゃないんだ。楽しくやろう」

「はい」

 

 貴音の番が回ってきた。

 ステージの真ん中に立つ貴音を天井のライトが照らす。

 普通なら歓声が起きるところだ。だが、それはなかった。誰もが貴音の姿に目を奪われていたからだ。

 ドレスを纏ったことでさらに強調された高貴さ。そして、四条貴音が放つオーラ。そして、気付いている者がいるかわからないがその胸に光るペンダント。

 会場にいる観客にスタッフ、この会場にいる全員が貴音の創りだした幻想に囚われていた。

 

 音楽が始まると同時にステージ背後のスクリーンや照明が動き始める。

 《風花》とは晴天時に雪が風に舞うように降ること。あるいは積雪が風によって飛ばされ、ちらつく現象を意味しているらしい。

 が、俺は逆に夜空に浮かぶ月とそこに花が舞う様子をイメージしたモノに仕上げた。

 自分でも会心の出来だと思う。

 歌っている貴音はアイドルとは思えない存在に思えた。

 気付けば歌い終わり、音楽も止まった。

 歓声もあった。それよりも拍手の音の方が何倍も大きかった。

 

 そして、ステージから帰ってきた貴音をスタッフらか拍手して迎えた。頭を下げながら俺の下へやってきて、王女のように問う。

 

「どうでしたか、私のステージは?」

「とても素晴らしいものでしたよ、王女様(プリンセス)

 

 従者のように俺は頭を下げた。

 

「それ、つけてやったのか」

 

 胸元に光るムーンストーンペンダントを見て聞いた。いつのまに……。

 

「はい。で、どうですか?」

 

 文字ではなく、俺の言葉で聞きたいのだろうと察した。

 

「ああ、よく似合ってる」

「ふふ、ありがとうございます。あなた様――」

 

 こうして、ライブは終わった。

 この日を境に〈銀色の王女〉という異名がつき、〈銀色の王女 四条貴音〉と呼ばれることになる。

 つまりそれはトップアイドルの領域に一歩踏み込んだと言うことになる。

 しかし、まだだ。まだ、これからだ。今はトップアイドルという長い階段を一段上っただけだ。

 アイドル、トップアイドルとしてもまだまだ四条貴音はこれからだ。

 だからこそ、俺が――。

 

「もっと上へいくぞ、貴音。付いて来れるか?」

「愚問です。そちらこそ、わたくしに振り回されないでくださいね?」

 

 もっと光輝くステージへ連れて行こう。それがプロデューサー()の仕事だから。

 

 

 

 同年 四月 現在

 

 

 こうして、現在に至る。まあ、他にもっと色々あったんだが、ここでは割愛しよう。

 今765プロの現状としては、貴音を先頭に他のアイドル達が活躍している状態だ。

 四月の時点で全員CDデビューは行っているし、まだ小さな仕事が多いが彼女達はそれをこなしている。

 律子もプロデューサーとして問題ないレベルまで育った。本人も色々と今後の活動について考えているように思える。

 若い子が自分から進んで行動していることになんだか嬉しい気持ちがあった。

 

「さて、仕事に戻るか」

 

 窓の景色から再びパソコンに戻る。にらめっこの開始だ。負けるのは自分の方だが。

 そんなことを思いつつ仕事を進める。

 すると事務所の出入り口の扉が開いた。そこには彼と同じようにスーツで身を包んだ男が一人。最近この事務所に入り浸っている男。

 

「ただいま、戻りましたー。あ、。お疲れ様です」

「ご苦労さん、赤羽根。で、アイドル達の取材はどうだ?」

「はい、今の所バレずに順調ですよ」

 

 赤羽根(見習い)P。社長が見つけてきた765プロの新しいプロデューサーだ。

 四月から正式に765プロに入社。現在、社長が与えた最初の仕事が、765プロに所属するアイドル達をインタビューすることであった。765プロのアイドル達に密着取材という内容でカメラマンがしばらく同行すると皆にも伝えあり、まだ彼が新しいプロデューサーだとは知られていない。

 知っているのは社長、小鳥、プロデューサー、律子、そして貴音の五人。

 貴音には彼が前もって伝えていた。所謂、担当贔屓というやつだ。

 

「あとは貴音と先輩だけです」

「はあ? 俺もか?」

「いいじゃないですか、律子も撮ってますし。社長にも、是非やってくれたまえって言われたんですし。なんなら貴音と一緒に撮りますか?」

「別にどっちでも構わん」

「じゃあ、一緒に撮りますね」

 

 なんともいい笑顔で喋るなと思った。プロデューサーが今の彼を評価すると好青年、コミュニケーションは問題ない、ちょっと年上のお兄さん、仕事方面ではちょっと不安と言ったところだ。

 カメラマンと偽って接しているのにも関わらず、彼女達とは円滑なコミュニケーションが取れていると思っている。今の所順調であった。

 まだ、彼に自分がだいたい今年いっぱいでいなくなることを伝えていない。

 彼のことをプロデューサーとして改めて紹介するときに伝える予定になっている。

 

「む」

「?」

 

 再び事務所の扉が開いた。お昼を食べに行っていた小鳥と貴音が戻ってきた。小鳥の手には青いマークがあるビニール袋をぶら下げている。

 

「プロデューサーさん、今戻りましたよ。コンビニでおにぎり買ってきましたけど……。あ、赤羽根さんも帰ってきていらしたんですね」

「二人ともお昼食べてきたんですか?」

「はい、赤羽根殿もお疲れ様です」

「ええ。貴音ちゃんと一緒に。赤羽根Pは?」

「俺も外で済ましてきました」

 

 お昼を済ましていないのはプロデューサーだけだった。その理由は、現在も止まらず動かしてパソコンに打ち込んでいるのが理由だ。

 先程まで少し最近ことを思い出しながらサボっていたが。

 小鳥は袋ごと彼の机の邪魔にならないところにおいた。

 

「プロデューサー、ここに置きますね」

「ありがとう。お釣りは取っておいてくれ」

「ふふ、わかりました」

 

 赤羽根はそのやり取りを見てカッコイイなあと思っていた。実際には、また買いだしを頼むからと言っているのだが、入社したばかりの彼にはまだその意図は読めていなかった。

 

「プロデューサー、お茶でも淹れましょうか?」

「ああ、頼む」

 

 了承を得て貴音は給湯室へ向かった。

 入社したばかりの彼でも最近わかったことがある。

 貴音って先輩にいつもお茶入れてるな……と赤羽根は給湯室に向かう貴音を見て思った。

 貴音は他のアイドルと違って平日も事務所にいることが多い。今日みたいにお昼や休憩のときに事務の小鳥ではなく貴音自身がプロデューサーにお茶を入れているところを赤羽根は度々目撃していた。

 一方、プロデューサーは仕事を一旦やめ、遅い昼食を始めた。

 

「む……」

 

 おにぎりが入っている袋を順番通りに開ける。上から下に一周し、横を引っ張る。海苔が少し残ってしまった。悔しい。よくある光景だが気にせずもぐもぐと食べ始める。

 

「はい、お茶です」

「ん……。ありがとう」

 

 貴音が淹れてくれたお茶を飲みながら食事を続ける。

 赤青黄の三色をしたのが彼専用の湯呑である。ちなみに小鳥のは、心技体と書かれている。

 

「貴音、確かこのあとはラジオの収録があったな」

 

 プロデューサーが確認も兼ねて聞いた。

 

「はい。いつも通り三時からですけど、なにか?」

 

 左腕にある腕時計を見て時間を確認。時計の針は一時を周ったところだ。

 

「赤羽根、今から撮るか」

「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ?」

「なに、収録までの時間潰しだ。貴音もいいな?」

「わたくしはかまいませんが……あなた様、それはよいのですか?」

 

 貴音の視線が机にあるパソコンに向けられた。

 

「あと少しで終わる」

 

 そう言って五分ほど経って終わった。すでに大体の事は終わらせていたからあとは社長の机の上に出しとけばそれで終わりだったのだ。

 

「じゃあ、二人とも一緒に撮りますね」

「俺は構わんが……」

「私も構いません」

 

 ちらりと貴音の方を向いて確認しようとしたがそんなことは必要なかった。

 その後。二人は事務所のソファーで並んで座り、赤羽根の(二人の)密着取材が始まった

 撮影は十五分程で終わった。その最中、小鳥がにやにやとみているのがプロデューサーは気になって仕方がなかった。

 二人はそのあと十四時前に事務所を出て収録に向かった。

 

 残った小鳥と赤羽根はと言うと、

 

「音無さん、アレが先輩と貴音の普通の光景なんですかね?」

「そうですよー。あ、別に悔しくなんてないですよ。ただ、昔からの知り合いがなんだかんだ自分と一緒で独り身だったのに、いきなりそういう事に発展したことを面白がってるけど実はちょっと恨めしいとか思ってませんから。ええ、思ってませんから! でも、本当は貴音ちゃんが羨ましいとか、プロデューサーさんの馬鹿って……何言ってるの私?!」

 

 なんて返したらいいのかわからない。聞いてない振りをしよう。そう思った赤羽根は自分の机に座り、全員分撮り終わったビデオの編集を始めた。

 

 

 数日後。

 765プロ事務所内では約二名を除く全員が集められていた。その二名とはプロデューサーと貴音である。もう少しで帰ってくる連絡はあったのだが待ちきれず、それは始まっていた。

 それは、赤羽根が彼女達に密着して撮っていたビデオである。

 そして、高木社長が種明かしを始めた。

 

「実は何を隠そう彼が、我が765プロ三人目のプロデューサーなのだよ!」

 

 えー! と驚きの声が事務所に響き渡る。

 カメラを態々構えていた赤羽根はようやくカメラを置きその素顔をみんなに見せた。

 

「赤羽根と言います。皆、よろしくお願いします!」

「ふぅ、これで私も先輩面できるわー」

「律子さん、それプロデューサーさんの前で言ったら何をさせられるかわかりませんよ?」

「う、それもそうか……」

 

 がっくしと肩を落とす。

 自分もまだまだ一人前とは言えないことを思い出し、その野望は潰えた

 

「ということは私達本格的にアイドルとして活動ですか!」

 

 春香が満面の笑みを浮かべ視線をから赤羽根から社長に移す。

 

「ああ、そういうことになる。すでに彼からある程度の仕事内容は覚えてもらっているから明日から君達と一緒に活動することになる」

「あの、赤羽根Pも誰かの担当を持つんですか?」

 

 千早が手をあげて質問してきた。

 

「いや、一応今の所は貴音君を除いた全員になる。簡単に言えば、全員のユニットである〈765エンジェル〉の担当ということになるね」

 

 765エンジェルとは、貴音を含んだ全員のユニット名である。これもプロデューサーが今後のことを考えてのことだった。元々、社長自身もこのユニットで活動する予定であった。

 

「あ、皆さん。丁度貴音さんの番みたいですよ! あ、プロデューサーもいますよ!」

 

 やよいの声につられ皆の視線がテレビに再び注目する。そこにはプロデューサーと貴音が一緒に座っていた。

 

「にしても、プロデューサーには悪いけどやっぱりこうアレだよね」

「うぅ、私も最近プロデューサーの指導のおかげで慣れてきましたけど……やっぱり怖いです」

 

 真と雪歩の意見に同意するように皆がうんうんと頷いている。大人組はどちらかというあははと苦い笑いをしていた。

 

 ――あなたにとってアイドルとはなんですか?

『そうですね。それに関してはまだお答えできません』

 ――どうしてですか?

『それは、私がまだその答えを探しているからです。アイドルとはみなの象徴、偶像と言えば簡単です。ですが私の、となると話は別です。ですから私は、この先にその答えを見いだせればと思っております』

 

 おーと歓喜の声があがる。

 

「お姫ちんはいう事が違いますなぁ」

「やっぱり、トップアイドルは違うねぇ」

「そうかしら。こういうのって私は大事だと思うわよ? 自分の持論ってやつ」

「デコちゃん、プライド高いもんね」

「デコちゃん言うな!」

 

 そんな中事務所の奥からその当事者が帰ってきた。

 

「ただいま戻りました。……ああ、例のやつですか」

「あれ、貴音は知っていたのか?」

「ええ、あの人から聞いてましたので」

「あー! ずるいぞ、一人だけ先に知っているなんて!」

「そう言われましても……」

 

 響に言われるのも仕方がないと思いつつ赤羽根に横目をやりつつ。

 

「と、ところで貴音。先輩は?」

「車を置いてくるからと、先に来ましたので。もう少しで来ますよ」

「あら、丁度そのプロデューサーさんの番みたいね」

 

 あずさがそう言うと皆が貴音の時よりテレビに食いつき始めた。

 

 ――あなたにとってアイドルとは?」

『え、俺にも同じ質問するのか? まあ、そうだねー』

 

 滅多に自分のことを語らないプロデューサーの、先程伊織が言った持論ってやつが皆きになっていた。

 ザッと少し画像が乱れたが誰も気にしない。

 

『答えになっていないが、俺がプロデューサーである限りアイドルをプロデュースする。そんな関係かな。自慢じゃないが、どんな子でもプロデュースしてみせるさ』

 

(嘘つき……)

 

 美希は声に出さず吐いた。顔は暗い。まるで、目の敵にしているようにテレビに映る彼をみていた。

 

 ――どうしてプロデューサーになられたのですか?

『忘れたよ。気付いたらプロデューサーになってた』

 

 それみて苦笑する者が二人。社長と小鳥はなにやら懐かしむように見ていた。

 するとその彼がやってきた。

 

「ただいま戻りました……って、なんで俺を見る」

 

 その場にいる全員が帰ってきたプロデューサーをみる。

 亜美と真美が彼の前までやってきた。亜美がマイクを持っているかのように真美に聞いた。

 

「どうしてプロデューサーになられたのですか?」

「忘れたよ。気付いたらプロデューサーになってた(キリッ)」

 

 本人の時よりかなりポーズや表情を盛っていた。

 そんな二人のやり取りをみて彼も察したのか腕を組んで二人を見下ろした。

 

「なるほど、なるほど。……大人をからかうのもほどほどに、な!」

「「痛――――っっ」」

 

 二人の頭をその大きな手で鷲掴みぐりぐりと頭を回す。流石に二、三回ほど回してすぐに放したが。

 

(……美希だな、この視線は)

 

 プロデューサーは誰かの視線を感じたがそれを美希だと決めつけた。というより美希だと直感した。

 それは当たっていて前にいる春香らの間からちらりと彼を見ていたからだ。

 

(そういう事も想定していたが、まだ駄目か)

 

 星井のためだと思っていても本人はそれを受け入れはしないことは重々承知していた。それでも、彼女が自らの意思でアイドルを、トップアイドルを目指すという強い意志を持ってほしいと思ったからだ。

 しかし、予想通り最初に出会った日から今日まで結局、与えられた仕事やレッスンを確実に、簡単にこなしてしまっているだけで止まってしまっている。

 プロデューサーは気持ちを切り替えて皆の前に立つ。

 

「さて社長からも言われたかもしれないが、明日から彼がお前らと一緒に活動することになる。互いに迷惑をかけることもあるだろう。それでもアイドルとプロデューサー、目指すモノは一緒だ。頑張っていこう!」

『はい!』

 

 アイドルと赤羽根も一緒に応えた。互いに頑張ってもらわなきゃ困る。そう思いつつも彼らのこの先の活動に期待した。

 

 その後、彼女達は解散した。残ったのは大人組は小鳥の入れたお茶を飲みながら今後の方針とプロデューサーのことについて話し合っていた。

 説明するとやはり驚かれた。

 

「というわけなんだ」

「酷いですよ、先輩。そういうことは先に言ってくださいよ」

 

 先程の威勢はどこへやら。弱弱しい声で彼を見つめた。

 

「それはすまない。でも、そんな焦らないでやってほしい。お前はこの業界は新人。例えるなら幼稚園生だ」

「うっ、ちなみに律子は?」

 

 んーと律子をみる。律子は内心ドキドキしながら返答を待っていた。なにせ、彼はこの業界ではそれなりに名も売れているし力もある。憧れないといえば嘘になる。

 

「入学したての……いや、卒業したての中学生?」

 

 内心、よっしゃとガッツポーズをしたが中学生と聞いて膝をついた心の中の自分が律子には見えた。

 

「手厳しいねぇ、キミは」

「まぁ、幼稚園生って例えもわからなくはないですけどね」

 

 そう言いつつも社長は彼の二人の評価はだいたい合っていると思っていた。小鳥に至ってはそんなもんかなとばっさり。

 

「けど、赤羽根にはこれから飛び級で小学、中学、高校生になってもらわないとな。覚悟しろよ?」

「はい、頑張ります!」

 

 弱弱しい態度も一変。彼の目は再び火がともっていた。

 

「若いっていいねぇ」

「で、話は律子に変わるんだが」

「え、私ですか?」

 

 そう言って彼は社長に許可を貰うような素振りをみせた。社長は無言で頷いた。

 

「社長とも相談してな。そろそろ律子にも担当を持っていいと判断していた所だ。自分でも色々考えてるんだろ?」

「えへへ、バレてました?」

 

 頬を赤く染めて頭に手をやる律子は中々可愛い。元アイドルだし当然だったが、実に勿体無かった。

 

「まあ、勘かな。赤羽根も来て、律子にも自分で色々と挑戦してもらいたいと思っていた所だからな。で、とりあえず秋月Pの意見を聞かせてほしいんだが?」

「もう、そうやって……。まあ、いいですけど」

 

 煽てられて悪い気はしなかった。律子は現在考えていることを話した。

 三人のユニットをつくりたい。メンバーは水瀬伊織、双海亜美、三浦あずさの三人。ユニット名はまだ決めていないがこの三人でやってみたいと話した。

 

「成程な。あの子らはどのメンツでもやっていけるのが一番の特徴だし、一概にどれが正解というのはない」

「ライブでも、仮にそのユニットと全員でやる765エンジェルとソロの貴音ちゃん。こんな感じで回せますもんね」

「まあ、ソロに関しては貴音が一番売れているからであって、ライブでも他の子達のソロ曲は歌える」

 

 プロデューサーは律子案には賛成だった。ユニットで売るというのも今の業界じゃどこもやっているからだ。

 

「あの先輩、一ついいですか?」

「なんだ?」

「先輩の事情で貴音をソロでデビューさせるのもわかりました。他の子もソロでやらせないのも律子や俺。今後の765プロのためだということも納得しました。でも、なんで他のプロダクションもソロであんまりデビューさせないんですか?」

 

 良い所に気付いたなと赤羽根を褒めて答えた。

 

「昔はソロとかも多かったんだがな。ただ、ソロは一人。つまり、当人の実力がハッキリわかってしまうんだ。相当の実力がなきゃ最初からソロデビューできない。対して、ユニットなら一人でもファンができればその子を応援してくれる。力が付けばソロデビューもできる」

「なるほど」

 

 そう言われてみればテレビでみたアイドルはユニットが多く、ソロで活動している子はあんまり見ないなと思った。

 

「それに少し前、といっても今もだがアイドルブームが起きてる昨今。どこもソロよりユニットで出して当てたいんだよ」

「切実ですね」

「そういうこと」

 

 赤羽根は業界がかかえている悩みを知った。

 

「で、話を戻すが。まだ先になるが、この三人と貴音を除いたメンバーを赤羽根に担当してもらう。勿論、俺も補佐はするがメインはお前だ」

「はいっ」

「あれ、私の案そのまま通っていいんですか?」

「ああ。面白そうだしな」

 

 やったとガッツポーズする律子。それみて微笑む三人。

 

「それじゃあ、夜も遅いしこれで解散でいいかね?」

「ええ。俺は少し残ってやることがあるので、戸締りは俺がしておきます」

「ん、そうかね。じゃあ、頼むよ。あまり煮詰めないようにね」

「はい」

 

 

 そう言って彼を除く四人は帰宅した。

 残った彼は自分の周りだけ電気をつけてあるモノを作成していた。

 赤羽根専用に作った対策マニュアルみたいなものである。各アイドルにあった仕事とか、こういう時はこうすればいいとか、思いつく限りのことを出していた。

 彼自身も律子の時もそうであったが後輩と言えばいいのか。なんだかんだ可愛く思っていた。

 

「さと、もう少し頑張るか」

 

 気付けば、彼が自宅に帰ったのは解散してから二時間後のことだった。

 

 

 都内某所 アパート 

 

 赤羽根は自宅のアパートに帰宅して私用のパソコンである動画ファイルを開いていた。それは彼女達に密着取材をした動画であった。

 動画を再生し一番後ろ辺りをクリックして飛ばす。

 丁度プロデューサーの場面であった。実は、彼女達にみせた場面は本来のモノと違う。理由は最初に撮ったモノがみせていいものか迷ったからだ。態々、もう一度頼み込んで撮ったのだ。

 で、そのオリジナルの部分が始まった。編集してないので自分の声も出ていた。

 

『あなたにとってアイドルとはなんですか?』

『そうだな……呪い、かな。魅了されているとも言っていいがしっくりくるのは呪いだ。俺はあの日から止まったままだ。色んなアイドルを見て、育ててきた。それでも俺は――』

『すみません、先輩。やり直しで』

『ん、やっぱ駄目か』

『いえ、その……内容が見せられるものじゃないです、はい』

 

 赤羽根はこの時貴音がいなくてよかったと思った。タイミングよく彼女の電話がなり一時的に離れていたのだ。それもあってこんな内容を話したのではないかと思った。

 

「にしても先輩……昔なにかあったんだろうか」

 

 その理由を聞こうと思ったがやめた。

 ただの好奇心で聞くにはなにか違うと思ったし、なによりも自分にはその資格なんてないのではないか。そう思ったからだ。

 

「はあ。とりあえず明日も頑張ろう」

 

 明日からプロデューサーとして新しい日々が始まる。色々不安はあったがそんなことを考えている内に彼は眠っていた。

 

 

 




あとがきという名の設定補足~

※ 誕生日の話
書いてて貴音の誕生日が一月ということに気付き急遽投入。さらにプレゼントにリアルに一時間ぐらい探したり考えたりしてました。
ムーンストーンって初めて知りましたよ、私。個人的には貴音に合うんじゃないかなって思いました。




逃げたやつはアイドルだ。逃げなかったやつはトップアイドルだ。本当、アイマス世界は地獄だぜ、ふはははー。

はい、と言うわけで赤羽根P登場です。
実際に彼年齢いくつぐらいんでしょうね。個人的には大学は出ててるイメージ。20代半ばあたりだと思うんですけどね。30代ではないはず。亜美や真美が兄ちゃんって呼ぶぐらいの年齢だと思うんですが……。

今回からアニマス本編に突入です。
サブヒロインが美希という扱いなのでだいぶ先が長いですね。ちまちまと爆弾を増やしている状態ですが……。

次回ですがアニマス2話と3話が一緒です。意外と短くて一緒になりました。
また近いうちに更新できると思います。


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幕間

 

 

 

 

 二〇一三年 三月中の出来事

 

 

 それは三月に起きた些細な出来事である。その日貴音は事務所でプロデューサーのパソコンを使ってインターネットを使用していた。使い方は苦戦したがプロデューサーにも教わり今では普通のことはできるようになっていた。

 丁度そこに居合わせた響が貴音の隣に来て画面を覗き込んだ。

 

「貴音、何をみているんだ?」

「ああ、響ですか。いえ、少しマンションやアパートなどをみてまして」

「なんだ、引っ越しか? 別に今の所ででも大丈夫じゃないか?」

 

 響は貴音と仲がいい。何度か貴音の家に行ったことがある。一人暮らしにしてはそれなりにいい所に住んでいたはずだ。

 

「まあ、色々ありまして」

「ふーん」

 

 貴音のことだ。どうせアレ関係だろうなと響は推察した。

 そのアレとは今丁度事務所に帰ってきた、

 

「ん、貴音と響じゃないか。俺の机でというかパソコンか。なにしてるんだ」

 

 それはプロデューサーのことだった。プロデューサーが来て早四ヶ月。その間、少しずつ貴音に変化が起きていた。

 鈍感な方だと思っている響でもそれはわかった。

 特にそれを自覚し始めたのは貴音の誕生日の時だったはず。電話であの人からプレゼントにペンダントをもらったことを聞いていた。その時は物凄く嬉しそうに語っていた。けど、次の日になると一転不機嫌になった。

 まあ、わかりやすかった。

 

「プロデューサー、貴音が引越しするんだって」

「引越し? なんでまた突然。お前のマンション、徒歩じゃ時間かかるが電車とか利用すればかなり近いはずだが」

 

 プロデューサーも響と同じ意見だった。

 

「いえ、最近なにやら視線を感じるもので……」

「まあ、貴音もかなり人気が出てきたからなぁ。しょうがないさー」

「ふむ」

 

 響の言う通りそれが一番の原因だろうとプロデューサーも同調した。

 

「あの参考までにあなた様はどこに住んでいらっしゃるのですか?」

「俺か? ○○区にある○○ってマンション。知人の伝手でな、普通より安い家賃で少し助かってる」

 

 といっても月○○万もするかなり高いところだ。一人暮らしにしては持てあます、2LDKの駐車場つき。車は所持していないが現在は765プロが所有する営業車がたまに停まるぐらいだ。有名人なども利用していた時もあるため情報管理や安全対策も問題ない。

 管理人が「守護らねば……」と口ずさむぐらいには安全だと思われる。

 

 

「ふむ……参考になります」

「プロデューサーってお金あるんだな。いや、深い意味はないぞ?!」

「まあ、仕事初めてから散財とかしてなかったからな。貯まる一方で、住むとこぐらいには金を使うかって思ってな」

「ちなみに給料いくらなんだ?」

「秘密」

「ケチー!」

「大人はケチなんだよ」

 

 そう言って彼は荷物を置いて社長室に向かった。

 残された二人はそのままプロデューサーのパソコンで通販サイトを見始めた。

 

 

 後日。

 

(今日は早く終わったな。ビール、ビール)

 

 時間は既に十八時を回っていた。普通のサラリーマンならすでに帰宅ラッシュか夜の街に繰り出している頃だろう。

 しかし、プロデューサーという職業はとても忙しい。アイドルが人気ならその分もっと忙しい。

 そのアイドルは、本日は休みで一度も会っていない。売れっ子アイドルと言っても休みがないのはヤバイ。逆にプロデューサーはしょうがないのだ。

 ともあれ今日は仕事も既に片づけ、明日のスケジュールに関しても問題なく確認済み。久しぶりの早仕舞いとなった。

 

(飯なんかあったけな……。米はあるが今から炊くのはなぁ)

 

 冷蔵庫の中身を思い出しながら帰路につくプロデューサー。すると我が家があるマンションが見えてきた。24階建。エレベーター完備。都内にしてはそこそこ値が張るが金はあるので問題ない。

 マンションに入ると管理人の本部がいた。

 彼は歳もとっているし男のわりには髪の毛を少し伸ばしている。ただ、やたら風格があるのは住人の共通認識であった。

 

「あれ、本部さん? なにやってるんですか?」

「お前を待っていた」

「俺?」

「ああ。今日お前の隣の部屋に新しい入居者がきたんでな。一応、前もって伝えようと思って待っていた」

「わかりました」

「何か困ったことがあったら助けてやれ」

「ええ、わかりました」

 

 伝手の紹介と言っても事実目の前に本人の了承を得て家賃を少しまけてもらっている恩もある。なにより、自分も若いころは他の住民に助けられたなと思いだし了承した。

 エレベーターに向かって自分が住む18階のボタンを押す。入口が閉まる直前本部が、

 

「お前も……彼女も、俺が守護らねば」

 

 その声は彼には届くことはなかった。

 

 チンと音が鳴りエレベーターが止まる。自分の部屋に向かって歩いて行く。すると一人の見覚えのある女性が目に映る。

 いやいや、そんな馬鹿な……と首を横にふる。

 そして、もう一度みる。その手には何やらお盆らしきものを持っていた。

 目頭を押さえる。

 

(頭が痛くなってきた……)

 

 どうみても服装からして普段の彼女が来ている服。見間違えることのないその銀色の髪。

 自分の部屋の前に立っているのは紛れもなく、四条貴音であった。

 

(……事務所に帰ろう)

 

 決意。右足を一歩後ろに向け、撤退しようとしたが遅かった。

 

「あら、あなた様ではありませんか。どこへ行かれるのですか? あなた様の部屋はここですのに」

 

 彼は諦め彼女の下へ歩いて行く。その足取りは重い。

 

「どうしてここにいる、なんでここにいる、どうして俺の部屋の前にいる。ついでにそれはなんだ」

「質問が滅茶苦茶です。まあ、答えは至ってしんぷるです。私があなた様の隣の部屋に引越してきた、それだけです。ついでにこれは引越し蕎麦です」

 

(そういうことか……)

 

 プロデューサーは少し前に事務所でのことを思い出した。あれは全部計算して行われたのだ。あの場で自分が来ることを前提に引越しの話をする。理由も理由だ。それに自分でこの場所を教えたのがそもそもの間違い。あの時点で貴音の勝利だったのだ。

 

「色々と考えていらっしゃると思いますが、誰かの視線を感じたというのは本当です。恐らく、ごしっぷ記者も含まれていると思いますが」

「……理由はわかった。だが、どうして俺の住んでるマンション……。いや、その理由を聞く権利は俺にはないな」

 

 アイドルとしてではなく、一人の女として行動した。理由はっきり言えば自分が関係している。ペンダントの時もそうだったし、あの時の返事もちゃんとしていないのだ。

 

「わかった。じゃあ、それは貰っていくからお前も部屋に帰れ」

「……一緒に食べるのではないのですか?」

「……」

「……」

 

 暫し、見詰め合う二人。折れたのは結局プロデューサーの方だった。鍵を開け、自分の部屋へと招いた。

 

 貴音はお邪魔しますと玄関で靴を脱ぎ、未知の領域へと一歩踏み出した。間取りは自分の部屋とはあまり変わっていない。

 一人暮らしと聞いていたので置いてあるものは少なかった。キッチンへと視線を向ける。意外と片付いており綺麗な状態だ。

 リビングへ来ると奥にテレビとテーブルが一つにソファーが一つ。普通だったらキッチンの前にもう一つテーブルと椅子があるのだろうが一人暮らしのため不要だったのだろう。

 意外とスペースは余っていた。

 

「ちょっと、電話してくるから待ってろ」

「はい」

 

 プロデューサーは荷物を置いて再び部屋の外へ出た。電話の相手は当然社長だ。

 何回かコールしたあと繋がった。

 

「あ、社長ですか。すみません、お疲れのところ」

『ああ、そろそろだと思っていたよ』

「え?」

『貴音君のことだろう? 彼女から話は聞いているよ』

 

 この人は何を言っているんだろう。つまり、グルだったのか。

 

「いや、いやいや! 流石に不味いでしょ!」

『君のいう事もわかる。だが一個人としては君にもそろそろ身を固めて欲しいと思っているし、貴音君もその気みたいだし構わないと思ってね』

「駄目でしょ」

『それに今はアイドルとそのプロデューサーが恋仲になるのは左程問題でもないのは君も知っているだろう』

 

 確かに知っていた。ある日を境にアイドルとそのプロデューサーが電撃結婚とかするのは最近ではよくある話だった。ただ、その時点でアイドル活動は不可能なり、引退ライブのあと歌手かタレント、専業主婦として新しい生活を送ることになる。

 これの意外なところがファンからの苦情とか批判があまりないことである。

 つまり、どうかしているのだ。

 

『私も今後の事を考えて営業車を一つ手配しようと思っている。その方が便利だろう』

 

 確かに一緒に住んでいるなら車があれば移動も楽だし、すぐに仕事場にも行ける。確かにそうなのだが……。

 

『社長として言えることがあるとすれば』

『すれば……?』

『流石に今はやめてくれよ? 今トップアイドルの四条貴音が引退というのは今後の765プロとしても……』

 

 さっき言った一個人と左程内容は変わらなかった。

 用はアイドルと恋仲になってもいいけどオイタはしないでね。そういうことだった。

 それから少し社長と話をして電話を切った。

 

「(もう)アカン」

 

 彼は諦めた。部屋に戻るとデーブルの上に引越し蕎麦を並べ、箸も用意している貴音がソファーに座って待っていた。

 

「終わりましたか?」

「ああ、終わったよ(色んな意味で)。あー、ビールビール」

 

 冷蔵庫からビールを取り出す。残りが一つだった。視線を下に向ける。潰されたダンボールしかなく買い置きはなかった。

 視線を戻す。一つだけしかないビールが俺を見つめてくるようだ。

 

 〈残念だったな。まあ、腹くくれよ。これから毎日一緒にいるってことは仕事の効率もあがるんだ。悪くないだろう? それに考えてみろよ。世間が騒ぎたてているアイドルが今、自分の部屋にいて飯も一緒に食えるんだ、最高だろう。ま、今は地獄かもしれんがその内天国に早変わりさ。さあ、今はそんなこよりも俺を飲んでみんな忘れちまえよ……〉

 

 酔ってもいないのに幻聴が聞こえ始めた。バンッと冷蔵庫の蓋を閉じる。

 そのまま貴音の隣に座る。いつもだったら横になってテレビをみるぐらいには幅があるこのソファーも何故か今は狭く感じる。

 

「お注ぎしましょうか?」

 

 笑顔でそういう素振りをしながら聞いてきた。瓶じゃないからいいと断る。

 蓋をあけ一口飲む。

 

(不味い……)

 

 ビールがこんなにも不味いと思うのは学生の頃、興味本位で初めてビールを飲んだ時以来だと思いだした。

 

「「いただきます」」

 

 そのあとは無言でただ蕎麦を食べているだけだった。

 蕎麦は美味かった。普通に。

 蕎麦を食べ終わったあと、貴音は自分の部屋へと帰っていた。

 プロデューサーは精神的疲労のあまりそのまま寝た。

 

 それから暫くして……。

 社長はもう一台営業車を用意。それをプロデューサーがメインで使うことを許可された。

 つまり、

 

「貴音、今日はこのまま収録現場までいくぞ」

「わかりました」

 

 またある時は、

 

「貴音、今日はこのまま直帰な。俺も今日の仕事は終わらしてあるから丁度いいしな」

「はい、お願いします」

 

 ということになった。

 確かに仕事の効率は上がった。

 プロデューサー本人も慣れてきたのか、それとも毒されたのかはわからないが、

 

「あなた様、朝ご飯の用意ができました」

「おう」

「あなた様、今日の夕飯はかれーを作ってみました」

「うん。うまいな、これ」

 

 貴音は通い妻と化していた。

 このことを知っているのは社長のみ。尚、内容は知らない。

 いつしかプロデューサーは、食事を作ってくれる貴音に申し訳がないと思い月々の食事代を渡した。また、玄関の前で待っていても困るので合鍵も渡していた。

 

 プロデューサーも最初の不安やら怒りなどとうに忘れ、一方貴音は毎日が楽しくて仕方がなく、日々笑顔で過ごしているという。

 

 余談ではあるがこの先。さらに一人増えることになろうとは、二人も思っていなかった。

 

 

 

 

 

 






プロデューサーは女性(アイドルが)を自宅に連れ込んで(合鍵で入ってきて)、その上金銭的取引(食事代を渡している)は不味いですよ!

恋愛要素ありなんでこんな感じでぐいぐい迫る貴音もアリかなと思って書きました。
もしタイトルをつけるならば

『プロデューサー危うし! 貴音、始動の巻』

でしょうかね。

次の幕間はプロローグでかいたカツラとか眼鏡とかの話も書こうと思ってます。


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第3話+第4話

 二〇一二年 五月某日

 

 その日、赤羽根はやよい、伊織、亜美、真美の四人を迎えに行って事務所に帰ってきた。

 彼らを事務員である小鳥が出迎えた。

 

「ただいま戻りました」

「赤羽根さん、お疲れです。どうでしたか?」

「特に問題なし。全員、オーディションに受かりました」

 

 内容は違うが四人とも無事に合格したことを聞いて小鳥は嬉しそうに言う。

 

「まあ、それはよかったですね!」

「当然でしょ」

 

 伊織が割って入ってきた。

 

「プロデューサーにも色々と教わっているし、これぐらいできて当然よ。アンタも少しは頑張んないさいよ」

「うぅ、その通りだ。けど、先輩ってすごいよな。どこへ行っても聞かれたよ、『今日はプロデューサーいないのか』って」

 

 どこへでもとは盛り過ぎなかと思ったが実際はそんなに変わらなかったことを思い出した。

 

「実際、プロデューサーさんはこの業界長いですから知らない人の方が少ないですよ?」

「小鳥さん、実際にプロデューサーさんってどのぐらい有名なんですか?」

 

 やよいが聞いた。それには他の子も赤羽根もうんうんと気になっている様子だ。

 

「どのぐらいっていうのも答え難いわね。どこへ行っても通用するぐらいには知られてるし、困ったときはプロデューサーに頼めって言われてるぐらいには有名、かな?」

「おおー流石はプロデューサーですな」

「兄ちゃんのハードルがバンバンあがるね!」

「やめろよ、気にしてるんだから」

「でも、アンタはこれからなんだから当然でしょ。だから、少しでも追いつけるように頑張りなさいよね」

 

 褒められて悪い気はしないなと思いつつも、

 

「ま、アイドルにこんなことを言われている内はまだまだね」

 

 あげて落とされて肩を落とした。

 すると事務所の入り口の前で律子が扉を開けてと叫んできた。扉を開けるとずらりと並んでいる衣装がかかっているパイプハンガーを押してきた。

 

「じゃーん、どう? 皆お揃いのステージ衣装よ!」

「お、完成したのか」

「ええ。プロデューサーさんと貴音が頑張ってくれているのでお金もこういう所に使えますしね!」

 

 彼女の目が一瞬〈¥〉〈¥〉こんな形をしていたように見えた。

 

「で、律子さん。改めてこれ用に宣材を撮るんですよね?」

「はい。プロデューサーさんとも話はしてあります」

「場所も俺がもう予約してあるから、レッスンに行ってる春香たちを拾って合流するか」

「お、兄ちゃん。手が早いね」

「まあ、先輩に言われてだけどな」

 

 そんなものですよと律子にフォローされる。彼女も同じ体験をしたことがあったからだ。

 

「じゃあ、私の方からプロデューサーさんに連絡しておきますから」

「それじゃあ音無さん、お願いします」

「私は春香達を拾ってきますから、赤羽根Pはやよい達と一緒に先に現場へお願いします」

「わかった」

 

 互いにやるべきことを確認し行動に移った。

 

 

 都内 某収録スタジオ

 

『お疲れ様でした』

 

 スタジオに出演者の声が響き渡る。今回貴音は準レギュラーとして出演している番組の収録に来ていて、それがいま終わった。

 正式にレギュラーとしてオファーは来ているが何分、アイドルのためレギュラーとして参加する番組は限られていた。

 共演した出演者、スタッフに挨拶をすまして自分の担当をしているプロデューサーの下へ歩いて行くと電話をしていた。こちらに気付くと手をあげているので貴音のことはわかっているようだ。

 

「わかった。態々ありがとう、小鳥ちゃん」

『いえ、それじゃお願いします』

「了解」

 

 会話が終わるのを待っていた貴音はどんな話をしていたのか聞いた。

 

「ああ、少し前に発注してた全員分の衣装が予定通りさっき届いたそうだ。で、これからそれ用の宣材を撮ることになってるから現地で集合ってわけだ」

「わかりました。すぐに用意してきます」

「頼む」

 

 楽屋に戻り身支度を済ませ、部屋の入口で待っているプロデューサーと共にテレビ局の駐車場へ向かう。

 その道中も挨拶をかかさず貴音は行っていた。最初と比べれば向こうから挨拶をされるぐらいには成長していた。

 駐車場にある営業車に乗り込みテレビ局を出た。向かうのはいつもお世話になっているスタジオだ。

 軽く変装をして助手席に座る貴音が嬉しそうに言った。

 

「皆と一緒にライブする日も近いですね」

「お前としてはやっとだからな。といってもそれは赤羽根次第、だがな」

「あなた様がやってもいいんですよ?」

「それじゃあ、あいつのためにならん」

 

 貴音の上目使いを使ったお願いは何度もされている内に慣れた。

 貴音はふうと溜息をついて、

 

「そうやって鞭を与えるのもいいですが飴もあげないと駄目ですよ?」

「飴ならもらえるさ。アイドルが活躍できればプロデューサーにとってはそれが飴だ」

「それでしたら、あなた様はたくさん飴を貰っている訳になりますね」

「そうか? むしろ別の意味で飴をあげているのは俺じゃないか?」

「あら、そういう事をおっしゃるのであれば……」

「あれば?」

 

 運転中のためちらりと横目に貴音をみる。

 

「煙草を取り上げますか……」

 

 なんと恐ろしいことを言うのだ。これでは逆らえない。

 

「わかった、わかった。降参だ。あと一本も今日は残してるのに、そんなことされた溜まったもんじゃない」

「いつのまに」

「収録が始まる前にスタッフさんらと一緒に」

「では確認を」

 

 そう言って貴音はプロデューサーが着ているスーツの胸ポケットから箱を取って中身を確認する。証言が間違っていないとわかるとまた元に戻した。

 一日に吸っていいのが三本と言われてからというもの、定期的に箱の中身を確認されている習慣が身についてしまった。

 最初はまあ不満もあったが、酒類は特に制限を受けてないので助かった。

 第三者からみたら可笑しいと言われるのだろうなとプロデューサーは思った。

 

「スタジオにつくまでまだ少しかかる。仮眠でもしとけ」

「そうですね。今日は少し、疲れました。では着いてたら起こしてください」

「ああ」

 

 今日のスケージュールは午前中が『お姫ちんのらぁめん道』の収録。午後にはとあるテレビ番組の収録。少しハードだった。とりあえずこのあとの宣材が終われば今日はもう終わりだ。

 プロデューサーは法定速度を守り、ゆっくりとスタジオへ向かった。

 

 

 都内 撮影スタジオ

 

 プロデューサーと貴音が宣材を撮るためのスタジオにつくと既に撮影が始められていた。

 貴音はそのまま衣装に着替えるために分かれ、プロデューサーは赤羽根と合流した。

 

「どうだ、様子は」

「あ、先輩。はい、今の所順調です」

「まあ、最初に比べればマシだな」

 

 撮影ブースの方に目をやると響と彼女のペットであるハムスターのハム蔵の撮影が行われていた。何枚か撮ると彼女はハム蔵となにやら話しているのがみえる。

 あのハム蔵は意外とやるとプロデューサーは評価をしていた。

 現に彼? アドバイスでやってみるとカメラマンはいい写真が撮れたのか驚いていた。

 

「そんなに酷かったんですか?」

「酷いというか、社長が本気でふざけてるとしか思えないのを撮ろうとしたからな」

 

 思い出しても酷いという感想しか出てこない。宣材だというのに変なのを撮ろうとするし、亜美と真美に至っては着ぐるみまで着だした。社長が本当にいいと思っていたのが頭を抱えた。

 

「本当にマシなったよ」

「あ、ははは……。ん、千早どうしたんだ?」

「実は――」

 

 すると撮影中だった千早がやってきた。なにやら困った顔をしていた。

 カメラマンに笑ってと指示を出されたのだがそれができなくて悩んでいると千早は言う。

 

「私、笑顔って苦手で」

「……」

 

 プロデューサーは特に何も言わず、赤羽根をみた。彼も最初の宣材の時似たようなことがあったのを思い出した。その時は、ちょっとしたアドバイスで事なきを得た。

 赤羽根がどういった解答をするか。それが、彼が何も言わない理由だ。

 

「そうだな……。じゃあ、無理して笑わなくていいんじゃないか?」

「え? でも、カメラマンさんは」

「確かに笑っている方が見る側も好印象に受け取るかもしれない。でも、無理に笑っている所を見てもそうは思わないだろう? だから……そうだな。こうキリッとした表情をしたり、目を閉じて髪をなでるような、なんていうかクールな感じでやってみたらどうだ」

「……クールですか。わかりました、やってみます」

 

 再び撮影を再開する。赤羽根の言っていた事を自分なりでやってみせる千早。

 カメラマンにもそれは受入られた。

 それをみて安堵する赤羽根にプロデューサーが声をかけた。

 

「いい感じだったぞ」

「そう、ですか? 自分なりに思ったことを言ってみた感じなんですけど」

「それは悪いことじゃないさ。ただ、時にそれが常に良いことに転がるとは限らないことを覚えておけばいい」

「悪いことですか?」

 

 無言で頷き、彼女達の撮影を見ながら続けて話した。

 

「あの子達を傷つけてしまうこともあるってことだ。さっきみたいに良いこともあれば悪いことにもなる。プロデューサーは、いやどこに行ってもそうだが信用を失ったら終わりだ。わかるだろ?」

「はい」

 

 赤羽根も一人の大人として、社会人としてその言葉は重々承知しているつもりだった。しかし、改めて言われると再度その言葉の重さと意味を理解した。

 この業界に入ってまだ日は浅いが、相手先から信用を失えばそれが今後の活動に影響がでる。なによりも、アイドルである彼女達にもそれは同じことだ。

 そして、自分はまだ彼女達から信頼はされていないだろう。当然だと思った。

 けど、まずは信用されなければと奮い立つ。隣にいる彼のようにと赤羽根は新たに目標を見出す。

 

「俺、彼女達から信頼を得られますかね」

「できるさ」

 

 まさかそんな言葉が出るとは思っていなかったので赤羽根は思わず彼の方に振り向いた。

 

「だって、お前。口が達者そうだからな。すぐに信用は得られるさ」

「先輩……そこはコミュニケーションって言ってくださいよー」

「ま、頼れるお兄さんを目指して頑張るんだな」

「お兄さんじゃなくてプロデューサーがいいです」

「それはお前次第だよ。女ってのは扱いが大変だからな。それにデリケートだ。なにせ、何気ない一言で色々と――」

 

 すると丁度その瞬間に後ろから衣装に着替えた貴音が声をかけてやってきた。

 

「色々と、なんですか?」

「うお! ……貴音か、ビックリしたよ」

「あら、それは失礼しました。で、プロデューサー? 色々と、なんです?」

「……色々と日々勉強をさせてもらっるって話だ」

「そうですか。では、次は私の番ですので」

「おう、いってこい」

 

 まるで蚊帳の外だと赤羽根は思いつつ、貴音が去ったのを確認して声をかけた。

 

「先輩……」

「言うな、俺も頭を抱えてるんだ」

 

 そんな憧れの先輩をみながら赤羽根は言った。

 

「俺、少し自分がやっていけるか不安になりました」

「大丈夫だ。アレが例外なだけだ。お前には頑張って貰わないと困る。ああ、困るとも」

「先輩って尻に敷かれるタイプですか?」

「俺はお前がそうなりそうにみえる」

 

 いやそれはない。赤羽根は口に出さなかった。経験がないとは言わないが、自分はそっちのタイプではないと思う。自分より年上の先輩はどちらかと言うと逆かなと思っていたが先程のやり取りをみたらそう思わざるを得ない気がした。

 赤羽根はふと、

 

(なんだろう、この会話も貴音には聞こえてる気がする)

 

 寒気がした。

 そんな彼の隣でプロデューサーが逃げるように言った。

 

「煙草吸ってくるからあとは頼んだ。すぐに戻ってくる」

「あ、わかりました」

 

 プロデューサーは何か再び言われる前に今日の最後の一本を吸いにこの場から逃げ出した。

 スタジオから出て喫煙所に向かう彼を見て、

 

「終わるころに戻ってくるんだろうなあ」

 

 撮影終了後、彼の言葉は的中した。

 結果、滞りなく終わったがプロデューサーと貴音の小さな戦いは再び開戦の火ぶたを切った。

 

 

 

 

 二〇一三年 七月某日 765プロ 正面前 午後十三時過ぎ

 

 765プロの前を走る道路の脇に一台の大型のワゴン車が止まっていた。すでに中には765プロ所属のアイドル達が乗り込んでいた。運転手に赤羽根、補佐が律子といった形だ。この中で一番の年長者である赤羽根は当然の役目であった。

 外には彼女達を見送るために社長、小鳥、プロデューサー。そして、唯一の居残り組アイドルの貴音がいた。

 

 今から彼女達はとある村の夏祭りのイベントに参加する。勿論、仕事だ。それも赤羽根がとってきた仕事でもある。

 ライブと知ってはしゃぐ彼女達を見て、内容を知る大人組は少し罪悪感があったが。それでも、彼女達にとっては仕事でもあり、久しぶりのライブでもあった。

 開催は土曜日である明日。プロデューサーと貴音の活躍のおかげで予算もあり、前日入りすることができた。今日は金曜日で学生組は早退ということになっている。一部は喜んでいたが。

 

 その貴音は明日も仕事が当然のように入っているため、参加することできなかった。

 プロデューサーもなんとかしてやりたかったが、人気番組の地方ロケに参加しなくていけなかった。

 貴音は窓から乗り出している響と亜美、真美と話していた。

 

「貴音、お土産ちゃんと持ってくるからな!」

「響、そんなに気をつかわなくても大丈夫ですよ」

「お姫ちんも残念だったね」

「でも、しょうがないよ」

「私の分も楽しんできてくれればそれが一番のお土産です」

「雪歩、大丈夫か?」

「は、はい……たぶん」

 

 そんな彼女達の横でプロデューサーは雪歩と話していた。

 雪歩は男性が苦手である。そのためプロデューサーが少しずつではあるがそれを治そうと努力していた。最近では赤羽根も加わっていた。しかし、まだ完全には治っていない。

 プロデューサーは少しひきつった笑顔をしてふうと息を吐いた。

 彼は雪歩の隣にいる春香と真に後を頼んだ。

 

「春香、真。雪歩のフォローをしてやってくれ」

「はい」

「なんとか頑張ってみます」

「頼んだ」

 

 そう言ってプロデューサーは運転手席に座って待っている赤羽根に耳元で声をかけた。

 

「赤羽根、雪歩のこと頼んだぞ」

「はい。俺もできるだけ目を離さないようにします」

「頑張れよ、プロデューサー」

 

 ポンと彼の肩を叩いてプロデューサーは車から離れた。

 

「じゃあ、皆気を付けて頑張ってくるんだぞ!」

「頑張ってねー」

 

 社長と小鳥の応援とプロデューサーと貴音に手を振られながらバスは目的へと向かった。

 バスが見えなくなり、残された四人は事務所の中へ戻った。

 小鳥が淹れたお茶を飲みつつ四人でお茶会をしていた。といっても、内容はやはり彼女達が不安で仕方がなくその話題であった。

 

「いやぁ、大丈夫かね。あの子達は」

「心配のし過ぎですよ、社長。たまには信じて待つのも大事な仕事ですよ?」

「そうかね?」

「そうですよ。ね、プロデューサーさん?」

 

 まるで娘が遠くの大学に行ってしまって心配な父親とそれを宥める母親のようにみえた。

 それをみて苦笑しながらプロデューサーは答えた。

 

「大丈夫ですよ。仕事内容については問題ありません。ただ、地元の人達をどうやって虜にするかが大変なだけです」

 

 実際、地方の祭りなどでアイドルが来てくれてライブをするというのはここ最近珍しくはない。ただ、どれだけの人が興味を持って見てきてくれるかが難題である。

 それに今回は本当に村の祭りなので規模は小さい。それでも、赤羽根が初めて取ってきた仕事でもあるし彼女達にとってもいい経験である。

 

「小さな会場で少しずつファンを増やすのが普通なんですから。成功したら彼女達に村全員がファンになってくれると思えばいいんですよ」

「そう言われると、私は普通ではない言い方に聞こえるのですが?」

 

 横に座る貴音が割って入った。

 

「そりゃあ、お前は俺が直接プロデュースしてるんだから、普通じゃないのは当たり前だ」

「ええ、わかっております。なんといってもあなた様、ですからね」

「なんだ、わかってるじゃないか」

「もう慣れました」

「本当、仲がいいですよね」

「仲良きことは美しき哉、だなあ」

 

 小鳥と社長は仲睦まじい二人をみて何度も言っているような気がする感想を述べた。

 それに反応してプロデューサーが首を傾げながら言った。

 

「そうですか?」

「そうですよ」

 

 答えたのは貴音であった。貴音の方を向くとお茶を飲み、ほっと満足したげな顔をしていた。

 

「まあ、あとは赤羽根と律子に任せましょう。特に赤羽根にはいい経験になるでしょうし」

「そうだね。彼女達もミニライブや他の仕事などで大分慣れてきているしね」

「それにネットでも宣伝はしてありますから、もしかしたらファンの方が来てくれたりして」

 

 貴音の飛躍的な活躍によりかなり前から765プロの公式HPが作成されている。貴音個人のブログもある(プロデューサーが管理している)。アイドル紹介として全員のプロフィールもあるし、貴音目的で見に来たファンが一人でも他の子に注目してくれたなら御の字だ。

 明日のイベントのことも活動報告という形で記載してある。

 

「今は考えてもしょうがないですよ。明日の吉報を待ちましょう」

 

 プロデューサーは既に成功すると確信しているかのように言った。その顔は至って真剣だった。

 

 

 同日 プロデューサーの部屋

 

 

「お、そうか。明日の報告を待ってるよ。ああ、お休み」

 

 赤羽根との電話を切り、手に持っていたビールを飲むプロデューサー。彼の隣にジュースが入ったコップを持って貴音がやってきた。

 

「赤羽根殿ですか?」

「ああ。寝る前に電話してきた。ステージ等の準備も完了。あとは明日のライブだけだ」

「それは良い報告です。ところで、雪歩はどうですか?」

「ああ、雪歩な」

 

 彼の口調は歯切れが悪かった。

 

「やっぱり、駄目だった。けど、そこまで酷いもんじゃないとは言っていた」

「特訓の成果がでましたね」

「どちからと言えば、お前のおかげだと思うがな」

 

 プロデューサーは貴音にそう言いながらその時のことを思い出した。

 

 

 それはまだ一月の頃だ。二月にCDデビューをするにあたってまた、仕事もするようになった頃。プロデューサーは雪歩がなんとか男慣れできるように特訓を始めていた。

 最初はかなり苦戦していた。ただでさえプロデューサーの身長は180cmを超えており、真っ黒な色をしたレンズではないとはいえ、サングラスをかけているその姿は誰がどうみても怖い。

 その対策として、ド○キーで買ってきた大仏のマスクをして対応にでた。直接彼の顔をみなくて済んだのか雪歩も机一つ分の距離で話すことができた。

 というよりも怖いというより、大仏のマスクの下がスーツなのが可笑しかったのか、雪歩は笑っていた。

 そして、今日も彼女の特訓が開始された。

 

「で、改めて確認だ。雪歩が苦手な男性を言うぞ。まず、子供は平気だな」

「はい」

「同年代の子は?」

「苦手です」

「じゃあ、俺みたいな年代は?」

「もっと駄目です」

「あと社長は?」

「……たぶん平気です」

 

 ふむと頷いた。苦手な部分がハッキリしていていいのだが、いかんせんその部分がとても大事かつ厄介なところだった。

 他の例で言うなら自分の父親やその親戚などはなんとか大丈夫らしいのだが。とてもこの芸能業界で生き抜いていくには辛すぎる。

 

「雪歩何度も言うようだが、仕事は勿論のことその関係上多くのスタッフやお偉いさんと接する機会が多い」

「はい……それはわかってるんですけど。けど、怖いんです!」

 

(今回ばかりは親父さんを怨みたくなってきたぞ……)

 

 雪歩が何故、男性が苦手なのか。それは彼女の父親に問題があった。理由は至って簡単。娘が可愛すぎて、溺愛すぎて他の男を寄せ付けなかった。とのことだ。

 幸い、全部の男が苦手じゃないのが唯一の救い。

 

(ていうか順一朗さん、よく親父さん説得できたな)

 

 改めて会長の凄さを身をもって知った。

 彼が頭を抱えている中、貴音がやってきたいつもより真剣な眼差しで雪歩に言った。

 

「萩原雪歩」

「し、四条さん?」

「貴音?」

 

 プロデューサーは驚いていた。普段は雪歩と呼んでいるのにフルネームで呼んでいたからだ。貴音は何か大事な場面では人の名前をフルネームで呼ぶことを、この時初めてプロデューサーも知った。

 

「人には苦手なモノは確かにあります。確かに人によっては克服できる人とできない人もいます」

「……」

「プロデューサーも言っているように、この業界は男性の方と接する機会のが多い。あなたの気持ちもわかります。ですが――」

「萩原雪歩、逃げてはいけません」

「逃げる……?」

「はい。苦手だと言うのは仕方がありません。そう言うのも構いません。ですが、初めから逃げてはいけません。例え数十センチの距離でも少しずつ縮める勇気を持ちなさい。少しでも歩み寄るための一歩を踏み出しなさい」

「四条さん……」

 

 雪歩は貴音の言葉に何か感じるものがあったのか自分の手を見ていた。

 貴音はそれをみて雪歩の手とプロデューサーの手を取った。

 

「ですからまずは握手といきましょう」

「え、ええ!!」

「そうだな」

 

 プロデューサーは貴音の意見に賛成だった。雪歩も声のわりには嫌がってはいなかった。

 プロデューサーはそのまま手を差し出し、彼女を待つ。

 

「……ん!」

 

 決心したのかゆっくりと彼の大きな手に触れる。一瞬離そうとするような仕草をみせたが、彼の手を慎重に握った。

 それをみてプロデューサーと貴音が褒めた。

 

「頑張ったな、雪歩」

「まずは一歩です、雪歩」

「……はい!」

 

 特訓を始めて一週間。あまり時間を割けなかったとはいえ長かった。

 

「では、次は素顔のプロデューサーと握手しましょう」

 

 そう言って被っている大仏のマスクをとる貴音。雪歩の視線に素顔が露わになったプロデューサーが写る。

 声をあげると思ったが意外にもそれはなかった。

 

「雪歩、平気なのか?」

「え! あ……その、プロデューサーの顔を初めてみたから」

「そうでしたか? でも、なぜ平気なのですか?」

 

 とった本人が言う台詞でないとプロデューサーは思った。

 

「プロデューサーの目、可愛いなって……」

「は?」

「ほう」

 

 彼女の口から思いもよらぬ台詞が出たのはあまりにも衝撃だった。

 その後、赤羽根もこの特訓に参加。プロデューサーと違って赤羽根は時間があまり少なかったが隣に立つことぐらいには進歩した。

 

「で、あのマスク。お前が持ってたのか」

 

 語っている最中突然自分の部屋に戻ったらと思ったら、貴音がその時の大仏のマスクを被ってやってきてその感想を求めてきた。

 

「ふむ、どうですか?」

「どうですかって、似合ってない」

「そうですか」

 

 そう言っても脱ぐ気配はなかった。

 もしかしてと思って彼は聞いた。

 

「なんだ、気に入ったのか?」

「被り物とは中々面白いです」

「そうか……」

 

 掴みどころ無いと言うか、突然何かに興味を持ってしまう彼女をみてふっと笑った。

 立ち上がって彼女が飲んでいたコップを持って告げた。

 

「さて、もう戻れ。明日は朝一番の新幹線で移動だ」

「観光なども少しはできるのですか?」

 

 明日のスケジュールを思い出す。収録開始はお昼過ぎからだった。現地で集合の手筈になっているので時間までに間に合えば確かに観光もできるなと思い、

 

「そうだな……たぶんできるな」

「では、しっかりと英気を養うとしましょう」

 

 欲望に正直なやつと言って笑った。

 

「朝からちゃんと変装しておけよ。目に付くからな」

「わかっております。ではおやすみなさい、あなた様」

「お休み、貴音」

 

 毎日の習慣となったこのやり取りをして一日が終わるのであった。

 

 

 

 翌日 ミニライブから帰宅後

 

 赤羽根は全員が帰るのを確認して一息ついていた。

 最初は皆から不安もあったがミニライブは大成功。最後は村の人達からも大絶賛だった。何よりにも驚いたのが少数であるが彼女達のファンと思われる人達が訪れたことだ。

 これには彼女達も喜んでいた。先輩が言っていたがもしかしたらが現実になった。

 それと、誤算であったのが雪歩は犬も苦手だったということか。

 あと、お土産を買い忘れたことを思い出した

 

「寝てたからなあ、起こしてくれたって……あ」

 

 自分の机にお土産袋が置いてあった。中にはびわ漬けが入っていてすると手紙が入っているのに気付く。

 相手は雪歩からだ。

 それに感謝の気持ちとこれからも頑張ると言った内容が書かれていた。それを呼んで微笑む赤羽根。

 すると、いきなり目の前に現れたプロデューサーに声をかけられた。

 

「ん~? アイドルからラブレターか?」

「せ、先輩! い、いつからそこに?!」

「お前がラブレターを呼んでニヤついている頃から」

「最初からじゃないですか! まあ、ニヤついてたのは認めますけど……」

「で、誰からなんだ。ん?」

 

 プロデューサーは自分の椅子に座り、面白そうに赤羽根を見た。

 

「雪歩からです」

「ほう、なんだかんだ上手くいったみたいだな」

「はい。それと先輩、雪歩のやつ犬が苦手だって聞いてないですよ」

「あれ、言ってなかったか俺?」

「言ってないです。まあ、なんとかなりましたけど」

「ならいいじゃないか。いい感じに互いに成長し合ってて俺は嬉しいよ」

「はい。それとですね――」

 

 それから赤羽根は今日あったことを彼に話した。プロデューサーも彼の話を嬉しそうに聞いていた。ふと、あることを思い出して、

 

「あと美希の奴はすごいですね。最初全然盛り上がらなくて、そしたら美希が盛り上げてくれて」

「ああ、あいつは特別(スペシャル)だからな」

「特別?」

「その内、お前にもわかるさ」

 

 プロデューサーは語らなかった。しばらくして、その意味を赤羽根は身を持って知ることになる。

 

「さて、お前もこれで帰るだろ? どっか寄ってくか。後輩の初仕事を祝って奢ってやろう」

「本当ですか!?」

「ああ。それと……」

 

 一度振り向いてプロデューサーは自分の頬を指しながら、

 

「それ、ちゃんと落していけよ」

「え?」

 

 鏡を見て自分の頬に落書きをされているのに気付いた。

 犯人はわかっている。

 

「亜美と真美だな……」

「早くしろよー」

 

 そう言ってプロデューサーは事務所から出て行った。

 彼はコンクリートの天井をみながら、

 

(さて、どうなることやら)

 

 神のみぞ知ると言ったところかと思いながら赤羽根を待つ。

 彼が来たのはそれから数分後に赤羽根はやってきた。

 落書きされた頬が赤く染まっているのをみてプロデューサーは一人笑っていた。

 

 

 

 

 

 




あとがきという名の設定補足~

といっても今回はオリジナル要素ないんですけど。

今回はアニマス二話と三話を一緒に載せました。二話の部分がかなり短かったので一緒にしたんですけどね。

今回のようにアニマスであったことは一部を除きほとんどが回想かプロデューサーに話す形になると思います。よって一部の話は一つ一つが短いので一緒にすると思います。
あと注意事項にも書きましたが、省く話もあると思いますのでご了承ください。

あとこれ設定補足? ネタバレ? になるかはわからないんですが個人的には問題ないので書きます。

プロデューサーがいることによってアニマス本編との差
二話 宣材がちゃんとしている。
三話 イベントに前日入りしていて、雪歩が男性に少し慣れている。

大雑把に書けばこんな感じです。

あと全然描写していませんがアニマスであったホワイトボードに書かれたスケジュール表。
本作品では、上半分が貴音だとするとずらりと予定が書かれていて、下半分が他のアイドル。今回の話の時点では本家より少し多いぐらいとおもっていただければいいと思います。

あくまでもプロデューサーは貴音メインのプロデュースなのでこうなります。
例で言うなら竜宮小町が仕事を始めた頃と春香達のスケジュールみたいな感じ。




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第5話

二〇一三年 七月某日 765プロ 事務所内

 

「ん~、皆大丈夫かね。貴音君はいいとして他の子は初めてのテレビ出演だし……」

 

765プロにあるテレビの前で一人の男が行ったり来たりと同じことを繰り返していた。男はここ、765プロの社長である。そんな彼を近くで座っていた事務員の小鳥が呆れて注意した。

 

「社長、いい加減にしてくださいよ」

「そうですよ、社長。それにプロデューサーさんも付いてますし、赤羽根Pのフォローもしてくれますよ」

 

律子も小鳥のあとに続いて社長に言った。

 

「そ、そうかね? あ、音無君。録画は高画質で頼むよ」

「わかってます」

 

こんなにも社長が慌てふためいているのには理由があった。

それは赤羽根がとってきた初のテレビ出演の仕事が今から生放送で始まるためだ。

出演するのは春香、千早、響、貴音の四人。

貴音も他の仲間と一緒に仕事するのが嬉しそうにしていたのを三人もわかっていた。

 

「あ、番宣始まりましたよ」

「おお!」

 

そこにはカエルの着ぐるみを来た四人が写っていた。表情が別々で特定できるのはリボンをしているのが春香。女王をイメージしたのか小さい王冠をしているのは貴音だろうということは三人にもわかった。

 

『ゲロゲロキッチン、ニュースのあとに始まるゲーロ!』

『『ゲロゲーロ!』』

『げろっぱ!』

 

そしてすぐにCMが切り替わった。

それを見て律子が言った。

 

「千早大丈夫かしら……。最初の予定だと歌わせてもらう話だと聞いてましたけど」

「急遽変更になったみたいですね。千早ちゃん、それを聞いてかなりショックみたいでしたから」

「あの子、歌だけに拘ってるから。あまり乗り気じゃないでしょうね」

「それでもだ。きっとなんとかやってみせるさ」

 

社長の言葉に頷く二人。

 

「まずは実際に見てから考えようじゃないか」

 

三人は未だCMが続いているテレビをじっと見つめた。

 

 

同時刻 ゲロゲロキッチン 収録スタジオ

 

「はい、じゃあこのあとすぐ本番ね! プロデューサーさんもよろしく頼むよ!」

「はい、本日はお願いいたします」

「お願いします」

 

番宣終了後、スタッフと共に去っていくディレクターを見送りながら挨拶をする二人。

すぐさまプロデューサーは春香達の方を向いて言った。

 

「じゃあ、すぐに次の収録用の衣装に着替えるんだ」

『はい!』

 

そう言って貴音に視線を向けるプロデューサー。貴音もその意味を理解したのか、先導して春香達を連れて行った。

初めての収録で緊張しているのはアイドルだけではなく赤羽根も同じだった。

プロデューサーは歩きながら赤羽根にアドバイスをしていた。

 

「いいか、こういった番組だとすぐに着替えないと大変だからそこらへんは注意しとけ」

「はい、わかりました」

 

赤羽根は自分で買った手帳に言われたこと、気になったことを簡単にわかるように書いていた。それを見てプロデューサーも昔の自分と重ねたのか何やら懐かしく感じていた。

 

一方、用意された部屋で春香達は貴音に言われて着替えを始めていた。

春香が着替えながら貴音に聞いた。

 

「やっぱり、貴音さんもこういう経験あったんですか?」

「いえ、それに近いモノはありましたが……まさかこのような面妖なモノを着るとは思ってもいませんでしたので」

 

そう言いつつも、鏡の前でポーズを決めている貴音を見て一番に着替えを終わった響が言った。

 

「貴音、まだ着替えないのか?」

「ええ、私は最後で大丈夫です」

「でも、四条さん」

 

次に着替え終わった千早が聞いた。

 

「なんですか?」

「それ、気に入ったの?」

 

鏡から彼女達の方へ振り向いて、

 

「げろっぱ」

『(やっぱり、気に入ったんだ。それ)』

 

彼女達から着替えている部屋の前で二人はディレクターから説明を受けていた。

 

「まあ、四条さんは良いとして。他の新人さんに求めてるのはさ、こうガーッときて、グーとなって、バーンってなる感じなのよ。隣の新人君はともかく、プロデューサーさんはわかってるでしょ?」

「ええ、わかってますよ」

「……」

 

赤羽根は営業スマイルを絶やさずディレクターの言っていることに応えている先輩に疑問を抱いた。

 

(本当に先輩は理解しているのか? 俺はさっぱりだ……)

 

擬音ばかり使った表現に困惑する赤羽根。

 

「それじゃ、よろしく~」

「「はい」」

 

ディレクターが去るのを確認するとプロデューサーから笑顔が消え、いつものまるで映画に出てきそうな未来からやってきたサイボーグみたいに冷徹になり、すぐに愚痴を零しながら壁に向かって蹴りを一回入れた。

 

「いい年したおっさんが擬音語で説明なんかすんな!」

「ですよね……」

「まあ、言ってることはわかったが」

「わかったんですか?! あれで?!」

「ん? ああ、つまりな。新人だからこう派手に面白おかしくやってくれってことだよ。簡単に言えば、面白い絵が撮りたいってところだろ」

 

そう言われ赤羽根もあの意味を理解した。

プロデューサーは腕時計をみて時間を確認した。そろそろかと思って彼女達の控室の扉をノックして入る。

貴音を除く三人はすでに着替えていた。春香と千早は料理人が着ているようなやつのスカートバージョン。一方、響はメイド服。そして、貴音は未だにカエルの着ぐるみを着ていた。それを見てプロデューサーは呆れながら言った。

 

「貴音……」

「ぷ、プロデューサーさん? 私達も着替えた方がいいって言ったんですけど……」

 

春香が申し訳なそうに説明した。彼の後ろから覗いていた赤羽根も呆れた顔をしていた。すると後ろからスタッフが声をかけてきた。

 

「すみません。そろそろ準備お願いしまーす」

「あ、はい。先輩……」

「はあ、貴音。そろそろ切り替えろ、仕事の時間だ」

「まだ焦らずとも大丈夫ですよ。今から着替えますので、少々お待ちください」

「はいよ。じゃあ、赤羽根。三人を連れて先にスタジオにいってろ。俺は貴音が準備出来次第いくから」

「わかりました」

 

赤羽根の先導に三人はスタジオへと向かった。残ったプロデューサーは入口の壁にもたれ掛り貴音が着替え終わるのを待っていた。

待ってからものの数分で貴音は控室から出てきた。それを見て、

 

「あいつらより先輩なんだから、もう少し余裕があるところを見せて安心させたらどうだ?

「あら、余裕があるからこうしているのですが……」

 

それもそうだと思った。

まあ、こういった仕事に慣れてきている証拠かと勝手に納得した。

スタジオに向かう道中、彼は貴音に説明をしていた。番組の内容もそうだが、できれば他の三人のフォローをしてやれと。貴音はもちろんですと答えた。

 

スタジオに全員集合し、改めてディレクターから擬音を使った説明を受けて困惑する三人。貴音は先程説明を受けたのでだいたいの内容は把握していた。

そんな三人に赤羽根がプロデューサーから言われたことを自分なりに説明した。三人はそれでやっと理解した。

そして、本番が開始された。

 

「さあ、今週もやってきましたゲロゲロキッチン! 今回のゲストは……四条貴音とそのアイドル、765プロダクションの皆さんだケロ!」

 

一番貴音の名が売れているため彼女だけが名前を呼ばれた。しょうがないと思いつつも番組は進む。

ゲロゲロキッチンは二チームに分かれての料理対決番組。目玉と言えるかは疑問だが、ビーチフラッグタイムと言われるボーナスステージがある。代表二人が走って発泡スチロールがばらまかれているところにあるフラッグを先にとって宣言したチームにボーナス食材が支給される。負けたチームも貰えるがグレートは低い。

 

「ではまず最初のビーチフラッグタイム! よーい……」

 

ピーとホイッスルの合図とともに千早、響が走り出す。両者は互角。最初にフラッグを手にしたのは響だ。

 

「取ったゲロー!!」

「ぺっ、ぺっ……!」

 

四つん這いになっている千早の後ろからカメラマンがやけにカメラの位置を下げて千早を撮っていた。それをみて千早は凄く怒った表情をしたが声には出さなかった。

当然、それを目撃した赤羽根はスタッフに聞こえない声で、先輩であるプロデューサーに指示を仰いだ。

 

「先輩、いいんですかアレ」

「よくねぇよ。いいか、赤羽根。今は貴音がいや、俺がいるからいいが、今後お前が発言に力を持てるぐらいに成長したら言っても構わん」

 

正直に言えばああいった行動をとるカメラマン、というよりテレビ局自体のグレートが低いとプロデューサーは思っている。ああいったモノを撮って視聴率をとりたいと言っているようなものだった。

 

「とりあえず、今はいい。また同じことをしでかしたら俺が動く」

「わかりました」

 

こういう時の先輩は凄くカッコイイ、そして頼りになると赤羽根は思った。自分もこれぐらいできるようになりたいと憧れた。

 

その頃、番組は調理タイムに入っていた。

司会を務める某漫画の犯人みたいに全身を黒い衣装で身を包み、その手にカエルのパペットを使ってアイドル達に語りかけていた。

まずは響と貴音のチームだった。

響は先程手に入れたボーナス食材の伊勢エビを手に、

 

「よーし、自分はこの伊勢エビを使って――」

「おっと、我那覇選手。皆まで言うな。それは最後のお楽しみだゲロ」

「む、そうか」

 

今度は貴音の方にカメラと共に移動する。おそらく中の人が貴音に抱いていた印象をカエル風に言いだした。

 

「いやあ、四条選手は食べる専門かと思ったゲロ」

「意外でしたか?」

「だっていつも食べてばかりな気がするゲロ!」

「あら、目の前に丁度いい食材がありますね……そうです。カエルのから揚げなんていかがでしょう?」

「そ、それは勘弁してゲロ~!」

 

ふふっと笑いながら包丁を手にしてカメラ目線で話す貴音を見て、三人は驚きつつも流石だなと思った。

赤羽根も一人暮らしだとは聞いていたが、その手際が響や春香と同じように手馴れているのをみて彼女が料理上手だということを初めて知った。赤羽根は気になって隣にいるプロデューサーに聞いた。

 

「貴音って意外と手際がいいんですね、意外でした。先輩は知ってたんですか?」

 

赤羽根に問われ、なにやら困ったような何とも言えない表情をして、歯切れが悪そうに言った。

 

「まあな。最近、貴音のやつ料理に凝ってるんだ……と」

 

まるでいつも作ってもらっている言い方をしそうになり内心慌てた。隣にいる赤羽根は特に気にもせずと相槌を打った。

 

(ほっ……)

 

彼は安堵した。

なにせ言えるわけがない。目の前にいるアイドルが自分の隣の部屋にいて、最近は毎朝ご飯を用意してくれると口が裂けても言えない。

 

(夕飯もかなり凝りだしたモノを作り始めてんだよな。別にそんなに手間かけなくても……)

 

流石のプロデューサーもそんなことを言えば、誰であろうと怒られると思うので口には出していない。

 

(いかん、仕事に集中、集中)

 

頭を切り替えて再び目の前の撮影を見守る。すると、危惧していたことが起きて頭を抱えた。

 

「……あちゃー」

 

カエルが千早のところでトークを始めたのだが、彼女の対応の悪さで駄目だしされる。

すると今度は春香が鍋を開けようとしたら何故かタコが入っていてそれに驚き尻もちをついた。

赤羽根もそれをみて声をあげた。また、カメラマンが如何わしい行為をしたからだ。

いくら加入者が少ないケーブルテレビとはいえ、流石にアイドルのああいったモノが流れるのは見過ごせなかった。

 

「先輩!」

「落ち着け。あとで俺がディレクターに――」

『一体、何が面白いんですか?!』

『……あ』

 

静寂。コンロにある鍋が噴きだした音が響く。近くにいたスタッフがそれを消した。

そのあと料理は完成し、前半の部の収録が終わった。しばらく他のコーナーが始まるので少し休憩が入った。

プロデューサーはディレクターの下へお話に出向き、赤羽根は千早のフォローに入った。

 

「千早、大丈夫か?」

「赤羽根P……大丈夫です」

「そんな顔をして大丈夫って言われても納得できないぞ」

「……」

「やっぱり、歌が歌えなくなったからか?」

 

暗い表情で千早は頷いた。それを見て赤羽根は、

 

「もしかしたら今回の仕事でそういった仕事も回ってくるかもしれない。俺も頑張って歌関係の仕事を取ってくるし――」

「そうでしょうか」

 

赤羽根が言い切る前に千早が割って入った。先程よりも暗い顔をしながら言った。

 

「これが、歌の仕事に繋がるとは思えません……」

 

立ち去る彼女を赤羽根は止めることができなかった。

 

少し経って――

 

(やっぱり駄目だ。ちゃんと話さなきゃ)

 

赤羽根は先程の千早とのやり取りを思い出した。こういった番組でも歌えると信じていた千早を裏切ったのは自分だと言い聞かせた。

謝ろう――しかし、仕事はこなして貰わなければこの先、歌番組の仕事すら取れなくなってしまう。

 

――信用を失ったら終わりだ。

 

先輩の言葉を思い出す。

アイドルにしても、仕事先の相手にも信用を失ったら駄目だ。

赤羽根は千早を探すために歩き回った。

あちこち探し回る。

自販機の前で春香と響が台本を確認していた。二人に聞くと、

 

「控室にいませんでしたか?」

「ありがとう」

 

今度は控室へ。ゆっくりと千早の名前を呼びながら開ける。

そこにはプロデューサーと貴音がいた。

貴音はカエルの着ぐるみの頭の部分だけ被っていた。プロデューサーはその隣で椅子に座りながらスマホのカメラでカシャカシャと写真を撮っていた。

 

「やっぱ気に入ったんだろ」

「げろっぱ」

「まあ、試に交渉を……ん? ああ、赤羽根か。どうした?」

「い、いえ。千早を見ませんでしたか?」

「いや、見てない。俺も一緒に探そう。伝えたいこともあったしな」

 

プロデューサーは立ち上がり、赤羽根と一緒に部屋を出る。扉を閉める直前に貴音に振り返って、

 

「貴音、春香と響にさっきのこと伝えておいてくれ」

「わりましたケロ」

「頼んだぞ」

 

特に反応もせず扉を閉めた。

二人はそのあとテレビ局を探し回った。中々見つからず、テレビ局の資材搬入口と思われるところに辿りついた。重い扉を二人で押して開ける。

すると遠くから声が聞こえる。

 

「先輩」

「ああ」

 

二人は静かに物音をできるだけたてないように歩いた。角を曲がるとそこには〈青い鳥〉を歌っている千早がそこにいた。

素晴らしい歌声だと赤羽根は思った。

 

(だからこそ、千早は……)

 

千早が歌に拘る理由、それはまだわからない。けど、彼女が歌に対してとても真剣な気持で歌っているのだと心で感じた。

 

それから彼女が歌い終わるまで二人は静かに聞いていた。千早もそれに気付いたのは歌い終わって、プロデューサーが拍手をしてからやっと気付いた。

 

「お二人とも……。すみません、勝手に抜け出して」

「それはいいよ。千早は本当に歌が好きなんだな。俺、そんな千早の気持ちを知らないで軽はずみなことばかり言って……謝るのは俺の方だ」

「違うんです。私もそれはわかっいてます。赤羽根Pが頑張っているのは……でも、やっぱり歌が……私は歌を歌いたいんです」

「千早……」

(俺、邪魔だな……)

 

二人の輪に入るタイミングを失ったプロデューサー。このまま去ろうかと思ったが伝えなければならないこともあったし、なにより後輩に花を持たせてやりたいと思っていた。

コホンと咳払いをして、

 

「まあ、それに関しては……俺が原因でもあるしな」

「プロデューサー。それでもプロデューサーはミニライブといった仕事を私に与えてくれました。感謝しています」

「いいんだよ。ま、暗い話はここまでにしてだ」

 

パンと手を叩き両者を見る。

 

「喜べ、千早。エンディングの少し短い間だけど歌っていいことになった」

「え……!」

「こいつが色々と掛け合ってな」

「せんぱ――」

 

何か言おうとした赤羽根にプロデューサーは彼の肩に手をまわして小さな声で言った。

 

「いいから話を合わせろ」

「は、はい」

「二人とも?」

「あ、ああ。そうなんだ。だから、早く戻って打ち合わせをしなきゃな!」

「はい!」

 

先程までの暗い顔と違って千早の顔は生き生きとしていた。千早が駆け足でスタジオに向かった。二人もそのあとを追いかける。

その間に赤羽根は事の真相を聞いた。

 

「で、どうやったんです?」

「なに、ディレクターにお話をしただけさ」

(うわあ、いい笑顔してるよ。悪い意味で)

 

ニヤリとプロデューサーは笑っていた。サングラスも合わさって恐怖が倍増される。

 

(ちょっとやりすぎたか……? いや、別にいいか)

 

ディレクターと会話していた時のことを思い出す。

プロデューサーは本当にディレクターと話をしただけだった。ただ、そのやり方が脅し、脅迫といった手段にしかみえないのが原因なだけだった。

まるで壁に追い詰められてたかのようにディレクターは必死に作った笑みを浮かべ見上げる。プロデューサーは上から覗き込むようにディレクターと話をしていた。

 

「ディレクター、いくらなんでもアレはないでしょう? カメラマン、そうカメラマンですよ。流石にここの質が問われますよ? あんなことをされてはこちらとしても困るんですよ。わかりますよね?」

「あ、ああ。彼にはちゃんと言っておくよ。注意していや、指導しておきます」

「いや、わかっていないようですね。新人とは言え彼女達はアイドルです。そんなアイドルのああいったモノが放送されるのはこちらとしても遺憾にたえません。それにうちだけじゃなくて他のアイドル事務所も参加するのですから、そういったことをされては……」

「そ、それはその通り。プロデューサーさんの言う通りだよ。あはは」

「出演をオファーしても断られてしまっても仕方がありませんよね? この業界じゃ、小さな噂だけで広まってしまうものです。いやはや、怖い。お互い気を付けないと」

「そ、そうだね。で、でだ。プロデューサーさんはどうして欲しいんだい?」

 

覗いていた顔あげ、姿勢を正して笑顔を崩さず、

 

「別にそういうわけではありません。ただ、お願いがありまして。エンディングをね、うちの子達に歌わせてほしいだけです。音源もありますし、あとはマイクとその調整だけしてもらえればいいんですよ」

「わ、わかった。なんとかしてみるよ。だ、だから今回のことは」

「はて? なんのことですか。私にはさっぱり」

「そ、そうだね。うん、わかったよ。なんとかしてみる」

「はい、お願いしますよ。ディレクター」

 

そう言ってプロデューサーは去って行った。

きっとディレクターは、今夜は中々眠れないことだろう。

彼はプロデューサーのことを噂では知っていた。有能、どこへ行っても成果を上げるその手腕は見事で、テレビ局の関係者では彼のことを知らないのは新人ぐらいと言われるぐらいには有名だ。

そして、裏の方の噂も広まっていた。変な企画をしたプロデューサーがいたら気付いたら彼が乗っ取っていい企画を作ったとか。彼が担当したら番組がヒットしたとか。

彼がアイドルをプロデュースしている時に、その担当アイドルがどっかのお偉いさんからいけない話を持ちかけられた次の日には存在が消えていたりとか。

 

「と、とりあえずあいつらと打ち合わせしないと」

 

時間が押していることに気付きディレクターは走り出した。

 

「先輩、かなり怖い顔してますよ」

 

赤羽根の言葉で現実に戻ってきた。彼の言葉に反論して、

 

「笑顔の間違いだろ」

「ええ、怖い笑顔です」

 

自分でもよくわからず、結局確認できないまま二人はスタジオを目指した。

 

先にスタジオに辿りついた千早をまず迎えたのは貴音だった。

彼女は最初申し訳なさそうな顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻り千早に語りかけた。

 

「如月千早。私があなたに言う資格はないと思いますが――」

「四条、さん?」

 

765プロで一番歌う機会があるのは貴音だ。そんな自分が、歌が誰よりも好きで真剣に取り組んでいる彼女に言っていいのかと悩んだが貴音は、

 

「私は歌を歌う時、思いを込めて歌っています。それは料理にも言えることです。よく、料理の隠し味は愛情だと言います。それは、歌にも通ずるものではありませんか? 一生懸命相手に届けようとする思い。それは料理も歌も同じことだと」

 

すると貴音の後ろから響が飛びついてきた。そのあとに春香もやってきた。

 

「二人とも、今回作った料理は最後に食べてもいいらしいぞ! だから自分、千早と春香、貴音においしいって言ってもらえるように頑張って作るからな! な、ハム蔵」

「ちゅう!」

「我那覇さん……」

「千早ちゃん、ほらいこ!」

「春香……私、料理はあまりしたことがなくて」

「大丈夫、私料理には自信がある、の――!」

「春香!?」

 

振り向いて歩こうとしたそばから前に転ぶ春香。

転んだ春香に手を差し出しそれをとって春香は立ち上がった。

 

「いてて、また転んじゃった」

「春香」

「ん? どうしたの千早ちゃん」

「頑張りましょう」

「うん!」

 

そして、後半の収録が始まった。

作業は順調に進んでいたが途中、千早が醤油とソースを間違えてしまう。しかし、春香の機転により事なきを得た。

そして、後半戦のビーチフラッグタイムがいきなり開始。春香に呼ばれて飛び出す千早。出遅れた響は台所を飛び越えて追いかける。差はだんだんと縮まり……。

 

「……あ」

 

手にしたのは千早。嬉しかったのか春香に向かって叫んだ。けど、春香をふくめ三人があの言葉をと言う。言われて気付き、頬を染めながら叫んだ。

 

「取ったゲローーー!!」

 

それをスタジオの壁によりかかりながら二人はみていた。

 

「見ろよ、赤羽根。千早のあの顔。いい顔してるなあ」

「はい。あいつのあの顔を常に引き出せるようにするのが、俺のやらなきゃいけない事だと思います」

 

赤羽根を横から見ながら、

 

(いい顔をしてるよ、お前ら)

 

ある意味、今日は収穫が多い日だったとプロデューサーは思った。アイドルにしても赤羽根にしても今後の課題を得たのではないか。そう思うと悪い気はしなかった。

スタジオに目を向けるとボーナス食材を調理し始めるところだった。勝者がドリアンというのがおかしくて仕方がない。

台所の前に隠れているスタッフが棒でドリアンを突っつく。それに驚いた、春香と千早は後ろに倒れる。

そして、忠告したのにも関わらずあのカメラマンはやらかした。

それを見たプロデューサーはディレクターに近づき、

 

「ディレクター? 私、言いましたよね」

「ぷ、プロデューサーさん? ほら、結果的いい絵が撮れたし、ね?」

「少しお話、しましょうか」

 

色々あったが無事収録は終わった。

ディレクターも最後は最初と同じ感じに戻っており、今後も765プロに仕事を回してくれるとも言ってくれた。

 

帰り支度を整えて一同は集まっていた、プロデューサー以外。

数分後、プロデューサーが来ないと言っている内に慌ててやってきた。

 

「すまん、すまん。少し話し込んでてな」

「プロデューサー遅いぞー!」

「まあまあ、ちゃんと来たことだし、ね」

「じゃあ、先輩も来たことだしいくか」

 

本日の収録は車ではなく電車を利用していたので帰りも途中までは徒歩である。ちなみに赤羽根も含めた彼女達は、この時初めて貴音が変装しているのを目の当たりにした。事務所にいるときは普段通りで、変装しているときはオフで出かける際か遠出に収録に行くときぐらいなので意外と知っている人間は少なかった。

 

「へえ、変われば変わるもんだな」

「ガラリと印象が変わりますね」

「自分、遠目で見たら貴音だってわからないぞ」

「……」

 

千早だけ何も言わなかったが反応をみると驚いているようにはみえた。

道中、赤羽根が初のテレビ出演を祝って甘味処でもいくかとなった。それにはしゃぐ響達。

一番後ろを歩いていた千早が言った。

 

「すみません、私はここで失礼します。ありがとうございました」

「そうか。……そうだ、これ」

 

赤羽根が鞄から絆創膏を取出し、それを渡した。みれば千早の指先にいくつかの包丁で切った跡があった。

それを受け取る千早。

 

「ありがとう、ございます」

「あ、そうだ千早」

 

そう言って一番前を歩いていたプロデューサーは千早の下へ歩いて行く。少し聞かれたくないのか、皆と少し離れた場所で話始めた。

 

「プロデューサー、どうしたんですか?」

「なに、今日のお前はよかったって話だ」

「え?」

「これだよ、これ」

 

声に出さず、指で頬を上に押し上げる。笑顔だと言いたいのだろうが彼の笑顔は怖い。

千早もそれを笑顔だと一応認識できた。

 

「いい顔をしてたよ。今までみた中じゃ一番だ。少しずつでいいんだ、それにあいつも少しは信頼してやってほしい」

「……はい」

 

まるで大きな壁から覗くように離れてこちらを見ている赤羽根をみる千早。

頼りないと言えばそうだけど、あの人が一生懸命なのはわかったと千早はすこし笑みを浮かべた。

 

「俺はお前の事情を知ってるから強制的なことは言わないし、あいつにもさせるつもりはない」

「赤羽根Pは……知ってるんですか?」

 

その問いに彼は首を横に振って答えた。

 

「知っているのは俺に社長と会長の三人だけだ。安心していい」

「すみません。ご迷惑をおかけして」

「気にするな。アイドルを護るのも俺の仕事さ」

「そこは俺達、じゃないんですね」

「んー、まだ頼りないからな。それとな、俺はお前の歌が一番だと思ってる。あいつよりもな。あの星井がちゃんと『さん』付するぐらいなんだ。これ、あいつには内緒な」

「……」

 

千早も美希が自分にだけ「さん」付しているのには気付いていた。一度理由を聞いたら尊敬してるからと言われた。千早はまだその意味を理解はしていなかった。

プロデューサーは最後にと言いだして、

 

「貴音の言葉を借りるなら一歩前へ踏み出してほしい。時間がかかってもいい、いつか本当の笑顔で歌っていることころを見せてほしい」

「プロデューサー、私――」

 

答えようとした彼女の言葉を手で制止させた。

 

「その答えは今じゃない。じゃあ、気を付けて帰れよ。お疲れさん」

「はい、お疲れ様でした」

 

一礼して彼の前を通り過ぎて前にいる彼らに一言言って千早は先に帰宅した。

一人離れていたプロデューサーの下に蚊帳の外だった彼らがやってきた。

 

「プロデューサー、千早ちゃんと何話していたんですか?

「そうだぞー」

「なに、お前の代わりにディレクターに抗議しといたって話さ」

『?』

「あははは」

 

その言葉の意味を理解しているのは赤羽根だけだった。

 

「ま、そんなことより赤羽根の奢りでデザート食いに行くか」

『おお!』

「あ、先輩。貴音は先輩持ちですよ」

「え、プロデューサーさん奢ってくれるんじゃないんですか?(プロデューサーの裏声)」

「勘弁してください。それに貴音も先輩に期待してるみたいですよ」

「ん……」

 

赤羽根に言われて隣にいる貴音をみて汗をかいた。目をキラキラさせながらプロデューサーを見ていた。

 

「あなた様、私ばななぱふぇというモノを食してみたいです。あとらぁめんも」

「貴音、さっきあれだけ食べたのにまだ食べるのか?」

「響はアレで満足したのですか?」

「アレでって、結構量在りましたけど……」

「じゃあ、ファミレスなー。決定―」

「そうですね!」

 

金銭的な理由で赤羽根も喜んで賛成した。

それから近くのファミレスのあまり目立たないところに女子と男で別れて座っていた。

春香と響はデザート一品。貴音は今の所、パフェを食べていた。その内メニューと睨めっこの時間が来るだろう。

赤羽根はコーヒーを飲みながら思い出したように言った。

 

「千早のやつ一人暮らしだったんですね」

 

それに反応したのか赤羽根の反対にいた春香が乗り出し来た。

 

「はい、お家の事情で今は一人で暮らしてるって」

「俺、全然知らないんだな。皆の事」

 

静かにコーヒーを飲んでいるプロデューサーはただ無言に耳を傾けているだけだった。

話を振られると面倒と思ったのかカップを置いて、

 

「少しずつ知っていけばいい。あまり気にするな」

「はい」

 

そのあと春香と響は自宅へと帰宅。プロデューサーと赤羽根、それに貴音も一度事務所に戻り解散した。

一緒に帰る二人に赤羽根は何の疑問を抱かなかった。

 

 

同時刻 如月千早が住むアパート

 

コンビニでミネラルウォーターとカロリーメイトを買ってきてそのままお風呂に入る。

お風呂から出るといつもと変わらない風景がそこにある。開けていないダンボールの山、いつになったら開けるのだろうと自分に問うが答えは返ってこない。

唯一違うと言えばCDとデッキがちゃんとしてあるぐらいだ。

ヘッドフォンをつけ音楽を再生する。

歌は私が好きなモノだ。歌は私が真剣になれるモノだ。歌は私が……逃げた場所だ。

膝を抱えて蹲る千早。

頭の中では聞こえてくるのは流れている音楽のはずなのに声がする。

 

『俺、そんな千早の気持ちを知らないで軽はずみなことばかり言って……謝るのは俺の方だ』

 

違う、謝るのは私の方だ。

あの人はあの人なりに私のことを思っていてくれた。不器用でまだ頼りないけど、それでもその意思は伝わっていた。プロデューサーの言う通り信頼しても、信じてもいいのだろうか。私にはわからない。人付き合いが苦手な私にはまだわからない。

 

『俺はお前の歌声が一番だと思ってる』

 

嬉しかった。お世辞じゃないって思えるぐらいあの人の言葉は嬉しかった。

けど、まるで上書きされるかのように脳裏にあの子の言葉が遮る。

 

――僕、お姉ちゃんの歌が一番好きだよ

 

「っ……優」

 

もういない弟の名前を呼ぶ。答えてくれる人は、いない。

 

 

 

後日。

 

小鳥の仕事は事務仕事がメインである。今日も書類を慣れた手つきでさばいていく。

ふと、見覚えのない請求書が出てきた。

あて先は765プロプロデューサー様と書かれており、その金額をみて驚く。

それに目の前に座っていたプロデューサーが反応した。

 

「ん。小鳥ちゃん、どうした」

「ど、どうしたじゃないですよ! こ、これ!」

「請求書じゃないか……ああ、これね。あとで払うから」

「これはいくらなんでも経費じゃ……え、払う? プロデューサーが自腹で?」

「そうだよ。それ、俺が訳あって買ったやつだから」

「へ、へえ……。0の桁が多いんですけど」

「それでも値引きしてもらった方さ。さて、貴音を迎えて行ってくるから何かあったらよろしく」

「は、はい……」

 

小鳥はもう一度請求書をみる。小道具と書かれ値段は○十万と書かれていた。

 

その日の夜。

プロデューサーはソファーでくつろぎながら片手にビールを持ちながらある光景を目にしていた。目の前で舌を出して王冠が付いているカエルの着ぐるみを着ている貴音を見ながら聞いた。

 

「やっぱ気に入ったんだろ」

「げろっぱ、げろっぱ」

「そうかい」

 

適当に応えてビールを飲んだ。プロデューサーは満更でも無さそうな顔で貴音を眺めていた。

その日からプロデューサーの部屋にカエルの着ぐるみが増えることになったのは当然の流れであった。

 

 

 

 

 




あとがきと言う名の設定補足~

アニマス4話の千早回でよかったでしょうか。この回で貴音に着ぐるみどういうか被り物を好むような描写がされてましたね。
貴音の扱いに関してアニマス通りな感じに本作の雰囲気を混ぜて書きました。
担当アイドルが気に入ったからって自腹で買ってあげるなんてこれもうわけわかんね

大まかにですがアニマス本編であった問題があったシーンが、貴音が経験していることからそれがなくなっている感じでしょうか。

あとカメラマンとディレクターの扱いに関してはまあ妥当かなと。
リアルでもたまにありますよね。
まあ、俺達にとっては大歓迎ですけど!

あと前回でもそうでしたけど赤羽根Pの扱いは今の所こんな感じにです。踏み台と言われてしまうと否定できないんですけど、自分的には憧れる先輩と可愛い後輩を描ければと思っています。





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第6話

 二〇一三年 八月某日 プロデューサーが住むマンション 駐車場

 

 

 

 

「ふう、これでよし」

 

 プロデューサーは荷台に敷き詰められた荷物を見ながら一息ついていた。

 中にあるのはパラソル、レジャーなどで使われるような折り畳みの椅子に飲み物が入っているクーラーボックス等々。それに一泊分の着替えが入ったバッグが二つ。

 プロデューサーは腕を組み、満足げに頷いた。

 

「使わないけど貰っておいてよかったな。まさかこんなことで役に立つとは。やっぱ欠かさず交流は続けておくもんだ。うんうん」

 

 バッグ以外の一式はすべて知人から譲り受けたものであった。彼は結婚していて家族とよくこれらを持っては出かけていたのだが、突然の離婚により不要になったのだ。

 それで話がプロデューサーにやってきた。その時は渋々譲り受け自宅の押し入れに閉まってあったのを今やっと日の目を浴びることができた。後に離婚した妻と再婚して返してくれと言われたが断ったのを今は後悔していない。

 

(そう言えば、海にいくのも久しぶりだな)

 

 プロデューサーは何故こんなことになったかを思い出し始めた。

 

 それは数日前に遡る。

 季節は夏に入りその日は猛暑であった。事務所のエアコンが壊れてしまい直るのは数日後。オアシスを失ったプロデューサーは貴音の仕事のため、その日も午前中から仕事を始めていた。午後は少し時間が空いてからなので、普段だったら事務所で仕事をするのだが、先の理由のため無駄に営業車のエアコンを使いながら都内を走り回っていた。

 流石に貴音にも言われて仕方がなく事務所に帰ることに。道中コンビニに立ち寄り、アイスを人数分買って事務所に帰ってきたのだ。

 

「あーアイス溶けるな、これ」

ふぉうですね(そうですね)しょれはいけましぇん(それはいけません)

 

 手に持つアイスが入ったビニール袋をぶらさげながらプロデューサーはぼやき、それにアイスを食べながら貴音が答えた。棒のついたチョコがコーティングしてあるアイスだったはずだ。確かパルムだった気がする。

 それを見てプロデューサーは溜息をついた。

 

「はあ、それで打ち止めだぞ。さりげなく余分に入れやがって」

「冷たくて美味です。……あむ」

「俺も食べよ。……溶けてるからすぐ飲めら」

 

 プロデューサーは自分用に買った飲むアイスの蓋を開けて口に咥えた。行儀が悪いとはわかっていてもこの暑さでは仕方がない。

 事務所の前にやってきて扉の前に立つ。中に入っても変わらないことに不満を持ちながらドアノブに手をかける。熱くなっていながらも捻って扉を開ける・

 

「あちぃ……。ただいまー今戻ったぞ……」

はらいま(ただいま)もぉどりまふた(もどりました)

「ほら、土産のアイスだー、感謝し……ろ」

 

 歩いて行くと壁を背に赤羽根を囲むようにアイドル達が迫っていた。

 それを見て当然のようにプロデューサーが聞いた。

 

「なんだ、ついに何かやらかしたのか?」

「せ、先輩。そ、そうだお前ら。先輩に聞け、俺の一存ではなんとも」

「ああ?」

 

 ギロリと一斉にアイドル達がプロデューサーの下へと迫る。獲物が変更されたようだ。

 赤羽根から離れプロデューサーの下へ駆け寄ってきた。

 

「寄ってくるな! ただでさえ暑いのに!」

『プロデューサー!』

「なんだ!?」

『海、行きましょう!』

「……」

 

 視線を奥にいる赤羽根に向ける。

 

「あ、ははは」

『(じ~~)』

「あなた様」

「なんだ、今……」

「私も海、行きとうございます」

 

 振り向けばそこには手をあげている貴音。アイスは食べ終わったらしい。

 プロデューサーは覚悟をしたのか、視線を再び壁にあるホワイトボードを見る。

 上半分が貴音で下半分が彼女達。貴音の部分はほとんど埋まっていると言っていいだろう。対して彼女達は何日かの感覚で空欄があるぐらいだ。

 それをみて、

 

「わかった、わかったから離れろ」

『じゃあ!』

「期待はするなよ……」

 

 そう言ってプロデューサーはスケジュール調整を行った。問題だったのが貴音のスケジュール調整だった。それでも、当日の午前中にグラビア撮影が入ってしまったがスケジュールを調整することができた。というわけで彼女達は海にいくことができた。尚、社長と小鳥はお留守番である。

 

「無理して時間を早めたからな……。まあ、休息は必要だ」

 

 んーと腕を伸ばしたあとトランクを閉め鍵をかけた。

 欠伸をかきながら部屋に戻った。

 扉をあけて彼女のサンダルがあるのをみてプロデューサーが言った。

 

「貴音、明日は早いから。もう戻れ」

「……」

「まだ、拗ねてたのか」

 

 貴音はカエルの着ぐるみの頭だけを抱えながらどんよりとした空気を漂わせていた。

 理由はわかっていた。それは貴音が海に行っても泳げないからだ。有名になるとこういった不便なことが起きるのは仕方がないことだった。

 

「さっきも言ったろ? 昼間じゃ人の目につくからって」

「カツラをすればよろしいのではなくて……」

「それも答えた。無理です。諦めなさい」

「ぐぬぬ」

「とにかく寝ろ」

「わかりました……あ」

 

 納得しててくてくと部屋に戻る貴音だったが、まるで何か閃いたのか頭に『!』のマークが見えた気がした。

 

「どうした?」

「いえ、なんでも。そうですわよね。昼間は人がいて駄目なんですものね、ふふっ」

「?」

 

 プロデューサーはその答えがわからぬまま、部屋に戻っていく貴音の背中を見ていた。

 

 

 翌日 某高速道路 パーキングエリア

 

 貴音のグラビア撮影が終わり、二人は先に皆が待つ海へと向かう。

 765プロの営業車を走らせてそれなりの時間が経ち、お昼ということもあって一度パーキングエリアに停まっていた。

 先に車に戻っていたプロデューサーはエアコンをかけながらとある書類を見ながら貴音を待っていた。

 すると、今ではもう見慣れた変装姿の貴音が車に戻ってきた。シートベルトをかけ、PからDに動かかす。

 

「さて、もうそろそろだな。あと一時間もすればつくだろ」

「そうですか。はて、あなた様。この書類は……?」

「ん? ああ、それな。まあお前が見ても問題ないし、見たいなら見てもいいぞ」

「では、見させてもらいます……竜宮小町? あなた様、これはもしや」

「そう。765プロの新しいユニット。今、社長が走り回ってるのもこれが原因」

「成程。ですからあなた様もここ最近、テレビ局の方とよく打ち合わせをしていらしたんですね」

「そういうことだ」

 

 貴音は続けて紙をめくっていく。そこには写真付きの三人のアイドルのプロフィールがあった。その次には色々難しいことが書いてあり、貴音は読むのを止めた。

 

「伊織をリーダーに亜美とあずさのユニットですか。どうなのですか?」

「それは律子次第だ。プロデューサーの仕事も板についてきたし、元アイドルだからその視点で三人も指導できるだろ」

「となると益々赤羽根殿の精神的負担がかかりますね」

「まあ、焦るだろうな」

「いいのですか?」

「よくはない。もしかしたら判断を誤るかもしれない。何か重大なミスを犯してしまうかもしれない」

「ではなぜ?」

「そういった苦難を乗り越えてほしいからだ。別に手を貸さないわけじゃない。けど、やるのは赤羽根自身だ」

 

 嬉しそうに話す彼を見て、貴音が言った。

 

「期待しているのですね」

「勿論。俺がいなくなった後をあいつが、765プロのプロデューサーとしてやっていくんだからな」

「……」

 

 それを聞いて忘れていたことを思い出した貴音。

 

(ああ、そうでした。あなた様はあと少しでいなくなってしまうのですね)

 

 すぐ隣にいるプロデューサーみる。いつもこんな感じで隣に立つ彼があと少しで765プロがいなくなってしまう。心が痛む。

 そんな時、貴音の様子がおかしいことに気付いたプロデューサーが声をかけた。

 

「貴音、どうした?」

「いえ、なんでもありません。それとあなた様、少しお願いがあるのですが……」

 

 貴音のお願いを聞いて呆れるプロデューサー。呆れつつも彼は、

 

「わかったよ。旅館に着いたら聞いてやる」

「ありがとうございます。それと、お腹が空きました」

「さっきのパーキングで食ったろ……」

「あら、そうでしたか?」

「たく、しょうがねぇな」

 

 困った顔をしながらもプロデューサーはアクセルペダルをさらに踏む。

 警察に捕まらない程度に車は目的地へと向かっていく。

 

 

 

 同日 正午過ぎ 海

 

「にしても、あの子達も元気ねー」

「そうか? 律子だって若いんだから行ってきてもいいんだぞ?」

「そうですよ、折角海に来たんですから」

 

 砂浜にパラソルを突き刺し、その下で荷物番をしていた律子と赤羽根、それと疲れて休んでいたあずさの三人が海ではしゃぐアイドル達を見て話していた。

 

「カメラも十分撮っただろうし、俺がここに残ってるよ」

「私もいますから」

「そう、ですか? じゃあ、いってこようかな」

 

 照れくさそうに律子は言いながら、着ていたTシャツを脱いで海へと向かっていった。

 その足取りはなにやら嬉しそうである。

 そんな彼女をみて赤羽根が言った。

 

「律子もやっぱりまだ子供だな」

「まあ、普段皆のお姉さんとして振る舞っていますから。たまにいいんじゃないんですか?」

「……そうですね」

 

 するとそんな二人の背後から白いワンピースを着た女性と一人の男が現れ声をかけてきた

 

「すみません、隣いいですかね」

「あ、すみません。ここ……わあ?! せ、先輩?!」

「なんで驚く」

「あらー、プロデューサー。それに隣にいる子……貴音ちゃん?」

 

 変装している貴音を一目であずさは見抜いた。

 

「そうですよ、あずさ」

「お疲れ様です。だって、先輩その格好」

「なんだ?」

 

 プロデューサーの格好は下が半ズボン。上が、ひよこが描かれたTシャツを着ていつものサングラスをかけていた。

 なんとも言えない感じだった。

 

「あなた様」

「ああ、そうだったな」

 

 プロデューサーは手馴れた手つきで、両手に抱えていたビーチチェア二つを並べ、その間に大きめのパラソルを砂浜に刺した。

 そこに寝るように座る二人。まるでバカンスにでもきたように赤羽根は見えた。

 赤羽根は泳がない貴音をみて、

 

「貴音は泳がないのか」

「泳げるわけないだろ。こんな人がいるところで」

「あ、それもそうですね」

「あら、残念」

「あずさ君もいつかはこうなる。他人事じゃないぞ」

「それも、そうですね」

 

 その言葉に納得した二人。

 すると海で遊んでいた春香と千早がやってきた。

 

「あれ、二人とも来てたんですね。お疲れ様です」

「お疲様です。それにしてもプロデューサー……すごいですね」

「なにが」

「だって……」

 

 千早はプロデューサーの鍛え上げられた体をみて、

 

「その格闘技をやっているわけでもないのに、凄い引き締まった筋肉をしてて」

「あ、それもそうだね」

 

 プロデューサーは平然と答えた。

 

「プロデューサー、だからな」

「ですって、赤羽根さん」

「よしてくれ、春香。先輩と一緒にしないでくれ。アレは次元が違う」

 

 赤羽根は頭を抱えた。

 

「あなた様、お腹が空いていたのを忘れていました。海の家とやらに参りましょう」

「俺は寝ていたいんだがなあ」

 

 そう言いつつも持ってきた日傘を広げて、ポケットに手を入れながら貴音と一緒に海の家へ向かっていくプロデューサー。それをみて春香がそのまま感じた感想を述べた。

 

「まるで護衛対象とボディーガードみたいだね。ね、千早ちゃん」

「そうね。服装はアレだけど……」

「うん。アレだけど……」

「でも、頼もしくていいと私は思うわ。ね、赤羽根さん」

「俺、先輩に迫られたら泣く自信あります」

「……やっぱり迫力、ありますもんね」

 

 四人は何故か海の家に向かう二人を見えなくなるまで眺めていた。

 

 

 

 夕方――。

 

 着替え終わって大人達の先導の下、皆は今夜泊まる旅館の前にいた。その隣にある大きなホテルがあるのにもかかわらず、小さな旅館に泊まることに伊織は不満げに言ってそれにプロデューサーが反応した。

 

「まったく、泊まるならあっちのホテルじゃないの?」

「おや、伊織お嬢様は不服ですかな?」

「別にそういうわけじゃ」

「なに、こういったところの方が落ち着けるんだよ」

 

 そう言っている間に亜美と真美が先走って旅館に突撃。すると奥から女将が出てきて挨拶をしてきた。

 彼女達を先に行かしてプロデューサーは女将に、

 

「すみません、女将さん。ちょっとお願いが……」

「はい……?」

 

 交渉を始めた。

 

 

 

 それから各自荷物を置いて夜の砂浜でバーベキューとなった。

 プロデューサーと赤羽根の二人が焼いては彼女達に振り分けていた。プロデューサーは特にやよいに肉を焼いては渡していた。やよいはそれをパクパクと食べた。

 

「ほらやよい肉だぞ」

「うー、美味しいですぅ!」

「もっと食えー」

「ん~!」

「がははは」

「うっうー!」

 

 そんなやり取りをみて真が雪歩に言った。

 

「楽しそうだね、プロデューサー」

「そうだね」

「ほら、お前達も食え」

「ありがとうございます」

「私、お肉より野菜の方が……」

「はい、肉」

「うぅ……」

「嘘だよ。ほれ、野菜も食え」

「プロデューサー、意地悪です」

 

 そう言われつつもプロデューサーは笑いながら焼く手を緩めない。すると椅子に座っていた貴音がおかわりもしてきた。

 

「あなた様、とうもろこしを」

「ほれ。あと、肉な」

「構いませんが……お肉がやけに多いですね」

「頼み過ぎたからな……あむ。上手い」

 

 左手にトングを持ち、右手に箸を持ちながら器用に食べていた。隣にあずさがやってきて焼き手を交代した。

 

「プロデューサーさん、私変わりますよ」

「それじゃあ、頼むよ」

「はい、頼まれました」

 

 プロデューサーは持ってきたクーラボックスを少し皆から離れたところに持っていきそこに椅子の代わりとして座った。ポケットから煙草とライターを取出した。箱から一本手に取り、口に咥えて火をつける。

 身体によくない煙を取り込んで吐く。やけに嬉しそうだ。

 

(日頃、いつ吸うかと考えないで吸う煙草はうめぇなあ)

 

 貴音から今日は無礼講だからと言われて、制限が一時的に解けたのを理由に、彼は持ってきた煙草を全部吸う気でいた。

 煙草を吸いながら目の前で楽しんでいる彼女達の光景を傍観する。

 すると、焼き手をしていた赤羽根に春香があーんをしていた。それをにやにやと彼は見ていた。

 

「若いねえ」

「プロデューサー」

「千早か、どうした」

「いえ、飲み物を持ってきたので」

 

 自分が座っているところにも入っていると思ったがせっかくの好意を無碍にはできない。

 

「じゃあ、ビールを貰おうか」

「どうぞ」

「ありがとう」

 

 渡すものを渡して千早は戻っていき、代わりに貴音がやってきた。

 プロデューサーはいつもの癖で場所を少し開けた。そこに貴音が座る。大きめのクーラーボックスとはいえ狭い。

 左手で紙皿を持って箸に肉をつまんでプロデューサーの方へ向いた。

 流石にプロデューサーも注意した。

 

「あなた様、どうぞ」

「別にここでこういうことをあんまりするな。あいつらにばれる」

「あら、ただ私はお腹を空かしているプロデューサーに料理を持ってきただけです」

「……ま、普通はそう思うか」

「そうですよ。はい、あーん」

 

 今度は自分が同じ立場になった。断ろうにも右手に煙草、左にビール。手は塞がっていた。

 諦めて肉を食べる。

 

「うん、うまいな」

「私が焼きましたから」

「成程な」

「次はどれがいいですか」

「肉」

「野菜ですね」

「はいはい」

 

 二人のやり取り遠目で見ていた伊織が呆れて言った。

 

「まったく、あの二人の光景には流石に慣れたわ」

「自分、あれがもう普通なんだって悟ったぞ」

「なんていうか大人の関係ってやつだよね」

「うんうん。だから、からかえなくてつまらないんだけどー」

 結局の所、全員あの二人の関係に疑問を抱いてはいなかった。同じプロデューサー同士である律子に赤羽根が聞いた。

 

「律子としてはアレどう思う?」

「ノーコメントで」

「だよなあ」

 

 あははと笑いながらどこからか持ってきたおにぎりを焼いて、焼きおにぎりにして食べていた美希にも聞いた。

 

「美希はどう思う?」

「……どうでもいいのー」

 

 興味無さそうにおにぎりを食べながら答えた。

 

 貴音に料理を食べさせてもらっているとポケットにあるスマホが鳴りだした。

 相手は765事務所からだった。出ると声の主は小鳥で、内容は例のユニットが正式に受理された話だった。

 本人に伝えるべく、プロデューサーは律子を呼んだ。

 

「おーい、律子。ちょっとこっちにきてくれ」

「はーい、なんですか」

 

 なんで呼ばれたのかわからない顔をしながらやってきた律子にスマホを渡した。

 

「小鳥さん?……はい、はい! わかりました、ありがとうございます」

「よかったな、律子」

「はいっ」

 

 いい顔をしながら夜空を見上げる律子をプロデューサーも嬉しそうに眺めていた。

 

 

 そのあと、料理の後片付けをしてから買ってきた花火で楽しんで、旅館に戻り風呂に入っていた。

 もちろん、男女別で。

 男二人と一匹は所謂、裸の付き合いというやつをしていた。一匹は常に裸だが。

 赤羽根はプロデューサーの逞しい身体に見惚れたりもしていた。

 そんな時扉が開く音がした。旅館は貸切。男は二人のみ。

 つまり――。

 

「あれ、皆は?」

 

 美希が間違ってはいってきた。それに反応した赤羽根とハム蔵。プロデューサーは動じず、

 

「星井、女湯は隣だ」

「あ、そうなの」

 

 そう言って女湯の方に向かっていった。

 

「お前、別に見えないから隠さなくても平気だろ」

「いや、咄嗟に」

「なんだ、童貞か?」

「違います」

 

 はっきりと否定した。それにプロデューサーは食いついた。

 

「ほう。彼女でもいるのか?」

「いませんけど……」

「じゃあ、あいつらの中で誰か気になる奴でもいるのか? ほれ、言ってみろ」

「それだったら先輩は貴音とはどうなんですか?」

「どうって言われてもなあ」

 

 住んでいるマンションの隣に貴音が引っ越してきて、普段から俺の部屋に来ては飯を作ってもらっている仲。とは答えられるわけもなく、適当に誤魔化した。

 

「至って普通だよ、普通」

「普通じゃないと思うんですけど……」

「まあ、アイドルに手を出したら言えよ。色々としなきゃいけないからな」

「出しませんよ!」

「なんだ、つまらん」

 

 ふとプロデューサーは律子の件を思い出して赤羽根に教えた。

 

「赤羽根、前に言ってた律子のユニットな。もう動くぞ」

「え、そうなんですか!」

「ああ、俺と社長でテレビ局とかに色々根回しをしててな。企画自体はあの時から始まってたんだが、相手先との打ち合わせとか都合とかで今になった」

「そう、ですか……。俺も頑張らなきゃな」

「ま、焦らず、慌てず、迅速にやればいいさ」

「そこはゆっくりじゃないんですか?」

「俺らの仕事にゆっくりっていうのは通用せんよ。あー、仕事の話ばっかでつまらん。なんか、面白い話はないのか」

「むしろ、そこは先輩の昔話とかが定番じゃないですか」

「やだよ、恥ずかしい」

「うわ、ズルいですよー」

 

 そんな馬鹿話をしながら風呂を満喫し、用意された部屋へと戻った。

 アイドル達はそれぞれ旅館のゲームコーナーで遊んだりしている中、年長者組だけで飲み会を開いていた。律子は未成年のためノンアルコールだが、あずさは既に酔っていた。

 

「プロデューサーさんも赤羽根さんも飲んでますか~?」

「はいはい、飲んでる飲んでる」

「あずささん、弱かったのか」

「律子、今回は無礼講だから飲んでもいいぞ」

「い、いえ。私はまだこれでいいです」

「なんだ、つまらん。……ん」

 

 プロデューサーは自分の腕時計を見ると、飲みかけだったビールを飲みこむ。まだ開けてないビールを一本手に取り、バスタオルが入っているトートバックを手に持って、

 

「もう一風呂浴びてくるわ」

「あ、わかりました」

「赤羽根」

「はい?」

 

 プロデューサーは三人をみる。男一人に女二人。その内の二人はお酒が入っている。

 

「間違いを犯しても俺はお前の味方だぞ」

「先輩!」

「プロデューサー……セクハラですよ」

「間違いってなんですか~」

「じゃあ、ごゆっくり」

 

 若い三人を残して廊下に出る。そのまま一階に降りて、正面玄関でサンダルに履き替えて浜辺を目指した。

 バーベキューをしていた時よりも暗く感じた。それでも月の光が道を照らしているようだった。

 浜辺までくると海から少し離れたところに、綺麗に畳まれた旅館の浴衣が置いてあった。プロデューサーはそれを拾い、バックの中に入れた。

 

「たく、風とかで飛んだらどうしたんだ」

 

 ザバンッと海から音が聞こえた。こんな時間に泳いでいる人がいるのかと思うところだろうが生憎と知っている人間だった。

 月の光を浴びて照らされた濡れた銀色の髪。今日の撮影でも着た、黒いビキニタイプの水着を着た貴音がそこにいた。

 

(本当にどっかのお姫様なんじゃねえかって疑うな)

 

 プロデューサーは海に向かっている最中に貴音から言われたことを思い出す。

 

『昼間に泳げないのでしたら、夜に泳げばいいのです』

 

 貴音のお願いを呑んでこうしてやってきたわけだ。

 貴音もプロデューサーに気付き彼の下へと歩いてきた。その場に二人は座って、プロデューサーが聞いた。

 

「どうだ、泳げて満足したか?」

「はい。少し冷たいですけど、それが逆に気持ち良いです」

「もういいのか?」

「はい。今はこうしている方がいいです」

 

 貴音は右側に座るプロデューサーの左肩に頭を預けながら寄り掛かる。プロデューサーは自分の浴衣が濡れたことを気にせず、そのまま彼女を受け入れた。

 しばらく二人は無言でいた。ただ、海を眺めていた。

 すると貴音は、自分の右手をプロデューサーの左手に重なるように置きながら、悲しそうに話した。

 

「来年はこうして皆と……あなた様と来ることはできないのですね」

「そうだな。あいつらも仕事が忙しくなれば全員でいる時間も少なくなる」

「それに皆は、あなた様がいなくなることを知りませんもの」

「そうだったな」

「……」

「……」

 

 再び沈黙が続いた。プロデューサーに置いていた手を今度はゆっくりと動かしながら繋ぎ始める。プロデューサーは抵抗をしなかった。

 

「……あなた様。私は答えがほしいわけではありません。いえ、ほしくないと言えば嘘になりますね。それでも私は、いつも後ろから見守ってくれている人がいるだけで……それだけでいいんです」

 

 プロデューサーは答えることはなかった。けれど、貴音と繋がっている左手に少し力が入る。

 貴音は続けて話し始め、無言だったプロデューサーも口を開いた。

 

「そういえば、私が何故アイドルになったか話しておりませんでしたね」

「……そうだな」

「私には使命がありました……。頂点に立つという使命が」

「使命? アイドルとしてか?」

「結果的に言えばそうなのでしょうね。今、銀色の王女と呼ばれてはいますが、頂点に立ったとは思っていません」

「なあ、ありましたってさっき言ったが今は違うのか?」

 

 貴音はこくりと頷いた。

 

「今は使命だから、というよりも自分の意思であの日、あなた様と誓いました。とっぷアイドルになると」

 

 プロデューサーも鮮明に覚えている。自分が貴音をトップアイドルにしてやると宣言し、彼女がその手を取ったことを。

 プロデューサーはあの時、トップアイドルとはなにかと質問されたことを思い出した。

 今でもあの答えは間違っていない。ただ、本当の意味でのトップアイドルとは何かを語りだした。

 

「……実はな、トップアイドルの称号っていうのは今じゃ明確としたモノはないんだ」

「今、ですか。では、昔にはあったのですか?」

「IU(アイドル・アルティメット)、かつて国内だけではなく海外のプロ、アマチュアアイドルが一堂に集ってトーナメント形式で勝ち抜き、勝利したアイドルが真のトップアイドルとしての称号を手にすることができた」

「なぜ、今は無くなってしまわれたんですか?」

「その年、どっかトップアイドルが優勝したと思ったらすぐに引退した。その時点までアイドルブームは最高潮に達していたが、それ以降現役アイドル達が揃って引退してアイドルブームもなくなって開催できるほどの力はなくなったからさ」

 

 貴音は、まるで恨みでもあるかのように語るプロデューサーを心配した。恐怖ではなかった。ただ、一言一言に怒りを感じたからだ。

 それでも貴音はその原因の元凶であるアイドルの名を聞いた。

 

「そのアイドルの名は?」

「……日高舞。お前がデビューで歌った曲のオリジナルだよ」

 

 その言葉を聞いてすべてが合点した。何故、あの曲を歌った時に周りがあんなにも驚いたのか。そして、彼がそれを自分に歌わせたのか。

 宣戦布告、或いは挑戦状なのだ、自分は。彼女、日高舞に対しての。

 貴音は自分の中で答えを見出した。故に聞くことができなかった。

 

「勘が鋭いお前のことだ。色々気付いただろうな。だけど、これだけは信じてほしい」

「……あなた様」

 

 振り向けば、眼差しで貴音をプロデューサーは見ていた。

 

「お前は俺の最高のアイドルだよ。あいつがどうとか関係ない。自信を持って言えるよ、俺のトップアイドルは四条貴音だって」

「……はいっ」

 

 流れ落ちたはずの水滴が目から零れ落ちる。

 貴音はしばらくプロデューサーの腕に抱き着いていた。

 

 どれほど時間が経ったかわからない。プロデューサーがいきなり立ち上がって言った。

 

「流石にもう戻るぞ。皆に何か言われる」

「そうですね……」

 

 トートバックを持ち歩こうとするが貴音が座ったままなのを不思議に思ったのか、

 

「なんだ、戻らないのか?」

「いえ、足が攣ってしまって……おぶってくださいませんか?」

「……はあー。わかりましたよ、お姫様」

 

 そう言ってバックから貴音の浴衣を取り出して、それを着させた。

 所謂、お姫様だっこという状態で貴音を抱えながら旅館に歩き出した。

 先程の空気とは違って貴音は笑顔だった。

 歩きながらプロデューサーが思い出しように言った。

 

「それと、最初に言ってたことだけどな」

「はい?」

「いつも俺の部屋に来てるくせに、そういうこと言われても何も感じなかったぞ」

「それとことは話が別です」

 

 その後、旅館の手前で貴音を降ろした。女将に前もって頼んでいたため浴場の一つを開けてもらっていた。貴音とはそのまま浴場に向かって別れた。別れ際に一緒に入りますかと言われたが軽く流した。

 プロデューサーは女将と翌朝のことで話していた。

 

「それでは朝、おにぎりを用意しておきますので。あと、ペットボトルですがお茶も用意させてもらいます」

「すみません、我儘を言って」

「いいんですよ」

 

 プロデューサーと貴音は赤羽根達と違ってすぐ東京に戻らなければならない。そのため、朝食を車の中で食べられるモノを作ってほしいと頼んでいた。

 女将と別れたあとプロデューサーは“寄り道”をしたあと部屋に戻った。

 

 部屋に戻ると中には酔いつぶれた赤羽根がいた。そのまま赤羽根の前を通り過ぎて、窓際にある椅子に座った。結局飲まなかったビールを開けた。

 

「はあ……」

 

 月を見ていた。一度振り返って赤羽根の寝顔をみてプロデューサーは苦笑した。また、月をみて誰かを重ねながら呟いた。

 

「まだ諦められねぇんだよ、俺は……」

 

 その声は悲しく、まるで今にも泣きそうな声をしていた。

 

「その時はきっとお前じゃない。別の誰かで……」

 

 プロデューサーはだんだんと眠くなってきたのか、ビールをテーブルの上に置いて体からまるで力が抜けたように椅子にもたれ掛る。

 

「勝ちたいんだ……」

 

 そんな彼を月だけが見ていた。

 

 

 翌朝。

 プロデューサーと貴音は先に東京に戻った。赤羽根達も正午を過ぎたあたりで事務所に戻ってきた。

 例の一件で走り回っていた社長がやってきて、皆の前で正式に竜宮小町が発表された。

 

 それとその日にプロデューサーのスマホに電話が入った。相手は346プロでお世話になり、現在アイドル部門設立に動いている、

 

「どうも今西さん、ご無沙汰しています」

『やあ、プロデューサー君も元気そうでなによりだ。で、さっそく本題だ。今年中にはこっちのアイドル部門で使う予定の施設の増築や改装が終わるよ』

「女子寮の方は?」

『そちらも問題ない。如何せん、どれくらいの人数が来るかわからないからね。かなり大きくなりそうだ。それと人材に関しても今の所は問題ないよ。あとはそれ用のスタッフだが……』

 

 そう言われてプロデューサーは自分の鞄から資料を取り出した。

 

「それについては問題ないです。トレーナーに関してはいい所を抑えましたよ」

『ほお、誰なんだい?』

「四姉妹全員でトレーナーをやっている彼女達ですよ」

『それはそれは。かなりの上玉じゃないか』

「ええ、話をしたら意外と食いついてくれまして。あと細かいところで言えば事務員や俺以外のプロデューサーですが……」

 

 待ってましたと言わんばかりに今西が食いついた。

 

『それに関してはこちらで手配しているよ。その中で千川君も喜んでこっちに来てくれることになってる』

「へぇ、ちひろちゃんがね。ということは?」

『プロデューサーも一人決まっているよ。そう、彼だよ』

「あいつもですか。不器用ですが真っ直ぐな男ですからね」

『彼の教育も頼むよ、アイドルのプロデューサーとしての経験はないからね。で、肝心なアイドルに関してだが』

「ええ。十一月か十二月頃に一般でオーディションをしましょう」

『わかった、それもこちらで進めておくよ』

「お願いします。あとは、俺の方で直接スカウトに行きたいと思ってます」

『スカウト? そんな簡単にアイドルの原石が転がっているのかい?』

 

 目線を資料から置いてある雑誌に移す。そこには所々に付箋がつけてある。プロデューサーは自信を持って答えた。

 

「ええ、目星が何人かいましてね。時期になったら動こうかと」

『わかった。それじゃあ、また何かあったら連絡するよ』

「はい、お願いします」

 

 電話を切って胸ポケットにしまう。置いてある雑誌をみる。ジャンルはバラバラだ。モデル雑誌から女子アナ特集と見出しのある雑誌もある。

 

「さて、今日も探しますか」

 

 何も手を付けていない雑誌を手に取りプロデューサーはアイドルを探す作業に入った。

 

 

 

 

 




あとがきと言う名の設定補足~

〈IU アイドル・アルティメット〉
ゲームの方でもありましたので今回採用しました。どっかのトップアイドルとはあのお方です。ゲームの設定で行けば16歳で愛を生んだことになるんですよね。間違ってい名kれ場ですが。その間もアイドル活動をしていたとしたらやっぱり化け物ですわ。

さて、今期はアニマス水着回です。原作とは違い、貴音を除く他のアイドル達もこの回のホワイトボードには仕事がありますが貴音のスケジュールをなんとかして皆海へ、といった感じです。
色んなサイトで考察をみていたのですがあの海日本海側らしい? です。なので、あとから追いつくプロデューサー達があんなに早く合流できるのは違和感あると思いますがそこは眼を瞑ってください……。

本編を見ていると最後の就寝しているシーン。貴音は外で月を。あずさと律子は……と意味深な考えをしましたが健全ルートに入りました。

あと、最後の“寄り道”なんですがこれ貴音とプロデューサーの“入浴シーン”の予定でした。けどなんかこうしっくりこず削りました。
もし、そんな寄り道を希望している方がおりましたらあとで何らかの形であげます。
まあ、いればですが。いれば……ですよ?
本作品は健全な小説なのでそんなえっちぃ展開はないよ! それっぽいことはしますがね。

次回はアニマス6話と8話が一緒になります。意外と短くなってしまいそうなんでまた二話分です。(申し訳ありません、7話と8話を間違えていました8/23)




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第7話+8話+幕間

 二〇一三年 八月下旬 765プロ事務所内

 

 

「ふむ……」

 

 765プロの事務所で一人残ってプロデューサーは仕事をしていた。

 口にはココアシガレットを加えながらパソコンと睨めっこしながら仕事をしていた。

 プロデューサーはここ最近、煙草を制限されてからどうも口が寂しくなってしまっていた。ガムで代用していたがなんともしっくりこず、スーパーなどでも売っているお菓子のシガレットで代用していた。

 態々箱買いをして自宅と事務所にそれぞれ置いているほどだ。

 

「さて、そろろそ来る頃か」

 

 残っているのは仕事があるからと言えばそうなのだが、今日はもう一つ理由があった。

 

「ただいま、戻りました……って、先輩」

「お疲れさん」

 

 そう、赤羽根だ。

 ここ最近順調に仕事が回ってきて、それぞれに合う仕事を選別しながらアイドル達に仕事を与えていた。しかし、今日あるミスを犯してしまった。

 プロデューサーもそれを小鳥経由で仕事中に聞いたのだ。

 

「小鳥ちゃんから話は聞いた。けど、なんとか乗り越えたそうじゃないか」

「いえ、俺じゃなくてあいつらのおかげです」

 

 赤羽根の顔は酷く疲れているように見えた。プロデューサーは前もって自動販売機で買っておいたコーヒーを二つ持って赤羽根に言った。

 

「赤羽根、少し付き合え」

「え、はい」

 

 場所を屋上に移し、持ってきたパイプ椅子を置いてそこに座った。

 プロデューサーがコーヒーを開けると赤羽根もいただきますと言ってコーヒーを開けて一口飲んだ。

 プロデューサーは今の赤羽根が一番気にしているだろう言葉を言った。

 

「怒鳴られると思ったか?」

「うっ、正直に言えば……はい」

 

 赤羽根も事務所に戻ってプロデューサーがいる時点で怒鳴られ、叱られると思っていた。

 情けない顔をしている赤羽根をみながら、

 

「ダブルブッキングしたんだって?」

「ええ、真と響にダンスの仕事を振り分けていたんですけど、響に別の仕事をやらしちゃって。何やってんでしょうね、俺。こんな初歩的なミスをしでかして……」

「仕事自体は順調だった。ただ、急に増え始めた仕事を捌けなくなって焦り始めた、か?」

「それもあります。あとは律子と竜宮小町を見て、わかってはいてもやっぱり焦っていたんだと思います。あいつらにも仕事を探してきてアイドルとして輝いて欲しいって」

 

 コーヒーを一口飲んで、プロデューサーは自分もそういうことがあったと語り始めた。

 

「お前の気持ちもわかるよ。俺もそんな時があった」

「そうなんですか? 意外です」

「俺だって最初からできたわけじゃないさ。ミスもしたよ。まあ、流石にダブルブッキングはしなかったが」

「うぅ……」

「でも、まあそれは俺の所為でもあるしな。俺がいなくなった後をお前に任せるようなもんだから、頑張ろうって思うのも伝わってる」

「先輩の所為じゃないですよ」

「そこは俺の所為にしておけばいいんだよ。お前が抱いている焦りとプレッシャーは俺が原因だ」

 

 赤羽根もそれは理解している。けど、だからといってそれを押し付けたりはしていなかった。むしろ、彼を尊敬しているからこそ、余計に自分に腹が立つ。

 

「それでもできなかったのは自分の責任です」

「頑固だなあ。ま、失敗から学ぶのも今だからできる特権みたいなもんだ」

「俺、あいつらからも心配されているのに気付かなくて。でもなんとなくですけど、気付いたんです」

「何に?」

「上手く言えないんですけど、これがアイドルとプロデューサーの関係なんだって。変、ですかね?」

「変じゃないさ。アイドルにはプロデューサーが、プロデューサーにはアイドルが。互いに成長して、良い所も悪いところも言い合って……そんなもんだ。俺はお前が羨ましいよ」

「どうしてですか?」

 

 一度赤羽根を見て、懐かしそうに語りだした。

 

「お前達は立っている位置が同じだから、それを共有できているって言えばいいのか。俺はもう下から上へと引っ張るだけだからな」

「俺はそんな風には見えませんよ」

「どうして?」

「だって貴音や皆といる時や、仕事をしている時の先輩すごく楽しそうに見えますよ」

「楽しそう、か。自分ではそう思ってても、そう見えてるのか。そうだな、こういう言い方は貴音や今までプロデュースしてきた子達に失礼だな。赤羽根、ありがとうな」

「先輩にお礼言われるとなんだか明日は雨が降りそうな予感」

「失礼な奴だな。人がお礼を言ってやってるのに」

「すみませーん」

 

 二人は笑った。

 こういうのも悪くないとプロデューサーは思いながら今日最後の煙草に火をつけ、飲み終わった缶コーヒーを灰皿の代わりにした。

 赤羽根はあることを思い出してプロデューサーに報告した。

 

「そう言えば今日、美希に助けられましたよ」

「ああ、響の代役に星井がやったんだってな」

「ええ。俺、実際に見たわけじゃないんですが真がやけに美希を賞賛してたんですよ。一度踊ったダンスを一回で覚えて、それに会場とかそういうのを全部把握しているみたいに踊っていたって。それを聞いて、先輩がこの前言っていた言葉をやっと理解しましたよ。あいつが特別な理由」

 

 フーと煙を吐き、灰を空き缶に落として、

 

「星井はな、天才なんだよ。大半のダンスは一度で覚え、ファッションセンスもあり、なによりカリスマも備わっている。765プロのアイドルの中じゃ、千早の歌を除いても総合的にみればあいつが一番だ」

「美希は千早にはちゃんと『さん』付で呼んでるんですよね」

「多分尊敬しているんじゃないか。あいつの歌に対する姿勢っていうか思いか」

「なんとなくわかります」

 

 赤羽根は自分でこの話題を振っておきながらもある事を聞いた。

 

「あの、失礼なことを承知で聞きます。どうして美希じゃなくて貴音を選んだんですか?」

 

 プロデューサーは特に怒るようなことをせず平然と、

 

「お前、力はあるのにやる気がない奴を指導したいって思うか?」

「それはなんとも……普通ならやる気にさせて、まあ漫画みたいな感じに俺がやるってなるんでしょうけど」

「そうさ、やる気がないならさせてやればいいだけの話だ。それが普通なんだろうな。だけど、俺はしなかった」

「美希の奴が自分で目的を持ってアイドルをしてほしいからですか?」

「よくわかったな、ご名答」

「それりゃわかりますよ。だって、先輩。美希だけ『星井』って呼んでますし。わざとなんでしょう?」

「かなり露骨だがな。いい感じに俺に怒りを向けてるんじゃないか?」

 

 プロデューサーはまるで、今の状況を楽しんでように話していた。

 

「先輩、傍から見たら苛めてるようにしか見えませんよ」

「だろうな。星井が動くようにはっぱをかけてたつもりだったんだが、不発に終わってしまってな。けど、竜宮小町には食いついたようだったな」

 

 それを聞いて赤羽根は今日美希に言われたことを思い出した。

 

「先輩、今思い出したんですけど。今日美希のやつに聞かれたんです。どうして竜宮小町にはいれないのって。その時俺、丁度相手先から連絡がきて話を流して聞いてたんです。確か……頑張ったら竜宮小町に入れる? だったかな、それをそうなんじゃないかって言っちゃって……」

「ほお」

「不味かった、ですかね」

 

 いやと言いながら缶に煙草を押し付けて中に入れた。缶を地面に置いて、ポケットからココアシガレットを咥えた。

 

「というよりも、やっぱりお前のところにも星井が行ったか」

「やっぱりって、先輩の所に美希が?」

「ああ、朝俺のところに来たんだよ」

 

 プロデューサーは朝の出来事を思い出す。

 朝、貴音を収録現場に降ろしてそのまま事務所で仕事をしていた時に美希が声をかけてきたのだ。

 驚いたようにプロデューサーは応えた。

 

「ねえ、プロ……デューサー」

「星井か、なんだ」

「っ」

 

 美希は自分の名前を呼ばれた瞬間唇を噛んだがすぐにやめて続けて話した。

 

「どうして美希は竜宮小町じゃないの?」

「? 逆に聞くが、どうして入れると思った?」

「質問を質問で返さないでほしいの」

「まあ、落ち着け。一応言っておくが竜宮小町を選んだのは俺じゃない」

「じゃあ、律子……さんってこと」

「そうだ。企画には俺も協力した。それだけだ」

「じゃあ、美希の質問にちゃんと答えてよ」

「お前が選ばれなかった理由か?」

 

 美希はただ無言で頷いた。

 プロデューサーは悩んだ。どう言えばいいかと。

 そもそもプロデューサーにはその質問の答えを知ってはいない。律子のみ知るといったとこだ。プロデューサーは悩んだ末、答えを出した。

 

「竜宮小町にはお前は必要ないからだ」

「っ! もういいの!」

 

 そう言って美希は事務所から出ていった。

 

「とまあ、こんな感じだな」

「先輩……最低ですよ、その言い方だと」

「しょうがないだろう。子供の扱いなんてわからん」

「貴音とはちゃんとしているじゃないですか」

「アレは……うーん」

 

 腕を組んで首を傾げる。先程の話で納得したのか赤羽根が言った。

 

「だから、美希があんなことを言ってたわけだ」

「あんなこと?」

「ええ」

 

 赤羽根は美希の言葉を思い出す。

 確か、事務所を出ようとした時に美希がやってきたプロデューサーと同じ質問をしたのだ。

 そのまま美希は続けながら、

 

「律子……さんは、美希のことを好きじゃないから竜宮小町に入れてくれないんだと思うの」

 

 正直の所、赤羽根自身もそれは知らない。律子がどうしてあの三人を選んだのかは聞いていないし、聞かされてもいなかった。

 だから、つい言ってしまった。

 

「先輩には聞いてみたのか?」

「あの人はッ!」

「!」

「美希の事が嫌いだから……いつも星井って。だから、竜宮小町にはお前は必要ないって」

「美希、それは……あ、はいもしもし」

 

 この時、携帯に仕事先の相手から電話がかかってきた美希の話を聞き流す程度にしかきいていなかった。

 それでも、美希は続けて、

 

「どうしたら、いいのかな。美希が頑張れば律子……さんも認めてくれるかな?」

「はい、それでお願いします……まあ、お前が頑張れば律子も認めてくれるんじゃないのか?」

「――! じゃあ、美希が一杯仕事を頑張れば竜宮小町に入れるの?!」

「そうなんじゃないか? ああ、すみません。はい、はい、ではこれで」

「わかったの!」

 

 そう言って美希は去って行った。

 その直後に電話が終わり、赤羽根も現場にいかなくてはならずあまり気にしていられなかった。

 

「成程なあ、それで最初のアレになるわけだ」

「はい、やっぱりちゃんと話した方がいいですよね。このままやったって竜宮小町には入れないわけですし」

 

 赤羽根の言っていることは正しいとプロデューサーも同じ考えだった。

 だが、同時に今の美希は『竜宮小町に入れる』と思っているため普段よりやる気を出しているのもまた事実だ。

 悩んだ末、プロデューサーは言った。

 

「いや、言わなくていい」

「先輩! いくらなんでもそれは……」

 

 赤羽根もこのあといつかに起こることが用意に想像できた。

 最悪、アイドルを止めかねない。

 

「赤羽根。もし、もう一度言われたこう言え。『先輩が美希にそう言えって言われた』って」

「先輩、それは!」

「いいんだよ、全部俺が責任を取る。これは賭けだ。あいつが、星井美希が本当にアイドルになるか、ならないか。頼む」

「……わかりました。先輩、なんだかんだ言って美希のことを凄く考えてるんですね」

 

 プロデューサーは下に置いた空き缶を拾って、パイプ椅子を畳んで歩き出した。

 

「当然だろ。俺は、765プロのプロデューサーなんだからな。それに、あいつの才能を潰すのは正直嫌だからな」

「……はい!」

 

 赤羽根もパイプ椅子を畳んで駆け足でプロデューサーに追いつこうとする。

 

「もう遅いし、どっかで飯でも食いに行くか」

「はい、お供します」

 

 その後、遅くまで赤羽根と飲み食いしてマンションに帰ると、機嫌の悪い貴音が部屋で物凄い威圧(プレッシャー)を放っていた。

 理由はラップのかかったお皿。

 連絡はやはり大事だと改めてプロデューサーは思った。

 翌日、貴音は必要最低限の返事しかしてくれなかった。無視されるのは中々辛いものがあると身を持って知った。

 

 

 

 

 

 二〇一三年 八月下旬 765プロ応接室

 

 765プロにある間仕切りで囲われた空間でプロデューサーとあずさが座っていた。プロデューサーは怒っているわけではないがそんな顔をしているようにも見える。

 対してあずさは両手を膝の上に置いて顔は下を向いていた。その表情は暗い。

 そんな二人の様子を間仕切りの上から、入り口の横からアイドル達が覗いていた。

 そして、プロデューサーがその重たい口を開いた。

 

「あずさ君、俺は怒っているわけじゃない。だが君は、自分が何なのかという自覚が足りないと思うんだ」

「はい。私はアイドルです、はい」

「そうだ。この間のブライダルの撮影に関しては眼を瞑ろう。あればかりはしょうがない」

「はい、ありがとうございます……」

 

 数日前。765プロにブライダル雑誌の撮影を赤羽根が取ってきた。相手からは新郎と花嫁ともう一人には、ミニウェディングドレスを着てほしいという依頼だった。

 プロデューサーと律子、それに赤羽根の三人で相談した結果。新郎は当然真に、花嫁も自動的にあずさになった。最後の枠を誰にするかとなり、プロデューサーが星井にやらせるかと言ってそのまま採用。

 当日、赤羽根が同行した。撮影自体は途中まで上手くいっていたのだがまさかのトラブル。あずさがいきなり黒服に攫われ、そのままあずさを探しえ町中を駆け回った。

 結果的に言えば、多くの人達を巻き込んだその一枚の写真が後に注目を浴びることになる。

 

(貴音にネチネチ言われたからなあ。なだめるのに苦労した……)

 

 プロデューサーもその日、貴音の仕事が終わり赤羽根達と合流することになっていた。道中、なんで私ではないのですかと何度も質問攻めにあったのを思い出す。

 プロデューサーもそれを考えてはいたが、もしそうなった場合のことをシュミュレートしたら自分に何かとんでもないことが起きるのだと予感し、貴音の案はなくなったのだ。

 

(いかん、今はそれどころじゃなかった)

 

 頭は振って切り替えた。プロデューサーは足元に置いておいたポリ袋を出した。すると、あずさの顔がますます青くなる。中にはプリンの空の入れ物が入っていた。それもたくさん。

 

「しかし、これだけはしょうがないで済まされない」

「はい、反省しております」

 

 それは昨日のことであった。伊織が皆のために後で食べようとしていた『ゴージャスセレブプリン』をあずさが食べてしまったのだ。

 それが原因で亜美と真美の取り調べが始まりひと騒動起きた。結局、謎のままで終わるかと思われたのだが。

 あずさがそれを露地のゴミ箱に捨てているところをプロデューサーが目撃してしまったのだ。

 

『あずさ君、まさかそれは……』

『ぷ、プロデューサーさん! そう、見てしまわれたのですね……』

『君は一体なんてことを仕出かしてしまったんだ。こんなことをしてタダで済むと思っているのか?!』

『だってしょうがないじゃないですか。そこに……プリンがあったんですから!』

 

 そんなやり取りの後、現行犯逮捕された。

 新たなデザートをプロデューサーが買ってきて、それをあずさの前で食べさせた。一種の拷問であったと後にあずさは語る。

 

「あずさ君、君はアイドルだ。アイドルはその身だしなみにも気を遣う。それは、体重も含まれる」

 

 ぎくぅと体を震わせたあずさ。今度は全身がプルプルと増えだした。

 

「赤羽根」

「はい……」

 

 言われた赤羽根がやってきた。彼の顔は引きつっていた。その手にあるモノを持って。

 

「あれがわかるかい、あずさ君」

「ま、まさか……!」

「そう……体重計だよ! というわけで、さっそく乗ってもらうかな。皆の前で!」

 

 先程の重たい空気と打って変わってお祭り騒ぎのように周りも野次を飛ばす。

 

「そうだ、そうだー」と亜美。

「食べ物の恨みは怖いんだー」と真美。

「当然の報いよね」と一番の被害者である伊織。

 

 他の者は苦笑いをしながらそれを眺めている。

 あずさは赤羽根の隣に立つ、律子に救いの声を求めた。

 

「律子さーん、助けてくださいよ~」

「あずささん、こればっかりは私も擁護できません。ですから、潔く測りましょう」

「うぅぅ」

 

 一歩、また一歩と体重計に近づく。プロデューサーは急かすように叫ぶ。

 

「ハリー! ハリー! ハリー!」

「プロデューサー、なんであんなテンションが高いんだ?」

 

 プロデューサーを指しながら響が貴音に問う。

 

「たぶん、キレてますね」

「キレてるのか、アレで」

「私は食べても太らない体質なので気にしたことがないのですが。まあ、アイドルにとって体重管理も仕事の内、ということでしょう」

『……』

「はて、皆どうしたのですか?」

 

 貴音は自分が言ったことを理解しておらず、彼女達からの視線の意味を理解してはいなかった。

 そんな中、あずさは体重計の前に立っていた。

 

(うぅ……あのあとも普通にご飯食べちゃったし。ああ、どうしましょう)

 

 考えていてもすでに手遅れ。あずさは滅多に体重計に乗らないこともあって余計に今の体重を知るのが怖い。

 改めて体重計をみる。デジタル式の体重計なので細かい体重まできっちり測定してくれることであろう。それが余計に恐怖を駆り立てる。

 だがそれをプロデューサーは、許しはしなかった。

 

「あずさ君、楽になろう」

「あずささん、その……もう諦めましょう」

「赤羽根さんまで私を見捨てるんですか!」

「いや、見捨ててるわけじゃ」

「ああもう! じれったい!」

「きゃ!」

 

 煮えをきらした律子があすざの背中を押した。その反動で右足が体重計に乗る。そのあとは身体が勝手に左足を体重計に乗せる。

 皆がしゃがんでメモリを覗き込み、その数字を確認する。

 こほんとプロデューサーが咳払いをして律子をみて、

 

「律子、判決を」

「はい、アウトです」

「「デデーン。あずさお姉ちゃんアウトー!」

「いやぁーーーー!!」

 

 朝食の分と服の重さを入れても、プロフィールに掲載されている体重より○キロは増加していた。

 手で顔を隠して膝を抱えるあずさを見ながら春香が言った。

 

「あのプリン、カロリー高そうだったもんね……」

「春香、プリンってそんなにカロリー高いの?」

「千早ちゃんって商品に張ってある表記の奴とか意外とみない?」

「ええ。私、そういうの気にしてないから。それにあんまり食べないし」

「あはは、そうなんだ。まあ、一個なら大丈夫だよ? ただ……全員分食べたら、ねえ」

「流石に太るわよね」

 

 ああはなりたくないと声には出さず、胸に密かに思う二人であった。

 未だにショックで落ち込んでいるあずさにプロデューサーが追い打ちをかける。

 

「じゃあ、あずさ君。今日から一週間ダイエットね」

「そ、それはちょっと急じゃ……」

「大丈夫、そんな無理じゃない奴だから。まず食事は今まで食べてた半分ね。それにレッスンもあるから身体を動かすだろうし多少はいいだろうけど」

「まあ、それでしたらなんとか」

「あと、デザートも制限するから」

「そ、それだけは~」

「駄目です。一日一個。どんなものでも一個。あと水をたくさん飲みなさい」

「鬼、悪魔、プロデューサーの……ええと」

 

 最後の言葉が浮かばず目が泳ぐ。はあと溜息をつきながら

 

「まずは一週間。頑張りなさい」

「はいぃー」

 

 それから一週間。あずさのダイエットは成功し再び元の体重に戻った。

 食事制限も解放され今まで通りの食習慣に戻ることも許可された。

 喜んだあずさはその帰り道。一人、ファミレスによって一番値段的にもカロリー的にも高そうなパフェを頼み、

 

「これは一週間頑張った私へのご褒美~」

「じゃあ、私達からも」

「ご褒美をあげなきゃなあ」

「へ?」

 

 

 汗が垂れる。

 

「えーと……」

『ふふふ』

「……いただきます!」

 

 何かされる前にとパフェを頬張る。

 完食後、あずさは二人に連行されるのであった。

 明日、辛いレッスンがあると知っていながらも、あずさの食べている時の表情は終始笑顔であった。

 

 

 

 

 

 

 

『幕間』

 

 これはまだ貴音が〈銀色の王女〉と呼ばれる前の話。年が明けてテレビ出演なども増えた二月頃のことだ。

 その日プロデューサーは765プロのアイドルの一人である我那覇響にあることを教えてもらった。

 

「なあ、プロデューサー。ちょっといいか?」

「なんだ、響。なにか問題が起きたか?」

「問題と言えば問題、かな? プロデューサーは貴音の奴が視力悪いって知ってる?」

 

 響に言われて改めて普段の貴音の素行を思い出す。特にこれと言って思い当たらないなと思いつつも最近ある事を目にしたのを思い出した。

 

「そう言われるとあったような気がするな。運転中であまりよく見てないからなんとも言えんが、いきなり手を振っている時があった。てっきり誰かに手を振られて返していたんだと思っていたんだが……それか?」

「多分そうだぞ」

「あいつ自覚ないのか……」

「自覚がないというよりも、目に映っている世界が貴音にとってはそれが当たり前になっているんだと思う」

 

 溜息を突きながら頭を抱えた。よく、事故や怪我などをしなかったなと。

 

「で、眼鏡を買ってあげたらって話なんだ」

「ふむ。丁度いいからついでにカツラも一緒に買うか」

「カツラ?」

「有名になるとそれだけで歩くのすら困難になるからな。それにあいつの髪は銀色で余計に目立つからな」

「あー成程。自分もいつかそういうことするのか?」

「お前は眼鏡と帽子だけでいいんじゃないか?」

「もちろん、プロデューサーが買ってくれるんでしょ!」

「バーカ。経費で落とすに決まってんだろ」

「そこは男らしくもちろんって言ってほしいぞ!」

「必要経費だからな、当然だろ」

 

 で、響とそんな話をしたのがきっかけで貴音に眼鏡とカツラを買ってやることになった。

 プロデューサーはどうせだからどこかのブランドとコラボしてみるかと思い行動に移した。

 駄目元でやってみたらとあるブランドが快く承諾してくれた。

 そのあと実際に打ち合わせをして、ついでに視力を測って貴音に好きな眼鏡を選んでもらった。

 同時に撮影も行ったので現場ですぐに眼鏡をつけての撮影となった。

 実際に貴音に出来上がった眼鏡を渡すと、

 

「あ、あなた様、大変です。世界がはっきりと見えるようになりました!」

「まあそうなるな」

「眼鏡をかけたことでよりあなた様が凶悪に見えます」

「それは余計だ」

 

 今までの視力のまま生活をしてきたのならこの反応は当然だろうなとプロデューサーは思った。

 眼鏡を付けた貴音も悪くはないがやはり普段のがよいと判断した。今回の企画の担当さんと話して、ついでにコンタクトも用意してもらった。

 それからの貴音は普段はコンタクト、変装時に眼鏡というスタイルとなる。プロデューサーのマンションに引っ越してからは普段でも眼鏡をかけることが多くなったと言う。

 

 それから最後にカツラ。都内にある専門店に赴いた。

 店内を見て周りながら店員と相談してオーダーメイドということになった。

 当然であった。貴音の髪は長い。それに全部を覆うぐらいになるとオーダーメイドになるのは仕方がなかった。

 で、サンプルで色々と被っていた時のこと。貴音が金髪を被るとプロデューサーは不思議な感覚に陥った。

 

「なあ貴音」

「はい、なんでしょうか」

「金髪のお前ってなんかこう違和感ないよな。ある意味反対の色なのに」

「ふむ。確かにこれもいいですね」

 

 貴音も意外と好評のようだった。しかし、金髪も目立つためそれは却下し、結局黒になった。

 ただ貴音がやけにこちらも捨てがたいというような顔で、

 

「あなた様、こちらも欲しいです」

「いや、一個あればいいだろう」

「いえ。何かあった時のために予備は必要です」

「だったら黒をもう一個で頼めばいいだろうが」

「いえ、金髪でないと駄目です」

 

 頑固として譲らなかった。

 プロデューサーはこの時から貴音は被り物が気に入り始めたのだと後に語る。

 

 出来上がったカツラを使い始めてからは中々上手く一人ではできなかった。なにせ貴音の髪は長いしボリュームもあるように見える。

 そこは店員さんのプロからの指導により今では問題なく被れている。

 

 そして時は流れ八月某日。

 プロデューサーの部屋ではこの日あることが行われていた。

 それはファッションショーならぬ、コスプレショーであった。

 ステージはプロデューサーのリビング。観客兼カメラマンは勿論プロデューサー。仕事が終わって時刻はすで二十一時は過ぎていた。

 プロデューサーはすでにカメラの代わりにビールを持って死んだ目の一歩手前辺りな感じで観賞を強制されていた。

 

「では、あなた様これはいかがでしょうか!」

 

 洋室とリビングを繋げる襖をバンッ、と開けながら登場した貴音。その姿はいつもの銀色の髪は変わらず、服装だけが違っていた。例えるなら、ゴスロリだろうか。黒を基調として羽がついてる。

 

「なんでも漫画のなんとかめいでんとやらの人気衣装なのだそうです! 他にも翠とかピンクのような衣装もあります!」

「……ああ、そう」

「ふむ、では今度は――」

 

 再び襖を閉じて数分後。頭に団子が二つ。それはどっかのゲームでみたチャイナドレスを着たキャラクターに似ているなあと興味なそうに思い出した。

 

「どうですか。イケてますか?」

「あー? イケてんじゃねーのかー」

「そうですか。では次は――」

 

 プロデューサーはすでに限界だった。頭は後ろに倒れ口は開き、気付けば意識を失っていた。

 

「あなた様。……あなた様?」

 

 いつしか、プロデューサーの部屋にある二つある洋室の内の一つが、貴音の衣装やら着ぐるみの置き場所となってしまった。

 プロデューサーは自分の部屋なのに、開けることができない部屋が一つできてしまったことにがっくしと肩を落としたのであった。

 

 

 

 

 

 




あとがきと言う名の設定補足ー


はい、今回はアニマス6話と8話です。7話は非常に申し訳ないのですがカットしました。どう絡めていいか色々考えたのですが結局駄目でした。本当に申し訳ありません。前回のあとがきの方も修正しておきました。

まず6話ですね。アニマスと違って仕事は少し増えていますが内容は変わらず、竜宮小町の登場により焦って周りがみえなくなって失敗してしまった赤羽根を先輩であるプロデューサーと反省会でした。
最初に謝っておきますが、美希の扱いに関しては自分でも考えてこういう形になりました。自分の力不足です。

アニマスでもあったのをプロデューサーがいることでさらに悪化させています。
アニマスでは竜宮小町が美希にとってのキラキラできる存在だと思っていたのでしょうかね。本作品では貴音がいるが、自分が選ばれなかったことで余計に駄目になっていますから、竜宮小町ならと思っての行動になっています。

どこかで見たのですが、律子は実力主義だから美希の才能を認めつつも本編での態度を取っていた。そう考えると、もし美希が最初から本気? アイドル活動をしていればまた違った結果になったと思うんですよね。まあ、これは私の勝手な妄想なので無視してかまいません。


第8話は主に後日談的な感じです。8話はうる覚えで書いたのであとで見直したらちゃんとダイエットしていたんですね。それで、ああなってしまったと。
まあ、ダイエットをしている人間があれだけのプリンを食ったら翌日酷いことになりますよ。ゴージャスセレブなんて名前ですから余計に。

幕間は前に書こうと思っていた話しです。
貴音の初期のプロットが金髪だと知っている人は今どれだけいるんでしょうかね。美希が出来たことで変更されたらしいです。

SPが出た頃か、2が出る前だったか。あのころのニ○動にはたくさんの紙芝居や戦記物があって毎日のようにチェックしていた思い出があります。

ホントどうでもいいけど、デレステでスカチケ来てください。お願いしますよ……





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第9話

 二〇一三年 九月上旬

 

 

 この日全国生放送で『芸能事務所対抗大運動会!』が開催されていた。勿論765プロ全員での参加である。

 各アイドルが競技に参加してその得点を競う至ってシンプルなものだ。

 種目としては普通の運動会の内容とほぼ変わらない。参加する種目は事前にアイドル達がやりたいものを選んで決めていた。

 もちろん全員優勝する気でいる。765プロには運動神経がいいアイドルが複数いるのでその可能性は大いにある。

 特に真と響は参加しているアイドル中ではトップに入る。

 今回の主役はもちろんアイドルである彼女達。プロデューサー達はどちらかと言えば、運動会に応援に来た保護者みたいなものだ。

 つまり、始まってしまえばこれと言ってすることがないのである。

 

「暇だな」

「ですね」

「二人とも、いくら私達にあんまり仕事がないからと言って気を抜きすぎですよ」

「律子、堅いことを言うなって。こういうのはな、子供を応援しにきた親の気持ちでいればいいんだ」

「プロデューサーさんは子供いるんですか?」

「いない」

「もう」

「まあまあ。ここは間をとってちゃんとアイドルを応援しましょうよ」

 

 二人は赤羽根の意見に同意して運営から用意された765プロの陣地をみて、二人とも溜息を吐く。

 赤羽根もタイミングが悪いと二人のあとに続いて溜息をもらした。

 何故か伊織と真が口論をしていた。プロデューサーが事情を聴きながら間に入った。

 

「ほら、あずさはビリだったけど目立ってるじゃない!」

「それは伊織の所為だろ!」

「お前らなんで喧嘩してるんだ?」

「プロデューサーも見てたでしょう! あずさはビリだったけど取材も受けたし、まあお客に笑われたけど」

「ああ、そういうことか」

 

 用は順位に関係なくテレビからの取材を受けていたり、注目を浴びるのがよくわかっていないようだ。

 

「プロデューサーは伊織に味方をするんですか!?」

「真も落ち着け。いいか、こういうのはな。如何に目立つかが重要なんだ」

「目立つ? 1位を取るだけじゃだめなんですか?」

「それも大事だ、勝つためにはな。けど、そうだな。例えば真がリレーで他のアイドル達に差を大きく開いて1位を取る。伊織はどうおもう?」

「それは……凄いわよね」

「だろ? そうすればテレビ局だって取材にくる。先程のあずさ君のようにビリだけど面白い絵が撮れればそっちのがいいのさ。まあ、あずさ君のあれは天然だから逆によかったようなものだ」

「つまり」

「どうすればいいんですか?」

「勝てばすべてオッケー」

 

 伊織と真は互いに顔を見合う。

 

「そうよね、最後に」

「勝てばいいんだよね!」

 

 それでいいのか、と赤羽根は心の中でツッコミを入れた。すると律子がやってきて仕事の時間だと告げる。

 

「プロデューサーさん、そろそろ」

「ああ、そうだったな」

「ほら、伊織と亜美はあずさんに合流よ」

「貴音も律子についていけ。律子、頼んだ」

「はい、わかりました」

「では、行って参ります」

 

 ステージに向かう貴音達を羨ましそうに彼女達は見ている。赤羽根も彼女達の気持ちを察したが何も言わない。

 今言ったところで何もならないからだ。

 

(焦っちゃだめだ。むしろ、注目を浴びればテレビにだって映るんだからやりようはある)

 

 赤羽根も今回の企画に765プロが参加できたのは、貴音と竜宮小町の活躍によるものだとわかっている。参加している事務所も今話題のアイドル達ばかりだ。

 言ってしまえば四人以外のアイドル達はおまけ、おこぼれと言われても仕方がないと赤羽根も気付いている。

 

(けどこれは逆に、あいつらにとってもチャンスなんだ)

 

 プロデューサーも言ったように活躍すればそれだけ注目を浴びることができる。

 赤羽根は一回深呼吸をして、彼女達に声をかけた。

 

「なに暗い顔をしているんだ、まだまだ始まったばかりなんだ。皆で優勝目指して頑張ろう!」

 

 赤羽根の声に賛同して彼女達も暗い顔をからいつものいい表情をするようになった。

 そうだよねと皆で声を掛け合う。春香が声をあげて、

 

「よーし、それじゃ皆頑張ろう! おー!」

『おー!』

 

 大きく手を高くあげて叫ぶ。

 そんな彼らをプロデューサーはにんまりとした顔で見ていた。

 

(いい感じに成長してるな。本当、子を見守る父親みたいな感じになってきた)

 

 子供もいないがそんな気持ちも悪くないとプロデューサーは思いながら指示を出した。

 

「さあ、団結したところで次の競技の準備だ。怪我をしないで楽しんでこい。ついでに1位をとってこい」

「えー、そこはついでなのー?」

「こういった事を皆でできるっていうのはとても大事なんだぞ? だから、楽しんでくるついでに勝ってこい」

「そうだぞ。優勝したら先輩がご褒美をくれるんだから、皆頑張れよ!」

「ちょ、待――」

『はーい!』

 

 プロデューサーの言葉をかき消すように彼女達は大きな声で返事をして移動を始めた。

 残されたのは大人二人。

 プロデューサーは目を細めながら睨むように赤羽根をみた。

 

「赤羽根君、どういうことかな? おじさん、ちょっと混乱してるんだ」

「そこは年長者として胸を貸してくださいよー。あいつらもいい感じで取り組んでくれましたし」

 

 ふうと息を吐いていつもの表情に戻りながら、

 

「ま、お前もいい感じにあいつらのプロデューサーとしての役目を果たせてるみたいだし。今回は大目にみてやるよ」

「はは、そうですか」

「ちなみにご褒美の内容は何か考えてるのか? 金を出すのは俺なんだが」

「……やっぱりデザートですかね」

「女、だもんなあ」

 

 二人がそんなことをしている間、競技は何事もなく進む。お尻で椅子に固定された風船を割ったり、騎手の風船を割る騎馬戦。などなど、彼女達は順調に得点を稼いでいた。

 その中で、個人種目で一位をとった美希はほくそ笑む。

 

「これで竜宮小町に入るのに一歩に近づいたの」

 

 一方、仮装障害物競争と言えばいいのか、それに出るやよいの番が回ってきた。スタートする前からカツラを被るアイドル達。やよいもピンク色をしたアフロを被りスタート地点に立つ。

 パァン、とスタートの合図が鳴りアイドル達は一斉に走る。道中にある網をかいくぐり、跳び箱を飛び、一本橋をふらふらと渡る。数名がカツラがとれて脱落している中、やよいは上位を保っていた。

 最後の障害物と言うわけではないが大きな袋に入り、ゴールまでの直線を走る。走ると言うよりは飛び跳ねているのが正しい。

 だが、やよいが被っているアフロのカツラがずれて顔の前に落ちて視界を遮ってしまう。それに慌てたやよいが、隣で走っていた〈こまだプロ〉のアイドルを巻き込んで倒れしまった。

 それを見たプロデューサーは口を丸く開いた。

 

「あちゃー、盛大に転んだようには見えんが……赤羽根」

「はい。こだまプロのプロデューサーに謝罪、ですよね」

「そこまで仰々しくやらんでいい。普通に一言謝ってくればいいさ」

「わかりました。じゃあ、行ってきますね」

「念のため、こだまプロのアイドルの方は俺が行ってくる。春香、少しの間頼んだぞ。何かれば連絡してくれ」

「はい、わかりました」

 

 春香にまとめ役を頼み、二人は目的の場所へ向かった。

 

 同じ頃、競技が終わったやよいはぶつかってしまったこだまプロのユニットである〈新幹少女〉ひかりに称賛と謝罪をした。

 

「あ、あの2着おめでとうございます」

「え?」

「あとぶつかってしまってごめんなさい」

 

 ひかりはカツラをとりながら笑顔で答えた。

 

「いいのよ。765プロも優勝目指して頑張ってるものね」

「はい! ありがとござ――」

「ま、あんたみたいな足手まといがいたら優勝なんて無理だろうけど」

 

 先程の優しい声をした同一人物とは思えないぐらい嫌味な喋り方をして、やよいの言葉に割って入った。

 

「四条貴音と竜宮小町のおかげで参加させてもらっているようなもの。それにあのプロデューサーがいながらまだ名も売れてないことろをみるとあなた、アイドルとして駄目なんじゃない?」

「え……」

「だってそうでしょう? じゃなきゃもっと活躍してるに決まってるもの」

 

 やよいはそれを言い返すことができなかった。服の裾を両手でぎゅっと悔しそうに握る。

 ひかりはそんなやよいを見て言いたいことを言って満足したのか去ろうとした。するとその話で出てきたプロデューサーがやってきて声をかけた。

 

「こだまプロのひかりさんかい?」

「あ、はい。そうです!」

 

 先程のやよいに向けた顔からいつもの営業スマイルを作って返事をした。

 

「うちのアイドルがすまないね。怪我はないかい?」

「はい、大丈夫です。それでは失礼します」

 

 ひかりは内心、今の状況を恐れていた。傍から見れば別の事務所のアイドルに誹謗中傷をしているようにしかみえない。

 早くこの場から離れようと逃げるように足は動いていた。プロデューサーの横を通り過ぎようとしたその時、

 

「あと、何か文句があるなら競技の中で決着(ケリ)をつけてほしいねえ」

「……え?」

 

 プロデューサーは振り返ることなく前を向いたまま続けた。

 

「アイドルならアイドルらしいやり方ってもんがあると思うがね」

 

 言うだけ言ってプロデューサーはやよいの下へ歩いて行く。

 

(意味がわかんない! アイドルらしいやり方ってなによ)

 

 ひかりも訳が分からないまま自分の陣地へと戻っていった。

 

 プロデューサーは今にも泣きそうなやよいの前で膝をついた。いつもとは違う優しい声でやよいに聞いた。

 

「やよい、何を言われたんだ?」

「プロ、デューサー……私って足手まといですか?」

 

(成程、そういうことか)

 

 やよいのその一言でプロデューサーは先程のやり取り察した。

 

「やよい自身はどう思ってるんだ?」

「だって私、ポイントも取れなくて皆に迷惑をかけてるし……」

「いいかい、やよいはまだこれからなんだ。身体だってまだまだこれから成長する。率直に言うが、そんなやよいが他のアイドル達に劣ってしまうのはしょうがないんだよ」

「でも……私」

「でもな。さっきのやよいを見ている限り劣っていたり、足手まといだなんて俺は思ってない。上位をキープしていたし、転ばなければ違う結果にもなっていたさ。皆だって俺と同じ気持ちさ」

「本当、ですか?」

「ああ、俺が言うんだから間違いないよ」

 

 そう言われてやよいも少し表情が戻ってきた。しかし、今度は声を震わせながら、

 

「プロデューサー、私アイドルとして駄目なんですか?」

 

 プロデューサーは迷うことなく真剣に答えた。

 

「駄目じゃない」

「言われたんです。プロデューサーがいるのに全然活躍できてないのは私が――」

「やよい」

 

 プロデューサーはやよいにその先を言わせまいと、先程までとは違っていつもの声で言った。

 

「こればかりは俺を怨んでくれていい。俺は貴音のプロデューサーとしてすべてを優先している。やよいから見れば申し訳なさそうに仕事やレッスンをやよい達に与えていたように思われても仕方がない」

「違います! プロデューサーのレッスンは今でも無駄じゃありませんし、仕事だって私達に合った仕事を選んできてくれました!」

「ありがとう。いいかいやよい、アイドルって言うのはそんなに簡単になれるもんじゃないんだ」

「そうなんですか?」

「アイドルとして選ばれる。それだけでも凄いことなんだよ。だからやよい、自分がアイドルとして駄目だとか足手まといか思っちゃだめだ。気持ちを強く持つんだ。気持ちで負けたらおしまいだ」

「プロデューサー……」

 

 ニッコリと笑みを作りながらプロデューサーは立ち上がった。

 

「それに今は赤羽根もいる。大丈夫だよ、あいつがこれからお前らをちゃんと引っ張ってくれる」

「はい!」

 

 やよいもいつものいい笑顔で答えプロデューサーの隣に駆け寄る。

 陣地に戻ると皆がやよいを称賛した。

 

「惜しかったね、やよい」

「もう少しだったね」

「でも、よかったよ!」

 

 誰一人やよいを責める者はいなかった。やよいはプロデューサーの方見て、

 

「な、言ったろ?」

「――はいっ!」

 

 すると赤羽根も戻ってきてプロデューサーに報告した。

 

「で、どうだった?」

「問題ないです。先輩の名前も出したんでいい感じに話が進みました」

「お前もやるようになったねえ」

「いやあ」

 

 赤羽根は先程あった事をプロデューサーに話始めた。

 こだまプロの陣地と思われるとこに着いて件のプロデューサーを探した。当然初めて会うわけだから面識がない。自分と同じようにスーツを着ている人間を探し始めた。

 するとすぐに見つかり傍に駆け寄って声をかけた。

 

「すみません、こだまプロのプロデューサーでしょうか?」

「ええ、そうですが」

「失礼しました。私、765プロで同じくプロデューサーをしている赤羽根と申します」

 

 765プロと聞いてこだまプロのプロデューサーは顔を一瞬悪くした。

 

「あ、ああそうなの。で、どうしたんですか?」

「いや、うちのアイドルがそちらのアイドルとぶつかって怪我をさせていたら申し訳ないと思いまして」

「そうですか。特に本人から言われてないので大丈夫ですよ」

「それはよかった。先輩からも『もしも』があっては大変だと言っておりましたのもので」

「いやいや、大袈裟ですよ」

「アイドルの方には先輩が一応確認のため伺っているので大丈夫だと思いますので」

「あ、そうですか……」

「では、私はこれで。このあともよろしくお願いします」

「こ、こちらこそ、よろしく頼むよ」

 

 一礼して赤羽根はその場を去り、今に至る。

 

「まあ、特に問題がないならそれでいいさ」

「はい」

(それにこだまプロの株主はあそこだしなあ)

 

 プロデューサーは最悪の事態が起きた場合の対処を既に考えていた。

 

「あ、ステージ始まりましたよ」

 

 それに釣られて会場にある小さなステージをみる、貴音と竜宮小町に他の事務所のアイドル達もそこにいた。

 プロデューサーはそれをみると、

 

「赤羽根、俺は少し用があるからあとは頼んだ」

「それはいいですけど、どこへ?」

「なに、知り合いに会いに行くだけだ」

 

 そう告げてプロデューサーはその場から離れた。会場の出入り口から中に入って展望室に向かう。貸し切られているのか、警備員だと思われる男性が一人いて、彼に停められた。

 

「すみません、こちらは許可がない方は通すわけにいきません」

「許可は貰ってるんでね。なんだったら確認を取ってもらっても構わんよ?」

 

 平然と言っているが嘘である。彼はそれを鵜呑みにしてわかりましたと扉をノックして開けた。

 

「なんだ?」

「申し訳ありません。お客様がお見えに……」

「客だと? そんなことは――」

「どうも、お久しぶりです」

「あ、困りますよ!」

 

 警備員の後ろから身を乗り出してプロデューサーは久しぶりの挨拶をした。

 961プロダクションの社長である黒井に。

 

「構わん、そいつは客だ」

「わ、わかりました。では、私はこれで」

 

 そう言って警備員はおどおどしながら扉を閉めた。

 そんな警備員の態度にふんと鼻で笑い、展望室から再び会場を見下ろす黒井。

 プロデューサーはそんなことを気にせず彼の隣に歩いて行く。その態度は大きく見えるだろう。右手をポケットに入れながら彼は黒井の隣立つ。黒井はそのことを気にも留めず、

 

「随分と色々と派手にやっていたようだな」

「色々とは?」

「惚けるな。で、アレがお前のアイドルか」

 

 アレとは会場の大型スクリーンに映る貴音を指していた。

 プロデューサーはええと答えた。

 

「〈銀色の王女 四条貴音〉。数か月にしてトップアイドルの世界に足を踏み入れたアイドル。今活動しているアイドルの中ではトップに入ると言っても過言ではない。お前なら当然だろうな」

「どうしてそう思うんです?」

「ふん! お前のことは嫌でも耳に入るからな」

 

 プロデューサーはその言葉の意味を理解していた。

 

(素直じゃないなあ、相変わらず)

 

 自分が元961プロの社員(・・・・・・・・・)で彼の懐刀やら後継者と言われていた所為で、何かあれば噂で彼の耳に入るのは知っていた。それに、彼も自分の事が気になっていたのだろうとプロデューサーは予測をした。

 

「それにお前がやってきた功績も知っている。テレビ局での仕事や今活動している有名アーティスト、アイドルもお前がやったということはな」

「この業界の生き抜き方はあなたから教わりましたから、当然ですよ」

「ふん、どうでもいいことまで憶えおって」

「そうですか? 俺には見て覚えろって言っているようでしたけどね」

「相変わらずの減らず口だ」

 

 ははっと笑うプロデューサー。すると会場がいきなり暗くなりステージだけに照明が当てられた。それを見て、プロデューサーも先程の黒井と同じ事を言った。

 

「アレが黒井さんのアイドルユニット〈ジュピター〉ですか。男性アイドル、ということはそういうこと(・・・・・・)で?」

「お前に話す気はない」

「つまりそういうことですね。で、今まで961プロがアイドル以外の部門で活動してきたのにアイドル部門を作ったのは……順一朗さんに対しての宣戦布告ですか?」

「……」

 

 黒井は無言だった。プロデューサーはそれが答えだと理解しつつ続けた。

 

「遠目からですが彼らは良いユニットだと思います」

「当然だ。私が選んだのだからな」

「あなたのその『人材の素質を見抜く目』と『スカウト能力』、そして『経営手腕(ビジネスセンス)』は俺も尊敬しています。ですが」

 

 プロデューサーは黒井の方へ向き、真剣な眼差しで告げた。

 

「アイドルは道具ではありません。確かに俺達の視点から見ればアイドルは商品です。ですが、道具じゃない」

「つまり、何が言いたい」

「彼らを使って何かしようとしているのはわかっています。アイドルとしてそれを行うのは構いません。ですが、道具として使うのはやめてください。それはいつかあなたを不幸にします」

「不幸、つまりこの私が自分の策に溺れて失墜すると。そう言うのか!」

「ええ」

「ふん! 少し見ないうちにデカいことを言うようになったではないか」

 

 プロデューサーは表情を崩さず続ける。

 

「この業界ではいきなり何かが起きても不思議じゃない。もしかしたら相手先がそちらの方がいいと判断したという可能性もある」

「何が言いたい」

「我が765プロアイドルに直接危害を加えなければなにもしません。しかし……」

 

 プロデューサーの今までの雰囲気とは一転、相手を威嚇するように警告した。

 

「危害を加えるようなことをしたのであれば俺は全力であなたを潰します」

 

 黒井もプロデューサーの威圧に負け劣らぬ目で彼を睨む。

 

「お前にそれができると?」

「それだけの力は持っているつもりです。それにあなたが俺に教えたことです」

 

 黒井は何も言い返さなかった。ただ睨め合っている時間が過ぎている。

 すると放送で正午になったので休憩が入ると伝えられた。

 それでも微動だにしない二人。先に口を開いたのは黒井だった。

 目線はプロデューサーの左手にある腕時計を懐かしそうな目でみながら、

 

「まだ、持っていたのか」

「ええ。二十歳になってあなたが初めて俺に送ってくれたモノですから」

 

 ――二十歳になるのだから腕時計の一つぐらい身につけろ。ま、今のお前にはまだそれに見合うほどの男ではないがな!

 

 腕時計を送ってきてもらった時に言われた言葉を思い出す。

 

(俺はこれに見合うほどの大人になれただろうか)

 

 答えてくれる人は目の前にいるがそれを言ってくれる人間ではないことは知っていた。

 プロデューサーは腕時計を見て予定より時間が過ぎていたことに気付いた。

 

「では、俺はこれで失礼します」

 

 一礼して扉に向かう。それを黒井が引き留めた。

 

「今ならあのアイドルと一緒に移籍すれば、いい待遇で迎えるぞ」

 

 ドアノブに手をかけてプロデューサーは振り返る。

 

「それも悪くないですね。けど、あいつはそういうのを好かない奴ですし」

 

 ドアを開けて廊下に出るとプロデューサーは思い出したように、

 

「それに次の就職先は決まっているんで」

「それはどういう……」

 

 答えを聞く前にプロデューサーは既にいなくなっていた。

 それから少しして、ジュピターの三人がやってきた。

 

「なあ、社長」

「なんだ」

「さっき、サングラスをかけたおっさんとすれ違ったんだが知り合いか?」

 

 知らんといつものように一蹴してしまえばいいはずなのに黒井の口は動いていた。

 

「昔世話をしてやった生意気な若造だ」

「それってどういう意味だよ?」

「答える義理はない。次の現場にいくぞ」

 

 もうここに用はないのだからなと三人に告げた。

 

 

 陣地に戻ったプロデューサーを待っていたのは悲しい出来事であった。

 

「で、俺の弁当は?」

『……』

 

 一人を除いて視線を逸らす。弁当はちゃんと人数分頼んであり余るはずもない。皆その手に弁当を持っている。しかし目の前に食べ終わった弁当箱が一つ、その手に弁当箱を持ちながら食べているアイドルがいる……貴音だ。

 もぐもぐといつもと変わらない顔で口と箸を動かしている貴音。プロデューサーは貴音の微妙な変化に気付いた。

 

(なんか機嫌が悪いような……)

 

 そんなプロデューサーを見かねて、隣に座っていた響が耳元で彼に教えた。

 

「多分、さっきのステージを見てくれなかったらだと思うぞ」

「なんでそう思うんだ?」

「ステージが終わってきて真っ先にプロデューサーはどこですかって聞いてきたんだか多分そうだぞ」

「えぇ……」

 

 ちらりと再び貴音の方を見る。無言、ただひたすら食べているだけである。

 触らぬ神に祟りなしと言われているようにプロデューサーは胸ポケットからココアシガレットを取り出した。

 

「これで我慢するか」

「自分の分けようか? 少し食べちゃってるけど」

「気を遣わなくていい。お前にはこのあとしっかりと動いてもらわなきゃいけないしな」

「プロデューサーがそう言うならいいけど……あ、876プロの三人が差し入れでおかず持ってきてくれたからそれ食べるか?」

「……へえ」

 

 876プロの名前は知り合いからの情報で聞いていたし、実際に面識はないが彼女達には交流があったことは話では聞いていた。

 向こうもなんで態々押してくれたのかと聞くと、

 

『あの日高舞の娘がアイドルになった』

 

 一部の芸能関係者の間では話題になったのをプロデューサーも覚えていた。

 ただ本人には失礼だが、それだけだった。

 プロデューサーもそれ以上のことは調べなかった。

 奥に座る日高愛を見て、

 

(娘か……本当にバケモンだな、日高舞は)

 

 娘である愛の年齢から逆算すると彼女が生まれたのはまだ日高舞がアイドルして活躍していた時である。引退したのは十六歳。つまり、アイドル活動中にヤらかしたことになる。

 

「……サー、プロデューサー?」

 

 すると目の前にエビフライをつまみながら響が首を傾げていた。

 

「エビフライ嫌いなのか?」

「いや、ただちょっと考え事」

「そうか、ならいいんだ。はい、あーん」

 

 プロデューサーはそれを普通に受け入れた。口の中でサクサクとした触感がいい。少し冷めてはいたが。

 

「やっぱエビフライはサクサク感が大事だよな。一度温めるとふにゃふにゃになる」

「自分もそれわかるぞ。もう一個食べる?」

「頼む」

 

 二人がいい雰囲気の中、周りは逆だった。貴音が食べ終わった弁当箱をずっと手に持ったまま先程からプロデューサーと響を見ている。

 貴音から発せられる言葉にはできないプレッシャーに当てられて皆も会話をすることができない。

 なぜ、楽しい昼食がこんなことになってしまったのか。

 そう思った律子は赤羽根に貴音に聞こえない声で言った。

 

「なんとかしてくださいよ!」

「無理、絶対に無理。賭けてもいいぞ」

「私だってそっちに賭けますよ……」

「とりあえず、弁当を早く食べて避難するしかない」

「そうですよねぇ」

 

 一方、この空気を初めて味合う876プロの三人は声を震わせながら春香に聞いた。

 

「あの、いつもこんな感じなんですか?」

「え? う、うん。今日は特別こんな感じかな!」

「そ、そうなんですか」

「こ、怖い……」

 

 最後までこの状態は続き、午後の部開始前に中間発表が公開された。765プロは2位のこだまプロに少しの差で1位をとっていた。

 それに喜ぶ彼女達はますますやる気に満ち溢れていた。

 

 午後の部の最初の種目は借り物競争で個人と二人三脚の二つがあった。個人では貴音が、二人三脚では真と伊織のペアで出ることになった。

 まず初めに個人がスタートする。貴音はペースを抑えているのか参加者の真ん中辺りを保ちながら落ちているお題の紙を拾った。

 すると貴音は真っ直ぐ765プロの陣地に向かってきた。それを不思議な思ったプロデューサーは隣にいる赤羽根に話を振った。

 

「なんでこっちにくるんだ?」

「さあ、お題でなにかあったんじゃないですか? 物とか、そういうのをとりに」

「それもそうだな」

 

 その予想は当たっていた。が、意外だったのは貴音がプロデューサーの前で止まったからだ。

 貴音はプロデューサーの手を取り走り出した。

 

「あなた様行きますよ」

「え、ちょっとなんでだっ」

「いいから!」

 

 貴音に引っ張られて走り出したプロデューサーだったが、お題が自分に関係しているのだろうと推測して真面目に走る。

 気付けばすぐに貴音と並走していた。走りながらプロデューサーは愚痴を零した。

 

「あんまりおっさんを走らせないで欲しいんだがなあ」

「あらそう言っている割には余裕ですよ?」

 

 息も整っているし嫌な顔をしつつも疲れは見えない。プロデューサーは自信を持って言う。

 

「自慢じゃないが俺は100mを5秒フラットで走れるからな」

「そうなのですか!? それは驚きです」

「いや、冗談だ」

 

 最近の若い子、特に女に言ってもネタが通じないことがわかっていても、つい好きな台詞を言ってしまう自分が恥ずかしい。

 プロデューサーはそう思いながら前を向いて真面目に走る。

 貴音は視界に他のアイドル達がお題の品物を持って自分達より前を走っているのに気付いた。

 

「む、少し危ないですね……あなた様、少し速度をあげます」

「はいよ、お手柔らかに頼む」

「――いきます!」

 

 声が合図の代わりを果たし、グッと脚に力を込めて貴音は速度上げた。貴音に続いてプロデューサーも速度上げる。

 それに実況者が気付き、

 

『おおっと! 765プロの四条選手凄い追い上げだ! 隣にいるのはプロデューサーでしょうか、二人とも前方を走る選手に追いつき……抜いたぁ! そして、今ゴール! 1位は765プロの四条選手だ!』

 

 観客席から歓声が上がる。貴音のも息を落ちつけながら手を振ってそれに答えた。

 隣に立つプロデューサーは息をあげておらずいつものように落ち着いていた。

 するとスタッフがお題の内容を確認しに来た。

 

「一応お題の確認をします」

「はい、こちらです」

「……はい、大丈夫ですよ。1位おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

 そのあとテレビ局が貴音をインタビューしにきて、軽く受け答えしたあとに二人は陣地に戻る。

 お題の内容を知らないプロデューサーは気になって貴音に聞いた。

 

「で、お題の内容はなんだったんだ?」

「ふふっ、秘密です」

「あ、そう」

 

 貴音はプロデューサーから見えないように手に隠してあるお題の紙をみる。

『事務所で頼れる人』そう書いてあった。

 それを見て、貴音はニコニコと笑顔を浮かべていた。

 

(機嫌がいいな……1位を取れて嬉しいのか)

 

 先程とは違う雰囲気で内心ほっとしていた。

 二人が陣地に戻ると今度は二人三脚が始まった。

 最初は喧嘩もしていたが優勝をするという共通の目標があるためか、問題なく二人は息を合わせて走っている。

 お題の紙を拾い、互いに一度かを見合わせた。すると、似たような光景がまた起きた。

 

「おいおい、またこっちに来るぞ」

「今度は何なんですかね」

「俺と来たらお前だろ」

「いやあ、そんなことあるわけないですよ」

 

 だがプロデューサーの言う通り、赤羽根の前に二人は止まった。

 

『赤羽根P!』

「なんだ?」

「なんだ、じゃわないよ!」

「早くしてください!」

「わ、わかった。わかったからそう急かすな!」

「いってらっしゃーい」

 

 ゴールに向かって走る三人にプロデューサーは手を振って送り出した。

 貴音の時と同様にお題は早くに解決したが他のアイドル達に先を行かれてしまっている。

 真一人なら問題ないが今回は二人三脚。パートナーが響なら今からでも1位を目指せるだろうが相手は伊織だ。伊織が遅い訳ではないがやはり伊織に合わせて真は走っている。

 

(まずい、このままじゃポイントがとれない!)

 

 真は焦っていた。けど、今から速度をあげれば1位じゃなくてポイントがもらえる3位には入れるかもしれないと思いペースをあげようとする。

 

「伊織、ペースを上げるよ!」

「ちょ、待って真! そんな急に――きゃああ!」

「うわっ!?」

 

 功を焦ってしまった真は伊織が引っ張られるように走っていることに気付かなかった。それが原因なのか二人を縛っていたヒモが千切れ、真は前に、伊織は赤羽根を下敷きにして後ろに転んでしまった。

 

『おおっと、765プロゴール直前で転倒! そして、今新幹少女が1位でゴール! これで逆転です!』

 

 実況の声で状況に気付いた伊織は真に怒鳴ろうとした。

 

「ちょっと、真あんたの所為で……ってどうしたの?!」

「真、大丈夫か?」

「いてて、すみません。膝からいっちゃったみたいで」

「ちょっと待ってろ!」

 

 右足を抱える真。膝が赤くなっているのを心配して赤羽根は氷を持ってくると告げて二人から離れる。

 伊織は真に肩を貸しながら歩き出す。

 

「真、アンタ大丈夫?」

「大袈裟なんだから……」

 

 真に合わせながら伊織も歩き始めた二人に新幹少女の三人がやってきた。

 やよいの時と同様に二人を煽る。

 

「あら、また転んだの?」

「調子に乗ってるからこうなのるのよ」

「ですから、このまま―――!」

 

 二人と一緒に煽ろうとした新幹少女ののぞみは真を見て……禁断の恋に堕ちた。

 煽るどころから真を心配して自分のハンカチを渡して急に走り出し、他の二人も訳が分からずのぞみを追う。

 残された真と伊織は呆気にとられて、その場に立ち尽くした。

 

 律子の応急手当が済み、赤羽根が持ってきた氷が置かれる。律子は辛いが真に告げた。

 

「正直に言って、この怪我で全員リレーに出れるかはわからないわ」

「大丈夫だよ、少し休めば走れる」

「無理しちゃ駄目よ。悪化しちゃうかもしれないでしょ?」

「でも、全員リレーで1位を取らなきゃ優勝できないんだ。それに……」

「それに、なに?」

 

 その問いに伊織が代わりに応えた。

 

「新幹少女の奴らに言われたのよ。調子乗ってるからこうなるんだとか優勝は諦めなさいって。そんな事できるわけないじゃない!」

「!」

 

 伊織の言葉にやよいが反応した。やよいは何かを言おうとするが迷っていた。

 それに気付いたプロデューサーがワザとらしく、

 

「なんだ、また新幹少女になにか言われたのか?」

「ちょっとまたって何よ」

「あ、やべ」

 

 ワザとらしい振る舞いをしながら口を押える。伊織や他の子達もプロデューサーからその事を問い詰めようとする。

 そんな時、やよいはプロデューサーの視線に気づいた。何か自分に求めているような目をしていた。

 

(プロデューサー……!)

 

 やよいは何を言っていいかわからないが自分が何かしなくちゃいけないと思い、大きな声を上げて皆に言った。

 

「私が! 私が新幹少女に言われたんです」

「やよい……?」

「私が足手まといだから優勝なんてできないって。でも私、足手まといでも勝ちたいです! 皆と一緒に優勝したいです!」

 

 普段大人しいやよいとは違う姿に皆が驚いた。

 けれどもそんな事など関係ないように皆がそれに賛同した。

 

「そうだよ、私だって皆と優勝したいもの」

「私も高槻さんと同じ意見よ」

「ここまで来て、負けるのは嫌ですしね」

 

 皆の反応にやよいは嬉しくてたまらない顔をしていた。真も椅子から立ち上がり、

 

「律子、僕も出るよ。そして、勝ってくる」

「真……こんな状況で駄目なんて言える訳ないでしょ」

 

 一致団結した彼女達を見て赤羽根は微笑む。

 だが、それを壊すように新幹少女のプロデューサーから呼び出される赤羽根。

 誰もいない更衣室で八百長を持ちかけられた。

 

「別にそう言ってる訳じゃないよ。ただ、ここでそちらが優勝するよりうちが優勝した方がテレビ的に盛り上がるって話、ね?」

「……すみません、少し失礼します」

 

 赤羽根は自分の携帯を取出して、社長に電話をかけた。社長はすぐに出て、赤羽根は今置かれている状況を説明し判断を仰いだ。

 まさかの行動に相手も嫌な顔をした。

 

『ふむ、状況は理解した。で、キミはどうしたいんだね?』

「俺はあいつらにそんな真似はさせたくありませんし、言いたくもありません」

『そうだね。彼も君と同じことを言うだろう』

「はい。ですから」

『わかった。キミの好きなように動きたまえ』

「ありがとうございます」

 

 電話を切り、再びこだまプロのプロデューサーと向き合い赤羽根はハッキリ言いきった。

 

「この話は聞かなかったことにします。はっきり申し上げればそちらだって勝つ見込みは十分あると私は思いますよ。それでも勝つのはうちですが。では、失礼します」

 

 赤羽根はその場を去り残されたこだまプロのプロデューサーは目の前にあったロッカー蹴った。

 

 

 こだまプロのプロデューサーは描いていたシナリオと違うことに苛つきながら会場の中の通路をずかずかと歩いていた。

 

(どうしてこうなったんだ! 予定が全部狂ってしまった!)

 

 765プロにあのプロデューサーがいることは知っていた。が、後輩がいることも今日初めて知ってそこに弱みを漬け込もうと考えていた。

 彼は焦って声を出してしまう。

 

「業界のルールってもんを知らないのかあの若造は!」

 

 彼が焦っているのは担当ユニットである新幹少女からも頼まれたということもあるが、何よりも事務所からの自分に対する評価のが心配だったからだ。

 

(これは非常に不味い! 最悪私の立場が……!)

 

 すると自分が歩いている先の壁に寄り掛かっている男が視界に入った。その姿を見て息をのむ。

 男は自分より年下でプロデューサーとして名をあげていて、その恐ろしさも知っていた。

 この業界は実力社会だ。相手が年下であろうと自分よりいい成績を出せば喰われる。

 だからこそ、腰を低くして声をかけようとした。自分でも言った業界のルールに忠実に従って。だが、自分が言う前に先に言われてしまった。

 

「これはこれは、こだまプロのプロデューサーではありませんか。どうしたんです? まるで事が上手く運ばなかったような顔をして」

「い、いやあ765プロのプロデューサーさんではありませんか。お噂は聞いておりますよ。別にこれと言って何もありませんよ、あはは」

 

 汗が止まらない。もしかして気付いているのかと疑う。スタッフを経由させて呼び出したのがばれているのかと彼はビクビクしていた。こんな状況で足が震えてないのが意外だった。

 

「大方、うちの後輩に何か持ちかけたんでしょうが残念でしたね。あいつは真面目な男なんでね。断られたでしょ?」

 

 バレてる。彼はわかっていてもなんとかこの場所から逃げと必死に言い繕う。

 

「さ、さあ? 何のことですか? 私にはさっぱり……」

 

 目の前の男は笑っている。サングラスではっきりと目は見えないがこちらを真っ直ぐ捕えている、いや捕えられていると感じた。

 

「しかしね、アンタは最初から詰んでるんだよ。うちと何かやり合おうとした時点でアンタの負けだ」

「それはどういう……」

「出てきていいぞ」

 

 そう言うと男の後ろの角から一人の女が出てきた。確か765プロの竜宮小町だったはず。そのリーダーの水瀬……。

 

「水瀬……水瀬伊織!?」

「そ、アンタのとこのこだまプロの親会社の筆頭株主。こう言えばわかるでしょ?」

「は―――っ!?」

「と、いう事なんでね。あとはうちに勝てるのをアイドル達に頼むことだな。ま、無理でしょうけどね。うちのアイドルは怒らせると怖いんだ」

「ふん! 一言余計よ!」

 

 そう告げて二人は彼から離れて行った。彼はただ一言魂が抜けたように呟いた。

 

「終わった……」

 

 

 こだまプロのプロデューサーと別れて会場に戻りながら伊織はプロデューサーに呆れるように言った。

 

「もう、いきなり散歩しにいくぞって言うから付いてきてみれば。はっきり言ってよね、もう」

「流石に皆の前で、脅しに行くから付いてこいなんて言える訳ないだろ?」

「それはそうだけど。アイツもいいところあるわね」

「赤羽根か? 予想通りいい感じに成長してるよ。伊織はどう思ってるんだ?」

「ま、今日の所は認めてあげる」

「素直じゃないねー」

「ふんだ」

 

 ぷいと伊織にそっぽを向かれる。が、すぐに伊織は思い出しようにプロデューサーの方に向いて聞いた。

 

「にしてもアンタ、よくあそこの親会社の株主が水瀬グループだって知ってたわね」

「ま、この業界のことは色々知ってるんでね」

「つまり、最初からこうなっても大丈夫だったってことじゃない!」

「そうなるな」

「態々こんなことをしなくても最初からそうすればよかったじゃないのよ!」

「あんまり事荒立てなくないんだよ。それにお前だって、家の名前を使うのは嫌だろ?」

 

 伊織は自分自信の力でトップアイドルを目指すと決めて親に告げずアイドルになった。だから、いざとなったら家の力を使うのには正直言って嫌であった。

 

「うぅ、それもそうだけど……」

「それにお前の父親にももしもの時は力を貸すって約束してもらっているから、こんなのに使うのはなあ」

 

 意外な言葉が出たことに伊織は驚き、プロデューサーに噛みつくように迫った。

 

「ちょっと、なんでここでパパが出てくるのよ?!」

「やっぱり自分の娘が可愛いんだろ?」

「……」

「それに俺も面識はある」

「嘘でしょ?! なんでアンタがパパと面識あるのよ?!」

 

 予想外のオンパレードで伊織も喉が枯れてきた。

 

「お前も知ってるだろ? うちの社長と会長、お前の親父さんと親友だって」

「ええ、そのおかげで私もこうしてここいるわけだし」

「結構前だけどな、二人に連れられて参加したことあるんだよ。お前ん家のパーティー。そこで俺を紹介されてな。それから会ったことはなかったんだがお前がアイドルになるにあたって報告と挨拶にいったら……意外と驚かれたな」

「アンタって本当どんな人生歩んでるのよ……」

「普通だよ、普通」

 

 自分の隣に立つ男が予想外の存在であったことを改めて目の当たりにして頭を抱える伊織。

 ちょっと待ってと伊織が、

 

「パーティーに来ていたなら私のことも……って!」

 

 言い切る前にプロデューサーは走り出した。

 

「ちょっと待ちなさいよ! は、速?!」

 

 気付けばプロデューサーは遥前方、伊織は置いていかれた。結局、その質問の答えは教えてくれなかった。

 

 そして、全員リレー始まる少し前。彼らは円陣を作って最後の確認を赤羽根が行っていた。

 

「まず、第一走者は響だ。とにかく差を開いて次に渡すんだ」

「任せるさー!」

「こんな事を言うのは失礼だが途中、足が遅い子と速い子の交互に順番を組んでいる。けどこれが、俺達が勝つ唯一のプランだ」

「ま、それが妥当だな。といってもあとはお前達次第だ」

 

 プロデューサーが赤羽根に同意しながら皆をみて言った。

 

「最後は真だ。いけるな?」

「はい!」

「よーし、皆行ってこい! 優勝すれば先輩からのご褒美が待ってるぞ!」

『おーー!!』

 

 皆手をあげて気合を入れている中、プロデューサーは貴音の異変に気付いた。

 キュピーンと目を光らしているような幻覚をみて目頭抑えた。

 すると貴音が赤羽根の前まで来て尋ねた。

 

「赤羽根殿、それは本当なのですか?」

「あ、ああ。そうだけど……」

「ふふっ、気分が高揚してまいりました。響、髪留めはありますか?」

「予備のリボンだったらあるけど」

「ではお借りしてもいいですか?」

 

 いいよと言いながら自分のバックから予備のリボンを貴音に渡す。口でリボンを咥えて髪を束ねてからリボンで縛る。ポニーテールをした貴音の出来上がりだ。

 

「あなた様?」

「な、なんだ」

 

 急に声を掛けられてビクッと体が反応した。

 

「今度はしっかりと見ていてくださいね?」

「……しっかりと拝覧させていただきます」

 

 貴音から放たれたプレッシャーに当てられ、年上であるプロデューサーが頭を下げて貴音を見送った。

 赤羽根と律子は同情するような目で見つめていた。

 

(手持ち足りるかな……)

 

 目が虚ろになっているプロデューサーの肩に響が背伸びしながら手を置いた。

 

「プロデューサー、どんまい。でも、ちゃんと勝ってくるから安心するさあ」

「慰めになってないさあ」

 

 そして、最後の種目全員リレーが始まる。

 スタートの合図と同時に一番に飛び出したのは新幹少女ののぞみ。

 のぞみは走りには自信があり、余裕の表情を見せながら走る。

 

(よし、スタートは最高! あとはこのまま――)

 

 だがその時、一陣の風がさっと吹き、のぞみの髪がふわっと持ちあがった。

 のぞみは途端に、

 

「嘘ぉ!?」

「本気でぶっ飛ばすさあ―――ッ!!」

「よし!」

「ま、当然だよなあ」

 

 応援している赤羽根はガッツポーズをし、プロデューサーは当然だと目の前の光景を眺めていた。

 響は誰にも追いつかせることなく二番手である貴音にバトンを託した。

 

「貴音っ!」

「任されました!」

 

 貴音はメンバーの中では真ん中ぐらいの速さだ。といってもそれは今までの話だ。

 プロデューサーも貴音の全力で走る姿は見たことがないが、今目の前で走っている彼女は……本気(マジ)だと言う事はわかった。

 それを目撃してプロデューサーはお腹を抑えながら痛そうに言う。

 

「うぅ、腹が裂けるように痛い。これは医者に行かなければ死んでしまう……」

 

 その場を離れようとするが赤羽根と律子がそれをさせなかった。

 

「先輩、最後まで」

「見届けましょうね?」

「痛ぇよ、これはヤバイって」

 

 必死の抵抗も無駄に終わってしまった。

 貴音は次の走者である雪歩にバトンを渡した。雪歩は走るのが得意ではない。先の二人が稼いだ分を後続が距離を縮める。雪歩の次である美希に渡す頃には追いつかれてしまった。

 

「ごめんなさい!」

「あとは任せるの!」

 

 だが美希はそれを覆す。次の走者であるあずさの負担を少しでも減らすためにできるだけ距離を稼ぐ。

 

「あずさよろしく!

「はぁはぁ、抜かれちゃった――!」

 

 それでもあずさは必死に走る。その胸に大きな重りがあるがあずさ自身は運動が得意ではないから仕方がない。

 

「取り返してぇ!」

「任せてー!」

 

 亜美にバトンを渡し、差を縮める。次の走者は真美。二人のバトンの受け渡しは一番よくできているようにみえる。

 

「ミラクルバトンタッチ!」

「ミラクルバトンキャッチ!」

 

 真美はトップ集団に並びながら次の春香にバトンを渡す。

 

「はるるん!」

「うん!」

 

 普段はどうでもいいところで転んでしまう春香。だが肝心な時に転んだことは一度もない。

 上位をキープしながら春香は千早にバトンを渡した。

 

「千早ちゃん!」

「ええ!」

 

 千早は真と響で隠れがちだがそれなりに体力もあるし足も速い。

 トップ集団の中で先頭をなんとか維持しながらやよいにバトンを繋げる。

 

「高槻さん!」

「――はい!」

 

 千早にバトンを渡され全力で走るやよい。すると後ろから新幹少女のつばめが追い抜く際に罵声を浴びせた。

 

「邪魔よ、足手まとい!」

「っ!」

 

 その一声でやよいは少しペースを落としてしまい、後方にいたトップ集団がやよいを追い越す。

 

(やっぱり私……)

 

 どんどん弱気になっていき足が重くなっていく。

 

 ――気持ちで負けたらおしまいだ。

 

「!」

 

 頭の中でプロデューサーが言ってくれた言葉が過る。

 やよいは声に出しながら我武者羅に走り出し、前方で待っている伊織が声をかける。

 

「あああっ!」

「そうよ、やよい! 諦めちゃ駄目! 一人ぐらいこの伊織ちゃんが抜いてあげるわよ!」

「伊織ちゃーん!! あとは、お願いっ!」

「任せなさいよ!」

 

 やよいに言ったように伊織は一人抜いて再びトップ集団に追いついた。

 それでも差は少し開いている。真が目の前に見えると伊織は叫んだ。

 

「真ぉ! 一人抜いてやったんだから――」

「伊織!」

「負けたら、承知しないんだから、ねっ!」

「ああ、わかってるよ!」

 

 右足の膝が痛む。右足を動かすたびに痛みが走る。でもここで足を止めるわけにいかないと真は必死に足を動かす。

 

(もうちょっと……!)

 

 真の前の前にはひかりが走っていた。その差は徐々に縮まる。

 一人、また一人と追い抜く真。そしてとトップを走るひかりと並ぶ。

 それをひかりも横目で確認して焦りが生まれる。

 

(なんなのよ、なんでこんなに必死なってるのよ!?)

 

 それは真かそれとも自分に対して言っているのかもひかりは意識していなかった。

 生放送で全国に流れるこの番組で優勝すれば新幹少女はさらに活躍できる。

 ひかりもアイドル活動をしているのだからもっとテレビに出たい、歌いたい。他の二人もきっと同じ気持ちだ。ひかりはそういう気持ちが先走って何時からか、自分達より目立ったり気に入らないアイドルがいると罵声や陰口を言うようになった。

 だってそうではないかとひかりは思っている。自分達以外のアイドルは皆ライバルで勝てば生き残り、負ければ消える。

 自分の容姿や歌いに自信を持っていようとも売れなければ意味がない。結果を出せなければ事務所からも手放されてしまう。

 

(負けない、絶対に負けたくない!)

(膝が痛む、でもここまできて諦めたくない!)

 

 勝ちたい。それが二人とも同じ思いだ。

 ゴールはもうすぐ目の前。

 ひかりはあの男の言葉を思い出した。

 

 ――アイドルならアイドルらしいやり方ってもんがあると思うがね。

 

(苛つく、アイドルらしいってなによ。つまり勝てばいいんでしょ!)

 

 ひかりはさらに頭の中がごちゃごちゃし始める。そうよ、今まさにそのアイドルらしいやり方ってやつで戦っているじゃないとひかりは勝手に結論を見出した。

 彼女は今最高にいい笑顔という顔をしていた。勝って見返してやる。私達の方が凄いんだと。

 

(あと少し!)

 

 対して真も最後の追い上げをかける。右足を動かすたびに膝に痛みがくるが知ったことでない。自分の身体を苛めるように足を動かす。

 前へ、もっと前へと。普段の自分ならもっと早く走れる。膝の痛みがなんだ、そんなの関係ないさと自分に言い聞かせる。

 ゴール目前まで両者は並ぶ。そして、

 

『ゴール! 両者同時のように見えましたが、今判定が……』

 

 会場の大型スクリーンの画面が判定中からゴールをした二人の映像に切り替わる。

 

『先にゴールをしたのは菊池選手! つまり、優勝は……765プローー!!』

 

 

 

 その後、765プロの代表として貴音が壇上にあがりトロフィーを受け取った。

 全員揃って記念写真をしたと事務所に帰る支度をしていざ帰ろうという時に亜美と真美がご褒美のことを思い出して赤羽根に聞いてしまった。

 

「ねぇねぇ、兄ちゃん」

「プロデューサーからのご褒美は結局なんのさー!」

「そ、それは……」

 

 二人の言葉に全員が赤羽根に視線を注ぐ。赤羽根はどうしたものかとプロデューサーの方を見た。

 プロデューサーは清々しい顔をしながら、

 

「喜べお前ら、今社長と小鳥ちゃんが優勝を祝って祝勝会の準備をしてるぞ」

「本当ですか、プロデューサーさん!」

「というわけでとっとと帰るぞ!」

 

 おーと掛け声をあげながら駆け足で車に向かう彼女達を後ろから見ていた律子が呆れた声で言った。

 

「上手く誤魔化しましたわね」

「そうだな……してやったぜ、みたいな顔をしてるけどさ」

「してるけど?」

「大魔王からは逃げられないんだって、俺は思うよ」

「あー」

 

 二人の視線の先には貴音に捕まったプロデューサーが彼女に何か言われているのが見えた。

 貴音はすぐにプロデューサーから離れて車に乗り込む。残されたプロデューサーは車に手を置き、がっくしと頭を下げた。それを見た響がぽんぽんと肩を叩いていた。

 二人もくすりと笑いながら車に乗り込んだ。

そのあと、帰りの車の中でやよいが新幹少女のひかりから謝罪をされたそうだ。なんでもすっきりした、とのことだ。本人は負けてしまって悔しかったが、それでもそれ以上のモノを見つけたと言っていた。

やよいも喜んでいた。連絡も交換したそうでいいライバルができたなと、プロデューサーも喜んだ。

 

「それで、プロデューサー。ひかりさんが最後に『今度はちゃんとしたアイドルらしいやり方で競いましょ』って言ってたんですけど、どう意味ですか?」

「なに、その内お前にもわかるさ」

「えー、教えてくれたっていいじゃないですかー」

「自分で気付いてほしいんだよ」

 

プロデューサーは答えを教えずやよいは頬を膨らませているが、当の本人は嬉しそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 後日。

 運動会が終わってからというもの、プロデューサーは現在進行形である悩みを抱えていた。

 仕事はハッキリ言えば順調だ。むしろ、貴音と竜宮小町以外のアイドルはその活躍から仕事が少し増えたと言っていい。それに竜宮小町のライブも決定した。ある意味これが765プロ全員でのライブとなるので皆も張り切ってレッスンに臨んでいる。

 なので、仕事が悩みではなくプライベートで問題を抱えているのだ。

 その悩みとは、目の前に置かれている夕飯のメニューにあった。

 

「……なあ」

「なんですか、あなた様」

「この山盛りのエビフライはなんだ……」

「夕飯ですわ」

 

 確かにその通りである。だが、量が半端ではない。どうみてもて二人前の量ではないのだ。

 異変にはプロデューサーも気付いていた。仕事帰りにスーパーに寄ってくれと言われてビニール袋一杯に何かを買ってきたのは目撃した。家に帰ってからも今日は珍しく自分の台所ではなく、貴音の方の台所で料理を作ってきて大きな皿を持ってきたのだ、このエビフライの山を。

 

「呆けてないで食べたらどうです?」

「あ、ああ。いただきます」

 

 とりあえず、適当に掴んで一口食べる。出来立てなのでとても美味しい。衣がとてもサクサクしていて触感も最高だ。二口目で全部食べて、また一個取っては食べる。

 たまには野菜も恋しいのでキャベツの千切りを食べる。

 ん~、揚げ物とキャベツの相性は最高だな。

 そんな美味しそうに食べるプロデューサーを見ながら貴音が表情を崩さず質問してきた。

 

「で、美味しいですか?」

「ああ、美味い」

「サクサクですか?」

「ああ、サクサクだ」

 

 答えると貴音は笑顔になった。彼女はそのままエビフライを一個摘み、プロデューサーの口の前へと持っていった。

 

「あーん」

「いや、自分で食えるから」

「あーん」

 

 今度は声に力が籠っている。

 今に始まったことではないとプロデューサーは思っているので目の前の光景には慣れていた。だが、かつてない程にこれを断ってはいけないと頭の中で何かが囁く。

 

「あ、あーん……」

 

 もぐもぐとゆっくりと食べる。これで大丈夫だろうと思った束の間。

 

「はい、あーん」

「……あーん」

 

 食べ終えるたびに目の前に新しいエビフライが差し出される。

 気付けばあれだけあったエビフライをほとんどプロデューサーが一人で食べていた。

 

「ご、ごちそうさま……うっ、気持ちわりぃ」

「はい、お粗末様でした」

 

 自分の胃を犠牲にして何かを得たと、ニコニコと気分がよさそうな貴音を見て思った。

 それから一週間、プロデューサーはしばらく揚げ物が食べれなくなったと言う。

 

 




はい、アニマスの運動会でした。
この話から赤羽根Pが少し頼りになる(視聴者視点)感じだったと思います。

アニマスでもここで黒井社長が登場ですね。黒井社長に関しては口調が難しい(中の人)の影響もあってか普通に書いてます。

で、次回から竜宮小町のライブ前の話になります。つまり、美希爆発回です。
そのためかなり更新が遅れると思います。

今回もそれなりに長いため誤字脱字やおかしな所もあると思いますがもしありましたら報告お願いします。


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第10話

今回三万文字あるので長いです


 二〇一三年 九月某日 星井家 美希の部屋

 

 

「……」

 

 自分の部屋のベッドで、美希はうつ伏せの状態で倒れていた。壁にかかっている時計を見る。時刻はまだお昼にすらなっていない。

 何もしないでいる時は、こんなにも時間が流れるのが遅いのかと美希は初めて思った。

 けど昨日も同じことを思った気がする。

 本来であれば学校にいく時間だ。ママも心配していたが美希が言えば何も言わない。きっとパパも帰って来たら何か言ってくるかもしれない。けどママと一緒で美希が何か言えば問題はないとわかっていた。

 

 ――いつも美希の思いどおりなの。

 

 でもずっとは不味いかなと美希も頭を働かせる。

 仕事だから。まあ、どこかで遊んで来れば問題ないから候補の一つ。

 あとは……レッスン。けど、それは意味がない。

 

「もう、必要ないの」

 

 枕の傍に置いてあったヘッドフォンと音楽プレイヤーを床に放り投げる。

 レッスンはもう行かない。事務所にも行かない。だから、必要ない。

 美希は枕に顔を埋めた。

 

「大人は嘘つきなの」

 

 でもそれは一人だけかと美希は勝手に訂正した。

 律子は何も知らなかっただけ。赤羽根Pはアイツに命令されてだけ。でも、必死に何か言っていたような気がしたと思いだす。

 

(なんだっけ……忘れちゃった)

 

 最初は彼に何にも期待はしていなかった。頼りない、それが最初に抱いた感想だったと美希は思う。でもだんだんと皆からも信頼を気付いて頼れるようになった。

 だから期待していたんだ。

 前に代役で踊った時は楽しかったなあ、皆がメインの人より私に釘づけだった。

 だからもっと大きなステージで踊って歌えると思っていた。

 でもそれは間違いだった。

 美希は騙されてた。竜宮小町にもなれなくて、ただ都合のいいように操作されていただけだ。

 

(美希はただ自分のライブをしたかっただけなのに……)

 

 プロデューサーは、いやアイツは美希を苛める。名前もちゃんと呼んでくれないし、態度も冷たい。その上、美希を騙した酷い男だ。

 パパもママも、学校の皆も誰もが美希に優しくしてくれる。期待した眼差しで見てくれる。

 なのに、あの男はその逆だ。美希が嫌いだから、何も期待していないからこんなにも酷いことをするんだ。

 だから、あの時も貴音を選んだんだ。

 

(でも、初めてなのかな。あんなことをする奴って)

 

 美希は今までに会った人間から、プロデューサーのような奴がいないか探す。

 結論、やっぱりいない。

 美希は考えれば考えるほどわからなくなりベッドの上でじたばたし始めた。

 そんな時。ピコン、とスマホが鳴った。メールの着信音だ。

 今日で何回目だっけと思いながらも美希はメールの受信歴を見る。画面の上から下まで全部赤羽根Pで埋まっていた。

 メールは見ておらず、表示されている蘭に文章の頭が載っている。それだけでどんな内容なのかはわかった。「美希、連絡がないが体調でも悪いのか?」、「美希返事をくれ」とかそんな内容だ。

 仲間であるアイドル達からもメールが届いていた。けど、見ていない。

 皆心配をしているのだとわかっていても美希は何も思わなかった。

 だってアイドルをやめるのだから意味はないし、もう会う事だってない。仲間から他人になる。

 でもそれでいいの、と心の中の美希が問いかけてくる。じゃあどうしたらいいの、と私は聞く。心の中の私は答えてはくれない。

 もしアイドルをやめたらどうなるのだろうと美希は考えてみる。アイドルとしてスカウトされる前と一緒になるだけだとすぐに答えが出た。パパとママに可愛がれ、学校に行けば皆からの注目の的。そこにはキラキラしている私が居るはずだ。

 

(でもあのキラキラは違うの……アイドルで仕事をしていた時のキラキラとはまったく別)

 

 何が違うのかわからない。

 ではアイドルを続ける場合を考える……想像できない。どういう風な仕事をしたらもっとキラキラできるのだろう。ライブ? テレビ出演? それとも他の何か。

 当てはまるようで何か違う。自分が体験をしていないからなのか。

 ああそうだ、と美希は思い出した。

 去年のあの日。あの時、初めてそう思ったのだ。こんなにも楽しそうで、美希が求めていたのはこれなんだと。

 貴音が初めてデビューしたあのテレビ番組。ただの好奇心で最初は見ていた。

 貴音が出てきて歌を歌い始めたその時、体中に電気が流れたかのような感覚に陥った。瞬きもせずじっとテレビの向こうで歌い、踊っている貴音に目を奪われていた。これだ、これが美希の求めていたものなんだ、と初めてそれを認識できたのだ。

 だが、それと同時に嫉妬も抱いた。

 なんで美希じゃなくて貴音がそこにいるの、と無言でテレビの貴音に問う。しかし彼女が答えてくれる筈もないと美希はわかっていた。

 それからは本当に退屈だった。貴音は仕事、仕事、仕事の連続。美希を含めた皆はとりあえずレッスンを積んでいるだけだった。

 ただ、アイツがいる時のレッスンだけはやりがいがあった。他の皆はどう思っていたかは知らないがアイツのレッスンは普通よりキツイ。普段指導していたダンスの先生より辛かったと美希は思っている。

 真や響みたいにダンスが得意な子には少し無理なことを言ってみたり、雪歩みたいにダンスが苦手な子には丁寧に教えたりもしていた。

 多分、これは自分だけだったと美希は思っていることがあった。それは真や響以上に、今のレベルではできなそうな事を自分に要求してきたのだ。

 最初は美希でもできそうなモノから始まった。最初に手本を見せてそれから「やってみろ」とアイツは言う。私はそれをやってのけて「できたの」と返してやる。表情は変わらず、ただそこが違う、ここはこうと指摘してくる。それからもう一度やってみせると「ふむ」

 と考え込む。すぐにもういいぞと言われた。

 褒められると思った自分が今では馬鹿みたいだと美希は思う。アイツが美希に褒めたことなんて一度もない。いや、それに似たようなことがあったと思いだす。

 レッスンの合間にアイツのお題をクリアしていくと次第に難しくなってきた。自慢ではないができると心のどこかで思っていたんだと思う。ある意味それが初めて壁にぶつかるというやつだと美希は気付いた。アイツはできない私をみて「成程、ここら辺は難しいか。ふむ、これは僥倖だ」と言いながら笑みを浮かべていた。きっとできなかった私を見て楽しんでいたのだとこの時はそう思ってた。だから、悔しくて必死に練習した。それをアイツにみせると「よくできたな」と一言で終わってしまった。

 それから今日まで一度も褒めてもらった事はないと美希は考えを改めた。アレは褒めていない。だから、違う。

 結局の所、全部アイツの手の平で踊らされていたんだ。

 美希はうつ伏せから仰向けに体を動かしながら、

 

「アイツ、美希がやめたら喜ぶのかな。それとも止める? ないよね、そんなこと」

 

 溜息をつく。自分でも一体何を言っているのだろうと思う。期待しているのだろうか。

 アイツに? 美希が? どうしてとそんな事を思うのだろうと美希は考える。

 するとスマホが大きな音を立てている。これは着信の音だ。

 美希は手に取って画面をみる。そこには今美希の中で話題のプロデューサーからであった。

 初めてのことだったと美希は思う。出るかどうか迷う。

 なら、いっその事やめることを本人に言ってやろうと思い、画面をスライドして電話に出る。

 

「もしもし」

『お、星井か。その声じゃ元気そうだな』

「あのさ、美希アイドル―――」

『どうせ明日も暇だろ。ならデートしにいくぞ』

「……は?」

『そうだな、場所は……新宿駅にあるア○ター前な。じゃ、待ってるからな』

「ちょっ、ちょっと待って……切れたの」

 

 嫌味を言われたと思ったらアイツはなんて言った? デート、そう言った。間違いない。

 同年代の男子からもそう言った誘いをされたこともある。けど好みじゃないから断った。この間の海に行った時だってナンパをされたが軽くあしらった。

 

(そういえば美希ってちゃんとデートしたことあんまりないや)

 

 一対一のデートではなく友達の女子と一緒に付き合ったことはあるだけだと思いだした。

 

「ま、いっか」

 

 行くか行かないかと迷ったが、どうせだから電話じゃなくて直接言ってやる。それも散々連れ回した後で「アイドルなんてもうやらない。アンタの事、凄くムカついてたの!」と言いながら一発お見舞いしてやるのだ。

 それにママに都合のいい言い訳ができた。でも待てよと美希は首をひねる。確かアイツは三十歳だったと聞いている。自分は十五歳。

 

「これって所謂……アレになるのかな? まあでも、何かあっても捕まるのはアイツだし、いっか」

 

 美希は部屋にある雑誌を開いて明日のための作戦を練り始めた。

 

 

 事の発端は二日前。

 その日は午前中から竜宮小町を除いたメンバーが、いつも利用するダンスレッスンの教室に集まって練習をしていた。

 近々行われる竜宮小町のライブに全員が参加することになり、それに合わせて今回、新曲を披露することになった。

 メインは竜宮小町であるがこれは彼女達にとってもチャンスでもある。これに成功すれば益々活躍が期待できると踏んでいたからだ。

 特に今回は貴音の念願であった全員と一緒にライブをするという願いも叶い、彼女自身も力を入れてレッスンに挑む。だが、スケジュールがかなり立て込んでいるためレッスンをする時間があまり取れていないのが目下の悩みの種でもあった。

 プロデューサーもなんとかスケジュール調整を行ったがテレビ番組の収録、ドラマの撮影、ラジオ等々。それに十一月に貴音の一周年記念ライブの開催が決まっており、かなりの過密スケジュールになっている。

 なので、こうして全員とレッスンする時間もやっとのことである。それに貴音自身もソロでのライブ経験が多い。ユニットでのライブ経験がかなり少ないので合わるのも当初は苦労していたが、そこはトップアイドルとしての意地なのか今ではうまくやっていた。現在もプロデューサーの指示の下、通しで貴音を含め彼女達は踊っていた。

 

「やよい、下じゃなくて前を見ろ」

「は、はい!」

「雪歩はもう少し力強く動け」

「はい!」

「真美はもっとシャキッとしろ」

「シャキーン!」

「顔じゃなくて身体だ、身体。身体が曲がってるんだ」

 

 適確に指示を出すプロデューサーは腕を組みながら一人一人しっかりと確認していく。

 彼女達も言われたところを意識しながら踊っている。

 やはりダンスが得意なだけあって響と真は問題ない。あるとすれば全員とのバランスだとプロデューサーは思った。上手に踊れる奴と下手な奴とでは大きな差がでる。ソロならともかく今踊っているのは全員で歌う曲だ。一人が目立ってもしょうがない。そして、目の前でそれをしているアイドルが一人。

 

「星井、もう少し落ち着け。目立ちすぎてるぞ」

「……」

 

 返事は返さないが言われた通りにする美希。プロデューサーもそれ以上のことは言わなかった。

 流れている曲が終わる。全員その場に「疲れたぁ」と言いながら座り込む。これで何回目だったかも覚えていない。

 プロデューサーも今日何回目かわからぬ評価を下す。

 

「そのまま聞いてくれ。ダンスについてはだいたい通しでやってみた感じだと概ね問題ない。何回もぶっ通しでやっているからそれを抜きしても大丈夫だ」

「よかったぁ」

「私はまだ不安です」

「雪歩は最初に比べればかなり上達したよ」

「自分もそう思うぞ。前はぎこちなかったけど今はちゃんと踊れてるさあ」

「そうかな?」

「はい。わたくしから見ても格段に成長しているのがわかります」

「へへ、貴音さんにそう言われると嬉しいです」

 

 貴音も皆と同じ時間を共有できて嬉しそうだとプロデューサーは思った。

 プロデューサーは、あと他の奴は……と思いながら春香の方を向いた。

 

「春香は……転ばなければ問題ないな。まあ、大丈夫だろうが」

「うぅ、もっとちゃんと言ってくださいよ」

「プロデューサー、私はどうですか?」

「細かいところをあげてもキリがなりからなあ。千早の場合は、どれだけライブ中に笑顔ができるか、かな。まあ、意外と自然となってるな、多分」

「そう、でしょうか?」

「そんなもんだよ」

「ねえねえ、真美は?」

「だからさっきも言ったろ。こういう時に、身体がこうなってるんだ」

「なるほど~」

 

 自ら実演しながらやってみせると真美は理解したらしい。完璧なダンスなんてできるわけがないのは当然で、それができるとしたら機械と同じだ。タイミングだって誤差の範囲だがバラバラだ。けど、それがダンスらしいと言えばそうかもしれないと言える。

 だからこそ、より良いダンスをしてもらいたいから細かいところまで指導する

 

「とりあえず少し休憩したら、一人ずつ交代しながらダンスを見て気になるところを言ってもらうか」

「ねぇ、プロデューサー」

 

 次の指示を出すと、美希が立ち上がって険しい表情をしながら聞いてきた。

 

「ミキは今のレベルで合わせるのは嫌なの」

「ちょっと美希」

 

 春香が美希を止めようとするがそれをプロデューサーが手で止めた。

 

「なんでだ?」

「……だって、ミキならもっとうまく踊れるもん。それに今のままじゃ」

 

 竜宮小町に入れない。そう言おうとした美希だが、過去に真っ先に否定されたことを思い出して口に出すことができない。

 プロデューサーはそれを察したのか腰に手を置いて言った。

 

「要は現状のレベルで満足できないからもっとハードにしてくれってことか?」

「そう、なの」

 

 プロデューサーの視線は美希を真っ直ぐ見つめていた。美希はそれが怖かったのか目を逸らす。

 はあ、と溜息をつきながら、プロデューサーは声をあげた。

 

「星井、お前何か勘違いしてねえか?」

「え……」

 

 美希だけではなく、その場にいた彼女達全員がビクッと体を震わせた。

 

「なんでお前一人のためにそんなことをしてやらなきゃいかんのだ。いいか、これはお前ら全員の曲だ。ソロだったら俺も文句は言わん。むしろ、喜んで指導する。だがこれはソロじゃない。こう言って甘やかしたくはないから言わなかったが、現状でも十分問題ないレベルまで仕上がってる。あとはこのままレッスンを積んで、本番当日のステージで最後の調整を行う、それだけだ」

「でも、ミキはレベルを落としたくないの」

「でもじゃない、何度も言わせるな。これはお前の曲じゃない、お前達の曲だ。一人が目立ってもしょうがないんだよ」

 

 言葉を返すことができない美希はその場で立ち尽くす。彼女達もプロデューサーの言っていることは理解できていた。

 特に貴音はソロでライブ経験があるからよくわかると思った。こうして皆と踊ってみて、ソロにはない難しさがあるし、何より皆と同じことを共有できるのが一番嬉しい。

 しかし貴音も含めた彼女達も今のプロデューサーの発言は強く当たり過ぎなのではないかと思っていた。

 重い空気の中、教室の出入り口の扉を開けて赤羽根がやってきた。

 

「皆お疲れ様……どうしたんです?」

 

 赤羽根の登場に誰もが感謝した。四月からの付き合いだが今この瞬間ほど感謝したことはないと本人は失礼ながら心の中で抱いていた。

 

「いや、なんでもない」

「そうですか、ならいいんですけど」

 

 貴音は壁にかかっている時計を見る。仕事の時間が近づいてきていることに気付き、この重い空気をなんとかするチャンスが巡ってきた。

 貴音は立ち上がり、プロデューサーに声をかけた。

 

「あなた様、そろそろ」

「ん、そうか。もうこんな時間か。じゃあ赤羽根、あとは頼んだ」

「はい、気を付けて」

「では、私はここで一旦失礼します」

 

 そう言って座っている彼女達をみる。

 

(ありがとう、貴音さん)

(いいのですよ)

 

 全員目と目とで通じ合っていた。この重い空気をなんとかしてくれた貴音に感謝しているようだ。

 二人が出ていくと赤羽根がプロデューサーの代わりを務めた。といってもプロデューサーのように適確な指示ができるわけではないので、そこはダンスレッスンの先生の付添いの下行われた。

 午後には竜宮小町と律子も合流するので互いにいい刺激なるとこの時赤羽根は思っていた。だがそれが、爆弾が起爆する一歩手前だったと気付くことはなかった。誰も。

 

 

 同日 夕方。

 午後から仕事をひと段落終えた竜宮小町も合流して共にレッスンに励んでいた。貴音を除けば、数多くの経験を積んでいる。ダンスに関しても伊織たちがその凄さを春香達にみせた。

 しかし、春香達もプロデューサーの指導を受けてレッスンを積んできていたので技術的には問題ないが足りないのは経験である。互いに刺激をしながらレッスンを続けていた。

 時間も時間なので一旦休憩をはさんでから最後に一回通しでやることになった。

 水分を補給したり、ダンスの確認や世間話をしている中、美希は教室の外で律子と話をしていた。

 律子は美希の話を聞いてえっと声をあげ、美希が先程いった事をもう一度言った。

 

「だからミキ、頑張ってるから竜宮小町入れるんでしょ?」

「ねぇ、美希。あなた何か勘違いをしてない?」

「え?」

「竜宮小町は伊織、亜美、あずささんの三人ユニットで、追加メンバーを入れる予定もないし減らす予定もない」

「だって、ミキが頑張れば竜宮小町に入れるって……」

「それ、誰が言ったの?」

「赤羽根Pが……そう言ったの」

 

 美希の顔を見て察しがついた律子は、刺激しないよう声をかけた。

 

「で、でもね、美希。あなたには竜宮小町じゃなくても他の子達のユニットがあるし、それにあなたはソロとしてもやっていけると私は思ってるわ」

「……わかったの」

「じゃあ、私は先に戻ってるからあとから来てね」

 

 そう言って律子は教室へと戻っていった。律子なり美希に気を使ったが、当の美希はそこに立ち尽くしていた。顔は下を向いている。

 そこに外に出ていた赤羽根が戻ってきて、美希に声をかけた。

 

「あれ、美希どうしたんだ? レッスンは……」

「ねぇ、赤羽根P」

「なんだ」

 

 そう言いって赤羽根の方を振り向いて、苛立った声をあげた。

 

「嘘だったんだ」

「え、何がだ?」

「惚けないでよ。ミキが頑張れば竜宮小町に入れるって言ったの、赤羽根Pだよね? でも律子はそんなの聞いてないって、さっきミキに言ったの」

 

 普段とは違う美希の形相に驚く赤羽根。律子に対してもちゃんと「さん」と呼びづらそうに言うのに今は呼び捨てだった。

 

「どうして嘘をついたの? ねぇ、答えてよ」

 

 事務所の屋上でプロデューサーと話ことを思い出した赤羽根。元々の原因は自分だとわかっていてもなんと言ったらいいかわからなかった。今の美希は何を言っても無駄なのではと赤羽根は悩む。

 緊迫したこの空気と目の前の美希に赤羽根は思わずゴクリと息を呑んだ。

 そして、プロデューサーから言われたことをついに口に出した。

 

「それは……先輩が美希にそう言えって命令したからだ」

「……どういうこと」

「そう言えばお前がやる気をだして真剣に取り組むだろうって」

「じゃあ、ただそれだけのために美希を騙したの?」

「それだけじゃない! 俺は、先輩だって美希のことを――」

「もういいの!」

「美希ッ」

 

 美希は今にも泣きそうな顔をしながら声をあげた。

 

「そうやってミキを騙して苛めたいんだ! それが楽しいんでしょ、アイツは!」

「違う! それは美希のことを考えて……」

「考えたのが“嘘”なんでしょ! 嘘つき、大人はそうやって嘘を平気でついて、都合のいいことばかり言うんだ! 信じてたのに……」

「――え?」

「ミキもキラキラできると思ったのに……!」

「美希!」

 

 美希は振り返って走り出した。そのまま教室の入り口を勢いよく開ける。激しい音を立て、一斉に入口の方を振り向く彼女達。

 美希はそんなことを気にも留めず、自分の荷物を持ってまた走り出した。それを、律子が止めようと声をかけるのと赤羽根が戻ってくるのは一緒だった。

 

「美希どうしたの!?」

「美希! うおっ!」

 

 入口で立っていた赤羽根を突き飛ばして美希は出て行った。

 尻もちをついた赤羽根はいててと声をあげて立ち上がると中にいた全員の視線が突き刺さる。

 まっさきに伊織が噛みついてきた。

 

「ちょっと、美希のやつどうしたのよ! アンタ、何かしたんじゃないでしょうね!?」

「赤羽根P、説明してください」

 

 赤羽根は手で顔を覆いながら言った。

 

「すまん、伊織に律子もそれに皆も言いたいことはわかってるが少し待ってくれ」

 

 そう言って赤羽根はスマホを取出し、プロデューサーへと電話をかけた。

 

 

 同時刻。

 貴音の仕事が終わり、皆と合流するために車を走らせていたプロデューサー。

 胸にあるスマホが鳴り、運転中だというのに電話に出た。

 

「赤羽根か、どうした?」

『すみません、先輩。美希が……』

「星井がどうしたのか?」

『教室を出て行きました』

 

 その言葉だけでプロデューサーは理解した。つまり、美希が爆発したのだと。

 赤羽根は続けながら、

 

『美希が律子に直接聞いたみたいで、それで俺』

「気にするな。言えと言ったのは俺だ」

『でも、それでもこれは俺が……って、伊織なにを――』

『ちょっとアンタ! 美希が出ていった理由知ってるんでしょ!』

 

 伊織の怒鳴り声に思わず耳からスマホを離した。それでもまだ聞こえてくる。

 

『黙ってないでなにか――』

 

 プロデューサー何も答えることなく電話を切って、貴音に渡した。

 

「あなた様?」

「あいつらだったらずっと無視しとけ。仕事先だったら寄越せ」

「それは構いませんが……何かあったのですか?」

 

 貴音に言うべきか迷ったがプロデューサーは教えた。

 

「美希がレッスンを抜け出した、というより飛び出したのが合ってるな。原因はまあ……俺だな」

 

 プロデューサーがそう言うと貴音がそれは違います、と言ってきた。

 

「原因はわたくしにもあります。あなた様、今まで聞かないでいたのですが、去年の初めて会ったあの日。私の前に美希と面接をしたのですよね?」

「知っていたのか」

 

 プロデューサーは驚いたのか、貴音の方に顔向けた。運転中のためすぐに前を向いた。

 貴音は辛そうな顔をしながら話し始めた。

 

「実はあの日、時間より早く事務所についたんです。そしたら事務所から美希が出て行ったのを見ました。時間的にみて、全員が面接をしたわけではないと気付き、皆もそういった話をしなかったので、もしやと思っておりました」

「そうだ。あの日、面接をしたのはお前と星井の二人だけだ」

「理由を聞いても?」

 

 ここまで来たら隠す必要もないと判断し、プロデューサーは続けて話し始めた。

 

「書類を見せてもらった時点で二人のどちらかにすると決めたんだ。それで直接会って判断しようと面接をしたわけだ」

「あなた様、一つだけお聞かせください」

「なんだ」

 

 貴音は声を震わせながら聞いた。

 

「本当はわたくしではなく、美希をプロデュースするつもりではありませんでしたか?」

「貴音、それは――」

「お願いします」

 

 運転に集中して貴音の顔をみることができないが、きっと真剣で、けど辛そうな目をしながら自分をみているとプロデューサーは思った。

 プロデューサーも覚悟を決めて話した。

 

「お前の言う通り俺は最初、お前か星井のどちらかをプロデュースする予定だった。けど、星井はあの時アイドルとして熱意がなく、お前を選んだ。もしもあいつにその気があったら星井を選んでいたかもしれない。765プロの中じゃ、星井が一番の才能を持っていたからだ」

「そう、ですか」

「けどな、お前を選んだのは星井が駄目だったからっていう理由じゃない。俺はお前に心を動かされたからだ」

「わたくしが……」

「ああ。心を動かされた、いやその気にさせた、か。だから貴音、そんな顔をしないでくれ。お前にそんな顔をされると、俺も辛い」

 

 運転しているにも関わらず、彼は今の貴音の表情がわかっていた。それもそうだろう。何せ、四条貴音のプロデューサーなのだ。それぐらいわかって当然だと、胸を張ってプロデューサーは言うだろう。

 

「あなた様」

 

 泣きそうな声で彼を呼ぶ。ハンドルを握っていたプロデューサーの左手が貴音の右手に優しく重なる。

 

「俺はあの日の選択を後悔してない。だから今、ここにいる」

「……はい」

 

 貴音は自分の左手を彼の手に重ねる。プロデューサーもそれを振りほどこうとはしなかった。

 

 それから、プロデューサーは貴音に説明した。美希にやる気、アイドルとして目的を持って真剣に取り組んで欲しい、その気にさせるためにそういった素振りをしていたこと。

 また、レッスンも他の皆よりレベルが上のレッスンを行っていた。彼女がどんどんそれを

 こなしていく姿を見てつい楽しくてつい、キツイ指導をしていたこと。

 美希だけ苗字で呼んでいたのも、自分が自ら悪者になって彼女が見返しやるとか認めさせてやる、といった行動をしてくれると期待していたこと。

 多くのことをプロデューサーは貴音に話した。貴音はいつもの振る舞いに戻り、バッサリと彼を断罪した。

 

「あなた様、正直言って最低です。美希にやる気を出せたい、アイドル活動に真剣に取り組んでほしい。それはわかります。わたくしも美希にそういったモノを感じておりました。ですから、あなた様の言う事もやろうとした事も理解できます。ですが、最低です」

 

 貴音は最低と言う言葉を強調して二度も言った。

 

「わかってるよ」

「いいえ、わかっておりません。話を聞いている限りですと、あなた様は美希を褒めたりしておりません」

「いや、褒めて……」

「はあ。わたくしの時はちゃんと褒めてくださいましたよね? 『よくやったな』、『上出来だ』、『頑張ったな』と、簡単ではありますがちゃんと褒めてくださいました。誰だって、褒められて嬉しくない人はいません」

「それはそうだが」

「何よりもあなた様は大きな間違いをしております」

「間違い?」

「それは美希もわたくし達もまだ子供だということです」

「ああ……そうだったな」

 

 言われたやっと気付いたような顔をしながらプロデューサーが言った。

 

「星井は十五だったな。俺の半分か……そうだよなあ」

「あなた様?」

「ん、ああ。ただな、言い訳に聞こえるかもしれんがいいか?」

「ええ、どうぞ」

「普段お前といるから子供として見えなくてな」

「それはわたくしが見た目より年をとっている、そう言いたいのですか?」

「違う違う。ほら、お前って同年代の子よりずっと落ち着いているし、言い方もどちらかと言えば大人っぽい。だからつい、子供としてではなく、大人の扱いをしてしまうんだ。その所為か俺の感覚がおかしくなってるんだな。星井に対しても、あいつは賢いからそういうことに気付くと思ったんだ」

「そ、そうですか」

 

 貴音は自分が子供としてではなく、大人として扱われていたことに喜び、顔を赤く染めていた。

 

「けど、星井は……俺が思っていたより子供だったんだな」

「あなた様、その言い方は勘違いをされますよ。それに『だった』ではなく、子供なのです。わたくしだってその……大人として扱われていたのは嬉しく思います。けれど、まだ子供としていたいとも思っております。それができるのが今だけですから」

「やっぱり、お前は大人だよ」

「わたくしはまだ子供ですよ」

 

 ぷいっと顔を横に向ける貴音。ちらりと貴音を見て、

 

(本当、子供なのか大人なのかわからんやつだな)

 

 拗ねた貴音の頭にぽんと左手を置いて、優しく撫でた。

 

「まったく、可愛いやつだよ。お前は」

「……そんなことでは機嫌は直りません」

「じゃあやめるわ」

 

 頭から手をどかし、ハンドルを握るプロデューサー。

 けれど、すぐに貴音が可愛い声で言った。

 

「……もっと撫でてもいいのですよ」

「はいはい」

 

 助手席に座る子に、頭を撫でながら運転するその様はなんとも言えない。

 気持ちよさそうにしている貴音はプロデューサーにこれから待っているであろう出来事を伝えた。

 

「あなた様、戻ったら覚悟しておくのですね」

「俺も逃げたいよ……」

 

 

 その後の事を語るのであれば、まさに貴音の言った通りになったということだ。

 伊織を筆頭に皆から質問攻め。来る間に赤羽根を問い詰めたのか、床に転がっている彼がいた。

 理由を一から説明し、自分がなんとかするから、と彼女達を説得したプロデューサー。

 ただ、美希に対して心配するようなメール等を送るのはいいが、強制して戻ってこいとかそういったことはしないでくれと頼んだ。

 今の美希は特に敏感になっているだろうから刺激したくないとプロデューサーは申し訳なさそうに言った。

 

 そして翌日。結局美希は一日出てくることはなかった。彼女達のメールの返信も来なかったと言う。赤羽根もメールやら電話をしていたが同じ結果となった。

 美希が来なくなって二日目。アイドル達はレッスンをしており、事務所で赤羽根と小鳥の二人がプロデューサーを動かそうと説得していた。

 

「先輩、そろそろ動いた方がいいんじゃないですか? 俺も原因ではあるのはわかってます。けど、流石に何も連絡や返信がないのは……」

「プロデューサーさん、私も赤羽根さんと同じ意見です。それに私だって怒ってるんですからね? 女の子を泣かしたのも同然ですよ。そんな張本人が皆を説得して『俺がやる』と言っておいて何もしてないのはムカつきます」

「俺が悪者みたいじゃないか。まあ、実際にその通りなんだが」

「プロデューサーさん! ふざけてる場合じゃありませんよ!」

「わかってる。そう怒鳴らないでくれ」

 

 スマホを取り出しながらプロデューサーは二人に言った。

 

「今から電話して出たらそれでよし。出なかったから家に乗り込んでくるわ」

「……乗り込むって」

「ちょっと強引過ぎません?」

「この手しかしらん……じゃあ、かけるぞ」

 

 星井のアイコンをタッチして耳元に持っていく。コールが鳴るだけで「出ないな」と呟くプロデューサー。すると、

 

『もしもし』

「お、星井か。その声じゃ元気そうだな」

『あのさ、美希アイドル―――』

「どうせ明日も暇だろ。ならデートしにいくぞ」

『……は?』

「そうだな、場所は……新宿駅にあるア○ター前な。じゃ、待ってるからな」

 

 有無を言わさず電話を切る。直前に何か聞こえたがプロデューサーは無視した。

 プロデューサーはどうだと言わんばかりに二人をみる。が、その表情は思っていたのとは違っていた。

 

「先輩、流石にそれは……」

「なにが」

「何かあっても事務所の名前は出さないでくださいね」

「だからなにが」

「俺でもそれはしないです」

「そもそもうら、じゃない。ドン引きですよ」

 

 二人の言っていることが中々理解できていないプロデューサーは首を傾げる。そんな彼を見て赤羽根が疑うように聞いた。

 

「本当にわかりません?」

「女を誘うならデートだろ?」

「いや、間違ってないんですけど……」

「赤羽根さん諦めましょう。もうどうしようもないですよ」

「なんだか酷い言われようだ」

 

 結局プロデューサーは二人の言っていることを最後まで理解することはなく、手を止めていた仕事を再開しまがら赤羽根に言った。

 

「さて、明日のために仕事を片付けるか。それと赤羽根、明日の午後の貴音の送り迎え頼んだ」

「え、ええ。それは構いませんけど」

「あと、このことは誰にも言うなよ。特に貴音にはな。小鳥ちゃんもだ、わかったな?」

『……はい』

 

 

 そして、デート当日。

 美希は今日のデートの誘いは半信半疑だった。からかわれていたのかもしれないと思っていたが、プロデューサーの言う通り暇だったので待ち合わせにやってきた。

 その割には遅くまでどこに行こうかと悩んでいたのは秘密だ。

 周りの歩行者と紛れながら待ち合わせであるア○ター前まで来て、美希はその場に立ち尽くした。

 

「本当にいたの」

 

 デートに誘った張本人がそこにいた。身長もある所為か他の歩行者達より目立っている。

 服装はいつものサングラスに半袖のYシャツと仕事着だった。

 プロデューサーも美希に気付いたのか、彼女下へ声をかけながらやってきて美希と同じことを言った。

 

「お、本当に来るとはな」

「それ、ミキの台詞なの。冗談だと思ってた」

「冗談? まさか、俺は真面目だよ」

「真面目だったら服装も気を使うと思うなあ」

「しょうがないだろ。さっきまで仕事だったんだ。それに」

「それに?」

「私服と言うのをほとんど持ってない」

 

 えーと美希は否定した。今時そんな人いないと思っているし、いくらないと言っても外出用の服ぐらいあると美希は思っていた。

 

「普段着というかまあ、ジャージみたいな楽な服はある。持っている服の大半が仕事用のスーツだな」

「ふーん」

 

 美希はプロデューサーを観察するような目で見まわした。いつも目にするスーツは確かに彼に合っている。サングラスは確かに怖さを強調しているが似合っていると美希は評価した。

 美希は自分でも意外なことを言いだした。

 

「じゃあ、ミキが選んであげようか?」

「何を?」

「服だよ、服」

「構わんが、デートらしくもっとお前の行きたいところでいいんだぞ」

「元々行く予定だったし、丁度いいの」

「なら任せる。今時の子が行きたいところっていうのはわからんからな」

 

 美希もデートって経験が少ないからわからないんだけど、と思いながらそこは胸を張って、

 

「ミキに任せるの! じゃ、いこ?」

「ああ、それとその前に」

 

 プロデューサーは持ってきた鞄の中から帽子と伊達メガネを取り出した。帽子を美希の頭にかぶせ、眼鏡を渡す。

 

「不用心だぞ、アイドルなんだから少しは気を使え」

「あ、ありがとうなの」

 

 渡された眼鏡をつけ、帽子を調整する。

 確かに言われてみれば、ここに来るまでにすれ違った人達にちらちらと視られていた気がする。

 

「それじゃあ、案内頼む」

「うん、じゃあまずは服屋さんね」

 

 美希の案内の下、デートがスタートした。美希は早速先程までのプロデューサーを評価していた。

 原因は何であれ、これはデートである。だからこそ自分なりに楽しもうと思っていた。

 最後にデートの評価を言った後で、別れの挨拶をしてやると考えていたからだ。

 ちらりと隣に歩く彼を見る美希。その身長差は約20㎝。

 デカいし、体格もいい。怖いが、なにより頼りになる。そういった感じを思わせる。

 するとプロデューサーも美希の視線に気づいたのか「どうした?」と声をかけてきた。

「別に、なんでもないの」と、少し動揺しながら返す美希。

 しばらく歩いて行くと、信号が赤で止まる二人。

 ああ、そうだと言いながら、プロデューサーは鞄が雑誌を取り出して美希に渡した。

『THET’s IN!』と書かれたタイトルに竜宮小町が表紙の音楽雑誌。美希はページを捲っていくと自分が載っている記事があった。この間、撮影したブライダルの記事だ。

 あずさも綺麗で似合っているし真君は流石なの、と評価しながら食いつくように見る美希。

 信号が赤から青になり、プロデューサーが呼びかけて再び歩き始めた。

 美希はふと思い出し、

 

「ねえ、このブライダルの仕事にミキを指名したのって、あ……プロデューサーなんでしょ?」

 

 アンタと言いそうになったがなんとか言い直せた。プロデューサーも特に何も言わずに言った。

 

「そうだ」

「どうしてミキなの? 貴音にすればよかったのに」

 

 美希の言う通りであるのだが、当人にそれをやらせるのはヤバイと判断したから、とは言えない。

 貴音を除けばやはり、こういった仕事ができるのは美希だと思って指名したことを彼は伝えた。

 

「お前なら出来ると思ったしな」

「答えになってないよ」

「そうか? 十分過ぎる答えだと思うが」

 

 相変わらず言っている事が理解できないと美希は思った。こういう男なんだと言い聞かせる美希。

 しかし、プロデューサーにとってはそれが一番の理由であるし、褒め言葉だと思っている。結局の所、この前貴音に言われたことを忘れているプロデューサーであった。

 

「ま、いいの。それにミニウェディングだったけど着れて楽しかったし。いつかはあずさみたいに、ちゃんとしたのを着てみたいの」

「今年で十六だったな、確か」

「うん、そうだよ。もう結婚できるの」

「おいおい、高校に入る前に結婚する気でいるのか?」

「ただの例えだよ。流石のミキもそんなことをしないの。それに好きな人もいないし」

「ま、結婚なんてそんなもんだ」

「プロデューサーは結婚してないんでしょ? 親は何も言わないの?」

 

 プロデューサーは困ったような声で言った。

 

「耳にタコだよ」

「結婚すればいいのに。いないの、そういう人」

「いない。いてもこの仕事をしている限りは難しいかもな」

「どうして?」

「時間が作れないからさ。所謂、家族サービスってやつができない」

「そこは愛があればとか言わないんだ」

「ドラマや漫画の見過ぎだな。俺はともかく相手ともし子供がいたとして、子供が耐えられないだろうな。自慢じゃないが、俺は忙しい。だから結婚する時は仕事を止めるか、もっと落ち着いた部署にいくか、だな」

 

 意外と考えているんだと美希は思いながらあるとことを聞いた。

 

「ふーん。じゃあ、同じ仕事の……芸能人とかアイドルとかは?」

「専属のマネージャーになればあるいは……そこはなんとも言えんな。それに俺はプロデューサーの仕事が性に合ってる。まあ、実際にそうなったら俺も考えるかもしれんが……なんでこんなことを聞いたんだ?」

 

 なんでだろう、美希もわからなかった。ただの好奇心なのか、それとも……。

 美希ははぐらかしながら話を変えた。

 

「それよりさ、話を蒸し返すようであれだけど。そんな多忙なプロデューサーがミキとデートなんてしてていいの?」

「そりゃあ、お前みたいな可愛い子とデートできるなら仕事も空けるさ。誘ったのは俺だがな」

「そ、そうなんだ」

 

「可愛い」と、初めてプロデューサーに言われて頬を赤く染める美希。

 この時初めて褒められたと言う事に美希は気付いていなかった。素直に嬉しかったのだろう。

 そんな美希を心配してプロデューサーが声をかけた。

 

「どうした?」

「な、なんでもないの。あ、見てきたの、あそこ。ほら、いくの!」

「お、おい、そんな慌てることはないだろう!」

 

 いきなり走り出した美希に遅れてプロデューサーも走り出した。

 気付けば、店の入り口まで走っていた。

 プロデューサーに聞かれたがそこは誤魔化した美希。プロデューサーも渋々引き下がり、美希に続いて中に入る。

 そこはオシャレな店と言えばいいのか。プロデューサー自身もこの街で過ごし大分経つが、基本がスーツのためオシャレという事をしたことがない。テレビで前に見たが、この街はある意味ファッションショーみたいなものであると。全員という訳ではないが、大体の若者がそれなりの服装をして街を歩く。流行と言えばいいのか。この街はその傾向が常に移り変わる。地方から都内に来た若者が言った。「自信のある服装で着たら逆に恥ずかしくなった」と、言ったぐらいだ。

 それにこの街は人通りが多い。よく目に着くし、それもわかると思った。

 そんなことを思いながらざっと商品を見渡す。んーと首を捻りながら難しい顔をするプロデューサー。

 

「ファッションってわからんな」

 

 仮にもアイドルを担当するプロデューサーの発言とは思えない。彼の場合は自分に関してはまったくの無頓着。アイドルや仕事に関することに目が鋭いと言えばいいか、そのセンスを発揮する。

 すると手に服を持ってきた美希がやってきた。

 

「試にこれを着てみてよ、あとミキは帽子も似合うと思うんだよね」

「まあ、選んで貰ったから一応着てみるが……」

 

 そのまま試着室へ行って着替えるプロデューサー。

 鏡の前で自分をみる。時期的にそろそろ秋か冬物の服だろう。自分ではよくわからず、カーテンを開けて美希に見せる。

 

「どうだ?」

「んーミキも男の人のコーディネイトは初めてだしちょっと自信なかったけど、これはこれでアリなの」

「そうか。じゃあ、これでいい」

「え、それでいいの?」

「ああ、お前が選んだコレでいいよ。それにお前はいいのか?」

「まあ、ミキもそのつもりだけど……」

「金なら心配するな。今日は俺が全部持つ、だから遠慮しなくていいぞ」

「そ、そう? ならミキも選んでくるの」

 

 まさか実際にそんなことを言われるとは思ってもいなかったので少し躊躇いながら答える美希。しかし、実際には思っている事とやっている事は別であった。

 ニコニコと笑いながら両手でたくさんの服を持ってやってきた美希がいた。着替えを終えて、「これはどう?」と聞いてくる。プロデューサーは「似合ってるぞ」と答えた。

 そのあとも何回か同じ返答を繰り返し、美希はふて腐れながら、

 

「もう、もっと違う言い方はないの?」

「そう言われてもなあ。お前は何を着ても似合うからな」

「そ、そう?」

「どんな服でも着こなすよ、お前は」

「と、当然なの」

 

 そう言ってカーテンを閉めた美希。

 

(褒められてなんで喜んでるの。ミキはアイツのことが嫌いなのに)

 

 美希は困惑していた。先程から調子が狂ってしまってしょうがない。

 ふと、今さっきの言葉を思い出す。もしかして「お前なら出来る」ってそういうことなのかと美希は思った。

 試着していた服をハンガーにかけて、着ていた服を着なおす。お金のことは心配しなくていいと言われたが、美希は流石に遠慮したのか一番気に入ったモノだけを選んであとは元にあった場所に戻した。

 プロデューサーが「もういいのか」と聞くと、美希は「もういいの」と答え、レジへと服を持っていき会計をした。

 クレジットカードを渡して会計を済ませる。プロデューサーは会計をしていた店員の視線に気づき、

 

「どうかしましたか?」

「い、いえ。お買い上げありがとうございます」

「?」

 

 袋を持って外で待つ美希と合流する。プロデューサーが首を傾げながらやってきてたのを見て、美希が聞いた。

 

「どうしたの。何かあった?」

「いや、店員に変な目で見られてな。まあ、こんななりをしているからだろう」

 

 美希は相槌を打ちながら店内に視線を向ける。レジにいた店員と近くにいた店員がこちらを見ながらなにやらこそこそと話している。

 平日の昼間から未成年と歳の離れた大人が一緒にいれば不審に思うのも仕方がない。親子にも見えないのだから怪しいと疑うのも当たり前だ。

 美希はある程度察していたがそれをプロデューサーには伝えず、次の目的地へと案内を始めた。

 

 次に案内されたのはゲームセンターであった。プロデューサー自身も何年ぶりだったかと思いながら店内に入る。辺りをきょろきょろ見回す彼を見て、美希もその素振りが気になって聞いた。

 

「そんなに珍しい?」

「珍しいというより懐かしいんだ。学生時代はよくクラスメイトと一緒に近くのゲーセンに行ったよ。ただ時代が変わったなって思っただけだ。置いてあるのも違うし、変わらないと言えば……アレか」

「アレって……プリクラ? ミキもよく撮ったりするんだ。入ってみる?」

「アレって女がやるんじゃないのか?」

「そうだけど、男の子も使ってたりするよ。ほら、いこ」

 

 美希に腕を引っ張られながらプリクラの中に入るプロデューサー。中に入るとなにか既視感があるとプロデューサーは思った。少し考えるとよくある証明写真に似ていることに気付いた。

 呆気にとられていると美希が急かした。

 

「プロデューサー、早くしてなの」

「ああ、すまん。小銭っと……あった」

「あとは美希がやってあげる」

「お、おう」

 

 タッチパネルに向かって美希はフレーム、肌の色、背景を選んでいく。後ろで見ているだけのプロデューサーは「最近のは進んでるんだなあ」と関心していた。

 設定が終わったのか、美希が帽子と眼鏡を外してプロデューサーの隣に立つ。

 

「三回撮るからね」

「へえ、そうなのか」

「ほら、ポーズして」

「ポーズって言ったってなあ……どうすればいいんだ?」

「もう、ピースすればいいの。ほら、ピースッ」

「ぴ、ピース」

 

 まず一枚目。美希に合わせて体を低くしながらぎこちなさそうにピースをしているプロデューサーと、笑顔で同じポーズをとっている美希が写っている。

 続いて二枚目。美希は違うポーズをとっているがプロデューサーは先程と同じような体勢でダブルピースをしていた。大の男がダブルピースとはなんとも言えないものがそこには写っていた。

 そして三枚目。機械が撮ろうとしたその前に美希がふざけてプロデューサーのサングラスをとった。

 

「えい」

「あ、お前ッ」

 

 そこにはサングラスをかけた美希とそれを取り返そうとするプロデューサーが写っていた。

 美希が先に出ててと言われて外に出るプロデューサー。

 外へ出ると大学生ぐらいだろうか。女性二人に驚いたような顔をされると二人はこそこそと話始めた。

 男がプリクラから出てくるはやはりおかしいのだろうとプロデューサーは思いながら、少し離れた所で美希を待った。するとお待たせと言いながら美希が出てきた。額にサングラスをかけて美希はやってきて、プロデューサーは手を差し出しながら、

 

「たく、ほら返せ」

「はいはい。そんなに大事なの、それ?」

「大事さ。俺の大事な商売道具だ」

「サングラスが?」

「そうとも。それにサングラスをかけてないと落ち着かん」

「ま、サングラスをかけてるプロデューサー怖いんもんね」

「そうか?」

「自覚なかったの?」

 

 そんな他愛のない話をしながら美希に連れられて街を歩く。

 気になる所に寄り道したり、店に入ってみたりとデートらしいことをしている二人。

 最初は予定を立てていると思ったプロデューサーだったが、意外とふらふらと美希の気のの向くままな姿を見て、

 

「お前って自由だな」

「え、どうして?」

「だってそうだろう。こうして歩いているが気になったところにふらふらと。まあ、らしいと言えばらしいがな」

「最初は色々考えてたけどね。でも、そっちのが楽しいでしょ? 自分の知らない、新しいことを見つけたらわくわくするもん。普段もよくこうして歩いてたりするけど、知らないことが一杯で楽しいもん」

「わくわくに楽しい、か。確かにそうかもな」

 

 美希の言葉に複雑そうな顔をするプロデューサー。その言葉がきっと美希の本質に近いのかもと思った。この前の貴音に言われたこともあって余計にそれを感じる。

 自分が犯した過ちがぐさりと胸に突き刺さる。

 

(貴音の言う通り最低だな、俺は)

 

 隣に楽しそうに辺りを見回す美希をみて、プロデューサーはようやく自覚をした。

 

 ――美希も私達もまだ子供だということです

 

 プロデューサーは彼女の言葉に肯定した。貴音の言う通りだ、赤羽根に対して一言は言えないなと。

 そんな時、「あっ」と美希が駆け出した。そこはアクセサリーショップだった。

「SALE」と紙が貼られており、美希はたくさんあるアクセサリーを眺める。少ししてプロデューサーも追いついて美希の隣に立った。数あるアクセサリーを一つとって美希に見せる。

 

「これなんかお前に似合うんじゃないか?」

「すごーい。ミキもそれがいいなって思ってたの。プロデューサーって最初の時もそうだったけど。自分の服とかは鈍感なくせして、こうゆうのは鋭いんだね」

「まあな。それに関しては目が鍛えられているし、それに衣装のデザインだって意見したりもしてるんだ。衣装と言えば今日は……いや、今の無しな」

「どうして?」

「デートの時に仕事の話なんて嫌だろ」

「あっ……」

 

 互いに困った表情をしながら重たい空気が流れる。美希自身もつい楽しくてそう言ったことに気付くことができなかった。自分で最初の内は採点なんてしておきながら今では忘れてやっていない。

 そんな空気の中、プロデューサーが離れてレジに行って会計を済ませて戻ってきた。

 袋に入ったアクセサリーを美希に渡す。

 

「いいの?」

「プレゼントだよ。言ったろ、遠慮しなくていいって」

「……ありがとうなの」

「それでいいんだよ。で、次はどこいく?」

 

 そう言われて美希は少し悩み、行きたい所があるのと言ってその場所に向かった。

 そこは都内にある池のある公園だった。池に架かる橋の上で美希が語りだした。

 

「ここ、美希が小学校の頃からよく来てたの」

「へえ、意外だな」

「そうかな。あ、先生だ」

 

 美希の視線には一匹の鴨が鳴きながらぷかぷかと浮いている。

 そう言えばとプロデューサーが言いながら、

 

「お前の趣味は確かバートウォッチングだったな。その理由があの先生なのか?」

「多分そうかな。ミキね、カモ先生を尊敬してるんだ。カモってね、寝たままでぷかぷかって浮いていられるんだよ。だからミキも楽に生きていけたらなーって思ってたんだ」

 

 それを聞いてプロデューサーは笑い、美希が少し怒りながら言った。

 

「もう、そんなに変?」

「違う、違う。小学生のころからそんなことを考えていたことに驚いただけだ。で、思ってたってことは今は違うのか?」

「……うん」

 

 肯定するだけで美希はそれ以上は言わなかった。プロデューサーもそろそろ本題に入ろうと思って、ポケットから煙草を取り出すと「ここ煙草駄目だよ」と注意され、渋々煙草をしまいながら真剣な声で話し始めた。

 

「なあ美希、そろそろはっきりしようか」

「なにを」

「アイドルを続けるか辞めるか。お前も今日そのつもりだったんだろ」

「分かってたんだ」

「まあ……勘、だったがな」

 

 それから美希は池に浮かぶ鴨を見つめたまま動かない。先に動いたのはプロデューサーだった。

 

「先に言っておく……すまなかった」

「何に対して?」

「お前に対してしてきた事にだ」

 

 すると美希はプロデューサーと向き合って言った。

 

「――いよ……ズルいよ!」

「大人はズルいんだ」

「そうやって勝手に言っておいて、納得してさ! ミキ何も言えないじゃん!」

「……言いたいこと一杯あるんだろ」

「あるよ! たくさんあるもん!」

 

 身体を震わせながら美希は叫びながら今までの鬱憤を晴らすように言葉を吐いた。

 

「あ、アンタはッ、皆にはちゃんと名前で呼ぶのにミキだけ星井って呼ぶし、レッスンでどんなに頑張っても褒めてくれない! 竜宮小町には入れるって嘘ついたり、それから、それから……あああ――――ッッ!!」

 

 美希は正面にプロデューサーの胸に飛び込み、その細い腕で彼の胸を叩く。

 

「アンタの所為でミキも訳がわかんないよ! アンタはミキばかり苛めて楽しいんでしょ! ミキにアイドルを辞めて欲しいんでしょ!?」

「……お前は賢いから気付くと思ったんだ。すまん」

「賢くなんてない。ミキ努力なんてしたことないし、なんでもできたもん。それが普通だって思ってた。それにパパとママも褒めてくれて、学校だって皆ミキをみてる。ミキは、ミキはただキラキラしたいだけだもん! それなのに、それなのにアンタは―――」

 

 プロデューサーは美希を身体から離した。ポケットからハンカチをとり出し、美希の涙を拭う。

 

「ごめんな、その言葉を聞きたいがために酷いことして」

「……え?」

「お前は賢いから俺の意図に気付くと思ったんだ。アイドルとして目的を持ってやって欲しくて」

「わからないもん、言ってくれなきゃ。ミキ、まだ子供だもん」

「ああ、そうだな――本当にごめん」

「遅いよ、謝るのが」

 

 プロデューサーは美希を連れて近くのベンチに腰かけた。美希が落ち着くまでプロデューサーは黙って美希の隣に座っていた。美希が落ち着くと会話を再開した。

 

「キラキラしたい、それがお前がアイドルになった理由か」

「うん。家でも学校でもミキは自分がキラキラしてるって思ってたの。でもそれはミキが思ってるキラキラじゃないって気付いて。会長にアイドルにスカウトされて。アイドルならもっとキラキラできるかもって」

「そうか。お前らしい理由だな」

「ねえ、聞いていい?」

「どうした、改まって。言ってみろ」

 

 美希は今まで気になっていたことをついに聞いた。

 

「去年初めて会ったあの日。面接したの、ミキと貴音だけなんでしょ?」

「そうだ。やっぱり気付いてたか」

「だって皆もそういう話をしてなかったし、貴音が選ばれたってことはそういうことでしょ? だから、わかったの。ねえ、どうして貴音を選んだの? 貴音には悪いけどミキは貴音より劣っているとは思ってない。だから、ずっと気になってたの」

「それはな、お前にはなくて貴音にはそれがあったからだよ」

「ミキにはない?」

「正直な話をするとな、俺は最初お前を選ぶつもりだった。けど、お前は言ったな。努力とかは嫌だって。でも貴音にはそれがあった。トップアイドルを目指す、それに俺をその気にさせたのも理由の一つだ」

 

 唇をかみしめる美希。表情には出さなかったが、最初は自分を選ぶと聞いて嬉しかった。けどだんだんとあの時の自分が許せない、そんな気持ちになっていた。

 美希は溜めていたものを全部吐き出すように語りだした。

 

「……去年初めて貴音がテレビに出たときミキもみてたの。ああ、本当だったらミキがそこにいたのになあって。貴音はキラキラしてて……凄く必死にでも楽しそうに歌ってた。だからかな、あの時から少し貴音に嫉妬してた。初めてだったの、他の人に嫉妬したのは」

「貴音も言っていたよ。お前に嫉妬していたって」

「どうして? なんで貴音が……」

「俺がお前のことを凄く評価していたことに対して、かな。自分の担当に、実はお前を選ぶつもりはなかった、なんて言っているようなもんだ。俺だって辛いよ」

「でも全部プロデューサーが悪いの。ミキを苛めるから」

 

 困った顔しながら勘弁してくれとプロデューサーは言う。

 

「呼び方に関してはかなり意地悪だったと反省している。ただレッスンに関しては至って真面目だったんだ。この間お前も言っていたように、他の子と違ってお前はレベルが違う。ダンスが得意な真と響を比べてもお前は飲み込みがかなり早い。だから少し難しいダンスを教えたりしたんだ」

「それはミキもそうじゃないかなって思ってたよ。でも、その時はミキだけ意地悪してるんだって思ったから。だって、どんなに頑張ってそれを成功させてもプロデューサーは褒めてくれなかったし」

「褒めていたつもりなんだがな。よくできたなって」

「今ならすっきりしてるからそう捉えることができるど、普通にもっと褒められてないの?」

「貴音にも言われた――むっ」

 

 美希が右手の人差し指でプロデューサーの口に当てながら言った。

 

「あんまり別の女の子の名前を言ってほしくないの」

 

 そう言われるとその通りだとプロデューサーは納得した。一応デート中であることを思い出す。

 

「すまん。あと、俺からも聞いていいか」

「なに?」

「お前は前に『なんで竜宮小町じゃないの』って俺に言った。お前は竜宮小町自体になろうとしたのか?」

「……多分そうだと思う。あの三人が選ばれてなんでミキは選ばれないんだろうって。律子にはっきり言われたから今はもういいけど」

「そうだったのか。だがな、お前には凄い才能と力がある」

「本当に?」

「ああ。星井美希というアイドルではなく、アイドルの星井美希になれる」

「今からでもなれるかな。ミキが本当にキラキラできるアイドルになれるのかな」

「なれるとも」

 

 止まっていた涙がまた少しでてきた。先程から持っていたプロデューサーのハンカチで涙を拭う美希。

 それを見て微笑むプロデューサー。彼は申し訳なさそうな顔をしながらあの事を告げた。

 

「話すつもりはなかったんだが、俺の秘密を一つ教えようか」

「……秘密?」

「俺は今年一杯で765プロからいなくなる」

 

 えっ、と美希は目を丸くしてプロデューサーを見た。声を震わせながら美希は言う。

 

「う、嘘だよね。み、ミキがちゃんとしなかったから? だったらこれらからちゃんと頑張るよ。レッスンだってちゃんとやるし……本当、なの?」

「ああ。そういう契約なんだ、社長との。本当はあと半年は居たかったんだが、予定が少し早まってな。十二月頃からあんまり事務所にはいないと思う。このことは社長を始め、小鳥ちゃんに赤羽根、律子も知ってる」

「貴音はこのこと知ってるの?」

 

 こくりと頷きながら。

 

「最初に会った日にちゃんと伝えてある」

 

 ぐちゃぐちゃになっていた美希の頭の中のパズルが次々と埋まっていく。意外と頭の方は冷静であり、美希はある答えに行き着いた。

 

「じゃあ、あの日面接をしたのもそれが理由なの? 一人だけ選んで、赤羽根Pがやってきたのも、あの人に私達を任せるために……」

「その通りだ」

 

 美希は前かがみになり辛そうな声をあげた。

 

「馬鹿みたい。そんな事を言われたら頑張るしかないの……どうしてミキに話してくれたの?」

「散々迷惑をかけたのも理由の一つだ。ただなによりも、お前をちゃんとプロデュースしたい。身勝手だと思うだろう。散々お前を苛めていた俺が言う資格はないと思ってる。それでもお前をプロデュースしたい」

「今からでも間に合うかな。貴音みたいに……貴音よりもっとキラキラできる?」

「できる、お前なら絶対に。それに今度の竜宮小町のライブ。あれがお前達のターニングポイントになる」

「でも竜宮小町のライブだよ? ミキ達は前座みたいなものなんでしょ」

「それはどうかな」

 

 ニヤリと笑みを浮かべてプロデューサーは言う。彼にはその何かがみえているのだろうかと美希は思った。

 

「だがそれもお前次第だ。どうする?」

「じゃあ、約束して。765プロにいる間はミキをちゃんとキラキラさせるって」

「わかった、約束する」

「それじゃあゆびきりしよ」

「指切り?」

「うん。私とプロデューサーの二人だけの約束」

 

 右手の小指をプロデューサーの前に差し出す。プロデューサーも自分の小指を美希の小指に絡ませた。

 

「ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本のまーす、ゆびきった。……これで次に嘘ついたらミキ、今度こそアイドル辞めるからね」

「わかったよ。今から嘘はつかない」

「えへへ、約束だからね」

「ああ、約束だ」

 

 二人が顔を見合いながら笑った。プロデューサーは自分の両膝にパンッと叩きながら立ち上がった。

 

「さてと、それじゃあ行くか」

「行くって、どこに?」

「皆の所だよ。今ならまだレッスンしているし、多分全員いるだろう。迷惑をかけたんだ、一言謝りに行くぞ」

 

 そう言えばメールの返事してないやと美希も言われて思い出した。

 自分の所為で皆に迷惑をかけているのは自覚していた。ちゃんと謝らなきゃ。それに……と美希は決意して立ち上がる。

 

「うん。皆にも、律子“さん”や赤羽根Pにも迷惑をかけちゃったから。今日からアイドル星井美希の復活なの」

「その意気だ……じゃあいくぞ“美希”」

「――うん!」

 

 先に歩き出したプロデューサーの隣に駆け寄る美希。手を後ろで組みながらちらちらとプロデューサーをみる。その視線にプロデューサーが気付き、

 

「どうした?」

「まだ……デート中でいいのかな?」

「そうなんじゃないか」

「じゃあ、デートなんだからこれぐらいいいよね!」

「お、おい!」

 

 美希はプロデューサーの左腕に腕を回して抱き着いた。プロデューサーはそれを振りほどこうと試みるがすぐに諦めた。

 

 そのまま腕を組みながら765プロが普段使っているレッスン教室まで向かう。道中、すれ違う人から視線を感じたプロデューサーも流石に気付き始めていた。

 二人の関係は親子には見えないし、兄妹というのも無理がある。

 プロデューサーは視線に耐えながら教室がある建物の前までやってきた。

 

「じゃあ行って来い」

「プロデューサーは来ないの?」

「俺は一服してから行く」

「わかったの。じゃあ……行ってくるね」

 

 美希は小さく手を振りながら先に皆がいる教室へと向かった。残ったプロデューサーは近くで煙草を吸える場所に向かおうとしたが、彼の肩に手を置きながら声をかけられた。後ろを振り向くと、水色のシャツに黒い帽子についている旭日章。日本人なら誰でも知っていて、子供が憧れる職業にも入っている。所謂、お巡りさんだった。

 

「実は通りかかった通行人から、怪しい男が未成年と思われる女性を連れ回しているという話を聞きまして。ちょっと交番まで来て話をしたいのでご同行願います」

 

 見た目から推定して20代半ば頃だろうか。まさに正義感溢れる若者、といった感じだ。

 プロデューサーはともて落ち着いていた。心の中で自分に言い聞かせる。こんなことは一度や二度ではない。いつだって俺はこんな絶体絶命のピンチを乗り切ってきた男ではないか。

 だが……状況は過去最悪。傍にはアイドルがいない。最後に補導されかけた時も、その時の担当アイドルによって事なきを得た。しかし今はいない。

 どうする、考えろ。頭をフル回転させる。そして――プロデューサーは答えを出した。

 

「わかりましたよ、じゃあ案内してください」

 

 警察官が前を向くその瞬間、

 

「ご協力感謝します。では、こちらです……いない!」

 

 なんとういう事か。男が歩き始め、プロデューサーの方に顔を向けた僅か数秒の間にその姿を見失ってしまった。

 そんな馬鹿なことがあるのか! と男は目の前に起きた現実を否定する。駆け出そうとした音も聞こえなかった。確かにそこに先程までいたのに。男は周囲を見渡す。しかし、どこにもいない。

 男は焦ると同時に少しの余裕があった。この問題は自分個人の案件。交番にいる上司は知らないし、電話ではなく直接言われたことだ。話に聞いていた少女はいない。もしかしたらそういった関係ではないのかもしれない。

 はっきり言ってしまえば警察官としてありえないし、最低な行動を自分は取ろうとしている。だが一体誰が、今自分が体験したことを信じてくれるのだろうか。

 前の前いた男が少し目を離した隙に消えました、なんて信じるわけがない。仲がいい同期の奴に話たって笑い話にされるだけだ。

 きっと「リアルルパン三世にでもあったか?」それとも「狸にでも化かされたか?」と言われるに違いない。

 だが俺は正常だ。とりあえず辺りを探そう。警邏が終わる時間までに見つからなかったら……こんなことはなかった、ということしによう。

 男は走り出した。しかし見つけることはできなかった。これが良いことなのか悪いことなのか。男は考えようとしたがすぐにやめた。

 

 今回の出来事は少し先の、とても近い将来に双方にとって思わぬ形でそれは起きる。

 警察の間で「全国で年齢問わず女性に話しかける、髪は黒、サングラスをかけた筋肉モリモリマッチョマンの変態」という噂が広まる。しかも同僚の女性警察官も一人、その男にかどわかされアイドルとしてデビューさせられた、と言った変な噂も広まることになる。

 全国の警察所、交番などに目撃者による似顔絵が掲載され「この男をみたら110番!」と、全国に掲載されたが見つかることはなかったと言う。

 

 

 プロデューサーに一悶着あった頃、美希は教室の入り口の前で立ち止まっていた。

 一度深呼吸をしてよし、とドアノブに手を掛けようとしたその時、後ろからやってきた赤羽根に声をかけられた。

 

「美希っ、お前……そうか、戻ってきたってことはそういうことなんだな」

「赤羽根P、えぇと……まずはごめんなさいなの。あんな酷いこと言って、迷惑をかけてごめんなさい」

「いいんだ。元をただせば俺だって悪いんだ。俺の方こそすまない。けどお前が戻ってきてくれて嬉しいよ」

「ありがとうなの」

「で、先輩とはどうだったんだ?」

 

 ニヤニヤしながら赤羽根は美希に聞いた。彼もなんだかんだでデートの内容が気になっていた。

 

「一杯文句を言ってやったの。だからもう大丈夫。今日からまたよろしくお願いします、なの」

 

 先輩はどんなマジックを使ったんだ、と赤羽根は内心驚いていた。普段の美希と言えばそうなのだが、この前よりなにか変ったような気がすると赤羽根は感じていた。凄くいい表情をしているし、なによりも前より礼儀正しくなったようなが気がする。

 赤羽根は少し悔しそうな顔をしながら、

 

「ああ、こちらこそよろしく頼む。それと部屋に入ろうとしたんだろ? 俺が先に行って、呼ぶから入ってこい。そっちのがいいだろ」

「気を使ってもらってごめんさい」

「いいんだよ。俺だってこういうことがあったら部屋に入るのだって気まずい。じゃあ、待っててくれ」

 

 赤羽根はそう言って部屋に入る。竜宮小町と律子もおり、全員揃っていた。休憩していたのか皆床に座っている。

 タイミング的には丁度よかったと思い赤羽根は声をかけた。

 

「皆、ちょっといいか」

「どうしたんです、赤羽根P?」

「なに、ちょっとしたサプライズだよ……入っていいぞ」

 

 ゆっくりと扉を開けて、覗きながら美希が顔をだし、『美希!』と声を揃えて彼女の名前を呼んだ。

 美希は皆から注がれる視線にあたり、緊張が増す。学校でよく教壇の前に立つ時なんて緊張しないのに、今はかつてないほどに緊張していた。

 美希は赤羽根の前に立つ。目を泳がせながらあの、えぇと、と言葉が中々言いだせない。

 扉の前で考えていた言葉が飛んでしまった。そんな時、赤羽根が「大丈夫だから」と声をかけた。美希も頷き、

 

「みんな、ミキの我儘で迷惑をかけてごめんなさいなの!」

 

 勢いよく頭を下げる。内心、ビクビクしながら返答を待つ美希。しかし、待っていたのは予想外の言葉だった。

 

「頭をあげてよ美希。私達そんなことを思ってないよ」

「春香……」

「春香の言う通りよ。全部プロデューサーが悪いんだから、あんたはむしろ被害者なのよ」

「デコちゃん……」

 

 デコちゃんって言うな、と怒れた。皆もたくさんの言葉をかけてくれる中、千早が一歩前に出て、

 

「私は謝罪が欲しい訳じゃない」

「千早さん……」

「ちょっと、千早ちゃんッ」

「私はプロとしてライブを成功させたい。そのために遅れていた時間を取り戻したい。だから……できるわよね、美希」

「――うん! 今から皆に追いついてみせるの!」

 

 千早も笑顔でそれに答えた。それに、と続けながら、

 

「私達もプロデューサーの事は許してるからもう平気よ」

「え、どういうこと?」

「美希が飛び出したあのあとにプロデューサーがやってきて」

「土下座したんです」

 

 真と雪歩がぎこちない顔をしながら教えた。

 

「……土下座?」

『うん』

 

 声を揃えて皆が答えた。

 あの日、貴音を連れてやってきたプロデューサーはこの教室で正座をし、

 

『あいつを必ず連れ戻す。だからそれまで待っていてくれ。この通りだ』

 

 正座から土下座をした。

 彼女達もなんと言っていいからわからず、まして土下座をしてくるとは思ってもいなかった。

 

「そっか、プロデューサーが……」

「ところで、美希。あの人は今どこに?」

「そうだ、先輩は一緒じゃないのか?」

「アレ? 一服してからあとから来るって言ってたよ」

 

 美希も貴音に言われて思い出した。確かにプロデューサーが来ていないなと。すると、プロデューサーのスマホに着信が入る。画面見ると『先輩』と表示されており、すぐに出た。

 

『赤羽根かッ、美希はどうしてる?!』

「先輩、美希は今ここにいます」

『一件、落着した――だな! そい――よかった!』

 

 所々声が途切れて聞き取れない。電話越しだが息がやけに荒いと赤羽根は気付いた。

 

「ところで先輩今どこに――」

『俺――事務所に向かう――貴音に―――おいて、くれ!』

「先輩? 先輩? 駄目だ、切れた」

「どうなさいましたか?」

「いや、多分だけど。事務所に向かうから、貴音にも伝えておいてくれ、そう言ってたと思う。にしても物凄く焦っているように聞こえたが……」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 パンと手を叩いて、律子が皆の前で伝えた。

 

「さ、とりあずは最後の練習を始めましょう。美希はどうする?」

「あ、練習着ないや。でも、今日からって決めたからこのままやるの」

「そう。じゃあ皆も用意して」

『はい!』

 

 竜宮小町と765エンジェルに分かれる。美希も向かおうとしたが、律子の前まで戻ってきた。

 

「どうしたの美希?」

「あの、律子さん」

「え」

「ミキ、ちゃんと頑張るから。だからちゃんと見ていてください、なの」

 

 初めて自分に頭を下げる美希を見て驚く律子。律子は嬉しそうに答えた。

 

「ええ、しっかりと見せてもらうわ。頑張りばってね、美希」

「うん!」

「ああ、それと。私服だから軽くにしときなさい」

「ありがとうなの!」

 

 もう、と軽い溜息をつく。あの口調は治らないんだろうなと律子は苦笑しながら思った。

 美希は自分の位置に着く前に貴音の傍により声をかけた。

 

「あ、貴音。レッスンが終わったらちょっと付き合ってもらっていい?」

「それは構いませんが」

「じゃあまたあとでなの」

 

 そして、レッスン終了後。

 貴音は着替えたあと、皆と別れて美希と一緒に帰路についていた。貴音はいつもの変装セットに美希は今日プロデューサーに渡された帽子と眼鏡をつけている。

 先程から何も喋らずにいる美希に貴音が声をかけた。

 

「美希、何か用があったのではないのですか?」

「うん。ちょっと、迷ってて中々言いだせなかったの」

「何を迷っていたのですか?」

「なんていえばいいかなって。でも言葉が見つかったの、貴音」

「はい、なんですか美希」

「貴音が羨ましくて嫉妬していました。けど今は同じくらい感謝してます、なの」

 

 貴音は予想外の言葉だったのか足を止めた。

 

「あれ、やっぱり変だった?」

「そういうわけでは。いえ、そうですね。変です。けどわたくしも美希と同じです」

「同じ?」

「わたくしも美希に嫉妬していました。今でも嫉妬しています」

「ちょっと、それはないの。そこは『今は違います』なの」

「ふふっ、ごめんなさい」

「ま、プロデューサーからその理由は聞いたからわかるよ。でも、それを言ったらミキだってまだ貴音に嫉妬してるもん」

「あら、どうしてですか?」

 

 だって、と言いながら貴音の正面に立ち止まりながら、悔しそうに美希は告げた。

 

「プロデューサーを一人占めしてるんだもん」

「そうでしょうか」

「あ、笑ってるの。確信犯なの」

 

 貴音は焦りながら美希と同じように言った。

 

「そ、そんなことありません。それを言ったらあの人はあなたにまだ執着しています。わたくしは……それが悔しいです」

「でもね、それは“プロデューサー”としてだよ。“男”としてのあの人はきっと貴音。多分そう」

「それは……そうですね。あの人は私にべったりですから」

「あ、勝者の余裕ってやつだ。でもミキだって約束したもん」

 

 くるっと回って前を歩く美希。貴音がそれを問いただそうとする。

 

「そ、それはどういうことですか?!」

「えへへ、ミキとプロデューサーの秘密なの。だから、教えてあーげない」

 

 貴音は普段の冷静さをどこかに忘れてしまった。美希も対抗しようと貴音も張り合い、胸に手を当てながら自慢するように言った。

 

「わ、わたくしにだってあの御方との秘密の一つや二つ……ぁ」

「へー」

 

 しまった、と貴音は内心焦り始めた。しかしそれはもう手遅れ。前を向いていたはずの美希が獲物を見つけたような目でギロリと、貴音を見つめる。

 美希はすぐにいつもの表情に戻り、再び前を向いて歩き出した。

 

「今はそういうことにしておくの。“二人だけ”の秘密に、ね」

「あ、あの美希。別にそういう変な意味ではなくてですね? その、えーと」

 

 なんとかしようと貴音は美希に話しかけるが、彼女は指を指しながら、

 

「じゃあミキこっちだから」

「え、あの美希。ちょっとまだお話が終わって――」

「じゃあね、貴音」

 

 別れを告げて走り出した美希。ああどうしよう、と貴音は困惑しながら美希と別の道を歩きはじめる。すると、後ろから美希が声をかけてきた。

 

「あとねーミキ、負けないからね! アイドルとしても、女としても! じゃあねー!」

「え、美希! 最後はなんと言ったのですかー! 行ってしまわれました。いけません、終始美希のペースに乗せられてしまいました。しかし――」

 

 最後になんと言ったのだろう。貴音はうぅと呻きながら、読唇術を学んでおくべきでしたと後悔した。

 はあ、と溜息をついて歩き出す。貴音は今の不思議な感覚を得ていると気付く。

 

(けれど、なんとも言えない気持ちです。これは高揚しているのでしょうか。)

 

 理由はきっと美希だと貴音は思った。彼女には嫉妬などもしたが、今はこれから起きる事にわくわくしてる。そう、張り合いがあると言えばいいか。あの御方にあれほどまで言わせたのだ。そんな彼女が遂に動き出すのだと。

 自分も負けていられない。けどその前にと、ポケットからスマホ取出して問題の人物に電話をかける。

 

「あなた様ですか? ええ、今マンションに帰っているところです……はい、はい。色々と問いただしたいところですが今はいいです。それより今日の夕飯は何がよろしいですか……“はんばーぐ”ですか、最近食べておりませんでしたね。わかりました。ああそれと、わたくしも明日からもっと精進して参りますので。ですから、他の子ばかり見ているとわたくし、泣いちゃいますから。では、また後ほど」

 

 ふふっと笑いながらポケットにスマホをしまう。あの人の慌てふためいた声が少し面白かった。

 あ、と何かを思い出し立ち止まる貴音。

 

「そう言えばお肉がありませんでしたね。スーパーに寄っていきましょう」

 

 貴音は一旦近くのスーパーに向かい、そして材料を買って帰宅した。

 その姿は子供の好物を作って待つ、母親のようであった。

 

 

 765プロ 事務所内

 

「しかし今回は私も一時はどうなるかと思ったよ」

 

 お茶を飲みながら高木はプロデューサーに向けて言った。その言葉に小鳥、赤羽根、律子の三人もうんうんと頷いていた。

 当の本人はコーヒーを飲みながら澄ました顔をしていた。反省の色が窺えないとはこの事だろうか。

 

「社長の言う通りですよ。プロデューサーさんは女の子扱いがなっていません」

「じゃあ小鳥ちゃんは男の扱いには慣れてるのかな、ん~?」

「そ、それは」

 

 仕返しとばかりか、プロデューサーはやけにいい顔をしながら小鳥をからかう。それに対して律子が注意した。

 

「そういう所が駄目なんですよ、プロデューサー」

「失敬。ん、どうした赤羽根。浮かない顔をして」

 

 赤羽根は歯切れが悪そうに言った。

 

「いや、その。今回の件は俺がなんとかしたかったなって。俺も原因でしたし」

「すまんな。こればっかりは俺がなんとかしなきゃいけなかった。なに、これからは嫌というほどあいつらに困らせられるんだ。そこは譲るさ」

「先輩、それはないですよぉ」

「まあまあ、赤羽根君もそれだけ成長したということさ」

 

 高木が間に入って赤羽根を宥めた。

 

「そうですよ。私から見ても最初に比べれば、皆から信頼されてると思います」

「私も律子さんと同じですよ」

「二人とも……」

「そうだ、キミ。もう九月だ、そろそろ忙しくなるんじゃないかい?」

 

 話題を変えて、高木がプロデューサーに聞いた。

 

「そうですね。十一月に貴音の一周年記念ライブの開催が決まっています。それが終わり次第、向こうでの仕事に本格的に取り組むつもりです。可能性はなくはありませんが、紅白の出場が決まればそれが最後の仕事になると思っています」

「そうか、早いものだね」

「もう一年経つんですよね。年はとりたくないです」

「それを言ったら俺なんてまだ半年も経ってないですよ」

「それもそうですよね。忘れてました」

「律子、お前な」

「冗談ですよ、冗談」

 

 年齢としてはこのメンバーでは上から四番目ではあるが、年下の先輩である律子にもからかわれてしまっている赤羽根。本人は、まあそれも悪くないと思っていた。

 談笑している中、高木が真剣な顔をしながらプロデューサーに聞いた。

 

「で、いつまでいられるんだい。私としては四月まで居てほしいのが本音だ。けどそれが難しいということもわかっているがね」

 

 手に持っていたマグカップを机に置いて、プロデューサーも真面目に答えた。

 

「多分今年一杯かと。自分も四月まで居たいと思っていましたが、どうにも無理そうです。正直に言うと、こちらで赤羽根やあいつらの成長を見守っていたいという自分と、向こうでの仕事が楽しみで仕方がない自分の二人がいます。まあ、情ってやつですかね」

「そうか。しかし、同じ業界で仕事をするんだ。会う機会も多いだろう」

「それはそれで怖いですが」

 

 笑いながらプロデューサーは言った。ああそれと、と言いながら、

 

「今日、美希にそのことを伝えました。いつとは言ってませんが」

「そうかい。他の子達にはいつ?」

「ここは去る前には言おうかと」

「いいんですか先輩。美希に教えても」

「今回は特別だ」

「今度は美希ちゃんを特別扱いですか。貴音ちゃんが何か言ってくるんじゃないですか?」

 

 小鳥が面白そうに聞いてきた。先程と立場が逆転し、今度は彼女がニヤニヤしながら彼を見ている。

 

「よしてくれ。貴音に関してはこれでもかってぐらい特別扱いをしてるんだ。堪ったもんじゃない」

「まあ今回で痛い教訓を得たプロデューサーもわかったことでしょうし。では、ここで同じ女性である私からアドバイスを」

「ほう。では律子プロデューサー、ご教授をお願いします」

 

 頭を下げるプロデューサーに対して、こほんと律子言いながら、

 

「女の子は怖いですから、油断していると何をしてくるかわかりません。特にプロデューサーは女性に対する扱いに差があるので気を付けましょう」

「そんなに差がある? 俺?」

『はい(そうだね)』

 

 プロデューサーの問いに対して全員が答えた。

 どうやら味方はいないらしい。プロデューサーは諦めてコーヒーを飲む。

 では、と高木が立ち上がりなら言った。

 

「時間も遅いし、どうだね。これから皆で食事はどうだろうか。もちろん、私の奢りだ」

 

 それを聞いてまっさきに小鳥が手をあげた。

 

「はい、行きます!」

「音無さん……」

「大人気ないんだから」

「ま、まあ。小鳥君に関してはいつものことだから……遠慮というモノを知ってほしいがね」

 

 乾いた声であははと笑う高木。

 

「もちろんキミも来るだろ?」

「あ、俺は先約があるんで無理です」

「えー! プロデューサーさん付き合い悪いですよ!」

「先輩も行きましょうよー」

「じゃあ私も……まだ未成年ですし……」

 

 律子も逃亡を図ろうとするがプロデューサーに阻止された。

 

「これも勉強だ。ただ飯が食えると思えばいいさ」

「本人の前でそういう事は言わないでほしいんだがなあ」

「すみません。代わりに戸締りはしていきますから」

「わかった。じゃあよろしく頼むよ」

「むー」

「はいはい。音無しさん、行きますよ」

「それじゃあプロデューサーさん。また明日」

「ああ、お疲れさん」

 

 四人を見送って事務所に一人残ったプロデューサー。行けない理由はもちろん貴音だ。どんな顔をして待っているかは想像が付かないが、料理を作って待っている。いつかの過ちは繰り返さない。

 プロデューサーは机の上を整理し、窓の施錠や給湯室を念のため見回った。問題はなく自分も帰ろうとロッカーを開ける。

 

「あっ」

 

 つい声を漏らしてしまう。そこには、今日美希とデートで購入した服が入った袋があった。

 

(しまった。美希のやつも一緒に持ってきてしまった。ふむ)

 

 少し考え込むプロデューサー。持ち帰ったら貴音に何を言われるかわからない。では自分のだけはどうだ。駄目だ、不審がられる。悩んだ結果、後日渡すことにしようと決めた。

 プロデューサーはそのままロッカーの扉を閉め、電気を消し事務所の扉に鍵をかけてマンションへと帰宅した。

 

 

 その頃。美希は家に帰宅し、お風呂に入ってから食事を済ませていた。自分の部屋のベッドで仰向けになりながら右手の小指を見てはニヤニヤと笑ってた。

 

(約束、か。えへへ)

 

 公園で交わした約束を思い出しなら美希は嬉しそうに笑う。

 

(我ながら簡単にコロッといっちゃったな……)

 

 デートに行く前はどうやって辞めてやろうか、なんて考えていた。しかし今はその真逆。あの人の事が気になってしょうがない。嫌っていた筈なのに今は違う。だからこそ、貴音に宣戦布告をしたのだ。

 

(貴音ってプロデューサーとデートしたことあるのかな)

 

 ふとそんなことを思った美希。していないのなら自分が一歩リードしている。でも、あの人の時間は貴音がずっと前を進んでいる。

 

(やっぱり後悔してるのかな……でも、これからなの)

 

 落ち込むどころか、その逆だった。恋する乙女、と言えばいいか。美希は燃えていた。

 美希は今日撮ったプリクラを手に取る。結局、プロデューサーには落書きしたモノを見せていない。三枚目に「ぷろでゅーさーのバカ」と書かれている。

 初めてみたあの人の素顔。

 

(意外と可愛い顔してるの)

 

 サングラスをかけている写真を比べる。サングラスをかけるとこうも違うことに驚く。

 

(今度はちゃんとしたのを撮りたいなあ)

 

 用はまたデートがしたいと思っている美希。

 けど今はと、放り出していた音楽プレイヤーとヘッドフォンをつけ、ライブに向けて歌詞を覚える。

 

(明日からもっと頑張るの。そしたら、ちゃんと褒めてくれるかな)

 

 美希は期待に胸を膨らませながら、気付かぬうちに眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 




美希の扱いに関しては捻りもないこんな感じに落ち着いてしまった。プロデューサーが全面的に悪い部分が多く、そこはもっとしっかりとすればよかったと反省しています。

前にどこで書いたと思うのですが、本作の美希は原作より天才設定にしています。ですので余裕というか、慢心?しているところが大きいです。

最後の警察のやり取りはいらなかったかな……? デレマス編に入ることを前提の設定しているのでまあいいかと思って入れました。
なんでコマンド―かと言うと、ニコ動ではあとコブラの吹き替えがあるからかな。好きなんですよ、私。
設定ではプロデューサーの憧れる人物はシュワちゃんという設定にしています。あとでプロフィールみたいのをつくる予定です。文字数があれば注意事項と一緒にできるのですが……

あと、貴音の「私」を「わたくし」に戻しました。あとで他の話も修正しておきます。

で、次回アニマスのライブ回。やっと半分といったところでしょうか。
ただ更新はかなり遅れると思います。
現在、デレステのイベントに全力で走っているのが原因です。今の順位をキープしつつ上を目指しているのでかなり疲れてます。

できれば一週間以内には更新したいなあ……


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第11話

お待たせしまた……完成しました。
とりあえず、莉嘉無事に確保しました。


「まったく。最高の日だな、今日は」

 

 ライブ会場のステージの端。スタッフとの準備を進めながら深刻な顔をしている割には、プロデューサーはどこか嬉しそうな声で言った。

 今日は竜宮小町のライブ当日。目の前では765プロのアイドル達が練習着でリハーサルを行っていた。しかし今回の主役である竜宮小町はいない。

 律子達は午前中の収録現場からこの会場で直接合流する予定だった。だが思いもよらぬ事態が起きた。台風である。現地では暴風と大雨の影響で当初の予定だった新幹線も運行停止。電車を探すと言っていたが少し経ってレンタカーを借りて現在こちらに向かっているとの連絡があった。

 

(リハーサルには間に合わないのは確実、か)

 

 最悪な状況の中、スマートフォンが鳴る。相手は律子からだ。

 

「もしもし、律子か。今どの辺りだ?」

『すみません、プロデューサー。向かっている最中に車のタイヤがパンクしてしまって、今身動きが取れない状態です』

 

 その知らせを聞いてプロデューサーは頭を抱えたがすぐに切り替えた。

 

「なんとかなりそうか?」

『そこはなんとか』

「わかった。こっちの空もかなり怪しくなってきた。もしかすると交通規制か、事故とかで止まる可能性もあるな」

『ええ。そこはもう祈るしかないです』

 

 電話越しだが今の律子の声から察するに、彼女は焦っているとプロデューサーは感じ取った。焦りもそうだがなによりも自分を責めている。今日は竜宮小町にとって大事なライブ。本来なら今この場にいるはずだったが、今日の収録はどうしても外せなかった。大事な時期でもあるしキャンセルできるはずがない。

 すべてを台風の所為にしてしまいたい、そう思ったがそうはいかない。開演の時間は刻一刻と迫っている。

 

「律子、あんまり自分を責めるな。こればかりは仕方ない。お前が不安がると伊織達も不安になる」

『はい……そうですよね、すみません。これからどうするかを考えないといけませんよね』

「その意気だ。伊織達に代わってくれるか?」

『ちょっと待ってください』

 

 律子がそう言ってすぐに伊織の声が聞こえた。

 

「よお。調子はどうだ」

『もっと他に言うことがあるんじゃないかしら?』

「なんて言ってほしいんだ?」

『それはもっとこう……あるでしょ!』

 

 言葉が見つからなかったのか、伊織は怒鳴った。

 

「それだけ元気があるなら大丈夫だな」

『ねぇ、プロデューサー! そっちは大丈夫なの?!』

 

 亜美が割り込んで心配するように聞いてきた。

 

「大丈夫だ。心配しなくていい」

『すみません。迷惑をかけてしまって』

「あずさ君が謝る必要ないさ」

『はい』

 

 この中で一番の年長者であるためか、あずさもかなり思い悩んでいた。

 

「まあ心配するな。お前達のライブを台無しになんてさせないさ。だから、信じてやってくれ。お前達の仲間をな」

『当然でしょ』

『うんうん』

『はい~』

「じゃあまた律子に代わってくれ」

『――はい、なんですかプロデューサー』

「こちらでも最善を尽くす。任せろ」

『お願いします』

「ああ。それじゃあ何かあれば連絡をくれ」

『はい』

 

 そう言って電話を切る。ふう、とプロデューサーは息を吐く。いつもの顔に戻り、行動を起こした。近くにいた赤羽根を呼んで律子達が間に合わない可能性を伝えた。

 

「というわけだ。最悪、竜宮小町抜きで開演する」

「ホント、最悪です」

「だが、悪いことばかりじゃない」

 

 えっと声に出して、赤羽根をプロデューサーを見た。ニヤリと口角をあげて笑っている。

 

「まずはあいつらにも状況を説明する。その後にスタッフと再度打ち合わせだ。リストを変更しておかなきゃならん」

「わかりました。今すぐに呼んできます」

 

 そう言って赤羽根はステージの上で練習をしているアイドル達の所に向かった。練習をやめて赤羽根を先頭にプロデューサーの前に集まるアイドル達。彼女達の顔から察するに、困惑しているのが見て取れた。

 

「さてお前達。いい話と悪い話。どちらから聞きたい?」

 

 その言葉にざわつく。互いに近くにいる者の顔を見合う。春香が手を恐る恐るあげながら答えた。

 

「じゃ、じゃあ悪い話から……」

「わかった。はっきり言うと、竜宮小町は間に合わないかもしれん」

『え――ッッ?!』

 

 彼女達も竜宮小町が未だに合流できていないことは知っていた。開演が迫る中、まだこない竜宮小町いないことに不安を募らせていた。

 

「じゃ、じゃあライブはどうなるんだ?!」

「そうだよー! 亜美達がこないんじゃ……」

 

 目の前で困惑する彼女達に対し、プロデューサーはいつものように落ち着いた表情で言った。

 

「まあ落ち着け。で、いい話だ。それは――」

『それは……?』

「竜宮小町がいない間、お前達がこのライブの主役ってことだ」

「先輩。それ、律子が聞いたら怒りますよ」

 

 呆れながら赤羽根が言った。彼女達も口を開けている。

 

「本当の事だ。しかし、その分お前達一人一人に負担がかかる。歌う曲も予定より増える。だが、こうでもしなければライブは最悪の形で幕を下ろす。それは嫌だろ。俺だって嫌だ。だったらやるしかない。お前達はどうだ?」

 

 プロデューサーの問いに彼女達は答えた。

 

「もちろん決まってるさあ」

「うん。私達でなんとしなきゃ」

「わたしも伊織ちゃんたちが来るまで頑張ります!」

「むしろ僕たちで伊織達をビックリさせてあげようよ!」

「そうだよ。それに竜宮小町が来るまで私達で会場を盛り上げようよ!」

 

 先程の暗い顔とは一転、いつのように活気のある声で互いに言い合う。

 

「答えは決まったな。まずは部屋に戻って準備をしてくれ。さあ、行動開始だ」

『はい!』

 

 プロデューサーの合図で動く春香達。彼は隣にいる赤羽根にも指示を出した。

 

「赤羽根、ついでに小鳥ちゃんも呼んでくれ。一緒に打ち合わせをする」

「わかりました!」

 

 赤羽根も会場のどこかにいる小鳥を探しに動き出した。すると美希がまだ残っており、プロデューサーのもとへと歩いてきた。

 

「どうした美希」

「ねぇ、プロデューサー。もしかして嬉しそうだったりする? 今の状況」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、笑ってるの」

「そうか? 俺は今とてつもなく不安でしょうがない顔をしているはずだが」

「全然そんな風には見えないの」

 

 不安なんて言葉がよく言えるの、と美希は思った。それは自分も同じだと思いながら言った。

 

「ミキも人の事言えないけどね。予定よりいっぱい歌が歌えるってことだもん。デコちゃん達には悪いけど、ミキは楽しみだよ」

「ふ、お前も似たようなことを考えているんじゃないか」

「お互い様なの」

 

 美希はそう言うと心配そうな顔をしながら聞いた。

 

「ミキ、キラキラできるかな」

「それはお前次第さ。でも、俺はできると思ってる。俺がしたんだ。できなくては困る」

「それは責任重大なの」

 

 プロデューサーは美希の肩に手を置いて励ました。

 

「大丈夫だ。お前なら出来るよ」

「うん、ありがとう」

 

 プロデューサーは美希が緊張していないことには気付いていた。ただ、自分が求めているモノを得ることができるかが心配だった。キラキラしたい。それが本当にできるのかが怖いのだ。これは竜宮小町のライブであって美希のライブではない。彼女達のファンをどれだけ自分にくぎづけにできるか。難易度は高い。それでも美希ならできると、プロデューサーは確信していた。

 

「さ、お前も部屋に戻って準備をしろ。あとは俺達に任せろ」

「わかったの。じゃあいくね」

 

 美希は軽く手を振って部屋に向かった。美希が見えなくなるまでプロデューサーはそこにいた。見えなくなると彼も動きた。各担当のリーダー達を呼んで説明を始める。机に上に置かれた資料に赤色のペンで修正をしながらプロデューサーは説明する。

 

「まずは竜宮小町のオリジナル曲は後半に回します。他の曲は今いる子達でも歌える曲なのでそれでなんとかします」

「わかりました。順番はどうしますか?」

 

 スタッフの一人がそう聞くと赤羽根が割って入りながら違う色のペンで矢印を入れながら説明した。そんな赤羽根を嬉しそうにプロデューサーは見ていた。

 

「まず、こことこれを変更します。問題は連続して歌う子がいるんですがそこはあいつらに頑張ってもらうしかありません。一応全員歌える曲なので最悪メンバーを変更します」

「アイドル達の負担がかなり大きくなりますが……」

 

 赤羽根を含めた視線がプロデューサーに向けられる。

 

「今は大体の変更案を作りましょう。それからあいつらにも目を通して貰って、その後に再度調整します」

「わかりました。では、このあとの曲ですが」

「ここはこれで……」

 

 プロデューサーは赤羽根に任せてスタッフと話し合いを続ける。赤羽根に連れてきてもらった小鳥にプロデューサーは説明を始めた。

 

「小鳥ちゃん。まず開演の少し前にアナウンスで……そうだな、三十分遅れることを放送してくれ」

「わかりました。一時間だと逆にファンの方に不信感を与えてしまうかもしれませんからね」

「ああ。少しでも遅らせて律子達が間に合う時間を作りたい」

「やっぱり難しいですかね……」

「来るにこしたことはないがな。あと、社長に会ったらこのことを簡単に説明しておいてくれ」

「わかりました。時間までは春香ちゃん達の様子を見ておきますね」

「頼む。貴音も何かフォローしてくれると思うが一応だ」

「それじゃあ何かあったら連絡してください」

「わかった」

 

 小鳥が行くと後ろから赤羽根が叫んだ。

 

「先輩、ちょっといいですか!」

「どうした」

 

 赤羽根に呼ばれて再び戻るプロデューサー。スタッフを交えて再度話し合いは続く。そのあと数十分かけて仮ではあるがリストを完成させた。

 それからして衣装に着替えた千早がやってきて皆に見せるためにリストを持って部屋に戻る。互いに声を出しながらリストの確認を進める。千早を始め、赤羽根の二人が舞台裏と部屋を行き来する。そして何度も修正をし、ようやくリストが完成した。

 その頃には時刻は既に十七時をまわっており、会場へファンが入場する。直接中に向かうファンもいれば、物販を購入しているファンもいる。グッズやCDを買うファンも多いが、サイリウムを購入するファンも多い。

 その様子を小鳥が部屋で待機している彼女達に報告した。

 

「みんな、開場したわ! たくさんのファンがもう来てますよ!」

「あぅ! やっぱり緊張してきました……」

「いや、緊張しない方が凄いよ」

 

 この場にいる貴音を除けば、こんな大きな会場でのライブは初めてである。緊張するのも無理はない。その貴音はコンビニで大量に買い込んできたおにぎりやサンドウィッチをもぐもぐと食べている。そんな貴音を隣に座っている響が呆れながら言った。

 

「貴音はいつも通りでなんだかほっとしている自分がいるぞ」

「大丈夫ですよ、響。わたくしだって最初は緊張していましたが、ステージの上に立てばライブに集中しますよ」

「そういうものなのか? まあ、この中じゃ貴音が一番経験しているから説得力はあるけど」

「それに美希も余裕そうですよ」

「ん?」

 

 同じく響の隣に座っていた美希が反応して貴音の方を向いた。

 

「美希は緊張してないのか?」

「ミキ、本番には強い方だから。響は緊張してるの?」

「緊張してたけど、二人を見たらどっかいったよ……」

 

「それはよかったですね、響」

「……ありがとうさぁ」

 

 喜んでいいのかわからないが響はとりあえず礼を言った。

 それから全員で変更になったリストや分たちが歌う曲を何度も確認する。すると扉が開き、赤羽根が入ってきて部屋を見渡すと、目的の人物の名前を呼んだ。

 

「貴音。ちょっと来てくれるか?」

「どうしましたか。何か問題が?」

「いや。先輩が呼んでるんだ。いけばわかるよ」

「わかりました」

 

 貴音は控室を出て行き、舞台裏へと向かう。そこにはプロデューサーと小鳥が今回のプログラムが書かれた紙を持ちながら話をしていた。プロデューサーが貴音に気付き、彼女を呼んだ。

 

「貴音、こっちだ」

「で、ご用件は? 今回私ができることは限られていますが」

「その件で話があるの」

 

 貴音は首を傾げた。今回、竜宮小町のライブにおける貴音の立場はゲストのようなものだ。765プロ一番のアイドルである貴音は、竜宮小町と違って規模が違う。それは贔屓目な言い方をすればファンもそうだし、実力とも言える。事務所からすれば四条貴音というブランドを確立している今、他のユニットのライブで出しゃばる訳にはいかない。竜宮小町も多くのファンを得ているが、その数はソロで活動している貴音にはまだ及ばない。そのため今回ゲストという形で参加している。歌う曲は既存のモノと他のメンバーと歌う新曲のみだ。これはプロデューサーが貴音に他のメンバーと一緒にライブをしたいという思いをくんだためだ。貴音を除けば、このライブは竜宮小町と春香達によるライブがメインになっていた。竜宮小町が合流できないというアクシデントがなければ、だったが。

 

「わたくしは本来ライブの途中、竜宮小町からの紹介で登場の予定でした。変更されたリストは順番が違っていただけであまり変化はあまりませんでしたが」

「それとは別だ。いや、それも少しあるんだが。実はお前にMCをしてもらいたい」

「えむしー、ですか?」

「そうなの。今、プロデューサーさんとも話しててね。開演の十分ぐらい前に貴音ちゃんがステージにあがってもうらおうって話してたの」

「まあ、時間稼ぎってやつだ。お前も言ったように、本来であれば竜宮小町がお前を呼んでの登場だった。だが、その本人達がいない以上、お前をどこかで登場させなければならん。ならいっその事最初に出てもらうことにした」

 

 なるほど、と貴音は頷いた。プロデューサーは続けて貴音に聞いた。

 

「できるな、貴音」

 

 その問いに貴音は胸に手を当てながら答えた。

 

「もちろん。あなた様がそういうのであればわたくしもそれに従います。ですが、えむしーは番組でもやっているので大丈夫ですが、開演前ということは」

「まあ、普通にラジオみたいにトークしてもらえればいい。開演は十八時三十分。トークに夢中で時間が少し過ぎたように見せかけろ。俺が会場を見て、限界だと判断したら合図を出す」

「わかりました。トークの内容はなんでもかまいませんか?」

「ああ。お前の好きな話をすればいい。それと、途中あいつらを休ませるためにお前の歌を別で入れる可能性もある。臨機応変に動いてくれ」

「突然なのはいつものこと。大丈夫です」

 

 プロデューサーは貴音の顔をみて問題ないと判断した。仕事やライブの時にいつもみる真っ直ぐな目、キリッとした表情。すべてを安心して任せられる貴音の顔だ。

 

「よし。それじゃあ時間まで休んでおけ」

「はい。それでは失礼します」

 

 一礼して貴音は控室に戻った。

 

「小鳥ちゃんも時間になったら頼む」

「わかりました」

 

 その後、本来の開演十八時前に小鳥のアナウンスが流れた。会場がざわめいたがそれもすぐに収まる。だが、ファンの中にはまだかと声を漏らすものもいた。

 そして、予定通り十分ほど前に貴音がステージに現れる。貴音の姿をみて困惑と歓喜の声があがった。貴音の登場は765プロのホームページにおいて、それを似合わせるような文章があったのでファンの間では四条貴音がゲストで登場するということは予想できていた。それ目当てで来たファンもいるし、勿論竜宮小町と春香達を見にきたファンもいる。それでも765プロのアイドルといえば貴音と言われるぐらいには真っ先に名前があがる。彼女の登場は会場にいるファンを喜ばせた。

 ステージの真ん中に立つと、マイクを片手に貴音が話し始めた。

 

「どうも、皆様。本日は竜宮小町のライブお越しいただいてありがとうございます。わたくし、四条貴音も同じ事務所の仲間である彼女達がこうしてライブを行うことができてとても嬉しく思っております。さて、今回わたくしが登場することは……皆様はご存じでしたか?」

 

 貴音はワザとらしくマイクを会場の方に向けた。それに答えるようにファンが答える。

 

『知ってたよー!!』

「ありがとうございます。さて、何故わたくしが今ここにいるかとういうと。開演時間が延長してしまったお詫びです。本当に申し訳ございません」

『そんなことないよー!!』

 

 訓練されているのかファンは大きな声で揃って声ををあげる。

 

「ですので、始まるまでわたくしと少しお付き合いお願いします」

 

 歓声があがる。ライブはまだ始まっていないが、既にサイリウムを振っているファンもいる。

 

「ふふ、ありがとうございます。ではまず、何からお話しましょうか……」

 

 この様子を二階の一番後ろの席で見ていた高木と吉澤。吉澤も何かに気付いたのか、周りにいるファンに聞こえないように隣にいる高木に聞いた。

 

「もしかしてトラブルでも起きたのかい?」

「ああ。竜宮小町が台風の影響でまだ到着していない」

「そいつは災難だ。で、そのための作戦か。だが、長くは持たないんじゃないか?」

「大丈夫さ。彼が、いや。あの子達がきっとなんとかするさ」

 

 吉澤は高木の顔をみてそれに納得した。

 

「そうだな。何が起こるか見させてもらおうか」

 

 その間も貴音のトークは続いた。ラジオや番組等で得た経験がかなり生かされ、ファンも釘づけになって耳を傾けている。そして、延長した開演時間の五、六分を過ぎたあたりでステージの端からプロデューサーが合図を出した。それを横目で確認した貴音。話を一旦区切り、

 

「皆様、お待たせしました。では、後ほどまたお会いしましょう」

 

 そう言って貴音は手を振りながらステージ去る。同時に照明が落ち、小鳥のアナウンスが入る。

 

『大変長らくお待たせしました。これより、竜宮小町のライブを開演とさせていただきます』

 

 歓声があがり、再び照明が点灯した。竜宮小町が不在のライブがとうとう始まった。

 緊張や不安もあったが春香達は順調に楽曲を消化していく。ファンからしてみれば、彼女達は前座である。それでも春香達のファンも少なくはない。春香達が思っていた以上に歓声はあがっていた。だが、これは竜宮小町のライブ。主役である彼女隊が未だに登場しないことに疑問や不信感を抱くファンも途中でてきた。同時に、プロデューサーのスマホに着信が入る。

 

「もしもし」

『あ、プロデューサーさんですか? あずさです』

「あずさ君か。今どのあたりだ」

『高速道路です。予想通り渋滞に捕まってしまって。でも、これを抜ければすぐに会場につくみたいです。え、律子さん……はい、はい。あ、今律子さんからで、ライブはどうなってるかって』

「ライブは三十分遅れで始まった。今はなんとか持たせてる。しかし、そうなるとかなりギリギリだ」

「すみません」

「謝らなくていい。律子には気をつけてこちらに向かうように伝えてくれ。それと、今にも泣きそうな伊織に大丈夫だと一緒に伝えてくれ」

『……ですって、伊織ちゃん』

 

 離れていたが、「だ、誰が泣きそうですって!」と伊織の声が聞こえた。苦笑しながら通話を切り、一度深呼吸。会場を見渡す。薄暗い会場で、ファンの顔を見ることはできないが空気を感じればわかる。それに、最初に比べればサイリウムの振りも小さいことにも気付いた。プロデューサーは近くにいた赤羽根を呼んだ。

 

「赤羽根。予定より少し早いが貴音を呼んできてくれ」

「やっぱり無理がありましたかね……」

「こればかりはしょうがない。一旦貴音を挟んで持ち直す」

「わかりました。すぐに呼んできます」

 

 赤羽根が控室に向かうとプロデューサーはスタッフにそれを伝える。

 今歌っている曲が後半に入ると貴音もやってきてプロデューサーの隣に立つ。ステージで歌い、踊る仲間を見ながら貴音は愚痴を零した。

 

「しかし、皆と一緒に行うライブがこんなことになるとは。世の中思い通りにはいきませんね」

「そんなもんだろう。けど、あいつらはよくやっているよ。ダンスも歌も問題ない。こんな状況じゃなきゃ最高な気分だったんだがな」

「わたくしも苦労が増えました」

「嫌か?」

「いいえ。むしろ歌う回数が増えて嬉しいぐらいです」

 

 貴音の方に向くと彼女は笑っていた。本来であればたった数回歌って終わりだったのだ。伊織達には悪いが、歌える回数が増えて嬉しいと思うのは仕方がない。

 

「そうか……そろそろだ」

 

 プロデューサーがそう言うと音楽が止み、ステージに立っていた春香と千早が戻ってくる。

 よくやったと激励する。彼は貴音の背中を押すように彼女を送り出した。

 

「行って来い」

「はいッ!」

 

 貴音がステージに現れると先程までと違い大きな歓声が起こる。音楽が始まると一斉に静まる。サイリウムを振る動きも今までと違って大きい。プロデューサーも少しそれを見てから大丈夫だと判断し、控室へと向かった。

 控室の前まで来ると扉が開けられていた。プロデューサーはすぐには入らず近くで聞き耳を立てた。どうやらここにきて溜め込んでいたものが爆発したらしい。常に控室にいなかったのでわからないが、貴音がフォローしきれなかったのだろう。ミニライブと小さなステージでは経験があるが、こんな大きなステージでのライブは彼女達にとっては初めてだ。何よりも、竜宮小町もいないというプレッシャーに加え、ライブという流れがうまく掴めていないのか余裕もない。さらにファンたちにも不満が溜まっていることに気付いていた。

 プロデューサーもさすがにフォローしなければと動き出そうとしたが、春香が皆に向けて言った。

 

「今はお客さんの事とか、色んな不安は置いておこうよ。私達が今できることはお客さんであるファンのみんなにどんな思いを届けるかが大事だと思う。だって、アイドルってそうでしょ。それに、やっと私達の夢が今実現しているんだよ! 貴音さんだって、私達と一緒に歌うのを凄く楽しみにしてて。そのためにみんなで今日まで頑張って練習してきたんだもん。きっと大丈夫だよ!」

 

 春香の言葉に打たれ自分達が何をすべきかを自覚する。そうだよねと真が言った。

 

「それに僕たちで伊織達と驚かしてやろうって言ったんだ。こんなことでくよくよなんてしてられないよね!」

「そう、だよね。ここで私達がライブを台無しにしたら伊織ちゃん達に怒られちゃいます」

「ま、その時はその時ですな」

「責任はきっとプロデューサーが取ってくれるさぁ」

「響さん、それはちょっと……」

 

 それもそうだね。と皆で笑いあう。当の本人は安堵の溜息をつきながら部屋に入った。

 

「誰が、何の責任を取るって?」

「げぇ、プロデューサー!」

「まったく。ん、雪歩。そのスカートはどうした」

「あ、これは」

 

 プロデューサーは雪歩が穿いているスカートのファスナーの部分が破けているのに気付いた。真美が自分の所為だと自己申告してきた。

 

「まったく。真美、お前はもうちょっと丁寧にできんのか。将来苦労するぞ」

「うぅ~。言い返すことができない」

「ま、こういうことを想定していなかったわけじゃないがな」

 

 そう言ってプロデューサーは貴音が座っていた席に近づく。机の上には貴音のバックともう一つ大きなバックがあった。もしもの時と思って貴音に預けていた彼の私物だ。ファスナーを下ろし、中には二つの大きな箱がある。その内の一つを手に取り、部屋の真ん中の机に置いた。それを見て、やよいがそれはなんですかと質問した。

 

「裁縫セット。俺がやってもいいがさすがにアレだからな。やよい、お前の番はまだ先だから時間があったな。お前が代わりにやってくれ」

「はい、わかりました!」

「やよいちゃん、お願いします」

「任せてください!」

 

 やよいは早速作業に取り掛かる。男がいるのはさすがに不味いのでプロデューサーは廊下へと出た。それについていくように春香が一緒に通路へと出て、プロデューサーに聞いた。

 

「プロデューサーさんは裁縫得意なんですか?」

「得意というわけではない。もしもの時に必要だろうと思って気付いたらできるようになってただけさ。ちなみにメイク用の道具も一式ある。現役のプロに教わったからそれなりに自信があるぞ」

 

 プロデューサーは自信満々に言った。

 

「プロデューサーさんってなんでもできるんですね」

「なんでもってわけじゃないさ。それと、春香」

「はい?」

「さっきの言葉、よかったぞ」

「え、聞いてたんですか!?」

 

 改めて言われると恥ずかしくなったのか春香は顔を赤く染めた。

 

「お前はあいつらの中じゃよく周りが見えてるよ」

「そうですか? あんまり自覚ないですよ、私」

「そういうもんだ」

 

 すると通路の奥から赤羽根が走ってきた。その顔はかなり慌てている。

 

「先輩、何かトラブルでもあったんですか?!」

「いや、ないが」

「貴音の歌がそろそろ終わるのに誰も来ないから慌てて来たんですよ!

 

 あ、と言葉を漏らす。すっかり忘れていたと反省しながら通路から中に彼女達に叫んだ。該当者だと思われる子が大きな声で叫ぶ。バタバタと音を立てながら通路に飛び出し、舞台裏へと走り出す。赤羽根もそれを追って走る。苦笑しながらプロデューサーは春香に言った。

 

「さ、ライブはまだこれからだ。頑張っていこう」

「はい!」

 

 

 貴音のおかげで持ち直したと言っていいかはなんとも言えないが、少し前の状況に比べればよくなった。春香のおかげでもあるのか、彼女達も全力を尽くしている。だがここで、小さなミスが出てしまった。やよいに呼ばれてプロデューサーと赤羽根が控室に向かう。

 

「見てください! 次に美希が歌う曲が『Day of the future』なんですが、その次も美希の『マリオネットの心』なんです!」

「いくら美希でもダンサブルな曲を連続してやるのは無理だぞ!」

 

 真と響に指摘されて赤羽根は顔を抱えた。二人もその曲のダンスの特性の方までは頭に入っていなかった。赤羽根は隣にいるプロデューサーに提案した。

 

「どうします、先輩。貴音に間を繋いでもらいますか」

「駄目だ。貴音はこのあと全員で歌う曲で最後だ。これ以上貴音が出るのは不味い」

「しかし、どうします? 律子達もあと少しこちらに着くのには時間が」

 

 腕を組んで考えるプロデューサー。彼はちらりと横に立つ美希を見た。美希もそれに気付く。プロデューサーの意図を察したのか、やる気に満ちた目で真っ直ぐと彼を見ている。

 そんな美希に応えるようにプロデューサーは聞いた。

 

「いけるか、美希」

「いいの?」

 

 美希はとても余裕のある笑みを浮かべながら答えた。ダンスが得意な響が言うように、この二曲は連続して踊りながら歌える曲ではない。しかし、当の本人は笑みを浮かべている。見栄を張っているわけではない。むしろ、皆のファンを盗っちゃうかも、そう言っているようにも聞こえる。

 プロデューサーは考えた。ライブ開始からかなりの時間が経過している。一向にステージに現れない竜宮小町。貴音になんとか場を繋いでもらってきたが、ここが限界だと判断する。そして、なによりも美希と約束した。キラキラさせると。彼女が輝くための舞台、それがこれだと言うのか。響が言うように連続してこの二曲を歌うのは美希でも難しい。体力が持つかはわからない。分の悪い賭けだ。だが、どうしてだろうとプロデューサーは思った。確かにわからないと思っている自分がいる。なのに、できないとは一切思えない。むしろ貴音と同じようにやってみせてくれる、そう思ってしまう。

 ――答えは出た。

 

「ああ。思う存分やってこい」

「ありがとうなの!」

 

 赤羽根を含め、他の子達もそれ以上は言わなかった。

 

「よし。真、響はマリオネットの心で美希のフォローだ。できるよな?」

 

 二人に試すような言い方で言った。二人は顔を見合わせ、

 

『もちろん(さぁ)!!』

「さあ、皆。もうひと踏ん張り、頑張っていこう!」

『はい!』

 

 赤羽根の言葉に全員が返した。

 そして、美希の出番が迫る。ステージの端でプロデューサーと最後の確認をしている。

 

「さて。美希、歌う前に少しトークをしてくれないか」

「それって、竜宮小町が遅れてるってことを?」

「よくわかったな」

 

 えっへんと胸を張る美希を見ながらプロデューサーは驚きよりも関心を抱いていた。こんな状況の中でよくそこまで頭がまわるなと。

 

「わかっているなら話が早い。やり方はお前に任せる」

「わかったの。任せて」

 

 この間まで二人の仲は最悪だった。だが、今では長年連れ添った相棒のような安心感があるとプロデューサーは感じていた。ふっ、と笑ったプロデューサーに美希が眉間に皺をよせるように顔を近づけた。

 

「もう、ミキの一世一代の晴れ舞台なのに笑うなんて酷いの」

「そういう訳じゃないんだ。ただな、今のお前ならなんでも任せられる確信というか安心感があるなって思ったんだ。そうだ、あれだ。貴音と同じような感覚だな」

「ぶぅー。またそうやって貴音の名前を出すのは禁止なの。でも、それだけ貴音に近づいてるってことのかな」

「ご想像にお任せするよ……さあ、時間だ」

「うん」

 

 美希は静かに一回深呼吸をしてステージを向く。美希は振り返ることなくプロデューサーに向けて言葉を送った。

 

「見ててね。その目でミキがちゃんとキラキラしてるか」

「見させてくれよ。アイドル星井美希の誕生の瞬間ってやつをさ」

 

 互いに顔を見ることはできないが、二人ともニヤリと笑みを浮かべている。そして、美希はステージへと向かった。

 

「みんなー盛り上がってるー!?」

 

 マイクを片手に手を振りながら登場する美希。その問いに歓声はなく、拍手だけが帰ってくる。美希はそのままの感想を返した。

 

「あれれ、やっぱり竜宮小町がいないからいまいち盛り上がってないって感じかな。実はね、竜宮小町は今この会場にはいないんだ」

 

 それを聞いて会場全体がざわく。多くの言葉が行きかう。その反応は当然のモノだ。声は聞こえなくても美希にはそれがわかった。

 

「台風の所為で竜宮小町がここに来るのに遅れちゃってるんだ。でもね、ちゃんと来るから心配しないで欲しいの。だからね、それまでミキたちも竜宮小町と同じくらい、ううん。それ以上に頑張るからしっかりと見ててほしいの」

 

 一旦マイクを置きに戻り、再びステージへ。音楽がスタートしたその時。美希は一言ファンに向けて言葉を放った。

 

「みんな、ミキに付いて来れる?」

 

 その言葉に感化されたのかファンも大きく手を伸ばしサイリウムを振り出す。

 ステージ端で会場を眺めていたプロデューサーは肌で空気が変わったことを感じ取った。今、この場にいる全員が美希に釘づけになっていると。貴音が歌っている時と同じくらいかそれ以上の歓声。この瞬間から美希が支配する世界が生まれた。知っている者は星井美希というアイドルの凄さを再確認し、知らない者は初めて彼女の存在を認識する。一体彼女は誰だ。なんで今まで無名だったのだ。そう言った言葉が出てくる。

 それはファンだけではなくプロデューサーもその一人に入っていた。ただ、立ち尽くしている。誰よりも近い場所で、一番の特等席で星井美希を見ている。いや、見惚れている。その手はぎゅっと拳を作っていた。

 あの日、貴音が初めて歌ったあの瞬間と同じ感覚をプロデューサーは体感していた。その目は、玩具を買ってもらった子供のようにキラキラと輝かせているようにも見える。

 

「最高の日だ。今日は」

 

 同じような台詞を言ったような気がする。だが、その通りだ。今日は最高の日だ。俺の目に狂いはなかった。星井美希はやっぱり凄いヤツだ。

 しかし、プロデューサーはそれと同時に後悔を抱いた。なんで、今なんだ。あの時からだったらこんな所ではなく、もっと上へと昇れたはずなのに。そう、貴音と一緒だったらきっと……そんな時、スーツの袖を引っ張られていることに気付く。顔を横に向けると、見慣れた少女の姿があった。

 

「貴音……?」

 

 貴音は振り向くことなく美希を見ていた。

 

「今の美希はとても輝いています」

「俺もそう思う。あいつが言う、キラキラしてるってやつだな」

「そうですわね……」

 

 プロデューサーの左腕の裾をつまむように掴んでていた貴音の右手は、ゆっくりと場所を移す。移した先は彼の左手。貴音は泣きそうな声で呟いた。

 

「この前言いました。わたくしのこともちゃんと見てくれないと……泣いちゃいますよ」

「わかってる。俺はお前のプロデューサーだぞ」

 

 プロデューサーは貴音の手を優しく握った。位置的に見えなかったのか、それとも見えていながらも誰も言わなかったのか。二人に何かを言う人間はいなかった。

 ステージでは最後のポーズを決め、音楽が止まると歓声が響き渡る。プロデューサーもすぐに切り替えてスタンバイしていた真と響の名前を呼んだ。

 

「真、響。頼んだぞ」

「はい!」

「任せるさぁ!」

 

 二人がステージへ向かい、美希の後ろに立つ。音楽がスタートする。美希にとっては休む暇もなく二曲目が始まる。それでも疲れている素振りなど見せずに歌う。美希を引き立てるように765プロの中で特にダンスが上手い二人がバックダンサーを務めている。ある意味とても贅沢な組み合わせと言えるかもしれない。

 プロデューサーは変わらず美希を見ている。貴音も隣にいるが今は手を繋いでいない。さすがに空気を読んだのか、場をわきまえたらしい。

 美希が歌っている時間はとても長いように感じたが気付けば終わっていた。美希は手を振りながらこちらへと向かってくる。肩で息をしており、かなり無理をしているように見えた。プロデューサーはそれに気づき叫んだ。

 

「誰でもいい。酸素缶を持ってきてくれ!」

「は、はい!」

 

 同時に美希がプロデューサーの前までたどり着くと、倒れるように彼の胸に飛び込んだ。

 

「美希、大丈夫か?!」

「ハァハァ……どう、だった。ミキ、キラキラできてた……?」

「できてたぞ。最高のステージだった。みんながお前に夢中だった」

「えへへ……」

 

 そこに次に歌う千早が傍にかけより美希を激励した。

 

「美希、すごくよかったわ」

「千早さん……」

「今度は私の番ね」

 

 千早がステージへ向かうとプロデューサーは美希を支えながら近くの椅子に座らせた。近くで春香が持ってきた酸素缶を貴音が受け取った。貴音はそのまま美希の下へ向かい酸素缶を渡した。プロデューサーは貴音に美希を任せ、仕事に戻った。彼を見送った貴音はもう一つあった椅子に腰かけ、彼女を激励した。

 

「すごくよいステージでしたよ」

「すぅーはぁー。えへへ。ミキ、今まで一番頑張ったの」

 

 酸素を補給しながら美希は答えた。荒く息をしていたが少しずつ息が整っていくのを美希は感じた。酸素缶を使ったのも初めてだったからなにか新鮮だなと美希は思った。

 

「ミキね、すごく楽しかった。けど、同じくらいドキドキしたよ。ライトが眩しくて、お客さんの声がわあーって身体に響いたの。それにね、思ったの。これが、貴音が見ている景色なんだなって」

「それはまことによかったです。わたくしも皆に知ってほしかったのです、ライブの楽しさと感動を」

「みんなもそれを今感じてるんだと思う。それにプロデューサーの言う通りだった。ミキが頑張ればそれが叶うんだって。もっと早く気付いてれば、貴音と同じところにいたかもしれないのに」

「そんなことありません」

 

 えっ、と美希は貴音の方を向く。

 

「すでにあなたはわたくしの隣に立っていますよ」

「本人からそう言われると照れるの」

「それに、全部あの人が悪かったのですから。美希の所為ではありませんよ」

「それもそうなの」

 

 二人は笑った。本当にその通りだと。なんだか可笑しくて二人は笑っていた。

 二人が話している間にもライブを続いている。美希の活躍で会場の歓声は止むことはない。そして全員で歌う『自分 REST@RT』の番がやってきた。円陣を組み、みんなで言葉を掛けながら気持ちを新たにし挑む。最後に春香が言葉をかける。

 

「それじゃいくよ! 765プロ、ファイトー」

『おーーッッ!!』

 

 この場で初めて披露する曲だというのに掛け声や|手拍子《クラップを入れてくるファンたち。これにはさすがのプロデューサーと赤羽根も驚いていた。

 

「本当凄いですね。圧巻、と言えばいいんですかね、こういうの」

「俺も何度か体験したことあるよ。初披露の曲を途中から入れてくるんだからたまげた」

「でも、この場で言うならそれだけお客さん達全員があいつらに夢中になってるってことですよね」

「ああ。一時はどうなるかと思ったがな」

「そうですね」

 

 互いに肩をすくめる。すると後ろから待ち望んだ声が聞こえた。

 

「ライブは、みんなどうなったの?!」

「伊織! それに亜美にあずさんも。よかった」

 

 後ろを振り向けば伊織達、竜宮小町がやっとやってきた。伊織の問いかけにプロデューサーは、

 

「問題ない。いいから、とっとと着替えて来い」

 

 嬉しそうに言った。でもその前に、と三人は端からステージを見る。そこには歌い終わった彼女達の姿と歓声があがっている会場が目の前に起きていた。伊織達に気付いたのか、彼女達ともほっと肩の荷が下りた。

 そしてすぐに伊織達も衣装に着替えるために控室に向かった。三人に遅れて律子もやってきて、プロデューサーと赤羽根に礼を言った。

 

「お二人とも、本当にありがとうございました」

「いいんだ、律子。俺達は仲間だろ?」

「赤羽根P……」

「すまんな、律子。お前らのファンを盗っちまった」

 

 プロデューサーは満面の笑みをしながら言った。嫌味のある言い方だと思ったが、律子はそれを返すように言った。

 

「大丈夫です。今から全員竜宮小町が取り戻しますから!」

「その意気だ。じゃあ、選手交代だ」

 

 そう言うとプロデューサーは右手を挙げた。律子もそれに気付いたのか、パァン! と彼の右手を叩いた。予想と違ったのか痛がる素振りをするプロデューサー。

 

「いてぇ……」

「調子乗るからですよ、先輩。律子、最後まで頼む」

「はい!」

 

 赤羽根もプロデューサーと同じく手をあげて、律子はそれに応えた。先程とは違い、優しい音が響く。それをみて不公平だなと思いながらも、プロデューサーは赤羽根に一言言ってその場から離れた。プロデューサーが向かったのは会場の二階。高木と吉澤がいるところだった。両手にサイリウムを何本も持って振る高木に対し、吉澤は片手で一本持って小さくサイリウムを振っていた。そんな二人に彼は後ろから声を掛けた。

 

「どうです、盛り上がってますか?」

「おお、キミ。その様子だと無事に律子君達は間に合ったようだね」

「ええ。ほら」

 

 プロデューサーがステージの方に視線を向けると竜宮小町の三人が現れた。やっと主役の登場に会場はさらに喜びの声に包まれた。高木も負けじとサイリウムを振る。そんな高木に目もくれず、吉澤はプロデューサーに話しかけた。

 

「いいアイドル達だね。特に星井君は凄かったよ」

「ええ。あいつはそういう奴ですから」

「かなり気にかけているようだね。四条君が怒るんじゃないか?」

「まあ……それはよくわかってます」

「あはは。もう怒られたか」

「吉澤さんも、ちゃんと今日のことは色を付けて記事にしてくださいよ」

「それとこれとは話が別さ。でも、いい記事がかけそうだよ」

 

 実際に今日のライブを見て吉澤はそう思った。そうだと、吉澤は思い出しようにプロデューサーに聞いた。

 

「そう言えば。最近、346プロでは色々と動いているみたいだね」

「ご存じでしたか」

「それが仕事だからね。高木からも君のことは聞いていたし」

 

 呆れながら竜宮小町を応援している高木を見た。聞こえているのか、聞こえていないのかはわからないがこちらには見向きもしない。

 

「そのことはあの子達には話さないでくださいよ」

「わかってるとも。で、記者としては346プロがアイドル業界に参入してくる話はとても興味深いんだが」

「時がくればわかりますよ。今はそういった仕事の話はよしましょう。いいライブが目の前でやっているんですから」

「失敬。それもそうだった」

 

 プロデューサーはそのあともその場に残って最後までライブを見ていた。多くのトラブルが起こったが、最後も皆笑顔でライブを終えることができた。実りのあるライブでもあり、今後の課題が見つかったライブでもある。控室で小さいながら打ち上げをおこなった(後日、ちゃんとした場所で打ち上げをすると高木が言いだした)。

 今日はそのまま現地で解散となり、大人達はアイドル達をそれぞれ送っていった。プロデューサーも自宅や駅まで事務所の車を走らせた。春香を駅まで送り、車内に残ったのは美希と貴音の二人。貴音はプロデューサーとそのまま帰るため、美希を先に自宅まで送り届けなければいけなかった。

 

「最後は美希だな。自宅までのルートは確か……」

 

 プロデューサーがそう言って車を再び走らせる。しかし、返ってきた言葉はまったく予想外の返答だった。

 

「あ、ミキの家にはいかなくていいよ」

「それはどういうことだ。じゃあ俺はどこに車を走らせればいいんだ?」

「美希、どうしてですか?」

「どうしてって。ミキの行くところはミキの家じゃないよ」

「お前の家に行かなくて、どこに行けばいいんだ?」

「それはね」

 

 プロデューサーはバックミラーに映る美希を見る。貴音も隣に座る美希を見つめた。彼女が口にした言葉は二人の度肝を抜いた。

 

「“二人の家”なの」

『―――!!』

 

 その言葉に絶句する。プロデューサーは冷静を保っていたが、貴音は開いた口が塞がらない状態で硬直していた。

 

(やっぱりそうだったの)

 

 美希はニヤリと笑う。美希は次の台詞を考える。二人の反応をみるに予想通りだった。すぐに言い返さない時点でそれが答えだとわかった。

 プロデューサーは冷静な素振りをしているが、貴音は違う。きっと、予想通りならすぐに貴音が何か言ってくる。美希の予感は辺り、貴音が慌てながら反論した。

 

「み、美希。一体何の冗談を言っているのですか。わたくしたちは一緒に住んでおりませんし。それにわたくしはマンションですよ!」

「でもさ。貴音、少し前に引越したよね? 別に事務所から遠い訳じゃないのに。バスとかタクシーを利用すればいいのに。どうしてなのかな?」

「そ、それは色々事情があって……そもそも何故、わたくしが引越ししたことを知っているのですか?! そのことは皆には覚えは……」

「響が前に『最近、貴音のやつ引越ししたんだってさ』って言ってたの」

「(響~!!)」

 

 心の中で親友の名を叫ぶが、彼女には聞こえることのないことだった。

 そろそろかな、と美希は判断した。貴音の慌てようから察するに答えは出ている。あとは二人の口から本当のことを言わせるだけだ。

 

「それにさ。最近の貴音っていい匂いするよね」

「に、匂いですか? わたくしは香水のようなものはつけておりませんが」

 

 くんくんと貴音に近づき臭いを嗅ぐ美希。

 

「やっぱりいい匂いがするの……プロデューサー匂いが」

「なっ!?」

 

 クスリと笑いながら今度は運転席の後ろから体を乗り出し、その腕をプロデューサーの前に回す。プロデューサーは注意をするが美希はそれを聞かない。プロデューサーは、自分が寄り掛かっているシートが何よりの救いだった。これがなければ背中にダイレクトに彼女の胸が押し付けられていたことだろう。中学生にしてバスト86。プロデューサーも男だ。そういう反応をするのは仕方がない。

 そんなプロデューサーをよそに、美希は貴音と同じように匂いを嗅いで、

 

「プロデューサーは貴音の匂いがするの」

「普段一緒にいることが多いからじゃないか」

 

 プロデューサーも初めて言い訳をした。が、美希には意味のないことだった。

 

「そうかな~。ミキはね、こう思うの。まるで、一緒に住んでなきゃこんな匂いはつかないんじゃないかって」

 

 トドメの一撃だった。貴音は冷や汗が止まらず、どうすればいいかと考えている。対してプロデューサーは腹を括っていた。匂い云々はともかく、美希はわかっているのだと判断した。見透かされているのだろう。二人の秘密を知るのは社長のみ。社長がこのことを漏らすとは思えない。つまり、美希は自分で答えに辿りついた。

 はぁ、と溜息をついてプロデューサーは観念した。

 

「わかった。わかったから腕をどけてくれ。危なくて運転ができん」

「ふふ、しょうがないなあ」

「あ、あなた様……」

「貴音、諦めろ。いいか、美希。他言無用だぞ。いいな、絶対だぞ」

「わかってるの。これからは、“三人の秘密”なの」

「で、両親にはなんて言ってあるんだ?」

「事務所の友達の家に泊まるからって言ってあるの」

 

 すべて最初から計算済みか、とプロデューサーは心の中で呟いた。もう一度、深い溜息をつく。進路を自宅のあるマンションへと、進路を変更した。

 

 マンションの駐車場に車を停め、エレベーターで二人が済む階まで上がる。美希は終始ニコニコと笑っていた。対して、プロデューサーと貴音の二人はどんよりとした空気を纏っていた。プロデューサーはともかく、貴音としては自分だけの秘密でなくなったしまったことに嘆いていた。ふと、自分はこんなにも独占欲があるのかと改めて気づいた貴音であった。

 チン、と音が鳴り扉が開く。プロデューサーの部屋の扉の前までくると、美希は隣の扉に立つ貴音を見て、

 

「さすがに隣同士だとは思ってなかったの」

「いいから、入れ」

「はーいなの」

 

 美希はついに念願の聖域へと辿りついた。プロデューサーが先導して部屋の照明のスイッチをつける。美希はお~と声をあげた。想像とは別だったのだろう。男の一人暮らしにしてはやけに物が多い。ふと、美希の目にあるモノを見つけた。テレビボードの上にいくつかの写真立てがある。そこにはプロデューサーの友人だろうか。男女問わず、そういった写真がいくつもある。だが、それ以上に貴音と二人が写っている写真が多くある。

 

(いいなあ。でも、ミキもこれからなの)

 

 嫉妬と同時に野望に燃えていた。部屋を物色している美希にプロデューサーが、

 

「満足したか?」

「うーん、とりあえずなの」

「とりあえず?」

「ねぇ、プロデューサー。ミキのこと好き? 嫌い?」

 

 いきなりなんだと声をあげるプロデューサー。しかし、美希は至って真剣のように見えた。美希からすれば「男として」と言わないのがミソだった。そうすればきっとちゃんと答えてくれると思ったからだ。現に、プロデューサーは答えた。

 

「そう言われたら……好きだな」

 

 ほらね、と美希は笑顔を浮かべながら彼に跳びかかった。腕を彼の首に回し、ぶさがるように抱き着いている。プロデューサーも慌てつつも、美希の腰に手を回して支える。

 

「ミキも大好きだよ!」

「お、おい」

 

 あのプロデューサーが慌てているのが嬉しいのか、美希は一向に首から腕を離そうとしない。プロデューサーからしたら堪ったものではない。時期的にまだYシャツ一枚。彼の胸に、彼女の胸の感触がそのまま伝わる。

 

「頼むから降りてくれ……」

「ねぇ、プロデューサー」

 

 美希は突然、静かな声でプロデューサーの耳元で呟いた。

 

「あの約束、少し訂正していい?」

 

 プロデューサーもその約束はちゃんと覚えている。彼は「訂正?」と返した。

 

「うん。プロデューサーが765プロにいる間、じゃなくて。いなくても、ミキをプロデュースするって。駄目、かな」

「……」

 

 すぐには返答しなかった。美希は真っ直ぐプロデューサーを見つめている。プロデューサーも考えて、答えを出した。

 

「……いいぞ」

「ありがとう、プロデューサー。それとね。お願いがあるの」

「言ってみろ」

「ミキもここに居てもいい?」

「駄目と言っても、来るんだろ?」

 

 諦めた顔をしながら言った。美希は再び、プロデューサーに密着した。

 

「ありがとう、ハニー!」

「は、はにー?!」

 

 所謂、恋人に対して使う言葉だと言う事はプロデューサーにもわかった。ハニーとかロミオとかそういった類。プロデューサー自身もこれ以降は諦めてそれを受け入れてはいたが。困ったことに仕事の最中でもそう呼んでくるのが悩みの種になるとはこの時思ってもいなかった。

 

「大好きだよ、ハニー!」

「ああもう! 暴れるんじゃない!」

 

 くるくるとメリーゴーランドのように回るプロデューサー。料金はいらず、動くがどうかはプロデューサーの体力によります。そんな感じであろうか。すると、ガチャリと扉が開く音が聞こえ……。

 

「なっ、ななななっ!!」

『あ』

 

 二人は声を揃えて、部屋に戻って着替えた貴音に向けて言った。貴音は二人に指を指しながらぷるぷると震えていた。今まで見たことがないぐらいに両目と口を開き、頬を赤く染めていた。

 

「何をしているのですか、あなた様!!」

 

 怒られたのはプロデューサーの方だった。彼自身も「なんで俺だけ」と口に出した。

 

「不潔です! 不埒です!」

「いや、これは美希が……」

「あれ? 貴音ってハニーにこういうことしたことないんだ」

 

 そう言いながらさらに胸を押し付ける美希。

 貴音もそれを見てさらに顔が真っ赤になる。図星であった。しても、腕を組んだりしたぐらいか。あっても膝枕が限度であった。

 今の貴音は、目の前で行っている美希のことが羨ましくて仕方がない状態。自分にはできないことを平然とやっている美希が憎い。たった今、羨ましいを飛び越えて、憎しみになった。

 

「それに、はにーとはなんですか! はにーとは!」

「だって、ハニーはハニーだもん。ハニーはミキのこと好きだもんね」

「もうどうにでもなーれ」

「あなた様!!」

「えへへ」

「離れなさい、美希!」

 

 二人に近づいた貴音は、美希をなんとかプロデューサーから引きはがそうとする。美希もそれに必死に抵抗する。

 

「貴音は今までハニーと一緒だったからいいでしょ! 少しはミキに譲ってくれともいいと思うの!」

「それとこれとは話が違います!」

 

 プロデューサーの目の前で今度は口論が始まった。それから数十分後。やっとプロデューサーは解放された。仕事で疲れたというのに、何故かもっと疲れている自分がいることに気付いた。

 そのあと、貴音と美希は矛を収めた。貴音の私室というより衣裳部屋となっている居間の一つに二人が籠ってなにやら話をはじめた。その間にプロデューサーはシャワーを浴びて着替えを済ました冷蔵庫からビールを取出し一口飲む。耳を傾けると「じゃあ決まりなの」と美希が言い、「そうですね」と貴音が言って居間の襖が開いた。ビールを口につけたまま二人は見る。二人はそのまま歩いてプロデューサーがいるソファーに腰かける。左に貴音、右に美希が座る。貴音はプロデューサーの左腕に抱き着き、美希は彼に寄り掛かる。

 

「……動けないんだが」

『我慢してください(なの)』

「アッハイ」

 

 どれくらいの時間が経ったのかはわからない。二人とも満足してようやく出て行き、プロデューサーにやっと安寧の時間が訪れた。これが明日からの日常だと思うと、気が気ではいられなかった。叶うならば、ビールを飲むぐらいは平和な時間がほしいと願うプロデューサーであった。                                     

 

 

 

 

 

 





実のところイベントは途中でモチベがあがらず、こちらに取り掛かっていたのですが前半部分でかなりへたれていまして、時間がかかりました。後半からは一気にかけたんですけどね。

さて、アニマスの竜宮小町のライブです。やっぱりデレマスと比べてるとアニマスのがダンスシーンが多いように感じますね。デレマスはストーリ重視のような気がしますけど。
本作では貴音がすでにトップアイドルとして活躍しているので、本編みたいなようには出せないんだろうなと思い、ゲストみたいな形で登場させました。あれですね、SMAPのライブにTOKIOがいるのは変でしょ、みたいな。(自分で言っておいてよくわかってない)

本編であった美希と春香の対話のシーンは貴音にかわっています。美希にとってのライバルは貴音であり、貴音にとってもそうだからです。
で、やっと美希をサブヒロインとしてかける段階までこられたので一安心しています。二人は色々と対称的なので書いてて楽しいです。

次回からは幕間を挟んでから本編の予定です。アニマス後半はまだちゃんと視聴しておらず、一気にみてから話しの構成を練る予定です。前半はそれなりに覚えていたので、なんとかなったんですけどね。
考察でもみると後半は10月から12月の間の話が多いので、それが原因でもありますが。多分、必要な話とそうじゃない話が出てくると思います。
アニマス視聴済み前提での話になるんじゃないかと思うのですが、そこは多分皆様は見ておると思うので問題ないことにしています。

やっと半分まで来たので頑張っていきたいと思います。
関係ありませんが、ガチャでユッコがきて嬉しい反面、課金できないので絶望している私。溜まった石で10連したら出ましたよ。三人目の加蓮がね!
あの日、ブライダルガチャからわたしのガチャ運はどうかしてしまった……

では、また次回で。








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第12話

「今回は幕間と言ったな」
「そ、そうだ大佐」
「あれは嘘だ」
「うわぁあああああ!!」

というわけで本編始まります。


 竜宮小町のファーストライブから少し経ち。765プロのアイドル達の環境は変わった。貴音や竜宮小町はもちろん、春香達全員が以前にも増して仕事が増えた。壁にかかっているホワイトボードのスケジュールには空欄はなく、予定で埋め尽くされているほどだ。

 吉澤をはじめとするアイドル雑誌の記者が765プロのアイドルを大きく取り上げたのが一番の原因だろう。特に吉澤が書いた記事はとても好評だった。当事者である彼女達は、彼のことを社長のお茶飲み友達と思っていたそうだが。その実態はベテランと言っても差し支えないぐらいの優秀な男だ。

 そのおかげか、今では街中に流れるCMやポスターは765プロのアイドルが一面を飾っていた。プロデューサーが前に美希に言ったように、ファーストライブが彼女達のターニングポイントであった。

 プロデューサーや赤羽根、律子の活躍もあって仕事はラジオや舞台、レギュラー番組に全員参加の生放送の枠を取ってくるぐらいだ。忙しく、大変でもあるがアイドル達は楽しく仕事を行っているようだ。

 前と違い全員がかなり多忙な生活になったため、プロデューサーも貴音一人をメインで担当することができなくなったしまった。本人としては、全員の名前が売れ出せばこうなることはわかっていたが。貴音は些か不服そうであった。美希は大喜びではしゃいでいたが。

 彼女達全員が売れ始め、赤羽根、律子の二人もプロデューサーとして大きく成長した。高木が夢にみた光景でもあり、プロデューサーが待ち望んだ瞬間でもあった。

 月日は流れ、今は十月である。あと二カ月。それが、プロデューサーが765プロにいられる最後の時間。765プロでの仕事はもちろん、現状では346プロに関する仕事も平行して行っていた。両社の仕事はどちらも大切であり、期限は限られている。

 十月を含めた残り三か月。プロデューサーにとっても、765プロ全員にとっても大変な三ヶ月が始まろうとしていた。

 

 

 二〇一三年 十月某日 撮影スタジオ

 

「という訳だ。赤羽根はこっちに。律子はこっちだ。何か質問はあるか?」

「ありません」

「はい。わたしもそれで大丈夫です」

 

 撮影スタジオの端で赤羽根と律子の二人は、スケジュール手帳を互いに確認しながらこのあとの仕事の指示をプロデューサーから受けていた。プロデューサーも含め、三人の手帳はびっしり文字で埋まっている。すべて彼女達の仕事だ。全員の仕事を把握しつつ、プロデューサーの指示のもと自分が担当する仕事にチェックをつける。彼女達も忙しいが、プロデューサーである三人ももちろん大忙しだ。大変であるが、皆自分の仕事にやりがいを持って取り組んでいた。

 本日の仕事は全員参加の撮影だ。「テレビチャン」という雑誌の表紙を飾ることになっている。果実をイメージした衣装で独特な雰囲気がある。貴音や竜宮小町が雑誌の表紙を飾ったことはもちろんあるが、全員でというのは今回が初めてだ。あのライブ以来、全員で仕事をする機会は中々なく。今回の撮影はみんな楽しそうにみえる。それは赤羽根と律子も同じで、

 

「こうしてみんなと仕事ができてよかったよな」

「そうですね。みんなで一緒の仕事より、個人での仕事が増えましたから」

「長かったな。ここまで……」

 

 哀愁のこもった目でプロデューサーは目の前で衣装に着替えた彼女達を見つめた。そうですねと、二人は悲しそうに言った。事情を知っている二人はプロデューサーがあと少しで765プロから居なくなってしまう事を知っている。二人にとっても頼れる先輩として慕っていた分、余計に寂しく感じる。プロデューサーもやはり寂しいのだろうと、二人はそれを感じ取った。

 

「二人も十分問題ないレベルだ。あいつらもこのままトップアイドルの階段を上っていくだろうな」

「改めてそう言われると照れます」

「でも、よくよく考えると。先輩とはライバル同士になるわけですよね」

 

 赤羽根がそう言うと、プロデューサーもそうだなと頷いた。

 

「プロデューサーさんが相手とか。勝てる気しません」

「頑張れよ。まだ、これからなんだから」

「もうアイドルとかって探しているんですか? まさか、貴音を連れて行ったり……」

 

 プロデューサーは手を振りながらそれを否定した。

 

「ないない。一からスタートだよ。アイドルに関しては企業秘密」

「そこは仲間としてちょこっと教えてくれてもいいじゃないですか」

「律子の言う通りですよ」

「その内、嫌でも目に付くさ。あいつらより凄いアイドルを見つけて――」

「すごい何を見つけてくるの?」

『うおっ!』

 

 突然割って入った美希の声に驚く三人。衣装に着替えた美希がプロデューサーの前にやってきた。

 

「み、美希か。ビックリするだろう」

「ごめんなの。ハニー、どう? ミキの衣装。結構可愛いとミキは思うんだけど」

 

 くるっと一回転して衣装を見せる美希。プロデューサーは顎に手を当てながら評価した。

 

「メロンをモチーフにした衣装か。なかなか似合ってるな」

「えへへ。ミキね、こことかかなりイケてると思うんだ」

「そうだな。お前はセンスがいいからな。この間のファッションショーでも評判はよかったし」

「でしょでしょ。ねぇ、ハニー」

「ん?」

 

 すると美希は腰に手を当てながら卑しいポーズをしながら、色気のある声で誘った。

 

「ミキを召し上がれ」

「もうメロンの時期じゃないんでな。遠慮しとく」

「ぶぅー。ノリが悪いの」

 

 二人のやり取りを、赤羽根と律子はいつのまにか離れたところでみていた。美希がプロデューサーのことを「ハニー」と呼びだしたことに二人を含め、765プロではそれが普通となった。美希曰く、「プロデューサーは特別だから、ハニーって呼んでるの」とのことだ。彼女達はそれを納得したが、赤羽根や律子と言った年長者は美希の本心に気付いていた。美希が最初事務所でそれを口にしたときは白い目でプロデューサーをみた。

 今では諦めの境地に達した。ただ、問題だったが……

 

「ふ、美希も甘いですね。これからはリンゴの時期です!」

 

 突然現れて、胸を張って自信満々に告げた彼女。そう。貴音である。ライブ以降、美希はプロデューサーにべったり。貴音も負けずと美希と張り合う。プロデューサーは気付けば逃げ出しているのが最近の765プロの光景である。

 

「リンゴなんて一年中食べられるの」

「そうですね。メロンと違って一年中食べられますから」

「むむっ」

「ぬぬっ」

 

 火花を散らす二人に対して、プロデューサーは面倒くさそうな顔をしている。二人が一斉にプロデューサーの方に向いて聞いた。

 

『あなた様(ハニー)はどっちがいいの(ですか)!!』

「……冬は炬燵でミカンに決まってるだろ」

 

 バッサリと二人を斬り捨て、プロデューサーはカメラマンのところに逃げ出した。

 思考が一旦停止した二人は再起動。口を揃えながら小さな少女に目を定めた。

 

『みかん……』

「な、なんですか?!」

 

 みかんと言うよりはオレンジだろうか。その衣装を着ているやよいに二人の視線が注がれる。

 

(許せ、やよい)

 

 心の中で犠牲になったやよいに言葉を贈るプロデューサーであった。

 その後、撮影は無事終了した。全員が納得いく写真が撮れたと、雑誌の発売日が待ち遠しかった。

 

 ――しばらくして。

 961プロの社長室。ここの主でもある黒井は机の上でオセロをしていた。相手はいない。別にオセロがしたくてやっているわけでない。彼は黒が好きだ。名前に黒がつくだけあって、子供のころから黒色が好きだった。嫌いな色は白。いつからかは覚えていないが、気付けば白が嫌いになっていた。

 オセロの駒は黒と白。つまり自分にピッタリと思っていた。他の物で例えるならチェスだろうか。あれも黒と白である。黒井は暇があればマス一面に並べる。最初は白。そして、一枚一枚黒に変えていく。だんだんと自分の色に染まる。いや、侵略とも言えるだろう。今日まで当然のようにこうしてきたのだ。

 そして、今回もそれを行った。765プロに対しての妨害行為。向こうから見れば嫌がらせだろう。我ながら小さいことをしていると黒井は思った。順一朗と順二朗は優秀な男だと認めている。だが、自分の敵ではない。潰そうと思えばいつでも潰せる。あいつらは甘い。アイドルに対しても、仕事に関しても。この世界(芸能業界)は力がなければ生き残れない。俺達はそれを身を持って知っただろう、といない二人に問いかける。だからそのための力を手に入れた。その結果はここに居る時点でそれを証明できる。後ろを向けば街を一望できる。いつしか相手は自分を恐れるようになった。昔は自分がその側だった。だが、今は違う。支配する側になったのだ。

 こうしてオセロの駒を白から黒に裏返す。端から中心に向けて徐々に黒に染めていく。逆らう者など一人もいない。誰もが自分にひれ伏す。そんな風に思いながら黒井は白から黒へと裏返していく。

 

「……」

 

 しかし、最後の一枚。ボードの真ん中で黒に囲まれながらも、たった一枚の白が残っていた。先程までいたジュピターの天ケ瀬の言葉を思い出した。

 

 ――しかし、黒井のおっさんもよくやるよな。いくら四条貴音や竜宮小町、事務所全員が売れているからって、所詮は弱小だろ? 

 

 弱小、確かにその通りだ。以前までは四条貴音だけが売れていたが、今でも竜宮小町、星井美希とそれぞれ全員の名前が売れ始めている。去年まで名も売れていないような事務所の名前が今ではいたるところに目につく。すでに弱小と呼ぶには相応しくないだろう。

 しかし、実際はこれだ。黒井は横に置いてある雑誌をみる。その表紙には本来、ジュピターが載ることになっていた。だが、実際にはジュピターと765アイドル全員の写真が不自然に載っている。本来であれば、こういった雑誌は特集のアイドルといった人物が表紙を飾る。なのに、二つのユニットが半分ずつ載っているのだ。不自然でしょうがない。

 コラボ、というには両社には接点がない。買う者が見れば首を傾げる。わかる者がいれば、これはそういうことだということがわかる。

 このことはジュピターも知らないことだ。だが、発売日は明日。どうせ知ることになると黒井は思った。三人も黒井がどれほどの影響力を持っているかは知っている。だからこそ気付くだろう。

 こんなことをできる人間がいるのか、と。

 それが天ケ瀬の言った「弱小プロダクション」にできることなのか。黒井は知っている。この業界でたてつくことができる人間を一人いることを。黒井は思い出す。

 

 あの三人とたもとを別ち、自分についてきたあの“見習い”。二人でゼロから再スタートし、この世界を生き抜いた。その中で数多くのことをアイツに教えた。いや、叩き込んだ。それからすぐに今ほどではないが961プロダクションを立ち上げた。あの時の自分は何と言ったか。「ふん、当然だ」と言ったに違いない。それを否定する気もない。

 自分にはその能力があると思っているし。アイツにもそれがあった。二人と数人の事務員だけしかいなかった事務所が今のようなビルに事務所を構えるようにもなった。あの時とは比べ物にもならないぐらいの社員が働いている。アイドル氷河期と言われたあの時からここまでのし上がったのだ(当時のアイドルブームはあることが原因で下火になり、アイドル関係の仕事だけでは生きていくには難しすぎた)。

 アイツをさらに鍛え上げるためにハリウッドにいかせてまで勉強させてやった。それは会社にとっても奴自身にも大きなプラスとなった。それからしばらくして、961プロは芸能業界においてその名を知らしめたのだ。仕事を依頼すれば完璧にこなす。ただし、敵となれば容赦なく潰す。いい意味でも悪い意味で961の名は広まっていた。

 そして、あの日が訪れた。アイツは辞表を持ってやってきた。

 

「辞めるだと!? 今の地位を捨ててか!」

「はい。自分の力がどこまで通用するか。やってみたいんです」

「馬鹿が! 今までは961の肩書があったからいいものの。フリーになればそれがなくなる。一人で生きていくほどこの世界は甘くはないんだぞ!」

「わかっています。」

 

 それから口論になった。いや、自分だけが怒鳴っていた。結局、俺はアイツを手放した。

 

「……貴様は大馬鹿者だ。好きにしろ」

「ありがとうございます」

 

 確か、アイツが24歳の頃だったか。アイツは961を去った。自分でも信じられないぐらいにアイツを心配していたのだろう。アイツがどうなっているか、それを調べた。だがそれはいらぬ心配だった。調べずとも勝手に情報が入ってきたからだ。

 アイツは上手くやっていた。事務所、テレビ局、その他多くの場所でその力を振るっていた。俺が持っていたコネなども上手く利用して、似たようなことをしていた。アイツだけの武器を手に入れ、いつしか自分と同じように称えられ、恐れられた。

 それからは一切アイツのことを気にすることはなかった。もう問題ないと判断しからだ。そのあと、アイツの事を気にかけたのは二度あった。

 一度はアイツがアイドルのプロデュースを始めたこと。アイドルを始めとして、アーティストや女優と短い期間ではあるがプロデューサーとして活動していた。アイツがプロデュースした人間は今では有名と付くぐらいに売れていた。最初は気にかけたがそれだけだった。

 そして、二度目。それはつい最近だった。アイツがあの順一朗が建てた事務所で、順二朗が社長として経営しているアイドルプロダクションにアイツがプロデューサーとして仕事をしていると聞いたからだ。

 俺は最初かなり怒鳴り散らしていた。アイドルをプロデュースするならまだ許せた。自分でもそれに関しては時間が解決したからだ。問題はあの二人の所でアイドルのプロデューサーとして仕事をしていることが気に入らなかった。

 四条貴音。アイツの集大成と言うべきアイドル。四条貴音は瞬く間にトップアイドルの仲間入りを果たした。

 そして、俺自身もアイドル業界に再び踏み込む決意をした。

 

「ふんッ」

 

 黒井は鼻を鳴らしなら椅子から立ち上がり、街を一望できる窓の前に立つ。

 あの日、アイツが俺に言ったようにこれは順一朗への宣戦布告だ。どちらのアイドルが優れているか。俺のやり方が間違っていないということを証明するため。

 だが、今は違うものになっているだろうと黒井は思っていた。

 

「これは俺とお前の戦いだ。喰うか喰われるか。ふん。見習いがデカく育ったものだ」

 

 黒井はどこか嬉しそうな声で言った。彼はスーツのポケットからキーケースを取出しした。机の一番端の鍵がかかっている引き出しに鍵を差す。そこには二枚の写真があった。その内の一枚を取って見る。それは961プロを立ち上げたばかりの頃に撮った写真だった。そこには数名の事務員とまだ10代の頃のプロデューサーと黒井が写っていた。

 黒井は苦悶しているよう表情をしながら呟いた。

 

「未練、か」

 

 

 765プロダクション 事務所内

 

 その日は珍しく全員が事務所で揃っていた。多忙な日々の中であってもこういうことがたまにある。全員揃ってもやること言ったらお菓子を食べたり喋っているだけで、誰かがいない時と左程変わらない。

 そんな彼女たちの今日の話題はこの間撮影した「テレビチャン」の発売が今日だということだ。本来なら前もって編集部の方から送られてくる。そのことに気付いた亜美と真美はそれを赤羽根に伝えた。赤羽根も二人に言われて改めて気づいたが、実際に手元にはそんなものは届いていない。隣に座り、新聞を広げているプロデューサーに聞いても「いや、知らん」と、どこか冷たい態度で返事をした。

 

「そういえばいおりんが事務所に来る前に買ってくるっていったよね」

「あ、そうだったね」

 

 二人が思い出しように言うとその本人が事務所に入ってきた。二人は伊織に声を掛けるが彼女はそれを無視して歩いて行く。その表情から察するに怒っているようだと二人は感じた。伊織は手に持った雑誌を赤羽根の机に叩きつけながら怒鳴った。

 

「どういうことなの、これは!?」

「い、伊織。どういうことって……!」

 

 叩きつけられた雑誌を見るとそこには「テレビチャン」とあり、表紙には765プロのアイドル達が写っている。だが、そこには写っているはずのないジュピターが一緒に載っている。

 

「私達が表紙のはずなのになんでジュピターが一緒に載っているのよ!」

「どれどれ。うわ、なんか変な感じなの」

 

 伊織の隣から覗き込むように美希が雑誌を見て酷評した。不自然すぎるし、違和感バリバリだからだ。

 他の子達も気になったのかそれをみるために集まっていく。彼女達から疑問の声があがる。事務所に常にいる小鳥でさえもそんな連絡はもらっていないと言った。それは赤羽根と律子も同じだった。

 そんな中で一人。無言でただ新聞を読んでいるプロデューサーは何も反応を示さなかった。

 赤羽根がプロデューサーが知っているか聞こうとした時、社長室から高木出てきた。その後ろには善澤もいた。

 

「どうしたんだね。そんなに騒いで」

「社長。これを見てください」

「これは……」

 

 律子に渡された雑誌をみて、高木は彼女達がなんで騒いでいるかを理解した。高木はそのまま後ろにいる善澤に見せる。彼も高木と同じような反応をした。

 高木はどうするか少し悩んだ。横目で自分の椅子に座っているプロデューサーを見る。あんな態度をとっているということは“知っていた”と高木は推測した。原因が原因なだけに、彼も下手に変なことを言いたくないのだろうと察した。だが、目の前で不安で辛そうなアイドル達を見る。胸が痛む。どうするべきか。高木は苦しい決断を迫られていた。自分の娘のように可愛がっている彼女達に教えるべきか。だが、同じように自分の息子のように育ててきた彼の気持ちを汲むべきが。しかし、事は起きてしまった。彼女達にも知る権利はある。高木はそう決断した。

 

「善澤くん」

「……わかった」

 

 善澤はその一言で高木がしようとすることを理解した。長年連れ添った中だからこそ通じ合えた。二人はソファーに座った。

 まず、善澤から話を始めた。

 

「おそらく、いや。今回の件に関しては間違いないなく961プロの黒井社長が絡んでいる」

『961プロ?』

 

 声を揃えて彼女達は言った。彼女達からしたらあまり他のプロダクションの名前を気にかけることはないので仕方ない。たが、ただ一人。小鳥だけはそれを聞いて辛そうな顔をした。

 

「ジュピターが所属する事務所、と言えばわかるかな」

 

 善澤が彼女達にもわかるように説明する。すると、今まで解けなかった問題が解けたような顔をした。どうやら伝わったようだ。

 

「まず、961プロについて話そうか。961プロはこの業界じゃトップの芸能プロダクション。仕事を依頼すれば文句なしの成果を出し。向こうから依頼を受けてもよい結果に終わる。少し前では芸能人や女優、アーティストと幅広く扱っていたが、ここ最近はアイドル業界にも手を伸ばしてきた」

「それが、ジュピターですか?」

「ああ。今まではアイドルだけはあそこから出ていなかった」

「それも気になるけど。どうしてその大手プロダクションがうちなんかにこんなことをするのよ!」

 

 一番腹を立てている伊織が聞いた。その問いには高木が答えた。

 

「それは私が原因なんだ。いや、正確には会長である順一朗と私が、だがね」

「社長、それはどういうことですか?」

 

 赤羽根が驚いた顔をしながら質問した。彼だけではない。まさか、社長と会長が関係しているとは思っていなかったのだ。

 

「それを今から話そう。今から昔。私達二人と黒井は共にいた。そこには私達三人とアイドル一人と見習いのプロデューサーの計五人。私達は小さな事務所で一人のアイドルをトップアイドルにするために頑張っていた。主に順一朗と黒井がアイドルのプロデューサーを担当し、私は事務員のようなことをしていた。一応二人のようにあちこち走り回ったりもしていたがね」

 

 少しずつ昔のことを語る高木。その顔は嬉しくも悲しくもある。そんなような顔をしている。同じように小鳥も皆から見えない位置でその話を聞いていた。腕を抱える手に力が入る。高木と違ってとても辛そうである。小鳥の異変に気づかず、高木は話を続ける。

 

「順一朗と黒井は正反対の人物だった。順一朗はアイドルを尊重するような姿勢を貫いた。黒井はどちらかと言えば効率と言えばいいのかな。まあ、アイドルをちゃんと大事にするかしないか。黒井はよく無茶な事を言った。しかし、今にしてみればちゃんとできるとわかっていてそういったことをしていたのかもしれない。そんな正反対の二人だったが仕事はうまくやっていたよ。よく言い争っていたがね」

「どういったことで言い争っていたんですか?」

「育成方針。仕事内容、その他もろもろだよ。よく言うだろう。喧嘩する程仲がいいって。二人は仲間であると同時にライバルだった。そんな二人でも互いのことは認めていた」

「ちなみに社長は黒井社長とはどんな感じだったんですか?」

 

 律子の質問に他の子達も興味が湧いたように高木をみた。

 

「私かい? そうだなあ。よく二人の間に入って仲裁していたよ。黒井は順一朗と同じようなことを私に抱いていたんじゃないかな。どちらかと言えば、私は順一朗側だったからよくそれに関して怒鳴られたがね」

「話を聞いている限りだとそこまで悪い関係には見えないんですけど」

 

 赤羽根に言われて高木は先程までの顔とは違い、真面目な顔をした。

 

「ある日。そう、ある事が原因で……私達と黒井はたもとを断った。今までにないぐらいに口論をした。それはもう喧嘩に近かった。順一朗も、それに私も黒井を引き留めようとした。だが、私達と黒井の道はもう交わることはなかった。黒井が765プロにこういった嫌がらせをするのは順一朗、765プロに対しての宣戦布告だろう。自分は間違っていない。自分の考えが正しかった。それを証明するために。そのためのジュピターだ」

「宣戦布告って。だからってこんなことを――」

「こんなことをするのは間違っている。そう言いたいのかい?」

「……はい」

 

 高木は赤羽根が言おうとしていることを当てた。彼と同じようなことを彼女達も思っていたように見える。だが、高木は辛い言葉を彼らに送った。

 

「あんまりこういうことを言いたくはない。むしろ、アイドルである君達には知ってほしくはなかった。だが、起きてしまった以上は伝えなければいけない。はっきり言えば、こういうことはこの業界じゃ珍しくもないんだよ」

「記者である私が言うのもあれだがね。高木の言う通りなんだよ。今は違うが、無名の事務所がどんなに素晴らしい才能を持ったアイドルを売りたくてもそんな簡単にできることじゃない。例え売り出して名前が売れると、それを気にくわないと思った相手から今回のようなことが起きる。事務所だけじゃない。テレビ局からだってそういった要求をされることだってある。他の子を売りたいから君はその踏み台になってくれと」

 

 二人が全員に辛い現実を突きつけた。赤羽根と律子に至ってはわかってはいてもそれを受け入れたくはない。アイドルである彼女達は、自分達がいる世界がそんな黒い世界だと知りたくはない。そう言った反応をしていた。

 高木は辛かった。こうなるとわかった上で伝えたのだと自分に何度も言い聞かせる。そして、高木は衝撃の事実を口にした。

 

「それに今回に関しては私よりも……彼のが詳しい。そうだろ、キミ。元961プロの社員だったキミならわかっているんだろ」

『えーーーッッ!!』

 

 高木が向く方に全員が向いた。そこには窓際でただ一人。この場に交わらず新聞を広げている人物。プロデューサーである。全員がプロデューサーに向くとタイミングよく一枚捲り、記事を読む。新聞を広げていため顔は見ることはできない。だが、その新聞が彼と彼女達を隔てている壁のようにも見える。

 

「……」

 

 プロデューサーは無言だった。彼の代わりに彼女達が口を開いて騒ぎ出す。

 

「え、え。それってどういうことですか?!」

「つまり、プロデューサーは961のスパイってことなのか!」

 

 勝手な憶測で色んな言葉が飛び交う。全員が彼の名を呼ぶが彼は一向に反応を示さない。そんな中、貴音と美希が彼の名を呼んだ。

 

「あなた様」

「ハニー」

 

 呼ばれたから少し経ってプロデューサーは溜息を吐いた。流石の二人に言われたらお手上げといったころだろうか。プロデューサーは新聞を広げたまま、閉ざしていた口を開けた。

 

「社長。勝手に昔のことを話さないでくださいよ」

「すまない。だが、この子達には知る権利がある。そうだろう?」

「……はあ」

 

 プロデューサーはもう一度深いため息をついた。

 

「先に言っておく。俺がスパイだったらとっくに潰してるよ」

「キミ。いくらなんでも酷過ぎないかい」

「例えですよ。例え。で。俺が961プロに居たっていうのは本当だ。でも、もう昔の話だ」

「昔ってどのくらいなのですか」

 

 貴音がとても興味深そうに質問した。話の内容よりも、プロデューサーの事を知ることができて嬉しそうにしている。

 

「確か……俺が24の時だから7年前? でいいのか。その時に俺は961プロを辞めた」

「じゃあその前は何してたの?」

 

 今度は美希が質問した。プロデューサーはそれに対してはぐらかすことをせずに答えた。

 

「小さな事務所でプロデューサー見習いとして働いてた」

「見習いって……」

「まさか――!」

「そう何を隠そう。彼が私達働いていた見習い君なのだよ」

 

 高木は胸を張りながら自慢そうに答えた。「えぇー!」と驚きの声が響き渡る。先程までの暗い空気から一転し、暗く重い空気はどこかにいってしまった。

 

「じゃあ、先輩と社長がやけに親しいのって」

「まあ、私からしたら彼は自慢の息子のような感じかな」

「親父、金くれよ。金」

「調子に乗るんじゃない」

「すんません」

『……』

 

 今のやり取りをみてそのことが本当なのだと再認識した。高木もほんとうに怒っているわけではなく、それが冗談だとわかっていえプロデューサーの台詞に乗っかった。

 

「話が逸れたな。で、あの出来事のあと、俺は黒井さんの下についていったわけだ」

「それはどうしてですか。先輩」

「不思議そうだな。黒井さんは社長が言ったようにアイドルの対応に関しては少し問題があった。だが、それ以外に関しては有能な人だった。俺はあの人からそれを学んだ。それがこの業界で生きていく上で必要なことだと思ったし、黒井さん以上の人間なんて俺はいないと思った。18の時から数えて約6年。俺はあの人の下で仕事をしていた」

「どうして辞められたのですか?」

「一人でどこまでやれるか挑戦してみたかった。それに、やりたいこともあった。まあ、辞めた後はあちこちを行ったり来たりして過ごしていた。で、今に至ると言うわけだ。話を今に戻すと、今回の件については連絡をもらっていた」

 

 プロデューサーは数日前のことを思い出す。プロデューサーもそろそろ雑誌が届くだろうと思っていた時だ。一向に届かないので直接テレビチャンの編集部に連絡を取ったのだ。

 

「あ、高橋か?」

『プロデューサー! すみません、こちから連絡をしようと思っていたところなんです』

「それは構わない。まだこちらにサンプルが届いてないんだが」

『ええ、その件でお話が……』

 

 小声で話す相手に違和感を覚えた。周囲の目を気にしているのか慎重な声で話し始める。プロデューサーも相手の事は知っているので何か問題があったのではと勘付いた。

 

『実は上から圧力がかかりまして。765プロではなく、961プロのジュピターに差し替えろと通達されまして』

「なるほど。まあ、よくある話だ」

『ええ。よくある話です。ただ、相手が961プロとなると話が別です』

 

 高橋はプロデューサーが元961プロの社員だったということは知っていた。彼も若くして会社に勤め、今では編集長という肩書を持っている。年も近く、プロデューサーとはよく仕事でも会う機会が多かった。なので、彼が961プロで働いていた頃を知っている一人でもあった。

 

『上も今回の仕事にプロデューサーが関わっていることを知っているのでかなり渋っていましたよ』

「だろうね。で、どうしたんだ? 何かもう手を打ったんだろ」

『相変わらず鋭いよ。表紙は765と961のW表紙にしました』

「それは……色んな意味で無茶をしたな」

『今回ばかりは売り上げがでないことを覚悟しての決断だよ。周りも今回ばかりはしょうがないと腹を括った。だから、次は頼むよー』

「わかったよ。迷惑をかける」

『で、これは私的なことになるんだけど。なに、黒井社長と戦争でも始めるの?』

「俺はその気はないんだけどね。今回に関してもジャブみたいなもんだよ」

『色々大変そうだね。こっちでも何か情報を掴んだら教えるよ』

「ありがとう。今度、奢るよ」

『楽しみにしているよ』

 

 プロデューサーは電話で話したことを大まかに伝えた。事のいきさつを聞いた彼女達はこんかいの件に関しては納得した。だが、伊織は皆を代表するかのように言った。

 

「つまり、これからもこういった事をされるかもしれないってことでしょ! 何も解決してないじゃない」

「そういうことだな」

 

「権力には権力ってことでしょ! だったら。新堂に頼んで水瀬財閥から直接――」

「それは駄目だ!」

 

 伊織を止めたのは赤羽根だった。水瀬家の執事である新堂に電話をかけようとする伊織の手を赤羽根が止めた。

 

「伊織、そんなことしちゃいけない。それだけは絶対に駄目だ」

「どうしてよ! アンタだって悔しいでしょ! やっと皆でできた仕事なのに。こんな形で邪魔されて!」

「俺だって悔しいよ。でもな。例えどんなことがあっても伊織はそれをしちゃいけない」

「赤羽根の言う通りだ」

 

 プロデューサーはやっと彼女達に素顔を見せた。新聞を畳み、机の上に置くと伊織の前まで歩いてきた。

 

「伊織。お前はアイドルだ。アイドルがそういう汚いないことををするな。それは俺の仕事だ。お前の仕事はファンに笑顔を、歌を届けるのが仕事だ。赤羽根もそう思ってお前を止めているんだ」

「先輩……」

 

 赤羽根と顔を見わせて頷くプロデューサー。赤羽根は自分の考えがわかっていてくれたことが嬉しかった。伊織も納得はしたようだがそれでもと続けてプロデューサーに聞いた。

 

「もし、私達になにかあったらどうするのよ」

「……潰す。徹底的に」

 

 プロデューサーは冷たく、冷酷な顔をしながら伊織達に告げるとそのまま事務所を出て行った。

 始めてみる彼の一面にその場にいる全員が戸惑う。貴音と美希でさえも互いに顔を見合わせる程だった。

 小鳥はそんな中でただ一人、プロデューサーは追いかけた。

 

 事務所を出たプロデューサーは屋上にいた。まだ陽は落ちてお非ず、車の行きかう音が聞こえる。ポケットから煙草を取出し、火をつける。煙を吸って吐くと空いた左手で髪の毛をくしゃくしゃとかき乱し声をあげた。

 

「ああ、もう! 何やってんだ俺は。恥ずかしいったらありゃしない!」

 

 先程の行いを思い出してプロデューサーは後悔した。らしくない、そう思った。何が潰す、だ。格好つけて言う台詞じゃない。だが、言葉自体には嘘偽りはない。本当のことだったとプロデューサーは断言する。アイドルに直接何か危害があれば、例え黒井さんであろうと容赦はしない。それぐらいは覚悟していた。それに、プロデューサーにとってこういった事は初めてではなかった。

 

「いつだったけなあ。まだ30になる前だったよな……」

 

 思い返すと自分は年をとったと実感した。感傷に浸っていると、屋上の扉が開いた。後を追いかけてきた小鳥がプロデューサーを呼んだ。

 

「プロデューサーさん」

「小鳥ちゃん」

 

 誰かが追ってくるとは思っていたが、それが小鳥だったことにプロデューサーは驚いた。小鳥はプロデューサーの隣まで歩いてきた。彼女はプロデューサーが一番気にしている事を容赦なく言った。

 

「さっきのプロデューサーさん。かっこつけすぎですよ。それに、みんな怖がってます」

「反省してるよ。でも――」

「でも、本当にやるんですよね」

 

 小鳥に遮られて、プロデューサーはああと一言で返した。それから少し無言が続いた。互いに気まずい顔をしながらただ目の前に広がる街並みを見ていた。そして、先に口を開いたのは小鳥だった。

 

「“順一朗さん”。私に気を使ってくれたみたいですね」

「そう、だね」

 

 社長ではなく、順一朗と小鳥は昔に呼んでいた呼び方で言った。プロデューサーもどこか口調が優しかった。

 

「ある事が原因で黒井さんと喧嘩したのは本当ですけど。でも、本当の理由は……私。なんですよね」

「それは違う! あれは、しょうがなかった! 人が、時代がアレを望んでしまった。求めてしまっただけなんだ。だから、小鳥ちゃんの所為じゃ……」

 

 でもと、小鳥はプロデューサーの言葉を遮った。彼の方を向きながら……小鳥は泣きながら言った。

 

「でも、私が、私がアイドルをやめるなんて言わなければこんなことにはならなかった。あの子達が辛い目に遭う事もなかった。私がアイドルを続けていたら……黒井さんも居て、プロデューサーも一緒にいて、五人で一緒に居られたかもしれないのに――!!」

 

 最後が彼女の本音だ、プロデューサーはそれに気付いた。プロデューサーは涙を流す小鳥をそっと抱きしめた。プロデューサーの胸で身体を震わせる小鳥。社長の話に出てきたアイドル。それは音無小鳥、彼女のことだった。

 プロデューサーはあの日。黒井と一緒に小鳥たちと別れてからも、黒井には内密で三人とは連絡を取っていた。プロデューサーからしたら仕事に関しての悩みや相談を順一朗と順二朗の二人に話していた。黒井のことについても本人は内緒で教えたりもした。だが、小鳥とはほぼプライベートな感じであった。自分より年下の小鳥に対してプロデューサーは兄のように接した。当時の年齢で言えば高校生である。勉強や友達とそういった悩みを彼女からも受けていたし、彼自身も仕事の愚痴などを聞いてもらったりもした。小鳥が成人した年は飲みに連れて行ったりと、少し特別な関係だった。だが、プロデューサーが忙しくなると連絡はメールのみで、直接会う機会は減った。それでも年に数回。多いときは月に一度は食事にいったりした。

 あの日から彼女も子供から大人になった。それでも、彼女の心にはあの日の出来事が心に深く刻まれていた。プロデューサーは小鳥も近くでそれを見ていた。互いの思いを、考えを知っているからわかっていることもある。それを小鳥に教えた。

 

「小鳥ちゃん。遅かれ早かれ、黒井さんはきっとみんなのところを離れたと思う。社長も言ったろ。正反対だって。今までは歯車のようにうまくかみ合っていた。でも、二人の考えは、思想は違う。今のような形になっていたと思ってる」

「プロデューサーさんは……黒井さんのこと、どう思ってるんですか」

「尊敬している。黒井さんだけじゃない。順一朗さんに順二朗さん。三人を俺は尊敬しているし、感謝している」

「私もです。私も三人に感謝しています。でも……」

 

 悲しい。そう言おうとしたが言葉に出なかった。プロデューサーは言わずとも、小鳥の言おうとしたことを理解した。

 

「小鳥ちゃん。あの日、君がアイドルを辞めると言った時。黒井さんは一人反対していたのを覚えているかい」

「はい。諦めるな、お前なら同じ場所に立つことができる。ちゃんと覚えています」

「黒井さんは至上主義で、よく無理なことを言った。でもあの人は、できるとわかっているからそういう事を言う人なんだ」

「知ってます。黒井さん、素直じゃないですから」

 

 小鳥の顔に少し笑みが戻るとプロデューサーは安堵した。

 

「所謂ツンデレだから、あの人」

「ふふ、そうですね。前から思ってましたけど、プロデューサーさん。黒井さんに似てきましたよね」

「嘘だろ?」

「本当です」

 

 そうかなと頭をかくプロデューサー。小鳥も泣き止み、そっと彼の傍を離れた。

 

「それにしても、泣いたらなんだかもっと愚痴りたくなってきました」

「そこはすっきりしたって言うべきじゃないのか?」

「私だって色々と悩みをかかえているんですぅ! 」

「わかった、わかった。今日は飲みに行こう。久しぶりに二人で」

「そうですね。たまには……二人で昔話に花でも咲かせましょうか」

「そうだな。前はよく二人で行ってたんだ。それがまたやるようになった。それだけさ」

「じゃあ、ご馳走になります!」

 

 ビシッと敬礼しながら小鳥は言った。プロデューサーは呆れながらはいはいと答えた。いつも二人で行くときは自分が払っていたのが当たり前だったので特に気にしてはいなかった(年上でもあり、お金を持っているからなのだが)。

 

「それじゃあ、先に行ってみんなをフォローしておきますから」

「世話をかけるよ」

「いつものことですよ」

 

 小鳥はそう言って事務所に戻った。プロデューサーも煙草を片付けて扉を開けた。ふと、足を止めて振り返る。何故か、あの言葉が脳裏を過った。

 

 ――なんで辞めるかって? だって張り合いのあるライバルがいないからよ。まあ、いたけど彼女はもういないし。それだけよ。

 

 テレビか雑誌のどちらかは忘れた。が、あのトップアイドルは確かにそう言った。プロデューサーは名残惜しそうに呟いた。

 

「可能性はゼロじゃなかったんだよ……」

 

 後から知ったからそういうことが言えると自分でわかっていた。プロデューサーはその怒りの矛先を、扉を強引にしめることで八つ当たりした。このあと事務所に戻ることを考えると気が重くて仕方がなかった。

 だが、戻らならければ仕事は終わらない。このあと飲みにいくと約束したのだ。

 だから我慢しよう。そのことを彼女に愚痴りながらビールでも飲んでやろう。

 そう思えば頑張れるような気がした。

 

 

 





弁明というか解説なのですが長いです

今回はどちらかと言えば黒井社長がメインな話になっています。アニマスではゲームよりも765の敵として表現されています。ただ、やっていることが小さいなと私は思ってまして。表紙の差し替えはともかく、響をロケ現場から遠ざけたり? ライブのスタッフを使っての妨害。なんか小さいなと。もっと、仕事が来ないようにするとかなんか色々とあると思う(自分で言っておいて思いつかない)。

で、前にも言っていた通り物語の後半はかなり削る予定と言いました。まず、15話、17話をカットで、次回は16話と21話を一緒にします。時系列は14話から16話の間に21話が入ると思っていただければ大丈夫です。
本作品においてのジュピターは少し出るぐらいだと思います。ジュピターよりも黒井社長がメインです。なので、黒井社長が関わっている話をまとめます。
今回が前編、次回が後編みたいな感じですかね。
なので、結構無理やり感が半端ないです。時間軸で言えばちゃんと時間は経っているのですが、こうして文に起こすと短く感じてしまいますね。

あと、高木社長もそうなのですが。黒井社長と年齢は少ししか違わず、黒井社長は54なんですよね。で、本作品の設定上プロデューサーの年齢から逆算すると42の時に独立して、一気に大手芸能事務所になったわけです。黒井社長は有能な人間なのでそれぐらいはやってのけると思っています。ただ、プロデューサーがいて、小鳥がアイドルという設定をいれたため、少し無理かがあったなと思ってます。

自分でも765を弱小と書きましたが、弱小の定義がわからなくなった。なんていうか物語の進行上仕方がなかったんや。

小鳥がアイドルというのも公式では明言されてなかったと思います。確か、アニマスだと小鳥のお母さん?がそうだったのでは?と言われているのでよかったかな。二次創作でも日高舞のライバルに小鳥になっているのをよく目にしたのでそれを採用しました。
ちなみに私は小鳥さんの太ももとホクロが好きです。

自分で言うのもなんですが徐々にプロデューサーの過去(設定)が明らかになっています。そのことについては次回に回します。一応補足で2013年時点で彼は31となっています。

そうなってくるとアニマス編も残りわずかです。更新の感覚も週一になってしまっていますが申し訳ないです。

長くなりましたが次回もよろしくお願います。

追記 木曜日に艦これアーケードをやったら建造で熊野がでた。やったぜ。


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第13話

俺は悪くない……卯月が可愛いからいけないんや……


 二〇一三年 十月某日 765プロ

 

「一時はどうなるかと思ったぞ~」

「よしよし」

「よしよしなの」

 

 貴音に抱き着きながら響は彼女の胸に泣きついていた。そんな響を子供をなだめるように、貴音と美希が彼女の頭を撫でていた。響の肩に乗っていたハム蔵も彼女の頬をぺたぺたと撫でていた。今では新しく結成されたユニット「フェアリー」としても活動している三人。

 個々による仕事が増えている中、ユニットでの仕事も同時に増えていた。普段全員揃う事がない今。こうして三人が揃って一緒に仕事ができるだけでも本人達にとってとても嬉しいことだった。

 そんな仲睦まじい三人を仕事をしながら見ていた小鳥と赤羽根。二人は仲が良い三人を微笑ましくみていたが、同時に深刻な問題を抱えていた。それは目の前にいる響本人にも関係していた。それは961プロからの妨害行為であった。

 

 昨日、響が出演する番組収録が行われた。響は収録現場にスタッフが運転する車に乗り現場へと向かっていた。道中、運転手であるスタッフがやけに落ち着きがないなと響は感じていた。不審に思う中、車が止まり外に出た響は聞いていた現場と違うことに気付いた。そのことをスタッフに聞く前に車が急発進し、響を置き去りにしたのだ。響が車を追いかけようとしたその瞬間。足元の地面が崩れ崖に落ちてしまった。そこの道路はコンクリートで舗装はされていたが、ガードレールなどはない。一歩間違えば事故が起きるような場所だった。そこに運悪く響は落ちてしまった。幸いにも落ちた所から数メートル下にでっぱりがあり助かった。土が崩れやすく登れないとわかると不安になった響だったが、ハム蔵がなんとか脱出。ハム蔵はその小さな体で遠く離れた事務所までたどり着き、響が助けを求めていることを伝えたのだ。

 そして、無事に響は救出され収録もなんとかできたのだ。

 

「ハム蔵、本当にありがとう」

「ちゅ!」

「赤羽根Pもありがとう」

「いいんだよ。それに、気付けなかった俺にも責任はあったし」

 

 悔しそうに赤羽根は言った。響に同行していたのは赤羽根だった。今回の件に関しては自分が気付いていたら、そう何度も念仏のように唱えていた。それでも、赤羽根が近くに居たからこそすぐに救出できたのも確かであった。

 

(黒井社長。俺が思っていた人とは違うのか……?)

 

 赤羽根は思っていた人物とは違うことに悩んでいた。

 あの日のことを思い出す。あの時、響が間に合わなかった場合に備えてジュピターが備えていた。そこには黒井も来ており、そこで初めて赤羽根とは黒井と対面した。赤羽根は響の代弁をするかのように黒井に抗議した。

 

「黒井社長。今回、一歩間違えば大変なことになっていました! 命の危険性もあった。そうまでしてあなたは勝ちたいんですか!」

 

 そう。一歩間違えば響が崖から落ちて死んでいたかもしれないのだ。今話題のアイドルがそういった事になってしまえば大きなニュースとなる。そうなればいくら強い影響力を持っている黒井ですら、自らが世間の標的となる。そんなミスを犯すとは燃えない。黒井とは初めて会った赤羽根だったが。一目で高木やプロデューサーが、彼が有能だと言っていた言葉の意味を理解した。覇気というかオーラが違う。そんなようなものを赤羽根は感じた。

 黒井は赤羽根に言われて顔には出さなかった内心困惑していた。

 命の危険? 何を言っているのだ、こいつは、と黒井は赤羽根に言われて考えていた。命令したのは我那覇響を現場から離れたところに置き去りにしろ。そう伝えたはずだった。

 目の前にいる男は嘘をつくような男ではないと赤羽根を観察して判断した。となると、目の前のこいつが言うように何かトラブルが起きたということになる。

 事情を知らない黒井からすれば、そこまでしか考えつかなかった。

 

「何か言ったらどうなんですか!」

 

 赤羽根は無言を貫く黒井に対して怒りをあらわにしていた。例え大手事務所の社長だろうと、自分の担当するアイドルが危険な目にあったのだ。平静を装いながらできるとほど赤羽根は器用な男ではなかった。だからこそ、彼らしいとも言えた。

 

「……ふん。新米が調子に乗るな。教育がなっていないな」

「あなたは――ッ!!」

「出せ」

「わかりました」

 

 黒井に指示

 をされて運転手はアクセルを踏んだ。赤羽根にはそれが逃げたように思えた。叫ぶ中、動く車を追いかけようとする赤羽根は最後に見えた黒井の顔に驚き、その足を止めた。

 

(黒井社長のあの顔はまるで……)

 

 だがすぐにその考えは違うなと思いを赤羽根は首を振った。今でもあの顔は脳裏に焼き付いている。けれど、あの黒井社長がそんな人間のはずないとそう思っていた。

 

「にしても、これで何回目でしたっけ」

 

 小鳥に声を掛けられてハッと我に返る赤羽根。

 

「そ、そうですね。俺も数えてないです」

「響ちゃんの前は確か……ライブの妨害でしたよね?」

「はい。音響を担当するスタッフに色々と指示を出していたみたいです。でも、先輩もいたんですぐに解決しました」

「その前は番組出演が急遽キャンセルとか」

「その前の前は、嘘の仕事を流したりと。もうたくさんですよ」

 

 自分にとっても、アイドルにとってもこんなのはもうごめんだと言わんばかりに赤羽根は言った。わたしもですよ、小鳥も同意した。

 あの「テレビチャン」の一件以来、961プロの妨害が始まった。小さいものか大きなことまで。特にアイドル自身が危険な目にあったのは響が初だった。こういった事が起きてからというもの、765プロは受け身ばかりをとり続けていた。961プロが何か仕掛けてきてからの対応ばかり。その態度に再び伊織がプロデューサーに怒鳴ったが結局誤魔化された。

 

 ――今はこれといって被害がでているわけじゃない。結果はこれだが、表紙にも載っている。お前達にこんなことを言うのは最低な事だと思う。我慢しろとは言わない。でも、もう少し耐えてくれ。俺がお前達を護る。だから、少しだけ待っていてほしい。

 

 あの日。事務所を出て行ったプロデューサーが戻ってきて皆に言った言葉だ。しかし、実際にプロデューサーが取った行動は先に言った通りであった。だが、実際に響が危険な目にあう出来事が起きてしまった。今まで約束を守ってきた男は、初めて約束を破ってしまったのだ。

 

「そう言えば貴音ちゃん。プロデューサーさんはどうしたの?」

「あの人でしたら少し出てくるから、そう言ってどこかへ行ってしまわれました」

「うぅ。プロデューサーは約束を破ったぞ。やっぱり、スパイだったんだ……」

 

 彼女達の中で唯一直接的な被害を受けた響はプロデューサーのことが信じられなくなっていた。約束を破ったことが一番の原因だった。

 自分に抱き着いている響に貴音は、彼を弁護するように彼女に聞かせた。

 

「それは違いますよ、響」

「どうして」

「あの人は……プロデューサーは響がそういった事に遭ったと聞いて酷く自分を責めていました。」

「うんうん。あんなハニーはミキも初めて見たの」

 

 貴音を援護するように美希も後ろから響に言った。

 

「最低だ、糞野郎だとか色んな言葉で自分に罵声を浴びせていたの」

「プロデューサーが最低なのは今に始まったことではないぞ……」

 

 美希を見ながら響は言った。それに対して美希は目を泳がせながら、あははと声をあげていた。

 

「響。あの人を信用、信頼しろとは言いません。ですが、あの人は絶対にわたくしたちを裏切ったりはしません。それだけは、信じてください」

「ミキからもお願い。ハニーのこと信じてあげて」

「……別にそこまで言ってないぞ。ただ……ちょっとナイーブになっただけだ」

 

 ありがとう、二人は声を揃えて感謝の言葉を送った。三人のやり取りを見ていた小鳥と赤羽根。やけに二人がプロデューサーのことを詳しく言っているのに疑問を感じた。小鳥は二人についつい聞いてしまった。

 

「ところで。なんで二人ともそんなにプロデューサーさんがそんなことになっているのを知っているの?」

「やけに詳しいですよね。先輩って誰かに弱音とか吐かないタイプだと思うんですけど」

「いくら担当である貴音ちゃんと言えど、そこまで言わないと思うのよね……」

「美希も貴音と一緒に聞いたような口ぶりだし……」

『怪しい』

 

 ビクッと貴音と美希は身体を震わせ、額に汗が流れる。言える訳がない。プロデューサーの部屋に入ったら一人でヤケ酒をし始め、二人が来たことに気付かず永遠と自分を責めていたところを目撃したのだと。美希に至っては週に三日、多くて四日は貴音の自宅に泊まることが増え、今回貴音と一緒に偶然目撃してしまったのだ。

 

「わ、わたくたちには弱音を見せるのですよ。ね、美希」

「そ、そうなのー。ミキ達はみんなと違ってハニーと特別な関係なの」

 

 二人は声を震わせながら答えた。顔の表情から納得してないということは二人にもわかった。小鳥と赤羽根の二人は気になるがそれ以上のことは追及してこなかった。だが、貴音と美希の間にいる響が寂しそうに言った。

 

「最近、自分だけ仲間外れにされている気がするぞ」

「そんなことありませんよ、響!」

「そうなの。響はミキ達にとって大事な仲間なの!」

 

 二人の言葉は素直に嬉しいと思った響であったが。ここ最近、フェアリーで活動する時が、それを一番に感じていると言った。二人は「それは……その」、「素直にごめんなの」と謝った。二人がプロデューサーにベッタリと言う事は響も当然のごとくわかっている。だからこそ、自分が邪魔な存在なのではないかと思ってしまったのだ。しかし、そんな二人に対してプロデューサーは響に逃げていることを三人は自覚していなかった。自覚はしてないが、勘や洞察力に優れている二人だ。最近の響がやけにプロデューサーと話している時が多いことに気付いていた。

 

「でも、響だってプロデューサーといっぱい話しているの」

「そ、それは仕事とかレッスンのことで相談しているだけだし」

「本当ですか?」

「本当だぞ!」

「本当に本当なの~?」

「本当に本当だってば!」

 

 自分がからかわれている事に気付かない響。そんな響がかわいいのか、貴音と美希はついつい弄ってしまう。

 小鳥もそれに気付いたのか、本人には聞こえない声で赤羽根に言った。

 

「響ちゃん、からかわれていることに気付いてないですね。そこがかわいいんですけど」

「いつもの感じに戻って一安心ですよ。俺は」

「ふふ。そうですね……あっ」

 

 小鳥はある事を思い出し、自分のスケジュール手帳とホワイトボードにあるアイドル達のスケジュールを見合わせながら赤羽根に聞いた。

 

「赤羽根さん。明日のスケジュールはちゃんと調整できました?」

「ええ。社長にも言われたので律子と調整しましたよ。終わる時間はバラバラですが言われた時間には全員揃いますよ」

 

 赤羽根は先日、高木からの指示で明日の二十時ごろまでにアイドル達の仕事を終わらせておくようにと言われたのだ。時間的に問題はなかったのだが、アイドルによっては時間が作れない場合もある。そのため、高木は前もって支持を出したのだ。

 

「先輩に至っては、聞いた時に既に終わってるんですから。頭が上がりませんでしたよ」

「プロデューサーさんは知ってましたからね」

「にしても。明日は何かあるんですか?」

 

 高木やプロデューサーに聞いても二人揃って「当日になればわかる」と返された。小鳥の要をみると、彼女も知っているのかと赤羽根は気付いた。

 

「明日になればわかりますよ」

 

 先の二人と同じように結局はぐらかされてしまった。

 しかし、二人と違って小鳥はやけに嬉しそうだ。赤羽根は笑顔を浮かべている小鳥を見てそう思った。

 そんな彼女を見ていると、明日が楽しみだ。そう思っている自分がいるのだった。

 

 

 同時刻 961プロダクション 正面前

 

 プロデューサーは今、かつての職場の前まで来ていた。ここは通い慣れた道だ。彼は迷うことなく、自分の記憶と照らし合わせながら歩いてここまで来た。口には出せないが、765プロと違って人の出入りが多い。961プロはアイドルだけではなく多くの事業を展開している。当然だと言えば当然だった。

 今日、プロデューサーがここに来たのは先の響の件で直接黒井と話すためである。本音を言えばそれは建前だった。今日で終わりにしよう、そう思ってプロデューサーはやってきたのだ。自分の甘さでアイドルを危険な目に遭わせてしまった。それが特にプロデューサーに大きな精神的なダメージを与えた。今まで961プロからの妨害に対して受け身的な行動をしてきたのは、黒井と違って本気で戦う気など毛頭なかったのである。黒井に対して何をしても無駄だとわかってもらえれば、諦めてくれればそれでよかった。だがその前にアイドルが傷ついてしまった。

 だから、責任を取らなければいけない。彼女達を裏切ってしまった。そう自分に言い聞かせる。

 

「さて。いくか」

 

 ビルの前で立ち止まっていた足を再び動かす。自動ドアを抜けるとそこは広い空間が広がっていた。外に比べ、中には多くの人間がいた。プロデューサーはその光景を懐かしみながらも受付カウンターまで歩く。正面の入口から真っ直ぐだ。眼を瞑っても歩いて行ける。

 プロデューサーは受付に座る二人の女性社員を見た。自分の知らない人間だったがそれも当然かと納得した。ここを去ってから自分の知らない社員がいるのは当然だし、人事移動だってある。変わらないのは建物ぐらいか。そう思いながらプロデューサーは受付の一人に声を掛けた。

 

「すみません。少しいいですか」

「はい。なんでしょうか」

「黒井社長はいらっしゃいますか?」

「黒井社長ですね。はい、おりますが……本日は誰かと会うと言ったお話は聞いておりません。アポイントは取られているのでしょうか?」

「いや、取っていない。765プロのプロデューサーが来たと言えばわかるから、伝えてほしいんだが」

「そうは申されましても……」

 

 プロデューサーを対応していた彼女は隣に座っていた先輩に助けを求めた。彼女は首を振りながらそれに応えた。

 

「アポイントを取られてからもう一度お越しください」

「頼むよ。そう言ってくれればすぐに話は通るから。なんだったら――」

 

 プロデューサーは自分が覚えている限りの961の社員の名前をあげて伝えた。ただ、逆にそれが不振がられたのか警備員を呼びますよと通告されてしまう。

 頭を抱える。やはり、居なかった時間で自分のことも知らない社員が多いことは覚悟していたが、ここまで話が通じないのは痛恨のミスであった。

 諦めかけていたその時。プロデューサーの後ろから昔の呼び名で彼を呼ぶ女性が現れた。

 

「あれ、見習い君?」

「……赤坂さん?」

 

 呼ばれて振り向くとそこにはかつての仲間である赤坂智恵が立っていた。セミロングの髪型でおっとりとした顔。彼女は自分で美人だと言いふらしていたことを真っ先に思い出す。しかし、スタイルはアイドル顔負けで、あながち間違いではない。赤坂は961プロを起業した際に事務員として雇った一人であった。自分より4歳年上であり。間違っていなければ今年で30半ばぐらいのはずだ。

 

「赤坂さんじゃないですか! お久しぶりですね!」

 

 プロデューサーは久しぶりにあった赤坂に嬉しそうに名前を呼びながら近づいた。赤坂も嬉しいのか近づいてくる。二人は握手をした。相当嬉しいのか、赤坂はぶんぶんと腕を振る。それを見てプロデューサーは思い出した。

 

「相変わらず元気ですね」

「当然。それが取り柄だしね!」

「にしても……」

「老けたって言ったらぶっ飛ばす」

「大人の魅力が増しましたね!」

「よろしい」

 

 こういう女性だったとプロデューサーは再確認した。そのおっとしとした顔からは想像でいないぐらいに活発な女性である。言うなれば姉御と呼ばれるのがしっくりくる女性だろうとプロデューサーは常々思っていた。

 

「で、どうしたの。まさか、再就職しに来たわけじゃないんでしょ?」

 

 赤坂はプロデューサーがここに来ること自体がおかしいと気付いたので聞いた。

 

「ええ。黒井さんに会いに」

「珍しいというか、もう二度と来ないかと思ったわよ。仕事の話かしら?」

「そんなとろこです」

「状況が察するにアポ取ってないんでしょ。どうせ、顔パスできると思って」

「その通り」

 

 赤坂はこう見えて洞察力に優れている。伊達に黒井が入社を認めるだけの才能は持っていた。

 

「わかった。ちょっと待ってて」

 

 赤坂はそう言うと受付まで歩き、先程プロデューサーが話していた女性と話を始めた。話はすぐに終わり戻ってきた。

 

「OKよ。じゃ、行きましょうか」

 

 赤坂に付いてき、エレベーターの前まで歩く。ボタンを押すと、タイミングがよかったのか一階までやってきてすぐに乗り込むことができた。赤坂が社長室のある階のボタンを押して、扉を閉めた。そして静かにエレベーターは上へと上がる。

 ふと、プロデューサーは赤坂の変化に気付いた。それは左手の薬指にある指輪だった。プロデューサーは予想はついていたが本人に聞いた。

 

「赤坂さん。結婚したんですか」

「ん? ああ、そうなの。ちなみに今は赤坂じゃなくて黒崎ね」

「黒崎って」

「ホント、わたしって黒に縁があるわ」

「それもそうですね」

「ま、赤坂でいいわよ。会社ではそっちで通ってるし。ところでキミはいないの。恋人とか」

 

 赤坂はプロデューサーの方を向いて言った。その顔はどこか面白がっているようにも見える。

 

「いませんよ」

「あら即答。意外だわ」

「どうしてそう思うんです?」

「だって……」

 

 そう言うと赤坂はプロデューサーに密着するぐらいまで近寄った。すんすんとプロデューサーの匂いを嗅ぐ。女としてそれはどうだろうとプロデューサーは声に出さず思った。言ったら拳が飛んでくるに違いない。

 

「女性の匂いがかなりするから。同棲しているかと思ったのよ」

 

 どうして女というのはこうも鋭いのだ。プロデューサーは焦りつつもそれを顔には出さなかった。貴音に美希もそうだが、こういう事に関しては一歩も二歩も自分の予想を上回る行動をするのかと疑問を抱いた。

 

「まあ、見習い君もそれなりの年なんだし。結婚も考えておいた方がいいわよ」

「頭の隅には留めておきます」

「こいつぅ、相変わらず生意気ね!」

 

 ていッと言いながらプロデューサーの胸に拳を振るう。痛みはない。そういう振りをしているだけだ。これも懐かしいやり取りだなとプロデューサーは思い出した。

 そんな事をしていると、チンとエレベーターが着いた音が鳴る。二人はエレベーターから出る。ここからは赤坂の案内がなくともプロデューサーのわかる所であった。二人は並びながら社長室の前まで歩く。

 赤坂が扉前でプロデューサーの方に振り向いて確かめた。

 

「じゃ、いくわよ」

「頼みます」

「赤坂です。失礼します」

 

 赤坂はいつものように三回ノックをしてから一言言って入室した。黒井は赤坂を直接見ずになんだと淡々と答えた。

 

「お客様をお連れしました」

「客だと? そんな話は聞いていないぞ。一体どこの誰だ」

「社長も知っている子ですよ……いいわよ」

「……どうも」

「……」

 

 赤坂に呼ばれてプロデューサーも部屋に入る。黒井は特に驚いた素振りはしなかった。むしろ、待っているかのようだった。

 

「赤坂しばらく誰も通すな」

「ジュピターもですか?」

「そうだ」

「わかりました」

 

 一礼して赤坂は退室した。プロデューサーとすれ違う瞬間「頑張って」と小さな声で応援した。

 扉が閉まり、残された二人。プロデューサーゆっくりと黒井の前へと歩く。同時に黒井も喋り始めた。

 

「遅かったな」

「そうですか?」

「ああ。もっと早く来るかと思っていた」

「あなたの予想を外したのであればそれは嬉しいですけどね」

「ぬかせ」

 

 苦笑しつつもプロデューサーは黒井が座る前へと立った。机を挟んでも互いの視線が交差する。いつもと違って弱弱しい声で黒井は言った。

 

「私を……潰すのではなかったのか。あの日。お前が私にそう言ったはずだ」

 

 あの運動会の日。二人は再開し、プロデューサーが黒井に言った言葉だった。

 

「何故、お前は何もしない。やろうとすればできたはずだ」

「そう、ですね」

 

 黒井の言う通り、プロデューサーはやろうと思えば彼と同じようなことができた。しかし、それはしなかった。黒井は続けた。

 

「今日、お前がここに来たのは我那覇響の件だろう。アレは偶然だ。命令したのは我那覇響を現場がから遠ざけろ。それだけだ」

「わかっていますよ。偶然、そう偶然あんなことが起きてしまった」

「だが、結果で言えばお前の言ったアイドルを傷つけたことになる。違うか?」

 

 プロデューサーは顔を横に振りながら言った。

 

「それは俺もです。俺はあの子達に護ると約束した。なのに破ってしまった。俺はプロデューサー失格です」

「そうだとしても、お前に責はない。悪いのは私だ。すまなかった」

 

 黒井から謝罪の言葉が出たことにプロデューサーは驚いた。目の前にいるこの男から謝罪の言葉が出るなど、まして聞いたこともなかったからだ。だからこそ、プロデューサーは、

 

「やめてれくれ! あなたからすまなかったなんて言葉聞きたくない! いつもように見下しながらそれがどうしたと言えばいい!」

 

 プロデューサーは感情的になっていた。自分をここまで育ててくれた恩師の一人。尊敬している男がすまなかった、そう言ったのだ。プロデューサーからしたら聞きたくない言葉であった。

 

「私とて大人だ。自分が犯したことについては理解している。だから……謝った」

 

 プロデューサーは困惑していた。自分自身もそうだし、何よりも目の前にいる黒井がこんなことを言うとは思ってもいなかったからだ。

 プロデューサーは唇を噛み、両手を強く拳を握り震わせていた。黒井もプロデューサーの状態には気付いていた。

 

「……お前はあの時順一朗への宣戦布告、そう言ったな」

「……ええ」

 

 いきなり話が変わったがプロデューサーはそれに答えた。

 

「お前の言う通りそれも理由の一つだ。だが、本当のところは違う」

「どういうことですか」

「……成長したお前とやり合いたかったという好奇心もある。だが、本当の所は……未練だ」

 

 黒井は机の引き出しから一枚の写真を撮りだした。そこには五人の人物が写っていた。順一朗に順二朗。若き頃のプロデューサーとアイドル時代の小鳥、そして黒井。黒井は昔のことを思い出しながら語った。

 

「あいつらと別れたあの日。お前が私と一緒に来たとき……嬉しかった。何故か、そう思った。ゼロからのスタートだった。一人でも絶対にできるという自信があった。それでも、お前がいることでそれが強固になった。色んなことがあったが充実した日々だった……」

「ええ。多くのことを体験しました。だからこそ、今の俺があります。あなたのおかげです」

 

 プロデューサーも黒井と共に昔のことを思い出した。始めは雑用みたいな仕事だった。フリーの人間が簡単に仕事を貰えるはずがなかった。それでも、黒井のビジネスセンスは流石だった。気付けばすぐに事務所を構えていた。そして、数年で今のような大きなビルにまで事務所は発展した。自分に関しても多くの仕事を回してもらったし、交友関係も築くことができた。汚い仕事もしたが、今となればそれがアイドルのためにもなった。もちろん綺麗な、良い仕事だってした。スタッフと意気投合できたときは楽しかったと記憶している。それにハリウッドへ研修に行かしてもった。多くの事を学ばしてもらった黒井には感謝しきれないとプロデューサーは今でも思っている。

 

「だが、そんな私でも人生の中で二つ成しえなかったことがある。一つは音無小鳥をトップアイドルへと導けなかったこと。二つ、それはお前を……私の傍に留めておくことができなかったことだ。それが、私にとっての未練でもあり後悔でもあった」

「……」

 

 プロデューサーは何も言わなかった。いや、言えなかった。前者についてはプロデューサー自身も辛い程わかっている。プロデューサーだけではなく、五人全員が同じ思いだったと思っている。後者に関しては薄々わかってはいた。

 黒井という男は王のような人間である。自分にはそれだけの器があると思っているし、それができると自負している。だからこそ、彼の城はここまで大きなっている。

 王は孤独だと誰かが言った。だが、黒井は孤独ではなかった。それはプロデューサーがいたからだ。プロデューサーの存在は黒井にとってなくてはならない存在だった。それに故に、プロデューサーがいなくなってしまったことで黒井は孤独になった。

 黒井は失って初めて気付いたのだ。それが黒井の中で一番の……未練だった。

 

「だからなのだろうな。765プロにいや、お前に対して私は妨害をしていた。傍から見れば子供の嫌がらせと同じレベルだ。我ながら小さい人間だと思った。しかし、そんな子供レベルの嫌がらせもお前は全部退けた」

「俺はただ無意味だと知ってほしかった。何をしても無駄だと。諦めてくれればそれでよかった。その甘さがアイドルを危険に晒してしまった」

「すべては無駄だと言う事は始めからわかっていた。だが、認めたくない。いや、お前には負けたくない。これは……意地だ。961プロの社長としてではなく、一人のプロデューサーとしてのな」

「だったらもっとちゃんとした方法があった! そのためのアイドルで、ジュピターじゃないんですか!」

「知っているだろう。私はそれしか知らん」

 

 嘘だ、そう言いたかった。黒井が見せる悲しい表情を見てプロデューサーはそれを言うことができなかった。

 やり方はどうであれ、黒井はプロデューサーとしても優秀な男だった。しかし、手段を選ばない男でもあった。間近で見続けていたプロデューサーはそれを理解していた。そして、彼自身もそれを濃く受け継いでいた。

 

「お前は私に似ている。いや、そういった部分が私に似すぎている。だが、アイドルとして傍にいるお前は順一朗に似ている。お前は堕ちるとこには堕ちていない。私と違ってな」

 

 今まで暗い顔をしていた黒井だったが、この時だけはどこか嬉しそうに語っていた。

 

「忘れたんですか。俺は、あなた達の一番弟子ですよ」

「ふん。そうだったな」

 

 鼻で笑いつつも黒井は笑顔であった。黒井を知っている人間が今の彼を見たらこういうだろう。ここまで笑顔が似合わない男はいないと。常に悪い笑みしか浮かべない男がこうなれば当然でもある。

 

「見習いが何時の間にか一人前になっているのだから、私も歳をとったな」

 

 黒井は椅子から立ち上がり真っ直ぐプロデューサーを見た。

 

「後日、我那覇響に直接謝罪をする。ケジメはつけんとな」

「でしたら明日の夜はどうですか」

「明日? 何かあるのか」

「ええ。とびっきりの良いことがありますよ」

 

 ニヤリと口角をあげてプロデューサーは言った。その悪い笑みは黒井に似ているようだ。

 

「わかった。時間を空けておこう」

「ありがとうございます。場所はあのBARですから」

「なに。それはどういう……」

 

 黒井が何かを言いかけようとしたその時、コンコンと扉をノックして退室した赤坂がお盆にマグカップを載せて能天気な声でやってきた。タイミングがいいのか、それとも空気を読んでやってきたのかはわからないが。はっきりと言えるのは赤坂は確信犯であるということだ。

 

「は~い。コーヒーお待ちどう!」

『……』

 

 プロデューサーと黒井は二人して怖い目つきで赤坂を見た。当の本人はそんなの気付いていないような振る舞いをしながら、黒井の机の前にあるテーブルの上に置いた。

 赤坂のせいで毒気が抜かれたのか、二人は溜息をつきながらソファーに腰かける。

 

(すげーふかふか。前のよりいいんじゃないか。これ)

 

 プロデューサーは座るとソファーの感触を体で感じ取っていた。765プロの事務所にあるものとは比べ物にならない。こういう所に事務所の力の差を感じたが、それを口に出すことはなかった。

 カップを手に取ると赤坂が隣に座りプロデューサーに言った。

 

「とりあえず、前と同じ感じに淹れて見たんだけど」

 

 昔と言うのは961プロに居た時のコーヒーに入れるミルクと砂糖の分量のことだ。今のプロデューサーはブラック党であるが、昔はブラックでは飲めずにいた。なので、自分なりに調節したのだ。

 

(甘い……)

 

 一口飲んでみたが結果は甘かった。だが、この甘さがやけに懐かしく思えた。いつだったかとプロデューサーは思い出す。ブラックを呑めるようになった時に「ブラックで飲める男ってカッコイイよな」なんて恥ずかしい台詞を吐いたことがあったなと思いだしくもないことを思い出した。

 

「ちなみに私。事務員兼社長のお茶汲み係なのよ」

 

 赤坂はプロデューサーの耳元で呟いた。ただの事務員がえらく出世したなとプロデューサーはコーヒーを飲みながら思ったが、そもそもこの人に秘書は必要ないなと再確認した。

 

「ところで、見習い君はいま何をしているのかしら」

「言おうと思ってましたけど……見習い君ってもうやめません?」

「あら。私にとっては、見習い君は見習い君よ。ね、社長」

「お前の好きにすればいいだろ」

 

 赤坂が黒井に話を振ったが相変わらずの素気なさだった。

 

「じゃあ見習い君でいいわよね」

「勝手にしてください」

「で。質問の答えは?」

「そうですね……」

 

 現在のことや、昔のことを話しながら三人は久しぶりの時間を得た。数年ぶりに味合うこの雰囲気にプロデューサーは懐かしかった。実家に帰った時の安心感に近いような感じだ。そんな空気を味合いながらプロデューサーはコーヒーを少しずつ飲んでいた。飲み終わったら帰ろうと思いつつも、つい時間を割いてしまった。

 そのあと、プロデューサーは赤坂と共に社長室をあとにした。赤坂とは途中で別れ、一人で一階まで降りた。すると、正面から黒い服がトレードマークと言うべき三人の男性三人がこちらにやってきた。向こうもプロデューサーに気付いたらしく驚いた顔をしていた。プロデューサーはそんなことを気にせず彼らの前まで歩いた。天ケ瀬達はその行動が意外だったのか少し動揺しているようにも見えた。

 

「確か……ジュピターの天ケ瀬君、伊集院君に御手洗君・・・だったね」

「そ、そうだけど。アンタは765プロのプロデューサーだったよな? なんでここにいるんだよ」

「と、冬馬。もうちょっと言い方が……」

「すみません。こういう子なんです」

 

 やや喧嘩腰の冬馬をなだめる翔太と詫びを入れる北斗。プロデューサーは構わんよと彼の態度を受け入れた。

 

「ほとんど初対面な俺が言うのはお門違いかもしれないが聞いてもらえるかな」

「なんだよ」

「黒井社長に色々思う事もあると思うんだろうけどさ。もうちょっとだけ付き合ってもらえないか? あの人に付いていけないと判断したのならそれはそれで構わない。だけど、それまではあの人の……961プロのアイドルとしてやっていてほしい」

 

 三人は互いに顔を見合わせた。冬馬が頭に手をやり、髪を軽くくしゃくしゃと弄って照れくさそうに言った。

 

「黒井のおっさんにはまあ……感謝してる。アイドルとして見出してくれて、ジュピターとして活動している今がすっげー充実しているしよ。おっさんが汚いことをしている事は俺達も知っている。けどよ、それでも俺達は本気でアイドルとして仕事してきたつもりだぜ。な、二人もそうだろ?」

「うんうん」

「そうそう」

「そうか」

 

 その返事を聞けてプロデューサーは満足そうに答えた。

 

「だからアンタのところのアイドルにも言っておけよ。それでも俺達が勝つってな」

「……」

 

 プロデューサーはポンと冬馬の肩を叩き歩いて行った。そのまま振り返らず歩きながら手をあげて言った。

 

「忘れなきゃ伝えとくよ」

「そこは伝えろよ!」

 

 ついツッコミを入れてしまった冬馬。たくよ、と悪態を着く冬馬に北斗が言う。

 

「今更だけど」

「なんだよ、北斗」

「男性アイドルと女性アイドルが競い合うって……おかしいよね」

「言うな。カッコつけたのに自分が恥ずかしくなる」

 

 男と女のアイドルではファン層が違うのだから当然であった。翔太は二人の間であははと笑っていた。

 

 

 翌日 夜

 

 時刻は既に二十時半を回っていた。社長に言われた通りアイドル達全員の仕事が終わり次第ある場所へとプロデューサーの案内で向かっていた。その社長は小鳥と一緒に先に現地へと向かっていた。

 赤羽根と律子は何が行われるかは聞いていないので、アイドル達の質問に答えることはできてはいなかった。道中何度もアイドル達から質問を受けたプロデューサーは「いい所だ」と答えるだけであった。

 最初はあれこれ考えていた彼女達であったが、こうして全員で夜の街を歩いて移動するのは滅多にないのでこの状況を各々楽しんでいた。ちなみに未成年者にはちゃんと親から許可を貰っていた。

 律子と違って赤羽根はそれなりに夜の街に繰り出したことのある男である。優男ではるがへたれではない。キャバクラにだっていった経験はある。大人のお店は内緒だ。なので、今歩いている道はそれなりにこういう場所かと感覚的にわかっていた。事務所からしばらく歩いてプロデューサーが「さ、着いたぞ」と言った。看板にはお店の名前と思わしくものが英語で書かれていた。赤羽根は誰よりも真っ先にプロデューサーに言った。

 

「先輩。ここってBARじゃないですか!」

「どちらかと言うとジャズバーだけどな」

 

 赤羽根が声をあげるのも当然である。自分やあずさならわかるが、他の子達は未成年である。こんな場所に連れてきてどうするのかと。だが、プロデューサーは真面目に答えた

 

「そうだが」

「そうだがって……」

「なに、今日は貸切だし問題ない。さ、いくぞ」

 

 プロデューサーの後に続きながら特に亜美や真美が反応した。

 

「おぉ~。ここがバーというやつですな」

「真美たちも一歩大人の階段を上ってしまいますな!」

 

 二人に続いて真や雪歩も反応した。

 

「BARってドラマとかでよく見るけどちょっと憧れるなあ」

「なんていうか、静かで落ち着いた雰囲気あるよね」

「あ、それ私もわかる!」

「萩原さんがいったけど、そういった雰囲気で歌ってみるのも悪くないわね」

 

 意外と千早がそういったことを発言したことに春香は驚いていた。お酒を飲んだことがあるのはあずさのみで、それ以外の子達はお酒の代わりに雰囲気を味わっていた。

 そんな中。列の一番後ろにいた貴音と美希は自分の世界を作っていた。

 

(わたくしはどちらかと言えば、家で一緒に晩酌をしたり、してあげたりのがいいですね)

(んーミキはこういう所で飲むのはアリかな?)

((で、酔った勢いで体に寄り掛かってそのまま……))

 

 正反対の二人であるが似た者同士であった。

 店内に入るとすでに順二朗がカウンターで座って待っていた。その隣には記者の善澤もいた。

 プロデューサー達に気付くと待っていたとよ声をかけながらこちらにやってきた。

 

「まあ、見ての通りのバーだ。申し訳ないがアイドル諸君たちにはジュースで我慢をしてもらうよ」

「それはいいけど社長? わたしたちをここに呼んでおいて、一体何をするのかしら?」

「もう少しで始まるよ。席に座って待っていたまえ。あ、そうだ。赤羽根君とあずさ君は飲んでも構わんよ」

「いえ。自分は遠慮しておきます。送迎もありますし」

「えーと、私も今回は遠慮しておきますね」

「そうか、わかった」

 

 店内の雰囲気にあった丸いテーブルを中心に椅子が並んでいた。そこに赤羽根達は座る。順一朗はプロデューサーの傍によりあることを聞いた。

 

「で、あいつはいまどこら辺なんだい?」

「さっき連絡したらもうすぐ着くそうです。小鳥ちゃんに会ってから俺は外であの人を待ってます」

「頼むよ」

 

 高木がカウンターに戻るとプロデューサーは店の関係者専用の扉の向こうへと入っていった

 そこからしばらく、彼女達はただ頼んだ飲み物を飲みながら話をしていた。

 

「で、ここに来て社長たちは自分達に何を見せたいんだ? 酒を飲むわけじゃないし」

「ミキもさっき聞いたけど。ハニーってば教えてくれないんだもん。ぶー」

「それには同意ですが、きっと誰かが歌うのでしょうね」

 

 店内にあるピアノの前にマイクスタンドが一つ置いてあった。照明もそこにいつくか当てられてることから、貴音の言う通り誰かが歌うのだろう。

 

「でも、誰なんだろうね」

「わたくしにも見当がつきません」

「自分もだぞ。あ、そう言えば小鳥が見当たらないけど―――」

 

 カランと扉が開く。入ってきたのはプロデューサーと黒井の二人だった。二人は響の前まで歩いてきた。プロデューサーはともかく、黒井が来たことに全員が驚いた。赤羽根も咄嗟に席を立ちあがったがそれを律子に止められた。

 特に響が自分の前に来るとは思っておらず、口を開けたまま硬直していた。

 

「響、改めて紹介する。961プロの黒井社長だ」

「な、なんで」

「我那覇響だな」

「そ、そうだぞ。自分が我那覇響だ」

 

 自分の呼ばれた響は、椅子から立ち上がり答えた。黒井の表情は冷たいと間近で見た響は感じた。それに恐怖もだ。先の一件で、黒井に対して恐怖心があった。

 一体何をするつもりなんだ……響は額に汗を垂らしながら黒井を見た。目を反らない自分を褒めてやりたいと思った。

 

「一度しか言わんからしっかりと聞け」

 

 ゴクリと息を呑む。

 

「……すまなかった。すべては私の責任だ」

「……へ」

 

 黒井の口から出たのは謝罪の言葉だったことに響は呆気をとられた。

 

「以後、765プロには一切妨害行為はしないとここで約束する」

「あ、えーと」

「で、私に対する返事はなんだ。早くしろ」

「そ、その……確かに自分やみんなにしたことは許させない。でも! 本当にもう何もしないなら……その言葉を信じる」

 

 わかった、黒井はそう言うとカウンターへと歩いて行った。響の耳は黒井が小さく呟いた言葉を聞き逃さなかった。「ありがとう」と。

 

「響。俺からあとで約束を破れなかったことに対する罰ってわけじゃないが、ちゃんと詫びは入れる」

「いいよ。約束を破ったことは関しては自分も少し怒ってる。でも……今度は破らない。そうでしょ?」

「――! ああ。今度はちゃんと約束するよ」

 

 響の頭を優しく撫でてプロデューサーもカウンターへと向かう。頭を撫でられた響は少し照れていた。だがそれを、あの二人が見逃すはずもなかった。

 

「響……」

「あとでお話するの」

「……」

 

 さっそく約束を守って欲しい。心からプロデューサーに願う響であった。

 

「待っていたよ。こうして直接会うのは久しぶりだな、黒井」

「順二郎。お前は相変わらずそのへらへらとした顔つきをしているな」

「もっと素直に言ったらどうなんだ」

「ふん。本当のことを言っているまでだ」

「まあまあ。折角の彼女の舞台だ。喧嘩はやめよう」

 

 黒井と順二朗の間に善澤が仲裁に入った。

 

「彼女……?」

「ほら。彼女だよ」

 

 善澤が向いた方に黒井も向く。そこには黒いパーティードレスと言えばいいだろうか。それを着て、胸にネックレスをしていた。化粧にも力が入っており、普段とは違った765プロダクションの事務員、音無小鳥がそこにいた。

 小鳥はピアニストに振り向いて頷いた。ピアニストの男性も頷き、ゆっくりと鍵盤に手を近づけ……静かに舞台の幕が上がった。

 登場した小鳥に見惚れていた赤羽根達。しかし、彼女の歌を聞くと静かに耳を傾けていた。確かに驚いた。驚いたが、それは後で聞こう。今は彼女の歌に誰もが見惚れていた。

 そんな彼らの後ろに一人の男性が静かに声をかけた。

 

「いい歌だろう。君たちもそうは思わないかい? 」

『会長――!!??』

 

 声は抑えたのは奇跡に近いだろう。なにせ、目の前の小鳥もそうだが、今声をかけてきたのは何を隠そう765プロの会長高木順一朗なのだ。

 

「久しぶりだね、君たち。それに、赤羽根君だったね。初めまして、高木順一朗だ」

「こ、こちらこそ、初めまして」

 

 アイドル達は全員彼のスカウトによって765プロに入っており、期間は少ないが面識はあった。だが、赤羽根は順二朗によってスカウトされてプロデューサーになった。この場にいる人間で唯一、彼を知らないのは赤羽根だけだった。

 

「小鳥君もね、昔は君たちと同じアイドルだったのさ」

「え、それって……」

 

 赤羽根の言葉に順一朗はクスリと笑った。

 

「ご想像にお任せするよ」

 

 赤羽根の肩を叩き、順一朗はカウンターに歩いて行った。順二朗と黒井の間に順一朗は座り、

 

「いやあ、久しぶりだな。こうして、全員揃うのは何年ぶりかな」

「順一朗。貴様……今までどこに」

「この間まではハワイかな。彼から連絡を貰ってね。帰国したばかりさ」

 

 彼と指されたのはプロデューサーのことだった。ロックグラスを片手に「どうも」と言っているようだ。

 

「いい機会だと思いましてね」

「ちなみに彼とはあの日からちょくちょく連絡を貰っていたんだよ。お前の近況報告と一緒に」

「何ィ! お前……」

「勘違いするな、黒井。彼は、彼なりに私達のことを思っての行動をしてたんだ」

「今だから告白しますけど。961を辞めた後に順一朗さんと順二朗さんのとこに少しいました」

「……もう怒鳴るきにもならなん。見習いの頃からそうだった。お前はこういういけ好かないことをする! お前のそういう所が一番嫌いだった!」

 

 ガンッ! とグラスを置き、「もう一杯だ!」と偉そうにマスターに命令する。そのマスターは「はい、畏まりした」と慣れたような口ぶりで応えた。それもそのはず。目の前でグラスを拭いていた男は彼らの仲間と言っても過言ではない。ようは古い付き合いというやつだ。

 

「私も無礼講だから言うが、黒井から仕事を受けていたんだよ」

「え! それは聞いてないよ、善澤君!」

「それは守秘義務もあるからね」

「ふん! お前の腕は知っている」

「素直に褒めてくれたっていいだろうに」

「そういう順一朗たちと同じことをいう所が嫌いなんだ!」

 

 やれやれと善澤は首を振った。これは死んでも治らないだろうなと善澤は確信した。

 カランとグラスに入った氷を鳴らし、順二朗が言った。

 

「私たちは互いに違うやり方でやってきた。アイドルの方針も、アイドルへの接し方も、仕事のやり方も。それでも私たちは同じ夢を……目標を持っていた」

「順二朗の言う通り。だからこそ、互いに切磋琢磨し、腕を磨いてきた。そうすべては――」

『彼女をトップアイドルにするために』

 

 三人の声が揃う。それを見て、プロデューサーと善澤は笑みを浮かべた。

 

「あとになって彼から聞いた」

 

 順一朗は一口、ウィスキーを飲み語りだした。

 

「あの時の判断を私は間違っていないと思っている。もちろん、お前もそうだろう」

「……その通りだ」

「誰かが悪いとか、良いとかそういう話じゃないんだろうな、きっと。ただ、はっきり言えるのは、一番辛い思いをしたのはいや、させてしまったのは彼女だ」

「……」

 

 黒井は歌う小鳥を見た。十年ぶりの再会でもあり、十年ぶりの彼女の歌を生で聞いた。当時はいやというほど聞いた。何回、何十回、何百回とレッスンの相手をしてきた。

 黒井の目にはあの頃の小鳥がみえた。今よりも幼く、若いころの彼女を。ステージの上で背一杯に歌い、踊る小鳥を。

 

「実は少し前からここで、たまに歌っていたんだ。今日は態々無理を言って貸し切ったよ」

「今では小鳥さんの歌を聴くために来てくださるお客さんも増えましたよ」

 

 マスターが嬉しそうに言った。口に出しては言えないが、小鳥のおかげで店の売り上げが少し上がったのは経営者としては嬉しい限りだった。

 

「人生の中で、一番の未練だ」

 

 黒井は無念そうに呟いた。

 

「それは言わない約束だろ」

「したか? そんな約束」

「勝手に変な設定を作るのは、順一朗は得意だからな」

「え、そうかい?」

 

 ふふとプロデューサーは笑いながら今のやり取りを懐かしんでいた。昔は毎日ようにこんな感じだったなと。

 昔の雰囲気に酔いしれていると、ピアノの音が止まり、拍手が静かに店内に響き渡る。小鳥は正面に一礼してからピアニストにも一礼してカウンターへとやってきた。プロデューサーと黒井に間に座り、小鳥は黒井に話しかけた。

 

「黒井さん、お久しぶりです。どうでしたか、わたしの歌は?」

「……レッスンを怠っていたな。少し粗が目立っていた」

「素直じゃないんですから」

 

 小鳥も彼らと同じ反応だった。最初の頃は勘違いをしていたものだが、今ではそれが彼の照れ隠しだということはわかっている。

 

「このドレスどうですか。プロデューサーさんがプレゼントしてくれたんですよ。それにメイクもしてくれて」

「ほう。やるね、キミィ」

「まあ、折角学んだモノを腐らせておくには勿体なかったので。綺麗でしょ、小鳥ちゃん」

「大人になって美人に磨きがかかったな。カメラを持ってくればよかったよ」

「ドレスも似合っているよ、小鳥君」

「お前は本当にどうでもいいことまで憶える癖をなんとかしろ」

「別にいいじゃないですか。損するわけじゃないですしね」

「そのおかげでこうしていられるんですから。メイクなんてわたしより上手くてショックですよ」

 

 普段でも軽いメイクをしている小鳥だったが、プロデューサーにメイクをしてもらうと女として負けた気がした。現役のプロから教わったのだから、それもしょうがないと言えばそうなのだが、やはり女としてのプライドがあったのだろう。

 

「用は済んだ。私はもう帰る」

「なんだ。このあと皆で食事でもどうかと思ったんだが」

「そうですよ。黒井さん、今日ぐらいは一緒に……あの頃みたいに六人で」

「……今日だけだ」

 

 小鳥のお願いに黒井は思いとどまった。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 プロデューサーはカウンターから立ち上がり、赤羽根のところに向かった。

 

「先輩?」

「赤羽根。ここで解散だ。こっちは俺達だけで食事にいくから、これで好きなところにいくといい」

 

 渡されたのはクレジットカードであった。プロデューサーの財布から取りだしたので、彼本人のものだろう。

 

「じゃ、頼んだぞ」

 

 別れる際に貴音と美希にまた明日なと伝えてプロデューサー達は先に店を出た。また家でなと言えるわけがないので、二人は“またあとでな”と言っているのと理解した。美希は、今日マンションの方に泊まる予定だったので内心喜んでいた。

 

 その後。六人は昔よく通っていた料理屋で食事をしていた。当時は仕事が終わったあとにはよくこうして全員で食事をとっていた。昔のようにまた皆でいられることが嬉しいのか、小鳥は終始笑顔だった。

 食事を終えると解散となった。プロデューサーと黒井の二人で。小鳥は残りの三人に分かれて帰路に着いていた。

 プロデューサーと黒井は肩を並べて歩いていた。共に身長は高く、怖い顔つきをしている二人をみた通行人は自然と道を開けていた。普段からサングラスをかけているプロデューサーもこの時間帯では外していたが、知らない者が見ればやはり怖いようだ。

 二人はただ無言で歩いていた。だが、プロデューサーはあることにふと気づいた。

 

(……昔は、この人の背中を追いつこうとするみたいに、後ろで歩いていたな)

 

 しかし、今は隣で肩を並べながら歩いていた。どこか不思議な気持ちになった。

 すると、黒井が閉じていた口を開いた。

 

「聞きたいことがある。答えろ」

「なんです?」

「あの日。私に言ったことは達成することができたんだろうな?」

 

 相変わらずの命令口調だったがプロデューサーと慣れたように答えた。

 

「そうですね。できたんじゃないですかね。」

「白々しいな。誰もがお前を認め、恐れている」

「あなたと一緒ですよ」

「ふん!」

 

 鼻であしらった黒井だったが、プロデューサーには彼が照れているように思えた。

 

「実はあの時。俺には二つの目標があったんですよ。一つは今答えたように、自分が一人でどれだけできるかです」

「二つ目はなんだ」

「……それはまだ達成できていません。諦めてはいませんが」

「そうか」

 

 黒井はそれ以上のことは聞かなかった。それから少し歩いているとタクシーが止まっていた。黒井は立ち止まり別れを告げた。

 

「私はタクシーで帰る。お前はどうする」

「このまま歩いて行きますよ。そこまで遠くないんで」

「それと、これは独り言だが。とあるドブネズミが色々と嗅ぎまわっているらしい」

「それは、困りましたね。罠を用意しておかないと」

「そうだな。用心に越したことない」

 

 そう言いながら黒井はドアを開けてタクシーに乗り込んだ。窓を開けて黒井は何かを言おうとして言葉をつまらせたが、少し間をおいて聞いた。

 

「一つ答えろ。お前の達成できていない目標は……四条貴音や彼女達では無理なのか?」

 

 聞くか聞かないが迷ったが黒井は聞いた。黒井はプロデューサーの二つ目の目標を勘であったが、絶対にそうだという確信があった。

 

「質問の意味が解りかねます」

 

 黒井の質問にプロデューサーは答えなかった。黒井はそうかと言ってそれ以上追及することはなかった。タクシーの運転手に目的地を指示して窓を閉めようとする黒井。ほんの10㎝のところで止めて黒井はプロデューサーに聞こえるか、聞こえないかぐらいの声で言った。

 

「時計が、似合う大人になったな」

 

 同時にタクシーは動き出した。

 プロデューサーは聞こえたのだろう。タクシーが走り出すと頭を下げていた。嬉しかったのだ。黒井から褒めてもらった事は滅多にない。だが、今日はようやく自分は認められたのだ。一人の大人として。それが嬉しくて堪らなかった。

 だが、すぐにその気持ちは消えてしまう。

 

 ――四条貴音や彼女達では無理なのか?

 

 黒井に言われた言葉を思い出す。プロデューサーは右手で自分の顔を覆う。まるで見られたくないように。

 

「気付かれるとは思ってなかったな……ほんと、食えない人だ」

 

 けれど、それで今更やめるという選択肢はない、そうだろう? と、プロデューサーは自分に言い聞かせる。

 プロデューサーは歩きはじめた。胸にかけていたサングラスをかける。プロデューサーのサングラスのレンズはグレーであり、昼間でも少し暗く見える。それを街灯や店からあふれ出る光で照らされている時間帯でサングラスをかければどうなるか。街の光だけがぽつぽつと見えるだけだ。

 街灯の光の列がまるで、自分が歩くべき道のようだと錯覚する。これがお前の歩く本来の道なのだ、そう訴えているように思えてくる。

 

(今の俺には、これがお似合いだ)

 

 そう思いながらプロデューサーは歩く。

 隣には誰もいないこの道を……ただ一人で。

 この道に光が差し込むことはまだ、ない。

 

 

 数日後。

 

「でね、その時ワニ子がさ――」

「おいおい、マジかよ。そいつは傑作だな」

『……』

 

 事務所が所有する車の中で、運転するプロデューサーと助手席に座る響は楽しく談笑していた。一方、後部座席に座る貴音と美希は無言で二人の会話を聞いていた。その目はとても濁った眼をしている。

 

「さすがにこれは拷問に近いの……」

「耐えるのです……と言いたい所ですが、さすがのわたくしも限界です」

 

 二人がなぜこんな絶望を味わっているのか。それは、プロデューサーが響にお詫びをすると言った約束を実行中だからである。お詫びというより、響のお願いを聞くという形になり、彼女はプロデューサーに買い物に付き合ってもらうことにしたのだ。ただ、時間がそうそう取れる筈もなく、プロデューサーの担当は貴音のため時間が合わない。なので、フェアリーの仕事が終わった後に行うということになった。しかし、フェアリーの仕事の後ということは、当然貴音と美希もセットでついてくる。そこで、響がお願いと一緒にある条件を提示した。

 

「一緒に居てもいいけど会話に入っては駄目。辛すぎるの」

「仕方がありません。同行する条件がそれしか許されなかったのですから。響、恐ろしい子」

「でねでね! 今度は―――!」

「ほう。それは凄いな――」

 

 二人の会話など聞こえないかのように、前にいるプロデューサーと響は楽しい会話を続けている。プロデューサーも後ろに人がいないかのような振る舞いで話している。

 

「それにしても……」

「楽しそうですね……」

 

 濁った目がだんだんとドス黒い色に代わっていく。死んだ目というよりも、そう。病んでいるような目だ。

 

『あはは!!』

『……』

 

 それから数時間に渡ってこの地獄が続くことになる。

 このあとの内容については……割愛する。

 

 

 

 




大変遅くなってしまって申し訳ありません。
理由はデレステのラブレターイベントの所為です! 俺は悪くねぇ!
冗談抜きで接戦でして。2000位から上へを目指していたPならわかると思うのですが、2000位のボーダーがかなり異常でした。土曜日から一日2万以上変動していたはず……。
文香を軽く超えてましたね!
さすがシンデレラガールズのセンターやで。
あ、自分はなんとか入りましたよ。イベント用に一万課金しましたがね!
みなさなんはどうでしたか?
で、次はもう凛なんですがまあ一枚どりでいいかと諦めてます。メドレー?だから大丈夫やろ。

さて、今回に関しては別で補足と言う名の言い訳をすぐに別で投稿しますが、私の自己満足みたいなものなんで。あまり、気にしなくても大丈夫です。


一応今回で主人公であるプロデューサーの設定がだいたい出たので、文字数が足りれば注意書きと一緒に投稿する予定です。

では、また次回で。


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13話補足

さて、13話の補足と設定の補完になります。これは、私自身の設定に関する再確認も含まれていますが読まなくて大丈夫です。

それでも付き合うぜ!という方はお付き合いください。

 

その1 

黒井と高木の関係、対立に関して。アニマスでは夢をおう高木と現実をみている黒井(主に金銭関係?)との対立が描かれていたと思います。それで金がなくなり事務所が赤字で潰れる。そのことを黒井が怨んでいるといった感じだったと思います。

本作品では日高舞の登場により、小鳥たちの関係に亀裂ができ、おかしくなってしまいます。

小鳥も最初はなんとか頑張っていたが次第に弱気になりアイドルをやめると言う。順一朗や順二朗は小鳥の意思を汲んだが、黒井は諦めておらず、アイドル活動を続けようと言う。そのことで口論になり黒井は彼らの下を去った。

という風な感じになっています。

本作品では赤字で事務所は潰れませんでしたが、稼ぐためのアイドルがいなくなってしまっために事務所を畳んだと言った感じでしょうか。

 

その2 

本作品では黒井がアイドル業界に進出しなかったのはあの時のこと(小鳥がアイドルをやめた)がトラウマになっていたのと、時代的に日高舞が去ったアイドル業界が氷河期に入ったため。

ジュピターをプロデュースし始めたのは、高木達が再びアイドル事務所を設立しアイドルをプロデュースしたのと、プロデューサーが二人の下にいたことが起因となっている。

本作では恨みというわけではなく、自分の考えが間違っていないことの証明とプロデューサーへの未練によるもの。

ただ、そこら辺の描写上手くできなかったのが自分の力不足です。

アニマスでも思ったのは、一人かどうかはわかりませんが、どのくらいの時間かは不明ですけど黒井は高木と違って業界に影響力を及ぼすぐらいに大きな事務所にしたことです。

本作では約5,6年で大手芸能事務所になっています。

やはり黒井は優秀な男だったことがわかりますね。性格に難あり、ですが。

 

その3

黒井がアイドルに向ける想いはアニマスとは違います。本作では、日高舞の登場で小鳥はアイドルをやめると言ったが、黒井は小鳥なら彼女と同じ場所に立つことができると信じていたから。小鳥だからできる。でなければ黒井も順一朗と同じことを言っていた。

順一朗はアイドルを思うあまり可能性を消してしまったが、黒井はアイドルを思いつつもまだ可能性があると信じていた。どっちが良いか悪いかではないですね。

黒井の性格?を変更したのはプロデューサーがいることでの心境や考えに変化がおきた、という設定です。

黒井は、ジュピターに関してもアニマスとは違って大分マイルドに接しています。ただ、ジュピターを出さなかったのは、処理ができないのと、キャラをあまり把握できていないからです。なので、期待していか方は申し訳ありません。

 

その4

黒井とあえて高木と言いますが、二人はそれなりにいいコンビだったと思います。凸凹コンビとは違うのかもしれませんがね。黒井の経営手腕は流石だし、高木に至ってはアイドルを見つけるスカウト能力?は黒井より上なのではないかと思っています。プロデュースに関しては、律子を高木がプロデュースしていたのであれば、アニマスの設定でいくと売れなくてプロデューサーに転換したことになると彼の能力が危ぶまれます。もしかしたら自分の勘違いかもしれませんが。それでも竜宮小町をデビューさせるに至るまでの根回し?をみるとそうではないのかもしれません。

 

と、ここまで補足と言い訳でした。

私自身、黒井というキャラターが名前を借りただけのオリジナルになってしまった感じがいがめません。そもそも、中の人も相まって余計表現しづらかったです。

また、12話と13話はある意味前編と後編みたいな感じになりました。話を統合したので時系列的にはかなり急展開ですけど……。

 

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

では、また次回で。

 



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第14話

気付いたら律子視点ばっかな感じになってしまった気がする



二〇一三年 レッスン教室

 

ほら、動きが遅れてるぞ、と厳しい顔つきだが、優しい声で目の前の男が言う。隣にいる伊織と亜美にも言っているのだろうが、恐らくそれは自分に向けて言ったのだろうと律子は気付いた。言われた通りに体を動かす。少し、重い。思うように動かない。

すると再び、形が崩れてるぞ、と自分の上司、というより先輩であるプロデューサーが、また指摘した。律子は、荒い声で「はいっ」と、答える。

今まで自分も踊りながら彼女達に指導をしてきた。それは、自分が元アイドルでもあり、直接同じ目線で指導できるからだ。律子は、それが他人には持っていない自分だけの武器だと自負していた。していたのだが。今それは、儚くも崩れ落ちそうであった。

765プロに所属するアイドル達のレッスンを指導する先生は、主にプロデューサーだった。教室の先生にも依頼はしているが、ダンスレッスンは特に彼が引き受けることが多かった。そのため、律子を含め赤羽根も彼からその指導を間近で見ていた。そのことは、二人にとってもよい勉強でもあり、参考すべき点でもある。赤羽根と違って律子は、元アイドルだけあって彼の指導が他より厳しいものだということは自覚していた。そう、していただけだった。

そして、現在。それを自分が身を持って体験していた。結果は、ごらんの有様である。律子は、視線を隣にいる伊織と亜美に移した。二人も息が上がっているように見えた。だが、自分よりは少し余裕があるようだと律子は思った。それもそうだと気付く。普段からプロデューサーの指導を受けているのだから当然だし、体力も付いている。その点自分は、かなりギリギリのラインだと律子は推測した。しかし、こんなことを考えていられる余裕があるのだから、たいしたものだと律子は自分を褒めた。

 

「とりあえず、いったん休憩だ」

 

プロデューサーは、パンパン、と手を叩きながら言った。疲れた声をあげながら律子達はその場に座る。律子は、二人と違ってかなり息が荒かった。それを伊織は心配して声をかけた。

 

「ぜー、ぜー」

「律子。あなた大丈夫?」

「だい、じょうぶよ……」

「りっちゃん。それ、全然説得力ないよ」

 

二人の言う通りだ、と言う事は律子もわかっている。わかっているのだが、頑に弱音を吐かないのは意地(プライド)だ。彼女達の先輩としても、アイドルとしもだ。

 

「律子」

「はぁはぁ……はい」

 

息を整えている律子の前に、プロデューサーが声をかけながら彼女と向き合うように膝をついて声をかけた。

 

「竜宮小町のプロデュースで身体が鈍ったか? うん?」

「……くっ」

 

筋肉式あいさつで律子を煽るプロデューサー。本人にその気はないが、律子はそう受け止めた。

 

「アイドル時代に比べて、かなり体力も落ちているだろ」

「その通りです……」

「動きは遅れているだけでしっかりとできている。さすが元アイドル。プロデューサーをしながらも、伊織達とレッスンを共にしてきただけはある。あとは、体力だ」

「全体の動きはどうですか?」

「合わせ始めたのは昨日からだが、この調子なら問題ないだろう。ま、結局の所、お前次第だ」

 

プロデューサーは、律子に指でさしながらニッコリと笑いながら言った。

 

「はい……頑張ります」

「その意気だ。それじゃ、少し休憩してからもう一回最初から始めるぞ」

「はい!」

 

律子は、邪魔にならない所に置いておいたペットボトルをとり、ゆっくりと口に水を入れる。ふぅ、と息を吐きながら律子は、本来自分がいるはずのアイドルであるあずさのこと思った。自分がプロデューサーではなく、再びアイドルとしてこんなことをしているのはすべて彼女が原因だ。

 

(未練がないと言えば嘘になる。でも、今じゃなくてもいいじゃない!)

 

律子は、心の中で泣き叫んだ。なぜ、あずさではなく律子がアイドルとして復帰して竜宮小町と一緒にライブのレッスンをしているのか。

律子は、その発端になった一昨日のことを思い出す。

その日は、数日後に迫る竜宮小町のライブのために律子自らレッスンを指導していた。間違っている所を、律子自ら直接指導にあたっており、全員気合が入っていた。ただ、どこか調子がでないあずさに律子も気付いた。しかし律子は、心配はしたものの、そこまで大事になるとは思っていなかったのだ。

翌日。ライブが行われる会場で打ち合わせと調整を行っていたのだが、あずさだけがこなかった。そんな時に本人から連絡が入ったのだ……おたふく風邪になったという連絡とともに。

律子達は、事務所に戻りそのことをプロデューサーに相談したのだ。

プロデューサーも赤羽根と顔を合わせて試案する。律子の前でこそこそと二人は話をしている。「やはり、これしかないだろ」とプロデューサー言い、「そうですね」と赤羽根が言った。二人の顔は、まるで悪いことを考えているような顔だったとムカつきながら思った。

 

「選手交代のお知らせです。竜宮小町、三浦あずさに代わりまして……」

「……え、え?」

 

ガシッと律子の両肩を掴んでプロデューサーは、野球の試合で流れるアナウンサーのような声で言った。

 

「秋月律子。お前に決めた」

「えーーッッ!! 無理無理! 絶対に無理ですよ! それに私、プロデューサーですし!」

「元アイドルでもあるじゃないですか。律子さん、いけますって」

 

話しを聞いていた小鳥も横から律子に言った。

 

「それを言うんだったら小鳥さんだってそうじゃないですか!」

 

ぷいっと横を向く小鳥。

 

「まあ、まあ。律子ならいけると俺は思うよ」

「赤羽根Pもそうやってプロデューサーの悪乗りに乗っからないでください!」

「そんなことないさ。俺も先輩と同じで律子ならできると思ったんだ。律子だって十分アイドルとしでまだやっていけるよ。可愛いいんだし」

「もう! からかわないでください!」

 

可愛いと言われて律子は照れながら叫んだ。

すると、仕事から帰ってきた美希がやってきた。「事務所の外まで声がきたけど、どうしたの?」と聞きながら中に入ってきた美希。律子は、救いの女神がやってきたような顔をしながら美希に助けを求めた。

 

「あ、美希! あなたからも言って頂戴!」

「なにを?」

「あずさ君がライブに出れなくなった。そこで、代打に律子が選ばれた。OK?」

「オッケーなの」

「夫婦漫才してないで、美希も説得して!」

 

夫婦漫才なんていやーんなの、と顔に手を当てながら照れながら言う美希。それに対してふざけないでと怒鳴る律子。そもそも、夫婦漫才ですらない。

 

「逆に律子さんに聞きたいの。なんで、嫌なの?」

「嫌ってわけじゃないわ。決めたのよ。中途半端はやめようって」

「それって、アイドルとプロデューサーを兼業するってこと?」

 

美希の問いに律子は、こくりと頷いた。

 

「竜宮は、私が初めてプロデュースしたアイドル。それを、アイドルをしながらやるなんてことしたくない。そう決めたの」

「でも、今はそれどころじゃないと思うよ」

「わかってるわよ……そうだ、美希。あなたが代わりに出ない?! あなたならダンスも歌もすぐに覚えられるし、それに前に……ごめん。都合良すぎよね」

 

前に美希が龍具小町に入りたい、そう言ったことを律子は思い出した。だが、律子自身がそれを否定したし、それが原因で問題も起きた。それに気づき、律子は自分の言った事を恥じた。それでも美希は、頭を横に振りながら言った。

 

「それはもういいの。別にね? ミキがやってもいいよ。それでも、律子さんがやったほうがいいなって、ミキは思うの」

「どうして?」

「だって、律子さんは竜宮小町のプロデューサーでしょ。答えは出てるの」

「俺もそう思うよ」

「赤羽根P……」

「それにな、律子。アイドルとプロデューサーを兼業しているアイドルユニットもいるんだ。魔王エンジェル。名前ぐらいは聞いたことあるだろう?」

「え、ええ。知っています」

 

魔王エンジェル。東豪寺麗華、三条ともみ、朝比奈りんの三人で構成されているアイドルユニットである。貴音がデビューする前から活動をしており、そのころから売れっ子アイドルであった。律子もアイドル時代にその名前を聞いたことがあった。当時、直接会ったことはないが。今では、仕事の関係上関わる機会が少なからずあった。アイドル関連の番組で仕事をしたとき、初めて生で彼女達を見たことを思い出す。

 

「リーダー的な存在である東豪寺麗華がプロデューサーをしていてな。最初はかなり危なっかしかったが、今ではちゃんとやれているようだ」

 

ほれ、と言いながらプロデューサーは一冊の雑誌を手に持って見せた。見開いているページが魔王エンジェルの特集のページだった。

律子は、やけに詳しいなと思って聞いた。

 

「すごく知っているような口ぶりなんですけど……まさか」

「ああ、知ってるぞ。HPにある麗華の3サイズのバストは少し盛ってる。ともみのやつは、よく頭のキレる女。りんのやつは、ちょっと腹黒い」

 

凄く関係者しか知らないようなことをペラペラと喋るプロデューサーに対して、その場にいる全員が顔をくもらせた。唯一、美希だけはギロリと鋭い目つきでプロデューサーを見ながらスマホの録音ボタンを押していた。

 

「先輩。もしかして……お知り合い、じゃないですよね?」

「顔見知り程度だよ。で、話を戻すがな。今は、それなりに仕事も慣れて落ち着いているだろ。この件が片付いたら、その事も考えてもいいんじゃないか?」

「それは、その……」

「それに、ファンの期待を裏切るのはどうかと思うぞ」

 

プロデューサーは、律子の上に置いてあったファンレターを渡した。律子のアイドル時代からのファンであるプチピーマンと言う人からだ。

律子は、ぎゅっと握った。律子の思いが揺らぐ。それを後押しするように赤羽根が言った。

 

「その間の竜宮小町の面倒は俺が対応するよ。律子は、レッスンに集中すればいいさ」

「こういう時こそ、仲間を頼るもんだ。で、律子。どうする?」

「私は……」

 

こうして私は決断し、ここにいるのだ、と自分の中で律子は語った。本人が言ったように、赤羽根Pが竜宮の仕事を引き受けてくれた。その空いている時間に、ライブで歌う曲とダンスを必死に練習していたのだ。プロデューサーも空いている時間に個人レッスンを見てくれたりもしてもらっている。それに、あずささんがライブに出れないことで、代わりにメッセージビデオを撮りにも行ってもらう予定だ。感謝しきれないし、頭があがらないとはこの事かと律子は思った。

 

「よし。休憩は終わりだ。続きを始めよう」

 

気付けばかなりの時間が経っていた。律子は、顔をパン、と軽く叩いて気合をいれた。

時間は待ってくれない。なら、できることをやろう。後悔するのは、全部が終わったあと。律子は立ち上がり、自分のポジションについた。「じゃあ、いくぞ」と、プロデューサーが合図をした。

律子は、再び目の前のことに集中した。気付いたころには、すでに身体はくたくたで、歩くのが精いっぱいだと気付く。結局、今日も昨日と同じでプロデューサーに自宅まで送ってももらったことになるのであった。ほんとうに、頭が上がらない。いや、足を向けて眠れないと律子は移動する車の中で薄れく意識の中で思った。

 

自宅に戻った律子がまず行ったのは、お風呂にお湯を入れ、洗濯物を洗濯機に放り投げることから始まった。「あ、夕飯どうしよう」と、声に出してその場に立ち止まる。

数秒後。考えることを放棄したのか。棚からカップ麺を取出し、やかんに水を入れてお湯を沸かす。普段だったら料理はちゃんとするのだ。本当だぞ、と言い訳するように律子はカップ麺を睨む。とりあえず、待っている間は暇だ。風呂場の浴槽を見る。半分溜まっていたので止めておく。台所に戻り、やかんをじっと見つめる。そろそろかなと思いながら火を止め、お湯を注ぐ。蓋をして、やかんの底をカップ麺に押し付ける。こうするとはがれにくくなるのだ。それを聞いて実践した時は「おおっ」と声をあげたものだ。

律子は、三分と待たずにふたを開けて少し遅い夕飯をとった。そのあとは、お風呂に入り、洗濯機を回し、やっと一息つくことができた。

それでも、仕事の確認をしておかなくてはいけない。プロデューサーから渡された、赤羽根Pからの報告書と仕事の書類等に目を通さなくてはいなかった。+

これといって急ぎの案件はなく、彼でも十分に対応できるものだった。ふぅ、と息を吐きながらとりあえずこれはいいかと判断し、資料を戻す。

律子は、一枚の写真を手に取った。そこには、アイドル時代の自分がいた。ミニライブで歌った時のことだと思う。とても楽しそうだなと律子は、自分のことなのに他人のような感覚だった。元々、プロデューサー志望だったが、社長の意向でアイドルをやる羽目になった。他の子達が来て、ようやく念願のプロデューサーになることができたのだ。いや、戻ることができたと言うべきか。それが、再びアイドルに戻るとは思ってもみなかった。おかしな話だ、と律子は苦笑した。

アイドルをやることについては、それほど嫌ではない。嫌というより不安だった。だってそうだろう。いきなり出てきた見知らぬアイドルが一緒に竜宮と歌うのだ。受入られるかどうか。それを律子は恐れていた。

 

(彼も……来るのかしら)

 

写真が入っていたファンレターを手に取る。プチピーマンと名乗るファンは元々律子のファンであった。律子がプロデューサーになり、彼女がプロデュースする竜宮小町を今は応援してくれている。古参のファンと言うべきか。彼のような存在は素直に嬉しかった。

それに、再びアイドルとしてステージに立つ私を待っているのだろうか。

色んな考えが交錯する中、決して揺らがないものがあった。

 

(それでも、ライブは絶対に成功させる)

 

事情がどうあれ、これは私達のライブだ。失敗なんてさせたくない。そもそも、ファーストライブの時もいいスタートではなかったことを思い出す。天候には恵まれず、今度は病気だ。律子は、頭を抱えた。

 

「私、呪われてるのかしら」

 

つい言葉に出してしまった。まあ、そんなことはあとで考えようと切り替える。ライブまで残りわずか。その間に歌もダンスもできなくてはならない。そう思って電気を消して、ベッドにもぐる。

眠りにつく、ほんの少し前にプロデューサーに言われたことを考えた。

プロデューサーをしながらアイドルを兼業する。できるだろうか。いや、待て。私は、アイドルをやりたい前提で考えている。未練だろうか。確かに、アイドルをやることは楽しかった。けど、今更……律子の意識はだんだんと落ちていた。そして、最後に。

プロデューサーにあとで相談しよう。うん、そうしよう。

そう思いながら律子は眠った。覚えているかはわからないが。

 

二〇一三年 竜宮小町ライブ当日。

 

時の流れは速く、すでにライブ当日。会場は満員御礼。現場にはプロデューサーと赤羽根も来ていた。

そして、衣装に着替えた律子もスタンバイしていた。ステージでは、伊織と真美がすでに立っており、ライブにこれないあずさからのビデオメッセージが流されていた。

律子はというと。

 

(帰りたい……)

 

今すぐにでもこの場から逃げだしたくて仕方がなかった。しかし、ここまで来たらもう逃げることはできない。そんな律子を心配してプロデューサーと赤羽根が声をかけた。

 

「律子、大丈夫か? アイドルがしちゃいけない顔になっているぞ」

「へ、平気ですよ。多分」

「律子が思っているよりは少しはいい結果になると思うぞ……まあ、あの三人がさらにプレッシャーを与えているが」

 

プロデューサーがステージを除くと、あずさが自分の代わりに特別な人が代わりに出てくれることを促し、それを伊織と亜美が律子のことを紹介し、彼女の名前を呼んだ。

「さあ、行って来い」、「頑張れよ、律子」と二人が声をかけて送り出した。

ぎこちない歩き方でステージの中央へと向かう。

律子の目にはかつて見ていた以上の光景が広がっていた。調整などでステージに立つ時は数多くあれど、ライブ中に立つことはなかった。アイドル時代もこんな大きな会場で歌うことはなかった。

それが、律子にさらなる緊張を与えた。それでも、律子は必死に声を出して自己紹介をした。そして、すぐに音楽がスタートした。それは、アイドル時代に歌っていた曲だ。ミニライブをしていた時の光景が蘇える。あの時も今と同じように緊張しながら歌った。大丈夫かな、歌詞間違っていないかな、お客さん聞いてくれるかな、そんなことを思いながら歌った。嬉しかったのは、前列にいた人たちが乗ってくれたことだ。それがあったから最後まで歌えたのだと律子は感謝していた。けれど、ここにはいない。いるわけないよね。

だって、ここは竜宮小町のライブだし、私が出るなんて知らない。律子はますます不安になる。

 

(……え?)

 

だが、律子の目に信じられない光景が写った。会場の奥。ステージに立っているから余計によく見える。そこだけ、緑色のサイリウムを振るファンたちが居た。765プロのアイドル達にあった色のサイリウムを振ることはよくある。伊織で言えばピンク色だし、亜美で言えば黄色。あずさなら紫。だから、緑色のサイリウムがあるのは不自然だった。

だが、律子にはわかった。そのサイリウムは、あの時から律子に振られていたものだった。そう、彼らは当時の律子のファンたちだ。

信じられない。真っ先に律子はそう思った。けど、嬉しかった。声に張りが戻り、ぎこちない動きが軽快に動く。今まで嘘みたいだと律子は実感していた。

それを、ステージの端から伊織達も見ていた。

 

「プチピーマンさんたち来てくれたんだね!」

「にひひ。色々やってみるものね!」

「しかし、よくこんなことを思いついたな。当時のファンに情報を流すなんてこと」

 

律子のファンたちが来たのは伊織と亜美の提案によるものだった。プチピーマンを始め、当時の律子のファンたちに彼女が出るという情報を流し、余ったチケットを流したのだ。

 

「律子のためだもの。これぐらいはね。プロデューサーもありがとうね」

「礼には及ばないさ。さ、お前達も行って来い」

「ええ!」

「任せてよ!」

 

二人は、再びステージに戻り律子の隣に立った。会場もだんだんと乗って来たのか、サイリウムの色が緑に染まる。

 

「結果オーライってやつだな。竜宮のファンも律子に夢中だ」

「ええ。なんだか、ドラマみたいですね。辞めたアイドルが再びステージに立つ、みたいな感じで」

「そうだな。まあ、でも。これは、律子にとってもいいきっかけになるだろうさ」

「アイドルやりますかね」

「そうなったらお前がプロデュースしてやればいいんじゃないか? 律子だって満更じゃないだろう」

「俺は、別にそれでもかまいませんよ」

「お、言うようになったな」

「先輩の指導のおかげですよ」

 

プロデューサーは、肘で赤羽根を突っついた。嬉しいことを言ってくれるじゃないの、とプロデューサーは嬉しそうである。

 

「でも、確かにあれだ。元アイドルが再びステージに立つっていうのは……喜ぶだろうな。それが―――」

 

伝説のトップアイドルなら。そう口に出したプロデューサーの言葉は、ファンの歓声に消され、赤羽根の耳に届くことはなかった。

 

「先輩。何か言いました?」

「いや。なんでも」

 

こうして、ライブは成功に終わった。

秋月律子がこのあともアイドルとして登場するかは、彼女次第だろう。

けど、それは遠い未来じゃないのかもしれない。

 

 

おまけ

 

二〇一三年 都内 某マンション プロデューサーの部屋

 

それは、律子が竜宮小町のライブに出ると決めた日の夜のことである。プロデューサーは、いつものように仕事を終えて自分が住むマンションへと帰ってきた。今日は珍しく一人での帰宅となった。いつもなら貴音か美希が同行する日が多いが、貴音はすでに帰宅している。美希も、今日は泊まると言って先にマンションへ向かった。

とりあえず、竜宮が歌う曲とダンスを確認して明日の予定でも立てるか、と考えながらプロデューサーは歩いていた。律子があずさの代わりに出るということになったので、プロデューサー自ら指導を引き受けたのだ。

ああするか、いや、これがいいかなと、考えている内に自分の部屋の前までたどり着いた。扉をあけると電気は付いており、靴もあることから二人がいることに気付いた。

「ただいま」と、前は言っていなかった言葉を、今では当然のように言いながら家に入る。

しかし、返事がない。いつもなら「お帰りなさいませ、あなた様」とか、「おかえりなの、ハニー!」と返ってくるはずだ。疑問を感じながらもプロデューサーはリビングへと向かう。

キッチンの前に置かれたダイニングテーブルとその椅子に座る貴音と美希を見て、「なんだ、いるじゃないか」と声をかけた。だが、二人は返事を返さない。よく見れば、二人の座り方もおかしい。椅子がテーブルの方に向けられているのではなく、今入ってきたプロデューサーの方に向けて座るようにしている。しかも、二人とも腕を組み、足を組んでおり、その目と顔は恐ろしい形相だった。それを見て、プロデューサーも気付いた。いや、気付くのが遅すぎた。

あ、これアレだわ、と。プロデューサーは咄嗟に、「あ、車に忘れ物してきちまった。取にいって――」と、棒読みな台詞で逃げようとしたが、「あなた様。正座」と、割って入られてしまった。「……はい」と、諦めた声でプロデューサーはその場に正座した。

 

「では、これから第三回緊急家族会議を開催いたしますがよろしいでしょうか」

「異議なーしなの」

「異議あり……ません。はい」

 

二人の眼力に負けてしまったプロデューサー。

そもそも家族でもないのに家族会議とはこれ如何に。プロデューサーは、それを訴えたかったが無駄だと諦めた。第三回とあるようにこれまで二回このようなことが行われた。

発端である第一回目。これは、あの日美希とデートしたことが貴音にばれたからだ。ばれた経緯は、普段私服を着ないプロデューサーが、美希が選んだ服を着て貴音と買物に行ったことがはじまりだ。貴音が、「あなた様。その服はどうしたのですか」と聞くと、「これか? これは、美希のやつに……やべ」と答えてしまったのが発端である。そのあと、美希を交えた第一回緊急家族会議が開かれたのである。この時は、美希もプロデューサーの隣に正座をさせられた。

次の第二回は、前回からすぐに訪れた。それは、事務所で他愛もない話をしていた時だ。突然、小鳥がプロデューサーにこう言ったのだ。「プロデューサーさんの好みの女性はどういった人なんですか?」と。その時、事務所にいたアイドルは三人。四条貴音、星井美希、我那覇響の三人。特に前の二人に激震が走った。プロデューサーは、それに気付かずつい話してしまったのだ。

「好みの女性? そうだな……年上が好みだったが、この年じゃそれはもう駄目だな。変わらないのは、髪が長くて、ポニーテールの女性」と。

その後、響が二人に問い詰められ、帰宅したのちに第二回家族会議が開かれたのである。

 

「で、これに出てくる魔王エンジェルって?」

「はいなの」

 

美希のスマホに録画した彼の台詞を再生する。プロデューサーは、顔を青くした。どうして、なんでことになっているんだと。ただ、昔話をちょこっとしただけなのに。プロデューサーは、心の中で二人に悪態をついた。

 

「魔王エンジェル……綺麗な子達ですね。特にこの麗華という子は、髪も長くて綺麗な色をしていますね」

「でも、ミキのが可愛いと思うな。胸だって負けてないと思うの」

「それは、わたくしもです」

 

男の前でなんてはしたない話をしているのか。プロデューサーは、口に出さず注意した

以前は、スマホを扱うのに手間取っていたのが、今では慣れた手つき操作をしている。変なところばかり成長しやがってと、心の中で愚痴を零した。

 

「あなたと彼女達の関係は?」

「そこが重要なの」

「昔の……知り合い」

「嘘ですね」

「嘘なの」

 

信じてもらえるとは思ってなかったが、あっさり否定された

 

「わかった、わかったよ。降参だ」

 

両手をあげながらプロデューサーは、ゆっくりと立ち上がった。

 

「魔王エンジェルと出会ったのは、765プロに来る少し前だ。期間は一年も経っていない」

「経緯は?」

「たまたま。そう、偶然だ。アイドルが、それも未成年の女の子がプロデュースをしているアイドルユニットがあると聞いてな。俺から接触した。というより、売り込んだ。で、しばらく彼女達の所で仕事をしていた」

 

これで満足か、と聞いても二人は未だに納得していいないようだ。ジッとプロデューサーを睨んでいる。

 

「いいか。お前らは、勘違いをしている。別にあいつらとは、ただのアイドルとプロデューサーでしかない。そう、至って健全。仕事の関係。そう、ビジネスパートナーだ。お前達が思っているような関係じゃない」

 

まるで、ドラマや映画で浮気がばれたことを言い訳する男のよう部屋を歩きながら、自分の潔白を証明する。

 

「あなた様」

「なんだ」

「ハニー」

「だからなんだ!」

『正座』

「……はい」

 

プロデューサーは、素直に従い再び正座した。畳の上ならともかく、フローリングの上だ脚が痛い。

 

「一応言っておくが。彼女達と別れて以来、今日に至るまで連絡をとっていないし、来てもいない」

「まるで、浮気をした男がしてないって言ってるような感じなの」

「そうですわよね。わたくしたちは、そんなことまで聞いておりませんのに」

「……いいか、そもそもだ! なんで、俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ! ただ、昔の仕事先の話を――」

 

言葉が途切れる。原因は、プロデューサーのスマホが鳴っているのだ。ポケットから手に取る。画面をちらりと覗くと「東豪寺麗華」、そうあった。すぐに着信を切り、ははっと笑うプロデューサー。どうして、こんなタイミングを見計らったように電話をかけてくるんだ。今まで電話がかかってきたことはない。なのに、なんで今日、この時なんだ。明日だっていいだろうが。顔は平静を保ちつつも、内心はかなり焦りが出てきたプロデューサー。

すると、すぐに再び着信が入る。再び切ろうとしたが、「出たらどうです」と、貴音が言ってきた。

 

「いや、いいんだ。別に大した相手じゃない……ほら、切れた」

 

二度目は勝手に相手の方から切れた。だが、三度目の着信が入った。

 

「出た方がいいんじゃないの? 急な案件かもよ 」

「美希の言う通りです。さ、私達は待っておりますので」

 

嘘だ。絶対に気付いている。確信を持ってプロデューサーはそれに気付いたが、一向に着信が鳴りやまない。出なければさらに不振がられるかもしれない。プロデューサーは、自分に選択肢がないことを悟り、通話ボタンを押した。

 

「……Hello」

『なにが、ハローよ! 私の電話には、すぐ出ろって言ったわよね?!』

「久しぶりに連絡を寄越したと思ったらこれだ! 今更偉そうに言うんじゃねぇよ!」

 

まるで、離婚寸前の夫婦のような会話だった。

 

『なによ! そっちだって連絡を寄越さなかったじゃない!』

「お前が俺に最後に言った言葉を忘れたか?! 忘れたなら教えてやる。二度と私の前に現れないで。連絡もしないでよね、だ! 思い出したか!」

『そ、それは……言葉の、綾よ』

 

それは、本当に言いたい言葉ではない、そう麗華は言いたいように思える。プロデューサーは、溜息をついた。懐かしい、そんな感覚をプロデューサーは味わっていた。その所為か、いつもの堅い顔がほころんだ。

 

「……わかってる。お前は、素直じゃないからな」

『余計なお世話よ……ただ、ちょっと相談に乗ってほしかっただけ。あの時の言葉は……悪かったわ』

「いいよ。でも、相談か。それ、今じゃないと駄目か?」

『今じゃないと駄目だから、こうして連絡してるのよ!』

「そうか、今か……今か」

 

プロデューサーは、同じ繰り返すが言うたびにその一言が重い。

 

『今、忙しいの?』

「ああ。とても、いそ―――」

 

今まで意図的に見ていなかった二人の顔をみた。そこには……鬼、悪魔がいた。

プロデューサーは、すぐに顔を逸らして、

 

「いや、全然。今すぐ会おう。そうだ、そうしよう。夕飯でも一緒にどうだ?」

『へ? い、いまなんて』

「そうだ。お前がよく行っていたあの店にしよう。今すぐ行こう!」

 

プロデューサーは、逃げ出した。しかし、彼女達からは逃げられない。

 

「あ――」

「はい、お終いなの」

 

道を塞いだ美希に、それはどちらでの意味だと聞こうとしたがやめた。答えは、わかりきっている。プロデューサーは、腹を括った。

 

「貸してください」

「いや、それは――」

「ッ!」

「……どうぞ」

 

貴音は、乱暴にプロデューサーからスマホを取り上げて自分の耳に当てた。

 

「もうこの人に、女は間に合っております!」

『あんた誰よ! ていうか、アンタ。結婚してたの!?』

「してない」

「そうなの! 横から入ってこないでほしいの!」

『ちょっ、二股!?』

「違う」

「では、そういうことで!」

『待っ――――――』

 

貴音は、プロデューサーのスマホをソファーに放り投げた。してやった、そんな顔を貴音はしていた。美希も似たような顔をしていた。

 

「では、あなた様」

「じっくり、お話をするの」

 

プロデューサーは、そんなことを気にせず、腹を抑えながら言った。

 

「夕飯を食べてからじゃ駄目か?」

「安心してなの」

 

ほっと、安心をしたプロデューサー。だが、

 

「そもそも、作っておりません。ですから、心ゆくまでお話しましょうね」

 

空腹は最高の調味料。なんて、言葉が脳裏を過った。

しかし、調味料の入れ過ぎはどうだろうか。プロデューサーは、目の前に二人に言ってやろうかと思ったが……納得してくれなそうだ。

こういう時、どうすればいいか知っているかと自分に問いかけた。答えは、すぐにかえってくる。

ああ、知っているとも。こういう時は、はい、はい。そうだねと、肯定していればいいのだ。それが、大人の逃げ方だ。

だが……それが二人に通用するかと問われれば、きっとこう答えるだろう。

無理だな、と。

 

 

 

 

 




すごく大雑把に律子回を書きました。というより、最後のおまけに力を入れ過ぎたかなと思っています。
でも、最近貴音というか恋愛要素というか、イチャイチャが足らないって思ってました。

で、魔王エンジェルは前々からどこかで出したいと思っていたので丁度いいタイミングでした。
麗華だけなのは許してくれ。
そのために、貴音と美希がとんでもない扱いになってしまった。ただ、麗華を含めてなんていうんですかね、好きな娘をヒロインにしたくなっちゃう病が出てしまった。悪い癖です。デレマス編に入ったらもっと酷くなります。
いずれ、魔王エンジェルとの話をかければと思っています。

次回は貴音回です。アニマスと一部の扱いが変わっている(黒井関係)ので少し変更点があるのでそこで時間がかかるかなと思っています。
その次は千早回だから余計に頭を悩ませてますがね!

ここからは本当の蛇足。
現在のデレステイベントは遅くやっているので凛ちゃん一枚もとれてないよ! おはガシャしたら時子様が出たので嬉しかったです。

あと、プラチナスターズの一番くじ知らなくて、最近日を置いて何回いってやったんですよ。そしたら、A賞とB賞当たった。あと、ラバの貴音もゲット。友人が響、美希のラバもゲットしてくれたのでよかった。ていうか、Tシャツなんてどうすればいいんだ……俺サイズが合わなくて着れないよ! 飾るの、これ?

ただ、思ったのが。フィギュアがないからだと思うけど、全然くじが減っていなかった。少し悲しい。シンデレラはすぐ終わるのにね。なお、フィギュアの出来がいいとは言っていない(なんで、あんな出来なんだ)。




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第15話

突然花粉症になってつらいです…


 

 

 多くのビルや建物が立ち並ぶ間は、向きによっては陽が指すことがない別の世界とも言える。そんな場所に、一人の男が身を潜めていた。この時間帯でも多くの人が行きかうが、誰もそれを気に留めない。

 男の名は渋澤。俗に言う悪徳記者と呼ばれる男だ。その名の通り、芸能人や企業関係の大物まであらゆるスキャンダルを狙っている。傍から見れば、褒められ仕事ではないことは、渋澤もわかっている。

 かつては真っ当な記者であったが、いつしかこんな身に堕ちていた。しかし、そのスキャンダルをテレビは特集を組み、民衆はそれを話題にあれこれ言うのだから、俺を批判する権利はない。渋澤はそれを信条にしていた。そもそもテレビ局や出版社は、それを口には出さないがスキャンダルを求めているものだ。

 今も、とある週刊誌のお偉いさんから依頼を受けてこうして尾行中だ。渋澤の視線の先には、道路を挟んだ向こう側の歩道を歩く男と女がいる。それがターゲットである。

 男は、サングラスをかけたスーツの男。女は、長い黒い髪をして眼鏡をかけている。それが変装だということはこれまでの調査でわかっている。女の正体は、765プロ所属のアイドル「銀色の王女 四条貴音」である。

 対して、男のことは四条貴音より知っている。以前にも二、三度会ったことがある。今では、プロデューサーと呼ばれている。あの961プロの黒井社長の後継者とも言われていた男だ。その黒井社長には、最近スクープやスキャンダルを持ちこんでも門前払いという話だ、俺もそうだったとつい最近のことを思い出す。あの黒井が白くなったと渋澤達の間では話題だった。

 だが、あいつは違う。渋澤は、プロデューサーを睨めつけた。あいつは、黒井に似てきている。いや、全盛期の黒井と同じだ。今の黒井よりも黒い、どす黒い。渋澤は、同業者から共有した情報をもとに、確信をもってそう言える自信があった。

 あの男が起こしたあの出来事は、今でも伝説と言えるだろう。だが、今はあいつではなく、隣を歩く四条貴音が重要だ。

 彼女が今回依頼されたターゲットだ。765プロのアイドルの中で、プロフィール以外が謎に包まれているアイドル。そんな彼女の謎を明かすのが今回の仕事だった。だが、難航しているのが現状だ。あまりにも進展がないので他のアイドルの調査もしていた。むしろ、そっちの方が進んでいるぐらいだ。

 こうも難航しているのは、隣にいる男の所為だ。悪行もそれなりに有名だが、それ以上に優秀な男だ。こうして、道路を挟んで距離を取っているのもそのためだ。すぐ後ろで尾行なんてしてみろ。見抜かれて、追い込まれたあとに捕まって酷い目に遭うのがオチだ。つまり、隙がない。それは、765プロのアイドル全員に言えることだった。あそこ程スキャンダルがない事務所も珍しい。普通だったら、どこぞのイケメン俳優と一晩過ごしたとか色々あるだろうが、あそこは良い子だけが集まる幼稚園らしい。それでは、困る。

 しかし、未だに進展がないのはとても困る。歩く二人を撮影しても意味はない。

 もっと、こうインパクトのある事が起きないか。渋澤は、そんなことを考えながら二人から目を離さず尾行する。

 すると、一人の年配の男が二人の前に現れた。

 

(真面目に働くもんだな!)

 

 普段の行いは褒められるものではないが、日々ちゃんと働いている自分を褒めた。

 今現れたのは、エルダーレコードのオーナーだ。形はなんであれ、これはいい写真が撮れそうだ。渋澤は、真面目な表情から一転し、嫌な笑みを浮かべた。カメラのシャッターをいつでも押せるようにしておく。

 これで、明日の一面はもらったな。

 渋澤は、絶対の自信を確信しながら二人との距離を詰めるため、行動を起こした。

 

 

 二〇一三年 十一月上旬 四条貴音の寝室

 

 この時期になると、陽が昇るのが遅いためまだ薄暗い。時刻は6時前。部屋の主である貴音は、すでに起床し着替えていた。寝室にある化粧台の前に座り、鏡に映る自分を見ながら変なところがないか確認をする。最後にベビーピンクの口紅をつけて、道具をしまう。

 鏡を見て、ニッコリと貴音は笑う。まさか、自分が化粧をするとは思ってもみなかったと貴音は思っていた。というより、無縁だとも。今まで自分がしていたのは精々髪をとかすぐらいだ。それが、アイドルになってこうして化粧をする姿を昔の自分はどう思うだろうか。

 事務所では、小鳥や律子が軽い化粧をしているのは知っていた。貴音は、二人とも綺麗なのに化粧などをする必要があるのか。そう思っていた。

 こうして化粧をするようになったのはあの人が原因だ。いや、自分が色んなことを挑戦するようになったが正しい。

 始まりは、「貴音。お前は化粧とかしてるのか?」と、言われた。わたくしは、「いえ。したことがありませんよ。どうしてです?」と、答えた。あの人は、目を丸くしてこう言ったのだ。それはそれで凄いなと。だが、それではいけないと言われ、あの人から化粧の仕方を教わった。その時に道具も買っていただいた。今思えば、この先(結婚したら)必要になると思うとやる気が出た。化粧の仕方を教わり、小鳥や律子とそう言った話をするとつくづく思う。あの人の方が腕がいいと、それが共通の意見だった。つまり、女として負けているのだ。ちょっと悔しい。

 

「あ、朝食の用意をしないと」

 

 時計を見て貴音はすぐに行動に移した

 

「これを忘れるところでした」

 

 大事にしまってあるムーンストーンのペンダントを首にかける。これがないと始まらない。

 前もって用意しておいたバッグを手に取り、自分の部屋を出て鍵をかける。そのまま、プロデューサーの部屋へと向かう。鍵を開けて入るとすでに明かりがついていた。いつもの光景だ。

 リビングに出ると、すでに着替えおり、上着だけは横にかけてある。プロデューサーはのんびりとコーヒーを飲んでいた。

 

「おはようございます、あなた様」

「ん。おはえよう、貴音。相変わらず準備がいいな」

「それを言ったらあなた様もです。たまには、寝坊してもよろしいのですよ」

「どうせ、寝室に入りたいだけだろ」

「はい」

「とうとう隠さなくなったか」

 

 ふふっ、と笑いながら貴音はエプロンを身につけてキッチンに立つ。

 こんな会話は美希がいるとできないので、自分だけの特権だった。

 

「朝食は簡単でいい」

「わかっておりますよ」

 

 冷蔵庫から卵とハムをだす。これを焼くだけの簡単な作業だ。

 

「今後の予定は話したか?」

「大雑把にですが」

「いつもの仕事はいいとして。今月は、一日署長に一周年ライブが控えている」

「もう一年。早いものです」

「そうだな」

 

 こうしてほぼ同棲のような形で過ごしているが、一緒に仕事ができなくなると思うとやはり辛い。貴音は顔に出すが、プロデューサーは平然としている。それでも、彼の内心も自分と気持ちだと、貴音は思いたかった。

 

「いただきます」

「はい。どうぞ」

 

 二人で食事をするようになって半年は経つだろうか。この人の食べ方の癖に気付くようになった。まず、野菜か漬物を食べる。特にたくあんの古漬けが好きだという。そのあと、おかずを食べてご飯を食べる。今日は食べていないが、あれば納豆を最初に食べる。

 それと、

 

「おかわり」

「はい。大盛りで?」

「もちろん」

 

 この人は毎朝ご飯を山盛り二杯食べる。決まって二杯だ。それを聞くと、「本当は、コンフレークがいいんだが、俺は和食派なんでね」と、言った。どうせまた漫画の受け売りだと、貴音は思っていたがその通りだった。彼が持っている漫画にそんな台詞があった。意外と面白かったのは、彼には秘密だ。

 やはり、この時間を独占できるのは自分だけの特権だ。美希には悪いが。

 そのあと朝食を食べ終わり、食器を洗う。家を出る時間までゆっくりと時間を潰す。

 時間になるとそろそろ行くかとプロデューサーがソファーから立ち上がる。

 貴音は、かけてあったプロデューサーの上着をとり、彼はそのまま上着を着る。

 

「ありがとう」

「いえ」

 

 まるでドラマの夫婦みたい。で、このあと行ってらっしゃいのキスを……と、妄想に浸っていたが、プロデューサーに呼ばれて現実に戻る貴音。

 

「どうした? 今日は、そのままテレビ局に直行だ。込む前に行こう」

「なんでもりません。では、行きましょうか。あなた様」

 

 出て行く前に部屋を見渡す。よし、大丈夫。貴音は、自分の合鍵で扉を閉めてエレベータの前で待つプロデューサーの下へと向かう。

 今日もよい一日でありますように。

 そんなことを思いながら貴音はプロデューサーと一緒にエレベータへと乗り込んだ。

 

 

 二〇一三年 十一月某日765事務所

 

 午前八時過ぎ。プロデューサーと貴音は事務所のある二階へと向かう階段を上っていた。

 

「そういえば、今日近くの神社で縁日が開かれているそうですよ」

「行きたいと、素直に言ったらどうだ?」

「はい。行きたいです」

「どうせ、皆でいくんだろう? 付き添ってやる」

「ありがとうございます」

 

 甘いな、俺も。担当するアイドルに対していつも甘やかしてしまう自分が情けない。プロデューサーは、そんな自分が嫌になると思いつつ事務所の扉を開いた。

 すると、奥からプロデューサーの名前を叫びながら走る少女が一人……美希だ。

 

「ハニーーーー!!」

 

 奥から走ってきた美希は、プロデューサーの目の前で止まると、彼の顔に雑誌を押し付けた。

 

「これどういうことなの?!」

「見えないだろ!」

「あ、ごめんなの」

 

 美希は、プロデューサーの顔から雑誌を離して渡した。雑誌を受けると目に入ったのは、「銀色の王女 四条貴音 エルダーレコードに移籍か?!」、「オーナーとの食事をしながら密会の現場!」等々書かれていた。白黒だが写真も載っていた。変装を解いた貴音がオーナーと店から出てきたところの写真だ。二人の前に、スーツを着た男の後ろ姿も載っている。

 

「ほぉ。よく撮れているじゃないか」

 

 プロデューサーの感想は意外なものだった。

 

「あなた様?」

「ほれ」

「どうも」

 

 プロデューサーに手渡されて貴音もその記事を見る。まあ、これはと少し驚いているような声を出した。と言っても、全然慌てているようには見えない。

 貴音が雑誌を見終えて顔を前に向けると同時に、響がサーターアンダギー、雪歩がお茶を持って泣きそうな声で言った。

 

「貴音ぇ」

「行っちゃ嫌ですぅ」

「……ああ。そういうことですか」

 

 二人の異変に気付いた貴音。少し何かを考えて閃いたのか、サーターアンダギーを一つ取って口に入れた。

 

「ふぉうですね(そうですね)……もぐもぐ。冷蔵庫にあるケーキも欲しいです」

「わかったぞ!」

「今すぐ持ってきます!」

 

 貴音は。右手にサーターアンダギー、左手にお茶を載せたお盆を両手に持って二人を見送った。

 

「行儀が悪いぞ」

「すみません。でも、二人が可愛くて。つい」

「それより! ハニー、これどういうこと!」

 

 気付けばのけ者にされた美希が再びプロデューサーに怒鳴り始めた。

 

「二人は分かるが、なんでお前はまだ怒ってるんだ?」

「惚けないでほしいの! これ、ハニーでしょ!」

 

 美希は、写真に写る後ろ姿の男性を指して言った。

 

「よく分かったな、お前」

「ハニーのことを見間違えるわけないの。で、二人して食事したんでしょ! ずるいの、ずるいの!」

「落ち着けって」

「そうですよ、美希。それは、たまたまです」

「二人して食事なんてズルいの! 卑怯なの! というわけで、今度はミキと二人きりで食事にいくの。いいでしょ、ハニ~」

 

 隣に立っていた貴音をどかしながら甘えた声で、プロデューサーの左腕に抱き着く美希。

 それを見て貴音は声をあげた。

 

「美希! 離れなさい!」

「その手じゃ無理なの~」

「は!」

 

 右見て、左を見る。両手は完全に塞がっている。ぐぬぬと貴音は威嚇する犬のように声をあげて美希を睨む。

 すると、奥から赤羽根がやってきた呆れた声で言った。

 

「……先輩。とりあえず説明をしてください」

 

 赤羽根の後ろにいる響と雪歩もいた。その手にケーキを持ちながら。

 

「わかった。ことの始まりは――」

 

 それは先日の話だ。仕事が終わって時間に空きができたので、二人は街を歩いていた。変装した貴音を隣に、プロデューサーと歩いている二人を知っている人間が見れば、熟年夫婦のようだと言うだろう。

 そんな二人の前に今回の話題の男性である、エルダーレコードのオーナーが向こうからやってきたのだ。彼とプロデューサーは面識があり、久しぶりの再会に花を咲かせた

 相手が食事でもどうだいと提案をされたのでそれを了承したのだ。

 

「で、帰り際に撮影されたというわけだ。その日はやけに視線を感じたからなあ。ま、うちは誰もスキャンダルなんてないから丁度いい刺激になるだろうな」

 

 プロデューサーは、テレビのリモコンをとって電源を入れた。チャンネルを何回か変えると、丁度今の話題が取り上げられていた。

 映像の中心にはポップがあり、貴音とオーナーの写真がある、矢印で二人の立場や関係などが書かれている。

 

『しかし、このタイミングで四条さんがエルダーレコードに移籍するのはおかしいですね』

『おかしいですよ。そもそもありえないでしょう』

『どうしてそう思うんです?』

 

 番組の美人アナウンサーがいかにもといった男性に聞いた。

 

『あれ、キミ知らないのか? まあ、知っている人間にとっては誰もが『ありえない』と言うよ』

 

 プロデューサーはそれ聞くとテレビの電源を切った。

 

「とまあ、こんな感じだ。各テレビ局やオーナーにも事前に話はしてある。上手くやってくれるさ」

 

 情報は逐一自分の所にやってくる。こういう所で今まで築いた交友関係やコネが役立つ。赤羽根もそこの所を頑張ってもらいたいがとプロデューサーは思ったが、そう簡単に築けるものではないかと諦める。そこは、時間をかけて自分でやっていくことを期待した。

 

「相変わらず人が心配している間に話が終わってるんですから」

「それが仕事だからな。それに、今日貴音が出演する番組でも取り上げるだろうから、そこで誤魔化すさ」

「それもそうですけど、最近パパラッチというか……」

「視線を感じる、だろ?」

「はい。真を始めとした数人からそう言った話を聞いています」

「わたくしは頻繁に感じておりますよ」

 

 困ったように貴音は言った。プロデューサーは、貴音がパパラッチの存在に気付いているとは思わなかったので素直に驚いた声をあげた。

 

「なんだお前。気付いていたのか」

「ええ。こう、背後から嫌な気配を感じておりました。あなた様といるときはそこまで感じなかったのですが……」

「俺が目を光らせたからな。この時だって俺達のことをつけていたぞ」

「先輩。気付いていたなら対処ができたんじゃ。むしろ、人の気配とかわかるんですか」

「わかるぞ。ちょっと電話するフリして向こう側の建物と建物間を見てみろ。多分、まだいると思うぞ」

 

 赤羽根は、疑いながらもプロデューサーの言う通りにやってみる。喋るフリもしながら窓の外を見る。建物と建物間……あれか? 窓から見て、正面ではなく少し右側。確かにいる。

 あれですかと聞くと、

 

「多分な。気付かれないように直接顔は見てないから誰だかわからん。見ればわかるんだかがなー」

「何度も言いますけど。言いんですか? 放っておいて」

「有名になればパパラッチは自然と付いてくる。諦めるしかない……と、言いたいところだが今回はしつこいな」

 

 最近出た週刊誌のとあるページを開く。「銀色の王女 四条貴音の謎に迫る!」なんてタイトルだ。確かに一般には、HPのプロフィールの情報ぐらいしか認知されていない。ファンの間では、勝手な憶測や捏造された設定が日々生まれている。プロデューサーは、貴音に無理だとわかっていながらも聞いた。

 

「貴音。適当になんか言って、ファンにネタを提供してみろ」

「女には秘密の一つ二つあるものです」

「じゃあ代わりにミキが秘密教えてあげるの!」

 

 美希が二人の会話に割って入ってきた。プロデューサーもそれに食いついた。

 

「実はね。貴音のし、ンンーーー!!」

「美希! それ以上は許しません!」

 

 背後から美希の口を手で塞いだ貴音。美希は、必死に抵抗するが貴音も言わせまいとそれに抗う。

 プロデューサーはどうもよくなったのか、二人を無視して仕事を始めた。赤羽根達もいつものことだと見て見ぬふりをした。

 

(しかし、赤羽根の言う事も尤もだ)

 

 先程、赤羽根に言われたことに肯定した。

 顎に手をやり考え込みながら雑誌を見渡す。赤羽根の言う通り、ここ最近アイドル達全員にあのパパラッチかはわからないが標的にされていることに疑問を抱いた。ただ、標的は今の所貴音だけだ。十月下旬から今日に至るまで密着されている。なぜ貴音なのか? 確かに彼女は、765プロのトップアイドルだ。標的になるのもわかる。自分がいる時点で普通は手を引くと思っていたのだが。

 プロデューサーはうーんと唸った。

 別の見方から見てみる。アイドルではなく自分なのではとプロデューサーは考えた。自慢ではないが、アイドル以上にネタの宝庫だと思っている。現在に至るまで見えないところで色々やっている。怨みもかっているだろうからその可能性はありえなくはない。

 考えられるとしたら、事務所そのものが標的か、四条貴音か、自分のどれかだ。ただ、この様子だと事務所ではないとプロデューサーは判断する。もしかしたら、貴音を使って自分を陥れたいか、直接自分に怨みを晴らそうとしているか。恐らく、同時進行で今行っているのかもしれない。

 つまるところ相手の最大の標的は自分だと言う事に落ち着いた。その副産物で、玩具のおまけのガムのような感じでアイドルの醜態を晒してやろうと言う事だろう。

 だが……とプロデューサーは以前黒井に言われた言葉を思い出した。

 ドブネズミが嗅ぎまわっている。そう言っていた。恐らく、あのパパラッチであろう。こいつは有能な男だ。

 なにせ、765プロ一番の大スクープを撮るなら自分と貴音だろう。それと、美希を含めた三人。住んでいるマンションは同じで、部屋は隣同士。しかもほぼ同棲している。バレずに済んでいるのはマンションのセキュリティと管理人の本部のおかげ。そう思うと、あのマンションを選んでつくづくよかったとプロデューサーは紹介してきた知人に感謝した。

 しかし、嗅ぎまわっていると言ってもなとプロデューサーはスマホをとり出して、連絡先の一覧を見る。黒井に警告されてからプロデューサーも網を張っていた。だが、特にこれといって連絡は来ていない。週刊誌の記事を持ちこんだ人間の事を知人に問い合わせたが匿名でわからないと言う。「それはないだろう」と、少し怒り気味で言ったがそれでもわからないと言われた。

 もしかしたら、上の人間が買収されているのかもと言ってきた。つまり、自分の息がかかっている人間を避けていることにプロデューサーは気付いた。すでに、裏取引は済んでおり、情報規制もしている。手の込んだことだ。

 やれやれ。人気者は辛いなと内心思ったが楽観視はしていられない。幸い、相手は貴音に夢中だ。注意をこちらに引きつけておくか。

 プロデューサーは、必要な書類をバッグに入れて一度スケージュールを確認、営業車の鍵を手に取り立ち上がった。

 

「貴音、少し早いが出るぞ」

「些か、早すぎると思うのですが」

「ドライブだよ、ドライブ」

「それでしたらすぐ参りましょう」

「あ。ミキも行くの!」

 

 それを聞いて美希も内心二人きりにはさせないのと意気込んだが、

 

「美希はここでお留守番です」

 

 一緒に行こうする美希を止めて、プロデューサーが座っている椅子に座らせた。

 

「もう! 貸し二つだからね!」

 

 はて、一つでは? 

 貴音は惚けながら先に向かったプロデューサーの後を追った。

 

 

 同日 十一時頃 都内 某出版社のビル

 

 ここ最近、数多くの芸能人のスクープやスキャンダルを発行している週刊誌の本社ビル。その週刊誌を担当している部署のある階の会議室。そこには、一人の男が携帯を片手にどなり怒鳴り散らしてる。

 

「渋澤、これはどういうことだ!」

『旦那、話がみえませんよ。なんで、俺はあなたに怒られなきゃいけないんです?』

 

 旦那と呼ばれた男はだいたい60代だろうか。頭部にあるはずの髪の毛はすでにない。禿である。体型も少しお腹が出ており、身長も高くない。映画などで出てくるような三下の男と言われるとしっくりくるだろう。

 

『俺はそれなりのスクープを撮ったつもりですよ。ただそれが、あなたを満足させたかは別問題ですがね。それでも、どのテレビ局もその話題を持ち上げている。旦那の要望には応えているつもりですが?』

「ああそうだな! だが」

 

 男は会議室にある一台のテレビを見た。そこには、生放送の番組で四条貴音が今まさにその話題を司会振られているところだった。

 

『貴音ちゃん。今日の話題は君のことで一杯だね』

『世間の皆様方の視線を釘づけですね』

『あら。意外と余裕なのね』

『写真は本当ですし。ただ、食事をしただけです。美味しゅうございました』

『あ、これは本当ですわ』

 

 司会者を始め、貴音と共演しているレギュラー陣はそれが本当の事だと気付いていた。実際のところ、彼女のプロデューサーが彼であるのだからとそれで納得していた。

 

『ま、こういう写真でしかネタを提供できなくて申し訳ありません。これでもわたくし、秘密の多い女で通っているもので』

『おお。煽る煽る。これ、いいのかなー』

 

 男はテレビの電源を切り、乱暴にリモコンを叩きつけた。

 

「これでは意味がない! もっと効果のある写真を撮れ!」

『そうは言われましてもね。こっちも必死なんですよ。ただでさえ、四条貴音の個人情報はまったくと言っていいほど手に入らない。普段はあの男が常に目を光らせているせいでこっちも駄目。旦那だってそれをわかって俺に依頼しているんだろ?』

 

 言葉に詰まった。渋澤の言う通りだ。隙を見せればこっちらがやられてしまう。そのために金をかけてあちこちに手を回した。あの男に反感を持っている人間と共謀して今回の件を起こしている。

 四条貴音に拘るのは、その謎に包まれた正体とアイツの一番のお気に入りだからだ。その所為でこれほどまでに手こずっているわけでだが……。

 それに、あの男がいるおかげでこちらの商売は邪魔されている。一番頭を悩ませているのは、アイツが手掛けたアイドルやアーティストは売れていることだ。こちらとしてはそいつらのスクープやスキャンダルを記事にしたいが、あの男や息のかかった人間に邪魔されているのだ。自分が手掛けた人間を我が子のように護っている。そのおかげでこちらは商売上がったりだ。

 

「それはわかっている! だが、こちらとしては最大の切り札は使えん。そのためにお前に依頼したんだぞ!」

『アレはそちらの身も危うい諸刃の剣ですからね』

 

 渋澤は、男の言う切り札を知っていた。それだけ効果のある代物だが、如何せん彼の身やそれに関わった人間も危険な立場に陥れてしまう。そもそも、アレはもう触れてはいけない代物だ。渋澤はそれを知る当時の人間なので、その危険性を知っていたと同時に、あの男がどれだけ危険かを示していた。

 

『こちらとしても前金は頂いているのでそれなりの成果は出さないといけませんな』

「なんだ。なにか掴んだのか?」

『ええ。あまりにも四条貴音の情報が集まらないんで他のアイドルについて情報を集めていたら偶然面白いのが手に入りまして』

「なんだそれは」

『もう少しで片付くので、そしたらお渡ししますよ』

「わかった。期待をしている。いい情報なら追加報酬をだそう」

『お願いしますよ。では、失礼しますよ』

 

 電話を切り、男はニッコリと笑う。

 見てろよ。必ずお前を失墜させてやる。お前が居なくなれば仕事はやりやすくなる。私も、他の人間もだ。つまり私は、皆を代表して行っているのだと男は自分がまるで救世主なのだと言いたそうだった。

 

「さて。仕事に戻るか」

 

 男は渋澤の新しい特ダネに胸を膨らませながら仕事場へと戻った。

 

 

 同日 夕方 都内某所

 

 貴音は、午後の仕事を一緒に行った春香、千早、真美、響、それに呼んでもいないのに気付いたら付いてきた美希とプロデューサーと共に縁日がやっている神社へとやってきていた。

 今回の騒動である移籍の話はひとまず一件落着していたが、貴音の秘密が知りたくて何度も話を誤魔化すのに彼女は疲れていた。そこで、美味しいものを食べてリフレッシュしようと楽しみにこの時を待っていた。むしろ、この時のために今日一日頑張っていたと言っても過言ではなかった。

 ただ、貴音の目下の悩みは、誘ってもいないのに付いてきた美希であった。全員トップアイドルして売れてきている昨今。人目につかないようにそれなりの変装しているわけだが、美希はプロデューサーの腕に抱き着いて歩いている。傍から見れば援助交際と思われて仕方がないだろう。しかし、貴音も負けずにと空いているもう片方の腕に抱き着いていた。

 この人はわたくしの物ですと言わんばかりにアピールしていた。

 そんなプロデューサーに真美が冷やかしをしていた。

 

「プロデューサー、モテモテですな」

「お前も来るか。前が空いているぞ」

「では。お言葉に甘えて……とぉ!」

 

 本当に飛びつきやがった……。

 プロデューサーは、それに動じることなく真美をぶらさげたまま歩く。彼は平然としているが春香が真美を注意した。

 

「真美、降りないと人目につくよ! ただでさえ目立っているのに……」

 

 春香の視線は安定せず、周囲を見渡している。一番後ろを歩いている千早も呆れていた。

 

「はあ」

「ひびきんもかもん! これで最強のプロデューサーの完成だよー」

「じ、自分はそんなはしたないことしないぞ」

「おやおや。本当は飛びつきたい顔をしていますな~」

「ち、違うぞ! そんな顔をなんてしてない!」

 

 照れながら反論する響を真美は面白がってからかっている。プロデューサーもさすがに疲れたのか、

 

「サービス終了のお時間です。とっと離れやがれ、この野郎」

「ぶぅ~」

「物騒なシステム案内なの」

「女性の扱いがなっていませんね」

「好き放題言うお客様だとこと」

 

 呆れた声を出しながらプロデューサーは言った。先程春香が言った様にだんだんと人が増えていく。このまま歩いて行ったら注目の的になっていただろう。その前の時点でも注目の的だったが。

 神社の近くまで来ると、それなりの人が行きかっていた。時間的にも子連れの親子やカップル、友人たちが多く見える。

 プロデューサーが無礼講だからというと真美を筆頭に、彼は歩く財布と化していた。

 辺りを見わすと金魚すくい、綿あめ、りんご飴……よく見る屋台がずらりと並んでいる。今は丁度射的の所にいた。真美が前のめりになりながらコルク銃を構えて景品に狙いを定める。舌なめずりをしながら……ここだ! 引き金を引く。発射されたコルクはそのまま景品の隣を素通りした。

 

「ああん! 外れちゃったよ~」

「狙いが甘いんじゃない?」

 

 と春香が言った。

 

「そんなに難しいの?」

「真美の狙いが甘いだけぞ」

「そんなことないよ! ね、プロデューサー真美の仇をとってよ!」

 

 死んでいないのに仇とはどうだろうかと思いながらも、貸してみろとプロデューサーは真美から銃を受ける。

 

「よし。では、一から説明してあげよう。コルクを銃口に装填。次にボルトを引く。カチッと音が鳴るまでだ。これでロックされた。構え方は肩の前面にあてて、頬はストックに押し付けるように。左手はここ。で、狙いを定める」

 

 真美と違ってプロデューサーの構え方はまるで素人の構え方には見えない。立ち姿勢の状態で構えている彼の姿は、そう、様になっている。

 そして、引き金に手をかけ……引いた。パンと呆気をとられるような音がなるとぽこんとコルクは景品に当たり、落ちた。

 プロデューサーはそれに目もくれずに次のコルクを装填、発射、再び景品が倒れる。真美たちは歓喜の声をあげた。

 

「すごいよプロデューサー!」

「ほれ。やってみろ」

「え、でも」

「いいから。まずは――」

 

 再び真美にコルク銃を渡し、自分が説明したことを真美に教える。真美の後ろから優しく教える姿を見て、約二名が羨ましそうに見ている。

 プロデューサーから言われたように真美は景品に狙いを定めて引き金を引くと、景品は後ろから落ちた。

 

「できた!」

「お見事! 名スナイパーの誕生だな」

「えっへん。褒めてよいぞ」

「調子に乗るなよ。さ、ここはもういいだろう。さ、次に行こう」

 

 射的をあとにして七人は屋台を軽く一周回った後わかれて見て回ることにした。

 プロデューサーはそこら辺で待っていようかと思っていたが、貴音に連れ回され一緒に歩いていた。ふと、お面を売っている屋台があった。ヒーローものや戦隊ものに女の子向けのお面もある中に、やけにしっかりとしたお面が目に入った。動物とか鬼とか……髑髏とか。

 その中で気に入ったのがあったのか、貴音はそれを指しながら言った。

 

「あなた様。あれが欲しいです」

「アレって……狐のお面か。ふむ。これ、一つ」

「あいよ」

 

 お金を渡し、お面を受け取る。貴音は、お面を自分の顔に被せた。その姿は彼女の髪の色も相まって似合っている。だが、謎が多い彼女には狐のお面は似合いすぎて不気味だ。

 

「こんこん。どうですか」

「似合いすぎてて怖い。化かされそうだ」

「こーん。酷いお方ですわ」

 

 その声はお面も相まってこちらを誘惑するような響きだ。

 

「少し離れる。俺も自由行動がしたいんでね」

「わかりました」

 

 そう言ってプロデューサーは貴音と別れた。

 さて、どうしましょうかと貴音はあたりを見回した。すると、通りから外れた場所に一人で千早が立っていたことに気付き、彼女の所に向かう。

 正直に言うと貴音は、千早が来るとは思っていなかった。本人には失礼だが、断ると思って駄目元で聞いたら行くと言ったのだ。しかし、今はこうして一人でいる。表情から察するにどこか辛そうだ。身体とかそう言うのではなくて……精神的に。

 千早の視線がある所に向いているのに気付いた。幼い姉弟だろうか。弟が水風船をぽんぽんと上下させていた。すると勢いが着きすぎてしまったのか、手から離れて地面に落ちてわれてしまった。弟が、「ああ! 割れちゃった」と、「もう。また買ってあげるから。いくよ」と、弟の手を引っ張ってどこかへ行ってしまった。

 貴音は声をかけるか迷ったが、結局声をかけた。

 

「千早。あの姉弟がどうか……?」

「四条さん……いえ、なんでもありません」

 

 そうは見えないと言いたいが、言える雰囲気ではなかった。こんな時、どんな言葉をかければいいのか貴音は少し考えた。それは意外にも千早から話かけてきた。

 

「今は、みんないつものように振る舞っていますけど、やっぱり気になっています」

 

 午前中に問題は解決したと思っていたがそうではないらしい。彼女の言う通り、午後の仕事でもそわそわしている感じだった。

 やはり気になっているのは自分の秘密だろうか。秘密と言っても、色々あるのではないか。例えば、わたしには執事の爺やがいるとか、メイド長の婆やも子供の頃から世話をしてもらっていたとか言えばいいのか。周りの人間より、自分自身のことが知りたいのだろうか。

 

「秘密と言っても色々あります」

 

 貴音は肩をすくめた。

 今回の件でみんな敏感になっているのだと貴音は思っていた。普段だったらそんなことを気にもしない。ただ、みんなと普段から自分のことを話さないのが原因の一つだと自覚はある。あるが……誰だって自分のことをぺらぺらと喋る人間はいない。

 特に最大の秘密は絶対に教えることはない。ただでさえ、美希のことだけでも我慢しているのだ。これ以上増やされたら困る。最近は響も怪しいのだ。

 

「誰にだって知らなくてもいいことはありますし、知ってほしくないこともある」

「それは……」

「わたしくにだってそれはあります。人間誰しも秘密の一つや二つと言わず、多くの事を隠しているものです」

 

 秘密、隠し事……その言葉に千早は反応した。十一月だし、時間も時間だ。寒いのはわかっているのに……体が寒い。

 

「それに――」

 

 お願い! その先は言わないで。お願いだから私にそれ以上聞かせないで、思い出させないで。

 身体の震えが止まらない。千早は両手で身体を包み込むように支えた。

 

 

 

(……?)

 

 近くのたこ焼き屋にいたプロデューサーが二人の会話が耳に入った。そちらを振り向くと、何やら雲行きが怪しい。「はい、お待ち」と、若い男からたこ焼きを受け取る、ゆっくりと二人に近づく。貴音が千早に何かを言ったと思ったら彼女の様子がおかしい。全部ではないが聞き取れた。

 

(秘密? 隠し事? おいおい)

 

 ゆっくり動かしていた足がだんだん速くなる。

 

「如月千早。あなたにも知られたくない秘密があるのではないですか」

「やめて!」

「貴音!」

「?!」

 

 

 プロデューサーと千早の声が重なり、それに驚く貴音。目の前に彼が貴音の前に来ると、持っていたたこ焼きの一個を爪楊枝で刺して、彼女の口に無理やり入れた。

 

「あつぅ!」

 

 プロデューサーは、貴音が苦しんでいるのに目もくれずに千早に声を掛けた。

 

「千早、落ち着け。貴音の言うことを真に受けるな、いつものことだ。な?」

「プロデューサー……」

 

 千早は震えた声で彼の名を呼んだ。

 

「大丈夫だ。大丈夫だから」

「あ、あなた様……?」

「貴音。お前の言いたいことはわかる。俺だってそういうことを言う時だってある。けど、時にはそんな当たり前に使っている言葉で傷つけることもあるんだ。俺は千早を送っていく。お前達も気を付けて帰るんだぞ」

 

 貴音に言葉を言わせず、プロデューサーは千早を連れてその場を去って行った。

 その後、貴音は皆に説明して美希と共に帰宅したが、彼はいなかった。結局、プロデューサーと会う事が出来たのは翌日だった。貴音はあの後のことを彼に聞いたが、答えてはくれなかった。

 

 

 二〇一三年 十一月 一日署長イベント当日

 

 警察署で用意された待機室で貴音は待っていた。すでに警察官の制服に着替えている彼女の姿はよく似合っている。今は女性警官の一人と会話をしながら時間を潰していた。

 

「よくお似合いですよ」

「ありがとうございます。ですが、本職のあなた方には敵いません」

「あなたにそう言っていただけるなら私達も嬉しく思います」

 

 互いに年が離れている割にはうまい具合にやれていた。すると、扉をノックし署長とプロデューサーが入ってきた。

 

「四条さん、本日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 署長と握手を交わす貴音。次にプロデューサーを見た。

 

「意外と似合ってるな。変なところもないし、問題ない」

「ありがとうございます」

 

 先日の縁日の一件から二人の関係は特に変化はなかった。縁日の翌日は気まずいと思っていた貴音だったが、プロデューサーの対応はいつも通りであった。彼もあれ以上のことは言わなかったし、聞かれることもなかった。それでも、貴音自身は気まずかった。プロデューサーに対してもそうだが、特に千早には悪いことをしたのではないかと思っていた。

 

「改めて今日の日程を説明します。署員らに訓示。その後は、警視総監や参加されているゲストと握手したあとにパレード。これが大まかな流れです」

 

 プロデューサーが手元の資料を読みながら説明する。特に質問等もなく円滑にミーティングは進んだ。最後に一人の警官からあるモノを渡された。

 

「一応、形だけということになりますがこれを」

 

 警官が渡してきたのは日本警察が採用しているS&W M37だ。わからない人に言うならばリボルバーである。

 警官は貴音に渡そうとしたが、プロデューサーが横からとった。

 

「ふむ……ふむ」

 

 そう口ずさみながら彼は銃を弄り始めた。サムピースを押してシリンダーを出し、エジェクターロッドを押して弾を出した。

 

「本物じゃないんですね」

「もちろんですよ。いくら一日署長と言っても、さすがに本物をお渡しすることはできません」

「弾は……BB弾じゃないな」

「それはアレです。撃つと国旗が出るやつですよ」

「ああ。アレですか。本当にあるんですね」

 

 シリンダーに弾を一つ一つ戻していく。その手際はやけに早く、精確だ。映画のように銃を横に振ってシリンダーを戻し、誰もいない方向に向けて構えた。その一連の動作を見て、貴音や警官も驚きの声をあげた。

 

 

「いやあ、手際がいいと言いますか、手馴れていると言えばいいんでしょうか。ハワイとかで撃ったことが?」

 

 恐らく、日本人で銃を撃った経験がある人にまず言うが、「ハワイで習ったんですか?」と、聞くかもしれない。

 

「いえ。仕事でアメリカに滞在していた時がありましてね。その時にできた友人経由で教わったんですよ、色々と。まあ、でも。リボルバーってやっぱり憧れません?」

「ああ。わかりますよ! オートマチックも悪くないないんでしょうけど、やっぱりリボルバーって浪漫がありますよね!」

「漫画の受け売りですか?」

 

 蚊帳の外に居た貴音が聞いた。

 

「そりゃあ直撃世代だし。リボルバーと言えば、次元大介、冴羽僚、コブラ。それに、ゴルゴ13だって使ってるんだぞ!」

「はあ……?」

 

 貴音が唯一分かったのはコブラぐらいだった。でも、彼はどちらかというとサイコガンのが有名ではと思った。

 

「あなた様の動きを見てるとかなり手馴れた感じがしますが、それなりに上手? だったのですか」

 

 銃の腕前を上手と言っていいのだろうかと貴音は言ってから変だと気付いた。

 

「俺がオリンピックに出ればメダルでオセロができる。そう言われたぜ」

「それ、漫画の台詞です」

「ばれたか」

 

 嘘じゃないんだけどなあと、聞こえない声でプロデューサーは呟いた。

 貴音に銃を渡して、プロデューサーも気持ちを切り替えた。

 

「さて。そろそろ行きますか、署長」

「ええ。行きましょうか」

 

 息が合っているなと残された警官は思った。口には出さなかったが、恋人のようにも見えた。しかし、それはないかと心の中で笑った

 そして、一日署長のイベントが始まった。署長を始めとした代表者とゲストが参列。その後ろでは多くのテレビ局や記者団がカメラを構えている。その中も渋澤もいた。背が低いためか、前にいる他の記者たちに阻まれてカメラを構えることもできない。

 

「最後になりますが、わたくしがこの重要な役職に任命されてとても嬉しく思っています。今日一日だけですが、それで地域の安全の向上につながることを願っております。そして、署員みなさまの一層のご活躍を祈念します」

 

 一礼して壇上を降りる。拍手が彼女に送られた。

 一日署長は芸能人やアイドルなどから一人選ばれる。意外にもあのガチャピンも選ばれている。芸人ならここで気の利いた事を言うだろう。しかし、四条貴音という女性はアイドルという器に収まる人間ではない。こういった場でも冷静で自分の仕事を果たしている。

 そういったところが、彼女の魅力の一つでもあり、世間の注意を引くのだろう。

 あいさつと訓示が終わり、警察官の代表者らとゲストと握手を交わす。

 警官たちからはいい言葉でしたよと称賛を送られた。

 

「とても制服がお似合いだ」

「あら。あなたは……」

 

 貴音の前に現れたのは、エルダーレコードのオーナーであった。彼は先日のスクープのことを謝罪した。

 

「先日は私の軽率な行動であなたに迷惑をかけてしまった。すまなかったね」

「いえ。そのことについてはもう気にしておりません」

「そうか」

「おい、止まれ!」

 

 一人の警官が叫んだ。

 二人が話し出したその時。渋澤が決められた場所から飛び出したのだ。渋澤は、二人の傍まで近づきシャッターを押し始めた。

 なんであれ、写真に収めればこちらのものだ。あとは、向こうが勝手に捏造する。

 

「あなたですね! ここ最近、わたくしたちを付け回していたのは!」

「へ、写真は撮った。あとは去るのみよ!」

 

 渋澤は一目散にその場から去ろうと振り返る。しかし、彼の目の前には大男が立っていた。プロデューサーだ。

 

「おっと。通行止めだ……ん? そうか、アンタだったのか」

 

 プロデューサーは、その顔に見覚えがあった。昔、黒井がよく利用していた悪徳記者だった。

 

「アンタには色々と聞きたいことがあってね。ご同行願いたいのだが……聞いてくれそうな感じではないか」

「へ。怪我したくなきゃどきな。元柔道黒帯の俺に勝てるもんか」

「どうかな。俺だって元白帯だ」

「ふざけやがって!」

 

 叫びながらプロデューサーに襲い掛かろうとする渋澤。柔道をやっていたこともあって、スーツの襟を掴もうとする。柔道では相手の襟と袖を掴む。その癖が出たのだろう。それは、彼にはお見通しだった。襟を掴もうとした渋澤の右手を掴みながら彼の後ろにまわし拘束した。しかし、ほらと言ってすぐに開放した。

 舐めやがってと苦汁を味わされた渋澤。だが、プロデューサーには勝てないとすぐに判断し振り返る。そこには、銃を構えた貴音がいた。

 

「そこまでです!」

「それが玩具だって知ってるんだよ!」

「それはどうでしょうか」

 

 今度は貴音に襲い掛かった。動揺か、それとも焦っているのか。我武者羅に貴音に襲い掛かろうとする。まるで、チンピラだ。本当に柔道経験者かと疑う。

 貴音は瞬きをせず、渋澤を捕えていた。彼の勢いを利用しながら、右手を掴み、胸を押し上げるように投げた。そのまま、渋澤は受け身も取れずにコンクリートの上に叩きつけられた。

 

「女性に手をあげるとは。恥を知りなさい!」

 

 銃を上に向けて引き金を引いた。警官が言っていたように国旗と国旗が繋がれたものが空から降ってきた。それを聞いて、周りのテレビ局の人間や記者団が集まってきた。

 

「これにて一件落着です」

「それはいいんだが……その技どこで習った?」

「乙女の嗜みの一つです」

「あ、そう。まあ、とにかく。お手柄ですな、署長」

 

 貴音は、笑顔でそれに答えた。この騒ぎのせいでパレードは中止。その後の予定も全部取材などになってしまった。

 先日の週刊誌の一件でオーナーもいたことから、はっきりと移籍等の話はないと記者団に対して伝えられた。

 その日の夕方や翌日のニュース、新聞で「一日署長お手柄」と一面を飾った。貴音とエルダーレコードのオーナーとの一件はこれで完全に解決した。

 だが、渋澤から情報を聞き出そうとしたプロデューサーだったが、それは叶わなかった。予定の変更に伴う対応と、記者案や放送局の対応で時間を割いてしまったからだ。

 ただ、警官に連行されながら彼は笑っていた……勝ち誇ったように。

 

 

 二〇一三年 十一月某日 765プロ 事務所内

 

 四条貴音の一周年ライブ終了後にプロデューサーと貴音は、馴染みのラーメン屋を立ち去った後事務所に来ていた。

 プロデューサーは、もう一年は世話になった自分の椅子に座りながら書類整理をしており、貴音は給湯室でお湯を沸かしていた。。

 机の上にはA4用紙の山が積み上げられている。処理が終わったものとまだこれから必要な書類等々。小鳥や赤羽根が見たら悲鳴をあげそうだが、彼はてきぱきと片づけていく。

 

(これが……こっち。これはもういらないな)

 

 一日署長のイベントから一周年ライブの今日まで、そちらにかかりっきりでこちらの仕事を疎かにしてしまったのだ。

 自分が居られるのはあと一カ月。赤羽根と律子の二人に引き継ぎことは全部終わっていて、問題であった一周年ライブも無事終了した。明日からは765プロではなく、346プロへと本格的に仕事場を移すことになる。

 元々、必要以上の物を持たない癖があったので、机周りの整理はすぐに終われる状態だ。346プロに行けばきっと今以上に物が増えるのだろうなとプロデューサーは困りながら思った。

 

(しかし、結局何もなかったな)

 

 ふと、あの事を思い出して手が止まった。それは渋澤の事だ。あれ以来、貴音だけではなく、765プロに対するパパラッチや騒ぎは収まった。尾行されることもなくなり、皆安心していた。もちろんそれは良いことだ。良いことなのだが、不気味だった。

 貴音のスクープを持ちこみ、発行した出版社に問い合わせしても答えてはくれなかった。まあ、当然だろうなとわかっており、伝手を使って情報を集めたが黒幕はわからなかった。はっきり言えば、どこもスクープがあればそれを掲載する。全員が黒だと、言い方は悪いが仕事上仕方がない。こちらもアイドルだし、芸能人や有名人ならスクープを常に狙われるのもしょうがない。

 狙いが最終的に自分だとして、もっともスクープを狙いやすい、いや。標的になりそうなアイドルは誰か。今回のように、謎が多くミステリアスな貴音。最近、ハニーとつい喋ってしまった美希。家が金持ちの伊織。考えようと思えば色々と理由は出てくる。もし、一番スクープとしての価値があり、本人にも影響を及ぼすアイドルがいるとすれば……

 

「あなた様。コーヒーです」

「あ、ああ。ありがとう」

 

 貴音に呼ばれてプロデューサービクッと体を震わせた。

 

「どうかなされましたか?」

「いや。集中しすぎてて驚いただけだ。気にすることじゃない」

「それならよいのですが……あら、これは」

 

 プロデューサーの机の上にある書類に紛れて何枚かの写真があった。その内の一枚を貴音はとった。

 

「月見用に撮影した奴だな」

「そうでしたね。先方がちゃんと満月で撮りたいと言っていたのを思い出しました」

 

 写真には、部屋の窓から月を眺める貴音の姿があった。モデルはかぐや姫だそうで、衣装もそれなりのモノを着ていた。彼女はよく和服が似合う。髪は銀色だが、今回の場合はがかぐや姫ということもあって、非常にマッチしていた。よく見ると、供えられていた団子が減っているのがわかる。

 

「お前、隙を見て食っただろう」

「そんなはしたないことはしておりません。ただ、撮影が止まるたびに暇だったので食べていただけです」

「はあ。だろうと思ったよ。カメラマンにスタッフも笑いを堪えてた。俺は飽きれていたが」

「ふふ。中々美味でしたよ」

 

 そうかいと答えてプロデューサーは止めていた手を動かし始めた。一人ならともかく、貴音がいたので会話をしながらするかと思って仕事をしながら口も動かし始めた。

 

「そう言えば美希が言ってたぞ。家族から手紙が来てお前が喜んでいたって」

「家族と言えば家族ですが、少し違います。わたくしはそう思っていますが」

「ん? どういうことだ」

「手紙の主は爺やからです。爺やたちや民たちもわたくしのことを応援している。そういった内容です」

 

 民とか気になる言葉が出たが、プロデューサーは適当に相槌を打った。すると、なぜか会話が続かなくなり、しばらく無言だった。時間的にどれくらい経っただろうか。わかるのは、彼が整理していた書類がかなり減ったことからそれなりの時間が経ったと推測される。

 

「あなた様」

「なんだ」

「今日は……満月です」

「そうだな。寒いが、屋上で見るか?」

「はい」

 

 プロデューサーの提案に貴音は喜んで答えた。事務所に戻る気はないのか、電気を消して入口の扉を閉めた。二人はそのまま階段を上り屋上へと出た。

 風が吹くとコートを羽織っていても少し肌寒い。露出して顔に風がそのまま当たるので余計に寒く感じる。

 貴音は、プロデューサーの隣に立って月を見ていた。彼女はよく月を見るのが癖だとプロデューサーは思っていた。趣味ではなく、癖だと思ったのは勘だった。夜になると、月がどんな形であれ見ていたからだ。その顔はなんと言ったいいのか。笑っているのか、悲しんでいるのか、それとも両方なのか区別がつかない。はっきりと言えるのは、月に対して何か思い入れがあるから、そう思っている。

 

「ねえ、あなた様」

「なんだ」

「もし、わたくしが……かぐや姫だと言ったらどうします?」

 

 そこは、「信じますか?」ではないのかと思った。彼は思っただけで、追及や詮索はしなかった。

 

「その質問はつまり、助けてくれますか、ということか?」

 

 はあと溜息をついた貴音。彼女はプロデューサーと向き合い、

 

「あなた様はいけずで。わたくしは、いつになったらあなたの本音を聞けるのですか」

「言葉だけが、思いを伝える方法じゃない。そうだろう? 仮にだ。お前が、皆や世間が思っているような存在だったとしても、お前に対する俺の対応は変わらない」

「では、行動で示してくれると?」

「なんだ。どこかへ消えるのか?」

「もう。そうやってまた誤魔化す」

「俺は恥ずかしがり屋なんでね」

「……ほんと。嘘ばっかり」

 

 貴音は、プロデューサーの左手を掴みながら彼を見つめた。彼は貴音の右手に握られたまま何もしない。ただ、貴音を見つめているだけだった。

 

「なあ」

「なんです」

「お前、自分がかなり特別扱いされてるって自覚はあるか?」

「……さあ?」

 

 惚けているような返事だ。人の事を言えないだろとプロデューサーは思いながら微笑した。

 

「俺だってちゃんと自覚してるぞ。こんなにも誰かを特別扱いするのはどうかしてるって。それが女で、しかも自分が担当しているアイドルにだ。俺も男だ。女に対して甘い所がある。それは、今まで担当したアイドルにもそうだった。何番とは言わないが、お前は……群を抜いている」

「美希はどうです?」

「お前の次だ」

「そうですか。それは、よかったです」

 

 とても嬉しそうに貴音は答えた。

 美希は自分の次だと言う事はつまり、そういうことだ。美希は自分の二番目。答えはわかった。胸が高鳴る。悪い気分ではない。

 貴音はプロデューサーの前から隣に移動した。二人の身長は大体10㎝から少し上。貴音も765プロのアイドルの中では高い方だ。後ろから横に並ぶ二人を見ると、絵になる。そう思えてくる。

 貴音は、ゆっくりと顔を上に向け、再び眺めながら言った。

 

「月が、綺麗ですね」

「……」

 プロデューサーは、ゆっくりと顔を貴音の方に向けた。

 それは、嘘か真か定かではないが、かの夏目漱石が英語教師をしている時、生徒が「I Iove you」を、「我君を愛す」と訳したが、彼が「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と、言ったのが始まりらしい。

 プロデューサーも雑学としてそれは頭に入っていた。つまり、意味もわかっている。

 だが、隣にいる彼女はそんなことを知っているか? 

 答えはNO

 ただ純粋に気持ちを言葉に表しただけに過ぎない。

 しかし、本当に知っているか気になる、そんな好奇心が湧いて出てしまった。だから、プロデューサーは聞いた。

 

「貴音」

「はい」

「お前、わかってて言ってる?」

「はい。今日は満月で、とても綺麗ですので。それぐらいわたくしにだってわかります」

「あ、そう」

 

 ほら見ろ。結果は分かりきっているではないか、つまらんと自分に言った。

 

「でも、お前の言う通り今日は月が綺麗だ」

「はい」

 

 いつも見ているはずなのに今日はどこか違う。

 今日の月は確かに、綺麗だった。

 それは、隣に貴音がいるからか? 

 彼はそんなことを考えたが、そっと胸の奥にその思いを閉まった。

 

 

 二〇一三年 十一月下旬 346プロ 第五会議室 午前八時半過ぎ

 

 都内に数多くのビルが並ぶ中、他とは違いかなりの私有地を持つ会社がある。その名も美城プロダクション。通称346プロ。建物にはレッスン場、撮影スタジオ、衣装部屋等々数多くあり、各フロアごとに部門別に分けられている。

 346プロに数多くある会議室の一室は、正式に許可されたアイドル部門が仮に使っていた。人数は約二十人以上。全員がアイドル部門の人間という訳ではない。人事部、経理部に補佐で事務員。しかし、要でもありその存在理由であるアイドルは……まだ、いない。

 本来であれば、今年から活動だったがわけあって本格的に活動するのは来年になった。

 現在やっとその下準備に取り掛かっているところである。と言っても、事前から計画や根回しだけはしっかりとしていたので問題なく進んでいた。

 そして、それを指揮しているのは、

 

「プロデューサー、こちらにサインをお願いします!」

「ああ」

「プロデューサー! これはどうすれば」

「それはこうしてくれ」

「プロデューサーさん、総務部からオーディションに使う部屋はどこかって通達来てます!」

「なにぃ? 俺は前もって伝えたぞ! しっかり仕事しやがれと言っておけ」

「アイ・サー」

 

 プロデューサーを中心としてアイドル部門は活動を始めた。こんなに慌ただしいのはやっと彼が本格的に合流できたことにあることが一つ。これにはもう一つ理由があり、来月には初となる346プロアイドルオーディションが行われるためである。

 コンコンと誰も聞こえないが扉をノックして一人の女性が入ってきた。

 蛍光グリーンのような色をした事務員の服を着こなしている。髪が長いのか三つ編みにしている。彼女は千川ちひろ。この346プロの事務員であり、ここアイドル部門を担当する事務員である、ただ、

 

「プロデューサーさん。お待たせしました。今回のオーディションで送られてきた全員分のプロフィールです」

「ありがとう、ちひろちゃん」

 

 ある意味、彼の専属事務員と言っても過言でなかった。

 

「いえ。それが仕事ですから」

「にしても多いな。さすが、346の広報部は優秀だな」

「それもあると思いますけど。原因は応募資格だと思いますよ?」

「……そうかな」

 

 そうですと力強くちひろは肯定した。

 本来であれば、応募資格に○歳から○歳とあるものだ。だが、実際に表記されていたのは「応募資格特になし ※こちらでやむを得ないと判断された方には追って連絡をいたします」と、表記したのだ。

 

「そのおかげで人事部が泣いてましたよ。まさか、0歳の子供から高齢のお婆さんまで来たって」

「しょうがないだろう。このアイドル部門の目的は『誰でもアイドルになれる』なんだから。さすがに無理はあるが」

 

 このアイドル部門ではその言葉を掲げて活動すると前々から決まっていた。特にまだスタート地点に立っていないためこれと言ってプロジェクトもないのだが。

 二人が話している中、人波をかき分けて彼と同じくらいの身長で大柄な男がやってきた。

 

「先輩。こちらの資料をお持ちしました」

「ありがとう。武内、先にプロフィールに目を通してくれ。気になる子がいたら付箋でもつけておいてくれ」

「私が先に確認してもよろしいのですか?」

「暫くこっちで手が離せないからな。それに、お前もプロデューサー志望だろう?」

「はい。ありがとうございます」

 

 武内はそう言うとかなりの量がある書類を軽々と持ち邪魔にならない場所で目を通し始めた。

 

「遠慮しちゃって」

「わたしだって同じ立場だったそうなりますよ」

「そう?」

「ええ」

 

 自分にもそんな時があったかと思い出そうとするが出てこない。多分、自分はもっとハキハキしていたということだろう。

 そんな時、プロデューサーの名を呼んで一人の男が血相抱えてやってきた。その手には、雑誌らしいものを持っていた。

 

「今西部長どうしたんですか?」

「大丈夫ですか、部長」

「私の事は言いんだ。君、今日の――」

「ちょっと待ってください」

 

 今西が何かを言いかけようとした時、プロデューサーのスマホが鳴った。画面を見ると黒井とあり、疑問を抱きながらも通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『貴様、今日の週刊誌をチェックしたか?』

「いえ。今日はまだですが……」

 

 何故、そんなことを聞いてくるのかと思ったが瞬間、何かに気付いた。ふと、今西の手にある雑誌に目を移した。

 

「ちょっと待ってください……今西さん、それ」

「あ、ああ。私も驚いたよ」

 

 すぐ見せられるようにしていたのか、ページが折り曲げてあった。肩で上手くスマホを固定してそのページを開く。

 

『見たな』

「ええ。すみません。また、後で俺からかけなおします」

『わかった』

「……」

「プロデューサーさん?」

「大丈夫かね」

 

 手に持っていた力が入り、雑誌が曲がる。彼は表情には出さなかったが、怒りの籠った声で静かに言った。

 

「今西さん。ちょっと急用ができました。お昼までには戻ってきますので、その間お願いします」

「わかった。こちらでできる範囲の事はしておこう」

「ありがとうございます」

 

 礼を言ってすぐさま会議室から出ようとする。擦れ違い様に武内が異変に気付いたのか声をかけたが、「少し出てくる。今西さんに指示を仰いでくれ」と伝えて出て行った。

 多くの人間が行きかう廊下でプロデューサーは走るとまではいかないが、それなりの速さでエレベーターに向かう。

 ボタンを押して少し待つとエレベーターが到着。誰もいない、すぐに乗り込む。一階のボタンを押して壁に背中を預ける。

 プロデューサーはもう一度雑誌を開いた。

「凄惨な過去!?」、「家庭崩壊」、「両親離婚」、「弟を見殺し!?」と書かれていた。

 

「やってくれたな……!」

 

 ドン! と、自分の拳をエレベーターの壁を叩きつける。

 プロデューサーはそのことを知っていた。

 それは……如月千早。

 彼女の知られたくない過去だった。

 

 

 

 

 

 




念願の貴音回と意気込んでいたが、気付けば美希回を超えることはなかったなと。
よくよく考えれば、分割だったけど一話は貴音回みたいなもんだし、どっこいどっこいかなって。

千早のスキャンダルを事前に止めれなかったのと、プロデューサーが犯人を特定できなかったのは、ツッコまないでください…じゃないとストーリが進まんとです。

アニマスでもそうだったのですが、19話はなんだかんだで貴音回というより千早回のようなものでちょっと物足りない感じでしたね。
警察のくだりもネタがないので遊びました。すみません。プロデューサーに変な設定が出て来たけどあまり本編では関係ないです。幕間で使えればいいかなぐらいです。
幕間もアニマスよりデレマス関連のがパッと思いつくんですよね…

今回貴音に告白させようかなと思ったがやめてあんな感じになりました。
彼女の恋が実ることはあるのだろうか…


デレステも報酬でシュガハと翠ちゃんなんで頑張らないと…!

たぶん次回はちょっと遅れるかもしれないです。内容的に手間取りそうで。

では、また次回で。

花粉症が辛いです…



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第16話

どうしてこうなってしまったのだろう……


 

 それは、千早のスキャンダルが世間に公表されたすぐのことだ。

 いずれ、キミにも教えるつもりだった、と赤羽根に向けて高木は申し訳なそうに言った。付け足すようにもちろん律子君にもだと。いずれとはいつのことですかと言いたくなったが赤羽根はこらえた。

 いつもそうだ。自分はいつも、蚊帳の外。ここに来てまだ一年と経たず、本当の信頼を得るには至っていないということは自覚している。それでも、自分なりの信頼関係を築けたと思っている。それが、女の子なら尚更だ。自分は上手くやっていると赤羽根は言い聞かせた。

 

「今回ばかりはアイドルとしてではなく、彼女の家庭の問題だ。私はそれを立場ゆえに把握はしていた。だが、踏み入ろうとはしなかった。この事はもちろん彼も知っていた。未成年である彼女を含め、我々は保護者に報告をしなければならない。その時教えた」

 

 それは、わかる。わかるが、納得はできない、と赤羽根は心で否定した。あなたは、あなた方はいつもそうだ。自分には大切な事は教えず、自分達だけで納得してしまっている。

 確かに、先輩は凄い人だ。それは、自分にだって分かる。それでも、自分はここのプロデューサーなのだから話をしてくれても、任せてくれてもよいのではないか?

 

「言い訳のように聞こえるかもしれないが、私は母親と別居していることと、特別な事情があることしか把握していない。彼はわからんがね。真実を知ったのは君たちと一緒だ。はっきり言えば、こんな形で公になると思ってもいなかった」

「それでも、教えてほしかったです」

「すまない。さっきも言ったが、教えるつもりでいたんだ。ただ、どのタイミングで言ったいいかわからなかったんだ」

「社長。俺は、アイツのプロデューサーです。誰よりもあいつに近い人間だからこそ、何かしてやりたいんです」

 

 力の籠った声で赤羽根は言った。高木もそれはわかっていると肯定した。

 いや。わかっていない。自分は彼女を間近で見たのだ。ライブに立って歌おうとした彼女が突然声が出なくなった。本人も混乱していた。自分だって訳が分からなかった。その後のボイスレッスンでも声を発することができなかった。歌に対して誰よりも真剣だった彼女が歌えなくなる。それがどんなに辛いか。想像もできない。

 

「彼から連絡があったよ。テレビ局などにはすでに根回しはしたそうだ。だが、飛び散った火の粉はどうしようもないと。あとは、如月君自身が何らかの形で公表することになるだろうと」

「先輩はこちらには戻ってこれないんですか?」

「無理だそうだ。ただ、電話越しだったがかなり……キレていたよ」

「キレてたって、あの先輩が?」

「ああ」

「社長、それ本当なんですか?」

 

 近くで聞いていた小鳥が割って入った。その顔はかなり慌てているように赤羽根は見えた。

 

「多分、間違いないと思う。あの一件以来か。彼がこんなにもキレたのは」

「あの一件ってなんです?」

「もしかして、社長。それって、アレですか」

「アレだ。小鳥君も知っていたのかね」

「え、ええ。二人で飲んでいる時にプロデューサーさんがつまみのネタに話したんです。わたしも酔っていて笑ってましたけど……」

「すみません。俺にもわかるように教えてください」

 

 割り込まなければまた蚊帳の外に置かれるところだった。高木はすまないと言って説明した。

 

「彼が25、6歳の時だ。初めてアイドルをプロデュースすることになった時に起きた事件なんだ」

「初めてのアイドル、ですか」

「ああ。当時はまだ今ほどのアイドルブームという訳ではなかった。だが、徐々にブームに火が付いてきた頃だったと思う。当時は今と比べてテレビ局の上は酷いものでね。色々と強要と言うか、脅迫染みたことをする人間が多くてね」

 

 それを聞いて何故かわかってしまった。赤羽根は恐る恐る聞いた。

 

「あの、それって」

「キミの思っている通りだ。いわゆる、枕営業ってやつだ」

 

 赤羽根は声に出さなかったが、小鳥はうわぁと引いた声をあげていた。

 

「つまり、先輩が担当していたアイドルにそれをしてきたと?」

「正確には、アイドル本人に直接したそうだ。事務所やプロデューサーに言ったらどうなるかわかるか、と釘を刺してね。彼女はその通りにしようとしたらしい。ただ、彼が様子のおかしいその子の異変に気づいた」

「それで未然に防いだわけですね。でも、それじゃあ事件と呼ぶには少し……」

「話にはまだ続きがあってね。そのことを聞いた彼は何をしたと思う?」

「何って……すみません。こういう時、どう対処すればいいかわからないです」

「誰だってそうだろう。私だったら絶対に拒否させる。しかし、全員が私と同じ考えではない。そういう人間も多かった時代だ」

「では、先輩はどうしたんですか?」

「……脅迫してきた男を消した、らしい」

 

 言っている言葉が恐ろしいのはわかるが、なぜ疑問形なのだろうかと赤羽根は疑った。

 

「彼がやったという証拠はないんだ。それでも、翌日にはその男がテレビ局から消えたのは確かなんだ。私も善澤君から聞いた話だがね」

 

 先輩ならやりかねないと半年過ごしてきた赤羽根は直感した。だが、それが出来るほどの力を持っているのが自分との大きな違いだとも気付いた。

 

「だからなのか。知る人間が口を揃えてこう言っていた。黒井の後継者、とね。私もそれに同感していたよ。彼のそういう所が黒井によく似ている。その黒井も手を貸したと噂があったが真相は本人のみぞ知る、と言ったところだ」

「多分、その話はかなりの確率で真実だと思いますよ。プロデューサーさんが笑いながらそんな話をしていましたから」

 

 信憑性を高めるように小鳥が言った。ただし、顔は引きつっていたが。

 

「それが本当なら許されることではないんだろうね。ただ、彼は……アイドルを護るためにそれをした。理解は、できる。だが、納得はできんだろうね」

「俺は……そんな真似できませんし、したくもありません」

 

 先輩のことを尊敬している。だからこそ、それはできないと赤羽根は思った。

 

「それでいい。キミは、キミのやり方でやりなさい。私から言えるのはそれだけだ。だから、如月君のことは頼んだよ」

「はい!」

 

 そして、赤羽根は事務所にすら来なくなった千早に会うことを決意した。スキャンダルによって再び強く思い出してしまったことにより精神的なダメージを負ってしまったのだ。当然だと思った。

 正直に言えば、なんて言って声を掛けたらいいかわからなかった。歌おうとするたびに声がだせない彼女にどんな言葉をかけたらいいのか。それでも、会って話をしなければいけないと赤羽根は強く思った。

 

 千早に会いに行くと決めた赤羽根は、春香と共に彼女の家に向かっていた。彼女がこうなってしまってから心配だった春香は、何度か千早の家を訪ねた。けれど、中に入ることもできず、扉越しでインターホンを通じて話したが、駄目だった。

 春香の手には一冊のスケッチブックがあった。千早の弟である優のものである。

 

「あの……赤羽根P」

「どうした、春香」

 

 千早の家に向かう車の中で春香が赤羽根に質問した。

 

「私のやってることってお節介、ですか?」

「どうしてそう思うんだ」

「だって、この間も千早ちゃんをなんとかしてあげようとしたどころか、逆に怒らせちゃったし。助けようとしているどころか、傷つけてるんじゃないかって、そう思って」

「俺はそう思わないよ」

「どうしてですか?」

「先輩も言ってた。皆の中で春香が一番広い視野を持っているって。俺もそう思う。だからこそ、一番に気付いて声をかけて、誰かのために心配して。春香、誰かのために何かをするって言うのは簡単じゃないんだ」

「そう、なんですかね。実感ないです」

 

 少し照れくさそうに春香は言った。

 

「普通の人は誰かのために何かをしようとするなんてこと、稀だと思う。だから、春香のやっていることは凄いことだと思うし、立派だ。それが春香の良い所だと、俺は思うよ」

「でも、時にはそういう優しさが人を傷つけちゃうこともありますよね。今の私がそれだと思ってます」

「春香。物事をマイナスに考えちゃ駄目だ」

「わかってはいるんです。けど……」

 

 春香の気持ちもわからなくはなかった。やろうとしていることが裏目にでてどんどん悪化しているのだと思っているのかもしれない。赤羽根もそれはわかっている。

 誰にだって喧嘩をしたことはある。今はそんなことをする年齢ではないと赤羽根は思っているが、ふと昔はどうやって仲直りしたかと思い出す。喧嘩の原因は、ほんの些細なことだった。口論になり、顔を合わせても互いに無視。目も合わせない。けれども、気付けばいつものように喋っているのだ。きっかけは思い出せない。でも、そういうものだと赤羽根は自分の経験をもとに考えていた。

 だから、今回の事も自然と時間が解決すると心の中では思っていた。だが、それは望めないし、できない。如月千早はアイドルである。その選択肢はない。先輩が言っていたように、自分で動かなければ始まることも、終わらせることもできないのだ。

 それでも、春香のやっていることは間違いではないと赤羽根は確信を持っていた。

 

「俺は春香の言葉はちゃんと千早に届いていると思ってる。千早がどう受け止めているかはわからないけど」

「どうしてそう思うんですか?」

「俺はお前達のプロデューサーだから。信じてやらなきゃいけないんだ。どんな時も、どんな事があっても」

「……今の赤羽根さん。ちょっと格好いいって思っちゃいました」

 

 クスリと笑いながら春香は言った。

 

「まあ、嬉しいよ。春香、何度も言うけど大丈夫だ。そうじゃなきゃ、話す前に門前払いさ」

「それも、そうですね。きっと、大丈夫ですよね」

「ああ。だから、千早と向き合いに行こう」

「はい!」

 

 それから少し車を走らせ千早の住むアパートへ来た。二人は千早の部屋の前に立っていた。先に春香が話すが、やはり気が重いように見えた。それでも、勇気を振り絞ってインターホンを押した……出ない。春香は駄目元で自分の名前を言った。

 

「ち、千早ちゃん! 私、春香だけど」

『何の用。もう、私には構わないでって言ったでしょ』

 

 春香だとわかって千早も対応した。

 怒っているよりイラついているなと声から赤羽根は推測した。こうして、相手が春香だとわかってすぐに切らない辺りはまだ大丈夫だと判断した。

 

「ごめん。でも、今日はちょっと違うの。言いたいことはこの前に言ったから」

『じゃあ、何しに来たの……』

「これを届けに来たの」

 

 そう言って春香は玄関にある郵便受けにスケッチブックを入れた。

 

「私の用はこれで終わりだから」

 

 春香は赤羽根にどうぞと言って場所を譲った。

 

「千早、俺だ。言いたくないならそれで構わない。勝手に話す。何を言っても同情にしか聞こえないと思う。俺やみんなが言いたいことは、全部春香が言ってくれた。だから、俺はこれしか言えない」

 

 赤羽根は次を言う前に軽く深呼吸をした。

 すーはー、よし。

 

「それでいいのか?」

 

 返答はなかった。

 

「今、アイドルをいや、歌うことをやめていいのか? やめたら、今まで千早のしてきたことが全部無駄になると俺は思ってるよ。それと」

 

 赤羽根は鞄から大きめの封筒をだし、郵便受けに入れた。

 

「それは春香達が書いた歌詞を作曲家が作ってくれた歌だ。あと、それの音源。次の定例ライブで歌う予定だ。待ってるよ」

 

 言いたいことを言って赤羽根は春香を連れて車に戻った。車内に戻ると春香が慌てて聞いてきた。

 

「いいんですか。あんな言い方で」

「よくはない、と思ってる。でも、本当だ。俺はそう思ってる」

「それはそうだと思いますけど」

「先輩じゃないけど、誰かが悪役にならないといけないこともあるってやつだ。それに」

「それに?」

「今だからこそ、自分とちゃんと向き合わなきゃいけないんだ、千早は」

 

 そして、もう自分を許してもいいんだと赤羽根は思った。

 

 

 そうか、と自分がいない間に起きたことを赤羽根がプロデューサーに伝えたが、あっさりとした返事で彼は応えた。

 

「そうかって。先輩、そんな自分にはもう関係ないみたいな言い方はやめてください!」

『すまない。そういう風に言ったつもりはなかったんだ』

「すみません。少し取り乱しました。でも、今は先輩が必要なんです! 千早にも、他の子達にも」

『俺も手が打てるだけの事は全部した。お前の言う通り、そっちに行きたいがこっちもいま大詰めで簡単には動けないんだ』

「それはわかりますが……アイドルよりも仕事が優先なんですかっ」

 

 と言ってから自分が言ってはいけないことに気付いた。少し間をおいてプロデューサーは答えた。

 

『そうだ。今、俺の優先すべきはこっちだ。ボランティアでやっているわけじゃない。役職を与えられ、それなりの企画を任されている。俺一人ならいい。だが、そうじゃない。俺はまだ、765プロのプロデューサーだ。確かにお前の言う通りなのかもしれない。だが、俺はすでにやれることはやった。お前も千早の家に行って言ったんだろう。それでのいいのかって』

「……はい」

『春香がみんなの言いたいことを代弁してくれた。伝えるべきことはすべて伝えた。あとは、千早自身で答えを出すしかない。アイドルとしてではなく、如月千早として』

「わかってます。それは、俺にだってわかってます! けど、俺は――」

『赤羽根。俺が居なくなったあと、お前があいつらを見ていくんだ。そんな弱気でどうする。大丈夫だ、自信を持て。お前ならできる』

「……先輩」

『何かあれば連絡をくれ。またな』

 

 そう言って先輩は通話を切った。先輩の言いたいことはわかる。けれど、納得できない。社長の言っていた話や、普段のあの人を見て思うのは、きっとアイドルを選ぶと思っていたからだ。けど、違った。都合のいい時だけ仕事を選んだあの人に裏切られた気分だ。

 ここ最近、千早の件から感じていたことがある。

 いま、自分の中で渦巻くものがある。これはなんだ?

 怒り? 憎しみ? 不愉快? どれも違う。なぜか、それだけはわかる。

 自分はあの人を尊敬し、目標だと思っていた。それは今でも変わらない。だが、それと一緒に抱いているものがある。

 ……そうか。わかった。

 

「俺は、あの人のことが……嫌いなんだ」

 

 

 私は、二人が去ったあと玄関に向かった。郵便受けを開けると、そこには今でもはっきりと覚えている、優のスケッチブックと大きな封筒があった。

 どうして春香がこれを、と思ったがきっと母が渡したのだろうと察しがついた。私は、スケッチブックを開かず、赤羽根Pが言っていた封筒を開けた。そこには確かに歌詞とCDがあった。みんなが書いた歌詞だと言っていた。

 驚いたのは意外にも歌詞を手に取っている自分だった。癖なのだろうか、たぶん、そうだ。

 もう歌えないとわかっているのに、なにをやっているのだろう。まだどこかで歌えると希望を抱いている自分がいるのだろうか。嫌になる。

 CDを手に取るとケースの裏にテープで半分に折った紙が貼りつけられていた。剥がして読んでみると、赤羽根Pからだった。

 

 千早へ 

 これを読んでるってことは歌詞も目を通してくれたってことだろうと勝手に解釈する。きっと、俺はお前に対してキツイことを言ったと思う。だから、伝えられなかったことをここに書いた。

 俺は最初にお前と会ってからライブの時でもずっと思っていたことがある。笑っていない、そう俺には見えていたんだ。竜宮小町のファーストライブの時、嬉しそうではあった。けど、俺にはそれが、嬉しいと思っているだけで笑顔ではないと思ったんだ。

 なんでだろうとずっと思っていた。その答えが、ゆうくんのスケッチブックを見て分かった。勝手に見たことを謝る。でも、そこには本当の千早がいた。なんとなくだけど、千早が歌に真剣、というより拘っていたのがわかったよ。

 だからこそ、俺は待っているよ。千早が本当の笑顔で歌える日を。定例ライブ、待っているぞ。 

 

 私は読み終わってスケッチブックを手に取った。そこには年相応の絵があった。ほとんどが私だった。捲っていくとそこには歌っている私がいた。

 私が歌を今まで歌ってこれたのはゆうのため。あの子が、私の歌が好きだと言ってくれたから。それが、私がゆうにできる唯一のことだと思っていから。

 でも、それはもうできない。ごめん、ごめんね。駄目なお姉ちゃんで。

 ――それでいいのか?

 なぜか赤羽根Pの言葉が過った。よくない。でも、声が出ないの! 歌おうとしても声が出せない! どうしたらいいのよ。

 私は泣きながらスケッチブックを捲っていた。すると、あることに気付いた。そこにいる私はどれも笑っているのだ。

 ――一歩前へ踏み出してほしい。

 プロデューサーが私にそう言ったことを思い出す。それに、本当の笑顔で歌う自分を見たいとも。

 

「優、いいのかな。自分のために歌ってもいいのかな」

 

 答えは返ってこない。私は、どうしていいかわかならなかった。それからしばらく天井を見上げていた。

 気付くと私は歌詞を再び手にとって、CDを音楽プレイヤーにセットした。

 なぜだかわからなかった。けど、そうしている私がいたのだ。歌は、声を出せないのに私はこうしている。私はようやく理解した。

 歌は私の……ううん。

 私“が”好きなモノが歌だから。

 だからこそ、諦めるという選択肢はないのだ。

 

 

 二〇一三年 十二月上旬 定例ライブ当日 十四時過ぎ

 

 765プロの定例ライブ当日。プロデューサーは346プロでの仕事を途中で切り上げ、午後は理由をつけて外に出ていた。態々346プロが所有している営業車を借りて走らせていた。

 サボっているわけではなくちゃんとした理由があり、そのために必要な物を買うためそれらしい店を彼は探していた。

 都内で人生の約半分を過ごしてきたがプロデューサーだったが、車で移動するのはやはり不便だと改めて痛感した。

 どちらかと言えば、近場であれば電車を利用するのが一番手っ取り早い。普通のサラリーマンならそれでいいのかもしれないが、生憎自分はプロデューサーという職業についている。アイドルの送迎だってするし、打ち合わせ等で必然的に車を使う機会が多い。

 唯一の利点は、これは自分の車ではないからガソリンは経費で落ちる、ということである。毎日のように使うのであればある意味自分の車のようなものだと言えるのかもしれない。

 しかし、346プロの車を運転するのは今日が初めて。パッと見る限り車内は清潔。定期的に誰かが清掃をしているのだろう。車体も綺麗である。

 ただ、不満なのが煙草を吸えないことであろうか。765プロの営業車でも吸ってはいないが、吸いたい衝動に駆られることが多々あった。

 貴音のおかげと言っていいのだろうか。一日三本という制限の所為で嫌なことがあるともっと吸いたくなる様になってしまった。まったく、どうしてくれるんだといない彼女にプロデューサーは愚痴をもらした。

 さて、ここら辺のはずだがとプロデューサーは一旦車を端に止めた。探しているのは346プロがよく利用している花屋で、事務員であるちひろに教えてもらった。彼の手にはメモがあり、今いる辺りの簡単に地図に丸で囲んであるところに「Flower Shop SIBUYA」と書かれている

 辺りを見回すと少し歩いたところに目的の店があった。後方確認して近くまで車を移動させて……着いた。車を出て店内に入る。

 今思うと、花を直接出向いて買うことはあまりなかったなとプロデューサーは思い出した。仕事上電話で発注することは多々あるが、こうして出向いて買いに来るというのは新鮮な気分だった。

 店の奥にいくとレジがあり、一人の少女がいた。ロングヘアーの黒髪が特徴的で少し愛想の無い顔をしているのが目についた。プロデューサーの存在に気付くといらっしゃいませと愛想よくし始めた。切替が早い。

 

「なにかお探しですか?」

「あー。墓に供える花をこれでつくってもらいたい」

「わかりました」

 

 お金を渡して少女はレジから出て花を見繕い始めた。

 待っているだけで暇だった彼は店内を見回し始めた。が、すぐに飽きた。なので、目の前にいる少女を観察することにした。

 推測するに中学二、三年生だろうか。アルバイトのはずはないから娘さんだろう。休日なのに店のお手伝いとは偉いなと勝手に褒めた。

 しかし……光るものを感じると会長譲りの直感というか、ティンときた。346プロにはまだアイドルはいないからスカウトをしたい衝動に駆られたが……我慢した。

 今における自分の状況からアイドルをスカウトする気分でなかった。

 赤羽根が見たらこう言うだろう。こんな時にあなたはアイドルをスカウトしているなんてどうかしている、と言うに違いない。今の赤羽根は敏感だ。感情的になっていると言っていのかもしれない。原因は自分の態度だろう。こういう性分だ。改める気はない。

 考え事に浸っていると、少女があの……と声をかけてきた。

 

「あ、ああ。なにかな」

「何か一緒にしてほしい花などはありますか?」

「いや、特にないんだ。身内のじゃなくてね」

「あ、いえ。すみません」

「こっちが悪いんだ。キミは自分の仕事をちゃんと勤めている。だから気にしなくていい。まあ、変だと思うだろ。身内じゃなくて、仕事の仲間というか、部下? いや違うな。特にそういうことなんだ」

「複雑な関係なんですか?」

「特殊な仕事でね」

 

 ふーんと少女は小声で呟いた。つい素の反応が出てしまったが、前を向いているためプロデューサーからは少女の表情は見えないのが幸いした。

 少女は変な人、と思いながらも手を動かす。

 

「で、その子の身内の墓参りというわけだ。やっぱり変だろ」

「そうは思いませんよ、私は」

 

 少女はそう言うと花を持ってレジに戻って包み始めた。

 

「上手く言えませんけど、悪いことではないと思います。それに、その子のためにこういう事をするのは、その子が大切だからではないからじゃないですか?」

「大切、か。確かにそうかもしれないな。うん、彼女の声は……とても素敵だ」

「……? はい、できました」

「ありがとう。キミと話せてよかったよ」

「えーと、ありがとうございます」

 

 なんと言っていいか迷ったが少女だったが、とりあえず礼を言った。

 

「機会があればまた買いに来るとするよ」

「ありがとうございました」

 

 花を持って店を出る彼を少女は見送った。頭を下げたときに気づいたのか、レジに一枚の紙があった。あの人のメモだろうかと思ってすぐに声を掛けた。

 

「あ、これ忘れ……もういないや」

 

 すでに彼はいなく、店には自分一人だ。

 やけに堅い紙だなと思ってよく見ると名刺だとわかった。見ているのは裏面だったので表の方見ると、「765プロダクション プロデューサー」とあり、その下に彼の電話番号があった。

 

「プロデューサー? なんでこれを忘れていったんだろ。ん? でも、それだと変だし……」

 

 少女はそれが自分に向けられたものだと気付かなかった。忘れたのではなく、置いていったのだということにも気づかなかった。

 765プロダクションってあの765プロ? 彼女はあることに気付いた。

 間違っていなければそうだ。765プロの名前は知っていた。友人がかなり詳しく、その影響で知識は少しあったからだ。特に彼女は如月千早の歌が好きだ。

 捨てるかどうか迷ったが、あの765プロのプロデューサーとなると凄い人なのでは? と思い、取っておくことにした。

 それから数十分後。外に出ていた少女の母親が帰ってきた。

 

「店番ありがとうね。何か変わったことあった?」

「特になかったけど……」

 

 歯切れの悪い返答に母親はどうしたのよと聞いてきた。

 

「お客さんが花を買いに来たんだ」

「それはそうよね。花屋なんだから」

「その人がちょっと変な人で」

「へー。どんな人なの」

 

 少女は少し考え込む。こうなんていうか、しっくりとした言葉が出てこないのだ。あの体格にサングラス……あ。

 少女はぽんと手を叩いた。

 

「ターミネーターが花を買いに来た。あ、でもスーツだったからMIBの可能性もあるかな?」

「それじゃあなたはさしずめ、ジョン・コナーか、地球人に擬態している宇宙人ってところね」

 

 前者はわかるが、後者に関しては納得できなかった。

 少女は、そこはヒロインでしょと母親に訴えたが、笑って誤魔化されたのであった。

 

 

 都内某所 霊園

 

 如月家之墓までやってきたプロデューサーは先程買った花を活けていた。あっ、と突然あることを思い出した。ポケットを漁って線香がないことに彼は気付いた。

 

「煙草は……駄目だよな。さすがに」

 

 ドラマや映画の見過ぎだと言われるし、不謹慎だ。しょうがないと諦め、手を合わせた。

 

「……なあ、優くん。今、キミのお姉さんはとても辛い立場にいる。それはアイドルだからだ。名が売れると、キミから見れば悪い大人達が付きまとうんだ。その所為で大変な目にあっている」

 

 まるで、そこに彼がいるようにプロデューサーは話始めた。

 

「優くん、お姉さんの夢に出て励ましてやってくれ。まあ、もう遅いんだが。今日はライブで仲間やファンも大勢待っている。タイムリミットが近づいているんだ」

 

 事務所は慈善事業でアイドルを売っているわけではない。このまま活動をしないということになればアイドルを辞めることになる。あの高木社長がそれを認めるかどうかは別としてだが。

 

「今日、俺がここに来たのはこれを渡すためだ」

 

 彼は胸ポケットから一枚のチケットを取出し、墓前に置いた。風に飛ばされないように小さな石を何個か重りにした。

 

「ライブのチケットだ。よかったら来てくれ」

 

 プロデューサーは立ち上がり車に戻るため来た道を戻ろうとしたが、足を止めて振り返った。

 

「これからお姉さんの所にいくんだが……来るかい? 来れば、特等席でお姉さんの歌が聞こえるかもしれないぜ」

 

 そう言って今度こそプロデューサーは歩き始めた。彼は道の端を歩いていた。まるでそこに、もう一人誰かいるように。

 

 

 ライブの開演は十八時。時刻はすでに十七時を回っており、会場はすでにファンで埋め尽くされている頃だろうか。

 千早はわかっていながらもまだ自分の家でそんなことを考えた。まだ、ここに居るのは今日まで一人で新曲を練習していたのも理由の一つ。

 そして……まだ怖いと思ったからだ。

 今の自分はきっとステージには立てる、マイクも握れる。でも、声が出るかわからない。今日まで練習をしてきたが、結局声は出せなかった。だから、口を動かすだけで実際に自分の声がどうなっているかはわからない。ステージの上でまた歌えず終わってしまうかもしれない。でも、それでも……決めたのだ。

 千早はスケッチブックに目をやる。

 あの子がいつも見ていた自分に戻れるだろうか……行こう。千早はついに決心し、扉を開けた。

 扉をあけたその先には見覚えのある男が腕を組んで立っていた。

 

「待っていたぞ、千早」

「プロ、デューサー」

 

 千早は、彼がここにいることに違和感はなかった。むしろ、居ると断言できると思った。けど、同時に……恐怖を抱いた。

 

 

 千早を乗せた車はライブ会場からもうすぐの所まで来ていた。彼女のアパートを出てからというもの、二人の間に会話はなかった。互いに何を話せばいいかわからない状態だった。

 しかし、会場が近づいているのか。千早は閉ざしていた口を開いた。

 

「プロデューサーは、私が家から出てくるってわかっていたんですか」

「わかっていたというより、選択肢は限られていた。そして、赤羽根や春香達が望んだ選択をお前が選んだ」

「……すべてお見通しってことですか」

 

 悪気があるわけではないが、千早は含みのある言い方で言った。

 

「どうしてそう思う?」

「だって、そうじゃないですか。私が会場に向かおうとしているところにあなたがいた。私は、あなたを見た瞬間納得したんです。ああ、この人なら居ても不思議じゃないって。でも……」

「でも?」

「怖かったんです。当然のようにいるあなたが。すべてを分かっているあなたが……私は怖かった」

「……怖い、か。アイドルにそう言われたのは……久しぶりだ」

 

 プロデューサーの発言に千早は驚き、彼の方を見た。

 

「以前担当したアイドルが言ったよ。あなたの指示は的確で、やることは間違ってない。だから、怖い。まるで、私はあなたの使い慣れた道具みたいに使われている。そう、言われた」

「そのアイドルとはどうなったんですか?」

「どうって普通さ。たまに連絡が来る」

「プロデューサーはなんとも思わなかったんですか。そんなことを言われて」

「……ああ」

 

 即答しなかったことが答えだと千早は解釈した。

 

「すみません。言い過ぎました」

「気にするな……ついたぞ」

 

 車は会場の敷地に入り、そのままスタッフや関係者専用の出入り口のある所まで車を移動させた。

 

「さ、行って来い。俺がしてやれるのはここまでだ。あとは、お前次第だ」

「……はい。ありがとうございました」

 

 千早は車を降りて走って入口まで向かう。プロデューサーの方を振り返ることなく真っ直ぐ。彼女の姿を見えなくなるまで彼は見ていた。彼女のあとを追いかける小さな少年がみえた気がした。目をこすってもう一度見るが、そこには彼女しかいない。

 そして、千早は会場へと入っていった。

 

「俺、霊感とかあったのか。いや、疲れてるんだろう」

 

 眉間を押さえたあと、もう一度入口の方をみた。誰もいない。プロデューサーは、車を駐車場に停めるために車を動かした。

 見届けなければいけない。如月千早の答えを見るために。

 

 彼は車を降りて、正面ゲートから会場に入った。スタッフは、彼の顔を見ただけですんなりと通した。そしてそのまま会場に入り、出入口付近の壁を背にして立つ。

 ライブはすでに開演していた。目の前に広がるファンたちが立ち上がりサイリウムを振っている。付近にいる人間はステージに夢中のためプロデューサーの存在には気付かない。見る者がいたら、変なおっさんが腕を組んで立っている。何しにここにいるんだ? そんなことを思うに違いない。

 リストが変わっていなければ千早の出番はもう少しあとになる。きっと、千早が来たことで赤羽根達は一先ず安心をしたことだろう。だが、問題はこのあとだ。

 何曲か歌った後、次の曲に入るたびに照明が落ちる。数秒後、点灯。ステージ中央に衣装に着替えた千早が現れた。

 会場はざわめいたが、すぐに収まった。遠目からだが、不安な表情をしているのがわかった。そんな状態である彼女を無視するかのように音楽が始まる。

 千早が口を開くが、声は聞こえてこない。必死に声を出そうとするが出ない。ファンたちは不安を感じたことだろう。だが、騒ぐことなかった。むしろ、頑張れと訴えかけるような目を彼女に向けていた。

 プロデューサーも千早から目を反らず見ていた。駄目だとか、無理かなどとは考えていなかった。

 突然、ステージの端から春香がマイクを持って走ってきて千早の隣に立って歌い始めた。春香だけではない。一人、二人と全員がステージたち歌い始めた。春香達に背中を押され再び声を出そうとした。

 そして―――彼女の声が会場に響き渡った。

 青一色に染まるサイリウムが横にゆっくりと動く。

 千早は取り戻した。自分の声を、歌を、そしてなにより昔の自分を。

 プロデューサーの目に映る如月千早はかつてない程の笑顔をしながら歌っていた。

 これが、ずっと見たかった光景だ。待ち望んでいた瞬間だ。

 普段から堅い顔をしている彼の表情もほころんだ。しかし、幸せな時間というのは永遠には続かないものだ。音楽が止まると、一斉に拍手が送られた。

 きっと、誰もが如月千早に送られているのだろうとプロデューサー自身も拍手を送った。

 そして、彼はそのままホールから出た。一番見たかったものも見れたし、彼女は帰ってきたのだ。もう、用はない。戻って仕事をしよう。

 正面玄関に向かう途中、プロデューサーの後ろから男が声をかけてきた。

 

「スタッフに言っておいてよかった。危うく、逃がしてしまうところでした」

 

 声の主は赤羽根だった。

 

「やけに手の込んだことをしたな。俺は指名手配犯か?」

「俺にとっては似たようなものです。ただ、話をしたかったんです。こうでもしないと、あなたはどこかへ行ってしまうから」

「それもそうだな」

 

 赤羽根の言葉にプロデューサーは肯定した。

 

「で、話したいことってなんだ?」

 

 両手をポケットに入れながらプロデューサーは堂々と赤羽根の前に立った。いや、立ちはだかっているようにもみえた。

 赤羽根は目の前にいる男に今から言う事を一瞬躊躇った。プレッシャーと言えばいいのか、それに負けそうになった。だが、彼は負けなかった。そして、言った。

 

「先輩。俺、言うか迷いましたけど言います。俺、先輩の事を尊敬しています。それでも、あなたのそういう所を俺は認めたくありません」

 

 

 そのすました態度が嫌いだ。

 何でもお見通し。自分のやることに絶対の自信を持っていて、正しいと思っている。大事な時は、今のようにやってきては帰っていく。ヒーロー気取りのようにも見える。

 そして何よりもアイドルに対する態度が気にくわない。いや、態度というよりも別の何か。今まで数多くのアイドルをプロデュースし、事務所にも所属してきた。なぜ、一つの所に留まらないのか。どうして、一人のアイドルと共に上を目指さないのか。

 そこに、この人の本質があるのではないか。

 赤羽根はそれが、一番腹がたった。

 

「あなたはアイドルを……まるで、店の棚に並ぶ商品のように見ている。気に入ったモノをとり、不要になったら捨てる。俺はあなたにそんなことを抱いてしまったんです。否定すればいいのにできないんですよ。俺は、あなたのことを本当に尊敬しているし、感謝もしています。なのに、この考えを否定できないんです」

 

 赤羽根は、プロデューサーを否定したことに後悔はしなかったが、辛かった。言葉に嘘偽りはない。尊敬していて感謝もしていることも。彼を認めず、嫌っていることも。

 

「そうか。ありがとう」

 

 待っていた返答は予想外の言葉だった。

 

「礼を言われるとは思ってませんでした」

「言うさ。つまり、俺はお前の敵という訳だ。いいじゃないか、張り合いがあって」

「茶化さないでください」

「茶化していないさ。で、そんな俺に対してお前はどうするんだ」

「何も、しません。俺はプロデューサーです。仕事内容はアイドルをプロデュースし、トップアイドルへ導くこと。誰かと戦うのは仕事じゃないです」

「そうだな。確かに、その通りだ」

 

 プロデューサーは赤羽根の肩に手を置いた。

 

「……赤羽根。お前のやり方を見つけろ。お前のやり方で、アイドルをプロデュースしていけばいい。俺はそういう時代、世界を見て、知ってしまった。今のやり方を変えることはできないし、考えを改めることもない。お前は俺と違ってまだまだこれからだ。時間をかけてそれを見つければいい」

「その言い方だと後悔しているように聞こえます」

 

 プロデュースは肩をくすめた。

 

「後悔していたら、とっくに辞めてるよ、この仕事は特にな」

 

 正面の出入り口の方に振り向き、プロデューサーは歩き始めた。赤羽根も止めなかった。話したいことはすべて話したので引き留める理由がない。

 赤羽根は彼の背中を見ていた。

 

(ほんの少し、あの人の本音を聞けたのかもしれない。)

 

 プロデューサーが見えなくなったあと、赤羽根はアイドル達の元へ戻った。まだ、ライブは終わっていないのだ。

 

 

 二〇一三年 十二月上旬 

 

 如月千早沈黙破る。本人が語る真相。復帰した蒼き歌姫。

 それはまだ本来、世には出ていないはずの週刊誌の見出しだった。正確には明日だ。付け加えるならこれはここで出版している週刊誌ではないということだ。

 

「一体どういうことだ、これは!」

 

 男は、四条貴音と如月千早のスキャンダルを出した週刊誌の編集長だった。彼はつい数日前までは最高潮だった。

 四条貴音が一日署長をした一件以来、渋澤とは連絡が途絶えてしまった。警察のお世話になっているか、雲隠れしたのであろう。それは、いい。あの男が最後に渡した如月千早のおかげで世間は大いに盛り上がったのだから。

 これで、あの男に仕返しをしてやったと男は勝利の美酒に浸っていたのだ。

 だが、それは今日で終わってしまった。昼にはなかったはずなのに、気付けば自分の机にこの週刊誌が置かれていたのだ。部下に聞いても誰も答えてはくれず、犯人はわからない。

 しかし、そんなことは男にとってどうもよかった。問題は記事の内容だ。これでは、自分がしてきたことが無駄に終わってしまう。

 なんとかして新たな記事を作らねばと対策を練る。如月千早はもう駄目だ。使えない。じゃあ、次は誰にする。水瀬伊織か、いやそれとも……。

 

「おい、誰か来てくれ!」

 

 返事はない。

 部下を使って調べさせようとしたが、男の声だけが部屋に響いた。もう一度、叫ぶ。今度はかなり怒っているように。

 それでも、返事は帰ってこない。いや、むしろ人がいない。自分を除いて。

 陽は沈み、辺りは暗い。だが、まだ終業時間ではないはずだ。

 

「どうなっている。外に出るなんて話は聞いてないし、一人もいないのはおか――」

「おやおや。どうかなされたのですか?」

 

 彼の声を遮り、一人の男が部屋に入ってきた。プロデューサーだ。

 男には見覚えがあった。いや、はっきりと覚えている。自分が行ってきた事はすべてこいつに対してやってきたからだ。

 

「お、お前! なんで、ここに居る!?」

 

 プロデューサーは煙草を吸いながらゆっくりと男のいるところまで歩く。

 

「いやあ、今回は苦労した。俺はアイドルを探すのは得意だが、男を探すのは苦手でね。今回の事を含め、貴音の一件もあんただと気付くにの時間がかかったよ。大方、金を使って色々と手を回したんだろうが……」

 

 男の質問を無視して彼は語りながら近づく。一歩一歩近づくにつれて、自分が追い込まれているような錯覚を男はしはじめた。後ろに下がるとどんと窓に背中が当たる。逃げ場はない。

 

「それも終わりだ」

 

 ああ、終わりかもしれないとその言葉に男は声を出さず同意した。だが、こちらにも切り札はある。男は額に汗を浮かべながら、交渉と言う名の脅迫を始めた。

 

「い、いいのか!? 俺は、知ってるんだ! お前がしてきたことをな!」

 

 その言葉を聞くとプロデューサーは男の少し前で足を止めた。

 食いついた!

 男はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「だから、バラされたくなかったらおと――」

「俺はこの世で我慢ならないことが三つある」

「な、何を言っている!」

 

 プロデューサーは男の声を無視して続けた。

 

「一つ。からあげに許可なくレモンをかける奴。二つ。俺の見た目が怖いからとすぐに不審者扱いして捕まえようとする警察。そして、三つ。それは……」

「?……ぐぅ!!」

 

 男とプロデューサーの距離はたいして開いていない。それをすぐに距離を詰め、男のYシャツの襟を強引に掴み、彼が使用している机に叩きつけた。

 

「お前らみたいな糞野郎が、俺のアイドルを汚そうとすることだ!!」

 

 知っている者が見たら誰もが思うだろう。怖いと。それほどまでにプロデューサーの顔は恐ろしい。それを、目と鼻の先で対峙している男も例外ではなかった。

 男は恐怖しながらも、自分が助かるべく脅迫をしようとした。

 見る者がいたらその行動に称賛が送られることだろうが、

 

「六年前。お、お前がしたことをばらすぞ! け、警察にだって情報を流してやる!」

「してみろよ。ただし、お前も道連れだ。俺は、お前のことを知っている」

「お、脅したって無駄だぞ」

「鈍いな。俺は、知っていると言ったんだ」

「……何が言いたい?」

「まだわからないか? なら、教えてやる。俺はあの一件の際に徹底的に調べた。だから、お前があの『パーティー』の参加者だったことも知っているんだ。わかるか? あの男が開いていたアレにお前も含め、参加していた全員の名簿を持っているんだよ、俺は」

 

 男は目をぎょっと見開いた。口をパクパクと震わせ、汗がだらだらと流れ始めた。

 

「疑問に思わなかったのか? あの男が消えたはずなのになぜ自分が無事だったのだと。お前も含めた全員がこう思っていただろうな。ああ、バレなくてよかった、と」

「か、仮にそれが本当だとしてなんで今まで放置していたんだ」

「お前と同じだよ」

 

 プロデューサーは男の顔に近づけ、最高にイカレタような笑みを浮かべながら言った。

 

「脅迫だよ。俺の都合のいい駒として使っていた。まあ、あんまり使う機会はなかったがな」

 

 包み隠さず言うのであれば、大手企業の幹部から政治家、財閥の大物に目の前の男のような人間までいた。人数は多くて十五人。内容は……吐き気がするぐらい最悪だ。

 

「お前はやっていたどうかは知らんが、薬もやっていたらしいな」

「し、知らない。俺は、そこまでのことは知らない!」

「だが、楽しんだんだろう? お前の役割からして、そいつらの命令で動く下っ端だろうしな。別で報酬も貰っていたんだろう」

 

 それに、前は自らカメラも持っていたはずだ。つまり、そういう役割もしていたのだろう。

 

「今回の一件で俺のアイドルは深く傷ついた。だが、それ以上に強いモノを得た。矛盾しているだろ? 俺もそう思う。そして、何よりも未然に防げなかった自分がムカつく。だから、ケジメはつけないとな……」

 

 プロデューサーは開いている左手をゆっくりと腰に手を回した。

 

「やめてくれ! た、頼むよ。もう、何もしないし、あんたに従う! なんでもする! だから――」

「じゃあ、消えてくれ……」

「そこまでです」

 

 突如、部屋に聞こえないはずの声が聞こえた。プロデューサーは声の方に目を向けると二人の男が立っていた。黒いスーツにサングラス。まるで、自分と同じだと思った。だが、なによりも違うのはその振る舞いだろうか。

 如何にも、それらしい。

 

「それはこちらで処理をします」

 

 先程とは違った男が言った。

 

「あのお方がお待ちしております」

「裏口から出て行かれるとよいでしょう。そこに見張りが一人いますので、彼から聞いてください」

「……わかったよ」

 

 不服そうに答えながら腰にあるモノから手を離し、男を机に叩きつけた。

 男が何かを叫んでいるが、プロデューサーは無視し外へ向かうために階段を降りた。

 黒服の一人が言っていたように同じような男が裏口に立っていた。それから教えてもらった場所に出向くと、一台の車が止まっていた。

 窓が半分だけ下がり、そこには黒井がいた。

 やっぱりとプロデューサーの予感は当たった。あれは、黒井の私兵だ。言い換えるなら、ゴミ係だ。

 

「なぜ、邪魔をしたんです」

「お前はまた一人で終わらせようとしたな」

「質問の答えになっていない!」

「やるべきことの選択を間違えるな。お前のすべてきことはこれではないはずだ」

 

 言うだけ言って黒井は窓を閉め、彼を乗せた車は大通りへと出た。残されたプロデューサーは、

 

「……糞ッ」

 

 建物の壁を蹴って八つ当たりした。

 黒井の言葉を理解できるがゆえに苛立っていた。さらに邪魔をされたのが余計に腹にきている。

 プロデューサーは髪を乱暴に掻いた。ちくしょう、糞が、あ゛あ゛っと声をあげ始めた。黒井が人払いをしたのかはわからないが、彼の周囲には人はいない。声を出すことで溜めているものを吐きだしたのか、ようやく落ち着いた。

 ネクタイを緩め、煙草を取出し、火をつけた。すでに貴音の言いつけである三本は破っていた。その証拠に彼は空になった箱を握り潰し、捨てた。

 プロデューサーは歩き出したがその先は大通りではない。光があるところではなく、暗い闇の道へと歩き始めた。

 自分にはこれがお似合いだ、そんなことを思いつつも、二人の少女の顔が浮かび上がった。同時に足を止めた。

 今日は家に帰ることはない。

 脳裏から二人の顔を消し、プロデューサーは再び歩きはじめた。

 

 翌日。編集長が突然いなくなった彼の編集部は、至って普通だった。最初は戸惑いを見せる人間もいたが……数日もすれば慣れていた。人が突然いなくなることに不思議と。

 

 

 二〇一三年 十二月某日 霊園

 

 定例ライブから少し経ち、千早は母共に優の墓に訪れていた。二人で一緒に来るのはかなり久しぶりだと千早は思っていた。

 かれこれ、ずっと一人で来ていた。きっと、母も同じだろう。枯れた花が活けてあったから、多分そうだ。

 こうして、二人で来られるようになったのは、気持ちの整理ができたからだ。ライブの後、千早は善澤に協力してもらいすべてを告白した。また、765プロのHPや自身のブログを使い正式に公表した。

 そもそも、あのスキャンダルは酷いものといえた。あれは事故で、当時の千早を責めるという選択肢はおかしい。それを引き金に家族は崩壊し、父と母は離婚。はっきりと行ってしまえば彼女達の家庭の問題と言える。

 それでも、それが仕事だという人間も大勢いる。名が売れるとこういうことが起きる。痛い教訓だ。

 しかし、千早は改めてそれと向き合い答えを出した。一歩前へと踏み出したのだ。

 今の彼女に恐れるものはない。

 母が水を汲みに行っている間、花束を持って先に墓の前まできた千早はあることに気が付いた。綺麗な花だったのだろうが、今では枯れた花が活けられている。誰が来たのだろうか。千早は候補に父が浮かんだがその可能性は低いと判断した。

 良く目を凝らしてみてみると、少し退色した紙切れがあった。飛ばさないように石が置いてある。

 

「これって……」

 

 それはこの間の定例ライブのチケットだった。一体誰が……?

 頭の中で誰なのかを探す。もしかして……浮かび上がったその時、それは中断された。母の声で。

 

「千早。どうしたの?」

「う、ううん。なんでもない」

 

 千早はチケットをポケットにしまった。母が一緒に持ってきた使い回された少し汚い雑巾を使い周りを拭く。枯れた花をビニール袋に入れ、水を取り替えた。数年ぶりに二人でする墓の掃除は不思議と嫌ではなかったと千早は感じていた。

 掃除を終えて、新しい花も活けて線香も入れた。二人は並んで手を合わせた。

 母が千早にいきましょと声をかけた。持ってきた物を持ち、二人は優の墓から離れる。ごめん、先に行っててと千早は再び墓の前まで戻ってきた。

 ポケットからチケットを取り出した。

 あの日。ステージに立った自分の前に優と幼い自分が見えた気がしたこと千早は忘れてはいなかった。優だけではなく、自分も見えたのはきっと、かつての自分を取り戻したから。いや、戻ることができたからだと思っている。

 千早は笑みを浮かべた。来てくれたんだから、こうしないとね。彼女はチケットを切って、入場券の方をポケットにしまい、余った方を墓前に戻した。最初に見つけた時のように石も乗せて。

 

「また、来るね。それと、チケットはもう要らない。いつでも、来ていいから」

 

 駆け足で千早は母の下へ戻った。母も待っていてくれたのか、別れたところで立っていた。

 千早はごめんと謝って母の隣を歩き始めた。母が忘れ物でもあったのと千早に聞いてきた。

 ある意味もそうかもしれないと彼女は答えた。ついでに無期限のチケットを置いてきたと。

 

「そう、あの子も喜ぶわ」

 

 久しく聞く母の優しい声だった。

 

「私もそう思ってる」

 

 そう答えた千早の顔には、かつて忘れていた笑顔が確かに彼女のもとに帰ってきていた。

 

 

 

 

 

 




どうしてこうなってしまったんだ(二回目)

アニメを視聴前提の話なので一通りみてないとわからないと思います。また、赤羽根がいきなりこうなったのは予定通り。ただ、伏線も張ってないし、唐突。これはいけません。
立場的には赤羽根や黒井が言っていることが正しいんだよな……。

最後のPと男のパーティーとかの下りは過去編に続く!(やらない)
内容はウス=異本な感じですし、男の容姿もまさにそんな感じ。最初のアイドルの設定はオリジナル(他作品のキャラを想像している)。イメージはアイドルというか歌手?みたいな子でガッツのある女。もし、書くのであれば某三角関係で飛行機で有名な作品のキャラ。

さて、今回はヒロインが出てない、喋らない。これは大問題ですよ、猿渡さん!
その代りに謎の花屋の娘を出しました。一体なに凛なんだ……。

あと、突然ですが4thライブのSSA二日目行ってきました! ライブビューイングですけどね。自分初めてライブに行ったのですがとても楽しかったです。
俺、みくにゃん(中の人含め)のことますます好きになっちまったよ。ニャンスペすごいよかった。
訳あってみくにゃんのことが好きになったんですよ。前から他のキャラよりは好きでしたけど、ある事が原因でもっと好きになりました。デレステのガチャ自慢になるので言言いませんが。聞きたい人は感想で(露骨な誘導)

実際に現地に行って生で見たかった気持ちもあったけどこれはこれで楽しめたと思っています。カメラ的な意味で(意味深)

デレステもやっとのあさんきたし、肇ちゃんもSSRになったし(課金するとは言っていない)

長くなりましたが、あと数話で765編は終わる予定です。アニメ終盤の展開も大分違ってくる予定だと思っています(美希が対抗心大抱いているのは貴音だからね、しょうがないね)

あと、仕事が忙しいの更新が遅れるかも。今月中にはもう一話投稿したいと思ってます。






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第17話

 二〇一三年 十二月二十四日 765プロ事務所内

 

 

 事務所内に飾り付けられた装飾に経費で購入した小さなクリスマスツリー。日付は十二月二十四日。そう、今日はクリスマスである。一年の中で一つの大きなイベントであり、子供から大人までが待ち望んでいる日でもあり、そうでない日でもある。

 この日は音無小鳥にとっても例外ではない。

 今年はさすがに皆忙しいから無理だろうなと思っていながらも、小鳥は自分の仕事の合間にクリスマスパーティーの準備をこそこそと始めていた。もちろん、これは仕事内容ではないために当然のことだった。なお、去年は社長が直々に命令を出したので問題はなかった。

 ただ、今年は去年と比べ仕事が多いので中々作業が捗らなかった。まあ、アイドルが売れている証拠なので文句は言えない。

 実際、小鳥の予想はいい意味で外れた。春香がクリスマスパーティーをしようと皆に話したからだ。しかし、売れっ子アイドルである彼女達のスケジュールがそれを許さなかった……と思っていたのだが。

 それを先読みしていたのか、それとも春香が彼に伝えたのか。ここ最近姿を見せないプロデューサーが全員のスケジュールを調整しており、夕方以降の時間は全員フリーになっていたのである。これには赤羽根と律子も脱帽していた。それを知った時、二人とも眼鏡がずれた所を小鳥は微笑しながら眺めていた。

 その赤羽根に少し変化があったことを小鳥は気付いていた。千早が復帰して以来、彼の仕事ぶりはすでに一人前と言ってもいいのではと小鳥は思っていた。元アイドルである小鳥はよく視野が見えている。

 そのためか、プロデューサー関連の話になると少し表情を硬くしていたのを目撃した。プロデューサーがスケジュールを調整したと聞いた時も、見えないところでそんな顔をしていたのを目撃した。

 なにかあったのだろうかと心配していたが、この問題はちょっと自分には手に負えないと悟り小鳥は無言を貫いた。

 その問題を起こした原因であろうプロデューサーのおかげで小鳥は堂々とパーティーの準備ができたのだ。

 年にこういったことを何度も経験している彼女にとって事務所の飾り付けなど、書類整理と同じくらいに簡単な作業だ。

 そして肝心のクリスマスツリーは最後に取っておいた。「やっぱりクリスマスツリーがないと寂しいね。よし。小鳥君、買ってきてくれるかね!」と、順二朗が言った。「はい、よろこんで行ってきます!」と、小鳥は年甲斐もなくはしゃいで答えた。

 ツリーに一個ずつ飾り付けをしていく小鳥は実感のこもった声を漏らした。「ああ。今年も一人で過ごさなくていいのね。分かっていながらも口に出してしまう駄目なわたし」と。

 クリスマスは聖なる夜でもあるけど、一部の人間にとっては性なる夜なのよね、と大人になって腐ってしまった自分の心に酷く小鳥は絶望した。

 だが、本人が思っている以上に小鳥がクリスマスの日に過ごす日は絶望などしていない。アイドル時代は高木達を初めとしたメンバーで集まっていたし、アイドルを引退してからは毎年ではなかったが、彼女は一人の男性と過ごしていた。そう、プロデューサーである。

 彼から誘ったかと思うだろうが実際には小鳥からである。若いころは普通に誘っていたが、年々歳を重ねるにつれ必死になっていた。そんな彼女をプロデューサーは心の中で受け止めていた。ひっそりと。

 二十歳になってお酒を飲める歳になった小鳥はある一つの作戦を実行していた。それは酔った勢いで既成事実をつくってしまおう、である。しかし、現在の彼女をみれば失敗に終わっているのは明白。先に彼女が潰れてしまい、家に送ってもらっているのだ。送り狼なんてことを期待したが、彼は紳士であった。

 音無小鳥にとって、プロデューサーという存在は彼女が一番接触のある男性であり、意識をしていた男だ。アイドル時代は年の近い兄のような存在だった。それが一人の男性としてみるようになったのはアイドルを引退してから二十歳を過ぎたあたり。意識をする原因となったのはちょっとしたキッカケだ。

 いわゆる、恋バナである。

 女性同士ならそんな話をする機会は多い。小鳥も例外ではない。友人から「アンタ、気になっている男とかいないの?」と、ごく普通なことで意識し始めた。

 小鳥から見たプロデューサーと言うと、イケメンではないが頼りになる男性。優しいし、面倒見もいい。たぶん、自分が心を許している男性、だと思っている。

 プロデューサーが忙しいのはわかっているが、それでも自分と会うために時間を割いてくれる彼に小鳥は淡い期待を抱いていた。彼が765プロで仕事を共にすることになったときは誰よりも心の中で喜んでいた。

 だが、小鳥の淡い恋心はさり気無いことで儚く散った。それも、自分の手で。

 プロデューサーの好みの女性ってどんな人ですかと聞いた。返ってきたのは自分には当てはまらない彼の好み。唯一当てはまっていたのは黒い髪の女性。ロングヘアの女性が好きだと言う彼のために髪を伸ばそうと思ったが時間が足りない。色んな意味で。吹っ切れているかと聞かれれば、まだ無理かもと答えるぐらいの状態であった。

 そんな比較的新しい苦い思い出に悩まされながら小鳥はクリスマスパーティーの準備をほとんど一人でこなしていた。

 気づけば事務所にはアイドル全員が揃っている。食べ物にケーキ、飲み物までずらりと用意していた。事務所に一つしかない接待室はファンから送られてきたプレゼントで溢れている。小鳥も個別にわけておくと意気込んでいたがあまりの数の多さに断念したが、当人たちにはそれを喜んで一つ一つ開ける光景が目に浮かんだ。きっと自分と同じように途中で断念するだろうと思いながら、

 

「はあ。非力な私を許して、みんな」

 

 折角のパーティーだというのに一人溜息をついている小鳥を見かねて春香が声をかけてきた。

 

「小鳥さん。どうしたんですか? 折角のパーティーですよ! パーティー!」

「春香ちゃん。そうよね。みんな忙しい中揃ったパーティーだものね。楽しまなきゃ損よね」

 

 小声でお酒がないのが残念だけど、と小鳥は呟いた。春香は聞こえなかったのか首を傾げた。

 春香は事務所を見渡した。みんな楽しんでいる。年末ということも相まってスケジュールに空きはない。そんな状態なのにこうして全員が揃えたことはとても貴重だ。だが、この日を実現してくれた立役者はいない。

 みんなもそれを知っているのか心の底から楽しめていないと春香は感じた。表情を曇らした春香に小鳥が気付いた。

 

「春香ちゃん、どうかしたの?」

「いえ、その……ちょっと。楽しい、はずなんですけど。みんなもきっと同じだと思うんです」

「プロデューサーさんのこと、でしょ?」

 

 春香は無言で頷いた。

 なぜそんなことを言うのか。小鳥はその理由を知っていた。自分もそれを始めから知っていた人間の一人。春香達全員を今のような状態にした原因の一人でもある。

 心が痛む。

 しかし、彼女達は自分よりも辛い思いを味わったのだ。プロデューサーが辞めることを突然に。

 

 

 数日前、クリスマスライブが行われた。このライブは765プロが開催する年内最後のライブでもあり、全員が揃って行われたライブでもあった。会場は満員御礼。特に問題もなく無事終わることができ、ライブ終了後は控室で打ち上げが行われた。

 

『乾杯~!!』

 

 ライブが無事終わり、彼女達も楽しく最高のライブをすることができて満足していた。そこには社長も小鳥もおり、765プロ全員が集まっていた。また、現在346プロに出向中のプロデューサーもこの日は一日付き合っていた。

 部屋の壁際で全員が見える位置に高木が立ち、うんうんと嬉しそう頷いていた。彼からしたら最高の光景であろう。どんな絶景にも勝るとも劣らない。

 そんな高木の傍にプロデューサーがやってきて声をかけた。

 

「社長」

「うむ。でも、いいのかい」

「今言わないといけませんから。引き延ばしたのは俺ですし。それに、どういう状況になってもあと一週間ちょっと。問題はありません」

「本当にそうかね? 言葉で言うのは簡単だ。だが、実際には……辛いはずだ」

「女性を泣かすのは慣れてます」

 

 前科もありますしねとプロデューサーは美希に目をやった。高木は溜息をつきながら彼の肩を優しく叩いた。

 

「困った男だよ、キミは……。みんな、ちょっといいかね」

 

 高木の声に全員が反応した。アイドル達はどうしたのだろうと思いながら彼の方を向いたが、小鳥を始め、赤羽根も律子も隣にいるプロデューサーを見て何を言うのか察した。

 貴音と美希は一緒におり、二人はプロデューサーが今日告げることを聞いていたので動揺はしなかった。

 

「実はみんなに話さなければいけないことがあるんだ」

「社長、それってなんですか?」

 

 千早が聞いた。

 

「もしかして社長から直々にご褒美が貰えたり!?」

「お、それは十分あり得ますな~」

 

 亜美と真美が話を勝手に造りだし始めて周りも浮足立つ。期待の眼差しで高木を見るが、彼の顔はそうではないと言っている。

 

「期待を裏切るようで悪いがそうではないんだ。キミ達には突然のことだと思うが、今月一杯でプロデューサーは765プロダクションを退社する」

『……え?』

 

 知っている者は眼を瞑って顔を横に向け、知らない彼女達は全員驚いている。当然だとプロデューサーも勝手ながら思った。

 

「嘘、ですよね」

 

 彼女達の中の誰かが言った。

 

「本当だ」

 

 横からプロデューサーが割って入り真実だとみんなに認めさせた。

 

「彼が辞めるのは元々決まっていたことだ。いや、そういう契約内容なんだよ」

「契約って、それどういうことよ!」

 

 伊織がプロデューサーの前まで怒鳴りながら駆け寄ったが、高木が二人の間に入った。

 

「彼には短くて一年、長くて二年を条件に我が765プロのプロデューサーとして働いてもらうことになっていたんだ。私も一生とは言わないが居てほしいと思っていた。だが――」

「そこからは自分が話します。俺は社長に依頼される前に別の事務所からプロデューサーとして働くことになっていた。守秘義務があるから詳しくは言えないが、向こうに訳を話して期限付きということで765プロのプロデューサーとして働くことになった。そしてその期限が迫り、俺は765プロを去る。そういうことだ」

「そういうこと? そういうことって何よ! ええ、話はわかったわ。私も馬鹿じゃない。あなたや社長の言っていることは理解している。それが仕事で、そういう事情だってこともわかる。でも、そうじゃないわ。私達が納得できないのはそこじゃない。どうして、それを今言ったのかってことよ! 最初に私達に会った時に言えばいいじゃない!」

「ああ。確かにその通りだ。だが、それはできなかった」

「できなかった? どうしてよ」

「それはわたくしが原因なのです」

 

 伊織は後ろを振り向いた。伊織は声の主が貴音だと言う事はすぐにわかった。独特の喋り方をする彼女の声を聞き間違えることはなかった。

 

「みなも気付きませんでしたか。あの日、どうしてわたくしだけ先にデビューすることになったのかを。今ならわかるはずです。このお方の実力を身を持って知った今なら」

 

 貴音の言葉に皆何か心辺りがあるかのように表情や素振りを見せた。貴音が次の言葉を言おうとしたその前にプロデューサーが先に口を開いた。

 彼女に言わせるわけにいかなない。

 彼は自ら悪役になることを選んだ。

 

「貴音の言う通り、俺はお前達全員をプロデュースすることができた。嘘じゃない。だが、そうはしなかった。さっきも言った様に俺には時間がない。ずっと765プロにいるわけじゃない。だから俺は貴音を選び、一人だけ先にデビューをさせた。それも全力で」

「皆、誤解しないでほしいのは、それは俺のためでもあるんだ」

「赤羽根Pの……?」

 

 プロデューサーを擁護するため赤羽根が口を挟んだ。近くにいた春香が彼の名前を口に出した。

 

「ああ。先輩が765プロに入る条件に、社長はもう一人プロデューサーを探していた。それが俺だ」

「そこからは私が話そう。彼が入社にするにあたって問題があった。それは彼が去ったあとに君達をプロデュースする人間が必要だった。それが赤羽根Pだ。彼の仕事はアイドルのプロデュースだけではなく、赤羽根Pの指導も含まれていた。もちろん律子君もだ。そして、今では二人とも立派なプロデューサーとして育った。律子君は竜宮小町を生み出し、何も知らないままこの世界に入った赤羽根Pは見事に君達をここまで連れてきた。事務所としては、彼は成果を出した。十分すぎるほどにね」

 

 赤羽根と高木の言葉に彼女達は納得をせざるを得なかった。だが、事務所側としてはそれでいいのかもしれないが、一個人としてはまだ納得できていない。プロデューサーにもそれは見てとれた。

 

「……話を戻すが、今まで言わなかったのは貴音のためだ。事情が事情なだけに、話してしまえば貴音は侮蔑の目で見られるかもしれない」

「そんなことしない! 貴音は自分にとって大切な友達だぞ」

「そうかもしれない。だが、本当にそうだと言えるか? 貴音がデビューして赤羽根が来るまで小さな仕事とレッスンだけの日々。なんで貴音だけなんだと一度も思わなかったと言えるか?」

「だから言えなかった。それと自画自賛のように聞こえるかも知れないが、俺だけを頼るような、依存した形を残したくなかった。社長も言ったように赤羽根は一年と経たずにここまでお前達を引っ張れるようになった。俺がここ(765プロ)でする仕事は終わった」

 

 プロデューサーは一度呼吸を整え、真っ直ぐ彼女達を見ながら、

 

「今まで黙っていて悪かった。すまない」

 

 頭を下げた。彼女達からすれば彼が自分達に頭を下げると思っていなかった。なぜなら、頭を下げるような男ではないと知っているからだ。大人として、年下で子供である彼女達に頭を下げるわけがないと。だが、現にこうして謝ったと言う事は本当に申し訳ないと思っているからだと気付いた。

 

「楽しい雰囲気を壊してすまなかった。話はこれで終わりだ」

 

 プロデューサーは高木の方を向いて、ではと言い、高木はそれに頷いた。彼はそのまま控室を出た。振り返る事もなく、彼女達も止めなかった。彼が部屋の扉をしめて少し経ち、響が貴音に慌てて駆け寄った。

 

「その、自分がこういうのも変だけど、プロデューサーが辞めていいのか!?」

「最初は勢いに呑まれて考えていませんでした。ですが、今ではあの人の存在がとても大きいことに、かけがえのない存在なのだと思っております。響、わたくしの我儘で迷惑をかけたくないのです。それに、あの人が辞めてもわたくしのプロデューサーは彼だけです。それだけはずっと変わることはありません」

「貴音……」

「それと、みなに言っておきます。わたくしはみなの気持ちに気づいておりました。わたくしだって同じ立場になったらそう思うと思います。だから、気にしないでください。わたくしは大丈夫ですから」

 

 焦りや困惑した素振りもみせず、貴音はいつもと同じ口調で言った。

 そして、打ち上げはしばらくして閉会となった。

 

 

 結局のところ。春香達が思い悩んでいるのはプロデューサーであるのは間違いないのだと小鳥ははっきりと分かっていた。ちゃんと話をしたわけでもなく、彼から一方的に話しただけだ。

 だが、どんな言葉をかけてあげればいいか小鳥は悩んでいた。自分もその事を黙っていたのだ。共犯ということになる。困ったことになった。

 とりあえず、小鳥は春香に声をかけた。

 

「春香ちゃん。キツイことを言うけど、大人になればこういう事はたくさんあるわ。自分の知らない所で勝手に話が進んでいたりもする。大人になると得る物も多いけどそれと同じくらい犠牲にする物も多いわ」

「わかっているならこれ以上は言わないわ。じゃあ、ここから私個人の話。……春香ちゃんが思っている以上にプロデューサーさんは強い人よ」

「それは、わかります」

「強い人だから、全部一人で抱え込んじゃうの。弱音を吐かず、どんなに罵声を浴びせられても何一つ言わない。弱音を吐く人を私は軽蔑しない。だって、本当のことを言っているんですもの。でもね、あの人は強いから本当のことをちゃんと言ってくれない。春香ちゃんも聞いたことないでしょ? あの人が弱音を吐いたことなんて」

「はい。一年一緒に過ごしてきましたけど、プロデューサーさんは弱音なんて吐いたことないです。それに文句だって言ったことも」

「でしょ。プロデューサーさんとの付き合いは一番長いと思っている私だけどね? 一度も聞いたことないの。十年以上の付き合いなのにね……」

 

 ああ、そうなのよねと改めて小鳥は気付いた。

 十年以上の付き合い。一体どれだけの人にそういった人がいるだろうか。学生の頃から仲が良い友人でもいつかは連絡をしなくなる人だっているだろう。それも十年という長い年月だ。毎日会っていたわけではないが、それでも今日まで関係は途切れず続いていた。それなのにあの人の弱いところを何一つ知らないのだと彼女は気付いてしまった。いや、知りたくないとずっと心の中で思っていた。

 食事の席で聞いたことあるのは仕事の話や、愚痴に最近起きたこととかそんな話。弱音なんて聞いたことも、聞かされたこともない。

 つまり、彼にとって私は妹かそれに近いような存在なのだ。女として見られていない。正直に言って、辛い。

 

「小鳥さん?」

 

 いきなり小鳥が黙ってしまったので春香は声をかけた。

 

「あ、ああ。ごめんなさい。なんでもないの」

 

 いけない。今は自分のことより春香ちゃんやみんなの事が大事よね。

 小鳥はそのための行動を起こした。いつも使用しているデスクに向かい、椅子に座る。伊達に事務員をしているわけではないので、プロデューサーの携帯の番号は頭に入っている。彼女は手馴れた手つきでボタンを押していく。受話器を取ろうとしたその時、事務所の扉をノックする音が聞こえた。

 

「ちょっと見てくるわね」

「はい」

「一体誰かしら……すみません。今日はもう営業は……あれ?」

 

 扉を開けるとそこにはいるべき人間がいないことに気付いた。悪戯かしら、と小鳥は思いながら扉をしめようとする。ふと彼女の目はある物をとらえた。

 箱である。事務所側の壁に大きい箱と小さい箱が一個ずつ。扉を閉める時に顔を偶然下に向けなければ気付かなったことだろう。

 箱にはメッセージカードが両方付いており、『765プロダクション様へ』と『萩原雪歩様へ』と書かれている。後者はわかる。

 なにせ、今日は彼女の誕生日だからだ。にしても、なぜ事務所の分も? 彼女は疑問に思いながらも、大きい箱の上に小さい箱を乗せて事務所の中へと戻った。両手で持てるぐらいの大きさで、ちょっと重いぐらいだったので彼女一人でも持つことができた。

 

「小鳥さん、それどうしたんですか?」

「多分、ファンからのプレゼントだと思うんだけど。うちのと雪歩ちゃんの」

「わ、わたしですか?」

 

 ええ、と答えながら自分のデスクの上に置いて、小鳥は雪歩にメッセージカードを渡した。

 彼女はそれを受け取り、ゆっくりと開いてみた。

 

「……特に何もないですよ? ハッピーバースデーとしか書いてないです」

「本当?」

「はい」

 

 雪歩は小鳥にカードを渡した。そこには『Happy Birthday』と少しオシャレな字体で書いてあった。もしかしてと、彼女は事務所あてのカードを見た。『Merry Christmas』と書いてあるだけだった。

 小鳥はゆっくりと大きい箱をあけ、雪歩も丁寧に包装されている包み紙を剥がして箱を開けた。そこにはフルーツを贅沢に使ったタルトケーキと何やら高そうな茶器セットがあった。

 

『お~~!!』

「凄く美味しそうですぅ!」

「ほんと、いいのしから。いただいても……」

「でも、あずさんさん。本当は食べたいんでしょ?」

「そ、それは……」

「にしても、雪歩のプレゼントはこれまた凄いね」

「う、うん。でも、どうしてこれなんだろう?」

 

 雪歩の趣味は日本茶だということはプロフィールにも書かれている。飲むのも好きだし、自分で淹れるのも好きだ。売れ始めてからもそれなりにファンからプレゼントを貰っているが、そういった関係の物はなかった。

 美希が急須を持ち、目を細めながら鑑定士の真似事をし始めた。

 

「素人目だけど、凄い高そうなの」

「髙そうじゃなくて高いわよ。それ」

「デコちゃんわかるの?」

「デコちゃん言うな。多分だけど京都にある有名なお店のやつよ。茶葉は玉露じゃないかしら?」

「そ、そんな高いのを頂いていいんでしょうか?」

 

 雪歩が震えながら言った。

 

「いいんじゃないの? それが好きな雪歩のために送ってくれたんだから」

「……それもそうですね。でも、一人じゃ勿体ないからみんなで一緒に呑みたいと思います」

 

 ありがとうと皆が雪歩にお礼を言った中、一人貴音がまじまじと彼女のプレゼントを見ていた。そんな貴音に響が心配して聞いた。

 

「貴音。どうしたんだ? そんなに眉間に皺を寄せて」

「いえ。ただ、どこかでそれを見たような……はて、どこでしたか」

「雪歩のプレゼントを? 京都で仕事をした時とか?」

「それはありえると思いますが違います。多分、実物ではなくて写真……。美希も、見覚えありませんか?」

「え、ミキ? んー、そう言われるとどこかで見た記憶があるような、ないような」

 

 二人は腕を組みながらうーんと唸りながら思い出そうとする。相変わらず仲いいなと思う春香達であったが、どうして二人が見たことあるのだろうとは気付かなかった。

 あっ、と二人は声を揃えて思い出した。

 

「それ、ハニーがパソコンで見てたの!」

「プロデューサーさんが?」

「ええ、そうでした。珍しい物を見ているなと思っておりましたが……成程。雪歩のプレゼントだったのですね」

「プロデューサーさんがわたしに……」

 

 プレゼントの送り主が彼だとわかる皆顔を暗くした。小鳥もその空気に呑まれたのかもう一度彼に電話することができなかった。

 そんな中、春香が勇気を出した。

 

「やっぱりこのままじゃ駄目だよ。わたしも思う所はあったけど、でも一年間お世話になったんだし最後は笑顔でいたい。それに今ならわかる。プロデューサーさんって不器用だからこういう形をとるんだよ。全員が揃うのは今日ぐらいだし、プロデューサーさんに直接会える機会も当分ないかもしれないんだよ? 貴音さんだってそう思いませんか?」

「へ? あ、ああそうですね。でも、わたくしはその……問題ないと言いますか、ケジメはつけていると言いますか……えーと」

 

 まさか自分が指名されると思っていなかった貴音は口ごもった。そう言った質問に対して何度思ったことか。隣に住んでいて毎日食事を作っているなどと。それに、今日の朝も彼と朝食をとり、現場に送ってもらったなどと口が裂けても言えない。彼女は酷く焦り始めた。

(なにやってるの……)

 隣に貴音の慌てふためく姿を見て、美希は内心呆れた。ここは春香の意見に同意して、ハニーを呼ぶべきなの。彼女は貴音に代わっていつものように声をあげた。

 

「はい、はーい! ミキもそう思うの! ミキもこのままじゃいけないと思うな。それに、ハニーからプレゼント貰わなきゃいけないの!」

「ふふ。美希は相変わらずなんだから。でも、春香の言う通りよね。このまま最後を迎えたくない。私もそう思うわ」

「千早ちゃん……」

「それにあれですな。プロデューサーもいい年ですから」

「うんうん。独身のおじ様が一人で過ごすクリスマス。哀しいですなー」

「……」

 

 なぜだろう。自分にもそれがつい最近まで当てはまると赤羽根は他人事のにようには思えなかった。

 

「まったく。プロデューサーも世話が焼けるさあ」

「……そうよね。一人で過ごすクリスマスは……寂しいわ」

『……oh』

 

 小鳥が言うとこう何か凄味があると全員が感じた。でも、キミは頻繁に彼と過ごしていた気がするんだがと高木は思っただけで声には出さなかった。大人である。

 

「ま、まあ、全員の気持ちは一緒ということで、早速電話しましょう!」

 

 電話機の発信履歴からプロデューサーの携帯番号を選択、発信。小鳥は皆にも聞こえるようにスピーカにした。

 皆を代表して春香が答えた。

 

「ぷ、プロデューサーさん。わたし、春香です」

『春香か。……どうした。何か問題でも起きたか?』

「はい。大問題です。折角のクリスマスパーティーなのにプロデューサーさんがいません」

『それは……そのだな』

「わたし達も色々……思う所はあります。でも、最後なのにしこりを残したまま別れたくないんです!」

 

 春香の声に続くように他の子達も彼に向けて言葉を送った。電話の向こうからは何も返さず聞いていた。彼はそれが延々と聞かされるような気がしたのか、諦めの声をあげた。

 

『わかった、わかったよ。俺の負けだ』

「それじゃあ!」

『ああ、行く……。――ちょっと待て!』

『……?』

 

 突然大声を出したプロデューサーにその場にいた全員が首を傾げた。走り出したのだろうか、声が荒い。スピーカから雑音が入り、彼の声がちゃんと聞き取れない。それが数分続き、その中で彼の声ともう一人女性らしき声も聞こえた。彼と同じように叫んでいるようにも聞こえる。

 

『……』

 

 貴音とミキの目つきが変わった。獲物を捕らえるような鋭い眼光だ。隣でそれを見てしまった響は額に脂汗を流した。これは、不味い。その野性的な直感でそれに気付いた……というよりいつものことだ。そう、いつものことだから非常によくない……。

 

「あなた様」

「ハニー」

 

 底冷えするような声で彼の名を呼んだ。始まってしまった、もう止められない。響は彼の無事をちょっぴり祈った。

 

「あなた様。御一人ではないのですか?」

「それも女の人と一緒なの」

『今はそれどころじゃ――おい、わかったからそのトナカイを止めてくれ!』

 

 トナカイ? 彼は何を言っているのだろうかと貴音と美希をはじめ全員が心配し始めた。確かに今日はクリスマス。クリスマスと言えばサンタクロースである。サンタクロースと言えばトナカイでもある。トナカイが都内にいる訳でもあるまいし、着ぐるみを着た人のことを言っているのかと全員が思った。

 だが、声からしてそうであるとは考えにくかった。切羽詰っている。そんな風に誰もが感じた。

 

「トナカイ? あなた様、何を言っているので――」

『一時間以内にはそっちに行く! またあとでな!』

 

 そう言うと通話が切れた。

 

「……とりあえず、プロデューサーさん。来るってことで言いんですかね……?」

 

 春香が皆に聞きながら言った。

 

「ああ言った手前ちゃんと来ると思いますが……」

「うん。ミキもそうだと思うの。ただ……」

『トナカイって?』

 

 謎は深まるばかりであった。

 

 

 春香達から連絡を受けてから四十五分ほど過ぎたあたりの765プロダクション事務所の扉の前にプロデューサーは立っていた。すぐに目の前の扉を開けて入ればいいのに彼はそうしなかった。

(さて。来たはいいもののどんな顔をすべきか)

 本当に今更すぎる。自分からあんな態度を取っていながら結局こうなってしまった。確かに、春香の言う通りこのまま彼女達との間にしこりが残ったまま別れるというのは……気分がいいわけではない。

 こういう性分のためあんな言い方や態度しかできない。それが年を重ねるごとに酷くというか、悪化している自覚はあった。つまり、自分は彼女達との関係を修復したいと思っているわけで、それを素直に言えないのだ。立場というより、年下のそれも子供に頭を下げて仲直りというのは、自分が彼女達より大人だというプライドがあり中々できない。

 これは渡りに船なのだ。

(いるな。多分……美希だな)

 気配からしてそんな気がした。きっと向こうもガラス越しに映る人影で自分がいることはわかっているだろうと彼は予測した。そういうことならば、自分が取るべき行動は一つだ。

 プロデューサーは扉を開けながらそのまま下がった。すると、

 

「ハニー―――ッ!!」

 

 プロデューサーの予測通り美希が彼の名を叫びながら走ってきた。そして、そのまま向かいの壁に衝突した。彼は何食わぬ顔で事務所に入った。

 

「よっ。お待たせ」

「プロデューサーさん。もう、遅いですよ! 女性を待たせるのはよくありませんよ!」

「すまんな。まあ、いつものことだ。許してくれ。それと、春香……ありがとうな」

「……はい!」

 

 春香は嬉しそうに答えた。直後、プロデューサーの後ろから彼女の声とは反対に怒鳴り声が耳に入る。

 

「酷いのハニー! 大事なアイドルの顔に傷がついちゃったの!」

「へぇ、どれどれ」

 

 プロデューサーは美希に合わせて屈みながら彼女の顔をみた。確かに少し鼻が赤いように見えた。

 

「問題ないですね。塗り薬を出しておきますから、帰っていいですよ」

「ぶぅ! ミキの扱いが酷いの。アイドルに傷を負わせたんだから責任を取るの! 色々と最後まで!」

「何を言っているんだ。お前は」

 

 美希の妄言に呆れていると近くにいた貴音が「責任……はっ!」と、何かを思いついたようにテーブルの上にあるケーキを切り分けるために置いてあったケーキナイフを手に取った。彼女は何を血迷ったのかそれを自分の左手に斬りかかろうとしたところを雪歩と響が止めた。

 

「な、何をやろうとしているんですか、貴音さん!?」

「貴音。いい加減その斜め上の考えをやめるんだ!」

「離してください二人とも!」

「自分でやっても責任とか取らせることはできないんだぞ!」

「そうですよ! それはただの――」

「何をやっているか。この野郎」

 

 貴音の頭にプロデューサーのチョップが直撃。痛っ、と声をあげてナイフを手放した。床に落ちそうになったナイフを彼が受けとめた。

 

「響。貴音の手綱を握っていろと言っただろう」

「そんなこと言われてないぞ! そもそも、貴音が勝手に暴走するのはプロデューサーが十割原因なんだからね!?」

「言ってないか、俺?」

「言ってない!」

 

 ふふ、ははっと事務所に笑い声が広がる。手で口を押えながら苦笑している子もいる。

 

「あー、やっぱりこうでなくちゃ!」

「そうよね。こうじゃなきゃ」

「うんうん。戻ってきたって感じがするよね!」

「いつもの765プロに!」

 

 その通りかもしれないとプロデューサーは肯定した。このやり取りがどこか懐かしさも感じさせた。たった数日だと言うのに。

 笑顔のまま春香は彼の前に立ち、

 

「おかえりなさい、プロデューサーさん!」

「……ただいま。みんな」

 

 ――こういうのも悪くない。

 

 

 プロデューサーが戻ってきてから一時中断していたクリスマスパーティーが再開した。今日が誕生日であった雪歩にプレゼントを渡した彼が、自分にもくれないのかと美希が彼に駆け寄ってきた。

 

「ねぇ、ハニー。もちろんミキにもプレゼントあるよね!」

「ん? プレゼントなら渡しただろう。ほれ」

 

 顎でそのプレゼントを指した方向に美希が顔を向けると、そこにはタルトケーキを切り分け食べているあずさの姿に目に入った。

 

「もしかして……アレ?」

「そうだが。何か問題でもあるか?」

「大ありなの! 大問題なの!」

「まあ、美希にはないでしょうね」

「それどういうことなの!?」

「あなた様。もちろん、わたくしにはありますよね?」

 

 怒鳴る美希を余所に貴音が聞いた。いつものやり取りである。

 

「だからアレだって」

「……これは面妖と言わざるを得ませんね。あなた様、今日はクリスマスなのですよ? それなのにプレゼントがないというのはとても愚かな行為です」

「そうなの。愚かな行為なの!」

「あのな? あれはお前達全員へのプレゼントなの。個別に用意をしてるわけないだろが」

「じゃあ、雪歩は!?」

「それは彼女が誕生日だからだ」

 

 プロデューサーは強くはっきりと言った。雪歩も改めてお礼を言うために彼の所にやってきた。

 

「プロデューサーさん。その、ありがとうございます。こんな高そうな……」

「気にしなくていい。こういう時にしか金を使えんからな。大事に使ってくれると嬉しい」

「はい! でも、プロデューサーさんが居なくなる前に一回はお茶を淹れたいです。……駄目、ですか?」

 

 上目づかいで雪歩はプロデューサーを見た。そんな目で見ないでくれと思いながらも彼の答えは決まっていた。

 

「駄目じゃないさ。じゃあ今頼むよ。やるからには一番いいのを頼む」

「わかりました。わたし頑張ります!」

 

 雪歩は真のもとに戻ると「やったよ、真ちゃん!」と言うと「よかったね、雪歩」と喜んでいた。二人を微笑ましくプロデューサーが見ていると美希が背伸びをしながら彼の耳に小声でささやいた。

(ねぇ、ハニー。アレ)

(ん……なるほど)

 美希に教えられたその先には赤羽根の前にもじもじとしている春香だった。彼女は後ろに手に持っているそれを隠していた。どうやら彼に送るクリスマスプレゼントであるとプロデューサーは気付いた。

(背中を押してやったらどうだ)

(いいの? アイドルとの恋愛は反対じゃないの?)

(お前。それを俺の前でよく言えるな)

(それもそうなの)

 さっそく美希は春香の隣まで歩くと、彼女の手を掴み赤羽根から少し離れたところに移動して聞いた。

 

「春香。それ、赤羽根Pに渡さないの?」

「み、美希。別に、これはそういうわけじゃ……」

「好きなんでしょ? あの人のこと」

 

 絶対そうだという確信を持って美希は言った。赤羽根と近くにいたと言えば全員当てはまるが、彼女は春香が一番彼に近い所にいたと思っていた。

 それに、春香は一番赤羽根Pを気にかけていた、というより心配していた時が多かったと美希は記憶している。

 

「え! ちが……」

「違うの?」

 

 春香は首を横に振った。

 

「じゃあ、渡さなきゃいけないの」

「美希はすごいよね。どうしてそんなに前向きに行動できるの?」

「だって、好きだから。好きな人に振り向いて欲しいもん。あの人はそう人だから……自分から動かないと見てくれないもん」

「強いね、美希は。わたしには……真似できないよ」

「強くないよ。むしろ、いつもビクビクしているもん。見放されるんじゃないかって、だから後悔しないように頑張ってるの」

 

 プロデューサーという男は自分から好意を向けてくる人ではないのだと美希は分かり始めていた。酷い言い方だが枯れているのではないかと疑った事もある。けど、そうではないのだと。何よりも仕事とアイドルを優先するのだ。

 美希が思うに、プロデューサーは好きな人に対して積極的に動くタイプではないと彼女なりに推測していた。別に鈍感というわけではない。今の自分と貴音の状況を見ればそのはずだ。だからこそ、彼を好きになってしまった女の子は自分から動いて、振り向かせなければいけないのだ。

 

「後悔、か。うん……。わたし、勇気を出して渡してくる」

「その意気なの」

 

 決心をした春香は赤羽根にプレゼントを渡しに向かった。周りが見ている中渡すため緊張したのか声が少し上がってしまったようだ。それでも、彼女はしっかり彼に渡すことができた。

 赤羽根がプレゼントを開けると長財布があった。彼が今まで使っていた財布がボロボロになっているのを春香は知っていたので財布を選んだのだ。周囲が二人をからかっている様子をプロデューサーは苦笑して眺めていた。そこに、今回の立役者である美希が戻ってきた。

 

「うまい具合に春香の背中を押したな」

「当然なの。でも、赤羽根P気付くかな?」

「春香の気持ちにか? 相当な鈍感男じゃなきゃ気付くだろ。多分な」

 

 それを聞き逃さなかったのか、貴音がプロデューサーの前に現れた。

 

「あら。それは自分が鈍感ではないみたいな言いぐさですね」

「鈍感だったら今のような関係な訳ないだろ」

 

 呆れるように言った。三人の関係はとてもデリケートで大きな爆弾でもある。ちょっとそこらの男だったらすぐに起爆してしまうところだろう。

 

「それもそうなの」

「確かにその通りではありますね。ただ、あなた様」

「なんだ?」

 

 近づく貴音にプロデューサーの額に汗が浮かびあがる。顔には出さなかったが、動揺しているのもお見通しだと何故か彼は思った。

(先程の電話の件。忘れておりませんからね)

 艶めかしい声だ。

 彼は視線を貴音に向けると彼女はクスリと笑みを浮かべた。

(誤解なのに理不尽だ)

 そう、俺は悪くない。悪いのは……クリスマスだ。

 

 

 貴音と美希から逃げるようにプロデューサーは他の子達と話してまわることにした。時間は少しかかったがようやくひと段落つき、彼は赤羽根と話していた。

 

「調子はどうだ」

「まあまあです。先輩との引き継ぎもスムーズにできましたし、律子との連携も上手くやれています」

「そうか。それは何よりだ。貴音と美希は……その、どうだ」

 

 我ながら変な感じで聞いたとプロデューサー思った。らしくない、そう思われても仕方ないぐらいだ。まるで、親子関係で娘と気まずい関係なってしまった父親のようだ。

 

「どうだと言われても。具体的に言うと?」

「迷惑をかけてないか? 仕事終わりにラーメン屋に連れてけとか、爆弾発言しまくるとか」

「そうですね。前者はたまにですが、後者はいつものことすぎてもう諦めました。知ってます? ファンの間だとその“ハニー”とやらの憶測が色々あるみたいですよ。」

「初耳だな。何か面白いものでもあるのか?」

「特にこれといってないですね。自分もそうですけど、お二人の事を知っている人間なら誰でも知っているでしょうし」

 

 それもその通りだと彼は頷いた。事務所内や知っている人間なら大目に見ていたのだが、仕事現場でもハニーと呼ぶので注意はしていた……意味はなかったのだが。

 今ではそれが当たり前のように現場でも受け入れられているのが悩みの種でとても問題――いや、大問題である。これから346プロのプロデューサーとして働くと言うのに知っているスタッフが何か言ってきたら問題である。

 何とかしなければ……。

 

「で。先輩はどうなんです? 小耳に挟みましたよ。この間オーディションがあったって。」

「耳が早いな。まだ活動してないからアイドルについての詳細は言えん。企業秘密だからな」

「だと思いました。便利過ぎません? その言葉」

 

 肩をすくめながら赤羽根は言った。

 

「いいだろ。ま、来年から活動できる子はすぐに表に出るし、隠す必要もあんまりないんだがな」

「流石と言うべきですかね。ちなみにどういったアイドルがデビューするんですか? 先輩の目に適う子ですから逸材なんでしょうね」

「まだ知り合ったばかりだから何とも言えんが……。“みんな”個性豊かな子ばかりだよ。」

「……?」

 

 赤羽根は耳を疑った。みんなとは一体どういう事だろうか? 一人ではないのか? 彼は混乱したが、きっとうちと同じくらいの人数のことを指しているのだろうと推察した。

 だが、赤羽根はどうしても気になったのでつい彼に聞いた。

 

「ちなみに……今現在どれくらいのアイドルが?」

「まだ十数人ぐらいか?」

「すみません。ちょっと待ってください。まだって言いました!?」

「ああ。ちなみに……」

 

 彼は周りに聞かれないよう赤羽根の耳元で囁いた。

(色々あってさっきも一人スカウトしてきた)

 赤羽根は飽きれて言葉がでなかった。つまり、まだ増え続けるということである。普通ならどうかしていると思われるが、目の前にいるこの人はそれをやってのける力があると赤羽根は改めて再認識していた。

 

「向こうからは特に言われてないからな。それにアイドル全般に関しては一任されているし、日にちは経ってないがそれなりに充実しているよ」

「ここよりも?」

 

 ズルい質問だと素直に思った。それに対抗してか、彼は胸を張りながら自慢げに言った。

 

「ああ。こことは比にはならないぐらい手を焼かされている」

「それは……ご愁傷様です?」

 

 同情されたが自分で言っておいて何とも言えない気持ちにプロデューサーはなった。なにせ、自分からスカウトしているのだから同情も何もないではない。知っている人間が知れば、それは自業自得だと言われてもしょうがないが、別にそんなことは考えたことはないと彼は思っている。

 

「あ、そう言えば。先輩は美希から聞きましたか? 今度、美希と春香がミュージカルに出演するんです」

 

 赤羽根は手に持っている紙コップにジュースを注ぎながら思い出したように言った。

 

「それはまだ聞いてないな。ちなみに役は?」

「向こうがこれからの稽古次第で二人のどちらかを主役にするみたいです」

「そうか。どちらにせよ、二人にはいい経験になるだろう」

「そうですね」

 

 プロデューサーは素直に喜びたいが、そうすることができずにいた。確信を持っていう事が出来ないが、胸がこう、モヤモヤする感じがしている。

 不安だ。よくないことが起きそうだ。

 

「ちょっと春香と話してくる。初めての事だろうから色々悩んでいるかもしれないからな」

 

 春香と話すためにそれらしい理由をつけてプロデューサーは言った。

 

「自分にはそういう経験がまだありませんから、ありきたりなアドバイスしかできないと思うので助かります。でも、美希の奴にはいいんですか?」

「あいつはいつでもいいから問題はない」

「……はあ?」

 

 赤羽根はあまり理解していないような顔をしていた。別にわからなくてもいいとプロデューサーは思った。

 どうせ、このあとも自宅でそのことを自分に言ってくるのだろうから。なので、問題はないのだ。

 そう思いつつ彼は春香に声をかけた。

 

「調子はどうだ、春香」

「あ、プロデューサーさん。はい、絶好調です!」

「それはアイツにプレゼントを渡せたからか?」

「ち、違いますよ!」

 

 ニヤニヤしながら彼は言った。春香は顔を少し赤くしながら慌てて否定したがバレバレだ。

 

「赤羽根から聞いたんだが、今度ミュージカルに出演するんだって?」

「は、はい。でも、美希も一緒に選ばれて。稽古次第でどちらかが主役に選ばれるみたいなんです」

 

 どこか不安げに言う春香の異変に気付いた。これは色々と話をした方がいいかもしれないと今の彼女を見て思った。他にも悩みがあるように見える。

 

「ふむ。では、特別にお悩み相談室でも開くか」

 

 彼はそう言って春香を連れて社長室へ向かった。もちろん、部屋の主には許可を取らずに。

 

 

 社長室にある予備の椅子に春香は座り、目の前にいる男性を見ていた。目の前にはいつも社長が座っている椅子にプロデューサーが座っているのだ。脚を組み、優雅に持ってきた紙コップに入っている飲み物を飲んでいた。ジュースを飲むような人には見えないからコーヒーだろうか。

 そんな彼の姿を見て、本当の主には申し訳ないが目の前の彼は物凄く様になっていると彼女は思った。

 

「単刀直入に聞くぞ。悩みがあるんだろ? 色々と」

 

 胸に突き刺さる一言が飛んできた。

 なんでこの人は分かるんだろうか? 誰にも相談はしていないのにも関わらず今日久しぶりに会ったばかりなのに。まあ、顔には出ていたかもしれないけど。

 

「その、通りです。プロデューサーさんには分かっちゃうんですね」

 

 春香は否定しても無駄と分かりつつも、素直に助言を求めたかった。きっと、自分一人では解決はできないし、彼の提案は願ったり叶ったりだ。

 赤羽根Pや他の皆には相談はできなかった。きっと、同じ立場で考えて大丈夫だよと、言うと思ったから。でも、決して頼りないから、信じていないからではない。彼女は心の中ではっきりと否定した。

 

「まあ、推測だったけどな。人生経験は豊富な方だし。一つ一つ聞いていこうか。一体何を悩んでいるんだ?」

「……今度のミュージカルについてです」

「ほん……。んっ、美希との主役の……座を競うんだったな」

 

 プロデューサーは言葉を選んだように言った。

 

「相手が美希だからなのか。それは」

「それも一つ、だと思います。自分じゃ美希に到底及ばないってどこか思ってて。ダンスも歌もわたしより上手だし。わたしより美希の方が主役に向いているんじゃないかって」

「……聞きたいんだが。ミュージカルの話を聞いてどう思った?」

「嬉しかったです。まさか自分が舞台に立てる日が来るなんて。そう思いました」

「そうか。……自分と美希を比べてしまったんだな。そしたらどんどん下向きな考えをしたわけか」

「……はい」

 

 下を向きながら春香は頷いた。

 

「しかし、美希はきっとお前と主役を競うために精一杯頑張ると思うぞ。お前はどうだ? 手を抜いて美希に主役を譲るか? そんなことをしたらアイツは……怒るな。多分。いいか。向こうはお前か美希のどちらかが主役に合うと判断したんだ。相手はお前の悩みなんて気にも留めない。見ているのはお前の演技だ。手を抜いた演技は相手にも失礼だ。お前だから相手は選んだのにだ」

 

 正しい。彼の言っていることは正論だ。

 結局自分の我儘なのだ。自分がどこか劣っているとか、美希のが良いとか、結局美希を理由にして言い訳をしているだけにすぎない。

 これでは彼女に失礼だし、きっと彼の言う通り主役をとるために精一杯稽古に励む。なのに、自分はそれを蔑ろにしようとしている。

 ごく普通なことなのにそれに気付くことができなかった自分が嫌になる。

 

「ほんと、言われて気付くんですから。わたしって駄目ですよね」

「まだ大丈夫だ。これからしっかりとしていけばきっとな。春香、美希は手ごわいぞ? 手を抜いていたらあっという間に追い抜かれる」

「そうですよね。相手はあの美希なんですから」

 

 美希は凄いと誰もが思っていると春香は思っている。そんな彼女と競い合うとやっぱり弱気になる。彼女の事は近くで見てきたからわかる。きっとプロデューサーも言わなくてもわかるだろう。

 けれど、そんな彼女のおかげ今日は勇気を出すことができたのだ。

 

「……美希はすごいですよね。さっきも美希がいなかったらプレゼントを渡せませんでした。プロデューサーさんは美希の気持ちを知っていますか?」

「……分かっているから答えるが、知っているよ。貴音のことも」

 

 意外だった。春香は彼が素直に答えるとは思っていなかった。それに貴音のことも話したのだから驚きだ。

 

「お前だって赤羽根のことが気になっているんだろ? 見ていれば分かる。向こうはどう思っているかは分からないが」

「その、やっぱり駄目ですよね。アイドルが担当のプロデューサーにそういう想いを抱くのは」

「別に駄目ではない。もし、そうなったらちゃんと社長に相談することだ。俺でもいいが、ここにいないからアドバイスぐらいしかできないが」

 

 アイドルとプロデューサーやその関係者が恋人同士になるのは珍しいことではないと、彼は続けて言った。驚愕の事実を知ってしまったような気がした。

 なら、プロデューサーも貴音さんと美希のどちらかと……?

 いや、それを思うのも考えるのもやめておこう。きっとよくない結果になると彼女は日々の惨劇から学んだ。

 

「話を戻そうか。美希の件が一つということはまだあるんだな?」

「はい。その『夢を失って孤独で苛まれる主人公』っていう設定で、少し悩んでて」

 

 実を言うと、美希と同じぐらいに悩んでいた。主人公の設定を見ながら春香は自分と比較しながら色々考えていた。けれど、答えを中々見いだせず、どう演技すればいいか頭を悩ませていた。

 ふむと彼は腕を組んで考えているようだった。

 春香は気になってあることを彼に聞いてみることにした。

 

「唐突なんですけど、プロデューサーさんは夢ってありましたか?」

「夢、ねえ……」

 

 哀愁がこもったような声でプロデューサーは言った。

 

「そうだな。今は夢が目標と言うか……果たさなきゃいけないもの、だと思う」

 

 切ないとか、悲しいとかそんな風にも感じた。けど、それよりもはっきりとある事が伝わってきた。

 諦めていない。彼はその何かをまだ、果たそうとしているのだと春香は感じ取った。

 

「その果たさなきゃいけないものが失ってしまったら?」

「……何も無い、何も残らないだろうな。きっと、すべてが無駄だったのだと絶望するのかもしれない」

「本当にそうですか?」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、わたしが、皆が残るじゃないですか!」

 

 何よりもあなたには貴音さんと美希の二人がいます。だから、きっとあなたはそれを失っても孤独ではないし、わたし達の出会いと思い出が無くなるわけじゃないと、春香は絶対の自信があった。

 

「なら、その主人公もそうなんじゃないか?」

「え……?」

「それがどんなストーリなのか、主人公がどんな風にして夢を失ったのかはわからない。けど、春香の言う通り何かが残っているかもしれない。主人公が夢を失ってそれから何かを見出すのか、それともそのまま絶望し孤独のまま朽ちるのか。その答えを演じながら見つけるたらどうだ?」

 

 プロデューサーはそうだと頷いた。

 確かに、その通りかもしれない。わたしはまだ夢を失った経験も、絶望したこともない。なら、稽古を通し主人公を演じて彼がどんな思いだったのかを見つけなければならないのだ。

 

「答えは、見つかったようだな」

「はい。わたし、まだわかりませんけど頑張ってみます。それと、美希に駄目だしされないように」

「なら、もう大丈夫だな」

「あ、あの!」

 

 椅子から立ち上がり歩き出そうとしたプロデューサーを春香は止めた。

 

「まだ聞いて欲しいことがあるんですけどいいですか?」

 

 この際だ。今、一番思い悩んでいることを聞いてもらおうと思った。

 彼は聞こうと言って再び椅子に座りなおした。

 

「その、こんなことを言うのもおかしな話なんですけど。みんなと居たいって、変ですか?」

「居たいって。具体的に教えてくれないか?」

「みんなアイドルとして売れてきて仕事も一杯あってそれはいいんです。でも、少し前まではみんなここに一緒にいたのに、今では全然揃う事もなくて。一回も会わない日だってありました。今日だってプロデューサーさんが手を回してくれなかったら全員揃うことができませんでした」

 

 春香は自分の言っていることが我儘で傲慢だという自覚はあった。アイドルとして売れるのはとてもいいことなのに、それでもみんなと一緒に居たい、仕事を、ライブをしたい。そんな欲張りなことを悩んでいた。

 プロデューサーは真剣な目をしながら言った。

 

「春香、その願いは矛盾しているよ」

「分かってます! でも、わたしはみんなのことが……」

「仲間以上の存在になった、か?」

「……はい」

 

 彼はわたしの悩んでいる原因を口にした。いつからだろうか。みんなと過ごしてからというもの、仲間だという意識から気付けばそれ以上のことを思うようになった。

 それはわたしにとってはもう一つの、

 

「家族だと思っているんです。……変ですか?」

 

 プロデューサーは首を横に振った。

 

「前にも言ったな。お前は誰よりも周りを見ている。だからなのかな。誰よりもみんなとの繋がりを大事にしたい、そう思っているんだろ?」

「みんなトップアイドルになって、仕事ばかり気が向いて忘れちゃったのかなって」

「何を?」

「最初の頃みたいに、楽しくアイドルをすることを。今はみんな……仕事ばかりに目が向いてて。それがわたし、なんだか嫌だなって思って」

 

 春香は言うたびに段々と辛くなり、涙が零れそうだった。すると、彼女の頭に大きな彼の手が乗せられた。彼の撫で方は優しくて、嫌悪感はなかった。優しい笑みを浮かべながら彼女を見ていた。

 

「ぷろ、でゅーさーさん」

「お前は凄いよ。そこまで皆のことを想っているなんて……俺には出来ないな。でもな? これから言う事を胸に止めておいてくれ」

 

 春香はこくりと頷いた。

 

「人には出会いがあり、別れもある。誰かとずっと一緒にいるなんて事は……きっとないのかもしれない。今も全員が揃うことは滅多にないし、もしかしたら今よりも触れ合う機会も減ってしまうかもしれない。それでも、きっとここで皆と繋がっている。俺はそう思うよ」

 

 プロデューサーは自分の胸を指した。心で繋がっているのだと彼は言いたいのだと春香は理解した。そっと自分の胸に手を当てる。

 言葉を交わし、触れ合うだけがすべてはない。わたしたちはきっとここで繋がっているのだ。

(みんなもそうだといいな)

 少し不安だった。自分だけがそう思っているだけで、実際は違うのではないかと。それでも、彼がそう言うのだから嘘ではないのかもしれない。

 だから、信じよう。

 

「さて。お悩み相談室もおしまいだ。特別に最初で最後の生徒のために一肌脱ぎますか」

「……え、それって」

「ほら、いくぞ」

 

 きっと彼は何かをしようとしているのだろう。それが何かはわからないが、きっと自分が関係していることは間違いない。

 しかし、止めるという選択肢はない。心のどこかでそれを望んでいるからだ。

 

「あ、待ってください!」

 

 春香は零れ落ちそうになっていた涙を拭いながら彼の下へ歩き始めた。今日はクリスマスだ。涙は似合わない。

 

 

 どのくらいの時間が経っていたのだろうか。プロデューサーが社長室から出るとぞろぞろとアイドル達が近づき不満を漏らしていた。

 彼の後ろにいる春香を見て、特に亜美と真美が騒ぎ出した。

 

「もしかして、逢引ですかな!」

「これは思わぬ伏兵ですぞ!」

「ただのお悩み相談室だ。勝手に捏造するんじゃない」

 

 と言っても納得しないであろうとこはわかっていた。それを気にせず、プロデューサーは話を変えた。

 

「ちょっと早いが俺は先に帰るよ。仕事が溜まってるんでな」

 

 非難の声が耳に届く。頬を膨らませている姿は年相応で可愛らしいと彼は思った。ただ、理由は本当なので嘘ではない。

 本来であれば、ここにいることはなく自宅か346で仕事をしているはずだったのだ。急を要するのかと言われれば違うのだが……そこは秘密だ。

 

「そうかね。予定なら年末の紅白で最後だったね」

 

 いつものように後ろで手を組みながら聞きなれた声で高木が言った。

 

「ええ。ただ、直接ここには来ませんけどね。だから、みんなとこうして会うことができるのは今日で最後だ。もしかしたら、どこかの現場で会うかもしれないな」

 

 いざそう言われるとやはり別れは辛いのだろう、彼女達は悲しそうな顔をした。ただ、若干二名はそういう振りをしているように見えるのは気のせいだろう。

 

「じゃあ最後に記念写真を撮りましょう! 折角全員揃っているんですから!」

「おお。それはいいね! 小鳥君、早速準備だ!」

「はい!」

 

 当の本人を余所に高木と小鳥を先頭に話がどんどん進む。全員で撮れるスペースを確保するためにテーブルや荷物を退かす。全員でやるとあっという間に簡単な撮影スペースの出来上がりだ。

(こういう時の行動力は抜群にいいんだもんな)

 数倍良い動きで作業をする姿が目に入る。普段もこれぐらいでやればいいのに。

 呆れてはいるが、らしいと言えばそうだと言わざるを得ない。ここ、765プロダクションらしい光景だ。

 

「さ。プロデューサーは真ん中ですよ! 背が高いから座ってくださいね」

「では、左はわたくしが」

「ちっ、出遅れたの。じゃあ、ミキはこっち!」

 

 左手を貴音に、右手を美希に支配された。両腕から別々の感触が伝わってくる。柔らかいというのは確かだ。違うのは大きさだ。

(しかし、枯れてるのかな。俺……)

 トップアイドルの二人に腕を組まれていながらもプロデューサーは冷静であった。なにせ、いつものことである。腕を組まれることなど日常茶飯事だ。当たり前すぎて反応に困るというのは贅沢な悩みだろうかと彼は思った。

 

「え、じゃあ自分はえーと……。あ、ここに決めたぞ!」

「わたしはこっちにしようかしら」

「なら僕は……」

 

 次々と自分の立ちたいポジションを選ぶ。すでに貴音と美希に拘束されているので振りむくことができないので、誰がどこにいるのかがわからない。

 

「いやあ、なんだかアルバムを撮るような気分だよ。さしあたり私が校長で彼が担当の先生かな!」

 

 そんな光景を高木は何かを懐かしむように言った。確かに、そう言われるとなんだかしっくりくると彼は思った。それでいくなら、自分は別の学校に赴任することになったという感じだろうか。

 

「社長、そんなこと言ってないでちゃんとしてくださいね。……はい、じゃあいくわよ!」

 

 カメラのタイマーをセットし小鳥が急いでこちらに走ってきた。

 シャッターが切るまで少し時間があった。その数秒の間にプロデューサーふと春香に言った言葉を思い出した。

 別れは辛い、と言ったら信じてくれるだろうか。自分も血の通った人間だ。感情だってしっかりしている。だからこそ、

(悪くない一年だった)

 ――シャッターが切られた。じゃあ行くぞとプロデューサーは立ち上がり、置いてあった自分の荷物を手に取って出口まで歩き始め、途中足を止めて振り返った。

 

「最後に俺から言葉を贈ろう。……お前ら、今楽しいか?」

『……ぇ』

「本当に心から楽しいって思えているか? 仕事をするのが当たり前になってそんなことを思わなくなったんじゃないか? 初心にかえるとまでは言わないが、自分が一体どんな時楽しいと思えていたのか思い出してみるといい。それと――」

 

 扉を開けて外に出る。みんなの方を向いて、特に春香を見つめながら、

 

「春香に感謝するんだな。春香が言いださなきゃ、こうして全員が揃う事もなかったんだから。……それじゃあ、またどこかでな」

 

 扉を閉める。あとは春香、お前次第だぞ。

 プロデューサーは自宅に向けて歩きだし、765プロを後にした。きっと、当分ここには来ることはないだろう。だから、ここでの思い出に浸りながら帰ろう。

 一階に降り、外に出る。ふと空を見上げた。雲はなく、星が見えるだけであった。

 残念ながら雪が降ることはなさそうだ。

 

 

 時刻はすでに二十二時半をまわったところだ。

 帰宅したプロデューサーは風呂に入ったあと私用のノートパソコンを起動して仕事をし始めたのはいいが、なんやかんですぐに終わってしまった。

 することもないのでロックグラスにウィスキーを注いで飲んでいた。ビールに飽きたわけではなかったが、たまにはこういうのも悪くはない。

 子供の頃、海外の映画やドラマに出てくる大人がこうしてウィスキーかバーボンだと思われる瓶の蓋をあけて飲んでいるシーンに憧れていた。そのまま飲む豪快なところも好きだったが流石に真似はできない。

 気晴らしにテレビをつけるとまだクリスマスのCMが流れていた。まだ明日もあるし当当然かと彼は思った。年末年始も近いのでそれ関係のCMも多く流れている。

 気晴らしにテレビをつけるとまだクリスマスのCMが流れていた。まだ明日もあるし当然かと彼は思った。年末年始も近いのでそれ関係のCMも多く流れている。

 ふと彼は玄関の方に顔を向けた。

(……帰って来たか)

 雰囲気というか感覚で貴音と美希が帰ってきたのを感じ取った。意外とこれが高確率で当たるのだから馬鹿にはできない。

 たぶんこっちに来るだろうなと思いチェーンロックを外しに行ってリビングに戻る。普段からちゃんとしなければいけないのだろうが、貴音が朝食を作る手前それをするわけにいかないのだと彼は訳のわからない言い訳をしていた。

 それから少しして玄関が開いた。

 

「おかえり」

「ただいまなの」

「ただいまです」

 

 二人はリビングに入るといつものルートを歩きソファーに座るプロデューサーの左右に座る。左が貴音に右が美希。毎度のことだが、これがいつもの光景だ。

 

「あなた様。少しカッコつけて去ろうとしましたね?」

「何のことだ? 俺はただ春香の思いを代弁しただけだ」

「それは本当にありがとうなの」

 

 意外なことにお礼を言われた。別にしてほしいわけではないと思っていたが、どうやら効果はあったようだ。

 美希は続けて言った。

 

「あのあとね、春香が話してくれたの。ハニーが言った事を含めて色々と」

「その様子なら春香の悩みは解消だな。で、実際のところどうなんだ、お前らは」

 

 二人はプロデューサーを間に顔を見わせた。少し申し訳なさそうに貴音が口を開いた。

 

「実を言うと……わたくしも美希もその、あなた様に見てほしい一心でアイドルをしています。お恥ずかしい限りです。でも……」

「結局、自分のことしか考えおりませんでした。みなもいつのまにか仕事ばかりに気が向いていて、みなと過ごす大切さを忘れておりました。春香はそれを分かっていたんですね。だから、今日のことも率先して……」

「ええ。あなた様も言っていたように、始めはみんなでどんな仕事も楽しくやっておりました。互いに励まし合いながら共にトップアイドルを目指すために頑張っていたあの日々は、確かに楽しかったです」

「ごめん。それ、貴音が言うと説得力ないの」

「……なんのことでしょうか」

 

 プロデューサーを間に口論が始まった。彼は今までの会話は静かに聞いていた。どうやら春香の思いはちゃんと皆に伝わったことを感じ取っていた。

 春香もこれで悩むことなくアイドルを続けることができるだろう。もう、大丈夫だとなぜか思えるぐらい安心できた。

 

「たく。騒ぐんじゃない。いい感じに終わると思ったらこれだ!」

 

 怒っているよりも、むしろ嬉しそうにプロデューサーは声をあげた。

 

「そんなことだと春香に主役をとられるぞ?」

「そうですよ。春香に主役をとられてしまえばいいのです」

 

 意地悪な言い方でさりげなく貴音が言った。

 

「問題ないの。ハニーが美希にただ一言『頑張れよ、美希』って言ってくるだけで絶対大丈夫なの!」

「はいはい。頑張れよ」

「もう! 愛を感じないの! ところで、もしミキが主役をとったらご褒美が欲しいな~?」

 

 プロデューサーは小さな溜息をついた。左腕を引っ張られていることに気づき貴音の方に視線を向けると、首を横に振っていた。駄目ですと言っているのだろう。

 人のことを言えないくせに。

 貴音もことあることにご褒美をねだろうとするのだから美希と変わらない。二人して考えることは同じレベルだ。

 

「それはできない」

「えーー!!」

「ほっ」

 

 納得できない美希と安堵する貴音。わかりやすい構図である。

 

「ただ……その、なんだ」

 

 プロデューサーは頬を掻きながら言葉を詰まらせた。彼は立ち上がり、自分の寝室へと向かった。二人はそれを呆然と見ていた。そこだけはこの二人でも立ち入ることが許されない禁断の聖域だったが、プロデューサーの様子が変だと思ったのか見ている事しかできなかった。

 そしてすぐに戻ると二人の前に立ち、

 

「さっきは皆がいる手前ああ言ったが、そのプレゼントは用意してた」

 

 彼は両手で小さな箱を二人に差し出した。二人は受け取り、開けてもいいかと聞くと彼は静かに頷いた。

 箱を開けるとそこには一個のリングがあった。形はシンプルで星のデザインをしたものだった。星のあとに続くようにキラキラと光っているのはダイヤモンドだ。流れ星をイメージしているようにも見える。

 二人のイメージカラーを意識しているのか貴音がシルバーで美希がゴールドだ。

 二人共目を光らせてリングを見ている。とても嬉しいのだろう。

 

「まだ未成年だしそんな大層な物よりファッションとかに使える物を選んだんだが……」

「あなた様。その、これを本当に頂いてもよろしいのですか?」

「そ、そうなの。別にこういう物じゃなくてもいいんだよ?」

 

 二人は今更だと思いながら言った。貴音に美希も誕生日に高そうな(実際に高いのだが)プレゼントを貰っている。それは仕事以外では毎日身に着けている。最近というより、今後彼がいないと思うと、それが彼の代わりにように思えてきてもいた。

 つまり、これだけも充分なのだ。今のように求めているのは彼に構ってほしいからきた行動だ。

 

「まあ、あれだ。お前達との縁は切っても切れそうにないし、長い付き合いになるんだから、えーと」

 

 珍しく動揺しているプロデューサーに二人は苦笑していた。その先の言葉を聞きたいのかじっと待っている。

 彼も二人の表情からそれは見てとれた。だからこそ、余計に恥ずかしかった。自分のキャラじゃないと思いつつも、ここまで来たら言うしかない。

 すー、はー。

 よし。言ってやる。

 

「貴音、それに美希。……これからもよろしく頼む」

 

 二人は笑みを浮かべて交互に、

 

「こちらこそ」

「よろしくしますなの」

「わたくしの」

「ミキの」

 

 声を揃えながら満面の笑みを浮かべて呼んだ。

 

『プロデューサー!』

 

 

 

 

 

 




お待たせしまた。仕事が忙しくかなり時間がかかりました。

最初に補足で、アニマスだとたぶんクリスマス当日にミュージカルの話を聞いているのですが、本作ではちょっと前に聞いていて打ち合わせ等はしている感じです。
あと本編で社長が美希にいったなんとか賞(忘れちゃった)は貴音になってます。しょうがないね。

今回はかなり詰め込んだので苦労しました。美希のライバルが貴音になっているので、アニマスのようになりません。よって、赤羽根Pが落ちることもありません。個人的には予告が辛いんですよね、あの話。

自分でも言うのもなんですが最後の展開からみると、たぶん765編の最終回だと思っています。ただ、自分的には次回が最終回のはずなんですけど……。
アニマスでもあったように後日談のように近い感じになるので、次回はエピローグといったような感じになるのでしょうかね。
前回も含め、シンデレラのキャラが登場し始めました。今回はクリスマスということであの子を出しました。そして、次は年明け。ということは……?

初期の段階から思っていて、プロデューサーがアイドルを攻略しているのではなくてアイドルがプロデューサーを攻略している感じになってると思ってます。プロデューサーが行うのはただ親愛度をあげているだけで、MAXになったアイドルがプロデューサーに好意を抱いて彼を振り向かせる……そんな感じですね。

上でも言ってますが次で765編は最後のはずです。今回みたいに時間がかかると思いますが気長に待っていただけると幸いです。それが終わり次第、デレマス編の前日譚というよりスカウト編及び765側の幕間を考えています。
では、また次回で。





PS. 最後にあの場所にいたのは三人だけではない……。




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第18話

いいですか! まゆはいい子なんです。ですから、部屋に勝手に侵入しているわけないんです! 


 二〇一四年 一月一日

 

 プロデューサーの前に貴音と美希が姿勢を正して椅子に座っている。テーブルの上にはどんぶりが三つある――年越しそばである。二人はまるで「待て」と言われた犬のように大人しく待っている。尻尾があるならきっと彼の合図を、「まだ、まだなの?」と待ちながら尻尾を振るっていることだろう。

 だが、すでに今日は一月一日に二時間ほど前になったばかり。本来であれば年を越す前に食べなければいけないということは誰もが知っている。無論、三人も。

 その理由は大晦日の風物詩とも言ってもいい紅白歌合戦に貴音が出場することになっていたためだ。

 そして765プロ最後での仕事でもあり、プロデューサーが貴音と一緒にする最後の仕事でもあった。彼からしたら最後の仕事は本当に簡単な物であった。貴音を送り、スタジオでいつものように仕事をしながら放送が終わるのを待つだけである。

 特に問題もなく紅白は終わり、二人はこうして自宅に帰宅した。

 家に帰ると美希がこうして年越しそばを作って待っており、それを今食べようとしていたわけである。

 

「えー、あらためてあけましておめでとう」

「おめでとうございます」

「おめでとうなの」

「それじゃあ冷めないうちに食べようか」

「どうぞなの」

 

 うん、美味い。彼は素直な感想を抱いた。

(料理の腕をまたあげたようだ)

 貴音とどっちが美味いと言われると……貴音になるのだろうか。彼の前にいる貴音と美希に目を動かした。

 貴音はプロデューサーに料理を作るようになってもう少しで一年が経とうしている。彼の母親の味とまではいかないが、彼がどんな味が好きなのかを把握している。例えばご飯の堅さとか、麺の茹で時間へのこだわりとか色々だ。

(それでも米を使った料理は美希に軍配があがるんだよな)

 プロフィールにあるぐらいに美希はおにぎりが好きだ。彼は彼女の作ったおにぎりを食べたがそれはもう美味かった。貴音より。

 プロデューサーが二人をまじまじと見ていると、

 

「あなた様、どうかなされたのですか?」

「美味しくなかった?」

「ん? 美味しいぞ。ただ、あれだなあって」

『あれ?』

 

 貴音と美希が同時に言った。

 

「もう年が明けたなって。美希は四月から高校生か」

「えへへ。女子高生だよ、JKだよJK! それにミキも十六歳になったから……。結婚でき――」

「ふんっ」

「いたあっ!?」

 

 美希が言おうとした瞬間、貴音は彼女の足を踏みつけた。

 

「あらあら。どうかしたのですか美希?」

「惚けないで欲しいの! ……あ、そっか。ミキが二歳若いから嫉妬しているんだ」

「違いますぅ。断じて違いますぅ」

 

 プロデューサーは二人のやり取りをただ黙々とそばを食べながら聞いていた。意外な貴音の口調に彼は驚いていた。

 すぅとか言うのか。ちょっと可愛いと思ってしまった。

 それにいつも冷静で落ち着きのある貴音が慌てている。と思ったがそれは最初だけで、今ではよく起きるなと彼は思い出した。

 しかし、このままで埒が明かない。プロデューサーはこんな時に言う秘密の言葉を口にした。

 

「……俺は当分結婚なんて考えてないぞ」

「ほら」

 

 貴音は分かりきっているような顔をしながら言った。

 

「何が、『ほら』なの! でもでも! ミキはハニーがお爺ちゃんになってもずっと好きだから。安心してね!」

「わたくしはちゃんと一緒のお墓までいきますのでご安心を」

「いきなり色々と通り越し過ぎなの!?」

 

 そのあともあーだこーだと論争を続けている。プロデューサーは首を横に傾げていた。

(おかしいな。今回は別の展開だ)

 いつもだったら「酷いお方です」とか「なんでなの!?」と言うはずだったが今回は違うらしい。年が明けて色んなところが変わったようだ。

 

「……む」

 

 二人が口論をしている間に気付けばそばを食べ終えた。麺が無くなり汁だけが残っている。プロデューサーは箸を置いてどうするべきかと思考し始めた。とりあえず話を変えることにした。

 

「そう言えば美希。家には帰らないのか?」

「――え? ああそれなら朝になったら一旦帰るよ? そしたらまた戻ってくるけど」

「どうして?」

「どうしてって。初詣に行くからに決まってるの」

 

 そんな話は聞いていない。数時間前に仕事が終わって目の前に起きている面倒事を片付けたら寝るつもりだった予定だった。これでは貴重な休みが潰れてしまう……いや、もう潰れたと同じだ。溜息をつきながら彼は貴音に視線を向けた。

 

「ええ。美希とそういう話をしていました。駄目とは言わないでくださいね。どうせあなた様は明日から仕事なのでしょう?」

「貴音の言う通りなの」

 

 まったくもってその通りなので否定はできなかった。プロデューサーのスケージュールはアイドル以上にハードだ。といっても仕事内容はそこまで大変という訳ではないが、やらなければいけない仕事があるだけだ。世間が正月という事もあり一部を除いて大勢の人達は仕事だ。一日仕事ではないだけましだった。

 その貴重な休日である今日を手放さなければいけない。しかし、彼女達の頼みをきっと断れないと思っている自分がいるのが情けないと彼は思った。

 

「わかった。一緒に行けばいいんだろう?」

「はい」

「もちろんなの」

「わかったよ。じゃあ明日、というか今日か。少し寝ないとな。さすがに一睡もしないのは辛い」

「わかりました」

「じゃあ後片付けしてから部屋に戻るの」

「いや、俺がしておこう。二人は戻れ」

「では、お言葉に甘えて。美希いきましょう。あなた様、お休みなさい」

「お休みなの。ハニー」

「ああ。おやすみ」

 

 二人が部屋に戻りプロデューサーは食器を台所へと運んだ。裾をまくり、スポンジを手にとる。

 

「さて。とっとと終わらせよう」

 

 と言ったはいいものの。ある事を失念していた。

 この時期の水道水はとても冷たい。

 

 

 部屋に戻った貴音は寝室へと美希と共に戻っていた。美希が同棲するようになって自分の部屋には彼女の私物が増えるようになったと彼女は思った。

 自分もそうだがいつも使うような物は彼の部屋に置いてあるのでこちらは少し地味というか物が少ない。それは美希も同じだった。

 最初は反対していたが今の生活が当たり前だと思うようになってからは、美希がいることが普通だと思えてきた。気付けば一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝る仲でもある。

 不思議ですね。

 恋のライバルだと言うのに。

 それでも、彼女は大切な友であることには違いなかった。今では家族のような存在だ。もちろん、自分が姉で彼女が妹だが。

 そう思いつつ貴音は寝室の明かりを消した。隣にはもちろん美希が一緒にいる。いつもだったら寝るまでお喋りをするが今日はそんな気分ではないようだ。もちろん自分も。

 そんなことを想っていると美希が話しかけてきた。

 

「……あっという間だね」

「そうですね」

「これからは……。ハニーと会える時間も減るのかな……」

「そうでしょうね。今まで以上にこうしていられる時間は……減るでしょう」

 

 本人から聞かされたことだった。事務所に泊まり込みで家に帰らない日が多いかもしれないと言っていた事を彼女は思い出す。それほど切羽詰っているのかと聞くと「処理することが多すぎてな」と言っていた。

 まだ正式には決まっていないが、彼は346プロ〈アイドル部門〉におけるチーフプロデューサーの役職を与えられることになっている。意味合い的には少し違うが人材の統括、企画の立案、人材の育成からアイドルのプロデュース等の権限を持つことになるので問題はなかった。実質彼が〈アイドル部門〉の責任者みたいなものだ(実際には彼は違うのだが)。

 

「寂しいなあ。ミキ達が会えない時間にハニーが今度担当するアイドル達がいるんだもんなあ」

「問題なのはあの人にそのアイドル達がわたくし達と同じになってしまうことです」

 

 もっとも懸念することがそれだった。はっきり言って彼は魅力的な人だと貴音は思っている。見た目はちょっぴり怖いが実際には優しい男だ。最初はキツイ態度をとる人だが触れ合っていくうちに彼が自分のためにしているのだと気付くだろう。そういう人がたまに見せる優しさにコロッといってしまうに決まっている。

 特に問題なのがそれを本人が無自覚でやっていることだった。

 まことに解せない。

 だが、自分達以上に彼と親密な人間はいないだろう。なので、絶対に負けることはない。もちろん、恋のライバルとして。

 

「でもさ。今の状況以上のことが起きると思う? 好きな人が隣の部屋に居て、毎日のように入り浸っているし。恋人以上お嫁さん未満? な関係だと思うの」

「現状は本妻というより妾が二人と言ったところでしょう」

「まあミキはハニーと一緒に居れればどっちでもいいけど」

 

 意外だと貴音は素直に思った。美希はどちらかと言えば本妻が言いの! というと思っていからだ(そもそも日本で本妻とか妾とか言ってもどうしようもないのだ)。

 貴音の反応に気付いたのか美希は驚きもせずに言ってきた。

 

「やっぱり貴音は本妻がいいの?」

「それは……。はい。確かにその通りです」

「別にね? ミキは貴音がハニーと結婚してもいいって思ってるよ。そしたらミキも一緒に暮らすから」

 

 美希がさり気無くとんでもないことを言っていることにさすがの貴音も気付いた。ただ意外なことに、それに驚いていいない自分がいる。つまり、彼女の意見に自分も概ね同意しているということだ。そして、その逆も。

 

「わたくしも美希だったら何も言いません。もちろん、わたくしも一緒に付いていきますが」

「やっぱり考えることは一緒なの。ミキね? 今の生活結構気に入っているんだ。ハニーがいて、貴音もいる三人の生活」

「わたくしもです。わたくし達はもう家族……のようなものだと思っています。だからこそ大切にしたい」

「そうだね。でも、問題はハニーだよね」

「それもその通りですね」

 

 彼が今の生活をどう思っているのだろう。きっと嫌ではないはずだと思いたい。嫌だと思っているなら自分がここに引っ越してきた時から拒んでいるはずだから。そこに美希も加わり彼にとっては心労が絶えないことだろう。

 もちろん反省はしていない。

 実際に彼も一人の男性、ということは理解はしている。自分や美希もそうだが過激なスキンシップが多い。彼は頑なに平静を崩さないが、きっと鋼の精神で堪えているに違いない。ちゃんとわたしたちを意識しているということだ。

 しかし色々と憶測は出てくるが、実際に今の生活と自分達のことをプロデューサーがどう思っているかを確かめる術を貴音は持ち合わせてはいなかった。

 本来は白い天井が見えるが電気を消しているため真っ暗な空間を見つめながら貴音は考える。

(さて。どうすべきでしょうか)

 美希の言う通りこれからは傍に居られる時間が今以上に減ってしまう。彼が早々他の女性に目を向けるとは思ってはいない。だが、心配である。ならどうするべきか、そこが問題だ。

 ようするにわたし達の関係をより強固のものとすることだ。

 意識的、そして肉体的にも……。

 ふむ。あ、そうです。あれでいきましょう。

 貴音はなにやら妙案を思いついた。しかし、その顔はいい意味で悪い顔をしている。隣にいる美希にははっきりと見えないが、彼女はそれを直感ではあるが感じ取り聞いてみた。

 

「貴音。何かいい案でも思いついたの?」

 

 まるで好物のらぁめんを食したあとのような幸福に満ちた声で貴音は答えた。

 

「美希。わたくしにいい考えがあります」

 

 その言い方はある人物を彷彿させた。

 

 

 それから時間が経ち。時間にして十時過ぎといったこところ。

 三人は都内にある某神社に参拝に来ていた。さすがと言うより当たり前だと言うべきが。前を見ても人、右を見ても人、左を見ても人ばかり。元旦という事もあって晴れ着姿の女性が目につく。

 そんなプロデューサーの両隣にいる貴音と美希もそうだった。時間が少しかかるので待っていてください、と一人でテレビを見ながら待っていた。それから言われたように少し待っているとお待たせしましたと言われて振り向いた先には着物を着ていた二人がそこにいた。

「どうかな。ハニー、似合う?」と、美希に聞かれた。プロデューサーは、「ああ。似合ってる。貴音もよく似合ってるぞ」とちゃんと美希を褒めつつ貴音も褒めた。

 その時驚いたのはよく着付けができたということだった。多分、美希ではないことは彼にははっきりと断言できた。となると貴音ということになる。

 プロデューサーは薄々予想が付いていたのでコマンドー風に聞いた。

 

「どこで着付けの仕方を習った?」

「婆やに教えてもらったのよ」

 

 普通に合して返事を返されたのがちょっぴり嬉しかった。

 貴音の話にたまに出てくる存在。それが『爺や』と『婆や』である。プロデューサーはその二人が彼女の世話役と教育係のような存在だということは、彼女が話す内容から予想はしていた。

 この二人が四条貴音という存在を形成したに違いない。

 直感ではなく、はっきりと言える。特に押しの強さや、弱みを握られたりとか、こうぐいぐい迫ってくる感じなどどうみてもその婆やの入れ知恵だろうとプロデューサーは思った。

 例えば、「男は胃袋でつかむのですぞ」とか、「今の時代男は船、女は港なんていう時代ではないのです。自分から動かないといけません」といったようなことを貴音に教育したのだろう。意外と的外れではないと思っている。

 しかし、その婆やとやらの指導のおかげでこうして二人の晴れ着姿が拝めることができたのだから感謝しなければいけないだろう。

 ありがとう。顔をも知らない婆やとやら。

 それにしても、貴音の技術は相当のものだと見てとれた。着付けだけならまだしも、髪の毛のセットまでしたのだろうから大したものだ。

 貴音にメイク等を教えたのはプロデューサー自身だったので、彼は鼻を高くしていた。

 そんなことを思いだしながらプロデューサーは両手に花という誰もが羨むであろう状態で向拝所へ向かっていた。大勢の参拝客で中々進まないのが悩みの種ではあった。

 ふと周囲に目を回し、聞き耳を立てる。

(本当に誰も気付かないのか……)

 プロデューサーは二人の晴れ着姿を褒めつつも変装しないと面倒になると思っていた。その事を二人に伝えると、

 

「あなた様。そんなに心配せずとも大丈夫です」

「ハニーは心配性なの」

「なんでそうはっきりと言えるんだ?」

「だって」

「ねぇ?」

 

 貴音と美希は声を揃えて言ったのだ。

 

『そういう風にできているから』

 

 訳が分からなかったがどこか納得している自分もいたのは確かで、こうして現実にはまったく問題は起きていないのだから不思議だ。

(それにしても……。どこかにアイドルの卵はいないものか)

 これだけ大勢の人間がいるのだからアイドルになれる逸材の一人や二人居てもいいはずなのだ。こう例えるならドラゴンレーダーみたいな感じだ。それは頭の中でアイドルレーダーが微弱だが反応を示している。ピコン、ピコンと少し長い間隔を置いて音をたてている。

 たしかにこの付近にいると思うのだが……。

 誰かがそれを聞けば、アイドルの卵がそこら辺の雑草みたいにいるわけがないだろうとツッコミを入れられるに違いない。

 先程から辺りをキョロキョロと見回しているプロデューサーが気になって貴音が聞いた。

 

「どうかなされたのですか?」

「ん? アイドルになれそうな子でも居ないかって探して――ッ!」

 

 口は災いの元とはこのことか。貴音と美希の二人に腕を抓られた。それも本気なのか、かなり痛い。

 

「最低なの」

「今日はオフなのですから仕事の話は厳禁です。特にアイドル関連は」

 

 アイドルの部分だけやけに強く発音したのを聞き逃さなかった。プロデューサーは大人しく従うことにした。

 逆らったらもっと酷い目に遭う。

 素直にいう事を聞くのが一番だ。プロデューサーはこれ以降探すのを止めた。ただ、問題が新たに浮上した。

 仕返しか、それとも罰なのかはわからないが貴音と美希に腕を組まれる。その光景を左右と背後から視線が突き刺さる。

 奇怪な目で見られているのがわかる。

 しかし、サングラスがなければ耐えられなかった。

 当の本人は現状に四苦八苦していたが貴音と美希は終始楽しそうにしていた。

 そのあとも向拝所に着いてからも視線が突き刺さり、プロデューサーはとっとこの場所から逃げ出したい気持ちで一杯だった。

 やっとの思いで賽銭箱に辿りつくことができると貴音の豆知識講座が始まった。まず、鈴を力強く鳴らしてから、

 

「いいですか。今のように鈴を鳴らしたあとにお金を入れて二礼二拍手一礼をするのです」

 

 貴音に関心しながらプロデューサーと美希も彼女を見習って……。

 二回おじぎ。ぱんぱんと手を叩いて祈念を込める。

(この人が浮気をしませんように)

(ハニーが他の子に目移りしませんように)

(アイドルが見つかりますように)

 最後におじぎをして向拝所を離れる。

 願いをしてさっそく貴音と美希は不安でしょうがなかった。きっと無理なのではないかと心のどこかでそう思ってしまっている。

 当の本人はと言うと、

 

「それじゃあおみくじ引いて帰るか」

「そうですね……」

「賛成なの……」

「……?」

 

 先程と打って変わってテンションが低くなっていることに違和感を覚えたが、プロデューサーは気にせずおみくじのある場所まで移動した。

 三人分のお金を払いくじを引く。先に貴音と美希に引かせ、二人は周りの人の邪魔にならないように少し離れた場所で渡された紙を開けた。

 

「あら。大吉ですね」

「あ、ミキもなの!」

 

 新年早々幸先がいいと思った二人であったがある項目で目が止まった。ここのおみくじは縦長で色々書いてある。仕事運、金運、今年の運勢云々。しかし、それらはどうでもいいのだ。問題は……恋愛運。

 ――恋愛運。意中の人との関係はますます距離を縮めることできるでしょう。ただし、その人次第で状況は一変。あなたにはどうすることもできないので諦めましょう。

 

『……』

 

 貴音と美希は理解している分、非常に受け入れがたい内容であった。

 一方プロデューサーはというと。紙を開くなり目を大きく開けた。サングラスを外し、目を押さえてもう一度見る。

 ――大凶。あなたの今年の運勢はとても最悪です。抗っても無理なので諦めましょう。ですが、あるきっかけであなたの運勢は大吉ぐらいにはなるでしょう。

 なんなのだこれは。

 あるきっかけ? それで大凶から大吉になるというのだろうか。それに『ぐらい』とはなんだ。『ぐらい』とは。

 プロデューサーがおみくじの結果に困惑している中、隣で同じくおみくじの結果を見て声をあげた女性がいた。

 

「あ。今年も大吉です。やったぁ!」

 

 今年も? それはどういうことだろうか。プロデューサーは気になって声の主の方へ向いた。

 おそらく二十代で、大学生だろうか。とても可愛らしい女性がいた。そう、まるでアイドルと言われて不思議では……。

 ティンときた。

 今まで長い間隔を置きながら反応していたアイドルレーダーがピコン! ピコン! と間を開けず鳴り響く。プロデューサーのサングラスがドラゴンボールのスカウターのように目の前にいる女性のアイドル力(ちから)を計測していく。

 7875……11550……。馬鹿な、まだ上がるのか。17325……26475……だと?

 どうやら新年早々とんでもないアイドルを見つけてしまったようだとプロデューサーは歓喜した。

 いつものようにスーツではないがスマホや財布、腕時計と同じくいつも所持している名刺ケースを懐から取出した。まだ346プロのものではなく765プロのままだが自分の連絡先が書いてあるので問題はない。

 プロデューサーは一枚名刺を取り、前の前にいる彼女に声をかけた。

 

「あの……。すみません」

「……? あ、はい。私……ですか?」

「はい。実は私、こういう者なのですが」

 

 一瞬。後ろにいるである貴音と美希のことが脳裏を過ったが無視した。

 今は目の前の子をスカウトするのが最優先だ。逃がすわけにはいかない。

 さあ、スカウト開始だ。

 

 

 二〇一四年 三月某日 346プロ オフィスビル31階

 

 時は流れ気付けばもう三月となっていた。

 去年の十二月に行ったオーディションとプロデューサーにスカウトされたアイドル達は年が明けた一月から本格的に活動を開始した。下は子供から上は大人まで多種多様なアイドルが揃っている。特に個性が強いのが特筆すべき点であると彼は身を以って知った。

 今までは準備期間という名目での形であったが来月の四月を以って正式に〈美城プロダクション アイドル部門〉が誕生するのである(現状は芸能部門の一部という扱いであった)。ついでに予算も〈アイドル部門〉として振り分けられることになるので結果を出さなければ意味がない。

 現在三月の時点では予想を超える成果を出している。その要因としては元々アイドル達が培ってきた経験が生かされたと言うべきだろう。中には元キャスターや読者モデルを経験しているアイドルがいたので、最初の仕事選びには困らなかったというのが本音だ。

 それ以外の子達は素人と言ってもいい。最初の一か月はレッスンの日々だった。それが今では全員がデビューし活躍をし始めている。

 残念でならないのがこの活躍は〈芸能部門〉に持っていかれてしまうのが悔やまれる。

 そんなこともあったが四月に正式に〈アイドル部門〉として活躍するにあたって、この三月上旬に〈アイドル部門〉にもオフィスが与えられた。それもまるごと一階分のフロアをである。

 古い伝統を持つ〈美城プロダクション〉ならではと言ったところか。事務所に関してはあの961プロよりも上なのだから相当のものだと思われる。

 アイドル達には活動拠点となる部屋が振り分けられ、もちろんそれはプロデューサーにも与えられた。

 オフィスビル31階。プロデューサーは自分と同じ歳だということになぜか不思議な気持ちになった。

 自分が三十代だということを改めて認識させられる。

 そんなことを思ってはいたが、それはすぐに吹き飛んだ。自分専用のオフィスを与えられ喜びに満ち溢れていたからだ。はしゃいではいないが、心の中では自分の部屋を与えられて喜んでいる子供のよう気分だった。

 部屋の奥にある椅子に座ると以前とは比べ物にならないぐらい座り心地がいい。前には来客用のテーブルとソファーがあり、壁際にはロッカーが三つほど並んでおかれている。この部屋には似つかわしくないホワイトボードも完備されている。

 ホワイトボードに関してはきっと一個では足りないだろうと彼は予想していたが、今現在は年少組によって落書きだらけになっている。今ではタブレットとパソコンでアイドル達と自分のスケジュールをプロデューサーは管理していた

 プロデューサーは現状にとても満足していた。なぜなら自分だけの空間を与えられ、そこで仕事ができるのだからこの上ない最高の仕事場である。さらにAm〇zonでネスカフェのバリスタを購入したことにより仕事へのやる気も数段上がった。難点なのはマグカップを洗うのに給湯室に行かなければいけないことだったが我慢した。

 小さな不満あれど、とどのつまり、最高の環境、最高の職場で仕事ができるというわけなのだ。

 ここは聖域だ。自分だけの。

 とプロデューサーは思っていた。思っていたのだが……。

 

「――プロデューサーさん、コーヒーですよ。大丈夫ですか……?」

「お前の入れるコーヒーは上手いよ……。アイコ」

「……うふふ。わたしは藍子ちゃんじゃなくて、まゆですよ。プロデューサーさん……?」

「か、かなりヤバイな。毒キノコを間違って食べたのか……? で、でも、友達であるプロデューサーなら平気そうだな。フヒヒ……」

「えへへ……プロデューサーの目がだんだん堕ちてくよ。ふ、ふふふ……かわいい……」

「ではでは。ここは私のサイキックヒーリングで! ムム、ムムムッ!!」

「――あれ? 肩が軽くなって腰の痛みがなくなったような……」

「あれぇ? 菜奈ちゃん十七歳なのにもう苦労してるの?」

「え゛っ!」

「凄いですねユッコちゃん! 私にもやってください!」

 

 といったように、すでにオフィスはプロデューサーの聖域ではなくなっていた。四日も徹夜している彼の精神状態はオフィスに入り浸っているアイドル達を追い出す気力はなかった。

 ただ仕事をするだけの機械(マシーン)と化している。プロデューサーの精神状態は危険だが、彼の身体は異常なほど正常だ。目は半開きだがパソコンの画面をしっかりと捉え、キーボードを打つ手は間違えることなくキーを打っている。

 そんなプロデューサーの様子を心配する子もいれば、楽しんでいる子もいる。しかし、当の本人はそれを把握することはなかった。

 そんな時、扉をノックして千川ちひろが入ってきた。

 

「プロデューサーさん。判子が必要な書類がいつくか……。あら、あなた達こっちにいたのね」

「あ、ちひろさん。実はプロデューサーさんがまた(・・)こんな状態になっちゃって」

 

 困惑しながら藍子は言った。彼女を含め、アイドル達はこの状態になったプロデューサーを見るのはこれが初めてではなかった。連日で徹夜をした日はいつもこうなのだ。

 ちひろは部屋に入るなり呆れた顔をしながら、

 

「もう。あれ程念を押したのに……。また泊まり込みで仕事をしたのね。困った人なんだから」

 

 言いながらちひろはポケットから一本の栄養ドリンクを取りだした。キャップのところに星形の装飾がついている。

 それは美城が薬品会社と契約している栄養ドリンクだ。まだ正式に販売はされてないが試験品として美城に提供されている。プロダクションの施設内にある自動販売機にはその薬品会社から発売されている〈エナジードリンク〉が販売されている。その味は無類である。

 仮称ではあるがこの〈スタミナドリンク〉の効果は市販で売られているどの薬品よりも効果は抜群だ。

 

「はい、どうぞ。プロデューサーさん」

 

 プロデューサーはそれに手を伸ばしキャップを開けて飲んだ。すると……。

 

「……!」

 

 シャキーン。などという効果音が聞こえてくるよう感じで、プロデューサーに纏わりついていたどんよりした空気は消し飛び、彼はいつもの厳つい顔に戻った。

 

「千川。書類を」

「はい。こちらになります」

「お前らも部屋に戻れ。このあとレッスンの時間だろうが」

『は~い』

 

 いつもの調子に戻って嬉しいのか彼女達は不満を言わず部屋から出て行った。彼女達が部屋から出て行くのを確認すると彼はサングラスをとり溜息をついた。

 

「慣れんな。君の呼び方」

「アイドル達に変な意識を持たれては困りますから」

「俺的にはちひろちゃんって呼ぶのに慣れてしまっているからな。なんなら、ちひろって呼ぼうか?」

「も、もう! やめてください……ちょっといいかも」

「何か言ったか?」

「い、いえ。なんでもありません。ところで! プロデューサーさん、今日はちゃんと帰ってくださいよ! 色々言われるの私なんですから!」

「さすがに今日は帰るよ。それでなんだが、明日は昼前にはこっちに来るから。仕事の方は帰るまでにやっておくから頼む」

「お願いしますよ。本当に……」

 

 心配してくれる彼女に、疲れた声でプロデューサーは言った。家にも帰らずここのオフィスで寝泊まりしているせいか家のベッドが恋しくなってきたと思い始めた頃だった。それに徹夜で仕事をするための必需品である着替えや食料の関係もある。

(二人の飯が恋しい)

 二人の料理以外だと満足できない体になってしまった。

 実家にいる母親には失礼だが、気付けば子供の頃から毎日作ってくれた母の味より彼女達の味に舌が味を覚えてしまったらしい

 そんなことを思いつつも彼はオフィスに閉じこもって、書類仕事を一枚一枚処理をしていた。全部に目を通して、判子を押す。訂正すべきところがあれば修正して送り返す。デスクに向かって仕事をするよりも、身体を動かしている方が性に合っているのだとしみじみと思う。

 それが幸いしたのか、今日はアイドル達への付き添いをしなくてもいいということだった。武内を始めとした、数人のプロデューサー達にアイドルの担当を任せられるようになったのが大きい。一部のアイドルは不満そうであったのを彼は思い出した。

 誰とは言わないが。

 彼らは入社しばかりの新入社員ではない。仕事の基本は皆わかっている。今はどちらかというと、プロデューサーというよりはマネージャーに近いと彼は思っている。だが、いずれは自ら企画を立案し、アイドルを導くようになるだろう。

 プロデューサーは一息つこうと思い、各フロアに数か所しかない喫煙ブースで今西と煙草を吸っていた。

 

「ふぅー。にしても四日も泊まり込みで仕事とは。顔から疲れが見てとれるよ」

「まあ、忙しい時期ですから。本音を言えば、帰るより泊まって仕事をした方が手っ取り早いんですよね。ふぅ……。あれだ、完全な仕事中毒(ワーカホリック)だ。これ」

「気を付けてくれたまえよ。会社にとってもアイドル達にとっても君は大事だからね」

「気に留めておきますよ。……そういえば、彼女を見ませんね」

 

 吸い終えた煙草を処理しながら彼は言った。

 

「彼女?」

「お嬢ですよ。お嬢」

 

 彼の言う人物が分かったのか、今西は苦笑しながら答えた。

 

「彼女か。君ぐらいだよ、彼女をお嬢なんて呼べるのは」

「他の呼び方がないもので」

「確かにね。彼女は今アメリカで仕事をしているそうだ。それぐらいしか知らないがね。ところで……」

「……?」

 

 今西は不思議そうな目でプロデューサーを見た。

 

「一体どうしたんだい? 前はもっと吸っていたじゃないか。それが今じゃたったの数本だ」

「あー。その、制限されて。一日三本までだって」

「おや。君は確か結婚はしていなかったはずだ。ということは……。彼女かい?」

 

 面白い話だと今西は思ったのか笑みを浮かべながら聞いてくる。プロデューサーはどういえばいいか迷ったが、適当に誤魔化した。

 

「違いますよ。……姪っ子が一緒に同居してるんですよ。こっちの大学に入るからって相談を受けまして。ほら、俺ってそんなに家にいないんで丁度いいと思って。それに掃除もしてくれているんで助かってます」

 

 我ながら上手い言い訳を咄嗟に思いついたものだとプロデューサーは思った。今西の様子を窺うと、即席ながら効果は出ているようだ。

 

「だが……。それだったら別に吸ったってバレないんじゃないのかい?」

「毎日箱をチェックされるんですよ……」

「そ、それは……あれだねえ」

 

 事情を知った今西は言葉を失った。なんと言っていいのかわからなかった。しかし、彼はふとある事に気づき、

 

「じゃあもう一箱買ってそれを見せればいいんじゃないか?」

 

 天啓を受けたかのようにプロデューサーは口を開けて今西を見た。

 

「それだ……! ちょっとコンビニ行ってきます」

 

 喫煙ブースから出たプロデューサーは走り出した。彼の後姿を見て、煙を吐きながら言った。

 

「かなり怖い姪っ子なんだろうねえ」

 

 

 午後十七時過ぎ。世間一般の公務員や会社員なら作業を終え自宅に帰る頃である。プロデューサーも自分のオフィスで帰り支度をしていた。彼の表情は疲れながらも嬉しそうである。

 今日の書類は全部片づけた。明日分の仕事も今日できる範囲で処理をした。これで十二時間以上は休める。とりあえず寝よう。我が神聖なる寝室へいざゆかん。

 ビジネスバッグと着替えなどが入ったバックを手に持ちオフィスを出て鍵を閉める。エレベーターのある方に歩こうとした時、背後から声をかけられ振り向くとアイドルの川島瑞樹がいた。

 

「あ、いたいた。プロデューサー今……あら。大分お疲れのようね」

「瑞樹君か……。大方検討はつく」

「なら早いわ。これから飲みに行くのよ。いつものメンバーに……あ、菜々ちゃんも誘ってるわよ」

 

 それを聞いてプロデューサーは菜々の反応がすぐに思い浮かんだ。『え゛!? い、いやですよ瑞樹さん! ナナは十七歳ですからお酒は……』と言うに違いない。初めてではないのだから普通にすればいいのにと彼は思いつつも、彼女の年齢は本当ではないことを知っている人間もいるのだ。

 遠慮しなくていいのにな。無茶しやがって……。

 彼女のお誘いは魅力的だが今は睡眠欲が勝る。

 

「俺じゃなくて武内でも誘ったらどうだ?」

「彼なら楓ちゃんが交渉中よ」

「手回しがいいことで」

「それにちひろさんも誘ってるわよ?」

「なんでそこで千川の名前が出てくるんだ?」

「だって君とちひろさんってなんだか堅いのよ。だから、関係をちょっとほぐそうと思って」

 

 どうやらちひろの思惑通りの展開らしい。瑞樹や他のアイドル達から見た二人の関係はお堅い上司とそれに従う部下の関係と言ったところだろうか。実際にそういう関係で問題ないのだが、彼女達からしたらもっとフレンドリーになってほしいようだ。

 だが、真実は彼女達が望んでいるような関係である。

 

「言いたいことは分かった。だが、今回はパスだ。勘弁してくれ」

「今回はさすがにしょうがないわよね……。わかったわ。また次回ということにしましょう」

「そうしてくれると助かる。それじゃあお疲れ」

「ええ。お疲れ様です」

 

 別れを告げプロデューサーはオフィスビルから本館を通り外に出た。未だに自家用車は持っていないので徒歩か電車、或いはタクシーを使って帰るしかない。疲労感で一杯の彼はタクシーを呼んでマンションへと帰宅した。

 かなり限界にきていたのか。彼は自分の部屋までの道のりすら辛く感じ、エレベーターで移動している最中に意識が飛びそうで危なかった。

 自宅の前まで来るとポケットから鍵を取出し玄関を開けた。するとなぜか明かりがついていた。

(……連絡したんだっけ、俺)

 今日は帰ると決めたプロデューサーは貴音に伝えていたのだが、疲れているせいかその事も直前まで忘れていたらしい。

 プロデューサーが帰ってきたことに気付いたのか、エプロンをつけた貴音が出迎えた。

 

「お帰りなさい、あなた様……あなた様?」

 

 出迎えた貴音を通り過ぎてプロでシューサーはソファーに倒れ込んだ。貴音はまたかと思いながら台所に戻った。

 

「貴音……。いつもと同じようにスーツとYシャツをクリーニングに出しておいてくれ……」

「はいはい。わかりましたよ」

「それと……」

「この間出したスーツとYシャツは戻ってきていますよ」

 

 プロデューサーが言おうとしたことを貴音は先に伝えると「あ゛あ゛……」と声を漏らしあとにその場所を聞くと、「そこのテーブルですよ」と言われる。彼は歪んだ歯車のように顔を横に向けると確かにあった。

 ダイニングテーブルに料理が盛られたお皿を並べながら貴音は尋ねた。

 

「夕食はどうしますか?」

「もう……寝る。朝食べる」

「わかりました。お風呂も入らないのですか?」

「……ねる」

 

 プロデューサーはなんとか立ち上がると自分の寝室の方へとふらふらと歩いていく。扉を開けると彼は立ち止まり、

 

「みず……くれ」

「今持っていきますよ」

 

 コップに水を入れると貴音はすぐに持っていかず、エプロンのポケットから実験用ろ紙を折ったようなものを取出すと……。

 サー。

 と粉末状の薬をコップに入っている水の中に入れてかき混ぜてからプロデューサーに渡した。彼はそれを一気に飲み干すと表情を歪めた。

 

「どうしました?」

「……変な味がする」

「それはきっと、あれです。連日もちゃんとした食事をとらないから舌がおかしくなっているのですよ」

「そうかも……。あ、美希はどうした……?」

「もう少しで帰ってくるそうですが。何か用でも?」

「なんでもない。じゃあ、ねる」

「お休みなさい。あなた様」

 

 プロデューサーは襖を閉めスーツとYシャツを脱ぐと床に放り投げた。いつもジャージで眠る彼はなんとかジャージを着た。ズボンは反対だが。

 着替えを何とか終えた彼はそのままベッドに潜り込んだ。

(……ただいま。我が愛しの聖域)

 彼はそのまま眠りについた。

 深い眠りに。

 

 

 ただいまの時刻は深夜零時過ぎ。

 私達は今まで踏み込むことができなかった禁断の地へ一歩踏み出そうとしているのだ。ここまで辿り着くのにどれだけ待った事か……。

 だが、それも今日で終わりだ!

 いざ、ゆかん。禁断の地へ!

 壮大な前振りを頭の中で語りながら美希はプロデューサーの寝室の前で貴音と共に待機していた。小さな懐中電灯を持ち、静かに待っていた。

 美希はこの日をずっと待ち望んでいた。まだか、まだのかと。

 元旦のあの日。貴音の考えたいい話とはこのことだった。その内容とは疲れ切ったプロデューサーのベッドに潜り込んでやろうという話だった。それも今回のような状態が一番好ましかった。しかも念を押して睡眠薬を混ぜて飲ますほど徹底的にだ。

 

 

「ところで、睡眠薬なんてどうやって手に入れたの?」

「婆やに頼みました」

「協力的なお婆さんなの」

「薬は保険ですから。それぐらいしないと起きそうですし。……気配で」

 

 それは確かにありあるなと美希は思った。室内にいるのに外にいる自分達が来ることがわかるぐらいだ。

 まるで、ハリウッドの主人公みたいなの。

 常人ではない。それでも美希にとっては、それが彼の魅力の一つだと言える。

 貴音は寝室へ通じる扉に手をかけ、

 

「では、行きますよ」

「オッケーなの」

 

 二人はゆっくりと寝室へと踏み込んだ。寝室を見渡すと部屋の中央にベッドがあり、壁の方にはクローゼットがある。美希は懐中電灯を床の方に照らした。そこには放り投げられた彼のスーツがあった。貴音はそれを手に取り綺麗に整えた。

 

「あらあら。困った人ですね」

「かなり疲れてたみたいだね……ん?」

 

 美希は彼が眠るベッドの傍にある棚の上にコルクボードがあることに気付いた。そこには多くの写真が貼ってある。問題はそこに写る人物だった。彼女は慌てながらも小さな声で貴音を呼んだ。

 

「貴音、ちょっと来てなの……!」

「なんですか美希。……これは!」

 

 そこには世間に疎い貴音ですら知っている有名人物が写る写真があった。〈シェリル・ノーム〉、〈ランカ・リー〉、〈星宮いちご〉と国内や海外で活躍するアイドルと一緒にいる写真。

 

「あと、これ見てなの」

「やはりもっと問い詰めるべきでしたね」

 

 二人が見つけたのはプロデューサーと東豪寺麗華が写っている写真だった。一枚だけではなく他と比べると枚数が多い。しかも、どこかで開かれたパーティーで一緒にいる写真もある。

 ボードに張られている写真には女性だけでなく男性の写真もある。〈熱気バサラ〉や最近無人島を開拓しているアイドルもいる。

 

「この人の交友関係は凄いですね……」

「それも気になるけど今はそれどころじゃないの」

 

 貴音も美希の言葉に同意して行動に移した。二人は懐中電灯のスイッチを切るとプロデューサーが眠りベッドへと潜り込んだ。美希が右側で貴音がその反対だ。

 二人はベッドに入るなり持ってきていたスマホを取出し、写真を撮り始めた。

(これをネタにしてハニーを……。むふふ)

 恐らく貴音も同様の事を考えているに違いない。ハニーと一緒のベッドに寝るのが目的だが本音はきっとそれに違いないと(なお、それが一緒に寝ることもこの作戦の目的の一つなのだが)。

 そう思いながらも何度も写真を撮るので人のことは言えない。貴音をちらりと見るが、彼女も自分と同じように何枚も写真を撮っている。その顔は嬉しそうである。

 だが、これは序の口。本命はまだ残っているのだ。

 

「貴音。そろそろ撮影はやめるの。本命はこれだよ?」

「――はっ! そうでした。わたくしとしたことがあまりにも夢中でそれを忘れていました」

「最初は貴音に譲るから。ほら、スマホを貸すの」

「わかりました」

 

 貴音は美希にスマホを渡すと、彼の顔に急接近した。まるでキスをするかのようである。

 否。これからするのだ。

 

「いい? 約束通り頬だからね? 抜け駆けは許さないの」

「わかっております」

 

 事前の打ち合わせでキスをするが唇は駄目と決めていた。先に譲ったのも貴音にはそれの資格があるし、まあ頬だからいいかなと、美希には余裕があったからだ。

 貴音はゆっくりとプロデューサーの頬に近づいていく。そして、優しく彼女の唇が彼の頬に触れた。

 ――カシャッ。撮った画像は部屋が暗いため少し悪いが問題なく撮れている。それからキスをしたり抱き着いたりと一人では撮れない写真を撮った。

 そして、やっと自分の番が回ってきた。

 

「では美希。次はあなたです」

「待ちくたびれたの。じゃあ……」

 

 目を閉じてゆっくりと近づく。彼の頬はすぐそこなのに、目を閉じているからか遠く感じる。まだかな、と唇が柔らかいものに触れた。

(初めてのキスなの)

 唇ではないのが残念だがそれは最後のお楽しみである。いつになるかわからないのが問題だが。

 そのあとも貴音と同じように美希は色んなポーズで写真を撮ってもらった。

 そして、最後の大詰めである。

 

「上手く撮れるかな……?」

「とりあえずやってみましょう」

 

 今までは一人だったが今度は二人一緒に撮る。試に自分がカメラマンをやってみる。右手を伸ばして角度を調整。カメラの距離を少し離してこれくらいかな?

 貴音と美希はまずはプロでシューサーの顔に自分の顔を寄せて視線をカメラに向けた。

 

「じゃあ撮るね……」

 

 フラッシュがしたので撮れたようだ。画像を見る。笑っている自分と貴音に彼の寝顔。よし。問題ない・

 では、これが最後だ。

 美希は貴音を見た。彼女もそれを理解したのかうなずいた。

 貴音がまずプロデューサーにキスをして、次に美希がキスをする。そして、彼女のだいたいの予想でスマホの位置を決め、シャッターのボタンを押した。

 貴音と一緒に見たそれは上手い具合に三人が写っている。作戦はこれで全部だ。

 ミッションコンプリートなの。

 美希は貴音の方に向いて尋ねた。

 

「結局このあとどうずるの?」

 

 作戦会議の時点では貴音の部屋に撤退する手筈になっていた。だが、ここで引くのは少し勿体ないと美希は思っていた。

 それは貴音も同じようで少し悩んでいる。そして、結論を出した。

 

「……寝ちゃいましょうか。このまま」

「賛成なの。起きたら怒られそうだけど」

「大方そうなるでしょうね。ですが……。これを逃したらこのような機会は二度ないでしょうし。その時はその時です」

「じゃあ……寝るの。さすがにミキも眠くなってきたの」

「ええ。では、美希。お休みなさい」

「お休みなの。貴音」

 

 そう言って数分もしないで美希は眠りについた。

 

 

 翌日。午前五時頃。プロデューサーは自分の意識が眠りから戻ったことを認識した。

 ……朝か。

 プロデューサーは仕事に行かなければと思ったが、今日は遅れて出社することを思いだした。時計を見てないがおそらく五時頃だということは予想できた。いつもその時間に目覚めるから間違いではないはずだ。

 

「はあー。……二度寝するか」

 

 プロデューサーは欠伸をしながら両手をあげた。身体を逸らしながら右手の左手で引っ張る感じで。癖のようなものだった。彼の両腕はそのまま敷布団の上に落ちた。

 ――むにゅ。

(……?)

 やけに敷布団柔らかいことに気付いた。クッションなんて持ちこんだのかと疑ったが思ったが綿の柔らかさではない。なんと言えばいいか。張りがあって、弾力もあり、どこかで揉んだことのある感触。

 プロデューサーはゆっくりと視線を右下に向けた。そこには……美希がいた。自分の右手は彼女の胸を掴んでいる。左側の。

 そのまま視線を左に向けると今度は貴音がいた。左では彼女の右側の胸を揉んでいた。

(貴音のがデカいのか。やっぱり)

 何故かそんなことを思った。寝ぼけているのかプロデューサーはまだ意識が朦朧としている。

(……寝よ)

 プロデューサーはそのまま毛布を引っ張り眠りついた。いつもりベッドが暖かいと思いながら再び眠り着いた。

 約一時間後。プロデューサーは勢いよく体を起こした。意識も先程と違ってはっきりとしている。だからこそ、今がどういう状態なのかを瞬時に理解してしまった。

 自分のベッドに二人が寝ている。つまり、あれ程寝室に入るなという言いつけを破ったわけだ。誰にだって知られたくない……。いや、見られたくないモノはあるものだ。それを無視してこんな事をさせられたのだ。これは叱っても許されるはずだ。ただ……。

(触った、んだよな……?)

 両手を握っては開く。貴音を見て、美希を見る。二人の胸の感触が頭から離れていないらしい。

 それに……。

 プロデューサーは視線を自分の腰の辺りを見た。どうやら反応しているらしい。どうしようもないやつめ。

 二人は自分が触ったことを知らないとはいえこ、これはそう、不可抗力だ。偶然起きた事故だ。

 俺は悪くないのだ。

 そんなことに意識を向けている「んんっ……」と声が聞こえた。二人が起きたらしい。ゆっくりを体を起こし、目をこすりながら二人は呑気にあいさつをしてきた。

 

「あ。おはようございます。あなた様……」

「おはようなの。ハニー……あふぅ」

 

 寝起き姿はとても可愛らしいと素直に思った。だが、今はそれどころではない。叱らなければ。怒らなければいないところだぞ、ここは! 

 

「起きたところ悪いが俺はお前らを怒らなければいけない。わかるな?」

「はぁー。ええ、わかっております。でも……」

 

 言いながら貴音は抱き着いてきた。やめてくれ。今の俺には効く。

 貴音はスマホを取りだして画面をプロデューサーに見せた。そこには彼女が彼にキスをしている写真だった。

 

「お前……!」

「ハニー。こういうのもあるよ」

 

 美希が言って見せたのは二人がプロデューサーにキスをしている写真だった。

 

「……」

 

 絶句。ここまでやるのか。俺が一体なにをしたというのか。

 これは脅迫なのだとプロデューサーは思った。それを散らかせて自分を脅すに違いないと。

 

「俺にどうしろと言うんだ」

「何もありませんよ? ただ、わたくし達が本気であなた様のことを思っている事を再認識してほしいだけです」

「そうなの。好きじゃなかったらこんなことしないの」

「……お前達の言いたいことは理解した。頼むからこんな真似は二度としないでくれ」

 

 本音だった。今にも泣きそうだったが堪えた。最後の聖域だと思っていたのに、これではもう自分に安寧の地はない。勘弁してくれ。

 

「約束は難しいの」

「極力努力はしますよ。あなた様が346プロのアイドル達と一線を超えなければの話ですが」

「超えるわけないだろう……。お前らとこんな関係なんだぞ」

「本当ですか?」

「信じられないの」

 

 プロデューサーはまた二人を見た。

 なんでこんなにも信頼されていないのだろうか。確かに、いや、百歩譲って今は問題ないはずだ。約一名とても扱いに困る子がいるが、彼女はどう対処していいか本当にわからないのだ。

 それを差し引いても今仕事で接しているアイドルと深い関係になるとは思えないとプロデューサーは断言する。

 プロデューサーは上手い具合に二人に触れずベッドから脱出した。ベッドを見ると、自分の聖域は最早二人の侵略者によって支配されてしまったことに改めて気づいた。

 寝間着姿を見るのは初めてではないが、寝起きということもあってとても妖艶に見える。

(黙ってればなあ……)

 しかし、それを認めると言う事はつまりそういう事であるわけで……。

 プロデューサーは頭を掻きながらどうするべき考えた。ふとやけに腹が減っている事に気づいた。

 考えは纏まった。とりあえず、

 

「朝ご飯、にしようか」

 

 プロデューサーは目の前の問題から目を逸らすことにし、リビングへと向かった。

 昨日の夕飯はいったい何だったのだろうか。

 彼の頭の中はそれで一杯だった。

 

 

 二〇一四年 四月 第一週目 美城プロダクション オフィスビル 第六会議室

 

 数多くある美城プロダクションの会議室の一室に〈アイドル部門〉のスタッフとアイドル全員が集まっていた。奥には〈アイドル部門〉の役職を持っている者が数名おり、その中には今西も座っている。

 手前には武内やちひろを始めとしたスタッフが座っており、その後ろにアイドル達がいる。

 そして、プロデューサーは一番奥の中央に立って最後の挨拶をしており、その場にいる全員が彼に注視していた。

 

「この四月からアイドル部門は正式に発足されることになった。よって、本年度から成果を出さなければならない。社員である我々の辛いところではある。しかしだ。俺も、君達も一月から活動を始めてから今日までやってきて手応えがあると感じているはずだ」

 

 プロデューサーの言葉に反応している者が多くいた。彼らもそれを確かに感じており頷いている者もいる。

 

「例えるなら……。今はアイドル戦国時代と言ったところだ。まさに乱世だ。数多くのアイドル達が我々の先で活躍している中、そこに飛び込もうとしている。いや、すでに飛び込んでいるな。そんな中君達は不安や疑念を抱いているだろう。特にアイドルである君達は我々以上に感じていることだと思う」

 

 その言葉に誰も表情を曇らせなかった。アイドル達はむしろ笑顔で彼を見ている。

 

「一年だ。この一年で絶対に成果を出す。そのために君達の力を貸してほしい。そして……俺を信じて欲しい。以上だ。では、諸君」

 

 プロデューサーは書類を机の上に叩きつけながら笑みを浮かべて言った。

 

仕事(プロデュース)を始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけでこれで765編、アニマスは終了です。

今回はデレマスで登場するアイドルを数名出しました。茄子を出したのは時期にちょうどいいので出しました。個人的に好きなアイドルの一人でもあるからだけどね!

前から言っていたように一応次回からは自分ができるであろうアイドルのスカウト編をやります。アニメにも出てないアイドルもやれけたらいいなと思っています。一人あたりを少なく書いて大勢書ければいいな……。

最後に765編を書いて思ったことは貴音と美希を除けば伊織と響が書きやすかったなと。この二人はちょくちょく何かの形で出せると思ってます。伊織はお嬢様で絡ませれるし、響は弄りがいがあるし。
属性別のヒロインで行くなら響もキュートという形でヒロインにできたのですが辞めました。まあ、今からでも昇格できるといえばできるのですが。
その枠はデレマスにとっておくことにしました。
ただ、現状Pと貴音、美希の三人に割り込めるのかという不安が……。

今後は月二回更新を頑張ります。1週間はさすがに難しくなってきたので。

では、また次回で。


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346編
スカウト編その1


前回書き忘れたのですが、他作品のキャラを出しましたが名前だけです。音楽関係でパッと思いつくいたのがアレだっただけです。
ただ、あるキャラに関してはとある事情により出す予定です。


 

 二〇一三年 十二月某日

 

 武内が書類仕事に格闘しているとプロデューサーが声をかけてきた。その言葉に耳を疑ったのか彼は動かしていた手を止めた。

 

「私がアイドルのスカウト……にですか?」

「そうだ」

 

 言いながらプロデューサーは武内に数冊ある読者モデルを渡した。

 

「これは?」

「だから言ったろ? スカウトだって」

 

 雑誌には付箋が貼っており、指示されたページを開くには手はかからなかった。目を通すとそこには数人のモデルが載っていた。

 丸がついているのがスカウトする女性なのだろう。しかし、丸が多くて彼がスカウトしようとしている女性が特定できなかった。

(一体誰なのだろうか)

 武内は真面目な男だった。故に変な方向に考えが向いてしまうのだ。自分は今試されている。これぐらいわかなければプロデューサーにはなれないと。

 まったくもって不器用な男なのだ。武内という男は。

 悪戦苦闘している武内を見ながらプロデューサーは苦笑しながら教えた。

 

「まったく。普通に誰ですかと聞けばいいのに。真面目すぎるぞ」

「その……。すみません」

 

 手を首に回しながら武内は言った。何かあるとそうするのは彼の癖だった。

 

「まあ、それがお前の美点ではあるがな。で、これがお前の分。リストにもある彼女が今日撮影を行うらしいから頼む」

「高垣楓、ですか」

「お前から見てどうだ?」

「はい。とても良い女性だと思います。しかし、その。言いづらいのですが」

「高垣楓の年齢でアイドルは難しいか?」

「……はい」

 

 実際いま活動しているアイドルの多くは十代の少女が多い。この高垣楓という女性はモデルということもあって綺麗だし、男として惹かれるものがある。よく見れば、彼女の瞳はオッドアイだし特徴も多い。

 プロデューサーが言うように武内が懸念しているのは容姿ではなく年齢だ。雑誌には23歳とある。今からアイドルになるのはリスクが大きすぎる。

 

「お前の言いたいこともわかる。しかし、それを決断するのは本人だ。俺達がしなければいけないのは、彼女がアイドルの道を選択した時それを全力で導くことだ。それにだ。我がアイドル部門が掲げるのは『誰でもアイドルになれる』だ。違うか?」

「それは、確かにそうですね」

 

 どういう経緯でそうなったのかは聞いていない。武内自身もそれを聞いたのはプロデューサーからだった。彼は『誰でもアイドルになれる』という理念はとても好感できた。そこには無限の可能性があるとも。しかし、誰でもというが一体どれぐらいの範囲なのだろうか。

 

「納得した所で早速ここに向かってくれ。場所は聞いてあるし話も通してある」

 

 渡されたメモ紙を受け取り目を通す。書いてあったのは高垣楓の今日のスケジュールと、彼女がこれから撮影を行われているスタジオの場所が書かれた地図と住所だった。実際に行ったことはないが武内も知っている場所でもあった。

 もうお膳立てはできているということですか。この手際の良さにこの人の凄さを再確認させられる。ふと武内はある事に気づいた。

(なぜ自分が彼女なのだろうか)

 武内は別に女性が苦手というわけではないし、コミュニケーションが取れない訳ではない。ただ、彼の無愛想な顔が原因で相手が怖がってしまう。

 知人や同僚に笑ってみろと言われてやってみたが、「ごめん」と言われるぐらいには自分の顔はいいものではないということに心底悩んでいた。とりあえず、先程言われたように気になったので抱え込まず聞いてみた。

 

「ちなみに一つお聞きしてもいいでしょうか?」

「なんだ。言ってみろ」

「どうして私が高垣さんをはじめとした二十代の方ばかりなのでしょうか」

「そんなの決まってるだろうが」

 

 当たり前だろ言いたそうにプロデューサーは持ってきた雑誌を手に持ちながら、

 

「お前の顔は十代の少女には強烈過ぎる。初対面なら尚更な。あと、ほれ」

 

 プロデューサーがポケットからあるものを取りだして武内に投げた。彼はそれを両手でキャッチした。感触からして車の鍵だということはすぐにわかった。

 〈美城プロダクション〉の規模なら営業車は普通の事務所と比べれば保有台数は多い方だ。だからと言って何十台と保有しているわけではない。前もって使うと分かっているなら事前の申請をすればいいし、当日使うなら直接管理部へ行けばいい。

 ただ、これが競争率が高い。優先者に回されることもあるので中々使えない時もあったりするのだ。〈美城プロダクション〉ほどの事務所ならば社員の数も多いので当然でもあった。しかし、当社に所属している女優やアーティスト。そして、アイドル。これらが必然的に必要になるので優先順位は高いのだ。

 また、営業車を使えない人間は私用の車を使っているらしく、総務部に走行距離等を報告して経費で落としてもらっているらしい。武内は私用の車を持っていないし、近ければ徒歩で、遠ければタクシーや電車をよく利用するので彼らの気持ちはわからなかった。

 まあ、経費を落すために毎回申請書類を書くのは手間であるが。

 

「お手数をおかけします」

「気にするな。それじゃあ、またあとでな」

「はい」

 

 武内はさっそく荷物をまとめで敷地内に停めてある駐車場へと向かった。その途中トイレによって彼は鏡の前に立って自分の顔を見た。そこには相変わらずの無愛想な顔をしている武内であった。

(……人の事は言えない、とはさすがに口が裂けても言えません)

 さらに言うならば。きっと自分より先輩のが絶対に怖がられるに違いないと武内は心の中でぼやきながら時計を見る。

 しまった。こんなことをしている場合ではない。

 時刻はすでに彼女の撮影時間が迫っていた。これではスタート地点にすら立てない。武内は周りに迷惑をかけないぐらいの早さで駐車場へと向かった。

 さて。上手くスカウトできるだろうか。しかし、まずは現場に向かわなければ。心配はそのあとだ。

 

 

 Case1 佐久間まゆ

 

 まったく腹立たしいことに、今日の占いの恋愛運は全然かすりもしてない。100点だったのにかかわらずにこれだ。

 運命の人なんているのだろうか。

 撮影の最中、佐久間まゆはそんなことを思いながら心の中で溜息をついた。つい口に出したくなったが生憎撮影中だ。しかし、彼女がぼやきたくなるのも仕方がなかった。

 まゆは朝の番組の占いを毎日チェックするような人間ではなかった。ただ、今日はたまたま見た番組の占いがそうだったというだけだ。ただ、それが一つだったらの話で、ふと気になってチャンネルを変えたり、スマホを使って見たYahooの占いも恋愛運が100点。

 これは偶然なんかじゃない。

 調べる限りの占いの結果がみんな同じなのだから期待してしまうのも当然だった。しかも、今日は読者モデルの仕事で東京に来ていたのでそれがさらに決めてとなった。

 だが、実際はまったく期待外れだった。今では見慣れたカメラのフラッシュが光っているだけだ。ここに来るまで多くの人とすれ違ったが特にこれと言って運命の人と呼べるような人を見つけることはできなかった。

 まゆは、まだ十五歳ながらそれを顔には一切出ていない。プロと言ってもいい。そんな彼女の仕事ぶりに応えていたカメラマンの手が止まった。

 どうやらこれで終わりらしく、カメラマンの男が声をかけてきた。

 

「まゆちゃんお疲れ。これで今回の撮影は終了だよ」

「ありがとうございました。カメラマンさん」

「今日はこのあとどうするんだい? 予定よりも早く終わったし街でも見て回るの?」

「いえ。今日はこのまま帰ろうかと。特に用もありませんし」

「そう。じゃあ、またよろしくね」

「はい。では、失礼します」

 

 スタジオを後にしたまゆは用意された部屋に戻り着てきた服に着替えた。スマホの画面をつけて時間を確認すると今の時刻は午後三時過ぎ。

 さて。本当にどうしようか。

 まゆはカメラマンに言われたように何処かで時間を潰そうかと考えてはいたが、そんな考えはどこかに消えてしまっていた。運命の人に出会えると言うなら喜んで今すぐここから飛び出して街へと赴いてもいい。予定の新幹線に乗るまでの時間すべてを費やして運命の人を探してみせる。そう、意気込んでいたが今はそんな気力はなくなってしまった。

 小さな溜息をつきながらまゆは荷物を持って部屋を出た。建物の出入り口まで向かっていき自動ドアを抜け外へ。彼女が出て行くのと同時に一人の大男が建物の中へと入っていった。

 あれ? 今の人……。

 咄嗟に振り向いた。視線の先には背の高い男性が建物の中へ歩いて行くのが見えると自動ドアが閉まった。

 まゆは、数秒立ち止まったか前を向いてまた溜息をついて歩き出した。気のせいだ。きっと、そうに違いない。

 しかし……。では、私は先程の人に一体何を感じたというのだろうか。そもそもなんで振り向いたのかすらわからない。もしかして、今の人がそうなの……?

 いや、まさかそんな事がそんな簡単に起きるわけない。運命の人に出会えないからと落胆している時に都合よくそんな人が現れる。まるで漫画みたいだ。

 もしかしたら後ろから声をかけてくるのかもしれないと心のどかでまゆは期待していると、

 

「おーい! 待ってくれ!」

 

 本当に後ろから声がする。いや、待て。ここはもう外だ。周りには人が大勢いるし、声の主が自分を呼んでるとは限らない。

 まゆは足を止めず歩き続けた。それでも、声はだんだんと近づいてくる。そして、彼女の横を通り一人の男が立ちはだかった。

 

「きゃっ!」

 

 突然のことでまゆは思わず声をあげてしまった。

 

「はあ、はぁ……。ふぅ、行ったかと思ったよ」

 

 男だ。それもとても大きな男。声からして日本人だということは当然わかった。だが、どうみても目の前の男は日本人離れしている。身長が高く、厳つい顔にサングラスをかけ、完璧にスーツを着こなすその姿は……。ヤクザというよりもまるで映画に出てくるマフィアを連想させた。

 だが、まゆは普通の人ながら誰もが恐怖を抱くであろう目の前の男に、ある事を確信した。

(……この人だ)

 この人が、運命の人だ。この胸の高鳴りに火照り。間違いない。

 

「佐久間まゆさん、だね?」

「は、はい」

「私はこういう者です」

 

 渡された名刺を見る。

 765プロダクションプロデューサー……? 

 聞き覚えのある名前だった。たしか、〈765エンジェル〉や〈竜宮小町〉。そして、〈四条貴音〉で有名なアイドル事務所だったとまゆは記憶していた。

 

「あ、それ前の名刺なんだ。今は美城プロダクション所属でね」

「そのプロデューサーさんが一体私に何の用なんでしょうか?」

 

 運命の人が何の目的で自分に声をかけたのか察していながらもまゆは聞いた。少しでも長くこの最高の瞬間を長く味わっていたかったからだ。

 今、とても幸せ。

 信じてもらおうとは思っていないが、この人はきっと私の運命の人なんだ。わかる。私には、わかるの。

(占いは本当だった)

 疑ってごめんなさいと、まゆは心の中で今日の占いを見た番組に謝った。

 運命の人が私の目線に合して腰を下げた。とても素敵な顔……。

 

「要件はシンプル。君をアイドルとてスカウトし……」

「はい! 喜んで!」

「――たいと思って話をしたんだが……。どうやら説得する手間が省けたようだ」

「今から事務所にいけばいいんですか!?」

「い、いや。そんな急じゃなくても。ほら、ご両親にも相談しなきゃいけないだろ?」

「大丈夫です。問題ありません!」

「そ、そう。じゃあ……」

 

 言うと彼は、私から名刺をとって裏面に別の電話番号を書いて渡してきた。

 

「表のは違うからここに連絡を。携帯の番号もあるけど出れない時があるから念のためにね」

「わかりました。まゆ……すぐにあなたのもとに行きますから。待っていてくださいね……!」

「あ、ああ。それじゃあ、連絡を待ってるよ」

 

 私は彼が見えなくなるまでずっとあの大きな背中を見ていた。今日は人生最高の日だ。神様が本当にいるのだしたら、私はその存在を信じようと思う。だからこそ、今日 という日に感謝を。

 ふふふ。これからはずっと傍に居ますからね……。

 プロデューサーさん♪

 

 

 Case2 高森藍子

 

 

 その日は十二月にしてはとても暖かい陽気だった。

 少女――高森藍子はいつものように小さなカメラを持って近くの公園へと足を運んでいた。公園の散歩は藍子の趣味でもあったが、この時期は寒くて散歩が趣味である彼女でも少し遠慮していたのが今日は違った。

 今日はいいことありそう。

 歩きなれた公園の道を歩く。残念ながら今は紅葉のシーズンではないので、枯れている木々を見ながら歩くのはちょっと寂しい。変わらないのは行きかう人々だろうか。

 藍子は歩いている道の先に向けてカメラを構えて、シャッターを押した。プロのカメラマンには負けるけど、こういうのでいいんだ。私の撮りたいものを撮るのだ。

 それから暫く藍子は気に入った風景を見つけてはシャッターを押していった。すると、彼女の前に黒い猫が通りかかった。この公園の知られざる支配者だ。

 

「あ。クロ、あなたなのね」

 

 にゃーおとクロは鳴いた。藍子にはそれが人間でいうところの挨拶だと思っていた。今の状況から想像するに「やあ、藍子。こんにちは。今日も可愛いね」と言っているのだろう。ちょっと捏造しているけど……。

 クロは藍子の足元にやってきて身体をこすりつけてきたと思ったら、すぐに離れてまたにゃーおと鳴くと歩き始めた。困惑していると猫がまるでついてこいと言っているようだった。首を傾げながらも藍子はクロの後に続いて歩き始めた。数分ほど歩き続けると、クロはいきなり走り出した。

 

「ちょ、クロ!?」

 

 クロのあと追う藍子が見たのはベンチに座る男性だった。遠目からでもその男性がその、凄味のある人間だということが見て取れた。

 彼は片手にコンビニでよく見るコーヒーのカップを持ちながらなにかの雑誌を読んでいた。クロは彼の前までいくと、ベンチの上に跳びあがり膝の上に乗った。

 うおっと、彼は声をあげるその姿を見て藍子は思わずカメラを構えてシャッターを押した。その音に気付いたのか、彼は藍子に声をかけた。

 

「この子、君の猫?」

「あ、いえ。違います……その、すみません」

「えーと。何が?」

「カメラに撮っちゃって……」

 

 藍子は申し訳なさそうにカメラを構えながら言った。

 

「ああ。それは別に構わないよ。気にしてないし……。ふむ」

「えーと」

 

 突然目の前の彼は、私はじろじろと見てきました。下から上まで隅々と。まるで品物を見定めるような、そう。よく、スーパーで野菜とか魚を見定める奥さんのような感じだ。

 ただ、その……。目の前にいる彼にじっと見られるのは怖い。

 本物のヤクザさんみたい。

 ……本物、じゃないよね?

 彼がかけているサングラスが本物だと裏付けるように強い印象を放っている。本物を見たことはないのでなんとも言えないのだが。ただ、たまに見るヤンキーというかチンピラみたいな人と比べると次元が違う。

 顔を横に向けながらちらりと彼を見る。

 ううっ。やっぱり怖いよ。

 どうして自分が、こんな目に遭わなければいけないのだ。今日もいつものように公園を歩いて、気になった風景をカメラに収めて、クロとお話して帰るだけだったのに。そうだ。クロがいけないのだ。私をここまで連れてきた張本人。いや、人というのはおかしいが今はどうでもいい。

 そもそもクロは、なんでここに来たのだろうか? 元々人懐っこい猫ではあったが。頻繁にここに訪れている藍子は目の前の彼は滅多にみない人間だった。または、時間帯が違うのかと思ったがそれでも初めてみる顔だった。

 それを踏まえて考えてみても、このクロの様子は初めて見る光景だ。こんなにも自分を許すとは。この人は、そんなに怖い人物ではないのかもしれない……?

 同じように観察していると、彼は立ち上がり藍子にある物を差し出しながら、にっこりと笑みを浮かべて言ってきた。

 

「アイドル、やらないかい?」

「へっ?」

「驚くのも無理はないよ。急だしね。でも、俺は本気だ」

「わ、私がアイドルなんて……。む、無理ですよ! 自慢できるような特技なんてないですし。お散歩が趣味な普通の女の子ですよ、私!?」

「そうかい? 俺はそう思わない。確かに、君の言うようにアイドルには何かしらの特技とか、魅力が必要なんだって思うのかもしれない。でも、違うんだ」

「……違う、ですか?」

「そう! 俺には分かるんだ。上手くは言えないが……。君は例えるなら優しい光というか、癒し系。そんな感じがするんだ」

「いきなりそんなことを言われても困ります」

「まあ、そうなるな」

 

 彼は笑いながら言った。内心、悪気はしなかったのが本音だ。誰だってそんなことを言われたら嬉しい。それが、スカウトをするための言い訳だとしてもだ。

 すると彼は手を差し出しなら、

 

「それでもだ。だから」

「だから……?」

「君は散歩を好きだと言ったな。なら、こういうのはどうだろうか。アイドルという道を俺と一緒に散歩をしてみないかい?」

 

 本当にこの人は、上手い言葉を言う。もう一度彼を見た。彼は、待っていた。私がいいえと答えを出すか、この手を取るまでずっと待っているかのように。

 でも、悪くはない。

 彼と一緒にその道を散歩するのも悪くはない。たまには自分が決めた道ではなく、誰かの案内で歩く道もいいのかもしれない。この人と共にお散歩をしてみよう。何事もと挑戦だ。

 気付けば、藍子は彼女の手を取り答えを出した。

 

「わかりました。でも、まだアイドルになるって決めたわけじゃないです。詳しいお話を聞かせてください」

「もちろん」

 

 力強く、でも優しく彼は藍子の手を握ってきた。それに答えるように彼女も笑顔で答えた。すると、クロがまたにゃーおと鳴きながら彼の足に近づき、彼はクロを抱き上げなが彼女に聞いてきた。

 

「ところで。この子に名前はあるのか?」

「クロです。すごくそのままで、何の捻りもないんですけど。ほら、クロってシンプルでカッコイイし、男の子にはピッタリだと思って。あ、私が勝手に付けたので本当の名前はないんですけど……」

「そうか。しかし、この子にクロという名前だとどっちで呼べばいいかわからないな」

「え? それってどういうことですか?」

「そりゃあ、クロくんかクロちゃんで悩むだろう?」

「へ?」

「だって……。この子、雌だからね」

 

 彼はクロを抱いたまま藍子に見せた。クロは、にゃーおと嫌がる素振りを見せず鳴いた。まるで、「気付いてなかったの?」と言っているようだだと藍子は思った。

 は、恥ずかしい……!

 藍子は顔を真っ赤にしながら、その場にしゃがんでしばらく唸っていた。

 

 

 Case3 十時愛梨

 

 

(予感がする。もっと問題児が増える。そんな予感が)

 自らスカウトしてきたアイドル達の資料を作成しながらプロデューサーはそんなことを思った。

 問題児といっても色々あると思うが、この場合だと一癖も二癖もあると言ったところだろうか。ただ、その問題児をスカウトしたのが自分なのだから、この場合自業自得ということになる。

 もちろん、後悔はしていないが。

 なんとかしたい、対処法を考えねばと頭を働かせるが中々名探偵のように閃きはしなかった。

 裾捲り、左腕にある腕時計を見た。今の時間は丁度レッスンの時間だったはず。プロデューサーは作成していた資料をまとめ部屋を出た。間違っているとは思ってはいながら念のためだ。

 エレベーターで一階まで降りて、別館まで繋がっている通路を歩く。この別館にはレッスンルーム、サウナ、浴槽、エステなどアイドル達はもちろん、346プロに所属している女優なども使っている。これほどの待遇を受けられる者はそうはいない。

(ここは聖域だな)

 男子禁制のと付くが。だからと言って男性は使えないわけではない。ちゃんと男性用のフロアもある。数は少ないが。

 目的地であるレッスンルームに着くと、プロデューサーは急に、いや猛烈に嫌な予感がした。

 開けてはいけない。でも、開けなければ仕事が片付かない。

 よし。深呼吸だ。

 すー、はー。すー、はー。

 どうにでもなあれ。

 プロデューサーはノックして扉を開けた。

 

「駄目だよ、愛梨ちゃん!」

「えー? 大丈夫だよ」

「失礼。ちょっと確認してもら……」

『……あ』

 

 そこにはシャツを脱ごうとしていた愛梨とそれを止めようとしている藍子。それに他のアイドル達が数名目に映った。

 愛梨のバストは88。俗に言う巨乳である。彼は数秒間彼女に目を奪われてしまった。というよりも、思考が停止していた。

 ――貴音のが2cmデカいな。

 意識が戻って真っ先に思ったのがどうしようないことだった。プロデューサーは逃げるように扉を閉めながら言った。

 

「……終わったら呼んでくれ」

 

 扉を背にしてもたれ掛れる。何やら騒ぎ声が聞こえるが聞き耳を立てることなく彼は近くの休憩所に向かった。

(目下の課題は愛梨のアレだな……)

 十時愛梨は天然である。それはまだ、いいのだ。問題は彼女は暑がりで、服を脱いでしまうということだった。先程のようにレッスンをして体が熱くなってきたので脱いだのだろうと容易に推測できる。女性だけがいるだけならまだしも、男性がいる中でああいうことをするのは非常によくない。アイドルとしてではなく、一人の女性として。

 勘違いをする男が絶対にいるだろ。アレは。

 小さな溜息をつくと、プロデューサーはある女性とのやり取りを思い出した。

 

 

「アイドルをやるのはいいんですけどぉ。実際にどういうお仕事をするんですかぁ?」

「まあ、色々だよ。今のアイドルは色んな仕事をするからね」

「へー。そうなんですかぁ」

 

 その日。十時愛梨を見つけ無事スカウトすることに成功したプロデューサーは、彼女の質問に答えていた。この時まではいたって普通だったのだが、その時一緒にいた彼女の友人はあまりいい顔はしていなかった。どちらかと言えば愛梨を心配しているような素振りだった。彼女は真剣な眼差しで今後の助言、警告とも言うべき言葉をプロデューサーに送った。

 

「あの、プロデューサーって呼べばいいんですか? この場合」

「あ、ああ。そうだが」

「いいですか。友人としてお願いします。愛梨を絶対に一人にしないでくださいね! 絶対ですよ!」

「それってどういうことだい?」

「何れわかりますよ。何れ……」

 

 結果。現在は彼女の『何れ』を身を持って痛感していた。

 

 この時はまだ専用のオフィスはなく、用意された部屋で仕事をしていたプロデューサーはどうすべきかを考えていた。

 ユニットを組ませるべきか。いや、まだそれは……。

 人数もまだ揃っていないし、今は個々の能力を伸ばすことが大事だ。まだその案は早計だと判断し、別の案を考えようとした途端に問題の種である愛梨がやってきた。

 

「あ~! プロデューサーここにいたんですね」

「愛梨か。何かあったのか?」

「これを届けに来ましたぁ。トレーナーさんに言われて持ってきたんですよ」

 

 それは各アイドル達の経過報告といったところだろうか。簡単に言えば、成績表だ。今は少人数のためトレーナー四人体制でレッスンを受け持ってもらっている。そのためか、びっしりと評価が書かれている。もちろん、目の前にいる愛梨のもある。

 

「何が書かれているんですかぁ?」

「お前の良い所と駄目な所だ」

「え~? 私これでも動けている方だと思うんですよぉ! ほら、こうやって」

 

 止める前に踊りだす愛梨。彼女の踊りは始めたばかりで粗もあるが様になっている。が、問題は別にあった。

 デケェな。ああ、本当にデケェな。

 一般的にこういう場面に出くわした場合普通の男性は色々と反応するのだろうが、プロデューサーという男は身近にいる同じアイドル二人によってそういうのには慣れている。元から鋼の精神を持っているため欲望には負けないが、目にはよくないので彼は止めた。

 

「愛梨。もういいからやめてくれ。わかったから」

「え~? これからなのに。それにしても、この部屋暑いですね……。よいしょっと」

「馬鹿! 脱ぐんじゃない!」

「だってぇ、暑いんですもん」

「だってじゃない! 頼むからやめてくれ! それを治せとは言わないが、少しは場所を弁えてくれないか!?」

「しょうがないですねぇ」

 

 不満があるのか、渋々服を着なおす愛梨を前にしながら大きな溜息をついた。プロデューサーは両手で頭を抱えて机に伏せながら後悔した。

 もっと、ちゃんと聞くべきだった。

 その有様がこれだ。強くいう事はできないし、かといって自分では解決することができない。悩んでいる彼を余所に愛梨はのほほんとした感じで部屋から出て行く。その後ろ姿を見ながら彼は強行手段をとることにした。

 面倒事は押し付けることに限る。

 すぐに内線でちひろ呼び出し、彼女を使ってプロデューサーはある人物を呼び出した。川島瑞樹と高森藍子である。

 呼び出された二人は疲れ切った顔をしているプロデューサーを見て何かを察したが、この場に来た時点で逃げることは不可能になったということに気づくことはなかった。

 プロデューサーは疲れた顔をしながらも二人に笑顔で言った。

 

「二人とも愛梨のアレは知っているな?」

「ええ。知ってるわよ」

「その、はい。私もなんとかしてはいるんですけど……」

「わかっているなら話は早い。二人には愛梨のお目付け役を任命する」

『……え?』

 

 二人の肩をぽんと叩きながらプロデューサーは言うと、瑞樹が引きつった笑みをしながら聞いた。

 

「ちなみに……。拒否権は?」

「あると思うか?」

「な、なんで私達なんですか~!?」

「現状まともな常識人がお前達二人だけだからだ。俺がなんとかしなかって? やだよ、俺は男だし、もう疲れた。手を尽くそうとしたけど無理。ずっと目を光らしていたいがそんなの無理。だから、頼んだ。この先仕事が増えたら一緒に組ませるようにしとくから心配するな」

 

 やけに早口で言うプロデューサーに二人は『あ、本当に諦めたんだな』と思ったが、同情する気にはなれなかった。なぜなら自分達が厄介ごとを押し付けられたのだから当然だった。

 

「じゃあ、後よろしくー」

 

 面倒事が起きた時はこの手に限る。

 これで一安心。

 そう思っていたがプロデューサーであったが、愛梨以上に手のかかるアイドルを自らスカウトすることになるとは、今はまだ知らないのであった。

 

 

 

 





今回の反省。愛梨だけすごく無理やりにまとめてしまったこと。
書けるかなと思って書き出したらなぜか難しくて変な感じになってしまいました。

スカウト編はアイドル視点だったり、P視点だったりしますのでアイドルによって違います。今の予定ですと、765編の最後に出したアイドルはやりたいと思ってます。

今年も残りわずかですが、頑張ってあと二回は更新できればいいなぁ……。


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スカウト編2+幕間

 

 

Case4 安部菜々

 

「歌って踊れる声優アイドル……」

「どうですか……?」

 

 目の前の男性、自称プロデューサーを見ながら菜々は諦めた声で尋ねた。うーんと唸りながら彼は菜々を見つめている。

 やっぱり駄目ですかね……。

 彼とは出会ったのはほんの十数分前。秋葉原のいつもの場所でバイト仲間の子と一緒に呼び込みをしている時に出会ったのだ。

 菜々は、プロデューサーに伝えたように『歌って踊れる声優アイドル』を目指してはいたが、そんな機会は訪れることもなく、無理だろうと諦めていた時に彼が声をかけた。

 立ち話しもなんですからと、菜々は自分がバイトしているメイド喫茶へと案内してこうして話をしていた。

 

「俺はいけると思って君に声をかけた。だから、もうちょっと自信を持っていいと思うぞ」

 

 プロデューサーは頼んだコーヒーを一口飲みながら伝えた。菜々は思っていた返答と違う事にほっと胸をなでおろした。

 

「ほ、本当ですか!?」

「すぐにはといかないけどな。でも、君のビジュアルなら受けもいいと思うし。売れて行けば、映画のゲストで声優の仕事がくる可能性もある。実際にそういった仕事をしたアイドルもいるしな」

「じゃ、じゃあナナも可能性はあるんですね!」

「ああ。もちろん、それを実現できるかは君次第だけど」

 

 それは聞いて、菜々は諦めかけていた夢を再び目指すことができると思うと胸が高鳴った。憧れたアイドルに自分もなれる。煌めくステージに立ち、歌えるのだ。

(……何か忘れているような)

 浮かれている最中、何かが引っかかる。そう、例えるならビール(・・・)と一緒に食べていたおつまみが歯と歯の間に挟まったような感覚に陥る。

 それを気付かせるようにプロデューサーは至極当然のことを言った。

 

「それじゃあ、後日詳しい話をしたいから連絡先を教えてくれないか?」

「あ、はい。えーと……。どうぞ、これがナナの携帯の番号です」

「ありがとう。ああ、それと。その時に履歴書持ってきてくれ。必要だから」

「……え゛」

「じゃあ、すぐに連絡を入れる。ごちそうさん」

 

 伝票を持って彼は席を立ち、会計を済ませて店を出て行った。出て行く彼をメイド達が『いってらっしゃいませ、ご主人様』と見送る中、菜々は思考停止していた。

 

 

 菜々は、履歴書を買って自宅と言う名のウサミン星へと帰宅していた。ちゃぶ台の上に置かれた履歴書、右手に持つボールペン。

 何年振りだろうか。履歴書を書くなんて。

 まずは、名前……安部菜々。性別、女。次、生年月日……。飛ばそう。資格、普通自動車免許(ゴールド)。

 

「って! 駄目ですよ、これは!?」

 

 持っていたボールペンを投げつけ、頭を抱えた。

 だ、駄目だ。積んでる。

 菜々はどうすることもできないことに今更気付いた。会った時に年齢を聞かれ、「17歳です。きゃはっ!」と答えてしまった。本当は××歳でだし、最近はちょっと激しい動きをすると腰が痛くなる。そんな、自分がアイドルをできるのかという不安が余計に高まった。

 しかし、数日中には彼から連絡が来るのは間違いない。遅かれ早かれ履歴書を書きあげなければいけない。

 投げたボールペンを拾い、新しい紙出して書き始める。

 二枚書けばいいよね……。

 菜々はちゃんとした履歴書と、もう一つ。ウサミン星版の履歴書を作成し、連絡が来るのを待った。

 

 

 安部菜々との打ち合わせにプロデューサーはファミレスを選んだ。彼女の事を考えて禁煙席のある一番端の席を選び、注文したコーヒーを飲みながら履歴書を見ていた。いたのだが、彼は冷や汗をかき始めていた。

 仕事上履歴書や書類を毎年のように見ていたプロデューサーにとって安部菜々の履歴書は異質だった。

(う、ウサミン星……!?)

 履歴書を壁にしてちらりと前に座る菜々を見た。

 ピクピクと震えている。それも、顔を真っ赤にして。

 もう一度履歴書に目を移す。年齢永遠の17歳、出身地ウサミン星、特技メルヘンチェンジ……。

 プロデューサーは確認すべく恐る恐る聞いた。

 

「……このウサミン星って?」

「そ、それは、その……。アイドルのナナの設定と言いますか……」

「そ、そう。ちゃんとした履歴書、あるんだよな……?」

「は、はい……」

 

 渡された本当の履歴書を見る。

 ……マジか。

 プロデューサーは、安倍菜々という人間をすぐに理解したが、なんと言葉をかけていいが悩んだ。

 しかし、××歳でこの容姿は逆に凄いのではないだろうか。失礼だが、17歳と言われても信じる。身長も低い方で幼い容姿に見えなくもない。これで××歳なのだから驚きもする。

 それにしても、こういうタイプは初めてというか滅多に見ないとプロデューサーは自分の経験を思い出して気付いた。

 今のアイドルは正統派というべきなのだろうか。○○キャラというアイドルはいなかったはずだ。きっと子供たちにも受けはいい方だろう。

 よし、決めた。なんでも挑戦だ。

 腹を決め、プロデューサーは菜々に自分の決断を伝えた。

 

「よし。これでいこうか」

「……へ? い、今なんと」

「このウサミン星人? で、アイドル活動をやっていくと言ったんだ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。俺にとっても新しい経験になるし、楽しそうだ」

「あ、ありがとうございまずぅ」

 

 嬉しいのか菜々は泣きながら感謝の言葉を伝えた。そんな彼女に申し訳ないが言わなければいけないことがある。

 

「感動のところ悪いんだが……。ちゃんとした履歴書はちゃんと出さなければいけないんだ」

「……つ、つまり?」

「極一部の人間はウサミン星人の安部菜々ではなく、本当の安部菜々の経歴を知る者がいることになる」

「あ、あの情報が漏れることはありませんよね!? 秘密を知った人が、ナナを脅してあんな事やこんな事に……!?」

「お、落ち着け! 俺の方でも信頼できる人間に頼むし、そういった守秘義務はしっかりとしているはずだよ。346は」

「本当ですか!? 信じていいんですよね!?」

 

 しばらくして、346プロダクションからウサミン星からやってきたアイドル、安部菜々が誕生した。

 また、346プロダクションにあるカフェでメイド(ウェイトレス)として働きながらアイドル活動を続ける菜々を見ることになる。

 しかし、仕事をするたびに腰が痛み、プロデューサーのマッサージ(かなり痛い)を受けては仕事を繰り返す日々が続くのであった。

 

 

 

 

 

 Case5 日野茜

 

「つまり、どうやってトップを目指せばいいんですか! コーチ!!」

「だから、コーチじゃないと言っているだろうが」

 

 はて? コーチではないというのならば、このお方は誰なのでしょうか。

 熱血少女または、熱血乙女なんて友人からは呼ばれている彼女――日野茜は目の前にいる男性について考えた。

 この厳ついに顔にサングラスをかけたこの人は、まさにコーチと呼ぶのに相応しい人物だと思う。物足りないのは竹刀とジャージか作業着だろうか。

 では、コーチではないのならこの人は?

 私の特訓に付き合ってくれるために現れたのではないとしたら一体……。

 最初からアイドル事務所のプロデューサーだと説明しているのだが、すっかり頭から抜け落ちている事に茜は気付いていなかった。

 コーチと呼ばれた男――プロデューサーはもう一度最初から説明をした。

 

「いいかい。俺はアイドル事務所のプロデューサーで、君をアイドルとしてスカウトするために声をかけた。OK?」

「オッケーですっ!! ……って、え――――!! わ、私がアイドルですか―――!!??」

「ッ!」

 

 茜の声量に驚きプロデューサーは耳を塞いだ。

 

「だ、大丈夫、自信を持っていい……。可愛いんだし、アイドルになれ――」

「か、可愛い!!?? 私がですか!?」

「友達とかに言われたことないのか?」

「あるような、ないような……」

 

 友達からは「ちょっと、暑苦しい」とか、「茜ってその性格でちょっと損しているよね」と茜は言われていたが、彼女自身はあまりその言葉の意味を理解しておらず、「え、なんで?」と首を傾げる程だった。

 しかし、プロデューサーが言った様に日野茜は可愛い。美少女と言ってもいいだろう。そんな彼女でも同年代の男子に告白されたことがあった。ただ……。

(俺と付き合ってください!)

(え、ランニングにですか? いいですよ! )

 難聴と言ってもいい返答で男子や友達からも頭を抱えさせた。

 顔やスタイルはいいし、男子以上の行動力、そして何よりもその熱気は茜の美点であるが、同時に汚点とまでは言わないがマイナスであった。

 そんな彼女の良さを中々理解してくれる人間は中々いなかった。今日までは。

 

「君自身が思っている以上に可愛いよ。冗談抜きで、真面目にね」

 

 日野茜は真っ直ぐな乙女である。止まることがない特急列車のような子だ。しかし、彼女は純粋だ。真っ白なキャンパスのようなものだ。

 要するに、ストレートな言葉に弱い。

(か、可愛いってまた言われました……!)

 正直に言えば嬉しい。ただ、それを普通に受け入れられない。ど、どうすればいいのだろうか。顔が熱くなってきました。

 こ、こんな時はどうすれば……。は、こういう時は。

 

「……ぼ、ぼ」

「ぼぼ?」

「ボンバ――――――ッッ!!」

「お、お―――い!? どこへ行くんだ―――!!」

 

 茜は突如走り出し、プロデューサーは追いかけた。この後、約一キロぐらい走ってやっと止まってプロデューサーの話を聞いてスカウトを了承した。

 後日、アイドルになることを友人に話すと、みんな鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたのは茜の記憶に深く印象に残ることになった。

 

 

 日野茜との出会いは強烈(追いかけた的な意味で)であったが、それは今も変わらないのだ。

 毎日、戦いの日々であるとプロデューサーは語る。

 

「――デュ―サ―――ッ!」

 

 ほら、聞こえてきたぞ。時間的にも彼女がここにやってくる時間帯。恐らくだが、きっと女子寮から走って来たに違いない。

 周りの社員もすっとモーゼの十戒のように道を作る。ああ、今日もそんな時間かと言っているようだ。

 声がだんだんと近づいてくる。まるで、犬のように駆け寄ってくるのが目に浮かぶ。いや、犬のがマシなのだが。まあ、可愛いというのは共通しているだろう。

 だが、これは身体を張るのだ。避ければいいだろうと誰かが言った。

 じゃあ、お前はアイドルにそんなことができるのか?

 と、返すと黙った。つまり、これはプロデューサーの仕事でもあると同時にアイドルのためでもあるのだ。

 もう茜は目と鼻の先。振り向くとだいたい15mぐらいだろうか。いつものように構える。

 接敵……今!

 

「プロデューサ―――――ッ!! お―は―よ―ご―ざ―い―ますッッ!!」

「ッ!!」

 

 ドン!! と、人が人にぶつかる音が響き渡る。驚くべきは一歩も後ろに引かないプロデューサーであろう。茜も茜で、腕をクロスしてタックル? をしてくるのだから普通ではなかった。

 しかし、プロデューサーは平然と茜を受け止め何食わぬ顔で語りかける。

 

「おはよう、茜。今日も元気だな」

「はいっ!! 今日も私は元気ですよ!!」

「それはよかった。にしてもお前、また女子寮から全力疾走してきたのか」

 

 彼女の額には汗が流れているのに気付いた。まさか、女子寮から休まず、というよりも一度も歩かず走ってきたことに最初は驚いたプロデューサーであったが今では慣れっこであった。

 

「今日は仕事がインタビューだけだからってその前に汗をかくな。拭いてやるから動くなよ」

「……ぁ」

「走るのを止めろとは言わないがほどほどにな。特に仕事前は」

「その……。気を付けます」

 

 俯きながら顔を真っ赤にして茜は答えた。

 

「これでよし」

「あ、ありがとうございます」

「さて、行くか。とりあえず、このあと打ち合わせだな」

「はい! 頑張ってインタビューに答えますッ!」

「インタビューは頑張らなくてもいいんだがなあ。……その前にカフェでも寄るか。茜は朝食を食べてきたのか?」

「ご飯大盛りで食べてきました!! プロデューサーは食べてこなかったんですか?」

「んーまあ、そんな感じだ」

 

 数日ぶりに家に帰れたと思ったが貴音と美希も仕事の撮影で居らず、夕食は久しぶりに自分で作ったはいいが、朝食は面倒で抜いてしまった。

 すっかり二人に毒されているな……。

 家に帰ればご飯が作ってあるのが当たり前になっている環境に、プロデューサーは深く考えることを大分前に止めていた。その分、二人がいない時の生活は以前よりだらしなくなっていた。

(サンドウィッチぐらいはあるだろ)

 プロダクション内にある346カフェは朝早くからやっている。こちらに来てから毎日のように通っているがメニューは全部覚えているわけではなかった。まともに覚えているのはランチはちゃんとやっていて、あとはドリンク類とケーキといったお菓子がメインだった。

 カフェであって定食屋、レストランではないのでそっちがいい人間はお昼時になると皆外に出る。美味しいのは確かであるがさすがに限界がある。

 

「茜も来るか? 何か奢るぞ」

「え、いいんですか!? お供します!!」

「お前のそういう率直な所、好きだよ」

「す、好きぃ!?」

「ほら、行くぞ。この時間は地味に込むんだよな」

「あ、ま、待ってくださーい!」

 

 日野茜。真っ直ぐで熱血な乙女。とても素直でいい子なのだが、その行動力と熱さがたまに傷。

 主に肉体的な意味で。

 

 

 

 

 Case6 堀裕子

 

 福井県にある某所で、見るからに怪しい男性――プロデューサーは道中で買ったたこ焼きを片手に近くの公園と向かっていた。

 福井県に来ているのはもちろんまだ見ぬアイドルをスカウトするためである。なぜ、福井県かと言うと、特に理由はない。

 とある番組のように都道府県が書いてあるボードを回してダーツが刺さった場所に来たというだけだ。しかも、一部経費で落ちるので本当に旅行のようなものである。ただ、本人がそれをどう思っているかは、彼のみぞ知る。

 余談であるが、この『プロデューサーの日本全国スカウトの旅』が後に問題となるのは大分あとの話である。

 プロデューサーはしばらく歩き、公園を見つけると近くにあるベンチへと歩いていく。態々公園を選んだのは訳があった。

(多分……。ここ、か?)

 例えるならプレッシャーと呼ぶべきか。この街を選んだのは偶然だし、当てもなく散策をする予定であったが、プロデューサーはここに来てから妙な感覚を味わっていた。同時に自慢のアイドルレーダーも反応を示していた。

 反応が強い方へ歩きはじめ、このプレッシャーの原因を探し始めたのだ。そして、その場所がこの公園だと睨んだ。

 公園をざっと見渡す。遊具はどこにでもありそうな物ばかりだ。砂場、滑り台、ブランコ、ジャングルジム等々。

 ふとそんな公園の真ん中付近にある集団が目に付いた。数人の少年と恐らく中学、あるいは高校生ぐらいの女の子だろうか。何やら彼女を中心に少年たちは何かを見ているようだ。

 すると、プロデューサーの横を一人の少年が走り過ぎ、彼は少年を呼び止めた。

 

「おい、少年。聞きたいことがあるんだが」

「……ん? なんだよ、おっさん。知らない人と話しちゃいけないって母さんに言われるんだ」

「もう話しているぞ」

 

 言うと少年は数秒立ち尽くし、「……それもそうだ!」と声をあげた。

 

「ほれ。たこ焼きを一つやるから、ちょっと教えてくれないか?」

「たく。母さんには知らない人から物をもらっちゃいけないって言われてるんだけど。食べ物は食べちゃうから問題ないよな!」

 

 言いながら爪楊枝を取り、口にたこ焼きを運ぶ少年を見ながらプロデューサーは呆れた顔をした。教育は行き届いているが、彼の将来が不安で仕方がなかった。

 いや、逞しいというか。肝が座ってるというべきか。

 しかし、これで情報が手に入るのだし問題はない。食べるはずのたこ焼きが一個減っただけだ。

 熱々のたこ焼きを食べながら少年はプロデューサーが求める情報を話し始めた。

 

「あつぅ。……ふぅ。うまかった。アレはマジックだよ」

「マジック?」

「ユッコ姉ちゃんはさいきっく? って言い張ってるけどね。で、俺達はその観客だよ」

「へぇ。で、彼女は凄いマジックでもするのか?」

「全然」

 

 平然とした顔で言ったのでプロデューサーもがぐりと身体が崩れた。

 

「でも、ユッコ姉ちゃんはたまにスゲーことを起こすんだぜ!」

「起こす……?」

「ま、ひゃっけんはなんちゃらだ。おっさんも見てきなよ。じゃあ、俺行くから」

 

 少年が走り出し、そのユッコ姉ちゃんとその取り巻き達の所へ向かった。プロデューサーはたこ焼きを頬張りながら歩き出した。

 

 

「ユッコ姉ちゃん早くマジックやれよー」

「マジックじゃなくて、サイキック……。もう、いいですよぉ」

 

 何回も注意したのに、一向に訂正してくれない少年たちに堀裕子は敗北の言葉を漏らした。

 しかし、毎回こうやって集まってくれるのだから無下にはできないのもまた事実。自身のサイキックパワーを高めるための練習にもなるのだからと裕子は自分に言い聞かせる。

 

「さて。今日はサイキックテレポーテーションです!」

「テレポートじゃねぇの?」

「意味合いは同じだからいいんですっ。ごほん。ここに種も仕掛けもない紙コップが二つあります。片方に物を入れて、それを何も入れてない方に移動させます。という訳で、誰か何か持ってませんか?」

 

 よくあるマジックショーのように観客に声をかける。すると、一人の少年が一つのビー玉を持っていたらしく、それを使って行うことになった。

 裕子は、自前のテーブルの上でサイキックテレポーテーションを始めた。流れはマジックショーと同じように紙コップに何もないことを観客に見せて、片方にビー玉を入れる。一度紙コップをあげてちゃんとビー玉があることを見せる。そして、

 

「さあ、いきますよぉ……。サイキック、テレポーテーション!! ……ふ。この感触。確かにこちらのビー玉はこっちに移動しました。では、確かめてみましょう!!」

 

 勢いよく移動した方の紙コップを空高く上げるとそこには……。何もなかった。

 少年達は予想通りだと言わんばかりに「やっぱりなー」と声を揃えて言った。

 

「こ、これはですね……。そ、そうです。サイキックパワーがまだ足りてなかったようですね! では、もう一度行きますよぉ!」

 

 手を伸ばし、目を瞑る。

 大丈夫。今度は絶対にできる。でも、できなかったら?

 また、少年達に笑われてしまう。たったそれだけのことなのに怖い。

 駄目だ。意識を集中させなければ。自分は絶対にできる。大切なのはイメージだ。

 私はエスパーユッコ。こんな事は朝飯前だ。もう、食べてきちゃったけど。

(……ム?)

 腕、いや。身体を駆け巡る奇妙な感覚に気付いた。

(来ました。来ましたよ!)

 これだ。たまに起きるこの感覚。自分の中に眠る、膨大のサイキックパワーが徐々に開放されている。と、勝手に思っている。

 両手を通してサイキックパワーは紙コップに向けられている。しかし、線が二つあるように感じる。

 一つは間違いなく目の前に置かれている紙コップの中のビー玉。もう一方はどこかへ伸びている感じがする。

 いや、違う?

 ビー玉とその向こう側にある何かが繋がっている感じのようにも思える。

 それに、いつもよりサイキックパワーが高まっているよう感じがする。いや、かつてない程のサイキックパワーだ。

 

「キてます。キてますよ、これは! ムム、ムムムゥ!! ……いざ!」

 

 紙コップを開けるとそこには、たこ焼きがあった。ソースたっぷりだ。

 

「……へ?」

『おお~!』

「なんじゃこりゃ!?」

『え!!??』

 

 声の方に向くと、そこには一人の男性が手に爪楊枝が刺さったビー玉を持って私を見ていた。

 

 

 一体全体これはどういうことなのだ。一体どうやったらたこ焼きがビー玉になるというのだ。

 一度は失敗したと思ったマジックが、二度目は何やら成功しそうな雰囲気が出てきたと思ってきた矢先のことだ。彼女が叫ぶのとプロデューサーがたこ焼きを食べるのと同時にそれは起きた。

 たこ焼きを噛もうとした途端、ガリッとありえない感触が歯を通して伝わった瞬間、年甲斐もなく叫んでしまったのは一生の不覚だった。

(しかし、そういうことなのか?)

 アイドルとは別の感覚を感じ取ってこの公園に来た。そこには目の前でマジックを披露した少女。そして、口の中にあったはずのたこ焼きが入れ替わりビー玉になった。

 つまり……。彼女は、本物のエスパーだ。

 アイドルとは別の逸材を見つけたと思考している中、自分に向けられている視線に気づいた。件の少女に周りの少年達が彼を見ている。彼本人というより、手に持つ爪楊枝だった。

 視線なんてどうでもいい。今は彼女だ。

 

「たこ焼き欲しい人―」

『……頂戴!』

 

 突然の宣言に顔を見わせる子供達。少し待ってねだり始めた。丁度目の前にいた一人に渡し、少年達は走り去っていた。

 

「さて。邪魔者はいなくなったな」

「あの……。あなたは一体? は! 待ってくださいね! 私のサイキックテレパシーで当ててみせますから!」

「いや、要件は君をスカウトしたい――」

「スカウト!? つ、つまり、あなたはサイキックマスターなんですね! 稀代のエスパー堀裕子の才能を見抜いてくれる人が遂に……!」

 

 なんかジェダイマスターみたいだとプロデューサーは思った。それに、向こうから名前を勝手に教えてくれたのは僥倖だった。

 

「でも、待ってくださいね。あなたが本当のエスパーだという証拠を見せてください!」

 

 何やら勝手に話が進んでいることに気づくと、裕子は普通のスプーンを向けてきた。なんでも常に持ち歩いているそうだ。

 つまり、これはアレをやれと。

 プロデューサーは、スプーンを右手に持った。

(昔は流行ったっけなあ)

 スプーン曲げの主なトリックは色々ある。人の目には見えないほどの切れ目、曲げる部分のみを軟性の金属で作られたようなスプーン本体に細工する手法。

 力学応用、いわゆるてこの原理を応用する手法。物理的な力、握力やちょっとしたコツが必要で、これには演技力が求められるので難易度は高い。

 また、なにかしらの器具の使用もある。器具を隠し持ち、その場で加工し曲げやすくする手法である。

 そして、最後にあるのは本当のエスパー、超能力、念動力といった本物の力である。

 プロデューサーがどれを使って披露するのかというと……。

 

「ごほん。では、スプーンをじっと見て……」

 

 覗き込むように裕子はスプーンを見た。そこには、ゆっくりと曲がるスプーンの姿があった。

 

「す、凄い! 曲がってますよ! では、あなたは本当にサイキックマスター!?」

「いや、俺はそのジェダイマスターじゃなくて、プロデューサー」

「ぷろでゅーさー? ああ、よくオープニングとエンディングに流れるあのプロデューサーですね!」

「間違いではないがね。俺はアイドルのプロデューサー」

「あいどるぅ?」

「アイドル」

「で。そのアイドルプロデューサーがなんでスカウトを? サイキックマスターじゃないのに」

「だからね? 俺は、君をアイドルとしてスカウトしたくて声をかけたの。わかる?」

「失礼ですね。それぐらいわかりますよ。私はエスパーですから!」

 

 胸を張って言っている姿は可愛いものだ。プロデューサーはじっと堀裕子を観察した。

 スタイルは上から81、58、80といったこところだろうか。身長はおそらく160cmあるかないかだろう。たぶん、この子はアレだ。すごい、アホっぽさを感じる。それはそれで、可愛くもある。それに、エスパー。本人はサイキックと言ったか。また、一段と個性のある魅力を持っている。

 しかし、スカウトできるか少し不安になってきた。

 とりあえず、プロデューサーはいつもと同じ流れ名刺を渡した。

 

「あ、本当にプロデューサーなんですね」

「信じてくれたか。それで、返事は?」

「んー。いや、スカウトされて嬉しくないと言われたら確かに嬉しいですよ。でも、私にはエスパーユッコとしての道が」

「それならアイドルでそれをやればいいのではないだろうか」

「へ? それはつまり?」

「サイキックアイドルエスパーユッコ。ほら、響きはカッコイイだろ?」

 

 言うと、裕子の反応は中々の好感触だったようで、

 

「た、確かにサイキックアイドルというといいですね。響きがいいです! それに、サイキックとエスパーが両方付いているのがもっとグッドです!」

「気に入ったようだな。本当にデビューできたならそうしよう」

「ちょっと待ってください! 確かに揺らいでますけど……」

「俺が覚えてるサイキック技を教えてやってもいいぞ」

「アイドルやります!」

 

 先程の子供達といい、この子といい。最近の子供達の将来が不安になってきた。大丈夫か、日本の未来。

 

「了承も得た。では、立ち話もなんだし。どこかファミレスとか喫茶店で詳しい話をしようか」

「あ、私いいお店知っているので案内しますよ」

「お願いするよ」

「ところで、スプーン曲げの他に一体どんなサイキック技があるんですか!?」

「んー、ねんりき……とか? あ、そうそう。サイキックウェーブからのサイキック斬が得意だ」

「え、なんですか!? その、すごくカッコイイ技は!? ほ、本当にできるんですか!」

「できるできる。気力が溜まったらな」

「気力ってなんですか! って、歩くの速いですよー! 待ってくださいよ、プロデューサー!」

 

 以後、プロデューサーは堀裕子にアイドルのプロデュースだけではなく、本物のエスパーユッコになるための訓練を指導することになる。

 尚、彼女がサイキック技を披露すると面倒が起きることになるとは、さすがの彼も予知はできなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幕間

 

(どこ? わたしのうさちゃんはどこにいるの!?)

 綺麗な服を身に纏った少女――水瀬伊織は、自分の誕生日パーティーに招かれた大勢の出席者の間をかき分けながら大切な家族でもあるぬいぐるみのうさちゃんを探していた。どこで落としたかは分からず、気付いたら自分の手から消えてしまっていた。急いで探そうとしているが行く道には伊織に挨拶する人達が群がり、進むことすらままならなかった。

(お誕生日おめでとうございます)

(今日も一段と御綺麗ですね)

(去年お会いした時よりもますますお可愛くなって)

 そんなご機嫌とりに伊織はうんざりしていた。まだ、幼い彼女でもそれぐらいの知識はすでに身についていた。

 彼らは自分を使ってお父様に取り入ろうとしているのだ。こいつらは悪い巨人だ。いつも上から見下すようにわたしを見てくる。本当にいい人なんて数えるぐらいしかいない。

 いくら頭が良くても、まだ幼い伊織には善悪の区別がはっきりとつかなかった。自分のちょっとした思い込みで、この人は嫌な人だと勝手に決めつけてしまっていた。

 そんな相手でも伊織は笑顔をつくり、挨拶をする。一言言ってからすぐにその場から去る。

 今はそれどころじゃないの。

 執事の新堂や使用人のメイドに声をかければいいが、それは嫌だった。まして、お父様の耳にも入れたくはなかった。自分の不始末は自分で処理しなければ。なによりも、わたしがうさちゃんを見つけなければ意味がない。

 水瀬家の敷地は広く、パーティー会場も敷地内にある庭園を使って開かれていた。パーティーに呼ばれているのは親戚や当主である伊織の父が招待した親しい者達。また、彼の傘下にある企業の社長や幹部など。人数はざっと100人とまではいかないが多い。さすがお嬢様の誕生日パーティーと言ったところだろうか。

 会場は広く、人も多い中で失くしたモノを探すのは容易ではなかった。

(どこ。どこにいるのよ! ……っ)

 涙が零れそうになる。泣いては駄目だと自分に言い聞かせても止めることはできない。こんなにも探しているのに見つからない。なんで、なんでなの!? 

 伊織は叫びたい気持ちを頑張って抑え込む。洋服の裾をぎゅっと握りしめるその姿はとても可哀そうに見える。だが、周りの人たちは見向きもしない。気付かないのか、それとも無視しているのか。

 すると、人ごみの中から一際は目立つ大きな男性が伊織に近づいてきた。その男性は、周りの人達と比べると高貴な感じはなく、どちらかと言えば庶民的な印象を抱く。だが、それ以上に身長が高く、体格もいいし威圧感のある顔もあってか、彼を目撃した人は誰もが執事か誰かのボディーガードかと誤認していた。

 男性は伊織の前まで来ると膝をつき、

 

「探し物はこれですかな。お嬢様」

「うさちゃん!」

「持っていたのをお目にしたので、もしかしたらお探しになっているではと思い探しておりました」

「……ありがとう」

 

 うさちゃんを抱きしめながら少し照れくさそうに伊織はお礼を言った。

 

「いえ。では、私はこれで失礼します」

 

 男性は立ち去ると入れ替わるように執事の新堂がやってきた。伊織がいなくなって探していたのか慌てている様子だった。

 

「お嬢様! こちらにいらしたのですか……」

「新堂……。ごめんなさい」

「よろしいのですよ。さ、旦那様がお待ちしておりますよ」

 

 新堂に連れられて伊織は父親のいる場所までやってきた。そこには、父の友人である二人が楽しそうに話していた。彼は伊織を見つけると彼女を呼び、伊織は嬉しそうに駆け出した。

 

「お父様!」

「どこに行っていたんだ伊織。あまり新堂に面倒をかけるんじゃない」

「ごめんなさい……」

「まあいい。伊織も前に会ったことあるだろう? 親友の順一朗と順二朗だ」

「お久しぶりです。おじ様方」

「いやあ、伊織君」

「久しぶりだね。相変わらず可愛いね!」

 

 二人には失礼だが、声が違うだけで姿がよく似ているのでたまに間違ってしまう。特に後ろ姿は瓜二つだ。

 

「そうそう。今日は私達の教え子を連れて来たんだよ」

 

 順一朗がそう言うと、二人の後ろから先程の男性が前に出て挨拶してきた。

 

「初めまして。……です。本日はありがとうございます」

「やあ。君の話は二人から聞いているよ。今日は楽しんでくれ。伊織、お前も挨拶しなさい」

「あ、改めまして。水瀬伊織です」

「なんだい。二人はもう顔合わせしてたのかい?」

「ええ。さっきお嬢様の大事な物を落されたので、それを渡す時に」

「そうなのか。私からも礼を言わせてもらうよ。伊織、お礼にここを案内さしてあげなさい。私は二人と話があるから」

「わかりましたわ、お父様。さ、行きましょう!」

「はい。お嬢様」

 

 まるで執事の新堂のような振る舞いをしながら彼は私の後を付いてくる。

 さあ、どこを案内しようかしら。

 一人で入ったら迷ってしまうガーデン。噴水のある綺麗な花壇もいいかしら。ここは見るだけでも楽しめるところが一杯ある。選択肢が多く迷ってしまう。どこを案内するか考えていると伊織はふとあることに気付いた。人が多くて前が見えない。人という壁の所為で周りが見えなくて自分がどこにいるかわからないのだ。

 どうしようかしら……。

 彼は立ち止まって心配そうにこちらを見ている。

 あ、そうだわ! 

 我ながら名案だと思った。それに、彼にしても名誉あることだ。

 

「ねぇ、あなた」

「なんでしょうか、お嬢様」

「私を抱えて歩きなさい!」

「……あの。こんなことを言うのもアレですが、会ったばかりの私にそこまで許すのは如何なものかと思うのですが」

「なに? 嫌なの? 私、水瀬伊織を抱きかかえさせてもらえるのだから誇りに思いなさい。それに、そうすれば私も案内しやすし一石二鳥でしょ」

 

 彼はふぅと息を吐いて降参したのか、しゃがんで私を抱きかかえた。

 

「これで如何ですかな?」

「ええ。苦しゅうないわ。褒めてあげる」

「光栄ですよ、お嬢様」

 

 普段とは違う景色が見えたことに伊織は胸が高鳴っていた。今見えるのはいつも私を見下ろしていた人達。それを今は私が見下ろしている。悪い気分ではない。

 

「あなたはいつもこんな光景を見ているのね」

「どうですか。普段見ることのない景色は」

「悪くないわね。ほら、まずはあそこよ」

「了解です」

「……ねぇ。あなたはおじ様達と一緒のお仕事をしているの?」

「そうですよ」

「そう……。ところで、提案があるんだけど……」

 

 言おうとしたその時、世界が暗く何も見えなくなった。

 夢、か。

 伊織は自分が事務所で寝ていたことを思いだした。随分懐かしい夢を見たなと、うろ覚えながら覚えている夢の内容を思い出し伊織は懐かしんでいた。

 ソファーから起きあがるとプロデューサーがいるのに気付いた。伊織が起きたことに気付いたのか、夢の中の彼が言ったような口調で言った。

 

「お目覚めですかな、お嬢様」

「……私、どれくらい寝てた?」

「そうだな。だいたい一時間ちょっとってところだな」

「結構寝てたわね。……ん」

 

 伊織はソファーから立ち上がるとデスクで仕事をしているプロデューサーの隣まで歩いてきた。どうしたと声をかけられたが伊織は無視して彼のサングラスを強引にとった。

 やっぱり、か。

 サングラスを外して初めて……いや。二度目の彼の素顔を見て伊織は確信した。プロデューサーが夢の彼と同一人物だという事を。

 

「アンタあの時教えてくれなかったわよね」

「……あの時?」

「運動会の時よ。本当、今までなんで気付かなかったのかしら。これの所為ね。きっとそう」

「返せよ、たく。言わなかったことは謝るがよく覚えていたな。俺のこと」

「アンタみたいな顔、早々忘れるわけないもの」

「それ、褒めてる?」

「そうよ。光栄に思いなさい。……ねぇ。一つお願いがあるんだけど」

「別に構わないが……」

「あの時みたいに抱きかかえなさいよ」

 

 お願いではなく命令のように言い方だが、頬を赤く染め照れそうに伊織は言った。自分で言っておいてかなり恥ずかしいのか身体をもじもじとさせている。

 

「……さすがにそれはどうよ」

「良いじゃない! 私がやれって言ったらやるの!」

「はいはい。わかりましたよ、お嬢様」

 

 プロデューサーはあの時と同じように伊織を抱きかかえた。その光景は赤ん坊を抱える親のようだ。

 あの時より高く見えること伊織は少し驚いた。

(当然よね。あの時より私も成長したんだから)

 あれから数年も経ったのだ。身長だって伸びたし、胸は……これからのはず。私だってまだまだこれからだ。

 しかし、この男はまったく変わっていないと伊織は思った。唯一変わっているのは、今はサングラスをかけていることだろうか。あの時と出会った時もスーツだったし、今もそうだ。顔はうろ覚えだが、あんまり老けていないように見える。元々老け顔だったのだろうか。

 すると、プロデューサーは伊織と同じで何かを思い出したように、彼女に尋ねた。

 

「そう言えば伊織。あの時、俺になんて言ったか覚えているか? 内容はさすがに覚えていないんだ」

「……今の仕事をやめて、私の執事にならない? て、言ったの」

「ああ! 思い出した。確かにそう言っていたな」

「そしたらアンタは、その気はないって答えたわ。今もそうなんでしょ?」

「今もって。お前はまだ俺を執事にしたいのか?」

「まぁ、新堂だってもういい年だし。あなただったら勤まると思ったからよ」

「俺はどちらかというと、ボディーガードのが向いていると思うんだけどなあ」

「役割は変わらないわよ。で、どう? 給料は弾むわよ」

「そうだな。もし、俺がこの業界から手を引いて無職になったら考えてもいいぞ」

「言ったわね。約束よ」

 

 笑みを浮かべた彼を見て、伊織はそれが肯定だと判断した。少しからかってやろうと思い、彼に抱き着いた。

 

「いきなり何するんだ!」

「にひひ。ちょっとしたサービスよ。少しは嬉しそうにしなさい!」

「お前、こんなところ誰かに見られたら――」

「ただいまなの!」

「ただいま戻りました」

「戻ったさあ」

 

 タイミングが良いのか悪いのか。今日はフェアリーとして仕事が入っていた三人が帰ってきた。

 伊織もまさか本当に現れると思っていなかったのでプロデューサーと一緒に口を開けて「あっ」と揃えて硬直した。

 二人の姿を見て案の定と言うべきか。貴音と美希がすぐに反応して二人に迫った。

 

「あー!! デコちゃん何やってるの!? ずるいの、そこを今すぐ変わるの!」

「あら、残念。ここは私専用なの」

「あなた様! わ、わたくしも、わたくしもして欲しいです!」

「やだよ、重いし」

「な、なんですって。それは聞き捨てなりませんよ、あなた様!」

「伊織、なんだかすごい楽しそうな顔をしているぞ」

「そんなことないわよ。さ、お邪魔虫は放っておいて、私を次の現場へ送って頂戴」

「畏まりました。お嬢様」

 

 貴音と美希を尻目に二人は事務所を後にした。

 伊織は帰宅後も終始気分がよく、新堂らを始めとした使用人達も心配するほどだった。ただ、プロデューサーの方は……怖い顔をしたアイドル二名が待ち構えているのだった。

 

 

 

 

 

 




こんな日に更新するってことはつまりそういうことさ!

さて。今回はこの三人でした。
菜々さんが一番書きやすくて、茜が難しかったですね。まあ、一部デレステを参考というか基準にして書いてはいますが。

ユッコに関しては本作ではエスパー、というよりサイキックが強化されています。
言うまでもなく、プロデューサーはこれぐらいはできる存在なのです。

今回の幕間は、運動会の話しから考えていました。
つまり、伊織が誰よりも彼と一番最初に出会っていたのだ! 
まあ、本人は忘れていましたがね。
伊織は書きやすくて、つい優遇してしまうんですよね。キュートの中ではヒロイン候補ではありましたけど。

今年も残りわずか。あと一回更新できればと思っています。
消去法であとは小梅と輝子なんですが、幕間を入れたいなあと考えているのでもしかしたら難しいかもしれません。
スカウト編はもっとやりたいと思っているのですが、そうするといつまでたっても本編が進まないので、次回とあと一回か二回ほどですます予定です。




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スカウト編3

本当は昨日更新する予定でしたが、ガキ使を見ながら酒を飲んでいたら完成しないまま年を越してしまった……。

あと申し訳ないのですが今までで一番短いです。


二〇一三年 十二月某日 美城プロダクション オーディション会場

 

数ある芸能事務所の中で伝統のある美城プロダクション。その346プロが初のアイドルオーディションを開催したという話は一部では話題となっていた。

346プロの話題はもちろんだったが、四条貴音のプロデューサーが346プロに移籍したのも一部の間では話題となっていた。

事務所の力もあり宣伝効果は絶大だった。ネット、雑誌、広告等と人の目に付くいたるところにあり、応募数も他社以上となっていた。

審査員にはもちろんプロデューサーも同席していた。

これは彼と、あるアイドル達との出会いの一部である。

 

 

Case7 白坂小梅

 

「し、失礼しました!」

「はい。お疲れ様」

 

最後まで緊張していたのか、最後の大事な場面で噛みながら少女は部屋から退出していくのを見送りながらプロデューサーは平然と言葉を送った。

扉が閉まるのを確認するとプロデューサー小さな溜息をついた。

容姿は悪くなかった。というより、アイドルになるのだから前提として容姿が良くなければ意味はない。辛辣な言い方になるが、アイドルに限らず女優や俳優といったものには当然と言える。

しかし、だからと言って「はい、採用」と、言えるものではない。

可哀そうではあるが、先ほどの子も不採用だ。

プロデューサーは、今日のオーディションに来ている名簿のリストに先程の少女にバツ印をつけた。

今日のオーディションの半分以上を消化しているのにも関わらず、未だに満足していないプロデューサーの顔を見て隣にいる武内が声をかけた。

 

「先輩。大丈夫ですか? あまり、気分がすぐれないのでしたらあとは私が」

 

武内自身もプロデューサーが体調が悪いのではなく、彼の目に適うアイドルが見つからないのが原因だと気付いていた。だからと言って、素直に伝えるほど武内は愚かではなかった。

 

「いや、大丈夫だ。しかし、現時点で未だに成果がえられないとは」

「プロデューサー。オーディションはまだ一日目ですから、そう焦らずともよいのでは」

 

プロデューサーの焦りを和らげるように人事担当の眼鏡をかけた男性が言った。

今回のアイドルオーディションを担当する彼とは後に長い付き合いになる。

 

「それもそうだな。次の子の資料は?」

「こちらです」

「ありがとう。……白坂小梅」

「11歳ですか。彼女を含め幼い子が多いですね。それに、写真を見ただけですが悪くはないと思います」

 

たしかに、とプロデューサーは武内の意見に同意した。

 

「よし。じゃあ呼んでくれ」

「わかりました。では、次の方どうぞ」

「……し、失礼します」

 

写真でも思ったが、本人をいざ見てまず抱いたのは、まるでゲゲゲの鬼太郎に出てくる鬼太郎の女性版、とプロデューサーは連想させた。なぜなら金髪で右目が隠れているのがそう裏付ける。それに、服のサイズが大きいのだろうか。袖が長く彼女の身体に合っていない。しかし、その姿は惨めというよりも可愛らしさを出している。

かなり緊張しているのかてくてくと小幅で椅子の隣に立った。

やけに挙動不審だな。緊張しているにはすこし違うような……。

例えるなら戸惑っているように見える。プロデューサーを始め、他の二人は異変に気づいたのか顔を見合わせた。

(少し変じゃないですか?)

(私もそう思います。ですが……)

(ふむ。まあ、悩んでもしょうがない。本人に聞こう)

二人はプロデューサーの提案に頷いて答えた。

 

「白坂さん。どうかしましたか?」

「あの……。こ、この会場って……なに? わ、私、知らないで、来たんですけど。その、お母さんに言われて……」

 

お母さんに嵌められたのか、とプロデューサーは察した。しかし、ただ嫌がらせでこんなことをするはずはないだろう。

プロデューサーはもう少し彼女の話に耳を傾けた。

 

「ホラー映画の試写会だって言ってたけど……。途中でどこかおかしいって気付いて……。あ、あの……ここって何をしているんですか?」

「ここは、アイドルのオーディション会場だよ」

「あ、アイドル……? ……た、多分、お母さんが外に出なさいって言ったから……?」

 

娘の事を思ってのことなのだろうと察したが、その方法がアイドルオーディションとは如何なものか。

しかし、これも何かの縁だ。このまま帰すのは勿体ない。

怖がらせないよう優しくプロデューサーは話し出した(見た目だけで十分怖いのだが)。

 

「ふむ。折角来たのだからオーディションを始めようか。まぁ、とりあえず座って」

「あ、はい……。えーと、何を話せばいいんですか……? わ、私、人と話すのとっても苦手で……」

「ゆっくりで大丈夫だよ。そんなに難しい質問はしないから。そうだね、まずは……無難に趣味はなにかな?」

 

プロデューサーは小梅の事を考えて簡単な質問をした。すると、意外にも彼女は喋るのが苦手と言いつつも話し始めた。

 

「そ、それだったらできるかも……! えーと、ほ、ホラー映画が好き……です! 中でも、特に好きなのがゾンビ映画で……! ゾンビってのろのろ歩いて、襲いかかって、かわいい……から好きです!」

「ほぉ。随分マニアックな趣味をしているね」

「よ、よく言われます……」

「私もね、最近はまっているよ。映画じゃなくてドラマだけどね。ウォーキング・デッドっていうドラマなんだけど」

「あ、わ、私もいま見てます……! 最近はあんまりゾンビ出てこないけど……すっごく面白くて。特にゾンビが、ゾンビらしくて好きです……!」

「今はどちらかというと、人間同士の物語がメインなんだよな。特にニーガン役の人が最高にいいね(二〇一三年時点ではまだシーズン4です。現在シーズン7が放送中です!)」

 

二人の会話に花が咲いている中、蚊帳の外にいた二人はプロデューサーをさすがに止めた。彼もそれに気づき、ごほんと気を取り直して次の質問をした。

 

「えーと。じゃあ、もしの話なんだけど。アイドルになったらどういうことをしたいかな?」

「えーと。んー……」

「難しく考えなくていいよ。自分がやりたいことでもいい」

「じゃ、じゃあ……! ぞ、ゾンビとかホラー関係のお仕事したい……です! え、映画とか出たり、その、ゾンビになったりとか!」

 

最初に見た彼女と別人なのではと思うぐらい、小梅は嬉しそうに語った。彼女が見せる笑顔は可愛いく、それは三人も同じ感想だった。

小梅も勢いがついたのか、そのあともプロデューサー達の質問に戸惑いながらも答えることができ、無事彼女のオーディションは終了した。

 

後日。小梅は無事オーディションに合格。尚、仕掛け人である彼女の母親が一番驚いていた。

小梅本人はと言えば、驚きながらもどこか嬉しそうであったという。

 

 

Case8 星輝子

 

このオーディションには実を言うと、プロデューサーが声をかけて参加している子もいた。その場で答えを出せなかった子に「オーディションに参加してみては?」と、彼が提案したのが始まりだ。

会場に着き、名前だけ言うとそのまま案内されて待機室にいた。

まさか、本当にアイドルのオーディションだとは。そんな事を思っていた――星輝子もその内の一人だった。

(し、死ぬ……。こんな眩しいところに居たら)

周りにはリア充共が何度も面接の練習をしているのが目に入る。服装もお洒落で、自分より綺麗だ。自分の服装はいつもの服装だし、ある意味注目を浴びているのがわかる。

どいつもこいつも私を見やがって……。見世物じゃねえんだよ……!

内なる感情が爆発しそうになったが、なんとか堪える。

 

「――番の星さん。星さんはいますか?」

 

待合室に係りの人間が入室し、輝子を呼んだ。

 

「あ、じ、自分です……」

「どうぞ。こちらです」

「はい、はい……」

 

係員に案内されながら輝子は会場である部屋の前に置かれた椅子に座った。どうやら自分の番は次らしい。

待っている間は非常に落ち着かなかった。一分一秒がとても長く感じる。おそらく呼ばれてから10分ほどだろうか。扉が開き、自分より年上の子が出てきた。表情からして上手くできたといったところだろうか。

とうとう自分の番がやってきた。憂鬱で仕方がない。

(星輝子さん。どうぞお入りください)

呼ばれてしまった。ここまで来たらいくしかない。

 

「し、失礼します……あ」

 

そこには、自分をここまで呼んだ元凶の男が満面の笑顔で待っていた。

 

 

「ほ、本当にアイドルのプロデューサーだったのか……」

「なんだ。信じてなかったのか? それは、心外だな」

「おかしいと思ったんだ……。ここまでの交通費を全部事前に用意してくれたり……。ここに来たら名前を言ったらすぐに案内されたし」

「まあ、それは置いておいて。オーディションを始めよう、じゃないか……?」

 

プロデューサーは輝子の様子がおかしいことに気付いた。

すると、

 

「ぼ、ボッチの私にはま、眩しすぎる世界……。もっと、ジメジメした場所がいい……。ていうか、私の頭がおかしくなって、なって……フヒ」

『……?』

「フヒヒヒヒッッ!!」

『!!』

「ヒャッハ――――ッッ!!」

 

まるで二重人格のように別人になった輝子は突如叫んだ。

 

「もうどうにでもなりやがれ――ッッ!! 何でも質問に答えてやる――ッ!! いいか野郎共! キノコの見分けがつかないやつは悪い人間だ! キノコの見分けがつく奴は良い人間だ! 本当、キノコは魔窟だぜ! フハハハハッッ!!」

『……』

 

怯えた顔はどこかへ消え、今はその逆を通り越してイってしまっているようだとプロデューサーを除く二人は思っている中、

(この子面白いな)

輝子の変貌に興味を示していた。そこから彼は、輝子をどういう路線でプロデュースしていくかをすでに頭の中で考え始めた。

普通のアイドルが着るような衣装ではなく、もっとバンドみたいなものがいいだろうか。例えるなら、そうだ。アレだ。デスメタルだ。

プロデューサーは、星輝子のアイドル像をすでに構築した。目の前にいる彼女に想像した衣装を着せてみる。

うむ。ピッタリである。

 

「ハハハ、はは……。……ま、また、やってしまった。わ、私……感情が高ぶるとああなっちゃうんだ……」

「ふむ。最初に出会った時にも思ったんだが、キノコ好きなのかい?」

「ま、マイフレンド……だからな……」

「じゃあ、キノコは食べないのか」

「い、いや……食べるよ……」

『食べるんだ』

 

三人が口を揃えて言った。

 

 

二〇一四年 某日 オフィスビル31階 通路

 

「うん……うん。わかった。ありがとう……」

 

通路の真ん中で小梅は一人で喋っていた。独り言のようにも見えるが、出演するドラマか舞台の稽古なのかもしれない。しかし、彼女の手に台本はない。

では、ただの独り言なのか。

信じがたいことだが、たしかに小梅の前には存在するのだ。彼女がよく口にする「あの子」という存在が。

幽霊なのか、それとも守護霊なのか。真偽のほどは定かではないし、本当に小梅が視えているのか。それを信じている者は少ない。

少なくとも小梅のプロデューサーである彼は信じているようだが。

小梅は、てくてくと「あの子」に聞いたことを確かめにある場所へと向かい始めた。その足取りは軽やかである。

目的の場所はいつも足を運んでいる部屋。部屋の前に立ち、壁に貼り付けてあるプレートには「アイドル部門 チーフプロデューサー」とある。そう、小梅のプロデューサーでもある彼の仕事部屋だ。

(……あ)

よく見ると、ドアノブに『Close』と書いてあるシンプルな看板がかけられている。これは、プロデューサーが不在の時にあるものだ。しかし、これにはもう一つの理由があることを小梅を始めとしたアイドル達は知っていた。

 

「し、失礼しまーす……」

 

静かに扉を開けて小梅は忍ぶように部屋に入った。そこには、来客用のソファーに座って

寝ている。これが、もう一つの理由である。

(あの子の言う通りだった……)

教えてもらったとおりプロデューサーは寝ていた。小梅の目的はこの瞬間にあった。

幼い小梅でもプロデューサーがみんなから好かれていることは知っている。しかし、彼は多忙で中々自分一人に割く時間など滅多にない。なので、こうして抜け駆けをしたというわけだ。ちなみに今回が初めてという訳ではない。

 

「えへへ……。プロデューサーってあんまり寝息をたてないからまるで死んでるみたい……」

 

小梅はプロデューサーの横に座り、じっと彼の顔を見つめては恐ろしげな発言をした。しかも笑顔で言うのだか恐ろしい。

 

「んー。今日はどうしようかな……」

 

ぺたぺたとプロデューサーの顔を触りながら小梅は考えた。写真などは最初に撮ったので新鮮味がない。年相応に悪戯をするという案もあるが、それは今後のことを考えると得策ではない。

そういえば、机には何が入っているんだろう。

小梅は、今まで手を付けていなかったプロデューサーのデスクに向かった。見た目からして安っぽい机ではなく、高そうなものだと一目でわかる。椅子もソファーより座り心地がよさそうだ。

まずは、椅子をどかしてと。

キャスターがあるので力がない小梅もでも簡単に動かすことができた。すると、聞こえる筈のない声が耳に入った。

 

「……あ」

「しょ、輝子ちゃん……? ど、どうしてここにいるの……?」

 

机の下には、輝子が育てているキノコ鉢を手に持ってそこにいた。

 

「人の事言えないじゃないか……。小梅こそどうして……」

「わ、私はプロデューサーの……しにが、じゃなかった。寝顔を見に……」

「恐ろしいことを言おうとしたような気がするけど、聞かなかったことにしたほうがいいな……。うん」

「輝子ちゃんはどうしてここにいるの?」

「そ、それは……。ここは居心地がいいから……。キノコ達もよく育つし……」

 

輝子自身も自分以外の人間が部屋に入ってくるとは思っていなかった。まさか、プロデューサーの睡眠中に入ってくる人間が自分以外にもいるとは思いもよらなかった。

しかし、二人は知らない。時間帯や日付が違うだけでアイドル達が部屋に入り浸っていることを。

 

「ま、まあ。ここで騒いでもしょうがないよね……」

「そ、その通り。ここは、大人しく静かにしよう。起こしちゃ色々と――」

「誰を起こすと色々と不味いんだ。輝子?」

『……ぁ』

 

輝子が言い終える前にいつのまにか起きていたプロデューサーが腕を組んで二人を見下ろしていた。二人は咄嗟に互いの手を掴み震えだした。

(や、やばい……)

(こ、殺されちゃうよ……。そ、それもいいかなぁ……)

(私でも、それは色々と不味いと思うぞ……)

今まさに裁きが下るというのに意外と余裕の二人であった。むしろ、約一名の発想がぶっ飛んでいる。

腕を組み、二人を見下ろしていたプロデューサーも大きなため息をついた。本気で怒るつもりだったら容赦のない鉄拳制裁(すごく優しい)をしていた。いや、マスタートレーナーによる地獄のレッスンが行われていたかもしれない。

とにかく、二人は助かった。

 

「知っていて注意しなかった俺も悪いからな。何も言えん」

「え、知っていたの……?」

「扉の前に立っていた時から」

「そ、それはそれでどうよ……。もしかして、私の時も?」

「気付いていたぞ。ただ、輝子は机の下に潜ってるだけで何もしないからスルーして寝ていた。まあ、寝ていてもよかったが流石に釘を刺しておかないとな」

「ううぅ」

「ご、ごめんなさい」

 

反省、というよりプロデューサーを怒らせた、迷惑をかけてしまったことの罪悪感が大きいのか二人の表情は暗くなった

やはりプロデューサーもアイドルには甘いもので、すぐに手の平を返した。

 

「そ、そのな。もうするなって言っているわけじゃないんだ。いや、それもおかしな話だが。とにかく、あまり騒がないでくれればいいんだ。ただでさえ、不在にしていることを誤魔化して寝ているわけだから、千川に知られると五月蠅いからな」

「ほ、本当……?」

「じゃあこれからも寝ている時に入ってきてもいい、のか?」

「し、静かにすればな」

『……!』

 

曇っていた表情から一転。笑顔で二人は喜んだ。

プロデューサーも渋々といった感じで頭の後ろに手を回し二度目のため息をついた。

それからプロデューサーは仕事に戻ったのだが、二人はこのあとのスケジュールに仕事はなく、そのまま部屋で時間を潰した。彼にとって意外だったのは仕事が定時で終わったことである。

いくらアイドルといっても二人は未成年。事務所にいる時間は限られている。事務所と女子寮が比較的に近いといっても幼い二人だけで帰らすのは危険だ。

そういうことで、プロデューサーは二人を女子寮まで送ることになり、気付けば喋っている内に女子寮のある近くまで来ていた。

 

「二人とも寮生活はどうだ。上手くやれているか?」

「うん……。みんな、よくしてもらってるよ……」

「ご飯も美味しいし、特に不満はない……」

「そうかそうか。それはよかった。学校はどうだ? 二人とも友達……をつくるのは苦手なほうか。虐めとかはされていないか?」

「友達は……親友がいるから、問題はない……。自分で言って悲しくなってきた……」

「問題はあるぞ。親御さんから学校でのことも報告しなければいけないし、俺個人としても輝子に学校で友達をつくってほしいと思ってる。諦めず頑張れよ」

 

輝子を応援しながらプロデューサーは彼女の頭を撫でた。

 

「親友がそう言うなら……頑張る」

「小梅はどうだ」

「えーとね……。ホラーが好きな子が中々いなくて……」

「はは。まあ、ホラーが趣味な子は少ないだろう。特に女の子はな」

「面白いのに……」

「暇があればホラー鑑賞に付き合ってやるよ。そう気を落すな」

「うん……へへ」

 

プロデューサーは輝子と同じように小梅の頭を撫でた。

話している内に三人は寮の入口につくとプロデューサーは二人の代わりに持っていた荷物を返した。

 

「それじゃあまた明日な」

「えー。もう行っちゃうの……?」

「もうちょっと居てもいい……」

 

残念そうに小梅が言った。

しかし、ここにプロデューサーが長く留まることは難しい。というよりも女子寮は男子禁制であり、346プロの社員といえどここには簡単に入ることはできない。彼は一応ここに住むアイドル達のプロデューサーであるので特別に寮の中まで入ることはできる。彼を除けば配達員、業者といった必要最低限の人間しか立ち入ることを許されている。

これもすべてアイドル達を守るためである。

 

「いや、しかしだな」

『……』

「うっ。そんな捨てられた猫みたいな目をするんじゃねえよ……」

『……駄目?』

 

アイドルの可愛さをいま最大限発揮している。ファンでなくともこの二人の顔をみたらイチコロに違いない。

それでも、プロデューサー自身そういったお願いをするアイドルと常にいるのだ。こんなもので揺らぐほど彼の精神は脆くない。脆くはないが、彼の良心が痛む。なので結局は屈してしまう訳で。

 

「……お前達の寮生活に問題ないか管理人さんに聞くか」

「やった……」

「ふひ。アイドルやっててよかった……」

 

まるで子供に引っ張られる父親のようにプロデューサーは二人に連れて行かれた。話したように女子寮の管理人と話をしたあとは、なし崩し的に夕飯を一緒に食べることになった。

当然、プロデューサーの隣を得ようとアイドル達の争奪戦が起きたのは必然であり、そして今回の勝者は小梅と輝子だということは言うまでもない。

 

 




小梅と輝子編でした。
二人は「……」が多いのでとても台詞が大変でしたね。

次回もスカウト編をやる予定でしたが本編を先に一回やりたいと思います。時系列でいうデレマスの前日譚といったところでしょうか。

最後に愚痴。
ガチャ回してないんだからロード入ってよ。せめてSレアぐらいください……。


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スカウト編4

 

 

あなたはサンタクロースを信じますか? と問われたら、いい年をしたおっさんがサンタクロースを信じているなんてありえないだろと答える。

子供のころは、事前にアレが欲しいと言っていた物が翌朝には枕元に置いてあるのを何回か体験した。たしかに、その頃は信じていたのかもしれない。ただ、それがサンタクロースではなく、自分の両親であることをいつしかプロデューサーも気付いていた。

記憶が正しければ親が年に一回しかしない事を毎年やっていたかと言われれば違ったはずだ。クリスマスが近づくにつれ自分が欲しい物を口にするか、親が決まって「クリスマスは何がほしいの?」と、笑顔で聞いてくるものだ。

そう、これは一種の冬の風物詩とも言える。

十二月になればスーパーやコンビニ、また広告にもそれはある。オードブルのセットとか、ケーキのご注文はお早めに等々。近年ではそれらを見る度に「ああ、もうクリスマスか」と呟くものだ。

面白いのが、クリスマスが終わればすぐにそれは終わり、今度はおもちとか、かまぼこがずらりと並ぶのだからある意味日本ならではの光景である。店員はきっと大変だと思うが同情はしない。

ふと気付けばその風物詩はなくなり、それに対して自分も何も言わなかった。きっと、それは少し大人になったのかもしれないし、ただ単に、物より現金を求めるようになったのかもしれない。

それでも大人になった今でも嘘偽りなく言えるのは、プレゼントをもらったことは本当に嬉しかったと言うことだ。現物はもうこの世に存在しないのは許してほしい。

俺には子供はいないが、それ以上に手間のかかる子がいる。我がアイドル部門のアイドル達である。若い頃はクリスマスなど馬鹿にしていたプロデューサーであったが、今では切っても切れない行事でもある。

CM等が一番多い仕事であり、次にあるのが規模で言えば目玉であるクリスマスライブ。後者に関しては可能な限り所属しているアイドル全員のライブで、各自のスケジュール調整、レッスンの打ち合わせ等々。細かいが比較的楽な部類である。

前者に関しては、アイドル部門発足当時は色々想定していたが、今では考える必要がないぐらい簡単なのである。特にクリスマスのあとには正月関連のCM、初詣や初売りがメインのためこれも同時に行うため手間がかからない。プロデューサーはこの二つの行事に関しては、まさか適任が見つかるとは当初思ってもみなかったのである。

この二つを担当するのがイヴ・サンタクロースと鷹富士茄子の両名。

さて、一度は考えたことはないだろうか。サンタクロースってどんな人なのかと。もちろん俺にもあった、とプロデューサーは語る。白い髪とヒゲ、赤い衣装を身に纏った太ったおっさんを誰もが想像する。

奇妙な話であるのだが……。彼女、イヴ・サンタクロースも特徴的な白髪である。

生来のものと思われるのでアルビノの辺りだと推測はしている。さらに、疑いたくもなるようなサンタクロースという家名。

諸君、驚くなかれ。彼女は本物のサンタクロースなのだ。それを裏付けるかのようにブリッツェンというトナカイもいる。よく見るトナカイと比べると嘘くさい姿ではあるが。

彼女と出会ったいま、もう一度サンタクロースを信じるかと問われたら、

「サンタクロース? ああ、信じるよ。だって、俺のアイドルがそうだからな」

と答えることだろう。

 

 

二〇一三年 十二月二十四日 346プロダクション オフィスビル

 

今日はクリスマスだということはもちろん知っている。プロデューサーはそれを頭の片隅において仕事に集中していた。

この時点で多くのアイドルをオーディション、現地でのスカウトにより確保していた。予想以上の成果である。アイドルとしての素質は十分だし、将来が楽しみな子ばかりである。といっても、本格的に行うのは年が明けてからだった。特に都民ではない子が多く、未成年がほとんだ。女子寮はすでに完成しているので衣食住は問題ない。あるとすれば学業の方だった。

転校手続き等は比較的スムーズに進んでいた。芸能関係の仕事している子を今では多くいるので特に難しくはなかった。一番問題だったのが丁度受験シーズンの子で、これは少し頭を抱えた。

が、これもなんとクリアした。どうやったかは企業秘密である。

距離的に厳しい子以外はスカウトしてからすぐにレッスンを行っている。仕事はまだ与えてはいないのでプロデューサー達の負担はさほどない。

ようするに、いまは比較的早く仕事が終わり、さらにそのまま帰宅できて、自由な時間が使えるわけで。

プロデューサーたるもの、アイドルとのコミュニケーションはしっかりとしている。彼が独身で、アイドルにも相手はいない(いては困るのだが)。

つまり、アイドルといっても一人の女性だ。年少組は家族や友人達と、寮で暮らしている子達はパーティーを。で、大人組は……言うまでもない。

仕事を終わらしてデスクの周辺を整理し、問題ないかチェックする。時計を見て時間を確認。プロデューサーはコートを羽織り、バッグを持って部屋を出た。

今から行けば丁度事務所でパーティーが始まっているころか。

彼には今日やるべきことがあった。

先日の765プロのクリスマスライブの一件で彼女達との関係にヒビが入り、気まずいまま今日まで来てしまっていた。プロデューサー自身もこのままではいかないと思いつつもどうすることもできずにいた。

そんな時、春香がクリスマスパーティーをしようという話を耳にした。彼女の願いを叶えるべく全員のスケジュールを調整し、なんとか全員が集まれる時間をつくることに成功した。赤羽根と律子にはもちろん伝えてあるが、参加するとは言っていない。

彼自身、罪滅ぼしというわけではないがささやかなクリスマスプレゼントを用意していた。それを今から受け取りに行くのだ。

 

「あ、いたいた。プロデューサー君、ちょっといいかしら?」

「お疲れ様です、チーフ」

 

待っていたと言わんばかりのように川島瑞樹と高垣楓が声をかけてきた。

 

「二人ともどうしたんだ? いや、想像はつくが」

「なら話は早いわね」

「折角のクリスマスを自宅で一人過ごすのは忍びないですから」

「他にも今西部長に武内君にちひろさんも誘ってるわよ」

 

豪華なメンツだと思いつつも、他にもアイドル部門には独身の男共がいたような気がする、と一瞬だけプロデューサーは思っただけですぐに気にしないことにした。

 

「俺としても君達と親睦を深めたいんだがね。今日は生憎先約があるんだ。また今度一緒に行くことにしよう」

『……え!? それってつまり!』

 

これはもしや! と色恋沙汰の話になると急に騒ぎ出す少女のような感じで二人は言った。

 

「君達が思っているようなことじゃない。それじゃあ、お疲れさん」

 

二人はそのあと、三人と合流して先程の事を報告したが、

 

「それは……ないねえ」と今西が言うと。

「私もないと思います」と武内も言い。

「ありえません!」とちひろがジョッキを叩きつけながら否定した。

 

なやかんだでそのあとも、プロデューサーには恋人とか妻、愛人がいるのではと、本人が居ないことを良い事に盛大にクリスマスの夜を楽しんでいた。

346プロを後にしたプロデューサーは一度自宅に戻り雪歩の誕生日プレゼントを取りに戻った。今日が彼女の誕生日だということはもちろん知っていたし、貴音や美希だけではなくアイドル全員にはプレゼントを贈っていた。

自宅を経由して、知人が経営しているケーキ屋に立ち寄り予約してケーキを受け取る。各自ケーキを持参してきそうな気がしたが、ショートケーキやチョコといった定番系辺りだと予想してフルーツが一杯のタルトケーキにした。しかもホールなので十分足りる事だろう。ただ、翌日の体重がどうなろうと彼には関係のないことだ。

765プロの事務所の前までくると電気がついていることから、またパーティーはやっていることがわかった。プロデューサーは事務所の入り口まで辿り着くと、彼から見て扉の左側にプレゼントを置いた。

やっぱり、このまま帰ろう。

直接渡すことも考えたがプロデューサーはそれを実行しなかった。当初の予定通り、入口を叩いて彼はそのまま事務所を去った。

クリスマスだけあって外は人で賑わっていた。ざっと見渡せば恋人同士か夫婦のような二人組が大勢いた。別に嫉妬しているわけではないが、いざ目にすると自分が惨めというか、カップルが多く行きかう大通りで、哀愁漂わせながら男が一人歩くのは耐えられない。

大通りから外れ、人通りが少ない道を通る。街灯が照らす道を一人歩く。

意外なのが彼以外に人が歩いてこないことだった。まるで、これが独身男性の末路と言わんばかりのようにも思えた。

十二月なので、寒いのはたしかなのだが今日はやけに寒い。天気予報では雪が降るとは言っていなかった。こんな日をホームレスはどう過ごしているのかとなぜかプロデューサーは思った。ニュースで凍死した話は聞かないのできっと彼らなりの秘密スポットがあるのだろう。それとも、ダンボールだろうか。

そんな事を考えながら歩いていると、ふと道の向こう側。プロデューサーの前方10メートルぐらいだろうか。街灯が照らしている丁度真下にダンボールが見えた。目を凝らしてよく見てみると、そのダンボールにはどこかで見覚えのあるみかんのマークがあった。

なんだ、あれは。

さらに目を疑うモノがあった。角がある謎の生物が一緒に傍にいるではないか。プロデューサーはこの場から立ち去るか、それとも前に向かって歩くのか考えた。

彼は前に向かって歩き出す。恐怖よりも好奇心が勝った。

少しずつ距離を縮めていくと、ある違和感に気付いた。街灯があるといっても陽は落ちているのでしっかり見えなかったのだが、気付けばそれはダンボールを身に着けた……。

(女……? 日本、いや、外人か?)

長い白い髪。あまり見ることのない髪の色だ。

しかし、なぜこんなところでダンボールなんて身に着けているのか。声をかけるべきか、立ち去るべきなのか。どう行動するべきか考えていると、

 

「……え?」

「あっ」

 

彼女と目が合った……。

 

 

帽子と唯一身に着けている下着、そしてダンボール。ブリッツェンをホッカイロのように抱きしめながら、イヴ・サンタクロースはやっと自分を助けてくれそうな男性に一方的に事情を説明していた。

 

「で、日本にやって来たのはいいんですけど……。サンタ狩りに出会ってしまって、あ、サンタ狩りというのではね、わたし達サンタが配るプレゼントと身ぐるみを剥いでいく恐ろしい人たちなんですよぉ」

「はあ……。サンタ狩り、ねえ」

 

噂には聞いていたが本当に自分が出会うとは。イヴは数十分前のことを思いだした。

プリッツェンが引くソリに乗りながら街の上空を走っていると、突如謎の集団が襲いかかってきた。突然のことでソリはそのまま今いる辺りに墜落し、私は囲まれた。

(ヒャッハ――!! 今年もサンタがやってきたぜぇ!!)とサンタ狩りAが言った。

(へっへっへ。このプレゼントはオレ達が頂いていくぜぇ!)とサンタ狩りBが奪い。 

(ついでに身ぐるみも剥いでいくぜ!!)とサンタ狩りCに服を奪われた。

(帽子だけは残しておいてやるぜ、俺達は紳士だからな)とサンタ狩りDが言った。

(それじゃあ、また来年に会おうぜーーーー!!)とサンタ狩りEが言い、彼らは去っていた。

そして、残された私は近くに捨てられていたダンボールを身に纏い、ブリッツェンと共に誰かが助けてくれるのを待っていたのだ。

しかしこの人は、折角最初から説明しているのにあまり分かっていないような顔をしているような気がするとイヴは思った。なんて言えばいいのだろうか。そう、こういう顔はアレだ。呆れているような顔をしている。

 

「あのぉ、もしかして……。信じてません?」

「身ぐるみを剥がされたのは信じるが、最初の件辺りは正直信じられん」

「本当にわたし、サンタなんですよ! ほら、帽子だってありますし、それにブリッツェンもいます!」

「コスプレのじゃなくて? それに、そのトナカイ。すっごい、頼りなさそうに見えるんだが」

「そんなことありません! このブリッツェンは凄いんです! ね、ブリッツェン?」

「ぶも」

「……」

 

トナカイの鳴き声など滅多に聞いたことがないプロデューサーは疑いの目を向けた。なにせ、目はなんだか漫画みたいな目をしているし、鼻からでっかい鼻水を垂らしている。信じろと言われても、そう簡単に頷けるものではなかった。

 

「お願いしますよぉ。信じてくださいぃー」

「わ、分かった。百歩譲って君がサンタだと信じよう。で、君は俺に何を求めてるわけだ?」

「助けてください!」

 

曇りのない目で嘘偽りなく言うイヴに、彼はやっぱりかと言わんばかりに頭を抱えた。

 

「お願いしますよぉ。ソリまで盗られちゃって帰れないんです……。ほんと、なんでもしますから!」

「ん? 今、なんでもするって―――」

 

突然、電話が鳴った。

 

 

イヴが必死に懇願している最中、プロデューサーはポケットからスマホを取出し画面を見た。「765プロ」、そうあった。

『ぷ、プロデューサーさん。わたし、春香です』

 

春香が電話をかけてくるのは予想外だった。いや、電話すらかかってくるとは思っていなかった。彼は少し動揺したが、取り乱さず応えた。

 

「春香か。……どうした。何か問題でも起きたか?」

『はい。大問題です。折角のクリスマスパーティーなのにプロデューサーさんがいません』

「それは……そのだな」

『わたし達も色々……思う所はあります。でも、最後なのにしこりを残したまま別れたくないんです!』

「わかった、わかったよ。俺の負けだ」

 

諦めた。それもすぐに。結局のところ、春香達と同じことを考えていたわけで、それを子供が中々謝れないように、自分はそれと同じレベルだったということだ。自分と半分ほどの少女に言われてやっと動くのは大人として恥ずかしいとプロデューサーは思った。

しかし、先程からうるさい。「あの……聞いてますか? お願いだから無視しないでくださいよぉ」と、イヴが胸を叩いて邪魔してくる。電話しているのがわからないのか。

 

『それじゃあ!』

「ああ、行く……。――ちょっと待て!」

 

ブリッツェンが突然走り出した。「あ、どこにいくのブリッツェンーーー!?」と、イヴが大声で追いかけた。

不味い。非常に不味い。

あのトナカイが向かっているのは大通りに出る方角である。トナカイならまだしも、彼女がそこに入ったらとんでもないことになってしまう。撮影され、きっとすぐにネットに広がってしまうことだろう。

それだけはなんとしでも阻止せねば。

彼はすぐに追いかえるために全速力で走り出した……が、

 

『あなた様』

『ハニー』

 

鋭く、冷たい声が耳に入る。どうやら、イヴの声をスマホが拾ってしまったようだ。優秀過ぎるのも困ったものである。

 

『あなた様。御一人ではないのですか?』

『それも女の人と一緒なの』

 

恐ろしいと感じていても、今は目の前の事をどうにかしなければならなかった。

寒い。

こんな真冬の、遅い時間になんで俺は一人の女と一匹のトナカイを止めるために走っているのか。どうすればいい。

そうか。そうすればよかったのか。

つまり、俺が彼女を助ければあのトナカイは止まるのか。彼は何故か悟りを開いたかのように答えを見つけた。

 

「今はそれどころじゃ――おい、わかったからそのトナカイを止めてくれ!」

『トナカイ? あなた様、何を言っているので――』

「一時間以内にはそっちに行く! またあとでな!」

 

強引に通話を切った。あとが怖い……。

そのあと、なんとかトナカイを止めることに成功したプロデューサーは、イヴに羽織っていたコートをダンボールの代わりに着せた。無いよりはマシと思いつつも、コートの下には下着以外身に着けていないのだ。

(下手したら、俺がそういうプレイをしていると思われる……)

最悪の結末が脳裏を過った。彼はイブの手を引っ張り、近くのタクシーが止めてある場所に向かう。

タクシーはすぐに見つかった。問題はそのあとだった。

 

「○○区にある××のマンションの前まで。全速力で頼む!」

「あの……お客さん。言いにくいんですが、ペットはちょっと……」

「ペット? ああ、ブリッツェンのことですか」

「へ、トナカイ。それにその子……」

 

イヴの違和感に気付いたドライバーのおっさんはじっと彼女を見た。しかし、それをプロデューサーがブロックし、おっさんの前にある物を渡した。

 

「これでよろしく頼む。他言無用だ」

「はい、喜んで!」

 

大量のチップという金を渡しようやく問題は解決した。

そのあと何も問題はなくマンションに辿りつき、自室へとイヴとブリッツェンを招き入れた。

部屋に入るなりイヴは驚いていた。珍しいのだろうかと思っていたが、

(煙突がないからだろうか)

ふとそんなことを思った。

 

「へぇー。日本の部屋ってこんな感じなんですねぇ」

「別に日本に限った話ではないと思うが……」

 

言いながらプロデューサーは寝室へと向かった。クローゼット開けてクリーニングに出して戻ったばかりのYシャツを一着取りイヴに手渡した。

 

「あの、これは?」

「とりあえず今日はそれを着て我慢してくれ」

「ありがとうございますぅ」

 

Yシャツをイヴに手渡すと、彼女はすぐにコートを脱いだ。彼は咄嗟に後ろを向いた。ちらりと彼女の白い下着が見えたのはしょうがないと自分に言い聞かせる。

音からして多分Yシャツを着たのだろうと判断して振り返る。そこにはぶかぶかのYシャツを着たイヴが「わあ、大きいですねぇ」と言いながら立っている。

プロデューサーが所有する服にはジャージなどもある。それなのになぜYシャツを選んだのかと、この場にあの二人がいたら問い詰めるに違いない。ただ、彼もれっきとした一人の男であるという証明である。本能がそれを選んだのだ。

(ナマで見ると……破壊力がすげぇな)

女性の裸Yシャツをなにで見たかは言うまでもない。

 

「あと、俺はこのあと少し出かけなければいけないから、その間はここで待っていてくれ」

 

寝室のとなりにあるもう一つの部屋。そこには貴音と美希のコスプレ衣装があったのだが、冬ということで衣装は押入れにしまって炬燵を導入した。ストーブと炬燵をつなぐ、商品名は忘れたがトンネルと呼んでいるそれを使って暖かい空気を炬燵に送り込む。態々この部屋のためだけにもう一台テレビを購入した。気付いたら美希が家庭用ゲーム機を持ちこんでおり、プロデューサーも暇なときはそれで遊んでいた。

 

「こ、これが日本伝統のコタツというやつなんですね! ……寒いです!」

「まだ、ストーブを付けてないから当然だ。ほれ、少ししたら暖かくなるから。て、お前もか!」

「ぶもぉー」

 

目を離した隙にブリッツェンは炬燵から頭を出していた。見た目に反して器用な奴だ。

ストーブに火が付き暖かい空気が炬燵へと送られる。寒かった炬燵の中が暖かくなっていくと、イヴとブリッツェンは緩んだ顔になり炬燵の魔力に捕まったようである。

 

「はぁー。あったかーいよー」

「とりあえず、俺が帰ってくるまでここにいること。呼び鈴がなっても出ない事。あと寝る時はストーブを消すこと」

「えー! それじゃあ寒いですよー!」

「うっ。……隣の寝室で寝て構わないよ。ただ、そこのトナカイは入れるなよ」

「分かりました。助けてもらっている身なので文句は言えませんからねー」

 

イヴは納得したようだがブリッツェンは自分だけ床で寝ることに異議を唱えているように見える。猫ならともかく、トナカイをベッドに招く人間がどこにいるのか。

プロデューサーはブリッツェンを無視して置いてあったコートを羽織る。「くれぐれも大人しくていてくれよ」と言い残し、彼は再び765プロへと向かった。

 

 

「それではあなた様、お休みさない」

「お休みなの、ハニー」

「ああ、お休み」

 

玄関でプロデューサーは貴音と美希を送ると玄関を閉め、鍵をかけてチェーンロックもしっかりとしてリビングに戻った。

765プロで無事に春香達との絆を取り戻した彼は一足先に自宅へ帰宅。一度居間を確認するとイヴとブリッツェンはおらず、寝室へ行くとイヴは彼のベッドで寝ていた。ブリッツェンは床で寝ていたので、それを見てプロデューサーは安堵した。

一息ついている中、予想通り二人はやってきた。色々あったが、予定通り二人にクリスマスプレゼントを渡すことができた。

ようやく二人が自室に戻り、プロデューサーはきっと肩の荷が下りた。

言えまい。あのいいムードの中で、寝室に見知らぬ女が寝ているのなどと。

知ったら愚痴だけでは済まされない。滅多打ち、いや、焼き討ち……! 想像しただけでぞっとする。

ソファーに座り一息つくと、寝室の扉が開きイヴが目をこすりながら出てきた。咄嗟にプロデューサーは二人がいなくてよかったと心の底から安心した。

 

「あの……。誰が来ていたんですか?」

「起きてたのか?」

 

と恐る恐るプロデューサーは聞いた。

 

「えーと、少し前に起きたので、声は聞こえただけですけど……」

「そ、そうか。それはよかった」

「よかった? 何がですが?」

「いや、こっちの話だ。で、起きたなら丁度いい。イヴ、君は明日からどうするんだ?」

「どうするって……。どうしましょうぉ」

 

聞いておいてなんだが、そう言うしかないだろうなとプロデューサーはイヴに同情した。服もない、金もない。おそらく、身分を証明する物だってないだろう。ずっとここにいさせておくわけにはいかない。いや、ここに住まわせておくわけにはいかない。

ではどうするかと、プロデューサーは考える。身分を証明する物。身分証明書、パスポート等はなんとか伝手を使えば用意はできる。しかし、そのあとはどうするかと言われると困る。

そもそもの話、イヴはソリがないと言っていたことを彼は思いだす。つまり、正規の手順を踏まず、ここ日本に不法入国していることになるのでは……。

いや、よそう。もう手遅れだ。

会ったばかりのイヴに親身になってなんとかしようと考えるプロデューサーは、ふとあるとても簡単ことに気づく。

(仕事ならあるな。それも即戦力になるやもしれん)

自分の仕事がなんだったのかと思い出す。試にプロデューサーはイヴに提案してみた。

 

「なあ、イヴ。俺から一つ提案があるんだが」

「提案?」

「ある仕事をすれば衣食住も保障されるし、なによりお金も入って君にピッタリの仕事があるんだ」

「え! そ、それはいったい……!?」

「アイドル、やらないか」

「……あいどるぅ?」

 

そのあとのことを語るならばイヴは二つ返事で承諾した。

この瞬間、「はい」と答えた時点で彼女の問題はすべて解決したといってよかった。アイドルになれば衣食住はすべて提供される。丁度女子寮も完成していたのでタイミング的にも問題はなかった。学生だらけの女子寮に数名成人したアイドルも居て欲しいと思っていたのでなおよかった。ただ、彼女が年上の女性としての威厳、まあ頼りなるかは別としてだが。

おれ個人としてもやらなければいけないことはほんの少しで、予想通り彼女の身分を証明する書類一式とその他諸々。すぐにとはいかないがすべて用意はできた。問題があるとすれば、人事部に書類提出するときに色々と疑いの目で見られたことぐらいだろうか。

なにせ、「イヴ・サンタクロース」である。クリスマスを体現したような名前だ。疑念を抱くのも問題はない。

しかしだ。彼女はまさにその名に恥じぬ活躍をみせる。

率直に、誇張せず言うと、十二月だけで相当の売り上げをあげるアイドルである。後にプロデューサーは一部のこうしたアイドル達を「季節限定アイドル」という枠を作った。共通しているのは、担当季節以外の活動は至って大人しく、その季節になると活動が盛んになるということである。

特にイヴは、十二月のクリスマスだけあって影響力はデカい。彼女のおかげで例年に比べクリスマスにおけるケーキの売り上げが伸びたという……。

ただ、クリスマス当日の仕事はある時間帯から入っていない。なぜなら、彼女はサンタが本業(本人談)。子供たちにプレゼントを届けにいくのだ。

そして、イヴをスカウトした翌年の同じ日。

ブリッツェンが引くソリの上でプロデューサーは、人生で初めて生身で空を飛ぶのを体験した。

 

 

イヴをスカウトしてから数日後。

外から帰ってきた貴音の手にはクリーニングから戻ってきたYシャツとスーツがあった。まだこの時は、彼の寝室に入っていない貴音は、Yシャツ等はリビングの壁にかけておいていた。それをあとで、自分で仕舞っていたのだ。

意外なことに貴音は記憶力がいいのか、本人ですら正確にいくつ所持しているのか怪しいのにそれを知っていたらしく、

 

「あの……あなた様。Yシャツが一着足りないような気がするのですが知りませんか?」

「いや、知らん。数え間違いじゃないのか」

 

そのことに気付いたことを驚くが、なによりも冷静に受け答えした自分をプロデューサーは内心褒めた。

 

「はて、おかしいですね……。たしかに、一着ないような気がするのですけど……」

 

雉は鳴かずば撃たれまい。つまり、そういうことである。

 

 

 

一富士ニ鷹三茄子、そんな言葉がある。初夢でそれがすべて出てきたら縁起がいいとよく誰かが言っているのを子供のとき耳にした。毎年といっていいほどに、わたしと初めて知り合った人は「そういえば、キミの名前ってそのまんまだよね」と、口を揃えて言う。

わたし――鷹富士茄子は、一富士二鷹三茄子を表した名前なのである。ちなみに、「なす」ではなく「かこ」と読みます。

別に茄子という名前はわたしが初めてではないと両親が言っていた。なんでも、代々鷹富士家に生まれる女の子はみな「茄子」という名前を与えられたという。それを聞いたときは、その話はあまりにも信憑性に欠けると思った。もしそうなら、鷹富士家のお墓に刻まれている名前には「茄子」がずらりと並んでいるからだ。

思っているだけでよかったのだが、わたしはそれをつい口に出してしまった。すると、話を偶然聞いていたおじいちゃんがやってきて「ここ数代は男ばかりだったからなあ」と言い、お父さんがさらに「鷹富士家は基本嫁を貰うか、女だったら婿を貰うんだよ」と聞いてわたしは何故か納得してしまった。それだけ「鷹富士」という家名を大事にしているということだからだ。

まあ、先の話になるがわたしに好きな人が出来たら婿に来てもらうのは確定のようだった。

鷹富士家の人間は共通しているモノがある。言葉にするならば「奇跡」、「幸運」の二つがしっくりくると思う。わたしのことをよく知る友人は「あんたって、人生イージモードよねえ」と、羨ましそうに言っていたのだが、まさにその通りで。

幼少のころから、運がいいと感じていた。くじを引けば大当たり。トランプの神経衰弱は一回で全部当てたり。それらのようなことが頻繁に起きるのだから不思議に思うかもしれない。わたしがそれをはっきりと自覚したのは、家にあったなんだか高そうな壺を誤って壊してしまったときに起きた。どうしようとあわてふためきながら、とりあえず破片を集めようとして手に取った瞬間――壺は元通りになった。

謎の現象にわたしは意外にも冷静だった。なので、もう一度上から落として割った。手に取ろうとすると、壺は元通り

これが、鷹富士家の人間が起こす「奇跡」と「幸運」らしい。

この体質のことを聞いたのは先程の話と一緒の時で、だからといってわたしの性格が変わるとかそういうわけではなかった。

わたしはその「奇跡」と「幸運」を自覚し、むしろそれで誰が幸せになることを祈っていた。

わたしはわたしらしく、である。

ただ一つ例外があるとすれば、ちょっとした家出みたいなものだろうか。当然というべきか、地元の人達は鷹富士家のことを知っているのでそれが逆に窮屈だった。上手く言えばが、わたしをわたしとして見てくれていないのではないかと疑問を抱いてしまった。

なので、地元の大学へは進学せず、東京の大学へと進学したのである。家族などには反対されたが言いくるめた。試験はもちろん勉強した。ただ、大学入試の試験方式はどうしてもマークシートがあり、なぜか全部当たってしまうので少し罪悪感があった。

当然だよと家族が言う中、わたしは無事大学に合格した。夢の一人暮らし、誰も知らぬ土地での生活が始まった。

過程は省くが、大学一年目の後半になるとやはりどこからかわたしの噂は広まるもので。いや、時間の問題だったかもしれない。わたしの体質目当てで色んな人間が近寄ってきた。悪い意味で。宝くじを買ってくれとかそういったものばかり。わたし自身意外だったのは、こうした欲に塗れた人間には作用しないことが判明した。

できるかどうか不安だったがわたしのことを知った上で友達でいてくれる親友ができたことだった。彼女は強いというかパワフルな子だったのでわたしの体質目当ての人間を追い払ってくれたのは今でも感謝している。

そんな一癖も二癖もある大学生活を送ること、気付けば新年を迎えてわたしは初めて地元以外の神社へと初詣に来ていた。地元以上の人だかりに圧倒されたが無事お参りを済ませて恒例行事のおみくじを引くことにした。

 

「あ。今年も大吉です。やったぁ!」

 

年甲斐もなくわたしはつい声を出してしまった。いつものことだろと言われるかもしれないが、わたしとってはやはり当たると嬉しいものなのです。

そんな時です。後ろから声をかけてきた大きな男性――プロデューサーと名乗る人に出会ったのだ。

結論から言えばわたしはアイドルになった。

彼からトップアイドルを目指さないかと問われたとき、ふとわたしは思った。いくらわたしが幸運だろうとトップアイドルには簡単にはなれないと。

自分の力で、トップアイドルを目指そうと。

友人には色々と言われた。しかし、茄子はこう言い返した。

だって、人生楽してばかりじゃつまらないから。と嬉しそうに彼女は言った。それに、気になる人も見つかったのだから。

 

 

あのおみくじの結果は結局当たったのだろうか、ふとプロデューサーは思い出した。なにせ新年早々それは当たり、鷹富士茄子というアイドルと出会った。彼女が言うには自分は幸運らしい、なのでおみくじの内容が本当なら彼女と出会ったことで今年の運勢は変わったことになる。

が、全然実感がわかないのだ。

仕事は順調、アイドル達との関係も良好、私生活……特に問題なし。

(平穏が一番といえばそうなんだけどさ)

トラブルもなく、アイドル達の仕事は順調。確実にアイドル一人一人がデビューをしてきている。これ以上何を望もうというのかと思われるかもしれない。

例えるなら……。そう、刺激。いや、実感が欲しいのだ。あのおみくじで大凶を引き、内容はあまりにも酷い有様。幸運の女神に出会ったことで自分の運勢が変わったというなら確証が欲しいではないか。

興味を示さなければいいのに、プロデューサーはどうしても確かめたくなってしまった。急ぎの仕事は特になかったので事務所を出て、近くにある宝くじ売り場へと足を運んだプロデューサー。しかし彼は生まれてから今日まで宝くじを買ったことはなく、どれを買っていいのか皆目見当もつかなかった。

スクラッチ。確かに安く手っ取り早いが、面白みがない。となると、ロトとかジャンボ宝くじになる。

(こっちでいいか)

特に理由もなくロト6を選んだ。一枚だけ購入して事務所に戻る。えんぴつをくるくると回しながら数字を考える。たった6個の数字を選べばいいだけなのだが、これが意外と頭を使う。

プロデューサーがうーんと唸りをあげていると、今回彼がこんな事をする原因でもあり、今年最悪の運勢を幸運に変えた女神――茄子が部屋にやってきた。

タイミングが良すぎる……。

自分がこうして宝くじを買って、それで悩んでいるところに彼女が現れた。まさにこれは幸運、神のお告げなのでは。

 

「あれ、プロデューサーさん。そんなに眉間に皺を寄せてどうされたんですかぁ?」

「ちょっと考え事」

「どれどれー。あ、ロト6じゃないですか。プロデューサーさんってギャンブルとかあまりしない人だと思ってました」

「いや、今回はたまたまな。まあ、運試し。あ、そうだ茄子。前に言ったよな。悪意とか欲を持ってお前にこういうことさせると当たることはないって」

「たしかにそうですけど……」

 

茄子をスカウト際に本人から自身の境遇と体質を聞いていたことをプロデューサーは思い出した。この瞬間に茄子が来ている時点で自分の運勢は変わったも同然だと判断し、折角買ったのだから捨てるのは勿体ない。

この際彼女に数字を選んで貰うことにしよう。彼女の言うことが本当ならどうせ当選なんてするはずがないとプロデューサーは考えた。

 

「なあ、茄子。適当に思いつく数字を6個言ってくれないか」

「えぇ……。まあ、プロデューサーさんなら別にいいかな。じゃあ……」

 

茄子は1個ずつ数字を告げた。4、8、15、16、23、42と、マークシートにプロデューサーはえんぴつで塗りつぶしていく。

(……? どこかで見て、聞いたことのある数字なような……)

一体それをどこで知ったのか思い出せなかった。ただ、その6個の数字はたしかに知っている数字だった。数字の順番とその意味を。

 

「プロデューサー……?」

「ん、ああ、大丈夫だ。問題ないよ」

 

茄子の声で我に返る。プロデューサーはそれから深く考えることはしなかった。

それから少し経って――。

外れているに決まっている、そう思いながら当選しているか確認してみると……当選していた。

(……どうするか、この金)

一等ではないが大金には違いない。しかし、この金を私用で使うのは何故か気が引けたので、

 

「なあ、茄子。欲しい物はないか?」

「え、どうしたんですか突然?」

「深い意味はないぞ。うん、ないんだ。ただ、そのな、ふとそういう気分になったんだ」

「急に欲しい物があると言われても……。あ、ちょうどお昼なのでご飯が食べたいです」

「よーし。なら、行くか。何が食べたい? 何でもいいぞ!」

「いいんですかー!? じゃあ……」

 

以後プロデューサーはこの資金を茄子のためではなく、アイドル達全員に使おうと決意したのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘予告

 

 

今では珍しくもなくなった海外でのロケ。今回は「346プロダクション どうぶつアドベンチャー オーストラリア編」ということでオーストラリアにプロデューサーを始め、出演するアイドル達は異国の地へと赴いていた。

ロケ終了後、一人で先に帰国することになっていたプロデューサーであったが、滅多に使わない有給を事前に申請していた彼は日本に帰国するのではなく、なんとアメリカに行くことにしていたのだ。

目的地はロサンゼルス。一体なにをしにいくというのか。

彼はシドニー発ロサンゼルス行きオーシャニック815便に搭乗。飛行機は無事空港から飛び立ちロサンゼルスへ向かう。そう、快適な空の旅になるはずだった。

飛行機が墜落するまでは……。

奇跡的に助かったプロデューサーを含めた49人の生存者は救助達が来ると思っていた。

だが、そんな彼らを数々の脅威が襲い掛かる。

生息しているはずのないホッキョクグマ。

「グォオオオ!!」

「怖いかクッソタレ! 当然だぜ、元グリーンベレーのオレに敵うもんか!」

この島に住んでいる原住民たちの目的とは。

「僕はキミの事をなんでも知っているんだよ。なんなら、キミのアイドル達今どうしているか見せてあげようか」

「どうやらマヌケは見つかったようだな……」

そして……。謎の化け物。

「見せてやろう。プロデューサー道の神髄をな!」

多くの謎をかかえるこの島で彼らは選ぶ。島で生き抜く者、島から脱出を試みる者、島の秘密を探す者……。

プロデューサーもまた一人で行動していた。島の秘密を知ることができればきっと脱出できる。故郷に待つアイドル達、そして……貴音と美希の下へ帰るために。

そんな時、彼は光る奇妙な穴を見つけた。そこで彼はある男に出会い、言われた。

「僕はジェイコブ。きみにこの島で起きることを見届けてほしい」

彼の頼みを素直に聞くプロデューサー。

果たして、プロデューサーは無事に島から脱出できるのか。

 

LOST 第一話 「プロデューサー墜落」

 

 

始まりません。

 

 

 

 





今回はイヴと茄子の話でした。茄子に関してはほぼ捏造です。
最後の数字ネタは海外ドラマのLOSTネタです。
ちょうどこの話を考案してた時ですから、去年の12月辺りにHuluでLOSTを一気に見ていたのでその時に思いつきました。、
ちなみに自分はロト6買ったことないです。
あと、この数字で実際に当たったことがあると知った時は驚きました。


とりあえずこれでひと段落です。次はシンデレラプロジェクトのメンバーの一部をある人物の視点での話の予定。ようはデレマスの前日譚ですね。

個人的にはデレマスに入る前に今い346のアイドル達で幕間をしたいですね。話の案はあるんですけど……。


では、また次回で。



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第19話

事前通達みたいなものですが、第十八話からかなり時間が飛んでいます。


 その口数の少なさは今後苦労するぞ、と憐れみながら今は疎遠になった友人に言われたことを武内は思いだした。たしかに、その通りだった。

 学生の頃からその癖は治らずにいた。「だったらそう言えよな」と、そう言っているつもりでも相手には伝わっていなかったり、「あとお前はさ、はっきり言い過ぎ。正直すぎるんだよ。優しい嘘だって必要なんだぞ」と、自分の真面目さが裏目に出て相手を傷つけてしまったことを注意されたことも多々あった。

 それでも、そんなことは自分がよくわかっている。

 そんな短所がある武内であったが、周りからは公明正大な男として認識されていた。学生時代では教師からの受けはよかったし、今彼が勤務している346プロの面接でも良い印象を与えることができ無事採用された。

 ようするに、武内という人間は見た目からは悪い印象を与えるが、いざ本人を知ってみれば良い人間だと誰もが思うわけだ。ただ、全員が彼に対して同じ答えを出すとは限らない。

 特にそれが自分より年下の子供であるなら尚更だった。

 アイドル部門が活動を始めた一年目の八月頃。最初の大舞台であるサマーフェスティバルを大成功で収めた。その結果「美城プロダクション アイドルオーディション二次募集」が行われ、武内はその恩恵を得ることができた。そう、彼はついに念願のプロデューサーとなることができたのだ

 

「――以上の三名を一つのユニットとしてお前に担当してもらう。頑張れよ、武内プロデューサー」

「ありがとう、ございます……! 」

 

 上司でもあり、憧れでもあるプロデューサーに言われたのが武内にとっては最高の喜びだった。

 武内がプロデューサーの役職を得られたことを仲間たちは喜んだ。もちろん先輩でもある彼も、入社したときから面倒を見ていた今西も笑顔で彼の活躍を期待していた。

 最初から上手くできるとは思っていないが、彼は仕事のできる男だしきっと良い結果を出すだろう。そう、思っていた。

 軽率だった。結局、私は何一つ学習していなかったのだ。

 アイドルデビューでもあり初のライブ。初めての仕事。そして、ユニットの解散。それが武内とアイドル達の終着点だった。

 昔、よく友人に言われたあの言葉を武内は思い出した。

 ああ、その通りです。あなたの言うとおりでした。今はっきりとそれを味わっている。もっと親身になって考えるべきだった。ですが、もう手遅れだ。私は、あの人のように上手くはやれないのだ。と武内は憧れ、目指すべき場所はあまりにも遠いのだと痛感した。

 だがもし、自分を変えることができたらアイドル達と上手く接することができるのだろうか、間違いを起こすことなく彼女達と一緒に歩んでいけるのだろうかと武内は幻想を抱く。

 しかし、それはきっとありえないだろうと、武内は諦めた。なぜなら、もうアイドルをプロデュースすることはできない。それに……。

 私は、もうプロデューサーではないのだから。

 

 

 二〇一四年  某月某日 プロデューサーのオフィス

 

 残念だが結果はおそらく変わらないだろう。いや、それはきっとありえないとわかっているはずだ。

 太陽が沈みかけて薄暗くなった自分のオフィスでプロデューサーは受話器を片手に持ちながら静かに返答を待っていた。

 今まで数多くの事務所、テレビ局を転々としてきたプロデューサーはどこへ行ってもそれなりの待遇とポジションを与えられていた。在籍期間は短くともプロデューサー以上の権限などを与えられていた彼であったが、プロデューサー以上の役職は与えられたことはなかった。

 美城プロダクションに正式に入社したことで今は「チーフプロデューサー」という役職を与えられた。通常の企業で簡単に例えるなら部長や課長といったそれなりの偉いポジションであり、当然今の彼には部下も多くいる。

 つまり、今のプロデューサーは彼らの上司という訳だ。部下の不始末は上司の不始末。とそこまでいう訳ではないが、自身の立場上起きた問題は処理をしなければならない。

 例え、その部下が目をかけている男でもあっても割り切らなければいけなかった。

 

『――お待たせしました。その……』

 

 と、相手が戻ってきた。その声は重い。

 

「構いません。率直に申してください」

『はい……。やはり、あの子はもうアイドルをやる気はない、とはっきり言っています』

「そう、ですか」

『本当にすみません。そちらにご迷惑をおかけして』

「お母様。謝らないでください。原因は私達にあります。ですから悩む必要はありません」

『それは……。たしかに、原因の一つかもしれませんけど。それでも、これは私の教育不足です。アイドルなんて簡単になれるものではないと。アイドル以前に社会というものをもっと教えてあげるべきでした』

 

 その言葉にプロデューサーは心の奥底で肯定した。けして、今の自分の立場で口にすべきことではないと思ったからだ。

 

「お忙しい中ありがとうございます。手続きに関してはこちらですべて行ないますので

 ご安心ください。それでは、失礼します」

『はい。本当にありがとうございました』

 

 相手の通話が切れるのを確認しプロデューサーは受話器を置いた。小さなため息をつきながら彼は目の前にある三枚目の書類に同様の手続きをした。

 アイドル登録抹消。

 これであの三人は346プロのアイドルではなくなった。予定通り処理完了だ。本当に、嫌なほど予定通りに。

 そして、あとの問題は……。

 タイミングよく扉をノックしちひろが入室してきた。その顔は明るいとは言えない。

 

「プロデューサーさん。武内プロデューサーをお連れしました」

「わかった。それと千川」

 

 ちひろの名前を呼びながらプロデューサーは指で自分のもとにこいとサインし、彼女は彼の前まで歩いてきた。

 

「問題はないと思うが一応確認を頼む。問題ないようだったらそのまま処理してくれ」

「わかりました」

 

 渡された書類を見てちひろは真剣な眼差しで答え、部屋を出て行く。残されたのは武内とプロデューサーの二人だけ。

 武内の表情はいつもに増して暗い。

 

「呼ばれた理由はわかっているな?」

「……はい」

「三人のご両親に連絡取った。その結果、三人ともアイドルを続ける気はないそうだ」

「……」

 

 無言。ただ、彼の手は力強く拳をつくっていた。そのことにプロデューサーは目を向けたがすぐに視線を戻した。

 

「アイドルを続ける意思がない以上、三人は346プロから抹消。これにより……。武内プロデューサー、今日この瞬間をもってプロデューサーの任を解く。以降の指示は明日通達する。以上だ」

「……わかりました」

 

 返事をしてから少し間をおいてプロデューサーはサングラスを外して話を続けた。

 

「今から話すのはお前の上司としてではなく一個人としてだ。……武内、抱え込むなとは言わん。気に止めるぐらいにしておけ」

「それは、命令でしょうか……」

「言ったろ。これは、助言だ。あの子達が辞めた直接の原因はお前だ。紛れもなくお前が引き起こした。そのことについては俺も弁解はできない。だが、社員としてではなく一人の大人、社会人から言うならば……。あの子達は幼すぎたんだ」

「それは違います! いえ、例えそうだとしても、そのことに気づけなかった私の愚かさが招いた結果です!」

 

 十代の子供の気持ち、感情に気づくことは難しい。自身も一度犯した過ちをしたことをプロデューサーは思い出した。「きっとこうだろう」と、予想することしかできないのだ。

 今の自分は美希の一件のことや、二人のおかげでもあるだろうが上手くやれているはず……。だが、今でも思う。年を重ねるごとに「今の子供はよくわからない」と口ずさみたくもなるとプロデューサーは常々思っていた。

 自分でこれなのだから、武内はもっと辛いだろう。良い男であるが、何分口数が少ないし、一言足りない。年下で、しかも女の子の気持ちに気づくのは誰だって難しい。

 

「そのことをちゃんと自覚しているのだったら治しておけ。二度と過ちを繰り返したくなかったらな。話はこれで終わりだ。それと、今日の仕事はまだ残っているのか?」

「これといって大きな仕事は残ってはいませんが……」

「だったら一杯付き合え。俺の奢りだ」

「え、は、はい。わかりました。……失礼します」

 

 緊張の糸が切れたのか、呆気にとられながら武内は退出した。プロデューサーはサングラスをかけなおすと内線でちひろを呼んだ。数回コールしたあと彼女は出た。

 

『はい、千川です』

「言っておいた三人を連れてきてくれ」

『わかりました』

 

 可愛い後輩のためだ。原始的だが、こういう時こそ餅は餅屋。アイドルに関する問題はアイドルに任すのが一番。

 しかし、本人にとっては少し困るかもしれないが。

 

 

 少ししてプロデューサーのオフィスにちひろと、彼女が連れてきた三人のアイドルがいた。高垣楓、城ケ崎美嘉、小日向美穂。三人ともアイドル部門に所属するアイドルの中で最初にスカウト、オーディションを通り今では346プロの中でもかなりブレークしているアイドルである。

 プロデューサーがこの三人を呼んだのは簡単な話だった。三人は武内とそれなりに良好な関係を築いているからだ。あの口数の少ない武内でもよく会話が続いているように見える。それに三人が武内に対して特別な感情を抱いていることにもプロデューサーはもちろん気付いていた。

 呼ばれた三人の表情は呼ばれた理由に気付いていた。当事者である武内の様子と問題の三人がいないことから察しはついていた。また、346プロに所属する職員の人数を考えれば噂としてすぐに耳に入るのも時間の問題でもあった。

 

「あのチーフ? どうして私達を呼んだのですか? その、まあ大体想像はつくんですけど……」

 

 三人の中で一番の年長者である楓が代表して尋ねた。

 

「隠していても明日には通達するから言うが、武内を先程プロデューサーの任を解いた」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私達だってあいつがしたことは知ってるけどそこまでする必要はないじゃん!」

「み、美嘉ちゃん、落ち着いて……!」

 

 デスクを叩きつけて今にも乗り出し来そうな美嘉を隣にいた美穂が抑えた。

 美嘉は、武内に対してキツイ態度を最初にとっていたりもしたが今では彼を気に掛けるぐらいにはなっている。武内がプロデューサーとなりアイドルの担当を持てたことを隠れて喜んでいたのもプロデューサーは知っていた。

 

「美嘉、お前の言いたいことも気持ちも理解はできる。だが、それはできないんだ。周りに示しがつかない。失敗したからじゃあ次は頑張ってね、と言えるわけないだろう」

「それじゃあ武内ぷ、武内さんはこれからどうするんですか?」

「美穂が言うようにそれが本題だ。まあ、元のポジションに戻るだけなんだがな」

「と言いますと?」と楓が言った。

「言葉にするならアイドルのマネージャーか」

 

 アイドル部門には武内を始めとする数人のプロデューサーがいる。といっても、正式なプロデューサーではなく見習いプロデューサーということに今はなっている。アイドル部門自体が初の試みであるのでアイドルのプロデュースという点において経験が足りていないのが現状。

 現在は企画、営業、プロデュース等はプロデューサーが一人で所属しているアイドル達の方針を決めている。一人の人間の許容作業量を超えていると思われるが彼にとってはこれぐらいできる自負している(当然のごとく泊まり込みの徹夜作業であるのだが)。事務所側もその能力を期待して彼をスカウトしたわけでもある。

 

「で、その話と私達とどういう関係があるわけ?」

「鈍いな、美嘉は。武内の担当するアイドルをお前達三人にするって話だ。どうだ、嬉しいだろ」

「は、はあ!? べ、別に嬉しくなんてないし!」

「美嘉ちゃん、その顔じゃ説得力ないよ……」

「でも、どうして私達三人なんですか?」

「武内に遠慮なく物申すところとか、口下手なあいつがよく喋っている相手というのもある。コミュニケーションが苦手な武内の相手になってほしいというのが俺の頼みだ。半年しかまだ経っていないが、あいつの口数の少なさはわかっていると思う」

「たしかにそうですね。ちょっと言葉足らずですし」

「今はそれなりに理解できるけどね。最初の頃なんてアイツ酷かったし」

 

 美嘉は、武内のそういった所をすでに何度も経験していた。ライブが成功した時にどうだったと尋ねると、「いい笑顔でした」と答えた。「それ、褒めてるの?」と聞くと首に手を当てながら「はい。……変、でしょうか?」と相手にも自分の言いたいことは伝わっていると思っている節が多くあった。

 そのことに関しては楓、美穂を始めとしたアイドル達全員把握はしているし、今ではそれが武内なりの表現の仕方なのだとわかっている。だからこそ、日の浅い彼女達はそれに気づくことができず、彼は彼女達を傷つけてしまったのだと美嘉は思った。

 

「努力しているのは認めているが今後のことを考えるとそうはいかないんでな。こう言うのも変な感じだが、あいつの面倒を見てやってくれ」

「はーい、先生。一つ質問でーす」

 

 嬉しそうな声をあげながら楓はプロデューサーに尋ねた。

 

「なんだね、楓君」

「こっちのお付き合いも頼んでもいいんでしょうか!?」

 

 親指と人差し指で小さな輪をつくりくいっと動作を見せる。ようは飲み屋に誘ってもいいんですか? ということだろう。

 プロデューサーは少し考えて苦笑しながら答えた。

 

「ああ、許可する。ついでに瑞樹君や早苗を誘うといい。年も近いしな」

「楓さん、それずるいですよー」

「うふふ。これは大人の特権なのよ、美穂ちゃん」

「じゃあ、私達は子供の特権を使えばいいってわけか」

「あまり苛めすぎるなよ。ああ、それと。他の子達にもそれとなく話しておいてくれ。大人組はともかく、子供達には特にな」

『わかりました』

「以上で話は終わりだ。それじゃあ頼んだぞ」

 

 三人が出て行くとちひろが呆れながら言った。

 

「いいんですか? あんなこと言ってどうなっても知りませんよ」

「これぐらいやった方がいい刺激になるだろうさ」

「本当は?」

「すごく面白そうだから。俺は別にアイドルと関係を持つことに反対ではないからね」

「……他人事じゃないんですよ」

 

 顔を背けながらちひろはボソッと呟いた。

 

「ところで、武内さんの処遇ですけど。いつプロデューサーに復帰させるんですか? 素人目ですが、彼は他の方よりも仕事ができる人だと思います。それに今回の一件のことがありましたがアイドル達との関係は良好です。このまま現状維持というのはどうかと思います」

「そのことについては考えてはいる。さっきも言ったが他の奴らに示しがつかん。あいつらももう少しで担当を持たせてもいい段階まで育ってきている。武内は、ちひろちゃんが言うように仕事はできるしアイドルと悪くない関係を築けている。ただ、問題はあいつ自身だ」

「彼が変わらないことにはまた繰り返すと?」

「そうならないことを祈っての措置だよ。何度も言うが、俺はあいつに期待しているからな」

 

 プロデューサーはデスクトップパソコンのモニターに目を移した。画面にはWordが開かれていた。まだ作成し始めて時間が経っていないのかところどころ大雑把に文字が書かれている。

 一ページ目の最初の行には大きく『新アイドル育成計画(仮)』と書かれている。アイドル部門の事務員であるちひろではあるが、半分プロデューサー専属の秘書でもある彼女はそのことを知っている一人でもあった。

 

「新プロジェクトにはやはり武内さんに任せる予定ですか」

「現状はね。まだ、企画段階だしいつ実行するかも未定。俺としては来年の四月からやりたいがね。今西さんや他の役員と決めてからになるけど」

「プロデューサーさんが担当するのでは駄目なんですか?」

「それでは意味がない。この計画はアイドルの育成だけではなく担当するプロデューサーの育成も含まれている。担当する本人は伝えないけどな。今後346プロはどこよりも多くのアイドルが所属し活躍する。そのアイドル達に一対一のマンツーマンでやらせる気はない。軽く十人ぐらいは面倒を見てもらわなければ困る」

「……それができるのってプロデューサーさんぐらいじゃ」

 

 普通の人ならば三人か五人が限界だとちひろは思っている。その二倍をやれと容赦なく要求しているプロデューサーは平然と言うのだから酷な話だ。

 

「何を言っているんだ。その倍以上を俺が一人一人仕事を取ってきているんだが?」

「ほ、ほら、今は皆さんも成長して仕事を取ってきているじゃないですか! 少しは負担が減って……減って、ないんですよね。その、すみません」

「別にいいさ……。残業手当おいしいです。まあ、今日は定時で帰るがね」

「あれ、そうなんですか?」

「武内と飲みにな。俺の方でも少しはケアをしなければならんし」

「ふふ、頑張ってください。ところで、私もご一緒しても?」

「駄目」

 

 即答するとちひろはむすっとしながら、

 

「私、色々と融通していると思うんですけどぉ。総務に上手く言いくるめたり」

「そ、それは仕事上仕方がないじゃないか……」

「特に出張という名目のスカウトと言い張る一人旅とか。私知っているんですよ。あのどこかで見た回転する板にダーツを投げて目的地を決めているのを」

「……知らんなあ」

「……」

「……」

 

 じーと睨みつけられてプロデューサーは目を逸らしたくても逸らせなかった。逸らしてしまえばそれを認めてしまうからだ。

 急に睨みつけていたちひろの顔が笑顔に変わるとほっとプロデューサーは安心した。だが、

 

「上に密告しますよ」

「今度飲みに行こうか!」

「約束ですよ」

 

 アイドルだけではなく事務員にすら弱みを握られるプロデューサーであった。

 

 

 都内に多くの店を構える居酒屋の一つにプロデューサーと武内はカウンターに座りながらすでに一杯やっていた。二人がこうして一緒に飲むのは初めてのことではないし、武内自身も上司でもあり先輩でもあるプロデューサーに対して緊張などはしていなかった。

 ただ、今日は例の一件で口数の少ない武内が余計に喋らないし、プロデューサーも必要最低限の会話しかしていなかった。

 プロデューサーは、店員に追加で刺身の盛り合わせを頼んだ。別に刺身が好きというわけではないが、ふと食べたくなったからだ。カランとグラスの中にある氷を揺らしながら先程注文したウイスキーのロックを一口飲んで彼は武内に話し始めた。

 

「なあ、武内。こんな事が起きてこういうことを聞くのもなんだが、担当を持って初めてアイドルのプロデュースはどうだった」

「……振り返れば後悔しかりません。ああすればよかった、こうしておけばよかったと。ですが、それでも私は……」

「私は?」

「喜んでいました。子供のように。嬉しかったです。先輩に出会い、プロデューサーを目指すようになりました。先輩が346に来なかったらきっと昔のままだったと思います」

「俺が来なくても346はアイドル部門を発足して上手くやっていたさ」

「そうでしょうか。今所属している彼女達は先輩がスカウトした方が大勢います。先輩がいなかったら彼女達もいません」

「そうかねえ。俺がいなくても346にいるような気がするけどな」

 

 きっと俺がスカウトしなくても、オーディションに立ち会わなくても彼女達は346プロのアイドルとして活躍しているに違いない、とプロデューサーは非現実なことを想像していた。他の誰でもない、隣に座る武内が自分と同じようなことをしたに違いない。本人は否定するかもしれないが、そんな気がするのだ。

 グラスに残っているウイスキーを一気に飲み込む。喉が少し熱い。だが、これがいいのだ。目の前にいる店員に追加を注文する。

 さて、次はどうやって話しかけるか。

 少しどんな話題を振ればいいか考えたがすぐにやめた。プロデューサーは少し酔いがまわってきたのか、意外なことに自分のことを話し始めた。

 

「そうだ、武内。俺の失敗談を聞かせてやろう。それも恥ずかしいやつをな」

「し、失敗談、ですか……!?」

 

 武内が驚いたのも無理はなかった。超が付くほど優秀な人間である彼が失敗をしたことがあるのかと。疑いつつもつい耳を傾けてしまう。

 

「そうだな……彼女を、仮にMとしよう。Mは凄いやつだった。天才っていうのかな。別に凄い頭がいいとかではなく、アイドルに関してMは天才だったんだ」

「天才……ですか? アイドルに関してというと具体的にどんな子だったんですか?」

 

 天才と言われても中々すぐにイメージができないでいた。学問では常に一位とか、凄い発明をしたとかなら容易に想像ができるが、アイドルとなるとそれは難しいと武内は感じていた。なにせ、そのような人物が身近にいないし、会ったこともないからだ。

 いや……。一人、いた気がする。それも今ではなくかなり昔に。だが、彼女は違うだろう。イニシャルは合っているが辻褄が合わない。答えが出ないので武内は口に出すことはしなかった。

 

「そうだな……。仮に一人のアイドルが踊っている映像を一通り見せるとする。で、次に踊ってみろと言う。どうなる?」

「どうなるも何も踊れるわけありませんよ。踊れても最初の部分とか頭に印象に残っている一部分だけかと。それに、初めてそのダンスを見せるんですよね? だったら不可能に近い」

 

 武内の言うことはもっともだ。

 しかしプロデューサーは、平然と言った。

 

「Mはできるんだよ。完璧とまではいかないまでも最初から最後まで踊れるんだ。それを数回、さらにちょっと指示すれば……はい、出来上がりだ」

「本当にそんなアイドルがいたんですか……! ちょっと待ってください。どうしてこれが失敗談になるんですか?」

「先を急ぐなよ。話はここからさ。俺はそいつに期待してはいた。少しキツイ態度を取ったり、ワザと苗字で名前を呼んだりもした」

「それはただの虐めでは……」

「ま、まあその通りで何も言い返せないんだがな。ただ、俺がそんな態度を取っていたのはMに期待しているのと同時に落胆していたからだ。俺は……Mに目標を持ってアイドルをして欲しかったんだ。最初に会った時に俺はこう聞いた。何かやりたいこと、目標はあるかって。そしたら、特にない、やれば何でもできるって答えた。俺は、それが残念で仕方がなかった」

 

 プロデューサーは話していると、だんだんと当時のことが脳裏に当時のことが蘇えりつつあった。思い出す度にこう思ってしまう。『俺が選んだのが彼女だったらどうなっていたのか』と、考えてはすぐに思考を放棄する。それは、あいつに失礼だと。

 

「過程は省くが、ある日のことだ。彼女はレッスン中に飛び出して出て行った。それも大きなライブの少し前に」

「一体どうして。いえ、先輩が原因だというのは検討が付きますが」

「さらっと酷いなお前。ま、その通りだけどよ」

「それで、そのあとはどうしたんですか?」

「レッスンに三日程連絡もなしに出てこなかった。さすがに俺もヤバイかなって思ってある事をしたんだ」

「ある事、ですか?」

「ああ。それはで……」

 

 デート。そう言えばいいのだがプロデューサーは踏みとどまった。当時はこれが普通だろと言わんばかりに何食わぬ顔で言ったが、今はそうではない。むしろ顔を隠したくなる出来事だ。

 なので、デートはやめよう。うん、そうしよう。

 

「で、なんです?」

「……結果から言えば、頭を下げて謝って、泣かして、Mの本音を聞いてまた謝って仲直りした」

「……は?」

 

 クソ真面目な武内がため口でいうほどおかしな話だ。一体どうやったらそれで仲直りができるのだろうと不思議に思うのは当然であった。

 それに、滅多に表情を崩さない武内が慌てふためくのも珍しいことだった。

 

「そ、それで! そのMとはそれからどうなったんですか!?」

「……別に普通だよ」

 

 帰れば家に居るのは普通とは呼ばない。

 

「で、では、Mはまたアイドルを続けているので?」

「それは勿論だとも。お前も一回以上はよく目にしたことがあるはずだ」

 

 顎に手を当てて武内は自分が思い当たるアイドルを頭に浮かべようとしたがそれはすぐに中断された。

 

「ところで、前から気になっていたことがあるんだが」

「え、はい。なんでしょうか」

「お前がよくアイドルに言ってるだろ。いい笑顔でしたって」

 

 ライブが終了後に武内が愛泥に頻繁に言う言葉だった。当人たちはきっと褒めているのだろうと今では勝手に解釈しているぐらいだ。

 

「そう、でしょうか。自分ではあんまり意識したことがないのですが」

「なんで笑顔なんだ? いや、アイドルは笑顔が基本と言えばそうなんだが。笑顔に何か思い入れでもあるのか?」

「その……笑いません?」

「笑わないゾ」

 

 プロデューサーは面白半分な気持ちで答えた。なにせ、照れくさそうに言う武内の顔はこれまた貴重であったからだ。

 

「明確には覚えていないのですが。昔テレビで、あるアイドルが映っていたんです」

「ほうほう。で」

「私は何分笑顔ができない男です。親や友人にも言われ続け……。あ、今でも気にしていますが。そんな風に悩んでいる時にそのアイドルを見た瞬間、何故か目を奪われたんです。そして、彼女の笑顔にとても惹かれたんです。その時一緒にいた母が私の顔を見て驚いてたのを覚えています」

「へえ。意外だな。それで、その出来事があってアイドルに興味が出たのか?」

「そうなのでしょうか。自分でも不思議に思っています。大学を卒業して346プロに入社したのが今でも」

「運命かそれとも必然だったのか。それはまあ、どっちでもいいわな。大事なのは今だしな。ところで、ふと気になったんだが、お前の母さんが驚いたのってなんでだ?」

「初めて笑ったからじゃないでしょうか。自分でもその自覚はなかったと思うのですが」

「へえ。それは今みたいな顔のことか」

「え?」

 

 鏡を見なければ自分が今どんな表情しているかなどわかるはずもない。プロデューサーは貴重な武内が笑っているところを目に収めたのだ。

 

「私……笑っていましたか?」

「微笑んでいたな」

「に、にこ」

 

 武内は強引に笑って見せた。が、顔は引きつっているし不気味である。

 

「役得だな。まあ、それが自然とアイドル達の前でできればいいんだけどな」

「精進します……」

 

 丁度話が一区切りついたところに先程頼んだ刺身の盛り合わせがやってきた。二人は仕事のことだけではなくプライベートの事や、少し下らないような話をしている内にあっという間に時間過ぎて行った。

 

「俺はこれで帰るがお前はどうする? まだ、飲んでるか?」

「いえ。私も帰ろうと思います。久しぶりに飲み過ぎました」

「そうか。それじゃあ、一緒に帰るか。支払いは俺がしておくから先に待ってろ」

「い、いえ。私も出します!」

「誘ったのは俺だ。遠慮するな」

「そ、その……。ごちそうさまです」

 

 会計を済ませ、呼んでおいたタクシーに乗り込む。居酒屋からだと武内が住む場所が近いということなので先に彼の自宅にタクシーは向かった。

 しかし武内は、自宅ではなくその周辺でタクシーを停めさせた。

 

「すみません。タクシー代まで出してもらって」

「気にするな。誘ったのは俺だ。気を付けて帰れよ。また、明日な」

「はい。ありがとうございました」

 

 別れを告げプロデューサーの乗るタクシーは彼の自宅へと向かった。

 

 

 プロデューサーが家に着く頃にはかなり遅い時間となっていた。

 あと少しで日付が変わるといった時間帯だというのに、玄関を開ければ部屋は電気が付いており明るかった。

 別に珍しい光景ではなかった。

 きっとまだ起きていたのだろう。事務所を出る前にLINEで二人に連絡をしておいたし当然だ。本当に律儀な奴らだよ……。

 

「ただいまー。今帰ったぞ」

 

 仕事をしている時は正反対の気の抜けた声を出しながら靴を脱ぎリビングへと向かう。

 

「……?」

 

 ふとある異変に気づいた。異変は言い過ぎだが人の気配が一人しかない。どうせ隣にいるんだろうと思いながらリビングに入る。

 

「あ、ハニーお帰りなさいなの!」

 

 寝間着姿の美希がいつものようにプロデューサーに抱き着いてきた。彼は動じることなく軽く美希を流した。

 

「はいはい。ところでお前一人なのか? 貴音はどうした?」

「貴音から聞いてないの? 今日はドラマの収録で遅くなるから現地で一泊するって言ってたよ」

「あれ、そうだったか? まあ、いいか」

 

 プロデューサーは荷物を置いてソファーに座った。まだ酔っていたのか、それともつい昔のことを語ったのが原因なのかはわからないが、彼は美希に質問した。

 

「なあ、美希。やっぱりあの時さ、かなりムカついた?」

「あの時って……ミキがレッスンを飛びだした時の事?」

 

 言いながら美希はプロデューサーの隣に座った。

 

「そうだ」

「どうして今更そんなこと聞くの?」

「ちょっと部下がやらかしてな。それで俺の失敗談を聞かせて、少し感傷的になってるのかな。それで気になっただけだ」

「うーん。ミキ的には、覚えているのはデートした事と泣きながら色々ぶちまけたこと。あと、約束の話はちゃんと覚えてるよ? でも、どういった気持ちだったかは忘れちゃった」

「そうだよなあ。今にしてみれば、デートで問題を解決ってどうかしてるわ」

「えー、でもでも。そのおかげで今のミキがあるわけだから、間違いってわけでもないんじゃないかな。ところで、その部下さんは何をしちゃったの?」

 

 ここまで話したら隠す必要もないし、アイドルからの意見も聞きたいと思ったプロデューサーは大雑把だが美希に説明した。

 美希はふむふむと頷きながら自分なりの答えを彼に教えてくれた。

 

「ハニーの時もそうだったと思うんだけど、やっぱりお互いのことをまったく知らなかったのが原因だと思うなあ。ハニーだってミキのこと、自分の中で勝手に色々決めつけてたでしょ?」

「たしかに、言われてみればそうだな」

「でしょ? その部下さんが、かけた言葉も問題はあると思うよ。でも、美希はそれだけじゃないと思うの」

「参考までに聞かせてくれ」

「これはね、ミキの推測だけど。例えばその子達と美希を比べるとかなり違いがあるの。彼女達はレッスンばかりでそれ以外のことを知らない。逆にミキは、すでにCDデビューはしていて、小さいけど仕事をしていたの。ようは売れない日々を経験してるか、していないかの差かな。とどのつまり、環境の違いって言えばいいのかな?」

 

 なるほどと、プロデューサーは美希の考察に肯定した。

 そう言われるとそうかもしれない。765プロと違って346プロのアイドル達はデビューするまでレッスンしかしていない。初の仕事をするといえばデビューライブか、その宣伝をするためのラジオ収録。大きな仕事はそのあとからだ。

 今の二期生達はそういった形を取っているが、最初にスカウト、オーディションに合格した一期生のアイドル達はかなり短期間の育成をしてデビューをしている。元より、一期生は平均年齢が高い方なので以前の職業を生かした戦略を取っているのも要因の一つでもあった。

 そう考えると、たしかに大きな違いだ。

 自分の中で常にそれが当然のことだと認識しているせいか、その事を見落としていたことにプロデューサーは気付くと、心の中で鋭い考察をした美希を激励した。

 

「あと、多分これが一番の原因というか影響? だと思うんだけど」

「なんだ、勿体ぶらず教えてくれよ」

「えーとね……」

 

 美希は言葉でなく、指でそれを指した。それは、プロデューサー自身だった。

 

「俺?」

「うんなの。ハニーってすごいからアイドル達もそれと比べちゃったんじゃないかな? きっと、簡単にアイドルデビューできるとか。美希からしたら、そんなの自分次第だって言うけど」

「そうか……俺か」

「貴音の時もさ、今にしてみればかなり強引というか賭けの要素が強かったと思うの。でも、それを踏まえてもハニーの手腕はたしかなの。もちろん、貴音の力もあってのことなの」

「俺、あんまり出しゃばらない方がいいのか……。いや、それも考えてはいたが、まだ後進が育っていないし……」

 

 美希に指摘され彼はあーだこーだと頭を抱えながらぼやき始めた。自分が事件の原因の一つであると思うと申し訳ない気持ちで一杯になっていた。普段の彼なら「そんなの知るか」と一蹴するかもしれないが、まだ少し酔っているせいかネガティブな思考になり始めていた。

 

「よしよし。ハニーは別に悪くないの」

 

 ただの推測でしかないと思っている美希も、名も知らぬ彼の部下に同情した。酔っているとはいえ、あの彼がここまで弱音を吐くのだから相当気に入っているのだろう。失言と言えばそうだし、彼女達が幼すぎたのも原因でもあるかもしれない。

 ただ、運が悪かっただけの。

 部外者である美希は失礼な言い方だがそう思ってしまった。

 

「暗い話はここまでにして……。今日ミキとハニーの二人だけなの」

 

 プロデューサーの胸にもたれかかるように抱き着き、左手の人差し指で彼の胸にちょんちょんとつつきながら美希は言う。

 

「だ・か・ら、今晩ミキと――」

「今晩、何なのですか?」

「!?」

「げぇ、貴音ぇ!?」

 

 リビングと廊下を隔てる扉の間に白いスーツケースと肩にショルダーバッグを持ちながらいる筈のない貴音がそこに立っていた。それも美希を睨みつけて。

 

「どうしてなの!? だって、今日は一泊してくるって!」

「ええ、そうする予定でしたとも。豪華なでぃなーが用意されると聞いており、わたくしもとても楽しみにしておりました。しかし、しかしです。あなた様から突然、『今日は定時で帰れる。ちょっと飲んでくるから夕飯はいらない』と、連絡が来るではありませんか。なのでわたくし、でぃなーを諦めて、ええ! 諦めましたとも! 涙を流しながら、ハンカチを噛みながら堪えて帰ってきましたっ。どうせ、美希が何かしでかすだろうと思って!」

「くそ長い説明どうもなのー。余計ないことを考えなければ今頃ディナーに満足してお休みだったでしょうなのー」

「はいはい、そうですねー。ほら、美希行きますよ!」

「あーん、ハニー助けてー!」

 

 一体あの細い腕のどこに人一人を引っ張る力があるというのか。美希は貴音に連れられて彼女の部屋に連れ去られた。

 

「……」

 

 考えることを止めて、とりあえず風呂に入って飲みなおして寝ることにしたプロデューサーであった。

 

 

 




今回はデレマスの前日譚でした。
武内Pの情報は限られており、また、本作は原作と違いアニマスの時系列より一年遅いスタートになっており、少し急な展開となっています。
想像ですがシンデレラプロジェクト始動の前年頃に武内Pは問題を起こしたんじゃないかなあと。
本作ではデレマスの一年前からアイドル部門が活動しているという級設定ですので、時期的に8月から10月の間に起きたということになっています。

ちょっと自信がないというか不安なのが武内Pの捏造設定ですかね。以前から346プロにいるのが逆にネックで、本編から前の話が中々ないのでしょうがないのですが。

で、あと二回はまたスカウト編の予定です。一つはスカウト編より幕間に近いのですが、イヴと茄子の話。
もう一つが、デレマス一話の前日譚。シンデレラプロジェクトメンパーの一部アイドルのオーディションの話です。全員は多分出せず、自分が書ける子だけだと思いますが、スカウト予定の子は本編での回想で出す予定です。

と今後の流れはこんな感じです。
本当はもっと幕間とかやりたいのですが中々時間がとれなくて……。

長くなりましたが、また次回で。



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第19.5話

時間がかかった割には短くてすみません……


346プロダクションは東京都○○区○○に城を構える有名な芸能プロダクションである。この東京というビルや建物が密集している街の中で、芸能事務所が構えるには可笑しいと言わんばかりの広い面積を保有している。

正面ゲートを通り過ぎると、当時から何回と補修されている最初の346プロダクションがある。そこを通ると見慣れたオフィスビルなどがある。

私も初めて訪れた時はその名の通り城を連想したものだ。その初めて訪れたのは美城プロダクションの面接の時であった。

 

何度も言うが346プロダクションは大手芸能事務所である。伝統があり業界への力もある。近年は活躍する女優やアーティストなどが少なく、他の芸能事務所に話題や活躍を盗られていながらも、その地位を揺るぎないものとしていた。

そんな場所に私は就職しようと考えていた。美城プロダクションは滅多に求人を出さないので、私としては渡りに船。つまり、ラッキーだったのである。その所為か倍率も高く、待機していた部屋には人がずらりと指定されていた場所に座っている姿はどこか怖いものを感じるほどだ。

とにかく筆記試験、面接等を無事通り抜けた私は無事就職することができたのだ。いやはや、まったくもって運がよかった。なにせ、他に受けた会社はすべてお祈りメールが来たのだから笑えない。近年では採用通知もメールでお手軽なこのご時世。直接会わず、ただ不採用でした、あなたの今後を云々と書いて送ればいいのだから簡単であるのは違いない。だが、不採用を送り付けられた当人としては、こうムカッと来るものがある。お祈りメールというものを考えた責任者には問いただす必要がある。責任者はどこか。

 

晴れて社会人の一員となった私。入社してから3か月ほどは色んな部署にたらい回しされたものだが、私ほどの日本男児となると配属されるのは決まっている。そう、人事部である。

何を隠そう私はアウトドアよりインドア寄りであるのだから仕方がない。だが椅子に座り、机に向かえば人が変わるもの。その仕事ぶりは誰が見て明らかで、新人にしては中々の仕事ぶりであったに違いない。コミュニケーション能力も人並みにあるので人付き合いは良好であった。同じに部内の女性社員とも気軽にお話しできるのだ。不満があるとすれば、ちょっと人生経験が豊富な女性が多いというところだろうか。同年代の女性はたしかにいるが、彼女達は彼女達でコミュニティを作っており、下手に何かをするとすぐに噂が広まってしまうので近寄り難い。ただし、イケメンは許されるらしい。イケメン死すべし……。

 

私の年齢が20代半ばを超えて三十路という一種の境界線が近づいてきたころだっただろうか。私は人事部でそれなりの立場を得ていた。驚くなかれ。なんと主任(班長みたいなもの)である。

346プロダクションは大手だけあって社員の数も多い。なので、各部門を担当する主任を決め、その下に数人の部下をつけて仕事に当たっていた。私は芸能部門を担当することになった。部下には新入社員もおり、それも女性だ。目の保養にはなる。

同期でも主任になった男がいる。初めてそいつを見た100人が決まって悪魔と答えるぐらいだと私は自負する。大学時代初めて出会った時は地獄からの死者かと思ったほどだ。

その男の名は小津という。

 

「おやぁ、どうしたんですか。冴えない顔がいつにもまして冴えてませんよ」

「うるさい。仕事の邪魔をするな、このさびしがりやさんめ」

「ああん、酷い。私とあなたの仲じゃないですか」

 

態々私がいる場所までちょっかいをかけに来るこの男が小津である。小津と出会ったのが私の人生で最悪の出会いと言っても過言ではないが、大学時代は共に色んなことを体験したものである。ようは腐れ縁、悪友、ライバルといった感じだ。私と小津は運命の赤い糸ならぬ、どす黒い糸で結ばれているのだ。解せぬ。

大学時代から小津は取り入るのが上手く、私と同じ人事部に配属されてからも上手く立ち回っていた。その姿を見る度に私は、「あの悪魔を採用させた責任者はどこか」と呟いていた。

私が主任になると同時に小津も主任となっており、辞令が下り部の全員に通達する際のこと。私の隣に立つ小津の顔はとてもニヤついていたのをはっきりと覚えている。小津に対して数々の陰口を言う私ではあったが、こいつはなんだかんだで有能な男であり、主任になってもおかしくはなかった。

 

「しかし、あなたもこれから大変ですね」

 

小津はなにやら聞き捨てならぬ事を言った。

 

「おい、それはどういうことだ」

「いや、なに。これから嫌というほどわかりますよ。おっと、噂をすれば」

 

小津が向ける視線の方に私は振り向いた。そこには腕に大量の書類を抱える大男が私の方に歩いてくるではないか。何を隠そう、彼こそは我が346プロダクション期待の社員、プロデューサーであった。「きさま、まさか大変というのは……」と小津に問い詰めようとしたが、すぐにやつはいなくなっていた。

 

「相変わらず逃げ足の速いやつめ」

 

後で知ったことだが、小津のやつはどうやらプロデューサーのことが大の苦手だったらしい。ごまをするのはお手の物、人に取り入るのも慣れた男が唯一苦手というのだから驚いた。本人に聞いたところによると、「ぼくだって相手を選びますよ」とのことだ。

 

「芸能部門担当主任はキミか?」

「え、ええ。そうですが」

 

いざ、目の前に立たれるとなんとも言えない威圧感が私を襲った。

 

「そうか。人事部長に相談したら、太鼓判を押しながらキミを推薦したんだ」

「あの……話がいまいち見えてこないのですが」

「簡単に言うと、キミは異動だ」

 

と言いながら彼は一枚の紙を渡した。私は絶句した。

要約すると今度新設されるアイドル部門の担当主任になった。異動といえば異動である。補足すると肩書きが変わったぐらいで、特にああしろ、こうしろというわけではなかった。数名の部下もそのままであるのは正直助かった。なにより、余計な仕事が増えるわけでもなく、担当する部門が変わっただけだと安堵した。

しかしこれが私の大きな間違いであった、と気付いた時にはもう遅かったのである。

 

人事部の仕事は簡単のようで難しい。いや、慣れてしまえばそこまで言うほどではないし、一人ではなく分担して作業を行えば比較的効率よく仕事ができる。

仕事内容は細かいところまで上げるとキリがないので簡潔に例をあげるならば、採用、教育、研修、労務関連などであろうか。

アイドル部門になったということは、誰よりも先にアイドルの卵である彼女達の秘密(プロフィール)を知ることができるのだ。世の男共は血の涙を流して私を羨むに違いない。しかし、そうは問屋がおろさない。

人事部というのは個人情報を預かる非常に厳しいところである。社員はもちろん、アイドル達の個人情報を横流しでもしたら……。

きっとプロデューサーに殺されてしまうに違いない、と私は何故か確信していた。

アイドル部門が設立してから一か月と経たずに彼は次々と書類を持っていた。最初の頃は、四月に入社してくる新入社員に比べれば屁でもないと鼻を高くしていたものだが、今は前言撤回。人手が足りない。それ以上にアイドルの増えるペースの方が早かった。

ひぃーと、悲鳴を上げたくも上げられない立場にいる私は辛かった。

それでも忙しかったのは最初だけで今はそれほど多忙ではなく、通常運転といったところであった。

 

時間は一気に飛び二〇一五年。わずか一年足らずで、プロデューサーが率いるアイドル部門は大きな成績を収めていた。我々人事部も縁の下の力持ちのごとく、陰でアイドル達の知らないところでサポートをしていた。

そんな中、この一年で私が事務所で過ごす日々の中である習慣が生まれた。丁度タイミングよく、今回もプロデューサーが私の所にやってきた。その手には私のところに来る度持ってくるお土産が入った袋があるのだが、これが一息つくときに食べる御茶菓子として周りからは期待されている。

また、私個人用のお土産もあるのだ。なんとご当地限定ストラップである。最初はどうかなと些か不満であった私であったが、折角頂いたのだから集めていると、これが意外とはまってしまった。

 

「やあ、主任君」

「これはプロデューサー。今回はどこへ?」

「今回は北海道にね。やっぱり寒いな、この時期の北海道は」

「まあ、たしかにそうですよね」

 

このように彼が出張するたびに行う私達の挨拶である。

 

「それで、お目当てのアイドルをスカウトしてきたんですか?」

「まあね。これがその子のプロフィールと女子寮に入寮するための申請書とその他諸々」

「わかりました。確認次第手続きを済ませておきます。もしかすると、この子は例のプロジェクトのアイドル候補なんですか?」

「耳が早いな。まあ、ここに書類が通るんだから当然か。たしかにその通りだ」

「着々と人材が揃っていますが、あと何人ほどスカウトするんですか?」

「あと数人かな。この間のオーディションで予定の半分は集まったから」

 

そのもう半分をあなたがスカウトしているんですよ、と私は心中でツッコミを入れた。

 

「頑張ってください。私も応援してますよ」

「ありがとう。それじゃあ、あとはよろしく」

「はい」

プロデューサーが立ち去ったあと、私は早速封筒を開けて中身を確認した。履歴書にはこれまた美しい少女の写真があるではないか。まあ、これもいつものことなので慣れたものである。名前を確認すると『アナスタシア』とあった。私は思わず、

「今度はロシア人か!」

と口に出してしまった。履歴書を見ていくと、どうやら彼女はロシア人の父と日本人の母とのハーフで、北海道在住らしい。てっきり北海道に行くと言いだして、ロシアにちゃっかし行っていたのではと疑ってしまった。

渡された書類に不備がないか確認しながら、私はある事を考えていた。この子も一癖も二癖もあるのだろうかと。

会ってもいない少女に失礼な事を考えていると言われても仕方がないのだが、私自身の経験上そう思ってしまうのは無理もない話だった。

先日、アイドル部門で新しいプロジェクト候補を探すオーディションが開かれた。そこには当然私も同席していた。今回のオーディションでも多くのアイドルを採用したが、私が数回体験した中で最も濃かったオーディションと言えた。

 

会場には私を含め、プロデューサーと武内さんの三人で審査員を務めていた。プロデューサーがいるのは当然で、武内さんは例のプロジェクトを任せられるということを小耳に挟んでいたのでそのためかと私は推測していた。

私の仕事は進行役みたいなもので、あとの二人は質問をするような形だった。今も次の人を呼ぶところだ。

 

「えーと、次の方どうぞ」

「はーい」

 

なんと気の抜けた声だろうか。どちらかというとやる気がないようにも聞こえた。扉が開き、入ってきたのは小さな少女であった。履歴書を見ると、これでも高校生だということに驚かされたが、もっと驚かされたのはその服装であった。まだ季節は三月と言えど肌寒い季節である中、彼女も一枚羽織って入るが、その下のTシャツに目が行った。『働いたら負け』などという文字が見える。近年の若者がよく使っていた言葉であっただろうか。

この少女――双葉杏もそのような若者なのであろうか。そもそも、その手に持っているうさぎのぬいぐるみ……でいいのだろうか。それは一体……。

私は心の中で慌てていながらも、冷静に落ち着いて進行した。

 

「まず、自己紹介をどうぞ」

「はい! 双葉杏子、印税の話をしに来ました!」

「はい、よろしくー」

「本当にアンタプロデューサーだったんだ」

「そうそう」

 

彼女の自己紹介にもまず驚いた。アイドルになるために来たと思っていたら印税である。頭がおかしくなりそうだ。それにだ。この子もすでにプロデューサーが一声かけていたのか、と私は前もって説明してほしそうな目で彼を睨んだ。ごめんなさい、嘘です。見ただけで睨んではいないです。

 

「でさ、本当にあの話、本当なの?」

「本当だって。キミが(作詞作曲を全部一人でやって)歌ったCDが売れれば印税がいっぱい入るぞ。やったな、これで夢の印税生活が叶うぞ」

 

伝えなければいけない台詞が伏せられている気がしてならない。しかし私は、それを伝えることはできないのだ。

プロデューサーの言葉を信じているのか彼女は、

 

「アイドルやりまーす!」

 

なんと曇りのない笑顔であろうか。まさにアイドルに相応しいのでは。動機があまりにもアイドルから逸脱し過ぎてはいるが、気にしてはいけないのだろう。

その後、あまりにも早くオーディションが終わったため雑談をして双葉杏は帰っていたのであった。

この時を思えば、彼女などまだまだ序の口だったのである。

 

「先輩、双葉さんも事前に声をかけていたのですか?」

「面白そうな子だったろ」

「それは……まあ」

 

武内さんの気持ちはわかる。非常にわかる。きっとすごいアイドルなのだろうが、何度も言うが事前に通達しておいてほしい。

そんな気持ちを顔には出さず、私は自分のやるべき仕事に戻った。

 

双葉杏から数名終わったあとは至って普通であった。いや、オーディションとは普通であるものだから、異常という言葉が出てはおかしいのではないだろうか。いやはや、私は随分とプロデューサーに毒されているらしい。だが、そんな私でもどう対処していいかわからない場合もあるらしい。

 

「次の方どうぞ」

「我、此処に降臨せり!」

 

扉を開けながらよく分からない言葉を口にしながらその子はやってきた。服装もいわゆる……ゴシック、でいいのだろうか。そのような黒を基調とした服装に、恐らく日傘らしいものも手に持っていた。

 

『……』

「あ、え……はい、お座り……ください」

「うむ!」 

 

頭がショートしそうな状況で、ちゃんと進行した私を褒めてもらいたいところであった。なにせ、今度の子はかなり予想の斜め上を軽く跳び超えるほどの少女であった。私はちらりと隣に二人に目を向けた。

なんと、これは驚いた。

意外なことに、プロデューサーは目頭を押さえているではないか。絶対に平然としているかと思ったのだが。一方、武内さんもどう対処したらいいか混乱しているようで、焦っているように思える。全滅であった。それでも私は仕事をこなさなければならない。

 

「は、はい。では、自己紹介から……」

 

バッと、少女は立ち上がり、盛大な振り付けをしながら叫んだ。

 

「我が名は、神崎蘭子。冥府の門から遥々馳せ参じた! 刹那の時ではあるが、存分に楽しもうぞ!」

「ごめんね、神崎さん。これ飲みながら少し待っててね」

「……ぇ」

 

恐らく自己紹介だと思われるが、その途中でプロデューサーはペットボトルのお茶を渡し、私達を連れて壁の方に寄り、緊急作戦会議を開いた。

(……何を言ってるかわかる奴!)

(プロデューサーが連れて来たんじゃないんですか!?)

(今回はオレじゃないぞ)

(じゃあ、武内さん……?)

(私でもありませんよ!)

分かってはいた。分かってはいたが、どうすることもできない現状にお手上げだった。手をこまねているとプロデューサーが思い出したかのように呟いた。

(これは、アレだ。飛鳥と似たようなタイプじゃないか。なあ武内?)

(たしかに、言われてみるとそんな感じがします)

二宮飛鳥。去年に新しくアイドル部門に加わったアイドルの名前である。私自身は当人と直接会ったわけでも、話したことがないのでわからない。しかし話によると、独自というか、変わった喋り方をしている子だと聞く。または、大人ぶった感じだとも。

(となると……。対応の仕方はなんとなくだが掴めてきたな)

(いけそうですか? 神崎さん、先ほどのお茶を飲み終わったのか、こちらを見ていますよ!)

(よし、解散!)

私達は謝罪しつつ席に戻った。神崎さんも不思議そうにただ頷いた。

 

「ごほん。では、神崎さん。貴方はどうしてアイドルになりたいと思ってオーディションを受けたのですか?」

「ハーハッハッ! それは愚問であろう。我を此処に誘ったのは、誰でもない貴君であろう! 幻影に惑われぬ、真なる瞳を持つ者よ!」

 

神崎さんは指でその人物を指した。プロデューサーであった。これはどういうことであろうか。本人は知らないと供述していたが。当人は私を見て、武内さんを見て「……オレ?」と呟くと、「ウム!」と誇らしげに神崎さんは答えた。

「我が治める城下にて、忍んでいた我を街の中で見事を見つけたではないか!」

「プロデューサー……」

「先輩……」

「ちょっと、ちょっと待って……。今思い出す……」

 

プロデューサーはそういうと神崎さんのプロフィールを確認。すると、「熊本……熊本?」と何回も繰り返し始めた。

 

「熱い眼差しで、我のことを見つめていたではないか」

「プロデューサー、事案ですよ」

「むぅ……思い、出せん」

「我のことを覚えていないのか!? こ、この、聖域への鍵を渡したではないか!」

 

神崎さんが見せたのはプロデューサーの名刺だった。よく見ればそれが本物であるのは明らかである。

 

「思い、出したような……」

「ほんと!?」

「たぶん……」

「うぅ……」

 

おや、意外と可愛い声を出すではないかと驚いた。が、思い出したと言っておきながらプロデューサーの記憶はうろ覚えらしく、はっきりとした確証はなかった。それを聞いて神崎さんは残念そうな顔をしたが、彼女に会ったのはなんとなくだが覚えているらしい。そのあとは神崎さんのご機嫌を損ねないように、プロデューサーは話を合わせていたように私は思えた。

きっと、彼女がアイドルを始めたら大変だろうと、私はそっとプロデューサーに蔭ながらエールを送るに違いない。

 

とまあ、こんな感じである。誤解を招かないように言っておくが、彼女達以上に普通のアイドルが多く所属している。普通という定義については考えなくてもよい。

我が346プロには、普通ではないアイドルが多く所属しているように聞こえるかもしれないが、私自身それはあまり気にしてはいない。むしろ、私はプロデューサーを始め、彼女達が一体どんな事を仕出かしてくれるのだろうと期待しているぐらいだ。それはアイドルとしての活躍でもあるし、プロデューサーを中心に勃発する騒動であったりと。

その光景を直に目にし、時には誰から聞いたりするのが、ここ最近における私の楽しみであるのは秘密である。

 

 

超短編 「魔王との邂逅……?」

 

二〇一五年 二月某日 熊本県 某所

 

熊本県にある某街中でのこと。その日は番組収録のため熊本にやってきていたプロデューサー達346プロのアイドル一行。特に問題もなく収録は終了。一泊して東京に帰る予定になっていたので、あとは観光といったような形となっていた。なっていたのだ、当初の予定では。

それもそのはず。参加メンバーの大半は大人組。例をあげるならば、川島瑞樹、高垣楓、片桐早苗、姫川友紀や収録メンバーでもないのにたまたま暇というだけで付いてきた大人組が揃ってやってきていたのだから、当然やることは決まっているのである。

 

「プロデューサー飲んでるぅ!?」

「ぐへへ、プロデューサー。もっと飲みなさいよぉー」

「そうだそうだ!」

 

アイドルとはかけ離れた惨状になっているので、誰が何と言っているかは伏せさせてもらう。

プロデューサーはというと、最初はそれなりに乗り気で飲んでいた。それも仕方がないのだ。なにせ、昼間から酒が飲めるのだ。しかも、経費で落ちる(落ちるとは言っていない)。ほぼ、タダ酒なのである。飲まない訳がなかった。だが、彼自身はドンチャン騒いで飲むより、落ち着いた雰囲気で飲むのが好きな男であるので、こういった状況は非常に困った。

なので、プロデューサーは逃げることにした。ホテルに帰って一人で飲みなおすことにしたのだ。武内を含む、スタッフを置き去りにして……。

店を出るとまだ明るかった。店内にいたのもあるが、酒が入っているので時間感覚も狂っているようだ。

 

「うっ、気持ちわりぃ……」

 

店を出る際に見つかったのがまずかった。身体を激しく揺さぶられたのが原因だろう。お酒に強いプロデューサーであったが、さすがにそんなことをさせられると耐えられるものも耐えられなかった。

(ホテル……そうだ、ホテルに帰ろう)

頭がクラクラするが泊まることになっているホテルを目指す。時間帯的にもそれなりの人間が行き来している。そんな中を大男が少し歩くたびにふらっと右へ行ったり、左へ行ったりとしている姿は当然目に付く。

しかし、酔っていた彼にそんな事に気づくわけもなく、ただホテル目指して歩いていた。

(……なんだ、アレ)

そんな時、ふと目に入る少女がいた。たぶん、服屋の展示されている服を見ているのだろう。それはいい。よくあることだ。問題は、それを見ている少女の服装だった。黒を基調としたいわゆるゴシック、いや、ゴスロリ系だということはプロデューサーにもわかった。服装が服装なのですごく周囲から浮いていた。

いつもの癖で、ジッとその子を観察していると、彼の視線に気付いたのか少女は振り向いた。「ピィ……!?」と、悲鳴なのかよくわからない声をあげて驚いていた。が、意外にもすぐに冷静になったらしく、少女もジッとプロデューサーを睨んだ。

わけがわからない。

すると、どういうわけか少女の方から歩み寄ってきて彼に尋ねた。

 

「き、貴様、我に何の用だ!?」

「われぇ? いや、珍しい服を着てるなぁって思っただけ」

「ふふん! それもその筈。これは、我が日々魔力を込めて作り上げた暗黒の衣なのだからな!」

「へぇー。お小遣いを貯めて買ったのかあ。最近の子にしては偉いなー」

「え、ええぇー!? わ、わたしの言葉がわかるんですか!?」

「うっ、頭に響く。それになに言ってるかわかんね。にしても……可愛いな、きみ」

「か、かわいい!?」

「オレさ、プロデューサーやってるのよ。これ、名刺ね。今度のえーと、いつだっけ。ああ、そうだ。三月の○日にオーディションやるのよ。それを見せれば応募しなくても受けられるから。あ、履歴書は一応持ってきてね。まあ、試に受けてみなよ。きっと余裕で合格だから。それじゃあ」

「え、あ、あのー! ……行っちゃった」

 

そのあとは特に語るほどでもない。少女――神崎蘭子はアイドルになることを決意し、346プロへと赴きオーディションを受けるのであった。

彼女にとってプロデューサーは、自分のことを真に理解してくれる瞳を持つ者らしいが、当人は酔った影響、二日酔いが原因でそのことを本人と会うまですっかり忘れていたのであった。

それが原因なのか、プロデューサーは蘭子に強く言えないらしく、アイドル部門の間では色々と噂になったそうな。

 

 

以下翻訳

「はい、失礼します!」

「はい!」

「名前は神崎蘭子と言います。熊本からやってきました! 短い時間ですが、今日はよろしくお願いします!」

「どうして、というより……。わたし、そこにいるプロデューサーにオーディションを受けてみないかって誘われて……」

「街に出かけていたところを、プロデューサーがわたしのことを見つけて声をかけたんです!」

「わたしのこと、覚えてないんですか……!? ちゃ、ちゃんと名刺を渡してくれたじゃないですか! これを見せれば会場までフリーパスだって」

「あ、あの、わたしになんの用ですか……?」

「えへへ。だって、少ないお小遣いを少しずつ溜めて買ったお気に入りだもん!」

「ぬ、貴様。我が波導を受け止められるのか!?」

「おい貴様、魔王である我を無視するな!」

 

 

 

 




今回の語り手は四畳半神話大系の「私」です。知ってる人は少ないんじゃないかな。アニメにもなったけど。
個人的には小説もアニメも好きなのでおすすめしたい作品です。

以前にちょろっとでた人事部の人が彼です。一般人目線でみたらどうなるかという視点を書きたかったので、「私」はちょうどいいキャラクターだなと思って選びました。

前々からわかっていましたが、蘭子は難しです。はい。

一応現時点の補足なんですが、アニマスの映画についてです。
幕間か何かが触れようとは思っていたのですができそうにないので諦めました。
本作品においては2014年に物語は行われています。ただ、本作は原作より時系列が遅いので赤羽根Pがハリウッドへ研修にはいきません。早くて次が再来年。

多分次回は近いうちに更新できるはず。なお、現時点でくそ短い模様。
それをやったら今度こそデレマス本編を開始します。
本当は今いる346アイドルで幕間をやりたいのが本音だけど、それをやったらデレマス編に入れないので我慢します。

仕事が忙しいので中々時間がとれなくて更新が遅くなりますが、次回もよろしくお願いします。




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幕間劇 奥様の職場チェック

よし、一週間以内に投稿できたな!


 二〇一四年 八月頃 美城プロダクション正面ゲート前

 

 346プロの正面ゲートは大勢の人がよく行き交う場所である。社員であったり、来賓の人間だったりと。ある意味一番目立つ場所である。今日も強い日差しが降り注ぐ中、一際人々の目を奪う存在がいた。

 美しい銀色のロングヘアに、夏にぴったりな白いワンピース、白ハットを着こなし手にはトートバックを持っている女性がいる。彼女はゲートの真ん中に立って事務所を眺めていた。

 346プロの正面にはお城のような本館があり、その後ろには大きくそびえるオフィスビルが建っているのだ。目を奪われるのも仕方がない。

 しかし本人が思っているよりも、建物より彼女の方が一番目立っていた。なにせ、男性からはまるで映画や美しい絵画に出てきそうな女性がそこにいるのだ。むしろ、自分の理想像である女性そのものであるかのような。

 そう抱くのは男性だけではない。同じ女性でありながら白いワンピースにハットを完璧に着こなしている彼女に憧れとほんの少しの嫉妬を抱かせていた。

 残念ながら彼女の素顔を見ることは叶わない。今の服装に少し似合わないサングラスをしているからだ。だが、素顔が見えずともきっと美人に違いないと誰もが思うことだろう。これで美人ではないのならとんだ詐欺だ。

 彼女は周囲の目を気にせず歩き出した。彼女の前を歩いていた人たちは自然と道を開けた。まるで王女のようである。歩き方もそう思わせるかのようにゆっくりと上品に歩くものだから、ますます王女だと錯覚させた。

 本館へと入ると、外と変わらぬ対応を誰もがした。彼女はそのまま正面にある受付へと向かっていく。

 受付をしている二人の女性社員は動揺を隠せず、慌てふためいていた。彼女達二人も346プロに所属する女優やアイドルを頻繁に見ている人間である。だからこそ、分かってしまった。女優やアイドルとういう枠組みに入るような人間ではないと。

 二人の前まで彼女がやってくると、一人が戸惑いながらも対応をした。

 

「ほ、本日はどのようなご用件でしょうか……!?」

「あの、わたく……こほん。わたし(・・・)、ここにいるプロデューサーに会いに来たんです」

『プロデューサー……?』

 

 二人は顔を見合わせた。ここ346プロでその役職を与えられている人間は多くいるが、それを指す人間は一人しかいない。

 

「あのー、もしかしてチーフのことでしょうか?」

「ちーふ?」

「あ、申し訳ございません。アイドル部門チーフプロデューサーのことです。私達はチーフと呼んでいるので」

「あ、そうなんですか。はい、わたしが会いに来たのは、そのちーふという人です」

「わかりました。アポイントは取られていますでしょうか?」

「いえ。ただ、わたしが来たと言えばわかると思います」

「はあ……。一応連絡をしてみますが、えーと、お名前をお伺いしてもいいでしょうか?」

「そうですね……。たか……ではなく、天音です。プロデューサーはわたしの兄なんです。そう言えば通じると思います」

『え゛!?』

 

 その場にいた社員全員が彼女の笑顔に呆気にとられ、さらにチーフにこんな綺麗な妹がいることに驚き、誰もが数秒ほど硬直した。

 

 冷房が行き届いたオフィスで、最高な気分でプロデューサーは仕事をしていた。彼のトレードマークのようで、存在そのものを象徴するスーツの上着も、さすがのプロデューサーも脱いでおりYシャツ姿だった。

 今は簡単な書類を作成している最中だ。簡単と言っても一つではない。同じようで、違う物をいくつも作成し、担当プロデューサー達やスタッフに渡さなければならない。その他にも、幹部や上層部に提出する報告書も作成しなければいけない。それが、チーフプロデューサーになって面倒だなと思う仕事でもあった。

 体内時計がそろそろお昼ごろだと告げたような気がして腕時計を見る。ちょうど五分前だ。

 さて、今日はどうするかとプロデューサーは悩んだ。

 外に出て外食か、それとも346カフェか、はたまた妥協してコンビニで済ませるか。これは、かなり難題だ。どれか一つを毎日選ぶのも味気ないし、かといってローテーションという手もあるが結局飽きる。しかし、どの選択肢を取ろうとも結果は同じで変わらない。どの道諦めてどれかを選ぶ。まあ、腹に入ればそれでいいのだ。

 

「よし。今日はカフェに行くか」

 

 決断すると、Wordを閉じてデータを保存、パソコンの電源をスリープにしておく。どうせ、帰ってきたらまたするのだからシャットダウンは手間だ。

 上着を肩にかけて部屋を出ようとすると、タイミングよく備え付けの電話がなった。登録してあるようで画面には受付とあった。

 はて、来客の予定はなかったはずだったが。今日のスケージュールを思い出しながら彼は受話器を取った。

 

「もしもし」

『受付ですが、今チーフにお客様がお見えです』

「誰なんだ? 今日は来客の予定は入っていないぞ」

『いえ、その……それが』

「じれったいな。はっきりと言ってくれ」

『実はその……。チーフの妹さんが尋ねてきたのですが……』

 

 聞きなれない言葉が耳に入った。

 オカシイ。オレに妹なんていない。弟はいるが、妹なんぞいない。アレか、オレを懐柔させようとどこかの事務所が仕込んだハニトラだろうか。

 いや、待てよ……。

 持ち前の直感が何かを告げた。これはきっとその類ではないと。ある一つの答えが頭の中に浮かびあがる。たが、まだ確信まで至ってはいない。

 なので、ここは話を合わせて情報を引き出すべきだ。

 

「そ、そうなのか。念のため確認したいんだが、どういう容姿かな」

『は、はあ? 容姿、ですか? その、白いワンピースに同じ色のハットを被って、少し大きめのトートバック持っていて……。あと、綺麗な銀色の髪をした妹さん、です?』

「……すぐ行くから、絶ッ対にどこにもいかせるなよッ!」

『え。あのチ――』

 

 確信どころではなかった。

 受話器を乱暴に叩きつけて部屋を飛び出す。外の暑さなど気になどならないほど全速力でエレベーターの前まで走ると、漫画のように『キキィッ!』と音を鳴らしながら止まる。何度もカチカチと下に行くボタンを連打する。しかし、エレベーターはやってこない。確認するとまだ10階。

 プロデューサーは待てずに非常階段を使った。階段の半分まで降りるとジャンプし、少しでも早く降りることを考える。

 プロデューサーはわずか数分で31階から1階へとたどり着いた。ギャグ漫画のようである。彼は非常口の扉を少し開けて周囲を確認。視線がこちらに向いていないことを確認し、すっと外へ出る。受付が見える位置までいく。そこにはたしかに、妹を名乗る謎の女性が一人いた。語る必要もないぐらい見知った女性であった。それも毎日のように顔を合わせているかのように。

(事務所に来るなってあれ程言っただろうが!)

 346プロへ移るにあたって、彼はあの二人に耳にタコができるほど言い聞かせていた。あの二人のことだ、何か理由を取ってつけてやってくるに違いないと思い先に手を打ったのだ。だが、無意味に終わってしまったようだ。

 ふぅと息を吐き、平静を装いながらプロデューサーは歩き出した。

 

「やあ、待たせてすまない」

「あ、チーフ。この子が先程連絡した――」

「まったく、アレほどここには来るなって言っただろうッ」

 

 顔は笑顔、しかし声にはとこどころ怒りを交えて強調している。

 

「あら、いやですよ兄さん。わたし、兄さんが忘れたお弁当を届けに来たんですよ? そんな風に言われるのは心外です」

「――ッ!」

「あのぉ、本当にチーフの妹さんなんですか?」

 

 受付嬢の一人が疑いながら聞いた。周りの社員も歩みを止めて、聞き耳を立てる。プロデューサーは天音の肩に手を置いて紹介した。

 

「いやね、誤解される言い方をするからオレも困っていてね。この子、俺の姪っ子なんだよ。ほんとっ、困った子だよ。ハハハッ! まあ、折角来たんだから茶ぐらい出そう。それじゃ、仕事頑張ってくれたまえ!」

 

 天音を後ろから押しながらエレベーターまで連れて行く。ちょうど戻ってきたのか、扉が開くと数名の社員が乗っており、驚いた反応した。向こうらしたら、あのプロデューサーが見覚えのない女性を連れているようにしか見えない。

 

「はい、退いて退いてー。上へ参りまーす!」

 

 強引に中へ入ると、彼らも外に出ながら扉が閉まるまで二人を見ていた。

 エレベーターが動き出したのを確認し、二人しかいないはずの室内を見渡す。誰もいないことを確認し、プロデューサーは無理やりハットとサングラスを奪った。

 

「もう、兄さんは強引なんですから」

「誰が兄さんだ!? アレほどここに来るなと言っただろうが、貴音!」

 

 なんと、天音と名乗っていた女性は今を時めくトップアイドルの四条貴音ではないか。これは一体どういうことなのだろうか。

 

「天音なんて適当な名前まで考えやがって! 周りから変な目で見られるのはオレなんだぞ!?」

「カツラをしていない割には意外とばれませんでしたね。意外でした」

「それもそうだが、いつもの口調で喋れ! 気持ち悪いんだよ、なんだか」

「あなた様も失礼ですね。妹という設定でなりきるために口調や素振りも色々と考えたんですよ? 名前はつい先程考えましたけど」

「はぁ……。もう、怒るのも馬鹿らしい。で、何の用だ」

 

 壁に背を預けて腕を組みながら彼は尋ねた。

 

「先程申したではありませんか。お弁当をお持ちしたんです」

「だったら連絡して外で渡すとかあるだろう」

「こっちのがいいじゃないですか。夫婦みたいで」

「……」

 

 ニコニコと笑う貴音を前にプロデューサーはすべてを諦めた。

 チンと音が鳴る。どうやら31階に着いたらしい。プロデューサーは慌てて貴音にハットとサングラスを戻した。

 

「強引なんですから。もっと優しくしてください」

「いいから、その設定とやらに戻れ」

「はい、兄さん」

 

 切り替えの早さはさすがと言うべきか。ドラマや舞台などで培った技術がこんな場所で発揮されるとは思いもよるまい。

 扉が開くと立っていたのはアイドル部門担当事務員である千川ちひろであった。

 

「あ、プロデューサーさん、ちょうど探して……。あの、その方は?」

「いや、なに。オレの客だ。ああそうだ。千川、今から一時間ほど誰も部屋には入れないでくれよ! オレは遅い昼休みに入るからな」

「え、ちょっとプロデューサーさん!?」

 

 ちひろが呼び止めるのも聞かず二人は去っていった。

 

 部屋に戻り鍵を念のためかけた。これで安全だ。

 プロデューサーはソファーに腰かけた。その姿は社内で見せることはない彼のだらしのない姿だ。

 当たり前のように貴音はプロデューサーの隣に座り、バッグから弁当と水筒を取りだす。弁当の蓋をあけて、水筒のコップに冷たい麦茶を注いで準備完了。彼に箸を渡しながら言った。

 

「はい、どうぞ」

「……いただきます」

 

 弁当の中身は至ってシンプルだった。白米と肉とちょっとおまけの野菜。ずばり、これは生姜焼き弁当というやつだ。肉を一切れ掴み口に運ぶ。

 うむ。相変わらず上手い。それに、冷たくない。まるで、作りたてだ。

 

「冷めてないからうまい」

「ありがとうございます」

「……うまし」

「ふふっ」

 

 ぱくぱくと口に運ぶ。身体が、胃が、貴音の手作り弁当を求めている。

 否定できぬほど彼女の料理に毒されているのを認めるしかあるまい。気付けば弁当箱の中身は空っぽになってしまった。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末様です」

 

 淹れてもらった麦茶を飲みながらプロデューサーはふとある事を思い出した。

 

「そう言えばお前、いま合宿中じゃないのか?」

 

 今年の十一月頃に765プロによる大規模なライブを行うと貴音と美希から聞いていた。なんでも大勢のバックダンサーも使うらしく、彼女達を含めた全員とライブに向けてレッスン中だった。それが原因で貴音と美希もここのところ家にいない日が多かった。

 

「今日の午前中にいつもの番組の収録があったので帰って来たんです。明日の朝にまた戻ります」

「それじゃあこのあとは暇なのか」

「そうなりますね。掃除は午前中にしてしまいましたし、帰ったらゆっくりしようと思っております」

「そうか。なら、今日は早く帰るか」

「はい、お待ちしております。それに今日は二人っきりですから、色々としてあげますよ?」

「調子に乗るな」

 

 ぺしっと貴音のおでこにデコピンをした。

 

「いたっ。もう、あなた様!」

「ほら、帰った帰った。俺は仕事で忙しいの!」

 

 貴音を追い出し、早く帰るために仕事に戻る。まさか、この時同じことが起きようとは思ってもいなかった。

 

 数日後。

 

「お兄ちゃんの妹のみ……希でーす!」

「オマエなァ!!」

「ち、チーフ?」

「あ、こいつ天音と姉妹なんだよ。似てるだろ、美人なところがな!」

「照れるの」

 

 名前は希、天音の妹という設定で美希も来襲した。

 なんだかんだで、プロデューサーは自分のオフィスに美希を招き入れた。

 

「なんでお前まで来るんだよ……」

「あれ? 貴音が言ってなかった? ミキも行くって」

「言ってない!」

「じゃあいま言ったの。まあ、それは置いておいて。はい、ミキの手作り弁当だよ!」

 

 美希に流れてプロデューサーは彼女の弁当を食べ始めた。美希が得意とするおにぎりがメインで弁当箱にはおかずがたくさんあった。

 

「うまいから何も文句が言えん……」

「えへへ」

「なあ、本当に弁当を届けにきただけだよな? 他に何か企んでるわけじゃないよな」

「疑うなんて酷いの。ミキも貴音もハニーの食生活のためにやってるの」

「う、それを言われる辛い」

「でしょー。ほらほら、もっとたくさん食べるの!」

「お、おう」

 

 その後、月に数回に渡り貴音と美希は弁当を届けるという口実に346プロにやってきてはプロデューサーを困らせた。

 当然社員だけではなく、アイドル達にもそれを目撃しひと騒動を起こすのは別の話。

 

 

 ある日の事。

 

「かれこれ数か月ほど偵察をしたわけですが……」

「いい成果が得られたとミキは思うなあ」

「同感です。では、報告といきましょうか」

 

 貴音と美希が彼に弁当を届けていたのは半分本当で半分嘘であった。真の目的は346プロへの潜入。それもプロデューサー周辺の女性関連、特にアイドルの調査であった。

 

「時間的にもあんまり遭遇しなかったけど、ミキと同年代の子は怪しいと思うの」

「大人組はあまりそういった感じはしませんでしたね。まあ、所属している人数も少ないので、今後も要注意ですが」

「それは同感なの」

 

 テーブルの上には態々買ってきた346プロダクションの特集が組まれている雑誌がある。二人は潜入して得た情報を照らし合わせながら今後の対策を練っていた。が、大半が彼のスカウトしたアイドルばかり。偶然本人を目にする機会は多々あれど、直接話すことはなかったので、実際にどういった人間なのかを知ることはできなかった。だが、二人は直感的に感じていた。「絶対にこれアレだな」と。乙女の直感は鋭い。

 ふと貴音はアイドルではなく、ある女性が脳裏に思い浮かんだ。

 

「そういえば……。一人、気になる方が下りましたね」

「え、誰なの? ミキはここに載っている子以外にはいなかったの」

「それも当然です。アイドルではありませんから」

「うーん、アイドルじゃないなら……事務員?」

「ええ。なんて言いましたか……。せ、せ……千川、とあの方が言っておりましたね」

「事務員かー。でも、事務員なんでしょ? それに苗字で呼んでいるし」

「甘い、甘いですよ美希。ほんの一瞬でしたが、わたくしは感じました。千川という方はあの人に気があります。そんな気がします」

「それは盲点だったの……。あ、事務員で思い出したけどさ。小鳥もそうだよね」

 

 小鳥も765プロの事務員であることを思いだした。二人の関係はすでに十年は経っているし、自分たちより付き合いは長い。そんな彼女もプロデューサーのことをどこかで想っているのではと睨んでいる。

 

「小鳥殿も今の関係をずるずると引っ張ってきて、もう後に引けない感じですから」

「年齢的に?」

「それを口に出さないのも一つの優しさですよ、美希。それに、わたくしたちもそうならないとは限りませんし……」

「だよねー。ハニーってば、なんで結婚をしないのか全然教えてくれないの。今年でたしか……三十二だっけ?」

「そうですよ。たしかに美希の言うように、『今は結婚する気はない』の一点張りですからね」

「ほんと、謎なの」

 

 二人はその『今は』、というのがよく分からないでいた。ならば、『何時』ならいいのだろうか。彼の年齢的に結婚はしてもおかしくはない歳だし、こんな二人の美女がいるというのになぜ断るのか。

 こちらはすでに、ばっちこーいだというのに。

 まったく理解できない。

 

「まあ、それはとりあえず置いておいて。346プロのアイドル達への対策を考えましょうか」

「賛成なの! とりあえず、ハニーのLINEでも調べる?」

「それにはまず、ロックを――」

 

 さり気無くゾッとするようなことを言いだした二人。プロデューサー本人が存じぬところで着々と二人の計画が進められていた。

 ただ一つ、二人の現状の問題としては……。

 彼の部屋で対策を練るというのは少しずれている、ということであった。

 

 

 




やっぱり貴音と美希を定期的に出さないと駄目ですね。

にしても本編よりも幕間のネタのがたくさん思い浮かんでしまう……。
色々と書きたいが時間が足りないよー。



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第20話

 むかしむかし、ある所にシンデレラという少女がいました。シンデレラはとても美しく、やさしい子でありました。

 しかし、突然の不幸が襲いました。彼女の母親が亡くなってしまったのです。

 シンデレラの父親もたいへん悲しみました。

 ですが、ある日のこと。父親は新しい母とその連れ子である姉二人を連れてやってきたのです。シンデレラも最初は戸惑いましたが、一人っ子でもあったシンデレラは姉ができたことに少し嬉しそうでした。

 けれど、シンデレラの本当の不幸はこれからだったのです。

 継母とその連れ子の姉二人は父親が普段いないことをいいことに、シンデレラに酷い仕打ちをするのです。

 シンデレラの美しさに嫉妬した三人は、シンデレラから綺麗な服を奪い、代わりにボロボロの服を着せました。さらに、家事や掃除と仕事の大半をシンデレラに与えました。

 自分の部屋も取り上げられたシンデレラは夜な夜な泣く日々を過ごしました。

 そんなある日。

 お城で舞踏会が開かれると言うのです。なんでも、王子さまのお嫁さまを決める舞踏会だそうで。

 シンデレラも舞踏会にでたいと思いましたが、当日も継母から当然のごとく仕事を押し付けられてしまうのです。

 ボロボロになった雑巾で床を拭くシンデレラ。拭いても拭いても、自分が流す涙が零れ落ちてはそれを拭く。シンデレラは悲しみました。しかし、それでもシンデレラはただ仕事をするのです。

 辺りが暗くなり、そろそろ舞踏会が行われる時間です。周囲は暗いのにも関わらず、舞踏会が開かれているお城は明るいではありませんか。

 ただそれを見ている事しかできないシンデレラは口にだして言いました。

 

「ああ、わたしには、あの光り輝く舞踏会は眩しすぎる。まして、あそこに行く事もできない。それに、わたしには遠い別の国のよう」

 

 自分にはこの暗い世界がお似合いなのだろう。シンデレラはそう思いました。

 そんな時です。シンデレラに声をかける者が現れたのです。

 

「おお、可哀そうなシンデレラ。きみはどうして泣いているんだい」

 

 それは男の声でした。シンデレラは声のある方に向きました。そこには箒に乗って宙に浮いている人がいるではありませんか。

 シンデレラは尋ねました。

 

「あなたは誰ですか」

 

 男はこう答えました。

 

「わたしは魔法使いです、シンデレラ」

 

 シンデレラは聞きました。

 

「その魔法使いがわたしになんの用なのですか」

 

 魔法使いは答えました。

 

「あなたの願いを叶えてあげましょう。さあ、シンデレラ。あなたの願いはなんですか?」

 

 シンデレラは虚偽などをまったく疑わず願いを言いました。

 

「わたしも、あのお城で開かれている舞踏会に行きたいのです」

「わかりました。その願いを叶えましょう」

 

 魔法使いはそう言うと杖を一振り。すると、キラキラとシンデレラが光ります。

 

「なんて素敵なドレスなの!」

 

 なんていうことでしょうか。あのボロボロの服が一瞬にして美しいドレスになったではありませんか。

 魔法使いはもう一回杖を振りました。すると、馬車が現れました。

 

「さあ、シンデレラ。準備は整いましたよ」

「ありがとう、魔法使いさん」

 

 お礼を言うシンデレラに魔法使いは厳しい声で警告しました。

 

「しかしシンデレラ、守ってはもらわないことが一つあります」

「それはなんですか」

「午前0時の鐘が鳴った時、魔法は解けてしまう。その前に帰ってくるのです。いいですか、午前0時ですよ」

「わりました。ありがとうございます」

 

 そして、シンデレラは馬車に乗りお城へと向かったのです。それを見送る魔法使い。

 魔法使いは謎めいた笑みを浮かべながらシンデレラを送り出しました。

 

 

 二〇一五年 二月某日 ライブ会場

 

 舞台裏って想像していたのと全然違う。

 STAFFと書かれた腕章にパーカーを着て、作業しながら初めて知る舞台裏を見て島村卯月は驚いていた。

 現在、ステージの舞台裏では大勢のスタッフが作業に追われていた。ライブはもうまもなく開演。各機材の最終チェックや照明、ステージの確認等々。それぞれの担当が最後の大詰めに取り掛かっている。

 島村卯月もその一人だった。といっても彼女はアルバイトである。

 卯月は東京にあるアイドル養成所に所属している。養成所には極稀にライブのアルバイトを募集することがある。

 滅多に体験できることではないし、直接ステージは見れないかもしれないが、ライブの舞台裏を見ることができる機会だと思い応募して会場にいた。それも今回は、今話題の346プロのライブ。卯月は楽しみで仕方がなかった。

 そもそも、このアルバイトは事務所側が意図的に行っていた。その理由はアイドルの卵を見つけることである。事務所はアイドルが見つかればそれでいいし、参加した候補生はバイト代が支給される。まさにWin-Winである。もちろん卯月本人は知らないことであるのだが。

 女の子である卯月ができる仕事は限られていた。機材などを触らせることはありえないし、重い物は持てない。彼女ができるといったら、アルバイトというよりお手伝いさんといったところか。

 少し大きめのダンボールを持ち、衣装担当の一人がやってきて卯月に声をかけてきた。

 

「そこの君、ちょっといいかい」

「え、は、はい! なんでしょうか!?」

「これをちょっと届けてほしいんだよ。ここに置いておいても邪魔だから頼むね」

「わかりました。えーと、どこに持っていけばいんでしょうか?」

「ああっ、ごめん。場所は――」

 

 スタッフに言われて卯月はそこに向かうことにした。なぜ衣装部屋や小道具が置いてある部屋ではなく、少し離れた場所に持っていかなければいけないのかと疑問に思ったが、バイトである自分には関係ないことだと思い考えるのをやめた。

 まずは舞台裏から会場のホールの方へと向かわければいけなかった。

 しかし、わたしにはちょっと重いです。というか前が見づらいです。

 帽子を深く被ったのがいけなかった。それに、ダンボールのせいでちゃんと前が見えないから、横から覗くしかない。まだここは舞台裏で、少し薄暗いせいか見づらい。

 急に目の前が真っ暗になり――堅い壁にぶつかった。

 

「きゃっ!」

「おっと!」

 

 卯月は後ろにそのまま倒れそうになったが、ぶつかっていたと思っていた壁――大きな男性に彼女は助けられた。と、思っていると、体勢が崩れたことにより重ねていたダンボールが卯月の顔に直撃した。

 

「いだっ!」

「そこまで考えなかったな……。ごめんごめん、怪我はないかい?」

「鼻がちょっと痛いですけど、大丈夫です」

「それはよかった。……キミ、見慣れない子だけど、どこの担当かな?」

「え、あ、わたしアルバイトでここに来てて」

「ああ、キミが」

「……?」

 

 わたしのこと知っているんでしょうかと、卯月は首を傾げた。色々と思うところはあるが、この人は凄い人なのではと気付いた。身長は高く、こんな薄暗い場所なのにサングラスをかけているし、なんだが偉そうなオーラがある。

 もしかしてわたしは、とんでもない人に粗相を働いてしまったのでは……。

 

「キミ、アイドル候補生だったね」

「ひゃい! そうですぅ!」

 

 なぜ、自分がアイドル候補生だということを知っているのかと気になるところだが、目の前の男性に怒られるかと勘違いしてしまい、それに気付くことはなかった。

 

「キミの顔は覚えておこう。縁があればまた会うだろうしね」

「え? それって――」

 

 卯月がその言葉の意味を尋ねようとすると、後ろから男性を呼ぶ声が聞こえた。

 

「チーフ、すみません! ちょっと来ていただいていいですか!?」

「今いく! それじゃ、お仕事頑張ってくれ」

 

 そう言って男性は卯月の前から走り去って行った。突然のことで何が何やらと困惑している状況だったが、すぐに頼まれた仕事をしなければいけないと思い仕事に戻った。

 舞台裏を出て会場に出る。照明はついているのに周囲は薄暗い。今日の天気予報では雪と言っていたので、それが原因だということは卯月も知っていた。それに、今の時間を考えれば陽は沈み始めているころだ。余計に暗い。

 意外なことに辺りは静かだった。嵐の前の静けさ、というほどのことではないが、ライブ前ということもあって余計に静かに感じる。入場はすでに始まっているのにも関わらず、お客がいないのはとても好都合だった。

(ううぅ、階段ですか。……大丈夫かなぁ)

 目的地に向かう手間の難所が立ちはだかった。だが、これも仕事なのだと自分に言い聞かせながら卯月はゆっくりと階段を上り始めた。一歩、また一歩と上がっていく。自分でも驚くぐらい順調だ。気付けば、右足は二階へとたどり着いていた。

 安堵したのか、ふぅと息を吐く。目的地はすぐそこだ。たしか、左に曲がればよかったはず。

 

「よし、あとちょっと――」

 

 歩き出そうとしたその瞬間、また何かとぶつかった。それも両方から。しかし、今度は後ろに倒れることはなかった。いや、倒れたらそれどころではない。

 ぶつかったのは女の子だ。声からして同年代ぐらいだろうか。

 卯月はすぐに謝った。

 

「ああっ、す、すみません! 」

「こちらこそ、ごめんなさい」

「大丈夫? 怪我とはしてない?」

 

 互いに謝罪してすぐに二人は歩き出していく。自分も行かなくてはと前を向く。すると、視界を隔てていたダンボールがない。正確には入っている箱の一つ。

 

「ど、どうしましょう! どこ!? どこ!?」

 

 左右を見渡しても何も落ちていない。となると後ろ……。

 仕事で動きながら暖まっていた体が一気に寒くなる。前になければ後ろ。後ろには階段。卯月が振り向こうとした瞬間、また声をかけられた。

 

「これは貴方が運んでいたものでよろしいでしょうか?」

「あ、はい! そうです!」

「中身は大丈夫ですよ。ただ、気を付けてくださいね」

「すみません! ありがとうございます! 失礼します!」

 

 卯月はパニックになっていたのか、荷物を拾ってくれた男性の顔を見ずに駆け出してしまった。

 

 荷物を置き、舞台裏に戻ってきた卯月。ただ荷物を運ぶだけなのに遅くなってしまったと思っていた彼女は、怒られるかもしれないと内心ビクビクしていた。しかし彼女の思惑とは逆で、卯月の面倒を担当している人は意外にも温厚な人であった。女の子だから時間がかかると思っていたのだろう。特にお咎めはなかった。

 そして、ライブの開演が間近に迫っていた。

 

「じゃあ島村さん。とりあえずなんだけど、きみの仕事は一旦ここまでね。バイトのきみにこういうのも失礼だけど、ライブ中は邪魔になっちゃうから」

「気にしないでください。わたしもそれぐらいはわかっていますので」

「そう言ってもらえると助かるよ。それじゃあ休憩室で待機してくれるかい。追加報酬ってわけじゃないんだけど、いつもバイトをしてくれた子には中継でライブの映像を見れるようにしてあるんだ」

「本当ですか!?」

「いやね、本当はここで見せてあげたいんだけど、さすがに他のスタッフやアイドル達に迷惑をかけちゃうからさ」

「いえ、それだけでも嬉しいです!」

「それはよかった。それじゃあ、ライブ閉演までは待機しててね」

 

 卯月は改めてお礼を言ってその場をあとにした。休憩室にいくと、すでに自分と同じアルバイトで来ていた人がいることに気付いた。部署が違うので顔すら合わせるのが今が初めてで、とりあえず一礼して空いている椅子に座った。

 他にアルバイトはいると思うが、きっと今でも働いているのは警備の方だと思う。自分にできるのはここまでだし、警備やそういった力仕事は自分には向いていないので運がよかったと卯月は思った。

 部屋に置いてあるモニターを見る。綺麗な声をした女性の司会進行のもと、ついに舞台の幕が上がる。

 音楽が始まり、幕が少しずつ上がり、

 

『お願い! シンデレラ 夢は夢で終われない 動き始めてる 輝く日のために』

 

 ファンの人達の喝采、熱気がスピーカーを通して伝わってくる。

 

『みなさん! わたしたち、シンデレラガールズです!』

 

 綺麗な衣装、輝く舞台、素敵な曲。わたしの夢がすぐそこにある。けど、わたしはまだそこにはいけない。

 でも、諦めない。だって、頑張ればいつかきっと、わたしもアイドルになれると思うから。

 卯月は部屋の中でただ一人、最後までライブから目を離さず見ていた。

 

 

 二月に行われたライブから数日後。オフィスビルに数ある会議室の中の一つで、プロデューサーを始めとしたアイドル部門の役員らが席を囲んでいた。もちろん、その中には今西もいた。

 議題は四月に始動する新プロジェクトについての会議だった。

 

「現時点でプロジェクトメンバーは前川みく、城ケ崎莉嘉、新田美波、諸星きらり計四名」

「最終予定メンバーは十三名ほどでしたか、チーフ」

 

 と二人の役員がプロデューサーに尋ねた。

 

「はい、現時点ではその予定です」

「では、来月行うオーディションで残りのメンバーを決定する方針で?」

「概ねその通りです。あとはこの四人のようにスカウトで集まる可能性もあります」

「ふむ。ビジュアル面でだけでみれば、この四人は特に問題ないと私は思うよ」

 

 プロデューサーを援護するように今西が言った。

 

「ですが、あの城ケ崎美嘉の妹でしたか。他のアイドルから依怙贔屓だと思われるのでは? 城ケ崎本人が推薦したんですよね?」

 

 あまりプロデューサーのことをよく思っていない役員の一人が突っかかるように尋ねた。

 

「そのことについては問題ありません。私自身が彼女と直接面接をしたうえで採用しました。それに将来を考えれば、姉妹ユニットとしても売り出すこともできますし、メリットのが大きい。それに、そのことで愚痴を漏らすほどうちのアイドル達の器は小さくない」

「……っ。わかりました、その件については納得しましょう。ですが、プロジェクトを任せるプロデューサーに、彼を起用するのは問題があるのでは?」

 

 やっぱり指摘してきたかと、プロデューサーは想像通りすぎて呆れた。ちらりと今西を見る。彼もやれやれといった感じのように思えた。

 他の役員も指摘された内容には概ね同意している。いや、そうなるのは当たり前だった。

 

「武内と言いましたか。彼は以前にアイドルを三人を辞めさせたことがありますよね? それなのに武内をプロデューサーに任命するのはどうかと……」

「それについては――」

「いや、それのことについてはまず私が話そう」

 

 プロデューサーが言う前に今西が割って入った。

 

「その件ついては私もキミと同じことを抱いた。だが、彼は優秀だ。それはキミ達も分かっていると思う。私もプロデューサーと相談し、その上で彼に決めた」

「しかし、また同じことが起きるのでは?」

「かもしれません。ですがこれは、武内に与える最後のチャンスと思って頂いて結構です」

 

 持っていた資料を机に投げつけながらプロデューサーは言い放った。今いるメンバーの中でプロデューサーが年齢的に一番若い部類だ。アイドル部門はほとんど彼に一任されているようなものだが、それは部門の方針やアイドルの活動がほとんだ。現にこうして他の役員と会議し、意見を交えている。

 しかし、プロデューサーの346プロでの働いているのはまだわずか一年ちょっと。実力はたしかにある。が、立場的にはそれほど高くはない。それにも関わらず、彼は威圧的な態度をとっている。まるで、「俺の言うことに口をだすな」と、遠回しに言っているようにも見えた。

 

「他のプロデューサー達は、すでに担当を持っているのでこっちに回すことはできない。まして、予定人数の十二人というアイドルを、一人でプロデュースする人間は中々いないでしょう。それも、ゼロからのスタートでね」

「なんならチーフがやったらどうです? これぐらいの人数はお手の物でしょに」

「ええ、もちろん。たしかに、その通り。ですが、それでは意味がない。今後、将来のことを考えれば、後進にもこれぐらい(・・・・・)はできてもらわないといけない。また、仮に武内が問題もなく予定の一年を無事に終えて、我々の……いや、アイドル部門として結果を出せれば続投も考えています」

「本当に彼にそれができると?」

「できなければそれまで。あなたの言った様に、再びアイドルに対して同じ過ちを繰り返すようであれば、それなりの処遇を課すつもりです」

「差し支えなければお聞きしても?」

「他の部署に異動してもらう。そのような事を犯す人間はアイドル部門には不要ですから」

 

 彼は冷たい声で淡々と告げた。役員の男はそれに満足したのか、一つ返事でその案を受けいれた。

 そのあと、数十分に渡り会議は続いた。会議が終わると、皆肩の荷が下りたように安堵していた。特にプロデューサーに突っかかっていた役員が先に出ると、他の役員も部屋をあとにする。プロデューサーに親身になっている者達は、去り際に彼の肩を軽く叩いた。「お疲れさん」と言っているようだ。

 プロデューサーに強く当たっていた男は、いわゆるエリート主義者のような人間だ。その所為か事務所がスカウトしてきて、僅か一年足らずでアイドル部門をここまで大きくした彼を快く思ってはいなかった。

 相手からすれば、余所からやってきた人間がそれなりの権限を与えられている。肩書は自分の方が上だが、実権は余所者だ。気にくわないのも仕方がない。

 プロデューサー自身も、自分の立場を十分に理解していた。現にこうした状況に立たされているのも仕方がないと納得しつつも、責任を伴う立場を得るとこんなにも面倒なのかと、少々荷が重いのではと思い始めていた。

 そんな時、最後まで部屋に残っていた今西が声をかけてきた。

 

「お疲れだったね」

「今西さん。まあ、これも経験だと思えば気楽なもんです」

「タフだねぇ。私もかなり揉まれたもんだよ」

「何を言ってるんですか。今西さんに逆らえる奴なんていませんよ」

「ははっ。この老いぼれにそんな威厳があると思うかい?」

「違うんですか?」

 

 今西は笑って受け流したが、彼は冗談で言ったつもりはなかった。今西は古くから346プロに勤めていた男だ。顔が効くし、影響力もある。ゆえにただの老いぼれではない。その裏に長年研ぎ澄まされた牙を隠し持っているに違いない。

 

「買いかぶり過ぎだよ。私はただのお目付け役みたいなものさ」

「そういうことにしておきますよ」

「やれやれ。信用がないねぇ。にしても、あそこまで強く言ってよかったのかい? いや、言うしかなかったのもわかるがね」

「……自分でも言うのもなんですが、オレがあいつにしてやれる最大限の依怙贔屓です」

「優しいね、キミは。」

「まさか。俺は誰よりも厳格な男ですよ」

 

 そんな男が最後のチャンスを与えるとは言わないと思うんだがと、今西は半ば呆れた顔をしながらそんなことを思った。

 

「そういえば……一つ気になっているんだが」

「なんです?」

「そろそろこのプロジェクトの正式名称を決めた方がいいんじゃないかい? 四月はもうすぐだしね」

「それもそうですね」

 

 資料の一枚目を出す。一番上には「アイドルプロジェクト(仮)」のままになっている。フム、たしかに今西さんの言うようにそろそろ決めなければならないだろう。

 自慢ではないが、自分はあまりネーミングセンスはいいと言える方ではない。くるくるとペンを回しながら考える。

 こう、ピッタシなものはないだろうか……。我がアイドル部門の掲げる理念は、『誰でもアイドルになれる』というもの。それを意識したものにしたい。

 まてよ、それで彼女達のユニットにああ名付けたのだ。〈シンデレラガールズ〉と。

 

「シンデレラガールズからとって、シンデレラプロジェクト(CINDERELLA PROJECT)というのはどうでしょう。彼女達が歩んだ道に続くように」

 

 シンデレラガールズのメンバーの一人、川島瑞樹の年齢は28歳。普通ならアイドルをやる年齢ではないのかもしれない。だが、現に彼女は346プロの中で活躍するアイドルの一人だ。年齢とか国籍も関係ない。誰でもアイドル(シンデレラ)になれるのだ。

 プロジェクトの彼女達も、シンデレラガールズや他のアイドル達のように輝くステージへと続いて来てほしい、そんな想いを込めて名付けた。

 

「それはいいね。ここ(美城)にはピッタリだ。彼女達は我々が運ぶかぼちゃの馬車に乗り、輝く舞踏会(ステージ)へ赴くわけだ。ユニット名を決めたときもそうだが、キミは見た目によらずロマンチストだ」

「よしてください。俺はリアリストですよ」                                     

「そういうことにしておくよ」

 

 さっきの仕返しと言わんばかりに今西は笑みを浮かべながら言った。

 プロデューサーはテーブルに散らばった資料をまとめ、今西と一緒に会議室を出た。エレベーターを待ちながら今西は言った。

 

「ふと気づいたんだがね」

「なんですか、突然」

「いやね、彼女達がシンデレラならその先に待っているのは……王子さまだと思ってね。案外、キミだったり……」

 

 エレベーターがくると二人は中に入った。プロデューサーはボタンを押しながら呆れた声で言った。

 

「ご冗談を」

「それこそ冗談だ」

 

 二人共互いを見合うと、ほんの少し間が置かれた。

 

「……それに」

「それに?」

 

 エレベーターの扉が閉まり上に向かう。

 

「オレ達はどちらかというと、魔法使いです」

「それもそうだ。では魔法をかけるために、馬車馬のように働こうかね」

「ふぅ、魔法使いも大変だ」

 

 同時にエレベーターも目的の階に止まった。

 プロデューサーは肩をすくめ、今西はふっと笑みを零しながらエレベーターを降りた。

 

 

 二〇一五年 三月某日 346プロダクション 

 

 わたしがアイドルオーディションを受けるのは、これが初めてではなかった。過去に数回ほど受けたことがある。まあ、今日もオーディションを受けに来た時点で、結果はお察しその通りなのだが。

 オーディションには直接事務所に足を運ぶのだが、346プロダクションというアイドル事務所は他の事務所と比べると、規模が圧倒的に違うことに驚かされた。

 受付に行き、要件を伝えるとその場で少し待たせされた。なんでも案内人が来てくれるらしい。

 そう言われて待つこと数分。緑色をした事務服を着た綺麗な女性がやってきた。

 

「島村卯月さんですね」

「は、はい。そうです!」

「ふふっ。緊張しなくて大丈夫よ。それじゃあ付いてきて」

 

 わたしは綺麗なお姉さんについて歩き出した。エレベーターに乗り、目的の階まで少し待つ。わたしは気になっていたことを聞いてみた。

 

「あの……、えーと」

「ああごめんなさい。自己紹介をしてなかったわね。私は千川ちひろ。アイドル部門の担当の事務員ってところよ」

「あ、わたしは島村卯月です!」

「うふふ、知ってるわ」

「あ、そうでした……!」

 

 わたしは恥ずかしくなって手で顔を覆った。

 

「で、何が聞きたいの?」

「その……気になっていたんですけど、今回のオーディションが行われていたのは昨日、ですよね?」

 

 養成所の先生からそれを聞いたのだが、先生もわたしと同じように困惑していた。本来ならば一昨日と昨日の二日間の日程だったはず。けど、事務所から送られてきた通知には本日の日付があったのだ。

 なにより、わたし以外の応募者がいないのも気になった。服装は学校の制服なので、わたしと同じぐらいの年の子ならば制服を着てくると思う。まあ、わたしは学校帰りにオーディションを受けにきたというのもあるが、ロビーにいた時からわたし以外一人も見当たらない。これはちょっとおかしいなと思ったのだ。

 

「実は予定の二日だけでは終わりそうになくて、番号が遅い子には三日目にずれてしまったの。それに島村さんは都民だし、県外の子は平日の今日は無理だから優先的に最初に持ってきたの」

「ああ、そうだったんですね。それなら納得です」

 

 疑問が解けたのを同じくしてエレベーターは目的の階で止まった。

 

「こちらこそごめんなさいね。平日の、しかも学校が終わってからなんて」

「いえ、わたしは部活には入っていませんし、元々養成所に行ってレッスンぐらいの予定しかありませんから」

「そう言ってもらえると助かるわ……。島村さん、ここが面接会場よ」

 

 そう言って止まったのは扉の前だった。壁にはプレートで「第3会議室」とあった。

 

「普通の面接のようにやって貰えれば問題ないわ。それじゃあ頑張って」

「はい、ありがとうございます!」

 

 一度深く深呼吸。

 スー、ハ―。

 よし。いつ通り……そう、いつも通りにやればいいんだ。オーディションは何回か受けたんだから少しは度胸がついてるはず。一番緊張したのは最初と、高校入試の時。それに比べればへっちゃらのはずです。

 卯月は覚悟を決め、扉をノックした。

 

『どうぞ』

「し、失礼します!」

 

 部屋に入ると思っていたより広くはなかった。教室の半分くらいだろうか。真ん中に椅子があり、奥に面接官が一人いる。本来置いてあった数ある机とパイプイスは、重ねられて壁際に置かれていた。

 卯月は椅子のあるところまで歩いて行きその横に立つ。相手が座って言いと言うまで立っていなくてはいけないからだ。

 

「座ってください」

「はい」

 

 椅子に座ってようやく卯月は面接官の顔をはっきりと視認した。すごい体格のいい男性で、サングラスをかけている。どこかで見たことのある人だった。

 気になって仕方がなかったが、今はオーディション。不必要な発言はしてはいけない。

 

「これで会うのは二度目だね、島村さん」

「え……」

 

 頭の中でどんな質問がくるのだろうとシュミレーションしていた時、相手の方から思いがけないことを言われた。

 

「覚えてないかい? この間行われたうちのライブで会っただろう?」

「い、いえ。覚えています! ただ、その、想像していた展開と違うので……」

「ああすまない。オーディションっていうのは建前でね。キミと話がしたかったのさ」

「話、ですか?」

 

 わたしもお話をするのは好きな方だ。自慢ではないけど、友人と電話するとついつい長電話になってしまうぐらいだ。

 

「島村さんのプロフィール、もとい履歴書は、この間のアルバイトの時とそう変わりないからね。あとはキミと直接話して決めようとしていたんだ」

「それじゃあ、えーと、何を話せばいいんでしょうか」

「なに、簡単な質問さ。まずは……そうだね。島村さんはどうしてアイドルになりたいと思ったのかな?」

「夢、なんです」

「夢?」

「わたし、アイドルがどういった仕事をするとか、何をすればいいとか、正直どういう仕事なのかわかっていません。でも、それでも! アイドルになるのがわたしの、夢なんです!」

 

 あのキラキラ光るステージに立ちたい、アイドルになれたらどんな歌を歌えるんだろう、CDも出せるのかな、衣装は可愛いのが着てみたいな、そんなことばかり夢に思っている。

 

「……ありがとう。少し意地悪な質問をするけどいいかな」

「は、はい!」

 

 答えると彼は資料を見ながら読み上げた。

 

「島村さんが通う養成所には、以前同期の子達がいたそうだね」

「そ、そうです」

 

 そう「いた」、過去形だ。今あの養成所に通っている候補生はわたし一人だけだ。

 

「辛く、そして怖くなかったのかい? 同期の子達が、最初は一緒の目標に向かって歩んでいたのに、一人、また一人と去っていき、自分一人だけになって。アイドルを目指すのを辞めようと思ったことはなかったのかい?」

 

 卯月は唇を噛みしめ、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。

 辛くなかったと言えば嘘になる。辞めていったみんなにいつも尋ねた、「どうしてやめちゃうんですか?」と。みんな同じように、「だって、アイドルなんてやっぱなれるわけないよ」と、呪いのように呟き去っていく。わたしは一人になることよりも、そう言われるのが怖かった。

 

「たしかにそのことについては、色々と思うことはありました。でも、諦めたみんなのためにも、わたしが……、わたしのような普通の子でもアイドルになれるんだって」

「……そうですか。答えてくれてありがとう。では、今度は明るい質問をしよう。島村さん、あなたには誰にも負けないと思えるものはありますか?」

 

 突然の質問に彼女は焦りを隠せなかった。それは自分がもっとも苦手とする質問だ。

 たしかに負けない、自信があるものがあると言えば……ある。だけど、それは誰にでもできるもの。でも、ここで逃げたら駄目だと何故か思った。

 

「えーと、一つあります」

「それはなんですか?」

「……笑顔です。笑顔だけは誰にも負けません!」

「なるほど。では……そうですね」

 

 そう言って彼はスマートフォンを取りだした。

 

「いま撮影中だとして、私がカメラマンとしましょう。あなたはアイドルだ。カメラに向かって最高の笑顔をお願いします。できますか?」

「は、はい! 島村卯月、頑張ります!」

「いい返事だ。では、いきますよ……。はい、島村さん。カメラに向かって笑顔をお願いします」

「はい! ……ブイ!」

 

 笑顔を作るというのもおかしな話だが、いまできる最高の笑顔だと思う。笑顔なんて誰でもできるものだと思う。けど、これだけは負けないと彼女は自身を持って言える。

(わたしにはこれしかないから……)

 養成所に通っているが、ダンスは苦手だ。毎日必死に覚えている。歌も上手いとはお世辞にも言えない。周りには自分よりダンスも歌も上手な子はたくさんいるけど、これだけは負けられない。負けたくない。

 

「……はい、いい笑顔でしたよ」

「そう、ですか? 自分の顔は見えないから上手くできたかはわからないんですけど……」

「笑顔というのは上手くとか、できるとかじゃありませんよ」

「…え?」

 

 それってと、切り出そうとしようとしたが彼によって遮られてしまった。

 

「では、これで最後の質問です。島村さん、あなたはアイドルになってなにをしたいですか?」

「……すみません。アイドルになることばかり考えていたので、そういうことを考えてませんでした」

「そうですか。では、これは宿題です。いつかその答えを聞かせてください」

「え、それって……」

「以上でオーディションは終わりです。結果は追って通達します。島村さん、お疲れさまでした」

「は、はい、ありがとうございました……」

 

 もやもやした気持ちを抱えたまま卯月は部屋を出た。外で待っていた千川に入口まで送ってもらい346プロを後にした。

 数日後。オーディションの合格通知が家に届いた。

 彼女の夢である、アイドルなるという夢が叶った瞬間であった。

 

 

 島村卯月が部屋を出たあと、プロデューサーは自室へと戻り書類を書きあげ、窓の外を見ていた。彼は窓の向こうにある街を眺めていた。理由はない。ただ、眺めているだけだ。

 そんな時、扉をノックしてちひろが入ってきた。

 

「どうでしたか、島村卯月さんは」

 

 振り返らずプロデューサーは答えた。

 

「ビジュアル面では問題ないだろう。養成所の講師によればダンスはあまり得意ではないそうだが、それもあまり問題にはならない」

「では、合格で?」

「まあな」

 

 ちひろは絶対に合格だと確信していた。彼が一対一でオーディションをする子は絶対に受かる。それは、彼が直接目をかけた子だからで、彼女もその一人だと思ったからだ。

 

「あまり嬉しそうじゃありませんね。どうしたんですか? 彼女に問題でも?」

「問題といえば問題だが……。まあ、いまは平気だろう。いずれ、その時がくるだろうさ」

「はぁ……?」

「ただ、一つ感じたことがある」

「差支えが無ければお聞きしても?」

「夢を叶えようとするあの意志には共感できたよ」

「それはつまり、プロデューサーさんにも夢があると?」

「今でも叶えようとしてるよ」

「ちなみに、どんな夢か教えてくれるんですか?」

「教えると思うか?」

「ふふっ、言っただけですよ」

「じゃあ聞くな。書類は出来たから持って行ってくれ」

「わかりました」

 

 渡された書類を持ってちひろは部屋を出て行く。プロデューサーはパソコンの画面を見た。そこには〈シンデレラプロジェクト〉のアイドル達の顔写真が載っている。

 

「彼女を入れて十三人、か。多いと言えば多いが……物足りないな」

 

 例えるならパズルだ。最後のピースで完成というところまで来ているのに、その最後のピースが見当たらない。

 しかし、しかしだ。この時期になってあれこれ言うのもお門違いなのかもしれないと彼は思った。あとは武内に任せるべきだと、頭の中で囁く自分もいる。

 だが、なんで物足りないと思うのだろうか。これで十分ではないか、これ以上求めてどうするのか。なぜだか自分でもわからない。

 直感、そう直感だ。

 長年の経験からそう感じる。このメンバーにはあと一人足りないと告げている。

 

「ま、早々都合よく見つかるわけもないか……」

 

 彼は肩をすくめると帰宅する準備を始めた。机に置いてあったスマホを取り、ロックを外す。写真のカメラロールをタッチ。先程撮った島村卯月の写真を見る。

 

「いい笑顔だ」

 

 笑顔を見ただけで不思議な気分になる。幸福感というか、何か満たされるような感じだ。

 プロデューサーはポケットにスマホをしまうと、ふとカレンダーを見た。

 ――シンデレラプロジェクト開始まであと、少し。

 

 

 

 




補足 
アニメでは「女の子の輝く夢を叶えるためのプロジェクト」という企画だが、本作では「誰でもアイドルになることができるプロジェクト」と思ってください。(書き終わったと、ふと調べたら設定があったので焦りました)。
ただ、それになっちゃうと楓さんとか川島さんで達成しているのでは思うが……細かいことは気にしない方向で。
まあ、どこかで書いたような気がしますが、将来的にアイドルが増えることを見越し、担当するプロデューサーの底上げも含まれています。


とまあ、こんな感じでデレマス本編スタートです。といっても本編の冒頭5分ぐらいの要素と前日譚みたいな感じですが。
今後の進行としてはアニマスと同じ感じで進行していくんじゃないかなと。たぶんちょこちょこ、かなり幕間を挟むと思いますけど。
一応次回は凛ちゃんと会う話。



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第21話

 

 教師が黒板に文字を書きながら説明をしているが、頭の中には入ってこない。ただシャーペンを片手にトントンと、ノートに叩いている。空いている手は顎をついて支えるのに忙しい。

 最近、日常が少し変わった。それは変革とも言えるかもしれない。

 学校の教室で、渋谷凜は授業中だというのに窓を見ながらそう思い始めた。

 少し前だったら朝起きて、学校へ行って、友達と寄り道して、帰ったらハナコの散歩をして眠る。時には家の手伝いで店番をしたりする。それが、毎日繰り返される日々。

 それは日常だ。平穏な、ごく普通の日常だ。

 別にそれが不満ではなかった。かと言って、それで満たされているわけでもなかった。

 矛盾しているかもしれない。だが、そう思ってしまっていた。

 けれど、満たされないと思っていたそれは、最近少しずつ……そう、少しずつ満たされているのではと思い始めた。

 今のわたしを、少し前の自分が見たらどう思うだろうかと凛は思った。

 なにやってんのと言いながら怒る? 似合わないと投げ捨てながら笑う? でも、過去のわたしはきっと、「ふーん。ま、いいんじゃない?」といつもの感じで言うだろう。

 なにせ、過去のわたしも、わたしだからだ。

 我に帰れと言っているように、聞きなれた音が耳に入った。

 

「はーい、今日はここまで」

 

 チャイムが鳴って長かった授業が終わった。

 やば、ちゃんと聞いてなかった。

 凛はノートを見た。途中からほとんど空欄だった。しょうがない、あとで誰かに見せてもらうとしよう。小さなため息をつきながら凛は教科書とノートをしまう。

 他のクラスメイトは席から立ち上がり、教室を出ていくか、喋り始める子ばかりだ。すると教室を出ようとしていた教師が振り返り、凛の名前を呼びながら寄ってきた。

 

「あ、渋谷さん」

「はい、なんですか?」

 

 教師は凛のクラスの担当だった。まだほんの少ししか彼女のことを知らないが、いい先生だと思う。

(授業をちゃんと受けていなかったの、バレてたかな……)

 怒られると思い凛は身構えた。

 

「この前も言ったけど、部活の入部届そろそろ決まったかしら? うちは強制じゃないから入らないならそれでいいんだけど、迷っているってことはそうかなって思って。私としては、何かやってほしいなあって思うわ」

 

 安堵した。どうやら授業のことばバレていないらしい。

 正直に言うと、いまこの瞬間までそのことをすっかり忘れていた。しかし、先生には悪いがそれはもう不要になってしまったのだ。

 

「すみません、先生。わたし、部活には入らないです」

「あらそうなの? でも、どうして……」

「あの、実は……。わたし――」

 

 部活に入らない理由を簡潔に伝えた。すると、先生は笑顔で言った。

 

「渋谷さん。そういう大事なことは、もっと早く言ってほしいわ」

「す、すみません」

 

 先生が怒るのも無理はない。

 なぜならわたしは、アイドルになったのだから。

 

 

「にしても、まさか凛がアイドルになるとは」

「うんうん。意外だよねえ」

「そんなに変、かな」

『うん』

 

 二人は中学からの付き合いだった。だからこそ、凛がアイドルになったとは今でも信じられずにいた。

 二人から見た凛は、どちらかといえばアイドルに向いているとは正直に思えない。同年代と比べれば、たしかに凛は可愛い。けど、それ以上に彼女は愛想がないし、初対面の人には言葉遣いも少々問題がある。

 将来どこかで就職するなり、進学するにしても、その態度で苦労しそうだなと思っていたからだ。

 それが、まさかのどんでん返しでアイドルになったというのだから驚きだ。

 

「で、なんでアイドルになろうと思ったのさ?」

「そうだよ。それが重要だよ!」

「えぇと、まあ……色々」

「なにそれ!」

「教えなさい!」

「そ、それじゃあ、わたしこっちだから! また明日!」

 

 凛はその場から逃げるように走り出した。後ろでは何かを叫んでいるが無視する。少し走ったあと、ゆっくり速度を落とし歩き始める。後ろを振り向き二人が追ってきてないことを確認した。

 しつこいんだから、もう。

 凛は呆れた顔をしながら事務所へと向かう。

 事務所に向かいながら凛はあることを思った。

(有名になったら、普通に出歩くのも大変なのかな)

 今の服装は学校の制服に、スクールバック。行き交う人々は見向きもしない。それもそうだ。わたしはアイドルでも、まだデビューしていないし当然だ。

 だが、有名になったらこうも普通に出歩くのも容易ではないのだろうか。凛は少し先の未来を想像してみた。が、想像できない。

 想像力が足りていないというよりも、イメージできない。自分がアイドルで、こう……なんていうか、有名になるというビジョンが。

 そもそもアイドルになったということ自体、自分でもまだ驚いているぐらいだと凛は思っていた。

 二人に言わなかったが、アイドルになった理由はあると言えばある。正直に言えば、恥ずかしいから言わないだけだった。

 

 

 わたしがアイドルをやると決断したのは、ある三人が決め手だ。

 その内の二名は濃い出会いと言っても過言ではない。

 まず最初(正確には二番目)に出会ったのは、わたしたちCP担当プロデューサーである武内Pだった。

 凛が彼に抱いた最初の印象が、機械のような人間だと真っ先に思った。学校の帰り、少し面倒事に巻き込まれたとき偶然助けてもらったのが最初の出会いだ。

 何をどうしたのか初対面のわたしに名刺を渡して、アイドルに興味ありませんかとスカウトをしてきたのだ。

 今思えばどうかしているとしか言えない。しかし、プロデューサーと言われている人はみんなそんな風にスカウトしていると聞いた時は、すんなりと納得した。

 ただ、最初のスカウトを凛は突っぱねた。助けてもらったと感謝しているところにスカウトされた。彼女はナンパの類、助けたのも下心があると疑ったからだ。

 その日は憂鬱な気分で過ごした。が、それだけでは終わらなかった。

 驚くべきことに、朝の通学の時間帯で武内は凛に接触してきた。もちろん凛は無視した。けれど、次の日も、また次の日も武内は彼女の前に現れてはスカウトをしてきた。しまいには不審者が出没するとまで噂になるぐらいだった。

 さすがの凛も渋々と言った感じで話だけ聞くことにしたのだ。

 

「で、なんでわたしな訳? アンタと会ったの、あの時が初めてだったわけだし」

「……笑顔です」

「はあ? わたし、アンタに笑顔なんて見せたことあった? もしかしてそれだけの理由で?」

「……はい」

「話にならないっ」

「待ってください! 渋谷さん、あなたは今……夢中になれるなにかがありますか?」

「……それは」

「渋谷さん、無理にとは言いません。ですが……もし、少しでも興味を持ったのでしたら、踏み出してみませんか? 新しい一歩を」

 

 凛はそれに答えることができず立ち去った。答えることができなかったのは、そのことをどこかで認めている。しかし、それを素直に認めることはできない。むしろ、彼女自身それが何かを把握できていなかった。

 満たされてはいないと認めていても、それを満たそうとするわけでもなかった。

 そして、それを突くように、自分のすべてを見透かされているように言ってきた男がいた。

 プロデューサーだ。

 彼と武内Pが卯月と共にわたしの前にやってきたのだ。桜が満開に咲いている近所の公園で話をした。

 最近驚いてばかりだったが、今回のことは本当に驚いていた。一年と少し前にたった一回会っただけの男を覚えていたことに凛は彼と会った時、驚きを隠せなかった。

 

「え、アンタはあの時の」

「……これはなんとも、珍しいことがあるもんだ」

「先輩、渋谷さんをご存じだったのですか?」

「いや、以前たった一度だけ会ったことがあってな。キミもよく覚えていたな」

「忘れたくても忘れない顔だったし。ターミネーターみたいですごく印象に残ってたから」

 

 そう言うとプロデューサーは笑っていた。何が面白いのか凛にはわからなかった。もちろん、武内Pに一緒にいた卯月も首を傾げていた。

 プロデューサーが少し凛と話したいと言いだしたので、彼女は近くにあるベンチに一緒に座った。

 

「あんたも、わたしにアイドルになれって言いに来たわけ?」

「んー、ちょっと違うかな。オレはあいつがスカウトしようとしている子が、どんな子なのか気になって付いてきただけだ。まあ、スカウトする気がなかったと言えば嘘になるがね」

「あっそ」

「キミ、口が悪いって言われたことない?」

「あるよ。でも、時と場所は弁えているつもり。なんなら丁寧語で喋りましょうか?」

「いや、いい。物事を素直に言えるのはいいことだ。この状況で、自分の言いたいことをしっかりとキミは言えることができる。キミの良い所を一つ知った」

「それって……褒めてる?」

「そうだが」

 

 凛は、この男がどういう人間なのかまったく掴めなかった。掴みようがなかった。何を考えているのか分からないのだ。

 

「さて、渋谷さん。初対面でキミにこんな事を言うのはどうかと思うが聞いて欲しい。これは、俺の推測なんだが……。キミの心の中では、アイドルをやってもいいと思っているんじゃないかと思うんだ」

「……どうしてそう思うわけ?」

 

 するとプロデューサーは地面に一本の線を引いた。

 

「そうだな、例えるなら……キミはある一つの線の上に立っている。これが今のキミだ。キミは現状に不満を持っていない。平穏で、劇的な変化を望んではいないし、かといって何かを得ようとか、捨てようとかという気もない。故にキミは選択できる。前に一歩踏み出すことも、後ろに一歩下がることもできる。けどキミは、自分ではそうしない」

「なんでそう言えるの?」

「きっかけがないからさ。人は興味がないものには見向きもしない。無関心ってやつとも言えるな。でも、今のキミは違う。興味を持ち始めている。武内に会って、アイドルにスカウトされて気になり始めている。そうでなければ、とっくに武内を警察に通報するなり、こうして会って喋ったりしてないからな」

「……」

 

 嫌と言うほど、認めたくないほど的を射ていた。そして、言われて初めて自分自身でも納得した。自分が悩んでいる事、気にしている事を自覚出来た。感謝すべきだと凛は思ったが、礼を言ったらなんだが癪だから言わないことにした。

 

「最後に一つ聞かせてくれ。キミは好きなアイドル、じゃなくてもいい。好きな歌手とかいるか?」

「……如月千早の歌う歌は好き。耳に残る歌だし、なによりも彼女の思いが伝わってくる、そんな気がするから」

「そうか、千早か。あいつの歌はいいぞー。歌に対しての思いは人一倍強いからな」

「へえー、そうなんだ。まるで、知り合いみたいに言うんだ」

「知り合いというよりプロデューサーだったからな」

「……?」

 

 この時の凛は「プロデューサー」という意味について深い知識を持ち合わせてはいなかった。アイドルや有名人には「マネージャー」がいて、それがスケジュール管理とかしていると思ったからだ。他にプロデューサーと言えば番組に流れるテロップの存在ぐらいにしか気に留めていなかったからだ。それにより、彼が如月千早のプロデューサーであったということに気づくのは少し経ってからのことだった。

 

「俺の話はこれでおしまい。あとは、現役のアイドルに話を聞いてみるといい。おーい、卯月!」

 

 彼が呼ぶと武内と居た卯月がやってきた。

 

「なんでしょうか?」

「卯月、渋谷さんと話をしてやれ」

「話、ですか?」

「そうだ。それじゃあ、終わったら呼んでくれ」

 

 一人残された卯月はとりあえず凛の隣に座った。互いに初対面で何を喋っていいか卯月にはわからなかった。

 

「えーと、そのー。何を喋ればいいんでしょう?」

「わたしに聞かれても困るんだけど……」

「そ、そうですよね! じゃ、じゃあ、えーと……」

 

 卯月が凛に視線を向けた。そういえば自己紹介すらちゃんとしてなかったことに彼女は気付いた。

 

「渋谷、渋谷凜」

「凛ちゃんですか! わたしは島村卯月です! では、凛ちゃん。聞きたいことがあればどうぞ聞いてください!」

 

 いつのまにわたしが質問する立場になっていたと、凛は困惑したが都合がいいと思ってとりあえず聞いてみた。

 

「じゃあ、卯月はどうしてアイドルになったの?」

「アイドルになるのが夢だからです」

「でも、いまはもうアイドルじゃないの?」

「えーと、お恥ずかしながらまだデビューもしていないんです。だから、正確にはアイドルじゃないんです」

「そうなんだ」

『……』

 

 話が途切れて無言が続いた。凛も聞きたい質問はこれ以外に思い当たらなく、卯月も次の質問がこないのでどうしたらいいか困っていた。

 すると卯月はベンチから立ち上がり、凛に尋ねた。

 

「凛ちゃんは……何か誇れるものって、なにかありますか?」

「……これといって、ないと思う」

「わたしも胸を張って言えるものはないです。でも、これだけは負けないものはあります」

「それが何か聞いてもいい?」

「笑顔です。すごくありきたりですけど……。わたし、346プロに入るまでに何回もオーディションを受けてきました。でも、毎回落ちちゃって、そんな時言われたんです。『笑顔なんて誰でもできるんだから、別のモノを見つけなさい』って。けど、わたしはそれをしませんでした。それしかできないから」

 

 語る卯月の表情はとても暗く、苦しそうに凛は見えた。オーディションを受けたことがない彼女にとって、卯月がどんな思いなのかは図りえない。

(わたしにはできないよ)

 けれど、諦めず何度も挑戦する卯月に少し憧れを抱いた。

 

「でも、そんなわたしをプロデューサーは見つけてくれたんです!」

 

 卯月は落ちていた桜の花を手に取った。凛にはその行動が、プロデューサーが自分にしてくれた、そんな風に見えた。

 救ってくれた、手を差し伸べてくれた、どんなにどん底に追い込まれていても、いつかきっと信じていれば願いは叶うのだと。

 

「だからわたしは――わたしの笑顔で、誰かを幸せにできたらいいなってそう思ってるんです!」

 

 その時、卯月がわたしに見せてくれた笑顔が、頭の中から離れなかった、忘れられなかった。

 それはまるで芸術のようだった。少し行き過ぎている表現かもしれない。でも、美しいものを見たとき、あるいは絶景だったり、心から感動させられるものを見た時とは、今のわたしのことを言うのだろうと凛は思った。

 それが、わたしがアイドルになろうとした大きな理由だ。卯月みたいに笑顔なんてわたしの柄じゃないけど。自分にもできることがあるなら、武内Pが言った『夢中になれる何か』を見つけられたら、それはきっと自分の中にある隙間を埋めてくれるのだと思った。

 だからわたしは、卯月に――。

 

「あ、凛ちゃん!」

 

 話題の彼女が未央と一緒にいて、手を振っていた。まだ出会って日は浅いが、凛は卯月と未央と非常に馬が合うのか、こうして一緒に事務所に行く仲になっていた。

 

「おーい、しぶりーん!」

「未央、お願いだから街中で叫ばないでよ。恥ずかしいんだから」

「ごめんごめん」

「凛ちゃんも来たことですし、行きましょうか!」

「さあ、今日もレッスンがわたしたちを待っている!」

「そうだね。あ、卯月」

「ん? どうしたんですか、凛ちゃん」

「――ありがとう」

「へ?」

 

 突然感謝の言葉を送られて卯月は首を傾げながら困惑していた。

 

「しぶりんがいきないお礼を言うとは……。明日は雨ですな」

「馬鹿なこと言ってないで、事務所にいくよ!」

 

 言うと凛は走り出した。

 

「ちょっと待ってよ、しぶりん!」

「二人とも置いていかないでくださいよ――!!」

 

 急に走り出した二人に追いつこうとした卯月が、突然何かに躓いて転んでしまった。二人は卯月に手を差し伸べ、結局歩いて事務所に向かうのだった。

 

 

 最後に一つ。わたしはアイドルになってある事を決めた。

 それは、わたしが346プロの正式なアイドルになった日、プロデューサーが言ったのが発端だ。

 

「改めて今日からよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。それじゃあ、他のメンバーに渋谷(・・)を紹介するか」

「……」

 

 会った時は「さん」付だったのが、今この瞬間に呼び捨てになった。いや、別にそれがムカつくとかではなにのだが、切り替えの速さに脱帽したと言うべきか。

 そんなわたしにプロデューサーも気付いたのか、

 

「なんだ、呼び捨ては嫌だったか?」

「別にそういうわけじゃないけどさ」

「もうお前は他人じゃなくて身内だし、オレのアイドルでもある。遠慮する気はないぞ」

 

 自分で言うのもあれだが、プロデューサーに「渋谷さん」と呼ばれるのはなんだかものすごい違和感があったのはたしかだった。

 

「他の奴には困るが、俺に対して遠慮することはない。お前もそっちのが気が楽だろ?」

 

 会ってまだ少ししか経っていないはずなのに、自分の事をすべて見透かしたように言ってきた。その意見にはもちろん同意しているのだが。

 

「ま、わたしもこっちのが楽だしね。助かるよ」

 

 プロデューサーはふっと笑っていた。

 そしてまさか、名前の呼び方で問題が起きるとはこの時のわたしは思ってもみなかったのである。

 

 

 同日 346プロオフィスビル 武内のオフィス

 

 僥倖というべきか、今の所プロジェクトは順調だった。

 武内はパソコンにあるおおよそのスケジュールを確認してそう判断した。現在は四月の半ばで、全員の宣材も撮り終り、今行っていることは主にレッスンだ。

 ほんの一部を除いて素人が大多数を占めているCPであるが、この短期間のレッスンで各々のスペックが見えてきたところだ。

 自分はレッスンに関しての指導は素人であったが、動きを見てわからないほど未熟ではないと思っている。それでも、レッスンに関しては担当のトレーナー方に判断を任せているのは仕方がないと武内は思っていた。

 他のアイドル部門で担当しているプロデューサー達も自分と同じような感じだったはずだ。だからこそ、思うのが……。

(先輩はやはりすごい)

 アイドル全員のスケジュール管理、営業、そしてレッスンと、それをすべて一人でこなすプロデューサーに武内は憧れていた。本音を言えば、憧れてはいるがそこまでできるとは思ってはいない。なにせ、一時期廃人一歩手前の状態を目撃したとき、こうはなりたくないと思ってしまったからだ。

 正直な所、プロデューサーが異常すぎるだけで、武内も十分できる男であるのだから、そこまで謙遜する必要ないのだが。

 武内は書類をファイルにまとめてオフィスを出た。彼女達の待機部屋であるシンデレラルームへと足を運ぶ、部屋に入ると、すでにいる彼女達の視線が彼に向けられた。

 

「みなさん、お揃い……ではありませんね」

 

 シンデレラプロジェクトのメンバーはみな特徴的であるが、その中でもっとも特徴のある二人が見当たらないとこに気付いた。

 

「双葉さんと諸星さんがいないようですが……」

「あ、二人ならプロデューサーさんに呼ばれていません。なんでも、二人の書類で確認したいことがあるとかで」

 

 彼が尋ねると新田美波が他の子達の代わりに答えた。

 

「そうですか」

 

 先輩なら問題ないと判断して武内は気に留めなかった。ただ、連絡の一つは欲しいと思った。

 

「急を要する案件はないのであとで伝えおくことにしましょう。では、今週のスケジュールをお伝えします」

 

 同じ頃。プロデューサーのオフィスには双葉杏と諸星きらりがソファーに座っていた。正確には、きらりの膝の上に杏が座らせているのが正しい。さらに言えば、嫌がる杏がきらりに引き留められている。

 杏はきらりが与えたアメを舐めながら面倒くさそうに言った。

 

「で、プロデューサー。なんで杏たちを呼んだのさ。まあどうせ、今週もレッスンだろうからサボれてラッキーなんだけど」

「こら、杏ちゃん。そういうこと言っちゃめっ、だよぉ?」

「ふっ、きらりは気付いていないんだ。今この瞬間にもレッスンの時間は減っている。つまり、ここに居ればいるほど杏の勝利なのだ!」

「な、なんだって――!!??」

 

 デスクで作業をしながら二人の漫才みたいなものを眺めていたプロデューサー。彼はCPの中では、二人は特に仲がよく、相性がいいと思っていた。が、プロデューサーは杏に容赦のない宣告をした。

 

「杏には休んだ時間だけスペシャルレッスンだ。俺特製のな」

「うげぇ……。ズルいぞ! そうやって脅すのは!」

「なにを言う。お前が出来そうで、出来ないぐらいの加減をする」

「一番嫌なパターンじゃん! も、もちろん……きらりも一緒でしょ?」

「にょ、にょわ!?」

 

 杏は彼に尋ねると、ニコッと笑みを見せた。それをみた杏もほっとしたのか笑みを浮かべた。

 

「安心しろ杏。……お前だけだ」

「あんまりだぁ――!! き、きらりは一緒に受けてくれるよな!?」

 

 きらりに縋り付くように杏は助けを求めた。しかしそれは、一緒に地獄に付き合えと言っているようなものだった。きらりは顔を横に向けながら、

 

「きらりも……Pちゃんのレッスンは無理だにぃ」

「薄情者ぉ―――!!」

「ぴ、Pちゃん! 早く要件を教えてほしいかな!?」

「そ、そうだそうだ! こんな所居られるか! 杏は帰らしてもらう!」

「そうだったな」

 

 からかっていたのがつい楽しくて要件を忘れてしまう所だった。プロデューサーは手を休めて、デスクから離れて二人と対面するような形でソファーに座った。

 

「実は、折り入って二人に頼みがあるんだ」

「私に頼みとは……高くつくよ」

 

 と、ドヤ顔で杏が言った。

 

「こら、最後まで聞かないと駄目だよぉ?」

「そうだ。話は最後まで聞くことだ。で、続きだが、二人にはCPのことを視ていてもらいたい」

『……見る?』

「そう、視るだけ」

 

 二人を顔を見合わせて首を傾げた。ニュアンス的には言っている事の意味はわかるが、いまいち彼の意図が二人にはわからなかった。

 それを二人の表情を見て察したのか、プロデューサーはすぐに言いなおした。

 

「すまん、言い方が悪かった。ようは、監視ってところだ」

「監視? なに、スパイでも紛れ込んでるの?」

「杏ちゃん。たぶん、そういうことじゃないと思うよぉ?」

「冗談だよ、じょーだん。別に嫌ってわけじゃないけど、一つ聞いていい?」

「なんだ」

「それって、個人? それともCP全体?」

 

 きらりも杏の言っている意味を理解しているのか、少し心配したような目でプロデューサーを見た。

 杏は馬鹿ではない。むしろ、彼女は天才という部類であろう。だからこそ、『監視』という単語を使ったことの意味をおおよそだが推測できてしまった。

 CPは発足したばかりだ。アイドル達の面識はプロジェクトにスカウトされて、四月に正式に活動開始する少し前に顔を合わせたのが最初だった。かなり最初にスカウトされた子達はそれなりの面識があったことは杏も知っていたが、それでも赤の他人同士が出会ったばかりだ。互いのことを何も知らないことばかり。

 例えるなら高校に入学したばかりの感じだ。クラスに友人がいなく0からのスタート。だからこそ、最初は苦労するはずだろうと杏は思っている。彼女はこういう性分のため学校での交友関係は極力さけている。自分が一番、楽をするために頭を使う。極端にそういう子だ。

 しかしそんな杏でも、座っている、というか座らせられている諸星きらりとは驚くほどに距離を縮めた。

 相性がいいとか、馬が合うとかだと思う。

(けど杏の場合、上手く手綱を握られているって言うんだろうな)

 さじ加減、飴と鞭の使い方が上手いと言えばいいか。

 もう一人それが上手いのがいる。それも目の前に。

 そんな彼が自分達に頼み事をするのだから、それなりの理由があるのではないか。そう思って仕方がなかった。

 

「そのままの意味と思ってもらって構わんよ。理由は……訳あってまだ話せないが」

「まだってことは、いつかはちゃんと説明してくれるってことぉ?」

「オレとは限らんがね。まあ、監視と言ったって四六時中視てろ、とは言わん。ただ、少し面倒事になりそうだったら連絡をしてくれ」

「ま、プロデューサーと杏の仲だし、引き受けてあげるよ」

「そう言ってくれると助かる。あと、きらりにはもう一つ頼みがある」

「ん? きらりに?」

「みりあと莉嘉のことを見てやってほしい。みりあは言わずもがな、莉嘉も中学生になったばかりで危なっかしいからな。きらりにはお姉さんとしての包容力があるからな。安心して任させれると思うんだ」

「うん! きらりにまっかせて! それに、みりあちゃんも莉嘉ちゃんもいい子だから大丈夫だにぃ!」

「別に他意はないけど、杏にも頼まないの?」

「お前は一緒に面倒を見てもらう側だろうが」

「ですよね―」

 

 杏がそういうと二人は笑った。ああそうだと、プロデューサーは言いながらデスクの引き出しを開けてある物を出した。

 

「ほれ、報酬のペコちゃんホップキャンディ」

「わぁ、ちょっと懐かしいなぁ!」

「えー、アメ玉にしてよぉ。ゴミが出て捨てるのめんどいじゃん」

「じゃあ、無償でやってくれるのか?」

「要らないとは言ってない」

 

 言うとプロデューサーは袋を開けて、一個取りだしてきらりに渡した。

 

「なんで開けるんだよ――!! ていうか、なぜきらりに渡す!?」

「お前に渡すと全部食べちゃうだろ。だから、きらりに管理してもらうんだよ」

「は、了解であります!」

 

 ビシッと敬礼すると、「うむ、頼んだぞ」と返して彼は取りだしたキャンディを舐めはじめた。

 

「それじゃあこれで話は終わりだ。レッスン頑張れよ――」

「他人事だと思って!」

 

 まるであざ笑うかのように笑うプロデューサーに吐き捨てながら杏ときらりは部屋を出た。

 しばらく歩いて、きらりが不安そうに杏に尋ねた。

 

「ねぇ、杏ちゃん。なんでPちゃんあんな事頼んだのかな?」

「きらりだって気付いてるんじゃないの?」

「できればきらりは……Pちゃんがみんなのことが心配だからだって、そう思いたいにぃ」

「それも間違ってないと思うけどな―。でも、問題はそこじゃないと杏は思うよ」

「というと?」

「武内Pってプロデューサーみたいに私たちとこう、なんていうか、そういう関係って苦手じゃん?」

 

 きらりは同意したのか頷いた。杏の言いたいことはなんとなくだがわかっていた。仲がいいとか付き合い方みたいなことを言いたいのだろうと言うことは察することができた。

 

「つまり、そういうことなんだよね。しょうがないと言えばしょうがない。だって、互いのことなんか全然知らないわけだし。こっちは見たことでしか、向こうはデータだけだしね」

「だからこそ、これからもっといーっぱい、みんなのことを知ってほしいんだにぃ。もちろん、武ちゃんのことも知りたいと思ってるよ!」

「ほんと、きらりのそういう性格は得だよね―」

「えへへ、褒められちゃった」

「……別に褒めたわけじゃないんだけど」

「杏ちゃん、今何か言ったぁ?」

「何も」

 

 杏はさっそくきらりにキャンディを要求した。きらりはレッスン前だから駄目だと言おうとしたが、杏に言い負かされてキャンディを渡した。

 

「そういえば、一つ気になったんだけどぉ」

「なにが?」

「どうしてPちゃん、きらりと杏ちゃんに頼んだんだろうね。美波ちゃんとか適任だと思うけど」

「そんなの決まってるじゃん」

「えぇ!? どうして!?」

 

 ぺろぺろとキャンディを舐めながら杏は答えた。

 

「私は中立的な立場を保つだろうし、面倒だから巻き込まれないように一歩引いた場所にいる。きらりはみんなのこと、よく見ているからだと思うよ。みんなが気付かないことにも気付くだろうしね」

「杏ちゃんだってよく見ているときらりは思うなぁ。だからこそ、Pちゃんは杏ちゃんにも頼んだんだよぉ」

「ほんと、プロデューサーってつくづく人を使うのがうまいなあ。ま、そのおかげでアメが貰えるからいいけどさ」

「もぉ、杏ちゃんは素直じゃないんだからぁ。頼られて嬉しいって、素直に言えばいいのに」

「な、なんでそうなるんだよ!?」

「さぁ、なんでだろうね――! よーし、この勢いでレッスンもがんばろぉ――☆」

 

 きらりは杏を抱きかかえるとトレーニングルームへと走り出した。

 

「うわぁ! や、やめろきらり! アメが、アメがぁ――!!」

 

 口に咥えていたキャディが落ちそうになり、杏は勢いよく噛んだ。

 きらりが足を止めたのは、自分の腕で暴れる杏の叫び声が聞こえてからだった。

 




お菓子の詰め合わせに入っているペコちゃんキャンディが自分の好きな味だったとき、少し嬉しい気持ちになった子供の頃……。

たぶん、時系列的にいうとアニメ二話あとの話だと思われます(うろ覚え)。
そろそろ、ブルーレイ全巻買ったはいいが、最初と最後しか見ていないBDを見る時がきたか……。

現状考えている構想では、NG回を済ませばあとのデレマス一期は楽になるはずなんだ(執筆が早くなるとは言っていない)。




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幕間劇 シンデレラ・パニック!?

 

 

 それは誰が言いだしたのか。

 いや、誰かではなく、誰もが疑問に持ち、つい口に出してしまったことだったのかもしれない。

『プロデューサーって、謎が多すぎない?』

 そんなことも相まって、非公式で行われた「346プロダクション 社内で気になる男性ランキング」では堂々の二位である。ちなみに一位は美城会長。

 女性社員たちの中ではその話で持ちっきりで、それはもちろんアイドルも例外ではなかった。

 といわけで。

 現在346カフェでは偶然仕事もレッスンもないアイドル達が集まっていた。

 

「最近プロデューサーの話題で持ちきりなわけだけど……。あたしたちが知ってることってどのくらいあるのか、お姉さん気になってしょうがないのよ!」

 

 元婦警という驚きの肩書を持つアイドル、片桐早苗が他のアイドル達に話を振った。この手の話題が大好きな彼女は興味津々であるのだ。物足りないのはビールを片手に騒げない事だろうか。

 

「えーと、推定で身長が180から190センチで」と藍子が。

「歳は今年で32歳ですね」とまゆが。

「け、血液型は知らないな……」と栽培しているきのこを片手に輝子が。

「……出身地も、知らないよね……」と輝子の隣に座る小梅が。

「わたしたちアイドル部門のチーフプロデューサーですよねぇ」と愛梨が。

「わたしのサイキック師匠(マスター)でもありますね!」と裕子が。

「あと! プロデューサーはとてもいい人だと思います!」と茜が。

「あれですよ、筋肉モリモリマッチョマンのプロデューサーです」と菜々が。

 

 アイドル達が思い浮かぶことを上げたが、思いついたのがこれぐらいだという現実にがっくしと彼女達は肩を落とす。特に最後のはあまり伝わっていなかったようで。伝わるのは大和亜季ぐらいであろう。

 

「ほんっとうにこれぐらいしかないのよね……」

「あの、早苗さん……」

「なに、藍子ちゃん」

「私もプロデューサーさんのこと気にならないって言ったら嘘になりますけど、どうしてそこまで知りたいんですか?」

「なにって、面白いからに決まってるじゃない!」

 

 ドヤ顔で早苗は言った。

 

「それにまゆちゃんだってもっと知りたいわよね?」

「否定はしませんけど。どうしてまゆの名前が出るのか気になりますね……」

 

 笑顔で言うまゆの表情はどこか寒気を感じさせるほどであったが、早苗は気にせず話を続けた。

 

「それによ! 向こうはあたしたちのあんなことや、こんなことを知ってるのよ! 不公平じゃない!」

 

 公式HPや雑誌等に載せる自分達の趣味とか特技、それにスリーサイズまでも知られているのだ。アイドルなので仕方がないと言えばそうだ。しかし、それでは納得がいかないのだと早苗は言う。

 早苗の意見に彼女達も否定はなく、むしろ同意するところではある。が、早苗のようにそこまでして知りたいというほどでもなかった。ていうか、直接聞いても教えてくれないと思うからだ。

 

「なんかこう、ないの? とっておきのネタ」

「ネタって、プロデューサーを脅すんですか?」

「やあね、物の例えよ例え。でも、それもいいわよねえ。それで毎回飲み代を払ってもらおうかしら。菜々ちゃんだってその方がいいでしょ?」

「な、何を言っているんですか!? ナナは17歳なんでっ、お酒は飲めないですよ!」

 

 必死に否定する菜々であったが、一部というか大半のアイドル達は察していたのであえて何も言わなかった。言葉にするだけが優しさではないのだ。

 すると向こうから川島瑞樹と高垣楓がやってきた。

 

「あら、あなた達なにやってるの?」

「なんだか、盛り上がってますね」

「あ、瑞樹ちゃんに楓ちゃん! 実はカクカク」

「シカジカ」

「マルマルということなんですね。なるほど、それは確かに気になりますね。あ、瑞樹さんってチーフのこと前から知ってるって言ってませんでした?」

「え、そうなの! そういうことはもっと早く言ってよ瑞樹ちゃん!」

 

 楓の言葉に早苗だけではなく、他のアイドル達も興味を示した。

 

「前って言ったって……ねえ? 知っているといっても、私がアナウンサー時代の話よ?」

『うんうん。それで?』

 

 声を揃えて言う彼女達に瑞樹は負けたのか、小さなため息をついて椅子を持ってきて座ると話し始めた。

 

「ぶっちゃけるとね、プロデューサー君って以前どこかのテレビ局に居たっていうのは知ってるのよ」

「テレビ局、ですか? それって、番組のプロデューサーでもやっていたんですか」

 

 まゆが聞くと瑞樹はそうよと答えた。

 

「なんでも凄い優秀だったらしいわ。だから他の局とか引っ張りだこだったみたい。ただ彼、そんなに長く所属してなくてあちこち異動してたのよ。私も風の噂ってやつだけど、その時はフリーでやってたって噂を聞いたわ」

「へえ―……プロデューサって前から、凄かったんだね……」

「さ、さすがは親友だな……。ま、まぶしいぜ……」

「じゃあ、その間にアイドル事務所にもいたってことですかね? ナナが出会ったのはプロデューサーがここにいる時ですから」

「そこのところ瑞樹ちゃん知らないの? その情報ってすっごく役に立ちそうだけど」

 

 それを言うなら脅迫のネタに役に立つの間違いであろう。

 

「さすがにそれはねえ……」

『ん―――』

 

 彼女達の、346プロアイドル部門の初期メンバーで一部の人間からは一期生と呼ばれる世代のアイドル達は知っているのだ(ちなみにCPは三期生らしい)。

 それは名刺である。

 そう、プロデューサーの名刺だ。彼が346プロに来たばかりは765プロの名刺を代わりに使っていたのだ。ご丁寧に事務所の電話番号に彼の携帯の番号がしっかりと。

 しかし、それに気付く者はいなかった。あのまゆですら、大事に保管しているのにも関わらず思い出せないでいた。

 みんな腕を組んで悩んでいると、ブリッツェンと共に346プロのサンタ系アイドルであるイヴと現人神系アイドルの茄子がやってきた。

 

「あれ、みなさんどうしたんですかぁ?」

「なんだかとてもお悩みのご様子ですが……」

「あ、イヴちゃんに茄子ちゃん! ちょっとプロデューサーの秘密とかなんでもいいから知らない!?」

 

 何がなんでも彼の情報を得ようと必死な早苗であった。

 

「そうですね……わたしが出会ったのは去年の初詣の時ですけど……。ん――? なにかあったような……」

「頑張って茄子ちゃん! イヴちゃんも何かないの!?」

「ええぇ、わたしですかぁ? ん―、そうですね……」

「ぶも」

「え、ブリッツェン。何か知ってるの? うん、うんうん」

 

 ブリッツェンの言葉がわかるのかというツッコミはなく、イヴが耳を傾けて聞いていた。

 

「ああ! そんなこともありましたね!」

「なになに、イヴちゃん何かとんでもないネタでもあるの!?」

「実はわたし、プロデューサーと一緒に寝たことあるんですよぉ」

 

 瞬間、時間が止まった。

 思考も身体もほんの一瞬だが止まった。世界もついでに止まった。動いていたのはイヴとブリッツェンぐらいであった。

 時が動き出すと、声には出さないがみんなおろおろと慌て始めた。年齢で分けると、大人組は寝た意味をそっち方面に捕えており、学生組は顔を赤くしているところを見えればそういうことで、ちびっこ組はあまり理解はしていないが驚いた様子。

 代表して早苗が彼女に尋ねた。

 

「寝たの? プロデューサーと?」

「はい、困っていたわたしを家に入れてくたんですよぉ」

「直接!?」

「お、お姉さんもこれにはビックリよ……」

「ちなみにイヴちゃん。どうだったの?」

「瑞樹さん、それは小さい子がいる前で聞くのは……」

 

 楓は止めようとしているようだが、目はちらちらと行ったり来たり。彼女も気になって仕方がないらしい。

 

「どうって……プロデューサーのベッドは暖かくて気持ちよかったですよ? わたし詳しくはありませんけど、プロデューサーって結構いいところに住んでるんですよねぇ」

「……もしかして、寝ただけ?」

「そうですよ。他に何があるんですかぁ?」

「よかったような、よくなかったような……。なんだが、お姉さん複雑」

「わかるわ」

 

 期待したものが得られなかったことに落胆した一同であったが、早苗はふとあることに気付いた。

 

「ちょっと待って。じゃあ、イヴちゃんってプロデューサーの住んでる所知ってるってことよね!?」

『たしかに!』

「え、知りませんよ」

『……』

「どうしてよ! だって、プロデューサーの家に泊まったんでしょ! だったら家じゃなくてもある程度周りの建物とか風景で特定できるじゃない!」

「その……夜中だったこともあって覚えてないんですよ― ! 翌日もプロデューサーに朝早くから色々連れ回されて、周りの風景とか見る余裕とかなかったんですぅ! あと、その日が初めてわたしが日本に来た日でもあるので、全然土地勘とはわからないんですけどね!」

 

 あの日は暗く、タクシーに乗って彼のマンションまで行ったのはちゃんと覚えているイヴ。しかし、今言ったことの他に覚えているのは、なんだか家賃が高そうなマンションで、部屋もすごくよかったことぐらいだった。

 

「もうぉ! これじゃあ結局振りだしに戻っただけじゃない!」

「ま、そうそうプロデューサー君の秘密なんてわかるとは思ってなかったわ」

「ところで、イヴさん。まゆ、もうちょっとそのお話を詳しく聞きたいんですけど?」

「え、まゆちゃんなんだか怖いよ?」

「あの……」

 

 そんな時、茄子が手をあげて言った。

 

「どうしたの茄子ちゃん?」

「わたしたちではわからないなら、知ってそうな人に聞けばいいんじゃないでしょうか」

「それって誰よ?」

「それは――」

『それは?』

 

 

 で、

 

「どうして私、みんなに囲まれているのかわからないんですけど」

 

 ちひろは声を震わせながら言った。

 茄子が挙げた人物は彼女のことだった。休憩に入ろうとしたちひろを早苗が拉致して、346カフェから場所を移して、彼女達の待機ルームへと連行したのだ。

 

「なに、ちょっと質問に答えてほしいだけよん」

「質問に答えますから早くしてくださ―い! ただでさえ、一日に数回しかない貴重な休憩時間なんですよ!?」

「わかった、わかったわよ。それじゃあ、聞くわね……。ちひろちゃん、あなたプロデューサーの個人情報知ってるわよね?」

「知りませんよ、私」

「嘘言わないの! 事務員であるちひろちゃんなら彼の秘密の一つや二つ知ってるでしょうが!」

 

 バンッ! とテーブルを叩く早苗。その構図はまさに警察の取り調べのようである。

 

「本当ですよ! そもそも担当が違うんです! うちは個人情報の管理にはすごく気を使ってるんですから!」

「あら、そうなの? その割には私達アイドルのプロフィールとかは公開するわよね」

 

 と瑞樹が横やりを入れると、他の子達もうんうんと頷いていた。

 

「それはあなた達がアイドルだからです」

「それもそうよね」

「論破されるの早いですよ瑞樹さん……」

「特に重要人物に関しての個人情報は徹底的に総務部に管理されてるんですから!」

「なにそれ初耳」

「私だって存在だけですよ。なんでも、会社にとって有益な人間がそのリストに載るらしいって噂です」

「それにプロデューサーも入ってるんですか?」

「あの人はかなり特殊だから……」

 

 ちひろはあえて言わないが、はっきり言えばこういう状況を見越しての措置だったのだろうということに気付いていた。

 プロデューサーの場合は、彼の特殊な経歴や会社が得る利益の方が大きいため必然的に情報規制が敷かれるのは当然だった。彼自身や会社もアイドル達がこういった行動を起こすことを見込んで対応を以前からしていた。もちろん、アイドルだけではなく社員も含まれていた。現にちひろも人の事は言えず彼のことが気になっているのは事実。

 ようはアイドル達が起こす騒動を未然に抑える目的である。特にプロデューサーはアイドル達から好かれやすいため特に厳重である。

 

「ぐぬぬ。結局進展なしか」

「早苗ちゃん、さすがに諦めましょ。相手が悪すぎたのよ」

「いや、まだまだ諦めないわ! こうなったら、アレよ!」

「アレ?」

「ちひろちゃん、今日ってプロデューサーいつ仕事終わるの?」

「たぶん……。今日は定時だと思いますけど……」

「あなた、まさか……!」

「ふっふっふ。そのまさかよ!」

 

 

 時刻は17時過ぎ。一部の社員たちは定時になり上がり始めるころだ。最近は仕事が落ち着いているのか、プロデューサーも定時をちょっと過ぎたくらいで帰宅できていた。

 プロデューサーが346プロの正面ゲートを出て街の方に向かって歩き出す。彼の後方10メートルの地点で謎の女性集団があとをつけていた。

 

「あの、私帰っていいですかぁ?」

 

 泣きそうな声でちひろは早苗に駄目元で聞いた。

 

「だ・め」

「ううぅ、今日は早く帰れるからゆっくりしようと思っていたのに―」

「それは残念。でも、ちひろちゃんだって気になるでしょ? 彼の秘密」

「それは、そうですけどぉ……」

「それにしても、尾行だなんて。元刑事(デカ)の血が滾るわ……!」

「あのぉ、早苗さんって元婦警さんだったんじゃ……」

 

 小さな声で藍子がツッコミを入れた。

 

「(元刑事(デカ)だけに、やることがデカいね)」

「楓ちゃん、何か思った?」

「いえ、別に」

「さ、行くわよ! みんな、お姉さんに付いてきて!」

『お――!』

 

 周りに迷惑をかけないよう小声で声をあげた。それでも、目立っているのだが。

 そして、プロデューサーの尾行作戦がついに始まった。

 現在わかっていることは、彼はタクシーやバス、電車を今の所利用していない。このことから、彼の自宅は徒歩で比較的近くと推測される。

 ただ、現在早苗達一行に小さな問題が起きていた。それは当然のことで、どうしても周囲から目立っている事だった。固まった女性の集団がこそこそ歩く姿は歩行者達の注目を集めていた。

 いくら変装をしていても気付く者はいるようで、

(あれってもしかして高垣楓……?)

(あの小さくて可愛いのって小梅ちゃんじゃない!?)

(ママ、ウサミンがいるよ!)

(こら、指を向けちゃ駄目でしょ!)

(あ、サンタのお姉ちゃんだ)

 と、それぞれ特徴的なアイドル達の正体など簡単に見破られているのだった。

 早苗達もさすがにそろそろ不味いと思い、次の行動に移そうとしたその時である。プロデューサーが角を曲がり、彼女達は走り出して彼の姿を確認しようとした。

 

「……いないわ」

「あら、ほんと」

「見失って一分も経ってないわよ!?」

「……もしかして、気付かれた……?」

「あの子も……わからないって、言ってるよ……」

「あの子って誰ですか!?」

「茜ちゃん、世の中には知らないことってあるんですよ……」

 

 プロデューサーを見失い、次の行動をどうするべき考え始めようとしたその時である。この状況を打開するため一人の少女が名乗りを上げた。

 

「みなさん! ここはわたし、エスパーユッコにお任せを!」

「ユッコちゃん、無暗にサイキックパワーを使うのは駄目だってプロデューサーさんが……」

「大丈夫ですよ藍子ちゃん! 毎回やる度にトンデモナイことが起きるわけないじゃないですか」

『(それはひょっとしてギャグで言っているのだろうか……)』

 

 裕子が自信満々に言う中、みんな彼女がサイキックパワーを使うたびにアクシデントが起きるのを身を持って知っていた。

 例えば、仕事中にあるアイドルのボタンがはじけ飛んだり、天気が悪かったのにいきなり快晴になったり、栽培中のキノコが突然成長したり、ライブ中にネクタイが取れたりなどなど。

 彼女達の不安など気付くこともなく、裕子はバックからあるものを取りだした。

 

「これぞサイキックアイテムの一つ、ダウジングです!」

「……それで本当に見つかるの?」

 

 早苗の不安は当然だった。ダウジングは水源や鉱脈など見つけるというものだということは知っていた。それで本当に当たるかはさておき、人を見つけることができるとは思っていないからだった。

(でも、ユッコちゃんだし)

 ある意味身を持って彼女の凄さを体感させれられた身としては、何かやってくれるだろうという期待があった。確証はないが。

 

「早苗さんも心配性ですねぇ。ま、ここはエスパーユッコにお任せを」

 

 L字型のロッドを手に取り、裕子は時計回りに一回だけ回る。これでどの方角に行ったのかを探し当てるのだ。すると、ある方向に対してロッドが反応しだした。

 

「おおっ、キてますよこれは!」

 

 裕子が声をあげて喜んでいるが、誰一人としてそれに共感する者はいなかった。なぜなら、ロッドが開いた場所は先程通ってきた道の方に反応したからだった。

 本人は興奮して気付いていないらしく、藍子が申し訳なさそうに教えた。

 

「ユッコちゃん、そっちの方向は今きた道だよ……」

「……え゛。あ、本当だ……」

「でもぉ、今回は何も起きなかったね」と愛梨が言うと、「それもそうですよね。ある意味よかったのかもしれませんよ」とほっと肩を降ろしながら菜々が言った。

「それもそうよね―。仕方がないわ、ここは……神様仏様茄子様! どうか我らをお導きください!」

 

 最終的に神頼みならぬ、茄子頼りとなるのは必然であろう。

 

「え―と。いいんですか、わたしで?」

「茄子ちゃんしかもう頼れる人はいないの! だから、お願い!」

「ううぅ、本当にプロデューサーさんに会えるかは保証できませんよ?」

「それでも構わないわ!」

「……それじゃあ茄子、いきますッ!」

 

 茄子を先頭に歩き始めた。少し遅れて裕子はダウジングが反応した方角を先程からじっと見といたのだが変化はない。付いてこない裕子に気付いた藍子が慌てて声をかけた。

 

「ユッコちゃん! 早くしないとはぐれちゃうよ!」

「あ、いま行きま―す! 絶対に自信あったのに……」

 

 最後にもう一度振り向く。が、そこにみんなを呼び止めるほどの事は依然としてなかった。裕子はため息をつきながら追いつくために走り出した。

 

 

 早苗達一向が先程の場所を離れて数分後。

 

「ねえ、貴音。今日の晩ご飯何にするの?」

「そうですねえ……。今日は春巻きでも作ってみましょうか。あの人、春巻きがお好きのようですし」

「ハニーってぱりぱりしてるというか、歯ごたえがあるの好きだよね」

「そのせいなのか意外にも煎餅が好きなんですよね、あの人」

「ミキはお菓子の方がいいの」

「お茶には煎餅、こーひーや紅茶には洋菓子ですかね、わたくしは」

「ところで、貴音は春巻きにきくらげはどうなの?」

「きくらげ、ですか? わたくしはこれと言ってこだわりはありませんが……」

「ハニーはある方がいいって言ってたの」

「それではきくらげも買いましょうか」

「ついでにケーキでも買ってくの。話したら食べたくなったの」

「あの人にはシュークリームを買ってあげないといけませんね」

「というわけでレッツゴーなの」

 

 仕事帰りの貴音と美希は早苗達が向かった方とは別の方角へと向かって行った。

 裕子はたしかに起こした。時間差ではあったが。

 

 

 その頃、茄子タイムの赴くままに進む早苗達一行。たしかに手応えはあった。

 

「あ! あれ、そうじゃないですか!」

「本当だわ!」

 

 と見つけては走り出すと、

 

「見失いました!」

「どうなってるのよ!」

 

 再び視界が消え去るプロデューサー。

 

「いましたよ、プロデューサーが!」

「でかしたっ!」

 

 見つけては見失うのを繰り返すだけでまったく進展がなかった。そして、辺りが暗くなり始めたころ、さすがに早苗もそろそろ時間的に厳しいと判断した。未成年が多いし、このまま探し続けても無駄だ。

 そんな時である。彼女達がマクドナルドの前を通りかかろうとした時、中から知った顔が出てきた。

 

『の、のあ(さん)(ちゃん)!?』

「貴方達、こんなところでなにをやっているの?」

「そ、それはこっちの台詞なんだけど……」

 

 プロデューサーと同じぐらいミステリアスなのが彼女、高峰のあだった。

 

「ねえ、のあちゃん。それ、なに?」と瑞樹が尋ねた。

「見て分からないかしら。ハンバーガーよ」

「いや、それはわかるわよ……」

 

 問題はその手に持った紙袋の大きさだ。セットを注文したときに入れるぐらいの大きさの袋に満杯の単品のハンバーガーがあるのだから気になる。しかもハンバーガーを包んでいる袋の色が違うことから単品で複数のハンバーガーを大量に買ったのだと推測できた。

 

「あの、聞いていい。どうしてハンバーガー?」

「私が食べたいと思ったものを食べる。それに何か理由がいるかしら」

「いや、たしかにそうかもしれないけど……」

「……そう。貴方達が気になるのは、わたしがどうしてハンバーガーを食べている、ということかしら。その理由は至極簡単。食べたことがない食べ物を食したいと思ったからよ」

『(い、意外すぎる……)』

「ちなみに、そんなに食べて太らない? 仮にもアイドルよ、あなた」

「それは凡人の発想ゆえにそう思ってしまう。食べるから太る。そう自然と思ってしまうから人は枷を課してしまう。むしろその逆で、食べても太らない。そう思ってしまえばいいのよ」

『な、なるほど』

『いや、それは違うんじゃ』

 

 一部の体重を気にする女性たちが声をあげると、残りの者達が冷静にツッコミを入れた。

 

「ちなみに私、食べても太らない体質なの」

『(皮肉、皮肉なの!?)』

「話が逸れたわね。結局貴方達はここで何をしていたの?」

 

 早苗はのあに簡潔にここに至るまでの経緯を話した。

 

「そう、彼をね」

「そうなのよ。さっきから見つけたと思ったら消えちゃうんだから!」

「それは当然。私達が光なら彼は影。光あるところ影あり。アイドルあるところに彼はいる。けれど、彼は捉えることの、掴むことができない影。頑張るだけ徒労に終わるだけよ」

「うっ、なんだかよくわからないけど、説得力があるわ」

「それに、こうしている間に彼との距離はかなり開いているんだから今日は諦めなさい。子供達にはそろそろここはいい所ではないわ」

「はあ……」

 

 早苗はため息をつくと小梅や輝子を始めとした未成年の子供達をみた。その多くが寮生活で過ごしていて、門限があるのも彼女は知っていたので彼女は素直に今回は諦めた。

 

「イヴちゃん、茄子ちゃん。女子寮までみんなを頼める?」

「はい、任せてください」

「大丈夫ですよ。ブリッツェンもいますから!」

「ぶもっ」

 

 平然とトナカイがいることに何も違和感を抱かなくなっていることに誰も気付くことはなかった。

 

「のあちゃん、このあと暇?」

「時間はあいているわ」

「じゃあ大人組は反省会と称して飲みに行きましょうか」

「あの……ナナも帰っていいですかね……?」

「大丈夫よ菜々ちゃん。もし終電過ぎちゃったら、私のマンションに泊まればいいわ」

「瑞樹さん、そのご厚意はありがたいのですが……ナナはまだ未成年ですし、そもそもわたしが参加するのが当然のように話が進んでいるような気が……」

『え、いつものことじゃない』

「……」

 

 その後、菜々は早苗達一行にいつもの流れで居酒屋に連れて行かれ、毎度のごとくビールを頼んで飲むことになった。

 翌朝、菜々が気付けば瑞樹の自宅で目を覚ますのもこれまたいつも通りなのであった。

 

 プロデューサーを追跡した翌日のこと。早苗は我慢できずに直接彼に問いただすことを決意し、単身プロデューサーのオフィスへと乗り込んだ。

 礼儀、マナーを感じさせない扉の開け方をする早苗に対して、彼は驚くほど冷静で平然としていた。

 

「扉は優しく開けるものだぞ早苗」

「あら、ごめんなさ-い。つい、昔の癖で」

「お前は元婦警じゃなかったか?」

「そんなことはどうでもいいの!」

 

 ドンッと、机を思いっきり叩き身を乗り出す勢いでプロデューサーに尋ねた。二人の距離はいまにも互いの唇が触れ合うぐらい近い。

 

「プロデューサーのこと、教えてちょうだい!」

「昨日俺を付け回して何もできなかったんでとうとう痺れを切らしたか」

「……な、なんのことかしら―。早苗、わかんな―い」

「まあまあの尾行だったと褒めてやりたいが、さすがに大勢で行動していたら気配でまるわかりだぞ。あと、視線でバレバレだ」

「忍者じゃあるまいし、そんなことできるわけないじゃない!」

「それにな、茄子を使ってまでやることか?」

「なんで茄子ちゃんのことまでわかるのよ」

「プロデューサーだからな」

「プロデューサーとはいったい……」

 

 なんとも言い表せない顔をする早苗。プロデューサーは椅子から立ち上がり、腕を組みながら早苗の隣に立った。

 

「早苗、お前は具体的にオレの何を知りたいんだ?」

「それは―、その―」

 

 いざとなって早苗は何を聞きたいのかはっきりと言うことができなかった。昨日の尾行も面白さ半分、興味半分で行動していたので、いざとなって彼の何を聞きたいのかわからないでいた。

 

「自慢じゃないが……オレは味方より敵のが多いんでな。おいそれと個人情報を教えたくはないんだ。お前がどうしてもって言うなら教えてやらんでもないが……」

「それなら……どうしたら教えてくれるのかしら」

 

 不敵な笑みを浮かべたプロデューサーは早苗に迫る。一歩、また一歩と近づき、早苗は同じように後ろに下がる。

 気付けば壁まで下がっていて逃げ場はない。ドンッと彼は右手で壁を叩き、少しずつ肘を曲げていき二人の距離は目と鼻の先。

 俗に言う壁ドンである。

 この状態に追い込まれた女は逃げることは難しく、男としては必殺の間合いだ。

 早苗は自分でも気づかないぐらいドキドキしていた。かつてない胸の高鳴り、身体が熱くなっている。

 そして、彼は甘い言葉で囁いた。

 

「本当に、知りたいか?」

「じょ、条件は……?」

「――オレの女になれば全部教えてやるよ」

 

 早苗は別に男性経験がないというわけではなかったし、何も知らない純粋な乙女というわけでもない。現に彼女はアイドルなわけで、つまりはそれなりの美女ということになる。学生時代、署内でもそれなりに男達の視線を奪ってはいた、と思われるがこういう性格のためかそういうのは最初だけだった。

 何が言いたいかと言うと、男に対しての免疫はある。例えば、すごい金持ちとかイケメンに告白をされても彼女は『NO』と答える女だと誇らしく言うに違いない。だがしかし、目の前の、現在最も身近な男性であるプロデューサーに対してはそうはできなかった。

 彼には不思議な魅力がある。それは自身がアイドルになろうと決意した時と同じような感覚だ。

(近い……ちょっとこれやばいって)

 そして、早苗は顔を真っ赤にしながらプロデューサーの領域から離脱し、

 

「きょ、今日の所は諦めてやるんだから!! プロデューサーのバカ―――!! ちくしょ―――!!」

 

 早苗が逃げ出し、開けたままの扉を彼は閉めるとしてやったと言わんばかりの笑みを浮かべながら言った。

 

「あいつも可愛いところあるんだな。意外と純粋なのか。くくっ、いいもん見れたな」

 

 仕事に戻るために椅子に座ると、ふと思い出した。

 写真に撮っておけばよかったなと。

 

 

 同日。都内のある居酒屋でいつものメンバーである瑞樹、楓、菜々、のあに早苗は今日の出来事を話した。素面で話せないのでビールを飲んで話したのかすでに酔っていた。

 

「で、プロデューサー君に弄られて逃げ出したと」

「……うん」

「早苗さんも可愛いところあるんですねえ」

「楓さん、容赦ないですよ……」

「え―? 菜々ちゃんだってチーフに迫られたらこうなっちゃうと思うけどなあ」

「え゛、ナナはそんなにちょろくありませんよ!」

「なによぉ、わたしがちょろいって言いたいわけ!?」

「実際にその通りよ」

「うっ」

「のあちゃんも言うわねぇ―。でも、仮にのあちゃんだったらどう反応するか、お姉さん気になるわ」

 

 言うとのあはグラスを一回まわした。カランと氷がいい音を奏でた。

 

「私はすべてを受け入れるわ」

「……のあさんって素でそう言えるからナナはすごいと思います」

「そうかしら? 現に私は彼に言われてアイドルになったわ。疑念が信用になり、それから信頼、そして親愛になっているだけ。なにも可笑しなところはない。彼に誘われたアイドルはみなそう思っている、そう私は思っていたのだけれど」

『……』

「あらあら」

 

 のあが言う言葉に心当たりのある女性は酔いがまわったのか顔が赤くなった。

 

「けど、私は早苗みたいにはならないことはたしかね」

「わたしを苛めてそんなに楽しいか!?」

「ええ、楽しいわ」

「うぅぅ、事実だから何も言い返せない……。店員さん! ビールおかわり!」

「ちょっと、今日ペースが早いわよ」

「いいのよ、今日はとことん飲んでやるんだから!!」

 

 そのあと言うまでもないが、早苗は家に着くまでに戻した。

 

 

 早苗達が居酒屋で飲み明かしている頃。プロデューサーは自宅で貴音と美希に最近のことを話した。

 

「アイドルに尾行されるなんて初めての経験だったぞ」

「あらあら、それは大変でしたね」

「ご愁傷さまなの」

「なんでそんなに対応が雑なんだ」

「だって、あなた様の自業自得ですし」

「うんうん」

 

 二人が自分の味方だと思っていたが違うことに気づくと、彼はちょっぴり悲しかった。

 

「自業自得って言うけどな、アイドルやパパラッチにこの関係というか生活がバレたらお前達だって大変なんだぞ」

「そう――」

「言われても――」

『ねえ?』

「……」

 

 何かおかしい。なぜ二人はこんなにも冷静でいられるのかプロデューサーにはわからなかった。なにか秘策でもあるのだろうかと思っていると、

 

「だって、バレたらバレたで」

「ミキ達的にはむしろ好都合なの」

 

 いま、気付いた。はなから自分には味方などどこにもいないことにようやく気付いた。

 世間には絶対に見せることのない笑顔をしている二人から逃げるべく、彼はすでに侵されている聖域へと逃げ出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まずはじめに、次回はちゃんと本編やります。

今回やりたかったのはCP前のアイドル達の話と貴音と美希との対比みたいなものでしょうか。彼女達は知らないけど、貴音達は色んなことを知っている感じです。

気付けば早苗さんがメインな感じになっていたのは不思議ですね……。
のあさんは前から出したかったので出してみましたが……難しい。





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第22話

補足
実は色々と情報を探しているうちに346プロのオフィスビルが30階だということを知りました。よって、本作では40階になりました(あんまり影響はないけどね!)。

今回トレーナー姉妹が登場するにあたって名前を載せておきます。コミカライズで判明したらしく、準公式みたいな感じだと思うので知らない方用に置いておきます。
マストレ 青木麗
ベテトレ 青木聖
トレーナー 青木明
ルキトレ 青木慶




 

 

 事はゆっくりではあるが、けれども着実に進んでいる。たしかにそう感じることができると、毎日見ているCPのアイドル達のレッスンを見て武内は、そう実感していた。

 ダンスや歌が得意、不得意と言葉で言うのは簡単だ。それを実際に見て判断するのは自身を含めてトレーナーたちが決めることだ。

 だからこそ、厳しい目で見て指導をしなければならない。

 CPが活動を開始してすでに四月の半ば。各々の特徴が見えてくる。

 当初の予定では四月はレッスンがメインの予定で組んである。島村さん、前川さんの二名を除けば全員が素人。かといって二人も現時点ではトレーナー達から及第点をもらうことは難しい。あえて言うなら、アイドルとは生半可な気持ちでやれるものではないとも言える。

(そう、彼女達と同じ過ちは……)

 思考を切り替える。

 だからこそ、せめて四月一杯はレッスンをメインで彼女達のアイドルとしての土台をつくるために時間を使いたかった。

 幸か不幸か。どうやら予定とは所詮、予定に過ぎないだと痛感した。

 

「で、この三人を今度のアタシのライブに出したいんだけど、いいでしょ?」

 

 まさか、こんなことになるとは武内は突然のことで言葉がすぐに出なかった。

 城ケ崎さんが島村さん、渋谷さん、本田さんの三人のことを所属してからよく面倒を見ていたという話は聞いていた。歳が近く、また先輩としても三人とは馬が合ったのだろうと思っていた。一個人としては、先輩として三人と接してくれている彼女に武内は感謝をしていた。

 だが、これは予想外すぎる。

 彼女の後ろにいる三人もなんとも言えない顔をしている。どちらかと言うと、自分と同じように混乱しているように見える。

 しかし自分はCPの、彼女達のプロデューサーだ。しっかりしなくては。

 

「城ケ崎さん、貴方が先輩として三人のことを買っているのはわかりました」

「じゃあオッケー?」

「駄目です」

「え――!! どうしてよ!」

「私としては城ケ崎さんの提案に関して100%反対というわけではありません。むしろ、こういう機会を与えてくれる貴方に感謝すべきなのでしょう」

「うんうん。でしょでしょ」

「ですが、CPのプロデューサーとしては『はい』と簡単に肯定することはできません」

「だからどうしてよ」

「理由はあります。ですが、その提案に関しては前提として、私にはその権限を持っていません」

「……というと?」

「今度のライブ、というより貴方達のライブを企画している責任者は基本的に先輩です。ですから私には何も言えないんです」

「あちゃ-。チーフのことすっかり忘れてた」

 

 美嘉が頭を抱えると後ろにいた卯月たちが話に入ってきた。

 

「あの、つまり今回の話はなかったことになるんですか?」

「それはそれで嫌だなあ、私」

「私は……なんとも言えないけど」

「うっ……今になってアタシの計画性の無さが露呈し始めている……。“プロデューサー”、なにか案はないわけ?」

「……ない訳ではありません。ですが、あまり期待はなさらない方が」

「いいから教えて!」

「……本人に直接聞くことです」

『……え』

 

 場所を移動し、武内を先頭に美嘉達は一つ上の階にあるプロデューサーのオフィスへと向かった。

 部屋に入ると彼は頭に『?』と浮かべているように見えた。メンツからしてCP関連だと推測しているのだろうが、美嘉がいることで話が見えて来ないでいた。

 武内が美嘉の代わりに今回の事に関して説明した。

 

「駄目だ」

 

 やはりと予想通りの返答が返ってきた。アイドル達、特に美嘉が声をあげた。

 

「美嘉、お前のそういう面倒見の良さをオレはいいとは思う。が、それとこれとは話が別だ」

「なにが別なわけ? チーフなら三人をアタシのバックダンサーに組み込んでも問題ないじゃん」

「その点に関してはお前の言う通り問題はない。問題は別だ」

「つまり?」

「辛辣だがはっきり言うぞ。三人の内一人が養成所に通っていて、あとはずぶの素人。レッスンを始めて今日までオレも直接見たが、正直言ってステージに立たせるほどの地力がない。論外なんだよ」

「直接言われると……辛いですね」

「仕方ないよ、だって本当の事だし」

「それはそうだけど……」

「問題はまだあるぞ。その三人が踊る曲が、お前のTOKIMEKIエスカレートなのも理由の一つだ。ダンスの難易度は高いし、簡単にできるものじゃない」

「……そんなに大変だっけ、アタシの曲」

「お前だって最初はヒーヒー言ってだろうが。それにプロのバックダンサーはな、歌い手に対して常に対応できるようにしているんだぞ。ちゃんとお礼言ってるか?」

「ちゃんと言ってるに決まってるじゃん」

「ならいい」

 

 言うと話が終わったかのように仕事に戻るプロデューサーを美嘉が怒鳴った。

 

「ちょっと、話はまだ終わってない!」

「はあ、これでは埒があかん。武内、お前の意見を聞こう」

 

 全員の視線が自身に向けられていることは気付いた。美嘉を初め、三人も武内に期待している眼差しを向けている。

 直感だが、彼は自分に判断を委ねているのではないかと武内は思った。彼女達の担当は自分だ。だからこそ、担当プロデューサーである自分の意見……いや、意思を聞きたいのだろうと。

 

「……私が言うべきことはすでに先輩が言った様にあまり変わりません」

「なら、反対か?」

「反対、ではありません。これを島村さん達の好機と言えるかは私も自信を持って言えません。ですが、時にはリスクを覚悟して実行することも必要だと私は思います」

「つまり……お前はどうしたいんだ」

「責任は私が負います。彼女達三人をバッグダンサーとして出演させて欲しいのです」

「……プロデューサー」

 

 彼に頭を下げて懇願する武内を見て、美嘉は小声で歓喜の声を漏らした。

 プロデューサーは一瞬、ニヤリと口角を上げて卯月達三人の方に向かって言った。

 

「で、お前達はどうする?」

「え、それって……」と卯月が言うと、

「あとはお前達がやる気があるかないかの問題だ。返答は?」と分かっているのか笑みを浮かべながら尋ねた。

 三人は顔を見合わせて、

『お願いします!』

「決まりだな。なら、それなりの覚悟をしてもらう」

「と、言いますと」

 

 武内が姿勢を戻しながら尋ねたが、彼はふっと笑い受話器を手に取った。

 

 

 数分後。プロデューサーのオフィスに二人の女性がやってきた。

 名を青木麗、青木聖。ここではトレーナー姉妹と呼ばれている長女と次女の二人だ。アイドル達からは親しみを込めているかは定かではないが、麗をマストレさん、聖をベテトレさんと呼んでいた。

 彼女達は四姉妹で、特にマスタートレーナーと呼ばれている聖の実力は確かなもので、他のプロダクションなどから多くの勧誘受けていたのをプロデューサーが四人全員を専属トレーナーとしてスカウトした。

 二人を呼んだのは専門家の意見を聞くのが目的の一つであった。

 プロデューサーは事の顛末を簡潔に説明してから尋ねた。

 

「そういうわけで島村、渋谷、本田の三人を今度のライブでバックダンサーとして出演することに決めた。それでだ、率直に聞かせてほしいんだが……。ライブ当日までに仕上げられるか?」

 

 その問いに聖が聞いた。

 

「ちなみに、誰の曲ですか?」

「こいつ」

 

 彼は美嘉を指で刺しながら軽そうに言った。

 麗と聖は顔を見合わせると、麗が答えた。

 

「今のままでしたら無理でしょうね」

「できるか?」

「そこは腕の見せ所でしょう。ですが、最終的には本人達次第になります」

「よろしい。なら、そうだな……。聖君には卯月達のダンスレッスンを担当してもらう」

「それは構わないが、今度のライブで出演する川島達の方はどうする?」

「そこの穴埋めは麗にやってもらう。CPと行ったり来たりになるが、補佐に慶君に任せようと思うのだが、麗どうだ?」

「私は構いませんよ。あの子にもそろそろトレーナーらしい仕事をさせようと考えていましたから」

「そう言ってもらえると助かる。それと美嘉、お前も当分は三人と一緒にレッスンだ」

「もち、当然っしょ!」

「お前達もいいな?」

「は、はい! 頑張ります!」

「うん、頑張るよ」

「やってみせましょう!」

 

 四人の答えを聞くと、プロデューサーは聖に相槌を入れた。彼女はその意図を理解したのか、いつものレッスン状態に切り替わり喝を入れた。

 

「よーし、時間は一日でも惜しい。早速レッスンといこう! 着替えてトレーニングルームに集合!」

『はい!』

 

 聖に続いて四人が部屋を出ていく。それを確認すると、再度プロデューサーは麗に尋ねた。

 

「本当の所、間に合うと思うか?」

「概ねプロデューサーと同じ考えだと思ってますけど?」

「そうか……。武内、他のメンバーのフォローをしっかりとな」

「はい、わかっています。では、私はこれで失礼します」

 

 一礼して武内は部屋を出た。麗は彼を見定めるように見ていた。本人がいなくなるとプロデューサーに言った。

 

「彼、少し変わりましたね」

 

 一年という短い期間であるが、麗は武内という男が以前とは違うとことを感じ取っていた。昔の武内ならこの状況はあまり好ましくないと判断し、出演に反対するだろうと思っていた。だが、実際には彼はその反対の行動を取った。驚くべきことだった。

 

「オレもそう思うよ。ただ、失敗は困る。プロジェクト開始から僅か一か月で問題を起こしたくはない。あの子達を頼んだ」

「お任せあれ。当日までに何とかモノにしてみせます」

 

 切にそう願うとプロデューサーは思った。

 

 

 卯月達が聖の指導の下、美嘉と共にレッスンを始めてから少しの時間が流れた。

 彼女達のレッスンにはCPのメンバーも同席する日が多く、自分達とは違って本格的な“アイドルらしい”光景を見て、不満を持つ子もいなくはなかった。

 前川みくは特にそうだった。不満と言うよりも、納得できないというのが正しい。彼女はこのCPのメンバーの中では、最初にプロデューサーにスカウトされた子である。ただ、他のメンバーと違ってみくは唯一他の事務所から移籍という稀なケースでもあった。だかこそ、誰よりもアイドルとしての自覚や意識は高い。それ故に早くデビューしたという気持ちは誰よりも強かった。また、みくはプロデューサーに恩義を感じており、恩返しという形で少しでも早くアイドルとして活動したいという気持ちもあった。

 だが、現実はそんなに甘くはなく、目の前でレッスンをしている卯月達三人に対して密かに嫉妬を抱いていた。

(いいなあ。みくも早くステージに立ちたいにゃ)

 聖にワンテンポ遅れて踊る三人のダンスを見るみく。

 卯月ちゃんは養成所に通っていた割にはダンスは苦手、凛ちゃんや未央ちゃんは素人のわりには上手だと勝手に評価をつけていた。

 眺めていても自分が代わりにステージに立つことはないのだと言い聞かせ、見るのをやめた。

 そんなみくに気付いたのか、柔軟をサポートしていたアナスタシアが声をかけた。

 

「みく、どうかしましたか?」

「え、別になんでもないにゃ。どうしてそう思ったの?」

「ベダ……あ―、悩んでいるようにみえましたから」

「みく、そんな顔をしてたかにゃ?」

「ダー」

 

 アナスタシアとみくは共に女子寮で暮らしている。歳も同じなので共に行動することが多く、事務所を除けば二人は他のメンバーよりも仲はよかった。

 

「わたしもみくの気持ち、少しわかります」

「あーにゃん?」

 

 アナスタシアは周りに聞こえないようにみくの耳元で呟いた。

 

「アイドルになったからには、わたしもああいう風なレッスンしたいですから」

「……そうだね。でも、これだって大事なことにゃ。手を抜いちゃいけないにゃ」

「それもそうです、ね!」

「にゃ゛!」

 

 アナスタシアはみくの身体を容赦なく前に倒した。

 

「あーにゃん!」

「ふふっ。手を抜いてはだめだと、みくがいま言ったではないですか」

「もう!」

 

 そんな時、部屋の扉が開きプロデューサーがやってきた。彼はそのまま卯月達が踊っている前に立っていた聖の隣に立ち、彼女達のダンスを見始めた。

 美嘉は慣れているのか、彼が来ても平然とダンスを続けていたが、卯月達はダンスに少し乱れが出た。プロデューサーは彼女達に聞こえないように聖に話しかけた。

「未央は三人の中でかなりいいな」プロデューサーは素直に褒めた。「渋谷も素人の割にはいい動きだ」

「ええ。ただ島村本人も自覚はしているようですが、彼女が一番ダンスが苦手だ。ほら、今もワンテンポ遅れた」聖が指摘する。「たしかに」と彼も気付いていたのか彼女に肯定した。

「こればかりは仕方がない、か」

「私もできるだけなんとかはする。これも島村の今後の課題だ」

「頼んだ。美嘉は仕事が入っているから連れて行くぞ」

「わかった」

 

 聖はダンスが終わるのを見計らって声をかけた。

 

「よし、一旦休憩だ」

「美嘉、今日はここまでだ。仕事の時間だ、シャワーを浴びて着替えてこい」

「あ、もうそんな時間!? じゃあ、今日はここまでね。また、明日頑張ろうね!」

「は、はい! ありがとうございました!」

 

 自分のバッグを手に持ち美嘉はトレーニングルームを後にし、彼女が部屋を出るまで卯月はお辞儀をしていた。

 プロデューサーは麗の代わりに今日のCPのレッスンを担当した四女の慶に激励を送った。

 

「上手くやれているようだな」

「プロデューサーさん! いえ、私なんてまだまだですよ―」

「たしかにそんな感じだとまだまだだな」

「えー、酷くないですか!?」

「ま、頑張ってくれよ。……それと、みく。ちょっといいか」

 

 呼ばれたみくはレッスンを中断して彼の下へやってきた。

 

「Pちゃん、どうかしたの?」

「今日は少し時間が空いてな。お前がよかったら見てやるぞ」

「え、ほんまに!?」

「ああ、本当だ」

「じゃあお願いするにゃ!」

「わかった。終わったら連絡をくれ」

「うん!」

 

 お礼を言うとみくはアナスタシアの所に戻った。そんな彼女の様子を隣で見ていた慶が意地悪そうに言った。

 

「いいんですかあ? 個人レッスンなんてやって。他の子達が見たらうるさいですよ」

「向上心がある奴は好きなんでね」

 

 嬉しそうに言うと、プロデューサーはCPのアイドル達に頑張れよと声をかけて部屋を出て行った。

 

 

 数日後。

 その日の夕方、プロデューサーのオフィスにあるソファーにきらりと杏が座っていた。杏は座っていると言うよりも、きらりに膝枕をしてもらい寝そべっている。

 二人は今日ここに訪れたのは、彼に頼まれたことを報告するためだった。

 

「――最近はこんな感じだにぃ。みんな、それぞれ思う所があるみたい」

「まあ、予想通りと言えば予想通りだな」

「杏は別にどぉ―でもいいけどね―」

「ま、お前が一番余裕があるだろうな。きらりはどうだ?」

「きらりは……みんなと同じ、なのかな。自分でもよくわからないよ……」

「きらりはさ、もっと杏みたいに気楽でいればいいんだよ」

「杏ちゃんは気を抜き過ぎなだけだと思うにぃ」

 

 羨む者もいれば、応援する者もいる。CPのメンバーの中では杏が誰よりも今回の件に関して無関心であった。

 プロデューサーは笑いながら席を立ち、二人の反対側のソファーに座った。誰が置いていったのかは知らないが、彼はテーブルの上にあるお菓子の詰め合わせの中から一つ取って口に運んだ。

 

「ん……美味いなこれ。あ、そうそう。あとで武内も言うだろうが、今度のライブにお前達も連れて行くことになってる」

「うっきゃ――!! きらり、ライブを見に行くの、初めてだにぃ!」

「えー、杏は自宅を警備する仕事があるんだけどぉ」

「そう言うな。いずれは嫌でもステージに立つことになるんだからな。それに、一度は観客席から見るライブも知っておくといい。色々と勉強になるかもしれんぞ。うちの新人アイドルは、みんな先輩のライブを見させるようにしているんだぞ」

「そうだよ杏ちゃん。それに、卯月ちゃん達も応援してあげなきゃ」

「面倒だけどしょうがないかぁ。それとプロデューサー、ぶっちゃけあの三人なんとかなるわけ? 杏から見ても、正直無理なんじゃないかと思うけど」

 

 杏がはっきりと言うと、きらりがこらっと叱るが、プロデューサーは擁護せず率直に告げた。

 

「無理、とまではいかないが……不安要素しかない」

「Pちゃんがそんなこと言っていいのかにぃ……」

「どうせプロデューサーが許可したんでしょ」

「ま、そうだな」

「どうしてなんだにぃ? Pちゃんは反対すると思ってたよぉ」

「そうそう」

 

 二人がプロデューサーに疑念の目を向けた。彼ははぐらかすことなく素直に答えた。

 

「理由はある。まあ、結果的に武内と三人を信じてみようと思ったのが大きいな。それと、オレの直感」

「後者は当てにならないゾ」

「何を言う。オレの直感は当たるんだ。いい意味でも悪い意味でもな」

 

 ニヤリと笑みを浮かべる彼を見て、きらりと杏は互いに顔を見合わせて首を傾げるのだった。

 

 

 ライブ当日。プロデューサーと武内を先頭に卯月、凛、未央の五人は会場の通路を歩いていた。

 武内は彼女達の様子を窺うように一度だけ振り向いた。そこにはぎこちない表情でいる三人がいた。前日までは頑張ろうと意気込んでいたというのに、いまは違う。明らかに緊張しているのが見て取れた。特に会場入りしてからそれが露わになっている。雰囲気というよりも場の空気を肌で感じ取り、その威圧(プレッシャー)を目の当たりにしてしまったのだろう。

 その光景を見るのは武内自身にとっては初めてのことではない。いや、いま活躍している346プロのアイドル達全員が通った道だ。最初は誰もが自分がデビューできることに興奮し、緊張していた。

 だが、今回はかなり特殊だ。これは彼女達のデビューライブではない。ただのバックダンサーとしてステージに立つ。しかも、これが初めてステージに立つと言うのだから不安になるのも当然だ。

 横目で隣を歩くプロデューサーを武内は見た。普段の少し温厚というか、表現でいうなら優しいだろうか、それとは違うのだ。ライブや大事な仕事をしている時の冷たいような顔をしている。恐らく、三人の様子にも当然気付いているのだろう。

 しかし、何もしない……いや、違う。これは、自分の仕事だ。

 三人の担当なのは自分であり、今回のバックダンサーを後押ししたのも自身であることを武内は再認識した。

 ならばどうすべきか、答えは決まっていた。

 

 

 今回のライブに出演するアイドル達の控室の前に来た。プロデューサーは扉をノックし、問題ないことを確認すると部屋に入った。

 そこには川島瑞樹、城ケ崎美嘉、佐久間まゆ、小日向美穂、日野茜の五人がすでに準備をしていた。

 

「お前ら全員揃ってるな。美嘉以外の奴は今日が初の顔合わせになるから簡単に紹介する。今回美嘉のバックダンサーとして出演する島村卯月――」彼が一人ずつ名前を呼んでいく。「は、はい! 島村卯月です!」

「渋谷凜」

「し、渋谷凜です!」

「本田未央」

「え、あ、本田未央です!」

『よろしくお願いします!!!』

「先輩として色々と面倒をみてやってくれ」

 

 言うと彼は瑞樹に視線を移した。彼女もその意図を理解したのか、

 

「はい、よろしくね。わからないことがあったら、遠慮なく聞いて頂戴」

 

 年長者らしく余裕を持って緊張している卯月達に声をかけた。瑞樹に続くようにそれぞれが軽い自己紹介をし始めた。

 すると、二人の男性がやってきた。一人はアイドル部門部長の今西と今回のライブにおけるスポンサーだ。

 すぐに気付いた瑞樹が挨拶をすると、他の子達も続いて頭を下げた。遅れて卯月達も状況があまり呑み込めていないのか流れるように頭を下げた。

 スポンサーの男は特に言うことはなかったが、うんうんと頷き満足したのか笑みを浮かべている。

 

「では、今西部長。あとは」

「ああ、わかったよ。では、こちらへ」

 

 今西に連れられて男は部屋を出て行く。それを確認すると各々が再び準備に戻った。

 そんな中、未央は硬直していた。自分が思っていたアイドルとはまったく別の光景、リアルの部分を初めて目にし、妄想と現実の差に驚きを隠せないでいた。

 それは卯月と凛も似たような反応をしていた。そんな三人を現実に戻すかのように、プロデューサーが声をかけた。

 

「何を呆けている。さっさと準備しろ」

 

 その言葉にはどこか怒りが混じっているようにも感じられた。

 

「着替えたら空いてる場所でダンスの練習をしていろ。呼ばれたらすぐに来るように」

『は、はい!』

「武内、お前は三人を見てやれ。必要になったら呼ぶ」

「わかりました」

 

 プロデューサーはパンッと手を叩き、喝を入れるように叫んだ。

 

「さ、今日も張り切っていくぞ!」

『はい!』

 

 瑞樹達五人が揃って応えた。

 

 

 少し経ち、出演するアイドル達はステージに立ちスタッフの指示の下マイクチェックや立ち位置などの調整を行っていた。そこにはプロデューサーも同席しており、スタッフと共にアイドル達の調整、指示を出していた。

 卯月達は聞かされることはないが、プロデューサーは彼女達のために他の作業の時間をかなり切り詰めていた。アイドル達に頭を下げて頼んできた彼を、彼女達は拒むことなく受け入れた。一部を除いて346プロのライブを担当しているステージエンジニア達は知らぬ仲ではない。多少の無茶はいつものことだと言いきれるほど優秀な人間ばかり。だからこそ、プロデューサーもライブを行う際にはいつも指名しているぐらいだった。

 限られた時間の中で通しで一度リハーサルを行うことになった。空いた場所で練習をしていた三人がスタッフ経由で武内から告げられた。

 練習で無意識の内にほぐれていた緊張が再び顔に出る。三人の様子を見て、武内は担当してからら初めてのアドバイスをした。

 

「皆さん、ライブのリハーサルはそう何度も行えるものではありません。初めてステージに立つ皆さんには酷なことだと思います。私から言えるのは三つです。一つは肩肘を張り過ぎず、適度な緊張と余裕を持ってください。二つ、例え失敗したと思っても集中力を切らさず最後まで踊ってください。これから行うのはリハーサルで、本番ではりません。ちゃんと失敗したところを覚えて本番までに直せるようにしましょう」

 

 三つと続けて言うと思ったが、武内はなぜか口を閉ざした。三人は首を傾げ、未央が聞いた。

 

「えーと、三つ目は?」

「三つ目は最後に伝えます。それでは行きましょう」

 

 追求しようと思ったが未央だったが、武内はすでに歩き始めてしまう。三人は少し遅れて武内に続いて歩き出した。

 武内の案内で三人が連れて来られたのは丁度ステージの真下。そこは舞台設備の一つである『舞台迫り』と呼ばれる舞台機構である。簡単に言えば昇降機だ。

 主な用途は役者や大道具を舞台上に押し上げたり、その逆で奈落に落とすようなこともでき、観客の意表をつくような演出や舞台転換を行うために使用される。

 今回は前者で、美嘉の曲が始まってから歌い出す少し前に飛び出てくる演出だ。想像しているよりも床が上がるのは早い。自動の物もあるが、今回は手動だ。下から飛び出してくる演出としてはマッチングしている。

 すでにそこにはプロデューサーと、迫りを上げる数名のスタッフが待っていた。

 

「三人とも来たな。事前に説明を受けたと思うが再確認だ。お前達はここからステージへと上がると同時にダンスが始まる」

 

 姿勢は――と続けながら見本を見せる。片膝をついて両手を床につけている。クラウチングスタートに似たような姿勢だ。

 

「思っているよりも急だ。着地には気を付けるように。時間は多くは取れないので一回一回真剣に取り組め。それでは早速始める。位置に着け。悪いがこのまま上げてくれ」

 

 わかりましたとスタッフが答えると、いきますよと言うと同時に迫りがあがりプロデューサーはステージへと上がる。下から上がるよりもこちらの方が早い。要はショートカットをしただけだ。だが、実際にはどう動くのかというのを三人に見せる意図もあった。

 三人は驚きながら迫りの上に立つ。真ん中が卯月、左右を凛と未央が位置につくと、「よーし、始めるぞ!」上から彼の声が聞こえた。数秒後、音楽が始まりスタッフが3からカウントダウンを始めた。

 0、とは言わず迫りが上がる。暗い地下から光のある地上へと景色が一瞬で転換する。

 ほんの一瞬。三人は呆気にとられていた。

 気付いた時には目の前では美嘉が踊っている。遅れて三人は踊りだそうとするが、プロデューサーの怒号に近い声がそれをさせなかった。

 

「ストップ! ……尻もちをつかなかったことは褒めてやろう。次もカカシのようにただ立っているのだけは止めろ。今度はミスに関係なく通しでやるぞ」

『はい!』

 

 最初を含めて計三回ほどリハーサルを行う事が出来た。卯月達はそれぞれ、ここが上手くできなかったと認識はしていたが、正直言えばうろ覚えであった。平たく言えば余裕がないのだ。舞台迫りから上がってダンスを始める。考えていることはミスをしないように、頑張らなきゃ、そういった事ばかりが駆け巡る。けれど、今望むのはあと一回、もう一回練習をしたい。ただ、それだけだった。

 三人のリハーサルが終わると入れ替わるように美穂がやってきて、彼女のリハーサルが始まる。戻った三人はプロデューサーに呼ばれ、彼から指摘を受けた。

 卯月はここの場面――、渋谷はここが違う――、未央は特にここが――とそれぞれ指摘していく。三人は自分が言われたことをしっかりと頭に叩き込む。そして、最後に総評が下された。

 

「ダンスはギリギリ落第点ってところだ。あとは本番でどれだけやれるかだ。それと、最初の舞台迫りを出てから着地するタイミングがちょっと合ってないよう見える。三人で相談してタイミングを合わせろ。以上だ」

 

 まだリハーサルがあるプロデューサーはすぐにステージ上へと戻って行き、残された三人はライブが開演する直前まで練習を続けた。

 

 

 控室で待機している卯月達。その表情はまだ暗い。それも当然で、彼女達の不安や心配は未だに拭いきれてはいなかった。

 直接の原因ではないが、普段とは違うプロデューサーを目の当たりにして、卯月がつい本音を漏らしてしまった。

 

「今日のプロデューサーさん、ちょっと怖いですね」

「怖いっていうか、ピリピリしてるっていうか……」

「上手く言えないけどそんな感じだよね。私さ、もっと優しい言葉かけてもらえると思ってた」

「私も……そう思ってました」

 

 未央の言葉に卯月は肯定した。

 

「でも、こういうものだって私、忘れてました」

「え? 卯月、それどういう意味?」

「私、以前コンサートスタッフのアルバイトをしたことがあって。その時もこんな雰囲気でした。みなさん、自分の仕事に集中してて。でも、活気に満ちてました」

「私はさ、今日一日だけで自分のアイドル像っていうの? それ、全部崩れたよ」

 

 未央は淡々と語る。自分が想像していたものがまったく別物で、これが現実(リアル)なのだと突き付けられたようだと。

 

「アイドルって、大変なんだね」

『……』

「でもさ、私はそれをいま知れてよかったと思う」

「しぶりん……?」

「私は何も知らないから、だからこうして知ることができてよかったなって。私もいつかはああいう風になるんだって。だったら、やってやろうじゃんって、そう思える気がする」

「……しぶりんってさ」

「なに、藪から棒に」

「クールに見えて、意外と熱いんだ」

「ちょっと、なにそれ」

「つまり、バーニング凛ちゃんってことですね!」

『いや、それはどうかと思う』

「えぇええ―――!?」

 

 気付けばいつもの雰囲気に戻っていた。不安は消え、いつもの笑顔で楽しく話す三人がそこにいた。

 そんな彼女達のタイミングを見計らってなのか、武内が部屋に入ってきた。

 

「皆さん、少しよろしいでしょうか」

「え、どうしたのプロデューサー?」

「是非、皆さんに見ておいてもらいたいものがあります」

 

 

 時間となり開演直前。卯月達は武内に実際に行われているライブの裏側を見ていた。瑞樹達五人の前にプロデューサーが立ち、激励の言葉を送っていた。

 

「さて、今日は五人と少ないが……というより、何もないメンツだから少しつまらんな」

「ちょっと、それはないんじゃないチーフ!」

「え-と、それはそれで酷いかなって」

「つまらない……? もっと、熱くなればいいんですよォ!!」

「茜ちゃん、落ち着きなさい」

「うふふ、まゆ的にはプロデューサーさんとの時間が増えて嬉しいです」

 

 五人を見てコンディションは最高と判断する。いつもの感じで、問題なく安心できる状態だ。プロデューサーは笑みを浮かべて、

 

「よし! 今日は観客席に後輩も見に来ている。そして、美嘉と一緒に出演する子もいる。先輩として、アイドルとして、魅せつけてこい!」

『はい!』

 

 五人は円陣をくみ、この中で一番の年長者である瑞樹が掛け声をかける。

 

「さあ、みんないくわよ――! シンデレラガールズ、ファイト――」

『オ―――!!』

 

 彼女達のやり取りを少し離れた場所で見ていた三人は驚きを隠せないでした。プロデューサーが今日初めて見せた表情もそうだが、先輩が笑顔でいることにも。

 武内は、卯月達が思っていたことを見通していたかのように言った。

 

「今日、皆さんが先輩に感じていた不快感いえ、不満には気付いていました」

「別に、そういうわけじゃ……ないけどさ」凛は少しはぐらかすように言った。「でも、そうかも」

「先輩はこの場においても責任者という立場です。誰よりも気を引き締めて、そして誰よりもアイドル達を輝かせようと思って考えています。それは、皆さんも例外ではありません」

「なんとなくですけど、私もわかった気がします」

 

 自分の言葉に同意した卯月を見て、彼は続けて言った。

 

「皆さんは初めてステージに立ちます。何もかもが初めての体験、光景。不安や疑問に囚われる。優しい言葉をかければ、それで終わりでいいのかもしれません。ですが、先輩は皆さんにこの雰囲気を肌で感じ取り、自分自身で考えてほしいと思っての行動です。それはライブ以外の、普通の仕事でも一緒です。常に私や先輩、他の方が付いているとは限りません。そういう事を含めて、こういう機会だからこそ、アイドルとはこういう世界なんだと知ってほしいのです」

『……』

「どうか、しましたか?」

 

 卯月達は口を開けて呆然としていた。その問いに未央が答えた。

 

「だって、プロデューサーが今までにないぐらい喋ってるから……」

「そう、ですか?」

「そうそう。ね、しぶりん」

「うん。卯月もそう思うよね?」

「え!? わ、私は……私もそう思います」

 

 いつものように武内は右手を首に回した。

 なんとも締まらないものだと、内心自分を憎んだ。

 

 

 美嘉のTOKIMEKIエスカレートの二曲前まで順番が回ってきた。不安はないが、やはり緊張をするもの。そこに、先輩として美嘉が声をかけにやってきた。

 

「どう? みんな、楽しんでる?」

「みかねぇ。それはちょっと私達には難しいよぉ」

「なになに、折角のライブなんだよ? それに、アタシと一緒に踊れる機会なんて二度とないんだから!」

「え、それって」

「だって、今度っていうか。次は、三人が“アイドル”として一緒に歌うに決まってるっしょ!」

 

 ウィンクして自分の想いを伝える美嘉の言葉に三人は互いに顔を見合わせて、

 

『うん!』

「そうそう、そうでなくっちゃ! じゃ、ステージでね!」

 

 曲が止まる。次の曲が終わったら出番だ。

 美嘉と入れ替わるように武内がやってきた。

 

「その様子ですと、問題はありませんね」

「いや、問題はあると思う」

「? 渋谷さん、それはどういうことでしょうか」

「だって、最後の三つ目教えてもらってない」

 

 苦笑、しているように見えたが武内の顔には変化はないように三人は思った。

 

「そうでしたね。三つ目は……笑顔で、楽しんできてください。私が皆さんに望むのはそれだけです」

『……はい!』

 

 すると、卯月が思い出しように言いだした。

 

「あ、結局タイミングどうしたらいいんでしょうか!?」

「あ……」

「どうしよう……」

「タイミング?」

「実はプロデューサーさんに飛び出した時のタイミングが少しずれてるって言われて……」

「ふむ。では、掛け声を決めたらどうでしょうか。それが一番いいと、私は思うのですTが」

 

 ――そして、バッグダンサーとして最初で最後になるかもしれない舞台が幕を開けた。

 

『フライ ド チキーーン!!!』

 

 

 その頃。一人プロデューサーはある場所へと足を運んでいた。目的の場所の部屋についてノックして入る。そこには今西とスポンサーの男が中継されているライブを視ていた。

 男は美嘉のステージを視て、

 

「いやぁ、今回もいいライブだねえ」

「城ケ崎君のライブは盛り上がりますから」

 

 と今西が間髪をいれず仕事を始めた。

 

「にしても、彼女のバッグダンサーは随分若いように見えるが……」

「ええ、うちのアイドル候補生です」

 

 プロデューサーが今西の隣に立ち答えた。

 

「ほう、それはそれは。……ん? 候補生なのか、彼女達は」

「そうです」

「まだデビューもしていないのにこれとは。将来が楽しみですな。彼女達の名前は何と言うのか」

「シンデレラプロジェクトの島村卯月、渋谷凜、本田未央です」

「シンデレラプロジェクト……?」

「はい、我が346プロの新しいアイドルプロジェクトです。担当は以前に紹介した武内です」

「そうか、覚えておこう」

 

 彼は深く頭を下げた。下を向いているプロデューサーの顔は嫌なほど笑顔であり、それをちらりと見た今西も釣られて笑みを浮かべた。

 

 





意外と早く更新できたことにビックリ。

今回は色々と武内Pが動いた話にしました。Pと出会ったことで変化が起きたというのをデレステ編でやりたいことだったのでその第一段階でしょうか。
あとは間にあったみく視点やスポンサー関連でしょうか。
みくはぶっちゃけかなり贔屓しています。もちろんちゃんとした理由はあるのですけど。

(あのスポンサーのおっさんが、薄い本に出てくるおっさんまんまだと思ったのは俺だけではないはず……)

あと間違っていたら教えてほしいのですが、舞台迫りとか色々と自分なりに調べたのですが詳しい方がいたら教えてください。昇降機なんだろうけど、どっかのサイトみたらそう書いてあったので。
無知で申し訳ないんですけど、ライブのリハってかなりスケジュールギリギリなんですかね? よく知らないんですが。

次回のデレステ四話はたぶん短いかもしれなくて、短かったら幕間を入れる予定です。その時は別々に投稿する予定。
で、ネタが二つありまして。菜々さんと小梅の二人だったらどちらがいいでしょうか。
二人に関連した話なので、いずれ両方やるんですけど。


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第23話

今回書くたびに魔を開けてから書くということを繰り返したせいで少し場面展開がおかしくなってます……。すみません

Q 突然ロシア語で言われたら?
A すまねぇ、ロシア語はさっぱりなんだ


 

 〈Happy Princess Live〉から少し経ち、プロデューサーのオフィスに武内は訪れていた。目の前に座っている彼は、武内から提出された書類を黙々と見ていた。

 書類の内容は二組のユニットのCDデビューに関する内容は記載されている。四月から五月となり、CPは次の段階へと進む頃合いとなった。

 その第一歩がCDデビュー。実質、今の候補生という立場からこれを機にアイドルデビューということになる。

 これは彼女達にとって朗報であるのは間違いない。しかし、全員ではない。今回デビューできない他のメンバーは次の機会。

(こちらの都合、私の実力不足。と言うのは簡単ですが……彼女達には酷な報告でした)

 武内自身もその事は十分に理解していた。全員を一度にデビューさせるのは簡単ではないし、できるとはっきりと断言できる力もない。

 少しずつ、けれど確実に。

 彼女達に不安や嫌悪を抱かれるかもしれない。それでも、誰よりも彼女達の成功を願っている。

 脳裏にあのことが過る。そうだとも、だからこそ過ちは繰り返さない。

 武内はぎゅっと拳を握りしめた。今度こそは……そう訴えているかのように。

 プロデューサーが書類を置いて顔を上げて声かけてきた。

 

「どうした、何かあったのか?」

「……いえ、なんでもありません」

「ならいいが……」

 

 彼はそう言うと一枚の書類を手に取った。

 

「ユニット名『new generations』。卯月、渋谷、未央の三人か。この間のことを考えれば妥当な選出だな」

「自分としても、先の事を踏まえて別々にするよりもこの三人で組んだ方がいいと判断しました。私見ですが、互いを補うことができるメンバーだと、私は思っています」

「フム。クール、キュート、パッションといい感じだしな」

 

 それは彼が付けているもので、アイドル達を区別するための専門用語だということは理解していた。

 順番で言えば、渋谷さん、島村さん、本田さんといったところでしょうか。

 たしかにそう言われれば、なるほどと頷きたくもなる。

 

「この間のライブで他のメンバーよりは経験も積んだわけだし、一番にデビューさせるのは正解だな。ただ……」

「何か問題が?」

「いや、これは自分で見つけて考えろ。それにただの憶測だ。プロデューサーとしてアイドルのことはしっかり見ておけ。それだけは言っておく」

「わかりました」

 

 武内は追求をせず、ただ肯定した。これは自分の仕事であり、与えられた課題だ。ならば、彼の言う通り彼女達のプロデューサーとして役目を果たさなくてはならない。

 

「次は……美波とアーニャか。ユニット名は『LOVELAIKA』……ラブライカねえ。ニュージェネはなんとなく察しはつくが、このライブライカという名前はどういう意味なんだ?」

「まず、『LOVE』は新田さんをイメージしています。私は彼女に、女神のような印象を抱いたからです。『LAIKA』はアナスタシアさん、彼女はロシア系ハーフということなので、ロシアをイメージしました。『LAILA』というのは初めて宇宙に行ったライカ犬から取っています」

「……顔に似合わずロマンチストな考え方をする」

「先輩程ではありません」

 

 言い返されると、プロデューサーはそんなことはないぞと不服そうな顔をした。

 

「で、本人達に報告はしたんだろ?」

「はい」

「どうだった? 反応は」

「今回デビューする五人は喜びと驚きが半々といったところでしょうか。残りの方々は……やはり」

「そこは納得してもらうしかない、そう言えば簡単だが……まだ子供だ。納得できない子の方が多い。それでも、残りのメンバーの計画は練っているんだろ?」

「はい。メンバーの選定も考えていますし、NGとラブライカがデビューして本格的に活動を開始したあと、随時新ユニットをデビューさせていく予定です」

「了解した。報告は定期的にちひろちゃん経由でもいいし、直接でも構わない。可能な限りオレも彼女達の初デビューは随伴するつもりだ」

「ありがとうございます」

「NGとラブライカに関してはこちらでも宣伝するための準備はしておく。ま、いつものように藍子の〈ゆるふわタイム〉に出演になるけどな。あと、どちらかが手一杯なときはオレが付き添う。その方がお前もいいだろ」

「ですが、先輩の方は大丈夫なんですか?」

「昔と違って今は下がそれなりに育ってきているから、オレも最近は楽になって助かっている。けど、まだまだ花丸はあげられないが」

 

 武内は好奇心が過ぎたのか、つい聞いてしまった。

 

「ちなみに自分はどうなのでしょうか」

「お前もまだまだこれからだよ」

 

 笑いながら彼は言った。少し残念だと武内は意外ながらもそう思った。

 

 

 

 どうしよう。でも、ここまで来ちゃったしな……。

 346プロダクションオフィスビル31階にあるプロデューサーのオフィスの前で、CPの前川みくは唸りながら立っていた。

 シンデレラルームと名がついている彼女達の部屋はこの1階下で、みくを始めとしたCPの面々がここにくることは滅多にない。

 けれども、きらりと杏の二人はプロデューサーのオフィスに頻繁に訪れている。彼から頼まれたことを報告するためだ。そのことをみく達は認知していない。

 しかし、その逆のパターンもあった。みくはきらりと杏以上に彼のオフィスに訪れているのだ。

 みくは一番最初にCPのメンバーにスカウトされたアイドルで、彼からも悩み事があったら相談しろと言われていたこともあり、346に移籍してからよく入り浸っていたが、メンバーが徐々に増えていくうちに訪れる頻度は減っていた。

 しかしその甲斐もあってか、現在活動している先輩アイドル達とはそれなりの面識があった。年代が近い子が多く、県外出身の子も多い未成年のアイドル達は女子寮で生活をしているので、他のメンバーよりも面識はあるし関係も良好だった。

 蘭子ちゃんは……ちょっとよくわからないにゃ。

 同じプロジェクトのメンバーでも、まだ互いを理解するには時間を要していた。

 今回抱えている悩みも、一緒に寮で暮らしているまゆや美穂、紗枝といった歳の近い子がいたし、何故か成人しているのに女子寮のお姉さん役をしているイヴに相談することもできた。

 けれども、そうしなかったのはきっと理解をしてくれないと思ったから。いや、理解というよりも同意、共感をしてくれると思えなかったというのが大きいと、みくは申し訳ない気持ちで一杯だった。

(結局、Pちゃんに頼ってばっかだにゃ)

 できるだけプロデューサーに迷惑をかけたくないという気持ちが大きいが、この悩みは彼にしか言えない。

 さらに言えば、内容的に武内Pにも言える筈がない。言ってしまったら彼に余計な心労をかけてしまうだろうとみくは思っていた。

 悩んだ末に。よし、と覚悟を決めたみくは扉をノックした。するとすぐに返事が返ってきた。

 

『どうぞ』

「失礼します、にゃ」

 

 恐る恐ると扉を開けるみく。別にいつもの調子で開ければいいのに、なぜか今回はこうなってしまった。彼女の異変に気づいたプロデューサーも心配して声をかけた。

 

「どうしたんだ、みく? 何か怯えている様だぞ」

「えーと、その……」

 

 レッスンを頼むにゃとか、ちょっとわからないことがあるんだけど、いつものように言えばいいのに言いだせなかった。

 プロデューサーから見ても、みくの異変にはすぐに気が付いた。両手の人差し指をぐるぐると回しながら目が泳いでいる。察しがついた彼は優しく声かけてきた。

 

「まあ、まずは座れ。そんなにビビってたら落ち着いて話もできない」

「あ、うん」

 

 みくがソファーに座ると、彼は立ち上がり置いてある自前のバリスタにマグカップを置いてコーヒーを淹れると、

 

「コーヒーでも飲んでリラックスしな」

「ありがとうにゃ。いただきます……にがぁ!!」

 

 笑いながら彼はミルクと砂糖を差し出してきた。

 

「いつもだったら入れるのに、それを忘れるってことは余程のことかな? 聞いてやるから、言ってみろ」

 

 コーヒーにミルクと砂糖をいつもの量を入れてかき混ぜる。一口飲む。いつもの程よい甘さとちょぴりの苦みにゃ。

 落ち着いたみくはゆっくりと悩みを打ち明けた。

 

「Pちゃんは……もう知ってると思うんだけど」

「NGとラブライカのCDデビューか?」

「うん、そう」重たそうな声で肯定した。そして今に泣きそうになりながら「ちょっと、嫉妬しちゃったにゃ」

「……」

「おめでとうって言うべきなのに、みくは羨ましい、ずるい、なんでって。そんなことばかり思っちゃったにゃ。だって、ここならみくもアイドルになれるって思っていたから……!」

 

 346プロに来る前、移籍する前に所属していた事務所でも今に似た……いや、現状より酷い待遇だった。上から目線な言い方をするが、前の事務所は本当に扱いが酷かったと、みくはあの時の事を思い返し始めた。

 その事務所にはオーディションを受けて合格した。それは言葉にならないぐらい嬉しかった。単身で東京に来て、アイドルになるというその第一歩を叶えることができたからだ。けれど、そこから上に駆け上がることはなかった。

『ネコキャラアイドル』として活動をしたいということを担当のプロデューサーに伝えた。

 その時の返答はあまりいいものではなかった。「今時○○キャラって受けない」とか「それにネコキャラなんて在り来りだ」否定するばかりだった。

 それが原因で放置なのか保留としてされたのかはわからないが、レッスンだけの日々が続きプロデューサーが見てくれることはなかった。ただ、週に一度ぐらいは指示されたレッスン教室に出させてもらった。それ以外は独学でレッスンをしていてた。

 アイドル以前にデビューすらできないと諦めかけていた時、彼が――Pちゃんがみくを見つけてくれた。スカウトしてくれた。

 ここなら、この人ならみくもアイドルになれる。そう信じてレッスンを頑張ってきた。

 でも、そんな自分より早くにデビューができる仲間が出てしまった。

 なんで? どうして? そんな言葉ばかりが思い浮かんでしまう。

 メンバーの中で一番にスカウトされたのは理由にならないけど、それでも誰よりも練習を積んできた、誰よりもアイドルになりたいという想いは負けていない。それなのに、一人を除いて養成所にすら通っていなかった子達が選ばれた。みくはそれが特に辛くて悔しかった。

 言葉にはしていないが、卯月ちゃんには素直におめでとうと言えばよかったと思っていた。彼女とは立っている場所が違うだけで、私達は似ているなと思っていたから。みくは事務所にいたけどアイドルになれなくて、彼女は養成所に通っていてアイドルになろうとしていた。似ているようで違うけど、それでもみくは卯月ちゃんにシンパシーを感じていた。

 だから、他の皆にはおめでとう。こんな簡単言葉を贈ることさえできなかった。

 正直言えば……怖かった。スタート地点は同じだったのに、少しずつみんなとの距離を離されて置いていかれてしまう。それが一番怖かった。

 

「みく、その悩みはおかしくはないし、そう悩んでしまうのも当然だと思う。特にここでは余計に感じてしまうんだろうな。けど、何を言っても言い訳にしか聞こえないか」

 

 言うと彼は頭を下げた。

 

「……お前の気持ちは痛いほどにわかる。それにスカウトしたオレにも責任はある。すまない」

「ぴ、Pちゃんが謝ることじゃないにゃ! これはみくの勝手な、我儘みたいなもので……」

「それでもだ。……それと、そのことに関して武内は何か言ってたか?」

「武内Pは頭を下げて『申し訳ありせん。ですが、必ずみなさんの期待に応えられるよう全力を尽くします。時間をかけてしまうかもしれませんが、その時まで待っていてください』って。あんなに真剣な顔をされたら、何も言えないにゃ」

 

 それを聞いてプロデューサーは安堵したのか、表情が少し緩んだようにみくは見えた。

 

「オレからもお願いだ。武内を信じてやってくれ。きっと、期待に応えくれる」

「……うん」

 

 彼は一口コーヒを飲むと、意地悪そうに言ってきた。

 

「にしても、これは武内には相談できないわけだ。だから、オレのとこに吐き出しに来たんだろ」

「もう! Pちゃんの意地悪! 酷いにゃ、みくがこうして悩んでいるというのに。最後の最後でそういうのいけないにゃ」

「ごめん、すまない、許せ。オレとしても、そういう悩みや本音を聞けて嬉しいと思ってる。雰囲気や細かいところで察せても、本当のところは聞かないとわからないからな」

「みく以外の子も相談しにきたりするの?」

「企業秘密」

「えーずるいにゃ!」

「プライバシーってもんがある。ま、色んな方面で相談はされるよ。仕事のことから……」

 

 急にと黙ると、なんだか黄昏ているようにみくは思えた。目は窓の外を向いていて、溜息をつくその姿は同情すら覚えてしまう。

 というよりも、すごく疲れているように見えるにゃ。

 しかし、彼とアイドル達からの関係を考えるとそうなるのも頷けた。「……あの二人に比べたら……」と何か言っていた。気になったみくはつい出来心で尋ねた。

 

「Pちゃん、二人って?」

「――! こっちの話だ。さて、時間も時間だな。お前はもう帰るんだろ?」

「うん」

「それじゃあ寮まで送って行こう。最近物騒だからな」

「え、いいの?」

「これもプロデューサーの仕事だからな」

「そこは、お前が心配だからなって言ってほしいにゃ」

 

 彼は鼻であしらうといった風に「だったら、そう言わせるぐらいにいい女になるんだな」と言ってソファーから立ち上がり、デスクへと戻った。

 

「もう少しで片付くから、その間に帰る準備でもしておけ」

「わかったにゃ! ――あ」

「どうした?」

 

 みくは扉をあけて外に出て突然振り返った。

 

「Pちゃん、ありがとうね!」

 

 彼は手を上げてそれに答えた。

 その後、仕事が終わったプロデューサーにみくは女子寮まで送って行ってもらうのだが、道中警察に職質されるとはみくも予想外であった。

 

 

 NG、ラブライカのCDデビューが決まり、デビューライブのためにレッスンに勤しむ五人であるが、ただレッスンをするだけが彼女達の仕事ではなかった。

 今までも他の先輩アイドル達の補佐としての仕事はあれど、自分達が主役の仕事はなかったので、デビューするにあたってこれがちゃんとしたアイドルとしての仕事でもあった。

 ジャケット撮影、CD収録とあるが、今回メインの仕事は宣伝である。

 NGの三人には武内が当然付き添うのだが、ラブライカの二人にはプロデューサーが付き添っていた。今でもデビューをするアイドルには必ずと言っていいほど彼は付き添っていた。例えるなら、子供が心配で見守る父親のようなものであろうか。一部のアイドル達は彼がいることでモチベーションが上がったりしているので、それを望んでいる子も少なくはない。

 主に宣伝をするために使われているのが、藍子がパーソナリティーを務めている〈ゆるふわタイム〉。これが出来てから宣伝をするために出演するのが当然のようになっていた。

 先日NGの三人が収録し、今日はラブライカの美波とアナスタシアが収録をしていた。

 

『――では、今日はここでお別れです。また、次回でお会いしましょう。さようなら-』

『……はい、オッケーです。お疲れ様で-す』

 

 収録が終わり、三人がスタジオから出てくる。藍子はいつもの様子のようだが、美波とアナスタシアは初めてのラジオ収録で張りつめていた緊張の糸がようやくとれたようで胸をなでおろしていたのがわかる。

 美波とアナスタシアがプロデューサーに声をかける前に藍子が先に動いた。

 

「プロデューサー!」

「今回もお疲れ、藍子。お前から見て二人はどうだ?」

「ふふ、またそれですか?」

 

 新しいアイドルと一緒に仕事をする度に同じこと聞いてくる彼に藍子は笑みを浮かべた。

 

「美波さんもアーニャちゃんも初めてでしたけど、問題なくできてたと思います。と言っても……私こればっかりですね」

「つまり問題はないってことだろ? お前の言うことは信じてるから自信を持て」

「もう、そうやって煽てるんですから。けど、まだプロジェクトのみんなに会ったわけじゃありませんけど、きっといいアイドルになります」

「先輩として面倒をみてやってくれ。あと3、4回は一緒になると思うから頼むぞ」

「はい」

「このあとはたしか……雑誌の取材があったな。送って行こうか?」

「いえ、大丈夫です。取材の時間まではまだ時間があるんで、最近気になっているお店にちょっと寄ってみようかなって。見た感じだと、落ち着いた雰囲気でいい感じなんですよ!」

「へえ-、そうなのか」

「はい! プロデューサーも時間があるときに一緒に行きましょうね」

「考えとくよ。それじゃあ気を付けてな」

 

 そんな二人の様子を少し離れた場所から見ていた美波は、隣にいたアナスタシアに顔を向けた。互いに顔を見合わせて首を傾げた。どうやら、同じことを考えていたらしい。

 美波とプロデューサーとの付き合いは2ヶ月とちょっとになる。彼の知らない一面を目撃して彼女は戸惑っていた。

 ふと美波は自分が知っている男性と比べるならば、彼はどちらかといえば厳格な男性なのだと比較した。しかし彼のすべてが厳しさでできているわけはないのは短期間ではあるがそれぐらいの事は気付いていた。

 彼を例えるなら卵だ。厳しい、怖いといった悪い印象を与えてしまう殻だが、その中身は優しさや私達を気遣ってくれる暖かいもので溢れている。自分でもこんな恥ずかしいことをよく思い浮かべられると思ったが、口に出していないのだから問題ない。

 私にだって浪漫っていうか、ちょっと乙女っぽいことを考える。

 しかし、実際にそうなのだから困ってしまう。彼がレッスンに参加した時は、中学高校の部活動で教える教師の比ではない。鋭く、そして的確に指摘してくる。

 プロデューサーって先生に向いているんじゃないかしら。

 教壇に立ち、生徒達に授業をしている彼を想像する。似合うには似合うが……貫禄がありすぎて教師というより、漫画とかに出てくる先生の方がピッタリだと思う。

 美波が自分の世界に夢中になっている最中。気付けばプロデューサーは目の前に居て、反応がない美波に大きめに声をかけてようやく我に返った。

 

「美波……大丈夫ですか?」

「何か問題でもあったか? ラジオ収録とはいえ、初めてのことだし色々と思い悩むのはわかるが……」

「い、いえ! 違うんです! ただ、ぼーっとしてただけで!」

「そ、そうか。ならいいんだが」

「本当に大丈夫ですから! そんなに顔を近づけられると……」

 

 彼女を心配したプロデューサーは顔を覗きこんでいた。二人の距離はまさに目と鼻の先と言えた。美波は顔を真っ赤にし、彼はそうかと言いながら離れた。

 美波とアナスタシアは彼を先頭に来た道を戻り、346プロの営業車のある駐車場まで向かった。

 

 

 車に乗り込む前、なぜか当たり前のように助手席に座るアナスタシアに美波はまたかと思いながら彼女を止めさせ、一緒に後部座席の方に座った。いや、座らせた。

 現場に来る前はプロデューサーが止めさせ、今回は美波が止めたので彼は何も言ってはこなかった。

 プロデューサーが運転する車の中で、美波はあることに気付いた。

(私、免許を取ってから運転ってしてないかも)

 大学に通うのに車は必要はなく、どこか出かけようと思ったら電車を使う。進学するにあたって車を持つかどうか悩んだが、地元である広島までは長距離だ。そこまで運転する気にはさすがになれなかった。住んでみてわかったことだが、本当にここは電車が便利だということに感激すらした。

 すると、プロデューサーが前を向きながら尋ねてきた。

 

「どうだった。初めてのラジオの収録は」

「ただ喋っているだけなのに、とても緊張しました。でも、藍子ちゃんがフォローしてくれたので助かりました。アーニャちゃんは?」

「нервничать……私も、とてもドキドキしました。でも、美波や藍子がいたのでちゃんとできました……!」

「オレも見ていたが、よくできてたよ。何れは、お前達は自分の番組やコーナーを持つことだってありうるんだ。いい勉強になっただろ」

「ええっ、気が早いですよ!」

「そう、なんですか?」

「そうだとも。デビューをして、名が売れれば売れるほど活躍の場は広がっていくんだ。今はユニットで仕事をするかもしれないが、個別に仕事の依頼だって来るかもしれない」

 

 あ、と美波は声に出した。美波はそれをすぐに理解した。

 まだラブライカとしてユニットを組んで活動してから日は浅い。けれど、アーニャちゃんとレッスンをして、今日みたいに仕事をするのはとてもやりがいがあった。楽しいとさえ美波は思えていた。

 隣にいる彼女を美波は見た。アナスタシアはあまり理解していないのか、彼に尋ねた。

 

「プロデューサー、それは……ラブライカが解散するってことなんですか?」

「えっ!?」

 

 話がいきなり飛んだことに驚いてつい美波は声に出してしまった。聞かれたプロデューサーが笑いながら答えた。

 

「ははは、違う違う。解散はしないよ。ただ単に、将来的にはユニットではなくソロとして活動する機会が多くなるってことだ。特にうちは大所帯だから、色んなアイドル達でユニットを作ったりするんだ。それでも基本はソロとして活動するアイドルが多いんだがな」

「ン-、あまり実感? が湧いてこないです。今は美波と一緒にお仕事できるの、すごく楽しいです」

「私も同じ気持ちだよ、アーニャちゃん」

「ま、プロジェクトの活動期間の内はユニットで仕事の予定だしな。でも、仕事によってはソロだってありうる。いつでも互いに一緒にいられるとは限らないんだ。そういうことも頭の隅に覚えておいてくれればいいさ」

 

 言いたいことを言ったのか、プロデューサーは運転に集中していた。

 改めて意識してみると、ソロで活動するというのは……楽しみであると同時に不満だと感じだ。ソロは一人だ。自分の力でやるしかない。けど、ユニットなら仲間同士で支え合い、助け合える。

(ソロかぁ……。まだ、そんな先のことわからないよね)

 とどのつまり、プロデューサーが言ったように未来の話だ。いますぐにというわけではないし、自分がもしソロとして活動するようになったらと想像するだけに留めておこう。

 美波はなぜか隣に座るアナスタシアをみた。

 仮にソロとして活動するようになったら、アーニャちゃんはどう思うのだろうか。ユニットとして一緒に活動するようになった彼女に、美波はほんの少し依存していた。だからこそ、互いにソロとして活動してしまった時のことが怖いと無意識の内に抱いていた。

 これからどうなるのだろうか。どうしたらいいのか。

 答えは自分で見つけるしかない。

 

 

 

 事務所に戻った美波とアナスタシアは帰り支度を整えて帰路についていた。美波は一人暮らしなのだが、今日はアナスタシアを女子寮まで送っていくことにした。

 女の一人歩きは危険な昨今ではある。たしかにアナスタシアもアイドルなのだが可愛いということは間違いない。けれど、新田美波という女性は可愛いというよりも美人という言葉が似合うだろう。なにせ、大学のミスコンでも余裕の1位を取ったのだから、結果的に一人で帰る美波も危険なのは変わりないのであった。

 ユニットを組んでまだ日は浅いが、美波は彼女と上手くコミュニケーションが取れていると実感できていた。会話の中にロシア語が時たま紛れ込むので、よく首を傾げてしまうのが少し悩みでもあった。最近は空いた時間を使って互いの言葉を勉強しているので、少しは平気になっていた。

 いつもと変わらない日常会話をしていた二人であったが、美波はふと気になったことがあった。

 アーニャちゃんってたしか、私と同じスカウトだったよね?

 メンバーの内誰がスカウトされ、誰がオーディションを受けたのかは聞いたが、実際にスカウト組はどんな風にスカウトされたのかと美波は急に気になったらしい。

 なので、美波はアナスタシアに尋ねた。

 

「ねえ、アーニャちゃってプロデューサーにスカウトされたんでよね ?」

「Дa! そうですよ」

「ちょっと気になったんだけどね? アーニャちゃんって、どういう風にプロデューサーにスカウトされたのかなって」

「どういう風に、ですか? ン-、そんなに面白くないですよ?」

「え、別に面白い話を求めてるわけじゃないよ?!」

「そうなんですか? てっきり、面白い話をしてほしいのかと思いました」

 

 本当に、極稀に彼女が一体何を考えているのか分からない時があると美波はしみじみと痛感した。

 

「美波は、私が北海道出身なのは知っていますよね?」

「うん」

「出会ったのは……3月ぐらいですか。その時期の北海道はまだ雪も降ったりしたり、寒い時期です」

「まあ、プロデューサーが北海道でアーニャちゃんをスカウトしたっていうのは、想像はつく、かな?」

「あれは、雲がなくて星がよく見える夜のことです。外は寒いのに、私は星を見ていました。Красивый あ、綺麗ってつい口にだしたんです。そしたら――」

「そしたら?」

「『――すまねぇ、ロシア語はさっぱりなんだ』って、突然声をかけてきたんです」

 

 がくっと美波は足の力が抜けて倒れそうになった。なんとも浪漫の欠片の無い状況であろうか。いや、そもそも不審者なのではと疑いたくなる。

 

「美波、どうしました?」

「な、なんでもないよ! それで、アーニャちゃんはどうしたの?! 叫んだの? 逃げたの?」

「いえ、私は綺麗だなって、教えてあげたんです」

 

 美波はまた体勢を崩した。

 

「美波、本当に大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だから! ……アーニャちゃんって天然だったかしら」

 

 隣にいる彼女に聞こえないようにぼそっと美波は呟いた。

 

「そ、それで? そのあとどうなったの?」

「えーとですね。たしか、スカウトの話を受けて……。時間も時間でしたので翌日詳しい話をするってことになったんです。結果はご覧の通りなのですが、少し問題が起きまして」

「問題……!」

「ママは了承してくれたのですが、パパが反対しまして。それで……」

「それで?!」

「その、直接見たわけではなく、それ以前にママが見てはダメと言って見れなくて。ただ、家を出た二人が少しして戻って来たら、何故か二人ともボロボロでした」

「……」

 

 これはアレだな。よくあるアレだ。「娘さんを(我が社のアイドルにスカウトさせて)ください」と、このような感じになったに違いないと美波は予想だがそう確信した。

 そもそも二人がボロボロとはいったい……?

 美波が勝手に色々と妄想していると、今度はアナスタシアが聞いてきた。

 

「私はこんな感じですが、美波はどういう風にプロデューサーと出会ったのですか?」

「ええぇ?! わ、私はアーニャちゃんより面白くもなんともないよ?」

「それは、ズルいです美波。私は話しました!」

「わ、わかったよぉ……。えーとね? 大学の講義が終わって街を歩いているときに声をかけられたの」

「ふむ。それで?」

「それでって……。このあと普通に近くのファミレスで話して、両親にも伝えてそのままアイドルになったっていう流れなんだけど……」

 

 アナスタシアはため息をつくと、飽きれた声で言った。

 

「それ、だけなんですか? 外で筋肉式挨拶をしたりしないんですか……?」

「おかしいよ、それはおかしいってアーニャちゃん! というより、アーニャちゃんの方が異常だよ?!」

「え、アレが普通じゃないんですか?」

「アーニャちゃんの普通が私には分からないよぉ……」

 

 まず、彼女には日本語よりも一般常識を教えてあげようと美波は心の中で決意した。

 そして、プロデューサーには注意をしておこう。ちゃんとキツめに。

 

 

 NG及びラブライカのCDデビューが数日後に迫る中、武内はトレーニングルームへと向かって歩いていた。

 今日までライブの準備はすべてやったと武内は思っている。あとはライブ当日を待つだけであった。そのためのスケジュールを伝えるために彼は彼女達の元へ向かっていた。

 遠目ではあるがトレーニングルーム近くにある休憩所に彼女達がいるのが目に入った。自動販売機で買ったとみられるエナジードリンクを手にNGの三人はいた。

 声をかけようと思ったが武内だったが、少し気になる会話が耳に入った。

 

「いやぁ―この調子ならライブも余裕ですな!」

「ううぅ、私はまだちょっと不安です」

「私も気になるところあるし。未央は逆に調子乗り過ぎ」

「え――! そんなことないって!」

 

 どうやら彼女達は、今の自分達の出来について話し合っているらしい。

 トレーナーからの報告では100点満点とはいかないが、三人とも問題ない仕上がりだと聞いている。

 自分の目から見てもレッスンを見ても、三人の状態は充分に問題ないと判断できるほどである。先のライブでも思ったことだが、渋谷さんと本田さんはダンス経験はないと言っていたが、未経験者とは思えないほど筋があり上達も早かった。

 そして今回も前回の経験があってか、三人とも順調に仕上がってきている。ラブライカの二人は緊張や不安の所為で動きがぎこちないように見えたが、今はそれを感じさせることはない。

 

「でも、毎日自分が少しずつですけど、上達しているかなっていう実感はあります!」

「うんうん。いやあ、自分の才能が恐ろしい……。しぶりんはどう?」

「え、私? う―ん、まだ実感がないかな。でも、今の気分は悪くないかな」

「でしょでしょ。これならライブも全然問題ないって!」

「まあ、未央ちゃんの言うようにやる気に満ち溢れているのはいいと思いますけど……」

 ……」

「そういえばさ、まだどこでやるかって聞いてないよね」

「それもそうですね。どこでやるんでしょうか?」

「きっとこの間のステージみたいな感じじゃないの?」

「さすがにそれはないですよ、未央ちゃん。CDデビューといっても、私達まだ正式にはデビューしてませんし」

「それもそうか……。でもさ! あのライブをやり抜いた私達に、デビューライブなんて余裕だよ、よーゆー!」

「未央、本当に調子乗り過ぎだよ」

「えへへ、ごめんごめん」

 

 これはいけない。

 私の記憶の中でなにかがフラッシュバックした。前にも、そうあの時と似ているのだ。彼女達のようにデビューを前にしてあのような会話をしていたのを覚えている。

 あの時の私は、何もしなかった。それ以前に気に留めなかったのだ。

 大丈夫、練習通りやれるだろう。そう思っていたのだ。

 しかし、自分が思い描いていた結果にはならなかった。私は愚かだった。彼女達はまだ子供だ。成人すらしていないし、なによりも私自身人の感情を読み取ることは得意ではない。かけるべき言葉も間違い、傷つけてしまった。

 愚かだ、私は。

 だが、過ちは繰り返さないためにある。こうして彼女達の会話を聞けたのは僥倖と言える。なら、やるべきことを果たすのだ。私は、彼女達のプロデューサーなのだ。

 

「皆さん、ここにいらっしゃいましたか」

「あ、武内P」

「なにかあったの?」

「あったというより、デビューライブ当日の打ち合わせをこのあとします。なので、着替えてから私のオフィスに来てください」

「分かりました!」

「新田さんとアナスタシアさんには私から伝えておきますので大丈夫です。急な案件ではないので、休憩してからで問題ないのでお願いします」

『はい』

「では、また後ほど」

 

 武内はその場から離れ、自分のオフィスに向かうためエレベーターへと乗り込んだ。ポケットから支給品のスマートフォンを取出し、電話帳を開く。

 さ行の……しのあたりまで飛ばしてゆっくりとスクロールする。彼の指はある人物の名前で止まる。

 城ケ崎美嘉。

(彼女が一番の適任でしょうか)

 ふと彼は苦笑した。何かあると彼女によく頼ってしまう自分がいるなと。

 あの一件以来、城ケ崎さんを始め、アイドル達が気を使って私を気にかけてくれた。やれ、女の子の扱いはとか、デリカシーがないとか色々とご教示してくださった。本当に感謝している。

 エレベーターを降りて早速通話ボタンを押した。今日の彼女のスケジュールは把握していたので、問題はなかったはずだ。

 何回かコールしたと彼女の声が聞こえた。

 

『あ、プロデューサーじゃん。どうしたの?』

「お忙しいところ申し訳ありません、城ケ崎さん。実はお願いがあるのです」

 

 要件を伝えると電話の向こうにいる彼女は嬉しそうに返事をくれた。

 餅は餅屋。アイドルにはアイドルが適任だ。

 

『――じゃあ、明日時間があるからその時に話しみるよ』

「お願いいたします」

『いいって。アタシも……プロデューサーに頼ってもらえて嬉しいしさ。……それじゃあ、また明日ね!』

「はい、お疲れ様です」

 

 相手の電話が切れるのを確認し、ふうと息を吐く。

 城ケ崎さんには感謝しきれない。だが、アイドルばかりに頼ってはいられない。

私も、プロデューサーとして出来ることをしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第24話

 アイツから本当に頼みごとをされるとは思ってもみなかった。

 美嘉は仕事を済ませてトレーニングルームへと向う道中、ふとそんなことを思った。

 去年のあの出来事以来、武内は美嘉や他のアイドル達のマネージャーとして活動を再び開始した。プロデューサーという役職ではなくなった彼を見ているのは少し辛くもあったが、美嘉にとっては、武内が自分のプロデューサーであることには変わりはなかった。

(前に比べたら、大分マシになったと思うんだけど)

 これもアタシ達による教育の賜物と言っても過言ではない、のかもしれない。

 それを見分けるのはとても難しいのだが、本当に前に比べればマシになったのだ。ざっくり説明するなら、今までは一言だったのが二言になったぐらいの進歩だ。

 それに……気遣いもできるようになった。美嘉はそれが嬉しかった。

 武内の言葉に悪意はなく、ただ純粋に思った事を口に出してしまうのが良い所であり、悪い所でもあった。ゆえにさりげない一言で相手を傷つけてしまうこともなくはなかった。現にそれが原因でああいうことが起きてしまったのだ。

 いつかだったろうか『困ったことがあるなら素直に頼ってくれたっていいんだから』と言ったことがある。まさかこうして本当に頼ってきたのは……意外だった。

 

「さて、三人はいるかなーと」

 

 事前に聞いた話なら今はレッスン中。スマートフォンのホームボタンを押して時計を見る。

 ちょうど一旦終わって自販機の前かな。

 美嘉は自動販売機があるコーナーまで向かうと、そこには予想通りエナドリを片手に談話している三人がいた。

 

「お、いたいた」

「……あ、美嘉ねぇだ!」

「あ、お疲れ様です!」

「私達に用でもあるの?」

「うん、まあそうなるのかな」

 

 自販機の前に立ちお金を入れる。同じエナドリを選ぶ。

 美嘉は自販機に背中を預け一口飲む。

 

「なんだか癖になるんだよね―これ」

「わかるわかる。で、美嘉ねぇ。どうしたの?」

「ほら、そろそろCDデビューじゃん? 調子はどうかなって思って」

  「そりゃあもうバッチシだよ!」

「そうなの? すごいじゃん」

「いや、そこまでほどでは……」

「未央が調子に乗ってるだけだから……」

「酷いよ―二人ともぉ」

 

 たしかにこれは……よくない傾向だ。彼が自分に頼むのもわかる。美嘉の目から見てもこれは危ういと見てとれた。

 元を辿れば――アタシの所為か。

 三人を前回のライブにバックダンサーとして参加させてしまったのが、そもそもの原因なのではないか、美嘉は自分を責めた。

 バックダンサーではあるが彼女達はあの大舞台の上で、初めてのライブを成功させた。それで自信をつけさてしまった。彼から頼まれなくとも、これを見てしまえば自ずと動くに決まっている。

 彼女はぐっとエナドリを飲み込んだ。

 

「凄く余裕だけど、何かきっかけでもあるわけ?」

 

 試す様に美嘉は聞いた。

 

「そりゃあもちろん美嘉ねぇのライブをやり遂げたからね! デビューライブなんてらくしょーだよ!」

 

 やば、本当にこれは……。美嘉は顔を険しくした。

 しかしここは、先輩としてちゃんと指導しなければ。

 

「楽勝、か。アタシの時はそんな余裕なかったなあ」

「え、美嘉ねぇは違うの?」

「そりゃあもちろん」

「意外かな。美嘉は結構余裕っていうか、本番に強いタイプだと思ってた」

「美嘉ちゃんの時はどうだったんですか?」

「そうだな―。まずね、アタシ達一期生はかなり即席アイドルだったんだよね。ま、その前に超優秀がつくんだけど」

 

 オーディションやチーフのスカウトで346プロのアイドルになった多くの一期生達は、チーフを筆頭に超スパルタなレッスンが施された。

 それはもう地獄という言葉が生温いぐらいの。

 当時のことを美嘉は思い出す。

 自分と同年代の子でも、若いから平気と言い張れると思っていたがそうはいかず、瑞樹さんを始めとした大人組は……言わずもがな。

 こうして思い出す度に体が震えてしまうぐらいだ。しかしだ、あれがあったからこそ、アタシ達の今が形作られたと言ってもおかしくはないだろう。

 

「皆はさ、どこでライブするかもう聞いたっしょ?」

 

 三人はそれに頷いて答えた。

 

「そこは新人アイドルがデビューライブをするところとしては、一番いいところなんだ。だから、アンタ達のデビューライブはかなり恵まれているんだから。ま、それもチーフやプロデューサー達のおかげでもあるんだけど」

「じゃあ、美嘉のデビューライブはどこでやったの?」

「アタシは小さな、小さいけど新人アイドルがよく利用しているところでライブをやったんだ」

 

 美嘉が告げると、三人は意外にも驚いた表情をした。

 そんなに意外だろうかと思った美嘉だったが、当時の自分を知らなければそういう反応もするかと納得した。

 

「入れる人数も限られた小さなライブハウス……。そんな場所でアタシや他のみんなも似たような所でデビューしたの」

「養成所の頃そのような感じかなって思っていましたけど、やっぱりそういうものなんですね」

「私は全然知らない事ばかりだから、アイドルってこういうものなんだって思ってたかな」

「じゃ、じゃあ美嘉のライブは実際どうだったの?」

 

 未央が妙に動揺しているのに気付いた。それを見て美嘉は思った。ああ、自分が思い描いていた幻想が、本当の現実を知ってしまって混乱しているのかと。

 だが、これぐらいしなければもっと辛い事が待っている。

 

「本番の前、アタシ凄い緊張した。レッスンは今日まで精いっぱい頑張った、なのに不安でしょうがない。どうしてだと思う?」

「それは……やっぱり初めてのライブだからですか?」

「いや、誰だって緊張はすると思うけど……」

「たしかにそれもあったよ。でも、他にも理由があったの。アタシはふと舞台裏から会場を見たの。驚いたなあ、来ていたお客さんは会場の半分埋まってるかないか。アレには驚いたっていうか……ショックだったのかな。たったのこれだけ? って」

「そんなにお客さんっていないの……?」未央が声を震わせながら言うと「今の美嘉ねぇからは考えれないよ」

 

 美嘉は肩をすくめた。

 

「買いかぶり過ぎ。ま、アタシも最初はもっといるものだと思ってたけどね。あとで知ったことだけど、アレでも多い方だって知って驚いたよ、チーフやプロデューサー達が色んな所で宣伝をしたからってのもあるけど、他にも新人アイドル目当てのアイドルマニア? の人や純粋に見に来てくれた人がほとんだった」

 

 ステージに立った時、一人一人の顔は覚えていないけど、初めてのライブの事はしっかりと覚えている。必死に前を向き、会場の奥をジッと見つめながら一生懸命歌った。

 薄暗い暗やみの世界で一人だけ。上には照明と、下にはサイリウムを振るお客さんの光だけ。それでも、視えている世界は暗くて怖かった。やはり、それだけ緊張していたのだと思う。

 歌詞を間違えたかなって何度も途中思ったけど、最後まで歌い続けた。

『どんなに間違っても、歌い続けろ』とトレーナーやチーフが何度も言っていたおかげだろう。今でもそれは心がけている。

 歌い終わった後のドッシリと迫る疲労感。100m走を全力疾走した時と似たような感覚だった。肩で息をした。終わった、終わったの……? それだけ意識がはっきりとしていなかったのだ。

 

「ライブが終わって、チーフ達が拍手で迎えてくれたんだ。『おめでとう、よくやった。いいステージだった』って。それを言われてすっごく嬉しかった! そしたら、誰かがこういった『どうでしたか? 初めてのライブは』って。アタシは、最高っ! って答えた」

 

 その誰かとはもちろんアイツのことだが、この子達に教えるのはちょっと控えた。

 

「そのあと、いつだったかな。初めての握手会だったかな。そこで、あるファンの人が言ったんだ。『デビューライブすげー最高でした! これからも頑張ってください!』すごく嬉しかった。ああ、この人はあそこにいたんだって」

 

 この時初めて自分がアイドルになってよかったと思える瞬間の一つになった。そのあともラジオやファンレターでデビューライブからファンでしたと言ってくれる人がいた。

 そのことを彼に話した。

『城ケ崎さん、アイドルはファンの方がいるからこそ活動でき今の貴方がいます。それは逆も同じです。私からのお願いです。そういったファンの方たちを大切にしてください。そして、あのライブを忘れないでください。きっと貴方にとって、アイドルとして大切なことだと思っています』

 たぶん、それがきっかけだったのだと思う。我ながらちょろい思うが。

 そのことを他の子に言ったら『似たようなことプロデューサーに言われたよ』と言っていた。やはりプロデューサーという人間は同じようなものかと思った。

 

「だからさ、アンタ達も同じ気持ちを感じてほしいってアタシは思ってる。アンタ達の最初にファンになった人達は、これからを支えてくれる大事な存在。そして、アイドルとして最初のライブで、大切な思い出になると思うから」

 

 美嘉は三人を見た。感銘したのか固まっている。そこまで言ったつもりはないが、各々自分の想いを感じてくれたのなら嬉しい。

 空になった空き缶をゴミ箱に捨てる。やることはやった。言うことは言った。アタシの役目はここまでだ。

 ドラマなどで培った演技力で自然な感じでスマートフォンを出す。そして、わざとらしく言った。

 

「あ、予定の時間じゃん?! じゃ、アタシ行くね! ライブにはアタシも応援にいくから、それじゃあまたね!」

 

 美嘉は三人が何かを言おうとする前にその場をあとにし、そのままエレベーターに乗って武内のオフィスまで向かった。

 時間的にはまだいるはずだ。美嘉はいつものように気軽に扉をノックして入室した。

 

「やっほ―、プロデューサいる?」

「あ、城ケ崎さん。どうかしましたか?」

「どうかしたじゃなくて、ちゃんと頼まれたことをしてきたからその報告!」

「そう、でした。すみません」

「もう、相変わらずなんだから」

 

 首に手を当てる彼を見ながら美嘉は苦笑した。

 

「アンタの言った様にあの子達ちょっと危なかった。まあ、アタシが大元の原因だってことは自覚してる」

「城ケ崎さんが謝ることではありません。三人を貴方のライブに出させてほしいとチーフに頼んだのは私です。ですから、あまり自分を責めないでください」

「そうは言っても……」

「それに悪い事ばかりではありませんでしたし、現に三人にとっていい経験になったと思っています」

 

 口には出さなかったが、たしかにそう言ってもらえると少しだけ気が楽になった。

 さて、最後にやらなければいけないことがある。美嘉は自分のすべき最後の仕事を始めた。

 

「これで安心ってわけじゃないけどさ、あとはアンタが頑張りなさいよ。プロデューサー、なんだからさ」

「……はい」

「あ、それと! 莉嘉もアイドルになったんだから、いい加減名前で呼んでくれない?」

「それは……その」

「それぐらいの報酬分は仕事したと思うけど?」

「うっ……」

 

 慌てふためく武内を見て美嘉は意地悪な笑みを浮かべて楽しみ始めた。

 そして、交渉の末ようやく名前で呼ぶことに成功したのだった。

 

 

 NGとラブライカのCDデビュー当日。杏は眠たそうな顔をしながら会場にやってきていた。

 はあ、面倒だなあ。でも、来なかったら来なかったで、きらりが突撃してくるし仕方ないと言えば仕方ない。杏は結局どうやっても家に居させてくれないと分かると考えることを放棄した。

 結局の所、今日もきらりが先手を打ってきて自宅に突撃してきたのだから、やはり人間諦めが肝心ということなのだろうか。杏はやれやれと言いたそうに肩をすくめた。

 しかし、今日はいつもにまして憂鬱だ。ここにいるのはCPのメンバーと担当である武内P。

 肝心のプロデューサーが来ていない。いや、別に肝心というわけではないか。

 ついこの間も、新人がデビューする時は付き添いで参加すると言いきっていた彼であったが、実際はコレだ。

 

「杏ちゃん、やっぱりPちゃん来れないんだね」

 

 きらりも何かを心配しているのか尋ねてきた。彼女の表情から察するに、プロデューサーがいないことに不安を抱いていることは見てとれた。

 たしかに不思議ではあるが、彼がいるのといないのとでは安心感が違う。きらりも彼を信頼しているからだろうか、やはり動揺しているのだろう。

 

「だろうねえ。まあ、杏たちにはあんましかんけーないし、きらりがそこまで心配することじゃないよ」

「で、でもでも! 実際にちょっと問題が起きてるんだよぉ?」

「問題?」

 

 きらりが言う方向に目を向けた。そこにはライブ衣装に着替えた5人と武内Pがいた。

 ああ、なるほど。杏はそれを見てなんとなくだが察しがついた。

 

「――というわけで、先輩は今回来れないとのことです」

 

 約1名、いや2名を除いてものすごく顔に出ているのがわかる。彼らとの距離は少し離れているが、見間違うことなくそれはわかる。

 

「……プロデューサー、嘘つきです」

「しょうがないよ。プロデューサーさんは多忙な人だし」

「ふーん。私達のデビューより大事な仕事なんだ」

「え、ええ」

 

 まるで恋愛ゲームで選択肢を間違えたかのような場面に思えた。内1名の一人がアイドルがやってはいけない顔をしながら武内Pを威圧していた。

 

「その、今回先輩が不在なのは理由がありまして。ある仕事が急に入ってきたのですが、それはどうしても先輩が担当しなければいけない案件でして」

 

 その話は杏も事前に聞いていた。だかこそ、今日のことをしっかりと報告を頼むと頼まれたのだが……。すると、きらりがしゃがんで耳打ちしてきた。

(ねえ、杏ちゃん。Pちゃんがこっちに来れないほどのお仕事ってなんのかな?)

(どうせアイドル関連でしょ)

(う、やっぱりそうだよね……)

(でも、余程のことなんでしょ。プロデューサーが来れないぐらいなんだから)

 

 今日の事を頼まれた際に、なんで? と尋ねたが先程のように『急な仕事が入ってな』と言われただけで、詳しい内容を教えてはくれなかった。杏自身内容にはあまり興味がないが、目の前の状況を目にすれば彼に悪態もつきたくはなる。

 

「色々と思う方もいると思いますが、まずは気持ちを切り替えてください。ライブはもう間もなく開始です。それまで待機していてください」

『はい』

 

 一時解散となった。それを見計らってなのか、他のメンバーの子たちが激励をしに声をかけている。そんな中、杏の目は自然と別の方に向いていた。

 未央が一人でその場を離れたのだ。方向的に舞台裏だということは想像がついた。

 さて、どうしようかな……。

 自分がどう動くべきか考えようとしたその時であった。武内Pも一人で離れた未央に遅れて気付いたらしく、彼女のあとを追いかけるように向かった。杏もどうすべきか、その答えはすぐに出た。

 怪しまれないように二人のあとを追う。これはミッションだ。自分の姿を見られてはいけないし、存在を気取られてもいけない。数々のステルスゲームをこなしてきた杏なら楽勝だ。

 

「あれぇ? 杏ちゃんどこいくのぉ?」

「……」

 

 出鼻をくじかれたとはこのことを言うのか。

 杏は振り返り無言できらりの足へ向けて蹴った。しかし杏の細く、曲げたらすぐに折れてしまうような軟弱な右足ではただのへなちょこキックにしかならない。

 

「杏ちゃん、いきなり酷いよう!」

「いいか、きらり! これから杏は重大な任務があるんだ。わかったなら邪魔をするんじゃないぞ?!」

「ええぇ、きらりも行くよ!」

「きらりは目立つから駄目」

「ガーン」

 

 落ち込んだきらりを無視。気を取り直して再びミッション開始だ。

 目的は予想がつくので、離れてはいたがすぐにその遅れを取り戻した。未央はステージへ向かう入口のカーテンを少し開けて外を見ている。

 来ている人でもいるのだろうか。たしか、クラスメイトに声をかけたと言っていた気がする。にしては少し、なんていうか落ち着きがないように見える。

 武内Pは未央の少し後ろと自分がいる場所の中間ぐらいで彼女を見守るように立っている。声をかけるべきか悩んでいるのだろう。

 自分が感じたように彼も同じことを思ったのか、声をかけながら未央に近づく。杏にはその一歩が何かの決意の表れのように見えた。

 先程武内Pがいた辺りまで近づく。ここではあまり声が聞こえない。

 

「本田さん、どうかなさいましたか?」

「あ、プロデューサー。いや、ちょっと、ね」

「たしか、クラスメイトを呼んでいたと聞きましたが」

「あ、うん。それはさっき連絡あって、こっちに向かってるって」

「では、何が……その、心配なのでしょうか? 私には貴方が何かを気にしているように見えたので」

「え―とね。この前に美嘉ねぇのデビュ―の話を聞いてさ、それで少し意識しちゃって……」

 

 デビュー?

 その話は私の知らないところだ。ただ、なんとなくだが予想はつく。

 それを察したのか、彼が聞いた。

 

「もしかして、お客さんのことですか?」

「……そう」

 

 彼が首に手を回した。対応に困るとああいうことをするのには少し前に気づいていた。

 さて、何と言うのだろうか。

 

「本田さん、今こんなことを言うのは場違いですし、非常識かもしれません。以前私は今と同じようにあるユニットの担当をしていました」

 

 それは私も初耳だ。杏も色々とプロデューサーから聞いていたが、彼が以前に他のアイドルを担当していたというのは聞いていなかった。

 未央も同じような感想を抱いたのか驚いている。

 

「彼女達も今の本田さんのよう感じだったと思います。デビューを待ち焦がれ、その先に夢を膨らませていました。ですが、ライブが終わって私にこう言ってきました。『お客さんってアレしか来ないの?』、『デビューライブってこんなものなの?』その問いかけに私は『これが当然です。むしろ上出来な方です』そう相手の気持ちを考えない発言をしました」

「……それで、それでどうしたの?」

「率直言えば、ユニットは解散し彼女達はアイドルを辞めました。私もプロデューサーの任を解かれました。今こうしてプロジェクトを任され、再びプロデューサーとしてやっているのは、先輩方のご厚意と汚名返上のチャンスを与えられたからです」

 

 成程、だからなのか。

 プロデューサーがアイドルだけではなく、武内Pも監視の対象にしたのはこういうことか。面倒見がいいというか、心配性というか。顔に似合わず優しい男だ。

 

「ですが本田さん、私はそれだけのために今こうして貴方達のプロデューサーをやっているのではありません。私は貴方達の、CPのプロデューサーとしてここにいます。貴方達をデビューさせ、輝くステージへ導くのが私の仕事です。私は誰よりも貴方達に笑顔で、楽しく、そしてステージで光り輝くのを望んでいます。今は小さな会場ですが、きっとあの大きなステージへと連れて行きます。私は貴方達を信じ、そして私を信じて欲しいんです。必ず皆さんを導いてみせます」

 

 杏は思った。素直に言えばだ。かなり驚いている。あの口数の少ない彼が、こんなにも喋り、熱く語るのを。

 しかしまあ、よくあんな恥ずかしい台詞を言えるものだと思った。ていうか、恥ずかしくて自分だったら死にたいぐらいだ。

 

「……ぷっ」

「本田さん?」

「あははっ。ご、ごめんごめん。いや、プロデューサーがそんな喋るのって初めてだから、つい」

「そう、でしょうか?」

「そうだよ! でも、まあ……気持ち、伝わったよ。うん、何か悩んでた自分が馬鹿みたい」「いえ、別にそういうわけでは」

「美嘉ねぇが言ってた。最初のライブに来てくれたファンが、これからの自分を支えてくれるって。私にも、そういうファンの人がいてくれるのかな……」

「はい、必ず。本田さんを応援してくれるファンの方がきっと貴方を支えてくれます」

「えへへ。だったら、頑張らないとね!」

「その意気です。歌詞を、ダンスを間違えても構いません。ですが、最後まで笑顔でやりとげてください。それが私からのお願いです」

「ほんと、プロデューサーって笑顔が好きだよね。なんで?」

「え、そんなに私笑顔って言っていますか?

「うん」

 

 どうやら問題はないらしい。

 そのあとも何か未央が尋ねているようだが、もう関係ない。気付かれないようにここを立ち去る。

 少し歩いてここなら特に平気だと思い、ポケットからスマートフォンを取りだす。自分の手には少し大きく、持て余すぐらいだが致しかたない。リンゴに替えるべきか。ま、それはあとだ。プロデューサーに電話をかける。

 コールが鳴っているのでおそらく通じるだろう。ふと杏は思った。そういえば身近な男性で一番電話をかけているのってプロデューサーだと。登録しているのも父親を除けば、彼と武内プロデューサーぐらいだし、履歴も見ても、プロデューサーのが多い。

 いや、別にだからどうしたと言えばそうなのだが。

 コールが鳴りやんだ。どうやら通じたようだ。

 

 

 

「杏か? どうした、何かあったか?」

 

 運がよかったのか、着信が来てすぐに脇に車を停められた。無視しようかと思ったが、画面を見ると杏だったので時間的にそろそろライブが始まるころだ。何かあったかと思いすぐに電話に出た。

 

『あったっていうか、まあ頼まれたことの報告かなあ』

 

 杏の声からして特に問題ないということは察しがついていたが、実際に彼女から話を聞いて驚いた。まさか、あの事を話したとは思いもよらなかったのだ。

 アレは武内にとっては一種のトラウマと言ってもおかしくはないし、自分の嫌な記憶を話すのは中々できることではない。しかし、それを乗り越えて話したのだ。彼の中で、何か吹っ切れたのだろうか。

 誤算だったのが、杏がそれを知ってしまったということだろう。武内も未央を心配して話したのだろうが、まさか盗み聞きされているとは夢にも思うまい。

 彼のことを気にかけているプロデューサーは一応杏に釘を刺すことにした。

 

「杏、そのことは言いふらさないでくれよ」

『事情が事情だしね。皆に教えておく必要もないし、杏の胸にしまっておくよ』

「そうしてもらえると助かる」

『ライブはこれからだけど、多分大丈夫だと思うよ。ただ、プロデューサーがいなくて不貞腐れている子がいるけどねー』

「はぁ。誰だとは聞かんが、フォローはしておいてくれ」

『りょーかーい。ライブが終わったらまた連絡するね』

「頼んだ。それじゃ」

 

 通話を切り、スマートファンを胸ポケットにしまう。サイドミラーを見る。後ろから走って車がいないことを確認し、再び車を走らせる。

 彼の用が済んだのを確認してか、後部座席に座る茄子の隣に座るアイドル――依田芳乃が声をかけてきた。

 

「そなたー、どうかしたのですかー?」

「ん、別に大したことじゃないさ」

「大したことじゃないって、今日はCPのデビューライブでしたよね?」

 

 茄子が呆れた声で言ってきた。

 

「そうだが、一番懸念していた問題は解決したらしいしこれで一安心。と、言いたいがやはり立会いたかったのが本音だな」

「そうなのですかー。それでしたら、そうなさればよろしかったのですよー?」

「そうですよ。別にプロデューサーじゃなくても私達だけで……」

「お前達だから心配なんだよ」

 

 鷹富士茄子と依田芳乃。率直に言えば神秘的な力を互いに持つアイドルである。芳乃との出会いも鹿児島のとある砂浜で出会ったのだが、その時の出会いは今でも不思議なものだった。

 茄子は極端に言えば幸運の女神だ。芳乃もまたそれに準ずる不思議な力があると肌で感じ取っていた。二人のファンは、彼女達を応援していると言うよりも信仰に近い印象がある。

 また、アイドル活動していく内に二人の話は知れ渡り、怪しい宗教団体と接触があったぐらいだ。酷い時は誘拐されるなんてタレこみもあり、二人の安全と活動には厳重な警備態勢が急務となっていた。

 その適任者がプロデューサーである彼なのである。彼からしてみれば、茄子にもう一人護衛対象が増えたぐらいで左程気にはならなかったので、それほど手間というわけでもなかった。

 突然芳乃がシートベルトを外して、運転席にいるプロデューサーのスーツを引っ張りながら呼んだ。

 

「ねーそなたー」

「なんだ、芳乃。運転中だぞ」

 

 実を言うと、彼は芳乃に対して一つ悩みの種があった。それは、芳乃は自分を『わたくし』と言うのだが、どうしても貴音とダブってしまうときがある。

 アイツも同じオーラを纏っているし、たまに間違うことがあるから困ったものだ。

 目を一瞬だけ芳乃に向けた。どうやら問題のようだ。

 

「わたくしー先程から邪気を感じ取っていますのでー。少し、不安ですー」

「邪気? 芳乃ちゃん、それって……」

「そのままの意味なのでしてー」

「邪気、ね……」

 

 バックミラーを見た。

 実を言えば、先ほどから一台気になるワゴン車が後ろを走っていた。勘違いでなければ、先程停車したときに追い越していき、再びぐるっと一周回ってきて後ろを走っているはず。

 プロデューサーは芳乃がこう感じているのだから間違いないという確信があった。だからこそ、それを疑うと言う選択肢はない。

 恐らくだが、二人を狙っている異教徒どもだろう。

 さて、どうするか。ここは素直に神頼みといくか。

 

「芳乃、どっちの方角に向かうのが一番いい?」

「んー次の角を左に曲がるのでしてー」

「了解だ。こういうのはロス以来だからな、腕が鈍ってないといいが」

「プロデューサー、安全運転でお願いしますよ?」

「わかっている。〈問題を起こさない程度に〉安全運転でいく」

「ではーレッツゴーなのでしてー」

 

 言われた通り角の直前、346プロの営業車はドリフトをしながら曲がる。それは同時にスタートの合図となった。

 30分の激闘の末、プロデューサー達は無事現場に到着。同時に杏から連絡が届き、NGとラブライカのデビューライブは成功となった。

 余談であるが、その日のニュースに速報として取り上げられたのは本当に余談である。

 

 





最後は少し遊んでしまいした。ごめんなさい。

とりあえず、こんな形で収拾させました。
で、次回は本編ではなく幕間の予定です。貴音と美希を出さないとモチベが保てないようです。
一応本編の予定ですが、蘭子回は絶対に時間がかかるとして、次のキャンディアイランド回はやらず、凸レーションをやります。話のネタが今のところ思いつかなくて……。
楽しみにしていた方がおりましたら申し訳ございません。


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第25話

 346プロダクション 本館

 

 時刻は午前8時前。多くの社員が出社するためにこの本館を通ってオフィスビルへと向かっている。その中には社員だけではなく、346プロに所属している歌手やタレント、そして現在最も話題のあるアイドル部門の子達の姿もある。

 本館の一階で社員達が行きかう中、一人の大男――アイドル部門シンデレラプロジェクト担当プロデューサーである武内が立っていた。彼は通行の邪魔にならない場所に立っており、なにやらスケジュール手帳を片手にページを捲っては、また1ページ戻ったりと繰り返している。

 このスケジュール手帳は本来の機能をしていない。以前まではちゃんとスケジュール手帳として機能していたのだが、今は別の目的に使用しているので、最近もう一冊を購入したところだ。

 周囲の目を気にせず熟読している武内であるが、その表情は渋い。例えるなら、解けない問題を必死に解こうとしている学生のようである。

(闇に飲まれよ……暗やみに閉ざされた世界)

 これは……そう、呪文のようだ。

 武内はそれが世間でいう中二病だということには気付いていなかったため、ただカッコイイ文字を並べてはそれっぽく言っているだけなのではと常々思い始めていた。しかしそれが、日常の会話となると話が違ってくる。

 悩みの種である神崎蘭子と最初に出会ったオーディションから今日に至るまで、彼女はこの言葉を常に使い続けており、自分だけではなく他のアイドル達も手を焼いているように思える。その所為で上手く溶け込めていないのではと当初は思っていた。けれど、それは杞憂で終わり神崎さん以上に濃い、というよりも困っている子を放ってはおけない諸星さんや、気付けば自分のペースに引き込んでいる本田さんのおかげでプロジェクトの中で孤立することはなかった。

(それにしても、難しいですね……)

 最初はなんとか理解しようと手帳に書き始めたのが始まりだが、気付けば学生時代に解けない問題や数式を解こうとしたような書き方になり、いつのまにかスケジュールのページにまで書いてしまったので、新調したのである。

 現在の解読度は正直に言えばあまりよろしくない。彼女のプロデューサーとして意思の疎通ができないのはよろしくない。そのために最近朝のこの時間帯で張っているのだ。

 刑事が容疑者を張っているのと似たようなものだ。ただこの場合となると、相手は自分の上司と担当アイドルである神崎さんである。おそらくだが、自分が把握している中で彼女と普通に会話できているのは先輩ぐらいだろう。いや、ただ単に彼以外にちゃんと会話している人間を見たことがないだけでもある。

 正面ゲートから一際目立つ先輩がやってきたのが武内の目に入った。周りにいる社員たちは自然と彼に挨拶している。知らない人間が見れば役員だと思うだろうが、彼は管理職に近いようなものである。

 プロデューサーを目で追っていた武内の前に、ようやく待っていた彼女が出社してきた。彼を見つけた途端駆け足で後ろまでやってくると、

 

「真なる者よ、煩わしい太陽ね! 熱風が降り注ぐが、我の魔力は充分に満ちているぞ!」

 

 これだ。はっきり言って、何を言っているのかがわからない。

 しかしだ。多少独学で得た知識によれば、前半が挨拶で後半は何か一言言っているのだということは分かる。分かるだけで、理解はできないのだが。

 彼女に挨拶? を受けたプロデューサーは振り返った。その顔はあまりよくないように見えた。多分、困っているのだろう。彼は頬を掻きながら、言葉を選びながら答えた。

 

「おはよう、蘭子。あー、熱風……ああ、今日は日差しが強いから気を付けるんだぞ。お前は黒い服ばかり着てくるからな」

「ふ、そのようなモノに臆する我ではない! この漆黒のベールが我を護ってくれようぞ!」

「日傘ね。無駄に凝ってるよな、それ」

 

 会話だ。しっかりと会話が成立している。

 先程までの内容を武内は手帳に記入していく。今回の難易度は普通より下だろうかと自分の中で評価をつける武内ではあるが、傍から見れば「こいつ何やってるんだ?」と通り過ぎる社員に思われているのに気付いてはいない。

 それだけ武内には重要なことであるのだから、周りの目など気にしてはいられない。

 そのあと二人は一緒にオフィスビルへと向かって行くと、遅れて武内も自分のオフィスへと向かう。

(まずは、神崎さんから直接話を聞かなくては)

 武内がここまで真剣に取り組んでいるのは、今度CPでデビューするのが蘭子であるからだ。CPのアイドルデビューに関しては、当初の計画では全員ユニットでデビューする予定であった。しかし、武内は蘭子を誰と組ませていいか最後まで思案をしてきたのだが、結局はソロデビューという形で納まってしまった。

 この件に関しては武内も先輩であるプロデューサーに助言を求めたのだが、

 

「んー、パッと思いついたのは小梅だが、メンバーではないから駄目だな」

「なぜ、白坂さんなんですか?」

「いや、なんかイメージが近いと判断したんだが、小梅はホラー系だからちょっと違うなと気付いた。それでも小梅とは相性がいいと思うんだが……」

 

 二人して悩んだ末に辿り着いたのが、将来的には小梅とユニットを組ませる、こういうことになった。

 正直に言えば、プロデューサーでさえ蘭子をどう扱えばいいのか頭を悩まされた。それでも彼は「断言はできないが、蘭子はソロの方が動きやすいと思うし、今はソロで活動して成長させた方が化けるかもしれない」と言う言葉に武内も共感した。なので、様々な思惑の末CPのメンバーの中で唯一ソロデビューという形になった。

 そして、今日は蘭子のCDデビューの打ち合わせが行われることになっている。そのために武内は必死に蘭子の言葉を理解しようと努力してきた。

 

 

 蘭子のCDデビューの打ち合わせは武内のオフィスで行われた。武内とプロデューサーと向かい合うように蘭子は座っていた。テーブルの上には今回のコンセプトといったようなことが書かれている資料にノートパソコンが置かれていた。ノートパソコンからは歌詞はないが、今回歌う曲が流されている。

 

「どうでしょうか。まだラフの状態ですが、作曲家の方にも神崎さんをイメージして今回の曲を作ってもらっています。私としては、曲の雰囲気も神崎さんに合っていていい曲だと思うのですが」

「おぉ! なんと良い音色か! 魂の波動を感じる!」

 

 武内は隣に座るプロデューサーに顔を向けた。

 

「いい歌だ、と言っているんじゃないか?」

「の、ようですね。また、今回神崎さんにはPVの撮影も行ってもらうことになっています。作詞家の方に依頼することは決まっているのですが……」

「む、何かただらならぬ気配を感じるぞ」

「その、当初はこちらのイメージで作詞の予定で」

 

 その資料を蘭子に武内は渡した。彼女はそれを見上げていく。

 

「夜を統べる闇の眷属、この世に紅き血の惨劇を……」

 

 読み上げていく声はどこか重いように感じた。一通り流し読みして資料をそっと武内に返しながら、

 

「こ、これはすでに過去の姿。我が魔力は満ち、闇の眷属を超越した存在となった」

 

 武内は再びプロデューサーの方を向いた。彼も困惑しながらも解読した内容を告げる。

 

「恐らく、昔はこんな感じだったみたいだがいまは違う。今は別の……別のものになった? つまり、ホラーは嫌だと言っている」

「成程。やはりそういうことでしたか。神崎さん、私は当初貴方にホラーなイメージを抱いていたのですが、どうやら違うのだと最近気づきまして」

「ふ、崇高な存在である我を理解するのも無理というものだが、褒めてつかわす」

「ありがとうございます。つきまして、神崎さんはホラーでなはなく、その……言葉が出てこないのですが、ダークな感じとはまた違うのですか?」

 

 蘭子は突然立ち上がると、

 

「かつて崇高なる使命を帯びて! 無垢なる翼は黒く染まり、やがて真なる魔王へと覚醒!」

『……』

 

 二人は彼女にと唖然とさせられたのか、しばし硬直していた。蘭子は「んふ!」と誇らしげに満足している様子だ。

 プロデューサーはぽんと手を叩くと、スマートフォンを取出し何かを検索し始めた。武内はとりあえず正直に尋ねた。

 

「すみません。私にはわかりません……」

「な?!」

「なあ、蘭子。お前が言っているのって、もしかしてこれか?」

 

 画面にはウィキペディアが開かれており、検索した内容は「ルシファー」とあった。ルシファーとは別名はサタンでもあり、いわゆる堕天使である。昨今におけるゲームなどではメジャーな存在とも言える。片方が天使の翼でもう片方が悪魔の翼といったデザインが多く存在し、蘭子が言っているのはこのことかとプロデューサーは気付いた。

 

「真なる瞳を持つ者よ、流石だと言っておこう!」

 

 どうやら正解らしく、手を腰に当て胸を張る蘭子を前にプロデューサーは武内に耳打ちしながら呟いた。

(最近の子はこういうのが好きなのか?)

(いや、私に聞かれても、その……困ります)

 プロデューサーの年齢は三十代ではあるが、まったくゲームをしないわけではない。むしろ、美希に付き合わさせられてやらされているぐらいである。そのため、最新ゲーム機を購入したはいいが、本人が使っている時間より美希やあの貴音の方が使用時間は長いときていた。

 対して武内はルシファーという名前は知っていたし、堕天使や悪魔という極普通の知識は持ち合わせてはいたが、蘭子の台詞から連想することは容易ではなかった。この歳にもなってゲームはやらない男である武内には、いささか難しかった。

 ようするに、二人から見てなぜ蘭子がこれを押すのかが理解できなかったのだが、当の本人というよりも、ルシファーという存在は子供心をくすぐる存在でもあり、中二病が発病するきっかけとも言えるのかもしれない。蘭子はどちらかと言えば後者に近く、天使の翼と悪魔の翼がカッコイイと思っていたりもする。

 

「で、では、神崎さんが言うようなイメージで作詞家の方には依頼しておきます。ついでと言っては失礼ですが……。神崎さん、実際にこう着てみたい衣装はありますか? 大雑把で構いませんので、あくまでイメージをデザイナーに依頼するので」

「あ、あります!」

 

 これは意外だと二人は普通に会話してきた蘭子に失礼な感想を抱いた。

 

「それは本当ですか?! 簡単でいいので、描いてみてください」

 

 そう言うと紙とペンを蘭子に渡すと、彼女は顔を赤く染めながら言ってきた。

 

「恥ずかしいから、ちょっと席を外します……!」

「ど、どうぞ」

 

 部屋を出て行く蘭子の背中を目で追う二人。見えなくなるのを確認すると、

 

「恥ずかしいことがあると普通の言葉になるんだな」

「ですが、私の中ではかなり前進しています。神崎さんのことを知ることができますから」

「オレも蘭子が好きそうな言葉で会話してみるか」

 

 そんな他愛もない話を5分ほどしていると、蘭子は部屋に戻ってきて描いてきた紙を渡した。

 描いてあるモデルはおそらく彼女本人だと武内は推測した。髪型が似ているからだ。想像するに、この子は空を飛んでいる……いや、神崎さんの言葉を借りるなら降臨しているのだろうかと武内は少しずつ解読していく。衣装はドレスに近いイメージだろうか。特に特徴的なのが背中にある翼。天使と悪魔のような翼は、先程言っていたルシファーを指しているのだろう。

 うむ。似たような衣装を着た大御所がいたような気がする。

 武内は年末の番組でこれよりド派手な衣装をきた歌手を知っているが、すぐに忘れることにした。彼はプロデューサーにも意見を求めるべく絵を渡した。

 

「先輩、どうでしょうか?」

「ふむ。そうだな……」

 

 言うと、一枚の資料を裏返しにペンを走らせた。手際がいいのか、すらすらと描いていく。すると、あっという間によく目にするデザイン画になっていく。衣装のデザインは蘭子が描いたミニドレスのようなフリルが多くあるものではなく、シンプルなタイトミニドレスのようだと武内には見たえた。そして、その背中には蘭子が描いた翼がある。違いのは6つではなく、シンプルに2つ。小さい天使と悪魔の翼。

 

「ざっと出来そうな衣装を描いてみたが、蘭子どうだ?」

「……ぉおお!! まさに魔王の装束! しかし、まだ覚醒には至っていないようだが……」

 

 翼が2つなのが不満だということは二人にも察しがついた。

 

「ちなみに」プロデューサーは試しに蘭子に尋ねた。「お前が希望するのはどんな感じなんだ?」

「このぐらい」蘭子はペンで彼が描いた絵に付けたす

『……それは、無理』

「なぬ?!」

 

 声を揃えて二人は告げた。

 

「針金を通すとか色々と方法はあると思うが、絶対にライブ中に取れるし、多分重いぞ?」

「……あとバランス、ですかね。絵では普通に見えても、実物だと想像と違うモノになるかもしれませんし」

「ぁう」

「とりあえず、今回はこんな感じでデザイナーに依頼することにしましょう。今後はその、神崎さんが希望する衣装も検討してみますから、今回はこれでお願いします」

「よきにはからえ」

 

 

 

 打ち合わせが終わったあと、蘭子はプロデューサーのオフィスに招かれていた。初めて訪れる彼のオフィスに彼女は目を奪われていて部屋中を見渡すが、あまり武内Pと変わらないことに気づくと少し落胆した。

 プロデューサーがコーヒーと一緒に砂糖とミルクをテーブルに置いた。蘭子はコーヒーが好きではなかった。飲めない訳ではないが、ただ単に甘さの調節が苦手で、どちらかと言えば缶コーヒーの甘さが丁度よくて好きだった。

 目の前で何も入れずにコーヒーを飲むプロデューサーをみた蘭子。

(大人だなぁ)

 コーヒーをブラックで飲む。ある意味彼女にとってそれは『カッコイイ』もののカテゴリーに入るらしい。

 

「改めてソロデビューおめでとう」

「あ、ありがとう、ございます」

 

 ここには彼しか居ない。なら、普通に喋ろうと最近は思うようになっていた。それでも、少しまだ恥ずかしいのだが。

 照れている自分の顔を隠すように俯く。コーヒーに砂糖とミルクをとりあえず入れて飲んでみる。

 

「……にがぃ」

 

 渋い顔をする蘭子に気付いているプロデューサーであったが、それに触れ尋ねてきた。

 

「ところでな、蘭子。実はお前にあることを聞きたくてしょうがなくてな。最近はお前の言葉も多少は理解できるようになったし、こうして二人きりの時は普通に話してくれる」

「う、うん。まだ、ちゃんと話せなくて……ごめんなさい」

「いや、謝る必要ないんだ。普段のお前がアイドルとして定着しているのは、お前の魅力であり武器だ。で、それは置いておいて。気になることがあって仕方がないだ」

「えーと、何を?」

「……お前、喋ろうと思えば熊本弁、喋れるのか?」

「ぴぃ?!」

 

 突然のことに蘭子は可愛い悲鳴を上げた。

 

「な、なんで……?!」

「いや、ただ単に興味があって」

「そ、それだけ……?」

「それだけだ」

 

 彼はコーヒーを一口飲んだ。プロデューサーの様子からは、本当にそれだけの理由で呼んだということが蘭子には見てとれた。なぜか、ムカッとした。

 

「プロデューサー、出会ってからわたしを苛めてばかりだから、ヤダ」

「それってつまり、熊本弁を話せるってことだな」

「……」

 

 自分で退路を塞いでしまった。たしかに、自分は特殊な喋り方をするという自覚はある。しかし、常日頃というわけではないことを訴えたい。家族と過ごしている時は普通だし、転校する前の学校では……少し浮いていたかもしれない。

 けれども、都会に出てきたからこそ身を持って理解したことがある。ここでは、地元の方言は浮くということを。むしろ、そっちで話す方が恥ずかしいぐらいだ。

 

「……どうしても、聞きたいの?」

「嫌なら別にいいんだ。本当にただの好奇心だから」

「……じゃあ今度、おいしいハンバーグのお店連れてってくたら、いいよ」

「え、いいのか?」

「うん」

「じゃあ、一押しのお店知ってるからそこに連れていってやる」

「約束だよ? 二人、だけだよ?」

「構わんぞ」

「えへへ……」

 

 我ながら頑張ったと褒めてあげたい。熊本弁で話すのは正直抵抗はあるけど、それだけでプロデューサーと一緒に食事にいけるのだから安いものだ。蘭子は満面の笑みを浮かべてそっと胸の中でガッツポーズ。

 

「それじゃあ、オーディション形式で話すか。えーと、まずお名前は?」

「うちん名前は神崎蘭子ばい。熊本からやってきた。初めてんオーディションで緊張しとるばってん、よろしゅうお願いする……」

 

 とりあえず、向こうでもよく言っていた風に話してみた。すると、目の前にいるプロデューサーの異変に気づいた。

 

「どうしたの?」

「す、すまん。普段とのお前とのギャップが……あ、驚いただけだ。決して、バラエティ番組に出したらよさそうとか、思ってないから安心してほしい!」

「……プロデューサーんバカ! たいぎゃ好かん!」

 

 蘭子は立ち上がり怒鳴った。

 ほんと、プロデューサーはわたしのこといつもいじめるんだから。こうなったら、一番高いハンバーグを頼んでやる。

 

 

 途中不穏な雰囲気もあったが、最初の打ち合わせは無事終了したことにそっと胸をなでおろす。二人が退席したあと、武内は先程の蘭子の会話を忘れないよう書き留めていた。

(今日は多くの収穫がありましたね)

 特に先輩のおかげで神崎さんの会話には一定の法則があることもわかった。いや、法則と言うよりも、特徴と言うべきか。

 神話や伝承の中で出てくる単語を多く引用している、武内はふと思った。自分はあまりゲームなどはやらない人間なのでいまいち共感はできないが、神崎さんや最近の子供はこういうものを好むのだろうか。困ったことに守備範囲外だ。

 これが世間でいう中二病だということに武内は気付かなかったが、ここには似たようなアイドルが一人いたことを思い出す。

(二宮さんの方がまだわかるのですが……)

 ただ、直感であるが神崎さんと二宮さんは似たようで違うと思った。ベクトルというか、方向性が違うのでは……。

 やはり自分一人の力だけではどうにもならないことに気付いた。なら、どうすべきかと考える。知らないなら知ればいい。分からないなら理解すればいいのだ。

 

「荒木さん……いえ、ここは双葉さんに頼ってみましょう。よくゲームをしているのを目にしますし」

 

 善は急げ。さっそく彼は杏の下へ向かった。

 初めてみる彼女の驚いた表情を見た。どちらかと言えば鳩が豆鉄砲をくらったような感じだと思う。彼はそんな杏などお構いなしに尋ねた。そして、色々あって一冊の小説と参考になりそうなサイトを教えてもらった。

 自宅に帰宅しさっそく小説を読んでみた。

 

「タイトルが長いですね。それに最近の小説には挿絵もあって、確かにどういう場面なのかはわかりますね」。

 

 数十分後。目頭を押さえる。正直、途中から読むのが辛くなってきた。自分には、難しすぎたようだ。

 

「これは……かなり難題です」

 

 

 後日。プロデューサーは蘭子との約束を果たすために、彼がおススメする一押しのお店へと向かっていた。今日に至るまで蘭子はどこのお店にいくのか我慢できずに聞いたが、中々プロデューサーは答えてはくれなかった。つまり、とても美味しいお店なのだと蘭子は勝手に想像していた。

 移動する車の後部座席に座る蘭子は、それでも気になって尋ねた。

 

「ねえ、プロデューサー」

「ん?」

「いい加減、どこにいくのか教えてほしいなあ」

「んーまあ、いいか。もう着くし」

「やった! で、プロデューサーのおすすめの場所、なんだよね?」

「ああ、そうだ。仕事で知り合ってからの付き合いで、月に何回かは食べに行ってるよ」

「へえ、そうなんだ。なんてお店なの?」

「ビリー・○・キット東○町店」

 

 そして極稀に、指無しグローブを嵌めて南条光と共にあるポーズを練習しているのが目撃されるようになったという。

 

 

 

 

 

 

 

 




たぶんすごくぐだっているのではないかと自分でも自覚しています。
本当は幕間を書いていたのですが、二万文字ぐらいになって「あ、これ終わんね」と思い本編に移行。ただ、先月から多忙で中々進まずやっと書いた結果がこれ。

今月はたぶん更新は難しいと思うので、次は来月になるかもしれません。


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幕間劇 ウサミン・ウォーズ

B級映画をみるような気軽な感じでお読みください。

ちなみに三万文字あります。


 ??? 

 

 我々は選ばれた人間なのだ。

 遠い、遥か昔の偉人が残した言葉。私は思う。本当に我々は選ばれた人間なのだろうかと。私達は本当の意味で、故郷を捨てて逃げ出しただけの臆病者なのではないか、私はそう思って仕方がない。

 たしかに我が国家の技術力は彼の星と比べれば一歩も二歩も進んでいる。だからといって、我々は一切の介入はしていない。一部を除いて不干渉を貫いている。だからこそ、今日にいたるまで平和な時代が続いている。

 この地からあの母なる星を見上げれば、あそこには仕えるべき主が過ごしている。定期的に送られてくる文を読むだけで、あの方が幸せな生活を送っているのがわかる。主の幸せは、私の幸せでもある。これ以上ない喜びだ。

 それだというのに……。

 

『――ということです。時田、お願いできますね?』

「……はい、奥様」

『長く我が四条家に仕えた貴方です。納得はできないのはわかります。貴音さんには申し訳ないと思ってはいます。ですが、あの子も四条の人間。次期当主として教育をせねばなりません』

「そのための……婿取りなのですか?」

『遅かれ早かれそのつもりでした。今回は、よい縁談だと思っております。時田、何か思うことがあるのですか』

「――いえ。ただ、ご当主様はなんと」

『お前に任せる、としか申しておりません。あの人は男の子が欲しかったようですから。それに、少し不器用なところがありますし、中々本当の気持ちを口に出してはくれない人です』

「言葉が過ぎました。して、お嬢様にはすでにお伝えしたのですか?」

『……昨晩連絡をとりました。急でしたから、あまりいい顔はされませんでした』

「そう、ですか」

『……それでは時田、あとはお願いします』

「かしこまりました」

 

 通信端末から宙に投影されていたスクリーンが消え、端末の電源が消える。通信が完全に切れたことを確認した時田は、ぎゅっと拳に力を込めた。

 なんと無力なのだ。使えるべき主であるお嬢様の幸せを、執事の私が奪うことになるとは、皮肉にも程がある。

 しかし、奥様の考えもわからなくはない。ご当主様はお嬢様にあまり関心がない反面、奥様はお嬢様に愛情を注がれてきた。自分の娘だ、大切に思うのも当然である。

 それでも、それでもだ。いまのお嬢様の暮らしをご存じではない奥様には、この縁談はあまりいいとは言えない。

 部屋の扉が開く。

 入ってきたのは、自分と同じくお嬢様に仕えるメイドの恋々だった。

 

「奥様はなんと?」

 

 彼女はわかっていながも淡々と聞いてきた。

 

「私がお嬢様を迎えにいくことになった」

「そうかい……そうかい。どうすることもできないのかい?」

「恋々よ、聞かずともわかるであろう。私達にはどうすることもできんのだ」

「それはあまりにも残酷だ。お嬢様に仕える身として、これほど自分が無力だと思ったことはないよ」

「私もだよ。だが、私達は四条家の使用人。与えられた命に背くことはできないのだ」

「辛いねぇ、本当に辛い……」

「……そろそろ行かないと」

 

 これ以上は同じことを繰り返すだけだ。時田は苦しみから逃げるように部屋を出ようとする。立ちつくす恋々を通りすぎてすぐに後ろから声をかけられた。

 

「……あの御方に出会った時、どうするんだい?」

「どうするもなにも、私はただお嬢様をお迎えに向かうだけだ。それ以外のことは、私の知る所でないよ」

 

 そう、私にはどうすることもできないのだ。

 

 

 地球 日本 東京都某所

 

 その日もいつもの日常というやつだった。

 我が聖域にあるふかふかのベッドの上で目が覚める。最高の目覚めだ。最近は聖域ではなくなってしまったのが問題ではある。洗面所で身だしなみを整え、身支度を済ませる。それが終わる頃には、いつものように台所で朝食の準備をしている貴音がいる。たまに美希がやったり、二人の時もある。貴音が作った朝食を食べて、他愛もない会話をして貴音と美希と一緒に家を出る。ちなみにどちらかが休みだと玄関で見送ってくれる姿もある。

 これが、徹夜などせず至って普通の生活サイクルを送れたときのパターン。

 ただ、その日だけは違った。

 貴音の顔が妙に……そう、悲しそうだったのだ。理由は聞かなかった。それを見せたのがほんの一瞬だったからだ。今にも泣きそうで壊れてしまいそうな、そんな顔。

 事務所では特に何事もなかった。

 今日は外に出る仕事もないし、ずっと自分のオフィスで仕事をしていた。午後になれば今日の仕事にかなり余裕があるとわかるから、アイドル達の様子を見にトレーニングルームへ行ったり喫煙所で他の社員達と会話をする。

 ある社員が誇らしげに言った。「実はオレ、嫁さんと駆け落ちしたんですよ」唐突な発言にその場にいた全員が驚いた。もちろん、オレも。

 彼の武勇伝の内容はまあ普通によくある話だった。奥さんと結婚するために相手の家に挨拶に行ったはいいが、反対された。いや、駄目元で行ったらしいが。

 かなり口論にあい、最終的には奥さんと二人でこっちに来たらしい。なんともよくある話だ。だが、身近に当事者がいるとなんともリアリティがある。

 彼女の実家とは今ではうまくやっているらしい。なんでも、さすがに子供を見せに来てくれと向こうのお義母さんに言われて会いにいったら、驚くほど丸くなっていたとのことだ。

 ドラマだと思いながら仕事に戻り、気付けば終業の時間になった。帰ろうとしたところをちひろちゃんに呼び止められた。

 

「ぷ、プロデューサーさん! 今日このあとお食事でも、ど、どうですか?!」

 

 今日はやけに気合が入っているなと思った。正直言えば、この時のオレは「いいね、じゃあ行くか」と彼女と一緒にご飯を食べに行く気でいた。

 ただ、ふと脳裏に今日の貴音の顔が思い浮かんだ。たしか貴音は、今日は休みで一日家にいるはずだ。気になった。物凄く、心配になったのだと思う。

 彼女に申し訳ないが、丁重に断った。その時の顔は胸に罪悪感ができたほどだ。

 急いで帰るためにタクシーを捕まえて帰った。

 家に近づけば近づくほど、妙な胸騒ぎがしてならなかった。理由はわからなかった。マンションに着くまでは。

 マンションに着くと、目に信じられない光景が映った。

 光る何か。それは船、SF映画に出てくる戦闘機みたいなものだと何故かそう認識した。

 目を疑った。自分がおかしくなったのではないかと思った。だが、周りにいる人間は誰も気には留めない。誰も上を見上げることはないし騒ぐこともない。

 胸騒ぎがオレの頭に警告する。急げ、急げ、手遅れになるぞと。

 エレベーターに乗り込みボタンを押す。早くしろと何度も口に出す。

 開ききる前に扉を強引に開けるように飛び出す。自分の家の玄関の前に来て扉を開けた。

 

「っ!」

 

 光だ。

 ライトを急に照らされたかのようだった。サングラスをしているのについ反射的にそういう反応をした。

 しかし、それも一瞬だ。

 

「貴音! おい、貴音?!」

 

 返事はない。

 それでもアイツの名前を呼ぶ。歩くたびに何度も。リビングに入ると、光の向こうに人影が見えた。

 

「……貴音、か?」

「――あなた様」

 

 貴音だ。紛れもなく彼女の声だ。

 

「何をやっている?! これはなんだ?! ああ、とにかくだ。こっちにこい!」

 

 手を伸ばす。しかし、貴音は手を伸ばすどころか離れてしまう。

 

「お別れです、あなた様」

「なにを言って――」

「わたくしは、故郷に帰ります」

「故郷? だから、何を言って――」

「ウサミン星に帰り、わたくしは……結婚するんです。ごめんなさい。でも、わたくしがこうしなければ四条は……」

 

 突然の単語に動揺は隠せなかった。確かめたいがために言葉を口に出そうとした時、別の人間が出てきた。

 たぶん、老人だ。

 

「お嬢様、早くお乗りください」

「時田……」

「おい、爺ィ! 何、人んちのアイドルを拉致してる!」

「貴方様が……。例えそうであっても、貴方様には何もできません」

「ッ!」

 

 ベランダに向けて走り出す。走り出してほんの少し、胸に何か刺さった。

 

「……へ、こけおどし……か……?!」

「なんと。ゾウを一瞬で眠らせるほどの麻酔薬なのですが……。なら」

 

 撃ってくる。わかっているのに身体が言うことを聞かず、その場に膝をついた。

 痛み。

 また胸に撃たれた。

 

「時田!」

「ご安心を、死にはしません。それに、目覚めるころには……すべてなかったことになっております」

「……た……か、ね」

 

 消えゆく意識の中、手を伸ばす。

 見えない、お前の顔が。

 どこにいる。

 

「……さようなら、あなた様っ」

「ばか、やろう……」

 

 ……本当に馬鹿野郎だ、お前は。

 

 

 月改めウサミン星 

 

 地球と月の距離は384,400km。地球から打ち上げたロケットが、仮に人を乗せて向かった場合にかかる時間は数日だ。ただピストルが撃った弾のように真っ直ぐに向かうだけだったらもっと早いだろう。しかし人が乗っている以上、安全に月に向かわなければならない。

 ただ、それは地球の技術であればの話だ。

 ウサミン星には船と呼べるモノは限られている。

 それは何故か。彼らに船など必要ないからだ。ただ、船という意味合いも変わってくる。地球で言う船は、海、川を渡るものだが、この場合は宇宙だ。宇宙の海。

 技術力は地球より遥かに上だ。しかし、彼らにはそれだけで十分なのだ。他の惑星を探して移住、テラフォーミングする気もない。まして、地球に侵略するという行為もない。現状維持で間に合っているからだ。

 そんな彼らになぜ船があるのかと言えば、かつて地球から月に移住した際に残った数少ない貴重なものだからである。今は船など使わずとも、月と地球を結ぶ転送装置がいたるところに存在している。

 今回この輸送艇を使用したのも、貴音を迎えに向かうために使ったのに過ぎなかった。

 この輸送艇を使えば月に戻るのに数時間とかからない。小型のワープシステムがあるからだ。

 ワープをした輸送艇はウサミン星にたった一つしかない着陸地点場所へ自動操縦で向かう。場所はウサミン星にある軍の施設。技術力は大したものであるが、規模で言えば地球の警察以上特殊部隊未満。

 輸送艇が着陸し、貴音は時田の案内で家に向かう。数年ぶりの帰郷であった。

 軍の施設を通り、ウサミン星の都市部へと出る。

 入口には一台の車がある。形的にはリムジンであるが、タイヤがない。ウサミン星にタイヤはなく、すべてホバークラフトのようなもので移動する。

 リムジンに乗り込むと、そこにはすでに人がいた。

 貴音の母親だ。一児の母親と思えぬ若さ。美しい銀色の髪は、まさに貴音の母親だと認識できる。女優、モデル向きの容姿はたしかに遺伝している。

 

「……お母様っ」

「貴音さん、お帰りなさい」

「お母様!」

 

 貴音は久しぶりに会う母の胸に飛び込んだ。いつ振りかもわからぬ涙と一緒に。

 彼女はただ一言、

 

「ごめんなさい」

 

 許しを請うように呟いた。それから互いに何も喋らず、彼女が優しく貴音の頭を撫でる中、リムジンが市街地を抜け、一つの壁ともいえる特区へと通じるゲートへとたどり着く。

 ウサミン星には月の中に小さなドームがいくつかに分かれて存在している。その中でもっとも厳重に警備されているのが、皇族や貴族が住む特区である。

 例えるならば、地球でいうところの高級住宅地であろうか。規模は地球とは比べ物にならない。

 その中で最も広い面積を保有している一つが、四条家である。四条家はウサミン星を管理、運営している五摂家の内の一つ。言い換えればこの星の五大派閥の一つだ。

 四条家の外観はまるで武家屋敷である。市街地はSF映画に出てくるような街並みだが、ここが日本のようだと錯覚する。我々は変わっていないのだ、と言っているようだ。

 そんな場所でも、貴音にとっては久しぶりの我が家であった。

 

「貴音さん、あの人がお待ちです」

「……はい」

 

 貴音にはそれが誰なのかわかっていた。数年ぶりの我が家であるが、家の中のことはしっかりと覚えている。

 少し歩き、目的の場所である部屋の前で恋々が待っていた。

 

「婆や……!」

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「婆や、わたくし」

「お嬢様のお気持ちは痛い程、この恋々は心中お察ししております。ですが、ご当主様がお待ちしております。お話が終わった後、お嬢様の気が済むまでお付き合いさせていただきます」

「……ありがとう、婆や」

「勿体ないお言葉でございます。……ご当主様、貴音お嬢様が参られました」

『入れ』

 

 襖を開け、貴音は部屋に入る。部屋に敷き詰められた畳は一体何畳だっただろうか。貴音はそんなことを思いだしつつも、父の前まで歩きその場に正座で座った。

 貴音の父親は生まれてくる時代を間違えたのではないか、そう思えるほどの面構えをした男だ。

 侍、そう戦国武将のような容姿にも見える。ところどころ肌に皺が目立ち、60代後半のような印象を受けるが、年老いたおっさんなどとは感じさせない覇気がある。

 今にも後ろにかけられている日本刀を抜いてきそうな勢いだ。

 

「ただいま、戻りました」

「……」

 

 よく帰ったなとそんな言葉を言ってもらえないことぐらい貴音はわかっていた。

 お父様はわたくしのことに無関心だ。そのことは物心ついたころから気付いていた。

 まともに会話をしたことだってありはしない。ただ、貴音もそんな父を嫌悪しているわけではなかった。

 わからない人。ただ、そう思っていた。

 

「縁談の相手は聞いておるな」

「はい。同じ五摂家の九条家の次男と、お母様から聞いております」

 

 顔も知らない相手、と言いそうになるが貴音は堪えた。

 

「別に五摂家同士の縁談は珍しくない。むしろ、より良い血筋を残すためと、周りの奴らは言っておる。お前の母も、高峯の家から来た。なにもおかしくはない」

 

 高峯家の女は代々銀色の髪をした子が生まれると言われている。現に貴音も、その母親も銀色であった。

 

「四条には男がいない。この縁談は自然なものだ。だが、気に入らん」

「……」

 

 睨みつけるように貴音を見る。

 貴音は何も言わなかった。いや、目の前の父が何を言いたいのかがわからない。何を考えているのかがわからない。わたくしにどうしろと、何を言えば納得するのですか、そればかりが頭の中で渦巻く。

 

「下がっていい。式は明日だ。明日に備えて休め。」

「……失礼します」

 

 重い足取りで部屋をあとにしようと部屋を出るその直前、

 

「貴音」

「はい、なんでしょうか」

「ここを出る前のお前はまだ見る目があったが、今は見るに堪えない。残念だ」

「……ッ」

 

 貴音は初めて父親に怒りという感情を抱いた。

 この人にわたくしの一体何がわかるというのか。この気持ちが、今にも胸が弾けそうなこの想いをわかると言うのか! 貴方は一体わたくしの何を知っているんですか。地球で過ごした数年のわたくしの何を知っているのか。

 わたくしがどれだけここに帰ってきたくなかったことか。どれだけ、あの人に謝りたかったか。どれだけあの人にこの想いを打ち明けたかったか。

 貴方にはわからない。わかってほしくもない。

 けど、わたくしが一番愚かだということは……わかっている。

 残念……そうです、わたくしは残念な女。惨めな女。哀れな女。臆病な女。本当に、弱虫な女。

 結局、わたくしは四条を選んだ。選べたのに、選択できたのに、わたくしは選ぶ以前に逃げたのだ。家のためだと言い訳をして、四条に逃げたのだ。

 

「……失礼します」

 

 吐き捨てながら襖を強引に閉めた。

 

 

 地球 日本 東京都某所 プロデューサーが住むマンション

 

「――ハッ!」

 

 意識が戻ると、一瞬にして目を開けて起き上がった。プロデューサーは自分の状態を確認した。どうやらうつ伏せで寝ていたらしい。

 カランと床に何が落ちた。薬莢のようなものだ。それを手に取りじっと見つめた。

 まるで頭をハンマーで殴られたかのような感覚に見舞われた。

 

「そう、だった、思い出した!」

 

 思い出した。思い出したぞ。

 昨夜のことを全部思い出した。なんでついさっきまで忘れていたのかはわからない。いや、そんなことはどうでもいい。

 かつてない程の怒りが胸の中で蠢いている。しかし頭の中は至って冷静だ。そう、クールだ。冷えたビールのようだ。

 プロデューサーはまず目の前にあるベランダを確認した。記憶が正しければベランダに出る窓は開いていた筈なのに閉まっている。誰かが閉めたというのは変な話だ。それだったら寝ている自分を起こすはずだ。

 次に部屋を見渡した。記憶力はいい方だ。昨日の朝の風景はある程度覚えている。歩きながら一つ一つ確認していく。

(……これは、どうなっているんだ)

 プロデューサーは写真立てを手に取る。

 テレビボードの上にいくつか置いてある写真立て。それはいい。昨日も、というかいつもそこにある。問題はその写真だ。どれも自分と貴音や美希が写っている写真だったはずだ。なのに、これはおかしい。

 

「なんで、貴音がいないんだ」

 

 これも、あれも、みんなそうだ。本来貴音がいたはずの場所にアイツがいない。一人寂しくどっかの誰かさんが写っているだけ。プロデューサーは慌てて台所に向かった。

 食器棚には自分と貴音、それに美希用の食器がいくつかあったはずだった。

 予感は的中しここも“なかった”ことになっている。

(まさか!)

 寝室の隣の居間を開けた。そこには本来貴音が持ち込んだり、代わりに購入した衣装部屋になっている。部屋を埋め尽くすほどあったはず。

 これもなくなっている。あのカエルの着ぐるみもない。

 冷静だったはずの頭が急に熱くなっていく。慌てて部屋を飛び出し、隣の部屋に向かう。キーケースに一応持っていた貴音の部屋のスペアキーを差し込んで入る。

 

「貴音!」

 

 リビングを見渡した。何度か来たことがあるのである程度は覚えているが、これもおかしなことに貴音が所有していたものがなくなっている。

 刹那、あることに気付いた。

 そうだ、美希だ。美希がいたはずだ。

 彼女達の寝室の前に立つ。常識や良心がブレーキをかけず、プロデューサーは強引に寝室へと入った。

 誰かいる。美希だ。

 

「おい、起きろ美希! 起きろ!」

 

 両肩を掴んで揺する。美希のことなどお構いなしに。

 

「ん、ん――もぉ。はにーどうしたの? 朝這い?」

「寝ぼけてるんじゃない! 美希、お前は覚えているだろ?! アイツのことを!」

「おぼえてるぅ? アイツってだれ?」

「だれって、貴音に決まっているだろ! 四条貴音、お前と同じ765プロのアイドルで、お前とこの部屋を一緒にシェアしていた」

「たか、ね……? 誰、その女? もしかして、浮気?」

「ふざけんな! 貴音だよ! なんで、覚えていないんだ?! お前と貴音は……その、ライバルで、……アイドルしてというか、女の? いつもオレの部屋で一緒に飯食って、テレビ見たり、出かけたりしたろ?!」

 

 泣きそうな声でプロデューサーは声に出していた。思い出せ、なんで忘れているんだと。

 その時だ。急に美希が頭を抱えた。

 

「どうした、美希?」

「い、いたいよ、ハニー。頭が、割れそうなの……。たかね? 貴音はミキのライバルで、一番の……違う、そんな女いない……たかねなんて女、知らない……」

 

 熱くなっていた頭が急に冷めた。

 これは喜びに近い感情だ。自分だけじゃない。美希も覚えている。これは、消された記憶に、無理やり違う記憶を入れたに違いないとプロデューサーは確信した。自分一人だけじゃない。四条貴音のことを覚えているのはオレだけじゃないんだ。

 待てよ、となると……。

 プロデューサーはとんでもないことに気付いた。四条貴音が関わったモノすべての存在を消し、または入れ替え、人々の記憶を改竄する。

 そんなことできるわけ……。

 ありえない、不可能だと思ったが、地球には摩訶不思議な奴らが敵味方と存在していることを知っていれば、ありえないことではないことに気付いた。

 

「美希、すまないな。ゆっくりまた眠るといい」

「ハニー……どこかいくの?」

「ちょっと、ラーメンが好きなお姫様を迎えにな。帰って来たら、一緒にご飯を食べよう」

「……うん」

 

 美希の頭を優しく撫でると、彼は寝室を後にして自分の部屋に戻る。寝室にあるクローゼットを開ける。同じスーツが何着とハンガーにかけられている中、その下に置いてある大きなバッグを取りだす。大きさはだいたいゴルフバッグより少し大きいぐらいだろうか。

 プロデューサーが取りだすと、中から変な金属が擦れたような音が聞こえる。床におろし、ファスナーを下ろして中を覗き込む。

 銃。ずらりと銃器が入っている。銃だけではなく弾丸も箱ごと敷き詰められている。

 どれも非合法で手配した彼の私物だ。

 その中にあるショルダーホルスターと背面のヒップホルスターを手にとり身に着ける。バッグの中にあるH&K USPコンパクトとマテバ M-2008を取りだし、それぞれ点検してマガジンを込め、弾を装填。USPを背面、マテバを左の脇に装備する。

 前者は多くの機関に採用されているが、後者は某アニメの影響で発注した特注品だ。有りていに言えば、彼のお気に入り。

 

「貴音のやつ、ウサミン星って言っていたよな……」

 

 たしかに言っていたはずだ。仮にそれが真実だとしよう。思い当たる人物が一人。とても身近にいる人間だ。常識を疑いたくなるが、生憎その現実ってやつを目の当たりにしたばかりだ。本当のことなのだろう。

 なら、向かうはアイツの家だ。そこに貴音の下へ向かうための手段があるはず。

 プロデューサーは上着を着て、バッグを肩にかける。準備はできた。覚悟もある。

 

「戦争だ……」

 

 男は戦士となった。怒りに取りつかれた戦士に。

 彼は腰のUSPを抜いてスライドを引いた。

 戦いのゴングが、いま鳴った。

 

 

 地球 日本 千葉県某所 某アパート

 

 実を言うと、私は宇宙人だ。変な言い方をすれば、私から見た地球人もまた宇宙人であるのだが、この際は置いておくことにする。

 私の名前は安部菜々。出身ウサミン星、職業アイドル。最近肩と腰が痛くてしょうがない。

 これが私のアイドルとしてのプロフィールであるが、本当である。真実なのだ。

 ウサミン星にある安部家に生まれた私の人生は決まったも同然であった。安部家は代々四条家に仕える家柄である。私の母も、お婆ちゃんもメイドとして四条家に仕えている。

 そんな私が地球でアイドルをやっている理由は至極簡単で、というか歌って踊れる声優アイドルになりたくてやってきたのだ。娯楽が少ないウサミン星では地球の放送をジャックして流している。私が夢中になったのがアイドルでアニメである。

 その時の私は「アニメ最高! アイドルって可愛い! 日本に行く!」と只ならぬ思いを秘めながら生活していた。

 諸君らもどうして私が、現にアイドルとして活動できているのかと疑問に思うだろう。答えは簡単。半ば家出のように飛び出したからだ。

 曖昧なのは事情があり、四条家のご息女である貴音様が地球に降り立つことになったのだが、私はその護衛として付き添うことになっていた。しかし、その貴音様が護衛など不要と一蹴したものだからその話はなくなった。のだが、私はどうしても地球に行きたかったので、隙をついて故郷を飛び出したのです。

 地球に降りた私を待っていたのは前途多難な日々でした。メイドとしての英才教育を施されていなかったらやばかったです。ええ、本当に。まあ、他にもウサミン星が誇る超技術でやり過ごしたりしたのですが、まあ金がすべてといいますか、色々と大変だったのです。

 秋葉原のメイド喫茶や346カフェでウェイトレスをしているのも血の定めではなく、ただ自分の能力を最大限に発揮できるのがそれだっただけなのです。

 過程は省きますが、地球に来て少し経ち。アルバイト生活を送っていた私の下に一通の極秘指令が送られてきたのです。お婆ちゃんが直接来たので腰を抜かしました。

 なんでも貴音様がアイドルとして世間に触れることとなり、仮にも四条家の次期当主がこう世間の目に触れることになるとは予想もしておらず、ならばと陰ながら地球に滞在するウサミン星人が護衛をすることになったのです。

 そして、報告ではある男性とほぼ同棲のようなことをしていると言うのですから、ビックリってやつでした。

 ただ、その男性が……後に出会うプロデューサーと知った時は目を疑いました。

 向こうからすれば私の立ち位置はこれほどとないものなのでしょうが、当の本人である私は複雑でした。だって、お嬢様の顔を見たら……どうすることもできないじゃないですか。監視しているだけで辛かったです。だって、好きになってしまったんですよ、プロデューサーのこと。

 そんな板挟みな生活を送っていましたが、先日ある連絡が届きました。

『貴音お嬢様がご結婚なさる。貴方も帰ってきなさい』とお母さんとお婆ちゃんから連絡が来たのです。

 そして私は、こうして今荷造りをしています。

 

 

「はあ……。プロデューサーに連絡、した方がいいよね……。気まずいなあ。朝見た報告ではお嬢様に関する記憶は改竄したって話だけど……。でも、プロデューサーだし……」

 

 彼は並みの人間ではない。今日までプロデューサーと過ごしてそれだけはわかる。なんていうか、存在が非常識? ファミコンとかに出てくるバグった敵キャラ? みたいな感じだと菜々は感じていた。

 

「荷物は……全部はいいよね? どうせそういうことになっても、また取りにくればいいんだし」

 

 この婚姻が決まればきっと自分はお嬢様の専属メイドになる、という話だ。菜々は気まずくてしょうがなかった。お嬢様に仕えるのもそうだが、向こうに戻った時の反応というか、そういうのが気まずい。

 

「……よし、これで準備完了……って! いけない、慌てて荷造りしてたから寝間着のままでした。着替えは……メイド服でいいですよね」

 

 寝間着といってもジャージなのであまり見せられたものではない。上着とズボンを脱ぐ。白のブラジャーにショーツ姿になる。

 菜々の身長は146cm、B84である。本人は自身の体型に色々と思う所があるらしいが、恵まれている体型であるし、魅力的だ。

 

「ううぅ、ちょっと膨らみましたかね……。最近瑞樹さん達とよく飲みに行っちゃったのがまずかったかなぁ。これからは一層気を付けないとお母さんとお婆ちゃんに何か言われる……」

 

 想像しただけで身震いしながらも、ガーターベルトを着けて、ショーツの下に通す。白の網ストッキングを右足から履く。

(なんだか、こうアレですね。セクシーポーズってやつ)

 鏡がないので実際そうなのかはわからない。ただ、こういうことをしてプロデューサーは動じないというか、一般的な男性の反応はしてくれないんだろうなと菜々は肩を落とした。

 

「えーと、向こうのメイド服どこにしまったかなあ。バッグの中だっけ」

 

 ウサミン星でのメイド服というよりも、安部家の仕える際に着る正装がロングスカートのメイド服である。メイドは無暗に肌を晒してはいけない掟がある。なので、普段着ているミニスカートのメイド服では駄目なのだ。

 

「あれ、ないですねぇ。こっちだった―――」

 

 大音響。

 突然、玄関が粉砕された。玄関は木造なのでいともたやすくその役目は終わった。

 

「え?! え?! ちょ、一体なんなん――きゃぁあああああああ!!」

 

 菜々は悲鳴を上げた。下着を身に着けていながらも咄嗟に胸と股を隠しながらその場に座り込んだ。なによりも、その目に映った人物に驚かされた。

 

「プロデューサ―――――?!」

 

 なんでここに?! どうして、ていうかなんで銃を構えてるんですか?! ていうか、いま私下着姿のまま……。菜々は驚きのあまり混乱したが、状況は最悪だということに気づくのは、彼が自分に銃を突きつけていると認識した時であった。

 

「菜々、正直に答えろ。ウサミン星にはどうやって行く?」

 

 耳を疑った。話が違う。だって記憶の改竄は問題ないって……。

 先程自分で口に出したことを思い出せない菜々に混乱が続く。なによりも好きな人に銃を突きつけられているのだ。おかしくなるのも仕方がない。

 

「いや、言い方を変えよう。どうやってウサミン星に帰る?」

「な、何を言ってるんですか、プロデューサー。知ってるじゃないですか、ウサミン星は菜々のアイドルとしてのせって――」

 

 発砲。

 弾丸は菜々の後ろの壁に着弾。菜々は口を開けたまま目を見開いた。本当に撃つとは思ってもいなかったからだ。

 

「オレは嘘が嫌いだ。もう一度聞く。地球からウサミン星にはどうやって戻る?」

「で、ですから、菜々は、何も知らない――」

 

 突如、プロデューサーは菜々の右腕を無理やり掴み、強引に菜々を壁に叩きつけた。

 

「痛っ!」

「誤魔化すのもいい加減にしろッ! オレの目の前で貴音が宇宙船に乗っていくのを見ている! お前がウサミン星人だってわかっている! さあ、答えろ! ウサミン星にはどうやっていく! 貴音は何処にいるんだ?!」

「ヒッ!」

 

 菜々は見てしまった。かつてないほど、怒りに取りつかれた彼の形相を。菜々はそれに生まれて初めての、本当の恐怖を味わった。

 痛みと哀しみと恐怖の感情がまじりあう。菜々は涙を流しながら必死に声を出した。

 

「いたい、です。離して、離してください」

「いいから答えろ! お前達の目的はなんだ?!」

「ぐす、やめて、やめてくださいぃ! お願いですからぁ、もう、やめて、やめてくださいいぃよぉ……。プロデューサー、怖いよぉ……」

「ッ!」

 

 拘束を解き、プロデューサー菜々に銃口を向けた。

 崩れ落ちる菜々。アイドルではなく、一人の女性としても見せることのない恐怖と悲しみが混じった泣き顔。

 

「ぷろでゅーさーぁ……」

 

 必死に大好きな人の名前を呼ぶ。けれど、彼の指はゆっくりと引き金に手をかけ……。

 

「そこまでよ」

「!」

 

 新たな声。

 プロデューサーは咄嗟に菜々を盾にし、声が聞こえた先である玄関に銃口を向けた。

 

 

「……のあ?」

 

 高峯のあ。たしかに、彼女がそこにいた。

(なんで、ここに?)

 のあがどうしてここにいる。わからない。なぜ? とプロデューサーは思考を巡らせる。しかし、考えてみればすぐにわかった。

 

「そうか、お前もウサミン星人だな。答えろ、お前達はどうやて――」

 

 銃口を向けながら質問するが、のあは彼の下に近づいてくる。動揺しつつも、プロデューサーは照準をのあに合わせ、警告する。

 

「止まれ!」

「今の貴方に、私は止められない。止められるのは私だけ」

「いいから止まれって言ってるんだ――」

 

 パチン! 左の頬に痛み。打たれた。痛い、けど、何かが切れた。呆気にとられたとも言えるのかも知れない。

 

「目は覚めた? いま、貴方が何をしているのかわかってる?」

「……」

「わからない? 貴方は、自分のアイドルを傷つけた。それだけじゃないわ。銃を向けただけではなく撃った。そして、盾にしたのよ。答えて頂戴。貴方はプロデューサー。それなのにどういうことなの? そんな貴方が、胸を張ってあの子の前に立てるの?」

「オレは……」

 

 菜々を拘束していた手が緩み、彼女はその場に座り込む。

 

「のあ、ざま……」

 

 菜々は言ったその一言が、現実へと戻した。

 

「――は? のあ様?」

「……私のことは後で話すわ。それよりも、5分ほど外に出てるから、なんとかしておくことね」

 

 のあの視線が菜々に向けられた。プロデューサーも釣られて菜々を見た。

 言葉にできない罪悪感が自分を締め付けた。

 放心したプロデューサーなど気に留めることもなく、のあは部屋を出て行く。

 USPをホルスターにしまい、その場に膝をつく。菜々は泣いている。両手で顔を覆い、泣いている。見ないで、私を見ないでと言っているようだ。むしろ、拒絶しているように彼は感じた。

 

「……菜々」

 

 彼女の名を呼びながら、プロデューサーは前から菜々を抱きしめた。しかし、彼女はそれを振り払うように暴れた。

 

「ばかぁ! プロデューサーのばかぁ! 最低! 畜生! 女の敵! 変態!」

「すまない、本当にすまない。オレ、頭に血が上って……貴音がいなくなってどうかなっちまってた」

「そんなの、言われなくたって知ってますもん……。お嬢様がプロデューサーを見る目は、物凄く優しくて。プロデューサーだって、お嬢様に向ける顔は、ナナたちには見せてくれない顔で」

「もしかして、ずっと見てたのか」

「そうですよ! 視てましたよぉ! 暇なときはずーーっと! わかります?! お嬢様に仕える身分の女の子が、お嬢様の一番近くにいる男性を監視しなくちゃいけないのに、その男がプロデューサーでぇ! ナナが好きな人で! でも、二人は、二人は……お似合いで……」

「菜々」

「うわぁあああああん!! 優しくしないでくだいよぉ!!」

 

 泣き叫ぶ菜々をぎゅっと抱きしめた。今度は優しく、彼女を抱きしめた。

 

 菜々が泣き止むまでプロデューサーはずっと抱きしめていた。泣き止むと、プロデューサーは上着を脱いで菜々の肩にかけた。

 落ち着いた菜々がプロデューサーを睨みつけながら言いだした。

 

「……ってください」

「え?」

「だから! 責任をとってください! ナナをこんな目に遭わせて、傷つけられて、それに裸だって見られてたんですよ?!」

「いや、別に水着とそんなかわら――」

「最低、変態、ド変態、畜生、ド畜生、男の屑、女の敵」

「……ごめんなさい」

「じゃあ、責任とってください」

「……わかった。全部片付いたら、なんでも言うこと聞く。責任もとる」

「約束ですからね。嘘ついたらツイッタ―で拡散させて炎上させますから」

 

 最近何かと話題になるSNS。利用してもいないし、特に興味ないと思っていたが、他人事ではなくなった。

 そんな中、のあが戻ってきた。

 

「あら、じゃあ私も責任をとってもらえるのかしら?」

「……待っているんじゃなかったのか?」

「5分はとっくに過ぎているわ」

「お前、これが狙いだろ」

「なんのことかしら。それに貴方の目的を達成させるには、私の力が必要不可欠よ。それぐらいの見返りがあってもいい、そう私は思っているのだけれど。違うかしら?」

「……わかった。ただし、全部片付いたらな」

「それでよくってよ。さて、菜々。まずは服を着なさい。話はそれからよ」

「は、はい、のあ様」

「のあでいいわ。ところで」

「なんだ」

「いつまで抱きしめているのかしら。もう必要はないと判断するわ」

 

 そうだなと頷きながら菜々から離れようとするが、当の菜々が胸を掴んで離れようとはしなかった。

 

「もうちょっとこのままで」

「……菜々」

「のあさんでも、ここは譲れません」

 

 女の戦いが幕を開けた。

 

 

 菜々のアパートから場所は変わり、免許を持っているとは聞いていなかったのだが、のあがどこからか持ってきた車をプロデューサーが運転しながら目的地へと向かっていた。

 

「色々と聞きたいことがあるでしょうから説明するけど、じっくりコースとあっさりコース、どちらがいいからしら」

「じっくりコースで」

「そう。まずは、そうね。私達のことからしらね。貴方はさっき私達の事をウサミン星人なんて呼んだけど、厳密に言えば私達も地球人よ」

「……宇宙人じゃないのか」

「それを言ったら地球人だってそうよ。元々私達の祖先は地球に住んでいたらしいの。それも遥か昔のことよ。理由は定かではないけど、祖先は地球を出てあなたたちの言う月へと向かった」

「ちょっと待ってくれ。月は月だろ?」

「いいえ、プロデューサー。私達は月のことを昔からウサミン星と呼んでいるんです」

 

 助手席に座る菜々が間に入って答えた。

 

「ですから、プロデューサーの言うように『ウサミン星人』と呼ぶのもあながち間違いではないんです」

「ふーん。で、なんでお前らは地球に?」

「その理由は人それぞれでもあり、五摂家の考え方にもよるわ。地球上のあらゆる機関、政府、会社に私達の同胞が潜伏しているわ。時に我々の技術を教え、危険だと判断されたモノは影で排除してきた」

「フリーメイソンみたいなものか?」

「似たようなものよ。私達が地球に対して侵略行為をしないのもわかるでしょう?」

「記憶の改竄だけではなく、事象の改変。頭がおかしくなる」

「ナナ的には、プロデューサーが平然としていることに驚きですよ……」

「地球じゃよくあることだ」

「いや、ないですよ?! あ、次の角を左です」

 

 指示されてハンドルを左にきろうと思ったが信号が赤になった。

 

「じゃあついでに聞くが、お前らはなんで地球に来た?」

「それは……その、歌って踊れる声優アイドルになりに」

「それ、マジなのか?」

「だって、ウサミン星は娯楽が少ないんですよ。態々地球の放送をジャックして流すぐらいなんですから」

「そ、そうか。で、のあは?」

「私は貴音の影響が大きいからしら」

「聞こうと思ってたが、お前ら貴音のこと知っているのか?」

「知っているもなにも、安部家は代々四条家に仕える家柄で、私も本当は貴音お嬢様のメイドとして仕えることになっていたんです。まあ、お嬢様とはしばらく会っていませんけど」

「へー、そうだったのか」

 

 相槌を打ちながら彼は信号が青になったのでアクセルペダルを踏んだ。

 

「ちなみに私は貴音の従姉妹よ」

「はぁああ?!

 

 突然の発言にプロデューサーは柄にもなく驚き、思いっきりアクセルを踏んだ。その所為で車は急発進しながら角を曲がった。

 

「安全運転でお願いしたいのだけど」

「す、すまん。年甲斐もなく驚いた。いや、マジで」

「彼女の母親が私の母と姉妹なのよ。ちなみに私が姉よ」

「初めて会った時からずっと思ってたんだよ。髪の色があまりにも似てるなって」

「高峯の女は代々この髪の色らしいわ。あの子もそれが遺伝したんでしょうね」

「そ、そうなのか」

 

 のあと初めて出会った時、間違えて貴音の名前を呼んだのが始まりだ。後ろ姿だけで、よく見れば髪も違うのだが、銀色をした綺麗な髪があまりにも似ていた所為で間違えたのを彼は思い出した。

 

「でよ、そろそろ本題に入りたいんだが、なんでこんなことになった? あいつは……結婚とかどうとか言っていたが」

「それは本当です。四条家には男の子が生まれず、お嬢様が次期当主になることは昔から言われていて、今回の婚姻も婿をもらう話になっています」

「それにしても、あまりに急すぎる」

「私達からすればそれほど驚くことではないわ。五摂家の婚姻なんてこんなものよ。家の存続と血筋の確保。くだらないわ」

「なんで、年上のお前がまだ未婚なんだ。いや、アイドルとしては困るが」

 

 その瞬間、バックミラーでたしかに見た。のあのこめかみが反応したのを。

 

「相手が見つからなかっただけよ。私の相手は自分で見つけることにしているの。それも、もう不要だけれど」

「……あ、そう」

 

 のあは悔しい顔をしているのが、ミラーを見なくてもひしひしと伝わってきている。

 

「それで? 相手の男はどんな奴だ?」

「九条家の次男だと聞いています。ナナは見たことありませんが、のあさんは?」

「あるわよ。冴えない男だったわ。貴方を大木と例えるなら、アレは……小枝ね。曲げたらすぐに折れてしまいそうなぐらい貧弱な男」

「ふん。アイツには釣り合うのは、生半可な奴では勤まらん」

「あら、まるで自分がそうだと言っているように聞こえるわ」

「知らん」

「プロデューサーも照れちゃって……あ、あそこです。あの家」

 

 車は目的地に着いた。

 プロデューサーは周囲を見回したが、至って普通の住宅地。その目的の家も、一階建てのどこにでもある住宅のように見えた。

 菜々とのあが家に向かって歩き出した。彼は続くようにその後ろを歩きながら尋ねた。

 

「これが、そうなのか?」

「はい。外観はたしかに地球の物です。ですが、この拠点を中心に認識阻害を発する電波が流れているので、誰も気には留めません。細かく言えば、この町を管理している市にも同胞が潜入にしているので、根回しは済んでいるんです」

「補足すれば、ここは拠点の一つね。私も全部は把握していないけれど、あちらこちらに拠点はあるわ」

「侵略してないとかいつつ、かなり侵略しているように聞こえるな」

「気のせいよ」

「のあもここを通って来たのか?」

「違うわ。私は都内のある場所から来たの。今だから言うけれど、こっちに来てすぐに貴方に声をかけられたわ」

「……マジ?」

「マジよ。出会うべくして私達は出会ったの。まるで運命的じゃないかしら?」

 

 あまり笑顔を見せないのあが、振り向いて彼にその笑みを見せた。こんな状況でなければ見惚れていたに違いない。

 

「運命なんて信じない質でね。必然だとオレは思ってるがね」

「貴方のそういうところ、好きよ」

「どうも」

「つれないわね」

 

 気付けば自分達の世界に入っていた二人を見て菜々は嫉妬した。先程の仕返しかと思ったが、すぐに考えるのをやめた。不毛すぎる。

 玄関に辿りつくと、菜々が鍵を開けて先に中に入る。のあの後に続いて中に入ると、そこには想像していたものとはかけ離れた光景があった。

 建物の中には一つの人工物しかなかったのだ。これはドームだろうか。真っ白なドームには頑丈そうな扉が一つあるだけだ。

 

「なんだ、これは」

「これが地球とウサミン星を繋ぐ転送装置よ」

「これが?」

「実際に中を見てもらえればわかると思いますよ」

 

 言うと、菜々は扉の横にある暗証番号に入力した。プロデューサーはちらりと横目でそれを見た『7337』と打ちこんでいた。ビィっと音が鳴ると、扉が開いた。扉の奥には、まさにSF映画に出てくるような機械があった。中央に転送装置らしきものがあり、その端に制御装置がある。

 菜々が制御装置を操作している間、プロデューサーとのあは装置の上に立つ。

 

「これで準備OKです。あと一分で転送開始します」

「転送した後のことを軽く説明するわ。向こうに着くと、扉の向こうに警備員が二人いて、中に入ってくるわ。その二人だけなんとかしなさい」

「それはいいが、なんでそれだけなんだ?」

「私の配下の人間が来る手筈なのだけれど、予定より少し早いわ」

「了解だ」

「あのプロデューサー? これはお願いなんですけど……殺しはダメ、ですからね!」

「一人でも死人を出せば、地球との全面戦争の始まりよ」

 

 さらに釘を刺す様にのあが付け足した。

 

「りょーかい」

 

 腰に手を伸ばし、USPの安全装置を戻した。

 何かの起動音が鳴った。車やバイクのアクセルを少しずつ開けていくように音がどんどん大きくなっていき、辺りにバチバチと光が弾ける。

 目の前の光景にプロデューサーは何か既視感を覚えた。

 

「……なんか見覚えがあると思ったらアレだ」

『アレ?』

「ターミネーター」

 

 瞬間、世界が白く光った。

 

 

 ウサミン星 軍事区画 転送室

 

 三人は一瞬にしてウサミン星の軍事区画にある転送室へと飛ばされた。そこは先程いた部屋と見分けがつかないほど同じだった。

 プロデューサーはすぐに目の前の扉の横に張り付いた。直後、扉が開き二人の兵士が入ってきた。彼から見て手前の兵士の腹に正拳突きを食らわせ、頭を掴み膝蹴りを入れ抵抗する間もなく意識を飛ばし、兵士は頭から床に崩れ落ちた。隣の兵士が突然のことに驚いていたが、プロデューサーは動きを止めることなく次の攻撃に入る。しかし相手は意外にも優秀だったのか、腰の電磁警棒を抜いて振り下ろした。プロデューサーは振り下ろしてきた腕を掴みそのまま壁に押し付け、警棒を持つ手を離すまで壁に叩きつけた。警棒を落すと、彼はそのまま兵士の腹に何度も拳を叩きつけ、トドメの一撃を顔面に叩き込み、兵士は倒れた。

 プロデューサーは倒れている兵士を見た。その姿はスター・ウォーズに出てくるトルーパー兵のような格好をしている。違いは頭部が地球の軍隊であるようなヘルメット。

 

「て、手馴れてますね」

「流石ね」

「ざっとこんなもん――!」

 

 腰に手を伸ばしUSPを掴み、安全装置を外しながら彼は扉の外へと銃口を向けた。そこには、いま倒した兵士と同じ格好をした男が二人。

 撃つか。いや、駄目だ。なら、どうする。撃つのは駄目だ。では、このまま……。

 思考を巡らせる。そして、動き出そうとしたその時、

 

「待って! 彼らは味方よ!」

 

 のあの声にプロデューサーの身体はすぐに静止した。

 

「ふぅ! のあ様、ありがとうございます」

「私達はのあ様の配下の者です。お願いですから、銃を下ろしてください」

「銃を突きつけられてはゆっくり話もできねぇからな」

「すまない。癖、みたいなものでな」

 

 謝りながら彼は銃をしまった。

 

「ゆっくりといきたいところですが、時間がありません」

「今は他の者がモニタールームを押さえていますが、これを見るに時間が……」

 

 兵士の二人は下に視線を移した。そこには彼が倒した男達が寝ている。のあの計画では、この二人が見張りの兵士を目立たないように無力化する予定だった。

 

「いや、アンタが悪い訳じゃないんだ。それにしても地球人にしては見事な手際だ。ほれぼれしちゃうね! ジャッキー・チェーン? それともブルース・リー?」と黒い肌をした黒人のような男が言った。

「ふざけるな。お前はここに残って俺が戻ってくるのを待っていろ。では、こちらへ」と白人のような男が先導した。

 やけに映画に出てくるコンビのような男達だなとプロデューサーは思いつつ、本当にウサミン星に娯楽が少ないのだと実感した。

 二人が白人の男に付いて先に歩きだして、その後ろにプロデューサーも付いていく。彼は部屋を出る直前、黒人の男に向けて言った。

 

「ちなみに、俺はブルースでもジャッキーでもない。プロデューサーだ」

 

 それだけ言ってその場を後にした。

 

「……プロデューサー?」

 

 男は首を傾げながら何のことか考えた。すると、うっと下から声がしたので、警棒を叩きつけてもう一度眠らせた。

 

 

 軍事施設だと思われるここは、やけに軍とは似つかわしくない場所だとプロデューサーは思い始めていた。

 それもそのはずだ。ここは地球とは違う。ウサミン星なのだ。

 二人が言うように、地球とは比べ物にならないほど技術が進んでいるらしい。通路を見ても無駄がない。壁の色は白一色。なんだか頭がおかしくなる。

 ただ、言えるとすれば……SFだ。これしか出ない。

 ふと、ガラス張りの空間が現れた。そこにはあの時見た宇宙船があった。プロデューサーに気付いたのあが言った。

 

「これは輸送艇よ。時間から考えると、すでに貴音は式場よ」

「……急ごう」

「ええ、そのつもり」

 

 少し歩く、ロビーと思われる広い空間に出た。今までと違って多くの人が入り浸っている。のあに気付いたのか、誰もが頭を下げている。そのおかげなのか、一人異質なプロデューサーに誰も見向きもしない。彼は改めて、ここでの彼女の立場が大きいのだと気付かされた。

 ロビーを抜けて外へと出ると、一台のリムジンが停まっていた。それは車だと彼にはわかったが、タイヤがないことに驚いた。

 

「すげーSF」

「そんなこと言ってないで乗りなさい」

 

 のあに言われて車に乗り込む。中は地球の高級車とは比べ物にならないレベルだ。シートはふかふか。乗り心地は超サイコ―。

 

「では、のあ様。私は戻って時間稼ぎをしてまいります」

「ご苦労。……出して」

 

 室内にマイクでもあるのか、のが命令すると車は発進した。

 のあと菜々が一緒に座り、その反対側にプロデューサーが座っているその間の床からふわっと球体が浮上し、空中に映像が映し出された。

 地図だろうか。ドームの形をしたものがいくつか並んで映し出されている。赤い点があるところが、いま自分達がいるところだろうと彼は推測すると、のあが説明を始めた。

 

「今私達がいるのがこの軍事区画。これを抜けると市街地、平民が暮らす一般居住区。そして、これが皇族や貴族が住む特区。で、この特区なのだけれど」

 

 パチンと彼女が指を鳴らす。表示されていた特区にズームし中が表示された。

 

「特区にはそれぞれ派閥があって、それが五摂家なのだけれど。例えるなら星かしらね。それぞれの角が各派閥の敷地だと思って」

 

 映し出されている映像の中で気になる場所があった。のあが星に例えたが、なら星の中央であるここはなんのか。映像には建造物があるように見えた。

 

「この中央にある建物は?」

「それは大聖堂です」

 

 菜々が割って入ってきた。

 

「城のようにも見えるが」

「それは人によって感じ方が違うみたいですね。多くの人は大聖堂と呼称していますが」

「お前ら日本なのか西洋なのかはっきりしろよ」

「その問いには歴史の勉強をしなくてはならないのだけれど、素直に言えば複雑なの、この星の歴史は」

「大聖堂自体にはあまり意味はないという伝承はありますし、何か秘密があるのではという見解もあります。ただ、この城内といいますか、大聖堂だけは昔から婚姻の儀を行う場所として利用されているんです」

 

 菜々が操作すると、地図からカラーの映像が映し出される。それを見たプロデューサーはイギリスにあるダラム城と大聖堂を思い浮かべた。建物全体もそれに近い。

 

「話は戻るけど、この特区自体に入るのは問題はないわ。この車に乗っていれば問題はない」

「じゃあその問題は?」

「この大聖堂よ。この周りには5、6メートルほどの塀で囲ってあるの。それもただの壁ではないわ。目には見えない特殊シールドが張ってある」

「つまり、空からは無理ってことか。で、地上は?」

「出入り口はこの正面ゲートのみ。しかも、厳重な立ち入り検査がある」

「なあ、この意味があるかわからない建物になんでそんな大袈裟なシステムになってるんだよ」

「さっきも言ったじゃないですか。意味があるかもしれないから問題なんですよ」

「それに、ここには代々司教様が居られるの。婚姻の進行も司教様がお勤めになるわ」

「成程。その司教が代々いるって言うのも、この大聖堂の謎の一つというわけね」

「一説では代々この星の歴史を記録、保存しているとか。まあ、色んな噂があり過ぎて憶測の一つでしかありません」

「それは理解した。続けてくれ」

「ええ。まずはゲートを通るための手段だけど……力づくで突破するしかないわ」

 

 何か名案があるかと思いきやこれだ。彼は頭を抱えた。

 

「これには理由があって、この星に住む人全員のデータが管理されているの。指紋、声紋、血液。果てには網膜パターンから識別して照合するの。さらに大聖堂に入れる人間は特区の人間のみで、全員このような物を身に着けているの」

 

 のあがそう言って見せたのは耳につけているイヤリングだった。

 

「これは私の場合ね。菜々は……」

「あ、ナナはこれです」

 

 頭につけているウサミミのカチューシャを見せてきた。いつも見ているので新鮮味がなかった。

 

「つまり、貴方のデータはこの星には存在しない訳で、普通に入るのはまず無理よ」

「それで? 力ずくでと言うからには、オレのやり方でいいんだな?」

「ええ、構わないわ。菜々が協力するし、上手くやれるわ」

「え゛! ナナが、ですか?!」

「仕方がないのよ。私の家は特区の一番遠い場所にある。私はこれからのために少し手を回さなくてはいけない。それに、貴方は元々現地で合流する手筈だったと聞いているわ」

「そ、それはそうですけど……」

「問題はないわよ。もう、ある程度の計画は練ってるんでしょ?」

 

 のあに振られて彼は肯定した。

 

「ま、よくある王道な手段だ。あとは、菜々がアイドルで鍛えた演技力に期待する」

「ナナだってお嬢様を護るための訓練は受けていますから、一緒に……」

「それは駄目だ。お前には現地で貴音の傍に居てもらわないと困る」

「プロデューサーがそう言うのでしたら、何も言いません」

「頼む。のあ、この大聖堂にどれくらい警備員が配置されている? 情報があるなら事前に知っておきたい」

「警備員ではなく、警備ロボットね。数は……とにかく多いわ」

「それは問題ではないんだが、これはそのロボットに効果あるか?」

「なにかしら?」

 

 プロデューサーが地球から持ってきた大きなバッグを開けて中身を見せた。中身をみた二人はドン引きしているようだった。あまり表情に変化を見せないのあでさえ、少し目を逸らしたように見える。中身を指しながら、菜々は声を震わせながら尋ねた。

 

「これ、どうしたんですか? いや、ナナに突き付けた銃もそうですけど……」

「私物だ。で、効くのか? 効かないのか?」

「……効くんじゃないかしら?」

「ならいい。菜々、お前にも渡しておくぞ」

「えぇええ?! な、なんでナナも?!」

「オレがその警備ロボットを突破して、聖堂内に辿りついた時に周囲の安全を確保してもらうためだ」

「いや! 無理ですって! どこに隠せばいいんですか?!」

「ハンドガンじゃ心もとないから……ショットガンあたりでいいか?」

「で・す・か・ら! どこにそんな大きいものを隠すんですか!」

「スカートの中」

 

 指で菜々のスカートを指しながら平然と彼は告げた。普段のミニでは無理だろうが、今着ているのはロングだ。ちょっと微妙なところだろうが、上手くすれば入るだろ。

 

「――ッ! プロデューサーの変態!」

「いや、これは立派な隠蔽手段でな?」

「プロデューサーのエッチ! のあさんも何か言ってくださいよ!」

「そうね。それは大きすぎるわ。持っていくならこれにしなさい」

「あの……のあ様? ナナが言っているのはそういうことではなく……」

 

 トランクケースを取りだして開く。中には二つの銃があった。銀色のメッキ加工がされており、プロデューサーが持っているハンドガンのような形をしていた。

 

「至ってオレのと変わらないが……」

「見た目はね。これを持って、親指の位置にあるこのボタンを押すと……」

 

 ガシャンと音を立てて変形した。ハンドガンの大きさをしていたのが、今ではアサルトライフルのようにゴツくなった。しかも、銃口がくるくると回転している。

 

「技術部が開発している試作銃よ。弾はエネルギー弾だけど、当たっても死にはしないわ。ちょっと、痺れるだけ。菜々、これを貴方が持ちなさい」

「……気が進みませんが、わかりました」

「菜々の問題はこれでいいわね。で、プロデューサー。ゲートを通過し、上手く聖堂内に入り込んだそのあとは、どうするのかしら?」

「決まっているだろ。式をぶち壊す」

 

 バッグに入っているライフルやショットガンに弾を装填しながら彼は答えた。

 

「了解よ。……なに?」

 

 突然のあの、この星の携帯と思わしきものが鳴った。会話はたった数回交わされただけで終わったが、何やらきな臭くなってきたのを彼は嗅ぎ取った。

 

「面倒なことになったわ」

「何があった?」

「式の開演が早まったわ。一時間後だったのがあと……30分で始まるわ」

 

 

 

 大聖堂 新婦控室

 

 新婦控室で、一人の女性が座っていた。美しい純白のウェディングドレスを着た貴音だった。しかし、その表情は暗い。これから結婚式を迎える女性の顔とは思えないほどだ。

 それもそのはず、これは彼女が望んだ婚姻ではない。

(皮肉、ですね。あれほど着たかったウェディングドレスを、このような形で着ることになるとは)

 美希が羨ましい。地球にいる、もう自分のことは覚えていないであろう親友に嫉妬した。

 アイドル活動を長くしてきたが、ウェディングドレスだけは着ていなかった。結婚する前に着ると、婚期を逃すという迷信は知っている。別にそれが理由ではない。

(本当だったら、あの人と……)

 しかしそれは、もう叶うことはない。彼の声も、彼の姿も、彼に会うことも、思い浮かぶすべてのことは、もう出来ない。

 それでも、叶わぬこととわかっていても……。

 

「会いたい。貴方に、会いたい……」

 

 叶わぬ想いを声に出した。

 

「お嬢様、恋々でございます。九条様が一目お会いしたいと」

「……」

「お嬢様……。あ、はい。どうぞ、お入りください」

「やあ、貴音様。初めまして」

 最初に抱いたのは、想像していたよくある次男坊に似ていた。地球に降りれば、一躍トップアイドル、俳優になれる逸材だろう。優しそうな男だと思う。ただ、それぐらいにしか思えなかった

 彼が何かを言っている。なにせ、互いに顔を合わせるのはこれが初だ。なにか自己紹介みたいなことをしているのだろうが、いまの自分には何も耳に入ってこない。

 

「申し訳ございません九条様。お嬢様はまだお疲れのようで、申し訳ございませんが」

「ああ、わかったよ。大分、お疲れのようだ」

 

 九条が出て行き恋々が扉を閉めて彼が離れたことを確認する。貴音の前で膝をついて、彼女の手を握った。

 

「お嬢様」

「……婆や」

「お辛いのはわかります。ですが、ここまで来てしまった以上はどうすることも……」

「わたくしは馬鹿です。自分で決めてここに戻ってきたと言うのに、未練がまだ残っている」

「……お嬢様、一言私に命じてくだされ。こんな老いぼれの婆さんでも、お嬢様の願いを叶える事はできます」

「駄目です、婆や! それは――」言いかけた時、突然扉がノックされた「誰ですか?」

「――時田です。用があるのは恋々の方でして」

「私かい? 一体……」

 

 恋々が扉を開けるとそこには懐かしの我が孫が息を荒くして立っていた。ここに菜々を呼んだのは恋々だった。貴音が戻ってくることを聞いた彼女はすぐに菜々をこちらに戻した。本来であれば四条家で合流するはずだったのに、式が開演する前のこの時間にやってきた。

 

「菜々じゃないか! アンタ、やっと来たのかい?! にしても、なんでそんなに疲れきった顔をしてるんだい?」

「はぁ、はぁ……。お、お婆ちゃん、貴音様いるよね?!」

「その声……菜々、ですね。貴方の活躍は耳にしておりましたよ。少々問題があると思っておりましたが」

「そ、それにつきましてはその……。あ! こんな事してる場合じゃなかった! お嬢様、伝言です」

「伝言? 誰から……!」

 

 菜々は無言で頷いた。

 

「必ず会いに行く、と」

「――ッ!」

 

 来てくれた。あの人が、遥々地球からここに。感激のあまり涙が出そうになったのを堪えようとした。でも、できそうにない。

 

「菜々、お前どうやってあの御方をここまで。それ以前にどうやってここに」

「そ、それはですね……」

 

 すると時田の端末が鳴った。彼の反応からすると何か問題が起きたように思える。

 

「時田、何かあったのかい?」

「あったのかではなく、今も起きている。ここの保安対策は万全で、いま起きている危険度はランクC。問題は軽微で式は問題なく行われ……」

 

 再び端末に通知が入った。危険度のランクがCからAに変わった。それを見た時田の顔が一変し、菜々に向けて言った。

 

「菜々、お前何を連れてきた?」

「……アハハハハ」

 

 顔を横に向け、菜々はただ笑うしかできなかった。

 

 

 数分前。

 敷地内にある雑木林で作られた一角、その人が隠れられるほど生い茂った場所にプロデューサーは身を潜めていた。

(まずは侵入成功だな)

 問題だったゲートから敷地内に入る問題も強引に解決した。のあが用意した車の荷台に隠れ、検問される直前に近くに設置した爆弾を設置。あとは簡単だ。ゲートにいる警備員が菜々のIDと車を調べようとしたその瞬間に爆発。爆発といっても小さなもので、それに反応した警備員が菜々を慌てて中に通し、途中で降りたというわけだ。

(にしても、静かだ)

 ここまで来るのに十分に警戒しながら移動してきたのだが、驚いたことに監視カメラがどこにも見当たらなかった。木や何かに擬態していると思ったがそれも杞憂に終わった。いや、ここはウサミン星。地球とは比べ物にならないほどの技術差がある。見えないカメラ、もしくは超テクノロジーで作られたレーダー等々。思いあげればきりがない。

 プロデューサーは持ってきたライフルのスコープを覗きながら建物に入るルートを考える。見晴らしがいいのは仕方がないとして、問題はのあが言っていた警備ロボット。のあは「見ればわかるわ」そう言うだけで詳しいことを教えてはくれなかった。

 

「ん? ……んん?」

 

 目を疑うものがあった。思わず目視で見てもう一度スコープを覗いた。四角い頭、うさぎのような耳。色は灰色というより、メタル系。どうみてもこれは、

 

「ウサミンロボ……だと。これは晶葉が喜ぶな。数は……ざっと――!」

 

 その時だった。晶葉が作ったウサミンロボと違うのは顔だ。例えるなら赤い丸い点、モノアイみたいなものだ。それが、こっちを向いた。

 思わず木を背にして隠れた。同時に嫌な予感。マガジンを装填していく。すると、

 

『レーダーに生命体を確認。人間と断定。提示されているリストの人数と合わない。よって敷地内にリスト外の人間と断定。送信、照合……データ受信……完了。管理局に登録されていない住民を確認。医療センターにアクセス。ここ最近の出産リスト確認、照合……不適合。監視システムアップデートに進言。標的を市民から侵入者へと変更……受諾確認。指令を受信、侵入者を危険度ランクC、了解。データリンク…完了』

『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』、『アップデート完了』……。

 

 一体どこから現れたのか、ぞろぞろとその赤い目を光らせながら集まってきた。数は……数えるのが面倒になる。この状況では隠密行動は無理だ。プロデューサーは胸のホルダーからマテバを抜き「ふぅ……」ゆっくりと息を吐きながらマテバを構え、木から乗り出しすぐ視界に入ったウサミンロボの頭部に照準……。

 引き金を引く、発砲。

 発射されたマグナム弾がウサミンロボの頭部、モノアイに命中。テレビに撃ちこんだような感じで頭部のモニターが割れその場に立ちつくす。機能停止ということだろうか。

 

「意外と脆いな。だったらライフルで強行とっ……」

『対象に武装を確認。照合、地球で生産されている銃弾と推定。モードBへの変形を進言……受諾。変形(トランスフォーム)

 ガシャン、ガシャガシャガシャンみたいな音をたてていく。あのウサミンロボが物理法則を無視して身長170以上はある人型ロボットになった。手にはレーザー銃らしきものを持っている。

 

「お前はトランスファーマーか! クソッ!」

 

 発砲。肩に命中、しかし先程違い致命傷にはならない。装甲がアルミから軍用の装甲版になった手応えのようだ。続けて残りの4発を撃ち込む。今度は頭部と胸だ。火花が出た。効果はあるようだ。

 

『きょ…ザッ……位置、…足。発射』

「ッ?!」

 

 咄嗟に身を隠す。左右を光の弾が飛んでいく。マテバの空の弾を落とし、新しい弾を装填してホルダーにしまう。

 

「あはは……笑えねえよ」

 

 そもそも形が完全にターミネーターにしか見えん。

 レーザーが飛び交う危機的状況だというのに彼は至って冷静で現状を笑い飛ばしていた。バッグからM240機関銃とAA-12を取り出す。

 プロデューサーはのあから渡された地球で言う携帯端末を開く。彼女が事前に入れといたここの地図と自分の位置が表示されている。腕時計を見て時間を確認。

 

「時間がない。いつもの手だ」

 

 バッグから手榴弾を一個取り出し、安全ピンを抜いて投擲。弧を描いてウサミンロボが密集している場所に落ちる。数秒後爆発。落ちた周辺にいたウサミンロボが爆風で吹き飛ばされ、同時にプロデューサーはM240を手に構え、肩にAA-21を抱え雑木林から飛び出した。

 爆音を響かせながら7.62mmNATO弾がウサミンロボに無数の穴をあけていく。空いた場所に向かって彼は走る速度をあげる。しかし、ウサミンロボもただ立っているわけではなく、右手のレーザー銃で応戦。

 咄嗟に進路を変更。左にゆるやかにカーブしながら応射。

(……これは、時間がかかるな)

 額に汗が流れた。目の前の現状に対してではなく、貴音に怒鳴られる。そう思うと、余計に怖くなった。

 

 

 

 

 

 式場の一番後ろ、新郎新婦が入場してくる入口付近の壁に菜々を始めとした執事やメイドが並んでいた。親族や特区に住む貴族達が座席に座り、式を微笑ましく眺めている。ただ菜々は挙動不審で、顔は浮かさず目だけは周囲を見渡し落ち着きがなかった。

(プロデューサーは何をやってるんですか?!)

 必ず行くと言っておいて式はすでに始まってしまった。気付けば新郎新婦は入場し、いま誓いの言葉をしている最中。

 新郎の九条様は大人しそうな声で「誓います」と誓った。しかし、お嬢様は「……」と無言であった。司教様も困惑し、周りもどよめいている。ただ小さく「……誓います」と言ったように見えた。

 屈辱だ。お嬢様にとってそれは絶対に言いたくない言葉のはずだ。これも全部プロデューサーが悪い。一体何をやっているのか。

 お嬢様の言葉を確認した司教様が告げた。

 

「この二人の結婚に異議を唱える者はおりますか?」

 

 いるはずがない。いや、私も反対だ。しかし、それを口にすることはできない。それに異を唱えるべき人間はここにはいない。そう、ここには。

 

『いるさ、ここに一人な!』

 

 菜々は太腿にしまった銃を取出して駆け出した。

 

 

 突然の爆発。式場の、新郎新婦が立っている辺りの真上が爆発した。爆発ではじけ飛んだ木片が落ちてくる。すぐに真下にいた司教や新郎は頭を抱えてその場にしゃがんだが、貴音だけは立っていた。目の前には上着がなく、全身ボロボロでYシャツ姿のプロデューサー。

 

「――あなた様っ」

「オレをお探し?」

 

 貴音は今にも泣きそうだった。嬉しくてたまらない、今すぐ抱き着きたい。しかし彼女は零れ落ちそうな涙を拭きとり、感謝の言葉ではなく、罵声を送った。

 

「今更来て何のつもりなのですか?! 遅刻ですよ!」

「すまない。道が混んでた」

「あなたはすぐそうやって誤魔化す! わたくしは誓いの言葉までしてしまったんですよ?!」

 

 プロデューサーも言われて頭にきたのか態度が一変した。

 

「しょうがねえだろ! ここの警備ロボとやりあって時間がかかったんだよ! むしろ、生きている事を褒めて欲しいぐらいだ!」

「あなた様はそう簡単には死なないのですから、それぐらいなんですか!」

「人をなんだと思ってるんだよ、お前!」

「あなた様でしょう?!」

「んだよ、それ! そもそも、お前が何も言わずに勝手に居なくなるのが悪いんだよ! 目が覚めたらオレ以外は全員お前のことを忘れてるし、美希だってそうだ! そっちが勝手に色々やってオレはいい迷惑だ! 仕事だって今日は無断欠勤なんだぞ!」

「なんですかその言い草は! わたくしが全部悪い、そう仰りたいので?! わたくしは言いました、ウサミン星に帰りますって言いました!」

「お前のプロフィールにある出身地にオレがなんて書いたか知ってるか?」

「なんですか」

「秘密、だ。お前は自分の出身すら教えてくれなかったし、オレも知らない。それなのにここまで来れたんだぞ。お礼の一つぐらい言ってほしいね!」

「さんきゅー」

「舐めてんのか!」

 

 まるで長年連れ添った夫婦がどうでもいいことで口論しているような光景だ。そんな二人の間に両手に銃を抱えながら会場を制圧していた菜々が恐る恐る声をかけた。

 

「あ、あの、お二人とも……」

『なんだ?!』、『なんですか?!』二人は同時に答えた。

「ひぃぃ。そ、その……言い争いはそこまでにして、目の前の現状に目を向けてほしいなあって…・・」

 

 彼女に言われて初めて二人は現状を理解した。会場を制圧をしていた菜々であったが、それは最初だけで、気付けば駆け付けた警備員とウサミンロボに三人は囲まれていた。

 二人は菜々に言われて見ただけで一蹴した。

 

「あとにしろ」

「そうです。まだ、話は終わっていません」

「いい加減にしてくださいよ――」

「そうだ、そこまでだ」

 

 割って入ってきたのは貴音の父親だった。

 

「お父様!」

「お父様?! ……似てねえな。母親似なんだな、お前」

「ええ、よく言われます」

「礼儀を知らない男だ」

「それは失礼。ですが、事務所を通さず勝手に結婚するのは困る」

「……お前が例の男か」

「なに、オレって有名人?」

「有名ですよ。お嬢様と同棲しているので」

「してない。こいつが勝手に入ってくるだけだ」

「そのおかげでいつも家事をしてもらっているのをお忘れですか?」

「昨日の夕飯に今日の朝食も食べてないんだが?」

「それは失礼」

 

 二人のやり取りに脱帽しかけている貴音の父親であったが、その厳つい顔で率直に尋ねた。

 

「貴音。この男はお前のなんだ」

「え、それを聞きますか? それは、その……この人はわたくしの……」

 

 頬を染めながら体をもじもじさせる貴音を余所にプロデューサーが答えた。

 

「ただのプロデューサーとその担当アイドルですよ。あ、元ね」

 

 ただのプロデューサーがアイドルと同棲みたいな生活をするわけがないと菜々は思った。しかし、当の本人の反応は違ったようで、

 

「……は? そこで、それを仰るのですか?」

「異議でもあるのか?」

「あります。ええ、ありますとも。大ありです! そこは男らしく言うべきです! それでも男ですか!」

「……何を言ってほしいのかわからんな」

「では、わたくしのことをどう思っているのですか! アイドルとしてではなく、一人の女性として!」

「……ラーメンをよく食べる女」

「むか。……そのらぁめんをよく食べる女のために態々ここまで来たのですか?! そんなボロボロになりながら婚姻をぶち壊してまで?!」

「……そうだ」

「どうしてですか?」

「それは……」

「あなた様はいつもそうです。本当の気持ちを仰ってはくれません。いつもわたくしばかり。ねえ、あなた様。一言、ほんの一言でいいのです。わたくしのことをどう思っているのですか?」

「オレは」

「オレは?」

「お前の事を……」

 

 再び周りを置いて自分達の世界に入ってしまった二人。尋ねた父親の怒りも限界突破しそうだったのに、この状況になってしまえばどこかに行ってしまう。

 その時であった。

 

「そこまでよ! この場は私、高峯のあがあずか――」

 

 私兵を伴って式場に乗り込んできたのあであったが、目の前で口論しているプロデューサーと貴音を中心にそれを見て呆然している人間達。のあは菜々の下に駆け寄って呆れながら尋ねた。

 

「どういうことかしら、これ」

 

 

 

 

「という夢をみたんだ」

 

 ランチタイムで賑わっている346カフェ。多くの社員がランチを取っている中、よくアイドル達が座っているそのテーブルにプロデューサーと菜々とのあの三人が一緒に食事を取っていた。

 今日の夢で見たことを所々ぼかしながらプロデューサーは二人に面白おかしく話した。

 

「中々壮大ね」

 

 優雅に食後のコーヒーを飲むのあに、

 

「あは、あはは。私達が出るなんて、妙にリアルですね……きゃは!」

 

 のあとは逆に落ち着きがない菜々。

 

「ああリアルだったぞ。以前に菜々の家に行ったことがあるが、内装はそのまんまだったしな」

「菜々の裸もばっちり覚えているのかしら?」

「ちょ、のあさ、ん?!」

「ぼんやりと。……ちょっと刺激的なランジェリーだったか。持ってる?」

「そ、そんな下着ありません! ていうかセクハラです!」

 

 菜々が言っている事を受け流すかのように、コーヒーを一口飲んでのあに尋ねた。

 

「これってセクハラ?」

「さあ?」

「立派にセクハラですよ……。プロデューサー、おっさん臭いですよ?」

「おっさんは止めろ。せめて、おじさんと呼べ」

「そこ、拘る所なのかしら? 貴方の年からしたら、そう呼ばれても仕方がないわ」

「まだ30代だ。若い若い。お前もそう思うだろ、菜々」

「なんでそこで菜々に振るんですかね……」

 

 目から光が消え、冷たい声で菜々は言った。

 手に持っていたマグカップをテーブルに置いて、のあは自分の腕時計を見て言った。

 

「ところで、そろそろ仕事に戻らなくていいのかしら?」

「ん……。あ、一時過ぎに会議が入ってたんだ! それじゃあな!」

 

 慌てて持ってきていたノートパソコンと伝票を持って彼は去って行った。去りゆく彼を見送りながら二人は手を振っていた。

 

「ご馳走様でーす」

「……行った?」

「行きました。ね」

 

 プロデューサーがカフェから出て行くのを確認すると、菜々はのあの近くに寄った。二度周囲を確認し小声で話し始めた。

 

「で、のあ様はどう考えます? プロデューサーの夢の話」

「どうって、偶然にしてはよく出来ているわね」

「偶然どころじゃありませんよ! 例の拠点の暗証番号も一緒、ナナの家のことも高峯家、四条家のこと、母星の地理も概ね一緒。夢じゃなくて実際に行って来たんじゃないかって疑いたくなりますよ!」

「疑う以前に向こうではそんなような話が出たみたいよ」

「ぶふぅ! ほ、本当ですか?!」

「ええ」

 

 つい飲んでいたジュースを吹き出し、置いてあった布巾でテーブルを拭く菜々。信じられないというよりも、自分には全くそんな話は届いていないことに不貞腐れた。

 

「でも、結局話はなかったことになったみたいだけど。にしても、彼には驚かされるわね。頭の中を覗いてみたいわ……どうしたの? 顔色がよくないわね」

「いや、その……ふと思い出してしまいまして」

 

 両手で顔覆う菜々。覗き込んでみると頬を赤く染めているように見えた。

 

「その、ですね。プロデューサーが夢で見た私の……下着、なんですけど」

「ええ。色もどういう風なのかも言ってたわね。貴方さっき持っていないって……もしかして」

「今日……着けてます……」

「……それは、奇遇ね」

 

 

 帰宅したプロデューサーは貴音のつくる夕食を食べ終わったあと、新聞を見ながら食後のコーヒーを楽しみ、貴音は台所で食器を洗っている姿はまさに夫婦のそれだ。もう一人の同居人である美希は実家に、という言い方も変だが、今日は家族と一緒に夕飯を楽しんでいる。

 プロデューサーからすれば久しぶりに静かな時間だ。いつもなら美希にせがまれてゲームをやろうとか、ソファーに抱き着いて来て大変である。対して貴音からすれば、珍しく訪れた彼と自分だけの時間。彼が思う以上に貴重だ。

 水道を止めてタオルで手を拭きながら貴音は言った。

 

「あなた様。わたくし、少し変な夢を見たんです」

「ふーん。どんな夢なんだ」

 

 興味がなさそうな返答だが、貴音にはちゃんと分かっていた。口に運ぼうとしたマグカップが一瞬止まったのをしっかりと見たからだ。

 

「わたくしが強引に実家に連れて行かれて、見知らぬ殿方と結婚することになってしまうんです」

「それは……大変だな」

「ええ。気付けば式場にいて、ウェディングドレスを着て……。そしたらある人が乱入して式を滅茶苦茶にしてくれたんです」

「まるでカリオストロの城だな。ルパンでも助けに来てくれたか?」

「ルパンというよりもコブラでした。けど、違います」

「それじゃあ、どんな奴なんだ?」

「さあ、一体どこの誰でしょうか」

 

 ふふっと笑いながらソファーに座るプロデューサーの隣に貴音はゆっくりと座って、不敵な笑みを浮かべて彼を見た。プロデューサーは新聞から目を離さず、じっと記事を眺めている。

 

「もし……実際にわたくしが結婚することになったら、あなた様は止めてくださいますか?」

「その質問をするということは、止めてくれって言っているようなものだ」

「あなた様。わたくしは貴方の口から聞きたいのですよ」

「む……」

 

 彼は新聞を折って目の前のテーブルに放り投げた。姿勢を変えて貴音と向き合うように座りなおした。

 

「そうだな。もし、お前が救いを求めるならそうする」

「本当は?」

 

 今言った事が嘘だと言うかのように貴音は言った。

 

「今の生活も悪くないし、掃除も食事もしてくれる。手放すのは惜しい。つまり、そういうこと。ということで、自分の部屋に帰れ」

 

 ソファーから立ち上がると彼はどこかへ向かった。その背中を見ながら尋ねた。

 

「何故です?」

「お風呂」

 

 前を向きながら右手をあげて振る。まるでそれじゃあねと言っているように貴音は見え、むすっと頬を膨らませた。彼の姿が見えなくなると吐き捨てるように言った。

 

「いけずな人」

 

 ため息をつきながら貴音は玄関に向かう。浴室に通じる扉の前を通り過ぎると、彼女は足を止めてじっと見つめた。ふむ、と腕を組み一分ほど考え込む。

(既成事実ならあるいは……)

 今の時代を切り開くのは男ではなく女。草食系より肉食系。自ら動かなければきっと振り向いてはくれない。まったく、手のかかる人だ。

 美希には申し訳ないが、今この場にいないのが不運だということで納得してほしい。

 では、同じ想いを抱く親友に謝罪したことですし、いざ往かん。勝利は我にあり。

 ガチャ。

 扉を開けると、そこには壁。ゆっくりと視線を上に向ける。

 ニコッと笑顔でプロデューサーは待ち受けていた。

 

「玄関はそっちだ。間違えたのかな」

「あら、失礼」

 

 扉を閉めて、今度こそ貴音は自分の部屋へと戻って行った。

 




本当はもっとコメディ路線だった。なのに、菜々さんの辺りからシリアスみたいな感じになった。書いてて心が痛かった。でも、ゾクゾクした。
なんていうかイチャイチャする話を書きたいなと思ったら映画というかドラマ的な感じに。そしたら菜々の辺りで24のジャックみたいな感じな脅迫じみた展開に発展。
ウサミン星到着辺りまでは一気に書いたはいいがそこから多忙になってしまい、ぐだぐだ展開というより雑な後半。途中で前回の本編に移行。
一応この話は別世界軸という設定なので本編とはあんまり関係ないです。
今回出てきた変な設定とか単語は適当なのであまり深いツッコミはご容赦を……。ノリと勢いで書いたので。

次回はちゃんと本編やります。


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第26話

 

 

 きらりちゃんは背が高いよね、と顔を上げて見上げるように仲の良いクラスメイトが言った。それが嫌味でもなんでもなく、ただ普通に思ったことを口に出しただけなのだということはきらりはわかっている。

 いや、そう思い込んでいただけかもしれない。

 私が他の子より異質だと気付いたのは、たぶん小学校高学年の頃だったと思う。自分が同年代の女の子よりも背が高く、男の子と肩を並べるか少し上ぐらいの身長だとわかれば、たしかに変だ。

 最初は、よくあることだった。ちょっと背が高いぐらいだと周囲の大人は言っていた「身長があるから他の子よりも大人ぽいね」と褒めていたのだろうが、私にとっては褒め言葉ではなく、ただの嫌味にしか聞こえなかった。小学生の頃は、自分でも同年代よりちょっと背が高い女の子だと思い込んでいたが、それだけ自分が周りより浮いていたことに気づいてしまっていたからだ。

 そして中学、高校生になってからは毎年の身体計測で本格的に顕著になってきた。同時に自分が嫌いになり始めた頃でもあった。なにせ、一年の間にすくすくと育っていくのだ。まさに止まることを知らなかったのだ。私の身体は。

 そのためか、学年のみならず全高女子生徒で一番の身長になるのに左程時間はかからず、気付けば中学の頃には男子の平均身長を超えていた。現在高校生である私は、学校一背が高い女子生徒という認識が広まっていた。ただ語弊があるとすれば、別に男子の中に背が高い子がいなかったというわけではない。170cmを超える子は普通にいたし、稀に180cmと高身長な男子も少なからずいた。けれども、私と肩を並べる女子はおらず、男子も一人いればいい方だった。

 中学にあがり、高校生となってからはある物が嫌いになっていた。スカートである。素足を見ると余計に背が高く見えると思っていたというのもあるし、身長が高いことにコンプレックスを持ち始めたこの頃はそれ以上に自分が普通の女の子らしくないと再認識させられたからだ。だから私は、制服のスカートや普段着でもジーパンのような脚のラインが出るような服装に距離を置くようにし、なるべくロングスカートを履くようにした。それでも、自分の身長が高いということには変わりはなかった。

 ここまで嫌な思いをしてきた私であったが、幸いだったのは友達に恵まれたことだろう。背が高くとも、私の本質は変わらず可愛い物が好きで、小学校からずっと付き合ってきた友人二人が私の親友でもあり理解者だった。

 こんな形をしているけど、可愛いアクセサリーが好き。自作でデコレーションしたり作るのも好き。そして……可愛い洋服も好き。けど、自分には似合わないと敬遠している。でも、懲りずに雑誌を買っては「これ、かわうぃいなあ」と独り言。特にアイドル雑誌が好きだった。可愛いアイドルが着ている服が、一番可愛くて好きだった。きっと自分には無縁だ、着ることはない。

 それでも、心の奥底で私は望んでいたのかもしれない。口調をそれっぽくして、服装やポーチなどを可愛くデコレーションして、友達と見せ合ったり……。普通の女の子ぽく、なりたかった。

 ある日のこと。私は街へと出かけた。すれ違う人は一瞬だけ目を自分に向ける。デカいとか、驚きの印象を抱いているんだろうなと呆れつつ当てもなく歩く。

(はあ、何やってるんだろ)

 街に出かければこうなるのはわかっている。きらりは思った。ほんと懲りない。こうして足を運んだって何もならないのに。

 近くにあったベンチに座った。目の前の光景が普通の人が見ている世界と思うと変な感じ。たった数センチ、ほんの少し高さが違うだけでこうも違うんだ。

 ちょっと上を見上げてみる。うん。これが、皆がわたしを見ている感覚か。相手が自分を見下ろしていると思うとたしかにいい気分ではない。

 これからの人生はきっとこんな目ばかりに合うんだろうな。相手はいい気はしないし、自分だってそうだ。大学に行くかはまだわからないし、卒業後の進路は空欄。仲の良い友達とこの先ずっと付き合っていられるかはわからない。

 壁や看板に色んなアイドルの宣伝ポスターが貼られているのが目に入る。

 〈アイドルかぁ。一番きらりには似合わないよね……〉

 羨ましい。本当に未練たらたらである。いつになっても吹っ切れない自分が情けなくなる。いっそのこと、オーディションを受ければいいじゃないか。それで合格すればよし。落ちればそれできっぱりと諦めがつく。

 そう自分に言い聞かせても、きらりは動けなかった。なんと言われるのか、それが怖かった。

 もう帰ろう。そう思い立ち上がる。

 その時、声をかけられた。

 

「あの、少しいいかな?」

「あ、はい。なんでしょうか」

 

 いつものようにきらりは頭を少しさげて声のかけられた方に振り向いた。驚いたことに、目に映るのはスーツを着ている男性のネクタイ。

(……ん?)

 きらりはゆっくり首を動かした。

 

「なにか?」

 

 生まれて初めて自分より背の高い人に出会った。

 

 

 東京都 都内にある交番

 

 前々から自分の顔、というよりそれを含めて容姿に関して悩まされていた。学生服や私服を着ている時ならともかく、今の仕事上スーツを常に着用し始めてから不審者扱いされたのは両手で数えきれない。

 であるならば、そうならないように対策をすべきだと考えるのもまた必然。先輩のようにサングラスをかけてみた。まあ、当然のように逆効果。ならばと、少しオシャレな伊達眼鏡をかける。悪くはなかったが見送った。

 芸能事務所、特にアイドルのプロデューサーとなると休みなどないに等しい。最近は残業に厳しい世の中になりつつある。346プロもそれは例外ではなく、連日泊まり込みで過ごすのは普通の光景。特にいや、誰とは言わないが、アイドル部門のチーフプロデューサーが特に異常だと言っておく。

 その点自分は、休みはある方だと思う。その休みも部屋の掃除や書類整理などで潰れてしまうので、自分の時間というのはあまりない。それを話せば「その仕事癖をやめてジーパンをはいて、可愛いキャラクターがプリントされているTシャツでも着て街を歩け」と言われた。たしかにそれならば補導されないし、不審者扱いもされないだろうとは思う。残念ながら自分にファッションセンスはなく付き合っている女性もいないし、同様に親しい女性はいない。いや、居なくはないがそれはアイドルなので除外する。

 とにかく何が言いたいのかと言うと、自分はこの仕事に向いていないのではと悲観的になってしまう。

 この状況では特に。

 

「で、いい加減本当の事を喋りなさいよ。立場がどんどん悪くなるだけだぞ」

「ですから、私は346プロダクションのプロデューサーなんです。この子達は私の担当でして……」

「でも、証明するものがないじゃないか」

「名刺は丁度切らしてしまいまして……」

 

 かれこれこのやり取りを武内と警官は数回繰り返している。

 今日は凸レーションの仕事でトークショーが予定されている。仕事まで時間があるということで街を見て回ることになった武内達。

 彼は彼女達アイドルの様子を写真に撮り、ブログにあげるのが最近の仕事の一つになっている。その光景をたまたま通りかかった警官に補導され、交番まで連れて来られた。

 武内にとって幸いだったのがきらりたちも一緒に同行していることだった。これで離れ離れになれば事態がもっと悪化するのが容易に想像できる。

 警官の隙をついて後ろにいるきらりたちの方に武内は目を向けた。きらりが上手いこと莉香とみりあの手綱を握っているので今の所問題はなかった。

 

 

 

「ねえ、きらりちゃん。いつになったら武内P……解放、されるの?」

「莉嘉ちゃん、そういうことはあまり口に出しちゃだめだよぉ」

「でも、いつになったら終わるのかなあ」

「みりあちゃん、アメ食べるぅ?」

「うん!」

「あ、アタシも欲しい!」

「はい、どうぞ」

 

 きらり自身もこの状況をどうすればいいのか頭を悩まされていた。幸いなことに莉嘉もみりあも大人しくしてくれたので大きな問題は起きてはいなかった。ただ、二人はまだ子供でこのように拘束が続けばどうなるか。それに、トークショーのこともある。

 ここに来る間に何度も警官に訴えたが徒労に終わったことをきらりは思い出した。仕事熱心なのはいい事であるが、こちらとしては迷惑もいいところ。

 ふとこちらを向いた武内の視線にきらりは気付いた。その表情からある程度彼の意図を察した。こうなれば第三者に助けを求めるしかない。

 きらりはまずプロデューサーのことが思い浮かんだので連絡を取ろうと立ち上がろうとしたその時、みりあがそれを止めた。

 

「ねえ、きらりちゃん」

「ん。どうかしたの、みりあちゃん?」

「あれ、プロデューサーに似てるよね」

「あれ? ……にょわ?!」

 

 思わずを声をあげてしまった。

 壁に貼り付けられている指名手配書の一つ『この男全国各地で女性に声をかける要注意人物。見かけたら110番』警官が書いた似顔絵は身近な男性の彼によく似ている。いや、知っている人間だったら誰もがプロデューサーだと分かる。

 

「あ、本当だ。これってPくんに――!」

「莉嘉ちゃん、ちょっとお口チャックだよぉ」

 

 咄嗟に莉嘉の口を塞いだきらり。しかし、警官が気付き身体を逸らしながら言ってきた。

 

「ん、ああ、それですか。実は少し前から出没した男でしてね。なんでも、小さい子からOLぐらいの女性まで。色んな女性に声をかけているそれはもう最悪な男なんですよ」

「そ、それは、酷い人もいたものですね」

 

 武内は何故か相槌を打つように会話に入った。

 

「ここだけの話だけど、別の署の婦警も声をかけられてアイドルになっちまったんですよ。気付けば普通にテレビでも見るし、人生ってわからないもんだと思わない?」

「あ、あはは。そ、そうですね」

「実はオレ、この男に会ったことあってさ。たぶん中学生くらいの子だったかな。その子が不審者らしき男といるって通報があって、交番まで連れて行く途中に逃げられたんだよ! それも忍者みたいに。今度会ったら絶対に捕まえてやるってんだ」

「す、すごいですね」

『この人ってどうみてもぷ……』と莉嘉とみりあが再び彼の名を出そうとすると「はい、二人とも新しいアメだよぉ」ときらりが口止めをした。

 

 とりあえずきらりは警官に聞こえないよう二人に何度も言い聞かせ、スマートファンを持って電話をすると言って交番の外へ出た。

 掛ける相手はもちろんプロデューサー。連絡先の中には彼の電話番号が二つある。一つは事務所から支給されている支給品のスマートフォン。もう一つが彼の私物の方。多くのアイドル達が知っている彼の携帯番号は主に前者であるが、本当にごく一部のアイドルは後者の私物の番号を知っている。CPのメンバーの中でこれを知っているのはきらりだけである。彼自身きらりと杏に頼みごとをすることが多くあるので教える事にはしていたが、杏には何故か教えなかった。信用の差であろうか。

 Pちゃん、出るかな……。出るよね? 

 まずは私物の番号に電話した。数回コールしただけですぐに彼と繋がった。

 

『どうしたきらり? お前は今日トークショーがあったはずだが、こっちに掛けてくるってことは余程のことが起きたのか?』

「そうなんだよ、Pちゃん。実は――」

 

 簡潔に現在の状況を説明をするきらり。しかし、期待していたものより彼の声は少し弱弱しい。

 

『そうか、交番もとい警察に……』

「Pちゃん、何とかこっちに来れないかなあ? きらりだけじゃ無理だよぉ」

『助けに行きたいんだが……警察はちょっとオレも手が出せない。葛飾区だったら伝手があるんだが』

「それって、あの手配書のことと関係あるんでしょ?」

『見たのか』

「うん」

『そ、そうか。まあ、それはそれとしてだ。思い当たる奴がいるからなんとかしてみる。とにかく、オレは行けないのでそれまで持ち堪えろ』

「わかったにぃ。でも、Pちゃん。あとでちゃんと説明してほしいにぃ。じゃないと、きらりん☆アタックしちゃうからね」

『あ、ああ。わかった』

「……はあ」

 

 小さく溜息をついてきらりは中に戻った。この場を助けてくれる人が来ることを願って。

 

 

 数十分後。意外な人物が交番を尋ねた。

 

「こんにちわー。うちの後輩を引き取りにきたんですけどー」

「え、後輩ってこの子達の事? 悪いけど、ちゃんと大人とそれを証明をするものを……」

「はあ。これじゃあ駄目?」

 

 帽子と眼鏡を取るとそこには現在活躍中のアイド城ケ崎美嘉がいた。さすがに警官も彼女のことは知っていたようで大層驚いていた。

 

「あ、あの城ケ崎美嘉?! じゃあ、この子達がアイドルって」

「ですから先程からそう言っているではありませんか」

「いや、こう言う時によく聞く常套句なんで」

「こいつはともかく」美嘉が武内を指で刺しながら言うと「この子達だけでも連れて行きたいんでいいですか? このあと仕事があるので」

 

 こいつと言われて少し顔を俯いた武内を余所に、警官は答えた。

 

「ええ、いいですよ! 用があるのはこの人だけなので!」

「それじゃあお言葉に甘えて。ほら、アンタ達行くよ」

「あの、ちなみにサインってもらえたりします?」

「サインしたらこいつも解放してくれるなら」

「それはちょっと……」

「それじゃあまた次の機会ということで」

「すみません、美嘉さん。少しの間よろしくお願いします」

「ほんと、しょうがないんだから」

 

 申し訳なさそうに彼はもう一度頭を下げた。

 三人を連れ交番から少し離れると莉香が尋ねた。

 

「それにしても、お姉ちゃんよくわかったね。」

「今日はオフだし、アンタ達の仕事見に行く予定だったのよ。アイツやチーフに一言言っておいたからそのことをチーフが覚えてたみたいで、それでアタシのところに連絡が来たってわけ」

「ありがとう、美嘉ちゃん! でも、武内P残して平気なの?」

「それも大丈夫。チーフがちひろさんに頼んだみたいだから……」スマートフォンの画面をに表示されている時間を見て「もう少しで着くんじゃないかな」

「本当にありがとう、美嘉ちゃん。きらり一人じゃどうしようもなくて」

「きらりちゃんが気にすることないっしょ。プロデューサーが悪いんだから、そこまで自分を責めちゃ駄目」

「そうだよ。きらりちゃんがいなかったら莉香たちもっと酷い状況になってたかもしれないし」

「うんうん。それにね、きらりちゃんがいたおかげですっごく安心できたよ!」

「にょわ? 安心って?」

 

 右手でみりあと手を繋いでいるきらりは、彼女の方を向き首を傾げながら聞いた。

 

「えーとね、んーと、あ、わかった。きらりちゃん、なんだかお母さんみたいだから!」

「あ、それ莉嘉もわかる。なんだかママみたいな感じするよね!」

「ま、ママ? きらりが?」

「あー、それ、アタシもわかるかも。きらりちゃんってすごく包容力あるように見えるもん」

「そ、そうかな……」

「そうだよ」

「うんうん」

 

 優しいとか、気がきくとよく言われたが『お母さん』、『ママ』と言われたのは初めての事だった。けれど、きらりはそのことに関して悪い気はしなかった。

 すっごく嬉しいにぃ。

 つい、えへへと声を漏らす。特に意識したわけではないが、いつものように自然体で接していただけなのに。きらりは母について考えた。お母さん、か。きらりがお母さんになったら、莉嘉ちゃんやみりあちゃんみたいな優しい子供が欲しいなあ。

 気付けば頭の中でかなり先のことを想像したことに気づくと、きらりの顔はさらに真っ赤になった。

 そんなきらりを余所に莉嘉が美嘉に尋ねた。

 

「そう言えば。お姉ちゃんってPくんが指名手配されてたの知ってる?」

「え、なにそれ。ちょー気になるんだけど☆」

 

 美嘉は驚くというよりも、不敵な笑みを浮かべていた。

 まるで、新しいネタを見つけたみたかのように。

 

 

 

 美嘉がきらり達を連れて交番を去ってから少し経ち、プロデューサーから連絡を受けたちひろが武内を迎えに行き無事彼は解放された。そのあと遅れてきらり達と合流し、トークショーは無事成功した。

 その後、美嘉やちひろに今回の失態と言うには少し酷なことであるが問題には変わりはなく、会場の駐車場で武内は二人からねちねちと小言のように責められていた。

 

「武内P、今後はこのようなことがないようにお願いしますよ。こういう問題は本当にあの人だけで十分なんですから」

「はい、その通りです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「ま、プロデューサーも……そういう風に見られるから。しょうがないって言えばそうだけどさ、もうちょっと改善したら? 前から言ってるじゃん」

「え、お姉ちゃん。前からって?」

「ほ、ほら、アタシはアンタ達と違って付き合い長いから。他の皆だって色々と助言したりしてるし。ね、プロデューサー?!」

「え、ええ。皆さんに多くのアドバイスを頂いているのですが、中々上手く実践できたためしがなく」

「こういうことを見越してアドバイスしてたのに、結局駄目じゃん」

「その通りです、はい」

 

 責められてばかりの武内を見てきらりが仲裁に入った。

 

「ま、まあ、ちょっとしたトラブルはあったけど、無事終わったんだし……。それにこればかりはしょうがないにぃ」

「きらりちゃんの言う通りだよ! ね、莉嘉ちゃん」

「うん。それに、面白いモノも見れたしね!」

「莉嘉ちゃん、それってなんなの?」

 

 この場でそのことを唯一知らないちひろが質問した。

 

「えーとね、実は――」

 

 莉嘉が言いかけようとしたその時、彼女達がいる駐車場に一台の車が近くに停車した。それは346プロが保有している営業車のトヨタのアルファード。

 運転席側のドアが開くと、プロデューサーが笑みを浮かべてやってきた。

 

「お疲れさん。武内がいるってことは、無事に仕事は終わったようだな」

「先輩、その、ご迷惑をおかけしました」

 

 武内がすぐにかけより頭を下げた。

 

「頭をあげろって。こればかりは、しょうがない」

 

 プロデューサーは優しく彼の肩を叩いた。

 

「ところで、なんでお前らはオレを見る?」

「ねえ、プロデューサー」

「なんだ、みりあ?」

 

 彼は膝をついてみりあと向き合った。

 

「プロデューサーってはんざい者さんなの?」

「違うよ! プロデューサーは不審者だよ!」

「えー、一緒じゃないの?」

「違うよ。ね、プロデューサー」

 

 がーん。鈍器で後頭部を叩かれるような衝撃。

 本人を前で話し、さらに本当かどうかを本人に聞くという無垢な少女達。サングラスのせいではっきりと見えないプロデューサーの目はきっと白目になっているに違いない。彼は二人の肩に手を置いた。

 

「いいか、二人とも。ドッペルゲンガーという言葉がある。世界に自分と同じ顔をした人間が三人にいると言われている。だから、二人が見たそれはきっとオレに似た他人だ」

「えー? その人もプロデューサーと同じようにサングラスをかけているの?」

「そうだよ。それって変だよ」

「たまたま同じ格好をしていただけだ。だからオレとは一切関係ない、いいな?」

『はーい』

 

 

 現地で解散となり、きらりはプロデューサーの車で送ってもらうことになった。後部座席に一人で座るには、この車は広く感じられた。いつもなら楽しい会話をするのに、今の彼女は妙に縮こまっている。

 緊張、してるのかな?

 いつもは事務所では皆と一緒にいるし、そうじゃなくても自然と杏といつもいるきらりであるが、今はたったの一人。何故か意識してしまう。

 そんなきらりの異変に彼は気付き、心配して声をかけてきた。

 

「きらり、気分でも悪いのか?」

「え、違うにぃ!」

「そうか? ならいいんだが……」

 

 きらりは両手を振りながら大丈夫だと言った。

「う、うん。全然問題ないよぉ?! きらりは元気元気!」

 

 空元気のようにも感じられたが、プロデューサーはバックミラーに映る彼女を見るだけでそれ以上追及はしなかった。

 

「あ、あのね、Pちゃん。今日、莉嘉ちゃん達にきらりちゃんはお母さんみたいって言われたの。Pちゃんもきらりのことをそう見える?」

「見えるか見えないと言われたら見える、かな。大人のオレでもそう感じるよ。きらりは他の子と違って落ち着いているし、人が気付かないことにも気が付く。なによりも優しくて包容力があると来た。あの子達がそう思うのも無理はない。もしかして、嫌だったか?」

「ち、違うの! むしろ、嬉しかったにぃ。こんな自分でも、そう思ってもらえるんだって」

「……まだ、悩んでいたのか?」

 

 プロデューサーはきらりが自分の身長にコンプレックスを持っていることを出会った時に聞いていた。最近はその悩みについて相談もないことからあまり気にしなくなっていたのではと思っていた。

 

「それはもう大丈夫だにぃ。ちょっと思い返しちゃっただけだから。でもきっと……Pちゃんがきらりをアイドルにスカウトしてくれたから、きらりは自分に自信が持てるようになったよ」

「……そうか」

「うん! Pちゃんが言ってくれたこと、今でも覚えてるもん」

 

『諦めたらキミの願いはずっと叶うことはない。誰かがキミの事をどう思おうと、キミには関係ない。大事なのは、キミがどうしたいかだ。そして、キミがそれを望むなら……オレはそのための手助けをしてあげたい』

 初めて出会った日、彼は私に言ってくれた言葉。推測だが、きっとこのような殺し文句を言っているのだと思うと、やっぱり嫉妬してしまう。

 

「アイドルになって苦手だった露出の多い衣装を着ることになって。でも、可愛い服も着られる気持ちのが大きかったの。Pちゃんがきらりを見つけてくれたから、きらりも変われた。ありがとう」

 

 本当に感謝しているんだよ。Pちゃんが居てくれたから、私は変われた。

 

「礼はいらないさ。それに言ったろ? お前がどうしたくて、何を望むのか。オレはね、どんなに無理だとか駄目と言われても、必死に足掻こうとする人間が好きなんだ。……まあ、足掻くというのは変な言い方だな。頑張る人、か」

 

 顔を少し後ろに座るきらりの方を向いて彼は肩をすくめた。口には出さなかったが、きらりは思った。自分はいま、彼の本音を知ったのではないか。彼は普段からあまり本心を晒さない、誰もがかまをかけたり、ストレートに伝えたりしてもはぐらかされてしまう。そんな彼が『好き』という言葉を使った。これは世紀の大発見だ。他の皆に自慢したいと思うが、これは私だけの秘密にしておこう。

 

「ところでPちゃん」

「なんだ?」

「莉嘉ちゃん達にはああ言ったけど、本当は何をしたんだにぃ?」

 

 反応はないが頭が少し動いたので、たぶんバックミラーで自分を見たのだろうときらりは推測した。ほんの数十秒経って、

 

「アイドルのスカウトは大変なんだにぃー」

 

 きらりの真似をしながら片言のように言うと、車内の空気が変わったことに気づく。

 

「……」

「……もしかして、怒った?」

「怒ってないにぃ」

 

 彼はしばらく後ろを見ることはできなかった。

 



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第27話

予約投稿だが、このころにはFGOのメンテが終わってることを祈る。


 

 

 

 346プロ所有女子寮 前川みくの部屋

 

 

 346プロが新設されるアイドル部門のためにかなりの規模の女子寮を建てた。大人数が住むことを想定しているためか、かなりの部屋数がありつつも、食堂や大浴場、娯楽室といったものまである。一部を除いて大勢の未成年者や県外のアイドル達が暮らしている。

 部屋の広さはだいたい1K。一人暮らしをするだけなら十分すぎるほどの施設が寮に整っているし、それに自分だけの空間というのはとても快適だ。それとプライベートが守られている。

 前川みくもこの女子寮で暮らしているアイドルの一人。彼女の部屋も女の子らしく、部屋全体も綺麗に整頓されている。ネコキャラアイドルを目指す彼女にとっての必需品であるネコ耳もちゃんと置いてある。

 しかし、そんな彼女の部屋に似つかわしくないものがある。一体どれを使うのかわからないヘッドフォンの数々に、一度もまともに弾いているところを見たことがないギターとそのケース。それは同じCPの仲間である多田李衣菜の私物。なぜ、彼女の私物があるのかというと、

 

「ロックだぜ……ロックロック……」

「ロックのゲシュタルト崩壊にゃ」

「そっちだって、にゃーにゃーばっかじゃん」

 

 二人はノートに自分達が歌うための歌詞を作詞していた。しかし、何度も同じような単語ばかりならべ、今のように互いに言い合っては振りだしに戻っていた。

 こうなったのも二人がユニットを組むことになったのが始まりなのだが、互いに息が合わず反発する二人を見て武内が同居することを提案。そこまではよかったが、二人がサマーフェスに参加することになり問題が発生した。

 

「ほんとさ、あと二日でできると思う?」

「思うじゃなくて、やらなきゃ駄目にゃ!」

「だよね……」

 

 参加するサマーフェスは二日後。しかも急遽決まったために肝心の歌ができていなかった。CPのメンバーの中で二人だけがまだアイドルとして活動しているとは言えなかった。他の仲間達と比べて焦りが出ていたのもあった。だからこそ、このチャンスを逃したくはなく自分達が作詞すると言いだしたのが始まり。

 

「はあ。ちょっと休憩するにゃ。麦茶でいい?」

「うん、お願い」

 

 ぐったりと疲れ切った顔しながら李衣菜は後ろに倒れた。みくは冷蔵庫から冷やした麦茶取出して用意したコップに注ぐ。床に寝転がりながらそれを見る李衣菜はじっと見つめていた。

 同じプロジェクトのメンバーとは言えど、私生活までは入り込まない。李衣菜はみくのその一面を見ていて思ったことがある。

 

「みくってさ、結構女子力あるよね。うん、ロックだね」

「なにそれ。李衣菜ちゃんはむしろずぼら? だにゃ。みくはまあ、一人暮らししているからその分しっかりしなきゃって。そう思ってやってるだけ」

「ふーん。そんなもんなんだ……」

 

 お盆に載せて持ってきたみくは李衣菜に麦茶が入ったコップを渡して、自分の分を一口飲んだ。

 みくは、自分をじっと見つめる李衣菜が気になって尋ねた。

 

「どうしたにゃ?」

「いやさ、ちょっと前から気になって聞こうと思ってあることがあるんだけど……。聞いていい?」

「別にいいけど……」

 

 疲れ切った顔から一変。李衣菜は目を煌めかせながら聞いた。

 

「CPのメンバーでスカウトされたのが、みくが最初って本当?」

「そうだにゃ。でも、よく知ってるね。みくも自分じゃ言いふらしたことないのに」

「まあ、そこはね。問題はそこじゃなくて、みくがスカウトじゃなくて移籍って本当?」

 

 言うとみくは目を開いた。ビンゴのようだ。

 

「なんで知ってるにゃ?!」

「いや、風の噂ならぬ、アイドルの噂?」

「……ま、いいにゃ。それは本当。みくは346プロの前に違う事務所にいたにゃ。で?」

「その時の話が聞きたいなあって……駄目?」

「はぁ」

 

 小さなため息をみくはついた。開き直ったのか彼女は話してくれた。

 

「いいよ。話してあげる。知っているのはたぶん……Pちゃん達ぐらいで、他のアイドル達は知らないし」

 

 

 

 そこは大きすぎず、小さすぎずといった中規模の事務所だった。所属しているアイドルは男女問わずぼちぼちで、それなりに売れている子もいた事務所。

 そんな場所に大阪から単身アイドルになるためにやってきた前川みくは所属していた。最初は書類選考。それに受かり面接のち合格通知が来た。みくは思う。今思えば、きっとアイドルとして採用したのではなく、たぶん、容姿とかスタイルで決めたんだと思う。もっと言えば、使い捨てだったかもしれない。

 合格に先立ってみくは元々東京の高校を受験し、安いアパートで一人暮らしするというプランがほぼ確定した。中学の担任の先生とも相談し、少し早めに東京へ来て事務所へ通いレッスンを続けていた。

 けれど、日の目を浴びることはなかった。みくを担当していたプロデューサーが言った「ネコなんて古い。今はキリンがブームだ」と訳の分からないことを言われた。

 その言葉はみくにとって辛いものでしかなかった。では、なぜみくを合格にしたのか。なんでここいるのか。懐疑的な思いを抱き始めてしまった。

 そんなある日、いつものように事務所が指定しているレッスン教室へと向かった。その日練習に励んでいたのは彼女一人。講師の先生が休憩と言って一端部屋を出て行く。みくは鏡を見ながらため息をついた。

(どうすればいいのかにゃ……)

 事務所を辞めよう。でも、その後は?

 ここには、自分しか信じられる人間はいない。頼れる、相談できる親友も大人もいない。両親に相談したくてもできなかった。無理を言ってアイドルになり、単身上京してきたのにも関わらず、事務所の所為でアイドルになれないから帰りたいと言える訳もない。

 まさに八方塞がりとはこのとか。

 ぱちん。

 みくは自分の頬を叩いた。悩んでいても何も変わらない。なら忘れよう。休憩中だが、知ったことではない。いまは、何も考えたくない。

 無心で踊るみくなど気にせず、彼女のレッスンを担当している女性と見知らぬ大男が教室へ入ってきた。男はみくを見ると「彼女が?」と確認するように尋ねた。

 

「ええ、そうです。前川みくさんです。みくさん、この方は――」

 

 彼女が男を紹介しようとしたが、男がそれを手で止めた。

 

「初めまして、前川みくさん。私は346プロダクションでプロデューサーをしている者です」

 

 346プロダクションの名前は耳にしていた。アイドル部門を設立して僅か一年でこの世界に躍り出たプロダクション。一年、ほんの一年で多くのアイドルが名をあげ、活躍している。みく自身も346プロのオーディションを受ける予定だったが、生憎時期が悪く346プロを受けることはできなかった。

 

「は、はあ。えーと、前川みくにゃ……です」

 

 みくはプロデューサーと名乗る男を観察するような目で見た。まず背が高い。そもそも日本人なのか一瞬疑った。特にサングラスが怖い。威圧感が半端ない。

 

「少し二人きりで話したいのですが」

「構いませんよ。では、何かありましたら呼んでください」

 

 いや行かないでほしいんですけど、とは言えず、この広いようで狭い空間に二人きりになってしまった。

 みくは何を言っていいのかわからずただ無言でプロデューサーを見上げた。こっちには用はなく、むしろ相手が自分に用があって来たのだから早く要件を言ってほしい。それにみくは女、彼は男。男と女。つまり、何も起きないはずもない。エマージェンシー、エマージェンシー、誰かみくを助けて!

 

「ああ、そんなに畏まらなくていいよ。それに、自分の話しやすい言葉で構わない」

「あ、どうも。それじゃ……そうですにゃ」

「いまは、ダンスの練習中だったのかい?」

 

 みくは肯定するように頷いた。

 

「もしよかったら、踊って見せてくれないか? 通しでね」

「わ、わかりましたにゃ」

 

 とりあえずみくは言われた通り踊ることにした。いま教わっているダンスでいいかと思い、落ち着いて息を吸って吐いてから踊りだす。できるだけ視界に映るプロデューサーを意識しないよう踊った。それでも、目に映る彼の姿は真剣だとみくには思えた。

 

「……ふぅ。あの、どうでしたか?」

「ふむ。アイドル、候補生だったね、キミは。いつから事務所に所属を?」

「数か月前からです」

「そうか。これでも見る目はある方でね。筋は悪くない。ただ、少し動きが硬く見えたな。もうちょっと体を柔らかくした方がいい。柔軟なら一人でもできるし、自宅でも問題ないから」

「あ、はい!」

 

 たしかにその通りかもしれない。練習する前には体操というより軽めに身体はほぐしているが、自分で思うよりも身体は硬いらしい。それでも一応足の指にはぎりぎりつくぐらいなのでそこまで硬いわけではないと思っていた。まあ、胸が邪魔をしてちょっと窮屈なだけかもしれないが。

 みくは当初に抱いていた恐怖心などは一切忘れ、この際だから自分が気になっているところを教授してもらうことにした。

 

「他にはなにかありますか?!」

「そうだね。ここの時なんかは――」

 

 それから約一時間。みくはプロデューサーから指導を受けた。彼女にとって、それは今までの中で有意義な時間だった。充実している、満たされている、今日まで抱えてきた不満が嘘のように吹き飛んだ。質問すれば的確な答えを教えてくれる。いつもレッスンをつけてくれる先生には申し訳ないが、普段からアイドルと接している現場の人間と比べてしまうとそうなる。

 しかし、二人の時間もその先生によってストップがかかった。向こうからしたらほんの十分程度かと思いきや一時間である。心配にもなる。

 

「ただお話をするだけと言っていたじゃないですか! 困りますよ、本当に」

「申し訳ない。つい、ね。時間も時間なのでもう帰りますが、あと五分程時間をください」

「もう。五分ですからね」

 

 釘を刺して先生は部屋を出て行った。みくもそれを聞いて当初の目的から、ただのレッスンするだけの時間になっていたことを思い出す。

 

「さてと。改めて前川みくさん。今回私が貴方に会いに来たのはあるお話をしに来たからです」

「今更な感じだけど、話ってなんだにゃ?」

「我がアイドル部門で新しく始めるプロジェクトに貴方をスカウトしに来ました」

「……えぇええ?!」

 

 え、なんで? 訳がわからなかった。346プロのことはもちろん知っているし、それがなんでみくをスカウト? それに一応とはいえ事務所には所属している。なのになぜ? 考えようにも考えられない。

 

「貴方の事は知っています。事務所に所属してから今日に至るまで、まともな指導もしてもらえなかったことはね」

「どうしてそれを?!」

「これでも交友関係は広くやっているんでね。その知人の一人からキミの事を紹介された。で、実際に会いに来たわけだ」

「そ、その、スカウトのお話はすっごく嬉しいにゃ。でも、どうしてみくを? みくはその、ネコキャラアイドルになりたくて東京に来て、事務所には受かったけどプロデューサーは今更ネコアイドルなんて流行らないって一蹴されたにゃ。それからみくの扱いは少し酷くなったけど、頼れる人なんていないから、どうしたらいいかわからなくて……わからなくて」

 

 吐き出すように声に出していくと、だんだんと声が震え、涙が零れそうになるのを感じた。すると、彼はハンカチを取りだして「アイドルがそんな簡単に涙を見せるもんじゃないよ」そう言って手渡してくれた。

 

「うちにもね、キミみたいな子? がいるよ。ウサミン星からやってきたアイドル、ウサミンこと安部菜々。知ってる?」

「し、知ってるもなにも、ナナちゃんはみくがもっとも尊敬しているアイドルにゃ!」

「それはいいことを聞いた。彼女もね、最初はキミみたいに悩んだよ。ウサミン☆ってなんだとか、ちょっときついとか色々と」

 

 きついとはなんのことかと一瞬頭を過ったみくであったが、何故か触れてはいけないことなんだと思い静かに聞き耳を立てた。

 

「私はこう言ったよ。『そのためにアイドルを目指したのにもう諦めるのか? だったら何にお前はなるんだ。それに、オレがスカウトしたのはウサミン星からやってきたアイドル安部菜々だ。諦めず進むならオレはそれを手助けしよう。もし諦めるのなら、オレを満足させる答えを聞かせてくれ』とね」

「それ、ちょっと意地悪にゃ」

「かもね。けど、生半可な気持ちじゃこのアイドル業界は生き抜けない。夢や目標を持ち、諦めず前に進む勇気を持つ者がそれを叶えると私は思っている。改めて聞こう。前川みくさん、貴方はどんなアイドルを目指すのですか?」

 

 言われて気付くなんて私はなんて半人前なんだろう。ここに来る前からそんなこと決まっているじゃないか。答えは最初からわかっている。

 

「みくはみんなから好かれるキュートなネコちゃんアイドルにゃ!」

「いい答えだ。私も嬉しいよ」

「ありがとうにゃ。あ、一ついい?」

「ん? なんだい?」

「その喋り方、変にゃ。普通でいいよ」

 

 たまに出る素の言葉と今の喋り方に違和感があったので正直に言った。

 

「あ、そう? さて、キミの事務所と交渉に入るとしよう。正式に決まれば移籍という形になる」

「え、てっきりもう話がついてるかと思ったにゃ」

「なに、そんなに難航はしないだろう。そういえば、今はどこかで一人暮らしなのか?」

「そうだにゃ」

「ならうちの女子寮に引っ越すといい。その方が生活も少しは楽になる」

「え、ほんまに?!」

「県外の子や一部の子はみんな女子寮に住んでいる。年が近い子もいれば離れている子もいるけど、先輩アイドルとして色んな話ができるだろうしいいと思うよ」

 

 その時、教室の扉をノックして先生が顔だけ出してきた。目が怒っていることから約束の時間をとうに過ぎていたようだ。

 

「あはは。それじゃ、最後に。改めてよろしく、みく」

「――! うん、こっちもよろしくにゃ! Pちゃん!」

 

 差し出された手を私は掴んだ。

 

 

 

「とまあ、こんな感じにゃ。そのあと色々あって、実はPちゃんが担当じゃなくてちょっと騒いだりとかあったけど、結果はごらんの通りにゃ」

 

 それでもPちゃんは時間のある時はみくの個人練習に付き合ってくれたり、相談の相手もしてくれてとても感謝しているのだが、これは言わなくてもいいかとみくは思って黙ることにした。

 さあ話したぞ、これで満足かと言いたげにみくは李衣菜をネコのような目で睨んだ。彼女は麦茶を一口飲んでから唐突に言った。

 

「みくってチーフのこと好きなの?」

 

 恋愛というものがあまりわかっていない李衣菜であったが、こればかりは自信ありと思った。話を聞けば誰だってそう思う。目の前で聞いていたが、話している時の彼女はそれはもう普段見ない顔だった。もちろん、いい意味でだ。そう思っていた李衣菜の予想とは裏腹にみくは見下すような目で一蹴した。

 

「はっ」

「うわー。ちょっと今のはマジでムカってきた!」

「李衣菜ちゃんのお頭がお花畑だと思っただけにゃ。みくはこの先の李衣菜が心配でならないにゃ。きっとちょっとギターをカッコよく引ける男にホイホイ連れて行かれちゃうにゃ」

「そ、そんな安い女じゃないって!」

「本当?」

「本当!」

『……』

 

 互いにしばらく見詰め合う。みくはじっと李衣菜を睨むが、彼女の額には汗が流れたようにみくには見えた。このまま何を言おうと終わらないだろう。でも、自分の言った事はありえないくはないとみくは思った。

 

「じゃあ、そういうことにしておいてあげるにゃ」

「……ほっ」

 

 それを聞いて李衣菜は安堵した。

 

「この際だから言うけど、みくはPちゃんに恋愛感情は抱いてないよ。俗に言う、LikeだけどLoveじゃないってやつ。確かにどん底……とまではいかないけど、迷っていたみくの前に突然現れて、色々助けてくれたりしたらどんな人でも嫌いにはなれないと思う。むしろ感謝しきれないよ。だから、みくにとってのPちゃんは恩人。今はね」

 

 この時のみくはとても真剣な眼差しで話していたのを李衣菜は感じ取った。語尾に『にゃ』はつけず、彼女の雰囲気も茶化しているとかそういう風ではないとわかった。だからこそ、李衣菜は最後の言葉が気になり尋ねた。

 

「今は?」

「李衣菜ちゃんはさ、メンバーの中でどれくらいPちゃんに片思いを抱いている子がいるか気付いている?」

「え、いるの?!」

 

 彼女の答えにみくは大きなため息をついた。ここまで鈍いかと頭を抱えた。

 

「それ、冗談だよね?」

「うそうそ。私だってそれぐらいは気付いてるっていうか……まあ、数人?」

「じゃあ言ってみて」

「えー、うん」

 

 李衣菜は少し躊躇ったがここだけの話だと思い答えた。

 

「絶対だと思うのは蘭子ちゃんときらりちゃんかなあ。ありえないのはみりあちゃんに莉香ちゃん、それに杏ちゃんでしょ? あと……全員? だと思う」

「李衣菜ちゃんにしてはまあまあかな」

「……ちょっと待って。もしかしてもっといるの?!」

「うん。あ、確証はないけどね」

「だ、誰?!」

「教えてもいいけど、意識してメンバーの仲を壊さないなら」

「平気平気。こう見えて私演技は上手いから!」

「……まあ、いっか」

 

 信用ならないなと思いつつもみくは教えることにした。

 絶対にありえないのはみりあ、莉香、智恵理、かな子、未央。ありえるのは蘭子、きらり、凛、アーニャ。グレーゾーンが杏、美波、卯月だと。

 

「グレーゾーンの名前に驚いている私がいるんだけど。特に杏ちゃんに凛ちゃんとアーニャちゃん」

「美波ちゃんは驚かないんだ」

「いや、なんていうか、美波さんって年上の人好きそうな感じがするから」

「ああ、うん。わかる。杏ちゃんは感情と言うか表情のコントロールが上手だから確信はないけどね。でも、凛ちゃんとアーニャちゃんは絶対だと思う」

「その心は?」

「Pちゃんと話している時、なんだか犬みたいに尻尾を振っているように見えたから」

「……そう言われると、なんか納得」

 

 意見が合致すると二人して頷いた。

 

「で、最初に質問に戻るけど。今は違うってこと?」

「自分で言うのもなんなんだけど、みくがアイドルをやっているのはネコキャラアイドルとして輝きたいって思いともう一つ。恩返しなの」

「恩返し?」

「うん。今までPちゃんには感謝しきれないほどみくを助けてくれた。だから、デビューしてトップアイドルになれば、それがみくができるPちゃんへの恩返しになるかなって。そしたら、今度はみくがPちゃんを助けるの。これが、みくがアイドルをやる理由で目標」

「……みくって凄い考えてたんだ。ちょっと驚き」

「失礼な。はあ、もうこのお話はお終い! 作業に戻る!」

「はーい」

 

 ようやく作詞に戻る二人。ノートにとりあえず思い浮かぶ文字を書きながら李衣菜は手を止め、少し悩んだあと口に出した。

 

「語尾ににゃをつけないと凄く賢く見えるから普段からそうすれば?」

「それって普段のみくがアホってことかにゃ?!」

「あはは。いつものみくだー」

「李衣菜ちゃーんッ!」

 

 やっぱりこっちのが似合ってる。李衣菜はそう思った。

 

 

 夜中。みくは自分のベッドにいた。中々寝付けず、寝返りをつく動作をかれこれ5分ほど続けていた。床で寝ている李衣菜はすでに小さな寝息をたててぐっすり眠っている。

(……今は、か)

 彼女の顔を見て、数時間前の会話の事を思い出した。彼女にはああ言ったが、実際には……違うのかもしれない。1から10で表すならば、6か7ぐらいだと思う。うん。自分で言っておきながら、これで『今は』とはよく言えたものかと思った。

(片思いで留めておくべきかもしれないって思うのは、どうしてかにゃ)

 みくはあることに薄々気づいていた。どうしてそれに気付いたのかはわからないが、なんとなく、そう、女の勘ってやつかもしれない。

 きっとPちゃんがみくたちに向けている視線……言葉、いや、全部。それはきっとアイドルとしての自分に、そして彼はプロデューサーとして対応している。みんなだけじゃない。他のアイドル、この女子寮に住んでいるみんな、ようは346プロにいるアイドル達で彼に『恋』という感情を抱いているのは少なくはない。でも思う。一体どれだけの人間がみくと同じ事に気づいているのだろうか。いや、もしかしたら気付いているフリをしているのかもしれない。みくもそうだったらどんなに楽だろうか。

 しかしだ。これにいま気付けたのは僥倖と言えるのかもしれない。なぜならば、いざという時に覚悟ができると思うから。 

(逆に、どんな女の子だったらPちゃんは意識してくれるのだろうか)

 346プロには年齢、スタイル、個性と様々な子達で一杯であり、言い換えれば、選り取り見取り。それなのに、Pちゃんの態度はいつものソレ。では、どういう子だったら振り向いてくれるのだろうか。

 でも、確かに言えることが二つある。Pちゃんが振り向く女性は生半可な子じゃないことともう一つ。彼の隣に立つアイドルはきっとアイドルだということ。何故か、確信している。

(でも……いまは……デビュー……)

 気付けばみくの意識は途絶えた。

 

 

 サマーフェス ライブ終了後

 

「やったね、みく!」

「うん、李衣菜ちゃん!」

 

 舞台裏で二人は抱き合って涙を流していた。彼女達の初ライブ、それは出だしからいいスタートとは言えなかった。現れたアイドルは無名の二人。とりあえず何かを話しても反応は薄い。ステージに立つから余計に観客たちの視線が、表情がよく見えてしまう。不安、怖いといった感情が襲い掛かる。

 だが、二人は歌い始めた。するとどうだ。先程の雰囲気などどこにもない。気付けば観客は盛り上がり、二人も舞い上がっていく。どんな状況でも、歌と踊りで虜にする。二人はアイドルとして大きな事を起こした。

 そして、サマーフェスは無事に終わった。

 

「前川さん、多田さん。お疲れ様です。とても、よいステージでした」

「プロデューサー……」

「武内P」

「私もお二人にとても重い役目を与えてしまい申し訳ありません。ですが、この経験はお二人とって、とても大切なモノになると思っています。本当に頑張りましたね」

『はい!』

 

 すると李衣菜はあることに気付いたのか、その人物を見つけてみくの肩をとんとんと叩きその方向に指を指した。それを見たみくは駆け出した。

 

「Pちゃん!」

 

 いまにも彼の胸に抱き着く勢いだ。いや、まさに抱き着くように飛んだ。が、プロデューサーの胸のほんの手前で彼自身に止められた。

 

「よっと。お疲れ様、みく。いいステージだったぞ」

「見てくれたの?!」

「ああ、もちろんだとも。目に入るといけないと思って端っこでな。……本当におめでとう、みく。アイドルとして、本当の意味で一歩を踏み出したな」

「……うん、うん」

 

 プロデューサーの言葉にみくは嬉しくて涙を流した。それに気付くとみくは自分の手で涙を拭った。

 

「あ、アイドルが簡単に涙を見せちゃだめなんだよね?」

 

 最初に出会った時に彼に言われたことをみくはちゃんと覚えていた。プロデューサーもサングラスの奥で瞼を大きく開いた。彼なりの反応だ。

 

「たしかに、アイドルは簡単に涙を見せてはいけないと言ったが、流しちゃいけないとは言ってないぞ? それに、これは嬉し涙だ。構わんさ」

「うん、うん……!」

 

 再び涙を流すみく。でも、今度は彼の胸で。プロデューサーは両手をあげどうすればいいかわからず、その場にいる武内と李衣菜に目で助けを求めた。しかしいるべきはずの二人はおらず、気付けばこの場にいるのは自分とみくだけだと知る。

 

「……うむ」

 

 頬を掻きながら、彼は右手でぽんぽんと優しくみくの頭を撫でたのであった。

 

 

 同日 プロデューサーが住むマンション。

 

 少し遅めの夕食がプロデューサーの家のリビングでとられていた。そこには家の主である彼と、元担当アイドル四条貴音と星井美希も一緒に同席していた。彼らが座る座席の位置は1対2。もちろん、彼が1で貴音と美希が2で互いに向き合って座るようにしている。たまに貴音と美希が彼の隣を争っているのはよくあることだ。

 この日ばかりは貴音も美希も彼の異変に気づいた。長らく同じ屋根の下で暮らす二人だからこそ、彼の少しの変化に気づくとも言えた。

 プロデューサーの変化とは別に悪い意味ではなく、むしろその逆だった。やけに気分がいいように見える。二人は互いに顔を見合わせては首を傾げた。とりあえず、黙っていても埒が明かないと思い貴音が尋ねた。

 

「あなた様、今日はやけに機嫌がよろしいですね」

「そう見えるか?」

「うん。すっごく笑顔なの」

「笑ってるか、オレ?」

「ええ。わかりますとも」

「ハニーの笑顔。ミキでなきゃ見逃しちゃうね」

 

 二人に言われてか、彼は箸を置くと顔を弄りだした。そんなプロデューサーなの奇行など気にも留めず、

 

「で、どうして機嫌がよろしいので? 何かよいことでもあったのですか?」

「宝くじでも当たったの?」

「違う。うちの新しいユニットがデビューしてな。その一人が前から目をかけてた子だったんだよ。オレもプロデューサー冥利に尽きるっていうか、まあ、見てて気持ちいいんだよ、その子。自分から動くし、レッスンをつけてくれとかどうしたらいいとか色々。だから、やっとアイドルとして一歩踏み出せてオレも嬉しいんだよ」

「ほー」

「ふーん」

 

 意外なことに、彼にここまで言わせるアイドルというのに嫉妬するかと思われた貴音と美希であったが、反応は淡泊だった。むしろ、嫉妬とよりも好奇心の方が勝っていた。どんなアイドルなのか気になるほどに。

 

「そういえば、身近にそんなアイドルが一人おりましたね。その御方とは正反対でしたけど」

「あれれー? 誰の事なの? ミキ、わかんなーい。ハニーは知ってる?」

「……そうだな。誰だろうな」

 

 肩をすくめながら彼は答えた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 

 346プロのオフィスビル。そこのプロデューサーのオフィスにやけに胸を張り自信満々で部屋を訪ねた杏に、少し困ったような顔をしながら保護者のように付き添うきらりがやってきた。

 なんでもみくと李衣菜のユニット*(アスタリスク)のデビュー曲が二人によって作詞したことを聞いて杏があることを思い出した。

 

「杏が作詞作曲して歌ってCD出せば印税ががっぽり入るじゃん!」

 

 思い立ったが吉日と言うべきか。杏はノートに作詞し、暇つぶしで購入したVOCALOIDを使って曲を作ってきたのだ。

 

「うっふっふ。これは、杏好みの曲だ。いっちょ聞いてみっか。あ、声はさすがにボーカロイドだけど、うまく調教してるから平気だよ」

「……」

 

 手渡されたメモリースティックを持ちながらプロデューサーはきらりへと顔を向けた。

 

「えーと、その、一応歌になってるよ?」

「一応ってなんだ! 立派な歌だぞ! もう印税を作詞、作曲家に奪われる杏じゃない! まあ、とりあえずはほら!」

「あ、ああ」

 

 メモリースティックをUSBポートに挿し、フォルダを開く。ファイル名には『あんずのうた』とあった。引き出しからイヤホンを取出し装着。音楽スタート。

 数分後。

 イヤホンを外し、彼は声を震わせながら感想を述べた。

 

「す、凄い。きっと大物になれるよ」

「マジかよ。やっぱりそうか! 杏もずっと前からそう思ってたんだ!」

「だ、だが、まだソロデビューをさせる予定はない。なので、その時に歌うといい。その時はオレが担当する」

「プロデューサーばんざーい!」

「本当にこれでいいのか、きらりは心配です」

 

 彼は言えなかった。あまりにも杏が思ったことそのままで、これを歌として認めていいのかと。

 しかし、翌年の杏のソロデビューに『あんずのうた』が世に出た。それがまさかの空前絶後の大ヒット曲になるとはこの時、誰も予想できる者などいなかったのである。

 

 




私の中でキュートのアイドルトップ3に入るぐらいみくが好きです。特訓後の髪型がほんとすこ。
そのためか、かなり贔屓してしまい、デレマス編においてはみくがヒロイン候補の予定でした。どっかで書いたか書かなかったかは覚えてませんが、正史ルートで貴音と美希以外の子がヒロインになることはなく、みんな候補です。ifルートならばヒロインです。まあ、現在の更新速度ではそこまでいけないんですけどね。

一期も残り二話。しかも結構大変な話。来月中に一期が終わればいいな……。


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第28話

 

 

 旅館内にあるトレーニングルーム。

 そこでは13人の少女たちが横一列に並び、流れる音楽に合わせて踊っている。少女達は346プロダクション所属であり、現在話題のシンデレラプロジェクトのアイドル達である。

 今彼女達が踊っているのは、今月に開催される346プロダクション主催のサマーフェスティバルで初披露となるCP全員によるユニット曲。

 蘭子を除く全員がユニットを組んで各々のデビュー曲を発表していたが、今回は全員による初のユニット曲だ。それぞれ思いは違えど、気合が入っているのが見て取れる。

 今は夏休みということもあり、強化合宿という名目でこの旅館でレッスンを積んでいることになっている。メンバーの全員が若くて学生だ。合宿というよりも修学旅行に近い感覚で来ている。それもそのはずで、旅館の場所は海の近くで、夏ということもあり最適な場所と言えた。

 それでも、今の彼女達は駆けだしのアイドル。旅館に来るまでは浮かれている雰囲気であったが、いざレッスンを始めれば皆真剣な顔つきに変わっている。全員で踊る曲ということもあり、彼女達は喜び、楽しみと語っている。

 そんな彼女達の前に一人の男、346プロダクションアイドル部門のチーフプロデューサーである彼が指導をしていた。

 

「かな子、遅れているぞ!」

「は、はい!」

「未央は少し早い!」

「はいっ!」

「蘭子、もっと足を開け!」

「――は、い!」

 

 容赦ない言葉で、彼女達の間違いを見つけ適確に指摘するプロデューサー。

 以前にも同様に765プロで指導した経験がある彼にとって、13人という大人数なユニットでも難なくこなしていた。

 彼から見ても、彼女達はよくやっているほうだと思っている。今回が初めての全員による全体曲。合宿前からレッスンに入ってようやく形になったというところだろうか。

 それでも、ミスがないわけではない。

 それを修正するのがトレーナーであり、彼の仕事である。

 音楽が止み、彼女達は最後のポーズのままプロデューサーの言葉を待つ。彼が手を叩き『よし、いいぞ』と告げると『はあぁああ』と声をあげながら床に座り込んだ。

 腕時計を見る。現在の時刻は11時前。朝7時から始め、小休止を入れてもたいだい4時間ほど。

 

「午前中はここまでだな。午後は……そうだな、3時ぐらいでいいか。それまでは休憩だ」

『はーい』

 

 疲れた顔は一気に吹き飛び、持ってきていたタオルやドリンクを持ってトレーニングルームを出て行く。

 プロデューサーは持ってきたクリップボードを手に取り、それぞれの気になる点を記入していく。自分が担当するのは明日の午前中まで。そのあとは青木姉妹の誰かが来ることになっている。これは引き継ぎする際に必要な書類だ。

 今回この強化合宿に参加したのは毎度のことで、新人アイドルがデビューして大きなライブをする前には合宿を開いている。しかし、彼女達が売れるようになってからは合宿に最後まで参加することはできないのが残念でならない。

 おそらく、このあと彼女達は休んでから海にでもいくのだろう。そういう年頃だ。海は嫌いじゃないが、この年にもなって海に入りたいとは思わない。

 

「あ、Pちゃん」

 

 まだ残っていたみくが声をかけてきた。

 集中していたのか、人がいることに気付かなかった。

 

「みくか。どうしたんだ? みんなと一緒に行かなかったのか?」

「実は気になっているところがあるんだにゃ。それで、もうちょっと付き合ってほしいなって。だめ?」

「駄目ではないが、いいのか? 午後だってあるし、疲れているだろうに」

「でも、直したい所は直しておきたいにゃ。それに、ほんの少しだけ時間がもらえばいいにゃ」

 

 ここまで熱心に頼まれては断ることはできない。向上心があるのはいいことだ。

 プロデューサーはクリップボードを置くと、腰に手を当てながら言った。

 

「で、どこが気になるのかな? みく生徒くん」

 

 空気を読んだのか、みくは『はい、先生』と言って応えた。

 

 

 旅館にある大部屋。そこで彼女達全員は一緒に寝泊まりしている。汗を流すために着替えを取りにきていた中、一人卯月は困惑した様子。

 

「あれぇー?」

「どうしたの、卯月?」

「あ、凛ちゃん。実はスマートフォンが見当たらなくて……。どこにおいてきちゃったのかな」

「スマホを? でもさ、朝使ってたよね?」

「そうなんですけど……」

 

 凛の言う通り卯月はレッスンが始まる前までスマートフォンを弄っていた。たしかにその時まではあったのを卯月も覚えている。

 持ってきたバッグの中身をかき分け探すがスマートフォンは見当たらない。そこで、隣にいた未央が言った。 

 

「しまむー、トレーニングルームにおいてきたんじゃない? 疲れてて、つい忘れちゃったとか」

「あ、そうかもしれません! ちょっと取ってきますね!」

「卯月、シャワー浴びないの?!」

「先に行っててくださーい!」

 

 駆け足で卯月は部屋を出て行く。先程歩いてきた道を戻るだけの簡単なことだ。早く取りに戻ってシャワーを浴びたい。汗がびっしょりで、シャツを脱ぎたいくらいだが、さすがにそんな破廉恥なことはできない。

 しかし、我ながらドジだなと心の中で自分にぶつけた。未央に言われたようにレッスンの直前まで使っていて、そのまま持って行ったのをすっかり忘れていたのだから、どうしようもない。

(あれ? まだ誰かいるんでしょうか?)

 トレーニングルームの扉の前まで来た卯月は、扉が少し開いていたことに気付いた。中で誰かが動いているような音と声が聞こえた。

 プロデューサーでしょうか。けれど、なんで? 

 彼が踊っているのだろうかとも考えられる。いや、あながち間違いではない。けど、プロデューサーのような大男が踊っている姿は……その、想像したくはない。

(ここは、この方がすぐに動けるだろ。で、お前はこの時こういう風に動くから――)

(なるほどにゃー。……こんな感じ?)

(そうそう。そんな感じだ)

 

 耳が聞きなれた声を拾った。それを聞いて、卯月はみくが一緒に戻ってきていないことを思い出した。いないと思ったら、まだここに残っていたのか。

 それは好奇心だった。

 卯月は少し開いた扉の間を覗き込む。そこにはプロデューサーとみくが向き合うように立っていた。その光景は卯月にとって意外なものだった。みくが『こうかにゃ?』と聞くと彼は『いや、こうだ』と言う。

 別に言葉だけなら問題ないが、実際に目に映る光景は意外なものだ。みくが間違っているところをプロデューサーは直に触れて修正している。

 自分の時は彼自身が実際にやってみせてはいたが、身体に触れられてはいない。トレーナーは同性であるからよくある。いや、赤の他人に触られるのはたしかに嫌だし抵抗もある。けれど、プロデューサーは知らぬ仲ではないし、別に腕とかぐらいだったら叫ぶほどではない。

 みくと自分の場合と照らし合わせてみても、目の前の二人の関係はちょっと自分とは違うのだと改めて気づいた。

(みくちゃんがよくプロデューサーにレッスンを見てもらっているのは聞いてたけど)

 遠慮がない。そう卯月は思った。みくの顔を見ればまったく抵抗していないし、プロデューサーも特に意識しているようには見えない。

 あ、こ、腰も触るんですね……!

 見てはいけないものを見てしまったのでは。

 そう思いゆっくりと後退する卯月。

 

「しかし、ここ最近は一段と熱心だな」

「そりゃあそうにゃ!」

 

 卯月は足を止めた。自然と体は元の位置に戻っていた。

 

「だって、今回がみんなと踊る初めての曲だし、自分のミスで台無しにしたくないにゃ!」

「全体曲はプロジェクト全員が参加するイベントじゃないとあまり機会はないからな。今度のライブが終わった後も、ソロか今までのユニットでの仕事だろうし」

「でしょー。みんなと一緒に仕事できるのも中々こないし、一つ一つを大事にしていきたいの! それに」

「それに? なにかあるのか?」

「みくには目標があるの。そのために、少しでも一歩前に進みたいから」

「ほー。で、その目標とは?」

「だーめ。秘密にゃ」

「それはそれで気になるんだが……。ま、いつか聞かせてもらえると思って待つさ」

 

 みくの姿に目を奪われながら卯月は思った。みくちゃんはすごい。自分の目標のために頑張っている。みんな疲れている間も、こうして練習している。素直に尊敬する。きっと誰よりも目標を持って、アイドル活動をしているんだと思う。それは普段から見れば誰だって分かることだ。

 前川みくという女の子は、自分が知る中で一番真っ直ぐな女の子。自分の信念を曲げず、メンバーの中で最後にデビューすることになっても、愚痴を零すことなく私達と接していた。自分だったらどうだっただろうか。彼女のように我慢強くいられただろうか。いや、きっと耐えられないと思う。自分はそんなに強い人間ではないし、立派な目標を持ってアイドルをやっているわけでも……。

 おかしいなあ。

 心が曇るような感覚。たしかに以前はもっと目の前にいる彼女みたいに頑張ってなにかを目指していたはずなのに。いまの私は、―体何のために、何を目指しているのだろうか。今まで考える筈のないモノが頭の中を駆け巡り、心を曇らせていく。

 不安。恐れ。それらが一気に迫りくる感覚が卯月を襲う。扉を覗いたままの体勢で彼女の身体は硬直していた。

 その時。卯月の目がある光景を捕え、彼女の意識は現実へと引き戻された。

 

「おい、大丈夫か?」

「あ、うん。だ、大丈夫にゃ」

 

 一体、何が起きたというのだろうか。ほんの一瞬、意識がどこかに飛んでいたその一瞬に、二人が何故か抱き合っていた。まるで、ドラマのワンシーンのよう。

 しかし、よくよく考えれてみればわかることだ。先ほどの会話から察するに、みくが躓いてプロデューサーが彼女を受け止めたのだということは卯月にもわかった。

 二人が抱き合っていたほんの数秒だった。それを破ったのは彼のスマートフォンの着信で、それに気付いたみくは咄嗟に離れたが、彼はいつもの調子で電話に出ながらみくに「それじゃあ、これでお終いな。お疲れさん」そう言ってトレーニングルームを出ようとする。

 ど、どうすれば……!

 卯月は咄嗟に扉から数メートル離れ、丁度歩いてきたように見せかけることにした。それは上手くいき、出てきたプロデューサーが彼女に気付き、卯月は一礼してその場をやり過ごした。

 よ、よかった。なんとかやり過ごせました。

 我ながらナイス判断だと思った。しかし、このあとはどうしようと卯月は悩んだ。まだ、中にはみくがいる。けれど、中に入らないと目的であるスマートフォンを回収できない。現在の彼女がどういう感じでいるか確認はできないため、どんな顔して入ればいいか判断に迷う。

 ここは、普通にいきましょう。普通に。      

 

「あ、みくちゃん。まだ、いたんですか?」

 

 声も上がっていない。我ながら自然な演技。

 

「う、卯月ちゃん?! う、うん。まだ、練習してたにゃ。卯月ちゃんはどうしたんだにゃ?」

「私はスマホを忘れて……。あ、ありました」

「……卯月ちゃん、見た?」

「え、何をですか?」

「あ、うん。なんでもないにゃ」

「みくちゃんは、このあとどうするんですか? 私は一旦部屋に戻ってお風呂にいきますけど?」

「みくも行くにゃ」

 

 二人は揃ってトレーニングルームを出た。

 横目でみくを見た「で、さっきの質問はどういう意味ですか?」と弄るほど度胸はなかったし、彼女の目標など到底聞けるものではなかった。

 

 

 

 一定の間隔で設置してある電球の光が廊下を照らしている。

 正面玄関へ向かって美波は歩いていた。ただ、その足取りは軽くはなく、彼女の表情は明るくはない。その理由は至ってシンプルだった。

 いきなりリーダーに任命されても、困る。

 昨夜のことだ。プロデューサーと武内Pの二人からCPのリーダーをやらないかと言われたのがきっかけだ。メンバーの中では一番の年長者であるから、その選択は間違いではなかった。

 小学、中学、高校といった学校生活のなかで委員長や部活で部長などをした経験はある。が、自分から申し出たわけではない。信用というよりも、どうやら自分は周りからは頼りになるような人間らしく、一人が口に出せば、また一人と自分を指名していくのだからどうすることもできない。

 我ながらNOと言えない日本人だ。

 二人にも同じような事を美波は思い出した。「部活動の延長と思えばいい」そう言われたのだが、たしかにそれに近い感覚なのだと気付いた。

 けれど、これは部活動じゃない。

 私はアイドルで、これは仕事だ。遊びではない。

 美波が二人の提案を素直に受け入れられないのには理由があった。メンバーのみんなは年も離れているし、一緒にいる時間も限られている。それでも、今日まで自分達はそれなりに良好な関係を築けているのではと美波は思っていた。

 でも、私よりきらりちゃんの方が適任な気がするんだけど……。

 そのことも尋ねてみたが「お前の方が適任」と一蹴されてしまった美波。時間も遅かったので昨日はそれで話は終わった。美波はもう一度話がしたくてプロデューサーを探していた。武内Pは今日はおらず、プロデューサーだけになる。

 今なら時間も空いているのでゆっくり話せると思って探しているのだが、旅館内にはいない。

 外、かな。

 もし外なら都合がよかった。みんなにはまだ聞かれて欲しくないし、相談している姿を見られたくはなかった。

 サンダルを履いて外に出てから美波はあることに気付いた。

 蚊だ。

 耳元で嫌と言うほど蚊が飛んでくる音が聞こえてくる。

 蚊取り線香とか持ってくればよかった思いつつも、部屋に戻るのも面倒だと思った美波はそのまま外へ向かった。

 美波はそのまま旅館の周りを歩き始めると、探していたプロデューサーの声が聞こえた。

 仕事の話だろうか。

 それにしてはやけに優しい声で会話しているようだと美波は感じた。辺りを飛んでいる虫など気にせず、美波は角から頭を半分出して覗くようにプロデューサーを見た。

 

「予定通り明日には帰る。……あ? そんなことするわけないだろう。……一人だけ海に行ってズルいって、こっちは仕事だって知ってるだろうが」

 

 もしやこれは、かつてない衝撃的な光景を目にしているのでは。

 美波はプロデューサーが独身だということは知っていた。さらに言えば、どこから流れてきた噂によれば別の事務所のアイドルとか女優と付き合っているとか、人妻に手を出しているとか、街でどこかでみた女性とデートしているなどなど。誰かの嘘がそのまま膨れ上がりとんでもないことになっている。

 しかし、目の前の状況を見れば、噂のどれかに真実が交じっていることがわかる。

 ――むしろ、結婚しているのでは?

 会話の雰囲気がそれとなくそういう風に聞こえるのだ。私の父と母のような、夫婦に近い話し方。特にプロデューサーの顔が優しい。普段見ることのない顔だ。

 

「それじゃあ切るぞ? ああ、お休み」

 

 電話が終わるのを見計らって美波は彼の前に出た。

 

「あ、プロデューサー。ここにいたんですね」

「美波か。どうしたんだ?」

「実は相談があって」

 

 プロデューサーが胸ポケットから煙草を一本取りだして口に咥え、ライターで火をつけた。一度吸って吐くと、見透かしたように昨夜のことかと言われた。どうやらお見通しのようだ。ならば、話が早い。美波は話を切り出した。

 

「その、やっぱり私にリーダーは向いてないんじゃないかなって思うんです。たしかに委員長とか部長を経験したことはあります。けど……」

「キミは、向いてないと言う。けれど、出来ないとは言わないんだな」

「それは……」

「自信がない。と、オレは思っているんだが?」

「その、そうです……んっ」

 

 風が吹いて煙草の煙がこちらにやってきて、ついむせてしまった。大学でも多くの人間が煙草を吸っているが、やはり慣れない。むしろ、嫌いな方。

 それに気付いたプロデューサーはすぐ携帯灰皿に煙草を押し付けて消して謝罪した。

 

「すまん。アイドルの前で吸うのはルール違反だった」

「いえ、気にしてませんから」

「……話を戻そうか。まず、オレと武内が美波をリーダーに指名したのは、はっきり言えば消去法だ。年少組は言わずもがな。高校生組にはまだ荷が重いし。となると、一番の年長者であるキミになる」

「やっぱり、そうなりますよね」

「昨日も言ったが、そんなに難しく考えなくていいんだ。リーダーと言っても常日ごろからしろという訳ではない。全員で参加するライブでらしいことをしてくれればいい。美波が言ったように部長の延長だと思ってやればいいんだ」

 

 プロデューサーの言っている事に異論はない。むしろ、納得している部分。けれど、美波が悩んでいるのはそこではなかった。

 

「私、不安なんです。本当にみんなを纏められるのか。その、こう言うのもあれなんですけど、みんな……個性的ですし」

 

 それは美波の本心だった。自分の友人や大学の知人達以上にみな個性的で、こちらが一歩引いてしまうような勢い。

 

「アイドルになる子は、皆個性的だ。それを抜きにしても、今時の若い子はああいうもんじゃないのかい? それに、思春期だ」

 

 言いながらプロデューサーは縁側に座った。美波も少し間隔をあけて座った。

 

「そうかもしれません。でも、私が一番のお姉さんで、しっかりしなきゃ、みんなを気にかけなきゃって」

「美波、もっと気楽に考えてみるんだ。メンバーのみんなのことは嫌いか?」

「そんな! みんなのことは大好きです。出会えて本当によかったって思えます」

「なら、それでいいんだ。いつものようにみんなのお姉さんでいればいい。自然体で肩を張らず、気になったら『どうしたの?』と声をかければいい」

「普通に、ですか?」

「そう。もし、それでも手におえないことがあったら相談すればいいんだ。武内でも、オレだっていい。それと、女性に関する……悩みだったら、千川やトレーナー達に相談したっていい」

 

 言われて普段の自分を思い出す。みんな、特に卯月ちゃんたち学生はよく勉強に関して相談してくる。苦手な科目もあるけれど、自分が教えられる範囲で一緒に勉強したりする。特にアーニャちゃんには日本語を教えてたりする。気付けばロシア語を教わっている自分がいる。

 これがいつもの私だ。自然体だ。

 不思議な感じだ。肩の荷が下りたようだ。

 ふと美波はあることが気になった。隣にいる彼は、アイドル部門のチーフプロデューサーで、重大な役職についている。そんなプロデューサーは、自分以上に責任やプレッシャーがかかっているのではと美波は思った。

 高校時代やアイドルになるまでの大学生活の間にアルバイトをしていた経験がある。小さなミスはしたことはもちろんある。けれど、大きなミスといったお客さんに迷惑をかけたミスはしたことがない。偶然目にしたことだが、ある人がミスをして店長に怒鳴られ、一緒にお客さんに謝罪しているのを目撃した。アルバイトや社員にしてもミスをすればトップが責任を負う。そうなれば自身の能力を疑われるし、その地位を脅かすものとなる。

 プロデューサーに当てはめれば、推測だが他のプロデューサーの方や私達アイドルのミス、というより問題は彼にいくのだろう。プロデューサーはそういった事を考えたり、悩んだりしないのかと尋ねた。

 

「実を言えば、こうしたちゃんとした役職に就いたのは346が初めてなんだ」

「そうなんですか? 意外です」

「最初はね、見習いだったんだ。それから見習い兼助手。次に助手兼社員。で、独立というかフリーであちこちを行ったり来たり。346の前に一年ほど専属でプロデューサーをやっていたけど、まあ自由にやらせてもらっていたよ」

「じゃあ、余計に不安じゃなかったんですか? 今のような地位にいて、下の人間や私達アイドルの責任者で。なにかあれば自分が全部責任を負うことになるんですよ?」

「美波が言うようなことは、感じたことも考えたこともないな」

「何故ですか?」

「自信があるから、かな。自惚れとか、自信過剰と言われるかもしれないけどね。以前テレビ局のとある番組に参加していたことがある。そこの番組プロデューサーがそれはもう酷くて。酷過ぎでオレが乗っ取った」

「ええ?! だ、大丈夫だったんですか、そんなことをして?!」

「もちろん根回しはしたよ。まあ、コネとか周りから信頼は得ていたし」

「プロデューサーって、世渡り上手なんですね」

 

 意外なことに感じたことを素直に口に出したことを美波は言ってから気付いた。

 

「言うねえ。ま、今の話をすれば、何か起きれば責任を取って辞めたっていいぐらいの覚悟はある。これほどのプロジェクトを任されたわけだ。それにやりがいがある」

「……なんだか、私のこととは天と地っていうか。悩んでいた私が小さいです……」

「なんだなんだ。まだ若いのにもうギブアップか? むしろ、ミスをしたってオレに責任を取って貰えばいいやぐらいの気持ちでいたっていいんだぞ?」

「そ、そんなことできませんよ!」

「いいんだよ。そのためにオレがいるんだから。だから美波。お前の好きなようにやれ。さっきも言ったが、何か悩んだり分からないことがあったら相談しろ。一人で抱え込まなくていいんだ」

 

 プロデューサーは立ち上がって美波の肩をぽんと叩いた。彼の顔は優しかった。大きくて逞しい手。けど、温かい手だ。

 なんだかお父さんみたい。

 自分の父親とは似ても似付かないのに、何故か美波は自分の父親と重ねてしまった。

 

「――プロデューサーって、お父さんみたいです」

「……オレは独身だ」

「え? だって、さっき奥さんと話してたんじゃ……あっ」

 

 咄嗟に口を塞いだ。ちらりと目を上に向けると、そこには先程とは違う男性がいた。

 お、怒ってる?

 

「美波、盗み聞きとはよくないな」

「た、たまたま聞こえただけですよ……? それにプロデューサーって、そういう噂でもちきりですし」

「ほう? で、その噂とは?」

 

 誤魔化すこともできない、この場から逃げることもできないと察した美波。どうせ噂だと思い知っている事を話した。

 

「成程、成程……。大方大人組だな。ったく、いい歳してなにしてんだ」

 

 それを本人達の前で言ったら想像も絶する光景が訪れるに違いないと美波は何故か確信した。

 けど、プロデューサー自身にも原因があるんじゃ。

 もちろん口には出せないが。ただ、電話の相手は気になる。私もアイドルの前に女の子である。恋バナには興味津々。

 

「それで、電話の相手は奥さんじゃないなら、相手は誰なんですか? 恋人ですか?」

 

 そう言うと嫌な顔をされたように見えた。何故だろうと思ったが美波にはわからなかった。

 なにせ、彼女の顔はいま満面の笑みを浮かべながら聞いているのだから、プロデューサーからすれば厄介なことこのうえない。

 

「……自宅に姪っ子を住まわせている。一人暮らしさせるには心配だからと言ってな」

「……プロデューサーって兄弟いたんですね」

 

 素直に驚いた。見た目的に一人っ子だと思っていたからだ。

 

「弟が一人な。さ、この話はお終いだ。とっとと部屋に戻れ」

 

 強引に話を終わらせられたが、これ以上はきっと教えてはくれないとわかると美波は素直に撤退することを選んだ。

 

「わかりました。プロデューサー、今回はありがとうございました。それじゃあ、お休みなさい」

「ああ。お休み」

 

 振り返ることなく彼女はその場を去った。

 

 

 

 美波が去るのを確認すると、プロデューサーは煙草を吸いながら夜空を見上げていた。同じ夜空だと思う。けど、東京の街から見上げる夜空とは、どこか違うような気がした。

 貴音がこだわるのもわかる。

 自宅のマンションから見る月や夜空も悪くないが、やはりもっとちゃんとした場所で見たいと口にしていたのを思い出した。

 プロデューサーはこういった場所、要はスポットみたいな場所の事だと思っていた。しかし実際の話、貴音はムードのある場所で彼と一緒に見たいと思っているだけであった。

 貴音のことを考えていた所為か、先ほどの美波との会話を思い出した。

 

「奥さん、か」

 

 自分はかなり遅れている方だと自覚はしている。

 高校の同窓会に以前に参加したことがある。クラスメイトの大半が結婚していたし、その逆でバツイチなんて奴もいた。みんな口を揃えてこう言った『お前、まだ結婚してなかったのか?』驚いたように言うのだ。

 何故みんな驚くのだろう。プロデューサーは不思議でならなかった。親しかった友人が教えてくれたのだが、なんでも女子から人気があったそうで。その所為か、とっくにどこかの女と結婚していると思っていたらしい。

 心外である。

 自分はそんな優柔不断な男ではない。女性を口説いたりもしていないと言うのに。

 結婚をする気がないのかと言われれば、それはNOだ。する気はある。けれど、当分する気はない。

 プロデューサーは再び空を見上げ、大きなため息をついて仕事用のスマートフォンを取りだしてLINEを起動する。

 簡単な連絡手段としてLINEは便利で、仕事用のスマートフォンにはアイドル達全員に346プロダクションの社員や仕事先から色々入っている。私用はごく限られた人間にしか教えていない。

 多分、早苗辺りだろう。

 早苗を含む思い当たるアイドル達にプロデューサーは「明日覚悟しておけ」と一言送った。彼はそのまま既読の確認や返信など確認する気はなく、スマートフォンをポケットにしまい部屋に戻ることにした。

 正面玄関に入ると、壁際にある棚の上に色紙があるのが目に入る。

 何も言ってこなかったのであの子達は気付いていなかったのだろうか。プロデューサーはそう思いながら手に取る。

 この色紙はよく知る彼女達のものだ。

 色紙に書かれているのは765プロダクションのアイドル達が旅館に送ったもの。プロデューサーも話には聞いていたし。ならばと、346でも行う際はここを利用しようと当時は考えていた。

 

「元気にしているだろか。いや、煩いぐらいか」

 

 来年の今頃には、彼女達の色紙があるのだろうか。そんなことを思いながら、彼は自室へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




美波にパパと呼ばせたらえっちぃと思ったのでお父さんにしたの巻。


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第29話

第一部完!


 

 

 太陽の日差しが降り注ぐライブ会場。

 当初の予定していたスケジュール通りに進んでいる。CP担当プロデューサーである武内は、手に持つクリップボードに挟まれた書類に再び目を通す。

 今の時間はCPのアイドル達の時間で、最後の全体曲を行っていた。

 ステージの上では13人のアイドル達が本番に向けて最後の調整に勤しんでいる。武内の目から見ても、ダンスの完成度は高く見える。合宿の成果が表れているのがわかる。

 彼女達の指導をしているトレーナー達も各々分担して仕事をしているし、舞台裏ではアイドル部門のチーフプロデューサーとしてエンジニア達とともに打ち合わせをしているのも見えた。

 この空気はライブならではのものだ。

 スタッフとしてライブの補佐してきた武内も、本番前の熱気と緊張感が癖になりつつあった。サマーフェスティバルのような比較的大規模なライブも数回経験してきたが、夏は一層特別なような印象を抱く。ドームではなく、このような野外でのライブというのが大きな要因なのかもしれないと武内は思う。

 CP全員参加のライブがサマーフェスティバルというもの良い経験になるだろう。それに、ひと夏の思い出としても。

 しかし、それはこれからだ。

 ステージに目を向けると、ダンスは曲の最後の辺り……いや、丁度今終わった。全員がトレーナーの周りに集まり彼女からの評価を聞いている。「ありがとうございました!」と聞こえたところを見えると、これで彼女達の番は終わる。入れ替わるように次のアイドルがステージに上がる。

 武内もCPの番が終わったので、邪魔にならないよう舞台裏へと戻る。少しして彼女達も舞台裏へと戻り彼の前に集まった。

 

「皆さん、お疲れ様です。これでCPに与えられたリハーサルは一旦終了となります。このあとは一応待機という形です。待合室で次の指示があるまで休憩ということでお願いします」

「わかりました。みんな、戻りましょ」

 

 CPのリーダーである美波が先導して連れて行く。

(どうやら、問題はないようですね)

 合宿中に先輩から新田さんの報告を受けた時は問題ないと聞かされた。リーダーに指名して少し顔色が悪いと思っていたが、先輩が彼女から相談を受けたらしく、問題は解決したらしい。

 率直に告白すれば、自分が相談を受けるべきなのだが、タイミングが悪くそれは叶わなかった。ただ、彼みたく助言ができるかと言われると少し自信がないのも事実なので、深くは気にしない事にする。

 ただ、その一件以来彼女はリーダーとして上手くチームを纏められているのだと実感できる。武内自身も彼女達に連絡をする際には直接会えない場合を除いては美波を経由して連絡するようにもなった。

 遠慮なく相談もしてくれるようになったのは僥倖でしょうか。

 自分の事や他のメンバーのことで気になることや悩みがあると、美波は武内に相談するようにもなったし、スケジュールなども彼女から先に尋ねることもある。

 頭を悩ませることがあるとすれば、それは自分が上手く対応できているかということであったが、現状を見るに問題ないのだろうと武内は安堵していた。

 ここが、分岐点になる。

 このライブを乗り越えれば、きっと彼女達はアイドルとして新たな一歩を踏み出すのではないかと武内は考えている。

 CPのアイドル達はその多くがスカウトだ。明確なアイドルのビジョンや目標を持ってやっている子は少ないだろう。

 楽しい。

 ドキドキ、ワクワクする。

 大変で、辛いけど、ライブが終わったあとの高揚感が堪らない。

 接してきたアイドル達は皆似たようなことを言っている。

 アイドルになってから今日まで。彼女達の中で考えが変わり始めてくるころだと思う。そして、いつかは自分が目指す、なりたいアイドルというのが見えてくる。

『シンデレラプロジェクト』はそんな子を応援、後押しするのが目的の一つだ。

 彼女達全員がアイドルとしてやりたいことを見つけてくれるのならば、彼女達のプロデューサーとして嬉しい限りである。

 ――あの子達も、ここに居た筈だ。

 自分が道を間違えなければ、もっと上手くやれていたならばと、そう思わずにはいられない。

 勝っているとか、劣っているなどと優劣をつける気はない。彼女達には、彼女達なりの魅力と、他のアイドル達に負けない力があった。

 それを駄目にしたのは自分だ。忘れることなどできない。

 けれど、どうしても思ってしまう。

 もし、共に歩めていたならば……。

 あれ以来、あの子達から連絡などない。当然だ。きっと今頃は普通の女の子として青春を謳歌しているのだろう。ただ、元気に過ごしていればと武内は願っていた。

 感傷に浸っている武内であったが、人の気配を感じ取り我に返る。

 服装を見れば、ライブスタッフの一人であった。スタッフの男は息を荒くして声をかけきた。

 

「はあ、はあ……。た、武内P。チーフを見ていませんか?!」

「先程まではこちらに居たのを目にしましたが、何か問題が?」

「いえ、そういうわけではないんです。ただ、チーフにも確認をしてもらわないといけない所がありまして」

「そうですか。こちらに居ないとなると、外になるでしょうか。まずはステージの方を探してみては?」

「そうしてみます。あ、それと、誰かはわからないんですけど、貴方の事を探していましたよ。たぶん、音響とかそっちの奴だと思います」

「ありがとうございます。それでは」

「ええ」

 

 男がステージに向かうのを見送ると武内も歩き出した。

 

 

 ステージ前方の、どちらかと言えば観客席側にチーフプロデューサーである彼はいた。プロデューサーはただ空を見上げていた。

 現在の空模様は、雲は所々あるが快晴。まさにライブ日和と言えよう。

 ただ、それも現時点で行えばの話だった。

 彼の下に観客席と舞台裏を行き来するスタッフ専用の出入り口からスタッフの男が走ってやって来た。ステージの上で彼を見つけてまた戻ってこちらからやってきたようだ。

 

「チーフ、見つけましたよ!」

「ん、なにか問題でも起きたか?」

「いえ。ただ、チーフに確認してもらうところがあったので、態々こうして探しに来たんです」

 

 態々というところを強調しているところを見ると、内心かなり怒っているのだとプロデューサーは気付いた。ただ、直接足を運ばずとも、電話なりアナウンスで呼べばいいだろうにと思ったが、それは新しい燃料を投下するのと変わらないと気付き、口に出すことはしなかった。

 

「それ、なにを見てるんですか?」

 

 男はプロデューサーが片手にスマートフォンを持って何かしていることに気づき尋ねた。

 

「ちょっとアメダスで天気を確認しているところだ。キミは、今日の天気予報を見て来たかね?」

「あ、はい。たしか、昼間は晴れでしたね。夕方から曇り時々雨とか。他のテレビ局だと雷雨とかも。ただ、この季節の天気は変わりやすいですから」

「その通りだな。今の所降水確率はそこまで高くないんだが……」

「なにか気になるんですか?」

 

 男は、目の前のプロデューサーが一体何を思い悩んでいるのかがわからなかった。テレビ局の天気予報など、実際のところ頭の隅に入れておけばいいぐらいにしか男は思っていなかった。

 ただ、今回のライブが野外となると天気が気になるのも頷けるが、天気予報と言っても絶対ではない。当てにならないときもあれば、ちゃんと当たることもある。

 彼はどちらかと言えば、信じていない男であった。美人のお天気おねえさんは信じているが。

 しかし、プロデューサーは自分とは違うらしいと男も気付いた。

 

「直感と、言えばいいのか。嫌な予感が、な」

「はあ……?」

 

 346プロダクションとはそれなりに仕事をしてきた男は、未だにこのチーフという男に関してはよくわからないでいた。ただ、ライブを通してわかっているのは、とても仕事ができる男で、信頼も厚く、アイドル達から好かれていることであった。最後のはちょっと羨ましいと思っているほどに。

 

「茄子と芳乃にてるてる坊主でも作ってもらうよう連絡するか」

 

 記憶が間違いなければ、このライブには参加していない名前だ。

 ただ男からすれば、一体何を言っているんだとしか思えなかった。

 

 

 

 ライブ開演数分前。

 ステージへ上がる階段の手前に今回参加している346プロダクションのアイドル達に、今回初のフェス参加となるCP全員が集まっている。もちろん、チーフプロデューサーである彼もその場にいる。

 彼女達はプロデューサーを起点にして円陣を組んでいた。

 これは、アイドル部門の恒例行事になっていた。彼が何かを言った後に、いつも高垣楓が掛け声を担当している。

 CPはこの円陣に参加するのは初であり、ようやくアイドル部門の仲間になったとも言えた。

 

「さてと。もう一度確認するが、体調が優れない奴はいまここで申し出るように……ま、いないか。お前らいつも元気だからな」

「はい! 私はいつも元気です!」

 

 応えるように茜が手を上げながら大声で言った。これもいつもの流れである。

 

「元気があってよろしい」

「たまにはプロデューサー君のダメダメなところも、お姉さん見てみたいわね」

「ふふ……。まゆ、弱ったプロデューサーを看護したいです」

「大丈夫です! そうなったら私のサイキックヒーリングで――」

「あ、ユッコ。言い忘れたが、今日は絶対にサイキックパワーを使うなよ」

 

 裕子がどこからか出したスプーンを取りあげながら、釘を刺す様にプロデューサーは言った。彼女が理由を尋ねるが、裕子以外のアイドル達は「あはは……」と乾いた声で言っている辺り察しがついている。

 

「別にいいじゃないですか! 減るもんじゃないし!」

「減るんだよ。いいか? 絶対にするなよ。お前らもよく見ておくように。頼んだぞ、特に藍子」

「……あの。毎度毎度、なんで私なんですかぁ」

 

 震えた声で言う藍子を余所に、プロデューサーは続けた。

 

「最後に、今日はCPである彼女達が共にフェス参加することができた。ようやく共にライブを行えることを喜ぼう。先輩として、恥じない行動をするように。そして、お前達は先輩達を見て学べ。オレからは以上だ。今年の夏も、精一杯楽しもう!」

『はい!』

「それじゃあ、楓君。掛け声を」

「はい。それではみんな、円陣を組んでエンジンをかけていきましょう!」

『……お、おう……』

 

 これも、見慣れた光景である。

 初参加のCPの面々は初めてであるため、面を食らっている。プロデューサーが呆れた声で楓を呼ぶと、再び掛け声をかけた。

 

「では改めて。346プロサマーアイドルフェス、みんなで頑張りましょう!」

『お―――――!!!!』

 

 

 

 ライブ開演から少し経ち。

 現在はシンデレラガールズのアイドル達のソロ、ユニット曲を披露している最中である。CPの出番は彼女達の曲が一段落した後、ライブの中盤を担当する。プロデューサーは初参加となる彼女達の様子を見るために、舞台裏から待合室へと向かっていた。

 時間的に彼女達の出番は近いはずなので、すでに準備に取り掛かっている頃のはずだ。

 プロデューサーはCPの部屋の近くまで来ると、一人のメイクアシスタントの女性が向かってくる。彼女に準備はどうだと尋ねると、彼女は先程終わったと教えてくれた。

 これで遠慮なく入れる。

 扉の前に立ち、ノックをして入室。

 

「新人アイドル共―。準備はどうだ?」

「あ、プロデューサー。はい、いつでもいけます!」

 

 始めに彼に気付いた美波が答えた。

 プロデューサーの存在に気づくと、みんな彼の前に集まりだした。彼は彼女達をじっと観察するように見渡した。すると今度は背後を歩き出して一巡り。

 メイク技術も齧ったことのある彼なりの最終チェックだ。

 ふと気になったのか、蘭子の後ろに立った。

 

「蘭子、ちょっと動くなよ」

「な、何ゆえ……」

「背中の羽、もとい飾りの確認……」

 

 昨今のアイドルの衣装というのは、着る人間に合わせたり、曲をイメージしてデザインされることが多い。現に蘭子の衣装は彼女がスケッチブックに描いたのが基で、それをプロデューサーがアレンジし、本職のデザイナーによって完成したのがこれである。

 他のアイドル達もシンプルであったり、ところどころ彼女達を強調するようなアクセサリーも見受けられる。みくで例えるならば、猫の尻尾は特に顕著である。

 

「特に問題ないな。意外とライブ中にアクセサリーとか装飾物が外れたりすることがよくある。まあ、映像でみないとわからないんだが。それはそれでいい思い出になるし、トークのネタにもなる」

「ふ。我が衣は完全にして無敵」

「……でだ。もう少しで出番だが、調子はどうだ?」

「そ、その。わたしがちょっと取り乱しちゃったんですけど、美波さんやみんなが助けてくれました」

 

 手を上げながら智恵理が答えた。表情から見るに、少し怯えているように見えた。叱られるとか、注意されると思ったのだろうか。

 

「それはなによりだ。それにな、智恵理。経験の浅いお前達が不安がるのは当然だ。別に怒ったりはしないよ。でも、本番ではそんなモノは吹き飛ぶ。楽しんできなさい」

「は、はい!」

 

 智恵理は何かに驚くような感じで身体を震わせた。

 

「別にビクつかなくてもいいだろう」

「しょうがないよー。プロデューサーこわいもん」

「こら、杏ちゃん。そういうこと言っちゃ、めっだよぉ」

「智恵理ちゃん、怖かったの?」

「え、そういう訳じゃ……」

「別に、Pちゃんって怖いかにゃ?」

「ロックというか、メタルって感じかな」

「えー。P君ってカッコイイって思うけどなー」

「うんうん。かっこいいよねー」

「Дa。プロデューサーは、これがいいんですよ」

「ん? アーニャちゃん……?」

「プロデューサーさんって、渋い感じがしますよね」

「渋いっていうか、惹き付つけられるというか」

「禁断の果実のような甘美なる誘惑」

「……ただ単に、みんな見慣れて来ているだけなのでは?」

 

 冷静で的確なことを未央が言った。

 この調子を見るに、普段のように振る舞っているように思えるとプロデューサー判断した。智恵理が言っていたように美波がフォローしていたのだろう。

 彼女も上手くやっているようだ。

 すると今度は武内がやってきた。彼女達の出番が迫っているので呼びに来たようだ。武内を先頭に彼女達は部屋を出て行く。一番最後に美波とプロデューサーが並びながら歩き、彼は美波を褒めるように言った。

 

「リーダーとしてやれているようだな」

「そんなことないですよ。プロデューサーが言った様に、普通にいつも通りの私をやっているだけです」

「ああ、その通りだ。で、どうだ。緊張しているか?」

「してないって言ったら嘘になりますけど、楽しみっていう感情の方が勝ってます。プロデューサーはどうですか?」

「お前達が無事にライブを終えることができたならば、それがオレにとって最高の報酬だよ」

「もっと素直に言ってもいいんですよ?」

「それじゃあ、ライブを楽しみにしている。こう言えばいいか」

「はい、よくできました」

「そりゃあどうも」

 

 軽い会話を挟みながら彼らは舞台裏へと着いた。

 そして、彼女達のライブが始まる。

 

 

 

『ありがとうございましたーー!!』

 

 蘭子、アスタリスク、凸レーション、キャンディーアイランドと続いて現在はラブライカのライブが終わった。二人はステージから下りながら、アーニャが美波に尋ねた。

 

「美波、なんだか空が暗くなっているのに気付きましたか?」

「うん。少し前までは青空だったのにね。ちょっと、怪しいかも。まだ雨は降りそうな感じはしなかったけど」

 

 同じ頃、プロデューサーとスタッフが同じ話をしていた。現在まだ雨は降っていないが、状況によってはどうするかを話し合っているようだ。

 

「どうしますか? 現状は問題ありませんけど……」

「見た感じすぐに降るような感じには見えなかったが、とりあえず現状維持だな。最新の天気予報は?」

「ちょっと待ってください。……えーと、降水確率は低いですね。降るとしても、ライブが終わったあとの時間帯だと思います」

「もしものことを考えて、ブルーシートや何か被せるものを用意しておこう。機材を濡らすわけにはいかないからな」

 

 スタッフたちはそれに頷きそれぞれ動き出した。実際に雨が降った時の対応を他のスタッフたちに通達すべく動き出した。

 

 

 そして時を同じくして。

 藍子はライブ後半に向けて新しい衣装に着替えるべく部屋に戻っていた。いや、どちらかと言うとかいた汗を拭くためだ。

 部屋に戻ると、何故か裕子が一人だけで、藍子もふと首を傾げた。

 

「あれ、ユッコちゃん。何をやって……」

 

 気になって後ろから覗き込む。そこには、ライブ直前に取り上げられたスプーンを手にしていた。

 

「ゆ、ユッコちゃん?! 何をやってるの?! というか、そのスプーンどこから」

「チッチッチ。スプーンの予備はたくさんあるんですよ!」

「そうだよね。スプーンってマジックアイテムだもんね。って、駄目だよ! プロデューサーにサイキックパワーは使っちゃ駄目だって言われたでしょ!」

「ほら、ちょっと天気が怪しくなってきたので。ここは、サイキックアイドルとして何とかしようと……むむむっ。来てますよー、これは!」

「だ、だめ―――――!!」

 

 

 どぉおおおん!!

 その瞬間、会場に雷が落ち、ブレーカーが落ちて電力がストップした。

 さらに言えば、その数秒後。

 

「ゆうぅこぉおおおおおおおおおお!!!」 

 

 雷よりも恐ろしい男の声が響き渡った。

 

 

 電力が復帰し、少し経って。

 シンデレラガールズの待合室に大勢の人間が詰め寄っていた。とある二人を中心に。

 

「“裕子”、オレはあれ程サイキックパワーを使うなと言ったよなあ?」

「何を言っているんですか、プロデューサー。いくら私が優れたサイキッキカーといえど、雷を落とすなんて、そんな非常識なことできませんよー」

「(それはひょっとして、ギャグで言っているのか……?!)」

 

 彼女の言葉に全員の思いが一つになった。

 しかし、プロデューサーの今の状態はかなり危険。いつもは「ユッコ」と呼んでいるが、今は「裕子」である。

 そして、反省の色が見えない裕子の態度が余計に拍車をかけた。

 ガシッ。

 プロデューサーの左手が裕子の頭を鷲掴みにした。

 これは、左腕だ。利き腕はない。とでも言いたそうである。

 

「あれ、私宙に浮いてません?! まさか、新しいサイキックパワーに目覚め……」

「……」

 

 ミシミシ。

 裕子の頭を掴む手に力が入る。

 

「痛いです痛いです!! ごめんなさい、冗談です!!」

「このアホを縛り上げておけ!」

 

 言いながら手を離してその場を去るプロデューサー。まだ、彼女のライブが残っているのでつまみ出せとは言えなかった。なければつまみ出していただろうが。

 舞台裏まで戻った彼は、スタッフと話し込んでいる武内を見つけ声をかけた。現在の状況を確認するためだ。

 どうやら、雨はすぐに止んだらしい。ただ、短時間ながらもかなりの大雨だったらしく、ステージは雨でびしょ濡れ。機材に関しては他のスタッフが急いでブルーシートなどをかけに行ったらしく問題はない。

 大きな問題があるとすれば観客だった。今回は室内ではなく野外の会場。観客たちは雨が降ると一斉に屋根がある場所へと動いた。そのため、ステージから見える会場に観客ははいない。

 いや、かなりの猛者、ライブ通と言うべきか。それともファンの鏡だろうか。雨を見越してカッパなど雨具を用意していた者はまだ会場に残ってライブの再開を待ち望んでいるようだ。

 状況を確認したプロデューサーは指示を出した。

 

「よし。エンジニアは各自機材のチェック。空いているスタッフはステージに上がって雨水の除去だ! 水滴一つ残すんじゃないぞ! アイドルが滑って怪我をしてみろ。オレ達はいい笑いものだぞ!」

『はい!』

「ある程度終わりが見えたらアナウンスで呼びかけろ。ライブを再開するとな。それと、武内。予定ではニュージェネだったはずだな?」

「はい、その通りです」

「すぐに伝えて安心させてやれ」

「わかりました。失礼します」

 

 武内を見送り、彼も自分が出来る事をしに動き始めた。

 

 

 ニュージェネレーションズの三人は待合室ではなく、舞台裏で待機していた。ラブライカが終わり、さあ私達の番だと意気込んだ直後に雷が落ちて雨にも降られてしまった所為か、彼女達から先ほどまでの笑顔は消え、暗く落ち込んでいた。

 

「アタシ達、呪われてるんですかね……」

「呪われてないにしろ、タイミング悪すぎ」

「今回ばかりはお二人に同意です……」

 

 笑顔が取り柄な卯月でさえ落ち込んでいた。それもその筈だった。

 ニュージェネレーションズの初ライブは、はっきり言えばいいものでなかった。自分達に非があるのは確かで、そう言われてしまえば言い返せない。

 だからこそ、今回はと意気込んでいた。

 そんな三人の下にライブを再開させることを伝えに武内がやってきた。彼は三人に現在の状況を説明した。

 だが、三人の表情は暗いままだ。再開すると言っても、ファンの人達は会場に数えるほどだ。そんな中でライブをすると言うのは、正直に言えばいいものではない。

 武内はそんな三人の気持ちを察して言った。

 

「たしかに、貴方達の気持ちはわかります。ですが、ライブを再開するにあたって、貴方達が先陣を切ります。アナウンスをしたとはいえ、ライブに来ていたファンの皆様が戻っているとは限りません。それを行うのが貴方達の役目だと思っています」

 

 武内は多くは語らなかった。三人は互いに顔を見合わせた。彼の言う意味を理解したのか、顔に笑顔が戻ってくるのがわかる。

 

「そうだね。こんな機会滅多にないし、やってやろうよ!」

「アタシ達のライブでファンの皆を振り向かせれば!」

「そう思うと、なんだかやる気が湧いてきます!」

 

 いつもの彼女達に戻る。

 これなら問題ないと武内は判断して、彼の表情も柔らかくなる。

 間もなくして、ライブは再開。ニュージェネレーションズのライブが始まった。

 会場にいるファンは少数。しかし、音楽が流れ、彼女達の声が響き渡ると、雨で避難していた人達が続々と集まってくる。

 本当の意味で、ニュージェネレーションズのライブは最高のモノとして行うことができた。

 

 

 そして、シンデレラプロジェクト最後の曲『GOIN!!』の番となった。

 初めて彼女達だけ組む円陣。そこには担当プロデューサーである武内も同席していた。

 

「さて、みなさん。これがみなさんの最後のステージになります。多くは言いません。最後まで気を緩めずにいきましょう。そして、楽しく笑顔でライブを盛り上げてください。では、新田さん。掛け声をお願いします」

「え?! 私でいいんですか?!」

「はい。これは、リーダーの特権ですから」

 

 美波がみんなの方へ振り返る。そこには誰もそれを拒む顔などせず、うんうんと頷いてくれている。

 

「わかりました。……こほん。それじゃ、みんな! シンデレラプロジェクト――! ファイト……!」

『お――――!!!』

 

 

 ライブ会場。場所的には観客席の一番最後の列。この会場は野外ということもあり、椅子などがないので、ほぼずっと立ち続けての観賞になる。

 しかし、そんなことなど気にせず多くのファン達はサイリウムを持ち、声をあげて応援している。

 そこに、一人の少女がぽつんと立っている。ロングヘアに髪は茶髪でどこにでもいる女の子のように見える。

 けれど、彼女は他のファンとは少し違っていた。

 彼女の左右、後方にいる人間は不思議がっていた。ただ、立っているだけだ。

 シンデレラプロジェクト。

 その名は知っている。自分が去った後にできたものだということは、知っていた。

 いや、薄々気付いていた。

 確信したのはさっき。ライブが始まる前。

 行く気はなかった。

 けれど、もし、あの人がいたらと思った。

 どんな顔をして会えばいいだろう、何を話せばいいんだろう。少女はそう思いながらステージに向かって歩いていた。大半の人間が雨宿りのために離れていたので、そこまで行くのは簡単だった。自分はもう部外者だ。裏から入ることなんてできない。

 そして、最前列の柵まで辿り着いた。この時はまだ小雨だった。作業をしているスタッフはカッパを着ていたので、誰が誰なのかはわからない。そう、思ってた。

 見つけた―――。

 彼を見つけた。あの時から変わっていないと思うので間違いない。

 ただ、少女はそれがわかるとその場を去り、来た道を戻り始めた。

 正直、怖くなって逃げ出したのだ。このまま帰ろうと思ったが、結局まだいる。

 自分と比べ、シンデレラプロジェクトの面々を見て少女は思った。可愛いし、歌も上手だし……それに、楽しそう。自分とは大違いだと。

 気付けば彼女達のライブが終わっていた。

 ファン達の声が響き渡る中、少女は涙を流していた。

 

 

 ライブの全演目が終了し、会場は静まり返っていた。途中から晴れた空には、今は星が輝いている。

 ステージの上では着替えたCPの面々が腰を掛けてライブの事を話していた。そこに、大きな箱を持って武内とプロデューサーが現れた。

 箱の中身は彼女達のファンから届いたファンレター。これもアイドル活動をしていく中では、一番嬉しいことの一つだと語る子もいなくはない。

 自分に宛てられた手紙を見て喜ぶ中、凛はプロデューサーの隣に立った。

 

「ねえ、プロデューサー」

「どうした、渋谷」

「ちょっと、話したいことがあって。いい?」

「構わないぞ」

「私さ、正直に言うと……少し前までアイドルって自覚あんまりなかった。卯月と未央と一緒に仕事をしてきてた。それでも、まだ私の中でアイドルってなんだろうって思ってた」

「それがわかったのか?」

 

 彼が尋ねると、凛の答えはまだはっきりしてなかった。だが、彼女宛てに届いた一通のファンレターを見せながら言った。

 

「この人、あの初めてのライブからファンになったんだって。ちょっと、複雑だと思った。二人も、私もアレは酷いって思ってる。歌もダンスも中途半端だった。それでも、ファンになったって書かれてて、少し嬉しい気持ちになったんだ。あんな酷い私でも、ちゃんと見ていてくれたんだなって」

「見てくれている人は、ちゃんと見てくれているもんだ。そういうファンの人が、この先ずっと応援してくれる。それは、とても良いことだと思ってるよ」

「私もそう思う。……今日来てくれていたかわからないけど、今日の私は今までで最高の私だったって思える。本当にちゃんとニュージェネレーションズとしてライブが出来たことが嬉しいんだ。でね、ちょっとだけわかったんだ」

「何を?」

 

 彼は薄々気づいているのか、微笑みながら尋ねた。

 

「私の中のアイドルって言えばいいのかな。なんていうか、ビジョン? まだ上手く言えないけど、前にプロデューサーが言ってたように、一歩踏み出せたと思う」

 

 プロデューサーは、まさかあの時の話をまだ覚えているとは思ってなかった。失礼だが、本当に思っていた。覚えているなら聞くべきことがある。

 

「……渋谷。いま、楽しいか?」

「最高」

 

 その答えに彼は笑みで応え、もう一度空を見上げた。

 

 

 二〇一五年 八月下旬

 

 

 346プロのオフィスビル31階。プロデューサーは廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。

 振り返ると今西部長だった。

 何やら慌てているのがすぐにわかったが、なんでそこまで慌てているのかが彼にもわからない。何か問題でも起きたのだろうかと思いそのまま尋ねると、

 

「問題と言えば、問題なのかね」

「一体何がですか?」

「帰ってくるんだよ、彼女が」

「彼女? 浮気相手でもいるんですか?」

「それはどちらかと言うとキミだと思うが。その事に関しては、今はどうでもいいことだ。とにかく帰ってくるんだ、アメリカから」

「アメリカ? 誰か向こうに出張でもして……。そう言えば、こっちに来てから一度も見てない人間が一人いるような……」

「どうやら思い出したようだ。そうだよ、美城会長のご息女である彼女だよ」

「お、お嬢が帰ってくるんですか……!」

「キミぐらいだよ。彼女の事をそう呼ぶのは」

「いや、だってそれ以外になんと呼べば? あ、こうしてはいられない!」

「と、突然どうしたんだね?!」

 

 突然プロデューサーは走り出し、今西は叫びながら尋ねるとその場に止まった。

 

「戻ってくる前に根回しとか色々と隠蔽をしなくては。それでは!」

 

 ああ、あれかなと今西は色々と思い当たることがあったのか、苦笑しながら喫煙所へと向かった。

 

 

 

 

 




やっとデレマス一期分終了です。
で、次回から二期に入るわけですが一期分より短いかなと思っています。理由は次回に説明する予定。

気付けば一周年なんですよね。この作品。
一年が経つのが本当に早いです。

では、また次回でお会いしましょう。


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第30話

 

 

 

 魔法使いの力によってシンデレラは無事にお城へとたどり着きました。

 長く続く赤いカーペットの階段をドレスの裾を持ち上げながら上ってゆきます。

 舞踏会の会場に入るための大きな門をくぐると、そこはシンデレラの見たことがない世界が広がっていました。

 シンデレラが歩くと、他の人達は道をあけていきます。皆、シンデレラの美しさに見惚れているのです。

 それは王子も例外ではありませんでした。

 王子からダンスの申し出を受け、シンデレラもそれを受けます。

 それは、とても楽しい時間でした。人生の中で一番幸せな時間でもありました。

 しかし、幸せな時間は長く続きません。

 魔法使いが言った魔法が解ける時間が迫っているのです。

 約束の時間に気付いたシンデレラは王子の声など気にも留めず走りだしました。

 階段を下りると、途中ガラスの靴が脱げてしまいました。けれど、シンデレラは魔法が解けることを恐れ、靴が脱げたことなど気にせず階段を下りていき、乗って来た馬車に乗り込み城を去っていくのでした。

 

 

 

 

 

 二〇一五年 九月某日 

 

 346プロダクションオフィスビルの廊下を一人の大男が歩いている。アイドル部門チーフプロデューサーである彼だ。

 片手に束ねた書類を手に歩いている彼の表情は、どこか能面のような冷たい顔をしている。たまにすれ違う社員は道をあけ、彼が去った後に小声でひそひそと話す辺り、今日の彼はとても機嫌が悪いのだと周りの人間は思っているらしい。

 ただ、実際のところ今のプロデューサーは機嫌が悪いというよりも、緊張している。意外なことにそれが顔に出るのだ。

 

「……はぁ」

 

 憂鬱で仕方がない。

 かれこれここ数日同じ事ばかり考えている。原因はなんだと問われれば、先月にこの事を知ったからだ。この悩みはそう簡単には理解はできまい。

 自宅にいる時に貴音と美希に心配されたが、二人に相談できる悩みではない。そもそも年上である自分が年下である二人に頼るのもどうかと思う。

 理解できるのは今西部長だろうか。けれど、彼はきっと肩をぽんと叩くだけで終わってしまうことだろう。

 ほんと、憂鬱だ。

 気付けば目的地である部屋の前に来ている。左腕の時計を見て時間を確認する。予定されていた時間の少し前。

 年甲斐もなく逃げ出したいなどとは口が裂けても言えないが、本当に逃げ出したい。

 それでも、これは仕事だと自分に言い聞かせ扉をノックした。

 

『入れ』

「失礼します」

 

 部屋に入るとそこはプロデューサーのオフィスより広い部屋だった。広さは二、三倍ぐらいだろうか。

 それもそのはずだ。ここは、346プロダクション常務取締役、同社アイドル部門統括重役の部屋であるからだ。同時にそれは、彼の直属の上司であることを示している。

 プロデューサーはこの部屋の主である彼女の前まで歩いていき、彼が言う前にこの部屋の主である美城常務が口を開いた。

 

「予定していた時間の少し前か早いな。相変わらず余裕のある男だ、キミは」

「それは皮肉ですか、お嬢」

「お嬢は止めろ。周りに示しがつかない。なにより、私を怒らせたいのか?」

「では、なんとお呼びすれば?」

「普通に常務と呼べばいいだろう」

「わかりました、常務」

「それでいい。まあ、座れ。それと、私だけの時は敬語はいい。互いに知らぬ仲ではないだろう」

「それはありがいことで」

 

 プロデューサーは来客用のソファーに座り、彼女は反対側に座った。

 美城常務とは知らぬ仲ではない。といっても、友人というわけでもない。二人の関係を表すならば、ビジネスパートナーというのが近い。

 二人の出会いはプロデューサーが以前に346プロダクションで勤めていた時に知り合ったのがきかっけだ。

 彼女の方が年上であるが、プロデューサーの能力を評価しているためか、あまり言葉遣いなどは気にしてなどいなかった。むしろ、正式な場ではちゃんと敬語を使っているので、公私を分けていることを知ればそれは些細な事だった。

 プロデューサーが346プロからの依頼を完了し去って以降は互いに連絡は取っていなかった。故に、彼女がアメリカに行っていたことなど知らぬことだった。

 

「さて。書類には目を通してきたが、アイドル部門はそれなりの成果を出しているようだ。ここ数年のアイドル業界のことを踏まえてみれば、僅か2年足らずでこの成績は確かなものであることがわかる」

 

 美城は持っていた書類をテーブルに置くと、組んでいた足を替えた。年齢を感じさせない綺麗な肌、すらっとしている脚。本当に30代なのかと疑うところだ。

 プロデューサーから見ても彼女は美人の部類に入ると断言できる。

 もう数年若ければアイドルとしていけなくもない。さすがに本人には言えないので心の中に留めておく。

 ただ、年の割には大胆なところがある。特に胸元。

 

「何か思ったか?」

「いえ、別に」

「そうか。で、肝心の要件だが……」

「今後のアイドル部門の方針、ですか?」

「そうだ」

 

 美城ははっきりと答えた。彼女は別の書類を彼に渡しながら説明した。

 現在のアイドル業界はまさに乱世ともいえる過酷な状況だ。多くのプロダクションにアイドル。今は質よりも量と言わんばかりに多くのアイドル達が活動している。その中でも、多くのアイドルが所属しているプロダクションが346プロだ。そんな状態だと言うのに、所属している多くのアイドルが活躍しているのは、ひとえにチーフプロデューサーであるキミの手腕があってこそだと彼女は称賛した。

 しかし、こんな状況だからこそアイドルとプロダクションのブランドイメージを全面に押し出すと。

 

「つまり、346プロならではのアイドルを確立するということで?」

「そうだ。我が346プロダクションは歴史ある総合芸能事務所だ。アイドルもそれに相応しいものでなければならない」

「なるほど。言いたいことはあるが、まずはそれをするためにどんなことをするかお聞きしたい」

「私が目的としているのは、現在活動及び企画しているプロジェクトを白紙に戻し、企画に適したアイドルを選抜し一つのプロジェクトにまとめ、大きな成果を得ることにある。……異論があるようだな」

 

 美城はプロデューサーの表情を読み取り率直に言った。彼も濁すことなく答えた。

 

「異論、になるのでしょうね。貴方の言いたいことも理解はできるし、言い分も筋が通っている。だが――」

「だが、すべてのプロジェクトの白紙には納得できない、だな?」

 

 プロデューサーは頷き、それに肯定した。

 

「しかし、キミは理解していない」

「何を?」

「プロジェクトを白紙に戻すには大きな理由がある。さらに言えば、そうしなければならないと言う根拠もだ」

「プロジェクト全体の事はおいて、それをお聞きしたい」

「私がそうしなければいけない理由は、キミだよ」

 

 美城はプロデューサーを指しながら言った。

 

「オレ……? なぜ?」

「率直に言おう。アイドル部門の大半はキミ主導のプロジェクトが多い。結果も出している、これはいい。文句はない。たが、問題があるのだよ。アイドル部門事体がキミの私物化となっている、と私は危惧しているのだ」

 

 プロデューサーは言い返さなかった。それに関しては言い返すことはできないからだ。言われて気付くというのも遅いが、概ねその通りだと納得してしまっていた。

 

「キミが私のような立場であるなら問題はない。そうであるなら、この方針も理解はできる。だが、所詮はチーフプロデューサーにしかすぎない。キミも気付いているだろうが、現にキミの事をよく思わない声も聞いている。どこへ行ってもそういう声はなくならないと言えばそれで終わるが、これでは良くないと私は考えた。だからこそ、再構築しなければならない」

「……話は理解しました。それに異論はないし、納得もする。で、オレを解雇でもしますか?」

「話が飛躍しすぎだ。それに、キミを手放せば大きな損害となる。キミにはとあるアイドルユニットを担当してもらおうと考えている。表向きは周りのことも考えチーフプロデューサーの任を解く。キミには本来のプロデューサー業の仕事をしてもらう。それにプロジェクトを白紙に戻し、今回のキミへの対応にはある理由がある」

「それは?」

「先程も言ったが、このアイドル部門はキミの一人、とまでは言い過ぎではあるが、キミの貢献によるものが大きい。故に後進の教育が行き届いていないとも私は見ている。キミに頼り切っているところが多く、自身で計画を立てるほどの人材がいないように感じた」

 

 全員ではないだろうがと彼女は付け足した。

 彼女の言う通り、現在所属しているプロデューサーにそれが該当する人間は少ない。彼らに全く指導してないと問われれば、それは違う。それなりの指導はしてきたし、最低限の教育も施した。ただ、やっている事と言えば自分の仕事の引き継ぎみたいなものだ。

 アイドル部門に所属している一期生と二期生の大半はほとんどプロデューサーが面倒を見ていた。それを分散し部署ごとに担当を宛がったぐらいだ。自分のようにアイドルを見つけ、デビューさせるということをした人間はほとんどいない。

 そう考えると、かなり自分の思うがままにやってきたと改めて認識する。

 だが、すべてを肯定することはできなかった。

 

「とりあえず、常務の方針に関しては概ね同意します。ただ、一つだけ抗議したい」

「言ってみろ」

「もう一度言わせてもらいますが、現在活動しているいくつかのプロジェクトの白紙だけは止めていただきたい」

「散々強気な事を言ってきたが、私も全部を白紙にする気はない。プロジェクト以外にも、現在テレビ局と契約している企業などのCMやレギュラー番組等はいくつか残すつもりだ。相手側の意向もある。主観ではあるが、現在のアイドルは歌一つでは生きていけないと理解はしているが、納得をしたくはないな。昔と比べ、世間が求めているモノが違うと分かっていてもだ」

 

 これはプロデューサーも共感した。自分も彼女もアイドルの黄金時代というのも目撃、体験してきた世代だ。インターネットの普及、科学の進歩にケチをつけるつもりではないが、昔は人気アイドルのCDなど飛ぶように売れた時代だ。今とは違う。

 それに昔のアイドル、特にもっとも人気のあったアイドルにはカリスマというものがあった。時代が生み出した、望んだかのように絶大な人気を誇るアイドルがいたものだ。

 “日高舞”少し前であるなら彼女がそうだろうかとプロデューサーは忘れぬ名を思い浮かべた。

 

「で、キミが残したいプロジェクトというのは……そうだな。このシンデレラプロジェクトがそれか? だいぶ入れ込んでいると聞いている」

「そうです」

「今期からキミが立ちあげたプロジェクトだったな。十数名のアイドルを選抜し、一人のプロデューサーを任命し一年活動させる。結果が出れば、翌年のシンデレラガールズとして活動させる。このシンデレラガールズというのはなんだ?」

 

 シンデレラガールズのメンバーは高垣楓を始めとした数名のユニットで、346プロダクションの看板アイドルとしての役割を担っている。二年目の現在でもメンバーは変わっておらず、プロデューサーは一年ごとにメンバーを変えていくことを考えていた。時代は常に変わり続けている。

 だからこそ、年が変わるごとにシンデレラガールズのメンバーを一新し、その一年346プロダクションの看板を背負っていってほしいと思っていたからだ。

 

「ただ、貴方の言葉を借りるならば、346プロダクションアイドル部門に相応しいモノになるものだと言わせてもらう」

「ほう? キミらしかぬ乙女チックな台詞だ」

「そうですかね? それに、我がアイドル部門の理念は『誰でもアイドルになれる』だ。なら、問題はないでしょう」

「しかし、シンデレラというのはいつか魔法が消えるものではないのか?」

「それを消えさないためにオレが……いえ。プロデューサー(魔法使い)であり、プロダクション(お城)だと思っていますよ」

「……ふん。だが、この担当プロデューサー……武内と言ったか。問題があるようだが」

 

 資料を見ながらギロリと睨むようにプロデューサーを見た。

 やっぱりそこを突いてくるかと内心溜息をつきながら反論した。

 

「現に一度ユニットを解散させ、アイドルも辞めさせている。原因は担当である彼だと聞いている。その問題を抱えたプロデューサーに任せるのは如何なものかと思うが?」

「まず、その問題点ついては現在の所解消していると断言していいと思っています。それに、武内は所属しているプロデューサーの中では有能です。これは保証します。現に所属アイドル全員がデビューし、上半期の売り上げも新人アイドルながらもそれなりの成果が結果にも出ています」

 

 プロデューサーは用意していた書類を見せながら声に力を入れて説明した。可愛い後輩、そしてアイドル達のことを思えばの行動だった。本音を言えば、半年しか経っていないプロジェクト白紙にされてたまるかとかなり熱くなっていた。

 

「……私情が混じっているような気がするが、まあいい。なら、有能な証拠を実際に見せてもらおう。言葉だけではなく、行動と結果でだ」

 

 藪蛇だっただろうかと冷静になったプロデューサーは思った。結局のところ、武内とアイドル達自身の働きにかかっていることに気づく。

 当分、おそらく下半期に関しては勝手な行動はできない。できるとしたら助言ぐらいだろう。

 ただ武内にしろ、他のプロデューサー達もこれは良くも悪くも試練になるだろう。勝手な言い草ではあるが、自分は346プロにずっと所属している気はない。いずれは去るのだ。去った後の事を考えれば、彼女の案に賛成だ。彼だけではなく、所属しているプロデューサーやアイドルにとって必要なことだ。

 例え、それが受け入れられなくても。

 それから、アイドル部門の改革について二人は話しあった。翌日予定されている全体会議で発表することになった。その時の進行役をプロデューサーが担うことになり、彼は心底面倒くさがった。

 実質、現時点までは彼がアイドル部門の中心というべき人物だったのだ。この改革の話が出れば、非難の目が彼にいくのは目に見えていた。

 特にアイドルの対応が大変だ。間違いなく。

 そして、話は美城が計画している新アイドルユニットについての議題になった。

 

「ユニット名はまだ未定だ。ただ、現時点で新ユニットのアイドル候補はほぼ選抜した。これがそうだ」

 

 渡された書類、というよりもアイドルのプロフィールが数枚。ごく最近見覚えのある書類である。

 

「私がこのユニットのイメージである『お城のようなきらびやかさ』を求めたものになっている。キミの意見を参考までに聞きたい」

 

『新アイドルユニット(仮)』と一番上にある表紙の次には、速水奏、塩見周子、宮本フレデリカ、鷺沢文香、大槻唯、橘ありす、神谷奈緒、北条加蓮。その多くが新人アイドルで、数名がアイドルデビューしているぐらいだ。

 

「さすがはキミが選んだアイドルだと言わざるを得ない。わたしから見ても、彼女達には秘められた輝きがある」

「それは、どうも」

 

 選抜されているアイドルの大半が今年スカウトしたアイドルとは思ってはいなかった。

(なんか、イメージカラーが青いやつばっかだな)

 あえて口には出さないが。素直に思った。 

 ふとプロデューサーあることに気づき尋ねた。

 

「現状ではどのような形で活動を? 全員ユニットとして組ませるのか?」

「ソロを2、ユニットを2でいこうと考えている。ただ、その両方で二人ほど気になっているアイドルがいる。この二人が加われば、このプロジェクトの成功は確固たるものだと確信している」

 

 新たなに渡された資料には目を疑う人物がいた。渋谷凜、アナスタシアの二名。現在シンデレラプロジェクトで活動中のアイドル。

 プロデューサーは私情よりプロデューサーとしての考えを彼女が何か言う前に口に出した。今までとは違い、いつもの口調に戻りながら、

 

「悪くない。むしろ、オレが考案していたものと一致する」

「ほう。それは驚くべきことだ」

「神谷と北条に関しては互いに友人ということもありユニットの線で考えていた。また、面接時に“凛”……渋谷のことを知っていたらしい。まあ、本人は知らないだろうと彼女達は言ってましたがね。なので、いつかは凛とユニットを組ませたいとは思っていましたよ。アーニャに関しては意外な人選ではあるが、イメージには合っている」

 

 奈緒と加蓮と面接した時、ユニット前提で活動させる場合もう一人欲しいと思っていた。二人が凛のことを知っていると聞いた途端に閃いたのを今でも覚えている。二人の写真の間に凛の写真を並べてみると、意外とこれが良い感じになったのだとプロデューサーは思い出した。

 

「キミの考えと一致しているのなら話は早いな。私も近々直接二人と話そうと思っている。その前に担当である彼に話をしなければならない」

「その点に関してはですが、おそらく反対はしないでしょう」

「なぜ、そう思う?」

「武内もプロデューサーだ。このプロジェクト……ユニットを見れば、彼も彼女達の新しい可能性を見出すと思えば納得はする。まあ、完全に賛成ではないだろうな。このあとの展開を考えれば、一番苦労するのは武内とそのユニットの関係だ。ギクシャクするのは容易に見える」

「だが、結局は当人の決断に委ねるつもりだ。あくまで私の希望であり、強制ではない。反対されたのなら別の人間を探す」

「遠回しに絶対に説得しろと言っているように聞こえますが?」

「時間は有限だ。その時、その日の選択と決断によって結果は変わる。キミも思っているのだろう? やるなら今だと。アイドルを例えるなら星だ。星は輝いてこそ私達は美しいと感じる。だが、その輝きはいつまでも続かない。アイドルも星も」

 

 なぜこうも自身の考えが丸わかりなのかプロデューサーは疑問でならなかった。

 いや、確かに彼女の言う通りなのは間違いない。プロデューサーとしての直感がいま動かすべきだと伝えている。だから彼は彼女の問いに肯定した。

 

「とりあえず、明日の会議のあとに武内にはオレが直接話す。そのあとで彼と共に二人に伝えようと思う」

「任せる。では、明日の会議についてだが――」

 

 それから一時間ほど雑談も少し交ぜながら残りの会議の内容や今後のことについて話を詰めた。プロデューサーはもうここにいる理由がないと判断して退出しようとした。

 だが、そこを美城が呼び止めた。

 

「ああ、そうだ。実はキミに二点言うことがあったのを忘れていた」

「なんです?」

「一つは、下半期においてキミの出張は認めん。アイドルを探すと言う名目で経費を落していたのは、流石に無視はできん。ただ、結果は出ているのがあまり認めたくはないが」

 

 ばれていた。あれほど綿密に裏工作をしていたのに。いや、総務部に口裏を合わせておいただけなのだが。どうやら裏切られたのだろうとプロデューサーは彼らを恨んだ。お門違いもいいとこではあるが。

 

「それで、もう一点は?」

「この際だからはっきり言おう。これは助言と思ってくれ。……ハッキリ言ってキミは独立すべきだ。誰かの下につくのはキミには合わない。今日までキミがやってきた事を見て、私はそう思ったよ。以上だ」

「……失礼します」

 

 扉をしめて自分のオフィスへと向かう。

 来た道を今度は戻る。今の表情は来たとき違って冷めている。無表情と言ってもいい。

 先程彼女に言われたことが脳裏にまだ残っている。

 余計なお世話だ。

 彼女とは主に仕事の分野では共感している部分もある。似通っているとも言っていいが、あのようなことを言われてしまえば、正直嫌になる。

 自分の好きなようにやりたければ独立してやれ。その通りだ。

 だが、いまはしない。将来やるかもしれないし、やらないかもしれない。

 いま言えるのは一つ。

 まだ、ここ(346プロ)を辞める気はないということだけだ。

 

 

 

 翌日の会議は予想通り荒れたものになった。現在活動しているプロジェクトや企画のほとんどが白紙。参加したアイドル部門の職員は言葉を失った。

 さらに美城がアイドル部門統括重役に就任し、同時にチーフプロデューサーである彼の実質の降格(表向きではあるが)と新プロジェクトの発足。そして、彼がその担当に就任するということ。

 これには、プロデューサーのことを疎ましく思っていた派閥の人間は笑みを隠せずにはいられなかった。彼は近いうちに美城側につくだろう。

 同時に武内を含めた一部のプロデューサー達が反対の声をあげた。ここまではプロデューサーと美城の予想通りの展開であった。

 彼女は「ならば代案を提出し、納得のいくものを用意しろ。行動で示し、結果を出せ」と一蹴した。

 そして、会議終了後。プロデューサーを慕う者達が一堂に集めって問い詰めてきた。

 

「チーフ、これは一体どういうことですか?!」

「なんで、いきなり出てきたおばさんの命令なんて聞かなきゃいけないんすか!」

「そもそもなんでチーフが降格するです?! おかいしいですよ!」

 

 そこには武内もいた。彼は何かを言うことはなかったが、ジッとプロデューサーを見た。

 

「まあ、落ち着け。あと、おばさんは聞かなかったことにしておく。せめて常務と呼べ。クビになりたくなかったらな。オレが言うべきことはほとんど常務が言った通りだ。文句があるなら代案を持って直接文句を言って来い」

「ですから、いくらなんでも急すぎますよ!」

「そうだな。だが、全部白紙とは言っていないし、一部の企画は存続する。ま、とにかくだ。納得ができないなら、納得させるために動け。オレは“しばらく”チーフじゃない。自分でやるんだな。……まあ、手伝いはできないが助言ぐらいならしてやる」

 

 最後は優しい声で彼は伝えた。

 

「それと、武内。あとでオレのオフィスへ来い。話がある」

「わかり、ました」

 

 武内の反応は少し鈍いものようい感じたが、彼は特に追求することもなくその場を去った。

 

 

 

 プロデューサーに呼ばれた武内は彼のオフィスを訪れていた。武内は今後のシンデレラプロジェクトの事についての話だと思っていたが、実際に半分は当たりであった。

 凛とアーニャを美城常務の新プロジェクトのメンバーに加えると言う話は、武内も驚きを隠せなかった。むしろ、最初は反対だった。話が急すぎるし、メンバーの間に亀裂が走り混乱を招くと。

 

「そう言うと思っていた。これを見ろ」と渡された書類を手に取ると小声で言われた。「今回は特別だ」

「……?」

 

 渡された書類は美城常務の新プロジェクトの資料だった。武内は食い入るように張り付いて資料を読んだ。

 悔しいと思いながらもずるいと武内は思ってしまった。

 担当するのが別の人間ならばここまで思わないだろうが、その担当する人間が先輩と知れば嫉妬してしまう。

 ここまでシンデレラプロジェクトのメンバーと築き上げたもの横から奪い取られてしまうような気がしたからだ。

 しかし、これを見てしまえば渋谷さんとアナスタシアさんに話さない訳にはいかない。

 二人の新しい可能性を見ることができるかもしれない。二人にとっても大きなきっかけとなるはずだ。

 いずれはシンデレラプロジェクトのメンバーもそれぞれ別に活動することになる。他のアイドル部門のアイドル達とユニットを組み仕事をする機会も増えることになる。それが早まったと思えば別におかしくはない。

 ただ、問題は彼女達だ。

 プロデューサーとしてではなく、一人の社会人として見た彼女達はどこかまだ部活感覚でアイドルをしているように見える。これは部活動ではないし、アイドルという職業なのだ。少し早いが、大人の社会に一歩先に同年代の子より踏み込んでいる。

 これは遊びではなく仕事なのだ。

 そういった自覚を持つきっかけにもなるだろう。

 だが、はいそうですか。では、お願いしますとは言えない。

 

「本当に急すぎて、お断りしますと言えれば気が楽です」

「そうだな。で?」

「この常務のプロジェクトにはいちプロデューサーとしては共感できます。ですが、シンデレラプロジェクト担当プロデューサーとして今すぐに返事はできません」

「……」

 

 武内には一瞬プロデューサーが目を大きく開いたように見えた。サングラスで瞳の奥ははっきりと見えないが、こめかみが動いたのでそうではないかと思ったからだ。

 

「私だけの一存で答えを出すのはフェアではありません。それに、私は……シンデレラプロジェクトを最後まで導きたいのです。私も代替案を提出しようと思います。常務の言われるがままは嫌ですから」

「そうか。なら、お前の考えるアイドルを輝かせる企画を楽しみに待つとしよう。だが、凛とアーニャには話を通しておけ。これだけはしてもらう」

「わかりました。近日中には、お二人には話をしておきます。それでは、失礼します」

 

 立ち上がり、一礼して武内はプロデューサーのオフィスを退出した。

 時間は有限だ。さっそく代替案を考えねば。

 武内は急ぎ足で自分のオフィスへ向かった。

 

 

 

 

 

 武内が去った直後。

 プロデューサーは自分で淹れたインスタントのコーヒーを一口飲みながら先程の武内の事を思い出した。

 

「意外だったな。結局……分かっているつもりだっただけか、オレも」

 

 予想通り武内も新プロジェクトには共感した。だが、予想外だったのはすぐに返事をしなかったことだ。

 別にその事に対して怒りを感じてはいない。むしろ、美城と企てた計画通り彼も自ら行動に出た。これは、よいことだ。

 今まで散々自分の命令に従ってきた者達が今後武内のように意見を言うようになるだろう。悪い事ではない。

 ただ、なんとも言えない感覚だ。

 今まで自分がしたいようにしてきたことが、突然の来訪者によってできなくなった。色々と考案していた企画も当分はできそうにはない。なにより、アイドルを探しにいけなくなってしまった。

 ――独立しろ。

 彼女の言葉が思い浮かぶ。

 

「探しているアイドルが見つかれば……そうするさ」

 

 一人しかいない部屋で、彼はボソッと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 





ちょっと長いあとがき。

多分、今回はなんか矛盾だらけなんじゃないかと思うので簡潔に補足。
「アイドル部門をお前が好き勝手にしてるのは許さん」、「お前の所為で後進が育たないから新しい改革をする」だろうか。
公式だとちょっとわからないんですけど、シンデレラプロジェクトも武内Pが発案したものではなくプロデューサーということになっている。
なので、MJに反論してなんとかすべてのプロジェクトの白紙だけは免れています。
まあ、深くはつっこまんとください。メンタル弱いんで。
アニメでは部屋も追いやれていますがここではなし。個人的には、アレはシンデレラという題材のための演出だとしても「そこまでやるか?」と当時思いました。ぶっちゃけ部屋なんて余ってるだろうと思ってました。

二期が短いと前回話したのはプロデューサーがクローネの担当として描くからです。一応他サイドの話はアニメ通りな感じと思ってください。
「言いたいことはわかるけど、私のスタイルじゃない」みたいな感じでここのアイドル達はいうでしょう。

当時も思っていましたが、デレマスというか346プロは組織? 企業という側面が強いので二期のMJのやり方って別にそこまで反対的な意見はなかったです。ていうかリアル的な印象が強かった。あとで調べたのですが、日本とアメリカの仕事というか職場のイメージ、雰囲気も違うのは知って面白いなと思いました。
まあ、細かい部分はMJのwikiなどで見ればアニメのことについてはわかるかなと。

最後にプロデューサーが「渋谷」ではなく「凛」と呼んでいるのはあとで幕間をやります。今まで意図的に「渋谷」呼びにしてたので。




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幕間劇

この間あったミリシタのSSR確定ガシャ。
嘘だろと思われるかもしれないが貴音が出た。
嬉しくて、泣いた(実装時爆死済み)


幕間劇「凛ちゃんも女の子」

 

 

 

二〇一五年 八月某日

 

 

「いやぁ、今日も練習キツイね」

「でも、最初に比べれば体力もついてきたし慣れてきましたね!」

「卯月もあんまり転ばなくなったもんね」

「凛ちゃんー、それは言わないでくださいぃーー」

 

346プロダクションの別館にあるトレーニングルーム近くにある休憩所で、ニュージェネレーションズの三人は自動販売機の前で一息ついていた。

先日のアイドルサマーフェスティバルから少し経ち、三人も自信がさらについたのかここ最近のレッスンに気合が入っていた。

そこに三人の姿が目に入ったのか、プロデューサーが声をかけながらやってきた。

 

「お疲れさん。休憩中か?」

「あ、プロデューサー。うん、そうだよ」

「そうか。奢ってやろうかと思ったが、もう飲んでるなら別にいいな」

 

彼は彼女達の手に持つ缶やペットボトルを見ながら意地悪そうに言った。

 

「チーフがもっと早くくればよかったのに!」

「残念だったな未央。ま、次回に期待することだ」

「プロデューサーさんも飲み物を買いに来たんですか?」

「たまにエナドリが飲みたくなるんだ。身体がなんというか、軽くなる。卯月も飲むか?」

「わ、私はスポドリでいいです……」

「美味いのに。若い子には人気がないのか? じゃあ、“渋谷”はどうだ?」

「……ない」

 

凛の声は小さくてプロデューサーには聞き取れなかった。卯月も未央も同様のようだ。ただ、三人は凛の雰囲気が一瞬にしてガラリと変わったことに気付いた。

 

「凛ちゃん、どうかしたんですか?」

「しぶりん、顔色悪いよ?」

「渋谷、体調が悪いなら帰ってもいいぞ。トレーナーと武内にはオレから伝えておくから」

「……いかない」

 

心配して声をかけたが、彼女の対応は先程とは変わらない。声が少し聞き取りやすくなったぐらいだろうか。

だが、俯いているのか表情が見えない。

 

「本当に大丈夫か? 無理せず帰ってもいいんだ――」

「納得いかないッ!!」

『!!!』

 

突然凛は大声で叫び三人を睨みつけた。いや、正確には一人。

 

「ねえ……プロデューサー。私、納得いかないんだけど」

「な、なにがだ?」

 

見よ、32歳にもなる男が声を震わせている。それ程までにいまの渋谷凜が纏うオーラに圧倒されているのだ。

少し首を傾げ、目に光がないかのような様子はまさにどこかで見たことのあるような既視感を覚えるほどだ。

 

「そ、そうだよ。一体何が不満? なのさ」

「り、凛ちゃん。落ち着いてください……。その、こわ――」

 

ギロリ。

びくっと彼女のにらみつける攻撃に卯月と未央は身体を震わせてしまう。黙っていろ、そう言わんばかりだ。

 

「なんでさ、私だけ『渋谷』なわけ? 二人は名前で呼んでいるのに、ていうか私以外みんな名前で呼んでるよね? なんで? ねえ、なんで?」

「え、そう……なのか? いや、意識してそう呼んでいるわけでは――」

「そうだよ! 私だけ苗字なの! アイドルの中で、私だけ!」

「それは気にする、ことなのか?」

「するの! 超―する!」

「そ、そうなのか。ただ、渋谷の方が呼びやすくてそう呼んでいただけなんだが」

「ふーん。そんなこと言うんだ。だったら、未央の方が呼びやすいんじゃん。本田の方がさ!」

「ちょっと、そこでなんであたし?! 関係ないよね?!」

「関係あるんだよ、本田」

「うわぁー、いきなりそれですか」

「でも、そっちの方が呼びやすいですよね」

「え、しまむーもしぶりんに惑わされちゃだめでしょ!

 

この場で唯一中立……の立場になっている卯月は容赦ない言葉を浴びせる。

そんな中、未央は一人反撃に出る。卯月を巻き込む形で。

 

「だ、だったら島村だって呼びやすいってことになるのでは?!」

「いや、それはない」

「なんでさ!」

「ファッションセンターしまむらと誤解しちゃうでしょ? 例えば『しまむら(の服って)いいよね』みたいな」

「そんことないわっ!」

「ないよな……?」

「チーフもそこは自信を持って! しまむーだってそんなことないよね?!」

「……ソンナコトナイデスヨ。よく、間違われちゃいます」

「島村ぁ!!」

 

その後も未央は一人で凛に立ち向かい、味方なのか敵なのかよくわらかない立場になった卯月をスルーし続けた。

そんな中、プロデューサーはどうにかすべきだと考えた。なので、はっきりと凛に言った。

 

「でさ、渋谷はどうしてほしいわけなんだ?」

「だから、名前で呼んでって言ってるの!」

「別に渋谷でいいだろ」

「今までの話聞いてないの?!」

「……未央、どうすればいいんだ?」

「もう名前で呼べばすぐに解決なんだよなぁ」

「じゃないと凛ちゃん、蒼い力にもっと目覚めちゃいますよ」

「卯月は一体どうしたんだ……」

 

ちらりと凛の方を見るプロデューサー。そこには、そわそわしている彼女の姿がある。凛も凛で、ちらっ、ちらっと早く呼んでと言わんばかりの行動をしている。

小さなため息をつきながら、プロデューサーは渋々彼女の望み通り名前で呼んだ。

 

「凛。これでいいか?」

「ま、及第点ってところかな」

「……精進しますよっと!」

 

飲み終えたエナジードリンクを強引にゴミ箱に投げ捨てた。未央と卯月は「あ、これ怒ってるな」と察したが、当の元凶である凛はにやにやと笑顔を出さないように必死であった。

 

 

 

幕間劇 「貴音、実家に帰るってよ」

 

 

『ただいま。あー、今日も疲れたよ』

『あら、おかえりなさい』

 

玄関で旦那を迎える妻の姿は一見普通の光景に見える。けれど、腕を構えて待っているその姿は、まるで鬼のようだ。

さすがの旦那も気付いたのか、どうしたのかと尋ねている。

 

『どうしたのかって? あなたに話があるのよ』

『別に話なんて飯を食いながらでもできるだろ? 腹減ってしょうがないんだよ』

『あら、今日はご飯作ってないわよ』

『はあ?! なんでだよ?! いや、待て。そうか、わかったぞ。出前だな? そうだな、たまにはピザとかもいいな!』

『何を言っているの? そんなモノなんて頼まないわよ』

 

旦那は状況が読み込めていないらしい。経験のない自分でも、さすがにここまで見ればなんとなくわかる。

 

『……モモカちゃんって、可愛い子ねー。特に胸が大きいわね。あなたの大好物だったらかしら』

『も、ももか? 何を言ってるんだよ……』

『これ、何かしらねー』

 

それは名刺だった。『モモカ』という名前と、その下にはおそらく店名。裏返すとなにかの番号があった。たぶん、LINEの番号だ。なんとなく、リアルな感じがする。

 

『この間……遅く帰ってきた日のスーツに入ってたの。買い物ついでにお店まで行ったけど、あれって……キャバクラよね?』

『そ、それは会社の接待というか、お付き合いだよ! それぐらいわかるだろ?』

『それもそうよね。でも、定期的に通ってることだって知ってるのよ!』

『な、何を言ってるんだ。そんなことしてないって』

『あなたのLINE見たの。昨日も連絡取ってたわよね? それに、お小遣いもちょっと増やしてくれって最近頼んでもきたわよね?!』

『こ、後輩にせがまれて……』

『ここまで言われてまだ嘘を言うなんて、呆れてなにも言えないわ。私、今から実家に帰らさせてもらいます!』

『待って! 話し合おう! な?!』

 

ここまで見てみると、ドラマでよくある展開だ。茶うけにある煎餅を咥えながら美希はそんなことを思いながらドラマを見ていた。

実際にミキのパパとママの夫婦仲は良好だ。と思われるが、喧嘩をしているところは滅多に見ない。ただ、実際にキャバクラとかそっち系のお店がキッカケで家庭崩壊などはよく耳にする。バラエティ番組などに出演したときにも、ゲストの体験談とかを聞いたりした。いま思えばなんで未成年の自分に出演のオファーが来るのだろうかと疑問に思う。

ただ、人の体験談やこうしてドラマを見て思うのは……。

いま現在、後ろで似たような夫婦喧嘩が繰り広げられているということだ。

 

「あなた様! 一体これはどういうことなのですか?! タバコは一日三本までと、わたくしと約束されましたのをお忘れになられたのですか?!」

「忘れてねぇよ。ただ、やっぱり一日三本は足りないって話で……」

 

美希はほんの数分前のことを思い出した。

プロデューサーが帰宅し、玄関で貴音が彼を待っていて、彼のスーツの上着を貴音がハンガーにかけるのがいつもの光景である。ただ、上着の裏ポケットの妙なふくらみに貴音は気付いてしまったのだ。

毎日プロデューサーが帰宅するたびに煙草の箱の中身を確認することがこの家のルール。というより貴音のルールなのだが。今日も確認するために中身を見たらなんと、数が合わないのだ。

346プロダクションに移籍して貴音がいないことをいい事に、プロデューサーは隠れて煙草を約束の倍以上の本数吸っていた。だが、今日はうっかり事務所に置いておく用の煙草と普段の煙草の箱を間違えてしまったのだ。

それが貴音に見つかり口論になっているのが現在の状況である。

 

「……いつからですか」

「なにが?」

「いつから、約束を破ってこのような事をし始めたのですかと聞いているのです!」

「……それは」

「昨日ですか? それとも一週間前? いえいえ、きっと一か月……半年前?」

 

問い詰めながら言う貴音にプロデューサーは首を横に振って答えていた。日にちはどんどん遡っていくのにさすがの美希も呆れて始めていた。彼のこともあるが、一々怒鳴っている貴音にもだ。

もっと寛容になればいいのに。

そう思うのは自分があまりにも無関心だからだろうか。いや貴音を見れば、ああいうタイプの奥さんとは遅かれ早かれ離婚とかに発展するのが高いように思えてしまうから、自分はその逆の立場を取っているのかもしれない。

このあとの展開を想像すれば、きっとハニーはミキに助けを求めるに違いない。もう少し経てば……。

意識を二人の方に戻すとまだ答えあわせの最中であった。ただ、平静でいた美希も驚きの答えが返ってきた。

 

「ま、まさか……765プロで346プロに行っていた時……?!」

 

コクリ。プロデューサーは素直に頷いた。素直すぎて可愛く思えるぐらいだ。

美希としては、適当なところで嘘をつけばいいのにと思ったが、そこがハニーの可愛いところかと勝手に惚けていた。

 

「もしや、もしやと思っておりました。あの時からあなた様の体臭……いえ。タバコの匂いが少しきつくなったと感じておりました。わたくしは、そういった場所で吸われることで他の人の煙がついただけかと思っておりました……思っておりましたのに――!」

「一日に一箱は吸ってないぞ……です」

 

貴音の威圧によって言い直したプロデューサー。彼はそのまま何故かその場で正座をし始めた。

 

「わたくし、あなた様を信じておりました。ちゃんと約束を守る、真の男子と思っておりました。なのに……あなた様はわたくしのことを裏切っていたのですね。ああ、なんて可哀そうな女なのでしょう! 表では妻を愛している夫を演じ、陰では妻を裏切っている夫。なんて極悪非道な!」

「ちょっと待て。妄想が飛躍しすぎだろうが」

「そうなの! なんでいきなり妻とか言いだしてるの!」

「……わたくしはあなた様の身体と健康のためと思っておりましたのに。あなた様はそんなわたくしのお心遣いを無下にしていたのですね。それも一年以上も前から!」

 

さすが現役のトップアイドル。役を演じているかのような振る舞いである。

 

「ミキも酷いと思いませんか!」

「言い過ぎだよな、ミキ」

「あなた様に発言の権利は与えておりません!」

 

さてと。やっとミキの出番なの。ここでミキが有利な立場を作るのだ。

 

「うーとね。ミキは別にいいんじゃないかなーって思うなあ」

「な?!」

「ほら」

「ッ!」

「……お口チャック」

 

再び貴音の威圧に、今度こそプロデューサーは黙ることにしたらしく目も閉じた。そんな彼を余所に美希は続けた。

 

「貴音はちょっと厳しすぎると思うよ。普通の人が一日何本吸うか知らないけど、さすがに三本は少ないんじゃないかなってミキは思うの」

「それは……この人のためにと思って」

 

うんうんと無言で頷くプロデューサー。

 

「時には善意が仇となるってことなの。もうちょっと数を増やしてあげれば、こんなことにはならなかった。まあ、ミキもタバコの煙は好きじゃないよ? でも、好きな人だからって厳しくし過ぎるのはよくない。あ、ミキはできるだけハニーの要望に応えてあげるよー」

 

貴音を見つめながら甘い言葉で囁くように美希はプロデューサーに抱き着いた。

 

「貴音はもうちょっとハニーに優しくしてあげるべきなの。じゃないと嫌われちゃうの」

「……ました」

 

美希の言葉に負けたのか、貴音は全身の力が抜けたようにだらりと腕をおろしながら言った。

 

「ん? 聞こえないの」

「わかりましたと言ったのです」

「なにがなの?」

「そこまで言うのでしたら、わたくしは必要ない、そう仰るのですね!」

「いやいや、そこまで言ってないの。ただ、ミキは貴音がちょっと厳しいって……」

 

貴音は美希の言葉など聞く耳もたず、ただプロデューサーを見ながら、

 

「あなた様も、わたくしが邪魔だと。鬱陶しい女、そういうことなのですね」

「ちょ、待ていっ! そこまで言ってねぇだろうが!」

「そうですかそうですか。二人がそこまでいうのでしたら、わたくし――」

『……』

「実家に帰らせてもらいます!」

『……へ?』

 

突然の発言にプロデューサーと美希も開いた口が塞がらない。貴音はそんな二人など気にせず玄関へとずかずかと歩いて行く。

 

「ではお二人とも、ごきげんよう! ふん!」

 

貴音が出て行き、取り残された二人は互いに顔を見合わせ、

 

「貴音に実家なんかあるのか……」

「いや、普通はあるの。ただ……」

『本当にあるのか(なの)』

 

四条貴音というアイドルは謎につつまれたミステリアスなアイドルである。

それは何故か。言動もそうだが、プロフィールの出身地が「京都?」となっていることから察せられる。

プロデューサーも本人に何度聞いても教えてはくれなかったこと。それがいま、実家に帰ると言ったのだ。

これはつまり、

 

「美希、出かける準備だ」

「はっ、了解なの!」

 

貴音の出身地もとい、実家に挨拶するチャンス。プロデューサーはそれしか頭になく。美希も美希で面白そう、ただそれだけであった。

こうして貴音の家出という名の大追跡が行われるのであった。

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 




最後に関しては本編時空ではないです。

現在ちまちまと最新話をかいているのですが、シンデレラプロジェクトの面々以上に難儀してます。
個性が強すぎるってはっきりわかんだね!


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第31話

 

 

 

 二〇一五年 十月某日

 

 

 346プロダクションのオフィスビル。元チーフプロデューサーとなった彼のオフィスは依然これまでと同じ状態を保っていた。

 部屋の主であるプロデューサーは美城常務の新プロジェクトに関する業務で日夜作業に没頭していた。

 表向きとはいえ降格された彼ではあったが、今までと同じように仕事をこなしている。ただ、以前とは仕事内容がまったく違うものになったが、それは些細な事である。

 しかし、オフィスを出れば以前とは違った雰囲気となった。

 美城常務の新しい改革により、職場の雰囲気は緊迫したものになったとプロデューサーは肌で感じ取っていた。

 特に彼女はアイドルのバラエティ路線に対する方針は特に強気で、担当している部署は結果を出さなければと切羽詰っている状態。さらに、その線で活動しているアイドル達も不安な状況におかれている。

 先月に行われた会議の内容は瞬く間にアイドル部門に知れ渡り、その効果は目に見えて発揮されていた。

 この状況の一端を担いでいるプロデューサーであったが、不満や後悔といった感情は湧いていなかった。必要な事だと思い彼女に賛同しているのだ。その所為か周囲の人間の目には美城派についたと影で言われるようにもなった。きっと自分がいない場所では陰口を言われているのは間違いなかった。

 ただ、それが社員だけではなくアイドルからも冷たい視線を送られるようにもなった。面と向かって文句は言われてはいないが、皆不満を持っているように見える。

 特に幼少組からは、捨てられた子犬のような目で見られるのだから堪ったものではない。まるで、自分が悪者になったような気分だ。

 いや、似たようなものか。

 立場など気にしない大人組には、ずかずかとオフィスに入り込んでは愚痴の一つや二つを言っては去っていくのを何回もされたので、中々仕事が進まなかったのが不満ではあった。

 しかし、彼女達が怒っているのは自分が降格されて美城派についたことではない。まして、彼女達を見捨てるような態度を取っていることでもない。

「今まで担当なんかしなかったくせに、なに今更アイドルの担当になってるのよ!」と誰かに言われたが、きっとこれが一部のアイドル達の本音なのではとプロデューサーは薄々睨んでいた。

 346プロダクションに来てからのプロデューサーは、アイドル達全員を主に一人でプロデュースしていたためか、誰かの担当になったりはしていなかった。言うなれば全員の担当である。とプロデューサー自身はそう認識していた。

 現に当時は口うるさく担当になってとせがまれた。

 765プロダクションの時とは違い、ここでは全員が担当なのだ。当人たちにはわかってはもらえないことなのは理解しているが、彼女達は些か私情を挟み過ぎだと思っている。

 本当に困ったものだ。

 ただ、一つ。良かった点があるとすれば、オフィスに訪れる頻度が以前より減ったので、静かに仕事ができる時間が増えたことである。少し、物足りなさを感じるが。

 物思いにふけていると、誰かが扉を叩いてきた。声からしてちひろであった。

 

「どうしたんだ、ちひろちゃん。何か問題も起きたのかい?」

「ああ、いえ。そういう訳では……。でも、そうなのかな? トレーナーさんから言伝を預かってきました。ちょっと来てくれと」

 

 どうやらトレーナー達からも嫌われたらしい。内線で呼べばいいのに、彼女を伝言係にして呼び出しときた。

 

「あ、いえ! 私が近くに用があったので、そのついでですから!」

「本当かねえ……」

「ほ、本当ですよ。たぶん……」

「わかってるよ。時間的にあの子達のレッスンが終わるころだ」

「途中までご一緒しても?」

「構わないよ」

 

 オフィスを出た二人はエレベーターに向かって歩く。両腕に書類を抱えながらちひろは隣を歩くプロデューサーを見ながら尋ねた。

 

「……あの、プロデューサーさん」

「ん?」

「みんな、今はちょっと気持ちの整理ができていないだけですよ。あの子達はまだ子供です。難しい年頃ですから」

 

 心配してくれているのか、ちひろは優しく言葉をかけた。

 

「そうだな。まあ、アレだ。しばらくは静かでいい」

「そんなこと言うと、みんな怒りますよ?」

「事実迷惑してたからな。ちょっぴりだけど」

「ほんと、素直じゃないんですから」

「そんなことないさ。お、丁度来た」

 

 エレベーターがタイミングよくこの階で止まった。出てきた人間と入れ替わりで二人は中に入った。

 

「何階だ?」

「あ、私は――」

 

 

 

 ちひろと別れたプロデューサは別館に向かっていた。道中アイドル達とすれ違うことはない。新プロジェクトのアイドル達と他のアイドル達のレッスン時間はずらしてあるからだ。

 表向きはまだメンバーは公表していないし、そもそもデビューすらしていないということもあるし、自身のこともあるのでわざとそうしている。一応常務には了承を得ているから問題はない。

 彼女達のトレーニングルームの前まで来た。いつものように一声かけて中に入る。ただ、その光景は意外にも予想通りであった。

 

「いやー、やっぱりレッスンきついね!」

「のわりには、フレデリカは余裕そうに見えるけどね」

「えー、そんなことないよ!」

「そう言う周子もまだいけそうに見えるわ」

「まあ、若いんで。唯もまだ平気そう」

「一応みんなよりは早く活動してたしー。ただ……」

「ぜぇ、ぜぇ……ぜぇ」

「……ぅ」

 

 四人の視線の先。そこには、床で倒れている二人のアイドルがいた。彼女達が言う前に部屋に入ってきたプロデューサーが頬を掻きながら言った。

 

「やっぱり、ありすと文香はこうなるか」

「あ、プロデューサーだ! なに、サボりかな?」

「お前らの様子を見に来たんだよ。おーい、生きてるかー?」

 

 失礼な事を言うフレデリカに軽いデコピンという制裁を加え、壁際に置いてあった二人の飲み物を持って生存確認をした。

 

「た、たちばな……です」

「ほれ、飲み物。ゆっくり飲めよ。で、文香は?」

「……」

「隊長! どうやら文香隊員は……」

「フレデリカは調子に乗らないの。一応言っておくけど、最後までレッスンを耐えてたわよ」

「なるほど。教えてくれて感謝するが……。奏、近い。もっと離れろ」

「あら、つれない」

 

 言われてプロデューサーの隣を離れる奏と入れ替わるように今度は周子が隣に座った。

 

「素人のシューコちゃんも頑張ったんやけどなー? ちらちら」

「ならもっと頑張ってくれ。見た感じ余裕そうだしな」

「えー、酷いなあ」

「唯はどうだ? 初めてのユニットでのレッスンは?」

「アタシはそれなりによゆーだったかな? まあ、みんなよりレッスンはしてたしねー」

「そうなるとだ。ありすは……まあ、これからだからな。時間が解決するだろう」

「橘です」

 

 少し休んで息が落ち着いたありすはすぐにいつもの調子に戻った。みんなに囲まれながら見守られていた文香であったが、ようやく息が整ったのかやっと声を出した。

 

「す、すみません……。飲み物を……あ、ありがとうございます」

「わかっていたことだが……。お前、年の割には体力ないな」

「……体を動かすより、本を読んでいる方が好き、でしたから」

「あー! プロデューサーチャン、差別発言―!」

「そーだ、そーだ」

「お前らは黙ってなさい!」

 

 鷺沢文香。長野県出身、年齢は19歳の現役女子大生。文香という女の子は、一言でいうなら超インドア派な女性だ。趣味も本屋めぐりと言っているように読書が好きな子で、暇な時間はよく読書をしているのを346プロにやってきてから度々目にしている。そのためかと言わんばかりに体力はない。運動は苦手と本人も言っているのだが、

 

「筋力にはちょっと自信があるんですけど……」

「そこだけ鍛えても仕方がないだろ。ありすはどうだ?」

「橘です。疲れるし、大変ですけど……嫌じゃないです」

「お前は成長期だからな。一番の成長株だ、期待してるよ」

「と、当然です」

「これは提案で強制ではないが。文香、時間がある日は体力づくりするか? あとありすも」

 

 アイドルはかなり体力が求められる。ライブでも連続で歌うことはまずない。個人の場合だと少し長めの休憩を入れたりはするが、プロダクション所属のアイドル達で開催されるライブがほとんで交互に歌うのが当たり前だ。

 それを踏まえても、現状の文香の体力では耐えられないと判断した。そのためのトレーニングである。

 二人は彼の提案に頷いた。少し戸惑っていたように見えたが、嫌々やるというような顔には見えない。二人の返答にプロデューサーは「よしっ」と声をあげて立ち上がった。

 

「なら話は通しておかないとな。特に文香は大学生だから講義がない時間はトレーニングな」

「え……! あの、読書……」

「しばらくお預けだ」

「……」

「文香さん、さっきより顔が死んでます……」

「さすがに重症すぎるだろ。にしても、こういう時に面倒見のある奴に頼みたいが、今は無理だろうしな……。茜はやってくれそうだが、そうすると文香が死ぬか」

 

 本来であれば仲間内で交友を深めるためにもとプロデューサーは考えていた。しかし、新プロジェクトのアイドルは公表するまでは秘密。よって交流もできない。

 例えそうでなくても、現状のアイドル達の関係にヒビが入った状態では無理だと気付いていた。

 そんな中、プロデューサーの軽はずみな発言に彼女達が食いついた。

 

「あ、そう言えばプロデューサーってみんなからハブられてるんだっけ? 可哀そうなプロデューサー。フレデリカも同情するよー」

「どうせ、プロデューサーが泣かしたんでしょ? シューコちゃんもそのうち泣かされちゃうー」

「ふふっ。一度でいいから、男の人に泣かされてみてみたいものね」

「女性を泣かすなんて、最低です」

「……泣かしているんですか?」

「あはは……。まあ、今回の場合はプロデューサーチャンが、ね?」

 

 メンバーの中で唯一他のアイドル達と面識のある唯は、今回の件に関してはそれとなく事情を知っている。知ってはいるが、同情はできないのか中々フォローはしてくれなかった。

 少女達から遠慮ない言葉ばかりを浴びせられているプロデューサー。彼自身は、彼女達の言葉を軽く受け流すだけだった。

 大人をいじめて楽しいか……?

 言葉には出さないがそのようなことを胸に秘めていた。

 

「さて、休憩は人を弄っていたから十分とれただろ? レッスンを再開しろ。オレはトレーナーと打ち合わせしてくるから。それと、トレーナーが来ないからってサボるなよ? サボったらもっとキツイレッスンさせるからな!」

 

 釘を刺しつつ、ほんのちょっぴりの仕返しを混ぜながら、プロデューサーは部屋を出て行った。

 

 

 

 トレーニングルームを後にしたプロデューサーは別の部屋に向かっていた。同じ新プロジェクトのアイドルである神谷奈緒と北条加蓮の二人の所だ。

 二人はユニットとして活動させると当初から決めていたためか、予定していたプロジェクトがかなり前倒しに進んでいた。

 常務自身がすでに作詞家に依頼していたらしく、それでも予想以上の早さで歌詞と曲が届いたのだ。そのため二人だけボイスレッスンを中心にスケジュールを組んでいた。

 本来……というよりも、理想であればもう一人。凛がいるのが望ましかった。

 武内からの報告では、凛とアーニャには話はすでにしてあるとのことだった。反応は想像通りのものだったらしい。

 プロデューサーもこれ以上は待てないと判断し始めていた。プロジェクトに参加しないのであれば、奈緒と加蓮の二人によるデュオでのプロデュースをしなくてはならない。それに肝心の美城常務には、仏のような慈悲深さはないだろう。そろそろちゃんとした報告も急かされているようなものだった。

 

「さて、二人はちゃんとやっているか……」

 

 ボイスレッスン専用の部屋まで来たプロデューサーはドアの窓から中を覗き込むように二人の様子を確認する。

(これは、たまげた)

 奈緒と加蓮とはもう一人、一緒に歌を歌っている人間がいた。

 渋谷凜。

 なぜとその疑問が頭の中を過ったが、それはどうでもいいのだ。肝心なことは、渋谷凜がそこにいて、奈緒と加蓮と共に歌っている事だ。後ろ姿しか見えないので彼女達の表情はわからないが、雰囲気は最悪というわけではないように見えた。

 もし、仮にだ。凛が自分の意思でこの場にいるのならば、期待してもいいのだろうか。

 いや、変に期待をするのはやめよう。

 決めるのは凛自身だ。そう自分にいい聞かせ、しばらくプロデューサーはそのまま部屋に入ることはなく外から様子を見ていた。

 そして、歌が終わる少し前にその場を離れた。

 

 

 

 後日。

 武内のオフィスに渋谷凜とアナスタシアがいた。二人は覚悟を決めたような、真剣な眼差しで武内に自分達の答え。美城常務の新プロジェクトに参加することをいま、この場で伝えたのだ。

 武内もまた、覚悟を決め告げた。

 

「そう、ですか。わかりました。美城常務には私からお伝えしておきます」

「反対、しないんだ」

「……私も、凛と同じです」

 

 二人はたくさん悩んだ。悩んで悩んで、そして答えを出した。きっと武内Pは素直に頷いてはくれないだろう、そう思っていた。だが、彼の答えはすぐに返って来た。二人は意外でならなかったようだ。

 

「そう思われているということは、貴方達のプロデューサーとして嬉しい限りです。ですが、私はプロデューサーです。アイドルの可能性を閉ざすのではなく、広げるのが私達の仕事だと思っています。……ですが、素直に賛同はしたくないのが本音です。」

「……武内Pも、そう思っているんですね」

「やっぱり、シンデレラプロジェクトのこと?」

「経緯がどうであれ、プロジェクトの担当プロデューサーになったわけですから、最後まで皆さんとやり遂げたい。……我儘でしょうか、自分は」

「ううん。むしろ、あの武内Pがそういうことを言うなんて、ちょっと意外。でも、いいと思う」

「ダー。わたしも、そう思います」

「ただ、私達がそういうこと言う権利は……ないと思うけどさ」

「いえ、そんなことはありません。……ああ、そうでした」

 

 武内は二人に尋ねることがあったことを思い出した。それは同じユニットである卯月、未央、美波に今回の事を話したかということである。

 最初は自分で考えて決断をしてほしい、それから打ち明けてもらいたいと少し我儘なことをしてしまったからだ。ただ、二人がこうして決断をしたことを省みれば、しっかり話し合ったということは想像がついていたが、武内もあとでフォローをしなくてはと考えていた。

 それに最後にはメンバー全員に通達もしなくてはならないが、同じユニットメンバーには特に慎重な対応が求められる。

 

「美波とは、いっぱい話しあいました。わたしも、美波と……ライブライカとしていられなくなるの、とても悲しい。けど、美波は背中を押してくれました。私も頑張るからと。だから、アーニャも美波に負けないようがんばります!」

 

 二人がどれだけ話し合ったのかが伝わってきた。アナスタシアさんが離れている間、新田さんもソロで活動する計画になっている。新田さんはメンバーの中では一番の年長者だ。組織というものをそれとなくだが察してくれているだろう。現にアナスタシアさんの背中を押してくれたのだ。あとで本人に謝罪とお礼を言わなくてはならないと武内は思った。

 逆にアーニャと違って凛は正反対の雰囲気に武内は気付き尋ねた。

 

「渋谷さんは……なにかあったのですか?」

「私は……その。最初は乗り気じゃなかったんだ。けど、偶然二人を見ちゃって、自分でもわからないんだけど、一緒に歌ったんだ。不思議な感じで、なんていうか波長が合うっていうか、すごくわくわくした。新しい何かが掴めそうな気がしたんだ。それから悩んで、卯月と未央に話したよ」

「あまり良い形で終わらなかった、と?」

「わからないんだ。あ、別に口論にはなってないから! ただ、二人ともあまりいい顔はしてくれなかったかな。なんか、裏切った感じ」

「私が言える義理ではありませんが、渋谷さんが決断したのなら、それを貫き通してください。途中で投げ出さず、最後まで。島村さんと本田さんに関しては、後ほど私からフォローをします。それに三人だけではなく、他のメンバー全員にも話さなければいけませんから」

 

 凛はありがとうと礼を言って頭を下げた。

 渋谷さん達は年が近いせいか、仲間というよりも友人、または親友のような意識が強い。だからなのだろう。今まで一緒にいたのに突然離れて別のユニットにいくというのは、許せない。いや、急なことでうまく考えがいきつかないのかもしれない。

 武内は卯月と未央の今後を特に案じていた。美波はソロという選択肢があるが、二人はどうすべきだろうかと未だに頭を悩ませていたからだ。二人でユニットという選択肢はまずなく、今は別々に活動させるのがよいのではと考えていた。二人にもそれぞれ新しい道を切り開いてほしいと案を練っている。

 考えるべきことは多いが、まずは報告だ。武内はすぐに切り替えた。

 

「とりあえずですが、今は待機していてください。ユニットとしての仕事は今回の件を考慮して最小限にしていたので、残りの仕事を消化してから合流になると思います」

「うん、わかった」

「ダー。わかりました」

「それでは、これで一旦解散ということで。私はいまから美城常務に報告に行ってきます」

 

 どんなことを言われるかわからないが、とりあえず身だしなみは整えていこう。

 武内はネクタイをきゅっと絞めた。

 

 

 それから少し経ち。

 美城常務が立ち上げた新プロジェクトは「Project Krone」となり、ソロユニットがアナスタシア、速水奏。二人組ユニットが鷺沢文香、橘ありす。三人組ユニットが神谷奈緒、渋谷凜、北条加蓮。大槻唯、塩見周子、宮本フレデリカの構成となった。

 また、神谷奈緒、渋谷凜、北条加蓮のユニット名だけはすでに決まっていたらしく、「トライアドプリムス」と命名された。

 そして、プロジェクトクローネに用意されたアイドルルームでは、今日初めてメンバーが全員揃うことになった。

 

「本日よりクローネに合流することになったアナスタシアと渋谷凜だ。アナスタシア……アーニャは奏同様ソロ。凛は奈緒と加蓮のユニットで活動となる。一応二人のが先輩だ。困ったことがあれば相談するといいだろう」

「Очень приятно。はじめまして、アナスタシアです。気軽にアーニャと呼んでください」

「渋谷凜。その、今日からよろしく」

「お~! いかにもロシアって感じ! フレデリカさんと一緒だね! ま、私はフランス語喋れないけど!」

「慢心、環境の違い。一体どこで差がついたのやら」

「ふふっ。アーニャ、よろしくね」

「おぉぉ! 凛、来てくれたんだな!」

「改めてよろしく、凛」

「いやー、賑やかになったね! ね、ありすちゃん」

「橘です。文香さんは……」

「……」

「ありゃりゃ、本に夢中だね」

「文香さん……」

 

 普段から騒がしかったのが、また一段と騒がしくなったとプロデューサーは呆れながら感じていた。彼は一人だけ自分の世界に入り込んでいる文香の意識を戻すために本を取り上げた。

 本が取られてようやく我に返った文香は「か、返してください」と声を震わせながら訴えるが、プロデューサーは無視して話を進めた。

 

「さて。メンバーが全員揃ったことで、ようやくプロジェクトクローネが本格的に始動だ。喜ばしいことだなというわけで、早速レッスンの時間だ。さっさと移動開始! 今日からもっと真面目にやってらもうからな」

「うへー」

「ま、いつも通りにやりますかなー」

 

 プロデューサーの言葉を軽く受け流しながらアイドルルームを出て行くアイドル達。そんな中、最後までなぜか残っている文香。彼女は立ち上がることすらせず、ただ座りながら一言。

 

「本、返してください」

「レッスンが終わったらな」

「そ、そんな……」

 

 返してくれるまで動かないと抵抗する文香であったが「抱きかかえて運んでもいいんだぞ?」と言われ、ようやく動き出すのであった。

 

 

 

 






 ミリシタのイベントとかその他もろもろやっていたせいで遅れました。ま、報酬欲しいし多少はね?
 それはそれとして、アニメで美城常務が登場しからの内容は若干弄っています。間違ってなければ15話から20話のいくつかの展開を混ぜています。
 そのため、文字数にもよりますがあと2話か3話でデレマス編を終わらせる気でいます。
 できるだけ1万文字を目指していますが、今回でこれだからなあ……。









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第32話

 

 

 

 11月某日 

 

 

 いまの彼女は中々見ることのできない顔をしている。

 もちろん、それを顔に出すほど弱い女性ではないが、多くの人間を見てきた自分にはそれが手に取るように分かる。

 この部屋の主である346プロダクション常務取締役でもあり、アイドル部門統括重役でもある美城常務のオフィスのソファーに座りながらプロデューサーは内々に彼女を観察していた。

 彼女がこうも不満、不服そうに見えるのは理由があるし当然だと理解はできるが共感はしたくはない。

 

「しかし、常務はこう……振られてばかりですな」

「……なんのことだ」

「楓君に夏樹や他のアイドル達に、ですかね」

 

 彼女が自身の計画を推し進めるために多くの有望なアイドル達を選抜した。自らアイドル達に直接交渉をしていたのだから、それだけ選んだアイドル達を高く買っているということもあるし、自身の計画に絶対の自信を持っているというのが伝わってくる。

 しかし、その多くは断られてしまっている。

 

「私をからかっているのか、キミは?」

「まさか。オレ自身常務の計画は悪くないし、意味のあるものだと分かっていますよ。ただ、彼女達にとってそれは、あまり好ましいモノではなかったというわけで」

「私のやり方が強引だとは思っていない。なぜ、彼女達が断ったのか理解はできるが共感などはできない。しかし、結局の所。彼女達の考えは一個人の、もっと言えばプライド、拘りだ」

 

 高垣楓は思い出を選んだ。歌番組で特集を組むと提案したが、彼女は自身がアイドルデビューした小さなライブハウスでライブをした。楓君らしいと言えばらしいとプロデューサーは当時を思い出した。自分がアイドルとして最初に立ったステージ、この時にファンになってくれた人達を大切にするという想いが伝わってくる。彼女はいまの自分がいるのはファンの人達がいてくれたからこそだ。だから、これからもファンのみんなと一緒に歩んでいく。つまりは、そういうことなのだろう。

 木村夏樹は自身の想いに従った。いや、ロックだろうか。美城常務からは破格の提案をされた。曲や衣装、演奏までもプロを用意すると。だが、彼女はそれに違和感を覚えたのだろう。直接関わってはいないが、夏樹は答えを出した。「アンタのやり方はロックだとは思えない」そう言ったそうだ。中々言える言葉ではない。

 

「名誉や栄光なんてものより、もっと身近なものが大切というわけですか」

「私は理解に苦しむ。感覚がずれていると言われれば、そうなのかもしれん」

「オレ達の時代は、むしろその逆だった。アイドル問わず、売れるためにはどんな仕事でもやった。仕事を選べる権利なんて、ほんの一握りの人間……」

「これだから大人はと、今の若い世代に言われるのだろうな。では、同じ時代を生きた者から見て、彼女達の行動をキミはどう思う?」

 

 胸の内で目の前の上司にプロデューサーは舌打ちをする。なんて嫌な質問をしてくるのだ、この女は。それでも自分が質問に答えるのだとわかっているのだ。

 ふぅと息を吐いてから、彼は答えた。

 

「あの子達の考えは理解できなくはない。不満や悩みも共感できなくはない。が、オレはそんなことはしないし、そんな選択はしないでしょう。結局、生きてきた時代が違うに、なってしまうのでしょうね」

「つまらない回答だな」

「そうですね。……ところで、夏樹たちを始めとした子達は武内の下へいったが、いいのか?」

 

 美城は興味がないのか、淡々と言った。

 

「勝手にすればいい。私からのオファーを断ったからといって、首をきるようなことはしない。むしろ、彼の手腕が試される。現に、彼の考えた企画が最近提出された。内容は以前と変わらず、子供染みた……おとぎ話のようなものだ」

「では、企画は白紙にでもするのか?」

「私情で判断するほど、私は馬鹿ではない。これが我が社にとって有益になるのであれば、そう判断する」

「なるほど」

「ところでだ。話は変わるが……」

 

 言いながら美城の雰囲気が変わったことにプロデューサーは気付き、悟った。

 ああ、今度は自分か、と。

 

「プロジェクトクローネの現状報告を聞かせてもらおう」

 

 プロデューサーは持ってきた資料を手に取り、報告を始めた。

 

「まず、予定しているスケジュールは問題なく消化中。現在は渋谷、神谷、北条のユニット『トライアドプリムス』のデビュー曲が完成。三人はボーカル、ダンスレッスンを重点的にレッスン中。また、発注していた全員分の衣装も届いたので、トラプリはPVの作成も近々行う予定」

「ふむ。トライアドプリムスについては問題ないようだ。で、他の者達は」

「ソロである二人、特にアーニャ……アナスタシアは問題ない。速水に関してもアナスタシアがよく面倒を見てくれています。大槻唯、塩見、宮本のユニットは今のところ大きな問題はなし。あるとすれば、本番での経験かと。まあ全員に言えることですが。それと、鷺沢、橘の二人ですが……」

 

 プロデューサーが言葉を詰まらせると、美城は手元の資料から彼に視線を移した。次の言葉が出てこないことに彼女はどうしたと尋ねた。

 

「いえ。ただ、当初課題であった両名のスタミナ問題は徐々に解決はしている。それでも不満は多少残るが。問題は……精神面」

「ふむ。それは鷺沢文香のことを言っていると思っていいのか?」

「ええそうです。常務も彼女のことを見れば分かる通り、彼女は他の子と比べてあまりにも、メンタル面で不安が残る」

 

 最初から駄目、というわけでなかった。そう下したのは彼女が元々人と話すのが苦手、人前に出るのも抵抗があるというのが一番の要因であるとプロデューサーは補足した。

 この事についてもスカウトの時点で納得した上でプロデューサーは文香をスカウトした。彼女の短所は解決できると思っていたし、なによりも他のアイドル達と接していけば少しずつ人との付き合い方に慣れていくと断言できた。現にまだプロジェクトクローネのメンバーのみだが、彼女達との交流で少しずつ短所が克服できていると見てとれる。

 しかし、まだそれでは足りないとプロデューサーは言った。

 

「キミの言いたいことは理解した。だが計画に変更はない。プロジェクトクローネは次のライブでデビューさせる」

「前にも言ったが、はっきり言ってリスクが高すぎる」

「何故だ? キミがさっき報告しただろう、問題ないと」

「問題ないとも。普通のデビューならば」

 

 現状の計画には、プロジェクトクローネがデビューする舞台は他のアイドル達とはまったく違う。本来であれば、新人アイドルがデビューする際によく使用している会場や地下ステージなどが候補になっているが、彼女達はアリーナレベルの会場でデビューすることになっている。

 誰がどう見ても成功するとは思えないと当初プロデューサーは計画の変更を進言したが、

 

「答えは変わらん。美城、プロジェクトクローネのブランドイメージを確立するにこれ以上とない舞台だ。キミの言う不安要素は確かに無視できないものだ。しかしだ。その不安要素をゼロにするために、クローネをキミに預けたのだ。これは私なりにキミへの信頼の証だ。私が直接クローネを担当するという案も確かにあったが、キミに一任するのが適任だと判断したためだ」

「……そこまでオレを買ってくれていたとは、正直驚きだ。特に信頼なんて言葉が出るとは思わなかった」

「心外だな。キミのことは誰よりもその能力を買っていると思っていたが?」

「それこそ驚きだ。まあいい、話を戻そう。この件は互いに意見を譲らないのは 目に見えている。これで終わりにしよう」

「いいだろう。だが、このまま問題を抱えておく訳にはいかないな」

「身体を鍛えればいつかは成果が表れ実感することができるだろう。しかし、心を鍛えることは容易ではないよ」

「クローネはキミに一任してある。キミが必要だと思う事をすればいい。……ああ、すまない。悪いがこのあと会議だ。話の続きはまた次回に」

「わかった。オレもやることができたしな」

 

 美城は持っていた書類を一旦しまうとそれを引き出しにしまった。

 彼女の言う会議はおそらく常務会か経営会議のことを言っているのだろう。

 多忙だな。俺と違って。

 プロデューサーは彼女の役職を思えば、自分と違ってアイドルのことばかり考えているわけにはいかない立場だということを改めて認識した。

 これ以上ここに用はないし邪魔になるだけだ。プロデューサーも持ってきた資料をまとめて立ち上がった。

 二人は部屋を一緒に出るだけでその場で別れ、プロデューサーは自分のするべき仕事をするためにオフィスへと戻った。

 

 

 

 

 数日後。都内某ライブ会場。

 プロデューサーは美城プロダクションの営業車であるトヨタのアルファードを走らせ、目的地であるライブ会場へとやってきていた。

 ここは近日中に開催される346プロダクションのライブを開催する場所であった。目的はクローネ達の会場見学のようなものだ。

 彼女達は車を降りると、プロデューサーを先頭に関係者入口から中へ入っていく。扉の前にいる警備員に彼が一言言うだけ中へ入ることが許可されそのまま会場の中に。

 初めてライブ会場の裏側に入ることに声をあげるアイドル達にプロデューサーは尋ねた。

 

「ライブにいったことのあるやつはいるか?」

「私はないわ」

 

 と奏のあとに続くように他の子達もライブにはいったことがないらしい。しかし、意外なことにフレデリカが自慢げに言った。

 

「はいはーい。フレデリカあるよー!」

「へえ。ちなみにどんなライブにいったんだ?」

「いま入ったー!」

「……」

 

 プロデューサーはため息をついた。すると、今度は無言でフレデリカに近づき、渾身の力を込めてデコピンをした。

 

「いった――――!!!」

「今度ふざけたことを言うと口を縫い合わすぞ」

「うぅぅ。暴力はんた……はい、お口ちゃっくしまーす」

 

 フレデリカは反論するとすぐに口を閉ざした。ギロリと睨まれたからだ。

 

「よろしい。ほらいくぞ。長居はできないからな」

 

 歩いて数分。プロデューサー達は会場内のステージの上にやってきた。彼らのいる場所だけ照明が照らされているが、それだけでもこの広い会場のなんとも言えない威圧感を感じる。

 

「広い……」

 

 誰かが漏らした。

 

「ああ広い。いまは空いている席が全部観客で埋まり、光はステージ上の照明と観客のサイリウム」

「ほんと、広いんだね。ね、奈緒」

「うん、そうだな。そういえば、プロデューサー。凛とアーニャは連れてこなくてよかったのか?」

「二人はもう体験しているし、なによりいまはシンデレラプロジェクトの方の仕事でいないし、それに――」

 

 プロデューサーは彼女達を見た。少し優しい声で言った。

 

「お前達には必要なことだ。すでに伝えたが、お前達の初ステージはここだ。デビューライブにしては豪華すぎる。あまりにもだ。だからせめて、下見だけでもと思ってな。オレはアイドルじゃないから、本番の緊張感はわからない。本当はもっと、他のアイドル達がデビューするような小さなステージでさせたかったんだがな」

「んー、まあいけるんじゃない?」

 

 頬をかきながら余裕そうな声で周子が答えた。

 

「お前ならそう言うと思ったよ。周子以外にも同じことを思ってるやつはいるだろう」

「いや、あたしはどちらかというと、結構これだけでもきついんだけど」

「奈緒はなんだかんだ本番に強いタイプだと思うけどね」

「そ、そうか? そういう加蓮はどうなんだよ」

「まあ……いけそう?」

「駄目じゃん」

「平気だって、いけるいける」

 

 それぞれが言い合う中、みんなから少し離れていたところにいた文香は一人会場を見つめては下を向くのを繰り返していた。メンバーの中で一番年下であるありすが傍にいてそれに気付いた。

 ありす自身は他のメンバーと同じような感想を抱けないでいた。ただ広く、こう凄いという感想しかでないでいた。だからこそ、緊張とか不安という感想が出なかった。ただ、隣にいる文香を見て、初めてそれを感じ取った。

 ありすは心配で文香に声をかけた。

 

「文香さん、大丈夫ですか?」

「ありすちゃん……。へ、平気だから、心配しないで」

「でも……」

 

 文香が強がっているのはありすにもわかった。

 年上だから、一番年下である自分に心配をかけたくないのだろう。逆になんでこんなにも震えているのか、ありすにはそれが少しわからなかった。

 そこにプロデューサーがわかっていたかのように文香に言った。

 

「怖いか、文香」

「ぷ、プロデューサー。私には、無理です……。こんな場所で、私、歌えません」

 

 泣きそうとまではいかないが、弱弱しい声で訴えている。ここに彼女達を連れてきた本当の理由は文香のためでもあった。

 やはり、こうなるか。

 プロデューサは膝をついた。

 

「何度もいうが、本当はもっと段階を踏んでからこういった大きなステージに立つもんだ。特に文香、お前はプレッシャーに弱いと思っていたからな」

「わかっているなら、私にはできないです」

「それでもだ。お前は、最初はあんなにレッスンでひぃひぃ言っていたのが、いまではそれなりにマシになったじゃないか」

「あれでもマシ、なんですね」

 

 ありすがツッコんだ。

 

「それに、お前は言ったよな、新しい一歩を踏み出したい。それがいまなんじゃないか? 大小は関係ない。一歩は一歩。それにお前には一人じゃないだろ? 小さいが、頼れる仲間がいる」

「小さいは余計ですっ! 文香さん、わたしはまだその……文香さんがどんな悩みで苦しんでるのかはよくわかりません。でも、わたしがいます。わたしではあまり頼りないかもしれませんが、精一杯がんばります。だから文香さん、一緒にがんばりましょう」

 

 か弱いが心強い言葉だ。

 文香はありすの差し伸べた手を優しく、そして強く握った。ありすもまた握り返し、優しく微笑むと彼女もやっと笑みを浮かべた。

 それを見たプロデューサーもまた口の端を上げた。

 これで大丈夫、とまではいかないだろう。それでも来た価値はあった。

 クローネの面々を見渡した。真面目だったのは最初だけでいまではお喋りときている。はっきり言えば、このメンバーでクソ真面目な女はいないのだから当然だ。彼は呆れるよりも大した子達だと逆に思い知らされた。

 うむ、自分が探し見つけたアイドルだ、当然だ。

 ふんと胸を張りたくなる気持ちを抑え、プロデューサーはステージに響き渡るように言った。

 

「さ、帰るぞ! 戻ったらレッスンだからな!」

『はい!』

「え、このままプロデューサーのおごりで買い食い――」

 

 口は災いの元。

 再びフレデリカの額に強烈な痛みが襲いかかるのであった。

 

 

 

 

 

 346プロダクション プロデューサーのオフィス

 

 

 先日行われた秋のアイドルフェスは無事に成功で終わった。つまり、プロジェクトクローネのデビューは見事成功したのである。

 まあ、多少冷や冷やさせられる場面はあったが。

 それでも、成功は成功なのだとプロデューサーは言い張る。トップバッターであるトライアドプリムスは一気に会場の観客の心を掴み魅了した。

 ただ、次の文香とありすのユニットでほんの小さな問題が起きた。別にこれといって大きな理由ではなく、緊張して身体の震えが止まらなかったのだ。代わりにシンデレラプロジェクトが交代して一曲挟んでもらった。そしてそれが終わる頃には文香の緊張は解け、ステージへと向かって行ったのだ。

 これで自信がついただろう。

 プロデューサーには妙な確信があった。経験からそう言えるし、的外れな言い方をすれば勘だった。これで文香は大丈夫。そう、思えるのだ。

 しかしそれは、文香だけではなく全員に言えることでもあった。だが、文香やありすといった大人しい子を除けば、残りのメンバーは大概肝が据わっていると言うべきか、あまり心配ではなかった。あるとすれば――。

 普段の素行があまりよくないことか。いや、待て。大半のアイドルは全員当てはまるな。うん、別におかしいわけじゃないな。

 結果から言えば、彼から見てもプロジェクトクローネは概ね問題ないスタートを切ったということになる。多少のトラブルはあったが、それを美城常務がどう受け止めているかはともかく、クローネの活躍に関して問題はなく満足しているだろう。実際に評価を言われたわけではないが、プロデューサーはそう思っていた。

 備え付けの電話が鳴る。音からして内線だ。

 

『プロデューサーですか?』

 

 知っている声。

 声の主は美城常務の秘書のようなことをしている女だったはずだ。

 

『美城常務からいますぐ部屋に来るようにと通達がありました』

「わかった。すぐにいく」

 

 応えると内線はすぐに切れた。

 なぜお呼びがかかったのか。プロデューサーは理由を探した。真っ先に思い浮かんだのはクローネに関してだと思ったが、それは違うと判断した。先日のフェスの報告を先日したばかりだし、彼女の性格を考えればそうそう何度も自分を呼ぶとは思えない。必要なことはきっかりと告げる女だからだ。

 ならばなんだというのか。

 とりあえずここにいてもしょうがない。プロデューサーは部屋を出た。

 エレベーターに乗り常務のオフィスがある階までいく。エレベーターの中でプロデューサーはあることに気づいた。

 もしかして、あの事と関係が?

 ここ最近凛の様子がおかしかったのを思い出した。たぶん、先日のライブが終わってからだったと思う。彼女に理由を尋ねると卯月が話に出てきたのだ。ただ、深く追求はしなかった。あまりにも深刻そうに思い悩んでいたからだ。

 たぶんこのことだろう。ため息をつきながらプロデューサーは美城常務のいるフロアにおりて彼女のオフィスへと足を運ぶ。

 美城常務のオフィス前。ノックして入る。

 

「失礼します。お呼びで?」

「ああそうだ」

 

 彼女は窓の方、外の景色を見ているかのように背中を前にして立っていた。手を後ろで組み、どこかで見たことのある光景が思い浮かんだ。

 プロデューサーはそのまま美城のデスクの前まで歩くと、彼女が顔だけ動かしてこちらを見た。

 

「島村卯月のことは聞いているな?」

 

 予想通りだ。しかも、聞いているかときた。つまり、そういう話なのだろう。

 

「誰とは言わないが、それとなく知ってはいる。ただ、もうチーフプロデューサーでないので話がこないんですよ。嫌われ者でして」

「ふむ。まあいい。大まかなことは知っているな」

 

 こちらのことをお構いなく話は進められていく。

 美城はまるで裁判長のように冷淡に告げた。

 

「島村卯月を切るべきか、キミの意見を聞きたい」

 

 

 

 





次回でデレマス編は最終回。
年内に更新できるかは未定です、はい……。


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第33話

 

 

 魔法使いの言う通り、魔法は0時になると消えてしまいました。

 幸いだったのは家の近くで解けたことでしょうか。

 シンデレラは家に帰ります。その足取りは重いです。片足が裸足にも関わらず、シンデレラは歩きました。家に着くとそこにはあの魔法使いがまだおりました。

 

「おやおや。願いを叶えたのにどうしてそんなにも悲しい顔をしているのか。シンデレラよ、一体どうしたのだ」

 

 魔法使いがとても心配そうに聞きました。しかし、魔法使いはすべてを知っておりました。わかっていながらも魔法使いはシンデレラに聞きます。

 

「もう一度、お城に行きたいの。王子さまに会いたいのです。でも、わたしにはそんな資格ありません」

「ふむ。わたしはきみの願いを叶えた。舞踏会に行きたいという願いを。なのに、お前はわたしにさらなる願いを望むのか」

「そういう訳ではないのです。けれど、わたしには何もない。あるのはボロボロの服だけ。それ以外、わたしには何もないのです。わたしはもう、どうすればいいかわからない」

 シンデレラは涙を流しました。この先に待っているのはいつもと変わらぬ日々。そして、いつの日か死ぬのだ。そう思ってしまいます。

 

 すると、魔法使いは唸り声をあげました。

 

「ぬう。確かにわたしはお前が可哀そうだと思って声をかけた。だが、これでは些か後味が悪い。どれ、チャンスをやろう」

「それはいったい何なのですか?」

「それに答えることはできない。だが、ヒントはやろう。一つ、たった一つだけ魔法が解けてないのだよ。あとはシンデレラ。あなた次第だ」

「わたしはどうすればいいのですか」

「それはあなた次第、そう私は言いました。あとは自分で考え、自分で決めなさい」

 

 魔法使いは箒にまたがって宙に浮かび去って行きました。

 

 

 

 

 12月 クリスマスライブ前日

 

「以上が島村卯月の現状になります」

 

 と武内は重い声で告げた。

 これではまるで尋問だ。現在自分がおかれているこの状況はまさにそれが当てはまる。前の前で座る尋問官は美城常務。自分の横でソファーに座っているのが、例えに難い存在の先輩であった。

 ごくりと武内は唾を飲んだ。

 尋問官からのお言葉だ。

 

「……キミはどう思う?」

「はっきり言っていいので?」

「構わん」

「では、遠慮なく。島村卯月を切るという選択肢しかない」

「私も彼の意見に同意だ。彼女のせいでトライアド、いや、キミの部署にすら影響が出ている。これは、軽視できない問題だ。」

「待ってください!」

 

 武内はいつもに増して大声で反論した。

 

「彼女はいま、帰ってきました!」

 

 島村卯月は今日ここ、346プロダクションに戻ってきた。それまでは、かつて所属していた養成所に戻っていた。

 理由は基礎レッスンの見直し、とシンデレラプロジェクトのメンバーには伝えていた。武内自身も異変には気付いていた。

 島村さんはある日を境に変わった。先日のライブでそれが顕著に表れているように見えたが、実際はもう少し前だったと思う。渋谷さんがクローネにいき、本田さんが舞台への出演を決めてからなのではと推測している。

 その時はどちらかと言えば未央が荒れていたと武内は記憶していたが、彼女が舞台への練習で何かを見出してからそれはなくなった。彼は未央同様卯月にあった仕事を選らんだ。小日向美穂とのデュオでの仕事だ。

 彼女となら安心できると武内は思っていたが、実際はよくはなかった。そして、最終的に卯月の状態はあまりよくないと判断し、彼女自身が養成所に戻りたいと進言したのでそれを受け入れた。

 それが今日やっと戻ってきた。ただ、問題は解決していないことに武内は気付いていた。

 

「知っている。実際に島村卯月と話した」

「それは初耳だ」

 

 プロデューサーの言葉に武内は内心同意した。

 

「キミは彼女が帰ってきたといったが、遅すぎたな。島村卯月の時間はもうない」

「彼女の理由はあまりにも自分勝手だ。体調不良や一身上の都合ならまだしも、基礎を見直したいから養成所に戻ってレッスンをしたい……。正直、あまり関心しないな」

「許可を出したのは自分です。それに、彼女の精神的問題も考えて、ここと少し距離を置くべきだと判断しました」

「あの子の悩みは、いわゆる個性で悩んでいるのだろう。言い換えれば自分の長所、アピールポイント。他のアイドルと比べてしまい、自分を見失ってしまう。別にアイドルならば珍しくはない。問題はそのあとだ。一人で悩み、抱え込んでしまっていることだ」

「それは言い過ぎなのでは! 誰にでも、打ち明けられないものはあります」

「確かにその通りだ。だが、島村卯月は346プロダクションのアイドルだ。本人の希望も配慮するが、活動方針を決めるのは我々だ。アイドルが悩んでいるのならば手を貸す。しかし、それでも彼女は駄目だった。キミもそうしようとしたのだろう? 彼女の力になればと」

 

 無言で頷いた。

 

「キミの能力は評価している。これまでの成果を損なうのは惜しい。キミが言う『Power of Smile』などという幻想を捨て、島村卯月を切り捨てるといい。現実を見たまえ」

「方針は変えません」

「それは、なぜだ?」

「彼女が必要だからです」

 

 胸を張って武内は答えた。

 彼女こそ、『Power of Smile』に必要なのだ。常務、あなたはきっと理解してくれないかと思います。けれど、島村さんは欠かせない存在なのです。

 美城はデスクチェアから立ち上がり、再度武内に問うた。

 

「島村卯月にも聞いた。キミの輝きはどこにあると。彼女は答えられなかった。彼女の輝きはもう消えている。それでも、島村卯月は必要だと言うのだな?」

「消えてなどいません。彼女はまだ、島村卯月の輝きは死んでいません。あなたには見えないだけ」

 

 互いに無言が続いた。

 武内と美城は睨み合っていた。しかし、両者に怒りや憎しみといった感情はない。しばらくして、美城は窓の外を見るために体を動かし、後ろで手を組んだ。

 

「いいだろう、そこまで言うのならば明日のニュージェネレーションズのクリスマスライブ、それが最後のチャンスだ。満足のいく答えを見せてもらう」

「常務もお越しなられるのですか?」

「そうだ。異論はないだろう」

「はい、ありがとうございます!」

「しかし、その前にだ」

 

 美城は振り返ってプロデューサーを見た。釣られて武内もプロデューサーの方に視線を向けた。

 

「島村卯月を採用したのはキミだったな。キミなりにケジメをつけたいと思っているのではないのか?」

「……ええ」

「なら、したまえ。彼が言うように、島村卯月の輝きが消えていないのであれば、キミも私同様納得するだろう」

 

 美城の視線がプロデューサーから武内へと移る。

 

「彼が納得するしないに関わらず、会場に来ない時点で切る。そして、ステージに立ちライブの結果を見て判断する。異論はないな」

「はい、異論はありません」

「よろしい。では、話はこれで終わりだ」

 

 すぐに動いたのはプロデューサーだった。無言でソファーから立ち上がるとそのまま美城のオフィスを出て行く。それに続くように失礼しますと言ってから竹内もオフィスを出て行った。

 

 

 

 

 部屋を出た時にはプロデューサーはかなり前を歩いていた。立ち止まる気のない彼の雰囲気を感じ取り、武内を大声で呼び止めた。

 

「先輩、待ってください先輩!」

「なんだ」

「教えてください! 本当に島村さんを辞めさせるつもりなのですか?」

「そうだ」

 

 先程美城常務と話していた時と同じ声だった。冷たく、優しさを感じられない。武内はおそらく彼から初めて感じとったであろう恐怖を間近で味わっていた。ただ怖いというわけではない。一体何を考えているのかわからないのだ。

 武内は何を聞いてもはぐらかされてしまうのではと思い、一つだけプロデューサーに尋ねた。

 

「先輩は、なぜそこまで冷徹でいられるのですか? 彼女は、島村さんは先輩が見つけたアイドルではありませんか」

「オレだからこそだ。それに、これでも私情を少し挟んでいるぐらいだ。お前の思っているように常務が来なければこんなことは起きなかっただろう。プロジェクトクローネがなければ彼女達の友情に亀裂が走ることはなかっただろう。しかし、芸能界なんてこんなものだろう?」

「それは……」

「はっきり言ってしまえば代えが利くんだよ、この業界はいくらでも。けどな、島村卯月をスカウトしたのには理由があるし、それがすぐに彼女を切らない理由でもある」

「理由、ですか?」

 

 いままでプロデューサーと共にオーディションを行ってきたが、彼がスカウトしたアイドルをどんな理由で採用したかは一度も聞いたことはなかった。

 なので、これが初めてプロデューサーがどんな理由でアイドルをスカウトしたのかを聞ける機会であり、彼の本音が聞ける瞬間でもあった。

 

「プロフィールや養成所の講師から聞いた時点で彼女のダンスやボイスはあまり褒められたものではなかった。平凡だったよ。それでも島村卯月には惹かれるものがあった。それはお前が抱いているものと変わりない。オレは面接した時、ある質問をした。その質問の答えを聞きにいく」

「どんな質問をされたのですか?」

「それは教えん。彼女はもう帰ったんだろ?」

「はい。明日のことは伝えてはあります」

「なら、学校へ直接迎えにいくことにする。どんな結果になっても受け入れる用意はしておけ」

 

 そう言うとプロデューサーは振り返り歩き出した。武内は彼の背中を見ながら少し遅れて先程美城にも放ったような力強い声をあげた。

 

「……島村さんは戻ってきます」

 

 足を止め振り返るプロデューサーはただ一言尋ねた。

 

「さっきもそうだが、なぜそう言い切れる」

「理由は変わりません。島村さんは絶対に戻ってきます。なにより、貴方を信じていますから」

「買いかぶりすぎだ。オレはお前が思っているような男じゃない」

 

 今度こそプロデューサーは振り返ることなく通路を歩いて行った。

 

 

 

 クリスマスライブ当日

 

 昨日事務所に行くべきじゃなかったかもしれない。

 凛ちゃんと未央ちゃんに言われたこともあるし、ただどうしたらいいかわからず、事務所に足を運んだだけかもしれない。

 いまとなっては自分でもわからない。卯月はただそんなことばかり考えていた。

 教壇では担任の先生が今年最後だからと色々と喋っているが頭に入ってはこなかった。今日は終業式だ。部活をやっているクラスメイトは違うだろうが、部活に入っていない自分はたぶん、今年中にクラスメイトと直接学校で会う機会はないだろう。

 外の空模様は曇り空。いまにも雪が降りそう。

 まるでいまの私みたいですね。

 明るく、元気でいるような晴れでもない。哀しい、泣きたいような雨というわけでもない。どっちつかず、中途半端。

 そんな自分とは違って、みんなは変わっていなかった。むしろ、申し訳ない気持ちになった。

 たくさん迷惑をかけていたのに、すごく心配してくれていた。控えめに言って自分は最低だと思ってしまう。

 誰かと比較して、勝手に自分で悩みこんで、それがどんどん積み重なって……こうなってしまった。

 自分がわからないよ。いままで、こうなるまでの私はどんな私だったのか思い出せないぐらいに。

 

「ではみなさん、身体に気を付けてくださいね」

 

 委員長の号令。

 これで終わり。クラスメイトは慌てながら荷造りを始める子もいれば、すでに教室の外へと駆け出していた。

 卯月もバッグを持ち、教室を出た。仲の良い友達に誘われたけど断った。すると「あ、ごめん。今日クリスマスライブだったよね」と言われた。

 ああ、そうだった。どうしよう。

 いまだに心の整理がつかない卯月。廊下を歩きながらふと昨日みくに言われたことを思い出した。

 

 

 あれは昨日、私が事務所から家に帰る時だった。みくちゃんが途中まで一緒に帰ろうって言って、私はそれを受け入れたのだ。

 事務所のゲートを出てからは本当に無言だった。なにを話したらいいのかわからなかったし、話す権利なんてあるのかと悩んでいたから。

 でも、何か話さなきゃって思ってたら、みくちゃんが先に口を開いた。

 

「“私”と卯月ちゃんってさ、ちょっと似てるんだよね。あ、私が勝手に思ってるんだけど」

 

 一人称が「みく」ではなく、「私」であることに内心驚いた。それにネコ耳もいまはつけていない。外にいるんだから当然と言えば当然だった。

 

「それって、何ですか?」

「私と卯月ちゃんは他のみんなと違って前からアイドル……候補生かな、この場合。みんなスカウトだけど、私たちはアイドルになるために頑張ってた」

「でも、みくちゃんは私と違って事務所にいたんですよね? 私は養成所だし、違いますよ」

「ううん、違わない。前の事務所って最悪だったから。養成所と同じような感じ。その時のプロデューサーは私にあれこれ言った割には何もしてくれなかった。自分でレッスンに行って、戻って報告して、それでおしまい」

「それ、初めて聞きました」

「知ってるのPちゃんと李衣菜ちゃんぐらいだもん。まあ、どん底だったわけ。諦めて帰ろうかと思った。でも、もうちょっと頑張ればって思って続けてた。けど、本当に諦めかけてた時にPちゃんが私を見つけてくれた。卯月ちゃんもそうでしょ?」

「はい、私もプロデューサーから声をかけてもらいました」

 

 いまと同じような天気、346プロジェクトのライブのアルバイトで出会った。嘘みたいだなと思った。たった一回会っただけで私の事を覚えてくれて、面接に呼んでくれた。おとぎ話のようだとそのことを話した友人に言われたことを卯月は思い出した。

 

「ね? 似てるでしょ、私たち」

「確かにそうですけど……。みくちゃんは、私に何を言いたいんですか?」

 

 思わず言ってしまった。酷いと内心すぐに思った。けど、目の前にいる彼女は嫌な顔などしていなかった。

 

「卯月ちゃんが悩んでる理由、私にもわかるから」

「……え?」

「前の事務所のプロデューサーはみくにこう言ったの。「ネコキャラなんて流行らない」って。それでもね、“みく”はネコキャラアイドルになるために頑張ったにゃ。そして、Pちゃんがみくを見つけくれた。いまならはっきり言えるにゃ。みくの夢は、みんなから好かれるキュートなネコちゃんアイドルって」

 

 声が出なかった。みくちゃんがとても眩しくて、本当に自分が知っているみくちゃんなのって、思ってしまったぐらいに。

 

「卯月ちゃんはいま、みくと同じように悩んでいると思う。苦しいし辛いにゃ。でも、これだけはやっぱり自分自身で答えを見つけなきゃだめにゃ。卯月ちゃんがアイドルになってやりたかった、なろうとしたことを」

「私が……したかったこと」

「うん。アイドルになるって夢はとっくに叶ったにゃ。じゃあ、次は?」

 

 ――あなたはアイドルになって何をしたいですか?

 ――これは宿題です。いつかその答えを聞かせてください。

 

 以前、誰かに同じことを言われた気がする。自然と卯月は声を出していた。

 

「私の、私の夢は……アイドルになることで、でもそれは叶って。私が、アイドルになってやりたいこと……やりたいことなんて……」

 

 答えが出ないことが怖い。身体が震えそうな感覚に卯月は陥る。

 ない。そんなもの、私には。

 そんな時、みくは優しく卯月の手を握った。

 

「卯月ちゃん。人は目標を忘れたり、見失ったりしちゃうこともあるにゃ。でも、また新しい目標を見つけることだってできるにゃ。夢だって同じだよ」

「みく、ちゃん……」

 

 そのままみくちゃんは家まで一緒にいてくれた。そして別れ際に、

 

「明日待ってるにゃ。みくだけじゃなくて、みんなが。じゃあ、また明日にゃ!」

 

 走り去っていく彼女の背中は、とても羨ましかった。

 

 

 

 

 校舎から出て、学校の門まで歩いていく。そこには警備員のおじさんがいて、いつも門から敷地の外に目を光らせている。

 彼は容赦がないことで有名で、仕事熱心なのはいいが、何回かここの女子生徒の親だったり兄弟が迎えに来たり、彼氏なのがいたりしたところを問答無用で職質なりしたというのは有名な話だ。

 卯月の学校は女子高だ。昨今、不審者やら盗撮などでニュースになる時代だ。警備員として彼はよく働いているのがここの生徒共通の認識である。

 そんなおじさんがたじろいでいる、或いは動くに動けない状態でいるのは卯月も初めての光景だった。

 視線を道路の脇に停めてある一台の黒のアルファード。見慣れた車だった。

 黒のスーツにコート。喫煙所ではないのに容赦なく煙草を吸っている男は、知っている人だった。

 

「……プロデューサー。どうして」

「お前を迎えにな。とっとと乗れ。あそこのおっさんがいまにも警察を呼びそうだ」

 

 それは自分の格好に問題があるのではと思ったが、口に出すことはせず、言われるがままに車へ卯月は乗った。

 

 

 学校を出て車を走らせてから車内の空気は最悪と言ってもよかった。

 車を運転し始めてからのプロデューサーは終始無言で、赤信号で車が停まっても卯月の方に向くことはなかった。

 そのこともあってか、卯月も何かを言える雰囲気でなかった。彼女はまるで、鬼先生と一緒になった感覚と同じようなものを味わっていた。他の生徒から恐れられ、人気など皆無な先生。そんな人と一緒になった時など最悪の一言だ。早く時間になって、と心の中で何度も願う。

 しかし、今回は知らない人間ではなく、知っている人なのが余計にたちが悪い。彼が怒っているところは、卯月は一度も目撃したことはない。機嫌が悪い時は何回か見たことがある。が、いまの彼は機嫌が悪いとかの雰囲気ではない。

 それから時間がどれくらい経ったのか、車はようやく目的地についた。車内から外の風景を見た卯月は、ここがどこか見覚えのある場所だと気付いた。その答えをプロデューサーが答えた。

 

「このアリーナ、覚えているか?」

「……はい。私が、346のライブでアルバイトしていたところ、ですよね?」

「そうだ」

 

 ここで会話は途切れた。車は再び動き出した。たぶん、関係者専用の出入り口に向かっているようだ。

 そこの駐車場に着くと、降りろと言われそのまま先を歩くプロデューサーのあとを卯月は歩き始めた。

 途中、警備員か或いはここの管理責任者だと思われる男性に会ったが、話を通してあるのか何も問題は起きなかった。そのまま薄暗い通路を歩いて数分。

 そこは、アイドルになってよく目にするようになった舞台裏だった。ライブならばアイドルやスタッフの人が大勢いるがいまは誰もいない。ステージに上がる階段を上がっていくと、ステージの中心だけライトが照らされていた。いや、マイクスタンドが一つあった。

 なんで、これだけ?

 卯月は気になったが、これが意味のあることなのか、それともただ置いてあるのかわからないでいた。

 プロデューサーはスタンドからマイクを手に取って卯月の方を見ずに話し始めた。

「お前と出会ったのは、今日みたいな寒い日だったな」

「はい。今日は……雪、降ってませんけど」

「そうだな。そういえば、話したことはなかったな。346のライブでアルバイトの募集を養成所にしていたのは意図的なんだ。いまはそうでもないが、あの頃はまだアイドルを探していたから、あの手この手を尽くしてアイドルをサーチしていた」

 

 それを聞いて卯月の中である疑問が解決した。だいぶ前、そうだ、なんで自分がオーディションに呼ばれたのだろうと思ったあの時だ。卯月はあの時の疑問がようやく解決し、なんでプロデューサーが自分のことを知っていたのかをようやく理解することできた。

 

「でも、それだけなんですか?」

「それだけとは?」

「アルバイトをするために履歴書や養成所の先生が私の評価をつけた資料を送りました。それだけだったら絶対に私はオーディションなんて呼ばれないって思ってました。じゃあどうしてって。あの日、この場所で私はプロデューサーに会いました。たった一度、その一度だけで私をオーディションに呼んでくれたんですか?」

「概ねその通りだ」

「じゃあ、どうして?」

「言葉にするなら……ティンときたから」

 

 言いながらようやくプロデューサーは卯月の方を見て話した。しかし、その答えは卯月が期待していたものより意外な答えだった。

 

「て、てぃん?」

「お前が言った様に、書類の時点でお前を採用するかと問われるならば、採用する気はなかった」

 

 ああ、やっぱり。結局こういうオチなのだ。

 目の前にいるプロデューサーでさえ、自分に対してそういう評価を下していたのだ。正直に言えば、お世辞とまではいかないがそれらしい理由を期待していた。

 卯月は、もっと自分が情けなくなった。

 

「しかし書類だけの、文字だけならいくらでも書ける。実際に目にして判断を下すのがオレのやり方だった。だから、ここで会えればと思っていた。まあ、お前は痛い思いをしたがな」

 

 

 自分の鼻を指で指しながらプロデューサーは言うと、卯月はああそうだとあの時のことを思い出した。

 

「確かに、痛かったです」

「そして、オレはお前と直接話して採用することにし、結果お前は採用となり346プロのアイドルとして活躍することになった。ただ、それも今日で終わるかもしれないが」

「……」

「もう、昔話はいいだろう。卯月、この場で答えを聞こう。アイドルを続けるか、それとも辞めるか」

 

 すぐに答えることはできなかった。卯月は俯いた。辞めたいかと言われたら辞めたくない。アイドルを続けたい。ライブをしたい。けれど、自信を持って言えない。

 答えの出せない卯月にプロデューサーは続けて言った。

 

「お前が何を悩んでいるのかは想像がついている。それが、お前にとってとても必要な悩みなのだということもわかっている。それでも、オレはお前にもう一度あの時と同じ質問をする。プロデューサーとしてではなく、一個人として聞こう。島村卯月、あなたはアイドルになって何をしたいですか?」

 

 私の夢は、アイドルになることだった。アイドルになってからは、毎日が新鮮で楽しくて仕方がなかった。

 だから、それでいいと思っていた。このままでいいって。

 でも、それでは駄目なんだと仲間を見て卯月は気付いてしまった。

 凛ちゃんも未央ちゃんも新しい目標を見つけた。私にはない。私は止まったままだ。みくちゃんのように自信を持って夢を言うこともできない。

 アイドルとして、私には何も残っていない。

 卯月はもう楽になりたかった。だから、それを言おうとした時、プロデューサーが先にある言葉を口ずさんだ。

 笑顔と。

 

「え?」

「笑顔や笑い方には種類がある。感情を表すものもあれば、相手を逆なでするようなものもある。簡単のようで難しい。でもだ。もし、本当に笑顔で誰かを元気に、幸せにできるようなことがあるならば、それはすごいことだと思っている」

「……笑顔なんて、誰でもできます」

 

 つい口を出してしまった。あの時と、凛ちゃん達に言ったように。

 

「そうだな。けど、人間にしかできないことだ。オレは、多くの人間を見てきた。たった30年と言うと、もっと上の人間からしたらまだ30年かもしれない。それでも、多くの人間を見てきた。だからこそ言える。人の笑顔で何かを感じたのは数えるぐらいしかない」

「プロデューサーは、何を感じたんですか?」

「言葉にはできないんだな、これが。でも、少なくとも、あの時のお前の笑顔はとても……素敵だったよ」

 

 差し出してきたのはスマートフォンだった。そこに映し出されているのは、私だった。

 笑っていた。

 笑顔だった。

 両手でピースを作っている。

 これは、本当に私なのだろうか。こんな素敵な笑みを私は浮かべていたのだろうか。いつから私は……笑わなくなったのだろうか。

 涙腺が緩む。写真がうまく見えない。

 

「お前は言ったな。笑顔だけは誰にも負けないと。それは、いまでも変わっていないか?」

 

 私の身体は無意識に動いていた。手は震えながら必死にピースの形を作ろうとし、我慢ができず目からあふれ出した涙を流しながら笑おうとしている。

 できるかな。

 笑っているかな。

 でも、こうだったよね。ううん、いつもしていたよね。

 

「え、えへへ……。わ、わらえて、まずか?」

「酷いな。今までで一番酷い。でも、それが答えなんだな?」

「わ゛だじ、ごべんなざい……。ぐず、まだ、ぷろでゅーざーのごだえに、こたえ、られません。でも、でも! ん、私、頑張ります! 頑張って、私の夢を見つけます! 時間がかかるかもしれませんけど、その時まで待っていてください!」

「長くは待てないかもしれないぞ?」

「それでも、待っていてください」

「……善処しよう。では、もう一度聞こう。島村卯月、あなたはアイドルを続けますか?」

 

 手に持っていたマイクを差し出しながら彼は言った。

 答えはまだ見つかっていない。けど、その問いかけの答えはもう出ている。きっとプロデューサーもすごく回りくどいやつだなって思ってるかもしれない。

 本当にごめんなさい、こんなに面倒な女の子で。

(迷惑をかけてごめんね、みんな)

 卯月は彼が差し出すマイクに――手を伸ばした。

 

 

 

 

 NGクリスマスライブ会場 特別席

 

 企業のスポンサーや特別な来賓客を招く際に使われる会場の特別室には三人の人間がいる。美城、今西にプロデューサーの三人だ。

 会場を見渡せる窓際は、さながらバンジージャンプのような感覚だ。窓際に立つ美城にプロデューサーが言った。

 

「帰ってきたぞ、島村卯月は」

 

 あそこにいるということは、卯月はアイドルを続ける選択肢を選んだ。

 そして、予定とは違うが現在ライブ中だ。たぶん、一番酷いライブかもしれんが、一番卯月にとって必要なライブであるとプロデューサーは思っている。

 美城は特に反応せずただステージに立つ卯月を見ていた。いや、観察かもしれない。

 なにせ、卯月の服装は学校の制服のままだ。

 原因は自分に非があることはプロデューサーも自覚はしている。が、時間に間に合っただけでも評価してほしいぐらいだ。

 

「いい笑顔じゃないか。彼が、彼女に拘る理由がわかるよ」

 

 今西が感想を述べたが、彼女はこれといって反応はしなかった。

 ただライブを眺めながら美城は言った。

 

「君は、私と同じ判断を下すと思っていた」

「貴方はオレにケジメをつけたいかと言った。そして、オレは彼女とケジメをつけた、それだけのことだ。それに、アイドルを続けると決心したのは彼女自身。ならば、オレはそれを受け入れるだけさ」

「存外、甘い男だな、君は」

「それはどうだろうな。結局、島村卯月の根本的な問題は解決してないのさ。ただ、その答えを見つけるために再び歩き出した。またそれから背を向けるなら、今度こそオレは彼女を切るよ」

「まあ、いい。しかし、一つ聞きたいな。島村卯月の問題とはなんだ? 自分のアイドルとしての在り方で悩んでいたのではないのか」

 

 視線をステージの上で踊る卯月からプロデューサーに移しながら美城は尋ねた。私も聞きたいねと言いたげに今西も彼に視線を向けた。

 プロデューサーは口角を上げて言った。

 

「秘密だ」

 

 意地悪そうに告げながら、プロデューサーは舞台裏に向かうため部屋を出ていく。彼が出ていくのを確認にすると、美城は再び卯月に視線を戻した。

 そんな美城に、今西が嬉しそうに言った。

 

「やれやれ。彼も意地悪だ」

「秘密と言っても、答えは変わっていません」

 

 秘密と言われて怒っているのか、はたまた自分がわからないことで苛立ちを覚えたのかは知らないが、今西にはいまの彼女が昔のように感じられた。ただ、そんなことを言えばもっと雰囲気は悪くだけだと思い、素直にうなづいた。

 

「ふふ、そうかもしれないね」

 

 

 

 

 しばらくして。王子がガラスの靴の持ち主シンデレラを見つけ、シンデレラは王子の妃になることができたのです。

 後日、シンデレラは魔法使いと出会った場所に訪れていました。

 魔法使いはシンデレラを待っていたかのように空からやってきて尋ねました。

 

「おお、シンデレラよ。見事、見つけたようだな」

「はい。ですが、なぜガラスの靴は消えてしまったのですか?」

「簡単な事だ。魔法が解けたのだ」

「しかし、それはあなたがしてくれたのでは?」

「シンデレラ、それはとても些細なことでしかないのだよ。私の魔法はもう必要ない。これからは自分の足で歩んでいかなければならない」

「あなたの言いたいことはわかりました。けれど、わからないのです。なぜ、あなたは私にこうまで手を差し伸べてくれるのですか?」

「手を差し伸べる? それは違うぞシンデレラ。私のこれは、趣味だ。困っている者に願いを尋ね、それを叶える。そして、その者の行く末を見るのが私の楽しみなのだ」

「例えそうだとしても、わたしはあなたに感謝しています、ありがとう」

「礼などいらん。では、さらばだ、シンデレラ。もう会うことはないだろう」

 

 別れを告げ、今度こそ魔法使いは去っていくのでした。

 

 

 二〇一六年 2月某日 某アリーナ

 

 ここで、彼女達は生まれた。

 ここから、彼女達は始まった。

 シンデレラガールズ。

 高垣楓をリーダーとして活躍してきた346プロダクションのアイドルユニット。

 彼女達の舞台は一旦おしまい。

 でも、これは終わりじゃない。

 これは――始まりなのだ。

 1から2へ。

 世代が変わり、新しい舞台の幕が上がるのだ。

 

『皆さん、こんにちは! わたし達、シンデレラガールズです!』

 

 

 

 

 二〇一六年 3月某日

 

 

「先輩、チーフプロデューサーへの復帰おめでとうございます」

 

 いつものプロデューサーのオフィスで、武内は祝いの言葉を送った。

 去年の改革から少し経ち、チーフプロデューサーの地位を降格された彼であったが、正式に4月の年度始めから再び元の地位に戻ることになった。

 しかし、プロデューサーの反応はいまいちで、思い出したかのように答えた。

 

「ああ、それな。降格は表向きでな、役職はそのままだったんだよ」

「そうなんですか?!」

「そうじゃないとうるさいだろ? 一部の人間が、ほら」

 

 察しろと言わんばかりにそういう視線を送ってきた。武内もそれを理解したのか、頷くだけでそれ以上のことは言わなかった。なので、なぜ自分を呼んだのかを尋ねた。

 

「美城“専務”とも話し合ってな、シンデレラプロジェクトは継続することになった」

「それは、朗報です」

「この間のシンデレラの舞踏会で見事、お前は結果を出した。彼女も結果を出す人間を邪険にはしない人だ。正しく評価している」

「ありがとうございます」

「ついては、お前には引き続きプロジェクトの担当プロデューサーを任せたいと思っている」

「嬉しいことですが、当初は別のプロデューサーが担当するはずでは?」

「予定は予定だ。これについては専務からも了承を得ている。どうだ、やるか?」

「――はい!」

 

 武内に引き続き任せるのは美城専務の提案でもあった。互いの意見がぶつかりあっていた二人ではあったが、彼女は彼のことを高く評価していた。そのため、今後の346プロダクションのことも考え、彼には経験をもっと積ませるべきだと判断したらしい。

 将来、武内にどんなものを与えるかはプロデューサーには関係ないことではあったが、後輩の成長は嬉しいものだと思っていた。

 赤羽根や武内といった若い世代が育っていくのは嬉しいと感じていたからだ。

 

「しかし、いまの彼女達の担当は……」

「一応『二代目シンデレラガールズ』の扱いならオレの担当だろう。個々の仕事に関しては他のやつに回すつもりだ」

 

 二代目シンデレラガールズ。シンデレラプロジェクトを卒業した彼女達の新しいステージ。

 高垣楓を始めとした一代目は少し休みになり、四月から一年は二代目が大きく活動することに計画はなっている。

 これについては当初の計画通りで、美城専務も特に口を出すことはなかった。むしろ、好意的に見てくれたのは意外であった。

 

「そうですか。それは少し寂しくなります」

「そんなことは言ってられなくなるさ。これが次のプロジェクトメンバーの候補だ。まだデビューが浅く、していないアイドルがメインだ」

「新たにアイドルをスカウトするのではないのですか?」

 

 武内は不思議そうに尋ねると、プロデューサーは両手をあげた。

 

「これに関しては専務から釘を刺された。今年は新しく募ることはしないそうだ。今までがやりすぎだと言われた。意味がわからないんだがな」

「あ、あはは、そうですね、はい」

「まあとにかく、メンバーの選定はお前に任せる。一応最後の決定にはオレと専務も目を通すが、お前なら問題はあるまい」

 

 信用されていることは嬉しいが、期待もされていると思うと複雑な心境ではあった。それでも武内は思った。いままで通りに、時にはそれ以上にやっていけばいいのだ。彼女達のように一緒に成長していけばいいんだと。

 武内はプロデューサーから今後の予定や指示を受けたあと、少し雑談をしてから自身のオフィスへと戻っていた。

 

 

 武内が去った直後、プロデューサーが書類の作成をしている最中電話がなった。備え付けの固定電話ではない。彼の仕事用のスマートフォンからだった。

 画面を見れば非通知。

(誰だ?)

 おそらく、業界関連の人間だろうか。この番号を知っている人間から直接教えてもらったのだろう。それが真っ先に思いついた。

 悪戯や怪しい電話などこのオレにかけてみろ。どうなるか教えてやると口に出すほど。そんな愚か者はいないだろう。

 とにかく電話に出なければ話にならない。

 

「もしもし」

『……』

 

 反応がない。

 

「……もしもし?」

 

 悪戯か。そう思って電話を切ろうとした時。

 

『……急な連絡ごめんなさい。覚えて、いますか?』

 

 意外だった。

 声の主は、ここを去ったアイドルだったからだ。

 

 

 

 

 オフィスに戻った武内は、プロデューサーから受け取った新しいシンデレラプロジェクトのメンバーの資料に目を通していた。

 人数はざっと10人ほど。前に比べれば少し少ないと思うが、これでも十分な人数だと自覚はしている。

(人間、慣れるものです)

 意外なことに、この事に関しては別に苦ではなかった。一年、かつてのシンデレラプロジェクトの子達と過ごした日々で、自分も成長しているという実感がある。

 それにしても、あっという間の一年だった。

 あのアイドルと呼ぶにはまだ未熟だった彼女達が、いまでは事務所の看板アイドルになるほど飛躍した。自分の事のように嬉しい。

 突然、扉をノックしてちひろが入室したことで我に返った。

 

「あ、武内P、こちらにいらしたんですね」

「千川さん、どうかしたのですか?」

「ふふ、そうですね」

「?」

 

 何か問題が起きたのだろうか。それにしては、彼女の表情は困った顔ではなく、むしろ良いことがあったと言わんばかりの顔だった。

 

「武内Pにお客さんですよ」

「そうなのですか? 特に今日は誰かと会う約束はなかったのですが」

「ええ、唐突にやってきましたからね」

 

 なぜこんなにも嬉しそうなのだろう。

 武内はつい気になって聞きたくなる気持ちをなんとか抑え、彼女に外の噴水でその人が待っていると言われたので向かうことにした。

 外に出ると、暖かい風が吹いた。今日はいい天気だ。

 まだ桜の花は咲いていないが、もう少しで満開。花見日和だろう。

 噴水のあるところまで歩いて行く。庭師の手入れが行き届いているのか、花壇が綺麗で歩くだけでも時間を潰せる。

 すると、噴水の傍に一人の少女が見えた。

(あれは……!)

 足が自然と早足になる。見間違いではない。忘れるわけがない。なんで、なぜ、そんなことばかり頭を過るがどうでもいい。

 いまは、いや、今度こそちゃんと話をしたい。それだけでいい。

 彼女も気付いた

 武内は少女の前に立つと、先に彼女が口を開いた。

 

「……お久しぶりです」

「はい、ほんとうに、お久しぶりです。元気、でしたか?」

「まあ、その、元気にやってました」

 

 会話が途切れる。

 まるで、別れた恋人あるいは離婚した夫婦のような感じだろうか。いや違う。二人の別れは最悪だった。互いに遺恨を残したまま今日まで過ごしてきた。

 しかし、それがどうだ。まさか、彼女の方から来るとは誰が想像できるだろう。

 武内自身、きっと怨まれていると思っていたぐらいだった。

 何とも言えない雰囲気だったが、それを破ったのはまた少女だった。

 

「実は、ライブには足を運んでいたんです」

 

 驚いた。いつからと尋ねると、彼女は去年からと答えた。

 少女は言った。シンデレラプロジェクトの面々がデビューした辺りからその存在を耳にし、自ずと情報を集めていたと。

 それは、後悔だった。もし、アイドルを続けていれば自分もあそこにいたのではないかと日々悩み始め、ついには直に彼女達を目にしたくてライブに足を運んでいた。

 そしてアイドルにもう一度なりたい、その想いがだんだんと大きくなり始めた時にシンデレラの舞踏会を見て決心がついた。

 

「いまさら、どの面を下げて戻ってきたと思われるかもしれないって思ってたんです。それでも、勇気を出して連絡をしました。チーフに」

 

 これも驚きだった。

 酷い言い方だが、きっと先輩は「いまさら何の用だ」と平気で言うと思ったからだ。辞めた理由が理由なだけに、きっとそうなるという確信があった。

 そのことを尋ねると、

 

「はい、言われました。でも、すぐに要件を言えって言われて、それで答えたんです」

「なにを、ですか?」

 

 彼女が何のために連絡をしたのか、その理由は薄々察していた。いや、ここにいる時点でわかっている。それでも、私は聞いた。

 

「アイドルに戻りたい。そう、答えました」

「それで、先輩はなんと」

「……生憎、新人を取る気はないって」

 

 ああ、やはりそうなってしまった。

 あの人ならそう答える、なぜだかそう思ってしまった。しかし、彼女の顔はそこまで落ち込んでいない。

 

「けど、とあるプロジェクトアイドルの選定がまだ決まっていない。その担当プロデューサーがお前を気に入れば、もしかするかもなって」

「それは……」

「あなたが、そのプロジェクトの担当プロデューサーだって聞いて、驚きました。失礼な言い方になるけど、嘘でしょって」

「そうですね。当時の自分がいまの私を見たら、きっと信じられないでしょうね。ですが、変わることができました。多くの人達に支えられて。貴方も、変わられたのではないのですか?」

「そうですね……。時間がかかり過ぎちゃったけど」

 

 少女は一度深呼吸をした。その顔つきは真面目で、先程とは違う。

 

「身勝手な理由で辞めたわたしがこんなことを言うのはおこがましいってわかってます。それでも、それでも! 本当のアイドルになりたいんです! だから……だから、もう一度、

 私をプロデュースしてください!」

 

 これは夢なのではないか。武内はふとそんなこと思った。

 彼女は身勝手な理由と言ったが、大元の原因は自分にあった。未熟で、人の気持ちなど考えない自分の不注意で、彼女達を傷つけたのだ。

 それが、彼女が帰ってきた。もう一度、アイドルになるために。

 全員ではなかった。それでも、嬉しくて、嬉しくてたまらない。

 やり直すのとは違う。

 本当の意味でスタート地点に戻って来たのだと思う。

 だから、私の答えは決まっている。

 零れ落ちそうな涙をこらえ、右手を差し出した。

 

「これからよろしくお願いします。一緒に、トップアイドルを目指しましょう」

「っ! はい! お願いします、プロデューサー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二〇一八年 1月 日高家

 

 娘の愛を産んでからの人生は怒涛の生活だった。

 成人すらしてなかった私が、一児の母になるのだからそれは大変なのはわかっていた。

 いや、つもりだった。

 自分が原因なのは理解していたし、その所為で周りの目、特に世間の目が辛かった。

 子育てなんて知ったかぶりな知識しかなかった私には、実家の母に頼らざるを得なかった。幸いだったのが、母さんも父さんも私達の結婚にはそれなりに容認してくれたことだった。

 まあ、でき婚だったんだけど。

 それが原因なのか、旦那のお義父さんとお義母さんは申し訳ないのか謝ってきた。別に気にしてはいなかったんだけど……。

 けど、一番大変だったのは旦那の方。

 なにせ、当時で一番の売れっ子で、アイドルの頂点だった私を引退させたのだから、相当やばかったに違いない。

 現に色々とやばかったと言っていた。

 幸いしたのが、私達が所属していた事務所の社長は仏のような人だったので、私達の件については「おめでとう」と嬉しそうに言っていた。当時の私は、それでいいのかと思っていたが。

 こんなことが起きた事務所であったが、いまでもなんとかやっていけるらしい。旦那も私の事があってか、事務員の真似事をやっているとのことだ。

 なにが面白いって、アイドルとプロデューサーの恋愛は禁止というのが当時のルールだったのだが、私自身がそれを破って世間的に放送されたため、いまではアイドルとプロデューサーとの恋愛は暗黙の了解としてだが多からずあると言うのだから「なんだかなあ」と呟いてしまう。

 悩みながらも苦労して育てた愛がアイドルになるのは、血かなあと軽く流していた。逆に言えば、私の娘だから苦労するんだろうと他人事のように思っていた。

 母親としては、現在娘がアイドルとして活動していることは嬉しいし、人気もあるので安泰ではある。困るのが、娘を経由して私に取材なんてしてくる輩がいるのが鬱陶しかった。なので、取材は一度も受けたことはない。

 そして、現在。

 私は、退屈だった。

 朝起きれば家族のために朝食を作り、家の掃除洗濯をする。昼は一人でとるか、たまには近所のママさんたちと食べることもある。夕方には夕飯を作り、旦那と一緒にテレビを見て就寝。

 細かな差異はあれど、これが私の日常になっていた。

 刺激がない毎日。

 平凡な日常。

 だから、退屈で仕方がない。

(いや、だったか)

 いつからか、私は自分でも無意識にアイドル番組をチェックしていた。雑誌は溜まるだけで処理が面倒なので買ってない。

 特に新人アイドルを中心に見ていた。

 そして、私が奮い立てるようなアイドルを見つけたのが二回あった。

 一回目はもうだいぶ前。5年前くらいだろうか。私の歌を歌ったので特に印象に残っている。その子は、いまでも異名がつくほどに活躍している。

 私から見ても、中々だと思う。

 二回目はすごく最近。去年の12月のアイドル番組。

 それは、突如現れた。その衝撃は一回目と比較にならかった。鳥肌が立った。眠っていた私の本性が目覚めるほどに。

 しかし、しかしだ。

 私はこうしてソファーでくつろぎ、午後のロードショーを見ているだけだ。

 動かないのはきっかけがないから。いまさら、こんなおばさんがあの世界に戻ってどうしろというのだ。みっともないと思う。

(負ける気はしないけどね)

 アイドルを辞めて早十数年。後悔は意外とない。もうちょっとやっていたかったなあと思うこともあるが、まあ正解だったんだなと思っている。

 けれど、唯一やり残したことがある。あの舞台、アイドルアルティメットで競いたかったあの子。

(結局、会った事ないんだっけ)

 それが、あの時に残してきたもの。

 あの子、いまどうしているだろう。私と年は変わらないはずだから、結婚して子供とかいるのかしら。

 名前しか知らず、向こうはこっちのことをどう思っているかもわからない。私の我儘な願いではあるが、機会があれば会って話したい。

 電話が鳴る。

 はて、誰だろうか。

 タイミングがよかったのか、ちょうどテレビもCMに入った。

 受話器を取って電話に出る。

 

「もしもし」

『日高舞だな』

 

 声の主に聞き覚えがあった。ちょうどいま見ていた映画にも出てきたところだ。犯人が使い捨ての携帯を使って脅迫や身代金を要求するときによく聞く声。

 私は真っ先に娘の心配をした。

 

「ちょっと、愛に手を出したら承知しないわよ!」

 

 受話器に向かって大声で叫んだ。しかし、予想外の返事が返ってきた。

 

『アンタの娘に用はない』

「あら、そうなの。じゃあ、なによ」

『用があるのはアンタだよ、日高舞』

「私? 私に一体なんの用があるっていうのよ」

『祭りだよ』

「……?」

 

 声が変わっていても、ここだけはなんとなくわかる。

 こいつは、笑っている。

 

『あの祭りが再び開催されるぞ、真のトップアイドルを決めるあの祭典が』

「冗談にしては笑えないわね」

 

 別に不思議ではないと思っている自分がいる。

 いま世間のアイドルに対する熱気は以前のものよりすごい。それに、開催をするだけの理由があるのも薄々わかっている。

 気付けばちょうどその元凶が映っている。

『大型新人アイドルリン・ミンメイ、デビューシングル発売決定!』

 画面から目を離し、再び会話に戻る。

 

「冗談、じゃないようね」

『近々、アイドル協会が発表するだろう。そして、お前にも連絡がいくだろうな』

「……」

『最高の舞台で、お前と競うに値するアイドルが待っている。楽しみにしておくことだな』

 

 言うだけ言って一方的に切れた。

 意外なことに私はすぐに行動を起こしていた。自室に戻って外着に着替えながらスマートフォンのスピーカーで旦那に電話した。

 

「あなた? そう、私だけど。ちょっと社長と話があるんだけど。え? 何でって、それはそっちに着いてから詳しく話すけど。私、現役復帰するから。……うるさいわねぇ、とにかく! いまからそっちに行くから、お茶用意しておいて!」

 

 さて、しばらく主婦業はお休みね。

 あ、そうだ。

 

「帰りにカラオケ寄っていこっと」

 

 

 To be continued

 

 

 

 





というわけで、デレステ編完結。無理やりだけど、完結! 終わり!
そして、お知らせ。
次回から最終章です。構想全5話程度で最後にエピローグの予定で文字数もどれほどになるか不明。そして、更新については全部書き終えてから投稿させていただきます。
これは連載当初から予定していました。時間がどれほどかかるかはまだわかりません(まだ一文字も書いてない)。
生存報告を兼ねて幕間などで進行状況はお知らせしたいと思っております。それすらなかったら、死んだと思ってください。

それでは、また次回で。


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幕間劇 貴音、家でするってよ その弐

生存報告を兼ねた更新ですわ


 

 

 

 四条貴音のことを1から10知っているかと問われれば、1から6ぐらいは知っていると答えるだろう。

 彼女は俺がもっとも長く担当したアイドル。

 同時に少し、らしくない想いを抱いている女性でもある。

 だからすべてを知っているだろうと言われても、素直に首を縦に振れないのが正直なところだ。

 担当した期間は1年とちょっとではあるが、もうかれこれ数年は半同棲状態で共に過ごしてきた仲であるからして、貴音の……まあ仲のよい仲間同士でも知らないことは知っている。

 世間的にはお淑やかなイメージであるが実はその逆で、かなり強引な面があるし意外と活発である(家にいる時限定)。

 同時に負けず嫌いなのも意外であった。

 美希とよくゲームをするのをよく目にするのだが、はっきり言えば貴音がゲームをするイメージはない。実際にほとんどと言っていいほどゲームはやったことがなく、美希によく負けているのが多かった。その度、『あなた様、仇を取ってください』や『あなた様、美希がわたくしをいじめます』等々言ってはいた。何時の日か、『ぐぬぬ。もう一回、もう一回です!』と言うぐらいにはなっていた。まあゲームの内容ではなく、美希に負け続けるのが悔しかったのだろう。

 ちなみに、貴音は正座をしてゲームをする派であった。

 他にあげるならあれだ。意外と貴音は「大和撫子」を連想させることが多々ある。それは彼女のファンも例外ではないだろう。

 口調や振る舞い、雰囲気といったところから大和撫子を印象付けさせる要因が大きい。が、実際のところ家ではそんなことはないのである。男の一歩後ろを歩くどころから常に隣に居座ってくるし、美希とどうでもいい口論など日常の一部なのだ。まあしかし、大和撫子みたいな女ではある。

 さらに最近驚かされたことがある。

 貴音に妹がいる。

 驚いた。本当に驚いた。持っていたスマホを落すぐらいには、驚いた。

 それを知ったのは、美希の一言だった。『貴音って兄妹とかいるの? ミキにはお姉ちゃんがいるけど』と尋ねると、『いますよ。妹ですけど』。

 これには美希も驚いており開いた口が塞がらなかった。

 つまり、何が言いたいのかと言うと。四条貴音のすべてを知っている人間はいない、ということである。

 正直に言うならば、あいつの家族構成がどうなのかとか生まれた場所はどこだとかはどうでもいい。なにせ、一度マジメに探し出してやろうとコネ使って調べあげたのだ。

 結果はご覧の有様なのはご愛嬌である。

 それ以降は特に調べようとか聞き出す気も起きなかった。なにせ、プロフィール作成の時点で出身地を聞けば、『そうですね、京都でしょうか』と曖昧な返事が返ってくるぐらいなのだから、呆れてしまうのも無理はない。

 結局何を言っても、

『ふふっ。内緒ですよ』

 指を口に当てながら言う光景を何度見たことか。なので、いつしか貴音のことを聞くことを諦めたのである。

 しかしだ。

 過程はともかく、貴音が実家に帰るのは願ってもない好機。実家の住所すら知らないのも相まって、今まで知ることのできなかった四条貴音のほんの一部を知ることができる。

 これを逃したら二度と来ないだろう。

 なので、慎重に行動しなければならない。ばれないよう慎重に。

 プロデューサーと美希は少し遅れて貴音の尾行を開始した。少し歩いていくとタクシーを捕まえてどこかへ向かう。二人もタイミングよく現れたタクシーを捕まえて、

 

「前のタクシーを追ってくれ」

「え?」

「いいから早く!」

「ゴーゴーゴー!」

 

 

 まるで映画のワンシーンさながらの光景であった。状況が掴めないタクシーの運転手は言われるがままに前のタクシーを追う。

 貴音を乗せたタクシーはそのまま最寄りの駅で停まり、二人のタクシーも少し手前で停車。プロデューサーは運転手に釣りはいらないと言って一万円札を渡して急かす美希の後に続いて貴音を追う。

 駅に入ると真っ直ぐ改札へ向かう貴音はSuicaを使ってそのまま改札を通る。その姿を見てプロデューサーが驚いた。

 

「あの貴音がSuicaなんか使ってやがる!」

 

 プロデューサーは驚いていたが隣の美希は至って落ち着いていた。彼女は呆れながら彼に言った。

 

「ハニーなに言ってるのー。貴音にSuica勧めたのハニーだよ?」

「え、そうだったか? 全然記憶にないんだが」

「そうだよ。駅で切符を買ってる貴音を見て『貴音、態々切符を買わなくてもSuicaのが楽だぞ。コンビニでも使えるから便利だぞ』って。しかも、たくさん使うだろうって態々五万円ぐらい入れて渡したの。まあミキも貰ったけど」

「そんなことがあったような、なかったような……。まあいい」

 

 二人も続いて改札を通る。

 電車を待つこと数分。貴音が乗り込んだ電車の行く先は、

 

「……千葉?」

「千葉なの?」

 

 

 目的地は予想の斜め上をいっていた。

 

 

 

 電車を降り、そこから歩いて少し経ったぐらいだろうか。貴音が辿りついたのは、なんでもない平凡な一般階級が立ち並ぶ住宅街であった。

 

「なんだ、実は庶民的なのか」

「いやいや。もしかしてカモフラージュなのかも」

 

 似たような会話を繰り返し貴音の尾行を続ける二人。

 ふとプロデューサーはある事に気づいた。

(そういえば、菜々が住んでるのもこの辺りだったな)

 ウサミンこと安部菜々が住んでいるアパートが意外なことにここからそう遠くない。降りた駅も先程と同じで、曲がる角が違うだけで途中までの道のりは同じ。

 これは偶然なのか?

 嘘でも京都と言うぐらいなのだから、もっと遠くの方かと思っていたのだ。もしくは国外も視野に入れていた。しかし現実は東京のすぐ傍。

 ますます混乱してきたが、今は目の前を歩く貴音を尾行することしか手段がなかった。

 住宅街に入ってから少し歩き始めてプロデューサーは妙な感覚に陥った。

 おかしい。妙だ。

 それがここの第一印象だった。都内や町中ではないとはいえ、ここまで人が出歩いていないものだろうか。いや、違う。貴音が向かう方向へ行けば行くほど人の通りが少なくっている。車は確かに通るし、住民も存在している。なのに貴音が向かう先には何もないかのように、まるでその場所に誰も寄り付かないような気さえする。

 電柱を壁にして貴音を監視しているが、気になって視線をすぐ隣の民家へと移す。無人ではないようにまず感じる。が、人が住んでいるようにも思えない。曖昧な、矛盾した感想を抱いてしまう。

 プロデューサーが貴音から目を離している最中、美希が彼の裾を引っ張りながら呼んだ。

 

「ハニー! ハニーってば!」

「引っ張るんじゃない。で、どうした?」

「貴音が消えちゃったの!」

「は?」

「だから、消えたんだってば!」

 

 美希の様子からして嘘ではないように見えたが、人が簡単に消えてたまるかと思いながら視線を貴音が歩いていた先に向けた。

 が、いない。

 あるのは、変わらぬ住宅街の風景だ。

 

「ね、言ったでしょ!」

「おいおい。ちゃんと見張ってたんだろうな」

「見張ってたの! でも、いきなり消えたんだってば!」

「消えたって、どこで」

「えーとね」

 

 美希が貴音が消えたと思われる場所へ向かう。目を離す前までの距離はざっと10メートルぐらいだったはずだ。途中曲がり角などはあるが、それだったらすぐに追えるし、彼女も消えたとは言わない。

 先ほどいた場所から約15メートルぐらい離れたところで美希はその場所を指で教えた。

 

「ここの家の前で消えたの」

「……普通の家、だよな」

「うん……」

 

 一階建てのいたって普通の一軒家。どこもおかしくはない。

 美希が消えたと言うのだから、それは嘘ではない。この子が嘘をつく子ではないことは彼も知っている。

 プロデューサーはあたりを見回した。しかし、怪しいところはどこにもない。ただし、妙な感覚は先ほどから消えていないし、この辺り一帯は本当に人の気配がないことを除けばだ。

 あるとすれば、この家に問題があるということなのだろうが。

 とりあえず、二人は家の敷地内に入った。するとすぐに美希が玄関を開けようとするが、

 

「開かないの」

「当たり前だろ」

「どうするの? ぶち破る?」

「物騒だな、お前。映画の見すぎだぞ」

「えー、じゃあハニーならどうするの?」

「こうするのだ」

 

 

 ポケットからピッキングツールを取り出し、鍵穴に入れる。久しぶりにやるからうまくいくだろうか。なにせ、日本じゃすることなんて滅多にないからな。彼はハリウッド研修で一年ほど過ごしたあの頃を思い出しながら作業を開始した。

 ここか? いや、こうだな。

 ガチャリ。

 一分もかからず玄関の鍵が開いた。

 

「どうぞ、レディーファーストだ」

「……」

 

 美希は無言で中に入ると、振り向いて言った。

 

「どこで、そんなこと習ったの?」

「説明書で読んだ」

「あ、ふーん。まあいいの」

 

 てくてくと歩いていく美希を追ってプロデューサーも家の中に入る。不思議なことにこの家には靴を脱ぐ場所がない。脱ぐかどうか躊躇ったが、美希は脱がずにどんどん歩いていくので彼も土足で家に上がった。

 本当に奇妙な家だ、ここは。

 家の中は一面の壁。廊下は一本道。どうなっているのだろうかと思いながら美希がまた何かを見つけた。

 

「見て、ハニー! この部屋電子ロックだよ」

「本当だな。やけに厳重だな、この家は」

 

 ありきたりな9桁の電子ロック。画面の表示からして、4文字のパスワードのようだ。それに、扉はこの部屋だけだ。となると、この部屋には何かがあると考えるのが妥当ではある。

 しかし、肝心のパスワードがわからない。

 

「4桁のパスワードか。ハニーのお得意の技でなにかできないの?」

「できなくはないが、機材がない」

「あ、できるんだ。でも、どうするの? ここで行き止まりだし……」

 

 ぬぅと唸りながらプロデューサーはじっと電子ロックを凝視していた。パスワードはどれだろうかと考えているのではなく、彼にはなぜかこの電子ロックに見覚えがあるのだ。正確にはこの家そのものも含まれるのだが。

 なんだったか。誰かがこれに打ち込んで、そのパスワードを見た記憶がある。

 最初は……そう。7だ。

 

「7? ハニー、わかるの?」

「しっ。ちょっと黙ってろ」

「口チャックなの」

 

 7の次は、3。そう、3だ!

『73・・』

 そして次も3.

『733・』

 最後は……。

『7337』

 ピー。

 

「開いた」

「開いたの」

 

 本当に合っていたことに当の本人であるプロデューサーも驚きながら部屋の中に入る。

 これまた奇妙なモノが待ち構えていた。

 まず目に入ったのがSFに出てきそうな装置だ。真ん中がたぶん人が立つ場所で、天井にはよくあるような機材がずらりと配備されている。そこから少し離れたところに制御装置らしきものがある。

 

「なんなの、ここ」

「わからん。たぶん、何かの装置。そう、これが映画なら転送装置だろうな」

「たしかに、しっくりくるの。でも、どこに繋がってるんだろう?」

「わからん。ただ、はっきりしているのは、これが貴音の実家に繋がっている可能性が高い、ということだな」

「なんだか、家出娘を追うはずが、どんどんスケールアップしてるの」

「はは。たしかにな」

「でも、どうやってこれ動かすの?」

 

 たしかにその通りである。

 とりあえず制御装置らしき機械の前に立つ。よくわからん文字列やら、グラフが表示されているモニターがあるがこれは無視。わかるといえば、このレバーとボタン。見た感じ電力は通っているから動くことは間違いないだろう。となると、これを作動させる手順だが……。

 

「映画なら最初にレバーを引くと、動くんだが……」

 

 言いながらプロデューサーはレバーを手前に引いた。

 ゴンと大きな音がしながら、エンジンが動きだすように稼働し始めた。

 

「うわー、天井の装置がバチバチ光りだしたの」

「で、次は……このボタンだよな、普通」

 

 ポチ。

 すぐさまプロデューサーは美希の隣に立つ。あちこちでバチバチと光が走る。

 隣に立つ美希がぎゅっと手を握ってきた。彼も優しく握り返しながら美希を胸で抱きしめた。

 きゃあと嬉しがっている美希に、一応念のためだと釘を刺す。

 ギュイーン、ギュイーン、ギュイーン!

 大きな音を響きかせ、次の瞬間。

 静寂が訪れた。

 

「あれ? 止まったよ」

「おかしいな。やっぱ順番をまち――」

 

 瞬間。

 大きな閃光が二人を飲み込んだ。

 

 

 

 人の温もりを感じる。

 プロデューサーは美希を抱きしめながら自分たちが生きていることを改めて実感した。

 目を開けると、そこは先ほどいた部屋と変わっていなかった。

 失敗したのか?

 周囲を何度も見回しても変わっている点はない。

 そしてようやく腕の中にいた美希も目を開き、今の状況を認識した。

 

「ハニー、もしかして失敗したの?」

「わからん。部屋を出ればわかるだろう」

 

 扉に向かおうと美希から離れようとすると、彼女は頑なに手を離さなかった。

 

「美希?」

「ごめん。もうちょっと手を繋いでもいい?」

 

 少し悩み、彼は肯定した。

 二人は一緒に部屋を出た時点でここは先ほどの家とは違うとわかった。ここは通路で、目の前にはガラスが張られている。

 プロデューサーはすぐに周囲を警戒するために意識を集中しようとするが、それを美希が邪魔した。

 

「ハニー、見て見て! アレ!」

「アレって……嘘だろ」

 

 プロデューサーはすぐに周囲を警戒していたために気づけなかった。

 ガラス張りの向こう。

 そこには誰もが知っていて、直接目にすることは限られているもの。

 母なる大地、地球があった。

 

 

 

 




どうも数か月ぶりです。
どこかしらで生存報告を兼ねた更新をする予定ではあったのですが、まあ内容が短いのは察してください。

さて。
現在の心境報告ですが。
構想しているのは多分全7話で、いま3話の途中です(予定の半分いってるかいってないか)。
遅すぎぃ!と思われるかもしれませんが、一話当たりの文字数が過去最高だったり、最低二万文字ですね、いまのところ。それも相まってリアルの事情とかソシャゲのイベント(主にミリシタ)で時間を取られているのでかなり遅いです。一か月に一話完成すればいいかなって感じです。

とまあこんな感じですが、生きてます。
予告とかはいまのところ予定はないです。千文字もかけないし、小説で予告ってなんかイメージと違うので。

では、また次回でお会いしましょう。



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Even if we do not walk on the right road, we will meet the fate

最後らへんに若干ネタバレのような解説があります。といっても、すぐに本編更新するので意味ないけどね!
それでもという方はそこを見る前にページ下部へ! 一応多めに空白開けておきました。

あとタイトルはgoogle翻訳で適当に変換したので許して……



 2013年 

 

「んがぁ」

 

 びくっと体が動くのと同時に意識がぼんやりと覚醒する。口元が何やら湿っていて、いや、涎が垂れていた。ぼんやりと見える目の向こうにはパソコンのモニターが映ったままになっており、そこでようやく理解した。

 

「やべぇ……寝落ちした……ん、はぁーー。うわ、キックされた画面のままだ」

 

 どうやら昨夜……きっと日付が変わるまではパソコンに向かってFPSをしていたのだが、そのまま寝てしまい放置していると思われたのか、サーバー主にキックされてしまったようだ。そのことを覚えていないということは、その前に寝てしまったのだろう。正直申し訳ない。

 電源を落とし、椅子から立ち上がって洗面台に顔を洗いにいく。

 今年で32にもなるおっさん……おじさんが、ゲームに夢中になっているというのは世間的にどう思われるのだろうかとふと考えた。少し前まではゲームなんて学生の頃以来で滅多にやったことがなく、趣味と言えば筋トレか読書に映画鑑賞。あとはコレクションの手入れぐらいだろうか。

 そんな男がゲームに夢中になったのは事務所の後輩に自分からたずねたのがはじまりで、『パソコンでゲームをするならゲーミングPC買った方がいいですよ。セールもやりますし』と言われたのがきっかけ。知り合いにそっち方面に強い友人がいるので、最初は彼に任せて一式揃えてもらい、いまでは自分で手入れやカスタマイズをするようにもなった。

 それからと言うものの、年の割にはゲームにハマってしまい、仕事が終わったあとにはいつもパソコンの前で罵声を吐きながらゲームをしている。少し前だったらこんな生活はいかないが、いまは後輩が多く増え、この仕事の割には定時に上がれるのでかなり余裕のある生活を送れていたのだ。

 

「ふぅ、さっぱりした。ご飯炊いたっけなあ」

 

 頭を掻きながら台所に行く。炊飯器を確認すると、見事に予約のスイッチを入れ忘れてた。これではただ米を水につけただけ。これではおかゆにすらならない。とりあず時間を帰宅する少し前ぐらいにセットしておく。

 寝室に戻りいつもの仕事着であるスーツに着替える。時計を見ればまだ出社までには余裕がある。

 ぐぅと腹が鳴った。体は正直だ。

 朝食をどうするかと考えていると、玄関が開く音が聞こえた。人が歩いてくる足音。タイミングとしては完璧だろう。

 

「おはようございます、おじ様♪」

「おはよう詩花。それといつも言ってるだろう。おじさまは止せ」

「でも、おじ様はおじ様ですし」

「分かった。もういい」

「えへへ」

 

 黒井詩花。年は今年で13歳。成長期なのでこれからすくすくと成長するだろう(本人談)。左目にある泣きぼくろがチャーミング。その苗字の通りあの黒井祟男の一人娘。現在は都内の中学校に通っている。そして彼が担当しているアイドルでもあった。本人は保護者のようなものだと言ってるが、詩歌にとってはどちらでも構わないらしい。

 

「はいおじ様。詩歌特製弁当に、朝ごはんのおにぎりですよ」

 

 布に包んである二段重ねの弁当箱にラップで包んだおにぎり3つを詩歌は満面な笑みを浮かべながら置いた。

 

「……昼飯はともかく、お前なんで俺が朝飯食ってないって知ってるんだ?」

「それは昨夜お部屋にお邪魔したら、おじ様ゲームに夢中でしたので」

「だったら炊飯器のスイッチ入れてくれてもいいだろ」

「それは盲点でしたね♪」

「うそつけ」

「ふふっ、ゲハイムニス♪」

 

 唇に指を当ててそれっぽく言う詩歌を適当にあしらいつつ、彼女が作ってきてくれたおにぎりを食べる。具は鮭だった。

 そのまま詩歌は彼の隣に座るとぼやきはじめた。

 

「自炊なんかしなくても、うちに来て一緒にご飯を食べればいいのに。ママは全然オッケーだよ?」

「お母さんがよくても、黒井さんが困るだろう」

「あら。パパもすごく喜ぶと思うけど♪」

「俺は気まずいの」

「隣同士なのに?」

「それはそれ」

 

 そうなのだ。

 自分の住んでいる部屋と黒井家は隣同士。引っ越しする際に黒井さんが強引にこのマンションを薦めてきたのだ。本当は別のところに住む予定だったのに。

 先程も詩花が言ったが自炊するよりも、黒井家で食事をする方がはるかに回数が多い。甘えないよう自炊を試みてはいるものの、悲しいかな。彼女のお母さんの料理の味が忘れられないのだ。

 

「じゃあわたしが毎日ご飯つくってあげようか♪」

「黒井さんに殺されるからダメ」

「大丈夫だよ。そこはママと一緒にパパを説得するから」

「とにかくダメなものはダメ」

「あら残念♪」

 

 余裕があると言えばいいのか。そこはやっぱり黒井さんの血を引いていると痛感する。いや、いい意味でだけど。

 

「ところでおじ様。わたし、来年に発売するバーザムが欲しいです」

 

 詩花の趣味はオルゴール集めともう一つ、ロボのおもちゃである。特に日本は玩具やホビーが毎月のように出るから、海外の人からすれば天国らしい。なぜ彼女がロボのおもちゃなんて趣味ができたのか。それはきっと自分が原因だろう。幼い詩歌と暇だからとレンタルしてきたロボアニメを見たのが発端。幼い子供、まして女の子に最初に見せたのがボトムズ、イデオン、エルガイム、ダンバインというラインナップ。今では見せるんじゃなかったと後悔している。ていうか無難にガンダム辺りにすればよかったと思ったが、たぶん順番は関係なかったなと思う。

 

「……最近クスィーガンダムきたけど、飾ってないがどうした?」

「あれ、顔の出来が酷いんですよ」

「あ、そう」

「ちゃんとお金は出しますから、お願いおじ様♪」

「はぁ」

 

 彼女が彼に頼む理由は単純に父である黒井に見せられないからである。母は知っているが黒井が知ればどうなるかは見当がつかない。なので彼に買ってもらい、この部屋の空き部屋に飾っているのだ。もちろんケースは彼が買ってあげた。

 

「今どきの若い子がバーザムを欲しいなんて、他じゃ絶対に聞けないだろうな」

「さすがに同じ趣味を持つ友達は学校にはいませんしね」

「だろうな。さて、飯も食ったしいくか。ほら、準備しろ」

「はーい♪」

 

 ここから詩花が通う学校まではそこまで距離があるわけではない。むしろ徒歩で十分な距離。しかし彼は毎日のように彼女を学校まで車で送迎していた。この件に関しては黒井も文句は言わず、むしろ過剰なまでに推奨していた。ようは二人とも過保護なだけであった。

 

 

 

 

 

 

 詩花を学校に送り届けたあと職場である961プロに出社した。正面ゲートを通れば大勢の人間が彼に挨拶をする。その様子は社員が社長に挨拶をする光景に似ていた。

 この場所において彼の立場は上から数えた方が早い。黒井と共に961プロを立ち上げてから早十数年経つのだ。役職はプロデューサーであるものの、社員達には副社長のような認識でいるのが大半を占めている。

 エレベーターに乗り込み開閉ボタンを押すと同時に、視線の向こうでこちらに走ってくる若者が一人。彼は小さなため息をつきながら、扉を開けた状態に戻した。

 

「はぁはぁ! す、すみません先輩……」

「谷岡。わざわざ慌てて走ってくることないだろう」

 

 今度こそエレベーターの扉が閉まり、上へと昇り始めた。

 

「いやぁそれはそうなんですけどね。ところで先輩。昨日寝落ちしました?」

「ああ。うっかりな」

 

 谷岡は961プロに入社して5年ほど経つ。彼から見ればまだ新人みたいなものだ。そんな谷岡とは昨夜のように一緒にゲームをする仲である。

 

「疲れてるのにゲームはやめた方いいですよ。人のこと言えないですけど」

「最近は結構余裕あるから平気なんだよ。ただ昨日はちょっと寝るタイミング間違えた」

「中々いい試合でしたからね」

「たしかに楽しかった」

 

 チンとエレベーターが止まり扉が開く。二人は一緒に廊下に出てオフィスへと向かう。

 

「それじゃあ先輩、また」

「おう。仕事頑張れよ」

 

 谷岡と別れて彼も自分のオフィスに行く。個室を宛がわれているものの、やっている仕事は他のプロデューサー達と左程違いはなかったりする。これまでの仕事はアイドルのプロデュースだけではなく、所属しているタレントや女優の方も担当していた。どちらかと言えば後者のが経歴としては長い。過去のとある理由により黒井はアイドルをプロデュースすることを控えていたのだが、ここ最近になって男性アイドルユニットJupiterを始動。流れは悪くなく、このまま軌道に乗ればさらにアイドルを増やすとのこと。

 しかし一つの問題もある。

 そのアイドルが女性ではなく、男しか取らないということだ。

 彼は心配した。黒井は恩師であり、もう一人の父と言っても過言ではない。つまりは尊敬している人だ。そんな彼がまさか、ホ〇なのではと疑ってしまうのは無理のないことだった。

 自分のオフィスに入り荷物を置いたところで扉をノックもせず赤坂が何食わぬ顔で言う。

 

「おはよー、見習いくん」

 

 ワザと見えるように大きなため息をつく。もう見習いという立場でもないのに、彼女はいまだに自分のことをそう呼んでくる。はっきり言って困るのだが、彼女がそれを止めてはくれないと分かっているので諦めていた。

 

「なんです?」

「社長が来いってさ」

「りょーかい」

「家隣同士なんだから一緒に来ればいいのにね」

「ありえないし、俺もそれはやだ」

「もう照れちゃって」

「照れてない」

 

 彼女から逃げるように彼は急ぎ足で社長室に向かった。

 少し歩いて社長室に。扉をノックして入る。

 

「失礼します」

「来たか」

 

 黒井はいつものごとく近寄り難い雰囲気をまといながら彼を迎えた。

 

「話とは?」

「今日の詩歌の予定は」

 

 そんな事で、とは口に出さないし、それは黒井も把握している。それでも彼の口から聞きたいのだ。

 

「学校が終わり次第迎えに行き、そのままテレビの収録だけです。収録もそこまで長くない予定なので、すぐに帰ってきます」

「どうしてそこで私を見る」

「だって、娘が遅く帰ってくるのは親として心配でしょう?」

「余計なお世話だ」

 

 じゃあ聞かなければいいのに。まあこれも胸に留めておく。

 

「それと」

「はい?」

「学校で詩花に変な虫は付いてないだろうな」

 

 ギロッと目を細め睨んできた。

 殺気に似たような威圧を彼に向けるのはお門違いなのであるが、彼は黒井のプレッシャーなど余裕で耐えて言い返した。

 

「大丈夫ですよ。そんな奴が居たら、俺が処理しますんで」

「結構」

 

 結局のところ、過保護だとか親バカだと黒井を笑いつつも、似た者同士考えることは一緒なのであった。

 

 

 

 

 

 その日の午後。

 彼は詩花を学校まで迎えに行きそのままテレビ局へ訪れていた。収録する番組は1時間ほどのアイドル番組。今年からデビューをした彼女は、961プロ唯一の女性アイドルでもあり看板アイドル、彼の営業能力もあり僅か半年でランクAのアイドルに迫りつつある。基本は学業が優先なので、こうして特別な仕事でない限り今回のように学校終了後に仕事をするのが多かった。

 最初に比べれば詩歌は年相応以上によくやっていると評価しており、現場での彼は問題がない限りは口を出さないのが今のスタンスだった。

 ただ今になってふと、理由は分からないのだが落ち着かないのだ。

 

「詩歌。少し外に出てくる」

「急にどうされたんですか、おじ様」

「ちょっとな。なに、撮影が終わる前には戻ってくるよ」

「わかりました」

 

 そう言って彼はスタジオをあとにしてテレビ局の通路に出ては、当てもない散歩を始めた。

 なぜ急にこんな行動に出たのか。それはきっと最近見る夢が原因だ。

 夢を見たと自覚できても、目が覚めれば夢の内容なんて覚えてないものだ。たぶんとか、こんな感じだったと断片的には残っている。しかし一つぐらいは強く印象に残っているものだ。

 今回もそう。

 夢の中の自分は、今住んでいる部屋とは違う場所にいた。それでも今と変わらない生活を送っているような感じで、けれど一つだけ違うところがあった。

 そこには、ある二人の少女がいた。顔ははっきりと見えない。

 自分はその子達のことは知らない。けど、彼女達は笑っていた。楽しそうに。

 まさに夢が見せた幻。なのに頭から離れなくて、気になって探そうと思っても情報がなくては探しようがない。名前もわからないし、果たしてあの光景が今の時間軸と同じとは限らないからだ。もう少し先の未来かもしれないし、本当にただの妄想だったのかもしれない。

 明確な答えがあるわけじゃない。自分が納得できればそれでよくて、だからこうして時間がある時に散策をしてその答えを探している。

 時間が許す限り局内の通路を歩き渡り、たまには知り合いの部署に顔を出して、休憩所でコーヒーを飲んで通りがかる人を眺める。周りからは暇人のように思われるだろうが、こっちは至って真面目なのだ。眠るたびに同じ夢を見れば、誰だって不安になるではないか。だからこれはサボりではなく、立派な治療行為。

 彼は飲み終えた缶コーヒーを捨てて思った。

 ならばいっそ、女と寝れば忘れられるのではないか。しばらくご無沙汰だったし、むしろそれが原因で溜まっているかもしれない。自分で思っているより欲求不満なのかも。

 それなら風俗に行けばすぐに解決。でも、そんな気がないのは彼自身も理解している。

 理由はたぶん、詩花の存在。

 あの子は純粋だ。穢れがないと言ってもいい。それはそういう年ごろだからと説明もできる。それでも、彼女の傍にいる間は安らぐのだ。アロマテラピーとかそんなレベルじゃない。口では色々言っても、実際にはとても心が落ち着くし、傍にいてくれて嬉しく思っている。

 詩歌は大事だ。大人になるまで見守るのが俺の役目。

 だから、性に溺れて快楽に逃げては、頼ってはいけないのだ。

(それとも……)

 一瞬、ほんの一瞬だけ、詩花を頼ろうかと考えてしまった。一緒に寝てくれとは言わないが、膝枕ぐらいしてくれ、最近悪夢を見てうなされるから、そう言えば彼女も協力してくれる。なんて思ってしまった。……俺は最低だ。

 もうだめだ。とりあえずこの事は一旦置いておいて詩歌のところに戻ろう。彼は収録しているスタジオへと戻る。

 しかしすぐに頭から離れなかったのか、前から歩いてきた女性に気づかずそのままぶつかってしまった。彼が気づいたのは女性が声をあげた瞬間であった。

 女性は後ろに尻もちをついて倒れてしまい、彼はすぐに手を差し伸べた。

 

「ああ、すまない! 少し考えてごとを……していて……」

「い、いえ。こちらこそ、不注意でした」

 

 女性は差し出した彼の手を取った。しかしどういう訳か動かない。

 彼は硬直していた。目の前の、少女を見て。

 銀色、いや、プラチナだろうか。目の前の少女の髪の色はとても珍しく、日本では滅多に見ない。だからこそ余計に目を惹かれてる。

 だがそれだけはなかった。

 自分と少女の目と目が合う。

 少女の顔をこの目に捉えた。可愛いよりも真っ先に美しいと言葉が出てくる。アイドルだろうか。いや、女優かも。違うな、そんな狭い視野ではなく、もっと広いんだ。まるで、どこかの国のお姫様のようだ。

 

「えーと、その……」

 

 少女の言葉で我に返る。手を繋いだまま立ち上がらせずそのままだということに今気づいた。慌てて彼女を立たせる。それでも手は繋いだままで、彼は離さない。逆に少女もそれをなぜか振りほどこうとはしなかった。

 彼は少女を見下ろし、少女は彼を見上げる形で見合ったまま立ち尽くしている。

 

『あの……』

 

 二人の声がはもった。続くように『あっ』とまたはもり、少し間をおいてから彼が先にたずねた。

 

「その、ぶつかってすまない。考え事をしていて」

「い、いえ。わたくしも、少し不注意でしたから」

「あー、綺麗な髪、してるね。女優なのかい?」

「ありがとうございます。その、女優ではなくて、アイドルを……」

「へ、へー、アイドル……アイドル」

「はい……」

 

 気まずい。なんでこんな童貞丸出し会話をしているのか自分でもわからない。そもそもなぜ彼女は嫌がってないんだ。いや第一、『あ、どうも。すみません』で終わる話なのに、こうまで続いているのはなぜだ。

 わからない。わからないが、彼女が気になって仕方がない。だからそう、聞いてしまおう。手っ取り早く、名前と連絡先を……。

 

「き、君の……!」

「は、はい」

「君の、名前は⁉」

 

 声が裏返った。

 恥ずかしい。死にたい。

 それでも彼女は笑わず、頬を赤く染めながら答えくれた。

 

「わたくしの名は――」

 

 人の人生をレールに例えるなら、この世に生を受けたのが始発駅で、人生の終わりが終着駅になる。

 その間にレールは途中何度も道を切り替えるけど、たどり着く場所は同じで、選ばなかった別のレールを走ることは決してない。

 運命は決まっている。生まれてから死ぬまで。一度選んだ選択を覆すことはできない。

 その選択の結果がこの脇道。それも本道とは決して交わらぬ道。

 でも、そんな運命すら覆す存在もたしかにあるのだ。

 

「貴音……わたくしの名前は四条貴音。あなたは?」

「俺は――」

 

 だからこそ、二人はこうして出会えたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネタバレがあるようでないような落書き(自己責任で、どうぞ)

 

【正史ルートとの主な違い】

 ・Pはサングラスもタバコもしてない

 ・どういう因果か夢を諦めて961プロ残留

 ・これもどういう訳か美希は赤羽根をハニーと呼んでいない(未登場)

【961ルートについて】

 コンセプトは主人公が夢を諦めて961プロに残留してプロデューサーを続けている世界。そんな世界で貴音と出会ったらどうなるかというのをイメージしている。

 ぶっちゃけると、愛の力かそういう運命的なパワーで貴音に収束されるみたいな感じ。

 このルートの別名 黒ちゃんの明るい家族計画。

 勝利条件 詩歌が16歳になるまでに彼が貴音に奪われなければ達成。

【黒井詩花(外史ルート)】

 主人公の影響で若干ロボオタ気味。好きなロボはファッティー(ボトムズ)。理由可愛いから。

 彼をおじ様と呼びとても慕っていて、通い妻化している。

 一応このルートのメインヒロイン……メインヒロインです!(貴音が本気を出さなければ)

【黒井祟男(外史ルート)】

 親バカ。

 詩花が16歳になったら彼と結婚させる気満々。

【四条貴音】

 特に原作と違いなく、ただぽっかりと穴が開いたような生活を日々感じている。

【星井美希(未登場)】

 上記のように赤羽根をハニーと呼ばない世界線。

【顔の出来が酷いクスィーガンダムくん】

 その発表にみんなが喜んだ。でも、ふたを開ければがっかり仕様。のちにミサイルコンテナ付けた完全版出したのは本当にひで。

 ……絶対に許さない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




内容が短いのは許して。
Q.ネタバレを控えめにかつ簡潔にこの話について説明せよ
A.ifの世界線です


ここから告知
といわけでお待たせしました。早速更新といきたのですが、まだ最終チェックが済んでいません!
なのでまだ! 今多忙のため近日公開予定にさせてください……おなしゃす
早ければ今週、遅くても来週のどこかの0時から毎日0時更新させていただきます
え⁉ 幕間除いて8か月も遅れた理由⁉
全8話の総文字数がその他もろもろ含めて約25万文字だからだよ! 最低1万(一つだけ)、最高6万5千文字! 計算上では月一ペースで書き上げてたの……ほめて

それとあらかじめ更新する際の前書きに乗せますが、完結にあたり今までの話と矛盾や乖離する部分もあるかと思いますがそれでもよろしくお願いします
感想などは最後に一斉に返す予定です。面白い質問があれば最後のあとがきにでも載せようとかと思っています(すでにあとがきも書き終えています)

最後に
本当は9月16日に更新したかったです(詩歌の誕生日的な意味で)



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UI編
第34話 夢のはじまり


長らくお待たせしました
今日から全8話+あとがきを毎日0時に一話ずつ更新していきます(あとがきは8話目更新から少し経ってからあげます)
完結にあたり今までの話と矛盾や乖離する部分もあるかと思いますが、それでもよろしくお願いします
感想などは最後に一斉に返す予定です。
それでは、最後までお付き合いください



 

 

 

 

【アイドル協会】

その存在は至ってほかのものとそこまで変わらない。各スポーツなどにある『○○協会』と似たような存在である。

しかし、協会が作られたのは比較的最近な話で生い立ちとしては若い部類に入る。

協会の役目は主に活動しているアイドル活動の支援が主にある。ライブの開催地、宣伝、スタッフの手配等々。

そして、もっとも大きな内容としては「アイドルランク」の決定権であろう。

まず、アイドル候補生として登録された時点でFランク。正式にアイドルとしてデビューした時点でEランクとなる。現在で言うトップアイドルはAランクに該当され、CDの売り上げ、ランキングやタイトルの受賞、そして「称号」などが選定理由にある。他にも非公式になるがファンの人数という不確定な要素に該当するアイドルがAランクといった采配がされている。

このアイドルランクの前身とも言える、「アイドルアルティメイト(IU)」の委員会を務めていた当時の人間達がアイドル協会を設立したとも言われている。

現在、数多くのアイドル事務所で多くのアイドル達が活躍している。そんな中でトップアイドルと呼ばれているAランクアイドルに認定されているアイドルは実際にそこまで多くはない。かといって少ないというわけでもない。

これはあまりにも活動しているアイドルが多いためにあり、トップアイドルという称号が近年では曖昧化し始めているのではと考えられている。

ただ、過去においてトップアイドルの称号はただ一人を指していた。

アイドルアルティメイト。たった数回しか行われなかった伝説の祭典。

その優勝者こそが真のトップアイドルにして〈Sランクアイドル〉と呼ばれていた。

しかし、現在においてSランクと呼べる真のトップアイドルは――存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年 12月 アイドルアルティメイト決勝戦

 

いま日本……いや、世界が興奮の渦に巻き込まれている。

4月から始まった予選から8ヶ月という長い期間を経て、ようやく本当の意味でのステージが始まろうとしている。

復活した伝説の祭典。

アイドルの頂点を決めるライブバトル。

会場で、テレビで、ネット中継というあらゆる手段で会場の様子が配信されている。裏方で誰かが何度も最高視聴率を更新したと叫んでいるのは、もう聞き飽きた。

いまこの瞬間、これから始まるラストライブを目撃できる人間は人生において2度とないかけがえのないものとなるだろう。ステージの端で、一人の男がそんなことを思っていた。

だってそうだろう。

目の前に立っている三人のアイドルを見れば、今後二度と揃うことのない最初で最後の舞台。

一人は帰ってきた伝説のアイドル日高舞。

子供から大人へと成長した彼女が再びアイドルとして戻ってくる。簡単なことではなかっただろう。だが、そんな彼女を今でも根強いファン達が涙を流して喜んでいる。年はとったがその歌声は衰えを知らず、アイドルアルティメイトのオープニングセレモニーで19年ぶりの生の歌声は圧巻の一言。そんな彼女は今回シード枠で参戦し、そしていまここに立っている。

二人目はいまもっとも話題のアイドル〈リン・ミンメイ〉。

昨年12月に突如現れ、人々を魅了し一気にトップアイドルの階段を駆け上がる。しかし、その正体は素性が知れない謎のアイドル。巷では日高舞の再来とまで言われ、この決勝の舞台にいるのは当然とも言えた。

そして三人目のアイドル、銀色の王女の異名を持つ現在トップアイドルにもっとも近い四条貴音。

彼女は男がもっとも信頼を置き、アイドルとして自分が持てるだけの力を以て育てたアイドルにして、大切な存在であった。

男は複雑な心境だった。

なぜ、お前がここにいるんだ。

どうして。

男は口には出さなかったが、出す気もなかった。

自分から離れたのだ。夢のために。

違う。

本当は邪魔だった。夢のためにお前は邪魔だった。

違う。

道具としてお前を扱いたくなかった。物としてお前を使いたくなかった。

頭の中で善と悪が蠢いている。どちらも正しい、どちらも間違っている。正解などない。

間違いないことは、すべてはこの瞬間のためだ。

夢、俺の夢がようやく叶う。あと、一歩。そう、あと一歩なんだ!

男は胸の内で叫ぶ。待ったんだ、19年も。人生の半分をこの日ために捧げてきた。

在り来たりな青春を、学生らしい生活を、友人との時間を、家族との時間を……全部捧げてきた!

すべて仕事に、夢を叶えるためにとすべての労力を注いだ。

男は、人生で一番興奮していた。

かつて幼少の頃、本当に欲しかった玩具を買ってもらった時以上に喜んでいる。

初めて女を抱いた時以上の興奮と快楽を感じている。

けれど、男には分かっていることがあった。直感、本能、経験から頭の中で答えが開示されている。

――お前の夢は叶う。

そう告げている。

分かっているとも。しかし、けれど、この目で見届けさせてくれとなぞの存在に問いかける。

頼むからもう邪魔はしないでくれ。

最後の舞台の幕が……あがるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年 10月某日 346プロダクション

 

美城がかれこれ数時間椅子に座りながら作業に没頭し、少し休憩をしようと目を休める。気分転換に窓の外を見た。

曇り、だったのか。

まだそんなに年をとっているという自覚はないが、こうも作業に没頭しているのはあまりよくない。よくないが、仕事人間だと自覚しているのでもう手遅れな感じもしなくはない。

なぜだか、嫌な空気だ。

天気の所為ではない。美城は気になって重要な書類に再び目を通し始める。

問題ない。これも、これも、これもだ

妙な胸騒ぎがする。思い当たる部分は手当り次第チェックしてみたが、どうも落ち着かない。

なにか大事な案件を忘れているのかとつい焦って部下に連絡を入れてみたが、『本日は面会の予約はありませんし、急を要する案件も特には』と言われた。

一体なにが心配なんだと考えていると、コンコンと扉をノックしてプロデューサーがやってきた。

ああそうだったと、思い出し思考を切り替えた。

 

「失礼します。報告していた企画の書類を持ってきました」

「ああ、そうだったな。すまない」

 

美城はこの時、一つの違和感を感じとっていた。

彼には以前にも二人だけの時は敬語をやめろと許可を出していた。それ以降加減など知らず平気でため口で話していたのだ。それがこの日は敬語だった。

渡された書類に目を通しながら、彼は無言で立っていた。いつもならソファーに座って待つ男が今日は違った。

彼女は自然と「どうした?」と尋ねた。

 

「用件が他にもあるんです」

「用件? なんだ、それは?」

「これを、受理していただきたい」

 

渡された白封筒。そこにはっきり三文字の文字が書かれていた。

美城はそれを一見しただけで再度尋ねた。

 

「もう一度聞こう。これは、なんだ」

「質問の意味が解りかねます」

「分からないのはこっちだ。なぜ、君がこれを私に渡すのか分からない。それも、退職届をだ」

 

退職届の時点でまず明確な意思表示をしている。ここを辞めるとはっきりと言っているようなものだった。

美城には、彼がなぜここを辞めるのかがまず理解できないでいた。

個人的な理由を除いて考えたとして、給料に関しては絶対に不満はないと言える。

彼の支給額は同じ正社員でも大きく離れている。就いている役職はもちろん、346プロが彼にアイドル部門に来てほしいと依頼した時点でそれなりの報酬、給与面についてかなり出しているはずで、立場上そちらにも目を通すことができるので彼が貰っている給料は破格だったはず。さらにボーナスも出るのだから文句はない

ではなんだ? 他のこととなれば契約内容に今更不満が出たか、それ以外のことか?

たしかにこの男は有能だ。ここを去っても引く手数多だろう。

分からない。一体なぜ?

落ち着かないのか思考がぐるぐると渦まき、考えが全くまとまらない。

美城は率直に理由を尋ねた。

 

「理由を、聞かせろ」

「……単純に、ここにいる理由がないからです」

「なんだと?」

「346プロから依頼されたのは、新設されるアイドル部門の確立させること。そのためのアイドルのスカウト及びプロデュース。現在346プロのアイドルは業界でも上位に位置していると言っても過言ではないでしょう」

「だから自分はその役目を果たし終えた。そう言いたいわけだな?」

「ええ。アイドルだけではなく、武内を始めとしたプロデューサーの育成も問題ないレベルまで鍛え上げたとも思っています。ですから、自分はもう必要ない」

 

観察するように彼を睨む。

サングラスで瞳は見えず、彼の真意は読めない。だが、おおよその見当はつく。

この男が言っているのは本当に建前だ。本音ではない。いや、少しは本当かもしれないが、それがすべてではないだろう。

 

「それが本音ではないだろう。話せ、と無理には聞かん。だが、私には知る権利がある」

 

ふむ。声を漏らしてから、プロデューサーはいつもの口調で話し始めた。

 

「ここにいる理由がない、というのは本当だ。もうここでプロデューサーをしている意味がない」

「それは……なぜだ?」

「346プロからの依頼は、俺にとって本当に都合がよかった。チーフプロデューサーという役職をもらい、そのおかげでアイドルを探すという理由であちこち行けた。まあ結果はいまいちだったが」

「待て。君の本当の目的は、ここでその地位を利用してアイドルを探すことだったのか?」

 

目の前の男はそうだと一蹴した。

自然と小さな怒りの火が灯った。

いまこの瞬間、彼はすべてを否定している。いや、した。ここにいるアイドル達全員が、彼にとっては妥協――違うな。自分が厳選し、不要な者をこちらに流しているようなものだ。

彼を慕っているアイドル達、尊敬している者達すべてを欺いていたのか、この男は。

かく言う自分もその一人だと彼女は叫びたい衝動を抑える。

だが、ふと気づく。

『結果はいまいちだった』と言った。それなのにここを去る?

つまり……見つけたということなのか?

彼がもっとも必要としている――アイドルを。

ならば、アイドルを探すというのは建前。本当の目的は別にある、ということになる。

 

「君は、なにをしたいんだ?」

「したい、というのは違うな。してきた。いままで、その時のために。専務、あんたは感じているんじゃないのか? ここ最近のアイドルブームはたしかに盛り上がりを見せている。あんたが嫌というほど見る書類だってそれを示している。だがそれも、もってあと数年だ」

「どうしてそう言い切れる? 君の言いたいことは分かる。しかし、私は衰退とまでは思っていない。あくまで平行線だと思っているが」

「どうかな。新人アイドルは日々増えてはいるが、その一方で現実に挫折し、消えていく子も少なくはない。新規にファンを獲得するというのは容易ではないし、逆にファンからすれば何人ものアイドルを追いかけるのも楽ではない。はっきり言ってファン一人が増えようが減ろうが、実際に目にするのは数字だ。アイドル協会が定めているアイドルランクも、本当の所は売り上げといった数字だ」

「アイドルランク……。曖昧だが、しかし説得力のある存在ではある。世間で言う異名持ちアイドルも346にも少なからずいる。見えないものを協会が見える形にしたことは、正しいのかは分からない」

「だからこそ、ここではっきりと整理すべきだと思っている」

「整理?」

 

美城は眉をひそめた。

 

「増えすぎたアイドル。曖昧なアイドルランク。それを明確にするべきだ」

「……君は」

 

その言葉に美城は心当たりがあった。

今と昔のアイドル活動に明確な違いがある。違い、というよりも有無だろうか。

昔のアイドル活動においてアイドルランクはまさに自分を象徴する肩書きであった。それを決めるための規定は現在の方法とは別に、もう一つあった。

『ライブバトル』。人によっては『アイドルバトル』と呼んでいた者いた。

ランクアップをするために数人によるライブを行い、勝者はランクがあがる。至ってシンプルなもの。

そして、年に一度行われる大きなライブ。〈アイドルアルティメイト〉と呼ばれた祭典があった。

ランクの有無に関わらず参加でき、下位のアイドルからすれば下剋上を狙える。さらに優勝者には栄光の〈Sランクアイドル〉の肩書が手に入る。

しかし、それも長くは続かなかった。

彼は、あれを再びやろうと言っているのか?

だが、そんな権限が一体どこにあるのか。それが唯一の疑問だった。

 

「君がしたいことというのは、それなのか? しかし、それが今の時代に必要なのか? 時代が、人々が受け入れるとは思わない」

「俺のしたいことは、そんなことじゃない。いや、過程としてはそうなる」

「過程……? 待て、君は最初に言ったな。ここに来たのはアイドルを探すためだと。そして〈アイドルアルティメイト〉は過程に過ぎないとも。では、なんのためにアイドルを探した? どうして〈アイドルアルティメイト〉をやる必要がある?」

 

思わず椅子から立ち上がる美城。それでも、プロデューサーは動じなかった。

それから少し間をおいて、彼が不気味な笑みを浮かべて言う。

 

「夢のため」

「……夢?」

「専務、あんたには夢はあるか」

 

ない。彼女はきっぱりと答えた。

夢というよりも目標ならあった。父が経営するこの346プロダクションを私が継ぐのだと。人によっては、これは夢と思われるかもしれない。

しかし、彼女にとっては目標だった。そのための勉強も、経験も今日この日のための通過点に過ぎずない。いや、美城の家に生まれた時に定められた宿命でもあるとも思っていた。

 

「俺には、ある……どうしても叶えたい夢が。どうしようもない夢だと言われようと、叶うことのない無理な夢と言われても、俺は生きてきた。そして、それが叶う時がきた」

 

生き生きと語る彼の姿に美城は恐怖を感じた。

理由は分からない。初めて見る彼の光景が恐ろしいのか? それとも、この場で語る彼の本音を素直に受け入れられないことが?

だが、それなら辻褄が合う。今まで語ってきた彼の言葉一つ一つ、今日までしてきた行動の意味。

すべては夢のため――。

では、なんだ。

 

「君の、君の夢は一体なんだ?」

 

結局――その答えを聞けることはなかった。

美城は彼の上司とてこの退職届を受理した。

チーフプロデジューサーという立場もあり、年末を控えたこの時期の退職にはかなり時間を要するため、12月15日を以て彼は正式に346プロを退職することになった。

個人の感情を優先するなら引き留めたかった。だが、こんな時まで私情を挟まない律儀な人間だとは彼女も思っていなかった。

それに、彼を羨ましいとも思えてしまった。夢を叶えるため、ひたむきに夢に向かって突き進む彼が。

きっと近い内に大きな波乱があるだろう。彼がああ言うなら、きっと間違いない。

それに、それは外ではなくここにもある。

特に彼を慕うアイドル達が騒ぐだろう。今後の活動に支障をきたすかもしれない。軽視できない問題だ。

彼を尊敬するプロデューサー達も引き継ぎの際に知り驚くだろう。彼――武内は直接私の下に抗議に来るかもしれない。

それでも、それでもだ。

夢を持たない私が……それ以前に、第三者が人の夢をとやかく言う権利など誰にもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同年 12月15日 346プロダクション

 

曇り空の中、卯月は346プロの敷地内を歩いていた。

12月ということもあって本当に冬だということを痛感させられる。

冬は女の子にとっては強敵だ。だって特に足が寒い。いくらタイツを履いていても、冷たい風が吹けば歩いていた足を止めて身震いしてしまう。

もう2年経つんだ。

クリスマスまでもう少し。あの日から、卯月は再びアイドルして走り出した。

我武者羅だったかもしれない。無我夢中でたくさん頑張った気がする。でも、今でも皆には迷惑をかけたと申し訳なく思っていた。

 

「今回も頑張らないと。うん!」

 

24日のクリスマスライブ。いまはそれに向けて頑張ってレッスンをしているところだ。

それが終われば年末にお正月。

今年というより来年、どこかの番組に生放送で参加しなければならないのが億劫だ。高校を卒業して無事大学受験に合格して現在大学1回生。高校の時と違って自由が利くし、新しい友達との交流は楽しい。

不満としては、アイドルなので有名なのが困ってしまいます。

それでも大学側でもそこはかなり気を付けてくれているそうで。

プロデューサーもサークルに入るのもいいが、飲み会にはできるだけ参加するなと言っていた。参加する際には連絡を入れること。それらを特に念を押していた。

多分、ああいうことを想定して言ってくれたのだと察しはついている。先輩である美波ちゃんにも聞いてみたが、『私は特に誘いが、ね? アイドルになったらもっと増えて困ってたの』と言っていた。まあ、彼女は特に自分から見ても美人だし、男ならホイホイ声をかけよう、お近づきになろうとするのは分かる。

そんな私も来年でようやく20歳になる。大人の仲間入りだ。

高校の友人はその、アレな経験をしてそんな話を振ってくることがある。女子高なんて男子が思っている以上にそういう話をするが、自分はそんなに好んで話すタイプではなかった。

(そういう意味では、まだ子供になるのかな?)

アイドルとしてはどうなんだろうと真っ先に思ってしまう。でも、346プロというよりプロデューサーを始めとした人たちは特に恋愛禁止とは言っていない。それに、交際しているという話も聞いたことがなかった。

理由はまあ、分かりますけどね。

2年という月日は人が成長するには十分すぎる時間。成長期なら特に。

残念ながら自分の身長はこれ以上伸びず、胸の成長も止まったことは卯月にとっては些細なことだが、体重だけは日々びくびくと震えながら過ごしている。

みりあちゃんや莉香ちゃんだって大きく成長しているし、蘭子ちゃんなんかすごく綺麗になった。他のみんなもそうだ。

それに、プロデューサーを慕うアイドルは多い。

恋しているんだって、分かります。

自分はどうだろうと考える。

慕っているのは本当。でも、好き……というのは違うかな。

言葉にするなら、敬愛だろうか。いま自分がこうしていられるのは、やはりあの人のおかげなのだ。

アイドルの島村卯月としていられる。いまはそれが何となくだけど嬉しく思う。

自分を見つけてアイドルにしてくれたこと。悩んでいた自分を気にかけてくれたこと。20歳を迎えるいま、大人としても見本にしたいと思える人。

凄い人だとみんなが言う。私もそう思う。

でも、私達が知っているのはここにいるあの人という側面だけ。本当はどういう人なのかは、誰も知らない。

ふと卯月はプロデューサーのことで思い出した。ここ最近の事務所の空気がなんだか変なのだ。そわそわ、ざわざわしているというのが頭で思い浮かぶ感じ。

武内Pも時折深刻そうな顔つきをしているのが、ここ最近目についているのを自分を含めた多くのアイドルが目撃している。

(そういえば……)

話の中心であるプロデューサーの姿を最近見ないことに卯月は気付いた。事務所に居ない訳ではないだろうが、それに関しても最近アイドル達の間では話題だった。それに、彼のオフィスの扉に入室厳禁という張り紙が張ってあり、それでは止まらない好奇心旺盛なアイドルは入ろうとしたが、鍵がかけられており入れない。

なんだか、変な空気でよくないなあ。

想いにふけながら346プロの正門という名の旧事務所の入り口を通る。すると、向こう側から丁度そのプロデューサーがやってきた。

卯月は思わず駆け足で駆け寄った。

それも当然だ。彼女自身、彼と直接会うのは一週間ぶりだったのだ。

卯月の呼び声に彼も足を止めた。

 

「プロデューサー! お久しぶり……です? どこかへお出かけですか?」

 

いつものスーツ姿にコートを羽織り、両手にバッグを持っていた姿を見て卯月は外回りかと想像した。

しかし、プロデューサーはすぐに返答はせず、少し間をおいてから口を開いた。

 

「卯月、か。ああ、そうだな。出て行くんだ、ここから」

「……へ? それって、え? ちょっと、何を言って――」

 

言っている事の意味が分かったのか、卯月は余計に混乱した。けれど、そんな彼女を無視して彼は続けた。

 

「今日付けで346を辞めた。ああ、やっぱり裏口から出て行くべきだったな。できるだけ人目につかないようにしていたんだが。こうしてお前と鉢合わせになってしまった。特にアイドルとは会いたくなかった。面倒だから」

「ど、どうして、なんで急に……わけが、分かりませんよ!」

 

「別に。こうなるのが面倒だから言わなかった。他の奴らにも口止めしておいたし、明日になったら教えていいとも言っておいた。まあなんだ。頑張れよ」

 

そのまま卯月の横を通って外に向かうプロデューサー。彼女はその場に立ちつくした。

訳が、分からない。なんで?

プロデューサーがなんでここを辞めるの? クビになったから? それは違う。だって、あの人からしてクビなんて事務所がするわけない。

じゃあ、自分から?

面倒だからと言っていたのは分かる。それは騒ぐに決まっている。私は大人しい方だけど、他のみんなはこうはいかない。大声で叫ぶ。詰め寄って問い詰めるに決まっている。

なんで辞める? 急でしょ!? 説明してください! そんな言葉が飛び交うのは容易に想像できる。

ああ、そうか。だから、武内P達は……。知っていたんだ、プロデューサーが辞めること。

卯月はもっと早くに気づくべきだった。現場に彼が来ず、他のプロデューサー達が出ている事に。ここ数週間の間、彼のオフィスが入室厳禁だったこと。

すべてはここを去るための準備だったんだ。

卯月は自分でもおかしいなと思い始めた。とても悲しい事なのに涙が出ないのだ。突然のことで頭が混乱しているのかと思った。けれど、思いのほかすっきりしている。彼が辞めてここを去るという現実に直面しているのにもかかわらず、それを受け入れている。理由は分からなかった。

そんな時、「ああ、そうだ」とプロデューサーの声が聞こえた。思わず振り返った。

彼も同じようにその場で足を止め、振り返りながらふと思い出したように言った。

 

「結局、お前の答えを聞くことはなかったな」

 

再び歩き出すプロデューサーの背中を見つめ、胸の奥底に何かが湧いてくる。

先程まで流れなかった涙が頬を流れる。

なんでいま流れるの?

 

「……私の、馬鹿」

 

二年間のツケが回ってきた。そう思えて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年 1月下旬 アイドル協会 

 

「――開催するとして、また同じ悲劇を繰り返すことになればどうなる!」

「そうだ! 今まで低迷していたアイドルブームが再び戻ってきたいま、リスクを冒す必要はない!」

「いくら現状を省みても、いま開催する必要性は感じられん」

「しかし、それも数字的には平行線のままということをお忘れですか? 以前と比べ、昨今活動しているアイドルは数倍。事務所辺り所属数の平均も一桁というのが稀なのです」

「とある企業が行ったアンケートによれば、数人のアイドルを追いかけるファンというのは珍しくないとありますし、アイドルランクをより正確にするにはちょうどよいのでは?」

 

似たような話がまた飛び交っている。

協会の方針を決定する会議の中、そのメンバーの一人である歌田は内心ため息をつきながら呆れていた。

そもそもの話、自分がここにいること自体おかしいと彼女は思っていた。

歌田の仕事は声の専門。主にアイドルのボイストレーナーが以前の本業だった。自慢ではないがそれなりに腕に自信はあるし、癖のある声を持つアイドル達も見事育成してきた。

ところが、ある日を境に彼女はアイドル評論家の真似事をし始めた。アイドルを間近で見て、育てきたその観察眼はたしかなものということは分かっていたし、試にやってみると案外好評だった。

それがアイドル協会の目に留まり、気付けば協会の一員になってしまった。

(それにしても、平行線ね)

一週間前に開かれた会議も同じ話で始まり、今回も同じように終わるのだ。用意されていたペットボトルのお茶を一口飲み、歌田は他人ごとのように居座り無言を貫いていた。

だが、矛先がついにこちらに向かってきた。

 

「仮に開催するとして、本当にあの女を呼べるのかね?」

「それもそうだ! その担当は君だったね、歌田さん」

 

ついにきてしまった。

だいたいその話、その件については伝手があると口を“わざと”滑らしてしまったのが原因なのは自覚している。

いくら自分も望んでいるとはいえ、そのために彼から頼まれた内容はあまりにも精神的ストレスがかかる。彼女自身、時間を巻き戻して返事をNOと言いたかった。

まあ、その問いに関してはすでに問題はないのだが。

 

「その件について問題はない、と報告を受けております」

「報告とはどこの誰だ?」

「信用に値する者からの情報です。こちらがアイドルアルティメイトを再び開催したと報じ、直接連絡をすれば喜んで引き受ける、だそうです」

「そもそもの話、その情報源にこの件を教えるのは如何なものか。マスコミに流れたどうする?」

「それについては最初に申したはずです。アイドルアルティメイトを開催する際、日高舞を復帰させる前提でこの話が始まったはず。今まで取材にすら応じない彼女を復帰させてみせると言った者に、引き受ける条件としてこの案件の詳細を話すと。文句はありませんよね?」

 

最後に強く訴えると、反論していた男は目を逸らした。

 

「話を戻そう。つまり、日高舞は現役復帰するのはほぼ確実ということでいいのかね」

 

歌田は肯定した。

この場をまとめ、進行している男が唸っている。おそらく、今回で実際に開催するかを決定するための多数決をとるのだろう。

歌田もこの案件には時間をかけすぎているのは実感している。話自体は以前からあがっていたが、それを行うに値する決定的なきっかけがなかったのだ。

けれど、12月に現れたアイドル〈リン・ミンメイ〉の存在で話は大きく進展し、今月に入ってからの会議はいまのように白熱したモノとなっている。

 

「では、決を採ろう。賛成の者は手を」

 

半数の手があがる。もちろん歌田も手をあげた。

 

「決まりですね。では、近いうちに再び開催するにあたり本格的な内容を詰め込むために会議を開きます。その際にいつもの手順で連絡がいくのでよろしくお願いします。それでは本日のところは解散です」

 

解散の号令でどんどん人が出て行く。

その流れに歌田も混じり、途中でその列から抜けた。人がいない場所にいき、スマートファンを取りだす。

さて、連絡をしますか。どうせ、すぐに出るでしょう。

電話をかける前に彼女はもう一度周囲を見渡した。いないようだ。

コールが鳴る。一回。二回。さ……いや、出た。

 

『会議は終わったようですね』

「ええ。ほんと、頭が痛いけどね」

『お疲れ様です』

「他人事だと思って。まあいいわ。けど、本当に日高舞を呼べるんでしょうね? あれだけ啖呵を切ったのに、いざ来ないとなったら困るのよ?」

『その点はご心配なく。絶対にあの女は戻ってきますよ』

 

一体その自信はどこにあるのか……いや、あるわね。

〈リン・ミンメイ〉彼女の存在だろう。

だから、この話が進んでいると歌田は改めて把握した。

 

「で、お礼として実際に彼女に会わせてくれるのよね?」

 

歌田自身、ノーリスクでこの話を受けたわけではなかった。成功した暁には実際に〈リン・ミンメイ〉に会わせろ。その条件で飲んだ。

彼が彼女に対してかなり対策を講じているのか、共犯の自分にでさえ簡単には会わせられないと言われたのだ。

(極力人に会わせたくないのでしょうけど)

〈リン・ミンメイ〉に関するデータは教会でもプロフィール程度。名前だってアイドル活動をするための芸名だ。本名じゃない。

世間が騒いでいるように、本当に情報が少ないのだ。

 

『もちろん、時間はこちらで指定してさせてもらいますが』

「構わないわ。時間はあるもの」

 

むしろこちら側で無理にでも時間をつくる勢いだった。それだけの価値がある。

もう用はないと思って電話を切ろうと思ったが、つい口をもらした。

 

「それにしても意外だったわ」

『何がです』

「以前からあなたの計画は聞いていたわ。内心、夢物語だと思っていたけれど」

『それは、そうですね』

「けど、本当に驚いたのは、あなたが選ぶのは四条貴音さんだと思っていたから」

 

あの日。最初に四条貴音を見た時、この子はかなり光るものがあると見抜いていた。そんな彼女を彼がプロデュースしていると知った時はなるほどと納得したものだ。

事務所を転々とし、アイドルをプロデュースしているのは知っていた。その中でも、四条貴音は彼のお気に入りだと確信していた。

しかし、当ては外れてしまったのだが、だからこそ意外だという感想しか出てこなかった。

 

『……』

「?」

 

なぜか無言だった。けど、すぐに適当な返事が返ってきた。

 

『そうでしたが、彼女を見つけたので』

「それは、そうだけど……」

『では、また後日連絡します』

「ええ。それじゃ」

 

電話を切り、スマートフォンをバッグにしまう。

ふぅと息を吐いて、先ほどの彼を思う。仕事では何度も会い、どんな人間なのかは知っているつもりではあった。

歌田からしてみれば、彼は少し大きい孫……息子のように思っていた。だから、懇意にしていた。もちろん、有能だったからというのもあるが。

 

「結局、長い付き合いといっても、本当のところは分からないもの、か」

 

歌田は少し残念そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年 2月上旬 346プロダクション 

 

「2017年度 アイドル部門1月分報告書」と書かれた書類に目を通す。美城はとりあえず途中にある文章は飛ばして、ここ数年と比較した売上グラフに目を通した。

全体的にやや右肩上がりといったところか。

約4年前に発足された新部署としては中々の成績だ。さらにいま空前のアイドルブーム。アイドル戦国時代と例える者もいるが、そんな状況下でいまだに黒字なのは事務所として不満はない。

ただ、彼女はそれに満足はしていなかった。

不満、というわけではない。数字が語っているように我が346プロダクションのアイドル達の人気は冷める事はなく、年々活動が大きくなっていると言ってもいい。

しかし、ここにきて新たな転機を迎えようとしている。

〈アイドルアルティメイト〉

それが再び開催される。

当時はまだ学生だった頃のことだが、鮮明に覚えている。あの頃のアイドルブームはいまより盛り上がっていた。

(日高舞、か。年をとるわけだ)

彼女の影響力は底を知らぬのかと、いまなら言える

発売したCDはすべてミリオンヒット。ランキング上位を常に占めるのは当たり前。他に多くの賞を受賞し、まさに一線を越えたアイドルだった。

本人を直接見たことはない。当時は見たいと思ったこともある。けれど、彼女の存在は当時の346プロにも大きな影響を与えていた。まあ、悪い意味なのだが。

それは346プロに限った話ではなく、当時のアイドル事務所は大きな被害を被ったと聞いたことがある。日高舞の存在にアイドルは辞めていき、事務所は存続していくことができなくなり消えていく。そういった事務所は少なくなかったと記憶はしているが、あまりにも前のことなので覚えていない。

今西さんならおそらく覚えているだろうが……聞くことはないか。

当時を知る一人ではあるため、よく知っているだろうがいまは忙しいだろう。

定年を迎えここを去るのが普通なのだが、彼が持つ知識や経験、コネクションはまだ失うには惜しいとアイドル部門の役員会議で話題になった。結論としてアイドル部門の相談役として存続してもらう形になった。世間でいう本来の相談役とは違うが、うちはこういう形になった。それに本人も喜んで了承してくたこともあるし、彼は社員やアイドルからも好かれている存在でもある。

彼とも話したが、ここにきて〈アイドルアルティメイト〉の開催ははっきり言って好ましくなかった。

原因は一つ。

 

「君の言う通りになったな。これも、想定済みということか」

 

窓の外を見た。

空は曇りで、あの日と同じような天気だ。

ここを去った一人のプロデューサーと交わしたことをふと思い出す。

現状、彼が言った通りになった。〈アイドルアルティメイト〉は開催された。とんでもないモノを用意して。

『我々アイドル協会はここに、〈アイドルアルティメイト〉の開催を宣言いたします! 参加条件はただ一つ、アイドル協会に申請しているアイドルという条件だけです。よって、アイドルランクによる制限はありません。ソロ及びユニットで参加するかはご自由になります。しかし、ユニットの参加となれば審査員の採点がより厳しいものとなることは重々承知のことよろしくお願いします。詳しい日程は後日また改めて公式HP、参加される事務所にご連絡いたします。そして! 本大会において、オープニングセレモニー及び特別シード枠に……日高舞を呼んでおります! 会見は以上です。なお、質問は受け付けません。それでは、ありがとうございました』

あれ程酷い会見は久しぶりだと彼女は記憶していた。

内容はどうあれ、あれはかなりの影響を及ぼした。『あの伝説のアイドル日高舞が復活!?』、『レジェンドアイドル日高舞 ついに沈黙を破る!』等々、ネットや新聞にニュースと数日はその話題で持ちきりだった。

嘘かと囁く者もいたが。後日、日高舞が所属していた事務所から彼女本人の言葉が掲載された。大雑把に言えば『私、日高舞はアイドルとして復帰します。まあシード枠は不服だけど、近日中には少しずつ表だって活動する予定です』と言っている。

彼女を知る美城自身、それは無視できぬことになった。日高舞の存在はいま尚影響力が強いのだ。アイドルを応援している年齢層は10代から20代が多いのは確かだが、今の30代から上の世代は日高世代と言ってもいい。いまの若者たちに引けを取らないのは間違いない。

特に危惧しているのは、直接アイドル達が受ける影響であった。

特にうちのアイドルは酷いものだと美城は頭を抱えたくなった。

なによりも、これらの状況を引き起こしたのが彼なのであれば、本当に恐ろしい。人の執念、というものを感じる。

(それだけ本気ということか)

夢を叶えるため。それだけを糧に行動している彼。これだけの舞台を整え、さらには彼が探し出したアイドルの存在も大きい。

 

「〈リン・ミンメイ〉……」

 

昨年12月。丁度彼がここを去った少しあとに突如現れたアイドル。

映像越しであるが、美城は素直に思った。なんだ、これは? こんなアイドルがいるのかと。

なにせ恐ろしいと言わざるを得ないのだ。彼女を見れば自然と目を惹かれる。目が離せなくなるのだ。今度は声だ。歌い出せば聞き落ちてしまう。むしろもっと聞きたいと思わずにはいられない。

年甲斐もないと思われて仕方がないと彼女は思っているが、本当にそうなのだから仕方がない。普通のアイドルの定義から外れた存在だとしか思えなかった。

後ろから音がし、扉をノックし入って来たのは武内だった。ああ、そうだ。あれがいなくなって頻繁にここを訪れるようになったのは彼になったが、以前からよく来ていたのでそれが少し増えただけだと最近気づいた。

 

「専務、例の……〈アイドルアルティメイト〉に参加をするアイドルたちのリストをお持ちいたしました」

「ご苦労。で、どうだ?」

「見ていただければ分かりますが、多い方かと」

 

前々から分かっていたように武内は言った。それもそうだろう。彼も日高舞の存在は知っている。どんなアイドルだったかを知っている。

それ故にだ。アイドルの中でも、特に20代後半のアイドルは絶対に参加はしないだろうという確信があった。

軽く資料に目を通す。ほら見ろ。思っていた通りになった。意外とまではいかないが、年少組で数名いることには少し驚いた。

数で言うと30ちょっとか。たしかに多い方だ。もっと少ないと思っていた。

リストに目を通していると武内から驚きの発言を聞かされた。

 

「あまり関係はないのですが、一番初めに参加すると言ったのは島村さんです」

「……島村? 島村卯月がか?」

「ええ。私も、失礼ながら驚きました」

「驚くもなにも、彼女が参加することも驚きだが一番に声をあげたのか?」

「はい。誰よりもすぐに」

「理由は聞いたのか?」

「それが……」

 

右手を首の後ろにまわしながら、彼は言いづらそうに答えた。

 

「ただ、先輩に会うためと」

「彼に? なぜ、とは言わんがそれだけなのか?」

「会って伝えることがあるそうです。その時の島村さんは、誰よりも真剣な眼差しをしていました」

「だからそれ以上は聞かなかったと?」

 

彼は肯定した。私は別にそれを追求するようなことはしなかった。それだけで島村卯月が自分の確固たる意志を持って参加する、そう言っているのは感じ取れたからだ。

参加するならそれでよし、しないならそれだけ。私はそのスタンスでいた。事務所の立場上一人も参加しないというのは問題があると思っていたが、これなら問題はあるまい。

そもそも彼女達に過度な期待は初めからしていない。

そのことを察しているかのように彼は慎重に尋ねた。

 

「専務は、あまり良い結果を望んでいないように見えます」

「そう見えるか。いや、そうだろうな。順調に勝ち進めば身内同士でのライブバトルだってある。数が多い方が有利というわけではない」

「私が仰りたいのはそういうことではありません」

 

軽く誤魔化してみたが案外彼はよく見ているようだ。小さなため息をつきながら、彼の望む答えを言った。

 

「分かっている。私は、彼女達に優勝など期待していない。それは君もだろう?」

 

そう言うと武内は少し動揺し「そんなことは」と、言ってきたが丸分かりだった。

 

「日高舞が特別シード枠、つまり決勝戦で当たる時点で諦めていることだ。346プロに、日高舞と矛を交えるほどの力を持ったアイドルはいない。君の年からして、一度ぐらいは見たことがあるだろう。だからこそ、分かるはずだ。彼女には勝てないと」

 

一度。たった一度日高舞を見た者なら分かる。あれは絶対王者、唯一無二の存在。たとえ、年をとろうとあれには関係ない。そう思わせる何かを持っている。 

 

「優勝は無理だとしても、専務は我が社のアイドルがどこまで勝ち抜けると思っていますか?」

「本選には誰かしらいけるだろうな。その過程で同じ所属のアイドル同士のライブバトルもあり同士討ちも考えられる。あまり気は進まないが」

「そうですね。参加するアイドル達も、その点においてはよく説明しておきました。それを分かって参加しています」

「そうか……。ところで、君から見てアイドル達の雰囲気はどうだ?」

 

別に聞かなくても薄々予想はついていた。それでも、現場で常にアイドルと接している人間の声が聞きたかった。

 

「正直、先輩が去ってからあまりよくはありません。特に……一部のアイドルはかなり取り乱して仕事を休まざるをえませんでした。我々は唐突ではありましたが、知ることができたので。あれから数か月経ちましたが、ようやくと言ったところだったのですが……」

 

困惑の表情を浮かべ、口に出すのか悩んでいるようだ。

美城は首を傾げた。

 

「なにかあったのか?」

「その……。噂、らしいのですが、先輩が〈リン・ミンメイ〉のプロデューサーだという噂がありまして」

 

ああ、そうか。彼らは知らなかったことを忘れていた。

美城はその件については自分しか聞いていないことを思い出した。なにせ〈リン・ミンメイ〉が現れた時から「ああ、これが君の求めていたアイドルか」と、確信を得て勝手に納得していた。

別に今更隠してもしょうがない。なにより、隠す意味もない。

 

「噂ではなく本当だよ、それは」

「! どうして……」

「彼が私に言ったよ。アイドルを探すのに346は都合がよかった、そして見つけたとね」

 

告げると武内はさらに困惑したようだ。

当然だろう。尊敬していた人間が、まさかそんなことを言うとは思いもしない。言い換えれば、我々を欺いていたのだ。アイドル以上に演じるのが上手いらしい。

 

「君には教えておこう。どこまでかは分からないが、今回の騒動の発端は彼だ。恐ろしいぐらいに用意周到だよ」

「ですが、私には分かりません。先輩はなぜこのようなことをするのか。そうまでして得られるものがあるのでしょうか」

「あるのだろうな、彼には。……君には、夢はあるか?」

 

少し悩み、武内に尋ねた。

 

「夢、ですか? 幼い頃には、まああれになりたいと言ったようなことはありますが、成長してからはそんな夢を持ったことはありませんでした」

「私もだよ。だが、彼にはあるそうだ。どんな夢かは教えてはくれなかったが」

「……私には分かりません。夢を叶えようとする人は、素直に素晴らしく美しいと思えます。しかし、そうまでして、こんなことをしてまでとは……」

「私はそこまでおかしくはないと思っている。何かを成すためには常に代償は付き物だ。時間、金といったものから。時には誰かを蹴落とすこともある。夢は語るのも見るのも自由だ。しかし、いざ叶えようとすればとてつもない道のりが待っている。それを超えた者がいまプロとして、職人として活躍している。私はそう思う」

 

それ以上武内は彼のことに対して何も聞いてはこなかった。

私としてもそれは助かった。なにせ、あれこれ聞かれても限界はある。なにより、まだ彼が去ったことを素直に受け止めてはいなかったからだ。

 

「アイドルアルティメイトに参加するアイドルは君に一任する。先程も言ったが優勝をしろとは言わん。だが、それなりの結果は残せるよう努力しろ」

「分かりました。失礼します」

 

去ろうとする武内を美城は呼び止めた。

                  

「まだ、何か?」

「アイドル達には先程の話はするな。余計に面倒になる」

「心得ています」

「それと、今年は大変な一年になる。君も身体に気をつけなさい」

「あ、ありがとうございます」

 

やけに驚いた顔をされた。なにかおかしいことを言っただろうか?                                                                                                                                

武内が出ていくと美城は椅子から立ち上がり窓の外を見た。

大変な一年。自分で言っておいてなんだが、それはきっとうちだけではないだろうな。

 

「ほんと、君は人気者だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも見慣れた街の風景をタクシーの車内から眺めるのは退屈と思っていたが、これが意外と面白い発見があったりする。

大雑把に言えば季節ごとの風景とか街の宣伝ポスターの入れ替え、歩いている人の服装を見てこれが流行ってるんだとか、アイドルの痛車を見つけたりするのは面白いし楽しかったりする。

765プロがとあるタクシー会社と契約してから、よく同じ人が運転するタクシーの後部座席に乗り、美希は窓の外を見続けている。

ハニーが去ってから765プロもかなり変わった。

まず、アイドルが増えた。『39プロジェクト』と呼んでいる39人の新人アイドル達が新しく765プロに加わったから。

自分より年下の子もいれば年上の人もいるが、やっぱりこの業界は年功序列なのかミキは先輩ということになっている。ミキはあまり気にしてないし、年上にはちゃんとさん付で呼ぶようにしているから問題はない、と思っている。

同時に事務所も変わった。かつて、たるき亭の上の2階に構えていた事務所から引越しをしたのだ。以前と比べれば部屋の広さは比べものにならない、なによりアイドル専用の更衣室まである。

社長は「これで一流プロダクションの仲間入りだな! はっはっは!」と言っていたのを思い出した。他の事務所の規模と比べると中から上と言ったところだろうか。ただ、何度か足を運んだ346プロダクションは別格だと感じている。あれは、すごい。うん。

ふと社長のことで思い出した。

いままでふらふらしていた高木順一朗が765プロダクションの会長として腰を下ろしたのだ。意外と言えば意外だった。39プロジェクトの子達からしたら「誰?」と口ずさむぐらいなのは、まあしょうがない。ミキも自業自得だと思う。

ついでに新しい事務員もどこからか連れてきた。名前を青羽美咲。年はまだ20代前半。小鳥が「若いっていいわね……」と恨めしそうに言っていたのは印象に残っている。

39プロジェクトの始動において、一番苦労しているのは赤羽根Pだ。総勢52名のアイドルをプロデュースすることになったのだから、大変という言葉で片付けることはできない。けれど、彼はハニーに影響されてか非常に意気込んでいた。当時はひぃひぃ言っていたが、今では余裕ですよと言い返すぐらい。

しかし、その倍の人数を彼(・)がプロデュースしていると言えば、「それは言わないでくれ!」という。まあしょうがないよね。

ああそうだ。律子さんもなんだかんでいまはアイドルがメインになっている。

アイドルが増えたことにより、色んな子達とユニットを組むこともあってか竜宮小町メインで行動することは減ったし、なによりやっぱり律子さんはアイドルのが似合っているとミキは思っている。現場でも結構みんなをまとめたりしているから、そこはさすがだと尊敬している。

あれから5年が経ったんだ。

ミキもいまでは高校を卒業し、アイドルをメインに活動している。大学に進学する、というのも考えてはいた。両親や彼にも無理して大学にいくことはないと言われたこともあるが、自分でもこれといって学びたいという意欲もなかったので止めた。

むしろ、アイドルとして仕事をするのが楽しいという気持ちの方が勝った。

高校を卒業して一番嬉しかったのはより自由になったということだ。両親には前から言っていたから卒業してすぐに貴音とルームシェアをした。

これで対等なの。

いままで貴音の方が圧倒的に一緒にいる時間が長かったが、これからはそうはいかないの! 

本当に素敵な日々だった。朝を起きれば貴音がいて、一緒にご飯を作って、あの人を起こして、一緒に出掛けたり買い物をしたり……。あわよくば一緒にお風呂なんて。いっぱいできなかったことをした。多くの時間を三人で過ごした。

でも、その幸せな時間は唐突に終わった。

 

「……はぁ」

 

思わずため息をつく。

それに気付いたのか、運転手のおじさんがミラー越しに声をかけてきた。

 

「お疲れですか?」

「ううん。平気だよ」

「それならいいんですけど。それと、四条さんは大丈夫ですか? うちの孫娘がファンでして。最近テレビで見ないってうるさいんですよ」

「あれ、おじさんってお孫さんがいるの? 驚きなの……」

「ええ、まあ。息子には感謝してます」

 

彼の年は60を過ぎていると聞いていたから、まあいても不思議ではないのかな?

 

「大丈夫なの。近い内にまた戻ってくるから」

「そうですか? そう伝えておきます。なにか話題がないと話すこともないもんで」

 

笑っている姿を見て胸が痛む。

あれは嘘。本当は分からないの。

するとタクシーが停まった。どうやらマンションの前までついたらしい。

 

「明日はどうします? お迎えにあがりますが」

「明日は自分でいくからいいの。それじゃ、おやすみ。おじさんも気を付けてね」

「はい。それでは」

 

美希はタクシーを降りる。少し歩いて振り向いた。タクシーはもう走り出し……他の車と混じってどこかへ行ってしまった。

 

「嘘も方便っていうけど……。ミキにも分かんないよ、こればかりは」

 

マンションを見上げつぶやいた。

このお城に住むお姫様は眠っている。

銀色の王女。そう呼ばれているアイドル四条貴音は、現在アイドル活動を休止しているからだ。

 

 

 

 

 

自宅の扉の前に立ち、今日何度目かも分からぬため息をつく。

分かってはいるけど、どうにもできない。

ドアノブを捻る。開いた。

やっぱりまたなの。

 

「ただいま……貴音いる? いないか、こっちには」

 

寒い家だ。ここの主と同じようだと思わんばかりに。

リビングに向かってバッグをソファーにおく。次にダイニングテーブルを見た。テーブルの上にはおにぎりが3つ乗ったお皿がある。

朝家を出る前に作っておいたやつ。

 

「一応一口は食べたんだ」

 

一つだけ齧ったあとがある。ラップをちゃんと元に戻しただけマシと言えばマシ。勿体ないから食べかけたおにぎりを食べる。上手い。

ミキ特製スペシャルおにぎりは美味しいのは当たり前なの。

お行儀が悪いが食べながら寝室の方に向かう。

扉を開ける……やっぱり誰もいない。

 

「さすがに、そろそろ限界なの」

 

これ以上は限界だった。怒りより呆れているのだ、ミキは。

部屋を出て隣の、彼の家の扉の前に立つ。本来は開かないはずの扉。けど、開く。

靴を脱いでずかずかと歩き、リビングに出る。

そこに貴音はいる。今日も。

これで一週間連続だ。

 

「貴音」

「……」

 

返事はない。いつも通りだ。

いつから作っていたのかは知らないけど、いままで撮った写真をアルバムに収めたそれを広げながら毎日、毎日毎日毎日毎日……眺めている。

ページをめくり、なにかぶつぶつと言ってはまためくる。全部見終わるとまだ最初から。

率直に言って、酷い。

ファンには見せられない。

 

「あなた様……この日は、すごくよい陽気で、一緒に出掛けたのでしたね……」

「……」

 

貴音がこうなったのは一週間前。予兆は前からあった。

けど、大元の原因は去年の12月。ミキ達の幸せだった生活が終わりを告げたあの日だ。

(いますぐこの部屋から出て行け)

(……え?)

(あなた様、いま、なんと仰ったのですか?)

(聞こえなかったかのか。いますぐこの部屋から出て行けといったんだ。金輪際ここには来るな。それと、お前達に渡していたスペアキーも返せ)

突然のことだったと美希は昨日ように覚えている。

この日、一緒に二人は帰宅すると突然彼から宣告を受けたのだ。もちろん、簡単に納得する貴音と美希ではなかった。

かつてないほどの口論になった。

そして、

(わたくしたちが邪魔なのですか!? どうして、そんなことを仰るのか理由をお教えください!)

(そうなの! これじゃ、納得できないよ! ミキたちが何か悪いことをしたらちゃんと謝るから!)

その時のハニーの顔はサングラスのせいでよく読み取れなかった。いつからか、ミキたちといる時だけはサングラスを取っていたから。けど、あの人の手は、力いっぱい握り絞めていた。いまにも凍えてしまいそうに震えていたのをミキは見逃さなかった。

そして、彼は言った。

(ああ、そうだよ! お前らは邪魔なんだよ! 目障りだ、お前らは必要ないんだよ! だから……出ていけ!)

抵抗虚しく二人は追い出された。その日から、彼は自分の家に帰ることはなかった。

あの日から貴音は弱くなってしまった。

まず、食事の量が減った。喉が通らないのかいつもの半分以下しか食べれなくなった。それに伴いレッスンにも身が入らなくなった。

貴音はトップアイドルだ。レギュラー番組を複数持っているし、お昼のバラエティ番組にも出る日がある。

本当にギリギリだった。生放送でない限り番組の収録は先取りしているから問題ない。たぶん数か月ぐらいは持つ。けど、バラエティ番組だけは本当に危なかった。メイクで誤魔化したがいつ倒れても不思議ではなかった。

休んでは仕事をする日々が続き、ついには一週間前活動を休止した。

理由は「あのプロデューサーが、いま話題のリン・ミンメイの担当らしい」という噂が入ったからだ。

それを聞いて貴音は倒れた。

それに伴って貴音の看護、ではないが様子を見るのをミキが担当している。赤羽根Pも様子を見にいくとなったが、それは社長が止めてくれた。

これには感謝の言葉しか出なかった。ミキたちの生活を知っているのは社長と会長ぐらいだ。それも大分前から。だから、気を利かせてくれた。

倒れてから次の翌朝、からだと思う。ミキが仕事に出かけて帰ってくると貴音はおらず、こっちの部屋にいる。部屋の鍵は彼に内緒で作った二人共有の鍵だ。もしかしたらと、思って作っておいた予備だったが、まさかこんな事態になると思ってもいなかった。

その日からミキが貴音を頑張って連れ戻す日々が続いた。貴音の体重はそれほど重くはない。むしろ、ミキにあまり力がないから余計に苦労した。ただ、食事を取らないせいか日に日にやせ細っているのが分かった。嫌になるぐらいに。

意外かと思うかしれないが、ミキはそれ程ダメージを感じてはいなかった。

理由はある。

それは『約束』があるから。ミキとハニーがあの日交わした約束。

―今から嘘はつかない。

あの人は……ハニーは、765プロにいる間ミキをキラキラさせてくれた。約束をちゃんと守ってくれた。時には冗談は言うけど、あの日から嘘は言わなくなった。

だから、あれは嘘だと思っている。

約束があるからということもあるが、伊達に一緒に暮らしてきたわけではない。あれが、彼の本音ではないことはわかる。

それは貴音も分かっている。

でも、それよりも。

 

「邪魔だって、目障りで必要ないって言われたのが嫌だったの?」

 

ぴくりと貴音の体が反応した。

いままで口にしてはいけないことを言った。

もう、限界。そして、終わりにしないといけないと思ったから、言ってやった。

 

「赤羽根Pがね、偶然見たんだって。ハニーが〈リン・ミンメイ〉と一緒にいるところ」

「……て」

「あの人の表情は分からなかったけど、ミンメイはすごい笑って、たのし――」

「やめてください! おねがい、だから……それ以上言わないで……」

 

自分を抱きしめ泣き叫ぶ貴音。

やっと人間らしい反応をした。

美希は続けた。

 

「やめないの。自分を捨てたあの男は! 別の女と楽しくやっているのって言ってるの!」

「みきぃ!」

 

突然立ち上がり、貴音は美希の胸倉をつかんだ。

 

「離して。服が伸びるの」

「それ以上の、あの方への侮辱は、許しません……!」

「許さない? なんで? あいつは、ミキたちを捨てたんだよ!」

「違います! あの方は、あの人には理由があるのです。だから、ああいう風に言うことしかできない人。それは、貴方だって分かっていることでしょ、美希!」

「分かってるに決まってるの」

「ならどうして!?」

「どうして? 分かっているなら、こんなところでめそめそしてるんじゃないってことなの!」

 

あ、やば。

思わず貴音を突き飛ばしてしまった。そのまま貴音は尻もちをついてミキを見上げた。すごく驚いた顔をしている。

謝ろうと思ったがすぐに思いとどまる。美希は唇を噛み、心を鬼にして叫んだ。

 

ハニー(・・・)がわたしたちを捨てるなんてしない! 絶対にそんなことしないってミキだってわかってる! 貴音だってわかってるんでしょ? なのに悲劇のヒロインを気取ってさ、どれだけみんなに迷惑をかけてるかわかってる!? みんな貴音を心配してるの! ファンレターやツイッターでみんなが心配してる! ファンだけじゃない。一緒に仕事をしてきた人達みんなが、貴音を心配してるの!」

「そ、そんなこと、ただ、わたくしは……」

「わたくしは? なに!? アルバムを見て過去の思い出にすがってるだけじゃん! そんなの貴音らしくない! ミキが知ってる貴音は……貴音は、こんなことで泣いてる女じゃないでしょ……」

「……美希」

 

いままで抱え込んでいた感情が込み上げてくるせいか、泣きたくないのに、泣いちゃいけないのに涙が止まらない。

涙を手でふき取る。それでも止まらないから、泣きながら言ってやる。絶対に口を出さないと決めていたことを言った。

 

「あの人が選んだのは、貴音なの! ミキじゃない! そうだもん、ミキの自業自得だもん! それでも、それでも好きになっちゃったの! 本当はミキが連れ戻したい。でも、それは貴音じゃなきゃ駄目なの!」

 

バカ、バカと美希は罵倒しながらその場に座り込む。

貴音は手を突きながら美希のもとへ歩み寄り、そっと抱きしめた。

 

「ごめんなさい、美希。本当に、ごめんなさい。貴方に、絶対に言わせてはいけないことを言わせてしまって」

「っ、ぐすっ。そうだよ、死ぬまで持って行くつもりだったのに、貴音がいけないんだよ……」

「ごめんなさい……本当にごめんなさい」

 

それから二人は抱きしめながら共に涙を流した。何度もごめんなさいと謝り続けた。一生分の涙を流したことだろう。涙も枯れ果て、互いにようやく落ち着くことができた。

 

「ミキたち、あの人のこと全然知らなかったんだ」

 

美希が言った。彼女が渡したハンカチで涙のあとを拭いている貴音も頷いて肯定した。

 

「ううん、ちゃんと分かってる。誰よりも、ミキたちは理解してる。そうだよね?

 

「はい。あの方と、誰よりも一番近くで過ごしてきたのです。ですが、」

「そうだね。現在(いま)はわかっていても、過去(むかし)のことは全然知らないんだよね」

 

あの日出会ってから約5年。知らないことはないと思っていた。でも、その前は全然知らない。

なら知ればいい。彼の事を知っている人たちが、わたしたちの近くにはいる。

美希は立ち上がり貴音に手を差し伸べた。

 

「まずは知ることから始めるの。それから、どうすればいいか考えればいいの」

「ええ、ええ。そうですね、美希の言う通りです。しかし、貴方にこうまで言われるとは。わたくしも、まだまだということですか」

「ふふっ。まあ張り合う相手がいないと燃えないからね。それじゃいこ? いつまでもここに居たってしょうがないの」

「そうですね」

 

手を繋ぎながら歩く二人。美希は少し前を歩き玄関の傍までくると、ぐぅーと最近聞いていなかった音がなった。 

振り向くと左手でお腹を押さえている貴音がいた。

ようやくいつもの貴音に戻ったの。

美希は笑みを浮かべ、嬉しそうに言った。

 

「まずはご飯だね」

「はい。腹が減ってはアイドルはできませんから」

「それを言うなら戦なの」

「そうとも言います」

 

美希は貴音から鍵を受け取り、鍵穴に差した。回す前に美希は言った。

 

「じゃあ、閉めるよ」

「お願いします。ここを開けるのは、あの人が帰って来たその時に」

「うん。一緒に開けるの。……ホコリだらけになっちゃうかもだけど、ちゃんと掃除するからね」

「ええ。あの方をこき使ってあげます。ですから、しばらくお別れです」

「それじゃ、またね」

 

部屋に問いかけるように二人は語りかけ、鍵を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内にある小さな事務所。扉にはサテライトと書いてあるここは、アイドル事務所だ。規模からして弱小とも言える。所属しているのもたった一人。

いや、一人で十分なのだ。

ここはアイドル事務所〈サテライト〉。いま話題沸騰のスーパーアイドル〈リン・ミンメイ〉が所属する事務所だからだ。

部屋には3つ分のデスクが置いてある。ここにはアイドルの他に三人の人間しかいない。一人は〈サテライト〉の社長。二人目は事務員。三人目はプロデューサー。

しかし、いまは二人の人間しかいない。アイドルのミンメイとそのプロデューサーである、彼の二人だけ。

世間を騒がしているアイドルミンメイは安物のソファーで仰向けに雑誌を呼んでいた。その所為で綺麗なパープルグレーのロングヘアは隠れて見えないし、服装は黒タイツにショートパンツであるから覗かれる心配はないが、あまりにもファンに見せられる光景ではない。

対してプロデューサーである彼は顔と肩でうまい具合に受話器を固定し電話中だった。

 

「ああ。じゃあそういうことで。よろしく頼む」

 

受話器を戻すとスケジュール帳にペンで書き込み、席を立つとホワイトボードに書き始めた。日付は大分先の6月の予定だった。

ミンメイは起き上がるとため息をつきながら漏らした。

 

「えー、また仕事? ほぼ毎日だよこれ! やばいよやばいよー!

 

「黙れ。毎日同じことを言わせるな。承知の上でやっているだろうが」

「もう! 相棒はわかってないなー。この重い空気を換えてやろうとしているのだよ、この私が!」

 

肩を降ろしながら大きなため息を今度は彼がついた。呆れた顔もしている。何を言ってもいまのように切り返してくるのでプロデューサーはほぼ諦めていた。

彼は左手の時計を見た。次の仕事が迫っている。このあとは3枚目のシングル用の撮影と同時に雑誌のインタビュー。そして夜には生放送の歌番組に出演。まさにスケジュールに隙がない。東西南北、あらゆるところから仕事の依頼がやってくる。

彼からすれば、予定通りであった。

 

「ほら、用意しろ。移動するぞ」

「えー、おやつは?」

「……どっかでドーナッツでも買ってやる」

「いぇーい! ちなみに何個まで?」

「……3個」

「ちっ、しけてやがるぜ……」

 

ふんと鼻を鳴らしながらそそくさと事務所を出ようとするプロデューサーを声をあげて追いかけるミンメイ。

 

「ちょっとは待ってくれてもいいんじゃなーい?」

「お前を甘やかす気はないし、する必要もない」

「相棒は冷たいんだーと。ま、そこが可愛いんだけど」

 

人のすべてを知っているかのような発言に少しイラつきを見せるプロデューサー。パッと見れば全然そんな素振りはしていないように見える。

が、彼女は横目でチラリと見ただけで察したのか、話題を変えた。

いや、オーダーを尋ねた。

 

「で、今夜の歌番組。どれくらいでやればいいの?」

「全力でやれ。他の出演者のアイドルを潰すぐらいに。そうすれば数が減って本選も楽になる」

「ふふっ。りょーかい、相棒」

 

その日の夜。歌番組でミンメイが登場した場面において、番組視聴率は史上最高の記録を叩き出した。

と同時に〈アイドルアルティメイト〉に参加する予定だったアイドル達は――参加を取り下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけの落書き

【四条貴音】アイドルランクA 称号「銀色の王女」

現時点で23歳。現在におけるアイドル戦国時代において頂点に近い位置にいる。

3月時点で体調不良によりアイドル活動を一時休止していた。

【星井美希】アイドルランクA 称号「金色の小悪魔」

現時点で19か20歳。貴音が765プロの看板であるならば美希はエースといった立ち位置。

高校卒業後はアイドル活動に専念。貴音とルームシェアをして暮らしている

【美城】

役職は以前と変わらない。いずれは社長の椅子につくだろうと言われている。年齢は知らん

【武内】

“プロデューサー”が去ったあとのアイドル部門をまとめているPの一人。現在はアイドルアルティメイトに参加するアイドル達を中心に担当している

【島村卯月】 アイドルランクA 称号「スマイルプリンセス」

2017年時点で(たぶん)19か20歳。高校卒業後都内の大学へ進学。専門じゃない限り文系ってイメージ

プロデューサーに答えを伝えるためにアイドルアルティメイトに参加

【歌田】

1話に登場したゲームで審査員をしていたボイス担当の人。現在はアイドル協会の役員の一人になっている。

今回の騒動の共犯者。

【リン・ミンメイ】 アイドルランク??

イメージモデル 超時空要塞マクロスおよび愛・おぼえてますかのリン・ミンメイ

作者が作品を終わらせるために生み出したバグ

【プロデューサー】

主人公

全部こいつの所為

 

※年齢や年代は正確ではないのでそこは見逃してください……

 

 



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第35話 動き始めたふたり

 

 

 音無小鳥はとある建物の前に立ってそれを眺めていた。

 19年前、かつて居た場所に私は定期的にここを訪れている。

 建物は一度改装されたのか今風のデザインで綺麗だ。何回かどこかのテナントが入っては立ち退くことを繰り返し、いまもまたテナント募集になっていた。

 4階建ての建物で、以前はその3階に事務所を構えていた。いまはその全部が空いている。不思議なこともあるものだ。位置的に駅も近いし、道も左程混まなくて悪くない立地だと思うのだが。まるで、誰かを待っているように思えて仕方がない。

 ここははじまりの場所であり、終わりの場所。少なくとも、私にとっては終わりの場所。

 アイドルの音無小鳥としての墓場とも言える。

 ううん、違う。私が終わらせたのだ。

 ここに来るようになったのはアイドルを辞めてから少し経ってからだと思う。みんな散り散りになって、私は学業に専念していた。学校が終わる度にここを通り、休みの日も一度は訪れていた。

 たぶん、後悔なのだと思う。

 大学に進学してからどうすればいいかと悩んでいた時だ。順一朗さんと順二朗さんがアイドル事務所を再びやると。それまでは芸能界で色々やっていたのは聞いていた。そこで私を事務員として雇いたい、一緒に仕事をしないかと誘ってくれた。

 素直に嬉しかった私は、そのために資格を取ったり専門の知識を勉強するようになった。

 大学を卒業してしばらくは平凡な日々が続いた。

 でも、だんだんとアイドルが増えた。最初は律子さんがデビューして、春香ちゃんたちやみんながやってきた。アイドルは揃ったけど中々活躍できない日々が続いた。

 なにせ順一朗さんは全国を転々とし、その一環でアイドルをスカウトしてきたが事務所に腰を下ろすことはなく、順二朗さんが社長として〈765プロダクション〉を経営していたからだ。

 いくら経験があるといっても、765プロに足りなかったのは〈プロデューサー〉であった。

 アイドルを支え、共に歩む存在。

 そんな時、あの人がやってきた。

(見習いくんって呼んでたのが懐かしいなあ)

 小鳥にとって彼は年も近いお兄ちゃんみたいな存在だった。一緒に居た時も勉強をよく教えてもらったし、彼女の我儘でお出かけにも付き合ってもらったりもした。

 楽しかった。あれが私の青春だと言えるかもしれない。

 事務所を去ってからも小鳥は定期的に彼と会っていた。なぜだろうといまでも思う。でも、会うことで互いに起きたことの報告会議みたいだったと思う。

 20歳の誕生日も祝ってくれたのはとても印象に残っている。たぶん、デートだった。うん、そう思いたい。ショッピングして、食事して、初めてお酒を飲んだ。しかし、酔いつぶれたあとの記憶がない。あとで聞いたら家まで送ってくれたと言っていた。本当に残念でならない。

 彼が765プロにいたあの一年は毎日が楽しかった。あの頃に戻れたような気がしていたから。

 でも、765プロを去ってからの日々は少し寂しくものたりないものになった。

 それを埋めるかのように会長と社長が〈39プロジェクト〉を実施した。

 39名の新人アイドル。最初は前途多難であったが、いまはそうでもない。私の事務員としての負担もいまでは後輩の美咲ちゃんが入社してくれたからだ。

 私よりかなり若いので元気が溢れている。ただ、若いっていいよねって……うん。

 それでも事務員が2人だけなのはどうかと思うがこれが意外とやっていけるのは不思議である。それ以前でも分担していたとはいえ私一人で主に事務を処理していたのだから、やっぱりそこは褒めてもらいたい。

 昨日は遅くまで仕事をしたので、今日は少し遅めの出勤だ。社長とは知らぬ仲ではないし、いつもとは違う時間に出勤するのはまた新鮮だ。

 いまごろ美咲ちゃんが一人で頑張っているころだろうか。そして、今日も貴音ちゃんは来ないのだろうかと暗い気持ちになる。

 四条貴音は765プロにおいての看板アイドルである。同時に一番の稼ぎ頭とも言っていいかもしれない。

 そんな彼女が一週間も活動を休止している。

 小鳥はそれがあの人に関係していることだとわかっていた。

 あの子の異変に少し前から765プロの誰もが気付き始めた。いま思えば、そんな彼女を知っていたかのように美希ちゃんが付き添っていたのはこういうことを想定していたのかもしれない。

 プロデューサーさんが原因なのは分かるが、どうしてそこまで大事になったのかと最初は考えた。結論から言えば、四条貴音は彼のことが好きだから。といういかにもシンプルな答えに辿り着いた。

 結果として見ればそれが原因なのは間違いなく、その過程はわからない。小鳥はいつからか自然と気付いていた。貴音が彼を好いていることに。

 あの人が来てから一番傍にいたのは彼女だ。当然だって思う。いまでも私は彼に淡い恋心を抱いているからだ。だから、わかる。

 プロデューサーが346プロを辞めたという話を聞いたのは、彼が去った少しあとだった。同時に彼があの〈リン・ミンメイ〉のプロデューサーをしていると赤羽根Pが言ったのがすべての始まり。

 彼を知らない39プロジェクトのアイドルは、私達がなぜこんなにも困惑しているのかと首を傾げたことだろう。一部のアイドルはプロデューサーさんのことを知っていたが、それを口に出すことはなかった。

 さらに驚かされたのは〈アイドルアルティメイト〉の開催だった。

 これには自分も順一朗さんに順二朗さんも驚かされた。けれど、だからなのだろうか。あの人がいまやっていることに薄々納得をしてしまうのは。

 変わったと思っていた。あの日から私達はそれぞれの道を歩み始め、それまでは一緒の道を歩んでいた。

 でも、あの人だけは違っていたのかもしれない。19年前からきっと、だから……。

 もう、いかなきゃ。

 小鳥は急いでその場から立ち去った。さすがにこれ以上ここで時間を潰すことは美咲ちゃんに申し訳がないし、時間も時間だ。

 走るとまではいかないが、小鳥は急ぎ足で事務所に向かって急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい事務所は以前と違う。他の大手芸能事務所並みの建物になった。

 中にはトレーニングルームにレコーディングルームもある。かなり羽振りがいいがそれなりに売り上げも出ていたし、39プロジェクトのこともあってか順一朗さんと順二朗さんは思い切った行動に出たものだ。

 ただ、事務員二人だけにしては広すぎる空間はかなり持て余すのが現状の悩みであろうか。

 意外と今日はアイドルと誰にもすれ違わず小鳥は自分のデスクについた。目の前にいる美咲が挨拶をしながら話をかけてきた。

 

「あ、小鳥さん。社長が呼んでいましたよ」

「え、社長が? なにか言ってた?」

「いえ、そこまでは……。ただ、出社したら社長室に来るようにって」

 

 以前の事務所では常にいるのは社長だったので、なにかあればすぐに用件を伝えられたけどいまは違うのがちょっと不便ではあった。

 小鳥は美咲にお礼を言ってすぐに社長室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 社長室に入ると、順二朗さんはいつものように椅子に座って待ち構えていた。

 

「待っていたよ、小鳥くん。来て早々悪いね」

「いえ。ところで、話ってなんですか?」

「実は、美希くんから朝連絡があってね。貴音くんを今日連れてくるそうだ」

「貴音ちゃんが!? よかったですね。でも、それでどうして私が?」

「そのことなんだがね。二人が、話を聞きたいそうだ。昔の私達のね」

 

 昔とはどれくらいの前のことを言っているのだろうか。いや、二人が聞きたいのは私達の昔話ではなく、きっとプロデューサーさんのことだろう。貴音ちゃんが復帰するのはとても嬉しい知らせだ。

 けれど、なんでいまこのタイミングなのだろうか。

 

「理由は聞かなかったよ。察しはついているからね。順一朗にはもう連絡したから出先から戻ってくることになっている。私達二人だけでもいいかと考えたが、やはり小鳥くんにも聞いてもらいたいし、話してあげてほしいと思う。キミの口からも」

 

 別に構わない、とすぐに頭の中では決まった。

 でも、一体なにを話せばいいのだろうか。私が話せることなんてたかが知れているし、聞きたいことはたぶん順一朗さんがすべて話すだろう。

 ……ああ、そうか。

 別にすぐにわかることだった。2人は知らないんだ、昔のプロデューサーさんを。

 

「わかりました。私もご一緒します」

「ありがとう。二人が来るのは遅い時間なんだ。まだ表立って来るのは無理らしい。連日で悪いが、今日も残ってほしいんだが」

「構いませんよ。ただ、美咲ちゃんにはちょっと負担かけちゃいますね」

「青羽くんには私の方からも言っておくよ」

 

 そのあと社長室をあとにしていつもの業務に戻った。

 聞かれたら何を話そうか。そんなことばかり考えて仕事に集中することはできなかった。

 

 

 

 

 

 社長室の扉が開くと、そこには久しぶりに姿を見せた貴音くんと美希くんだった。

 彼女は以前と比べると少しやつれているように見えた。顔色は悪いし、服の上からもやせ細っているように錯覚する。美希くんに手を引かれてやっと歩いているところから、活動を休止していた一週間まともに食事をしていなかったのだろうということは順一朗を始め順二郎に小鳥もすぐに気付いた。

 私を含めた誰かが尋ねる前に美希くんが先に事情を説明してくれた。案の定食事はまともに取っていなかったらしく、昨日の夜からちゃんと食事を取り、安眠することができたという。

 彼女達の関係を順二郎から聞いているからこそ君は罪な男だと、順一朗は彼のことを思わざるを得なかった。

 気分は、調子はどうだいと尋ねることはしなかった。したところでそれは無意味だし、なによりもそんなことをするために二人は来たわけではない。

 順一朗は隣に座る順二郎に視線を送ると、彼も分かっているのか頷いた。

 では、話を始めなければなるまい。

 目の前に座る貴音と美希に順一朗は訊いた。

 

「さてと。まずはどこから話すべきか、というよりも何を聞きたいかね?」

 

 美希が貴音の方に顔を向けると彼女は頷き、貴音が言ってきた。

 

「まずあの方との出会いから、お願いします」

「出会いか。そう言えば私も知らないんだよ。こいつがふらっと彼を連れてきたからね!」

「あー。そういえばそうでしたね。出先から帰って来たらプロデューサーさんを連れて『今日から一緒に働くプロデューサー見習いだ!』。って、感じでしたよね」

「あれ、そうだったかね?」

「意外、ではないですが、会長がすかうとされたのですか?」

「その通りさ」

 

 

 意外なの、と美希くんも驚きの声をあげている。そんなにおかしなことだろうかと順一朗は首を傾げた。

 小鳥が入れてくれたコーヒーを一口飲み、順一朗は続けた。

 

「あの頃は私も若かったよ」

 

 

 

 

 

 1998年 6月某日 東京都

 

 携帯電話が普及し始めてからというもの、家族や友人、特に自分がしている仕事においてはかなり重宝する便利アイテム。いや、必需品とも言っていいだろう。だが、もう若いと呼べる年齢ではないせいか、最初はとにかく扱いに慣れるのが大変だった。

 しかし、仕事柄電話で済ませるよりも、そこはやはり直接赴いて仕事を取ってきたり打ち合わせをするのが癖でもあった。

 街を歩けば、やはりここはどこよりも流行に乗っているのが自然と目に付く。女の子は現在大ヒットしているトートバッグをよく肩にかけているし、ネイルアートブームもあってか似たような色をしている子達が多い。男の子も迷彩柄の帽子などを被っているのが目立つ。

 いつものスーツ姿である自分が意外と浮いていないのは、どこもかしこもスーツ姿のサラリーマンで溢れているからだ。変な服を着ているよりかは余程マシである。

 目を向けるとそこはCDショップがあった。売れているのは『GLAY』、『SMAP』、『SPEED』が目玉商品と言ったころだ。他にも『浜崎あゆみ』や『モーニング娘。』も売れている。

 昨今多くの歌手、アイドル達が大ブレイクしているが、やはり私達のアイドル『音無小鳥』も負けてはない、と順一朗は自負していた。

 いまも次のテレビ番組に出演するための打ち合わせをしてきた帰りだ。今頃小鳥くんは黒井とレッスン帰りだろうか。手ぶらで帰るのもあれだ。何かを買って行こうと再び歩きはじめる順一朗。

 男女問わずいまはアイドルブームだ。いかに生き残り、存続し続けていかなければならないのかを日夜黒井と言い争っている。言葉の殴り合いが飛び交っているが、私達に共通しているのは、小鳥くんは間違いなくトップアイドルになる器を秘めているというのが共通の認識だ。

 あの子は大器晩成と言えばいいだろうか。いまはもっとレッスンと経験を積めば大成するだろう。

 それにしても顔は母親とそっくりだし、声も似ている。なんだか、あの青春の日々を思い出す。

 人混みの中を歩いているとある人物に目が行った。自分の身長はそれなりに高い方ではあるが、少し先を歩いているあの男性はやけに背が高い。180cmは軽く超えているだろう。だからこそ目立つし、服装からも見ても他県の人間だとすぐにわかった。ファッションなど自分には関係ないと言っているかのように堂々としている。背が高い所為か、近くにいる人間は視線を彼に送っているのが頭の動きでわかる。

 その時――ティンときた。

 なぜだかわからないが、彼になにかを感じた。運命と言ってもいいかもしれない。

 小鳥くんからも感じた同じような感覚。まあ、あの子は彼女の母親の薦めでもあったが、会った時にはティンと感じとっていた。

 ここで逃しては絶対に後悔する。順一朗は前を歩く人をかき分けながら彼に近づき、声をかけた。

 

「キミキミ、そうキミのことだ。突然だが、プロデューサーになってみないか?」

 

 私を見る彼の顔はいかにも、「何を言ってんだ、このおっさん」そのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

「前置きが長いというか、ほとんど会長の回想しか話してないの」

「失礼ながら、わたくし達には少々縁のない時代。そもそも美希はまだ生まれておりませんね」

「いやね、君達にも当時のことを知ってほしいと思ってね?」

「順二郎。流石に二人には話だけでは想像できないと思うぞ」

「私達には通じますけどね。自分で言ってて悲しい……」

 

 話の出だしはあまりいい評価を得られなかった。中々厳しいものだ。

 順一朗はこのようなことを想定してあるものを持ってきていた。バッグの中から少し古びたアルバムを取出し、テーブルの上に置いた。

 それは吉澤が撮った写真がほとんどだが、自分が撮ったものをまとめたアルバムだ。ページを少し捲り、一枚の写真を指で指した。

 

「そうそう。これが、当時事務所で撮った全員が写っている写真だ」

 

 それには順二郎と小鳥は懐かしいと声を漏らした。かくいう順二郎も久々に見るので二人同様昔の記憶が鮮明に思い浮かぶ。

 2人は覗き込むように写真に釘づけのようだ。

 

「いまのあの人と一緒で可愛いの」

「やはり若いですね。といっても、あまり変わりませんね」

 

 可愛いと言う二人に順一朗は順二郎に耳打ちをした。

(可愛いだろうか?)

(少なくとも、可愛げはあっただろう)

 10代と思えない体格と顔つきに当時の私達は驚いたものだ。もちろん順二郎が言うように可愛げはたしかにあった。

 

「で、話を戻して。それからどうしたんですか?」

「それからかい? 近くの喫茶店によって話をしたんだ。今思えば、よくあのまま立ち去らなかったって思うよ! はっはっは」

「彼、昔から少し変わっているところがあったからねえ。興味はあったんだろうね」

 

 興味、か。たしかにそれも一理あるかもしれない。

 初対面にも関わらず、彼はとりあえず話だけでも言った私の言葉を受け入れてくれた。近くの喫茶店に入り、自分の名刺を渡しながら彼に説明を始めた。

 思い出す限り、普段の仕事先で売り込みをするぐらいの意気込みで説明を始めたと思う。まず、彼はプロデューサーというものをテレビ局の方だと勘違いしてたのでそこから始まった。自分が言うプロデューサーとはアイドルを指す。すると彼は、「アイドル? マネージャーじゃなくて?」と首を傾げた。

 なるほどと順一朗は理解した。たしかに、アイドルにはマネージャーというイメージがついても仕方がない。しかし、私達の業界で主にプロデューサーと呼び時はアイドルの方を指すと説明した。

 逆に順一朗は彼に尋ねた。アイドルに興味はあるかと。すると彼は、「いや、全然」と素気ない返事をした。

 これは説得に苦労とすると思った。だが、意外にも彼は変に抵抗するという感じはしていなかったように思えた。話していくうちにどんな仕事をするのかとか、休みは、給料ってどんなものと彼から質問してこちらが答えるようになった。

 順二郎が言うように興味が湧いたのだろう。少なくとも、当時のあの子からはそういう風に感じ取れた。実際、彼がどんなことを考えていたかは当人のみが知る所ではある。

 ある程度説明し、質問に返答したところで私は彼に尋ねた。「キミはいまなんの仕事をしているんだい? 平日の今日が休みということは職種が限られるが……」

 はあ。またか、と彼はため息をつきながら言ってきた。「また?」と私は返し、彼は言った。

 ――おれ、まだ高2の学生なんだけど。

 

「興味以上に、彼が当時まだ16歳ということに私はえらく驚いたよ」

「ああ、そうだった。それを聞いた時は本当に驚いた」

「みんなで驚いてましたよねー。私もたった少ししか違わないなんて嘘みたいって口に出しちゃいましたもん」

 

 へぇと声を漏らす貴音と美希の反応の違いに戸惑いながらも、順一朗は話を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高2!? じゃ、じゃあ、キミはまだ16なのかい!?」

「今年で17。そりゃあ、こんななりで、老け顔だからよく大人っぽい……大人に間違われる。近所の人には父さんとじいちゃんに間違わられるし。あのさ、そんなに大人に見えます?」

 

 うんうんと順一朗は頷いた。

 老け顔、と言われて少し納得はしたが、それにしてはそれなりの人生経験を積んでいるかのような顔立ちに見える。

 この反応からすると、自分の顔でそれなりに苦労しているのだろうと順一朗は察した。

 

「こんな形をしているから、父さんからよく煙草買って来いって頼まれるし、周りも子供扱いはしてこなかったり。便利の用で不便なんだよ」

「そ、そうなのかい。ちなみに、身長はどのくらいかね?」

「最近だと190あるかなかったかな?」

「キミと肩を並べる同年代の子はいないんじゃないのかい?」

「いない。だから、教室の席は一番後ろ。バスケじゃ、手加減しろって言われる。そんなに得意じゃないのに」

「だろうね、キミのその身長を見れば嫌でも納得するよ。学生ということは、なにか部活をやっているのかい? やけにガタイがいいし、筋肉もついているように見えるが」

 

 そうかなと腕を曲げるとボディビルダーのような立派な上腕二頭筋が現れる。自分とは比べ物にならない筋肉。はっきり言って、いくら鍛えていたとしてもこんな子供はちょっといるのだろうかと疑いたくなる。

 

「部活は入ったり辞めたりしてる」

「なんでだい?」

「いや、基礎だけ学べればあとは独学でやればいいかなって。別にそこまで熱心じゃないし」

「どうして。キミのことだ、格闘技系の部活から引っ張りだこだろうに」

「たしかにその通りなんだけど、おれからすれば部活はさっき言った程度のことでしかなくて。なんていうのかなあ、自分の武器というか経験にしたいというか」

「んー、理解できないなあ。そもそも、そうしているのはなにか理由があるのかい?」

「あるよ」

 

 即答だった。彼は続けて言った。

 

「シュワちゃんとスターロンに憧れてるんだ、おれ」

 

 アーノルド・シュワルツネッガーとシルヴェスター・スターロン。どちらも『ターミネーター』と『ロッキー』などで有名な人物だ。もちろん、映画は見たことあるから知っているし、面白い。

 ただ、今時の子が彼らに憧れてここまで鍛えるだろうか。そんな素朴な疑問を抱いてしまった。

 彼は楽しそうに語り始めた。特にコマンド―とランボーが好きなんだよねとか。だから、毎日筋トレは欠かさずやり始めたんだとも。時には止めそうになったが、そんな時ビデオを借りてきて見始めると自然と筋トレをし始めている。そんな頭がおかしくなるような話をしてくれた。

 その所為か、友人からのあだ名は『大将』、または『ムエタイX』。後者はよくわからなかった。

 彼と過ごす時間はとても有意義な時間だった。年が離れているはずなのに、どうしてか楽しいと思えた。しかし、時間は限られている。順一朗はもう一度訊いた。

 

「もう仕事に戻らなくてはいけないんだ」

「あ、そうなんだ」

「だから、答えを聞きたいんだ。プロデューサーになってみないかい?」

 

 彼は唸り、少し悩みながら尋ねてきた。

 

「休日だけでもいいなら」

「ああ、ああ! いいとも! これは私の名刺だ。今度もう一度ゆっくりと話をしよう!」

 

 別れる前に常に持ち歩いている連絡先が書いてある名刺を渡してその日は別れた。

 その一週間後に彼を事務所に連れて行き、みんなに紹介したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日に連れてきたわけじゃないんですね。アルバムを見ながら小鳥が言ってきた。

 

「いやぁ、そうしたかったんだがね? 時間が時間だったし、まだ仕事が残っていたからね」

「ああ、だからあの時、お前は物凄く楽しみにしてたんだな。聞いてもその日になればわかると言って教えてはくれなかった」

「みんなの驚く顔がみたくてね」

 

 アルバムにある、彼がスーツ姿をした写真を見ながら貴音が順一朗に訊いた。

 

「この頃のあの人の仕事ぶりはどうだったのですか? スーツ姿はいまと変わず、仕事ができる人間に見えますが」

「一言で言えば、優秀だったよ。順二郎はどうだ?」

「お前と同意見だよ。営業はお前と黒井の二人がメインで、私は事務の方をメインにしていたが、言われたことをしっかりとこなしていたし、分からないことはちゃんと聞いてきた。今思い返してみても、彼は常に落ち着いていたね」

「彼曰く、周りが大人ばかりの環境で育った所為だと言っていたがね。ああ、思い出した。どうしても私達三人が忙しくて、大事な仕事先の打ち合わせに彼を向かわしたことがあった!」

「ああ、あったあった!

 

 2人の言葉に小鳥たちは驚きの声をあげた。

 

「ちょ、ちょっと、そんなことしたんですか!?」

「スパルタとかそんなレベルじゃないの……」

「ちなみに、働きだしてどれくらいの時なのですか?」

「たしか……数か月経ったあたりだったか?」

 

 順二朗の言葉に順一朗は頷いた。

 一緒に働くにあたり、あの子にはスーツをプレゼントした。ただでさえ大人にしか見えない彼が着ればどうなるか。都内に大勢いるサラリーマンと変わらないのだから、まず見た目だけではバレないだろうという確信があった。

「いや、絶対に無理でしょ!」と声をあげたのは最初だけ。次にはどうすればいいのかと私や黒井に聞いてきた。時間がなかった私達は時間の限り重要な要点を教えて彼に任せた。

 たしかに酷いなと思う。だが、彼は嫌とは言わなかったのだ。

 そして事務所に戻った私達を、ソファーで寝転んで迎えに来たときは『やはり駄目だったか』と思ったが。「これ、今度の仕事の概要と当日のスケジュールをまとめたやつです。あと、なんか適当に話し合わせてたら、別の仕事紹介されたんで、とりあえず話だけは持ち帰ってきました。あー、今度は一緒にいかせてください。一人はいやーきついっす」

 驚いて開いた口が塞がらなかった。あの黒井ですらしばし硬直していた。最後に何を言うのかと思えば、「あ、今度名刺作ってください。なんか、求められたんで」

 もう笑うしかなかった。

 

「その一件以来、私と黒井の助手として一緒にする機会が増えた。ただ、どちらかと言えば黒井が面倒を見ていたよ」

「あの黒井社長が、ですか?」

「驚きなの」

 

 黒井のことをあまり知らない2人には受け入れがたいことだろう。あいつにはあまり良い印象がないからか。彼を知る小鳥くんが言った。

 

「意外でしょ? 黒井さん、プロデューサーさんのこと物凄く気に入ってたから。キツイ言葉を浴びせているようで、ちゃんと必要なことを伝えてる。不器用なの、黒井さんは」

「今でいうツンデレという奴だな」

「うむ。そうに違いない」

 

 アルバムにある写真に黒井が写っているのは少ない。あいつは写真があまり好きではなかった。ただ、写っているその多くはあの子と一緒なのが多い。吉澤くんも中々意地が悪いと思ってしまう。

 さて、次は何を話せばいいか。

 順一朗も話したいことは思い出せばたくさんある。ただ、きりがないしいつまで経っても終わらない。ならば、話すとしたらあれになる。

 小鳥の方に視線を向け、少し重いと思いながらも彼は話した。

 

「そんな順風満帆な日々が続いていたが、それは突然終わりを告げたんだ。それは――」

 

 告げて言おうと口に出す前に、貴音くんが言ってきた。

 

「日高舞、ですね」

「わかるかね?」

「はい」

「今の状況から、なんとなくミキでもわかるの」

 

 当時の説明を始めようとすると、隣の順二朗が代わりに始めた。

 

「順一朗が言うほど突然、というわけではなかったんだよ。少なくとも日高舞が現れて一年はいままで通りだった。私達が、に限るが」

「日高舞が伝説のアイドルといわれる由縁はね、彼女自身が一つの時代を築いて、自ら終わらせたことなんだよ」

「終わらせた? それって、アイドルブームってことなの?」

「そう、そうだね。なあ、順一朗」

「うむ。彼女は突然現れた。見る人、聞く人全員を魅了した。出したCDはすべてミリオンヒット。そしてなにより凄いのは、アイドルアルティメイトで2連覇を果たしたこと。日高舞が活動していた約2、3年は紛れもなく彼女の時代だった。日高舞一色とも言ってもいいだろう。そして、それを終わらせたのも彼女自身」

「引退、したということですか?」

 

 貴音が尋ねる。

 

「そうとも。2連覇を果たしたその表彰されている時に電撃引退さ」

「どうして?」

「噂では、担当のプロデューサーとの間に子供が出来たから、らしい」

 

 噂と言われていたが、私達の間では真実だった。それを決定付けたのが、彼女の娘の日高愛だ。逆算すれば辻褄があう。

 当時は荒れた。かなり荒れた。暴動の一歩手前まで行ったはずだ。所属していた事務所は炎上した。当時はいまほどネット環境が進んではいなかったため、手紙や電話、直接事務所にかけこむといった具合だった。

 いま思い出してもニュースはしらばく日高舞引退の話題で持ちきりで、その飛び火でアイドル業界も低迷し始めた。

 けれどこの一件で、アイドルとプロデューサーの恋愛が暗黙の了解となったのは皮肉だと順一朗は思っていた。

 

「それと同時に私達のアイドル活動は終わった。私と順一朗は二人で地道に活動。小鳥くんは学業に専念。彼は黒井と共にいき、それぞれの道を歩くことになったわけだ」

「それは、どうしてですか?」

 

 それは、と順一朗が言おうとした時、小鳥が閉じていた口を開き重苦しそうに言った。

 

「私が、原因なの」

「小鳥くん……」

「いいんです、順一朗さん。やっぱり、そこは私が話さないといけないことだと思うんです。貴音ちゃん、そうなったのはね、私が諦めたからなの」

「それってトップアイドル?」

 

 美希の問いに小鳥は頷いた。

 

「あの人が現れた一年は私も諦めずに頑張ったの。補足しておくと、あの人が現れて私達の仕事が減ったわけじゃなかった。ちょっとは減ったけど。それでも、みんな私のために全力を尽くして支えてくれた。もちろんプロデューサーさんも……」

「小鳥は、当時のアイドルアルティメイトに参加したのですか?」

 

 何気ない、ごく当たり前の言葉が体を震わせる。

 

「参加は……したわ」

 

 そう、参加はした。

 その年のアイドルアルティメイトはちゃんと参加したのだ。たしかに日高舞はすごい。でも、わたしだって負けない。自分を含めたアイドル達は似たような思いだったと思う。それだけ熱気があった。それだけに予選の時点で難易度は高く、激戦だった。それでも私は予選を勝ち抜き本選出場が決まった。

 が、ここで私はやらかしてしまう。

 

「本選前日に体調を崩して、出場を辞退したの」

 

 最悪のタイミングで辞退した私は多くの人に迷惑をかけた。事務所のみんなを始め、なにより私のファン達の期待を裏切ってしまった。

 そのことが原因で批判や中傷がなかったわけではなかった。比較するのもどうかと思うが、他の炎上したアイドルと比べれば自分の場合は些かマシな方だった。

 それでも、私自身がその一件で精神的に参っていたのは本当で、その後の仕事はかなり選ぶものとなった。

 そして、それから半年後。ここで限界が訪れた。とある歌番組に私は出演した。他にも出演したアイドルがいたが、そこには日高舞の姿があった。

 幸いだったのが、私が歌う順番は彼女より先だったことだ。モチベーションはなんとか保つことができ、ライブもなんとか歌いきることができた。達成感があった。百点満点じゃないけど、いまの自分が出せる最高の出来だと思っていた。

 けど、日高舞のライブを間近で見た私は――すべてを諦めてしまった。

 次元が違う。私には、到底たどり着けない場所。

 

「そして、翌年の〈アイドルアルティメイト〉に出場することなく、私はアイドルを引退したの。自分が思っているより、私の心は弱かった」

 

 小鳥の言葉にどう返せばいいかわからない貴音と美希。二人には経験がない。大きな過ち、立ちはだかる壁といったものが、なかった。

 彼女を知る順一朗と順二郎はそれを否定する「それは違う」と。

 

「誰よりも先に諦めてしまったのは、私達だ。諦めてはいけなかったんだ。どんなに時間をかけても……」

「わかっていたんだろうな、黒井は。だから、最後まで辞めることに反対していた」

「黒井社長はやはり凄い御方なのですね」

「凄いよ。今でも尊敬してるわ。でも、ちょっと性格に難あり、だけどね」

「それは否定しないな」

「ああ、まったくその通りだ」

「ところで、あの人はどうしてたの?」

 

 美希の質問に小鳥は戸惑う。なにせ、難しい質問だからだ。

 

「うまく、言えないの。プロデューサーさんは、何も言わなかった。悔しそうな、辛い顔はしてた。けど、それを言葉に出さなかったの。二人は、どう思いました?」

「私もそう思っていたよ。けど、違うといまでは考えているよ。順一朗もだろ?」

「ああ。今だから分かる。誰よりも彼は、悔しかったんだと思うよ」

 

 だから、と順一朗は何か続けて言おうとしたが、それを口に出すことはなかった。それには小鳥も見てすぐにわかった。

 私達三人にはわかってしまう。あの人だから、そうなってしまったんだと。見習いだった彼には私達と同じように日高舞の圧倒的な力を目の当たりしてもなお、見習いだから故に諦めた私達と違い諦めることなく密かな熱い想いを胸に秘めてきた。

 見習いである自分に言えることはない。ああ、たしかに誰よりも悔しいに違いない。誰よりも頑張ろうと言いたかったに違いない。

 そうしてしまったのは私だ。そうなってしまったのは私だ。

 自分が原因だということは小鳥にもわかっている。そんなことはしなくてもいいんです、そう一言言えばいい。

 でも、彼は違うと言った。あの日、あの電話で。

 どうしよう、二人に言うべきだろうか。小鳥は悩んだ。けど、伝えてどうなるの? 彼女達にはきっとわからない。馬鹿にしてるわけじゃない。だって、私だって理解はできた。けど、どうしてそこまでするのか。これが、わからない。

 小鳥が一人思いにふけている最中、順一朗が言った。

 

「事務所を去ってからのあの子のことはあまり知らないんだ。電話やメールばかりで、直接会ったのは数えるぐらいだ。その頃のことをよく知るのは誰でもない黒井だろう。だが、あの子が変わったと間違いなく言えるとすれば、あの時だ」

「そう、だな。確かに、その通りかもしれないな」

「それは、いつのことです?」

 

 貴音が重い声で聞いた。

 

「以前、千早君の時に話したことがあっただろう? 当時、彼が担当していたアイドルが枕営業をさせられそうになったと」

「その時だ。あの子が、いまのようになったのは」

 

 言うと順一朗の顔がまるで憔悴したように小鳥には見えた。順二朗そうだ。もしかしたら、自分もそうかもしれない。

 けど、プロデューサーのその頃のことは、小鳥自身あまりよく知らない。彼と2人で呑んだ祭に、酔った勢いで彼の口から漏れて初めて知ったのだ。順一朗が言うように千早の件で彼女自身それが本当のことだと信じたのだ。

 

「三人はやっぱり、詳しくはわからないの?」

「先程も言ったが、別れた後のことを知っているのは黒井だ。例の件に関しても、黒井なら深いところまで知っているに違いない。会ってみるかね?」

「え、黒井社長に会えるの? そもそもミキ達と会ってくれるとは思えないの」

「大丈夫よ。きっと、黒井さんは会ってくれるわ」

「どうしてそう言い切れるのですか、小鳥?」

「あの人も会いたいと思ってるから」

 

 多分ね。と小鳥は最後に付け足した。

 確信はない。けれど、これは女の勘とでも言うのだろうか。プロデューサーさんのことを誰よりも気にかけていたのは順一朗さん達ではなく、黒井さんだと私は思っている。その彼が1番気にかけていたアイドル達と一度は面と向かって会ってみたいと思っているはずだ。それも、いまこのタイミングだからこそ余計に。

 おそらく、彼も薄々今回の一連の騒動に感ずいているに違いない。昔ならともかく、いまなら普通に連絡を取れば会ってくれると小鳥は考えていた。

 

「私としても、黒井と話してほしいと思っているんだ。彼の知らない一面をたくさん聞けるだろうし。私も聞いてみたくもあるが、それはまた別の機会にするよ」

 

 そう言って順一朗さんはスマートフォンを取り出して黒井さんに電話をかけた。時間的には少し迷惑な時間帯だ。それでも、黒井さんは数回のコールで出た。見た感じ少し言い争うような場面があったが、いつもの風景だ。

 

「それじゃ、よろしく頼むよ」

 

 数分後。明日黒井は会ってくれることになった。

 話は終わり、一先ず今日はこれで解散となった。貴音と美希を見送り、小鳥は片付けをして帰りの身支度をしていた。

 夕飯どうしよう。そんなことを考えていると順二朗が声をかけた。

 

「小鳥君、もしやと思うんだが。彼から連絡があったんじゃないかい?」

 

 怒っているわけではない。ただ、普通に尋ねてきた。

 はい、と小鳥は素直に答えた。

 あれは、去年の12月の中旬を過ぎたあたりだろうか。丁度〈リン・ミンメイ〉が現れ、まだ765プロでも彼女のプロデューサーが彼だとは知らない頃だ。

 その電話はまるで監視しているのかのようで、雨が降る中大急ぎで自宅に帰宅し玄関に入った直後に鳴った。スマホの画面に相手の名前はない。未登録の番号で、最初が3桁だからたぶん携帯なのはわかった。

 誰だろうか。

 とりあえず電話に出る。もしもし、尋ねると返ってきたのは知っている声だった。

『……小鳥ちゃん』

「プロデューサーさん? どうしたんですか、こんな時間に……」

 

 外でかけたのだろうか。ばしゃばしゃと雨が降る音が聞こえる。

 しかし、そんなことなど関係なしに内心喜んでいた。なにせ、久しぶりに彼から連絡があり、声が聞けたのが嬉しかったからだ。

 もしかして晩ご飯のお誘いですか? なんて冗談交じりに言おうとしたが、言う前に彼の言葉で言うことはなかった。

 

『もう少しなんだ、小鳥ちゃん。もう少しで、夢が叶うんだ』

「……夢? プロデューサーさん、一体なにを言って」

『あの時、みんなが果たせなかった夢を、俺が叶える。無理だって、無謀だってわかってた。諦めようと何度も思った。けど、実現するんだ』

 

 その言葉で私が彼が何を言っているのかわかった。

 果たせなかった夢。それは、みんなでアイドル音無小鳥をトップアイドルにする。そんな夢。

 けれど、彼の言葉には無理がある。夢を叶えると言ってもそれは私じゃない。アイドル音無小鳥はもう、いない。ならば、誰? きっと、彼は自分がそのアイドルをプロデュースすることで果たそうとしている? 少し考えればわかることだったが、それよりも私は戸惑っていた。

 本当は忘れていたかった。自分の所為で事務所は解散し、みんなが散り散りなったことを。みんなとの関係を引き裂いてしまったことを、忘れたかった。

 でも、違ったのだ。誰よりも傷ついていたのは、思い悩んでいたのは、

 

「プロデューサーさん、そんなこと、しなくていいんです。私が自分で諦めたんです、だから……」

『違うんだ、違うんだよ、小鳥ちゃん』

「え?」

『君の言う通りかもしれない、きっかけはそれだったかもしれない、これは八つ当たりかもしれない。でも、本当の意味で、俺の夢は変わっていないんだ』

「なにを、するつもりなんですか」

『見ていればわかるよ。俺は全部を巻き込んだ。褒められることじゃない、むしろ軽蔑される行為だ。それでも、やり遂げるよ……』

 

 電話は切れてしまった。

 私はその場に座り込み、涙を流した。ただ、一言。

 ごめんなさい。

 聞いて欲しい人に私は届かぬ想いを吐いた。

 小鳥はすべてを話さず簡潔に伝えた。

 

「やはりか。彼も君には何かを言ってきたんじゃないかと思っていたんだ」

「順一朗さんも同じことを思っていたんですか?」

「まあ、薄々と。彼は、小鳥君にはとても優しかったからね」

「言いたくなければ無理にとは言わないよ。彼のことを考えるとね、心配なんだ。彼に聞いてもきっとはぐらかされてしまう。そう思えて直接の連絡は控えていた」

「あの子は、私達にとって息子のような存在だ。だからこそ、心配で仕方ないし不安なんだ。今もそうだが、すべて終わったあとのことが」

 

 順一朗さんの言葉には概ね同意していた。あの人のことが心配なのは一緒だった。でも、終わったあととはどういうことだろうか。小鳥は訊いた。

 

「彼のやっていることが成功するにしろ失敗するにしろ、それが終わったらきっと、あの子はどこかへ消える。そう思えて仕方がないんだよ、私は」

「それって、どういうことですか!」

「これは推測だが、あの子はきっと今までの人生をいまやっていることに注ぎ込んでいる。それこそ、自分がどうなろうが誰かが不幸になろうが関係なしに。だからこそ、すべてが終わったあと彼に残るのはなんだと思う?」

「……わかりません」

「言い方を変えよう。夢を叶えたとする。何が残る?」

「結果とか、ですか? あとは……証とか」

「答えは正解であり間違いだよ」

 

 しれっと言う順一朗に小鳥は不満げに言った。

 

「それ、卑怯ですよ」

「小鳥君の答えは間違いじゃない。ただ、彼の場合は違う。何も残らない」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「それはね、彼の場合そこで終わりだからだよ。月並みだがプロ選手になりたい、ではなった。しかし、そこで終わりじゃない。さらなる鍛錬を積み、勝利をあげなくはならない。だが、彼にはない」

「故に、何も残らなくなった彼はきっと消える。この世界(アイドル業界)から」

 

 二人にはプロデューサーの夢のことを話してはいない。けれど、二人はそれを知っているかのように小鳥は思え、尋ねた。

 

「お二人は、プロデューサーさんのしようとしてることがわかるんですか?」

 

 互いに顔を見て、揃って言った。

 

『もちろん。あの子は、私の息子同然だからね』

 

 

 

 

 

 

 順一朗達の申し出は、いつもの自分なら断っていたに違いない。

 ただ一言。

 断る。

 これだけで済む。しかし、今回はそうしなかったのには理由があった。黒井自身今回は特別だと自分に言い聞かせるぐらいには。

 アイドルアルティメイト。日高舞。どちらも二度と聞くことのない言葉だと思っていた。過去の遺産とも言うべきそれが帰ってきた。腹が立つほどに。

 だが、アレがなければいまの自分はないのも事実。人生とはわからないものだ。時には人の運命すら変える。いや、狂わせる。

 アレにとって、それは確かに己の人生を変える分岐点だったのかもしれない。そういう意味では、この二人はあいつにとって定められていた運命を変えた存在なのかもしれない。黒井は目の前に座る四条貴音と星井美希を見てそんなことを思った。

 ただ、彼にとって意外だったのは四条貴音だけではなく、星井美希もアレにとって重要な存在だとは思ってもいなかったことだろうか。

 

「無駄話をする気はない。何が聞きたい?」

「あの人の、黒井社長と居た頃の話をお聞きしたいのです」

「小鳥達と別れてからの話……です」

「無理に敬語で喋るな。そういうのはアレで慣れているからな」

 

 敬語だったりため口だったり、なんとも奇妙な男だった。出会ったころはちゃんと敬語を使っていたが、いつからだったか。時折ため口で話すことがあったが、別にそれに怒りを覚えたことはなかった。

 

「さて。順一朗達と別れてからだったな」

 

 

 

 

 

 

 

 2000年。その年の半分が過ぎた頃。

 黒井は順一朗達と別れてからすぐに行動を起こした。小さな事務所を構え、あらゆるコネを使って仕事を取った。

 元々独立する気はあった。順一朗達と意見の違いで口論することが多くあり、自分のしたいようにできないことに不満を持っていたからだ。別にあの二人が嫌いではなく、有能だと認めている上での考えだった。ただ、音無に目をかけていたこともあってそれは当分先だと思っていたが、まさかこんな形で実現するとは。

 この時一人の事務員も雇った。名を赤坂と言った。大卒して就活に失敗したらしいが、能力はたしかなものだったので採用した。

 日高舞の引退後のアイドル業界は氷河期に突入したと言ってもよかった。あれが築き上げたものは計り知れないが、残した遺恨の方が大きい。なので、アイドルには手を出さず他の分野に手を伸ばした。

 まず黒井は歌手や俳優、女優といった人材の発掘に手を付けた。以前から目をつけていた人間の引き抜きも視野に入れて。ただ、そちらに最初は専念するため見習いである彼は別の仕事を与えられていた。

 見習いであるが、アレは優秀だ。別れる前からすくすくと成長し、半人前とまではいかないがそれぐらいにはなった。足りないのは経験。テレビ局やコネを使いそっちに派遣させた。

 たとえ独立しても自分の名の影響力は衰えず、見習いであるアレもそれなりに異端の目で見られているのは耳に入っていた。ただ、別の意味でアレは自身の手で名を上げた。

 日々成長しているのか、気付けば面々と向かって番組のプロデューサーやスタッフに意見を言っている。時には抗議し、自ら主導して番組を作り始めた。

 面白い番組を作るのは発想も必要だが、やはり才能なのだろうか。アレには指導者としての素質もあった。

 事務所に所属するアーティストが増えると、アレにも共に仕事をさせた。いや、本格的にプロデューサーらしい仕事をさせたと言うべきか。

 不思議と、こいつが隣に立っていることに安心感を抱き始めた。何かを言わなくてもそれをするし、先に口を出す。嫌な表現であるが熟年の夫婦のようなものに近かった。

 それでも、口論がまったくなかったわけではなかった。意見の違いはちゃんと出た。自分が正しい時もあれば、アレが正しいときもある。順一朗達と別れればそんなことはないと思っていたが、今度はあれが恋しいと思わなくもなかった。

 共に仕事をすることになって、アレの主な担当は補佐のようなものだ。

 黒井の性格はかなり万人受けする方ではない。むしろ、距離を置かれるようなタイプであった。それが影響して所属している人間から不満の声はなくはなかった。それでも、それは性格のみで、仕事に対して不満の声があがることは一度もなかった。

 そんな自分のマイナス面を見習いであるアレが補佐していた。顔だけなら恐がられることは間違いないアレがだ。なんとも不釣り合いであった。だが、評判は悪くなかった。

 一番の年下であるアレは、やはり可愛がられていた。よくアレは私と似ていると言われるが、自分と違って好かれやすい。そこが決定的に違っていると勝手に思っていた。

 そんな時、アレに妙な違和感を感じた。それが何かわからず、プライベートに関しては滅多なことがない限り踏み込む気はないので聞きはしなかったが、あるテレビ局の知り合いから聞いて、驚いた。

 その内容の真意を確かめるべく、私は直球で訊いた。

 

「おい、お前○○局のスタッフと付き合っていると聞いたが、本当か?」

「ええ。付き合ってますよ」

 

 あまりにも淡々と言うので、私の興味は一瞬で失せた。

 

 

 

 

 

 

 プロデューサーに彼女がいた。それを聞いて貴音と美希はさっそくくいついた。

 

「え!? 彼女なんていたの!?」

「むしろなんでいないと思う? アレは一応モテた方だぞ」

「ただ、その……あの方は普通の女性と付き合うような方には見えなかったもので」

「うんうん」

 

 二人の言葉に黒井は褒めた。

 

「ほう。アレのことをちゃんと見る目は持っていたようだな」

「それは、どういうことなのでしょうか?」

「貴様が言った通りだよ。アレは、普通の女と付き合えるような男ではない。その逆もな」

「それってつまり……長く続かなかったってことなの?」

「ああ。たしか……半年はもたなかったはずだった。うちの赤坂、お前達を案内した事務員が聞いたから間違いない。アレは相当の堅物だったからな。人並みの趣味もなく、暇があれば読書かトレーニング、たまに映画鑑賞をしていたぐらいだった」

「意外といまと変わりませんね」

「でも、よくアニメとかゲームも一緒にするよね」

 

 二人の言葉が引っかかる黒井は尋ねた。

 

「一つ聞くが、以前まではアレと普段から共にいたのか? いや、同じ事務所なら当然と言えばそうだが……」

「……どうします?」と貴音が美希に尋ねると美希が言った「いいんじゃない?」

「では、一緒に暮らしてました」

「……ん? いまなんて言った?」

「暮らしてたの。あ、同棲してたわけじゃないよ? 部屋は隣同士だけど」

 

 暮らしてた? 部屋は隣同士? 

 アレは堅物だ。付き合っていた女と別れてから一度も女と交際したとは聞いたことがない。付き合いでクラブなどには何度も行った事はあるだろう。風俗に通っていたとも聞いたことはないし、自ら通うような男でもない。

 黒井は笑った。普段滅多に笑わないが、自分の知らない彼の姿が面白くて声が出る。身内でもなんでもない目の前で座る二人を気にせずに。

 

「笑うほどおかしいのですか?」

「可笑しい? ああ可笑しいとも。あの男を知っている人間なら笑うだろうよ。いいか、あの男は多くの女と共に仕事をしてきた。アイドルや女優、スタッフと数えきれないほどに。それでも、あいつは選ばなかった。共に過ごす時間は誰もが短い。お前らは誰よりも共に過ごした。それだけお前らの事が大事なのだろう。……そうか、だからか」

 

 謎がようやく解けた。

 なぜ、アレが〈リン・ミンメイ〉などという偶像を造りだしたのか。なぜ、最も大事にしているアイドルである四条貴音を使わないのか。

 黒井は、当初からこの一連の騒動が彼によるものだということに気づいていた。もっと前から何かをしようとしていることにも。

 だから、あちこちを転々とアイドルのプロデューサーをした。自分の夢を成就させるアイドルを見つけるために。

 そして、見つけた。四条貴音を。だが違った。いや、違わないのかもしれない。

 誰もが言った。アレは私の後継者だと。認める気もないが、否定する気もない。たしかに似ているだろう。優秀であるところも、冷酷なところも。

 しかし、違ったのだ。アレは、私とは違う。決定的に違うものを持っている。

 だから、最後まで冷酷でいられず〈リン・ミンメイ〉を使った。

 アレは、甘すぎた。自分にとって最も大切なモノに対して。

 

「何かお気づきになられたのですか?」

 

 最後の言葉に貴音が訊いた。

 教えるべきか。いや、伝えることではない。この二人も気付いているはずだ。自分達がどれほどアレに想われているか。

 黒井はいつもの物言いで言い、話を戻した。

 

「いや、なんでもない。さて、どこまで話したか。ああ、アレの女のとこまで話したな。色々と語ってやりたいが、これと言って話題がないな。アレが23か4のときか。その一年、ハリウッド研修の名目でアメリカに渡っていたからな」

「それ聞いたことあるの! でも、詳しい話は聞いたことはないの」

「黒井社長はなにか?」

「知らん」

 

 黒井は首を横に振りながら言った。

 

「月に一度の連絡と報告をしろと言っただけで詳しくは知らん。現にその年は一度もこっちには帰ってこなかった。周りが色々と聞いていたようだったが……」

「……なにかあったの?」」

「いや。アレは決まって、退屈しない一年だった、それだけしか言わなかったそうだ。向こうの知人にも聞いたが、優秀だったと。特に大きなミスや問題も起こしてはいなかったのでな、そこまで追及はしなかった」

 

 二人を見るとあまり満足する内容ではなかったようだ。当然だと黒井は思った。自身ですら、つまらないと当時口に出したほどだ。報告書は至って普通。向こうでアレの面倒を見てもらった知人にも聞いたが、内容は先と変わらず印象的だったのは人気者だった。ただそれだけだった。

 さて、残るのはあの件だけだな。

 話すことがもう限られている。ハリウッドから帰ってきたあと少し経ち、アレはここを去った。そして、少し前のように各地を転々としアイドルをプロデュースしたり、時にはテレビ局で仕事をしたりとしていた。

 その頃の話はあまり話題がない。あるとすれば、あの事件。

 アレが、いまのようになった日。

 そのことを見越したかのように貴音と美希は顔を見合わせ頷き言った。

 

「では、例の件についてお教えくださいませんか?」

「……それが、今回の本題だったな」

「うん」

 

 いままでのはおまけみたいなものだろう。順一朗から言われたのは、あの件について教えてやってくれ、そう頼まれたからだ。

 だから、ここからが本題だ。ただし、聞くにはこの二人は綺麗すぎる。聞かせるのは忍びないと躊躇うぐらいに。

 黒井は再度確認した。

 

「本当に聞きたいか?」

「はい」

「そのために来たの」

「……わかった。話す前に言っておく。私はすべてを知っているわけではない。それでも、私が知っていることは話そう」

 

 

 

 

 

 貴方の秘蔵っ子が面倒な事になっている。そう連絡をよこしたのはよく使っている情報屋からだった。

 いや、正確には悪徳記者のような男だ。元はまともな記者であったが、いつからか転落し汚い仕事をするようになった典型的な男だった。ただ、性格からして真面目な男ではないので当然のような気がしなくもなかった。

 まず、その情報の信頼性を疑ったが向こうもこれで飯を食っている商売人だ。ガセというのはまず考えられなかった。

「面倒なこととはなんだ」黒井は電話越しに尋ねた。「貴方も知ってるでしょうが、彼いま○○事務所でプロデューサーやってるでしょ? その新人アイドルが、○○局のお偉いさんの目に留まったらしいんですよ。まあ、今時そんな事は日常茶飯事なようなものですがね」

 そのお偉いさんというのは知っている。自身の地位を利用してアレコレ好き放題しているとは耳にしたことがある。なんでも、彼主催のパーティーをよく開いているそうだ。

 実際、黒井はその男からのお誘いが来たことがあった。贔屓目に見ても961プロダクションは今後さらに飛躍する芸能事務所。その社長である黒井は優秀な男だ。それを引き込もうとする人間は多い。

 だが、黒井はそれを一蹴した。彼からすればまったく興味のないことだからだ。

 

「で、それを私に伝えてどうする?」

『別に。金が欲しいわけじゃないんですよ。ただ、これはいつも利用してもらっているサービスみたいなもんです』

 

 追加で場所と開催されるおおよその時間を伝え電話は切れた。

 黒井は携帯を取出し、ある人間に連絡を取った。

 それは彼の護衛件掃除屋であった。信頼できるルートからそれを紹介してもらい、961プロがそれなりの規模になってから雇った者達だった。

 以前は見習いであるアレがいればそんなことを考えなかったが、だいぶ前から妙な寒気や視線を感じることがあった。危機感というやつだろうか。自分が敵を作ることは自覚している。そのための護衛だった。

 そして、発信から数コールで相手は出た。

 

『なんでしょうか』

「仕事だ」

『わかりました。声の感じから察するに、掃除道具は必要になりますか?』

「……一応用意しておけ」

『いつもとは違うように感じますが、なにか?』

「今回は後片付けになるかもしれん。ただ、それだけだ」

『了解いたしました。いつお迎えにいけばよろしいでしょうか』

 

 言われて時計を見た。お昼過ぎだ。おそらく、例のパーティーは夜。場所と時間は先程の情報通りなら問題はないだろう。

 情報をそのまま伝えると彼はわかりましたと言うだけ言って電話は切れた。

 息を吐きながら椅子に背中を預ける。

 存外、まだ甘いな。私も。

 アレならば問題はない。そう言い切れるのだが、どうしてか心配でしょうがない。

 黒井は内線で赤坂を呼んだ。

 

『どうかしたんですか、社長』

「少し仮眠を取る。後の対応は任せる」

『わかりました。では、数時間後に起こしに行きますから』

 

 赤坂とは長い付き合いになる。こうして仮眠を取ると言えばだいたい決まった時間に起こしに来る。何だかんだで頼りになる女だ。

 黒井はゆっくりと瞼を閉じた。

 夜まで長い。最悪の事態を想定しながら彼は眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 ボディーガードの一人である男の運転で六本木のある場所に来ていた。車の外には二人が周囲を警戒しながら立っている。

 ここに着いたのは先程。予定の時間より少し早くに着いたが、まだ状況は分かっていない。

 すると、スモークガラスの窓をコンコンと叩く音が聞こえ、10㎝ほど窓を開けると彼らのリーダーである斉藤が残念な報告をしてきた。

 

「どうやら少し遅かったようです」

「続けろ」

「幸い、死人は出ておりませんが間一髪でした。一体どこから手に入れたのか、銃を持っていました」

「なに? すると、撃ったのか?」

「のようです。ご丁寧にサイレンサーをつけて。いまは部下に見張らせておりますが、いかがしますか?」

 

 アレがどこから銃などを入手したかはどうでもよかった。いまはとにかく詳しい状況が知りたい。

 

「私もいく。案内しろ」

「わかりました」

 

 建物に入り、エレベーターに乗る。歓楽街だけあって華があり綺麗な場所だ。ただ、時間の割には静かすぎると感じる。

 目的の階につくと護衛の一人が立って斉藤が尋ねた。

 

「状況は?」

「いえ、変わっていません。女の子と一緒です」

「女? まさか……来たのか」

 

 思わず口に出した。

 黒井にとってそれは驚きだった。なにせ、自分のアイドルが枕営業などという下衆な誘いを受け、それに怒ったからと思っていたからだ。

 よく考えればそれだけだったらここまではしないと気付く。アイドルがここに来たから、いや、来てしまったからこうなってしまった。

 中に入れば大勢の人間がいた形跡がある。素直に同情する。ただ、アレを怒らせるとこうなるのか。普段からは想像できんな。

 感情は人並みだと勝手に認識しているし、ただ年相応の対応をするかと言われると違うのだ、アレは。初めて会ってから今日まで、世間的にはまだ社会に出ばかりの子供に近いというのが世の認識だろうがアレは最初から大人だった。いや言いかえれば大人の振りをしている子供になるのだろうが、私には大人のような子供と認識していた。初対面の人間なら20代には思われないだろうし、そう自分が感じるのは本当の年齢を知っているからだろう。

 周りには対応も素振りも大人そのもの。近い人間には年相応の大人のような子供。性格は優しい方だろう。顔は怖いが残忍な人間ではない。

 だからこそ、ここまでするとは思わなかった。まして本物の銃を持ち、本当に発砲するとは。

 順一朗達が知れば悲しむだろうな。まあ、言わんが。

 少し歩き、社長室にあるソファーよりも高そうなそれに座る二人がいた。女はまだ泣いている。

 二人の服装は偉く対称的だった。アレは目立たないようにか全身を黒で統一し、顔を隠す気でもあったのか上着にはフードがついていた。担当のアイドルらしき女は、まさに男を誘惑しそうな服だった。肌の多くが露出し、見えるか見えないような際どいラインの服。年はまだ未成年だったはずだ。分かっていてそういう服を着させたのだろう。ああいう輩はどうせ更衣室に隠しカメラでも置いてあるに違いない。

 それを含めて周りの掃除を斉藤に命じ、久しぶりに私は対面で話した。いや、その前にアレが口を出した。

 

「なんで、邪魔をした」

 

 ギロリと私を睨む。これも初めてのことだった。

 

「答える気はない」

「ッ!」

「……それはどうするつもりだ。もうアイドルは無理だろう」

「アンタには関係ない」

 

 怒る気はないが、会話にならかった。おそらくどんなことを言っても突っぱねてくるのは目に見えた。

 視線をずらし、近くで倒れている小太りの男をみた。例のテレビ局の男だ。左足の太ももから血の跡が。いまは部下たちが一応手当をしていた。

 

「これの片付けは私がやっておこう。お前には無理だ」

「……俺が感謝するとでも?」

「礼が欲しい男に見えるか? 今のお前にはできないことをやってやるだけだ。それと、それは何だ?」

 

 アレの隣には何かの帳簿のようなものがあった。ここには似つかわしくないモノで気になった。素直に言うとは思わなかったが、意外なことに答えた。

 

「アンタが来る前に問い詰めて手に入れた……リスト」

「顧客のか」

「ええ。参加している人間から薬の売買、それと……この子のような人間の名前が入ったものまで。警察が欲しがるようなやつですよ」

「それをどうするつもりだ?」

「どうするかって? アンタがやってきたように、利用するだけだ! これに載ってる人間、ここにいたあいつらの顔はしっかりと覚えている。どんな手を使っても死ぬまで利用してやる」

「……まさか、正義のヒーローにでもなったつもりか?」

「ヒーロー? 俺が? 馬鹿馬鹿しい」

 

 もういいでしょ、そう言ってアレは女とここを離れた。擦れ違いに聞こえた、「ごめんなさい」と女が何度も言っていたのは妙に頭に残った

 そのあとは、本当にいつも通りの手順で処理をした。テレビ局の男は一応生きている。ただ、社会的には死んだ。警察にも一応伝手はあり、それを使って秘密裏に身柄は引き渡した。少し面倒だったのがアレが撃ったことだが、そこはまあなんとかした。

 世間的には薬物、違法売買の線で手を打った。男が所属したテレビ局も当分はデカい顔はできないだろう。

 後日。アレが私のとこに頭を下げに来てこう言った。

「この子のことを、お願いします」

 所属していた事務所には置いておけない、そう判断したのだろう。黒井は一言返事でそれを了承した。以後、彼女はアイドルとしてではなく歌手としての道を歩み始めた。

 そして、これを最後にアレと直接会うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 包み隠さず、とまではいかないが知っている限りのことを貴音と美希に教えた黒井は、コーヒーを一口飲んで落ち着き、試すような言い方をした。

 

「で、どうだ? アレの汚い一面を知って」

「……汚い、そうですね。周りから見れば許される行為じゃないのでしょう。ですが、あの方はいまと何一つ変わっておりません」

「変わっていない? アレが?」

「うん。いつでもあの人は私達アイドルのことを大事にしてる。響や千早さんのときもそう。きっと誰よりも心配して、怒ってたと思う」

「黒井社長が仰るようにあの方の手段を誰もが汚いと、卑劣と罵声を浴びせようとも、わたくし達はあの方の隣に立ちます。それは、あの方がわたくし達アイドルのために行っているからです。わたくし達は彼を知っています。誰よりも理解し、常にあの方の味方でいる、そう決意しています」

「だから、わかるの。あの人は……きっと、辛いんだって」

「辛い? アレは、どんな手を使ってもやり遂げようとしている男だぞ。そんな男がなぜ辛いと言える?」

「わたくし達は、あの方の知らない時を知ることができました。だからこそ、わかったのです。あの方は……きっと、黒井社長や小鳥達と出会った時から変わっていないのですよ」

「あの時から変わっていない、か。想像できんな」

「そう思うのは仕方がないの。ミキ達だって憶測にしか過ぎない。けど、そう思っちゃうんだ」

「辛いというのは適確な表現ではないのかもしれません。ですが、生きてきた時間の半分を捧げる。たしかにそれは、あの方が願ったことのなのでしょう。しかし、気付けばいつしかそれが生きていく上で切り捨てることのできないものになっている。これはもう、呪いではないでしょうか?」

「呪いか。言い得て妙なだな。いや、その通りかもしれないな。アレにとってこの世界に入った時点で逃れられない運命だったのかもしれん」

 

 飲んでいたコーヒーが終わった。そろそろ潮時だな。意外と、有意義な時間だったと黒井は満足していた。

 それと、この二人に会わすべき人間を待たせていることを思いだした。

 

「さて。私が話すべきことはもうない。それと、ここに来たついでというわけではないが、お前達に会わせておきたい人間がいる」

「わたくし達に、ですか?」

「それは誰なの?」

 

 ソファーから立ち上がり、受話器を手に取りながら黒井は答えた。

 

「アレが、最初に担当したアイドルだよ」

 

 

 

 

 

 黒井社長からの連絡は、わたしにとってはあまり興味の引く内容ではなかった。それもそうだろう。相手は赤の他人で、名前は知っているが直接会ったことも、仕事で共演したこともないからだ。

 しかし社長はそれを見越して、『アレが特に気にかけているアイドルだぞ?』と挑発するように言ってきた。

 ただ、それはたしかにわたしにとって無視できない内容だった。

 あの人が気にかけているアイドル。それはあの人を惹きつける何かを持っていることのだから。だから、会ってみることにした。一体どんな子なのか。ある意味楽しみで仕方がなかった。

 待ち合わせの日。事務所の一室でわたしは待っていた。

 先に社長と会うらしいので待っている間は適当に時間を潰していた。そこに赤坂さんがやってきて、二人の女の子を連れてきた。

 やられた、とすぐに思った。たしかに社長は一人とは言っていなかったからだ。

 やってきた女の子二人は知らない顔ではなかった。765プロダクションのアイドル。四条貴音と星井美希。二人とも人気のアイドルのはずだ。

 わたしから見ても、やっぱり可愛くてあの人が惹き付けられるのも分かる気がした。

 赤坂さんが部屋を出て、わたしはとりあえず自己紹介をした。

 

「はじめまして、になるのよね」

「そうなります」

「えーと、はじめましてなの」

「わたしのことは気軽にお姉さんでいいわよ」

 

 戸惑う二人に構わず、彼女は笑みを浮かべてこの状況を楽しんでいた。

 

「ゆっくり話をしたいところなんだけど、あまり時間がないの。だから、聞いてもいいかしら?」

 

 二人はそれに肯定して頷いた。

 

「ありがとう。じゃあ、単刀直入に聞くけど、貴方達はプロデューサーさんの素顔ってみたことある?」

 

 

 

 

 

 

 その質問に、貴音はすぐに、「はい」と答えた。すると今度は、「頻度は?」と尋ねてきた。

 これには一瞬迷い、美希に視線を向けた。半同棲していたことを教えてもよいか、それの確認をするためだった。

 美希はそこまで悩まなかったのかすぐに肯定して返事をしたので、隠さず伝えた。

 

「共に暮らす様になってからは、家の中ではサングラスを外しておりました」

「……暮らしていたって」

「ああ、えーと、部屋が隣同士だったの。それで、ミキ達が入り浸ってたっていう話、かな?」

 

 彼女はとても羨ましそうな目でこちらを見た。その瞳には怒りや憎しみの感情は感じられなかった。それを見て貴音は気付いた。ああ、この人もあの方のことを思っていたのですね。そうでなければ、そんな目をする筈はない。

 続けて彼女は言った。

 

「はははっ。そう、あの人がそれを許すってことは、それだけあなた達のことが好きなのね」

「そう、かもしれないです。ですが、どうしてこのような質問を?」

「たしかに、素顔のあの人を知っている人は少ないと思うけど……」

「そうよね。でも、その前にもう一つ聞くわね。社長から話を聞いて、それでもプロデューサーさんのことを今と昔で変わってないって思ってる?」

『はい』

 

 二人は同時に答えた。

 

「でもね。わたしは変わったって思ってる。あなた達が知るようにプロデューサーさんの本質は変わってないんだと思う。けど、わたしだけが変わったって言い切れることがあるの」

「それは一体?」

「わたしのことも聞いたと思うけど、あれからなの。プロデューサーさんがサングラスをし始めたの。それとタバコもね」

「タバコはもっと前から吸っていると思っていたの」

「そう思うのは仕方ないもん。見た目がね? わたしだって最初はそんな印象抱いてたもの」

「して、サングラスに何か意味があるのですか?」

 

 聞くと、彼女から笑みが消え真剣な眼差しで言った。

 

「あれはね、仮面なの。わたしが勝手に思ってることだけど。あの一件以来、プロデューサーさんはサングラスをかけて、タバコも吸い始めた。まるで、何かを演じるかのように。そう思うのには理由があるの。あれ以来わたしは961に移籍して、彼とも会う頻度はかなり減った。それでも、心配だったのかたまには仕事先に会いに来たりしてくれたの。でも、プロデューサーさんはわたしの前ですら、サングラスをつけたままだった」

 

 タバコは吸わなかったけどねと彼女は苦笑した。

 なるほどと貴音は思った。彼女の言う通りならば、たしかに自分達の考えは少し違っているのかもしれない。サングラスが仮面というのはやけに納得できる。

 それでも、わたくし達の前ではサングラスをつけていようと変わらなかった、そんな気がするのだ。

 

「だから、わたしはあなた達が羨ましいの。本当の自分をさらけ出せることができるあなた達が。わたしにはできなかったから。ううん、わたしがそうさせてしまった。これはきっと……罰ね」

「……貴方のことは今日知りました。あの方は昔の話はあまり話してはくれませんでしたから。けれど、それでも分かったことがあります」

「それはなに?」

「貴方が何を思おうと、あの方にとって貴方は最初に担当したアイドル。かけがえのない存在だと、わたくしは思います」

 

 目を見開き、俯いてそっと目元の涙を拭いとるのが見えた。そうかなと尋ねてきたので、そうですよと答えた。救われたと言えばいいのだろうか。貴音にはわからなかった。

 そして、彼女は再び今度は貴音を見て言った。

 

「ほんと、貴方が羨ましいわ」

 

 わたくしだって羨ましい。貴音は静かな嫉妬を彼女に抱いた。

 自分は何番目かのアイドル。けど、貴方は一番最初に担当したアイドル。そんな些細な称号がすごく羨ましいと思えてしまう。

 自分も女だ。嫉妬だってする。

 大人の女性だと見てわかる。自分にはない魅力がある。

 当時もきっと今以上にアイドルとして輝くはずだったに違いない。けど、それは潰されてしまった。あの方があんなことをしでかすぐらいに、貴方のことが大事なのだと。

 けど、わたくしだって負けていない。

 あの方を思う気持ちは絶対に。

 少しして、落ち着いた彼女が2人に意外な質問をした。

 

「ねえ。あなた達はプロデューサーさんこと、愛してる?」

「愛してます」

「愛してるの」

 

 わたくしと美希は当然のように答えた。

 彼女は微笑みながら、よかったと言った。その言葉の意味は、正直わからなかった。

 それから、数十分ほど短い時間だが彼女と話をして、2人は961プロを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 自宅へ向かうタクシーの車内。美希は貴音に言った。

 

「綺麗な人だったね」

「ええ。とても」

「アイドルだった頃は、ミキ達みたいに可愛かったんだろうなあ」

「ふふっ。そうですね」

 

 今日だけで多くのことを知った。知らないことを沢山聞けた。それだけでも、意味があった。

 そして、ミキ達がどうすべきかも。きっと貴音もそれに気付いてるだろう。

 

「貴音。もう貴音がどうすべきか、わかったよね?」

「はい。すべてを終わらせるため、わたくしの想いを伝えるためにも」

「じゃあ、出るんだね。〈アイドルアルティメイト〉に」

 

 今までに見せたことのない顔をして頷いた。

 これはいわゆる、覚悟を決めたというやつだろうか。

 まあ、いい。貴音が決めたなら、ミキも自分のすべきことを果たさなければならない。

 けど、その前に確かめなければいけないことがある。

 美希は運転手にタクシーを止めさせるように言うと、タクシーは安全運転を維持しながら車は停まり、外に出た。

 

「美希? どうかしたのですか?」

「ごめん、貴音。ちょっと寄る所があるから先に帰ってて。あ、ご飯は先に作っていいから」

「わかりました。では、また後ほど」

「うん」

 

 タクシーが走り出すのを見送り、美希も歩き出した。

 さて、まずは出てくれないと始まらないんだけど。

 バッグからスマホを取りだし、指紋認証でロックを解除。電話の履歴からかつて頻繁にかけた番号を押す。

 ほどなく、聞きなれた電子音声が告げた。

『おかけになった電話番号は、現在―』

 すぐ切ってもう一度かけなおす。

『おかけ――』

 もう一度。

 また駄目か。もう一度かけなおそうとした時、

 

『なんだ』

 

 怒っているのか、不機嫌そうな声だった。

 それなのに美希の口の端が吊り上がりにやりと笑みを浮かべて言った。

 

「ちょっと、今から会ってほしいの」

 

 

 

 

 

 

 都内にある公園に一人の男――プロデューサーが歩いていた。

 片手をポケットに入れ、周囲を寄せ付けまいという雰囲気を纏いながら歩く。傍から見れば裏稼業の人間が歩いてるようなものだったが、幸い今は誰もいなかった。

 彼にとって、ここは馴染みのある場所だった。美希と初めてデートした場所であり、それからも外に出る時は決まってここを訪れていた。時には貴音と三人でのんびりと散歩をしている時もあった。

 そして、もう二度と訪れる気はない場所でもあった。

『どうせ時間なんて作れるでしょ? いまからいつもの公園で待ってるの、じゃあね』

 文句の一言も言わせずあいつは電話を切った。

 それで余計にイライラしているのもあったが、極めつけはアイツだ。

(昔の女からの電話ですかな~?)

 当てずっぽうだ。だが、アレの場合は直感に近くよく当たる。

 さらに、タイミングよくその時間は空いていたのもあって、もう一度美希に忠告するためにここにやってきた。

 二度と電話をしてくるな。そう一言言って去ればいい。

 だがそこで、ふと足が止まる。

 

「ああ、そうだったな」

 

 既視感を、感じていた。ここに訪れてから。それがなんなのかようやくわかった。

 かつて、美希にしたことと同じことをされたのだ。

(だが、それがどうした)

 そんなことに気づいたからといって、俺が今更諦めるのか? 答えはノーだ。止まるな、前を見ろ、進み続けろと頭の中で誰かが警告する。だから、やめない。まだ、始まったばかりだ。

 少しして彼は公園の池を渡る橋の中央で手すりに肘をつき、その場で待った。

 カモ、いないな。

 反対側にいるのだろうか。振り返って済むことだが、そんな気はなかった。ただ待っているのも退屈で、タバコでも吸おうと思って胸のポケットに手を伸ばす。が、ない。事務所で吸ったのが最後だったようだ。

 自分に呆れながら舌打ちをして、また池を眺める。

 すると、近くで人の気配がする。その方向に首を動かし、視線を向けた。

 美希だ。

 まだ寒さが残るのにも関わらず、下はスカートにタイツ。女というのはどこでもおしゃれを気にするらしい。少し前で何度も思い、口に出したことをまた、俺は繰り返した。

 まあいい。さっさと一言言って帰れば、

 

「こっちを見ないで。そのまま池の方を向いてて」

 

 言う前に相手が先制してきた。渋々首を前に向け、また目には池が映る。

 足音からして美希は自分の反対側に立っている。池を向いているのか、それともこっちを向いているのかはわからないが。

 小さな呼吸をする音が聞こえ、そのまま美希が言った。

 

「たぶん、話す気はないと思ってる。けど、一つだけ答えて欲しいことがあるの」

 

 一つだけならいい。そう思って言ってやった。

 

「……なんだ」

「ここで、ミキに言った事……覚えてるよね?」

「っ」

 

 忘れるわけがなかった。忘れることなんてできるわけなかった。

 ――今から嘘はつかない。

 その言葉は、ずっと呪いのように続いていた。

 765プロにいる間はちゃんとお前をキラキラさせる。そう約束し、そのための誓いだった。けど、それはだんだんと続いていた。美希だけじゃない。貴音にも嘘をつかない。

 どうしてそうなったのだろうか。

 気付いているはずだ。けど、言わなかっただけだ。

 なぜ? どうしよもなく恐かったからだ。自分が、俺が必死に叶えようとしている夢を諦めてしまうのではないか。今まで散々忘れていた、頭からどこか遠くに行っていた欲求を2人に求めてしまうのではないか。今日まで積み上げていたものを捨ててしまう。それが恐かった。

 ああ、最悪だ。

 たった一言で理性が崩壊してしまいそうになる。まさか、それを見越してそんなことを言ってきたのか?

 それでも、なんとか平静を保ち答えた。

 

「ああ、覚えている」

「それを聞いて安心したの。用はこれで終わり。じゃあね」

 

 しれっとした言い方で美希は来た道を戻り始めた。

 プロデューサーはまさか本当に一言言って立ち去るとは思っておらず面を食らっていた。

 もっとこう、色々聞いてくると思っていた。なんで、あんなことをしたのとか、本当のことを話してとか。どんなことをしてでも問い詰めてくるのではと。

 しかし、実際はその逆だった。本当に聞きたいことだけ聞いて終わってしまった。

 なら、それでいいではないか。彼も開き直った。余計なことを聞いてくるより全然マシだ。もうここに用はない。

 プロデューサーもその場から立ち去ろうとした時、後ろで美希が「あ、そうだ」と何かを思い出したかのような素振りをしながら言った。

 

「言い忘れたけど。貴音を選ばなかったこと、後悔しないでね」

 

 思わず足を止め美希の方へ振り向いた。彼女はこちらのことなど興味ないのかそのまま歩き去っていく。

 手に無駄な力が入る。爪が食い込んで血が流れるが痛みなど感じなかった。

 後悔なんて、するわけがない。

 そんな資格など持ち合わせていない。

 俺は、自分から手放したのだ。

 

「タバコ、買っていくか」

 

 とにかくいまは何も考えたくない。何かに逃げるようにプロデューサーはタバコが吸いたくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 貴音と別れた美希はその足で765プロへと向かった。

 道中、小鳥に連絡し会長に社長、赤羽根Pと律子さんも呼んでほしいと連絡した。伝えたいことがあるからと。

 小鳥は何も言わずそれを受け入れてくれたので助かった。

 事務所に着くと、765プロの仲間達とすれ違う。軽くあいさつして会長の部屋に向かう。

 扉を開けるとすでに呼んでいた全員が集まっていた。

 

「ミキの我儘を聞いてもらってごめんなの」

「それは構わないよ。会長といっても暇だからね」

 

 順一朗の一言にぎろりと睨みつけるように視線を向ける者がいた。あえて言うまい。美希がその光景に苦笑していると赤羽根が聞いてきた。

 

「ところで美希。話ってなんなんだ? それに律子もだなんて」

「まあ、なんとなく察しはついてるんだけど」

「それにはちゃんと理由があるの。ミキね――」

 

 すぅーと大きく深呼吸。

 よし。

 

「アイドル活動を少し休みたいの。できれば今年一杯」

 

 すぐに反応をしたのは予想通り赤羽根Pと律子さんだ。あと三人はミキが言おうとしていたことがわかっていたのか、そこまで大きな反応はしなかった。せいぜい、『やっぱりか』みたいな感じで。

 赤羽根と律子を落ち着かせながら順一朗が尋ねた。

 

「それは、貴音君のためだね?」

「うん。いまのミキの立場で一年活動を休止するなんて無理だってわかってる。最低限、レギュラー番組と絶対に必要な仕事はするの。それでも貴音の傍で……プロデューサーとして立っていたいの」

「美希の言いたいことはわかる。けど、美希が本当にやらなきゃいけないことなのか? 律子はほぼアイドルに専念してるけど、それでも俺だってプロデューサーだ。信頼してほしい」

「赤羽根Pの言う通り。なにも美希がそこまでする必要なんてないじゃない。それに、プロデューサーという仕事は思っているより大変なの」

 

 二人の言うことは間違っていない。

 それでも、美希にはそれをやってのける自信があった。

 

「プロデューサーがどんな仕事をするか、それは一番……じゃないけど、あの人の傍で見てきたからわかる。口だけならなんとでも言えるよ? でも、こればかりはミキを信じて欲しいの」

「美希……あなたはどうしてそこまで」

「果たさなきゃいけないことがあるの。貴音がそれを成すためにミキが手伝う。他の人じゃだめなの」

 

 今までに見たことのない美希を見て驚きを隠せない赤羽根と律子。本当にこれがあの星井美希なのかと錯覚している。そうまでして彼女がここまでするのか、それが分かる小鳥が言った。

 

「あの二人に勝つためなの? 美希ちゃん」

「半分そうで、半分違う。目的の一つではあるの」

「昔と違い今回の〈アイドルアルティメイト〉は荒れるよ。多くのAランクアイドル達が立ちはだかる。貴音君も負けてはいないだろう。しかし、必ずしも勝てるとは言えないのではないかな?」

 

 順二郎が真剣な顔つきで美希に問う。

 

「三人ならわかるでしょ。その程度で負けるようなら、あの二人には勝てないって」

「ああそうとも。だから聞こう。勝算があるのかね?」

「……仮に。もし、仮にミキがあの二人と勝負するとして、勝てはしないけど負けるとは思ってないの」

 

 嘘じゃない。

 実際に日高舞の当時の映像、〈リン・ミンメイ〉のライブ中継を見てシミュレーションした結果、そうなった。不確定要素である現在の日高舞の実力がどれほどのものかがわからないが、それでも似たような結果になるのではと思っている。

 ただそれも、本気でライブバトルに挑む場合の話だ。持てる力の限り、自分の限界を超えるためにその日までトレーニングをすることだろう。

 まあ、あの人が傍にいるならもっとよゆーだと、美希はどこからか湧く勝利を確信していた。

 

「そこまでの自信があるとは! さすが我が765プロのエースだね! しかし、実際のところ貴音君に勝算はあるのかね?」

 

 誰もが美希を見た。

 彼女は胸を張って答えた。

 

「勝算なんて関係ないの。ミキ達は必ず最後の舞台(ステージ)に立つ。それ以外に興味はないし、意味がないの」

「意味がない、か。わかった、俺からは何も言わないよ。律子はどうだ?」

「私も同意見です。ここまで言われたら、何も言えませんよ。でも、美希。さっきも言ったけどプロデューサー業は大変よ?」

「大丈夫なの。律子さんにだってできたんだから、ミキだってできるの」

 

 律子は怒るどころか肩をすくめて呆れながら美希の言葉に同意した。

 

「決まりだね。では、いまある仕事を片付けてから貴音君のプロデューサーとして活動するということで。細かい調整は頼んだよ、赤羽根P」

「わかりました」

「では、解散としよう。まだ仕事が残っている者もいるだろうしね」

 

 順二郎の言葉でまず赤羽根と律子が退出した。それに続くように美希も部屋を出て行くところを、小鳥が呼び止めた。

 

「ねえ、美希ちゃん。どうして、あなた達は二人はやろうとするの? 今回のことはプロデューサーさんが原因だってわかってる。うまく言えないけど、そんなあの人と争うためにするの?」

「争うとか、見返すとかじゃないの。あの人に伝えたいことがあて、教えてあげることがあるの」

「それって、なに?」

「それは秘密なの。けど、小鳥にはわかるんじゃないかな」

 

 美希が言うと小鳥は少し思い悩んだ。胸に手を当てながら、彼女はいままで口に出せなかったことを恐る恐る尋ねた。

 

「美希ちゃんは、プロデューサーのこと好き、なのね」

「うん、愛してる」

 

 アイドルとしてではなく、一人の女の顔をしながら美希は力強く、優しい声で伝えた。

 目の前の光景を見た蚊帳の外であった順一朗と順二郎は互いに顔を見合わせながら言う。

 

「私達、影が薄いのかな」

「薄くはないだろうな。たぶん」

 

 

 

 

 

 美希と別れたあと、自宅に帰宅して一時間ほど時間を潰した。

 そろそろ時間も時間なので夕飯を作り始める。まず冷蔵庫の中身を見た。とりあえず、野菜が一杯残っていたので野菜炒めを作ることに。

 まあ肉はないですが今回はいいことにしましょう。

 まず、キャベツとざく切りにしたにんじんを短冊に切る。フライパンに油を敷いて先ににんじんを炒める。そのあとにキャベツを投入。あとは適当に味付けをして完成だが、これでは味気ない。

 火を弱火にしてもう一度冷蔵庫を確認。なんと、もやしがあるではないですか。これはやよいもにっこりです。

 では、もやしがあったのでそれを入れて……。

(ああ、やってしまいました)

 二人分にしては量が多いことに完成してから気付いてしまった。日々の習慣でいつも三人分を目安につくっていたからだ。

 肩を落としながら大きめのお皿に盛りつけておく。

 美希はもう帰ってくる頃だと思うので食べないで待つことにする。とりあえず暇なのでサッシを開けて外に出る。

(なんだか、昔に戻ったようです)

 ここに住む前、以前暮らしていた場所では常に一人だった。起きるのも一人で、ご飯を作って食べるのも一人。仕事から帰ってきても迎えてくれる人などいなかった。

 それが、今まではあの人が、美希がいるようになった。それが当たり前の生活になっていた。なんだかで、振りきれていないことに貴音は気付いた。

 現に料理中も自然と彼好みの味付けをしている。頭の中でどう考えようが、今までの暮らしが身体にこれでもかと染みついているのだ。

 忘れられるわけがないのです。当然だ。彼を心から愛している。

 けど、しばらくはかつてのように話すことも、触れ合うこともできない。それはわかっている。

(戦うべきは、己の心)

 美希にも言われた。自分は弱い女ではないはずだ。ただ、待っているだけの小娘ではないはずだ。

 この先、彼がいる場所にはきっとあの二人がいることだろう。

 日高舞と〈リン・ミンメイ〉

 なにかと、因縁のある相手ということになるのだろうか。しかし、自分がやるべきことは戦う事ではない。

 彼にこの想いを伝えるため。

 彼と一緒に向き合うため。

 そのためには多くのアイドル達と競わなければいけないのは避けられないことだ。知っている者達と競い合うことだろう。けれど、負けられない。負けるわけにはいかないから。

 すると後ろで玄関が開く音が聞こえ、『ただいまなのー』と美希の声が届いた。

 ようやく夕飯の時間ですか。いい感じにお腹が空いてきたところです。

 それにこれからのことを話しあわなくてはならない。長い夕食になりそうだ。

 貴音は部屋に戻ってサッシを閉めようとしてふと、空を見上げた。ここはよく月が見えるが、

 

「貴音ー? どうかしたのー?」

「いえ。なんでもありませんよ」

 

 言いながら貴音はサッシを閉めた。

 残念ながら今日は雲がかかって月は見えなかった。まるで、誰かを例えるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 更衣室にはたった二つしかないロッカーがあり、その内一つが私のものだ。

 この更衣室は事務所で女二人が使うには十分すぎる広さではあるが、建物が古いのか少し薄汚れている。普通の女子ながら『汚いんですけどー』と言うだろうが、私はそんなことに一々気にしたりはしなかった。

 着ていた仕事着を脱いでハンガーに通す。この部屋にポツンと置いてある安物のパイプハンガーに吊るしておく。

 安物はすぐに下のパイプが外れるのがイヤ。外れると元に戻すのがめんどくさいし、とにかくストレスが溜まる。

 こういう所にもっとお金を使えばいいのにと思わなくもないが、きっとすぐに『必要ない』の一言で片づけられる。

 

「こちとら、話題沸騰のアイドルだぞ! ぷんすか! ……いや、ぷんすかってなんか変だわ」

 

 一人で寒いツッコミをしながらロッカーにある自分の私服に着替える。

 これでアイドル〈リン・ミンメイ〉から、ただの女の子『飯島命』に戻る。

 命は更衣室を出た。

 速水社長と早瀬さんはもう帰ってるから部屋には彼しかいないはずだ。部屋を見渡すと、ソファーから足がはみ出ているのが見えた。

 そろり、そろりとつま先で音を立てずに忍び寄る。そこに仰向けで寝ているプロデューサーがいた。

(仮眠、かな)

 彼がここやホテルで寝泊まりをしているのは知っている。ただ、家があるかは知らない。いや、あるのだろうがなぜか帰っていない。

 女でもいるのだろうかと命は疑ったが、それにしては何か変だなと感じ取っていた。

 それは前々から感じてはいたことだったが今日になって気付いたことがある。

 今日の三時頃だっただろうか。彼のスマホに連絡が着て、『なんだ』と言ってすぐに電話が切れた。命はいつものように、

(なになに? 女から電話ー?)

(……少し出てくる)

(え、ちょっと! このあとの送迎は!?)

(社長に頼む。何かあれば連絡をよこせ)

 仕事は別に問題はない。あるとすれば移動手段だけだ。いつもこれでもかというぐらいに〈リン・ミンメイ〉の情報を与えまいと厳重にしていたからだ。

 そのくせ帰ってみれば、一人ソファーで寝ているのはちょっとどうなのかなと思う訳です。

 

「私の存在に気づかないってことは……なんかあったのかね、これは」

 

 常に誰かの気配に敏感な彼なら事務所の入り口に入る辺りで起きているはず。それがここまで深く眠っているとなると、何かあったのではと勘繰りたくもなる。

 実際、気になるだけでそこまで詮索をする気もないのも事実ではある

 私達の関係はかっこよく言うならビジネス。もっとシンプルに言うなら利害の一致。ただまあ、どちらかと言うとかなり私情が絡んでいるのもたしかだ。

 命には何もなかった。やりたいことや目標、夢なんて大それたものなんて持っていなかった。やろうと思えばなんでもできたというのもあるが、ただ興味がなかったのかもしれない。

 彼との出会いは偶然だ。しかし、彼からしてみれば運命なのかもしれない。私としてはこの出会いはきっと必然なのだ。

 そうでなければあまりにも、この人がかわいそうだ。

 私と出会わなければこうはならなかっただろう。その代り彼が満たされることはけしてない。残酷な話だ。

 私達は共犯者だ。だから私は彼を相棒と呼ぶ。彼はあんまり好きじゃないらしいが構わず呼んでいる。

 命はその共犯者の顔をじっと見つめた。

(にしても、素顔ぐらい見せてくれたいいのに)

 こういうところが可愛くない。

 右腕で顔を覆っているので鼻から下は見れるが、肝心の目が見えないので全体像が見えて来ない。

 ポケットに入っているiPhoneを取りだす。時間はもう夜の9時を過ぎている。女一人がこの街を出歩くのは正直怖い。

(あ、そうだ)

 ならいっそ、彼の寝起きを撮ってやろう。

 そう思い命は一先ず事務所に留まることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き

【音無小鳥】

 頑張ればヒロインになれた存在

【高木順一朗】

 現状765プロの会長という立場になっている

 たぶん、いま先代社長のこと知っている新人Pは少ないと思われる

【高木順二朗】

 以前と変わりなく765プロの社長

【39プロジェクト】

 ようはミリオンライブ(紬と歌織含む)。大雑把にいうとASが先輩でミリオンが後輩という立ち位置(無駄に時系列を入れているため)

【黒井社長】

 ツンデレ

【彼が最初に担当したアイドル】

 現在961プロで歌手として活動中

【飯島命】

 リン・ミンメイの中の人



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第36話 アイドルアルティメイト開幕

 

 アイドル新聞  2018年 10月

 

 アイドルアルティメイト開幕。

 十数年ぶりに復活したアイドルの祭典が再び幕を上げたのである。

 4月から参加受付を開始し、応募締め切りは同月一杯。同時に応募が来たアイドルから書類審査を開始。この時点でほぼ落選することはまずない。普通にアイドルらしく活動していれば尚更。公式な公表はされていないが申請したアイドルの1、2割ほど落選したという噂が流れる程度で、その理由はアイドルらしかぬ出来事(男性とのスキャンダル等)、または突然出場取り消しの申請がなされたり。特に後者の理由が多かったと言われている。

 書類審査を通った次は本選の出場者を決める予選であるが、開催日は一月飛んで6月からの開催となった。

 そもそも今回開催されるアイドルアルティメイトはかなり急に決まったものだ。別にいつものようなアイドルフェスティバルなどのライブ等であれば数か月前に通知し、元々決められていた参加者への出演を依頼してスケジュールを調整したりする。だが今回の参加規模は過去最高である。アイドルランクの高さは関係なく、現在一事務所が所属するアイドルの数は最低でも10人以上で、最高で100人を超える事務所もある。出場するアイドルの年齢層で言えば、アイドル協会が予想していた通り10代から20代が多く、活動しているのは少数ではあるが30代のアイドルの参加はほぼなかった。

 日高舞を知っているか知らないかでこれだけの差が出ていることがわかる。逆に彼女を知らない若者たちは、まさに若さゆえに知らないということは時に強みでもあった。

 出場人数の多さもあって予選を行う場所の確保は容易ではなく、一度にすべての予選を消化することは不可能。さらに審査員やアイドルのスケジュールも大きな問題でとなり、結果的に数か月に渡って予選を行うことになった。

 予選の結果は逐一報告され、同時にネット中継も行われた。予選とはいえどかなりの視聴者が視ており、本選を前にしてファン達の熱気は高まっていた。

 また予想通り同じ所属同士のライブバトルも起きてしまった。特に参加人数が多い事務所の一つである346プロダクション。参加人数は30人超。

 予選の抽選はアイドル協会によるものなので不正はない。当人達にとっても、ファンにとっても苦しいライブとなった。

 下剋上を狙えるこのアイドルアルティメイトであったが、いくらアイドル協会がランクに問わず参加を許可しても、Aランクアイドルに新人のEランク及び候補生であるFランクアイドルが勝てる道理はない。

 だが、すべては審査員が下す結果がすべて。新人のEランクアイドルがBランクアイドルに勝手しまうというまさに下剋上が起きてしまうのも、このアイドルアルティメイトの凄いところであり恐ろしいことでもあり、同時に将来性のあるアイドルがいることの証明でもあった。

 そして、問題の本選に出場できる枠であるがこれがまた多い32枠で、そのため4ブロックのトーナメント戦ということになった。

 肝心の本選出場者であるアイドルはどれも名のあるアイドルばかり。約4人新人アイドルが勝ち進むという大金星をあげた。

 ただ、その内の1人に新人詐欺と言われるまでになったアイドル『リン・ミンメイ』の名前があった。

 本選出場者のだいたいがソロでの参加になったが、約4分の1にユニットでの参加を果たしたアイドル達がいる。

 その内の3枠が346プロダクションの『ジュエーリズ』である。『キュート』、『クール』、『パッション』の3チームで出場。人数はだいたい5から6人のユニット。ユニットでの本選出場も驚くべきだが、なにより注目すべきはユニットで勝ち上がったという点にある。

 ユニット人数が多ければ多い程採点は厳しいものとなる。現に他の強豪事務所でもユニットでの参加はあったが些細なミスで予選落ちが見受けられた。

 また、同じく3枠で出場を勝ち取ったのが765プロダクションの『スターズ』である。ユニット名も346プロダクションと似ており『プリンセス』、『フェアリー』、『エンジェル』の名で参加。こちらは5人のユニットで構成されている。予選前では各ユニット13人での参加が噂されていたが、さすがにそれはなかったようである。

 残りの2枠の内の一つは、アイドル自身が事務所を運営し活動していることで有名な『魔王エンジェル』である。3人ともソロ曲などを多数持っているが、やはりここはユニットでの参加となった。

 本選の割り当ては本人によるくじ引きでの選出で、場所はアイドル協会で行われたのだが、運悪く346プロダクションと765プロダクションのユニットの内2つは同じブロックの割り当てとなってしまった。この抽選もアイドルとしての天運だと言う者もいたが、こればかりは本当に運である。

 肝心のソロでの参加出場者はどこも名のあるアイドルだ。

 346プロダクションからは3名。『島村卯月』、『高垣楓』、『ヘレン』である。346プロダクションのソロであの参加は全体の中では多い方で、同時に厳しいものとなった。その中で予選を勝ち抜いたのがこの3名である。

 今回アイドルアルティメイトの本選出場の内6枠も勝ち取とることになり、これだけでも事務所にとっては大きな宣伝となった。

 意外なのが大手アイドル事務所である765プロダクション。ソロでの参加はわずか一人。

『四条貴音』ただ一人のみ。

『765プロオールスターズ』から数名は出場するだろうという我々の予想は大きく外れることになった。特にこれといった発言はされていないが、四条貴音だけというのは何か大きな意味があるのだろうか? 

 四条貴音に関して大きな話題を呼んだのが、765プロダクションのエース『星井美希』のアイドル活動の休止であろう(現在でもレギュラー番組などには出演しているが)。突然の発表でファンらはかなり騒ぎ、Twitterのトレンド1位にもなったぐらいだ。本人のブログ及び公式HPで動画が投稿され、アイドル活動休止の理由が語られた。内容は以前の記事で載せたが、その大きな理由は四条貴音を支えたいという意思が大きいようだ。

 現在も彼女は四条貴音のプロデューサーとして現在活動している。意外なことに上手くやっているようで業界でも話題になっている。

 アイドルアルティメイト本選の開催日は10月から順次行われ、各ブロックごとに3回戦まで行われる。ブロックごとの勝者が最終日に行われる準決勝に出場することになり、共に決勝戦は12月に行われる予定となっている。

 そして、それを勝ち抜いた2人を待つのが伝説のアイドル『日高舞』である。

 表舞台に正式に戻り活動を再開した彼女の人気は、時が経ったとは思えないほど影響がある。

 そんな彼女が本選初日に披露するオープニングセレモニーは目が離せないであろう。

 10月に入り本選開幕は目前。出場するアイドル達は日々レッスンに励み、本選を今か今かと待ち構えているころだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2018年 10月

 

 アイドルにとってもっとも多くの時間を消費しているとも言えるこのダンスレッスンの教室は、かれこれ数年の付き合いとなる。

 新築の765プロダクションには最新のトレーニング設備などが完備されてルームもあるが、一人のために独占することはできない。特にライブ前や一人で集中してレッスンしたい時には、以前から使っていたこの場所はとても便利である。

 鏡に映る自分の動きを意識しながら四条貴音は今日もレッスンを積んでいた。

 あれから数か月も経ち、いまは10月の頭。もうまもなくアイドルアルティメイト本選が開幕しようとしている。

 書類選考からの予選のライブバトルはかなり待たされた。

 参加人数の細かい数字は知らないが、自分が参加した予選会場にはざっと30人はいたのを覚えている。全員がソロというわけではなかったが、その内の1、2枠はユニットでの参加だと思う。直接面識はない方だったので雑誌やテレビで顔を知っているぐらいなので仕方がない。

 手を抜くのは相手に失礼だ。貴音は予選から全身全霊を以てライブに挑んだ。

 結果は圧勝。予選の相手はEランクアイドルからAランクアイドル達もいたが、いまの彼女を止められる者は誰一人いなかった。

 765プロでは他に3ユニットで『スターズ』が予選を通過した。後輩のアイドル達は自分がアイドルアルティメイトに参加する真意は知らない。だが、ほかのオールスターズの仲間達が参加しないのと、美希がアイドル活動を休止していることを考えれば誰かしら何らかの理由があるのだと察するだろうが、そこまでしかわからないだろう。

 アイドルとして活動を再開し、みんなに参加する意を伝えたとき言われた。

(貴音さん、私達全員貴音さんを応戦するからね!)

 春香がいつものように笑顔で言った。彼女に続くようにみんなが言う。

(……どうしてですか? わたくしに遠慮することなんて)

(ばか。遠慮じゃないわよ。あのどうしようもない男にガツンと言ってやるんでしょ?)

(ほんと、兄ちゃんには困ったものですな~)

(うんうん。困ったちゃんだね~)

(ボク達もトップアイドルの称号はたしかに気を惹かれるけど)

(それでも、貴音さんが出場する理由をわたし達は知ってますから)

(美希がアイドル活動を休止する。それだけでも、あの子の覚悟が伝わってきたもの)

 事の経緯を知っている律子が、やれやれと肩を落とす。

(苦難の道のりだけど、貴音さんならきっと辿りつけるわ)

(だから貴音ちゃん、がんばって。みんなが付いてるわ)

(ありがとうございます、みんな)

 流れそうになった涙を堪え、精一杯の想いを伝えた。

 かけがえのない仲間を持てて、幸せだと改めて痛感した。そして、仲間以上に親友である響には少し迷惑をかけた。

 活動を休止していた時、響がとても心配してくれたと美希が教えてくれた。響との付き合いは765プロに入ったとき、自然と絡むようになった。いまは美希が一番だったが、それ以前は響といる時のが多かった。あの人と一緒に住むことになったあとも、美希と3人で出かける際に響も誘って4人で出かける理解があったり、やはり彼女も大切な存在だ。

 活動を再開した時に、みんなに言わなかったことを訊いた。

(響達は〈アイドルアルティメイト〉に参加しなくてよいのですか?)

(どうしたんだ、貴音? そんな急に)

(いえ、だってみながわたくしのことを応援してくれるのはとても感謝しております。ですが、この先〈アイドルアルティメイト〉が開催される保証だってありませんのに)

(んー。みんながどうかはわからないけど、自分はそのトップアイドルにそこまで固執してないからだと思う。いや、たしかに惹かれるぞ? 自分だって一番になりたいのは嘘じゃないし。でも、今回ばかりはみんな貴音のことを応援したいからだと思う。それ以上の理由がないもん。それに)

(それに? なんですか?)

(もしこの先も開催されるなら、その時に参加してみるだけさー。出場するだけならタダだし)

 響らしい。そう素直に思った。

 だからわたくしは、それ以上みんなに追求することはしなかった。

 

「っ……ふぅーふぅ、ふぅー」

 

 音楽がとまるのを待ってから大きく深呼吸。

 ふと時計を見ると3時過ぎ。かれこれ2時間はレッスンを通しでやっていたようだ。

 今日の仕事はすでに午前中で消化している。午後は気兼ねなくレッスンに打ちこめることができるので、ペース的にはここで長めの休憩入れる頃合いだろうか。

 それを知らせるかのように美希が部屋にやってきた。彼女が手に持ったペットボトルを投げてきたのを、うまくキャッチした。

 今日はうまく取れた。なにせ、昨日は落してしまったからリベンジ成功だ。

 

「はあー。生きかえります」

「今日は予定がないんだから、もうちょっと抑え目でいいと思うけど」

「それもそうですが、今日は体を動かしたい気分なのです」

「そう。まあ本選近いもんね。できることはしておかなきゃ」

 

 壁に寄りかかりながら美希も手に持ったコーヒーを飲んで言う。色的に多分…微糖。

 以前はコーヒーを飲んでも砂糖が入っているやつしか飲んでいなかった。それが気付けば微糖を飲み始めた。いや、最初はブラックを飲んですぐに諦めたのだった。

 美希も色々と変わった。

 それはいまのコーヒーもそうだし、服装や身だしなみも以前より一層気遣うようになった。

 服装はまずビジネススーツになった。美希は言わなかったが、着ているスーツはあの人が彼女の高校卒業の祝いの一つとしてプレゼントしたものだ。その時美希は、両親からも一着買って貰ったと言っていたのを覚えている。彼は『スーツは2着あっても困らない』と言ってプレゼントをした。

 一応両親が買ったスーツはスカートで、あの人はパンツを買ったので差別化はできているといえばできている。

 貴音はブランド物には詳しくないが、プレゼントしたスーツはそれなりにいい品物だったと見てわかる。なんと言ったか。ある……なんちゃらだったような気がする。

 あとは髪を後ろで一つにまとめ、伊達メガネをかけたぐらいだろうか。

 まじまじと美希を見ていると、彼女が首を傾げながら言ってきた。

 

「なに? ジロジロ見て」

「いえ。美希もそれなりに様になったなと思いまして」

「そうかなー。一応前よりは、ていうかあれなの。社会人としての振る舞いが板についてきたかなって。それでも、アイドルとしての星井美希の扱いをされちゃうこともしばしばあるけどね」

「以前でしたら『あー、あはようございますなのー』と気の抜けるような挨拶でしたからね」

「みんなの前ではそんな感じだよ? 我ながらアイドルとプロデューサーの切り替えが上手になったの」

「ですが、美希はよくやってくれています。見ているだけではなんとも言えませんが、大変なのでしょ?」

「最初はね。でも、美希はやればなんでもできる子だからへっちゃらなの。このまま貴音のプロデューサーでもいいかなーって、思っちゃうぐらい」

「美希」

「ごめん。じょーだんなの」

 

 別にそれが悪いというわけではない。でも自分の、美希のプロデューサーは彼だけなのだ。

 まあしかし、約半年も自分のプロデューサーとしての責務を果たしてくれているのだから、多くは言えないし感謝だってしている。

 少し雑談をしながら美希の隣に座り、ふと思い出した。今日はあの日だ。

 

「そういえば、本選の抽選が発表されたのでは?」

「ああそうだったの。えーと、はいこれ」

 

 渡されたのはアイドル協会から送られてきたトーナメント表だった。総勢32名。4ブロックに分かれての勝ち抜き戦。

 気になっている彼女の名前を探す……あった。

『Cブロック リン・ミンメイ』

 順番が逆だが自分の名前を探そうとすると美希が先に教えてくれた。

 

「貴音はAブロック。本選の第一戦目。オープニングセレモニーのあとすぐに歌うことになるわけだけど、こっちとしてもいいアピールになるんじゃない?」

 

 綺麗な歯が見えるぐらい美希は微笑みながら言う。

 アピール。たしかにその通りだ。けれど、彼女の言い方は優しい。もっとシンプルに言うのならばこれは、宣戦布告だろう。

 日高舞。

 〈リン・ミンメイ〉

 そして、あの方に。

 きっと歌を歌いながらこう訴えるだろう。

「さあ、来てやりましたよ。あなた様がなんと言うおうともわたくしはここまで来ました。目障りですか? 邪魔ですか? 結構。嫌と言うほど迷惑をかけてやりますとも。あなた様が『やめてくれ』と土下座しようともやめませんから、そこのところ、夜 露 死 苦」

 と、咄嗟に考えてみたが、半分冗談だ。そんな汚い言葉を使うほど下品な女でありませんし。

 そんなことを考えていると美希が同じ紙を見ながら言う。

 

「抽選はほぼ運だから、どうなるか心配だったけどこれなら全部予定通り。彼女はCブロックで、当たるのは決勝戦。そして、日高舞とミンメイと貴音の三人のライブが待っている。後輩であるみんなには悪いけど、運がよかったの。Aブロックで最後に当たるのは多分……魔王エンジェル――東豪寺麗華」

「凄い女性です。いえ、今では中々見ることができない強い女性、といったところでしょうか。アイドルをしながら事務所を経営する。簡単にできることではありません」

 

 貴音は東豪寺麗華とは一度直接会ったことがある。961プロを後にしたあの日、最後に寄ったのは東豪寺プロ。彼女達もあの人を知る人間。純粋に興味があったのだ。

 まあ自分は麗華と口論を繰り広げていたので、直接話を聞いていたのは美希であるのだが。

 ソロではなくユニットでの参戦。手ごわい相手であるが、負ける気はしなかった。自惚れや相手を見下しているわけではない。

 

「どう? 勝てそう?」

「愚問ですよ、その問いは」

「そうだったの。ごめん」

 

 そう、途中で負けるようならば意味がないのだ。

 

「ミンメイはCブロックだから絶対に負けるなんてことはないと思うけど、Bブロックで気になる子はいるの? 準決勝で当たるのは間違いないんだし」

 

 再度トーナメント表に目を向ける。Bブロックで目に付くアイドルは『島村卯月』、『スターズ』と全員知っているアイドルではる。

 しかし、そんなことよりも貴音はおかしくてつい笑ってしまった。

 

「なにがおかしいの?」

「いえ。ただ、参加しているアイドルの半分があの方が手掛けたアイドルだと思うと、おかしくて」

「それはたしかに笑っちゃうの」

「ですが、これはある事を意味しているということにもなります」

「どういうこと?」

「あの方の真意はどうであれ、彼が育てたアイドルの多くが本選に出場している。つまり、資格はあったのでしょうね。あの方の悲願を成就するための」

「……かもしれないね。でも、選んだのはどこからか連れてきた謎のアイドル。そこは、流石って言うべきなのかな」

「あの方らしいと言えばらしいです。……わたくしは、会ってみたいです」

「ミンメイに?」

「はい」

 

 正確にはリン・ミンメイではなく、ミンメイを演じている彼女本人。

 なぜ会いたいのかと問われれば、それは純粋な興味によるものだ。どこで彼と出会ったのか。どうしてアイドルになろうと思ったのか。共にいた時、彼はどんな風だったのか。そんな些細なことを聞いてみたいと思っていた。

 実際に彼女が出演している番組やライブを見てわかったことは、彼女はどこか変わっているという印象があった。

 なにが、どこが変わっていると指摘するのは難しいのだが、これは直感だ。

 ただ、唯一断言できることがある。彼の目的を知った上で協力していると過程すれば、確かに彼女は変わっている。変人と言ってもいいかもしれない。

 最初は素人にしては大それた役者だと思った。新人アイドル問わず、誰もが最初は素人で初心者。アイドルであればライブのダンスや歌でそれぐらいの判別はできる。

 貴音自身も少し前にデビューした歌番組を見た、本当にただの興味本位でみたのだ。だが、見なければと、あとで後悔した。

 まあうまく騙し騙しでやれたものだと思う。ダンスは間違っているし、歌詞も指摘されたように間違えている。Aランクアイドルの自分ですら、最初はこうなのだ。こういうものなのだ。

 だが、ミンメイは違う。

 ダンスも歌も一線を越えている。世間が言うように新人詐欺というのは的を得ていると思う。あれは、人が辿りつけるような領域とはとても思えなかった。

 その美しい歌声に誰もが魅了され、虜になってしまう。さながらセイレーンのようだ。

 また別の意味で、彼女同じ領域にいる人間がいるとすればやはり日高舞になる。当時の彼女の映像を見たが、一線を画すものだった。今が同じ状態なのかはわからないが、当時は紛れもなくミンメイと同じような存在だったに違いない。だがそれも、本選のセレモニーでわかるはずだ。

 なんにしても、最終目標はその二人が待つ決勝にいくのが普通(・・)の人間である自分になるわけだ。

 ミンメイや日高舞について考察していると、貴音は美希がどんなイメージを抱いているか気になり聞いてみた。

 

「美希はミンメイについてどう思っていますか?」

「どうって言われてもなあ。ミキは親近感を抱いているだけなの」

 

 意外な言葉が出た。貴音は驚きたい衝動を抑え、彼女の話を黙って聞いた。

 

「なんて言えばいいのかな。ミンメイってミキと似ているんだよね」

「どこが似ているのですか?」

「どこがって言われると答えずらいんだけど、たぶん全部。ミキはやろうと思えばなんでもできると思ってる。それは今も昔も変わってないの。自分で言うのはどうかと思うけど、天賦の才ってやつ。だからかな。ミンメイとミキは同じなんじゃないかなって」

 

 意外なほど、その理由には自ずと納得していた。なにせ以前から知っていたことだ。

 それもあの日から。

 美希と自分が呼び出されたあの日、もし彼女にアイドルをやる気があれば、ここに自分はいない。直接彼から聞いた真実だ。星井美希は天賦の才を持った人間ということは、貴音自身重々承知していたことだった。

 

「だから、ミンメイや日高舞と勝負してもミキは負けないよ。まあ勝てるとも思ってないけど」

 

 嘘だ。

 ――と口には出さず心の中で叫んだ。美希がこう言うのならば本当は勝てる。いつも隣で見てきた自分だからわかると貴音は確信していた。

 

「それだけの大口を叩けるのであれば、そうなのでしょうね。わたくしは美希達と違って普通ですから」

 

 言うと、美希は『は?』と口を開けながら意外なことを口にした。

 

「貴音って、自分の事を普通の一般人だと思ってたの?」

「ええ。当たり前ではありませんか」

 

 そう言うと今度は呆れたのか大きなため息をついた。失礼な。一体なにがいけないというのだろうか。

 

「普通の定義が乱れるの。貴音が普通ならミキなんなのっていうことになるの」

「なにって、天才では?」

「否定はしないの。けど、貴音は普通じゃないし、貴音を凡人なんて誰も信じない」

 

 不機嫌なしわをつくりながら貴音が怒り混じり言った。

 

「聞き捨てなりませんね。わたくしのなにが普通ではないと言うのですか?」

「全部」

 

 即答だった。あまりにも即答だったもので少し硬直してしまった貴音を無視しながら美希は続けた。

 

「しいてあげるなら……カリスマかな」

「かりすま?」

「たぶんだけど、この点においてはミキにミンメイや日高舞が唯一貴音に負けている点だとミキは思ってるの」

「それは一体全体どうして?」

「んーーー。言葉がうまくでないの」

 

 綺麗に整っている自慢の髪を右手でくしゃくしゃと弄っていると、突然手が止まりポンと手を叩いた。

 

「うん、生まれが違う。そう、これこれ!」

「はあ……」

「なに、その『何を言っているのかしらこの子。頭大丈夫かしらー』なんて顔して!」

「だってその通りなのですから、しょうがないではありませんか」

「とぼけちゃって、まあいいの。貴音がどう思おうと、貴音は普通じゃない。むしろ誰よりも逸脱した存在」

「……飛躍しすぎでは?」

「どうして? 貴音とは長い付き合いだけど、ミキは貴音の実家は知らないし、ご両親の写真だって見せてもらったことはないの。それに、貴音はどこか違うって最初に会った時から感じていたの。本当に同じ人間なのかなって。だからファンのみんなが『銀色の王女』なんて呼ぶようにもなって。だから、ミキずっと思ってたことがあるの」

「それは?」

「貴音ってもしかして本当に王族なんじゃないかなって」

 

 その言葉に誠実な思いなど皆無。ただ、自分の反応が見たくて面白おかしく言っているだけの台詞だ。

 そもそも四条家は王族ではなく五摂家の一つ。我が故郷を護り、導く家柄の一つ。たしかに代々四条家からも統治者は出ていたが、四条家を含めても王族などと大それた存在ではない。

 まあ王族に言い換えれば、四条家は王位継承権を持つ一族で、自分はその王妃になる資格がある存在になる。その『銀色の王女』という称号は自分には余るものだと感じていたが、意外と王女というフレーズは気に入っていた。

 ここまでのことは美希にはもちろん、彼も知らないこと。今は話す気はない。あるとすれば、それに相応しい時期が来てからになる。

 ならばここは、話を合わせて濁すまで。

 貴音は左手で髪をふわっとかき上げ、それらしいポーズをして高らかに言った。

 

「ほう。であれば、そなたはわたくしに不敬を働いたことになります。よって、死刑」

「ちょ、ちょっとそれは過激すぎなのー!」

「王女ならば普通では?」

「そうなの?」

「さあ?」

 

 閑話休題。

 コホンと咳払いをしながら美希は話を戻した。

 

「実際ね? 貴音は普通の家庭の生まれじゃないって思っているのは本当。自覚はないかもしれないけど、貴音がその気になればそのカリスマで多くの人を統べる能力があるのは本当」

「買いかぶり過ぎですよ、美希」

「どうかな。でも、これ以上追及したところで、貴音はどうせ素直に頷かないのはわかってるからもういいの」

 

 美希はため息をつくと、飲み終えて空っぽになったペットボトルを手に取り聞いてきた。

 

「あとどれくらいやってくの?」

 

 聞かれて時計を見る。だいたい20分ほど休んでいたようだ。長めに休んだおかげでもうちょっとやれそうだ。

 

「そうですね。あと1、2時間はやろうかと」

「そう。なら美希は一旦事務所に戻るね。早めに戻ってくるつもりだけど、もし気が変わったら連絡ちょうだい」

「わかりました」

「じゃあまたなの」

 

 空き缶を持ったまま手を振って美希は部屋を出で行く。貴音は美希が部屋から出て行くのを確認して鏡の前に立つ。

 鏡に映る自分を見て、

 

「かりすま、か。一人の男に手を焼いている女に、かりますなんてあるのでしょうか」

 

 憂いに満ちた表情を浮かべて貴音は自分に問いかけるように言うと、パチンと顔を叩きレッスンを再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 346プロダクションにある346カフェの一角に卯月は一人座ってコーヒーを飲んでいた。ここは三桁を超えるアイドルが使うにはあまりにもテーブルと椅子が足りないが、彼女が座っているところと左右合わせて三つのテーブルはアイドル専用の場所になっていた。

 時間帯的には他のアイドルが居てもおかしくはないが、今は卯月一人だけだった。

 A4サイズの紙を手に持ち、コーヒーを一口飲んで卯月は言った。

 

「私は……Bブロックか」

 

 これは先程武内Pから渡された〈アイドルアルティメイト〉のトーナメント表だ。渡されてすぐに目を通そうかと思ったけど、時間はあるしゆっくり見るかと思ってここで初めて抽選の結果を知った。

 それにしても、あの抽選会場は我ながら平静をよく保っていたと卯月は自分を褒めた。

 ユニットとして出場する各ジュエリーズのリーダーである三人と楓さんにヘレンさんと一緒にアイドル協会に赴いたわけだが、案内された部屋はかなりピリピリしていた。

 部屋には抽選を中継するためのカメラマンを含めたスタッフと本選に出場するアイドルが全員揃っており、部屋の角にはそれぞれの担当プロデューサーが待機していた。

 部屋に入ると大半のアイドルが落ち着かないのか部屋をキョロキョロと見回していたのが目についた。まあ自分もやっぱり気になって一度部屋の隅から隅を見てみたが、お目当ての人間は居なかった。

 自分達に共通しているのはプロデューサーだということはすぐにわかった。

 なんらかの形でわかっていたが、本選に出るアイドルがこんなにもいるとは思ってもみなかった(短期間であるが彼がプロデューサーとして担当したことに)。

 皆はプロデューサーがいることを期待していたようだったが、私は彼がいるとは初めから思ってはいなかったのだ。予選の結果はもちろん彼の耳にも届いているだろうし、現地に来れば自分にアイドル達が問い詰めに群がってくるに決まっている。

 しかし、実際は予想以上にプロデューサーではなく、〈リン・ミンメイ〉が目立っていた。私には少し浮いているように見えたが。

 彼女は協会が用意していたパイプ椅子に座っていただけでその存在感を周りに見せつけていた。足を組んで何もせずに座っており、時折あくびが出そうでそれを堪えている姿は、世間が騒ぎ立ているようなスーパーアイドルではなく、どこにでもいる普通の女性のように錯覚する。

 ミンメイに話しかけようとする人間はいなかったわけではないが、誰も声をかけることはしなかった。それは彼女に限った話ではなく、会場にいるアイドルは誰もが一度は共に仕事をしたことがあるのにも関わらず、無暗に話しかけるようなアイドルはいなかった。

 身内で一緒に来た私たちも、部屋の中ではほとんど無言だった。

 中継のカメラが回っていたことも理由ではあるが、やはり誰もが優勝を目指しているアイドル。たとえ身内であろうと、自分以外は敵でありライバルなのだろう。

 意外かもしれないが、自分も皆のことはライバルだと思っている。予選では何回か仲間と当たったし、あまり気分がいいとは言えないが割り切った。

 自分には伝えなければいけないことがある。

 きっと直接会ってはくれない。

 だから、あそこに行くしかないのだ。

 想いを伝えるためには。聞いてもらうためには。

 トーナメント表から目を離すと、正面から見慣れた顔が声をかけてやってきた。

 

「卯月、いま一人なの?」

「うん、ちょっと休憩してました。凛ちゃんこそどうしたの? 凛ちゃん達はユニットで集まってたよね」

「ああ、うん。話は終わって、今日は解散になった。今日はもう何もないから、ちょっとカフェで休んでから帰ろうかなって」

 

 彼女は歯切れが悪そうに言う。何かあったのだろうかと思い卯月は訊いた。

 

「なにかあったんですか?」

「いや、そこまで悪いことじゃないんだ。ただ空気がピリピリするっていうか、そんな感じ。卯月ももう見たでしょ? 本選の抽選」

 

 卯月は頷いて答えた。

 渋谷凛。彼女もジュエリーズの一人として本選に出場することになっている。もっと大雑把に言えば、プロデューサーに好意を抱いているアイドル達が〈アイドルアルティメイト〉に出場した。

 ユニットでの予選は厳しいといわれていたが、彼女を含めて3ユニットが無事本選への出場権を手にしたというわけだが、卯月は口には出さなかったが驚いていた。

 女の執念というやつだろうか。

 ただ、意外だったのが凛ちゃんはてっきりトラプリで出ると思っていた。奈緒ちゃんに加蓮ちゃんもプロデューサーのことが好きだったから。

 

「自分で言うのもなんですけど、私はBブロックでみんなと当たるとしたら準決勝か決勝戦になりますから、内心ほっとしてます」

「そうだね。私達だってそう思う」

「凛ちゃんの『クール』はえーと、Aブロックですか」

「四条貴音に魔王エンジェル、他にも名だたるアイドルばかり。私たちはまだマシだよ。残りの二つはCブロックで、ヘレンさんは初戦からミンメイとだし」

「激戦区ですもんね、Cブロック。でも、ヘレンさんはなんだか嬉しそうでしたけど……」

「ああ、ヘレンさんね。あの人は……あ、どうも」

 

 ウェイトレスが持ってきたコーヒーを受け取ると凛は再び話し始めたが、その顔はなんとも言えない複雑そうな表情をしていた。

 

「なんだっけ。たしか『そう、彼女とあたるのね。ふふ、そうでなくちゃ』みたいなこと言ってた」

「すごいですよね。私だったらもう頭を抱えてどうしようってわめいています」

「私もだよ。まあそこはやっぱりヘレンさんだからね」

「うん。ヘレンさんだから」

 

 コーヒーを一口飲む。

 話題を変えよう。

 いまのままでは互いにとってもいいものではない。卯月はここにはいない親友のことを話した。

 

「そういえば未央ちゃんと最近会いました?」

「ん? 私はこのあいだ会った。雑誌の収録かなにかで事務所に来てたからその時に」

「未央ちゃんもすごいですよねー。あーでも、この場合はやっと苦労が報われたっていうんでしょうか」

「そうだね。未央、嬉しくて泣いてた」

 

 未央は今回アイドルアルティメイトに出場していなかった。本人としても出たいという気持ちはあったが、いまはそれよりも大事なことがあった。

 近々彼女が主演を務める舞台が公演されるからだ。

 数年前。舞台の仕事を経験してからどういうわけか、未央は舞台に興味を持ち始めた。アイドルの仕事もこなしつつ舞台に立つための技術を日々学び、オーディションもドラマや舞台といった方面の仕事を選ぶ回数が増えた。

 それからは脇役から準レギュラーの役を務め、今回ようやく主演の役を勝ち取った。

 そのため未央はアイドルアルティメイトに参加することはできなかったが、彼女としてはそちらよりも舞台の方に意識を集中しているためかあまり他のみんなよりは反応が薄かったのを卯月は覚えていた。

 

「見に行きたいですけど、いまは余裕がなくて無理そうです」

「私も。さすがにいまは、ね。話は変わるけど、卯月はどう?」

「どうって、なにがですか?」

「調子とか仕事?」

「んー。ふつうですね、ふつう」

 

 調子と言われても普段とあまり変わり映えしない。

 意外なのが、驚くほどいまの自分は平然としているのだ。予選がはじまる前はそれなりに意気込んではいたが、いざ予選がはじまると普段通りの自分がいた。それには自分の予選相手に仲間達とは当たらなかったのも影響しているのかもしれない。

 

「そういう凛ちゃんはどうなんですか。私と違ってユニットですし、こう言うと失礼だけどみんな普段通りでいられてない気がします」

「それは私もだよ。ユニットのみんなといるにも関わらず、事務所じゃプロデューサーのこと禁句だし。いまはなんとか本選に意識が向いているから前よりはマシだけどさ。プロデューサーのことをこうして口に出すのも久しぶりな感じだよ」

「口に出さなくてもみんな意識してますよ。……ほんと、忘れたくても忘れられないほど大きな存在だったんですね」

「まあ別れ方があれだったし」

 

 あの日、卯月はプロデューサーと最後に会ったことを他のアイドル達には話してはいなかった。最初は、隠すつもりはなかった。けれど、彼と話した中身が問題でそう簡単に話す気になれずにいた。

 はたして自分に言えるだろうか。

『私達アイドルには特に会いたくなかった。理由ですか? 面倒だったからって言ってました』。なんて言えるほど私は強くないし、それを伝えた時のみんなの視線に耐えられることなんてできない。

 逆に考えればプロデューサーのとった行動は間違いではない。アイドル達にとっては納得のできないことだろうが当人が被る状況を顧みれば合理的な選択。

 しかしそれが正しいとも思えずにいた。

 もし、ちゃんと理由を話していればこうして面倒な状況にはなっていなかったかもしれないし、アイドルアルティメイトに参加することもなかったかもしれない。

 いまとなっては、あれこれ考えてもどうしようもできないことではある。

 

「でもさ、卯月はどうして出場したの? それも一番に参加したし」

 

 凛は前々から気になっていたことを訊いた。卯月は武内Pからも訊かれた時のような同じことを伝えた。

 

「プロデューサーに、会って伝えたいことがあるんです。ただそれだけ」

「ふーん」

 

 目を細めながら凛はじっと卯月を見ると、今度は頬を赤く染めながら言ってきた。

 

「も、もしかして、プロデューサーに、こ、告白する、とか?」

「――は?」

 

 あまりにも突拍子な発言だったので思わず変な声を出してしまった。

 

「いや、だってさ! そういうことじゃないの!? わざわざ〈アイドルアルティメイト〉に参加してまで伝えたいことって……」

 

 ごくたまに凛ちゃんのことがわからなくなりますが、今回は特にひどいですね。

 彼女は動物に例えると犬だ。飼っているハナコのように忠犬といってもいいが、渋谷凛の場合はご主人にメロメロで、下手をすると噛みついてくる怖い犬だ。

 以前はよくまゆちゃんと火花を散らしてましたっけ。

 まゆのことを犬とは思ってないが、互いに似た者同士でじゃれているように見えてしまうことが多々あった。

 卯月は思った。この際だから聞いてしまおうと思い率直に尋ねた。

 

「凛ちゃんって、プロデューサーのこと好きなんですよね?」

「は、はあ? そ、そんなことないし! あんなターミネーターのこと好きになるわけないじゃん!」

 

 白々しいし、なんてめんどくさいのだろう。親友である相手に卯月は内心大きなため息をついた。

 

「凛ちゃんに限らず、346プロで〈アイドルアルティメイト〉に参加しているアイドルはみんな、プロデューサーに好意を抱いている子ばかりですよ? それに私を含めた他のみんなはとっくに知ってますし、言い訳したって無駄ですよ」

「……なんか、今日の卯月失辣」

「そうですか? 当たり前のことを言ってるだけなんですけど。まあいいです。凛ちゃんは、プロデューサーのことが好きだから参加したんですよね」

 

 頭を下げ、俯きながら凛は肯定するとそのまま言った。

 

「そもそも、なんでそんなこと聞くのさ」

「ただの好奇心と忠告です」

「忠告?」

 

 言う機会はいましかないだろう。

 卯月は小さく深呼吸をして凛に告げた。

 

「凛ちゃん、残酷な言い方をしますけど、プロデューサーのことは諦めた方がいいですよ」

「どうして!」

 

 テーブルを叩きつけて立ち上がる凛を見ても同時彼女はつづけた。

 

「プロデューサーはきっと、私達に対して特別な感情は持っていない。まして、女として意識すらしていません。私達に見せた笑顔もそれが仕事だから。もっと言えばあの人は、私達に期待すらしていなかったんですよ」

「……どうして、そう言い切れるの」

「それは――」

 

 卯月は口ごもった。

 言うべきか悩んだ。これは直感だ。私にはプロデューサーの考えはわからない。けれど、どうしてここを去ったかは想像がつく。きっと他のみんなも気づいているだろう。

 

「プロデューサーが求めているものは、ここにはなかったから」

「卯月はさ、どうしてそんなに平然で淡々と言えるの?」

「本当は――」

「?」

「本当は言うつもりなかったんですけどね。実は私、ここをプロデューサーが去った日に会ってるんです。その際プロデューサーから直接言われたからでしょうか。その時に後悔して、泣いて、自分がすべきことに気づいて、だからなんでしょうね。ああ、この人は私達のことなんてもうどうでもいいんだって」

 

 だが、彼は最後に私に言ったのだ。『結局、お前の答えを聞くことはなかったな』それが未練なのかはわらかない。けど、345プロにはもう用がないのであればこんなことを言わないはず。いくらと自分と遭遇してしまったとはいえ、そんなこと言うだろうか? 彼がどんな意図をもってそれを口に出したかはわからない。しかし卯月にとってはそれがどんな意味であろうと、自分がすべきことを自覚する起源になったのは間違いなかった。

 

「だから私は、あの人のことを敬愛はしていも、親愛ではないんです」

 

 立っていた凛は静かに、体から力が抜けるような感じで椅子に座る。すると彼女は眉をひそめながら、恐る恐る言った。

 

「本当に、卯月なの? 正直に言って、私が知ってる卯月とは思えないよ」

「軽蔑しました?」

「まさか。そんなことしないよ。まるで人ががらりと変わったみたいで、ちょっと驚いただけ」

「あんまり自覚はないです」

「だろうね。でも変わったと思うよ、卯月は」

「だとしたら、私も大人に近づいているってことですね」

 

 胸を張って言う卯月に凛は鼻で笑った。

 

「ないない」

「えーなんでですかー?」

「そういうところがまだ子供っぽいから」

 

 卯月は不貞腐れながら飲みかけていたコーヒーを全部飲み干した。

 我ながらこういうところが子供っぽいと言われてしまうのが原因だとわかってはいる。それでも、凛ちゃんよりは大人らしい振る舞いができていると卯月は思っていた。いや、そうではなくては困る。これはあくまで彼女より年上としての意地だ。

 

「あーあ。ほんと、休むだけだったのに疲れちゃった。うん、帰る」

「あ、凛ちゃん!」

 

 立ち去ろうとする凛に卯月はもう一度忠告した。

 

「私が言ったことに納得しろなんて言いません! けど、心に留めておいてください」

「……うん」

 

 振り向かずに彼女は頷いた。

 実際に本選で彼に会えるかなんてわからない。こうまでしても言わなくては実際に会った時、残酷なことになる。

 凛が346カフェを立ち去るまで卯月は彼女の背中を眺め続けたあと、視線を下げるとあるものに気づいた。

 

「……あ」

 

 凛ちゃん代金払ってない……!

 よく見ると自分のと一緒の会計になっていた。いつのまに。おそらくカフェに来た時、私より先に自分の存在に気づいてウェイトレスに注文したのだろう。

 大人らしいずる賢いところは彼女のが一枚上のようだ。

 

「ま、ここは年上らしくおごってあげますか」

 

 笑みを浮かべながら卯月は伝票を持ってレジへと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 日高舞は自宅に帰るとソファーに向かって一直線に歩き、倒れた。

 疲れた声をあげながら夕飯はどうしようか、冷蔵庫に何か残ってたっけと主婦としての思考に切り替わる。

 先ほどまではアイドルとしての日高舞として振る舞っていたが、いまは自宅だ。唯一の安息の地でアイドルらしくいる必要ない。

 そんな彼女の傍に一人の男が静かに歩み寄った。

 

「お疲れ、舞ちゃん」

「ん、ありがと」

 

 彼は舞の夫だ。身長は180cm前半で、その割にはあまり体格はよくなくて、やはりというか眼鏡もかけている。いわゆる優男に近い男だ。

 世間からすれば、こんな男があの日高舞の夫だとはにわかに信じがたいだろう。それでも舞は誇っている。この人が私の愛する夫なのだと。

 けど、いくら昔から言っているとはいえ、『舞ちゃん』はちょっとやめてほしかったりする。

 この人を知る人はもうそんなにはいないだろう。事務所の社長と当時から在籍している事務員ぐらいのはずだ。

 なにせ、自分の引退騒動で事務所を辞めるか移籍する人間は多く、残った人間は少ない。

 まあ全部自分が悪いのだが、いまでも事務所がよく存続できたことは驚きであった。

 

「夕飯は無理しなくていいよ。ぼくはカップラーメンで済ませるから。舞ちゃんはどうする?」

「わたし食べるー。でも、カップ麺あったけ?」

「なかったっけ」

 

 言いながら台所の戸棚を探し始めた。

 主婦として夕飯を作ってあげたいが、如何せん今日は疲れた。

 

「私も年かな……」

「そうだね」

 

 そこは違うだろとツッコミを入れる力もなかった。

 彼は戸棚から赤いきつねと緑のたぬきを見つけたらしく、ヤカンに水を入れてコンロの火をつけた。包装破いてかやくと調味料を取り出して、かきあげとあつあげを入れてこちらに戻ってきた。

 寝そべっていた舞の頭を持ち上げて自分の膝の上に置く。日高舞と彼は家の中では年など気にせずいちゃいちゃしている夫婦だった。

 舞の顔を覗き込むように彼は彼女に尋ねた。

 

「満足できそう? 今回のアイドルアルティメイトは」

 

 口角をあげている彼の顔はどことなく嬉しそうに見える。それも当然だろうと舞は思った。彼は私のことを誰よりも知っている。前回のアイドルアルティメイトは私にとって不満でしかなった。いや、満足のいくものではなかった。それを知っているからこそ、いまの私を見てそう思えるのだろう。

 私が楽しんでいることを。

 

「そうね。じゃなきゃ、アイドルとして復帰なんかしないわよ。所詮、私は過去の人間よ。今さらでしゃばるなんてどうかしてるもの」

「でも、そうはいかなかったんだろう?」

 

 舞は体を起こして言った。

 

「そうよ、だってしょうがないじゃない! あんな子が出てきちゃ、私のアイドルとしての血が騒がないわけなんてないわ! ああいう子を待っていたのよ、私は」

「〈リン・ミンメイ〉彼女はすごいね」

「あなたから見て、あの子はどう思う?」

「どうって。初めて舞ちゃんと出会った時と一緒さ。全身に電気が走るような感覚。この子は大物になる! そう確信させる子だよ。でも、同時にこんな子がいままで眠っていたなんてとも思ったよ。彼女を見つけた人間はすごい男さ」

 

 それを聞いて舞の目が細くなり、先程とは違って真剣な声で言った。

 

「もしかして、わかったの? 彼女のプロデューサーの詳細」

「ああ忘れてたよ。調べてくれって頼まれていたミンメイのプロデューサーのこと」

 

 彼はテーブルに置いてある仕事用のバッグからA4サイズの紙を数枚渡してきた。それに目を通しながら説明し始めた。

 

「昔の伝手を使ってなんとか調べ上げたよ」

「大丈夫だったの?」

「まあそこは、ね。探すまでが大変だったけど、正体がわかればあとは簡単だった。有名だよ、彼」

 

 一番最初はまるで履歴書のような感じだった。左上に顔写真があって、名前、生年月日、年齢、出身地、学歴。そして、男の所属していた履歴だった。

『1998年 中村事務所 入社』

 覚えがないが、どこか引っかかる事務所の名前だった。知っているような感じがするが、どこでそれを知ったのかを思い出せない。如何せん、19年以上も前のことだ。記憶がおぼろげのはしょうがない。

 

「有名って、どんな風に?」

「仕事を任せれば絶対に成功させる彼の手腕は、どのテレビ局もここぞって彼を欲しがったらしいよ。けど、本当にすごいのは彼のプロデューサーとしての力さ。どんな子も短期間でアイドルデビューさせる。それなら他にもできそうだけど、それを裏付けるのが彼が担当したアイドルはみんな現在でも活動している有名どころばかり。アイドルだけじゃなくて、歌手や俳優から様々な人材を見出している。ぼくも風の噂で知っていたけど、まさかこんな子だったとは」

「ふーん。ちなみに、どんな子がいるの?」

「舞ちゃんが知ってそうなのはね……シェリル・ノームとかな。あ、熱気バサラなんかとも組んだことがあるみたい」

 

 シェリル・ノームも熱気バサラも知っている。両方変わっていることで有名だ。

 シェリルは歌手なのかアイドルなのかわからない。やっていることは歌手のくせに、どういうわけかアイドルとして活動しているからだ。

 熱気バサラは、とにかく変人というのが世間一般の認識だろう。最初は『FIRE BOMBER』というユニットで活動していたが、突如行方をくらました。次に彼の生存を確認したのは国内ではなく海外で、見つけたと思えばまたどこかに行ってしまうまさに風来坊だ。インターネットを通じて楽曲を提供しているのでとりあえずは生きているらしい。

 舞も二人の歌は好きだ。ハートにびしばし響くし、熱くていい声をするから。

 彼女は次にアイドルのことを訊いた。

 

「アイドルは多いよ。特に多い。大手事務所が関わってないなんてぐらいにね」

「じゃあ、本選に出場するアイドルの中にいるってこと?」

「ああ。君が知ってそうななのは346プロの高垣楓、東豪寺プロの魔王エンジェル。961プロの詩歌。そして、765プロの四条貴音」

 

 舞は興味の示すアイドルしか名前を覚えておらず、彼が挙げた名前は彼女が興味を示していたアイドルということになる。

 つまりそれは、彼女にとって期待の存在であったともいえた。自分が動くほどのアイドル。それを日高舞は待っていた。

 だがそれも、〈リン・ミンメイ〉というアイドルが成し遂げたのだが。

 

「ほんと、この男の経歴がすごいこと。黒井プロ、いまの961プロにいてそのあと退社。その後はテレビ局やら事務所を転々。どこも数か月程度でまたとんずら。でも、765プロと346プロは長いのね。特に346は」

「そこのアイドル部門が正式に活動する前からを含めるともっと長いらしいね。なんでそこまでいたかは、ぼくにはわらかないけど」

「それにしても――」

 

 なんというか、日本人離れした顔つきだこと。写真だっておかしい。サングラスをしているせいで素顔なんてわかりはしなかった。ヤクザ、もしくはマフィアの親分か幹部。

 ただ――。

 舞はじっと写真を眺め、次第にある答えを出した。

 

「こいつかもね。私にけしかけてきたの」

「例の、電話の主のことかい?」

「ええ」

 

 こいつの経歴をみて舞は確信していた。

 辻褄があうのだ。

 電話がかかってきたのは1月。〈リン・ミンメイ〉が現れたのはその前の年の12月で、346プロダクションを退社したのは同月。子供でも少し考えればわかりそうなことだ。

 だが逆に、驚くべきほど物事がスムーズに運びすぎている。恐ろしいぐらいだ。

 

「ほんと、この男かなりやり手よ。いま起きている出来事が全部映画みたいにうまく進んでる。経歴にある通り、こいつは優秀よ。それも、超とっびきりの」

「前に舞ちゃんが言っていたように、彼がやっていることすべてが――」

「そう。こいつの狙いは私」

「でも、どうして?」

「理由なんてどうでもいいわ。それに私、こいつに感謝してるもの。私がやっと本気を出せる相手を連れてきてくれて」

「舞ちゃん……!」

 

 その時、ピィイイとやかんがお湯を沸騰したことを知らせてきた。彼は急いでガスを止めて、お湯をカップ麺に注ぎお盆に乗せて持ってきて聞いてきた。

 

「どっちがいい?」

 

 どちらかが好きというわけではないのでどちらでもいいのだが、今日の気分は緑のたぬきが食べたいと思ってそっちを選んだ。

 3分経ち、猫舌である彼は少し冷えるのを待ちながら意外な言葉を口にした。

 

「舞ちゃんは、このアイドルアルティメイトが終わったらアイドルは辞めるんだろ?」

「気づいてたんだ」

「これでも舞ちゃんのプロデューサーで旦那だよ。わかるよ、それぐらい」

「敵わないなあ、ほんと」

「アイドルをやめて、歌手として活動するの?」

「そこはまだ未定。タレントでもいいかなって考えたりしてるけど、やっぱ歌は好きだし歌手なのかなあ」

「ぼくも色んなことをしている舞ちゃんは見たいけど、やっぱり歌を歌っているときの君が一番好きだよ、ぼくは」

 

 思わず照れて顔を横に向ける舞は小さく「ばか」とささやき、彼は苦笑して箸を手に取り遅い夕食を食べ始める。

 いくら夫婦とはいえ、こうまで恥ずかしい台詞をよくまあ言えるものだ。舞は器用に正面を向かず麺をすする。

 顔が熱くて麺の熱さなど気にならなかった。

 彼は男の経歴に目を落としながら羨ましそうに言った。

 

「にしても、彼はやっぱりすごいよ。正直に言うと、羨ましくも思う。こんなことを一人でしでかすなんてさ、普通じゃ考えられないしできないよ」

「そうね、それは私も同感。でも」

 

 舞は緑のたぬきをおいて、まっすぐに彼を見つめながら優しい声で言った。

 

「私にとって一番のプロデューサーはあなたよ。もっと自分に自信を持ちなさいって。この日高舞を見つけて、頂点にしたのはあなたなのよ。誰でもないあなた。そうでしょ?」

「……うん、そうだね」

「まあでも、そのアイドルを引退させたのもあなただけどね」

「そ、それは舞ちゃんが……無理やりしてきたからだろ! ぼくは悪くない」

「ちょ、ちょっとそれ言っちゃう!? まああれは、若気の至りというか、その場の流れというか……もう、なにを言わせんのよ!」

 

 だって、そういう空気だったじゃないと舞はぼやいた。

 仕事が夜遅くに終わって、私の家が近いから一晩泊っていけば、と。ああやっぱり自分が誘ったのだった。舞は思い出すんじゃなかったと後悔した。

 今ならば、当時の自分を肉食系女子というのだろうか。

 実際にその通りではある。

 だが、現実の私は被害者のような扱いだ。

『担当アイドルに手を出したプロデューサー』というのが世間一般の認識だったのだ。

 私は彼がいつのまに好きになっていた。好きで好きでたまらなくて、そういう年ごろということもあり、つい、やってしまったのだ。

 悪いのは私だ。

 彼は悪くない。

 でも、彼は私を受け入れた。全部だ、そう全部。

 すべての罪は自分にある。だから、自分が悪いんだと。

 男らしい。潔いとも思えるだろうが、現実は非情で、非難や罵声など日常茶飯事だった。

 それでも、いまもこうして夫婦でいられるのは互いを信じて、愛しつづけていられたからだと思う。

 だめだ。こんな話のせいで、久しぶりにそういう気分になってきた。

 

「あの、さ。今日は愛は帰ってこないし、さ。その――」

「……え? ああ、うん。そうだね、そうだ。うん、いいよ」

「じゃあ、お風呂……はいろっか」

 

 食べかけの夕食をそのままにして二人はお風呂場へと向かおうと立ち上がると、舞は彼の左手を見ながら言った。

 

「手、繋いでいい?」

「うん、いいよ」

 

 彼の手を掴むと、ぎゅっと握り返してくることが舞にとってはうれしかった。

 

 

 

 

 

 

 飯島命は事務所に3つしかないデスクチェアの一つを占領し、向かいにいる事務員の早瀬未沙の隣で器用に胡坐で座りながら、彼女の仕事用のデスクトップパソコンのモニターを眺めていた。

 画面はどこかのオンラインショップの商品画面。画像にははレディースの服がずらりと表示されており、未沙はその一つをクリックして表示した。

 

「これなんていいんじゃない? みこちゃんに合いそうだし」

「かわいいけど、でもこれいまの髪型に合うだけで、前のだとちょっと物足りないかなあ」

「ああそうだっけ。それエクステだったもんね」

「うん。前はセミロングだったんだけどね。ミンメイを演じるにあたって髪型も変えたの」

 

 人工毛の毛先をいじりながら命は言った。

 

「でもさ、いまのも似合ってるよ。うん、かわいい」

「ロングだったのって子供の時以来だったから新鮮だったし、結構いけるなって思い始めてるんだけど、手入れがたいへんでさー」

「髪の毛って長いほど手入れたいへんだもんね」

 

 エクステンションは気軽に髪の毛のボリュームを増やすことは知っていたが、その手入れが大変だったのは知らなかった。

 命自身、興味がなかったので知識が疎かったのもあるが付けたらそれでよくて、手入れなんて必要ないと思っていた。しかし、いざ自分が体験してみるとこれがとてもめんどくさいことに声をあげ、提案してきたプロデューサに小さな反抗をしたが、結局負けたのだった。

 彼女がしたエクステは人毛の方ではなくて人工毛を使ったエクステだ。取り付け方はいくつか種類があって、そのうちの一つである超音波エクステを使用した。

 彼曰く、『地毛になじみやすく、見た目が自然だからだ』と言うのでうんうんと頷くと、『あと取り外しが楽だからだ』と本音を言われたのを未だに覚えている。

 地毛の色は茶色のなので、ミンメイに合いそうなパープルグレーの色に変わった。

 さよなら、いままでの私。

 こんにちは、新しい私。

 その後にエクステをつけていまに至るが、定期的に取り外さないといえけないらしく、その際は全部相棒がやった。最初だって髪の洗い方も彼に教わった。

 本当に男? なんてストレートに言ってみたものだ。

 二人が画面を見ながら話しこんでいると事務所の扉が開いた。入ってきたのはこの事務所の社長である速水だった。彼は帽子と杖を自分のデスクにおきながら訊いてきた。

 

「おや、二人ともなにをしているんだい?」

「ヒマなんで休憩中でーす」

 

 命から見て速水という男は、まさに紳士という言葉が似あう男だ。身長は彼ほどではないが180cm以上はあるし、ブラウンスーツを着こなし、出かける際にはおしゃれな帽子と杖をもっていくその姿はまさに紳士だ。肌は年相応なのだろうが、どうみてもまだ若い部類に入るのは不思議でならない。本人曰く、まだ70にはなってないと言っているそうだが信じられない。

 信じられるのは、プロデューサーと今回の一連の騒動の共犯者の一人であるということ。そして、隣に座る早瀬未沙の祖父だということだ。

 

「おじいちゃん、どこか行ってたの?」

「ちょっと外の空気を吸ってたんだよ」

「おみやげは!?」

「はは。残念ながらないよ、ごめんね」

「みこちゃん、味を占めすぎ」

「ぶぅー。だって私、親の実家にあんまりいったことないからさ、おじいちゃんとおばあちゃんっていけばお小遣いくれるイメージなんだよね」

「そういうものかな?」

「家によるんじゃないかね」

「相棒は口で言いつつ、なんだかんだ色々くれるけど」

 

 言うと二人は揃って苦笑した。

 

「まあ彼はああ言っていても、君のことを甘やかしているところがあるからね」

「見た目は怖いけど」

「それな」

 

 速水はプロデューサーのことを知っているため彼への対応は人並みな感じなのはわかるが、孫の未沙の対応は言葉とは裏腹でそこまで怖がってはいなかった。彼はまるで抜き身のナイフないような感じだが、美沙はいたって普通に接していたし、彼も対応は優しい部類のように命は感じていた。納得いかないのが自分より扱いがいいということであった。

 三人で談笑していると、速水が思い出したかのように言った。

 

「ああそうだ、命君。協会から本選のトーナメント表が送られてきたんだよ」

「私、Cブロックでしょ?」

「知っていたのかい?」

「相棒が教えてくれたの」

「ああ、なるほどね」

 

 彼は驚きつつもトーナメント表を命に渡した。

 命は渡されたトーナメント表を流し見してすぐにそれをおいてモニターに目を向けた。

 

「もういいの?」

「まあ誰が相手でもやること変わらないし」

「たしかにその通りではあるがね。ところで、彼はどこにいるんだい?」

「相棒は外回りにいってるよ。たしか……最後の打ち合わせとか言ってた」

 

 ふむ、と言いながら速水は顎を撫でる。もし彼にアゴ髭があれば様になっているだろう。

 

「なるほどなるほど。命君、このあいだ最後の曲の収録してきたんだったね」

「そうだよ」

 

 そのことは関係者のみしか知られていない、と聞いている。それ以前に今まで出しているCDは全部そうだ。すべて相棒が手配したスタッフのみで収録している超厳重体制。

 今回のラストソングは本選の決勝で披露することになっている。CDの発売は前日で、二度と新曲が発表されることはなく、一時出荷のみで増産はしないと彼は言っていた。

 プレミアム価格をつけようとしているのだろうかと考えたが、それは違うとすぐに気づいた。それも当然なのだ。

 〈リン・ミンメイ〉はもうすぐいなくなる(・・・・・)

 

「最初の新人アイドルの番組は既存の曲歌ったんだよね?」

「うん。日高舞の曲」

「でも、デビューCD以降はみんなみこちゃんが作ったんでしょ?」

「まあね。えっへん!」

 

 正確には作詞、作曲に歌の振り付けもだ。このことは相棒を含めた四人とほんの一部の人間しか知らないことだ。頭がいかれてると思われるかもしれないが、本当なのだ。

 きっかけは私が鼻歌で歌を歌っていた時、彼が「それはなんの歌だ?」と聞いてきたのだ。普段の彼からしたら出てこない言葉だが、この鼻歌が彼が知らない歌だから興味を惹いたのだろう。

(オリジナルだよ)

(オリジナル? お前の?)

(そう。いま適当に作ったの)

(……そうか。なら、歌を作ってこい)

(ぱーどぅん?)

(作詞をしろと言った。ノートに書くだけ書いてこい)

 このことはアイドルデビューした数日後の話だ。それから自宅に帰るとたまたま未使用のノートがあったので、それに作詞をしはじめた。

 言葉に出しながらノートに文字を起こす。その最中に、相棒はなんて男なんだ、まったく人使いが荒いやつ……etc。彼に罵詈雑言の嵐を浴びせてそのうち言葉が出てこなくなると、気づけば一曲できていた。

 我ながら恐ろしいぜ……。

 だがなぜか……それだけは物足りないと感じてしまったのだ。

(そうだ、作曲もしてみよう)

 そんな軽いノリで私は機械に詳しい友達の伝手で買ったノートパソコンを起動した。HDDではなくSSDなので起動が早いったらありはしない。

 困ったときのグーグル先生を開いて、『作曲 フリーソフト』と検索。するとすぐに出てきた。一番上に来ていた紹介サイトからソフトをダウンロード。この編集ソフトの紹介記事の使い方を見ながら作曲していく。

 これを数日かけて相棒に渡すと、いつもの微動だにせず訊いてきた。

(なんだ、このUSBメモリは)

(歌だけど?)

(……作曲もしたのか? 自分で)

(うん。すごいっしょ)

 そのあとの行動は早かった。私が作った曲を相棒は知り合いに渡し、そこから編曲しすぐに初収録となった。

 あとはその繰り返しだ。月に2、3曲は作れてしまったので、リン・ミンメイの歌は毎月のように新曲が発売されることになったのだ。

 

「でも、最後の曲は私が書いたわけじゃないんだ」

「そうなのかい?」

「うん。相棒の知り合いの作詞と作曲家の人が頼み込んできたの。やっぱり本職の人は違った。すごいいい歌だよ、アレ」

「君がそこまで言うんだから、それはとても素晴らしい歌なのだろう」

「ふっふっふ。私はもうすでに予約済み! プロデューサーにだけど」

 

 未沙は中々賢い。ラストソングということを公には公表しないだろうが、いつものように売り切れ御免といった感じで幕を閉じるだろう。いまはネットでダウンロード販売もされているので気兼ねなく誰でも購入できるが、それは常に当たり前にあればの話だ。しかし、二度と再販もされないとなればデータより実物のが付加価値がつくだろう。

 いまでは予約開始数分後に売り切れで、店頭販売などありはしない状況だ。未沙が彼に頼み込むというのが一番賢い選択だ。

 まあ私が教えたというのも大きいので感謝してほしい。

 

「本選がもう間近となると、少しずつだが整理はしておいた方がいいなあ」

「まあ元々ものは少ないほうでしょ、この事務所」

 

 美沙が言う。

 

「ここの契約については彼が最初に話してあるのでよしとして、いかに素早く消えるかが大事だからねえ。大きい荷物は……いまはいいか。小さいものからまとめて外に出すとしよう」

「でもさ、周りはパパラッチばっかだよ? 不審がられるんじゃない?」

 

 ミンメイの正体を探ろうと多くの記者やパパラッチが事務所の周囲を包囲している。事務所に入るのはいいが出るのは一苦労で、命はプロデューサーに送迎されているので問題ないのだが二人は少し苦労していた。現に何度か接触があったが、彼が適切に処理をした。

 

「なに、そこはうまくやるさ。細かい相談は彼と――」

 

 奥の事務所の扉が開いた。プロデューサーが何食わぬ顔で帰ってきたようだ。

 

「ああ君か。おかえり。どうだったかね、最後の秘密会議は」

 

 速水の言う秘密会議の詳細について、命も未沙も詳しくは知らなかった。それでも好奇心は止まらず彼を問い詰めて教えてくれたのは、秘密会議のメンバーはプロデューサーの協力者であり、テレビ局の幹部に雑誌の編集長、大きなところではアイドル協会の役員などを含めた人間で構成されているということぐらいだった。

 この一連の騒動は仕組まれたことだ。それは命も初めから承知の上でやっていること。

 彼女としては自分の力、というよりも〈リン・ミンメイ〉の力もあるのだろうがここまで事がうまく運ぶのは違和感を覚えた。

 あまりにも出来過ぎだ。

 まるで人ではなく、大きな力が手を加えているのではないかと思ったぐらいに。

 速水からそれを聞いてやっと納得したのだが、同時に一体どうやって彼は協力者を引き入れたのだろうか、そんな疑問もわいたが答えは二つ。彼に賛同したか、それとも彼が無理やり協力させたのかのどれかだろう。

 後者はあまり考えたくはないが、命としては相棒らしいといえばらしいと達観していた。

 

「おそらく問題はないでしょう。あるとすれば、そこのマヌケが優勝できなかった時ですよ」

「大丈夫だって、安心しなさいな。見事優勝してみせますから」

 

 えっへんと胸を張る命。

 

「そう祈ってるよ……命、今日の仕事はもうない。帰るぞ」

 

 命は両手をあげて喜んだ。

 10月にもなると番組収録やレコーディングなどはほぼ終了しているといってもよかった。それは先の秘密会議のこともあり、現在のミンメイの仕事は生放送の出演か雑誌の取材、写真撮影のような軽い仕事に留まっていた。

 命としてはもうすぐ終わるという実感と、少し名残惜しいとい複雑な心境にあったが、仕事が早く終わるのはいいことだと、すぐに思考を切り替えていた。

 

「りょーかい。それじゃあ二人とも、お先に失礼します!」

「はい、お疲れさま」

「また明日ね、みこちゃん」

 

 ビシッと二人に敬礼した命は、当然のごとく置き去りにして先に歩くプロデューサーの元へ走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所から命が住む隠れ家に帰るには相当の手間がかかっている。

 本来なら事故や工事などといった規制がない限りは、30分足らずで帰路につくことができるのだがそうは簡単にはいかない。なぜならプロデューサーの息がかかっていない出版社や記者が事務所から尾行をしてくるからだ。

 有名人にはよくあることだが彼にとっては、そんなことなど想定の内だったらしくすでに対処していた。

 まず帰宅ルートが複数あって毎日違う道を走る。命はこれぐらいは普通だなと呆けていた。しかし実際には、かなり手の込んだものだった。

 例えるなら中継地点と呼ぶべきだろうか。そこに一旦車を止めると、そこには別の車が用意されているのだ。これ一台ならそこまで騒ぐことではないのだが、なんとこれが数台は用意されている。中継地点は複数あり、その数だけ車もあるわけなのだ。かなり手の込んだ送迎であり、超VIP待遇なのはもちろんではあるのだが、勘のいい記者たちに気づかれると中継地点も変わり、さらには車も変わる。

 さすがの命もこれにはたまげた。だから率直に尋ねた。

(映画並みに手の込んだことしてるけどさ、どこからこんなお金出てるの?)

(初期投資は俺持ち。今はお前の稼いだ金で、経費で落としてる)

 まあ納得の回答ではあった。しかし、初期投資だってバカにはならない額がかかっていることぐらい命自身もわかっていた。

(……相棒ってさ、どこかの御曹司なわけ?)

(俺は、どこにでもいる普通の一般人だ)

 こんな一般人がいるかと口に出したかったがやめた。

 彼は普通ではない。狂人といってもいい。自分の夢のためにあらゆることをしている。

 素直に尊敬するし、憧れる。

 そこまで夢のためにがんばる人なんて見たことがなかったからだ。周囲の人間は彼を蔑むかもしれない。でも私は、彼を讃えるだろう。

 命は会話のない退屈な時間をそんなことを思い出しながら過ごす。

 ふと今日速水からもらったトーナメント表のことを思い出した。彼からは自分のブロックしか訊いておらず、他の出場アイドルがどんな人間なのかは知らない。

 けれど、教えてくれるかな。

 素っ気ないのではなく、相手にしてくれないのが相棒の悪いところだ。彼からすれば自分が優勝することが当然だと自負しているので、その所為なのかもしれないとは前々から思っていた。

 しかし、物は試しだ。だめならそれでいいのだ。

 

「ねえ相棒。私の一回戦の相手の……ヘレンって人、どんなアイドルなの? この人、346プロのアイドルでしょ。相棒詳しいんじゃないの?」

 

 少しの沈黙のあと、彼の口が開いた。

 

「――ヘレンは、変わり者だ。それも上位の。まずヘレンというのは本名じゃない。だからと言って偽名というわけでもない。彼女の過去の経歴はまったく不明。日本人じゃないのはたしかで、知り合いに調べてもらってわかったのは、ヘレンという名の女性は以前にもいたこと。同名の人間がいてもおかしくないが、これは変わり者に該当するという意味でだ。気づけば彼女は日本にいて、なぜだからしらんが芸能界にいた。それを俺がスカウトした。……なんだ?」

 

 口を開けて驚いていた命に、彼は首を少し動かして不満げに言った。

 

「だ、だって、相棒がそんな長い言葉をしゃべったことに私は驚いているわけなのだよ!」

「尋ねてきてその言い草は気に入らんな」

 

 ここはいつもの彼だった。

 いや、あれが本来の相棒だ。命にはそれがわかる。

 出会ったころはもっと酷かったものだ。はいかいいえの二択のような返事しかしてくれないし、必要なこと以外喋ってはくれない。

 理由はわかっていた。

 彼は、私のことを道具のように使っているからだ。別にそれに不満があるわけではない。そういうことは事前に織り込み済みで、私はこの話を受けたのだ。

 だからなんだということになるが、命にとっては本来のプロデューサーというのは新鮮なのだ。なので、この流れは止めてはいけないのだと気づく。

 

「ごめんって。で、この人の実力は?」

「わからん」

「わからんって、仮にもスカウトした人間の言うこと!?」

「ヘレンは、さっきも言ったが変わり者だ。実力があるように見えるが、実はふざけているだけのかもと見える時が多々あった。本人がよく『世界レベル』なんて口にするが、それが本当なら実力を隠していることになるな。まあ本選に出る時点でそれなりの力は前々から持っていた、ということになる」

「不思議な人だね」

「ただの変人だ。自分が勝てないと思っているなら――」

「負けないよ、私は」

 

 ミンメイでいるときの真摯な声で彼女は言った。

 

「相棒が言うように、〈リン・ミンメイ〉は負けることはない。私もその気はない。そうでしょ?」

「ああ、その通りだ」

「ふふ。でさ、Dブロックの相手って誰になると予想してるわけ?」

「シェリル・ノームが一番可能性が高い」

「ふーん」

 

 彼女が『銀河の妖精』と呼ばれているアイドルなのは命も知っている。ただ、シェリル・ノームを初めて見たときは彼女がアイドルだということに驚いた。別にアイドルなのが不服とかそういうわけではない。見た目もきれいだしスタイルもいい。しかし彼女はアイドルというカテゴリーとしては、いささか不釣り合いなような気がしてならなかった。まあ今でもその違和感はぬぐい切れてはいないのだが。

 速水経由でシェリル・ノームも彼が担当をしていたことは聞いていたので、この状況で「どんな感じだったわけ?」と気軽に聞ける雰囲気ではないし、うまく会話ができているのでそれを壊すわけにはいかないので、追及するのはまた今度にする。

 

「じゃあさ、決勝戦に上がってくるのは誰だと予想しているの?」

 

 命はある意味一番大きな地雷だとわかって訊いた。

 

「……誰が上がってきてもおかしくはない。だから、なんとも言えん」

 

 プロデューサーはどこかはぐらかすように答えた。

 薄暗い車内では、時折照らす街灯の光だけ彼の顔を映すがそれだけでは彼の表情を察することはできない。ましてサングラスかけているから余計だ。

 だが、命にはそれがわかる。

 彼にはわかっているのだ。自分ともう一人、決勝の舞台にあがってくるアイドルが誰かを。ではなぜ答えようとはしない? 

 わかっているのであれば簡単に言えるはずだ。

 なにを躊躇っている。

 一言そのアイドルの名をあげればいいだろうに。だから、自分のような小娘にすら簡単にみすかれてしまうのだ。

 

「そっか。まあ問題ないよね」

「そうだ」

 

 そう相槌を打つことでこの話題は終わった。

 もっと普通の話題をあげればよかったと後悔したが、なぜか長続きはしないという根拠も同時に浮かびあがった。

 それから車はいつものように中継地点で停まり、車を乗り換えてそこから数十分ほど走る。

 プロデューサーが用意した隠れ家――木造建築の古いアパートに車はたどり着いた。

 先に車を降りたのはプロデューサーで、彼はざっと周囲を見渡してからまだすぐに車内に戻ると告げた。

 

「いいぞ」

「ありがと」

「明日は……少し遅くなる」

「どのくらい?」

「一時間ほどだ。仕事も限られているからな。少しだけだがゆっくりするといい」

「うん。それじゃあ、また明日」

「ああ」

 

 車を降りてアパートに向かって歩く。後ろで車が走り出す音が聞こえる。命は振り向かずにそのまま自分の部屋に向かった。

 アパートは二階建てで、命の部屋はあがって一番手前の部屋だった。部屋はワンルームではあるがお風呂もちゃんと付いていて特に不満はなかった。今どきの女子からすれば文句の一つは出るかもしれないが、彼女は特に気にしてい。

 こうなる前の生活はこのワンルームの部屋より多少マシな部屋だったので、そこまで大差がなかったということもある。大学を辞める前はバイトと実家からの仕送りで過ごしていた。なので、そこまでいまの生活に不自由はしていない。

 命は荷物をその場において座り込み、部屋の一部を陣取っている小さなテーブルの上に置いてある小さなスタンド型の鏡を覗き込んだ

(あと少しか)

 この生活もあと二か月。

 学生の頃は一年なんて長いと思っていた。けど周りの大人が言うように、社会に出れば一年なんてあっという間。まあまだ社会に出たばかりなのだが。

 毛先をいじりながら鏡の自分をじっと命は観察するように見た。

 はたしてこの私は「飯島命」なのか、それとも「リン・ミンメイ」なのか、時々それがわからなくなる。

 ミンメイを演じていると言われれば、たしかにそうではあるのだ。

 ただ演じるといっても、元になったものは存在しない。脚本家や監督ががこれこれこういう役なので、そういう感じで演じてくださいと役者に言うのとはまた違う。

 命も最初にプロデューサーに尋ねた。

(で、ミンメイってどんな感じなわけ?)

(お前の好きなようにしろ)

(……は?)

 たった一言で突き飛ばされた。

 〈リン・ミンメイ〉という存在を作ったのは相棒だ。そもそも〈リン・ミンメイ〉とはなんなのだという話になるわけだが、これは何一つ教えてくれなかった。世間が彼女にどんなイメージを付けたり想像しようが、オリジナルの〈リン・ミンメイ〉を知っているのは彼だけなのだ。

 実に気になる。

 それでも私は自分の思うままに演じた。いや、そうしたいからそうしたし、こうしようと。

 普段事務所でだらけたりしているのも、外でミンメイとして振る舞っているのもすべて自然体で、特に何かを意識しているわけではない。それに相棒は文句や指摘をすることはなかったので、彼としても満足いくモノだったということなのだろうか。

 答えはわからないし、さすがの自分もそこまでは見通せない。命は気分を変えるために浴室に向かった。とりあえずお湯を出して、その間はテレビで時間をつぶすことにする。

 やはりというべきか、本選のトーナメント表が発表されたのでどこもその話題で持ち切りだった。番組の内容も時代が時代のため、アイドルがメインの番組も多い。チャンネルをまわすと、偶然自分が出たので電源を落とした。

 なにいつものことだ。テレビに映る自分など見る気もないし、興味もない。人によっては自分はどうだったろうかとか、ちゃんと喋れていたとか色々後学のために見るものもいるのだろうが、私はそういうことなど一切関係ない。

 私にとってはもう過去のことだ。いちいち気に留める気にもならない。大事なのは現在(いま)であり未来(あした)だ。

 そんなことを考えながら一度浴槽を確認。小さい浴槽だからすぐに溜まる。ちょうどいい感じなのでお湯を止める。

 ワンルームのため脱衣室なんて大層なものはない。なので洗濯機の前で服を脱いで放り投げる。

 軽くお湯を体にかける。まずは一番手間のかかる髪の毛を洗わなくては。

 エクステをしてから髪の手入れはかなり面倒になったのは困ったものであるが、それも彼が一から全部を指導したくれたわけだが。

 本当に普通の男かと思う。

 だって、女以上にやけに詳しいのだからそう思って当然ではないだろうか。

 先程もアイドルに対して変わり者だとか変人と言ってはいたけど、むしろ相棒の方が変わり者だと思う。うん、そうに違いない。

(まあ……私も同類か)

 もしくは一番の変わり者だろう。もちろん自分が。

 自分がしたいわけではなく、彼が果たしたい夢のために私は道化を演じているわけだ。人のために何かをしてあげられる人は、たしかに美点ではるが私の場合はどうだろうか。一人の男の夢を叶えるために、大勢の人を巻き込みあるいは不幸にしている。

 まったく、迷惑な話だ。

 けど、そうしないないいけないんだ。

 じゃないと彼はずっとあのままで朽ちてしまう。

 それだけはダメだ。それではあまりにも――

 いや、よそう。

 命は顔を振った。濡れた髪がペチペチと当たる。

 小さなため息をついてさっさと体を洗って湯船につかる。命はしばらく何も考えず、無言で体を温めている。

 どうしてか、いつも相棒のことを考えてしまう。彼のことが好きなのかと思った。が、別に嫌いではないし好きな男性だと思ってる。ただこれが、恋なのかは自分でもわからない。たぶん、違うと命は曖昧な判断を下していた。きっと自分が彼をこうまで気にしているのは、心配だからだろう。だからいつも彼のことを考えてしまうのだ。

 命は大きな懸念が一つあった。

 それはすべてが終わったあとのことだ。

 自分はいい。全部を忘れて、就活をすればいいのだから。たぶんすごい苦労するとは思うが。

 けど、相棒は違うのだ。

 おそらく彼は、すべてが終わったあと消えるだろう。命を絶つ、というわけではない。誰も自分を知らない場所へいくのではないか。命はそう予想していた。そして一人で死ぬか、あるいは普通の女性と結婚をする。そんな気がしていた。

 しかしこれはただの想像にすぎない。けれど、不思議とそうなってもおかしくないと感じてしまう。

 ではそうなった時、自分はどうするのだろうか。

(その時は一緒に……)

 別の可能性。

 あり得るかもしれない未来。

 命は運命など信じない人間だった。運命も偶然もすべて起こるべき必然だと信じている人間で、言い換えればすべて起きる事象はすでに決められたものだということでもある。だから、いまこうしているのも必然。なんら不思議ではないのだ。

 だが、いくら必然だと信じている自分でも明日のことは、今日起きることだってわかりはしない。

 自分のことは、いまはどうでもいい。肝心なのは相棒だ。

 はたして、これから彼の決められた選択肢は一体どれを選んでいるのか。

 希望、それとも絶望?

 もし、私に必然すら変えられる権限があるならば、相棒の決められているその必然を変えてみせる。まさに神の所業。だが、神になるつもりはない。人間で十分だ。

 やはり、こんなことを考える時点で十分おかしい。

 私はやっぱり、変わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして。

 長きにわたる時間を経て、準決勝に出場するアイドルが決定した。

 Aブロック 四条貴音。

 Bブロック 島村卯月。

 Cブロック リン・ミンメイ。

 Dブロック シェリル・ノーム。

 

 彼の夢の成就まで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き

【中村プロダクション】

 元ネタ ナムコの由来である中村製作所から。

【ヘレン】

 ネタ(ガチ)枠。初戦でリン・ミンメイと当たり1回戦落ちなのだが、どういう訳か物凄いライブを披露し点差は驚きの僅差である。

 やはり世界レベルは違った。

 

 

 

 

 

 



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第37話 私の答え

 

 

 

 

 気づけば随分、遠いところまで来てしまった。

 用意された控室の椅子に座り、鏡に映る自分を見ながら島村卯月は自身が置かれた状況をまだ飲み込めずにいた。

 卯月は自問しながら状況を整理する。

 今日はいつ?

 12月〇日の、〇曜日。天気は、晴れだった。

 現在の時刻は?

 いまは……たぶん20時は過ぎてるはず。

 ここはどこ? 

 〈アイドルアルティメイト〉最終日の会場、そこの控室。

 なにしきた? 

 あの人に、プロデューサーに伝えられなかった答えを言うため。

 では、ここでなにを待っている?

 誰かが私を呼びにくるから、それまでここで待機している。

 どうして?

 それはライブをするため。

 なんの?

 〈アイドルアルティメイト〉の準決勝。

(ほんと、うそみたい)

 状況をようやく把握しても、自分がこの場所にいることを信じられずにいた。

 準決勝。勝てば決勝。

 そうだ。決勝までもう手前まで来ている。

 約一年という長い時間をかけて、私はここにいる。

 これまでは、勝つとか負けるとか考えていなかった。ただ、無我夢中でがむしゃらのように走り抜けてきただけ。名前だけ知っているアイドルとも競いあった。悲しくて、辛いけど同じ仲間であるアイドルとも競い、勝ちあがってきた。

 相手に同情とか、まして勝利して愉悦に浸ることなどはしなかった。

 大半のアイドル達は、トップアイドルの称号である〈Sランク〉を求めて参加したと思う。けれど、私ははなから〈アイドルアルティメイト〉での優勝と〈Sランク)なんて興味はなくて、欲しいとも最初から思っていなかった。

 ただ、プロデューサーに会って伝えたいだけだ。それは随分と回りくどいやり方だと自分でも理解はしていると同時に、こうまでしなければ彼は私を見てはくれないだろうということもあった。私のように、凛ちゃんを筆頭に多くのアイドル達はプロデューサーに会いたいがため、この大会に参加したものが大半で、ごく少数は自身の力量を試すためというアイドルもたしかにいた。

 その筆頭がヘレンだったと卯月は記憶している。

 ヘレンというアイドルについては中々言葉で説明しにくい人だ。女性と言い換えてもそれは同じで、たぶん彼女について答えられる人間はほとんどいない。外国人なのは嘘ではないが、出身国を知るものはいない。大人組同士でよく交流をしているアイドル達の間でも、彼女がどこに住んでいるかは知らない。346プロダクションにいるアイドルで、特に素性がわからないアイドルにランクインするぐらいだ。その中にはのあやイヴといった謎の多いアイドルが当然のようにいる。

 そんなヘレンは、一回戦がまさかのリン・ミンメイと当たってしまった。

 運が悪い。

 誰もが口を揃えて口に出していたのを卯月は聞きたくなくても、自然と耳に入ってきていた。周りが言うように、たしかに運が悪い。アイドル部門の役員達は優勝はできなくても、その準決勝ぐらいはいってほしいと期待していた。本選に出場するアイドルは346プロだけで6枠。可能性がないわけではなかった。けれど、初戦が〈リン・ミンメイ〉ならば早速1枠がつぶれたと落胆した。

 誰もがヘレンの初戦敗退を確信している中、当人だけは違った。負ける気など一切ない。彼女は、あの〈リン・ミンメイ〉に勝つ気でいたのだ。

 二人のライブはCブロックの最初。会場に来ていた人間全員がリン・ミンメイが勝つだろうという空気。

 一番手は〈リン・ミンメイ〉。彼女の歌を聴いて誰もが彼女の勝利を確信する。ミンメイ一色となった会場に、ヘレンはステージにあがる。

 その時、不思議なことが起こった。

 誰だ、あれは。

 彼女のライブは、言葉ではうまくいえないものだった。それはまるで、リン・ミンメイと同じようなものだと錯覚するぐらいに。

 ヘレンは会場の空気を、色を変えた。あの〈リン・ミンメイ〉が作り出した世界を。それだけでも凄いことだ。さらに凄いのが二人の点差はほとんど僅差で、勝ち上がったのは〈リン・ミンメイ〉であるものの、あのミンメイが初戦から激戦になるという信じられない光景に誰もが驚いていた。

 だが、それも最初だけであとは圧勝で〈リン・ミンメイ〉は準決勝に駒を進めた。

 他の346プロのアイドル達も初戦敗退はなかったが、二回戦目から次々と敗退。346プロの看板アイドルでもある高垣楓も、シェリル・ノームと当たり敗戦。

 そして、勝ち残ったのが卯月だった。だからこそ、彼女は自分がここにいることが信じられなかった。

 ヘレンのような会場を沸き立てるようなライブができたわけじゃない。楓のように白熱したライブをしてこれたわけじゃない。

 ごく普通に、いつも通りにやっただけだ。

 いや唯一違うというならば、私には自分でも驚くぐらいに強い意志をもって挑んでいることだろうか。

 絶対に負けない。

 短い人生の中で誰かに負けたくないないどと、たぶん一度もなかったはずだ。子供のころからきっといまでもそう。勉強や運動で勝ち負けに拘ったことはない。どちらも比較的自分の限界がわかりやすいものだ。ここが得意であれが苦手。走るのだって速くない。競う相手がいなかった、ということも原因の一つかもしれない。

 それでも劣等感だけはあの時、これ以上ないぐらいにぶちまけた。

 最初はこれといって何も感じてはいなかった。けれど、アイドルという特殊な環境でそれに気づくのはとても遅かった。遅かったから、あんなにも酷い有様と言えたのかもしれない。

 歌は上手でダンスも華麗に踊れて、なにより自分よりかわいい子なんてたくさんいた。仲のいい仲間たちは、自分にないものをたくさんを持っている。今思えば、我ながら不器用な女だと卯月は思った。

 他は関係ないし誰かと比べてもキリがない。アイドルとして見れば、自分のことだけを考えればよかったのだ。ステータスをあげるためにはどうすればいいかを考え、少しずつでも成長していけばよかった。

 そしてなによりも、自分だけの武器を磨く。そう考えると、あの人ははじめから見抜いていたのだと卯月は気づく。

 いや、自分が忘れていただけだ。

 その件に関しても経緯はともあれ、彼の審美眼は本物だと言わざるを得ない。アイドルとしての才能を見抜き、その子の魅力を引き出す。けど、すべてを口には出さない。それは彼なりの鞭で、そこはやはり自分で気づいてほしかったのだと思う。まあ何度もそこに行きつくので、自分が嫌になりはじめてきた。

 それにしても退屈だ。

 ライブ衣装にはすでに着替えているし、メイクや細かいところもアシスタントの人がとうに終わらせてしまった。そしたら部屋には自分一人で、武内Pはまだ帰ってこない。

 歌う曲でも確認しようかと思ったけど何度も歌ってるし大丈夫。あるとすればダンスの振り付けぐらいだろうか。いまでも稀に間違えてしまうことがある。けど、それも衣装に着替える前に何度も練習したし、この状態でやるのはよろしくない。

 不謹慎だけどスマホでもいじってようかと思った矢先、扉を勢いよく開けて私の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえた。

 

「ヘロー、しまむー! 調子はどうだい!」

「未央ちゃん!」

「未央はさ、もう少し静かにできないわけ?」

 

 未央の背後から、呆れた顔をした凛がひょっこり出てきた。

 

「凛ちゃんも! でも、どうして?」

 

 ここは関係者以外立ち入り禁止で武内P のような人間はともかく、出場する以外のアイドルも極力控えるよう通達されていた。

 なので二人がここにいるのはありえなかった。

 

「武内Pが許可してくれたの。私たちはほら、ニュージェネだし、仲いいし」

「未央さんも忙しくて中々しまむーに会えなかったからね。気を使ってくれたんだと思うよ」

「そうですか。やっぱりその、来てくれて嬉しいです」

「これで邪魔って言われたら、あたしはショックでしょうがないよ……」

「まあ大事なライブの前だし、多少はね? けど、いいの? 邪魔じゃないかな」

「ううん。一人でいるのはちょっと退屈でしたから」

 

 二人は近くにあった折りたたみ椅子をもってくると、卯月の前に座って話を始めた。

 

「にしても、まさかしまむーが残るとはね。正直意外だったよ」

「意外とは失礼です」

「そうだよ。それ、一回戦で負けた私たちに向かって言える?」

「ごめんちゃい」

 

 手を合わせて謝罪する未央。二人はそこまで怒ってはおらず、やれやれと肩をすくめていた。

 

「凛ちゃんの初戦の相手ってたしか」

「うん、魔王エンジェル。思い返しても素直に完敗。なんていうか、アイドルとしての地力が違った。月並みな言い方だけど、何より強くて私たちなんかより『勝つ』っていう気迫が伝わってきた」

「配信で見てたけど、私もそんな感じがしたなあ。やっぱり先輩アイドル方は経験が違うのかな?」

「まあそれもあると思うけどね」

 

 凛は少し不満げに肯定した。

 卯月はなんとなくだが察しがついていた。

 未央と同じようにリアルタイムでライブ放送を見ていた卯月も凛と同じ印象を抱いていた。魔王エンジェルにはなによりも『勝ちたい』という気迫が伝わってきていた。

 凛達も負ける気がないのは重々承知しているが、彼女たちよりもはるかに勝利への執念というのが決定的に違う。動機が不純とまではいかない。けれど、それが勝利よりも勝ってしまったのが敗北の原因なのではと思っていた。

 それは凛も含めた全員が気づいていることだろう。〈アイドルアルティメイト〉に出場した多くの346プロのアイドル達の理由はプロデューサーが目的だ。

 未央もそれとなく察しはついているのか話題を変えた。

 

「でさ、肝心のプロデューサーに会えた人いるの?」

「それ、聞く?」

「いやね、舞台のお仕事であんまり事務所に顔出せてなかったから、状況とかいまになって把握したぐらいなんだよね。まあ雰囲気で察してはいたんだけど」

「私は見てない。というより、私はAブロックだったから。会場に来てるかもってみんな思って探したけど、結局来てなかったし。卯月はなにか聞いてる?」

「私も見てませんよ。ただ、武内PがCブロックのライブで、遠目だけど見たって聞きました」

「そっか」

「でも、どうしてそんなことを?」

「いやね、改めてプロデューサーについて考えてみると、私達って全然あの人こと知らないだなと。すごく有能な人だっていうのはわかるよ。でもそれぐらいしか言葉が出てこないし、誰だってあの人はああいう人なんだよって説明も難しい」

「じゃあ未央ちゃんは、今までプロデューサーのことをどんな風な認識でいたんですか?」

 

 卯月が訊いた。

 

「さっき言ったのと他には……うまく言えないけど、ほんとうによくわからない人だったってことかな。武内Pのことだって最初はわからなかったけど、いまじゃ互いに良い所も悪い所も知る仲だし。けど、プロデューサーだけは最後までわからなかったなあ」

 

 未央の言うことに二人は自分が抱いている印象とあまり変わらないことに気づいた。

 それは彼女たちだけではないだろう。346プロに所属するアイドル全員が似たような印象を持っているに違いなかった。

 プロデューサーだって血の通った人間だ。ロボットのような機械人間にはできない感情をちゃんと見せることだってできる。クールな顔つきでいるのが日ごろ彼を見る表情の一つで、怒ったり笑ったりしているところだって知っている。特に泣いているところは見たことがないが、滅多に泣くような男ではないことも知っている。

 思い返してみても、プロデューサーの数多くの表情が本当に彼なのかと肯定ができない。言い換えれば、素直に受け入れられないのだ。

 島村卯月ならば彼女は笑顔がかわいいと例えることができるし、それを聞いた側も縦に頷くはずだ。けれど、プロデューサーにはそういった言葉が出てこない。彼は笑わないから怒りっぽい人なのかなと言われれば、それは違うと答える。

 誰もが「プロデューサー」という人間をうまく表現できない。だから、わからない。

 どんな人なのか、いい人なのか悪い人なのか。ごく普通のことでさえ、言葉にすることができない。

 

「しぶりんはなにかないの? 好きなんでしょ? プロデューサーのこと」

 

 未央を突然凛に言うと、彼女は顔を真っ赤にして勢いよく椅子から立ち上がった。

 

「な、なななんで⁉ いきなり、そういうこと言うわけ⁉」

「だって、ねえ」

 

 未央は同意を求めるように卯月に視線を送った。彼女はうなずきなから言った。

 

「凛ちゃん、前にも言ったようにみんな知ってますよ。そんなオーバーな反応しなくていいです」

「しまむー、なんかドライになったね」

「そんなことありませんよ」

 

 笑顔で返す卯月を見て、未央はそれ以上は聞かなった。

 

「で。プロデューサーのどこが好きだったの?」

「なんで過去形なわけ⁉」

「まあそこは置いておいて。ささ、ずずいっと言ってごらん」

 

 凛は椅子に勢いよく座ると、仏頂面でそっぽを向きながら話し始めた。

 

「……最初は、まあいまでも思ってるけど、ターミネーターな変なやつだと思ってた」

「うんうん」

「何を考えているかわかんないし、こっちの思っていることは簡単に見透かしてくるし。はっきり言って、自分でもなんで好きになったかなんてうまく言えない」

「けど、好きになったんですよね?」

「うん。不思議なんだ。アイドルになってプロデューサーと会って話をしたり、レッスンを見てもらったりそんな些細な時でさえ、自然とあの人を目で追うようになった。たぶん、最初は好奇心だったんだ。身近な男って父親を除いたら学校の同級生ぐらいで、だから余計に……気になったのかな。

「それわかるかも。身近な男子と比べると驚くぐらい不思議な人だし。恐ろしいぐらいに気が利くし、わからないことを丁寧に教えてくれたりもする」

「レッスンの時なんてトレーナーさんいる? って、思っちゃうぐらい一人でこなしちゃうんですもんね」

「武内Pやほかのプロデューサー達と比べても、やっぱりあの人は逸脱してるって思ってる」

 

 凛の言葉に二人はうなずいた。

 武内も優秀な男だ。彼以外もアイドル部門に所属するプロデューサー達はみな優れた人間ばかりで、現にプロデューサーが去った後のアイドル部門を引っ張っているのは武内をはじめとしたプロデューサー達であった。彼が後進の育成にも力を入れていたのはこういうことを見越していたのかもしれない。

 彼の指導者としての能力は失ってはじめて肌で感じるとることができたと卯月はあの日から感じていた。

 アイドル達の問題は、はっきり言えば個人的な感情が原因なのでそこは当人次第ではあったが、アイドル部門全体の問題としては大きいようで小さい問題だった。アイドル達とは違って彼が辞めるということを前もって伝えられていためか、仕事に関してはおおむね問題はなかった。ただ、彼のコネクションが使えなくなり一部の仕事に支障が出たことは間違いなかった。大きな問題としては、やはり指導者の喪失であったのだ。言い換えればアイドル達と同様アイドル部門の職員たちにも大きな打撃を与えていたことだった。

 チーフプロデューサーとして彼は現場のリーダーとしてアイドル部門を引っ張っていた。年齢としては30代という若い世代ながらも、部下や上司からかも信頼をおかれていたのだ。もちろん疎しく思う者も少なくはなかったが、彼の実力はたしかで面と向かって言えるものなどいなかった。

 そんな彼が去ったあとの後釜はいなかった。武内やほかのプロデューサー数名の名が挙がったが、チーフプロデューサーとして就くにはまだ未熟と判断された。

 その後アイドル部門をうまくまとめたのがいうまでもなく美城専務で、彼女の力で崩壊しかけたアイドル部門はうまく持ち直したとも言ってよかった。

 

「だからこそ、私にとってはそれがすごく魅力的に見えて、惹かれたんだ。レッスンは厳しいけれど、その分褒めてくれたときはすごく嬉しかった。だから、なにもできずに終わるのは……ちょっとやだよ」

 

 それを聞いてまだ彼女が彼のことを諦めていなかったことに気づいた。

 卯月が「プロデューサーのことは諦めた方がいい」と告げたのは凛だけだ。他の子達には言っていない。

 蘭子やアーニャ、まゆのような彼に好意を持っているアイドルに伝える気は卯月にはなかった。あの時、あの場でああいう話になったから彼女だけに伝えたのだ。

 きっと、みんなも凛と同じ気持ちだろう。けれど、すでに彼女達にはなにもできることはなかった。残酷なまでに。

 

「卯月はさ、伝えられると思うの?」

 

 声を震わせながら凛が言った。と同時に少しの嫉妬が混じっているようにも聞こえた。

 

「伝えるって?」

 

 何も知らない未央が卯月を見ながら言う。

 

「……伝えたいことは、歌に乗せて伝えたつもりです。でもやっぱり、面と向かって私の自身の声で伝えたいとは思ってます」

「それって、好きって気持ちを? つまり告白?」

 

 からかうわけではなく純粋に未央が言うと、卯月は首を横に振った。

 

「個人的な問題とでも言っておきます。本当は、どこかで会えればそれでよくて、こんなところまで来るつもりなかったんですけどね」

「それ、あまり口に出さない方がいいよ」

「ええ。ごめんなさい。けど、ここまで来て会えないってなると、ちょっと困りますね。一生後悔しそうです」

「やっぱり会えなさそうなの?」

「少なくとも、私はダメだったけどね」

「もしかしたらって、思ってはいますけど……」

 

 優勝のことよりもそれが目的だった。

 卯月は落ち込みながらも別の手段を考える。

 ここまで来て会えないとなると、最悪彼女の控室に突撃すれば会えるだろうか。ただ問題もあって、はたしてそこに本当にプロデューサーがいるかが最大の障害なのだ。ミンメイに言伝を頼むという手段もあるが、それは論外だ。自分でやらなければ意味がない。

 

「ん――。プロデューサーは一応来てそうな気がするけどなあ」

 

 腕を組みながら未央が言った。

 

「どうしてさ?」

「未央さんの直感」

「それ、当てになるの?」

「今日はなると思うなあ。まあ準決勝と続いて決勝までやるんだから、さすがに来てるとは思う。うん、たぶん!」

「ふふ。そうですね。未央ちゃんの言う通りかもしれません」

「そうだといいけどね」

「信用しなさいって!」

 

 部屋に彼女たちの笑い声が響き渡る。

 最悪なんて事態を考えるのはやめた。

 もしかしたら未央ちゃんの言う通り会えるかもしれない。会えなかったら、そうだな。忘れてやろう。うん、きっぱり。こっちは伝えたいのに向こうが現れないのだから仕方がないではないか。

 相手は自分がここにいることを知っているのだから、知らなかったなんて言葉では済まされない。

 でも、もし――

 本当に彼に会うことができたら伝えよう。ちゃんと、今度は。

 

『島村さん。武内ですがいいですか?』

 

 部屋をノックし外から武内が声をかけてきた。卯月は肯定し返事を返した。

 武内は部屋に入ると、凛と未央に対して申し訳なそうに言った。

 

「渋谷さんに本田さん。まだ話したいことはあると思いますが、時間が近づいていますので退出をお願いします」

「あーあ。もう時間か」

「しょうがないよ。でも、話せてよかった」

「うん! しまむー、ファイト!」

「ありがとうございます、二人とも」

 

 二人が部屋を出ていくと武内が言った。

 

「そろそろ移動なのですが、その前にあなたと話したい方がいます」

「え、それって――」

「私だ」

 

 卯月が訪ねる前にその女性は部屋に入ってきた。

 美城専務。

 予想をはるかに超える人間で卯月は声をあげた。

 

「え!? せ、専務⁉」

「すまないが、二人きりにしてくれ」

 

 うなずくと武内は部屋を出ていく。部屋の扉が閉まると、静寂な時間が流れ始めた。

 その時間はたったの10秒程度であったが、卯月にとってはそれ以上の体感であった。

 

「こうして、君と面と向かって話すのはあの日以来だな」

「そ、そうですね」

 

 それは三年前のクリスマスのことだ。

 あの日のことは覚えている。たった少しだけの会話だったけど、それでも深く刻み込んでいる。

 いまでもわからないのは、はたして専務は私のことをどう思って言葉をかけてくれたのか。きっとすぐに武内Pに自分の処分を告げたのは想像できる。そんな彼女があの日かけた言葉はそういうものではなかった。

 むしろ、道を示してくれたのではと考えたこともあった。

 相手は自分からすれば雲の上の人で、答えを聞けるような人間ではなかったし、聞いては意味がないのではと卯月は思いそれ以上のことはしなかった。

 そんな彼女がなんでここにいるのか。卯月には想像がつかなかった。

 

「そう畏まらなくてもいい。まあ無理な話か。時間もない、手短に話そう」

 

 思わず唾を飲み込みながら身構えた。

 

「346プロの代表として言おう。君には、感謝している。よくぞ、ここまでたどり着いてくれた。ありがとう」

「べ、別に感謝されることでは……」

「いや。十分に重大なことなのだよ。特に、これが〈アイドルアルティメイト〉なら尚更な。私は以前の大会を知っているが、これはとても影響力のあるモノなのだ」

「そう、なんですか?」

 

 美城の言うことについて、卯月にはあまり実感が湧かなかった。

 思い当たることといえば、本選への出場が決まると取材やらテレビの出演などの仕事が少し増えたぐらいで、それはまあ当然かなと勝手に思っていたからだ。

 そもそもの話、以前の〈アイドルアルティメイト〉と言われてもまったくわからないのが正直な感想だった。なにせ、その時はまだ1歳か2歳のはずなのだ。

 

「まだ実感はわかないだろうがその内わかるだろう。本選に出場し、準決勝まで勝ち上がる。これだけでも称賛に値する」

「あ、ありがとうございます」

「それと、これは個人的なものだが……」

 

 すぐには続いて言葉が出てこなかった。

 ここ最近、人の何気ない動作や表情でその人のことがわかるようになった卯月には、彼女が自分を見ながら逡巡しているのがわかった。

 専務である彼女が自分に何を躊躇っているのか。卯月にはそれがよくわからなかった。

 少し待つと、美城がようやく口を開いた。

 

「正直に言って、私は期待していなかった」

 

 それは躊躇うわけだ。

 侮蔑とも取れるその言葉を聞いて、ただそうだよねと彼女の言葉に同感していた。なにせ、自分でもここにいることが信じられずにいるのだから、彼女がそう思っても仕方がないのだ。

 

「まあそうですよね」

「いや、君だけはない」

「え?」

「君を含めた、〈アイドルアルティメイト〉に出場したアイドル全員にだ」

 

 驚いた。

 彼女はてっきり、楓さんには期待していると思っていたからだ。346プロの看板アイドルと言ってもいい彼女なら、優勝の可能性があるのではないか。卯月は自分をよそにそんなことを思っていた。

 それが、まさかあの美城専務からこんな言葉が出るとは。

 未だに信じがたい。

 

「……どうしてですか?」

「本選への出場は誰かしらするだろうと、最初から想定していた。だが同時に、優勝は絶対にありえないとも確信していたからだ」

「それって、日高舞さんが原因ですよね」

「そうだ。先も言ったが私は当時の彼女を知っているんだ。はっきり言って、今現在活動しているアイドルの中で、日高舞に勝てる者はほぼいない」

「ほぼ?」

「わからないか? これから始まろうとしているんだ。それは新しい伝説が生まれることを意味している。それを作るのが君なのかはわからない。けれど私はそれが嬉しいんだ。それに立ち会う者の一人として、こんなにも近い場所で見れることができる。少し、童心に返った気分だ」

 

 それは言葉の通りで、普段から見られない彼女は本当にうれしそうに話している。あの美城専務がこんなにも柔らかい表情をするなんて嘘みたいだった。

 

「ここから先は……誰にもわからない。私は君に優勝しろとは言わない。何かを強制する気もない。君は、君自身が成し遂げたいことがあるから参加した聞いている」

「はい」

 

 力強く卯月は答えた。

 

「なら、思う存分やってきなさい。後悔がないように」

 

 まるでその物言いにどこか懐かしさを感じた。

 母親のような温かな感じがしたが違う。そんなに親密な感じではない。

 ではなんだろうかと思ってすぐに思い浮かんだのが、高校時代の担任の先生だった。

 担任の先生は女性で、30から40代の既婚者だった。子供もいると聞いていたので、クラスの生徒は大きな子供のような存在だったに違いない。だからこそクラスの中で、いや学校中でただ一人のアイドルな自分をすごく気にかけてくれた。

 母親という面も持ち合わせているけど、それも含んで彼女は教師として接してくれた。養成所に通っていたころを知っているので、アイドルとして正式にデビューしたときはとても喜んでくれたし、祝ってくれた。

 それなりに名が売れると、「勉強の方は大丈夫?」、「アイドルだからって学校では浮かれないように」と注意してくれたりもした。

 特に自分がアイドルとして迷走していた際は、すぐに異変に気づき声をかけてくれた。それは疎しくも感じたけど、がんばれだとか月並みなことは言わなかった。

(悩みなさい。いっぱい悩んでいいの。けど、その選択で後悔だけはしちゃだめなの。そしたらもっと自分が信じられなくなって、嫌いになるわ)

 その時はわからなかった。でも、いまならその意味がわかる。

 あの時の先生の言葉厳しい側面もあるけど、温かさがあった。その温かさが美城専務の言葉とダブって見えたのだ。

 これが本当の彼女の姿なのだろうか。卯月は思う。どれだけ人の顔を伺ったり観察しても、結局本当のことはわからない。自分のことは自分にしかわらかないように。でもこの時の彼女の顔が、本当の素顔なのではないか。専務と呼ばれている女性ではなく、一人の女性としての。

 気づけばかたくなっていた体がほぐれいている。いつしか緊張が解けたていたようだ。

 卯月はこれから始まるライブの前に美城に会えてよかったと心の中で感謝し、改めて深くお礼をした。

 

「ありがとうございます」

「話はこれで終わりだ。短い時間だったが、君と話せてよかった」

「私もです」

 

 美城は微笑するとそれ以上は何も言わず部屋を出ていく。そして入れかわるように武内が入ってきた。

 彼は美城との会話に特にたずねることなく、真剣な顔つきで言った。

 

「島村さん。そろそろ時間です。移動しましょうか」

「はい!」

 

 

 

 

 

 控室から出た卯月は武内とともに会場の舞台裏へと赴いていた。

 〈アイドルアルティメイト〉最終日の会場は紅白歌合戦でも使用されている有名なホールだ。全国生中継でありネット配信も同時に行っている。

 卯月自身ここで歌うのは初めてではなかった。2016年の紅白歌合戦にはユニットで参加し、実際にここで年を越したのだ。

 あの時はかなり緊張していたが、ここに来たら少しは変わるかと思っていたけど意外と落ち着いている。えらく落ち着いている彼女を見て、武内も必要以上の言葉はかけてはこなかった。

 いま現在、ステージでは司会者と審査員らの紹介が行われているころだろう。

 準決勝からの審査はいままでとは違ってかなり大規模になっている。アイドル協会が依頼した審査員10名と、抽選で選ばれた一般審査員100名。さらに同じくネット抽選で選ばれた1000人による計1110名。

 現地およびネットの抽選に関しては徹底した管理体制で行われていた。当選した抽選券の転売を確認した時点で、その抽選番号は無効。ネット抽選に関しても、ライブ配信は公式のサイトで配信されるため、抽選者は抽選者専用のページにログインしてもらうことになっている。そのログインするためのパスワードを配布するのも放送の30分前と徹底している。他にも登録する際は個人情報などでかなり厳重なものとなっていた。

 なので今頃はネット抽選者はやっと映像を見れている頃だろうし、一般審査員も会場に設置されてた特別席でいまかいまかと興奮しながら待っているころだろう。

 彼らだけではない。会場に来ている一般客の熱気がここまで伝わる。今まで体験したライブよりはるかに熱い。

 会場の空気を肌で感じていると武内が横から声をかけてきた。

 

「島村さん。あちらを」

 

 彼が言う方に目を向けると、対戦者である四条貴音がやってきた。

 自分と似たようなスカートタイプのアイドル衣装。色は純白で煌びやか、頭には小さなティアラがあってまるでお姫様のような衣装だ。

 いや、本当にお姫様のように見える。彼女の髪のあまり見ない銀色はとても優美で、メイクをしているのかもしれないがそんなことをしなくても美しい顔立ち。同じ女性だからこそ惹きつけられてしまう。本当に同じ人間なのだろうか。そんな気さえしてくる。

 貴音に見惚れていると、なぜか彼女はこちらへ歩いてきた。

 

「はじめまして、なりますね。島村卯月」

「は、はい。そうですね、四条さん」

「貴音で構いませんよ」

「あ、はい」

 

 四条貴音と共演したことは驚いたことに一度もなかった。テレビ番組もそうだし、ドラマなどでも会う機会もなかったのだ。あるとしても年に何回かあるミュージックフェスティバルで一緒に参加したぐらいで、だからと言って一緒に歌ったわけでもない。なのでこれを共演といっていいかはわからなかった。

 だからなにを喋ればいいのか全然わからない。それを察したのか、貴音は優しい声で言った。

 

「短い時間ではありますが、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。でも、なんだか変な気分です。競いあう二人がこうしてお話しているなんて」

「そうでしょうか。わたくしとしても、貴方とこうして話すのはこの先たぶんないですし、なにより彼が手がけたアイドルである貴方と話してみたいと興味がありました」

 

 卯月は彼女の言葉に少し違和感を覚えたが、いまは特にそれを追求はしなかった。

 

「彼って……」

 

 貴音は答えず、笑みを浮かべた。ええ、貴方が思っている通りですよと言っているように見えた。

(そろそろスタンバイお願いします!)

 どこからスタッフが言ってきた。それに伴い周囲もざわつき始める。

 貴音は声の方に振り向いて再び卯月に顔を向けると、一つ訊いてきた。

 

「時間がもうないようですね。卯月。一つ、たずねてもよいでしょうか?」

「はい。かまいませんよ」

「ありがとうございます。卯月、貴方はなんのためにここまで来られたのですか?」

 

 彼女の前はまっすぐ自分を見つめている。覗き込めばきっとそこには自分が映っているほど、彼女の瞳は綺麗だ。

 その問いに対して、卯月はすでに答えを持ち合わせている。

 なんのため。そんなの決まっている。

 たった一つのためだけにここまで来た。

 生まれて初めてのことだ。

 一つのことを最後までやり遂げようとしているのは。

 それも時間で言えば一年にもなる。

 諦めようとか全部忘れてしまえばいいなんて一度も思わなかった。だからこれを言葉にするならなんていえばいいのだろうか。

 卯月は思い当たる言葉を口に出した。

 

「たぶんそれは私の我儘、もっと言えばエゴだと思います。私はたった一つのことのためだけにここまで来ました。まだそれは果たせていません。別にそれはここで優勝なんてする必要はなくて、気づけばここまで来てしまって」

「では、わたくしに勝つ気はないと?」

「いえ。そんな中途半端なことはしません。私の持てるすべてをもって貴音さんと向き合うつもりです。だから、負けません」

「少し、意地悪な言い方でしたね。ごめんなさい。でも、聞けてよかった。卯月、貴方はわたくしと似ていますね」

「似ている?」

 

 貴音はうなずいた。

 

「わたくしも同じです。目的は違いますが、結局はわたくしの我儘です。けれど、そのためには貴方に勝って決勝にいかなければいけません」

「はい」

「だから、負けませんよ。わたくしは」

「私もです」

 

 互いに笑みを浮かべあう二人。

 すると貴音は卯月を抱きしめてきた。その突然な行動に卯月は驚いて行動が少し遅れ、何かを言う前に彼女は優しくも少し切なそう声で囁いた。

 

「わたくしの相手が貴方でよかった」

 

 それだけ言うと貴音は卯月が離れた。

 

「では卯月。よいライブを致しましょう」

 

 貴音は去り、卯月はその背中を眺めていた。すると彼女の前にスーツを着た女性が現れた。噂で聞いていて直接見るのは初めてだったが、たぶんあれは星井美希だ。

 ほんとうにプロデューサーをやっていたんだ。

 あれは本当にアイドルの星井美希なのだろうか。スーツを着こなす姿は少女のような幼さを感じさせない。武内P達のような大人の女性に見える。

 美希に見惚れていると、いつのまにか消えていた武内が声をかけた。

 

「島村さん、大丈夫ですか?」

「あ、はい。大丈夫です」

「そうですか。では、ステージへ。もう間もなく呼ばれるでしょう」

「わかりました。あ、武内P」

「なんでしょうか?」

「いってきます!」

「はい。お気をつけて」

 

 

 

 

 

 貴音の次に名前を呼ばれてステージにあがると観客から大きな声があがる。

 やはり、舞台裏よりもはっきりと肌に感じるこの熱気と興奮。

 これぞステージ。

 これがライブだ。

 会場の雰囲気に浸っている最中時間は進み、司会の一人が簡単な紹介と説明をしはじめどちらが先に歌うかという話になった。

 正直どちらでもよかったが、隣に立つ貴音がこちらをみながら言った。

 

「では。わたくしからでよろしいでしょうか」

「私は構いません」

「それでは、一番手は四条貴音さんです!」

 

 歌い手が決まると卯月はステージとの出入口付近まで戻ると司会が貴音に歌う曲を聞いた。

 

「曲名はなんでしょうか?」

「はい。〈恋花〉です」

「では、四条貴音さんで恋花。どうぞ!」

 

 司会がその場から離れると証明が暗くなる。

 数秒後、曲が始まった。

 貴音がアイドルアルティメイトで歌ってきた曲はどれも切なさと儚さのような、『恋』に関する歌が大半を占めている。

 彼女とライブするにあたってこれまでのライブをチェックしていたので、今回歌う曲もおおよそは絞り込めていた。予選や本選の何回かで星井美希の歌も歌っており、衣装も彼女が着ていたような衣装で披露していた。それには何らかの意味があるのではと睨んでいた。貴音と美希が仲がいいのはファンの間では有名だし、〈アイドルアルティメイト〉に参加しない美希の代わりに彼女の曲を歌ったのではと最初は推測していた。

 今ではそれもあるかもしれないがもっと深い意味があるのではないか、卯月はそう思っていた。

 二人の歌はまるで何かを伝えようとしているに感じる。それがなんなのかはわからない。

 でも、その意味が少しわかったような気がする。

 自分と同じようにたった一つのことのためだけにここまで来たのだと彼女は言った。それに自分と似ているとも。

 ならば彼女がそれを伝えようとしている相手は――

 たぶん、きっとそうだろう。卯月には妙な確信があった。風のうわさで知ったあの話が本当ならまず間違いない。346プロに来る前までは765プロに所属して、その担当アイドルが四条貴音ならば、きっと。

 ステージで歌い、踊る貴音の姿は目を奪われる。歌からして激しいダンスをする歌ではない。それでも、一つ一つの動きがとても繊細で綺麗なのだ。

 そしてなによりも、同じアイドルとして今の彼女には大きな違和感を覚えた。それがなんなのかはすぐにわからなかったがようやくわかった。

 今の四条貴音はアイドルではない。アイドルではないなら歌手とも思ったが違う。

 あれは、一人の女だ。

 アイドルでもなく、歌手でもない。

 たった一人の女。

(貴音さん、やっぱり私とあなたは違います)

 彼女は自分と似ていると言ったけど、たぶん違う。

 あなたは女としての四条貴音かもしれない。けれど、私はアイドルの島村卯月としてここにいる。

 そう思うと胸の内に小さな対抗心が生まれたような気がする。

 なんだろう。なぜだか、無性にあなたには負けたくない。アイドルが一人の女に負けるというのは、素直に認めたくはないではないか。それに負けるというのは……あれだ。

 愛の力というやつに負けるような気がしてならない。

 漫画やアニメの影響で変な方向に思考が向いてしまっているようだ。でもそれがしっくりくる。だから選曲もそういうことなのだ。ならば、目の前でライブをしている彼女の姿にも納得がいく。あれはアイドルができるモノではなく、故にアイドルである自分には到底できないものだろう。なにせ恋をしたことは今のところないのだから当たり前だ。

 だが同時に思う。

 それだけであれほどの表現ができるのだろうか。逆に、だからこそできるということでもあるのか。今の自分にはわからない。

 卯月は心なしか、準決勝で選んだ曲がアレでよかったとほっとした。決勝で歌うかで期限ギリギリまで悩んでいて、後のことを考えず全力でぶつかりに行くために準決勝ではあの曲を選んだ。

 この待っている時間が惜しい。早く歌わせてほしい。

 目の前で彼女の歌を聞くたびにだんだんと日和っている自分がいることを知る。

 負けたくはないと思っても、ああまで魅せられてしまえばこうもなる。

 大丈夫だ。落ち着け。大丈夫。

 彼女は自分を落ち着かせるために何度も復唱していると、音楽が鳴りやんだのに遅れて気づいた。

 盛大な拍手。ファンの歓声。

 ステージを去る貴音と出入口ですれ違うが互いに見向きもしない。

 さあいよいよ私の番だ。

 

『では、次は島村卯月さんです。どうぞ!」

 

 呼ばれてステージにあがる。

 意気込みを聞かれたけど、少し簡潔に答えてから司会者は言った。

 

「それでは、曲名を教えてください」

「はい。曲名は〈S(mile)ING!〉です!」

 

 

 

 

 

 一人の男が舞台裏の目立たないところに立っていた。

 彼――プロデューサーだ。

 ここの照明は必要最低限のものしかないので、少し薄暗いので黒い服を着て暗い場所にいれば簡単には目がいかない。現に誰も彼の存在には気づいていない。大半が卯月のライブに目が行っているからだ。

 そんな彼も設置されているモニターの一つを見ている。

 プロデューサーはなぜ自分がここにいるのかと未だに理解できないでいた。

 舞台裏に足を運んだのただの偶然のようなものだった。

 別にミンメイの控室にある中継用のモニターで見ればいいだけだ。かといって見る気もなかった。けれど、実際には控室ではなくステージに最も近い場所に足を運んでいる。

 ここに来るまで意外と誰にもすれ違わなかったのは僥倖だったし、ここに入る際も注意深くしていたが誰も気づく様子はなく容易に入ることができた。それだけライブに気を取られているということだろうか。

 今いる場所に構えると、彼の目は最初に自然とある者に向けられた。

 それはステージの端に立っている貴音とその隣に立つ美希だった。

 しかし、それも最初だけですぐに視線は卯月が映るモニターへと変わった。

 歌っているのは島村卯月の代表する曲とでも言うべきものだった。

 〈S(mile)ING!〉に関しては当時武内と相談してある程度内容を固めて作詞家に依頼した。作詞についても現状知る限りの島村卯月をイメージして作詞家に見せ、それをうまくまとめてくれてできあがったのがこの曲だ。

 タイトルについても作詞家の方は上手いと思った。

 〈S(mile)ING!〉には3つの意味がある。一つは「smile(笑顔)」。二つ目は「mile(道のり))」。最後が「ing(今)」。

 島村卯月はきっと最初は見ていることしかできなった。多くの先人たちの活躍を遠くから見つめ、同期とも呼べる者たちがデビューし、または去っていく時も彼女は一人レッスンを続けていた。

 そんな努力を重ねていた道のりがあったからこそ、笑って歌える今がある。

 つまりはそういうことだ。

 まさにいまの島村卯月そのものと言える。

 きっと、最初は歌詞の意味もわからなかっただろう。けれど、今ならその意味も理解していると思っている。

 正直に言えば、彼女が準決勝に残ることは想像すらしていなかったし、参加するとも思ってはいなかった。そうさせたのはきっと自分なのだろうとあとで理解し、それほど最後の言葉を真に受けていたのだろうかと考えた。

 あれは今思い返せば意地悪以外のなにものでもない。

 陰湿だとも思う。でも、本心だった。

 答えなどあの頃にはわかっていた。

 あの日。まだわからないと言った彼女の答えは、自然と日ごろの活動やライブなどで十分に伝わっていた。ただ、それを本人が自覚していたかはなんとも言えなかった。

 自然とそういう風になっていたのだとは思っていた。

 でも、本人の口から聞きたかった。

 そしてそれは叶うことはなかったけれど、それは今もこうして通して伝わってきている。

 お前は誰よりも笑顔が似合うアイドルだ。

 だから、あの日初めて出会っときティンときたのだろう。それに狂いはなく、お前はアイドルとしての階段を上がり始めた。

 けどいつしか、自身のアイドルとしての在り方に悩んだ。それは同時に自覚をしていなかったことでもあったし、自分に自信を持てなかったことを意味していた。

 島村卯月の夢はアイドルになること。それが叶ったいま、どうすべきかわからなくなった。

 人には夢や目標が必要だ。

 こういう業界なら尚更で、それが自分の体を動かす動力源となる。

 結果から言えば、あの出来事は島村卯月というアイドルが何なのか、自分が何を目指すべきかを確固たるものにしたわけだ。そして、それからの活躍は以前とは比べ物にならないぐらいものになった。

 自信を持て、卯月。お前は誰よりも自分を表現できるようになったアイドルだ。お前の笑顔には力がある。人を笑顔にできる力だ。きっと、もう昔のように面と向かって何かを伝えることはないだろう。迷ったとき手を差し伸べてやることもない。

 これが最後。

 その最後のライブも、いま終わった。

 ステージ端にいた貴音も再びステージに戻った。

 司会者が二人のライブを交互に感想を述べていく。その間に投票の集計が行われている。

 プロデューサーには勝者がわかっていた。

 だからもうここに用はない。けれど、彼はここに残った。

 深い意味はない。

 ただ、最後まで見届けよう。そう思った。

 そして、少しして勝者の名が呼ばれた。

 

 

 

 

 

『決勝に駒を進めたのは――765プロダクションの四条貴音さんです!』

 

 負けた。全力を出し切ってライブに挑んだ。けど、負けた。

 でも、そこに悔しさはない。むしろ、スッキリとしている。

 卯月は晴れ晴れとした顔で貴音に告げた。

 

「おめでとうございます、貴音さん」

「卯月。ありがとう」

 

 たった一言。

 それだけと伝えて彼女はその場を離れて舞台裏へと戻る。するとすぐに武内が歩み寄ってきた。彼も自分と同じような気持ちなのか、暗い表情はしていなかった。

 武内が声をかけてきたその瞬間、その背後で卯月は見た。

 彼だ――

 間違いない。

 ここに来ていた。

 すぐに見えなくなったプロデューサーを追いかけるために卯月は走り出した。舞台裏からそこに繋がる通路に出る。すでに彼の姿はない。おそらく控室だろうか。そうに違いない。そんな根拠もない確信を頼りに卯月は再び走り出した。

 全力でライブに挑んだあとで走るのは辛い。特に息がうまくできない。でも、ここで追いかけなかったらきっと後悔する。やっと見つけたのだ。だから、絶対に会う。

 すると以前までよく見慣れた、最後に見た彼の背中が見えたが角を曲がってまた見えなくなってしまう。角を曲がってようやく追いつき、卯月はその場に立ち止まり心臓を落ち着かせることすらせずに彼の名を叫んだ。

 

「プロデューサー!」

 

 プロデューサーは立ち止まった。

 荒い息を整えながら卯月は近づくために歩き始めた。その間彼はこちらを振り向くことはせず、ずっと正面を向いていた。

 

「やっと、会えましたね」

「……」

 

 無言。

 彼からすれば、自分に会う気はなかったのだろう。それは容易に想像できた。けど、それでも構わない。あとは伝えるだけなのだから。

 

「あそこに居たってことは、私のライブを見てくださったんですね」

「……ああ見たよ」

「きっとプロデューサーのことだから、これまでのライブで私が何を伝えたかったのかはわかってると思います。でも、それでも! こうしてちゃんとあなたに伝えたかったんです!」

「なにを」

 

 ワザとらしく彼は訊いた。

 

「私、やっぱりこれしかないみたいです」

 

 両手でピースをつくり、疲れていながらも必死に笑顔を作って見せる。彼は振りむいてはくれないがそれでもいい。

 

「今だって歌やダンスはみんなより劣っているかもしれません。現にこうして貴音さんに負けちゃったわけですし。でも、笑顔では負けてないって、笑顔だけは誰にも負けないって。あの舞さんやミンメイよりも私の笑顔のがすごいんだぞって自信をもって言えます。だから私は、これで多くの人を笑顔にしたい。してあげたい。辛いときや悲しい時も、私の歌を聴いて元気になって笑顔になってほしい。それが私の夢です。私のなりたいアイドルです。そしてこれが、あの時言えなかった私の答えです」

 

 もう言葉が出てこない。

 伝えたいことはもう全部伝えた。

 このまま彼がこの場を離れても別に問題はない。それを追いかける力ももうない。無言が答えでも構わない。これで私のやるべきことは全部果たした。

 そう思うと体が、心が少し軽くなるのを感じる。変な重荷がなくなったようだ。

 もういいだろう。

 卯月はその場を離れようとした。

 その時、プロデューサーが顔だけこちらに向けながら言った。

 

「答えはもう、少し前からわかっていた。ただ俺は、お前の口から直接聞きたかった。傲慢だろ?」

「はい。そうですね、とても意地悪です」

「元々俺はそういう人間だよ。お前らが抱いていたいい男じゃない。これが、俺なんだ」

「自分でいい男って。自覚あるんですね」

「あるさ。じゃなきゃ、アイドルを口説けない。……お前、結構変わったな」

「そうですか? 元々そういう女ですよ、私」

「憎まれ口もうまくなったようだ。大変だな、他のやつらも」

「他人事みたいに言うんですね」

「ああ。そうだ、帰ったらみんなに伝えておいてくれ。迷惑をかけたと」

「え、嫌ですよ。自分で伝えてください」

「俺も嫌だよ」

「一つ、聞いてもいいでしょうか」

「なんだ」

「私達と過ごした日々は、あなたにとって価値のないものでしたか?」

 

 なぜ346プロ辞めたのか、その本当の理由は知らない。普通に去ればいいのに、アイドル達には黙って行ったのは、後ろめたいことがあるかそれとも単純に別れの挨拶すら不要だったのか、それだけは確かめたかった。

 あなたと過ごした日々はとても楽しかった。辛いこともあったけど、毎日が笑顔であふれていた。それは、あなたも同じだったはず。私達と同じように笑っていたのは、それすら嘘だったのか。

 

「退屈しない、時間だったよ」

「……プロデューサー、らしいです」

 

 その答えだけで満足だった。

 そして再び無言になる。

 プロデューサーは空を仰ぐように頭をあげてまた前を向き、今度はこちらを向かずに言った。

 

「卯月。お前は以前と比べ物にならないぐらいに成長した。人として、アイドルとして大きく立派になった。まあでも、性格は悪くなったな」

 

 それは余計だ。つい口に出しそうになったが彼女は堪えた。

 

「お前はもう一人前だ。誇っていい。だからもう、大丈夫だ。常に自分を信じろ。そうすれば迷うことなんてない」

「……プロデューサー」

「他の子もそうだ。俺はもう必要ない。武内や専務、他のやつらもいる。問題はない」

「そう、でしょうか」

「そうだよ」

 

 実際彼の言うことは間違っていない。

 今の346プロは彼が居たときのように問題なく回っている。まだ少しの課題は残っているだろうけど、それも時間が解決する。

 346プロに彼はもう必要ないのだ。

 

「話せて、よかったよ」

 

 最後に、かつてよく聞いた優しい声。そのまま彼は再び歩き出した。

 卯月は手を伸ばし、叫んだ。

 

「プロデューサー!」

 

 再び足を止めるプロデューサー。

 どうする。

 呼び止めてどうするのだ。もうわかっているはず。今さら何を言っても結果はかわらない。どんな言葉を送っても彼は戻ってこない。

 だからなのか。自然と卯月の口は動いた。

 

「さようなら。プロデューサー」

 

 

 

 

 

 プロデューサーの姿が見えなくなると、卯月は振り向いてある一人の名を呼んだ。

 

「武内P。そこにいますよね?」

「――気づいていましたか」

 

 彼は角から出てくると、いつものように右手を首の後ろに回し申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「まあ私が突然走り出したから、追いかけてくるのはわかっていましたから」

「すみません。ただ、盗み聞きをするつもりはなかったのですが」

「別に構いませんよ。聞かれて困ることではありませんでしたし。けど、よかったんですか?」

「なにがです?」

「いえ。武内Pもなにか言いたかったんじゃないかなって」

 

 言うと武内はきっぱり言った。

 

「なくはありませんが、私自身何かを言う気はありませんでしたので」

 

 えらく涼しい顔で言う武内を見て卯月は驚いた。まあアイドル達と比べれば、いなくなることを事前に知りえていたこともあって、何かしらの言葉を送っていても不思議ではないのか?

 そんな推測をしていると、彼が卯月にたずねた。

 

「島村さんは、どうして最後に『さよなら』と言ったのですか?」

「……なんででしょうね。たぶん、もう二度と会えないからって思ったからだと思います。一年ぶりに会ったあの人は、以前と比べてもなんだか別人のように見えて。今にも消えそうな気がしたんです」

「そうですか」

 

 ふむ。と武内は少し考えこむとすぐに言ってきた。

 

「私とは違う考えですね」

「違う? じゃあ武内Pはどういう風に考えていたんですか?」

「確信があるわけではありません。これはあくまで私の直感です。あの人は、先輩は帰ってきますよ」

 

 なんだか自分より彼の方が女らしい考えをしているのではと思ってきた。ただそんなことよりも、どうしてその考えに至ったのが気になった。

 

「どうして?」

「同じプロデューサーだから。そう答えるしかありません。島村さん、あなたは自分がアイドル以外の道を歩むビジョンが浮かびますか?」

 

 そんなもの考えたことはないと卯月はきっぱりと言った。

 気づけばアイドル養成所に通い、アイドルになるために日々を過ごしてきた。それ以外の夢など考えたこともない。

 しかし、いざ想像してみもこれが中々思い浮かんでこない。たぶん今のように大学には行けたかもしれない。何を目指してかはわからないけど。逆にどこかへ就職した可能性だってある。はたして自分にあう職業があるだろうかとすぐに思考が躓いた。

 内心ため息をつく。アイドル以外の道など自分にはないのだと言っているようなものだ。

 

「私も先輩のすべてを知っているわけではありません。ですが、あの人はこの業界から離れることはありませんしできないでしょう。もっと深い言葉で言えば、アイドルとは切っても切れない縁なのです。想像してみてください。あの人がスーツを脱いで、コンビニで働く姿を想像できますか?」

「それは……できませんね。けど、人はやろうと思えばできますよね。それはプロデューサーだって同じ」

「最初はそうかもしれません。いろいろと模索するでしょう。ですが、あの人は根っからのプロデューサーです。すべてが体に染みついている。島村さんが言うように決勝が終わったあと姿をくらますでしょう。けれど、いつの日かあの人は帰ってきます。それが日本なのかはわかりませんが」

「だから、いずれは帰ってくると武内Pは思ってるんですね」

 

 武内は深くうなずいた。

 

「じゃあ帰ってくるとして、346プロに戻ってくるでしょうか?」

「それはわかりません。胸を張って帰ってくるといいましたが、はたしてプロデューサーとして帰ってくるかも想像がつきません」

「それ、矛盾してません?」

「仕方ないんですよ。私も含め、多くの人間が先輩のことをアイドルのプロデューサーだからプロデューサーと呼んでいるだけで、やろうと思えば他の職にだってなれるんですよ」

「例えば、なんです?」

「そうですね……。無難なところで、社長にだってなれると思いますよ」

 

 社長と呼ばれる彼を想像してみる。まあしっくりくるなと思った。

 もしプロデューサーが企業するとなれば、多くのアイドル達が入社しにいくのは容易に想像がつく。だが、彼のことだ。簡単に採用するとは到底思えない。

 

「まあなんにせよ。いま色々考えても仕方がないってことですね」

「そうなります。さて、このあとはどうしますか?」

 

 ここに残るか、それとも帰るかのことを言っているのだろう。いま帰るなんて選択肢はもちろんない。これからが本当の意味で本番なのだ。

 

「控室に戻ります。最後まで、見届けたいので」

「わかりました。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「はい。一人でいるのは退屈ですから」

 

 二人は用意されている控室に向かい始めた。

 道中武内が思い出したように言った。

 

「準決勝の後半戦のことを忘れていました」

「ああそうですね。けど、勝者は決まってますよ。きっと」

「島村さんもそう思いますか」

「はい。きっと〈リン・ミンメイ〉ですよ」

「同意見です」

 

 武内はそれがわかっていたように肯定した。

 

 

 

 

 

 

『勝者、リン・ミンメイ!』

 

 盛大な歓声が送られる中、ミンメイは手を振りながらステージを降りる。平静を装っているが、内心少し焦っていた。

(ちょっぴりやばかったけど。結果オーライ)

 彼女の言うちょっぴりがどの程度を指すかはなんとも曖昧であった。

 だがやばかったのは本当で、さすがは『銀河の妖精 シェリル・ノーム』と言わざるを得ない。

 歌う順番もシェリルが一番手と言ったのは、いまとなっては僥倖だった。先に彼女のステージを見て、実際にその実力を肌で感じ、少し本気を出して挑んだ。

 命としては、彼女の一ファンでもあり同じステージに立てることは嬉しくもあった。

 しかし〈リン・ミンメイ〉になれば別だ。シェリル・ノームは立ちはだかる壁にすぎない。彼の夢を叶えるためには邪魔な存在になる。

 だがそれも終わった。

 あとは決勝だけだ。

 ミンメイは舞台裏をざっと見渡して彼を探した。案の定来ていない。小さなため息をついて控室に向かう。

 相棒が来ない理由はだいたい察しがついているし、とやかく文句を言うつもりない。ただ、ここはやはりプロデューサーなのだから、直接来て労いの言葉があってもいいと思うのだ。

 まあ無理か。

 とありあえず控室に戻ろう。話はそれからだ。

 

「ちょっといいからしら」

 

 後ろから声をかけられた。たぶん自分のことだろう。

 ミンメイは振り向くと、そこにはシェリル・ノームが立っていた。

 ああたぶん、またあれだ。

 シェリルが何を言うかは薄々わかっていた。きっと彼女もそうだろうと。

 

「シェリル・ノーム。何の用で?」

 

 ミンメイとして彼女は言った。

 

「伝言を預かってほしいのよ」

「伝言?」

「ええ。どうせ、あいつは姿を見せないだろうから。あんたに直接言ってもらおうと思って」

「確約はできませんが、善処しますよ」

「それで構わないわ。で、内容だけど。今度会ったら殴ってやるから、覚悟しときなさい! それだけでいいわ」

「わかりました」

「よろしくね。それじゃ」

 

 手を振ってシェリルはどかへ行ってしまった。ミンメイも再び控室に向かうために歩き出す。

 彼女の伝言もそうだが、まあみんな似たようなことを言うものだ。

 346プロの子が数が多いので正直言って、内容はほとんど覚えていない。記憶力には多少の自信があるけど、一人一人の内容は似たり寄ったりで勝手に内容を統合した。だいたいが「待ってるとか」、「一回だけでいいから会ってください」などなど。

 元凶の一因である自分が言うのもなんだが、女々しくて耐えらない。そこまで相棒のことを好きなら直接言えばいいではないか。そんなにも難しいことではないはずだ。

 酷い言い草だと思われるかもしれないが、これが予選からずっと続いているのだ。少しは大目に見てほしい。

 むしろ、先ほどのシェリルのようなことだったら喜んで伝える所存である。相棒をからかうネタはいつでも大歓迎だ。

 そんなことを考えていると、ふと一番変わったことを言われた人物のことを思い出した。

(ねえ。あなたヘレンにならない?)

 まったくもって意味がわからなかった。ヘレンにならないとか言われても、あなたがヘレンだろうに。彼が変人というのもとてもうなずけた。なので、丁重にお断りさせていただいた。

 まあとりあえずは、先ほどの伝言を伝えますか。

 控室の前まできたミンメイは一度周囲を見渡してから中に入る。問題ないと思うが一応念のためだ。部屋に入ると、お目当ての男は腕を組み椅子に座りながら寝ていた。

 それを見たミンメイ――命は言った。

 

「はあー。まさか寝ているとは。いいご身分ですこと! ……相棒?」

 

 命は彼の前で近づいて覗き込むように彼の寝顔見た。

(熟睡してるの?)

 ありえない。

 なにせ、人の気配に人一倍敏感な彼のことだ。部屋の前に立った時点で気づいてると思ったし、そうでなくとも先ほどの声で起きているかと思ったからだ。

 こうまで不用心なのは違和感がある。

 いや、よくよく思えばいまに始まったことではなかった。

 本選が近づくにつれ、決勝を目前に控えたいまとなって、彼は少しずつ戻りつつあるのだ。

 人によっては変わったというだろう。しかし違うのだ。彼にとっては、元に戻ろうとしている。

 それは彼自身そのものであるし、失くしたものが戻ってくることでもあり、言うなれば本来の彼になりつつある。

 

「……」

 

 なんと可哀そうな男だろう。

 道などいくらでもあった。

 なのにこの修羅の道を選んだ。

 彼女は彼を哀しんだ。

 この日のためにすべてを捧げてきた。

 時間や人生、ありとあらゆるものを犠牲に。

 彼女は彼を恭敬した。

 自分に会わなければこんなことにはならなかった。

 元凶は彼ではない。

 この私だ。

 すべて私が原因だ。

 彼女は彼に謝った。

 

「ごめんね。でも、もうすぐ終わるよ」

 

 眠る彼に優しくささやく命は彼と出会うまでの、出会った日からのことをふと思い出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き

【島村卯月(新)】

 笑顔のみなら作中最強(一部除く)

【シェリル・ノーム】

 ギャラクシープロダクション所属

 日高舞などの狂キャラを除けば、普通に強い人。

 

 

 

 

 



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第38話 飯島命

 

 

 

 第38話 飯島命(リン・ミンメイ)

 

 

 

 

 

 

 

 2017年 某日 都内にあるファミレス

 

「あんたってさ、ほんっとうに変わってるわよねえ」

 

 目の前でグラスにさしていたストローを口にくわえながら、器用に物申してきたのは友人である七羽だった。

 松岡七羽は女というよりも男勝りなところが多い。顔はどちからと言えばシュッと整っていて、眉毛も長く目つきが鋭い。長い橙色の髪を一つにしばっているところは女らしさを感じるし、胸は本人曰くD以上あると言っているように体つきは男を奮い立たせるような体つきをしている。ただ、今まさにファミレスのソファーで片足を乗せている格好は、どうみても女子力を感じない。

 そんな彼女の問いかけに、飯島命はドリンクバーで適当にミックスしたジュースを飲みながら返事をした。

 

「えー。そうかなあ」

「あたしが言うんだから間違いないの」

「七羽さんに言われてもなあ……。あ、物足りないからガムシロいれよっと」

「そういうところが変わってるって言ってるの」

 

 言われながらもグラスにガムシロップを入れるのをやめずに命は不服そうな顔で言った。

 

「いやいや。これはファミレスにきたらよくやりますよね⁉」

「そうだな。よくやる。しかも、お前が適当に作るやつはなぜか不味くない」

「そこは美味いじゃないの?」

「別に美味くはない。普通に飲めるってだけ」

「さいですか……」

 

 ガムシロップを加えたミックスジュースを飲むと、彼女は美味いと言いいながらグラスを七羽に差し出した。

 

「飲む?」

「いらん!」

「美味しいのに。そもそも、変わってる変わってるって七羽さんは言うけどさ。七羽さんだって変わってると私は思うわけですよ」

「ほお。言ってみ」

「まず、見た目からして男っぽい。どうみても『あ、こいつ女子力ねえな』って言われるのが落ちなのに、女子力めっちゃ高い。これは世界への冒涜です!」

「何が冒涜じゃい。普通だよ、ふつうー」

「普通のくせして私より女子力あるのが納得いかない」

「まああれよ。普段からの心がけってやつ? あたしはちゃんと常に自分を磨いているわけ」

「彼氏を満足させるためのテクニックを?」

「そうそう。新しく刺激的な下着を――って、なにを言わすんだ、このバカ!」

 

 ドンとテーブルを叩いて乗り出す七羽に命は動じることなくジュースを一口飲み、

 

「みんなの視線釘付けだよー」

「ッ!」

 

 顔を真っ赤にして座りなおす七羽を見ながら命はしたり顔で、

 

「かわいいよ、七羽さん」

「それ以上言ったら殺す」

「サーセン」

 

 謝りつつ内心楽しんでいた。

 命にとって一番納得がいかないのが七羽の彼氏の存在であった。

 七羽の彼氏と言ったらすぐに思いつくのが同じタイプの人間だった。彼女との付き合いは中学時代からと長いのだが、その同じタイプの男には拳一つでダウンさせてきたので、まああり得ない話だったのだ。

 彼女の彼氏を直接知ったのは高校生の時で、偶然デート中の二人を見たのが最初。それ以前から色々あって存在だけは知っていたし、彼女の振る舞いからも察してはいた。

 その相手というのが七羽の幼馴染だというのだから余計に驚いた。純情というか純粋というべきなのか。顔に合わずピュアな女性なのだ、松岡七羽は。

 ちなみにその彼というのがこれまたビックリ。チャライイメージをしていたのだが実はその反対。好青年という言葉がぴったりな男の子なのだ。彼の前では、普段豹のような七羽でさえ猫になるというものだ。

 

「なんで七羽さんに彼氏(将来を誓った)がいて、私にはいないのか。これがわからない」

「かっこのはなんだ。ていうか、あんたいつのまに別れたのよ?」

「え、付き合って一週間ぐらいだったかな」

「一週間? はあ。大方、初デートしたあと相手から別れたいって言われたんでしょ?」

「ちっちっち。今回はデートすらしてない」

「うわあ。歴代最高の別れ方だな。あんた、大学に入ってからやけにモテるようになって告白されまくったけど、長く続いたのどれくらいだっけ?」

「一か月も続いたことはないですな」

 

 それを聞いて七羽は大きなため息ついた。

 高校時代はそれほどでもなかったのだが、大学生になってからやけに命はモテるようになった。それは体目的というのもあったし、純粋に命が美人だからというのもあった。

 先程も一か月と言ったが、実際には有耶無耶になってそれぐらいの日数が経ったにすぎない。相手からの連絡も適当で、同じ大学なのでそこで顔合わすから余計にそこで何かをするたびに終わってしまっていた。

 体目的の男ってわかりやすいんだよね。

 ようはセックスがしたいという下心で近づいた男の方が数が多い。なので命はお得意の観察眼で相手を見透かしてやるのだ。

 初めて会った女にあんなことやこんなことを暴露され、相手の本質を見抜かれてしまいには気味悪がられておしまい。

 初対面の相手ですら、すべてを見通してしまう命の眼の力を七羽は知っていたうえで訊いた。

 

「あんたのその眼はすごいとあたしも思う。けど、その所為で彼氏ができないってわかってるだろうに」

「だって、見えちゃうんだもん」

「じゃあ、あたしが今何を考えてるかわかる?」

「彼氏ができなくてざまあみろって言ってる」

「ほんと、よく見ていっらしゃる」

 

 嘘を言うならはぐらかせばいい。なのに七羽はそれをしなかった。命にはそれがわかっているから何を言い換えても無駄だと彼女は知っているからだ。

 

「ちなみに、最近別れた男になんて言われた?」

「何を考えているか分からなくて、全部見透かされているようで怖いって」

「残当だよ。あんたを普通に見れるのはあたしぐらいのもんさ」

「七羽さんはね、いい人だからね。好きだよ、七羽さんのこと」

「あんがと」

「心がこもってなーい」

「あんたにはこのぐらいがちょうどいいのよ」

 

 笑って言う七羽を見て、命はそんな彼女に感謝していた。彼女が思っている以上に、命は七羽の存在がとても大切だった。

 気づいたときには相手の目を見るだけで、その人がどういう人なのか、何を考えているのかが自然と分かるようになってしまった。自分の意志ではなく、何処からか勝手に情報が入ってくるような感覚。

 以前それについて考察したのが、見るという行為は一つのプロセスで、それを行うことで私自身が元々持っていた情報が開示されているのではないか。そんなSFのような頭のおかしいことを考えた。しかしそうとなると、私の脳には全人類のデータがリアルタイムで存在していることになる。つまり私は生きる人間データベースになるわけだ。うん、頭がいかれている。

 いまはそんなことを考える余裕があって、多少の制御はできるのだが幼いころは違った。

 それが当たり前で、普通のことだと認識していたからだ。

 幼い私は所かまわず口を出した。そのせいで近所から変な子だと言われ、友達などできるわけがなかった。

 そんな私が生涯の友を手にしたのが中学時代。当時の七羽はちょい悪的な女子生徒で、そんな彼女とクラスが一緒になったのがきっかけ。

 どうやって彼女と友達になったのかといえば。いつものように彼女を見てしまい、つい言葉を漏らしたのがはじまり。それで喧嘩になって、あとは雨降って地固まるみたいな感じ。

 最初で最後の喧嘩だったなあ。

 なぜか初めて喧嘩したわりにはうまく戦っていた。うん、あの七羽さん相手に。

 昔のことを思い出していると、七羽が思い出しかのように言ってきた。

 

「ところであんた。卒業後なにするか決まったの?」

「え、全然」

「来年で卒業だぞ、あたしたち」

「そうだねえ。どうしよっか」

「あんたねえ」

 

 呆れと怒りが混じった声で言う七羽。

 

「そもそも。なんであたしに付いてきたのよ」

「だって、七羽さんと離れるのいやだし」

「はあ」

 

 盛大なため息をつかれた。

 二人が通っているのは都内にある製菓専門学校。専門学校なので二年制であり今年度で卒業となる。

 七羽は実家がパン屋で、そっちの技術は幼い頃教わっていたので折角だからお菓子方面を学ぼうという理由で進学した。対して命は高校在学中大した目標もなく、就職か進学を選ぶ際に七羽が進学するという理由だけで同じ学校を受験し見事受かった。

 

「なにが驚いたって。あんた料理は自分でしてるのは知ったけど、まさかお菓子作りまで平気でやってのけるとはねえ。まあ家にきて、パンを平然と作った時の方が驚いたけど」

「なんかできるんだよね」

「いまだって大した理由じゃないんだろ?」

「私、パティシエに憧れてたんだぁ」

「それで資格と色々取ったのか? 簿記とかいろいろ」

「うん。資格は取れるやつ全部取った。なんか必要な気がしたから」

「それはお得意の予知?」

「違うよ。ただの勘」

「変わらんでしょ」

「変わるの」

 

 興味なそうに相槌を打ちながらジュースを飲む七羽に向かって命は顔を膨らませた。彼女はそれを無視して空になったグラスを持ってドリンクバーへ歩いていき、戻って脱線した話を戻した。

 

「で。進路どうすんの? 就職? それともニート?」

「わかんないよ、まだ」

「どういう意味でわかんない訳? 卒業はするんだろ?」

 

 真剣な顔つきで七羽は訊いてくる。長年の付き合いだけあり、「わからない」の意味をある程度理解していた。

 思い当たるところを一つ一つあげていき、答えにたどり着けるように自然と誘導してくれている彼女に命は感謝している。

 

「うん。さっきもパティシエに憧れてたなんて言ったけど、パティシエになりたいわけじゃないの」

「それはなんとなくわかってた。で、あんたは自分でなにかをする気はいまのところはないと」

「ない訳じゃないんだけど。ただちょっとうまく言えないんだ。なにかしそうって感じはしてるの」

「ふむふむ。カッー、やっぱりここは私の出番かー。いやはや、できる女は違うわ!」

 

 命は首をかしげた。いきなり何を言っているのだろうとか冷めた視線を七羽に送る。

 すると彼女はバッグから一枚の紙を渡してきた。

 

「なにこれ?」

「いいから読みなさいって」

「いい加減なんだからさ。なになに。アイドル募集……合格者は一名のみ。面接ありで歌を披露してもらう。場所は東京都○○……」

 

 上から順番に飛ばし飛ばしで読み上げた命は口を大きくあけて、もう一度言った。

 

「なにこれ」

「アイドルオーディションの告知をコピーしたやつ」

「いや、だから私が言っているのは、これを私に読み上げさせてどうしてほしいのかってことなんだけど」

「命。アイドルになれ」

「は?」

 

 このちょい悪ヤンキーくずれは一体なにを言っているのだろうか。しかもなにか胸を張ってやけに誇らしげにしているのが鼻につく。

 機嫌を取るかのよう七羽は言ってきた。

 

「ほら。あんた、歌すげーうまいじゃん」

「うまくないよ。普通に歌っただけ」

「普通に歌うだけでカラオケで100点はでないんだよなあ」

「それは、まあ……そうかもしれないけど」

「ジャンル問わず、一度聞いたら完璧だし。なんで音大いかなかったってレベル」

「行ってもしたいことないし、教わるほどでもないかなって。歌は好きか嫌いかって言われたら好きな方だけど、そこまでマジじゃないもん」

「歌だけで食っていけると思うんだけどなあ、あたしは」

「お金には困ってないよ」

「知ってるわ。で、話を戻すがアイドルやれって。絶対すげーから」

「なれって言われたって……」

 

 もう一度紙を見る。応募方法は簡単な履歴書の送付だけなのだが、応募締め切りはとっくに過ぎている。先ほどは流し読みしてよく見ていなかった開催日が、

 

「オーディション明日じゃん!」

「そうだよ」

「じゃあ無理じゃん。やったぜ」

「だいじょーぶ。履歴書はあたしが書いて送っておいた」

 

 ぐっと右手でサムズアップをする七羽を見た命はドン引きするように顔を引きつらせた。

 ああ、そうだった。この人は私を完全に把握している。だからこうして話題を振ってきたのだ。それもわざと今日このことを話したに違いない。そのための入念な下準備もしっかりとしたうえでだ。普通なら冗談で済ますことをマジで実効してくるのだ。

 命は七羽の目を見た。頭に新しい情報が送られてくる。

 やったぜ―― 

 そんなことは見ればわかる。

 お前の慌てふためく姿が見たかったんだよ――

 それが本音か。

 そのあとに次々とリアルタイムで彼女の内なる笑い声が聞こえてきそうになるので瞳を閉じて、意識を切り替える。こうすることで情報を止めることができるようになり、目のコントロールも今ではそつなくこなせる。

 

「ああでもな。結構ふざけているかもしれんないけど――」

「いや。実際にふざけてるでしょ」

「まあ落ち着けって。これはあたしなりにお前にとっていい機会かもしれないって思ったからやったことなんだぜ」

「それまたどうして」

「だってさ。このまま何もしないよりかマシだろうが。どうせお前のことだ。ずるずるとその時を待っているだけなんだから、たまには自分から動け」

「ま、まあ……そうかもしれないけど」

 

 指摘されたことはすべて正論で、言い返せない命はそれを渋々受け入れることしかできなかった。

 たしかに彼女の言う通り自分から動こうとしたことはない。自分の勘というやつでなんとかなるだろう、まあいいかなどとそこまで真剣に考えたことはないからだ。

 これはいい機会なのかもしれない。七羽の言うように待っているよりかはマシだし、卒業後の進路についても真剣に考えなければならない。後者は特に大事だ。卒業は問題なくできるけど、そのまま就職をしなかった場合、ニートコースだ。これは非常によくない。

 

「わかった。今回は七羽さんに従いますぅ」

 

 素直に受け入れるのはいやなのか、命は頬を膨らませながら言った。

 

「なにその態度。まあいっか」

 

 どこか勝ち誇った様子で七羽はジュースを飲んでいる中、困った様子で命は恐る恐る彼女にたずねた。

 

「けどさ、明日普通に学校なんだけど」

「そこは仮病を使え。一日ぐらいなんとかなる」

 

 再びサムズアップ。

 彼氏とのデートのために平然と学校をサボっている彼女の言葉には妙な説得力があった。だが、そんなことりよも大事なことが命にはあった。

 

「私の皆勤賞が……」

「そこ、拘るところか?」

 

 

 

 

 

 翌日。

 最寄りの駅から電車を乗り換えて徒歩で少し歩いたところにオーディション会場はあった。

(ここ?)

 命は会場に着くなり違和感を覚えた。どちらかというと不自然とも言えるかもしれない。

 外には「サテライト アイドルオーディション会場 2F」と書かれた看板があるのだが、その建物2階はどうみてもアイドル事務所とは思えない風貌をしていた。

 ほんの少し前、ここにはテナント募集の張り紙が先ほどまで付いてたに違いないと命は謎の自信が込み上げてきた。

 そもそもの話。〈サテライト〉なんてアイドル事務所は聞いたことがなかった。

 アイドルにはそこまで詳しくないまでも、今では有名どころの〈765プロダクション〉や〈346プロダクション〉に〈961プロダクション〉ぐらいは知っている。好きなアイドルでもあるシェリル・ノームが所属している〈ギャラクシープロダクション〉も自然と覚えてたぐらいのにわか知識ではあったが、〈サテライト〉なんて事務所は初耳であった。

 ここを薦めてきた七羽本人にも昨日問いただしたが彼女も知らないときた。ネットで調べてもまったく出てこない。

 いや、まともなサイトで一つだけあったのを思い出した。

 たしか、アイドル協会のホームページのアイドル事務所一覧のところの一番下付近にあったような気がする。

 アイドル協会のホームページには、ランク別に活動しているアイドル達の紹介ページやライブ情報からイベント情報など告知している意外と珍しい部類であった。大本である教会がそこまでやっているとなると、いまのアイドルブームの凄さが伺える。ただそこから調べようと思っても、事務所の名前からのリンクで飛ぶのは先のアイドルオーディション募集のサイトだけで、事務所自体の紹介がほとんどない。

 つまり出来立てのアイドル事務所になるわけだが。これがどうてみも怪しい。

 普通に自社のホームページぐらい簡素ながらもあってもいいはずだ。それすらないとなると、真っ当な事務所なのかも当てにはできない。

 アイドル協会に申請している事務所だからある程度の信頼はできるので、さすがにAV関連ではないことは間違いないのだが。

 考えても仕方がないと命は取り敢えず2階の会場へと向かった。中に入ると受付があって、そこには自分と左程年の変わらない女性が受付係をしていた。

 彼女は命が入ってくるのを確認すると名前をたずねてきた。

 

「お名前は?」

「飯島命です」

「飯島命さん……はい。確認しました。飯島さんの番号は10番になります。呼ばれるまで中でお待ちください」

「あ、はい」

 

 受付嬢から何かを探ろうと思って目を見ようと思ったがすぐにやめた。あえてストレートに怪しいオーディションについて聞いてやろうとも考えて、これもやめた。

 とりあえずオーディションを受けてからでも遅くはないだろう。

 命は暢気に事を構えながら待合室へと入っていく。

 中に入ると9人の女の子がいた。

 たぶん、自分が最後なのだろう。10人というだけでも多いと命は感じたが、大手事務所になるとその倍以上はいることを彼女は知らなかった。

 今がアイドルブームで、アイドルを目指す子が多いことは命もネットのニュースなどで目にはしていた。まさかその中に自分が入るとは思ってもみなかったが。

 命は自然な感じで部屋にいる彼女達を観察してみた。

 見た目から判断すると、大半が自分より年下の子が多いのが第一印象。おそらく高校生かその辺りが多いのだろう。顔立ちも悪くないし、かわいい方だと思う。中にはイヤホンをして音楽を聴いている子もいた。オーディション内容に歌を歌うことがあったのでそれの確認だろう。音楽を流さずその場で披露するのだから、たしかに大事だ。

 まあ自分は頭の中に全部入っているので特にすることではない。

 高校や大学入試の際、驚くほど面接にはかなり強くて特に緊張したことは一度もない。なのでこの待機時間は暇だし、退屈でしかない。

 時間をつぶす用に持ってきた小説でも読もう。そう思ってバッグから本を取り出すと、先ほどの受付嬢が一番の子を呼んだ。どうやら始まったらしい。

 一人当たりどれくらいの時間を割くかはわからないけど、おおよそ5分から長くても10分だろう。

 オーディションが始まったことで部屋の空気が変わったことを命は感じ、それも自分には関係のないことだという素振りで彼女は読みかけていた小説を読み始めた。

 

 

 

 

 

 部屋で待機しているのが自分だけになると、命も読書をやめて座って待機していた。時計を見ては天井を眺める作業の繰り返し。単に暇なだけであった。

 扉が開き、受付嬢が何食わぬ顔で言う。

 

「10番、飯島命さん。どうぞ」

 

 予想より早い。自分の名前を呼ばれた命は荷物を持って部屋を出て隣の部屋に向かう。

 やっぱ、普通にやらないといけないだろうか。

 このまま扉をあけて「失礼しまーす」と言いながら入るのはたしか非常識であるけど、アイドルのオーディションも世間の面接と同じようにしなければいけないのだろうかと悩む。

 数秒考えぬいた結果。普通にやることにした。

 扉をノック。

(どうぞ)

 よし、入る。

 

「失礼します」

 

 部屋にはスーツ姿の大男が座って待っていた。さながらゲームのボスといったような感じ。

 なによりも体格がいい。座っているので正確な身長はわからないがたぶん、190はあるのだろうか。それに加えてサングラスときた。普通の子ならたじろいでしまうに違いない。

 しかし自分は違うのだと命は心の中で誇らしげに言う。

 

「名前は……飯島命さん、ですね」

「はい。そうです」

「ではまず、どうしてアイドルに?」

 

 予想通りの質問だった。

 命は備えた答えを言った。

 

「いやあ。友達が勝手にここのオーディションに送ったもので」

「……」

 

 彼はすぐに言ってはこなかった。

 呆れているのだろうかと思ったが違うと命は気づく。彼はじっとこちらを見ている。そう、自分が誰かにするようにこの私を観察しているのだ。

 ならばと命も彼を観察し始めたが、

(不思議な人だ)

 実を言えば、サングラスなどで直接相手の瞳が見えない場合はなにも分からないのだ。なので彼に対してはなにも情報は得らない。

 ただ、命には彼の目を見ずとも少しずつ分かっていた。いや、理解し始めている。

 こんなにも見た目は強そうな人なのに、どうしてか哀しい雰囲気を感じとってしまう。

 誰も寄せ付けない一匹狼のような男なのに、彼は一人でいることが苦しいようにも見える。

 目を見ずとも色んなことを理解していることに驚いているが、なによりどうして自分がここまで彼に対して興味を惹かれているのかが分からないでいる。

 意識が彼に集中していると、先ほどと変わらぬ声質で言った。

 

「ならばここに来る必要なかったはずだ。なのに君は来た。つまり、何かしらの興味あるいは好奇心があったということになる」

「まあ……そうなのかな? たしかに興味は湧いてる」

「?」

 

 貴方にとはさすが言わない。それが分からない彼にとっては首をかしげるしかできなかった。

 

「変に質問をするのはやめだ。なんでもいい。君が歌える曲を歌ってくれ」

「じゃあ……。シェリル・ノームの〈インフィニティ〉を歌います」

 

 小さく深呼吸。

 一人で口ずさむように、カラオケで歌っているときのように歌えばいい。

 それだけでいいんだ。

 あとは口が、声が自然と私を動かしてくれる。

 

「―――」

 

 歌いながら命はあることに気づいた。

 それにしてもどこまで歌えばいいのだろうか。たぶん、そこまでとか言ってくるからそれでやめればいいか。

 疑問が解消し再び歌に集中する。

 歌詞の1番を消化。

 あれ? まだ?

 合図がないので歌い続ける。

 ちょっと、もう2番なんだけど。

 それでもまだ合図はこない。

 

「――終わり、ですけど……」

 

 結局最後まで歌い切ってしまった。

 目の前にいる彼に視線を向けると、どういうわけか口元を隠してなにか驚いたような風に見える。すると彼はサングラスを取った。初めて見た彼の素顔は想像を絶するような、目の前の現実を受け入れられないようなそんな顔をしていた。

 

「お前は、誰だ」

「えぇ……。飯島、命ですけど」

 

 彼の言葉の意味を理解できない私には、ただ自分の名前を言うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 10分程度で終わると思っていたオーディションは未だに終わらないでいた。面接官の男は突然部屋を出ていってしまい、命は部屋で一人で椅子に座って待っていることしかできなかった。

 数分後彼はすぐに戻ってきて、ペットボトルのお茶を渡してきた。

 どうやらまだ続くらしい。

 プロデューサーは椅子を命のすぐ近くまで移動してそこに座った。

 

「君には悪いと思うが、もう少し付き合ってもらう」

「はあ。別にいいですけど」

 

 歌ったせいかのどが渇いたのでもらったお茶を早速飲んでのどを潤す。

 

「単刀直入に聞こう。君は、今までなにか特別なことをしてきたのか?」

「特別って、なんのこと?」

「簡単に言うとボイストレーニングとかだ」

「したことないよ。歌なんてカラオケとかで歌うぐらいだし」

「本当か?」

「うそ言ったってしょうがないじゃないですか。一応、友達からはすごいうまいって褒められてるぐらいですよ、これでも」

 

 ふむ。そう言って再び黙り込む。

 はっきり言って、先ほどから彼の雰囲気は妙だ。歌を聴いてから彼の対応がすごく変わったように見える。彼は自分について何かを探っている。先程の質問からみて、これは間違いないだろう。

 命には彼がまるで、自分の存在が信じられない。そう言っているように思えて仕方がなかった。

 

「あの。私からも聞いていいですか?」

 

 質問ばかりされて不満だった命はたずねた。

 

「構わない」

「このオーディションは何なんですか?」

「質問の意味がわらかない。これはただのアイドルオーディションだ」

「本当に? きっと私だけじゃないだろうけど、〈サテライト〉なんて事務所はまったく聞いたことがない。裏の怪しい事務所かと思ったけど、アイドル協会にはちゃんと登録されているからそこは信用できた。できたばかりの事務所なのかと思ったけど、ここだって一日だけ借りたような場所で事務所には見えない。受付の女の人も事務員というよりはアルバイトにしか見えなかった。けどあなたは……そう。そっちの業界の人だってはっきりわかる。でも、事務所の社長には見えない」

「つまり、何が言いたい?」

「このオーディションはおかしいってこと。アイドルは探しているのは確かなんだと思う。けど、見つからなければそれでいい。そんな感じがするの。それだけじゃない。あなたは何かを隠している。それに、あなたは私を求めている」

「前者は認める。けど、後者についてはどうしてそう思う?」

「現にこうして私と話しているから。あなたが私に何を感じているのかは分からない。でも、私はあなたが分かる」

「何を」

 

 こうして話している内に伝わる彼の情報を命は述べていく。

 

「あなたは今、とてもかつてない喜びを感じている。同時に選択を迫られて、悩んでる。その答えを決めるためにこうして私と話している。私は、あなたを見た時から興味を惹かれている。理由はわからない。でも、きっと意味があるんだと思ってる。だから話してほしいの。隠していることを全部」

 

 とりあえず簡潔で大事な部分をはっきりと伝えた。彼は大きく息を吐いた。その素振りから苛立っているようで、ジッとこちらを見ている。そして、ため息をついた。

 

「はあ。初対面の女にあれこれ言われて腹が立つ。いいだろう、話してやる」

 

 普通に座っていた彼は、足を組むとポケットからタバコを取り出してジッポライターを手慣れた動作でタバコに火をつけた。

 タバコを吸う人に関して特に不満はないが、タバコの煙が命には嫌いだった。ワザとらしく嫌な顔をしてみても、彼はそれを知ったうえで吸い続けた。先ほどのお返しというやつに違いない。

 

「〈サテライト〉という事務所は存在しているし、存在していない」

「どういうこと?」

「アイドル事務所を立ち上げる際、アイドル協会に入らなければいけない」

「え、なんで? 別にいいんじゃないの?」

「普通のモデルなんかはいいのさ。ただアイドルは別で、事務所が加盟していないと正式なアイドルとして扱われない。主にアイドルランクが原因でもあるし、一時期アイドル事務所と偽ってAVの強要や詐欺事件が多発した時期があったのも要因の一つ。あとはまあ他にも理由はあるがだいたいそんなところだ」

「じゃあ事務所が加盟してないとアイドルになれないってことか」

「いや。地下アイドルとか、ネットアイドルとかはそれの範囲じゃない。ただ本来普通のアイドルとしての区分をするためにそうした感じだな」

「ふーん。なんか複雑で面倒だね」

「まあな」

「でもそうなると、〈サテライト〉はグレーってことになる。いや、違う。ああそうか。アイドルをスカウトするためだけに必要な、そう建前なんだね。この〈サテライト〉って事務所は」

「ああ。そうだよ」

 

 驚くのも疲れたような言い草でプロデューサは言った。

 

「つまり、あなたはお目当てのアイドルを探すためだけにこんな手の込んだことをしてるというわけだ。でも、それって協会側からしたら目を付けられるんじゃない? 大方今日が初めてって雰囲気じゃなさそうだし」

「協会にも協力者がいる」

「いるの? そんな人?」

「半分が目的を知ったうえでの協力者。残りの半分が金と恐喝」

「うわあ」

 

 業界の裏側を知ったそんな感じだ。世の中綺麗なことばかりではないらしい。

 

「協力者に書類の偽造と報告を誤魔化してもらっている。だから、正式に活動してもまたはいつ消えてもおかしくないようになっているんだ。ただ、それも今日で終わるつもりだった。お前が現れるまでは」

「私?」

「はっきり言って、お前は異常だ。天才という枠には収まらない」

「いやいや。私は普通の一般人だって」

「そうかな。俺は長年この業界に携わったきたからわかる。お前の声は唯一無二のものだ。神が与えたと言っても過言じゃない。お前はまるで、神にでも愛されているかのように俺は感じている」

「大袈裟すぎだよ。それに私は無神論者、とまではいかないけど神なんて信じてない」

「奇遇だな。俺もだ」

「矛盾してない?」

「自分の意志を変えてしまうぐらいにお前の存在が逸脱しているんだよ。だが、これが運命でなくて必然だとしたら……俺のやってきたことは間違いではなかったということになる。くくっ」

 

 彼は不気味な笑みを浮かべている。でも、とても歓喜しているように命は感じた。

 

「さて。お前の質問には大方答えた。他になにか聞きたいことは?」

「そうだね。じゃあ率直に聞くけど、あなたの目的を聞きたい。あなたは私にどうしてほしいの?」

 

 彼は携帯灰皿を取り出すと、タバコを押し付け火を消してから言った。

 

「アイドルになってほしい」

「それだけ?」

「細かく言うと、今の生活を捨ててもらうことになる」

「話が見えてこないんだけど」

「これからずっとアイドルをさせる気はない。期間限定で、たぶん1年ぐらいだ。それまでに俺の計画がうまく運んで、あるアイドルの大会でお前に優勝してもらう」

 

 アイドルアルティメイト――

 彼はそう言ってきた。簡単に説明してくれたのは昔にあったアイドルの甲子園みたいなもので、そこで優勝すると〈Sランクアイドル〉つまり〈トップアイドル〉の称号を手に入れることができるらしい。

 生活を捨てろと言ったのは、その演じるアイドルとしてやっていくためでもあり、優勝したあとはその場で引退宣言をさせるからだと言う。ようは飯島命の個人情報を漏らさないためで、そのあとの生活に支障をきたさないため。それも徹底していて友人や家族とも会わないでほしいとも言ってきた。

 それに異を唱えるわけではないが命は確認すべく聞いた。

 

「そこまでする必要はあるの?」

「ある。どこからか情報が漏れるのだけは困るからだ」

「まあ友人は少ない方だし、ていうかまともに付き合っているのは数えるぐらい。家族との付き合いは……電話で済ませればいいから平気か。あ、そうだ。いま専門学校に通ってるけど、一応今年度卒業の予定なんだけどそこは?」

「本音を言えばやめてほしい。時間は限られているし、なによりもアイドルとして活動すれば休みはほぼない」

「それぐらい有名になれるの?」

「それは約束されているようなものだ。あとは俺の仕事。まあ、無理にとは言わない」

 

 専門学校を辞めることについては意外なほど不満はない。別にいますぐ辞めてもいい。なにせ進学理由が七羽さんという個人的な要因が大きいからだ。

 ただ問題はその七羽さんと、学費を出してくれている家族だ。

 前者はなんとかできる。絶交はしたくないけど、最悪の手段の一つ。そこで命は気づいた。気づけば自分がたった一人の親友との仲よりも彼を優先させていることに。同時にここまで大きな不満はないしそれを受け入れつつある。

 七羽さんには悪いとは思うけど、きっとこれが自分のすべきことなんだ。

 就職をするのかはたまた別の何かを見つけるのか、またニートになるのか。それに迷っていた自分がすべきことが見つかった。だから中途半端はダメだ。

 命は七羽との最悪の結果を想定しつつ、あとで彼女に伝える覚悟をした。残る課題は家族だ。それについて彼に相談した。

 

「専門学校を辞めるのは構わないけど、家族がそれに納得するかわからない。私、行きたくていまの学校に行ったわけじゃないから」

「仮に辞めるとして、家族を説得できるのか?」

「できる。最悪、縁を切ってもいい」

 

 本心からの言葉だ。これも七羽さんと同じ理由。彼を見ても、きっとこれが嘘ではないことは伝わっているだろう。

 

「……まあいい。それと、専門学校の学費は全部でどれくらいかかっている?」

「え? 正確じゃないけど……」

 

 命は自分が覚えている額を伝えた。彼はうなずいて平然と言った。

 

「なら、その全額を俺が出そう。それを両親に渡すといい」

「ちょ、ちょっと待って! そこまでしなくても」

「これぐらい安いものだ。一年とはいえ、人の人生を奪うんだからな」

 

 一年。たしかに短いようで長い期間。その一年で人はどれだけのことができるだろうか。まったくもって想像がつかない。

 彼の言う言葉に嘘はない。誠実さすら感じる。本当に学費を出す気だ。それだけの覚悟が彼にもあるのだと伝わってくる。

 

「わかった。それですんなりと納得してくれるかはわからないけど、やってみる」

「ああ」

「じゃあ要点をまとめると。私は学校を辞めて、アイドルになる。そのために飯島命としではなく、そのアイドルを演じる。そして、その〈アイドルアルティメイト〉で優勝する」

「そうだ」

「結論から言ってあなたの目的に協力してもいい。でもまだ聞いてないことがある」

「他になにがあると言うんだ?」

「私が聞きたいのはあなたの本心。それを聞かせてほしい」

「……ッ」

 

 聞こえるように彼は舌打ちをした。今まで以上に苛立ったのか再びタバコを吸おうと箱を取り出そうとする。

 

「?」

 

 タバコを取り出したと思ったらそれをポケットにしまった。なぜ吸わないのだろうと疑問に思ったが答えは出てこない。タバコを吸えないのかイライラしているのが手に取るようにわかる。命はそれに追い打ちをかけるようにカマをかけた。

 

「言っておくけど誤魔化そうとしても無駄だよ。私、人を見ればだいたいのことがわかるから」

「だったら聞く必要はないだろう」

「ある。あなたの口から聞くことに意味があるの」

「ちっ」

 

 再びの舌打ちをしたと少しおいて、彼は話してくれた。

 

「誰にも口外しないと誓うなら」

「誓うわ」

 

 そして彼は語り、命はそれを聞いてアイドルになることを決めた。

(ようやくわかった)

 彼が言うようにこれは必然なのだ。

 私が生まれた理由。生きてきた理由。

 それはすべてこの日のため。

 何も目標ややりたいことなど今までなかった。それが見つかった。

 神の存在を信じてはいないが今だけはその存在を信じてもいい。

 私と彼の出会いに感謝しよう。

 私と彼の出会いを祝福しよう。

 だが同時にこれは罪でもあり罰。

 罪とは私自身。

 私という存在が罪そのもの。今日この日に出会わなければ彼はそのままでいられたのに、それを捻じ曲げてしまった。すべてを狂わせてしまった。だから罪。

 罰とは彼の選択だ。

 まだ引き返せる。まだ踏みとどまれる。でも無理だろう。私に出会ってしまった。だから彼は選ぶだろう。この先に望むものがきっと待っている。でも、その過程で彼は大事なものを捨てる。自分を責め、きっと苦しむだろう。それが彼の罰。

 ああ。だから私は彼を見て哀しいと表現したのか。

(可哀想な人)

 出会ってしまった。この道を選んでしまった。ならば自分はそれを叶えるのが使命だ。でなければ本当にその言葉通りになってしまう。それだけは回避させなければならない。

 ならば演じよう。彼のアイドルを。

 最後に彼女は思う。今この瞬間。彼を知る誰よりも自分こそが彼の理解者であり、唯一の味方であるのだと。

 予定より30分以上も話し込み、今日はひとまず解散ということになった。彼にはこの部屋の後片付けなどがあるのか特に帰り支度などはしていない。

 荷物を持ち部屋を出る際、命はふと気になったことを彼にたずねた。

 

「ねえ。アイドル活動する際に私が演じるアイドルの芸名? それってもう決まってるの?」

「ああ」

「差し支えなければ教えてもらっても?」

「――リン・ミンメイ。それがお前の新しい名前だ」

 

 

 

 

 

 

 〈リン・ミンメイ〉としての生活は思いのほかすぐに馴染んだ。

 昨年12月に開催された新人アイドルだけの歌番組で正式にデビューしてから早1か月。以前の生活と違うのはまず住む場所が変わったことだろうか。未だにこの芸能界の空気というか雰囲気を掴めていないので、自分の立場についてもいまいち実感がない。

 彼――相棒のプロデューサーとしての手腕はたいしたもので、デビューしてから翌日には仕事が舞い込んできた。これですら彼の計画の一部なのだとしたら底知れない。彼の目的を知った上で協力している者がどれほど存在しているのかはわからない。また不本意ながら協力している人間を含めても、彼を中心とした人脈ははかりしれない。

 その所為もあってか、私は早々に進学する際に住んでいたアパートから今住んでいるアパートへと引っ越すこととなった。理由を聞いた際にも報道関係者に週刊誌記者やゴシップ記者対策の一つと言っていた。

 漏洩対策はこれだけではなく、自宅に帰宅する際のルートおよび車も毎回変えている。車もレンタカーなのかは知らないがこれから一年間同じ生活をするとなると、彼の資金源も相当のものだということがわかる。

 なによりも驚かされたのが相棒の察知能力だろうか。

 基本的に移動する際に利用するのは車で、次の仕事先が相当近い場合は徒歩で移動する。歩いているときならまだ納得はできるが、車に乗っている際にも彼は何者かの尾行に気づくのだ。それからは映画顔負けの逃走術で相手を撒くのだがこれまた見事な手際である。アイドルになってからは、そういう視線を向けられるのがわかりはじめたので外でなら自分も気づけるようになった。

 ただ尾行はまだいい方で、もっと酷かったのは仕事先の控室に盗聴器と隠しカメラまであったことだろうか。これに関しては仕事先の人間が情報を売ったのは確定で相棒の行動は早かった。それもすごかったが、何よりもすごいのはそれを見つけたことだろう。機材などをなにも使わず部屋に入るとすぐにそれを見つけたのだから、私には到底できないことだった。

 デビューをしてから1か月も経っていない間にこのようなことを起きるのは、〈リン・ミンメイ〉の存在を見抜いた人間がいるということと、彼女を担当しているのが彼であるというのが大きい。

 プロデューサーと呼ばれている彼の能力は間近で日々実感している。そんな彼の存在はこの芸能界ではかなり影響力のある存在。そんな彼が独立してアイドルをプロデュースしているとなれば、気にならないはずがなかった。

 そもそも。〈リン・ミンメイ〉というアイドルは私であり私ではない。彼女を演じるにあたって真っ先に行ったのが形から入ることだった。

 エクステンション、ようは付け毛をつけてかなり久しぶりのロングヘアになり、髪の色も地毛も含めてパープルグレーの色になった。それらはすべて相棒がやったのだがこれまたテキパキとこなし、彼から手入れや髪の洗い方も教わった。それを含め他に教わったのは化粧の仕方だろうか。そこまで化粧を本格的にしたことはなくて、女としてはあまりにも無頓着な自分ではあるが化粧の力には驚かされた。同時にそれを平然と行う彼も凄かった。なんでもできるな、この男は。

 〈リン・ミンメイ〉という名のアイドルを演じてはいるが、彼から言われたのはそれだけだった。「お前の好きなようにしろ」と彼は言い、私は自分が思う彼女を演じている。

 名前以外謎の女である〈リン・ミンメイ〉を知るのは私ではなく彼だ。真の意味でオリジナルの〈リン・ミンメイ〉を知るのは彼だけなのだ。

 なぜ〈リン・ミンメイ〉なのか。

 その理由を聞ける日が来るのか。

 それすらわからない。

 色々あるが今の生活中々悪くない。

 やることは至ってシンプル。仕事をするか、楽曲を作るのかの二択。

 自分に作詞作曲の才能があったのは驚きだったが、これが意外と楽しい。彼からやれと言われてからというもの、暇があれば歌詞をノートに書きだしている。〈リン・ミンメイ〉の活動期間は約一年。つまり時間は限られているわけで、これでもかというぐらいに没頭している。

 作詞作曲の名義は別名義になっていて、一応印税は入ってくるらしいがそこまで意識したわけではないし、そこら辺は彼に任している。

 作詞作曲を自ら手掛け、そして歌う。うん、まさにアイドルらしい。

 アイドルが活動するために必要な事務所。存在自体があやふやだった〈サテライト〉も正式に活動しだした。

 

 

 

 

 

 

 2018年 4月頃

 

 〈サテライト〉が事務所を構えるのは都内にある空きテナントだったところの二階で、アイドルオーディションとは別の場所になる。そもそもオーディション会場は不定期に別々の会場で行われていたため、命――〈リン・ミンメイ〉が生まれたことによって正式に事務所を構えると同時に活動を開始することになった。

 従業員はアイドルである彼女を除いてたったの3人。

 一人は建前上〈サテライト〉の社長になっている速水という初老の男だ。一言で言うなら彼は老紳士という言葉がよく似合う。出歩く際には杖を持って歩いている。日本人にしては珍しいタイプの人間で、フランスとかヨーロッパに行けばもっと様になるのではと命は思っていた。

 この老人に対して大きな謎があった。命自身、昔に比べれば無暗に詮索するようなことはしないようにしていることもあって、直接目を見たりしてないしたずねてもいない。

 速水もまたプロデューサーと同じく秘密が多い人間だ。まず、共犯者なのは間違いない。

 彼とこうして直接協力している時点でそれは確定事項だった。これもまた推測でしかなかったが、プロデューサーの目的をすべて知った上での協力者だと命は睨んでいた。

 ただそうなると、彼と速水の関係というべきか接点がいまいち分からない。彼からすれば建前上の社長という人間は必要だっただろうし、自身が仕事に集中するためにも人手がほしかったのは分かる。推測するにこの業界で知り合ったという説がかなり濃厚なのだがいささか年が離れているし、速水側として見ればあまりメリットが思いつかない。二人の出会いというか関わりについてそれとなく聞いたところ教えてくれたのは、むかし一緒に仕事をしたということだけ。

 ますます分からない。

 ただもしかすると、速水自身そんなに難しい理由ではなくてもっとシンプルな理由で協力しているのかもしれない。

 彼の社長としての能力はこれまた未知数。アイドル事務所の社長がどういう仕事をするのか、それに限らず社長とはどんな仕事をこなすのか知らない命にとっては評価のしようがなかった。だからといって彼が無能というわけではない。

 事務所にいる際には常に同じ空間にいるので速水の仕事ぶりは目に付く。事務員が一人ということもあって、社長という肩書に関わらずどんな仕事も手に付けてはこなしている。それを目の当たりにすれば、プロデューサーが速水に計画を打ち明けた時点で有能なのは疑う余地はないのだと気づいた。

 速水の人柄は温厚で面倒見のいいおじいちゃん。というのが命の抱いている印象であった。

 両親の実家にあまり行ったことがない彼女にとって、速水という男は命が抱く祖父としての理想的な人間のようであった。

 毎日おいしいお菓子を持ってきてくれる。これだけでも彼女にとっては速水を信頼する理由としては十分だった。

 二人目である〈サテライト〉唯一の事務員である早瀬未沙。

 彼女とは顔合わせを含めれば二度目になる。この間のアイドルオーディションで受付をしていたのが未沙だ。あとで聞いたがオーディションの受付けはアルバイトでかれこれ何度もやっているらしい。なんでも給料がすごいいいとのこと。

 年は命より上で今年で25になる。航空自衛隊で働いている彼氏と遠距離恋愛を続けているらしいく近々入籍するらしい。本人曰く、大学を出て就職する手間がはぶけたのこと。といっても、それは一年という短い期間だけなのに、そのあとは大丈夫なのだろうかと命は心配していた。

 最後の一人が言うまでもなくプロデューサーだ。

 彼との付き合いはまだ短い。その短期間で命は彼女なりに彼を知ろうとしていた。目だけではなく、普段の素行や彼自身について。

 しかし、これは難航していた。

 アイドルとして活動しだして共に行動するようになったのはいいが、それからの彼は最初に出会った時より近寄りがたい男になったからだ。言葉の一つ一つがきついし対応も素っ気ない。別に彼を怒らした記憶はないのだがこれがわからない。

 もしや、初めて会った時にあれこれ言ったのがいけなかったのか。そう思いもしたが彼の性格からしてそれはないという答えにたどり着いた。

 これでは埒が明かない

 そう思っていた矢先、極まれに彼の素顔を見る機会が何度かあった。

 ニュースで四条貴音というアイドルが活動休止したニュースを知ると、一瞬顔が青ざめたのは印象に残っている。あとはとある電話で、彼の返答が女がらみのように思ったので試しにからかったら反応がその通りだったことがあった。

 これが彼の弱さなのだ。

 いや、これは弱さというよりも……甘いというべきなのだろうか。なにをもってそうさせるのかは自分には明確とした答えない。けれど、人のことをよく見ている人間ならば薄々と察せることができるだろう。これにおいては私だけが特別というわけではない。

 問題はその『弱さ』あるいは『甘さ』となっている原因。それが気になる。

 それを知ることのできる方法はただ一つ。

 この場で唯一彼を知る人間である速水に命はたずねたのだった。

 

「ねえ、社長。ちょっと聞きたいことがあるんだけどー」

「なんだい」

「昔の相棒ってどんなアイドルと仕事してたか知りたいんだ」

「ふむ。ふむふむ。なるほどねえ」

 

 綺麗に剃ってあるはずの顎を撫でながら速水は言う。

 命にはそれが彼にとってあまりいい話ではないのだとすぐに見抜いた。あの相棒のことだ。自分のことに関しての情報を自分に教えるなと先手を打っていたに違いない。そこはさすがだと褒めるべきだろうか。

 だが、甘い。

 速水の性格からして孫には甘いタイプの男。それに近い年をしている自分にも普段から甘いのだから、彼から聞き出すのはそんなに難しいことではないのだ。

 

「教えてよー、社長ぉ」

「答えが難しいねぇ。彼、多くのアイドルをプロデュースしてきてたから」

「じゃあ、特にこの子! って感じのアイドルって誰?」

「特にかい? そ、そうだなあ……」

 

 速水の目が泳いでいる。ここは彼が反応を示したあのアイドル名を命は言ってみた。

 

「……この前テレビで話題だった四条貴音とかは?」

「どうだろうねえ」

 

 当たりだ。

 やけに声が高くなったし、無意味に体を動かしている。

 

「あ、たしか命くんが好きなシェリルもプロデュースしていたらしいよ」

「え、マジ? サインほしいなぁ」

「まあ無理だろうね。そうだ。ちょっと用事があったのを思い出したよ。年は取りたくないねぇ。それじゃあ命くん。少しばかり留守番を頼むよ」

「はーい」

 

 特に気にしなければ自然な感じで会話を中断して部屋を出て行ったように見えるが、どう見ても逃げたようにしか見えなかった。

 速水が事務所から出ていくのを見届けさっそく行動に移した。

 命は未沙のデスクの前に座り仕事で使っているデスクトップパソコンを起動。彼女はいま外に出ていていまこの場にはいない。それに仕事をしていないときは二人でネットサーフィンをしているのでパスワードも知っている。パスワードを打ち込んですぐにGoogleをクリックして「四条貴音」で検索。

 サイトの一番上に〈765プロダクション〉のサイト内にある四条貴音の公式サイトがあった。試しにそれを開いてみる。

 内容は特にこれといって興味が惹かれるものはなかった。あるとすれば、バストとヒップがすごいというぐらいだろうか。

 知りたい情報はこれではない。もっとこう、彼に繋がるような話題がほしい。

(……そうだ)

「四条貴音 活動休止」と先ほど口に出した単語を入力。ブログやネットニュースほかにはまとめサイトがずらりと表示される。いくつか目を通してみたが内容は似たり寄ったり。活動休止は体調不良が原因とある。それだけで彼が青ざめるほどのことなのだろうかと命は首を傾げた。プロデューサーである彼ならば顔見知りという線もある。だから心配した。だが、あれは顔見知りというにはいき過ぎている。もっと親しい間柄のように見えた。

 サイトを行ったり来たりしていると、とあるネット掲示板のスレをまとめたサイトに行きついた。タイトルは『銀色の王女 活動休止は男が原因⁉』とあった。軽く流し読みしていくと内容はある投稿によってはじまったらしい。

『四条貴音が休んでる理由は男が原因らしいゾ』

『マ?』

『ソースは?』

『俺、テレビ局で働ているんだけど。先輩が言うには四条貴音が休んでいる理由は彼女の元プロデューサーが原因ってことらしい』

『ファ⁉』

『けどなんでよ』

『そりゃああれだろ。男と女の関係よ』

『幻滅しました。貴音ちゃんのファンやめます』

『まあいまどきアイドルとの恋愛なんてそこまで話題にならないけどなあ』

『交際しながらアイドルやってるやつとかたまにいるし』

『それでも好きなやつはおっかける。はい、俺です』

『話戻すけど、貴音ちゃんの元プロデューサーって当時すげー本スレで議論されてなかったけ?』

『たしかあったな』

『今のプロデューサーじゃないん?』

『違ったはず』

『今のはもう一人の男の方だな。りっちゃんはいまアイドルメインだし』

『当時はなんで盛り上がったん?』

『偶然ファンが撮った写真の男の見た目が日本人離れしてたのと、まさかスレに業界関係者が現れて、それでかなり盛り上がった』

『そんな流れだったな。けど、なんで関係者のお前がしらねーんだよw』

『いや、新人だから詳しく知らんのよw。なんかすげー有名だってのは聞いてる』

『有名っていうか、業界関係者じゃめっちゃ名の通ってる人間だってらしいけどな。いい意味でも悪い意味でも』

『らしいな。俺はまだよくわからんけど』

 再びGoogleのトップページまで戻り、命は「四条貴音 画像」で再度検索。ずらりと表示される彼女の数々の画像を鑑賞し始めた。

 プロフィールでも目にしたが実物を見るとデカい。男が夢中になるわけだ。髪も自分とは違い天然ものだとすれば、滅多に見ない銀色をした髪の毛はとてもきれいだ。

 ふむ。男と女の関係か。

 そう思って「四条貴音 プロデューサー」と検索。数は少ないがとあるサイトに気になる記事があった。『四条貴音の元プロデューサーとはこいつだ!』というタイトルで写真やいくつかの逸話のようなものから噂話が書かれていた。

 曰く、今活動している多くのアイドルやアーティストをプロデュースしたらしい。

 曰く、芸能業界では知らぬ人はいないらしい。

 曰く、著名人やテレビ局の人間といったあらゆる人間の弱みを知っている。

 曰く、上記に関連して政界とも通じている。

 曰く、海外とも繋がりあり、マフィアとも交友がある。

 曰く、未来からきたプロデューサー型ターミネーター。

 上3つは当たっているのでネットの憶測もばかにはできない。残りの半分は知っている情報がないのでなんとも言えなかった。ただ、4つ目に関してはあながち間違いないのかもしれない。彼の協力者には進んで協力している者と、金または脅されて協力している者がいると本人が言ったのだ。つまり、人の弱みを知っているということになる。アイドル協会や業界全体に彼の息がかかっているならば、政界の人間とも繋がっていてもおかしくはない。まあアイドルのプロデュースで政治家を脅して何の意味があるかはさっぱりだ。

 数枚ある写真はあまり写りがいいとは言えない。ほとんどがぼけている。プロか素人なのかは区別がつかないが、写真の様子を見るになにかのイベントかオフの写真だろうか。簡単な変装をしている四条貴音に大柄の男が隣に立っている。知っているから言えるがこれは相棒だろう。写真が荒く、遠くから撮ったものなのではっきりとは言えないが、楽しそうに見える。

 いくつかある写真の中で気になるのがあった。これも彼女のオフでの写真だと思うが違う点が一つ。たぶん二人の間にもう一人の……少女がいる。髪は金髪だ。偶然なのかはわからないが、命の女の勘が偶然ではないと語っている。相手はさすがにわからない。でもこれではっきりした。

 これが彼の『弱さ』だ。

 堅物だと思ってたけど、意外と男らしいところもあるのか。まあ年齢差に関しては否定はできない。それでも彼があそこまで感情を露わにするということは、そういうことなのだろ。

(ほんと、不器用な人)

 彼の目的を知っているので自然とそんなことを思い浮かんでしまう。本当はこんなことしなくていいのにと、同情すらしてしまう。

 両手を上に伸ばして気持ちを切り替える。

 頭の中で彼のことを勝手に教えてくれるのはいい。でも、やはり自分で聞いて判断しなければならない。

 なによりも、彼をからかうのは楽しいのだ。

 アイドルをやっているのはつまらなくはないが退屈だ。なのでこれはいい退屈しのぎの一つでもある。

 それに、相棒と話すのは嫌いじゃない。

 

 

 

 

 

 同年 8月

 

 この頃になると、〈リン・ミンメイ〉は〈アイドルアルティメイト〉の予選をすでに通過していた。大会参加者の規模がかなりのもので、日程やアイドルのスケジュールの関係、さらには会場の確保と多忙な中でこの時点での予選通過は早い方だった。

 命にとってもこの予選はそこまで苦ではなかった。むしろ本気すら出していない。

 予選が終わったいま、やることといえば日々の習慣になっている作詞作曲にテレビ出演や細かい仕事、そしてライブぐらいだった。

 〈リン・ミンメイ〉を演じてからだいたい9か月が経とうしている中、命とプロデューサーとの関係は左程変わっていなかった。むしろ、距離感は遠ざかっているのではと彼女は笑いながら楽観視していた。

 彼からすれば命の言葉の一言一言が鬱陶しいに違いなかった。内容が的確で、人の感情を逆なでするようなことを言うのだから、彼からすれば会話すらしたくはないのだろう。

 その内容が彼の本心を見透かしているとなれば尚更だ。

 あれから命も自宅で色々と情報収集をしていた。四条貴音やプロデューサーである彼自身についても。

 ただ、アイドルではなく一人のプロデューサーの情報などたかが知れていた。彼の個人情報と呼べるものはほとんど皆無。得られた情報といえば四条貴音関連で探して出てきた情報のみ。

 それでもプロデューサーが自宅ではなく事務所やホテルで寝泊まりしていることは、共に活動するようになってから知ったのでそこは女の勘が働いた。

 彼は四条貴音とかなり身近な距離、もっと言えば親密な関係だったのだとわかる。考えられる答えとしては同棲。まさに男と女の関係だ。

 だから彼は家に帰らない。それがもっとも決定的な理由だ。

(なら、あれもそういうこと?)

 二人の関係が恋人だと仮定するならば、彼のある一定の行動ですら当てはまってくる。

 答えを知りたいという好奇心と、純粋に彼をもっと知りたいという想いもあって彼女はそれなとくプロデューサーにたずねた。

 

「ねえ、相棒」

「なんだ」

 

 車を運転している彼は命の方など見向きもず素っ気ない返事を返した。

 

「相棒ってさ、たばこ吸うじゃん」

「それがどうした」

「たぶん、間違ってなければ一日三本ぐらいしか吸ってないよね。どうして?」

 

 言うと同時に体が前に揺れる。が、シートベルトのおかげで途中で停まる。

 どうやらタイミングよく赤信号になったようだ。それにしては急ブレーキにようにも感じたそれは、彼の今の状態を表しているといってもよかった。

 

「なんで一々お前の質問に答えなきゃいけない」

「別に。答えなくてもいいよ。ただ、辛そうだなあって、そう思っただけ」

 

 それ以上彼は何も言ってはこなかった。すごいのはイラついているのにそれを表に出さないところだった。例えばハンドルを叩いたり、貧乏ゆすりや舌打ちなどをしてもおかしくないのに彼はそれすらしてこなかった。

 辛いと言ったのはたばこを吸えないことではなく、三本しか吸わないことを律義に守っていることを言った。彼が何も言わないのは、彼自身それを自覚しているからのだろう。

 例の親密な関係だと思われるアイドル―四条貴音が提示したと思われるその約束は、今の彼にとっては厳守すべきことではない。にも関わらず一日三本しか吸わないのは、傍から見れば呪いに近いものだろう。

 だがこの場合はたぶん違う。

 やはり彼は、純粋なのだと私は思う。

 きっとそれは素直とも呼べるかもしれない。ある意味でそれが彼の本質なのだろか。そこまではさすがにわからない。

 分かると言えば、四条貴音という存在は彼にとって大切な存在であり、彼に愛されているということだ。

 愛されていると言えば、彼は非常にアイドルにモテるらしい。

 予選で多くのアイドルとライブバトルをしたあとに大半のアイドルが駆け寄って言うのだ。

(プロデューサーに伝言をお願いします)

 相棒はなんて罪な男だろうか。言ってきたアイドルに同情すら覚えたが、今となっては鬱陶しくて仕方がない。一人や二人ながらともかく人数も気づけば二桁だ。それもライブバトルした相手ではないアイドルも駆け寄ってくるのだからそう思ってもしょうがないではないか。

 中には直接言ってこなかった子もいて、多くが後ろでこちらを見ていたその子らはどうみても小学生か中学生ぐらいのアイドルだった。さすがに顔には出さなかったがあれはどう考えても、罪な男を通り越して犯罪者予備軍なのではと思ってしまった。

 相棒に魅力がないといえば嘘になる。だが未成年、特に小中学生はだめだろう。今の世論的に見ても言い逃れはできない。ただ彼のことだ。彼女たちに向ける視線や感情はアイドルとしてであって、女としては見ていないのは目に見えている。

 まあある一人のアイドルを除けば、だが。

 違う見方で考えるならば、相棒を中心に多くのアイドルが関わっていることになる。それは芸能関係者も例外ではなくて、だからこそいま起きている事象に大勢の人間が巻き込まれている。いや、巻き込んでいるのだ。〈リン・ミンメイ〉というアイドル(偶像)を生み出し、今この時代が作り出したアイドルブームを利用して日本中を巻き込んでいる。

 この国のみならず他国でもアイドルという文化は異常なまでに人々に浸透している。アイドルという偶像に恐ろしいまでに酔っているとでもいうべきか。男女問わずアイドルという存在に誰もが惹かれ、惹き付けられている。その当事者になっている自分を見ても、それを実感するには十分すぎる体験をした。

 ライブ会場を埋め尽くすファンの人々。たった一人のアイドルのために訪れるのだ。アイドルに対するファンの熱意というものを体感するにはこれ以上のものはないだろう。

 改めて考えると、相棒がやっていることは並大抵のことではないのだとわかる。

 いくら協力者による援助があったとはいえ一人でこの騒動を計画していていたのだ。まさに人の執念というものを感じる。

 いつも行き当たりばったりで、自分の意志で選択をしてこなかった自分よりとても眩しい人。憧れもするし、嫉妬もしてしまう。

 なんで自分には彼ほどとは言わないが熱意がないのだろう。好奇心が湧かなかったのだろうと自問自答してしまう。

 そういう意味では私は彼が羨ましいのだろう。

『夢』のためにここまでやれる相棒が。

 たったそれだけのことが、私には眩しかった。

 

 

 

 

 

 ――そして現在(いま)

 〈アイドルアルティメイト〉の本選から今日に至るまで語ることは少ない。

 本選の一回戦で予想外の出来事はあったが〈リン・ミンメイ〉は見事決勝進出を果たした。

 もう一つ語ることがあるとすれば、相棒の変化ぐらいだ。今日という〈アイドルアルティメイト〉の決勝戦に近づくにつれて、彼は徐々にもとに戻り始めた。

 気が緩んでいるのとは少し違う。

 彼の良心が訴えているのか、罪悪感を今さら感じているのか。こればかりは言葉が見つからなかった。

 

「……」

 

 驚くほど深い眠りについている彼の頬にそっと手が伸びた。

 触れるようで触れられない距離。

 よく見なくてもいい顔ではない。多くの人に恐怖という第一印象を与えるような顔だ。

 そんな彼に多くの人間が惹かれた。命は思う。もしも、自分がアイドルになるということが必然なのだとしら、彼に惹かれたのも納得がいくような気がする。おまけにこんなよくも分からない能力を授かったのもこのためなのだと。

 いや、眼なんておまけで実際のところはこの声なのかもしれないし、自分の存在自体がそういう風に宿命付けられていたのかもしれない。それにただでさえ〈飯島命〉なのか、それとも〈リン・ミンメイ〉なのか自分でも分からなくなってしまっている。

 ただ、それも今となってはどうてもいい。

 自分がどんな存在であれ、定められた宿命を持って生まれたなんてもう興味はない。

 彼の夢は目前だ。

 それを叶えるのが私の――〈リン・ミンメイ〉の役目だ。

 〈リン・ミンメイ〉にとって最後の仕事で、最後の舞台。

 それは彼にとっても同じ。

 これが終着点になるはずだ。

 終わるのか。はたまた解放されるといえばいいのか。少なくとも〈飯島命〉にとっては解放なのだと思う。

 なら彼は?

 分からない。

 この先の未来が視えない。教えてもくれない。

 少なくとも確定している未来は一つ。

 彼の夢は叶う。

 

「……ん」

 

 相棒の声が漏れた。

 長い眠りから覚めたらしい。

 すぐに意識を取り戻したのだろう。目の前にいる命の存在を認識すると、サングラスをかけたまま右手で目を覆った。

(……涙?)

 直感だけど、たぶんそんな感じがした。相当嫌な夢か、悲しい夢を見たのだろうか。

 目を覆ったのも一瞬で、彼は即座に言ってきた。

 

「――最悪だ」

 

 相棒の寝起きの第一声は相変わらずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き

【サテライト】

 元ネタ マクロスの制作スタジオ。

 ミンメイを生み出したと同時に事務所の名前がこれに決定。

【速水】

 元ネタ声優のあの人から。

 サテライトの社長であり経歴が不明なキャラクター(あまり深く考えてない)。事務所をサテライトにした時点でこれも同時に決定。

【早瀬未沙】

 元ネタマクロスで以下同文

 夫は航空自衛隊のパイロット

【飯島命(新)】

 マロクスミンメイの中の人から名前を決定。作詞作曲も中の人ネタです。

 一言でいうと訳の分からないキャラクター。あるいは美希の上位互換(数段上)

 作中においては、彼女がいなければこの物語は始まらないし、彼の夢も叶うことはなかった。神に愛された女であり、彼にとって運命の分岐点となる女

【リン・ミンメイ】

 彼が考えたアイドルで、命が演じている存在。命がいなければただの空想でしかない

 あるいは概念的存在(彼女の名前に一々〈〉がついていたのはそのため)

【松岡七羽】

 命のただ一人の友人でありよき理解者。

 

 

 

 



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第39話 P

 
受け取れ
これが総文字数約65000文字だぁ!

※追記
一部ルビを入れた単語がなぜか反映されておらず、そのまま続く形になっています。
ほんとなんで?


 

 

 

 

 

 

 

 意識が覚醒する。

 無意識のうちに瞼が開く。

 でも何も見えない。

 だんだんと見えて……いや、突然それは現れた。

 目の前に一人の女が立っていた。

 周囲は暗闇で、自分がちゃんと立っているかも怪しい。それなのにその女がいるところだけは光がある。

 けど、誰かははっきりと見えない。顔がうまい具合に暗闇によって隠されている。

 どういう訳かその女のことを知っているような気がした。

 女はじっとこちらを見ている。

(――あなた様)

 何かを言っているような気がするがわからない。

 口が動いているのはわかる。

 でも声が聞こえない。

 それでも不思議と、いつも聞いていた言葉のような気がするのはなぜだろう。

 聞こえない言葉を何度も女が言っている。

 何度も――何度も何度も何度も。

 頭に残っているはずなのに、忘れることなんてあるわけないのに、その言葉を思い出せない。

 一瞬、女の頬を何かが流れた。

 それでもじっと女はこちらを見つめ、そして振り返るとどこかへ歩いて行ってしまう。

 女に向けて右腕が動いた。

 理由はわからない。

 体が動こうとしているのがわかる。でも動かないんだ。

 そして女は目の前から消えた。

 暗転。

 再び暗闇の世界。

 けど光がある。

 目の前にはまた女がいて、顔は見えない。

 女は体に跨っているように見えたので、きっと仰向けで倒れているのだろう。

 確証はない。

 ここはまるで宇宙だ。どっちが上で下なのか分からない。

 女は両手を伸ばして……首を絞めていた。

 痛みはない。

 苦しくもない。

 呼吸をしているのかも判断がつかない。

(――うそつき)

 女が何かを言った。

 やはりまた聞こえない。

 でも、どこかで大切な約束をしたような気がする。忘れてはいけない約束だったのに、思い出せない。

 女は首から手を放そうとはしない。

 なぜ抵抗しないのだろう。

 体が動かないから?

 わからない。

 そんな時。

 動かない頭が、横に勝手に動いた。

 暗転。

 それから何度も同じ光景が繰り返された。

 暗闇の世界にぽつんと光る女。顔も声も分からない。

 どれくらい繰り返したのだろうか。

 数えることすらしていない。

 はっきりと覚えているのは最初の二人だけで、それ以外は霧がかかったようにまったく思い出せずにいた。

 そしてまた暗転。

 今度は違った。

 光だ。

 一面の光。

 そこに大きく光るモノがある。

 直視できない。

 眩しいのとは少し違う。

 光が近づいてくる。

 目を細めてようやくわかるのは、それが人のような姿をしているということだった。

 それは目の前に来る。

 すべてを照らしているというのになにも感じない。

 暖かいという印象を抱いていたがそうではないらしい。

 人の形をした光が顔に手を伸ばしてきた。

「大丈夫」

 いままで一度も聞こえなかったはずの声が聞こえた。

 鮮明ではっきりと。

 なんで目の前の存在の言葉だけが聞こえてくるのか。そんな疑問など微塵も湧かなかった。

 ただ――

 その言葉を聞いて無意識に安心したのは――間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 第39話 P(プロデューサー)

 

 

 

 

 

 

 意識が覚醒する。

 ここはどこだろうか。

 島村卯月と別れたあと、スタッフから宛がわれた〈リン・ミンメイ〉の控室にある椅子に座った所までは覚えている。自分は寝てしまったのだろうか。

 ならばここは夢の世界ということになる。

 普段見る夢にしてはとても鮮明に意識を保っているし、はっきりと認識できている。

 だからだろうか。

 ふと、あいつの勝敗に関して脳裏をよぎった。

 相手はあのシェリルだ、実力なら誰よりも知っている。普通なら控室で寝ているなんてできないだろう。

 しかし。あれが、〈リン・ミンメイ〉が負けることはないだろうとどこかで確信している。だから寝てしまったのだろう。

 まあ問題ない。あれのことより今はこの状況の方が重要だ。

 すると目が慣れてきたのか、はたまたこの空間に光が差し込んだのかはわからないが視界がはっきりしてきた。

 上を向けば天井があって、照明がある。前を向けば横一列に椅子がずらりと並んでいた。すぐにはわからなかったが自然とここがどこなのかがわかった。

 ここは、地元にある小さな映画館だった。

 映画館にしては少し狭く、上映している映画も数本。幼少のころよく母親に連れて行ってもらったから覚えていたのだろう。なんといえばいいのか。当時にしては小さな町に一つはあったであろう映画館で、都市部に大きなショッピングモールや映画館ができるまではよく通った場所。自分と同じ年の子供はよく通っていたと思うし、大人向けというか有名な映画を見るために大人達も通っていた。しかしそれも時代の波にのまれて消えていった。

 いつ閉館したのかは覚えていない。気づけば取り壊されて、更地になっていたはず。一番新しい記憶を掘り起こして思い出す。たぶん、ドラッグストアかなにかになったと思う。

 それでもこうして館内の風景を鮮明に覚えているのは、大事な思い出の名残なのだからだと思う。自分でもよくわからないが。

 背後で音がする。映写機が動き出したらしい。

 深く考えるのはやめて、気晴らしに見てみよう。座る場所はいつもの場所。中央のちょっと後ろの席。ここがちょうどよく見える位置で、自分専用の特等席というやつだった。

 ただ、成長した自分が座るとやはりあの頃とは見える位置が違う。場所を変えようかと思ったがまあいいかと曖昧な判断をして動かなかった。

 照明がゆっくりと消え始め。スクリーンに映しだされる映像がだんだんはっきりと見えてくる。

 どうやら始まるようだ。

 3

 2

 1

 ――誰かの視点でそれは始まった。

 どこか見覚えのある教室。

 目の前には高校時代の担任が座っている。

 これがなんの映画なのかわかった。

 これは、俺の過去の記憶の映像だ。

 

 

 

 

 

 

 1998年 4月

 

「で。大将は進学か? それとも就職か?」

 

 学校の自分のクラスの教室で担任の教師が言ってきた。

 高校二年生となり進路のプリントに特になにも書かなった自分に、先生が建前上の進路相談として放課後の貴重な時間を使ってたずねる。

 しかし、彼は教師のくせにこれっぽちも心配している素振りが見えない。本当に進路相談としての形だけの質問をしてきている。

 それもそうだなと思う。

 先生は自分の家庭が自営業を営んでいて、尚且つ一年時の成績を知っているからというのも理由の一つ。それにこうして生徒である自分を『大将』と呼んでいるように、あまり心配はしてないというのもあるし、信頼しているという面が大きいのだろう。

 

「答えはまだないです」

「んー。まあ、他の奴なら心配して色々と先生も動くんだが、大将なら問題はないし平気だろうなんて思ってしまうわけだ。教師としては失格だけどな」

「だったら、こうして貴重な放課後を使わなくたっていいじゃないですか」

「一応建前上な。大将以外はちゃんと進路を決めているし。それが本気かどうかは別としてだ。他の先生も大将のことは信頼しているから心配はしてないんだけど、さっきも言ったように建前上はしなくちゃいけないし、本人の意見も聞いておかきゃいけないわけだ」

 

 それは初耳だった。これといって呼び出されるような問題は起こしてはいないし、授業中は普通にしているだけだったのに。

 

「あの、そんなに俺って信頼されてるんですか? マジで自覚ないんですけど」

「職員室ではたまに話題にあがるぞ。なにせ、『大将』なんて呼ばれてるぐらいだしな。クラスメイトからの信頼もあるし、面倒見もいいから余計に好印象だ」

 

 そういう風に呼ばれ始めたのは中学の時からだったと記憶している。身長は全体で上から数えた方が早い方で、体格もがっしりとしているから目立つというのもある。あとは面倒見がいいから、周りから親しみを込めて『大将』なんて呼ばれたのがきっかけだったはず。

 それは高校に上がってからも変わらなかったし、なぜか先生達まで自分をそう呼ぶものだから不思議な感覚だった。

 

「先生なんだから普通に名前で言えばいいじゃないですか」

「まあそれもそうなんだがな。大将って身長はあるし、体格もいい。それに年の割にはとても落ち着いているからなんていうか、生徒、もっといえば子供に見えないんだよ。他の先生達もそうで、なんていうかその、大将には遠慮がいらないって思っちゃうんだろうな」

 

 それは育った環境が原因で身に染みていた。年の近い子供が少なかったのもあるし、なによりも大人ばかりの環境で育ったので、自然とそういう風になってしまったのだ。

 

「けど、それは悪いことじゃないと先生は思うぞ。社会に出れば一つの武器になるだろうしな」

「はあ……」

「いまはそれでいいさ。さて、話を戻すか。先生達としても早い段階で進路を決めてもらえると対応がしやすいし、相談されてもアドバイスができる。大将は実家が自営業だから就職には困らないだろうし。実際のところ、ご両親はなにか言ってきているのか?」

「父は家に就職させる気はないです。就職するなら別のところへ行けって。社会を学んでこいって言ってます」

「うんうん。その意見はわからなくもないな。で、進学は?」

「行きたいところがあるなら、行けって」

「そうか。進学ならいまからでも部活に入ったらどうだ? 多くの部活を担当する先生が言ってくるんだ。大将は部活に入らないのかって。一年の際、あちこち部活を転々としたのは興味があったからだろう?」

「いや。それはちょっとその技術というか、基礎が学べればそれでよくて。あとは独学でできるし」

「それまたなんで」

「趣味って言えばいいのかな。体を鍛えるのが自然と好きになってて」

「なんだ。自衛隊にでも入る気か? 大将ならいけそうだが」

「まあそっち方面の技術を学びたいってのもなくはないです。銃とか撃ってみたいし、戦車とかヘリとか操縦してみたいってのもあります」

「変わってるな。聞いてもいいか? なんでそういう風になったんだ?」

「映画の影響だと思います。映画に出てくる強い男に憧れて、自分もああなりたいって」

「それが今の大将を作っているわけか。ちなみに、憧れている俳優って誰?」

「シュワルツェネッガーとスターロン」

「カッコいいもんな。その二人」

 

 その通り。男なら誰もが憧れる男と言っても過言じゃないだろう。

 変わっているとよく言われるが、初めて二人が出ている映画を見たときとても夢中になって見ていたのだ。何度も巻き戻しては再生していた。あの筋肉。悪党を倒していく強さ。アクションも理由の一つ。自分もああなりたい。気づけば筋トレをはじめ、それだけじゃだめだと思って柔道や剣道とか身近なものから手を出した。

 近所にないものはしょうがないので、お小遣いで本を買って独学で学んだ。例えば合気道とか色々。あとはひたすら映画を見た。二人以外にもジャッキーチェンとか、さすがに彼の生死を分けるようなアクションを真似するには命がいくつあっても足りないので控えた。

 

「けど、あれだ。大将は……何かになりたいのかもしれないな」

「どうしてそう思うんです?」

「大人としての、経験というやつだな。就職と進学は置いといて、色んなことにチャレンジするのは自分に合うかどうかを確かめているんだろう。無意識のうちにな。先生も最初は教師を目指すつもりなんてなかった。けど、あるきっかけがあって教師を目指そうと思ったんだ。大将もいまやっていることはきっと無駄じゃない。ふとしたきっかけで道が切り開けるさ」

 

 先生の語る言葉をこの時はまったく受け入れることはできなかった。自分の人生は流れるまま決まっていくんだと思っていたからだ。いまもこうして就職か進学で悩んでいるが、その時になればどちらかを選ぶに決まっている。そしたらその内彼女でもできて、いずれは結婚でもするんだろうと。

 だから、人生を左右するようなきっかけなんてあるはずない。そんなのは理想論で、夢の見すぎではないのか。自分の考えも理想論のようなものだけど先生よりはマシだと心の中でつぶやいた。

 

「それと、大将にはなにか夢や目標はあるのか?」

 

 先生は突然たずねてきた。

 

「いえ。特にないです」

「夢を持てとは言わないが、人間っていうのはなにか目標があればそれに向かって頑張れるもんさ。それがどんなものでもだ。それが見つかれば、大将の進路も見えてくると思うぞ」

「先生の言ってること、なんだか飛躍しすぎだと思うんですけど。進路相談から夢とか目標とか。そんなの一握りだし、俺にはそんな大層なもんきっとないですよ」

「かもしれない。けど、夢っていうのは制限はあるけど自由で無限大だ。子供だけの特権じゃないし、大人が見ちゃいけないなんてことはないんだぞ」

 

 やけに熱く語る先生に一つ、その制限について訊いた。

 

「その、夢の制限ってなんなんですか?」

「それは時間だよ。叶えられるかどうかは別として。夢は、生きている間ならいつでも見れる。けど、死んだら夢を見ることはもう二度とない」

「夢を叶えるのって大変なんですね」

「大変さ。夢を叶えるのは」

 

 結局、話は脱線したまま進路相談は終わった。

 途中から進路のことよりも夢について語る先生の話の方が頭に残ったぐらいだ。

 先生にもきっと夢があったのだろう。ふとそんな風に思えて仕方がなかった。本当は教師になる気なんてなかったのではないか。そのきっかけとやらの所為で教師になっただけではないのか。自分は夢を諦めたから、何もない自分に熱く語ったのではないのか。

 もしくはその反対かもしれない。

 ただ、夢について語る先生の姿はとても教師らしく見えたのはたしかだった。

 それから高校生になってから二度目の6月がやってきた。

 あれから進路についてはまだ決まっていなかった。有耶無耶になっていて、あまり考えても仕方がないと思って無意識のうちに考えないようにしてたのかもしれない。

 6月のとある土曜日。彼は趣味のようなものである散歩に来ていた。いや、正確にはツーリングに近いが彼にとっては散歩だった。

 親戚が買ったはいいが時間がなくて結局乗ることのなくなったホンダのホーネット250を譲り受け、去年に自動二輪免許を取得した自分にとってはタイミング的にはちょうどよかった。それからバイクに乗って東京に出向き、そこから街を散歩するのがこの趣味の始まりだった。

 なぜ東京なのかといえば、一番時代の流れを感じることができるから。街の風景、看板とか広告とか目に付くもの。他には流行のファッションとか色々。それらを間近で見て肌で感じるのがなぜか好きだった。仲の良い友人にすら話していないし、話せばきっと変わった趣味と言われるのだろうと予想がついていたので言わずにいたのもあった。

 この趣味は毎週というわけではない。バイトもしているので月に一回か二回訪れる程度。東京以外にも行こうと思って地図を開くが、遠くて面倒だし金もかかるから断念していた。だから近場の東京ばかり行っている。

 この日も適当に気になった場所へ行き、近くの駐車場にバイクを停めて散策をしていた。もう慣れたが歩けばすれ違う人の視線が突き刺さる。

 身長は190あるかないか。それに体格もいい。それだけでも彼が異質な存在なのだろう。同じ日本人に見えないというのは言い過ぎだが、ここまでの人間が身近にいないから余計に人々の注目を浴びる。さらに年は16だと告白してもきっと信じてはくれないだろう。本人がどう思おうと10代の少年として見られるはずがなかった。

 最初は気になって仕方がなかったがいまでは気にならないぐらいには成長した。諦めたともいえるけど……彼は小さなため息をついた。

 そんな時だ。背後で男が誰かを呼んでいる声がする。これだけ人混みが多いと誰が誰を呼んでいるかなんてわかるはずもない。まして、東京に友人や知り合いなんていない自分にはまったく関係のないことだ。

 それでも、声は止まず誰かを呼んでいる。

 だんだんと声が近づき――その主はまるで自分に言っているかのように聞こえるのだ。

 どうすべきか。

 一瞬悩んだその瞬間。

 

「キミキミ、そうキミのことだ。突然だが、プロデューサーになってみないか?」

 

 

 

 

 

 そう。これが高木順一朗との最初の出会いであり、すべての始まりだ。スクリーンに映る若き日の順一朗を見て、彼は当時のことを思い出し始めていた。

 このあと近くの喫茶店で順一朗さんから説得という名の説明を聞いたのだ。〈プロデューサー〉なんて単語は番組のテロップに載る単語ぐらいにしか認識していなかったし、それもアイドルの〈プロデューサー〉になれなんてさらに実感が湧かなかった。

 でも、話を聞いて俺が出した答えはYESだった。

 まだ半信半疑だったのにも関わらずそう答えたのは、きっと興味が湧いたからだと思う。さすがに当時のことはうろ覚えだ。

 けれど、今でもはっきりと覚えていることがある。

 これが先生の言う「きっかけ」なのだろうか。ならば、一歩前に踏み込んでもいいのかもしれない。

 今だから言える。この「きっかけ」こそが、俺の人生を決定づけたのだと。

 映し出されている風景が変わった。

 俺はどうやらバイクに乗ってどこかへ向かっているらしい。流れる風景にも見覚えがある。ああ多分、この日は金曜日だ。休日だと言っておきながら学校が終わり、家に帰り身支度をするとすぐに事務所に向かって行ったのだ。それも通い始めてから2、3週間目からだったと思う。それだけ興味を惹かれ始めていたのだ、この時の俺は。

 それと問題がなかったわけではなかった。

 両親に説明はしたが中々納得はしていない印象で、それもそのはずで仕方のないことだった。アイドル事務所でアルバイトすることになったなんてすぐにわかる方が驚きだ。別に反対はしなかったが、給料はいいし交通費も出してくれるからというと渋々頷いて許してくれたのを覚えている。

 ただ、この時の俺は同時にあることを予見していた。はたして、卒業後に事務所に正式に入社することを許してくれるだろうか。特に父は古いタイプの人間だ。アイドルの事務所なんてよくわからないところに就職など許す気はないかもしれない。

 まあ結果から言えば、俺は〈プロデューサー〉になっているのだからそれが答えだ。

 

 

 

 

 

 

 1998年 8月

 

 〈中村プロダクション〉で見習いプロデューサーとして働くようになってから早2か月。金曜の夕方から日曜の夕方までという短い日数の中、彼は必死に仕事を覚えていた。

 仕事内容は極端に言えば雑用。書類整理とか机仕事が多いのは当然であった。働き始めた新人にできることは限られているのは当たり前。それでも順一朗が現場に連れていってくれたのは、彼にはとても新鮮で勉強になっていた。

 しかしそれも7月までだ。先月末から学生にとって最高の舞台。そう、夏休みが始まったからだ。それに伴って順一朗は彼に安いアパートを紹介し、そこから事務所へ通うようになった。この長期休暇で多くのことを学び実践するのが目標だ。もちろん、学校の課題も同時にこなさなければならないのが現役の高校生としての悩みの種ではあった。

 働き始めて2か月が経とうとしている中、ようやく落ち着いて余裕を持つことができたのでこの中村プロ全体を見渡すことができるようになった。

 所属している人間は自分を含めた5人。

 一人は自分をスカウトした高木順一朗。二人目は彼の従兄弟の高木順二朗。三人目は黒井祟男。四人目は中村プロのアイドル音無小鳥。そして最後が見習いプロデューサーである自分である。

 彼にとって衝撃的だったのが順一朗と順二朗の二人だった。声は違うのだが見た目がどうしても似通っていて顔や後ろ姿だけでは区別がつかないのだ。

 事務所において順一朗は小鳥のプロデューサーという立場になっている。主に営業やアイドルのケアがメイン。おっとりというか浮かれているような顔をしているがとても真面目な男だ。ムードメーカーという言葉がよく似合う人だ。

 対して順二朗は人手の問題か事務員の真似事をしているのが多く目立つ。アイドルである小鳥はそれなりに売れているらしく、人手が足りないときは彼も営業回りをしている。順二朗といる時間のがいまは長いため彼から多くのことを学んでいる最中だ。

 前の二人と同様黒井の仕事は小鳥のもう一人のプロデューサーである。順一朗や順二朗よりも黒井は優秀な男だ。共に働きだしてからまだまだ未熟な彼にすらそれははっきりと分かる。ただ彼にも欠点があると同時に気づいた。口当たりは強いし、きざったらしい部分も目立つ。順一朗ともよく口論になるし問題児のようにも思えた。でも、誰よりも先見の明を持っている。音無小鳥の可能性、魅力を引き出している。まあつまり、彼はとても素直じゃないことがよくわかった。

 音無小鳥は自分の二つ下の中学三年生。緑色のロングヘアと口角の下あたりにあるホクロがとてもかわいい女の子。初めて会った時に「私のことを知っていますか」と尋ねられ、知らないと素直に答えたら「見習いくんはプロデューサー以前に男の子としてダメダメです!」と言われた。

 後日。彼は学校の友人に彼女のことを聞いてみたら驚きの答えが返ってきた。なんでも今人気のアイドルの一人で、最近ではよくテレビにも出ているというのだ。かわいいと思っていたがまさかこれ程とは。人は見かけによらないのだと初めて思い知った。

 実はもう一人中村プロによく入り浸る男がいる。男の名は善澤充昭。とある芸能雑誌を出版している会社に所属している記者だ。彼は三人と旧知の仲らしくよく仕事という名のさぼりとして事務所でよく談笑している。順一朗が言うには有能な記者らしいのだが、まだ若い彼には善澤の実力を見図ることはできなかった。

 よって自分を含めた計6人が中村プロで働く人たちだ(一人は違うけど)。まだ短い期間であるが、本当の家族以上の関係になりつつある。

 そんなことを俺は思い始めていた。

 

 

 

 

 

 今日も彼は順一朗の紹介でそれなりに愛着が湧いてきたアパートを愛車のホーネットで出勤する。事務所までは30分とかからない。中村プロは多くの建物が並ぶ街中にある。4階建ての小さなビルであるが、そこの3階に中村プロは存在する。他の階には別の事務所などが入っている。一応駐車場はあるがバイクの自分には関係ない。入り口付近の邪魔にならない場所に停めておく。こういうところはバイクの便利なところだ。

 事務所に挨拶をしながら入るとすでに順二朗がいて、冷たいお茶を飲みながらのんびりと過ごしていた。

 

「やあ。おはよう」

「おはようございます。順一朗さんと黒井さんは?」

「二人はちょっと外に出てるよ。小鳥君はまだだね。午前中は仕事がないからゆっくり来るんじゃないかな。それはそうと君。これをまた頼むよ。おじさんにパソコンはちょっと難しいよ。はっはっは」

「構いせんよ」

 

 事務所に一つだけ存在するノートパソコン。それは順一朗や順二朗にとっては携帯電話以上に扱いの難しい存在であった。年齢というのもあるが一番の理由はその性能をうまく発揮できないことにあった。

 書類を作るのにWordは便利だし、経理などで役に立つExcelはわざわざ頭を使わずとも計算をしてくれる。しかしそれも、使い方を熟知していればの話。現に見習いである彼が来るまでは黒井がやっていた。パソコンを導入しようと言い出したのも彼で、これは絶対に必要不可欠な存在になると言って購入したのだ。その価格は30万以上。

 1998年7月25日にMicrosoft Windows98が発表されて以来、今まで下火だったパソコンの存在に火が付いた。個人用から仕事用まで幅広く購入する者が増え、仕事簡略のために導入する個人や企業も少なくはなかった。

 17歳になったばかりの彼にとっても、パソコンという存在は少し気になる存在だった。同年代で所有しているのは一人いればマシで、持っていたとしてもそれは富裕層の人間だ。スタンダードクラスのパソコンでも30万前後。ノートパソコンに至ってはまだデスクトップよりも技術が発展途上だったためにノートの方が30万から40万前後と高価。さらに上のハイエンドパソコンともなると50万はくだらなかった。ノートパソコンが持ち運びできる便利なアイテムだとしても、働いてもいない学生が持つ代物としては度が過ぎていたわけだ。

 使用目的が仕事とはいえ、彼にとってはラッキーなことだった。最初はキーを打ち込むのも一苦労だったがいまでは両手で行えるぐらいには成長した。使い方も黒井からの指導と本屋で売っている分厚い説明書を読みながら日々勉強している。

 

「いやー、若いからどんどん覚えていくねえ。うんうん。いいことだ」

「黒井さんの教え方がうまいんですよ」

「それもあるかもね」

「俺からしたらパソコンを使わせてくれるだけじゃなくて、まさか携帯電話まで支給してくれるとは思ってませんでしたよ。安くないのに、本当によかったんですか?」

「問題ない! とまではいかないけどね。まあ連絡手段としては最適だよ。だからって私利私欲のために使わないでくれたまえよ!」

「わかってますって」

 

 実際携帯電話の支給はとても助かっていた。仕事のことに関してもそうだし、実家に連絡をするのにとても重宝していた。

 8時前に出社してからだいたい1時間ほど彼はパソコンの画面と向き合ってデータを入力していた。あとは事務所の掃除や順二朗からプロデューサーとして必要なことを教えてもらっていた。

 時間にして10時前。事務所の扉が開くと中村プロのアイドルがやってきた。

 

「おはようございまーす」

「小鳥君、おはよう」

「おはよう。小鳥ちゃん」

「順二朗さんおはようございます。見習いくんもおはよう!」

「なあ。いい加減見習いくんってやめない? 黒井さんだけで十分だって」

「だめですぅ。見習いくんは、見習いくんで十分なのです」

「はは。頑張りたまえよ、見習い君」

 

 小鳥のファーストコンタクトはいいと呼べるものではなかった。しかしそれからの対応は至って普通で、彼としても助かってはいたし、年が近いということもあって二人の仲は良好であった。

 小鳥はソファーに座ると、目の前にテーブルになにやら勉強道具を広げだした。

 

「小鳥ちゃん。それって夏休みの課題?」

「うん。仕事もあるし、できるうちにやっておかないと。それに今年受験だから余計に多くて。そういう見習いくんは?」

「もう終わった」

「え! 早くない⁉」

「だって高校の課題って中学より楽だし。まあ、あれだね。面倒なのは読書感想文ぐらいかな。それももうちょっとで終わるけどね」

「うう。普段レッスンやお仕事で忙しいかわいいアイドルのために手伝ってくれる人はいないんでしょうかー。ちら」

 

 わかりきった視線が突き刺さる。助けを求めようと順二朗さんに視線を向けるが気づけばいない。

 こういうところは流石だなと尊敬すると共に大人はずるいと思ってしまう。彼は呆れながら小鳥の隣に座った。

 

「やり方は教えるけど、答えは教えないよ」

「わーい。見習いくんのそういうところ小鳥、大好き」

「ありがと。それじゃどれからやる?」

「じゃあ、数学から」

 

 分からないところを教えてあげたり、間違っているところを指摘したりして数十分ほど。彼は隣に座る音無小鳥を見た。

(アイドルだけあって、かわいいよな)

 同年代の女の子、身近で言えばクラスメイトの女子になるが小鳥と比べるとやっぱりそこはアイドルなだけあってレベルが違うと実感できる。彼からしてもここまで距離の近い女子は滅多にいなかったし、普通に隣に座っている自分にも驚いていた。

 今の小鳥は短パンに半袖のTシャツとシンプルであるがおしゃれなデザインをしている。Tシャツの色が白なのでよく目を凝らしてみるとうっすらと下着の色が見える。いや、見えてしまった。その割にはあんまりドキドキしていない。そうなると、自分はあまり彼女を女として意識していないのだろうかと思ってしまった。

 何度も言うが彼女はアイドルで、とても魅力のある女性だ。好きか嫌いかと言われれば好きだし、たぶん好みの女性だと思う。しかしここまでドキドキしないとなると、自分ははたして女に興味があるのかと我を疑ってしまう。

 まあそれ以前に彼女はまだ中学三年の子供だ。恋愛対象になるほうがどうかしている。

 

「見習いくん。ここは?」

「ああそこはね。これをこうするわけ」

「あ、そういうことか。ところで、見習いくんもそろそろここに慣れてきた?」

 

 小鳥は手を動かしながらたずねてきた。

 

「そうだねえ。それなりに慣れてきたかな。プロデューサーらしい仕事以外は板についてきたんじゃない?」

「ふふ。ずっとパソコンと睨めっこだもんね。私にパソコンはちょっとまだ早いかな。全然わかんないもん」

「黒井さんじゃないけど。近い未来これが一般的なものになるんじゃないかなって、俺でも思い始めてるよ。便利だしね」

「そういうものかなあ。あ、そういえば見習いくんってバイク乗ってるんだよね?」

「そうだよ」

「今度後ろに乗せてよ!」

「え、やだ」

「ぶぅー。アイドルの頼みを断るなんてひどいプロデューサー」

「見習いね。それに人を乗せるとかちょっと怖いし、ばれて捕まりたくない」

「平気だって。ね、お願い!」

 

 手を合わせて笑顔でお願いしてくるその姿は、普通の男ならころっと受け入れてしまうものだ。ただ、生憎自分には通じていない。しかし断るのも気が引けたので彼は条件を出した。

 

「じゃあ高校に受かったらお祝いで乗せてあげる」

「だいぶ先なんですけどー」

「それぐらいやる気出してもらわないと困るよ。一応勉強を教えてる身としてはね。おまけでご飯も奢ってあげるよ?」

「む。その言葉たしかに聞きましたからね!」

「ああ。約束だ」

 

 彼としては小鳥がこのまま約束を忘れてくれないかなと僅かな期待を抱いていた。ただ、目の前の彼女の様子を見るからにそれは無理そうだった。

 それから時計の針が12時を指し始めたころ。気づけば事務所に戻っていた順二朗と二人はお昼をどうするかという話になっていて、ここにいない順一朗と黒井はどうするかと話し合っていると事務所の扉が開いた。

 

「諸君、おはよう!」

「もうこんにちはだぞ、順一朗」

「はははっ。まあ細かいことは気にしないでくれ」

「それにしても遅かったですね。黒井さん、何かあったんですか?」

 

 彼がたずねた。

 

「仕事は特に問題なかった。打ち合わせも予定より早く終わった。ただ、このバカがいけないんだ!」

「む! お前がこっちがいいとか言うから余計に時間がかかったんだぞ!」

「お前の意見は参考にならないんだ!」

「まあまあ。二人とも落ち着きなさい。で、何に時間を取られてたんだ?」

「もしかして、その荷物ですか?」

 

 小鳥が黒井の手に持つそれに指をさしながら言うと、順二朗にはそれが何かわかったのか妙に納得し始めた。

 

「それ、なんです?」

「これはね。私達から君へのプレゼントだよ」

「え?」

「ふん」

 

 黒井はそれを彼の前に差し出した。紙袋に入ったそれを受けとると、見た目に反して少し重かった。開けてみなさいと順一朗が言うので開けてみると、そこには三人が着ているスーツ一式とYシャツにネクタイ、そして黒の革靴とおまけにベルトが入っていた。

 

「え、これって」

「見習いとはいえプロデューサーだからな。せめて格好だけでもちゃんとしておけ」

「いやあ。君にあうスーツが中々見つからなくてね。主にサイスが」

「どうせ、ネクタイとか細かい所で黒井と口論になったんだな。しょうがない」

「わあ、すごくきれい。ねえねえ、見習いくん着てみてよ!」

「それはいい!」

「たしかに見てみたいな」

「更衣室使っていいですから! ね⁉」

「わ、わかったよ」

 

 勢いに負けてスーツ一式を持って更衣室へ向かう。ただこの更衣室は実質小鳥専用の更衣室で、男子は入室禁止なのだ。しかし今回はその本人からお許しが出たので問題はないのだが。

 

「あ、ロッカーとか覗いちゃだめですからね!」

 

 こういうことを言ってくるから気が乗らないのだ。彼は平静を装い言い返した。

 

「興味ないから安心しろって」

「それってどういう意味ですか!?」

 

 何かを言われる前に彼は更衣室へと逃げていく。中に入ると、そこは思っていたより狭い空間だった。広さとしては畳三畳ぐらいだろうか。彼女の言うロッカーはすぐ目の前にあったが、宣言した通り興味はないので無視する。

 スーツなんて初めて着るものに少し手が震える。上着を持つと意外と重いことに驚く。とりあえず着ている服を脱いで着替える。

 着替え終えてみると、これがなんとも不思議な感覚。妙に体にフィットするのだ。サイズはちょうどいいし、いつも着なれている服と同じような感触。ただ一つ問題もあった。

 彼は唯一身に着けることができなかったネクタイをもって更衣室を出た。

 

「……すみません。ネクタイってどうやるんですか?」

 

 正直に言うと真っ先に黒井が動いた。隠す気のない小さなため息をつきながら彼からネクタイを手に取った。

 

「ネクタイぐらいできないでどうする。……いいか、最初にこうして長さを調節して――」

 

 目の前でネクタイつけながら説明してくれて頭があがらないのだが、さすがに一度だけではすぐに覚えられない。なんとなくこうやるんだというのは理解できた。あとでアパートで練習しようと心に誓った。

 

「よし、できたぞ」

「……どうです?」

「いやあ。なんというか、分かってはいたが」

「ああ。似合い過ぎて困る」

「……自分で煽っておいてなんですけど。本当に私の二個上の人には見えない」

「それ、褒めてる?」

「褒めてるよ。けど、似合い過ぎて逆に違和感が」

 

 みんな期待していた割には酷い言い草だ。褒めているのか貶しているのかよくわからないではないか。自分的には似合っていると思って、彼は黒井にも聞いた。

 

「黒井さんはどうです? これ」

「ふん。見た目だけは一人前だが、まだまだだ」

「ですよねー」

 

 色々と思うことがあるけど、このプレゼントは最高に嬉しかった。プレゼントなんて子供のころに両親が用意したクリスマスプレゼントぐらいだったから。

 その時、事務所の扉をあけて記者の善澤がやってきた。

 

「どうもー。あれ、みんなして何をしてるんだ?」

「やあ。なに、ちょっと彼のスーツ姿を鑑賞していたところさ」

 

 順二朗が答えた。

 

「おお……おお⁉ 本当に見習い君かい⁉ いやあ、初めて会った時から高校生には見えないと思っていたが……。むしろ、こっちのがらしく見えるよ」

「はいはい。俺は高校生には見えませんよー」

「拗ねるな拗ねるな。そうだ。記念に写真を撮ってやろう!」

「お、いいね!」

「じゃあ私、見習いくんの隣!」

「ほら、黒井もこっちに来いって」

「お、おい! 引っ張るな!」

「はーい並んで並んでー。よし、撮るよ……。じゃあ、今度私とね」

「なんでですか!」

「だって、私だけいないのは寂しいじゃないか」

「大の大人が何を言ってるんだ」

 

 呆れながら黒井は置いてあったノートパソコンを持って自分のデスクに座ると、彼が入力したデータをチェックしはじめる。

 その横で渋々と善澤とツーショットを撮ると、今度は小鳥が彼の腕を組んで写真を撮ってとせがんでいた。

 

 

 

 

 

 この時プレゼントしてもらったスーツ一式は、今でも大事に保管してある。着なくなったのはたしか3、4年経ってからで、理由は高校を卒業してから毎日着始めたために、それまでより早くスーツの寿命が訪れてしまったから。

 それからは自分で購入したスーツを着始めた。最初はごく一般的なスーツを購入していたが、安定した収入を得始めてからはオーダーメイドで作ってもらっていた。

 それでもあのスーツは初めて家族以外の人間からプレゼントしてもらった品物で、大切な思い出の品なために特別な思い入れがある。職人に補修をしてもらったあと、押し入れではあるが常に身近なところに置いている。

 あの写真もアルバムに保存はしていて、最後に見た時は少し退色していた。今見ても、写っているみんなはやはり若い。老け顔だと自覚している自分でさえ、年相応になったのだとわかる。小鳥ちゃんには口が裂けても言えないことだが、当時は若々しくとてもかわいらしい女の子で、年をとったいまは大人の女性として魅力のある子になったと思う。きっと本人は認めないだろうけど。

 しかし――

 いまにして思い返せば、あのプレゼントしてもらったスーツがあったからこそ、あの場面を乗り切ることができたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 1998年 8月下旬

 

「ちょ、ちょっともう一回言ってください⁉」

 

 夏休みが間もなく終わりになるころ、中村プロで一人留守番をしていた彼の携帯に突然順二朗がかけてきた。彼の言う内容に、すぐに頭が受けいれることができないでいた。

 

『いいかい。落ち着いて聞いてくれ。本当に急で申し訳ないが、これから私達の代わりに打ち合わせに行ってきてくれ!』

「いや、絶対に無理でしょ⁉ そもそも順一朗さんと黒井さんは⁉」

『順一朗はいま小鳥君と一緒で現場。黒井はどういうわけか打ち合わせが長引いている。そして私は黒井がその時間に行くはずだった打ち合わせに向かってるんだ。この仕事は先ほど急に来てね、相手が相手だけに断れないんだ』

「……わかりました。それで、打ち合わせの場所は?」

『ああ。場所は――」

 

 事務所から近い最寄りの駅で電車に乗り、打ち合わせ場所に近い駅で降りて、そこからタクシーを使って向かった。初めて領収書をきってもらうのは、少し社会人らしいなと感傷にひたっていた。

 初めて訪れる大手企業に驚きながらも、受付で打ち合わせの件を伝えると指定された待合室で待つことになった。待つこと5分ぐらいだろうか。今回の打ち合わせの相手が訪れた。

 

「いやー今回は急ですみません! あれ、中村プロの……プロデューサーだよね? 初めて見る顔だけど」

「あ、どうも。自分は中村プロに新しく入ったプロデューサーでして。今回はじゅ、高木と黒井の代わりで参りました」

「ああそうなの。まあ、こっちが悪いし。じゃあ、打ち合わせを始めましょうか」

「はい」

 

 この時の気分は、かつて高校受験で体験した面接と同じ感覚だった。部屋に入る前はとても緊張していたのに、いざ中に入って面接が始まると先ほどまでと違ってやけに冷静になって受け答えしていた自分を思い出す。

 いまもそうだ。

 現にいまも目の前の彼と冷静に、しっかりと話を頭に入れて会話を続けられている。

 

「どうでしょうか。うちとしては、小鳥ちゃんにはこういうイメージでと考えているのですが」

 

 仕事の内容は新しいCMに関することだった。彼とは別の仕事で中村プロが関わったらしく、その縁でうちに話が回ってきたらしい。CMに出れるのは相当名が売れていることだと最近分かり始め、だからこそ彼女の人気がどれ程の物なのかを改めて再認識させられる。

 向こう側の提案も悪くはないが個人的には不満な点がある。もっとこうすればいいんじゃないか。彼女ならと頭がフル回転する。

 口を出すのを少し躊躇う。

 しかし、いまは自分が打ち合わせをしているのだ。意見の一つ言ってもいいはず。あとで怒られるのを覚悟して言った。

 

「そう、ですね。それも悪くはありませんが、うちの小鳥でしたらこちらの方がよりいい印象を与えるかと」

「ふむ。言われてみるとたしかに」

 

 通った。なら、このままいこう。

 彼は続けて進言する。

 

「あとはこれをこうして、こんな風にしてみるといいかもしれません」

「そうなると、こちらはこうした方がよりいいかも」

「はい。実際には本人を通してやってみてから、また判断すればいいかと。イメージはこれでもだいたいは伝わっているはずです」

「映像の大まかな流れはこれでいいですね。あとは細かい点か。服装なんかはこういうのを予定していますけど、どうです?」

「うちの小鳥にはちょっと刺激が強いと思います。もう少し抑えめで、ちょっと背伸びした服装のが」

「むぅ。言われてみると、そっちも……」

 

 それからどれくらい経ったのかは覚えていない。とりあえずある程度話がまとまって、後日順一朗さんか黒井さんとしっかりと固めると言ってその場は解散となった。部屋を出て、その会社をあとにして再びタクシーで駅に向かって来た道を戻る。

 どういう訳か、その、言葉にできない変な感覚なのだ。もう打ち合わせは終わったはずなのに、その時と同じようなすごく冴えた状態で、中々普段の自分に戻ることができなくて。それが解けたのは事務所に入ったときだった。

 例えるなら緊張の糸が切れたような感じで、普段の感覚に戻るとソファーに倒れた。彼はただ口を開けて、ただうつ伏せにぼーとしていた。指一本も動かすことをしなかった。体を動かしたのは、順一朗たちが戻ってきた時だった。

 扉を開けて彼らは叫ぶと、きごちない動きで体を横に動かし、バッグの中にある書類を手に取って宙に持ち上げながら彼は言った。

 

「これ、言われた仕事の大まかな概要と当日のスケジュールをまとめたやつです。後日話をまとめるんで連絡よこすそうです。あと、なんか適当に話し合わせてたら、別の仕事紹介されたんで、とりあえず話だけは持ち帰ってきました。あー、今度は一緒にいかせてください。一人はいやーきついっす」

 

 それが精いっぱい出せる声だった。言うだけ言うとがっくしと彼の右手は落ちていった。

 彼にはソファーの背もたれで見えないが、順一朗達はただただその場で硬直していて、そんなのを知らずに彼はふと思い出し家のように言った。

 

「あ、今度名刺作ってください。なんか、求められたんで」

 

 

 

 

 

 これがたぶん〈プロデューサー〉としての、初めての仕事だったはず。最初に見習いがつくのだが。

 ただこれがきっかけで、翌日からただの見習いから本当の意味でプロデューサー見習いとしての生活が始まったのはたしかだ。しかし残念なことに、肝心の夏休みが終わりに近づいてきたせいでまともに仕事できる時間は限られていた。

 まあ、これも若さというべきか。夏休みが終わった後も重要な仕事には仮病を使って仕事に付いていったのはいい思い出だ。

 これを境に俺は、黒井祟男と共にいる時間が多くなった。同時に彼をよく知るようになり、順一朗さんとの違いを明確に分かり始めていた。黒井さんは、特に営業やレッスンにおける指導は順一朗さんより数段上だった。

 逆に順一朗さんは対照的というべきか。アイドルに関することは彼の方が勝り、信頼関係も上だと思う。それに、最大の違いは人柄の良さだ。二人の人脈にはそれほど差はないだろうが、一人一人の繋がりなどは順一朗さんのが強い。対して黒井さんは繋がりというよりは支配に近かった。

 俺は二人の良いところも悪いところも両方見て、学んできた。〈プロデューサー〉として、アイドルとの関係や在り方を順一朗さんに。営業や仕事としての〈プロデューサー〉の生き方を黒井さんに。だから、今の俺があるのは二人のおかげだ。ただどちらかというと黒井さん側に長くいたせいか、黒色に染まったのは当然なのかもしれない。

 感傷にひたっていると映像は変わっていた。時間がかなり飛んだらしい。

 ああ。そうなのだ。この頃にはもうあいつが、あの女が現れたころだ。

 アイドルアルティメイトを二連覇した伝説のアイドル。

 日高舞――

 

 

 

 

 

 1999年 3月下旬

 

 この時期は春休みもあって、アパートに泊まって事務所に通っていた。いまは事務所で事務仕事。三人はちょっと外に出ていて、ここには俺と小鳥ちゃんの二人。彼女はいまソファーで仮眠をとっていた。

 かわいい寝顔だ。けど、その少し前までは暗く浮かない顔をしていた。

 原因は分かっている。

 仕方ないとも思う。

 でも、少しずつ元に戻ろうとしてた。

 それは良いことだけど、根本的な解決は難しい。これは当人にしか解決できないことで、〈プロデューサー〉がなんとかするとかそういう問題ではない。

 彼女がこうなってしまったのは、二つ原因があった。

 一つは、アイドルアルティメイト。真のアイドル――Sランクアイドルを決める一年に一度の祭典。アイドル達にとって無視できないそれは、12月に開催されるので紅白の前の大きなイベントでもあった。それまでは名前だけは知っていただけで、それ以外の知識は皆無。でもいまは違う。これがどれだけ重要なイベントなのかは身をもって知った。

 今年はかなり激戦だったらしく、予選ですら突破は困難だった。それでも小鳥ちゃんは予選を突破。ただどういう訳か、一大イベントの割には予選にはあまり注目が浴びてなかったらしく、テレビでは放送されずその日の速報としてニュースで発表がある程度だった。

 別にそれは大した問題ではなく、重要なのは本選に出場することができたことだ。これには全員が喜んでいた。あの黒井さんですら笑みを隠せずにはいられなかった。俺だって喜んだ。本選に出れることは名誉なことであるから。

 これからが本番。小鳥ちゃんだけではなく順一朗さんも黒井さんも気合が入っていた。遠目で見ていただけでも、仕上がり具合はいいものだったし、優勝だって夢じゃない、そう思った。

 だが、本選の前日。不運なことが起きてしまった。

 今までの反動なのか、小鳥ちゃんが体調を崩してしまったのだ。翌日の本選には体調が回復することを祈ったが、それは叶うことなく。結果は本選を辞退することになってしまった。

 この結果、事務所に電話やファンレターではなくクレームや苦情の手紙が届くようになった。

 そしてその日を境に小鳥ちゃんは自分を責め始め、仕事も少し減った。減っただけで減り続けることはなかったのは不幸中の幸いで、けれど小鳥ちゃん自身の問題は解決するには少しの時間を要した。

 その理由が二つ目の理由でもある。

 昨年から急激に伸びてきた人気急上昇中のアイドルであり、昨年のアイドルアルティメイトの優勝者。

 名を日高舞。

 年齢は小鳥ちゃんとそれほど差はない。だからこそ、彼女と比べてしまった。

 誰かが言った。あれは次元が違うと。俺も同じことを思ってしまった。思ってはいけないのに、そう思わざるを得なかった。

 歌も踊りもアイドルとしての魅力も、すべてが上の存在。勝てるわけない。誰もがそう胸に抱いた。

 だが、黒井さんは違った。最初は驚いたものの、すぐに思考を張り巡らせて小鳥ちゃんに言ったのだ「問題ない。時間はかかるが、お前なら日高舞の隣に立てる」そう言ったのだ。

 順一朗さんでも順二朗さんでもない。あの黒井祟男が言ったのだ。

 その言葉を受けてか、今日まで小鳥ちゃんは少しずつ元気になっていき、仕事にも身が入るようになっていた。

 いまは三月で来月になれば四月。俺も来月からは高校三年で小鳥ちゃんは高校生。それが心機一転、まあ気分転換になればと願っている。

 彼女の、順一朗さんたちの夢はトップアイドルを目指すこと。俺もその夢を願う一人であるけれど、俺だけの夢を最近持つようになった。

 いつか自分で最高のアイドルを見つけ出し、その子とトップアイドルを目指す。〈プロデューサー〉だったら誰もが夢に見そうな夢だけど、あの人たちに負けないぐらい立派な〈プロデューサー〉になってみせる。

 そう願っていた。

 あの時までは――

 

 

 

 

 

 この時の俺は、とても満たされていたのだと思う。

 周りを尊敬し目指すべき人たちに囲まれ、アイドルだけど年下な妹のような存在の小鳥ちゃんがいて、その中で自分は夢を持つことができた。

 幸せだった。

 楽しかった。

 学校など早く卒業して毎日事務所に通いたい。そう思うぐらいには。

 けれど、悲劇は二度起きてしまった。

 結果からいえば、彼女は二度目のアイドルアルティメイトに出場すらしなかった。

 

 

 

 

 1999年 10月

 

「もう、だめです。私にはもう、できません」

 

 小鳥がついに口に出した弱音を、誰ひとり責めることはしなかった。

 なぜ、こうなってしまったのか。

 理由はわかっている。

 今回もまた、日高舞が原因だからだ。

 ある歌番組に出演することが決まった小鳥ちゃんではあったが、そこである問題が起きてしまった。それは日高舞も参加するという非常にまずい事態で、それでもなお彼女は出演を辞退することなくこの仕事を受けた。幸いだったのは彼女より先に歌うことができたこと。自分が知る限り最高のライブだった。だが、それでも日高舞はその上をいってしまう。

 日高舞のライブをその眼で間近で見て知った彼女は、簡単に折れてしまった。それまでは彼女に負けるもんか、自分だって負けていないはず、そう意気込んでいたのにも関わらずダメだった。

 厳密に言えば、それは彼女だけに当てはまることではなかった。音無小鳥だけでなく、日高舞に圧倒され自身との力量の差を思い知らされたアイドル達は少なからず、姿を消していった。

 俺は、何も言えなかった。

 まだやれるとか、がんばろうとか。そんなありきたりな言葉をかける余裕すらなかった。

 悔しかった。

 なによりも、この中で一番無力で何もできない自分がどうしようもなく悔しくて、腹が立っていたから。

 彼女が、音無小鳥は負けていない。そう確固たるものが俺にはあった。

 だが、それが何になるというのだ。

 見習いで、ようやくこの世界を知ったような子供になにができるというのか。

 もう少し早く生まれていれば、もっと早くに彼らに出会えていれば、もっとうまくできていればこのような悲劇を回避できたのではないか。

 諦めたくない。

 でも、俺には何もできない。

 ただその中で、あの人だけは違った。

 黒井祟男だけは違っていたのだ。

 俺たちと同じように歯がゆい思いを噛みしめながら、それでも冷静にこの状況を分析して言ったのだ。

 

「音無。まだやれるぞ」

「黒井?」

「以前にも俺は言ったな。すぐには無理だ。だがもう少し、ほんの少しの時間をかければきっとお前はあの女の隣に立てる。そう、お前もあのステージに立てるんだ!」

 

 今まで見たことない黒井の姿に困惑しつつも、この中で誰よりも希望を捨てていない彼の姿に驚いていた。

 

「やめないか黒井! 小鳥君本人がこう言っているんだ。彼女の意志を尊重すべきだろ!」

「離せ順一朗! お前にだってわかっているはず! わかっているはずだ! あの女は、日高舞は天才だ。文句なしのな! だが、俺達の音無小鳥はまだこれからなんだ。これから、本当の力を引き出していくんだ! わかるだろう!?」

「わかっている! しかし、本人がこうして――」

「俺達は思想も考えも違う。だが音無小鳥をトップアイドルにするという夢は、一緒のはずだろうが!それをここで投げ出すのか! たかがアイドル一人に、俺達の夢を終わらせていいのか⁉」

「私だって終わらせたくはない! けれど、小鳥君は道具じゃない。アイドルであろうとか弱い小さな女の子だ。それを、私達が無理やり強要させてまですることではないと言っているんだ!」

「お前はなにもわかっていない!」

「わかっていないのはお前の方だろ!」

 

 激しい口論から一転、黒井は順一朗の襟をつかむと今にも殴り合う態勢に入った。それをすぐさま順二朗が間に入った。

 

「二人ともやめないか! ここでお前たちが言い争っても仕方がないだろう!」

「そういうお前はどうなんだ!? 大方順一朗と同じ考えだろうが!」

「ああ、そうだ。だがこんなところで言い争っても意味がないんだよ、黒井!」

 

 順二朗が入ったことでさらに状況が悪化していく。

 誰も間違っていない。

 悪いことなんて誰も言っていない。

 けど、いまの彼らに明確な答えは存在しなかった。

 そんな状況の中で、俺は拳を握りしめていた。ずっと、その光景を見つめながら気づけば爪が皮膚を破って血が出ていることすら気づかずに。

 そしてこの状況を止めたのは誰でもない、彼女だった。

 

「もうやめてください! お願い、ですから……やめて、ください」

「小鳥君……」

「音無、俺は――」

「黒井さんの言うことは正しいのかもしれない。けど、私は……無理なんです。だから、アイドルはもう……できません」

 

 泣き崩れる小鳥を見て、黒井もこれ以上何も言ってはこなかった。それから彼は無言で自分の私物をまとめると荷造りをし始め、去り際に一言だけ言った。

 

「……これでもう俺達は、同じ夢を見ることはない」

 

 事務所を去る黒井さんを止める人間はいなかった。同時に俺も事務所を飛び出し、黒井さんを追いかけた。追いついても彼は歩みを止めることなく歩き続けた。それに合わせるように隣を歩く。

 

「なんで付いてきた」

 

 黒井はさして驚いた素振りもしていなかった。

 

「だって黒井さん一人だけじゃ寂しいかなって」

「ふざけるな」

「冗談です。まあ黒井さんについていくのがベストだと思いまして。俺はまだ見習いですし、一人前になるならあなたと一緒にいるのが近道ですから」

「ふん。勝手にしろ。だが、当分はなにもできん。しばらくは実家に帰って、学業に専念しろ」

「わかりました。それと連絡をよこさないふりをして、俺を置いてくなんてことしないでくださいよ?」

「これから忙しくなるんだ。使えるものは使うのが俺の信条だ」

「知ってますよ」

「生意気なやつだ」

 

 1999年10月。中村プロダクションは所属しているアイドル音無小鳥の引退により事実上の解散。彼女に至っては引退ライブも行わずにアイドルを引退。

 中村プロダクションは二度目のアイドルアルティメイトに参加せず、2000年という新しい時代を迎えることなく、その幕を閉じることとなった。

 この年、日高舞がアイドルアルティメイトを二連覇し、その表彰式でアイドル引退を宣言。引退の理由が彼女のプロデューサーとのでき婚だという噂が流れ炎上。

 この時代はアイドルの恋愛はタブーであったし、それが身近なプロデューサーとなればなおさらで、これがきっかけでアイドルブームは一気に冷めのちに氷河期とも言われた。

 そして皮肉なことに、これが原因でアイドルの恋愛は暗黙の了解となった。

 

 

 

 

 

 日高舞の引退宣言の直後、多くの報道陣や記者が彼女に詰め寄った。普段から彼女は報道陣などの質問に答える女ではない事でちょっとした有名で、そんな彼女が唯一答えた質問がある。

(理由を、アイドルを引退する理由を教えてください!)

(つまらないから)

(え?)

(張り合う相手がいないから、アイドルをやっててもつまらないの。まあ相手になりそうな子はいたんだけど、いなくなっちゃったし。ただそれだけの話よ)

 その相手が誰なのかは一つの謎となされていた。

 そしてその言葉が、俺をさらに動かす要因でもあった。日高舞が言う相手が音無小鳥なのは、明確だった。その言葉を聞いて黒井さんの言っていたことは間違いではなかったのだと。だからこそ、余計に悔しくて惨めな思いをしてきた。

 気づけば俺の夢は、夢というよりも野望に近いものに変質していたが、自分にとっては夢に違いなかった。

 最高のアイドルを見つけ、過去の遺産となったアイドルアルティメイトを復活させ、その舞台に日高舞を引きずり出し、彼女に勝利するという限りなく無謀な夢。

 いつだったろうか。恩師の言葉が脳裏をよぎった。

 夢には時間がある。

 そう。俺の夢にはタイムリミットがあった。まず最高のアイドルを見つけなければならなかったし、そしてなによりも日高舞の年齢という期限があった。彼女が年をとってアイドルとしての力が老いるという考えはなかったが、人には年相応に限界がある。可能な限り若い年齢で勝利したかったのだ。

 このことについて焦りは少なからずあった。けど当時の俺は冷静で、まずは〈プロデューサー〉として見習いを卒業しなければいけないのだと、目の前の仕事をこなしていた。

 

 

 

 

 

 

 2001年 

 順一朗さん達と袂を分かってから約二年が経った。あのあと俺は学業に専念し、無事に高校を卒業した。進路としては就職となっていて、たぶんクラスの誰よりも気楽に過ごしていたと思う。しかし問題がなかったわけではなかった。

 黒井さんが新しく立ち上げた芸能事務所〈黒井プロダクション〉後の〈961プロダクション〉に就職することを両親、特に父が反対した。生まれて初めての親子喧嘩だったと記憶している。父も自分も冷静ではなくて、本当のことを言えない俺からしたら、父は夢を叶えようする自分にとって迷惑以外の何物でもなかった。だから俺は半ば家出という形で飛び出した。いまも順一朗さんから紹介してもらったアパートで生活している。

 その順一朗さんと順二朗さんとはいまでも黒井さんには内緒で連絡を取り合い、たまには会って食事をしたりしている。問題ない程度の黒井さんの近況報告というのもあるし、俺としてもアイドルと〈プロデューサー〉との関係について教えを乞うのに二人が適任だったのだ。現在二人は無職ではなく色々と手を出して活動しているらしい。いずれはまたアイドル事務所をやると意気込んでいた。

 記者である善澤さんとは意外なことにまだ付き合いがある。彼の記者としての能力を黒井さんは認めており、よく使っていた。だが、後に事務所が大きくなるにつれ善澤さんとは疎遠になり、スクープといった汚い仕事をしている人間を多く使うようになった。

 問題の黒井さんではあるが、意外なことに彼は既婚者だった。指輪もしていなかったので全然気づかなかったし、そんな素振りも見せていないから余計に気づかなかった。つまり彼は単身赴任ということになるのだ。

 相手の女性はオーストリア出身の女性で、直接会ったがすごく美人だった。2000年は一時期活動不安定だったのは子供が生まれたためで、少しでも傍に居たかったのだと思う。

 子供の名前は詩花。女の子で、奥さんに似て将来美人になることは約束されているようなものだろう。

 いまは二人も日本で黒井さんと一緒に暮らしている。小さい内は一緒にいたいという考えなのだと思うが、二人の考えは日本より向こうでの生活と教育を考えているので、いまの生活がどれくらい続くかはまだわからないでいた。

 気づけば俺は黒井家によく招待されご飯をご馳走になっている。意外と奥さんは気さくな方なので、試しに聞いたのだ。

(こういっちゃあれですけど、よく黒井さんと結婚しましたね)

(あら。わたし、彼から告白されたのよ)

(え!?)

(意外でしょ? 彼、結構かわいいところあるのよ。人に見せないだけでね)

 たぶん尻に敷かれているんだろうなと思った。

 それとまだ幼い詩花であるが、意外と好かれている。父である黒井さんよりも。

 そして、アイドルを引退した小鳥ちゃんはいまでも定期的に連絡を取り合い、一緒に出かけたりしている。アイドル引退直後は大変だったらしいがいまでは普通に暮らしているらしい。今年で高校三年になる彼女は、どうやら大学を目指すとのことだ。就職を選んだ自分には想像もつかないが、無事に合格することを願っている。

 小鳥ちゃんとの関係は、まあ昔と変わらない感じなのだと思う。傍から見れば、ものすごく変わっている関係なのは自覚がある。彼女の誕生日である9月9日には誕生日プレゼントを贈っているし、ていうか欲しいものを買ってあげていて、食事もしてその日は一緒に過ごしている。それ以外でも、まだ学生である彼女には時間の都合がつくから、自分に合わせてもらって出かけたりもしていた。なんとまあ、不思議な関係だ。

 あと、新しく加わった事務員がいる。名を赤坂智恵24歳。なにやら就活に失敗していたところで事務所の募集の張り紙をみつけて応募したらしい。黒井さんが認めただけあって、事務員としてのスペックは申し分ない女性。ていうか普通に優秀だった。ただ、自分を美少女だと自負している自信家でもあり、そこは黒井さんと似ていた。あとスタイルはモデル顔負けなのであながち嘘ではないのだ。

 赤坂さんとは4つも離れていることもあり、彼女は年下である自分をよくからかってくる。というか楽しんでいる。まあいつも俺にやり返されているのだが。

 肝心の俺はというと、いまは主にテレビ局へ出向していてその手伝いという形になっている。これも黒井さんの伝手で、俺にテレビ局がどんな場所でどんな人間がいるのか学んでこいと言っているのだろう。時には黒井さんの補佐で〈プロデューサー〉らしい仕事もしている。現在の情勢はアイドルに関しては氷河期といってもよく、アイドルをやっている子なんて数えるぐらい。いまはアイドルよりもアーティストやタレント、俳優といった分野に手を出している。さすがは黒井さんというべきか、人材を発掘するのはお手の物で、わずか1年ながらも大きくその名を轟かせている。

 俺個人の心境の変化といえば、5つ年上の彼女ができたぐらいだった。

 

 

 

 

 

 まあその彼女とは半年も持たなかったけどな。肩をすくめながら、懐かしそうに彼は映像の自分に言ってやった。

 そもそもの話、彼女と付き合った明確な理由がまったくといっていいほど思い出せない。ただその時に活動していたテレビ局でスタッフである彼女と出会い、なぜかそこから気づいたら付き合い始めていたのだから。

 彼女と交際していた期間、これといっていい思い出はない。やはりというべきか、互いの職種上忙しくて会う機会は限られていたからだ。まあしいてあげるなら、童貞を捨てたということだろうか。我ながら最低である。付き合い始めた理由がそうであるなら、別れ方もそうであった。

 その日は偶然一緒の現場になって、休憩中に彼女から言ってきたのだ。

(ねえ)

(ん?)

(別れよっか)

(わかった)

 これだけ。

 本当に、これだけ。

 ここから少し先になる。たしか、ハリウッド研修から帰ってきた年だったと思う。送ってくる相手なんていないのに、なぜか溜まっていた郵便物の中に彼女からの手紙があった。結婚式の招待状が。

 日程はその日からそう遠くない日で、でも俺はいかなかった。むしろ首を傾げた。もう2、3年も前の話だし、たった半年しか付き合っていた元彼になんで招待状を送ってくるのか。だからいかなかった。

 だが驚いたことに、テレビ局で偶然彼女と再会して言われた。

(どうして結婚式に来てくれなかったの?)

(いや、いかないだろう普通。それに、なんで招待状を送ったのか疑問だった)

(あなたには、来てほしかったの。そして見てほしかった。私を)

(なんで?)

(だってあなた、私のこと好きじゃなかったでしょ)

(……)

(少なくとも、私はあなたのことが好きだった。年下だからとか関係なく、あなたに惹かれていた。でも、あなたは私のことをちゃんと見てはくれなかった。どこかいるはずのない人を望んていたような気がした。それに気づいて、考えることすら嫌になって別れたの)

(俺は――)

(言わなくていい。聞きたくもないから。それと、元カノとしてではなく、人生の先輩としてアドバイス)

(それは?)

(あなたはいますぐこの仕事を辞めた方がいいわ。普通の仕事に就いて、どこかで知り合った女性と結婚する。それがあなたにとっての幸せよ)

(どうしてそう思う?)

(女の勘)

(そう。だが、俺は辞める気はないよ)

(知ってるわ)

(俺からも一つ聞いてもいいか?)

(ええ)

(いま、幸せかい?)

(幸せよ。あなたにこの気持ちを分けてあげたいほどに)

 それが彼女と交わした最後の会話だ。

 彼女はきっと、見抜いていたんだろうな。この仕事を辞めろといったのは、俺の夢が叶うかも分からないものだから。いま辞めれば新しい道を見つけることができる。このまま続ければあなたはきっと苦しむだろうと。

 だけど俺は、辞めるなんて、諦めるなんて選択肢を選ぶつもりは毛頭なかった。

 そしてそれからの俺は、ただひたすらに仕事に取り組む機械(マシーン)のような感じだった。もちろん感情はあったさ。でも、仕事をしているときが一番集中していられるし、なにより他のことを考える必要がなかったから。

 その状態は2003年頃まで続いた。この頃には各テレビ局を行き来し、多くのスタッフや芸能人とも交流が構築され始めたころだ。同時に自分から動き出し始めたころでもあり、俺の名前が広がり始めたころでもあった。

 発端はたぶん、ある番組の企画を自分でやったことだと思う。正確には乗っ取りといった方が正しいかもしれない。

 その番組のプロデューサーの企画がどこから見ても面白いと呼べるものではなく、自分をはじめとした多くのスタッフも首を傾げるほどだったのだ。だから、その時仲がいいと呼べるぐらいには親しかったスタッフ達と共に、俺が提案した企画を強行した。

 結果からいえば反応はよかったし、視聴者からの評判もそれなりに好印象。初めて自分が作り出したものが正当に評価されたのは、とても嬉しかったしそれからの自信にも繋がった。

 テレビ局などで俺の名が広まる頃。〈961プロダクション〉はそれなりの地位を確立しはじめ、以前よりも黒井さんの補佐としての仕事が多くなった。その所為かはわからないがいつしか『黒井の腰巾着』や『黒井の後継者』なんて呼ばれるようになった。中村プロの頃から黒井さん個人の評価は高くて、言い換えれば恐れられていて、独立したあとも彼自身の評価は変わっていない。そんな黒井さんの下で働く俺がそう呼ばれるのは、ある意味自然な事だったのかもしれない。

 さらに自白すると、この年で23歳になる俺は同年代からすれば異常な若者だった。いくら961プロが売り出し中の事務所だからと言って休みが全くない訳ではない。あの黒井さんですらちゃんと休みはあった。でも、俺は先のように機械のような人間になっていた。仕事が楽しくて、頭の中で色んなアイディアが湧いてくるのを止めたくはなくて、休みの日ですら事務所かテレビ局へ足を運んでいた。疲れはない。感じていなかっただけかもしれない。それでも黒井さんは俺を止めなかった。

 彼が俺を止めたのは祖父に死期が迫っていると、数年ぶりにきた実家からの連絡だった。それに偶然居合わせた彼に俺は淡々と内容を伝えると、初めて彼に怒鳴られた。

(この馬鹿が! 仕事は俺に任せて、さっさと実家に帰れ!)

 反論すら許されなかった。アパートにすら帰らず、いまだに愛車のホーネットを狩り地元へと向かい、祖父が入院している病院へと向かった。

 祖父がいる病室に入ると、家族だけではなく親戚もいた。入ってきた俺に向けた視線は複雑だった。色んな感情が入り混じっていて、よくわからなくて、それよりもベッドで静かに眠っている祖父の姿から目を離せなかった。

 祖父は白血病だった。輸血はもう限界で、手の施しようがなかった。祖母が俺の名を祖父に語りかけると、静かに俺の手をとった。その時に考えていたのは、最後に会った祖父の姿だった。あの時はもっと元気で、仕事だって普通にしていた。それがいまではこんなにやつれている。現実をうまく呑み込めなくて、でもこの時のことをよく覚えていた。

 それから葬儀が終わるまで実家に滞在し、その最後の夜。父と再び話をした。

(帰ってくる気はないのか)

(ないよ。家の仕事なら、あいつにやらせればいいじゃん。今年で高校卒業だろ、あいつ)

(自分は好き勝手やっているくせに、弟にはさせないんだな)

(好き勝手やってるから、最後までやり遂げなきゃ、意味ないんだよ)

(それは死ぬまでやることか?)

(……40)

(なにが)

(俺が40歳……ごめんうそ。30から40の間にそれが叶わなかったら、いまの仕事やめてこっちに帰ってくる。これは、嘘じゃない)

(随分と先だな。それに帰ってきたって、お前ができることなんかありゃしないぞ)

(その時はその時)

(わかった。それと、たまには帰ってこい)

(善処するよ)

 これを和解といってもいいかはわからない。まあ結局、年に一回実家に帰るか帰らないかという状態なのは仕方がないことだった。

 仕事に戻った俺は、少し変わった……というより普通になった。休日はちゃんと休むようにしたし、仕事以外のことにも目を向けるようにした。

 人はいつか死ぬ。自分だって例外じゃない。病気かあるいは事故か、今日かもしれないし明日かもしれない。それは彼女もそう。この限られた時間の中で俺は夢を叶えるための方法を模索し、実行しないといけないのだ。だから、最悪の形となっても悔いが残らないようにしょう。そう心がけていくようになった。

 映像が変わる。

 どこかの空港らしい。文字は日本語ではなく英語。

 ああ、ついにここか。

 あれから一年が経ち、この映像の頃には2004年。俺は生まれて初めて異国の地へと降り立った。

 それは俺の人生でもっとも過激で刺激的な毎日であり、忘れられないハリウッド研修での思い出だ。

 

 

 

 

 

 2004年 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス 某所

 

 昼間のロサンゼルス市内の道路を、現在アクセルペダルをベタ踏みで猛スピードで走っている。運転しているのは俺。オープンカーではないのにもろに風が当たる。それも当然だ。フロントガラスはさっき無数の穴が開いたせいでヒビが入って、ろくに前が見ないので壊した。おまけと言わんばかりにバックミラーもどこかへ消えてしまった。

 しょうがないのでサイドミラーに視線を向ける。一台の車が同じく全速力で追ってきて……見えなくなった。どうやらサイドミラーもどこかへ飛んで行ったらしい。

 困った。これでは後方確認のしようがない。

 しかし先ほどからうるさい。

 背後から容赦なく銃弾のシャワーが車体を削っている音かと思っていたら、問題はとなりの白人野郎だった。

 

「ほら見ろ! 俺の言った通りだ! じゃなきゃいまごろ二人は天国でランチタイムだ!」

「だからお前に感謝しろってかスティーブ。冗談じゃねえ。てめぇがとっとと手を打ってればこうはならなかったんだよ!」

「おいおい、聞き捨てならねぇなチェリー。もしかして俺が悪いって言ってるのか?」

「ああそうだよ、このハゲ!」 

「ハゲだとこの野郎……。人が優しくしてれば調子に乗りやがって! 俺がこうして来なきゃ二人は今頃ハチの巣なんだぜ⁉ ていうか、なんで俺の車をチェリーが運転してんだよ!」

「俺の方がうまいから」

「なにを!?」

「現にこうして俺のドラテクのおかげで五体満足なんだから感謝しろ。まあ、車は重傷だな」

「ちくしょう。今月で三台目だぞ。いくら政府から予算もらってるからって、領収書を渡してはいどうぞじゃ終わらねぇんだよ!」

「文句なら後ろの疫病神にいえ」

「なんだ、それ」

「あー。あれだ、悪魔だ」

「ふむ。ちらり……納得」

 

 すると、いままで黙っていた後部座席にいる悪魔こと、アンバーが文句を垂れてきた。

 

「誰が悪魔よ。天使の間違いでしょ?」

「天使だったら頭に手をついて、ピザを食いながら野球見てるおっさんのようなポーズはしねぇ。ていうか見たくもなかったぜ」

「あら。私のサインを死ぬほど喜んだのは誰だったかしら?」

「うぐっ」

「そんなことより喋ってないでお前も撃てよ!」

「私が銃を握るのは映画の中だけよ」

「すっごい女優ぽいこと言ってんな」

「曲がるぞ!」

 

 猛スピードで車は左折し、スティーブとアンバーは車から乗り出しそうになるのを必死にこらえる。いきなり進路を変えても依然と追手は迫っていた。

 

「坊や。早くなんとしなさい」

「うるせぇ! そもそもお前が撒いた種だろうが!」

「とにかく、このままじゃ埒があかねぇな」

「よし。このあいだの撮影でカースタントから教えてもらったあれ、やってみるか……」

「なにそれ」

「ちょっと坊や。それちゃんと成功するんでしょうね」

「大丈夫だって安心しろよ。……いくぞ!」

 

 彼の掛け声とともに車は突如スピンし、180度回転。追手の車は突然のことで驚き減速、彼らの車とぶつかりそうになるかならないかの距離で、車はバックしながら互いに向き合う形で走行する。

 スティーブは驚きながらも冷静に状況を判断し、目の前の車にめがけてサブマシンガンを構え9ミリ弾を撃ち込み、運転席に座る彼も片手で拳銃を構えて発砲。防弾ガラスではないため銃弾の雨が容赦なく降り注ぎ、無数の銃弾が運転手や他の人間を捉える。車は操縦が利かなくなってそのまま電柱へと激突するのを確認すると、車は再び回転し普通に前を向いて走り出した。

 

「ほら。俺に任せて正解だろ?」

「最高だね。もう、お前の運転する車には乗らないって俺、神に誓った。今この瞬間!」

「この間もそんなこと言ってなかったか?」

「それは……あそこのピザの注文はしないって誓った。だってありえないだろ⁉ ピザのトッピングにカナディアンベーコン頼んだらジャーマンソーセージ乗っけてきやがったんだぜ詐欺だよ詐欺」

「スティーブのことはどうでもいいわ。坊や、さっさと現場に向かいましょ」

「は? 普通このあとはアンバーの家で助かってよかったーっていいながらビールだろ?」

「坊や、次の仕事は――」

「番組収録だな。映画の宣伝を兼ねた」

「そうだったわね」

「あ、そうだスティーブ。また警察とかの対応は頼んだぞ」

「へいへい。お前らといると仕事が捗ってたまらねえや」

 

 スティーブの皮肉を込めた言葉など気にかける素振りもせず、風通しがよくなった車を彼は次の現場へと向かわせた。

 

 

 

 

 改めて見ると、まるで映画のようだと錯覚する。いや、あの一年を振り返ると映画みたいな生活を送っていたのは間違いない。それも続編もので映画三本分ぐらい。

 スティーブとはいまでも付き合いのある……悪友とでもいうべきか。身長は俺と同じぐらいで、白人のハゲ。年齢は30半ば、頭部のつるつるを隠すために常に帽子をかぶっている。チェリーと呼ぶ理由は急に思いついたらしい。ぶっちゃけると殺してやろうかと思った。元々は米軍の特殊部隊にいたとかなんとかで、出会ったころにはCIAかどっかの直属の組織に所属していて、潜入捜査という形で普段は別の仕事をしている。彼の表向きの会社は貿易業者。その裏では表では運べないものを運んでいるらしく、その情報をリークあるいは彼自身の手でなかったことにするのが仕事らしい。どこまで本当なのかはわからないが、ところどころは本当だと思われる。先の事も、彼が事前に情報を察知したので助けに来てくれたというわけだ。

 そしてもう一人女性の名はアンバー。今なお現役で活躍し続けているハリウッド女優。スターである彼女との関係は簡単に言えば、俺は彼女のマネージャーという役目を仰せつかった。年は俺より3つ年上の26歳なのだが、26とは思えない成熟した精神の持ち主でなんというか、大人なのだ。だから、俺のことを坊やと呼んでいる。

 そもそもの話、このハリウッド研修は至って普通のものになるはずだったのだ。黒井さんの勧めでハリウッドにいくことになり、彼の知り合いの事務所でお世話なりながら現地で直接学んでくるのが当初の予定。それがどういうわけか、その事務所が契約している売れっ子女優のアンバーのマネージャーに任命されたのが一つ。

 もう一つは宿泊先のアパートの隣がスティーブだったのが最大の不運だったことだ。滞在一日目にして隣の部屋から銃撃音。そのあとはまさに映画のような出来事が起こるのだ。どういうわけか俺の部屋に来て、そのまま巻き込まれて一緒に逃亡するはめに。そこから色々あって妙な縁ができて、これにアンバーが加わって手の施しようがない状態になってしまうのである。

 その結果が先ほどの映像。この生活を一年も続けたのだから誉めてもらいたいぐらいだ。

 ただ常に波瀾万丈な生活だったわけではない。アンバーとの仕事は有意義なことばかりだったし、最新の撮影機材の使い方からメイクアップまで当時の最新技術を学んだ。最初は見ることしか許されなかったがアンバーの計らいもあって、監督をはじめとした多くの人間と交友を深めたことでプロの技術を教えてもらえたのはいまでも感謝している。

 特に思い出に残っているのは、一回だけ映画のアクションスタントとして出演させてもらえたことだろうか。中盤の主人公との戦闘シーンでそれなりに見せ場があるシーンがあって、身長と体格がちょうどいいと急遽監督が俺を指名したのだ。ほぼ独学で学んだ武術やら技を披露する機会が訪れて最高に舞い上がったし、すごく楽しかったのを覚えている。

 他に多くのことを学び、怖いマフィアから逃げたり秘密組織を潰したりと退屈しない一年を過ごした。

 研修最終日。ロサンゼルス空港で二人と別れる際、どういう訳か俺の年を聞いてくるので、23歳と教えてやったら目を丸くして口を開けたまま硬直してしまった。

 どうやら俺の年を知らなかったらしい。

 なんというか最後にいいものが見れた。いままで散々振り回されたのだからこれぐらいは許されるだろう。

 二人の顔をカメラに収め、俺は故郷である日本に帰国した。

 帰国した翌日には事務所に行っていままでの報告書を提出し、自分が不在だった一年分の資料を読み漁り、これからの予定や仕事を頭に詰め込んだ。その日はそれだけで一日を過ごし、そのあとは黒井さんに連れられてある場所で夕飯をご馳走になった。

 その名は〈超神田寿司〉。

 まあそこでまたまた奇妙な出会いを果たすことになるのだがこれは割愛しよう。まあ彼とは友人でもありビジネスパートナーでもあるとだけは言っておこうか。

 さて。2005年は一つの分岐点とも言っていい。俺のこれからの未来を決める選択肢。

 帰国してから約半年だろうか。

 俺は社長室で黒井さんに告げたのだ。

 一人で生きていくことを。

 

 

 

 

 

 2005年 961プロダクション 社長室

 

「辞めるだと。今の地位を捨ててか!」

 

 俺は退職届など出さず直接彼に伝えた。他の人間ならこうはいかないだろうが付き合いの長い俺と彼なら言葉だけで十分だ。

 しかし案の定黒井さんの答えはNOだった。

 本心までは読み取れないが、俺がここを去ることは961プロにとっても、彼にとっては大きな痛手のはず。

 961プロにおいて彼の立場は特殊だ。黒井と共に事務所を立ち上げてからの人間で、能力においては誰よりも群を抜いている。なによりも黒井が社内で心を許す人間の一人というのが大きな部分を占めている。正式な形としての彼の役職は〈プロデューサー〉となっているが、表面上だけしか知らない人間からすれば、彼はここにおいては副社長と言っても信じる者は多い。

 

「はい。自分の力がどこまで通用するか、やってみたいんです」

「馬鹿が! 今までは961の肩書があったからいいものの、フリーになればそれがなくなる。一人で生きていけるほどこの世界は甘くないんだぞ!」

「わかっています」

 

 そうだ。今までは『黒井の腰巾着』と呼ばれていたように、彼がいたから俺は半分認められていたようなものだ。

 でも、それではダメだ。遅すぎる。

 夢を叶えるためにここに残るという選択肢もなくはなかった。でも考えた末に独立することを選んだ。今より過酷な生活が始まるだろう。収入だって不安定になる。それでも、構わなかった。

 961プロに残るという選択肢は将来が約束されているのはたしかだ。だが、そんなものなど最初から欲してはいない。

 夢を叶える――

 たったそれだけなんだ。それだけのために俺は動いている。

 そのために準備もしてきた。一人でやっていくための術を身につけ、力を持つ人間との交流だってしてきた。

 黒井さんや赤坂さん、961プロと別れるのは辛い。だけど、ここでは見つからないんだ。自分から動きださなければ、始まらない。

 だから俺は……決断したのだ。

 

「……貴様は大馬鹿者だ。好きにしろ」

「ありがとうございます」

 

 生まれて初めて、心から感謝して頭を下げたのはこの時が初めてだった。

 それから手続きを済ませ正式に961プロを退社し、フリーのプロデューサーとして歩みだした。

 彼が最初に足を運んだのは、順一朗と順二朗の元だった。二人には事前に話を通しており、今後の活動について彼らに相談していのだ。久しく会っていなかった二人と話に花を咲かせながらこれからのことについて話し合った。

 その結果、すぐに再就職先が見つかることとなった。

 二人が紹介したのはとある芸能事務所で、その社長が二人の知り合いなのだという。そこで新しくアイドルとして売り出す子がいるので、腕前を試す意味合いも含めてプロデューサーをやってみないかという話だ。

 2005年のアイドルブームというのは、例年よりマシという程度の認識である。日高舞の電撃引退後は氷河期と例えられるぐらいの状況ではあったものの、ここ最近になってようやく普通より少し下程度まで戻ってきた。

 現にアイドルを売り出している事務所は少なからずあって、今の情勢でどれ程売れるかという確認も込めてやっている。

 そんな状況の中で、いくら知人の紹介とはいえ名も知らぬ人間にアイドルを任せてもらえるというのは、正直言ってわくわくしていた。まさに自身の力量が問われているのだ。これ以上ない魅せ場だ。さらに自分の力がどれだけ通用するのか。それも気になっていたのでこの上ないチャンス。

 二人に引き受けると即答し、後日その事務所へと足を運び初の顔合わせとなった。

 

「初めまして。私がここの社長を務める速水だ」

「よろしくお願いします。俺みたいな無名の人間にここまでしてもらえて感謝しています」

「いいんだよ。あの二人からは君のことは聞いていたからねえ。さて、私のことよりも彼女だ。彼女が君に担当をしてもらう――」

「はじめまして! アイドル……候補生の千鳥恭子です! よろしくお願いしますね、プロデューサーさん!」

 

 

 

 

 アンバーはマネージャーという扱いだったので、彼女こと千鳥恭子が俺が初めて担当したアイドルということになる。

 今年で高校二年生の17歳。髪は茶色のロングヘア。おっとりとした顔立ちで丸渕の眼鏡をかけているのが特徴的な子。しかし仕事となれば眼鏡からコンタクトになり、髪はまとめてしばってポニーテールに変身する恭子には最初驚かされた。女は化粧で化けるというが、こうまでイメージががらりと変わるとは思っていなかったのだ。

 恭子のアイドルとしての素質は十分にあった。身近なアイドルであった音無小鳥と比べると、ランクは下という評価になってしまうものの、俺は彼女にアイドルではなく歌手として歩むべきだと見出していた。

 別にアイドルが合っていないのではなく、単純に歌手としてのが道が開いていると思ったからで。特に今のアイドル情勢の中でこれからの活動を確約できるものではないし、周りからの反応もアイドルよりは幾分マシなのだ。

 当時の俺もそれは理解しつつも、自分の力で彼女をどれだけ輝かせるのかが重要だった。

 結果だけ話せば、千鳥恭子はわずか一か月で注目を集めた。あの情勢下ではあるものの、ネット環境の普及おもに2ちゃんねるや掲示板などで話題を集めたというのも大きいし、自慢ではないが自分の営業の成果も十分にあったはず。

 この時たしかに俺は実感していた。

 自分の力は確実に通用している。この情勢下であっても、衰退していたアイドル文化を再び盛り上げることができるのだと。

 そのこともあってさらに自信がついた俺は張り切っていた。気づけばわずか2、3か月余りで恭子は今でいうアイドルランクのCからBへと上がり始めたころ、悲劇が起きてしまった。

 事はそう上手くは運ばない。

 だがあれはそういう類ではない。

 時代が、当時の悪しき風習がそうさせたのだ。

 

 

 

 

 

 2005年 千鳥恭子のデビューから数か月後

 

 恭子の異変に気付いたのはあるテレビ局の仕事の帰りだった。

 車のバックミラー越しに映る彼女の様子が最初は変だと気づいたが、たぶん仕事の疲れか車酔いでもしたのかと思い心配になってたずねた。

 

「すまん。運転が荒かったか?」

「いえ。そういうわけじゃないんです。心配しないで、ください」

「……わかった」

 

 どうも歯切れが悪い。先程の仕事が始まる前はいつものように明るく振る舞っていた。収録中も別段変わった様子は見受けられなかったのに、恭子が着替えのため控室に居る際少し仕事の打ち合わせで離れたあと、用意が整った彼女と合流した時にはもうこの状態だった。

 なにかがあったのだとすぐに考えるのが妥当だ。

 彼の性格上、分かっていてそれを黙って見ているということはできず、車を脇に寄せて恭子に問いただした。

 

「恭子。お前が何かを隠しているのは分かっている。それも不自然なぐらいに。教えてくれ。俺と離れている間、何があった?」

 

 彼女はすぐには言ってこなかった。ただ下を向いて俯いてた。その状態が30秒ぐらい続き、恭子は体を震わせ、泣きながら告白した。

 

「着替え終わったあと、プロデューサーさんを待っている間にあの人が部屋に入ってきたんです」

 

 嫌な予感がした。だが、まだ最悪の状態ではない。

 プロデューサーは続けて聞いた。

 

「誰だ」

「……」

「恭子」

「テレビ局の偉い人、だと思います」

「名前は?」

 

 その問いに彼女は首を横に振った。

 彼は顔を片手で覆った。

 ここまで聞くと、もう話の全容が見えてしまった。

 けれど、聞くのを止めることはできない。

 

「じゃあ、容姿は? どんなことでもいい」

「年は、60を過ぎてると思います。頭は……ハゲてて、身長が低くて小太りなおじさんです」

 

 あいつだ。あのテレビ局のお偉いさんで、あちこちによく顔が利く男。それに黒い噂も絶えない。

 そのあとの続きをたずねるのか少し迷った。なにせ、担当であるアイドルに最低の言葉を言わせるのだから。それでも、聞くしかなかった。

 

「なにを、言われた」

 

 恭子は先ほどまでとは比べ物にならいぐらい体を震わせながら、少しずつ語った。

(千鳥、恭子くんだったね。君はいま中々売れているね。けど、もっと売れたくはないかい? 私ならその力を持っている。なに、私のお願いを聞いてくれるだけでいい。一晩だけ――私のモノになりなさい。断っても構わんよ。ただその場合、君の事務所に所属するタレント達の仕事が少し減ってしまうかもしれない。事務所にあらぬ疑いがかかるかもしれない。脅しているかって? 違うよ。これは、お願いだ。私はどちらでも構わないがね。すぐには無理だろう。もし決めたのなら、この電話にかけるといい。改めて連絡するよ。ああそうそう。このことは他言無用だ。では、待っているよ)

 よくもまあすらすらとありきたりな台詞が出てくるものだ。

 プロデューサーはかつてない怒りを抱きながら、泣き崩れている恭子を慰めていた。

 枕営業は、実際にいまでも平然と行われている。それも当たり前のようにだ。一番最悪なのが恭子のような若い世代のアイドル候補生やアーティストや女優を目指す子を、それ専用に採用し使っている事務所が平気でいることだ。

 かつて961プロ、主に黒井にそういう勧誘があった。今では上位に入る事務所である961プロに取り入ろうとそういうことを平然としてくる企業もいたし、立ち上げたばかりのころも売れたければという謳い文句を言いながら脅迫してきたこともある。

 しかし黒井はすべてを一蹴した。彼からすれば身内以外は敵だ。逆にこちらが喰う勢いで周りを制圧していったのだ。

 彼と同じ力があるとは言えない。だが、このまま黙っているほど俺は優しくない。

 

「いいか恭子。お前が不安になるのは分かる。きっと俺や事務所のみんなを思って、自分だけ犠牲になればと考えているのだろうが、そんなことしなくていい。俺がなんとかする。俺がお前を守る。絶対に。だから、信じてほしい」

「……いくらプロデューサーさんでもこればかりは、無理ですよ」

 

 絶望していた。彼の言葉は気休めにすらならなかった。

 それでも、俺が言ったことは嘘じゃない。絶対に恭子を守れる自信があった。だが、今回はあまりにも時間がなさ過ぎた。

 枕営業といえど確実にそれを証明する証拠がない。そしてなによりも、自分にどれだけの力があろうと彼女にはそれがわかってもらえないのが、一番申し訳なくて仕方がなかった。

 結局その日はそのまま解散となった。

 

 

 

 

 恭子を送ったあと彼は新しく引っ越したマンションに帰宅した。以前の順一朗から紹介されたアパートも名残惜しかったのだが、生活ぐらいには金を使おうと思って引っ越しを決めた。家具も一人暮らしに必要最低限のものしかおいてなく、寂しいという言葉が似合う部屋。

 リビングに入ると荷物を床に置いてソファーにもたれかかる。疲れるような仕事ではないのに、体中が重い。それに頭痛のような痛みもある。

 最悪だ。

 まさに酷いの一言だ。明日の仕事のことなんて頭にこれっぽっちも入らない。考えているのは恭子のことばかり。

 あの子とはたったの7歳しか違わない。少し前までは自分だって高校生だった。その学生が請け負うはずのない苦悩を彼女は抱えている。

 かわいそうだと言うのは簡単だ。では、どうするか? 

 俺が守らなければならないのだ。

 彼は折りたたみ式の携帯電話を開き、電話帳に登録しているある男へと電話をかけた。

 少し応答待って、

『現在電話に――』

 切ってすぐにもう一度コール。

 とっくに仕事は終わっているはずだ。迷惑だと思われても何度もかけなおしてやる。そう思った矢先繋がった。

 

『なんだこんな時間に』

「すまない両さん。でも、大事な話なんだ」

『おっ、うまい話か⁉』

「違う。個人的な、お願いだ」

『……訳ありか?』

「ああ」

『他ならぬお前の頼みだ。言ってみろ』

「盗聴器を手に入れてほしい。特にコンクリートマイクを」

 

 元々は壁に埋め込まれて配管や水道管の点検などに使わる装置。しかしその特性ゆえ、情報収集や調査、ようは盗聴目的に使われることも少なくはなかった。

 個人でも購入やレンタルはできるが、生憎そっち分野の知識は疎く、彼ならば知識は豊富だし手に入れることも簡単だと知っていた。

 

『なにぃ! 仮にも警官だぞ、わしは』

「わかってる。礼はあとで必ずする。頼めるのは両さんだけなんだ……!」

『……わかった。お前がそこまで言うということは、余程のことなんだな?』

「ああ」

『いつまでに必要だ?』

「できれば早く」

『そうだな。明日の午後までには用意しておこう。また連絡する』

「ありがとう」

『かまわん。その代わり、あとでたっぷりと礼をはずんでもらうからな!』

 

 電話が切れると、今度は別の相手にかける。相手は国内ではなく国外。

 先程とは違い少し経って相手とつながった。

 

『よぉチェリー! この間ぶりだな。この間のはよかったろー。結構安く手に入ったんだぜ? そうそう。お前、最近ボルトアクションのライフルが欲しいって言ったよな。ちょうどそれが――』

 

 こちらが言う前にスティーブはペラペラと話を切り出してくる。小さなため息をついて、無理やり話題を変えた。

 

「スティーブ、それはあとでいい。今回は別の用件だ」

『ん? そうなのか? まあいいが。で、なんだ』

「……足のつかない銃を一丁、すぐに用意できるか?」

 

 電話越しなのにスティーブの雰囲気が変わったことに気づく。彼は真剣な声でたずねてきた。

 

『何かあったのか?』

「まだ、かな。用心のために一応な。コレクションは使えない」

『……わかった。すぐに手配する。いいかチェリー。ヤバくなったらすぐに連絡をよこせ。なんとかしてやるからな』

「ありがとう。用意ができたら連絡をくれ」

『了解だ』

 

 我ながらイカれていると思う。友人に盗聴器と銃まで用意してもらうなんて。

 たぶん、今の俺は冷静じゃない。

 アイドルを守るからと言っても、これは少し度が過ぎているかもしれない。だが、誰だって同じ怒りを抱くだろう。今すぐ乗り込んで殴ってやりたいに決まっている。

 周りは仕方がないと言うかもしれない。権力には逆らえないと怖気づくだろう。

 けど、担当のアイドルが枕営業なんて、俺なら絶対に許さない。

 

 

 

 

 

 あれから一週間ほどが経った。あの日の翌日、頼んでいた盗聴器を手に入れた俺は恭子が住むマンションへと足を運んだ。

 彼女は都民ではなく、地方から東京の学校に合格してからいまでは一人暮らしをしている。幸いだったのが彼女が住む隣の部屋は空いていたことだ。そのマンションの管理人を金で買収し、しばらくそこで生活するようになった。他の住民にはバレぬよう細心の注意を払って。

 仕事が終わるといつものように恭子をマンションの前まで送り、そのあと少し離れたレンタル駐車場に車をおいてすぐにマンションへ戻る。それからは常に壁越しで監視していた。彼女からなにもアクションを起こしていないのか、相手から特になにもなかった。それでも、彼女の携帯に着信がある度に身構えてしまっていた。

 さすがに相手も諦めたか。そう油断した時、問題が起きた。

 それは恭子ではなく、同じ事務所に所属する者たちにだ。彼らはそれなりに売れている部類で、仕事だって途切れず続いてけるほどの実力を備えているのにも関わらず、突然仕事が切られ始めてた。

 俺は、馬鹿だ。

 考えが甘いなんてものじゃない。相手は何度もこの手口でやってきたのだ。目的の人間が巌に渋い反応してくるのであれば、その矛先は別の人間にいく。

 気づけたはずなのに、俺は恭子のことばかり見てしまった。それが原因で、恭子以外の人間を巻き込んでしまった。

 もっと酷いのが、恭子だけは仕事が途切れていないことだった。他の子達も裏では枕営業や汚い接待があることは薄々と分かっている。だから自然と、視線が彼女にいく。邪魔者を見るような、ごみを見るような目で恭子を見てしまう。

 これが引き金となってしまった。

 その日は仕事が終わって彼女のマンションへ送迎中、突然言ってきた。

 

「プロデューサーさん。ここで、降ろしてください」

 

 平静を装い彼も彼女に合わせ始めた。

 

「なんでだ。マンションまでまだあるぞ?」

「ちょっと、友達と会う約束をしてるんです」

「わかった」

 

 後方を確認して車を路肩に止め、降りる恭子に言った。

 

「恭子。何かあったら、連絡しろ。迎えに行くからな」

「……はい!」

 

 たぶん、精いっぱい作れる笑顔で元気よく答えたのだろう。

 酷かった。

 泣くのを必死に我慢してる顔だ。

 あの子は選んでしまった。自分が犠牲になれば、事務所のみんなは今まで通りに戻るのだと。

 控えめに言って、最低な選択肢だ。

 だが、それをさせた俺も最低の糞野郎だ。

 自己嫌悪に陥っている中、ポケットの携帯電話の着信が現実に引き戻した。

 相手はスティーブ。

 

「スティーブ」

『待たせたなチェリー。少し手間取った。受け渡しはいつもの場所で、合言葉も例のあれで問題ない』

「この礼はいつかする」

『それはいい。けど、本当にいいのか?』

 

 おそらく、彼の組織の支部が日本にもあるのだろう。自分のコネを使って協力要請しようと言っているのだろうが、その必要はないし助けてくれとも思っていなかった。

 

「ああ。自分のケツは、自分で拭くさ」

『……ほんと、お前を怒らせる相手の顔を拝みてぇよ』

「やめとけ。余計に目が腐るぞ」

『違いねぇ。……じゃあ、またな』

 

 電話を切って、彼は車を急発進させた。後ろを走っていた車がクラクションを鳴らしてきたが、今の彼に聞こえるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 東京都 某所

 

 そこは東京湾がよく見えるとある店で、主に輸入品を扱っており国外の小物から食品、雑貨や家具とあらゆるものを販売している。

 存在すら知らなかったその場所を、ハリウッド研修から帰国してから頻繁に訪れるようになった。向こうに滞在している際色んな出来事に巻き込まれてせいもあって、本物の銃と触れ合う機会があった。スティーブや彼の戦友に銃器の扱いから本格的な訓練、おまけにヘリや戦車の操縦も習った。ただ免許はもらえないのは残念だった。

 本音を言えば、漫画の影響が一番大きいのかスティーブに問題ないレベルで欲しい銃を手に入れてもらっていた。法律違反だし密輸なのはわかっているものの、欲望に負けた。

 そして今回も頼んでいた荷物を取りに来た。

 店の中に入ってなにも商品をとらずそのままレジにいる男に言う。

 

「チェリーパイを取りに来た」

「はいよ。こっちだ」

 

 男は別の店員を呼んでレジを任せ、事務所に案内する。彼はここの店主で、何度か訪れているがそこまで仲がいいわけじゃない。

 事務所に入ると、店主は小さな段ボールをテーブルにおくとカッターでテープを切って目の前に渡してきた。

 箱を開けると、紙くずが入っていてその中に頼んでいた銃――拳銃とマガジンが3に消音機が入っていた。銃を手に取る。底を確認するとマガジンは入っていなかった。本体を軽く見回したあとマガジンを装填してスライドを引いて初弾を装填。店主に向けないよう構えて、感触を確かめてたずねた。

 

1911(ナインティーン・イレブン)か」

「の、どこかの盗品らしい。時間がかかったのは色々と処理をしたからだそうだ。ほれ、一番目立つ製造番号がないだろう」

「ああ。それでか」

「マガジンは3つ。サイレンサーはおまけだそうだ」

「感謝する。で、いくらだ?」

「いい」

「なぜ?」

「今回はあいつ持ちだ。だからいい」

 

 銃一つとはいえ安くはないだろうに。遠い異国の地にいる友人に心から感謝した。もちろん、実際に面とあえば、こんなに素直には言えない。

 銃と予備のマガジンを腰に差して消音機をポケットにしまっていると、店主がいつものごとく言ってきた。

 

「わかっていると思うが」

「わかってる。ここの名前は出さない。俺はここの存在を知らない」

「それでいい」

「邪魔したな」

「ああそれと」

「なんだ」

「たまに普通の物を買いに来い」

 

 言われて納得した。表向きは普通の店だ。いくら目立たない位置に店を構えているとしてもだ、本来はそれが普通なのだ。まあ、店の売り上げは密輸品などの売り上げなのだろうと薄々勘づいているのだが。

 何か菓子でも買ってやろうかと思ったが時間がない。適当に相槌をうって店を出る。車の後部座席に入り、念のために用意していた服装に着替える。黒のズボンに黒のパーカーと帽子を被り、運転席に戻って車を出した。

 

 

 例の男が開いているパーティーについての情報は、すでに情報屋から手に入れていたので目的地には迷わずたどり着けた。恭子と別れた時間はまだ夕方の5時前。おそらく一度連絡して家に戻ったのは間違いないはずだ。

 それから会場の入り口が見える建物から少し離れた場所に車を停めて待つこと4時間。その間に多くの車が行き来している。見るからに高級車がそこに停まると、服装からして富裕層の人間が多く建物に入っていく。それだけじゃない。見たことのある芸能関係者の顔も遠めだが見えた。

 はっきり言って、反吐が出る。

 だが、あいつらはどうでもいい。

 問題は恭子だ。あの子さえ、ここに足を運びさえしなければ、それで構わない。心から願う。

 しかし、それは儚い願いだった。

 タクシーが一台停まると、そこから彼女が出てきた。

 学生が、成人すらしていない子供がこんな危険な場所に。しかも制服のままで。

 入口に待機している黒服の二人の内の一人が恭子を止めさせたが、何もなかったのようにすんなりと中に通していく。

 それがラストチャンスだった。

 怒りを抑えていた安全装置が完全に壊れた。

 車を出て車道を走行している車など確認せず向こう側に渡る。左車線を走っていた車がクラクションを鳴らしたが、止まる理由にはならない。

 騒ぎに気づいた黒服二人がそちらに目を向けた。彼からすれば、こちらに一人の不審者が歩いてくるようなものだ。

 だが、もうどうでもいいのだ。

 黒服達との距離が目と鼻差の先に迫ると、右手で俺の肩を掴んで歩みを止めさせた。

 

「おい、止まれ。聞こえないのか、とま――!」

 

 うるさい。

 そのまま右手で目の前の男の顎を下から殴った。身長は俺より少し低いが、それでも大きい方の割には簡単に後ろに倒れて、気を失った。

 

「お前!」

 

 もう一人の男がようやく異変に気付いて、殴りかかってくるが体を反らして避ける。そのまま男の腹めがけて蹴りを入れる。その反動で男は背中からコンクリートでできた歩道に倒れ、受け身もまともにとれていないためかなりの痛みが伴うだろう。そのまま倒れている男のスーツの襟を掴んで起き上がらせて、先ほどより優しめの拳を顔に食らわせた。

 

「知っているが、一応聞くぞ。パーティーの会場は何階だ」

「な、なんの――」

 

 とぼけたことを。

 襟を掴んでいた左手を離し、強引に男の右手の人差し指を問答無用で曲がるはずのない方へ曲げた。鈍い音とともに、汚い男の声が響き渡る。非常に耳障りだ。

 

「で、でめぇ……!」

「もう一度聞く。会場は何階だ」

「じゅ、11階」

「そうか」

 

 同時に力を込めた拳を振りかざし頭を殴る。気絶したのを確認すると建物中に入る。

 どうやら情報屋の情報は間違っていないようだ。何分、信用するには値しない男の情報だったので、念のため確認した。

 エレベーターに入って11階のボタンを押す。それまでにどこにも止まることなく、エレベーターは11階にたどり着いた。

 廊下に出て、道は左右に分かれていた。廊下やその壁も普通とは違って豪華な装飾だ。ここで間違いないらしい。

 人の気配が大勢するのは、右側か。

 少し歩くと、大柄の男が一人。その後ろにガラス張りの自動ドア。

 

「貴様、ここは関係者以外立ち入り気禁止フロアだ。とっとと戻れ」

 

 耳障りな声だ。ああ、帽子が邪魔だ。普段から帽子を被らないから変な気分なのかもしれない。邪魔なので放り投げた。安物なので金銭的喪失はほとんどない。

 

「聞こえないのか? 痛い目に遭いたくなかったら――⁉」

 

 走り出す。久しぶりの全力疾走。男の少し前で跳ぶ。思い浮かべたのは、特撮のヒーローの必殺技。自分でも驚くぐらいに跳んだのか、テレビのように真っすぐ男の顔目がけて進み、右足は

 ちょうど鼻のあたりを捉えて、そのまま扉を突き抜けた。

 ガラスが割れる音というのは、意外と心地いいものだと初めて気づいた。この男よりはマシだ。視線を男に向けると、「あ、あ」と声を漏らしている。辺りには破片が飛び散っていて、男の後頭部から血が流れているのがわかる。それよりも、彼の鼻はダメだろう。変な風になってる。でも、息をしているから、そのまま踏みつぶした。

 そしてようやく部屋を見渡した。

 部屋は広くて、イメージとしてはキャバクラの内装に近い。丸いテーブルに、それを囲むようなソファー。テーブルには酒に氷、それと白い粉。ドラッグだろうがさすがに種類はわからない。他にも裸の女がいたり、抱き合ったりしている男女が大勢いる。どれもこれも見覚えのある人間ばかり。金と権力を持っている者から、名のある者からふとその存在が消えたモデルや女優もいた。

 その中の中央に目が留まる。

 あの男がいた。右手はロックグラスを持ち、左腕は女を肩を抱いている。

 

「ッ」

 

 一瞬にして怒りが爆発した。目を開き、奥歯をかみしめた。男が抱いている女は、千鳥恭子だった。

 先程見た制服ではなく、チャイナドレスより露出の多い服を着せられていた。

 限界だった。

 腰に隠していた消音機をつけたM11911を手慣れた動作で手に持ち、撃った。プシュッと小さな音が出る。狙ったのは男の太もも。銃弾は見事、彼の右足の太ももに命中。

 

「きゃぁあああ!

「銃を持ってるぞ!」

「逃げろ!」

 

 次々悲鳴を上げながら俺の横を通り過ぎていく。こんなにも怒り狂っているのに、頭はやけに冷静で通り過ぎている人間の顔をしっかりの脳裏に焼け付けていた。

 だいたい10数人だろうか。この場にいた自分と、男と恭子以外の人間は全員部屋を出て行った。

 邪魔者はもういない。歩みを始めると、男が何かを叫んでいる。

 

「き、貴様! 私にこんなことをしてタダで済むと思うなよ! 私には警察や政治家の友人だっているんだ! 貴様など――」

 

 今までで一番うるさいのでとりあえず殴った。ああ、恭子もいたんだ。今できる笑みを浮かべながら声をかける。

 

「恭子。もう少し待っててな」

「ぷ、プロデューサー……」

「プロデューサー? そ、そうか。お前、この女の――ぐぇ!」

「うるせぇ」

 

 スーツとYシャツの襟を片手でつかみ引っ張って、この部屋の個室らしき場所へ向かう。たぶん、こいつ専用のお楽しみ部屋だろう。

 

「い、痛い!」

「黙れ」

 

 撃たれた太ももを抑えながら訴えてくるが、知ったことではない。それにしても重い。無駄に抵抗するから余計に運びずらい。

 やっとの思いで個室までたどり着く。中には大きなダブルベットにラブホのような内装。他には小さなテーブルに一人用のソファーが二つ。壁際にはワインセラーやウイスキーといった高そうな酒類が並んでいて、その上に絵画も飾られていた。この部屋にはいささか場違いなもので、絵が泣いているようだ。

 

「で、どこにある」

「な、なにを」

「惚けるな。パーティーの参加者と顧客のリストだ」

「し、知らない。そんなもの、私は知らな、い―――!!」

 

 撃たれた傷口を靴のかかとで押し付ける。男にとっては想像を絶する痛みが襲うが、彼には関係ない。

 

「どこだ」

 

 再度促すと、男は床を這いつくばりながら壁に手をついて立ち上がる。壁に飾ってある絵画の一つを取り外すと、よくある隠し金庫が出てきた。男は一度こちらを向いたので、開けろと催促。ダイヤル式の金庫でわざと時間を稼ぐだろうと思っていたが、意外なことに男はすんなりと金庫を開けて中身を取り出し渡してきた。

 ファイルに収まっているのでそのまま受け取り、中身を確認していると男が命乞いをするかのように言ってくる。

 

「い、言われたものは渡した。は、早く病院に」

 

 無視しながらリストを確認し続ける。これを警察やマスコミにリークすれば一日にしてがらりと世界が一変するだろう。芸能関係者や富裕層の人間ばかりかと思っていたが意外なことに、スポーツ選手やその関係者、政界の人間の名までちらほらと。

 ファイルを閉じて銃を構えながらたずねる。

 

「これで全部か」

「そうだ」

「……片足じゃかわいそうだ。反対側にも穴を開けてやろう」

「ま、待ってくれ! わかった! 白状する。残りは職場の、私のオフィスにある金庫に入っている!」

「番号は」

「え……」

「番号だけ聞けば、それでいい」

「番号は……」

 

 男が言う番号を記憶する。これが正しいのかは不明だが、この状況で嘘を言えるなら大した男だ。

 

「こ、殺すのか……⁉」

「それぐらいの罪は犯してきただろう? なら、問題はない」

「や、やめてくれ! 金なら払う! お前が一生手に張らないほどの金をやる! それだけじゃない。お前の事務所と永久契約を結ぼう、な⁉ うまい仕事は全部回すし、レギュラー番組だって――」

「興味はないな」

 

 銃を突きつける。悲鳴を上げながら、頭を抱え怯えながらその場に座り込む。

 人を殺すことに対して葛藤なんてものはなかった。

 ただ目の前のこの男が、生きているのが気にくわない。それだけだった。

 引き金に指をかけゆっくりと引いていくその瞬間、人の気配を感じ取った。一人ではない。それも複数。

 銃口を向けたまま顔だけ後ろを向けると、二人の男が同じように銃口を向けている。それも自分に。

 先程無力化したのと同じように黒のスーツを身にまとい、顔を隠しているのかサングラスもかけている。それには見覚えがあった。その内の一人の男の名を嫌味を込めて言う。

 

「斎藤か。何の用だ」

「そこまでです。銃をこちらに渡してください」

「なぜ」

「これでおしまいです。あとのことは我々がすべて処理します。その男も」

「なら先に俺が処理しても問題はないだろうが」

「なりません」

「……あいつか。余計なことをしてくれる」

 

 元々機嫌が悪く、さらに斎藤達の登場でもっと悪化したのか、恩師でもあり尊敬する黒井の名を吐き捨てるかのように言う。

 

「どうしますか? 続けますか?」

 

 二回目の催促。ここでやりあうメリットはない。両手を上げ、銃のグリップから銃身を持って後ろに渡す。斎藤が銃を受け取ると、振り向いて面と向かう形になった。

 

「彼女のところに行ってあげては?」

「……」

 

 言われて駆け足で部屋を出る。心配だったのか個室の方に立って見ていたらしい。出てきたことに気づくと恭子は泣きはじめ、俺は恭子にかけよりパーカーを脱いで彼女に羽織らせたあと、優しく抱きしめた。

 

「もう大丈夫だ。心配することはない」

「ごめん、なさい……ごめんなさい! 私の、私のせいで!」

「いいんだ、いいんだよ恭子。俺が悪いんだ。だから、泣かないでくれ」

「違います、私のせいです。私が、私が……」

 

 何度も繰り返し自分を責める恭子に、慰めの言葉は意味がなかった。できたのは優しく抱きしめ、髪を撫でてやることぐらい。

 俺は最低だ。

 何がプロデューサーだ。何がアイドルを護るだ。言葉だけで、何も護れていないじゃないか。

 プロデューサーとして一番やってはいけないこと。それは、アイドルを泣かすこと。

 どんなに力を持っていても、どんなに自信があっても、結局無意味だった。自分だけを護れる力じゃ、意味がない。

 恭子を慰めながらソファーに座って少し経った。

 961プロの掃除屋は手慣れた手つきで割れたガラスや血痕、彼が起こした騒動の前の状態に直していく。いつの間にか姿が見えなかった斎藤が、黒井を連れてやってきたことに彼も気づ、初めて彼に怒りを込めた言葉を放った。

 

「なんで、邪魔をした」

「答える気はない」

「ッ!」

 

 何も感じていないかのように言う。それが余計に腹が立った。

 

「……それはどうするつもりだ。もうアイドルは無理だろう」

「アンタには関係ない」

 

 意地を張って言うが、彼の言う通りだった。

 どれだけ隠そうがこのことは広まっていくだろうし、なにより恭子はもう事務所にすら戻れないのはわかっていた。邪魔をしなくても、彼女に事務所での居場所はない。むしろ、アイドルとしていられるはずもない。穢れることこそなかったものの、ここに来ることを選択したのは恭子本人。それだけでも、彼女にとっては大きな罪で、トラウマになるだろう。

 恭子がもうアイドルとして活動できないのは、彼女自身以上に俺も辛かった。最初に担当したアイドルだ。ずっとではないが、彼女といけるところまで行きたかった。なによりも、プロデューサーとしてのプライドがあった。そのプライドも今日までだが。

 

「これの片づけは私がやっておこう。お前には無理だ」

 

 黒井は応急処置を受けているあの男を見ながら言ってきた。

 

「……俺が感謝するとでも?」

「礼が欲しい男に見えるか? 今のお前にはできないことをやってやるだけだ。それと、それは何だ?」

「アンタが来る前に問い詰めて手に入れた……リスト」

「顧客のか」

「ええ。参加している人間から薬の売買、それと……この子のような人間の名前が入ったものまで。警察が欲しがるようなやつですよ」

「それをどうするつもりだ?」

「どうするかって? アンタがやってきたように、利用するだけだ! これに載ってる人間、ここにいたあいつらの顔はしっかりと覚えている。どんな手を使っても死ぬまで利用してやる」

「……まさか、正義のヒーローにでもなったつもりか?」

「ヒーロー? 俺が? 馬鹿馬鹿しい」

 

 ヒーローなら、ヒロインを泣かせはしないし、傷つけはしないだろう。だから、俺はヒーローじゃない。子供のころから憧れてるだけの、そんな存在なのだ。

 

「もういいでしょう」

 

 彼と話すのはもう嫌だった。この空間にいるのも嫌だった。

 恭子を連れて外に停めてある車に向かう。

 その間もずっと恭子は何度も「ごめんなさい」と謝っていた。

 それを止めることは、俺にはできなかった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 彼は恭子のマンションで夜明けを迎えた。

 一緒にいてほしい。

 そう言われてずっと傍に付き添っていたのだ。彼女が眠りについたのはほんの少し前。ようやく眠ることができたのだ。寝顔だけはいいように見える。けれど、時折何かをつぶやいていた。

 眠気がない俺は、勝手に彼女の部屋にあるテレビを消音にしてつけた。朝のニュース番組を見ても、昨夜のことは何もなかった。黒井さんが根回しをしたのだろうと思った。相変わらず見事な手腕だ。

 寝ている恭子を再度見て、そっと傍を離れる。ちょうどメモ帳があったので書置きをして彼女のマンションを出る。向かうのはあの男のオフィスがあるテレビ局。車の中に放っておいたスーツを再び着込み、車を走らせる。

 比較的近い位置にあるのか、彼女のマンションからテレビ局までは左程時間はかからなかった。駐車場に車を停めてあの男のオフィスへと目指す。部屋には秘書がいるかと思ったがちょうど不在だった。誰も来ないことを確認して扉の前に立ちドアノブを回す。案の定鍵がかかっていた。スティーブに教わったピッキングを試す機会のようだ。

 もう一度周囲を確認し作業を始める。少し手間取ったがすぐに開いた。

 中に入ってあの男が言っていた金庫を探す。ここもあそこと同じように絵画の後ろに金庫を隠していた。

 教えてもらった番号通りにダイアルを回す……開いた。中には同じようなファイルがあった。中身を軽くパラパラとめくる。たぶんリストで間違いない。金庫を扉を閉じて絵画を元に戻したあと、気づかれないようにテレビ局を後にした。

 心配になってもう一度恭子のマンションを訪れた。一応呼び鈴を鳴らして、俺の姿を確認したのか扉を開けると同時に飛びついてきた。

 どうやらすごく心配、というよりも一人でいることに不安だったらしい。優しく頭を撫でながら部屋に入り、これからのことをどうすべきか考えていると、ふとテレビつけてるとあの男のニュースが流れていた。

 意外でもないが薬物所持の線で逮捕という形で処理されたらしい。

 主催者が逮捕されたことにより参加者達はビクビクと生活をすることになるだろう。警察が欲しがっているリストは俺が持っているから、そこから次に繋がるのは難しい。

 ただ俺自身これをどう使うのかは、まだわからないでいた。

 今は恭子のこれからのことを考えなければならなかった。事務所には戻れない。彼女自身、アイドルにはもう戻れないとわかっている。だけど歌だけは捨てきれない。

 ならば残された道は、歌手しかなかった。

 そして、選ぶべき選択肢は一つしかなかったのだ。

 さらに翌日。

 恭子を連れて961プロへと足を運んだ。

 久しぶりに入る社長室。黒井さんは何も言わず俺達を迎え、頭を下げながら俺は頼んだ。

 

「この子のことを、お願いします」

「――分かった」

 

 一言。それ以上のことは追及も言葉もなく、二人の間にはそれで十分だった。

 部屋を出ようとすると恭子が呼んだ。

 

「プロデューサー……」

「ここなら大丈夫だ。ちゃんと護ってくれる。心配するなって。たまには顔を見に行くよ」

 

 恭子に別れを済ませ、961プロを後にする。ふと 足を止めてビルを見上げた。

 どう思おうと、どんな言い訳をしても、彼の言葉は現実のものなった。

 一人で生きていけるほどこの世界は甘くない。

 自惚れていた。

 一人だけなら生きていける。そんな自信があった。

 たしかに生きていけるだけならそうかもしれない。でも、時には一人ではどうしようもできない時がある。

 それが今回の件だ。

 あの夜の場を切り抜けることはできたかもしれない。ではそのあとは? 俺には力がある。けどそれは一個人で出来る範囲のレベル。組織という力には到底及ばない。

 なら、どうすればいいのか。

 簡単だ。組織を勝る個人の力を身につければいい。

 今日まで多くの人間と触れ合ってきた。友と呼べる人間だってできた。なら、今以上に作ればいい。自分の利益になる者とのコネを作り、信用に足りうる友と親交を深める。時には汚い人間を使えばいいし利用するだけすればいい。

 もっとシンプルに金や脅迫といった手段を行使すればいい。そのための力は、手に入ったばかり。

 俺は一人だ。一人で十分だ。

 再び歩き出そうと一歩前に踏み出して、あることが脳裏をよぎった。

 だが、プロデューサーとして生きていくならそれでいい。

 夢はどうする? 俺の夢は、けして一人では成しえない。

 協力者が必要だ。

 金だけでは作れない、真の意味での協力者が。

 しかしすぐには無理だろう。今度こそ歩き出してその視線の先に、最近会っていなかった人物が立っていた。

 恭子が所属していた事務所でもあり、俺を雇ってくれた男。

 速水社長だ。

 

「どうしてここに」

「ニュースを見てね。私が言うのもあれだが、君が恭子君を預けられるのはここにしかないからね。だから、君が来るのを待ってた」

「まず、貴方には謝らなければいけない」

 

 常識の範囲内として事務所を勝手に休み、所属していたアイドルを勝手に移籍したこと。だが、今回ばかりはそうするしかなかった。事務所にすら顔を出したくはなかったのだ。

 

「その必要はない。むしろ、謝罪をしなければいけないのは私だろう」

 

 被っていた帽子を取りながら、速水は言った。

 

「君と恭子君の処分については通常の手順で行ったよ。彼女の口座にも振り込んでおいたが、君にもこれを渡したくてね」

 

 渡してきたのは少し厚みのある封筒。中を開けてみると1万円札が詰まっていた。枚数的には10万どころではなかった。

 

「これを受け取るわけにはいきません」

「いや。それは、正当な報酬だよ。正社員ではないが君を雇って依頼したのは、新しく活動させるアイドルのデビューだ。結果、君は短期間でそれを成し遂げた。他に所属する者達にもその力を貸してくれた。だから、受け取ってくれ」

「……社長は、これからどうするんですか?」

「実はもう、社長じゃないんだ」

「え?」

「辞任してきた。ちゃんと後継者もいたし、そこは手がかからなかった。……私にも人としての一線がある。今回のことは、頭にきていたよ。相手にも、自分にも。だから辞めた」

「これからどうするんですか?」

「さてね。定年まで働こうを思ったが、それは叶わなくなった。しばらくはゆっくり休もうと思ってるよ」

 

 帽子を再び被り今にも立ち去ろうとしている彼を見て、何かがささやいた。

 ちょうど、いるではないか。優秀で尚且つ信用に足りるような人材が。

 ささやきを受け入れる迷うが、彼なら問題だろう。そう判断し彼は言う。

 

「速水さん。もしよかったら、俺に協力しませんか」

「協力? なにに?」

「実は――」

 

 彼は話した。自分の夢を。

 最高のアイドルを見つけ、あのアイドルアルティメイトを復活させてあの伝説のアイドル日高舞を表舞台に連れ戻し、彼女に勝利する。

 そんな途方もない夢を聞いて、速水は当然の反応を示した。

 

「随分と、無茶な夢だ。いや、夢だからこそか」

「そうでしょうね」

「まず君の夢を叶えるための前提条件がどれも高すぎる。アイドルアルティメイトの復活は、できなくはないだろう。だが、アイドルと日高舞については……可能性が低い。私も彼女のライブを見た人間だ。だからこそ、彼女と同等あるいはそれ以上の存在となる者を見つけだすとなると……」

「わかっています。ですが、もしですよ。もし、日高舞以上のアイドルを見つけだせたらどうです?」

「それは――最高に楽しそうだ」

 

 自分にも負けないほどの笑みを浮かべる速水の姿を見ただけで、それが彼の答えだと感じ取った。

 

「では?」

「ああ。君に協力しよう。どうせ、暇だしね」

「ではこれは、当分の給料ということで」

「いや、それは貰えんよ」

「いいんですよ。俺が、協力者とはいえ貴方を雇うわけですから」

 

 言うと彼は盛大に笑った。

 

「あはは! 先日までとは立場が逆転だ! いやあ、雇用主にそう言われれば、断れんな」

「はい」

 

 そして――それから少しの月日が経ち。

 以前のように事務所に雇われてアイドルをプロデュースするか、テレビ局に雇われて仕事をするかの日々が続いた。

 自分の持てる力を行使して依頼された仕事を完了してきた。

 合法だが時には非合法に。

 褒められることではない。罵声を浴びせられるのも当然だ。

 だが、俺が甘かったからあの悲劇が起きたのだ。たった一人の、アイドルとしての将来を閉ざした。

 だからあの日から俺はサングラスをかけ、タバコを吸うようになった。

 サングラスは仮面、タバコはただの見かけ倒し。恭子の一件以来、素顔をできるだけ見せたくはなかったからだ。冷徹に、あるいは鬼になろうとした。演技は得意な方でない。

 でも、言われるのだ。以前より怖くなった、近寄りがたくなったと。

 それでいい。そうすれば、誰も手出しをしてこなくなる。

 アイドルを護れる。そう、思った。

 そして気づけば俺は、親しみと畏怖の意味を込めて、こう呼ばれた。

 〈プロデューサー〉と。

 

 

 

 

 

 この日のことは今にも夢で見る。現に今も見ているわけだが、一種のトラウマと言ってもいい。

 あの部屋にいる恭子の顔が鮮明に見えるのだ。それだけならまだよかった。酷い時は最悪のビジョンが見える。ベッドの上で、あの男に犯され泣いている恭子が。

 まさに悪夢だ。

 最悪の事態は回避したのに、それでも夢に出てくるということは、あの出来事は自分にとって脳に深く刻まれてしまった出来事なのだと思う。

 ただ昔に比べれば比較的悪夢を見ることは減っていた。数年ほど前から急に前触れもなく。

 逆に言えば、今はこうしていつもより鮮明に見えているということは、あの子らがいないからというのが答えか。

 いや、この話はやめよう。

 速水さんという協力者を得た俺は、年に一、二回。多くて三回ほどオーディションを開催した。〈サテライト〉という実体のない事務所を作って。

 この時から協会側にも協力者はいた。金で雇ったのもいるし、個人的に協力してくれるやつも。

 歌田もその一人ではあるが、彼女は本当にごく最近だ。夢のことを話したわけではないがアイドルアルティメイトを開催させるにあたって、日高舞を連れてくる。その報酬の見返りとして〈リン・ミンメイ〉に会わせることを許した。

 彼女には申し訳ないと思っているがすでに軽口と山崎には直接見てもらっていた。軽口にはダンスを、山崎には実際に彼女が着る衣装をデザインしてもらうために。

 話が逸れた。

 年に数回行ったオーディションはどれも不作で、それと並行して仕事場や現場先や街中を歩きながらでさえ探したが、日高舞を超える者はいなかった。

 その中で例外があるとすればシェリル・ノームと東豪寺麗華の魔王エンジェル。

 前者に関しては、彼女でもよかったと当時の俺は思っていた。だが、それをしなかったのはたぶん、甘さなのだと思う。シェリルはこの先ずっと先頭で輝き続けるアイドル。それを潰したくはなかったのだ。彼女の歌に対する想いは本物だった。アイドルになるために単身日本に訪れ、何回かきな臭い勧誘に遭ったことで事務所のオーディションにもいけず、それでも諦めたくなくて小さなバーの歌い手をして生活をしていたのだ。

 半年とはいえ、彼女を深く知ってしまったら、辞めさせるわけにはいかなった。

 魔王エンジェルは、はっきり言って見ていられなかったのだ。麗華には才能がある。自分でプロデュースし事務所も経営していくだけの力も十分に。だが彼女の性格が、デビューしたばかりの彼女達にとってスタートはよいものではなかった。態度がデカいなどという陰口は普通にあった。ようはテレビ局や業界からは嫌われていたのだ。それを知人の伝手で知った俺は、自分から麗華に売りにいったのだ、『俺を雇わないか』と。

 シェリルと同じ半年ほど彼女達に生きていく術を教え、特に麗華には多くのことを学んでもらった。その貴重な半年も時間を無駄にしたとは思わなかった。あの悲劇を繰り返すことさえなければ、それで満足していたから。

 その他に関してはこれと言って大きな出来事はない。いや、繋がりを作っていたことで得したことはあった。

 そう、〈346プロダクション〉からの仕事の依頼だ。

 時期的には2008年か2009年辺り。大手プロダクションからの依頼は別にこれがはじめてというわけではなかったし、あの346プロほどの事務所が自分に依頼をしてくるのは少し興味も惹かれた。346プロは芸能界においては古参に入る事務所で、昔は多くのモデルや女優といった売れっ子を出していたものだが、ここ最近はあまり話題のある話は聞いていなかった。予想としては大々的に活動しようとしているのは、当時のその雰囲気で察することはできた。

 実際に依頼されたのはまあ346プロと相手先のパイプ役みたいなもので、それ以外は新人の育成も頼まれたことぐらい。

 その時の俺の面倒役が今西さんだった。当時はまだ若く、今よりはもっと活発だったと思う。彼以外に深く出会いのある人物は、入社してから左程日が経っていない武内と千川ちひろだろうか。他にもいたが触れ合った人間は二人より機会があまりなかったので、印象に残っていない。

 武内は真面目で不器用な男。それに不愛想というのがいまでも変わらない第一印象。それに老け顔でそれなりシンパシーを感じてたりもする。まだ各部署をたらい回しにされていたので、教育も含めて俺が面倒を見ていた。

 ちひろはとりあえず総務部の普通の若手事務員で、周りの人間と少し年が離れているのもあってあまり馴染めていなかったのを覚えている。たまたま総務部に用があって、それが彼女と出会ったきっかけ。現在若いながらもベテランの風格を出しているが、それを教えたのも俺だ。

 あとはまだ常務にすらなっていなかった美城だろうか。俺はよく会長の娘ということでお嬢と呼んでいて、どういう訳がそれなりに交流があってなんというか、仲間以上友達未満な関係だったと思う。

 346プロにはそれほど長い期間滞在はしなかったわりには、それなりに充実したものになった。やはり伝統のある事務所だけあって歴史を感じることができた。

 たった一度の仕事ではあったがまさか再び仕事のオファーがくるとはこの時思っていなかった。今西さんからの連絡にも驚いたが、アイドル部門を設立するという話はとにかく興味を惹かれていた。なにせ俺にそれなりの立場と権限を与え、アイドルのスカウトからプロデュース方針に関して一任してくれたのだ。特にアイドルのスカウトはとても魅力的だった。スカウトという名目でオーディションは開けるし、全国各地に赴くこともできる。それは非常に都合がよかった。

 けれど、結果だけいえばアイドルとして才能や魅力を持つ子は大勢いても、日高舞を超える逸材は存在しなかったのだ。

 そして何の因果か、今西さんからの電話のあとに順一朗さんから連絡がきたのだ。『我が765プロでアイドルをプロデュースしてみないか』と。

 本当にタイミングが悪かった。先に346プロの話を聞かなければ、喜んで765プロで仕事の依頼を受けたのに。

 順一朗さんには悪いが、夢のために選ぶ道は346プロだった。それでも恩師でもあるので頼みを断ることはできず、無理を言って765プロで先に仕事をする形となった。

 いま思えば、それは間違ってはいなかったのだろう。

 俺はそこで、二人の逸材に出会ったのだから。

 ――ふと我に返る。

 感傷にひたっていたとでもいえばいいのか。過去の映像を見てから、なんというかおかしくなっていたような気がする。

 まるで当時の自分が見ていたものを、いまの自分が見ているような、ようは意識の共有あるいは憑依に近いなにか。夢の中で夢を見ている、そんな感想が出てくる。

 俺は写真が嫌いだ。もっといえば、写真に写る自分が嫌いなのだ。写真だけじゃない。いままでのように映像や何かで自分がいるのが嫌い。過去の自分が嫌いと言ってもいい。見るたびに思ってしまうから、ああすればよかったとか、なんでこうしなかったのか、そんなことばかり思ってしまうから。

 自分の夢ながら、本当にここは最悪の場所だ。

 だから声に出して言った。

 

「……もういい。もういいだろう」

 

 自分しかいない空間に、誰かに語り変えるように言う。

 気づけばスクリーンは765プロと346プロでの日々がランダムに流れている。ここからは比較的最近の話だ。わざわざ思い返して見る必要はないし、なにより早く起きなくてはいけない。

 座席から立ち上がり、この空間から出ようと周囲を見渡す。もしもここが幼い頃の劇場のままなら、後ろに出入口があるはず。

 彼はそこから移動しはじめたその時、聞こえるはずのない声が頭の中に響いた。

 

『どこへいくんだ?』

 

 後ろから声をかけられたわけではない。頭に直接声が届いたというわけのわからない現象だが、反射的に体が振り向いた。

 

『肝心なところをまだ見ていないじゃないか』

 

 自分が先ほど座っていた席に、それはいた。

 顔がうっすらと黒くて誰だか一瞬わからなかった。ただその服装や頭に響いてくる声から、若い頃の自分なのだとなぜかわかった。

 

「肝心なところ? 何を言っている?」

『まあ座れって。もう始まるから』

 

 〈自分〉がスクリーンに向けて指をさした。先ほどまで真っ黒だったスクリーンに再び映像が映し出され、〈自分〉が言う。

 

『これが、最後の分岐点さ』

「分岐点……?」

『そう。夢を叶えるための、最後の選択さ』

 

 

 

 

 

 

 2017年 9月某日

 

 今年で36を迎えた彼は、少し参っていた。諦めかけていたと言ってもいいかもしれない。

 346プロに雇われてから約3年が経ち、この頃になるとほぼ現場には出向くことはなく、大手の取引先との仕事の打ち合わせなどで出向くか、オフィスで仕事をするかの二択だった。

 それも武内をはじめとした若いプロデューサー達が立派に成長し、仕事を任せられるようになったのが大きな要因で、指導者としてはそれを喜ぶべきことでもあるのだが、その結果自分の役目はほぼ終わりつつあるのではないかとも思い始めていたからだ。

 依頼内容は新設されるアイドル部門のチーフプロデューサーとしてアイドルのスカウトおよびプロデュースと、人材の育成に部門として地盤を固めること。

 そう見てみると、自分はその依頼内容を果たしているはず。

 同時に大きな理由としては、事務所側としてはもうアイドルを新規に獲得する気はなく、同時にスカウトやオーディションを開くこともしないことを美城専務がはっきりと述べたからだ。それを告げられた時には、とくに不満はなかった。なにせ、もう半分諦めかけていたから。

 夢を成就するための『最高のアイドル』を見つけるのに、ここはもっとも最適な場所ではあった。しかし残念なことに普通のアイドルとして輝く者ばかりで、日高舞を超えるような逸材は存在しなかったのだ。

 346プロにいながらも、協力者である速水と共にオーディションを開いていたがそれも不作。もっとも懸念していた時間の制限が刻一刻と迫っている中、特に日高舞の年齢も30を超えているということもあって、彼はある決断をした。

 あと一回オーディションを開いて、見つからなかったら夢を諦めよう。そう俺は決心した。同時に諦めたらどうするかも考えてしまう。346プロは、まず辞めようとすぐに思い浮かぶ。18年以上も仕事と夢のことばかり考えていたんだ、ここで少しゆっくりと今後のことを考えるために休んでもいいのではないか。あるいは……そう、貴音と美希と一緒にどこへ行こう。三人だけで、のんびりと何処かの旅館にでも泊って、美味しいご飯食べにでも。ならばいっそ、一緒に暮らしていいとさえ思い始めている。

 思案するたびに、どんどん弱気な逃げの考えになることに気づき、顔を横に振りながら考えるのを止めた。

 肝心の最後のオーディションは生憎速水さんは私用で来られず、毎度のようにアルバイトして雇っていた彼の孫娘である未沙と二人で行うこととなった。

 事前に送られてきた履歴書はどれもぱっとしない子ばかり。他の人間が見れば、容姿は整っているしスタイルもいいと好印象を受けるのだろうが、毎度のこと過ぎて事前の評価の時点で左程期待はしていなかった。

 しかしそのためのオーディションである。直接見なければ正しい評価を下せない。

 そして当日。俺は、運命と出会った。

 無神論者である彼にとって、神なんてこれっぽちも信じてはいない。さらに言えば、運命なんて都合のいい言葉も好きではなかった。物事はすべて必然、そんな持論を持っていたから。

 それでも、今回ばかりは認めざるを得なかった。

 飯島命との出会いは、まさに神が自分に与えた運命なのだと。

 彼女の面接はたまにあるものだった。友人がオーディションに勝手に送ったから、それが理由な子は意外と少なくない。

 面接だけでは判断はできず、一曲披露してもらってそれで判断するのが決め手。彼女が選んだのシェリルの歌で、自分にとっては懐かしく聞きなれた曲。

 だが実際は、オリジナルと比べ物にならないモノだった。

 その歌声は、本当に同じ人間から出ている声なんかと疑った。今まで考えていたことが一瞬にして忘れてしまうほどの衝撃。

 それは綺麗でもあり美しくもあり、魅了される声。

 多くのアイドルや歌手と出会い、それだけの歌声を聞いてきた。それぞれ独自の声がある。

 歌は時に、多くの感情を生み出してくれる。それを喜怒哀楽というべきか。

 目の前で歌う飯島命には、それを超越したモノだ。

 まさに神が与えた歌声とでも言うのか。それとも神に愛された女だろうか。

 彼女の歌に、生まれて初めて見惚れていた。

 Aパートだけだったはずが全部聞いてしまった。

 戸惑う彼女が訊いてきた。

 

「――終わり、ですけど……」

 

 その言葉でやっと我に返る。

 未だに先程の歌声の余韻が残りながらも、たずねた。

 

「お前は、誰だ」

「えぇ……。飯島、命ですけど」

 

 彼女は当たり前の回答をしてきた。

 

 

 

 

 

 飯島命との出会いがこれからの行動を決定づけた。

 彼は速水にも彼女の歌を聴いてもらい、結果自分と同じ答えを見出した。彼女こそ、自分が追い求めていたアイドル。日高舞を超える逸材だと。

 それからの行動は早かった。

 幽霊のような存在だった〈サテライト〉の正式な活動拠点の確保やデビューするための根回し。手配だけはしていたので、速水さんには事務所の方を任せて俺は後始末を始めていた。

 それは346プロを辞めること。

 命が見つかったいま、あとは時間の勝負。同時に346プロにいる理由も最早存在しなくなったのだ。専務とは口論になることは予想していたものの、比較的スムーズに退職の準備は完了した。あとは周辺の整理と引継ぎだけ。

 避けられないことだったが武内をはじめとしたプロデューサーらには言い寄られつつも、一蹴し引継ぎを終わらせた。社員らには辞める噂が流れ始めたものの、アイドル達の耳には入らなかったのは僥倖だった。知れば面倒になるのは目に見えていたからだ。

 だから、退職する当日もかなり穏便にオフィスを出ることができた……はずだった。

 偶然。ほんの偶然、卯月と鉢合わせてしまった。隠しても仕方がないので素直に告白し、案の定彼女は取り乱して色々言ってきた。それでも他の子と比べれば比較的楽な対応だったと思う。

 ただ島村卯月には、一つ心の残りがあった。

 あの時の答えの返事をまだ聞いておらず、だからなのか俺はつい言ってしまった。

 

「結局、お前の答えを聞くことはなかったな」

 

 陰湿で最低だと思う。

 けれど今の俺には彼女もまた、夢を叶えるための障害でしかなかった。

 それからは本格的に〈サテライト〉を拠点に仕事を始めた。

 同時に本格的な飯島命のレッスンも始め、歌は誰もが文句なしの結果ではあるがダンスはまだ確認していなかったのだ。

 トレーニングルームを借りてそこで試しに見本を見せて、それから一回踊って見ろと言うと、再び信じられない光景を目にした。

 そのダンスはわざと難しいものを見せたのだが、命のそれは文句のつけようがない出来栄えだったのだ。

 本人曰く、意外とできたとのこと。

 身近な例えを言えば、美希がそれに近く、彼女の上位互換というべきものだろうか。

 神は歌ではなく、踊りの才能も与えていたらしい。

 いや、まさに“俺が望んだアイドル”そのものだった。

 自分の目に自信はあるが実際にプロにも見てもらう必要もあった。

 その適任者が軽口だった。

 彼にも夢のことと計画を伝えたうえで、軽口はそれを了承し協力してくれた。結果を言えば、彼はなにも文句を言うどころか、指導というよりアドバイザーに近い立場になった。彼としても、彼女のダンスは見ていて飽きないものであるし、多くのイメージが湧いたらしい。

 アイドルデビューするにあたって、それ以降の衣装を同じく山崎にも依頼した。彼がデザインした衣装を知り合いに作製してもらうのが流れになった。やはり彼も軽口と同じ印象を抱いたらしい。なのですぐに多くのデザインが送られてきた。

 その二人ともう一人、歌田はアイドル協会に属しており彼女には後の計画のための手伝いをしてもらうことを予定していた。三人はよく審査でも顔を合わすので仲はよく、彼女だけが最後なのはあとで文句を言われるのを覚悟していた。

 そして12月の眼玉である新人アイドルの番組でデビューさせる時がきた。

 その名は〈リン・ミンメイ〉。

 最初に命と会った際に、彼女に聞かれて出た名前。

 なんでその名なのか。

 俺にもわからないでいた。ふと、頭の中にすっと思い浮かんだのを口にだしただけなのに、妙にしっくりくる名前だったのは確かだ。

 さらに命には〈リン・ミンメイ〉になるべく、見た目も変えてもらった。セミロングである彼女の髪にエクステンションをつけてロングヘアにし、髪の色も変えさせた。

 それは俺が〈リン・ミンメイ〉の名を思い浮かべたと同時に湧いてきた彼女のイメージそのものになった。

 それから番組本番。

 ついに〈リン・ミンメイ〉が生まれた。

 歌った曲は日高舞の歌で〈ALIVE〉。

 かつて貴音がデビューする際にも歌った曲。それを意味するのは、日高舞本人へ向けたメッセージでもある。

 そして見事、彼女は圧倒的な差をつけて優勝し、その名を知らしめた。

 同時にそれは、俺の中で一つの決断を迫られていた。

 貴音と美希。

 二人との決別を、俺はしなくてはいけなかった。

 

 

 

 

 〈リン・ミンメイ〉の誕生から数時間後。

 彼は自宅へ帰宅し、リビングでただ座って待っていた。

 家についたのはほんの数十分前。それなのに、もう何時間も待っているような感覚を味わっていた。

 まだ迷っていた。

 あの二人に言えるのだろうかと。

 だが言わなくては。

 もう計画は始まってしまった。止まることはない。止めることもない。

 なら突き進むだけだ。

 そのために、二人は邪魔になる。

 〈リン・ミンメイ〉の、そして自分にとっての。

 ガチャリと玄関が開いた。二人はいつものようにこちらに向かってくる。

 もう考える時間はない。

 俺は二人がただいまと言ってくるが、それを無視して告げた。

 

「いますぐこの部屋から出て行け」

「……え?」

「あなた様、いま、なんと仰ったのですか?」

「聞こえなかったかのか。いますぐこの部屋から出て行けといったんだ。金輪際ここには来るな。それと、お前達に渡していたスペアキーも返せ」

 

 

 当然のように事はうまく運ばなかった。

 無理やりキーを奪い取り、出ていけと言っても聞かない二人とかつてないほどの口論を繰り広げた。

 そして、

 

「わたくしたちが邪魔なのですか!? どうしてそんなことを仰るのか理由をお教えください!」

「そうなの! これじゃ、納得できないよ! ミキたちが何か悪いことをしたらちゃんと謝るから!」

 

 そうだ。

 お前達は邪魔なんだ。ミンメイの、俺の夢を叶えるための障害でしかない。

 そうだ。

 お前達は悪くない。悪いのは俺だ。お前達は俺の弱さで甘さだ。だから、謝る必要なんてどこにもない。

 爪が食い込むほど自然と手を握り締めていてた。

 暖房はつけておらず部屋はたしかに寒い。けれど、それ以上に体が震えていた。

 そんな状態でもなお、俺は決別の言葉を告げた。

 

「ああ、そうだよ! お前らは邪魔なんだよ! 目障りだ、お前らは必要ないんだよ! だから……出ていけ!」

 

 後のことは、うっすらとしか覚えていない。

 貴音と美希を強引に部屋から追い出した後、未だに寒さで震える体をなんとかすべく、ウイスキーを瓶のまま吞んで、気持ち悪くなって台所で吐いて、あらかじめ用意していた着替えなどが入ったバッグを持って事務所に向かったあと眠りついた。

 翌日の朝は、頭痛が酷かったがそれ以外は普通だった。

 貴音と美希のことも忘れているぐらいに。

 そう。それからの俺は、いつも通りだった。

 四条貴音が活動休止するというニュースを聞くまでは。

 

 

 

 

 

 貴音が活動休止したということを、動揺あるいは困惑したという言葉に当てはめるならその通りだった。それを事務所で聞いた彼は、一瞬すべての思考が停止した。意識が戻ると、仕事のことより貴音のことばかり考え始めた。

 体調不良でしばらく活動を休止しますというのが事務所側の発表。

 原因は間違いなく俺だ。

 どうして。なんで。あいつはそんなに弱い女ではないのに。違う。あの子も本当はか弱い女の子だ。知っているだろうに。

 頭の中でぐるぐると思考が錯乱し、気づけば手がスマホを掴んでいた。

 電話をかけて、ごめんと謝ればすぐにあの子は元気になる。

 そんなことを一瞬考えた。

 結局のところ、俺の決意はいとも簡単に一人の女によって決壊するというのが己の正体なのだ。

 ただそれに加えて、さらに不機嫌になる要素がいる。

 飯島命だ。

 ミンメイというよりは命にはかなりイラつかされていた。彼女は人のことを見ればどんなことでもわかるらしい。考えていることとか特に。現にオーディションではそれを目の当たりにした。

 だから、いまもこうして俺のことを見て何かに感づいているのだろう。

 現にからかうように言ってきた。

 

「あれー? 相棒、どうかしたの? 顔色悪いよ?」

 

 普通な言い方なのに、なぜかイラつく。

 俺の素性を知っている速水は複雑な心境を感じ取って何も言ってはこないので助かってはいるが、対して命がこの始末。なんとか苛立ちを隠し、平静を装うのが精一杯だ。

 

「だまれ。次の仕事にいくぞ」

「あー! 待ってよ!」

 

 命に苛立つ理由は数あれど、俺には彼女が必要だ。

 苛立っているのも、自分が犯した罪をわかっているからだ。

 つまり、罪悪感を感じているから余計に自分に対して腹が立っている。だから、その矛先が命に向けられているのだ。

 自分は悪くない。悪いのは煽ってくるこいつなのだと。

 ただそういった感情を抜きにしても、飯島命あるいはミンメイを俺は道具として扱っていることに何の罪悪感も抵抗もない。

 それは彼女も了承済み。ただ必要な仕事を与え、彼女はそれをこなす。

 俺にはそれがとても楽で、たぶんそれこそがシェリルや貴音に求めることができなかったこと。言い換えれば、それを二人にはできないというのが俺の弱さなのが露呈していることを表している。

 なによりも彼女は俺のすべてを見透かしている、理解しているからこそ遠慮なく道具として扱っているのかもしれない。だからこそ、飯島命は俺にとって非常に都合のいい存在だったのだ。

 そんな彼女には始めから苛立ちと同時に理解できない部分もあった。

 あの子は彼のことを『相棒』と呼ぶ。理由をたずねた際に言ったのが、『私達は共犯者。だから、相棒』と呼ぶのだと。

 

 

 

 

 それから一週間経ったぐらいだろうか。

 未だに貴音のことが頭の隅でちらついている中、普段のように仕事に没頭していると電話がなった。それもプライベートの方で。

 相手は美希で、すぐに切った。

 だがすぐに再びかかってきたのでまた切るが再度着信がくる。

 仕方がなく三度目のコールで電話に出た。

 

「なんだ」

 

 いつも彼女から電話がかかってくる時と同じ対応だが、声は違っていた。はっきりと怒りを露わにしている。

 それでも美希は気にしない素振りで言ってきた。

 

『ちょっと、今から会ってほしいの』

 

 美希は続けて言う。

 

『どうせ時間なんて作れるでしょ? いまからいつもの公園で待ってるの、じゃあね』

 

 電話は切れ、俺はイラついていた。その理由はあとでわかった。

 だがそこで命が煽ってくるのが余計に腹立たしいので、逃げるように事務所を出た。

 

 

 

 

 

 美希と別れてタバコを買って事務所に戻る最中、別れ際に言った彼女の言葉を思い出していた。

(言い忘れたけど。貴音を選ばなかったこと、後悔しないでね)

 その所為で爪が食い込んだ掌が痛む。

 先程は熱くなって冷静ではなかったので、いまはふとその言葉の意味を考えていた。

 あの言い方はまるで、何かを見返すような言い草だ。

 なぜそこは自分ではなく、貴音と言ったのか。

 その言葉の意味をこの時は理解できず、それがわかったのはそれから少し経ってからある情報が飛んできた。

 星井美希がアイドル活動を休止し、同時に四条貴音のプロデューサーとして今年一杯活動することを事務所が発表した。それを聞いて俺は安堵していた。そんな資格ないのに。

 同時に美希がプロデューサーとして活動することになんの疑いも抱かなかった。

 あの子は天才だ。だからできるし、なによりその仕事を常に傍で見てきたから、ある程度は理解している。あとは赤羽根などから指導を受ければ問題ない。

 ここで美希が言った言葉を理解した。あいつはこう言ったのだ。『ミキが貴音をプロデュースして、優勝させる』たぶん、こんな感じだと思う。だから後悔するなと言ったのだ。

 色々と考えることはあった。

 しかし結局のところはっきりしているのは、あの二人はやはり障害だということだ。

 それからアイドルアルティメイトの参加申し込みが始まり、協会にいる協力者からリストを受け取った。数にして200はかるく超えていて、いまのアイドルブームがどれほどのものかが伺える。

 リストの中には貴音ももちろんいたが、他のメンバーで俗に言うAS(オールスターズ)は参加せず、後輩たちだけが参加していた。346プロからは大勢参加しており、そこには島村卯月の名もあった。他にも有名どころではシェリルや魔王エンジェル、少し前から活動し始めた黒井さんの一人娘である詩歌の名もあった。久しぶりに開催となるアイドルアルティメイトであるが、今回はかつて以上に激戦になることが容易に想像できる。

 同じ頃。アイドル協会と日高舞の所属していた事務所が正式に彼女の現役復帰を発表し、アイドルアルティメイトの開幕セレモニーを彼女が担当することも告知した。

 犯罪者のような真似事で日高舞に直接連絡を取り、歌田をはじめとしたアイドル協会の協力者の力で見事日高舞を現役復帰させ、アイドルアルティメイトを復活させることができた。

 この時点で彼の計画の半分以上は遂行されていた。3月時点ですでに〈リン・ミンメイ〉が出したCDは完売し、常にランキング1位を独占し始めていた。

 アイドル文化といってもいい環境が現代に浸透しているのもあって、すでに世間では〈リン・ミンメイ〉という存在は大きなものとなっている。

 同時にそれはかつて日高舞が生み出した状況と酷似していて、それも狙ってのことだった。

 あとはミンメイが決勝戦まで勝ち進み、そこでもう一人のファイナリストと日高舞の二人に勝って優勝すれば、すべてが終わる。

 そして6月から予選が始まり、ミンメイは予定通り予選を通過。10月の本選も突破していま、その準決勝を迎えていた。

 

 

 

 

 映像が終わる。

 ここ最近の映像はまるで、いまの自分がそこで語っているように錯覚する。

 暗闇だった空間が少し明るくなる。上映が終わったことで照明がついたようだ。

 俺は立っていたが隣に座っていた〈自分〉はそのままの姿勢で何食わぬ顔で言う。

 

『そのファイナリストも四条貴音に決定し、リン・ミンメイも勝ち上がったことにより、ここに日高舞を加えた三人で決勝戦というわけだ』

「何が言いたいんだ」

『何って。最初からわかっていたことじゃないか。決勝戦はこの三人になると』

「……」

『ミンメイは言わずもがな。四条貴音は絶対に来ると、心のどこかで確信していたはず。だけど、“俺”はそのことを受け入れられなかった。いや、受け入れたくなかったんだよな』

「黙れ……」

『なんてったって、それを受け入れたら今まで自分が選んだ選択がすべて無駄だったと――』

「黙れぇ!!」

『おいおい。怒鳴ることないだろ、“俺”」

 

 座ったまま足を組み両手を広げながら言う自分の姿が余計に怒りを助長させた。

 

『“俺”が怒りを抱くのはわかる。なんてったって“俺”は、はじまりで“俺”は数多くの選択した結果だ。いい変えれば“俺”は穢れていないということでもある。だから、そんな“俺”に自己嫌悪しているんだな』

「だったら、俺が選んだ選択が全部間違いだっていうのか! じゃあどうしたらいい⁉ あの時、黒井さんのところにずっといればよかったのか⁉ それとも、346プロでずっと働いていればよかったのか⁉」

『いいや。“俺”の選択肢は間違っていないぞ。むしろ正しいと言えるな。だからこそ、いまこうしていられるんだ』

「何が言いたいんだ」

『言い換えれば、運命を自分のモノにした。飯島命。彼女がいなければここまでくることはなかった。だから、今日まで“俺”がしてきたことは間違いじゃない。常に正しい選択をしてきた」

「だから?」

『だからこそ“俺”は聞きたい。お前(・・)にとって、あの子はなんだ?』 

 

 〈自分〉スクリーンの方へ向く。釣られて同じように視線を向けると、そこには彼女がいた。

 

『あなた様』

 

 貴音だ。

 彼女が俺の名を呼んでいる。何度も俺を呼んでいる。時には笑顔で。時には悲しそうに。時には

 怒りながら。

 もう久しく見聞きしていない貴音の顔や声が、なんだかとても懐かしく思えた。

 

『さっき、運命を自分のモノにしたと言ったけど、あれは嘘。それは飯島命じゃなくて、四条貴音のことなんだよ』

「貴音が?」

『四条貴音という存在が“俺”のこれからの運命を決定づけるんだ。そしてそれは彼女も』

 

 映像が変わる。

 

『ハニー!』

 

 美希だ。

 抱き着こうとこちらに走ってくる。最後に会ったあのとき以来、彼女のこんな笑顔を見ていない。それは貴音も同様だった。

 

『二人の出会いが“俺”を導いてくれた。二人がいたから“俺”はありのままの“俺”でいることができた。二人は“俺”にとって、かけがえのない存在なんだ」

「じゃあ、どうすればよかったんだよ。命ではなく、貴音と美希を使えばよかったって言うのかよ!」

『その選択もあった。でもさっきも言ったように、“俺”が取ってきた選択は常に正しいんだ」

「もう訳が、わかんねぇよ」

『“俺”がしてきたことは、間違いじゃない。それだけさ。だから、悔やんだり悩む必要はない。だからその上でもう一度聞きたい。四条貴音は、星井美希はお前(・・)にとってなんだ?』

 

 回答が一つ増えた。

 答えなければ何度も〈自分〉が聞いてきそうだ。ここは夢の中で、誰にも聞かれることない場所。聞かれてもそれは、目の前の〈自分〉ぐらいだ。だから言ってやった。

 

「大切な、存在だ。貴音と美希の前なら、自分でいられた。自分を偽る必要もなかった。いつしか気づいたら好きになってた。愛しているんだ、二人を。だけど、夢のためにそれを殺してきた。気づかないふりをして、何度も誤魔化してきた。二人と決別したとき、辛かった。苦しかったんだ。今すぐ謝りたかった。けど、俺は夢を選んだ。なあ、教えてくれよ。この選択も、お前は正しいって言うのかよ……!」

『そうだ。正しい選択だ』

 

 〈自分〉は真摯に答えた。

 

『それが“俺”の真に願う想いであり、本当の姿だ。それが聞きたかった』

「お前は俺だろうが。わかるだろう」

『言ったろ。“俺”ははじまりだって。……今日まで“俺”は正しい選択をしてきた。けど、これからはわからない。常にそれが正しい選択なのかはね。でも、これだけは言える』

「なんだよ」

『“俺”の夢は叶う』

「それって……」

 

 すると世界が明るくなってきて、〈自分〉が名残惜しそうに言った。

 

『またな』

 

 

 

 

 

 意識が戻るのがわかる。なんだか長い夢を見せられていた気分だ。

 同時に目の前に人の気配を感じた。

 重い瞼を開けようとする。しかしどういうわけか、俺はおかしいことに気づく。

 泣いているのだ。

 いや、涙がこぼれそうでそれを手で拭く。

 ゆっくりと目の前にいる人間を認識する。

 〈リン・ミンメイ〉、飯島命だ。

 

「――最悪だ」

 

 寝ているところは何度も見られているが、今回だけは見られたくない。なぜか、そんな風に思ってしまった。

 

「ちょっと、起きていきなりそれはないんじゃない⁉」

「うるさい。で、勝ったんだろうな」

「勝ちましたー。あとシェリルから伝言」

「なんだ」

「あとで一発殴らせろだって」

 

 あいつらしい。ふと彼女と過ごし日々を思い出しそうになる。

 

「それは無理だろうな」

「まあね。……相棒」

「なんだ――」

 

 立ち上がろうとした時、彼女がいきなり抱き着いてきた。

 

「おい、離れろ」

「――大丈夫だよ」

 

 その声は命ではなかった。まして、普段の〈リン・ミンメイ〉とも違ったような気だした。

 それなのに、その声にはどこか安心感を覚えた。身を委ねたくなるような、そんな暖かい声。

 

「相棒の夢は、私が叶えてあげる」

 

 だかこそなのだろうか。相棒と呼ぶのは命で容姿はミンメイだというのに、あの時と同じことを言ってしまったのは。

 

「お前は、誰だ?」

 

 そっと彼女は離れて、笑顔で言う。

 

「私はリン・ミンメイ。あなたが望んだアイドル(偶像)」

 

 俺は命に好きなようにやれと言った。

 彼女のやることが〈リン・ミンメイ〉そのものになるのだと。

 けど、それは違っていた。

 彼女そのものが、〈リン・ミンメイ〉だった。まさに今の彼女が、俺の望んだ偶像。

 だがそれを知るのは俺だけで、世間が見ている彼女とはまた違ったものだろう。

 彼は苦笑し、椅子から立ち上がり外へ向かった。

 

「相棒?」

「着替え終わったら呼べ。外で待ってる」

 

 扉を閉め、壁に寄り掛かる。

 ここまで来たら、これと言って何も考えが湧かなかった。

 ただあと少しで終わる。それだけ。

 近くで人の気配を感じる。そちらに顔を向けると、久しぶりに見る男が、そこに立ち止まっていた。

 

「……先輩」

「赤羽根か」

 

 

 

 

 

 鏡の前に座る命に彼は仕上げの作業に入っていた。今までもすべてのメイクは彼が一人で行っており、そしてこれが最後のメイクアップでもあった。

 目をつむりながら、命は知っているような素振り言ってきた。

 

「外で待っている間、何かあった?」

「ああ」

 

 彼は誤魔化さなかった。命にはなんでもわかる。だから、誤魔化したところで無駄なのはもうわかっているからだ。

 

「お前も知ってるだろうが、765プロにいたときに教えていたやつで、そいつと会った」

「じゃあプロデューサーなんだ」

「そうだ」

「可愛がってたんでしょ」

「真っすぐで、真面目で、若くて元気なやつだよ。俺とは大違い」

「相棒には勿体ない可愛い後輩なわけだ」

「その通りかもな。俺なんかよりもずっと、いい人間だ」

「でも、そんな後輩君になにか言われたんでしょ?」

「た……アイドルを泣かせてまで、貴方は何をやってるんだって、言われたよ」

「その通りじゃん。ま、それは私もだけどさ。それで? 相棒はなんて言い返したの? あ、やっぱ言わなくていいや。なんとなく、わかった」

「なら、聞くな」

 

 本当に癇に障る女だ。

 だがそれも、今日で終わりだと思うと少し名残惜しいと思うのは、彼女と会話することをどこかで求めていたなのだろうか。

 

「ところでさ。相棒は全部が終わったら、どうするの?」

「いまは、これといって考えてないな。そういうお前はどうするんだ? 一応印税が入ってるし、給料もそれなりの額だ。しばらくは働かなくても暮らしていけるだろ」

「たしかにね。でも、やっぱり休息かな。ゆっくりと休みたい」

「休息か。それもいいかもな。……終わったぞ」

「うん。ありがとう」

「これで、俺の仕事は終わりだ。あとは、お前の番」

 

 そう。もう自分にできることはないのだ。

 あとは彼女が優勝すれば、それで全部が終わる。

 

「任せなさいって。ねえ」

「ん?」

「もしもね、相棒が望むなら……続けてもいいよ」

「なにを?」

「〈リン・ミンメイ〉を」

 

 その台詞を、命が言うとは思っていなかった。

 彼女にとって、〈飯島命〉としての生活はほとんどないに等しく、本来の自分でいられたのも事務所や自宅、彼と二人きりという限られた状況。別の名を与えられ、別人を演じろと言われて早一年。普通なら嫌になってもおかしくはないのに、彼女は常にミンメイであり続けた。それもあと少しで終わり、もう本来の生活に戻れるのに、彼女はそれを続けるという。

 変わり者だと自分で言っていたが、これはそれ以上だ。

 

「日本はもうだめだから、ハリウッドでデビューでもする? そしたらきっと、一躍大スターかもよ」

「……もしかして、俺を気遣ってるのか?」

 

 一転、笑顔で振るまっていた彼女の顔からそれが消えた。

 

「それもあるかな。でも、本当は……これも悪くないかなって。別に飯島命でなくたって、私は私だしさ。それに」

「?」

「相棒を一人にしたら、何処かに行っちゃいそうだしね」

 

 それは遠回しに言っているのだということは、彼にもわかっていた。彼女なりに言葉を選んだのだ、本当は死ぬつもりなんでしょと。実際、その考えはあった。死ぬかはともかく、消えるつもりだった。かつて父に約束したことを果たすために、いまの仕事や生活を捨てて実家に帰ろうとも思った。けど、日本にはいたくないなんて思い始め、旅に出ようと考えていたから。

 ここは、多くの人間が俺を縛っている。

 だから何ものにも縛られない場所へ行こうと。たとえ、あの二人を置いていくことに後悔しても。

 

「……だったら負けるか? そうすれば、俺はもう一度同じことをするぞ?」

「まさか。負ける気はないし、それに相棒はそんな気はないでしょ」

「ああ」

 

 本当に見透かされている。だからこれ以上、何も言うことはできなかった。

 それに、時間だ。

 

「そろそろだな。行こう」

「ええ。最後くらい、ちゃんと見てくれるんでしょ?」

 

 彼はうなずいて、部屋の扉を開けた。

 

「見届けるさ。最高の瞬間を」

「うん。きっと、ステキな光景が待ってるよ」

 

 二人で並んで部屋を出て、最後の舞台まで一緒に歩く。この一年、毎日のように彼女の隣を歩いてきた。しかしこれも最後。いつもと変わらないはずなのに、今日だけは違っていた。

 彼女は俺のことを『相棒』と呼ぶ。共犯者だから、互いに必要な存在だからだと言う。今まではそれを呼ばれるたびに、あまりいい気分ではなかった。

 それはなぜか。

 自分にとって『相棒(パートナー)』と呼べる人間がすでにいたから。本当の意味でのパートナーが。それを無意識の内にわかっていて、でも実際はそれを認めたくないから、彼女の呼び方に嫌悪していた。

 だけど、俺と彼女は共犯者だ。一心同体ともいえる。俺がいなければ、彼女は存在しなかった。彼女がいなければ、俺の夢は終わっていた。

 ならば最後くらいは認めよう。お前は俺の相棒だ。紛れもなく、俺の夢を叶えるための最高のパートナーだ。けれど、それを口に出すのは嫌だ。別の言葉で、いままでの感謝の言葉を込めて伝えよう。

 最後らしく、お前のプロデューサーとして。

 

「頼んだぞ、ミンメイ」

「ええ。任して、相棒」

 

 最後の最後で意見が合致したのか互いに顔を合わせ、彼女が笑みを浮かべたのがわかると、彼も小さく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き(ちょっと遊んだ)

【音無小鳥(1×歳)】 

 なんだかんだで初恋の男性からは誕生日プレゼントをもらっていた。一応一番身近な女ではあった。しかし、女としては見てもらえなかった模様

【黒井詩花】 

 ステラステージの発売した年である2017年から逆算して、作中では18歳。つまりは、そういうことなのだ。

 控えめに言って好きなキャラクター

【黒井の嫁】

 公式な設定ないけど(たぶん)、うちじゃこんな感じ。あの黒ちゃんが結婚する相手なんだから相当すごい人なんだろうなって

【元カノ】 

 なんだかで、主人公の本質を見抜いていた。という設定

【スティーブ】

 悪友とかいて親友のハゲ

【アンバー】

 ハリウッド女優にして、主人公のことをとても可愛がっており、抱き心地がいいのかよくハグさせていた

 一応元になった実在の人物の名前をモチーフにしていてる。イメージモデルはギアスのCCかDTBのアンバー。

【千鳥恭子】

 彼が初めて担当したアイドル。将来的にはAランクアイドルとして活躍できるほどの才能はあったものの、それを潰されてしまい961プロに移籍し、アーティストとして活動を再開する。

 あと名前に深い意味はないです

【とある警察官】

 本編第〇話で伝手があるといったそのどうでもいい伏線回収

【夢の中の自分】

 彼は、はじまりである。だからこそ数多くの自分を認識することできて知っている。だが同時に自分が終わりを得た時、その先を認識することはない。(要は彼は夢の始まりの存在で、どんな形であれ夢が終わった時点でその先の観測はできない)。 

【飯島命=リン・ミンメイ(神)】

 彼が望んだ存在。飯島命と出会ったことで彼女は誕生した。

 飯島命が演じて彼女になるわけではなく、彼女自身こそが〈リン・ミンメイ〉である。ただし、本当の彼女を理解(あるいは認識)しているのは彼のみで、人々が認識しているのとは別の存在である(生み出したのが彼なので、本人にしか分からない)

 人々が彼女を認識したことにより、初めて顕現し、存在を固定しはじめた。

 作中最強(作品を終わらす的な意味)であるが、唯一勝てるのは全盛期の日高舞か超覚醒した美希と別ルートの貴音のみ(貴音(本編)は愛の力でも無理だけど、カリスマだけは彼女に勝ってる。その点のみ作中最強)

【星井美希(超覚醒)】

 設定のみ。元ネタである覚醒美希のさらに上

「自らの限界を超えたその先、真の愛によって目覚めた超戦士(アイドル)」

 強さ:∞ (愛の力は無限なので) 

 解放条件:あとがきにて公開

【没ネタ】

 ・冒頭の二人目のシーン。最初は首絞めじゃなくて、刃物で刺される予定だった

 ・35話で小鳥の電話のシーンを入れる予定だったのですが、下記の理由もあって書いててうまく入れられる場所がなくて仕方なく削除

 ・これでも一部妥協した(主にシェリルと魔王エンジェルの話。あとハリウッド研修とかはたぶんあまり必要ないけど、話だけは一杯思いついてた)

【彼】

 主人公。内容は本文のとおり

 

 



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第40話 風花

 

 

 

 一人の少年がいた。

 少年には夢があった。

 彼が目指している者ならば、誰でもその夢に憧れるそんなありきたりな夢が。

 その夢はまさに純粋で、若さに満ち溢れていた。まさに、穢れのない夢。

 しかしそれも、一人の女によって変わってしまった。

 女は一つの時代を作り、同時に一つの時代を終わらせた。

 少年の周りも例外ではなかった。

 結束とは言い難くも、一つの夢に共に向かっていた者達は散り散りなり、その関係は壊れた。

 同時に少年の夢も、穢れてしまった。

 少年はその女に怒りを抱き、純粋だった夢は気づかぬまま憎悪に変化してしまう。

 夢という目標が怒りを、憎悪を癒す手段になってしまった。

 それでも、少年にとっては夢だった。

 大人になったいまでも、誰もが抱く夢そのものだった。

 諦めるという選択肢はなかった。

 けれど、何度もこの道を選んだことに恐れや不安があった。

 今日まで多くの選択肢があって、選んだ結果のいまに後悔がなかった訳ではなかった。

 はっきりと正しかったと言える自信はなかった。

 だが、いまは正しかったのだと彼は言う。

 自分は常に正しい選択をしてきたのだと。

 そして19年という長い年月を経ていま。

 夢の成就は目前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 第40話 風花

 

 

 

 

 

 アイドルアルティメイト会場

 

 運営が用意したとある観客席には、大勢の記者団がずらりと座っていた。位置的にはステージから遠いため、仕事道具でもあるカメラでステージを見る者もいれば、シャッターを押している者もいる。そんな一団に同じ記者である善澤もいた。

 主にアイドルを題材に記事を書く彼にとって、〈アイドルアルティメイト〉は外せない今最も熱いネタであるのは当然で、それは周りの記者たちも同様だということは重々承知している。

 軽く見渡せば、自分のような年取った記者が多いように見える。意外だった。若いと言っても30代辺りのことを指すのだが、それ以上に50を過ぎたまさにおっさんと呼ばれるべき人間と、その若い世代が半々ぐらいだろうか。普通なら現場ではなくデスクの上で怒鳴り散らしているのが仕事な人間なのに、それが現場に出ている。

 彼らの気持ちはわかる。たぶん、自分と同じなのだ。

 若い子らには中々理解してもらえるとは思っていない。しかし、私と彼らに共通することがある。それは、私も彼らもかつて同じ体験をしているのだ。

 かつて日高舞が作り上げた伝説をこの目と耳、肌で目の当たりした。それから19年の時を経て、同じような体験を再びすることできる。つまりそれは、新しい伝説が生まれるということ。

 だからこうして普段からデスクの上だけで仕事をしているような者たちが、現場に出て仕事をしている。

 それは我々記者だけではなく、こうして会場に足を運んでいる観客の年齢層も高いのがわかっている。言うなれば、日高世代というべき彼女のファンがまだ大勢いるということだ。まあ彼らからすればもう二度と見ることも聴くこともないだろうと思っていたアイドルが復活となれば、こうなるなと気持ちも共感できていた。

 善澤はこの状況を直に感じて改めて思う。これをすべて彼が行ったなどとは、未だに信じられない。なによりも〈リン・ミンメイ〉は本当に存在しているのかとさえ。

 しかし現に彼女は存在している。先ほどもシェリル・ノームとライブし、勝った。これにより決勝戦は日高舞、〈リン・ミンメイ〉、四条貴音の三人に決定した。

 分かる者には周知の事実であるが、三人の内二人を彼がプロデュースしている。四条貴音に関しては過去形にはなるが些細なことで、二人だけにはとどまらずこの大会に参加している多くのアイドルに彼が何からしらで関わっていると思うと、彼の凄さが分かる。

 彼のことは昔から知っている一人だから言えるのだが私は、あの子はてっきり四条貴音を選ぶと思っていた。中村プロが解散し、961プロに移籍してそのあとフリーになってからも彼との交流は続いていて、その中でも順一朗達が765プロで本格的にアイドル活動をする際にプロデューサーとして過ごした日々が一番、あの子が生き生きとしていると善澤は感じていた。

 だからこそ、346プロに移籍したあともいつかは765プロに戻ってくるのではないか、そんな淡い期待もしていたりもした。

 ただ現実は違った。仲間同士で伝わってきた情報に彼が346プロを辞めて、〈リン・ミンメイ〉というアイドルをプロデュースしはじめ、さらに確定情報ではないもののアイドルアルティメイトが復活し同時に日高舞の現役復帰、それを彼が裏で手引きしたという情報が流れていた。現にそれは現実のもとなって、善澤はそれを素直に彼が行ったのだと認めた。

 順一朗達にはかなり前から話していなかったことがある。それはあの子の黒い噂だ。黒井と同等に彼に恐怖する者は大勢いて、同じくらい忌み嫌う者もたくさんいた。つまり力があるのだ。だから、あの子が裏で手を引いていたと聞いたとき、それを素直に受け入れた。

 だからといって、それが自分の彼に対する対応はなにも変わらないのは事実である。

 むしろ、この状況を作ってくれたことに感謝しているほどだ。

 どんな目的であの子がこの状況を作り出したのかはわからない。ここまでのことをしでかしたのだから、余程の執念があったに違いない。私利私欲ともいえるだろう。

 ただ結果はどうであれ、善澤はいまこの状況を楽しんでいる。仕事としてここに来てはいるものの、自分も一人のファンだ。サイリウムやかけ声をあげることはできないけれど、会場にいるファン達と同じ気持ちだ。

 これは最高の舞台だ。

 はたしてこの先にこれ以上のライブが見られるだろうか。いや、見られないだろう。自分の直感が告げている。なにより日高舞も年であるし、それは自分も同じでそろそろ潮時だ。

 ファンであると同時に私は記者だ。ゆえにペンを取る。この感動と熱気を文字におこし、大袈裟だか後世に残るような記事を書こう。

 将来このライブを知り、実際に見られなかったことを悔やむぐらいに。

 そして、〈リン・ミンメイ〉という存在がいたことを、伝えるために。

 

 

 

 

 

 都内にある小さなバーがある。そこは音無小鳥が月に数回ほどライブを披露しているところでもあり、順一朗達と黒井が和解してから彼らが一緒に時間を過ごす数少ない場所。

 バーでありながら今日はこの空間に不釣り合いなものがある。大きさにして43型の液晶テレビが置かれていて、店内にいる人間はその手に各々が頼んだ酒が入ったグラスを持って視線はテレビに向けられている。この店にとってそれは初めてのことではなく、オリンピックやワールドカップなど日本や世界中で盛り上がっているイベントには毎回テレビを出すだけではなく、普段はつまみ以外メニューにないがこのような日だけは料理を振る舞っている。

 そんな特別な日に順一朗、順二朗、そして黒井がカウンターの前に座っている。その手には他の客と同じように片手にロックグラスを持っている。

 かつては口論ばかりする三人ではあったがこの空間だけは違っていて、特に今日は彼らにとって特別な日。さらに酒が入っているのか、普段は口に出さないことまで出てしまう。

 

「あの日から、どれくらい経ったかな」

「ふん。ついに順一朗も老いたか」

「黒井も人のことは言えないだろう。昔より老けて見えるぞ」

「お前もな、順二朗」

「まあお互い、いい歳だからなあ。この場にいないあの子も、一人前になるぐらいだからね」

 

 順一朗はテレビの方へ向けて言う。まだ決勝戦は始まっておらず、司会とゲストとのフリートークが続いていた。

 

「小耳に挟んだが、色々と動いているようだな」

「耳が早い」

「自然とな」

 

 順二朗は順一朗に視線を送る。企業秘密とまではいかないが素直に話していい案件でもない。ただそれも黒井にはあまり意味のないことは二人にもわかっているのか、順一朗はうなずいて話し始めた。

 

「どこまで知ってるんだ?」

「ある場所にいち事務所が建てられるとは思えないものを建てている、とかか」

「お前には隠しても仕方がないしな。……新しいことに挑戦しようとはじめたんだ」

「新しいこと……?」

「既存の考えに囚われない、ある意味では、一つの到達点であり夢かもしれない」

「深くは聞かん。ただ、それにあいつを使うのが前提じゃないだろうな?」

「ま、まあ……それも視野には、入ってたな。な、順二朗」

「いやな? あの子にはぴったりだと思って……。ま、それは当面無理そうだがね」

 

 肩をすくめる二人に黒井は、ああ、と小さく相槌をうった。

 

「それにしても、詩花君も惜しかったねえ」

「それは嫌味か?」

 

 961プロ唯一の女性アイドルである詩花は本選で惜しくも敗退してしまったのに対し、765プロからソロ一人、ユニット3組が出場した内四条貴音が決勝戦に駒を進めたのだから、黒井の言い分は正しい。

 

「そういうわけじゃないさ。彼女だって正式にデビューしたのは去年からだろう? それで本選まで残ったのは凄いじゃないか」

「当たり前だ」

「さすが黒井の娘なだけある。知ってるか、順一朗。こいつはな、裏で色々と計画してたんだぞ!」

「ほぉ」

「順二朗、俺はお前に何かを言ったつもりはないが?」

「言わなくてもわかるさ。どうせお前のことだ。本当はあの子に詩歌君を任せるつもりでいたんだろう?」

「……知らん」

「付け足すと、ゆくゆくは事務所も継がせる気だったろ」

「あいつが言ったのか?」

「まあ、あの子とはなんだかんだ言って連絡は取りあってたからね」

 

 二人は彼がよく話題にしたのは黒井のことと自分のこと、あとは詩歌が可愛いとよく話していたのを今でも覚えいていた。そのことで順一朗はあることを思い出し黒井にたずねた。

 

「ところでその詩歌君は、あの子のことどう思ってるんだい?」

「なんだ。藪から棒に」

「ああ。それは私も気になってたな。幼い頃から好かれていたんだろ、お前以上に」

「うるさい。……まあ一時期向こうにいて、こっちに来るときは必ずと言っていいほど会ってた。連絡も個人的に取ってたらしい」

「で、本音は?」

「なにが」

「そんなの、決まってるじゃないか。なあ、順一朗?」

「その通り」

 

 同時にグラスをカウンターにトンっと置き、マスターにおかわりを頼む二人はにやついた顔で黒井の顔を見ている。先に口を出したのは順一朗だった。

 

「実際のところどうなんだ? 本当はあの子を詩花君とくっつけようとしてたんじゃないのか?」

「……あいつのような男は、他にいないからな。それに、どこぞの馬の骨に詩歌をくれるつもりはない。で、お前らはどうなんだ?」

「なんだ、気づいていたのか」

「それぐらいわかる。お前らはお前らで音無を応援していたのだろうが」

「その通りだよ」

 

 順二朗が両手を挙げた。

 

「これでもかなり小鳥君の背中を押したつもりだったんぞ? あの子がうち(765プロ)にきた一年は特に」

「その年は同時にかつてないライバルがいたがね」

「なんだ。お前らは気づいてなかったのか」

「なにをだい?」

「あいつは、音無を女として見てないぞ。本人に聞いたから間違いない」

「おぅ……」

「やっぱり、妹的な感じかい?」

「らしいな」

「近すぎるもいけないのかねえ」

「ただ、あれだな。音無が積極的だったら、違ったかもしれないがな」

「というと」

 

 順一朗が聞いた。

 

「あいつのファーストキスだけは、音無が奪ったからな」

「なんと!」

「それは本当かい⁉」

 

 音無の誕生日の日だけは余程のことがない限り休みをとってデート(建前上)しており、彼女の20歳の誕生日は成人したということもあって初めてお酒を振る舞った。案の定初めての飲酒なのでペースも分からず酔ってしまい、彼が彼女の家に送った時に酔っぱらった音無がキスをしたと、その翌日赤坂に問い詰められ本人が告白したらしい、と黒井は二人に語った。

 

「ということは、小鳥君はもちろん覚えてないと」

「悲しいかな。うん」

「その時初めて、音無を女として意識したとも言ってたな。いまではそれすら昔のことに感じる」

「となると。あの二人は相当特別な女性なんだろうな。あの子にとって」

「四条貴音と星井美希か」

「そう」

 

 彼らの半同棲生活を唯一知っていた順二朗は、最初は面白半分の気持ちでいたのだが、まさか彼が二人に対してそういう感情を抱いていたとは当時気づかないでいた。なにせ彼だからと勝手に思い込んでいたのが大きいのだろう。それとなく聞いていた順一朗も同じであった。

 

「今ならわかるかな。おの二人は女性の中では極上だ。男が求める欲求すら満たしている。けれどあの子は、それ以上に人間としての魅力に惹かれてたんだろうね」

「あの子が尻込みするぐらい、ぐいぐい迫ってたからなあ」

「どこにでもいる女とは付き合えないと、前から思ってはいたがな。現に最初に付き合った女とはなんで付き合ったかも自分でもわかっていないぐらいだった。あいつには、あれぐらいの女がちょうどいいんだ。まあ、二人なのは驚いたが」

「当時もまさか貴音君があんなに積極的な子だとは思わなかったよ」

「美希君はわかるがね」

「で。あいつは二人に手を出したのか?」

「それはないだろう」

「ないなあ」

 

 二人は一緒に答えると、だろうな、と黒井もそれを肯定した。

 

「だからこそ、あの二人が大事な存在だと言えるよ。お前は知らないが、ミンメイのプロデューサーが彼だと知ったときの貴音君といったら、見てられなかった」

 

 その時のことを順二朗は未だに覚えている。事務所で、赤羽根が苦しそうに伝えた直後、全身から力が抜けたようにその場に倒れたのを。

 

「さすがにあればかりは、私も我慢の限界だった。だが同時に思い出してしまったよ。あの子が、こうまでして果たしたいことがなんなのかを」

「私達は協会がアイドルアルティメイトの開催で気づいたんだが、お前はいつ頃から分かってたんだ?」

 

『気づく』ではなく、まるで知っていたかのように順二朗は訊いた。誰よりも身近にいたのは自分たちではなく、黒井なのは二人にも分かっていたからだ。

 

「……あの日。お前たちのもとを去って、俺に付いてきたときから、何か目的があるのは薄々とな。プロデューサーとして一人前になる、たしかにそれだけで道理がつく。俺も最初はそれで構わなかった。だが、あいつが独立したいと言い出しとき、それが見えた」

「それとは?」

「当時は分からなかったが今なら分かる。あいつは、夢を叶えようとしていた。誰もが持つ夢を」

「アイドルを見つけ、その子と一緒にトップアイドルを目指す。懐かしいな」

「そうだな」

「しかしそれも少し違うと、気づいた」

「違う? 何がだ?」

「それは日高舞が現役復帰すると知ったときだ。それで納得がいった。あいつは、俺達が果たせなかった夢も、叶えようとしているんだと」

 

 それを聞いて二人は黙った。

 彼らの夢、それは『音無小鳥をトップアイドルにする』という夢。けれど、それは叶うことはなかった。それが潰えたのは、日高舞の存在。黒井は言った。お前ならあいつに勝てる、時間はかかるがもう少しすれば、お前もあの場所に立てるんだと。

 

「俺達はバラバラになった。思いも、時間も、夢も。音無もアイドルじゃない。ならば、自分が見つけたアイドルで、トップアイドルを目指す。だがそれだけじゃだめだ。アイドルアルティメイト、そして日高舞、これらが揃ってあいつの夢が始まる」

「結局、私達があの子にそうさせてしまったのだな」

「どうだかな。結局のところ、日高舞が原因でもあるな。当時はあの女がしでかしたことは、大小なり忘れることのできない傷跡を残した」

「どちらにせよ、もう始まったことは止められんさ」

 

 順一朗の言葉に、二人もうなずいた。

 

「……今だから言うが。順一朗、お前には感謝している」

 

 いつものような言葉に棘があるような言い方ではなく、普段からは考えられないような優しい言葉で黒井は言う。

 

「突然どうした?」

「お前が、あいつを見つけて連れ来たことにだ。あいつがいなければ、こうして一緒にいることはなかっただろうし、今でも一人だったに違いない。だからこそ、あいつと過ごした日々は、悪くなかった。それだけは、感謝しているんだ」

「……それは私達も同じさ。なあ、順二朗」

「そうとも。私達では、うまくあの子を導くことはできなかった。お前だから、あの子はああして一人前になれた。だから、お互い様さ」

「そうだな」

 

 彼がいなかったら、こうして三人が揃うこともなく、他愛のない会話をしながら一緒に酒を飲むことすらなかったのだろう。もしかしたら、今より酷い関係だったのかもしれないし、今とは違うことをしていたかもしれない。あの子は、自分を育てたのは私達と言うだろう。だがあの子がいたからこそ、今の自分たちがある。誰ひとり、欠けてはいけないのだ。

 

「さて。辛気臭い雰囲気はおしまいだ」

「そろそろか」

「ああ。やっとだ」

 

 三人だけではなく、店内にいる全員がテレビに視線が向けれている。

 グラスを持って、順一朗がテレビへ向けて言った。

 

「さあ。見届けようじゃないか。私達の自慢の息子である、あの子の最後の仕事(プロデュース)を」

 

 

 

 

 

 シェリルとミンメイの勝敗を見届けた日高舞は、その時が来るのを待っていた。しかしそれも限界が近づいている。体が、本能が早くステージに立てと警笛を鳴らしている。

 現役復帰したといっても、ライブをしたのはほんの数回。アイドルアルティメイトのセレモニーを除けば、歌番組で一、二回歌った程度。

 これで満足しろというのが無理な話だ。

 私は飢えている。

 抑え込んでいた飢えがもう限界を迎えているのだ、今日は特に。

 先のライブバトルも歴史に残る一戦と言っても過言ではない、なによりシェリルとミンメイのライブはまさに見応えのあるライブ。シェリルは以前からも目をかけていた。いまのアイドルの中では、結構いい線いってるなと。もしも彼女が私の現役時代にどれほどよかっただろうか。よきライバルになってくれたかもしれない、そんな空想を抱いてしまう。

 ふと昔のことを思い出したのか、名前を忘れてしまったあの子のことを思い出す。

 その子を知ったのは、たぶん偶然だったはず。

 アイドルデビューする前はただ歌が好きなだけで、アイドルとかそういうのには無知で興味がなかった。そんな自分を彼が見つけ、アイドルとしてデビューするようになって視野が広がり、歌以外のことにも興味を示すようになった。アイドル活動をしていくにつれて、他に活動しているアイドルのことを知り同時に落胆してしまう。

 たぶん天狗になっていたのだ、私は。

 自身の力についてはっきりと認識していたがゆえに、他のアイドルはこうなのかと勝手に嘆いていた。当時では当たり前だったライブバトルで両者の力量がはっきりとわかってしまう。自分だけではなく見ているファンも。

 あの時代はまさに優勝劣敗という言葉をよく表していた。アイドルランクはまさに力の象徴そのもので、アイドルアルティメイトは力を魅せる祭典でもあり力を得る近道のようなもの。そしてその言葉通り、私は頂点に立った。

 たった一年で、この世界の頂点に立ってすでに自分と肩を並べることができるアイドルがいないということに気づいて、無性に飢えるようになった。

 そんな時だ。とある歌番組に出演した際に、その子を知った。私は一番最後で、その子はその前にライブをしていた。

 私はそれに魅入っていた。

 ああ、この子だ。この子なら、私の飢えを満たしてくれる。

 言葉では言い表せない、アイドルとしての直感が示してくれた。ただライブに夢中になっていたせいで、その子の名前も所属していた事務所の名前も耳に入らず、覚えているのは緑の髪をしたロングへアで、唇の下にあるホクロがやけに印象に残った。あとで彼からその子の名前も聞くことはできたのにそれをしなかったのは、彼女に興味がなくなってしまったから。

 あの子はこの世界から消えてしまった。ふらりと、他の子と同じように。

 そのまま彼女がいない二回目のアイドルアルティメイトに出場し、史上初の二連覇を果たして、私もこの世界から去った。

 なぜ今頃あの子のことを思い出したのだろうか。年はだいたい同じだから、たぶん私と一緒で結婚でもしてれば子供がいてもおかしくはない。まあ、会える機会なんてありはしないのだから、考えても無駄。けど、もし会えたのなら話がしたい。ふとそんなことを思ってしまった。

 今日まで、普通の日常を送っていた。アイドルとしてではなく、一児の母として。けど、愛が大きくなってしまえば、子育てに時間を割かれるのは減るしゆとりができる。それはそれで悪くなかった。でも、再びあの飢えが戻ってしまったのだ。

 その中で何度か動こうと思った時がある。

 それはシェリルでもあるし四条貴音でもあり、同時に『今さら……』だとか『こんなおばさんが』なんて脳裏にちらついて、結局なにもしてこなかった。

 それでも本気で立ち上がろうとしたのだ。たとえそれが、仕組まれたことであっても。

 真偽はどうであれ、あの男はこの日高舞を理解していたのかもしれない。苛立ちはあれど怒りもなく、むしろ感謝しているといってもいい。

 最高の環境、完璧な舞台、これ以上ない状態で私は復帰することができた。

 ただまあ、直接謝礼する気はない。

 なんだかんだで、なぜかムカつくから。

 どうやってあの男に一発食らわせてやればいいか舞が悩んでいると、扉が開き彼女のプロデューサーでもあり旦那がやってきてたずねる。

 

「舞ちゃん準備できた?」

「ええ、ばっちりよ」

 

 振り向いて答えると、彼の顔はどこか嬉しそうに見えた。

 

「あなた、なんでそんなに嬉しそうなのよ?」

「そりゃあ嬉しいに決まっているよ! 舞ちゃんがまたアイドルをやって、僕がまた君のプロデューサーになれた、これほど素晴らしいことはないよ」

「そういうものかしらねえ」

「そうさ。僕はなんてたって、アイドルをやってる舞ちゃんが一番好きだからね! でも……」

「ん?」

 

 彼はなぜか体をじっと観察するように見てくる。普段から毎日見ているくせに、なによりもっと深いところまで知っているのにだ。

 

「昔よりちょっと増えたよね」

「言うに事を欠いてあんたって人は……!」

「幼さはなくなって年相応に佳麗にはなったけど、やっぱり急場しのぎのトレーニングだとこれが限界か」

「こ、これでもカラオケでのどだけは鍛えたし……」

「声に関しては、舞ちゃん別にトレーニングしなくても常に維持できてたよね。体だけ鈍ってただけで」

「あなた、自分の妻をなんだと思ってるのよ……。そりゃあ、これでもまだ若さを保ってるわよ? でも……でもね、体力だけは限界があるのよ、だって私今年で3×歳……。ああ、自分で言ってて悲しいかな」

「……それでも、楽しいんだよね。今までで一番」

「うん!」

 

 満面の笑みで舞は応える。

 

「僕もさ。でも、今夜でアイドルの日高舞は、おしまいなんだね」

「前から言ったじゃない。むしろ、このタイミングで助かってるのよ。年のこともそうだし、なにより結婚して一児の母がアイドルって、さすがに無理があるでしょ? 愛のこともあるし」

 

 二人の子供であり同じくアイドルとして活動している愛は、今回の件については特にこれといって何も言ってこなかった。罵声の一つや二つは覚悟していたのだが、意外と平然として『え、別にいいんじゃない?』と言うぐらいだった。そもそも身近な母が元アイドルだったことすら気づかなかった子なのだ、ある意味図太い神経は遺伝しているようだ。

 

「じゃあやっぱり、タレントとして芸能界に残るの?」

「愛も大きなったし、さっきも言ったけどタイミングもいい。家にいるだけなのは退屈だしね。それに、あなたと近い場所にいられるんだから」

「それは嬉しいことさ。たとえアイドルじゃなくても、僕は君のプロデューサーであり続けるよ」

「ありがと、あなた」

 

 満面の笑みを浮かべるがすぐにそれは消えた。舞としても年甲斐もなく恥ずかしかったのだろう。彼女は無言で右手を出すと、彼は微笑しながら左手で握り、二人並んで控室を出る。

 昔はこんなことすら許されなかった。

 アイドルは神聖なものとして崇められているようなもので、恋人がいるとか、男と二人並んでいるところの写真を撮られれば炎上し、結果から言えばそれを自分で壊してしまった。同時に愛する彼の辛い生活が始まってしまったことでもある。

 皮肉なのは、そのおかげか今ではアイドルの恋愛は暗黙の了解となっている。夫婦だということもあるが、こうして手をつないで歩くことも堂々とできる。

 そんな時舞台裏向かう道中、彼が訊いてきた。

 

「で。勝てそう、あの二人に」

「もちろん! って、言いたいんだけど、私にも分かんないわ。あなたはどう思ってる?」

「君と同じだよ。ミンメイに関してはもうなんて言っていいかわからないし、四条貴音はまさに今のアイドル界におけるトップアイドルかもね。彼女に関しては、舞ちゃんにはないカリスマがあると思ってるけど」

「カリスマかぁ。あの子、本当に23歳なのかしら。正直信じられないんだけど、まあそれを言ったらミンメイもだけどね。彼女ぜっったいに若いわよ! 成人したてよ!」

「そこ、大事?」

「だってぇ……若い中で、一人だけおばさんなのって、辛くない?」

「舞ちゃんはいまでも可愛いよ」

「あ、ありがとう……」

 

 夫婦になっても彼は平気で恥ずかしいセリフを言ってくるのが長所であり短所でもある。むしろ、それに耐性がない自分に問題があるのは舞も自覚はしていた。

 そのあとなぜか会話が続かず、気づけば舞台裏の出入口付近にまで来ていた。そこで一旦足をとめ、彼がそっと握っていた手を離した。名残惜しいのか思わず声が漏れそうになったが、なんとか我慢した。

 

「さ、いよいよだ」

「……ふぅ。ねえ、昔みたいに言ってくれない? いつものあれ」

 

 かつてライブをやる前にいつも彼にかけてもらっていたあの言葉。何気ない、ごく普通の台詞だけど、私にはそれが何よりの活力になる。

 彼はふぅと息を吐いて昔のように私に向けて言う。

 

「行ってらっしゃい、舞ちゃん」

「しっかり見ててよね、プロデューサー!」

 

 先に舞が歩く。ここから先はアイドルの日高舞だ、けれど再びここを出るときは、もうアイドルの日高舞じゃない。

 思わず口角があがる。

 ならば見せてやろう、その胸に刻んであげよう、あんた達が言う伝説のアイドル日高舞の、最後のライブを。

 二度と見られないライブを。そのために、私はここにいるのだから。

 

 

 

 

 

 予想通り決勝に上がってきたのは〈リン・ミンメイ〉だった。相手はあのシェリル・ノームで、これまで何度か一緒に仕事をしたことがあるのではっきりと理解している、あの人は強い。アイドルとしても、一人の人間としても強い女性なのだと。そんな彼女とライブバトルをできなかったのは、正直に言って残念だと美希は密かに胸にしまっていた。

 ミキだってアイドルで、そのアイドル同士が歌で競い合うというのは慣れるものではないけれど、意外なのか自分より格上の、強者と戦いたいというのが本音だった。身近な人間をあげればまず真っ先に浮かぶのが貴音で、歌なら千早さん、ダンスなら真くんや響といった仲間がいる。だけど、こういう場でなければ仲間という先入観が邪魔をするし、なんというか学校のテストの点を競うような感じになってしまうので意味がない。

 アイドルアルティメイト――そういう意味では、とても意義のある存在だと思う。自身の力量がどれだけ通じるのか、どちらが多くのファンを振り向かせるか、勝つために闘争心が芽生えてそのために向上心も高められたのではないか。

 とどのつまり、昔の頃のアイドル時代のが性に合っているのではと、美希は考えていた。かつてはアイドルなど『つまらない』、『簡単』、『退屈』と口には出していなかったが日々毎日のように抱いていた。その頃ならば自分はきっとその反対の思考を抱き、もっと早くにアイドルに夢中になれたのではないか。

 そう。きっとそんなミキだったらあの人も……。

(……なに考えてるの)

 気が緩んできたのかナイーブになっている。

 そんなの自業自得だ、そう自分で貴音に言ったではないかと言い聞かせる。

 この道を選択したのは誰でもない自分。貴音を決勝まで連れていくと誓ったのも自分。

 そしてその目的である決勝までやってきた。この時点でミキたちの目的はほぼ達成しているようなもので、あとは貴音自身がやるだけ。そして、プロデューサーの星井美希も今日でおしまい。

 一年ではないけど、プロデューサーとしての生活は意外と楽しかったのは本当。アイドルの目線からしか見えていなかった世界が、プロデューサーという場所に立つことでより広い視野で世界を見ることができた。

 これが、あの人が見ていた世界。

 だからだろうか。

 あの人のように、赤羽根Pが前に言っていたように、『トップアイドルを目指す』なんて夢を抱くのは、自然に抱いてしまうものなんだと。

 けれどそれは簡単な道のりじゃない。自分には元々用意されていたのだ、アイドルも、事務所も、仕事を得るための手段も、細かく上げればキリがないが全部ミキにはあった。

 これを一から始めようとするのは並大抵の努力では不可能だし、きっと無理だと思う。自分がもしゼロから始めろって言われても、できない(あの人がいれば別の話だけど)。諦めるというよりも、夢という結果を最初は追い求めていたのが、気づけばそれが過程になって、別のモノが結果にすり替わってしまうのだ。口では大きく掲げても、心の奥底では無理だと理解しているのからだ。昔でいえば日高舞の存在であり、現在ならば〈リン・ミンメイ〉という存在がそうさせる。『Sランク』なんていうゴールがあっても、人はきっと現状で満足してしまう。『トップアイドル』=『Sランク』、その前に大きな壁、勝てないと理解しているならば、いまのままでいいじゃないか。それはけして悪いことじゃない。誰も非難はしないだろう。

 けどあの人は違った。

 数多く同じ夢を抱く人間の中で、彼だけは諦めていなかった。

 長い年月をかけて、その中ですごく苦しくて辛い目にもあっても、多くの人脈を作り、資金も手にし、アイドルを見つけ、最高の舞台を作り出して、さらには元凶ともいえるアイドルを再び連れ戻した。

 並大抵のことではない、最初はそう思ってた。

 でも違うんだ。きっとあの人は誰よりも努力家で、頑張り屋さんで……誰よりもきっと純粋で臆病な人。だからミキたちを巻き込みたくなかったんだと思う。たとえ傷つけても、大勢の人から憎まれても、夢を叶えるために一生懸命な人なんだ。

 でもね、貴音は泣いてるの。ミキもそう。

 たった一言。

 その一言を言ってくれれば、ミキたちはそれでよかった。でもあなたは、臆病だからそれができなかったんだよね。本当に優しい人。だから、ミキたちは……ううん、ミキは貴音を連れてきたよ、あなたの夢の舞台に。

 ミキは行きたかった、そこに立ちたかったけど、貴音に譲ってあげたの。だって、貴音はあなたが選んだアイドルから。ミキはそれを手放してしまったから。ミキの想いも、貴音が一緒に伝えてくれる。貴音が歌にミキたちの想いを籠めて、歌ってくれる。

 だからミキはね、それだけでいいの。

 さてと。感傷にひたるのはこれでおしまい。

 控室で待っている貴音を迎えにいかなくてはいけないのだ。歩みを早める美希の前に、重い足取りで歩く男性の背中を見つけた。

 

 

 

「赤羽根P? どうしたの?」

 

 美希の声に赤羽根は振り返る。背中だけではなく、顔もどこか重い表情をしていた。何かあったのかと思ったが、問題など起きるはずはないのだ。ここにいるのは彼と小鳥の二人で、仲間のみんなはチケットが取れた子だけはこの会場の一般席にいる。会長と社長が自分たちに気をつかってくれて、だから765プロの関係者でここにいるのは先の二人だけなのだ。

 

「美希か。いや、ちょっとな」

「ふーん」

 

 じっと彼を観察する。彼がここで問題など起こすはずもないし、起きるはずもない。なのにどうしてこんな辛い顔をしているのか。

 答えは、意外と簡単だった。

 

「もしかして、あの人に会ったの?」

「わかる、のか?」

「だって、それぐらいじゃなきゃそんな顔なんてしないの。あの人に、何か言ったの?」

 

 赤羽根は肯定した。

 

「偶然、ほんのたまたまなんだ。そこがミンメイの控室で、その扉の前に先輩が立ってて、目が合ってさ、俺思わず言っちゃったんだよ」

「うん」

「あなたは、アイドルを泣かせて何をやってるんだって。貴音は泣いてるんだ、それでもここまで来て、それなのにアンタは何をしてるんだ。自分のアイドルを泣かしてまで、アンタは何がしたいんだよって」

「……」

「もっと色々思うことがたくさんあったのに、その言葉が出た」

「それで、あの人はなんて?」

「……『もう少し、なんだ。もう少しで夢が叶うんだ。だから……頼むから、最後のライブが終わるまでは、邪魔をしないでくれ』そう言われたよ、いまの俺以上に辛い顔をしながら」

「そっか、うん」

「あんな顔をする先輩を初めて見て、だからなのかなにも言い返せなかった」

「でも、どうした赤羽根Pが辛そうだったの?」

「……わからなく、なったんだ。あの人と過ごしたのは短い時間だったけど、それとなく理解しているつもりだった。それが先輩のあんな顔をみたら、あの人は一体誰なんだろうって」

 

 赤羽根がそう思うのは仕方がないと美希は同情した。自分と貴音はあの人の本当の姿を知っている。強いところも弱いところも。彼が見たのは、あの人の本心で弱いところだ。他人に弱みを見せないあの人のそういう所を見た人間は、いまの赤羽根と同じ感情を抱くだろう。

 

「やっぱり、美希と貴音は気づいていたのか?」

「確信があったわけじゃないよ。色んな人から話を聞いて、ミキたちの知らないあの人を知って、それが決め手だといえばそうかもだけど、結論としてはあの人は変わってなんかいないってこと。赤羽根Pには、ちょっと理解できないかもしれないの」

「それは、うん」

「あのね。いまだから言うけど、ミキと貴音は誰よりもあの人と一緒に同じ時間を過ごしていたの」

「あれ、それって」

「そこは想像に任せるの」

 

 口に指を当てて意地悪そうな笑みを浮かべて美希は言う。

 

「一緒にいる中でたくさんのことを知ったの、あの人の癖や仕草に嫌いなこととか好きな食べ物だとか、可愛いところだってあるし怒ったりする姿も知った。でもね、本音というか弱い部分は見せてはくれなかったの、あの日までは」

「それで、ミキは貴音のためにプロデューサーになったのか?」

「まあ……そうかな」

「それはミンメイ……先輩と戦うためか? いや、戦うって表現は変かもしれないけど」

 

 赤羽根の問いに美希は首を横に振った。

 

「じゃあなんのために?」

「秘密なの」

「本当、美希たちには秘密がいっぱいだな」

「へへ、ごめんなの。じゃあ、もう行かなきゃいけないから」

「わかった。俺も小鳥さんと応援してるから」

「ありがとうなの」

 

 歩き出した美希は赤羽根の前を通り過ぎると、何かを思い出したのか、あっ、と声を出して振り向いた。

 

「赤羽根P」

「ん?」

「あの人のこと、嫌いにならないでほしいの。ちょっと難しいかもしれないけど」

「……嫌いになんてならないよ。ま、色々と思うところはあるけどさ。それでもあの人は、俺の先輩だから」

「ありがとう」

 

 心を込めて、もう一度伝えた。

 

 

 

 

 

「貴音、入るよ」

 

 控室の扉をあけてすぐに貴音の姿が目に入る。彼女は鏡と向き合うように座っていて、すでに決勝用の衣装に着替えていたのがわかる。それは後ろから見ても、アイドルの衣装と呼ぶには少し不釣り合いなもの。

 どちらかと言えばそれは演奏会ドレスあるいはパーティードレスのようなデザイン、色は彼女のイメージカラーである臙脂色を基本色としている。何度かライブで着ている〈トワイライトエタニティ〉の上位互換とでも呼べばいいだろうか。

 数多くのアイドルが着る衣装を見てきたが、彼女のようなましてアイドルが着るには少し上品すぎるとはっきりとわかる。率直に言えばアイドルではない。

 それもそうだ。

 なにせ、このあとに立つ彼女はアイドルとしての四条貴音ではないからだ。

 

「準備できた?」

「はい。あとはこれだけです」

 

 そう言って取り出したのは化粧箱。箱をあけるとそこには美しく輝くムーンストーンが嵌められたペンダントがある。あの人が貴音の誕生日に贈り、それを知った自分にも同じく誕生日に贈ってもらったもの。

 

「ミキがつけてもいい?」

「はい。お願いします」

 

 優しく手に持ち貴音の首に着ける。鏡に目を向ける。うん、似合ってる。今からパーティーにいくには最適だろう。

 けど、これから向かうのはステージだ。舞踏会といえばあながち間違いではないかもしれない。

 膝を曲げて貴音の顔と並ぶように一緒に鏡に映る彼女を見て美希は言った。

 

「綺麗だよ、貴音」

「美希にそう言ってもらえるなら、とても名誉なことですね」

「ほんと。お姫様みたいなの」

「ふふ。そうですね」

 

 会話が続かない。いや、多くのことを語る必要がないからだ。互いに何を思い、何を考えているかなんて言わなくてもわかる。一つの目的のためにここまで一緒にやってきて、それももうすぐ終わりが近づいている、なので語ることは少ない。

 ただこれだけは、どうしても口にだしてしまう。

 

「やっと、ここまで来たね」

「はい」

 

 美希は後ろから貴音を抱きしめ、彼女も美希の手にそっと触れた。

 

「これが終わったら、いっぱい甘えて、いっぱい困らせてあげなきゃなの」

「そうですね。失った時間をたくさん埋めてもらわなくてはなりません」

「やりたいこといっぱいあったんだもん」

「できないことも多くありました」

「今年の誕生日プレゼント、ミキもらってないの」

「そういえば、わたくしもです」

「……貴音も、ミキも、がんばったよね?」

 

 ついに本音が漏れてしまう。いままで抑えていた感情がどこから押し寄せてくる。

 

「もちろんです。美希はわたくしのために尽くしてくれました。あなたがいなければ、わたくしは立ち上がることすらしなかった。だから、ありがとう、美希。あなたは、わたくしの最高の友です」

「えへへ。響が聞いたら嫉妬しちゃうね」

「響にはあとで構ってあげなくてはなりませんから」

「うん」

 

 貴音から離れて美希は涙を拭いた。貴音も椅子から立ちがあると、彼女と向き合うように立ち訊いてきた。

 

「美希。一つ、訊いてもよろしいでしょうか」

「なに?」

「あなたがあの方のことをそう呼ばなくなったのは、一つのけじめでしょうか?」

「……たぶん、そうかな」

 

 あの日以来、彼のことを『ハニー』とは呼ばなくなった。深い理由があるわけじゃないし、まあ貴音の言うように、これはたしかにケジメと言える。いまの彼はミキたちの知る彼ではない、そこまで言う訳ではないが言葉にするのは中々表現が難しい。ただ、この一連の騒動が終わるまでは『ハニー』と口に出すのはやめようと思ったのはたしかだ。

 

「最初はね、持たないかなって思ってたの。でも案外、これと一緒でうまく演じられたって思ってる」

 

 美希はかけていた伊達メガネを外しながら、どこか影のある表情をして言う。

 

「プロデューサーになるって決めた時も、まずは形から入ろうって。だからメガネをかけて、髪をしばって、スーツも着て、自分でも驚くぐらいに役にハマってた」

「ええ。赤羽根Pよりも、威風堂々とした出で立ちでしたよ」

「本人がいないからって辛辣なの。まあでも、楽しかったよ。世界が広がった感じがして、アイドル以外の道もあるんだなって」

「人には、多くの可能性があります、けして道は一つではありません。ですがわたくしは、アイドルをやっている美希が一番好きですよ」

「ありがとうなの。貴音の言うように、ミキはやっぱりアイドルがいいの。今回のことが片付いたら、ちょっと休んでアイドル復帰なの」

 

 キラキラしたい、そのためにアイドルを目指して頑張ってきた。あの人が言った言葉を信じて。

 

「はい、そうですね」

「……貴音は、どうするの?」

「どうするとは?」

「ま、あえて聞かないであげるの。けど、一日経ったらミキの番だから」

「はて、何の話でしょうか?」

「とぼけちゃって。さて、お喋りはここまでにして、いきますか」

「はい。では、エスコートをお願いできますか?」

 

 手を差し出す貴音。美希は頭を下げ、その手を取った。

 

「喜んで、お姫様」

 

 

 

 

 

 決勝戦がもう間もなく始まる舞台裏は、かつてない張り詰めた空気を漂わせている。ステージへと向かう入り口の前には、四条貴音と日高舞が並んで立っていて、その後ろにはステージスタッフが一名待機している。彼女達だけではなく、多くのスタッフや関係者、美希に舞のプロデューサーである彼も貴音と舞の背中を見守っている。その中には赤羽根や小鳥も貴音を見守るために訪れていて、すでに敗退した卯月やシェリルも足を運び、全員が三人目の主役を待っていた。

 準決勝とは違う空気に慣れない者は唾を飲み込んでは平静を装い、余裕のある者たちは平然としている。誰一人言葉を漏らさない。隣に立つ貴音と舞も互いの顔を見合わせることすらせず、その時を待っている。

 ステージではまだ司会者やゲストたちによるトークが続いており、彼らからすればまだかと言う気分だろう。彼らの焦燥は舞台裏まで伝わっているのだが、彼らよりも貴音と舞の雰囲気……オーラによってかき消されているためか、いまにも一触即発しそうな二人に震えている。

 そして主役は最後に登場と言わんばかりに、二人が舞台裏へとやってきた。ミンメイとプロデューサーの二人は並んで歩いてくる。二人の登場に貴音と舞を除く人間らの視線が向けられ、美希らも一度は目を二人に向けてはすぐに元に戻していく。

 ミンメイが一歩前へ出て、彼と向き合いワザとらしく言った。

 

「それじゃ、勝ってくる」

「当然だ」

 

 彼もまた発破をかけるように言う。二人のたった二言だけで周りがざわめく。

 プロデューサーはそのままモニターが見える壁際まで歩くと壁に背中を預けた。ミンメイは貴音と舞が立つ場所まで歩き、その気などないように告げる。

 

「遅れて申し訳ございません。私、歩くのが遅いので」

「別に。気にしてないわ」

「わたくしもです。なので、お気になさらずに」

「それはありがとうございます」

 

 近くにいたスタッフがそのやり取りを聞くと、内心すぐに逃げ出した気分に陥るがなんとか自分の仕事をこなす。司会にアイドル三名が揃ったことを伝え、ステージに立つ司会から視線が向けられるとサムズアップをして答える。

 司会の男は小さく深呼吸をして高らかに宣言する。

 

『さあ、皆様! 長らくお待たせいたしました! これより、アイドルアルティメイト決勝戦を開始いたします! それでは、アイドルの登場です!』

 

 

 

 

 

「まずは銀色の王女四条貴音!」

 

 ステージ端から貴音が登場すると大きな歓声が飛び交う。サイリウムも彼女の色で統一されている。

 

 「続いて、期待の新星リン・ミンメイ!」

 

 ミンメイの登場に先程と同等とかそれ以上の歓声が会場に響き渡る。サイリウムの色が一瞬にして切り替わり、その色は白。

 

「最後に復活した生ける伝説、日高舞!」

 

 それは歓声ではなく、雄たけびのようであった。特に声を上げているのが30代以上のファン達。いったいどこからその声量を出しているのだろうかと言わんばかり。

 ステージ中央に三人が並ぶ。左から貴音、ミンメイ、舞の順。

 

「さて、さっそくライブといきたいところなのですが、まずは順番を決めていただきたいと思いますが……」

「じゃあ、私一番で」

 

 沈黙を破ったのは舞で、残りの二人は特にこれといった反応はせず、続くようにミンメイが言う。

 

「なら、私は二番で」

「となると、貴音さんが三番手になりますが」

「わたくしはそれで構いません」

「わかりました! では、一番日高舞! 二番リン・ミンメイ! 三番四条貴音の順で進行させていただきます! では、お二人は出番来るまで後ろで待機をお願いします」

 

 貴音とミンメイが舞台裏へと戻り、残された舞がステージ中央で構える。

 

「では、アイドルアルティメイト決勝戦! 一番手日高舞さんです、どうぞ!」

 

 司会が告げ即座にその場から離れる。ステージ上の照明が落とされ、舞だけを照らしている。

 

「色々と言いたいことはたくさんある。けど、多くは語らないわ。アイドルとして最後の新曲〈RESURRECTION〉さあ、付いてきなさい!』

 

 

 

 

 

 これを含めて、日高舞のライブを生で見るのは三回目になる。それ以外はテレビ越しのライブで、一度目のライブは小鳥ちゃんが出演した歌番組の時。二度目は本大会のオープニングセレモニー。

 彼女が引退してから約19年経ったいま、改めて思い知らされる。

 この女は化け物だと。

 幼さは消え、一人前の大人として復活した彼女にはどうやらブランクなんて言葉はないらしい。アイドルアルティメイトのセレモニーでライブを披露した際も声の張りや声量は変わらないし、衰えを感じさせないまま見事セレモニーを歌い切った。ライブを行ったのはその一回のみで、あとは取材や番組出演のみ、その間にトレーニングを積んだのだろうと推測はできるが、それでも彼女は規格外だとわかる。唯一衰えていると分かったのは、少し動きが鈍いということで、体力だけは落ちたらしい。プロのスポーツ選手ですら何もしなければ体力は落ち、能力も下がるのは明白だが彼女の場合は体力だけで済んでいる。というもよりも、そこだけは人間らしく衰えている。

 曲名もそのまま『復活』ときている。それはこれからも、表舞台で活動していくという表明でもあると、彼は思った。

 言えた義理ではないが、日高舞を連れ戻したのは自分だ。そんな彼女がアイドルとして復活して、今後も活動できるかと言えば無理だ。隠れて交際しているアイドルはいても、結婚してまでアイドル活動をしている子なんていない。まして一児の母で、その子供もアイドルなのだ。きっとこのあとはタレントとして活動をしていくのだろう。そのあとは、別段興味もない。

 俺にとって、興味があるのはアイドルの日高舞。それだけなのだ。

 彼女からすれば、この感情は自分の一方的なものでしかない。勝手に怒り、身勝手な憎悪を抱いた。本当にいい迷惑だろう。

 だが……だけど、それを抑えることはできなかった。大人になったいまでさえも、青年だったころの自分の感情をコントロールできなかった甘さがいまでも続いてしまっている。

 そう。これは一方的で、身勝手なのだ。

 アンタがいなければ、俺達はずっと一緒にいられた。

 アンタがアイドルにならなければ、小鳥ちゃんがアイドルをやめることなんてなかった。

 正しい怒りだと、俺にはその権利があると声をあげたい。俺だけじゃないだろう、アンタのせいで消えたアイドルは、人間はけして少なくない。

 日高舞は時代を作り、壊した。

 アンタにはその責任がある。いやあったのに勝手に放棄して、消えた。

 なら俺も、アンタを同じ目に遭わせてやろうと思った。アンタを超えるようなアイドルを見つけ、育てて競い合わせてやろうと。

 その所為で、俺は歪んだ。自分で自分の夢を穢した。

 自業自得、自意識過剰だと人は言うだろう。

 それでも構わない。

 アンタを負かせれば、それでよかった。

 そのための準備に19年かかったよ。子供が生まれて、大人の一歩手間になるまでの時間を。それに後悔はない。この19年は俺にとって、無駄ではなかったよ。少し前なら人生の選択を間違えた、時間の無駄だった、青春を捧げたと罵声を吐いた。

 けどな、いまはそうじゃないんだ。その19年があったから今の自分がいるんだって。多くのことを学び、多く人と出会い、友と呼べるやつもできた。運命とも呼ぶべきアイドルにも出会えた。

 そして――愛しいと思える、大切な存在もできた。

 それでもそれを捨ててここに立っている。目の前にいるアンタと戦うために。

 この日をどれだけ夢に見たか。

 これは、なんと表現したらいいのだろう。

 達成感? それとも愉悦?

 だがどうしてだろうか。こんなにも嬉しく、喜びに満ち溢れているというのに罪悪感を感じるのは、あるいは心のどこかでは本当に満足していない?

 わからない……苦しい。その何かに押しつぶされてしまう。

 頭を振ってリセットする。

 ライブは終盤に差し掛かっている。

 ステージの上で踊る彼女のダンスは激しく、目が釘付けになる。

 やはり日高舞のライブは力強い。自分が何をしたいかがハッキリと伝わってくる。これを王者の風格とでも呼べいいのだろうか。

 昔はまだ年相応の幼さに可愛らしさがあって、いまはその逆で大人の凛とした風貌、可愛さとかっこよさの両方を兼ね備えている。私情を除いても、彼女のライブは惹かれ、魅了される。この感覚は直に感じないとわからないものだ。

 多くのファンに夢や希望を届けたアンタが孤独になったのも、少しはわかる気がする。ただのアイドルならそれでよかったんだろうが、アンタは違った。より高みへ、自分を奮い立たせる強者を求めた。だから去った。自分と肩を並べるアイドルがいないから。

 だがな日高舞。

 俺は、見つけたぞ。そして連れてきた。お前を超えるアイドルを。

 今の時代を終わらせ、新しい時代を作るアイドルを。

 なによりも、俺の夢を叶えるために。それでやっと、アンタとの関係を断つことができる。

 遠くで、会場に歓声があがる。

 どうやら、日高舞のライブは終わったようだ。

 

 

 

 

 

「以上、日高舞さんでした! 舞さん! いやー、ほんと、なんて言葉にしたらいいのか」

「ふぅ……。まあ、言葉は不要ね。言葉にしなくてもわかるもんだから。あと、もうちょっとだけいいかしら?」

「ええ」

「みんなー! 私のライブ、どうだったー⁉」

『いぇええええええ!!』

 

 彼女の問いにその声で答える。

 

「ありがとーー!! さて。みんなも気づいていると思うけど、私のアイドル活動はこれでおしまい! 昔、勝手に辞めてまた帰ってきて、図々しい女だけど! これからは、新しい日高舞の応援よろしくーー!!」

 

 再びの歓声。舞は後ろに下がり、司会に呼ばれてミンメイがステージ中央に。すぐには始めず、まず一言尋ねた。

 

「僅か一年足らずでこの舞台に上がってこられましたが、いまどんなお気持ちですか?」

「特にはありません。私はただ、歌うだけですから」

「本当に新人とは思えないほど落ち着いていますね……。では、歌っていただきましょう!」

「今から歌うのは、今日出た新曲〈愛・おぼえていますか〉です」

 

 照明が暗くなり、曲がはじまる。

 遂に、伝説がはじまる。

 

 

 

 

 

 ミンメイに関して語ることは、もう多くはない。

 彼女については、ファンたちがみなそれぞれ理解していると思う。説明するのはなんとも難しいし、言葉でうまく表現できないのだ。あの子ならばどんな曲だって歌ってみせるし、ダンスだってこなしてしまう。

 言い換えれば、誰もが求めるものを体現できるということでもある。これだから言葉では信じてはもらえないと、すぐに思ってしまう要因でもある。

 しかし。モニターに映る彼女は、いまどんな気持ちで歌っているのだろう。彼女の頭の中は本当に読めない。

 いま歌っている曲は一応ラブソングの分類される。しかしその当人に恋愛経験があるのかと言えば、本当の恋はしたことがないと言う。それなのに表情はその歌詞のような表現で歌っているのだから、器用な子だ。そもそも恋をしたことがない子に、こんな素晴らしい歌詞は書けないだろう。

 いままでの曲のほとんどが飯島命自らが作詞作曲したものだ。もちろん名義は変えてある。そんな時、とある作詞作曲家の夫妻がやってきて『彼女の曲を書かせてほしい』と頼まれた。最初は断ろうかと思ったが、すでにサンプルまで作ってきたらしくそれを聞いて考えを改めた『ああ、この二人に任せれば最高の曲が出来上がるなと』。

 CD発売も今日であるものの、大方は予約分で終わってしまっていると連絡がきていた。今後二度とミンメイのCDは出ないし、アルバムという形で出すこともない。これで最後。DL版はさすがに販売停止にはしないが、CDほどの価値はないだろう。所詮はデータだ。別に円盤にプレミアを付ける気はない。ただ、〈リン・ミンメイ〉という存在を強く残したいからなのだと思う。

 〈リン・ミンメイ〉

 今まさしくあのステージにいるのは、彼女だろう。俺が望んだアイドル(偶像)。

 そこに派手さはなく、ただ小さな動きではあるが華麗なダンスを踊り、揺れる髪でさえも小さな光を放っているかのように、一つ一つの動きに無駄はなく繊細で、おそらく誰よりも聴いてきたであろう彼女の歌声はとても心地よく、耳を委ねるだけで幸せになれる。

 これが俺の求めたアイドル。

 彼女こそが、日高舞を超える存在。

 もう二度と現れることはない夢幻。

 俺には、わかる。

 今まで積み上げてきたものが崩れる音が、新しく時代が生まれる息吹が。

 かつて日高舞がしてきたこと同じ感覚。

 俺とお前が壊して、創っているんだよな。

 なあ、命。

 絶対に口にはしないけど、俺はお前に感謝しているよ。これは本当だ。口にしたらお前は何かとつけて構ってくるから、絶対に口にはしないぞ。二回も口に出さず言った。

 お前とは一年ぐらいの付き合いだっていうのに、どこかずっと傍にいるような感覚に陥る時があるんだ。いけ好かない小娘のくせして、人のことは何でもお見通しで、一言で言えばウザい奴。道具としか見ていなかったのに、それだって分かっているのにお前は何も変わらなかった。何一つ偽らず俺に接していた。俺はどこかでお前のその行動を求めていた、あるいは救われていたのかもしれない。彼は思い出す。鬱陶しいと目障りだと口にしても、彼女にはそれが自分にとって必要なことだとわかっていたのかもれしれない。

 ほんと、最後までお前のことがわからなかったよ。

 命、いまお前はどんな気持ちで歌っているんだ? 楽しいか? それとも、いつもと同じようにやるべきことをこなしているだけなのか?

 彼女だけは、本当に何を考えているのかすらわからない。けれど変わらないものがある、それはいまでも俺の夢を叶える。それだけは、たしかだと思う。

 そして――ミンメイの歌が、終わった。

 先程の日高舞以上の歓声が会場に響き渡る中、ミンメイは後ろへと下がっていく。

 最後。次で、最後だ。

 そのアイドルは四条貴音。

 自分から手放したアイドルが、彼女らと同じ夢が叶おうとしているその舞台に、貴音は立っていた。

 

 

 

 

 

 

『四条に生まれたからには、お前はいずれ民を統べることになる。そのためにお前は常に頂点に立たなければならない。わかるな、貴音』

 幼い日。お父様がわたくしを抱きかかえながら、言ったその言葉が何を意味しているのかさえわからないでいた。

 民を統べるなどと言われても、子供のわたくしには何を言っているのかはわかるはずもない。民とは親しき隣人のように思っていた。みんな、わたくしを見れば笑顔で接してくれた。みんな優しい、温かい人達。大切な家族のような存在。

 子供の頃のわたくしはそれだけで十分で、それ以上の理由はいらなかったし、必要ではなかった。

 お父様は厳しくどちらかというと、古いタイプの人間だった。でも、誰も怖いと恐ろしいとは言わなかった。わたくしもそうであり、同時に優しい父親だった。

 だから、わたくしはいつものように『はい、お父様!』当たり前のようにそう返した。

 けどそれ以上に印象に残っているのは、その後ろで見ていたお母様の表情が忘れられずにいた。

 なんで悲しい顔をしているのだろう? なんでいまにも泣きそうなの?

 口に出す前にお母様はスッと表情を変えて優しくわたくしを抱きしめた。

 昔は分からなった答えが、今ならわかるような気がする。

 きっとお母様は、わたくしに背負わせてしまうことを悲しんでいたのだ。貴族として、四条としての役目を。けれどわたくしは後悔やまして恨んでなどはいません。むしろ、感謝しているんですよ。

 だって、あの方に出会うことができたのですから。

 

「アイドルアルティメイト決勝戦! その最後を飾るのは銀色の王女四条貴音さんです! 貴音さん、どうぞ前に」

 

 司会の男が盛大な前振りを言いながら呼ぶのでゆっくりと前へ歩く。多くの視線が自分に向けられているのを貴音はたしかに感じ取っている。ステージの両端にいるゲストの、会場にいる多くのファン。数台のカメラのレンズでさえ、彼女にはその奥にいる人達のことも。

 貴音の底知れぬ雰囲気を感じ取ったのか、隣立っていた彼はすっとその場を離れる。彼女はゆっくりとマイクを口に近づけて、告げた。

 

「……わたくしはいまアイドルとしてではなく、一人の女としてこの場所に立っています。そしてこの歌を、想いをあなた様に届けます。聴いてください――〈風花〉」

 

 

 

 

 

 四条貴音には使命があった。この地に降りたのも、その使命を果たすため。頂点をとる、それは至って“しんぷる”で困難なものだった。

 地球の文化、特に故郷と呼べる日本で生活をしながらこの時代の文化を学びつつ、使命を果たさなければならないのである。虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉があるようにまずはここの生活に慣れることからはじめた。普段から爺やに婆や、他の使用人達の手を借りてやっていたことを、いまから自分一人の力で生きていけなければならないのは、最初は不安だったがすぐに適応した。これも二人の教育の賜物、心から感謝をした。

 地球の文化は故郷に比べれば、少し劣っているのは知識では知っていたが、実際にそれを目にすれば街自体が博物館のようだと錯覚さえした。どれも最初は新鮮で、外を歩くだけで楽しかった。しかしそれだけでは使命を果たせないし、なにより一つの問題が浮上した。

 それはお金である。

 当面の貯金と生活拠点はあらかじめ用意されたもので、これからは一人で自給自足の生活をしななければならないのだ。これも四条としてできなくてはならないこと。

 問題はどうするか。仕事に就くにしても、はたしてそれで使命を果たせるのか。大きな壁にぶつかったころ、それは突然舞い込んできた。

 高木順一朗。後の765プロの会長に出会ったからだ。

 “あいどる”それは娯楽の少ない故郷でも話題になっているのは知っていた。といっても、自分の知識は歌って踊るぐらいのもので、実際になにをするかはこの時はまだ知らなかった。

 スカウトされてからの数か月は、まあレッスンをしているだけの日々が続く。その中で律子はアイドルを辞めて、プロデューサーなるものを目指すと言っていた。

 たぶん、この頃は少し上の空だったかもしれない。退屈ではないがかといって充実した日々というわけでもない。心の中の不安がまだ拭いきれていないのが原因のは、誰よりも自身が自覚していた。それでも年の近い仲間ができたことは一番嬉しかった。

 そんなある日の日曜日。小鳥から事務所に来てほしいと言われてわたくしは足を運び、出会ったのです。

 そう、あなた様に――

 たった少しの会話。その中で彼は訊いた『やりたいことはあるかと』その質問に、わたくしは同じく質問で返した。いままで多くその単語を耳にしたものの、理解できなかった“とっぷアイドル”という言葉を。彼の答えを聞く中で、わたくしの心に火がついたような気がした。使命を果たすにはアイドルがもっとも近道だと思ってアイドルになった。けど、それは本当にできるのかという不安が募り始め、だがそこにこの方が現れたことで変わった。

 自慢できるほどのものでないが人を見る目はあるつもりでした。わたくしの眼は、彼からただならぬ“おーら”を感じ取った。この殿方は他の者とは違う。この人ならば、わたくしの使命を果たせるところまで導いてくれるのではないかと、何かが囁く。

 そしてわたくしは、彼の差し出した手を取ったのだ。

 よくよく思えば、お父様と爺やを除けば殿方と初めて触れ合ったことに気づいた。

 後に先にも、一人の殿方に釘付けになったのはあなた様だけなのですよ?

 それからデビューするまでは本当に大変でしたね。あなた様はとても意地悪な方でした。人の限界を把握すると、それをうまく調整してレッスンをさせるのですから。これでも体力はある方だと自負しておりましたものの、真や響を見てしまえば自分の体力など恥ずかしくてなりませんでした。

 時間が許す限り二人だけの時間を一緒に過ごしました。この頃が一番目的のために一緒に頑張っていた時期かもしれませんね。

 そして見習いでもなく、候補生でもないちゃんとしたアイドル四条貴音がデビューし、たぶんそこからでしょうか。あなた様を意識しはじめたのは。

 この頃に感じていた彼の印象としては、ただ優秀な方というのが真っ先に浮かび上がっていた。あとは不愛想で、けど時折見せる笑顔が可愛らしい方だなと。なによりも、常に一緒に時間を過ごすのが彼というのが一番の要因。

 気づけば社長から彼の住む場所を聞き出し、隣に引っ越しをしたのだから、我ながら行動が早い女だと思う。ただ当人はとても困っている様子だったのは面白かった。

 それからの日々は毎日が楽しみで仕方がなかった。朝起きてあの人の部屋にいって、朝食を作って、一緒に食べたあと仕事にいく。恋人を通り越して夫婦の関係のようで内心酔いしれていた。

 誰にも邪魔されない空間、二人だけの時間。これにまさる甘美はありません。

 その年の夏、初めて地球の海にも行きましたね。すでに名が知れ渡ってしまったお前は泳げないと、わたくしはそれに駄々をこねました。しかし諦めの悪いわたくし、夜に泳げばいいという名案を思い付き、あなた様もそれを許してくれましたね。月明かりだけが照らす海辺で、初めて一人の殿方に見せる水着。あなた様は気づいていないかもしれませんが、あの時のわたくしはとても緊張していたのです。

 この日、わたくしはあなた様に告げました。自分の使命を、そのためにアイドルになったのだと。それに応えるようにわたくしに教えてくれましたね。今思えば、この時にあなた様の本音というものを目の当たりにしたのかもしれません。

 そして、あなた様がわたくしに言ってくれた言葉は、いまでも心に刻まれています。あれほど、嬉しいと思ったことはありません。いつも大事な答えをはぐらかすあなた様が、唯一本音を晒けだしてくれた想い。

 わたくしは感じたのです。ああ、あなた様も同じ気持ちなのですね、と。それが嬉しくて、嬉しくて……けど、二人だけの時間も突然に終わってしまいました。

 それもあなた様の所為です。

 あなた様はいい男ですからね。無意識に善意を振る舞って、女性を勘違いさせてしまう罪深い人。

 でも、美希だけは全面的にあなた様が悪いのです。

 ええ怒ってないですよ。いまは。

 彼女が増えてからの日々はなんだかんだ言って、楽しかったです。それはあなた様もそう思っているはず。我儘な美希に振り回されるあなた様。それに対抗心を燃やして構ってほしいわたくし。文句を垂れながらも、わたくし達に付き合ってくれるあなた様はとても楽しそうでした。それがあなた様の素顔なのだと気づきました。

 765プロを去り、346プロに行った時も二人で色々とあの手この手を考えたものです。簡単な変装で346プロに赴いたときのあなた様の顔と言ったら、それはもう可愛くて可愛くて。写真に撮りたいと思ったほどなのですから。

 ……あなた様。美希は、あの子は、わたくしの大事な親友です、あるいは恋のライバルとも。彼女がいなければわたくしはここに立っていることすらしていないでしょう。

 むしろ、あなた様はそれを望んでいたのかもしれません。

 そんなあなた様の想いに、本当は気づいてたのかもしれません。昨年の10月辺りからあなた様の様子が変だと。元気に満ち溢れているときもあるのに、どこか苦しそうな面影。わたくしはそれを尋ねようとしたのにできませんでした。

 怖かったのです。訊けばいまの生活が壊れてしまいそうな、あなた様に迷惑をかけてしまいそうで。

 でも結局答えは変わらなかった。

 あなた様に邪魔だと言われたのは意外と心にきて、先のこともあってどんどん考えることが悪い方向に向き、そしてミンメイのプロデューサーがあなた様と知ってたとき。わたくしは生まれて初めて、自分が壊れたのを自覚しました。意外と弱い女なのですよ、わたくしは。

 目の前の現実を受け入れられず壊れたわたくしは、ただ過去の思い出に縋ることしかできませんでした。

 気力などないに等しく、このまま朽ち果てればいいと、もっと酷い状態になればあなた様が帰ってきてくれるのだと。この時のわたくしは、文字通り死んでいました。

 ですが、美希が言うのです。泣いているだけの女じゃないでしょって。美希がわたくしをここまで連れてきてくれました。あなた様が最初に美希を選ぼうとしたのも、身を以て痛感することができました。

 そんな彼女の支えがあって、わたくしはここまで来ましたよ。あなた様が夢見た場所に。

 あなた様を知る多くの人達と話をしました。あなた様の知らない過去を知り、あなた様がやろうとしていること、即ち夢を叶えようとしていることはわかっても、その核心までわかりません。なぜ〈リン・ミンメイ〉なのか。どうしてわたくし達を捨てたのか。後者に関してはきっと巻き込みたくなかったからなのでしょう。

 それでも、あなた様の口から言ってほしかったのです。

 何をとは言いません。

 ただ悔しいのです。こうまであなた様を苦しめたのはわたくし達の存在。それさえいなければもっとあなた様は気楽で苦しみを感じることなどなかったのだと。だからその苦しみを和らげてあげたかった、共に背負いたかった。結局あなた様は一人で背負ってしまった。

 本当にあなた様は優しい人なのですね。

 だからこそ、プロデューサーとは関係なくアイドルのためにどんな事でもする覚悟を持っている。共に悲しむ心があるお人なのです。

 わたくしも美希も、今までのことを怒ってないと言えば嘘になります。ですがそれ以上に、あなた様が大切です。そのためにここまで来ました。

 アイドルの頂点を決めるこの場所は、皮肉なことにわたくしの使命を果たす場所でもあります。でも、いまのわたくしには勝利などどうでもいい。

 アイドルアルティメイト決勝戦のステージ、日高舞と〈リン・ミンメイ〉が立つこの場所に立ち、あなた様にこの想いを届けることの方が勝利よりも大事。

 聞こえますか? 聴いていますか? しっかしその目でわたくしを見ておりますか?

 これが四条貴音です。アイドルでも、四条家の女でもありません。

 ここに立つは一人の女。どうしようもなく面倒な男に惚れた女がここにいるのです。

 ……わたくしを見てください。いつものように名前を呼んでください。

 あなた様のことを思うだけで胸がいっぱいになります。

 いますぐ歌など止めて、マイクを思いっきり握りしめて伝えたい。

 でもいまは止めておきます。

 この気持ちを、わたくしの想いを告げるのはあなた様と二人きりのとき。

 けど我慢できないから、言っちゃいます。

 愛しております。

 誰でもない、あなた様を心から。

 これが終わったら、あなた様に会いにゆきます。

 逃げますか? それともまた誤魔化しますか?

 それもいいでしょう。ならわたくしは何度でも追いかけます。何度でも同じ問いかけをします。

 ねぇ、あなた様。

 もう自分から逃げなくてもいいのですよ。過去の自分を言い訳に、明日という未来から目を背けなくても。

 恐いのですか? ならばわたくしは傍にいます。震える手を握り、ずっとあなた様の隣に立ち共に歩きます。

 わたくしだけでは不満ですか? それなら美希もいます。二人でも足りないなら響やみんなも連れて来ましょう。これなら恐くはないでしょう?

 だからあなた様。泣くのはやめて帰りましょう。

 わたくしたちの帰るべき場所へ。

 ね、あなた様――

 

 

 

 

 

 

 貴音。

 毎日のように呼んでいたその言葉ですら、いまでは遠い過去のように思える。いますぐに触れ合える距離にいたのに、あそこにいる彼女はとても手の届かない場所にいる気がする。

 貴音。

 ああ、なんでお前の名前を呼ぶだけこんなにも苦しいのだろう。自分で捨てたのに、手放したのに。

 ステージにいる彼女は、今まで見た中で一番逸脱している。あれは、アイドルなんかじゃない。ふとそんな言葉が出てくる。先の二人に比べれば、どう見てもアイドルには見えない。

 ならあれは誰だ?

 あれは四条貴音だ。ただの貴音だ。

 いまこの瞬間、ありとあらゆるものをすべて俺に向けて歌っている。彼女が言いたいことが歌から伝わってくる。耳を閉じて目を背けるなんてできるわけがなかった。

『どうして?』

 “何か”が語りかけてくる。それはいまも自分の隣にいるような所から声が聞こえてくる。でも、自然とそれを受け入れてるのか、当たり前のように答えた。

『無理だとわかっているからだ。俺がそうしようとしても、きっとあいつはそうさせまいと別の手段を講じてくる。なによりも、そんな事をする必要がない。わかるだろ』

『ああ、わかるとも。彼女はお前のことを理解している、だからお前がその行動をしないと本能的に感じ取っている。たとえ、お前が逃げるという選択をとっても、きっと彼女はお前を追うよ』

『だろうな』

『お前には分かるだろう。彼女は、あの場所に立っている、それが意味することは一つ』

『……その先は言わないでくれ。分かってる。分かってたんだ。でも俺は、命を、ミンメイを選んで、貴音を切り捨てたんだ』

『彼女達はそうは思ってはいない。そうならあそこにはいないぞ』

『どうすればいいんだ』

『そんなの簡単だ。聴けばいい、彼女の歌を。そして決めろ、最後の選択を』

『最後の、選択?』

『それはもう間もなくだ。それにしても』

『なんだ』

『これ程最高の光景はないだろうな』

 

 “俺”はどこかほほ笑んだように言う。

 

『ああ、そうだ』

『長かったよ、本当に。けど、それもおしまいだ』

『……』

『もう会うことはない。消える前に最後に一つだけ伝えておく』

『ああ』

『“俺”の夢は叶う』

『知ってるよ。だから、もう邪魔をしないでくれ。この一瞬ともいえる時間に、最後まで浸っていたんだ』

 

 返答はなかった。ふと横を向いた。そこには荷物が置かれているだけで、人などいなかった。

 モニターに振り返って数十秒後、貴音の歌が終わった。

 残るのは静寂。少しして、小さく拍手が聞こえてくる。それはだんだんと大きくなり、会場にいる全員が貴音に喝采が送られる。それは舞台裏であるここも例外ではなかった。

 一礼して後ろに下がる貴音。まだ拍手はやまない。

 壁から体を離し、ゆっくりと動き出す。向かうのは正面ではなく後ろ、来た道を戻り始める。彼には分かっているのだ。その答えを聞かずとも、誰が勝者なのか。

 なぜなら、もう夢は叶ったのだから。

 

 

 

 

 

 貴音のライブが終わると会場に照明が照らされる。すでに裏では集計が始まっていて、時間は左程かからない。それなのに誰も口を開かない。司会者ですら、沈黙を保っている。

 アイドル三人には全員その場で瞳を閉じ、ただ待っていた。

 そして、沈黙は破られた。

 司会の男がステージの中央に歩きながらスクリーンが下りてくる。彼のもとには一枚の紙きれ。そこに答えがある。彼は一度大きく息を吸って、告げた。

 

「では発表させていただきます! アイドルアルティメイト決勝戦! 2位四条貴音! 3位日高舞! よって優勝は、リン・ミンメイ!!」

 

 大きな歓声。会場では紙吹雪やら風船が飛び交い始める。

 用意されたテーブルの上には金色に輝くトロフィー。審査員の一人であったアイドル協会の会長が、トロフィーを手にしてミンメイに渡した。

 

「おめでとう、ミンメイさん」

「ありがとうございます」

「今日から君は〈Sランク〉アイドル。名実ともにアイドルの頂点だ」

「そうなりますね」

 

 本来なら喜ぶべき瞬間だというのに、ミンメイはそんな素振りを魅せず、まるで興味がないように言う。反応に困る会長をフォローしようとしたのか、司会の男がマイクを差し出してたずねた。

 

「ミンメイさん。今のお気持ちは?」

「そうですね。あ、マイク借ります」

 

 トロフィーを抱えながらマイクを持ち、さらに前へ出るミンメイを見て再びの静寂が訪れた。

 ようやく終わるのだ。〈リン・ミンメイ〉の最後の仕事が。

 

「皆さん、今日まで応援ありがとうございました。ですが、そんな皆さんにお伝えしなければいけないことがあります」

 

 その言葉にざわつく会場。誰かの声をマイクが拾ったのか『まさか……』小さな音でそれは聞こえた。

 

「私、〈リン・ミンメイ〉は、今日でアイドルを引退しまーす! 応援ありがとうございました! では、さようなら!」

 

 マイクを司会に投げると、ステージを走りながら舞台裏へ向かうミンメイ。静寂から一転。混乱に戸惑う声が相次ぐ。ネット配信では突然のことに、ネットの会場にはコメントが打てるため、コメント欄に視聴者の嘆きの声が一斉送信されたのか、サーバーに負荷がかかり落ちた。

 対して会場は、一人の女が笑っていた。

 

「あはははは!」

 

 日高舞だ。彼女は笑いながらミンメイのあとを追うように走り出した。

 

「やってくれるじゃない!」

 

 それに続くように貴音もステージを後にする。二人と違うのは、彼女はゆっくり歩いているということだろうか。

 どういうわけか、一瞬にして会場はお通夜状態、いや、地獄絵図と化した。これを治める力を持つ者は、果たしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 会場の廊下を走る。全力でライブを挑んだけど、一番最初だったのが幸いして体力は少し回復している。それでも30過ぎのおば……お姉さんには、これは少しキツイ。

 だがそれでも走らねばならない。走りながら昔にも同じような悲鳴ともいえる奇声を無視し、夫の言葉ですら私は止まらないのだ。

 舞台裏にはすでにあの男はいない。つまりは何処かへ移動しているということ。自分のように走っていなければ追いつけるはず。行先はわからない、舞は己の直感を信じで走る。

 次の角を右――いた!

 スーツ姿の大柄な男性。間違いない、あの男だ。

 舞は足を止めさせるために叫んだ。

 

「見つけたわよ! この野郎!」

 

 元アイドル……いや、復帰して今度は正式に卒業だから合っているか? とにかく、我ながら汚い言葉が出たことに舞も驚いていた。

 

「日高舞か。何の用だ」

 

 彼は振り向かず訊いてきた。

 

「別に。ただ、アンタに言っておきたいことがあっただけよ」

「……俺には何もない」

「アンタにはなくても、私にはあるのよ! ふぅ、まあいいわ、勝手に話すし。アンタなんでしょ? 私に電話してきて、発破をかけてきたのは」

「話がまったく分からない。人違いだろう」

「そう。なら、それでも構わないわ。やり方は気にくわないけど、アンタには感謝しているのよ、私は。あのままだったらきっと死んでた、ただの女として。でも、最後にアイドルとして最高の舞台でちゃんと終わることができた。旦那にも言ったことはないけど、19年前にアイドルを卒業したこと。そりゃあ愛のこととか、相手がいなかったこともある。本当はステージの上で、最高に競い合える相手とやりあって、終わりかった。だから、ありがとう」

「何度も言うが。礼を言われることはしていない」

「黙って聞きなさい」

 

 力強く、相手を跪けるかのように声で舞は言った。

 

「アンタは、日本で一番のプロデューサーよ。一応最高は私の旦那。きっと、アンタ以外のプロデューサーはこんな事実現できない。アイドルアルティメイトが復活することも、日高舞が復帰することもない。そしてあの子、ミンメイなんてとんでもない子を連れてくるなんてね。けど、最後はしてやられたわ。人のことは言えないけど」

 

 ミンメイがしたこと。それはかつて自分がしたことだ。アイドルアルティメイトを二連覇したその表彰式で同じことをした。

 

「ほんと悔しいわ。歯がゆいともいえる。煮え湯を飲まされたってこのことね。張り合える相手がいなくて消えて、今になって張り合える相手と出会えたと思ったら、互いに消える。ほんと、最悪」

「そうか」

「そうよ! まあ、この気持ちをあの子や他のアイドル達も味わわせたと思うと、少し最低なことをしたと思ってるわ。反省はしていないけどね」

「……」

「何か言ってみなさいよ! 勝ったんだから笑いなさい! 私に、ざまあみろって。俺の勝ちだって!」

 

 未だに振り向かず、ただ淡々と反応する彼に舞は我慢できなかった。腹が立つのだ。もうそんなことすらどうでもいいのかのように、私と話すことすら面倒だと言わんばかり。人を苛立てさせるのがこいつの特技なのかと疑いたくもなる。

 

「もういいわよ。言いたいことは全部言ったし、あ、最後に一つだけあったわ」

 

 彼の頭がピクリと反応したような気がしたが、一向に顔はこちらに振り向かない。最後までそれなら、それで構わない。どうせ、これで最後だ。もう会うことはない。

 

「よかったじゃない。アンタのアイドルが二人(・・)も、私に勝ったんだから」

「そう、だな。たしかに……あんたの言う通りだ」

 

 顔だけこちらに向けて彼は言った。それでも横半分しか見えない、けれどそれ以上に彼の表情が余計に気に障った。

 そして彼はそれだけ言うと再び歩き出した。逞しく大きな背中だというのに、それをまったく感じさせない。無気力で、いまにも自殺しそうな雰囲気すら思えてしまう、いや、自殺というのは言い過ぎか。しかし本当に実行しそうな状態に見えてしまうほどなのだ。いまの彼は。

 だがまあ、たとえそうしようとするなら勝手にすればいい。自分と彼は他人だ。私は名前とほんの少しの素性しか知らないし、彼は私のことを知っているだけに過ぎない。私達の関係といえばいいのか、あるいは縁、繋がりは途絶えたのだ。

 アイツのことを考えることもないし、思い出すこともない。

 それでも、最後までムカつく奴だ。

 

「だったら……泣いてんじゃないわよ」

 

 最後と言わんばかりに舞は、吐き捨てるように言った。

 

「さて。尻ぬぐいってわけじゃないけど、ステージに戻るか」

 

 さすがにここまでは会場の声は聞こえてはこないが、きっと今は地獄絵図なのは容易に想像できる。ネットでもきっと大炎上だろう。これを治めることができるのは、私ぐらいだろう、うん。

 来た道を戻り歩き出してすぐにある角を曲がろうとしたとき、いきなり飛び出してきた人間に気づかず、舞はそのまま後ろに倒れた。

 

「いたた。ちょっとあんた、どこ見てんの、よ……」

 

 怒鳴ろうと思った矢先、すぐに怒りはどこかへ行ってしまった。

 彼女の髪の色、唇の下にあるホクロ。

 目の前で自分と同じように廊下に尻もちをついているのは、かつて名前も知らない少女の面影がある女性だったのだ。

 

 

 

 

 

 突然の引退宣言のあと、ミンメイはステージから走って戻ってくるとそのまま何処かへ行き、そのあとを追うように舞がやってきて、二人と違ってゆっくりと歩いて二人のあとを追う貴音を見た小鳥を含めた舞台裏にいた人間はただその場で棒立ちしていた。

 はっ、と目の前に起きた現状を把握した小鳥はすぐに周囲を見渡した。決勝が始まる前にいたプロデューサーがいないのだ。

(もしかして、三人とも?)

 彼を追うために三人があんな行動をしているのだとすれば、たしかに筋は通っている。同時に出遅れた自分を責める。

 本当は彼と話すつもりでここにきた。一介の事務員である自分はここに来るのは場違いであるのだが、順一朗さんと順二朗さんが『行ってきなさい』と背中を教えてくれたのだ。けれどタイミングがなく、ずるずるとここまで来てしまった。

 もう諦めよう。今さら追いつけっこない。それにあの三人がいるのだから、自分のような人間が行くべきではない。

 そんな小鳥を動かしたのは、隣にいた赤羽根の言葉だった。

 

「小鳥さん。遠慮なんかしちゃダメです」

「え?」

「いま行かないと、絶対に後悔しますよ」

「でも今さら……」

「あの三人に気を使ってるなら、それはお門違いだと俺は思ってる。アイドルがどうとか事務員だからとか、こういう時は自分のためだけに動けばいい。小鳥さんのしたいことをすればいいんです!」

 

 思わず小鳥は少し離れた位置にいる美希を見てしまった。彼女は他の人達と違って冷静だ。まるで想定していたかのように平然としている。なんでまだここにるだろうか、彼女ならすぐに貴音を追いかけるはずなのに、まだ動かない。

 ふと美希と視線が合った。たった一瞬だけど、彼女は私に向けてほほ笑んだような気がした。

 理由はわからない。その笑顔には『行かないの?』そんな意味が込められているようだ。

 小鳥は首を横に振った。彼女は関係ないではないか、ここは我儘を通していいのだと、彼が言うようにしたいことをすればいんだと。

 だから、走り出した。

 

「赤羽根P! あとはお願いします!」

「はい」

 

 優しく力強い声が背中から聞こえてきた。

 さて。走り出したのはいいが、あの人はどこにいるだろうか。少し時間が空いたと言っても、歩いていた貴音の姿が見つからない。それも道は限られているのにだ。考えてもしょうがない。

 ただ走る。するとどこから話声が聞こえ、その方へ向かう。

 あの角を曲がった先?

 でもすぐに話し声は聞こえなくなってしまった。急がなくては思って角を勢い曲がろうとすると、向こうから歩いてきた人影にすぐに反応できず正面衝突しまう。

 そのまま勢いよく後ろに倒れて尻もちをついてしまった。すごい痛い。

 

「いたた。ちょっとあんた、どこ見てんの、よ……」

「ごめんなさい、ごめんなさい! 急いでて全然気づかなくて……え?」

 

 言われてすぐにその場で正座をして謝り、ふとその声の主に聞き覚えがありゆっくりと顔をあげた。

 そこには日高舞がいた。

 面を食らったような顔している彼女。それは自分も同じだった。互いに、いや、こちらが一方的に思っていることが因縁のある相手が、すぐ目の前にいるのだ。困惑してしまうし、落ち着けと言う方が無理だ。けれど、どうして彼女がこんなにも驚いているのかが不可解だった。

 頭はそう考えていても体はすぐに立ち上がり、何度も謝りながら小鳥は彼女に手を差し伸べる。

 

「本当にごめんなさい! お怪我は、ありませんか?」

「平気よ。ちょっと勢いよく尻もちついただけ」

「よ、よかったー。じゃ、じゃあ私はこれで!」

「ちょっと待ちなさい」

 

 その場からすぐに逃げ出そうした小鳥を、舞はガシッと彼女の腕をつかんで離さない。

 一体全体これはどういうことなのだろうか。

 私と彼女には直接の面識はないのになぜ引き留めるのか。もしや、口ではそう言っていても本当はかなり怒っているのでは。そう考えると思わず汗が出てきた。

 しかし彼女の考えとは裏腹に、舞が口に出した言葉は予想外のものだった。

 

「あなた、もしかして19年前アイドルやってなかった? ていうかやってたわよね? うん、絶対に間違いない」

 

 彼女の人となりは当時のテレビでしか知らなかったし、いや、結構強気な性格をしてるなとは思っていたが、まさかこんなにも強引な人だとは思っていなかった、うん。

 それはともかく。この状況で誤魔化すことは無理に決まってる。正直に言うのが正解だろう。小鳥は彼女の問いに答えた。

 

「たしかにやってました。けど、舞さんとは面識はなかったですよ」

「そうよね。私があなたを気になり始めたころに、あなたはアイドルを辞めてしまったし」

「……え? 気になった? 私を?」

「自覚ないのも無理はないもの。私、あなたのことが気になって仕方がなかったの。あなたのライブを見てね」

「ど、どうして」

「どうしてって。あなたなら私を満足させてくれるかなって」

 

 信じられなかった。あの日高舞が私を気になってたと言っているのが。小鳥は思い出した。かつて黒井さんに言われた言葉は本当だったのだ。だからこそ、余計に自分が惨めになってしまう。結局、誰でもない自分がみんなとの関係を壊してしまったのだと。

 

「差し支えなかったら教えてほしいの。どうして、アイドルを辞めたの」

「それは……」

「あ、ごめん。うん、そうよね、私か。ごめん」

 

 舞は小鳥の表情を見て取ったのかすぐに謝罪した。別に彼女が謝る必要などないというのに。

 

「だから私は、舞さんが望んでいたような存在じゃ……」

「そんなことないわ」

「え?」

「たしかに当時の私は、あなたが居なくなったことで興味をなくしたわ。だからアイドルを辞めたの、張り合う相手のいない、あなたのいない世界にいてもつまらないから。それからは子育てとかが急がしくてアイドル時代のことなんか思い出す暇もなかった。けど、復帰してから最近になって、あなたのことを思い出した。たった一度のライブ、顔もあわせたことのない子だったけど、しっかりと覚えている。それだけ、あなたの存在は私にとって大きかったの」

 

 なぜか涙がこぼれ始めた。悲しい訳じゃない。痛いわけじゃない。後悔と嬉しさが入り混じっている感覚。未だに過去の自分の選択を許せない葛藤と、伝説のアイドルと呼ばれている彼女から称賛の言葉を言われては、こうなってしまうのは仕方がないではないか。

 

「ちょ、ちょっとなんで⁉ え、私⁉ 私の所為⁉」

「ち、違うんです。別に舞さんが、悪いわけじゃないですから」

「そ、そう?」

「はい、そうです」

 

 それから落ち着くのに数分ほどかかり、改めて小鳥は舞に訊いた。

 

「結局のところ、舞さんはいまの私にどうしてほしいんですか?」

「え? ああ、そうね。もし、もしまたあなたに会えたなら、話がしたいって]

「話、ですか?」

「自分でもわからないの。ただ話がしたい、そう思った。あなたがどんな人で、今までどんな人生を歩んできたのか。まあ、あれね。色々とあるけど、きっと私は……あなたと友達になりたいの。今も、昔も」」

「友達……私と?」

「そう。だめ、かしら?」

 

 たった数分間だけで何度驚けばいいのだろうか。自分は彼女の足元にも及ばない人間だと思っていたら、実際はその隣にいて、友達になろうと言ってきている。

 30も過ぎたというのに、こんな出来事があるものだと思った。まるでドラマみたいだ。

 どうすればいいのだろう。

 私は彼女について何も知らないし、知ろうとさえしなかった。ただ彼女を言い訳にして、自分はアイドルを諦めただけ。これっぽちも日高舞を見ようとせず、背中を向けていただけ。黒井さんとプロデューサーは向き合っていた。向き合い考えた末に答えを出した。やっぱりすごいなって思う。

 だから変わらなきゃ。

 過去の自分は変えられないけど、今の、これからのことは変えていける。

 彼女が差し出している手を取った。

 

「こんな私でよかったら」

「あなたじゃなきゃだめよ。ああ、ごめん。私、あなたの名前知らないのよ。だから、私は日高舞、あなたは?」

「小鳥です。音無小鳥」

「小鳥……うん、私よりかわいい名前ね。あ、ところで小鳥はどうしてそんなに急いでたわけ?」

 

 彼女の言葉で思い出した。そうだ。私はあの人を追いかけていたんだ。

 舞がいる廊下の奥を覗く。残念ながら誰もいない。彼女はそんな小鳥から察したのか言った。

 

「もしかして、アイツのこと探してたの?」

「あいつ? まあ、プロデューサーさんを」

「そう」

 

 言うと舞の顔が少し曇った。

 

「私の所為ね。たぶん、もう見つけるのは無理。それに」

「それに?」

「会えたとしても、ううん。会わない方がいいと思うわ、いまのアイツには。けど、小鳥はそれでも会いたいってこっちにも伝わってくるのはわかる」

「……そんなに酷いんですか?」

 

 会わない方がいいと言っているのはつまり、そういうことなのだろうと小鳥は察した。どういう意味で酷いのかは、想像のしようがなかったのだが。

 

「色んな意味で酷いかもね。ていうか、あんな奴でも結構弱いんだって感じかしらね。だから、無理に止めはしないけど、電話ぐらいで済ましたほういいと私は思う。いまから追えるかも分からないって意味でもね」

「……分かりました」

「敬語なんていいのよ。それじゃ、私行かなきゃいけないから」

「え、どこへ?」

「ステージに決まってるでしょ。ミンメイに対して人のこと言えるわけじゃないけど、あの場を治められるの私ぐらいだしね。あ、私の事務所知ってるわよね?」

「え、ええ。知ってますけど……」

「落ち着いたら連絡ちょうだい。時間を作って一緒にご飯でも食べながらいっぱい話でもしましょう」

「は……ええ、喜んで」

「じゃ、またね」

 

 手を挙げながら舞は会場へと走って戻っていた。その走りには疲れなどは感じられなくて、素直にすごいと称賛した。同時に自分の体力のなさを痛感した。

 さて。

 小鳥は進もうとしていた先を見て少し悩んでから、ポケットからスマホを取り出した。電話帳にある彼のプライベート用の番号。昔から変わっていない彼の番号に昔はよくかけていた。誕生日が近い日には毎年。けど、ここ数年はかけていない。

 出てくれるだろうか。不安が胸を締め付ける。ただ押すだけのに、なんでこんなにも辛いのだろうか。

 

「……」

 

 後悔はしたくない。番号を押してスマホを耳に近づける。

 数回ほどコールが続く。

 いつもならすぐに出てくれたのに、こんなにも待たされるのは初めてだ。やはり出てくれないだろうか。

 諦めかけたその時、しばらく聞いてなかった彼の声が聞こえた。

 

『……小鳥ちゃん』

「ぷろ、でゅーさーさん」

 

 先程収まった涙が再びこぼれた。声を聴いただけなのに。

 

『見て……くれた?』

「うん、見たよ」

『やっと叶ったよ、みんなの夢が……俺の夢が。本当はみんなでこの場所に立ちたかった。でも、俺が見つけたアイドルで、俺が育てたアイドルが、代わりに叶えてくれた。長かったよ』

「うん……うん」

『でもさ、結局夢がなんだって言ったって、都合のいい憂さ晴らし……復讐みたいなんものだ。大勢の人を巻き込んだ、大切な人達を傷つけた。最低なんだよ、俺は』

「違う。それは違うよ!」

『どうして』

「だってプロデューサーさんは……見習いくんは変わってないもん! 今も昔もみんなのために、そして夢のために頑張ってきた! 諦めた私達の夢を、あなたは見せてくれた! だから、最低だなんて言わないで、自分を責めないで!」

『……』

「さっきね? 舞さんに会ったの」

『え……?』

「舞さん、私のこと知ってたの。名前は知らなかったけど、私のことを認めてくれてた。色々話して、友達になろうって。私、それがすごく嬉しくて……」

『うん』

「私は過去の自分を許せなかった。今でも許せない、けど変わろうって思ってる。だからね、見習いくんもいいんだよ。もう私達のことじゃなくて、本当に自分のしたいことをして。誰かとか関係ない、自分のためだけに生きて」

『俺は……』

「ありがとう。きっと、順一朗さん達も同じだよ」

『小鳥ちゃん……俺』

「いますぐには無理なのはわかってる。けどね、きっと帰ってくるって信じてるから。じゃあ、またね」

 

 ピッと停止のボタンを押した。いきなり切ったのはまずかっただろうか。でも、きっと答えが返ってこないの分かってる。

 けれど私には分かるのだ。きっと、あの人は帰ってくるって。

 

 

 

 

 

 

 向こうから電話を切ってくれたことに感謝しながらポケットにスマホを戻した。彼女の言葉はとても嬉しかったけど、最後に答えを言えたのかは正直に言って無理だった。今はただ脱力というか、体全体が冷めているような感覚で。

 夢が叶った。そう、叶った。嬉しかった、最高だった。

 だというのに、一気にその何かが押し寄せてきた。何も考えれられない、まさに無気力状態というのだろうか、これは。

 今はすでに外で、会場からも少し離れたところまで気づけば歩いてきてしまった。そしていまになって寒いことに気づく。12月なのだから、当然だ。

 コートは……ああ、控室におきっぱだ。

 まあいいか。どうせ命が化粧道具とか色々ともって今頃逃げているころだろう。逃走ルートはあらかじめ決めてあるし、本当は合流する手はずだったのだが、面倒になって適当に歩いている最中だった。心配していないのは、命だから平気だろうという確信があるから。だから心配していない。

 辺りはもう暗い。真夜中だから当然で、さらにサングラスをかけているせいか余計に暗いが慣れているので問題なく歩ける。ふとサングラスを外した。なぜか、当たり前でありきたりな風景なのに、綺麗だと思った。そのままサングラスを胸ポケットにかけて歩き続ける。

 少しして開けた場所に出る。今まで木々が並んでいたのに対して囲うように並んでいる。

 池か。ああ、あったな、そういえば。

 近くにはベンチが並んでいて、その一つに座る。空を見上げた。東京から見える空は、正直に言ってあまり綺麗じゃないと思う。でも、夜の街は好きだった。多くのビルや建物が夜でも照らす光が、この街は生きているのだと思えるようで。

 突然、無性にタバコを吸いたくなった。この余韻に酔いしれながらタバコを吸う、なんとも格別なことだろうか。都内(ここ)は決められた場所でしかタバコを吸えない。なに、誰もいないしいまは夜だ。多くの喫煙者は隠れて吸っているんだ。俺だっていいだろう。

 内側のポケットからタバコを手による。蓋を開けると数本吸ったあとがある。当然だ。すでに今日の3本(・・)は吸ってしまったのだから。

 最後くらい、夢が叶ったこんな時まで、守らなくてもいいか。

 タバコをくわえて安いライターで火をつける。いつものように大きく煙を吸って、

 

「ゴホッゴホッ! ……おかしいな、こんなにも不味かったかな……」

 

 昔、タバコを吸い始めた最初の一本は、うまくも不味くもなかった。ただ『あ、普通に吸えた』ぐらいの感想でしかなかった。何度か銘柄を変えたりもしたし、今まで吸っていた銘柄は一応お気に入りだったやつ。

 それなのに今は不味い。糞不味くて、こんなのを吸っていたのかと自分を疑っている。

 

「……まあいいか。この機会にやめれば」

 

 タバコを地面に落として足で火を消す。辺りを見回しすと、珍しくゴミ箱があった。距離はざっと五メートルの位置。ちょうどポケットティッシュがあったので、一枚とって吸い殻を包んで捨てに行った。

 再びベンチに座ってまたタバコを取り出す。

 

「一緒に捨てればよかった」

 

 もう立ち上がるのも億劫だ。座ったままゴミ箱に向けて投げた。理想的な弧を描くのを見てすぐに背中をベンチの背もたれに預けて、また空を見た。

 どうするかな。

 これからのことではなく、このあとのことが彼にとって重要なことだった。なにせ泊る場所を探さなくてはならない。事務所はもう閉鎖されている。最初からそういう手はずになっているから。では一年ほど帰っていない自宅に帰ればいいとも思った。けどすぐに否定。となると近場のホテルにでも泊ればいいかという結論に至った。財布はあるしカードもある、なにも問題はない。

 いや、なにかおかしい。

 彼はある疑問点に気づいた。それが何か最初はわからなかったのだが、すぐにそれが何なのか分かった。

 音がしない……そう、タバコの箱が落ちた音がしない。

 先程吸殻を捨てた時、ゴミ箱の中はほとんど空っぽで、ちゃんと入っていれば音がするし、地面に落ちても音は聞こえるはず。それなのになぜ?

 視線を上から前に戻し、思わず目を見開いた。

 そこには投げたはずのタバコの箱を手に持って、ライブ衣装を身に纏った貴音が立っていたからだ。

 なぜ貴音がここに? どうして、いや、どうやってここまで?

 様々な疑問が頭の中でうずまくなか、そんな彼のこと気にしていないのかように彼女は箱の中身を確認して訊いてきた。

 

「てっきり約束などを破って、毎日一箱ぐらい吸っていたと思っていたのですが。もしかして、ずっと3本しか吸っていなかったのですか?」

 

 すぐには答えなかった。いや、答えられなかった。モニター越しではなく、間近でみる貴音の姿に目を奪われていたから。アイドル衣装に見えないそのドレスは、肩から腕にかけて肌が露出している。寒くはないだろうか。それにドレスの裾は地面ギリギリだ。汚れてもいいのだろうか。

 そんなことを考えていて、彼女が「どうしました?」と言ってくるまで続いた。

 

「いや、破った。さっき4本目を吸った。けど、すぐに捨てた」

「あら。それはどうしてですか?」

 

 たずねがら貴音はこちらに歩いてくる。

 

「不味かったから。だから、今から禁煙。……別に、約束なんて律義に守る必要なんかないのに、さっきまで守ってた。自分でもわからない」

「ふふっ」

 

 彼女は笑いながら何食わぬ顔で、いつもの……かつてのように隣に座った。真ん中に座っていたので体が反射的に横に動いた。

 

「それは良い兆候です。これも、わたくしの教育の賜物ということになりますね。鼻が高いです」

「言ってろ」

「なら、これは必要ありませんね。思わずきゃっちしてしまったので。……えい」

 

 貴音が投げた箱はそのまま吸い込まれるようにゴミ箱に落ちた。正直、意外だった。

 

「外すかと思った」

「失礼な方ですね。わたくし、狙った獲物は必ず射止める性質(たち)でして」

「初めて聞いた」

「だって、いま初めて口にしましたから」

「それもそうだ」

「ええ」

「……これ羽織っておけ。少しはマシだろ」

 

 スーツの上着脱いで貴音の肩にかけた。先程より少し体が冷え始めるが、こいつが風をひくよりはいいはずだ。

 

「寒くはないのですか?」

「俺はいい。鍛えてるから」

「強がっていても……ほら、手はこんなにも冷たいではないですか」

 

 右手を触りながら貴音は言うと、そのまま彼女の左手がぎゅうっと握りしめてきて、それに自然と返すように握り返した。すると右腕が温もりを感じ取った。どうやら体を寄せてきたらしい。

 

「こうすれば少しは暖まりますよ」

「たしかに、暖かい」

 

 ほんの一年前なら手を繋いだり、向こうから体に抱き着いてくるなんて日常茶飯事。それすら遠い昔のことうに思えてきた。

 あれや、これや。たくさんの思い出がフラッシュバックしてくる。

 その間互いに口を開かない顔も見ようすらしない。ただ手を繋いで温もりを感じているだけ。

 この沈黙を破ったのは意外にも自分だった。

 

「夢が、あったんだ」

 

 それは懺悔なのだろうか。とにかく、貴音に知ってほしくて、聞いてほしくてそう口に出してしまった。彼女は何も言わず、耳を傾けてくれていた。

 彼は話を続けた。

 

「よくある、プロデューサーなら誰もが夢を見るやつ。自分のアイドルをトップアイドルにする、ありきたりな夢。最初は普通だったんだ。そんな時、日高舞が現れて小鳥ちゃんがアイドルを辞めるはめになって、事務所のみんなとバラバラになって、なんて言うか……復讐心が芽生えた。いつしか俺の夢は、復讐のための手段になっちまった。日高舞を俺が育てたアイドルで倒す。それも最高の舞台で。そして今日、夢が叶った。叶ったのに……」

「実感がない、ですか?」

「違う、いや、それも当てはまるかもしれない。でも、本当に分からないんだ」

「……」

 

 きっと答えがほしくて、あるいは罰してほしくて、貴音にこの話をしたんだ。多くの人間に迷惑をかけた、その中で誰よりも傷つけた彼女と美希には、自分を咎める権利がある。そうだ、非難してくれ。罵声を浴びせろ。そうしてくれた方が、今より楽になれる。そんな気がした。

 しかしそんな彼の想いとは裏腹に、貴音はすぅと息を吸うと、歌い始めた。

 

「夢を初めて願って今日までどの位経っただろうずっと一日ずつ繋げよう夢は自分を叶える為に生まれた証だからきっとこの心で私のM@STERPICE」

 

 その曲は彼が346プロに移籍し、ちょうど765プロに新しいアイドルが初めて参加したライブで披露した曲。この曲は彼女達全員を表している、そんな曲だと当時は思っていた。それをなぜ今歌ったのかいまいちピンとこなかった。

 

「なんだ。急に歌いだして」

「この歌詞が、ちょうどいまのあなた様のようだと思いまして」

「俺に?」

「はい。自分がどうしたいかの証が夢。自分があるから夢が生まれる。この歌詞を見てわたくしはそう思いました。そしていま、この光景こそがあなた様の夢の証そのものだと思いませんか?」

 

 貴音は会場を、いや世界を指しながら言った。

 木々で見えるはずのない会場を照らすライト。聞こえるはずのない歓声聞こえるくる。

 きっとテレビやインターネットでもまだこの興奮は収まってはいないだろう。

 それを俺が仕組んだ。

 俺が成し遂げた。

 これを、そう呼んでもいいのか。

 

「夢の……証」

「そうです。あなた様の名が歴史に残ることはないでしょう。今この瞬間を体験している人々があなたのやったことだとは知らないでしょう。知れば誰もがあなた様を非難し、軽蔑するかもしれません。ですが――わたくしが、美希が、日高舞が、島村卯月が、あなた様を知る者たちは知っています。あなた様はこれ程の偉業を成した、ですから誇っていいのです。胸を張っていいのです。だから、そんな悲しい顔をしないでくださいな」

「俺は……」

「あなた様はプロデューサーとして最高の仕事(プロデュース)を成し遂げたのです。まさにあなた様のM@STERPICE」

「……最高傑作? これが? 違う……こんなの、最高傑作であるものか!」

「なぜ? それはどうしてですか?」

 

 彼は叫び、立ち上がる。貴音に向け、彼女が言ってきたことを否定するように隠していた本音を吐いた。

 

「お前が……いない。お前を、最後までプロデュースしなかった。だから、こんなの、マスターピースであるものか」

 

 矛盾していた。自分から手放したのだ。貴音ではなく、ミンメイを選んだ。結局は、自分の弱さが招いたことだというのに。

 

「あなた様……」

 

 その場に膝から崩れ、ベンチに座る貴音の膝に頭が乗る。

 なんとも弱く、儚い男なのだろう。

 彼を知る者が今の光景を見たらそう思うに違いない。

 しかし、貴音は違った。

 彼女は優しく彼の頭をそっと胸に抱きよせた。

 

「何を申すのですか。ちゃんとわたくしはあなたの夢の舞台にいたではありませんか」

「わかっているだろう。俺は、嘘をついた。お前を傷つけた。俺はお前を、捨てたんだぞ」

 

 貴音は優しく彼を頭をなでた。何を言っても受け入れてはくれない。今の彼はそんな状態なのだと察した。

 それでも、彼女はたずねた。いままでのことを問い詰めるのではなく、たった一つの答えを聞くために。

 

「あなた様。一つ、教えてはくれませんか」

「……なんだ」

「どうして、〈リン・ミンメイ〉を選んだのですか? 本当にわたくしが邪魔だったから、必要ないから彼女を選んだのですか?」

「違う」

 

 彼は真っ先に否定した。

 

「お前を、お前を道具のように扱いたくなかった。そうだ! お前を選んでもよかった! けどダメだった! 俺には無理だ! 俺の夢のためにお前を道具のように、モノのように扱うなんてできなかった! 俺は、お前にはアイドルとして輝いていてほしかった。いつか来る終わりの日まで。だから、お前を選ばなかった……。お前が、大切だから」

「馬鹿な人なんですから」

 

 貴音の腕にさらに力が入る。先ほどとよりずっと近く、彼女に抱きしめられている。頬には彼女の胸の感触が伝わってくる。それを通して彼女の心臓の鼓動が耳に聞こえてくる。鼓動は早い。緊張しているのか。けど、声は温かく優しい。

 すると貴音は抱きしめるのをやめ、彼を見つめて告げた。

 

「あなた様のためなら何処へでも参ります。あなた様が一緒に地獄へ堕ちてくれと言うなら、わたくしも共に堕ちましょう。ですからたった一言、俺と一緒についてきてくれ。それでよかったのです」

 

 嘘偽りのない本気の言葉だった。

 わかっていた。だから、

 

「きっとお前はそう言うから、嫌だったんだ」

「そんなことをするから、こうまで回りくどくなってしまったのですよ」

「なにが?」

「あなた様。以前、あの日の夜。月が照らすあの浜辺で、わたくしに言ったことを覚えていますか?」

 

 それを聞いて大きく目が開く。

 ああ覚えているとも。忘れるわけがない。片時も忘れた日なんてない。静かにけど時には大きく聞こえる波の音。人工的な光はなく、月の光が俺たちを照らしていたあの浜辺。力強く、俺の左手を握っていたお前の手の温もり。今にも泣きそうだと言わんばかりに震える声。初めて聞いたお前の本音。

 そして、きっとお前だけに告白した俺の本心。

 

「ああ……ああ! ちゃんと、覚えてる」

「では、もう一度言ってはくれませんか」

 

 声がうまくでない。気づけばちゃんと前が、貴音が見えない。

 泣いているのか、俺は。

 でもそんなことはどうでもいいんだ。

 今まで言えなかったことを、ようやく伝えられる。

 

「お前は、俺の最高のアイドルだ。誰でもない、俺のトップアイドルは四条貴音だ。そして――お前が好きでたまらない。愛してやまないんだ。この想いに気づいてから、お前の想いを知ってからずっと我慢してきた。けど、それももう終わりだ。貴音、お前を愛してる」

「やっと……言ってくれましたね」

 

 涙でうまく貴音が見えない。でも、彼女は自分と同じように涙を流しているように見えた。

 

「ずっと、ずっとその言葉を待っておりました。初めてあなた様に恋してからずっと、この気持ちを伝えたかった。あなた様――愛しております」

 

 貴音を抱き寄せ、返答を聞くことなく唇を重ねた。

 たしかに彼女の唇の感触を感じた瞬間、すべてが馬鹿らしくなった。

 もっと最初からこうしてればよかったとか、そうじゃなくても意地を張らずお前のことが好きだと告白すればよかったとか。とにかくなんか色々と。

 でも、違うんだよな。

 今までのことがあったから、ここに至ることができたんだ。

 きっかけは順一朗さんに会ったあの日だ。あそこで俺の人生は始まった。

 それから20年。

 たくさんのことがあった。良いことも、時には最悪のことだってあった。

 大勢の人と出会いと別れを繰り返した。尊敬する人、親友と呼べる者、人間の屑にも。

 多くの人やアイドルに手を差し伸べてきた。同時に汚いこともしてきた。

 それらの道はけして無駄ではなく、すべてはこの日のためにあった。

 そして夢は叶った。

 俺の夢の証はたしかにここに成った。これで終わりだと思った。

 でも、終わりじゃないんだよな。

 俺が何かをしたいと思う限り、それが夢になり、続いていく。

 けど、なにをしたいかなんていまは全然思いつかない。

 少し名残惜しいが唇をそっとはなした。

 まだ物欲しそうに貴音は見てくる。

 苦笑しながらこつんとおでこを当ててつぶやいた。

 

「夢が叶って、これからことなんて全然考えられない」

「いいのですよ。あなた様はこれまでずっと自分の夢を叶えるために生きてきたのですから。矛盾してしまいますけど、ずっとあなた様は夢に縛られておりました。でもそれは解けたのです。ですから、これはあなた様が本当にしたいことをすればいいのです。あなた様がどうしたいかの証、それこそが」

「俺の夢、だろ?」

「はい」

 

 我慢できなくて、今度は貴音を抱き上げながら立ち上がり再び唇を重ねた。彼女の腕が首の後ろに回るのがわかると、もっと近くに体を抱き寄せた。

 先程より貴音が不慣れながらも求めているのがわかるがまた唇をはなして、聞かなくてもわかっている答えをたずねた。

 

「貴音。もし、俺のやりたいことが見つかったら、その時は傍にいてくれるな?」

「もちろんです。あなた様の歩む道が、わたくしの歩く道なのですから」

 

 

 

 

 

 

 貴音と彼の二人が抱き合っている場所から少し離れたところに美希はいた。肩の荷が下りたらしく、その表情は今まで以上に優しい笑みに満ち溢れていた。それも一年ぶりだろうか。やっと、心から笑うことができたのだ。

 髪を縛っていた髪留めを外し、眼鏡を外す。プロデューサーの星井美希は、これでおしまい。

 今までありがとう。そしてさようなら。

 久しぶり。アイドルのわたし。

 そんなことを一人で思いつつ、再度遠くにいる二人を見た。抱き合って、熱いキスをしている。嫉妬は……しないと言えばうそ。けど祝福もしている。

 

「今日は貴音に譲ってあげるけど、明日はミキなんだからね」

 

 このあとの二人がナニをするかなんて容易に想像がつく。いまの貴音を自分に置き換えても、きっと同じ行動に移るのは間違いない。だから今夜だけは貴音に譲ってあげるのだ。誰にも邪魔されない二人の時間は必要だ。今までの分も埋めるためにも。なのでそれが終わったら、次はミキ。問題がある? そんなの関係ない。

 愛してる。ミキも貴音も、あの人のことを。あの人は貴音を愛している。ミキのことも愛している。だから問題はない。

 そう。もう、自分の想いに蓋をすることなんてない。

 

「だから。おかえりなさい、ハニー」

 

 涙がこぼれる。

 彼が本当の意味で帰ってくること。これ程嬉しいことはない。やっと私達の止まっていた時間が動き出す。この一年。短いようで長い一年がようやく終わりを告げた。これから、今までの時間を埋めるのだ。一日一日を大切に過ごそう。できなかったことをたくさんチャレンジしたい。

 もっと言えば、ハニーと一緒に愛を育みたい。

 ああ。すごくいい気分。明日から楽しみだ。あ、二人は今からお楽しみか。

 美希は苦笑しながらその場を離れようとする。約束通りいまからは貴音の時間。後始末はあるけど、きっと赤羽根Pと小鳥がなんとかしてくれるだろう。

 とにかく今は家に帰ろう。実家ではなく貴音の家だが。たぶんないと思うけど、二人と鉢合わせなんてことはないだろう。遭ったら最悪。

 歩みを早め今すぐにでもここを離れようとしたとき、ガサガサと草木が騒ぎ立てる音を聞こえてきた。音の方に目を向けると、突然人影が飛んできた。

 

「よっと!」

「……りん……みんめい⁉」

「たく。相棒の奴どこにいるんだよー。相棒の荷物重すぎぃ! ……あ、どうも」

 

 突然現れたミンメイは美希の存在に気づくと普通に頭をぺこりと下げて挨拶をしてきた。彼女がここにいることにも驚きだが、その姿はまるで夜逃げのようだ。ライブ衣装の上にサイズが合っていない大きなコートを羽織り、肩に大きな荷物をぶら下げている。

 

「あ、ちょっと聞きたいんだけど。身長は190cm、髪は黒、サングラスをかけた筋肉モリモリマッチョマンなスーツ姿の男知らない? もしくは日本版ターミネーター」

「あ、それってハニーのこと?」

「はにー? え、もしかてあなた……あれ、あそこに居るのは……」

 

 どうやら彼女は目がいいらしい。この暗闇の中でも小さな光だけが照らしている二人を見つけた。それも誰だか分かっているときた。

 

「相棒に四条貴音……。あ、ふーん。あれ? でも、ハニーって……」

「そのまま意味なの」

「三人はどういう関係なのかな?」

「うーん。一口では言えないの。まあ、あれかな。相思相愛の仲ってやつなの」

「まさか一人じゃないだろうなとは思ってたけど……。相棒ってかなりのプレイボーイだったのか」

「否定しないの。ところで、もしかして夜逃げの最中?」

「そうなんだよぉ。相棒と合流してとんずらするはずなのに、その本人はいまラブシーンだし。どうしよ」

「だったらミキの家に来る?」

「え、いいの?」

 

 貴音の家だけどここから近いし、実家に連れて行くわけにもいかない。なによりもこれは自分にとっても、貴音にとってもタイミングがよかった。

 

「いいのいいの。ミキもあなたと話がしたかったしちょうどいいの」

「じゃあお言葉に甘えさせていただきます!」

「うん。あ、ミキは星井美希なの」

「私の本当の名前は飯島命なんで、よろしく」

「やっぱり偽名だったの」

「え、バレバレ?」

「うん。分かる人には分かるんじゃないかな?」

「これでも名演技だったと思うんだけどなぁ」

 

 まるで長年過ごしていた友達のような会話をしながら、二人は夜の世界へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2081年 月刊アイドルマガジン特集号一部抜粋

 

 今の世の中のほとんど電子媒体になったというのに、こうして紙媒体で発刊され続けている本誌に再び記事を書かせてもらうことを本当に光栄に思う。私の幼少の頃はギリギリ時代の節目というべきか、まだ紙媒体によるものが本屋やコンビニにずらりと並んだのを覚えているが、今ではほとんどが電子媒体。

 たしかにデバイス一つで気になるものだけ購入すればいいのだから、それはたしかに便利であるしこれだけで十分と言える。しかしいまだに本誌がこうして出ているように、これは今でも続く古き良き文化の一つと言えるかもしれない。

 ただ残念なことに、過去の音楽メディア――記録媒体は骨董品と化してしまった。若い子には知っている者は少ないと思うが、昔は丸いディスクだったのだ。CDからDVDまで。当時ではそれが一つの完成系ではあった。

 それがいまではそれは見る形もない。今ではカードより少し小さいコンパクトなものになってしまい、それに伴って再生機も生産中止で過去の遺物となってしまった。

 私のような古い世代の人間はいまでも過去の音楽プレイヤーを愛用しているし、アンティーク好きといえばいいのかそういった人間の間では過去のCDやDVD、それに再生機も高値で取引されているらしい。

 さて、少し話が逸れてしまった。いや、そうでもない。

 現在の我が国おけるアイドルというのは一つの文化となっている。その中で私は、現在ではなく過去について語ろうと思う。

 レジェンドアイドル――今なお語り継がれているアイドルが存在する。

 その名は〈リン・ミンメイ〉

 今でいう〈ミンメイショック〉と呼ばれた事件を起こした張本人。僅か一年の間で出したCDはすべて新記録を出し続け、その活動は伝説として未だに語られている。まるで災害のようなアイドル。

 そしてかの有名な〈アイドルアルティメイト〉を優勝。同じく伝説として語られている日高舞を倒して〈Sランク〉アイドルになった存在。

 しかし彼女は何を血迷ったのか突如引退宣言をして、消えた。言葉の通り消えたのだ。彼女が所属していた事務所は跡形もなく消えた。ミンメイの情報は今と昔も変わっていないので、当時からしても消えた彼女を探すのは不可能だった。

 ミンメイが及ぼした影響は、1999年に日高舞が引退した時と若干異なる。アイドル氷河期と呼ばれた時代が日高舞によって訪れたがミンメイは違うのだ。むしろその逆。彼女は新たに火をつけた。それをどう解釈するかは各々によって異なるだろう。

 そんな謎の多い彼女であるが、今では『本当にそんなアイドルがいたのか』なんて言われている。映像は少なく、CDはほぼ絶版。オークションでは相当な額がついている。映像などは限られていて数もない。実を言うと、ミンメイは過去にサイン会などは一度もしていないらしい。以前彼女の友人だという親族がそのサインを見せたが、世には一枚も出回っていないのでそれが本物かどうかすら不明とされいい笑いのネタになったのも新しい。

 ようは本物の彼女を見たことがない我々からしたら、彼女はまさに虚構であり偶像だったのではないか。一種の都市伝説なのではないかとすら言われている。

 しかしそれを裏付けるように、過去の雑誌にある一文がある。

『私は幸運である。日高舞、そして〈リン・ミンメイ〉と二度も新しい時代の終わりと始まりを目撃することができたのだから。あれから少しの時間が経った。今ではもう過去のことのように扱われてしまうのは、そういう時代なのだろうか。今でも私は考えていることがある。それはリン・ミンメイとは、はたして本当に存在していたのか、ということだ。

 いずれはミンメイの名前すら出てこなくなるだろう。もしかすれば、いつかはリン・ミンメイなんていうアイドルは存在しなかった、なんていわれる時代が近いもしれないだろう。別にそんなの今も昔も珍しくないだろうが。

 だが私は知っている。あの会場にいた一人として、断言しよう。

 〈リン・ミンメイ〉はあそこに、あのステージの上に確かに存在していたのだ。二度と見られぬ彼女の姿を、この目で。

 だからせめて、私は文字に記録しよう。リン・ミンメイがいた証を少しでも残すために』

 これを書いた記者の名は善澤という男らしい。私は彼に嫉妬する。正直にいって羨ましいからだ。彼は本物の彼女を知っている。彼女の歌を聴いている。こんな便利な世の中になったのに、未だにタイムマシンがないのだからどうかしている。

 私もネットでダウンロードした(すでに権利が切れてフリーになっている)ミンメイの曲を今でも聴いている。素晴らしい歌だ。彼女だけではない。あの時代に輝いていたアイドル達の曲は、どれもいい歌ばかり。

 けれど、その後の時代に日高舞や〈リン・ミンメイ〉と肩を並べるアイドルは存在していない。いや、例外があるとすれば、そこに新しく名前が入るだろう。かの〈銀色の女王〉と呼ばれ、〈フィクサーの女〉と噂された新しい伝説四条貴音。ミンメイショックのあと、事実上彼女がアイドルの頂点として君臨し、アイドルを引退、タレントして最後まで活動するまで彼女が今日までを支えていたといっても過言ではないだろう。その彼女も数年前に旅立った。

 そして今はどうだろう。

 現実の存在ではなく、二次元的なアイドル――バーチャルアイドルが今の主流であるが、はたしてそれらにかの三人や過去のアイドル達に名を連ねる者はいるだろうか。

 近いのはシャロン・アップルであろうが、私は彼女の歌はあまり好きではない。理由はわらかない。彼女の歌もいいとは思いつつも、過去のアイドル達の歌の方が好きなのが現状だ。

 私情を挟んでしまったが結論としては、やはりミンメイほどのアイドルは存在していないのが私見だ。

 しかしこれは絶対ではない。いずれ、ミンメイのように突然とその存在が現れるかもしれない。

 ならばと、私はその瞬間を目撃するまではペンをとろうと思う。先の善澤氏のように、私も後世に記録を伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き(最後なので遊んだ)

【四条貴音(愛)】

 最後に立ったのはアイドルとしての自分ではなく、どこにでもいる一人の女であった。それでも彼女は勝った。アイドルではなく、一人の女として

 一応日高舞に勝てたのは、彼女自身の力である

 尚、無意識にカリスマ(オカルト)を発揮しており、ガチでやれば完全掌握できた。ただミンメイに勝てるかは能力発動で五分五分ぐらい? 

 オカルトだけの力比べなら勝ってる

【四条貴音(極)】

 設定のみ。「己という存在を自覚しすべてを捧げた末、愛を得て極限に至った女帝」

 解放条件:あとがきにて公開

 強さ:能力的にはカリスマ全振り状態。カリスマの副産物でステータスが底上げされており、設定だけの超覚醒美希と渡り合え、かつ能力全開放ならミンメイに勝つ(確定)。尚、勝利すると極から神になる模様

【オカルト】

 隠し要素(後付け)

 ぶっちゃけ特殊能力。アイドルなら誰でも持ってる(ゲーム的な意味で)

 後付けになるけどヘレンが唯一このオカルトをちゃんと認識しつつ能力を使っている。

 無意識組 四条貴音、日高舞

 常時発動かつチート リン・ミンメイ

【もう一人の彼】

 それは多くの選択の結果、夢を叶えることができなかった無数に存在する彼の無意識の集合体か、あるいは彼の罪悪感が生み出した存在か。どちらにせよ、夢を叶えたことで、彼はもう二度と現れない

【RESURRECTION】

 適当に考えた日高舞の新曲

【ミンメイショック】

 一年でSランクアイドルになり、なった瞬間に引退した事件。同時に多くのアイドルらが、ふざけんな!と声をあげ、以前よりもアイドルブームに火をつけたことによりそう呼ばれている

【そのあとの二人】

 ぶっちゃけR18なので書きません。要望があれば書くかもしれないし書かないかもしれない

【シャロン・アップル】

 元ネタマクロスプラスより

 特に“現時点”では関係ない

【フィクサーの女】

 未来における貴音の肩書の一つらしいが……?

 

 

 ※一部歌詞を載せたのですが。マズいようでしたら修正しますので、詳しい方がおりましたら報告お願いします。



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第41話 銀の星

 2019年 4月某日 

 

 都内にある4階建ての建物があった。かつてそこはすべてが空き部屋になっていて、少し前まではテナント募集の張り紙が貼り付けられていたのが、今はそれがなくなくなっている。建物の前には4tトラックが一台。車体にあるロゴを見るとどうやらレンタカーのようだ。駐車場は比較的広いといっても、さすがに4tトラックは入りきらず道路の端に寄せて停めらている。

 トラックの荷台から140サイズほどの段ボールを手に持った一人の女性――飯島命が出てきた。下はジーパンに上はごく普通の文字がプリントされたTシャツを着て、頭にはタオルを巻いている。Tシャツの文字は『元Sランク』と書かれていた。

 彼女は格納ゲートの上に立ち、ボタンを押して下に降りながらまだ荷台の奥にある山積みになっている段ボールの山を見て弱音を吐いた。

 

「うへぇ。まだあるよ……」

 

 もう荷物を取りにきては運ぶ作業の繰り返してはや数時間。まるで拷問だ。

 それでも命は段ボールを持って新しいへ職場と向かう。見た目は大きいが意外と軽いのは、彼の配慮だろうか。建物の一階は一面の白。物はほとんど置いていない。なんでもここには宣材のためのポスターや何かを展示するスペースにするらしい。受付を置く気はないらしく、それらは全部機械だそうで。なのであちこちに監視カメラが設置されている。さらに付け足せば顔認証システムやら金属探知機も入れるとかないとか。銀行かな?

 部屋の奥にはエレベーターがあるのでそこに入って上へ向かう。もちろん階段もあるけど、自分にはそんなガッツはない。2とあるボタンを押して上へ。すぐに着いて外に出る。

 エレベーターを出ると、そこが新しい職場になる。まだ段ボールがあちこちに置いてあり、完成には程遠い。部屋の中央では一人の男が作業をしている。命は嫌味を込めて彼を呼んだ。

 

「相棒ー、もう疲れたー!」

「だったら休んでいいぞ。冷蔵庫はまだ冷えてないし、中には何もないがな」

「くそっ、なんて時代だ!」

 

 来客用になる予定のソファーに倒れる。ふかふかである。もうここで寝たいぐらいに。

 このソファーは最初に運んだものだ。すでに大きい荷物は彼が一人で運んだので、あとは小さな荷物を彼女が運んでいる最中。

 ぐるりと体を捻って彼の仕事ぶりを眺める。なにやら電気工事をしているようだ。よくあるオフィスデスクの間に座って配線を弄っているらしい。

 器用でなんでもできる男だとは思っていたが、その考えは意外と甘かった。

 

「相棒って大型免許持ってたんだ」

「それだけは仕事の合間にな」

 

 どこか引っかかる言い方をする彼。

 

「それだけって、時間があればもっと資格を取ってたってこと?」

「時間もそうだが一般的には取れないやつとか」

「あのさ。嫌な予感してるけど、あえて聞くわ。それって何?」

「ん? 戦車とか色々」

「……それって、普通自衛隊とかじゃないと取れないやつじゃ」

「そうだな。隠す気はないから言うが、大型重機とかジェット機も操縦できるぞ」

「どこで使い方を習った?」

「説明書を読んだのよ」

「うそつけ!」

 

 頭に巻いていたタオルを彼に向けて命は投げた。意外とちゃんと飛んだのか、彼の頭にポンと当たった。

 

「騒々しいやつだな。前にアメリカに行ったときに出来たダチとかそいつの知り合いに教えてもらったんだよ」

「すっごい、嘘くさい」

「最高だった……戦車でヘリを落とした時は。あれを絶頂って言うんだろうな。やっぱランボー最高」

「相棒ってまともな友人いないでしょ」

「否定はしないが……。まあ、自慢できる奴なら一人いる」

「ほほう。ちなみに誰」

「ハリウッド女優のアンバー」

「アンバー……アンバー⁉」

 

 ハリウッド女優のアンバーと言えば自分でも知っている超有名人。有名な映画にも出ているし、ヒロインからアクションも自分でこなせるすごい人だ。年はたしか相棒より少し上なのに、すっごい美人。絶対なにかやってるだろうと彼女は睨んでいた。

 

「アンバーに限らず、仕事で仲良くなったやつは大勢いる。ちなみに映画にも出演したぞ、スタントマンだけど」

「へ、へぇー」

 

 おかしい。神はなぜこんな男にそんな縁を与えたのか。ていうかなんでこんな仕事をしていたのか分からない。世の中不公平だ、うん。

 

「よし。ネット回線と電話回線はこれでいいな」

 

 言うと彼は離していたデスクをくっ付け、電話をそれぞれにおいて線をつなぐ。LANケーブルはまだ頭を出しているだけでそのまま。あとで持ってくるらしく、現状は彼のオフィスに一台あるのみ。

 オフィスにはデスクが3つと部屋の端に来客用の部屋と社長室がある。その二つはドラマでよくみるガラス張りになっていて、中からも外からも見え見え。一応防音らしい。

 その内の一つが私の仕事場となっているわけなのだが……。

 

「ねえ。マジで事務員私だけ?」

「最初はな。未沙くんは落ち着いたら来てくれることになってる」

「未沙ちゃん。いま何か月だっけ?」

「速水さんから聞いたときは、たしか4か月ぐらいだったか」

「ヤることヤってたんだ、未沙ちゃん。でも、相手の人パイロットじゃなかった?」

「らしいな。まあ単身赴任って形になるのかこの場合? 向こうは飛べるうちは飛んでいたいんだと。ネットがあればカメラ越しに話せるし、そこまで不便じゃないんだろ。うちはほとんど身内だし、休みたいときに休めばいい。赤ん坊を連れてきても構わないって言ってある」

「じゃあお言葉に甘えて」

「お前は馬車車のように働くんだよ」

「酷い! 差別だ差別、不公平だ!」

「無職のお前を、俺が拾ってやんなきゃどうなってた?」

「うっ……」

 

 それを言われると命には何も言い返せなかった。あの日、ミンメイの役目が終わった後、命は実家に帰った。友人である七羽に事情を話したり、一年ぶりに家族との時間を過ごしていた。だが、無職だ。印税で入った金で暮らせるものの、家族には最後まで今までの経緯を説明する気はなく、実家ではただのニートという扱いになってしまった。言い分があるとすれば、就活をまったくしなかったわけではないのだ。相手が自分を扱いきれないだけで、中々就職は決まらないでいただけ。そんな時に彼から連絡が入ったのだ。

 

「わ、わかったよぉ。もうこの話おしまい! でさ、速水さんはどうしてるの?」

「ひ孫のために色々と張り切っているぞ。生まれたら面倒は見てくれるって話だ」

「じゃあこの上で?」

 

 命は指で天井をさした。

 この建物は4階建て。一階は展示フロア(仮)で二階は事務所、三階がトレーニングルームになり、4階は仮眠室という名の居住区。

 

「どうせ滅多に使わないだろうから、全然問題ないんだけどな」

「ほんとぉ? 昼間から上で二人と――ぶぅ!」

 

 言わせまいと彼は彼女のタオルを顔に思いっきり投げつけた。

 

「痛い」

「当然だ。痛くしたんだからな」

「相棒は冷たいんだーっと」

 

 タオルを再び巻きながらソファーに座りなおす。その間も彼は手を休めることなく作業を続けている。命も再び作業に戻り、とりあえず近くにあった段ボールを開けた。中にはトロフィーが二つ、色は金と銀。ほんの数秒見つめたあと、彼女はそっと閉じた。

 別に深い意味はない。ただこれは最後に回そうと思っただけだ。切り替えて別の段ボールを開ける、中には専門書やファイルがずっしりと入っていた。まだ棚の置く場所が決まっていないのでこれも後回しだ。

 なぜか集中できないせいか全然作業が進まない。

 

「実はさ、私の勘って当たるんだ」

「知ってる」

「結論から言うと今回は外れたんだ」

「まさか」

 

 すると彼は驚いた顔をしながら言った。

 

「本当だよ。現にいまこうしているし」

「今? どんな内容だったんだ?」

「うん? 相棒はあのあと姿を消して、普通の女性と結婚する。あるいはそのままどっかで死ぬか」

「それっていつからだ?」

「うーん、覚えてないなあ。でも、出会って少し経ったあたりかな? まあいいじゃん。外れたんだし」

「お前の勘は絶対に外れないと思っていたがな」

 

 再び作業に戻る。今度はテレビらしい。

 

「やっぱり貴音ちゃんと美希ちゃんが影響してるのかな」

「なんでそこで二人が出てくるんだ」

「だって、それ以外に考えられないじゃん」

「……否定はしない」

「ほんと、素直になってお姉さん嬉しい」

「このメンツじゃお前が一番下だろう」

「……胸は美希ちゃんよりあるもん!」

「張り合うところがそれか」

 

 呆れながら黙々と手を動かしている彼。どうやら位置取りが決まったらしく、テレビ台の上に55Ⅴ型の液晶テレビを置いて配線をつけている。ロゴを見るとソニーだった。

 

「相棒は金あるんだからさぁ、8Kにしようよ8K!」

「いらないだろう8Kなんて。4Kで十分」

「でも、家にあるテレビ70インチもあるじゃん。映画みたいなスピーカー配置してるしさ」

「プライベートには金を使うさ」

「その心は?」

「……色々と浮いたからな」

 

 真相を知っているので今更驚きはしないが、ああいうのを親バカというんだろうか。貴音ちゃんのことをただならぬ女性だと思ってはいたけど、まさか本当にお姫様だとは思わなかった。

 

「今の家にこの事務所もだっけ?」

「断ったんだけどなぁ……。貴音が貰っておけって言うし、その分他のことに使いましょうって」

「もう尻に敷かれてるじゃん」

「そうだろうか」

「そうだよ」

 

 否定をしないのか、彼は口を閉じてしまった。命は腕時計を見た。そろそろ時間だ。

 

「相棒。そろそろじゃない?」

「ん? ああ、もうそんな時間か」

 

 リモコンを手に取って電源を付ける。設定をしていないので初期設定をテキパキと済ませて、とある番組にチャンネルを変えた。

 画面の映像は生中継らしく、画面の右上のテロップには『四条貴音緊急記者会見!?』とあった。

 

 

 

 

 

 

「えーただいま会場から中継してお送りしています。もう間もなく、四条さんが……あ、今来ました。高木会長とプロデューサーも一緒のようです!」

 

 一人のアナウンサーが実況する。他のテレビ局の人間も同じようなことを言っているようだ。

 テーブルの前に三人が並ぶと揃って一礼。高木と貴音が座り、プロデューサーである赤羽根が説明を行った。

 

「えー。本日は忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。これより四条貴音から今回の会見について説明があります。なお質問は終わったあと、お一人一回とさせていだきます」

 

 赤羽根が貴音に視線を送ると彼女はうなずいてマイクを手に取り立ち上がった。

 

「皆様方、本日はわたくしのためにお集まりいただいて、誠にありがとうございます。今回の会見についてですが、この場を以てわたくしの今後の活動についてお伝えするためです」

 

 カメラのフラッシュが何度もたかれる。まるで今の彼らの心境を表しているようだ。

 

「わたくし四条貴音は、来月開催されるライブを最後に765プロダクションから移籍し、アイドル活動を休止いたします」

 

 吃驚仰天という惨状だった。先ほどよりもカメラのフラッシュがたかれ、ざわざわと誰もが平静でいられずにいた。

 

「今日まで活動を縮小していたのはこのためでもあります。また移籍後のお仕事につきましては、一部を除いてこれまで通りで続けさせていただくことになっております。この場を借りまして、改めて関係者の皆様方にお礼を申し上げます。また、多くのファンの方達には突然のことではありますが、どうか最後まで応援していただければと思っております。以上です」

 

 貴音が座ると隣にいた赤羽根が近寄って耳打ちで何かを告げている。言われて気づいたのか、はっとした表情をしながら再度彼女は立ち上がった。

 

「わたくしとしたことが申し訳ございません。もう一つ、ご報告することがございました」

 

 記者団が息を呑む。貴音は深呼吸をして、左手の甲を彼らに見せながら告げた。

 

「わたくし、とある殿方と入籍いたしました」

 

 フラッシュがものすごい勢いでたかれるのだが、なぜか記者団の約半数は意外と驚いた様子はなかった。むしろ『知ってた』と言わんばかりの雰囲気を漂わせている。

 そこで赤羽根が立ち上がって質問を受け付け始めた。

 

「○○の谷口と申します。えーと、まずはご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「質問ですが。移籍にあたって、他のメンバーにはすでにこのことを伝えたのですか? またどう思われていましたか?」

「移籍に関しては少し前に報告いたしました。最初は驚いておりましたが、みな移籍について受け入れてくれました」

「はい。次の方」

「○○の山根です。アイドル活動の休止ですが。やはり入籍されたことが原因でしょうか?」

「そう思っていただいて構いません。既婚者がアイドル、というのはやはりおかしいと思いますので。移籍後の活動につきましては、追ってまた報告させていただきます」

 

 そのあと数回ほど似たような質問が繰り返され、一人の若い男が今まで誰ひとり聞いていなかったことを訊いた。

 

「○○の佐藤です。そのとある殿方というのは一般男性でしょうか、あるいは芸能関係者ですか?」

 

 その一言で会場、主に記者団側が凍り付いた『え、それ聞く?』みたいな顔をしている者もいれば、呆れ果てている者もいた。どうやら彼はこの業界に入ってまだ日が浅いらしい。

 

「そうですね。知っている方の方が大勢いると思われますので、わたくしの方からは特に語るところがないと申しますか、説明をするのが難しい方なのでこのようにしかお伝えできません」

「では結婚披露宴については?」

「おそらく中継などはしないと思います。色々と面倒だと言っておりましたので」

 

 当たり前のように続けて質問する彼に貴音は普通に対応した。彼女の言う面倒の意味を理解している者がはたしてどれくらいいるのかは不明である。

 それから少しして質疑応答の時間が終わり、会見が終わろうとした時である。なにやら会場の奥の方が騒がしく、だんだんと音が近づいている。

「だめよ、美希ちゃん!」と女性の声と共に、腕に我那覇響を引き連れて星井美希が突然会場に現れると、近くにあったマイクを奪い取り記者団に向けて宣言した。

 

「ちょっと待つなのー! ミキこと星井美希と我那覇響も移籍ます! なの!」

「えー⁉ ちょ、ちょっと自分そんなこと聞いてないぞ!?」

「美希! お前何を言ってるんだーーー⁉」

「貴音一人にいい思い――コホン。貴音一人を行かせるわけにはいかないの!」

「だからってなんで自分まで⁉」

「響はミキ達と三位一体? 運命共同体だから当然なの!」

「横暴だーーー!」

「ちょっと、会長も何か――っていない⁉」

「会長ならさり気なく出ていきました……」

「小鳥さんも止めてよ!」

「無理です」

「即答⁉」

 

 貴音を他所に盛り上がっている美希達に記者団やカメラは向けられていた。残された彼女ははポツンと座って苦笑しながらそれを眺めている。余裕があるのか、はたまたこの状況を想定していたのかは定かではないが、用意されていたお水を飲む姿はどこか楽しんでいるように見える。

 そんな貴音に一人の記者、顔なじみでもある善澤がたずねた。

 

「どうやら大変なことになっていますね。改めて訊きますが、四条さんは今後どうされますか」

「ふふっ。そうですね。もし、皆様が認めてくだるのであれば、もう少しだけアイドルを続けようかと思います」

「それは朗報だ」

 

 二人のやり取りをとあるテレビ局のカメラが撮っていたのは、カメラマンの気まぐれか、それともただの偶然か。

 答えは誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 まさに炎上と言っても過言ではない記者会見の中継を見ていた二人。彼はギロリと命を睨めつけた。

 

「お前知ってたな?」

「何のことかわかんなーい」

「はぁ。美希のやつが大人しくしてるわけがないと思ったが、まさかこのタイミングでやってくれるとは。頭が痛い」

「いいじゃん。これで夫婦(・・)揃って職場でも一緒にいられるんだからさ。おまけに響ちゃんもついてくるし」

「響はお前のこと、どこまで知ってるんだ?」

「え、全部。響ちゃんの驚いた顔は可愛かったよー」

「はぁ」

 

 再びため息。たった数十分の映像を見ただけで疲れがどっしりとやってきた。当初の予定とは大分かけ離れたものになってしまったのだから当然だ。もっとゆとりがあって、余裕のあるスケジュールだったはずだというのに。

 

「響にはあとで謝ろう、うん、ちゃんと謝罪する」

「別に響ちゃんも満更じゃないと思うけどなぁ」

「そういう問題じゃないんだよ。あー、移籍金どうするか……さらに二人分追加だ」

「ちなみにどれくらいなの?」

「聞きたいか?」

「いや、いいです」

 

 真顔で聞いてくる彼の顔がすべてを物語っていることを命は悟り、それ以上追及はしなかった。そんな彼女を案じたのか彼は続けて言った。

 

「いやまあ、金は別に問題じゃないんだ。すぐに工面できるし」

「すごいヤバいことなのに、ケロッと言ってのける相棒って好き」

「うるさい。とにかく765プロにまた出向いて話を詰めないと。絶対にあいつらに弄られると思うと嫌になる。でも行かないとなぁ」

「頑張って。私達の未来のために!」

「なんでお前も入るんだ」

「だって私達、家族(ファミリー)じゃん」

「お、おう、そうだな……」

「否定しない相棒のそういう所も好き」

「うるさい」

 

 そういう割には嫌な顔はしていない様子で、彼はデスクの方に歩くと電話線を抜いて社長室にあるパソコンの電源をOFFにした。

 

「別に平気じゃない? まだここの連絡先教えてないんでしょ?」

 

 命は何かを察したのか、抜いた電話線をふるふると遊びながらデスクに腰かけた。

 

「それでも不安なんだよ。無駄に行動力のあるやつらばかりだから」

「相棒ってモテモテだからねー。もしかしてさ、もうここの場所がバレてて押しかけてきたり……」

「言うな。想像しただけで夜も眠れん」

「自業自得でしょ。特に346プロのアイドル達には何もしてないんでしょ?」

 

 喧嘩別れというわけではないが、346プロには遺恨のある形で去りそのまま今に至っていることを命は知っていた。ミンメイを演じている際、自分のもとにやってきたアイドルの多くが346プロのアイドル達だからだ。

 

「実はな。向こうの上司と教え子、あと卯月と改めて話をしたんだよ。今回の報告も兼ねて」

「卯月って島村卯月?」

「そう」

「なんで彼女だけなの?」

「いや、まともに話せるのが卯月だけだったからだ。絶対に一部のアイドルが暴走するって見越してその三人には話してあるんだよ。ただ卯月のやつ、なーんか人が変わったよう感じでよ。たぶん今頃この状況を楽しんでるな絶対」

「第三者からすればそうかもねぇ」

「それにしても、事務所の準備どころじゃないな。あーでも、まずは荷物だけは入れちまうか。いや、その前に順一朗さんに連絡した方がいいか?」

 

 ぐるぐると同じところ行ったり来たり。普段の彼からすればまったく落ち着きがない様子。そんな彼を見て命はあることをふと思い出した。

 

「そう言えば気になってたんだけど」

「なにをだ?」

「事務所の名前。もう決まってるの?」

 

 足を止めた彼は、どこか誇らしげに告げた。

 

銀の星(シルバースター)だ」

 

 

 

 それから少しの月日が流れ――

 

 

 

「ふぅ。これでよしと」

 

 サイズにしてLLサイズのキャリーケースに荷物を入れ終えて床に立たせる。初めて仕事以外で海外にいくことになるので、どのくらいの荷物を入れればいいのか分からなかったが、そこは経験のある彼が教えてくれたので意外と手間はかからなかった。

 服も数日分のみ。この機会にと現地にしかない服を買って、それで過ごそうかと思っている。あとは化粧道具や小物類だ。

 四条貴音は今いる寝室を見渡した。広さにして畳何畳分だろうか。ぱっと見で12畳分あるいはもっとか。部屋の奥にはキングサイズのベッドが堂々とその存在感を主張している。あとは洋服ダンスに化粧台などなど。自室ももちろんあるけれど、ほとんどの時間をこの空間で過ごしている気がする。

 この生活も早半年以上が経った。

 あの日。アイドルアルティメイト決勝戦の二日後。なんで二日後なのか、それは翌日が美希の番だったからで、時間的には自分のが少ないような気がしたがそこは納得した。

 その二日後、かつてのように三人で朝食を取っている時に彼が言ったのだ。

 

「結婚しよう」

 

 たった一言。今までずっと聞きたかった言葉を言ってくれた。わたくしも美希も嬉しかった。食事中だというのに、今すぐにでも彼に飛びつきたい衝動を必死に抑えた。

 けれどすぐに冷静になった。そして美希が言ったのだ『どっちと?』そう尋ねると彼は『二人と』真剣な眼差しで告げた。

 そのあと食器を洗わないまま三人でベッドの上で過ごした。控えめに言ってはしたなかったと反省している。

 その際彼は説明してくれた。表向きは貴音と籍を入れて結婚するのだと。さすがに日本は重婚できないので仕方がなかった。美希は別に不満を言わずそれを受け入れた。結婚式も貴音と式をあげるが、美希ともちゃんと式をあげるのだと。

 

「誰かに見せられるものではありませんね。ふふっ」

 

 ベッドの上に飾られている写真立ての一つを手に取って貴音は微笑んだ。そこにはタキシードを着た彼。その左右にウエディングドレスを身に纏った貴音と美希が写っている。

 そこは一部の人達には有名な式場。森の中にある小さな教会で地図にも載ってないという。利用者は自分達のような人間や同性愛者、つまり訳ありの人間が結婚式をあげる場所。利用者の情報は絶対に漏れることはなく、この場所もみだりに言いふらさないことが互いの条件らしい。どうして彼がそこを知っていたのかは深く追求はしなかった。

 とにかく。わたくしと美希は念願だった三人での結婚式をあげることができた。一応互いの両親は事情を知っている(以前から根回ししていた)ので、この件に関しては問題はなかった。自分の両親はもう一度やるのでこの場におらず、代わりに美希の親族が参加した。あと彼の両親は両方参加していました。挨拶に行ったときはいきなり謝ってきたので驚きました。無理はありませんけれど。

 

「今になっても、あなた様には驚かされてばかりですね」

 

 次の写真は正式に披露した結婚式の集合写真。人数が多すぎるあまりかなり大きい一枚となってしまった。二人の身内を除けば765プロからは56人、961プロからは4人、346プロは……たくさんいらっしゃっており、他にも芸能関係者から仲の良い方達が。ただそれだけでは収まらず、彼の友人が日本問わず海外から訪れたのですから、それはもうびっくり。知らぬ人はいないであろう有名な俳優から女優に監督、他にも勲章を付けた軍人さんまで。彼の交友関係を初めて知った瞬間でした。

 特に彼が再会を喜んでいたスティーブという男性と女優であるアンバーとの関係に、わたくしを始め美希も嫉妬しました。アンバーからは「坊やをよろしくね」とお言葉をいただいたのが嬉しかったです。

 驚きの毎日でしたが、同時に毎日が幸せだと感じられている。これほどの贅沢はないでしょう。

 貴音は思い出に浸りながらキャリケースを手に持つと、扉をノックして彼がやってきた。

 

「貴音、準備できたか?」

「はい、あなた様。ちょうど今から出ようと思っていたところです」

「そうか。ほら、俺が持とう」

「ありがとうございます」

 

 普段のスーツ姿ではなく、最近見慣れた彼の私服姿。サングラスは以前と変わりなくかけている。本人は外す気でいたが、自分と美希で止めさせた。家の中はいいけど、外では付けていてほしいとお願いしたのだ。だって、他の人に彼の素顔を見られたくない、そんなちょっとした我儘だ。

 

「どうした?」

 

 ふふっと声を漏らしたのが聞こえたらしく彼はたずねてきた。

 

「いえ。なんでもありませんよ」

 

 

 

 

 

 この家、というよりも敷地は広い。何坪だろうかと計算しようとしたがすぐに止めた。最終的に知ることになる金額を見たくないからだ。

 貴音と結婚すると決め彼女の両親に報告した際、美希との関係についても伝えた。殴られることを覚悟でいたのだが、どうやらすでに知っているようで。お義母さんに至っては貴音と同じような笑みを浮かべながら笑っていた。あと挨拶に行ったら貴音には妹がいて、さらにあの高峯のあと従姉妹だというのだからたまげた。

 先と同様美希の両親も同じ展開になり、残る問題は自分の家族だった。三人で実家に行き、その他諸々の報告をした。この時も父に殴られる覚悟で身構えていたのだがその実、土下座して二人に謝っていた。この日は実家で一泊することになり、父と二人きりになった時に愚痴をたくさん聞かされた。曰く、帰ってくると言って一度も帰ってこなかった云々。

 結論から言えば、彼は何も問題なく二人と結婚し今に至る。ただ、貴音のお義父さんからまさか家丸ごとと、教えていないのに購入予定だった事務所をプレゼントされたのは、彼の人生で一番驚かされたことであり、初めて両手を挙げて降参したことであった

 この邸宅は分類すれば高級住宅になるのだろう。当たり前のように邸宅の周りを壁で囲っているし、敷地内は綺麗に舗装されて芝生は天然。樹齢は分からないけど立派な桜の木が植えてある。構造は二階建ての洋風だが中には和室が丸々あったり、どこからかき集めてきたのか小さな図書館と言っても過言ではない書斎があったりと挙げればキリがない。あとは響が飼っている動物たちの専用の家……小さな動物園? がある程度。

 そんな立派な我が家の玄関に彼を真ん中に左が貴音、右に美希が立っていた。

 

「それでは婆や。行ってきますね」

「行ってきますなの!」

「はい。三人とも楽しんできてくださいな」

 

 婆やと呼ばれているのは貴音の実家の使用人つまりはメイドさん。名は恋々(ここ)。結構なお年であるのにも関わらず未だに現役だ。

 彼女を始めとして他にも数名のメイドがおり、ぶっちゃければそれぐらいいないとこの家の掃除は行き届かないということなのか。

 あと男性で貴音が爺やと呼ぶ執事がもう一人と、見知った顔のメイドが一人いるが

 どういう訳かいまは不在だ。なんとなく察しがついて、彼は恐る恐るたずねた。

 

「あの恋々さん、深い意味はないけど一応聞きますね。時田さんとあいつ(・・・)は?」

「二人でしたら朝早くに仕事で出ていかれました。旦那様が考えているようなことではありません。ええ、ありませんとも」

「あ、はい。わかりました」

 

 真面目な対応なのだがどうしてか、高らかに声を上げながら言っているようでならない。彼はこの件は諦めて彼女の隣に立つ響と命に視線を向けた。

 

「で。なんで二人はそんなお洒落な格好してるんだ?」

「私はこれから七羽さんとデートだから」

「あ、そう。響は?」

「え、それだけ!?」

「じ、自分も、出かけるんだぞ!」

「ちなみに誰と」

「じ、事務所のみんなに、決まってるじゃん!」

「みんな……みんな、ねぇ……」

 

 ジッと響に疑いの眼差しを向ける。吹けてもいない口笛を吹いては目が泳いでいる。彼女の肩にいるハム蔵に至ってはご主人の様子にやれやれといった感じである。

 そこで響を助けるように貴音が割って入った。

 

「まあ良いではありませんか。二人は出かける(・・・・)だけなのですから」

「そうそう。響弄りもほどほどにね」

「酷くないか⁉」

「あー。わかったよ。それじゃあ、三人とも。行ってくる」

「はい。お気をつけて」

「気を付けてねー」

「またあとで――むぐっ!」

「どうした?」

 

 何かを言いかけた響が気になって振り向くと、彼女の口を押える命と恋々がいた。

 

「いえいえ。なんでもありませんよ」

「そうそう。ほら、行った行った!」

「……おう」

 

 三人に見送られながら彼らはガレージに向かう。その道中、三人には聞こえない距離までくると彼は二人に言った。

 

「お前ら、絶対何か仕組んだだろ」

「あら。なんのことですか?」

「ミキもさっぱりなの」

 

 とぼける貴音と美希。その態度に少しムっとしたのか、彼は気になっていることを言ってやった。

 

「なら当ててやろうか。時田さんとあいつはもう日本を発って現地に向かって、空港で俺達を出迎える手筈。そして後ろの三人も後か、もしくはどっかの誰かさんの自家用ジェットで現地で合流する。違うか?」

「さぁ?」

「ねぇ?」

「お前らな……。いいか、俺は怒ってない」

「本当でございますか?」

「ああ」

「本当にほんとぉ?」

「怒ってない」

 

 彼の顔を伺う貴音と美希は顔を見合わせると、観念したのか貴音がはじめに白状した。

 

「あなた様の申していることは間違いではありませんよ。ただ」

「ただ、なんだ」

「言い訳じゃないけど、旅行の話漏らしたのミキ達じゃないからね」

「それこそ俺が疑いたいよ」

「漏洩した経緯はどうであれ。わたくし達がハワイに行くと知った上で、水瀬家の別荘があるからそれを提供すると伊織が申してきた時点でもう決まったようなものですよ」

「まあ、三人の時間もちゃんと作るし、みんなで遊べる機会なんてないんだからさ。ハニーもそんな暗い顔をしないで楽しむの」

「一応これ、新婚旅行だぞ」

「知ってますとも」

「うんうん」

 

 そう。これは新婚旅行なのだ。普通の旅行とは違うのである。結婚式から事務所の設立、三人の移籍のいざこざからやっと解放されて、しばらく余裕があるので時間もたっぷりと作って計画を立て、いざ三人で旅行を楽しもうとしていたのに最後でこれである。やっぱり神なんていないし、いや、俺が嫌いだからこういうことをするのだ。うん、間違いない。

 

「まあ俺も人のこと言えないけどさあ。向こうでスティーブと会う約束してたし」

 

 ハリウッド研修の際ハワイにも何度か仕事で訪れたことがあった。その時に彼の知り合いが運営してるガンクラブがあって、今回もそこに行く予定を立てていたのだ。二人に言わなかったのは、別に当日でも問題ないと判断しからである。

 

「あら。となるとアンバーさんも?」

「来るんじゃないか? 言わなくてもスティーブが言うだろうし」

「ほんと二人と仲いいよね」

「数少ない友人だしな」

 

 話している内にガレージ前に着く。その幅はだいたい車4台分だろうか。リモコンを使ってシャッターを開ければ奥行きがあり、ディーラーの整備場の並みの広さがあるではないか。設備もしっかりと本職に負けじと言わんばかりに整っている。彼自身もタイヤの交換などはできるが本格的な整備はできないので、時田や他の使用人が整備をしている姿のが多い。

 ガレージには車が数台にバイクも数台ある。一部営業者のワゴンを除けば、そのほとんどが彼の私物になる。

 

「今日はどれに乗ってくの?」

 

 美希がたずねた。

 

「うーん。じゃあカマロで」

「もう、ハニーったらミキがいいなんて遠回しに言っちゃって」

「はいはい。その通りだよ」

「ぶぅー。最近ハニーの対応がつまらいの」

「あなたが子供なだけなのですよ」

「じゃあミキは子供でいいから、助手席はミキね」

「それとこれとは話が別です」

 

 ため息をつきながら彼は、二人のキャリーケースをトランクを開けて中に入れる。このカマロもそうだが国産車より外車のが多い。その理由は彼の友人のお下がりで、よくある新車を買うために今の車を売るような感じの流れで安く買い取ったわけである。バイクに関してはほぼ国産のみで、彼はHONDA派であった。外車はハーレーダビッドソンが好み。

 トランクを閉めてまだ口論している二人を眺めながら、彼は思う。これが今の生活、昔ならまったく想像もできなかっただろう。これが幸せだというなら、たしかにその通りだ。愛する二人、大切な人達との生活。

 新しい夢が始まった。自分もあの人達のように独立し、事務所を経営するようになったのだ。不安がないと言えば嘘だ。たしかに始まったばかりでこの先どうなるのかはまだわからないけど、きっと大丈夫だろう。なぜだかそう思える自信があった。貴音に美希、さらに響もいる。困ったら最終兵器の命を使おう。まあ使う気はないが。

 あの頃、芸能界に足を踏み入れただけの少年が、まさかこんな所にたどり着くとは。人生とは本当に分からない。いや、貴音と美希に出会ったおかげなのかもしれない。二人が傍にいなかったら、きっとここにはいないだろう。

 だから、

 

「ありがとな、二人とも」

 

 ぼそっと呟く。

 気づけば口論は終わっておりこちらに振り向くと、二人のムーンストーンのペンダントが揺れて光るのが目に入った。自然と視線が下に行き二人の左手の薬指にある指輪が。貴音がプラチナ、美希がゴールド。それに対して彼は同じ型のリングを重ね付けしていた。傍から見れば違和感しかないだろう。しかし彼らはこれでいいのだ。誰にもそれを否定することも、文句をつけられはしない。

 貴音と美希がいつものように自分を呼ぶ。暖くて優しい声が、自分という存在がちゃんとここにいるんだと認識できる。

 

「あなた様」

「ハニー」

「ん?」

「これからも」

「ずっと一緒ですよ」

 

 彼は気づけば自然と笑うようになった笑顔を顔に浮かべ、自信たっぷりにうなずきながら言った。

 

「ああ。二人がいれば、俺はどこまでもいける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1部完

 

 Go to the next stage?

 

 

 

 

 

 

 




ある時間にあとがきを投稿します


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あとがき

最初にこれはあとがきなので別に誤字脱字があっても修正しなくてもいいです。いや、ダメだ、するね! って方はどうぞ。
私は好きに書いたのだ。君たちも好きにするといい(シンゴジ風)


最後の文章を打ち終えたとき、なんとも言えない感覚が私を襲った。あ、終わったんだと(正式には終わっていない)悟ったからだろうか。

虚脱感といえばいいのか、ようはそんな感じなのだ。

正直に告白すれば、最後を含めあとがきを書いている時の私は体調を崩していたので、体が寒くて頭痛もしていて、まあそんな状態で書いていたというのもあるんだと思う。

ちなみに、一先ず書き終えたのが2018年9月15日。なのになんですぐに投稿していないのかというと、このあとに書くことになる告知を兼ねた幕間を書くからである。それと最終チェックもあるため。

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

さて。最初に投稿してから早二年が経ち、よくもまあ失踪しなかったなって思うわけ。普通だったら失踪しててもおかしくない。最初は書き溜めもあったけど、だんだんと更新速度が落ちて月一ペースになったのは、普通は仕方ないのではと言い訳してみる。まあハーメルンのシステムが私に合ってないだけだけど(色々含)

投稿したきっかけは、たしかニコニコでプラチナスターズの貴音のソロの動画を見て、それでなんか火がついてこんな黒歴史を作り上げたのが始まりだったと思う。

それからレンタルかネットでアニマスを見て、それを見ながら本編を書いていたと思う。デレマスに関してはまだ日が浅かったので覚えていたということもあったけど、デレマスは一期もそうだが二期の方が大分扱いに困る題材なので苦労した。あとは登場キャラクターが多いので、決めておかないと捌けない、ていうか捌けなかった。

実をいうと私は輝きの向こう側へを見ていませんでした。それはリアルタイムでもそうで、アニメに関してもコブラPとかで済ませていたから。ただ最近安くBlu-rayが手に入ったのでいざ見ようと思ったけど見ていない。なんか、見たら私の中のアイマス(アニマス?)が終わるような気がしたから。だから、作品を書き終えたら視ようと決めていた。なので、あとがきを書き終えたら視るだろう、たぶん。

たぶん気づいてた人もいるだろうが、デレマス編に関してはかなり極端だったと思う。自分でもよくわかんないんだけど。

ASP、ミリP、デレPに分けるなら私はASPで貴音Pというのもあると思う。ただ昨年ミリオンのシアターデイズが配信してからミリオンのアイドル達が好きになった。ていうかぶっちゃけるとミリオンのキャラクターが肌に合っていた。同時にデレステはログインだけになってしまったのは、私が同じようなゲームを掛け持ちできないからである。こっちもそれなりに課金してたけどね。

ミリシタに運命を感じているのは以前言ったかもしれないが、最初のSSR確定チケット(セレチケにあらず)で恒常貴音を当て、さらに限定貴音をおはガチャで当てたから。最近は単発で限定真美も当てました(隙自語)。

やばい。ただの最近の報告になっているのでこれでおしまい。

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

最後の「銀の星」について説明しようと思う。

まずはじめにタイトルが41話、最後の第1部完とあるようにこの物語は終わっておらず、まだ続くからである。一応これで一先ず終わりという形というか、一区切りつけたかった。

タイトルが分岐ルート名であり、これに関しては正史ルートという扱いになっている。正直うまくタイトル回収したぜと思ってる(うまくはない)。

別名が独立ルートあるいは社長ルート。

私は物語を考える際にいつも最初と終わりを考えてしまう癖があって、このルートに関してもあらかじめ決まっていたこと。

 

主人公が最初はフリーのプロデューサーで、765プロから346プロ、オリジナルやって最後は独立する。

 

こんな感じ。

まあハーレムルートのように見えるけど、私はハーレムってエロゲー以外だと基本好きじゃないです(矛盾)

あと無駄に強調したけど、このルートには一人裏切りがいます(ある目線から見て)。誰とはいいませんが。その辺の話は書く予定です。

ガレージでの車の話だけど、本当はTFにしたかった。え、理由? 最近4kのUHDのボックスか買ったから。サイドスワイプすこ。ハリウッド研修で実写一作目の話も考えてたりはしていた。

あ、そうだ。

実を言うと、当初は貴音か美希のどちからを選ぶルートでしたね。片方が選ばれ、片方が身を引くみたいな感じ。けど結局は上記みたいな感じになった。まあ好きにやるのが一番だと思う。

主人公設定とか更新する気力がいまはないのでここで書くけど、ほとんど39話の通りです。名前も最後まで一貫して〈プロデューサー〉にしたのも、公式でのアイドル達のイメージ像はともかく、人それぞれに描いている〈プロデューサー〉があるからです。あとは名前考えるのが面倒だから。絶対に痛い名前になるのは予想がついたし、ただその所為で地の文とか苦労した。最後なんか彼ばっかだもん。

ヒロインの決め手も実はある。貴音の理由は今さら語る必要はないし、美希もそう。けどヒロイン候補になる条件が一つあって。それはプロデューサーの呼び方。それが制限にもなったけど、一部のアイドルはヒロインになれた。パッと思い出せるの伊織とか双海姉妹だけど。デレマス勢は……思いつかない。個人的な趣向でのあさん?

下にも書くけど、外史ルートではまだ他のアイドルもワンチャンある設定です。まあ、最後の展開からワンチャンなんて宝くじで一等当てるようなもんだけど。

 

どうでもいいけど作中所々にコマンドーネタを入れたのは単純に好きだから。

コマンドーがお好き? 結構、ではますます好きになりますよ。

 

話は変わるけど、書いてて楽しかったのが終盤の卯月。たぶん雰囲気だいぶ違う気がするけどね。二次創作でみた鬼畜卯月とまではいかないけど、結構ドライな感じになったと思ってる。主人公との最後のやりとりが楽しかったですね。

 

 

 

あと、どうしよっかな。書くかわかんないからぶっちゃけるか。

一応銀の星は正史ルートではあるけれど、現時点ではハッピーエンド下手すると最終的にはバッドエンドです。

ネタバレすると主人公以外みんな死んでる。タイトルも決まっていて「LAST PRODUCE」

どんな話かはシャロン出したから分かる人には分かると思う。まあ未来の話。

シャロン含めてミンメイとかシェリルを使ったのは歌でアイドルを連想して真っ先に思い浮かんだのがマクロスだから。ミンメイをめっちゃチートキャラにしたのは、思い出補正もあるのかと思う。あとは大人の事情。

バサラの名前も出したけど、彼が作中で一番です。理由? 元ネタありきで言うなら、唯一歌で戦争終わらせたから。

補足しておくと、外史ルートは最後までハッピーエンド。正史ルートがバッドエンドになるとかこれもうわかんねぇな。

 

なので、おまけの落書きで出した分岐ルートとか外史ルートおよび正史ルートの条件(ゲーム風)

・正史ルート

本編中の流れ通りで765、346経由のち飯島命と出会えば(遭遇率は察し)一時的に解放され、貴音と美希の二人と結ばれれば達成。出会えなければそのまま外史ルートでハッピーエンド

上記を達成し、とある選択をすると「LAST PRODUCE」に繋がる

・正史ルートからの外史ルート

独立せずただ何をするか悩んでいると765か346から電話がかかってくる

・961ルート

961プロを辞めなければ自動的に開放。メインヒロインは詩花であるが、下手すると……

・女帝ルート

主人公が765プロにスカウトされる前に貴音と出会うことで開始。

さらに貴音が自分の秘密をすべて打ち明け、もう一度自分と四条について向き合い、愛を得て解放

・超覚醒ルート

一話で貴音ではなく美希を選ぶ。レッスンを積みステータス上限突破後いい感じの関係になったころ、ちょっとしたすれ違いで喧嘩した直後に主人公がコン〇イ司令官(大型トラック)によって事故に遭いなおかつ生存してさらに自我が崩壊(一時的な統合失調症)し、愛とは何かを模索しつつ答えを見つけたあと、とあるライブ中にPの記憶が戻れば勝手になってる。勝手になってる(二度も言ったぞ!)

このルートを補足すると。ちょっとしたすれ違いというのは346プロへの移籍が原因。主人公は自我が崩壊しているのではなく、意識が別の世界へ飛んでいる。ちなみにトラックではなく、普通の乗用車程度だったら元ネタである普通の覚醒で終わる。それでも強さは超サイヤ人にならないでフリーザに勝てる程度な感じで、ようは日高舞には勝てる。

一応このルートの主人公は最終的にバカというか二人してバカップルになる。

 

あと以前上記のルートの貴音と美希はミンメイに勝てると書いたが、ミンメイは正史ルートのみにしか現れないので対決することはない。

 

 

 

 

 

 

 

最後にこれからの活動について。

今後は不定期で分岐ルートの765と346の二つを出す予定。あと、裏切り者と響の話かなぁ。あ、響に関しては察してると思うけどちゃっかし勝ち組になってます、色んな意味で。

上で書いたその後の物語だけど、読みたいという声がもしあれば書こうと思ってます、気の迷いで書くとは思うけど。現状考えている内容としてはめっちゃ暗い話だけどね。

それと命のその後が気になるという声がありましたが、正史ルートは言うまでもなく分岐ルートにも一応出番はあります。

 

一応新作も考えてはいます

題材はFGO。理由は単にやってるからで、手元ですぐに書けるのがこれってだけ。ただ問題があって型〇警察が怖い……お兄さん、許して許して。設定はまあ独自にやればいいし、そこまで詳しい設定知らんけどね。

一応書き始めたけど、投稿するにあたって特異点Fぐらいはまとめて出そうかなって。

あとは最近はまったウマ娘ぐらいだろうか(アニメ終了後に存在を知った)。これに関してはこっちで出せるんだよな。ウイニングライブのところを扱えば。

ちなみにウマ娘に思ったことは、スカーレットは稀に見る最高のデザインだと思いました。なんていうか絵のバランス、黄金比というかそんなもの。一番好きなのはゴルシ。

他にもだいぶ前に艦これのプロットみたいなのも書いたけどあれなぁ。もう艦これ引退したし、知っている艦娘なんてグラーフ以降は知らないんだよな。

うる覚えだけど、内容はたしか艦娘がステゴロで戦うような話だった気がする……

これぐらいかな?

まあ、ぶっちゃけネタをください。

他に訊きたいことがあれば感想で送ってくださればお答えします。

 

 

 

 

 

というわけで。

あとがきなのに長くなってしまった。

改めて、今まで本作品をご愛読いただきましてありがとうございます。

それと名前は控えさせていただきますが、更新のたびに誤字修正をしてくださった○○さんありがとうございました! 他の方も誤字報告ありがとうございます! 毎回誤字脱字ばっかしてほんとすみませんでした……

本作は不定期ですがまだ続きます(一応一区切りつけたし、失踪しても……ばれへんか)

他の作品などで読む機会がありましたらその時はまたお願いします。

最後になるけど、なんだかんだ言って多くの人に自分の作品を読んでもらえて嬉しかったのは確かですし、書いてて楽しかったのも本当。

内容はともかく、完結(一区切りだけど)できたことを誇っていいのではないかと思う。

だからこそ、やっと終わったなって感じです。

これで時間ができたから、俺……積みプラをやっと作るんだ……

 

何度も言っちゃうけど、本当に今日までありがとうございました!

それではまたいつかのどこかでお会いいたしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/28追記

近いうちに分岐ルートに入る前の話をあげます

 



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ふぁんでぃすく編
分岐点 彼を手にしたのは誰だ


今までは最低でも一万文字を心がけていましたが今後はかなりばらつきがあります
本当申し訳ないです


まぶしい。

鮮烈な光が彼の少し開いた瞼の隙間から網膜に突き刺さり、朦朧としていた意識が覚醒しはじめる。けど彼はそれに抵抗する。

寝かせてくれ、別にいいだろう。カーテンの隙間から差し込んでいる朝日から逃げようと体の向きを変えようとするも、動かない。何かに固定されているのか、体の自由がきかないらしい。顔は動くので、反対側へ。

そこには小さな寝息を立てながら眠る、天使がいた。

そうだった。美希が寝てるんだった。

寝ている彼女の安らいだ表情が目に入り、覚醒を拒んでいた意識がようやく動き出した。体が動かないのも、隣で美希が腕と足に……いや、右半身に覆いかぶさる形で抱き着いていた。昨日は仕事で夜遅くに帰ってきたので、帰ってくるまでは起きていたけど寝るのは別々だったのを思い出す。そういう時は今のように、獲物を逃がさんとする構えをしてくる。

ただ最近は、その攻略法も見つけた。

何とか体を捻って、顔をさらに美希へと近づけて。

 

「おはよう、美希」

 

そっと頬にキスをする。すると拘束されていた体が動くようになる。けど、それもほんの一瞬。彼女を起こさないように素早くベッドから脱出する。

彼は寝ている美希に笑みを浮かべて、リビングへと向かう。

扉を開けると電気がついていた。ダイニングテーブルにはまるで来るのが分かっていたかのように、コーヒーが淹れられたマグカップがあった。視線が自然と台所へと向かう。そこにはプラチナの髪が綺麗な女性の後ろ姿が。

彼は、いつものように彼女の名を呼んだ。

 

「おはよう、貴音」

「あはようございます、あなた様」

 

フライパンを持ちながら振り向いて貴音は言う。

そう。これが、新しい毎日の風景だ。

 

 

 

 

 

一緒に暮らそう――

それが、彼の出した二人への回答だった。

〈アイドルアルティメイト〉から数日後。かつての日常に戻ったように三人で朝食をとっているときに、それを伝えた。あの夜、貴音にああいった手前色々と考えたものの、やはり今すぐにはやりたいことなんて見つからなかった。まあ当然かとも。けれど、今までの贖罪とまではいかないが、誤魔化していた二人への想いに報いるために、これだけは決断した。

結論から言えば二人は喜んでくれた。俺も、無性に嬉しかった。たぶん、やっと自分に素直になれたからだと思う。

ただその所為で食事は一時中断。さらに二人はこの日の仕事を仮病を使って休んだ。〈アイドルアルティメイト〉が終わったからといっても二人はトップアイドルで、貴音に至ってはミンメイが引退したことにより〈Sランクアイドル〉になったのだからそれはもう忙しいだろうし、美希についてもアイドル活動を休止する理由がなくなったいま、活動を再開しなければならない訳で。つまりは全部自分が悪いのだと彼自身も認めていた。

結局その日は三人でいつも以上に愛を深めた。

後日。貴音と美希の私物のほとんどが彼の部屋にあるため、移す荷物は少なく済んで引っ越しはすぐに終わった。貴音の部屋も解約して、念願の三人の同棲生活が始まったのである。

 

 

 

食後のコーヒーを飲みながら新聞を読む。

一部の記事、というよりは他の新聞も似たような話題がまだ続いているようだ。『リン・ミンメイとはいったい何者だったのか⁉』、『彼女の正体に迫る!』、『ミンメイの所属事務所、忽然と姿を消す……』などなど。最近どっかの誰かが言った〈ミンメイショック〉がまだ続ているらしい。まあその例え方は言い得て妙だとは思ったが。

かつて日高舞が引退した直後、アイドルブームは長い氷河期に入ったのは当然覚えている。当時とは違うと言っても、ミンメイが引退すればかつてと同じような状況に陥るのではないか、そんな他人事のような感覚で予想はしていた。

だが、結果はその逆だった。

氷河期になるどころか、ある意味ではさらに盛り上げを見せ始めているのだ。これを炎上と言っていいのかは悩むところではある。彼は落ち着いたいま、そのことについて冷静に考えた。要因は多くあれど、もっともシンプルな理由としては、今の時代のアイドル達は昔と比べてガッツがあったということ。勝手に盛り上げて逃げ出したミンメイに、彼女達はきっと中指をたてながらフ〇ックと叫んでいることだろう。

なので、我が国におけるアイドル文化はますます盛んになっているのだ。

その諸悪の根源たるリン・ミンメイこと飯島命はというと。年が明けるまではここに入り浸ってはタダ飯を食らいに来ていた。今は実家に帰って就活中とのことだ。その割には暇なのか、LINEでメッセージが届く。こちらも暇なので返事はしているが、素直に心配だ。

あれから数か月経ったというのに、いまだに無職なのだ。印税や今までの給料のおかげでしばらくは平気だろうがそれもいつかは限界がくる。コネを使って職を紹介しようと思ったことはあれど、彼女の性格からしてしっくりこないと意味はないだろう。

それに、現在同じ無職である自分がとやかく言える権利はない。

彼は肩をすくめながら苦笑した。

 

「あなた様、変な所はないでしょうか?」

 

扉を開けながら貴音が出てきた。服は仕事着に着替えていて、いつもの変装をしている。

 

「ないよ。いつものように綺麗だ」

「ふふっ。無理をしなくてもよいのですよ」

「別にそういうわけじゃないんだが」

 

彼は立ち上がり玄関まで彼女を見届けるのが最近できた日課である。

貴音が靴を履いて振り向くと、可愛げに首を傾げて彼に向けてある視線を向けると、彼は慣れた動作で彼女の肩を掴みそっと抱き寄せ、唇を重ねる。

 

「昼食は作っておきましたから」

「わかってる」

「今日はどうなされるのですか?」

「美希が出ていくまでは家にいるよ。そのあとは……適当に時間を潰してるわ」

「わかりました。では、行って参りますね」

「ああ。行ってらっしゃい」

 

貴音が出ていくのを見届けたあと、またリビングに戻る。

その後、美希が起きてきて、彼女の身だしなみを整えてあげ、貴音と同じように玄関でキスをしてから美希が仕事へ行くのを見送った。

多少の違いはあれど、これが一日の始まり。今の俺の生活だった。

あれから数か月。現在の彼の仕事は……特にない。二人がいない時間に部屋の掃除を済ませ、午後のロードショーを見て、気が向いたら夕飯を作る。たったそれだけだ。

いくら今までの貯蓄があると言っても無職は無職。同棲している二人はトップアイドルで収入は言うまでもない。二人は特に何も言ってこなかったのだがやはり彼にも思う所があるのか、いまのままではいけないと思い職を探そうとした。探すには探したのだ。ただ、自分に合う仕事が見つからなかっただけで。

あの日、貴音にそれっぽいことを言ったはいいが未だに無職は不味い。それに彼氏……旦那? としてどうなのかと自問して得た答えが――ギャンブルだった。正確には自分を追い込めばきっとやる気を出すだろうという作戦。

我ながらナイスアイディアだ。

そう彼は意気込んでは早速近くのパチンコ店に足を運んだ。ジャラジャラとあちこちの色んな台から音が鳴り響く。久しぶりに訪れたがやはり五月蠅い場所だし、タバコ臭い。今は非喫煙者である自分にとっては、まさに拷問のような場所であった。とにかく適当な台の前に座ってやり始めた。

結果、どういうわけ勝てた。大勝利とはいかないものの、けして負けてはいないものとなった。これは偶然だ。店側がきっと初めての客である自分を勝たせたに違い。そう勝手に思い込み、翌日も店に訪れ――買った。その次の日も、また次の日も、勝った。

そこで初めて違和感を覚えた。おかしい、これはいくらなんでも不自然だと。加子が居ればこれも当然だと納得するのだが、自分一人となれば話は別となる。大勝ではないが小さな勝利を重ねていけば、これはたしかに悪くない。ただそれも、一度も負けていないということを除けばだ。

彼はその日からパチンコにいくのをやめた。他のこと、宝くじなどに手を出したのだが結果は似たようなものに。

なのでそれ以来ギャンブルはやめて他の方法を考えた。

最近、バーチャルユーチューバーなるものが流行っているらしい。3Dモデルあるいは2Dモデル版のユーチューバーで、暇ということもあるが広告収入で稼げると聞いたので手を出してみた。パソコンはちょうど新調しようとしていたので、知り合いに高性能のパソコンを選んでもらって、それらを行うための機材も買った。モデルは2Dモデルを自作した。首から下はスーツ姿の男のボディに頭にPの形をしたものをくっ付けた。頭部と胴体のバランスには苦労したがなんとか完成し、YouTubeのアカウントを作って色々と調べたのち、ユーチューバーデビューをした。

名前は『通りすがりの元プロデューサー』略して『元P(もとぴー)』であり、活動内容は現状のアイドルの解説やライブの生放送を実況して解説したり、芸能界の裏話をこぼしたりするものだ。

まあ現実のアイドルのようにこちらも群雄割拠みたいな感じで、無名のユーチューバーがすぐに話題になるわけはない。ないのであるが、自己紹介動画なるものを投稿しから数分後で登録者が二名になっていた。

正直、怖かった。

しかしそれだけは終わらなかったのである。わずか一日で登録者数が100を超え、翌日には4桁になっていた。一応Twitterも開設していたのだが、そっちのが恐ろしいことになっていた。

なにせ、そのアカウントをフォローしているのが見知った名前ばかり。当然のごとく貴音と美希のアカウントもあった。なぜというよりも、一体どうやって自分がユーチューバーをしだしたことに気づいたのであろうかという疑惑のが大きかった。けれど、怖くてすぐに考えるのはやめた。

結論からすれば、大物アイドルや有名芸能人がフォローしているので、その効果で登録者数と再生数が増えたのだと思う。嬉しいことなのだがそれ以上は気にしないようし始めた。

中には動画の内容を面白いと思って登録者も増えたのだと思う。例として挙げると、生放送中に無名のアイドルが出てきて、それを伝手を使ってリアルタイムで聞き出してそのアイドルの情報を教えたりとか、先も述べたような業界の裏話とかの方が大きかったと気がする。なにせコメント欄に「Pさん、まずいですよ!」と書かれたコメントが多数寄せられたのが大きいのだろう。あとは本物のアイドルのコメントとか。もちろん、怖くて触れてはいないが。

そして最終的に登録者数が10万ほど超えたころ、彼は飽きはじめた。活動自体もそうであったがやはり、知っている人間に身バレしているのが恐ろしくて続けることができなくなってきたからだ。なので、最後の生放送に彼は盛大な爆弾を落とした。

『えー、あと一分で生放送終わるけど。最後に一言。……リン・ミンメイのプロデューサーは俺だ。では、チャオ』

生放送のコメント欄が阿鼻叫喚になると同時に、彼はアカウントを抹消した。それからしばらくはネットでも騒がられてニュースにもなり、なぜか一部のアイドルが「生きる気力を失くした」なんて言って活動を休止したりと色々あったが、自分にはもうどうでもいいのだと言わんばかりに彼は二度と活動することはなかった。

そのこともあって、今は本当になにもすることがない彼は今日もどうやって時間を潰すのかで忙しいのだ。ある時は急にガンプラが作りたくなって、近所のお店に行っては自宅に戻って一人で黙々と作る日々が続き、なんでも小さな大会があるとかでスミ入れ程度のガンプラを持って参加したらなぜか優勝してしまったり。ガンプラからちょっとワンランクアップしたものを作りたいと思ったら、謎の営業マンにコトブキヤのFA:Gのアーキテクトなるものを無理やり買わされてしまい、しかも人工知能搭載で驚いたりと、退屈するようでしない日々を過ごしていた。

そんなある日のことである。

この日は貴音も美希も仕事が早く終わり、しかも休日の午後を三人で過ごしていたときに滅多にかかってこない電話が鳴った。

 

「おや。珍しいですね」

「そうなの。まあ、いつもの詐欺に決まってるの」

 

彼の自宅の電話番号を知っているのはごく一部。親しい友人かあるいは所属していた事務所、それ以外なら美希が言ったような悪戯か詐欺の電話で。しかし出なければ五月蠅くて仕方がないので、彼は渋々いつものように受話器を取った。

 

「はい、もしもし……あ、久しぶりですね」

 

受話器の向こう。

声の主は久しく聞いていなかったあの人からだった。

 

 




次も近いうちに更新できると思います。

あと限定伊織出ました(隙自語)


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ifルート346編

最後らへんにチャレンジコーナーがあるんで頑張って当ててみよう(難易度低)


 

 

 2019年 ××月××日

 

 とあるマンションの前を走る道路の脇に一台の車が停まっていた。車種はトヨタのクラウンで色は白。型式から見て今年に出た新型だ。たしかにここの周辺は中級あるいは高級マンションがある場所なので、富裕層の人間がいてもなんら不思議ではない。

 ただ不釣り合いなのが車の傍に立っている男だろう。服装はスーツで身長もあって体格もいいが、どう見てもこのクラウンの持ち主とは思えなかった。

 男の名は武内。〈346プロダクション〉のアイドル部門所属のプロデューサーだ。彼は車の後部座席側に立っており、ただマンションを眺めている。

 時計を見て、今は午前9時55分を過ぎたあたり。ここに来たのはほんの数分前。待ち合わせ時間は10時を予定していた。

 するとマンションの入口である自動ドアが開くと、一人の男とその隣に一人の女性が並んで出てきた。

 武内はその二人を知っていた。待っていたのは男の方であったが、隣を歩く女性は彼のみならず日本中で知らぬ者はいないアイドルだからだ。

 戸惑いながら後部座席に座っている上司である美城に報告した。

 

「専務、来ました。ただ、その」

「どうした?」

「見てもらった方が早いかと」

 

 正確に報告をしない彼を咎めることはせず、美城は窓を開けて武内が言うようにそちらへ目を向けた。そこには久しぶりに見る元346プロのチーフプロデューサーであった男がいた。以前との違いは、彼はサングラスをしておらずスーツは着ているがネクタイは締めていない。むしろ、シャツのボタンを外してラフな格好であった。

 問題は隣の女性だ。先の〈アイドルアルティメイト〉を準優勝ではあるが、事実上いまのアイドル界におけるトップである〈Sランクアイドル〉四条貴音である。

 二人が驚くのも無理はなかった。なにせ、このことを知っている人間はごく一部なのだ。それでも、いまは平日で人通りは多くない場所ではあるのにも関わず、彼女は変装もせず表に出てきているのだ。それも男と一緒に。これには驚かないことの方が無理だ。

 二人と距離とはほんの数メートルなのだが、不思議なことに会話が武内と美城の耳に聞こえてきた。

 

「じゃあ、行ってくる」

「大丈夫ですか? 忘れ物はありませんか? ハンカチは……先ほど渡しましたし。あ、ネクタイ」

「いい。話をしてくるだけだから」

「それでも、再就職という大事なお話なのですから、そこはきちんとしませんと」

「平気だって。知らぬ仲じゃないんだから」

「もう。最近はわたくしの言うことを聞いてくれると思ったら、こういう時は変わらないんですから」

「気にし過ぎなんだよ」

「あなた様のことだから心配なのですよ。あ、そうでした。あなた様、これを」

「……貴音、サングラスは」

「これがないと、あなた様らしくありませんから」

「ふぅ。わかった」

 

 彼は貴音からサングラスを受け取るとそのままかけた。武内と美城にとっても、慣れ親しんだ彼の姿であった。

 

「それでは、お気をつけて」

「ああ」

『……』

 

 言うと二人は唇を重ねた。堂々と、道の真ん中で。

 その光景を目の当たりにした二人は、声を出すことすら忘れてしまったようでただ目を大きく開いて硬直しており、彼がこちらにきて声をかけるまで固まっていた。

 

「待たせた」

「あ、はい。お久しぶりです、先輩。どうぞ、こちらに。専務がお待ちです」

「わかった」

 

 後部ドアを開いて彼は車に乗り込む。武内は慌てて運転席に乗り込み、安全確認をしたあと車を出した。ふと彼はサイドミラーとバックミラーの両方を確認した。

 ミラーには最後まで四条貴音がこちらに向けて手を振っており、彼女が映らなくなるまでその光景は続いていた。

 

 

 

 

 

 車を事務所に走らせて少し経つ。後部座席に座る彼と美城は特に顔も合わせず、無言で座っていた。彼に至っては足を組んでドアに肘をついて外を眺めているだけ。運転手である武内はこの場に於いて発言権はなく、ただ運転に集中していた。

 この重たい空気を破ったのは、誰でもない美城であった。

 

「正直、驚いた」

「何を?」

「今の君にだ。私が知る君とは、とてもかけ離れているような気がする。人はこんなにも変わるのだと、とても驚かされているよ」

「……あいつらは、これが本来の俺だって言ってた。まあ、その通りかもしれん。色々と背負って、塞ぎ込んでたからな。いまは、物事をすんなりと受け入れられるようにはなったよ」

 

 彼は彼女と問いに振り向くことなく答え、美城も話を続けた。

 

「だから私の話を承諾してくれたのか?」

「別に。貯金はこれでもある方だがさすがに無職は不味いかって思っただけだ。来年で40になるが一人ならともかく、将来を考えると再就職は必要だと判断しただけ。深い意味はないよ」

「そうか。それでも、君がこの話を飲んでくれてよかったと思っている」

「まだ決まったわけじゃない。話をしに行くだけだ」

「ふ。そうだったな」

 

 美城は苦笑した。久しぶりの彼との会話に彼女はどこか嬉しそうに見える。懐かしいとも言えるかもしれない。ほんの少し前は当たり前のようにこのような会話をしていたというのに。

 

「しかしもっと驚いたのが、まさか四条貴音と一緒に出てきたことだ。どういう関係だ? なに、ただの好奇心だ。別に答えたくないならいい」

「……いいさ。貴音は、そうだな。俺の女だ、前から一緒に暮らしてる」

『……』

 

 目の前の信号がちょうど赤になった。武内からすればとてもタイミングがよかった。そうでなかったら思わず急ブレーキを踏んでいたころだ。彼はバックミラーで美城を見た。彼女はにやりとした笑顔のまま硬直していた。

 

「そ、そうか。女か、女……。ちなみに、いつから暮らしてたんだ?」

「765プロにいたときから」

「ぶふぅ!」

「専務⁉」

「あ、ああ。問題ない、大丈夫だ」

「どうした。今日のあんた、どこか変だぞ」

「そ、そうかもしれない。つくづく君は私を驚かせる」

 

 彼女の言葉に彼は首を傾げた。車内では他愛もない会話が続きながら事務所へと走っていった。

 

 

 

 

 

 346プロにつくと、彼はオフィスビルの比較的下層にある客室へと案内された。てっきり美城専務のオフィスかと思ったが、自分に配慮してのことだとあとで気づいた。アイドル部門はビルの上層階に多く密集しており、その逆ならアイドルやその関係者とも遭遇する確率が低くなるからだ。

 彼としても346プロ、というよりアイドル部門を気持ちよく辞めたわけではないことは自覚しており、だからこそ余計にまだ会うべきではないと判断していた。別にそのことについて何かの責任を感じているわけでも、謝罪などする気は毛頭なかった。自分の夢のためにやったことだ、とやかく言われる義理はない。

 思考を切り替える。

 客室には自分と美城の二人のみ。武内はどうやら運転手だけらしいがおそらく、話は彼女からすでに聞いているのだろう。それに自分と違ってあいつには仕事があるのだ、ここには居たくても居られないのだろう。

 部屋に入った時にはすでに用意されていたコーヒーを口にして、一口飲んだあと彼は美城に声をかけた。

 

「率直に言うが、なんで俺を呼んだ? 話だったら車の中でもよかっただろうに」

「ここに呼んだのは、君が話を受け入れた際に細かい書類を書いてもらうためと、念のための保険だよ」

「保険? なんの」

「一部のアイドルがここ最近あの手この手で嗅ぎまわっていてな。理由は話の内容にも関係していて、それを偶然なのかはわからんが知ったらしく、私と彼がマークされているんだよ」

「アイドルに? ふ、笑いしかでない」

「君にも責任があるのだがね。君のことだ、『だから?』で終わらせてしまうだろ」

「その通り。ただその話なら、わざわざあんたと武内が迎えにくる必要はないのでは?」

「私と彼でなければ君はここに来るどころか、話に聞く耳を持たないからだ」

「たしかに。で、その話とは?」

 

 美城もまた一口コーヒーを飲んだ。まるで心を一旦落ち着かせるように。

 

「予想はついていると思う。我々346プロダクションは、もう一度君を雇いたい」

「我々? あんた個人じゃなくてか?」

 

 彼女はうなずいた。

 

「アイドル部門の役員全員および346プロ全体の役員会議で協議した。この依頼は346プロの総意と受け止めてもらいたい」

「なぜだ。別に俺なんてもう必要ないだろうに」

「あの〈リン・ミンメイ〉を見つけだし、わずか一年足らずで〈アイドルアルティメイト〉で優勝、さらに伝説のアイドル日高舞も打ち破ったアイドルをプロデュースしたプロデューサーがもう必要ない? 笑えない冗談だ。自分で思っているより、君の存在は安くはない」

「で?」

 

 興味もなそうに彼は言った。態度からして呆れているようにえ見える。

 

「結論だけ言おう。私はいずれ、ここのトップ立つ」

「だろうな」

「今は専務という役職と一緒にアイドル部門も統括をしているが、トップになればそれもできなくなる。なので、将来的には私の後釜として常務取締役になってもらう」

 

 これには彼も驚いた。てっきり、再びアイドル部門に配属させて、適当な役職に就かせる気なんだろうと思っていたからだ。それが一気に段階を超えて常務取締役ときた。

 常務取締役といっても、会社にとってはその役目や立ち位置は様々。それでも立場は企業経営側であるし、そのための仕事や業務をすることになる。特に常務取締役は役員の中では下に位置することから、従業員と一番近い距離にあるため、彼らの監督や指導も行うこともある。特にこの役職に就かせるということは、取締役として会社の意識決定にも参加していくことになる。

 一介の元プロデューサーの再就職先としてこれ程のものはない。

 

「どうしてそこまでのことをする」

「言ったではないか。君の存在は安くない。君の力はいち個人が持つには大きすぎる力。だから君が欲しいし、将来私を補佐してほしいのだ」

「……なるほどな」

「すぐに返事をしてくれと言わない。君にも考える時間が必要だろう」

「いや、構わない」

「つまり?」

「その話を受けよう」

「そうか。ありがとう」

 

 美城は安堵したのか深くソファーに腰かける。顔もどこかほっとしており、柔らかい表情をしていた。

 

「訊きたいんだが。その間の俺の立場はどういったものになる?」

「簡単に言えば、アイドル部門の裏の管理者だな。部屋もアイドル部門から離れたところを用意する」

「そうか。なら一つ頼みがある」

「なんだね」

「一人、ゆくゆくは俺の秘書として雇ってもらいたい奴がいる」

「それは構わないが、できれば有能な人材だと助かる」

「能力は保証する。最初は新入社員として適当に総務部かどっかに配属すればいい。ある程度会社の雰囲気になれたら、俺の専属として使う。連絡もそいつにやらせる」

「君がそこまで言うのであれば信じよう」

「ありがとう」

 

 礼を言いながら彼はソファーを立ち上がると背を伸ばし始めた。体が窮屈だったのか、あちこち骨が鳴る。するとふと何かを思い出しかのように彼は言った。

 

「それともう一つお願いがあるんだが」

「ふぅ。驚かんがなんだね」

「再就職するの、一か月後ぐらいにしてもらいたい」

「何か用でもあるのか?」

「ああ。忙しくなる前に三人で旅行にでも行こうと思ってな」

「……三人?」

 

 彼の言葉の意味を彼女は最後まで理解することはなかった。

 ただ――

 その時の彼の顔が、今まで見たことのない笑みをしていたのは印象に残ったようだ。

 

 

 

 

 

「命ちゃん、おはよう」

 

 アイドル部門所属の事務室のような部屋で隣に座る新人事務員の飯島命に、彼女の教育係である千川ちひろは彼女に挨拶をした。

 

「あ、ちひろさん。おはようございます。今日もきれいですね」

「ふふっ。おだててもお菓子は出ないわよ」

「ちぇー。あ、そうだった。実はここの書類のことなんですけど、これって誰に判断してもらえばいいんですか?」

「どれどれ。あ、この案件の担当は……田所Pね。これがどうかしたの?」

「打ち込んでたら計算が合わなくて。たぶん、記載漏れだと思うんですけど」

「そうね。一度本人に確認してもらって、再度提出してもらった方がいいかも。私が行こうか?」

「いえ。自分で行くんで大丈夫です。じゃ、行ってきまーす」

「廊下は走っちゃだめよー。ほんと、元気がいいんだから」

 

 飯島命。彼女は時期外れの新入社員だ。ここに配属されてから約3か月が経過し、そろそろ研修生の肩書も取れて、再度正式にどこかの部署に配属されることになる。

 ちひろは彼女の教育担当として付きっきりで面倒を見ていた。なにせ最初は不安があったからだ。この時期の就社ということもあるし、年齢が今年で21になることから短大あるいは専門学校を出たということになる。つまりは就活に失敗したということだ。それに履歴書も見せてもらったが、専門学校は製菓で卒業はしておらず、その割には資格だけは自分にも負けないほど持っていた。

 まあ、はっきり言えばよく分からない子だから、私が面倒を見なければという思いがあったのだと思う。ただそれも最初だけで、彼女は素直だし優秀だった。一度教えれば大抵のことはすべてできたし、あとは自分でどんどん仕事をこなし始めていた。

 ちひろからしても命の評価は高い。最近の子にてはよくできた子であるし、なにより優秀。彼女のみならず、他の職員からの評価も悪くはなかった。

 そんな彼女も、近いうちに正式な部署へと異動だ。寂しくもなる。

 できればこのまま此処に居てくれないだろうか。そんな未練さえ抱いていた。

 あの光景を見るまでは――

 

 

 

 命が異動してから早1か月が経過した。最初はオフォスビルのどこかで偶然会うだろう、ちひろも最初はそう思っていた。しかし今日まで一度も彼女を見たことはなく、それは他の職員も同じ。まさか首になったのではと少し噂にもなったのだが、ある一人が彼女を見たと言ったのでその線はなくなった。

 色々と不安が積もりつつも、ちひろは目の前の仕事を片付けなくてはいけないのだ。ただ今日は意外と早く仕事が片付き、上司からも許可が出たのでいつもよりも早く退社することができた。

 

「お先に失礼します」

 

 事務員専用の更衣室で着替えて外へ向かう。オフィスビルを出て旧346プロの事務所を通って出口へ。そんなとき、ふとこの建物の二階へ上がる階段で命らしき人物が目に入った。

 

「命ちゃん?」

 

 服装は自分達と同じような緑の事務服ではなく、他の職員と同じような一般的なスーツを着ていた。なるほど、これでは見つからないわけだ。けど、どうしてここに?

 旧事務所はそのほとんどが機能していない。何かの物置かこちら側の警備員専用の部屋があるぐらい。

 ちひろは気になって後を付けた。彼女は建物の一番奥の部屋の前で止まり、そこへ入っていった。彼女はゆっくりとその部屋の前までいき、扉についているプレートと張り紙が目に入った。

 

「情報分析室……関係者以外立ち入り禁止? そんな部署あったかしら」

 

 仮にあったとしてもなぜここなのか。オフィスビルには空いている部屋もあるだろうに。

 なによりも彼女の服装も気になる。346プロで働いている女性の事務員はみな事務所が支給している緑のスーツが義務付けられている。対して先程の命の服装はビジネススーツ。それを着ているのは事務所内でも上の立場の人間か、常務以上の立場である人間の秘書ぐらい。ということは、彼女は誰かの専属の秘書になったということになる。

 だけど誰? しかも、わざわざこんな人目を避けた場所で。

 ちひろは立ち聞きすることも考えた。けど、突然彼女が出てきて鉢合わせする危険もあり、ひとまず今日はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 それからちひろはいつも通りの業務をこなしていた。命のことが気にならないわけではないものの、生憎一介の事務員としては多忙な立場にあるからだ。

 アイドル部門は多忙である。その最もたる理由はその所属しているアイドルにある。約100名を超えるアイドルがいるのだ。その数だけ仕事はあるし、書類の数も多い。担当のプロデューサーの下へ行っては書類の確認とサインをもらい、または彼らか仕事を頼まれる。休憩時間はもちろんあるけど、彼女を探す余裕はないのだ。

 現在もある書類を受け取りに武内Pの所へ来ていた。ちひろから見ても、今の彼は昔と比べると表情が柔らかくなったように思える。仕事ぶりは今のアイドル達の活動を見ればわかるし、そのアイドル達とも良好な関係を築いている。

 ふと、ちひろはそのアイドル達のことであることを思い出した。いつだったか、少し前に一部のアイドル達が数日程休むという異例の事態が起きたのだ。これでもアイドル達とは近い距離にあると自負しているが、さすがにその原因までは自分を聞いてはいなかった。噂ではYouTubeが関係しているらしいのだがその真相は知らない。

 まあ今では全員問題なく活動しているので、ちょっとそんなことがあったな程度でのことである。

 

「では千川さん。これをお願いします」

「はい。わかりました」

「あと申し訳ないのですが。この書類を美城専務の下へ届けてはくれませんか? 実はこれから外に出なくてはいけなくて。専務には私から連絡しておきますので」

「ええ、構いませんよ」

 

 追加で渡された書類を手に持ってちひろは答える。

 彼のオフィスを出ようと振り返る。が、ある事を思い出して彼にたずねた。

 

「そう言えば武内P」

「なんでしょうか?」

「ここ最近調子がいいですよね」

「そう、でしょうか? 自分としてはそんな感じはしないのですが」

「いや、個人的に思ったことなので気にしないでください。あとアイドル部門全体と言うんでしょうか。仕事柄書類に多く目を通すので、今のアイドル部門がまるでプロデューサーさんが居た時みたいに活気づいているように思えるんです」

 

 プロデューサーさん。

 かつて存在したアイドル部門のチーフプロデューサー。武内Pをはじめとしたプロデューサー達は彼の辞職を知っていたらしいが、私は彼が居なくなって少し経ったあとにそれを耳にした。たぶん、アイドルのみんなと同じくらい悲しんだと思う。だって、ちゃんとした別れすらしなかったのだから。

 彼との出会いは346プロに入社して一年目の時だ。暇だったのか、総務部に顔を出していたときに自分に仕事のやり方を教えてくれたのだ。おそらくそれが恋のはじまりだったと記憶している。我ながらもっと積極的にいけばよかったと、あとで後悔した。

 しかしそれも過去のことだ。いまは彼のことなんてきっぱりとケジメをつけた。あの人は酷い男で、最低な人なんだと自分に言い聞かせて。

 

「たしかにそうかもしれませんね。ですが、それは良いことなのかもしれません。先輩がいなくても、我々だけでこれだけのことが出来るようになったと思えば」

「そうですね。では、失礼します」

「はい。お願いします」

 

 彼のオフィスを後にして美城専務のオフィスへ向かう。彼女の下に行くのはこれが初めてではないので特に緊張とかはない。むしろ、気に入られて専務付きにでもならないかなと夢を見たりする。

 専務のオフィスはこの階から上に向かう必要があるのでエレベーターを利用する。人が多い346プロであるが今日はすんなりとエレベーターがやってきた。そのまま一度も止まらず目的のフロアにたどり着いて彼女のオフィスの前に立つ。ノックをしようとしたその時、部屋の中から聞き覚えのある声が聞こえて思わず端に避けた。

(それでは専務。失礼しますね)

 同時に扉が開いて出てきた人物と目が合った。

 

「み、命ちゃん?」

 

 そこにいるのは紛れもなく飯島命であった。服装もこの間見たスーツ姿。顔をよく見ると、以前の時よりも化粧がしっかりとしている。仕上げが丁寧というのか、例えるならプロの仕事だ。ライブなどでアイドルがしてもらっているのをよく目撃するためかそれに気づいた。

 

「あ、ちひろさん。お久しぶりです。専務に用ですか?」

「え、う、うん。命ちゃん……も、だよね?」

「はい。異動してからあちこち動き回ってるんで大変ですよー。それじゃ私はまだ仕事があるので、これで失礼しますね」

「う、うん。頑張ってね」

 

 互いに手を振って別れる。

 結局ただちょっとした会話をしただけで別れてしまった。異動した部署はどこなのかとか、何をしているのかと話題はあったのに、ただ動揺していただけで終わってしまった。

 彼女の背中をなんとも言えない気持ちで眺めていると、横から声をかけられた。

 

「千川か。話は聞いている、入りなさい」

「は、はい! すみません!」

 

 まさか扉が開いたままだったとは。

 ちひろは命が扉を閉めずにいたことすら気づかない程、意識が彼女に向いていたらしい。慌てて部屋に入っては美城に武内から渡された書類を渡した。

 

「ふむ、これか」

「……」

 

 書類に目を通している美城にちひろは疑心の目を向ける。本人には聞けない上、彼女について知っているのはおそらく彼女しかいない。しかしそれを訊こうにも自分の立場は一介の事務員でしかなく、雲の上の存在である彼女においそれと聞ける勇気など彼女は持ち合わせていなかった。

 しかしそんなちひろを見抜いているのか、美城は書類の方に顔を向けたまま言ってきた。

 

「何か聞きたいことがあるのでないか?」

「え! い、いえ。特にそのようなことは……」

「遠慮しなくていい。大方、飯島命についてなのだろう?」

 

 戸惑いながらも彼女はうなずいた。

 

「別に気にならないというのが無理だろう。君はあの子の教育担当だったからな」

「は、はい」

「いま彼女は、ある役員の秘書として働いてもらっている」

「情報分析室……のですか?」

「……なぜ知っている?」

 

 書類に釘付けだったのがこちら鋭い目を向けてきた。言わなければよかったと後悔したが時すでに遅し。美城の雰囲気からして細かく追求してくるのが容易に想像できた。

 隠しても意味がないと観念し、正直に答えた。

 

「その、偶然彼女の姿を見つけて……。後を付けたらその部屋に入るところを目撃したんです」

「そう、か。情報分析室というのは旧事務所からそのままになっているだけで、その通りのことをしているわけではない」

「ではなぜ、彼女はあそこに出入りを?」

「本来ならいち事務員である君に聞く権利などないのだが。まあ知ってしまったからには教えよう。あそこには極度の人見知りと言えばいいか、変わり者がいるんだ。最近346プロが雇った人間で優秀だが一癖あってな。ここは人が多い、もっと人がいないところにしろと要求してきた」

「それで、あそこなんですか?」

「そうだ。ちょうどその人間との連絡係として彼女を任命した。これで納得したかね?」

「は、はい。お騒がせして申し訳ありませんでした」

「いや、こちらにも君への配慮が足らなかった。……話はこれで終わりだ。下がりなさい」

「失礼します」

 

 一礼してちひろは専務のオフィスを後にする。

 疑問点は残るものの、あれ以上訊いても何も教えてはくれないのは明白で、これで納得できるかと言われれば答えはノーだ。

 優秀だけど変わり者で、尚且つ役員に口を出せる人間。

 正直言ってこれを素直に受け入れろというのが難しい話だ。優秀な人間という部分では間違いないことは確かだろう。残りはその場で考えた作り話にしか思えない。

 専務は、いや、346プロ自体が何かを隠している。あそこには彼女らにとって重要な場所か、あるいは知られては困る人間がいるのではと。ちひろは妙なことにそれに絶対的な自信を持ち始めた途端、彼女の行動は早かった。

 その日の午後。天が我に味方したと言わんばかりに仕事が片付いたちひろは、仕事場を後にして旧事務所付近をうろついていた。生憎ここら一帯は身を隠す場所がなく、ただ立っているのも不自然なので一定の間隔で旧事務所とオフィスビルを行き来しては、通りかかるに人間に目を光らさせていた。

 何分、旧事務所の出入りは出社と退社の時間帯を除けば少ないので特定の人間を見つけるのは比較的簡単である。

 ただ問題もあって、確実に例の情報分析室に通う命が訪れるのかが不安要素。

 こんな日は滅多にないんだから来てよ!

 ちひろは声に出さず命に駄々をこねた。そんな彼女の思いが通じたのか、タイミングよく命がオフィスビルから出てきてきた。

 離れた位置から尾行してそのまま彼女が旧事務の2階に行くのを確認するとちひろもそれに続く。通路に出るとすでに命は部屋に入ったらしく、彼女は再び扉の前に立つと耳を当て始めた。部屋自体がそこまで広くないのか、思ったより声が聞こえてくる。

(これ、頼まれてた資料)

(助かる)

(あと〇×との会合に出てほしいって専務が)

 その企業の名には覚えがあった。大企業であるそこと噂ではあるが契約するらしく、アイドル部門か女優部門の誰かがそれに任命されるという話が持ち上がっていた。CM契約だけで大金が動くし、事務所にとっては大きい話で失敗は許されない。

(あそこと? 伝手はあるが俺が行くほどか?)

(アイドル部門の実績にしたいんでしょ。専務は何だかんだで、アイドル部門寄りの人だから。それと相棒の実績を作るのもあるんじゃない?)

(決まってることなんだから、別にいいのにな)

 相棒?

 思わず首を傾げた。声からして相手は男性で、それを相棒と呼ぶ命。互いに面識があるのだろうか。彼女の話し方からしても親しい間柄のように思える。

 さらに情報を得るためにちひろは集中する。

(あと、ちょっと言わなくちゃいけないことが……)

(何だ、言ってみろ)

(怒らない?)

(怒らないから、言え)

(もう怒ってるじゃん。はぁ。えーとね、午前中に専務の所に行ってたら、見られちゃった)

(誰に?)

(ちひろさん)

 何故か自分の名前が出てきた。どうして見られたら不味いのだろうか、そう思っていた時予想外の言葉が聞こえた。

(ちひろちゃんにか……)

 え、それって。

 私を男性でそう呼ぶのはただ一人。

 それは――

 

「ちひろさん。いつになったら入るんですか?」

「――!!」

 

 突然背後から声をかけれて振り向く。そこには〈アイドルアルティメイト〉で準決勝まで勝ち進んでアイドル、島村卯月がいつもの笑顔で立っていた。

 

「う、卯月ちゃん⁉ どうしてここに!?」

 

 ちひろはできるだけ声を下げて卯月にたずねた。

 

「いや。ちひろさんを見かけたら、まるで誰かを見張っているようなことしてたものですから、気になってずっと後ろから見守っていたんですよ」

「ず、ずっと⁉ そもそも卯月ちゃん仕事はどうしたの⁉」

「え? 何故かこの時間は何もないんですよね。あ、私だけじゃなくてみんな(・・・)

「へ?」

「それにしても、ここ何かあるんですか?」

「い、いいから。いまはとにかく――」

『そこにいるのは誰だ!』

 

 離れよう。そう伝える前に部屋の中から叫び声が聞こえた。

 ちひろはすぐに逃げようとした。今なら間に合う。なんとか上手いこと逃げきれば姿を見られずに済む。

 だがおかしなことに、目の前の彼女。島村卯月はドアノブに手をかけていた。

 

「あ、バレちゃったみたいですね。じゃあ、入りましょうか」

「ちょ、卯月ちゃん⁉」

 

 彼女を置いて逃げるのも間に合わず、無慈悲にその扉は開けられた。

 

 

 

 

 

 扉の前に人の気配がして思わず叫んだ。普通ならこれで逃げるはずなのだがどういう訳か、扉が開いた。

 

「あれ、プロデューサーさんじゃないですか。お久しぶりですね」

「え? や、やっぱりプロデューサーさん……⁉」

 

 そこには島村卯月と千川ちひろが居た。先ほど命の報告で嫌な予感がしたが見事それはすぐに的中してしまった。

 彼はため息をつきながら頭を抱えた。

 

「なんでこんな所にいるんですか? あと、その人誰です? プロデューサーさんの女ですか?」

「なあ。やっぱりお前、性格変わっただろ」

「えー。そんなことないですよ。いつも通りの島村卯月です、ぶい!」

 

 笑顔でピースする彼女は、たしかに島村卯月なのではあるが、何処か不気味なオーラというか雰囲気があった。

 

「ごめん、相棒……」

「お前なぁ。尾行ぐらい気づけんのか?」

「無理でしょ! 相棒じゃないんだし」

「あ、あの……」

「ん?」

 

 震えた声でちひろが言ってきた。その姿はまるで生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている。

 

「ほ、本当にプロデューサーさんなんですか?」

「そうだよ。ま、現職はプロデューサーじゃないがね」

「え? な、なんでですか?」」

「申し訳ないが答えられない。はあ、バレたのが二人なだけでマシというべきか。とにかく専務に連絡だ」

 

 スマホを取り出して直接彼女に連絡を取る。耳に当てて視線を正面に向けると、同じように卯月が手にスマホを持って何かを打ち込んでいる。

 彼はさらに嫌な予感がしてきたのを悟り恐る恐る訊いた。

 

「卯月、お前何してる」

「え? 何って、LINEで拡散してます」

「一応訊くが、何をだ?」

「何ってプロデューサーがいることに決まってるじゃないですかー。あ、何故か今日はみんなこっちにいるんで、よかったですね!」

「……ファック」

「あ、相棒。これって、もしかしてヤバい?」

「もしかしてじゃない。ちょーやべー」

 

 頭の中で警報がフル稼働。

 エマージェンシー、エマージェンシー。至急その場から退避せよ。物凄い速度で敵機が急接近している。このままでは包囲されて逃げられなくなるぞ。

 そんなこと言われなくても分かっている。

 どういうわけか地響きも聞こえてきた。幻聴ではないのかと思いたくても、現にドドドっと建物が揺れているのだ。

 糞。お嬢は何をやっているんだ。電話は繋がっているんだから早く出てくれ。

 彼の願いが通じたのか、部屋の中にさらなる侵入者と美城との電話が通じたのはほぼ同時だった。

 

『私だ。……おい、聞こえているのか?』

「……」

 

 彼女が聞こえた頃には、ここはもう地獄になっていた。

 

「はぁ~。本当のプロデューサーさん。まゆ、ずぅーっとプロデューサーさんのことばかり想ってたんですよぉ? だからリボンも……」

「はぁはぁ。プロデューサー! 本物のプロデューサー!」

「あ、ほんなこつプロデューサーしゃんだ。えへへ。夢やなかよね?」

「もぉ、パパったらどこ行ってたんですかぁ?」

「О, нет, я ждала.」

「あー、本当にプロデューサーさんだぁ。もぉ、今までどこに行ってたんですかぁ?」

「写真じゃない本当のプロデューサーさんだぁ。えへへ……」

「ふ、ふふ。そ、そうだよね……死んでたらわたしのとこに、来るもんね……」

「あ、こ、この部屋、親友の匂いがする……きのこたちも元気になってる……」

「あめよこせよ、なぁ、あめ持ってるんだろぉん⁉」

「………………怒ってないよ」

「プロデューサー……プロデューサー? あ、元気になってきました!」

「PくんPくん! アタシもうJKだよJK! ちょー成長期なんだ! しかももう16歳だから……」

「机……プロデューサーの、机の下に……」

「アハハ。昨日まで大凶だったのに、今日は大吉だったのはこのためなんですねぇ」

「プロデューサーさん去年のプレゼントはどうでしたか? あれ、私の――(自主規制)」

「あ、ダメだわ。私もう死ぬ、これ死ぬよ。誰かがキスしてくれれば治るのになあ?」

「これ、覚えてるか? あの雨の日にプロデューサーさんが使ってた傘なんだ……」

「うふふ。本当、意地悪な人なんだから……」

「これ、わたしとプロデューサーの本なんです……ジャンルはラブストーリー……うふふ」

「名前……怒らないですから……わたしの名前を呼んでください……」

「Pちゃまったら、このわたくしを置いてどこに行ってたんですの?」

「コーン。狐を怒らせるとどうなると思う? アハハ!」

「そなたー、一緒に故郷に帰るのでしてー」

「プロデューサーさん、あの時私と交わした約束は嘘……だったんですか?」

「あ、本当にPちゃんだにゃ。元気してかにゃ?」

「フンフンフフーン。あ、プロデューサーじゃん。やっほー」

「どう? 貴音とはうまくやってる?」

「ちょ、のあさんまずいですよ!」

「あら? あなたミ――(急に飛行機が通過する音)」

「プロデューサーじゃないですか! 見てくださいよ、わたしのサイキックパワーが遂に極限に至りましたよ! Xフォースの面接に受かったんです! どうです、ちょーすごいですよね⁉」

 

 すでに最初の方から耳に入ってきても受け入れずに、そのまま聞き流すという芸当を身に着けていたため精神的ダメージは軽微ですむ。ただ最後らへんは『変わらんな』と妙に安心している自分がいた。

 しかし現状はまだ続いている。漫画のように入り口でドミノ倒しのごとく、どんどんアイドルの山が出来上がっている。それのおかげでそれ以上部屋に入ってくるものはいないが不幸中の幸いで、それでどういうわけかアイドルの達の声が聞こえてくる。

 控えめに言ってホラーだ。

 

『……君。その、なんだ』

 

 最近のスマホは性能がいいらしい。彼女達の声を拾っていたのか、それが彼女まで届いていたようだ。

 

「専務、悪いがしばらく俺と命は無期限の有休を取る。異論は聞かん」

『いや、元々は君が――』

「以上。交信終了」

 

 電話を切ると彼は、棒を折るような仕草でスマホを折り曲げたあと念入りに踏みつけた。これは私用ではなく支給品であるので問題はない。

 

「命、逃げるぞ」

「え、私は関係ないじゃん」

「なら、ここで死ぬんだな」

 

 彼の言葉を聞いて命はアイドル達の方を振り向いた。

 

「……ヒェッ」

 

 あの命ですら怯えた声を出した。あれは、獣だ。まるで飢えた獣。人の形をしているがそれは仮初に過ぎない。人間の皮を被った獣に違いない。なにせ、目だけが光っている。

 背中を見せないように彼女は彼に下へゆっくり移動する。

 

「で、でも、逃げ場所なんかどこにも」

「あるだろ。すぐに後ろに」

「へ? 後ろって……きゃぁ!」

『あーーー!!!!」

 

 突然命を肩に担ぐと、それを見たアイドル達が叫ぶ。簡単に人を担いでいることよりも、彼に担がれていることの方が羨ましいようだ。

 彼は窓を開けると、当然のようにそこから飛び降りた。ちなみにここは2階である。普通なら下手したら骨折かもしれないが、今はその肩に人間一人を担いでいる。

 命は驚いたことに叫ばなかった。いや、逆にその顔は驚くことに疲れているようであった。そして彼は何食わぬ顔で平然と着地。降りた場所は建物の一番角付近。そこから迂回すればすぐに正面ゲートがあった。

 

 

 

 

 

 身動きが取れていた卯月とちひろは窓からそれを見ながら彼女達に言った。

 

「今からなら追いつけますねー」

「そうだけど……え、あれって……?」

「どうしたんです?」

 

 窓から乗り出して見てみると、彼は壁の前に何か覆いかぶさっていた布をはぎ取った。するとそこには大型アメリカンバイクが一台停まっていた。バイクに跨りエンジンをかけ、命もまたその後ろに乗った。

 

「あれって、ハーレイってやつですよね?」

「そうね。うん、そう……」

「あ、逃げた。みんなー、プロデューサー逃げちゃいましたけど、どうしますー?」

 

 卯月は振り向いてたずねた。

 が、そこには先ほどまでとは違い全員が部屋に押し入り立ちつくしている。全員が顔を下に向けていると思えば、一斉に顔を上げて目を光らせた。

 

『であえであえ!』

『プロデューサーを捕まえるのよ!』

『警察に通報して追跡させて!』

『裁判よ裁判!』

『そうよ! 何としても証言台に立たせる!』

『ていうかあの女誰⁉』

 

 などなど。来た時と同じよう大地を揺らす勢いで部屋を飛び出すアイドル達。一部のマイペースもしくはこの状況を一歩後ろで見ているアイドル達は気楽に言った。

 

「Pちゃん、大丈夫かにゃ」

「まあ、プロデューサーだし平気っしょ!」

「面白しろそうだから貴音に教えましょうか」

「だからのあさんまずいですって!」

「いやぁ、この感じ久しぶりですね。ね? ちひろさん……ん? ちひろさん?」

「そもそも命ちゃんが何でプロデューサーさんの秘書なの? そこは普通私のはず、ていうか本当だったら私がそこのポジションに立つはずだったのに……!」

 

 今までは彼と出会うことだけで思考が麻痺していたらしく、今は冷静になったのか他のアイドル達と同様に顔を曇らせていた。

 

「ま、卯月ちゃんがみんなに言わなきゃ、こんな大袈裟にはならなかったってみくは思うにゃ」

「えー? 私じゃなくてもきっと他の人もしますって」

「ほんと、卯月ちゃんは人生を謳歌してるにゃー」

「えへへ。でもみくちゃん」

「なんだにゃ?」

 

 卯月はいつもの笑顔を浮かべながら嬉しそうに告げた。

 

「これからまた、楽しい日々の始まりですよ」

 

 

 

 

 

 

 346プロからざっと離れて数キロの地点。彼の運転するバイクは信号で停まっていて、彼の腰に手を回している命はすでに冷静さを取りもどし、今日から仕事をしなくていいのだとすでに浮かれた様子。

 まさか自分も標的になるとは思っておらず、今後の方針を彼女は彼にたずねる。

 

「で。これからどうするのさ」

「しばらく海外にでも逃げるか。その間に専務がなんとか手を打ってくれるだろう。たぶん」

「じゃあヨーロッパ行こうよ、ヨーロッパ」

「それまたどうして?」

「え? そういう気分だから」

「相変わらず適当だな。と言っても行先はどこでもよかったし、それでいいか」

「貴音ちゃんと美希ちゃんはどうするの? まさか置いていくの?」

「いやまあ、それは……。ま、まずは二人に説明しなきゃな。うん」

「とりあえず、逃げる準備しよっか」

「同感」

 

 有言実行とはまさにこのことであった。

 数時間後、帰宅した貴音と美希に事情を説明した彼は、あの手この手を使って二人のスケジュールに空きを作り、翌日にはすでに日本を発っていた。

 すべての後始末を強引に背負わされた美城は、数日かけてアイドル達を説得。色々あって彼女達から無茶ぶりな要求もあったものの、そこは断固譲らず今後の彼の活動に支障が出ないように丸く事を治めた。

 それが終わって、彼が日本に戻ったのはその一週間後であった。

 ただ――

 

「いやぁ、楽しかったー。相棒の金で行く旅行はさいこー!」

「安心しろ。給料から少しずつ引いておくからな」

「それだけはお慈悲を! ……って、相棒」

「ん? どうした?」

「気づいたら貴音ちゃんと美希ちゃんがいないんだけど」

「は?」

 

 振り向くとそこには二人がおらず、先ほどまではたしかに後ろを歩いていたはずなのに一体どこへ消えたと言うのか。

 ピコン。タイミングよくLINEの通知が来て、相手は貴音。

 

「なになに。先に帰っておりますね……頑張ってねハニーby美希より? あいつら何を――」

 

 突然命が服の裾を引っ張るせいで言葉が途切れる。視線を向けるとかつてない程震えていた。あの命が、あのミンメイが恐怖している。

 

「あ、相棒……あれ、あれ……!」

「……」

 

 彼女が指す方向に目を目を向けて絶句。そこに一般客はおろかスタッフさえいない。

 いるのは……見知ったアイドル達だけ。

 どうやら何故か帰国する日時が漏れており、まさか空港で待ち伏せされる目に遭うとは、あの彼でさえも予想できなかったのである。

 

 

「命。提案なんだが」

「なんだい相棒」

「今からアメリカに行こう。きっと毎日が楽しぞー」

「私は相棒が行くところなら喜んで付いていくさ! なんてったって、運命共同体だからね!」

「じゃあ……走るぞ!」

「スタコラサッサ!」

『待てやこらぁあああああああああ!!!』

 

 この日、羽田空港で起きた出来事は国際メディアにも取り上げられるほどの大事件になるのであった。 

 

 

 

 




最後は絶対こち亀のBGM流れてる。

はいでは邂逅してから上から順にその台詞のアイドルを当てよ。
たぶん数人ほどまったく作中に登場した覚えがないアイドルがいますがどこかで私のデレステでの押しキャラを書いたような気がするのでそれがヒント(書いてなかったらごめんちゃい)
まあそれ以外全部当てるだけでもすごいと思うよ、うん。一応そのアイドルに関する台詞を選んだつもりなんで簡単な部類だと思われ(全部がそうだとは限らない)

え、全問正解したら?
願いを一つ叶えてあげるよ。きっと、たぶん、メイビー。

ここから解説
といってもこっちは特に深く考えてない。復職?した彼が将来的には346の役員としていずれは社長になるであろう美城を補佐しながら事務所を経営していく感じです?

アイドル達との仲直りは……まあ上手くいったんじゃないですかね?

次回は765編なのですがちょっと時間かかります。


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ifルート 765編

おまたせ


 

 

 

 

 

 

 東京都のとある場所に建設途中の建物がある。外観はほぼ完成してるのか大型の重機などは見当たらない。周囲を柵で囲っており関係者以外は立ち入りができないようになっているようだ。

 ここは中々見晴らしがいい場所で奥にはフジテレビが見え、その手前にはレインボーブリッジがあって建物の横にゆりかもめが通る橋脚が建っている。それだけではなく周りを見渡せば東京湾が見渡せる。

 そんな場所に建っているこれは何なのかと、建設当初は誰もが気になっては首を傾げていた。しかし今では建物正面を見れば、これが一体何なのかすぐにわかってしまう。

 〈765LIVE THEATER〉そうここは、765プロが新しく展開する劇場だ。

 現在も多くの建設関係者の車が停まっているがすぐ目の前には公園もある。一般の人間だけではなく、毎日訪れては劇場の完成までの日々をブログで公開しているファンも大勢いる。

 そこに一人の男――かつてプロデューサーと呼ばれていた彼が歩いてきた。服装からして作業ではない。どちからと言えばランニングでもしているのか、スポーツウェアのような格好をして頭には帽子を被って劇場へと向かっていく。

 ちょうど出入り用のゲートにスーツを着たこれまたこの場には不釣り合いな男であるが、何を隠そう彼こそがこの劇場の所有者である高木順一朗である。

 

「おーい、君! いやぁ待っていたよ!」

「元気そうで何よりですよ、順一朗さん」

「はっはっは。私はまだまだ現役さ! にしても、スーツ姿じゃない君を見るのは久しぶりだ」

「まあ、四六時中スーツ着てたものですから」

「それもそうだ。ところで、ランニングでここまで来たのかい?」

「ええ。少し怠けすぎてたので。いい休暇ではありましたけど」

「成程ね。だからこそ貴音君と美希君の調子がいい訳だ」

「そ、そっすね」

 

 照れくさいのか頬を掻きながら彼は言った。仮にも40間近であるというのに。

 

「なに。それを知っているのは今でも私と順二朗だけだよ。それにこれからのことを考えれば、二人だけではなく、みんなが張り切るに決まってるさ」

「去ってからもう4年は経つんですよ? あいつらだってもう子供じゃあるまいし。赤羽根だってよくやっているんでしょ?」

「君の指導のおかげさ。まあ立ち話も何だから歩きながら話そう」

 

 順一朗の先導で敷地内に入っていき劇場の正面ゲートを通って中へ。入ればすぐ目の前にはチケット売り場も含めた受付だろうか。右側にはグッズコーナーらしき台やショーケースがある。受付のすぐ横に階段があるので、そこをあがればライブステージに入れるのだろう。

 ここは横は短いが縦に長い作りになっているので他と比べるとシンプルな構造をしているように思えた。

 内装の出来栄えとしてはほとんど出来ているのだろうと彼は気づいた。まだ作業員が出入りしていることや何かまだ置くのかはわらかないが所々ビニールが敷いてある。

 

「開演は初公演と同時に行う予定なんだ」

「なるほど。このペースだともうすぐでは?」

「ああ。来月の6月29日を予定している。初公演はやはり765プロ全員によるステージだからね。私だけではなくアイドル達も気合が入っているよ」

「でしょうね。二人も張り切ってました」

「それはなによりだ。まだ最初は定期ライブだが、ゆくゆくは舞台にも挑戦しようと思ってるんだ。そのためにステージにはかなり口を出したし、設備も大手事務所には負けないものにしたんだ!」

 

 語る順一朗はさながら子供のようだと彼は思った。凄く純粋で夢に向かって邁進中。年甲斐もないなんて言わないが、自分もこんな感じだったらと少し嫉妬してしまう。少なくとも自分の時と比べれば、彼の方が生き生きしているのは間違いない。

 

「では、そのステージでも見に行きますか」

「おおそうだね。こっちだ」

 

 順一朗の案内のもと会場へ向かう。チケット売り場の横にある階段を上ったすぐに大きな扉があった。扉は開いていてそのまま中に入る。

 彼は「おー」と声を漏らした。

 会場内はまだ作業が続いているため照明はついているおかげで、全体の光景がよく見渡せた。外から建物の外観で予想していたように、ここは横は狭いが縦に広い空間だ。イメージとしてはドームやアリーナのステージから正面だけを切り取った感じだろうか。

 

「どうだい、感想は?」

 

 自慢のステージを見せて興奮しているのか、順一朗はニヤニヤとしながら訊いてきた。

 

「圧巻、と言えばいんですかね。生まれて初めてですよ、出来たばかりのステージを見るのは。今までは既存のドームばかりでしたしね。新品の匂いというか……凄いです」

「そうだろそうだろう! あとで黒井にも自慢してやろうかと思ってるところだ」

「ははは。まあ、あの人なら口では興味ない素振りはしてても、ちょっとは悔しがるでしょうね」

「その顔が見たいんだよ!」

「なるほど。にしても、アイドルブームもここまで来たかって感じなんでしょうか。いち事務所が一つの劇場を持つ。夢のような話なのに、現にこうしてあるんだから人生分からないものです」

「確かにそうだ。しかし、時には変化も必要だと私は思っている、これがそれだよ」

「ファンからすれば、より身近にアイドルを感じられるし、アイドル達からすればより新しい高みへのステップ、そんなところですかね。本当、順一朗さんの突拍子な行動には敵いませんよ」

「なに。君には負けるさ」

「それはどうも。ところで」

 

 話を変えるように彼は劇場を見渡しはじめた。

 

「ここ、実際どのくらい掛かってるんですか?」

「……それ、聞くかね?」

 

 顔色からしてどうやらあまり踏み込んでは欲しくないようだ。

 

「ええ。大方、順二朗さんと小鳥ちゃんにすら相談せずに話を進めたんでしょ?」

「……君には分かってしまうか」

「勘ですけどね。いくらここ数年で売上が右肩上がりでも、流石にこれだけのものをポンと払えた訳じゃないだろうし」

「当然足りない分は借りたが……なぜそんなことを訊くんだい?」

「困ってるなら俺が少し出そうかと」

「……いやいや! 別に怪しい所からなんて借りてないぞ⁉ ちゃんと水瀬の紹介だ、安心できる」

「ならいんですが。あ、本当に困ったら言ってくださいよ。10万ドルはポンっとすぐに用意できますから。それ以上……億単位だとちょっと時間かかりますがね」

「それ、大丈夫なんだろうね?」

 

 順一朗は金が綺麗であるという意味以上に、その曖昧な金を持っている彼を心配していた。そんな心配を他所に、彼はとあるアイドルと似たような不敵な笑みを浮かべていた。

 

「人生生きていれば、色々あるものですよ」

「そうだね。うん、確かに……そうだ」

 

 考えることを放棄したのか順一朗はどこか遠い目をしていた。彼は話題を変えるためにたずねた。

 

「さて。ここまで見せたんだ。やっぱり辞めますはやめてくれよ?」

「そんなことはしませんよ」

「というと⁉」

「ええ。お受けしますよ、この劇場の支配人を。まぁ正直に言うと、プロデューサー業からは少し離れて椅子に座った楽な仕事をしたかったもので、ちょうどよかった」

「よく言うよ。どうせ君のことだ、面白いと思ったら手を出すだろうに」

「さぁ? それはどうでしょう。それこそ、その39プロジェクトのアイドル達次第、と言ったところですか」

「なに。そこは期待してくれたまえ。自慢のアイドル達だ」

「それは楽しみだ」

「ところで。貴音君達はともかく、39プロジェクトの〈ミリオンスターズ〉達のことは知らないんだろう?」

 

 39プロジェクトのアイドル達は、彼が346プロへ移籍した後に入れ替わるように765プロに入ってきた子達だ。346プロに居た際も、これもどういう訳か一緒に仕事をしたことがなく接点がない。彼自身も顔は知っているが名前と一致する自信はなく、今回の話を受けてようやく彼女達の顔と名前を覚えられるようにはなったぐらいなのだ。

 

「ああ、その点はご心配はなく。顔と名前は最近覚えましたんで」

「仕事が早いね。では、顔合わせはどうする?」

「それはまだ先でいいでしょう。それよりも、俺としては彼女達の実力を知っておきたいので、近い内にレッスンに顔を出しますよ。あ、もちろんちゃんと変装をして」

「一応聞いておこうか。それはなんでだい?」

「だって、その方が面白いじゃないですか」

「同感だ」

 

 弟子は師匠に似ることがあると言う。

 人は彼を黒井によく似ていると言っていたものだが、黒井に負けじと順一朗の方にもよく似ているようで。

 二人は年が離れているのにもかかわらず、親子のように笑い合っていた。

 

 

 

 

 新しい765プロにはなんとトレーニングルームがある。広さはなんといっても52人全員が横に並べるぐらいに広い。

 そこに座りながら美希は部屋を見渡す。

 全員がこの場にいる光景はまさに圧巻だと思う。何故かと言われれば、こうして全員が一緒にレッスンをすることは本当に滅多にないからだ。特に去年に至っては自分はアイドル活動を休止していたし、貴音は一人で集中するために別の所でレッスンをしていたからで。それを除いても全員の時間を合わせて限られた時間ではあるが、52人全員でレッスンするというのは奇跡に近い。

 赤羽根Pも今回のような状況を作ろうとはしたことはあったのは覚えているけど、たしか出来なかったはず。彼も頑張っているのは分かっていることなので、それを責めることは間違っている。

 まぁ、全員でレッスンするに越したことはないけどね。特に次は大事なライブだし。

 765プロが運営する劇場。美希をはじめアイドル達は驚いてはいたがそれよりも、新しい事に挑戦できる嬉しさのが勝っていた。なにせ、今までよりもライブを頻繁に行えるのだ。楽しみで仕方ないのもわかる。

 用意されていたスポーツドリンクに口を付けると、隣に座っていた伊吹翼が声をかけてきた。

 

「それにしても美希先輩すごいですよねー。1年のブランクなんて感じませんよ」

「そうかな? これでもまだ本調子ってわけじゃないんだけど」

「そんなことないですって! むしろ、今の方がいいですよ! 動きのキレっていうか、その辺り!」

「一応ほめ言葉として受け取っておくの」

 

 翼はミキの1つ下で、確かに先輩後輩なのだが年もそんな離れていないのだから『先輩』なんてつけなくても普通に呼び捨てでもいいと言ったのだが、これが巌に変えてはくれなかった。今ではそれの呼び方には慣れているし、翼はけっこう可愛いところがあるので好きな子だ。

 最初はちょっと昔のミキに似ているなぁなんて軽い気持ちでいた美希であるが、今では要注意人物の一人になっていた。

 理由はまさしく彼女は自分似ていると言ったように、翼も彼と出会えばどうなるかわらかないからであった。

 なので、今日(・・)から特に目を光らせていた。

 もちろんそれとなくである。そんな美希に突然の奇襲をかけるように千早が寄ってきた。

 

「でもね翼。昔の美希はとても自分勝手だったのよ?」

「え、本当ですか? でも美希先輩らしい気がしますけど?」

「ええそうね。懐かしいわ。『ミキは今のレベルで合わせるのは嫌なの』だったかしら」

「あー! 千早さん! ミキの黒歴史を言わないでなの!

「あら。今でも自覚があったの? ちょっと意外からしら」

「千早ちゃんも意地悪なんだから」

「そうそう。『ミキならもっとうまく踊れるもん』だっけ?」

「ま、真くん。それ以上は美希ちゃんがかわいそうだよ。……ふふ」

「雪歩だって笑ってるじゃない」

「いやいや。本当は『みんななんて足手まといなの!』でしょ!」

「えー? たしか『ミキがさいきょーなの!』じゃなかったけ?」

「最終的にプロデューサーに『お前なんか勘違いしてねぇか?』って怒られたぞ」

「あらぁ。そこは『まぁ、落ち着けよ』って言われながらペットボトルで殴られなかったかしら?」

『ええぇ……』

 追い打ちをかけるように春香が言うと、続くように他のメンバーもあれこれ言い始める。当時を知る春香達からすれば思い出話であるが、翼達からすれば知られざる星井美希の秘密のようなもので気になるのは致しかたないことであった。

 

「お願いだからこれ以上死体蹴りは勘弁してなの……」

「良いではありませんか。今では懐かしい思い出なのですから、そこは笑って流せばよいのです」

「そういう貴音はなんで自分だけ安全地帯にいるの⁉ ズルいの!」

「そう言われましても。わたくしにはそのようなえぴそーどはございませんし」

「あるの! ……あるよね?」

 

 自信がなくなり助けを求めるために春香達に視線を向ける。しかし各々の顔は渋い。

 

「あったっけ?」

「貴音さん、スキャンダルらしいの一回ぐらいだったような?」

「うんうん。お姫ちんの変装は凝ってるしね」

「スキャンダルよりも、兄ちゃんにベッタリなのが印象に残ってるよね~」

「そうそう。貴音ったらいつもあいつの隣にいたぐらいだし」

「貴音さんはプロデューサーさんに夢中だったもんね」

「……コホン。はて、記憶にございません」

「ウソだぞ。信じられなぐらい甘えん坊で、何かあるとすぐにいじけてたぞ」

「響ぃ!」

「いいぞーもっとやれなのー」

 

 矛先が見事貴音に向いたのでさらに追い打ちをかける。自分だけ弄られるのは不公平なのだから、貴音も自分と同じ目に遭うのは当然の義務。だってわたし達は運命共同体なのだから。

 しかし本人は違っているようで、目だけはギロっとこちらに向けていた。

 

「ところで、そのプロデューサーって誰です? 赤羽根Pとは別の人なんですか?」

 

 と騒いでいる中、誰かの声が言った。すると美希達は口を揃えて『あ』と言葉を漏らした。彼女達の顔はどれもすっかり忘れていた、そんな風に見える。

 この件に関しては無理もないことだった。彼女達が765プロにやって来てからは、彼の話題が出ることはほとんどなかったのだ。旧事務所や今の事務所にあるトロフィーやら表彰状などが飾ってある場所に、最後に一緒に過ごしたクリスマスでの集合写真が飾ってあるだけ。誰かしらこの人物について一度は話題にあがるも、それも大分前の話で一回聞いただけのことを覚えている方が無理な話だった。

 

「前に話してた気がするけど、その人みんなが来る前にいたプロデューサーなの。まだ私がプロデューサーをやっていた時ね」

 

 律子が軽く説明するも、大半が首を傾げている中誰かが言った。

 

「その人、どうして辞めたんです?」

「そういう契約だったってだけ。深い意味はないわ。……まぁそうね、貴音担当のプロデューサーなのはたしかね」

「伊織!」

「いいじゃない。別に知られて困ることじゃないでしょ?」

「そうだそうだ」

「じゃあ、今の貴音ちゃんがあるのもその人のおかげってことかしら?」

 

 この場にいる中で2番目の年長である百瀬莉緒が言った。

 

「貴音さんっていうより、私達全員……ううん、765プロかな?」

 

 春香が言うと先輩組である彼女達はうんうんとうなずいていて感慨深い様子。

 

「春香さん達がそこまで言う人ってことは、とてもすごい人なんですね! 一度会ってみたいです!」

「ん? あ、未来。みんなもだけど、一度(・・)は会ってるの」

『?』

 

 美希の言葉の意味がわからず彼女達は再び首を傾げた。それを問おうとした時に部屋の出入り口の扉が開いく。

 いつもの765プロがお世話になっている女性のトレーナーとその助手(・・)らしい男だ。彼女は手を叩きながら中央に歩いていく。

 

「はいはい! 休憩はここまでね。時間的にあと1時間しかないけど、休憩を挟みながら通しでやります。みんな位置について」

 

 トレーナーの合図で全員が位置につくと、ラジカセの再生ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 52人によるダンスはレッスンと言えど圧倒される。身長やダンスの上手さも個々によってばらつきがあるのは当然で、それでもトップアイドルである彼女達は限りなく統率が取れているように見える。それを一人のトレーナーが見ているのだから、その彼女の腕は確かである証明でもある。

 しかしそんな凄腕トレーナーでも、今日はなぜか助手が一人いる。それも超がつくほどの変なおっさん、というのが39プロジェクトのアイドル達全員による第一印象であった。

 服装はadidasのジャージを着ていてその頭にはタオルを巻いている。さらにサングラスと俗に言うラウンド髭と呼ばれている髭を生やして、まさに変なおっさんであった。特に変なのが助手の癖にやけに偉そうな態度を取っていることだった。トレーナーの隣に立っているのがほとんどなのだが、その隣で腕を組んでいるだけ。それ以外だとたまにアイドル達をぐるっと1周するぐらい。

 あとは別に珍しくないビデオカメラを設置してレッスンを撮っている。あとで確認するのだろうということは彼女達にもわかる。52人だけあって一台では足りず、計3台も使って同時録画。そしてそれを用意して設置したのも彼で、本当に訳の分からないおっさん。

 どういう訳か、春香達は彼を一度見た途端に口を押えて笑いを堪えているのが、彼女達にとってとても印象的だった。

 そんな疑問といったモヤモヤした感情が残る中レッスンは続いている。

 たとえそんな状態でもレッスンが始まれば頭が切り替えてダンスに集中するので特には問題はない、けれどその存在感だけは目に映ってしまえばどうしても切り離せなかった。

 音楽が鳴りやむ。

 約5分10秒のダンス。彼女達にとっては長い時間も気づけばすでに1回消化していた。

 

「お疲れさま。休んでちょうだい。……え? あ、はい……はい」

 

 指示を出しているトレーナーに男が割って入ると、彼女に耳打ちしながら何かを伝えていた。これも休憩前によく見られた光景だった。

 

「今度は何人かタイミングずれている子がいます。えーと、はい、タイミングが少し早いです。海美さんはこの時。エレナさんは……」

 

 トレーナーが一人一人名前をあげ、その場所を教えている。その言葉を真剣に受け止める彼女達であるが、どうしても違和感が出てきてしまう。喋り方が特に顕著で例えるならそれは、トレーナー自身もそれに気づいているわけではなく、いや、気づかなかったことを言われて初めて気づかされたような感じで、それを彼が教えているような感じであった。

 それもそのはずで、トレーナーである彼女から見ても今の段階における彼女達のダンスは形になっていると判断していて、公演も月末に控えている中で全員参加のレッスンが限られているこの状況であるなら文句のつけようがなかった。

 そこを自身も気づかなった点に気づいて横から彼女に教えていて、互いの立場上もっと威厳を持っていなければならないのに、彼の正体を知っているが故に縮こまってしまっていた。

 彼女の本音は今すぐ立場を代わってほしいぐらいだった。

 

「互いの位置やタイミングも重要だけど、最後はファンに喜んでもらためにもあなた達自身も楽しくやっていきましょう。では、もう一度はじめから」

『はい!』

 

 それから時間一杯までレッスンは続いた。その間も彼はトレーナーに伝えるだけで直接口を出すことはなく、最後はクリップボードに何かを書いてるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 レッスン後、彼女達はシャワールームで汗を流していた。さすがに全員分は設置されておらず、交代で使用するのが全員でレッスンした時の決まり事になっている。その順番を決めるのは、シンプルにじゃんけんだった。

 最初の権利を勝ち取った貴音はゆっくりと汗を流すことなく、すでに退出する準備を始めていてその行動はどこか余裕があるのに急いでいるようにも見えた。彼女は自慢の銀色の髪の毛をどうやれば素早く丁寧に洗えるのかをすでに身に着けている、伊達に長くアイドルをやっていないのである。

 しかしそんな貴音の意思とは関係なく、隣でシャワーを浴びていた一番の年長者である馬場このみが横から乗り出して声をかけた。

 彼女の身長は143cm。悲しいことに上から乗り出すことはできないないのである。

 

「ねぇ、貴音ちゃん。私……気になっていたことがあるんだけど」

「はい。なんでしょうか」

「貴音ちゃんの肌……最近すっごくツヤツヤだと思うの! 若いから張りがあるのは当然だけど、若さだけじゃ言い表せないのよ!」

「え、えーと。わたくし、特にこれと言って特別なことはしておりませんが……」

「でも、お化粧はちゃんとしてるのよね? 貴音ちゃん、私なんかよりすごく上手だし」

「それは教えてもらった方がお上手でしたので」

 

 講師は男の人でした。と口を出せばもっと酷くなるのは目に見えているのは明白。貴音も昔より賢くなっていた。が、周りがそうはさせてはくれないのである。同じく隣にいた莉緒が乗り出して言ってきた。

 

「あ、それは私も気になってたの! 貴音ちゃんってば、この中で2番目に胸が大きいのに肩がこったことないって言ってたもの!」

「わたくし、そのような事を口に出したでしょうか……」

「出しました! 私、聞きましたもん!」

 

 このみ、莉緒に豊川風花がわざわざ近づいてきた言いに来た。彼女のバストは93cmで765プロの中で一番大きい。なお、これ以上の猛者が他の事務所にいたりする。

 

「風花はその、こるのですか?」

「それはもう! 貴音ちゃんは本当にこらないんですか⁉」

「え、ええ。生まれてこの方ずっと」

「う、羨ましい……」

「持たざる者には分からない悩み……」

「良いわね~。でも、なんでかしらね……ん? ねぇ、貴音ちゃん」

「? なんでしょう、莉緒」

 

 莉緒は仕切り板から乗り出してじっと貴音の胸を凝視した。ただ場所が場所だけに湯気ではっきりとは見えない。

 

「胸のその痣、かしら? どうしたの?」

「あざ? ……!」

 

 思わず貴音は身体が固まった。彼女から見て胸の乳房には、たしかに妙な痣ある。それを莉緒をは見つけたのだろう。

 

「怪我じゃないわよね? ちょっとお姉さんに見せてみなさい」

「い、いえ。これは、大したことではありません、ええありませんので、気になさらずに」

「だーめ。ちゃんと見せなさい。アイドルなんだから、後で問題になると不味いでしょ」

「大丈夫、本当に大丈夫ですから!」

 

 隣から移動してきて詰め寄る莉緒に、気づけば足は後ろへと下がってしまい壁際へと追い込まれてしまう。

 不味い。これは、非常によくない。貴音は痣のある部分をなんとか隠しながら今の状況を打開すべく考える。目の前には莉緒。その後ろはこのみと風花。気配からして、この騒ぎになんだなんだと他のみんなが群がっているのがわかる。

 もし、この痣がただの痣ではないこと知られてしまった時のことを想像する。思わず唾を飲み込んでしまうほどの惨劇が待っている。

 な、なんとかしなくてはと頭を働かせるも、残念ながら案は出てこない。

 そんな時、シャワールームの一番奥からワザとらしい大きな声が聞こえてきた。

 

「それじゃあお先に失礼しますなのー!」

 

 美希だ。見当たらないと思ったら一番端にいたらしい。

 いや、それよりもこれは抜け駆けでルール違反だ。貴音はそれに乗じて莉緒を無理やり押し退けて駆け出した。

 

「美希! 抜け駆けは許しませんよ!」

「えー? なんのことか、ミキわかんなーい!」 

「あなたという子はよくも抜け抜けと――」

「別にミキはシャワーを浴びたから出るだけですぅ――」

 

 何やら口論をしながらシャワールームを出ていく二人。そして残された莉緒たちは、ただ二人の背中を眺めていて、二人がいなくなるとこのみが莉緒にたずねた。

 

「……結局、なんの痣だったわけ?」

「どかで見覚えのあるような痣だったのよ……。忘れちゃったけど」

「はぁ。私も出ようっと」

「ぜっったい! 何かあるのよ!」

「はいはい。風邪ひかないようにねー」

 

 このみは一番の年長者であり誰よりも落ち着きのあるお姉さんなのでクールに去るのであった。

 

 

 

 

 

「はっきり言って、俺が教えることなんてもうないんだがね」

 

 目の前にある3台のモニターに映し出されている映像を見ながら、彼はウィスキーが入ったロックグラスを手に持ちながら言う。

 765プロののアイドル達、特に春香達に関しては昔のようにあれこれ指導する必要はほとんどないのだ。トップアイドルでもありアイドルしてもベテランの域に達している彼女達ならば、映像を見ればあとはトレーナーの言うことを一回聞けば自分のどこかダメなのか、どうすればいいのかを理解しているはずだ。後輩である39プロジェクトのアイドルに関しても同様である。

 それ以上を求めるとなると、本当に大掛かりなダンスなどの時ぐらいでしか口を挟めない。それでも口を出したのは、単に気を引き締めるのもあるし慢心させないためでもある。

 一口ウィスキーを飲みながら気になったところをメモをしていると、後ろから抱きしめられた。

 この匂いは美希だ。

 風呂上がりなのか体が火照っている。

 

「どうハニー。久しぶりに見たミキ達のダンスは?」

「んーそうだな。成長したってはっきりと分かるよ」

「でしょでしょ。みんなはさ、ミキのこと前より動きが良いって言うんだけどハニーはどう思う?」

「キレが良くなってるな。お前に限らず、他の子達もまだまだこれからなんだから、伸びしろは確かにある。響や真だって良くなっているよ。それでも、お前は群を抜いている」

「えへへ。やっぱり、愛のパワーなの」

 

 すりすりと猫のように顔を擦りつけてくる美希を彼は嫌な顔せず受け入れていた。彼自身も彼女の言葉に思い当たるのか否定はしないようだ。

 

「それを抜きにしてお前は成長したよ。昔みたいに駄々をこねなくなったしな」

「あー! それは言わないでほしいの! ていうか、ハニー聞いてたの⁉」

「耳はいいんでね」

「あらあら。美希が騒いでますけど、何かあったのですか?」

 

 声の方に振り向くと寝間着に着替えた貴音が両手にグラスを持ってやってきた。色からしてお酒で、たぶんサワーだろう。

 二人はもう成人しているので普通にお酒を適度に楽しんでいる。最初はビールにも挑戦したが口に合わずウィスキーは度が強ぎてダメ。結局甘いお酒しか飲んでいない。

 以前から二人にお酌をしてもらっていて、成人したら一緒に飲むのが一つの目標だと言っていた。今ではそれが実現してこうして三人で一緒にお酒を飲む光景は彼も一日の終わりの楽しみとなっている。

 

「なに。美希がレッスンに文句を言わなくなったから成長したなってだけだよ」

「うふふ。そうですね」

「はいはい。この話はおしまいなの」

「それにしてもあなた様」

「ん?」

「あの変装。みな笑っていましたよ」

 

 貴音は両手でサワーを飲みながら微笑を浮かべながら言ってきた。

 

「そんなに変か、あれ」

「ミキと貴音は事前に見たから平気だったけどねー」

「変、ではありませんが……。当日にびっくりさせたいと言っても、春香達にはあまり意味がないかと」

「いいんだよ。〈ミリオンライブ〉だったか? 彼女達には効果があるわけだし」

「ま、ハニーがしたいならそれでいいとミキは思うけどね」

「それはわたくしも同感です。ところであなた様。実際に見てあの子らはどうでしたか?」

 

 彼女は頬を赤く染めながら訊いてきた。貴音はお酒が強くも弱くもなくごく普通と言った感じで、それでも意外と顔にはすぐに表れるのか、酔っているのかそれともただ火照っているのか見当がまだつかないでいた。

 いまの様子なら多分、その答えを楽しみに待っている感じだろうか。

 

「いいと思う。39人の名前と顔をやっと覚えたぐらいだけど。伊達に今現在トップで活躍しているアイドルだけある」

「自慢の仲間達ですから」

「うんうん」

「お前達に似て、個性が強そうなやつらばかりだしな」

 

 ウィスキーを一口に飲んで動画を眺める。直接話したわけではないが会話を聞いている限りでは彼女達以上に個性が強くてかつ手のかかりそうな少女達。この感覚は以前346でも感じたもので、要はそういうことなのだろう。

 赤羽根が手を焼いているところを想像したらつい苦笑してしまうぐらいには。

 

「ところであなた様」

「なんだよ」

「これだ! っていう子はいたりしたの?」

「……それ、一々聞くことか? 俺は支配人で直接手を下す機会は少ないし、どちらかと言えば広報というか裏方だぞ」

「それはそれです」

「ハニーのことだからさ、いそうなんだよね」

「何がいそうなんだ」

「あなた様好みの女子が」

「うんうん」

 

 やけに言葉に棘がある言い方をする二人。酔いが回っているかと思ったが、顔からしてやけに怖く真剣な眼差しをしてくる。彼は小さなため息をついた。同棲をしてから半年は経っているというに、ことこの件に関することは本当に信頼をしてくれてはいないのだ。

 昔からの習慣と言えばそうなのであるが、こればかりは自分の決断の遅さが招いたことでもあるとは理解しているものの、いい加減信じては欲しいものである。今も早く白状しろと言わんばかりだ、そんな相手二人以外には考えられないというのに。

 

「あのな。俺はお前らを捨てて他の女に行くほど屑じゃない。もっと言えばその……お前ら以外の女を好きになるなんてことはない。貴音、美希……お前ら二人は俺にとって、大切な存在なんだ。だから、そんなこと言わないでくれ」

「もちろんそんなことは知っていますと」

「当たり前だよね」

「ええぇ……」

 

 年甲斐もなく恥ずかしい台詞を言えば素面で返された。

 酷い。普通にショックを受けた。

 ならば何がいけないというのか。彼は呆れながらそれをたずねた。

 

「問題なのはあなた様自身です」

「お、俺?」

「ハニーが何かしら些細なことで、あの子達がハニーに惚れちゃうのが危険なの」

「ないだろ。もうすぐ40のおっさんだぞ、俺」

「そのおっさんにベタ惚れな女がいるのをお忘れですか?」

「それはまあ……その」

「だから、心配なの!」

 

 二人がグイっと乗り出して今にも唇と唇が触れ合いそうな距離で、すっと息を吸うと甘い匂いがした。彼は思わず顔を背けると、視線の先にはちょうど映像が止まっていて数名のアイドルが映し出されている。そこの一人にやけに貴音の髪と似ているようで似ていない少女をが思わず目に入ってしまった。

 気になるアイドルがいないというは確かに嘘で、でもそれは下心からではなく純粋な……好奇心というやつだ。そのことのついて貴音に直接聞きたいが怖くて聞けないでいた。

 そんな一瞬の反応を見抜いたのか、貴音と美希の口から再度告げられた。

 

「で、本当のところ」

「気になる子、いるんでしょ」

「……い、いません」

 

 結局、嘘をつくことでしから逃げられない情けない大人にいつからなってしまったのだろうか。彼はそのことを自問自答しながら二人の尋問から意識を遠ざけているのであった。

 

 

 

 

 

 シアター開演を約2週間後に控えた今日。劇場には765プロに所属する全員が劇場のホールに集まっていた。いくら広いとは言っても、50を超えるアイドルと数名の職員が集まれば狭く感じるものだ。

 ホールにあるチケット売り場正面には高木会長、社長両名にプロデューサーである赤羽根と事務員である小鳥に美咲がアイドル達と向かい合う形で立っている。

 会長である順一朗がコホンとワザとらしい咳払いをして普段より声を出しながら話を始めた。

 

「諸君、今日という日に全員が集まれて本当に喜ばしい。まずは赤羽根P、よくやってくれた」

「いえ。休みは無理ですけど、ほんの数時間程度ならなんとかできますから」

「うむ。さて、今日ここにみんなを連れてきた理由はそう! ついにこの我が765プロためだけのライブシアターがようやく完成したということだ!」

『おおぉ~~~!!!』

 

 アイドル達の喜びの声に順一朗はうんうんとうなずきながら笑顔を受かべる。彼にとって彼女達には娘も同然。彼女達の笑顔がなによりの喜びだ。

 

「あとは開演に向けてのレッスンと細かい点だけだ。なので最後まで気を引き締めてほしい」

『はい!』

「アイドル事務所が単独で劇場を持つのは我が765プロが初めての試み。まだ試行錯誤で課題も出てくるだろうが、君たちならきっと切り開いてくれると信じている」

「それと返済もまだ残ってますしね」

「こ、小鳥君。それは言わない約束ではないかね⁉」

 

 ぼそりとそっぽ向きながら呟いた小鳥の小言は全員に聞き渡り苦笑が漏れる。

 そんな中、誰かが手を挙げながら順一朗にたずねた。

 

「ところで、この劇場が誰が担当するですかー?」

「たしかにそうだよね」

「赤羽根Pはこっちにずっといられないし……」

「となる誰になるのかな?」

「うーん……会長?」

「あー、うん」

「だよね。一番暇そうだしね」

 

 気づけば何故か自分にあらぬ誤解が生まれていることに順一朗は困惑しつつも威厳を保つために何度目か分からぬ咳ばらいをした。

 

「おっほん! それついても説明しよう。一応赤羽根Pにもこちらには顔を出してもらうが、こちらは本格的に独立した形となる予定だ。公演が組まれているアイドル達にはこちらを拠点とし、レッスンと活動を行ってもらう予定だ。そのために事務員として美咲君が担当してもらう」

「じゃあ、美咲ちゃん一人だけなんですかー?」

「いや。そのために私はこの劇場の支配人として、とても優秀な人材を雇ったのだよ!」

『おおぉおお~~~~!!!!』

 

 驚きの声を上げる中、〈オールスターズ〉と大人達はその人間がわかっているのか〈ミリオンライブ〉の39人達より以前に似たような雰囲気を纏いながら笑みを浮かべている。

 

「で、その新しい仲間を紹介したのだが……彼はどこだい?」

「来てるんじゃないのか?」

 

 すぐに順二朗が返してきたが知らない。視線を隣にいる赤羽根Pに向けるが彼も同じで、美咲君に至っては面識がない。となる小鳥君になる。

 すると、自分の視線からそれを悟ったのか、彼女が言ってきた。

 

「あれ、もう着いたって連絡ありましたよ。どこかにいるんじゃないんですか?」

「どこかって……うーん困った。ん? ところで、我が765プロのツートップがいないようだが……」

 

 髪の色や存在感で気づかないはずのない二人、四条貴音と星井美希がいないことに気づく。それには順一朗だけではなく、他の全員も今気づいたらしくざわめきはじめる。

 それを破るように我那覇響がみんなに伝えるように言う。

 

「あ、二人ならステージにいるぞ」

「どうして響君が知っているんだい?」

「聞かれたらそう伝えてくれって言われただけだぞ。どうぜ、プロデューサーと一緒にいるんでしょ」

『プロデューサー?』

 

 響の言葉に〈ミリオンライブ〉のアイドル達は首を傾げた。事情を知らない彼女達にとって、支配人と言っていたのにプロデューサーといる言えばそうもなる。

 とりあえずライブホールに移動することになり、順一朗達を先頭に歩くその列は学校の行事で移動する教師と生徒を彷彿させた。

 

 

 

 

 

 彼らがライブホールに入るとホールにある照明がステージを照らしており、まるでここを通ることを見越していたのかステージまで続く通路も照らされていた。

 入口付近からでもステージは少し距離があるが明るいためよく見える。そのためか、上から人が落ちてドンっと大きな音が確かに聞こえた。

 一瞬の光景ではあったが全員が目を疑っていた。それでも目的の人間に会うためにステージへ向かう。その間も数回ほどステージ上から人が落ちてくる光景を目の当たりにする。

 貴音と美希はステージから一番近い席に座っており、順一朗達に気づくと立ち上がって彼らを迎えた。

 

「意外と早く参られましたね」

「もっと遅いかと思ったの~」

「いやいや。そんなことより、彼は何をしているんだい?」

「さぁ? 何でも、ライブの演出でアイディアが湧いたからと言って」

「ああやってさっきから天井から落ちてるの」

「あ、アイディア?」

「驚かれるのも無理はありません。ただ、いきなり天井から落ちるとは思いませんでしたけど」

「あれを君たちにやらせるつもりなのか、彼は」

「できるからやってるんじゃないかな? あ、そろそろ落ちてくるの」

 

 美希の言葉に順一朗をはじめ全員がステージ上を見上げた。照明のせいではっきりと見えないが、その先は暗闇でうっすらと人影の姿が。それを視認すると同時にそれは落ちてきた。

 ものの数秒の出来事。今度ははっきりと目の前で男が上から落ちてきた。

 その着地姿勢を見て誰かが漏らした。

 

「あ、あれはスーパーヒーロー着地!」

 

 カッコいい割には結構痛いという有名な着地を見せた男――彼は、顔を上げて順一朗達に気づいてようやく飛び降りることを止めた。

 そしていつのまにかステージ上に移動していた貴音が彼のスーツの上着を持って上がっており、彼はそれを彼女に着せてもらいながらステージの一番前まで歩いていく。

 スーツは素人目に見ても高級感漂う生地で、順一朗達も年相応によいスーツを着ているがそれ以上の物だとわかる。ただ服装的には礼装あるいはまさに支配人に相応しいと言える。

 

「まるで校長と教頭、それにクラス担任であとは美人の保険医と研修生と生徒。そういった感じですね」

「美人の保険医なんて……もうプロデューサーさんったら」

「あなた様」

「ハニー」

「はいはい」

『あなた様? ハニー?』

 

 今にも声だけで殺せそうな雰囲気に相槌を打ちながら彼はステージから降りると、貴音に腕を差し伸べて降りてきた彼女を受け止めて下におろした。

 貴音と同じようにその手に如何にもといったシルクハットとこれまた高級そうなステッキを渡した。

 

「それ、どうしたんですか?」

 

 赤羽根Pが恐る恐るたずねた。

 

「まずは形からと思ってな。久しぶりに高い買い物したよ」

「へ、へぇー……」

「と、とにかくだ。みんなに改めて紹介しよう。彼がこの劇場の支配人で、我が765プロの最終兵器だ!」

「大袈裟なんですよ。こほん。さて、会うのは久しぶりだがこうして話すのは初めてだな。改めてまして、俺がこの劇場の支配人であり、この場においては君達のボスということになる。ま、よろしく頼むよ」

 

 杖を床に突きながらそれらしいポーズを決めて自己紹介した彼。たしかに彼を知らぬ者がみたら雰囲気があるし言葉にも説得力もある。

 しかしそれも、初対面の話。

 

「うわぁー、カッコつけてる!」

「ほんと、ちょっと年食ったからってなにやってるんだが」

「ついこの間までニートだったくせにねー」

「ねー」

「あらあら。わたしはいいと思いますよ。こう、ダンディみたいな感じで」

「まあ支配人よりボスのが似合ってるのは確かだなって自分も思うぞ」

「ふ、ふっふふ」

「千早ちゃんの変なツボが……」

 

 彼女達の言葉に眉毛がぴくぴくと動く。

 こうして直接会うのも数年ぶりだというのにこいつらはまったく変わっていないことに彼は怒りと喜びを同時に味わっていた。

 そんなかつての空気を味わっている中、置いてけぼりのアイドル達がたずねた。

 

「すみません。会うのは久しぶりって……」

「あれ、まだ気づかないの?」

「これならわかるのでは?」

 

 貴音がそういうとサングラスと付け髭を横から付けた。

 

『あーーーーー!!!! あの変で偉そうなおっさんだ!!!』

「やっぱ、面と向かって言われると傷つくわ」

「ですから止めた方がいいとあれほど申したのに」

「ほんとなの」

 

 かつての仲間達、そして新しい仲間達に囲まれながら彼はふと思った。

 これこそが自分が居るべき場所なのだと。

 そして――

 

 

 

 

 

 〈765 LIVE THEATER〉開演ライブ初日。

 チケットは完売御礼で劇場内はすでに全席埋め尽くされており、劇場の外も今回だけの特別措置として大型のモニターが設置されチケットを買えなかった人たちのための配慮もされた。

 さらにYouTubeの公式アカウントで同時中継も配信されている。

 今か今かと待っている中、ホール内の照明がゆっくりと落ちてステージに明かりが照らされた。そこには一人の男がシルクハットを被り、杖を構えながら立っていた。

 

「皆様初めまして。私はこの劇場の支配人であり、皆様を新しいステージへと導く案内人でもあります。さて、かのアイドルアルティメイト以来国内におけるアイドルブームは一層高まりつつあります。しかしそんな中、一つの新しい時代が切り開こうとしています。そう! アイドル事務所が劇場を持つ時代が来たのです! より身近に素晴らしいものを皆様にお届けできると私は思っております。では、我が〈765MILLION ALLSTARAS〉の初ライブをご覧いだきましょう! どうか最後までお楽しみください」

 

 照明が消えた数秒後垂れ幕があがり音楽が始まる。

 今この瞬間、新しいステージが始まる――

 

『とびらあけてさあ行こうよ 私たちのBrand New Theater Live!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先月の半ば時点で9割出来てて残りの一割をつい数時間前に書き上げた。
やっぱり一番やりたいことをやり切ったからもう限界が近いね。

ということで765ルートならぬミリシタルートです。当初は765プロに帰ってくるのがプロットで、ミリシタが始まったのでこれに変更しました。
多分書く気かあればこっちのネタで自分の好きなアイドルとの絡みを書くと思います。

今後の更新についてですが。以前にも言っていた正史ルートの話が二つ残っていて現状書けるかわかんないです。気持ち的には書きたいんですけどね。
その癖に765側ばっかりだからデレマスメインで新作書こうとして案は考えてる、まあ考えてるだけ。

本当に書くのを辞めることにしたら最後に箇条書きで残りのネタを書いてあげようかなとは思ってる。

では、今回はこれにて。



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