水面に映る月 (金づち水兵)
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序章
心残り


どうも初めまして、金づち水兵です。
まずは、拙作を開いていただきありがとうございます。

今回が初投稿であり、また様々な分野においてにわか&文才が乏しいので
ご都合主義的な部分や単語的・ストーリー的におかしい所があると思います。

温かい目で見守っていただけると幸いです。


では、どうぞ。

※感想欄にもネタバレらしき情報が溢れてるので、閲覧の際はご注意下さい。


甲高く耳障りな非常ベルが鳴り響く廊下。天井に備え付けられているスプリンクラーから雨のように海水が降り注ぎ、床に水たまりを形成していく。前後、左の隔壁は閉じられ、この区画以外の状況を伺うことはできない。ただ、現状は極めて絶望的だ。目の前には先ほどの雷撃による爆風をもろに受け、息絶えている乗組員が一人。うつぶせに倒れているため、顔を伺うことができないのが救いだ。

 

「クッソ………。やっぱり、こうなったか…………」

 

男は喉から絞り出すようなかすれた声で呟く。彼の名前は、知山 豊(ちやま ゆたか)。海上自衛隊を前身とする日本の防衛組織、日本海上国防軍の三佐であり、高知県須崎市の須崎基地を拠点とする特殊護衛艦部隊である第53防衛隊の司令官だ。

 

彼は全身に走る激痛に耐えながら、前方に見える亡骸へ視線を移す。

 

「あいつら……人の命を……なんだと思ってやがる………!!」

 

記憶の海に浮かぶ忌まわしい面々へ激しい怒りを覚える。

 

「俺たちは海上“国防”軍人だぞ……。俺たちは国民を、人々を守るのが仕事だろ…。

こんなの………クッソ!」

 

知山は手を強く握る。そして、面々への怒りを理性で抑え込み、自身のやるべきことを頭の中で反芻する。

 

自身は第53防衛隊の司令官。司令官として部下に適切な命令を下さなければならない。現状では尚更だ。雷撃を受ける前、鹿児島港出港時から哨戒任務についていたおきなみ、はやなみにかわって当部隊の隊長であるみずづきとかげろうが出撃している。なんとか彼女たちに指示を伝えなければならない。この命が尽きる前に………。

 

左耳に付けているインカムのスイッチを入れるため左手を動かそうとするが、左肩に激痛が走る。

 

「無理か………」

 

痛みの発生場所は大きくえぐれ、付け根の骨が露出していた。負傷した当初と比べれば出血は減ったが、いまだに鮮血が流れている。左手を諦め右手で試みるが、またも激痛が走る。今度は左肩と段違いだ。右手をそっと左の脇腹にあてる。そこには恐ろしいほど冷たい金属の棒がほぼ垂直に突き立っていた。それは知山の柔らかい体組織をやすやすと貫通し、背中を預けている壁にも食い込んでいる。

 

彼は尻を床につけ、爆風によって飛ばされてきた何かの配管に壁へ縫い付けられていた。

出血は配管が刺さって患部をふさいでいるためかあまりないものの、そのかわり痛みが尋常ではない。

 

それに必死に耐えつつ、右手を左耳のインカムに伸ばしスイッチを入れる。

 

「こちら知山。みずづき、応答せよ」

「………」

「こちら知山。みずづき、応答せよ」

「………」

 

何度呼びかけても返ってくるのは雑音ばかり。

 

「やっぱり、ダメか……」

 

今、知山がいるのは特殊護衛艦専用輸送船「たかなわ」の艦内。それの最も外側の通路、つまり金属板一枚を隔てた向こう側は海、という位置にいる。だから、被雷時の爆風が直撃した訳だが…。しかし、この位置でも艦内である以上、無線による外部との通信は難しい。平時なら艦の通信システム経由で可能なのだが、状況を見るにそれはもう使い物になっていないようだ。その現実に直面し肩を落とす。

 

「せめて、最後にあいつの声を聞きたかったんだけどな…………」

 

ついつい本音が声に出てしまう。徐々に朦朧としてくる意識。タイムリミットが近づいているのは当の本人が最も分かっていた。

 

彼が必死にあの世へといざなう睡魔と格闘していたその時。

 

「こち……づき、………か…、応答ね…います」

「っ!?」

「こちらみずづき! 司令官応答願います!   こちらみずづき! 司令官応答願います!!」

「奇跡が起きた……。最後の最後に運が残ってたのか? ………んな訳、ないな…」

 

そう言いつつも、表情が一気に緩む。あまりの嬉しさに激痛の中でも笑顔を浮かべる。この幸運に感謝し頭を軍人モードに切り替え、極力平静を装う。

 

「こちら知山。みずづき無事だったか?」

「司令官!? よかったぁ~。はい! 私もかげろうも損害はありません」

 

透き通るような若い女性の声が、役目を終えつつある鼓膜に届く。冒頭の様子から、何度も無線で呼びかけを行っていたようだ。

 

「そうか。現状はどうなっている?」

「たかなわへの雷撃と同時に、私とかげろうにも2発ずつ雷撃されましたが、全弾回避。計3隻の敵潜水艦を確認し、短魚雷による攻撃を敢行。全隻の撃沈を確認しました」

「そうか……」

「現在さらなる捜索を行っていますが、新手の反応は確認されていません。また、先ほどより海中が安定し、変音層も海面付近のみに存在、通常の状態に戻っています」

 

一気に気が抜け、安堵のため息が漏れる。被雷前に報告を受けた変音層が消えたのは吉報だ。

 

「ところで、司令官は今どこにおられますか?」

「・・・・・・・」

 

いつか来ると思っていた質問がついに来た。知山は必死にいつも通りを演出する。

 

「今か? ちょうど第二甲板から外に出ようとしているところだ。CICもFICも雷撃でやられたからな」

 

「まだ艦内ですか? かなり前に艦長から総員退艦命令が発令されたはずですが?」

 

敵潜水艦が放った魚雷は2発。うち1発は後部特殊護衛艦用ウェルドック付近、もう1発は艦中央、CIC・FIC区画下層付近にそれぞれ命中。機関は損傷し速力が低下、CICも甚大な被害を受け機能を喪失。また、ほぼ奇襲だったため、隔壁の閉鎖が浸水速度に追いつかず浸水域が拡大。これらを鑑み「たかなわ」艦長は自衛艦隊司令部や各基地、付近を航行中の味方艦艇に救難信号を発信し、総員退艦命令を発していたのだ。それは知山も放送を通じて耳にしていた。既に甲板上では生き残った乗組員たちが整列し、退艦を開始している。

 

「か、艦内が大混乱で退避に手間取ったんだよ」

 

ボーとしてくる頭を回転させ不自然さが出ないように言葉を見繕う。だが、その努力を「たかなわ」自身が発する鈍い金属音が台無しにする。当然、空を仰げる甲板上ではこんな閉鎖的な環境でしか発生しない反響音はしない。

 

みずづきの雰囲気が変わる。

 

「司令、本当のことを話して下さい。今どちらですか?」

 

底なしの不安とこれから告げられるであろう現実への恐怖がにじむ声でみずづきが問いかけてくる。それ聞いて知山は自身の嘘がどれほど残酷なものであったか、はっきりと認識する。

 

「悪かった、嘘ついて……。今、艦橋下第三甲板の第一通路付近にいる」

 

「っ!?」

 

息を飲むみずづき。そう、そこは生者が絶対にいてはいけない場所なのだ。彼女も「たかなわ」とのデータリンク、艦橋との交信を通して艦内の状況を大まかであるが把握していた。そして、知山のいる場所がもう隔壁は閉鎖され、周辺からダメコン班も含めて全ての乗組員が退避していることも…

 

「そんな…………。なんで…なんでそんな場所にいるんですか!?!?」

 

みずづきの悲痛な叫び声が無線を通して知山に伝わる。昔と異なり、現代では生存者を残したまま隔壁を閉じることは戦闘中であろうとも余程のことがない限りあり得ない。旧軍を反面教師とし国防軍でも自衛隊時代と同様に将兵の命は可能な限り尊重されるのだ。ただ、それがまともに守れないほど日本が追い詰められていることも事実だ。

 

「そんなの簡単なことさ。もう助かる見込みがないから………見捨てられただけだ…」

 

自身の立場がむなしくなり、嘲笑を浮かべる。

 

「助かる見込みがないって……」

「CICへの移動中、俺の目の前で爆発が起きて爆風をもろにくらったんだ……。んで、それにのった配管か何かが腹に突き刺さって、そのまま文字通り壁に縫い付けられちまった…………」

 

みずづきの言葉を遮り、知山は自身の置かれている状況を偽りなく話す。それ聞いたみずづきは「えっ……?」と絶望の色を含んだ呟きを発する。

 

「正直、もう頭がふらふらして意識が……こりゃ、もう近いらしい…」

「近いって…………。や、やめて下さい、そんな縁起でもない……」

 

悲しいに満たされた声。時折、涙を浮かべているのか鼻をすする音も聞こえてくる。それを聞き知山はある覚悟を決める。数週間前に基地で録画したある動画を思い浮かべながら……………。

 

「みすづき? 君たちが装着している艤装には手に余るほどの機能がある。ただ、たくさんありすぎてほとんどの子はそれを十分に使いこなせていない」

「なんですか? 急に…」

「いいから…。それを十分に使いこなすんだ。もしこの先困難にぶつかったとき、それがきっと君の道しるべとなる………」

「?? わ、分かりました。一応、頭に入れておきます」

「よし、それでいい」

 

知山は例の代物が部下たちをある魔の手から守ってくれるように願う。

 

 

 

 

…………そろそろ、時間だ。

 

 

 

 

このままみずづきと話していたいという未練を断ち切り、上官として最後の命令を下す。

 

「みずづき、最後の命令だ。必ず生きて故郷に、家族のもとに帰れ。絶対に死ぬんじゃないぞ」

「うぅ……う……ぅ…」

 

返答はない。ただすすり泣きが聞こえてくるだけ。

 

「今までこんなむさ苦しい男の指示によくついてきてくれたな……ありがとう…」

「そんな……そんなことない……こっちだって…」

「そんで約束守れなくてごめんな……どっちも……。かげろうとおきなみ、はやなみ、おやっさんたちにもよろしく伝えてくれ………」

 

知山は第53防衛隊の特殊護衛艦(通称:艦娘)たちと彼女たちを技術的にサポートしてくれている呉地方隊後方支援隊第20整備隊第1班の仲間を思い浮かべる。全員、無事に退艦できたのか気がかりだ。

 

一瞬の沈黙。みずづきは涙声ながらも必死に明るく振舞おうとしているようだ。

 

「はい! 分かりました!!」

「おう……。 んじゃ、じゃあな……!」

「ちょっ、待ってくださ…」

 

知山は断ち切った未練をこれ以上暴れさせないため、みずづきには悪いが無線を切る。一度深く深呼吸をしたあと、胸ポケットから2枚の写真を取り出す。どちらも血で一部が汚れてしまっているが、肝心な所はきれいなままだ。京都の田舎にいる家族の写真と第53防衛隊の面々との写真。それぞれゆっくりと指でなぞる。人生の様々な思い出が頭の中を駆け巡る。

 

「ふふっ…。走馬灯って、本当だったんだな」

 

家族や友人、戦友、みずづきたちとのかけがえのない時間。そして、それをもう思い出すことも、新たに創ることもできない現実に、自然と涙が出てくる。しかし、眉間に力をいれ、意地で目から涙が零れ落ちるのを阻止する。泣くことは決して許されない。なぜなら…………

 

「俺にそんな資格は………………ない」

 

脳裏に浮かぶに明るい思い出が霞んでしまうほどの、闇と汚濁にまみれた記憶がフラッシュバックする。ある事実を知る者以外、みずづきたちにすら隠してきた負の遺産。

 

それを抱えていても、つい思ってしまうのだ。再び、みずづきたちが映った写真を見る。

 

「せめて、彼女たちが基地の門を普通の少女としてくぐる姿を見たかった……………」

 

そう呟いた瞬間、自身の胸に激しい自己嫌悪が湧き上がる。

 

これは、彼女たちを純粋に想っていた人間だけが抱いてもいい希望だ。残念ながら、知山はそうではなかった。それを抱く権利は一寸も持ち合わせていない。その事実に、ひどく悲しさを覚えるのは気のせいだろうか。

 

「嘘をつき続け、現実から目を逸らし続けた人間に相応しい末路だな」

 

そう言いつつ、知山は周囲の状況をかすれる視界で捉えようとする。そこは死の匂いが充満し、正の気配は全く存在しなかった。

 

突如、艦前方から凄まじい爆発音が轟き、艦全体を激しく揺さぶる。それは幾分の減衰もなく配管に縫い付けられている知山の身体にも伝わる。

 

「あ゛っ……………」

 

それは痛覚を容赦なく刺激し、激痛を引き起こす。……はずなのだが、覚悟していたほどの痛みはない。それは艦の余命が長かろうが短ろうが、その時が知山に迫っている事を暗示していた。だが、どうやら海水に飲み込まれる方が先のようだ。「たかなわ」の傾斜が爆発を機に角度を増し、スプリンクラーの放った海水が重力に従い低い方へ床を流れていく。度重なり起きていた爆発はしだいに規模を弱めていく。まるで、命の輝きのように……。そして、横に見える隔壁から金属が変形する重低音が鳴り響く。頑丈に作られているはずの隔壁も水圧に耐えられず、徐々に不可思議な形へと変貌し、壁との間に生じた隙間から海水が我さきにと噴き出す。破れるのは時間の問題らしい。明確な死の訪れを前にしても、知山の表情は恐怖に歪んだりはせず、むしろ薄い笑みをたたえている。

 

「俺もここまで、か…。ほんっと、くだらない人生だったな、周りの人間を傷つけてばっかり……………。

ただ、最後に光を見れたのは僥倖だったな……」

 

金属の破断音と同時に、濁流が押し寄せてくる。

 

店じまいだ。

 

「基地司令、あとは頼みます。彼女たちに安らかな人生を」

 

気配の変化を感じ、横を見ると水の壁が目の前まで迫っていた。

 

その色は、真っ黒だった。

 

「………………さて、あの世があるか見てくるとしようか。地獄行き、決定だろうけど……」

 

言い終えると同時に、知山は濁流に飲み込まれる。しかし、配管のせいで目の前の乗組員のように浮かび上がらず水中でもてあそばれる。急速に意識が遠のくなか、最後に水の音ではなく少女の凛とした声を聞いた気がした。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

曇天に阻まれ本来の神々しさを発揮できないまま、地平線下に沈みかけている太陽。その影響は屋内も例外ではない。天井に設置されたLED照明は電気を供給されず、室内は時間帯も関係しているのだろうが不気味なほど薄暗い。一瞬、無人かとも思うがそうではない。この部屋の主は、今ではめったに手に入らない高級ブランドの椅子に深々と腰かけ、机の上で手を組んで微動だにしない。人の気配が全くといっていいほどしない空間。そこに、机上に置かれた固定電話の着信音が響く。男は特段の反応も示さず、受話器を上げる。

 

「……………………そうか………………………」

 

向こう側の人間はかなりの量を話したようだが、それに比べて男の返事はひどく簡素な一言で終わる。

 

通話が終わったのか、男は受話器を置くと立ち上がり、壁の面積にしては比較的大きい窓から眼下の街を眺める。

 

 

 

 

 

…………地平線まで続く廃墟の群れ。損壊具合はそれぞれ異なるが、どれも自分たちの主を失い以前の堂々たるたたずまいは見る影もない。ガラスが砕け、風雨にさらされているオフィス。中にあるパソコンやデスクは黒ずみ、床に散乱した書類たちに記された日付はついこの前のもの。かつて自動車が絶え間なく走っていた大通りは、閑古鳥が鳴いている。時々、軍や警察・政府の車両ががれきや放置車両、ひび割れを避けて進むのみ。そのたびに、かれきや車両などに巻き付けられている赤いテープが風を受けてはためく。遺体発見現場の目印。それはまるで雑草のように街中の至る所に今でも残っている。

 

それらを男より遥かに高い位置から見下ろすこの街の象徴と言ってもいい電波塔。展望室がいくらか損傷しているがいまだにその雄姿をこの街、いやこの国の人々に示していた。

 

かれに心があるのなら、これを見て何を思うのだろうか。あの破滅的な敗戦から数十年。一面の焼け野原であった街は驚異的な速度で奇跡の復興を成し遂げ、摩天楼の樹海へと発展した。一都市で先進国一国分の国民総生産を生み出し、名実ともに世界第三位の経済大国の象徴でもあり誇りでもあった世界有数の大都市。それがいまやこの有様だ。

 

それに男は何の感傷も抱かずただただ目に入れるだけ。頭は先ほどの電話から得られた情報で覆われていた。

どのような表情をしているのか窺い知ることはできない。そう思われたが、窓に男の表情が鏡の如く映し出される。そこには、比喩ではなく悪魔のような邪悪な笑みを浮かべ、何かに歓喜している顔があった。

 

窓から弱々しい日光を受け、延びる男の影。それが一瞬、人間でない別の存在の影に変わったように見えたのは果たして気のせいだろうか。




いかがだったでしょうか?


・・・・といわれても、ですよね。

独自設定が盛りだくさんで、混乱された方もいると思います。これはあえてぼかしてます。そっちの方が私個人としては好みなので。

本作はシリアスを基本としていきたいのと、ご都合主義的展開をなるべく減らすためかなり伏線を張ってます(伏線と言えないかもしれないけど・・)。回収できるか、既に不安です(汗)

設定に関しては、おいおい設定集を作っていこうかと考えています。
まぁ、ネタバレにならないように控えめではありますが。

では、よい一日を。

追伸:今回は知山視点でしたが、次話から主人公に視点が映ります。


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第1章 時空を超えて
1話 5.26 日向灘事件 前編


ここからが本編です。

これからもそうですが、作者の妄想が爆発しております。一応、矛盾がないようにしていますがご容赦ください。

前編云々なしに1話で投稿しようかと思いましたが、文字数が恐ろしいことになったので前・中・後の3つに分けます。




夕焼けが空とそこに浮かぶ雲、そして海上を行く者たちを茜色に染め上げる。足元の海は数刻のちの深い闇を先取りしたかのような漆黒に飲まれつつある。日本全域が高気圧に覆われたため、すがすがしい空模様が見渡す限り続いている。その中を一隻の艦船が、二人の少女たちに挟まれるようにして航行している。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・ん? 人が海面を走っている??

 

 

 

 

 

 

常識では到底受け入れられない光景。ひと昔前ならば、それを目にした者は自身の身体的・精神的不調を疑い病院に駆け込むか、半狂乱に陥るのが関の山だっただろう。しかし、これは幻覚などではなく、紛れもない“現実”だ。彼女たちの名は「特殊護衛艦。」 だが、それはあくまで堅苦しい書類上での公称に他ならない。国防軍人・一般国民、彼女たち自身は、一般的にこう呼ぶ。 「艦娘」と・・・・・・・

 

人類の英知と果てしない努力の果てに開発された、「特殊護衛艦システム」 従来の戦闘艦艇と遜色ない火力・機動を備えた超小型の艤装。それを身に付け、戦闘に従事する少女たちが「特殊護衛艦」、通称「艦娘」だ。

 

夕日を受け、赤く染め上げられている彼女たちは装着しているメガネ型戦術情報表示端末(グラス・ディスプレイ、通称:メガネ)に映し出される各種情報と透過ディスプレイの向こう側に広がる大海原を鋭い目で見つめている。その姿は緊張感に包まれている。彼女たちは警戒しているのだ。自分たちを、いや人類の生命を刈り取ろうとする強大な敵を。その名は―――――

 

 

 

 

深海棲艦。

 

 

 

2025年、世界各地で原因不明の海難事故が多発し、その件数は日を追うごとに徐々にあるが増加していった。深刻な経済不況と世界情勢の緊迫化に神経を尖らせていた各国は、それを敵対国の新たな挑発形態と見做し、世界はますます深い疑念と不信に覆われた。それがついに戦争という形で間欠泉の如く噴き出す。

 

そして、2027年初頭、第二次日中戦争を発端として勃発した第三次世界大戦により大混乱に陥っていた世界に突如未知の生命体群が出現し、人類へ無慈悲な全面攻撃を仕掛けてきた。彼らは軍民を問わずあらゆる船舶を撃沈し、あらゆる航空機を撃墜。都市に猛爆撃を行い、上陸し制圧した地域から人間を一人残らず駆逐、あるいは捕食していった。しかし、人類を殲滅せんとする敵を前にしても、結局人類は昨日まで銃口を向け合っていた相手と手を結ぶことはなかった。世界各国は第三次世界大戦を収束されられぬまま、果てしない戦いに突き進んでいった。

当初、各国軍は苦戦を強いられたものの、全く歯が立たないという絶望的な状況ではなかった。敵はミサイルもなければ、高性能レーダーもない第二次世界大戦レベルの兵装。90年も進んだ兵器群を持つ人類にとって勝てない相手ではなかった。

 

しかし、現代兵器が想定していない人間大かそれ以下の大きさの攻撃目標と圧倒的な物量の前に形勢は逆転。もし、第三次世界大戦がなく、2000年代初頭の経済的繁栄が続いていたなら人類にも勝算はあっただろう。しかし、戦争によって疲弊しきった世界に持久戦を続ける力は、たとえ先進国であろうともどこにも残っていなかった。奮戦むなしく各国海軍は壊滅し、人類は太平洋・大西洋・インド洋をはじめとする主要海域の制海権・制空権を喪失。そして、それらの大洋に浮かぶ各諸島も占領され、シーレーンは完全に破壊された。

 

これが何を意味するのか。

 

現代文明の血液たる化石燃料のほぼ全量と人間の生命維持に不可欠な食料の約6割を輸入に頼る日本人ならば、その後どのような地獄が日本を、世界を覆い尽くしたのか想像できるだろう。絶望と滅びへの恐怖。しかし、そこに一筋の光が差し込んだ。2028年後半、度重なる空爆によって全土が壊滅しつつあった日本が他国に先駆けて開発し、実戦配備した「艦娘」。彼女たちの登場によって、戦局は大きく転換。SF映画や小説・アニメに出てくるような無敵の存在ではなかったが、着実に敵の侵攻を食い止め、微々たるものではあったが戦線を押し返していった。その後、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ロシアの6か国が特殊護衛艦システムの開発に成功し、人類は反撃と復讐ののろしを上げはじめた。しかし、各国が深海棲艦駆逐に向け歩調を合わせる一方、第三次世界大戦は「大戦」と呼べない規模にまで縮小したものの、終わりのない憎しみの連鎖を生み出し続けていた。

 

 

そして――――――――

 

 

西暦2033年5月26日  宮崎県沖日向灘

 

険しい視線で哨戒を行っている内の一人、「たかなわ」の右舷側を航行している第53防衛隊隊長のあきづき型特殊護衛艦みずづきは、足元から垂らしている曳航式ソナーの情報を見て、ため息を吐く。曳航式ソナーとは自艦のスクリューから発せられる騒音や海面付近によく発生する変音層の影響を受けない深度にソナーを沈め、探知精度の向上を図る対潜センサーのことだ。現在、敵潜水艦の反応はないのだが、捜索面の各所で変音層が発生しており船底ソナーや曳航式ソナーの能力を十分に発揮できないでいる。海面から前方の空へ目を向けると赤色の光を点滅させながら飛行しているみずづきの搭載機、SH-60K(愛称:ロクマル)が見える。後継機の開発・実戦配備に伴い正規部隊のみならず艦娘部隊からも退役しつつあるが、この場では進行方向の前と後ろに各一機ずつ展開。海面近くに滞空、ディッピングソナーを投下し捜索を行っていた。みずづきは何気に小さな機体で機敏に飛び回るロクマルを気に入っていた。あと数年でその姿が見られなくなると思うと、悲しい。

 

ふと、メガネの端に表示されている時間を見た途端、表情が固まる。

 

「ヤバい・・・!!」

 

額に汗を浮かべながら、急いで自身の左舷側を航行している「たかなわ」に通信をつなげる。

 

「こちらみずづき。たかなわ、応答せよ」

「こちら、たかなわ」

 

少し警戒してしたが、いつも通りの反応に胸を撫で下す。

 

「定時につき、現状報告を行う」

「了解。・・・ん? (ヒソヒソ)」

「??」

 

突然、通信員が誰かと話しはじめる。みずづきは疑問を浮かべるが、嫌な予感が心に広がる。

 

「・・・了解。FICより通信先変更の要請あり。FICへ送信を開始」

「ちょっ、待っ!?」

「大丈夫ですって、ではご武運を」

最初の淡々とした雰囲気はどこへやら。通信員は笑いを必死に噛み殺しながら通信機を操作する。操作音に交じり、他の隊員の抑えた笑い声も聞こえてくる。

 

「こちらFIC、定時報告を求める。・・・・・・まぁ時間過ぎてる時点で、もう定時報告ではないがな」

「う゛ぅ・・・・・・・・」

 

軽い電子音がなった後、少し怒気を含んだ若い男性の声が聞こえてくる。みずづきも軍人である以上、定時報告の重要性を理解しているため、ただ恐縮するしかない。

 

「一体お前は何枚始末書を書けば気が済むんだ・・? 読む方としてもなんだか悲しくなってくる。出撃前にもあれほど言ったろ?」

 

口調から男が無線の向こう側で頭を抱えているのが、手に取るようにわかる。もう怒気は感じない。上官としてこれはこれで問題なのだが・・・・・

 

「も、申し訳ありません・・・」

 

素直に反省の言葉を述べるみずづきだが、内心では男が自身のことをからかっているような気がしてならず若干・・本当に若干だけイラついていた。

 

「・・・・・・・・・ぶっ! ふふふっ・・・あっ!?」

 

そんな時に聞こえる必死に抑えていた笑いが限界を超え吹き出す音。みずづきは一発で正体を見破り、船体に阻まれみえないものの「たかなわ」の左舷側をにらむ。

 

「か~げ~ろ~う~!!!」

 

怨念を抱えた幽霊のような声で、共に哨戒を行っている部下の名前(任務名)で呼ぶ。ちなみに彼女たちの後方を飛行しているSH-60Kはかげろうの艦載機だ。

 

「おいおい、今の相手は俺だぞ、俺。ったくもう~」

「す、すいません! (・・・クッソォ~、かげろうめ!!!)」

 

みずづきは小さく、かげろうへの恨みを呟く。

 

「・・・お前のことだから、おおかた対潜哨戒に集中してたんだろ? まったく・・・。まぁ、いい。今回のことは不問にしてやるから、早く報告!」

 

それを聞いた瞬間、みずづきの表情が太陽のように明るくなる。なにせ、聞きたくもない説教をこんな海上で受けずに済んだのだ。嬉しくないわけがない。同時に、男―知山 豊三等海佐が自身の司令官であることに何度目かわからない喜びを覚える。これが艦娘部隊の多数を占めている頭でっかち・自己中心的な司令官ならば、場もわきまえず散々怒鳴ったあげく、絶対に不問では済まされない。その現状を鑑みれば、彼は少々変わっている。だから、出世もできず須崎なんていう僻地に左遷され、「駒」を後生大事にする変人と周囲からからかわれているのかもしれないが・・・・・。そんな知山とみずづき、かげろう、そして現在後部ウェルドックで艤装点検と休憩をしているおきなみ、はやなみの計5名により日本海上国防軍第53防衛隊は構成されている。

 

「不問」の一言に意識を持っていかれていたためか、みずづきは彼が意味深な言い方をしていたことに全く気付かない。

 

「ありがとうございます! では報告を・・・。現在付近の海域に対空・対水上・対潜水艦の反応はありません。ただ、おとといの大雨の影響か広範囲にわたって断続的に変音層が形成されていて、ソナーが探知できない箇所が発生しています」

「変音層?」

 

先程とは打って変わり、真剣に聞き返す知山。みずづきは知山の懸念を理解しつつ、報告を続ける。

 

「はい。しかし、ソナーが全く効かないというような深刻な状態ではありません。それに分布が完全なまばらで変動も激しく、これを利用して敵が私たちに接近するのは困難ではないかと・・・・・」

 

対潜装備の要であるソナーはパッシブ式もアクティブ式も音によって、視認不可能な海中の状況を探る装置だ。しかし、水中は大気中と異なり水温・塩分濃度・海流・海底地形などの諸条件によって音の伝わり方が日々変動するのだ。その為、いかにメーカー一押しの最新鋭ソナーであろうともその変動パターンを詳細に分析し、把握しておかなければ悲惨なことになる。ひと昔前なら、膨大な変動データを収集しソナーの性能発揮を裏で支える音響観測艦や海洋観測艦が日々日本の海を航行していた。しかし、深海棲艦が出現した後はそのような調査は満足に行われず、データ不足は前線の部隊、ひいては日本の軍事戦略に大きな影をおとしていた。

 

「・・・・」

 

知山はみずづきの推測を聞いても、口を開かない。雰囲気が一変している。

 

「司令官?」

「あ、あぁ・・・了解。しかし、厄介だな・・・・・。もう一度確認するが、周辺に敵の反応はないんだな?」

「はい。私たちのみならず、ロクマルのピッティング・ソナーにも反応はありません。ただ、それも変音層の影響を受けているようですが・・・」

「そうかぁ。まぁ、先に哨戒を行った部隊から音沙汰もないし、そこまで神経質なる必要はない、か・・・」

 

知山はみずづきではなく、自分に言い聞かせているようだ。

 

「分かった。引き続き対潜警戒を厳としつつ、哨戒を行ってくれ」

「了解」

 

先程の反応に一抹の不安を感じたが、知山の言葉に塗りつぶされる。上書きされた記憶はそうそう簡単には蘇らない。

 

「俺はこれからおきなみとはやなみの様子を見にウェルドックに行ってくる。何かあったら俺の個人インカムに通信を入れてくれ」

「了解しました。これにて定時報告を終了します。・・・・あ、あのぉ~」

「ん??」

「さっきの件なんですけど、寛大なご判断ありがとうございました」

 

みずづきは知山の優しさに再度お礼を述べる。いくら親しい上官とはいえ、礼儀はしっかりと示さなければならない。それを聞き、改まった言い方をすると思いきや知山は「いいよ、いいよ。次は何をやらかすのかな~」と悪戯心に満ちた言葉を呟きながら、通信を切る。

(あの、畜生司令官・・・・・・)

自身のイラつきの原因が明確に証明され、みずづきは「たかなわ」本体に恨みはないのだが睨む。今はなきヘリコプター搭載護衛艦やイージス艦と比較すれば頼りないが、それでも基準排水量3300トンの船体と海上自衛隊時代から続く灰色の塗装は見るものに勇気と感嘆を与えるには十分だ。

 

艦娘は機械ではなく人間であるため、いくら訓練を積み身体を鍛えたところで疲労からは逃れられない。腹も減るし、眠くもなる。しかも、常に波打っている海上を全方位に警戒を向けながら航行する為、著しく体力を消耗するのだ。この継戦能力の低さは艦娘の数少ない欠点だが、こればかりはどうしようもない。派遣先の海上でも休息や食事、また艤装の点検・補修を可能とするいわば臨時海上基地をコンセプトに開発されたのがこの「いず型輸送艦」だ。 船体はひと昔前まで絶好調だった隣国の脅威とゲリラ・海賊など多様化する任務に対処するべく、平成26年度中期防衛力整備計画(26中期防)で計画された「コンパクト護衛艦」である、なみかぜ型護衛艦をベースとしている。船体の後部に艦娘発着艦用ウェルドック、艦中央、艦橋下部の第二甲板に戦闘時の司令部となるFIC(司令部作戦室)を備えている。もちろん、艦の戦闘を担うCIC(戦闘指揮所)もすぐ隣に設置されている。武装は僚艦や艦娘との共同行動を大前提としているため、62口径76mm単装速射砲(ステルス・シールド版)や21連装SeaRAMなどの自衛火器しか搭載されていない。2033年現在、2個防衛隊(艦娘8人)に対して一隻の割合ですべての艦娘部隊に配備され、後継艦の開発も始まっている。

 

みずづきが罪もない「たかなわ」を睨んでいると、かげろうから通信が入る。先の失態が部下へ知られたことに羞恥心を覚えざるをえない。

 

「あんた、さっきの通信聞いてたんだね・・・・?」

「す、すみません。つい聞こえてしまって・・」

 

みずづきの気迫に押され、動揺しながら小さな声で話す少女。彼女がまいかぜ型特殊護衛艦のかげろうだ。かつて25DDと呼ばれた艦をネームシップとするまいかぜ型汎用護衛艦をもとに開発された艤装を身に付けている艦娘が彼女たちだ。彼女たちはまいかぜ型護衛艦と同様、あきづき型と艤装は近似しているが対潜能力が非常に高い。しかし、いかにかげろうといえども、現時点ではその能力を十分に発揮しきれていない。

 

「吹き出した音がばっちり聞こえたよ・・・。 いつも思うけど、このやり取りのどこが面白いの??」

 

恥ずかしい会話を聞かれた腹いせに、かげろうへの攻勢を強める。

 

「い、いやぁ~その~、なんかコントみたいで・・・」

 

だが、かげろうには慣れたもので、頭を抱える知山と冷や汗を流すみずづきを想像し再び微笑する。

 

「コントって・・・・。あれでも一応怒られてるところなんだけど・・」

「とてもそうには聞こえませんでしたよ? いつも通りの掛け合いに思えましたけど。相変わらずお二人は仲良しですね」

 

そう部下に指摘され少しうれしく思いつつも、口では「ど、どこが~??」と否定する。だが、誰が聞いても嘘と分かる言い方だ。

 

「ふふっ、まぁまぁそうおっしゃらずに。部下と司令官が親しいというのはいいことじゃないですか。私もその方が楽しいですし、安心です」

 

かげろうは他意のない純粋な感情を口にする。そこに込められた思いをばっさり両断できるほどみずづきも人でなしではないし、大いに同意できるのであえて反応しない。そして、これとは別にかげろうの声色が当作戦発動前の状態へ戻ったことに隊長として、仲間として安堵する。

 

一か月前に発動された先島諸島奪還作戦。同諸島は艦娘が実戦配備される直前の2028年9月に敵侵攻部隊の猛攻を受け陥落していた。その際に発生した戦闘はもやは戦闘と呼べるものではなく、虐殺であり人間狩りであった。政府や自衛隊、警察から流れてきた先島諸島での惨状は、その後の戦い、容赦のない空爆と合わせ日本国民の精神に大きな影響を与え、トラウマとなっている。

 

先島諸島の各島々からの疎開船が、護衛していた海自の護衛艦もろとも敵の潜水艦群の餌食となり全乗客・乗組員2万3491人が犠牲となった「宮古海峡の悲劇」。それが悲劇のはじまりだった。空爆によって滑走路やぺリポートを破壊され、交通路が海上しか残されていなかった島々にとって、敵潜水艦の跋扈は沖縄本島や本土、そして最後の望みであった自衛隊本隊との孤立を意味していた。与那国島・石垣島・宮古島には駐屯していた陸上自衛隊の沿岸監視部隊・警備部隊・地対空ミサイル部隊・地対艦ミサイル部隊と避難誘導のため本土から派遣されてきた普通科連隊の合計2000名が展開していた。しかし、各駐屯地は空爆により侵攻前に壊滅。各部隊にも甚大な被害が発生していた。お世辞にもまともな作戦行動がとれる状態ではなかった。また、普通科連隊も孤立は想定外で、本格的な離島防衛を行うには明らかに戦力不足。政府や自衛隊上層部もただ座って状況を見ていた訳ではない。しかし、当時の日本に制海権・制空権を失いつつある地域に住む10万人を救出する力はなかったのだ。敵爆撃機隊の猛攻にさらされていた国内は大混乱に陥っていた。敵の爆撃は東京や大阪などの都市部などの人口密集地をあらかた破壊し尽くすと、港湾や空港・鉄道路線・高速道路などのインフラに対しても行われるようになった。これでは円滑な住民の避難や部隊の展開などできるわけがない。先島諸島にとどまらず沖縄本島を含めた南西諸島全域への侵攻が現実味を帯びる中、沖縄本島や奄美大島からの住民の退避、防衛線の構築すらもまともに進んでいなかったのだ。また、敵の攻撃が奇襲となり、侵攻速度が政府の予測を遥かに凌駕していたことも大きい。政府首脳、自衛隊上層部、そして一般国民が、奇襲を受け右往左往しているうちに形成は決していたのだ。

 

そして、生起した83年ぶりの地上戦。本土や沖縄本島から完全に孤立した自衛隊展開部隊はそれでも島民を守るに奮戦。警察官や海上保安官、有志の島民も戦闘に参加したが、決まってしまった運命を変えるには至らなかった。結果は全滅。この戦闘だけで地方都市一つ分の尊い命が消えた。また、ユーラシア大陸東部、そこに付随する各海洋の最終防衛線であった第一列島線の一角が削られたことは日本・台湾・華南が死守していた東シナ海の不安定化、将来的には台湾の孤立、中国大陸・朝鮮半島への侵攻をいみしていた。しかし、これはその後に続く熾烈を極めた沖縄本島防衛戦(第二次沖縄戦)への足掛かりにすぎなかったのだが・・・・。

 

それ以来、5年間先島諸島は敵の手中にあったが、遂に今年奪還作戦が開始されたのだ。第53防衛隊の役割は船団護衛。鹿児島港―那覇港間を人員・食料・弾薬・装備品を満載し航行する貨物船や輸送船を道中、潜水艦や敵攻撃機から防衛する。今回の作戦もそれで、現在は作戦を終え鹿児島港から須崎基地へ帰還する途中だ。かげろうが動揺していた理由。それは今回の作戦が開始された直後、かげろうの実家がある徳島県徳島市を含めた中四国地方の数か所が、軍の警戒網をすり抜けた敵爆撃隊にとって空爆を受けたからだ。幸い実家がある地区は被害を免れ、数日後には家族の無事が確認できた。鹿児島港でそれを知ったかげろうの喜びようは、こちらまで笑顔にしてしまうほど強いものだった。悲しみに暮れ、絶望を抱いてる人々の姿が当たり前となってしまった世界では、それはなおさら輝いて見えた。

 

「はいはい、おしゃべりは終わり。長話してたらまた怒られるし・・・」

「そうですね。また、コントのアンコールが・・・」

(だから、コントじゃない!)

 

そう心の中でツッコミを入れると、みずづきは厳しい口調で命令を下す。

 

「対潜警戒を厳としつつ、哨戒を続行せよ」

「了解。対潜警戒を厳としつつ、哨戒続行」

 

がけろうの復唱を聞き通信を切ると、再び視線を海面とメガネの間で往復させる。本来みずづきの得意分野はあきづき型護衛艦と同様、対空だ。だが、今航行しているのは日本の領海内。いかに敵の航空機がラジコン大とはいえ、航空国防軍のレーダー網と海上国防軍の航空部隊・艦娘部隊によって制空権は確保されている。それよりも警戒すべきは潜水艦だ。特に海域が現在のような状況では、相手が時代遅れの産物でも油断は死を招く。実際、公海・領海を問わず多くの艦船や艦娘が潜水艦の餌食となっているのだ。現在、哨戒を行っているのは二人。通常ならば空母機動部隊のようにきれいな輪形陣を形成できる人数が護衛につくのだが、知山の再三の要請にも関わらず上層部は戦力不足を理由に拒否し、結局第53防衛隊のみ行うこととなった。

 

「ん? クッソ・・・」

 

ソナー情報を見ていたみずづきの表情が一層険しくなる。海中の状態がさらに悪化したのだ。先程まで、ロクマルが捜索していたエリアだが、これでは上手くいかないのも道理。そうこうしているとみずづきだけでなく、全艦が変音層領域に突入する。警戒心がおのずと高まるなか、メガネに新たな情報が追加表示される。そろそろロクマルの給油が必要、というものだ。

 

間の悪さにため息をつきつつ、いつ呼び戻そうか考えていたその時、みずづきに搭載されている船底ソナーおよび曳航ソナーが変音層に歪められてたいたが明らかな人工音を探知した。瞬間、反射的に通信機へ叫ぶ。

 

「ソナーに感! 方位272および142に注水音、敵潜水艦と思われる!!」

 

直後、かげろうからも鬼気迫る声で報告があがる。

 

「こちらもソナーに感! 方位195に同じく注水音、隊長被探知とは別の敵潜水艦と推測!!」

「うそっ!!! 敵が近くに3隻も!!」

 

驚愕し、頭の中でけたたましい警報音が鳴り響く。敵は「たかなわ」との中間地点、右斜め後方、そしてかげろうのほぼ真後ろに展開し、必中の一撃を放とうとしていた。

(どうして・・・なんで? こうも哨戒網をあっさりと・・・・)

第二次世界大戦当時とは別次元、そして技術大国日本の結晶である対潜センサーを用いた哨戒網。しかもみずづきたちは新兵ではなく、数々の実戦に参加しノウハウを身に付けた立派な軍人だ。こちらの技術と経験をやすやす潜り抜けられことに大きな衝撃を受ける。

(敵潜水艦の戦術が看過できないほど進化している、とは聞いていたけどまさかここまでって・・・・)

海流を利用しての長距離無音航行や潜望鏡を水面上に出さずに行う雷撃。戦争初期にはごく一部の個体にしか確認されていなかった攻撃行動も、最近では当たり前になりつつあった。

 

また、警戒すべき点はもう一つある。海防軍内でまことしやかに語られるとある噂。

 

 

“敵潜水艦の中には、こちらの兵器の詳細を把握している個体がいる―――”

 

 

海防軍に所属する者ならば一度は耳にする。もちろんみずづきも知っていおり、ついさっきまではほぼすべての海防軍人と同じく単なる噂だと思っていた。しかし、現状はそれの信憑性を必然的に高めている。今回、敵はこちらのソナーが十分な性能を発揮できない変音層で狙ったかのように攻撃を仕掛けてきた。ソナーも持たないまたはソナーと呼ぶにはおこがましい粗悪品を持つ敵にとって、変音層など脅威ではないのだ。偶然にしてはできすぎだろう。

 

二人が敵潜水艦を探知後、瞬時に「たかなわ」とデータリンクが開始され言葉で報告できない詳細かつ膨大な電子情報が送信される。それによって、「たかなわ」は自身の艦首ソナーでいまだに敵潜水艦の反応を捉えられていないにも関わらず、まるで捉えられているかのような指揮・対象が可能になる。刹那、「たかなわ」から号令が下される。

 

「対潜戦闘よーい!」

 

それを受け、「たかなわ」の艦内に甲高い警報がこだまする。それは海上にも響き、通信機を使わずとも二人のもとに届く。

 

「対潜戦闘よーい!!!」

「対潜戦闘用意!!」

 

復唱し、二人は戦闘態勢へ移行する、しかし、全ては遅きに失した。

 

敵潜水艦3隻はそれぞれの目標へ必中の雷撃を放つ。

 

「っ!? 魚雷発射音!! しかも全隻から!!! 先手取られたぁぁ!」

 

みずづき、かげろう、「たかなわ」はすぐさま回避行動を取る。みずづきは自身へ猛進してくる2本の魚雷に意識を集中する。他艦を気にする余裕は皆無だ。大急ぎで曳航ソナーを格納し、ソナーと戦術情報処理装置による通過予測を頼りに舵を切る。人間の身長では水平線までの距離が非常に短いため、敵の魚雷が二酸化炭素をばりばり出していても目視には頼れない。

 

 

回避成功。

魚雷はむなしくみずづきの左脇を通過していく。

 

誘導魚雷ならばこうも簡単にはいかなかっただろうが、猛進してきたのは無誘導魚雷。小回りが利く艦娘にとって回避は比較的容易な代物だ。しかし、それはあくまで艦娘に通用する話。通常艦艇にそんな芸当は不可能だ。至近で発射されたならばなおさら・・・・・。

 

みずづきがほっと安堵のため息をついたのと同時に魚雷が「たかなわ」に吸い込まれていく。

 

耳をつんざく爆発音が周囲を一時的に支配する。必死の回避運動も甲斐なく敵魚雷は後部ウェルドックと艦橋下部に命中し、付近の装甲および艦内をスクラップに変え、黒煙が立ち上る。

(・・・・・・・)

みずづきは悔しさのあまり強く拳を握りしめる。

 

“任務を全うできなかった”

 

“護衛対象を守れなかった”

 

軍人になってから数え切れないほど、抱いた言葉。もう抱かないと誓ったそれがまた心の中を支配する。後悔と罪悪感に耐えつつ、殺意のこもった視線を海に向ける。

 

「アクティブ捜索はじめ。対潜戦闘、短魚雷攻撃用意」

 

艤装側面にある小さなシャッターが開放され、中から三連装魚雷発射管が不気味なほどゆっくりと姿を現す。再び曳航ソナーを投入し、アクティブモードで敵潜水艦の捜索を開始するが、効きが芳しくない。それでも大まかな位置情報の収集に成功し、瞬時に発射管で待ちわびている魚雷へ諸元が入力される。敵の数は2。みずづきと・・・・「たかなわ」を攻撃した敵だ。どちらもその場に踏みとどまるつもりはないらしく、変音層を巧みに活用しながら急速潜航し距離を取りつつあった。みずづきはメガネに表示された敵の識別コードに首をかしげる。敵潜水艦の音紋がデータと合わなかったためか、敵がいまだに「unknown」となっていたのだ。

 

「新型・・・・?」

 

その考えは「攻撃準備完了」の知らせを受け、一時的に頭の片隅に追いやられる。メガネの画面には攻撃表示とは別にかげろうの戦況と「たかなわ」の損害状況も映し出されていた。

 

「っ・・・・・。一番・・、撃てぇぇー!!」

 

大海原へ旋回した三連装魚雷発射管から、掛け声と同時に待ってましたと言わんばかりの12式短魚雷が飛び出す。

 

「二番・・・、撃てぇぇー!!」

 

続いて、2番発射管からも12式魚雷が発射され、海に飛び込む。2つの短魚雷は探針音を放ちながら、海中を迷うことなく自らの目標へ向かって突き進んでいく。どうやら、変音層による影響はないようだ。敵潜水艦が脅威なのはあくまで発見するまでの話。発見・探知後はこちらの土俵だ。なんの防御手段を持たない敵が、90年進んだ兵器体系を有する人類側の攻撃を回避する事は不可能だ。

 

「命中まで・・・・・3、2、1」

 

数秒の間をあけ海上に2つの現れ、腹に響く爆発音がみずづきの体を揺らす。現場に急行していたロクマルから海面の状態が動画で送られてくる。

 

「多数の浮遊物を確認。両目標の撃沈に成功・・・・ふぅぅ~」

 

思わず体の力が抜ける。敵がこちらの攻撃を避けられないと分かっていても、戦場には絶対がないため緊張するのだ。映像に映し出されている浮遊物の特徴を見るに、敵はどうやら今まで何度も闘ってきた中型級のようだ。みずづきは敵の正体が分かったことに安堵し、残党がいないかロクマルも使って捜索を開始する。

 

 

みずづきの目よりも遥かに優れるソナーが、敵を「unknown」としていたことを忘れて・・・・・・・・・・

 




誤字・脱字がありそう・・・・。

途中出てきたまだ就役していない船については、完全なる勘です。正直、なにになるか見当もつかないので。

世界観についてですが、もし沖縄の人がおられたらすいません。ただ、もし深海棲艦が日本侵攻を目指すのなら、アメリカ軍と似たような行動をとると思うんですよね。またあそこがある限り、太平洋側から東シナ海や中国にちょっかいを出せませんから。

今日は2つ投稿しましたがこのようなこともあれば数週間更新なし、ということもあります。ご了承下さい。





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2話 5.26 日向灘事件 中編

じえいt・・・国防軍や会話シーンの描写が不安な今日この頃。




みずづきは船底ソナーをアクティブモードにし、捜索を続けるが敵の反応はない。早くどこかに行ってくれ、と願っていた変音層も海流により四散しはじめ、捜索の確度を大幅に改善させていた。

 

いくら敵の運動性能がこちらの予測を上回っていても現代の潜水艦より劣る以上、アクティブ捜索をやり過ごすことは変音層を巧みに利用しするしかない。そして、その変音層もこちらの捜索を妨げないレベルにまで落ち着いている。

 

みずづきは、敵が潜んでいる可能性は低いと考え捜索を行いつつ、現状確認に意識を向ける。雷撃を受けた「たかなわ」は黒煙を上げつつ、右舷側へ傾斜しつつある。小規模な爆発音や乗組員の怒号がここまではっきりと聞こえてくる。視線が後部ウェルドックに向いた瞬間、知山との会話が急浮上する。

 

 

“俺はこれからおきなみとはやなみの様子を見にウェルドックへ行ってくる。何か・・・・・”

 

 

「司令・・・」

 

心に広がる不安を必死に抑え込み、かげろうへ通信を行う。

 

「こちら、みずづき。かげろう状況は?」

「こちら、かげろう。はい、目標を短魚雷で攻撃、ロクマルを通して撃沈を確認しました」

 

報告を行う声はいたって冷静だが、みずづきと同じ忸怩たる思いがにじんでいる。それに隊長として責任を感じつつも、データリンクにより知り得た情報と同様で胸をなで下ろす。

 

「了解。新手の反応は?」

「いえ、こちらもありません。しかし隊長、今回の敵は・・・」

 

深刻な声で言いよどむ。かげろうもまたみずづきと同じ懸念を抱いているようだ。

 

「ええ、あの噂は本当だったみたい」

「だとしたら、大変ですよ。ここ領海内で本土は目と鼻の先です」

 

かげろうの言う通りだ。もし彼女たちの懸念が的を射ていれば、日本の国防戦略に多大な影響を及ぼすとこは必至だ。度重なる戦闘と軍民のおびただしい犠牲の果てに、ようやく日本は周辺海域の制空権・制海権を確保し、沿岸漁業の再開や復興へ歩み出したばかりなのだ。しかし、そこをこちらの手の内を知り尽くした敵潜水艦によってかき乱されれば、たちまちこれまでの努力は水の泡だ。国力が疲弊しきっている日本にとって、それは滅亡へと進む一歩になる。2人はそれを十分に認識しているからこそ、危機感を抱いているのだ。

 

「ともかく、今はどうしようもない。それより、“たかなわ”に連絡を取らないと・・」

 

2人はついさっきまでの勇猛さを失った「たかなわ」を悲痛な表情で見つめる。

 

「そうですね」

 

みずづきはCICやFICではなく、直接艦橋への通信を試みる。「たかなわ」とのデータリンクが切断される前の状況を見るに、CICやFICが機能を喪失してしまったことは明らかだ。もはや戦闘の続行も不可能だろう。それにとどまらず、2人の頭に「沈没」という最悪のシナリオがよぎる。

 

「こちら、みずづき。たかなわ艦橋、応答せよ」

「・・・・・・・・」

 

無音。全く反応がない。更に声を大きくする。

 

「こちら、みずづき。たかなわ艦橋、応答せよ」

「・・は、はい、こちらたかなわ艦橋」

 

不安が少し弛緩するが、通信員の背後から鳴り響く警報音や怒号が絶え間なく聞こえてくる。状況は深刻だ。

 

「こちら、みずづき。戦闘報告、敵は掃討。新手の反応はなく、損害皆無です。」

「り、了解。しかし、よかったぁ」

 

彼だけでなく、艦橋全体に安堵の空気が流れる。「たかなわ」はCICやFICの機能停止に加え、各所で火災や浸水が発生し、情報も錯綜。みずづきやかげろうとのデータリンク途絶も相まって、戦況把握に支障をきたしていたのだ。

 

「そこはご安心下さい。それで、そちらの状況はどうなっていますか?」

 

おそるおそる尋ねる。かげろうも黙って交信を見守る。

 

「・・・・・・。被弾箇所は後部ウェルドックと艦橋下部第三甲板。隣接する区画で浸水と火災が発生。火災はほぼ鎮火したものの、隔壁閉鎖が間に合わず浸水域が拡大中で艦の傾斜も増しています。さらに機関が損傷により停止。復旧の見込みは絶望的で航行不能状態です。加えてCICやFICの喪失により、FAJ(投射型静止式デコイ)、MOD(自走式デコイ)、主砲は使用不能に陥りました。・・・・・・壊滅的です」

 

彼から語られた現実に2人は絶句する。これでは海上に浮かぶ鉄塊だ。そして、いつ退艦命令が発令されてもおかしくない。傾斜が激しくなれば、転覆の可能性も出てくる。

 

「救援は?」

「現在、須崎の第54防衛隊が出撃準備中です。まもなく、救援に向かうとのことです」

 

第54防衛隊。それはみずづきたち第53防衛隊と同じ須崎基地に所属している艦娘部隊だ。これまで幾度となく同じ作戦に参加し、激戦を潜り抜けてきた戦友たちでもある。由緒ある基地にいるガリベンたちと異なり、全員親しみやすく、司令官同士が仲良しということもあり関係は極めて良好だ。そんな気心の知れた仲間たちが救援に来てくれる。位置関係上当然だが、それでも頼もしさは大きい。

 

だが、ふと二つの疑問を抱く。

 

「ん? 佐伯の第21・22防衛隊は?」

 

宿毛基地の対岸、大分県佐伯湾の佐伯基地にも艦娘部隊が配備されており、彼女たちは第53・54防衛隊より実戦経験が豊富で、なによりエリート集団だ。それに距離を考えると、佐伯の方が須崎よりずっと近い。わざわざ、遠い基地から救援を向かわせるなど非合理的だ。

 

「横須賀や市ヶ谷は今回の事象に危機感を抱き、また陽動も警戒してるようです。場合によっては呉も動かすと・・」

「えぇっ!? く、呉を!?」

「は、はい・・・」

 

広島県呉市にある呉基地には、エリート中のエリートたちで構成される防衛隊群が3個艦隊配備されている。防衛隊群とは、護衛隊群の艦娘版であり特殊航空護衛艦を旗艦とした空母機動打撃群だ。これは鉄か人かを抜きにすれば、あの敗戦以来長年の悲願だった戦後日本初の正規空母を有した機動部隊でもある。これを動かすかもしれないとは、どうやら上層部は本気のようだ。

 

「了解・・・」

 

(だから、出撃が遅れてるのかな・・・・・)

二つ目の疑問。それは救援部隊の動きが明らかに遅いことについてだ。こちらが攻撃を受けたことは、高速通信を通じ一瞬で、須崎や佐伯・宿毛はおろか横須賀の自衛艦隊司令部や防衛省の中央指揮所まで共有される。そして、それからかなりの時間が経過しているにもかかわらず、いまだ当部隊は出撃すらしていない。

 

みずづきはモヤモヤしつつも、通信を行った目的を果たすため意識を切り替える。「たかなわ」の状況はおおかた把握した。だが、それだけではない。もう一つの目的。

 

それは、第53防衛隊のメンバー、知山・おきなみ・はやなみと整備隊班員たちの安否だ。それを聞こうとしたところ、突然通信員が「えっ!?」と声を上げ誰かと話し始める。それに既視感を覚えるも、あり得ない考えを自ら否定する。そして、相手には悪いがそれは正解だ。

 

「こちら、岩崎だ。みずづき聞こえるか?」

 

先程の通信員にかわり、交信を始めたのはここで一番偉い「たかなわ」艦長、岩崎友助一等海佐その人だった。厳格な雰囲気と低い声。みずづきとっては予想外の人物で驚きのあまり悲鳴を上げかけるが、なんとか気合で飲み込む。

 

「か、艦長!? はい、こちらみずづきです!! ご無事でしたか・・・」

 

艦長は基本的に戦闘状態へ移行すると、CICやFICに移動し指揮をとる。「たかなわ」の損害状況から艦長の安否も気になっていたが、とりこし苦労だったらしい。

 

「ああ、なんとかな。だが、聞いての通り本艦の現状は厳しい・・・」

 

奇襲によって岩崎が艦橋からCICへ移る前に被弾したことが、結果的に彼の命を救っていた。だが、その幸運は奇跡であり、艦内は死傷者であふれている。それは、当然岩崎の耳にも入っていた。

 

「艦の現状を鑑み、私は艦長の権限をもって退艦命令を出そうと思う。ひいては君たちに引き続いて哨戒と生存者の護衛をお願いしたい」

「っ!?」

 

みずづきやかげろう、そして通信を聞いていた艦橋要員全員に衝撃が走る。しかし、それに異を唱える者はいない。誰も艦長の判断が正しいことを理解していた。喧騒に包まれていた艦橋は静まり返り、声にかき消されぎみだった警報音が場を支配する。みずづきは再び拳を強く握りしめ、第53防衛隊隊長として返答する。

 

「了解。哨戒と護衛の任、謹んで引き受けさせて頂きます」

「ありがとう・・・・」

 

安堵したかのような雰囲気が通信機越しでも伝わってくる。その純粋な謝意に、被弾の責任を感じているみずづきは表情を暗くするが、決して声色には反映させない。ここは戦場。今は嘆く時ではない。それを自身に言い聞かせ、少し迷うが残された目的を果たすため行動に移る。

 

「艦長、失礼ながらお聞きしたいことがあるのですが・・・・・」

「・・・・なんだね?」

 

少し間をあける岩崎。さきほどの口調と全く同じだが、どこか違和感を感じる。艦橋の雰囲気も、だ。静まり返っているのに、何かが変わっている。

 

「知山司令官と私の部下たち、整備班員の安否についてです。」

「っ・・・・・」

 

うすうす予測していた質問がついに投げかけられ、岩崎は息を飲む。周りの乗組員も視線が自然と下へ落ちてしまう。無線越しのみずづきにその様子は、当たり前だが伝わらない。しかし、雰囲気は伝播する。心の中にある可能性が浮かび上がる。考えたくもない、可能性が・・・・。

 

「岩崎艦長?」

 

続く沈黙に耐えられず、自身の考えを振り払うかのように返答を促す。おきなみやはやなみ、整備班の人たちがおり、知山が向かっていた場所は、被弾したウェルドック。外から見ても悲惨なのだ。もし、もし中にいたなら

・・・・・。

 

「第53防衛隊員おきなみ、はやなみ、第20整備隊第1班員など被弾時ウェルドックにいた隊員の多くが・・・・・行方不明だ」

 

行方不明。みずづき・かげろうの頭にハンマーで殴られたかのような衝撃と共に、その言葉が反響する。戦闘時乗組員1人ひとりが重要な役割を果たす軍艦において、被弾すれば物的損害状況と共に人的被害の報告が最優先され特定部署の担当士官から、艦の最上位に情報が伝達される。ましてや今回搭乗している第53防衛隊と第45整備隊は、戦略的に重要な艦娘部隊と整備部隊であり、「たかなわ」にしてみれば顔見知りとはいえ、お客さんだ。身内よりも真っ先に安否確認が行われるだろう。それなのに、これだ。オブラートに包んではいるが、つまり・・・・。

それはくしくもオブラートに包んだはずの「たかなわ」が証明していた。気を使ってくれているのだろうが、いたたまれない空気がその場にいるかのように感じ取れる。

 

「・・・・分かりました。引き続・・」

 

震えそうになる喉を必死に抑え、出来る限り平静を保とうとする。岩崎たちもそうしているのだ。ここで泣き出すわけにはいかない。

 

「引き続き行方不明者の捜索お願い致します。あと、知山司令官もその時、ウェルドックにおられたのでしょうか?」

 

言った瞬間、自身に嫌気がさす。岩崎は「ウェルドックにいた隊員の多くは・・・」と言ったではないか。その中に、知山が含まれていることは状況的にほぼ間違いない。しかし、それでも認めたくなかったのだ。明確に知山の名前が出て、はっきりと言われるまであきらめる気は、ない。

 

「っ!? いや、その時知山司令はウェルドックにはおらず、FICへ向かったと聞いている。しかし、その後が分からないんだ」

「えっ!?」

 

全く予想していたかった言葉に驚てしまう。しかし、よくよく考えてみれば、例え乗せてもらっている身とはいえ、戦闘時に指揮官がFICなどに向かうのは当然のことだ。

 

「確か知山司令は通信機を所持していたな? 我々はそのコードを知らない。こんな状況で通じる保証はできんが・・・、一度試したらどうか?」

「ありがとうございます! 早速やってみます!!」

 

艦橋との通信を切ると、見守っていたかげろうが明るい声で通信機を使い話しかけてくる。

 

「隊長、私が哨戒を引き受けますから! し・・・司令との通信を試してみ・・・てくださ、い・・」

 

表情とは裏腹に、声は震え目には涙が浮かんでいる。

 

「ありがとう・・。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね、よろしく」

 

かげろうとの通信を切り、一旦付近の状況を確認する。先程と打って変わって穏やかだ。それに安心するみずづき。知山の通信機を呼び出しにかかる。しかし、彼女は気づかなかった。すぐ後ろで極小の人工物が顔をのぞかせていることに・・・。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

みずづきとの通信を終えた艦橋は、再び喧騒に包まれていた。岩崎が全艦に総員退艦命令を下令したのだ。それを受け通信員は全艦に伝えるべく、緊迫した声で放送を行う。無論、これは全艦放送のため、ずでに放棄された区画にも放送されている。スピーカーが生きていれば、だが。

 

「総員退艦用意!!本艦は自力航行不能および浸水拡大により傾斜角増大中。繰り返す。本艦は・・」

 

放送や現場指揮官の指示に従い、乗組員たちは訓練通り混乱もなく甲板上に整列していく。しかし、皆の顔は暗い。中には青色の作業服や灰色の救命胴衣が赤色に染まっている者もいる。艦橋では乗組員があわただしく動き、退艦の準備を進めていた。その中、岩崎は静かにたたずみ、眼前の窓から海を眺めていた。そこへ航海長の坂下芳樹三等海佐が複雑な表情で歩み寄り、斜め後ろで立ち止まる。

 

「良かったんですか? 彼女にあんなこと言って」

「ただ一人で死を待つのは残酷すぎる・・・。彼だって最期は誰かと言葉を交わしたいはずだ」

 

岩崎はいつもと変わらない大海原を瞳に映し続ける。

 

「奇跡が起こるかは分からないが、起こそうと行動しなければ可能性すら生まれない」

 

2人は、閉ざされた区画で絶望の淵にいるであろう1人の男を想う。

 

「私みたいな老いぼれがのうのうと生き残り、彼のような未来ある若者が次々と死んでいく・・・。

この世はなんて・・・・」

「艦長」

 

岩崎は嘲笑を浮かべながら、坂下へ振り向く。

 

「まただ。また私は・・・・」

 

脳裏に過去の忌まわしい情景が甦る。

 

 

怒号。悲鳴。叫び声。発砲音。爆発音。・・・・・・・・・・・・化け物の恐怖を駆り立てる雄たけび。

 

 

 

 

 

海上に現界する地獄を。 そして、仲間や家族の死に泣き崩れる人々の姿を。

 

 

 

 

 

「艦長、それでも」

 

岩崎の想いを理解しつつ、坂下の言葉は強い信念を感じさせる。

 

「あぁ、分かっている。この命、決して無駄にはしないさ・・・」

 

そうしているうちに艦橋が静かになり、1人が敬礼しながら報告する。

 

「退艦準備が完了しました。艦長も退艦を」

「分かった」

 

岩崎は彼と整列している乗組員を見渡し、命令を下す。

 

「各人、速やかに退艦を開始せよ」

 

最後に敬礼。全員それに答礼し、艦橋後方のタラップから下へ降りていく。それに岩崎と坂下も続く。岩崎は最後、艦橋を目に焼き付けタラップを降りていった。

 




どれだけ見直しても、やっぱり誤字ってあるもんですね。
(ついさっき、1話の誤字を修正・・・・)




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3話 5.26 日向灘事件 後編

日本側での物語も最後です。

1話の時点で「ここから本編です!」と言いましたが、ここまでの3話は本編の中の前哨戦といった位置づけです。

それにしては長いと思われるかもしれませんが、思うままに書いていたらいつもまにかこんな文量になっていました。

では、どうぞ。


太陽が水平線に近づき、星たちが登場を準備している空。そして、夜が一足早く訪れたかのように黒々としている海。みずづきはそこで、抑えても流れてくる涙をぬぐっていた。

 

 

結果から言おう。奇跡は、起きた。しかし、奇跡によってもたらされた現実は残酷だった。

 

 

頭の中で、知山の言葉が何度も何度も反響する。それと同時に、知山と出会ってからの思い出も・・・・。

 

 

“みずづき、最後の命令だ。必ず生きて故郷に家族のもとに帰れ。絶対に死ぬんじゃないぞ・・”

 

“今までこんなむさ苦しい男の指示によくついてきてくれたな・・・。ありがとう。そんで約束守れなくて

ごめんな。どっちも・・・”

 

 

約束。

 

 

“俺は絶対先に逝ったりしないし、裏切ったりもしない。こう見えてもしぶとい。精神は外見通りなんでとても部下をおとしめるような図太さは、ない! だから君が退役する姿を見届ける。約束だ。・・・ん? これ、もしかしてフラグか!?”

 

“今度の作戦が終わったら、俺の持っている配給券でお前たちの好きなものおごってやるよ。だから、絶対成功させてここに帰ってくるぞ、いいな? 但し、誰かさんみたいに俺を猫型ロボットと勘違いしているような真似はすんなよ。・・・・って、こら! おきなみ!! 舌打ちするな!!! お前は俺の配給券をなんだと思ってやがる~!!!”

 

 

昨日まで当たり前だった、日常の光景。それをこんな風に思い出すことになるなんて、全く考えていなかった・・・・ 

 

それに、言えなかった。今までことあるごとに思っていたのに、素直になれずほとんど伝えていなかった言葉。

 

ありがとうございました・・・・っと。

 

ついに、伝えられなかった。

 

 

みずづきはここが戦場であると分かっているのに、涙で目がかすみ、悲しみで心が支配される。いくら人の死を見ても、いくら親しい人の死に直面しても、こればかりは慣れない。

 

 

 

 

 

それが、彼女の運命を決める。

 

 

 

 

 

 

敵がこの機会を逃すはずもない。潜望鏡を下げ、命中の確信を抱いて魚雷を発射する。

 

「っ!?」

 

(ソナーに感。数2.魚雷がまっすぐ本艦に向け・・・!!!)

まぶたに溜まる涙を強引にぬぐい、意識の切り替えを図る。しかし、時すでに遅し。戦術情報システムが各種センサーの情報から直撃すると判断し、警報を鳴らす。回避しようとするが、もうすぐそこだ。

 

「なんで・・・・」

 

魚雷が命中する刹那、みずづきは当然の疑問を口にする。さきほどの戦闘で敵は殲滅したはず。撃ち漏らしがいたなら、その後の捜索で見つからないはずがないのだ。変音層も消え、捜索も順調だった。しかし、敵は、みずづきの真後ろにいた。船底ソナーなら探知できない可能性もあるが、曳航ソナーも探知していなかった。

(いや、待って・・・・。まさか・・)

ソナーには自艦が放つスクリュー音などの騒音やセンサー表面と水との摩擦音をカットし、探知精度を向上させるため、近距離反射低減(TVG)機能が備わっている。敵が想定以上に近い位置にいると、ソナー自身が探知していたとしてもノイズとして処理されるのだ。また、このような状況下では、味方のソナーが例え敵の反応を探知していたとしても最寄りの味方の音紋と判断され、敵と識別されない。仮に至近で潜望鏡をあげていたとしても、まいかぜ型のように潜望鏡探知レーダーを装備していないみずづきにはレーダーによる発見は困難であり、夕暮れ時という時間帯では目視による発見も厳しい。

 

しかし、そうだとしてもどこから敵がわいてきたのか。そして、みずづきは思い出す。敵の反応がunknownだったことを。それを考慮し、一つの推測が浮かぶ。

 

「2隻が1隻に化けていた?」

 

敵もヒト型。身を寄せ合えばそのような芸当も不可能ではない。1隻がおとりとなり、こちらが回避と攻撃に集中しているごく短時間の間にもう1隻がみずづき搭載ソナーの近距離反射低減(TVG)機能が有効な距離まで近づく。

 

「やっぱり、こいつら・・・今までの敵と全然格が・・・」

 

違う。そう叫びかけた途端、全身を衝撃と激痛が襲う。魚雷の爆発音が周囲に轟き、水柱があがる。しかし、みずづきは海底に引き込まれることなく、二本の足で立っていた。しかし、その姿はボロボロだ。制服は焼け焦げ、至るところから血がにじみ、わずかに残っている無事な制服を赤く染めていく。艤装もかなりの損害が見受けられるが、とりあえず沈みはしなかった。

 

「くっ・・。よ、よかった・・・・」

 

敵の放った魚雷は2発。しかし、みずづきに命中したのは1発だけ。深度の調定が甘く、みずづきの足元をかすめていったのだ。もし、2発とも命中していれば魚のエサになっていただろう。装甲がないに等しい現代の戦闘艦は何発もの魚雷やミサイルには耐えられない。それは、艦娘たちも同様だ。

 

みずづきは全身を駆け巡る激痛に耐え、被害を確認するが状況は最悪だ。被弾による衝撃でセンサー類や精密機器が破損し戦闘指揮システムがエラーを吐き出しているため、自律攻撃が可能な主砲と20mmCIWS以外の武器が使用不能に陥っていた。加えて、機関も損傷し速力が大幅に低下していた。このままでは航行不能も時間の問題だ。

 

「大破、か・・・・。このままじゃ・・・ただの、的じゃない・・・」

 

もはや、みずづきだけで敵に反抗することは不可能だ。頼みの綱のロクマルやがげろうとも通信機器が全てダウンしたため連絡が取れない。ロクマルには人工知能(AI)が搭載されているが完全自律型ではなく、あくまで行動の前提には母艦の命令が必要なのだ。そのため、ロクマルは今も真面目に離れた海域で哨戒活動を行っているはずだ。そんな孤立無縁の状態で再び攻撃を受ければ待つのは、死。しかし、大切な上官の危機をかげろうが気付かないはずがない。時間の経過とともに傾斜を増している「たかなわ」の後部、その奥から一筋の光が噴煙を上げつつこちらへ飛翔してくる。それに思わずみずづきは目を見開くが、同時に絶体絶命の危機に歪んでいた表情が少しばかり緩む。

 

「あれは・・・・VLA!? かげろう・・」

 

VLA、07式対潜ロケットは目標上空に達すると空中で分離し、搭載されている12式魚雷はパラシュートによってゆっくりと着水し、すぐさま己の目標へ向かって突き進んでいく。こうなれば、こっちのものだ。逃走を試みる敵に12式魚雷はたやすく追いつき、爆薬を起爆させ海の藻屑へと変える。海面にたちのぼる水柱。それを見つめていると、遠くから聞きなれた声が聞こえる。

 

「み・・・・・隊・・・・・!!」

 

その方向に顔を向けると血相を変えてこちらへやってくるかげろうの姿が見える。応じたいのだが、大きな声が出せない。

 

「みずづき隊長!! 大丈夫ですか!?」

「かげろ、う・・・ありがとう・・おかげで助かっ・・た」

 

みずづきは痛みに負けじと無理な笑顔を浮かべ、部下の心配を少しでも緩和させようとする。しかし、それは逆効果にしかならない。かげろうはみづずきの笑顔とボロボロになった姿を見て、更に表情を硬くする。それに気付きつつも、今は自身の状態に構っている暇はないのだ。12式魚雷の爆発によって発生した水柱はすでに収まっている。至近のためロクマルを呼び戻さず目視での確認を行う。

 

「多数の浮遊物・・」

「ソナーにも敵潜水艦の圧壊音収束以降、反応はありません」

 

敵潜水艦は撃沈したとみて間違いない。しかし、まだ気は抜けない。

 

「そっちはうまくやったみたいだけど・・・どうだった?」

 

みずづきは痛みと格闘しながらも、自身の抱いた確信が正しいのか確かめる。もし、それが正しければ至近で残骸となり浮かんでいる敵も含めて新手が3隻いるはずなのだ。

 

「ご推察の通り、私にも1隻仕掛けてきました」

 

かげろうはそう言うと、その時の状況を報告する。どうやら敵はみずづきと同じように超至近距離からの必殺一撃を狙っていたようだ。だが、かげろうがほぼ停船してしまった「たかわな」を迂回するように右へ舵を切り速力を上げたため、TVG(近距離反射低減機能)で処理される範囲外から出てしまい、ソナーがばっちり捕捉したらしい。くしくもそれはみづずき被弾の報とほぼ同時となってしまったが、きちんと敵は葬ってくれた。

 

「と、いうことは・・・」

「はい。私たちの推測が正しければ、確実にあと1隻います」

 

かげろうも敵の常識破りな戦闘行動を目の当たりにし、みずづきと同様の結論に達していた。今回の敵は明らかにこちら側の戦術・兵器の性能を熟知している。実際、ソナーの性能を担保する機能が逆手に取られ、みずづきが大破してしまった。

 

敵の「進化」に冷たい汗を流していると、哨戒を行っているはずのロクマルが一直線にみずづきへ向かってくる。

 

「ん? ・・・しまった。燃料がやばいんだった・・どうしよう」

 

ロクマルは燃料が危険領域に近づくと、母艦の命令に関わらず高性能なお掃除ロボットのように燃料補給へ戻ってくるのだ。燃料が尽きて墜落する事態をさけるための防御機構なのだが、みずづきは大破状態。幸い、飛行甲板と格納庫は無傷だが、損傷により艦の安定性が確保できず着艦は心もとない。

 

「じゃあ私が代わりに隊長のロクマル、引き受けますよ」

 

みずづきが対応に苦慮していると、かげろうが助け舟を出す。そうすれば、艦娘とって重要な捜索・攻撃種手段であり、またラジコン大とはいえ庶民感覚からは逸脱した高価なロクマルを失うことは避けられる。しかし、着艦は予想以上に神経を使う作業だ。みずづきが戦闘不能の今、かげろうに着艦作業をさせるのは敵潜水艦のことを考えればリスクが高い。

 

「でも・・・」

「大丈夫ですよ。今、波の穏やかですからそんなに時間はかかりません。いざとなれば、受け入れはは中止します」

 

みずづきの言葉を遮り自信を感じさせる声で言うと、かげろうは受け入れ準備を開始する。みずづきは万一に備え、右手に持っているMk45 mod4 速射砲を確認する。最悪この主砲を海面に撃ち、その衝撃で魚雷の信管を誤作動させ起爆させるしかない。訓練すらしない荒業だが、艦娘だがらこそできるやけそく攻撃でもあった。がげろうの準備が完了したことを確認し、ロクマルはゆっくりと飛行甲板へ近づき海風に若干機体を揺らされながらも無事に着艦を果たす。拘束具に固定され、そのまま格納庫へ移動していく。

 

敵の攻撃はない。

 

「ふぅ~」

 

はりつめた心が少し緩むみずづき。

 

「やっぱり、ここまで減ってると補給にちょっと時間がかかりますね」

 

かげろうのメガネに棒グラフと数字で視覚化されたロクマルの残燃料数が表示される。それは警告を示す赤色で、もう少し飛行していれば危ないところだった。普段、ここまでロクマルを酷使はしないため、補給時間の伸びは予想外だ。現状を鑑みればすぐにでも出撃させたいのが本音だが、そう上手くは進まない。

 

「以後、私のロクマルはあんたに預けるわ・・・・。補給が完了しだい捜索を行わせて」

 

みずづきも出来ることなら自身でやりたいのだが、ロクマルを指揮する機能はもう残っていないのだ。かげろうもそれを重々承知しているため、真剣な表情でみずづきの命令を受け取る。

 

「・・・・・分かりました。隊長の大切な機体、お預かりします」

「うん・・・」

 

みずづきが悲しげな頷きをした直後、かげろうのメガネに警告が表示される。自身のロクマルの燃料が欠乏しつつあるというのだ。なんというタイミング・・・・・。

 

(マジですか・・・・。今、隊長の機体がいるし・・・)

 

まいかぜ型も他の汎用護衛艦と同様にSH-60Kを2機格納することは可能だ。しかし、それはあくまでメインローターや後部にあるテールローターを折りたためばの話。かげろうはみずづきのロクマルを即応体制のまま給油しているため、無論格納準備は行っておらず、2機格納は無理だ。一瞬悩むが、この表示が出てもすぐに海へ真っ逆さまということにはならない。戦場では現在のように何が起こるか分からないため、残量表示に関しても少し余裕がとってあるのだ。かげろうはみずづき機の補給完了を待って、自身の機体を回収することに決める。

 

「ん? かげろう・・どうしたの?」

「えっ!? いや、なんでもないですよ・・・」

 

かげろうはみずづきに心配をかけまいと嘘をつく。彼女が様々なことをすぐ自分の責任と思い込んでしまう性分であることをかげろうはよく知っているのだ。

 

「ふーん。ならいいけど・・・・」

 

みずづきはかげろうの反応を不審に思うが、すぐに打開策の検討へ思考を向ける。しかし、それは周囲へ衝撃波とともに広がる激しい爆発音によって遮られる。二人は思わず身をかがめ、悲痛な表情で音の発信源へ視線を向ける。「たかなわ」だ。まだ甲板上にいた乗組員たちが慌てて海に飛び込み救命イカダや作業艇が一斉に船体から離れる。敵潜水艦のとどめかと思い身構えるが、そうではないらしい。主砲下部の弾薬庫がとうとう誘爆したらしい。大小の爆発が断続的に発生し、そのたびに黒煙が薄暗くなった空へただ黙々とたちのぼる。金属のひしゃげる音が「たかなわ」の悲鳴に聞こえる。そして、あっという間に被弾した右舷側から転覆し、本来は見えない赤色の塗装が施された底部を空にさらしながら、ゆっくりと海中へ没していく。

 

幾人もの防人と共に・・・・・・・・。

 

2人は涙をこらえ、退艦した乗組員と同じく「たかなわ」へ敬礼する。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

沈没する船から離れた上級中型潜水艦はこれを好機と捉え、のうのうと立ち尽くしている艦娘への雷撃体制に入る。人間側のソナーと呼ばれる水中走査機器はこういう風に水中に雑音がばらまかれる状態では性能が低下するのだ。これでお預けは終わりだ。中潜は戦闘本能のおもむくままに、敵へ魚雷を発射する。その後、お決まりの回避行動へ移行。しかし、これは生き残るためではない。潜水艦のような低級の深海棲艦は生存本能が著しく低い。彼らの本能はただ一つ。

 

一発でも敵に多くの攻撃を見舞うこと。そして、一人でも多くの人間を殺すこと。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「たかなわ」へ意識を向けていたかげろうのメガネに、いかにも危機感をあおる刺々しい警告が表示される。

 

 

・・・・・魚雷だ。数は4、目標は、みずづき。敵はみずづきの状態を把握し、放射状に撃つのではなく全弾命中を狙って、4発すべてを一直線に発射している。当の本人はソナーを含めたセンサー類が壊滅しているため、全く気付いていない。

 

かげろうは顔を真っ青にしてみずづきに報告しよう口を開きかけるが、やめる。報告したところで、魚雷の速度とみずづき・かげろうとの距離、そして機関の状態を考えれば、どのみちみずづきへの直撃は避けられない。そして、4発もの魚雷を受ければどんな奇跡が起ころうとも魚のエサだ。

(一体、一体どうすればっ! このままじゃ、隊長がっ!!)

時間は止まらない。刻一刻と魚雷はみずづきの命を刈り取ろうと距離を縮める。確実にみずづきを助けられる方法・・・・。

(あ・・・・・)

そして、かげろうは一つの方法を思いつく。この雷撃から絶対にみずづきを救える方法を。だが、それは誰も“救われない”。それどころか、助けられた人間に一生後悔の念を抱かせるかもしれない。

 

 

 

瞬間、こっそり聞いていた通信が甦る。

 

 

 

 

“必ず生きて故郷に、家族のもとに帰れ。絶対に死ぬんじゃないぞ”

 

 

 

 

(司令官・・・・・・)

聞いた事がないほど必死に自分の純粋な願いを知山は口にしていた。それはみずづきだけでなく、かげろう自身にも向けられたものだということは痛いほど自覚している。

 

 

 

しかし・・・・・。

(このままじゃ、隊長が死んじゃう・・。もうこれ以上、仲間には死んでほしくない。

そんなのもう見たくないっ!! 前の隊から追われた私をここに温かく迎え入れてくれた隊長には絶対にっ!!!!)

かげろうは、覚悟を決める。死ぬのが怖いかと言われれば、当然怖い。かげろうにも帰る場所がある。待っている家族がいる。だが、それでも・・・。

 

“物事の善悪なんて、簡単に判断できるような代物じゃない。判断する方も、判断される方もいろんなモノを抱え込んだ人間なんだから。でも、そこで他者からの判断という名の批判を覚悟の上で、自身が正しいと信じた道を堂々と歩く。いきすぎれば大変だが、俺はそういうことが出来る人間こそ、まっとうだと思うんだよ。軍人ならなおさらな”

 

(・・・・)

 

“だから、君のしでかしたことは正しかったと思う。いや、社会的にも人間的にも正しかった。君はまっとうな人間だよ。そんなこともできず、私腹を肥やすことしか眼中にないクソ共の言葉なんぞ気にする必要はない。自分の信じる道を行く。胸を張って・・・。そうすれば、結果はおのずとついてくる。”

 

(っ・・・)

 

“そうだろ? かげろう”

 

(はいっ)

 

この部隊に配属されたばかりの頃にかけかれた言葉を思い出す。心に大きな葛藤を抱えていたかげろうにとって、それは曇天の間から地上をほのかに照らす光のようだった。

(私は日本海上国防軍第53防衛隊まいかぜ型特殊護衛艦かげろう。大切な仲間を守るために、信じる道を行く!!)

かげろうは機関をフル回転させ、一直線にみずづきへ向かう。急な機動にもガスタービン機関は特徴的な甲高いエンジン音を響かせながら、かげろうの意思に応える。

 

この行動は“軍人”としては正しくない。大破した艦を助けるために、無傷な艦が犠牲となる。非合理なことこの上ない。しかし、軍人といえども人である。大切な人を守りたい、たとえ困難に見えてもわずかな可能性にかける。その意思を誰が、否定できるだろうか。

 

できまい。口先だけでそれを両断する輩でも、心の中では正誤の判断はつけられない。つけられるのは、感情のないコンピューターだけだ。そして、かげろうは機械の思考よりも、人間の心を優先したのだ。

 

(お父さん、お母さん、お兄ちゃん・・・・・、バイバイ)

最後に、自身のロクマルへみずづきの援護を命令する。

(頼んだよ・・・・必ず化け物どもを沈めて・・・)

 

 

カスタービンの機関音を耳にしかげろうへ視線をむけたみずづきは驚愕する。もともと、そこまで離れているわけではないため、すぐにかげろうの姿が大きくなる。

 

「ちょっと、何やってるの!? あん・・・・」

 

思わず声を荒げるが、全てを言い切る前にかげろうのタックルが見事に決まり派手に突き飛ばされ、わずかな時間に宙を舞う。その一瞬に、偶然かげろうと目が合う。かげろうはとびきりの笑顔で何かを言った。声は聞こえない。しかし、何をいっているのか口の動きで分かった。

みずづきはかげろうの真意を察する。

 

 

そして、かげろうは爆音と共に大きな水柱に包まれる。

 

 

「え・・・・・・・・・・・・・?」

かげろうの“いた”方向に目をくぎ付けにしたまま、重力に従い宙から海面にたたきつけられる。痛くないはずがない。しかし、おかまいなし立ち上がり、さきほどの光景が現実か確かめる。そこには、かつてかげろうだったものや艤装の破片とおぼしきものが浮かんでいた。

「そ、そ、んな・・・・そんな・・・・・・・・・」

激情に染まりかけた心を抱え、ただ海面を凝視する。そこには、誰もいない。

 

 

“今までありがとうございました。お元気で・・・・”

 

 

みずづきはついに膝を屈し、無限と思えるほどに涙を流す。知山、おきなみ、はやなみ、整備班の人々。そして、かげろうまでも目の前からいなくなってしまった。しかも、自身がそばにいながら。心の中に自身への激しい怒りがこみ上げる。

 

 

 

 

“私は・・・私は・・・・・。また・・・・・目の前で・・・・・”

 

 

過去の忌まわしい記憶。

 

 

「し、しっかり、しっかりして!!」

「はぁ・・はぁ・・う゛・・・」

「絶対、絶対助かる!! だから頑張ってー!!!」

「きぃちゃん・・・・わたしこんなところで・・・・死にたくない」

「助かるって・・・」

「わたしの考え・・間違ってたのかな・・・・やっぱり、現実はうまく・・いか・・ないなぁ・・・・・・・」

「ゆうちゃん?」

「・・・・・」

「・・・・・?! ゆうちゃん・・? ゆうちゃん!! ゆうちゃん!!!!」

 

 

“私は・・・私は・・・・・。また・・・・・・仲間を・・・・・”

 

 

「そんな!! あけぼのさん、それは聞けません!!」

「いいから!! 上官命令に従いなさい!」

「でも!!」

「でも、ではありません!! あなたはあきづき型なのよ、分かってるの!!」

「だから、どうしたって言うんですか!!」

「あなたは必要な艦なの!! 敵の航空部隊にいためつけられている日本には!!」

「くっ・・・」

「だから、あなたは絶対に死なせない。死なせてなるものですか。後輩を守るのは、先輩の務め・・・」

「あけぼのさん」

「早く行きなさいっ!!」

「・・・・了解。今まで・・・・ありがとうございました・・・!!」

「命を大切にね。生きて日本を・・・ふるさとを・・・お願い」

 

 

(・・・・・また、ひとりになっちゃった・・・・・)

絶望。しかし、彼女の心に彼の言葉が浮かぶ。

 

 

 

“必ず生きて・・・・”

 

 

1人になってしまった。だが、ここで生きることをあきらめるわけにはいかない。あきらめれば、知山の言葉もかげろうの犠牲も無駄になってしまう。そして、この4年間に須崎基地で紡いできた思い出も消滅してしまう。それが叶わないとしても、せめて敵を倒して仇を取らなければならない。

 

 

(今、くじけるわけにはいかない)

 

 

敵潜水艦が健在な状況で無力な的に何ができるか分からない。しかし、みずづきの瞳に光が戻る。みなぎる闘志を敵が潜んでいる海へと向け、主砲を構えて神経を集中させる。敵の魚雷は第二次世界大戦時の欧米列強のものと酷似しているため、雷撃されれば海面にわずかな変化が現れる。それを捉えられれば、五分五分の引き分けに持っていける。

 

「っ!?」

 

反射的に主砲の引き金を引く。直後、着弾地点付近で砲弾とは異なる爆発が起きる。敵の放った魚雷だ。これはこれですごいことなのだが、あまりにも至近だったため爆風と衝撃がみずづきの体を蝕む。

 

「くぅ!!」

 

メガネに限界を告げる警告が表示され、足が海の中へ沈み込んでいく。ついに艤装の負荷が頂点に達し、浸水が始まったのだ。ダメコンも力尽き、もう手立てがない。

 

「まだ・・・私はまだ・・・!!」

 

しかし、みずづきはある存在を完全に忘れていた。トリを約束され張り切る飛行物体がさっそうとみずづきの頭上を通過する。独特のエンジン音を響かせ、攻撃態勢に入る。その正体は・・・・・。

 

「かげろうのロクマル!!」

 

かげろう機は自身の母艦を葬り、僚艦を死に追いやろうとしている化け物へ脇に抱えた12式短魚雷をお見舞いする。対潜ヘリの存在を感知した中潜は最大船速で回避行動に移るが、もう終わりだ。12式短魚雷が海へ潜ってすぐに腹に響く爆発音と水柱が発生する。足元に飛ばされてきた敵の破片が、みずづきに闘いの終わりを告げる。

 

「や、やっーたぁぁ・・」

 

敵を仕留めたかげろう機は機首を反転させ、みずづきの前方に滞空する。その動きはさきほどのみずづき機と同様だ。

 

「ま、このままにしておいても墜落するだけだし、どうせならちょっとでも休ませてあげないと」

 

みずづきは浸水し、不安定化する自身の身体を最後の力を振り絞って安定させ、かげろう機を着艦させる。そして、奇跡的に被害のない格納庫へ移動させる。

 

「完了ぉ・・・」

 

一気に張りつめていた気が緩む。

 

「ありがとね・・・」

 

ポンポンと艤装の格納庫あたりを優しく叩く。

 

 

 

そして・・・・・、バランスを崩し海面に倒れ込むとゆっくり沈んでいく。空気とは別種の冷たさが全身に染み渡る。特に患部には容赦ない。

 

(あぁ・・・・。ここまで、か・・・・。みんな、ごめんね・・・私、無理みたい。

みんなともっと一緒にいたかった・・・。こんな世界でもみんなといる時間は本当に楽しかった・・・・。)

 

全身が水に包まれ、漆黒の世界へ吸い込まれていく。

 

(父さん、母さん、はるき・・・・もう帰れないや・・・・・・・・・。

命令、守れなくてごめんなさい・・・・・・司令・・・・)

 

急速に薄れゆく意識のなかで、最後に捨てきれない、隠しきれない想いを吐露する。

 

(ああ・・・でも・・・、やっぱり、もっと生きていたかった、なぁ・・・・・)

 

そして、意識は完全に閉じられ、肉体は闇の中へ姿を消していく。海上も太陽はとうに沈み、月や星たちが昨日と同じように輝いていた。




次話から本編の中の本編です。
みずづきは一体どこへ・・・?


最初は周りの作者さんたちが書かれているように、前哨戦は1話かさわりだけにしようかとも思いましたが、それだと日本をはじめとするみずづきたちのおかれている状況がうまく書ける自信がなかったのでやめました。

地球の状況も今後の進行にかなり関わってきますから。

途中、ちょびっとだけみずづきの回想が入りましたが、彼女の過去もいつになるか分かりませんがおいおい書くつもりです。

では、また。
(戦闘シーンがすごく不安・・・・)


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4話 無の世界で

ついにやってきました本編です。

・・・・・といっても、全然本編らしくありませんが。


俺は・・・・・・・・・。

何も・・・・・・・・・。

 

 

 

 

守れなかった。

 

 

 

 

 

男は、歩く。ついこの間まで無数の自動車が走り、多くの人々が足を進め、活気に満ちていた街。そこを縫う道路の上を歩く。

 

部下も・・・・・仲間も・・・・・。

 

男は、歩く。ガラスが砕け散り、鉄骨がむき出しとなり、今にも崩れそうなビルの群れ。道路の両端にある信号機や各種標識は無残にひしゃげ、路面には至る所に穴があき、アスファルトの隙間から雑草が生えている大通り。ビルの破片に押しつぶされたり、横転している自動車。今や人の気配が消え去り、廃墟となった街の中をただ歩く。吹き抜ける風によって、それらが発する音は街の泣き声に聞こえる。

 

せめて・・・・・せめて・・・・・彼女たちは守ると誓ったのに・・・・・。

 

男は歩く。1人で歩く。

 

守れたと思った。俺が、俺だけが死ねば、彼女たちにやつらの手が及ぶことはないと思った。

 

だが、結局やつらは・・・・・。

 

ふと、立ち止まる。道路の上に散らばっているガラス。そこに男の顔が映る。瞳は濁り、生気は感じられない。

 

やっぱり、俺は、ただの駒だったんだな。

どうせ死ぬのに、必死に生きようと飛び跳ねるまな板の上の鯉。

うまくやれていると思っていた俺は、しょせんやつらの手の平で踊っていただけだったんだな・・・・・・。

 

俺は、一体・・・・・・なんのために・・・・・・。

 

 

 

“なんで、なんで、なんで、あの人が死ななきゃならなかったんですか?”

 

“あたなが代わりに・・・・・と言うわけではないんです。ただ、なんで?っと・・・・・・あなたがいながら、なんであの人が・・・・・・・。これからだったのに。これから二人で、二人で歩いて行こうって・・・・・・。なのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。”

 

パリンッ。

男は自分の姿が映るガラスを踏み砕く。何度も、何度も。ガラスが粉々になるまで。

 

「司令官!!」

 

この場には似ても似つかない明るい声が木霊する。男が声のした方向へ振り向くと、そこには漆黒の闇を照らす太陽のような笑みを浮かべた4人の少女たちと16人の男たちが立っていた。彼女たちに近づこうとするが、すぐに足を止める。気付いたのだ。もう、あの頃には戻れないと。自分が無力だったばかりに、死んでしまった大切な人々。去来する様々な記憶。ついに、男はその場に崩れ落ち、とめどなく大粒の涙を流す。

 

「俺は・・・・・・俺は・・・・・・・・・」

 

おびただしい人々が死んでいった廃墟の中で、男は泣き続ける。周囲には、男の泣き声のみが響いている。

 



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設定集 簡易版

冒頭用に作成した簡易版の設定集です。

4話以降のお話を読む前に目を通していただいても構いませんが、それなりに4話時点から見るとネタバレ的な内容が含まれています。その点はご注意下さい。


なお、詳細版は最新話に準拠しているため、がっつりネタバレが書かれています。詳細版を読まれる際は、できる限り最新話まで読まれてからご覧ください。


日本世界

 用語

日本国

かつて世界第3位の経済大国として名を馳せた先進国。2033年現在では、第二次日中戦争と丙午戦争、そして深海棲艦との戦争により大・中・小都市のほとんどが焦土と化し、インフラも破壊され疲弊している。シーレーンの断絶により、エネルギー不足と食糧不足が深刻化。計画停電と過酷な食糧配給制が実施されている。また、深海棲艦との本土決戦に備えるため、徴兵制の導入のみならず、中学校・高等学校において軍事教練が行われている。経済も徹底的に破壊されたため、民間経済は壊滅、多くの企業が倒産。各種インフラの復旧、軍再建・拡張などの官需がなけなしの日本経済を支えている。失われた20年とは比較にならない閉塞感に覆われていたが、艦娘の登場以降は深海棲艦爆撃隊の襲来回数が激減したため、復興の兆しも見えている。このような状況にも関わらず、軍事力は東アジア一であり、本格的な攻撃を受けていない他国からは「島国根性の発現」として畏怖されている。

 

華南共和国

 2025年10月、第二次日中戦争のさなかに起きた中国華南地方の中国人民解放陸軍を中心とする勢力のクーデターによって南京で成立した新国家。クーデターには華南地方の各省・市・自治区の共産党委員会も一斉に加わったため、統治機構は強固。これにより中国大陸には、華南と中華人民共和国が併存することとなった。かの国とは現在でも戦闘を続けており、最近は中華人民共和国の北東アジアにおける孤立、日本の経済・軍事的な支援によって戦線を押している。日本とは同盟国。

 

台湾民主共和国

 第二次世界大戦後の国共内戦以来、国家もどきという微妙な位置づけであったが、2017年以降中国がさらに対外強硬姿勢を強めたため、独立し日本・アメリカとの安全保障条約の締結を求める世論が強まる。華南共和国が成立したあと、協議のすえ独立が認められる。台湾の新たなスタートとして、それまで掲げていた中華民国という国号を廃し「台湾民主共和国」とした。先島諸島奪還作戦が成功したあかつきには、台湾政府の強い意向を受け台湾にも艦娘を主体とする日防軍の基地が置かれる予定である。

 

中華人民共和国

 かつて世界最大の人口を抱え、世界唯一の超大国であるアメリカ合衆国を経済・軍事の両面で追い越すとさえ言われた共産党一党独裁国家。2017年、日本の西日本大震災発災に端を発した経済危機「チャイナ・ショック」の震源地。第二次日中戦争中に起きたクーデターにより版図の一部だった華南地方が独立。多くの領土と人民を失ったものの中国は華南を国家承認しておらず、いまだに徹底抗戦の構えを崩していない。だが、それまでになしてきた行動のつけか日本はもちろんロシアを含めた周辺諸国に見捨てられており、まさしく四面楚歌の状態。華中内戦は、華南に日本や韓国・北朝鮮・台湾・東露などがついているため戦線は押されっぱなしである。

 

ロシア連邦

 ソ連崩壊以降、事実上のソ連後継国家として民主主義・市場経済を導入しつつも、独自の価値観からアメリカ合衆国、EU加盟国と対立が絶えなかった世界最大の領土面積を有していた国家。核兵器に代表される大量破壊兵器をアメリカに次いで保持しており、通常兵器においても周辺諸国を圧倒する強大な軍事力を誇っていたが、2033年現在、事実上4つに分裂している。

 

アメリカ合衆国

 誰もが知る世界唯一の超大国、だった国家。現在は日本同様、栄華を誇った都市部は深海棲艦の爆撃により壊滅し、建国以来初めて敵対勢力による本土侵攻を許している。侵攻されている東海岸各所では、本土にある戦力を総動員し激しい戦闘が継続中である。日本に続いて艦娘の実戦配備を成し遂げ、彼女たちの活躍によりメキシコ湾とカリブ海の制海・制空権の確保及びそれらの海洋に浮かぶ島々の死守に成功している。

 

日本国防軍

 2030年に前身の自衛隊を国軍化した軍事組織。略称は日防軍。国軍化に伴う日本国憲法第9条をはじめとした条文の改正は行われていない。国軍化と当時に戦闘で損耗した人員の補充ならびに本土決戦に備えるため、世論の圧倒的な支持を受け徴兵制が導入された。

 

陸上国防軍(陸防軍)

 陸上自衛隊の後継組織。海防軍や空防軍と比較して戦力の消耗はまだ少ない。それでも、先島諸島防衛線や沖縄本島攻防戦、小笠原・伊豆諸島での戦いでは多くの犠牲者を出している。先島諸島奪還作戦では、普通科連隊など大規模な戦力を投入している。

 

海上国防軍(海防軍)

 海上自衛隊の後継組織。通常戦力はほぼ壊滅しており、現在は艦娘と特殊輸送艦、小型護衛艦、対潜哨戒機が主戦力となっている。艦娘の優位性が確認されて以降は通常戦力の再建より、艦娘部隊の増強が優先されている。艦娘が深海棲艦の侵攻を防いだ事実から、日防軍なかでも海防軍に対する国民の信頼・期待はずば抜けている。

 

・須崎基地

高知県須崎市の野見湾にある海防軍の基地。生戦勃発後、高知湾からの敵侵攻阻止及び高知湾沿岸地域の安全を確保する目的で新設された。しかし、その辺境な立地もあって今では、問題児たちの左遷先と化している。当基地には艦娘部隊である第53・54防衛隊と彼女たちの輸送任務を背負う特殊輸送隊が配備されている。基地の規模は小さく、所属する隊員の名前は知らなくとも顔は知っている、という状態が一般化している。

 

・防衛隊群

ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)を旗艦に編成されていた機動部隊たる護衛隊群の艦娘版。F-35BやF-3などの航空機を搭載している特殊航空護衛艦を旗艦に構成されている。日本の悲願だった太平洋戦争敗戦以来初の、空母打撃群であり、海防軍呉基地に3個艦隊が配備されている。戦術・戦略双方において極めて重要な存在であるため、重要な作戦には必ずどこかの防衛隊群が参加し、艦娘の中でもエリート中のエリートが配属されている。そのため、防衛隊群を動かす事態というのはかなり深刻なものに限られる。

 

航空国防軍(空防軍)

 航空自衛隊の後継組織。深海棲艦侵攻初期に海防軍と同様、日本全国の基地が爆撃を受けたため、数少ない戦力で奮戦したものの一時壊滅した。現在は急ピッチで再建が進められ、従来戦力の大半が失われたため、F-35jと戦後初の国産戦闘機F-3が主戦力となっている。

 

防衛省

 日本の国防政策を担う中央官庁。昨今の情勢により、日本政府内での発言力の強さは高止まりしている。自衛隊の国軍化の後も、名称は防衛省のままである。

 

第二次日中戦争(東シナ海紛争)

 2025年9月に発生した日本国・中華人民共和国との戦争。開戦のきっかけは東シナ海日中中間線公海上で発生した中国海軍東海艦隊の駆逐艦2隻が何者かに撃沈された事件である。直接の戦闘が尖閣諸島周辺の東シナ海で収まった局地戦の9月戦争と日本本土に対するミサイル攻撃・サイバー攻撃が発生し全面戦争の様相となった10月戦争に大別される。華南共和国が成立するきっかけとなったクーデターと重い腰を上げた米国の消極的な介入により、中華人民共和国は継戦能力を喪失。一応は終結したものの停戦条約などは一切ないため、現在も戦争は継続中である。

 

第三次世界大戦

 これまでの第一次・第二次世界大戦のように、世界の先進国や新興国が二つの陣営に分かれて全面戦争を行う従来の世界大戦とは全く違う様相を呈した世界大戦。「新世界大戦」とも呼ばれる。その最たるものとして、アメリカ合衆国はこの戦いを傍観していた。第二次日中戦争とその後に続いた華中内戦による世界経済の大混乱が最終的な発端となった。

 

 深海棲艦

世界が第三次世界大戦で混乱の極みにあった2027年に、突如として出現した謎の生命体。出現当初から軍民問わずの無差別攻撃、無差別殺戮を遂行し、個体によっては人間を捕食する。どの個体も何らかの火器で武装しているが、一応に兵器水準は第二次世界大戦並みである。しかし、すべての個体が現代兵器の想定していない大きさ(人間大やドローン程度)で物量も規格外であったため、通常兵器での対処は困難を極め各国海軍を壊滅させた。陸上型の個体が世界各地に侵攻し、人類の生存圏を圧迫している。存在など詳細は一切不明。但し人類との激戦を通じ、武器や戦術が少しずつ進化しているため、低能な生命体でないことは確かである。

 

 深海棲艦

世界が第三次世界大戦で混乱の極みにあった2027年に、突如として出現した謎の生命体。出現当初から軍民問わずの無差別攻撃、無差別殺戮を遂行し、個体によっては人間を捕食する。どの個体も何らかの火器で武装しているが、一応に兵器水準は第二次世界大戦並みである。しかし、すべての個体が現代兵器の想定していない大きさ(人間大やドローン程度)で物量も規格外であったため、通常兵器での対処は困難を極め各国海軍を壊滅させた。陸上型の個体が世界各地に侵攻し、人類の生存圏を圧迫している。存在など詳細は一切不明。但し人類との激戦を通じ、武器や戦術が少しずつ進化しているため、低能な生命体でないことは確かである。

 

 

深海棲艦との戦争(対深海棲艦大戦、生戦)

 2027年、深海棲艦の無差別攻撃により勃発。当初の楽観論に反し、世界各国は連戦連敗。高度に築かれた情報網は各所で寸断され、東アジア・極東ロシア・東南アジアなど日本周辺を除いた各国の詳しい情勢は不明。アメリカは日本侵攻戦力を遥かに上回る敵部隊の侵攻を受け、本土侵攻を許している。ヨーロッパは、地中海の制海権を死守し西欧諸国が奮戦しているものの中・東欧諸国は激戦が続く中東や南アジアからの難民に紛れて侵入したテロリストやロシア連邦を後ろ盾とする新露派といまだに交戦しており、それどころではない。ただ、なんとかEU(ヨーロッパ連合)の枠組みで結束は維持している。中東は、相変わらず泥沼。一説には、あまりの泥沼ぶりに深海棲艦が侵攻を控えているとさえ言われている。アフリカ・南米の情勢は不明。

 

宮古海峡の悲劇

 2028年9月、マリアナ諸島、八丈島以南の伊豆・小笠原諸島、大東諸島の陥落・放棄を受け日本政府は、南西諸島をはじめとする太平洋側島嶼部の民間人退避を決定。その第一陣として、最も被侵攻危険性が高い先島諸島から疎開が行われることとなった。徴用された民間企業のフェリーなどには未成年者や高齢者の搭乗が優先され、念のため海上自衛隊の護衛艦2隻が護衛に付けられた。この後も随時疎開が実行される予定であったが、船団全滅を受け計画は中止された。船団がロストしたのち、自衛隊・警察・海上保安庁による決死の捜索が行われたものの、生存者は一人も発見されなかった。死者は全乗客・乗組員2万3491人。

 

先島諸島防衛戦

 2028年9月、アジア・太平洋戦争末期の1945年に生起した沖縄戦以来、83年ぶりに発生した地上戦。与那国島・石垣島・宮古島などの主要島を含め全島に深海棲艦地上部隊が上陸。生戦勃発以後、自衛隊が深海棲艦の地上部隊と交戦した初めての戦闘である。詳しい様相は生存者がいないため不明。しかし、断片的に送られてきた映像や写真には、生きながら捕食される人々や自衛隊員と島民が肩を並べて戦っている姿など、21世紀の常識では到底信じられないような光景が映し出されていた。死者は約10万2000人。市役所など公的機関も壊滅したため、詳細な人数は不明。

 

伊豆諸島攻防戦

 先島諸島防衛線に先駆けて発生した深海棲艦と日本国の本格的武力衝突。在グアム米軍を壊滅させた深海棲艦は日本本土を目指し第二列島線の島々を北上。日本政府はグアム米軍の惨状を受け、そうそうに小笠原諸島・八丈島以南の伊豆諸島の放棄を決定。深海棲艦が八丈島へ達するまで、住民の避難と部隊展開の時間を稼ぐため数回、自衛隊が襲撃。この甲斐あって、小笠原・伊豆諸島の住民には空爆に巻き込まれた者を除いて、死者は出なかった。八丈島を敵が侵攻する際、自衛隊は対艦ミサイルや高高度からの爆撃など、効率そっちのけの徹底した遠距離戦を展開。深海棲艦が疲弊し体制の立て直しを図っていた隙をついて、決戦を挑んだ。敵の守備部隊は健在だったが侵攻部隊の殲滅に成功した。この過程において八丈小島沖で、空自爆撃隊の爆撃や陸自の遠距離砲撃の阻止をもくろむ敵機動・水上打撃部隊と周辺に展開し作戦行動を取っていた護衛隊群との間で戦闘(八丈小島沖海戦)が生起した。結果は、刺し違え。護衛隊群の全滅と引き換えに敵艦隊は大損害を受け撤退。これによって、完全なる制海・制空権確立に成功し、侵攻阻止の地盤が整った。

 

特殊護衛艦(艦娘)

 専用過程で特別な訓練を修了し、特殊護衛艦システムを装備し戦う女性軍人の公称。公称というだけあって、公的文書や国会答弁、政府首脳の記者会見ぐらいでしか使用されていない。日防軍ですら一般的には艦娘と呼んでいる。彼女たちも一般国民であるため、当然のことながら個人の名前があるものの、特殊護衛艦システムという国家機密の塊を背負っているため身元が特定されないよう任務名で呼ばれる。外見では一般軍人と判別不能。しかし、特殊護衛艦システムの同期影響により老化が停止するため、容姿は特殊護衛艦艤装を受領したときのままである。特段の副作用もないため、艦娘の中にはこれを喜んでいる者もいる。

 

特殊護衛艦システム

 日本が世界に先駆けて開発し、2028年10月に実戦配備した対深海棲艦用の切り札。その実用性には、感服するばかりである。戦闘艦の戦闘能力を個人単身でも発揮できるため、少ない物的・人的資源でも通常戦力並みの作戦行動が可能。艤装装着による深刻な身体的悪影響は存在しないものの、同期により老化の停止が存在する。老化停止の副作用は現在のところ確認されていない。日本以外に、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ロシアが既に実戦配備済み。各国とも実在する戦闘艦をベースにしているが、それだけでは数が足りず日本のように実在せず独自のシステムを開発している国もある。

 

なみかぜ型護衛艦

平成26年度中期防衛力整備計画(26中期防)で計画された全く新しいタイプのコンパクト護衛艦。何故かまいかぜ型護衛艦と同じく艦名に“かぜ”がついている。命名当時、何故同じなのか論争が巻き起こったが、一説にはネタぎれで仕方なく、とさえ言われている。一時期は軽武装過ぎて作戦能力の低さが露呈したアメリカ海軍の沿海域戦闘艦(LCS)の二の舞だとの指摘も出たが、深海棲艦との戦闘ではその高速性と機動性を主軸とした一撃離脱戦法で高い評価を受けた。この戦法は、レーダーなど捜索機器が満載されている現代艦には自殺行為だが、目視による哨戒が主な敵に対してはかなりの戦火をあげた。それでも多くの同型艦が撃沈されている。

 

いず型輸送艦

派遣先の海上でも休息や食事、また艤装の点検・補修を可能とするいわば臨時海上基地をコンセプトとし、平成26年度中期防衛力整備計画(26中期防)で計画された「コンパクト護衛艦」である、なみかぜ型護衛艦をベースに開発された、艦娘運用に特化した特殊輸送艦である。これにより、艦娘の弱点である継戦能力の低さと作戦行動範囲の狭さが解消され、護衛艦や航空機と並び第一線級の戦力として確立された。船体の後部に艦娘発着艦用ウェルドック、艦橋下部の第二甲板に戦闘時の司令部となるFIC(司令部作戦室)と艦の戦闘を担うCIC(戦闘指揮所)が設置されている。武装は僚艦や艦娘との共同行動を大前提としているため、62口径76mm単装速射砲(ステルス・シールド版)や21連装SeaRAM、20mm CIWS ファランクスなどの自衛火器のみ。対空ミサイルや対艦ミサイル、アスロック、魚雷などの攻撃兵器は搭載していない。基準排水量は3300トン。2033年現在、2個防衛隊(艦娘8人)に対して一隻の割合ですべての艦娘部隊に配備され、後継艦の開発も始まっている。艦名の由来は深海棲艦の本土侵攻を多大な犠牲の果てに防ぎきった、伊豆諸島防衛戦である。

 

・たかなわ

須崎基地に配備されているいず型輸送艦。第53・54防衛隊の臨時海上基地として数々の作戦に参加してきた。日向灘では、潜水艦型深海棲艦の魚雷攻撃により後部ウェルドック付近と、FIC・CIC下層を被弾。突然の奇襲だったため隔壁の閉鎖が間に合わず、浸水域と傾斜角が拡大。岩崎艦長が退艦命令を発した後、62口径76mm単装速射砲の弾薬庫が誘爆し、沈没した。

 

まいかぜ型護衛艦

 あきづき型護衛艦の次に建造された対潜重視の汎用護衛艦。他の護衛艦と同様、同型をベースとするまいかぜ型特殊護衛艦の方が艦の数が多い。

 

いぬわし型ミサイル艇

壊滅した既存戦力の穴埋め、本土侵攻を目論む敵の足止め・戦力漸減を目的に沿海域防衛の柱として開発されたはやぶさ型ミサイル艇の後継艦。基準排水量は1500トン。武装は76mm速射砲、21連装SeaRAM、17式艦対艦誘導弾Ⅱ型8連装発射筒で前型よりかなりの強化が図られている。艦娘が前線に投入される以前の国防方針で配備が決定されたため、艦娘登場後は「用済み」との意見があがり開発が中止になりかけたこともあった。しかし、防衛手段多重化の必要性が重視され2031年から順次、各地の海防軍基地に配備されている。艦娘が海防軍の作戦において比重を高める中、まともに前線にたっている通常艦艇部隊は彼らいぬわし型ミサイル艇を配備する部隊のみである。

 

 F-3 ステルス戦闘機

国防軍創設と同じ2030年に実戦配備された日本初のステルス戦闘機、そしてアジア・太平洋戦争以来初の純国産戦闘機である。上記のようなあまりに大きすぎる肩書きと期待を背負っているものの、世界最先端の技術力を誇る日本の申し子にふさわしい、性能を誇っている。生戦により壊滅した従来航空戦力たるF-15戦闘機やF-2支援戦闘機の代替として、F-35ステルス戦闘機と共に急速に配備が進められている。長大な滑走路を有する航空基地での運用を想定したA型と空母での運用を想定したB型の2タイプが存在する。但し、開発費と開発時間を削減するためF-3BにはF-35AとF-35Bほどの相違はなく、外見ではF-3Aかどうかほぼ判断できない。

 

 17式艦対艦誘導弾(SSM-2B blackⅠ)

90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)の後継として、2012年に制式化され陸上自衛隊に配備された12式地対艦誘導弾を艦載化した新型艦対艦誘導弾。SSM1-Bと比較し命中精度や目標識別機能の向上、射程距離の伸長が図られた。射程は150km以上。弾体の塗装はこれまで通り視認性の低い白。しかし、これも人間大の深海棲艦などを想定していなかった。それほどの小型目標を通常の軍艦を念頭に開発されたSSM内蔵のアクティブ・レーダー装置や赤外線識別、画像識別装置で判別するのは非常に困難であった。また、弾種はHE(高性能爆薬)。駆逐級や軽巡級など低装甲目標にはそれなりの効果があったが、重巡級や戦艦級などの重装甲目標には効果が乏しく、結果、17式艦対艦誘導弾の撃沈率は悲惨なほど低い水準にとどまってしまった。

 

 17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM 2B blockⅡ)

従来の対艦兵装では対処困難な深海棲艦の出現により、開発された17式艦対艦誘導弾の発展型。弾種はHE(高性能爆薬)から対戦車弾などで使用される成形炸薬弾へ変更。また、誘導装置のプログラムに改良が施され、人間大の小型目標対処が可能になった。もっとも、開発が完了し実戦配備されたのは、海上自衛隊が壊滅しシーレーンが寸断され、艦娘が活躍しだした2028年の暮れ。

 

30式空対地誘導弾(AGM-1)

2030年に制式化、実戦配備が開始された初の国産空対地誘導弾。誘導方式はアクティブ・レーダー誘導で、いわゆる撃ちっぱなし式。発射後、誘導に機動を縛られることもなく即座に回避機動が行えるため、母機の安全が格段に向上した。弾頭は戦車など装甲目標の撃破を念頭に置いた成形炸薬弾頭。搭載可能数は2発。第3次世界大戦と生戦によって、使用してきたアメリカ製の空対地ミサイルヘルファイアが入手困難となったため、ヘルファイヤミサイルの代替・後継、そして対深海棲艦戦闘でも重要な攻撃手段となることを目的に開発された。一部の専門家からはヘルファイアを丸パクリした模造品と酷評されたりもしたが、そこまで言われるほどの欠陥品ではない。日本がかつて実戦配備していたヘルファイアはAGM-114Mと形式番号が付されたタイプで、誘導方式はアクティブ・レーダー誘導方式ではなく、弾頭が命中するまで母機が目標にレーザーを照射し続けなければならないセミアクティブ・レーザー誘導。またその弾頭は爆風破片弾頭であり装甲の薄い地上の装甲車や小型艇への攻撃を念頭に置いていた。そして、射程が9kmと短いこともあって、AGM-114M ヘルファイアⅡは対深海棲艦戦闘において全くと言っていいほど役に立たなかったのだ。

それを教訓とし最後の手段でも切り札となれるよう開発されたのが、この30式空対地誘導弾である。これによってこのミサイルでも、戦艦は困難であるものの重巡洋艦クラスまでなら戦闘不能にさせることが可能になった。ただ、開発が急ピッチで行われ射程の伸長は見送られたため、9kmのままなのが玉に瑕である。

 

 登場人物

知山 豊(ちやま ゆたか)

 須崎基地の第53防衛隊司令官。階級は三等海佐。基本的に真面目だが、親交の深い同僚や部下には子供のような悪戯を働くこともある。防衛大学校などエリートコース出身者以外の艦娘部隊司令官というのは珍しいため、他部隊の司令官から時々遠回しの嫌味を言われる。部下を想う気持ちが非常に強く稀に昇進を餌に懐柔を図る上層部と衝突している。その立場上、東京などへ出張する機会が多かった。2033年5月26日戦死。

 

みずづき

 あきづき型特殊護衛艦であり、第53防衛隊の隊長。あまり社交的ではないが、親しい人間とは積極的に交流する。知山は第53防衛隊創設時よりの上官。そのため同隊の中で最も多くの時間を知山と過ごしている。少々天然な所もあり、よく始末書を書かされていた。2010年生まれ。父・母・弟がいる。2033年5月26日に敵潜水艦の魚雷を受け戦死、かと思われたが、あり得ない事象に巻き込まれる。

 

かげろう

 まいかぜ型特殊護衛艦。同隊で一番の新人。物静かで温和だが、みずづきをからかったりなど、意外な一面もある。出身は徳島県徳島市。父・母・兄がいる。2033年5月26日、みずづきをかばい戦死。

 

おきなみ

 たかなみ型特殊護衛艦。活発で男盛り、The運動部といった感じのムードメーカー。気兼ねなく初対面の人物、上官にも話しかけるため初印象は上々。ただ、知山に無茶な要求をしすぎるなどフレンドリーすぎるところもある。はやなみとは結構仲がいい。2033年5月26日戦死。

 

はやなみ

 たかなみ型特殊護衛艦。人見知りが激しく、基本的に無口。第53防衛隊の仲間など親しい人間とは話すものの、声量が小さく言葉も断片的でよく聞かないと何を言っているのか分からない。何故か性格が真逆のおきなみとは仲良し。2033年5月26日戦死。

 

岩崎 友助(いわさき ともすけ)

いず型特殊輸送艦たかなわの艦長。階級は一等海佐。一等海佐という階級、そして艦長という肩書きを具現化したかのような威厳をたたえている。例に漏れず彼も深海棲艦との戦闘経験があり、地獄を味わった。そのため、自身がのうのうと生き残っていることに責任を感じている。一人の青年の最期を案じ、みずづきに奇跡の発現を託した。たかなわの損害状況を鑑み、総員退艦命令を発令。艦橋を目に焼き付けた後、最後に艦橋を後にした。

 

坂下 芳樹(さかした よしき)

いず型特殊輸送艦たかなわの航海長。階級は三等海佐。岩崎の性格や葛藤を理解している良き部下。岩崎の退艦命令に従い、艦橋を後にした。

 

瑞穂世界(日本世界とは異なる歴史を歩んだ並行世界)

 用語

瑞穂世界

日本世界とは異なる歴史を歩んだ並行世界の呼称。地形や気候、自然環境は日本世界と差異はない。但し、国名は全くの別物であり、地名も異なるところが多々存在する。近代以前は同一ではないものの、大方日本世界と似たような歴史をたどっていた。だが、近代以降は明確に分岐している。「力よりも言葉」が万国共通の概念として定着しているため、戦争や紛争は日本世界と比較して圧倒的に少なく、あっても小規模な紛争でとどまっている。そのため、日本世界では数えきれないほど行われてきた国家間の大規模戦争や、果てしなく続く宗教・民族戦争、ましてや第一次世界大戦や第二次世界大戦もない。そのため、深海棲艦との戦争が史上初の「大戦」である。大戦による犠牲者は全世界で約9700万人と推定されている。技術水準は日本世界と比較にならず、日本世界の1940年代~1960年代に相当する。

 

 

瑞穂国

 日本に相当する国家。立憲君主制かつ議院内閣制。太古の昔から瑞穂を治めてきた天皇家は国民統合の象徴と位置付けられ、統治能力の一切は瑞穂政府が握っている。領土は本州・四国・九州・北海道と周辺に存在する諸島。他国と同様に深海棲艦との戦争で海軍は壊滅。一時は第二次列島線を占領、シーレーンも完全破壊され本土決戦の可能性も浮上したが艦娘の登場により、本土決戦は回避された。そればかりか、艦娘との共同作戦で部分的なシーレーンの回復にも成功している。それを経た戦況の改善により、多温諸島奪還に動くなど攻勢をかけている。人口は約8200万人。国内総生産(GDP)は世界第7位で、経済規模・成熟した政治・社会制度から先進国の一角を占めている。陸軍・海軍は存在しているものの、両軍から航空兵力を完全独立させた空軍は創設されていない。そのため、陸軍は航空輸送力を、海軍は制空権確保を担当する航空兵力の分割が行われている。

 

硫黄島

小笠原諸島の一部の火山島で、ろくに水も出ず火山性ガスと硫黄満ちている過酷な島。一時は深海棲艦に奪われたが度重なる戦闘の果てに奪還。しかし、第2列島線の要衝であり、西太平洋の制空・制海権を握る上での重要性は深海棲艦も認識しているようで、奪還後も度々小競り合いが発生している。現在、横須賀航空隊硫黄島分遣隊をはじめとする陸海軍の航空・地上部隊が展開し、艦娘の停泊地としての機能も整備されるに至っている。

 

三宅島

伊豆諸島を構成している一島。一時は陸軍守備隊の奮戦虚しく深海棲艦に占領されたが艦娘との共同作戦により奪還に成功。海軍三宅島観測所以外に陸軍基地が設置され歩兵を中心とする守備隊が駐屯している。また、島民の帰還も行われ漁港には多くの漁船が停泊している。

 

多温諸島

 マリアナ諸島に相当する。語源は原住民であるタオ人が自分達や自分たちの住む土地をタオと呼んでいたため、イスパニアから瑞穂へ割譲された際に当て字で「多温(たお)」とした。一応「すごく暑い」という意味も込められている。深海棲艦侵攻初期に占領されたが、奪還作戦の成功によって再び瑞穂の領土となった。

 

大宮島

 グアム島に相当する。多温諸島命名時と同様、イスパニアから割譲された際に瑞穂語名がつけられた。意味は「大いなる神が住まう」である。深海棲艦登場以前から海軍基地がおかれており、奪還作戦後急ピッチで再建され、多くの艦娘がここに移動している。

 

大本営

 統合幕僚監部に相当。大日本帝国の「大本営」と異なり、法的根拠を有する常設機関である。

 

瑞穂海軍

 瑞穂国の海上国防組織。最高司令部は軍令部。

 

海軍軍令部(軍令部)

 海上幕僚監部に相当。作戦立案・実行、兵站などの後方支援を指揮・監督する瑞穂海軍の最高司令部。軍令部の元に全実働部隊を指揮する連合艦隊司令部があり、隷下に艦隊司令部、航空戦隊司令部、陸戦隊司令部、後方支援集団司令部が存在する。直率する特別の機関として、横須賀鎮守府をはじめとする各鎮守府、海軍兵学校などが存在する。

 

横須賀鎮守府

 神奈川県横須賀市にある瑞穂5大鎮守府の内の一つ。

 

・横須賀鎮守府工廠

通常艦艇の修理・点検、及び艦娘用艤装の修理・点検・新装備開発を行う鎮守府直轄の施設。田浦町・長浦湾にある工廠隷下の横須賀造船部が通常艦艇を、横須賀鎮守府中枢に隣接する工場群が艦娘用艤装を担当している。後者は主に艤装の点検・修理を行う艤装工場と新装備の開発を行っている開発工場で構成される。

 

・横須賀警備隊

 横須賀鎮守府内の警備を担う部隊であり、一般的に陸戦隊と呼ばれる海兵団のように外地へ展開することはない。そのため、武装も小銃や機関銃など軽い。

 

・三宅島観測所

 横須賀鎮守府隷下の横須賀防空隊伊豆・小笠原警戒隊の施設。電波収集や付近海域を航行する船舶の監視・観測が主任務。深海棲艦から三宅島が奪還された後に新設された。瑞穂海軍施設の中で最も早く、みずづきの救難信号を受信した。

 

瑞穂陸軍

 瑞穂国の陸上国防組織。伊豆・小笠原諸島以外に本格的な戦闘を行っていないため、壊滅した海軍とは対照的に大戦勃発以前の戦力を保持している。だが、あくまで自分たちを「陸の防人」と自負しており、戦力を盾として海軍の方針に口出しすることはあまりない。

 

国防省

 防衛省に相当する。国防政策を担う中央官庁。

 

大蔵省

 財務省に相当する。多温諸島奪還作戦にかかる費用を過小評価したため、瑞穂国の財政運営を危機におとしいれた。

 

通商産業省(通産省)

 経済産業省に相当。瑞穂の通商に関する行政を一手に担う。

 

並行世界証言録

 艦娘たちの証言を集め、日本世界の歴史・文化・社会情勢・技術レベルなどを体系的に記した一大史料。雪風や響も加わっているため、戦後1970年代ごろまでの出来事も掲載されている。製作は国防省主導。当初は国防省の官僚たちも並行世界の情報を欲していたが、艦娘たちに様々なトラウマがあったことから関係悪化を避けるため、聴取の計画は棚上げにされていた。しかし、艦娘たちの出身を知った政治・歴史・文化・民俗などから生物や物理・化学いたるまでの学界、それら管轄学界の要望を受けた各省庁の突き上げを受け、製作が決まった。決まったはいいが製作主体や各省庁の関与を巡って、激しい闘争が繰り広げられ、軍の全面的なバックアップを受けた国防省が最終的に勝利した。製作開始直後は艦娘たちが消極的で難航したが、少数の艦娘たちが協力したことをきっかけに参加人数が増加。現在ではほとんどの艦娘が協力し、各学界も大満足し研究に励んでいる。

 

 登場人物

・横須賀鎮守府

百石 健作(ももいし けんさく)

 横須賀鎮守府の司令長官。年は30代前半と非常に若いが、通常ならあり得ない官職につけるだけの実力は兼ね備えている。艦娘たち・一般将兵との関係は良好で、信頼も厚い。ただ、それを妬んだり、快く思っていない軍人が上層部を中心に存在している。

 

川合 清士郎(かわい せいしろう)

 横須賀鎮守府の警備を担う横須賀警備隊の隊長。階級は大佐。百石より年上だが、それに不満を抱くこともなく命令には忠実で、警備隊内の人望もあつい。要領が良く仕事は早く済まれられるタイプ。

 

筆端 祐助(ふではし ゆうすけ)

横須賀鎮守府の副司令官。最高司令官の百石とは先輩・後輩の仲で、考え方も非常に近くとても親しい間柄。誰に対しても分け隔てなく接し、いつも豪快な笑顔で周りに元気を与えてくれるので、百石と同様に部下からの信頼が厚い。そんな性格のため、キレる姿はめったに拝めない。

 

宇島 忠 (うじま ただし)

横須賀鎮守府参謀部の青年将校。階級は中尉。冷静沈着な性格で、みずづきの第一報が入ったときも多少の動揺はあったが、比較的落ち着きを保っていた。

 

西岡 修司(にしおか しゅうじ)

横須賀鎮守府警備隊の青年将校。階級は少尉。まだまだ、士官学校(海軍兵学校)卒業したての新人だが、なにどこにも懸命に取り組むため川合も含めた上官から信頼されている。だが、未だに警備隊の雰囲気には完全に馴染めていないようで、川合たちの暴走に振り回されることもしばしば。気が少し弱いところがまたにきず。

 

・軍令部

的場 康弘 (まとば やすひろ)

 瑞穂海軍の最高司令部たる軍令部の総長。階級は大将で名実ともに瑞穂海軍のトップ。艦娘擁護派の筆頭に挙げられる「爽風会」の会長で、擁護派の中心的存在。温和で情に厚く、部下想いの性格ゆえに士官・兵士問わず、部下からの信頼度は文句のつけようがない。百石や筆端も同会に所属しているため、彼らとの関係は深い。一見すると対立派閥である艦娘排斥派のリーダー格、例の問題児さんとは関係が険悪だと思ってしまうものの、実は・・・・。かなり古い付き合いである。

 

御手洗 実 (みたらい みのる) 

 瑞穂軍の最高意思決定機関、大本営統合参謀会議の委員。階級は中将。瑞穂の政・経・軍界に、多数の人材を輩出してきた旧士族の名家である御手洗家出身。性格は、独善的で自己中。自分が格下と思った相手は、例え上官であろうと噛みつく。軍規を無視した自己中心的な法外行為は当たり前で、軍の意思決定に自分の見解が反映されていなければ不満らしく、何かと介入している。その悪評は、海軍内において辺境の一兵卒にまで轟いている。艦娘の排斥を主張する排斥派の1人。排斥派の中心派閥である「憂穂会」の助言役でありながら、会長を抑え、実質的なリーダー。そして、裏の権力を使い、作戦局の裏のトップとなっている。そのため、擁護派の百石や筆端とはすこぶる仲が悪い。

 



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5話 困惑

前話だけだときりが悪いので連続投稿です。

みずづきが目覚めた場所とは一体?


妙に軽い体と混濁する意識を抱え、みずづきはひたすら海上を進む。実体感のない雰囲気。まるで夢の中にいるようだ。進んでいると、前方に白い軍服を着た人間の後ろ姿が目に飛び込む。

 

「司令官!!」

 

男の正体が分かった瞬間、みずづきの顔に大輪の花が咲く。1秒でも早く彼に追いつこうと、速力をあげる。何故だろうか。今まで一緒にいることが当たり前だった彼の姿を見て、ここまで嬉しさがこみ上げてくるのは・・・・・・。

 

「司令~官っ!!」

 

しかし、いくら速力をあげても、彼との距離は一向に縮まらない。機関が悲鳴をあげ始める。それでも、縮まらない。

 

「司令官!! 司令官ってば~!!!」

 

いつの間にか、みずづきの声色は悲しみに染まっていた。理由は分からないが、このままでは2度と会えない。そんな気がするのだ。

 

「司令官、待って!!」

 

必死に叫ぶ。女子だからはしたないとか言っている場合ではない。とにかく、叫ぶ。その声が届いたのか、彼がこちらに振り向く。

 

「司令官・・・」

 

彼の顔は基本的に無表情だったが、わずかに悲しそうだ。口を開き何かを話し始めるが、みずづきにはうまく聞き取れない。

 

「えっ? なんて? 司令官、なんて言ったんですか?」

「・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「だから、なんて? 聞こえないですよ・・・」

 

しだいに、悲壮感に包まれた声が聞こえてくる。

 

「すまない・・・。すまない・・・。すまない・・・。君には、迷惑をかける。本当にすまない」

「しれ、い、かん・・・・?」

「だが、君なら・・・・・・・君ならやれるはずだ。          を救ってくれ・・・」

 

言い終わると彼の体が急速に消えていく。幽霊のように。

 

「司令官!!」

 

みずづきは再び航行を開始するも、やはり距離は縮まらない。彼は最後に儚さを感じさせる笑顔でこう言った。

 

「大丈夫。君は、君自身が思っている以上に強い。そこいらの苦難なんて、すぐに乗り越えられるさ」

 

そして、彼は完全に消滅する。

 

「司令官!! しれいかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」

 

声帯が卒倒しかけるほどの叫び声をあげた直後、急速に意識が遠のく。しかし、これで終わりではない。これから、新たな物語が始まる。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ????年?月??日 ?????????????????

東の空がうっすらとオレンジ色に染まっているものの、まだ直上には星の世界が広がっている。雲は1つもなく、波も穏やかだ。今日もすがすがしい青空が拝めるだろう。

 

「ん、んん・・・・・」

 

見渡す限り何もない大海原のど真ん中に、ものものしい艤装を付けた1人の少女がぽつんと浮かんでいる。その少女はうめき声をあげながら目を覚ます。

 

「うっ・・・・・。んっ・・・・・」

 

反射的に横になっていた体を起こし、両手で目をこする。

 

「ん・・・・・って、つめたっ!!!」

 

ぼーーっとしていられたのも束の間。海に浸かっていた制服がたっぷりと清涼な海水を吸収し簡易的な保冷剤と化していた。しかし、冬に感じるような刺さる冷たさではない。それによって、みずづきの意識は夢心地から完全に覚醒する。

 

「え? ここ、どこ・・・・・?? 私はたしか・・・」

 

自身が今までしていたことを思い出そうとした途端、強烈な頭痛が襲う。頭の中を駆け巡る記憶。そこにはもちろん、『あの闘い』も含まれていた。

 

「う゛・・・。そ、そうか・・・・・わたしは・・・・」

 

・・・・・・・撃沈。そう、みずづきは敵潜水艦との死闘の末、日向灘にその身を沈めたはずだったのだ。それは脳裏に強烈に焼き付いており、記憶違いや精神病の類ではない。そうであったらどれほど良いことか・・・・・。あの闘いでみずづきはあまりにも多くのものを失った。しかし、それもこれも紛れもない、現実だ。今、みずづきは自分の足で海上に立ち、肌で駆け抜ける風を感じている。

 

「ど、どういうこと・・・・・・・?」

 

自身の置かれている状況が全く分からず、困惑ばかりが積もる。

 

「そういえば艤装は・・・・・」

 

自身の体をくまなく視界に収める。しかし、これもどういうわけか、あれほどボロボロだったにも関わらず損傷は全くない。身体の傷も完全に癒えており、制服にも焼け焦げた跡や染み込んだはずの血は全くない。「たかなわ」を出撃した時の状態に全てが戻っていた。次に艤装システムを起動させFCS-3Aをはじめとする各種システムの確認を行う。それらは戦闘による損傷がなかったかのように起動し、自分たちの役目を遂行する。

 

「FCS-3A起動確認、エラーなし。異常確認できず、正常に稼働中・・・・。あれ~??」

 

あまりの不可解さについこめかみを押さえてしまう。

 

「もおぉ! 一体どうなってんの?! 訳が分かんない・・・」

 

何事もなく起動を果たしたFSC-3A多機能レーダやソナーが周辺を捜索するものの、反応は皆無。一安心だ。だが、それも束の間。みずづきは現在位置を確認しようとメガネの地図情報画面を照会するがそこには「現在位置不明」という教本でしか見たことがない文字が表示されていた。

 

「・・・・・・・・・えぇっ!?!?!? ちょっと、なんで!!」

 

慌ててGPSをはじめとする位置情報取得センサー類とそれらから得られる電子情報を可視化する位置情報基幹システムに再起動をかけ、念のためにダメコンプログラムを走らせるが、結果は「異常なし。」

 

「うっそぉぉ~」

 

それでも機器の異常と見当をつけ原因を探ろうと様々なシステムやソフトを調べていたみずづきだったが、電波の受信状況を表示するある画面を見た途端、表情が凍り付く。通常ならあり得ない事象が目の前で起こっていた。

 

「・・・・・・。電波が受信できない・・・・、軍事用も民間用も・・・・そんな・・・」

 

そこには地球上であればどこにいてもほぼ確実に受信可能なGPS信号すら表示されていなかった。深海棲艦に追い詰められつつも、なんとか国家を存続させている日本でもラジオやテレビなどの民間、軍・警察・自治体をはじめとする公の電波がそこら中から発信されている。それは陸地に限らず哨戒を行っている航空機や艦船など空中や海上からも、盛大にではないが発信されている。これだけ調べても異常がない以上、機器は正常と判断せざるを得ない。では、何故受信できないのか。まるで、文明そのものがなくなってしまったかのように・・・。

 

みずづきは再度FCS-3A多機能レーダーとOPS-20C航海レーダーを確認する。陸地はおろか航空機や艦船も全く映っていない。レーダー画面は見たことがないほど静まり返っている。

 

「電波が受信できない件は、専門じゃないからもうお手上げ・・・・・。状況から察するにここは少なくとも日向灘でも日本近海でもないってことか・・・・。運悪く太平洋のど真ん中、とかだったら嫌だなぁ・・。しっかし、私、いまどこにいるんだろう・・・」

 

立ち止まっていても始まらない。それどころか、敵に捕捉される危険性が増えるだけだ。システムなどのソフト面のみならず、魚雷でやられたはずの機関や戦闘で消耗した弾薬などハード面までも元通りとなっていた。復元した原因を棚上げすれば、今すぐにでも機関を始動し航行することが可能だ。というか、それしかない。こんな超常現象を大海原に立って一人で考えても埒があかない。こういうことは、解けるかどうか大いに疑問だが、本土の技術者や科学者に任せるしかない。だが、ここで闇雲に方向を決めて航行するは自殺行為だ。もし、現在位置が北アメリカ大陸の西岸なのにも関わらず日本近海と思い込んで進路を西にとった場合、どれだけ進もうとも海という事態に陥ってしまう。

 

「う~~ん・・・」

 

方位は艦載のコンパスで分かる。現在が夜ならば天体観測で位置が割り出せるのだが、今は日の出後の朝。星は太陽に追い払われ見る影もない。

 

「ここから、救難信号を出すのも手だけど、危険すぎるから最終手段にするしかないか」

 

電波を用いるのは人類だけではない。無論深海棲艦も使用し、関連技術は日々進歩している。今では、逆探による位置確定も可能と言われているのだ。そして、もし敵に発見された場合、あきづき型一隻では到底太刀打ちできない。さっきのような連中がでてくれば、それこそ終わりだ。だが、こうして悩んでいる間に時間は刻一刻と流れていく。現状のような孤立無縁は非常に危険である。みずづきはすべての情報を加味して、一つの結論を下す。

 

「・・・・よしっ! 現在位置を日本本土の南海域と仮定して進路を北に取ろう」

 

海風や空、波などの雰囲気を鑑み、日本人の感でそう判断する。非合理なことこの上ないが常識が通用しない事態である以上、これもやむを得ない。みずづきは機関を始動させ、一路北へ向かう。多少の不安を抱えつつも、自身の感があっていることを願って。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

出発してから数時間が経過した。水平線近くにあった太陽は天高くに昇り、頭上からみずづきを照らす。いまだにレーダー、通信システム、位置情報システムに変化はない。つい先ほどしびれを切らしたみずづきは温存していたSH-60Kを発艦させ、みずづきから見て西側の海域を捜索している。多機能レーダーに映し出されるロクマルの反応をみて、目に涙が浮かぶ。

 

「っ・・・!?」

 

慌てて涙を拭う。()()()()のロクマルは母艦の命令に従い、黙々と捜索に専念していた。

 

しばらく航行していると、遂に何らかの電波を捉えた。みずづきは歓喜し、必死に聞き耳を立てるが、発信元の出力が低いのかはたまた遠方なのか。何を言っているのか全く分からない。

 

「でも、良かったぁ~。これで近くに人がいるのが分かったし、私の勘もあってた」

 

まだ、レーダー上には艦船や航空機・陸地は映っていないが電波が探知できるようになった以上、進路の正当性は疑いようがなくなった。その後、北上するにつれて雑音交じりであるものの、断片的な日本語が聞こえるようになってきた。どうやら、ラジオを受信しているようだ。また、ロクマルもそれとは別の電波を受信し、データを転送してきていた。

 

「・・・・・・・・・・の・・・・おわ・・・・・・・・・ぜんこく・・・・・で・ょ・・」

「思った以上に日本と近かったみたいね。ロクマルも南以外から何かしらの電波を探知してるし・・・・。アメリカとかフィリピンの近傍じゃなくて一安心」

 

ほっと胸を撫で下ろすみずづき。電波が捉えられない頃は、本気で勘が外れたことを危惧し冷や汗をかいていたが、取り越し苦労だった。もし、外れていたなら、それは問答無用の“死”を意味していたが・・・。太平洋は現在、地球上で最も深海棲艦が跋扈している海洋なのだ。あの超大国アメリカがハワイやグアムを落とされ本土侵攻を許している時点でお分りだろう。深海棲艦は太平洋上の各諸島を要塞化し、環太平洋諸国へ攻勢をかけている。

 

「でも、相変わらず聞き取りづらいなぁ。ラジオってこんな乱れ方したっけ?」

 

ある意味、このラジオ放送は見事な乱れっぷりを披露していた。日本語ということは分かるのだが、具体的に何を話しているのかサッパリだ。みずづきは今まで幾度となく、特にテレビの視聴が電波の徴用・計画停電・放送主体の消滅により厳しくなってからはラジオを聞いていたのだが、このような乱れ方は初めてだ。

 

「まぁ、こんなこともあるか」

 

違和感を覚えつつも、気に留めない。それより現在位置が日本近海であるとわかった以上、「救難要請」を行うかどうか判断しなければならない。日本近海と一言で言ってもその広さは半端ではなく、詳しい位置は不明なままだ。更にみずづきは不可解な事象に遭遇し状況がいまだに飲み込めず、おまけに孤立状態だ。早く友軍と合流したいが、救難信号を出した場合、みずづきは敵味方問わず一瞬にして時の人になる。近くに味方がいてくれればいいが、敵ならば絶望しかない。その可能性を少しでも減らすため、周辺状況の確認を行うが、至って平穏。ラジオの出力的に陸地や島からの距離もそう離れてはいない。味方に助けられる可能性と敵に捕捉され攻撃を受ける可能性を天秤にかける。結果、前者が勝つ。

 

「万一敵に見つかったとしても、救助隊が来るまでの辛抱・・・」

 

決めたら、即行動。どんなならず者国家でも人間ならば通じる国際救難周波数で救助要請を行う。本当は詳しい報告を行わなければならいないため横須賀の自衛艦隊司令部や呉の防衛艦隊司令部などと交信したいのだが、なぜかそれらの通信帯はいまだに沈黙を保っている。

 

「こちら日本国海上国防軍第53防衛隊隊長みずづき。本艦は現在位置を見失い、単独航行中。速やかなる救助を要請する。繰り返す、こちら日本国海上国防軍第53防衛隊隊長みずづき。本艦は現在位置を見失い、単独航行中。速やかなる救助を要請する」

 

敵に捕捉される不安を抑えつつ、希望を込めて発信する。みずづきの声は電波に変換され、瞬く間に周囲へと拡散していく。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

瑞穂海軍横須賀防空隊 伊豆・小笠原警戒隊 三宅島監視所

 

三宅山の山腹にある、おおよそ軍の施設とは思えないほど小さい建物。深海棲艦からの奪還後新たに設置された同監視所は、付近海域を航行する船舶の監視や受信する電波の解析などを主任務とし、今日も地道に職務をこなしている。しかし、艦娘の活躍により伊豆・小笠原諸島や沖ノ島の奪還に成功し西部太平洋から深海棲艦が姿を消すにつれて、付近を通る艦船や収集電波が増大し、監視所の隊員たちはここ最近激務にさらされる日々が続いていた。

 

「ふぅぅ~」

 

1人の隊員が深く長いため息を吐く。

 

「なんだジジくさい。報告書、終わったのか?」

 

それを見て、隣にいる別の隊員が同情した顔でツッコミを入れる。

 

「なんとかな・・・・。これで昼休みが取れる」

「今日は、海難事故も化け物どもの出現情報もないからな。もう少しの辛抱さ」

 

ここ最近2人とも仕事の激増によってまともな昼休みが取れず、昼食にありつけないという悲劇を何度も経験していた。腹の虫を抑えながらの仕事は戦争が始まってから随分慣れたものの、つらいことには変わりない。2人は上官の顔を伺いつつ、時計を見てまだ見ぬ昼食に心を躍らせる。

 

「ん?」

 

そんな2人のやり取りを同情した目で見ていた1人の新人隊員が異変に気づき、ヘッドホンを押さえる。意識を集中させた直後、はっきりとした人間の声がヘッドホンから伝わる。

 

「こちら日本海上国防軍第53防衛隊―――」

「発信元不明の通信を探知!! スピーカーに出します!!」

 

通信を全て聞き終わる前に新人隊員は特異性を感じ、通信室にいる全員に聞こえるよ訓練通りの対処を行う。昼を前にして少し緩んでいた室内の雰囲気は一気に引き締まる。

 

「――速やかなる救助を求める。繰り返す――」

「どの周波数帯だ? 軍専用帯か?」

「いえ、国際救難周波数です!!」

「――みずづき。本艦は現在位置を見失い単独航行中。速やかなる――」

 

内容を聞き取った隊員たちはあまりの不可解さに例外なく困惑の表情を浮かべ、近傍にいる隊員に疑問をぶつける。

 

「日本・・・・・・って、なんのことだ?」

「水月なんて艦娘いたか? 秋月型か? それとも睦月型・・・・」

「なんでこの近辺を艦娘が航行してるんだ? そんな報告受けたか?」

「いや、聞いていないぞ。 伝達ミスか??」

「単独航行中? なんだその命知らずな作戦行動は?」

「ちょっと待て、第53防衛隊なんて部隊あったか? 俺聞いたことないんだが・・・」

「私もですよ」

 

隊員が口を開き受信内容を吟味すればするほど疑問が雪だるま式に増えていく。室内が騒然となる中、当監視所の指揮監督を命じられている室長は喧騒に負けない大声で命令を飛ばす。

 

「ともかく報告だ! 至急、横須賀鎮守府及び軍令部、大本営、国防省に通報せよ!!」

「りょ、了解!!」

 

それを受け、隊員たちは自身の役割を果たすため行動を開始する。昼休み返上での仕事は確定だ。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

神奈川県横須賀市 瑞穂海軍 横須賀鎮守府

 

様々な趣を持つ数々の建物の中でも、ひと際異彩を放ち荘厳な雰囲気が感じられる一号舎。その2階、この鎮守府の最高司令官が職務にあたる執務室で2人の男女が会話を交わしていた。

 

「長門、先日言った報告書はもうあがっているか?」

 

旧帝国海軍の第一種軍装と瓜二つの服装に身を包んだ若い男性が、執務室という看板にしては比較的質素な執務机に座り、目の前の女性に話しかける。

 

「はい、それでしたら既に。こちらが報告書になります」

 

威厳をひしひしと感じさせるたたずまいの長門と呼ばれた女性は、脇に抱えていた冊子を提出する。

 

「ありがとう。彼女たちの様子はどうだ?」

「相手が重巡中心だったこともあり、面々の損害は軽微です。みな既に通常勤務に戻っています」

「そうか」

 

安堵し、提出された報告書に目を向ける。表題は「硫黄島沖における敵艦隊との遭遇戦について」。

 

「しかし、今回は運が良かった。もし六水戦が気づかなければ硫黄島の部隊に少なからぬ被害が出るところだった・・・」

「敵もまだ硫黄島の奪還を諦めていないということでしょう」

 

小笠原諸島硫黄島。ろくに水も出ず火山性ガスと硫黄満ちている過酷な島だが度重なる戦闘の果てに奪還した後も、深海棲艦との間で小競り合いが発生していた。現在陸海軍の航空・地上部隊が展開し、艦娘の停泊地としての機能も整備されるに至っている。

 

「だろうな。今後の情勢次第では警戒任務をさらに増加させなければならないかもしれんな」

「やはり、そうなりますか・・」

 

うすうす感じていた予感が見事的中し、長門は小さくため息を吐く。男も同様だ。現在、横須賀鎮守府のみならず陸海軍の主力部隊は、数週間前に行われた多温諸島奪還作戦によって物資が深刻な欠乏状態に陥っていた。これは全くの予想外で政府に至ってはお財布も危機的な状況らしく、大蔵省や通商省の官僚たちはゴミのように消えていった予算と物資を目の当たりにして今年度のやりくりをどうつけるか、日夜半ばやけくそとなって議論と言う名の責任の押し付け合いをしていた。それに加え海軍では作戦後、今後の新作戦に備えるため大規模な部隊再編が行われ、艦娘たちは新しい配属先で訓練の真っ只中にあった。横須賀鎮守府も再編前は瑞穂最大の艦娘所属数を誇っていたが、大宮島への進出に伴い大幅に人数を減らしていた。

 

2人が現状を反芻し難しい顔をしていると突然普段はあまりない激しいノックが行われ、参謀部の青年将校が肩を上下させ執務室に入ってくる。

 

「失礼します!」

 

慌てているようだが、一礼は忘れない。

 

「どうした?」

「つい先ほど、三宅島観測所より所属不明の艦娘による救難要請を受信したとの通報が入りました」

「??」

 

彼のただならぬ雰囲気に身構えた2人だったが、あまりの突飛さに思わず首をかしげてしまう。男は一応頭の中で艦隊の行動計画を参照するが、現在三宅島付近を航行している艦娘はいない。青年将校も2人の反応は予想済みだったのか、特段の反応を示さず続ける。

 

「なお受信した内容は、『こちら日本国海上国防軍第53防衛隊隊長みずづき。本艦は現在位置を見失い、単独航行中。速やかなる救助を要請する』であります。以上が特定の間隔で継続発信されています」

 

その報告の、いやとある一単語を聞いた瞬間、2人の、特に長門は耳を疑う。それもそのはず。なぜなら、自分たちと一部の人間以外しか知らない言葉をみずづきと名乗る艦娘とおぼしき存在が語っているのだ。

 

「日本・・・・」

 

そう。長門をはじめとする艦娘たちの故郷であり、数々の思い出が宿る祖国。そして、自分たちの愚かさと過ちによって地獄と化してしまった国の名を・・・・・・・。

 

「誤報や聞き間違いではないんだな?」

 

「はい、間違いありません。現に通信課でもこれを受信しております。さらに通報を受け軍令部や大本営、国防省のみならず他の監視所や諸部隊、果ては民間船舶までもが受信し、鎮守府への問い合わせが殺到しています」

 

あらゆる友軍から報告を求められる参謀部、民間から説明を求められる総務課では処理能力を遥かに上回る問い合わせにパニックとなっていた。電話が鳴る以上鎮守府が居留守を使うことは出来ない。例えこちら側の事態把握がかけてきた側と大差なくとも対応しなければならず、それ故の職員たちの煮え切らない姿勢が事態のさらなる悪化を招いていた。

 

「提督」

 

長門にそう呼ばれた男、瑞穂海軍横須賀鎮守府最高司令官 百石健作(ももいし けんさく)は、彼女と同様に困惑していた。この救難要請は端から端まで不可解の塊だ。端折って冒頭の「日本海上国防軍・・・」を聞いただけでも頭が痛くなってくる。しかし、一度だけでなく継続発信しているということは、少なくとも幻ではない。そして、電文の内容も外国人や人語を理解していない深海棲艦が無理に使っているような不自然さはなく、流暢な()()()だ。長門からすれば、日本語だが・・。

 

「発信場所は?」

「三宅島観測所によりますと、三宅島の南東海域と思われます!」

「付近に部隊は?」

 

百石は長門に確認を取らせる。横須賀鎮守府所属の艦隊がいれば、他部隊のメンツや圧力を気にすることなく救助・調査をはじめ自由な作戦行動が可能となる。

 

「現在、相模湾で第5遊撃部隊が演習中です」

「よしっ、ちょうどよかった! 今すぐ吹雪に連絡して、予測海域に向かわせてくれ。救助が目的だが、万一のことも考慮し警戒だけは怠るなとも」

「了解」

「宇島中尉、このことを参謀部の連中に知らせ上への報告を頼む」

「了解しました!」

 

命令を受け取ると宇島は一礼ののち退出し、大慌てで作戦指令室へと走っていく。

 

「では司令、私も失礼します」

「おお、よろしく頼む」

「はい」

 

長門も退出し、1人になった百石は席を立ち窓から見える横須賀湾を一望する。行き交う船、波打つ海、職務に励む将兵、空を舞うカモメ。昨日と変わらない光景だ。

 

「日本、か・・・・・」

 

ゆっくりと噛みしめるように、見たこともない国の名前を呟く。

 

「はぁ~・・・。忙しくなりそうだ」

 

言いしれぬ激務と心労の予感が百石の肩を重くする。管理職の宿命だが、また1つ厄介な案件が舞い込んできてしまった。

 

 

 

一方、長門は第5遊撃部隊旗艦の吹雪に百石の命令を伝達するべく通信室へ移動していた。ふと立ち止まり、廊下にある窓から空を見上げると雲一つない快晴が瞳に映る。あの日と同じ青空。記憶の中にある青空の下はこちら側の横須賀とは異なり、破壊の嵐を受け荒涼としていた。

 

「日本・・・・・・」

 

彼女は、呟く。それにどれほどの感情と思いが込められているのか誰にも分からない。長門は振り返りそうになる体を、再び前に向け歩を進める。




やっと並行世界にくることが出来ました。長かったぁ~。

なんかしれっと、瑞穂海軍やら横須賀鎮守府やらが出てきますね。拙作では瑞穂という国名からも分かる通り、様々な地名・国名を別称や旧称に置き換えたり、それを基にして独自に名付けたりしています。歴史や文化もある程度は違いますが、基本的に地球と何かしらの関係があります。

艦娘たちの心境、特にあの戦争や戦後日本の認識ついては筆者のにわか知識を総動員して考えています。しかし、こればかりはなにぶん想像の域をでないので「これは違うだろう」と思われる表現もあるかもしれません。あらかじめ、ご了承いただけると幸いです。

※設定集に、簡素ですが加筆しました。


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6話 邂逅

吹雪たちの会話シーン、難しい・・・


救難要請を発信してから2時間ほどが経過した。みずづきは先ほどまで全速力で北上していたが、今は第二戦速まで落とし進路を北東に変更していた。そのわけは、30分ほど前に東方面の捜索に向かったロクマルの対水上捜索レーダーが島と船舶らしき影を探知したからだ。それらの詳細な情報をロクマルに収集させようとしたが、あいにく燃料が欠乏し甲板に収容せざるを得なくなってしまった。今は格納庫の中でしばしの眠りに入っている。本来ならば、すぐに給油して捜索を再開したいところだが、もともと任務の関係上ヘリコプター用の燃料を多く積載していなかったことに加え、長時間の捜索を行ったため残量が少なくなっていた。もしものことを考えれば、浪費は避けなければならない。そして今、みずづきはその“もしものこと”を考えなければならない状況に置かれていた。

 

「おかしい・・・・」

 

救難信号発信から2時間が経過したのに、国防軍各司令部・各部隊のみならず警察や海上保安庁、消防から一切の返信がないのだ。こちらがラジオをはっきりと受信している以上、相手側も受信しているはずなのだ。先ほどロクマルから送られてきたレーダー情報によると、捉えた島は伊豆諸島の神津島・三宅島・御蔵島と分かった。船舶については防衛省ではなく国土交通省が管轄しているため詳細なデータベースが手元になく不明だ。

 

「これは、まずい。非常に・・・まずい」

 

みずづきは全身から汗が吹き出し、警戒レベルを一気に引き上げていた。一般的に言われる伊豆諸島攻防戦の様相が頭に浮かぶ。ここは、沖縄と並ぶ大激戦地域の一つなのだ。2028年、在グアム米軍を全滅させマリアナ諸島を占領した深海棲艦は太平洋戦争期の米軍と同様に日本本土を目指し第二列島線の島づたいに北上。陸海空自衛隊は要所要所で防衛を試み失敗したものの、敵が八丈島を占領し御蔵島への侵攻に向け体制の立直しを図っているすきに決戦を挑み、これを阻止。結果として御蔵島と八丈島の間に事実上の境界線が構築されていた。その過程で生起した八丈小島沖海戦では他国において機動部隊に相当する一個護衛隊群が押し寄せる敵機動・水上打撃群と刺し違え、全滅している。現在でも戦闘が散発的に発生して多くの死傷者が出ているのだ。とにかくここは危険。現海域からの即時撤退か、危険を承知で島に近づき展開している陸上国防軍警戒隊に助けを求めるか判断に迷う。そんな冗談抜きのピリピリした状況下でFCS-3A多機能レーダーが未確認飛行物体を探知する。もちろん、宇宙人が乗るあれではない。メガネに目標情報が表示される。

 

「数は1。本艦に向け150ノット(時速227km)で接近中。反応から特殊護衛艦の艦載機と推測。IFFに応答・・・・・なし? データリンクも行えずって・・・、おかしい・・」

 

背筋に悪寒が走る。レーダーを含めたセンサー類や各種システムは全て正常であり、ましてやステルス機ではなくunknownはばっちり多機能レーダーにその影を映している。

 

「敵・・・」

 

空母型深海棲艦の艦載機。それが最も高い可能性だ。unknownは250km以上を誇るみずづきのFCS-3A多機能レーダーの対空探知圏内の海上から突然出現した。周辺に味方がいてほしいが、もちろんいない。また、unknownの速度はさきほどより少し上がったが、それでもプロペラ機並みの162ノット(時速300km)だ。ロクマルにしては速すぎるし、航空特殊護衛艦が艦載する音速ステスル戦闘機のF-3BやF-35Bにしては遅すぎる。ミサイルしても同様だ。そして、なにより日本爆撃の片翼を担った敵空母艦載機が出す速度帯で飛行しているのだ。

 

「はぁぁぁ・・・。ったく、次から次へと」

 

不可解な事象の連続に、ついついこめかみを押さえる。よく知山や軍のお偉いさん方がやっていたが、今ではその気持ちがより一層分かる。

 

「にしても、ここは私たちが握ってたはず。敵の機動部隊がでしゃばって・・・・、ってそもそもここまで哨戒網に引っかからずに接近するなんておかしい」

 

ここは日本が存亡をかけて死守してる海域だ。そこに東海・関東一円を攻撃可能な敵機動部隊が出てくれば、国防軍は総力をもって迎撃する。そうなれば、通信やレーダーは味方の存在を否が応でも捉える。しかし、今捉えているのはunknown一機のみ。そして、艦娘や哨戒機、潜水艦、レーダーサイトで構築された強固な哨戒網はやすやすと抜けられるようなものではない。

 

 

 

“なにかがおかしい”

 

 

 

この言葉が、みずづきの心の中を着実に覆い尽くしていく。何もかもがおかしいのだ。まるで、自分だけが世界から切り離されたような、漠然とした孤独感と不安感が無視できなくなってきた。それもそうだろう。なにせ、みずづきは目覚めてから際限なく広がる蒼い海と空、そしてメガネ上に映る電子情報しか目にしていないのだから。発想を転換すれば、これはアンノウンを肉眼で捉える事で「現実」を認識できる好機でもある。アンノウンが懸念通り深海棲艦の空母艦載機なら修羅場の到来だが、情勢把握は早さが命だ。やってみる価値はある。

 

「敵が味方であることを祈るしかないなぁ~。対空戦闘用意・・・。現在、探知圏内にunknown以外の反応なし。各種兵装・システム異常なし。さて、何が出るのやら」

 

またしても大きな賭け。しかし、これがみずづきを更なる混乱の渦に引き込んでいく。

 

数十分後。真っ青な空に胡麻のように小さい黒点が現れた。いかに艦娘といえども小さすぎて肉眼での識別が困難だったため,、艤装についている艦外カメラを向け所属・機種の確認を試みる。フルハイビジョンで捉えられたunknownを見て、みずづきは絶句する。

 

「え・・・?」

 

見ているものが信じられず目をこする。

(ついに幻覚が見えるようになったのかな・・・・)

心を落ち着かせ、目を開ける。

 

「うそ・・・・」

 

しかし、映像にははっきりとunknownが捉えられていた。幻覚などではない。現実だ。

 

「あ、あり得ない・・・なんで、あれがこんなところに」

 

みずづきの動揺を尻目に深海棲艦はおろか日本をはじめとする世界各国と異なった機体が接近してくる。既にロックオンは済んでおり、あとは発射ボタンを押すだけだ。みずづきは身構えボタンに指をのせるが、すぐにおろす。こちらを発見したにも関わらず、急機動を行ったりなど戦闘行動を全くとらない。どうやら戦闘する気はないようだし、戦闘目的の偵察でもないようだ。しだいにエンジン音が聞こえてくる。現代の聞きなれたプロペラ機とは異なった、繊細さの中に力強さを兼ね備えた独特の駆動音。そして、カメラではなく自身の目でその姿を捉える。高速回転するプロペラ。太陽光を反射し、輝くキャノピー。流線型のほっそりとした胴体。角ばらず丸みを帯びた翼。主翼と主翼後部に示された日の丸。みずづきは一瞬、優雅に大空を舞うその雄姿に心を奪われる。写真や映像・文章・伝聞でしか知らない過去の存在が、目の前にいる。

 

「れ、零戦・・・・?」

 

零式艦上戦闘機。日本人なら老若男女、歴史が好き嫌いに関わらずとも一度は耳にする旧帝国海軍の主力戦闘機。日本の技術力の結晶であり、登場当時はその圧倒的な格闘性能・長大な航続距離から世界最強とも謳われた。その輝かしい栄光は現代日本において半ば伝説と化し、技術大国日本の象徴的存在となっている。

 

「でも、零戦にしてはなんかほっそりとしてるし・・・機体の色、緑だったっけ?」

 

だが、どうも違うようだ。記憶の中にある零戦の姿を引っ張ってこようとするが、長らく見ていないのでよく思い出せない。

 

(あの頃の戦闘機って、どれも似たような形してるから分かんない・・・)

 

軍事マニアや歴史専門家が聞いたら発狂しそうな愚痴をこぼしていると、頭上を零戦?が颯爽と通過していく。翼を翻し、みずづきの周囲を3度旋回したあと元来た方向へ帰っていく。

 

「行っちゃった・・・。一体何だったの・・・あの零戦は」

 

一応、孤独感は解消されが、また1つ疑問が増えてしまった。今は2033年。いくら全盛期に数千機存在したとはいえ、零戦は戦闘による消耗と敗戦によってほとんどが姿を消し、ごく一握りの機体が博物館などで保管されているにすぎない。深海棲艦との戦争(生戦)が始まってからは焼失を防ぐために他の重要財とともに、爆撃対象にならない片田舎へ移送されている。無論そんなものを海防軍が復活させるわけない。90年前に最強だったとしても、今ではただの的だ。

 

「機体の大きさは艦娘の艦載機並み、海防軍所属を示す日の丸もついてたし・・・・もう、

なにがなんだか・・・・・・・」

 

頭を抱えていると、メガネに多機能レーダーの対水上画面が突如表示される。そこには、所属不明の、明らかに民間船とは異なる船団が映し出されていた。

 

「っ!? 方位350、31000に数・・・6! IFFに応答なし! 速力は26ノットで単縦陣、本艦に向け急速接近・・・。ヤバい!!」

 

状況から察するに、おそらく先ほどの零戦?を発艦させた空母がいる艦隊だろう。では、何故IFFに応答しないのか。日の丸をつけていた以上は海防軍ならずとも国防軍の所属であるはず。そして、海防軍の艦船には例外なく敵味方を識別するIFFが搭載されている。今や民間船にも識別装置が搭載されている時代だ。ともあれば、国防軍に艤装した敵国の艦隊である可能性も否定できない。深海棲艦との戦争に忙殺されているとはいえ、日本はいまだに中華人民共和国と戦争中で、停戦条約もなにも締結されてはいない。みずづきの頭が「もしも」に覆われオーバーヒートしかけていると、戦場に相応しくない少女の声が通信機によって耳に届けられる。

 

「こちら瑞穂海軍横須賀鎮守府所属、第5遊撃部隊旗艦吹雪です。旗艦の所属を返答願います」

 

あまりの唐突さに、みずづきの頭は一気に冷却されていく。出会うはずのないもの同士がいくつもの偶然を経て邂逅する。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

伊豆諸島 三宅島沖

 

相模湾で訓練を行っていた第5遊撃部隊吹雪・金剛・加賀・瑞鶴・大井・北上は横須賀鎮守府からの一方を受け、一路不明艦がいると思われる海域を目指していた。突如の緊急電。なにごとかと思えば、「日本海上国防軍所属みずづき」と名乗る艦娘とおぼしき所属不明艦から救難要請があったと言うではないか。あまりの突飛さに、吹雪は一瞬思考が停止してしまった。だが、吹雪を含めた全員は、相手が艦娘たちや一部の人間しか知らない“日本”を言葉にしていることに最も衝撃を受けたのだ。これを聞かされたらもはや訓練どころではなく、一大事だ。長門の指示に従い、吹雪はすぐ訓練を中止し救助任務に移行した。他の5人も事の重大性を理解していたため、特に不満が出ることもなかった。今日の訓練で加賀に自身の努力の成果を見せつけようと息巻いていた瑞鶴は非常に不満そうだったが、見て見ぬフリが最も無難だ。

 

そして、現在に至る。道中、何度か例の救難信号を受信したが、今は静かになっている。発信の声を聞く限り人間だ。吹雪も横須賀鎮守府や三宅島観測所と同様の結論に至っていた。まだ決まったわけではないが、深海棲艦の欺瞞工作とはどうしても思えない。

 

「しっかし何なんだろうねぇ、この通信は?」

 

沈黙と海を眺めることに飽きた北上が、全員が抱えている疑問を口にする。彼女たちだけではない。横須賀鎮守府や東京、これを知っている人間は全員同じ思いだ。

 

「日本海上国防軍って堂々と名乗ってた・・・。“日本”を知ってるのは私たち艦娘と事情を知る一部の人間だけのはずなのに」

 

瑞鶴も珍しく怒っているのではなく険しい表情だ。吹雪たちがいるこの世界はもといた地球ではなく、日本もない。全く別の世界の瑞穂国という国家だ。日本のように太陽を全ての根源とし信仰するのではなく、人々を古来より支え続けてきた稲穂を唯一無二の存在として崇めている。だから、稲穂がみずみずしく広がるさまを表す瑞穂が国号となっているのだ。日本では大和や扶桑、秋津島、大八島など数多ある別称の中に「瑞穂」もある。ところが、瑞穂ではなぜか大和や扶桑などの別称は存在するにも関わらず、「日本」はないのだ。そのため瑞穂国民はそもそも「日本」という言葉そのものを知らない。

 

「“日本”もそうですケド、海上国防軍ってなんネー? そんな軍隊、日本にありましたカ??」

「いいえ、ありません」

 

金剛が発した当然の疑問に加賀が即答する。

 

「私たちが所属していたのは大日本帝国海軍。あの戦争に敗れたあと軍は解体され、自衛隊とよばれる組織が国防のために創設されたはず。日本の歴史上、海上国防軍と呼ばれる組織は存在しません」

 

加賀はいつも通り淡々と語る。しかし、かつての戦争を思い出さざるを得ない以上、心中穏やかでないのは明らかだ。第5遊撃部隊のメンバーは北上を除き、全員アジア・太平洋戦争中に沈んでいる。呉で終戦を迎えた北上も翌年の1946年に解体され、戦後の歴史を知る由もない。そんな彼女たちが自衛隊の存在など戦後の歴史を知っているのは、瑞穂海軍に所属している艦娘たちの証言を細かくまとめた「並行世界証言録」があるからだ。並行世界、自分たちとは異なる歴史を歩んだ世界。それを知りたいと思うのは人間の性だ。これはあらゆる学界や省庁の突き上げを受け、好奇心を抑えられなかった国防省の主導で進められた。この過程で、製作を独占したい国防省と少しでも介入したい他省庁の間で壮絶な闘争があったことは言うまでもない。編纂開始直後は自分の経験を話したがらない艦娘も多かったが、「自分の証言が役に立つのなら」と協力してくれた少数の艦娘たちのおかげで証言してくれる艦娘が増え、気付けば大物研究者が研究室に引きこもり餓死寸前まで読み漁ってしまうほどの史料が完成した。証言には1970年代まで生き残った奇跡の駆逐艦雪風や不死鳥といわれた駆逐艦響も参加していたため、終戦からある程度の時代まで艦娘たちは歴史を知ることができたのだ。しかし、1954年に創設された自衛隊は知っていても、海上国防軍などは吹雪たちにとって初耳だった。それもそのはず。日本国国防軍は2030年、日本国民全員が反撃と復讐を誓う中で創設されたのだから。

 

「ですよネ。あと、第53防衛隊っていう部隊名も水月っていう艦名も初耳ネー」

「そんな艦名、睦月型や秋月型にありましたか?」

 

普段は危ないほど北上にべったりな大井も今日ばかりは真面目だ。

 

「いえ、水無月っていう艦はいましたが、水月は私たち側にも瑞穂側にもいないはずです」

「第53防衛隊なんて部隊も謎だね~」

「その通りです北上さん」

 

横須賀を含め全国の鎮守府や基地にはいくつもの部隊があるが、第53防衛隊などという部隊はない。それどころか、帝国海軍や瑞穂海軍の通常部隊にもない。

 

「とりあえず、疑問は後回しですね。まもなく、例の海域です。加賀さん、天山一機を偵察に出してください」

 

天山は真珠湾攻撃でも活躍した97式艦上攻撃機の後継として開発され、1943年8月に正式採用された艦上攻撃機だ。策敵は本来もとから偵察機として開発された二式偵察機や瑞雲も出番だが、あいにく今日は訓練が目的であったため艦載していないのだ。しかし、艦上攻撃機とはいえ、天山も十分策敵機として使える。

 

「一機だけ?」

 

策敵は妖精の目に頼るため、通常は複数機で行う。例え策敵海域が限定されていても、一機だけではどうしても見落としの危険性がつきまとう。

 

「相手が対空電探を持っていた場合、あまり多くの機をあげると戦闘行動と受け取られかねません。相手の正体が分からない以上、無用な衝突は危険だと思うんです」

 

吹雪の真剣な目には、加賀への信頼が現れている。加賀さんなら大丈夫。そう吹雪は語っているのだ。信頼されて嬉しくない者などいない。加賀は心の中で喜ぶが顔には出さない。

本人はうまく無表情を貫けていると思っているが、他のメンバーにはバレバレだ。

 

「・・・・分かったわ」

「お願いします。瑞鶴さんは万一に備え艦載機の発艦準備を!」

「了解」

 

待ってましたと言いたげな表情で瑞鶴は頷く。

 

「金剛さん、大井さん、北上さんも周辺警戒を厳に!」

「OKネ」

「分かってるわよ」

「りょ~か~い」

 

加賀が体を風上に向け一本の矢を手に持っている弓につがえ、弦を引く。

 

「天山、発艦します」

 

掛け声と同時に弓から勢いよく放たれた矢は、まばゆい光を放ちどういう原理か一機の天山に変化する。全長11m、全幅14mの大きさである実物の天山と変わらず飛行し、何食わぬ姿でまっすぐ不明艦がいると思われる海域へ向かう。

 

それから数十分で不明艦はあっさりと見つかった。

 

「天山より入電。我不明艦をおぼしき艦影を発見せり」

「オォー! さすがデース!!」

「・・・・やるじゃない・・・・」

 

数時間以上かかるのが当たり前の策敵において、こんな短時間で目標を発見するには余程の運と実力がない限り不可能だ。運は不確定要素が大きすぎるが、実力はさすがと言えるだろう。

 

「軽巡洋艦が1。他に艦影は見当たらず、三宅島沖を同島に向け移動中」

「うーん・・・。加賀さん、不明艦の様子はどうですか?」

 

このまま行けばあと20分ほどで不明艦と接触できそうだ。ただ、ここで不明艦が怪しい動きを見せれば、旗艦として相応の対処をしなければならなくなる。

 

「不明艦に特段の変化はないわ。それに深海棲艦ではなく私たちと同じ艦娘よ。主砲とおぼしき単装砲もこちらに指向せず、戦闘の意思は見受けられないわ。ただ、天山を見てるだけ」

「そうですか、よかった」

 

吹雪だけでなく全員が安堵する。これで深海棲艦の欺瞞工作やこちらをおびき出すための罠という可能性が消えたのだ。ファーストコンタクトは砲火を交えずに終了した。となると次の問題は、「不明艦が誰か?」だ。それを真っ先に口にしたのは大井だった。

 

「主砲が単装砲って、不明艦は睦月型なんですか? 名前から考えるに私たちのような軽巡ではないと思うんですけど」

「一応、私たちも単装砲持ちだしね~~」

 

太平洋戦争期に大日本帝国海軍所属艦で単装砲を主砲とし、日本がないこの世界に来ている艦は、駆逐艦でいえば睦月型と神風型しかいない。普通に考えれば、大井のように彼女たちに思い当たる。単装砲持ちは北上の言う通り駆逐艦だけの特徴ではないが、幸い相手の名前は分かっている。おそらく、駆逐艦だろう。

 

加賀に他の5人から視線が向けられる。加賀も当初は大井と同じ見当をつけていたのだが、続報が入るにつれて額にうっすらと汗がにじんできている。

 

「たしかに不明艦は艦娘。でも・・・・艤装は睦月型や神風型、秋月型はおろか全艦娘と違う初見のもの。武装も単装砲1門に対空機銃が2挺しか確認できない・・・・」

 

「「「「「えっ(エッ)!!!」」」」」

 

報告を一同は驚愕する。

 

「たったそれだけですか!?」

「信じられないデース・・・」

 

つい金剛と瑞鶴は報告の真偽を疑ってしまう。大砲やら機銃やらをハリネズミのように備えていた彼女たちからすれば、軽巡洋艦にも関わらず1門の主砲と対空機銃が2挺のみというのは、冗談かと思えるほど武装が貧弱なのだ。第二次世界大戦当時の軍艦は主砲や副砲、機銃をバカみたいに積むのが常識だった。旧式化していた睦月型でも12cm単装砲を4門、7.7mm単装機銃を2挺、61cm3連装魚雷発射管を2基6門搭載していたのだ。それらと比較すれば軍艦と言えるのかさえ怪しい。

 

「私も再度天山に確認しました・・・・・。しかし、事実よ」

 

加賀の揺るぎない瞳がそれを証明していた。そして、彼女の愛機がデタラメな報告をよこしたりしないことはみな知っている。不満げにしていた瑞鶴も加賀を見れば黙るしかない。

 

「・・・・ともかく、相手を発見した以上、命令通り接触しなくちゃいけません。加賀さん、天山は?」

「目的は達せられたから、帰投コースに入っているわ」

「分かりました。これより、不明艦に無線で呼びかけを行いたいと思います。引き続きみなさんは周辺警戒をお願いします」

「「「「「了解」」」」」

 

一同の反応を確認し、吹雪は緊張をほぐすため一度深呼吸を行う。相手が不明艦である以上、どういう展開になるか全くの未知数だ。穏便に済む可能性もあれば、戦闘になる可能性もある。できればそれは避けたい。深呼吸を終えると覚悟を決め、無線機に自身の声を吹き込む。

 

「こちら瑞穂海軍横須賀鎮守府所属、第5遊撃部隊旗艦吹雪です。旗艦の所属を返答願います」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

多機能レーダーで捉えた国籍不明艦隊から送られてきた通信。時折雑音が混じり、どこの二流製品を使ってるんだと言いたくなるが、声は認識できるため問題はない。だが、この通信の衝撃はすさまじい。みずづきの頭が大量増殖した疑問符に侵略される。

(????????????)

無視しているのではなく固まって沈黙を保っていると、また通信が送られてきた。

 

「・・・・・・繰り返します。こちら瑞穂海軍横須賀鎮守府所属、第5遊撃部隊旗艦吹雪です。旗艦の所属を返答願います」

 

・・・・幻聴ではないらしい。最初は衝撃のあまり内容をよく咀嚼できなかったが、2度目はしっかりと理解する。そして、浮かんだ感想は・・・・・

(はぁ?? なに言ってんの???)

これである。みずづきも大分遅れて瑞穂海軍や第5遊撃部隊と同じ渦に引き込まれる。本来なら、「救助が来たーーー!!!!」と手放しで歓喜するところであるし、そうしたいことこの上ない。しかし、現状はそれを許さない。

(みずほ、かい・・・ぐん・・・・・・?)

初耳の単語だが、みずほという固有名詞を知っている。「日本」の別称と使われる「瑞穂」だ。しかし、それはみずづきが知っている用法とは違う。あとに「海軍」がついている以上、独立国家の国号だと容易に想像できる。だが、もちろん「瑞穂」などという国家は、歴史上世界に一度たりとも存在したことはない。

(それに、横須賀鎮守府って・・・・、横須賀総監部じゃないの?)

鎮守府とは旧帝国海軍時代に横須賀・呉・佐世保・舞鶴に設置された後方統括機関だ。アジア・太平洋戦争の敗戦後に軍の解体に伴って消滅したはずである。

(第5遊撃部隊なんて部隊知らないし、ふぶきなんて艦名も初耳・・・・・。もう、何がどうなってんの! って言っても無視できないよね、状況把握しないといけないし・・・・・・)

いくらわけのわからないことを言っているとはいえ、大海原のど真ん中で目覚めてから初めて人間に接触したのだ。いつかはやらなければならいなことであり、時期が早まっただけにすぎない。それにここまで自身の常識とかけ離れたことを言われれば、ますます情報取集の重要性は高まる。一筋縄ではいかないことを覚悟し、吹雪と名乗った艦が発信している周波数に合わせ、返信を行う。

 

「・・・こちら日本海上国防軍第53防衛隊隊長みずづきです。応答願います。」

「・・・・・・・」

 

一瞬、間が空く。通信機越しのみずづきにもなんとも形容しがたい雰囲気が伝わってくる。

 

「・・・・こちら、吹雪です。貴艦が国際救難周波数で救助要請を出していた艦ですね?」

「はい、そうです。昨日、日向灘沖を航行していたのですが気づいたらこの海域に・・・。GPS情報が取得できず、各司令部・部隊との通信が途絶した状態での単独航行は危険と判断し、救助要請を行いました」

 

戦闘のことはあえて伏せる。彼女たちがみずづきの知っている範囲内の存在ならば、こんな不可解盛りだくさんの事情説明をなんの疑問も抱かず飲み込む者はいない。もし、そうなら彼女たちは少なくとも友軍ではない。

 

「私たちは横須賀鎮守府より遭難艦を救助せよとの命令を受けています。もうまもなく接触できると思うので、現海域での待機をお願いします」

 

反応は皆無。さらにまたしても横須賀鎮守府なる存在が出てきた。これでみずづきの疑心は確信に変わった。ならば、視認圏内に入られ不測の事態が生じる前に確認しておかなければならない。

 

「・・・了解しました。失礼ながら、一つお伺いしたいことがあるのですがよろしいですか?」

「・・・・なんでしょう?」

 

 

 

 

 

 

「あなたがたは、一体何者ですか?」

 

 

 

 

海風が吹きぬける中、その言葉は電波に乗りはっきりと相手に、吹雪と名乗る少女に伝わる。そして、空が、海が、風が、この世界に存在するすべてのものがその言葉に耳を傾けているような錯覚に陥る。




物議をかもしたアニメ艦これを視聴した方はお分りでしょうが、第5遊撃部隊と秘書艦が長門という設定は作者が気に入ったため、本作で採用しています。しかし、“それだけ”であとは全く参考にしていません。さすがに艦娘しか出てこないのは違和感ありすぎですし・・。

海上自衛隊では本来、レーダーで目標を捉えた際はメートルではなくマイルで報告するそうです。しかし、マイルだと分かりにくく作者もサッパリなので、みずづきにはメートル法でやってもらってます。(例 31000=31km という具合に)


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7話 頭痛と邪魔者

遮られることなく、思う存分自らの光を照り付ける太陽。そのエネルギーは尋常ではなく万物の温度を着実に上昇させる。しかし、それを跳ね返しびくともしない領域がとある一角に出現していた。

 

「あなた方は、一体何者ですか?」

「・・・・・・・・」

 

渾身の一撃といえる質問。心の中に湧きあがる疑問を吹雪と名乗った少女にぶつけるが、反応はない。

 

「ご存じかもしれませんが、この地球上に“瑞穂”なる国家と“瑞穂海軍”なる組織は存在しません。瑞穂という言葉はありますが、それはあくまで日本の別称です。また、横須賀鎮守府なる組織もアジア・太平洋戦争敗戦後の旧軍解体によって、消滅し・・・」

「っ!?」

 

息を飲む音。向こう側の雰囲気が一変した。みずづきはわけが分からず、ただ首をかしげる。

(何か、変なこと言った??)

みずづきにしてみればごく当たり前の、まともに学校の授業を受けていれば誰でも知っている歴史を言ったに過ぎない。しかし、吹雪たちからすればそれは驚愕でしかない。日本が存在せずあの戦争もない世界で、自分たち以外に日本の歴史を知っている存在がいたのだから。

そんなことを察知できるはずもないので、みずづきは不思議に思いつつ話を続ける。

 

「・・・現在、そのような組織は国防軍に存在しません。第5遊撃部隊という部隊も初めて聞きました。・・・・それに現在あなた方はわが国の排他的経済水域内を航行しており、ここへ来る間に領海を侵犯した可能性もあります。これがどういう意味かお分りでしょう?」

「・・・・・」

 

返事はない。

 

「IFFを起動させるなり防衛省へ航行申請を出しているのなら問題ありませんが、あなた方はどちらも実行せず、国籍不明艦隊として日本の近傍海域を航行している。これはわが国に対する重大な挑発行為であり、目的の如何によっては国防軍法に基づいた武力行使もあり得ます。繰り返しになりますが、あなた方は一体何者ですか?」

 

みずづきは相手がどんなアクションを起こしても対応できるように身構える。相手が“味方ではない”のはもはや疑う余地がない。味方でないのならば、敵と考えて行動しなければならない。

 

一方、みずづきから「このままだと攻撃するかも」と言われ完全な悪者と認識されている吹雪たち。吹雪はみずづきの態度にひやひやしながらも、彼女の発言を比較的冷静に分析していた。彼女は嘘を言っているわけではない。勘の領域だが言葉に込められた軍人としての警戒感は本物だった。ならば、こちらも真実をありのままに伝えた方が、下手なすれ違いや誤解による衝突を避けられる。吹雪はあからさまに不満げな瑞鶴・加賀・大井を見て見ぬフリし、少し声を低くして返答する。普段の吹雪からはあまり想像できない姿だが、第5遊撃部隊のメンバーは見慣れているため、特段気にしない。

 

「・・・・。失礼を承知で、貴艦の質問をそのままお返しします」

「・・・・・へ???」

 

全く予想外の返答にみずづきはつい素っ頓狂な声を出してしまう。

 

「私たちにとって貴艦の言動にはいくつも不可解な点があります。まず、お伝えしたいのは()()()()には日本国という国家も国防軍なる組織もない、ということです」

 

吹雪は「日本が存在しない」と口にした一瞬、注意してなければ分からないささやかな変化であったが、悲しげな表情を見せる。いくら時間が経とうと、生まれ故郷はかけがえのない存在なのだ。こんな発言、しなくてよいならしたくない。その思いを分かっている一同は吹雪の変化を見逃さず、同情の視線を送る。

 

「な、なにを言って・・・・」

 

第5遊撃部隊の厳かな雰囲気とは裏腹にみずづきは混乱の渦中にあった。自分の耳を疑い、再度確認しようとするが、吹雪に遮られる。

 

「ここは瑞穂国伊豆諸島三宅島沖の海域です。瑞穂海軍に所属する本艦隊がこの周辺を航行することは何の問題もありません。ですから、貴艦の指摘は的外れです」

 

理解不能な言動の連発に少しイラついたみずづきは語気を強める。

 

「・・・・冗談も大概にしてください。だいたいあなた方は日本語を話して、日本人である私と難なく意思疎通が行えています。にも関わらずここは日本でなく、あなた方は日本人じゃないとおっしゃるんですか?」

 

みずづきの怒気を受け、不満げにしていた3人も含め吹雪たちは彼女が嘘を言っていないと確信する。彼女の言葉は真剣そのものだ。日本がない世界で自分を当たり前に“日本人”と言い、当たり前に“日本”を連呼する。そこに何の違和感もない。そして、彼女は何の躊躇もなく「並行世界証言録」にしか記されていない太平洋戦争敗戦後のことや、それに続く鎮守府解体も知っていた。しかし、一つ気になることがある。それはみずづきが自身を“日本人”と言い、吹雪たちのことも“日本人”だと思っている点だ。吹雪たち艦娘は日本人でもなければ、人間でもない。ただの鉄塊に過ぎなかった軍艦の転生体であり、付喪神のような存在だ。だから、吹雪たちを“日本人”というのは少し語弊がある。みずづきも吹雪たちと同じ艦娘ならば、自身を“日本人”というのはおかしい。それに気になるでは済まされない大きな疑問もあった。それは・・・・・・・。

 

 

“なぜ、日本の艦、それも大日本帝国海軍所属ではない艦がこの世界にいるのか”だ。

 

 

今まで、瑞穂近海で確認された艦娘は一件の例外もなく、全員大日本帝国海軍の所属だった。瑞穂以外の諸外国でも艦娘は確認されているが、それも全て第二次世界大戦期の艦であり、吹雪たちから見て未来の艦娘は一人たりともいない。それも含めていろいろ聞きたいが、お互い混乱しているため、いつ聞けるか分からないが後回しだ。今はこれ以上事態をこじらせないために大日本帝国海軍駆逐艦吹雪の顔を捨て、瑞穂海軍として対応する。

 

「そうです。本艦を含めここにいる艦は瑞穂海軍所属です。私が話しているのは日本語ではなく瑞穂語です」

「そ、そんな・・・嘘でしょ」

 

ここに至って、みずづきも彼女たちの言動が完全なデタラメとは言えなくなってきた。嘘をつく理由がないし、いっているようにも聞こえない。ふと、頭の中に読んでいた様々な小説や漫画、見ていたSF映画やアニメが走馬灯のように流れる。その中には主人公などが並行世界に飛ばされるという定番ネタを使ったものも数多くあった。考えようによっては今のみずづきの状況は、突然見知らぬ世界に飛ばされ右往左往する主人公たちの立場にそっくりだ。

(いやいや! あり得ないあり得ない!! 私死んだんだし、あの世かなここ・・・ははは・・・)

時空やら次元やらの壁を生身で超えるより、ここがあの世と言われたほうがしっくりくる。だが、鮮明に感じる海風の心地よさや照り付ける日光の不快さが、あの世などではなく現実ということを示している。

 

「とりあえず、もうすぐ着きますからお話はそこで。無線だとどうしても伝えたいことが伝わらな・・・あっ!! 見えましたよ!」

 

その言葉を受けみずづきはどんよりとした雰囲気を放ちながら、周囲を捜索する。正面に何かを発見し肉眼で捉えようとするが見えない。ここは文明の利器の出番だ。艦載カメラを当該方向に向けると、見たこともない服装をし時代錯誤な艤装を身に付けた6人の少女たちがこちらへ向かってきていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

みずづきの姿を認めた第5遊撃部隊はそれぞれの心の中に好奇心や興味・疑念や警戒心など様々な想いを抱え、接近を試みていた。ついに次から次へ出現する疑問を少しでも解決できると思った矢先、数時間前にばら撒かれていたみずづきの救難信号とは異なる軍用暗号無線を受信する。

 

「っ!?」

 

その内容を解読した瞬間、吹雪の表情が凍る。その内容は・・・・・。

 

「発:横須賀航空隊硫黄島分遣隊司令部

 宛:第5遊撃部隊旗艦吹雪

本隊所属機が八丈島沖東北東19000に敵機動部隊を発見せり。構成、空母1、重巡2、軽巡1、駆逐2の計6隻。伊豆諸島沿いに本土へ向け北上中。直ちに迎撃されたし。なお、横須賀鎮守府に照会済み」

 

読み上げた瞬間、他のメンバーも吹雪と同様の表情となる。敵艦隊は吹雪たちの現在位置から目と鼻の先だ。もし策敵機に発見され艦載機による先制攻撃を受ければ、いくら第5遊撃部隊とはいえ守勢に回らざるを得ない。しかも、既に八丈島沖まで侵入されている。命令が鎮守府からではなく、敵発見の報と同時に前線の部隊から送られてきたということは、上層部の焦りをもろに反映している。前線部隊の通報を受けて、鎮守府から命令するという時間的余裕もないのだろう。敵の狙いは十中八九、本土爆撃。ここで敵の侵攻を許してしまえば、大戦勃発期の大混乱からようやく立ち直り、出てきた復興の芽を摘むことになる。と同時につつましく日常生活を送っている一般市民に爆弾が降り注いでしまう。それだけは何としても避けなければならない。吹雪は即座に旗艦として命令を下す。

 

「本艦隊は不明艦救助を一時中止し、敵機動部隊の迎撃を行います! 進路変更! 加賀さん、瑞鶴さん索敵機を!!」

「了解。だけど、あの子はどうするの?」

 

一糸乱れぬ見事な転舵を行いながら、瑞鶴は自分たちの後方に移動しつつあるみずづきに視線を送る。

 

「奇遇ね、あなたと意見が合うなんて。・・・あまりいい気分じゃないわ」

「そうですか!! んでどうするの? あそこじゃ、下手すれば巻き込まれるわよ」

 

瑞鶴の懸念はもっともである。機動部隊同士の戦闘になれば、水上打撃艦隊同士よりも航空機が主体となるため戦場は圧倒的に広くなる。みずづきの武装は単装砲1門に対空機銃が2挺だ。これで航空戦に巻き込まれればひとたまりもない。実際にはバリバリやれるのだが、大艦巨砲主義の時代しか知らない吹雪にみずづきの実力が分かるわけもない。

 

「水月さんにはすぐに三宅島へ退避してもらいます。敵も戦闘になれば、遠ざかる船を攻撃する余裕はないでしょうし、利点もありません」

 

三宅島には深海棲艦からの奪還後、みずづきの救難要請を受信して多忙を極める海軍三宅島観測所以外に陸軍基地も設置され歩兵を中心とする守備隊が駐屯している。また、島民の帰還も行われ漁港には多くの漁船が係留されていた。陸軍の対応が遅れても最悪漁港に入れば敵の目的が本土爆撃である以上、攻撃を受ける心配はない。加賀と静かな睨み合いを展開していた瑞鶴は加賀から視線を逸らし「了解」と返答すると、索敵機の発艦準備に入る。

 

「金剛さん、大井さん、北上さんも対空戦闘の用意を! もし航空隊で敵艦隊を撃破できなければ砲雷撃戦でかたをつけます。ですが、最初の相手は航空機です」

 

敵の空母は1隻。対してこちらは正規空母が2隻。例え、何隻か敵艦が残ったとしたも火力自慢の金剛や化け物みたいな雷撃力を誇る大井と北上がいる。的確に情勢把握をしていけばまず負けないだろう。

 

「腕がなるネー!! 空母のお二人さん、よろしくお願いしマース!!」

「空母の先輩方、ちゃんとして下さいよ! もし、北上さんに万が一のことがあれば・・」

「まぁまぁ大井っち、加賀さんと瑞鶴なら大丈夫だよ。むしろ、敵があわれ・・・」

 

それは空母以外の全員が思う。加賀と瑞鶴の目は完全に狩人と化し、水平線の向こうにいる敵をじっと見つめているのだから。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

一方。完全な蚊帳の外に置かれたみずづきは突然の状況変化に混乱していた。解読不能の通信を受け取り首をかしげていると、第5遊撃部隊が慌てだし進路を180度転換して遠ざかっていくのだ。しかも、空母とみられる2人の艦娘は風上に体を向け弓を構えている。よく分からないが、航空機の発艦体制に入っていることは分かる。セーラー服を身にまとった中学生くらいの少女がしきりに何かを指示している様子も確認できる。これらを総合すると、どう解釈してもある一つの結論が導き出される。こればかりは見当違いであることを願っていたが、現実は甘くない。その結論が出ることを待っていたかのように多機能レーダーが対空目標を捉える。

 

「っ!? 方位019、距離300000に数1。IFFに応答なし。速力140ノット(時速260km)。南東へ進行中って、こっち向かってきてる! 機種は・・・くっそ!!」

 

レーダー反射断面積(RCS)の解析によりunknownは空母型深海棲艦の艦載機と断定された。

 

「続いて対水上目標、E1(enemy1)被探知と同一地点にunknown6! IFF応答なし。速力20ノット(時速37km)で南東へ航行中・・・・・・。よりよって機動部隊がこんなところに」

 

日本はないと言われるし、見たこともない艤装を身に付けた艦娘がいるし、おまけに敵機動部隊の出現。あまりの現実離れさについ乾いた笑みが浮かぶ。救難信号を発信した時の想定が現実のものとなった。とはいっても、みずづきの救難要請によって敵が出てきたのか定かではないが・・・・。

 

「どうしよう・・・」

 

ここが日本ならばなんの躊躇もなく迎撃行動に移るが、ここが地球ではない以上むやみ動けない。先ほどの暗号電文によってそれが裏付けられてしまったのだ。あれはある一定以上の規模を持った軍事組織が、強固な指揮命令系統によって吹雪宛てに送ったものだ。そんな組織はもちろん日本にない。本来ならばみずづきに送られてくるはずなのだ。そして、吹雪たちの艤装。現在では当たり前であるミサイルの「ミ」の字もなく、既に廃れて久しい大艦巨砲主義を具現化したかのような武装をしている。あんな艤装を日本以外の特殊護衛艦システムの開発に成功している5か国が作るわけがない。理解しがたい現実と認識したくない現状に頭を抱えていると、吹雪から通信が入る。敵が近くにいるため傍受されている可能性が大だが、お構いなしのようだ。

 

「水月さん、八丈島近海に敵機動部隊が出現しました。私たちはこれより迎撃に向かいます。ここから北へ進むと三宅島があるのでそちらへ向かって下さい。三宅島には陸海軍の部隊がいるので、助けを求めれば対応してくれます」

「でも・・・・」

 

ここで即座に「はい!」というのは、後味が悪過ぎる。

 

「あなたを戦闘に巻き込むわけにはいきません! 早く退避して下さい!!」

 

 

 

“早く逃げなさい!!”

 

 

 

強烈な既視感を覚えるが、無視する。今はあの時と違う!

 

「三宅島に行けば安全ですから。途中で救助をほったらかして申し訳ありません!

戦闘が終わったら私たちも三宅島に向かいます。では、後程!!」

「あっ! ちょっと! ・・・・・大丈夫かな」

 

切れてしまった。ここで退避するのは後ろ髪が引かれる思いだが、吹雪の心遣いを無下にするわけにもいかない。第5遊撃部隊の戦力を考えるにそうそう負けはしないだろう。しかし、本当に退いてしまってよいのか。みずづきが悩んでいると多機能レーダーに多数の対空目標が現れ始めた。どうやら双方ともに相手を捕捉したらしく、空母から艦載機が発艦しているようだ。同時追尾目標300以上を誇るFCS-3A多機能レーダーは対空探知範囲内全ての航空目標の速度・高度・飛行方位を割り出し一瞬の隙もなく捕捉し続ける。と、ここでみずづきにある考えが浮かぶ。

 

「これって、情報収集の絶好の機会よね・・・」

 

21世紀生まれのみずづきが、レシプロ機を肉薄させる第二次世界大戦期の戦闘を艦娘バージョンとはいえ、見られるのは本当に奇跡なのだ。それに右も左も分からいないこの状況では、些細な情報でもみずづきの運命を左右しかねない。これがみずづきの考えを現海域での待機へ大きく傾ける。結局、考えた末、多機能レーダーが随時捕捉しており、いざとなれば敵機がこちらへ来る前に離脱できることから、情報収集をすることに決した。

 

 

 

戦闘開始から数十分。決着は早々についた。深海棲艦航空隊は第5遊撃部隊航空隊に食い破られ、ほとんどが撃墜された。空の傘を失った敵艦隊に大空を乱舞する航空隊の猛攻を防ぐ手立てはない。現在、敵艦隊には航空隊が群がっており、また第5遊撃部隊も向かっている。敵が弱いのか、第5遊撃部隊が強いのか判断しがたい。但し、第5遊撃部隊が手練れであることはよく分かったが・・・。情報収集の甲斐はあったと言えるだろう。

 

「随分とあっさりした戦闘だったなぁ~ 6隻で本土攻撃っていう時点で数が少なすぎるし・・・・・。いつもはこんなふうにうまくは・・・・・・・・いつも?」

 

ここで、ようやくみずづきはあることに気付く。史上初の人間以外との戦争が始まって6年。みずづき、そして人類にとってやつらの存在はもはや当たり前と化していた。だが、それはいくら当たり前になろうが2027年に突如として出現した未知の存在、イレギュラーだ。そして、ここがどこなのか分からないが、少なくとも地球ではないとこがこれまでの片頭痛を引き起こす事象で明らかとなっている。だとしたら・・・・。

 

「なんで、深海棲艦が()()にもいるの・・・・・・・・・・・・・・?」

 

そう、世界に絶望を振りまき、日本をどん底に突き落とした深海棲艦がここにもいるのだ。数千年掛かって成し遂げられた科学技術体系と各国国民の血税によって築き上げられた世界各国の軍隊を壊滅させた化け物ども。レーダー解析から地球を跋扈している深海棲艦とほぼ同一であることが判明している。数は少ないが戦術行動も瓜二つだ。偶然にしては出来すぎている。当然のことながら、人類に並行世界や他次元に干渉できる技術力はない。にも関わらずこのようなことがあり得るのだろうか。異なる2つの世界に同じ存在がいる、などということが・・・・。

そして、深海棲艦の存在は、地球と同じ地獄がこの世界でも再現された可能性があることを暗に示している。その中を生き抜いてきたみずづきにとって、自分たちと同じ経験をした人々がいると思うと、非常に胸が痛い。ここの深海棲艦がどういった戦略に基づきどのような行動パターンを取るのか分からないが、「みずづきの知っている」深海棲艦ならばもっと狡猾な手を打ってくる。やつらも馬鹿ではない。

 

 

 

 

そう。やつらは馬鹿ではない。人類は馬鹿に負けたりはしない。

 

 

 

 

周囲を捜索していた電子の目が吹雪たち、そして時がたつごとに数を減らしていく敵機動部隊とは異なる反応を捉える。

 

「・・・・・・!? 方位210、距離300500に数6。IFFに応答なし。速力21ノット(時速39km)で北北東へ航行中。・・・・・噂をすれば、かな」

 

みずづきの思考的には深海棲艦の可能性が極めて高い。しかし、周辺の状況を総合的に考えれば、人間側の艦隊もしくは船団であることも考えられる。

 

「反応からみて、unknownは人間大。発信電波はレーダーも含めて一切なし。無線封鎖してるよね・・・・・・。うーん、何とも言えないな」

 

この距離では、レーダー反射断面積(RCS)を使った艦種の特定も困難であり、IFFも応答がないため、判断がつかない。「攻撃してみたら味方でした」などというどこぞの旧・超大国がやりそうなことをすれば取り返しがつかない。しかし、不明艦隊がこのまま同一進路で航行すると確実にみずづきと接触する。もし深海棲艦だった場合、相手の目視圏内入る前に離脱する手もあるが、こちらがレーダーなど電波を盛大に飛ばしている以上、逆探知され位置がばれることは必至。ECM(電波妨害手段)を使っても結果は同じだ。大体、相手が無線封鎖を行っているため効果はないに等しい。空母がいればいかに高速性と機動性を誇る現代艦とはえい、航空機に肉薄され逃げきれない。

 

みずづきは先ほどの周波数で吹雪に確認のため、通信を行う。既に戦闘は第5遊撃部隊の完勝で終結しているため、無視されることはないだろう。呼び出し中、焦りからみずづきは額に嫌な汗を浮かべ、足を小刻みにゆすっていた。




深海棲艦も遠路はるばるご苦労なことですね~
わざわざやられ・・・・本土爆撃のために。

みずづきが探知した新目標は味方か? はたまた・・・・・


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8話 みずづきの力

昔の人って、どれぐらい英語を知ってんでしょうか・・・


戦闘を終えた吹雪たち第5遊撃部隊は加賀と瑞鶴の艦載機収容を待ち、一路三宅島へ向かっていた。目的は無論、みずづきと合流し彼女を横須賀鎮守府へ連れて行くことだ。しかし、完勝したにも関わらず、全員が今回の戦闘に違和感を抱いていた。

 

「今回の敵、なんか手ごたえなかったわね。あっという間に片付いちゃったし・・・」

 

瑞鶴は加賀の反応を気にしつつ、重い口を開く。加賀は特段の反応を示さないが、反論しないということは瑞鶴と同意見なのだろう。

 

「瑞鶴もデスカ? 私も同じデース! わざわざ、こちらの庭へダイブしてきたわりにはあっさりしすぎマース・・」

「私たちはほとんど何もしてないからあれだけど・・・なんかね~」

「北上さんもですか!? 私もですよ!! やっぱり私たちは運命の赤い糸で結ばれているんですよ!!!」

「何回も同じこと聞いた気もするけど・・。私も大井っちと同じっていうのは嬉しいな」

「北上さん!!」

 

ここにきても相変わらずの大井。一同はもう慣れっこなので海風のように流す。だが、それでも関心事項は変わらない。

(大した損害もなく、戦闘を終わらせられたのは良かったけど・・・・。敵は一体何のために・・・・)

行動には必ず目的が存在する。例え、深海棲艦であろうともその大原則は変わらない。

首をかしげ唸っているとみずづきから通信が入ってきた。

 

「こちら、みずづき。吹雪さん応答願います」

 

みずづきは第5遊撃部隊など吹雪たちの正体が特定されないよう具体的な情報を飛ばし、名前で呼びかける。吹雪は不思議に思ったが、みずづきは既に敵とおぼしき艦隊を捕捉しているため、盗聴を警戒しているのだ。それを聞いた瞬間、一同の視線が吹雪に集中する。あまりに息が合い過ぎていて、苦笑しそうになるがそんな雰囲気ではないため抑える。

 

「こちら吹雪。みずづきさん、どうされました?」

「つい5分ほど前、私のFCS-3A多機能レーダーがIFF応答のない艦隊を捕捉したのですが、この艦隊について何かご存知ですか?」

「ん? え・・?」

 

みずづきは何も考えずに話すが、話された側の吹雪は未知の言葉が連続し内容がうまく理解できない。ここに壮大なジェネレーションギャップが発生した。

(エフシーエーなんとか? アイエムアフ? ・・・・英語なんだろうけど分からない)

吹雪は戸惑い、再度みずづきに確認する。

 

「あの・・・水月さん? よく聞き取れなかったので、もう一度おっしゃってもらってもいいですか?」

「?? え、えぇ・・・。つい5分前にFCS-3A多機能レーダーが」

「ちょ、ちょっと待って下さい!!」

 

戸惑いの元凶が再出現したところで待ったをかける吹雪。話を止められたみずづきは理由が分からず困惑気味だ。

 

「ど、どうしたんですか? いきなり・・・」

「そのエフシーエーなんとかやアイエムアフってなんですか?」

「え?」

 

みずづきはそこである考えに思い当たる。よくよく考えれば第二次世界大戦期と瓜二つの艤装を持つ吹雪たちに、FCS-3A多機能レーダーやIFFの話をしたところで分かるはずがないのだ。両者は第二次世界大戦後に主流となった装備。大体、彼女たちの技術水準が見えてきた。だが、今は一刻を争う状況だ。記憶のページをめくりながら、英語に慣れていない人でも分かるように言葉を選ぶ。

 

「ええっと・・・・・FCS-3A多機能レーダーは・・・・・た、対空電探と対水上電探のことで、IFFは・・・・・敵と味方を識別する装置のことです」

「えっ!? 水月さん、対空電探と対水上電探を持ってるんですか?」

 

ようやく話が通じだしたが、吹雪はみずづきの言葉に驚き一同と顔を見合わせる。加賀が放った天山からは電探の類が装備されているといった報告はなかった。貧弱な武装から鑑みて、高価で貴重な装備品である電探を持っているとは全く考えていなかった。無論、瑞穂にもレーダー、通常艦艇・艦娘のどちらにも電探は存在している。ただそれは一部の大型艦や戦略上重要視されている艦へ優先的に回され、第5遊撃部隊には装備する話すら来ていないのが現状だ。

 

「ええ。あ、はい。そうですけど・・・・・・」

「・・・・・・・」

それを聞き、第5遊撃部隊にはなんとも言えない空気が流れる。

 

「軽巡ごときがなんで・・・・」

 

ツインテールを風に揺らしている艦娘が、鎮守府だと大騒乱確実の言葉を吐く。ようは自分が欲しいと再三にわたり掛け合っている装備を、格下で正体も分からないみずづきが持っていることに嫉妬しているだけだ。ただ、彼女は艦種で相手との上下関係を決める偏狂な艦娘ではない。ここの「軽巡ごとき」は仲間の軽巡たちを全く指しておらず、単にみずづきをさしている。そのため、元軽巡の大井と北上は何の反応も示さない。

 

「そ、そうなんですか・・・・。・・・・・・・・っということは」

 

衝撃を飲み込み、吹雪はみずづきが言っていた言葉、聞き取れなかった英語の後ろに続いていた箇所を思い出す。その内容は、電探を持っている持っていないで動揺していることが馬鹿らしくなるほど鬼気迫るものだった。

 

「えっ!? そ、その艦隊の現在位置は!?」

「本艦、進行方向より140度、距離25000。数は6。輪形陣でこちらに向かってきています」

(距離25000って・・・・・・2、25km!?)

ここに日本を含めた地球側と瑞穂側の技術格差が顕著に現れていた。吹雪たち帝国海軍艦艇がもとから装備していた、また瑞穂が開発した電探とは全くの別次元だ。彼女たちが知っている電探は、そこまでの遠距離を陣形まで把握できる代物ではないのだ。

 

「・・・・・。それは確かですか?」

「はい。目標は人間大です。私はこれが瑞穂海軍かどうか判別できません。そこで吹雪さんに確認を取ったわけです」

 

またもや恐ろしいことを聞いたが、事態はそれの追求を許してくれるような状況ではない。これで、心の中のモヤモヤが解決された。さきほどの敵は、囮だ。本命は・・・・・。

 

「水月さん、それは間違いなく敵です。私たちはまんまと敵の陽動作戦に引っかかってしまたみたいです」

「!?」

「その海域を今日、輪形陣で航行する部隊はありません。南方から北上し本土へ向かう予定の部隊もいません。・・・・・水月さんはもう三宅島に着かれましたか?」

「いえ、さきほど別れた海域にいます・・・・・」

 

まるでつまみ食いを発見され弁解する子供のような声が聞こえる。

 

「えっ!? なんでまだとどまっているんですか?」

 

予想外の反応に吹雪は顔色を変える。みずづきから伝えられた敵艦隊の位置を考えると、非常にまずい。後ろからも「なにやってんの?」というため息が聞こえる。

 

「いや~、その・・・・・」

 

みずづきもただボーっとしていたわけではないのだが、情報収集のことは絶対に言えないのだ。例え嘘をついても、関係がこじれるような発言をするよりは遥かにマシだ。

 

「・・・・。分かりました。とにかく、現海域からすぐに離脱して三宅島へ下さい。その艦隊は私たちで対処します。もし、敵に追いつかれても極力戦闘は避けて! 私たちが全速力で救援に向かいますから!!」

 

それを最後に無線を切ると、第5遊撃部隊は最大船速でみずづきがいる海域へ進路を取る。敵艦隊との距離は吹雪たちよりみずづきの方が近い。敵は、さきほどの通信でみずづきと吹雪たちの位置をおおまかに把握したはず。ならば、わざわざ艦隊の位置を露呈してしまう可能性がある策敵機を出す必要もない。作戦目標は本土爆撃で間違いないが、付近に敵がいたなら容赦なく襲い掛かるだろう。そして、あの軍艦といえるかどうか怪しい貧弱な武装では、敵航空隊の猛攻をしのげまい。みずづきへの攻撃を阻止できるか、無理を承知で駆けつけても微妙だ。

 

「くっ・・・・・。加賀さん、瑞鶴さん、収容していない策敵機を水月さんを見つけた海域に飛ばして下さい! 敵艦隊を発見しだい叩きます!!」

「了解」

「了解! ったく、あの子、やってくれるわ」

「無駄口を叩く暇があったら、発艦準備」

「わ、分かってるわよ!! てか、加賀さんも実はそう持ってるんでしょ?」

「・・・・・・」

「図星?」

「・・・・違う。攻撃隊、発艦準備完了。いつでもいけるわ」

「ふ~んだ!」

 

加賀から顔を背けた瑞鶴の頭上を、加賀の指示を受けた天山が駆け抜けていく。目指すは敵及びみずづきがいる海域。一同は彼がいち早く両者の詳しい位置をつかめるよう願う。

(ここで沈められるわけにはいかない(デース))

 

しかし、彼女たちは知らない。あきづき型特殊護衛艦の能力を。第二次世界大戦後も果てしなく続いた戦争・軍拡競争と驚異的な経済発展による技術革新が生んだ21世紀の兵器の実力を・・・・・・・・。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ふぅーーーーー、はぁーーーーーーー」

 

みずづきは一度、深呼吸を行う。何度経験しても慣れない戦闘前の緊張感。今回はそれにあるものが加わっている。紆余曲折はあったが、吹雪への通信で得られた事実。それは・・・。

 

“unknownは――――――――― 敵”

 

既にコンピューター上では、「unknown」ではなく「enemy」と呼称変更され、各システムと兵装の戦闘準備はばっちりだ。

 

しかし、敵と断定するのが遅すぎた。敵空母は既に航空隊を発艦させ、矛をみずづきへ向けていた。数は20、距離25000、速力180ノット(時速333km)。会敵まで約4分30秒。

 

「できれば、あがる前に攻撃したかった・・・・」

 

空母との戦闘では、攻勢のタイミングが勝敗を大きく左右する。航空隊が発艦してからでは、なぜか接近戦が大好きな空母の護衛艦艇がいるため対水上・対空の二正面戦闘を強いられる。通常の艦艇なら朝飯前だが、艦娘は1人でこなさなければならないので可能な限り避けるのが常道だ。だが、あがってしまったものは仕方ない。問題は、現実よりもみずづきの心だ。みずづきは気持ちを引き締め迫りくる戦闘に備えようとするが、手足が小刻みに震えている。手で無理やり足の震えを抑えようとするが、効果はない。敵が今、この一瞬にもみずづきの命を刈り取ろうと向かっているのに、頭は昨日の戦闘情景で覆い尽くされる。

 

 

夕暮れのなか、自分が力不足だったばかりに消えていった人々の笑顔が、声が脳裏に甦る。自身のかけがえない拠り所はもうない。背中を預けられる仲間も、自分の言い訳を嫌々だったが毎回必ず最後まで聞いてくれた上官もいない。その事実に、隊長として仲間として部下として、どうしようもない罪悪感と責任感が湧き上がる。心が押しつぶされそうになるが、ある言葉が響く。

 

“みずづき、最後の命令だ。必ず生きて故郷の、家族のもとに帰れ。絶対に死ぬんじゃないぞ”

 

最後まで、自分たちの身を案じてくれていた知山。その時に限らず、いつもそうだった。上層部から昇進を盾に圧力をかけられても、他の部隊から素養を疑う身も蓋もない悪口を叩かれても、知山は決してそれに折れたり同調したりせず、みずづきたちの不利益なる事柄は拒否していた。

 

「どうして、そんなに私たちを庇ってくれるんですか?」

 

ある日、目を充血させゲッソリと疲れ切って東京への出張から帰ってきた知山に、いたたまれなくなったみずづきはそんな言葉をかけたことがあった。自分たちは艦娘であろうとも、1人の軍人だ。“日本を守る”という大義の前に個人の命や意思はあまりにも軽い。しかも、みずづきたちは全員それぞれ複雑な事情を抱え、軍内ではハレモノ扱い。そのような存在を庇うのは、知山自身の立場を危うくするだけだ。そこまでされるほど、みずづきは自分自身を価値ある人間だとは、全く思っていなかった。

 

「なんだ、いきなり・・・・。庇う? 違うよ。俺は上官として当然のことをしているだけさ。理由を聞かれるほど大層なもんじゃない。・・・・・だから、お前が何か気にする必要はない。これは・・・・・俺たちの問題だ」

 

明らかにこちらへ気をつかった言葉。だが、みずづきが聞きたいのは、そのような上っ面の言葉ではない。

 

「だったら、なんでそんなに疲れ切った顔してるんですか? 司令の言う“当然”はそんなに自身を酷使するものなんですか!? なんで、そこまでして私たちを・・・・」

 

みずづきは気付けば、拳を逃げりしめ自分でも驚くほどの真剣な目を知山に向けていた。いくら、疲れ切っているとはいえ知山はそれが分からないほど鈍感ではない。その様子に彼は観念したのか、ため息を吐くと座っていた椅子から立ち上がり近くにある窓から外を眺める。

 

「もう、自分の近くにいる人が悲しんだり苦しんだりしているところを見たくない。そんな想いはさせたくない。過ちを繰り返すのはもう2度とごめんなんだ。・・・・・・・お前も分かっていると思うが、個人の、人間の力なんぞちっぽけなものさ。自衛隊に入ってやれる気がしていたが、それはただの幻想。やっぱり、俺は俺だった。だが、ちっぽけでも俺には守れるものがある。俺は・・・・・ただ・・・・自分の信念に基づいてやってるだけだよ。だから、褒められることでもなく、“当然”なんだ。こんな疲れ、後悔やらなんやらに比べればどうってことない」

 

そういって、向けられた笑顔。そこに嘘、偽りは全く介在していなかった。

 

(・・・・・司令官は私の見えないところで、いつも戦っていた。今ここで、私が死ねば、司令官の努力は、かげろうの犠牲は一体なんだったの? 私はそれを無下にできるほどひとでなしじゃない! 例えみんないなくなっても、それを背負うのは生き残った者の宿命。多かれ少なかれ、誰もそれを抱えていたんだから、私だって・・・・!!)

 

みずづきはうつむいていた顔をあげ、敵が迫りくる空を鋭い眼光で睨みつける。もう手足の震えは止まり、代わりに戦意がみなぎっている。生き残ってしまった罪悪感や守れなかった責任感は消えない。一度死んだと思ったが生きていたのだ。それに固執しすぎて失敗を繰り返せば、全てが無駄になってしまう。無意味なものに成り下がってしまう。それだけは絶対に認められない。

 

「みんな見てて。こんな冗談としか思えない状況でも、このみずづき、敵を殲滅します!!!」

 

 

 

 

 

 

 

“さすが、みずづきだ。 お前ならやれる。・・・・・・・・・・・・・がんばれよ”

 

 

 

 

 

 

 

「えっ・・・・・・?」

 

一瞬、知山の声が聞こえた。気のせいかもしれないが、それにしては声がやけに残っている。

 

「ふっ」

 

それに動揺するどころか、みずづきは小さな笑みを浮かべる。精神的にも戦闘準備完了だ。

 

みずづきは力強く、戦闘開始を号令する。

 

「対空戦闘よーい! 目標敵航空機群!! ESSM発射よーい!!!」

 

命令を受け、FCS-3A多機能レーダーと連動した火器管制レーダーはレーダー波を照射し目標をロックオン。VLSの蓋は解放され、中に収められているESSS(発展型シースパロー)は弾頭部が蒼空をにらむ。こちらも準備完了だ。みずづきはそれを確認するとMk45 mod4単装砲の持ち手にある、ミサイル発射ボタンに手をかける。各システムは昨日の損傷、そして今朝の不可思議な復活がなかったかのように作動している。

 

 

 

 

さぁ、21世紀の、日本海上国防軍の戦闘の始まりだ。

 

 

 

「発射っ!!」

 

ボタンが押された瞬間、背負っている艤装のMk41 VLSからESSMが勢いよく飛び出し轟音と凄まじい光を放ちながら一気に加速していく。発射されたのは1発だけではない。次々と新たな光源がVLSから出現し、計16発が敵を海の藻屑に変えるため、慣性航法システムや母艦とのデータリンクを使用し猛進する。超音速目標の撃墜を主眼としているESSMにとって、時速300kmを少し上回る程度の速度で飛行している航空機はただの的だ。彼我の相対距離が短いため、ESSMはすぐさま目標に肉薄。みずづきの火器管制レーダーからの照射波を最終誘導とし突入する。誤作動を起こすこともなくESSMは自らの役割を全うし、蒼空に黒い花が咲く。それに数秒遅れてやってくる衝撃波と爆発音。他のESSMも次々と敵機を撃墜していく。いきなりやってきた光の矢としか形容できない常識外れの物体に半数を撃墜された敵航空隊は急降下を開始し、数機単位の編隊に分散。正面、右、左からの3方向同時攻撃を試みる。しかし、FCS-3A多機能レーダーとESSMの前には、滑稽な戦術でしかない。いくら散開し高度を下げ視認性を低めようが、国産のFCS-3A多機能レーダーからは逃れられない。

 

「第二次攻撃。ESSM発射よーい! ・・・・・発射!!」

 

敵が大空を自由にできたのも束の間。再び、ESSMの舞が始まる。みずづきからESSMが発射する様子を確認した敵航空隊は一気に散開を開始する。だてに初撃で味方が手も足も出ずやられていく姿を見ていたわけではないようだ。しかし、どれだけ飛び回ろうと結果は同じ。ESSMは優秀な旋回性能を生かし、音速ジェット機では困難な急旋回にも難なく追尾する。必死に回避行動を取る敵機のエンジン音がまるで彼らの悲鳴のようだ。だが、それも数秒で爆発音に変わる。

 

敵残存機はあと6機。敵機はみずづきのSAM防空圏を突破する。もっと早くに攻撃を実行していれば主砲迎撃圏に侵入されることはなかったが、今愚痴を言っても仕方ない。

 

ESSMの残弾数は40発。まだまだ余裕だが、補給のことを考えれば無駄弾は絶対に撃てない。それに敵の編成が不明である以上、切り札であるESSMが多いことに越したことはない。ミサイルが主兵装であるみずづきにとって、ESSM残弾ゼロは戦闘能力の激減を意味するのだ。みずづきはMk45 mod4 単装砲による迎撃を選択し、上空を睨む。

 

「右対空戦闘、目標4! 弾種、調整破片弾。主砲、撃ちー方はじめ!!」

 

右手に持っているMk45 mod4 単装砲を敵機へ向け引き金を引く。砲身から凄まじい砲撃音を轟かせ砲弾が一直線に敵機へ、正確には目標の未来位置へ飛翔していく。Mk45 mod4 単装砲は対地重視といわれ毎分16~20発と速射砲にしては連射性能が低い部類になるが、それでも迎撃性能には文句のつけようがない。そして、その対地重視砲にとって、敵は止まっている的に過ぎない。3秒に1回の砲撃でまた1機、また1機と命中し海面へ突っ込んでいく。右舷の目標を消し去ると、次は左舷だ。

 

「左対空戦闘、目標2! 主砲撃ちー方はじめ!!」

 

レシプロ機並みの速度と性能しか有しない敵機がなせることなど、もうない。2機はやけを起こしているのか味方の末路を気にすることもなくみずづきに肉薄を図るが、それは絶対に叶わない。発射された調整破片弾は情けをかけることもなく、破片を敵機に浴びせズタズタに引き裂く。あとは爆発四散するのみだ。

 

「周辺空域に対空脅威なし。対空戦闘用具収め」

 

最後の爆発音が響く。

 

上空には黒い爆発煙やESSMの飛翔煙が至るところに漂い、まるで子供の落書帳だ。

 

 

 

深海棲艦航空隊30機は、あきづき型特殊護衛艦みずづきの前にものの数分で全滅した。

 

 

 

 

だが、喜ぶのはまだ早い。敵航空隊を葬ったもののまだそれの元凶である空母と護衛艦艇からなる機動部隊が残っているのだ。空母級の艦載機数はだいたい40~50機。機種の配分は場合に応じて様々だが、まだ10~20機が残っているはずだ。仮にこれが全てみずづきに殺到しESSMで迎撃すると、最悪を想定すると20発、残弾の半数を消費してしまう。これはさすがに痛い。それに、どうやらレーダーの反応をみるに敵艦隊には戦艦級1隻がいるようだ。戦艦級の射程距離は大口径の主砲を持っている分、他の艦種より圧倒的に長い。そして、みずづきは戦艦級の射程圏内にバッチリと入ってしまっている。そうそうにかたをつけなければ、航空戦に加え深海棲艦の土俵である砲撃戦に持ち込まれる。装甲がないに等しいみずづきにとって、航空爆弾だろうが砲弾だろうが1発でも命中すれば海の底だ。

 

「対水上戦闘よーい! 目標、敵機動部隊6隻! SSM 2B blockⅡ諸元入力はじめ 」

 

即座にFCS-3A多機能レーダーで得られた電子情報が戦術情報装置で解析され、4連装発射筒に収められているSSMへ目標情報が入力される。P-1哨戒機や他の護衛艦、艦娘、SH-60K、そしてGPSがあればレーダー解析より詳しい情報が入手できるのだが、現在はないものねだりだ。しかし、それだけでもこの対艦ミサイル(SSM)は正確に目標へ飛翔する。

 

17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM 2B blockⅡ)。2012年に制式化され陸上自衛隊に配備された12式地対艦誘導弾を2017年に艦載化し海上自衛隊に配備されたものが17式艦対艦誘導弾。SSM1-Bと比較し命中精度や目標識別機能の向上、射程距離の伸長が図られ日本製の名に恥じないミサイルであり、対水上戦闘の切り札だった。やつらが現れるまでは・・・・。

SSM-2B は他国と同様に装甲がないに等しい現代の軍用艦を想定して開発された。弾種はHE(高性能爆薬)。駆逐級や軽巡級など低装甲目標にはそれなりの効果があったが、重巡級や戦艦級などの重装甲目標には数発、下手をすれば十数発当てても撃沈できないというひどい有様であった。また、これは“当たれば”の話であり、そもそも人間大の敵を艦載の対水上レーダーやミサイルに内蔵されているアクティブ・レーダー装置、赤外線識別、画像識別装置で判別するのは非常に困難であったため、SSMによる敵の撃沈率は目を覆いたくなるほど悲惨だった。そこで人間大の目標にも対応でき、なおかつ重装甲目標も一撃で沈められるように開発されたのが、このSSM 2B blockⅡだ。誘導装置のプログラムに改良が施され、弾頭がHEから対戦車弾などで使用される成形炸薬弾へ変更された。これの効果は絶大であり、艦娘のみならず通常艦艇でも深海棲艦の戦艦級に一泡吹かせられるようになった。もっとも、開発が完了し実戦配備されたのは、海上自衛隊が壊滅し、シーレーンが寸断され、艦娘が活躍しだした頃だったが・・・・。

 

諸元入力が終わると、搭載されているSSM8発中6発の攻撃準備完了を知らせがメガネに表示される。一回の攻撃で6発ものSSMを使うのは非常にきついが、背に腹はかえられない。

 

「発射用意・・・・。SSM-2B一番、撃てぇ!!」

 

誤射を防ぐためESSMとは異なる形をした独特の発射ボタンを押した瞬間、ESSMとは比べ物にならない、まさしく轟音を響かせ4連装発射筒からSSM-2Bが発射される。固体燃料ブースターで加速し充分な速度に達した後、ブースターを切り離しターボジェットでの飛翔に切り替え海面スレスレを亜音速で突き進んでいく。

 

「・・・・2番、撃てぇ!!」

 

その後も連続して6発のSSMが放たれた。どれもすぐに肉眼では見えなくなるが多機能レーダーで捕捉しているため、行方に気をもむことはない。SSMはESSMと異なり、母艦の誘導を必要としない自律型であるため、後は命中と敵の撃沈を確認するだけだ。しかし、こちらが完全に関与しないからこそ、緊張するのも事実。また、これだけのSSMを一回で発射するのは初めてなのだ。みずづきは気を緩めることなく、メガネの対水上レーダー画面を見つめる。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

その頃、たった1隻の軽巡洋艦掃討に向かった航空隊からの連絡が途絶えた深海棲艦機動部隊は混乱の極みにあった。旗艦であるヲ級が必死に僚艦の動揺を鎮めていると、聞いたこともない重低音が周囲に響き始める。なにごとかと思い外洋へ目を向けた瞬間、ヲ級の斜め右にいた駆逐ハ級が突然爆発する。黒煙が晴れハ級がいた位置を見ると、そこにはハ級の残骸とおぼしき破片のみが波に揺られていた。一瞬の出来事で信じられなかったが、状況から察するに轟沈したようだ。いきなりの爆発で仲間が悲鳴をあげる暇もなく沈んだことに、動揺を通り越し大混乱に陥る。これだけなら事故と考えられるが、悲劇は始まったばかりだ。また、あの音が聞こえる。すぐさま音のする方向へ目を向けたヲ級は確かに捉えた。海面スレスレを飛翔する人工物を。ハ級の轟沈は事故ではなく敵の攻撃と確信したヲ級は全艦に対空戦闘を命じるが、いかんせん早すぎる。彼女たちの常識を遥かに超える速度で接近した“それ”は重巡リ級の目前まで進むといきなり急上昇し、頭上から突っ込む。急上昇で対空火器を封じられたリ級はなすすべなく、文字通り成形炸薬弾にとって体をバラバラにされ消滅する。

 

もはや、混乱の収拾は不可能だった。また1隻、また1隻とこちらの対空砲火をあざ笑うように、“それ”によって沈んでいく。頼みの綱だった戦艦タ級も、その重厚で人間の攻撃をやすやすと跳ね返す装甲がまるで薄い鉄板でるかのように貫かれ、下半身のみになった亡骸はゆっくりと海中に沈んでいく。それが異様にゆっくりに見える。最後の1人になってもヲ級は目の前の現実を受け入れられずにいた。敵の姿は確認できず、攻撃方法すら分からない。得体のしれない恐怖。タ級の蒼い返り血で染まった体を震わせられるのもあと少しだ。あの音が聞こえる。ヲ級は最後に自前の対空火器で応戦するが、もちろん当たらない。“それ”はヲ級のささやかな抵抗を気にすることもなく急上昇し、真上から迫る。

 

ヲ級が最後に見たものは、SSM-2Bの白い弾頭部と、それに反射して映し出された自身の恐怖に歪む哀れな表情だった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「空母級反応消滅。全隻撃沈と推定。周辺に対水上目標なし。対水上戦闘用具収め! お、終わったぁーーー!!!」

 

みずづきは緊張から解放され、歓喜しながら背伸びをする。

 

「うーん!! はぁー!! CIWSを使うこともなかったし、完全勝利! SSMが誤作動しなくてよかった」

 

まだ遭遇したことはないが、敵の中にはECMのような電波妨害装置を持ち電子戦を仕掛けてくる個体も確認されているのだ。現在の段階では、各種ミサイルの誘導に全く影響はないが、敵も進化しているため油断はできない。ただ、今回の敵はある意味純粋だった。

 

「ロクマルを出して確認したいんだけど、燃料が・・・。ま、いいかな。第5遊撃部隊の偵察機も飛んでることだし」

 

多機能レーダーには2機の国籍不明機が映し出されているが、発信位置から第5遊撃部隊所属と分かる以上、もちろん攻撃は加えない。2機は敵艦隊がいた海域を何度も飛行している。最終的な撃沈確認を任せ、みずづきは再び体の凝りをほぐすため背伸びを行う。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

緊張がほぐれ笑顔のみずづきと対照的に第5遊撃部隊には、重苦しい雰囲気が漂っていた。

彼女たちは見たのだ。自分達では苦戦必至の航空隊が、光る矢によってハエのように叩き落される驚異の光景を。そして、知ったのだ。加賀が放った天山によって、敵本隊が全滅したことを。

 

今日は快晴で空気も澄んでおり、視界は良好だ。そして、第5遊撃部隊は敵機動艦隊からみずづきを守るべく、両者に接近していた。このような状況下ならば、必然的に視認性の強烈な光や煙を発生させる戦闘は中・遠距離からも捉えられるのだ。

 

「やっぱり、あの子だよね・・・・」

 

いつも陽気な北上にしては歯切れが悪い。だが、それほどまでに衝撃的なのだ。光る矢はまるで意思を持っているかのように敵をこともあろうか追尾し、しかも見えた限りでは全弾命中。飛翔速度も零戦どころではない。あのような攻撃を行える艦は、世界中探してもいないだろう。

 

「そうとしか考えられないわ。光の矢が撃ちあがった方向と水月の現在位置はぴったり重なってる」

「けど、どうにも信じられない。あの子の武装は単装砲1門に対空機銃2挺だけだったんでしょ? 一体どこにあんな攻撃を行える武装が・・・」

 

正規空母である瑞鶴にとって敵とはいえ自身も運用し育成している航空隊が手も足も出ずやられる姿をそうそう認めるわけにはいかないのだ。認めてしまえば、自分の航空隊も雑魚と宣言しているようなもの。加賀はどう思っているのか分からないが、ただこの前代未聞の事態に動揺していることは確かだ。

 

「問題はそれだけじゃないわ」

 

加賀は天山の報告を思い出す。加賀は敵機動部隊とみずづきの動静を知るため、現在も飛行している天山2機を索敵に出した。その彼らが伝えたのは敵機動部隊全滅という、これまた信じられないものだった。しかも、正体不明の攻撃により全艦が反撃する暇もなく瞬殺されたとういうおまけ付きだ。さすがに加賀もこれでは苛立つばかりであり、また他のメンバー、特に旗艦の吹雪へ正確な情報を伝達しなければならないので、天山に有無を言わさない気迫でさらなる報告を求めた。それで、帰ってきた答えは「光る矢のようなものが高速で敵艦隊に殺到した」というものだった。キレかけている母艦に催促されれば、天山に乗る妖精であろうと嘘は言えない。

 

「光る矢・・・・・、私たちが目撃した攻撃と同様の方法で敵本隊も葬られている。ろくな反撃もできず一方的に」

「つまり・・・・」

 

金剛がそのあとを促す。この中で唯一笑顔を浮かべているが、それは純粋なものでなく無理につくった苦笑だ。

 

「みずづきは1隻で敵機動部隊をろくな損害も出さず殲滅したということよ」

「・・・・・・・・」

 

全員状況から分かってはいたが、改めて聞くと頭が真っ白になる。たった1隻で一国の海軍力に匹敵する艦隊を葬る。現実離れしすぎて、航空機が叩き落される瞬間を見たにも関わらず、実感が湧かない。だが、現実だ。

 

「とんだ艦が現れたものネ・・・・」

 

それは全員の心境そのものだ。

 

最大戦速でみずづきのもとへ向かっていたため、案外早く水平線上にみずづきの姿が見えてくる。その姿は吹雪たちとなんら変わらない。しかし、あれの後では純粋に見ることは叶わないだろう。一同の警戒心は無線で通信したときよりも確実に高まっている。一連のやり取りを無言で聞いていた吹雪は、すぐそこにまで迫ったファーストコンタクトが上手くいくか若干の不安を抱くのだった。




人生で初めて戦闘シーンを見る側でなく、書く側に回りました。
やっぱり、難しい・・・・。ご不満を抱かれるかもしれませんが、作者にはこれが限界です!
敵味方の複数隻を同時に動かしている方々には頭が上がりません。

冒頭にも書きましたが、昔の人ってどれくらい英語を知ってたんでしょうかね?
いろいろ見てると海軍では太平洋戦争が始まったあとも英語がある程度、使われていたようですし、軍に限らず頭のいい人たちはもちろんペラペラでしょうし・・・。



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9話 横須賀へ

天頂から少し高度を下げつつある太陽と真っ青な快晴のもと、ついにみずづきと第5遊撃部隊はじかに邂逅した。だが、社交辞令で用いる大人の笑顔を浮かべているみずづきと吹雪・金剛以外が仏頂面のため、お世辞にも雰囲気は良好といえない。いつも通りの笑顔でいる金剛がなんとか場の重苦しさを中和していた。少しの時間、お互いがお互いをまじまじと観察し合う異様な空間が出現する。みずづきはそれを自覚しつつも、6人いる少女たちの容姿・艤装を目に入れる。艦外カメラで見たときは幻覚ではないかとも疑ったが、ミサイル主体の現代兵装とはかけ離れた、大艦巨砲主義を具現化したような艤装を確かに身に付けている。一方の吹雪たちは自分たちがまじまじとみずづきを見つめている自覚なしに、彼女の隅々まで観察していた。どこに機動部隊を無傷で葬れる武装が、力があるのか。気になって仕方がない。しかし、やはり見えるのは天山の報告通り右手に持っている中口径の単装砲が1門と艤装にまるで飾りのようにつつましくのっている対空機銃が2挺のみ。第5遊撃部隊の中で最も軽武装な吹雪よりも頼りないことこの上ない。瑞鶴は眉間にしわを寄せ、視線をフル走行させているが、どれだけ探しても見えるものは変わらない。吹雪も瑞鶴や冷静を装いつつちら見を連続射撃している加賀ほとではないが、純粋な好奇心からついみずづきを観察してしまう。吹雪がふと艤装から目を離したとき、苦笑を浮かべるみずづきとばっちり目が合う。

 

「はは・・・ははは・・・」

「あ・・・・・」

 

そこで吹雪は自分が思わずとはいえ、何もしているのか気づき慌てて姿勢を正す。

 

「こ、これは失礼しました! ほら皆さんも、失礼ですよ。ちゃんとして下さ・・・大井さん怖いですよ」

 

北上を含めて指摘したからなのか、観察を邪魔されたことに対する怒りか、大井が吹雪を睨みつける。同じ部隊になってからしょっちゅうあることなので、苦笑しながら抑える。

 

「お見苦しいところすみません。私が貴艦の救助を命じられた第5遊撃部隊旗艦の駆逐艦吹雪です」

「ということは、さっきの通信・・・」

「はい。あれを行っていたのは私です」

「ああ、どおりで。しかし・・・・」

「ん?」

 

今度はみずづきがまじまじと吹雪を見つめる。典型的なセーラー服を着て、黒髪のセミショート。どこからどう見ても、可愛い女子中学生にしか見えない。通信機越しで話していたときは少し大人びた声で聞こえていたので自分と同年代かと思ったが、実際は年下だった。

このような少女が旗艦と名乗る光景には、違和感しかない。日本では昨今の情勢を受け徴兵制と中・高校での軍事教練が採用されているが、さすがに中学生、しかも女子を戦場に出すほど血迷ってはいない。

 

「あ、あの・・・・」

「ああ!! すいません、随分お若い方だと思いまして・・・・」

「まあ、駆逐艦だからね~」

 

吹雪以外が会話を黙って聞いている中、吹雪の後方で空へ目を向けていた北上が何気なく二人の会話へ入ってくる。

 

「駆逐艦?」

 

みずづきは他国や旧軍では当たり前だが海防軍では使わない言葉に聞き、思わず聞き返す。だが、北上は違う意味にとったようだ。

 

「排水量も小さくて、小型・軽武装の駆逐艦はだいたい吹雪ぐらいの女の子なんだ」

「は、はぁ・・・」

 

北上はさも当たり前のように言っているが、みずづきにはいまいち飲み込めない。艤装にもそれほど厳格でないものの適正はある。それはDNAや性格で判断され、年齢も含まれる。だが、若い者は排水量の小さい艦、少し年齢を重ねたものは排水量の大きい艦のように法則性のあるものではない。みずづきの同期にも、特殊イージス護衛艦や特殊航空護衛艦がいる。

 

「みんないい子たちなんだけど、精神年齢も少し幼いからそこがたまにきず・・、別に吹雪のことを言ってるわけじゃないよ、全体的に、ね。全体的に」

 

北上が弁解し始めたので、何故かと思えば吹雪のほほが若干膨らんでいる。そこには戦闘中には決してない年相応の姿があった。それを見て、誰が重苦しい雰囲気の継続を望むのだろうか。瑞鶴や加賀も険しい表情を少し緩める。

 

「まぁそれはそれとして。初対面なんだから自己紹介だね。私は重雷装巡洋艦の北上、よろしくね」

「は、はい。いまさらかもしれませんが、日本海上国防軍第53防衛隊のみずづきです。こちらこそ、よろしくお願いします」

「じゃあ、次は大井っちだね」

「えっ!?」

 

流れ弾を全く予想していないかった大井は、いくら北上に話を振られたとはいえ即答できない。大井としても自己紹介しなければならないのは重々承知しているが、何分心の準備が全く整っていないのだ。だが、北上の純粋な瞳がマッハで大井の心を改造する。もはや整理と呼べる速度ではない。

 

「は、はじめまして。北上さんと同じ重雷装巡洋艦の大井です。・・・で、できるからって北上さんと上から目線で接したらただじゃおかないわよ!!」

 

何故か、ボルテージが上がってしまった大井。

 

「大井っち、それはさずがに・・。ごめんね、これでもいい子だから、ドン引きしないであげてね」

「は、はい・・・」

「大井はhotすぎネー、もっとcool! coolにいきまショー! 私は金剛型戦艦一番艦の金剛デース!! よろしくお願いしマース!!」

「どこが、coolなのよ」

「こ、こちらこそ。はは・・・」

 

ここぞとばかりのキメ顔で自己紹介する金剛に、大井は小さな、非常に小さな声で噛みつく。だた、小さいと思っているのは本人だけで周りにはバッチリ聞こえている。金剛はそれを耳にしても「ハハハッ」と豪快に笑うだけなので、大井は自分の失態に気づかない。未知の存在を前にしても第5遊撃部隊本来の雰囲気はそう簡単に四散したりしない。今では、みずづきも取り込まれつつある。それを眺めていた空母の2人はどちらが先に自己紹介するか目の会話で、互いに押し付け合っていた。それを察知した吹雪はじっと純粋な眼で2人を見つめる。

 

「・・・・・・・・・」

 

大人げないことは自覚しているが、これは既に自己紹介を通りこして加賀と瑞鶴が常日頃繰り広げている喧嘩という名のじゃれ合いの延長線上にあった。このままでは自身も瑞鶴と同じお子様と思われる事態を危惧した加賀が折れ、態度を改める。

 

「・・・はじめまして。航空母艦の加賀よ。よろしく」

 

加賀が先に行ったため躊躇する必要がなくなった瑞鶴は素直に追随する。

 

「航空母艦の瑞鶴よ。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」

 

大井と金剛の前例があるためどんな人たちか構えていたが、ごく普通でみずづきは胸を撫で下ろす。

(それにしても、金剛に加賀に瑞鶴・・・・・。偶然にしては出来すぎのような)

みずづきは軍人であり歴史も若者にしては好きなタイプだったため、戦史マニアほどではないが、ある程度第二次世界大戦の知識は有している。金剛、加賀、瑞鶴といえば非常に有名な艦艇であり、自衛隊時代そして海防軍でも同名の艦艇・艦娘が存在している。それと同名の艦娘がここにもいた。・・・・謎だ。

 

それを考えていると、航空母艦という単語から吹雪たちの通信を受信する前に出会った零戦とおぼしき航空機のことを思い出す。

 

「あの・・・・」

「ん? なにかしら」

「いえ、私、吹雪さんから無線で呼びかけられる直前、零戦とおぼしき航空機の接触を受けたんですけど、あれって加賀さんや瑞鶴さんの機体ですか?」

 

みずづきは加賀に尋ねるがお世辞にも話しやすい人とは言えない雰囲気をたたえているので、少し緊張してしまう。

 

「零戦? ・・・ああ、あれは天山っていう艦上爆撃機よ。あなたの思っている通り、接触したのはこの艦隊の、私の機体よ」

「あんた、艦娘なのに天山と零戦の区別もつかないの?」

 

瑞鶴が少しご立腹な様子で話しに加わる。彼女は正規空母。自分たちの機体を間違えられたのが気に入らいないようだ。みずづきもその気持ちがよく分かるため、反論はしない。自身もイージス艦と間違えられたらそれなりに気にするし、外国人にF-35と日本の総力を挙げて開発されたF-3 ステルス戦闘機を間違えられたら頭にくる。

 

「すいません。私、そういう知識は疎くて・・・・」

「気にしなくてもいいわ。よく間違えられたり、区別がつかないって言われるの。あの五航戦が固執しすぎなだけよ」

「あんたはよく平気でいられるわね。栄えある正規空母でしょ?」

「お互いさまって言葉を知らないようね。聞くけどあなたは帝国陸軍や瑞穂陸軍の戦車、区別つけられるの?」

「え・・・・。そ、それは・・・・」

 

急に威勢の良かった瑞鶴の目が泳ぎだす。

 

「そういうことよ。だから、五航戦はいつまでたっても五航戦なのよ」

「な、なんですって!! ちょっと、かっこいいこと言ったから調子に乗って・・・」

 

みずづきをほっぽりだし、いつものじゃれ合いが始まった。2人の様子から学習したみずづきは下手に関与しない。

 

「すいません。いろいろとご迷惑をおかけして・・」

 

他のメンバーが自己紹介している間に鎮守府への報告を終わらせた吹雪が、みずづきにフォローを入れる。

 

「いえいえ、艦隊の仲がいいってことは素晴らしいことですよ」

「そう言ってもらえると、旗艦として嬉しいです」

 

大井にちょっかいをかける金剛と北上。静かに受け止める加賀と勢いよく突っかかる瑞鶴。みずづきとの邂逅前に抱いた不安は取り越し苦労だった。

 

「これから、水月さんには私たちと一緒に横須賀へ向かっていただきます。どれぐらいの速力なら大丈夫ですか?」

「30ノットなら余裕です」

 

吹雪たちの所属する瑞穂海軍なる組織の基地へ連行されるのは予想していたことなので、特に驚きはしない。喧騒を収めた吹雪の命令を受け、陣形を整えた第5遊撃部隊はみずづきという新たなメンバーを加え、一路母港の横須賀を目指す。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

日が傾きかけ、人々が仕事や学業から帰宅や休息に目を向け始めているが、ここにはそのような外界の甘い雰囲気はない。

 

「・・・・もう一度聞くぞ。この情報は本当に、本当なんだな?」

 

百石は耳の変調と情報の伝達ミスを疑っているが、それを目の前に立っている長門は認めない。

 

「はい・・・。心中お察ししますが、吹雪からの報告は先の通りです」

「そうか。にわかには信じられないが、吹雪が嘘を言うとは思えない。だが・・・・」

 

手に持っている冊子に再び視線を落としページをめくる。報告書をつくった情報課と通信課も信じられなかったのか、字がところどころ汚く読みづらい。だが、それよりも内容が問題だ。すぐに報告書から目を離し、こめかみを押さえる。そこには、「光る矢が敵航空隊を一方的に殲滅」、しまいには「敵機動部隊全滅、損害なし」とさえ書かれていた。

 

「しかし、提督。吹雪を疑う気はありませんが、真実だと仮定した場合、水月という艦娘は・・・・」

「ああ・・・。前例のない艦娘ということになる。なにせ、1隻で機動部隊を葬ったんだ。

・・・・・・・備えあれば患いなし、か」

 

そんな艦娘が横須賀に向かっているのだ。なにが起こるかわからない。百石は執務机も上に置いてあるダイヤル式電話で、ある部署に電話をかける。すぐに意中の相手が出た。

 

「もしもし、百石です。例の件はもう・・・・・・そうですか。まもなく、その艦娘がこちらへ・・・・・はい。・・・・・え? 準備の方は・・・・さすがですね、仕事が早い。では、はい、お願いします。配置や編制、武装についてはそちらに一任します。万が一の時は、府内での発砲も許可します。では」

 

通話を終え百石が受話器を下した直後、鎮守府内にけたたましいサイレンが木霊する。しかし、その理由を知っている2人は全く動じない。

 

「長門は彼女をどう思う?」

「吹雪をはじめ他のメンバーとも特段のいさかいはなく、ごく普通の艦娘だそうです。そこまで好戦的な存在ではないかと」

「そうか。なら、ひとまずは安心だな。流血の事態にはならないで欲しいのだが・・・」

 

突如の事態を受け、外の怒号や車両の走り回る音がサイレンに負けることなく、ここまで聞こえてくる。横須賀鎮守府は明確に日常から非日常へと変化した。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

穏やかな相模湾・浦賀水道を通り、横須賀に近づくにつれてみずづきの動揺は大きくなる一方だった。吹雪たちや傍受した暗号電文からここが自身の地球でないことは分かったつもりでいたが、目の前に広がる光景のインパクトは比べ物にならない。心の中にあった「もしかしたら」は見える人工物によって容赦なく破壊されていく。

 

 

 

プ、プ―――――、プ―――――。

 

 

 

突然響く汽笛。なにごとかと思い、音の聞こえる方向を見ると太平洋へ向かおうとしている1隻の漁船がいた。乗っている2人の漁師が笑顔でこちらへ手を振っている。吹雪たちもそれに応え、手を振る。ここはみずづきも応えるべきなのだろうが、その視線は漁師ではなく漁船そのものに集中していた。今まで艦娘という身分上必然的に海上が作戦行動範囲となるため、みずづきは多くの漁船を目にしてきた。2033年でも日本海・オホーツク海・瀬戸内海の制海権は健在であり、シーレーン途絶によって飢餓が蔓延する日本の食糧事情を少しでも改善するため、各地の無事な漁船は燃料の許す限り全力出漁している。だが、目に映る漁船は記憶に刻み込まれている日本の漁船とどれも異なっていた。外見は似ている。パッと見ただけでは分からない。しかし、現代では標準装備のレーダーや無線アンテナなどの電子機器が全く見当たらないのだ。見たことないはずなのに、なぜか既視感を覚える。遠い過去の記憶。まだ幼かったころ、母方の祖父母の家へ遊びに行った際、若かりし日の祖父の白黒写真を見たことがあった。笑顔で漁船に乗っている祖父。

 

その何十年も前の漁船と今、目に映っている漁船はそっくりだった。もちろん、現代の日本にはあのような古い漁船はいくらなんでも存在しない。その漁船だけでなく、多くの船とすれ違うが親しみのある船影は全く見受けられない。どれも時代遅れの船ばかり。

 

「まもなく横須賀に到着します」

 

吹雪の声を受け、第5遊撃部隊は進路を変え横須賀本港を目指す。みずづきは横須賀が近くなってきたことを踏まえ、陸上の様子を観察しようと艦外カメラを向ける。海上のみが異次元ということはなく、沿岸部も目を疑うような光景が広がっていた。この辺りも深海棲艦の爆撃で壊滅し、日本政府の避難命令を無視した人々のみが居住する完全な廃墟だった。だが、そこには破壊された近代的なビルや商業施設はなく、かわりに戦前・戦中のような低層木造家屋が立ち並んでいた。今では歴史の1ページとなった日本の原風景。レトロな車が走り、人が歩いている様子も確認できる。この街は生きていた。あまりの違いに呆然としていると、見慣れた地形が現れてくる。それがどこが気が付いた瞬間、そこへカメラを向ける。

 

かつて世界最強と謳われたアメリカ海軍第7艦隊の本拠地、アメリカ海軍横須賀基地。ここと海防軍(旧海自)横須賀基地は、日本と在日米軍の要衝にして太平洋側唯一の大規模な海上戦力が集結する基地であったため、神奈川県内では横浜などの大都市と並んで最も苛烈な爆撃を受けた場所だ。特に米軍基地は深海棲艦出現初期に第7艦隊が事実上壊滅してしまったため、海防軍の横須賀基地と異なり対空防御がおろそかにされ比喩ではなくもう何も残っていなかった。あるのはクレーターとコンクリート片ぐらいだ。だが、どうだろうか。強烈な存在感を放っていたクレーターや廃墟はなく、無傷のレンガ倉庫が所狭しと並んでいる。

 

「入港よーい! 減速」

 

いよいよ横須賀本港に入る。戦前は大日本帝国海軍の一大根拠地として、戦後は海上自衛隊と新たに進駐したアメリカ海軍の要衝として栄えた港。そして、対深海棲艦大戦では()()を東アジアの人間に知らしめることとなった地。世界最強といわれたアメリカと東アジア最強といわれる日本の要衝が完膚なきまでに破壊された衝撃は凄まじいものだった。それでも横須賀には海防軍自衛艦隊司令部や護衛艦隊司令部がおかれ、今でも海上戦力の中心地として機能していた。これだけ被害を被ったのだから、当然各司令部の移転案が出た。移転先は太平洋側からある程度距離があり、敵爆撃隊が必然的に迎撃部隊の展開している本土上空を飛行しなければならず、防衛が容易な舞鶴とされた。だが、当時の海上自衛隊上層部はこれに猛反発。結局、これは立ち消えとなった。政府内部や陸・空自衛隊からは「旧軍の根性主義に囚われた亡霊」などの陰口も叩かれたが、それでも彼らはここを退くわけにはいかなかったのだ。自らの指揮した作戦で多くの部下を死なせ、守ると誓った故郷と国民を守れなかった。にも関わらずわが身可愛さに舞鶴へ行けば、それこそ旧軍と同じではないか。せめて一矢報いるまでは・・・・・。そのような想いを抱え、彼らは横須賀にかじりついたのだ。軍事組織では否定される非合理の極みだが、これが世間に知られるや否や自衛隊・国民の士気が上がったことはいうまでもなく、海上自衛隊と続く海防軍人気の下地となった。

 

なにごともなく建物が整然と立っている光景を見ると、それが幻であったかのように思えてくる。かつてアメリカ合衆国の国力の象徴だった原子力空母がその巨体を休めていた場所には、歴史の教科書に出てくる旧軍艦艇のような軍艦が代わりに停泊している。それは多数の護衛艦が大破着底していた海防軍吉倉桟橋などに相当する地区にも複数見受けられる。基地だけではない。ここからも見える横須賀の街並みの一変していた。ビルもなければ山から突然出てくる有料道路もない。

 

「水月さん、着きました。ここが私たちの母港、横須賀鎮守府です」

 

吹雪はアメリカ海軍横須賀基地があった敷地を指し示す。見覚えのあるものは何一つない。

(ここは・・・・・日本じゃ、ないんだ・・・・夢じゃなくて現実・・・・)

同時に自身の立場を思い知る。なぜなら、艦娘専用の桟橋と思われる場所に見たこともない銃を持った多数の兵士がこちらを、みずづきを待ち構えていたのだから。

 

「え? なにこれ・・・・どういうこと」

 

事態が飲み込めず、慌てて兵士に声をかけようとした吹雪の肩を加賀が優しくつかむ。

 

「仕方ないわ。彼女は正体不明の艦娘。得体のしれない存在に無警戒では軍隊として失格よ」

「でも、私は長門さんにきちんと報告を・・・・」

「私たちはじかにあの子と言葉を交わして、少なくとも敵でないことは分かっている。でも、長門や提督、基地の将兵たちにとって彼女は、完全な未知の存在なの」

 

みずづきを睨む横須賀鎮守府警戒隊の兵士たちは明らかに臨戦態勢だ。銃口は向けていないものの、引き金に指をかけいつでも撃てるようにしている。加賀もそういうものの、少しやり過ぎではないかという思いはぬぐえない。あからさまに表情に出ている瑞鶴をはじめ、金剛・大井・北上も加賀と同意見だ。

 

警戒心むき出しの視線を一身に受けさぞ萎縮しているだろうと思いきや、みずづきは表情を1つも変えることはなかった。万一を考えさりげなく腰に手を回す。ごつごつとした冷たい感触。目当てのものが健在で一安心だ。みずづきにとってこのような事態は想定済みであり、驚くほどではいない。銃口を向けられないだけましである。もしここが日本ならば確実に歩兵からは小銃を、装甲車からは機関銃を、護衛艦や艦娘からは主砲を向けられる。下手をすれば、歩兵や装甲車を吹き飛ばす覚悟でミサイルをロックオンするかもしれない。それに比べたら優しいものだ。

 

吹雪たちと共に上陸し歩きやすいよう足の艤装を外す。久しぶりの陸に感動したいところだが、満ちる空気がそれを許さない。金属製のヘルメットを被りカーキ色の軍服を着て、手に89式小銃とは異なる、銃本体の左側面に湾曲マガジンをつけた異様な銃を持った中年男性が歩いてくる。その後ろには、銃床が木製で全長が長いスナイパーライフルのような銃を持った2人が続く。どちらも銃剣をつけている。

 

「か、川合大佐!?」

 

吹雪が先頭を歩く中年男性を見て声を上げる。彼は川合清士郎。階級は大佐で、横須賀鎮守府の警備・防衛を担う警戒隊の隊長だ。通常の案件なら、隊長の生死が部隊の指揮命令系統に直結するため最前線に出しゃばってくることはないのだが、今回は特別だ。川合は心配そうにしている吹雪に一瞬笑顔を向け、みずづきの前で立ち止まる。

 

「私は横須賀鎮守府警戒隊隊長川合清士郎大佐です。あなたが水月さんでよろしいですか?」

「はい、私が水月です」

 

(まるで旧軍の陸戦隊みたい・・・・)

防弾チョッキもなければ、ヘルメットに付けられる小型カメラもない。色彩も全体的に緑色で、海防軍の水色とは大きく異なる。

 

「我が鎮守府の最高司令官である百石提督がお呼びです。ご同行願います」

「・・・分かりました」

 

それを聞くと川合はみずづきの後ろでことの成り行きを見守っている第5遊撃部隊へ百石の命令を伝える。

 

「君たちも来てくれるか? 提督は君たちからも話を聞きたいそうだ。・・・・ああ、艤装はもちろん外してからだ」

 

第5遊撃部隊は静かにうなずくと、少し急ぎ気味で艤装着脱室へ向かっていく。いつもは騒がしい彼女たちも、今は空気を読んでいた。

 

「では、こちらへ」

 

周囲を完全武装の兵士に固められ囚われた宇宙人の気持ちを想像しながら、川合の背中についていく。あまりの息苦しさに外へ顔を向けると、建物の窓や路上から物珍しそうにこちらを見る大勢の人々がいた。袖をめくり上げたカッターシャツ姿、作業着、白衣、真っ白な軍服など服装に身を包んだ人々。みずづきをじっと見る者、近場の同僚と話し出す者、反応は様々だ。どうやら、みずづきの存在は思った以上に広まり、一躍時の人となっているようだ。だが、みずづきの認識は甘かった。実のところ、みずづきの存在は瑞穂中の軍部隊に伝わり、半信半疑の大騒ぎになっているのだ。

 

しばらく年季の入ったコンクリート製の建物を脇に見つつきれに舗装された道路を歩いて行くと、眼前に他とは趣が全く異なる建物が出現する。まるで明治時代にタイムスリップしたかのような赤レンガ造りの荘厳な建築物。建てられてから時間が経っているにも関わらず、新築のような輝きだ。それが歴史と瑞穂海軍の几帳面さを感じさせ、思わず息を飲む。こういう建物にお偉いさんがいるのはここも同じらしい。中は少々薄暗いが、ピカピカに保たれている木目の廊下に窓から差し込んだ日光が反射し、絶妙なコントラストだ。歩く人間をかき分け、階段を上ると川合はある扉の前で立ち止まる。この扉は高級そうな木製でいかにもお偉いさんがいそうだ。案の定、壁についている札を見ると「提督室」と書かれている。ここが目的地だ。

 

「高崎と新田は門番、西岡と坂北は俺と来い。ほかは1階正面玄関で待機だ」

「はっ」

 

正面玄関で待機を命じられた兵士たちは軍靴の音を響かせながら去っていく。

 

「ふぅ~」

 

みずづきは一度深呼吸。この中にいるのはここの最高司令官。これからの話しだいでみずづきの運命が決まるのだ。予想していても緊張するのは当然だ。そんなみずづきを横目に入れつつ、川合はドアをノックする。

 

「どうぞ」

 

若い男性の声。いることは分かり切っていたが、一応在室を確認しドアを開ける。ドアの正面にある机にはおおよそ大部隊の最高司令官とは思えないほど若い青年がつき、彼の隣には武人然とした女性が立っていた。




相変わらず、瑞穂側はピリピリしています。

ようやく横須賀に到着しました。旧海軍時代の様子が分からないため、横須賀鎮守府の建物配置や構造は拙者が妄想で構築しています。
そして、日本側の横須賀はもれなく在日米海軍ともども深海棲艦にボコボコにされています。横須賀に行ったことある人間としてはあまり考えたくなかったのですが、・・・まあやられますよね。

あと、いまさらかもしれませんが、熱中症には注意ですよ!!
なってからでは遅い。備えあれば患いなし、です。


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10話 対談と驚愕

「失礼します!」

 

一足先に見事な敬礼をして入室した川合に続き、みずづきも失礼にならないよう声を張り上げ提督室に足を踏み入れる。入ったいいものの一瞬これからどうしたらよいのか迷うが、川合に促され百石の前に歩み出る。警戒隊の西岡と坂北が入室するとドアが閉められ、外界と隔絶された。静寂。

 

「君が・・・・水月だね?」

 

それを破ったのは、やはりこの場で最高位の百石だった。

 

「はい。私がみずづきです」

 

有無を言わさない強い意志をこめ、百石自身へ言い聞かせるような問いに答える。

 

「私が瑞穂海軍横須賀鎮守府最高司令官の百石健作だ。状況がよく呑み込めていないだろうが、ようこそ鎮守府へ」

 

百石の笑顔が張りつめていた室内の空気をいくらか弛緩させる。どうしても軍の上層部に悪いイメージが染みついているので、内心ではどうような人物かひやひやしていたがひねくれた年寄りではなく、礼儀をわきまえた好青年のようで一安心だ。

 

「日本国海上国防軍第53防衛隊隊長のみずづきです。歓迎感謝いたします」

「で、こっちが」

 

百石は傍らに立つ長門に目を向ける。

 

「私は秘書艦の長門だ。横須賀鎮守府所属の艦娘を代表し、貴官の来訪を歓迎する」

「あ、ありがとうございます!」

 

形容しがたい重厚な威厳と静かなるも力づよい敬礼に応えようと、みずづきはつい返礼に力が入ってしまう。だが、心が平静さを取り戻すと彼女の名乗った名前が頭に引っかかる。

(・・・・・・・・・・、な、長門・・・・・?)

またしても旧軍と同名の艦娘だ。ここまで来たら、偶然の一言では片づけられない。

 

「自己紹介も済んだことだし、さっそく本題に入ろう。君も我々と同じように疑問だらけだろう?」

「ええ・・・・、ご推察の通りです。正直、夢であってほしいと思っています」

「はははっ、確かに。だが、白昼夢にしては実体感がありすぎる」

 

いくら現実と分かっていてもあまりに現実離れした事象が起これば、目をそむけてしまうのが人間であり長門たち艦娘も同様だ。夢といわれた方が、素直に受け入れられるかもしれない。しかし、いくら現実逃避しようとこれは紛れもない現実だ。

 

提督室のドアがノックされる。時間的に第5遊撃部隊が艤装の着脱を終え、やってきたようだ。

 

「第5遊撃部隊の吹雪以下5名、ご命令通り報告に参りました」

「ちょうどいい。彼女たちがいた方が話を進めやすいだろう。・・・入ってくれ」

「失礼します!」

 

百石の許可を受け、吹雪たちが次々と入室してくる。普段と違い静かな面々に、少しだけこのままここ以外でも静かになってくれたら、と淡い願望を抱く百石。表情から察するに長門も同様のことを思っているようだ。

 

「・・・これで役者はそろったな。では水月、単刀直入に聞く。・・・・・・・君は一体何者だ?」

 

面と向かって言われると自身が異端みたいで案外心のダメージが大きい。無線越しに言われたのとでは大違いだ。だが、みずづきも百石と同じセリフを吹雪に言っているので、お互い様だ。

 

「君は自身を日本国海上国防軍と名乗った。既に聞いていると思うが、この世界にそんな軍事組織や日本という国家はない。また、君が身に付けている艤装。私も見たことない代物だし、上に照会しても該当するものはなかった。なにがどうなっているんだ?」

「それはこちらも同じです。私の知っている世界には瑞穂などという国はありません。私は日本国海上国防軍の軍人であり、日本人です。・・・・・私もわけが分かりません。気付いたら、大海原のど真ん中にいて、現在位置も分からず、航行して救難信号出したら、瑞穂海軍などという聞いたことない所属先を名乗る、彼女たちがやってきたんです」

 

みずづきは若干意識を後ろに控えている第5遊撃部隊に向ける。

 

「ですが、聞いたこともない組織がいて見たこともない艤装をつけた部隊がいるのに、横須賀や伊豆大島、浦賀水道など細部は違えど私が知っているものと同じ地形や地名があります。また、身体的特徴や外見、使っている文字、おおまかな社会形態は日本と全く同じです。違うことといえば、国号や技術レベルぐらいです」

「技術レベル?」

 

同じことを今まさに聞こうとしていた百石を含め、一同の視線が長門に集中する。みずづきの話を聞き、長門もついに自身の疑問を抑えられなくなった。

 

「は、はい。そうですね・・・例えばこの銃とか」

 

まさかここで長門から聞かれるとは思わず動揺気味なみずづき。簡潔な説明を行うため川合の後ろに控えてる西岡と坂北が持っている銃を説明材料にする。

 

「見たところ、こちらでは比較的新しい銃のようですが、私たちの世界でこのようなボルトアクション式の銃をいまだに前線の部隊に持たせている国なんて、発展途上国でもありません」

 

瑞穂の高度な工業技術によって生み出された24式小銃をあからさまにバカにされ、川合が少し不機嫌気味になる。

 

「これは世界的に見ても見劣りしない優秀な小銃だぞ。じゃあ、君たちは一体どんな銃を持っているんだ?」

「自動小銃ですけど・・・・」

「「えっ!?」」

 

予想外の返答に百石と川合が同時に驚愕の声をあげる。川合の気迫に押され刺激しないよう静かに言ったつもりだったのだが、どのみち自動小銃という言葉の重みが両者で異なる以上、こうなることは避けられない。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。それは俺みたいに前線の司令官や優秀な兵士が持つ、特別な銃のことか?」

「い、いえ・・・。一般兵士が普通に使う銃のことですが・・・」

「それではなにか? 君たちの世界では全ての兵士に自動小銃なんていう金食い虫で、高度な製造技術がいる代物を持たせていると?」

「ええ、そうですよ」

「・・・・・・・・・・」

「・・・具体的には?」

 

あまりの衝撃に川合が休息という名の思考停止に入ってしまったので、百石が更なる情報を得ようと動く。

 

「具体的・・・・。えっと、国防軍では89式小銃といって1989年に制式化された自動小銃が全隊員にいきわたっています。ボルトアクション式の銃は連射性能が重視されないスナイパーライフルしかありません。現在、89式小銃の後継銃も開発が進められています。また、世界視点でもそれがごく普通です」

「なんとも・・・・」

 

みずづきはさも当たり前のような口調だ。それがまたみずづきと百石たちの認識の相違を際立たせる。川合が言ったように、瑞穂はおろか世界の先進国の技術力を持っても、自動小銃―連射が可能で戦闘能力が桁違い―を製造・開発するには高度な製造技術が必要である。また、それだけ費用もかかるため、実戦配備は開発できたとしてもごく一部の部隊に限られてしまうのだ。それを1989年、今から44年前の時点で何気なく開発・実戦配備し全兵士にいきわたらせるなど、もはや恐怖だ。

 

「それに失礼を承知で言わせて頂きますが、この銃、見覚えがあるなぁと思ったら旧日本軍が今から約90年前のアジア・太平洋戦争中に使用していた99式小銃にそっくりなんですよ」

「っ!?」

 

再び何気ない事実を口にするみずづき。しかし、それを聞いた瞬間、室内の雰囲気が一変する。百石たちが抱いていた漠然とした予想が確信に変わったのだ。

(え・・・・・私、なにかまずいこと言っちゃった!?)

何も知らないみずづきはただただ動揺する。長門はみずづきが動揺していることを分かったうえで、みずづきの発したある単語を復唱する。

 

「太平洋戦争・・・・」

 

その単語に吹雪たちは表情を心なしか暗くするが、長門は違った。どうやら、百石と長門のふざけた仮説が当たったようだ。

 

「君は、“太平洋戦争”を知っているのだね?」

 

笑顔をたたえつつも、嘘は許さないという強い圧力を感じさせる。それだけで、百石たちがこの問いを重視していることが一目瞭然だ。みずづきとしても別に嘘をつく理由はない。

 

「・・・はい、私も日本人ですから。自国が無条件降伏という前代未聞の戦争を知っているのは当然です」

「そうか」

 

その一言には深い響きが伴う。だが、みずづきは疑問に思う。ここは、日本ではない。第二次世界大戦期レベルの科学技術水準であるためこちらの世界でも類似の戦争が起きた可能性は十分に考えられる。しかし、深海棲艦というイレギュラーの存在があるが、それらにしても横須賀鎮守府や市街地を見るに、国家の存亡をかけた熾烈な戦争の面影は全くといっていいほどない。では、なぜ百石たちは知らないはずの()()()()()()()()()のことを知っているのか。それがありありと表情に出ていたため、百石が誤解を招かないように捕捉する。

 

「ああ、ちなみに瑞穂は君の祖国日本のように他国と全面戦争を行ったことはない。またそれはこの世界の全国家に言えることだ。この世界では近代以降国家間や民族間の大規模な戦争は運よく起きていないのだよ。小規模な戦争は多々あったが・・・」

「え・・・・・・」

 

百石の言葉を聞いた瞬間、思考が停止し頭が真っ白になる。それもう驚くほどに。「戦争がない」、この言葉が何度も何度も頭のなかでリフレインする。いつもどこかで戦争をしている世界、何度悲劇を経験しても同じ悲劇を繰り返す世界。そんな世界に生まれたみずづきには、到底信じられなかった。例え小規模な戦争はあって、大規模な戦争がない、など・・・・・・。

(そんなこと、あり得るわけがない・・・・私たちは人間。人間である以上、戦争は・・・・・)

 

 

 

 

 

 

『先日、東シナ海日中中間線付近公海上で発生した中国海軍東海艦隊所属駆逐艦2隻の沈没事件を受け、中国政府外務省は沈没を「日本の潜水艦によるものだ」とし、日本に対し「中国が被った人的・物的損失への賠償と責任者の身柄引き渡し」を要求する緊急声明を発表いたしました。これに対し日本政府は即座に抗議。「事実無根であり、隣国として戦略的互恵関係を有する国として大変遺憾に思う。このような緊張を高める一方的な行為は、両国の国益に深刻な打撃を与える」とコメントいたしました。また、中国軍の活動活発化を受け防衛省自衛隊に対し、万全の体制をとるよう指示した模様です。専門家の間には、中国との武力衝突を懸念する声が一層高まっています。日中の緊張激化は、この瞬間にも深刻さを増しています』

 

『治安出動に関する条文が大きく見直された改正自衛隊法が与党や一部野党の賛成多数により、参議院で可決・成立しました。昨今の社会情勢を受け、法案は異例ともいえる即日公布がなされ、3日後に緊急施行されます。改正自衛隊法施行により、自衛隊の治安出動時における権限や警察官職務執行法に準じていた武器使用基準が大幅に拡大され、諸外国で日常的に行われている市中警備も可能となります。日本全国で無差別テロが頻発する中、テロの抑止・鎮圧することがこれまでより迅速化できるのかが注目されます』

 

 

 

 

「ミサイル発射情報、ミサイル発射情報。当該地域に着弾する可能性があります。屋内に退避しテレビ・ラジオをつけて下さい」

 

 

 

突如として、日常に鳴り響いた本能的恐怖を掻き立てる警報音。わけが分からず逃げ惑う人々。各所で打ち上げられる防空ミサイル、対空砲火。着弾し、廃墟となった街。転がるかつて人間だったもの。その中を息絶えた子供を腕に抱え、さまよう男性。それを現実と受け止められず、テレビの前で呆然とする自身を含めた日本国民。これが現実と、自分たちが無差別に殺される対象であることを理解した時には、すべてが手遅れだった。

 

 

「こちらは、防災・・市役所、です。・・地域複数カ所ににおいて、大規模な、テロ攻撃が、発生いたしました。住民の方々は、自衛隊、警察、消防、市、の指示に従い、落ち着いて、身の安全を、確保して、下さい」

 

もはや突然テロが起きることが、当たり前となった日常。爆弾で、銃弾で、毒ガスで、刃物でただただ日本人と資本主義の支持者というだけで、殺されていった無数の人々。

 

 

みずづきの親友も・・・・・・・。

 

 

何もしていない。ただ生きていただけ。あの戦争を教訓とし、先制攻撃されるリスクまで負って、他国との平和を望んだにも関わらず、その他国による一方的なこの仕打ち。何の罪のない家族を、友人を、知人を無残に惨殺された日本人の恨みと復讐心は、果てしない業火となって日本をのみ込んだ。それは例え深海棲艦が現れなくても、避けられなった運命。

 

 

 

 

 

 

ある政治家の言葉。

 

 

 

「日本は、日本人は変わってしまった。もうあの頃には戻れない。例え、化け物どもを一掃できたとしても・・・・・」

 

 

 

 

(いたっ・・・・)

頭痛によって遠のいていた意識が回復する。思い出したくない数多の記憶を見たため気分は最悪だ。ただ、それはほんの一瞬だったようで、だれもみずづきの異変には気づいていない。それに安堵のため息を吐く。しかし、みずづきも気づかない。己の中にふつふつと湧きあがるドス黒い何かの存在を。いや、気付けなかったと言うべきか。淡々と語る百石の言葉に意識を持っていかれる。

 

「だから、私たちは太平洋戦争なる戦争は知らないし、知る由もないはず、だったんだ・・」

「だった?」

 

思わずみずづきは聞き返す。百石はみずづきの目を、みずづきが自身の所属を語ったときのようにしっかりと見つめる。

 

「だが、君も既に察していると思うが、私たちはそれを知っている。君がさっき言った言葉で私たちと認識の相違がないこともわかった」

 

つまりは、百石たちも架空戦記のような太平洋戦争ではなく、みずづきが知っている忠実の太平洋戦争を知っているということだ。

 

「ここで1つ君にしっかりと認識してもらいたいことがある。中途半端じゃ、無用な混乱を生むだけだ。聞くが、今日は何年何月何日だ?」

 

いきなり、話の流れとは関係なさそうな質問を投げかけられ、百石の真意を疑う。だが、その目は真剣そのものだ。決してはぐらかそうとしたり騙そうしたりしている様子ではない。はやる気持ちを我慢し、自身の認識を答える。

 

「今日は西暦2033年5月27日・・・・だと思います」

 

昨日、つまりみずづきが日向灘沖で沈んだ日が5月26日だった。これは間違いない。ただ、そこからが問題なのだ。一応、目覚めたのが今日の日の出だったので、沈んだ日の翌日と考えているが、意識が完全に飛んでいたためよく分からない。百石はみずづきが自身に向くのを待って、そっと左手で右側の壁にかかっているカレンダーを示す。随分とレトロなデザインのカレンダーだ。白黒で写真もなく日付だけが並んでいる。見やすさでは一番かもしれない。

 

「えっと・・・・。!?!? 2033年5月!?」

「ちなみに今日は27日だ」

「そんな・・・。私の認識と同じ時間軸」

 

みずづきが目にした範囲では日本と、特に技術レベルの差がありすぎてとても2033年だとは思えない。吹雪たちの艤装といい、99式小銃もどきいい、昭和中期そのものだ。

 

「次にこれだ」

 

みずづきの疑問は後回しにし、百石はカレンダーがかかっている反対側の壁を示す。そこには見慣れた東アジアの地図があった。しかし、見慣れている日本の東アジア地図との一致点は地形だけで、書かれている国名に見知っているものは何一つない。華南も台湾も中国も北朝鮮も韓国もロシアも、別の国名が掲げられ国境も異なっている。分かっていたが、こうして見える範囲だけでなく、遠い見えない範囲も自身の知っている存在がいないというとは、精神的にきつい。

 

「・・・こういうことだ。今日は2033年5月27日。君の認識も2033年5月27日。時間軸は同一だが、技術をはじめ様々な点が違う。これらを総合的に判断すると・・・・」

()()()()、ですか・・・・やっぱり」

「そういうことだ。というか、これ以上に納得のいく仮説は立てられないだろう」

 

まさか、本当にSF映画やアニメ主人公の立場になるとは・・・。まさに「現実は小説より奇なり」だ。この言葉をつくった人物は天才ではないか。

 

「だが、そう驚くことでも・・・まぁ心底驚愕したが・・・・天地がひっくりかえるような出来事ではない。前例があるしな」

「ん?」

 

さらりと、とんでもないことを口走る百石。あまりに普通すぎて聞き逃して危うく聞き逃してしまうところだったが、みずづきはなんとか受信に成功した。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 前例が、って・・・私のほかにも日本人が?」

 

百石にとってこの反応は想定内だ。慌てることもなく自然体で話す。小銃のときと立場が逆転していた。

 

「それが、“太平洋戦争”を知っている理由だよ。君は長門や吹雪たちの名前を聞いて、なにか思ったことがあるんじゃないか?」

「た、確かに、アジア・太平洋戦争で活躍した大日本帝国海軍艦艇の名前と同じで、不思議だなと感じていましたが・・・・」

「なら分かるだろ? 同じ艦娘なのだから。彼女たちは大日本帝国海軍の艦娘だよ」

 

ここに“艦娘”の定義が違う両者の誤解が露呈した。

 

「・・・・・・へ? ちょ、ちょっと待って下さい! おかしいじゃないですか? ここ並行世界ですよね? しかも2033年! 90年近く前に壊滅した旧海軍の艦娘がなんでここにいるんですか!? だいたい、特殊護衛艦システムが開発されたのは2028年ですよ!!」

 

みずづきの豹変ぶりに一同は若干身を引いてしまう。疑問のマシンガンを食らい続ける百石は後ろに下がりたいが、あいにく下は絨毯で椅子に座っているため椅子の足がもこもこの摩擦に抗えず、なかなかを後ろに下げられない。

 

「ど、どうした? 急に・・・・・。なにか俺変なこと言ったか? 君、艦娘だろう?」

「そうです」

 

即答。

 

「だったら、君も艦の転生体だろ?」

「は?」

 

これも即答。だが、あいた口がふさがらない。聞いた言葉が信じられず、まばたきを繰り返す。

(なんじゃそりゃ!!)

 

「ん? 艦の転生体、君も人の身になった生まれ変わりだろ?」

 

・・・・・頭が痛くなってきた。鎮守府の最高司令官とされる男がオカルト大好き人間や新興宗教が言いそうな危ないことを平然と口にしている。確かに、日本では神道の八百万信仰に伴い物の擬人化は昔から行われてきたが・・・。

「何をおっしゃってるんですか・・・。そんなわけないでしょう、神様じゃないんだから・・・」

「えっ!? じゃあ君は一体?」

 

今度はみずづきを吹雪たちと同じ転生体と考えていた百石が驚く番だ。みずづきは疲れてきたのか、声量がさきほどをピークに減衰してきた。

 

「人間ですよ、日本人ですよ! さっきから言ってるじゃないですか・・・。ちゃんと私には両親や兄弟がいますし、生まれ育った故郷だってあります」

「え? どういうことだ・・」

 

(それはこっちのセリフ!!!)

いきなり大海原のど真ん中にいて、未知の艦娘と接触して、戦闘して、別世界の横須賀についたら完全武装の兵士に囲まれて、並行世界に来たと分かったら、今度は神様扱い。いくら軍人とはいえ妙な疲労を感じたり、情緒不安定になるのは仕方ないだろう。

 

みずづきが百石の変な誤解をどう解くか思案していると、一連の応酬を見て艦娘としての勘からある結論を下した長門が調停に入る。

 

「提督、彼女の言う通りです。みずづきは人間であり私たちのような“艦”ではありません」

 

大きく目を見開く百石。

 

「私たちは、故郷が日本でも自らを決して“日本人”とは言いません。しかし、彼女は心のそこから自身を日本人と信じています。あの動揺は嘘ではないでしょう。それに、提督や大佐がたにはお分りにならないでしょうが、彼女は私たちと明らかに違います。言葉では何とも形容しがたいのですが・・・・・」

 

(なら、彼女は一体・・・・・)

絶対の信頼を置く長門の言葉に百石は急速に頭を冷やす。彼女は重大な事項について嘘を言わない。勘など不確実性の塊だが、これまで幾度となく彼女たちの勘によって救われてきた身としては、信じないにはいかない。だが、それだとみずづきの存在が説明できない。

 

長門は百石の次にみずづきへ言葉をかける。

 

「そう簡単に信じられないことは重々承知している。艦であった私もこの世界で目覚めたときはだいぶ混乱したものだ。ましてや、人間ならなおさらだろう。だが、提督のおっしゃったことは全て真実だ。私たちは太平洋戦争を戦った大日本帝国海軍の艦艇が人の身となり転生した存在だ」

 

長門のまっすぐした瞳と揺らぎの堂々とした言葉がみずづきの心に突き刺さる。現代の発達した科学技術の中で生きてきた身にとってはにわかに信じられないが、これを嘘と言える人間がどれほどいるだろうか。それほどの圧倒的な力が長門の瞳に言葉に宿っていた。

 

「ということは・・・・」

 

いきあたった目の前の真実に、みずづきの心拍数は急上昇する。声と手足の震えを抑えるだけで精いっぱいだ。

 

「そう、私はかつてビック7の一角に数えられた長門型戦艦一番艦の長門だ」

 

かつてない衝撃が全身を駆け巡る。目の前にいる人物が、あの長門・・。あまりの非現実さに意識が飛びそうになるが、なんとか持ちこたえる。海防軍人をなめてはいけない。と、ここで後ろに控えているそうそうたるメンツの第5遊撃部隊の姿が浮かぶ。長門が長門なら、彼女たちは・・・・。ギギギっいう効果音がぴったりな壊れかけのロボットのように後ろを振り返る。彼女たちが大日本帝国海軍艦艇の転生体ということは、例え直接戦闘を行っていた乗組員ではなくとも日本を守るため、少しでも祖国を豊かにするために戦った大先輩だ。しかも、ほとんどが熾烈な消耗戦の末、大勢の乗組員と共に2度と日本へ帰ることができなかったのだ。明らかに自分と格が違う。

 

「ええっと・・・、吹雪型一番艦の吹雪です」

 

みずづきの狼狽ぶりに同情し、苦笑を浮かべる世界を驚愕させた特型駆逐艦のネームシップの吹雪。

 

「長門の言った通りネー!! 私は金剛型一番艦、英国生まれの金剛デース!! シュパッ」

 

かっこよく榛名と共に練習していたキメポーズを初めて披露する、武勲艦金剛。

 

「・・・・一航戦の加賀です」

 

日本海軍将兵の技術と根性を世界に知らしめ、突如として栄光に幕を閉じた加賀。金剛のキメポーズを無表情で眺めている。何気に怖い。

 

「五航戦、新生一航戦の翔鶴型2番艦瑞鶴よ」

 

何故か新生一航戦をいれる、幸運艦瑞鶴。そのままみずづきを見ていればいいものをわざとらしく加賀へ視線を向ける。またなぜか金剛から瑞鶴へ視線を向けていた加賀。静かなる戦いのゴングが鳴った。

 

「重雷装巡洋艦の北上でーす。改装前は球磨型軽巡洋艦の3番艦でした~」

 

長時間たちっぱにされ、退屈さがにじみ出ている北上。そんな雰囲気を醸し出せば、厄介ごとが増えるのでできれば控えてほしい。

 

「同じく重雷装巡洋艦の大井です!」

 

少しキレ気味の、北上が大好きな大井。その目は「早く帰りたい」という燃え盛る意思が宿っている。その理由は隣でだれている相方であることは火を見るより明らかだ。だから、言わんこっちゃない。

 

ここにきても第5遊撃部隊であることに長門たちは頭を抱えるが、みずづきはそうではない。長門1人だけならなんとか持ったが、5連続コンボは許容範囲外だ。第5遊撃部隊のじゃれ合いは一切目に入らず、あまりの衝撃と非現実さに頭が機能停止し、意識が急速に遠のいていく。

(あっ、やっぱこれ夢かも)

途切れる寸前になっても、現実逃避は健在だった。




やってきました最高司令官との会談。
終始、みずづきは驚きっぱなしでしたね。

小銃のくだりは拙者のにわかぶりが露呈していないか、ひやひやしています。

普段艦これをプレイして「運」の悪さに悶えてるときはなんとも思いませんが、ふと艦これをクソ真面目に考えると・・・・・・いろいろな面で恐ろしいです。

妄想が浮かんで浮かんで仕方ないですが!


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11話 対談と提案

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

想像を絶する現実の怪異ぶりに意識が持っていかれたみずづき。気絶すればもちろんたってはいられない。真後ろへ倒れそうになったところをいつの間にか正気を取り戻し、みずづきの真横に立っていた川合に受け止められ、事なきを得ていた。一同は医務室に連れていくか、軍医を呼ぶかで一時論争となったが、みずづきの意識がすぐに戻ったため、現在百石が先ほどまでいた執務机から見て右側にある応接用ソファーに座っている。

 

「大丈夫か?」

 

尋常じゃない量の汗をかき、緊張している様子は見るからに異様だ。川合が百石に許可をもらい室内にあったハンカチを差し出すものの、みずづきは固辞する。

 

「す、すみません。でも、お気持ちだけで結構です」

 

言葉の端が若干震えている。

 

「本当に大丈夫か? なにもそこまで緊張なくても」

「いや、だって、す、するでしょう・・・・」

 

みずづきは向かいに座っている百石の隣にいる長門や左側のあいたスペースにどこから持ってきたのか分からない椅子に座り、こちらの様子をうかがう吹雪たちを見る。

 

「あの栄えある帝国海軍の艦、ですよ。この方々は日本の英雄にして、私たちのように日本の国防に携わる者にとっては大先輩です。しかも、転生体ってことは付喪神が実体化? ということなのか分かりませんが、もう神様の領域ですし・・・・緊張しないほうがおかしいですよ」

 

百石たちは何の関係もない並行世界から存在であり艦の転生体とは思えないほど人間らしく、また日常的に彼女たちの接しているためなんとも思わないのかもしれない。だが、彼女たちがいた世界の人間であるみずづきにとっては大いに関係がある存在なので、つい意識してしまう。

 

「まぁ、君の気持も分かるがな。私も歴代の瑞穂海軍の軍艦がある日突然、女の子になって現れたら腰を抜かすだろうしな。さすがに失神はしないだろうが・・」

 

百石の言葉に、先ほどの醜態を恥じているみずづきはほほを赤らめる。自身でもまさか失神するとは全く思っていなかったため、余計に恥ずかしい。それを見て百石と川合が笑う。これは完全に狙っていたに違いない。室内の雰囲気は百石のからかいもあって、一番和んでいる。

 

「だが、彼女たちはそんな扱い望まないぞ。神様かもしれないが、俺たちにとっては大切な仲間だ」

「そ、そうなんですか」

 

みずづきは本人たちの意見を求め、一番近くにいた長門に視線を投げる。これまで基本的に仏頂面、もっと柔らかく表現すると普通の表情をしていた長門だったが、初めてみずづきに笑顔を見せる。派手さはなく、大和撫子に相応しいおしとやかさが漂っている。

 

「ああ、そうだ。私たちは自分の存在を特別視し、周りと絶対的な区別をしているわけではない、それを望んだりもしていない。そのような扱いをされても、逆に疎外感が生まれて悲しくなるだけだ。だから、そんなかしこまらず、普通の人間と思って接してくれ」

 

その言葉の包容力は半端でない。一点の曇りもない純粋な言葉だからこそなせる業か、不思議と緊張で出ていた汗が引いていく。

 

「これは私だけでなく、全ての艦娘にいえることだ。そうだろう?」

 

長門はどうような返答か分かったうえで、挑発的な笑みをたたえ吹雪たちを話に巻き込む。

巻き込まれた吹雪たちの返答は長門の確信通り決まっている。

 

「はい! 私たちはこの世界の人たちと一緒に歩いて行く仲間ですから!」

「そうデース!! だいたい気づいたらこの姿だったノデ、正直に言えばカミサマとか言われても実感が湧きまセーン!」

「そうそう。動けば疲れるし、何もしなくてもおなかはすくし、喜怒哀楽もあるし~」

「おっしゃる通りです北上さん!! いっときますけど、北上さんのご厚意に甘えて失礼な態度を取ったら・・・・・・分かっているでしょうね」

 

一見すると場の雰囲気を壊しているように見えるが、これこそ平常運転の大井なので影響はみずづきを除けば皆無だ。何回か同じようなことを言われているのでやや耐性がついてきたが、当然周りと比べまだまだ慣れていない。そして、怖い。

 

「こらこら大井、右も左も分からず心細さを感じている者にいうセリフじゃないだろう?」

「提督のおっしゃるとおりだぞ大井」

「警備隊の俺が口を挟むべきではないのかもしれんが、提督と長門に同意だな」

「大井っち、水月に自己紹介したときも高圧的だったよね。怖いよ」

「うぐっ!!」

 

横須賀鎮守府のトップに位置する3人に加え、唯一絶対の存在である北上からの疑問が大井の心に追い打ちをかける。比喩ではなく、実際にあまりの衝撃で体がふらつく。みずづきは自身もさきほどやらかしたので、倒れるのではないかひやひやするが周りはこれも慣れているようで特段心配するそぶりは見せない。体制を立て直し、その場に力づよく踏みとどまった大井は、涙目で北上にしがみつく。

 

「ごめんなさい北上さん! 北上さんを思う心が大きすぎるとはいえ、少しほんの少しだけ配慮が足りませんでした! これからも北上さんを第一としつつ、残った心の余白を活用していくので・・・・・許してくれますか?」

「いいよ~」

「やったぁぁ!!! さすが北上さん!!」

 

(軽っ!! 早っ!! そして、私蚊帳の外なんですけど!!)

あまりに予想外かつ大井の北上愛が溢れる展開におもわずツッコミを入れていしまう。2人がいる小さな空間には局所的なピンクゾーンが発生中だ。これだけしても濃い反応がないので幻覚かと疑うが、吹雪がほほをかきつつに苦笑しているので現実だ。

 

「はぁ~。いつもどおりだな。ところで瑞鶴、お前はなにさっきからぶつぶつ言っているんだ?」

「ええ!! 声に出て・・・ゴホン! な、何のことですか提督?」

 

もはや自白したようなものなのにしらを切り通そうとする瑞鶴。みずづきをはじめ誰も気づいていなかったが百石の耳をなめてはいけない。

 

「なんか、神様を連呼していたように聞こえたんだが気のせいか?」

「ぎく・・・・」

「ん? 弁解がないということは事実なのだな?」

 

ゆっくりと相手の退路を断っていくように粘着性のある言葉。絶対にばれたくない瑞鶴は百石の追求に焦り、うまい言い訳を必死に考える。

 

「何を黙っているの? さっさと答えたら? 時間がもったいないわ」

 

今、最も声をかけてはいけない人物が登場してしまった。言い訳を考えていた思考は上ってきた血に飲み込まれ、怒りに支配された口は言わなくてもいい真実まで加賀に向かって放たれる。

 

「はい? そんなの答えられるわけないでしょ!! 神様っていわれるの想像してたらなんだかおもしろくなってきて、気付いたら最終的に聞こえていた声が水月から加賀さんになってたなんて!!」

「・・・・・・・・・・」

「は!! ・・・・・・・というのは冗談で」

「いや、ほんとだろ」

「~~~~~~~」

 

川合の的確なツッコミで勝負はついた。顔を真っ赤にした瑞鶴が言葉にならない言葉でなにかを言っているが分からない以上、無視だ。加賀は大きくため息をつくととどめの一言。

 

「たるんでるわね。猛特訓を覚悟なさい」

「・・・・・・・・」

 

今度は顔面蒼白になる瑞鶴。これだけ短時間に顔色を変えられるのは健康な証拠だ。

 

「ふ、ふふ・・」

 

一連のやり取りを見ていたみずづきはついに我慢できなくなり、心の底から出た笑顔を見せる。それに注目する一同。視線を感じ、笑顔のまま首をかしげる。

 

「ん? どうしたんですか?」

「やっと、笑ったデス」

「え?」

「ようやく水月のナチュラルスマイルが見れマシタ! 結構かわいいネ!!」

 

金剛の指摘に赤面しつつも、自身がこの世界にきて純粋な笑みを浮かべたことに気づく。もしかしたら、吹雪たちはそれをずっと気にしていたのかもしれない。なにせ、今日はいろいろありすぎて、笑う余裕はなかった。執務室のソファーに腰かけてようやく少し気が休まる時間が到来したのだ。もし、そうだとしたらみんな優しすぎるだろう。 

 

「俺も金剛と同意見だな」

 

朗らかな笑顔。百石の言葉にはみずづきを赤面させる十分な威力があった。

 

「・・・って、川合大佐」

「なにか?」

「さりげなく、部下を呼び寄せて憲兵隊を出動させようとするな!」

 

警備隊員と鎮守府上層部にしか分からないジェスチャーに従い、動こうとしていた西岡が1人。

 

「いえ、さきほどのご発言は新人憲兵に、軍規と業務を教え込むいい訓練になるかと思いまして」

「勝手に俺を軍規違反者に仕立て上げるな! さきほどの言動に他意はない」

「そうですか~」

 

にやにや顔の川合。確信犯なのは間違いない。かといって、処罰したりしないが。このような緩さも横須賀鎮守府の特徴であり、それを全面的に認める百石に信頼が集まる由縁でもある。

 

「ったく・・・・。だが、これで本題に入れそうだ。みずづきが意識を飛ばして、一時中断していたが」

「う゛・・・・その件は大変お見苦しいところを・・・・」

「いやいや。ちょうど場もほどよく温まったし、結果オーライだ」

 

場の雰囲気は非常に重要である。ガチガチに固まった絶対零度では建設的な議論は不可能であるし、権力を待つ有力者の思いのままに話の方向が誘導される恐れもある。特にこの会談は、今後の瑞穂、いや世界の運命を動かしかねない。そうは見えないかもしれないが百石もかなりの気合を入れて臨んでいる。また、この会談の内容は上に報告しなければならない。仲間たちのおかげで話が脱線しまくっているが・・・。

 

「では、まず確認しておきたい。君は私たちと同じ人間でいいんだな?」

「はい、そうです。・・・艦の転生体でも神様でもありません」

 

みずづきは自分の話している言葉のカオスさについ苦笑してしまう。生きてて「君は人間か?」などという質問をくらう日が来るとは想像すらしたことがない。

 

「分かった。では、何故君は艦娘といわれても特段の反応を示さなかったんだ? それにその艤装は・・・・」

「実は艦娘という言葉は日本でも一般的に使われている言葉なんです。私たちの制式名称は“特殊護衛艦”なのですが、それだと長くて言いづらいし軍人をモノ扱いすることに異論も出て・・・・。そしたら、どこからともなく出てきた“艦娘”という言葉が、現実をしっかり表して、なおかつ言いやすいと評判になって、定着したんです」

「驚いた。同じような存在に同じ言葉。文化の近似性・・・・こりゃ、また騒がしくなるな」

 

研究者の探求精神は凄まじい。今の会話を聞いただけで、論文がいくつも執筆され学界では怒号飛び交う白熱した議論が交わされる。

 

「あと、この艤装は日本の技術の粋を結集して開発された特殊護衛艦システム、別名艦娘システムと呼ばれる個人兵装です」

「待て、個人兵装ということは・・・・」

 

百石の額に汗がじんわりとにじむ。みずづきはその顔で心中を察し苦笑する。なにも彼だけではない。かつて、みずづきも当時の自衛隊に入る前、艦娘の存在を知ったときは我が耳を疑ったものだ。

 

「はい。小銃とは一緒にしてはいけませんが、例えるなら小銃と同じようなものです」

「ハハハハハ・・・」

 

日本との絶対的な差に驚愕を通り越して乾いた笑い声が出てしまう。百石は笑顔だが、他の面々は顔が引きつっている。艦娘たちは特に、だ。誰が信じられるだろうか。オカルトの塊のとさえいわれる艦娘の艤装。それ以上のものを、科学技術によって人間自らが開発し実戦配備しているなどということを。

 

「いや・・まさかここまでとは・・・。そっちの技術革新スピードはこっちとは比較にならないらしい。私たちも艦娘が持つ艤装の優位性と発展可能性に着目して、同じようなものが作れないか挑戦したんだ。瑞穂中の研究者や技術者を結集させ解析を試みたんだが、結果は散々。ほとんど解明すらできなかった。対して、君たちは彼女たちと同等、いやそれ以上のものを自分たちの手で開発している。・・・私たちからすれば笑うしかない」

 

百石は自身が艦娘の司令官であること、そして以前から他の人間と同じく並行世界への好奇心を持っていたことから、「並行世界証言録」や身近にいる艦娘を通じて日本世界の歴史や文化・技術水準をよく把握していた。今でも、初めて日本世界と触れたときの衝撃は忘れられない。横須賀に来る前から、軍内の噂で“艦娘たちの世界は次元が違う”と聞いていたがここまでとは思っていなかった。近代まではそこまで相違はないものの、そこが大きな分岐点だった。それ以降に歩まれた激動の歴史は、瑞穂側と比較にならない。帝国主義、侵略、植民地、世界大戦、大恐慌、冷戦、独立。そして、日進月歩する科学技術。2033年現在の瑞穂世界の技術水準は、地球世界では1940年~1960年代に相当する。同じ年月を歩んでいるのに70~90年の差があるのだ。

 

その世界の、高度な科学技術を備えている存在が今、目の前にいる。その力は吹雪たちの報告で確認済みだ。これをみすみす逃す手はない。攻勢に出ているとはいえ、魅力的な戦力をほったらかしするほど瑞穂に余裕はない。あったら、財政や資源供給が火の車になっていない。

 

百石は心に秘めていたある考えを表に出す。みずづきの人柄はこの会談でよく分かった。多少目が離せない雰囲気が漂うものの、吹雪の言う通り十分信用にたる人物だ。

 

「だが、いやだからこそ、そんな君に一つ頼みたいことがある」

 

もし、これが成就すれば、世界が変わるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「私たちと一緒に戦ってくれないか?」

 

 

 

 

 

外界の様々な音が聞こえるはずなのに、百石の言葉がやけに耳に残る。強い意志がこもった真剣な声。先ほどまで、冗談を言い笑っていた人物とは思えない。

 

「えっ? それはどういう・・・・」

 

いきなりこのような声をかけられれば、動揺するのは当然。発言の意味や背景が分からないみずづきは川合や長門の顔を見るが一様に百石と同じような表情だ。他の面々も百石から聞かされていなかったが、おおむね何かしらの引き留めを図ることを薄々感じていたのだ。

 

「現在、この世界は有史以来最大の危機に直面している。君もついさっき危機の元凶と交戦したはずだ・・・」

 

その言葉で数時間前に行った戦闘の様子を思い出す。ただ、敵の姿は記憶にない。何故なら、こちらの完全な土俵、FCS-3A多機能レーダーとESSM・SSMⅡB block2をフル活用した視認圏外戦闘を行ったため、敵の姿は空母艦載機しか見ていないからだ。しかし、さきほどの戦闘で見なくてもその姿は目に焼き付いている。それは、表情を見るに全員同じだろう。

 

第二次日中戦争、それに続く丙午戦争と第三次世界大戦の遠因になったシーレーン破壊を行い、世界中で地獄の生み出す人類共通の敵。

 

「深海棲艦・・・・・」

「そう、深海棲艦。君はよく知らないだろうが、比較的平穏だった世界を奈落の底へ引きずり込み、人類の殲滅を意図している化け物どもだ」

 

言葉にこもる怒気。百石の瞳には熱い決意と共に暗い後悔の色が浮かんでいる。それだけで、この世界も地球と同じような悲劇に見舞われたことが容易に想像できる。散々、同じような目をする人々を見てきたのだ。みずづきにとっても他人事ではない。ただ、1つ気になる点がある。

(ん? ちょっと待って。()()()()()()()()()()って・・・地球に深海棲艦がいるってことを知らない?)

そうなのだ。百石はみずづきを何も知らないうぶな赤ん坊のように扱ってくるのだ。百石や長門たち艦娘がもし地球に、日本に深海棲艦がいて蹂躙されていることを知っていれば、必然的に対応は変わってくるだろう。特に長門たちはてきめんだ。日本の状況を知ろうと真っ先に詰め寄ってくるに違いない。彼女たちがいる以上、日本世界の情報はかなりわたっているはず。では、何故。

(情報源は艦娘たち。しかも、全員が太平洋戦争で戦っていた艦。戦後まで生き延びて解体されず残った艦がいつの時代までいたのかは知らないけど・・・少なくとも21世紀以降は、いない)

私生活と軍隊生活で得た知識を総動員し、1つの結論を導き出す。

(この世界の人間と艦娘たちは、2()1()()()()()()()()()()())

これは、厄介なことになった。世の中には「知らぬが仏」が言い得て妙な事柄が無限にある。これは、まさしくそれだ。さきほどの戦闘で戦った深海棲艦は少し弱く感じたが、日本世界の個体とほぼ同一だった。戦術行動も違和感がなかったことを考えれば、こちらの深海棲艦がとる戦略行動も大差はないだろう。ということは、この世界の人間でも深海棲艦がいると聞けば日本世界の窮状が理解できてしまう。横須賀や浦賀水道の様子を見るに、日本ほど徹底的な本土爆撃が行われた形跡はなく、戦況もだいぶ瑞穂側に有利なようだ。しかし、かえってそれが知っている者に割り切れない大きな疑問を与えてしまう。

 

何故ここまで違うのか、と。

 

その疑問は深く、そして答えが導きだせないからこそたちが悪い。それに彼女たちに日本の窮状を知らせたくない。繁栄を信じている日本が真逆の姿になっていることを知れば、どのような表情をするのか、想像に難くない。未来の日本人であるみずづきも過去の先人たちにそのようなことを話したくないし、そのような表情にしたくない。

 

だから、厄介なのだ。

 

早くも自身の言動に重い制約がかかってしまった。まだまだ分からないことだらけだが、注意するのに越したことはない。

 

「今から8年前の2025年、世界各地、特に太平洋で民間船舶が突如消息を絶つ謎の海難事故が多発しはじめたんだ。当初は世界中の海で暗躍していた海賊の仕業ではないかとの憶測も出たが、件数といい規模といいとても非合法組織の力では不可能なほどだった。それは収まるどころか日を追うごとに激増。経済活動にまで影響がおよんだため事態を重く見た各国政府は水上警察や軍を出動させ原因の解明に乗り出した。・・・・そして、やつらが現れた」

 

百石はおもむろに立ち上がると、最も近い窓へ足を進め、外を眺める。

 

「やつらとの戦闘は、とても戦闘と呼べるものではなかった。将校から一兵卒まで平和ボケしていたことも大きかったかもしれないが、やつらはとにかく小さい。人間大が基本で艦載機に至っては模型大だ。それでいて人間側の軍艦や戦闘機と同等の火力・装甲だ。的が小さ過ぎてそもそも命中させられない人間側は、的が自分より遥かに大きく撃てばすぐに当てられる敵になすすべなく惨敗。奮戦むなしく各国海軍はわずか1年で、数十年かけて築き上げた戦力を失い壊滅。シーレーンは完全に破壊された」

 

シーレーンの破壊。その言葉にみずづきは息を飲む。それがどうような悲劇を生むのか、身をもって知っている。彼女の変化を見抜いた百石は、心中を察する。

 

「・・そうさ。この瑞穂も君たちの日本と同じく、無資源で技術力と経済力しか取り柄がない国だ。国民の命を支える死活的に重要な生命線が断たれたときの混乱は半端じゃなかった。その後なけなしの水上戦力と、航空・地上戦力によって持ちこたえていた第二列島線も陸軍守備隊の全滅で次々と陥落。それによって、なんとか死守していた西太平洋の制海・制空権も喪失。瑞穂史上初の本土決戦が現実を帯び国内に恐怖が蔓延する中、瑞穂に世界に一筋の光が差し込んだ」

 

百石は視線を窓から外し、こちらに戻ってくる。途中で足を止めると長門の肩を手を乗せ、吹雪たちを見る。事案発生かと思いきや、さすがにそういう空気ではないので川合は微動だにしない。

 

「彼女たちだ。私たちでは手も足も出なかった深海棲艦を彼女たち艦娘は次々と撃退。瑞穂周辺の制海・制空権確保と本土決戦の回避を成し遂げ、国内に漂っていた重い閉塞感を吹き飛ばすことに成功した。そればかりか部分的にだが途絶したシーレーンも回復し、大量の餓死者や凍死者を出す事態だけはなんとか阻止できた」

「本土や大陸への直接攻撃はあったんですか? 例えば空爆とか」

「他国では本土に侵攻され激戦を繰り広げているところもある。瑞穂や東アジアの国々はまだ恵まれたほうさ。だた、瑞穂本土にも空母艦載機による小規模な空爆はあった。幸いにも直後に反攻が開始されたため、被害は軽微で済んだが。向こう側の太平洋戦争時のような大規模空爆は全く行われていないから安心してくれ」

「そうですか」

 

みずづきは胸を撫で下ろし安堵する。だが、同時に深海棲艦の戦略行動に疑問を感じる。日本はマリアナ諸島から発進する爆撃機型深海棲艦によって徹底的な爆撃を受けているのにこちらは空母型艦載機による蚊のような爆撃のみ。

(同じような世界なのに、()()()()()()()()()()()())

素直に喜びたいが複雑だ。日本だけで深海棲艦との戦争による犠牲者は空爆や戦闘による死者以外の餓死者や凍死者、薬品不足・避難先での病死者を含めると約2()3()5()0()()()にも上るのだ。同じように深海棲艦と戦争をしているにも関わらず、()()()()は何だろうか。

 

「しかし、いまだに敵との戦闘は続いている。先日も多温諸島・・・そっちのマリアナ諸島に相当する島々の奪還作戦が行われた。まだ先は長い。だから、少しでも早くかつての平穏を取り戻すために、是非とも一緒に戦ってほしいんだ」

 

百石の熱意と信念はまっすぐな瞳から十分に伝わってくる。だがそれでもみずづきは言いよどむ。

 

「いや、しかし・・」

「君は1人で敵の機動部隊を壊滅させた。そんな神業を成し遂げられるのは、それだけ探そうとこの世界には君しかいない」

「・・・・・・・」

「無論、ただ戦ってくれとは言わない。衣食住は当然用意するし、補給に関しても一筋縄ではいかないだろうが総力をあげて善処する。安全の保障も大前提であるし、私の一存では決められないが相応の報酬も上とかけあおう」

 

思わず飛びつきたくなるような好条件が次から次へと出てくる。みずづきにとってここは全くの別世界。これをければ路頭に迷うか、瑞穂か他国の政府機関に捕らえられ研究対象とされるか、どちらにせよ過酷な運命がまっているのは間違いない。だが、みずづきは日本国海上国防軍の一軍人なのだ。軍隊はボランティアでも正義の味方でもない。みずづきの役目は“日本”を守ること。“日本国民”を守ること。そのために志願し厳しい訓練を受け、日本の技術を結集させ国民の血税によって作られた艤装をまとっているのだ。それにこの艤装は多くの人々を守れると同時に多くの人々を殺すこともできる。そのような力を持つものとして、生半可な行動は控えなければならない。

 

「無理にとは言わない。あくまで最終決定権は君にある。例え“否”の判断を下したとしても衣食住の確保やこの国で生きていくための手配は必ず行う。これもなにかの縁だ、そこは気にしなくていい」

 

みずづきは顔をうつむけたまま無言を貫く。己の信念と格闘しているのは見れば分かる。その様子から百石は、即答は無理と判断する。

 

「まぁ、突然こんなこと言われても即決は無理だろう。だが、あまり時間をかけられなくてな。すまないが明日からの3日間でなんとか考えてくれないか? もちろんその間の衣食住も用意する」

 

影っていた表情が明るくなり、顔をあげる。これは非常にありがたい。

 

 

()()()()()()()()()()?

 

 

 

祖国がない世界で自分の目的を導き出すには十分な時間だ。しかも、衣食住つき。

 

「ありがとうございます。期日までには必ず結論を出しますので、3日間お手数をおかけしますがよろしくお願いします」

 

みずづきは立ち上がると百石に深々と頭を下げる。それに対して百石は謙遜する朗らかな笑みだ。長く紆余曲折もあったが、こうしてみずづきと百石たちの会談は終了した。日はとうに落ち、闇夜の中に人口の明かりと自然の光が交差する。




ここまで来るのに、これだけの文量がかかってしまいました。
本当はもっと簡素にしたいのですが、次から次へと妄想が湧いてきて文字数が一向に減りません。自身の編集能力に疑問符を浮かべる今日この頃です。展開が遅い点に関してはただ拙作を読んで頂いている方々の寛大なお心に一助を願うしかありません。

本話では、今後の物語に大きくかかわる部分がいくつかありました。
深海棲艦の行動は、日本世界と瑞穂世界ではおおまかには同じですが細部ではだいぶ異なっています。ついでにいうとこれまでの話で触れてきましたが、科学技術の水準も違います。
この違い、ひどい方を知っている人間にとってはなんとも言い難いものです。なにせ莫大な数の犠牲者が出ていますから。犠牲者数は、「ちょっと多すぎじゃない?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、一説によると日本のシーレーンが完全に途絶した場合、年間3000万人の餓死者が出るそうです。まあ今から40年近く前の想定らしいので信ぴょう性は分かりませんが。これを見るとなんだが怖くなりますね。ただ、この数字には若干からくりがあります。

そして、百石の提案。
これを受けてのみずづきの迷い。
今後の3日間が、瑞穂世界とそして日本の運命を左右する・・・・

かもしれません。


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12話 艦娘たちの関心

今回は少し短めです。


横須賀鎮守府 1号舎3階 第6宿直室

 

提督室と同じ階にあり、反対側の一番端に位置する第6宿直室。1階や地下にある参謀部では不測の事態に備えたり、夜を徹して行われる議論のために一晩中将兵が詰めている。当直ようなものだが、彼らは昼も普通に働き、こうして夜も資料と睨めっこしたり、上司や部下と重苦しい雰囲気の中で作戦を練ったり修正したりするのだ。さすがに屈強な軍人でもこれはきつい。そんなかれらが休息をとれるようにと設けられた部屋のうちの一つが、ここだ。寮が近くにあればわざわざ作る必要もなかったのだが主要区画の近くには優先的に艦娘の寮が整備されたため、一般将兵用の寮は1号舎の裏手にある小山を越えた向こう側にあり少し遠いのだ。かつて瑞穂の近海で深海棲艦と激しい攻防戦が行われていた頃は、常に大人数が職務についていたため、全部で6つある宿直室はフル稼働していた。しかし、前線が遠ざかると詰める人間が減少し、最近は1階にある宿直室しか使用されていないため、第6宿直室は物置と化していた。

 

今、みずづきは百石・長門の3人でここを訪れていた。理由は簡単。みずづきの滞在場所とするためだ。

 

「うわぁ~、結構広いですね。それにきれい」

 

最近使われていないと聞いていたのでほこりや虫たちを警戒していたが、ピカピカだ。

 

「使わないとは言っても、一応鎮守府の中心である1号舎の中にあるからな。定期的に掃除しているんだ。それにこういうこともあろうかと部下に掃除させてたんだ。あらかじめ命令していてよかったよ」

「そ、そうなんですか・・」

 

先見性の鋭さには感服するしかない。百石は何もわからない状況下でもこうなることを想定し動いていたのだ。

 

「ですが、非番の兵を捕まえていきなり掃除道具を押し付けるのはいかがかと・・」

 

長門は少し胸を張る百石に、威張れたものではないと釘をさす。これはせっかくの休息時間に最高司令官からのありがたい命令をうけ動員された5人の犠牲があったから成せた結果だ。

 

「し、仕方ないじゃないか。誰も引き受けてくれないのだから・・・。自分でやろうにも予定が立て込んでいて、とても無理だったし」

 

最高司令官にはとても似合わないほうきやバケツ・ぞうきんを持ち、ギラギラした目で子羊を探す百石。その姿と放たれる気は、見る者に「関わらない方がいい」という本能的な危機感を与えるには十分すぎた。そのような状態で人が捕まるわけがない。

 

「あの5人には何かお礼をしないとな・・ん?」

 

百石がみずづきの姿を探すと、彼女はガスコンロや流し台など調理が可能なスペースを覗いていた。ここにはほかにトイレも完備され、押し入れもある。食料さえあれば外に出なくても生活できる。

 

「食事は後で長門に持ってこさせる。いろいろあって腹も減ってるだろう?」

「・・・・・はい。丸1日何も口にしていない状態は、さすがにきついです」

 

正確に言えば昨日の昼から、だ。腹の虫も空腹すぎてへたれてしまっているようだ。

 

「丸1日? それじゃ大変だろう・・・・。ここの飯は美味しいから期待してくれ」

 

その言葉につい笑みがこぼれてしまう。日本では深海棲艦侵攻当初よりはだいぶマシになったものの、いまだに食糧事情は悪いままだ。ごはんといってもここ数年、本当にまともなご飯を食べたのは思い出して数えられる程度だ。だが、ここは日本ではない。過剰な期待は駄目だが、どんな料理か想像すると楽しみだ。

 

「本当は食堂に連れて行ってやりたいんだが、すまないな」

「いえいえ。理由は十分に理解してますから」

 

ここを百石がみずづきの滞在場所に選んだのは、ひとえに誰とも接触せずに生活できるからだ。みずづきの登場によって、鎮守府内の将兵、そして艦娘の間に動揺が広がっている。彼女たちのことだ。衝突したりはしないと思うが、前代未聞であるだけに何が起こるかわからない。無用な混乱を避けるため百石はこの事態が沈静化するまで、最低でも艦娘や鎮守府の主要幹部にみずづきのことを説明し終えるまで、ここに彼女を拘束することに決めたのだ。みずづきも横須賀鎮守府に到着したときの警備隊の反応や向けられた視線から自身がどう扱われているのか薄々分かっていたため、反論はなかった。

 

「そう言ってもらえるとありがたい。私たちはこれで失礼するが、その艤装どうするんだ?」

 

みずづきの艤装。上陸してからかなりの時間が経っていたが彼女はいまだに艤装をつけたままだった。和室の上に物々しい艤装をつけた少女が立っている光景はある意味幻想的だ。ただ、これは長時間の着用を前提に設計されているため、そこまで苦痛ではないがこれだけつけていればさすがに疲れる。

 

「あ・・・・、そうですね・・・。う~ん・・・・。私の艤装は1人でも着脱可能なのでここに置かせて頂いてもいいですか?」

「ここにか? うーん・・・君が言うならいいぞ。それにここがある意味一番安全な場所だからな。何かあったら遠慮なく俺か長門に言ってくれ。・・・いくぞ、長門」

「はい。では、後ほど食事を持ってくる。しばらく待っていてくれ」

「はい! お心づかい感謝いたします」

 

2人がいなくなるとさきほどまでが嘘のように静かになる。ここだけではない。昼間、百石の命令によって発令された警戒警報の解除に伴い、鎮守府全体がいつも通りの眠りにつこうとしていた。みずづきは艤装を外し、軽い点検を済ませると畳の上に大の字で寝転がる。本当に久しぶりに訪れた休息の時間だ。

 

 

~~~~~~~

 

 

横須賀鎮守府 食堂

 

「あぁ゛~」

 

夜も深くなり、大半の人間が利用し終えた空間。人影はまばらで、厨房から聞こえてくる後片付けの音が1日の終わりを感じさせる独特の雰囲気を醸し出す。しかし、一角にそれとは隔絶した空気を放つ6人の少女たちがいた。全員が例外なく疲れ切った表情を浮かべ、眠たそうに目をこすっている者もいる。さきほど食べた遅めの夕食が睡魔を活発にさせていた。いつもは何かと騒がしい第5遊撃部隊も今日ほどのイレギュラーに巻き込まれればさすがに疲れる。みずづきと百石の会談が終わり、解放されてからずっとこの調子だ。事情を知らない者にとっては驚きを通り越して、明日は雪が降るのかねと口々に噂したほどだ。

 

そんな第5遊撃部隊がいる、というか彼女たちと調理員しかいない食堂に、食い逃しを恐れ焦りに焦った少女たちが駆け込んでくる。

 

「はぁはぁ・・・・・。よかったわ、まだ空いてる」

 

息切れを起こしながらも安堵した彼女たちは、こんな時間のため席取りを気にせず食事を取りに行こうとするが、赤い弓道着のような服装をした1人がのびている吹雪たちを発見する。

 

「あらっ、加賀さんたちじゃない」

 

通常ならごく狭い周囲にしか聞こえない声量だが、静まり返り邪魔する音が存在しない今では少し離れていた吹雪たちにも十分に聞こえた。

 

「赤城さん」

 

瑞鶴のように突っ伏していないものの、座ったままこっくりさんをしかけていた加賀。一航戦の相棒である赤城を見ると少しだけ生気が戻る。赤城は応えるように手を少しだけ掲げると、同じ第一機動艦隊(一機艦)の仲間である翔鶴、榛名、摩耶、曙、潮の5人と一緒に食事を取りに行く。

 

「となりいいかしら?」

「どうぞどうぞ」

「悪いわね」

 

赤城よりも赤城が持っているお盆に目がいきそうになるのをなんとか抑え、笑顔で隣の椅子を引く吹雪。他の面々も量は様々だが、赤城はとびぬけている。どうやったら、共通のお茶碗にあれだけごはんがのるのか不思議で仕方ない。同じ部隊に赤城と同等か、もしかしたらそれ以上かもしれない艦娘がいるものの、慣れていてもつい目がいってしまうのだ。

 

「ありがとう」

 

吹雪に引いてもらった椅子に腰かける赤城。それに続いて他の5人も席につく。

 

「悪いな、疲れてるところ。って、おーい。いつもと違い過ぎて気味が悪いな・・」

「みなさん大丈夫ですか? 顔色が芳しくないですよ・・・」

「ふんっ。遊撃部隊が聞いてあきれるわ、だらしない。日頃の訓練が足りない証拠よ」

「瑞鶴? ねぇ瑞鶴ってば?」

「お姉さま、大丈夫ですか? なにかありましたらこの榛名になんなりとお申し付け下さい」

 

さすがに自身の姉妹からの言葉を無視するわけにはいかず、突っ伏していた瑞鶴と金剛が顔だけを当人の方向に向ける。それを見た曙はまた辛辣な言葉をかけようとするが、潮が水の入ったコップを無理やり口に近づけ阻止する。曙の応酬が始めるが、瑞鶴たちは気にしない。

 

「翔鶴姉ぇぇ~、今日はさすがに疲れた・・・・」

「榛名、よかったら水の交換をお願いしマース」

 

金剛が掲げたコップは空。そして、目の前にある透明な給水ポットも空だった。

 

「私がとってきますよ」

「いえ、吹雪さんは座っていて下さい」

「でも・・・・」

「吹雪さんもお疲れでしょ? それにお姉さまたってのご要望です。妹である榛名が叶えなければ!」

「じゃあ、お願いします・・・」

 

大切な姉である金剛の望みを叶えられるのがうれしいようで榛名はルンルンオーラを放ちながら水を取りに行く。だが、対照的に金剛は再びぐったりモードだ。

 

「こりゃ、重症だね~。まぁ、仕方ないか。参謀部の連中から聞いたぜ。あの水月って艦娘と初めて接触したのはお前たちらしいじゃんか」

 

摩耶のこの一言で第5遊撃部隊への同情の雰囲気が一変する。ちょうど給水を終え帰ってきた榛名はついさきほどまでと雰囲気が激変していて戸惑ってしまう。だが、翔鶴からの目配せを受け状況を把握する。

 

「ちょっと、摩耶さん。この話は聞かないでおこうとみんなで決めたじゃないの」

 

隣に座っている摩耶を左手の肘でつつき、2人にしか聞こえない声で話す。赤城はまさか摩耶が破るとは思わず、少し怖い顔だ。

 

「みんな聞きたいことは聞きたいんだ。そして隣に吹雪たちがいる。どのみち誰かが聞くだろうさ。曙あたりが悪口交じりに聞いちまう前に、自然体で聞いた方がよっぽどましじゃねぇか?」

 

摩耶は自分なりに考えた末、導き出した最善の方法がこれだったのだ。摩耶の言っていることは間違っていないうえ、自身も少なからずその可能性について考えていたのだ。そのため不承不承ながらも、赤城はこれ以上の追求をやめる。どのみち、あがいても後の祭りなのだ。それを聞いた第5遊撃部隊は全員お互いの顔を見合っている。どうしたらよいか分からない様子だ。

 

「回りくどく言ってもしゃねぁから、単刀直入に聞くがどんな感じの子だったんだ?」

「ど、どうといわれても・・・」

 

摩耶のあえて空気を無視した発言に吹雪は戸惑う。だが、この吹雪の一言でこの事象が他者の介入を許さない性質であることを一機艦全員が認識する。吹雪の性格はみな知っての通りだ。優しく仲間想いで、いつも明るく、嘘や他人の悪口は決して言わない。普通の質問ならば、考え込むことはあっても今のように困ったような笑みを浮かべながら、はぐらかくことなど、ない。こういう時はよほどの理由がある。

 

「私たち部外者は首を突っ込むな、と? 端的に言えばそういうことでしょ」

「別にそういうことじゃ・・・」

「はっきり言いなさいよ! 提督に口止めされてるんでしょ?」

「それは・・」

「何? 口止めされてるかどうかも言えないってわけ!」

「曙ちゃん!!」

 

潮の声で曙の追求が収まり、場が静寂に包まれる。曙はなにも怒っているわけではない。軍隊に属している以上、上からの命令は例え艦娘であっても絶対だ。それを踏まえた吹雪の行動にどこも落ち度はない。ただ、悔しいのだ。仲間なのに、本当のことを聞くことができない現実に。また、今回起きた事象の特異性がその想いをさらに強くしていた。それは多かれ少なかれ、一機艦全員が抱いている思いだ。

 

「・・・・すみません。曙ちゃんの言う通りです。この件について私たちには緘口令が敷かれています。例え曙ちゃんでも一機艦のみなさんでもお話しできることはありません」

 

吹雪はうつむきながら、申し訳なさそうに言う。吹雪にとってこれはつらい行為に違いない。仲間との絶対的な壁を作ることになるのだから。しかし、吹雪自身もみずづきの問題がどれほど重要なのか分かっているため、これはこれとして割り切っているのだ。

 

「翔鶴姉もみんなもごめんね。今回ばかりは勘弁して」

「乙女の秘密に手出しはノーーーー、ネ~!! ニヒィィ」

「ま、そういうこと~。そんな怖い顔してたら、せっかくのご飯がまずくなっちゃうよ」

「こんな空気は疲れ果てている北上さんの体に毒です! 控えて下さい!!」

「私も心苦しいけど、文句があるなら提督にいってちょうだい。それにそれを受けたのはわたしたち全員。いくら旗艦だからとはいえ吹雪にあたるのは筋違いじゃない?」

 

すっかり表情が沈んでしまった吹雪の肩を持とうと第5遊撃部隊の面々がそれぞれの言葉で援護する。吹雪の罪悪感を軽くするには十分すぎる。沈んでいた吹雪も徐々に明るさを取り戻していく。

 

「別に、わ、わたしはそういうつもりでいったんじゃ・・・」

「大丈夫ですよ曙。みんなあなたの気持ちは分かっていますから」

 

はたから見れば曙が完全に悪役だが榛名の言う通りみんな曙の気持ちは理解しているため、謝罪を求めることも追求することもしない。曙は顔を赤く染め、目の前の食事に意識を集中する。ただ、何気に加賀の言葉には寒気を感じた。

 

「ただ、一つだけみなさんに伝えられることはあります」

 

その言葉に全員の視線が集中する。加賀などからは問い詰めるような気配が発せられる。

 

「ああ、緘口令とは関係ない私自身の感想なので、そこは安心して下さい」

 

安堵する第5遊撃部隊のメンバー。部隊の旗艦として背中を預ける仲間として吹雪を絶対的に信頼しているが、つい反射神経的に思ってしまったのだ。

 

「提督はこのことを長期間放置されるおつもりは持っておられません。近日中に何かしらの動きがあると思います」

 

言えるのはここまでだ、といわんばかりに吹雪は榛名が持ってきた給水ポットから自身のコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。それを見た赤城も手を叩き、事態の収拾に乗り出す。

 

「さぁ、冷めないうちに早く食べましょ、ね?」

「赤城さんの言う通りです。さ、摩耶さんも」

「ああ、そうだな」

 

赤城と翔鶴の空母コンビに促され、摩耶たちは食事を再開する。大井が毒と言い放った雰囲気は四散しつつある。彼女たちに普段の様子が戻ってきた。

(まぁ、吹雪から重要な情報を聞けたし危険を冒して切り出した甲斐はあったな。これでみんなぐっすりと眠れるだろう・・・。にしても、赤城のお叱りが怖いなぁ・・・)

摩耶はバクバクという効果音がぴったりの豪快な食べっぷりを披露する赤城の横顔を伺う。赤城の罰に恐怖を抱いているからだろうか。いつも見る顔なのに心なしか表情が乏しいように見える。閉店間際の食堂。そこへ新たな人物が近づきつつあった。

 




赤城、翔鶴、榛名、摩耶、潮、曙の6名が初登場しました。この組み合わせは他の二次創作でも見たことがないので、どのような会話をするのか作者でも未知数です(汗)。だからこそ妄想のしがいがあるとも言えますが。

一般世間では赤城のキャラを巡って論争が起きているとか起きてないとか言われてるみたいですが、本作ではアニメほどではないにしろ、大食い、という設定を取りたいと思います。

理由はいわずもがな。

そっちの方が可愛いからです!!(あくまで作者個人の主観の話ですよ、主観の話・・・)

ただ、みなさんご存じの通り決めるときは決めてくれます。作者も何度お世話になったことか。資源は・・・・・・・・・・・・。


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13話 前兆

本作の調整平均の色が変わってました!!
投票していただいた方々、お気に入り登録をして下さった方々を含め
本作を読んで下さっている方々には、感謝の言葉しかありません。

ありがとうございます。

調整平均はシステム上、色が変わることもあるようなので、これからも精進してまいります。


横須賀鎮守府 1号舎 第6宿直室

 

久しぶりに畳の質感を味わいながら、いまだ大の字になって伸びているみずづき。睡魔にいざなわれ、必死に格闘しているとドアのノックが聞こえてくる。

 

「みずづき? 長門だ。夕食を持ってきた。入るぞ」

「はっ!? あ。はーい、どうぞ~」

 

ついに来た。その言葉に睡魔は一瞬で退散し、けだるかった体は一気に軽くなる。頭の中には「ご飯♪」の文字が踊るに踊る。勢いよく起き上がると玄関と一体化している調理スペースへ向かう。ほのかに香る、忘れかけていた食欲をそそる香り。だが、それに心を奪われながら、人の気配が多いことに気が付く。恐る恐る和室と調理スペースを隔てている障子から覗くと、長門と共に初見の少女たちがいた。雰囲気からして彼女たちも艦娘だろう。艦娘でなければ、それはそれで驚くが。腰まである髪の毛を大きな花の髪飾りでサイドテールにし、急須や茶葉などのお茶セットを持ってみずづきを食い入るように見つめる中学生ぐらいの女の子。その隣には香りの発生源をお盆に乗せて持つ、金剛とよく似た服装をした少女が立っている。彼女も横の女の子ほど堂々ではないが、それでもみずづきが気になるらしく控えめに様子をうかがっている。みずづきは視線で長門に、「これって、大丈夫なんですか?」と問う。当然、長門にも緘口令が敷かれているのだ。それを目の前で聞いていた身としては、命令違反の可能性、そしてそれによる罰の危険性を考えざるをいない。だが、そんなみずづきとは対照的に長門は涼しい顔だ。危機感など微塵もない。

 

「心配はいらない。ごく少人数なら私の独断で面会は許される。提督から承認済みだ」

 

涼し気を通り越して微妙にドヤ顔となる長門。緘口令を敷いているにも関わらず、面会を許すなど矛盾しているように見えるがこれには大きな理由がある。みずづきの出現という前代未聞の事象によって、横須賀鎮守府内では動揺が広がり、それは時間を追うごとに膨らんでいる。一般将兵なら百石の一喝でなんとかなるが、特に色濃く動揺や不安が広がっている艦娘たちは別だ。日本から来た者として、みずづきの救難要請文を知ればいろいろな詮索をしてしまうのは至極当然の話だ。もし、みずづきが大日本帝国海軍と名乗っていればここまで増幅することはなかっただろうが、彼女たちにとって初耳の「日本国海上国防軍」などと名乗ってしまったから、様々な憶測が流れていた。人間が未知のものに恐怖を覚えるように、彼女たちも未知のものには恐怖を抱く。ましてや彼女たちはそれぞれにトラウマを抱えている。未知なるものへの恐怖がトラウマの発現を誘発する可能性すら出てきたのだ。「一緒に戦ってくれ」と言っておきながら、この状況ではみずづきの受け入れは非常に困難だ。百石もこれほどの事態になるとはさすがに予想外で、会談終了時にその場にいた長門や吹雪たちに緘口令を敷いたが、方針を転換。ガス抜きを目的とした少人数との接触を許可したのだ。それを受けて長門は人選を考えつつ、食堂へみずづきの夕食を行ったところ、ちょうど頭に浮かんでいた艦娘がいたのだ。

 

「(それならそうとあらかじめ言ってほしかった・・・)ま、まずは自己紹介から、ですよね。はじめまして。いろいろとお騒がせしているみずづきです」

 

長門以外の3人は固まっていたが、いち早くみずづきが立ち直り自分の扱いが分かっているので苦笑しつつ頭をぺこりと下げる。それに2人は目を見開くが礼儀には礼儀を持って返す。

 

「はじめまして水月さん。私は金剛型戦艦3番艦の榛名です。お姉さまがお世話になりました」

 

お盆を持った少女が、可憐でおしとやかな自己紹介を行う。

 

「お姉さま? あ、あ~、金剛さんですか・・。どおりで同じ風貌されてるわけですね」

「はい! なんたって、金剛お姉さまの妹ですから」

 

微妙にずれていたがみずづきの印象は間違っていなかったようだ。ここでみずづきはなんとなくではあるが姉妹艦の位置づけを理解する。容姿は異なっても服装や雰囲気は共通らしい。となると、あからさまに警戒している隣の女の子は誰だろうか。セーラー服から見て吹雪にどことなく似ているが、妹には見えない。

 

「・・どうも。特型駆逐艦綾波型8番艦の曙よ」

 

みずづきの視線を感じ取ってか顔を明後日の方向に向けながらいう曙。榛名とは対照的だ。なぜ、この2人だったのか。それは艦娘への影響力を考えての結果だった。榛名は金剛・長門共に横須賀鎮守府に在籍する数少ない戦艦の1人だ。金剛と長門はみずづきのことをばっちり知っている。これで榛名もほんの少しこちら側へ引き込めば戦艦勢は事態を沈静化させる側へ回る。空母勢も在籍艦4人のうち、加賀と瑞鶴がこちら側。あとの2人も事態を悪化させるようなことはしない。問題は駆逐艦だった。一番在籍艦数が多いにも関わらず、事情を知っているのは吹雪のみ。ここで曙の出番だ。彼女は口が悪いことで有名だが、決して何の根拠もないデマカセを言っているわけではない。彼女なりの確信に基づいていることは艦娘どころか一般将兵も知っている。だから、彼女の悪態は完全に無視されず心に残る。その彼女が不安に基づいたみずづきに対する憶測を語らなくなれば、みずづきは不安を惹起するような存在ではない、ということを自然に広めることが出来るのだ。それに彼女はこう見えて、駆逐艦を中心にほとんどの艦娘と仲がいい。あくまで客観的な視点で見れば、だが。

 

「私1人ではどうも無理でな。彼女たちに助けを求めたわけだ。曙の持っているものがお茶道具一式だ。流し台の上にやかんがあるから、それを使って湯を沸かしてくれ」

 

みずづきは曙から道具を受け取るが、顔をそむけたままだ。

(あはは・・・まぁ、いきなりわけわかんないやつが来たら、そうだよね・・・)

理由は分かるのだが少し悲しい。道具を調理スペースの中央にあるテーブルに置くと、長門に言われたやかんを確認する。

 

「ここですか?」

「そこにあるはずだが・・」

「ああ! ありましたっ」

 

みずづきが近寄ってきたときはできなかったが、その様子を曙は見る。やかんの存在に笑顔を浮かべ、日本人では当たり前の黒髪をたなびかせる少女。どこからどう見ても普通だ。自分たちと何も変わらない。

 

「それで、分かっているとは思うが榛名の持っているお盆がお待ちかねの夕飯だ」

 

その言葉に見ている者がつい笑ってしまうほど、みずづきが笑顔になる。正直空腹で倒れそうなのだ。

 

「はいどうぞ。出来立てですからやけどに気を付けてくださいね」

「もちろんです!!」

 

みずづきの目は輝いている。それをみた3人は今のみずづきととある赤い艦娘を重ね合わせる。あの艦娘いつもそんな空腹に襲われているのだろうか。毎日3食+間食を食べているというのに・・・。3人がそんなことを思っているとは露知らず、みずづきはテーブルにお盆を置くと中央で絶大な存在感を放っている器の蓋を取る。そこには生戦勃発以降、匂いをかぐこともなく、今や一部の超上流階級にしか口に入れられないかつての庶民食があった。

 

「か、かつ丼じゃないですか~」

 

感動のあまり、ついうなるような声になってしまう。しかし、仕方ない。もしかしたらもう一生食べられないかもしれないと思っていたものが今、目の前にあるのだがら。だが、未来の発展した日本から来たと思っている長門、かつ丼など戦時中はともかくこの世界ではそれほど珍しくないと認識している榛名と曙はみずづきの姿に違和感を抱く。去来する過去の記憶。みずづきと同じような感動を抱く人々を3人は嫌ほど知っている。だから、すぐさま気のせいだと否定する。否定しても心の中には何とも言えないモヤモヤが残る。

 

「・・喜んでもらえて何よりだ。では、私たちはこれにて失礼する。体にさわらないようしっかり休んでくれ」

「お気遣いありがとうございます!」

 

長門は優しい笑みを浮かべながら、真っ先に宿直室の玄関から廊下へ足を進める。

 

「長居してすみません。よい夢を」

「ふんっ!!」

 

続いて榛名と曙が退室する。曙はやはり曙だ。みずづきはそれを見送ると、ドアが閉まらないうちにかつ丼へ目をやる。3人がいて我慢していた感動の涙が一筋流れ落ちる。それは室内の光を反射させ、きらきらと宝石のように輝きながらかつ丼へ落下する。

 

 

 

なんとなく気になって振り返った榛名と曙は、閉まりかけたドアの隙間からそれをしっかりと捉えていた。

 

 

 

 

 

「ふぅ~、美味しかったぁ~」

 

久しぶりに食べ物が入ったおなかを叩きながら、みずづきは押し入れから引っ張り出してきた布団の上に寝っ転がっていた。かつ丼のほかにみそ汁や漬物もついていたから、大満足だ。漬物はまだ食べていた方だが、みそ汁も本当に久しぶりだった。みそやしょうゆなど日本人の食卓に欠かせない調味料の原料である大豆は国内ではほとんど生産されておらず、大半を輸入に頼っていた。深海棲艦がおらず海を自由に航行できた頃は安い大豆を手に入れることが出来て恩の字だったが、シーレーン断絶後はそのツケが来た。大豆は国産の少量しか収穫されず、結果庶民に配給される品目から大豆が関わるものはすべて消えた。軍内では見ないこともなかったがそれでも年に1度出ればいい方だった。

 

「みんなにも食べさせてあげたかったな~」

 

日本の食事は決して満足のいくものではなかったがいやな思い出はない。第53防衛隊の面々との様々な会話を交わしながらの食事は楽しかった。かつ丼とみそ汁を出せばさぞかし喜んだだろう。

 

「ふっ」

 

実現不可能なことを思い浮かべている自分に嘲笑する。第53防衛隊はもう・・・。

そんな思考を脱ぎ払うかのようにみずづきは月光が差し込む窓の方へ体を向ける。窓からは日本となんら変わらない、丸く黄金色に輝く月が夜空に浮かび闇夜を照らしていた。

 

「月、か・・・・。きれい・・・・どこの世界でもかわらないんだね」

 

みずづきは月の美しさに包まれながら、深い眠りへと落ちていった。

 

 

~~~~~~~

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

静まり返り人気がほとんどなくなった1号舎。1階と地下にある参謀部各課室と3階の提督室を除き、そのほかは闇が支配する空間と化している。鎮守府全体も既に消灯時間を過ぎているため多くの区画が人間と同様に眠りについている。しかし、もうまもなく日付が変わる時刻にも関わらず、ここでは2人の男たちが今日起きた出来事について疲れを垣間見せながらも話し合っていた。

 

「なるほどな。状況は分かった。しっかし、またぶっ飛んだ子が来たもんだ」

「心底同意します」

 

百石は執務机に座りながら、昼間にみずづきたちと座っていたソファーに腰かけている男性の言葉にうなずく。

 

「まさか、俺が造船部へ顔を出してる間にそんなことがあったとは」

 

ケラケラと笑いながら、百石と同年代の男性は天井を仰ぎ見る。

 

「笑いごとではないですよ先輩。事実、彼女に関連する報告やら書類やらを処理してたらこんな時間ですし」

 

百石の壮大なため息を聞いた先輩、横須賀鎮守府副司令官の筆端佑助(ふではし ゆうすけ)は再び深夜にしては豪快な笑い声をあげる。彼の役割は戦略的に重要な艦娘の指揮・管理に忙殺される最高司令官に代わり、在籍する通常部隊の指揮・監督を行うことだ、そのため通常部隊の実質的なトップは最高司令官ではなく、副司令官となっている。

 

筆端としても百石の気苦労は十分に理解している。自分もそれを負う立場だ。だが、ここで同情すればそれこそ白けた空気になってしまう。ここは笑い飛ばした方が緩い空気を維持できる。

 

「最高司令官様にしちゃ、らしくないじゃないか」

「先輩も東京、関東や中部・近畿の各部隊、警察・海保・漁協・民間運輸会社などからの問い合わせに対応してみて下さいよ。報告書も作成しないといけません。それに艦娘たちの反応も気がかりですし」

 

なんとか1日が終わったが、明日も続く激務を思うとうんざりだ。予想はしていだが、実際に体験するのとは別物だ。

 

「それは願い下げだな」

 

筆端は無表情で書類を書いたり、愛想笑いを張り付けた声で対応する百石の姿を想像し即拒否する。

 

「はぁ~。それで造船部の方はどうだったんですか」

 

筆端が代行しているとはいえ、横須賀鎮守府の最高司令官は百石だ。通常戦力の状況を把握しなければならないとは当然である。また艦娘主体の作戦を成功させるためには通常戦力も重要なのだ。

 

「現在の状況じゃ厳しいな。損傷をなおすのが手一杯で、大規模な改装は無理そうだ。上には資材の増強を申請してるんだろ?」

「はい。しかし、全国的に軍民問わず資材不足が深刻化しています。栄中やルーシからの輸入拡大で対応するようですが、時間がかかります。国内に残っている資材を回してもらおうにも、緊急性がないとして判子を押してもらえないんですよ」

 

2人は同時にため息を吐く。横須賀鎮守府在籍の部隊には複数の損傷艦がおり、制海権の維持・次回作戦準備のため、早急な修理を鎮守府上層部は目指していた。これは横須賀のみならず東京の意向でもあり、修理の次は老朽化した艦の近代化改修も模索されていた。だが、多温諸島奪還作戦後の供給バランス崩壊を機に東京はなんの躊躇もなく手のひらを返した。おかげで修理・改修後の訓練計画やら民間企業との取引交渉やらはすべてご破算だ。それだけならまだいいが、本来ならあってはならない軍部隊への資材供給の混乱までもが発生していた。これでは戦闘で新たに損傷し、速やかな修理を行わなければならない状況でも下手をすれば修理できない。作戦発動前に、偉そうに胸を堂々と張って自分たちの計画を自慢げに話していた頭でっかちの官僚どもを思い浮かべる。一発ぶっ飛ばして、いい加減平和ボケから目を覚まさせてやりたいと思っているのは彼らだけではないだろう。

 

「だが、こちらの心配をしている場合ではないだろ? 東京に話がいってるならあいつの耳にも入ってるはずだ」

「や、やめて下さいよ。噂をすれば・・・・・・・・・・って言いますし」

 

 

 

 

ジリリリリリリリィリリリリリリリリリィリリリリリリィ!!!!!!

 

 

 

 

まるで狙ったかのように執務机の黒電話が深夜の空気も読まず、盛大に呼び鈴を鳴らす。百石は頭を抱え、「言わんこっちゃない」と恨めしそうな視線を筆端に向ける。筆端もまさか本当に鳴るとは思わず、すまなさそうに顔の前で手を合わせる。時刻は少し前に日付が変わったところ。こんな時間に緊急の用もなく電話をかけてくる人間は2人が知る限り1人しかいない。百石は相手にも分かるほどの気だるさで受話器をあげる

 

「はい、も」

「一体どれだけこの私を待たせるつもりだぁ!!! それでも栄えある瑞穂軍人か、貴様ぁ!!!」

 

もしもしも言わず、電話に出るなりいきなりの罵声。大声すぎてまともに聞くと鼓膜が破れそうなので、一時的に受話器から耳を離す。人間の耳だけでなく電話にも悪いのでいい加減やめてほしいものだ。

 

「申し訳ありません。席をはずしておりまして」

 

悪びれもなく自然に嘘をつく。そこに「こんな時間にかけてくんじゃねぇ」と皮肉を込めるが、自身にとって都合のいいことしか聞こえない耳には全く通じない。

 

「真夜中だからか? ふんっ! 馬鹿らしい。まだ学生気分が抜けていないようならとっとと席を退いたらどうだ? だいだい、貴様は中佐だろ。中佐ごときがこの私にいい訳など不敬とは思わんのか?」

「今は、提督です。昔の話をいちいち引っ張り出さないでいただけますか?」

「私の問いに答えろぉぉぉ!! 全くなっていない。何の権威もない即席の階級を振り回すなど、まさしくガキではないか」

 

百石はあまりのストレスに頭をかきむしる。頭皮に悪いのは知っているが、1日の終わりにこの声を聞かなければならない理不尽さへの怒りは限界だ。

 

「それで、今日は一体どうようなご用件でしょうか?」

 

このままだと永遠に自身への悪口を聞かされ話が一向に進まないことを知っているため、1秒でも電話を早く切るべく百石から切り出す。だが、だいだい察しはついている。

 

「ふんっ!! 図星のようだな。なんでお前なんかが・・・まぁ、いい。さっさと水月とかいう艦娘をよこせ」

「は?」

 

みずづきについての部分は予想通りだが、あまりの突飛な言葉に我が耳を疑う。普通なら「は?」などといえば不敬だの無礼だのとわめき散らし罵声のオンパレードになる。だが、百石の反応が気に入ったらしく、上機嫌で勝ち誇ったような口調へ変化する。

 

「何度も言わせるな。水月とやらよこせと言ってるんだ」

「おっしゃってる意味がよく分かりませんが・・・・・」

「貴様はそんなことも分からんのか? 報告によれば水月はこれまでの人モドキとは違うそうじゃないか。貴重品を貴様のところにおいておくのはもったない。兵器は適切な指揮官の下で最大の力を発揮するのだ」

 

(こいつ・・・・・・・・)

艦娘をもの扱いする下品な言葉に激しい嫌悪感を抱く。相手は艦娘が瑞穂の安全を確保している事実から目を背け、完全なものと見做しているのだ。

 

「分かったか? ならさっさとわ・・・・」

「お断りいたします」

 

なんの躊躇もなく相手の言葉を一刀両断する。検討する価値もない。

 

「・・・・き、貴様ぁぁ!!!!!」

 

あまりの即答に一瞬沈黙が訪れる。しかし、相手の脳みそが事実を認識するとあまりにも小さい堪忍袋の緒が切れたようだ。だが、百石は予想通りなので全く動じない。逆にここでおとなしく引き下がった方が動揺をもたらすだろう。

 

「保護した艦娘に対する管轄権など一切の権限は、実際に保護した鎮守府に委ねられています。そして、今回の件においてその権限を有するのは横須賀鎮守府の最高司令官である私です」

「鎮守府の司令官ごときがでかい口を叩くなぁ!!! お前の首などいつでも飛ばせる大本営の意向に逆らう気か!?」

 

確かにこれが大本営の意向ならば、百石ではどうしようもない。いくら鎮守府最高司令官が強大な権限を持っているといっても、軍令部・大本営・国防省の指揮・監督下にある。いうことを聞かなければ、でっち上げの罪を擦り付けて刑務所送りにすることも可能だ。また、そのような非合法的手段を使わずとも、上層部が人事権を握っている以上、いつでも首を飛ばすことができる。

 

「勘違いしておられませんか? 仰っているのは()()()のご意向であって、()()()の意向ではない。従わせたければ、正式な命令書で大本営長官と軍令部総長の判子をもらってきて下さい」

「チッ」

「これは明らかな軍規違反です。大本営統合参謀会議委員ともあろうお方がこのような有様では、部下に示しがつきません」

「言わせておけば・・・・・・。上官に対する数々の暴言。憲兵隊に通報すれば豚箱確定だな。ふふふっ。だが、安心しろ、私は慈悲深い。豚箱の前にたっぷり後悔させてやる。覚えておけよ」

 

自分が不利になったと悟った瞬間、それを感じさせないように虚勢を張り、一方的に相手は電話を切る。いつもながら無様な引き方だ。プープーと電子音が鳴る受話器を置き、椅子の背もたれに深々と体を預ける。ほんの数分間のにも関わらず疲労感が尋常ではない。

 

「ほんっと、あのおっさんは変わらないな」

 

一連の会話を聞いていた筆端は百石に同情の視線を送る。彼もあいつと何度も交戦したことがあるため、戦闘中のイライラと完勝後の疲労感は体験済みなのだ。

 

「全くです。第1報を聞いただけでこれですから、さきほどの話を報告したらどうなることやら」

 

また、厄介ごとが増えてしまった。2人の肩が重くなる。

 

「だが、このままあいつがおとなしく東京にとどまっていると思うか?」

 

最後の恨めしそうな声。それが筆端の耳には強く残っていた。あいつは百石や筆端が軍の入隊したときから権力を盾にやりたい放題暴走する危険人物として有名だったのだ。今でもその悪名は健在で今後何かしらの行動に出てくることは容易に想像できる。

 

「確実になんらかの行動は起こすでしょうね。しかし、今すぐということはないと思います。この件は既に全ての方面に伝わっています。国防省や総理官邸の目が光る中、やつといえども傍若無人な振る舞いは取れませんよ」

「・・・それもそうだな」

 

百石と筆端は胸の内に芽生えた一抹の不安を摘む。しかし、彼らは重要なことを忘れていた。みずづきは今までの艦娘とは一線を画す存在。それを目の当たりにしたやつが今までの常識通りに動くわけがなかったのだ。




いつもの投稿ペースとの違い、そして冒頭のセリフ・・・・。
決してフラグではありませんよ!

ただ、これから一週間ほどパソコンやスマホを満足に触れなくなり、投稿が出来ないため、来週投稿する予定だったものを本日投下しました。2日連続は一か月ぶりですね。

さて、やってきました13話です。
百石がふらふらしているように見受けられるかもしれませんが、今回長門に少数の面会を許可したのも、彼女や彼女が選んだ艦娘を信頼しているからです。

そして、後半には新たな人物が出てきました。しかも、かなりヤバそう・・・。こんなのが近くにいたらストレスで倒れそうです。彼は一体今後、どう動くのか?

お待たせいたしますが、少々お待ちいただけたら幸いです。


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14話 二日目

どうも、お久しぶりです!



横須賀鎮守府 1号舎 第6宿直室

 

世界を覆い尽くしていた闇は、この星の自転運動によってゆっくりと終わりを告げ、再び数え切れないほど繰り返されてきた新たなる1日が始まる。夜空に浮かんでいた星たちと月は太陽に負け見えなくなるが消えたわけではない。今この時も空に存在している。窓から差し込む憂いのない朝日に照らされる少女。その神々しさをもろともせずぐっすりと眠るみずづきの耳に日防軍と全く同じ起床ラッパが、気持ちよさげな彼女の表情に躊躇することなく全力攻撃を開始する。軍人になってから嫌というほど聞いてきたメロディーに、本能が「寝たい」という欲を押しのけ無理やり脳と体を覚醒させる。

 

「っ!?!?!? やばい朝!! 早く支度しないと・・・・・・・・って」

 

飛び起き布団を畳もうとして、みずづきは昨日の出来事を思い出す。ここは須崎基地でもましてや日本でもない。

 

「・・・・・・そっか、そうだった。・・・・・・道理で誰もいないわけね」

 

目の前にあるのは自身の布団と畳だけだ。壁にかけてある時計に目をやる。時刻は午前6時をほんの少し過ぎたところ。本来なら特別な任務がない限り身支度を整え、布団の中でモジモジしている仲間を叩き起こさなければならいない。寝坊は厳禁だ。しかし、今日はその必要がない。いつもは嫌だったのにも関わらず、いざやらなくてもよいようになるとなんだか寂しい。昨日、百石や長門から特になにも言われていないので二度寝は可能だが、慣れというものは怖く、目がばっちり冴えてしまっている。どうしようか迷った挙句、長門が朝食を持ってくるまで窓から景色を眺めつつ、みずづきは物思いにふけていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

食堂

 

 

陽の光と白熱灯の明かりによって光度が増し、朝らしい眩しさに包まれた室内は今日1日の活力を得ようとする人々でごったがえしていた。交わされるあいさつや雑談、食器類の軽い音や椅子を引く音、ラジオから聞こえる音声。様々な音の交差は、人の営みと相まって見る者に活気を感じさせる。

吹雪たち第5遊撃部隊も、昨日の一件もあって気が進まなかったものの、日常を演出するためここで朝食を取っていた。いつもなら気兼ねなく談笑しつつ、朝食を堪能することが可能なのだが、今日はそうもいかない。食堂に入った瞬間から今に至るまで数多くの視線が吹雪たちに向けられている。それは一般将兵に限ったことではない。普通にあいさつを交わした他の部隊に所属する艦娘たちも凝視ではないが、チラチラと遠慮がちな視線を向けてくる。

 

「・・・・・・・・・・」

 

分かっていたことだが、いざそれが現実になるとたまらない。居心地の悪さが尋常ではないのだ。視線が気になり大事な朝食を堪能できない加賀や瑞鶴、大井は平静を装っているものの、明らかに怒りを抑えている。周囲からは分からないだろうが、加賀や瑞鶴の真向かいに座っている吹雪には刺さるような緊張感がひしひしと伝わってくる。吹雪はついこれからのご機嫌取りを思うとため息が出てしまう。あの前代未聞の出来事が1日で収束するわけはない。むしろ憶測が憶測を呼び横須賀鎮守府内の人間の関心を一挙に集めていた。そこへ百石が筆端と共に、普段通りの表情と足取りでやってくる。鎮守府の最高・副司令官の役職に就く高位の軍人ならば自身の私室で食事を取るのが一般的だが、百石と筆端は一般将兵との距離感を重視し、たいていはここで食事を取っている。今年配属されたばかりの新人ならば驚きのあまり硬直してしまう光景だが、勤続日数をある程度つんだ人間には日常の風景であり特筆するものではない。しかし、今日は違った。2人とすれ違った者は瞳に戸惑いを浮かべ敬礼し、他の者は失礼に当たらないよう視線を向けずに意識を飛ばす。2人は平然と食事を受け取り、空いている席に朝食がのったお盆を置く。いつもなら2人とも腰を下ろし談笑を交え食べ始めるのだが、筆端が腰を下ろしても百石は立ったままだ。何事かと喧騒に包まれていた食堂内はすぐ静寂に覆われる。百石は周囲を一瞥し、横須賀鎮守府の主要幹部と所属艦娘全員の所在を確認すると口を開く。

 

「諸君、おはよう。それぞれに重要な職務があるなか急で悪いが本日0800より運動場にて朝礼を行う。出席は艦娘のみであり、時間までに集合するように。その他の各員は当該事項を頭に入れ無用な混乱を引き起こさないよう注意して職務に励んでもらいたい。以上だ」

 

言い終わった百石の着席と同時に、ぽつぽつと会話が始まり瞬く間に先ほどの喧騒が舞い戻ってくる。朝礼。それ自体はあまり珍しいものではない。各種事項の伝達、大規模作戦の概要説明、士気の鼓舞など目的は様々だ。艦娘限定も比較的少ないが、先日も行われており希少度は高くない。だが、朝礼はそう頻繁に行うものではない。せいぜい週に1回だ。にも関わらず今週2回目の朝礼を艦娘限定で行い、しかも当日の朝に通達して急きょ予定に滑り込ませている。昨日の一件と関連付けられるのは必然だ。吹雪たちへの視線は解かれ、食堂内は朝礼の内容へ話題の軸足が完全に移行した。

 

「朝礼って、もしかしなくてもあの件についてですよね?」

「おそらくは、な。あれ以上のことなんて何も起こっちゃいないし、それしかない」

「だが、どういったことを話されるんだろうな? 少し興味が湧いちまうぜ」

「噂程度の情報しか回ってこない末端兵士には見当もつかんな。あとで隊長にでも発破かけてみるか」

「え・・・。いいんですか?」

 

喧騒はなにも一般将兵によってもたらされているわけではない。艦娘たちも当然それに力を与えている。

 

「みなさんのおっしゃるとおり、やっぱりあのことかな?」

「・・・・・眠い・・・・・」

「おそらくね。てか、それしかないでしょ」

「司令はんもこの状況を無視できんようになったんやろうな。なにがあったか詳しくは知らんけど、曙の元気もちーとないようやし」

「よっしゃ! これで少しはこのモヤモヤが晴れるだろ! どうもこういうのは性に合わねえんだよなぁ~」

「夜戦に関係ないんなら、出なくてもいいよね?」

「「「「「いやいや」」」」」

 

そのようなやりとりはもちろん百石と筆端も耳にも入っているが、2人は平然と白ご飯を口に運び、みそ汁をすする。吹雪たちも百石たちと同様にみずづきのことを知っている立場だが、顔には驚きの色を浮かべお互いに顔を見合わせる。昨日吹雪は赤城にああ言ったものの、まさかこんなに早く動きがあるとは全く思っていなかったのだ。食事に余念がない正規空母の加賀や瑞鶴を含めた全員が朝食そっちのけで今にも口を開きたそうにしているが、ぐっと言葉を飲み込む。話題が第5遊撃部隊からそれ視線が解かれたといっても完全に、ではない。艦娘・一般将兵問わず中には吹雪たちの心境を看破し、紡がれるであろう言葉に耳を傾けている者もいる。ここでは無理と判断し、吹雪はアイコンタクトで命令を下す。他の5人は同じくアイコンタクトで頷き返すとマッハで朝食を平らげ、心置きなくいつもの調子で話し合える安住の地を求めて、食堂を後にする。

 

「ええっ!?!? ちょ、ちょっと、待って下さいよ! みなさん、早すぎます!!」

 

ご飯を口にかき込みながら、目に涙を浮かべ5人の背中を見つめる吹雪。吹雪なりにマッハなのだが、やはりどうしても駆逐艦では戦艦や空母にはかなわない。では重雷装巡洋艦はどうか。それは2人の顔色を見れば一目瞭然。軍医が鬼の形相で駆けつけてきそうなほど真っ青だ。吹雪の必死の訴えにも関わらず、5人は颯爽と歩いていく。吹雪の慌てふためく様子は会話に没頭していた者の表情をつい緩ませるには十分すぎる威力があった。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

横須賀鎮守府 正門

 

 

赤レンガの門柱に歴史を感じさせる重厚な門扉。「横須賀鎮守府」と漢字で縦書きされた表札。それらは訪れた者に一種の緊張感を与える。だが、そこに接続し正面に見える交差点にそのような緊張感は皆無であり、様々な車種の自動車が走り抜け、通勤・通学に急ぐ老若男女が横断歩道を渡っている。外界とは隔絶された場所に届く日常の風景。一時は深海棲艦の攻勢に伴い過去の記憶になりかけたが、艦娘と瑞穂国民の奮戦によりこの日常は日常として現在も刻まれ続けている。それに一点の黒いしみが現れる。よく目を凝らすと、それが1台の自動車であることが分かる。なにも珍しいことではない。ここは正門。敷地を機密保持と安全確保のため塀や金網で仕切っているため、自動車と人の出入りは裏門もあるが一般的にここが使用される。警備隊所属の門番はこちらへ向かってくる自動車を確認すると、特に不審に思うこともなく詰所の前まで誘導する。黒塗りの高級車。運転手のみならず後部座席に乗る人物を認めると、門番は即座にいずまいを正す。しかし、その人物からの言葉には戸惑いを隠せない。詰所にいた他の門番たちが出てくるが同様だ。対応に苦慮していると、噂に聞く耳障りな罵声が周囲にこだまする。後部座席の人物だ。この場で最上位の門番は不審に思いつつ、その人物の言い分を信じてゲートを開ける。それを確認し自動車が発進した瞬間、その人物はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

運動場

 

 

いつもならまだ鳥たちの鳴き声に支配されて遮るものなく日光に照りつけられている運動場。しかし、今日ばかりは朝の余韻に浸る時間はない。まだ、百石たちの姿はないが艦娘たちの凛々しい声と確固たる影は時計の針が刻限に近づくにつれて増えていく。もちろん吹雪たち第5遊撃部隊もその一員だ。だが、のんびりとあいさつや談笑を交わしながらやってきた他の部隊と異なり、吹雪たちは昨日の赤城たちほどではないにしろ少々焦りながら運動場にやってくる。近くに設置されている時計の針は午前8時にもう少しで迫る位置だ。

 

「なんとか間に合ったぁ~。ぎりぎり」

「ふぅ~、よ、よかった。あと少し気付くのが遅れてたら、完全に遅刻するところだったわよ」

 

時計を見て大井と瑞鶴は安堵のため息を吐く。いくら彼女たちが艦娘であり、百石や筆端たちが優しいからといっても、ここは紛れもない軍隊である。遅刻などはもってのほかで余程の理由がない限り情状酌量の余地はなく、厳罰に処せられる。それは、鎮守府を走るマラソンやトイレ掃除などいわば定番のお仕置きである。しかし、侮ってはならない。鎮守府を一周する、と言葉でいえば実感がわかないが、ここでいう一周は瑞穂海軍最大である横須賀鎮守府の()()を、である。また、トイレ掃除も敷地内に存在する()()のトイレが対象である。もはや苦行を通り越して修行の領域であり、これにはさすがの北上も冷や汗を想像しただけで冷や汗をかいてしまう。

 

「ちっ。なんで瑞鶴さんが北上さんの隣に。ここに加賀さんがいるんだがら逆でしょうに」

「なにかしら」

「っ!?!? い、いえっ。なんでもありません!!」

 

加賀にギロリとにらまれ大井は光速で姿勢を整え、背筋をピンと伸ばす。いかな大井でも加賀の眼光には太刀打ちできない。直立不動で微妙に震えている大井に昨日の件と絡めて第5遊撃部隊の面々を見て話しこんでいた周囲の艦娘たちが同情の視線を向ける。その中に一足早くかけていった北上もいればよかったが現実は甘くない。とうの北上はそんなこと知る由もなく瑞鶴と仲良く談笑していた。心のなかに先ほどの発言と同じような激情が沸き上がるが、それに比例して加賀の眼光も厳しくなる。なにもかもお見通しもようだ。

 

「と、とりあえず、間に合ってよかったですけど・・・・はぁ~」

 

それを見た吹雪は真っ青な天を仰ぎつつ、ため息を吐く。瑞鶴たちと同じ恐怖を抱き少し遅れて着いてみれば既にこの有様。対策を考えていた周囲の視線が大井のおかげで和んだとはいえ、精神的にきつい状況変化の連続はその小さな身体に重くのしかかる。

 

「もう・・・・。加賀さん、なにがあったかは聞きませんけど、もうすぐ朝礼が始まります。ここは穏便に」

 

吹雪は苦笑しながら、加賀の気に障らないように柔らかく話しかける。朝礼のこともあるが普段は決して北上以外には向けないすがるような目を大井から向けられれば、旗艦として仲間として見過ごしたり、叱責したりすることは困難だ。

 

「・・・・・・・・・」

 

吹雪を無言・無表情で見つける加賀。少し機嫌が悪いためか、それと相まっていつも以上に迫力がすごい。思わず身を固くしてしまう。

 

「・・そうね、あなたのいう通りだわ。いろいろあって私も殺気立ってたみたい。ごめんなさいね大井さん。半分八つ当たりじみたことをしてしまって」

 

そういうと加賀は頭を下げる。正規空母でありプライドも高く比較的頑固な彼女だが、自分に非がある場合は素直に謝ることもしばしばだ。だが、こうしてなんの躊躇もなく頭を下げるのは艦娘なかでも信頼を置いている者に限定される。吹雪はそれを見ると、第5遊撃部隊が結成された当初との違いに心が温かくなる。

 

「い、いえ、私も加賀さんの気分を害するような、こと、をしてしまったわけ、です、し・・ここはお互いさま、ということ、で・・・・・。き、北上さんが待ってるのでっ」

 

顔を赤くした大井は照れ隠しのためか、全力で北上がいる方向へ走っていく。しかし、北上が他の艦娘と談笑している様子を目にした瞬間、顔が照れによる赤から怒りによる赤に変化し、猛スピードで北上に接触を図ろうとしている。さっきの動揺した姿は一体どこに行ってしまったのか。

 

それを吹雪・加賀・金剛の3人は苦笑しながら温かい目で眺める。

 

「まったく、あなたたちはちっとも変わらないわね。いつも言ってるでしょ! 朝から騒ぐなんてレディーとして失格よ」

 

突然、投げかけられる声。北上と話す艦娘を追い払おうと奮戦している大井に意識を向けていたため、思わず驚いてしまった。声で誰か分かっているが、吹雪たちは声の主がいる方向へ身体を向ける。

 

「ちょっと暁ちゃん。あいさつもせずに、いきなりのそれは失礼になると思うのです」

「えっ!? ・・・・そ、そうかもしれないけど」

「なんで吹雪たちびっくりしてんの? ん? あっちになにか・・・・ああ、大井さんまたやってる」

「どれどれ・・・、おお今日はまた絶好調みたいだ。だが、相手もなかなかやる」

 

そこには同じセーラー服でも吹雪とは異なった制服を身にまとった、可愛らしい小学生ほどの女の子たちが年相応の眩しい笑顔を浮かべて立っていた。身長もほとんど同じで人間の実の姉妹のように見える。

 

「みんな」

 

それを見て吹雪・金剛はいうまでもなく、加賀までも無表情であるものの優しい表情となる。

 

「今日初めてお会いしたのですから、まずはあいさつなのです。おはようなのです。吹雪ちゃん、加賀さん、金剛さん」

「そうそう電のほうがよっぽどレディーじゃない。おねえちゃんは私だけど! みんなおはよう!」

「それをいうなら私は2番艦。おはよう、今日もいい天気だな」

「なによなによ! 私はみんなのおねえさんで立派なレディーなんだから!! お、おはようっっ!!!」

 

お互いに仲良くじゃれ合いながら、周りをしっかりと把握する吹雪と比べても一回り小さい4人。第6水雷戦隊に所属する特Ⅲ型駆逐艦の暁・響・雷・電がいつも通りのついほほが緩んでしまうはきはきとしたあいさつをしてくる。昨日から今まで散々好奇心に染まった視線を向けられ続けていた吹雪たちにとっては、彼女たちの純粋な笑顔と瞳はいつも以上に心に染み込んでくる。加賀は撫でたくてつい出してしまった右手を左手ですぐに回収する。吹雪と金剛の顔を見て安堵しているが、2人はバッチリと目撃していた。吹雪たちも昨日の朝以来の和やかな雰囲気の中で、周囲に気を向けなくてよい普段通りのあいさつを行う。

 

「みんな、おはよう」

「・・おはようございます」

「Good morning!! Kidsのみんなは相変わらずenergy and cute デーース!!」

 

ここで金剛は笑顔は笑顔でもニヤリという効果音が付きそうな悪い笑顔を浮かべる。「kids」。確かに暁型の4人ははたから見れば完全にkidsであり、それを分かっている響・雷・電は特に反応しない。しかし、それを言われて反応しないわけにはいかない艦娘がいた。

 

「き、キッズいうなぁぁ!!」

 

暁は小さな手を震わせ腕を前後に回転させながら金剛に突進するが、腕の長さが暁と金剛ではお話にならない。金剛に頭をつかまれたら最後、暁はいくら腕を回しても金剛の胴体に届くことはない。

 

「うりゃーーー!!! ってまた、これ!!! もうなんで!? これじゃお子さまじゃない!!」

 

片手で頭をつかまれその下で懸命に前へ進もうと足と手を動かす暁。その必死な姿は場をさらに和めてしまう。吹雪・加賀だけでなく、響たちや響たちを少し離れたところから見ている第6水雷戦隊所属の軽巡たちも同様だ。

 

「very cute!!! Kidsの破壊力は相変わらずネ」

「だから、キッズ言うなー!!」

 

何度やっても飽きず、何度やられても反応し、何度も見ても和んでしまう。金剛の言葉をこの世の真理を見事に言い当てていた。吹雪は無意識に過去に繰り返されてきた光景と今を重ね合わる。

 

「あ、あっれ~??」

 

そこで、ようやく相違点に気がついた。暁たちについ温かい目をしてしまっていたが、彼女たちの指導役である第6水雷戦隊の軽巡洋艦、夕張と球磨がいないのだ。あたりに目を向けると、まるで吹雪が探し出すことを予測していたかのように2人の姿を見つけると相手も吹雪へ視線を向けていたため一発で目が合う。

 

「あ、あんなところに。おはよーございまーす! 夕張さん、球磨さん!! ・・・・ん?」

 

あいさつを口にしながら近づこうとした刹那、2人の瞳に違和感を抱き、足を止める。それを見届け2人は笑顔を浮かべ、他の部隊と話すためか吹雪から遠ざかっていく。それで2人の、特に夕張の真意を理解する。

 

 

 

聞くなといわれても聞きたくなるのなら、いっそ聞けない距離を保つべき。

 

 

 

ここでも例の件だ。昨日、横須賀鎮守府を離れるまで気兼ねなく話せていた仲間との間に出来てしまった壁はあまりにも悲しい。艦娘になってから周りの艦娘たちと仲良くすることが当たり前だった吹雪にとって、このような自分がまわりとは違う存在になってしまったかのような錯覚に陥る経験は初めてだ。

 

少し気落ちする吹雪の肩に覚えのある感覚が生じる。

 

「なにしているの? ほら」

 

加賀の手を肩に感じつつ、目で示された方向を見ると真っ白な軍服に身を包んで2人組がこちらへ歩いてくるのが確認できる。それに気付いた艦娘たちは気づかず談笑したりじゃれている艦娘に百石と筆端の到着を伝え、部隊ごとに整列しはじめる。時計を見るともうすぐ8時、その5分前になろうとしていた。

 

「す、すみません。つい、ボーとしちゃってて。旗艦なのにちゃんとしないとだめですよね。あはは・・」

 

吹雪はどうしても割り切れない悲しさを隠すようにほほをかきながら苦笑する。

 

「そう」

 

加賀はそれだけいうと吹雪の肩から手を下ろし、いまだに続く金剛と暁たちのバカ騒ぎを止めに一足早く足を進める。吹雪はそっと加賀が手を置いた場所に自分の手をあてる。心なしか他の部分より温かい気がした。

 




お待たせしました。約1週間半ぶりの投稿です。現実世界では投稿を開始して1か月半が経過しましたが、物語の中ではまだ日本での戦闘を入れても3日しか進んでいません(汗)。視聴したり読む側だったころは時間軸の乖離に疑問を持っていましたが、いざ自分が書く立場になるとその大変さが身に染みてわかりました。

今回の話は当初、次話の15話とまとめていたのですが文字数が2万字近くになったのでやむなく分割しました。なので少し中途半端に感じられるかもしれません。

少しシリアスな雰囲気も個人的には好きですが、第6駆逐隊とのシーンのように艦娘たちがわいわいはしゃぐ場面も書きたいのです。しかし、いまはまだ・・・・・。早く物語を進めないと。


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15話 厄介な来訪者

お気に入り登録が50件を超えました!

読者のみなさん、登録して頂いた方々、誠にありごとうございます!

ますますやる気が出てきますが、毎回出来に不安を覚えているのはここだけの秘密・・。


「諸君、おはよう」

『おはようございます!』

 

百石のあいさつに艦娘たちがそれぞれの個性に応じてあいさつを返す。だがバラバラになったりはせず、息はぴったりで威勢もいい。それが艦娘たちの力をわずかに感じさせる。ついに始まった朝礼。さきほどまで艦娘たちそれぞれが様々なものを抱えていたとはいえ、全体的に和やかな雰囲気に覆われていた。しかし、今はどうだろうか。数分前とは打って変わり、重い緊張感がここを支配している。部隊ごとに整然と並んでいる艦娘たちの表情もいつも以上に固い。金剛とじゃれていた暁たちも例外ではない。百石は一通り艦娘たちの表情を伺い、慎重に口を開く。

 

「今日、ここに集まってもらったのは、みなもだいたい見当をつけていると思うが、昨日発生した所属不明艦水月との接触に関して、である」

 

一気に場がざわつく。隣近所で話しているわけではないが、息をのむ声や身じろぎする音がいつもにもまして静かなこの場では予想以上に大きく聞こえる。また、百石へ一直線だった視線が、当事者である吹雪たち第5遊撃部隊にも向けられる。だが、それもすぐに収まる。ようやく横須賀鎮守府で最も今回の事象に精通している人物がなんらかの説明を行うのだ。昨日から様々な憶測を語ってきた艦娘たちにとって一語一句聞き逃せないほど重要だ。

 

「まず、先に断っておくがこの場で話したことが全て、ということではない。諸君らが最も分かっていると思うが、これは非常に混乱を生んでいる。これ以上の混乱を防ぐため、そして瑞穂の国益を鑑みて公開する情報は私が取捨選択させてもらった。そこは了承して欲しい」

 

昨日から続く混乱は収束の気配など微塵もなく、広がる一方だ。夜間は軍内だけとどまっていたが、さきほどついに国防省からじきじきに問い合わせがあった。また軍令部からの情報ではようやく総理大臣をはじめとする政府首脳や与党の幹部にもみずづきの話が出回り始めたらしい。だが、やはり信じられず情報の確度を求める要求が噴出し、東京ではみずづきに関する情報が省庁間、要人間で錯綜している有様だ。東京に届けられた第一報はもちろん百石が深夜に製作した報告書である。それを基に官僚や政治家が右往左往しているわけだ。百石もこの展開を明確に予測していたが、嘘をつくわけにもいかない。その中で上が容易に飲み込めない情報は複数あるが、最も百石が神経を使っているのがみずづきの戦闘力に関する部分だ。みずづきは既に戦闘を行い敵の一個機動部隊を殲滅しているが、その驚異的な戦闘能力を知っているのはじかに確認した第5遊撃部隊の6人と百石や筆端、川合などの横須賀鎮守府幹部、そして百石の報告書が閲覧可能な高位の軍人など比較的少数にとどまっていた。敵発見から殲滅までの時間があまりにも短く、それを不審に思った百石の根回しによってあの戦闘自体が一種の機密と化していた。そのため、今回の取捨選択にはこれも該当する。みずづきが百石たち瑞穂側と共に闘うのであれば開示しなければならないが、もし否ならばみずづきの安全確保のため、法的な機密に指定される。いくら日本側より戦争による惨禍が少ないとはいえ、物理的な力を欲する者はここにもうじゃうじゃいるのだ。

 

「昨日の正午過ぎ三宅島観測所が国際救難周波数にて救難要請を受信した。発信者は自らを日本国海上国防軍所属の水月と名乗った。周囲と同じように私も初めて聞いた時は耳を疑ったが、それは確認及び救助に向かわせた吹雪指揮下の第5遊撃部隊からの報告によって真実と分かった」

 

第5遊撃部隊の名が出た瞬間、周囲の意識が吹雪たちに向くのが分かる。

 

「吹雪たちは私の命令に従い水月を横須賀鎮守府へ連行するよう命じ、提督室で彼女と直に会談した」

「っ!?」

 

吹雪たち以外に驚きが走る。府内の艦娘や将兵たちはみずづきが横須賀鎮守府へ来たことは知っていたが、その後どうなったのか、今この鎮守府にいるのかも知らされていない。但し、ある程度噂として様々なことが出回っているため、百石が口にしていない情報を持っていることもある。だが、それでも会談の件は一切漏れていなかった。この場にいる全員が百石の言葉に意識を引きずり込まれている。

 

 

だからかもしれない。艦娘たちの左側、中央区画と運動場に隣接する道路を1人の青年がものすごい速度で血相を変えて走ってくる。誰もそれに気付かないのだ。

 

 

「そこで彼女とさまざまな話をし、そこで多くことを知ることができた。まず、諸君が最も気にしているであろうみずづきの正体だ。もったいぶったって仕方ないから言うが彼女は、君たちが艦として存在していた日本の約90年後、この世界と同じ2033年の日本から来た存在だ」

『えっ!?!?』

「表現が微妙に正しくないがもっと分かりやすく言えば、君たちの子孫にあたる」

 

ついに我慢ができなくなり、艦娘たちが一斉に隣近所と話し出し、厳粛だった雰囲気が瞬く間に喧騒に覆われる。

 

これがまた狙ったかのように、必死で酸素を取りいれ筋肉の酷使によって生み出された二酸化炭素を排出する青年の呼吸音を見事にかき消してしまう。また、誰も今聞いたばかりの情報に手いっぱいで例え気付いたとしても青年の存在を意識しない。

 

だが、それはあくまで艦娘。この場に百石のほかに筆端もいる。彼は百石のすぐ後ろに控え艦娘たちの反応を見ていたが、みずづきの正体も既に知っているため周囲への気配りは平常通りだ。そのため、彼が真っ先に青年の存在に気が付いた。

 

「西岡?」

 

筆端は青年の正体に首をかしげる。彼は警備隊の青年将校、西岡修司少尉だ。ただ、その表情からなにかマズイ事態の匂いを察知する。筆端の前で急停止する西岡。早く報告したいという衝動を抑え、西岡は若干上がった息を急速に整える。そして、運動によるのもか報告しなければならない内容によるものか分からない額の汗を右腕で拭うと、筆端のみ聞こえる程度の声量で話し始める。

 

「ご多忙のところ失礼いたします。本日、御手洗中将がお見えになるご予定はございますか?」

 

名前を聞いた瞬間。筆端の表情が歪む。

 

「は? いや、そんなの聞いていないが・・・・・。どうした? なにかあったんだろ?」

「はい。そ、その・・・・・」

 

西岡はうつむき、言いよどむ。その言葉は少し震えて、動揺していることが明らかだ。心に浮かぶ不安感。筆端は言葉の続きを促す。

 

「どうしたんだ?」

「さきほど、正門詰所から、御手洗中将が車でお見えになり、入府を許可したとの連絡がありました」

「なっ・・・・・・!? ば、馬鹿野郎ぉぉぉぉ!! なに勝手に許可だしてんだぁ!! お前ら警備隊のどこにそんな権限があるんだ!! ふざけるのも大概にしろ!!!!」

 

西岡の言葉を聞いた瞬間、筆端は激高する。顔面を熟れたトマトのように上気させる筆端に西岡は胃がきりきりと痛み、全身から冷や汗が吹き出す。突然の怒号、そして普段は温和で笑顔を絶やさない筆端がその源という意外性から、ざわついていた一同は静まり返り筆端と直立不動で震えている西岡に視線を向ける。その雰囲気からなにかただごとではない深刻な事態が起きていることは容易に想像がつく。

 

「も、申し訳ありません!! 訪問理由を伺ったところ、百石司令と面会の予定があると答えられたため・・」

「そんな予定ないだろ!! しっかり確認したのか!? お前らは予定の照会もできんのかぁ!?」

「た、大変、大変申し訳ございません!!」

 

何度も頭を下げる西岡。そのたびに滝のように流れ下る汗が地面に黒いしみを創り出す。その不憫としか形容できない姿を見て、筆端の灼熱が徐々に沈静化していく。この事態はどうあがいても、横須賀鎮守府の安全を司る上で非常に重要な外界との出入り口である門の管理を担う警備隊の失態だ。だが、だからといって彼らを怒りに任せて怒鳴り散らすことはできない。彼らも筆端の大切な部下であり、日々の職務を真面目に励む立派な将兵ばかりであることは、いまさら確認するまでもない。職務を適当にこなし倫理観のかけらもないクソどもとは違う。おおかた、御手洗がお得意の罵声と権力にものを言わせ無理やり通行許可をもぎ取ったのだろう。それが往々にして分かるため、筆端も鼻息を荒くするだけでさらなる怒号を西岡にあびせるのは控える。しかし、こうなってしまった理不尽さへの怒りはやはり収まらず、周囲に隠すこともできない。西岡は筆端の鼻息を聞くだけでも怯えている。

 

「どうしたんですか、筆端副司令?」

 

筆端の怒りが少しクールダウンした機会を見計らい、百石は昨夜と打って変わり場の雰囲気を読んで険しい表情で話しかける。西岡は再びうつむいてしまう。

 

「さきほど、正門に御手洗中将がお見えになったため詰所が通行を許可してしまった、だとさ。なんでもあいつに百石と面会の予定があると言われたらしい」

「なっ!?」

 

百石は筆端と同じくすべてを悟り、西岡に真偽を確かめる視線を送る。西岡は地面からゆっくりと百石に視線を合わせる。だいぶ、やつれているように見えるのは気のせいではいないだろう。

 

「・・・・はい。事実です」

「なんてことを・・・」

 

昨夜話した、常軌を遥かに逸脱し事あるごとに百石を妨害する張本人がここ横須賀鎮守府に来ている。それに頭を抱え込み、つい怒りがこみあげてくるが西岡に当てるわけもいかない。最もこの怒りをぶつけなければならない人間は、いつものようになんの連絡もなく、まるで我が家に訪れるかのように堂々と非常識行為を行う上官様だ。

 

御手洗 実中将。

 

今、百石と筆端を悩ませ、西岡が憔悴する原因となっている人物の名前だ。瑞穂海軍軍令部作戦局の裏のトップにして、瑞穂軍全体の戦略・作戦・部隊配置・兵器開発・装備配備など人事以外のほぼ全ての軍業務を統括する瑞穂軍の最高意思決定機関、大本営統合参謀会議の委員だ。その名前は東京の国防省、大本営、海軍軍令部、陸軍参謀本部のみならず海軍ならば辺境にある基地の一兵卒ですら知っている。知名度は抜群だがもちろん悪い意味で、だ。軍規を無視した自己中心的な法外行為は当たり前。既に決定されたことでも自身が気に入らなければ文句を声高に叫び、自分以外の方針を無視して自身の主観を作戦や部隊運営に持ち込む。年下や階級が自身より低い者はもちろん、年上や階級が高い者であっても自身より劣るとみなした者には容赦なく噛みつく。このような軍人云々を通り越して人としての素養を疑われる不届き者は、通常ならば即有罪確定の軍法会議行きだ。そう通常ならば、だが。彼の傍若無人ぶりは百石が入隊したときから既に有名だった。彼は長い時間、それを続けているにも関わらずいまだにおとがめなし。何故か。答えは簡単。彼が百石のように普通の人間ではないからだ。彼が属する御手洗家は代々瑞穂の政・経・軍界に多数の人材を輩出してきた旧士族の名家なのだ。その力は国会議員を凌ぐとさえ言われる。そして、彼の父親は海軍の要職を歴任した大物軍人であり、現在の海軍上層部の誰もが一度は関わったことのある人物なのだ。要するに家の力と親の七光りが好き放題の源泉というわけだ。このような背景があるからこそ、上層部にとって御手洗実は目の上のタンコブという表現が生易しく感じるほど、対処に困る人間だ。なにか処分を下そうにも裏世界の力によってがんじがらめにされ結局はおとがめなし、というのが今まで繰り返されてきた無限ループだ。

 

そんな御手洗と百石・筆端は犬猿の仲だ。顔を合わせるたびに罵詈雑言の応酬が始まる。もっとも、暴言を吐きまくっているのは中将である御手洗だが。その両者の関係には艦娘を巡る歴然とした立場の違いがある。現在、瑞穂には艦娘との友好関係を維持・発展させ積極的な登用を図る艦娘擁護派(擁護派)と、艦娘を深海棲艦並みの脅威とみなし軍からの排除を主張する艦娘排斥派(排斥派)の2派閥が存在している。政府、国会、国防省、軍、経済界とも艦娘たちの活躍とそれを受けた国民の支持により擁護派が実権を握っており、表立っての混乱はない。しかし、そうとはいえ少数派である排斥派もそれなりの人数がいるため、内部では艦娘絡みの決定事項があるたびに紛糾しているのが実態だ。それのリーダー格の1人が御手洗なのだ。一方、百石と筆端は根っからの擁護派であり、また瑞穂海軍の制服組トップである軍令部総長、的場大将の派閥に属している。的場派は艦娘出現当初から艦娘の有用性に着目していた、海軍における擁護派の中心的存在である。

 

これほどの条件がそろえば、両者の衝突はもはや必然である。

 

「正門を通行したのはいつだ?」

 

百石は過去から未来に視点を変える。西岡もそう思ったのか、少しだけ顔に生気が戻っている。

 

「いろいろ押し問答があったようですが、7時50分すぎだったそうです」

「おいおい、もう20分近くたってるじゃないか」

 

筆端は左手首にある腕時計を見て、顔をしかめる。これだけの時間があれば駐車場に車を止めてから1号舎がある横須賀鎮守府の中心区画へ足を進めることは十分に可能だ。

 

「今も刻々と時間が流れている・・・・。まずは、警備隊に拘束命令を出さなければ」

「そうだな。西岡を見るにやつの動向は把握してるが、命令がないから傍観。警備隊の現状はそんな感じだろ」

 

問うような視線に、西岡は肯定とばかりに目を泳がせる。推測だったが図星のようだ。

 

「だが、拘束したとして、問題はやつの狙いだ」

「おっしゃるとおりです、昨日の件がありますから・・・」

 

2人の脳裏に昨夜の電話が浮かび上がる。最後の捨て台詞。それが耳によく残っていた。ある懸念を抱つつ、西岡に御手洗の拘束命令を出そうとしたその時。

 

 

 

 

「なんだその反抗的な目はぁ!?!? 人間に対する礼儀も知らんのか!?!?」

 

 

 

 

突然、周囲に響き渡る怒号。もちろん、百石や筆端ではない。2人には全くない他人を見下す不快な響き。そう感じるのは小鳥たちも同じなのか、声を避けるように一斉に木から飛び立っていく。この場にいる全員が例外なく怒号の発信源に目を向ける。その瞬間、艦娘たちは驚愕に目を丸くし、百石たちは自身の懸念が見事に的中し思わず舌打ちする。そこには御手洗と大本営付きの軍令部将校2人に囲まれ、連行されていくみずづきの姿があった。

 




いつもに比べ、少しだけ短かった15話です。その理由は14話のあとがきでお話ししたように、もともと14話+15話で1話分と考えていたためです。さすがに1万を超えると、読みづらさが・・・。といいつつもこれまでで1万字越えてた話もありますがね(汗)

ついに、あの人物の正体が出てきました! 典型的な唯我独尊、他人無視、主観第一の軍人さんです。現実にこんなやついる(いた)んですかね・・・・いますね(いたでしょうね)、絶対。

次話では、彼が暴れます。が、彼以上に暴れる方がいます。それは一体・・・・・。


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16話 怒りの銃口

おお、お気に入り登録が、140を越えました!!

前話あたりで確か、50を超えて驚いてます的なことを言ったと思うですが。
失礼を承知で言わせていただきますと・・・・・・・・・・どゆこと?
数字を確認した瞬間、本気で目がおかしくなったかと思いました(笑)

ですが、非常にうれしいです! みなさん、ありがとうございます!!


そして、一言。今回は少し長いです。


周囲に轟いた不快極まりない怒号。小鳥たちが例外なく飛び去った運動場に異様な静寂が訪れる。永遠に続くかのような錯覚に陥りそうになるが、一つの足音がそれを解凍する。百石は怒りを心の中で沸騰させつつ、御手洗がいる方向へゆっくりと足を進める。彼らは百石から見て左側、1号舎など横須賀鎮守府の中枢がある中央区画から運動場のそばを通る通路にいた。ちょうど百石たちは中央区画に近い位置で朝礼をしていたため、すぐに歩み寄ることが可能だ。代償としてその見たくもない顔と聞きたくもない声を直接交える前から、脳に叩き込まれてしまうが。百石の行動に、同じく怒りや嫌悪感をあからさまに示している艦娘たちと筆端も続く。御手洗とその一派は、艦娘の間でも知らない者はいないほど有名な存在だ。理由は、排斥派の言い分を聞いていれば一目瞭然。いくら艦娘とはいえ自身の存在を完全否定する人間たちに、笑顔や優しさを振りまくことは無理だ。そんな姿をまじかで目撃し、西岡は一瞬自身の行動に迷うが、ほほを叩き百石の命令を実行するため全速力で警備隊本部へと爆走する。

 

「ん? ここはどこだ!? こざかしい砂場に出たではないか!! 迷っている暇などない。一刻も早くものを回収しここを出なければうるさい虫共が飛んでくる。・・・・・・・・・・チッ。貴様らここでやっていたのか。運がない、クソッ!!」

 

まるで独り言のように叫びまくっていた御手洗は、百石たちの姿を認めた途端、虫に見つかったと言わんばかりに顔を歪める。百石はそれに慣れているため逐一反応はしないが、御手洗の行動にはさすがに首をかしげざるをえない。これはあくまで鎮守府内での行動、に関してである。

(なんでこいつ、こんなところに来たんだ? 最寄りの駐車場は反対方向だろうに)

だが今は鎮守府内での些細な行動より、目の前の光景が最優先事項だ。手錠はされていないものの、屈強な男たちに取り囲まれ事実上拘束されているみずづきを目に入れた後、御手洗とまっすぐ対峙する。百石の顔は怖いほど満面の笑顔だ。

 

「これはこれは御手洗中将。お久しぶりです。いろいろ強引な手を使われたようですが、一体なんのつもりでしょうか?」

「貴様は痴呆か? 昨晩電話で言っただろうが!! そんなことも覚えていないのか?」

 

百石の顔の血管がピクリと反応する。百石だけではない。筆端や艦娘たちも嫌悪感のレベルをさらに引き上げ、表情がさらに怖くなっていく。

 

「大変失礼しました。中将のお言葉はしっかり記憶しています。ですが、あれは丁重にお断りいたしましたが・・・」

「貴様がこの私に命令? それをこの私が聞く?・・・笑止! いきがるな小僧、立場というものを理解しろ!! ったく、やはり貴様にはあれのお守は任せられん。私の判断は正解だったな」

 

勝利を疑わずゲスな笑みを浮かべた御手洗は、顔を少しだけ後ろに回し意識を後ろに向ける。なんの感傷も抱かない、ただ物を見るような視線だ。そしてのその視線は後ろにとどまらず、百石にも向けられる。いや、正確には百石・筆端の後ろに向けられている。

 

「フッ」

 

バカにしたような鼻笑い。それで御手洗の思考は丸わかりだ。本人は隠そうともせず、ゲスな笑みをさらに深くしていく。

 

百石の顔や腕の血管は浮かび上がり、手は拳となり小刻みに震えている。さすがの百石も我慢の限界だった。御手洗は、百石の部下を、瑞穂とこの世界の希望を侮辱したのだ。しかも、包み隠さずあからさまに。指揮官として我慢しなければならないのだろうが、はたしてこの世の中に御手洗のような侮辱を受け黙っていられる指揮官がどれだけいるだろうか。

 

「・・・・・・我々をバカにするのもいい加減にしていただきたい。そのようなお言葉は中将自身の素養を疑うには十分すぎ低次元の代物です。ご存じないようですが、いくら御手洗家出身とはいえ、軍規の適用に例外はありません。今までは散々ありとあらゆる手を使って逃げ回っていらしたようですが、人の道をはずれたお方にずっと幸運が付きまとうとは限りませんよ」

「こらっ、お前!! 御手洗中将になんたる口、を・・・・・・」

 

みずづきを取り囲んでいる軍令部付き将校の1人が激高し、唾を周囲にまき散らしながら百石に一撃を加えるべく声を荒げる。しかし、それはすぐに収束する。権力があってはじめてデカい態度を取れる金魚の糞に、射ぬかんばかりの百石や筆端・艦娘たちの視線に抗う度胸はない。

 

「軍規を堂々と破られたこともそうですが、一つ、中将に改めて申しあげておきたいことがあります」

 

百石は一度目をつぶると、強い意志をこめ御手洗を睨みつける。

 

「彼女たちはものなどではありません。私の大切な部下であり、私たちの大切な仲間です。いい加減、彼女たちをものと見做す不快極まりない言動は差し控えていただきたい」

 

その言葉は、筆端・艦娘たちと御手洗側では真逆に捉えられた。取り巻きの将校2人はさきほどの百石のように顔面の血管を痙攣させ殺意さえこもっていそうなドスの効いた視線を向けるが、百石は全く意に介さない。御手洗は無表情で言葉の数々を聞いた後、顔を下に向けていた。よく見ると、頭が小刻みに揺れている。うるさい虫の百石からあれだけ言われたのだ。怒りが爆発してもおかしくない。が、続く反応は予想外のものだった。

 

「ぷっ。ふはははははははは!」

 

ゲスな笑みのまま爆笑する御手洗。取り巻きたちは目を白黒させているが、百石は動じない。

 

「ははははっ、は、腹が痛い、くくくっ。貴様はまだそんな戯言を口にするのか? あれが部下だと、仲間だと??」

 

御手洗はそういうと表情を一変させ、身の危険を感じ存在感を必死に殺していたみずづきの腕を強引につかむと、力任せに自身の前へ放り出す。

 

「きゃっ」

 

そのような急展開を全く予想していなったみずづきはろくな抵抗もできず御手洗の思うまま、前のめりにアスファルトの地面に転ぶ。

 

「い、いったぁ~」

「水月さん!!」

「水月!! き、貴様・・・・」

 

みずづきは鈍痛が走る震源地に目をやる。制服に覆われていない左ひざのようだが、幸いかすって赤くなっているだけで出血などはしていない。だた、痛そうにひざを少女がさすっている光景は、お人好しであるが故に百石たちにまた別の激しい怒りをもたらす。御手洗たちにはとっては極上の光景かもしれないが。

 

「こいつらが我々と同等の存在だと? ふざけているのは、どちらだ? なんども同じことを言ってきたが、理解できてないようだからもう1度言ってやる。こいつらは兵器だ!!! そして、不純なるこの世に存在していけない化け物どもだ」

 

もはや言葉も出ない。

 

「ふふっ。よくよく考えれば貴様ら2人を相手にしてやったことはあったが、この場のように化け物どもがいる状態で、というのは初めてだな。・・・いい機会だ。貴様らにもそして化け物どもにも、現実を教えてやる。貴様らも見ただろ? 化け物どもが元いた世界を?」

 

最後の問いに、化け物どもという言葉にイラつきながら百石と筆端は「並行世界証言録」の記述を思い出す。なんとなく、御手洗がこれからいうことが想像つく。だが、彼の言動はそれを遥かに飛び越えた。

 

「それがどうした、そんな間抜け面だな。これだから成り上がりは・・・・。いいか? やつらの世界は血塗られた世界だ。同じ人間同士でむごい戦争を果てしなく続けている常軌を逸した世界だ。狂っているとしか思えん。いや、正直同じ人間なのかも怪しい」

 

その言葉に次は、艦娘たちが拳を震わせる番だ。

 

「そんな人殺しを笑いながらやるような狂人どもが作った軍艦の転生体が、やつらだ」

 

御手洗は右の人差し指でみずづきと吹雪たち大日本帝国海軍の艦娘たちを迷いなく指す。

 

「そんな、身に人の血が染み込んでいるようなやつらに、この神聖不可侵な神国たる瑞穂の国防を担わせるのは言語道断のこと!! それが何故分からない!! 我々は深海棲艦が出てくるまでこれほど平和な世界を築いてきたというのに、やつらの世界はどうだ? 他人のことを全く考えず、自己中心的で私利私欲にまみれ、いくら悲劇を経験しても同じことを繰り返す。これが我々とやつらを作った存在が同じ人間でないことを端的に証明しているではないか」

 

湧きあがる怒りと浮かび上がる反論を必死に抑え込み、艦娘たちは御手洗の土俵に乗ることだけは避ける。ここで声をあげては御手洗の思うつぼであり、何を言っても通じない存在に無意味な行動であることがありありと分かっているからだ。御手洗は彼女たちが浮かべる苦悶の表情を見て鼻をならす。しかし、それを知ってか知らずか御手洗の指摘という名の暴言はついに艦娘たちの最大の拠り所まで及んだ。

 

「これらの祖国は日本、だったな?」

 

挑発的な口調。それを聞いた瞬間、艦娘たちは一気に凍り付く。顔を見ずとも発言者がどのような表情をしているかは手に取るように分かる。この場で何度も見せているゲスな笑み。そんな雰囲気で話す内容がまともでないことは馬鹿でも分かるだろう。

 

「並行世界において我々瑞穂と対をなす国家。だが、やつらが典型例としては最適だ。崇高な瑞穂と酷似した文化を持ちながら、自滅戦争にまい進した愚かで救いようのない民族。やつらが起こした太平洋戦争こそが証明の究極だ。絶対に勝てない相手と分かっておきながら、先制攻撃により戦端を開き調子にのった挙句、無条件降伏。国家の指導者から国民まで思考回路が全く私には理解出来ない。これでもやつらが我々と同じ存在とほざけるのか? 文明すら持たない原始人の方がよほど賢明ではないか。そんな野蛮人共の存在もやつらが作りこの世界に流れてきた化け物どもの存在も認めるだけで、この世界に生きる全ての人間に対する最大の侮辱である。また、それの典型例が瑞穂と対をなす国家であることは、瑞穂に対する侮辱を超越し、冒涜に値する。日本?? 聞いただけで虫唾が走る」

『っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

何者にも限界は存在する。それは例え神様とさえ認識される艦娘でも適用されるこの世界の真理である。艦娘たちは理性を最大動員して感情を抑えに抑えた。しかし、その努力は御手洗によって水泡に帰した。なんの迷いもなく吐き捨てられた数々の言葉。これらは艦娘たちの理性を吹き飛ばすには十分すぎる威力があった。だが、彼女たちが足を踏み出す前に見たことがないほど怒りに表情を支配された百石が御手洗に肉薄を図り、一歩足を進める。

 

「て、てめぇぇぇぇぇ!!」

 

これほどの怒りを抱くのはいつ以来だろうか。指揮官たるものせめて部下の前では冷静沈着にふるまわなければならないことは重々承知している。だから、感情はなるべく穏やかに、理性は常に合理的な判断を心がけてきた。それもあってかここまで激情にかられた姿を部下に、艦娘たちに見せるのは初めてかもしれない。だが、そんなのにかまっている暇はない。御手洗の言動は同じ瑞穂軍人として、瑞穂人として絶対に許容できるものではなかった。やつは徹底的に侮辱、冒涜したのだ。資料だけ読み分かった気になって、彼女たちの世界を、彼女たちの祖国日本を。彼女たちがどれだけ祖国を愛しているか誇りにしているのか、そして太平洋戦争での出来事と葛藤しているのか、直接言葉を交わさなくても万国共通の防人として、その想いは痛いほど感じている。同時に彼女たちと接して、彼女たちを作った人々が自分たちと全く変わらない人間であることも、だ。やつは文字だけを見て、それを自分たちと日本世界の人間との差異の証拠とした。しかし、彼女たちそのものが、日本世界の人間が日本人が私たちと変わらないことを確かに証明している。なのに戦争をしている。日本世界の、この矛盾への葛藤は凄まじいだろう。それを考えようともせず、主観のみに基づいた罵詈雑言。自己中心的で他人を全く顧みないのは自身のことだろうに。

 

百石は肉薄した後のことを考えながら、2歩目を踏み出す。しかし、それ以降前進することはなかった。その瞬間、世界が一時停止した。

 

パッーン・・・・・・カラン、カララン・・・・・。

 

轟く炸裂音。薬莢によって響く軽い金属音。漂う硝煙の臭い。そして、この場で最も早く我に返った御手洗の無様な叫び声が木霊する。

 

「う、うわぁっ!! 血が、血がぁぁ!?」

 

それに百石たちも解凍され、御手洗の目の前に立つ1人の少女に目が釘付けとなる。瑞穂軍に配備されているものより遥かに洗練された形状と比較にならないほどの獰猛さを持つ拳銃を握るみずづき。銃口からは白い硝煙がかすかに立ち上っている。それは微動だにせず、ほほを銃弾がかすり少し出血した程度で大騒ぎしているふぬけのこめかみに向けられている。

 

 

 

一体、何が起きているのか。吹雪は目の前に光景が全く信じられず、妙に現実感が欠落している。周囲をみるに第5遊撃部隊のメンバーをはじめ、百石までもが吹雪と同じ状況だと推測できる。全員、みずづきに視線が固定されている。御手洗中将に向けて銃を発砲し、いまだに突きつけているみずづき。だが、御手洗の憐れな姿に歓喜する自分がいることも自覚している。吹雪ですら、御手洗には嫌悪感を抱いている。それが先ほどの言動でさらに強固なものとなった。

 

御手洗は、日本を、自分の乗組員たちをけなしたのだ。艦だったころも含め、最大のレベルで。今でもすぐに思い出す艦だった頃のかけがえのない記憶。自身に乗り、祖国のために過酷な訓練を耐え、他の艦とは比較すること自体おこがましいかもしれないが戦場をかけた乗組員たち。それはサボ島沖に身を沈めるまで途切れることはない。

かつて、日本は欧米列強から「極東のサル」「黄色いサル(イエローモンキー)」「人まねザル」と苛烈な差別を受けた。だが、そう言いつつも大半の欧米人は自分たちの祖国日本を侮れない存在として認め、ある程度の評価さえ与えていた。だが、御手洗は言ったのだ。存在自体が最大の侮辱である、と。

 

ふざけるな。なにも知らないくせに。

 

艦娘たちはこう思っただろう。御手洗は太平洋戦争まで引き合いに出したのだ。確かに自分たちは愚かだった。だが、だからといって馬鹿にされる筋合いはない。みんな必死で戦った。待ち構えているであろう未来を少しでも軟化させるため、来る時期を遅らせるため。結果は知っての通り、無条件降伏。だが、徹底的に叩きのめされた日本は立ち直った。それどころか凄まじい勢いで発展していった。

 

その姿が、侮辱?

自分たちの、かけがえのない人々の犠牲も、人々の血反吐を吐くような努力も、悲しみと憎しみを克服した心も、全部?

 

加速度的に増長する怒り。だが、抱くと想像できていなかった人物を目の当たりにした瞬間、一気に沈静化する。いや、意外性に塗りつぶされたと言う方が正しいだろう。みずづきの表情はこちらから伺えないが、背中のみでも彼女の心中は十分に察せられた。怒りに燃えていたのは彼女たち大日本帝国海軍の艦娘だけではない。2033年の日本から来た海防軍の艦娘であるみずづきも同じだ。

 

 

久しぶりに受ける火薬の炸裂による衝撃。だが、それに驚いて照準を狂わせる、などという新兵のようなへまはしない。銃弾は狙いより少し、ほんの少しだけ御手洗の隅を通ったが誤差の範囲。いつもなら「やっちゃったっ!!」と動揺することになるだろうが、今、心は一つの感情で支配されている。あの時、ノックされた宿直室のドアを素直に開けていなければ、腕を捕まれ問答無用で連行されることもなかっただろう。だが、状況が全くと言っていいほど飲み込めていなかったのだから、仕方ない。もはや後の祭りだ。御手洗たちは事前に参謀部を訪れ、百石から直々に事情を聞かされ第6宿直室の使用に同意していた参謀部長から情報を引き出していたのだ。この際も権力を盾にしていたとは言うまでもない。あの時の、百石にみずづきの救難信号受信を報告しに来た宇島も含めて参謀部将兵の顔といったら、仕返しが怖い。倍返しどころではすまなさそうだ。しかし、御手洗の思い通りにはいかない。念には念を入れて起きてすぐ腰に巻き付けた拳銃ベルト。そこに納められていた拳銃がみずづきの怒りを体現した。

 

「なんだ今の音は!? 幻聴じゃないよなぁ!?」

「発砲音?」

「どこからだぁ!? おい、警備隊に問い合わせろ!!」

「運動場の方じゃないか!?」

 

御手洗の声だけ聞こえていた運動場周辺は、1つの発砲音をきっかけにあちこちから緊迫感あふれる声が上がり、騒然となる。先ほどから雰囲気が一変しても、みずづきは微動だにしない。みずづきの心は、爆発していた。

 

「お、お前!! 正気かぁ!?」

「中将殿に発砲とは狂っている!! 所詮は野蛮人が住む世界の化け物。どうなるか分かっているのだろうなっ!?」

 

また、みずづきの心に燃料が注ぎこまれる。しかし、みずづきは身じろぎ1つしない。2人の将校は自分たちの言動の効果を全く察知することなく、腰に据えていた警棒を取り出し接近戦の構えを取る。こちらが銃を構えているのに、この対処。どうやら相手は3人とも銃を持っていないようだ。そして、明らかにみずづきをなめている。

 

「き、き、きぃぃさぁまぁぁぁ!!!!!! けだもの風情がこの、この私にぃぃぃぃぃぃ!!!」

 

御手洗はようやく銃撃の恐怖から抜け出し、代わりに呪詛さえこもっていそうな怒りを容赦なくみずづきに向ける。血のついた手は激情のままにわなわなと震えている。

 

「どれだけ謝ろうが、泣き叫ぼうが、決して許さん!! けだものには教育が必要なようだ。私に、人間にたてついたその罪を刻み込んでやる!!! おいっ!」

 

充血しきった目を向けられた将校2人は御手洗と同様にゲスを通過した汚い笑みを浮かべ、みずづきにそれを向ける。教育を施し、泣きわめきながら地面に額をこすりつけて謝罪するみじめな姿を想像しているようだ。そこに、銃口を向けられて抱くはずの恐怖はどこにもない。御手洗をはじめ3人はこのごに及んでも、みずづきがこれ以上自分たちに危害を加えることはないと思っているのだ。さきほどの発砲は感情がある故のイレギュラー。そして、それはみずづきの詳しい正体をまだ知らされていない第5遊撃部隊と長門以外の艦娘も不本意ながら同じだった。艦娘は人に危害を加えることは基本的にない。様々な事情が折り重なり殴るだの蹴るだの、取っ組み合うだの、言ってしまえば小学生レベルのいざこざはあるものの、殺人などの重大な傷害事例はない。彼女たちは()()なのだ。その上に御手洗は、あぐらをかいている。自分のしくじりを知らずに。この件において勝者と言える者は百石かもしれない。なぜなら彼は今朝、何の因果か御手洗が東京を出発した後に、政府や軍中央を騒がせている報告書を送ったのだから。それを見ていたら御手洗もミスを犯さなかっただろう。艦娘は人を傷つけない。これが通じるのは艦の転生体であるみずづき()()の艦娘の話。

 

「まずいっ!!」

 

汚い笑顔を引っ込め、狩人の顔となった2人の将校がみずづきに向かって走り出した瞬間、どこからか自身を案じるような声が聞こえた。おそらく、百石だろう。だが、それを確認する余裕はない。慣れた手つきで拳銃を即座に腰にある収納フォルダーにしまう。銃を使うまでもない。第一、ここで誰かに重傷を負わせてしまえばそれこそここで勝ったとしても身の破滅だ。怒りに支配されて判断力を失うようでは、お荷物だったとはいえ、一部隊の隊長を任されたりはしない。地面を蹴って一気に向かってくる取り巻きとの距離を詰める。予想外の機動に2人は動揺し、あろうことか防御姿勢を取らないまま急ブレーキをかけ半歩後ろに下がる。顔に勝利を確信した笑みがついこぼれてしまう。対峙する相手にとってその笑顔は恐怖を駆り立てるには十分な威力を持っていた。みずづきはすぐに顔を引しめ、隙をついて1人の前方に突進。がら空きのみぞおちに下から情け容赦なく拳を振り上げる。

 

「はぁぁぁっ!!」

「うう゛っ!?!? がはっ、は、は、は、ごほげほっ、ああ゛っ」

 

全意識がみぞおちに集中し、持っていた警棒が手から自然に滑りおちる。アッパーをくらった将校は2歩、3歩とゾンビのような足取りで後ろに下がり、激痛と呼吸困難に耐えかねその場にうずくまる。

 

「こ、小池!?」

「なっ!?」

『っ!?!?』

 

またも発生した予想外の事態に、見ていた者は全員息を飲む。だが、当事者には関係ない。御手洗や百石たちの驚愕はどこ吹く風。みずづきはすぐさま目標を変え、警棒を頭めがけて振り下ろそうとしているもう1人に意識を向ける。

 

「あぶないっ」

 

誰かの声。しかし、それは杞憂で終わる。まるで踊っているかのように華麗なステップで当然と言わんばかりになんなく躱す。それは将校も予測済みだったようで動揺もなく、軽快に体を回転させみずづきに肉薄する。全く構えを取らないみずづき。百石や筆端が駆け出す。しかし、間に合わない。将校はみずづきのような笑みを浮かべる。勝利が見える。だが、それは一瞬の幻想。

 

「なにっ!?」

 

みずづきは加速し一気に相手の懐に入り込む。将校はその速さに全く対応できない。視界の端でうずくまっている小池。しかし、何度も同じ手は使わない。みずづきは相手の胸倉をつかむと走っていた将校の運動エネルギーも使って、思い切り自身より屈強で一回り大きい男を地面の上に背中からたたきつける。

 

「しまっ・・・、うぐっ!!」

 

見事な背負い投げが決まった。さすがに全力でやると骨折したり最悪の場合死んでしまうので、ある程度力を抜いて適度な痛みを感じられるように工夫する。みずづきは将校を離すとさきほどの威勢が嘘のように、現実に震えている御手洗のもとへ歩みだす。

 

「くっそ・・・・、まだ、まだ、やれる。・・・・・・・・うご、かない」

 

背負い投げをくらった将校はそれでも動こうと懸命に努力するが、体がいうことを聞かず、その場で置物となる。みずづきはそれを気に留めることもなく、それでも構えを取る御手洗に29式自動拳銃の銃口を向ける。

 

「まだ、やる気」

「ひぃぃ!!」

 

銃口とみずづきの冷酷な視線の前に、御手洗は情けない声を出す。だが、それだけ今のみずづきに迫力があるのも事実だ。百石や長門たちは昨日見たみずづきとの違いに一瞬、同一人物か疑ってしまうほどだ。御手洗のこめかみにある極小の赤い点。レーザー照準器の光が常にある。それを初めて見た者でも、その点が銃口から出ている以上銃弾の着弾地点を示すものだと推測することは容易だ。向けられている当の本人から見えないのは幸いかもしれない。

 

「ありえん! ありえんありえんありえんありえん、ありえん! なぜ艦娘が人間を組み伏せることができるっ!? なぜ、艦娘が銃を持っているのだ!!」

 

御手洗は自身の常識が崩れていく恐怖に震える。艦娘は()()で戦う存在。はじめからその術は身につけているものの、武術や小火器で近接戦闘を行う能力は知識として持っていても人間並み。そして、決して行使されない・・・・・はずだったのだ。しかし、御手洗は自分が圧倒的不利に陥ろうとも、虚勢を張ることだけは忘れない。

 

「・・・・・・・・・・貴様は私がだれか理解できていないようなだな。私は御手洗実中将であるぞ!! これは、これは・・・・反逆だ!! そう反逆だ!!! 人間にたてついた艦娘の末路を思い知らせてやるっ!!」

 

撃たれた直後と比べると、負け犬の遠吠え感が凄まじい。本当にあの威勢はどこにいってしまったのだろうか。だが、あくまでも上から目線だ。みずづきはそれを聞いて少しうつむく。それをおののいたとみたのか、御手洗は不敵な笑みだ。実際は逆だ。みずづきはこれ以上こめられない力を手と瞳にこめ、顔をあげる。

 

「なめないでください。私は日本海上国防軍の軍人です。この手は血で染まっています。いまさら1人や2人の血が増えたところで、なんとも思いませんよ」

 

静寂。御手洗などは目を()()()()()()、わずかに独り言が聞こえる。みずづきは防水・防触加工が施され、日本人の骨格でも撃ちやすく命中させやすいように開発された国産拳銃である29式自動拳銃をゆっくりと持ち直す。そこに人を撃つことへの抵抗は一切ない。だてに戦闘目的での射撃訓練を嫌になるほど積んできたわけではないのだ。

だが、周りには驚くほど効いている脅しははったりである。みずづきはこの手で人を殺したことはない。人が殺され、人を殺すところは何度も見てきたが。そういう意味では手が汚れているという表現は正しいかもしれない。

 

「それに・・・・・」

 

みずづきは、御手洗の言葉を思い出す。日本が、日本人が、家族が仲間が部下が、上官が馬鹿にされた。自分たちの歩んできたすべてが否定された。

 

「それに、私はあなたを許せないっ!!」

 

この世界にきてはじめて発露する激情。正直、こんなに早い時期にこうなるとは思わなかった。

 

「これが、この行為がどれほど重罪なのか、そんなこと言われなくても分かってる! これは下手すれば死刑にすらなりかねない罪。反逆? ええ、それもある意味正しい表現かもしれない。でも、でも・・・・」

 

拳銃が小刻みに震えだす。目には日光によってきらきらと光るものが浮かんでいる。その姿に、人間も艦娘も、擁護派も排斥派も関係なくただただ圧倒される。

 

「あなたはっ、あなたは日本を・・・!! 私、1人だけならどうでもいい。私は自分をそんなに価値ある人間だとはちっとも思っていないから。でも、それはあくまで私個人の話。でも・・・あんたは馬鹿にした! 侮辱した! 否定した!! 私の故郷を、大切な人たちをっ!!!! 私は日本人で、日本を守る軍人。何も知らない人間に私たちの全てを貶されてじっとしていられるわけない! 許せるはずがないじゃん!!! みんな、みんな、必死に・・・・」

 

 

 

 

誰もが必死に生きていた。絶望が支配する世界でも、周りの人間がいつの間にか消えていく世界でも、区別という名の差別が蔓延する世界でも、みんな血眼になって探し出したわずかな希望を糧に生きていた。いつか、あの日々が還ってくることを夢見て。

 

『繰り返しお伝えします。現在、番号3ケタの配給券を持っている方に配給を実施しています。それ以外の番号を持っている場合は、番号に準じた列にて開始をお待ちください。列への割り込み等の秩序妨害行為は、食糧配給法及び戦時特措法にて最悪の場合、死刑に処せられます! くれぐれも()()を乱す行為はやめて下さい!!』

「ねえちゃん! ねえちゃん!! あ、あれ。・・・・・・死体、だよな。地元にも餓死者がいるって・・・・・」

「ん? ・・・・・・まだ腐ってない。最近の、ね。・・・・・あんま見ちゃだめ。私たちだっていつああなるか分からないんだから」

『かわいそうに。まだ、小学生ぐらいじゃないか。戦災孤児かもしれんな』

 

『帰れ! 帰れっ!! テロリスト共!! 早く目の前から失せろ!』

『たべもの、ください、なにも、たべてない』

『日本人だって飢えて、そこらじゅうで人が死んでんだ! お前ら大陸の未開人にやるものなんて道端の草でもありはしねぇよ! 警察呼ぶぞ!!』

『そうだそうだっ!! 帰れ!! ここは俺たちの国だ! この人殺し!! 侵略者っ!! 物乞いする前にてめぇらが殺した人たちの墓前に行って、土下座しろ!!』

「いいか、家から出てくるんじゃないぞ。絶対に、だ。見ずに済むのなら見ない方がいい」

「お父さん・・・・」

「お前は優しいからな。・・・・・みんな分かってるんだ、こんなことしたって何の意味もないくらい。でも、殺されたんだ、奪われたんだ。大切なものを・・・・。そうそう割り切れるものじゃないな」

 

 

『航空攻撃警報、航空攻撃警報。当該地域に航空攻撃の可能性が・・・・』

『航空攻撃警報、航空攻撃警報です! たった今、全国瞬時警報システムJ-ALERT(ジェイアラート)にて近畿地方全域に航空攻撃警報が発令されました。当該地域にお住いの方々は直ちに防空壕・避難シェルター等に避難して下さい!! 直ちに避難して下さいっ!!』

「起きてるかっ!? 早くしろ!! 母さん、貴重品は?」

「持ってる! 晴樹! 早くしなさい!!」

「分かってるよ!! また深海棲艦・・もうっ! ねえちゃんは?」

「ここよ! 寝ぼけてるの? それより早く!! もう近所の人たち、家出て防空壕に向かってるよ!!」

 

 

『はい、私は現在海防軍呉基地にて取材にあたっています。ご覧ください。呉軍港は作戦に参加する軍輸送船や徴用された民間船で一面が埋め尽くされています。これだけの船が一堂に会する光景はまさに圧巻とし表現できません。作戦開始から25時間が経過しましたが、今のところ特段の変化はありません。政府関係者の話として「作戦は順調に進んでいる」とのことですが、首相官邸・防衛省ともいまだ詳細な説明は行っていません。しかし、一説によると・・・・・あっ、たった今、陸防軍の部隊が私たちの目の前を通過していきます。カメラさん、こっちこっち! 手元の情報にはありませんが、どうやら作戦に参加する普通科連隊のようです。通りがかった人々や軍の雄姿を一目見ようを集まった人々から、地鳴りのような歓声が上がっています!! ものすごい熱気です!!』

『日本、バンザーイぃぃ! 日防軍バンザーイぃぃ!!』

『化け物ども蹴散らして、帰ってこいよぉ!』

『今こそ、日本人の底力を見せるときだ!』

『へいたいさん、がんばってー!』

『あなたたちだけが頼りです。どうか日本をお守りください!』

『日の本の栄光を再びっ!!』

『先島諸島に日の丸をっ!!』

 

果てしなく続くと思ってしまう長く、そして暗い夜。どれだけあがいても、どれだけ進んでも闇。光など一切なかった。あきらめたくなるほど不条理な黒。しかし、それでもいつかは日が昇ると信じた。だから、進んだ。闇に閉ざされていても前に、前に。明けない夜はない。それを胸に深く刻み込んで。誰もあきらめなかった。

 

 

そして、その努力は報われた。ほんの少し、水平線が赤くなる空。わずかな光でも、暗闇に慣れてしまった人々にはすごく明るく見える。徐々に明るくなっていく。太陽が世界を照らし始める。人々が進むべき道とともに。日本人は自らの力によって、日本に日をもたらした。かつての先人たちと同じように。待ち望んだ、信じ続けた光を。

 

日本は進んでいる。前に、前に。あの日々に向け一歩ずつ。

なのに、それをこいつは!!!

 

「あなたも軍人でしょ? だったら、自身が言った言葉の矛先がもし瑞穂ならと、考えて下さい」

 

そういうとみずづきは29式自動拳銃をおろし、安全装置を入れて再び収納フォルダーへしまう。銃口がなくなりほっとしているかと思いきや、御手洗は微動だにせず茫然自失といった具合に固まっている。

 

「いたぞぉぉぉぉ!!!! あそこだぁぁぁぁ!!!!!」

 

怨念がひしひしと感じられる怒りを爆発させた声が、中央区画の方から聞こえてくる。全員あまりの迫力に思わずそちらに目を向ける。見ると般若のような顔をした警備隊隊長の川合を先頭に怒気の塊がこちらに向かってくる。自部隊のメンツをつぶされたためか、はたまた今回のミスに責任を感じているのか。川合以外の熟練隊員もえげつない表情している。その端で先輩の様子に恐れおののいている若年層集団の中に西岡の顔が見える。恐怖で引きつっているが、どうやら百石の命令を実行できたようだ。カオスな集団の目的は無論、やつらだ。しかし、それに構わず御手洗は深くうつむいて小さく、本当に小さく呟いた。

 

「すまなかった・・・・」

「えっ?」

 

みずづきは御手洗を見る。彼は顔をあげない。軍靴の凄まじい音が聞こえる中、その呟きは不思議とはっきり聞こえた。

 

 

腕組みをした屈強かつ怒りをあらわにしている集団に取り囲まれる不法侵入組。警備隊は誰も言葉を発しないが無言の圧力がここまで伝わってくる。あれだけ吠えていた御手洗もおとなしいものだ。百石はその横で、御手洗たちの憐れな姿に苦笑を浮かべつつ、警備隊の取り調べを受けるみずづきを見る。思い出す数々の言動。それによって痛感してしまった。みずづきを、彼女の世界をなめていた、と。この件でみずづきの見方は大きく変えざるをいないだろう。しかし、悪い意味で、ではない。彼女の本気は確かに百石・筆端、そして艦娘たちに届いていた。




ということで、暴走したのはみずづきでした。前話のあとがきで「~される方」と言ったので、「百石かな」と思われた方もいらっしゃると思います。横須賀に来たとき、腰を触って拳銃を確認していたくだりを無事回収できました。

っとここで1つ情報が入ってきました。来月長崎で進水し、2018年の3月に就役する新型護衛艦25DDのことです。本作では25DDのことをまいかぜ型護衛艦とし、まいかぜ型護衛艦をベースにしているまいかぜ型特殊護衛艦にもかげろうなど、その系統の名前を付けています。しかし、どうやら25DDは艦名が「3文字」のようです。ですが海自の欺瞞工作かもしれないですし、真実が分かるのは1か月半後なので本作では今のままでいきたいと思います。ご了承下さい。


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17話 お風呂はやっぱり最高

今回は、前回より一転。少しマイルドな雰囲気になっています。

様々なところで伝統となっているお風呂回ですが、作者はそういう表現が苦手なためその点でもマイルドになってます。


横須賀鎮守府 艦娘専用浴場 灯の湯 (通称:お風呂)

 

人の目でぎりぎり認識できる極小の水滴が空間を満たし、霧の中にいるような錯覚を覚える一面の白世界。それの発生源である水面。穏やかに波打っていたが突然ぶくぶと泡を立てはじめる。

 

「ぶはぁーっ!!」

 

そして、飛び出す1人の人間。

 

「最高ぉぉぉ!! やっぱりお風呂はこうでなくっちゃ! 体を好きなだけ伸ばせる湯船に、たくさんの風呂! 癒されるぅ~」

 

独り言とは思えない歓喜が、浴場内の天井・壁に反響し狭い空間独特の奥行きを持たせる。はたから見ればドン引き確定のハイテンションぶりだが、みずづきはそれを抑えようとせず本来はマナー違反の遊泳を行ったりなど、まるで小さい子供のようにはしゃぎまわっている。他に人がいれば非常識極まりないが、なんと運のいいことか、現在露天風呂もあるこの大浴場を使っているのはみずづきただ1人だけである。いつ終わるか分からないが貸し切り状態だ。これだけでもテンションがあがってしまうが、みずづきがこうなっている理由はもう一つある。彼女はおとといと昨日、風呂に入っていなかったのだ。なにもせずとも、日本や瑞穂のような温帯気候では、必然的に身体は汚れる。今は5月。さすがに毎日入浴しなければ、いろいろとマズイ。ましてやこの2日間は激動であり、汗や海水でべたつく肌や髪の不快感は形容しがたかった。また、最後に入った須崎基地の風呂は、水風呂だったのだ。というか、温かい風呂はいくらか改善したとはいえ昨今のエネルギー事情では毎日入れず、約半分の頻度で水浴びという有様だったのだ。それが頻度は夏に比べて圧倒的に低かったものの、冬にもあったのだからたまったものではない。「電力がひっ迫してるから、今日は水浴びです!!」とどや顔を決め込んで死刑宣告をする知山に、みずづきたちはさすがに耐えかね殺意のこもった視線を送ったものだ。無論、そういう時は指揮官などの幹部も水風呂だ。それにも関わらずどや顔を決めていたのだから、知山も相当悟りを開いていたのではいないか・・・・・・

 

加えて、露天風呂も完備された大浴場の名にふさわしい入浴施設。これだけ条件がそろえばみずづきのハイテンションも必然だ。昼間のことを差し引いても・・・・・・・。もちろん、百石に許可は取ってある。さすがに百石もそれは気にしていたようで、艦娘と会う可能性が少ない終業時間ぎりぎりに入ることを条件に、認めてくれた。宿直室には当然ながら風呂はない。但し、いくら気にしていたとはいえ、あれだけのことを艦娘たちの“目の前”でしでかしてしまった以上、部下に不信感を向けられる危険性を負ってまでみずづきを隠す必要性がなくなってきた、ということだが。

 

「それにしても、ここすごいなぁ~。須崎は中くらいの湯船が一つしかなくて、The Furoって感じだったけど・・・・。ここは別格。お風呂がいっぱいあるし、立派な温泉施設と同等」

 

みずづきは今、ここで最大の面積を誇る室内の大風呂に身を沈めている。室内にはほかに1人用の小さな湯船が6つある。露天には大小3つの湯船があり最も大きい風呂からは横須賀本港を見渡すことができるようになっていた。みずづきもさきほどまでそこに入っていたが、星空と人工の明かり、それを反射する海面のコントラストは、絶景の部類に十分入るほどだった。ちなみに露天風呂の上には屋根が完備され、雨の日でも室内から湯船までの短い距離を耐えれば、利用可能となっていた。

 

「あ゛っ~。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」

 

昼間のやらかしから完全に目を逸らし、極楽の気分を満喫していが一気に現実へ引き戻される。更衣室から複数の声が聞こえてきたのだ。緩み切っていた顔も現実に真っ逆さまだ。あまりの急機動に表情筋が悲鳴をあげる。

(来ちゃった・・・・・、天国も終わり、か)

 

正直誰にも会いたくなく百石の条件は好都合だと思っていたばかりに、ついていない。

 

「今日も、結局どんちゃん騒ぎで終わったネ~。これで2日連続デース。さすが、この私でもヘトヘトになりマース」

「どんちゃん騒ぎっていうのはどうかと思うけど、疲れに関しては完全同意。今日も一筋縄ではいかないと覚悟してたけど、ここまでって・・・・。ついにはあのクソオヤジも来る始末だし」

「文句を言っても始まらないわ。今は明日に向けて一日の疲れをとることが先決。まだこの騒ぎは当分の間続くでしょうから」

「そう言って、クソオヤジのことを思い出したくないだけじゃないの? 私も思い出したくないけど」

「う・・・・・・。別にそういうことではないわ。五航戦と一緒にしないで」

「はい?」

「モォォ、加賀は相変わらずデース!! 顔にかいてありマスヨ」

 

更衣室と浴場を仕切る扉を開け、聞き覚えのある声が3つ入ってくる。

(ん? ・・・・・・この声って)

正体をこの目で確かめようと目を凝らすが、湯気が徹底的に妨害しよく見えない。

 

「・・・・さすがにこの時間じゃ、誰もいない、か」

「私の予測が大アタリ!! 今は俗にいう貸し切り状態、スイミングOKデショ?」

「ダメ」

「エェーッ!! Why??」

「私たちもいるのよ。いくら広いって言っても、水しぶきがかかるじゃない! どうせこの間みたいに暴れまわる気でしょ?」

 

(あ、あれ・・・・? 気づかれてない・・・・・)

よく見えないだけでこちらから3人の影ははっきりと捉えられているので、てっきり向こうもすぐに分かると思っていたのだが、予想外だ。腕を組んで現状維持かこちらからあいさつをするのか、二択の間で揺れる。初見の艦娘と鉢合わせになるよりは、第5遊撃部隊の艦娘たちと会う方がはるかにマシである。ここは全ての艦娘が利用する施設。むしろ前者の可能性の方が高い。しかし、昼間の件を考えると正直気まずい。

 

「金剛の予測は外れよ。一人先客がいるわ」

「っ!?」

 

慌てて声のした方向へ振り向くと、バッチリ加賀と目が合う。その顔に驚きはなく、この人工的な濃霧にうんざりしているかのようだ。

 

「えっ? なに言ってんのよ。こんな時間に入るもの好きなんてそうそういるはずが・・」

「Really? どこデスカー? ・・・見えないデース。加賀の視線の先・・・・・」

「あ」

「ア」

「あ・・・・」

 

きれいに重なるみずづき・金剛・瑞鶴の間抜けな呟き。そのハモり具合はそうそうなせる所業ではないほど、完璧だった。

 

「ど、どうも。お先に失礼してます」

 

社交辞令で用いる完全な作り笑いを浮かべ、肩までお湯につかりながら軽く会釈する。昼間のことで何か言われるのではないかと少し動揺し、たどたどしい言葉になってしまう。しかし、それは杞憂であった。

 

「なによ、水月じゃない。いるなら声かけてよ。知らずに鉢合わせたら・・・その・・」

「怖いのね」

「怖いデスネ」

「ち、ちが・・!! いや、別に違わないけど、違うと言うか・・」

 

自身を目にしても、表情1つ変えることなく3人は昨日となんら変わりなかった。その姿を見て、みずづきの心に安堵が広がっていく。

 

「すいません。どうしようかと思ったんですが、浴室内はこんな感じですし、タイミングを見てたら加賀さんに発見されました。でも、加賀さんは私がいることを知ってたようですけど?」

「えっ!? なんで?」

「はぁ・・・・。まったく、注意力散漫も甚だしいわ。ロッカーが1つ使われてたじゃない。それを見れば誰だって、中に人がいることは分かる。それに五航戦の言葉を借りる訳ではないけど、こんな時間に入るもの好きはそうそういないわ。しかも、1人で人目をはばかるように。まあ、水月以外の可能性も無論あるけど、その可能性が最も高いと踏んでいただけ。こういうところの癖は、戦闘時にも反映されるわ。前しか見ない癖が露わになった瞬間ね」

「っっ!? なにを偉そうに・・・。私は出撃と休息の切り替えをしっかりとしているだけ。あんたみたいにこんな時までちまちましてるほど、余裕もないし暇でもないの」

「負け犬の遠吠えって、知ってるかしら」

「な、なんですってーーー!!!」

 

いつも通りの戦闘を勃発させながら、2人の横でニヤニヤしている金剛を含め、3人がこちらへ歩いてくる。徐々に影が濃くなり、ついに濃霧が敗北する。明らかになる3人の姿。そのあまりの美しさと神々しさに思わず目を細めてしまう。と同時に心を蝕む絶大な敗北感。みずづきは湯船で世界の理不尽さに打ちのめされてしまった。しかし、まだだ。まだ、体全体の美しさでは勝負にならないが、みずづきにも勝てる要素がまだ残されている。そんな言い訳を立てながら、吸い込まれるようにみずづきの視線が3人の胸部に向く。そして、次に自身の胸部。涙が出てきそうになるのは気のせいだろうか。だが、世界はそんな乙女に救いをもたらした。涙が出そうになったのは、あくまで2人と比較した場合。他の1人と自身を比べる。そこには歓喜してしまう現実があった。

 

「やったっ。ふふっ。勝った」

 

みずづきはここが浴場であることをすっかり忘れた状態で、誰にも聞こえないと思い込んだ声量で勝利宣言を行う。水面下でのガッツポーズも当然ついてくる。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

刺さるような視線を感じ冷静さを取り戻すと、さきほどまでの戦闘が収束し、浴場内が静寂に支配されていることに気づく。お湯につかりぽかぽかのはずなのに、浮かびあげる冷や汗。おそるおそる顔をあげ、視線の発信源に目を向ける。

 

「ど、どうされたんですか、瑞鶴さん? い、いやだな~、顔が・・・・顔が怖いですよ」

 

ゴゴゴゴゴッという効果音が聞こえてきそうなほど、瑞鶴の体から怒気が噴出している。みずづきの歓喜は、加賀と戦闘中でもばっちり瑞鶴の耳に届いていた。恐るべし。そんな瑞鶴の肩に無表情の加賀が手を置く。それに動揺するも一瞬のこと。

 

「・・・・・・・なに?」

「あなたの負けよ瑞鶴。現実を受け止めなさい」

 

あまりに予想外の言葉に、瑞鶴は固まる。情け容赦ない爆弾投下は金剛からも行われる。

 

「ほほ~。水月も私や加賀には遠く及びまセンが、瑞鶴とは・・・・・・悲しかったら私の胸に飛び込んできてもいいネー!!」

「なによ、なによなによ!! あんたたちまで!! 私になんの恨みがあるのよーー!」

 

瑞鶴の心からの悲痛な叫びが木霊する。怒りはどこへやら。今では悲しみに支配されているようだ。その姿が過去の自身と重なり、なんだか複雑な心境になるみずづきであった。

 

 

 

「そうなんデスカ。2日ぶりのお風呂・・・。ジャア、そんな表情になるのも納得デース! ウンウン」

「えっ? そんな表情って・・・・今、私どんなしてるんですか?」

「至福の一時。という言葉がぴったり当てはまる顔よ。気持ちよさそうでなにより」

「えぇっ!? 私、無意識にそんな表情を!!」

 

みずづきは慌てて顔面を両手でペタペタとさわり、意識的に顔を引き締める。それを見て金剛は豪快に笑い、加賀は目を閉じているものの穏やかな表情を示す。現在、恥ずかしさで真っ赤になっているみずづきは金剛・加賀と共に1日の疲れを癒している。みんな大好きお風呂の効果なのか、昼間のような緊張感は皆無でゆっくりと時間が流れる。出会って2日。それなりに彼女たちとの距離を縮められたかもしれない。みずづきの心配は着実にお湯によって溶かされていく。和やかな雰囲気。

 

「ブクブク・・・・ブクブク・・」

 

・・・・・・・1人は違っていたが。

 

「ずーいーかーく~っ! まだ機嫌治らないんデスカ?? そんなところでしょげてないで早くこっちに来るデース。気にした方が負けデスヨ」

「ブクブクブクブクッ!!!!(あんたに言われたくない!!)」

 

金剛は大浴場の隅で三角座りをして、顔の半分近くまでお湯にうずめている瑞鶴をいい加減見かね、声をかけるがブクブク音で返される。何を言っているのか全く不明だが、なんとなく表情と雰囲気から感じ取れる。それはみずづきも同様だ。だが、瑞鶴から放たれる負のオーラは半端ではない。自身もそちら側へ回ることが多々あったので、瑞鶴の気持ちはよく分かる。しかし、ここで瑞鶴よりほんの少し、ほんの少しだけ胸が大きいと判明したみずづきが何を言っても火に油を注ぐだけなので、ここは彼女の戦友である金剛と加賀に一任だ。

 

「いつまでそこにいるつもり? あなた、その行動は自ら敗北を認めることと同義よ。いじけて変えようのない現実を恨むより、そのことに気付いたらどうなの?」

「・・・・・・・」

 

その言葉を受け瑞鶴は顔の半分を沈めながら、加賀の方を向く。一瞬、視線があらぬ方向へとび、一際大きな気泡が発生する。表情から察するにため息をついたようだ。

(その気持ち、よく分かります!!)

今まで断固として動かないという姿勢から一転。なにかを諦めてしまったかのような表情をたたえながら立ち上がると、ズンズンという効果音がぴったりの速さでこちらへ来て、当然のように加賀の隣に腰を下ろす。その際、勢いがよすぎて加賀へもろに水がかかる。先輩へ水をぶっかけても平然としている瑞鶴。それを加賀は髪の毛から水滴を垂らしつつ睨むが、その顔に迫力はない。まるで、瑞鶴の機嫌が少しでも改善されたことを喜んでいるような・・・

 

それを見て、微笑むみずづき。そこでふと、あることが気になった。

 

「そういえば、吹雪さんたちはご一緒じゃないんですか? なんだか不思議な感じがします」

 

まだ出会ってたった2日だが、みずづきにとって大日本帝国海軍の艦娘の中で最も接点を持っているのが第5遊撃部隊だ。その第5遊撃部隊といえばいつも6人でいる姿しか目撃していなかったので、こうして3人だけというのは少し違和感を覚えてしまう。

 

「北上と大井は私たちより早く時間が空いたからって、先に入ったみたいよ」

「そうなんですか。じゃあ、吹雪さんは・・・・・え? み、みなさんどうされたんですか?」

 

みずづきが吹雪の名前を出した瞬間、場の空気か一気に沈む。金剛や瑞鶴ならまだ軽い雰囲気だが、加賀まで加わってしまえばますます重くなってしまう。

 

「吹雪は・・・・うん」

「ブッキー・・・」

「・・・・・・・・・」

「ちょ、ちょっと、みなさん。なんですか、その意味ありげな反応は? 聞くのが怖くなってくるじゃないですか・・」

 

金剛・瑞鶴は乾いた笑みを浮かべ、加賀に至っては悲し気な無表情。3人は遠い目をしていましがたの光景を思い出す。

 

「ちょっとあれ、どういうことなの!? あの子、艦娘じゃなくて人間!?」

「銃もってたで、銃!! しかも、ごっつ凄そうなやつ。あれ、どう考えてもうちらの知ってるもんやないし、ここのもんでもない。ほ、ほんまに未来・・ん? 未来になるんやろうか・・

もう!!! 訳分かれへん!!」

「あのお手洗いを下した動きは完全に正規の軍人・・・・。でも、提督は艦娘って、ん? んん?」

「日本海上国防軍って何? そんなの記録にも載ってないよ?」

「吹雪!! あんた、あんなもの見せつけておいてまだしらばっくれる気っ!? いい加減にしてよ!! こんなんじゃ、まともに眠れないじゃない!!」

「曙ちゃん、冷静に、冷静に・・・・・・・。でも、私もかなり気になります」

「吹雪、いい加減、白状して。司令なんて知ーらない」

「あれを見てしまってはもうみんなを止めることは不可能よ。大丈夫。提督のことだから、許してくれるわ。万一の時は私たち一機艦も一緒にいくわ」

 

好奇心の塊と化し、艦種の差なく恐ろしく平等に詰め寄ってくる艦娘たち。その対象は第5遊撃部隊全員であったが、空母である加賀や瑞鶴、フレンドリーとはいえ戦艦である金剛よりも詰め寄りやすい相手がいた。もちろん旗艦であり最古参の駆逐艦の1人に数えられる吹雪だ。彼女が駆逐艦というのもあるが、基本的にお人好しで友人たちに恵まれているその性格が、今回大いに災いしていた。そして、それを見過ごすほど、歴戦の艦娘たちはバカではなかった。

 

「相変わらずブッキーは人気者デスネ! 私は必要ないようデス。なので・・・後はよろしくお願いしマース。・・・・goodbye!! 」

「私、ちょっとめまいが。ごめんなさいね、吹雪さん」

「(めまい? 顔赤くして何言ってんの)・・・・私も急に大事な用事を思い出しちゃって、後は任せた」

「えっ!? ちょ、ちょっと、朝に続いて夜もこれですか!! み、みなさーーん!! お願いだから帰ってきて―――!!!」

 

心からの叫びにかまうことなく吹雪を取り囲む艦娘たち。拳を握りしめ、唇をかみながら3人は背を向け一刻も早く離れるため、走る。

 

「さぁ、吹雪、舞台は整ったぜー。これだけの艦娘を前にしらを切り通すほど根性腐ってないよな、お姉ちゃん!」

「大丈夫よ。私たちは真実を知りたいだけ。煮たり焼いたりするわけではいないわ。だ・か・ら、どうぞ!!」

 

響く喧騒。時々悲鳴が聞こえるのは気のせいだろうか。それでも3人は足を止めることはない。吹雪の犠牲によって自分たちは解放されたのだ。これを噛みしめねば・・・・・。

 

 

「・・・っとまぁ、こんな感じ」

「なんですか、この茶番。大分、都合のいいように書き換えられてる気がしますが、要するに見捨てた訳ですよね? 吹雪さんを」

「もとはいえば、あなたが原因よ。あんなところで、冷静さを失うから」

「う゛・・・・」

 

大正論&純然たる事実がみずづきの心を穿つ。自分でもそれはとても反省しているので、反論の余地は全くない。

 

「まぁ、そうよね。あれとはいえ、一応中将の肩書きを持つ人間に発砲しちゃって」

「取り巻きを、パンチっ! And背負い投げしちゃッテ」

「最後は、目に涙を浮かべながらの一喝」

「来てそうそう、大活躍にもほどがあるよね」

 

言葉が重なるごとにみずづきは身体が小さくなっていく。今回は珍しく加賀も加わってからかう。金剛・瑞鶴のニヤニヤは止まらない。みずづきは肩身が狭くなるだけにとどまらず、段々と恥ずかしさで、もともと赤くなっていた顔がさらに赤くなる。

 

「も、もう、やめて下さーいっ!! わ、私だって、やっちゃったって自覚あるんですよ!!」

 

あまりの恥ずかしさに、さきほどの瑞鶴みたく顔の半分までお湯に沈むみずづき。その反応は小さい子供のようで、金剛と瑞鶴は爆笑する。加賀も例にもれず、うっすらと笑みを浮かべている。

 

「確かに、あなたの行動は問題だらけで決して褒められたものではないけど、間違っていたとは思わない。あなたがやらなければ、私や二人を含めた誰かが絶対に動いていたわ。これは誰もが分かっている周知の事実。・・・・本音で言えばみんなあなたに感謝しているのよ。艦娘、神様だなんだと言われていても、結局人と同じように一歩を踏み出すのに時間がかかってしまう私たちの代わりに動いてくれて」

 

優しい声色で語る加賀に驚き、みずづきは顔の半分を沈めたままその言葉に聞き入る。

 

「それはとても、とても価値のあること。おかげであれに一泡吹かせることができた。・・1つ言わせて、ありがとう。そして、同時に嬉しかった」

「嬉しかった・・・?」

 

ありがとう。その思ってもみなかった言葉が頭をグルグルと回転する中、これまた出てきた予想外の言葉が出てくる。

 

「あれの言葉は、いちいち私が言わなくても覚えているでしょ? あれは言ってはいけないことを平然といった。私たちの祖国である日本を、あんなふうに・・・」

 

加賀はわずかに身体を震わす。それだけで加賀も気持ちは誰にも伝わる。

 

「あの怒り並大抵のものじゃなかったわ。でも、あなたも私たちと同じ怒りを抱いていた。祖国を侮辱された怒りを。それを見てわかったのも私自身、どうかと思うのだけれど、あなたが人間や艦娘関係なく同じ故郷を持つ()()だとはっきり認識することができた。いくら名前が変わろうといくら時が流れようと、あなたは日本を守るために精進し散っていった()()()()()と同じ軍人。不安や疑念を抱く相手ではないわ。そう思ったのは私だけじゃない。みんなそうなの。水月?」

 

加賀は一旦、言葉を区切るとしっかりその瞳にみずづきを映す。みずづきも顔を水面から出し姿勢を正す。

 

「あなたが、私たちと一緒に戦うのか戦わないのか、それに口を出す気はない。但し、これだけは覚えておいて。あなたは1人じゃない」

 

あなたは1人じゃない。その言葉と加賀の優しさに覆われた表情が心に染み渡る。

 

「私だけじゃなくて、金剛も瑞鶴も吹雪も北上も大井も、他の艦娘たちもみんなあなたの仲間よ。なにかあれば1人で抱え込まないで」

 

(何かと思えば、こんなの反則・・・・・・・)

自分とこの世界の距離が一挙に縮んだような気がする。自分が生まれて、生きてきた世界とは違う世界。疎外感・孤独感ばかりが心に募っていた。そんな心に暖かさがじんわりと広がっていく。ここもあの世界と同じだ。急に目頭が熱くなってくる。一本取られた。

 

「あれ~? 水月~。目の端がきらきらとbeautifullyに輝いてマスヨー」

「ほんと。水月~、もしかして泣いt・・・・」

「泣いてませんっ!!」

 

邪悪な笑顔を浮かべる瑞鶴の言葉を途中で一刀両断する。

(ここで泣いたことを認めちゃえば恥ずかしすぎて死ぬ! なんとしてもしらを・・)

 

「いやでもね、それ明らかになみd・・」

「いやもでもも涙もありません。これはお湯です!! さっきまで目の下まで浸かってましたから、きっとそれですっ! ええ、そうです。そうに違いありませんっ!!!」

 

そう宣言するとマッハで再び顔の半分までお湯に体を沈め、真実がばれないように顔を明後日の方向に向ける。それはもはや子供っぽさを越え、可愛いとさえ感じられるほどだ。耐えられなくなった金剛と瑞鶴は再び爆笑し、加賀も「やれやれ」と言った様子で機嫌よく肩までお湯に浸かる。湯船から出て、外で別れるまで4人の話は途切れることなく続いた。




やっぱり日本人にはお風呂は欠かせませんね。(瑞穂も)
みずづきのテンションが前話と今話で全然違うことに驚かれるかもしれませんが、軍人をとっぱらった1人の女の子としては、こちらが本来のみずづきの姿です。めちゃくちゃ、ハイテンションですがね(苦笑)。

加賀たちの回想にも出てきましたが、横須賀鎮守府には大人数ではないものの第5遊撃部隊、第1機動艦隊以外のも艦隊があります。セリフだけですが、その中の一部の子たちに登場してもらいました。口調だけで誰か分かってしまう子をあえて選んでます。

16話では、多くのご質問やご感想をいただきました。
誠にありがとうございますっ!


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18話 碧い桜

御手洗の活躍でそれたあの話が、戻ってきました。


?????????

 

5月も暮れに入った初夏の一身に受ける新緑の葉っぱたち。その隙間からこぼれるわずかな光は木漏れ日となり、森の中に独特の清涼な雰囲気を創り出す。その中に伸びる人工的な階段。森の景観を重んじたのか、コンクリート製の強固なものではなく段差を木で補強しただけの簡素なつくりだ。そこを1人の少女が上っていく。かなり急峻な箇所もあるが、息切れは見られず平然とした様子。瑞穂海軍とも十人十色の艦娘とも違う制服を身に付けている。

彼女は、ある目的のため階段を上りつつ、もう昨日となってしまった出来事を思い出していた。

 

そりゃ、もう大騒ぎだった。大本営の上級幹部が鎮守府最高司令官の許可を得ず敷地に侵入し罵詈雑言を吐いたことにとどまらず、軍・政府を困惑の渦に陥れ処遇の議論にすら移れていない前代未聞の存在が、横須賀鎮守府内において偶発的発砲を行ったことも加わったのだ。これは昨日中に軍上層部にも知れ渡ったため、混乱は横須賀だけでなく東京にも広まった。その大波はもちろん軍の将兵と、国防省の官僚を憔悴させている当事者のみずづきにも押し寄せてきた。発砲したことを後悔しないと決めた心が揺らぎ、浮かび上がった罪悪感によって常時苦笑を張り付けるハメになる程度には。しかし、それは例え死の恐怖があったとしても、みずづきの決心と信念を覆すまでにはいたらなかった。自身がなしたことの重大性。みずづきはそれ十分に認識していた。上官への発砲だけでも死刑になりかねないのに、護身のためとはいえ許可なく拳銃を所持していたのだ。どんな罰が下されるのか。だが、恐怖を必死に抑えつける形で覚悟を決めていたみずづきに百石が告げた言葉は、「おとがめなし」だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」

 

全く予期していなかった言葉に、それだけ言うと瞬間冷凍したかのように固まってしまったみずづき。冗談かと思い自分の耳を疑ったが紛れもなく真実だった。その反応を見た百石の爆笑ぶりは強く印象にも残っている。百石はそれだけを告げたあと、部下にせかされみずづきのもとを去っていったが、その背中はおととい以上にかげっているように見えた。おそらくみずづきを救うために法的、実務的とわず様々な手を施してくれたのだろう。その姿勢には感謝しかない。だが、当然ながら29式自動拳銃は没収された。加えて、女性軍人と艦娘たちによる身体検査も行われ、腰に備えつけていたナイフも拳銃のあとを追う運びとなってしまった。ナイフが見つかった瞬間の、なんとも言えない空気は今思い出しても身が縮んでしまう。

 

空っぽになり寂しくなってしなった29式自動拳銃の収納フォルダーを触りつつ、みずづきは終わりが見え始めた階段を着実に消化していく。ここはもちろん外である。みずづき自身、百石からじきじきに外出禁止を言い渡されていたため、まさか許可をもらえるとは全く思っていなかった。しかし、外出禁止の真意を考えれば納得のいく話である。昨日の発砲と激情は()()の艦娘の前で行われたのだ。そして、大まかなみずづきの素性と邂逅時の状況は百石と詰め寄られた吹雪の口から語られ、これも全ての艦娘にいきわたっていた。要するにもうみずづきの姿を秘匿する必要性がなくなったというわけだ。外に出れば艦娘や一般将兵と接触することは確実だが、みずづきの性格や吹雪たちとのやりとりを見れば問題ない。百石はそう判断し、その旨と外出を許可制にすることを今朝みずづきに伝えたのだ。これはあくまで許可制であるため、自由に外を出歩けるわけではない点には留意しなければならない。しかし、みずづきはもう外出している。彼女はそれを伝えられたその場で外出を申請したのだ。早いことこの上ない。それには百石も、それを隣で見守っていた長門も苦笑するしかなかった。

 

最後の階段を登り切り、少し開けた場所に出る。ここは1号舎などがある中央区画の裏手にあり、横須賀鎮守府のど真ん中に位置する中山と呼ばれる山の中腹だ。山というからには漠然としたイメージの山を思い浮かべてしまうが、中山は標高が非常に低く鎮守府の建物より一回り高い程度に過ぎない。お目当てのものまであと少しだ。木々がはけ横須賀湾を一望できる特等席にそれはあった。青々とした葉を茂らせる落葉広葉樹。日本人ならば、その葉を見ただけで正体が分かるだろう。古来よりその美しさと儚さが人々の心を動かし、日本の美意識の中核をなしてきた桜。それが、今みずづきの前に堂々と生の営みを続けている。なにも変わらない。日本の桜と。そして、よく似ていた。須崎基地本庁舎の裏手に生えていた桜と・・・・・。

 

「うわぁ~、すごいな~。なんだか、懐かしい。とんだ偶然もあったもんね」

 

初見のはずにも関わらず、抱く既視感。それを胸に納めつつ幹に背中を預けるようにして根元に腰を下ろす。階段によって少しばかり火照っていた体には、地面のひんやり感が心地良い。

 

日本を思い出すものを見たからだろうか。昨日、浴場へ行く許可をもらうため提督室へ出向いた際に、百石から投げかけられた言葉を思い出す。

 

「日本に、帰りたいか?」

 

穏やかな口調。しかし、顔は真剣そのものだった。

 

「君もここに来た原因が分からないのだろう。いまだに艦娘たちがどうしてこの世界に来たのか解明できていない私たちでは頼りないだろうが、最大限の協力はさせてもらう。昨日は興奮しすぎて忘れていたんだが、もし君が私たちに協力する選択をしてもそれは、帰る方法が見つかるまでの措置だ。その逆もまたしかり。否でも、しかるべき機関に協力するよう働きかけるから、その点、しっかりと理解していてほしい」

 

百石はそう言った。それを聞いた時、とても嬉しかった。それは偽りのない本心。しかし、それと同時にどうしようもない悲しさもこみ上げてきたのだ。

 

日向灘での最後。自分がどうなったのか忘れるわけがない。あの痛み、あの暗さ、あの喪失感。

 

みずづきは―――――――死んだのだ。

 

だから、みずづきは根拠などなくとも直感で理解していた。もう帰れない。もう、自分は2度と日本の土を踏むことは出来ないのだと・・・・・・。

 

「我ながらなんて欲が深いんだか・・・・・。司令やかげろう、おきなみ、はやなみ、いっぱい死んでいった人たちに比べたら、マシなのに、なんで・・・・・」

 

みずづきは死んだにも関わらず、気付けば並行世界に飛ばされていた超常現象に遭遇し、今も生きている。心臓は鼓動を打ち、心は揺れ、腹が減る。自分でもわけのわからないことを言っている自覚があるが、それでもあれは死だ。そして今の状況がどれだけの幸運なのか、そうなりたいと思ってもなれない人がどれほどいるのか分かっていても、それでも心は真冬のように寒い。

 

そんなみずづきの前に4匹のスズメがどこからともなく降り立つ。そのじゃれ合う姿は微笑ましい。ほほをなでる風。森独特のなんともいえない匂いが鼻腔をくすぐる。それで冷えた心を温めたみずづきは、自身のほほを手でたたき、ここに来た本来の目的を確認する。

 

「ったく、なにやってるんだろう私・・・・」

 

徐々に透き通ってくる思考。悲壮感を心の隅に追いやり、おととい百石に言われた言葉を思い出す。思考は切り替えが重要だ。

 

 

 

“私たちと一緒に戦ってくれないか?”

 

 

揺るぎない瞳と真剣な言葉。そこから感じられる強固な意志。百石をそこまでさせる理由をみずづきは痛いほどよく理解している。加賀たちの優しい微笑みと言葉によって、孤独感という心のつっかえが取れ冷静に考えられるようになったものの、やはり判断が下せない。

 

「あぁ~、あの単純さがうらやましいぃ!」

 

とある仲間の顔を思い浮かべる。彼女は同じ艦娘で厳しい訓練を突破し、地獄を見てきた身でありながら、直情的で頭で考えるより体が先に動くタイプだった。いまだに、艦娘学校でまともに講義を受けていたのが疑問である。

 

「・・・・・まぁ、すき放題やりすぎて、司令官の堪忍袋と胃をけずりまくってたけど・・・」

 

おそらく彼女がみずづきの立場なら、現状に少し戸惑いはするもののすぐに決断を下すだろう。「戦う」という決断を。

そこで、みずづきは自身が迷っている理由をもう一度思い出す。

 

「私は日本海上国防軍の軍人。そして、私たち軍人の役割は日本と日本国民を守ること・・・」

 

自衛隊を経て日本の純然たる軍事組織となった国防軍の役割は単縦明快だ。現状のような危機的状況において、その信念は平時よりもはるかに重い。しかし、その信念は十分に果たされなかった。自身が自衛隊に入る前も、入った後も・・・・。それは軍人ならば誰もが抱えていた後悔と葛藤。だからだろう。誰もが「日本を守る」という信念を声高に叫び、自身が抱く様々な想いをねじ伏せ、それしか見なかったのは。それはみずづきも例外ではなかった。そんな日本にいれば振り返ることすらなかった当然を、瑞穂の、中山の、木々と太陽が生み出す爽やかな空気が融解する。みずづきはそれに違和感を覚える。5年間の軍人生活を通して何かを忘れているような気がするのだ。

 

「私、そんな大それたこと思って軍に・・・・あの時まだ自衛隊だったけど、志願したんだっけ・・・・・・?」

 

自身で言っておきながら、「ないない」と手を横に振り否定する。軍に志願すると決めた時、みずづきは普通の女子高生だった。その時は既に深海棲艦との戦争によって世界、そして日本はどん底に落ち、みずづきもその中で必死に生きようともがいていた。だが他人はどうであれ、いくらそうであってもさすがにそこまで崇高な目的を抱けるほど、みずづきはできていなかった。できていたなら、須崎なんて辺境に飛ばされることなく、あきづき型以上の艦娘になれただろう。

 

「あの頃なんて思ってたんだっけ・・? う~ん・・・・・・・。あっ、そういえば」

 

常時蓄積される記憶の中に埋もれて忘れ去られようとしていた記憶が、他の記憶をかき分け急速浮上をしてくる。なんとも懐かしい記憶。

 

それは須崎基地に配属されてからしばらく経ち、ようやく新生活にも慣れ始めたある日の記憶。その日は仕事が立て込んでおり夜までかかると踏んでいたのだが、嬉しいことに予想以上に処理がたやすい仕事ばかりだったので、夕方までには終わった。そのため、散歩と気分転換を兼ねて海を眺めようと基地内の岸壁に向かったのだ。

当時、第53防衛隊は新編されたばかりでみずづきと知山の2人しか所属しておらず、まともな訓練や出撃が出来なかったため2人で事務仕事ばかりしていた。ただ、そのころには艦娘部隊の実戦配備と海空における敵迎撃網の構築が進み、敵の本土爆撃も急減し戦局は膠着状態にあった。だから、第53防衛隊がそのような状況でも上からのおとがめは全くなかった。

岸壁に近づくと、そこには見知った先客がいた。彼はぼーと海を眺めていたが、みずづきが近づくとさすがに気づいたようでこちらへ振り向いた。

 

「なんだ、みずづきか・・・・。驚かせるなよ」

 

だが、すぐに笑顔を見せる。最後まで変わらなった知山の笑顔。それを見て安心したみずづきは彼の隣に陣どり、他愛ない会話を交わした。そして、会話が途切れカモメの鳴き声という名の間奏曲が流れているときに、聞いたのだ。

 

「司令官はなんで軍に入ったんですか?」

 

当時の自身がなにをどう思ってそのようなことを聞いたのか、今となっては完全に忘れてしまった。いろいろ考えた末の行動だったのか、ふと突然浮かんだものだったのか。しかし、それを真剣に問い、真剣に答えを待っていた自分がいたことは鮮明に覚えている。

 

「えっ?」

 

いきなりこんなことを聞かれるとは予想外だったのだろう。知山の素っ頓狂な顔。だが、それも一瞬で彼はすぐに表情を引き締め、こう言った。

 

「金のためだな」

「・・・・・・・・・」

 

見事なドヤ顔。場を支配するなんとも言えない空気。気付けばみずづきは知山を無表情で睨みつけていた。

 

「・・・・・聞いて損しました。そして、失望しました。どうやらあなたは私が思っていた以上にダメな人だったようですね」

「え? ん? ちょっと待った。俺普段どういう風に思われてんの?」

「ご想像にお任せします」

「い、いやだな~」

 

おどけたような口調で、苦笑しながらほほを書く知山。それを疑いの目で見ていたが、この当時既にみずづきは知っていた。知山は決して「金のため」ではなく、立派な軍人と同じ理念を持ち軍務に励んでいることを。それはすぐに証明されることとなった。先ほどから一変。そこまで真剣な口調ではなかったものの普段と同じ声色が、語られる言葉の信憑性を格段に高めていた。

 

「軍に入った理由、か・・・・。冗談みたいに言ったが、金も理由の1つさ。7.22後の震災不況と東京五輪後のオリンピック不況のダブルパンチが、運悪く俺たちの就活時期を直撃したんだよ。民間の就職は絶望的だった。そりゃそうさ。会社がそこらじゅうでつぶれて、失業者が街にあふれ消費が凍ってた状況じゃ、誰も人を採用しようとは思わない。だが、俺はどうしても正規の仕事に就きたかった。奨学金も借りてたし、親も俺を大学へ通わせるために借金をしてた。そこで、だよ。軍に・・自衛隊に入って生きてさえいれば給料が確実に入るし、余程のことがない限り解雇されない。安定の終身雇用で、万一死んでも年金が家族に入る。福利厚生もバッチリ。正直、自衛隊の求人ポスターが輝いて見えたよ。だが、それはあくまで副次的なものでしかない。さすがにそれだけじゃ、自衛隊に入ろうとは思わなかった。・・・・・・みずづき? 君は西()()()()()()を覚えてるか?」

 

瞬間、背筋に悪寒が走った。忘れるわけがない、忘れられるわけがない。体が少し震えていたことを確実に知山は見抜いていただろう。顔もきっとこわばっていたに違いない。

 

「あの時、俺は・・・・・・何もできなかった。テレビやパソコンやスマホを見てただただ茫然とすることしかできなかった。大勢の人たちが車を走らせて数時間のところで助けを待っていたのに、自身も被災してボロボロになっても救助活動に従事してる人たちがいるのに、それを俺はただ・・・・・・・・見てただけ。少し揺れて半日停電しただけの地域から、震災が起こる前と変わらない日常の中から・・・・・・・。その無力感と罪悪感がきっかけだよ。こんなちっぽけで無力な存在でも誰かの命を守ることができるのなら、守りたいと思った。それができる一番の近道は自衛隊だった。ちょうど中国が調子に乗ってた時期でもあったし、日本を馬鹿どもの脅威から守りたい、とも。だから、俺は・・・・自衛隊に入ったんだ。でも・・・」

 

それに続けて紡がれた言葉は、聞き取れなかった。ただ、知山の顔はひどく悲しげで後悔に満ちているような、そんな表情だった。一体、どんな言葉を言っていたのだろうか。だが、それも気のせいであったかのようにすぐ消える。そして、知山から問いが投げかけられた。

 

「俺はこんな感じだ。聞かれたから聞くが、みずづき? 君はどうして軍に入ろうと思ったんだ?」

 

その問いをうけ、様々な想いが心で駆け回ったことを今でも覚えている。しかし、その時のみずづきはそれをしっかりと受け止め、自らの出した答えを知山に負けない決意をもって伝えたのだ。

 

「私は・・・・・・・・」

 

そこで記憶は途切れる。

 

「え・・・・・、マジ? 一番重要なところじゃない!」

 

肝心なシーンで緊急ニュースやCMが入ったときのようなイライラを抱え、記憶の続きを垣間見るため思い出そうとするが、全く思い出せない。知山の言葉のみ記憶して自身は知らん、という自らの姿勢にはつい辟辟してしまう。

 

「まぁ、・・・・4年も前のことだし忘れても仕方ないか。しっかし、あの時私なんていったんだろう・・・・。あぁーっ、モヤモヤするっ」

 

だが、やはり思い出せない。頭に力を入れれば入れるほどモヤモヤは増大していく。1人で「うーん」と唸っていると、さきほどみずづきがあがってきた階段から人の気配が徐々に近づいてくる。土を踏み固める音、息遣い。うなりを中断し、階段方向へ振り向く。桜に横に生えている木々が邪魔だったものの、すぐに気配の正体は判明した。その人物はみずづきがよく知っている少女だった。

 

「あっ! いたいた。おはようございます、水月さん。って、もうこんにちはの時間ですね。あはははっ」

 

昨日に引き続き晴れ渡っている青空のように朗らかな笑顔。しかし、みずづきはそれとは対照的に目を大きく見開く。

 

「吹雪さん・・・・、あっ、おはよう・・・じゃなくて、こんにちは。一体どうしたんですか? こんなところでまさか誰かに会うなんて思ってもなかったので、驚いちゃいましたよ」

 

そうだ。そうなのだ。ここは中山の中腹。ここから下界を見渡せば人の姿は容易に捉えられるものの、山の中には人の気配など微塵もなかった。加えて定期的に手入れはされてるらしいのだが日常的に人が入っているとは、階段の状況から察するにとても思えなかった。それに、驚いたというか動揺した理由はもう一つ。加賀や金剛・瑞鶴とは昨日、浴場で顔を合わせたが、吹雪とはあの騒動以来、初対面なのだ。せめて心の準備を行う時間が欲しかったが、現状はみずづきのささやかな願いなど知らんといわんばかりだ。

 

「すいません、驚かせるつもりはなかったんですけど、水月さんに急ぎの用があって」

 

ほほをかきながら、吹雪はみずづきから桜へ視線を変える。

(急ぎの用?)

それが気になり言葉がのどまで上がったが、それが吹雪に伝えられることはなかった。吹雪が先に口を開き、偶然みずづきに先制する形になった。

 

「すごいですね、ここに来て2日でこの桜を見つけるなんて。私、先任の子たちに教えてもらえるまで気付かなかったんですよ」

「そんな感心されることではないですよ。宿直室にいる間はとにかく暇で、退屈しのぎに窓からこの中山を見ていたら偶然見つけただけです。吹雪さんが気づかれなかったのは、自身の役割を全うするために奔走していた証拠じゃないですか」

 

今は5月。新緑の季節は桜とて例外ではない。他の木々と完全に同化してしまっている桜を見つけだすことは、植物学者でもなんでもない素人には困難だ。みずづきもすぐに見つけられた訳ではない。吹雪と同じ立場なら、確実にみずづきも気付かなかっただろう。

 

「いえいえ、そんなことないですよ! あの頃は新しい環境になれるのが精いっぱいで・・・でも、そう言ってもらえるのは嬉しいです。ここの桜も今は葉桜ですけど、きれいなんですよ。しかも、ちょうど1号舎の裏手ですから、鎮守府内からもよく見えるんです」

「おおー、それはまたなんとも、風情がありますね。・・・・・・ここの桜も同じ、か」

 

日本の桜を思い浮かべる。新生活、卒業、入学、入社など人生の転機が訪れる季節を彩る桜色。瑞穂の桜もほとんど違いはないらしい。みずづきの小さな呟き。それを吹雪はしっかりと聞いていた。表情は前方の景色を眺めているため、横顔しか窺い知ることはできない。沈黙。これを好機と見たみずづきは、のどまで出かかって止まった言葉をついに吐き出す。

 

「・・・・・さっき仰ってた急ぎの用ってなんですか?」

「あっ!! そうだった・・・、白雪ちゃんたちに待ってもらってるんだった・・・」

 

完全に忘れていた。吹雪は思慮深い表情から一転。年相応の焦りを浮かべ、それがありありと分かるある意味、はたから見ればほほえましい表情となる。

 

「ん? 待ってもらってる??」

 

一方、吹雪の呟きから用が全く想像できないみずづきは、首をかしげるしかない。少なくともみずづきに負担を強いるようなものではないようだが。

 

「これから同型艦の子たちと街へ買い出しに行くんですけど、水月さんもよかったらご一緒に、と思って・・」

「えっ!? わ、私と!!」

 

思わず、大声をあげてしまう。唾を飛ばしていないか非常に気になるが、これは置いておく。だが、これは全くの予想外、想定外だ。並行世界に飛ばされる、などという超常現象を経験しても、生きている以上はどこの世界でもこういうことに例外はないらしい。

 

「はい。あっ、気が進まないようなら無理には・・・」

 

みずづきの反応を予測していたのか、手を胸の前に押し出し苦笑と合わせて、気遣いを示す吹雪。出会って2日だが、ファーストコンタクトの相手ということもあり吹雪はみずづきと最も面識があるといっても過言ではない。しかし、それでもたった2日であり、正直そこまで仲が進んだとは胸を張って言えない状況だ。誘った理由を知りたくなるのは、当然だろう。

 

「どうして私を? 仲がいい人たちとのせっかくの外出なのに、台風の目である私がその輪の中に飛び込んでもいいですか?」

「深い意味はありません。ただ、水月さんは色んな出来事に遭遇して、悩みを抱えて・・・気分転換にでもなれば、と。そして、水月さんにも見て知ってほしいと思ったんです。この・・・・・・・・・瑞穂という国を」

 

吹雪の視線は目の前の景色に張り付いたまま、動かない。

 

「・・・それに水月さんともっとお話ししたいと思ってたんです。ああっ! これは私だけじゃなくて一緒に行く子たちも同じ意見なので、そこはご安心を」

 

赤面し照れ隠しのためか顔の前で手をワタワタとふりながら、みずづきへ顔を向ける吹雪。恥ずかしさで挙動不審になっているが、そこに影は全く介在していなかった。そこにあったのは、みずづきへの純粋な気遣い。

 

あきづき型特殊護衛艦みずづきは、特型駆逐艦吹雪の優しさに圧倒された。

 

これを無下にできる人間が果たしているのだろうか。もしいたら吹雪を知っている全存在から制裁をくらいこと間違いなしである。そして、みずづきはまっとうな人間である。まだ、出会って2日、注釈を入れれば3日目。それだけの期間にも関わらず、吹雪はみずづきの葛藤や不安に想いを馳せてくれていたのだ。その姿勢には尊敬の念を抱かざるを得ないし、嬉しい。これは「行く」の一択だろう。吹雪の気遣いをあえて脇においても、並行世界がどうような場所か興味は尽きない。みずづきは今、「あり得ない」が生ぬるく感じるほど、人智を越えた状況に身を置いているのだ。これを生かさず鎮守府内でごろごろしていては、「馬鹿」である。

 

「吹雪さん、ありがとうございます。私を誘っていただいて。いろいろご迷惑をおかけするかもしれませんが、ご一緒させていただいてもいいですか?」

「ほ、ほんとですかっ!?」

 

わずかに不安を抱えて暗くなっていた瞳は本来の光を取り戻し、表情が一挙に明るくなる。それにみずづきもつられてしまう。

 

「おっしゃるとおり、根を詰めすぎるのも問題ですからね。私、こう見えても歴史とか結構好きで、この世界にとても興味があります。それに、その・・・・・・わ、私も、その、吹雪さんたちとの外出は楽しそうで、行ってみたいですし・・・・」

 

ぼんっ!! こんな効果音が聞こえた気がした。ついでに言うならみずづきの頭から湯気が出ている気もする。みずづきは顔や耳を真っ赤に染め、吹雪を直視できずに下を向く。次に恥ずかしがるのはみずづきらしい。

 

(は、恥ずかしぃぃぃぃぃぃぃ!!!!)

 

吹雪も言ったのだから自分も正直に言わなければ、と思い口にしたのだが、やはり思うことと言葉にするのは重みが全く違う。恥ずかしさに悶えつつ吹雪も様子を気配で窺おうとするが、それよりも先に右手が握られる。驚いて顔をあげると、みずづきの様子を笑いもせず嬉しさのあまり顔を輝かせている吹雪が、目の前にいた。

 

「よかった! よかったです!! 勇気出してきた甲斐がありましたっ!!」

 

そういうと吹雪はみずづきの手を握ったまま体を180度回転させ、背を向ける。

 

「それじゃ、早速行きましょう!! というか、早くしないと白雪ちゃんたちのお怒りが・・」

「はははっ。吹雪さんが来てから、だいぶ時間たってますからね」

 

そのまま吹雪は歩き出す。テンションはいつも以上に高い。みずづきは右手を引っ張られ形になるが、こうなると薄々感じていたので、抵抗なく移動を開始する。徐々に遠ざかりついには見えなくなる桜。階段を下り、風に揺れている木々の間を歩きながら少し恥ずかしさを落ち着かせて冷静になったみずづきは、自身の立場を思い出す。

 

「あの、吹雪さん? いまさらですけど、私が横須賀鎮守府の外に出てもいいんですか?」

 

みずづきは許可制による鎮守府内での行動の自由しか認められていない。少なくとも百石からはそう聞いている。だが、吹雪が行くといったのは鎮守府の外だ。

 

「そこは心配なさらなくても大丈夫です。きちんと司令官には()()()()ですから」

 

満面の笑みで()()()()に力を入れる吹雪。なんだろう。聞きたいけど、聞いたらいけないような感じがする。

 

「そ、そうなんですか。意外、ですね、はははっ」

「でもよくよく考えたら、横須賀鎮守府の中だからこそ行動制限がかけられているんですよね」

「えっ? ・・・・・・あ」

 

みずづきが拘束された理由。それは彼女が得体のしれない存在であり危害を加える可能性があったことと同時に、その得体のしれない存在が「日本」を口にし、艦娘たちを不安に陥らせたためだ。また、恐れがあったことも大きい。しかし、前者については武装も完全に解除され、みずづきの性格からもその可能性は消えた。後者の2つについても、もはや解決は秒読み段階。そして、後者は情報を知っている者のみが抱くものだ。なにも知らない一般人にとって、艦娘と人間の区別がつけられないように、みずづきもはたから見れば普通の瑞穂人である。恐怖を抱く対象ではないし、鎮守府の外ではみずづきが普通の人間として溶け込むことは造作もない。そして、横須賀は鎮守府があり艦娘も所属する海軍の一大拠点である。警備は他の街と比較して厳重であるし住民も軍関係者が多く、一般住民も深く関与しないという一線はわきまえている。いうなれば、機密まみれの軍人に優しい街なのだ。

 

そして、吹雪の気持ち。これらを考慮すれば、鎮守府外への外出も認められるだろう。もっとも、それを分かっていても迷いに迷っていた百石にとどめを刺したのは吹雪のある言葉だったが・・・・・・・

 




なんのために戦うのか?

そして、その問いを経たうえでの、百石の提案に対する答え。

これが第1章の主題となります。変な方の乱入もありましたが、一つの節目に向けてようやくボールが転がり始めました。

久しぶりに知山がでてきたので、彼について1つ。
彼が今話で「自衛隊に入った理由」を語っていました。これはいつになるか分かりませんが物語において重要なカギとなる可能性があります。まだ、確かなことは言えませんが参考程度に。

彼は、何を、守るために自衛隊に入ったんでしょうか。


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19話 お出かけ 前編

おかげさまで、本作のUAがいいい、1万を越えましたぁ!!

書いている側としては嬉しい限りです!! 


横須賀鎮守府 正門

 

昨日、例の三人組が悠々と駆け抜け、そして背中に殺意を連射されながら追い出されていった正門は、いつもの静寂かつ若干の緊張感が漂う雰囲気に戻っていた。

 

「暑い・・・・・・帰りたい・・・・・」

 

そんな中、雰囲気にそぐわない嘆きが響く。門柱の陰。人の背丈より少し高いそれは空の直上に達した太陽からの日差しを受け、一時的な涼の提供場所を作っていた。そこに退避している3人の少女たち。詰所の門番たちが「暑いからこちらどうぞ」と詰所の中に案内しようとしても、彼女たちは「仕事に邪魔になるから」の一点張り。こうして彼女たちは暑さに耐えつつ、とある人物を今か今かと待っていた。

 

「苦しい・・・・・死んじゃうかも・・・・・」

 

日光と5月の暮れにしては高めの気温に活力を吸い取られた初雪は、少しでも涼を得ようと門柱に露出している肌をくっつける。しかし、門柱もすっかり日光に屈していた。

 

「・・・・・・・・冷たくない」

「あったりめぇだろう。さっきまでそこ、太陽にあたってたんだから。しっかし、吹雪のやつ遅いな。こりゃ、手こずってんのかね」

 

初雪とは対照的に額に汗を浮かべつつも、元気オーラを放っている深雪。しかし、それでも日光に容赦なく焼かれる気はないらしく、いつも通りバテている初雪にちょっかいを出している。

 

「司令官とも結構話してたもんね。でも、吹雪ちゃんのことだから、必ず水月さんを連れてきてくれるよ。だから、もうちょっとの辛抱だよ、初雪ちゃん、深雪ちゃん!!」

 

初雪のナーバスぶりはいつものことであるが、それを勘定しても少し暗くなった雰囲気を持ち直そうとする白雪。

 

「・・・・・・・・・・・帰りたい」

「もうっ!! 初雪ちゃん!!」

「まぁ、俺も心配しちゃいないけどな。むしろ、俺たちのこと忘れておしゃべりしてる可能性の方が大きいと思うぜ」

『・・・・・・・・・』

 

沈黙。ここに三者が意見の一致を見た。吹雪は真面目でお人好しだが、少々というか天然の気があることはもはや妹の枠を超えて横須賀鎮守府内の常識である。

 

「みんなーーー!!」

『ん? この声は・・・』

 

噂をすればなんとやら。声のした方向に目を向けるとそこには小走りで向かってくる2人の人影が見えた。前方に位置する人物はこちらに手を振っている。それを見た瞬間、白雪と深雪も手を振る。初雪は・・・・・・けだるそうに下へ行こうとする視線を吹雪たちに固定する。

 

「吹雪ちゃーん」

「吹雪! 遅すぎて、くたびれちまったぜ。まぁ、どうせ俺たちのこと忘れてなんかしてたんだろうけど」

「えっ!? い、いや、そんなことないですよ。ないよ、うん、しっかり覚えてたよ・・・・うん」

 

どんどん小さくなる声量。嘘だと丸わかりだ。

 

「・・・・・・・・・忘れんぼ」

「うっ。ご、ごめんなさい」

「いいよ、いいよ。私たちも覚悟してたから。それにきちんと目的は果たしてくれたしね」

 

4人のやり取りを見て場違い感をひしひしと受け止めていたみずづきに、3人の視線が向けられ、思わず心拍数が上がってしまう。だが、自分で一緒に行くことを望んだ以上、ここで怖気づくわけにはいかない。みずづきにとって吹雪の妹にあたる白雪・初雪・深雪とはこれが初対面であり、姿を見るのも初めてだ。一方、白雪たちは初対面である点はみずづきと変わりないが、姿は昨日拝見済みだ。思い出される昨日の情景とあの時抱いた感情。そして、詰め寄った吹雪から聞かされたみずづきの正体。それらがないまぜになった視線でまじまじと見つめる。みずづきも艦娘の正体を思い出しながら、3人を見つめる。

 

「ふふっ」

 

目の前の光景が、初めてみずづきと第5遊撃部隊が接触したときとよく似ていて、吹雪はつい笑みをこぼしてしまう。

 

「はいはい、お互い見合ってないで自己紹介をするよ。じゃあ、まず白雪ちゃんから」

 

吹雪の声を受け、白雪は慌てて居ずまいを正す。

 

「はじめまして水月さん。私は特型駆逐艦2番艦の白雪です。川内さん隷下の第3水雷戦隊に所属しています。どうか、お見知りおきを」

 

中学生のような外見からは想像できなき丁寧な自己紹介に、みずづきは少し動揺してしまう。しかし、みずづき・白雪以外の3人は知っていた。白雪が大人びて見えるのは今のように緊張感がある場限定であり、普段は外見相応になることが多々あることを。自己紹介を終えた白雪は後ろで門柱にくっついている初雪に視線を送る。はたから見れば何も感じないありふれた視線。しかし、向けられた方にはたまったものではない迫力が伝達される。それを受け、初雪は嫌々ながら門柱から離れ自分の足で立つ。そして、気力を振り絞り・・・。

 

「・・・・・・初雪です・・・・・よろしく・・・・・」

 

以上で終了。

 

(短っ!!!)

初雪の気だるげな様子に苦笑していたみずづきであったが、これにはツッコミを入れざるを得ない。吹雪たちも額に手をやりやれやれといった様子だ。どうやら今に限ったことではなく、いつもこんな感じの子のようだ。だが、そこに悪意や敵意などは微塵もない。少し赤くなった耳を見るに、むしろ恥ずかしがっているだけではないだろうか。

 

「んじゃ、次は俺だな。おっす、水月っ!! 俺は特型駆逐艦4番艦の深雪だ。所属はこいつらと同じ第3水雷戦隊。姉貴ともどもよろしくな!!」

 

気のせいだろうか。周囲の温度が若干上昇したように感じる。初雪の自己紹介の後では余計にそうだ。みずづきはその熱さに一歩引きそうになるがなんとか踏ん張った。3人の自己紹介が終わったところで、みずづきは再び彼女たちを凝視する。吹雪の妹たちと聞いてどんな子たちなのか興味を抱いていたが、現実は想像の斜め上を言っていた。外見は、似ている。制服の影響もあるのかもしれないが、「妹です」と紹介されても違和感はない。しかし、問題は性格だ。3人とも三者三様で、初雪と深雪の性格は雲泥の差がある。第5遊撃部隊を通して、艦娘がそれぞれ個性的で十人十色であることは承知していたが、姉妹間でも同様なようだ。

 

「最後は私ですね。いまさら感はありますが、はじめまして。おとといからいろいろお騒がせしているみずづきです。今日は誘っていただきありがとうございます」

「いいって、いいって! 俺たちもあんたと話してみたかったんだよ。なぁ、白雪、初雪?」

 

ぺこりと頭を下げたみずづきの肩を叩き、豪快に笑う深雪。

 

「うん! 私たちがこの世界に来た奇跡と、水月さんがこの世界に来た奇跡。奇跡なんて言葉が軽く感じるぐらいのあり得ないことが積み重なった結果が今の状況だもの。昨日の一件で水月さんの人柄を少しでも知りたいとも思いましたし」

「あはは、はっ」

 

強烈な既視感が頭をよぎる。この展開、白雪は()()()と違い純粋な気持ちを語っているが、昨日とほとんど同じではないか。反射的に初雪たちの顔を見る。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

そこには捉えようによって対処しがたい感情があった。そう、駆逐艦たちは純粋だったのだ。からかうなどという小賢しい考えは微塵も感じられなかった。だが、この後の展開が読めてしまった。

 

「あれは名演説・・・・ここにぐっと来た。格闘戦も見事・・・・・あの爽快感はめったに味わえない」

「そうそう! 初雪も分かってんじゃねぇか! くぅぅ~!! 久しぶりに身体がしびれたぜ。あれで俺はピンってきたんだ、頭に頭っ! あんたに対するよからぬ憶測がいろいろ流れたたが、あんたはいいやつだってさ」

 

前言撤回。展開は読めたが結果は分からなかった。ここ最近は艦娘たちの人柄に圧倒されるばかりだ。加賀に深雪。言葉に込められた想いは全く違う。しかし、直感的で多少幼い思考から生み出されたその純粋さも、かけがえのないものに変わりはない。

 

「あの土偶野郎を精神的にボッコボコにして、取り巻きどもと遊んだんだ。そんな人が悪者のわけないじゃんか!!」

 

・・・・・・最後の言葉がなければ、感動の度合いはもっと高かったであろう。純粋さは何色にも染まってないが故に、時には凶器にもなるのだ。

 

深雪から土偶野郎、もとい御手洗が出てきたのであの方々がどうなったのか説明しよう。例の三人組は川合を筆頭とする警備隊に取り囲まれた後、更なる取り調べ(っという名の素養教育)を行うため警備隊本部に連行された。その憐れな姿はみずづきですら同情を禁じえなかったほどだ。それで終わりかと思いきやそうではない。今度は百石をトップにしたそうそうたるメンツの横須賀鎮守府幹部たちとのお話だ。彼らの眼光は一瞥しただけで相手の肝を瞬間冷凍させるほど強力で、特に苦汁を舐めさせられた参謀部長緒方是近は般若と化していた。そして、満を持した憲兵隊の登場、と思いきやそうではない。3人は軍の憲兵隊に拘束されることなく絶対零度の満面の笑みと殺意丸出しの視線に射抜かれながら追い出され、東京へ逃げるように帰っていった。その雰囲気ではいかな御手洗でも罵声を吐くことは許されなかった。もし少しでも言葉を荒げるような真似をすればどこからともなく鉛球が飛んできそうだったのだ。実際に川合がみずづきにアッパーを食らった小池の態度にブチギレ、腰にあった16式9mm拳銃で発砲しそうになり、西岡と坂北が血相を変えて止めたこともあったのだ。

 

では、なぜ憲兵隊が手を出せなかったのか。答えは簡単。

御手洗は軍規に違反した可能性がある、だけで、明確に違反したわけではないからだ。軍人で一定以上の階級、そして役職についている者なら、視察や報告・命令確認のため許可を得た上で自分の勤務先以外の部隊・機関へ出向くことは全く持って問題ないのだ。今回、御手洗は百石の許可を得ず鎮守府に侵入した。しかし、入府する際、鎮守府の正門警備及び管理を一任されていた警備隊の許可を得て、入府したのだ。軍規には誰の許可を得なければならないか、正確に記されていない。また、例え違反したと解釈されても、これは単なる努力規定であり罰則は存在しない。そもそも、軍規はこういった事態をはなから想定していないのだ。軍規の規定が甘いうんぬんより、それだけ御手洗が奇天烈な行動をしたということだが。

 

そんなある意味運のいい御手洗達が帰った後の横須賀鎮守府は平和そのもの。昨日、百石にしこたま怒られた詰所の門番たちも心機一転、仕事に励んでいる。

 

「自己紹介も終わってので、さっそく出発しましょう。時間はあっというまに流れます。買い出しの量もかなりのものですから、手際よくいかないと」

「よっしゃぁ!! 出~発っ!!」

 

話が変な方向にそれだしたことを察知した吹雪は、半分無理やり話しの腰を折り曲げる。深雪がこういう風に面白がって話し始めたら長いのだ。そんな時間的余裕はなかった。幸いに深雪も吹雪の進路変更にノリノリでついてきてくれたので、ねほりはほり聞かれなく済んでほっとしているみずづきも含めた5人はスムーズに足を進める。目の前に広がる未知の世界。それに身を置くまであと数歩。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

さすが海軍のお膝下、と言わざるを得ないアスファルトで舗装された立派な道路。そこを日本では燃料統制によって姿をめったに見なくなった自動車たちが我が物顔で疾走していく。清楚な服装に身を包み、様々な表情で己の目的地に足を運ぶ人々。それらが発するうるさいとも感じてしまう音。無音が当たり前となってしまった国で長らく暮らしていた者には、一際大きく聞こえる。音、だけではない。決して嗅ぐことのなかった、嗅ぐことができなかった匂いたちがあちこちから漂ってくる。腹の虫を叩き起こす食べ物の匂い。その在りかを示す、風によってはためいているのぼり。そして、周囲に響き渡る威勢のいい声。

 

「へい、らっしゃいっ!! らっしゃいっ!! 採れたて、採れたてっ!! どうだい!!」

「さぁ、うちご自慢のセールだ、セールぅ!! そこの奥さんや、ちょっと見ていかねぇか? 値切るよ!」

「今朝あがったばかりの上物! 目を見りゃ鮮度は一目瞭然っ!! そこいらの店ではなかなかお目にかかれないよ!!」

 

そこに戦時中の面影は一切見られない。人々の顔に絶望と、希望を探そうとする必死さは見られない。その中をみずづきたちは進んでいく。吹雪たちはさも当たり前のように周囲に気を止めることもなく、姉妹の会話に華を咲かせている。それに時々相槌を打ちつつ、みずづきはただただ圧倒されていた。人の声が、足音が、エンジンの駆動音が、耳につく。レトロな自動車、昭和情緒あふれる家屋、スマホやテレビ、電光掲示板を全く見かけない街。だが、いくら時代の違いを感じようがここにはあった。日本人が、地球人類が戻りたいと取り返したいと切に願ってやまない過去の日常。それが今、目の前に広がっている。

 

 

あまりに違いすぎる。2033年の日本、そして地球と・・・・・・・・・・・・・。

 

 

街の至る所に掲げられ日常の一部と化していた、「臥薪嘗胆」「堅忍持久」「生戦完遂」「栄日滅怪」「神州不滅」などの四字熟語。「欲しがりません勝つまでは」「前を向け振り向くな」といったスローガン。どれも、戦意高揚を目的とした、さながらアジア・太平洋戦争中のような光景。耳を澄ませば必ず聞こえてくる勇ましい軍歌や歌謡曲。その中をロボットのように下を向いて無表情で歩く人々。それらが醸し出す形容しがたい閉塞感と不安感。

 

それのどれもここには、ない。聞こえない。感じない。五月晴れに相応しい朗らかな表情を浮かべるここ(瑞穂)の人々。みずづきはふと立ち止まり、目の前へ手を伸ばす。

 

 

 

 

 

掴めそうな気がしたのだ。自分も戻れそうな気がしたのだ。2度と拝むことすらできないと思っていた、あの日常に・・・・・。

 

 

 

 

 

「水月さん?」

 

急に立ち止まり、何もないのに手を伸ばすような行動を不思議に思った吹雪が声をかける。それに他の3人が気付かないわけなく、お互いに顔を合わせ首をかしげる。

 

「・・・・・・はっ!? ご、ごめんなさい。ちょっと目の前を虫が飛んでて、あはは・・」

 

適当にごまかし手を慌てて引っ込めると、少し距離が生じていた吹雪たちの元へ速足で駆け寄る。何事もなかったかのように笑うみずづき。しかし、4人は見逃さなかった。みずづきが隠そうとしても隠しきれず、浮かべていたひどく切なげな表情を。

 

「・・・・・・なら、いいんだけどよ。ここいらは人通りが多いから、ちゃんと前見てないとぶつかるぜ。・・・・ふっ。例えば、こんなふうに」

 

意地悪げな笑みを浮かべ、突然立ち止まる深雪。直後、重量を持った同士が衝突する鈍い音が発生し、「うぐっ」と言ううめき声があがる。

 

「・・・・・・痛い・・・・・」

 

深雪の後ろで、鼻と額を涙目でさすりながら、深雪を睨む初雪。

 

「だろ?」

 

それとは対照的に、深雪はどや顔を浮かべながら再び意地悪げな笑み。そこには勝者の雰囲気が漂っていた。しかし、それがなんだと言わんばかりに初雪はむすっとむくれる。その光景が微笑ましく、みずづきは先ほどの表情と打って変わって周囲の人々と同様に朗らかな笑顔を浮かべる。それに呼応する吹雪と白雪。

 

「ふっ」

 

 

 

 

 

その中で何かに安心したような鼻笑いが聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。

 

 

 

 

 

「なんじゃ、ありゃ?」

 

ついには初雪も加わり5人でひとしきり笑い終わると、感情によって遮断されていた外界の情報が瞬く間に本来の流れを取り戻す。そして、それによって気付かなかった状況に最も早く気付いたのは深雪であった。

 

「ん? どうしたの深雪ちゃん?」

「ほら、前。すごい人だかりができてるぜ」

 

深雪が示した方向に全員が目を向ける。確かに、何かの店の前で数え切れない人々がある一点を凝視していた。

 

「うわぁ・・・、ほんとですね、すごい人。一体、なにしてるんでしょうか?」

「・・・・・・・・・人ごみ、嫌い」

 

あまりの熱気に思わず感嘆するみずづき。とにかく引き込み事案で人見知りが激しい初雪はそれを見た瞬間、表情を歪め進路の変更を試みるが、純粋な疑問を浮かべている無垢な吹雪がさりげなく、本来の航路に誘導する。その自然さは、行使された側に畏怖を植え付けるには十分すぎる威力だ。時間が経過しても、集団の大きさと熱は変わらない。立ち去っていく人々もいるが、それと同じ数の人々が新たに集団の仲間となっているため、全体の数は一向に変化がないのだ。その集団のためか、はたまた彼らが凝視しているなにかのためか、通りがかる人のほとんどがその店を視界に納めている。ちょうど進行方向にあるため、4人は徐々に近づいていく。集団の外輪に到着し、ようやくここの正体が分かった。ここは電気店の正面。しかし、集団が防壁となり肝心のぶつが全く分からない。この中で一番長身のみずづきでも確認に手間取る中、さきほどのげんなりした様子とは一変した初雪が目を輝かせながら、興奮気味に口を開く。

 

「あれって・・・・・テレビじゃない、テレビっ!! 絶対間違いない!!」

「「「うそっ!?」」」

「ん?」

 

とある単語を聞いても表情を一切変えないみずづき。それを尻目に初雪の叫びを受け、吹雪・白雪・深雪はさすが姉妹艦、と拍手喝采を送りたくなる見事な共鳴を成し遂げる。初雪はうんうんと自信ありげな様子だ。初雪が人ごみのわずかな隙間から見た映像を映す箱形の物体。それが人々をこの一電気店に釘づけにしている最大にして唯一の要因だ。目を輝かせ、必死に背伸びをして周囲の大人たちに勝とうする吹雪たち。その光景を見た大人たちが1人、また1人と吹雪たちに場所を譲っていく。誰も優しい柔和な表情だ。大人たちにとってこれからこの社会を築いていく子供たちが、未来において社会を変えるであろう技術に興味を持つことは嬉しい限りだ。気付けば4人は特等席たる集団の最前列で、未来の技術を思う存分堪能できる立場に至っていた。

 

無線機ほどの大きさしかない箱形の物体から映し出される映像。それは見る者に人類の英知と技術の発展可能性、それに伴う文明の昇華を例外なく思い知らせる。

 

―――――――テレビ。

 

一時は大戦の影響で普及が完全に停止していたが、戦局の好転とそれに伴う経済の復興を受け、徐々にではあるが町中にその姿を戻しつつあった。

 

「すごいすごいっ!! 私初めて実物見たよっ! ほんとにあんな小さな箱で画が動いてる!」

「ラジオしか知らないから、とても不思議な感じ・・」

「科学の進歩、すごいっ! ・・・・・こんなのを拝める日が来るなんて思いもしなかった。感謝、感謝」

「うへ~ 俺が言うのもいろいろ変だが、科学ってすごいなっ!! 常識がころころと塗り変わっていくじゃねぇか、おもしれぇ!!」

 

いつも以上にハイテンションな吹雪たち。結構やかましいのだが、大人たちもめちゃくちゃ興奮しているので、吹雪たちの気持ちはよく分かるのだ。そこで生じる妙な一体感。しかし、吹雪たちとは全く別のべクトルで負けず劣らず大興奮している者が1名だけ存在した。

 

「す、すごいっ!! 白黒テレビじゃないですかっ!? こんなのが街頭においてあるなんて!! 今じゃ博物館かすっごい古い家に行かないと拝めない代物やから、めっちゃ得した気分っ!!」

 

あまりの興奮ぶりに軍人の間はめったに見せない地の口調が出てしまうみずづき。だが、その何気ない言葉は、一語一句ぶれることなく吹雪たちに突入する。よく咀嚼して得られた結論は戦艦の砲撃をくらったかのような衝撃をもたらした。

 

「えっ!? そ、それは一体どういうことですか? このて・・」

「今、なんていったの、水月!? テレビだよ、テ・レ・ビっ!! こんな革新的な家電が骨董品って、なんで、どうしてっ??」

 

吹雪の言葉を強引に遮り、テレビに目をくぎ付けにしていた初雪が目に炎をたぎらせみずづきに詰め寄る。そのあまりの豹変ぶりにみずづきは我が目を疑う。吹雪たちは、また初雪の悪癖が始まったと仲良く苦笑している。

 

「初雪さんっ、いきなりどうしたんですかっ!? 顔!! 顔が近いですっ!!」

「そんなことどうでもいい。それより、早く、説明」

 

みずづきが身を下げただけ、ズンズンと身を乗り出し初雪は聞くまで逃さないとばかりに距離を維持する。これはもう観念するしかないのだが、説明は説明で骨が砕かれること間違いなしである。

 

「何からはなしたらいいか・・・・・・。 初雪さん?」

「・・・なに?」

「あまり大きな声では言えないですけど、私がどこから来たか、もう知ってますよね?」

「当たり前」

 

初雪は、間髪入れず即答する。そんな大事なこと、いくらいつも飛びそうな意識を必死になって体に括りつけている初雪であっても忘れるわけがない、聞き逃すわけがない。目の前にいる彼女は、未来の日本から・・・・・。

 

「あっ・・・」

 

そこで初雪はみずづきが言わんとしていることを理解する。それはなにも初雪だけではない。他の3人も同様だ。

 

「気付いてもらえたのなら話が早いです。私が暮らしていた日本では、テレビは一家に複数台は当たり前の存在で、特に何か感傷を抱くような家電ではなくなっていました。今、目の前にあるこのテレビ、私たちにとってもはや歴史になってるんですよ」

 

目が点になる、大まか戦後しか知らない戦前・戦中組。そうなるだろう。あまりの先進ぶりに感動してた代物が、「歴史」などと言われてしまったのだから。

 

「じゃあ、1つ質問。私たちが生きてた時代から80年ちょっと?さきの日本じゃ、どんなテレビになってるの?」

「ああっ!! それ俺も興味ある!! 艦のころから今まで散々科学には驚かされてきたかんな」

 

駆逐艦の中ではまだ論理的な思考をする吹雪と白雪が衝撃から立ち直らない中、深雪だけでなく初雪も即座に頭の切り替えを行って、聞いていいのか迷ったものの結局自身の好奇心に勝てなかった疑問を投げかける。興味のあることには気が済むまで真理に迫る初雪の一面が発露した。みずづきも輝く目を向けられれば答えないわけにはいかない。もし、断れば大きな罪悪感に襲われるだろう。

 

「そうですね・・・。私たちの時代のテレビはもう白黒ではなく、フルカラー・・・って言っても知りませんよね。ええっと、つまり私たちが今自分の目で見ているままの映像を映せる色付きのテレビになってます」

「い、色付き・・・・・?」

「想像できそうで、想像できない・・・」

 

やっと衝撃から再起動は果たした吹雪と白雪の耳にまた信じられない情報がもたらされる。しかし、初雪の反応は少し違った。

 

「色付き・・・。確かに、80年もあればあり得る話・・・」

「性能だけじゃなくて、形も多く変わってますよ。あのテレビは箱形ですけど、現代のテレビは薄型、・・・う~ん・・・テレビの奥行き、厚さが10cm以下のものしかもうありませんし、中には薄い鉄板のように曲げたり紙のように折り曲げられるタイプのものもありますよ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

沈黙。

 

「あ、あれ? みなさん? おーい。しっかりして下さーい」

 

目が点になり固まった初雪の前で手を勢いよく振るが効果はなし。他の3人も同じく固まっている。その様子に、苦笑を浮かべるみずづき。生きた時代、存在すら異なるがあまりの突飛さに立ち尽くす4人の気持ちはよく分かる。科学の進歩は凄まじい。みずづきが生まれた時にはすでにブラウン管は廃れ薄型テレビが主流となっていたが、その後出てきたプラスチック版のような極薄テレビや紙のようなテレビはそのような時代の人間でも、目を疑ってしまうのだ。ましてや彼女たちは第二次世界大戦中までの世界しか知らない。思考停止になるのは仕方ない。

 

「すごい・・・・・・すごいすごいすごいっ!!! カラーになっただけじゃなくて、存在自体がそこまで進化するなんてっ!! まるで空想小説を語られてる、みたい・・」

「今回ばかりは俺も初雪の仲間入りだぜ! 詳しいことはさっぱりだけど、とにかくすごい!! ってことだけは分かった。・・・テレビ一つをとってもこれなんだ。つつけば出てくるでてくる、そうだろ? み・ず・づ・きっ!!」

「へ・・・・」

「深雪の言う通り。もっと話聞かせて。悪いようにはしないから・・」

 

純粋が変貌、邪悪な笑顔で迫る2人。今のように少しぐらいなら話してもいいのだが、2人の雰囲気から察するに、とても“少し”で収まるようなのもではない。80年という時を語るには、みずづきの体力は弱すぎる。それに、何かの拍子で()()()()()()()()()()を口走ってしまう可能性もある。ここは回避の一択だ。

 

「いや、そうです、そうですけど、ね。今、外出といっても任務があるわけですし、私も百石司令にいろいろ言われてますから、また・・・・また、今度の機会に」

「吹雪? 司令官、なんか言ってた?」

「う、う~ん、どうかな・・・。ばたばたしてたから、私は良く覚えてない・・かも」

「言ってたんだ・・」

「えっ?? う、うんっ!! そ、そうじゃないかな。あははは・・」

「その反応は、言ってないんだね」

「え・・・・」

「ふ、吹雪ちゃん・・・・・」

「まんまと、ひっかけられましたね・・・」

 

茫然とする吹雪を前に、ニヤリと笑う初雪。味方になってくれる重要人物が早々に陥落し、つい頭を抱えてしまう。知識を渇望する濁流を前に、生身では流されること確実。ましてや1人など自殺行為だ。

 

「あっ!? みなさん、もうこんな時間ですよ!! 吹雪さん? 結構多くのところを回らないといけないんですよね??」

「そ、そうです!! 時間は有限っ! みんなのんびりしてないで、さっさと行くよ!!」

 

強引に話を変え、そそくさと歩き出すみずづきと吹雪。それにワタワタと白雪もついていく。その薄情な対応に、残された2人は抗議の声を上げる。

 

「おいおい。逃げようって言ったってそうはいかねぇぞ」

「・・・・・・・・こればかりは、譲れない」

 

闘志を燃やし、駆け出す2人。合流した途端、攻防戦が開始される。だが、それは仲良しの女の子たちがじゃれ合っているようにしか見えない。4人+1人の5人組もすっかり、横須賀の日常の一部となっていた。

 




今回は日常編です。前編とついている通り、来週は「おでかけ 後半」をお届けします。

本話では初めて白雪・初雪・深雪が登場しました。作者なりにお気に入りの艦娘たちなので口調には気を付けているのですが、少し自信が・・・(苦笑)、特に深雪が・・・。

途中初雪が暴走気味でしたが、某4コマ漫画のように時々博識なる初雪もありだなと思い、採用させていただきました。
思えばまだ小さかったころブラウン管が全盛だった作者にとって、電気量販店で初めて薄型テレビを見た時の感動はいまだにはっきりと覚えています。
「て、テレビがぺったんこになってるぅぅ!!」と(笑)。今ではその薄型テレビしかありませんから、ほんと科学の進歩には驚かされます。(それが平和利用されたらいいんですけど・・・・・)

ここで1つ重要なお知らせ事項がございます。
投稿させて頂いている「水面に映る月」は本話19話の次次話、正確には次次次話にて1章「時空を超えて」が完結いたします。

そのまま2章へっ!! っといきたいのですが・・・・・・。
作者は書きだめ方式を採用しており、それは1章分までしか用意してません。
そのため1章完結と同時に、しばらく更新をお休みさせて頂きたいと思います。

毎話読んで下さっている読者の皆様には大変申し訳ありません。
(続けての投稿でもいいんですが、それだと伏線管理と文体が崩壊しちゃうんですよね・・・)

現在、2章の製作はだいだい3割程度といったところで年内には再開したいのですが、詳しいことはまだ分かりません。

遅くとも年明けには再開したいと考えているので、それまでお待ちいただきたく思います。
(フラグではありませよ!!)



そして、最後に一つだけ。


なか卯って、なんやねんっ!!!   


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20話 おでかけ 後編

引き続き、横須賀をお散歩です。


「ありがとうございましたぁー! またのご来店、おまちしております」

 

年齢を一瞬、錯覚してしまうほど元気にあふれた老夫婦に、膨れた紙袋を持つ5人は笑顔で手を振る。ガラスの引き戸を開け、店の外に出ると西の空が茜色に染まりつつあった。

 

「よしっ!! これで作戦完了っと!」

 

吹雪は手に持ったメモ帳にペンで印をつける。見ると書かれている事項すべてに印がつけられていた。

 

「正直、もっとかかると思ってたんですけどね、みんながいることだし・・・。意外に早く終わりました。時間はまだあるから、どうしようかな~」

 

紙袋を起用に腕にかけ、思案顔の吹雪。一方のみずづきは、さきほどの店で調達した品物をもっているのだが、若干空いた紙袋の口から見えるブツをしきりにチラ見する。わずかに反射し、強烈な光をみずづきの目に届ける高級感あふれる瓶。それだけではない。見えないだけだが、この袋の中には大小様々な瓶が所狭しと入っている。そのため歩くたびに瓶同士が接触する甲高い音や液体の揺れる音がする。それを感じ聞くたびになんとも言えない気分になる。

 

「い、いいんですか? こっちの規則や法律知らないですけど、お酒をしかもこんなにたくさん買って・・・」

 

さっきの店は、横須賀で一、二を争う老舗の酒屋さんだ。その品ぞろえといったら、酒に疎いみずづきでも、酒豪たちの集う場所であることが容易に想像できるほどだ。諭すような口調に、顔色を変えた吹雪が必死に手を振りみずづきが抱いているであろう疑念を即否定する。

 

「みずづきさん、誤解! 誤解ですよ!! 艦娘のなかにもお酒を飲まれる方はいますが、私たちは飲みません。というか飲めません」

「飲めません??」

「艦娘の飲酒や喫煙に関しては、外見とそれに比例する身体機能によって、規制がかけられているんです。戦艦や空母など人間の成人と同じ身体機能を有すると確認された方にのみそれは許可されているんです。ですから、その・・・・・」

「外見、中身ともに子供の俺たち駆逐艦は問答無用で、ダメってことさ」

 

白雪がいいよどんだセリフを深雪が、率直に語る。はたからみれば完全に子供なのだが、彼女たちの境遇などを考慮するに、一筋縄ではいかないのだろう。

 

「なるほど、安心しました」

 

このように年齢や身体機能が関係する問題は法務省と国防省が共同で解釈や規定を定めている。それは軍規や省令にも取り入れられ、万一違反した場合は艦娘であろうと人間と同じく罰せられる。今でこそ体系だった規則が整備されているものの艦娘が登場した当初は法務省や各省の法律部門も大混乱だった。当然だが、この世界の法律は例外なく人間しか考慮しておらず、艦娘などという奇天烈な存在は概念すらなかった。しかし、艦娘も艤装を操る以外は人間と全く変わらず、法律の外に置くことは許容されない。それから始まった議論は紛糾を極め、常人には理解できない難解語の応酬だった。

 

「私たちが、お酒、飲んでるように、見える?」

 

初雪のお言葉。妙な重圧感がある。

 

「すみません。少し、早計でした。でも、だとしたらこれは一体、誰のために? ・・・まさか」

 

みずづきの脳裏に、何人かの顔が浮かぶ。彼らは今頃、みずづきと誰かさんが引き起こした騒動の後始末に奔走していることだろう。

 

「はい。百石司令官に筆端副司令、川合大佐に頼まれたものです」

「さっきも同じセリフ言いましたけど、大丈夫なんですか、それ?」

「お、おそらくは・・・。他の鎮守府を知らないのでなんとも言えませんが、昔から司令官のみならず、結構誰もやられてますよ。ああっ!? 公費じゃなくて、きちんとみなさん、自分の給料から出してらっしゃいますっ!!」

 

苦笑しつつも、横須賀鎮守府が健全であることを吹雪は強調する。というか、健全でなければ困る。ここで横領だの不正会計だの聞いてさらに厄介ごとに巻き込まれては、みずづきの寿命が縮んでしまう。

 

「それにこれがあったからこそ、この外出が実現したんですから」

「えっ? それはどういう・・・」

「吹雪ちゃん、またやったの?」

「さすが、第5遊撃部隊旗艦にして、俺らの長姉!! よっ! 特型駆逐艦のネームシップ」

「しょうがなかったんだよ! いくらいっても司令官渋るんだもん。最終手段使うしかなかったんだよ」

 

1人だけ蚊帳の外に置かれるみずづき。吹雪たちの会話を必死に拾い情報分析に努めていると、初雪がツンツンと背中をつつく。

 

「吹雪はお酒をダシに、司令官を篭絡した」

「ああ~、なるほど・・・・・読めました」

 

なにかを達観したような目。みずづきはここに至って、話の流れと手に提げた袋の意味を理解した。百石は酒に強いというわけではない。が、その立場上同僚、部下、上官をはじめ多くの人間と酒を飲む機会がかなり多い。加えて強い弱いと好き嫌いは別次元の問題である。百石は、酒好きの部類だ。そのため、親交が深い筆端や川合と3人でよくバカ騒ぎをしているのだ。これは常に多大なストレスにさらされ続けている百石にそれを発散させてくれる憩いの一時である。だが、みずづきの出現以降、激務が続きそれどころではなくなってしまっていたのだ。わずかに時間が空いて飲もうとしたこともあったが、そういう時にかぎって酒切れを起こしていたりするのだから世間は理不尽である。なければ買えばいい話。しかし、買いに行こうにも現状では街に行く余裕はない。鎮守府内の売店にも酒は売っていることは売っているのだが、鎮守府の長が酒を買っている姿はあまり体面が良くないし、暇をもてあまし獲物を探している憲兵隊に目をつけられれば厄介なことこの上ない。公費で買ったりすれば宴会用ならともかく、私用とバレれば東京の監査局のお出ましで、軍法会議行きだ。日々の仕事と、あの騒動と、発散できないストレスに頭を抱えた百石の前に、吹雪が現れたのはそんな時だった。百石ではなくても、頷かざるを得ないだろう。そして、それは百石だけではなかった。

 

 

「ちょ、ちょっと初雪ちゃんっ!? 人聞きが悪すぎるよ!! 私はただ、お酒買ってきましょうか? って提案しただけだよ!!」

「全てわかったうえでやってる。篭絡も同じ」

「全然違うよっ!!」

「吹雪さん、失礼ですけどさすが旗艦なだけはありますね。策士です」

 

まっすぐな目で吹雪を捉え、親指を立てる。みずづきの揺るぎない姿勢に「水月さんまでぇ!!」と慌てながら初雪の言葉を否定しまくる吹雪だったが、どう考えても事実だろう。

 

「前回やったとき、司令官、言ってたらしい。・・・・あんな純粋だった吹雪が・・・。時間の流れとは悲しいものだな・って」

「あ、あは、あははは・・」

「それ、誰から聞いたの?」

「長門」

 

初雪は、その時の様子を身振り手振りを交えながら、喜々として話す長門の姿を思い出す。長門も百石の反応を楽しんでいたのは確実だ。

 

「さっきの酒屋さん、結構親しそうに見えたけど、かなり来てるんですか?」

「ええ。私たち以外にもお使い頼まれて行ってる子もいますし、司令官たちが休みの時に直接買いに行かれることもあるそうですよ」

 

白雪の言葉にみずづきはもう笑うしかない。だが、一部隊の指揮官をまじかで見てきた者としては、規模は違えど仕事の大変さをよく知っている。あれだけ小さな基地でも徹夜をよく見かけたのだ。百石の心労も尋常ではないはずだ。

 

「これでも結構勇気出してやったのに・・・・。それでどうしましょうか。もう帰ってもいいですけど、時間ありますからどこかよっていけますよ」

 

冒頭部分は小さくて本人以外聞こえなかったが、後の言葉はいつも通りの声だったので、他の4人の耳にしっかりと入る。空が茜色に染まりだしたといっても門限はもう少し先だ。今日のように街へでかける機会はそうそうあるものではないし、ましてや今日は苦労してこの外出を勝ち得たのだ。このまま帰ってしまってはもったいない。それに4人も頷き、深雪が「はいっ! はーい!!!」とはりきって挙手する。

 

「海浜公園行こうぜ、海浜公園!! 今の時間帯でこの空なら、夕日がきれいだし風も爽やかで気持ちいいぜ。どうよ?」

 

海浜公園なるものを知っている吹雪たち3人は、異論なしようだ。

 

「決まりっ! なら、さっそく行こうぜ」

 

自分の案が即決定されますます上機嫌になった深雪は、手を大きく振って真っ先に歩き出す。それに他の4人が追随する形になったので、深雪が先導しているように見える。が、またしてもみずづきだけ思考的に置いていかれていた。

 

「あの、海浜公園って?」

「ええっと、海浜公園h・・・・・」

「いいからいいから、それは行ってのお楽しみ!!」

 

吹雪を後ろ歩きしながら深雪が遮る。深雪の顔を見て、みずづきは詮索をやめる。海浜公園とい言葉から大体の想像はつくし、なにより素晴らしいところであることは眩しい笑顔が証明していた。

 

 

 

 

国鉄横須賀駅を出てすぐの場所にある海浜公園。名前に公園という言葉がついているが、子供たちが愛用する滑り台やブランコといった遊具はなく、ベンチや欧米風の噴水があり各所にある花の咲き誇る花壇が優雅な雰囲気を周囲にもたらしている。上空から見るとその形はくの字に曲がっており細長く、公園というよりは幅の広い遊歩道といったほうが適切かもしれない。だが、遊歩道のようだといっても広さは十分あり横須賀本港を一望できるため、家族連れからカップル、高齢者まで幅広い年齢層が利用する憩いの場だ。また、ここからは横須賀鎮守府やそこに停泊している軍艦もかなりの至近で見えるため、観光スポットとしても定着している。今は夕方。深みをました茜色と一足早く漆黒に染まる海。そして、オレンジ色の日光を反射し、きらきらと宝石のように輝く海面。その中を行くいくつもの船。そのコントラストは博物館に収蔵される絵画にも負けない美しさと感動を有していた。それにみずづきも息を飲む。こちらに来て涙腺が緩くなっているのか、思わず涙が出そうになる。

 

みずづきはここに立つのは初めて、ではない。昔、この海浜公園と全く同じ場所にある公園から同じ景色を見たことがあった。そこに、目の前の感動はなかった。あったのは戦時中にふさわしい凄惨さる現実。ドックに入渠したまま船体をズタズタにされ、放置された米海軍のイージス駆逐艦。全ての建物が原型をとどめないほど破壊された米海軍横須賀基地。そして、船体を真っ二つに引き裂かれ艦橋のみがむなしく海面上に出ている護衛艦。いつも通りに波打っているはずの海は、一連の戦争が始まる前に比べ黒くよどんでいるように見えた。それを眺める知山や市民の顔には、悲しみ、恨み、悔しさ、あきらめなど様々な感情が浮かんでいた。それはみずづきも同じであっただろう。

 

だが、それは、日本の横須賀。ここには、そんなもの微塵もない。

 

「すげぇだろ? 眺めのいい場所はたくさんあるけどよ、ここもここで独特の味があるんだ。今日みたいに1日快晴で、空気の澄んでる日は最高さ。あんた、初めてでこれって、めちゃくちゃ運いいぜ」

 

深雪はからかうように指を立ててくる。だが、そこに悪意はなく純粋な羨望が込められている。それに相槌を打ち見とれていると、隣が騒がしくなる。顔を向けると深雪が自分担当の荷物を吹雪のあいている手にかけていた。

 

「わりぃな吹雪。おれちょっくらあっちに行ってくるわ。あれを見ると血が騒ぐぜ!!」

「み、深雪ちゃーん・・・」

 

吹雪の嘆きは深雪に届くこともなく、むなしく空へ解ける。深雪が指さした方向にはこの公園の象徴となっている噴水があり、小学生ぐらいの子供たちが服をびしょびしょにしながら楽しく遊んでいた。転落防止用の柵に体を預けていた身体を反転させ、吹雪の言葉を受け流しと深雪は珍しく日光を堂々と浴びている初雪の手を取る。

 

「?」

「ほら、初雪もいくぞ! 1人より2人さ」

「え? ちょっと、待って。疲れた、休みたい。私濡れるの嫌い、やだ」

「お前たちはどうすんだ?」

 

その言葉に3人は顔を見合わせる。できれば思い出作りも兼ねて遊びたいが、初雪の言葉が多かれ少なかれ3人も当てはまっていた。例外は、深雪だけだ。さすが、真冬に外で寒風摩擦をするだけはある。

 

「やわだね~、同じ艦娘としてちと悲しいぜ。・・・ん? 水月は違うんだっけ、ま、いいや。じゃあ、俺たちは行ってる。いつでも乱入歓迎だぜ」

「待って深雪ちゃん、私も行く」

 

手ぶらの白雪が名乗り出る。

 

「白雪、お前疲れてるんじゃないのか?」

「まぁ、少しは・・・。でも、しっかりと監督役がいないとね。なにかあったらそれこそ、お肌荒れちゃうし」

 

初雪と深雪の性格を十二分に把握している吹雪と白雪が、2人での行動を看過できるわけがない。深雪はご覧の性格だし、初雪もテレビのやり取りの時のようにスイッチが入ると日頃の消極性が嘘のように暴れるのだ。今まで散々この2人絡みでお小言を様々な方面から頂いてきた吹雪と白雪は、これ以上のお小言増加は全く望んでいない。そのためにブレーキ役が必要なのだ。

 

「信用ねぇな、俺たち・・・・。ちょっと、悲しくなってくるぜ。しくしく」

「そんなだから、言われる。ちなみに、私は、深雪とは違う」

「一緒だよっ。ったく、それじゃあ、とっとと行こうぜ。人数が増えることに異論はねぇ。吹雪と水月は?」

 

深雪は白雪から3人分の荷物を半分こにして、両手を袋のひもに占領されている2人を見る。・・・・重そうだ。

 

「私たちは荷物番してるよ。誰かが見てないといけないし」

「1人だけじゃ、心細いですし2人でここに残ります。みなさん、濡れて後から後悔しない程度に遊んでください」

「・・・・・了解。じゃあしゅぱーつっ!!」

 

吹雪の顔を険しい表情で凝視する深雪。しかし、それは一瞬のことで、すぐにいつもの明るい顔へと戻る。その変化に気付いた者は凝視された吹雪以外、誰もいなかった。

 

いやだいやだと叫びながら、連れていかれる初雪たちを見送ったみずづきと吹雪は、荷物の重さに耐えかね近くのベンチに腰を下ろす。

 

「さすがに疲れましたね。これほどの距離を歩いたのは久しぶりです」

「私も同感です。いくら瑞穂最大の鎮守府っていっても、私たちが行き来する区画はそこまで広くありませんから。それもこれも私たちに気を遣って中央区画に艦娘の施設を集めて下さった結果なんですけど」

 

身体の力が一気に抜け、疲労感が幾分マシになる。それはゆっくりと息を吐き出している吹雪も同様で、荷物によって酷使していた腕をさすっている。みずづきもそれにならい、凝った肩をもむ。すると、横から「ふふっ」と柔らかいほほ笑みが聞こえてくる。吹雪だ。彼女はある一方向に目を向けている。それを追うと、そこには楽しそうに走り回る幼稚園児ぐらいの男の子と、ちょっかいをかける両親がいた。見る側のほほまで緩んでしまう暖かい光景。周囲に目を向けると、それがあちこちにあった。みずづきたちと同じようにベンチに座り、思い出話に花を咲かせる老夫婦。制服の上着を肩にかけ、談笑する男子学生たち。半袖半ズボンの体操着で、公園内を疾走していく部活動中の女子高生。手入れされた美しく咲く花を見て笑い合う恋人たち。そして・・・・・。

 

みずづきは、自分から見て右手の噴水に目をやる。セーラー服を着た3人の少女たち。笑いながら白雪と初雪に容赦なく水をかける深雪。それをくらいつつ、闘志を燃やす瞳で反撃に転ずる初雪。もはや、ブレーキ役を忘れて遊びに興じてしまっている白雪。3人とも、みずづきの忠告はなんのその。もう遠目からでも分かるほど、ずぶぬれになっている。だが、とても楽しそうだ。

 

それらを見ると、心が温かくなってくる。

 

ひと昔前までごくありふれた、そして長らく感じることのなかった想いに、強い懐かしさと尊さを覚える。みずづきはそれを経て、()()()()を思い出す。()()()()などという言葉ではものたりないほどのことを。

(そうか、私は・・・・・・)

もう1度、周囲を見渡す。老若男女に例外なく浮かぶ様々な表情。喜怒哀楽。そこに不自然さは一切ない。誰もが()()()から、純粋に喜び、怒り、悲しみ、楽しんでいるのだ。そんな()()が、ここにあった。みずづきたちが失い、取り戻そうと手を伸ばし続けている代物。

(私が軍人になってまで、守りたいと思ったものは・・・・・)

 

「水月さん、今日は楽しかったですか?」

「えっ?」

 

思考の海を泳いでいたみずづき。聞き返したが、吹雪の言葉はきちんと耳に届いていた。どうしてと問われれば、違和感を覚えたから。吹雪の瞳は眼前の海ではなく、なにか遠いものを映しているかのように見えた。それは、こちらまで聞こえてくる深雪たちのはしゃぎ声で唐突に終わりを告げる。あまりに楽しげで、つい2人は吹き出してしまう。

 

「・・・楽しかったです。今日は、いろんなものを見ることができましたし、白雪さんや初雪さん、深雪さんともお話しできました。誘って下さった皆さんには、感謝の言葉しかありません」

「いえいえ、感謝されるようなことじゃないですよ。私も水月さんとご一緒できて楽しかったです! みんなも同意見ですよ、私お姉ちゃんですから、妹の気持ちはお手の物です」

 

えっへんっと胸を張る吹雪。その姿にみずづきは笑みをこぼす。

 

吹き抜ける、磯の香りを含んだ海沿い独特の風。

草木が風に揺られ、発生する葉っぱや茎がさすれる音。

 

それが収まった瞬間、みずづきは口を開く。

 

「私・・・・・・」

 

再び吹く風。歌う草木。しかし、それにも関わらず、みずづきの決意は吹雪にしっかりと届いた。

 

「私・・・・・・・決めました」

 

それだけ。それだけでも、そこに込められた想いの大きさは計り知れない。

 

「たぶん鎮守府で1人で考えてたら、ここまで来れなかったと思います。ほんの少しですけどこの世界を、瑞穂を見て・・・・・だから結論が出せました。本当に今日、ご一緒できてよかったです。ありがとうございました」

「水月さんは一歩を踏み出したんですね。それのお役に立ててなによりですっ!! 司令官とお話しした甲斐があったというものです!」

 

みずづきが頭を下げるより早く、まるでそれを遮るかのように口を開く吹雪。言い終えると、ベンチから立ち上がる。どのような表情をしているのか、背を向けているため分からない。みずづきがその背中を見ていると、吹雪がつややかな黒髪と真っ白なセーラー服をたびかせながら振り返る。その清楚さに言葉を失ってしまう。

 

吹雪の表情。彼女はその清楚に華を添える満面の笑みを浮かべていた。

 

「水月さん? また、機会があればご一緒にどうですか? 今回は買い出しのついでっていう側面が大きくて、仕方ないんですけどそれに時間がかなり使われてしまいました。今度は、遊びが主体で外出したいです!!」

「もちろんです! 吹雪さんたちとまた出かけられるなんて、願ったり叶ったりですよ」

 

吹雪に負けない明るい笑顔で断言するみずづき。それにますます吹雪の表情は輝く。笑顔の連鎖反応が、今ここで起きている。

(今なら、言えるかも・・)

吹雪は意を決して、笑顔を崩さず以前から考えていたことをみずづきに告げる。迷っていた背中をみずづきの笑顔が押した。

 

「水月さん? 1つ提案というか、なんというか・・・・そういうものがあるんですけど?」

「ん? 提案?? どういったものですか?」

 

最初は笑っていた吹雪だったが、言葉が重なるにつれて顔が赤くなり声量まで小さくなってしまった。そのため、みずづきはいまいち吹雪の言葉が聞き取れない。だが、その照れたように下を向く姿を見て、これは重要なことだと直感的に理解する。

 

「その・・・・もう、私たち・・・と、友達じゃないですか? 少なくとも私はそう思ってます」

「友達・・・・・」

 

友達。その単語をゆっくりかみしめるように呟く。

 

「あの、もし、ご、ご迷惑でしたら・・・」

 

照れた様子から一転、顔を蒼くし不安げにみずづきを見つめる吹雪。その表情に、自分が何をすべきか、その行動が思い浮かぶ。今すべきこと。それは、見栄も肩書も横において、自分の気持ちに素直になること。並行世界に来て2日。みずづきにとって、この世界は未知の世界だった。だが、この世界で生きる人々にとってみずづきが未知の存在であった。それは例え昔日本で、日本のために戦った艦そのものである艦娘たちも同じ。しかし、そんなわけの分からない存在を認め、想い、友達と、そう呼んでくれる子がいる。

 

 

 

“あなたは1人じゃない”

 

 

 

その言葉が、あの時とは違う、また別の感傷をもって身に染みわたる。

 

「迷惑なわけないじゃない・・・・」

「え?」

「迷惑なわけないじゃないですか。そんなこと言われたら、嬉しいに決まってます! 私だって、吹雪さんと仲間に、友達になりたいですよ」

 

顔を真っ赤にし、目が回遊魚のようにあちこちへ泳ぎ回る。その様子がかっこよく「決めた」と言っていた時と違い過ぎて、つい吹雪は腹をかかえて笑ってしまう。その顔にもう不安の影は全くない。

 

「すみません。水月さんの照れっぷりがあまりに可愛くて」

「かわっ!? な、なにいってるんですか!? 吹雪さん、お世辞はやめて下さい!」

「事実なんですけどね・・・・。でも、良かったです。私の気持ちが水月さんにも通じていて。提案っていうのは、その・・・・・。友達なんですから敬語っていうのは変じゃないですか? だから、普通に親しい人間と話すときみたいな口調にしませんか? っていう・・」

 

あははっ、とほほをかく吹雪。まっとうなことを言っているので、異を唱える必要はない。

 

「なるほど、そうことですか。よしっ、その提案乗りました。さっそく、実践っと・・・。吹雪さん? 吹雪さんのこと、なんて呼んだらいいですか?」

 

走り出そうとして、急ブレーキを踏む。相手の呼び方。これをあらかじめ決めておかなければ、最初から名前にばかり気を取られてしまう典型的なNGパターンにはまってしまう。

 

「別に、呼び捨てで構いませんよ。同じ駆逐艦でも、呼び捨てにする子いますし。私は、今まで通りの感じでいかしてもらいます!!」

「え? なんでですか? 別に私呼び捨てでも、ため口でも気にしませんよ」

「水月さん明らかに私より大人で、見た目は完全に私たち基準で行くと軽巡洋艦か、重巡洋艦に相当します。そんな人に呼び捨てやタメ口は・・・・良心が痛むというか・・」

 

いやいや、見た目はともかく吹雪さんたちは艦の生まれ変わり、と言いかけて口をつぐむ。吹雪たち艦娘は自分たちが人間と同じように扱かわれることを望んでいる。また、吹雪は控えめで優しい子だ。そんな子に謙遜を盾にして、無理やり敬語を捨てさせるのはあまりにもひどすぎる。彼女はみずづきのことを尊重してくれているのだ。この好意を無駄にしてはいけない。

 

「吹雪さんがいいなら、なんとでも。じゃ、じゃあ、いきますよ」

 

妙な緊張感。ふいに学生の頃を思い出す。新しい学校に入ったときやクラス替えの後などはこうして友達にづくりに奔走したものだ。

 

「ふ、吹雪? もうそろそろ日が暮れてきたけど、どうするの?」

 

言葉の端々が震えているが、上々の発進だ。その初々しさについほほが緩んでしまう吹雪。

 

「そうですね、水月さんの言う通りです。向こうで遊んでる3人を回収して戻りましょうか」

 

みずづきとは対照的に、吹雪の口調は少し、ほんの少し気軽な感じになっただけで変化はなく、余裕が感じられる。それに不公平感を覚え、若干ほほを膨らませるみずづき。それに気付いているのか気づいていないのか。吹雪は微笑みながら、両手を差し出す。

 

「さぁ、行きましょう。水月さん」

 

一瞬、真意が分からなかったが「掴んで立て」ということだろう。

 

「ごめんね、じゃあ、お言葉に甘えて・・・お願い吹雪」

 

それを聞くと「よいしょっと」と掛け声を出し、握った手を引っ張りみずづきをベンチから立ち上がらせる。それは重力とみずづきの体重に負けないよう固く握られていたが、同時に相手に痛みを与えないようにと、優しさも込められていた。空は一面オレンジ色となり、西から少しずつ月と星の舞台が広がってくる。太陽も水平線に身をうずめはじめ、1日の役目を終える。人々を照らす明かりが人工的なものになる刻限まで、あとわずか。




残すところ1章もあと1話、外伝的な話も含めると2話になりました。戦闘シーンが日本での戦闘を含めても2回になってしまい、それを待たれていた方もいらっしゃると思うので大変申し訳ないです。自分も戦闘は好きなたちですし。ただ、戦闘にもきちんと意味を持たせたい作者なので、文字数のわりに少ない点はご勘弁を(汗)

今話では「海浜公園」という名の公園が出てきましたが、横須賀に行かれたことがある方ならご存じかと。モデルはあそこです(笑)。初めて行った時の感動はすごかったですよ!!
日本海軍の敷地だった場所がアメリカになってる点は複雑ですけど(苦笑)。



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21話 潜考した上の決意

とうとうこの時が来てしまいました。

1章の投稿も最後なので、今回は2話連続投稿です。

次話も外伝的ではありますが、一応本編の一部という扱いです。


横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

5月も今日を入れてあと2日。ここ1週間ほど続く5月晴れは今日も人々にすがすがしい青空を届けている。そこから遮られることなく降り注ぐ日光は、当然ながらここにも恩恵を与えていた。窓から差し込む光によっていつ以上に明るい室内。執務机に座る百石とかたわらに立つ長門。その2人に揺るぎない瞳をたたえたみずづきが相対していた。あれから丸1日。そして、みずづきがこの世界に来て3日。今日は、自身の選択を百石たちに伝える期日だ。みずづきが訪れたのは、紛れもなくそのためだ。

 

漂う緊張感。続く静寂。しかし、それはみずづきによって破られる。みずづきは、散々考えて結論を出したのだ。今更、言いよどむ代物ではない。

 

「私、戦います」

「!?」

 

息を飲む音。それが同時に2人から発せられた。

 

「ほ、ほんとか!? ほんとに、本当なんだな!?」

「水月・・・。お前というやつは」

 

百石は机から身を乗り出し、長門は苦笑とも歓喜ともとれる笑みを浮かべる。2人は心の中で大きくガッツポーズを決めていた。こちら側から提案した手前で恥ずかしいが、受けてくれる確率は五分五分と踏んでいたのだ。決して、低い確率ではないものの当の本人から聞くとやはり確認したくなるのだ。

 

「はい。3日間じっくり考えた上での結論です。翻意は絶対にありません。断言します。ですが、そちらの提案を受け入れる代わりに、1つ条件があります」

「・・・なんだ?」

 

「条件」という言葉を聞き、表情をいつ通りに引き締めた長門が問い返す。見れば、百石もさきほどの浮かれた顔が嘘のように、真剣そのものだ。

 

「これはあくまで協力・・・同盟関係のようなもの、ということです。私は海上国防軍の軍人です。戦うにしても、海防軍人として戦います。多少指揮命令下に入ることはやむを得ないでしょうが、瑞穂海軍に完全編入されることは認められません」

 

みずづきは、断言する。これは決して譲れない唯一にして絶対の条件だ。いろいろあったが、みずづきがこの世界に来て、まだ3日しか経っていないのだ。その短期間で見てきたものは、この世界の表層部分に過ぎない。その表層部分ですら、御手洗のような存在が垣間見えたのだ。そんな状態でよく分からない組織に身をゆだねるのは、誰でも難色を示す。それに、何度もいうが、みずづきは日本海上国防軍の軍人、その中でも誉高い艦娘なのだ。例え日本が、故郷がなくとも、心に宿る覚悟と信念は少しも色あせたりしない。当たり前のことのようだが、みずづきは海防軍人であるからこそ、みずづきなのだ。

 

認めてもらえるのか、不安がなかったと言えば嘘になる。直立不動を維持しつつも、おそるおそる百石と長門の表情を伺う。だが、そこに難しい顔はどこにもなく、2人とも胸を撫で下ろしていた。

 

「なんだ、そのことか。怖い顔で条件などというから、私たちが飲みにくいものかと身構えてしまったよ。はははっ」

 

険しくした自分の表情を想像して、笑う百石。みずづきは、渾身の一撃を軽くあしらわれたことに困惑を隠せない。

 

「なに、単純なことさ。実はお前がそういうことを言ってくるじゃないかと、常々提督と話していてな。対応を考えていたんだ」

「あ~、なるほど・・・」

 

長門の言葉に、困惑が払拭される。

 

「予想通りのことを君が言ってきたものでつい、ね。すまない。君の条件はもちろん了承だ。こちらとしては、ともに戦ってくれるだけでうれしい限りなんだ。・・・・あ、補給の件に関しては、兵站課と工廠に連絡を入れてある。後日また詰めよう」

「いろいろと私のために・・・・・ありがとうございます」

 

みずづきのために見えないところで立ちまわっていた百石に頭を下げようとするが、「いやいや」と苦笑しながら手を横に振る百石に制止される。

 

「お礼をいうのはこちらだよ、水月。君は私たちの身勝手ともいえる要請に応えてくれた。本当にありがとう」

 

みずづきに頭をさげる百石。思わず制止しようとするが、腰をおった身体からあふれる揺るぎない心に、手を引く。ここで声を上げれば、かえって失礼だ。

 

「そして、これからよろしく」

 

頭をあげた百石から出される手。手袋は外されている。

 

「はい。こちらこそ、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします」

 

その手をしっかりと握る。ごつごつとした軍人らしい手。もういない誰かさんとは大違いだが、そこにある優しさと暖かさはよく似ていた。

 

「私からも礼をいう。ありがとう、みずづき。仲間が増えるというのは嬉しいと同時に心強い。これから先、様々なことがあるだろう。苦難に襲われることもあるかもしれない。しかし、共に戦い、共に守る者同士、乗り越えていこう。よろしく頼む」

 

差し出される手。百石とは違う、繊細で握るのを躊躇してしまうほど美しい。その手をみずづきは中途半端な握り方にならないよう、しっかりと握る。依然は世界にその名を轟かしたビックセブンの一角であった戦艦長門とは全く想像できない柔らかく、華奢な感覚が伝わってくる。

 

「私も、みなさんの仲間になれて大変光栄です。若輩者ですが、これからよろしくお願いします」

 

2人とも素晴らしい笑顔だ。固い握手を交わし手を離した瞬間、それを待っていたかのように百石が時計を一瞥した後、立ち上がる。

 

「それじゃ、時間だし行こうか?」

「はい? 行くって、どこにですか?」

 

唐突な言葉。話が全く読めないみずづきは、百石の顔を凝視する。

 

「食堂に、だよ」

 

子供のような笑みで胸を張る百石。いい顔をしている。だが、みずづきは対照的に驚きのあまり固まっている。食堂はこの鎮守府にいる全ての将兵・艦娘が利用する。そこに行くというのだ。これまで外出禁止令など、後半はなし崩れになっていたとはいえ人目を憚っていたにもかかわらず、いきなりの飛躍だ。

 

「作戦大成功、といいたいところだが効果がありすぎたようだな。大丈夫、安心してくれ。もう君はうちの仲間になったんだ。もう、隠れてこそこする必要はどこにもない。これからは胸を張って、堂々と歩けるんだ」

「で、でも、いきなり・・・・。心の準備が・・・」

 

大勢の前に立ち、視線を集める自分。それを想像しただけで足がすくんでしまう。

 

「なにも君に何か話せ、ということではないから大丈夫。話すのは私だ。私たちの要請と対する君の答え、そして今後の方針。これだけ重要なことは一般将兵にも私から直に話したい。食堂は君が青くなるとおり、大勢の人間が集まるから都合がいいんだ。少しばかり、付き合ってくれ」

 

百石は自分のためだ、といっているが、これはみずづきにも大きな意味がある行為だ。要するに簡素なお披露目を行う、ということだろう。みずづきが横須賀鎮守府と、ひいては瑞穂と共に歩む姿勢を艦娘から一般将兵にまで認識させるのに、これ以上の舞台はない。その場にいた人間が多ければ多いほど、正確で大容量の情報が瞬時にあちこちへ伝播させることができるのだ。それを分かっているみずづきは、本当は行きたくないものの勇気を出して頷く。

 

「わ、分かりました。横須賀鎮守府のみなさんに私の姿を、とくとご覧に入れましょう!」

 

ぎこちなく笑いながら、胸を張ろうとする。その無理していることが丸分かりな様子に、2人は笑ってしまう。

 

「よしよし、そのいきだ。では、提督、そろそろ」

「ぷぷっ・・・。そ、そうだな。艦娘とお偉いさん方を除いて、みなはいつも通り飯を食ってる。少しでも時間がずれると一気に人が減るからな。では、水月、行くぞ」

 

みずづきの横を通り過ぎ、先に歩き出す2人。緊張で状況把握が鈍っていたみずづきは、2人に慌ててついていく。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

食堂

 

 

日が落ちかけ、夕方から閉店までで最も賑わう時間帯。空いている席はないに等しく、ついさっき来た者たちはその様子にげんなりした表情を浮かべ、席探しに奔走している。喧騒はあらゆる音と一体化し、もはや大音量のラジオも聞こえない。そのような状況下で、席探しに四苦八苦している将兵たちに心の中で謝りつつ、吹雪たち艦娘と川合たち横須賀鎮守府幹部はご飯を食べ終わっても、席を動こうとせずじっと何かを持っていた。はたから見れば異様だが、動かない側からしても、こうしている意味が分からなかった。一同は、みな百石から「以下の時間に必ず食堂にいるように」っと、命令を受けたたけで、その理由は一切聞かされていない。加えて、「あまり食べすぎるな、後悔しても知らないぞ」という意味深な忠告付きだ。それため、命令を聞いた全員、今日の夕飯は控えめにしていた。一部の艦娘たちが涙目あるいはキレ気味になったことは言うまでもない。一部の者は大体の察しをつけ、それの答え合わせに関心を寄せている。それはなにも百石から命令を受けた者ばかりではない。ここは横須賀鎮守府。確かにバカもいるが、だてに由緒正しい鎮守府ではない。学歴を問わず、察しのいい者、状況変化に敏感な者が多々所属している。周囲を見渡せば、本来はマナー違反なのだが食器が空になっているにも関わらず、席探し組の強烈な視線に耐え席を死守している者が少なからず見受けられる。彼らも今日、この時間に何かあると踏んで居座っているのだ。何も知らない連中にとってみれば、邪魔なことこの上ないが・・・・。

 

そんなある意味カオスな食堂の前にみずづき、百石、長門の3人が立つ。その近辺にいた者たちは驚きのあまり目を丸くし固まるが、あいにく食堂までは伝播しない。出入り口から見る食堂。みずづきは初めて鎮守府で一番賑やかな様子を目の当たりにした。軍の中にも関わらず、悲壮感の切片もない活気。それは日だまりのような温かさを感じさせる。その暖かさが、昨日感じたものと重なる。

(やっぱり、そう。私は・・・・・・)

 

百石を先頭に3人は食堂内へ足を踏み入れる。その瞬間、見事なまでに喧騒がやむ。大勢の人間がいるにも関わらず聞こえるのは、ようやく本領発揮と息巻いてるラジオの音のみ。それもラジオの近くにいた幹部が慌ててスイッチを切ったため、すぐに聞こえなくなる。食事中の者は口を大きく開けたまま固まり、席探しに徘徊していた新兵は銅像と化し、艦娘たちは目を点にし、食事を作り配るはずの糧食班すら手を止める。その視線の先にいつも捉える百石や長門の姿はない。全員、ある1人の少女に釘づけとなっていた。一見すれば、黒髪黒目の、どこにでもいる普通の瑞穂の女の子。街中を歩けば必ず彼女のような子は見つけることができるだろう。しかし、みずづきを見たことがある者はともかく、初見の者も一発で彼女が、例の艦娘であることを看破する。何故か? それは簡単な話。

 

雰囲気が、違う。

 

れっきとした軍人の風格が、もう既に身についているのだ。彼らも軍人。同種の人間を見抜くなど造作でもない。

 

では、そんな子がどうしてここに?

 

正体を看破した後、将兵たちの思考をそちらへ移行する。それはみずづきを見たことがある艦娘たちや鎮守府幹部も同様だ。しかし、一般将兵も含めて彼ら・彼女らの中に周囲に合わせ驚いている()()をしている者がいることに、誰も気付かない。演技のうまさには感嘆するほかない。

 

配膳口の反対側、そこ中央に3人は移動する。正面に目を向けたみずづきは息を飲む。ここからは食堂全体が見渡せるため、隅から隅までの将兵たち、そして配膳口に立っている糧食班員の顔も確認できるのだ。そんなみずづきの様子に苦笑しつつ、百石は1つ深呼吸をする。そして、全員が待っている最高司令官の言葉を放つ。

 

「諸君、今日も1日ご苦労だった。今は、重大な連絡事項がありここに立たせてもらっている。みなも顔を見るに一刻も早く聞きたいのだろうが、その前に1つ。・・・固まってないで、もう少し楽にしてくれ。これでは、私もなんだかかしこまって話しづらい」

 

厳格さはなく百石はどこか困ったように笑う。それに将兵たちは控えめに隣近所の者と顔を見合わせる。

「いいのか?」

そんな戸惑いがありありと感じられる表情だ。その中、1人のいかつい中年男性が大きく息を吐き、体をほぐす。それを見た周囲の部下と思われる集団も肩の力を抜き、コップの水を口に含む。それを見届け、いかつい中年男性は百石にからかうような笑みを向ける。そこに御手洗相手に激怒していた般若の面影はない。それを皮切りに見た感じでは分からないが、食堂内の雰囲気がいくらか弛緩する。安堵する百石。みずづきも若干緊張が収まる。

 

「そうそう、それでいい。場も整ったところで本題だ。みなに伝えたいのは、彼女、水月のことだ」

 

そういって百石が顔を向けた瞬間、ザッという効果音が聞こえそうなほど一斉に誰もがみずづきに視線を向ける。

(・・・・・・oh・・・・・・)

こういう時、よく目の前にいる人間をかぼちゃなどの物に思えとよく言われるが、はっきり言おう。そんなの思えるわけがない。

 

「水月のことは、私が語らなくても大体の情報はみな耳にしていると思う。だから、今ここでいちいちみずづきの説明はしない。そのためにいつもより特定の情報に関しては統制を緩めたんだ。ただ、あまりに荒唐無稽すぎて信じらずにいる者もいるだろう。だから、あえて言う。みずづきは、長門たち艦娘がいた並行世界からやって来た()()であり、彼女の世界において、艦娘とは人間が自らの手で開発した艤装をまとう()()を指す」

 

ざわつく食堂。百石の言葉に表情を曇らせている者が多く見受けられる。それも仕方ない。百石や筆端ですら、これを完全に飲み込めたかと問われれば否と答えるだろう。

 

「っと、一旦これを脇において、みなもこの瑞穂がこの世界がおかれている現状を考えてほしい。今、私たちは長期的な反攻作戦の真っ只中である。これは何ともしても成功させなくてはならない。その為に1人でも多くの人材が必要なのは、みなも重々承知していると思う」

 

ここで一旦、話を切る。察しがいい者は自分の導き出した結論に驚き、百石の顔を凝視する。

 

「そこでさきほどの話だ。水月は自分の意思とは関係なくこの世界にきた。彼女自身、飛ばされた原因も、そして日本へ帰る方法も分からない。そのため現在、ここで身柄を保護しているのだが、彼女の力はとても看過できるほど小さくない。そこで、水月は帰る方法が見つかるまでの暫定措置であるが、私たちと共に戦ってくれることが決まった」

 

静寂。

 

「これは、水月の同意を得ている。確かに、水月はこの世界の人間ではない。だが、だからなんだ? 例え、生まれた世界が異なろうと、彼女は私たちと変わらない人間である。それは・・・・・その、あの人との一悶着を聞いている者なら分かるだろう」

 

緊張で固まっていたみずづきだったが、その言葉には反応せずにいられない。まさか、ここであの話が出てくるとは予想外だ。百石を見ると、若干笑っている。

 

「これから水月は我が横須賀鎮守府の大切な仲間となる。言っておくが、くれぐれも良識を疑われるような行為はしないように。そういう相手とのいざこざはもうこりごりだ」

 

嘲笑気味の言葉が終わった後、みずづきは深く腰を折り一礼する。百石の話が終わり、支配する静寂。みずづきの心に、受け入れてもらえなのではないか、という不安感が広がる。いくら吹雪たちや百石たちがいたところで、ここの大多数を占めているのは名前も顔も知らいない一般将兵。そんな人々とのつながりは皆無に等しく、反応が全く予測できない。

 

 

しかし、それは所々から聞こえてくる拍手によって打ち消される。ハッと顔をあげるみずづき。はじめは数えるほどだった拍手が瞬く間に、食堂全体に広がる。出入り口付近に騒ぎを聞きつけてやってきた将兵からも、それは巻き起こる。

 

拍手喝采。みな、いい笑顔で手を叩いている。必死に涙をこらえたみずづきは、もう一度深々とお辞儀する。一際大きくなる拍手。顔をあげると、長門が肩にそっと手をのせる。母親のような優しい笑顔。それを向けられたみずづきも満面の笑みだ。こんな時に不謹慎と分かりつつも、長門に手をのせられているみずづきに羨望のまなざしを向ける野郎どもも当然ながら存在した。

 

「よしっ。さすがは私の部下だ。堅苦しい話はこれで終わりっ。1900から講堂で水月の歓迎会を行う!! プランAだっ!!」

大声で叫ぶ百石。みずづきも含め大半のものは訳が分からず唖然としているが、川合などの幹部、吹雪や赤城など各部隊で旗艦を務める艦娘たちが立ち上がり、自分の部下に百石の計画とこれからの予定を伝える。みな、例外なく驚くが、顔を見るに乗り気だ。みずづきは周囲をあたふたと見まわし、百石と長門に説明を求める。

 

「ちょ、これはどういう・・」

「どうって、君の歓迎会だが」

 

さらりと聞こえる衝撃発言。

 

「カンゲイカイ?」

「君の判断に関わらず歓迎会は今日、やるつもりだったんだ。実は、君が現れた当日から少しずつ準備を進めていてな。せっかく、うちの横須賀に来てもらったのに、歓迎もしないなんて瑞穂軍人の教養が疑われてしまう。そして、こういうのはサプライズが一番。これは君の世界でも通用するようだな」

 

みずづきの呆けた顔を見て百石は笑う。作戦は大成功のようだ。後は、歓迎会の成功を祈るのみ。

プランA。それはみずづきが百石の提案を受け入れた場合を想定した行動計画の名称だ。Aとついているのだから、もちろんプランBも存在する。これはみずづきが百石の提案を受けなかった場合の行動計画だ。さすがに、正反対の選択をしたのに歓迎会の演目が同じでは不都合のオンパレードとなってしまう。だが、準備の方はどちらの場合でも共通なので、順調に進んでいる。今頃、百石の特命を受けた筆端が造船部や鎮守府に停泊している通常艦艇の将兵を引き連れ、講堂で準備を行っているはずだ。料理は既に今日勤務から外れている糧食班員と鎮守府内にある居酒屋「橙野」の従業員たちが用意してくれている。

 

百石の子供のような笑顔を見て徐々に状況へ思考が追いついてきたみずづきは、横須賀鎮守府にいる人々の温かさと優しさの連続に嬉しすぎて涙腺が崩壊しそうになる。だが、なんとか見栄を張り涙腺を支える。

 

「ほんっとに、みなさん優しすぎます。次から次へと・・・。とても、嬉しいです」

 

その泣きそうな笑顔に、百石はこの3日間の苦労が報われた気がして体が軽くなったように感じる。

 

「おおっ―――――!!!」

その時、あちこちから歓声が上がる。一部の将兵は肩を組んでテンションが急上昇しているようだ。「みんなに伝えてきます!!」と喜々として食堂の外へ爆走していく兵士の姿も見える。

 

あまりの盛り上がりぶりに何事かと身構えた矢先、百石が説明を始める。

 

「この場で大見得きって言ったんだが、新しい艦娘が着任する際に行われる歓迎会には着任済みの艦娘と鎮守府の幹部のみが参加するしきたりなんだ。一般将兵は参加しない。今回もそれに準じているから、みんなはお預け。だが、それだとなんだか悪いだろ? だから、勤務がある者以外、はめをはずさない程度に楽しむことを許可したんだ。みんな、それを聞いて喜んでいるのだろう」

 

ここは、海軍の一大拠点であり艦娘部隊も存在しているため、常に一定の緊張感が存在している。みなそれぞれ娯楽などを持っているが、鎮守府内で騒げるのは、花火大会や年末年始などごく限られた日しかない。そして、軍隊であるが故にその日が急な任務や訓練で、つぶれることもしばしば。振替は当然存在しない。そんな希有極まりない無礼講が、突然降ってきたのだ。テンションが上がるのも無理はない。

 

「百石司令、長門さん」

 

名前を呼んで、2人の顔を見る。破顔する将兵たち。自身もきっと同じ表情を浮かべているだろう。この笑顔には大勢の人々の苦労があったことは言うまでもない。目の前の2人は特に尽力してくれた。

 

言わなければならない言葉がある。

 

「こんな素晴らしい催しを行っていただき、本当にありがとうございますっ!!」

 

みずづきが破顔しながら頭を下げる微笑ましい光景を前に、2人は照れくささを醸し出しつつも最高の笑顔を返す。

 

もうすぐ、夜が来る。太陽の加護が一切ない、暗黒の世界。しかし、その世界を活躍の場にしている存在がいることも事実。その者たちの存在が薄くなるほど、今日は騒がしい。日が落ちても闇を感じさせないほど続くであろう、人間の活気。時が流れれば、今日は記憶となり記録となる。だが、それは未来の話。今日は今日だ。この世界の人間にとっては日常の輝かしい1ページ。ある者にとっては新たな道の始まりだ。

 

 

―――――

 

 

「君はどうして軍に入ろうと思ったんだ?」

 

最も単純で、最も根源的な問い。入隊の意思を固めてから、そして入隊してから様々なことがあった。輝かしい記憶よりも、ひどく汚れた記憶の方が圧倒的に多い。いろいろなことが、本当にいろいろなことがあった。しかし、それでも彼女の信念は一度も色あせることはなかった。

 

知山の問い。それに正々堂々と胸を張って、みずづきは答えた。

 

「私が・・・私が自衛隊に入った理由は、みんなが普通に笑って普通に生きてほしいと思ったからです。家族や友人の死に悲しむことも、故郷が焼け野原になって嘆くことも、飢えや寒さに耐えることも、死の恐怖におびえることもない。そんな、ごく当たり前の平和で穏やかな生活を送れる一助になりたかったんです。別に昔のような贅沢三昧を望む気は毛頭ありません。ただ、私はこれ以上、家族にも友人にも誰にも苦しんでほしくない、悲しんでほしくない。誰にもあの頃・・・・平和だったあの頃みたいに笑顔でいてほしい。そのためには現状を引き起こしたやつらから、みんなを守らなくちゃいけない。だから、自衛隊に志願して、今も軍人としてここにいるんです」

 

これは決して揺るがない。例え、これから先、何かに塗りつぶされてしまったとしても消滅しないし、させない。上書きされても、それをはがせば下地は必ず残っている。

「ふっ・・・・」と一笑が聞こえる。しかし、それはみずづきを馬鹿にしたものではない。むしろ、逆だ。

 

「たいしたもんだよ。やっぱり、みずづきはすごいな」

 

朗らかに笑いながら自身に感心している知山を見て、みずづきは熟れたトマトのように顔を赤く染める。その可愛らしい反応がさらなる爆笑を彼にもたらす。

 

 

腹を抱え、いつも通り一点の曇りなく破顔する知山。

 

 

その顔には周囲にある木々の葉によって、恐怖を感じてしまいそうな黒く深い影がいくつもできていた。

 




ようやくここまでたどり着くことができました。

次話は普段とは異なる視点の「無の世界で 弐」です。

そして、突然ですがパソコンやスマホのデータ、バックアップとっておきましょうね。


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22話 無の世界で 弐

少し文体を変えているので、分かりづらい箇所があると思います。

筆を走らせましたが、作者の文才ではこの辺りが精一杯です(汗)。


「う゛・・・・・・う゛う゛・・・」

 

いつから泣いているのか、もうわからない。涙は枯れてしまったが、心の中を支配するこの胸が押しつぶされそうな感情が消えることはない。男はゾンビのように立ち上がり、廃墟の中を再び歩き出す。途中、誰かに会った気がするが、分からない。

 

唐突に響き渡る銃撃音。一発だけではない。あらゆる方向から1つ1つの銃声が判別できないほどの連射音が鼓膜を揺さぶる。

 

 

 

“ここは・・・・・・・・”

 

 

 

 

 

「!?!? し、手榴だ・・・」

 

恐怖におびえる声、それが聞こえた直後、世界を支配する大音響の爆発音が轟く。衝撃波が体の側面にあたる。

 

「ううううう゛・・・・・・ぶっ・あっ・・」

「江和井が、江和井がっ!! おい手を・・・・・か、貸してくれっ!!!!」

 

その方向からは言葉にならないうめき声と悲鳴が絶え間なく響く銃声に紛れて聞こえる。

 

「ちっ! 今のどこだ!?」

「掃海隊庁舎の反対側っ!! 右翼だ、右翼っ!!」

 

そう指摘され、今や塹壕もどきと化している汚水や雨水を海へ流すための用水路の右側を伺う。同じように用水路の中に入り泥まみれで、応戦している複数人の味方が見える。だが、何人かは応戦せずかがんでいいる。よく見ると力なく横たわっている男性が一人。底に溜まっている水はすでに逝った者たちの血が混ざり赤くなっているが、その男性からは血が混ざった水とは別格の、正真正銘の鮮血が流れ出ていた。状況から察するに、もう助からないだろう。彼の上に目を向けると、血まみれの人間が用水路に手と頭をぶら下げている。銃弾を受けても鈍い音を発し、血飛沫をあげながら穴を増やすだけで反応しない。

 

「おい知山っ!! 被害を確認して来いっ!! 向こうにはもうそんな余裕はないだろ!」

 

白髪交じりの中年男性が命令を飛ばす。それを受け知山と呼ばれた男性は、数年ぶりに手にした89式小銃を肩にかけ目の前にのみ集中し走る。途中何か軟らかいものを踏むが、気にしない。

 

「知山ですっ!! 被害報告を!!」

 

簡潔かつ明瞭な言葉。わざと目の前の肉塊から目を逸らして大声を出す。彼の行動を肌で感じたのか、肉塊のそばで嗚咽を漏らしていた若い男が彼を睨みつける。彼は、あまりの迫力にたじろぐ。場が、この状況下で凍ったように感じる。

 

「報告? ・・・・・そんなもん、見たら分かるだろうがっ!! 二尉のくせに、んなことも見えねえのかっ!? あん!? 江和井が死んだ、森川も死んだっ!! 嫌だ、もうこんなの嫌だぁぁ!!」

 

戦闘中にも関わらず、わめきだす若い男。それに構わず、男は隣で若い男をつらそうに見ながら、弾倉装填中の男に視線で問う。年は自分と同じぐらいだろうか。

 

「今ので2人減って、残りは14・・・・いや、あいつもやられたから13人だ。ほんの2・3時間前まで30人いたのにな・・・・・」

 

そういって、装填を終え89式小銃を持ち直した同年代の男は若干のいらだちを含ませながら男を見て、言った。

 

「海自ってのは、あんたみたいな人間ばっかりなのか?」

 

それの答えといわんばかりに拳を握りしめ唇をかむ、と男は無言で情報を上官へ伝えに走り出す。その背中になにか声がかけられるが聞こえない。

 

「了解。椋原司令と話してくる。ここは任せたぞっ、知山! 秋野! 丸茂っ、一緒に来い!」

「はっ!!」

 

紺色の制服を血と泥で真っ黒に汚した中年男性と丸茂が、用水路の中をかけていく。残される2人の男。超高速で飛んでくる銃弾。防御が薄いと敵に思われないよう、残弾を考え控えめに応戦する。

 

「知山? 大丈夫か? 顔色悪いぞ」

「そりゃ、こんな状況下だからな、こうなるさ。・・・お前も人のこと言えないがな!」

「なに言ってんだよ、お前と一緒にすんな・・・。はははっ」

 

89式小銃を三連射しながら、突然笑い出す秋野。正直ドン引きだ。

 

「ひっでぇな、狂ったわけじゃねぇぞ! ただ、こんな状況でも軽口をたたきあう俺たちがおかしくて、つい・・・。こんな風にお前とだべれるのも、いつまでか分かんないしな」

 

言い終わると同時に、引き金を引く。単射。前方にある建物の入り口付近にいた黒ずくめの男が1人倒れる。だが、2人に歓喜はない。そんな余裕はここには一切なかった。

 

「増援は来ないのか?」

 

絶望的な男のぼやき。

 

「来たじゃねぇか、頼もしい増援がよ」

「弾こめてる間に全滅しちまったがなっ」

 

男は視線の先にいるであろう敵に、明確な殺意を向けて引き金を引く。自分たちを助けようとして惨殺された警察官。虫けらのように数を減らしていく仲間たち。その姿が目に焼き付いて離れない。

 

「ちっ。ここのままじゃ・・・・」

「こんなところで死ぬつもりは毛頭ないぜ。知山! お前もそうだろ?」

「当然っ!!」

 

不敵に笑い合う2人。それは、銃声を押しのけ一瞬にして場を支配した獰猛なエンジン音によって消失する。何事かと、こちら側の応戦が一時的にやむ。

 

その時、右翼を守る陸上自衛隊普通科連隊の隊員が叫ぶ、いや悲鳴をあげた。

 

「総員、全力攻撃っ!!!!! 来るぞっ!!」

 

その言葉を、男たち海上自衛隊側は漠然と聞く。しかし、こちらへ向かってくるその姿を見た瞬間、言葉の意味を理解し、顔が絶望に染まる。

 

 

こちらへ向かって爆走する陸上自衛隊の96式装輪装甲車。いつもは頼もしく思えるその姿が、今日は死神に見えた。

 

 

「マジかよっ!!」

「やつら何してんだよ!! こうならないように、放棄するときは爆破しろって教本に書いてあるだろうがっ!!!!」

 

後先を考える余裕もなく、本能のおもむくまま引き金を引く。しかし、相手は敵が操っているものの日本の装甲車。89式小銃の5.56mm弾では、その行軍を止められない。カンカンと、弾のはじかれる音が木霊する。それに呼応して激しさをます敵の銃撃。

 

「伏せろっ!!」

 

鼓膜がどうにかなりそうな銃声に紛れて聞こえる声。2人は反射的に頭部も含めて全身を用水路に隠す。続けて巻き起こる連続的な爆発音。即席で積んだ土のうの砂が容赦なく頭上から降り注ぐ。血や泥で汚れているうえにこれ。不快なことこの上ないが、それを感じる暇は一瞬たりとも存在しなかった。

 

「なんだよこれっ!!」

「手榴弾の連続投射だっ。やつら、勝負に出やがったっ!」

 

爆発音がやむと、すぐに頭をあげ89式小銃を構える。が、その引き金は引かれない。鼓膜を突き抜けるような重量のあるもの同士がぶつかる音。4つあるうちの1つが用水路に落ち空回りするタイヤ。目を見開く陸・海の自衛隊員たち。

 

一瞬の静寂。

 

「総員っ、着剣よーいっっっ!!!!!!」

 

それを普通科連隊の最先任隊員が声帯が壊れるのではないか思うほどの絶叫でぶち壊す。戦闘服にいくつもある収納ポケットからはじかれたように銃剣を取り出す陸自隊員。それを茫然と眺めることしかできない海自隊員。後部に設置されている隊員乗降車用のランプドアが開き始める。その動きが恐ろしくゆっくりと見える。

 

「おいっ!! 秋野!!」

「分かってるっ。こちら秋野っこちら秋野っ、指示を求む! 指示を求む!!」

 

震える声。時は無情で、ランプドアは刻一刻とその開閉度を増していく。だが、無線から聞こえるのは上官の声ではなく、機械的な電子音のみ。男と反対方向に顔を向けると数メートル先に秋野の指示を待つ数人の部下が見える。

 

「秋野、この場での最先任はお前だっ!! 指示をだせっ!!」

「・・・・了解。全員、ナイフを持ってるな!? 近接戦闘になった場合はそれを使えぇ!! いいかっ、俺たちの命を刈り取ろうとするやつらは全員、殺せっ!!」

『了解っっ!!!!』

 

叫ぶ秋野。それに応える男たち。

 

ランプドアが開く。反射的にそちらに意識が向いてしまう。敵からの銃撃が、装甲車を避け盛大に始まった。

 

「う゛っ!? ああ゛・・・・」

 

敵の思惑にまんまとはまってしまった男の肩に、衝撃が走り用水路の底に倒れ込む。その衝撃で巻き上げられる血混じりの水と泥。感じたこのない激痛が全身を駆け巡り、肩に空いた穴から鮮血が面白いように流れる。

 

「知山!!」

 

叫ぶ秋野。だが、男の元には来ない。いや、来れない。96式装甲車から次々と出てくる黒ずくめの人間たち。それと同時にまかれる発煙弾。白に覆われ敵の姿が見えない。

 

「どこだぁ! どこだぁ!」

「め、目の前に!! くs、アグガッ!?・・・・」

「ややめ、死にたくな・・・ふぉgkどs・・・・」

 

あちこちから聞こえてくる悲鳴、絶叫、銃声、何かをへし折る音、豆腐を床にたたきつけたような音も聞こえる。そのどれもが生存本能に基づいて最大級の警報を発する。肩にポケットから出したハンカチを震える手でしばりつけ、出血を抑止する。だが、男の表情に安堵はなく、恐怖だけが宿っている。

 

突如、現れる黒い影。全てが黒で、死を体現したかのようだ。

 

「あ・・・・」

「くそっ!!」

 

銃を構える秋野。しかし、敵の動きは凄まじく、用水路の淵から底に降りると秋野が引き金を引く前に89式を足でけり、取っ組み合いに持ち込む。敵と激しくもみ合う秋野。

 

「秋野っ!!」

 

負傷した右腕をぶら下げ、秋野を助けに行こうとする男。

 

ピチャ・・・・。耳がどうにかなりそうなほどの音が溢れる中、その音・・・・水を踏みつける足音はやけに透き通って聞こえる。背後に現れる気配。明確に向けられる殺意。ポケットにあるナイフを手に取り振り向こうとした瞬間、何かが高速で接近してくる。間一髪のところで腰を横にひねり、相手の刺突を躱す。そのまま、とっさに腰と左腕の間に敵の腕を挟み、暴れるその手にナイフを力いっぱい突き刺す。

 

「!?!?」

 

激痛によって発揮された力には勝てず、腰と左腕の間から敵の腕が離れる。痛みに悶える黒ずくめ。先ほどのまでの恐怖は不思議と消え、がら空きになった男の首にナイフを振り下ろす。敵は噴水のように噴き出す血を手で反射的に押さえるが、それにかまわず振り下ろす。何度も、何度も、何度も・・・・!!

 

「あはぁ、あはぁ、あはぁ、あはぁ、あはぁ、あはぁ、あはぁ、あはぁ、あはぁ・・」

 

返り血に染まり、漆黒の度合いを格段に高めた自分の制服。敵を見る。首の半分近くが体から離れ、骨らしきものも見える。流れる続ける絵の具のようにきれいな血。それを見て、自分がなした行為の意味が急速に湧きあがってくる。

 

「お、俺・・・人を、人をっ・・・・・!!!」

 

震える手。そこから滑り落ちるナイフ。それに気付かないほど動揺する男。

 

 

だから、だったのだろう。新たな狩人が背後に迫るのに全く気付かなかった。

 

 

「なにしてんだよ!! てめぇぇぇ!!!!」

 

 

振り上げられるナイフ。死を覚悟した瞬間、敵の側面から秋野がアタックをかます。だが、敵もそれで負けたりしない。取っ組み合う2人。

 

―――――――――――

 

 

男は走る。男の瞳にわずかな光が灯る。今見ている光景がどのようなものか、分かっている。

だが、それでも、見過ごせるわけない。じっとしていられるわけない。

 

結果を知っている者として、結果に果てしない後悔を抱いた者として・・・・・。

 

脳裏に甦る声。理不尽な現実に耐えようとする姿。

 

“なんで、なんで、なんで、あの人が死ななきゃならなかったんですか?”・・・・・・・・

 

必死にその声を振り払う。その姿に目をつむる。過去を変えることができないと分かっていても、男は止まらない。

 

そう、過去は変えられない。結果は変えられない。どれだけ願おうとも。

 

――――――――――

 

それは一瞬の出来事。鈍く、聞くだけで気分を害する音。それに続き男の耳に親友のうめきが轟く。男は銀色に光る敵の凶器が秋野の体に吸い込まれる光景を捉えていた・・・・・・・。

 

「あ゛ぁぁ・・・・う、ぅぅぅ・・・ぐがあ゛・・・、く、くそったれがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「!?!?!?」

 

秋野の叫び声。痙攣する敵。敵は一度体をあげると聞き覚えのある外国の言語を並べながら、胸を押さえ、馬乗りになった秋野の隣に崩れ落ちる。

 

再び、訪れた静寂。男は右手をぶら下げたままゆっくりと、歩く。親友のもとへ。

 

「秋野・・・秋野・・・・おい・・・、う、うそだよな。・・・なにか言ってくれよ」

 

身体に、刺されたら即死しかねない場所に突き立ったナイフ。秋野は顔を横に向け血の海に身を沈めていた。

 

駆け巡る親友との記憶。

「婚約、おめっとさん! 末永くお幸せにな・・・ちっ!」

「おい! しっかりと聞こえてるからな、その舌打ち。てめぇが素直にまともなセリフ言ってて、正直引いたが、知山は知山だな! 安心したぜ」

「お前・・・・何気にひでぇこと言ってるからな! はぁ~、お前もとうとう婚約か~。俺だけ、俺だけ・・・」

「勝負は俺の勝ちだな。ヤッホーっ!! っとはいっても、お前にだって春は来るさ。俺に来たんだからな。こんなに早く来るとは思ってなかったから、俺自身マジでビビってる」

「勝者の余裕ですか、ハイハイ乙っ!! お前、ふざけて言ってるだろう・・」

「お前も、たいがいひどいよな・・・・。・・・・今しか言えないような気がするから言うが、お前には感謝してる。本心を言えば俺があいつとここまで来れたのはお前のおかげだと思ってる。それはあいつも同じだ」

「な、なんだよ、いきなり」

「喧嘩したとき、俺がインフルかかって倒れた時、デートが緊急招集でパーになっちまった時、あげればきりがないがお前は真摯に俺たちのため俺たちの仲が悪くならないよう極端なときには、部長からの説教も覚悟の上でいろいろ動いてくれた。本当に感謝してるんだ。ありがとうな知山」

「急に何かと思えば照れるじゃねぇか。いいよ、いいよ。俺たち、親友だろ? その親友と、親友が選んだ大切な人の幸せを少しでも手伝うのは、親友として当然だ。だから、気にすんな、な? 俺は、お前たちが仲良く笑い合ってくれるだけでいいんだよ」

「・・・・・お前が親友でほんとによかった。そんなお前の魅力を分かってくれる人が絶対に現れる。これは親友の俺が保障する。だから、その時は俺にも協力させろよ。いろいろお世話してやる」

「ったく、最後の意味深な発言がなけりゃ、感動的だったのにな」

「何言ってんだよ、これが俺たちじゃねぇか」

「それもそうだな。ははははっ」

「ふふふっ・・あははははっ」

 

もはや過去となった思い出。目の前の光景がそれの温かさを際立たせる。そして、それの尊さを嫌になるほど強調する。もう、これの続きを紡ぐことは、できないのだ。

 

「秋野・・・秋野・・・・俺が、俺がしっかりしていれば、お前は・・・・」

 

数多の死体が転ぶ戦場。親友の死体を前に、男は犯した過ちの大きさに膝をついた。

 

 

 

 

 

足を止めた男はその光景を生気のない瞳に映し続ける。光は、もうない。

 

 

 

やっぱり、過去は変えられない。分かってたはずなのにな・・・・。

 

 

 

男はその光景から顔をそむける。周囲の景色が変わる。以前いた廃墟の街。

 

 

 

俺のせいであいつは死んだ。あんないいやつが、希望ある未来が待っていたあいつが・・。俺のせいであの子も・・・・。

 

 

 

俺は、大切な人々を、身近な人々を、見ず知らずの人々を、この国に住む人々を守りたいと思った。

そんな人々が住むこの国を、守りたいと思った。

 

だから、自衛隊に入った。

 

もう2度と人々が飢えてたまるか、もう2度とこの国を焦土にしてたまるか・・・・・もう2度と理不尽に自分の命が大切な人たちの命が奪われてたまるかと、それになにもできずただただ立ち尽くてなるものかと、そう思って。

 

だが、俺は、俺たちは2度目を防げなかった。

俺は大切な人を守れなかったどころか、殺す結果を生み出してしまった。

 

 

 

 

二度あることは三度ある。そういうことわざがあった。

 

 

 

 

3度目は許してはいけない。絶対に・・・・・・・・っ!!!!!

 

 

だから、誓った。この国を守ると。この国を、こんなことに見舞われないように強くしなければ、と。

そして、信じた。自分の中の()()()()()()()「正義」を!

 

 

だが、俺は()()は知っていたが、()()は知らなかった。

ただただ現実を、世界を知った気になって、いきがっていただけだった。

 

この国を守りたい。日本をこれまで通り、平和で繁栄した国にしたい。

 

みんなに幸せでいてほしい・・・・・・。

 

 

ただ、それだけだったのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

俺は、俺は・・・・・・・・・・!!

 

 

 

 

男は歩く。

 

 

ほっんと俺って・・・・・・・・・・・・・・・・クズだな。

 

 

 

男は歩く。目的もなくただ、下を向いて。自分が信じた正義の結果、この国に、この世界に具現してしまった廃墟(地獄)の中を。




今話を持って、「水面に映る月」第1章は完結です。投稿を始めてからはや2ヶ月半。

出来には不安が多々ありましたが、読者の皆様に多くのお力ぞえを頂き、ここまで走破することができました!

本作を読んで下さった皆様、ご感想やご指摘を寄せて下さった皆様、お気に入り登録をして下さった皆様。
本当にありがとうございました‼

次章、「過ぎし日との葛藤」は現在執筆中です。色々ハプニングが発生し再開時期は明言できませんが、年明けには投稿を再開できるのではないかと思っています。

かなり時間があいてしまいますが、ご了承下さい。(フラグにならないよう頑張りますっ)

では、来年にまたお会いしましょう‼

っと、思ったら言い忘れてたことがあったので、最後に一つ。

前話でも書きましたがみなさん、パソコンのデータ、きちんとバックアップとっておきましょうね!
パソコンが死んで、顔面蒼白になってからでは遅いですよ。私的にも社会的にも死の危険に瀕してからでは遅いです!!

いや、ほんまに………………。

バックアップなんて、すぐに取れます。備えあれば憂いなし、ですよ‼


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第2章 過ぎし日との葛藤
23話 歓迎会 前編


みなさん、明けましておめでとうございます!

そして、長らくお待たせいたしました!! 10月に「第1章 時空を超えて」が完結してから3か月。『劇場版艦これ』も封が切られ、2016年も終わり、世間は2017年。本日より「水面に映る月 第2章 過ぎし日との葛藤」の投稿を開始いたします。(1章完結時の言葉がフラグにならずに良かった・・・・)

今回は第2章一発目ということで、話の区切りもいいので3話を連続投稿します!

相変わらず、文才なし+にわか知識ですが、温かい目で見守っていただければ幸いです。

では、どうぞ!!!(といいつつ、しょっぱなから暴走が著しいですが・・・)



横須賀鎮守府  講堂

 

 

太陽は完全に地平線の下へと沈み、空は月と小さくも堂々と輝く星たちの見せ場となっている。夜になっても雲が広がる気配はなく、昼間と同様に美しい自然の営みを拝むことが可能だ。そんな空の下、横須賀市街だけでなく鎮守府も明日に向けて寝支度を進めていた、はずだった。いつもなら・・・・。しかし、あちこちから歓声、果ては何やら楽器の演奏音まで聞こえてくる。落ちるはずの明かりは落ちず、府内を闊歩する大勢の人間。ある意味、お祭りのような雰囲気が横須賀鎮守府を覆っている。

 

その中の1つ、1号舎と同じく赤レンガ造りの講堂。その外見通り、普段は士官の着任式など堅苦しい年中行事や作戦のブルーティングに使用され厳格な雰囲気が漂っている場所なのだが、今日のように新しい仲間の着任を祝う歓迎会の時も使用される。その時の雰囲気はまた別物だ。講堂は煌々と明かりを灯し、周囲まで照らしている。構内は既に準備が完了し、出席者は歓迎会の開始を待っている。複数設置された円テーブルの上には軽食ながらも立派な料理が用意され、一部艦娘の目をくぎ付けにしている。これがあったから百石は艦娘を含めた出席者に「あまり食べすぎるな、後悔しても知らないぞ」という命令を出したのだ。その命令を無視し本能のおもむくまま夕食を堪能した一部の者たちは、それを見て後悔の念に駆られるがそれでもつまみ食いしそうな雰囲気を漂わせている強者がいる。ことあるごとに語る一航戦の誇りはどこへいってしまったのだろうか。青い顔をしてまで食べ物を胃に入れようとするその強い意志に、監視する艦娘たちはあきれ顔だ。決して感心などしない。

 

和やかな光景。しかし、ただ一名だけは別の世界を彷徨っていた。心拍数は高止まり、暑くもないのに汗をかき、目の前の一点を見つめて微動だにしていない。さきほど、食堂でみせた嬉しそうな顔とは大違いだ。講堂内からは見えないステージ横にいてもこれである。見かねた百石は苦笑しつつ、みずづきに声をかけた。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫さ。さっきも言っただろ?ここの艦娘たちはみんないい子たちだ。君の気分を害するような言葉はおろか視線すらも投げかけたりしない」

「それは分かってますけど・・・・でも、やっぱり緊張しますよ。私こういうの苦手なのに・・」

 

胸を張る百石に対し、みずづきは少しじっとりした視線を向ける。軍人であり一艦娘部隊の隊長を務めてきただけはあり、このような状況は何度も体験してきた。しかし、それでも慣れないのだ。思い返しても例外なく、そのたびに緊張していた自分しかいない。では何故、歓迎会でそこまで緊張している理由のか? 理由はほかでもない百石から告げられたある言葉が原因だ。

 

“自己紹介の後に、艦娘たちとの質疑応答を行ってほしいんだ。みんな、君に対して聞きたいことが山積みだからな。質問と回答は共有していたほうが後々のためになるし”

 

(マジ・・・・・・?)

それを聞いたみずづきの感想はこれだ。一理はありありで反論の余地はないのだが、応える側としては恐怖だ。なにせ、第二次世界大戦時の艦艇、いうなれば過去の先人たちから質問がくるのだ。しかも、あくまで推測だが彼女たちは21世紀の歴史を知らない。21世紀でも2016年まではある程度和やかな雰囲気でも語れるが、2017年以降は・・・・・・・・無理だ。そんなのこの場で言えるわけがない。そんなド直球の質問がくるか分からないが、関係ない事柄でもそれを説明しなければ答えられない質問もあり得る。また、自身の知識で回答可能な質問かどうかも不安材料だ。一応、艦娘なのでみずづきは軍人として優秀な部類に入る。対深海棲艦の切り札である艦娘には勉強ができるできないの意味でのバカ、ではなれない。しかし、優秀とは言ってもなんの変哲もない一般人レベルだ。通ってきた学校は普通の公立学校で、大学には行っていない。

 

「はぁ~、歓迎会やるって言ってもらえて舞い上がってたけど、よくよく考えればあり得る話だよね・・・・・、ここに来て初めて公式に姿を見せるわけだし。なんで、予測できないかな・・・・」

 

自分の単純さについため息が出てしまう。昔からずっとこれで、もはや性格の域だけに直すことは不可能かもしれない。

 

「はぁ~」

 

もう1度ため息。もし、ここに知山がいたらなら「幸せが逃げていくぞ」と、笑いながら声をかけ、面白がりつつもなぐさめてくれるだろう。

 

・・・・・時計を見る。そろそろ始まる時間だ。

 

「よしっ。全員そろっているようだし、予定通り。さて、始めるとしますか」

 

対照的に百石は喜々とした表情でちらりと構内の様子を覗い、小さくガッツポーズを決める。そこに偽りはなく、百石は本気で歓迎会を成功させようとしていた。そんな百石を見ていると、自身の動揺がひどく恩知らずなものに感じられる。ここはみずづきの歓迎の場。しかも、百石たちが善意で準備してくれたのだ。こんなことで主役が動転していては、台無しだ。

 

みずづきが気持ちを落ち着かせ深呼吸を終わらせた頃合いを見計らい、百石は声をかける。

 

「それじゃあ、行くぞ」

「はいっ」

 

そう言うと百石は壇上ではなくその前、艦娘や各隊の士官たちと同じ目線で話せる位置へ進み、みずづきも後を追う。講堂内へ目を向けると昨日一緒に市街へ出掛けた吹雪・白雪・初雪・深雪をはじめ、多くの艦娘たちや筆端や川合などの鎮守府重鎮たちがおのおのの場所でテーブルを囲み談笑している。しかし、それも2人が現れると一時中断。全員前に立った二人に視線を向ける。

 

「・・・・・まず、始める前に言っておかなければならないことがある。いろいろなゴタゴタがあったなかこの歓迎会の準備に多くの者が協力してくれ、開催に至ることができた。この場を借り、みなに謝意を表する。ありがとう」

 

その言葉にみな照れくさそうな微笑を浮かべる。

 

「では、これより新しい仲間の歓迎会を始める。まずはみんな注目、彼女の自己紹介からだな」

 

不敵な笑みを浮かべた百石がみずづきへ視線を向ける。それにみずづきは、焦る。打ち合わせの時には聞いていなかった言葉が入り、若干ハードルが上がったのだ。みずづきはそれにデジャヴを覚え、百石を睨みつけそうになる。が、今自分が立っている場所を思い出し、なんとか止める。

(誰かさんみたいなことを・・・・・。ここは冷静に冷静に・・・)

百石のペースではなく、自分のペース、自分の言葉を再度意識する。

 

「本日から皆さんとともに精進させて頂く、日本海上国防軍防衛艦隊第53防衛隊隊長あきづき型特殊護衛艦のみずづきです。4日前からいろいろとお騒がせしてしまい、申し訳ありません。おとといは醜態をさらしてしまいましたが、あれは特別、特別です! 普段の私はあんなに好戦的ではないのでご安心を」

 

みずづきの必死な訴えに控えめな笑いが起きる。咄嗟に出た言葉だったが痛い空気にはならず、心の方も一安心だ。

 

「これから、ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いしますっ!!」

 

言い終わると、旧軍時代から続く脇を閉めた特徴的な敬礼を決める。それに対して巻き起こる温かい拍手。怪訝、というよりは心の中に抱いている疑問を聞ききたそうな表情をしている子が何人かいるものの、彼女たちを含め歓迎しているのは間違いない。中には「ようこそ、横須賀鎮守府へ」と眩しい笑顔で言ってくれる人たちがいる。みずづきがここに来た当初とは大違いだ。それについ笑顔がこぼれる。あの時、見せたみずづきの本気と信念。これがあったからこそ、得体のしれない存在に対する艦娘たちの疑念は着実に解消されたのだ。

 

自己紹介が終わると、お待ちかねの質疑応答タイムだ。

 

「それじゃあ、質疑応答に入る。質問がある者は挙手をしてくれ。・・・くれぐれも常識の範囲内で頼むぞ」

 

質疑応答を聞いた瞬間、一気に目を輝かせ、いつでも手をあげられる準備をする一部の艦娘たち。彼女たちはお互い、顔を見合うと視線で火花を散らす。ここが歓迎会でなければ、周囲の艦娘や将兵が必死になだめるほどの迫力だ。それもそのはず。彼女たちは、みずづきの身の上を聞いて、質問したいことが湯水のようにあふれているのだ。みずづきは、2033年の、未来の日本から来た“人間”。絶対にあり得ない、そう思われていた()()()()()機会がやってきたのだ。そして、質疑応答は当然ながら時間制限付き、有限である。これを逃しても、みずづきは横須賀鎮守府に留まるのだからいつでも話は聞けるのだ。しかし、いまだ彼女の人となりが分からずどういった行動体系になるのか全く想像できないなか、不確かな未来にかけるよりも、彼女たちは目の前の明確なチャンスにかけていた。これを逃してたまるものか、と。

 

そう構える彼女たちに、百石は“くれぐれも”を強調する。こうでもしないと雰囲気に飲まれ、とんでもない質問をする輩が出かねない。百石の苦笑と一部艦娘たちの眼光にみずづきは後ずさりしかけるが、覚悟という名の不可視装甲でなんとかはじき返す。

 

「では、質問したい人っ!」

「はいっ!!」

「はい」

「はい!! はい!! はーい!!!!」

 

ほぼ同時にあげる複数人。艦娘たちは挙手のメンバーを見て息を飲む。その中には、艦娘以外に筆端などの横須賀鎮守府幹部も含まれていた。してやったり顔の彼ら。それを見てみずづきと共に艦娘たちも「はい?」と固まる。だが、よく考えてみると百石はなにも艦娘限定とは一言も言っていない。彼らは勝手に艦娘限定と思い込んでいた彼女たちの意表を突く作戦に出たのだ。しかし、彼らは当てられなかった。百石は、その動体視力で最も早く手を挙げた者を見抜いていたのだ。百石は栄えある第一質問者の名前を呼ぶ。

 

「よし、響!!! 一番がお前だ。早かったな」

「やったっ」

 

いつのも大人びた様子からかけ離れた、子供のような笑顔を浮かべる響。それを見て、悔しそうに拳を握るその他の狼たち。

 

「響、すごーいっ!!」

「おめでとうなのですっ、響ちゃん!!」

「レディーらしく譲ってあげたんだから、しっかり質問しなさいよ!!」

 

同じ部隊、そして自身の姉・妹が質問する機会を勝ち取ったことに、暁・雷・電はまるで自分のことのように嬉しがる。彼女たちも「みずづきに聞きたいことはないのか?」と問われれば「ある」と答える。だが、自分たちよりもはるかに聞きたそうにしている響を見て、機会を譲ったのだ。だから、3人が手をあげる気は全くない。

 

「ありがとうみんな」

 

照れた顔を見られたくないのか、響は被っている帽子のつばを持ち深くかぶり直すしぐさを見せる。

 

「・・・えっと、その・・まずは自己紹介からが筋かな。はじめまして、みずづき。僕は特型駆逐艦の22番艦、別の言い方をすれば特Ⅲ型駆逐艦2番艦の響だ」

 

雪のような清楚さあふれる白髪で、どこか日本人離れした小学生。そうとしか見えない子が礼儀正しく自己紹介する。その姿にみずづきは目を奪われる。だが、その愛らしい姿とは裏腹に表情は真剣そのものである。それを見て、みずづきは一瞬驚いた心を落ち着かせ、響の問いに精一杯応えようとする。

 

「いろいろ話したいことはあるけれど、それを話すとみんなの迷惑になるからやめておく。日本のこと、君のことは僕以外の誰かが聞くと思う。・・・・・だから、僕は僕にしか聞けないことを聞くよ」

 

 

 

深呼吸をし、響はみずづきをまっすぐ見つめ、そして・・・・・・・・・口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冷戦は、どうなったんだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「れ、冷戦・・・・ですか?」

 

予想外の問いに、思わず言葉が途切れ途切れとなってしまう。

 

「僕はその・・・・・あの戦争で沈まずにすんだ僕は日本の敗戦後、賠償艦としてソ連に引き渡され、ほとんど浮き砲台みたいな感じだったけど、冷戦を・・・世界を滅ぼしかねない歪な戦いをずっと見てきたんだ。でも、知っているのは沈んだ1970年まで。日本はもちろん僕の故郷だけど、ソ連も僕の第二の故郷なんだ。その故郷がどうなったのか知りたい」

 

冷戦。その言葉を聞いた出席者は響と質問権を巡ってコンマゼロ秒の戦いを繰り広げた者も含め、例外なく響の質問とみずづきの回答に耳を傾けていた。並行世界証言録を目にし、日本世界の世界情勢に関心がある百石や筆端たち鎮守府幹部、もとい高学歴組だけでなく、長門など政治や外交に明るい艦娘、彼女たち以外の難しいことに頭痛を引き起こす微笑ましい艦娘たちもそれは同様であった。いくらそういうことが苦手な彼女たちも分かっているのだ。そして、冷戦の行方が、彼女たちが最も関心を寄せる日本の未来に深く直結することを十分に認識もしている。

 

世界を二分し、ひとたび理由の如何に関わらず超大国・軍事同盟間で戦端が開かれれば、地球の滅亡という現実離れした()()を叩きつけた冷たい戦争(cord war)

 

アジア・太平洋戦争敗戦後、再スタートを切った日本は日米安全保障条約の締結を通じ、民主主義・資本主義を掲げ、ソ連を盟主とする東側陣営と対立する西側陣営の一員となった。日本海・オホーツク海の向こうに敵対陣営の親玉がいた日本は、世界の激流に容赦なく飲み込まれていたのだ。

 

両親の話で、テレビで、ネットで、学校でそれを耳にタコができるほど聞き、勉強してきたみずづきは結果を当然知っている。若干の心苦しさを感じつつも質問に答える、いや未来を語り始める。

 

「なるほどね、そういうことですか。旧軍の艦艇がソ連に引き渡された話は小耳にはさんでいます。それがあなただとは・・・・・。結果から言いますと、冷戦はアメリカ合衆国の、日本を含めた西側諸国の完全なる勝利に終わりました」

「・・・・・・アメリカの完全なる勝利? ま、まさか・・・」

 

アメリカの勝利、つまりソ連が破れたという言葉よりも、“完全なる”の部分に響は顔を凍らせる。彼女は20年以上ソ連に、あの国にいたのだ。だから、内心で分かっていたのかもしれない。汚職にまみれ、国民を見下し、保身に走る政治家が溢れる国では資本主義の頂点に君臨し、民主主義を信念とする超大国には決して勝てないということを。だが、結果は想像できても、そこに至る過程は未知数だ。対立する数多の大国、拡大する軍拡競争。その果てに訪れるものを響は、いや艦娘たちは知っている。

 

「ん? あっ、ふふふ。安心して下さい。その勝利がなされる過程は平和裏に終わり、核戦争や大規模な国家間戦争は起きていませんよ」

 

響の想像していることが手にとるように分かったため、それを笑顔で否定する。その言葉とみずづきの表情に響は胸を撫で下ろす。だが、ここでみずづきは「第三次世界大戦」というべきところを、「大規模な国家間戦争」に置き換えていた。意味的には似たようなものだが、それは決して言えない。

 

理由など簡単。

 

・・・・・・第三次世界大戦は2026年、実際に勃発し全世界で2032年までに約5億1500万人が犠牲となっているのだから。

 

「良かった・・・・・・。そうか、やっぱりアメリカが勝ったんだね。そうなるとソ連は一体・・・」

「少し酷かもしれませんが、ソ連は汚職などの政治腐敗や社会主義の破綻による経済低迷、アメリカとの対立でかさむ莫大な軍事費による財政負担が引き金となって、1991年に複数の国に分裂し、崩壊しました」

「!?!?」

 

みずづき以外全員が顔を驚愕に染める。

 

「なので、2033年にはソ連などという国はありません。かくいう私も冷戦崩壊後に生まれたので、ソ連は知らないんですよね」

 

周囲の空気を察知して苦笑する。史上初の社会主義国にして、戦前・戦中・戦後を通し常に日本の仮想敵国だった国が、もうないと言われたのだ。彼女たちの衝撃は計り知れないだろう。

 

「ソ連は、もう・・・」

「たださきほども言ったように、冷戦は平和裏に終わりました。崩壊前夜は、いかなソ連といえども大混乱に陥っていたみたいですけど、崩壊・・・ソ連解体はソ連国民の意思に基づいて行われたんです。現在、旧ソ連領域の大半を持つロシア連邦は、社会主義の影響もあり少々強権的なところもありますが、市場経済と民主主義を採用し、名実ともに世界の大国になっ()んです。日本とは、その・・・・色々あって笑顔で握手しつつも足をけり合う関係ですかね、もちろん平和的な意味で」

 

遠くを見ながら苦笑するみずづきに、響も自然と笑みがこぼれる。みずづきが無意識のうちに言った妙な過去形に気付かないまま・・・・・。

 

「そうか。ソ連の終焉は終わりではなく、新たな時代のはじまりになったわけ、か」

「はい」

 

みずづきの断言。それを聞き、響の表情に浮かんでいた不安は急速に消えていく。

 

「ありがとうみずづき。いい話が聞けたよ」

「いえいえ、とんでもないです。私は単なる歴史を話しただけですから」

 

可愛らしいお辞儀をし、「もう終わり」といわんばかりに百石を見る響。その顔に質問したことへの後悔は全くなかった。百石は響の姿を視界に収め我に帰る。みずづきの話に集中しすぎて、つい自分の役割を忘れていた。

(すごい・・・!!)

だたそれだけを思い、拳を震わせる。自らの探求心や好奇心を刺激され感動に身を震わしているのはなにも彼だけではない。幹部の中には、速筆の才能を買われ質疑応答で交わされた会話を一字一句に至るまで詳細に記録している猛者もいるほどだ。

 

「ゴホンっ。では、次にいきたいと思う。質問したい者h・・・・」

「はいはいはいっ!!」

「はい! ハーーイ!!」

「はい」

「司令、どうかわたしを!!」

「・・・・・」

 

言いかけ言葉を遮られ、フライングされた挙句、「当ててくれ~~~~~!!!」と物凄い重圧を伴う必死のプレッシャーを容赦なくかけられる。さすがの百石でもこれには一歩後ずさりしてしまう。だが、心と体は負けても動体視力は一歩も引かず、公正な判断をしっかりと下していた。はなからフライングしていて、公正もなにもあったもんじゃないという批判は知らない。

 

「はい陽炎!!」

「やったぁぁーー!! 陽炎型ネームシップの実力ここに見参っ!!」

 

百石にあてられ盛大なガッツポーズを決める、橙色の髪の毛を黄色のリボンでツインテールにしたいかにも活発そうな少女。彼女の顔も腕と同じように喜びを爆発させている。

 

 

 

 

 

 

だが、それとは対照的にその少女の名前を聞いた瞬間、みずづきの表情が固まる。全く同じである。みずづきの大切な部下であるあの子の名前と・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

「とてもそうには聞こえませんでしたよ? いつも通りの掛け合いに思えましたけど。相変わらずお二人は仲良しですね」

「みずづき隊長!! 大丈夫ですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

甦る記憶。仲間に囲まれ信頼する上官のそばにいられた楽しかった日々。その表情が、声がついさっきのことのように思える。

 

 

 

 

 

 

“今までありがとうございました。お元気で・・・・”

 

 

 

 

 

 

あの時の表情を、声を、そして感じた絶望と後悔を思い出してしまう。仲間に囲まれ信頼する上官のそばにいられた楽しかった日々。それはもうないのだ。絶望の中で見つけた希望は自らの手からとっくに滑り落ちていた。

 

(なんで・・・なんで同名の子が・・)

そこまで思い、みずづきは海防軍の艦艇命名規則に行きあたる。「名前」が名付けられたものを象徴する非常に重要な符号であることは船も変わらない。ましてや国防を一身に担う軍艦ならばなおさらのこと。そのため艦艇は海防軍の訓令、正式名称「海上国防軍の使用する 船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」に基づいて付けられる。だが、これの元になったのは旧軍が制定した「艦名命名則」である。また、海防軍そして海上自衛隊は旧帝国海軍の伝統を強く受け継ぎ、その精神を脈々と後世に残している組織でもある。そのため、海上自衛隊・海上国防軍の艦艇には帝国海軍時代の艦名が使用されることが多いのだ。というか、それがほとんどだと言っても過言ではない。2033年現在では艦娘の人員数が、平和ボケしていた頃の防衛省と海上自衛隊が卒倒するほど増えたため、「みずづき」をはじめとする旧帝国海軍とはなんの関係もない名前の艦も増えているが、「かげろう」のようなケースももちろん往々にして存在するのだ。だから、旧帝国海軍時代の艦娘がいるこの場で、彼女と同名の子がいてもなんら不思議ではいない。「陽炎」という艦名も、帝国海軍では東雲型駆逐艦5番艦、そして陽炎型駆逐艦1番艦として2度使用されている。

 

(これはただの偶然、落ち着け私・・・・)

周囲にばれないよう静かに深呼吸し、急上昇した心拍数をなんとか平常値へ移行させる。ここで変に動揺すれば、訝しまれること確実である。

 

 

陽炎ははしゃいで、同じ艦隊の子と喜び合っているほんの一瞬にみずづきを一瞥する。それにはみずづきも、そして陽炎の周りいた少女たちも誰1人として気付くことはなかった。

 

 

「じゃあ、行くよー。響みたいに長々と話すのは嫌なんで単刀直入に聞くわっ! ・・ああっ、もぉー、私より排水量が大きそうだけど、いろいろ複雑だから呼び捨てでいかせてもらうわ。みずづき、あんたが口にする日本海上国防軍っていったいなんなの?」

 

(うわぁ・・・、かげろうと全然性格違う。私の感傷返してよ)

いきなり呼び捨てにされ、あまりの元気さに唖然としてしまう。だが、質問の方は予想した通りのものが飛び出してきた。響の言っていたことは事実だったようだ。周囲を見渡せば陽炎と同じ疑問を抱えているのであろう。うんうんと頷いている姿が散見される。

 

「やっぱりきましたねその質問。まぁ、気になりますよね」

「なに、予測してたの?」

「そりゃまあ・・・。百石司令も第5遊撃部隊もみなさんも、私が日本海上国防軍所属って言ったらキョトンとされてましたし、21世紀の歴史をご存じないようでしたから」

 

当時のたどたどしいやり取りを思い出し、つい苦笑がもれる。

 

「みんなおんなじなのね、まあ分かってたけど。そんなことより、早く説明!」

「はい。って、言ったはいいですけどなんて説明したらいいのか・・・・・・、えーっと、日本国海上国防軍は私みずづきが所属する、諸外国やあなた方でいうところの海軍です。4年前まで海上自衛隊という組織でしたが、今から3年前の2030年に自衛隊が国軍化され日本国国防軍が創設されました。そして、海上自衛隊も海上国防軍という軍隊になったわけです」

「2030年? 道理で誰もその組織を知らないはずだね、納得したわ。あなたのいう通り私たちは1970年までの歴史しか知らない。だから21世紀もしかり」

 

うんうんと頷く陽炎。彼女と同じく平静を保ってみずづきの言葉を咀嚼している艦娘たちがいる一方、彼女とはかけ離れた反応を示している者たちもいた。百石たち鎮守府幹部や自衛隊や憲法、そして日本が戦後歩んだ道について一定の知識を有する一部の艦娘たちだ。彼ら・彼女たちには、みずづきの言葉は衝撃だ。

 

()()()()()()()()()

 

言葉ではたった9文字だが、それに至った過程、交わされた議論、新たに見据えられた国家観、法整備などはとても9文字で収まるものでは到底ない。

 

「理由は聞いてもいい?」

「うーん、いいことはいいんですが・・・その」

「どうしたの? 歯切れが悪い」

「私、軍人になる前は普通に学校へ行って、友達と遊んでいた1人の子供でしたから詳しいことは・・」

 

陽炎はそれを聞いて、みずづきが人間であることを思い出す。つい自分と周囲が人間ではないため、どうしても自分たちと同じ艦娘と表現される彼女を自分と同じように見てしまうのだ。ただ、みずづきの()()()ともとれる言葉に違和感を抱く者もいた。

 

「ただ、自衛隊なんていう中途半端な組織に国防を担わせる余裕がなくなった、ということはできます。だっておかしいじゃないですか。日本国憲法の第9条で軍隊の保持が禁止さていると言われて()()とはいえ、法的に軍隊とは位置づけられない組織が、軍隊として日本を守ってたんですから。21世紀になっても残念ながら、戦争は世界のいたるところで起きてました」

 

その言葉に、さすがの陽炎も表情を曇らせる。分かっていたことだが、自分の中にあったわずかな希望があっけなく幻想と思い知らされたのはきつい。戦争を直に行い、敵味方問わず大切な人たちが、守ると誓った存在が無残にも殺され破壊される地獄を見た者として、戦争には嫌悪しかない。だが、それと同時にどうしようもない現実も分かっていた。

 

「備えあれば患いなし。国防軍の創設は世界の現実に目を向け、あってはならない矛盾を解決したに過ぎないんですよ」

「国防の矛盾については私も少しは耳に挟んでるわ。なるほどね、日本はまた一歩前へ進んだのね・・・・・・・。そういえば、あんたは自分のことを秋月型特殊護衛艦って言ってたそうだけど、それって・・」

「特殊護衛艦っていうのは、私たち艦娘の堅苦しい名称と理解していただければ大丈夫です。もともとはこっちの名称の方が先にあったんですけど、艦娘って言葉の方が一般的になちゃって・・・・今では日本政府の公式文書ぐらいでしか使われてないんですよ」

 

陽炎は「そっちもだけど」と前置きし、特殊護衛艦と聞いて浮かんだもう一つの疑問を口にする。

 

「戦後の日本では、駆逐艦や巡洋艦のことをまとめて護衛艦って言ってたじゃない?」

「よ、よくご存じですね」

「私だって2度目の生を受けた身だから未来が気になったのよ。2030年に軍隊になったんなら、なんでいまだに護衛艦なんていう曖昧な表現を使ってるの? 駆逐艦とか堂々と名乗ればいいのに」

 

陽炎のいうことはもっともである。平和主義を謳った日本国憲法、特に9条の制約下で誕生した自衛隊は憲法違反の存在とならないように自らを警察力と戦力の中間たる実力を持つ実力組織とし、徹底的に軍隊を連想させる名称の使用を回避したのだ。海上自衛隊では駆逐艦や巡洋艦、果ては空母と見做される艦までも総じて護衛艦とし、強襲揚陸艦を多目的輸送艦と言い換えた。陸上自衛隊では、歩兵を普通科、砲兵を特科、工兵を施設科、黎明期には戦車のことを「特車」と呼んでいたりもしたほどだ。そして、航空自衛隊では戦術的な爆撃任務を担う戦闘攻撃機を支援戦闘機と呼んでいた。また、階級や部隊名もしかりである。

 

しかし、国防軍というれっきしとした軍隊になった以上こうした「誤魔化し」はもう必要ない。しかし、日防軍ではいまだに自衛隊時代の特殊な名称を使い続けている。

 

「陽炎さんのおっしゃることは日本でもかなり主張され政府も本腰で検討したようですが、結局無理という判断になったんです」

「へ? なんで?」

「お金がかかりすぎるんです。1つ例をあげるとかつて防衛庁と呼ばれていた組織は現在防衛省という組織に格上げされています」

「ほぉぉ」

 

感心するような声。その声は陽炎のような少女のものではなく、男の低い声だ。声の聞こえた方向から察するに筆端たち幹部だろう。筆端たちも「並行世界証言録」で日本が抱えている矛盾を当然知っており、国防組織を管轄する官庁が防衛庁という明らかに格下の存在に留め置かれていることを疑問視していたのだ。瑞穂では日本のような矛盾は皆無なので、国防省という頑丈な組織がきちんと設置されている。

 

「省から庁へ、たった一文字変えるだけで、億単位の費用がかかったんです」

「えっ!? 億!?」

 

絶句する陽炎。「たった一文字変えるだけでどんだけ血税使ってるんだ」と思いたくなるが、これは簡単なことではないのだ。もし、漢字一文字を変えるだけにとどまらず、それこそ無限にあふれている言葉を全て変えるとなったらどうなるか。封筒や印鑑、階級章の作り直しからはじまり、自衛隊時代の名称がインプットされているソフトの変更、基地などの看板架け替え、そして名称に関する規則の変更など、実務的・物理的な手間と発生する費用は馬鹿にならないのだ。そして、2030年は艦娘の実戦配備によって深海棲艦との戦線がこう着状態にあったとはいえ、国内は破壊し尽くされ、経済は崩壊していた。名称変更ごときに莫大な予算を使える余裕は皆無だったのだ。

 

「たった一文字変えるだけでそれなんです。もし、自衛隊時代の名称を変更するとなった場合、とんでもない予算が必要になるんです。だから、断念されたんです。また、もう国民から軍人・政治家に至るまで自衛隊時代の名称に慣れてしまい変える必要性を感じなかったってのも理由ですが」

 

陽炎たちの唖然とした表情も相まって、ついみずづきは苦笑をもらしてしまう。陽炎が指摘した名称の矛盾。最もつみっこみどころが多いものを真っ先に挙げたが、その理由はそれだけではない。この場で語らなかったがこれにはあと二つの理由があった。一つは自衛隊時代、そして日本が戦争で大敗し国家存亡の淵に立ったことの残滓を後世に伝えていくためだ。歴史は必ず風化する。そして、風化した歴史は教訓としての抑止力を失い、子孫たちが同じ過ちを引き起こしそうになった時の歯止めにならない。国防軍がこれから先もこの名称を使い続ければ、多少の風化は宿命だとしても、国防軍が自衛隊であったことそして自衛隊の創設に至った歴史が「なかったこと」になることはない。国民を守り、そのために人を殺す組織がこの戒めを抱えることは非常に大きな価値がある。

 

そして、もう1つは憲法に絡む問題である。

 

「ですから、ちなみにですけど、海上国防軍艦艇そして艦娘の名前は全て今でも漢字じゃなくてひらがななんですよ。そのことも一応覚えておいて下さいね」

「あぁ~、ということは()()じゃなくて()()()()なんだね」

「言葉では分かりませんが、おそらくそうです」

 

陽炎が頭のなかで「水月」と「みずづき」を思い浮かべているのが、手に取るように分かり思わず苦笑してしまう。よく見れば、陽炎と同じような表情をしている艦娘もかなり受けられる。

 

「ま、言葉だったら分かんないわ。それにしてもいいことたくさんを聞けたわーーー!! みんなの視線が痛いし、私の質問時間は終了っ! いろいろ教えてくれてありがとねみずづき」

 

響のようにお辞儀はしなかったものの、満足げな笑みを謝意の表れとする陽炎。それにみずづきも笑顔で応える。そこには陽炎の満足げな笑みに対する喜びもあったが、別の意味もあった。

(なんとか、乗り切ったぁぁ~)

安堵。国防軍の話はもっとも聞かれる可能性が高い話でありながら、みずづきの「2017年以降の歴史は話さない」という、仮の決意を根底から崩壊させかねないのだ。自衛隊の国軍化。これは、2017年以降の血で血を洗う戦争と終わりが見えない混沌が密接に関係しているのだ。あまり深くつつかれれば、それがぼろっと出てしまいなかねない。国軍化の理由を陽炎に問われたときは正直焦ったが、なんとか頭が悪い風を装い抽象的な物言いに終始し、誤魔化すことができた。それは響との話でも、だ。ロシアは確かに社会主義という魔の温床を脱し、世界の大国しか参加を認められないG8(先進8ヶ国)の一翼を担うまでに発展し、分野を限れば旧ソ連よりも対外的な影響力を強めた。しかし、それはもう過去の話。日本やアメリカ、華南や中国と同様、ロシアも世界の激流に抗うことはできなかった。

 

ロシア連邦は2033年現在、事実上4つに分裂している。事実上としているのはロシア連邦、モスクワの中央政府が他の3ヶ国の独立を容認しておらず、いまだにロシア連邦の一員であり、中央政府の統治下と主張しているためだ。しかし、現実に目を向ければ他の3か国は十分、統治機構として成立し国内を他の主権国家と同じレベルで統治している。一つはロシア連邦南部、北カフカス連邦管区に相当する地域を統治する北カフカス共和国。ロシア中央政府の管轄地域と境界を決しているが、この国は1990年中ごろから2009年まで続いた第一次・第二次チェチェン紛争、そして第三次世界大戦中の2026年に勃発した第三次チェチェン紛争にて、ロシアと激戦を繰り広げた旧チェチェン共和国が主導して成立した。そのため、深海棲艦が暴れまわっている現在でもモスクワの中央政府とは、絶賛戦争中である。もう一つはロシア中央部・シベリア地域、ウラル・シベリア連邦管区に相当する地域を統治するシベリア共和国である。ヨーロッパとアジアを穿つウラル山脈がロシア中央政府との境界だが、北カフカス共和国と異なり近隣の国々、政府とは良好な関係を築いている。そして最後の1つはロシア極東部、極東連邦管区とシベリア連邦管区の一部を統治する、東露連邦である。この国の成立過程には日本が直接的・間接的に深く関わっているため、日本をはじめ東アジア諸国とは同盟関係である。とりわけ、日本にとって東露連邦は現在、死活的に重要な国家となっている。かの国は石油や天然ガスをはじめとする地下資源など、日本がシーレーン断絶で供給を失った各資源を莫大に埋蔵しているのだ。好都合なことに日本海やオホーツク海の制空・制海権は日本と東露が押さえている。そのため、損害を気にすることなく資源を平和なころと同じように輸入できる。東露産の資源は、文字通り日本の消えかけた命を支えているのだ。その代わり、オホーツク海防衛のため日本は東露が管轄すべき北西太平洋の哨戒を艦娘や通常戦力を用いて行っている。

 

 

だが、きわどい質問が来ないことを祈っていたみずづきの心は、近くから発せられた言葉に疲労の増大を感じざるを得なかった。

 

「みずづき、ちょっといいか?」

 

思わぬ人物の問いに当事者を除いた全員が声のした方向に顔を向け、口を開ける。それは絶対にないと思っていたことだった。質問は挙手をした者のみ。このルールを自ら指示した進行役の百石が乱入したのだ。彼の性格からは予測できない奇行。これにはさすがに我慢ならなかったようで挙手していた艦娘たちがいち早く冷静さを取り戻し、百石に抗議の声を上げようとする。しかし、百石はそれを予測していたようで、神妙な雰囲気を醸し出しながらやんわりと手で制止する。その滑るような動作は百石が、いつも通り至って冷静で部下思いの指揮官であることを物語っている。さすがにそれをされては、抗議しようとした艦娘たちも声を飲み込むしかない。

 

「みんなすまない。道理にかなわないことをしているということは理解している。だが、どうしても俺はここで聞きたいことがあるんだ。そこまで時間は取らないから、どうか見逃してくれ」

 

先ほどのみずづきの言葉を聞いて、百石は司令官のメンツを賭しても聞きたいことができたのだ。

 

「君の言う通り海上国防軍と聞いてキョトンとしていた身としては、さきほどの説明を聞いて大いに納得できた。だが、1つ気になった点がある。君たちの国、日本は太平洋戦争での敗戦を教訓に、我々の世界でも類を見ない軍隊の保有を禁じた平和主義を掲げる日本国憲法を制定したと聞いている。しかし、君は軍人だといい自らを日本海上国防軍というれっきとした軍隊の所属だと言う。ましてや、日本国憲法の結果生まれた自衛隊という実力組織を国軍化したとも。これらの言から察するに君たち、現在を生きる日本人は憲法を改正して、軍隊の保有に踏み切った、と解釈できるのだが、そうなのか?」

「(きわどいの来た・・・さすが鎮守府の司令官)すみません、私ちょっとそういう法律のことは・」

「君は()()だ。国防軍では徴兵制の有無が分からないが、少なくとも君は徴兵されて軍に入った()()ではなく志願して入った、そうだろ?」

 

これ以上の深入りを回避しようと、さきほどと同じように煙に巻く作戦に出ようとするが、発動する前に百石によって阻止される。一艦娘には効いても、鎮守府を任せられるほどの大物かつ優秀な人物には歯が立たない。

 

「・・・・・・」

 

内心で焦りを覚えていると、一瞬関係なく思えてみずづきの退路を塞ごうとする質問が投げかけられる。みずづきは百石のペースに乗るまいと沈黙するが、もう勝敗は決していた。

 

「だったら君は優秀な人間のはずだ。憲法問題など十分に理解できるほどの。私も志願して軍人になった人間だから分かる。兵士は前線で戦うため、その戦い方を集中的に学ぶ。そこにややこしい法律やらは存在しない。軍規や交戦規定はあるが。だから、極端な話、学力が低くても日常生活を送れる者ならば誰でもなれる。しかし、軍人は言い換えればその兵士たちの命を預かる指揮官だ。作戦も考えなくてはならない。そこには、的確な判断力と相応の学力が必要だ。君は後者。そして、君は言ったよな。艦娘がまとう艤装は“日本の技術の粋を結集して開発された”・・と。そんなものを任せられるのは、選抜された優秀な人材しかありえない。軍人で艦娘の君は、国防軍の中でもエリートの部類に入る。そんな君なら、余裕で、私の質問に答えられるだろう?」

 

不敵に笑う百石。回避するための外堀は完全に埋められた。ここは受けて立つしかないようだ。

 

「・・・・・分かりました。但し、これだと私がとんでもないエリートだ、みたいな誤解を抱かれかねないので、返答の前に言っておきたいことがあります」

「ん? なんだ? 私の言った通りだろ?」

「ち・が・い・ま・すっ!! 確かに軍に入るため艦娘になるため、必死に勉強して試験に合格しました。しかし、艦娘になるための試験は筆記の場合、一般的な幹部候補生学校、えっと士官学校の入学試験と変わらず、その気になれば合格は不可能ではありません。別に特別頭がいいわけではありませんよ。心理テストやDNA・・・遺伝子検査を主軸とする適性検査の方が比重としては大きかったです。筆記試験に合格したのに、艦娘になれなかった人たちはたいてい適性検査で引っかかっていました。だから、極端な話、そこまで賢くなくても、運動神経が良くて要領がよくて、運も持っていれば、艦娘にはなれるんです。その代わり、誰もが憧れる艦種にはなれませんし、大きな部隊にも配属されず僻地勤務になります。艦娘もそれぞれの個人が持つ階級以外に結構序列があるんですよ。私は・・・自分でいうのもあれですが、いろいろあって運が良かった方です。エリートなんかではありませんっ!! エリートだったら、私の司令官と同僚に“ドジで天然”“見てて危なっかしい”なんて言われませんよ。なんか自分でいっときながら、むなしくなってきた・・・」

 

自業自得なのだががっくりと肩を落とすみずづき。周りから特別視されることは嫌だが、かといって自身のダメさを見つめるのも堪えるのだ。彼女の必死さに目を見張っていた百石であったが、その嘲笑気味な姿を見て申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「分かった、分かったから。変なこと言ってすまなかった。君は普通の人間、そうだろ?」

 

こくりとみずづきは頷く。

 

「だったら、そういうことだ。ひと段落ついたところで話をもとに戻そうか」

 

途中まで困ったように笑っていた百石だったが、最後にはみずづきの退路を断った時の真剣な表情に戻っていた。どうしても聞きたいらしい。

 

「そうですね。えっと、憲法を改正したのかですよね? 結論から言いますが、()()()()()()()()

「なっ!?」

 

その言葉に百石はおろか、改正していると踏んでいた筆端や一部の艦娘たちも驚きのあまりうめくような声を出してしまう。ちなみにあまりそういうことに関心のない、または分からない艦娘たちはただ空気を読んで置物と化していた。

 

「ちょ、ちょっと待て。君たちは憲法を、9条を改正せずに軍隊の保持に踏み切ったのか?」

「そうです」

 

簡潔明快に即答するみずづき。百石の驚愕する顔を見て複雑そうな苦笑を浮かべる。しかし、それを向けられている百石は、悪寒を感じていた。

 

「憲法は国の最高法規で、全ての法律は憲法の制約下で制定される。それだけにとどまらず、憲法は暴走しがちな国家権力の歯止めとなり、国家のあるべき姿を提示し、国民・国家の繁栄をもたらすためにある。この世界、私はこう解釈している。すべての根幹だからこそ憲法の運用、特に条文の正確な適用は必要不可欠だ。私でも、君たちの世界に比べれば恵まれている世界の、一個人たる私ですらその重要性が分かるのに、なぜだ?」

 

百石は拳を握りしめ、みずづきを直視する。

 

「何故なんだ? 君たちの世界も憲法は私が言ったものと同じ位置づけなんだろ? しかも君たちの世界の憲法の歴史は私たちより遥かに残酷だ。あの太平洋戦争、大日本帝国の凋落にも明らかに、憲法が噛んでいる。なにも知らない他世界の人間がとやかくいうのは理にかなわないのかもしれないが、残酷な歴史を持つからこそ、君たちは憲法の大切さを身に染みて分かっているはずだ。なのになぜ? あんな素晴らしい憲法をないがしろにしたんだ」

「あんな素晴らしい憲法??」

 

しっかりと礼儀正しく、百石の言葉を聞くみずづき。だが、彼女は百石の最後の発言を聞いて、表情1つ変えることなく呟いた。その声はとても小さく少し距離があれば言ったのかも判別できない。しかし、百石はそれをしっかりと聞いていた。今までみずづきから全く想像できない、聞くものに言い知れぬ恐怖を抱かせる、低く粘りつくような声を・・・・・・。しかし、次にみずづきが発した声は普段通りの声だった。

 

「さきほどから思ってましたけど、なにか勘違いされてませんか?」

「勘違い?」

「これは結構ややっこしくて私も聞いた時は四苦八苦したんですけど、日本国憲法第9条はよく読むと軍隊の保有もそして戦力の保有も禁止してないんです」

「なに、どういうことだ? 君たちの政府は9条に基づき軍隊、戦力の保有を禁止していたではないか?」

「あっ」

 

その言葉を聞いて、みずづきは抱いていた違和感の正体を看破する。ある程度、百石たちの言葉や持っている知識を使い予測していたがさきほどの陽炎の言葉ではっきりと分かった。陽炎は言っていた、「あなたのいう通り私たちは1970年までの歴史しか知らない。だから21世紀もしかり」と。それなら、今では政治および憲法学者の汚点とされている9条全面放棄論を百石が発言しているのも納得だ。

 

2033年の日本では、それはもやは過去の話だ。

 

だから、みずづきは説明する。滑りそうになる口を必死に抑えて。日本国民が拍手喝采を送った“英断”を。自衛隊から国防軍へと、戦後日本の国防政策を根底から覆した決定を。絶滅寸前に至った左翼過激派が「憲法は、死んだ」と宣言することになった結果を。

 

「それは2027年までの話です。百石司令のおっしゃる通り普通に読めば、そうです。しかし、普通に読まないのが憲法です。日本国憲法9条の第一項では冒頭に全ての戦争を放棄するかのような文言がありますが、そこには“国際紛争を解決する手段としては”永久にこれを放棄すると記されています。前半部分は後半部分にかかっているんです。ここで言われる国際紛争とはずばり侵略戦争のことです。そして、第二項は最初に1項で述べた“前項の目的を達するため”に戦力を持たないとしているんです。読みようによっては、侵略戦争を行うための戦力は捨てます、つまり()()()()()()()()()()()、と捉えられるんですよね」

 

それを聞いて百石は絶句する。

 

「なんだそれは、ただの言葉遊びではないか・・・・」

 

まさしくその通りである。そして、これはある意味、悪質なまでに筋が通っている。みずづきが自分でかつ即席で言っていることではないのは明らかだ。だとするならば、それを議論し、国民にこのようなものをまき散らしたのは、政府と憲法学者しかいない。百石はそれをすぐには信じられなかった。瑞穂でも憲法の解釈を巡り、論争となったことは幾度となくある。しかし、その際に最優先されたのは「いかに憲法の理念を法律に反映されるか」であり、決して「いかに憲法の条文に反さず国益を追求するか」ではなかった。それは瑞穂ではタブー視される姿勢である。それを日本では、止めるはずの政府が率先して行っているのだ。

 

「私も全くその通りだと思います」

 

今まで散々繰り広げられてきた不毛な論争を思い出し、みずづきは苦笑する。それを少し言っただけでも、百石はこの反応である。もし、百石が日本に行ってこれまでの憲法論争を聞いたなら、馬鹿すぎて耳を塞ぐのではないだろうか。

 

「ふふっ。しかし、政府は2027年にこの解釈、侵略戦争放棄論を9条の新解釈として、閣議決定を行い、9条解釈の根本的な変更を行ったんです。当然、一部の勢力から苛烈な批判が出ましたが。日本では幾度となく、当たり前に行われてきたことです。この解釈変更により日本は日本国憲法下でも自衛的戦力の保持が可能となり、国防軍の創設につながったのです」

 

国防軍が自衛隊時代の各種名称を使い続けるもう1つの理由。それはここにあった。要するに日本国防軍は正統な憲法解釈から生まれたのではなく、歪曲に歪曲を重ねた解釈の末に生まれたまがい物だからだ。

 

みずづきが所属する日本海上国防軍。なぜ、国防海軍ではなく、海上国防軍という組織名になったのか。これは日本国憲法を改正しない限り絶対に保持できない正統な軍隊である他国軍、そしてかつて徹底的に否定された大日本帝国陸・海軍を連想させる危険があるとし、現行の憲法解釈下でも憲法違反と判断される可能性が指摘されたためだ。国防軍創設過程において政府・与党内には「そんなの関係ない。国防軍を実質的に正統な軍隊に近づけるためにも名前は“国防○軍”にすべき」と意見も多数存在した。最高裁判所がこの件に関して統治行為論を持ち出して判断を避けるとの見解が大きかったことも要因の1つだった。しかし、結局名称は○○国防軍となった。こちらの方が新生日本を明確に象徴できるとの理由付けもなされたが、憲法問題が大きく影響していたことは否定できない事実である。

 

まあ、国民の多くは「軍隊になって、自分たちをしっかりと守ってくれるならどんな名前でもいい」と思っていたが・・・・。

 

沈黙する百石。信じたくないと顔に書いてあったものの、これが現実なのだ。

 

「そんな荒業を使ってまでどうして・・・」

 

思わず出たうめき。それをみずづきは聞き逃さなかった。おそらく、平和だったころの日本人も百石と同じような反応するだろう。みずづきも、そして表では拍手喝采を行っている日本国民も、内心ではこれが()()()()()()ということは分かっていた。だが、その間違いを受け入れなければならない状況だったのだ。

 

「本来は、憲法を改正しきちんとした条文を作るのが筋です。でも、そうできない、ひどく言えば、権力者が反旗を翻さない限り、軍隊の保持を可能とする事は出来なかったんです」

「それは一体・・・」

「・・・・・単純な話ですよ。日本の中には自衛隊のままでいい、軍隊を持つ必要はないという意見の国民も多く、憲法改正に踏み出せなかったんです。国民の多くは国益や国の将来よりも、目先の利益に固執する。民主主義ですから国民がそうならいくら良識ある政治家や専門家が危機感を抱いても国家の制度は変えられない。そんな中、世界情勢は絶えず変動してたものですから、時間がなくて結果的にこんな形になったんです。」

 

本当のことであるかのように言っているがこれも嘘である。2017年、日本に未曽有の被害を与えた西日本大震災。そしてそれに触発され生じた中国の経済危機「チャイナ・ショック」による経済混乱は、既に「安定」という土台が崩れつつあった世界にすぐさま拡散し、世界情勢の緊迫化につながった。各地で頻発する戦争・紛争・テロ。そして、それはついに戦後1度も戦火に巻き込まれることのなかった日本も引きずり込んだ。第二次日中戦争での無差別攻撃、同盟国といいつつその国の国民を顧みず日米安保条約の履行を渋ったアメリカ。その時、日本に潜入し破壊工作を担った中国人と民族的・思想的に現体制へ不満を抱く日本人との間で起こった丙午戦争。その理不尽さを前に日本国民はある結論へと至った。人類が誕生したときから変わらいな世界の摂理。

 

“自分の身は自分で守る”

“やられる前にやる”

 

・・・・・・・と。

 

二つの戦争を経た日本人は一気に右傾化。以前では考えられなかったほど憲法改正を支持した。それを受け結党以来、憲法改正を党是としてきた与党はすぐさま憲法改正に着手した。しかし、できなかったのだ。

 

議席不足のため国会で発議できなかった?

 

そうではない。国民投票には従来の投票と同じく各自治体の選挙管理委員会が作成した投票人名簿が必要である。そして、それの作成には各自治体が有する住民基本台帳が必要なのだ。丙午戦争では国内各地で戦闘が起き、公権力の象徴たる役所は国家・地方問わず格好の標的となり、甚大な被害が出ていたのだ。その過程で、紙の書類は消失、電子データはサーバーの破損で消しとぶ、という事態が全国で多発していた。また、そのような機能不全状態では、そもそも選挙管理委員会を立ち上げることも不可能だった。転出届など他市区町村への移動を知らせる手続きを行わずに、戦火を逃れて引っ越す住民も多く、自治体は正確な人口数すら把握できなかったのだ。

 

だから、政府は憲法解釈の変更という内閣が倒れかねない手段までも使ったのだ。

 

そして、2027年。この閣議決定がなされたすぐ後に深海棲艦が出現。日本は絶対に国民投票ができない状態へと追いやられたのだ。

 

「・・・・君たちの世界も推測通りやはり私たちでは分からない複雑な事情があるのだな。あることを聞くと、それに関連する話も聞きたくなってしまう。国防軍の話から気付いたら憲法の話まで来てしまった。・・・・・・はははっ」

 

百石の疑問に必死で応えるものの、段々気まずそうな顔になってくるみずづき。それを見て苦笑を浮かべながら百石は我に返り、急いで左手首に付けている腕時計で時間を確認する。それほど、時間は経過しておらず焦りを感じていた心臓は平常運転に進もうとする。だが、響や陽炎と比べれば3倍近い時間を使ってしまった。ここでようやく自身が半分暴走していることに気付いた。見れば、百石の疑問に関心がある者は真剣に聞き、記録係(仮+強制徴用)は必死にメモを取っているが、それ以外は百石の話についていけず頭がオーバーヒートしている者や退屈そうにあくびを決め込んでいる者までいる。

 

みずづきは出席者の正面という、この場で最も見通しの良い場所にいたためそれを常に目にしていたのだ。みずづきもさきほどのような回答を言ったが、難しい話は嫌いなので、つい彼女たちに同情してしまう。

 

「・・・いやはや、私のこの癖も直さないといけないな。思い返せば感情的になってついきつい言い方をしていた。すまなかったな、みずづき」

「いえいえ、とんでもないです。感情的になってたのはお互いさまのような気がしますし、お相子です。それに、百石司令のおっしゃってることや疑問は正しいと思いますから」

 

百石は恥ずかしそうに少し赤くなって、ほほをかく。鎮守府の最高司令官とは思えないしぐさに、少し硬くなりかけていた場の空気かもとに戻り始める。その姿を、みずづきは伏し目がちに笑いながら見ていた。みずづきの心の中で今まで必死に抑え込んでいた何かが、動き始めていた。

 

「それでは、俺がこの辺で・・・・・っと、悪いまだ1つ聞きたかったことがあった」

 

申し訳さなそうに頭をかく百石に、ようやく自分のターンがきたと息を吹き返し手を上げかけた艦娘たちは「えぇぇ~」とあからさまに落胆した様子を見せる。だが、百石は引かない。艦娘たちからの無言の圧力に耐えきれず「ごめんなさい」オーラを放ち続けながらではあったが。もう最高司令官としても威厳が消えている。

 

「すまない、だがこれも聞きたいんだっ!! 本当に最後だが、解釈の変更で日本が保有化可能になった自衛的戦力とはどういう風に定義されているんだ」

「どんな質問がくるかと戦々恐々とでしたが、なるほど。さすが、百石司令ですね。詳しい定義は難しくて、かみ砕いたものしか私も覚えていないんですが、それでもいいですか?」

「ああ、もちろんだ。こちらは聞かせてもらってる立場だからな。いちゃもんはつけないさ」

「聞かせてもらってる立場って、なんか恐れ多いです。えっと、自衛的戦力っていうのは他国を半永久的に占領、もしく・・は・・・・・・・もしくは、他国に回復不能の損害を与えうる侵略的戦力以外の全て、だったと思います」

 

その言葉に笑顔を浮かべ様々な衝撃という名の連打から立ち直りかけていた百石は再び痛烈な一撃を食らう。

 

侵略的戦力以外は全て自衛的戦力。

 

それの危うさを百石は瞬時に理解する。これでは侵略戦争放棄論が採用されていも、残っていると思っていた平和主義が骨抜きにされているようなものではないか。侵略的戦力の定義も人によってどうにも解釈可能であるし、それを前提にした自衛的戦力の定義も曖昧の極みだ。「自衛の為に必要」と唱えれば、どんな戦力も保持可能。そうと捉えられる、いやあえてそう捉えられるよう曖昧にしている感がある。これは、平和主義をあの戦争を教訓とし不戦の誓いを示した日本がやってはいけないことではないか。そして、並行世界の、文字の記録しか読んでいない人間でも分かるのに、みずづきは憲法解釈のことを話していた時と異なり、苦笑ではなく純粋な笑顔を浮かべながら話していた。

 

「しかし、無尽蔵に武力の行使を認めているわけではありません。きちんと歯止めをかけるため、武力行使の3要件という原則があります。これに該当しなければ、武力の行使は不可能なので、化け物軍隊になることも、他国に()()()なちょっかいをかっけることはできませんよ」

 

言い忘れてはならない重要なポイントを説明するみずづき。いくら自衛的戦力の定義が曖昧とはいえ、日本は決して侵略を許容しない。これは2つの戦争を経験し、1つの大戦を継続しているとはいえ、日本に生き続けている確固たる精神である。自衛的戦力を拡大解釈して侵略戦争を行わないように、自衛隊時代から変わらず武力の行使に厳格な要件をつけたのだ。しかし、それを聞いても百石の心は険しいままだ。その要件も法律と同じ類であるから、解釈はいかようにもなる。にもかかわらず、みずづきはまるでその可能性、日本が将来的に拡大解釈を通して侵略戦争を行う、というものが全く想像できていないように見える。

 

百石はみずづきから垣間見た日本と、「並行世界証言録」から垣間見えていた日本が大きく異なっていることに、消しきれない疑念を抱いた。




いかがでしたか?

歓迎会と言いつつ本話では、今まで触れてこなかった日本世界の状況についてかなりきわどいところまで踏み込んでみました。作者のにわかぶりが露呈しているかもしれませんが、これが限界です。

いやはや、憲法はやっぱり難しい・・・・・・。こんなのを日常茶飯事、議論している人々の精神が怖いです。

所々に今年である「2017年」が出てきて、これ以降なんか世界がやばい状況に!? という雰囲気が出ていますが、お気になさらず。現実になったら筆者ももちろん困ります(苦笑)。
というのも、漠然と当物語の骨子を考えていたのが一昨年だったんですよね。ある程度期間をあけていろいろな設定を考えたんですが、気付けばもう2017年・・・・・・。

時の流れは早いですね(涙)。

話の中で、初雪が怯えるシーンのもとは、あの事件です。


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24話 歓迎会 中編

23話とひとまとまりにしても良かったのですが、あまりにも長くなったので分割しました。


高度かつ難解な話のキャッチボール。永遠に続きかねないという漠然とした不安は、一瞬見せた暗い影を隠し、笑顔で感謝を述べた百石の言葉で四散する。みずづきから艦娘たちへ顔向ける百石。それを「お前たちの番だ」と受け取った艦娘は喜々とした表情を浮かべて再び一斉に手を上げる。しかし、難しい話に頭痛を抱えていた艦娘たちはほんの一瞬、反応が遅れる。結果、みずづきと百石のキャッチボールをしっかり聞いて、頭を動かしていた艦娘が熱いレースを制した。

 

「じゃあ、次は榛名! お前たち、もう少し勉強することだな」

 

ニヤニヤと意地悪げな笑みの百石に、反応が遅れた艦娘たちは悔しそうに唇を噛む。それに苦笑を浮かべる榛名。しかし、そこには質問の権利を勝ち取ったことへの嬉しさが隠しきれず現れていた。

 

「Wonderful!! さすが、高速戦艦といわれる金剛型、ミーの妹デース!! お姉ちゃん、感動してしまいマシタ。ドーンと質問するネ!! そして、みずづきっ。妹を、妹をよろしくおねがいじまず・・」

「?」

 

妹が激戦を制し歓喜する金剛であったが、後半からはハイテンションで涙を流し出す。みずづきもそして榛名もいつもと違うその様子に目が点になるが、よく見ると金剛の手には黄金色に輝く液体が入るグラスが握られていた。第5遊撃部隊がいるテーブルには濃い茶色の瓶も置いてあり、既に空になったものも見受けられる。要するに、金剛はもうできていたのだ。

 

「ヒックっ」

「ちょっと、金剛さん・・・まだまだこれからなのに、そんなに酔っぱらってどうするんですか? って、言ってるそばから飲んで・・」

「しょうがないじゃ、ナイデスカ。みずづきと提督がミーを置いて、難しい話をしだしたんだモン」

 

頭を抱える吹雪に頬を膨らませ、金剛は若干拗ねた様子を見せる。吹雪はもちろん酒は飲んでおらず、というか飲めず、また百石の話を聞いていた側なのでいつも通りの意識を維持している。それは酒・・ビールを酔わない程度に飲みつつ百石の話を真剣に聞いていた加賀、酒の有無にかかわらず少し飛びかけた意識を、料理をつまむことによってなんとかつなげていた瑞鶴、北上、大井も同様だ。この様子だと4人で金剛を介抱することになりそうだが、果たして吹雪が想像する甘い結果が訪れるかは今後のお楽しみである。

 

それに榛名は苦笑を浮かべつつ、姉の声援を受け気合を入れ直す。

 

「みずづきさん、こんばんは。宿直室に夕食をお届けに上がったとき、以来ですね」

「はい、あの時はありがとうございました。かつ丼、とってもおいしかったです」

「それなら良かったですっ! それで私の質問なのですが・・・・・1つだけ、1つだけ聞かせてください」

 

そういうと榛名はほんの一瞬だけ、曙に視線を向ける。それを受け取った曙は小さく、誰にも榛名以外には分からないほど、小さく頷いた。

 

 

 

 

 

「みずづきさんのいた日本・・・・・・・未来の日本は平和ですか?」

 

 

 

 

 

榛名の口からこの質問が出た瞬間、少し騒がしくなっていた講堂内が一気に静まり返る。艦娘たちはグラスを手に持ったまま、姿勢を崩したままなど様々な状態だったが、目は全員真剣だ。

 

未来の日本がどうなったのか? 

 

これは横須賀鎮守府にいる艦娘だけでなく、瑞穂に来た全艦娘が最も知りたがっている事項である。アジア・太平洋戦争を生き延びた艦はその目で、戦時中に海へ没した艦は艦娘になってから他の艦娘を通して自分たちが、自分たちの乗組員たちが必死に守ろうとした日本の末路を見た、聞いた。特に、敗戦を見ることなく沈んでいった艦娘たちの衝撃は凄まじかった。誰が、想像できるだろうか。5年前まで世界5大国の一角を占めていた先進国日本が、国内のあらゆる都市を焼け野原にされ、沖縄・小笠原・満州・千島列島・樺太を奪われ、果てには人類史上初めて原爆を落とされ、無条件降伏した、などということを。

 

だがそれは・・・軍民合わせて310万人の犠牲を払いアメリカの占領下に入った結果は、事実だった。

 

しかし、しかしだ。1970年まで戦後を見つめ続けた雪風と響からもたらされた情報は、自分たちのなした結果に苦しんでいた艦娘たちに大いなる光をもたらした。

 

彼女たちは泣きながら言ったのだ。

日本は復興した、と。自分たちの、あの人たちの犠牲は無駄ではなかった、と。日本は、自分たちの故郷はやっぱりすごい、と。

 

それに艦娘たちはただ、ただ救われた。それがなければ、今こうして瑞穂のために戦っていない艦娘もいただろう。だが、彼女たちは国防という世界の現実がまざまざと分かる非情な現場を駆け巡っていたのだ。世界は常に凄まじい速さで変化する。1970年まで、日本が平和だった。しかし、その後は未知数なのだ。みずづきが来たのは2033年、1970年からなんと63年も経っているのだ。

 

そして、みずづきの肩書とみずづきが陽炎、百石と交わした話。そこからは日本の安全保障環境が緊迫化している様子が明らかに伝わってきた。自衛隊を憲法解釈の変更で軍隊にした。一部の艦娘たちは、これを深刻に捉えていた。

 

固唾を飲んでみずづきの言葉を待つ艦娘たち。みずづきは、口を開く。艦娘たちの気持ちが痛いほど分かるからこそ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

「はいっ。日本は平和です!」

 

 

 

 

 

満面の笑みで、とてつもなく非情な嘘をついた。

 

 

 

 

 

 

「そうですか・・・・・・。本当に、よかった・・・。ありがとうございます、みずづきさん」

 

無意識にたまった肩の力を抜いた榛名は、涙声で安堵する。その目には、照明を反射させるきらきらしたものが浮かんでいる。他の艦娘たちも同様で、みな安心したかのように笑っている。それを見て、みずづきは胸に殴られたような痛みを感じる。吹雪の加賀の、白雪たちの笑顔が点滅する。わずかにかげる表情。しかし、それも一瞬。誰も今の一瞬を捉えていないとみたみずづきは、痛みを「これが正しいんだ!!」と言い聞かせ落ち着かせようとする。

(これは間違ってない・・・・・・、悲しみを乗り越え日本と私たち日本人を心から想ってくれている人たちをこれ以上苦しませるのは・・・・・)

 

だが、みずづきは甘かった。一瞬見せた影。それを誰も見ていないはずがない。誰もが笑う中、周囲に合わせ偽物の笑顔を浮かべる者。そして笑顔すら浮かべていない者が・・・・・・・・・・・・いた。

 

 

「次は、黒潮っ!」

「よっしゃぁ!! やったったで!!」

 

榛名の質問が終わり、講堂を包む喧騒。だが、それにも負けない独特のイントネーションを持つ言葉をとある艦娘が発する。みずづきは、本当に久しぶりに聞いた望郷の念を感じさせる言葉に少し驚く。

 

「さっすが、陽炎型3番艦っ!! 私ともども、陽炎型の実力をみんなに示したわけね!」

「偶然だろ? 金剛みたいなこと言って、陽炎も酔ってんのか??」

 

鼻を高くする陽炎を、第3水雷戦隊の仲間である深雪があきれ顔で一刀両断する。

 

「酔ってるわけないでしょっ!! これはオレンジジュースっ!! 飲みたくても飲めないのはあんたも知ってるでしょ。それより、偶然とは言ってくれるじゃない・・・」

「いや、まともに考えれば偶然だろって!! 陽炎まで雰囲気にのまれちまったか・・。これじゃあ、海出たときに大波食らったら即帰還になっちまうんじゃねぇか?? のまれるだけに!!」

 

決まったっと、どや顔を決め込む深雪。それを見た陽炎は腹を抱えて笑う。もちろん、深雪の言を上手いなどとは一切思っていない。

 

「ははははっ。何言ってんのよ、ぶふふっ。大波食らって、やられたのはあんたたち吹雪型でしょ? なにをい・・・・・ってるの、かし、ら・・」

 

爆笑から一転。陽炎は自分の失言に気付きとある方向を見て表情を凍らせる。同じテーブルの反対側。そこに自分の首を押さえ、震える艦娘が一人。

 

「・・・・台風嫌い、波怖い・・・・・・・外、嫌だ・・・・・・」

 

陽炎と同じ第3水雷戦隊の初雪は艦だったころを思い出し、恐怖ゆえか隣にいた姉の白雪に抱き着く。白雪は絶対零度で笑っていた。

 

「陽炎ちゃん?」

「ひっ!? ご、ごめんね、初雪、別に馬鹿にしてるとか、そういうんじゃないから、ね。つ、つい口が滑って、は、ははは・・・・」

 

蛇に睨まれたカエルのように堅苦しい笑みを浮かべる陽炎。講堂内はそんなに暑くないのに、額にはきらきらと光る汗が見える。何故だろうか?

 

「あーあ、初雪を泣かせた~」

 

意地悪げな笑みを浮かべながら、陽炎の悪事を広めようとする深雪。もし、吹雪にでも知られれば・・・・・・おしまいだ。ああ見えて、吹雪は妹・仲間想いの優しい子であるためか、彼女たちを泣かせると怒りの度合いは半端じゃないらしく、非常に怖い。

 

「陽炎・・・・・嫌い」

「んなっ!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!! あんた、いくらなんでも・・・・」

「陽炎ちゃん??」

「・・・・・・・」

 

再び白雪に睨まれる。背中を丸める震える陽炎はその時、確かに見た。白雪に抱きつく初雪がニヤニヤと深雪に瓜二つな笑みを浮かべていることに。

 

「は、初雪~~~~~!! あんた面白がって・・」

「どうかしたんですか??」

「な、なんでもございません!!」

 

 

そんな仲間のコントに一切感知することなく、黒潮はみずづきだけを見る。みずづきもそうしたいのだが、睨みつける白雪、抱きつく初雪、凍り付く陽炎が見えるためなんとも言えない苦笑がついでてしまう。

 

「うちとははじめましてやな、みずづき! うちは陽炎型3番艦の黒潮や! ここで冷や汗かいてる陽炎の妹や! よろしゅうな!!」

「よ、よろしくお願いしますっ!」

 

明るい笑顔かつハイテンションで、関西弁を操る黒潮。金剛並みの個性あふれる艦娘の出現に、みずづきは冒頭から完全に押され気味だ。どんなことを聞いてくるのか、全く想像できない。

 

「どっかの誰かさんたちと違って、礼儀正しい子やな~」

 

黒潮は、視界の端っこで丸まっている姉や、別の鎮守府にいる艦娘を思い浮かべる。2人とも素直ではないところが姉妹故か似通っているのだ。その雰囲気を感じ取ったのか、何か言いたげにする陽炎だったが、白雪の怒りはいまだ健在でいつものように文句を伝えることは叶わない。姉をもてあそんでいる初雪と深雪には感謝だ。

 

「うちはみんなの質問を聞いたあとやから、ちいと趣向を変えた質問や! みずづきって、人間やろ?」

「そうです。決して神様とかではありませんよっ!!」

 

散々抱かれた誤解をこれ以上、再発させたいため、みずづきは半分むきになって即答する。みずづきに一種のトラウマを植え付けた最高司令官殿は、既に顔が赤くなっている筆端にビールをつがれ機嫌よくグラスを仰いでいる。

 

「やろ、そうやろ? だったら出身地があるはずなんやけど、どこなん? もうこの口調からお見通しかもしれへんけど、ちなみにうちは大阪や!!」

「ああ~、やっぱりそうですよね。ということはお隣さんですね!」

「お隣さん? ほんならみずづきも!!」

 

黒潮は「仲間を見つけた」といわんばかりに、顔を輝かせる。それについ嬉しくなるのは、同じ言葉、関西弁を話していた者ゆえだろうか。

 

「はいっ。私は兵庫県出身です。バリバリの関西人ですよ!」

 

その言葉に、何人かの艦娘たちが心なしか耳をみずづきに近づける。

 

「そうやったんか!! うちは大阪のど真ん中、大阪市の藤永田造船所っていうところで造られたんやけど、みずづきは兵庫のどこ生まれなんや?」

「神戸です、けど・・・・」

 

(!?!?)

耳を近づけていた艦娘たちの目が大きく見開かれる。その表情には驚愕だけでなく、歓喜も含まれている。

 

「生まれた地区は六甲山地の裏側で同じ兵庫県民にも“ここ神戸?”って言われるところです・・・・」

「ん? 六甲山地の裏っかわって、神戸とちゃうんやない?」

 

みずづきの苦笑に、当然の違和感を覚える黒潮。これもいた時代の相違が原因だが、それを承知しているみずづきは、苦笑のまま説明を始める。

 

「昔はそうだったみたいですけど、神戸は周りの町や村と合併を繰り返して、だいぶ大きくなってるんですよ。私が生まれた時には既に六甲山地の裏側も神戸市になってました」

「な、なんやて!? 時の流れっちゅうもんはすごいな~。技術だけやのうて、町の境界も変わるんやな。おおきになっ、みずづき!! まだまだ話したいことはあるんやけど、いっちゃん聞きたことは聞けたから、ここで止めとくわ。どうせ、これが終わったらみんなんとこ回るんやろ?」

「はい、そう聞いてます」

 

質疑応答は歓迎会の前段でしかない。今はそれぞれ部隊別に集合して料理をつまみ、飲める者は酒を飲んでいる状態だが、これが終わればおのおの好きに会場内を移動してよいことになっている。極端な話、当初は上司のありがたい話やあいさつやらでテーブルに固まっていても、酔いが回ってくると自然に発生する酒を片手に持った席移動をあらかじめ、後段として組み込んでいるのだ。しかし、同時にみずづきが艦娘たちとの親睦を深め、部隊構成を把握するためにそれぞれの部隊に顔を出すとも伝えられている。酒でできている艦娘もいるため、全員ではないだろうが大半の艦娘がみずづきに興味があるため残っているだろう。

 

「ほんなら、残りはその時に! 一つみずづきにやってもらいたいこともあるし、ふふふっ」

「え・・・・・・。な、なんか怖いですよ!!」

 

黒潮の不気味な笑みに、みずづきはいいしれぬ恐怖を感じ、思わずツッコミを入れる。その反応が面白かったのか、爆笑しながら「大丈夫、大丈夫やて」と黒潮はなだめにかかる。それに巻き起こる笑い声。堅苦しい話もあったが、講堂内は歓迎会という名にふさわしい喧騒を蓄えていた。爆笑する黒潮と同じテーブルに具現しているツンドラを除いては・・・・。




前章でもごくわずかに出ていましたが、本話で明確に特定の方言を話す艦娘が登場いたしました。「大阪生まれにも関わらず、言葉遣いがなんか京都より」と評されることもある彼女。言われたらそういう気もするのですが、正直作者はあまり違いが分かりません。そのため、「ん?」と思われる言葉遣いや表現があるかもしれません(汗)。

もしかしたら、筆者自身の方言が混じってしまっている可能性も・・・・・・・。


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25話 歓迎会 後編

歓迎会もいよいよ佳境です。


「えっと、みなさんが第1機動部隊の方々・・・ですよね」

「そうだ。彼女たちは正規空母で一航戦の筆頭、赤城を旗艦とする、横須賀鎮守府唯一の機動部隊で、察しのことと思うが我々の要だ」

「そ、そうですよ・・・・ね」

 

長門の言葉に若干緊張していた心がさらに引き締まる。直立不動になりかけるみずづき。はたから見ても緊張していることが丸わかりの姿に曙を除いた5人はつい笑顔を浮かべてしまう。曙は笑っていなかったが決してみずづきを嫌っている訳ではない。それが彼女の顔を見れば一目瞭然だ。真っ赤な顔で胸を張っている曙。要するに長門に褒められ「我々の要」などといわれて、舞い上がっているだけだ。

 

質疑応答の前段がようやく終了し、いま歓迎会のスケジュールは後段に移行していた。だから、こうして一機艦のテーブルに足を運んでいるわけだが、1つ予定外のことがあった。本来、みずづきを各部隊に案内する役目は進行役たる百石の仕事だったのだが、現在隣には長門がいる。

 

では、百石はどこへ?

 

「いぇぇぇぇーいぃぃぃぃ!!!!」

 

喧騒に紛れて聞き覚えのある声が、みずづきの耳にはっきりと届く。みずづきにも届いているのだから長門にも確実に聞こえているだろう。上半身の制服を脱ぎ、半袖のTシャツ姿でビール缶片手に爆笑している猛者たち。日頃の業務で理不尽なストレスにさらされ続けているためか、酒が入ったテンションは普段から考えられないほど高く、時折奇声が聞こえてくる。顔を真っ赤にした幹部たちのはっちゃけぶりに、顔を青ざめていたみずづきだったが、艦娘たちがその光景を憐れみが感じられる視線で見ていたため、察してしまった。

 

いつもこんな感じなんだ、と。

 

それでも、と思い1度猛者たちの輪に突撃し百石に案内を頼んだのだが、とても同行できるような状態ではなかった。それを見かねた長門が案内を買って出てくれ、空なのにビール缶を懸命に仰ぐ百石へ懸命にずれる話の方向を修正し話しかけ、許可をもらったのだ。だが、正直あの場での会話は寝て起きたら百石の記憶には残っていないだろう。

 

「はぁぁ~」

 

誰のものか分かる奇声を聞き、こめかみを指で押さえる長門。それを見た赤城は苦笑を漏らす。

 

「相変わらずね、提督も筆端副司令たちも。明日大丈夫かしら?」

「いつもとは違うから大丈夫かと思ったんだが、やっぱり海軍軍人はどこの世界でも同じらしい。しかし、いくら無礼講だといってもみずづきの案内を放棄するとは・・・・」

 

長門から放たれる黒い影。それを感じたみずづきは少し震えながら目を泳がせていると、艶やかな黒髪を持ち、加賀と色違いの服装をしている女性に目が合う。みずづきの姿を見て、口に手を当て、小さく笑う。長門の黒い影は眼中にない。これも彼女たちにとっては慣れっこのようだ。

 

「そんなに怯えなくても大丈夫よ。長門は基本的に優しいから。ただ、初めて見た子はやっぱりそう思うのね。今は平気そうにしてるけれど、曙さんだって初めて見た時は目に涙を浮かべて、潮さんに泣きついていたほどですもの」

「なっ!?」

 

みずづきを前に腕組みをしていかにも格上の雰囲気を醸し出していた曙だったが、赤城の予想外すぎる言葉に顔を上気させる。それを見て当時の状況を思い出し、ほほを赤らめる潮。様子から察するに曙には伝わっていないものの嫌などころか、少し好評だったようだ。

(あけぼの・・・・・)

彼女たちとは対照的にみずづきの心はその名前を再び聞いた瞬間わずかだ暗い影がさす。だが、曙と初めて会ったときほどの衝撃はない。彼女はみずづきが知っている「あけぼの」とは違う。それをしっかりと認識しているため、すぐに現実へ目を向け直す。

 

「ちょ、あ、赤城さん!? なに事実無根なことをっ!」

「え? 私なにか間違えたこと言ったかしら?」

「いや、間違ってないけど間違っているというか・・・・・事実はあってるけど、そこに込められた意味が違うと言うか・・・・・と、とにかく私は怖くて、潮の温かみを感じたかったとか、そういうことじゃないからね!! ふんっ!!」

「曙ちゃん! せっかくみずづきさんがお見えになってる前なんだから抑えて抑えて。わ、私は別に嫌とかそんなことは、ゴニョゴニョ・・」

 

事実ではなく真実を自らに口から出す曙。しかし、隣で嬉しさと恥ずかしさでじもじしている潮に気付くことなくみずづきにビシッと指を向けた後、顔をそむける。その動作にすごい既視感を覚えるのだが、何故だろう。

 

「ふふっ。やっぱり曙さんは可愛いわね」

「曙さんだけじゃありませんよ赤城さん。潮さんもなかなか・・」

「そんなことより、自己紹介っ!! 自己紹介するんでしょ! 私はみずづきと前に会ってるからいいかも知れないけど、みんな初対面でしょ! だから、自己紹介!!」

「そ、そうですっ! 皆さんそろいもそろって、みずづきさんに失礼ですよ!」

 

赤城の言葉に頭から湯気が出そうなほど曙はさらに赤くなる。それだけにとどまらず艦の頃から親交がある翔鶴からふざけているのか素で言っているのか判別できない言葉をかけられた潮も全く同様の反応だ。性格は違えど姉妹艦。反応は瓜二つだ。空母勢の猛攻を受けた駆逐艦2人は、これ以上は赤城たちのおもちゃにされるだけだと本能的に察知し、まだからかいの常連である摩耶が参戦していない今のうちに無理やり話をもとに戻そうとする。表情から考えが透けるようにに見えるので誰もその攻勢を止めようとはしない。

 

「ふふっ。お2人さんの言う通りね。みずづきさんをここで足止めするわけにもいかないし。はじめましてみずづきさん。私は赤城型航空母艦1番艦の赤城よ。よろしくね」

 

それを皮切りに赤城と曙のやりとりを温かいかついつ介入しようか狙う狩人の目をしていた3人が、声を上げる。既に自己紹介を宿直室で済ませている曙、そして曙と同じ宿直室と質疑応答で顔を合わせている榛名は、傍観だ。

 

「はじめまして。私は翔鶴型1番艦の翔鶴です。第5遊撃部隊の瑞鶴がいろいろお世話になりました」

 

大和撫子を体現したかのように、おしとやかにお辞儀をする翔鶴。それに一瞬、目を奪われるが、瑞鶴の名前と瓜二つの制服から記憶の糸がつながる。

 

「瑞鶴さんは翔鶴さんの妹さんなんですね。お世話なんてとんでもないです。むしろ、私がとてもお世話になりましたから」

 

やんわりと事実を伝えるが、それでも「いえいえ」と低姿勢の翔鶴。勝ち気で明るい性格の瑞鶴とは大違いだ。人間の姉妹や兄弟でよくある、兄弟・姉妹同士では性格が真逆になりがちという謎の法則が彼女たちにも適用されているようだ。これは神様にも通用するらしい。

 

「あ、あの・・・」

 

などと思っていると曙の横から聞いただけで少し怯えていることが分かるか細い声が聞こえてくる。目をやると先ほどまで現在からは想像ができないほどの声を出して、ほほを赤くしていた少女、潮が立っていた。あまりの落差にみずづきのほうが怯えてしまいそうだ。

 

「あの・・・潮さん? そんなに緊張しなくても・・・あはははっ」

「す、しゅみません!」

 

可愛らしく、小さな子供のようにかむ。それに萎縮していた心が若干癒される。癒されたのは表情を窺うに、曙を含めた一機艦の5人も同様のようだ。ふくれっ面のほほを赤く染め潮をチラ見している曙は印象的だ。だが、とうの潮は相当緊張しているのか、自分が噛んだことにすら気付いていない。ここは指摘しない方が無難だろう。

 

「・・綾波型10番艦、吹雪型20番艦の潮です。曙ちゃんは私のお、お姉ちゃんになります。こ、これから、ふつつかものですがよろしくお願いしますっ」

 

勢いよく頭をあげる潮。目の前にテーブルがなくてほんと良かった。あったら、確実に行動不能だろ。頭をあげても潮は潤んだ目でこちらを窺ってくる。決して見る、ではない。

(わ、私って、そんな怖い外見してるのかな・・・・)

強面でも幽霊のような暗いオーラを纏ってもいないみずづきは、あまり経験したことがない反応に困惑してしまう。潮をこれ以上怖がらせないようにと、苦笑していたらいきなり肩を叩かれる。叩かれるという表現になってしまったが、決して暴力的な意味ではない。乗せられた手には親しみが込められていた。振り返ると頭に妙な装飾をつけ、一見すると女子高生に見えなくもない制服を着た少女が勝ち気な笑みをたたえて立っていた。

 

「そう、気にすんな。潮はちょっと人見知りで、初対面どころか艦だった頃に会ってた艦娘にだってあんな感じだったんだぜ。今は普通に話ができるけどな」

 

少女と共に潮へ目を向ける。彼女は少し慌て上目づかいでこちらをものすごく控えめに見てくる。少々怯えすぎとも思わなくないが先ほどの微笑ましいやりとりも見ているため、潮がいい子であることは疑いようがない。だが、同時に翔鶴と言葉を交わした時に思った姉妹における性格相違の法則は彼女たち2人にも、あまりにはっきりと表れていた。

 

「まぁ、時間がたてばあいつも慣れるさ。ん? ああ、わりい。自己紹介がまだだったな!」

 

今更ながら大事な過程をすっ飛ばしていることに気付いた少女は、みずづきから全身がみえるように眩しい笑顔のまま少し距離を取る。

 

「はじめまして、だな。みずづき! あたしは高雄型3番艦の摩耶! これからよろしくなっ! ところで聞いて驚いたぜ。みずづきって神戸出身なんだろ?」

「あっ、そうそう。それ、私もですっ! 聞いた瞬間、思わず自分の耳を疑ってしまいました」

 

みずづきと初対面である3人の邪魔をしないように、と曙と同じく傍観者に徹していた榛名であったが、この話題には自制心よりも好奇心が勝ったようで、顔を輝かせる。

 

「はい、そうです、超ど田舎の神戸ですが・・・・」

 

摩耶や榛名の想像している神戸とみずづきの実家がある神戸の1地区にギャップがありそうで、つい声量が小さくなる。

 

「あの辺りは山を越えると一変するからな。21世紀になってもそこは変わらねぇんだな」

 

妙に神戸に詳しい摩耶。みずづきは地元のことを話すたびに抱く心構えを外し、安堵していく。そこでふと、摩耶の名前が引っかかる。六甲山系、神戸都心部の背後、神戸市の中央を東西に貫く山々に摩耶山という名前の由緒正しいお寺が建立する山があるのだ。そして、その山は旧軍の重巡洋艦と海上自衛隊のイージス艦に与えられた艦名の原典として、非常に有名な山だった。みずづきはそこで摩耶がいかにも神戸を知っているような口ぶりだった理由を看破した。

 

「お詳しいと思ったら・・・・摩耶さんの名前、摩耶山から名付けられたんですよね」

「おお、おおおっ!! あたしのこと知っててくれたのかっ!!! めちゃくちゃ嬉しいぞ! そうそうあたしの名前は、摩耶山からきてるんだよ!!」

 

思わぬ反応に摩耶は顔を輝かせる。

 

「あたしは神戸の山から名前をもらって、神戸の造船所で造られたんだ! だから、あたしの故郷は神戸さ。黒潮とのやり取りを聞いた時はめちゃくちゃ驚いたぜ! まさか、みずづきの故郷が同じだなんて。後から、黒潮にはきっちり言っとかないとな。お前は大阪生まれだけど、あたしは正真正銘の神戸生まれってな。榛名も群馬の榛名山から名前をもらってんだけど、造られた場所はあたしと同じ神戸にある造船所なんだ」

「はいっ! 榛名も摩耶には敵いませんが、れっきとした神戸生まれなんですよ」

「そ、そうだったんですか・・・」

 

笑顔の榛名と今にもみずづきを抱きしめてしまいそうなほど感動する摩耶。それを見れば否が応でも、2人がどれほど嬉しがっているかよく分かる。だからこそ、自身の無知にみずづきは表情を曇らせる、。

 

 

「すみません。神戸市民なのに摩耶さんや榛名さんとことこうしてお話するまで気付かなくて」

「なに辛気臭い顔してんだよ、いいっていいって! 80年近く未来の、しかも同郷の人間があたしのことを覚えてくれてるってわかっただけで、あたしはすごくうれしいんだ」

「摩耶の言う通りです! 私は同じ故郷を持つ仲間が増えただけで感無量ですから」

 

そこに他意は一切見受けられない。

 

「で、どうなんだ?」

 

はちきれんばかりの笑顔から一転して、摩耶は真剣な表情を見せる。摩耶が聞こうとしていることをその口調から瞬時に理解した榛名も同様の対応を取る。それで、みずづきは分かってしまった。これから、摩耶が聞こうとしていることを。そして、自分がひどい嘘をつかなければならないことを・・・。

 

「2033年の神戸はどうなってるんだ? 戦後、戦前をしのぐ大都市になったっていうことは知ってるんだが、その先を知りたくてな」

 

真剣な表情のまま摩耶は恥ずかしそうにほほをかく。榛名もそれに頷きつつ、みずづきを揺るぎない瞳で直視する。2人の想いを見て、誰が真実を語れるだろうか。兵庫県の県庁所在地として国内6番目の人口を誇った大都市は、他の都市と同様、その繁栄が過去のものになってしまった、などと。だから、みずづきは生戦が始まる前の、2027年以前の故郷を思い浮かべる。

 

「以前と変わらず、兵庫県の県庁所在地そして国内有数の都市とてとても栄えていますよ。夜になると、街の明かりが作り出す夜景が最高で! 大阪人を毛嫌いする人たちがいまだにいますし、私は神戸人ですけど同じ関西人ですからそんなしょうもないいざこざはどうでもいいと思うんですけどね」

「ふはははっ。神戸と大阪のいざこざは未来も変わらねぇんだな! ほんっと、あいつらはどうしようもないな。でも、よかった。なにも変わっていなくて・・・・」

「変わるものがあれど変わらないものもある・・・・。時間の流れって不思議、ね・・」

 

安堵した笑顔を浮かべ、摩耶と榛名は感慨深げな声を出す。だが、榛名は涙声だ。摩耶も感動のあまり泣きそうになっているが、意地で涙を止める。無理に止めなくともいいのだが、摩耶には泣くという選択肢はなかった。自身の失態を今か今かと待ちわびている仲間がすぐそこにいるのだ。曙には今までからかってきた前科が存在するため、これみよがしに反撃の材料を与えることになる。からかい返されるのは確実だ。だが、そんな格闘を誰にも悟られず行っていた摩耶の耳に、すすり泣く声が聞こえてくる。驚いて声のした方向を向くと、焼酎とおぼしき透明の液体が入った湯呑を片手に赤城が鼻を赤くして・・・泣いていた。そして、赤城の背中を翔鶴が優しくなでている。彼女の目にも、涙が浮かんでいた。

 

「よかった・・・・よかった・・・・よかった・・・」

 

手で何度ぬぐってもにじみ出てくる涙。一機艦のメンバーにとって、これが初めて見る赤城の涙ではない。戦場はともかく、こういったお酒が入る場では、赤城は酔いが回るとよく泣くのだ。しかし、ハイテンションで泣くため悲しさなどは微塵も感じず、逆に泣きつかれると非常に面倒なので、みな赤城の涙を面白半分に取られていた。

 

しかし、今日の涙は違った。

 

普段の凛々しいく、食いしん坊な彼女からは想像できない姿がそこにあった。このような安心から生まれるきれいな涙は、一機艦もそして長門も初めて見た。みずづきも含めて驚く一同。しかし、榛名・摩耶・潮は赤城の気持ちを察し、驚きから同情へと顔に宿る感情を変えていく。赤城の涙は喧騒に溶け、今このテーブルにいる者以外、気付く者はいなかった。

 

 

 

 

涙をながしつつも笑顔を浮かべる赤城を筆頭に暖かい雰囲気で送りだされたみずづきは次の部隊へ向かう。その中に若干1名腕組みをし、刺々しい空気を堂々と醸し出している者がいた。だが誰も気にしていないふうだったので気にしない。次は第3水雷戦隊である。

 

「今ふと思ったのだが、みずづきは昨日吹雪たち4人と共に買い出しへ行ったのだったな?」

「はい。吹雪、白雪、初雪、深雪と一緒に・・・」

「そうか。なら、自己紹介はもう済んでるようなも、の? ん? その呼び方は・・・・」

 

長門はみずづきの口調がつい昨日の朝までと異なっていることに気付き、問うように前方へ向いていた顔をみずづきに合わせる。

 

「えっとですね、これも昨日のことなんですけど、吹雪さんにその、友達になりませんかって言われまして」

 

少し気恥ずかしく、みずづきは耳を赤く染める。それを見た長門は、どういう経緯で吹雪たち4人を呼び捨てにするようになったのか、大体の察しをつける。

 

「友達ならさん付けや敬語は他人行儀です、とも。なので私も奮起して呼び捨てで話すようにしたんですが、鎮守府へ帰る道中吹雪からその話を聞いた白雪たちも同じようなことを言い出して、結局・・・」

「吹雪のみならず白雪たちにも押し切られた、か。ふふふっ、あいつららしいな」

 

輝く目で迫る吹雪たちと照れて挙動不審になるみずづきの姿が容易に想像でき、つい長門は笑う。吹雪たちの包容力は、並行世界からきた未来の人間も容易に包み込んでしまうらしい。

 

「となると、第3水雷戦隊の中でみずづきと面識がないのは川内だけになるのか。陽炎や黒潮ともさきほど話していたし」

 

陽炎という言葉に一瞬、心拍数が上がる。このまま心拍数へ意識を向けていてはろくなことにならないので長門へ話しかけようとしたとき、喧騒の中でもはっきりと分かる独特の言葉が聞こえてくる。

 

「おっ、みずづきやん!? ついに私らの番やな! さ、はよぅはよぅ!!」

 

初雪・深雪にもてあそばれた陽炎に慰め、という名のちょっかいをかけている最中にみずづきと長門を見つけた黒潮は、第3水雷戦隊のいるテーブルから大きく手を振る。それでみずづきたちの存在に気が付いたほかのメンバーも声を上げる。

 

「よっ、みずづき! 昨日ぶりだな」

「みずづき? 眠いから、帰っていい? 良い子は寝る時間・・・」

「お疲れ様、みずづきちゃん」

「・・・・・・・あっ、みずづき」

 

メンバーの中に明るい雰囲気を蝕みそうなネガティブ思考を持つ者たちが紛れ込んでいるが、ここはあえて無視した方が賢明だろう。特にツインテールの、今は亡き部下と同じ名前を持つ艦娘は、さきほどの修羅場の余韻が残っているのか白雪をチラチラと伺い、複雑な表情をしている。だが、それを見て、みずづきは安堵する。陽炎の姿が非常に面白く、心に闇の入り込む隙間ができなかったのだ。

 

「どうも、みんな。めいいっぱい楽しんでくれてるようで、私安心したよ。前段は話がいろんな方向に飛びまくってたから」

「ほんっとお疲れ様だな! っと言っても俺、聞いても分かんない話が来たら目の前の料理に集中して聞こえないようにしてんだよな。だから、何話してたかは全く覚えてません!!」

 

「すげぇだろう~~」という内心が丸わかりの顔で、深雪は大きく胸を張る。ため息を吐く白雪と長門だが、それに同意するものがいた。

 

「やんな、さすが深雪! それでこそ深雪や!! うちも司令はんの話は全く聞いてなかったわ。みずづきもすごいなぁ、あんな高度な話をエリート筆頭の司令はんとするなんて。うちやったら絶対轟沈やわ」

「そうそう。私もみずづきちゃんが、全く別の女の子に見えちゃったよ」

「べ、別の女の子って・・・・。そんなにすごいことじゃないですよ。百石提督もなんか私の学力レベルを探ってた感があったし、高卒なめんじゃねぇよってね、あはははっ。それもこれも陽炎さんの質問がきっかけですし」

 

笑いながら陽炎の方を向くが、そこにはまだ本調子に戻り切っていない陽炎の姿があった。それを見てみずづきは黒潮が質問中、彼女の裏で起こっていた出来事を思い出す。

 

「まだやってるんですか?」

「いや、ちっと面白くてな。初雪とタック組んでいろいろ引き延ばしてたんだが、みずづきが来たことだし終わりにすっか。おーい陽炎~、元気出せよ。初雪も白雪も怒ってねえぞ」

 

みずづきが来てから少し視線が泳ぎ気味の陽炎だったが、深雪の言葉にバシッと視線が止まり、フォークを口にくわえたままゆっくりと視線だけ初雪、そして白雪に移動する。そのしぐさは小動物のようで非常に目の保養になるのだが、本人の心にそんな幸せオーラはない。

 

「陽炎ちゃん? もう怒ってないよ」

「っ!?」

 

 ビクつく陽炎。それに込められた意味を明確に感じ取った陽炎はフォークをテーブルの上に置き、今いる場所の反対側、みずづきたちが集まっている場所にやれやれっと言った感じでやってくる。

 

「あんたたちね・・・・・、人をもてあそぶのもいい加減に」

「これで、駆逐艦は、集合完了。あとは川内だけ・・・」

「って、人の話聞きなさいよ~~!!」

「みずづきちゃんも来たことだし、川内さんとも顔あわせてほしいんだけどな」

「無視っ!?!?」

 

陽炎の怒りを完全に無視する吹雪型3人。あまりの意気投合ぶりに、陽炎の心は急速冷凍されがっくりと肩を落とす。それに苦笑を浮かべた3人は明るい笑顔を陽炎に向ける。

 

「さすがにやりすぎたか。冗談、冗談だよ陽炎」

「私たちが、そんな、ひどいことをするわけがない」

 

何の迷いもなく親指を立てる初雪。それを見た陽炎は「どの口がほざいてんの?」っとお怒りの様子だ。それを見て初雪は即座に汗を一筋流し、視線を外す。先ほどとは立場が逆になっている。その様子にみずづきや長門もも含めて他の3人が笑い出す。それにつられた初雪と陽炎も笑顔に染まる。みずづきはほんの一場面しか見ていないが、黒潮たちの絆の深さをしっかりと感じ取ることができた。

 

「んで、川内さんは? 私が恐ろしい視線で拿捕されてる間にどっか行ったみたいだけど」

 

陽炎は周囲を見回すが、川内の姿はない。時刻はもうすぐ9時。それにもしや、と思った陽炎は確認を求める視線を白雪たちに送る。全員、苦笑いだ。

 

「まさか、あいつ」

 

ただの酒飲みオヤジと化した百石たちの奇声を聞いた時と同じく、長門は駆逐艦たちの様子を覗いこめかみを押さえる。それを受けさらに深い苦笑を浮かべる黒潮たち。だが、長門や黒潮たちのテレパシー通信についていけないみずづきは頭の上に疑問符を大量発生させる。

 

「えっと、どういうことなのでしょうか?」

「うちら第3水雷戦隊は川内っていう軽巡洋艦が旗艦を務めてるんやけど、この人が変わった人で・・」

 

(変わった人?)

反問しようとしたみずづきを初雪が制する。

 

「夜戦が、大好き・・・」

「はい?」

「川内はなにかと夜戦が好きでな。業務時間が終わりこうして鎮守府が眠りにつこうとする夜間によく単独訓練をしているんだ。みずづきが来るから席についておけってかなり念押ししたから今日ぐらい控えると踏んでいたんだが、まさか・・・・・・」

 

そこまでいうと長門は再び大きなため息をはく。

 

「提督といい、川内といい、なんでこうも・・・」

「ほぉぉぉっぉ―――!!!!」

 

絶妙なタイミングで聞こえる奇声。それと悩む長門のコントラストは非常に憐れで、小規模な部隊ではあったものの以前、隊長を務めていた身として、その姿には同情を禁じ得ない。

 

「まったく・・・・」

「いや~、盛り上がってるね~。やっぱりこういう雰囲気が俺の性にあってるんだよ!! そういやぁ、黒潮?」

「ん、なに?」

「さっき、質問してた時、みずづきになんかしてもらうって言ってなかったか?」

 

その問いに、黒潮は待ってましたと言わんばかりに顔を輝かせる。どうやら忘れていたわけではないようだ。黒潮は一気にみずづきに近づく。あまりの勢いにみずづきは若干後ろへ引いてしまう。

 

「な、なんです・・・・・?」

「そうやそうや!! いつ言おうか迷っとったけど、機会が来たようやな! みずづき? あんたも関西出身なら一度、うちの前で関西弁話してみてや」

「え? 関西弁を、ですか?」

 

思いもよらむ提案に、何度も瞬きをしてしまう。

 

「ほら、まわりは標準語ばっかりやろ? 艦娘のなかにはうちみたいに関西弁しゃべる子もおるんやけど、横浜生まれの偽もんやし・・・」

「龍驤さん怒りますよ・・・・・」

 

ジト目の黒潮に白雪が苦笑しながら、当該艦娘の名誉のためにあえて指摘する。

 

「怒ったって、かまわへんわ! だって、偽もんやもん! だから、うちは関西弁で話をしてみたいんや! 兵隊さんの中にも関西出身者はおるんやろうけど、よう分からんし。なぁ、みずづきお願いや!」

 

子犬のようなウルウルした瞳がみずづきを捉える。「藪から棒に」と思わなくもないが話しても特段みずづきの不利益になることでもない。そして、黒潮たってのお願いでる。ただ少し懸念材料があるのだ。

 

「うーん・・・ま、いっか。分かりました。久しぶりにこの堅苦しい口調を捨てますか!」

「ほんまに、やったぁ! あんた、ええ子やな~」

「ただし、私ここ4、5年ぐらいずっと標準語の中で過ごしてきたので、おそらくかなり引っ張られてると思いますよ」

 

みずづきが少し躊躇した理由はこれである。みずづきは軍、当時の自衛隊に入隊してからずっと関西弁とは全くの無縁ではないものの、程遠い生活をしていた。言葉の適応力とは凄まじいもので関西弁バリバリの人間でも、標準語の中で長い間生活すると自然に普段の口調が標準語になってしまうのだ。みずづきは標準語を話さなければならない環境下に数年間も身を置いていた。その間、唯一故郷の言葉と触れ合うことができる実家に帰省したのは片手で数えられるほどでしかない。

 

「ええって、ええって! あと、吹雪たちとため口になっとるんやから、うちともそんなんでええで。要するに友達や! 陽炎も同感やろ?」

 

つい嬉しくなってしまう言葉に目を見開きながら、みずづきは陽炎の方へ目を向ける。陽炎は黒潮の洞察力に驚き、耳を赤くしながら視線を泳がせている。しかし、みずづきの少し潤んだ視線に観念したようでゆっくり頷く。さきほどのみずづき―黒潮間の状況がみずづき―陽炎間でも成立していた。

 

「私も同じくち・・・・そういえば排水量聞いてなかったわね・・・まぁ、いいわ。とにかく私たちとそれほど大差ない見た目のあんたに敬語を使われるのは、なんか嫌なの。その、仲間であり友達でもある子にそれやられるとなんか壁を感じるというか・・・あんたも分かるでしょ? れっきとした人間なんだから!」

「素直やないな~、私も友達になりたいのよっ!? って言ったらええのに」

 

さらりと普段は聞けない標準語の口調&陽炎のものまねをかます黒潮。あまりに自然すぎて白雪たちや長門も「ん? んん!?」っと我が耳を疑っているが、それはみずづきも同様だ。加えて、うますぎる。正直ほんの一瞬陽炎自身がしゃべりだしたのかとさえ思ってしまった。みずづきたちでもそうなのだ。自分を真似られた立場の陽炎にしてみれば、その衝撃は半端ではないだろう。そして、その口調ではたからでも分かる本心を暴露されたのだ。陽炎は面白いように顔を急速に赤くしていく。もう耳だけではなくなった。

 

「なっ!? な、なに言ってんのよ!? 別に、別にそんなこと!! しかも、私の真似して~~!!ぜんっぜん、全然似てないからね!! やるんならもう少しまともなのしないさいよ!」

「悪いな、つい出来心で・・。でも、こんな時ぐらい本心ださんとすれ違うで。みずづきはうちらと今日あったばっかりなんやし」

「そ、それは、そうだけど・・・・・・・」

 

黒潮の口調が諭すようなものに変わる。冗談を言っているときと変わらない笑顔でが、紡がれる言葉の重みは段違いだ。それは真正面から受けた陽炎は、一気に大人しくなる。

 

「こんな姉やけど、よろしくな。素直やのうて、すぐ突っ走る癖があるんやけど、めっちゃ頼りになるから」

 

その言葉に陽炎は目を点にすると、照れたように鼻の下をこする。いい笑顔だ。そんな姉妹愛を見せつけられた深雪・初雪はニヤニヤと茶化すような笑みを向ける。ここにも艦娘同士の固く、そして深い絆がある。それを見ているだけで心が温かくなってくる。これなら、陽炎のことを、「かげろう」と同じように呼ぶことも可能だろう。彼女は、かげろうとは容姿も性格も、存在も異なる。彼女と、そして目の前で最高の笑顔を見せている少女。どちらも別人であり、混同することはどちらにとっても彼女たちに失礼極まりない。みずづきは陽炎を明確に()()と認識した。

 

「いえいえこちらこそ、よろしくお願いしますっ! お二人にそんな・・」

「お2人?」

「あっ、てへへ・・・。黒潮と陽炎にそういってもらってほんとにうれしいよ!」

「みずづき~、そこは関西弁だろ?? それたちもみずづきが関西弁でしゃべるところ、めちゃくちゃ聞きたんだぜ~?」

 

いつの間にか深雪のニヤつきはみずづきにも向けられていた。深雪だけだはない。白雪も初雪も、そして駆逐艦たちのやり取りを母親のように優しく静かに見守っている長門までもが興味を示している。さきほどの言葉を実行するしかないようだ。

 

「もう~、分かったよ。・・黒潮、陽炎、そう言ってくれてほんまに嬉しいわ! おおきにな! この世界に来て右も左も変わらず不安やったけど、こうしてたった数日でいろんな友達が、仲間ができたっ。こんなに心があったこうなるのは久しぶりやで」

「おおおおおっ!!! 感動や!! うち、昔を思い出して涙でてきそう・・・」

「ええっ!? そこまで!? んな大げさな・・・」

 

関西弁で言い合うみずづきと黒潮。みずづきは標準語なまりを警戒していたようだが、今どき標準語と関西弁が融合したような言い方もあるので、特段気になるレベルではない。正直、2人で大阪へ行っても、全く違和感はないだろう。

 

「うわぁ~、新鮮。正直、口調だけ聞いてると、一瞬みずづきどうかわっかんいよな」

「完全な、別人。テンションがまるっきり違うように聞こえるのは、何故なんだろう・・」

「みずづきちゃんも、この歓迎会を楽しんでるみたいで、よかった」

「まったく、同感だな」

「・・・・なんか、妹をとられた気分・・・・」

 

そのやりとりは本人たちだけではなく、周囲にも温かさをもたらす。1名だけ物騒なことを言っているように聞こえるが、口だけで表情は非常に穏やかだ。局所的に発生する日だまり。歓迎会も終盤に突入し、講堂内のあちこちにそれができているがみずづきの来訪を待っていた者たちは待ちきれず、その日だまりに自然と吸い込まれていく。

 

「ずいぶんと盛り上がってるじゃない! 私たちも混ぜてよ」

 

第3水雷戦隊のテーブルに突然投げかけられる声。全く予期せぬ事態に、この場にいる全員がマッハで声のした方向に向く。黒潮たちは誰の声が判別したうえでの驚きだったが、みずづきとっては初耳の声だった。振り向くとそこには、先ほどの質疑応答でみずづきに質問した響。その彼女とそっくりな3人の女の子。そして、見た目がみずづきと同年代ぐらいの少女たち・・・・緑色のリボンで髪をポニーテールにしている子と茶髪でアホ毛がよく目立つ子の2人が立っていた。彼女たちを見た瞬間、長門が申し訳なさそうな声を出す。

 

「すまんな。随分と待たせってしまって・・・」

「いえいえ長門さん、お気になさらず。私たちのテーブルすぐ近くですから、三水戦の子たちとみずづきのやりとりはかなり見させてもらいました」

「なんだよ夕張、遠慮せず入って来たらいいじゃんか」

「別に気を遣ってたわけじゃないのよ。今乱入したら面白いやり取りが中断しちゃうじゃない」

 

そういいつつ、夕張と呼ばれた子は陽炎を見て微笑する。その反応から、夕張のいう面白いやり取りに自身と黒潮のやり取りが含まれていることを知った陽炎は、再び顔を染める。陽炎の反応が予想通り過ぎて、夕張たちや黒潮たちは笑い出す。しかし、状況が上手く把握できていないみずづきは困ったような笑みで長門に説明を求める。

 

「ふふっ。あ、すまない。みずづきは彼女たち、響以外とは初対面だったな。本当は彼女たちが陣取るテーブルに行くつもりだったのだが三水戦と一緒でもよかろう。絶対に行う理由もないしな」

 

長門はそういうと右手で柔らかく彼女たちを示す。それに心なしか背筋を伸ばす夕張たち。

 

「彼女たちは第3水雷戦隊と同じく、対潜哨戒、対潜戦闘、船団護衛、物資輸送など海上主力戦力の円滑な作戦行動に必要不可欠な第6水雷戦隊の艦娘たちだ」

 

荘厳な口調とは裏腹に、内心ひやひやしながら「第3水雷戦隊と同じく」という言葉をさらりと付け加える長門。ちらりと周囲にいる艦娘たちの表情を覗うが不審に思っているような子は1人もおらず一安心だ。長門は今更ながら、川内や百石に気を取られ第3水雷戦隊の説明をしていないことに気が付いたのだ。そのため、夕張たちがこちらへ来てくれてわざわざ足を運ぶ必要がなくなっただけでなく、自分の失態を隠すにはとても好都合だった。

 

「みなさんが第6水雷戦隊の・・・」

 

そんな長門の内心など露知らず、みずづきは紹介された6人の少女たちを見る。口調は当然ながら通常に戻っている。黒潮は不満そうだが。

 

「まずは、お約束の自己紹介からだね。はじめまして、みずづきさん。私は夕張型軽巡洋艦一番艦の夕張。よろしくね! そして、隣が・・」

「球磨型軽巡洋艦一番艦の球磨だクマー。よろしくクマー」

「ん? クマ!?」

 

とある英国生まれの戦艦と初めて会った時は「ま、ありかな」と無反応を貫いたみずづきだがさすがにこれは許容範囲外だった。しかし、言った瞬間、自分の失態に気付きすぐさま口を押える。だが、明らかに手は言葉を発した後、口をふさいだ。そのため、みずづきの声は球磨と名乗ったおっとりしている少女に容赦なく聞こえている。漫画やアニメに出てくる空想上のキャラのような口調につい出てしまった言葉だが、後悔しても後の祭りだ。どうような反応をされるか、不安になるが、それは予想したものよりもはるかに優しいものだった。

 

「ぷ、ははははっ」

 

腹を抱えて笑い出す夕張。その隣では球磨が怒ることなく、かといって悲しむこともなく複雑そうな苦笑いを浮かべていた。

 

「気にしなくていいクマ。みずづきみたいな反応はよくあるクマ。だから、気にしなくていいクマよ」

「見事に予想通りの結果よ。ふふふっ。あ~おなか痛い・・。はぁ~。みずづきがあいさつに来るっていうから2人で、球磨の口調がどんな反応されるか予想してたんだけど、ビンゴよ。やっぱり、誰もこの口調には耐性ないみたいだね」

「し、仕方ないクマ! この姿になったときからこうだったんだクマ!!」

 

少しほほを膨らまして、球磨は夕張の爆笑に抗議の意を示す。その姿にはかなりの愛嬌がある。

 

「あの、すいません! 私反射的に、つい・・・」

「いやいや、気にしてないからいいクマよ。夕張のいうとおり球磨も予測してたクマ」

 

球磨はひらひらと笑顔で手を横に振る。どうやら本当に気にしていないようだ、それにみずづきは深く安堵する。

 

「じゃあ、次は・・・」

「し、仕方ないわね。私が紹介を・・」

「夕張、この子たちの紹介は私にやらせてくれ」

 

夕張が響たちに目を向けた瞬間、響は響に瓜二つで黒髪を持つ女の子を遮り名乗り出る。その行動に黒髪の子は驚きを隠せない様子だ。

 

「ちょ、ちょっと響!! 私がお姉ちゃんなんだから、みんなの紹介するのは当たり前でしょ!? おとなしく引っ込んでて」

「暁はお姉ちゃんだ。これは否定しようのない事実。でも、暁はみずづきと初対面で自己紹介する必要があるだろ? 僕はさっき自己紹介してるから、その必要はないんだ。だから、そんな僕だからこそ、紹介役に向いてると思うんだけど、どうだろう?」

 

いつもの如く背伸びをしようとした暁。それを響は「暁はお姉ちゃんだから」というお姉ちゃん心をくすぐる言葉をわざといれ、やんわり辞退させようとする。見た目からは想像できない賢さだ。みずづきも思わず目を丸くする。

(そんなに紹介役ぐらいでむきにならなくても・・・・・ま、可愛いいからいいかな!!)

2人のやり取りをまじかで見て、みずづきが長門たちと同じ境地に至るのにそう時間はかからなかった。長門もいつもの威厳はどこへやら。面白いぐらいにほほをゆるめっぱなしである。

 

「わ、分かったわよ! レディたるもの、他人のへの思いやりも大事なんだから」

 

まんまと響の策に引っかかる暁。暁や響と違い帽子をかぶっていない子たちも苦笑いだ。だが、その仮初めの笑顔も、苦笑も見る者にこの上ない幸せをもたらす。みずづきは今更ながら、子供パワーの恐ろしさを身にしみて感じていた。

 

「じゃあ、僕から同型艦の子たちを紹介するよ。まず、僕といいあったこの子は」

「暁型1番艦の暁よ。子供じゃないんだからね! よ、よろしく」

「それで暁の隣にいるのが・・」

「同じく暁型3番艦の雷よ! みずづき、これからよろしくね!!」

「そして最後に、少しおどおどしているのが・・」

「あ、暁型4番艦の、電です。どうか、よ、よろしくなのです! って、響ちゃん、おどおどはひどいのです。私、いつも通りなのです」

 

全員破壊力抜群の自己紹介。そして電が焦りながら響に抗議する姿に一瞬みずづきは昇天しそうになるが、なんとか持ちこたえ2本の足を力強く床につける。

 

「みんな、丁寧な自己紹介ありがとう!! これから、よろしくねっ!!」

 

満面の笑みでお礼をいうみずづきに、4人は眩しいほどの笑顔を向ける。眩しすぎて思わず目を閉じてしまった。

 

「ふふふっ。みずづきさんもすっかり落ちちゃったわね」

「純粋な可愛さには勝てないクマ」

 

ある意味達観した立場で、この世の摂理を口にする球磨。それを笑顔で受け取った夕張は自身の好奇心を必死に抑え、機械的な笑顔を張り付けた上でみずづきに話しかける。

 

「みずづきさん? ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

「ん? なんですか、私に答えられるものなんでも大丈夫ですよ」

 

みずづきは夕張に何の警戒心も抱かず、純粋に答える。彼女が夕張の趣味、というか大好きなものを知っていたらおそらく、回答を煙に巻くか、即逃亡を図っていただろう。しかし、時すでに遅し。夕張はニヤリと口角をあげると一気にみずづきとの距離を縮める。あまりの速さにみずづきは一歩も動けなかった。

 

「夕張さん!? いったいどうし・・・って、近い近いですって!?」

 

バランスを崩せば確実に夕張の顔がみずづきの顔と衝突するであろう距離まで夕張は接近していた。衝突するならまだしも、この状況は不慮の事故が起きそう気がしてたまらない。ちなみにみずづきは、ファーストキスはまだである。

 

「危ない! 何かが!! なにかが起きそうですよ!?」

「みずづきったら、なにいってんのかしら?」

 

料理をつまみつつ、ただただみずづきと夕張を見つめる陽炎。みずづきの抱いている危機感は微塵も伝わっていないようだ。いつもなら夕張の暴走を存在しているだけで牽制する長門はすでに響たちに篭絡され見る影もなし。夕張はこれも見込んで行動しているのだろうか。

 

「ずっと、あなたに聞きたかったのよ―!!! あなた2033年から来たんでしょ!?」

「そ、そうですけど・・・・」

「私、軽巡は軽巡でもいろんな最新装備を積んだ、いわば実験艦的存在なの! だから、新しい技術には軍事用も民間用も目がなくて!! 科学に基づく技術の進歩は凄まじい。80年近く経ってるのなら、私の想像できない技術がそれはもう数え切れないほど出現してるに違いないわ。その証拠にあなたの艤装は私たちの艤装とは根本的に違う! なんとっ、なんとっ、我々と同等のものを、自分で言うのもあれだけどあんなオカルトじみたものと同じようなものを、人間の科学力で作り上げている。もう、私にとったら驚愕でしかないわ。まずはあの艤装。詳しいところはいいから概説でも教えてくれないかしら!? それとも、あの拳銃についてがいいかしら!! あの拳銃もフォルムがまた・・・・」

 

みずづきが見えているのか、速射砲並みに言葉を連射する夕張。みずづきは防弾性能が限りなく低いものの、F-3戦闘機でも真っ青の弾幕をなんとか脱出しようとするが、濃すぎてうまくいかない。夕張の目を見る。その目には見覚えがあった。横須賀の街へ買い出しに行った日。あの時見た目とそれは全くの同種であることはすぐに分かる。しかし、あの時の深雪や初雪の目がきらきら光っていたとするならば、今の夕張の目はギラギラビームを放っているようなものだ。前回はうまく誤魔化せたが今回は雰囲気的に不可能だろう。なんとか脱出方法を考えていると、まだ第5遊撃部隊へ行っていないことに気付く。もうお互い顔見知りで今更改まって自己紹介する必要はないのだが、夕張がそれを知っていない可能性の方が大きい。

(これだぁぁぁ!!)

みずづきが自慢の対艦ミサイルを発射しかけたその時、夕張の弾幕がやみ神妙な声でみずづきに話しかける。

 

「あっ、ちなみに第5遊撃部隊へのあいさつは必要ないよね? 仲良しなんだし。というか今の状態じゃ無理だよ」

 

勝ち誇ったかのような笑み。それに氷を背中に押しつけられたかのような悪寒を感じながら、夕張が指さす方向を見る。

 

そこには現実があった。

 

「こ、金剛さん!! 一体どれだけ飲むんですか!? いい加減この私でも限界です!! 今日という今日は、駆逐艦戦艦云々を越えて説教します! 覚悟して下さい!!」

「ふへ~、ブッキーなに怒ってるデスカ。いつものスマイルがみたいデース、フニャ~。そういえばぶっきーこのあいだ、パンツを・・・・」

「ちょ、金剛さん!? いくら酔ってるからってそれはダメぇぇぇぇ」

 

「北上、この間は世話になったな。部下も喜んでいたよ。雷撃戦に関しちゃお前さんたちには敵わないからな。また機会があったら是非」

「ん? あれぐらいで喜んでもらえるなら、お安い御用だよ。考えておくね」

「き、北上さんの隣に殿方が!!! いくら幹部とはいえ許すまじ!!!!」

 

「大体ね、ヒクッ! いつもいつも五航戦五航戦って、なんなのよ! ヒクッ! 五航戦には翔鶴ねぇもいるんだし、少しは瑞鶴って呼んだらどうなのよ、ヒクっ! ねぇ、ちょっと? 聞いてる??」

「聞いてるわ、相変わらず騒々しいわね。瑞鶴って呼んでほしいですって? 何回も呼んでるじゃない。私はかなり気合を入れて呼んでるのに・・・・・・悲しいわ」

「うっそだぁぁ、ヒクっ。私全然覚えてませんよ」

「・・・・・・・・ここに艤装があれば」

 

「よっ、出ました!! 愛ゆえの怒り!! 今は宴会宴会、普段言えないことを言うには今しかないぞ!!」

「来た!? 来たのか瑞加賀がついに!!」

「お前、んなこといって大丈夫かぁぁ。明日から瑞鶴と加賀の顔見れんのか???」

「てめぇ、瑞鶴と加賀じゃない!! 加賀と瑞鶴だ!! これは譲れん! 明日になればみんな記憶飛んでるさ! あははははっ」

「確かにそうだな。だが、お前の加賀優先はどうにも気に食わん。この機に瑞鶴の人柄をじっくり聞かせてやろうじゃないか!」

 

(あっ・・・・・・・もう無理だ。みんな、完全にいってる)

みずづきの表情が絶望に染まる。希望は完全についえた。

 

「さぁ、私との話に戻りましょう!! やっぱり、1970年代でもかなりの技術進歩が・・」

 

みずづきがおとなしくなったことに歓喜しながら、再び大量の砲弾投射を行う夕張。みずづきにはもう弾切れを待つしかないが、果たしてそれはあるのだろうか。

 

それを少し距離を取って見つめる第3水雷戦隊の駆逐艦たち。そこにはみずづきへの同情と共に、誤爆や巻き添えを食らわないか、ひやひやしている緊迫の表情があった。時刻はあと少しで10時になるところ。狂気と正気が複雑に入り乱れる宴の幕引きまで残りわずか。どんちゃん騒ぎになっていた鎮守府の他の場所も少しずつ、夜の世界に飲まれるつつあった。

 




この3話で出てきた艦娘たちが、横須賀鎮守府に所属する全艦娘です。モブみたいに台詞だけが出ていた艦娘たちも、ようやくきちんと出すことが叶いました。(みずづきの関西弁も含めて口調が不安ですが・・・・)

今回は3話連続投稿となりましたが、次回からは週に1話のペースで投稿していこうかと考えています。もしかしたら、週に2話となったり、2週間に1話となったり変動する可能性もありますが、あらかじめご了承下さい。


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26話 動き出す夜

校閲しても誤字が消えない今日のこの頃・・・・・・。


消灯時間を過ぎ、漆黒の夜に相応しい静けさに包まれる鎮守府。昼間は絶えず聞こえる人の声や足音が一切なく、代わりに風と波が今だと言わんばかりに存在感を発揮している。その世界を控えめに照らす月。時々、流れてくる雲により陰るためか、昨日までの神々しさを発揮できずにいるようだ。しかし、雲から顔をのぞかせ、暗闇をほんのり黄金色に染め上げる一瞬はなんとも幻想的だ。それだけ見ると妙な高揚感と相まって、夢の中にいるような錯覚に陥る。だが、あちこちに残っているどんちゃん騒ぎの余韻といまだに胸を温める記憶が、ここは現実であると認識させてくれる。無機質なベンチの感触。時折岸壁に打ち付ける波から発生するひんやりとした空気が体にぶつかる。しかし、ほどよく火照った体にちょうど良い。

 

今、みずづきは海に面する道路のベンチに腰掛け、海を眺めていた。夜勤や残業でいまだに人の気配がする建物はいくつも散見されるが、何の用もないみずづきは本来、消灯時間を過ぎれば例え眠れなくとも布団のなかでもぞもぞしていなければならない。それを鎮守府の将兵・艦娘たちが忠実に守っているが故の静けさだ。みずづきはそれを破ってここにいた。興奮して眠れず気分転換に外の空気を吸おうとしたのも理由だが、それはついでにほかならない。もう1つ、理由がある。広いとはいえ、圧迫感がぬぐえない室内では考えにくいもの。みずづきは1つ重要なことを決定するため、ここに来た。

 

それは状況が分からず、また彼女たちの祖国日本に対する想いを垣間見てその場しのぎ的に(仮)をつけたみずづきの決意。

 

 

 

 

 

 

“2017年以降の歴史は話さない”

 

 

 

 

 

今となっては大勢の前に立たされ緊張の真っ只中にいたとはいえ、これを即断できたことに心底安堵していた。今回ばかりは自分自身を褒めてやりたい。

 

もし、もし・・・何の葛藤もなく、世界の真実を語っていたら、あの場はどうなっていただろうか?

 

「日本は平和です」と答え、ついつい目を奪われてしまうような純粋で美しい笑顔を浮かべていた彼女たちは、一体どのような表情となっていただろうか?

 

「・・・・・・・・・」

 

無意識のうちに震えだした体が、想像しかけた・・・・・いや、思い出させようとしていた思考を無理やり停止に追い込む。

 

今さら、想像するまでもない。

 

悲しみ、後悔、絶望、喪失感など散々見てきて、抱いてきたのだから。

 

他人にそんな感情を抱かせたいと思うほど、みずづきは人間の心を失ってはいなかった。

 

「・・・・・・・ないじゃん」

 

 

1970年以降の歴史をこの世界の人間、そして艦娘たちは知らない。そう、知らないのだ。しかし、みずづきは、みずづきだけは知っている。

 

 

元いた世界とは全く異なるこの世界で唯一、あの地獄と血塗れた過去を。

 

 

国中がアジア・太平洋戦争敗戦時、いやそれよりも破壊し尽くされ、たった6年間で2350万もの尊い命が失われ、御霊を十分に弔ってあげることもできず、来る日も来る日も今日の食べ物に事欠き、風邪・インフルエンザなどの感染症、そして深海棲艦の爆撃に怯える。

 

いつ家族が、友人が、恋人が、消えるかもしれない恐怖を抱く毎日。かつて自分たちの国が世界第三位の経済大国として繁栄を極めていたことなど信じられないほど、困窮した生活。年を経るごとにこれが当たり前と増えていく、死者の数字。日本を覆っている暗く重い閉塞感と絶望感。いくら雲1つないすがすがしい青空が広がろうとて、地上から、人々の心からそれが消えることはなかった。

 

その中で、わずかな希望を糧に、絶望から必死に目を逸らし、血眼になって人々は生きていた。

 

 

今の子供たちは知らないのだ。

 

配給券をもらわずに、列に並ばずに、スーパーや商店、コンビニにいけばいつでも好きな食べ物が手に入れられたことを。

 

航空攻撃警報など意識せずに生活できていたことを。

 

停電や断水など当たり前ではなかったことを。

 

東京や大阪などの大都市に数え切れないほどの人々が暮らしていたことを。

 

・・・・・・・・・・・・人の死が、希有な事象であったことを。

 

 

 

深海棲艦によって引き起こされた地獄。これは現在進行形の地獄だが、深海棲艦が現れる前は平和だったかといえば、否。そこには同じ人間によって作り出された虚しい地獄があった。

 

それの遠因となる大きなターニングポイントが2017年。日本に未曾有の混乱と混沌をまき散らしたあの日、なのだ。

 

 

消したくても決して消せない、残酷な現実がしっかりと焼き付いている記憶を溢れんばかりに抱えている自分。そのような状態で日本が平和だと聞いて彼女たちの安堵した表情と流れる涙を見てしまえば、口など簡単に開かなくなる。

 

「話せるわけ、ないじゃん・・・・・」

 

だから、みずづきはを決めた。後悔と無念、悲劇を乗り越えた彼女たちに。自分を友達と仲間と言ってくれた、そして今でも日本を思ってくれている彼女たちにこれ以上の悲しみを与えないために・・・・・・・・・。

 

 

「私は、嘘をつく」

 

 

人でなしと、間違っていると言われても仕方ない。しかし、人の悲しむ姿を、自分に好意を向けてくれる人の悲しむ姿を、みずづきはもう絶対に見たくないのだ。

 

 

 

“笑顔でいてほしい”

 

 

 

その心は本物で純粋だ。しかし、それでもどうしようもなく不安になる。

 

 

“もし、嘘がばれてしまったら、その時どうするの?”

 

 

この反問がどうしても消えない。

 

「ねぇ、司令官? ・・・・・・あなたなら、どうするんですか?」

 

無意識のうちに出たみずづきの心の声。それは周りの景色と相まって、とても切なげに聞こえる。

 

「私と同じ選択をして認めてくれますか? それとも違う選択をして、私を・・」

 

 

“軽蔑しますか?”

 

 

言いかけてみずづきは止める。知山に言われるのを想像しただけで足元が崩れそうになる。小刻みに震える足。絶対に言ってほしくない、思ってほしくない言葉だったからこそ、みずづきは口を閉じた。だが、ここに知山はいない。みずづきは、その反問と知山への問いを抱えたまま、月を眺める。

 

 

 

 

 

 

「っ!? だ、誰!?」

 

 

 

 

 

 

突然、左方向から聞こえる足音。ベンチから飛ぶように立ち上がり、その方向へ振り向く。闇に目が慣れ1人の人影が確認できるものの、ちょうど街灯の効力範囲外で誰かまでは判別できない。警戒心を高めるが、この間のやらかしがまだ鮮明に残っているため、構えは取らない。ここは、横須賀鎮守府の中。ある意味、みずづきにとってはこの瑞穂で最も安全といっていい場所だ。

 

月を覆っていた雲が晴れ、何度目か分からないが再び闇が照らされる。と同時に、その人影も。みずづきは息を飲む。しかし、相手が放った言葉は緊張感のかけらもないものだった。

 

「なに、あんたも夜戦? 未来から来た艦娘のみずづきさん」

 

そこには、橙色のセーラー服を着て肩近くまで伸びた髪をツーサイドアップにし、夜でも分かる白い歯を見せて笑う少女の姿があった。

 

「・・・・・・・・へ?」

 

素っ頓狂な声を上げると、みずづきは幻覚ではないかと自分の目をこする。しかし、姿が見える。次は夢かと思いほほをつねるが、痛みはある。

 

「しっつれいだね、私は幽霊とかそういう類いじゃないよ。れっきとした艦娘」

 

こういう反応になれているのか、少女は「あはぁ~」と悩ましさが感じられるため息をつく。どうやら、実体がある存在らしい。一安心だ。

 

「す、すいません。こんな夜中に人と会うとは全く思ってなくて」

 

頭を書き弁解しながら「あなたは誰ですか?」という問いを発しかけて、止める。みずづきは今日とある1人の艦娘を除いて、現在横須賀鎮守府に在籍する艦娘とは全員会ったのだ。会っていない艦娘は、白雪・初雪・深雪・陽炎・黒潮の駆逐艦5人が所属する第3水雷戦隊の旗艦。名前は・・・・・。

 

「もしかして、川内さんですか?」

 

思いもよらぬ言葉に川内は目を見開くが、それも一瞬のこと。すぐさま活発気な笑顔を浮かべ感心したふうにみずづきを見る。

 

「ご名答! 私が第3水雷戦隊の旗艦、川内型軽巡洋艦1番艦の川内さ。その分だと駆逐艦たちとはしっかり話せたようだね」

「はい。みんないい子たちばかりで・・」

「でしょう? ちょっとうるさすぎるところもあるけど、あの元気さは夜戦で疲れた心に効くんだよね~」

 

どんな艦娘か少し不安があったことも事実だが、こうして少し話しただけでも彼女がほかの艦娘たちと同じく仲間想いの優しい艦娘であることが明確に伝わってくる。その笑顔はどこか大人びていて年長ぽっさを感じさせる。艦隊のなかでかお姉ちゃんの立ち位置ではないだろうか。

 

「仲良くなってくれたみたいでありがとう。そんで、ごめんね。途中で抜け出しちゃって」

「と、とんでもないですっ!!」

「どうしても夜になると血が騒いで、夜戦したくなるんだよね~」

 

申し訳なく思っていることをアピールするためか、声のトーンを落とす。しかし、表情は生き生きとしていて反省の色はまるでない。そこからは本心が丸見えなのだが本人は全く気付いていない。「顔に出てますよ~」と言ってあげたいが、その可愛らしさについ苦笑してしまう。

 

「でも、消灯時間すぎてるのになんでここにいるの?」

 

そっくりそのまま言葉を返したいが、その悪気がない顔を見ると言っても無駄と感じ、自分がここいる理由をオブラートに包んで言う。

 

「少し考え事がありまして・・。狭い室内だと考えずらかったので、開放感あふれる環境ならと出てきたんです」

「なるほどね。夜の鎮守府もなかなかいいんだよね。誰も邪魔するやつはいないし、晴れてればきれいな星空を満喫できるし」

 

川内はみずづきの答えに深く踏み込まず、視線を海に向ける。月の姿がゆらゆらと静かに波打つ海面に映り、月の光がそこに反射し四方八方に淡い黄金色に輝いている。と、ここで川内が「あっ」と思い出したかのような声をあげる。みずづきに振り返ると、さきほどまでの作為的なものではなく本物の苦笑を浮かべる。

 

「あのさ、みずづき。長門さんなんか言ってなかった?」

「“許さん”っておっしゃってましたよ」

「・・・うわぁ~、最悪だよ。明日会うのが怖いな。そうと知ればこうしちゃおられない。明日や明後日の分も今のうちにしておこうかな!」

 

みずづきの言葉に一瞬絶望をのぞかせた川内であったがすぐに立ち直ると、どういうわけかさらにテンションをあげ、走ってみずづきから遠ざかっていく。突然のことに対応できず固まったまま彼女を見送ることしかできない。

 

「みずづき~」

 

少し行ったところで立ち止まった川内は結った髪と制服のスカートをたなびかせて振り返る。街灯のわずかな光と月光がその姿に反射し、現実離れした美しさを創り出す。彼女は自身がそうなっていることには気付かず、まるで妹を諭すような優しい笑顔で、みずづきを見つめる。

 

「悩み事があるんなら、誰かに話したほうが楽になるよ。・・・・じゃあね!」

 

驚きのあまり硬直する体。そういって手をあげると川内はみずづきの視界から走り去る。予期していなかった言葉に体だけでなく心もとまる。だが、その衝撃は海由来の冷たい風より断然、不思議と温かかった。

 

 

 

~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

 

ペンの走る音とこの部屋の主の息遣いのみが聞こえる室内。時折紙をめくる音も聞こえるが、それは持続的ではないためすぐに静寂の中へ溶けていく。時刻はもうすぐ日付が変わろうとする時間帯。筆端がソファーに座って笑っていればあの日と瓜二つの状態だ。しかし、あの日とは違う状況がもう一つ生まれていた。執務机の上。そこに1つ、鉄製の機能性だけを追求したようなデザイン性のかけらもない水筒が置かれ、中を半分ほど満たしていた。この部屋に持ち込まれたときは満杯だったのだが、持ち込んだ張本人によってかなりのハイペースで量を減らしていた。

 

「・・・・・う゛っ。・・・・ちょっと、はめをはずし、すぎたな。気持ち悪い・・・・・・」

 

青い顔で、額に浮かんだ汗を拭う主。まだ酔いが完全に残っているようで時々視界が霞んだりするが、それでもペンは動き続ける。つい先ほど終了したみずづきの歓迎会。結果は大成功で、みずづきを含めた全員が歓迎会を楽しんでくれたようだ。企画した側としては大いに喜ばしい限りである。だが、その中に進行役である自身までもが入ってしまったことがこうして吐き気を意地で押さえながらの徹夜残業につながっていた。百石はなにも最後まで酒飲みオヤジと化していたわけではない。酔ってはいたが、一部の部下や艦娘たちのように人格が崩壊したり記憶が飛ぶところまでは飲んでおらず、明瞭に意識は保っていた。しかし、雰囲気に飲まれハイテンションになったのが最後、いざ平常心に帰ってみればあらかじめ抜けようと思っていた時間を大幅に超過していた。また、抜けようとしても完全にできあがっていた筆端やらの目からそう簡単に逃れられず、さらに時間がかかってしまうっというありきたりな結果となったのだ。

 

加えて、講堂を後にする直前に見た信頼する秘書艦長門の姿が、アルコールと共に百石の心身に大きな打撃を与えていた。第6水雷戦隊や第3水雷戦隊所属の艦娘たちと微笑む長門。純粋な笑みで思わず見とれてしまうほど美しかったが百石を目に入れた瞬間、それは絶対零度となり百石の心は一気に季節を飛び越え冬を迎えてしまった。彼女は・・・・・・・・完全に怒っていた。

 

「はぁ~」

 

明日からのことを思うとため息が出てしまう。増え続ける仕事に、どう長門をなだめるかというこれまた死活的な命題。これ以上暴走していた体に負担をかけないようネガティブ思考を断ち切ろうと水筒に手を伸ばす。だが、数秒先に得られるであろう清涼な感覚は数秒経っても喉に訪れることはなかった。鳴り響く黒電話の着信音。

 

 

 

 

ジリリリリリリリィリリリリリリリリリィリリリリリリィ!!!!!

 

 

 

 

それを聞いた瞬間、百石はきりきりと痛み出した胃のおかげで漫才師顔負けの素晴らしい、嫌そうな顔を作りだす。アルコールによるものでないことは明らかだ。強烈な既視感。百石は時計を確認する。日付を少し過ぎたところ。くしくもあの日と全く同じというわけではないが、同じような時間帯だ。こんな非常識な時間にかけてくる相手など、百石の知っている人物には1人しかいない。大きなため息をはき、やりきれない表情を浮かべると百石はけだるげな手つきで受話器をあげる。来るであろう聞きたくもない罵声を覚悟して。

 

 

 

 

 

 

「もしもし・・・・・・」

 

 

 

 

 

しかし、恐れたそれは一切なかった。聞こえてくる冷静さの中に確固たる熱い信念を感じさせる頼もしい声。

 

「もしもし私だ。こんな夜更けにすまないな。今、時間は大丈夫か?」

 

相手への気遣いを忘れない礼儀正しさ。本来はこれが常識人として当たり前のマナーなのだが、御手洗との通話を経たあとでは感動に近い感傷を抱いてしまう。しかし、天地がひっくり返ってもあり得えないが、もし電話の先にいる人物が御手洗ほどではないにしろ百石を見下すような言い方をしても、百石はやむなしと受け入れるだろう。電話先にいる人物の正体を知った瞬間、目の前に誰もいないはずなのに背筋を伸ばす。酔いはすっかりさめてしまった。

 

「ま、的場総長!! 百石です。 はい、今ちょうど書類を書いていたところでしたので、時間の方はお気遣いなく」

「おう。こんな時間まで残業とは感心感心っと言いたいところだが、今日そっちで例の艦娘の歓迎会をやったことは耳にしている。大方、それのせいで、こんな時間までいまいましい書類とにらめっこする羽目になったんだろ? 君は変わらないな、あははっ」

 

電話の相手、瑞穂海軍の最高司令部たる軍令部。そのトップであり、百石・筆端も参加している艦娘擁護派の中心的存在「爽風会」会長の的場康弘大将は、百石よりもはるかに多忙な毎日を送っているにも関わらず、疲れを一切感じない爽やかな笑い声をこぼず。全てを見透かされた百石はこの人には敵わない、という風に首に手を当てる。

 

「全くそのとおりであります。やはり的場総長には敵いませんな」

「何年生きてきたと思っている。君も私ぐらいの年になれば、これぐらいの観察眼は身につくさ」

 

柔らかい声。これだけを聞いていればとても海軍のトップ、新兵ならば卒倒確実の人物との会話とは到底思えない。まるで恩師と弟子のような会話だ。その表現も間違っていないのだが、的場の身じろぎを電話越しに感じた瞬間、場の雰囲気が一変する。百石も頭を軍人モードに切り変える。

 

「今日連絡したのは2つ、伝えたいことがあったからだ。まず1つ目だが・・先日の件についてだ」

 

若干苦しそうな声。百石はその口調で先日の件が何を示すのか察する。

 

「本当は面と向かって言いたいのだが、電話越しの無礼を許してくれ。御手洗の件は私にも監督不行き届きの責任がある。軍令部総長として、また爽風会会長として、お詫びも申し上げる。誠にすまなかった」

「ちょっ!?」

 

電話越しでも分かる的場の強い想い。だが、まさか軍令部トップの的場が敵対陣営のリーダー格である御手洗の失態について自身に向けて謝罪するとは全く思わず、新兵のように動揺する。

 

「いや、いえいえいえいえ!! 的場総長が謝られることではありませんよ! あれは完全に御手洗中将の独断専行。的場総長には何の責任も・・・」

「あいつが君に、そしてみずづき、艦娘たちに対して言ったことは、君の報告書と御手洗を聴取した憲兵隊からの情報で把握している。あいつはあれだけのことを言った、言ってしまったのだ。もうあいつ個人の問題ではない、海軍全体の問題だ。瑞穂海軍のトップに立つものとしての謝罪は当然だよ。そして個人としても大変申し訳なく思っている。私がきちんとあいつの指導をしていれば、こんなことには・・・・」

「総長・・・・」

「艦娘たち、そしてみずづきには大変つらい思いをさせてしまった。この償いはいつか必ず行う。私の言葉を聞きたくもないかもしれないが、一応私がこういっていたと伝えてくれないか?」

 

そこには有無を言わさぬ、海軍トップとしての覚悟があった。それを感じてじまっては異議を唱える百石もなにも言えない。

 

「分かりました。的場総長のお言葉、しかりと艦娘たちに伝えます。私の部下を気遣っていただき誠にありが・・」

「それは私がいうセリフだよ。ありがとう百石。しかと頼む」

「はっ!!」

 

百石は力強くうなずく。誰にでも分け隔てなく発する感謝の気持ち。百石の言葉を遮ってでも発するのだから、それは偽物ではなく正真正銘の本心だ。

 

「うむ。御手洗の処分ついては数日中に結論が出ることになっている。結果が出次第、横須賀にはすぐに通達する。将兵たちや艦娘たちも気になっていることだろうしな」

「ですが、中将は問題をおこすたびに排斥派や自身の人脈を総動員して、処分を回避してきました。今回もまともな処分が下せないのでは?」

 

百石は心の中に湧きあがった確固たる疑問を口にする。百石が入隊したときから悪評名高い御手洗。そこには起こした行動のみならず、それによる処分を徹底的に手段を選ばず回避してきた事実も含まれている。

 

「今回は特別だよ。例の報告書は既に擁護派・排斥派双方を構成する士官たちに出回り始めている。私たちの爽風会を含めて、擁護派の怒りは尋常じゃないほど高まっている。排斥派の方もさすがにこれはやり過ぎという声が穏健派を中心に上がり始めていてな。排斥派も外だけならまだしも内側からも疑問視する声が出ている以上、安易に動けば派閥存亡の危機だ。裏に支持母体を抱えていることもあるしな。例え処罰されるのが御手洗であったとしても、後援者は排斥派の安定を望む。それに今回はこれまでと異なり御手洗自身があまり動いていないんだ」

「えっ!? そ、それはどういう」

「詳しくは分からないが、何かがあったんだろうあいつの中で。まぁ、こちらとしては好都合だ。少し懲らしめてやらないとな。・・・・・・・・あいつのためにも」

「ん? 総長、失礼ですが今なんと?」

 

最後に小さく、本当に小さく呟くように的場は言う。さすがにそれほど小さい声は電話では伝わらず、霞がかった言葉に聞こえてしまう。それを聞き逃した百石は、その声が深い感傷を抱いているようなものに感じ確認を取るが、聞こえるのは爽やかな声のみ。

 

「いや、なんでもない、年寄りの独り言だ。気にしないでくれ。時間帯が時間帯であるから、2つ目に入るが・・・・・、横須賀鎮守府は今から1週間後に相模湾で大規模な演習を予定しているだろう?」

 

一瞬空いた間。心なしか的場の声のトーンが下がったようにも聞こえる。それに疑問を感じつつも百石は事実を伝える。

 

「はい。そうでありますが・・」

 

数か月前に行われた多温諸島奪還作戦。それは東京の官僚どもによる誤算で資源供給が大混乱に陥っていることを除けば、大成功に終わった。時々侵入されることはあるものの伊豆諸島から多温諸島にいたる第2次列島線を軸とした防衛網整備が着実に進展し、いまや西太平洋の制海・制空権は完全に瑞穂のものとなりつつあった。これを受け国防省は政府が目指す長期的な国家戦略に基づき、次なる作戦の準備に着手。その結果、軍、特に海軍の艦娘部隊は大規模な組織改編を行っている。それは横須賀鎮守府も例外ではなく、現在所属する艦隊の全てが奪還作戦後に編成された、いわば未熟艦隊である。しかし、彼女たちはもともとそれなりに実戦経験があるため、新たな環境・仲間への適応は早く、第5遊撃部隊をはじめ既に現在の艦隊で戦闘を行い、結果を出している部隊もある。そこで百石は彼女たちのさらなる練度向上を目指し、艦娘たちの演習を行うことにした。だから、普段ならめったにない、横須賀鎮守府に所属する全艦娘たちが一堂に会する機会を実現できているのだ。。

 

後は、演習日までそれぞれの部隊が各々の方法で演習に備えるのみだったのだが、そこに台風の目が出現した。

 

みずづきである。正直、百石も次から次へと起こる問題の処理に忙殺され、挙句の果てに御手洗がご訪問されたため、この演習のことを一時期すっかり忘れていた。しかし、それは一時的にすぎずみずづきを巡る問題がひと段落し、演習は予定通り実施されることになっていた。

 

百石は的場の変化の理由を考えているうちに、ある1人の艦娘が頭に思い浮かぶ。「もしや」と思い立った瞬間、その答え合わせが的場の口から行われる。

 

「君もいろいろ考えているとは思うのだが・・・・みずづきを演習に参加されてくれないだろうか?」

 

百石は驚くことなく、冷静にその言葉を受け取る。一回深く深呼吸すると、ゆっくりと息を吐き出す。

 

「・・・・・・理由をお聞かせいただいても?」

「何故、か・・・。君が彼女のことでいろいろ段取りを組んでいることは承知している。これは横須賀鎮守府主催の演習だ。我々軍令部が主導していない以上、口を出す権限がないことも理解している。だが・・・・・・・私も伊豆諸島沖での戦闘報告書を読んだ」

 

戦闘報告書。この言葉を聞いた瞬間、みずづきの戦果に頭痛を覚えていた自分を思い出す。そして、それは海軍軍人どころか陸軍軍人であろうと官僚であろうと、国防の知識を有する者ならだれでも共通の反応だ。的場や軍令部の幹部がこれを見て、あまりの衝撃に乾いた笑みを浮かべている姿を想像するとつい笑みがこぼれてしまう。的場もさぞ笑ったことだろう。

 

「君や第5遊撃部隊の艦娘たちを疑っているわけではないのだが、どうにも信じられなくてな。私ですら、こうなのだ。軍令部内では君に対する懐疑的な見方、そしてみずづきに対する形のない警戒感が広がっている。私もいろいろ手を打っているのだが、君たちから見れば私も疑念を抱いている連中と同じ穴のむじなだ。もし、もし彼女が本当に一個機動部隊を無傷で殲滅する力があるのなら、それは・・・君もわかるだろ?」

 

百石は言葉にしないものの、ゆっくりと頷く。それを感じ取ったのか的場も力を抜くようにゆっくりと息を吐く。

 

「彼女は、我々の、瑞穂の切り札になる。艦娘であり1人の人間である以上、無敵ではないだろうが、戦局に与える影響は極めて大きい。そんな彼女との関係悪化は、軍の問題に関わらず、瑞穂の国益に直結する。だから、御手洗のような事件が起きる前に、彼女の力を知らしめておきたいのだよ。理由を聞くなどと言ってるが、もともと君もみずづきを演習に参加させる気だったのだろう? 情報の漏洩を防ぐために走り回ったようだからな」

 

不敵に笑う的場。

 

「いやはや、全くその通りであります、的場総長。みずづきの戦闘力に関しては当事者、第5遊撃部隊以外には艦娘、大半の将兵には伝えていません。特に艦娘たちはみずづきの出現に動揺しておりましたので、ここで我々でも信じられないような情報を与えるのは得策でないと判断しました」

「歓迎会を経て機は熟した、か」

「はい。演習ではみずづきの力を思う存分発揮してもらいます。軍令部の方々と同様に艦娘たちにも知らしめなければいけませんからね。中途半端ではなく、全力で。艦娘たちは顔面蒼白でしょうが」

 

艦娘たちの表情を想像し、つい苦笑をこぼす

 

「確かにな。それでみずづきは演習に参加してくれるのか? それが今回の一番の懸念材料だが」

「彼女なら確実に参加してくれるでしょう。我々と同じ軍人で理由を話せば納得してくれると思います。もし断られても、説得して見せます!!」

 

電話越しでも分かる百石の気迫。的場は羨望の想いを抱えつつ、声を上げて笑う。そこにさきほどの暗さは微塵も残っていない。

 

「はははははっ。若いってのはいいな。私も君のような時代があったのだが、時間の流れというものは悲しい。だが、同時に感謝の念も抱く。ここまで生きてきたからこそ、我々の常識を打ち破る、本来見ることが叶わなかったものをこの目で見られるのだから」

 

儚げな雰囲気が電話越しに漂ってくる。的場ほど人間が言うと、百石たちが言うのとは比べ物にならない深みと風情がでるから不思議だ。しかし、失礼なのだろうがそれに百石は違和感を覚える。なにかとんでもないことを言ったような気がするのだ。

 

「あ、あの・・的場総長? 今のお言葉は、いかにもご自身の目で演習を見られるかのようなものだったのですか・・」

 

的場の優しい声が悪魔の囁きのように聞こえ、機会的な苦笑を張り付る百石。酔いが完全に醒め気分の悪さがなくなったと言うのに、冷や汗が出てくる。加えて、なぜか胃がきりきりと痛んでくる。本当になぜだろう。

 

「何を言っているんだ百石。とやかく言っている連中を説得し、こちらへ引き込むにはトップたる私が動かずしてどうする」

 

さも当たり前のように的場は意地の悪い笑い声をあげる。ショックで百石は机に頭を打ちつけそうになる。だが、彼の胃痛はこれだけにとどまらない。

 

「あと、視察するのは私一人だけじゃないぞ」

「ま、まぁ、そうですよね。あはははっ」

 

乾いた笑み。的場は軍令部総長、そして爽風会の会長でありその多忙ぶりは凄まじい。そのため仕事の負担を少しでも緩和させるため、秘書が何人かついているのだ。また、爽風会は艦娘擁護派の筆頭派閥であり、艦娘排斥派との仲は百石と御手洗を見てのとおり険悪だ。一部には人の命を顧みず、自己の主張を叶えようとする強硬派もいる。そのような状態では海軍のボディーガードがつくのも必然だ。だから、百石は自分の都合のいいように彼らが来るのであろうと勝手に予測する。しかし、それは儚い幻想であった。

 

「先ほどの会議でこれを話したら、みな童心に帰ったかのように目を輝かせて俺も私もの大騒乱になってな。そっちの受け入れ態勢の問題もあるから2桁はいかないよう努力するがこの様子だと8人近くは私に同行することになるんじゃだろうか」

「な、なんですと!?」

 

驚愕の声を上げ、百石は思わず受話器を持ったまま椅子から立ち上げる。直後、体の急機動に耐えられなかったのか、胃が痛みという名の自己主張を始める。だが、それを感じる余裕は今の百石にはなかった。

 

 

会議。

 

 

的場の発した一単語が頭の中をぐるぐると回転する。それはおそらく軍令部、そして海軍のあらゆる方針を最終的に決定している統括会議のことだろう。それは海軍の方針を決めるだけあり海軍内で最上位の会議。出席委員もそうそうたるメンツで、的場は例外としても鎮守府最高司令官の百石ですら緊張で声が裏返ってしまう強者たちばかりだ。その人たちが喜々として横須賀鎮守府に、ここに来ると言っているのだ。百石は自分がへこへこと彼らに頭を下げ、冷させをかいている姿を思い浮かべると倒れそうになる。

 

「やっぱり、若いってのはいいな。声のハリから違う。メンバーは御手洗の処分結果と同じく、後日通達するがそちらのこともあるから、出来るだけ早くに行うつもりだ。そう固くならずにどっしりと構えていればいいさ、みないいやつばかりだからな。がははははっ!!!!」

 

百石の絶望を糧に深夜とは思えない豪快さで的場は笑う。子供のような歓喜に頭を抱え、まんまとしてやられた百石は、来るべき日を想像し大きなため息をつく。机上に目を向けると書いている途中の書類が、机を転げまわったペンによって修復不能のダメージを追っていた。おそらく百石が驚きのあまり椅子から立ち上がったときの衝撃で動いたのだろう。非情な現実に百石はもう1度大きなため息をつくのであった。




久しぶりの新キャラ登場です。“新キャラ”という表現が的確かどうか分からないですが・・・。

ここで1つお詫びです。
先週投稿した話の中で、摩耶の1人称が間違っていました。「俺」となっていましたが、正しくは「あたし」です。(既に訂正済みです)

前回投稿分の誤字をご指摘くださった皆様、大変ありがとうございます。

筆者本人の中で深雪あたりとごちゃまぜになってました。お恥ずかしい限りです。



・・・・・・・なんで毎回気付かないのだろうか(涙)


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27話 補給・整備 前編

横須賀鎮守府 第6宿直室

 

 

星と月、そして闇が支配する世界に終わりを感じさせるように、ゆっくりと空が白みはじめ東の空が茜色に染まりだす。波と風の音しか聞こえなかった世界に、鳥たちの鳴き声や人の息遣い、自動車の駆動音など生き物・機械双方の存在が混じりだす。暁から曙へいつも通り変化する現実。水平線から顔を覗かせた太陽は、横須賀を、鎮守府を照らしていく。それは少しばかり夜更かしをし、かけ布団を蹴飛ばして爆睡しているみずづきのいる第6宿直室も例外ではない。だが、昨日の疲れが相当溜まっているのか、窓から差し込む日光を浴びても反応はない。それどころか先日長門から受け取った艦娘たちの寝間着、薄いピンク色をした作務衣のような服の上から気持ちよさげにおなかをかいていたりする。見るからに睡眠を堪能しているが、そんなみずづきにも昨日までと同じように、不偏の旋律が訪れた。

 

現在の時刻、0600。起床ラッパの軽やかでそして力強い音色が、みずづきの脳を盛大にノックする。この世界に来た次の日と異なり、みずづきは欲望のままに手で耳を塞ぐ。が、それではまずいと思った本能がみずづきの意識を覚醒へと導く。ゆっくりと嫌そうにまぶたを持ち上げるみずづき。

 

「あ、朝~。眠い・・・・・」

 

再び落ちそうになる瞼、しかし、それは自分の存在に関心を持たれなかった太陽の容赦ない光によって妨げられる。容易に瞼を通過し、瞳に達する光にみずづきは遂に降伏した。

 

「はぁ~~~ん」

 

欲があくびを出して悪魔の誘いを行っているが、それに構わず起き上がり背筋を伸ばす。眠たい目をこすりつつ、今まで通り顔を洗い制服に着替える。何気なしに視線を移動させると窓から差し込む日光が当たらず、少し本来よりも塗装を濃くしている玄関口のドアが目に入る。ドアの鍵は閉まっているが、そこに今までの圧迫感はない。そして、みずづきはこの世界に来てからの「いつも通り」を破り、ドアへ足を向ける。もう、長門が朝食を運ぶ必要もなければ、それを待つ必要もない。朝食は本来、食堂で食べるものだ。ここでは、昨日突然連れていかれたあそこだ。みずづきは施錠を解きドアノブを回す。

 

“もう君は仲間なんだから、行動制限はなしだ。だから、改めて言わせてもらう。ようこそ、横須賀鎮守府へ”

 

昨日かけられた言葉。それを胸に抱きつつ、ドアをゆっくりと開ける。キーンという独特の音を立てながら、外界との薄く分厚い壁が開かれる。ドアの重みはこれまでよりも軽い感じがした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

食堂

 

いつも通りの賑わいを見せる室内。配食口にある朝食は目にも留まらぬ速さで、朝食の受けとりを行列にならんで待っていた将兵、艦娘たちのお盆の上へ運ばれていく。それだけも見れば「いつも通り」という表現が正しいが艦娘・将兵たち1人ひとりの顔を覗くと、大半はいつも通りだったがそこに非日常を抱えている者も相当数見受けられた。気分が悪いのか、無表情の者、顔面蒼白の者、苦しそうに顔をしかめている者、寝不足が祟ったのか隈を作っている者。昨日のどんちゃん騒ぎの余韻が、半日経った今も色濃く残っている。

 

「うわぁ~、昨日にもましてすごい人・・・・。須崎基地とは大違い。並ばないといけないなんて・・・・」

 

人の多さに圧倒されつつ、日本・瑞穂問わず大きな基地に務める人間を敵に回しかねない発言。須崎基地では人員が少ないこともあり、それに比例して食堂も小さかったが配食を並んで待つ、という事態は一度も経験したことがなかった。

 

「なに言ってんのよ、いつもこんな感じ。ここは日本と変わらず有名な横須賀鎮守府よ。今日は昨日のせいでガタついてる人が多いからあれだけど、あのせわしさっていったらすごいものよ」

 

食堂の雰囲気に思わず身を固くするみずづきの隣。橙色の髪の毛をツインテールにした活発気な女の子があきれた声を出す。

 

「うちらがちょいと遅かったからピークはこれでも過ぎとるんやで。多い時は座る椅子すらのうなるから」

「ほ、ほんと・・・。こんなに席がたくさんあるのに」

 

関西弁を話す黒髪の女の子が唸り声をあげるみずづきに同情を含んだ笑顔を見せる。だが、少しだけみずづきの口調が標準語へ戻ってしまったことに不満を抱いていのか、悲しげだ。

 

「それより一緒にさせてもらって、本当に良かったの?」

 

みずづきたちの優に2倍の背丈はあろうかという筋肉質の屈強な男たちの後ろに3人は並ぶ。そして、すぐに3人の後ろにも前ほどではないががっしりとし、太陽によって黒く焼けた肌を持ついかにも軍人らしい男女混合の集団が列を作る。前後双方の将兵ともみずづきたちの存在には気付いているが、もはや彼女が風景の一部というように特段の反応を示さない。それは机で食事をとったり、食器返却や列に並ぶためみずづきの横を駆け抜けていく将兵たちも同様だ。今までハレモノ扱いされていたとは全く想像できない日常への融合に、みずづきは戸惑いと、そして嬉しさを感じる。

 

「なに無粋なこというとるんや!! 途中でばったり会ったのも何かの縁やし、気にせんでええって!」

 

黒潮は少し表情を曇らせるみずづきの肩をバシバシと叩く。少し痛いが笑顔の黒潮を見てしまえば、それは嫌な痛みではない。宿直室を出て1号舎から黒潮たちに出会うまで、記憶の中にある食堂を思い出し、そこに1人で乗り込まなければいけない状況に足がすくんでいた。だから、黒潮・陽炎いう2人の強力な援軍と会えてみずづきも非常に嬉しいのだが、艦娘たちの行動パターンや交友関係を知らない以上、邪魔になったのではないかと気になってしまうのだ。

 

「黒潮の言う通りよ。私たち、その・・・・と、友達なんだし・・・・だからそういう気遣いはいらない。2人より3人のほうがご飯も美味しいし!」

「おおおっ!! 陽炎が久しぶりにええことゆうとるわ~」

「久しぶりってどういうこと!? ちょっと、黒潮!!」

 

心へ染み渡る言葉。それに目の前の微笑ましい光景と相まってつい笑顔をこぼしてしまう。まるで、あの頃に戻ったかのようだ。

 

「ありがとうね、2人とも。で、ずっと不思議に思ってたんだけど、白雪たちは一緒じゃないの? あと川内さんも。てっきり、同じ部隊だからご飯も一緒かと」

 

みずづきは陽炎と黒潮の隣を見る。そこにはおしとやかな白雪も、けだるげな初雪も、元気ハツラツな深雪も、夜戦大好き川内もいない。ここにはみずづきもいれて3人しかいない。

 

「初雪が素直に起きんときはいつもこんな感じなんや。あの初雪を起こすのはなかなかに難儀でな。さすがに姉妹を置いては行きづらいみたいで、白雪と深雪は今も壮絶な戦いをしとるんやがな」

「川内さんがいないのもいつも通りよ。今も絶賛爆睡中。理由は・・」

「夜戦で夜更かししてるから、ですか」

 

みずづきの思わぬ言葉に、陽炎は渾身の発言を妨害され目を丸くする。だが、考えてみればみずづきでも川内が起きてこない理由は当てられる。昨日の歓迎会では、川内はいなかったものの、自分たちの説明には彼女の語るうえで欠かせない「夜戦バカ」要素を多分に含んでいた。夜戦が睡眠不足を招くのは常識の範囲だ。

 

「さ、さすがみずづき、頭がいいわね。川内さんが夜戦好きっていう私たちの言葉から、結論を導き出すなんて」

 

陽炎は動揺を必死に抑えながら、足を進める。屈強な男たちがお盆を手に次々と並べられていく朝食の入ったお皿を凄まじい速さで取っていく。次は陽炎たちの番だ。

 

「いやいや、そんなことないよ。ただ、昨日の夜なかなか寝付けなくて、外で海を眺めてたら川内さんに偶然お会いして。結構遅い時間で夜戦だぁぁ!!って言われてたから睡魔に敗北したのかなっと」

 

苦笑を浮かべながら、みずづきは陽炎たちと同じく慣れた手つきで朝食をお盆に乗せていく。あまり手こずると後ろに並んでいる人たちの迷惑になるため、手際よく行わなければならない。問題の朝食だが、どれも日本ではめったに口にできないものばかりだ。涎が出そうになるのを必死に抑える。

 

「なんや、川内さんともう会ってたんかいな。それなら察しがつくのも納得やな。・・・・・にしてもみずづき、まるで昔からここにいたような手つきやな。内心、教えてあげんなアカンなっと思っとったのに」

「実はこの方式、海上国防軍と全く同じなんだよね。昨日、食堂に来たときはもしやと思ったけど」

 

みずづきはお皿で埋め尽くされたお盆と、今まさに将兵たちがお盆をお皿で満杯にしている配食口を見る。

 

「そういうところは、世界と時代が違っても同じなのね」

 

感慨深げな陽炎。それは2人も抱いている思いだ。手近な席につき、落ち着いたところで改めて朝食を見る。わかめの味噌汁に、白ご飯、アスパラガスの胡麻和え、4分の1カットのオレンジ。そしてお盆の中央で強烈な存在感を放つ鶏カツのタルタルソースかけ。ここだけ見れば、夕食かと勘違いしてしまいそうなほどボリュームとカロリー満点だ。

 

「今日もまたすごいなぁ・・・。みずづき、これからどうするん?」

 

朝食に目をくぎ付けにしていたみずづきは、黒潮の言葉にはっとなり急いで顔をあげる。2人は特段の反応を示さない。それにみずづきは安堵する。

 

「百石司令から提督室に来るようにって言われてるんだよね。補給と艤装の整備について、つめたいって」

 

黒潮に顔を向けつつ、ちらっと下に目がいってしまう。鼻腔をくすぐり胃を刺激するいい匂いが、絶えず上昇してくる。

 

「ふーん。ここにいるって決めた後は、さっそく現実的な問題の処理か~」

「世知辛いなぁ~。まぁ、さっさと食べようか。誰かさんは待ちきれんようやし」

 

その言葉に一瞬、時が止まる。ニヤニヤと笑う陽炎型2人。みずづきの希望に輝く心は全てお見通しだったようだ。その事実を理解した瞬間、みずづきは顔を真っ赤に染めるのだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

1号舎 正面入り口

 

ほんの少しだけ日が高くなったころ合いのためか、朝のせわしさがひと段落。低い階段から車が横付けできるスペースを越えて庁舎に入る士官たちや左右に設置されているスロープを使い、入り口に横づけする車は見られない。だが、庁舎内が人で満ちていることは窓やいかにも高価そうな木製扉が開きぱなっしの入り口から容易に見て取れる。今までは宿直室に籠っていて分からなかったが、ここ瑞穂海軍も海防軍と同様に大半の人間は勤務開始時間よりも圧倒的に早く出勤しているようだ。陽炎たちと別れた後、百石の連絡通り提督室に足を運ぶため、ここにやってきたみずづき。自由に外出できるようになった感傷に浸りながら1号舎全体をくまなく見渡せる位置に来たとき、正面からみて右側。自動車進入用のスロープの手前部分に昨夜見た特徴的な人影を発見する。彼女が昨日通りなら、みずづきの手をあげ気兼ねなく声をかけただろう。しかし、みずづきは彼女を見かけた瞬間、足を止めてその異様な姿を凝視してしまう。その視線に気づいた彼女は「やぁ、みずづき・・・・おはよう」と声をかけるが、その後に「あははははっ・・・・・」と小鳥の鳴き声にさえ完敗しそうな苦笑を漏らす。

 

「ど、どうされたんですか・・・・? それ」

 

少し戸惑い気味に声をかける。状況が全く理解できない。

 

「これ?」

 

彼女は両手にもっているブツの内、右手のものを掲げる。あまり急機動を取ると中身がこぼれてしまうので慎重に、だ。掲げる手が小刻みに震えだす。それだけでブツの重さが察せられた。

 

「あんたがらみもこれには含まれてる・・・」

「あぁ~。昨日の夜、おしゃってましたね・・・・・。つまり・・・」

 

みずづきはブツを持たされている理由が分かり、ご愁傷様ですと手を合わせる。それにただただ苦笑の彼女。

 

「歓迎会をほっぽりだした罰ってわけ。朝からいつも以上に長門が不機嫌なもんだから、そりゃもう怖いのなんのって」

 

第三水雷戦隊旗艦川内は両手にバケツを持たされたまま、ついさきほどの恐怖を思い出し歓迎会時、夕張に拿捕されたみずづきのように体を震わす。いつも以上に不機嫌な理由を知っているみずづきは複雑そうにほほをかくしかない。徐々に提督室へ行くのが億劫になってきた。おそらくかの地は、極寒となっているであろう。

 

「はぁ~。んで、提督室に用?」

「はい。百石司令から来るように言われてるんですよ」

「そう・・・・・・。なら、私は何も言わない。みずづき・・・」

 

まっすぐとみずづきを見据える川内。昨日のように自由でところどころに活発さを感じる姿なら様になるのだが、両手に遅刻した小学生のような罰を受けている姿ではどうしても威厳に欠ける。声だけはそれを帯びているのだが・・・・・。

 

「頑張って」

 

それだけでなにもかもを察してしまう。自身の予測は完璧だったようだ。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

川内の警告。自身の正確な、発揮場所を間違えている予測。それがあったからこそ少し動揺するだけで済んでいるが、ここに心構えなしで訪れたら精神的にきついだろう。いや、きつい。みずづきは今、執務机の前に立っている。だがそこから見える光景は別次元のものだった。横須賀鎮守府最高司令官であり、この部屋の主たる百石が冗談ではなく見えない。確かに声は聞こえるしペンの疾走音しかりで、気配もきちんと捉えられる。だが、姿が見えないのだ。

 

「あ、あの、百石司令。この冗談みたいな書類の山はなんですか?」

 

おそるおそる尋ねる。執務机を覆い尽くし座っているであろう百石の姿が完全に見えなくなるまで高く積まれた書類たち。漫画のように並行世界へとやってきたが、それだけにとどまらず漫画のような書類の山を見ることになろうとは、人生何が起こるのか分からない。知山も書類の処理に忙殺されることがあったがさすがにここまでの量はなかった。もし、あれば文字通り戦死していたであろう。

 

百石からの返答はないが意識がとある方向に向けられる。その方向にはいつにもまして仏頂面の長門が腕を組み、百石の隣で被疑者監視の任についていた。あのような雰囲気で怒られれば、肝が冷えるのも納得だ。昨日のツケが盛大に到来している百石。長門が処理する書類、そして今はまだ期限があり今日中に処理する必要がないものまで書くハメになっていたのだ。

 

「あ、あの・・・・、私お邪魔でしたら、また後に伺いますけど」

「・・・・・いや、その必要はない。もうすぐ今書いている書類が終わるから、少し待ってくれ」

 

朝にも関わらず憔悴しきった百石の声。それになんの反応も示さない長門。提督室からこれだけ立ち去りたいと思ったことは初めてだ。応援の言葉をくれた川内の気持ちが、身に染みて分かる。

 

「ふぅ~、お、終わったぁぁ~」

 

全身の力を解放するように吐息を出した百石は、椅子から立ち上がり今日初めてその姿を見せる。数分が室内に充満する緊張感によってとてつもなく長いように感じられたが、それももう終わりだ。百石と同じようにみずづきも全身の力を抜くように吐息をだす。

 

「待たせてしまってすまないな。立ったままもあれだから、ソファーに座ってくれ」

 

ソファーにどっぷりと腰を下ろすと百石はみずづきに向かって手招きをする。それを受け歩き出したが、みずづきよりも長門が素早く反応しソファーの執務机側、百石の対面に陣取る。みずづきは一瞬どちら側に座ろうか迷ったが、自分の立ち位置を考え長門が座っている方に腰を下ろす。百石は長門から視線を逸らし気まずそうにほほをかく。だが、このままでは埒があかないと思ったのか、1度ほほを叩くと真剣な表情になり、みずづきをしっかりと見つめる。長門もそれを受けて小さくため息を吐くと、漂わせていた不穏な空気を少しばかり緩和させた。

 

「ま、話を始めようか。 今回君を呼んだのは君が纏っている艤装について詰めなければならないことがあるからだ。補給しかり、整備しかりだ。これは私の専門外だから、専門家たる工廠側には既に話を通してある。ここで話が済んだら工廠に行ってもらうが、その前に、確認していきたいことがある」

「確認、ですか?」

 

ゆっくりと頷く百石。その表情で百石がこれからどんなこと言おうとしているか薄々分かってしまう。

 

「その顔だと君も感じているみたいだな。確認は2つある。まず1つ目。それは補給に関することだ。君はこの世界に来た当日の戦闘で弾薬をそれなりに消費しているだろ? だが、主砲弾や機銃弾は艦娘たちが使っている弾薬で代用できるかもしれないが、この光の矢? 噴進弾? のようなものは我々にとって未知の兵器であり、どういう構造をしているのかどういう材質なのか、はっきり言って全く分からない。それに君の武装にあった単装砲も日本世界との技術格差を考慮すると、我々の知っているものと同様のものなのかすら不明なんだ。そんなものの補給など不可能だ。しかし、工廠側は実物が手に入るのであれば可能かもしれないと言っている」

 

ここで百石は一旦言葉を区切る。久しぶりに感じる提督室での緊張感。みずづきは百石が言おうとしていることを明確に感じ取るが、百石の言葉を待つ。

 

「みずづき? 君には主砲、機銃、噴進弾の実弾をそれぞれ数発、我々に提供して欲しい」

 

みずづきは一切の変化なくその言葉を受け取る。

 

「これの意味はしっかりと理解している。兵器はその国の科学技術の結晶であり、それ故に国家機密だ。君たちの世界では、この意味は私が思っているより様々な事象において重いことも。しかし、だ。少しひどい言い方だが、君が提供してくれなければ君が使用した弾薬の補給は100%不可能だ。弾薬がない軍艦など鉄くず同様。もちろん艦娘も。我々は君の協力が是が非でも必要なんだ」

 

百石は表情も声色も真剣さに染めてみずづきを直視する。そこに偽りはなく、あるとすれば「瑞穂を守り、仲間を守る」という軍人としての信念だけだ。

 

みずづきはそんな百石は見てつくづく彼のお人好しさを感じる。百石は常に低姿勢で主導権をみずづきが持っているかのような口調だが、この場での、この世界での主導権は常に瑞穂側、百石側にある。この()()も、そしてもう1つもみずづきに断るという選択肢はない。みずづきは瑞穂なしでは生きていけないが、瑞穂はみずづきがいなくても存続していける。

 

みずづきには受け入れる選択肢しかないが、受け入れるとしても消極的ではなく積極的な前かがみの姿勢で、だ。みずづきは、戦うと決めたのだ。戦えばもちろん弾薬は消費するし、補給は必要不可欠。弾薬の補給も、そのための弾薬提供も承知の上で、みずづきは、戦うと決めたのだ。だから、この要請を断る気は毛頭ない。しかし、百石の言った通り、兵器は機密の塊である。特に、第2次世界大戦以降、各種兵器は高性能・高価格化し相応の技術力がなければ開発すらできない時代となった。ミサイルなどはその典型である。同じ世界の、同盟関係を有する国家間ですら技術の提供は細心の注意をもって行われる。そして、みずづきが今その21世紀の技術を提供しようとしている相手は、第2次世界大戦後の技術力しか持たない、いわば「遅れた国」なのだ。

 

ここで最も注意しなければならないのは、提供した弾薬の使われ方である。単純にみずづきへの補給弾薬製造のためなら良いが、それには詳細な分析が必要不可欠だ。そして、みずづきの持っているミサイルはこの世界において計り知れないインパクトを待つ。それだけのものの情報を瑞穂海軍が資料室の片隅に置いておくとはどうしても思えない。遅れているとはいえ、この世界の科学技術でも初歩的なミサイルやロケットを作ることはそれほど難しくないだろう。人間は力を持てば使いたくなる生き物だ。

 

 

それを日本世界は散々証明してきたのだ。戦争という最悪の形で・・・・・・。

 

 

「百石司令の要請に依存はありません。もともと、戦うと決めた時にこれは織り込み済みでしたから。但し、こちらも確認なのですが・・・・・・・・・・・・・どのように使用されるんですか?」

「・・・・・・・・・」

 

みずづきの揺るぎない瞳が百石も心を射抜く。それを見て百石もみずづきが聞いていることの真意を理解する。みずづきが望んでいるであろう答えを言いたいが、それを言えない事情が当然ながらあった。

 

「弾薬は工廠に渡され、そこで分析及び可能ならば複製が行われる。工廠は鎮守府隷下、私直轄の組織だから当面の間、他の場所に漏れることはない。だが、このことは上層部も承知していて、すでに兵器研究開発本部、名称の通り兵器を開発する組織からは情報をよこせと突き上げが来ている」

 

みずづきは表情を険しくする。既に自分の懸念が動き出しているのだ。

 

「今は突き上げだけだが、いずれ軍令部・・・海軍の最高司令部でも君の技術について議論されることになるだろう。上からの命令では私も逆らえない。だから、今は来るべき時までは大丈夫としか・・・・すまない。だが、君の懸念が結実しないように私も善処する。・・・・・そして、そうは言ったが、海軍の中にも私と同じ考え方の人間はかなりいる」

 

みずづきを安心させるよう百石は固く真剣な表情を崩す。その効果は大きい。

 

「それに現実的な話、君が持つ技術を使った兵器の実戦配備はハードルが高すぎる。開発コストは莫大になるだろうし、深海棲艦撃滅のためと配備しても他国がそれを単純に受け取るわけがない。他国も同じ兵器の開発を急ぎ、結果、軍拡競争に発展するのが目に見えている。これは諸刃の剣だ。世界の均衡を壊してまで持つものかといえば疑問だな。政府も国民も世界の安定を望んでいる。そして、国益も世界の安定があってこそ、だ。深海棲艦相手も艦娘出現以降なんとか優勢を保っているものの、絶対不変と大口を叩けるほどの甘い情勢でもない。君との関係をぶち壊してまでやるべことではないな。それをなしたら私や海軍は未来永劫、世界中の研究者から“人類と真理探究の敵”として睨まれるだろうし・・・・」

 

苦笑しながら次々と懸念を緩和さる情報を出していく。みずづきは1つひとつを冷静にかみ砕いてくかどれも強い説得力を持っていた。権利欲や支配欲よりも、他国との協調、世界の安定を目指す精神には感服するしかない。研究者たちへの畏怖もある意味、だ。

 

 

そして、みずづきはそれと同時に自分の世界と瑞穂世界を対比させ、心の中で大きなため息を吐く。同じ人間が住む世界なのに、真逆の状況。このむなしさと悲しさはなんだろうか。

 

 

「・・・・・分かりました。正直言って少し不安ですが、それを打ち払えるだけの希望も聞くことができまし、弾薬提供の件、承知しました」

「ほ、ほんとか!!」

 

どこか悲しさを抱えていた笑顔はみずづきの言葉を受け、本物の笑顔に変わる。

 

「はい、有効に使っていただければ幸いですけど・・・・・。どれぐらいの確率で成功するとかは聞かれてますか?」

 

若干上目づかいで聞きにくそうに聞く。せっかく、ここまでの覚悟をもって提供に踏み切ったのだ。それでデータだけ取られて「失敗しました」じゃ本当に笑えない。

 

「その点については心配しなくても大丈夫だ。なんでも実物さえあれば99%複製できると向こう側が言っているんだ。かなり自信満々の様子で」

「えっ!? 99%ですか!?」

 

予想以上の高確率にみずづきは目を大きく見開く。

(瑞穂世界と日本世界の技術格差は圧倒的なのに・・・・・・・・どうして? しかも私の艤装は長門さんたちの艤装とは違ってれっきとした科学。そう簡単にいくものなの?)

急速に膨らむまっとうな疑問。それを感じ取った百石は、自分たちにとって当たり前となっているためそこまで深く考えず、ある存在のことを含んだフォローをみずづきに入れる。だが、それはみずづきにはあまりにも衝撃的だった。

 

「不思議に思うのも分かる。だが、我々には無理でも()()には可能なんだな、これが。()()たちの自信には工廠長も苦笑を浮かべていた、よ・・・・・・・。って、おーい、みずづき。ど、どしたんだ?? 口をあんぐり開けて・・・・・」

 

完全に銅像と化したみずづき。百石はその訳が分からず、声をかけたり目の前で手を振ったりするが効果は皆無。百石は割と本気で戸惑うが、みずづきの混乱はその比ではなかった。百石の言った一単語が戦闘機並みの速さで頭を飛び回る。

(よう、せ、い・・・・・?)

まさか横須賀鎮守府最高司令官からのそんなお言葉が出るとは思わなかったが、文脈上陽性でも要請でも養成でもないことは明らかだ。ということは百石が言った“ようせい”とは。

 

 

 

つまるところ、妖精だ。

 

 

 

「あ、あの百石司令? 妖精ってまさか・・・・」

 

苦笑いを張り付けながらおそるおそる聞く。しかし、それに答えたのは、頭を抱えていた長門だった。

 

「みずづき、すまないな。妖精とは、お前が言っている意味で間違いない。提督が舌足らずすぎた」

「な、なんと・・・・・」

 

思わずうめいてしまうみずづき。長門に睨まれた百石は首に手をあてながらみずづきに頭を下げる。この状況は、みずづきが初めて提督室に来て、百石に「君は神様だろ?」という衝撃発言をされたときと全く同じだ。

 

「すまんな、説明が足りなかった。妖精とは艦娘の艤装や装備に宿った神様みたいなもので、艦娘同様きちんと実体があり意思疎通が可能だ。彼女たちは艦娘たちのように前線では戦わず、工廠などで私たちと一緒に艤装のメンテナンスや新装備の開発を行っているんだ。ちなみに妖精といわれるだけあって、人の手に乗るほど小さいぞ」

「は、はぁ~」

 

分かったようで分からない。だが、艦娘たちがいるのだから妖精もあり得るのではないかと思う自分も存在していた。何気に超常現象への耐性が薄くなっている気がしないでもない。

 

「まぁ、これは実際に見た方が飲み込みも早いだろ。どのみち、これから工廠に行くからな。そのとき思う存分驚いてくれ。それで1つ目が片付いたから2つ目にいくが・・・」

 

おちゃらけた口調から一変、百石は先ほどと同じような真剣な口調を再び纏う。それを受けたみずづきも緩んだ表情を引き締める。

 

「これも1つ目と似たようなものだ。今後君にはおそらく・・・・・・いや確実に生死が交差する最前線に出てもらうことになると思う。君の覚悟についてはいろいろな機会に聞かせてもらったから、何も言うつもりはない。だが、戦闘を行えばどんな力を持つものであろうといつかは傷づく。君の身しかり、艤装しかりだ。今は艤装の話をしているからあえて最も重要な身の話はしないが、艤装は修理しなければならない。しかし、補給と同じく君の艤装は艦娘のものとは異次元の存在であり、修理に必要な情報も皆無だ。今の状態では、君の艤装がもし損傷したら、おしまいだ。そこで艤装の修理を可能にするため、君の艤装を工廠で解析したい」

「か、解析ですか? しかし・・・・」

 

分かっていたとはいえ、他者からその言葉を聞かされるとどうしても動揺してしまう。心の中に補給の時と同じような不安が粘着力を持って広がる。ミサイルや砲弾などより秘匿性の次元がそれこそ異次元の艤装が対象なのだ。しかし、それを見越してか百石は再び緊張を解き、優しい聞くものを安心させるような口調に変化する。

 

「なに、心配することはない。艤装の解析はさっき君が仰天していた妖精たちが行う」

「えっ!? よ、妖精が・・・・?」

「言っただろ? 彼女たちは艤装や装備に宿ってる、と。言い換えれば彼女たちのもう1つの体のようなものだ。だから、艤装の修復などはほぼ100%彼女たちに任せっきりだ。そもそも私たちではどうにもできない代物だしな」

 

またもみずづきの常識をつき崩すような現実が百石からみずづきにもたらされる。科学文明の申し子には、相当なダメージだ。心なしか頭痛がしてきような気さえする。

 

「でも、妖精って艦娘たちと同じように意思疎通できるんですよね? だったら、脅しすなり洗脳するなりして情報を引き出すことは容易じゃ」

「おぞましいことを言うな君は・・・・・・。だが、艦娘たちを見ていればその懸念も納得だ。しかし、彼女たちは艦娘と完全に一緒ではない。分かりすく言えば、頑固な職人オヤジだ」

「はっ??」

 

いきなり出てきた頑固なオヤジ発言に思わず、瞬きを繰り返す。それが面白かったのか、ついに百石は笑顔を見せ始める。

 

「オヤジといったが妖精たちはれっきとした女の子だぞ。彼女たちは職人としてのプライドが高くてな。話さないことは絶対に話さないんだ。もうそれは機械の範疇といっていいほど強固なものだ。そして、艤装の持ち主に心の底から忠誠心を持っている。示し方はそれぞれ個性があるが・・・・」

 

あははははっ、とまるで過去を思い出しているように百石は乾いた笑みをもらす。好奇心に駆られてつい口が開きそうになったが、本能がそれをあと一歩のところで確保する。「知らぬが仏」、その諺が頭を駆け巡る。聞かない方がよさそうだ。

 

「だから、君が艤装のことを絶対に話さないでくれ、といえば解析、整備問わず君の艤装に触れた者は絶対に口を割らない。それこそ、例え命を落とすことになっても、な。ある意味、世界で一番信用できる存在かもしれない」

 

みずづきはその話を聞き、百石を見る。彼はまっすぐとみずづきを見つめている。いつもと変わらない、笑っていても澄み切った瞳で。それを見て嘘は言ってないと判断したみずづきは、大きくため息をつくと心の中に湧きあがる懸念を片隅に追いやる。

 

「・・・・・・・分かりました。そこまで彼女たち、その・・・・妖精さんたちが信用にたる人物? 存在? なら、私の艤装も預けられそうです。艤装解析の件も承知しました」

 

妖精さんの部分だけ妙にみずづきは顔を赤らめ、緊張したような口調になる。それを笑顔で見届けると百石は安堵し、少し前かがみになって姿勢を戻す。そして、ソファーにどっしりと身を預ける。これでみずづきとの協力を次のステップに進めることが可能になった。その拍子にある言葉を吐きそうになるが、それはみずづきによって代わりに放たれた。

 

「一件落着、ですね」

「全くだ」

 

お互い思っていることが同じだったようで、顔を見合わせ笑い合う。その笑顔にいまだ不機嫌の塊と化してしまう長門もつい微笑をもらしてしまう。しかし、直後自身が笑っていることを自覚し、すぐさま顔をそむけ表情を引き締める。ほんのり赤くなるほほ。誰にもばれてないと思っているようで、顔は無表情ながらも得意げだ。だが、そんな可愛らしい動作を2人が見逃しているはずがないのだ。




水がタプタプに入ったバケツを両手に持って直立不動。子供の頃、廊下に立たされたことはあります(ドラ○もんの世界に入ったみたいで楽しいと思ったのは秘密です)が、果たして自衛隊や警察含めて現実に存在するのか、そんな罰。まぁ、このご時世じゃ普通の学校でやると「体罰だぁ!!」って騒がれるかもしれませんが(笑)

26話目にしてようやく妖精を登場させることが出来ました。今回は言葉だけでしたが百石もいったように、次回には本物の妖精が姿を現します。

「遅すぎんだよ」と思われている方もいらっしゃると思いますが、ご容赦を。


そして、ここでお知らせを一つ。
次回は本話の続きである『補給・整備 後編』に加えて、もう1話投稿しようと考えています。

現在、「水面に映る月」は第2章「過ぎし日との葛藤」に入っていますが、この章では世界観設定の明示も含めて、日本世界の「過去」をとある視点から時おり語っていきます。その第1弾を来週投稿しようと思っています。

ただ投稿するのになぜこんな次回予告とも色彩が異なる堅苦しい説明しているのかといいますと、その話はご覧になる方にとっては、多大な不快感及び心的負担を抱かれるかもしれない内容だからです。

ですが、筆者としてはあの悲劇から過度に目を背けのはなにか違うと感じ、そしてこれから先、いつかはあの危機が再来するであろうという観点から、あえて描かせて頂きました。

そのため、一応29話は閲覧注意とさせていただきます。

次回は『28話 補給・整備 後編』と『29話 夢-西日本大震災-』をお届け致します。


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28話 補給・整備 後編

先週予告したとおり、今週は2話分を投稿します。


横須賀鎮守府 工廠

 

1号舎や食堂、灯の湯など、みずづきが主な行動圏としていた中央区画から少し北に行った場所。日本で言えばかつて世界最強を誇ったアメリカ海軍第7艦隊の艦船たちが修理・定期点検のためしばしの長い休暇を取り、そして現在では永遠の眠りについている場所。みずづきは今、百石・長門とともに艦娘たちが身に付けている艤装の修理・点検、そして新装備の開発を行う横須賀工廠へと来ていた。ちなみに通常部隊艦艇の修理・整備・点検を行う場所はここと、ここから昔半島だった島を越えた向こう側にある田浦町・長浦湾にある工廠隷下の横須賀造船部である。あたりには1号舎とは全く違う趣の、いかにも工場らしい建物が立ち並び中央区画の賑やかさとはまた別の喧騒がある。中央区画ではせいぜい自動車の疾走音ぐらいしか聞こえなかったのに対し、ここは正体すら分からない重・軽、高・低の様々な機械音が聞こえ、乗用車に限らずトラックなど様々な車両が行き交い、それに負けじと発せられる人の声はもはや怒号と化している。すれ違う人々も純白の制服やセーラー服ではなくカーキ色の作業服を着ており、その服は汗や油のような黒いしみで汚れている。百石への敬礼がなければ、海軍軍人ではなく町工場の従業員と勘違いしてしまいそうだ。まっすぐ終わりが見えない道路を作業員や機械的なものを満載したトラックに紛れて進んでいく。ずっと進んでいくかと思われたが百石は不意に今歩いている道路と接続している左側の道に進路を変える。曲がると正面に今までとは全く違う光景が現れた。建物たちの間から甲板上に数多の工作機械を置かれ、様々な場所に足場を組まれている入渠中の駆逐艦とおぼしき艦影。みずづきが第5遊撃部隊に連れられ初めて横須賀に来たときに見た駆逐艦だろう。そこでも作業員たちがそれぞれ動き回り、流れ落ちる汗を首にかけている白いタオルで拭い、手元に持つ資料と睨めっこしている。

 

「着いたぞ、ここだ」

 

百石が複数ある建物中でひときわ大きい、ではなく他の建物より小さな部類に入る一見工房のような建物の前で立ち止まる。比較的新しく作られたようで周囲に見える工場群よりはかなりきれいに見える。

 

「ここが、百石司令のおっしゃってた・・・・」

「そうだ。ここが、艦娘の艤装工場だ。修理や整備が主な任務で、新装備の開発はその裏手に開発工場で行っている」

「ん?」

 

目の前にばかり気がいっていたみずづきは、百石の言葉に驚き彼が指さす方向を確認するため、少しだけ歩き艤装工場の裏手を確認する。

 

「ああ、あそこですね」

 

そこには視界の右側にある艤装工場と瓜二つの建物があった。しかし、心なしか向こう側の方が何やら騒がしい気がしないでもない。

 

「いつもはもっととある艦娘のせいで騒がしいんだが、いないとこうも違うのか。留守を狙って正解だったな」

 

安堵しながら百石は魂胆を冷やすのに十分すぎる意味深な言葉を漏らす。何故だか、みずづきの頭は1人の艦娘を思い浮かべるが「噂をすればなんとやら」も同時に思い出し、ぶるぶると頭を振り邪念を消し去る。彼女が来れば場がかき乱されること間違いなし。来ないことを祈るのみだ。そんなみずづきを見て気まずそうに笑っている長門も同意見のようだ。

 

「えっと・・・あっ、そこの君。すまんが、漆原工廠長は今どこに?」

 

思考を切り替えた百石たち3人は開けっ放しにされている、人が出入りするには大きすぎる入り口から中に入る。天井近くまで達した鉄製の引き戸。とてもじゃないが人力での開閉は無理そうだ。横に目をやると壁に埋め込まれる形できちんと見慣れた人間大の開き戸がついている。中には外見のような真新しさは微塵もないが、あちこちにみずづきでは用途すら不明の工作機械らしきものが置かれ、その中を様々な表情をした作業員たちが歩き、時には駆けていく。その人間臭さに思わずみずづきは感嘆する。だが、何故だろう。誰もこちらに目を向けていないにも関わらず、なぜか視線を感じる気がするのだ。

(気のせいかな? ・・・・・・・そうだよね)

首をかしげるみずづきであったが、百石の言葉を受け意識を思考から現実に向ける。

 

せわしなく作業員たちが動いているため、誰に話しかけようか迷う百石であったが、またまた目の前を通りがかった若い、まだ高校生にも見える作業員に声をかける。

 

「っ!? も、百石司令!! こ、工廠長ならあちらにおられます。お呼びしましょうか?」

 

手に持つ資料と睨めっこしながら早歩きをして百石の前を通りがかそうとする少年であったが、百石を認めた瞬間、背筋を伸ばし見事な敬礼を決める。緊張しているのが丸分かりで、百石もつい苦笑してしまう。少年が視線を向けた方向には、太陽との激戦ぶりを物語る焼けた肌に作業服の上からも分かる屈強な体を持った、他の作業員と別格の雰囲気をもつ1人の中年男性が、少年と同じく資料と睨めっこしていた。正直、ほほのあたりに傷があればとある職業の方と見分けがつかない。

 

「ああ、あんなところに。気付かなかった・・・・・・。すまないな、些細なことで引き留めてしまって。自分の仕事をに戻ってくれ、ありがとう」

「!?!? はっ!! 了解であります」

 

百石からの温かい言葉を想像していなかったようで、彼の言葉を聞いた瞬間少年は目を白黒させる。だが、すぐさま現実に戻ってくると嬉しさが溢れている笑顔を浮かべ、これまた見事な敬礼を決め、自分の仕事に戻っていく。百石は彼の後ろ姿を見届けると、その工廠長に歩み寄っていく。もちろん長門も。だが、みずづきはその外見に影響され足取りが重い。

 

「漆原工廠長!!」

「おお、長官。待っておりましたぞ」

 

漆原といわれた強面の男性は、百石たちの方へ身体を向けるとにかっと爽やかな笑みを浮かる。それは強面から放たれる恐怖心を消し去るには十分すぎ、この一瞬でみずづきは再度「人は外見によらない」と痛感するのであった。しかし、それを感じ安堵しようとしたみずづきの表情は、漆原の姿を明確に捉えた瞬間、固まる。正確には彼の肩に座っている強烈な存在感を放つ小さな生物らしきものを見たからだ。

 

「すいません。少しお伝えしていた時間より、遅れてしまって・・・」

「なにお気になさらず。私も今日はずっとここにいるつもりですから。それで・・・」

 

漆原は目の前で苦笑する百石から、初対面の並行世界からきた少女へ視線を変える。一瞬、職人の、正体を探ろうとする目でみずづきを頭からつま先まで見る。その目は真剣そのものだったが、すぐに先ほどの明るい笑顔へ戻る。

 

「君がみずづきだな。初めまして、俺は横須賀鎮守府工廠を任されている漆原明人だ。君のことは常々部下や艦娘たちから話をき・・・・・ん? みずづき?」

 

ようやくみずづきの表情が驚愕に染まり、かつ自身の肩へ集中していることに気付いた漆原は彼女がそうなっている理由を見抜き、さらに笑顔を深くする。漆原の自己紹介を聞いていることには聞いていたがみずづきは、漆原の肩に乗りこちらを凝視している黒髪の妖精と睨めっこしていた。

 

「はははっ。そうか、嬢ちゃんはこいつらを見るのが初めてなんだな。おい、こらっ。彼女をからかってないで、お前も自己紹介だ」

「いてっ。もう!! なにすんの? いいじゃん、わたしだって興味があるんだもん!」

 

漆原は肩にのる黒髪の妖精を優しき人差し指ではじく。人間では赤ん坊であろうともノーダメージ確実だが、さすがに()()にはハイダメージだったようだ。それに抗議の声をあげる日本世界の科学文明を超越する小さく、そして強大な存在。これが日常といわんばかりの雰囲気をかます様子に絶句し、耳を疑う声に驚愕する。

 

「しゃ、しゃべったぁぁぁぁぁ――――!!!」

 

あまりの大きな声に、周囲にいた4()()だけにとどまらず見渡すかぎりに見える作業員たちも驚き、何事かとこちらを覗う。そして、ざわざわと何かの気配が増す。だが、みずづきには目の前しか見えていないため、それらに全く気付かない。

 

「なによ、あんた! 私たちがしゃべってるのがそんなに驚くことなの!!」

「はっ!! わ、私、つい・・・・・・」

 

その反応が気に障ったのか、黒髪の妖精は頬を膨らませ、そっぽを向く。可愛らしい存在がご立腹の様子を受けて、みずづきは自身の醜態に気付き反射的に頭を下げる。

 

「す、すみません!! 妖精さんたちがいらっしゃるとは聞いてましたが、どのような存在なのか全く想像できなく・・・・・その・・・・・」

 

言葉が重なるごとに段々と声が小さくなる。そこに偽りがないのはよく伝わってくる。黒髪の妖精もその小さな手で小さなほほをかきながら、みずづきに視線を戻す。

 

「いや、いいよいいよ。俺も初めてこいつらを見た時は声を上げて驚いたもんだ。俺だけじゃなくて、ここにいる全員、な。だから、気にしなくても大丈夫さ。彼女たちもそこまでろくでなしじゃないし」

「ちょっと、なんであんたが言ってんのよ!!」

 

いかにも自身へ向けられた言葉のように対応する漆原。自身の立場とみずづきの立場をはっきりさせる好機と内心ほくそ笑んでいた黒髪の妖精は己の企みを阻止され、声を上げる。

 

「まぁまぁ、そう拗ねるな。こんな反応、お前たちは散々受けてきただろう、いまさらどうこういうもんでもない。それに、お前の魂胆は丸わかりだ。あの都木でも失敗したんだから、もうやめるこったな」

「・・・・ふんっだ!!」

 

黒髪の妖精は、今度は漆原にご立腹のようで再びそっぽを向く。都木とはさきほど百石に声をかけられ、妖精たちの使いぱっしりにさせられそうになった純粋無垢な少年のことである。

(可愛いい・・・・)

そんな黒髪の妖精とは裏腹に、みずづきはその愛らしくも儚い姿に目を奪われる。それを見た漆原は不敵な笑みを浮かべると、工場内に響き渡る比較的大きな声で話し始めた。

 

「それに、嬢ちゃん・・みずづきはああは言ったももの、お前たちのこと随分と気に入ってるみたいだぞ? ほら、見てみろ。あの輝く瞳を」

 

漆原が指摘したみずづきの瞳に一瞬で機嫌を直した黒髪の妖精は、みずづきを純粋な瞳で凝視する。自分の感情が顔に出ていたことを知ったみずづきは顔を赤らめる。漆原の言ったことは純然たる事実だったようだ。

 

その瞬間、工場内がそれまでの控えめな喧騒が嘘であると言わんばかりに、一気に騒がしくなる。何が起こったのか分からず見渡した周囲のすべてに、驚きすぎて言葉も出ない光景が広がっていた。機械の裏、照明・梁の上、机の中、果てには作業員が被っているヘルメットの中から、数え切れないほどの妖精たちが、それこそあふれてきたのだ。みな一目散にみずづきへと向かってくる。小さいがあまりの人数に迫力すら感じられる。気付けばみずづきの足元、そして周囲にいた百石・長門・漆原の足元まで妖精たちに埋め尽くされる。あまりにも突然のことに動揺しっぱなしだが、上から迫りくる1つの気配を感じたみずづきは反射的に見上げながら、手を自分の胸の前に差し出す。そこへ落ちてくる妖精。妖精たちは全員、人間と同じく容姿、姿が異なっている。落ちてきた子は茶髪で後ろを黄色いリボンでポニーテールにしている。

 

「うっ・・・、いったぁ・・・」

 

ちょこっ、という効果音を鳴らし目に涙を浮かべながら立ち上がる妖精。その可愛さはみずづきを癒すのに十分すぎた。暁たちも可愛かったが、妖精にはまた別の可愛さがあることを肌で実感してしまった。そのためか、つい隠しておかなければ変な誤解を受けかねない心の声が出てしまった。

 

「・・・・か、可愛い・・・」

「えっ・・・その・・・・・ありがとう、ございます」

 

頬を赤く染め、茶髪の妖精は恥ずかしそうに身をくねらせる。自分たちの存在が受けれられたことを知った他の妖精たちは歓喜の声をあげる。

 

「みずづきさん、いい人~」

「艦娘たちと異質の存在だから、どうなるかと思ったけど、やっぱり世界は違えど人間は人間だね」

「みずづきの姉ちゃんもたいがい、可愛いですよね?」

「だから、隠れる必要なんかないって言ったのよ!」

「しょ、しょうがないじゃん!! こ、怖かったんだからよ!!」

「はいはい、そこ。お客さんの足元で不毛な言い争いをしない!! ご迷惑でしょうが」

 

口々に自身の想いを語りだす妖精たち。エッヘンと胸を張ったり、ツッコミを入れたり、肩を組んだりなど全員感情豊かで、自分が少し硬く構えすぎていたことを痛感してしまう微笑ましい光景だ。そして、妖精たちがなぜ隠れていたのか。足元から聞こえる妖精たちの様々な声を聞き、みずづきは妖精たちの行動の一片を理解する。そして、抱いた推測が正解ということは漆原の口から語られた。

 

「こいつらもこいつらで不安だったんだよ。そのくせ好奇心は強いもんだから、嬢ちゃんがどんな人か見たくて、隠れてたわけさ」

 

漆原に優しくなでられる黒髪の妖精。またそっぽを向けて怒っているふうに演出しているがほほがの赤みを隠せていない。

 

「だが、それは杞憂だった、俺は初めから分かっちゃいたがな。はははははっ! みずづき、ようこそ工廠へ。そして、これからよろしく」

 

漆原は男らしいごつごつとした黒い手を満面の笑みで差し出す。みずづきは手に茶髪の妖精を乗せているためどうするか戸惑うが、その子に「肩、いいですか?」と言われため握手する際にほとんど動かない左肩へ素直に乗せる。茶髪の子は自分で言っておきながら恥ずかしげだ。性格的に照れ屋なのかもしれない。

 

「はいっ。こちらこそ、これからよろしくお願いします!」

 

みずづきは漆原を見て、自分がここにも受け入れられたことを感じ、嬉しさをあふれさせながら彼の手を握る。男らしい固い手だが、そこに冷たさはない。百石や艦娘たちと同じ温かい手だ。

 

「さ~て、お前ら、歓迎の時間は終了だ!! というか、さっさと持ち場に戻って仕事しろ!! お前らが職務放棄したら工廠は回らねぇんだ!!」

 

漆原は一度手を叩くと笑顔から一転、その強面ぶりを存分に生かした本能的恐怖心をあおる表情に変貌し、妖精たちを怒鳴りつける。妖精たちは一気に血の気を引かせ、蜘蛛の子を散らせるように走り去っていく。実は今日、みずづきが来ることを漆原、工廠の作業員たちから聞いた妖精たちは朝から仕事が手につかず、みずづきの気配を感じると見えない位置に息を潜めてしまったため、仕事が全然はかどっていないのだ。それ故に漆原が怒っていることも知っているため、妖精たちは急いで自分の持ち場に戻り仕事を始める。工場内が来た時よりもにぎやかになっていく。

 

「ったく、もう・・・」

「妖精たちは相変わらずのようですね。最近顔を出していませんでしたから、安心しましたよ」

 

頭を抱える漆原に、百石は笑顔で声をかける。百石も妖精たちとみずづきが上手くいってご機嫌のようだ。もし、うまくいかなかったら補給から演習、そのあとにある前線投入までの全ての段取りが崩壊し、ストレスで胃に穴があいてしまうところだったが・・・・。

 

「まぁ、元気で人懐っこいところは、子供の用に思えていいんですがね。それ故にこうしてみずづきを見てすぐ懐いてくれたわけですし」

 

漆原はいまだみずづきの左肩に乗っている茶髪の妖精を見る。楽しそうに足をぶらつかせているあたり、かなり心許しているようだ。その視線に気づいた百石も同様の見解だ。

 

「さて、懸案が片付いたところで、本題に入りましょうか。嬢ちゃんには例のことは話したんですか?」

「はい。2つとも了承は得ています」

「そうですか・・・・。なら、俺たちはその期待と信頼に応えないといけねぇな」

 

不敵に笑い、みずづきの肩、自身の肩、そしてみずづきの足元に待機している複数の妖精に視線を向ける。みな、いい表情だ。それを見て、彼らがなんの話をしているのかみずづきは察する。

 

「あの・・・・・よろしくお願いします」

 

本当ならもっといろいろ言わなければならないのだろう。しかし、彼らには自身の気持ちが伝わっている。不思議とそんな気がするのだ。

 

 

彼らは職人。モノに命を吹き込む玄人たち。

 

 

だから、みずづきは簡潔な言葉にまとめて少しだけ頭を下げる。思いっきり頭を下げると茶髪の妖精が転落してしまうのだ。

 

「あいよ。その気持ちしかと受け取ったわ!! じゃあ、さっそくだけど、身に付けている艤装外してくれる?」

 

びしっと敬礼と決めた黒髪の妖精は、みずづきに指示を出す。それに呼応して動き出す足元の妖精たち。どうやら、彼女が妖精たちのリーダーらしい。みずづきは提督室を出た後、急いで戻った第6宿直室で久しぶりに艤装をつけここに来ていた。

 

1号舎を出た時、百石たちに気付いた瞬間、曲がりきっていた背筋をピンと伸ばし、さりげなく長門に睨まれる憐れな川内がいたが・・・・・・・・。

 

浮かんだ光景を隅に置き艤装を外しかけて、不意に疑問が浮かぶ。

 

「あの? 艤装を外すのはいいんですけど、ここでですか?」

「そうよ、なにか問題でも?」

「いや、その、ここで解析を行うんですか? 私がその場所に艤装を運ぶんでしたら、その近くで脱いだ方が効率的かなっと思って」

 

みずづきの言葉で黒髪の妖精は彼女がなにを気にしているのか察知する。

 

「いいえ、解析はわたしたちの極秘事項なんで、ここで外してもらった後、下にいる妖精たちが運ぶわ」

 

その言葉にみずづきは自身の耳を疑う。

 

「これ、軽いとはいえ結構重いですよ・・・・・大丈夫ですか?」

「わたしたちをなめないで。1人では無理でもみんなで力を合わせれば運べるわ。それに見立てだと、あなたの艤装は長門たちの艤装より断然軽いはず、どんな材質使ってるのか定かではないけど。いつもその艤装を運んでるわたしたちからすればお安い御用よ」

 

 

 

お前、運んでないくせに何言ってんだよ・・・・。

 

 

 

それを聞いた下にいる妖精たちはそんな心の声を顔に表した状態で、高い位置から大口をたたく黒髪の妖精を睨みつける。悪寒を感じたように黒髪の妖精は身を振るわえるが下を向かず、冷や汗を流しながらみずづきのみを直視する。

 

「と、とにかく! 気遣いは無用。時間がもったいないから早くはずして」

 

みずづきは上と下を見比べる。それでも艤装を外そうとした手をどうしようか迷うが、そのとき左肩に違和感を覚える。見れば、茶髪の妖精が胸を張ってみずづきの肩を叩いていた。

 

「大丈夫。」彼女はそう言っていた。

 

「・・・・了解。じゃあ申し訳ないけど、降りてくれるかな? このままじゃ、落ちちゃうよ?」

 

みずづきの言葉に一瞬寂しそうな顔をする茶髪の妖精だったが、彼女の気遣いを理解すると素直に肩へ差し出された手に飛び移り、降ろされた手から地面へ足をつける。それを見届け腰に掛けていた海面を走るための靴型艤装や背中の主要艤装、頭に付けていたカチューシャ型のレーダー艤装、メガネを順番に妖精たちへ渡していく。妖精たちは艤装を真下から力を合わせて持ち上げ、工場の奥に運んでいく。妖精たちよりも当然、艤装の方が大きいため、見方によっては艤装がわずかに浮いてひとりでに動いているようにも見える。次々と自分の目の届かないところに運ばれていく艤装。それには一種の寂しさを覚えざるを得ない。思えばみずづきがこの世界で艦娘として、日本海上国防軍人としての証はあの艤装しかないのだ。制服や拳銃、ナイフははっきり言って完全に同じものは作れないにしろ、この世界でも似たようなものはあるし作れる。しかし、あれは絶対に作れない。あきづき型特殊護衛艦の艤装は日本にしか作れないものなのだ。

 

 

 

 

 

「寂しいか?」

 

 

 

 

 

艤装が見えなくなっても運ばれていった方向を名残惜しそうに見続けていたので、長門は声をかける。このような穏やかな口調を聞いたのは昨日以来だ。少し機嫌が直ったのかもしれない。

 

「寂しくないっていったら嘘になります。日本にいたころはこんな風に思わなかったんですけど・・・・。少しの辛抱ですから」

 

心配をかけまいと笑う。当初はこちらの顔を凝視していた長門だったが、しばらくすると微笑をもらし話し込んでいる百石と漆原の元へ向かう。みずづきももう1度、工場の奥をじっと見た後、長門の背中を追った。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「みずづき、演習に出てくれないか?」

「えっ?」

 

工廠から帰る道すがら。みずづきは偶然、昨夜ベンチに座って海を眺めていた場所と同じところで百石から、唐突かつよく分からない言葉をかけられていた。百石や長門の表情的にかなり重大そうだが、話が見えない。

 

「演習って、あの演習ですよね?」

「そうだ。艦隊行動や戦闘訓練など日頃の訓練の成果を見せる場だ。実は君が来る前からこれの実施は決まっていてな。そのために本来はめったにない所属艦娘の全員集合が実現していたわけだ。だから、ある意味君は運のいいときに来た、という捉え方もできる。歓迎会に全員参加できたしな」

 

みずづきが来る前から決まっていた演習。本来それはこの世界、瑞穂の艦娘や部隊が参加するものであり、イレギュラーな存在のみずづきが参加するはずも道理もない。しかし、演習は時に、訓練の成果だけでなくその部隊の力を見せつけるまたは確認する場としても往々にして利用される。日本世界でも演習、訓練の成果を確認するためと称して紛争地域や仮想敵国の管轄領域の近くで、それが行われることは牽制や威嚇の一環でごく当たり前の常套手段であった。平和ボケしていた時代の日本ですら、単独または米国などと共に敵対する国家に対し行っていたのだ。

 

「力を見せろっと?」

 

だから、すぐに百石たちの意図を察することができた。この演習に参加させる理由はそれしかない。

 

「・・・・・まぁ取り繕っても仕方ないから言うが、ご名答だ」

 

百石は肩をすくめながら笑う。

 

「君も感じていたかもしれないが、伊豆諸島沖での戦闘状況には緘口令が敷かれている。ここで知っている者は私と長門、鎮守府の幹部、じかに目撃した第5遊撃部隊しかいない。私たちにとって、君のなした結果は正直言うと、とてもじゃないが信じられたものではない」

 

それに今度はみずづきが肩をすくめて笑う番だ。そりゃ、そうだろう。せいぜい有視界で砲弾や銃弾を打ち合い、爆弾を落とし合うぐらいまでがこの世界の戦闘方法なのだから。そして、みずづきは敵深海棲艦の機動部隊を一隻で殲滅したのだ。この世界でのインパクトを分かりやすく言えば、かつて存在した海上自衛隊の1個護衛隊群やアメリカ海軍の1個空母打撃群が、たった1隻の船にやられたのだ。そして、日本でごく普通に暮らしていれば分からないが、これはアメリカやらロシアやら中国やら、世界の軍事大国がひしめき合う東アジアにおいても、1国の海軍力に匹敵するほどの戦力である。極端な話、みずづきは1つの国家と戦争をして完全勝利を収めた、とも解釈できるのである。そして、日本世界の価値観ですらこれほどのインパクトがあるのだ。国家間の大規模戦争もその可能性もなく、もともと日本世界に比べて軍事力が低い世界での衝撃は半端ではない。

 

「私たちはこれから君の、その信じられない力を頼りにし使っていく立場だ。作戦を立てる上でも、そして相互理解、交流を深めていく上でも、君の力を知ることは有意義だ。だから・・」

「それは私もまったく異存はありません。だから、参加します。いや、させて下さい!」

 

いつもの如く頭を下げようとした百石を制し、みずづきが揺るぎを感じない口調で先に発言する。百石は目を丸くしていてつい吹き出しそうになる。彼は少し低姿勢過ぎるのだ。みずづきとしても、上官、しかも本来ならば自身とこうして口を聞くことすら困難なほど、上位の指揮官に頭をさげられるのはなんだかむずがゆい。

 

「これは私にも大きなメリットがあるお話です。自分の頭を21世紀から第二次世界大戦期、もう歴史となった時代の戦い方を学び、それに適応するいい機会ですから」

 

21世紀、科学技術の日進月歩によって生み出された戦闘方法は、たった1世紀あまりで20世紀の戦闘方法とは根本から異なるものへと進化している。それは巨大な内包空間を持つ、空中・海上・海中で特に顕著となった。ミサイルを主体とした視認圏外戦闘、高度な電子戦。みずづきをはじめとする現代の軍用艦の武器は例え第2次世界大戦期の戦略思想・兵器体系を持つ深海棲艦が出現し、一時的に劣勢を強いられようとて不変であった。むしろ進化・発展したと言ってもいい。だが、今みずづきは自身と同じ人間や艦娘がその戦法を使う世界にいる。闇雲に突っ込んでくる化け物とは違うのだ。70年の差に胡坐をかいて慢心していれば、いつか必ず後悔するだろう。

 

みずづきは海を背に百石をしっかりと見つめる。それに百石は胸を撫で下ろす。これで今日解決しようとしていた懸案は全て決着した。っと、ここで百石はみずづきに演習関連で伝え忘れていたことを思い出し、不敵な笑みでそれを伝える。

 

「みずづき? 一応黙ってたら後が怖いので言うが、例の演習、軍令部の上層部も視察に来るからそこも頭に入れておいてくれ」

「はい?」

 

海に背を向けているため海面の反射光が届かず薄暗いためか、みずづきの顔が一気に暗くなったように見える。その事実は長門も初耳だったようでみずづきと同じように、目を大きく見開いている。

 

「提督、それは事実ですか?」

 

おそるおそる聞く長門。それに対しての返答は、簡潔かつ明瞭だった。

 

「事実だ」

 

自身が上層部とのあいさつやご機嫌伺いを行っている確実な未来を想像し、長門はがっくりと肩を落とす。その肩に乗せられる手。百石も的場から電話でその件を聞いた時は同じような反応を示しただけに、その手と表情は同情心にあふれている。昨日以来初めて見る以前の微笑ましい様子。手を置かれた長門の眼光が鋭くなるが、それも一瞬。百石の柔和な表情に毒を抜かれたのか、拒絶することもなくもう一度肩を落とす。既に朝の刺々しさは消えていた。その様子に胸を撫で下ろすと、頭の中に容赦なく現実が進出してくる。

 

「ぐ、具体的にはどれぐらいの方々が・・・・・・?」

「具体的にはまだ言えんが、文字通り海軍のトップを占める方々、っと言っておこうか」

「「う゛」」

 

百石の言葉にみずづき、長門が同時にうめき声を出す。その絵に描いたような反応につい百石は声を上げて笑ってしまう。いつもなら、人の不幸を笑っている百石を睨んだりするのだが、今はそんな余裕すらなかった。考えてみてほしい。辺境の基地に飛ばされた一艦娘が行う演習を、海軍―日本で言うなら海上幕僚監部のトップ勢が視察に来るのだ。彼らは並大抵の努力では決して入学できない防衛大学校や超名門大学を卒業し、有象無象の魑魅魍魎たちを蹴落として昇進レースに勝利した化け物たちだ。想像しただけで目の前がくらくらする。みずづきは目に手を当てながらこの演習の重要性に気付くのであった。




新たなる動き。みずづきを前にした百石たち、そして百石たちと艦娘たちを前にしたみずづきはどう立ち回るのか・・・・・。


次話は一転して雰囲気が変わります。閲覧にはご注意下さい。


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29話 夢 -西日本大震災-

見る方によって印象は異なると思いますが、一応、ここにも閲覧注意を記しておきます。


「ねぇ、お母さん? いまどこ? まだ着かないの?」

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音。重力から解放されたような浮遊感。それはこれまで生きてきた中で数え切れないほど感じてきた感覚。

 

「ん? 起きたの? ふふふっ。もうすぐ着くからね、あと少しの辛抱」

「おぉ、澄、起きたのか? まだ、眠たそうだぞ。着いたら起こすから、まだ寝ててもいいんだぞ」

 

締め切られ、エアコンによって外気温より遥かに快適な温度に保たれた車内。窓からは自分の家がある土地より建物が多いものの、大きな街とは到底言えない二階建ての建築物が大半の、街。そして、その間から時々、真っ青な空から降り注ぐ日光を受け、きらきらと輝いている海が見える。

 

目を閉じると再び暗闇が訪れる。それでも意識が無に没することはなく、耳から得られる情報は絶え間なく蓄積されていく。

 

「でも、良かったな。命も無事で、大した後遺症もなくて。脳梗塞で倒れたと聞いた時は肝を冷やしたよ」

「ほんとに・・・・・。お父さんったら、あれほどお母さんに、年なんだから酒とたばこを控えろって言われてたのに、飲んで吸ってばっかりいるからこんなことに。あとでとっちめてやらないと!!」

「あんまりきつく当たるなよ。今回は俺も一緒だし、澄もいるんだ。お義父さんとお前が喧嘩しだしたら肩身の狭さが半端じゃない。しかも、場所しだいで重圧は増しましだ」

 

大人の、少し年を取った男女の会話が聞こえてくる。内容は理解できないところもあるが、その声を聞いているだけで、心が安心感に包まれる。急速潜航しだすあやふやな意識。

 

 

 

 

その姿、その声。見えたもの聞こえるもの、全てに見覚えがある。そして、目の前が闇に包まれる前、窓に反射して見えた己の姿。それは、現在の自分とは大きく身長、髪型、顔つきが時間的・物理的に異なっていた。

 

 

 

 

ああ・・・・・・・、夢、か。

 

 

 

 

自分が見ている光景を、そう結論付けた。自分の意識とは無関係に蓄積される情報。まるで映画を見ているような気分だ。

 

 

また、この夢・・・・・・・・。

 

 

幾度となく見続けてきた、夢。何度も、何度も。しかし、それでも見続けてきた夢。見える光景の結末は嫌ほど知っている。なのに、止められない。夢から、醒められない。

 

抵抗は、無意味。夢によって覚醒しかけた意識は、再び黒に浸食されていく。そして、他人事のように、それを眺める。

 

この夢を見るのもいつ以来だろうか。随分と久しぶりのような気がする。あれから時がたつごとに頻度を減らしていった夢。しかし、それでも、あれからどれだけ時が経とうと脳から決して消えない記憶。

 

 

 

 

 

 

 

無情に蓄積された(過去)見続ける(振り返る)旅が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

記録され続ける音。意識はまだ閉じていない。

 

わずかな前への力を最後に、車が止まる。いつもと変わらない、車内、街、人、空、海。ずっと変わらない、なくならないと思っていた当たり前の日常。

 

それが、弱くもろく儚く、そしてかけがえのないものだと幼心に気付いた、いや気付かされる瞬間がやってくる。

 

 

 

人類が、日本が滅ぶであろうそのときまで語り継がれる壮絶な歴史。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」

 

突然車内に鳴り響く、本能的な恐怖心を駆り立てる特徴的な警報音。それを聞いた瞬間、車内の運転席・助手席に座っている中年の男女は血相を変える。後部座席に眠りかけていた澄と呼ばれ少女はその音におびえ、涙を含ませた瞳で2人を見る。

 

「お、おかあさん・・・これ・・」

「あなた、地震地震地震!!! 」

 

しかし、少女のか細い声は、女性の緊迫した声にかき消される。何故だろう。止まっているはずなのに、車内が揺れ始める。

 

「落ち着け! 鳴ったからって強いのが来るとは限らん! お前、少しビビりすぎだ。澄、大丈夫だからな」

 

男性は後部座席を振り返ると、澄を安心さるため笑顔を見せる。だが、その笑顔をあざ笑うかのように、地震は収まらない。それどころか、段々と激しさを増してく。

 

「な、長い・・・・・。この揺れはあの時み・・・」

 

男性が何かを言いかけた瞬間、下からハンマーか何かで突き上げられるたかのような激震が襲い掛かる。人、車、建物、山、全てが揺れる。小さい体では到底抗えない強大な力。それに澄は座席の上で、遊ばれるかのように翻弄される。世界が壊れてしまうような、そんな錯覚させ感じられる。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁっぁ!!!!」

「澄っ!! 何かにつかまるんだ!!」

「大きい、大きすぎる!! 震度6はあるんじゃないのっ!!」

「かもなっ! もしかしたらそれ以上かも・・・。」

 

揺れ始めてから随分と経った気がするが、まだ揺れは収まらない。強弱を繰り返しながら、永遠に続くのではないかと思えるほど、収まらない。

 

「なんで、なんで、まだ収まらないの!? もう5分は経ってるのに!!」

「これは・・・・・・・ついに、来たな」

 

 

 

 

ついに、来た。

 

 

 

 

その言葉は揺れによる建物などの摩擦音、人の怒号、防災無線から流れる緊急放送が押し寄せる中、車内に抵抗なく溶けていった。

 

 

 

―――――

 

 

 

船の汽笛をさらに大きく高音にしたような音が響き渡る。恐ろしく、機械的に聞こえる男性の声。

 

「大津波警報が発表されました。海岸付近の方は、高台へ避難して下さい」

 

そのあとに、別の緊急放送が続く。

 

「・・・・市役所よりお知らせします。ただいま、和歌山県沿岸に大津波警報が発令されています。沿岸部にお住いの方はただちに、ただちに高台に避難して下さい。繰り返し・・」

 

「気象庁は先ほど太平洋沿岸の広い範囲、伊豆、小笠原諸島沿岸に大津波警報を発令しました。またその他の太平洋沿岸、瀬戸内海、伊勢・三河湾、東京湾内湾に津波警報・津波注意報が発令されています。沿岸にお住いの方は、直ちに、直ちに、避難して下さい! あのときを思い出して下さい!! 思い込みにとらわれず、自分の命を最優先に行動して下さい!! 逃げて下さい!!」

 

外の防災無線、そしてカーラジオから聞こえる、今まで聞いたこともないほど緊迫した声。サイレンを流しながら対向車線を猛進していくパトカー・消防車。そして、両親が放つ怒号。澄はその中、ただかけられていた毛布を強く強く握りしめていた。

 

「ちっ!! あそこの車、何やってんだ!! 入れねぇじゃねぇか!! くっそ!! 早く、早くしないと!!」

「あそこの路地を右に、そのあと左手に薬局があるからそこを左に!!」

「了解っと・・・!? あ、あぶねぇなこのくそ軽トラ!! ちゃんと前見てんのか!!」

 

久しぶりに聞く、父の怒号。前回放たれたときは母がとてつもなく怖い表情でいさめていたが、今回はそれがない。自分に向けられたものでないと分かっていても、澄は固く目をつむり怯える。それに耐えられなくなると、澄は視線を窓の外に向ける。

 

車は坂を上がっていた。当初は建物の屋根と同じ高さだったが、徐々に上がっていく。いつしか、街が見下ろせる高さになる。そこを前も後ろも車がびっしりと連なり、歩道には血相を変えた人々が着の身着のままで走っている。

 

 

 

 

 

そして、澄は見た。海。さきほどまで宝石のような輝きを放っていた海。その遥か向こう。

 

本来は平らな水平線が、少し、ほんの少し盛り上がっているのを・・・・・・。

 

 

 

――――――

 

 

 

「つ、津波が来たぞぉぉぉぉぉぉ――――!!!!」

 

山の上にある学校。小学校か中学校か、はたまは高校なのか見分けがつかない。そこの校庭に自分たちと同じように、続々と車が入って駐車していく。無事、着けたことにほっとしているのか安堵している両親の顔を見て、少女が笑顔を浮かべようとしたそのとき、絶望をにじませた声が、校庭、いや学校全体に響き渡る。

 

「つなみ??」

 

澄は、津波と聞いて正直分からなかった。ラジオなどではしきりに耳にしたが、それに関する説明は皆無。「なみ」と聞いて、家族で海水浴へ行った時のことを思い出していた澄。しかし、大人たちはそれを聞いた瞬間、顔面蒼白となり声のした方向へ一斉に走り出す。両親も例外ではなかったが、一瞬立ち止まり悲し気な表情で澄の顔を覗う。今思えば、おそらくこれから起こる、見るであろう光景を知っていた両親は、それを子供に見せて良い物かどうか迷ったのだろう。だが、今自分たちがここに置かれている以上、子供であろうとも受け止めなければならない現実。

 

「澄、おいで」

 

つらそうに顔を歪める母。澄は何もかも分からなかった。どうして大人たちの顔が白くなっているのか、母が父がつらそうにしているのか。しかし、分からないが感じてはいた。今自分は、とんでもない状況にいるのだと。

 

 

 

「早く逃げろ逃げろ逃げろ!!!」

「あがれあがれあがれあがれあがれあがえっ!!!!!!!!」

「すぐそこまで、来てるぞ!! なにしてんだ!! 後ろ、後ろ!!」

「歩くな! 走れ!! 飲まれちまうぞ!!」

 

響わたる怒号。悲鳴。人それぞれが出せんばかりの声量で、己の激情を発露する。母の冷たい手に引かれ、やってきた街を一望できる高台。数え切れない人々が恐怖の光景を、目に焼き付けている。そこからは自分たちが上ってきた坂道の入り口も見える。同時に自分がきれいと感じていた海も。

 

しかし、目の前の海は澄がきれいと感じた美しさを完全に変貌させ、どす黒い水の塊となって街を、人を、なにもかもを飲み込もうとしていた。迫りくる水の壁。澄はそれを見て、これのどこが波だ、と思った。海がそのまま這い上がっていく光景。それに抗えず、つぶされ砕かれ流されていく数多の家屋。おもちゃのようにもてあそばれている車。そして・・・。

 

「っ!? ひ、ひとが・・・・。お、お母さん、ひとがひとが・・・!?」

 

澄は見た。見てしまった。迫りくる明確な死。はじめは数cmにもみたない水の流れ。それに足を浸しつつも、大勢の人々が死から逃れようと必死の形相で走る、走る。お年寄りが、サラリーマンが、主婦が、警察官が、消防員が・・・・・。そして、走る。自分と同じ年頃の子供たちが。子供の手を必死に引っ張る母親が。

 

瞬きをした瞬間、その人たちの姿はなかった。いや、正確に言えばあった。ほんの一瞬で自分の背丈の何倍にも成長した濁流。その中に、苦悶の表情を示して流されていく姿が。人が、まるで道端の石ころのように猛スピードで流され、濁流の中に消えていく。澄の訴えを父は、母は悔しそうに唇をかみしめ、目に涙を浮かべて聞いていた。だが、言葉は帰ってこない。

 

「離せっ! 離せよっ!! あそこにはばあちゃんがいるんだ! 俺が俺がいかねぇと、ばあちゃんがっ! お願いだから離してくれ!!」

「ダメだっ。行ったら君まで死んでしまうぞ。冷静になれ!!」

「おれは冷静だ!! 家族を助けたいと思って何が悪い!! いいから、離せよっ!!」

 

突然近くで上がった怒号とも、悲鳴ともとれる大きな声。そこへ目を向けると自分より遥かに大きい1人の男の子が、警察官に腕をつかまれ、動きを封じられていた。

 

「もう、手遅れだ! まだ、飲まれていないがそれは時間の問題だ! 君にも分かるだろう!!」

「んなこと分かってる!! だけど、もしかしたら助けられるかもしれないだろ!! ばあちゃんは足が悪いんだよ!! 他人の分際で俺の気持ちが分かんのか!! だから、いい加減・・・あ、ぁぁぁ」

 

濁流は内陸へ、内陸へ進んでいく。家を畑を田を車を、人を飲み込んでどこまでも。男の子はある地区、高台の真下が津波に飲まれた瞬間、さっきの威勢を凍らせ、目に大粒の涙を浮かべる。

 

 

 

 

 

悲鳴が、聞こえてくる。

 

 

 

 

 

「たすけてくれれぇぇぇぇ――――――!!!!」

「うばっ!! 死にたくな・・・・・」

「うわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!」

 

凍り付く空気。真夏の日差しの照り付けているにも関わらず、誰もが悪寒を感じ、身を震わす。

 

ときおり、人間が発っしているのであろう、言葉にならないうめき声も聞こえる。だがそれも幻聴かと思えるほど、一瞬で濁流が鳴らす轟音の中に消えていく。

 

「お、俺んちが・・・・・・ば、ばあちゃん・・・? ばあちゃん・・・・。うそだろ、うそだろ? なぁ、だれか嘘だって言ってくれよ!!!!!」

 

男の子は周りを見渡す。大人たちは、必死に目を逸らす。少年の目は、彼を止めていた警察官に向く。彼は、申し訳なさそうにかぶっている帽子のつばを持ち、深くかぶり直す。それを見た少年は、その場で泣き崩れる。

 

爪が食い込んで血が出るのではないかと思えるほど、拳を強く握りしめる警察官。

 

息も絶えたえに表情を失い、全身ずぶぬれになった人々が斜面や坂道を、ゾンビのような足取りで上がってくる。間一髪で死から逃れられた人々。だが、歓喜の全く色はない。その数は自身が見た、ほんの一部の区域にいた人々より遥かに少なかった。その後ろ、かつて数万人が暮らしていた街は、文字通り海になっていた。家や車が不自然に浮かんでいる茶色い海。

 

澄は、ただただそれらを悲しみに押しつぶされそうな心で見ていた。

 

 

 

―――――

 

 

 

「東日本大震災と同規模の地震です。気象庁によると昨日午前11時46分に発生した大地震の震源は、三重県志摩半島沖、震源の深さは10km、地震の規模を示すマグニチュードは、2011年3月11日に発災した東日本大震災に次ぐマグニチュード8.9と推定されます。この地震により西日本太平洋沿岸を中心に、50を超える市区町村で震度7を観測しています。その他の地域でも北海道から沖縄に至るまで、震度6強から1の揺れを観測しています。本震の後もたびたび余震とみられる大きな地震が発生しており、午前5時3分に観測された地震では、三重県・和歌山県で震度6弱を観測しています。また、太平洋沿岸を中心に日本の広い範囲に、大津波警報・津波警報・津波注意報が発令されています。太平洋沿岸では最大波15mを越える津波が各所で押し寄せています。被害の全容は未だ分かっていませんが、各地で甚大な被害が発生している模様です。警察庁の午前4時のまとめによりますと、現在確認されている死者・行方不明者は3487名です。負傷者についは現在集計中とのことです。しかし、被害の全容がつかめていない現状を考えれば、被害者数は今後も増えると思われます。・・・・・・・大阪市中心部・名古屋市中心部は津波により冠水しており、多数の死者・行方不明者が出ている模様です。また、静岡県沼津市では・・・・・・・、ぬ、沼津市では多数の水死体が発見されたとの情報もあります・・・」

 

緊迫したアナウンサーの声。時折、スタジオのものだろうか、息を飲む音も聞こえてくる。その音で澄は目を覚ます。いつもの何倍も重たく感じる体を起こし、昨日酷使した目をこする。頭は睡眠不足と極度の疲れからか、霞がかかったようにぼーっとしている。

 

車内の時計を見れば、まだ前回見た時から1時間半しか経過していない。

 

度重なる余震、そのたびに響く母が持つスマートフォンの警報音。母は鳴りやまない警報音を気にし、マナーモードにしているがこうして起きた直後にも一回振動している。

 

「お母さん・・・・」

「ん? 澄、起きたの? ・・・・大丈夫? 気持ち悪いとか、ない?」

 

自分の起床を確認すると、スマホを深刻な表情で見つめていた母は無理に笑顔を作る。だが、澄の顔を見た途端、心配そうに眉をひそめる。澄の顔からは疲れが容易に感じ取れた。

 

「うん。大丈夫・・・」

「そう。なにかあったらすぐに言うのよ。いいわね?」

「うん・・・・。・・・・お父さんは?」

 

澄は運転席に父が座っていないことに気付く。意識を閉じるまでは、そこにいたのだ。急速に広がる不安感。それを察したのか、母は陰のある笑顔で澄を安心させようとする。

 

「大丈夫よ。お父さんはその・・・・・少し用事があって学校の方に行ってるだけだから」

 

子供でも分かる嘘。いつもの澄ならツッコんでいただろうが、母の顔には有無を言わさぬ迫力があった。それにおとなしく引き下がると、澄は座席に背中を預け、窓から外を見る。

 

運動場に止まる数え切れないほどの車。その中でしばしの休息をとっている人もいれば、何人かで集まり話しこんでいる人たちもいる。その会話が少し開け放たれている窓から聞こえてくる。

 

「小人地区のほうは壊滅らしい。全身傷だらけで山を越えてきた消防団のおっさん曰く、家がろくに残ってないとも」

「材木のほうは?」

「そっちも似たようなもんだ。ただ、派出所の屋上に生存者が数十人いて、今有志の住民と警察、消防が救助を試みてる」

「じ、自衛隊は来ないんですか? ニュースじゃ既に災害派遣で部隊が出てるそうですけど」

「親戚のおじさんが言ってたんですが、ここと和歌山やら奈良とを結ぶ県道や国道は軒並み土砂崩れ、橋の崩落でやられてるそうです。こりゃ、想定どおり、ここは孤立しちまったわけですよ」

「それに、例え道路があったとしても自衛隊が来てくれるか分からん。今回の地震はあきらかに想定を超えてる。おそらく、ここみたいなことが日本中で・・・・」

 

不安感を必死に取り払おうとする声。だが、それでも語られる情報はそれを増長させるものばかりだ。

 

「あっ、お父さん!」

 

嬉しそうに弾む声。澄は会話を聞いていた一団の後ろに父の姿を見つける。一刻も早く父に会いたい、父の声を聞きたい一心で、ドアを開け外に飛び出る。だから、だろう。澄には父の姿しか見えていないかった。父が何をしているのか。父を含めた数人の男たちがなにを運んでいるのかを・・・・・・・・。

 

「あっ、待ちなさい、澄っ!! いっちゃダメぇ!!!!」

 

必死に叫ぶ母。しかし、それは澄には聞こえていなかった。澄は疲れを感じさせない足取りで走り、急速に父との距離を縮める。その顔には笑顔が浮かんでいた。だが・・。

 

「お父さん!! ・・・・・・えっ・・・」

 

なにかを運んでいる父。父と一緒に運ぶ男たち。そして、それを見る人々。それらの表情を見て瞬間、澄は足を止める。くやしさ、悲しさを湛えた、ただただつらそうな表情。意味が分からず、父たちが運んでいるなにかを見る。トタンとおぼしきものに毛布が掛けられている。

 

「澄っ!!!」

 

血相をかえた母が車を飛び出すが、追いつくのが遅かった。澄は見てしまった。毛布の間から出ている、白く青い、生気の感じない人の手を。

 

「お、お母さん・・・・・」

 

父が運んでいる正体を認め、澄は母に抱き着く。怖かった。ぬくもりを感じたかった。自分が、母が父が、親戚に預けられている弟が、自分の大切な人がどこかへ行ってしまうような気がして。とても、怖かった。母はそんな澄を優しく抱きしめる。

 

 

 

どこにもいかない。ずっと、そばにいる。というように。

 

 

 

だが世界は、そんな親子のぬくもりを価値のないものとでもいうように、破壊する。

 

 

 

振動するスマートフォン。母は澄の頭をなでると抱擁をやめ、スマホを手にとる。

 

「え・・・・・・・?」

 

表情を曇らせる母。周囲の人々も、多くがスマホを眺め同じような表情だ。なにがあったのかと気になるが、それはくしくも、再び振動したスマホからの情報で明らかになった。

 

「え・・・・・・、うそ、でしょ・・・・。そんな・・・」

 

曇らせる、ではなく凍らせた母は、澄の手をとりテレビが設置されている学校の体育館へ走る。それは母だけではない。情報を受け取った人、全員が同じ行動を取る。

 

「おいおい、マジかよっ!!」

「富士山が・・・・・、そんな!」

 

テレビの前。そこには人だかりができていた。澄はそれを見ようと近くにあった椅子の上に昇る。

 

 

そこには、なにがなんだか分からない澄でも絶句する光景が映し出されていた。

 

 

「カメラ1っ!! カメラっ!! そっちまわして!! 早くしろ!!」

 

スタッフのものと思われる怒号が何度も聞こえる。画面は、アナウンサーではなくとある山をフルハイビジョンの高画質で映している。澄ですら何度も見たことのある山。日本の象徴でもある、神山・富士山。その美さえ感じる斜面から、溶岩とどす黒い噴煙が吹き出していた。

 

「ふ、噴火速報、噴火速報です! さきほど、午前6時58分ごろ富士山で噴火が発生しました。富士山の斜面、宝永火口でしょうか、から激しく噴煙と・・・・あと溶岩が噴出している様子が確認できます。あと・・・・・・これ、な、なん、んしょうか。灰色の噴煙が高速で火口から流れ・・・・・っ!?!? これは、火砕流か!? 定かではありませんが、映像を見る限り火砕流としか見られないものが高速で市街地に向け流れ下っています! 大変、危険な状況です!! この番組をご覧の方は・・・」

 

テレビ画面に速報が流れる。それと同時にアナウンサーの声が止まり、周囲の人々のスマホが一斉に鳴りだす。それを確認する人々。場の空気が絶望に分かっていく。

 

「たった今、気象庁は富士山で爆発的噴火が確認されたとして、富士山に噴火警報を発令しました! 噴火警戒レベルをレベル1の活火山に留意すること、からレベル5の避難に引きあげ、火砕流が到達する可能性のある地域に住む住民に対し、厳重な警戒を呼び掛けています。気象庁が噴火警報レベル5を発令するのは、平成27年5月29日鹿児島県口永良部島の新岳が爆発的噴火を起こして以降、初めてです。政府は富士山の爆発的噴火を受け、午前7時40分より防災担当大臣をトップとする災害対策本部の開催を決め、また午前7時9分に総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置し、被害状況の確認など情報収集を急いでいます。総務省消防庁は午前7時9分、対策本部を設置し被害状況の確認を進めています。また、警察庁は富士山の爆発的噴火を受け、午前7時9分警備局長をトップとする災害警備本部を設置し、現在ヘリコプターを派遣し上空から被害の確認を進めているという事です。繰り返しお伝えします。さきほど午前7時9分、気象庁は・・」

 

次々と巻き起こる非現実的な光景。その中か誰かが、吐露した。大人たちが抱く言い知れぬ不安を。

 

「と、東京がやばいんじゃないのか・・・・・」

 

それを境に、誰もが不安を口に出し始める。

 

「偏西風で、出た火山灰は確実に東へ飛ぶ。火山灰が数cmでも積もれば都市機能は崩壊してしまう・・・・・・・」

「東京だけじゃない。横浜も千葉も埼玉も、関東圏が・・・・」

「東京がやられれば、日本は・・・・・・」

「西日本がこれだけやられて、この上関東までやられたれ取り返しがつかんことになる!」

 

そんななか、また誰かが言った。東京だなんだといいつつ、心の奥底に本当に抱えているもの。現実のものとなる未来への不安を。あのとき、1000年に一度といわれた大地震を目の当たりにしたときに抱いたものを遥かに凌駕する危機感を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本は・・・・・・・・・どうなるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗く深刻な響きを伴った言葉。アナウンサーの叫び声と不安を土台にした喧騒のなか、澄はその言葉をしっかりと聞いていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

目を覚ます。見えるのはコンクリートのような無機質な天井。そして、白熱灯の照明。

 

「また、この夢・・・・・・。なんで、こんな時に・・・・」

 

むかむかする胸を押さえ、ゆっくりと気だるそうに上半身を起こす。妙な違和感に自身が来ている寝間着を見ると、睡眠中にかいたと思われる汗でびっしょりだ。額から水滴が落ち、寝間着に新たなしみを創り出す。どうやら、相当汗をかいているらしい。額の汗をぬぐい立ち上がると、押し入れの中からタオルと新しい寝間着を取り出す。タオルで汗を少し雑にふき、乾燥して着心地最高の寝間着に着替える。だが、湿り切った不快感から解放されたもののいつものような感動は感じられない。

 

布団へあおむけに倒れ込む。ほんのりと温かく湿った布団。火照った体には不快だが、寝てしまえば問題はない。まだ、外は星の世界。明日も、正確には今日も、だがやらなければならないことはたくさんあるのだ。しかし、目をつぶっても、いくら時間が経とうと意識ははっきりしたまま。それどころか、奥底に沈めていた記憶が瞼に投影される。

 

 

 

 

 

押し流される家、車、人。体育館に並べられた無数の遺体。なにもなくなった街。溶岩に飲み込まれる街。配給を待つ憔悴しきった被災者の顔。次から次へとやってくる前代未聞を伝え続けるテレビニュース。

 

 

 

 

 

「・・総理大臣は先ほどの記者会見において、災害基本法に基づく緊急事態宣言を布告する意向を表明しました。今日午後の臨時閣議において諮る考えも同時に示し、今日中に閣議決定がなされるものと思われます。災害対策基本法に基づく緊急事態宣言は、国の経済及び社会の秩序の維持に重大な影響を及ぼし異常かつ激甚な災害が発生し場合、災害応急対策を推進し国の経済の秩序を維持するため、内閣が制定する政令によって緊急措置の実施を可能とするものです。緊急措置とは、不足している生活必需物資の引き渡しや譲渡の制限または禁止、金銭債務の支払い猶予などとされています。しかし、これは国会閉会中また衆議院が解散している場合に限られ、現在のように通常国会が開会中の場合は法律に明記されている政令に基づく緊急措置の実施はできません。それを行うには、別途法律の制定が必要と見られており、今回の布告は国民に、日本が未曾有の緊急事態に陥っていることを今一度周知させる目的がありそうです。災害基本法に基づく緊急事態宣言は、昭和36年、1961年に災害対策基本法が制定されて以降初めてのことで、各所には大きな波紋が広がっています」

 

「政府は先ほど緊急記者会見を行い、各地で救援物資不足などを起因とする略奪行為が横行し、一種の暴動状態が頻発している事態を受け、史上初めて警察法に基づく緊急事態の布告を行う、と発表しました。これにより、全国の警察を総括する警察庁長官が総理大臣の指揮監督下に入り、総理大臣が警察を一時的に統制することが可能となります。布告日時は明日8月2日午前10時30分です。対象地域は、災害緊急事態宣布告地域と同様、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・群馬県、中部9県、近畿2府4県、中国6県、四国4県、福岡県・大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県です」

 

「西日本大震災を発端とした世界同時株安・金融動乱が止まりません!!! 今日の日経平均株価の終値は21営業日連続で下落し、2012年12月21日以来4年半ぶりに1万円を割り込み9734円45銭で大方の取引を終えました。また、ニューヨーク株式相場、上海、シンガポール、ソウル、ロンドン、フランクフルト市場などでも軒並み株価が5%以上値を下げ、2008年に深刻化したリーマンショックを彷彿とさせる展開となっています!! そして、外国為替市場ですが、歴史的な円安は止まらず午後5時時点での円相場は1ドル=142円63銭~67銭で取引が行われています。東日本大震災時と異なり、日本が被ったあまりにも大きな被害に、投資家心理が冷え込み、海外の投資ファンドを中心に国内から競うように資金を引きあげる動きが止まる気配は一向に見えません・・・・・!!」

 

「っ!?」

 

思わず飛び起きる。呼吸は部屋の雰囲気に似合わず乱れている。

 

 

 

 

西日本大震災。

観測史上最大の規模、マグニチュード9.3

死者・行方不明者41万7921人。

震災関連死を含めた死者・行方不明者53万1907人

日本史上、最悪の地震災害。

 

平成の大噴火。

300年の眠りを最悪の形で解放した富士山。

死者・行方不明者2万428人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落日への始まり・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それらの言葉が頭に思い浮かぶ。深呼吸を繰り返し、乱高下した心拍数を調整する。落ちつた頃を見計らって、窓から外を見る。

 

闇夜を照らす月。いつまでもその姿を見ていられるかに思えたが、空にはいくつか雲が浮かんでいる。ゆっくりと近づく雲。この世界に来てから昼夜問わず澄みきった空しか見ていない目にはえらく新鮮に映る。さすがに高気圧の勢いも今日までのようだ。自然は、天候は常に良い方向にも悪い方向にも変化する。永久は、ない。人の心と同じように。今は春から梅雨へ移行する季節の変わり目。

 

いつかは雲に覆われ、夜が本物の暗さで包まれる時が来そうだ。




この国に住んでいる以上、自然災害の脅威と隣り合わせで生きていくことは宿命ですが、やはりいくら「自然」とは言ってもそう簡単に割り切れるものではありませんね。

発生日時がなんか今年になっていますが、それはお気になさらず。あまり深い意味はありません。こんなこと起きて得する人はいない・・・・少なくとも筆者を含めた大半の人々がそうですから、正直これの執筆中は気が滅入りました。

気分を害された読者の方もおられることと思います。大変申し訳ございません。ですが、これは筆者の完全な「妄想」ではなく、起こり得る「可能性」とほんの少しでも受け取っていただいたなら幸いです。


最後にこの場をお借りして、6年前の震災、そして数々の自然災害により犠牲となられた方々、ご遺族に哀悼の意を表すとともに、被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。


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30話 腐れ縁

本作のUAがに、にに・・・2万を越えましたぁ!!
読者のみなさま、ありがとうございます!

そして、本話では久しぶりにあの方の登場です。



横須賀は瑞穂において有数の都市である。関東圏の一部や有望な港を持つが故に海運・造船産業が盛んであることも理由の1つだ。しかし、やはり最たる理由は横須賀鎮守府に代表される瑞穂海軍の一大根拠地である、ということだろう。ひと昔まえ、瑞穂がまだ武家政権であった幕府に統治されていた頃、横須賀はただの辺鄙な漁村であり、街と呼べるものは全く存在していなかった。しかし、積極的な交易・交流を行っていた欧米諸国が産業革命とそれに伴う近代化を進める中、瑞穂も世界の潮流に遅れまいと史上まれに見る国家体制の大改革を敢行。それによって生まれた新組織、瑞穂海軍が横須賀の特異な地形・港に注目し鎮守府を構えてから、横須賀は大きくそして急速に姿を変えた。今や当時の面影はなく、発展には目を見張るものがあった。

 

だが、それでも国内総生産世界第7位を誇る瑞穂には横須賀より大きな都市が複数ある。その中の1つ、いや瑞穂で頂点に君臨し他都市の追随を許さないのが、政・経の中心であり天皇皇后両陛下の御所である皇居が置かれている、首都東京だ。

 

昔、幕府が居城を構え江戸と呼ばれていた一大都市。深海棲艦が出現する前からその繁栄ぶりは変わらない。深海棲艦のと大戦が勃発し艦娘が登場する以前、本土近海に展開した敵空母艦載機による小規模な空襲を受けたこともあった。しかし、現在2033年では被害が小規模であったこともあり、復旧は既に完了しその爪痕は一切感じられない。それどころか、首都であり世相がもろに反映される東京にも横須賀と同じく戦時中の面影は一切なかった。アスファルト舗装された道路には大量の自動車が縦横無尽に走り回り、その横にある歩道ではサラリーマンやOL、学生、主婦などが清潔感あふれる和・洋の服装に身を包み、無表情であろうとも柔らかみを感じさせる雰囲気で歩いている。都心の大型化に伴う交通渋滞の解消のため、建設された首都高速道路にも自動車が溢れている。各所で戦時中のため延長工事が停止されているが、戦後を見据えてか小規模な整備が今でも進められている。そして、高速と同じ高架を走る鉄道も多くの乗客を乗せ、頻繁にレールの上を走行している。その乗客たちが乗降車する駅のにぎやかさは半端ではない。これも都会のなせる業だが、かといってうっとうしいほど人がいる訳でもないのだ。一時期は大戦の影響でこの活気も失われたが、いまではもう過去のもの、歴史となりつつある。

 

そして、それを333mという作為を感じる高さから眺める特徴的な形をした電波塔。日本と違い回りが木造住宅やせいぜい高くても10階程度の中層ビルしかない街にとって、かれの存在感は絶大であった。自動車や電車からの車窓、川の水面、雨が降った後の水たまり、ビルの窓、至る所からその真新しく、確固たる未来を感じさせる先進的な建築物を見ることができる。

 

そんな多種多様の光景を、他の一般企業が入所している建物とは異彩を放つ建築物の窓から、心ここにあらずっといった具合に眺めている男がいた。男は目の前のテーブルに右ひじをのせ、ほおづえをついている。顔の下には、食欲をそそり何度も食べているにも関わらず全く飽きがこない、スパイシーな香りを放つ料理が置かれていた。しかし、1つだけではない。男の対面にも、それは湯気をのぼらせながら、人の口に運ばれ感動させるのを今か今かと待っている。腕から顔を離し、組んでいる足を変えようと身じろぎしたとき、騒々しいテーブル席の音が響く廊下とゆったりと静かな時間が流れる個室とを分ける扉が、音もたてず上品に開けられる。それに男は景色を眺めながら顔を嫌そうに歪める。決して扉側に振り向こうとはしない。

 

「すまんすまん、待たせてしまって。会議が予想通り長引いてな、あはははっ」

 

靴をもう1つと同じようにきれいに並べ、やってきた壮年の男は照明をご自慢のスキンヘッドに反射させながら、引き戸をこれまた音を立てずに閉める。そして、悪びれた様子もなく座敷にあぐらをかくと、目の前の料理に目を輝かせる。

 

「悪いな、注文まで取らせてしまって。だが、待たずに程よく冷めてほかほかのカレーを食べられるのは、海軍軍人として最高の喜びだな。では、さっそく・・」

「おい待て」

 

スプ―ンを持ち、対面に座る男にも持つように促す。だが、男はそれに反応することなくドスの聞いた低い声を上げ、スキンヘッドの男を睨みつける。そこいらの新兵なら失禁確実の迫力だが、目の前の男は全く動じない。それどころか、申し訳なさそうに笑っている。それを見て男は苦虫を噛み潰したような表情になる。

 

「まぁまぁ、そう怒るな。遅れたことは本当に悪いと思ってる。この通りだ」

 

スキンヘッドの男が、照明できらきら輝く頭の頂点を男に向ける。男はつい吹いてしまいそうな自分を意地で押えつけ、自身の頭に意識を向ける。まだ、今のところ大丈夫そうだ。これからは分からないが・・・・・・・。

 

「微塵も誠意を感じられないのはなぜだろうな? 軍令部総長ともあろう人間がまともに謝れんとは・・・・嘆かわしい。後、その不幸を連想させる頭を向けられても不快になるだけだ。さっさと戻せ」

 

男は目をそらしながらいうと、スプーンを持ち「いただきます」も言わず、勝手にカレーを食べ始める。頭をあげた軍令部総長的場康弘は、まともな感性の持ち主なら激怒確実な言葉をかけられても平然としている。それどころか不敵に笑ってさえいるのだ。

 

「はいはい、気遣いありがとう。今の言葉を訳すとだな、別に気にすんな、さっさと顔上げ・・」

「食うのだろぉ!!! だったら、無駄口を叩かず、さっさと食え。早くしないと猫舌のお前でも耐えられない温度になってしまうぞ!!」

 

あまりにど直球すぎる言葉にカレーを吹きかけた男は、顔を真っ赤に染め米粒がとびそうな勢いで叫ぶ。それを気にしてか、ニヤニヤ笑いつつも着弾予想地点から少しだけ的場は身体をそらす。やりきれない表情をする男だが、すぐにスプーンと陶器製の皿が当たる甲高い音を鳴らしはじめ、がつがつとカレーを口の中に放り込む。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて食べるか」

「どの口がほざく。最初に言ったのはお前だろうに・・・。大体、良かったのか? 軍令部総長であり擁護派の筆頭派閥爽風会の会長たるお前が、その敵対陣営である排斥派の大物と、こんなところで会って」

 

自分自身を大物とのたまった男は、「こんなところ」の部分を強調する。それもそのはず、ここは東京都新宿区市谷の海軍軍令部庁舎内にあるレストラン「紺碧」。利用客はほぼ大半が軍令部に務める海軍士官だ。艦娘及び彼女たちの扱いによって大きく変貌する瑞穂の国家戦略、海軍の再建計画を巡って連日衝突している敵対派閥同士の長が会っているところを目撃されれば変な噂がたつにとどまらず、派閥構成員の士気にも大きな影響を与えかねない。だが、的場はそれがどうしたと言うように不安を全く感じさせない素晴らしい笑みで、男の言葉を笑い飛ばす。

 

「大丈夫だ。それに心配してくれるのなら、もう遅い。さっき、ここに入っていくのを部下に見られてたからな。あの驚きぶりを見るに、ここにお前がいることも知っていたんだろうな」

 

それには男でさえも頭を抱え、大きなため息をついてしまう。これから部下への言い訳を考えるのはきつい。あと、聞き捨てならないことを聞いたので、睨みつけることは忘れない。男は別に、的場を心配して指摘したのではない。あくまで、保身のためである。だが、その心情もなぜか見透かされているような気がしてならない。そんな男を見て、的場もため息をつき、大げさに肩を落として見せる。

 

「本当に・・・・お前は。もう少し素直なら、ここまでなることもなかったのだがな」

「・・・もう済んだことだ。過去の話をいちいちぶり返すな、気分が悪い」

 

笑っていた的場は少し悲しげな表情を見せ、カレーを1口2口とほおばる。男も怒気を含ませた顔から一転、少し影を見せるが、すぐに隠し的場と同じようにカレーを1口2口ほおばる。心なしか、いつもより少しやけ気味にほおばっているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「前々から思ってたが、本当にお前運ないな。今回だって、あと小1時間ほど我慢して東京にとどまっていたらこんなことにならずに済んだのに。部下の顔を立てたかったのは分かるが、もう少し後先のことを考えたらどうだ?」

「だから、もうその話は終わったことだ。それに1つ言っておくがあれは私が勝手に決めたこと、独断専行だ。部下は俺の言葉についてきた。・・・・・・・・・それだけだ」

 

男はこの話は終わりというように、カレーを食べることに専念しだす。男の性格をよく知っているとはいえ、無力感を覚える的場。

 

彼らは同期として海軍兵学校から共に歩んできたが、男のこういう頑固さと素直ではないところ、そしてほぼ確実に他者へ悪印象を与える言葉遣いは全くぶれることなく今日まで続いている。これのせいで男がどれだけ不利益を被ってきたか、おそらく男自身も分かっていないだろう。これは他者から見て、ようやく分かることだ。今回の件についても、自業自得ではあるが男は的場が立ちまわったとはいえ多大な不利益を被ったのだ。

 

すっかり、口を閉ざしてしまった男を見かね、的場は話題を変える。といっても、完全にではないが。

 

「まったく・・・・。お前がそれでいいなら、俺も口を出さんがな。それはそうと、例の報告書に目を通したか?」

「・・・・・・・・・」

 

反応はない。しかし、ルーと白ご飯を適度に調合していたスプーンが一瞬だけ、動きを止める。ほんの一瞬であったが、的場はそれを見逃さなかった。気付かれたことを察知したのか、カレーによるものなのか、男の額に気付かれたことによるものなのか分からない汗がにじむ。

 

「通したんだな」

 

断言する的場。これにも反応はない。

 

「お前の口だけの反応はだいだい察しがつくから聞く気はないが・・・・。どうだ? すごかっただろう?」

 

またもや反応なし、と思いきや男は雑にスプーンへご飯を乗せすぎたのか、テーブルの上へ米粒を2,3粒落としてしまう。気まずそうにそれを指で広い、口へ運ぶ男。耳が少し赤くなっている。さすがにここまで反応を示して黙っていたら不利になると判断し、男は的場から目を逸らしつつ口を開く。

 

「確かに、すごかったか? そう問われればすごかったとしか言いようがない。しかし、あれは荒唐無稽すぎる。しかも、それを書いたのがあいつで、もとになったのは艦娘どもの証言ではないか。軍人として、信じるに値しないものだと思うが。そうだろう? 軍令部総長殿」

 

嫌味たっぷりの最後の言葉。しかし、それを的場はさらりと受け流す。いつもなら仕返しの1つもかますのだが、彼は男が発したとある1単語に注目、いや感動すらしていたのかもしれない。彼は、男から純粋な「艦娘」という言葉を初めて聞いたのだ。男の口から嫌味や蔑みありありの「艦娘」なら嫌になるほど聞いたが・・・・。それに顔を輝かせる的場を見て、男はなにがなんだか分かない様子を装い、気まずそうに視線を泳がせる。的場が何に対して喜んでいるか、男も分かっているだろうに。

 

「ああ、俺もそう思う。だから、今度横須賀鎮守府主催で行われる演習に彼女、みずづきを参加させ、それを俺たち軍令部の人間が視察することになったんだ」

 

その言葉を聞いた瞬間、カレーを食べ終え水を飲んでいた男はものすごい勢いでコップの水を飲みほし、的場を直視する。その目は、睨んでいるふうに見えなくもないが、誰でもわかるほどうらやましそうだ。

 

「そんな目をされても困る。お前は明日から、停職の身。海軍軍人として参加することは、今度こそ完全な軍規違反だぞ。一応、お前にもこの件を伝えておこうと思ってな」

 

厳しめの口調でばっさりと切り落とすと、的場は持ってきたカバンの中から2枚の紙がホッチキスで止められた1組の書類を取り出す。それを、若干俯いている男に少々強引に渡す。男は蛇のようにゆっくりとした動きで紙に目を向ける。それに一瞬、的場は意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「なになに・・・・・、参加者名簿?」

 

表紙の文字を朗読すると、男は紙をめくりそこに書かれている人間の名前に目を通す。

 

「軍令部総長、的場康弘・・・・・合計で10人か・・・って、・・・・・・・・・・・・ん!?」

 

男は順々に書かれている名前へ目を通していき、「陸軍もいるのだな」などと他人事の台詞を漏らしていたが、一番最後の名前を見た瞬間動きが止まる。持つ手はわなわなと震え、紙にしわが入ってしまっている。しかし、的場は無反応。それどころか、さきほど見せた意地悪げな笑みが堂々と浮かんでいる。

 

一番最後の名前。それは・・・・・・・

 

「軍令部総長的場康弘、私的補佐人。御手洗実」

 

そう、名簿の最後には書いてあった。御手洗は信じられず何度も目をこするが、それは変わらない。事実確認を行うおうと的場に目を向けるが、彼は御手洗が敗北感を味わうほど素晴らしい笑みを湛えてた。まるで、いたずらに成功した子供のように。御手洗は罵詈雑言を放ちそうになる口を何とか抑え、的場の言葉を待つ。

 

「説明するもなにも、書いてある通りさ」

「だから、それでは説明になっていない!! 俺は停職中に身だと、お前自身言っていたではないか! ボケるには少々早いと思うがな」

「よく見ろ。どこにも軍令部作戦局副局長や中将なんて書かてないだろ? お前は私の私的な補佐人、要するに使いぱっしりで同行するって体面だ」

「はぁぁあぁ!!!! お前!! 今、何と!!!」

「いいから、聞けって。どこまで話したか・・そうだそうだ。使いっぱしり、そのままの意味だ。俺は守銭奴ではないから働いた分、ポケットマネーから給料を出してやりたいんだが、それをやったら俺もお前も軍規違反で怖い怖い憲兵にしょっぴられる。副業は完全にアウトだからな。そこはすまないが行動範囲は俺たちと一緒だ。だからお前のみたいものは見れる。なにせ俺の使いぱっしりだからな。近くにいてもらわないと困る。・・・そういうことだ」

「はああ!!! お、お前の使いぱっしりだと!! 補佐人という言葉を見て薄々感づいていたが、この俺が、お前の使いぱっしり!! ふ、ふざけるのも、大概にしろっ。お前が俺の雇い主、格上の存在になるなど認めらるわけないだろう!!」

 

その激高ぶりに、的場は強烈な既視感を覚える。軍令部総長への就任が決まったときも全く同じことを言われたし、思えばいつのまにか御手洗より上位の役職に就くようになってからは、なにか配属が変わるたびに毎回同じ言われてきた。だいたい、的場は軍令部総長で大将、御手洗は例の件で大本営統合参謀会議委員をクビになったため、軍令部作戦局副局長で中将だ。格がどうのこうのははなから決まっている。

 

「こんな私を、御手洗家を侮辱するような条件は断じて・・・」

「そうか。じゃあ、行かない、いや行きたくなんだな。全く持って残念だ。さっそく、書類の書き直しを・・・」

「ま、待て!! 私はまだ何も!!」

 

なんの未練もなく立ち上がり、カバンも持って個室を出ていこうとする的場。カレーは1粒の米も残らず平らげ、こちそうさまの掛け声も忘れない。そんな的場の素早い行動に激高していた御手洗は、血相を変え引き留めにかかる。的場はため息を1つ。

 

「お前な・・・・。俺だからいいものの、百石みたいなやつが大半なのだからもっと自分の気持ちをはっきりさせてくれ・・・。それでそうするんだ? いくのか? 行かないのか?」

 

的場の、有無を言わさぬ突き放すような声。こういうときはいかな御手洗でも下手に抵抗すれば、自身の不利益になる結果が生み出される。御手洗は自身のプライドと好奇心とを天秤にかける。結果は後者の勝利だ。それに的場は御手洗が行きたがることを見越して、自身が批判を受ける可能性を顧みずに根回しをしてくれていた。また、例の件で御手洗の処分がこの程度で済んだのも的場のおかげだ。だから、彼の努力を自らの利益に結び付けなければならない、などとこれまたひねくれた理由付けをして、御手洗はゆっくりと頷く。もちろん、これが意味するところは肯定だ。

 

それを見届けた的場は父親のような優しい笑顔を見せると、何も言わず退出する。

 

「さて、俺も出るか。・・・・・これは?」

 

立ち上がりかけた瞬間、御手洗はテーブルの分かりやすい位置に置かれた紙を拾い上げる。それの正体を認めた瞬間、比較的平穏だった心が再び煮えくり返る。

 

 

昼食代の伝票。

 

 

何を見間違えようか。どこからどう見ても、受け取った後、的場に支払わせようと彼の席に置いていた伝票だった。

 

「あ、あのやろう・・・・・・」

 

御手洗しかいない、窓からの開放的な景色が幹部に人気の個室。その一角でいろいろ壮大にやらかし、さらにその有名具合を高めた男が伝票を手に打ち震えていた。値段は的場の分を足しても庶民出身の軍人にも苦にならない額であるが、御手洗はまんまとハメられたことが悔しくして仕方なかったのだ。




先週連続投稿したからというわけではないのですが、本話は少し短めでした(といっても6800字あったんですけどね・・・・汗)

存在を忘れていらした方もおられると思いますが、いつかみずづきと百石たちに絞られたあの方が再び登場です! 第1章である意味活躍した彼ですが、第2章でも引き続きいろいろな顰蹙(ひんしゅく)を買っていただきたいと思います(笑)


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31話 負けない為に

今回はいつも並みの文章量です。


????????

 

 

あわただしく額に汗を浮かべ、注文取りや料理運びに奔走する店員。腹ごしらえや1日のストレスを発散するため、飲みに来る客。彼ら・彼女らが走り歩く廊下から一枚の木製引き戸を隔てた、4畳ほどの和室。中央に畳と相性抜群の座卓が置かれ、闇を映すのみとなった窓は障子によって覆われている。ウグイス色に塗られた土壁が少しオレンジがった照明を適度に反射し、室内に風情ある空間を創り出している。響くにぎやかな喧騒が、それをさらに際立出せる。つい落ち着いてしまう空間。

 

「はぁ~」

 

それを百石の悩まし気なため息が容赦なく破壊する。彼は運ばれてきた水をちびちびと飲みながら、ここに来て以来ずっとこの調子だ。そうなる理由を筆端の口から聞かされた吹雪をはじめとする第5遊撃部隊のメンバーは同情しつつも、聞く側としてはいい加減うんざりしてきたので、ここに来た本来の目的を百石に思い出させようとする。

 

「テートク、ため息ばかりついてても始まらないネー。もう、終わったことデース」

「そうそう、そりゃ私たちだって納得した訳じゃないけど、これまでは処分すらなかったこともあったじゃない。それに比べればはるかにマシよ。もう1つ件については・・・もう割り切るしかないわよね」

 

それぞれ注文したサイダーとオレンジジュースを飲みながら提督の姿を苦笑しながら直視する金剛と瑞鶴。それ気付いた百石はゆっくりと悔し気な顔をあげる。彼がこうなっている理由。それは・・・・・・・・。

 

「例の軽い処分に、的場大将の補佐人という名目で視察に来る中将・・・・。なんであんな忌々しい顔を何度も思い出して、ため息つかなければならないんだ!」

 

語気を荒げ、コップの水を一気に飲み干す。そう、みずづき欲しさに無断でいきなり横須賀鎮守府に押しかけ、罵詈雑言を吐いた挙句みずづきにお仕置きの一撃を食らい、あまつさえ百石たち鎮守府幹部のありがたいお言葉をいただき、東京へ逃げ帰った御手洗についてだ。百石や筆端たち。いや全鎮守府将兵・艦娘がまだかまだかと待ちわびていた、といっても過言ではない横須賀鎮守府侵入を受けた御手洗の処分がさきほど東京の軍令部から送られてきたのだ。結果は百石に言った通りである。

 

 

 

 

大本営統合参謀会議委員、解任。

停職、2週間。

減俸二分の一、3ヶ月。

 

 

 

 

これが御手洗実中将に言い渡された処分である。

 

だが、それを聞いて歓喜するどころか百石はやり場のない悔しさと無力感を味わっていた。今回を機に今まで散々働いてきた悪行の清算も行われると思っていただけに、それに対する落胆ぶりは大きかった。そして、極めつけは処分の通達と共に送られてきた演習視察参加者名簿だ。そこには的場大将や軍令部作戦局局長小原貴幸中将など、顔を想像しただけで胃が痛くなってくる海軍重鎮たちの名前が列挙してあり、見た瞬間めまいを起こしてしまったほどだ。電話を受けて覚悟していたものの、正式な書類の衝撃は凄まじかった。だが、それはあらかじめ的場から聞いていたためよかった。そう、それだけで終わってくれたのならどれほど良かったことか。名簿に記載されている最後の名前に目を通した百石は報告に来た通信課の士官がいるにも関わらず叫び、いきなり押し寄せてきた疲労感にソファーへ倒れ込んでしまったほどだった。

 

「東京から、総長と中将が密かにあってる!?なんていう噂は聞いてきたが、まさか本当だとは。総長はいったい何を考えておられるのやら」

「あ、はははははっ・・・・・・・・」

「いや~、いい飲みっぷりだね~。提督、もういっちょいっとく?」

「き、北上さん!? ・・・・・私も最近なんだか疲れが、提督よりも私の方に入れて下さいませんか? 提督なら殿方なので自分でお入れになりますよ」

「ん? 大井っち、水まだたっぷり入ってるよ。それなら必要ないじゃん」

「え・・・・。はっ!! わ、私としたことが、ま、待ってください北上さん!! 今! いま空にしますからっ」

 

少しやけくそになって情緒不安定の百石の右斜めに座っている吹雪はほほに汗を浮かべながら苦笑を漏らす。だが、それはいつものコンビネタを相変わらず見せつける大井・北上を前にして、どちらへ向けられたものなのか、はたから見ると分からなくなってくる。

 

「はぁ~」

「提督、ため息ばかりついていては幸せが逃げるっという言葉もあります。お気持ちは痛いほどお察ししますが、珍しく五航戦がまともな言葉を言っていることですし、どうかお気を確かに」

「はいぃぃ?」

 

今まで無言かつ瞑目して提督や吹雪たちの会話を聞いていた加賀だったが、目を開けると困ったような表情を浮かべる。提督に励ましの言葉を送ったつもりのようだが、いつもの如く火種をばらまき、瑞鶴の怒りを買う。隣から発せられる本気ではない怒気。それを受けても平然と麦茶を口にする加賀。そして、苦笑を続ける吹雪。

 

今日も第5遊撃部隊は全く持って平常運転だ。

 

それを見るとなんだか可笑しくなってくる。同時に励まされている気がするのだ。彼女たちは彼女たちで今回の件に関し当然思うことはあるだろう。御手洗の暴言は百石などの擁護派に向けられることも多かったが、それ以上に多くそして辛辣な言葉を艦娘たちにかけてきたのだ。あの時もそう。だが、それでも彼女たちはいつも通りの表情を浮かべている。

(彼女たちを見習わなくてはな・・・・・)

百石は北上に注がれた水をもう一度、一気に仰ぐ。またため息の連射が始まるのかと吹雪たちは肩を潜めるが、飲みを終わりコップを座卓の上に置いた百石の顔はどこか吹っ切れたような顔をしていた。

 

それに顔を見合わせると睨み合っていた瑞鶴と加賀も含め、一同は笑い出す。そこを見計らったかのように、木製の引き戸は開けられた。一気に様々な音が侵入してくる。そこには強面の雰囲気が型なしに感じるほど少し申し訳なさそうに眉を落とした浅黒い肌を持つ大柄の男性が立っていた。

 

「お待たせして、すいません。少々、工廠の事務処理にてこずりまして」

 

男は履いている靴を既に並べられている靴たちの隣に置くと、畳の上に上がり引き戸を閉める。外界からから隔絶され先ほどの落ち着いた空間が戻ってきた。

 

「いえいえ、私たちもいろいろ話し込んでいたので、お気になさらず」

「っと言っても、テートクが愚痴を言ってただけデスケドネ!」

「それを私たちが励ましてました。提督の言い方には少し語弊があります」

 

百石の事実改変は、金剛と加賀の一撃によって会えなく崩壊する。気まずそうに後頭部をかく百石。それを見た男は、工廠で聞いた話を思い出し、笑みをこぼす。御手洗と散々やり合ってきた百石の反応は手に取るように分かるのだ。

 

「こんばんは、漆原工廠長。ささ、こちらへどうぞ」

 

苦笑ではなく年相応の笑みを浮かべた吹雪が、漆原をいまだ空席になっている座布団の上に手で案内する。それに笑顔でお礼を言い、もう怖がられなくなったことに対する感動を噛みしめながら、百石の対面、右斜めに瑞鶴、左斜めに大井がいる位置に腰を下ろす。昔、まだ艦娘とそこまで深い間柄でなかったときは、それももう怖がれたものだ。面と向かって話してもびくびくしながら目を合わせてくれないし、声をかけようとしてもさりげなく避けられる。まだ、戦艦や空母の子たちはましだったが、吹雪をはじめとする駆逐艦の反応にはそれはもう泣けてきたほどだ。だが、時が経ち、漆原は外見が怖いだけの心さやしいおじさんということが浸透し、今ではどの艦娘とも普通に会話ができるようになった。初対面や付き合いが薄い人間には、ほぼ確実に怖がられるが・・・・・・。

 

「よしっ。これで、全員そろったな。いろいろ紆余曲折はあったが、本題に入りたいと思う」

 

本題、という言葉を聞いた瞬間、室内の空気がそこまでではないが引き締まる。北上がリンゴジュースを飲む様子に涎を垂らしていた大井が涎を吹き、表情を普通に戻す程度には。

 

「既に言っているが、改めて言うと今日ここに集まってもらったのは、3日後に行われる演習、みずづきとの実戦演習において活路を見出すためである。みずづきの力をまじかに見た第5遊撃部隊と先進的技術に明るい漆原工廠長。私1人ではみずづきに対抗する作戦は立てられない。みずづきに勝つため、いや・・・・・・ぼこぼこにされないため、みなと突っ込んだ議論を交わしていきたい」

 

冒頭部分は勇ましい限りだったが、言葉が重なるにつれて声量が小さくなっていく。それに比例して、一度引き締まりかけた雰囲気が残念な方向に弛緩していく。吹雪たちは百石の気持ちを察し、困ったような苦笑を浮かべてしまう。

 

みずづきとの演習。前代未聞の相手、そして軍令部上層部の視察もあるということでどのような演習形態にするか第5遊撃部隊や参謀部と慎重に話し合った結果、正真正銘のガチンコ演習となることが決まったのだ。当初、百石はみずづきから武器や性能など、軍事機密に触れない程度の大まかな情報を得た上、横須賀鎮守府どころか瑞穂で唯一みずづきの戦闘シーンを目撃した第5遊撃部隊を対戦相手とする方向を考えていた。しかし、これはぼこぼこにされることを恐れた吹雪たちと、出来レースとなりせっかくの作戦を立てる機会が失われてしまうことを危惧した参謀部、特に作戦課の反発によって立ち消えとなっていた。もう少し正確に言えば第5遊撃部隊でも吹雪・金剛・北上・大井は演習に前向きであった。しかし、自分達でも容易に撃破できない敵機動部隊、空母艦載機をハエを叩き落すかの如くあっという間に殲滅したみずづきの得体のしれない力から、自分たちが精魂込めて育成してきた航空隊がその力を発揮する暇をなく海の藻屑となることを想像していた加賀・瑞鶴が難色を示したのだ。それに彼女たちの艦載機を操る妖精たちも、だ。別に拒絶しているわけではなかったのだが、空母としての誇りと艦娘として妖精たちを想う気持ちの狭間で揺れる2人の複雑な表情を見て、吹雪は旗艦として演習相手を断ったのだ。また、参謀部作戦課は、作戦を立てることが存在意義であり、作戦を立てることが異常なほど大好きな将兵が集まっている。平時は訓練日程の作成や有事における作戦立案の訓練・勉強などを行っており、自分たちの本領を発揮する機会は演習ぐらいしかないのだ。だから、彼らの張り切り具合は半端ではない。そして、飛び込んできた1個機動艦隊を殲滅したみずづきとの演習を行うとの情報。彼らは横須賀鎮守府の中枢であるため、みずづきの戦果は重々承知していた。しかし、いや。だからこそ、彼らは燃えていたのだ。

 

自分たちの力、これまでの努力が試される時が来た!っと。

 

その情熱は梅雨時期に入りつつある今日にあって耐え難いほど熱く、百石の考えを聞いた作戦課課長五十殿貴久はすこし薄くなった髪の毛が乱れることをものともせず、提督室に直行し百石に「作戦立案」はなんたるかを熱弁したのだ。思考した作戦の有効性の証明、ノウハウの蓄積・発展及び継承、未来志向の作戦立案の重要性、今回で得られるだろう情報と教訓。そして、作戦立案はいかに熱く、人間臭く、有意義で、価値のあるものかを。

 

そして、それは結果的に報われた。簡単に言えば、百石のその熱に浮かされてしまったわけである。

 

 

絶対に勝てないと思う相手に挑む。熱く、軍人魂を触発されたのだ。

 

 

そして、結果みずづきとの演習は彼女の武器・船体の性能を事前にすり合わせることなく、こちらが現在2033年で考え得る戦術をもってあたることが決まったのだ。しかし、何のなんの情報もなければ作戦の立てようがない。やるからには百石と作戦課は勝利、もしくは引き分けを狙っていた。

 

無理だと分かっていても・・・・・・・・。

 

そのため本日、ここ横須賀鎮守府にあり、みずづきの歓迎会時に料理やお酒を用意してくれた居酒屋「橙野」、そこの個室で集まることになったのだ。

 

「みんなの気持ちはよく、よ~く分かる。だが、みずづきはお前たちから見て未来の存在でも、過去であるお前たちの世界、そこにあった技術を基にしている。80年という時間の差は埋めがたいが、少しでもその差を小さいものにすることはできるはずだ。・・・そうしないと絶対勝てない・・・」

 

下を向きながら現実を語る百石。だったら、ガチンコなんかにするなと言いたいが、自分たちの拒否が結果的にこの状態を生み出していることを知り、若干の責任を感じている吹雪たちは誰もツッコまない。それに、吹雪たちが対戦相手を拒否したということは、他の部隊、戦力的に赤城、翔鶴の2空母を有する第1機動艦隊があてられることは想像に難くない。だからこそ加賀と瑞鶴は渋い表情なのだ。ここでまともな議論にならなければ、それこそ大事な戦友や姉を有する一機艦は文字通り殲滅されるだろう。

 

「でも、そうは言ったって、私たち戦闘をまじかで見た訳ではないし・・・・」

「見たのは、噴進弾みたなものが敵の航空機の命中するところと~」

「聞いたのは、北上さんのおっしゃったものが敵機に命中したときの爆発音」

「偵察に出した天山搭乗の妖精から、敵機動部隊が光る矢によって短時間で全滅した、と・・」

「加賀が私たちに気付かれないように、妖精に向かって怒鳴ってるところも見まシタ!」

「ちょっ! あ、あなた、今それは関係ないでしょっ!!」

 

突然の暴露に加賀は血相を変え、金剛を睨みつける。「イヤー、怖いデース!!」と棒読みで叫ぶ金剛。いつも通り全く反省の色は見えない。それへ不敵な笑みを浮かべる瑞鶴。ばれたら、また騒々しくなるだろう。

 

「もう、金剛さん! 今真面目な話をしてるんですから、少しは自重して下さい!」

 

ビシッという旗艦吹雪。それに「I’m sorry!」といいつつ金剛は舌を可愛らしく出す。一応は反省していると見ておいた方がよさそうだ。ほほを膨らます吹雪。百石は笑みをこぼしながら、いかに効率よく吹雪たちから情報を引き出し、それを基にしたみずづきがもっている武装の推測を行うか真剣に考えていた。彼女たちはああ言って何も情報を持っていないと思っているが、どれだけの情報を自分たちが持っているのか自覚していないのだ。噴進弾の一言でも、専門家がいれば様々な方面の技術水準、それから推察される相手の戦術を明らかにできる可能性もあるのだ。

 

百石は漆原を見る。そのために彼を呼んだのだ。漆原は百石の視線に気付かず、口を開き始める。

 

「ざっくばらんに話していても埒があかん。ここはそれぞれ議論するテーマを絞りましょう。まずは、お前たちが一番語る噴進弾のようなものについて。彼女たち、そして吹雪の報告書を読む限り、みずづきはこの噴進弾のようなもの、言いづらいからもう噴進弾ってことにしますが、これを対空戦闘の主兵装としているようです。百発百中かつ猛スピードで殺到したとありますが、吹雪? 具体的にどれぐらいのスピードだったんだ?」

 

漆原は工廠で働いているときのように真剣に、吹雪を直視する。そこに、遅れてやって来た時の柔らかさはなく、強面のため恐怖すら感じられる。しかし、吹雪は昔と異なり怯えることもなく、平然と応対する。彼女も漆原がどうような人物がすでにしっかりと把握しているのだ。

 

「具体的にですか、うーん・・・」

「具体的な速度は分かりませんが、明らかに敵、そして私たちの艦載機より圧倒的に早いものでした」

 

唸る吹雪に、加賀が満を持して代わりに答える。申し訳なさそうな吹雪になぜか瑞鶴が「いいの、いいの」と手を振る。加賀は完全に空母モードになっている。

 

「本当に全弾が命中したのか?」

「はい。少なくとも、私たちが見た範囲は。みずづきの噴進弾はまるで個々か意思を持っているように、敵機に命中するまで追尾していました。もっとも噴進弾の速度が速すぎて、一瞬で命中してましたが・・・。後、敵船を沈めたのもそれと酷似しています」

「誘導装置付きの噴進弾、か・・・・・・・・」

 

漆原は加賀の言葉を聞くと顎に手を当て、何かを考え込むような口調になる。それを不審に思った瑞鶴が声をあげる

 

「どうしたの? なんかものすごく意味深な言葉に聞こえたけど」

 

うんうんと頷く一同。

 

「いや、実はな、昔まだ深海棲艦が出てくる前、革新的な兵器をテーマにした兵器開発本部の講演会のなかで、このみずづきが持っているような追尾する噴進弾のアイデアが出たことがあったんだよ」

『えっ!?』

「これから、いつになるか分からないが空はせいぜい5、600kmしか出せないレシプロ機ではなく、音速を軽々と超えるジェット戦闘機が乱舞する時代が来る。こうなった場合、現在のような人の目で照準をつける対空砲火では全く対応できないし、戦闘機に関しても機銃を目標に当てられない。そこでロケット推進を利用した音速越えの革新的噴進弾に、自律的に飛行可能な誘導装置を取り付けた、()()()()が必要不可欠になってくると、な」

 

漆原以外は開いた口がふさがらない。そんな空想科学小説かぶれとこの世界では受け取られかねない話が過去に出ていたこともそうだが、それよりも特筆すべき事柄がある。誰か知らないが彼は、日本世界が歩んだ道を恐ろしいほど正確に言い当てているのだ。ここにいる全員、並行世界証言録に目を通しており、また瑞鶴や金剛は1944年まで北上は戦後まで生き延びていたため、第二次世界大戦後空の覇者が見慣れたレシプロ機から、音速越えのジェット戦闘機に変わったことは知っていた。ただ、雪風や響が並行世界証言録作成の際に、社会や経済、政治、文化などを重点的に語ったため、世界情勢に大きな影響を与えた核兵器などは別格を除き、それ以外の一兵器や武器に関する事柄はあまり詳細に記されていなかった。だが、彼の言った通り音速の世界では、これまでの対空戦術、対空・空対空兵器は全く持って意味をなさない。

 

 

彼女、みずづきの姿が徐々に明らかになってきた。

 

 

「これはまだレシプロ機が全盛でジェット機が研究段階だった頃に出されあまりに突飛すぎたのもそうだが、現在の科学技術では誰でも開発不可能・・・噴進弾は可能だが、それに乗せられるだけの誘導装置の小型化と性能の向上が困難だったことから、全く相手にはされなかった。俺も聞いた時は未来に生きてんなっと笑ったもんさ。でも・・・・・・・、俺は彼に謝らないといけないな。みずづきは俺たちより遥かに科学が進んだ並行世界から来た」

 

その続きを百石が言う。

 

「私たちに不可能なものは、みずづきの世界にとっては可能、ですか。なるほど。つまり彼女の世界は既に音速の世界で、ジェット戦闘機を打ち落すためにミサイルを使った戦術に転換していると・・・」

「これなら、彼女が何故中口径の単装砲1門に対空機銃が2挺だけなのか、それも説明できます」

「撃っても、当たらないから・・・、いらない、と?」

 

大井が浮かんだ疑問、そして漆原が考えていた理由の1つを述べる。今回に限っては大井も真面目だ。

 

「ご名答。音速の目標に大砲を当てるなんてそれこそ不可能だ。当たらないものを置いてたって艦内の貴重なスペースと予算の無駄だ。だが、みずづきも持っていることは持ってる。あまり考えたくはないが、彼女の砲は音速の目標にもあたるのかもしれんな」

 

漆原の当然の結論に個室はこれまでもそうであったが重苦しい空気に覆われる。時速300kmほどで飛行する目標にもなかなか当たらないのに、音速なんかに当てられるわけないのだ。というかそんな目標に大砲を撃ったことも撃つことになると考えたこともない。

 

一同に2033年の日本には、時速600kmで走る鉄道がありますと伝えたら気絶するのではないだろうか。

 

「だが、もう1つ考えられる理由がある。音速になれば絶対に目標を見つけてから対処するまでの時間が圧倒的に短くなる。俺たちが考える数kmやせいぜい十数kmの戦闘範囲じゃ、それはもう一瞬だ。加賀よ。もし深海棲艦が音速とはいかないまでもこちらを凌駕する速さの攻撃機で一撃を狙っている場合、どう対処する?」

 

いきなり話を振られた加賀は今までの衝撃の影響か、いつものように動揺を隠しきれていない。だが、それでもすぐに頭を切り替えまともな戦術を考えるあたり、さすが加賀というところだ。

 

「撃墜は困難で私が損害を被る可能性を考慮しなければなりませんが・・・・・・・私なら対処する時間を稼ぐため、より遠方に策敵機を飛ばし、出来る限り遠い距離で戦端を開きます」

「そう。おそらく加賀の言ったことが日本世界の発想だろう」

 

それに砲撃戦や雷撃戦を主体とする金剛・吹雪・北上・大井はいまいちわかってないが、それに瑞鶴が反応する。彼女が知っているアウトレンジ戦法とは全く趣旨は関係ないが、それによって広い戦場にイメージが湧き、頭がついてきていたのだ。

 

「つまり、対処する時間を稼ぐために迎撃場所が遠くなって、戦場が広大になっていったのね」

「それに伴って艦船同士の交戦距離も拡大。対空・対艦目標とも主砲の飛距離を越えたからますます大砲の必要性が薄れた、と・・・。あの主砲や機銃はもしもの保険、といった感じかしらね」

 

うんうんと納得する空母勢。だが、いまいち納得できない4人を代表して金剛が声を上げる。

 

「ちょっと、待って下サイ! もし漆原や加賀・瑞鶴の言う通りだとシテ、戦場が広くなったとしマース。ジャア、そもそもどうやって敵を見つけるんデスカ? 目視や索敵機では、もう限界デスヨネ」

 

敵を視界に捉えて初めて戦闘を行うことが常識の者にとって当然の疑問。他の3人も同意を示すかに思われたが、金剛の発言を聞いて吹雪があの時のみずづきの交信を思い出す。そして、みずづきのあり得ない言葉に示した自身の反応も・・・・。

 

「そっか、電探・・・レーダー!!」

「ど、どうしたんだよ吹雪・・・・」

 

戸惑う北上。その隣の大井も、北上を守ろうとはせず同様の表情だ。思わず今までのモヤモヤが解けたことにする喜びから、吹雪は立ち上がってしまった。一斉に集中する視線。吹雪はほほかきながら耳を赤く染め、静かに座布団の上へ小さな身体を下ろす。ただ、向けられた視線の中には驚きもあったが、「ようやく気付いたか」という感心が含まれているものもあった。いや、それの方が多かった。

 

「なに、簡単なことだ。目で見えないのならその範囲すら捜索できる機器を乗せればいい。吹雪? みずづきは約25km離れた敵の詳しい位置、数までを対水上電探で補足してたんだな」

「はいっ、そうです。私もかなり驚きましたからよく覚えています。日本で実戦配備された電探や瑞穂で開発中の電探とは、探知距離・正確性が段違いでしたから」

「つまり、25kmの範囲はみずづきに丸見えってことデスネ?」

 

あの時の会話を思い出し、顔色を悪くする金剛。あの時はみずづきが電探を持っていることに対する驚きに意識が持っていかれていたが、こうやって落ち着いた環境でじっくり考えるとみずづきの言っていたさりげない台詞に恐怖を感じる。つまり、どれだけこちらが無線封鎖して近づこうとも、25km圏に入った瞬間みずづきには位置から数までばれてしまうのだ。そして、こちらはみずづきに探知された事実に気付きようがなく、一方的に叩かれるだけだ。訳も分からずこちらの射程外から。これではお話にならない。

 

「いや、実際はもっと広いだろう。電探は電波を放って、目標をはじめとする障害物にあたって生じる反射波などを捉えて位置を捜索する装置だ。そして、電波は直進しかしない。跳ね返ることはあっても曲線を描いて曲がることはない。対水上電探は水上の目標を捜索するためにあるが、どうしても地球の丸みに影響されてどれだけ電波の出力があがろうとも一定の範囲しか探知できないんだ。その一定距離が理論上30kmとされている。みずづきが電波の直進性を変え得る技術を持っていないことを祈るが・・・・」

「つまり、みずづきは少なくとも30km圏内に入ったものは探知可能という事ですね、恐ろしいことに」

「ただ、これは対水上電探に限った話だぞ。さきほど言ったように電探のシステム上、対水上は地球の丸みに影響されるが、空は何もないため電探の出力が高ければ高いほど探知距離を延ばせる。ここで、先ほどの戦場の話が出てくる。おそらくみずづきは広大な範囲、水上電探の倍に相当する空域を探知範囲としてるだろうな。あまりに凄すぎて私も疲れてきたが・・・・・・」

 

漆原は一息つくために、目の前に置かれた水を一気に飲み干す。話続きでからからに乾いたのどに流れる清涼感。「うまい」と短くも的確な反応をこぼすと、各々の顔に目を向ける。みな、衝撃で顔をこわばらせていた。百石も例外ではない。だが、それは漠然とした感情的な畏怖ではなく、頭で理解しみずづきの正体を知ったうえでの理性的な畏怖だ。

 

自分たちからは、何もかも・・・戦略も戦術も技術も隔絶した相手。だが、彼女も人間である。そして、世界に「絶対」の2文字はない。あるであろう隙を的確に突けるかがこの演習の勝負だ。

 

「だが・・・・・どうすれば」

 

百石は自身の心を奮い立たせるものの、いい案が浮かんでこない。苦渋の表情で頭を撫でまわす。

 

「私たち空母じゃ、艦載機使ってみずづきにミサイルの消費させることしかできないだろうし・・」

「空と海上がだめなら、海中を走る魚雷で! っと言いたいところだけど、さすがに30km先からはあたんないな・・・・」

 

百石を見て瑞鶴と北上の肩を落とす。暗い雰囲気の中、明るささえ感じる声が耳に届く

 

「みんな、まだまだ可能性はある」

 

ただ、1人だけ絶望に顔を染めていない人物がいた。漆原だ。彼はみずづきのとんでもぶりを明らかにし確かに驚いていたが、使われているであろう技術を明らかにしたからこそ、その技術の欠点も見えてくる。

 

「対空電探は確かに探知範囲内の空域、全領域を捜索できる。だが、電波は直進しかしない。だから、30kmを越えると地球の丸みに影響され、探知できない範囲が出てくる。そして、ここが重要なのだが、百石司令? 対水上電探の開発が何故うまくいかいないかご存知ですよね? 予算とか政治的な面ではなく技術的な面で?」

 

百石はそれを受け、以前漆原と交わした会話を思い出す。

 

「それは発信機からの電波を海面が乱反射してしまって、それを抑えたり乱反射と目標の反射波を区別することが難しいからで・・・・・・・・。あっ!!」

 

百石はなにかに気付く。それに一筋の光を見たかのように顔が明るくなっていく。漆原が言いたかったことに気付いたようだ。

 

「電波を使っている以上、どれだけ技術が発達しようと海が波打っている以上乱反射は必ず起こります。ここからはもう完全な推測でしかありませんが、彼女の世界の電探は対水上であれ対空であれ、その乱反射を自動的にカットする仕組みになっていると思います。俺達には真似できない芸当ですがね」

 

笑い合う2人。それに第5遊撃部隊の5人は訳が分からず首をかしげる。1人足りない。その1人、加賀は2人が何を言いたいのか理解し、瞳にわずかな希望を映す。

 

「漆原工廠長。その電探に映らない範囲はどれぐらいのものなのですか?」

 

漆原はにかっと笑うと加賀を試すような挑発的な口調になる。

 

「普通の機体じゃ不可能なかなりの低高度、海面ぎりぎりになるだろう。よほどの練度を持つ艦娘じゃなきゃ、無理だ。加賀よ。お前の相棒は死神に一直線の進路かつこの馬鹿みたいな高度を飛んでいける練度を持っていると思うか?」

「はいっ! 赤城さんならきっと」

 

断言する加賀。そこには有無を言わさぬ、絶対的な信頼に基づいた固い自信があった。

 

「でも、それだけじゃ、足りないんじゃないの?」

 

瑞鶴を睨みつける加賀。それはいつも以上に鋭さを持っている。しかし、瑞鶴はひるまない。彼女も赤城の腕に文句をつける気はないだろう。赤城はおそらく瑞穂の空母で一番の練度を持っている。だが、いくら探知を遅らせたところで、みずづきとこちらが感じる時間は全く違う。探知されれば問答無用で瞬殺されるのがオチだ。

 

「瑞鶴の指摘はもっともだ。いくら赤城の艦載機でも探知された瞬間、おわりだ。だが、みずづきの戦術は電探を基本にしている。電探が使えなければ、おぞましいミサイルはおそらく飛んでこないだろう。百石司令? 試作段階だった対深海棲艦の戦術を使う時がきたようです」

 

不敵に笑う漆原。その真意を察し、百石も同様の表情となる。それに疑問符を浮かべる彼女たちだったが、百石・漆原双方から説明を受けると目を見開き、絶望から希望を含ませた表情に変わっていく。

 

勝てるかどうかは分からない。だが完敗しない施策が徐々に形になっていく。

 

努力に見合う成果が得られるかどうか分からない。だが、こうして悩み、考察し、推測した経緯は絶対に無駄にはならない。

 

ふけていく夜。「橙野」にはいまだに客が溢れ、心理的な暗さとは無縁の世界がいまだに紡がれ続けていた。




果たして、横須賀のとる戦術はいかに・・・・・・・。

今話の中で出てきた対水上レーダーの探知範囲ですが、どこかの本で見かけた値を参考にしています。これもれっきとした軍事機密なので実際にはもっと探知範囲は広いと思いますし、レーダーが設置されている場所・捜索時の気象や電波状況によって、一概に30kmではないと思います。自衛隊関係者でも、物理系の詳しい教育を受けてもいない筆者にははっきりと結論を下せません(苦笑)。ですが、一応計算+イメージしやすいこともあり、この数字を採用しています。あらかじめご了承下さい。(きちんとした根拠がある詳しい数字を見つけた場合は修正いたします)

しっかし、ここまで物理やら化学やらの知識が必要とは・・・・。もう少し理系をかじっておけば良かったと今更ながら後悔しています。

ちなみに皇居を起点に半径30kmの円を引くと、北はさいたま市(市内すっぽり)、東は習志野市(市内すっぽり)、西は所沢市(市役所付近)、南は横浜市(市役所付近)までが入るらしいです。23区はすっぽりもすっぽりですね。・・・・・・技術の進歩って、すげぇぇ~~~。

これだけだと西日本が不利なので、大阪駅を起点に考えると北は大阪府豊能郡豊能町(町内すっぽり)、東は奈良市(JR奈良駅付近)、西は神戸市(神戸市役所付近)、南は岸和田市(市役所付近、もう少し行くと関西国際空港が)までが入るらしいです。

まぁ、日本で考えるとこうですが、ただ広い太平洋とかで考えるとまた違った尺度感覚になるんでしょうね(苦笑)。


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32話 試射

今回は2話連続投稿でいきたいと思います。

今話は作者のにわかっぷりが暴走してるかもしれませんが、どうぞ。



相模湾

 

少し曇った空。雲の合間から覗く淡い初夏の日差しに照らされているものの、天日干しになるようなことはない。波も穏やかで、冷たくもなく熱くもない快適な風が髪を、制服を揺らす。時折上空を鳥が飛翔し、海面にトビウオだろうか魚が飛び出してくる。360度見渡す限り海が続く。レーダーにはいくつかの反応があるものの視界に捉えられる範囲には自分たち以外、人はおろか船舶や航空機もいない。広大すぎる大海原で自分たち以外の人の気配を感じないことは日常茶飯事だが、これにはもう1つ理由がある。ここは一般船舶の航行や航空機の飛行が禁止された海軍、しいていえば横須賀鎮守府の訓練海域なのだ。みずづきがこの世界に出現したあの日、みずづきと初めて接触した第5遊撃部隊が訓練をしていたのもここである。横須賀鎮守府から少し距離があり利便性には疑問符を付けざるを得ないが、その分広大な面積を有するため戦艦のような大口径の砲を使用しても漁船などの民間船舶に間違って当たったりすることはまずない。そしてみずづきの主砲、Mk45 Mod4 5インチ単装砲は射程が最大37kmと戦艦並みで、対艦ミサイルであるSSM-2B block2に至っては150km超の射程を誇る。故にみずづきは、夕張がここ相模湾を提案したときに2つ返事で同意したのだ。

 

彼女たちがここに来た理由。それは工廠で複製した弾薬が正常に作動するか、不具合はないかを調べるために試射を行うためだ。

 

そんなみずづきは今、身に付けた艤装に予想外の懐かしさを感じながら意識を周囲に一切向けず、とある一点のみをMk45 Mod4 5インチ単装砲を構え捉えていた。少しみずづきから離れた海上。そこに3つの的が置かれていた。だが、射的場にあるような円形で中央に赤点がついている単純なものではない。浮きによって浮力を得られている的はそれぞれ異なる形をしている。いや一見しただけでは的に見えない。2つは四角形の金属板が取り付けられ、ぺらぺらと表現できるほど薄いものと、子供の天敵たる分厚い辞書ほどの厚さを持つものがある。それ以外の的は10個の小さな木製の円形の的がひとかたまりとなった形態をしている。それがみずづきに対して横一線に並んでいた。

 

 

 

 

この場に漂う緊張感。あまりの静けさに自身の心臓の音がいつも以上によく聞こえる。夕張はみずづきの右斜め後方で、身に付けた艤装の上に弾薬複製を担当した妖精たちを乗せながら、そのときを今か今かと待っていた。ついに来た、待ち遠しかった瞬間。複製が上手くいっているのか確認したかったことも理由だが、あまり心配はしていない。ここにいる妖精たちの腕は、人間の職人と同様に確かなものなのだ。それよりも未知の、そして未来の兵器の力をこの目で見たかったのだ。

 

決して見ることも、認知することもできなかったはずの存在。

 

それが今、目の前にいる。この奇跡は、尋常ないほどの奇跡。だから、それを生かさなければ実験軽巡としての誇りが廃る。

 

 

 

 

「教練対水上戦闘! 目標3、弾種、調整破片弾、発射弾数1。主砲撃ちー方はじめー!」

 

みずづきは一度閉じた目を見開くと、今まで散々口にしてきた台詞を久しぶりに放つ。そして、手に持つ単装砲の給弾装置が指定した弾種の装填を終えると、主砲下部にある引き金を引く。目標は10個の小目標で構成される的。

 

 

ドンっ!!

 

 

発射と同時に周囲へ広がる衝撃波と重低音。発生した灰色の発射煙は海風に流され即座に拡散していく。それは夕張にも到達するが、軽巡の20.3cm連装砲にも及ばない駆逐艦と同口径であるため、特段の反応はない。夕張に乗っている妖精たちは艤装の陰に急いで退避し、衝撃波によって海水浴をすることがないようにしているが・・・・。火薬の力によって狭い砲身から解き放たれた砲弾は分厚い大気をものともせず突き進んでいく。そして、一定の距離を飛翔すると信管を作動させ爆発。航空機撃破を志向する対空弾は黒煙を生じさせると同時に四方八方へ破片と金属玉をまき散らす。超高速のそれらによって例外なくズタズタにされる木製の的。海上には的の破片がむなしく波に揺られ、海中に消えていく。

 

次だ。

 

「弾種、半徹甲弾、発射弾数1。主砲撃ちー方はじめー!」

 

効果を確認すると素早く弾種を変更し次弾を装填、発射する。

 

ドンッ!!

 

再び巻き起こる衝撃。それは耳だけではなく、衝撃波という形で実体の存在にも影響を与える。それよって、わずかに巻き上がるみずづきの艶やかな黒髪。セミロングのためそれほど動いたように見えないが、髪が長ければ長いほど影響の視認性は高まるだろう。次は調整破片弾によって無残な姿と化した的の隣。ペラペラの薄い金属板が取り付けられている的だ。海風を受けて少したわんでいる。

 

なぜ、これを的にしたのか。

 

半徹甲弾は低装甲目標、走行がないに等しい現代の軍用艦や深海棲艦の駆逐艦、地上の軽車両の撃破を目的とした弾種であり、目標に命中すると薄い装甲なら貫通して爆発し、内部で破片をまき散らすのだ。そのためきちんと、貫通して、爆発するのか確かめなければならない。貫通しても爆発しないのならば、言ってしまえば銃弾と同じで機械や化け物相手では使いものにならない。

 

突進する砲弾。それはあっという間に金属板に到達しやすやすと金属を後方へひねり曲げ貫通する。金属板が薄すぎたと思った刹那、空中で爆発。破片の落下により海面に数多の白い水しぶきが上がる。これも成功だ。

(よしっ!!)

心の中でガッツポーズを決めると、その隣の的に目を向ける。3つの的の中で最も重厚感と強敵感を放つ分厚い金属板。最後の的をみずづきは射抜く。

 

「弾種、多目的榴弾! 発射弾数1。主砲撃ちー方はじめー!!」

 

ドンッ。

 

再び舞い上がる黒髪。今回はなぜか海面にも衝撃波でほんの一瞬人工的な波が発生する。三度目になると妖精たちもこつを掴んできたようで、器用に隠れ艤装のわずかな隙間から結果を見守っている。一直線に突き進む砲弾。レーダーにより管制され、コンピューターによって風向き、自艦の揺れ、的の揺れを計算して撃ちだされた砲弾は相手も、そして自分も完全にではないが止まっている状況では百発百中の性能。外れることなどめったにない。分厚い金属板に吸い込まれた砲弾はこれまでとは異なった盛大な爆発を引き起こす。だが、貫通することは叶わず、金属板に大きな弾痕を残しただけに終わる。

 

失敗したと見えなくもないが、これでも成功だ。多目的榴弾は弾頭にHEAT(対戦車榴弾)と呼ばれる成形炸薬弾を使っている。これは重装甲目標、深海棲艦の重巡や装甲が比較的薄い三級戦艦、地上の戦車・装甲車を撃破するための砲弾だ。これはノイマン効果によるメタルジェットで金属を突き破る原理。そのため、その核心たるノイマン効果が発揮されているかを確認するためわざと貫けないほど分厚い金属板を使ったのだ。弾痕を見ると確かに強固な金属に穴が開いており、時折波しぶきがかかるとジュッと海水を一瞬で水蒸気に変えている。

 

「目標の撃破を確認、主砲、撃ち方やめ・・・・やった! 夕張さん! 全部成功ですよ」

 

右手に込めた力を抜くと、今まで感情を伏せていたみずづきは爆発したかのように喜びを惜しげもなく開放する。両手でガッツポーズをしながら、夕張へ振り向く。艤装の上に立っている妖精たちはみずづきと同じように歓喜し飛び跳ねていた。夕張も同じく笑顔でみずづきにグッドサインを決める。ただ、夕張の笑顔はみずづきや妖精たちのように単純な喜びだけを内包したものではない。そこには別の感情、純粋な感動が含まれた。心はただ、すごいの一言で埋め尽くされている。みずづきや日本世界にとって艦載砲が止まっている目標に初弾から全弾命中させることは常識であり、特筆すべきものではない。しかし、夕張たちの常識はそうではない。主砲は人の目で照準をつけるため、高度なコンピューターによって管制された現在と異なり、ほとんどが外れるものなのだ。初弾から命中などまぐれもいいところで、全弾命中など神業なのだ。その神業をみずづきは、未来の世界は人のなせる業に変えている。夕張は常識が崩れる音を聞きながら、これからどんな光景が目の前に現れるのか楽しみで仕方ない。まだ、試射を行わなければならない武装はあるのだ。

 

「よかった。そして・・・・すごいわみずづき!!! さぁぁぁ!! 次、次、行ってみましょう!! まだまだ見せてくれるものがあるでしょ!!」

 

少し抑えめの笑みから、なにが起こったのか歓迎会の時のような狂気が混じった笑みへ急速に変貌する夕張。安心した束の間の出来事に、みずづきは血相を変え即座に夕張を視界から外す。甦る歓迎会の悪夢。好奇心という名の精神攻撃から身を守り、どれだけの労力を使って脱出したか。今でも明瞭に思い出すことができる。だが、それが再び降臨しそうな気配を後ろからひしひしと感じる。みずづきはネガティブ思考を振り払い、次の試射に意識を集中させる。だが、単装砲の試射の時のような緊張感は、時折聞こえる上気した声のせいもあってかもう完全に四散していた。

 

次の目標は視認圏内に設置されていないため、レーダー画面において確認する。画面上に映し出される1つの小さな光点。その目標の上空にも1つの反応が示されている。戦果観測用に飛んでいる観測機だ。

 

「こちら、みずづき、カモメ1応答せよ」

「こちら、カモメ1。みずづき、どうぞ」

 

みずづきが無線で観測機に呼びかけるとすぐさま返答が帰ってくる。が、少し複雑な気分になる。女性の社会進出が叫ばれて久しい日本でも、女性パイロットが増えきているとはいえまだまだ男性の方が多かった。パイロット=男性。そういう固定観念があったため今回も当然渋い男性の声が返ってくるかと思いきや、なんと応答の声は可愛らし女の子の声だった。場違い感がものすごく一瞬、言葉に詰まるが平静を装い務めて冷静な交信を行う。

 

「・・・まもなく対艦ミサイルの試射を行う。安全圏まで後退せよ」

「了解。安全圏まで一時後退する」

 

なんとも場違いな声を最後に途絶える無線。本当にもう緊張感を取り戻すことは不可能なようだ。みずづきは自分の状況と観測機妖精の可愛らしい声のギャップに複雑な心境を抱きつつも、メガネに目をやる。複製された17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B)が入っている4連装SSM発射筒一番管の発射準備は既に完了している。思考を切り替え、目標があるであろう方向を鋭い視線で一瞥する。主砲の様子から失敗するとは思えないが、ここからは夕張たちにとって未知の兵器でありみずづきの主武装であるミサイル。失敗する確率が低い分、失敗してしまった時のダメージは半端ではない。

 

これがなければ敵艦船を沈めることができないのだから。

 

「・・・目標、訓練用浮遊物1。SSM-2B 1番・・・・・撃てぇぇ!」

 

号令と誤射を防ぐためESSMと異なる形状で設置されているSSM用の発射ボタンを押した瞬間、2つある4連装SSM発射筒の内、1つから風雨によるミサイルの劣化を防ぐため発射筒をフタしていた保護板を突き破り、加賀の天山妖精が「光る矢」と形容したSSM-2Bが轟音を発しながらどこまでも続く大空を進んでいく。新たに形成される一筋の細長い雲。その凄まじさに飲み込まれたのも束の間、目にもとまらぬ速さで飛翔するSSMはあっという間に視界からその姿を消し去る。残滓として発射煙がみずづきの周囲に漂うのみ。

 

 

 

 

それは妖精のみならず例え夕張であろうと言葉を奪うに十分すぎるものだった。興奮しすぎて気絶したとか、そういう事ではない。そこにあったのは純粋な驚愕、そして感動だった。みずづきから事前にざっくりとした説明を受けて今まで様々な兵器を試作・実験・運用してきた夕張なりに理解したつもりだったが、彼女は実際にこの目で「21世紀」を感じ肌で次元の違いを知った。

 

「目標の破壊を確認。対艦ミサイルは命中。繰り返す、対艦ミサイルは命中。爆炎も確認。みずづきさんが言ってらした情報と全く同じです! 実験は成功!!」

 

無線機から聞こえる観測機妖精の嬉しそうな声。それと同時に左斜め前方にいるみずづきも再びガッツポーズを決め、胸を撫で下ろしている。こちらへ向けられる笑顔。それを見て夕張は今更ながら気付いた。みずづきは確かにこちらがどれだけ背伸びしても爆走しても追いつけない存在。持っている武器も抱えている戦術も・・・・・。

 

 

だが、時代がどれだけ移り変わろうと1つ変わらないものがあった。

 

 

例えどんなにかけ離れた存在でも人間である以上、支える人が、組織がいなければならないということ。

 

 

夕張はそれを改めて胸に刻みこむと自身の使命を重しにしてすぐに暴発しそうになる興奮を抑え、冷静さを取り戻す。これを発露するのは横須賀に帰ってから。みずづきが聞いたら涙目で逃亡しそうなことを微笑しながら呟くと、彼女に次の指示を出す。次はみずづき、あきづき型特殊護衛艦の本領である対空戦闘だ。

 

 

 

 

レーダーに映っていたいくつかの反応の内、3つがみずづきとの接触コースに入る。大きさはラジコン並み。速度は約200ノット、時速では約370km。ふらつくこともなくまっすぐとこちらへ猛進している。間違いない。今回、みずづきの試射のために撃墜確実の敵役を引き受けてくれた工廠に所属している教導隊だ。操っている機体はあの零戦である。

 

「教練対空戦闘よーい! 目標、工廠教導隊3機! ESSM発射よーい!!」

 

照射される火器管制レーダー。目標を3機ともロックオンしたことがメガネに表示される。近づく目標。発射ボタンに乗せられるみずづきの指。だが、彼女はもう十分ESSM(発展型シースパロー・ミサイル)の射程圏内に入っているにも関わらず、撃たない。敵なら絶対に撃っているのだが、今は試射である。みずづきはESSMの機動と爆発を確認する観測機たちが展開する空域に、教導隊が到達するのを待っているのだ。ESSMは音速越えの目標を想定した対空ミサイルである。この世界の兵器ならば、ほぼすべてが肉眼で補足可能なためいちいち観測機を展開せずとも目標となったパイロットの証言だけで十分な情報を収集できる。だが、音速ともなると正直、パイロットはほんの一瞬でしか目標を捉えられずきちんとESSMが作動したかどうかは分からずじまいに終わってまうのだ。

 

少しの間待機していると、教導隊が当該空域に進入した。みずづきは指に力をこめる。試射の話を聞き実際に機体を撃墜してもいいと言われたとき、みずづきはそれもう焦った。彼女はそれぞれの機体に妖精たちがじかに搭乗して飛行していることを、妖精たち自身の口から聞いていたのだ。そんな状態で撃墜されれば人間なら待っているのは当然、死だ。だが、夕張曰く大丈夫らしい。妖精たちは撃墜されても死ぬことはなく、原理は不明だが撃墜されると空母艦載機などの妖精ならその艦娘が所属している基地に、工廠の妖精なら所属している工廠に、瞬間移動の要領で帰ってくるらしいのだ。

 

もうなんでもありなような気がして形容できないほどの脱力感を覚えたのは、至極当然の帰結だろう。

 

だが、今回その脱力感は大いに役立っていた。例え撃墜されたとしても妖精たちに被害が及ばないと分かっているからこそ、みずづきは躊躇することなくESSMの発射を号令できるのだ。

 

「発射!」

 

みずづきの艤装にあるMk 41 VLSからSSMと比較してかなり小さな轟音を立てて、大空へ突進していく3つの矢。それらは滑らかに機動を上昇から水平に変えると、おのが目標に向けて母艦の誘導に従い進んでいく。観測機の展開している空域が近傍であったためESSMは本当に一瞬だった空の旅を終え、回避行動をとることもなく悠々と飛んでいる零戦に肉薄する。あまりの急展開、そして速さにこれまで幾度となく演習相手や新兵器の実験に選ばれてきた歴戦の妖精たちもなすすべがない。ほぼ同時に爆発する3機。気付いた時にはもう撃墜され3人とも工廠だった。もはや驚愕を通り越し笑うしかない。

 

上空に咲くあの日以来の黒い花。少し遅れて小さな爆発音と注意していなければ分からない衝撃波が体にあたる。レーダーから対空目標が3つ消えた。

 

「目標の撃墜を確認。教練対空戦闘用具収め。ふぅ~。後はロクマルだけか・・」

 

ESSMの試射も大成功だ。レーダー画面だけでもそれは十分確認できるが、無線機にもそれを補強する報告がもたらされる。ただ、その声はみずづきの晴れ晴れした心境とはずいぶん異なるものだ。

 

「し、信じられない!? あいつらが、い、一瞬で・・・・・・。こ、こちら観測機1番機、全機の撃墜を確認。ミサイルの機動はみずづきの情報通り、全く異常なし。試射は成功。繰り返す試射は成功。・・・・・・・・すげぇ」

 

最後は思わず本音がでてしまったようだ。それに誇らしげな笑みを浮かべると、みずづきはロクマルの発艦準備を開始する。

 

「航空機即時待機。準備できしだい発艦!」

 

無音だった格納庫が一気に機械音で騒がしくなる。次はみずづきが持っているもう1つのミサイルの試射だ。

 

30式空対地誘導弾、AGM-1。第3次世界大戦と生戦によって、使用してきたアメリカ製の空対地ミサイルヘルファイアが入手困難となったため、ヘルファイアミサイルの代替・後継、そして対深海棲艦戦闘でも重要な攻撃手段となることを目的に開発された日本初の国産空対地ミサイルである。一部の専門家からはヘルファイアを丸パクリしている模造品と酷評されたりもしたが、そこまで言われるほどの欠陥品ではない。日本が実戦配備していたヘルファイアはAGM-114Mと形式番号が付されたタイプで、これはセミアクティブ・レーザー誘導という弾頭が命中するまで母機が目標にレーザーを照射し続けなければならない誘導方式であった。またその弾頭は爆風破片弾頭であり装甲の薄い地上の装甲車や小型艇への攻撃を念頭に置いていた。それらと共に、射程が9kmと短いこともあって、AGM-114M ヘルファイアⅡは対深海棲艦戦闘において全くと言っていいほど役に立たなかったのだ。本来これは、駆逐艦や巡洋艦に対しての使用を想定したものではなかった。しかし、敵があまりにも大部隊で来襲してくることが多く、護衛艦が搭載していた旧式の対艦ミサイルSSM-2Aはそもそも当たらず、新型のSSM-2Bも8発しか一隻に対して搭載できない。そのため対艦ミサイルを撃ち尽くしても敵が残っているという状況が多々起こり、効かないことを覚悟し最後の手段としてSH-60K搭載のヘルファイアに頼らざるを得ないこともあったのだ。

 

それを教訓とし最後の手段でも切り札となれるよう開発されたのが、30式空対地誘導弾である。誘導方式は母機の安全が格段に向上するアクティブ・レーダー誘導、撃ちっぱなし式であり、弾頭は重装甲目標を念頭に置いた成形炸薬弾頭が採用されている。これによってこのミサイルでも、戦艦は無理だが重巡洋艦クラスまでなら戦闘不能にさせることが可能になったのだ。ただ、急ピッチで開発が行われたため射程の伸長は見送られ、9kmのままなのが玉に瑕である。

 

ガラガラと艤装後部にある格納庫のシャッターが開き、中から風にメインローターを揺らしながらSH-60Kが飛行甲板に姿を見せる。脇にあるミサイルランチャーにはしっかりと胴体が太い30式空対地誘導弾が備え付けられている。いつよりどっしりとした感じだ。まるでこれから大空を舞うことに気合を入れているかのような・・。ロクマルが完全に姿を現すとメガネに発艦準備完了を知らせる表示が映し出される。

 

「これよりSH-60Kを発艦します。そちらの準備はいいですか?」

「いいですよ! いつでも来いです!」

 

またしても聞こえる場違いな声。ESSMを観測していた妖精は人間でいえば男性に相当し、渋くいかにもパイロットという感じだったのだが、今回はさきほどと同様に女の子の妖精。完全に気を抜いていた。少しばかり動揺して「了解しました」と返答し、メガネに映っているロクマルを一瞥し声を上げる。

 

「航空機、発艦!」

 

最初はゆっくりと回転しだすメインローターとテールローターだが、時間が経過するにつれて回転数が上昇、周囲に人工の突風を巻き起こす。同時に空気を人間が作った機械でたたきつける音が鼓膜を激しくゆさぶってくる。海面には飛行甲板を中心にして同心円状に白波が立ち、メインローターによって発生した下降気流は海面だけでなくみずづき自信にも影響を与える。髪が乱れるだけではない。飛行甲板に圧力がかかり背負っている艤装の重みが増すのだ。しかし、それも一瞬。ロクマルはメインローターの回転によって浮力をえて、戦闘機などの飛行機よりも非常にゆったりとそして力強く空中にその身を浮かべる。並行世界の空を、飛ぶよりも浮く。今のロクマルはまさにそんな状態だ。重力を感じさせない挙動で徐々に高度を上げていくロクマルは、機首を的がある方向に向け速度を上げていく。SSMやESSMと比べてはるかに速度は遅いがそれでも視界から消えるのにそう時間はかからない。機体が白に塗装されているのもそれを助長している。

 

それの一挙手一投足を肉眼で艦載カメラでとらえる。あの頃のように、並行世界の空だと全く感じさせない「いつも通り」、それより少し張り切っているように何の支えもない空気中を飛ぶロクマル。姿が見えなくなっても多機能レーダーは、しっかりと光点としてあの子のロクマルを常に映し出している。

 

「隊長っ!!」

 

清楚で物静かな雰囲気の中に、誰にも負けない熱いものを秘めていた声。それがあの頃と何も変わらない声色で、聞こえてくる。この間まで当たり前に聞いていた、向けられていたもの。自身に純粋で尊い好意を抱いてくれていたあの子の声が・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻聴でも回想でもなく、実際に彼女の声が聞こえた、聞こえたような気がしたのだ。一気に血の気が引き、真っ青な顔で声の聞こえた方へ振り返る。

 

・・・・・・・当然誰もいない。

 

「き、気のせい・・・・・・・・・?」

 

震える声で呟く。そうだと頭の中が叫ぶ。その声に全く疑問の余地はない。2033年5月26日、みずづきがこの世界に来る直前の戦闘で第53防衛隊は全滅。みずづき以外の隊員は全員・・・・・・

 

 

 

 

 

 

死んだのだ。

 

 

 

 

 

 

だから、聞こえるはずがない。いるはずがない。在りし日の記憶が、あの子の、あの子たちの、あの人の顔が脳裏に点滅する。それを全力で頭を振り、消し去る。彼女らの記憶を無下に扱っているわけではない。大切だからこそ、胸の奥深くにしまっているのだ。今のように唐突に思い出さなくてもいいように。決して忘れた訳ではない、決して忘れる気などないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、隊長? 大丈夫ですか? ・・・よかったらこの私が、相談に乗りますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なのにどうして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び声の聞こえた方へ振り返るみずづき。先ほどとは逆方向から聞こえた気がする。視線の先には、ポケットにしまい込んでいた資料だろうか、鉛筆かペンで何かを真剣な表情でかき込んでいる夕張の姿。それを「見して見して!」というように、夕張の頭の上や襟元に昇り同じように覗きこんでいる妖精たち。何人かがみずづきに気付き、人懐っこい笑顔で手を振る。怪しまれることを避けるため固い偽物の笑顔を張り付けそれに応えると、顔をもとの位置に戻す。鳴りやまない心臓の鼓動。過呼吸と認識して相違ないほど、早いままの呼吸。みずづきは邪念を振り払おうとレーダー画面、そしてロクマルの機外カメラ映像に意識を集中する。

(今は、大事な試験の真っ最中・・・・、きっとこれは幻覚・・・いや幻聴。そんなことあるはずがない。きっと、あの子の機体を見たから思い出しちゃっただけ。そう、きっとそう。だから、落ち着け)

今まで一直線に飛んでいたロクマルが旋回を始める。多機能レーダーや機外カメラを見るにどうやら目標を発見したらしい。みずづきの事前指令に基づき、ロクマルに搭載されている人工知能(AI)は自己判断で攻撃態勢に入る。そのため、みずづきは今ただただメガネに映し出される情報を見ているだけだ。だから、かもしれない。何かしていたらいつのまにか消えている邪念が、頭にこびりついたままだったのは。

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

「お疲れさま! みずづき!」

 

元気ハツラツに夕張が声をかけてくる。実験が成功したため、こちらも高いテンションであろうと予測しているようだが、みずづきは意外にも普通のテンションである。

 

「はい。お、お疲れ様です。はぁ~。全武装の完全動作を確認っと・・・・・。良かったです! 正直、少し不安でしたが妖精さんさまさまですね」

 

さきほどの幻聴がいまだに耳に残っているが、それを悟られないよう気丈に振舞う。無理にテンションをあげていることを気取られてないか心配になるが、妖精たちはみずづきの言葉に、胸を張ったり鼻の下をこすったりといつも通りの反応だ。問題は夕張だった。彼女も艦娘であり人間と何も変わらない感性を持っているので一瞬、訝し気な表情を見せるがすぐに先ほどの笑顔に戻る。どうやら大丈夫だったようだ。

 

「あんまり褒めちゃダメよ。この子たちすぐ調子に乗るから。でも、今日同行できてほんっっっっと、良かったわ! いろんな意味で!!!!!!」

 

色んな意味でがやけに引っかかる。その時、みずづきは見た。主砲を撃ち終わってからなりを潜めていた夕張の狂信的好奇心が瞳に映し出されてたのを。思わず身構えるが、杞憂に終わる。みずづきを質問攻めにするわけでもなく夕張はまっとうな言葉を放ったのだ。

 

「じゃあ、終わったことだし。的を回収して帰りましょうか・・・はいっ、そこ! いやな顔をしない!」

「な、なんのことでしょうか?」

 

指を迷いなく向けられみずづきは視線を泳がせる。嫌な顔をしたつもりはなかったのだが、恐ろしいことに心の声が顔に出てしまったようだ。今回の試射で使った的は全てみずづきと夕張が用意したもの。横須賀鎮守府の訓練海域であるため使用するのはみずづきだけではない。横須賀鎮守府の艦娘や艦船はもちろんのこと、他の鎮守府や基地に所属する艦娘・艦船、そして陸軍を含めた航空隊すらここを使用しているのだ。今日は誰も見かけないが広いと言っても、その広さが十分に発揮されるほどいつも誰かが使っている。そんなところに的を置いたままにすれば事故の元だ。日本でも訓練で発生したゴミはきちんと回収していたため、行わなければならないのは重々承知しているのだが・・・・・正直めんどくさい。魚雷やアスロックの試射に使った的は、水中に沈んでいた部分に限ると爆発によって木端微塵となり、水上に顔を出していた浮きの部分しかなかったのだが、他はそうもいかなかった。主砲の試射に使った的には金属板などがあるため、浮きに使っていたドラム缶を有効活用し、その中に残骸を入れて海上を滑らす。とはいえ持ち運びは結構きついのだ。

 

「あからさまな嘘・・・・・・。もう! すべこべ言わないで、とっととやるわよ。あっ! そうだ」

 

夕張は妖精が昨日、自信満々に見せてくれたあるものを思い出す。みずづきの艤装を解析し、試験的に作ってみたら、できちゃった代物。それを見た時の興奮は凄まじく、今でもそれがぶり返しようだ。

 

「ねぇねぇ、みずづき?」

「な、なんですか?」

 

恐怖が甦る。引っ込んだと思っていた狂信的好奇心はまだ健在だったようだ。しかし、少し様子が違う。

 

「帰投したらあなたにどうしても見てもらいものがあるの! きっと、見たら驚くと思うわ。この子たちが作ったものなんだけど、みずづきにも関係のあるものだから」

 

的回収と聞いて艤装の隙間や制服のポケットなどに入っていた妖精たちが夕張の言葉を聞いた直後、いろんな場所から頭や上半身だけを出してみずづきに輝く視線を送る。それから察するに夕張を興奮させ、自身も気に入る・・・・というか驚くものを作ったということだろう。その様子から武器の類ではないようだ。

 

「ほー、そうなんですか? みなさんの様子を見てるとなんだか、気になってきました。ここは、一肌脱ぎますか!」

「おおお! みずづきがやる気になってくれた! それじゃあ、ちゃっちゃと片づけて、鎮守府に帰投しましょう!」

 

やる気になった2人。

 

的や飛び散ったごみを回収し鎮守府へ帰投後、みずづきは工廠で妖精たちが作ったものを見せてもらった。艤装解析の成果だという目の前の代物。どうやって作ったのか聞くと、なんかがんばったら出来たらしい。つくづく妖精のはちゃめちゃさに、驚きを通り越してみずづきはただ苦笑いするしかなかった。




試射も終わって、本番へ・・・・・・といきたいところですが、もう少々お待ちください。

なんでこのタイミング?と思われるかもしれませんが、次話は『夢』の2話目です。表題から内容をお察しの方もおられると思いますが、一応暴力? 過激?なシーンがありますので、閲覧注意をお知らせいたします。


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33話 夢 -阪神同時多発テロ-

「東京都心、横浜市中心部で発生し死者1万409人を出した人類史上最悪のテロ事件、京浜同時多発テロ事件からもうまもなく1か月となります。爆弾テロなどによって甚大な被害を受けた東京駅や新宿駅、横浜駅など東京都・神奈川県内の34カ所において、政府主催の追悼式が開催され、同時テロで最初とされる秋葉原駅前銃乱射事件が起きた時刻、18時3分に黙祷がささげられる予定です。政府は全国民に対して同時テロによる犠牲者への哀悼の意と示すとともに“テロを断固許さない”という固い意思を示すため、当時刻に黙祷を行うよう呼びかけています。これに対し同時テロの犯行声明を出し、一昨日発生した茨木市役所襲撃・人質事件の首謀グループと目されている『新倭建国団』は『祖国を二度にわたり侵略し、その醜い思想をいまだ堅持する日本民族への教化は引き続き実施され、己がどれだけ卑しく蔑まれるべき存在なのか同胞の血をもって知ることになるだろ』との声明をインターネット上に公開し、さらなるテロを予告しています」

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音。重力から解放されたような浮遊感。それはこれまで生きてきた中で数え切れないほど感じてきた感覚。

 

これで二度目。もうこれの正体は考えるまでもない。

 

 

“また、夢か・・・・・・・・・”

 

 

何度も何度も見てきた夢。脳裏にこびりついて離れない、残酷な記憶。思い出したくないのに、もう2度と見たくない光景なのに。夢とは自身が関与できないが故に、冷酷だ。

 

 

「ふん! なにが、同胞の血をもって知ることになるだろう、だ。いかにも自分らのやってることが正義みたいな言い方しやがって・・・・・侵略者の残党どもが」

「あなた、ご飯飛んでるわよ。きたない・・」

 

 

前見た夢よりも、よく見る夢。比較的時間が新しいためか、それだけ衝撃的だったのか。

 

よく見る理由は分からない。

 

ただ、抵抗しても無駄だと分かっているので、おとなしく映画館のように席につき視聴を開始する。何故だろう。目を背けることができない。

 

 

「自衛隊の治安出動時の権限が大幅に拡大された改正自衛隊法が緊急施行されてから今日で4日。関西各地、そして兵庫県内の各地にも多数の自衛隊部隊が展開し、テロへの警戒に当たっています。では、阪急電鉄神戸三宮駅で取材にあたっている小野さんにつないでみたいと思います。小野さーん?」

「・・・はい。私は今、阪急電鉄神戸三宮駅東出口前で取材にあたっています。こちらをご覧ください。現在バス停裏の歩道を小銃を手にした自衛隊員が4人、周囲に鋭い眼光を向けながら歩いている様子が確認できると思います。また、こちらに移動して・・・・・見えますでしょうか? 国道30号線、片側4車線の非常に大きな道路なのですが、高架下の普段は客待ちを行っているタクシーの車が止まっている場所に、3台ほど自衛隊の装甲車が止まっている様子も確認できます。我々の取材によると現在神戸市の各地に展開している部隊は近畿2府4県の防衛を担っている第3師団、その隷下にある普通科連隊とのことです。しかし、詳しい取材は昨今の情勢を理由に拒否され、警戒に当たっている自衛官にも同様の対応が徹底されているようです。街で聞くと、今回の改正について評価する声が多い印象ですが、依然自衛隊の展開によってテロが過激化するのではないかという政府の急進的な政策に懐疑的な見方をする意見も聞かれます」

 

「まだ言ってるな。いつになったら平和ボケがなおるんだか・・・・」

 

テレビから流れてくる映像と聞こえてくる音声。そこにはついこの間まで、映画でしか見られなかった光景が広がっていた。それに興奮しているのか、今では否定されつつある自身の信念を多くの視聴者に語り掛けたいのか、少々的外れなことをリポーターは言い続ける。それに毒ずき、納豆と共に白ご飯をかき込む対面に座る中年の男性。飛んだ米粒の落ちた場所はしみにならずに済んだようで、その男性の横に座っている同年代の女性はほっと胸を撫で下ろしている。

 

それを視野の隅で見ながら、卵焼きをほおばった少女はテレビの画面を見て感嘆する。

 

「す、すごーい! 三宮の駅前に96式装輪装甲車がいる。それに89式小銃を持った自衛隊員も、こりゃ、スマホで撮らないと」

 

嬉しそうに微笑む少女。それに「あとで俺にも送ってくれ」と男性。その笑顔ははたから見てもよく似ている。だが、それに同調できない者が1人。

 

「本当に行くの?」

「前から言ってたじゃん! 今日はゆうちゃんと買い物に行くって。来月から高校生だし、いるものもそろえとかないと」

「そんなの分かってるわよ。でも、昨日だって、奈良でテロがあったばかりじゃない。ここは田舎だから私も心配してないけど、三宮って人がいっぱいで言っちゃ悪いけど連中にとって格好のターゲットでしょ? もしものことがあったらどうするの?」

「お母さんは心配し過ぎ! 三宮にいるのだって電車に乗り降りするときだけだし、主に行くのは別の場所だよ」

「私は、危ないところには行くなって言ってるの! 山の手なんてどこも危ないもんじゃない」

 

声を若干荒げる母。それに苛立つ少女。父は厄介ごとには首を突っ込まないとばかりに目の前の朝食とテレビに意識を向ける。

 

少女が口を開きかけた時、真正面にある木製の引き戸が開き、眠そうに目をこすって乱れ切ったパジャマ姿の少年が入ってくる。年は少女より少し幼い。

 

「ねえちゃん、ゆうちゃんが来たよ」

 

あくびしながらの言葉。それに光を感じ、少女は勢いよく残っていた朝食をかき込むと脱兎のごとく台所から出ていく。

 

「あっ! ちょっと、ちょっと待ちなさい! 澄っ!!!!!」

 

背中から感じる怒気。それに戦慄しながら澄は、親友が待つ玄関へと向かった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「って、言うんだよお母さんったら! 心配性にもほどがあるもんよ。ったく、もうっ」

「ああ~、だからおばさんの怒鳴り声が聞こえたわけね・・・」

「そりゃ心配してくれるのは嬉しいけど、少し大げさ。私たちがいる間にテロなんて起きるわけないじゃん」

 

澄は隣に座る少女に比較的大きな声で愚痴を吐く。モーターの駆動音などでどうしても邪魔をされ小さい声だと聞こえないのだ。走っているのが地下のためか、走行音が反響しているようで地上を走っている時よりもうるさい。だが、あまり声を大きくし過ぎると座る場所がなく、目の前でつり革を握っている大学生らしい男性にも聞こえてしまうので注意が必要だ。

 

「どこの親も似たようなこと考えるもんね」

「ん? なにその訳知り顔。気になるんだけど」

「私も今朝、お母さんにおばさんと同じようなこと言われた・・テロが心配だから行くなって、きいちゃんちでゲームでしてなってね」

 

それに澄はつい爆笑してしまう。少女もつられたのか笑い出す。

 

「てかさ、だったらどこで高校に必要なもの揃えろっていうのかね~。近くの店じゃ、品ぞろえ少ないし」

「そうそう、完全同意。って、はぁ~。もうすぐ高校生かぁぁ~。勉強嫌だな~」

「あんた、高校の話になるとそればっかね。そんなに勉強、いや?」

「はいでました、優等生の台詞! ゆうちゃんはいいよ。頭いいから、私馬鹿だし、ついていけるか今から不安・・・・・・」

「きいちゃん・・・・・。その言葉、とてもクラス上位組の台詞とは思えない。あんたは少し自信持ちなさいって!」

 

肘で澄の右腕をつつく少女。優しくつつけばいいものを、何故か力を入れる。

 

「痛いって、もうっ!」

「あはははっ。ごめん、ごめん。ちょっと、いじわるしたくなちゃった。でもね・・・あんたは馬鹿じゃない。できるんだからかんばればもっと上に行けるはず」

 

その言葉に若干、ほほを赤らめる澄。いつもならからかっていると判断し反撃するのだが、今日はなぜか真剣な口調に聞こえたのだ。

 

 

 

 

いつまでも当たり前に続くと思っていた日常。あの震災でそれがどれだけ儚く、もろいものかを知っても、人間はすぐに日常に染まってしまう生き物。

 

澄は、例え中国と戦争をして世界が第3次世界大戦とさえ言われ始めた状況になっても、日常の不偏性に疑問を持つことはなかった。

 

 

だから。思うのだ。客席から思うのだ。

 

 

あのとき母からの忠告を聞いていれば、自分の日常が崩壊することはなかったのではないかと。深海棲艦との戦争で日常が崩れ去ろうとも、そこには別の未来があったのではないかと。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

数え切れない人を乗せて、ホームを駆け抜けていく電車。それが巻き起こす風で、女子では比較的短い髪がなびく。もうすぐ4月。外はまだ肌寒いがここは地下にも関わらず、人や電車の熱気で快適な温度を通り越していた。ホームを埋め尽くす人々。三連休の中日とあって、私服姿がほとんどだ。澄たち2人もその中に含まれる。

 

「えっと・・・・・道順どうだったっけ?」

 

気まずそうに苦笑する澄。それにびくっと反応すると少女も似たような表情だ。

 

「私調べるよ。どうせ今日は時間いっぱいあるんだし」

「ごめんね。私も久しぶりだからうるおぼえ・・・・」

 

2人は自分たちより()()()()()()()()()()()()()()()。ポケットからスマホを取り出した時、電車の接近を告げる軽やかなメロディーと、駅員の放送が聞こえてくる。

 

「げっ・・・・」

 

スマホの画面には、今や日本人の大半が使用している無料通話アプリのメッセージが入っていることを知らせる表示が出てていた。

 

どうせ、お母さんだろう。

 

そう思い、その表示を消す。電車が進入してきたようで再び風で髪が舞い上がる。不意に少女へ目をむけるとさりげなく澄より断然長い髪を手で押さえてる。停車する電車。無意識に扉の開く空気音を予測する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ・・・・・・・・・・・・」

 

だが、それは聞こえなかった。その代りに聞こえたのは、今まで聞いたこともないような爆音。そして、感じたこともない強烈な衝撃が全身を直撃し、体が浮いたような感覚さえある。

 

 

なにが起こったのか。

 

 

一瞬の思考。だがその答えを認識する前に澄は闇に引き込まれていく。澄の意識は全身に走る強烈な痛みを最後に途絶えた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・ちゃ・・・・・・・・・きい・・・・・・・きい」

 

遠くから声が聞こえる。あまりにも遠いのか何を言っているのかはっきりしない。身を動かす。途端に走る激痛。

 

「う゛っ」

「きいちゃん!!! ねぇ、きいちゃんてば!!! 目を開けて!! ねぇっ!!」

 

それをきっかけに声が近くなり、はっきりと聞こえてくる。そして、かけられている声と全身の痛みが、記憶と結合した瞬間、思わず飛び起きる。

 

「っ!?!? って、痛っ・・・・・」

「きいちゃん!!! よ、よっかぁっ~」

 

激痛に悶える中、少女が感極まって抱き着いてくる。痛いからやめてと言いたいが、彼女のほほにつたっているものを見るとそんな恩知らずなことが言えるわけがない。頭に違和感を覚え手をやると布が巻き付けられていた。わずかに感じる冷たい感触。手にねっとりしたものが付く。

 

「大丈夫!? いくら声をかけて体をゆすっても起きないから、私、私・・・・」

 

駅構内は真っ暗で少女が手に持っているスマホの光だけが周囲の状況を照らしていた。それで分かるすすり泣く少女の顔。そして自分の体も。全身ほこりで汚れ、ところどころ切り傷があるものの、頭の傷が最大のようで骨折などは感じる分にはない。

 

「大丈夫・・・・。ちょっと気を失ってたみたい。ゆうちゃんは大丈夫?」

「私は平気、少し腕を擦りむいた程度」

 

腕には痛々しく血がにじんでいた。しかし、周囲を見て、うめき声や悲鳴、助けを求める声が聞こえる状況ではこれも軽傷に思える。

 

「一体何が・・・・・・・」

 

ポケットに手を突っ込みスマホを取り出そうとするが、そこで少女は気付く。さきほど、気を失う直前に使用していたことを。とっさに自分がへたり込んでいる周囲を手探りで探すが、あるのはコンクリート片ばかりでスマホらしきものはない。と、なにか冷たくわずかに粘り気のある液体に触れる。

 

「っ!?」

 

手には血がべっとりとついていた。自分ではない血が。今更ながら気付くが、ここは血の匂いで充満していた。何故、少女が自分の足元にスマホをおきポケットティッシュをライトの部分に乗せ光を抑えているのか。あたりには、見てはいけないものがごろごろと転がっているのだろう。

 

「きいちゃん、立てる? はやくここから出ないと」

「うん大丈夫。私どれぐらい気絶してた?」

「10分ぐらい・・・・・・。ほんとによかった。早くいこ」

「で、でもいいの? 周りにはまだ・・・・・・」

 

構内は地下ということもあるのか、怒号や助けを求める声、誰かを励ましている声、必死にがれきをどかしている音がすぐ近くのように聞こえてくる。

 

「私たち、子供だし。いても足手まといにあるだけ。ここでうじうじしてるよりも上に上がって助けを呼んだ方がいっぱい人が助かると思う・・・・・・・・・・だから、いこ」

 

悲し気に唇をかむと少女は澄の手を掴んで、まだ残っている階段へ歩き出す。途中、吐き気を催しそうになる光景があちこちにあったが目を背ける。少女も澄も、人を見捨てる罪悪感に押しつぶされそうだった。

 

 

そこからどうやって地上に出たのかよく覚えていない。表情を恐怖に歪める人、全身血まみれの人、必死に駅員と情報交換を行う警察官、仲間をおぶって走る自衛官。駅の中は大混乱だった。そして、やっとでた外。

 

全身に浴びる太陽。それに覚える感動・・・・・・・・・はなかった。そこに感動を覚える奴は人間ではない。一面、本当に人体から流れ出た血で赤く染まる駅前の小さな広場。全身に穴をあけ、血にまみれ、腕や足、首を飛ばされ、白目をむいて死んでいる人間の山。本当に山だった。駅の出入り口付近は人の死体が折り重なっていた。むせる血の臭い。そこに響く銃声と、もはや数すら数えられないほどのパトカーや消防車、救急車のサイレン、上空を飛び回るヘリコプターの轟音。

 

その中を歩く。

 

2人はそれが現実を受け止められず、恐怖に顔を歪めながらただ震えていた。

 

鳴り響く銃声。その方向に目を向けると、2人の親子づれが必死に走っている。

 

続いて鳴る銃声。血飛沫をあげて倒れる2人。それでも容赦なく浴びせられる銃弾。あまりの多さに着弾の衝撃で、体が痙攣しているように見える。銃弾が飛んでくる方向。

 

 

そこに彼女たちは見た。全身迷彩服と防弾チョッキに身を包み銃を構えている大柄の集団を。その先にはもう屍となった警察官が複数人見える。銃声がやむ。もやは原型をとどめていない親子の死体。

 

 

そして、その死神たちは澄たちを・・・・・・・・・・・・・・見た。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

恐怖に負けもはや声すら出なくなった口から、ただの音が出る。このとき澄ははじめて死を覚悟した。だが、その覚悟を覆すはっきりとした声が周囲に響き渡った。

 

「何してるっ!!!! 走れぇえぇぇぇぇ!!!!!」

 

それと共に目の前にあるビル。その窓や陰から銃撃が始める。それに少女は反射的に反対方向に逃げようとするが、澄はとっさに彼女の手を掴みそのビルへ向け足が取れそうになるほど走り出す。

 

「なにやってんの!!!! 向こうh・・」

「大丈夫!!」

 

聞いたことのある銃声。テロリストが持っている銃との違いは素人では分からないが、一回聞いたことがあるのなら分かる。国内唯一の実弾射撃演習に行けた幸運を噛みしめる。この銃声は・・・・・・・。

 

「早く!! こっちにっ!!!!!」

 

手招きする自衛隊員。敵からも銃撃がはじまった。耳元をひゅっとかすめる銃弾の音や、アスファルトに跳弾する甲高い金属音があたりのあちこちで巻き起こる。

 

 

それを気にせず走る、走る、走る、走る・・・・・・・・・・・!!!

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。ゴホッゴホッ・・・なんとか助かった・・・」

 

ビルの陰に入り、交戦を続ける自衛隊員の後に回される2人。一瞬希望が見えたが、それは絶望にいとも簡単に塗りつぶされる。

 

倒れ込む少女。口からは苦しそうな吐息が漏れている。

 

「ゆ、ゆうちゃん!? どうしたの・・・・・って」

 

澄は見た。倒れ込んだ彼女の下に血だまりがものすごい速さで構築されるのを。

澄は見た。彼女の背中に2つ穴が開いているのを。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ごめんね。治療してあげたいけど、もう私たちが持ってる薬がないの。だから、助けがくるまで・・」

「早川一曹! こちらもお願いします!!」

「了解っ!! ほんとにごめんね」

 

少女の容体を見ていた女性自衛官は悔しそうに顔を歪めると、声を発した隊員の元へ歩いてく。その足には、赤黒く変色した包帯がまかれていた。その後ろ姿に頭を下げると、澄は床に寝かされている少女の顔を見る。苦しそうにしわを作り、汗まみれだ。

 

「はぁ・・はぁ・・う゛・・・」

「ゆうちゃん、もう少し・・・・もう少しの辛抱だから・・・・・そうしたら助かるから」

 

震える手で血塗れの少女の手を握る。ビルの中、会議室と思われる空間に充満する死の臭い。それを必死に少女へ声をかけることで四散させようとする。

 

「絶対、絶対助かるから・・・・・・・だから、頑張って。ね?」

 

 

聞こえてくる音。

 

 

「・・・・・テロ発生から既に半日が経過しました。しかし、情勢は未だ緊迫しており予断を許さない状況です。政府の発表によりますと、現在三宮駅周辺・新神戸駅周辺・神戸市役所・神戸空港など神戸市を中心とした阪神地域、21カ所においてテロの発生が確認されたとのことです。しかし、兵庫県警には政府発表以外の地域からの110番通報が相次いでおり未確認のテロが発生している可能性があります。また、陸上自衛隊伊丹駐屯地・姫路駐屯地、海上自衛隊摂津基地が重火器を所持する武装集団に襲撃され、激しい銃撃戦が起きている模様です。日本政府は一刻も早くテログループを鎮圧し、占拠地域に取り残されている国民、警察官、自衛官の救出を急ぐ構えですが、各地の自衛隊駐屯地・基地また警察署が襲撃を受けているため、機動的な対処が思うように行えないのが現状のようです。現在、今回の大規模同時多発テロでの犠牲者は確認されているだけで1498人に上ります。テログループの襲撃を受けた地域では路上に多数の銃殺遺体が散乱、放置されているとの情報もあり犠牲者は今後増加するものと思われます」

 

「・・・敵は三宮駅を中心に半径1km圏内をほぼ制圧したとみていいでしょう。展開または投入されていた部隊で生き残った者は、1km圏より退避しているとのことです。・・・・・・・・・我々は敵のど真ん中で孤立した、ということです」

「敵の勢力はせいぜい数十人だろ? 昼間の戦闘で向こうもかなり数を減らしている。なのになぜ、半径1kmなんていう広大な哨戒線引けるんだ?」

「敵はそもそも哨戒線など引いてないんですよ。要所要所に歩哨を置いて外に展開している本隊を牽制してるだけです。ただ、それでも・・・・・」

「話は聞いた。どうやら上も相当混乱してるみたいだな。テロが本格化してから自衛隊の施設が攻撃を受けるなど初めてのことだ。海自の摂津基地も壊滅したと言うし・・・」

「それに、敵はその・・・・・・・・我々の装甲車部隊の進入を防ぐ為と思われますが・・・・道路に殺した住民の遺体を置いて、物理的・精神的な車止めにしているようです・・・」

「・・・なんたる・・・あ、あいつら・・・・・・おぞましい。同じ人間がすることとは思えん」

「しかも、その・・・・・第3小隊の報告では、車止めにされている遺体はどれも損傷が激しく、意図的に損壊されているとのことで・・・・」

「・・・・・・・野蛮人どもが」

「それとこれは大木から無理に聞き出したんですが、どうも中には生きたまま・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうさせられたとしか思えない状態の亡骸もある、と」

「・・・ここまで怒りを覚えたのは生まれて初めてだ。これが報道されれば、導火線に火がついている世論は爆発するだろうな。私も個人としていい加減、我慢の限界だ・・・・・。さすがに政府も大々的にこれを発表するだろう。権力者にありがちな法的理由や組織の体面からではなく、人として当然の道徳心に突き動かされて」

 

室内にあるテーブルに地図を広げ、深刻なそして尋常ではない怒りを宿した表情で話し合う自衛官たち。小さなペンライトに照らされた顔がそれを際立たせている。それを見ただけでも自分が、今どれほど危うい状況に置かれているかが分かってしまう。

 

「き、きい、ちゃ、ん・・・・・・・?」

 

以前の元気さが嘘のようなか細い声。澄は少女の顔を見る。暗いためよく分からないが、心なしか表情が柔らかくなったように思う。苦しそうな吐息が聞こえない。

 

「どうしたの? つらかったら無理には・・・」

「大、丈夫・・・・・・話し、たい、気分だか、ら・・・・・」

 

汗にまみれた顔で少女は弱々しい笑顔を作る。それを見て澄はなぜか、本当になぜか、目に涙が浮かんでくる。だが、必死に少女に感づかれないよう目の中で押し留める。

 

「まだ・・・・・あいつ、ら・・・・・いる、の?」

「うん・・・・」

「そっ、か・・・・・・。・・・・・ごめん、ね・・・」

 

鼻声になる少女。澄は意味が分からず目を大きく見開いた。

 

「言い出しっぺ・・・・・わ、わたしだ、から・・・・・。言わなかっ、たら、あんた、が、こんなこ、とに巻き込まれ、ることはなかっ、た、から・・・・・」

「違う・・・違うよっ! 私だって・・・私だって・・・・ゆうちゃんの言葉にのったんだもん・・・・・・・・ゆうちゃんが悪いなんて、そんなこと・・・・」

 

涙がボロボロとこぼれ、少女にまかれ赤く変色している包帯に黒いしみを作っていく。

少女は再び優しい笑顔。あきれ顔と言った方が正しいだろうか。

 

「ほんと、あんたは・・・・・・・。もう一度、あん、た、と馬鹿騒ぎ、してみた、かったな・・・・・・」

「へ・・・・・・」

 

少女の口調が急にはっきりしてきたこともそうだが、澄の耳にある言葉が、それだけがはっきりと明確に届いた。

 

「も、もう一度・・・・・・? や、やめ・・・・」

 

て。そう言いかけた澄の口が止まる。少女の顔を見て。薄暗くても分かる。

 

 

 

彼女は、泣いていた。

 

 

 

「き、きいちゃん? 私、私・・・・・死にたくない・・・。わたしこんなところで死にたくない・・・・・・」

 

震える声で紡がれる想い。

 

「もっと、生きていたい・・・・。もっと、みんなと、一緒にい、たい・・・・。お父さ、んと、お母、さんとおばあちゃん、と、兄貴、と弟と、ゆうちゃんと友達と・・・・・もっと、もっと・・・なの、にっ」

 

少女の手が強く握られる。その想いも強さを示すように・・・・・・・。周囲が静かになる。いつの間にか、ラジオの音はなくなり自衛官たちの話し声も聞こえない。

 

「な、なにいってるの? 大丈夫、助かるって! もっと、もっとみんなと一緒にいれるよ! だから・・・・・だから・・・・」

 

笑顔も一瞬。再び涙が出てくる。澄も内心分かっていた。この後に待ち受ける現実を。でも、それでも認める訳にはいかなかった、認めたくなかった。

 

澄の心に気付いていたのか、今となってはもう分からない。ただ少女は目に涙を浮かべた状態で微笑むと、一回の深呼吸。深く全身の力を、まるで命までも吐き出すかのような深くゆっくりとした深呼吸。涙は止まっている。

 

「わたしの考え・・間違ってたのかな・・・・やっぱり、現実はうまく・・いか・・ないなぁ・・・・・・・」

 

誰に向けられたものだったのか。ひどく切なげで悲し気な声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが、澄が聞いた加島結衣の最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆうちゃん?」

「・・・・・」

 

独白と同時に閉じられた瞳。ついさっきまで頻繁に動いていた瞳。なぜだろう、あんあに小さなものがどうあっても、二度と開かない、そんな感じがするのだ。

 

 

それで、澄はその時が来てしまったことを知った。

 

 

「・・・・・?! ゆうちゃん・・? ゆうちゃん!! ゆうちゃん!!!!」

 

身体をどれだけゆすっても、どれだけ大きな声をかけても反応しない親友。体からは急速に温かさが消えていく。

 

 

心を覆い尽くす悲しみと喪失感。そして孤独感。

 

 

それに耐えきれず、澄は涙を決壊させる。室内に響く嗚咽。

 

「・・・・・クッソぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

テーブルを殴りつける大きな音。1人の自衛官がこの世の理不尽と自らの矮小さに怒りと悔しさを爆発させる。誰もそれを責めるようなことはしなかった。

 

 

 

響き続ける少女の泣き声。それをただただ大人たちは、様々な想いを抱え黙って聞いていた。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

真夜中。窓から見える空は真っ暗で、夜明けの気配は微塵もない。汗でびっしょりと濡れた寝間着。肌にぴったりとくっついて不快なことこの上ない。それに、こんな夢を見た後で眠れるはずもない。立ち上がり常夜灯をつけ、薄暗いなか部屋にある鏡で自身の顔を確認する。

 

「・・・・・ひどい顔・・・・・・」

 

かすれた声。寝起きにしてもいつも以上に枯れている気がする。もう一度、窓から外を見る。

 

人工の明かりしかない闇。

 

それに臆することなく、湿り切った寝間着を脱ぎ昼間来ている海防軍の制服に着替えると、玄関から外へ出る。

 

いつもなら働く罪悪感が、このときばかりは働かなった。

 

部屋から出たかったのだ。外の空気を吸いたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

あの部屋には、夢の残滓が残っている気がしたから・・・・・・・・。




書いている張本人の作者がいうことではないかもしれませんが、前回同様このようなことが起こらないことを切に願うのみです。どこかで誰かを火あぶりにしたり、捕虜を戦利品とか言ってる反世界的組織や、どこかに工作員をのさばらせいている某国たちには思いとどまって欲しい限りです。


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34話 疑念の夜

今週も先週に引き続き2話連続投稿で行きたいと思います!!
さすがに演習が近づいているなかで、1話単体での投稿は悪魔の所業かな?っと思いまして・・・・。

今話は少し登場人物たちをぼかしてる節がありますが、ご了承ください。



横須賀鎮守府 工廠

 

 

人工の明かりが減少し、本来の輝きを若干ばかりのぞかせる数多の星たち。それらは雲に遮られることなく完全な姿を地上にさらしている。だが、にも関わらず人工的な明かりに照らされている場所以外は漆黒の闇に覆われている。本来晴れていれば地上に黄金色の光をさんさんと届ける月。上空に目をやると、そこには影の面積が増大しかつての輝きを失った姿があった。

 

そんな月のもと、いつも通り眠りに就こうとしてる横須賀鎮守府。大半の将兵が宿舎や市街にある持ち家へ身を休め残業や夜勤のため残っている者もいるが、大半の建物の明かりは消え深い闇に飲まれている。照明しか足元に光を届ける存在がいないためか、出歩いている人間も数える程度だ。だが、ここ工廠では将兵が全員それぞれの家に帰ったにも関わらずオレンジ色を帯びた明かりが灯され、明かりの直下だけでなく窓から外をも照らしている。そのため、外から工廠に人もしくはそれに準ずる存在を見出すのは容易だ。だが、存在を見出すために不可欠な気配が不思議なほど感じられない。昼間、みずづきがあるものを見せられて叫んでいたのが幻のようだ。開発工場2号棟の一室。正面入り口で外と区切られている工房ではなく、作業員たちの机が置かれている奥の事務室。

 

そこには作業員をはじめとする人間が工廠内そして工廠周辺から1人残らずいなくなったことを確認し、妖精たちが数人集まっていた。本来なら将兵と同様、自分の仕事が終われば妖精たちも様々な形態で休息をとる。現に大半の妖精たちは人間同様そうしていた。時刻はもうすぐ消灯。故に妖精たちがこうして集まっているのは珍しいことなのだが・・・・・・・、見たことある顔ぶれが深刻な表情をして顔を突き合わせている。

 

続く沈黙。元気でうるさいとさえ感じられる普段の様子からは信じられない。その沈黙を打破しようとこの中で最上位の妖精が口を開く。自慢の黒髪は浮かんだ汗で前髪が額にくっついている。

 

「・・・・みんなが衝撃を受けているのは分かるわ。あんなもの・・・。現に私だって・・・・・・・・でもいつまでもうじうじしてられない。早く方針を決めないと、取り返しのつかないことになるわ」

 

昼間のキレが全く感じられない。それどころか声が震えているようにも思える。だが、まるで責任を丸投げするかのような態度に1人の妖精が苛立ち、声を上げる。

 

「方針って・・・・・・みんながそれを判断できる状態でないことはあんたも分かってるだろう? 衝撃? これはそんな2文字で表せるようなものじゃない。これはもう爆弾、兵器の領域だ・・・・しかも酷くたちが悪い・・・・」

 

それの言葉に例外なく妖精たち全員が暗くする。先日判明した衝撃の事実。反芻しただけで気がおかしくなりそうだ。

 

「ごめん・・・・・。でも、だからこそ、爆弾だからこそ、なの。今これを知っているのはここで、いいえこの世界で私たちだけ。そして、未来においてもおそらく私たちだけ。だから、方針をたてないといけないの。もし下手に漏れたらどうなるか・・・・・あんたにも、みんなにも分かるでしょ?」

 

漏れたらどうなるか。その結末を考えただけ妖精たちはもともと青かった顔をさらに青くする。考えただけで卒倒しそうだ。

 

「長? 1つ疑問なんですが、みずづきさんはこの事を知っているんでしょうか?」

 

先ほど苛立ちをあらわにした妖精とは別の、座ったら床につくほどの長髪をもった黒髪の妖精が手をあげる。それに答えたのは、長と呼ばれた妖精ではなかった。

 

「みずづきさんは知らなかった、そして知らないと思います」

 

下を向きながらぼそぼそとしゃべる妖精。オレンジ色を帯びた照明の影響か明るい茶色の髪の毛がいつもより赤みがかって見える。

 

「みずづきさんは隠し事をしています。でも、それは艦娘のみなさんにこれ以上の悲しみや苦しみを感じてほしくないという想いからです。優しい彼女はこの・・・・・事実には耐えられないと思います。それにこれは彼女のような一兵士が知っているような性格ではありません。彼女もおそらく・・・・・」

「手の上で踊らせれてるだけ、か。・・・・・・おぞましいものね。これじゃあ、ますます漏らすわけにはいかない」

 

長と呼ばれた妖精が、ため息を吐きつつどこか決心めいた言葉を放つ。それに誰も反応を示さない。さきほど声を上げた妖精も・・・・・・・。黒髪をきごちなくなびかせて決を取ろとしたその時・・・・・・。

 

「っ!?」

 

妖精たちが一斉に顔をあげる。そこには驚愕しかなかった。

 

「な、なんでこんな時間に!? ま、まさかっ!?!?」

 

長と呼ばれた妖精は全員の顔を物凄い怒気を含ませ睨みつける。それに全員がぶるぶると首を全力で横に振る。本物の反応に胸を撫で下ろしたのも束の間、気配が段々と近づいてくる。そして、鍵のかかっていない正面の扉が開けられた。ゆっくりと。おそらく誰かを探しているのだろう。聞きなれた声が聞こえてくる。

 

「じゃあ、どうして・・・・・・」

 

長と呼ばれた妖精は他の妖精たちを下がらせ、訪問者へ会いに行く道すがらその疑問に唸っていた。

 

 

 

―――――

 

 

 

昼間から想像できないほど静かな工廠。聞こえる音といえば自身の息遣いと波の音、風によって木々がこすれる音のみだ。機械を淡々と照らす明かり。人の気配は感じない。だが、()()()の気配はあった。目論見通りの環境を整えられたようだ。男は自身の行動がうまい具合に動いたことへ微笑を浮かべる。待っていると工房の奥にある扉、その隙間から1人の妖精が現れた。雰囲気はいつも通りで世界が闇に沈んでいても勝ち気な性格が感じられる。

 

「よ、こんばんは。悪いな、こんな夜更けに」

「ほんっとまったくよ! 軍規軍規って言ってる最高司令官殿がこんな有様じゃ、お先真っ暗よ。・・・・・・・・んで、どうしたの?」

 

妖精は声をトーンを少しばかり下げると、めったに見せない人を探るような目つきになる。

 

「いや、前々から聞こうと思ってたんだがな。ほら、明日演習だろ? 忙しくなるし的場総長たちもいらっしゃるから、忘れないうちに聞いておこうと思って」

 

いつも通り優し気な口調の百石。眠たさなど微塵も感じない。それに安心したのか妖精も幾分刺々しい雰囲気を緩和させる。次に放たれた言葉もその口調を継承していた。

 

 

 

 

 

ド素人から見れば、だが。

 

 

 

 

 

「みずづきの艤装、解析できたんだろ? どうだったんだ?」

 

全く変わらない口調。そして、全く変わらない妖精の表情。

 

だが、何故だろう。2号棟内の空気が凍ったように感じるのは。

 

「・・・・・そりゃすごかったわよ!! なにせ私たちの技術水準を遥かに凌駕する代物だもんっ。未知の技術があるわあるわ。今思い出しただけでも興奮してくる!!!」

 

短い、とるに足らない沈黙のあと、妖精は鼻息を荒くしだす。それに「げっ」と危機感を覚えた百石は後ろに後退しつつ、話の腰を自身の望む方向へ変えようとするが・・・。

 

「そうかそうか。だがな、そr・・・・・」

「えええっ! えええええっ!! 百石司令が望むのなら、いくらでも明日の朝まででもみずづきの艤装について話すわよ!!」

 

あえなく跳ね返される百石。いつも以上にテンションが高い妖精は百石の気をみずづきの技術にそらすべく言葉のマシンガンを半狂乱に陥った兵士も真っ青なほど乱射しはじめた。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

提督室

 

 

何故かいつも日付が変わった直後の時間まで電気が付いている提督室。長門が「ちゃんと休んでください」と注意するのもうなずける話だ。しかも、明日は演習実施日。その準備のため、将兵や艦娘たちと同じく百石たち幹部も早めに起床しなければならない。しかも執務机に頭を突っ伏している百石を見るに休息の必要性は高い。

 

「黒髪ちゃんにやられたか? ご愁傷さま。でも一時間ぐらいで抜け出せてよかったじゃないか? 俺だったら割と本気で朝まで拘束されてたと思うぞ」

 

百石の様子をみて、御手洗から電話があったあの時のようにソファーに座り、苦笑を漏らす筆端。彼も工廠の恐ろしさは身に染みて分かっている。だが、それも一時。次に話された言葉は個人としての筆端佑助ではなく、軍人としての冷たい響きを持っていた。

 

「で、どうだったんだ? 何か分かったのか?」

 

沈黙。ゆっくりと体をあげた百石は、真剣な表情で首を横に振る。

 

「いえ、何も。うまい具合に話の腰を折られた感じがしました」

「と、いうことは?」

 

筆端の眼光が鋭くなる。

 

「はい。彼女たちはなにか隠しています。みずづきと同様に」

 

深く漆黒の闇に溶け込む響を持った言葉。百石が言い終わった後も、室内で反響しているような錯覚に陥る。それを聞き、ゆっくりとしかし大きく肺に溜まり二酸化炭素の含有率を増した空気を排出する筆端。

 

「ったく、どいつもこいつも・・・・・」

 

筆端は思わず天井を仰ぐ。そこには若干の怒気も含まれている。百石も同様のため何も言わない。

 

 

 

 

 

 

 

みずづきが、何かを隠している。

 

 

 

 

 

 

これはあの歓迎会でまともに意識を保っていた幹部たちのほとんどが感じている共通事項となっていた。

 

憲法解釈の変更。それによる国防軍の創設。自衛的戦力の定義。

 

そして、今でもはっきりと耳に残っているあの声。

 

“あんな素晴らしい憲法??”

 

怨念がこもったかのようにねっとりと絡みつき、2度聞きたくないという拒絶さえ感じた口調。

 

瑞穂が認識していた日本とはかけ離れた姿。そこに至る経緯をみずづきは確かに説明していた。世界情勢の不安定化や国防政策における矛盾の解消。並行世界、かつ日本世界より遥かに生ぬるい世界の住人である以上詳しいことは分からない。ただ、彼女の説明は間違っていないだろう。自衛的戦力の話を含めてもみずづきが語った変化を矛盾なく説明できるのだ。

 

だが、彼らは気付いていた。みずづきの説明。それがある()()()()()、ハレモノに触れないように、言葉を丁寧に1つ1つ選んでいたことを。それの延長線上に、みずづきの逃げがあった。陽炎の場合は上手くいこうとも百石の的確な指摘によって観念したみずづきだったが、それでも慎重に言葉を選んで発言していた。

 

 

 

 

 

そこまでして隠したいものとは何なのか? そして、その理由は?

 

 

 

 

特に後者の方を百石たちは気にしていた。一度生じた疑念は考えれば考えるほど雪山を転げ落ちる雪玉のようにゆっくりと、しかし着実に大きくなっていく。

 

その雪だるま式にはみずづき自身も大きく関与していた。「隠したいもの」の代表例としては自分の不利益になる事柄が挙げられる。人は恥をかきたくない、馬鹿にされたくないなど自身への不利益を回避するために隠し事をする場合が多い。というか、それが大半といっても過言ではないだろう。しかし、みずづきは無意識のうちにやっていたのだろうが、時々特定の子ではなく艦娘という総体に対して意識を向けていることが多々あったのだ。

 

“艦娘たちを気にかけている”

 

そう受け取るのは安直かもしれないが、百石たちには純粋にそう見えたのだ。そこから得られる結論は「みずづきは艦娘たちを気にかけているが故に言えないことがある」だ。

 

そして、その結論をみずづきの性格が後押ししていた。彼女は一言で言えば優しく、他人想いの子である。出会ってそう長い時間が経過した訳ではないが百石は職業柄、人の性格を見る目には自信があった。だから、御手洗とあそこまで仲が悪いのだが・・・・・・・・・・。御手洗に向かって発砲したのも、自身の大切な存在である家族や仲間、故郷を侮辱されたことが許せなかったからだ。他人のことを考えもせず、わが身大事の人でなしなら、そもそも保身を優先するため罰を課される可能性が大である発砲をしようなどとは思わない。そのため、みずづきが隠し事をする、嘘をつく理由が気になるのだ。百石も筆端もこの世界の、みずづきから見れば並行世界の出身者である。もし彼女が同じ世界の存在である艦娘たちを気にかけているのなら、ある意味百石たちは中立的な立場だ。だからこそ一個人としては、なにも相談されず黙っていられることに歯がゆさを感じるのだ。同時に彼らは軍人である。その肩には瑞穂の、この世界の運命がかかっている。個人として少し薄情で精神的にきついのだが、みずづきが隠し事をする影響・・・みずづきの態度硬化や艦娘たちの不安定化を考慮しておかなければならない。また、自身にも湧いているみずづきへの疑念。これは軍のあらゆる活動において忌むべきものでしかない。今この時も世界では、国家・民族の存亡をかけた血塗れの激戦が各地で行われている。そんな状況において人同士で疑心暗鬼になっている場合ではないのだ。

 

 

 

加えて・・・・・・もう1つ、心配なことがある。

 

 

 

百石は深く椅子に腰かけると、大きく欠け以前の神々しさをなくした月が浮かぶ夜空を、窓から眺める。

 

彼女の隠し事、それをする理由。百石には全く分からない。だが、彼女は優しい。優しい人間は他人に迷惑をかけまいと、様々なことを1人で抱えようとする。それが、自身を追い込み、結局守ろうとした他人の迷惑になると分かっていても。

 

彼女が抱えているもの。それがみずづき1人で抱えられるものであることを祈るしかない。

 

 

 

百石のささやかな想い。それが天に届いたかどうか、真っ暗闇の風も弱い世界からは全く分からない。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

??????????

 

 

締め切られたカーテンの隙間からわずかに覗く星たち。月が満月のように力強く光を発する時期ならばそのわずかな隙間から光が差し込み、幻想的な光のカーテンが現れるのだ。唐突に光のカーテンを見た時、同時にゆらゆらと空気中を漂うホコリを見つけ仰天したことを思い出す。無音と3段ベットの2段目、自身の上で発せられる昼間の様子からは想像もできない可愛らしい寝息が支配する真っ暗闇の室内。そこにクスクスと必死に笑いをかみ殺す声が響く。深い眠りから覚め、目が冴えてしまった1人の少女。時刻は雰囲気から察するに、まだまだ朝には程遠い時間だろう。布団の中で悶々としていると、さっき思い出していた光景が頭をよぎる。そして、寝る前に月を見ていたことを思い出す。

(なんで、光のカーテンが見えないのかしら?)

疑問に思った少女は普段は結んで短めになっている比較的長い髪を肩にかけながら、同僚たちを起こさないようにそっと立ち上げる。いつもは1人にしか気を遣わなくていいのだがここ最近長門に怒られたのがよほど効いたようで、ある同僚は少女たちと同じ生活を送っていた。朝方帰って来た時に起こされることもしばしばだったので、同室の身としてはありがたい限りだ。カーテンを開け窓の外を見るとそこにはつい息を飲んでしまう星空が広がっている。だが、肝心の月は出ていることには出ているだが弱々しい。

(あれじゃ、無理か・・・・・・。あ~あ、また数週間後に持ち越しか)

自然の法則に肩を落としつつ少女は目的を果たしカーテンを閉めようとする。

(ん?)

だが、カーテンが閉められることはなかった。少女の目はとある部分に釘付けになっていた。窓の下にある道。自動車が相互に余裕ですれ違える道を、街頭に照らされ1人の少女が歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで?

 

 

 

 

 

 

 

なんの邪念も詮索もない純粋な疑問が一瞬で、頭の中に浮かぶ。今は深夜。軍隊云々を無視しても人がふらふらと出歩くような時間ではない。だが、それよりも少女の目を奪ったのは彼女のまとう雰囲気だった。

(まるでゾンビみたい)

少女は依然聞いた西洋の怪談、そこに登場する怪異を思い出した。ひどい例えだが、視覚から得られた情報ではそれしか思いつかなかったのだ。彼女にしては感じられない生気。いつもより遅い歩行速度。それを見て何かを感じ取った少女は畳の上に投げ出されていた制服に着替え、急いで外に出る。髪は乱れたままだが仕方ない。何故か自分は走っていた。息をきらせるぎりぎりの速度で、必死に。服が乱れることも気にせず。そうしている理由が全く分からない。だが、心の中に妙な焦燥感が沸き上がってくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

“ほっとけない”

 

 

 

 

 

 

 

自分の声が頭に響く。そして、浮かぶ歓迎会の情景。自分を見た時、彼女が明らかに動揺していたことは把握していた。そしてそれを必死に隠そうとしていたことも・・・・・・。だから、なのだろう。こうしてお節介をかきたくなるのは。

 

彼女を見つけるのは予想外に簡単だった。彼女が歩いていた道。そして今自分が走っている道。それは一本で、海のそばを通る別の道に接続している。その交差点を少し右に行ったところにあるベンチに彼女は腰かけていた。彼女の後ろ、そして自分の右には塩を含む海風で生じる建物の腐食を防ぐための防風林がある。そのため、交差点から顔を出さなくても木々の間から彼女の後姿を捉えることは容易だった。

(え・・・・・・・・?)

彼女の横顔がかすかに見える位置まで歩いてきたとき、見えた光景が信じられず足を止める。近くで物音がしたような気がしたが全意識は、彼女に集中していた。戦闘時に発揮できればMVPも夢ではないほどに。断絶される世界と自分自身。意識が集中しすぎてとある音以外の周囲の音も聞こえなくなってくる。かすかに流れてくる嗚咽。文字通り固まった少女の先。

 

彼女は、彼女自身を照らす明かりによって美しさを演出することもなく、ただただ悲し気に泣いていたのだ。

 

 

 

~~~~~~

 

 

??????????

 

 

締め切られず窓の全領域から盛大に覗く星たち。鎮守府が完全に眠りに就くなかここも例外ではなく3段ベットに寝ている3人は明日、正確には今日行われる演習に向け休息をとっている、はずだった。3人のうち2人は文字通り寝ていた。その中で無意識に同僚へ迷惑をかけまくっている輩が1名いるものの、いつものことなのであえて無視しよう。

(ったく、うっさいわねぇ~。何回言ったら直るのかしら。この間は冗談で言ったけど、本当にわさびの山を口にいれるのもありかもね)

だが、2段目にうつぶせで上半身を起こしている少女はさすがに無視できなくなったらしい。諸悪の根源は少女と木版一枚を隔てた3段目で寝ている。これはもうどうしようもないので1段目の子のように寝てしまい、意識を彼方に飛ばすことが最も確実な対策だ。しかし、彼女にはそうできない理由があった。手元のみを照らす懐中電灯。それにより暗闇でも露わにあるメモ帳。そこには女の子らしい丸みを帯びた字がびっしりと並んでいる。1つため息をつくと、再びメモ帳に視線を落とす少女。そこには今日開かれた、明日の演習に関する作戦会議の抜粋が書かれていた。百石の口から聞かされた少女たちが対戦する相手は・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

みずづきだ。

そして、同時に聞かされた。みずづきの力を。その説明を思い出しただけでも背筋が寒くなる。当初少女は百石たちから語られた真実を聞いた瞬間、それはもう猛反発した。

 

“信じられない。嘘をつくな”と

 

しかし、実際にそれを見たという吹雪たち第5遊撃部隊。そして試射に立ち会った夕張の証言はどう否定しようが事実と受け取らざるを得ないものだった。今でも、加賀のあの真剣な瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

 

“決して侮らないで。本気で行かないと・・・・・・・・・・殲滅されるわよ”

 

(もう~~~~、あんな顔で言われたら居ても立っても居られなくなるじゃない!)

少女はメモを見返し、明日実施される作戦のおさらいを行う。消灯時間と同時に寝たことは寝たのだが諸悪の根源によって目を覚まされ、挙句の果てに加賀と百石の深刻な表情が思い浮かんで寝られなくなってしまったのだ。少女はメモを見ながらふと視野の端っこに違和感を覚え、そちらに目を向ける。そこにはカーテンが閉められてない窓があった。

(はぁ~。閉めておいてって言ってたのにほんっと役立たず!)

音をたてないようにベットの天井を優しく蹴り上げると、しぶしぶといった表現が的確なけだるさで起き上がり、そっと階段を下りていく。さらさらと太ももあたりまである長い髪の音が響くもののいびきでかき消され、せっかくの希有な音がほぼ無音に等しくなってしまう。窓の前に立った少女は再び大きなため息をつく。窓が半開きになっていたのだ。

(風がやけに通ると思ったら・・・・・・)

怒りに震えながら閉めようと窓に手をかけたその時、少女の耳が何かを捉えた。

(ん?)

不思議に思い耳を澄ますと、抱いた違和感は決して幻聴ではなかった。誰かの足音。それがゆっくりとこちらに近づいてくる。

(だれよこんな時間にうろついて!)

抱えていた怒りをさらに増幅する少女だったが、誰かの足音を聞いて一気に沈静化する。足音にしては妙なのだ。ずるずるとまるで足を怪我して引きずっているかのような・・・・。少女は慌てて窓を開けたい衝動を抑えつつ、ゆっくりと室内どころか外にも聞こえないように窓を開け、そこからそっと顔出す。視線が捉えたのは照明に照らされ昼間からは想像もできないほど憔悴した様子の彼女だった。

(あいつ、一体どうしたの!?)

居ても立っても居られなきなった少女は壁にかけてある黒いカーディガンを身にまとい着替えることも髪を結うこともせず、靴を履き部屋の外に出る。建物から出るとそう遠くない距離に彼女はいた。しかし、ちょうど街灯の下を通り先ほどよりも鮮明な姿を見た途端、少女は足が動かなくなる。彼女の背中からは昼間の、これまで宿していた優しさが一切感じらなかった。そして、その代わりに悲しみという負のオーラをそこに宿していたのだ。

(あいつ、本当に・・・・・どうしちゃったの?)

徐々に離れていく距離。どうしようか一瞬迷ったがここまで来た以上、引くことはできない。少女は声をかける機会を窺うため彼女についていく。しかし尾行ごっこはすぐに終着を迎えた。海側の交差点を曲がり少し行ったところのベンチに腰掛ける彼女。思はず舌打ちをせずにはいられなかった。あんなところに座られたら、姿を見せずに接近するのが不可能なのだ。少女は交差点の角、ぎりぎり彼女からは見えない最短距離まで接近していた。そのため彼女の独り言もかすかに聞こえてくる。どうしようか焦りを抱いているとき、その言葉が聞こえてきた。

 

「戦争がない世界、か・・・・・・・・・」

 

次の瞬間、彼女は涙を流し始めた。以前あの戦争の結末を知り、自身が流した悲しみの発露と全く同じものを。

(へ?)

少女にはその涙が信じられなかった。そして、分かった。彼女がなにを思い出して涙を流しているのか。

 

それは、過去だ。

 

(なんでなんで、あいつが・・)

訳が分からず頭の中になんでなんでが飛び交う。だが、「待て」とわずかに残っていた冷静な部分が混乱にストップをかける。

 

“あいつの涙を見るのは、これが初めて?”

 

聞こえる自分の声。はじめは意味が分からなかった。それに呆れたのか頭の中に忘れかけていた比較的最近の記憶が甦る。みずづきと初めて対面した時のことを・・・・・・。

 

あの戦争。それによって飢えた人々が久しぶりのご馳走にありつけたときの感動した、眩しい顔。

 

“あいつの顔、どうだった? 似てたわよね”

 

 

 

 

 

 

 

 

あの人たちと。

 

 

 

 

 

 

 

曙の疑念が、ある1つの糸でつながりかける。だが、それがつながることはなかった。

 

思考の海に浸っていると人の息切れぎりぎりの息遣いが聞こえてくる。全く予想外の事態に驚いてその方向をみると泣いている彼女よりも顔見知りの艦娘がこちらに向け走ってきていた。

(ちょっと、ど、どうしてあいつがっ!?)

一時パニック状態に陥るものの、気付かれないように道の脇に植えられている高さ50cmほどの低木の陰に隠れる。しかし、慌てすぎたためか自慢の髪が木にあたり物音が立つ。ばれたかと思いおそるおそる顔を木から出すが、当の艦娘は自分よりもだいぶ彼女と距離を保った位置で立ち止まったためこちらには気付いていないようだ。だが、艦娘の顔を見ると安堵のため息も付けなくなってしまう。

 

艦娘は文字通り衝撃で固まっていた。耳を澄まさなくとも聞こえてくる彼女の嗚咽。

(私もあんな顔だったのかな・・・・・・・)

いつもなら馬鹿にするところだが、少女は何も思わない。艦娘の顔と彼女の嗚咽は少女の毒気を抜くには十分すぎる威力があった。

 

もう、声は聞こえない。

 

 

 

~~~~~~~

 

 

 

みずづきは、真っ暗な世界を歩いていた。星が輝き、街灯がついているはずなのに、いつもより暗く感じる。宿直室のなかより新鮮で清涼な空気を肺に収まりきらないほど吸い込む。だが、何故だろう。その空気に刺々しい冷たさを感じるのは・・・・・・・・。

 

「殺せっ!!」

 

頭の中に響く声。

 

「殺せっ! 殺せっ!!」

 

段々と意識が希薄になっていく。つい先ほどまで身を置いていた感覚。残滓からこれから逃れたくて出てきたのに、過去は何処までもついてくる。記憶、夢という形でどこまでも・・・・・・・。

 

「殺せっ!! 奴らは無実の人たちを皆殺しにしたテロリスト共だ! 全員に正義の鉄槌を!! 日本人の怒りをっ」

「そうだ!! 法律なんて関係ない! こいつらを生かせば俺らの税金で飯食って、こいつらが殺した人、その家族の税金を使ってのうのうと刑務所の中で生きることになる! それのどこが正しいことなんだよっ!!」

「今この場で処刑だ!!」

「そうだそうだっ!!! 家族の仇を! 妻と娘をこんな・・・・こんなむごたらしい姿にした悪魔どもにぃぃぃ!!!!!!」

「・・・・・・・・・・・・奴らはテロリストで、今後生かせば再犯の可能性がある。また、奴らの仲間がここの近くに潜んでいる可能性も高く、保護対象である一般市民に報復・脅迫という形で再び銃口を向けかねない。市民を守るための脅威の排除及び治安の維持は、十分法の範囲内だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・総員、構えっ!!」

「!?!? マッテクレ、おれたちは・・・」

「撃てぇぇぇ!!!!」

 

「ほぉぉぉ!!!! それでこそ国民の味方、自衛隊だ!!」

「よくやった。よくやったぞ!!」

「ありがとうありがとう。これで孫の無念が張らされました。自衛隊さん本当にありがとう」

「正義の御旗は日本にあり!!」

「テロリスト、その家族は全員皆殺しだっ!!! 大陸の野蛮人、非国民どもには死という名の制裁を!!」

「そうだっ!!! テロリストに死を!!!!」

「人殺しに死を!!!」

「侵略者に死を!!!」

「死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!! 死を!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

「・・・・・・・・・ここは」

 

記憶の底なし沼から現実に意識を戻したみずづき。驚いたことに目の前には海が広がり左右には道が続いている。ここは知っているがどうやってここまで歩いてきたのか、記憶を思い返しても全く覚えていない。どうやら無意識のうちにここまで来てしまったようだ。

 

「はは・・・・私ったら何のために外に出てきたんだろ・・・・」

 

自身の弱さに辟辟する。残滓を払うどころか飲み込まれそうになっているではないか。苦笑しながら、なんとなく右に視線を向ける。街灯の下にちょうどベンチが置かれていた。少し虫が集結していないか心配になるものの、まだ季節的に早いようで虫は数えられる程度しかいない。そこのベンチに腰を下ろす。顔をあげると幾万もの星たちが太古の昔、はたまたごく最近の光を、地球の、瑞穂の、横須賀にいるみずづきに届けていた。

 

「・・・・・・きれい、日本と星座とかも同じなんだ。変わらないな」

 

 

 

 

 

“ああ、ちなみに瑞穂は君の祖国日本のように他国と全面戦争を行ったことはない。またそれはこの世界の全国家に言えることだ。この世界では近代以降国家間や民族間の大規模な戦争は運よく起きていないのだよ。小規模な戦争は多々あったが・・・”

 

 

 

 

変わらない。それを吐いた瞬間、頭にあの日、百石にかけられた言葉が反響する。

 

戦争が少ない世界。戦争によって死ぬ人が、殺される人が少ない世界。嫌と思い、悪と分かりつつも、同じ人間に対して引き金を引くことがあまりない世界。憎悪の連鎖が脈々と先祖の代から続いていない世界。

 

それを考えると無性に悲しくなる。同じ人間なのだ。何も違わない。同じ人間なのにどうしてここまで違うだろうか。

 

「戦争がない世界、か・・・・・・・・・・」

 

考えたこともなかった。人間とは同じ人間同士で殺し合う生き物だと、どこかでそう思っていた。戦争をする理由は本当にたくさんある。親友を殺しなんの罪もない人々を殺したテロリストにも、いきなり無差別攻撃を仕掛けてきた中国も、かつて中国や朝鮮を侵略した日本も、世界各地に武力介入を行い身勝手な正義を押し付けたアメリカも、誰も人を殺すことが目的ではなかった。それは過程・手段であって目的ではなかったのだ。みんな、自分の家族を故郷を豊かにしたい、どんな理不尽で自己中な理由でも、究極的にいえば戦争の理由はこれだった。だから、しょうがないと言い訳を立てて、人殺しを悪だと思いつつ行っていた。戦争を行わなければ幸せになれない。豊かになれない。希望にあふれる未来を築けない。そんな矛盾した構造が、地球には人類にはあったのだ。

 

「もし、日本が、地球がこの世界みたいだったら、ゆうちゃんは死ぬこと、なかったんだろうな・・・・。誰も死ぬこともなかったし、後から後悔すると分かってて敵を殺すこともなかっただろうな・・・・なんで」

 

声が震える。涙があふれてくる。

 

比較してはいけない。

 

それは重々分かっている。でも、それでも。なんでっと、どうしてっと、この世の理不尽さへのむなしさ・悲しさが消えないのだ。

 

「人の命の価値は、どこでも変わらないのに・・・・・・・」

 

だから、みずづきは泣くことに決めた。変に抵抗して明日の演習に差し支えるわけにはいかない。この弱さはここだけのもの。星たちだけに見せるもの。明日からは海防軍所属艦娘みずづきに戻るのだ。

 

そう決意して澄は、控えめにそして盛大に涙を流した。それを煌々とした光で星たちは相変わらず照らし続ける。意思も何もないが、それは心が悲しみに染まっている者には心強く思える。だが、当然星はみずづきだけでなく地上の万物を照らす。陰からみずづきの姿を捉える目撃者たちも例外なく。




果たして、みずづきの涙を見た者たちの正体は・・・・・・・・・・?

って、鋭い方はもうお察しかもしれませんね。(作者の文才がないとの指摘は甘んじてお受けます・・・涙)

さて、次話はついにやってきました演習です。しかし・・・・・・とんでもない分量になってしまったんですよね。


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35話 演習 前編

と、いうわけで「演習」は3分割致します! 今話は「35話 演習 前編」ですか、中編と後編が控えています。コンパクトにまとめたかったんですが・・・・・・書き終わってから気付きました。


横須賀鎮守府 小海東岸壁

 

わずかに日光が顔出す曇天。季節も6月に入り梅雨の気配がゆっくりと、そして着実に近づいている。気温も高いせいなのかいつも爽やかさを運んでくれる清涼な海風が、今日は湿り気を帯び、じめじめとした不快感さえ速達する有様だ。しかし、今この場にはそんな不快感を抱かせもしない緊張感が溢れていた。日本で言うところのアメリカ海軍横須賀基地12号バース。かつて全世界の制海権を握り超大国アメリカ合衆国の国力の象徴である原子力空母が停泊していた港。そして、横須賀を母港としていた世界最強の名を誇った第7艦隊が太平洋に没してからは、海洋生物の肥やしになっていた悲壮感漂う場所。空母が停泊していたときは長大な岸壁がいかにも短いように見えたが、むろん今、目の前に空母はいない。日本では空母の停泊地となっていた岸壁には、空母はおろか現在のありとあらゆる戦闘艦とは趣を全く異にした軍艦が停泊していた。全長はあきづき型護衛艦やまいかぜ型護衛艦とそこまで変わらない印象だが、それ以外は全くの別物だ。艦首前部に見える2門の中口径連装砲。ステルス性など眼中なしの角ばった艦橋やクレーンをはじめとする構造物。ところどころ見える空を睨んだ連装高角砲に3連装機銃。護衛艦の飛行甲板に見えなくもないが、かつて大日本帝国海軍艦艇が装備していたような水上機発艦用のカタパルトに水上機。そして、灰色ではなく、薄い黒色の船体。艦娘を疲労させることなく前線に運び、かつ前線でも臨機応変な作戦行動が取れるよう臨時司令部機能を持たせ艦娘運用に特化した軍艦。艦娘部隊が配備されている各鎮守府・警備府・基地に必ず1隻は配置されているこの艦が艦娘母艦である。そのうちの1隻たる船が今、ここ横須賀鎮守府小海東岸壁に接岸していた。艦名は、なんたる偶然か大隅型艦娘母艦1番艦「大隅」。

 

数え切れないほど行われた呉空爆の1つで爆沈し、現在はサルベージによって姿形もないおおすみ型輸送艦1番艦「おおすみ」と同様の名前だった。これを聞いた時、昨夜のことで若干テンションが低めだったみずづきですら声を上げて驚愕してしまったほどだ。

 

それを思い出し心の中でいまだに驚いているみずづき。だが、すぐに意識を体の内から外に向ける。今日は遂に来た演習日当日。いつもならちょうど眠たい目をこすりながら食堂で朝食を食べている時間だが、全艦娘と横須賀鎮守府幹部はそんな雰囲気を微塵も感じさせず小海岸壁に整列していた。あの初雪ですらそうなのだ。それだけで驚愕ものだが、全員が全員演習に対して真剣になっているわけではない。真剣な人たちがほとんどだが、十人十色の艦娘たちの全員が真剣な表情になり、緊張感を生み出している理由。それはまさに今、みずづきたちの眼前に立ち、対面する形になっている人物にあった。日本的な価値観で言えば、男性として平均的な身長だが、肩が広く体つきも頑丈なため少し実際より高く見える。真っ白な制服に工廠長たる漆原には負けるが焼けた肌。それぞれが対比しお互いの色の光度を高めている。そして、厳格な雰囲気と胸に付けられ溢れそうになっている勲章の数々。それを見れば、一般人でも彼がかなり偉い軍人であることが一目瞭然で分かる。そして、その後方にも彼ほどではないが多くの勲章を胸で輝かせている軍人の姿が見える。

 

軍服ではなくサラリーマンのようなスーツに身を包み、緊張感が漂うなか数え切れないほどの刺すような視線を受けている人間もいるが・・・・・。

 

彼、瑞穂海軍軍令部総長的場康弘大将は艦娘たち、そしてとある1人の女の子を見ると真正面に目を向け、百石から奪ったといっても過言ではない訓示のため、口を開く。内心、自身が目を向けた瞬間ビクついていたとある少女の反応に微笑みながら。

 

「本日、諸君らが常日頃から邁進してきた努力の成果を発揮し、確認する場が設けられた。まずは、私からの臨席要請を快諾してくれた百石提督、そして鎮守府の諸君に感謝を伝えたい。私たちが今、この場に立てていられることも諸君らの寛大な精神の賜物であろう。ありがとう」

 

にこやかに微笑みながら、一点の汚れもなく清潔な白に保たれた軍帽を取る的場。抱腹絶倒必至の見事なスキンヘッドがこの世に晒されるが、その頭がこちらに躊躇なく下げられれば、誰も心の中ですら笑う余裕はない。彼だけでそうなのだ。的場の後ろに控えている軍令部の幹部たちまでもが、一斉に頭を己よりも階級が下の者たちに下げる光景は一種の迫力さえ感じる。固まっているみずづきたちとは裏腹に、百石たち鎮守府の上層部は青筋を立てて「とんでもない」と制止しようとしていたが、ここは訓示の場。結局、その場で静かに慌てることしかできなかった。

 

「いよいよ、長らく準備されてきた演習の本番である。諸君らはこの時、そしてその先にある来るべき時を見据え、訓練と勉学に励んできたことと思う。しかし、それが諸君らの努力と認識に見合うものかどうかは蓋を開けてみなければ分からない。ただ、どんな結果であろうともそれが諸君らの実力である。納得いかない結果かもしれない。それが実力なのである。問題は、ここからどうするかである。失敗を許容し困難を克服してこそ、前進があるのだ。我々は今、人類の存亡をかけた戦争をしている。この瞬間にも、世界各地で数多の防人が祖国の、民族の、己の家族のため、そして失った平和を取り戻すために戦い、散っている。我々には前進しか許されないのだ。停滞・後退は即ち、瑞穂に戦火が及ぶことを意味している。そのことを今一度、心に刻み込んでほしい」

 

ここで一旦言葉を切ると、怒っているかのようにさえ見える厳格な顔を緩め、口調も少し普段の調子に戻る。

 

「長々しい訓示も諸君らの体力を消耗させるため、最後に1つ。皆も重々承知の通り、今回の演習は特別である」

 

特別であると的場が言った瞬間、みずづきたち艦娘・横須賀鎮守府幹部と対面している視察組が一斉に真正面へ向いていた視線をみずづきただ1人に向ける。ザッという効果音が聞こえたような気がするが、あえて気にしない。というかできなかった。本人たちに悪気はないのであろうが、その視線から感じる威圧感は半端ではないのだ。心拍数が面白いように増加する。

 

「だが、その特別にあぐらをかいたり、気を取られ自らの責務を忘れるようなことがないように注意してもらいたい。・・・・・以上で訓示を終わる」

「敬礼っ!!!」

 

百石の掛け声に合わせ、訓示を受けている側が見事に一致した敬礼を見せる。ずれないか心配していたものの、なんとかみずづきもその輪の中に紛れ込めていた。それに続いて的場の敬礼。

 

「これより、光昭10年度第1回横須賀鎮守府演習を開始する。総員、出港準備にかかれ!」

 

的場に再度敬礼した百石が号令をかけると、艦娘・将兵問わず全員が行動を開始する。ばらばらに動き出す周囲の人々。艦娘たちは「大隅」へ乗船するべく移動を開始していた。だがみずづきはある単語が頭に突き刺さり、その場で固まっていた。何度も反響する、みずづきが慣れ親しんだものとは違う言葉。

 

「光昭、10年・・・・。継明じゃ、ないんだ」

 

印象が強烈だったためか、いつもは心の声で収まる内に秘めた感情が誰にも感じられる言葉として、外界に解き放たれる。数秒遅れで自分が無意識の内に独り言を吐いたことに気付き、辺りを見回すがこちらを凝視している者はいなかった。ホッと胸を撫で下ろす。

(歴史や社会が違えば元号も・・・・。そりゃ、当然か)

瑞穂では、深海棲艦が出現する直前の2024年に永安天皇が崩御。それを受けて、今上天皇が即日即位し、約53年間続いた永安から、元号は「光昭」へと変更されたのだ。まだ10年しか歴史は無いものの、この「光昭」は既に瑞穂建国以来の激動を象徴する元号となり始めており、既に歴史において確固たる地位が確約されていた。

 

ちなみに日本は平成天皇の「ご意向」を受け、2017年西日本大震災直前の臨時国会で「天皇の退位に関する特別法」が成立。これによって皇室典範の特別法を用い当時の皇太子殿下への譲位が実現。西日本大震災発災の翌々年にあたる2019年1月1日から元号は平成から継明へと変わった。現在、2033年は「継明」15年である。そのため、平成は30年でその歴史に幕を下ろした。

 

元号の衝撃を呑み込み、みずづきは今の状況を思いだし慌てて周囲を確認する。意識を飛ばしていたのがそれほど長くなかったため、置いてきぼりなどにはなっていないが、「大隅」へと移動している艦娘とは相応の距離が空いていた。艦娘たちの背中を追いかけようとして、足が止まる。

(ん?んんん? ちょ、ちょっと、私この先聞いてない・・・・・。えっと、みんなについていけばいいのかな?)

今日の演習はこれまで開かれた演習と同じように、艦娘同士の模擬戦闘や海上に設置された的への砲撃・雷撃・爆撃、そして航空機の機動飛行訓練などの演目も行われる。だが、なんといっても今回の目玉は視察組の反応からも分かる通り、みずづきとの戦闘演習である。つまり、今日に限ってはあまり思いたくないものの、みずづきと艦娘たち、特に第1機動艦隊と第3水雷戦隊の艦娘たちとは敵同士なのだ。果たして、一緒に行ってよいものなのか。悩んでいると肩が優しく叩かれる。驚いて振り返ると、そこにはみずづきの心中を見透かしたように笑う長門がいた。

 

「案ずるな。お前も艦娘だろ? なら、彼女たちと行動だ」

「いいんですか、その・・・・」

「案ずるなっと言っただろ? 大丈夫だ。提督もこのことには何もおっしゃっていない」

 

そういうと長門は百石に視線を向ける。それにつられてみずづきも。2人の視線の先には、先ほどまでみずづきたちと対面していた視察組たる軍令部の上層部、そして的場にへこへこと頭を下げる百石の姿があった。あまりに自然かつ必死に頭をさげているため、つい吹き出してしまう。普段は見せない焦りや緊張からくる苦笑を張り付けている姿は、つい同情してしまうほどだ。

 

「提督が的場総長の気を引いているうちに早くいくぞ。総長はかなり気さくな方だが、話し好きでな。捕まるとえらいことになる」

「え・・・・・」

「だから、ほら。行こう」

 

歩き出す長門。捕まった時を想像し顔面蒼白となったみずづきは旧式のロボットのようにぎこちなかったものの、全速で長門の後を追いかける。

 

適当に同僚たちと言葉を交わし、みづずきに話しかける機会を窺っていた的場がその様子を見て「百石も策士になった~」といい、百石が本気で「え? な、なんのことでしょうか?」と答えているとも知らずに。

 

 

~~~~~~~~

 

 

「大隅」艦内 司令室

 

50人以上の司令部要員が入れるよう設計された司令室は、艦内としては他の区画より断然広い。また、蛍光灯に照らされた区画内は非常に明るく、若干地上の建物より低い天井と幾つも張り付いている配管に気付かなければ、艦内と分からないほどである。そこには現在横須賀鎮守府参謀部の士官たちが詰め、演習の最終確認が行われていた。中央の大きな台の上に広げられた相模湾の海図。複数設置されている机の上には、様々な書類や冊子が置かれ、士官たちの手によって頻繁に別の机や人の手に移動を強いられている。室内は詰めている人数、それらが纏うせわしさの割には静かだ。しかし、ここにいるのは横須賀鎮守府参謀部の士官だけではない。海図が広げられた台より少し離れた場所。長方形で大勢の人間が席につけるテーブルには、緊張した面持ちで4人が座っている。そこに参謀部員が醸し出す忙しさは一切なく、静寂に支配されていた。最も階級が高いと見られる白髪混じりの男に至っては、しきりにハンカチで額に浮かんだ汗を拭いている。そこに横須賀鎮守府各所や演習会場付近の哨戒、そして第6水雷戦隊とともに「大隅」の護衛を行う第5艦隊と通信を行う通信課士官の声がときおり聞こえてくる。瑞穂海軍第5艦隊は既に横須賀鎮守府を抜錨。横須賀湾沖にて「大隅」の到着を待っている。

 

日本とは違い、巨大なハイビジョンスクリーンもパソコンやタブレットなどの情報端末が皆無の旧世紀の風景。と思いきや、司令室の中には瑞穂世界においては開発段階で、政府・軍を含めまだ一般化していないはずのものが2つあった。1つ目は映画館や学校など幅広い場所で使われる白いスクリーンのようなものと、日本人が知っているものよりレトロ感が半端ではないがプロジェクターである。それが幾つも設置されているのだが、士官の誰1人としてそれに驚かない。そして、顔を強張らせている4人も。

 

「詳しい話はこちらで。お入りください」

 

予兆なく開く扉。次々と入ってくる人物たちを確認した瞬間、座っていた者は立ち上がり書類に目を落としておた者は目をあげ、直立不動にて敬礼を行う。

 

「ご苦労。みな、自分の職務に戻ってくれ」

 

その言葉。総長たる的場の言葉を受け司令室の士官たちは、再び動き始める。とある人物のせいか少し空気が悪くなったように感じるが、そこにぎこちなさはない。参謀部ともなるとこうして軍上層部と接する機会が多い。今年度に配属された新人士官は濁流のような汗をかいているが、回数を重ねると慣れてしまうのだ。その中、参謀部員と同様に起立した4人は、姿勢を崩さず的場たちに真っ直ぐ視線を向けている。

 

「的場総長」

「おお!」

 

的場と視線が交差した瞬間なされる、見事な敬礼。誰一人として見栄えを崩すことのないそれは見るものに一種の力強さを感じさせる。もう少し堂々としていたらさらに良かったのだろうが。予想外の人物たちを見て驚く的場。だが嫌悪感は皆無で、嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。もちろん、感情にかまけて答礼を忘れるようなへまはしない。

 

「お久しぶりです」

「あのとき、東京であって以来だな。体の方はどうだね? これから体力的にも精神的にもくる梅雨だが」

「お心遣い痛み入ります。ですが、私はまだまだ現役の海軍軍人です。総長にも、彼にも負ける気はございません」

 

白髪混じりの男は、的場や百石の後ろにいる黒髪の男性に不敵な笑みで視線を送る。額が広がったり頭皮が露出したりすることもなく髪がふさふさであるが、顔には皺が目立つため、白髪混じりの男と歳はそう違わないように見える。

 

「ほうほう、頼もしい限りだ。軍令部の階段で息切れしている小原作戦局長も見習ってほしいものだな」

「からかわないで下さい総長。それに私には正躬司令にない威厳がありますので」

 

的場の言動に心の中で冷汗をかきつつ軍令部作戦局局長小原貴幸(おはら たかゆき)は、第5艦隊司令官正躬信雲(まさみ しんうん)と対照的に堂々と胸を張る。お互い同期であるために行われる和やかなやり取り。普段は何の因果か誰かの上司になったせい、かつ自身の作戦局局長という立場を愚弄する傍若無人なふるまいを受けため息ばかりつき、胃薬が手放せなくなってしまっている小原の笑顔。それに触発されとあるスーツ姿の男を除いて場が笑いに包まれる。

 

「相変わらずだな。して、何故ここに君らがいるんだ? 私は一切聞いた記憶がない。まぁ、おおかた推測はつくが」

 

的場はゆっくりと首を回し、隣にいる百石へ顔を向ける。笑顔のままで。形容しがたい圧迫感に思わず愛想笑いを浮かべてしまう百石。正躬は百石の代わりに説明しようと口を開くが、あがり症の性格が邪魔をし言葉が出ない。その隣で自身の上官にため息を吐く男性。いつものことで慣れたのだが、もう少し堂々としてほしいものだ。

 

「待って下さい的場総長。ここに我々がいるのは我々たっての希望で百石司令がこちらの希意向をくんで下さっただけなのです。ですから百石司令は・・・」

 

第5艦隊参謀長、掃部尚正(かもん なおまさ)はぎこちない笑みで百石へ掩護射撃を行う。それを聞き「やっぱり」かと肩をすくめる的場。百石は「あはは・・」と歯切れを悪くしながら弁解を始める。

 

「独断、申し訳ありません。ですが、正躬司令官らは横須賀鎮守府所属であり、またあの悲劇を生き残った歴戦の艦隊です。今後、単独作戦・艦娘との共同作戦双方でこれまで以上に要となります。また、横須賀に錨を降ろしている以上は、みずづきとの共同作戦も考えられます。そのような点から、戦略そして国益上有意義と判断し、彼らの要望を受け入れました」

 

瑞穂海軍第5艦隊。瑞穂海軍で唯一、深海棲艦との壮絶な戦闘を経験したにも関わらず、海底に引きずり込まれることなく大戦初期を生き残った艦隊である。第5戦隊と第10戦隊で構成され、前者には旗艦因幡、因幡より少し小さい6600トン型巡洋艦である若狭、駆逐艦の白波、氷雨が所属している。後者には若狭と同型艦の伊予、海月型防空駆逐艦の霧月、河波と秋雨が所属する。白波と河波、氷雨と秋雨はそれぞれ艦名からも察せられる通り、同型艦である。

 

かつて、瑞穂には5個の艦隊が存在していた。他にも戦闘艦を有する部隊はあったが、彼らが実質的に瑞穂海軍の主力部隊であり、瑞穂の海を守っていた。だが、2033年現在、実働状態にある艦隊は第5艦隊のみである。第1、3、4艦隊は深海棲艦との戦闘で全滅。第2艦隊も所属する8隻のうち5隻を失い壊滅していた。艦娘がいるからこそ軍事戦略や戦術的作戦が上手く回っているものの、艦娘抜きでの国防を考えれば現状の打破は不可欠。そのため、瑞穂政府は海軍の再建と軍備拡張を急ピッチで進めていた。大戦が始まってから8年。途方もない時間と国民の税金をかけて築き上げた戦力の一挙喪失は瑞穂史上初で紆余曲折もあったが、ようやく戦力の再建に目処がついたのだ。だが、それでも実戦投入にはまだ時間がかかると見込まれていた。船は出来たのだ。しかし、それを操り真価の発揮に不可欠な人員の育成が難航していた。理由は経験豊富な指導員の不足。大戦で優秀な人員を軒並み失ったことに加えて、今は戦時真っ只中である。前線で活躍してもらわなければならない貴重な将兵を、おいそれと教官として訓練基地に送る余裕はないのだ。第5艦隊、そして旧式艦艇を有するが故に前線に投入されず生き残った第2線級の部隊の戦略的価値は非常に高い。それは第5艦隊の配備先変更にも象徴される。第5艦隊はもともと青森県にある大湊鎮守府所属であり、第5と言われるだけあって主力艦隊の中でも格下の存在だった。だが、艦娘の登場によって戦局が落ち着いたあと、太平洋や伊豆・小笠原諸島、そして関東防衛の重要拠点である横須賀鎮守府の所属となったのだ。本土の基地や司令部勤務の将兵に比べ、艦隊勤務者やあの悲劇を生き残った者は艦娘排斥派の比率が高い傾向にある。もちろん大多数が擁護派であることに変わりはないのだが、自分たちが死を覚悟し全身全霊で挑んでも勝てなかった深海棲艦を、見事に蹴散らした年端もいかない少女たちに恐怖と嫉妬を抱く者もいた。だが第5艦隊は指導部、一般将兵共に擁護派が圧倒的多数を占めている。横須賀鎮守府に配備された理由にはこれも含まれていた。

 

「・・・・本当にそれだけか?」

 

的場の一言。それに動揺する百石であったが、それ以上に動揺している者たちがいた。第5艦隊の面々、特に百石たちから見て掃部の左に控える2人の中年男性たちがもろに動揺している。それに再びため息を吐き、これ以上の抵抗は不可能と判断した掃部は、百石が語らなかったもう1つの理由を口にする。

 

「単純な好奇心ですよ」

「ちょっ!?」

 

掃部の言葉に2人の中年男性は動揺を大きし、視線を激しく泳がせる。

 

「私や正躬司令もあのような報告書を見て多大な興味を抱きましたが、私以上に好奇心を爆発させていたのが、第5艦隊第5戦隊司令結解(けっけ)大佐と第10戦隊司令花表(とりい)大佐だったのですよ」

「私も彼らの気持ちが痛いほど分かったものですから・・・その・・」

 

苦笑しつつ正躬は視線を下に反らす。彼はあがり症であるため緊張する事柄を、常に避けようとする性格だ。だから、百石に負担をかけることを危惧した掃部と共に面倒事を避けるために防衛戦を展開したのだが、中年とはいえ自分達に比べて活力が段違いの結解と花表に情熱でもって押しきられた。

 

「まったくどいつもこいつも」

「め、面目ありません・・・・・」

「返す言葉もございません・・・・」

 

笑いながら頭を抱える的場。掃部の口から状況が自身の記憶と酷似していて、既視感を抱いてしまう。それは小原たち視察組も同様のようだ。その視線の先で結解と花表はただただ低頭するばかり。

 

「彼らも私たちとまったく変わりませんな。百石の演説は彼らの要望を聞き入れるための方便だった、と?」

「ま、待って下さい!! 小原中将!! あれは決して方便などではありませんよ。 明確な判断理由です!! まぁ、彼らの決意も大きな比重を占めていましたが。私も正躬司令と同様、その好奇心は持っていましたし。そのような理由から彼らの視察を許可したのです。的場総長やみなさんにお伝えしなかったのは、その方が喜ばれるかと思いまして」

 

策士のような顔をする百石に「やれやれ」と肩をすくめ苦笑する視察組。

 

「何が喜ばれるかと思いまして、だ。軍隊は仲良しこよしのお友達グループではない。いつにならったら、学生気分が抜けるんだ。片腹痛しにも程がある」

 

小声でぶつぶつと文句を言っている一人を除いて。小声と言いつつもわざと百石に聞こえるように言っているのだが、全く反応されない。いや、刺すような威圧感を向けられる辺り、反応しないようにしているのだろう。対抗して威圧感を飛ばそうとすると、自身の前方にいる百石。その先、テーブルを隔てたむこう側にいる結解、花表の2人と目が合う。他の人間には感ずかれないよう、ほんのわずかだけ申し訳なさそうに会釈する二人。

(そういうことか・・・・)

頭の中に浮かぶ腑に落ちない事柄。それに対する男の納得を感じ取ったのだろうか。2人の雰囲気がこの場では、それこそ男しか分からないほどわずかに弛緩する。

 

「長々と申し訳ありません。どうぞ、お掛けになってください」

 

予想通り的場たちから正躬たちの件について異論が出なかったことに安堵しつつ、百石は着席を促す。的場の性格を熟知しているとはいえ、視察を受ける立場に加え独断専行を行うは非常に精神力を使うのだ。一悶着を終え、きれいに整頓された席につく視察組。昔、どこかの誰かがやったように、こちらの案内をはなから無視して一目散に我がもの顔で座るような無法者はいない。正確にいえばいるのだが、衆人環視とあの件が彼の自制要因になっているようだ。そんな彼らがついたテーブル。すぐ近くの、全員から見られる位置には違和感の塊が堂々と設置されている。だが、誰一人としてそのスクリーンとプロジェクターの存在に意識を向けない。まるで見慣れているかのように。

 

それもそのはず。その2つをここにいる全ての人間は見慣れているのだ。これは妖精たちが作った装置で、演習海域に展開している偵察機、それに搭乗している妖精によって手持ちカメラで撮影した映像がリアルタイムで投影される。これよって艦内に閉じこもろうとも、演習の状況をまるでその場にいるかのように捉えることが可能だ。しかも画質は少し粗いがなんとカラーである。そのため、これを知っている軍人たちは街中で吹雪たちが夢中になったテレビを見ても感動しなくなってしまうという悲劇が発生していた。科学がまるで暇つぶしにさえ思えてくるこの状況に、もう1つの「あり得ないもの」とあわせ、これらを見せられ説明されたみずづきは酷い頭痛に悩まされたものだ。日本でこれをやられたら、科学者のみならずかなりの数の人間が半狂乱に陥ること間違いなしである。但し、これは妖精が作ったものであって人間が作ったものではない。妖精が直に操作しなければ使えず、人間が下手に操作しようとすると壊れるどころか跡形もなく消滅してしまうのだ。神の御業とはよく言ったもので、この話を聞きつけた兵器研究開発本部や大手企業開発班はこの技術をわがものにしようと様々な策を施し、惜しみないチャレンジ精神を発揮した。だが、結果は凄惨たるもので、普段はライバル同士で仲が悪い大手企業が揃いもそろって「神の御業を人間が模造することは不可能」と判断し、お互いの健闘を称えあったほどだ。そのため、よく見るとプロジェクターの周囲には数人の妖精たちが小さい体をフル活用し、時には士官の助けを借りながら準備を進めている。

 

いつもは席につくと多少の雑談を交えながら作戦の話になるのだが、今日は違った。着席した視察組はスクリーンの隣に設置された、見たこともない黒い板、まさしく黒板と言えるものに視線をくぎ付けにしていた。百石・筆端はそれを見て笑っている。どうやら彼らはこれがなんだか知っているようだ。それをおちょくられていると感じたスーツ姿の男は、「黒板」の近くで可愛らしく作業していた妖精を睨みつける。百石たちでも良かったようだが例の件もあり、的場もいる中で話しにくいと感じたのだろう。

 

「おいっ!! 人の気配に敏感な神モドキなら気付いているのだろ? にも関わらず見て見ぬフリをするとは・・・・・・この私を侮辱するのもたいが・・・・・・い、に・・・し・・・・・・ろ」

 

男の容赦ない怒号に驚いた妖精は涙を浮かべて、黒板の後ろに隠れる。一気に険悪化する空気。殺意すら籠っていそうな視線が刺さる。それは悪名高い男でもたじたじにする威力があった。必死に顔を下に向け、笑いを誤魔化そうとする視察組と百石たち。だが、肩が震え、声が口の間から漏れている時点で隠せていない。それに顔を上気させ、声を発しようとしたその時、柔らかくとも残酷なまでの冷たさを感じさせる声が男の耳に入る。瞬間、男は横須賀鎮守府でのお話(という名の素養教育)を思い出し、固まる。

 

「御手洗中将・・・・、いえ御手洗殿、大変失礼致しました。こちらの不手際、お詫び申し上げます。ですが、近くにいたからといって我々と異なる存在である妖精に対して、いささか度がずぎるような態度ではありませんか? 彼女たちは善意で手伝いを買って出てくれているのですよ」

 

笑顔を張り付けたまま的場たちに近づいてくる比較的若い男性。もしかすると百石たちと同じぐらいではないだろうか。横須賀鎮守府参謀部長緒方是近が姿を見せた瞬間、恐怖に目をつぶっていた妖精は、顔を希望で輝かせる。そして、御手洗に対してあっかんベー。

 

「き、貴様・・・・・・・艦娘から派生した妖精の分際で・・・・」

 

それをもろ見てしまい御手洗は緒方の視線など関係ないとばかりに怒りで拳を力いっぱい握る。声をあげようと口を開くものの、それは的場によって阻止された。

 

「はいはい、そこまで。御手洗、お前もほんとに凝りんな。いちいちお前に場をかき乱されると話が進まんし精神衛生上よろしくないから、大人なしくしていてくれ」

「なっ!? お、俺はただ・・・」

「でないとお前、甲板に出た瞬間、艦娘たちの()()な誤射で魚のエサになるぞ。知らんぞ、俺は」

 

冗談に聞こえない台詞。御手洗は自分のあだ名や評価をよく知っているので、背筋が寒くなる。爆笑する視察組。それだけならまだいいのだが、百石と筆端の不敵な笑みが御手洗の恐怖を増大させる。的場に手で再度座るように促され、御手洗はものすごいスピードで席に着いた。

 

「場も温まったようなので、これについては私から説明させて頂きます。こちらは・・・・実際に見てもらった方がいいですね。大変恐縮ですが、少しお待ちください」

 

そういって緒方は通信員にかけよると、あるところへ通信を依頼する。首をかしげる視察組。だが、それほど待つこともなく結果は現れた。突然、光を放つ黒板。どよめきが起こったのも束の間、側面の大半を覆うガラス板のような部分にすぐには信じられないような光景が映し出された。

 

「こ、これは・・・・・・」

 

そこには雲の合間から覗く海岸線が映し出されていた。しかし、驚くべきところはそこではない。的場たちの驚嘆。それは映し出された映像の美しさにあった。

 

「な、なっ!?」

「すごい・・・・・・なんという鮮明さ。この高さから走っている電車まで見えるぞ!?」

「自分の目で見たまんまだな」

「私のように目が悪い者は、自分の目で見るよりもきれいに見えますよ。いや~、感動しますな」

 

口々に感想を漏らす視察組。的場でさえ映し出された光景に圧倒されている。

 

「妖精たちが今回の演習で皆様に見て頂きたいと思っていたものは、これっといっても過言ではありません。大変驚かれていますが、これ、皆様も知っている代物なんですよ」

 

わずかな沈黙。だが、視察組を代表して御手洗が緒方の発言に応える。

 

「テレビ、か」

「はい、そうです」

 

重苦しい言葉。緒方はそれに嫌悪感を示すこともなく普通に答える。いくら御手洗といえども今は彼の中に他人を侮辱する感情は一切含まれていないのだ。

 

「しかし、これは・・・・・あり得ない。いくら妖精の技術といえども、これは日本をも超えているのではないか。こんなものを作れ・・・・・・まさか!」

「御手洗殿のご推測はおそらく当たっているかと。確かに、日本世界において今から90年近く前に活躍した艦娘たちの艤装を解析したところで、このような未来の産物としか思えないようなものは例え妖精たちでも作れません。彼女たちは艤装の解析で得られた()()()()()を基に様々なものを創り出しています。ですが、例外が1人だけいます」

「みずづき、か」

 

染み出るように吐き出された的場の言葉。それに緒方がゆっくりと頷く。

 

「これはみずづきの艤装を解析して得られた情報を基に妖精たちが、不眠不休で遊んだ結果なのです」

「みずづきもそれそれは、驚いていましたよ。なんでこんなところに液晶テレビがあるんですかっ!?、と。妖精たちの能力を話したところ、ものすごく脱力してましたが」

 

当時の状況を思い出し、苦笑する百石。ここにある「あり得ないもの」。2つ目は妖精たちが作った液晶テレビとそれをフル活用できるこ高彩度カメラだった。視察組はそれを聞き、もう一度黒板、もとい液晶テレビに目を向ける。それは淡々と、さも当たり前のように雲を、海岸線を、街を、海を、山を映し出していた。

 

「ということはつまり・・・」

「はい。日本では今私たちがもてはやしているのは、骨董品とされ博物館に収蔵。一般家庭でもこの薄型テレビを複数台保有しているそうです」

 

衝撃。百石の言葉に的場ですら目を丸くする。富の象徴となりつつあるテレビ。ここにいる視察組ですら持っていないというのに、日本では庶民が持つ当たり前の家電となっているのだ。先端技術搭載の家電を大衆化可能にする大量生産、大量販売体制、そして家電の大衆化に必要な国民全体の所得水準の高度化。技術水準どころか経済規模も格が違うのはこのことだけで一目瞭然だ。百石たちと異なり初めて現在の日本世界を目の当たりにした視察組は、あまりの違いに乾いた笑みを浮かべる。

 

「私、あの報告書に対する疑念が少し消えてきましたよ・・・・」

 

海軍の白とは異なるカーキ色の軍服を着た男性は思わずメガネを取り苦笑しながら額の汗をハンカチで拭きとる。それに向けられる同情の視線。

 

「あ、ちなみに。2033年の日本には紙のように折りたためるテレビもあるそうですよ」

 

百石の不敵な言葉に固まる一同。もはや言葉もない。この中には理系に通じている人間もいるが彼らでさえ、なにをどうしたらそんな芸当が可能なのか見当もつかない。

 

2033年の日本。自分たちとは隔絶した世界から来た艦娘、みずづき。彼らはこれから行われる演習、みずづきの戦闘能力に想いを馳せるのであった。

 

 

 

~~~~~

 

 

 

相模湾  「大隅」艦内 待合室

 

 

司令室と同じように白い蛍光灯で照らされた室内。今日は波が穏やかなようで相模湾上に来ても揺れは全く感じず、そういう意味でも地上にいるときと何も変わらない。室内にいくつも並べられた背もたれのない長椅子。比較的広いとっても船内の広さはたかが知れている。それでもできるだけ多くの人間が座れるようにしているためか、椅子と椅子の間隔が狭いところが多々あり歩きづらい。その椅子たちの正面に置かれたとある液晶テレビ。いや、モニターと言った方が正しいだろう。みずづきは長椅子に腰を降ろし1人でそのモニターを見ていた。初めてこれを見たときはさぞ驚いたものだが、日本ではそれこそ当たり前の家電であったため、慣れるのにそう時間はかからなかった。それには、「もう考えても無駄だ」というあきらめも入っていたが・・・・・・。

 

4分割された画面。お金持ちが持っているような特大サイズではないため、そこまでされると細部の詳細が分かりづらいが、見る分には全く問題はない。画面に映される4つの映像。すべて別々のカメラによる映像だが、それは今まさにみずづきがいる「大隅」から少し離れた演習海域で行われている演習を捉えていた。海上に設置された的に向かって装備している主砲を発射する駆逐艦たち。次々と砲弾を撃ちだしているが・・・・・・・・・全然当たっていない。

 

「うわぁ~、私がやったら大目玉確実・・・・・。でも、仕方ないか・・・」

 

みずづきは的から離れたところに大きな水柱を立て、地団駄を踏んでいる艦娘たちに苦笑を漏らす。撃てども撃てども当たらない砲弾。だが、みずづきの中に彼女たちをバカにする感情は微塵もない。それどころか尊敬の念を抱いていた。みずづきは確かに、絶対ではないが音速の目標にも砲弾を当てられる。それ以下の目標ならほぼ100%で命中は可能だ。しかし、それはみずづき「腕」によってなされる業ではない。それはコンピューターによって初めて実現する奇跡なのだ。現代兵器はコンピューターなしにその驚異的な力を発揮しえない。もし、みずづきがレーダ管制をオフにしや主砲に内蔵されている光学照準器さえも切って、撃ったなら彼女たちと同じようになるだろう。

 

自分自身の腕で決める。機械の力なしでは戦えない、戦えなくなってしまった世界の人間として、その潔さには憧れるし、すごいと思うのだ。

 

「お、命中~。ようやく当ててきたわね。前回より吹雪、少し上達してるじゃない」

「Wow!! さすがブッキーネッ!! 他の駆逐艦ズたちもみんな腕を伸ばしてるではありまセンカ! ウゥゥ、感動デース、感動しまシタッ!! 砲撃戦の女王たる戦艦として、これほどの喜びはありまセーン!!」

「はぁ~。さっきまであんなに憔悴していたのに・・・・その元気はどこからきたの? その切り替えの良さは是非、私に負けて現実逃避している若輩者に伝授してあげてほしいものだわ」

「なんですって?????? 負けたこの私が???? 現実逃避しているのはどっちよ。確かに空中戦では私の方が多く落とされけど、護衛対象の損耗率はわたしのほうが・・」

「こんにちは、みずづき。ごめんなさいね、大事な演習前にお邪魔して」

「ちょっ、ちょっと、無視すんじゃないわよ!! 私にケチ付けられたからって・・」

「ohhhhhhhh!!! 惜しい! 惜しいデース!! 今日は絶好のconditionですからもっと、もっといけマース!!」

「ちょっと金剛静にして!! あいつ、金剛の声を利用して聞こえないフリしているから!!」

「は、ははは、ははは・・・・・」

 

感傷に浸っていたみずづきの心を完膚なきまでに現実まで引きずり出す喧騒。その容赦のなさ、そしてブレのなさには感服するしかない。しかも毎回毎回同じようなやり取りをしているにもかかわらず、末恐ろしいことに話題が一切被っていない。それらにはもはや苦笑しかでない。

 

「いえいえ、お気遣いなく。みなさん、演習お疲れさまです。いや~、加賀さんや瑞鶴たちの模擬戦闘や金剛さんの砲撃訓練は圧巻でした!!」

 

胸元でぐっと拳を握りしめ、みずづきは目を輝かせる。演習が開始されてから既に数時間。旧日本海軍の艦戦や艦爆、艦攻が乱舞し、みずづきとは比較にならない衝撃波と爆音をもって砲弾が放たれ、現在と用途が違う魚雷たちが海面スレスレの海中を猛進する。どれもこれも21世紀では白黒の写真や映像そして書籍のなかの文字でしか見られない、感じられない光景だけにみずづきにとっては新鮮なことこの上ない。

 

「そ、そう? まぁ、いつも通りのことをしただ・・」

「ありがとう。でも、まだまだよ。空中戦ではどこかの誰かさんに艦戦を落とされたし、護衛対象にも被害を出してしまった。これからも精進が必要よ。あなたもそう思うわよね?」

 

いつも通りの表情、いつも通りの口調で加賀は瑞鶴に語り掛ける。だが、そこには有無を言わさぬ迫力が込められている。みずづきに褒められ少し高くしていた瑞鶴の鼻が簡単にへし折られる程度には。

 

「と、当然じゃない!! 私は翔鶴型の2番艦よ。まだまだやれるし、どこぞのおいぼれ空母なんてすぐに追い越してみせるわっ!!」

 

「ふっ」と不敵な笑みを浮かべる瑞鶴。本人は本人なりに上手く言ったつもりなのだろうが、加賀はさも聞いていなかったかのように無視し、みずづきに振り返る。「無視!? ちょっと、あんた最近私の扱い雑過ぎない?? これじゃあ調子が狂う・・・・・って、何も言ってない、何も言ってないからね!! 金剛!! なに笑ってんのよっ!!」という瑞鶴の叫び声を加賀は背中に浴びているが、みずづきはもろ真正面から食らっているので精神的に大ダメージだ。あんな口調ながら寂しそうな顔の瑞鶴を見ると何とも言えなくなってくる。

 

「はぁ~全く。反応しなければわめくし、反応してもわめく。五航戦にはどちらかにしてほしいものだわ」

「はははは・・・・。瑞鶴さんも加賀さんにかまってほしいんですよ。ほら、言うじゃないですか? 好きな相手にはちょっかいをかけたくなるって」

「あの子が私を? ・・・・・・・・あり得ないわね。だいだい万が一そうであったとしても、迷惑だし願い下げね」

 

そう言いつつも耳を若干、本当に若干赤くして瑞鶴の方に、これまた若干意識を向ける加賀。その強情さにはみずづきも少し肩をすくめてしまう。金剛や赤城がからかいたくなる気持ちも分かる。加賀と瑞鶴の顔を交互に見て笑っていると落ち着きを取り戻したモニター画面が目に入った。砲撃をやめ整列しだす駆逐艦たち。どうやら砲撃訓練が終わったようだ。

 

佳境に入る演習。加賀と瑞鶴のコンビネタを拝める要因となった模擬戦闘など様々な演目が行われたが残すところはあと1つ。

 

「いよいよね」

 

同じくモニターを見た加賀が呟く。他の2人も加賀と同じ心境なのかさきほどと打って変わって神妙な表情だ。長椅子に座っていたみずづきはゆっくりと、しかし一切のブレなく立ち上がる。その時、待合室に設置されたスピーカーから抑揚のない男性の声が発せられる。

 

「駆逐艦砲撃訓練終了。次は特別演習。繰り返す、次は特別演習。参加者及び関係者は至急所定の区画に集合せよ」

 

艦内放送終了後に訪れる静寂。一際大きな音を聞いたせいか、それはいつも以上に静かに感じられる。

 

「みずづき? 手加減しろ、などと言うつもりは毛頭ないけど・・・・・・赤城さんたちをよろしくね」

 

まっすぐみずづきを見つめる加賀。そこには恐れも不安も、そして楽観もない。ただただ真剣な表情があった。それは金剛と瑞鶴も同じであった。

 

「私の親愛なるい妹もいますから、よろしくお願いしマース! ビシビシっ鍛えてやってほしいネ! それがあの子のためでもありますカラ」

「私は全然心配してないけどねっ!! 翔鶴姉は自慢の姉だし、赤城さんも榛名もいる。それに提督もちゃんと作戦を考えてくれてる。だから、そこの弱腰なお二人さんとは違って、翔鶴姉をよろしくとはいわない」

 

その発言が気に入らなかったのか、加賀は眉を一瞬つり上げると瑞鶴に視線を合わせ口を開こうとする。だが、それを瑞鶴のまっすぐな視線が押しとどめる。2人の間では珍しいパターンだ。

 

「ただ・・・・1つだけ言いたいことがあるわ。あんたなら重々分かっていると思うけど・・」

 

一旦言葉を区切り、目をつぶって深呼吸をする瑞鶴。それが終わり目を開けた彼女は見惚れるほどきれいで、勝ち気な笑みを浮かべてこういった。

 

「大日本帝国海軍をなめんじゃないわよ!」

 

それに目を大きく見開きみずづき。加賀と金剛も一瞬、瑞鶴がそのようなことを言うとは思わずみずづきと同じ表情になるが、すぐに瑞鶴と同じ不敵な笑みをみずづきに向ける。

 

「参りましたね~」

 

一本取られたと首に手を当てるみずづき。心の中で熱いものが沸き上がってくるのを感じる。こう言われては、言わなければならないことがあるだろう。

 

「では、私からも・・・・・・・日本海上国防軍の力、お見せしますよ」

 

自信にあふれた不敵な笑み。それを3人におみまいすると一礼してみずづきは歩き出す。目指す場所は「大隅」の外に広がる大海原。事前の打ち合わせでは、もう既にみずづきの対戦相手となる第1機動艦隊、第3水雷戦隊は演習海域に向かっているはずだ。駆逐艦たちは砲撃訓練のあとという事もあって少しかわいそうな気もするが、致し方ないだろう。

 

大日本帝国繁栄の礎となり、数々の伝説・武勇伝を残しアジア・太平洋戦争を戦った艦娘たち。対するは彼女たちが必死に守り抜き再び繁栄を手にした日本国からやってきた、遥かに進んだ科学力を体現する艦娘。本来、出会うことのなかった存在同士の本気がもうまもなく交差する。




・・・・・・あれ? 戦闘シーンは?

大変申し訳ありません! 出てくるのは中編からです(汗・・・汗)

にわかなりに頭をひねって書かせて頂いたので、もう1週間待っていただけると嬉しいです。

そして、1つお知らせです。
本作を読んで下さっている読者の方々からは多くのご感想やご指摘をいただき、作者として非常に心強く思っております。また、激励の言葉などには大変励みになっています。

今後ともご感想やご指摘をお待ちするしだいですが、私情により3月からリアルが非常に忙しく、また大変なことになります。(もしかすると読者の方々の中にも、私と同じ試練に遭われている方がいらっしゃるかもしれませんね)

なので、お寄せ下さったご感想やご指摘への返信が長期にわって遅れたり、現在週一の投稿間隔が伸びたりするかもしれません。

ただ、メッセージには必ず目を通しています。また、書きためもあるので投稿がぱったり止むということはありません!!

ご迷惑をおかけしますが、今後とも「水面に映る月」をよろしくお願いいたします。


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36話 演習 中編

先週、お知らせしたとおり、今までのペースで投稿します!


ほぼ無風で、波も穏やかな相模湾。曇天でなく空気が澄んでいれば瑞穂でも変わらずこの国の至宝となっている富士山が見えるのだが、今日はあいにく輪郭すら捉えられない。海上にいて、しかも風がないため、蒸し暑く感じるかと思われるがそうではない。いや、それを感じている余裕がないだけだ。

 

「いよいよ、この時が来たわね」

 

いつもなら第1機動艦隊旗艦である、正規空母赤城の独白。誰にも向けられたものではないが、それは真剣そのものでこの場の全員が抱いている緊張感を体現している。

 

現在、みずづきと特別演習に向け()1()()()()()は輪形陣、()3()()()()()は単縦陣で第1機動艦隊の後方を航行している。いつもなら例え演習前であろうとも談笑が絶えず、実際さきほどの演習までそうであったのだが、今は異様な静寂に支配されている。聞かされたみずづきの戦闘能力。それを思えば誰でもこうなるだろう。明らかに自分たちを凌駕する相手との対峙。赤城を含め全員、平静を装っているが顔がこわばっている。言葉を交わさずとも緊張していることは明らかだ。

 

「ん・・・・んん・・・・」

「ん? どうしたの陽炎さん・・・・って、ああ。ふふふっ」

 

戸惑うようなうめき声をあげながら、ぎこちなく身をよじらす陽炎。だが、その姿はいつもの彼女ではない。いつも通りの制服と陽炎型の艤装を身に付けてはいる。しかし、それに加えて、雪のような白髪のカツラを被り、手には正規空母が持っていうような弓を持っている。弓など持ったことがないためか、非常に持ちにくそうにしている。いつものように髪を結ってトレードマークのリボンをつけてしまうとカツラがかぶれないため、現在陽炎は寮でくつろいでいる時のように髪を降ろしていた。しかし、カツラは陽炎の髪以上に長いためオレンジ色の髪はすっぽり収まっている。遠目から見るととある艦娘ようだ。

 

「どう? ()()()()になった気分は? ふふふふっ」

 

不自然といえば不自然、大丈夫といえば大丈夫な何とも形容しがたい姿に赤城はつい笑ってしまう。今まで必死に抑えてきたがもう限界だ。

 

「ちょっと赤城さん! 笑わないでよ! 私、これすっごく恥ずかしいのよ!」

 

顔を真っ赤にして反論する。それが白髪との対比を促進させ、さらにカツラの存在感を強調する。自ら面白味を増してしまう陽炎に赤城の笑いは止まらない。そして、笑いは陽炎の意向とは正反対に艦隊全体に波及する。

 

「ええ~、結構似合ってるって。・・ふふふっ。でも、やっぱり変装するならとことんまで極めたらよかったのにな。制服もうちらのじゃなくて、白と赤を基調とした着物で! いや~、結構いける、いけるで! 今度やってみいへん?」

「あんた、他人事だと思って・・・・・。じゃんけんで私が負けてなかったらあんただったのかもしれないのよ!!」

「そのじゃんけんを言い出したのは誰だったっけな~」

 

在りし日を回想する深雪。ギクッと体を凍らせる陽炎にニヤついた笑みを浮かべる。

 

「陽炎は言った、じゃんけんはこの世で最も公平な判断を下せる手段なのよ! だから負けても文句なしいいわね! っと」

「初雪ちゃん、何気に上手。そのあと、言い出しっぺの陽炎ちゃんが一回戦目で負けるっていう、典型的な結果になったけど」

 

いつのもの気だるげな口調はどこへやら。ばっちり物まねを決める初雪と、それに苦笑する白雪。吹雪型3人の的確かつまっとうな反応に陽炎は言い返せず、がくりと肩を落とす。

 

「じゃんけんなんて、言うんじゃなかった・・・・」

 

今更後悔しても遅い。そこにはいつも通りの元気で、少し猛進ぐせのある陽炎の姿があった。影は微塵もない。消えたかどうかは分からないが、少なくとも現在は影を潜めている。それを確認し陽炎の些細な変化を感じ取っていた3人はそれぞれ安堵のため息をはく。

 

そして、赤城もまた別の意味で安堵していた。自身の周囲を囲む駆逐艦たち。こわばっていた表情は和らぎ、肩の力も抜けている。

 

「まあまあ、陽炎さん、そう落ち込まないで。これは遊びじゃなくて立派な作戦。提督や工廠、参謀部のみなさんが考えて下さった作戦を成功させるための重要な役割だから」

「はい、それは分かってるんですけど・・・・・・。本当にこんな古典的な方法でみずづきの電探を欺けるんですか?」

「それは・・・・・私にも分からない。ただ、あなたも知っているでしょ? 軍隊は無駄なことはしない。それをなす、ということは必要なことなのよ。規格外の相手に一泡吹かせるためには」

 

赤城はそういうと陽炎から前方の海上に視線を向ける。鋭い眼光。視認は当然できないが、この先に特別演習の相手がいる。敵機動部隊をたった1隻、しかも無傷で葬った存在が。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「なあ、これ・・・・どう思う?」

「どう、どうって、同じ格好してる私に言われても・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 

本来は何も身に付けない背中に背負っている張りぼての艤装。それを榛名に見せつける摩耶。いつもとは違う髪型で苦笑を浮かべる榛名。2人の会話を無線で聞きつつも、無反応の翔鶴。いや反応したいけれども、その余裕がないのだ。翔鶴は顔を真っ赤に染め、艦娘になってから初めてした髪型に意識の大部分を持っていかれていた。

 

赤城が指揮する艦隊では陽炎だったように、翔鶴が今回限りで指揮を任された艦隊でも同じような役柄に抜擢されてしまった犠牲者たちがいた。

 

「ふ、ふふふふふっ」

 

聞こえる笑い声。隠している風を装っているが全く隠す気が感じられない。カチンと来た摩耶は単縦陣の先頭を任されている艦娘を睨んで、無線に向かって怒鳴る。

 

「おい川内!! 笑ってんじゃねぇよ!! 他人事だと思って・・・・・こっちの身にもなってみろよ!」

「あ、ごめん。聞こえてた?」

「余裕で聞こえてるっつうの!!」

 

「ははははっ、ごめんごめん」といつもよりも明らかに盛っている気楽さで適当にあしらわれる。

(この野郎~~~)

心の中で煮えたぎる怒り。だが、それは次に発せられた言葉でかなり沈静化された。

 

「もう! いきなり怒鳴らないでよ!! 耳がおかしくなるじゃない! もうすぐ開始なんだから、もう少し落ち着いたらどうなの?」

 

明らかに覇気がない声が無線から聞こえる。いつもなら川内と同じようにからかっているだろうに、面白がっている雰囲気も全くない。それに摩耶は複雑な心境になる。からかわれないことはラッキーなのだが、いつもと違うため調子が狂うのだ。

 

「あ、ああ。曙の言う通りだな、わりぃ・・・・」

「曙ちゃん・・・・・・・」

 

すこし気勢がそがれる摩耶。ぽつりと曙の反応に心配そうな潮。他のメンバーもどう対処したらよいか分からず、沈黙が訪れる。

 

「曙、あきらめた方がいいよ。摩耶の騒々しさは他人がどうこうできるもんじゃないから」

「はあぁぁ!?」

 

それを破ったのは、本来ここにはいないはずの川内であった。予想外の一言に摩耶が複雑な心境を一気に消し去り、素で驚愕の声をあげる。

 

「ほら、こんな感じ」

「てめぇぇ・・・・・。さっきから好き放題言いやがって・・・」

「いいじゃん、いいじゃん。私は結局のところ囮みたいなもんだし、主役はあんたたちでしょ? ・・・・・・・・うらやましい限りだよ」

 

最後の寂しそうな響き。それを聞いてしまうと摩耶も反論のしようがない。

 

「だからさ、頑張りなよ!」

 

先ほどの発言が幻聴であったかのように元気で陽気な声を出すと沈黙する川内。それに苦笑すると摩耶は気合を入れ直す。雰囲気から察するに榛名や翔鶴も同じようだ。曙について不安ではあるものの、誰も彼女の性格は知っている。普段はいろんな人やモノに噛みついている彼女も、激戦をまたにかけてきた立派な艦娘なのだから。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

「ふぅ~」

 

目を閉じる。視覚という五感の一角を遮断されたため他の感覚、特に聴覚の感度が上がったように感じる。聞こえるのは海面が波打つかすかな音と、自身の息遣い、心拍音。どれも特筆すべきものはない。脳裏に浮かぶ、この世界に来て初めての戦闘。あの時とはそもそも状況が違うが、みずづきに動揺はこれっぽっちもない。多機能レーダーの対水上画面に映る12隻の艦影。前方を進む艦隊は輪形陣、後方の艦隊は単縦陣をとっている。おそらくは前者が第1機動艦隊、後者が第3水雷戦隊であろう。今回の演習はあらかじめ相手のいる場所を通知し索敵を省略して、最初から戦闘を始める方式で行われる。理由は簡単。索敵ありにするとそもそも桁外れの索敵能力を有するみずづきとは勝負にならず戦闘そのものが発生しない、または本格的な戦闘へ入る前に赤城たちをほぼ確実に殲滅できるからだ。その気になればみずづきは赤城や翔鶴などの索敵機から逃げればいいだけであるし、万が一見つかるコースをたどれば、ESSMで撃ち落とすだけである。赤城たちは自分たちの位置が既にこちらにバレていることを知っているのか、なぜか無線を使っているものの、航空機もそうするとは限らない。自分たちの居場所を暴露しないために無線封鎖を行うのが常道だ。もし想像通りの動きを敵機がした場合、敵がこちら見つける前に落とすことができれば、無線でのやり取りがないためどこで落とされたかもわからず、相手方にとって未帰還機扱いになってしまうのだ。百石からこの方針を説明されたときは、「本気も本気、真剣勝負でいく」と聞いたとき並みに驚いたが、みずづきとしてもただ逃げ回るだけでは面白くないし貴重な機会の無駄遣いと感じたので了承した。但し、瑞穂側には大きなハンデである。

 

「・・・・・・おっかしいな~」

 

多機能レーダーが映し出す瑞穂側の反応を見て、みずづきは首をかしげる。第1機動艦隊の構成艦は赤城・翔鶴・榛名・摩耶・曙・潮で、第3水雷戦隊は川内・白雪・初雪・深雪・陽炎・黒潮だ。歓迎会で横須賀鎮守府に所属する艦娘たちとは全員顔を合わせているため、身体的特徴などは一通り頭に入っている。だが、対水上画面に映る構成艦とみずづきの頭の中にある情報が合致しない反応が複数あるのだ。例えレーダーといえども細かい特徴まではわからないが、艦種ぐらいは光点の大きさやレーダー反射断面積(RCS)から判別できる。

 

「う~ん・・・・。深海棲艦と違って1人ひとり特徴が違うから、邂逅時に得た吹雪たちのデータは使えない。そもそもこの世界の兵装データがないから詳しいことは・・・・・。乱反射してるのかな?」

 

レーダー波の不規則な反射によって探知目標が大きく見えたり、小さく見えたりすることはそれほど珍しいことではない。それを補うものこそ情報収集部隊が大きな犠牲を払って得たり、レーダーをはじめとする様々な電子機器によって蓄積された情報である。あいにく、日本世界の情報は腐るほどあるが瑞穂世界の詳細な戦術情報はほぼ皆無なのため、よく分からないのだ。一応は乱反射という結論を下したみずづきだが、心の中にいい知れぬ不安が沸き上がる。説明しろといわれればタジタジになるしかないが、それでも不安なのだ。百石たちが立てていると言う作戦が不明な点もそれを後押ししている。

 

だが、それが形になる前に「大隅」からの通信が届く。不安は頭の片隅に追いやられ、全意識が耳元に集中する。いよいよ、始まるのだ。通信機越しに感じる雰囲気。これまで行われていた演習の際はかなり司令室の慌ただしい様子が伝わっていたが、今回はそれが全くない。異様な静けさ。それが司令室に漂う緊張感を表していた。

 

「諸君、もうまもなく特別演習が開始される。双方ともそれぞれが所属している組織の名に恥じぬ正々堂々の戦いを期待する」

 

低く冷たい印象すら受ける百石の声。今回の演習の勝利条件は相手を全て中破もしくは大破させること。上空にいくら航空機が飛んでいようが、中破に陥っても戦闘能力があろうが例外はない。対戦グループの戦力を考えた場合、みずづきは第1機動艦隊と第3水雷戦隊の2個艦隊12名を倒さなければならないのに対して、赤城たちはみずづき1人のみを倒すだけで、勝敗が決する。これも索敵に続き瑞穂側に大きなハンデである。だが慢心を生ませない、その余裕が生まれないという点はみずづきにとって、ある意味利点だろう。

 

20秒ほどの間が空いたのち、百石から運命の号令が発せられた。

 

 

「状況、開始!!」

 

 

光昭10年度第1回横須賀鎮守府演習、それの大トリが今、始まった。

 

 

開始と同時に次々と現れる航空目標。それは時が経つにつれて急速に数を増やしていく。航空機が発艦しているのは輪形陣を敷いている第1機動艦隊と思われる艦隊。これだけの機数を瞬時に上げるとは、みずづきでもその練度の高さを窺い知ることができる。その彼女が操っている航空隊も手練れである間違なし。頭の中に、自衛隊に入る前、そして自衛隊入隊後に聞いた旧帝国海軍航空隊の伝説が浮かびあがる。

 

だが、少数の機体が上がることは織り込み済み。空母との戦いではいかに艦載機が上がる前に、そして上がってしまった後、航空隊の帰還を不可能にし塩漬けするためいかに空母を即座に沈めることができるかが勝負だ。

 

と、その前に。

 

「ECM起動、通信妨害(ジャミング)開始!」

 

みずづきがつけているカチューシャ型の艤装。ここには多機能レーダーのみならず、電子戦を行うためのECMポッドも埋め込まれている。微妙に四角型の盛り上がった部分から発せられる妨害電波。対戦相手がみずづきと同じようにレーダーをガン積みしていれば、レーダーに対するジャミングを行うが今回の相手はレーダーを持っていない。そのため、行うのは通信に対する電子戦だ。ちなみに、演習の様子を各所に届けるべく撮影係を乗せ飛行している観測機は味方識別がなされており、妨害電波の周波数情報も伝えてあるので中継には何の影響もない。少しはノイズが入るかもしれないが。

 

現代戦の基本であり相手が人間であろうが、深海棲艦であろうが使用されるこの戦法。しかし、百石と話をしていても電子戦を知っているとは感じられなかったので、あちらでは先ほどまで使えていた無線たちが砂嵐に襲われ、大慌てしているだろう。みずづきは心の中で「お気の毒に」と合掌しつつ、現実の手は力が入る。

 

「対水上戦闘よーい!! 目標、敵第1機動艦隊及び第3水雷戦隊! SSM1番から8番まで発射よーい!」

 

諸元入力はフライングかもしれないが、何も言われていないので既に完了済みだ。後は右手のMk45 mod4 単装砲の持ち手にある発射ボタンを押すだけ。ちなみに破壊力の大きいSSMは炸薬量を少し減らした訓練弾を使用している。もし実弾を撃てば演習であろうと装甲の薄い空母や駆逐艦は轟沈してしまう。日本では例え訓練弾でも当たれば損傷確実の砲弾を味方に向かって撃つことはない。普通はペイント弾である。そのため、万が一敵の攻撃を食らったときが心配で仕方ないのだ。一応は向こうも訓練弾とは言っていたが果たして・・・・。

(今は集中、集中・・・・)

邪念を払い、みずづきは発射ボタンに指を置く。刻々と増える対空目標。それを放つ元凶を仕留め、母艦を守ろうと17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B block2)が今か今かと曇天にげんなりしているものの大空へはばたく時を待っている。

 

「SSM、攻撃はじめ!! 一番、撃てぇぇぇ!!」

 

声帯が壊れんばかりに叫びながらみずづきは発射ボタンを押す。周囲にまき散らされる轟音と背中に感じる衝撃。それは1発だけではない。次から次へと日本の技術力に恥じない世界有数の対艦ミサイルが飛翔していく。真っ白な現代の矢は白色の噴煙を上げていた固体燃料ロケットを切り離すと、噴煙の代わりに確認すら困難な青色の炎を出しながら加速し、スキーミングといわれる低空飛行に入る。すぐに海面スレスレの低高度を飛びながら曇天の彼方へ消える。多機能レーダーに映る8つの光。迷うことなく、慣性航法により目標へ一直線だ。相手に迎撃ミサイルやチャフ・フレア、ECMなどの対抗手段がない以上、終末誘導で用いるアクティブ・レーダー誘導の妨害やSSMの撃墜は困難。いや、不可能と言ってもいい。全弾数の一斉発射などみずづきにとって初めてだ。この間、敵機動部隊相手に6発発射した自己記録はこうしてあっさりと更新された。みずづきは肩の力を抜き、思考を空で乱舞している航空隊へ向ける。

 

 

目標命中まで残り1分40秒。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「だ、ダメです!! 全周波数帯、ノイズがひどくて交信不能です!!」

「了解! 第3水雷戦隊とは以後、発光信号で交信を! 黒潮さん! これを川内さんへ!」

「了解や!」

 

突然の電波障害。しかも全周波数帯が一気にしかも完全に使用不能という常識では考えられない事態。みずづきの心配通り、艦娘側はしょっぱなから大混乱に陥っていた。赤城は白雪と黒潮へ発艦準備の間に指示を出す。そして、弓をつがえ、矢を放つ。加賀や瑞鶴の時と同じく矢はしばらく飛翔するとまばゆい光を放ち、9つに分裂しそれぞれが()()()()()()()()を抱えている艦上攻撃機天山に姿を変え離れていく。発艦を終え息つく暇もなく、腰から新たな矢を出し弓につがえる。その額にはじんわりと汗が浮かんでいた。赤城は今、尋常ではない重圧を感じていた。今作戦の成否は赤城が敵の長距離対艦攻撃によって沈められる前にどれだけ艦載機をあげられるかにかかっているのだ。そして、みずづきはほぼ確実にこちらを捕捉し、時間がある程度経過している以上、すでに攻撃を・・・・ミサイルを発射しているとみて間違いない。加えて、百石や漆原の口から一切聞かされていない、電波障害。演習開始と同時に始まったそれはほぼ確実にみずづきの仕業だろう。

 

「っち、信じらんねぇ! こんな範囲にたった1隻で妨害をかけるなんて・・」

「私たちなにも聞いてない!」

「これは司令官でも予測できないわよ初雪っ。それよりも問題は、航空隊が無線なしで連携できるかどうか・・」

 

そう、そうなのだ。赤城の驚きは深雪が、愚痴は初雪がそして一番の懸案事項を陽炎が代弁していた。赤城の航空隊は加賀と並んでトップレベルの練度を誇っている。今回、みずづきの策敵能力を見越し赤城は航空隊に対し無線の使用を解禁していた。とはいってもこれまでほぼ全ての任務を無線が使えない状態でやってきたため大丈夫とは思うものの、妖精も艦娘たちと同じく動揺する。そして実際、この事態を受けて妖精たちはかすかに動揺しているのだ。

 

妖精たちを信じる心と案ずる心が拮抗する中、かなり先を飛んでいた航空隊が翼を一斉に振り出す。これはあらかじめ、敵のミサイルが飛翔してきた際、先に見つける可能性が高い航空隊が接近を本隊に知らせるために決めていた行動だ。

 

 

そのバンクを航空隊が行い始める。

 

 

傍らで騒いでいた駆逐艦たちがそれを見て静かになる。かすかに聞こえてくる未知の、そして恐怖を感じさせる轟音。百石たちの言った通りだ。

 

赤城は弓をつがえながら、黒潮に叫ぶ。

 

「黒潮さん!! 第2特別艦隊に打電! 諸君の健闘を期待する。大日本帝国海軍の意地とあきらめの悪さをとことん知らしめてあげないって!!」

「くぅ~。粋やね赤城さん! うちこの艦隊でみずづきとやり合ってみたかったわ!」

 

こわばった表情から一転、黒潮は眩しいほどの笑顔を浮かべると第3水雷戦隊に発光信号を送りだす。それを耳で確認し、赤城は最後となるだろう航空隊をあげる。再び9つに分裂し腹に重たそうなものを抱えているとは思えないほど軽やかに天山は急速上昇を開始する。赤城や白雪たちに真剣な表情で敬礼するパイロット妖精。それに笑顔で応える艦娘たち。赤城は腰に残っている矢を見てため息をつく。

 

「あげられたのは半分の41機、か。作戦通りだけど、まだまだ鍛錬が必要なようね」

 

雰囲気とは隔絶した呑気なため息を吐く赤城。だが、それも一瞬で赤城は勇ましい表情に戻ると最後の命令を下す。

 

「対空戦闘用意! みなさん、第3水雷戦隊もとい第2特別艦隊にああいった手前、最後まであがきますよ。・・・・・撃ち方はじめ!!」

 

赤城の命令に全員決意を秘めた美しい笑顔で応えると、ものすごい、戦闘機など比較にならない速さで猛進してくる「白い矢」へそれぞれの兵装、主砲・高角砲・対空機銃で防戦を開始する。

 

だが、もちろん全く、1発も当たらない。速度も厄介なのだが、海面スレスレという高度がさらに迎撃を困難にしていた。虚しく海面に突っこみ水柱を立てる弾が後をたたない。

 

「は、速すぎる!!」

「ほんっと、これ化け物だな! しゃくだけど、深海棲艦の気持ちが想像できちまうぜ」

「うち、ちょっとばかし砲撃の成績あがったんやけど、へこむわ・・」

 

口々に愚痴る駆逐艦たち。だが、目視できる距離に近づいた瞬間、「白い矢」は早さそのままに、一気に急上昇を開始する。後部から青色の炎のような何かが出ている。

 

「っ!?!?」

 

ホップアップ。主砲や機銃などの対空迎撃手段を封じる急機動。その効果はアジア・太平洋戦争期の軍艦にも絶大だった。

 

こんどこそ固まる駆逐艦たち。それぞれの直上に進入した「白い矢」は弾道部分にそれぞれの目標の姿を反射させる。このような急機動を取られてしまえば、いくら砲や銃を積んでいたところで無用の長物だ。どの武器も真上から侵入してくる奇天烈な敵などそもそも想定してないのだから。

 

迫る「白い矢」もとい、17式艦対艦誘導弾Ⅱ型。飛翔ではなく、もはや落下という表現がふさわしい動きはかなりゆっくりに見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤城の脳裏に、1日たりとも決して忘れたことのない光景が甦る。

 

 

 

 

 

 

 

自身の直上に悠々と侵入してくる、青空と同じ色をした敵の急降下爆撃機。

それに思考が、呼吸が固まる乗組員。

 

母機から分離し、風切り音を響かせながら迫る黒い点。

 

 

 

 

 

「いつの時代も、上から狙うものなのね・・・・・・・」

 

 

 

 

 

その言葉を最後に、赤城は・・・・白雪・初雪・深雪・陽炎・黒潮は戦車の装甲を貫くために開発された成形炸薬(HEAT)の尋常ではない衝撃と爆炎に包まれた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

第1機動艦隊もとい第1特別艦隊は6隻で構成されている。みずづきが放ったSSMは8発。では、残りの2発はどこへ行ったのか。

 

「あ、赤城たちが!?」

 

目の前で自分たちのレベルを超えた攻撃によりなすすべもなく全滅する第1特別艦隊。全艦がほぼ同時に轟音と赤い爆炎に包まれる光景は、現実逃避したくなるほど過酷なものだった。

 

そして赤城たちを葬った敵―みずづきの“ミサイル”はボロボロになり苦悶の表情を浮かべている第1特別艦隊には目もくれず、まだ生きている目標へ向け正確にそして冷酷に突進していく。

 

 

遊んでいた2発のお出ましだ。

 

 

「っ!?!? 全艦撃ち方はじめ―――!! みなさん、とにかく一発で多く撃ってください!!」

 

無駄と分かりつつも、翔鶴はまぐれ当たりを期待し叫ぶ。自分が錯覚を起こしているのではないか思うほど、瞬きをするたびに大きくなる白い影。それに向かって放たれる無数の砲弾や銃弾。

 

しかし、当たらない。それどころか、かすめもしない。艦隊に広がる驚愕と絶望。

 

「なんんんんんじゃありゃ!!!???」

「艦攻や艦爆と、次元が違うっ!!」

「これは・・・・・・・」

「あんな怪物に当てられっこないっ!!!」

「ね、狙いがつけられませーん!!・・・・えっ!?」

 

目の前から突然消えるミサイル。なにも居なくなった空間に時々橙色や黄色の光を放って視認できる砲弾がむなしく空気をきっていく。艦隊全員が抱いた動揺を潮の叫びが代弁していた。

 

「上っ!!!」

 

翔鶴が全員に聞こえるよう震える口を、懸命に開ける。その声で全員が応戦を停止し上を見る。いや、停止せざるを得なかった。

 

そもそも撃てないのだから。

 

単縦陣の先頭を行く川内と潮に迫るミサイル。彼女たちだけでなく、艦隊の全員があまりの衝撃にただただその姿を固まった顔で見るしかない。

 

 

話にならない。

 

 

 

第2特別艦隊で共通の認識が生まれた直後、川内と潮がまるで戦艦の砲撃をくらったかのような爆発に包まれる。衝撃波が腹まで届き、凄まじい爆音が鼓膜を揺さぶる。数々の戦場をここで、そして日本で駆け抜けてきた彼女たちにとっても、それはいまだにある恐怖心をあおるには十分すぎる。

 

ミサイルに搭載されている成形炸薬によって生じる黒い煙。それは比較的小柄な川内と潮を完全に包み込む。無風であるためか晴れて姿を確認にするまでには少し時間がかかる。それがいつもより長く感じる。

 

露わになる2人の姿。

 

「い・・・・・て、てて・・・・」

「うぅ・・・・・あっけなくやられちゃいました・・・・」

 

痛々しいほどにボロボロになった2人がそこにはいた。制服は破れ、すすにまみれ、至る所に血がにじんでいる。体だけでなく艤装も損傷して所々黒煙を上げていた。痛みに耐え苦しそうな表情。

 

 

祖国が未来で作り出した、誇りに恥じぬ兵器。その嵐が去った跡だ。

 

 

百石が考えた作戦通りの展開だが、それを考慮してもやりきれない想いが募る。翔鶴と榛名は悲しそうに視線を落とし、摩耶は悔しいそうに唇をかみ拳を握る。曙にいたっては、先ほどまでの情緒不安定さがどこに行ったのか。小刻みに肩を震わせ、艤装が振動音を発している。顔が下に向いているためショックを受けているのか、妹をこんなめにあわしたみずづきへの怒りか。はたまた、無力な自分自身に怒っているのか分からない。ただ、その瞳にはなにか熱いものが宿っている。

 

「私の出番もここまで、か・・・・・・。ま、夜戦じゃないから・・いっかな。一応、分かってたことだし。みんな、後はよろしく、ね。赤城さんたちと私も同じ気持ちだから、簡単にやられたりしたら承知しないよ!」

 

明らかに無理していることが丸わかりの笑顔を浮かべ、川内は発破をかける。

 

「私も・・・盾という立派な役目を果たせて悔いはありません。私が囮になることで、他の人を守ることもできました。みなさん、頑張ってきてください!!」

 

曙を一瞥した後、傷だらけにも関わらず今日一番の笑顔を見せる潮。とんでもない破壊力が込められたその笑顔に男子ではなくとも一瞬、見とれてしまう。そのあと艦隊に広がる微笑。

 

「ったく、格好いいこと言いやがって・・・・あたしも言いたいな、そんな台詞」

「榛名も同感です。金剛お姉さまに褒めてもらえること間違いなしですし」

 

12隻いた戦力はもう4隻しか残っていない。3分の2の喪失。1単位の部隊としてはもやは効果的な作戦行動は不可能であり、壊滅だ。だが各々の顔にはもう恐怖はない。あるのは勝てないと、越えられない壁だと分かりつつも、それに立ち向かっていく闘志。作戦通りの展開ということもあるが仲間の声援、そして自身の中にある誇りと覚悟がそれを後押ししていた。

 

翔鶴は鋭い眼光で眼前を見据えると、揺らぎのない確固たる足場を持った声で残存艦に命令を発する。

 

「狩月作戦発動! 私たちはこれより、敵みずづきに対して肉薄を開始します。全艦、最大戦速! 」

「「「了解!」」」

 

迷いを感じさせない声とともに残った第2特別艦隊の4隻はただ悠然と進んでいた進路を特定の方向に向ける。足元の波しぶきが勢いと高さを増し、海面に生み出される白い航跡。囮役だった第1特別艦隊のすぐ脇を通りかかる。どんな雰囲気なのか気になっていたが、全員やりっきた清々しい笑顔で談笑しており、悲壮感は皆無だった。向こうもこちらに気付いたようで全員、美しくブレのない敬礼を第2特別艦隊に対して行う。それに応えると、再び視線を前方に向ける。目標は今頃、こちらの作戦に引っかかり血相を変えているであろうみずづき。

 

 

そうでなければ、終わりだが・・・・・・。

 

 

~~~~~~~~

 

 

「全目標の撃破を確認。SSM撃ち方やめって、もう残弾ないんだっけ・・・・」

 

苦笑するみずづきの目の前に映し出される多機能レーダー画面。といっても実際は対空画面と対水上画面の2つに分割表示されている。そこに映る反応は当然ながら消えていないが、SSMの命中を確認した8隻は1つの集団を形成し、離脱する兆候を見せている。一方、SSMによる攻撃がみずづきの兵装構造的に撃ち漏らした4隻は依然単縦陣を組んだまま、かなりのスピードで近づいていた。

 

「うーん・・・・・。やっぱり、レーダーの反応が気になるけど、相手は軽巡洋艦と駆逐艦を有する第3水雷戦隊。例え、駆逐艦のみにあたってたとしても、最上位の艦は軽巡。深海棲艦と同じ装甲なら4隻同時に来ても、余裕で殲滅できるから、やっぱり・・・」

 

かけているメガネ(ウェアブル戦術情報端末)に投影される多機能レーダーの対空画面。そこには赤城から発艦した航空隊がバッチリと映し出され、尋常ではない存在感を発揮していた。その数、41機。これほどの数の航空機を1人で相手にしたことなど、シュミレーターを使用した艦娘学校の訓練でもない。航空隊は事前に通知されたこちらの位置からだいだいの見当をつけているようで、密集陣形ではなくある程度こちらが動いていることも想定して、編隊間の距離を比較的開けて飛行している。

 

一糸乱れぬ飛行。しかも、現在はみずづきの電波妨害により相手は無線が一切使えない。無線封鎖が常識だとしても、そこから赤城航空隊の練度を窺い知ることは容易だ。

 

みずづきは演習開始直後からあまり動いていない。赤城航空隊はみずづきに向け一直線だ。そして、彼らとの距離はすでに20kmを切っている。時速約350kmで飛行している航空隊がみずづきの直上に到達するまで、約3分30秒。

 

41機、3分30秒、20km、350km。それらの数字が頭を覆い、否応なく心拍数を上昇させる。

 

「早くしないと対空迎撃が間に合わない・・・・。最優先は対空目標の迎撃。例え、相手が化け物みたいな数でも、やることは変わらない!」

 

みずづきが焦る理由。それはあきづき型特殊護衛艦が搭載するFCS-3A多機能レーダーの限界にあった。このレーダーは昨今では常識となりつつある、対水上・対空レーダを融合させ両探知範囲内の捜索・追尾、そしてESSMを誘導するイルミネーター、Mk45 mod4 単装砲の管制までを一体化させた統合レーダーシステムである。そして、電波を照射するレーダー素子を常時一定方向に向けているフェイズド・アレイ・レーダーのため、回転式レーダーのように回転している間に特定方向の探知が不可能にならず、探知の隙間を減らすことが可能となっている。

 

だが、探知と攻撃は全くの別物である。FCS-3A多機能レーダーは探知距離250km、同時捕捉目標約300を誇る。また、イージス艦のSPY-1レーダーと異なり捜索はCバンドと呼ばれる周波数を用いているため、イージス艦が苦手としている低高度目標の捕捉もFCS-3A多機能レーダーの方が優れているとさえ言われているのだ。では、対処能力はどうか。FCS-3A多機能レーダーはレーダー面1面に対してイルミネーターを1つ有している。誘導に母艦のイルミネーターを必要とするセミ・アクティブ・レーダー誘導などのミサイルは搭載されているイルミネーターの数によってミサイルの同時誘導数、そして艦の同時対処能力が決まる。言い替えれば、イルミネーターの数によって同時対処能力が制約されるのだ。それは1つで90度をカバーし、4つ合わせて360度をカバーする構造になっている。そのため、あきづき型の有しているイルミネーターは4つである。だが、あきづき型ではイルミネーターの誘導レーダー波照射方法に間欠連続照射方式(ICWI)と呼ばれる方式を採用している。これでは複数目標に対してイルミネーターを断続的に切り替えて照射することが可能な方式で、1イルミネーター単体での同時対処可能な目標数が増加するのだ。そして、ESSMは断続的に誘導レーダー波が途絶えても追尾が可能。どれだけ誘導可能かはそれこそ艦のによってバラバラだが、あきづき型は1つのイルミネーターにつき8発の誘導が可能である。

 

そして今、航空隊はみずづきの真正面、180度の範囲に展開している。それを捉えているのはレーダー面に対応しているイルミネーターのみ。この場合は、レーダー面2面が航空隊を捕捉、追尾している。そして、ESSMを誘導可能なイルミネーターは、2つだ。

 

つまり、現在みずづきが同時に対処可能な目標数は16だ。

 

少ないと思うかもしれない。しかし、あきづき型のFCS-3A多機能レーダーはEU諸国やロシア、中国などが開発・実戦配備した同世代の多機能レーダーと比較しても、日本製の名に恥じることなく全ての面において立派な性能を誇っている。イージス艦でさえ、同時対処可能目標数はあきづき型と大差ないのだ。そもそも、現代艦は集団で行動することを前提に装備が整えられている。艦は艦隊という機械を動かす、1つの歯車という位置づけなのだ。

 

この、1隻で41機もの航空機を相手にしているこの状況が、日本はおろか日本世界の常識を逸脱しすぎているのだ。それが例え、時代遅れのレシプロ機であろうとも。

 

「対空戦闘よーい!! 目標赤城航空隊群! ESSM発射用意っ!!」

 

みずづきはレーダー画面と透過ディスプレイの先に見える空、曇天を睨む。まだ航空隊は視認できないが、視認できる距離まで接近されたらいくらみずづきといえども危ない。

 

高速で目標を識別、火器管制レーダーを照射してロックし、ESSMを収めているMk41VLSの蓋を開放。いつもは何とも思わないのに今日に限っては遥かに遅く感じる。

 

メガネにでかでかと“準備完了”の表示がなされた瞬間、みずづきは叫び発射ボタンを目いっぱい押す。後からボタンが壊れていないか心配になったのは秘密だ。発射数は限界数の16発!

 

「ESSM、発射ぁぁぁ!!」

 

瞬間、SSMと比較して随分と軽い衝撃。轟音という表現まではいかない静かな発射音が背中から聞こえる。次々とVLSから放たれる「光の矢」。ただ、発射数が16にものぼるため、それだけで時間がかかる。17式艦対艦誘導弾Ⅱ型と同じく白い塗装を施されたESSMはイルミネーターが照射するレーダー波に従い、噴煙による白い飛翔煙を描きながら自らの目標へ突き進んでいく。見えなくなるESSM。曇天でいつもより空が白いためか、視認できなくなった時間は短い。

 

「命中して、イルミネーターが空いたら第二次攻撃。落ち着て対処すれば大丈夫・・・」

 

みずづきは祈るようにレーダー画面を見る。刻々と近づく、ESSMと航空隊。41機という数字のインパクトは、加賀に大見得をきった自信に影を指させるには十分すぎる威力を持っている。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

みずづきがいると推測している海域へ直行する赤城航空隊、総数41機。予備機も含めた全力出撃を行えばこれのちょうど倍の数になるのだが、歴戦を共にしてきた戦友たちは自身の土俵に上がる前に自らの母艦と共に運命を共にしてしまった。操縦桿を握る手には自然と力が入る。41機の指揮を任され隊長妖精はキャノピー越しに周囲の味方機を見る。今日は風が弱いため、もてあそばれている機体は見受けられない。訓練通り、「当たり前」の飛行だ。だが、そのブレない翼には戦意がみなぎっている。

 

「隊長、発艦してから9km。目標推定位置まで19km!」

 

後部にのる補佐妖精が隊長妖精に戦術情報を伝える。

 

「了解。いいか! 計器ばっかりじゃなくて、外にも目をむけてどんな些細な変化も見落とすなよ!」

「はい!」

 

鋭くなる眼光。赤城、そして翔鶴の航空隊は工廠の妖精や母艦からみずづきの情報をある程度入手している。深海棲艦航空隊の末路が頭をよぎる。

 

自分達でも損害発生必至の敵はみずづきを前にして、一撃を加えることもなくわずか数分で全滅。引きつった苦笑を浮かべてしまうほど現実離れした完敗だった。

 

そして、伝聞の光景は突如として現実のものとなった。いきなり。本当にいきなり爆発・四散するを先頭を飛行していた天山。何が起こったのか一瞬、理解できない。

 

「っ!?」

 

目を見開くまでにさらに2機が爆発し、バラバラにされた濃緑の機首や、日の丸が描かれている主翼が無気力に落下していく。やわな連中でもないのに回避行動がろくに取れていなかった。彼らもなにが起こったのか理解できていないだろう。

 

「ああ・・、4番機と7番機が・・・」

 

情けないこえを出す補佐妖精。いつもなら怒鳴り散らすところだが、今回は隊長妖精も出していたかもしれないので無視を決め込む。飛び散る天山だった破片。だが、そこに驚愕はあれど混乱はない。

 

これも、作戦通りだ。

 

 

破片に交じって空中を舞う、わずかな太陽光をきらきら反射する無数の金属片。

 

 

「俺たちの腕を見せる時が来たぞぉぉ!! ブツを投下! 急速降下ぁぁ!!」

「了解!!」

 

天山の腹に抱えられていた3つの魚雷のようなもののうち、両翼のしたに取り付けられていたものを投下。隊長機は即座にジェットコースターばりの急機動を描き高度を急速に下げていく。その数秒の間に追加で3機が落とされる。その後も次々と無残な残骸となって海に落ちていく部下たち。彼らも味方がなすすべもなくやられるところを呆然と見ていたわけではない。捕捉された各機は自身に向かって猛進してくるミサイルを認識した瞬間、天山の高運動性を全力発揮し3次元である空をあますことなく利用して回避を行った。前後左右、上下に。だが、天山、いや妖精たちが知る全ての航空機を遥かに凌駕する機動性。意思を持っているかのように方向を変え追尾してくる矢には太刀打ちできなかった。これまでの血反吐の努力をあざ笑うかのようにあっさりと天山を食らってしまったのだ。

 

あちこちに現れる黒い花。わずか1分足らずに3分の1にあたる16機が落とされた。

 

だが、彼の犠牲は決して無意味ではない。黒煙に交じる白い光。それは投下し、本来積んでいるはずの魚雷や爆弾と比べるまでもない小規模な爆発を起こしたブツから、上空にまき散らされる。そして、それに次元を超えた攻撃から運よく逃れた25機もまるで鏡で反射しているのではないか思えるほど、同時に全く同じ動作で続く。数え切れないほど投下されるブツ。そして、そこからまき散らされる自分たちにはほとんど害のない金属片。但し、エンジンの吸気口に運悪く吸い込めまれれば最悪の場合、エンジン不良を起こし墜落の危険もある。しかし、それは承知の上。全ては艦隊の、赤城の仇をとり、自分たちの腕を21世紀の未来人に思い知らせること。

 

「さぁ、舞台は整った。機械ではない、血の通った身体から生み出される力、見せてもらおうか!」

 

吹雪の中を飛行したときのことを思い出し急降下による重力に耐えながら、隊長妖精は狩人の目を水平線の先に向ける。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

「う、嘘でしょ!! なんで! なんでよ!! どうして!!」

 

朗報であるはずの航空隊16機撃墜。しかし、それはみずづきの不安を解消することも、やわらげることさえできなかった。周囲に響き渡るみずづきの悲鳴。心拍数は跳ね上がり、制服が汗で急速に湿り具合を増していた。

 

メガネに映されたみずづきの目たる対空画面。先ほどまで航空隊がいた空域。本来なら距離を表す罫線が入り航空隊を示す光点だけが表示されているそこは、現在大規模なノイズで覆われ、捜索・追尾が不可能になっていた。故障を疑いシステムを稼働させながら、スキャニングを行うが異常はない。周波数をランダムで変更してみるが、信じられないことに全周波数帯がやられている。挙句の果てには、25機もの大編隊をロストする始末だ。今まで、いやみずづきが艦娘になって初めて遭遇する事態。しかし、遭遇したことはなくとも知識はあった。教本や訓練の記憶が甦る。

 

そして、みずづきは1つの結論に達した。

 

「チャフによるレーダー妨害・・・・・・信じられない。発想といい、それを可能にする装備といい、あり得るのこんなことが・・・・」

 

絞り出すように呟く。チャフ攻撃時のお手本のようなレーダー反応と、起こった時の状況。それはみずづきの結論に強力な説得力を与えていた。航空隊がチャフの入った()()()()を腹に抱えており、それを投下し内蔵していた金属片をまき散らしたと考えれば面白いほど説明が行く。

 

「私が初日に行った戦闘を見ただけで、現代艦の弱点を見破るなんて・・・・。しかも、レーダーの周波数まで・・・」

 

チャフとは細かい金属片やプラスチック、グラスファイバーの小片を用いて敵のレーダをかく乱、麻痺させる装備だ。第2次世界大戦で使用されたのがはじまりとされる古典的な装備であるが、この威力は21世紀の今日でも健在であり様々な作戦、装備で先進国ですら多用している。これを完全に防ぐ手立ては皆無で、まかれれば最後、チャフが地上または海に落ちるのを待つしかない。せいぜいできるのは周波数帯を変えることぐらいだ。チャフをレーダーに効果的に反応させるためには、その周波数帯をもっともよく反射する長さ・大きさのチャフを用意しなければならない。そのため、みずづきは周波数帯の変更を行ったのだが、航空隊のチャフはFCS-3A多機能レーダーの全周波数帯に干渉していた。

 

「いつの間にレーダーの周波数を調べたんだろ・・・・」

 

底知れぬ恐怖に声が震える。

 

しかし、事実はみずづきが考えるより単純なのだ。レーダーが一般化もしてなければ実戦配備も始まったばかりという、状況・技術水準で大出力及び高周波であるFCS-3A多機能レーダーのレーダー波を解析し、それに見合ったチャフを用意するなど不可能な芸当である。百石たちはただ、みずづきの使っている周波数帯が分からないため、全周波数帯に干渉するようにチャフを用意しただけなのだ。

 

言ってしまえば、適当な選択である。

 

だが、その適当がみずづきに精神的な大ダメージを与えていた。

 

「チャフをだしても、相手はレーダーに一切頼っていない装備だから、影響はこちらにだけくる。・・・・・・・・・・・さすが海軍のお膝下、横須賀鎮守府ね。やってくれる」

 

19km先でまかれたチャフ。第二次世界大戦も経験せず技術的に日本世界と隔絶しているにも関わらず、こちらの弱点を的確についてくる戦法。艦娘や妖精たちの入れ知恵があるとはいえ、もはや驚愕過ぎて顎が外れそうだ。ぎこちない笑顔も浮かんでしまう。

 

「でも、全周波数に干渉しているとはいえ、ESSMの誘導に不可欠なXバントがダメにならなくて良かった」

 

このチャフ攻撃はどちらかといえば、全周波数帯の中でも、低周波数に干渉していた。そのため、FCS-3A多機能レーダーの中でも低周波数を使って捜索・追尾を行うCバンドが特に、酷い状態となっている。こちらの攻撃手段を封じる目的も含んでいたのであれば、これは僥倖だ。もし、誘導用に高周波数を使っているXバントにまで干渉していたら、ESSMの誘導が困難になり、結果あさっての方向に飛んでいくことになるのだ。また、チャフ攻撃がロックオン完了後に行われたこともそうだ。その前にやられていたらそもそも捜索と追尾が困難になるのでロックオンすらできなかった。ただ、そのロックオンすらできない状況が、今だ。

 

「敵の残存機は25。敵が海面ぎりぎり飛んで、接近されないとレーダーで捉えられない以上、確実に捉えられる主砲迎撃圏で迎撃するしかない。ESSMの誘導に支障はないから、それと主砲を両用。しかし・・・・このFCS-3A多機能レーダーでも捉えられない高度飛んでるって、あの連中ばけもの過ぎでしょっ!!」

 

FCS-3A多機能レーダーは捜索・追尾の周波数にCバンドと使っているため、あのイージス艦が搭載しているSPY-1レーダーよりも低高度目標を探知する能力は高いのだ。それをかいくぐる赤城航空隊。もう、波をかぶる高度を飛んでいるとしか思えないが、よくよく考えてみると今日の波は穏やか。天気は一応敵に味方している。だが、それでも信じられない。みずづきではなくとも、海防軍人のほとんど全員が似たように悲鳴をあげるだろう。

 

そして、もう1つ厄介なことが起きていた。航空隊は第1機動艦隊・第3水雷戦隊からみずづきへ向かう最短コース上でチャフをばらまいた。その空域では現在の気象条件が無風のため、なにかの意思が働いているかのように同じ場所がレーダーの機能不全箇所になっている。そして、軽いとはいえ金属片も重力に従い落下する。無情にも残存艦隊が通るであろうコース上に。なにが言いたいかというと、つまり・・・・・。

 

「残存艦隊までロスト。・・・・・・・位置が分からない」

 

対水上目標の捜索領域までチャフの影響下に入ってしまったのだ。思わず頭を抱えてしまう。なにもかもかみずづきの予想を超える方向に動いていく。これが全て計算されたものだとしたら、これから先何が出てくるか分かったものではない。

 

そんな、見るからにどんよりしているみずづきの目に待ち望んだ目標探知情報がメガネを通じて届く。ついに技量で姿を隠していた敵はFCS-3A多機能レーダーの前に晒された。

 

「やっと来た・・・・・・。踊らされてる感がものすごいけど、見つけた以上やることは変わらない!! ただ、殺るのみ。日本海上国防軍の力、化け物どもだけじゃなくてあんたたちにも教えてあげる。覚悟!!」

 

さきほどのまでの態度が嘘のように消え、悪役のようなセリフを躊躇なく吐き出すみずづき。瞳にもう動揺はなく狩人の色を宿していた。演習開始直後の控えめな態度はどこへやら。若干鬱憤がたまっているようで、言葉と同じくそこにも邪悪な雰囲気がひしひしと感じられる。

 

「ESSM第二次攻撃用意っ!!・・・・・・・・発射ぁぁぁ!!」

 

みずづきの心理状態など何処吹く風。FCS-3A多機能レーダーをはじめとする各種システムは、これまで通り冷静沈着かつ冷徹に命令を遂行していく。そこに人間のような感情の起伏は全く存在しない。

 

火器管制レーダーの照射による目標のロックオンを確認し、容赦なく押されるESSMの発射ボタン。

 

指示を受け取り、VLSからまばゆい紅蓮の光を放ち撃ち上がるESSM。その数、第一次攻撃と同じ16発。

 

白いロケット煙を噴射しながらすぐに視認圏外に達する。彼らもただの機械。いつもと同挙動かと思いきや、一瞬垣間見た姿は先ほどよりも軌道のブレが明らかに少なかった。弱かった風がさらに弱くなり無風とさえ言っても過言ではない現状が成したのであろうが、艤装のシステムたちと違いそれには何か熱い意志が籠っているように感じる。

 

発射された21世紀の産物と、それに肉薄する20世紀の伝説。

 

舌なめずりをし狩人と意気込む者同士の第2ラウンド、開幕だ。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

「現在、15km飛行。目標推定位置まで13km!」

「了解。だいたい半分か。・・・・・・・静かだな」

 

チャフを散布し急降下してから1分と少し。眼下には着水体勢に入ってるのかと錯覚してしまいそうになるほど紺青の海がすぐそこにある。時折、海面ギリギリを滑空するトビウオらしき生物も確認できるほどだ。みずづきの第一次攻撃を逃れた赤城航空隊25機はみずづきの推測通り、日頃の訓練の賜物である常識はずれの低空飛行を行っていた。これを1機の脱落もなくしかも引き続き一糸乱れぬ隊形で全機が飛んでいるのだから、もはや言葉も出ない。だが、同じ艦娘のみならず瑞穂や日本の軍人すらも感嘆してしまうこの美しく力強い飛行も彼らにとっては当たり前。特段興奮したり感動したりすることはなく無線封鎖つきなので静かなことは静かなのだが、今日の静寂はいつもと違っていた。いや、いつもと同じと言った方が正しい。

 

戦闘前の緊張。

 

単なる演習にも関わらず、隊長機の二人を、航空隊を言い知れぬ緊張感が覆っている。いつもは落ち着きがない機体も、搭乗員が別人になったかのように大人しい。本当に自分達が虫ケラ同然の存在であることを見せつけられた後では、不気味に感じる。

 

隊長妖精は操縦桿を握る手に湿度を感じ、反射的に握り直す。

 

 

 

そして、そのときがきた。

 

 

 

雲のように白い噴煙を吐き出しながら、自分たちに向け恐ろしいほど一直線かつ正確に猛進してくる光の矢。隊長妖精はキャノピー越しにそれをはっきりと視認した。

 

「全機、回避行動!!!!!!!って、無線使えねぇんだった!!」

 

思わず掴んだ無線機を怒りに任せて投げつける。それに目を丸くする補佐妖精。

 

「隊長、お気持ちは察しますが今は耐えて下さい!!」

「クッソ・・・、練度に任せた電探のかいくぐりもここまでか」

「ミサイル数7・・・いやさらに多数!! 先行する第3飛行隊に接近!! あ、ああ、だ、ダメです!! このままでは」

 

そこから先の言葉は必要なくなった。わずかな時間差で発生する爆発。破片が落ちることによって発生する海面の水柱。口にしかけた言葉が現実となって、目に映る。もとよりここはトビウオが見えるのではないかと思えるほどの低高度。そんな状況では下手に動くと海面に激突する可能性が往々にしてあるためろくな回避行動は取れない。みずづきのレーダーを欺くために覚悟した対価だったかが、来ると分かっていてもただ飛び続けることしか叶わず、爆発し、翼がもげ、きりもみ状態で海に落ち、散っていく部下はあまりにも憐れだった。中には上昇して一気に距離を離そうと賭けに出た機体もいたが、当然と言わんばかりの軽やさで方向転換するミサイル。延命にすらならなかった。電探撹乱のための金属片が撒き散らされた点だけが、唯一姿すら確認できていないみずづきへのささやかな攻撃だ。ただ、これも作戦の内。想定の範囲内なのだ。だから、先ほどの攻撃を受けた際、チャフの入った魚雷モドキを3発腹に抱えているにも関わらず、2発しか投下しなかったのだ。最後の1発は撃墜されることが前提なので、後生大事に持ったまま。

 

「くぅぅ・・・・・・・。作戦通り、上昇を開始。これより突撃を開始する!目標はみずづき! 分かってるだろうが、前代未聞の格闘機動になる。舌噛まないよう注意しろよ。その前に丸焦げにされるかもしれんがな」

「了解! 私を隊長を信じてますし、どれだけ負けず嫌いかも身に染みてます。後ろと戦術情報は任せて、どんっと行ってください!!」

「ふ・・格好つけやがって。後から、後悔しても知らないからな」

 

部下の少し気取った台詞に苦笑しながら、隊長妖精は操縦桿を握り直す。先程もしたが手には闘志の熱さはあれど、緊張からくる汗は引いている。

 

「突撃!!!!!!」

 

鬼気迫る大声と共に限界まで引かれる操縦桿。濃緑の機体は部下が散った証拠である爆発煙をかき分け、高度を一気に上げていく。視界に入る輝きを持った小さな光。刹那、エンジンの不調を覚悟するが、運が良かったのか金属片を吸いこんでも空気を割き、推進力を生み出しているエンジンは絶好調だ。それに続く各機。だが、みずづきの放ったミサイルは赤城航空隊の機動に関係なく、冷酷なまでに殺到し、時間の針が進むごとに天山たちの命を刈り取っていく。

 

そこに慈悲や幸運は全く介在していなかった。

 

「なんと・・・・・し、信じられない。40、8、12、13、15、26、22、32番機爆散! 39、28番機、制御を失い海面に激突!! 31番機が・・・・、っ!? あ、新たに敵ミサイルを確認!! 数、4!!!!」

 

補佐妖精の悲痛な叫び。一挙手一投足のあいだに1機、また1機と自身の部下たちが訓練の成果を、自らの闘志を発揮することなく、みずづきを視認すらできずに果てていく。次々と曇天に出現する黒い花。それを見て補佐妖精の悲鳴を背中に受けてなお、隊長機は微塵の迷いもなく突き進む。僚機、そしていまだに攻撃を受けていない天山も同じで、例外は皆無である。

 

部下の士気が例え圧倒的な相手を前にしても萎えていないことを確認した隊長妖精は、それに誇らしげな心境となり不敵な笑みを浮かべる。先ほどまで繰り広げられた一方的な狩りが何故か収束したことも笑みを浮かべられた理由の1つだ。

 

その「何故」が引っ掛り思考の海に浸りかけたその時、眼前の海上に小さい、本当に小さく少しでも集中力を別のところに向けていれば見落としかねない影が現れた。

 

待ちに待った艦影。多くの部下に瞬間移動および海水浴を強いた元凶がようやく手の届く世界まで来た。自ずと操縦桿を握る手に力が入る。

 

「目標を確認」

「現在の飛行距離、23km! 目標、みずづきまで約5km! 残存機数・・・9」

「9・・・・。あれだけの策を施してもここに来るまでに32機もやられたか・・・」

 

キャノピー越しに見える部下たち。赤城発艦時は前後、左右、上下に頼もしい濃緑の翼を広げていたが、今となっては前方と左右にしかいなくなっていた。

 

「隊長・・・・・」

「・・・・・マリアナの七面鳥落とし。あいつらもこんな気分だったんだろうか。なにも出来ず苦楽を共にした仲間が、次々と落とされていく。悠々とゆく敵に・・・。俺たちは瑞鶴や加賀の連中から相模湾のカモ狩り、と揶揄されるかもしれんな」

「・・・・・・・・」

「覚悟はあったんだが・・・。あいつらがハエみたく叩き落とされて、しかもその方法がこっちの常識の次元を越えていると、きた。さすがに作戦通りとは言えこれは堪える。だが・・・・」

 

言葉を発しながら漠然と捉えていたみずづきの姿。こちら側から見えているのだから彼女からも当然見えているはずである。だが、彼女に近傍まで接近された深海棲艦のような動揺は一切見当たらない。彼女は前方を向いていた一門しかない中口径の主砲を目にも止まらぬ速さでこちらに指向する。大日本帝国海軍や深海棲艦との格差に目を見張ったのも束の間。それ以上の絶対的な格差の降臨に見張った目が限界まで見開かれ、凍り付く。

 

みずづきの主砲が火を噴いて数秒。突如として爆発、四散し虚しくチャフと機体の破片をばらまく前方、中央を飛行していた機体。

 

 

艦載砲が初弾で、航空機に砲弾を命中させた。

 

 

自分たちと同じ兵器で原理も仕組みも分かっているがゆえに、その衝撃はどこまでも超高速で追尾してくるミサイルよりも凶悪だった。

 

 

もう一度言おう。艦載砲が初弾で、航空機に砲弾を命中させた。

 

 

新幹線並の速度で飛行するドローンに、音速一歩手前で投げた野球ボールを初球で当てた。例えるとこのようなものだ。果たして、可能だろうか。

 

「お、おい、嘘だろ!? あり得ない、こんなのあり得ない!!」

「そんな馬鹿な・・・・・、これが未来の科学が成せる業・・」

 

そう。これが日本の、日本世界の力だ。

 

隊長妖精はそれを確認した瞬間、驚きのあまり隊長の威厳を損ないかねないほどの大声をあげる。彼、いや彼だけではない。残存機の搭乗員は全員同じ反応を示しただろう。

 

まぐれかとわずかな希望を願うが、それはすぐさま発射された次弾と再び爆発する部下によって、天山同様完膚なきまでに叩きつぶされる。

 

未来の衝撃からいち早く立ち直った隊長妖精は、回避行動のため一気に上昇。僚機もそれに続き前方の編隊は逆に降下を開始する。立体的に二手に分かれ、迎撃の撹乱を狙うが、効果は皆無。あり得ない連射を見せつけるみずづきの主砲によって天山は凄まじいスピードで数を減らしていく。撃ちだされる砲弾はまるで、未来を予知しているかのようにどんなに不規則な機動をとっても一発も外れない。

 

「百発百中の命中精度、主砲では考えられない連射速度。・・・・今は敵ですけど、本当の敵でなくてよかった」

 

緊迫感あふれる修羅場なのだが、それに構わず心の底からの安堵の溜め息をつく補佐妖精。

 

「それには俺も大賛成だ。こんなの勝てっこない」

 

下方で勇猛果敢にも突撃していた最後の1機が至近で炸裂した砲弾の破片によって、ズタズタに引き裂かれ爆発。見るも無惨なジュラルミン片と化し、海に落下していく。

 

「直撃ではなく、近接信管で炸裂した破片によって仕留めているのか。思想自体はあまり変化していないようだな。変化したのは、技術か」

 

即座に砲身をこちらに向けるみずづきの主砲。洗練されたその動きからは人間味が全く感じ取れない。

 

とうとう年貢の納め時が来たようだ。

 

「だがな」

 

隊長妖精はキャノピーのガラスにわずかに映った補佐妖精の顔を見る。光の加減で鮮明に見えなかったが、補佐妖精はそれでもはっきりと捉えた。隊長妖精の顔には、何度も垣間見せた闘志が健在だったのだ。

 

「大日本帝国海軍空母航空隊、そのなかでも誉れだかい赤城航空隊がへばるわけにはいかないんだよ!!」

 

隊長妖精はハンドサインで両サイドを固めている僚機に「突撃」の指示を出す。それにいい笑顔でグッドサインを返してくる。

 

「あいつら、格好つけやがって。おいっ!! 見ての通りだ。・・・・・・覚悟はいいか?」

「はいっ!!」

「相変わらず臆病なくせにお前も大概だな。だが、それでこそ空母航空隊の搭乗員だ!! いくぞ」

 

みずづきの砲身から噴き出す硝煙。それを見た瞬間、隊長妖精は思いきり叫ぶ。

 

「突撃ぃぃぃ!!」

 

甲高いエンジン音がさらに大きくなり、機体が傾くと体が前から強烈に締め付けられる。眼前いっぱいに広がる海。だが、彼らも、隊長機に続く僚機3機も視線は海ではなく、その上を堂々と白波を立てて進むみずづきを捉えていた。

 

瞬く、みずづきの主砲。

 

右翼を飛んでいた天山が爆発。その衝撃で機体が大きくゆれ、破片が機体に当たるが構わない。徐々に大きくなっていくみずづきの姿。それと引き換えに叩き落とされていく僚機。

 

 

 

 

 

ついに自分たちのみとなってしまった。大空を1機で、みずづきに肉薄する。

 

 

 

 

 

発射される砲弾。

 

補佐妖精は目をつぶるが、隊長妖精はそれを見て恐怖するどころか笑っている。

 

「隊長なめんなよ!!  だてに部下が散っていくところを指くわえて見てた訳じゃ・・・・・」

 

心のなかのカウントダウン。それがゼロになった瞬間、壊れる覚悟で操縦桿を力いっぱい引きエンジン出力を全開にする。

 

「ねぇぇエェ!!」

 

体に襲いかかる重力。機首が急角度で上がり雲しか見えなくなった視界。その下で機体が壊れる錯覚を覚えるほどの爆発が発生。隊長妖精は操縦桿を握っていたためなんともなかったが、後ろからは何かがぶつかった音と「いってぇぇ」という呻き声が聞こえてくる。しかし、今はそれに構っている暇がない。すぐさまエンジン出力を限界まで絞り、機首を方向転換しながら下げる。雲から海に変わる視界。そこに目を見開いて、固まっているみずづき。

 

 

そりゃそうなるだろう。レーダー情報からFCS-3Aシステムの一つである射撃統制システムが算出した結果を、感覚だけで覆したのだから。

 

 

好機と見た隊長妖精はそのままみずづきへの突撃コースに突入。今回の狩月作戦における赤城航空隊の役割は、みずづきに少しでも弾薬と精神力を消耗させ電探の機能低下を誘発。このあと登場する残存艦隊たる第2特別艦隊の攻勢を優位にすることだ。よって、はなから爆弾投下や魚雷によるみずづきへの打撃は期待されていないため、赤城航空隊はチャフの入った特性爆弾し積んでいないのだ。

 

そんな丸腰の状態で艦上攻撃機が敵に損害を与える方法。

 

それはもう1つしかない。航空機の最終攻撃手段。そして日本がアジア・太平洋戦争末期に編み出した狂気かつ愛国心の体現たる、自身を誘導装置とし機体自体を爆弾とする・・・・・・・・・。

 

 

 

 

特攻だ。

 

 

 

 

「みずづきよ、俺たちの覚悟を受けとれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 

 

 

 

 

恐怖を感じるほどのスピードで大きくなるみずづきの姿。彼女が右手に持っている主砲はこちらを向いているものの、砲身は若干ずれたところをにらんでいる。

 

 

勝った!!

 

 

確信する隊長妖精。しかし、その儚い光はまばたきをした刹那、機体と共に無数の穴を開けられ、朽ち果てる。

 

「な・・・・・・・」

 

驚愕に顔を染めるのも、一瞬。容赦なくエンジンや燃料タンクに穴を開けられた機体はみずづきへ到達する前に 爆弾としての機能を終える。

 

その間際、隊長妖精は自分の意地を叩き割ったハンマーを確かに見た。上部に白い筒のようなものを乗せたガトリング砲。それはこちらを寸分たがわず睨み付け、細い砲身から硝煙をわずかにあげていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

艦娘司令艦「大隅」 司令室

 

「隊長機撃墜。これを持って赤城航空隊41機は、全滅。・・・・みずづき、損害なし」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

演習前まで御手洗の怒号やそれに対応する視察組のなだめ、はなからそれらのやり取りを無視し議論や他部署との交信に没頭していた参謀部員の声で、ある意味賑やかだった室内。しかし、現在はそれが夢か幻であったかのように、ただただ静寂に支配されていた。聞こえるのは戦況を報告した参謀部員の震えた声と、テレビから流れる撮影隊が乗っている零式水上偵察機のエンジン音のみ。

 

想像を絶する光景に、身じろぎすらも憚れるほど重たくなる場の空気。それを破れるのはただ一人だけ。全員、もしかすると彼の言葉を待っているのかも知れない。瑞穂海軍トップの言葉を。

 

「いやはや・・・・・ここまで目と口をだらしなく開けたのは何年ぶりか。長生きはするものだな」

 

1つ小さな溜め息を吐くと、的場は達観したような笑みを浮かべる。それがきっかけだった。場の空気が少しばかり軽くなり、同じ席についている他のメンバーも的場につられ乾いた笑顔になると口を開きはじめる。ただ、笑顔から放たれる言葉は、とてもとても笑顔から出てくる温かみを帯びたものとは次元が異なっていた。

 

「たった1隻で、空母航空隊41機を、しかも赤城の部隊を無傷で殲滅するとは・・」

「赤子の手をひねる、いやこれはもうそれ以下だ。虫を叩き落とすかの如く、がもっとも現実を言い当てている」

「数十km先まで走査可能な電探に、追尾機能付きのロケット弾たるミサイル、航空機に対してすら百発百中の主砲に、半端じゃない連射速度の対空機銃」

「ヤマアラシやハリネズミが可愛く思えるほど、ハリネズミだよ彼女は」

「百石提督と吹雪の報告書は寸分たがわず真実だったことが、はっきりと証明された訳ですな」

 

カーキ色の軍服を着た百石より少し年上の男の発言。それには百石もただただ苦笑するしかない。吹雪から報告を受け、それをもとにした報告書を上に提出し、第5遊撃部隊や漆原と作戦を練ったとはいえ、百石も視察組と同じく完全に飲み込めていた訳ではなく半信半疑だった。実際に見なければ信じられないのだ。このような、自身の世界の常識に喧嘩を売るような光景は。

 

しかし、それは今、現実として目の前に出現していた。

 

度を越えた驚愕と衝撃。的場や百石たちのようにこれにうまく折り合いをつけられる人間もいれば、いかに海軍の上層部まで上り詰めようとも簡単には許容できない人間も存在した。いや、軍人だから、常識を糧として国を守り、部下の、国民の命に責任を有する佐官・将官であるからこその葛藤といった方が正しいだろう。彼らは的場の気遣いを感じつつも一応に顔色を悪くし、視線をテーブルに落としている。だが、そのなかでも意気消沈とはほど遠い反応を示している者がいた。小刻みに震える拳と腕。ぶつぶつと他人には聞き取れない独り言を漏らす口。

 

「なんなんだこれは。俺は・・・・夢でも見ているのか?」

 

御手洗は常日頃ばらまいている尊大な態度からは全く想像できない弱りきった雰囲気で口を開く。聞くだけで他人の気分を害するような挑発的な口調はなりを潜め、御手洗の皮を被った全うな人間が話しているのではないかと錯覚を覚えてしまうほどだ。そんな彼の姿を初めて見た、緒方を筆頭とする参謀部員は例外なく目を丸くしている。中には、というか全員がみずづきの暴れっぷりを見たときよりも、明らかに驚いて動揺している。百石や筆端も例に漏れない。その一方で御手洗の様子を百石たちとは全く異なったベクトルて見つめている者たちもいる。御手洗の彼らしからぬ光景はいつもなら的場や海軍上層部の爆笑を我が物にしていただろうが、今はそんな空気ではない。

 

「あり得ない。こんなことが、こんなことが・・・・・・・・。次元が全く違うではないか・・・・・・・」

 

静かで、すぐに床へ落下しそうなほどの重さを持った独白。驚きのあまり固まっている百石たちや、ただその言葉を思慮深い表情で聞いている的場たちは何の反応も示さない。

 

「日本世界。我々と異なる歴史を歩み、おぞましい人同士の殺し合いがなくならない世界。そこから来た同じ人間が、同じ年月を歩んだ2033年の存在が、何故ここまで私たちを超越しているんだ? 何故ここまで進んでいるのだ? 戦術と兵器の進化、それを成し遂げる科学の発達は、大まかにいえば戦争の規模と数に比例する。日本世界は、いったいどれだけ・・・・・・」

「悲観的になるのはまだ早い」

 

御手洗の言葉を遮り、瞑目したまま呟く的場。その言葉は誰に向けられたものなのか。百石たちは首をかしげるが、御手洗は的場に噛みつくこともなく、一瞬目を見開くと口を固く閉ざす。顔には若干いつもの強気な雰囲気が戻りつつある。それを肌で感じ取った的場は心のなかで、相手に肩をすくめると目を開ける。

 

「まだ、作戦と演習は折り返し地点だ。それにこれは百石たちが立案した通りの展開だろ? お前も私や御手洗と同じように固まっているんじゃない」

「す、すみません!」

 

海軍トップの苦笑を一身にうけ、百石は背中に板でも入ってるのかとツッコミたくなるほど背筋を伸ばす。それにどうしても重くなりがちな空気が、再び弛緩する。

 

「対空能力はいやほど把握した。次は対空戦と砲雷撃戦の二重打。強大な盾を持つみずづきと凶悪な矛を持つ第2特別艦隊。さて、どちらともどうでるかな?」

「根拠なく勝てるなどと無責任な発言は致しませんが、彼女たちは見せてくれると思います。ハリネズミの懐まで入った赤城航空隊の隊長機のように」

 

的場の挑発が含まれた言葉に、百石は朗らかな笑顔で答える。不安や心配は微塵も感じさせない。

 

「彼女たちを信じているのだな」

「私の大切な部下ですから。的場総長や筆端先輩の信念はしかとここに息づいております」

 

そういうと百石は自身の胸に拳を当てる。

 

「ふっ、そうか。やはりお前をここに寄越して正解だった。未来に抗う彼女たちの姿、最後まで見届けさせてもらうぞ」

「はいっ!」

 

嬉しそうに笑う的場。そこには軍人以外の、ただの優しそうなおじいさんの顔が垣間見えている。百石の口から名前があがった筆端も照れ臭そうに鼻の下を指で擦っている。

 

それとは対照的に、いつもの雰囲気を少しだけ被り直し「お前は横須賀鎮守府の司令官にふさわしくない。ガキは学校に行っておけ!」と、散々罵ってきた御手洗は、衆人環視のなか、ささやかな抵抗として「ふんっ!!」とどこぞの艦娘のように顔をそらすのであった。

 

 

 

~~~~~~~

 

 

 

曇天のもと、海と雲のちょうど境を飛ぶ白色の物体。航空機であることは、翼と機首にあるレシプロエンジンで分かるが、その翼に。正確には主翼と胴体のつけ根。戦闘機がよくつけている増槽タンクのようなものを左右に2つぶら下げている。雲に遮られ弱々しい太陽光を、時おり弱々しく反射するキャノピー。そこには、茶色い飛行服を来た2人の男性がいた。1人はゴーグルをつけ前方を注視。その後ろに座っているもう1人は裸眼で、しきりに周囲を見回していた。

 

「先ほどから続いていた閃光は確認できなくなりました。一体なんだったんでしょうか?」

 

比較的まだ若く見える男性は、首をかしげる。突如、発生した複数の閃光。オレンジ色の光が霞みながらもハッキリと視認できた。

 

「方向は3時で間違いないんだな?」

 

操縦捍を握っている中年の男性は前方に視線をやったまま座席越しに問いかける。

 

「はい、間違ありません。武田機長」

「なら、おそらくそれは、演習の類いだ。3時の方向じゃ、今まさに一大イベントが行われてる」

 

武田機長は一瞬、前方から視線を反らし3時の方向を見る。だが、閃光などは確認できず、灰色の雲と群青の海が広がるばかりだ。

 

「一大イベント? って、まさか!?」

「そう。そのまさか、だ。さっき、発艦前に聞いた話じゃ、時間が押してるって言ってたからな。ちょうど今、行われてる時間だ。かなりのめっけもんを見たかもしれんぞ、高橋少尉」

 

片手を操縦捍から離し、後ろの高橋にも見えるよう高く掲げる。そこにはグッドサインがあった。

 

幸運と機長から祝福され、高橋は照れ隠しに鼻の下を擦る。奇跡を体現したもの同士、しかも一方は瑞穂と違う歴史を辿った平行世界の軍人。本来は見ることすら叶わない彼女たちの戦闘を拝めたのだ。嬉しくもなるだろう。微笑を浮かべながら、哨戒を続けるため再びキャノピーの外へ視線を向ける。武田・高橋両名が乗る一見変わった機体は、30式水上偵察機と呼ばれる艦載の偵察機である。母艦は、現在演習海域の警戒・監視任務にあたっている横須賀鎮守府所属の第5艦隊、その旗艦たる巡洋艦「因幡」だ。

 

増槽タンクのようなものは増槽タンクではなく、着水時に浮きの役割を果たす、フロートである。この基本的な構造は日本世界でも同じで、海防軍が装備しているUS-2救難飛行挺もフロートを2つつけている。

 

どこまでも続く海。海面がわずかな日光をキラキラと反射する中、一瞬チカッと波の反射にしては強すぎる光を捉えた、ような気がした。方向は本土ではなく太平洋側。

 

「ん? 光?」

「どうかしたか?」

「い、いえ、なんでもありません」

 

無意識の内に言葉が出ていたようで、高橋は我ながら驚き、冷静に取り繕う。それに武田も違和感を覚えなかったようで、意識を操縦捍と前方に向け直す。

 

それに安堵する高橋。

 

「気のせい、か・・・・・」

 

新幹線並の速度で飛行していく30式水上偵察機。

 

 

彼らが悠然と飛行している空から少し離れた海面。気のせいと片付けてしまった高橋が光を捉えた場所。そこには、なにもない。ただ静かに波打つ海面と、ブクブクと絶え間なく湧き出している気泡があるだけだ。




80年もの時を経た対決の行方は・・・・・!?

ついにやってきました演習本番です。かなりの分量になってしまい申し訳ありません。(まだ、後編があるんですよね・・・・)

いろいろとご都合主義や無知があるかと思いますが、温かい目で見て下さるとうれしいです。やっぱり、戦闘描写は難しい・・・・・・・。

文中でお示ししたあきづき型の戦闘能力ですが、本作では同時対処目標について「最小8、最大32」説を採用したいと思います。資料によってはひゅうが型護衛艦を参考に「最小3、最大12」と書いていたり、ヨーロッパ各国のフリゲートに搭載されているAPARという名前の多機能アクティブ・フェーズドアレイ・レーダーを作ったタレス・ネーデルラント社(オランダ)のシステム(ESSMの誘導方式の1つであるICWI=間欠連続波照射方式とか)をあきづき型護衛艦も採用していることから、同時対処目標を最大48としていたり、本当にまちまちです。(同じ文脈で、wikiなどは最大32と書いてありますから、もうなにがなにやら・・・・これを考えていたとき、人生で初めて“考え過ぎの発熱”を経験しました)

ただ、各アレイ(レーダー面)を疑似的に4分割し、それぞれ2つの目標を割り当てることが可能。よって、レーダー面1つに対して、8目標、全周だと8×4=32目標に対処可能という話が個人的にしっくり+想像しやすかったのでこれにしました。

本当のことは当然ながら、軍事機密なので分かりません!!(上記のうちのどれかだとは思いますが・・・・・・)

後、先週さらっと出てきた「元号」についてですが、一応明治以降に宮内省(宮内庁)や内閣・専門家のおじいちゃんたちが検討・発案したものの中から、気に入ったもの(文字から意味が連想しやすいもの)を選んでみました。

継明=「明」るい(=平和な)世が受け「継」がれていきますように。(←個人的な解釈です!)

もし、政府が正式に次の元号を発表した場合は公式な元号に変更するかもしれません。おそらく、そのころも本作は継続投稿されていると思います・・・・。一体、どんな元号になるんでしょうかね。


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37話 演習 後編

いろいろ想定外に見舞われるみずづき、そして翔鶴たち。ついでに百石たちも。
幕引きは一体・・・・・。



「全航空目標の撃墜を確認。対空戦闘用具収め・・・・・・」

 

淡々と発せられる言葉。口はみずづきの勝利を紡いでいるが、外見ではとてもそんな雰囲気は感じられない。どちらかといえば、敗者がまとっている空気だ。

 

それも致し方ない。目に映る乱れまくったメガネの多機能レーダー画面。脳裏に焼きつく最後まで健闘した赤城航空隊の天山。それらはみずづきから勝者としての歓喜を完全に奪い去っていた。

 

「まいっちゃったな・・・・・・。まさか、ここまでやられるなんて。対空、対水上ともにレーダーの不明瞭域拡大。第一次攻撃の時にまかれたチャフは落下したみたいだけど、その代わり第二次攻撃時のチャフが至近に展開。こりゃ、主砲管制をレーダー照準から光学照準に変えた方が良さそう・・・・・。それにしても・・・・」

 

主砲という単語から、先ほど見た信じられない光景が頭によぎる。

 

「赤城航空隊の練度が高いとは散々聞いて知ったつもりだったけど、まさかこの主砲の砲撃をかわすなんて・・・・・。深海棲艦じゃなくて良かったぁ~」

 

みずづきが装備しているMk.45 mod4 単装砲はあらゆる軍事技術で世界の最先端を突き進んでいたアメリカが開発し、対地重視砲とされつつも音速越えが当たり前の戦闘機や対艦ミサイルの撃墜も可能な艦載砲である。レーダーや光学照準器と射撃指揮装置の連携により、目標の未来位置を瞬時に計算。コンピューターの力がいかんなく発揮され、砲弾の装填も全自動である。それゆえに命中精度は非常に優秀なのだが、決して必ず全弾が命中するわけではない。対地目標への砲撃は敵の位置を知らせる目標情報しだいで変動するが、対空目標はいくらスーパーコンピューターを用いても外れる。だからこそ、連射性能が高められてきたのだ。

 

だが、今回は音速越えの戦闘機でもなければ、無慈悲に突進してくるミサイルでもない。せいぜい、時速4、500kmしかでないレシプロ機なのだ。そんな機体が現代の艦載砲の攻撃をかわすなど、衝撃以外のなにものでもない。

 

それゆえに吐露した「深海棲艦じゃなくて良かった」という本音。それがまさか神業を披露した天山側も同じことを思っていようとは夢にも思わない。

 

天山の空気を切り裂く甲高いエンジン音やESSMの空気を押しのけるロケット音、2つが交り発生する爆発音。それらがなくなりみずづきの耳には自身の息遣いや艤装の駆動音、そして、静かに揺れる波の音しか聞こえない。ほんのわずかばかり離れただけなのに、懐かしさを覚える静寂。

 

しかし、懐かしさを覚えるだけで、心は少しも休まらない。言い知れぬ不安。それはいまだにみずづきの心に影を落としている。「嵐の前の静けさ」。この言葉がいくら振り払おうとも、頭の中に浮かんでくるのだ。だからこそ、みずづきにはそう思えてならない。不安の根拠らしきものを上げればきりがないが、ただ1つ言えることがある。それは・・・・・・。

 

 

 

 

「百石司令官の手の上で、踊らされてる」

 

 

 

 

天山が自らを犠牲にして一矢報いるためにばらまいたチャフ。だが、その効果は半永久的に持続するものではない。重力の助けによって、しだいに本来の力を回復していく多機能レーダー。鮮明になった電子の目は見たものを瞬時に解析、メガネに探知目標情報として警告音を伴い、可視化し表示する。それに胸を撫で下ろしたのも束の間、レーダー画面を見た途端、天山に必中の砲撃をかわされたときと同等、もしくはそれ以上に顔が凍りつく。

 

「嘘、でしょ・・・・・・」

 

 

 

 

メガネの透視ディスプレイには信じられない物が映っていた。

 

 

 

 

「なんで・・・は? うそ・・・空母も戦艦も重巡も全部沈めたはずなのに・・・・・・」

 

そこには、高高度を飛行する偵察機らしき機影と赤城航空隊には劣るもののかなりの低高度を飛行する60機の大編隊、そしてこちらへ突進してくる4隻の艦影がはっきりと映っていた。レーダーの故障や幻覚では決してない。全身から嫌な汗が流れはじめる。

 

「SSMは確かに全弾命中して、8隻を葬った。これで空母2、戦艦1、重巡1を含む第1機動艦隊は全滅して、軽巡と駆逐しかいない第3水雷戦隊も2隻を喪失したはず。どういうこと・・・・・って、あぁっ!!!!!」

 

汗で湿った手を若干痙攣させるみずづき。そんな彼女の頭に演習開始直前に抱いた違和感が深海に潜った潜水艦並みに急速浮上してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“・・・・・・おっかしいな~”

“う~ん・・・・。深海棲艦と違って1人ひとり特徴が違うから、吹雪たちのデータは使えない。そもそもこの世界の兵装データがないから詳しいことは・・・・・。乱反射してるのかな?”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

艦隊構成メンバーと一致しない不自然なレーダー反応。残存艦隊の進路上にばらまかれ、レーダーによる探知を阻んだチャフ戦術。現在映っている大編隊と艦影。

 

バラバラの事象が、今一つの糸で繋がった。その瞬間、みずづきは感覚ではなく事実として、自身が百石の手の上で踊らされていたことをはっきりと認識した。もはや、悔しがるどころではない。抱いていた不安がこれでもかというほど明確に具現したのだ。

 

「マジ・・・・・? つまり、あらかじめ艦隊の編成を変えていた、と・・・・・・レーダーで分からないよう偽装までして・・・・・・・・・・・。まんまとはめられた」

 

そういうことである。ここで第1機動艦隊・第3水雷戦隊改め第1特別艦隊・第2特別艦隊の編成を確認しよう。

 

第1特別艦隊は赤城を旗艦とし、川内を除いて第3水雷戦隊のメンバーをそのままスライドさせ、陽炎、黒潮、白雪、初雪、深雪で構成。第2特別艦隊は赤城が抜けた第1機動艦隊の穴に川内を加えた、旗艦翔鶴、榛名、摩耶、川内、曙、潮で構成されている。そして、第1特別艦隊は輪形陣、第2特別艦隊は単縦陣をとっていた。

 

みずづきが空母、戦艦、重巡。つまり翔鶴、榛名、摩耶という最優先目標をうち漏らしてしまった理由、それは輪形陣をとっている方は第1機動艦隊、単縦陣の方は第3水雷戦隊と先入観で決めつけ、真実を知らせようとしていた不自然なレーダー反応を飲み込んで攻撃してしまったからだった。

 

 

 

“挑んでくる艦隊は平時の編制そのまま。わざわざいじって演習専用の艦隊など編成しない”

 

 

 

無意識のうちに抱いていた思考。それが今、バッサリと一刀両断されたのだ。百石たちはみずづきに勝つため、わざわざ特別艦隊を編成し、本気で向かってきている。

 

「こんな、裏をつく初歩的な戦法使ってくるなんて・・・・。安直に構えすぎてた、かな。・・・・知山司令に見られたらなんて言われるか」

 

慢心などしていないはずだった。しかし、現状はみずづきに慢心の二文字を痛烈に叩きつけていた。今までこんな戦法とってくる相手がいなかったなどの言い訳は通用しない。

 

 

しかし、いくらそうでも愚痴は出るものだ。

 

 

「チャフといい、これといい、ほんっとやってくれるわね・・・・あの畜生司令官!」

 

そう言うと噴出した額の汗をぬぐい、より一層鋭くなった眼光でメガネを睨みつける。ここからが正念場だ。

 

「ECMにシステムのリソースを割いてる場合じゃない。それにもう私の位置は知られてるだろうし、ECM解除!! 対空戦闘よーい‼ 目標、翔鶴航空隊!! ESSM、発射よーい‼ 」

 

言葉を発する間にもみずづきへの距離を縮める総数60にものぼる大編隊。そして、航空隊の後を追う現代艦には重たすぎる編成の残存艦隊。もし、迎撃が間に合わず、海空からの同時攻撃に晒されれば、いくらみずづきといえどもたない。爆弾1つ当たれば戦闘不能になるほどペラペラという擬音語がぴったりなほど装甲の薄いみずづきに勝ち目は、ない。ESSMの残弾は赤城航空隊との戦闘で32発を消費したものの、今回の演習では潜水艦がいないためアスロックを搭載せず、ESSMをMk.41VLSにフル装備している。イージス艦が装備しているSM-2やSM-6などはVLS1セルにつき1発しか搭載できないが、ESSMは1セルにつき4発搭載可能。あきづき型のMk.41VLSは32セルなので、最大ESSMを128発積めるのだ。そのため、あと96発残っている。主砲も残弾は心配いらないのだが、問題はあと11発撃つと砲弾が装填されている給弾ドラムが空になり別の給弾ドラムに入れ替えなければならない。砲弾が装填されるまでの間、1分ほど主砲が使えなくなることだ。そして、給弾ドラムに装填されている砲弾数は20発。それを使い果たすと当然別の給弾ドラムへ変更が必要になり、その都度主砲が使えなくなる。相手の数を見るに主砲での迎撃は確実。はたして、乗りきれるか。

 

「主砲が使えない間は、CIWSの手動管制で乗りきるしかない。自動管制のままだと後先考えず、この暴れん坊は弾を消費しちゃうし・・・・」

 

Mk.45 mod4 単装砲やMk.41 VLSに搭載されるESSMと異なり、高性能20mm 機関砲 CIWSは完全に独立した近接防御火器システムである。対空ミサイル・主砲による二段構えの防衛網を突破された最終防衛線として、自前のレーダーと射撃指揮装置によって捜索・探知・追尾・迎撃を全て自動的に行う。自動管制のままなら、みずづきが操作せずとも、それこそ勝手に迎撃を行うのだ。

 

毎分3000~4500発。1秒に直すと50~75発という、もはや呆然とするしかない連射速度をまともに食らえば、戦闘機は瞬時にスクラップ処理が完了する。

 

しかし、どの兵器にも弱点はつきもので、CIWSの代表的な弱点は驚異的な連射速度を前に、携行弾数が少なすぎる点である。みずづきは980発しか携行できなかった初期型Block0の能力向上型であり、ドローンなどの低高度目標、自爆ボートなどの対水上目標にも対処可能なBlock1Bを搭載している。初期型のBlock0から弾倉が拡張されたため、6銃身の下部にくっつしている給弾ドラム内には1550発を携行可能となっている。それでも広範な視野を持たず、脅威度が高いとはいえ目の前の敵のみをむやみやたらに撃てば、連続射撃で約26秒経つと終わり、弾切れである。もし、特殊護衛艦ではなく実際の護衛艦でそうなれば本体約17億円、1550発の86式20mm機関砲用徹甲弾薬包 約1億850万円も含めた計18億850万円という10式戦車2両が買える血税の塊はただのおもちゃに早変わりである。

 

重要な防御手段の一角を失った上では、例え相手が時代遅れのレシプロ機といえどもあまりに危険すぎる。最後まで生き残り、Mk45 mod4 単装砲の砲撃を躱すという神業を成した赤城航空隊の天山を仕留めたのも、このCIWSなのだ。

 

「そうならないため・・・・・・・・」

 

メガネに表示される準備完了報告。解放されるVLS。照射される火器管制レーダー。

 

「ESSM発射ぁぁぁーーーー!!!!」

 

1隻対60機。偵察機も加えれば61機。41機の猛攻をしのいだみずづきだが、彼女にも結果は全く分からない。翔鶴航空隊は既に主砲迎撃圏に侵入。みずづきと距離、12km付近を飛行している。赤城航空隊よりも数が多いにも関わらず、対処時間・距離ともに減少。戦闘はもはやみずづきですら、予測不可能な領域に達していた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

曇天のもと、大海原に白い航跡を残していく4隻の艦影。天気のせいかお世辞にもいい雰囲気に見えないが、()()()()()の姿に戻った翔鶴・榛名・摩耶、そして曙を含めた4人の表情を見るとここに重苦しい空気が漂っていることが一目瞭然だ。かっこよく、またはおしとやかに偽装目的でつけていたカツラやら偽艤装を取り払った時の様子が信じられない。残滓すら皆無なのだ。

 

「やっぱりよ、赤城の航空隊は……………」

 

海風と波音、そして艤装の機関音しか聞こえない空間。そこに摩耶の呻くような呟きが響く。弓を持っている手を握りしめる翔鶴。

 

「回復した無線の呼び掛けに応答する機体は、1機もいません。私が存在を確認できるのは自身の航空隊のみ」

「信じられない………………そんなことが。対深海棲艦用の新戦術も使ったのに」

「航空機41、しかも艦娘の中で屈指の練度を誇る赤城さんの航空隊が・・・・あいつたった1隻に」

 

心のどこかで冷静な自分が下した非現実的な現実を信じられずにいた榛名と曙も、明確な事実の前には膝を屈するしかない。

 

 

赤城航空隊41機は、全滅した。

 

 

これを受け入れざるを得なかった。突然始まり、突然収束した謎の電波障害。謎などと言ってはいるが十中八九みずづきの仕業であることは翔鶴たちも気付いていた。電波障害によって無線が使用不可能になった時は戦局が分からず不安を抱いたが、いざ無線が回復してみるとそこには分からない不安より遥かに残酷で衝撃的な現実が待っていた。

 

翔鶴自身もこの状況を完全に飲み込めたわけではない。そう簡単に信じられるわけがないのだ。自身の憧れであり大先輩である赤城が血潮をかけて育てたきた航空隊が、全滅するなどと・・・・・・・・。

 

“翔鶴姉なら私みたいに加賀さんにねちねち言われるようなへまはしないと思うけど・・・・・気をつけてね。みずづきは1隻だけど、とてつもなく大きいよ”

 

思い出される瑞鶴の言葉。それが今になって胸に染み渡ってくる。

 

「でも仮にそうだとしても、航空隊はどこまで奮戦したんでしょうか?」

 

思案顔になる榛名。まだ「全滅」の衝撃から脱出できたわけではないが、これから自分達は赤城航空隊を全滅させた相手に殴り込みをかけるのだ。起きてしまった過去に囚われていてもいい結果は生まれない。全滅した、ということはみずづきと交戦したことを示す。

 

「さすがに無傷とは考えづらいのだけれど・・・・」

「あたしも榛名と同意見だ。赤城の連中がみずづきの目である電探をある程度は潰したはずだからな。しかし、大隅からの知らせがない以上、少なくとも中破はしていないってことだ。みずづきはミサイルなんていうバケモン武器を持ってるし、広範囲の電波妨害だってして見せた。あたしたちの常識が通用しない。最悪の状況も考えとかないといけないんじゃねぇのか?」

「何? 怖じ気づいたの? 重巡が聞いてあきれるわ。仮にあいつが無傷だったとしても、今翔鶴の航空隊、60が殺到してる。いくらミサイルなんていう非常識の塊みたいなものを持ってたって、深海棲艦の機動部隊もびっくりなこの飽和攻撃を乗りきれるわけ・・・・・・」

 

いつも通りの不機嫌さをまといながら話す曙。演習開始時の「変なものでも食ったのか?」や「熱でもあるんじゃねぇのか?」と言われそうだった様子は、非常識が常識のように乱舞するこの場において完全に四散していた。過去の光景に縛られている余裕は、もうないのだ。

 

しかし、突如回復した曙の言葉が不自然に止まる。

 

「こ、こちら偵察6番機!! 前方下方から、光を放つ物体が!? ・・・・・・・・・っっ!?!?」

 

緊迫した声。必死に何かを伝えようとした矢先、うめき声と激しいノイズが走り、パタリと途絶える。

 

4人に緊張が走る。

 

「こちら翔鶴。偵察6番機、何があったの? 偵察6番機? 偵察6番機応答して!!」

 

ただならぬ雰囲気に翔鶴は思わず悲鳴に近い声をあげる。反応はない。砂嵐と比喩される雑音が聞こえるばかり。

 

だが、偵察機との交信途絶の原因はすぐさま翔鶴たちに届いた。聞こえてくる航空隊からの無線。自然に意識が集中する。時間が経過するにつれて、4人の表情が再びみるみるうちに青くなっていく。

 

航空隊各機からの悲痛な叫びが無線機により空間を越え、耳ともを流れる海風よりもはっきりと木霊する。

 

 

 

 

 

 

 

「こちら第3飛行隊!! ミサイルとおぼしき攻撃を受け、隷下の3機が四散、消滅!!」

「偵6と交信途絶!! やられたぞぉぉ!!」

「なんなんだあれは!? 早い、早すぎる‼ 回避できない!!」

「話が違う! チャフ攻撃はどうなったんだ!? バリバリミサイルが飛んでくるぞ!!」

「逃げても逃げても、ついてくる!! 生き物かよぉぉぉ!!」

「こちら隊長機!! 全機、散開!! 最終機動に移行!! 犠牲に構うな!! 突き進め!!」

「ダメだ!! 取り付かれた‼ 振り切れ・・・・・うわぁー!!」

「隊長機がやられた! これより第6飛行隊の指揮は俺がとる!!」

「第2、4、5、8、9、10飛行隊全滅!! 消耗率6割を越えました!!」

 

 

「っ!! おいおい冗談だろ!! まだみずづきを視認すらしてないっていうのに・・・・・」

 

摩耶の悲鳴。他の3人はあまりの事態に声が出ない。翔鶴はわずかな音も聞き漏らさないように、耳に手をあてている。自身の航空隊が遭遇しているあまりにも残酷な状況。そのつらそうな表情は見るのも忍びない。

 

「クッソ!! ・・・・・っ!? こちら編隊長機、みずづきとおぼしき・・・いや! みずづきを視認!! これより突撃を開始する!!! 艦戦は艦攻・艦爆の護衛、いざとなったら盾なれ!! 行くぞぉぉぉ!!」

 

電波にのって聞こえるレシプロ機のエンジン音。みずづき発見の報に若干ながら安堵の空気が広がる。しかし、それは束の間でもない、ほんの一瞬。赤城航空隊も体験した驚愕の大波が容赦なく襲いかかる。

 

「ん? みずづき発砲。こんな距離で? 威嚇のつもりでしょうか?」

「いくらなんでもこの距離だ。しかも俺たちは航空隊、そんな簡単に当たるわけ・・・っ!?」

 

 

「隊長ぉぉぉ!!」

「え・・・・・・。う、嘘だろ!? あ、あり得ない・・・。え・・えっ!?」

「大砲を航空機に命中させるなんて・・・・・」

 

「っ!?」

 

衝撃を通り越して凍りつく一同。曙ですら、口を半開きにして固まっている。聞こえてくる言葉がえらく他人事に思えてくる。

 

 

「みずづき、発砲発砲発砲ーーーーー!!!」

「第1飛行隊全滅!」

「・・・・・砲撃が止んだ?」

「た、弾切れか?」

「んなことどうでもいい!!!! この好機を逃すな‼ 一気に取り付けぇ!!」

「了解!・・・・・・・・・・・な、なんだのあの銃撃は」

「彗星が一瞬で蜂の巣に!?」

「ダメです! 銃撃が桁違いでとりついたら相手の思うつ、ぼ・・・・・・・」

「おいっ!! チクショウ・・・・」

「砲撃、再開されました!!」

 

時間の経過と共に静かになっていく無線。気づけば聞こえる声は二人だけになっていた。

 

「くっ・・・・・。翔鶴さん、お役に立てずすみません。我々ではとても・・・・、あのような神業を駆使する化け物には・・・忸怩たる思いです。空からは無理でしたが海上からなら、あるいは」

「砲塔、こちらに旋回!!!」

「・・・っ!? ご武運を」

 

凄まじい轟音と即座にとってかわった砂嵐。航空隊からの無線は全て途絶えた。艦隊に痛々しい沈黙が訪れる。翔鶴航空隊60機は赤城航空隊41機に続き、みずづきへ一撃すら加えられずに全滅。みずづきの対空戦闘能力の異常さがここに証明された。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

艦娘母艦艦 大隅 待合室

 

「う、うそでしょ・・・・・」

「信じらんねぇ、んだよこれは」

 

しんと静まり返り、存在する人間の息遣いとモニターのスピーカーから淡々と流れてくる30式水上偵察機のエンジン音のみが支配する待合室。そんな中、設置された液晶画面へ目を釘付けにした陽炎と深雪の言葉が、やけに大きな存在感を持って響きわたる。中破した体に掛けられた上着。2人はそれを固く握りしめ、驚愕のあまりに震えている。そして、それは彼女たちだけではなく、待合室を埋め尽くさんばかりに集まった大勢にも言うことができた。世紀の瞬間を一目でも見ようと待合室の収容能力ギリギリまで集まった将兵たちと、みずづきの対艦ミサイル攻撃で早々に退場となり「大隅」に帰還した赤城一行や、予定が入っていない第5遊撃部隊、第6水雷戦隊の艦娘たち。演習開始直後は談笑なども交わされていたが、現在はそれすら許されない、する余裕がない雰囲気に満ちている。ここにいる誰もが2人と程度の差はあれど、同じ心境に陥っていた。全員一応に言葉を失い、無意識に海とみずづき、第2特別艦隊を映している画面に視線を固定させている。そこに艦娘や人間の垣根は全く意味をなさない。

 

艦娘と幾分の相違もなく海上を堂々と進むみずづき。これまでとどこも変わらない。変わったといえば艤装を装着していることぐらいだ。駆逐艦が力強く思えてしまうほどの貧弱な武装に、それでも軍艦かと問いたくなるような簡素な各種装備。艦娘たちや横須賀鎮守府の将兵と異なり、みずづきの艤装を始めてみた大隅の将兵たちは、あまりの弱々しさに嘲笑すら浮かべたほどだ。

 

「こんな装備で、艦娘に勝てる訳がない」と。

 

だが、その嘲笑はブーメランのように外見と自らの常識のみでみずづきの力を判断した彼らと自身に猛スピードかつ容赦なく突入していた。衝撃は計りしれない。そして、それは決して嘲笑などしていなかった艦娘たちにも激震をもたらしていた。

 

まるで生き物のように意思を持ち、視認圏外の艦艇・航空機を瞬殺した光の矢。

自分達の大砲が子供の水鉄砲のように思えてくる百発百中かつ連射可能で対空目標すら撃ち落とす主砲。

壁のような弾幕を一瞬で形成する対空機関銃。

 

それになすすべもなく敗れさった、深海棲艦と渡り合う艦娘たち、そして彼女たちの優秀な艦載機。

 

だからだろうか。いつも変わらないはずなのに、みずづきの姿に形容しがたい畏怖を感じるのは。

 

「夕張さんは知ってたのですか? みずづきさんの力を」

 

周囲の雰囲気や磁針の動揺にいつも以上に挙動不審になりながら、電はここで唯一顔を紅陽させている夕張に話しかける。さすがに空気は読んでいるようで、試射の時のように暴走状態には陥っていなかった。夕張は嬉々とした表情から一転。電の言葉に込められた意味を理解し、気まずそうにほほをかく。

 

「そりゃ、工厰担当艦娘だからね。みずづきが使った武器の試射も同行したし。だけど、知ってたのはせいぜいそこまで。電波妨害が出来て、あそこまでの飽和攻撃を無傷で切り抜けるほどだなんて思いもしなかった。そういう意味では私も電と一緒かな」

「やっぱり、これは現実なんだね」

 

夕張の反応を受けた響の呟き。青筋を立てて彼女たちを見ている暁と雷もおそらく同じ心境だろう。

 

「私たちも本当の意味では、みずづきを知ってはいなかったということデスネ」

「金剛さん・・・・・・」

 

的確な言葉。第5遊撃部隊の誰もそれに頷くしかない。

 

「私たちが垣間見たものは、まさしく垣間見ただけだったのね」

「深海棲艦との戦いは、みずづきにとって準備運動程度でしかなかったっていうの。しかも雑魚じゃなくて本土攻撃を目論んでた機動部隊だったのに」

 

金剛や加賀が語った紛れもない事実に瑞鶴は、他の部隊と比べて事前知識という名のクッションがあったにも関わらず動揺を隠しきれない。まぶたから、幾度となく戦場をもとにしてきた赤城の、翔鶴の航空隊が無惨に果てていく光景が離れない。そして、それが重なって仕方がないのだ。

 

 

 

 

あの時と・・・・・・。

 

 

 

 

「準備運動どころか、みずづきにとってあの戦闘はお遊び程度だったかもしれないね。これを見ちゃったらそう感じても仕方ないよ」

「あんた、他人事みたいに・・・・・!」

 

北上を睨みつける瑞鶴。睨みつけること自体はじゃれあいの一環としてさほど珍しいことではない。だが、今回のように怒気を露にしたものは完全に本気だ。それを見た吹雪と大井が慌てて仲裁に入る。

 

「ちょっと、瑞鶴さん! らしくないですよ。落ち着いて、落ち着いてください」

「北上さん! 私はいつ何時も北上さんの味方ですけど、今回は・・・・」

 

日頃、北上のことしか考えていないと言っても過言ではない大井が、常識を逸脱した行動をとる。いつもなら「北上さんになんてことを!!!」と瑞鶴に食って掛かる場面だが、なんと北上の行動を控えめに諌めたのだ。それにはさすがの北上も驚いたようで、目を大きく見開く。大井も当然だが大好きな北上の肩を持ちたいのだ。しかし、瑞鶴の顔を見てしまえばその想いは揺らぐ。彼女が心の中で何を想い浮かべているのか、分かってしまったのだ。だが、北上は引き下がらない。口調はいつもとなんら変わりないが、瞳には戦闘時とは異なる真剣さが宿っていた。

 

「いや、大井っち。言うべきことは言わなくきゃ。私たちが観たものは紛れもない現実。現実は現実。夢でも幻覚でもない、逃げてたら大事なことを見落とすよ。・・・・・・・私たちにそれはもう許されない。誤魔化しも逃げも・・・・・・」

 

その言葉に、北上の肩に置かれた大井の手がわずかに震える。

 

 

 

 

 

「決して、許されないんだよ」

 

 

 

 

 

瑞鶴を睨み返す北上。彼女が睨まれても微動だに着なかったのに対して、瑞鶴はあっさりと後ずさる。

 

「そんなの言われなくても、分かってる。でも、でも。なら、私たち空母は・・・・」

 

薄々感じていた予感が的中し、成り行きを見守っていた加賀と赤城が表情を険しくする。

 

(全く。普段は勝ち気で生意気な癖に、どうしてこういざって時にしおらしくなるのかしら。これだから、目が話せないのよ)

 

「はぁ~」と面倒くさそうに心の中で加賀はため息を吐く。

 

(これは元凶さんに、一役勝ってもらうことになりそうね)

などと思っている後輩想いの正規空母を温かい視線で見守る赤い正規空母。いつもの流れからして、バレるのも時間の問題だろう。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・全艦、進路そのまま。戦局から第二次攻撃隊の必要を認めます。航空機発艦準備開始!」

 

沈黙を破り悲痛な表情のまま、弓をつがえる翔鶴。矢を取り出すのに躊躇してしまうがそれを理性で押さえつける。それに他の3人は一切口を挟まない。翔鶴の残存機は予備機も含めると、24機。だが、60もの大編隊を無傷て退けたみずづき相手では焼け石に水ということを誰も分かっていた。しかし、それでもこの状況では出さざるを得ないのだ。

 

狙うは海、空からの同時攻撃。深海棲艦相手にもよく使う戦法だ。 二正面戦闘は対空・対水上の捜索・追尾・戦闘を同時に行わなければならないため、集中力が散漫しやすくミスも生じやすい。これなら、みずづき相手でもつけ入る隙ができるかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

だが、かねてより計画されていたその作戦が実行に移されることはなかった。突如、艦隊の至近に衝撃波を持って立ちあがる水柱。それは今まで散々見てきたものだ。

 

 

 

 

 

「ほ、砲撃!?」

 

 

 

 

 

反射的に叫ぶ榛名。そう、これは紛れもなく砲撃だ。

 

「待てよ!! みずづきはまだまだ先にいる。とてもじゃないが、初弾で目視外に、これほどの精度で落とすなんて不可能だ!!」

「だったら、誰がやってるって言うわけ!? 深海棲艦が性懲りもなくまた来て、たまたま演習中の私たちに喧嘩売ってきたって!?」

 

あまりの理不尽さに半分キレたような摩耶と曙。そうしている間にも、次々と艦隊の至近に砲弾が着弾していく。そして、ついにいつかは訪れる事態が起きてしまった。

 

「きゃぁぁぁ!!」

 

周囲に絶大な破壊力を持って響き渡る悲鳴と爆発音。黒煙に全身を覆われる翔鶴。

 

「翔鶴!!!!!」

 

そして、摩耶の絶叫。眼前で生じた信じられない、その身に砲撃を受けても揺さぶられない常識をいとも簡単に揺らす現実。

 

それはくしくも摩耶の言動を否定し、曙の言動に説得力を持たせるには十分すぎる威力があった。翔鶴たちは赤城航空隊41機、翔鶴航空隊60機、計101機の猛攻を防ぎ切った強大な敵であるみずづきを相手にする以上、哨戒-レーダーがないため目視だが-を念入りに行っていた。このような状況で深海棲艦がこちらに砲撃してくるなど、みずづきの力以上にありえない。もしあり得てしまえば、自分たちの哨戒がザラと白日のもとに晒らされることになる。深海棲艦の可能性がついえてしまえば、必然的に可能性は1つしかない。

 

再び迫る風切り音。それに尋常でない危機感を覚えるものの、いくら艦娘とはいえ反射神経は人間と変わりない。摩耶が、榛名が、曙が声を上げかけた時には全てが終わっていた。

 

「っ!? あ・・・・・・、いっ・・・・・・・・」

 

常識をあざ笑う事象の連続でパニックに陥りそうな頭を無理矢理押さえつけ、翔鶴へ視線を向けた3人は、翔鶴の姿を認めて、息を飲む。黒煙が晴れた翔鶴には、もう以前の姿はなかった。真冬の雪原を思わせる真っ白な髪はところどころが煤で黒ずみ、瑞鶴とお揃いの白と赤を基調にした弓道着は破け、各所で肌が露出している。例に漏れず肌も爆発の影響を受けていた。そして、なんといってよいのか運の悪いことに艤装も航空隊の発艦に必要不可欠な弓は弦がちぎれ、飛行甲板も見事に穴が空いていた。痛々しいことこの上ない。

 

中破。

 

この文字が被弾した翔鶴を含め全員の頭に浮かび上がる。翔鶴が戦闘能力を失ったことは火をみるより明らかだった。そしてこれは海、空から二正面同時攻撃が不可能になってしまったことも意味していた。百石たちが血潮をかけて編み出した狩月作戦は、重大な岐路にたった。

 

「翔鶴!? 大丈夫? 」

「ええ、ありがとうございます、榛名さん。でも・・・・・・」

 

翔鶴はそう言いつつ自身の体に視線を這わせ、再び榛名へ顔を向ける。そこにはもう戦えないことに対する悔しさと申し訳なさを称えた苦笑があった。一瞬だけ訪れる静寂。不思議と翔鶴に命中したあと、砲撃は止んでいる。

 

「すみません。こんな大事な・・・・・・1隻でも1機でも戦力が必要なときに」

 

傷付きつつも心と同じくまだ輝きを失っていない白髪をたなびかせ、翔鶴は視線を下に落とす。無風と言いつつも海上には微風が吹いている。本当にささやかな風。それでも翔鶴の髪はさらさらと舞っていた。非常に厄介な女の嫉妬を一身に受けかねないほどの儚げな美しさに見とれてしまい、榛名は言葉が詰まる。摩耶も同様なようで「うわぁ~」などの感嘆詞を排出している。本人は全くもって気付いていないようだが。

 

「反省会も心象に浸るのもあと。今はそんな状況ではないでしょ! 今は止んでるけど、翔鶴に命中した事実から考えて、あいつはどんな手使ってんのか分からないけどこっちの位置を正確に把握してる。もたもたしてると被害が拡大するわよ」

 

緊迫感が薄れかけていることに耐えかねた曙が一喝を放つ。摩耶は曙がいつも以上に張り切っているところを見てからかいを含んだ意味深な笑みを浮かべているが、それに一睨み。確かに曙はいつも以上に真剣になっているがそれは張り切っているなどと少し軽い部類に入る理由ではない。曙は駆逐艦である。艦隊決戦がまだまだ海戦の決定打とされていた戦前においても、駆逐艦の装甲はペラペラだったのだ。砲弾の命中は、分厚い装甲で跳ね返したり被害を矮小化できる戦艦や重巡と異なり、致命傷を意味する。そんな彼女が翔鶴を2発で中破に追い込んだみずづきの砲撃を受けたらどうなるか。装甲はペラペラでも曙より遥かに船体の大きい翔鶴がそうなのだ。もし当たれば戦線離脱と激痛は避けられないだろう。その危機感が曙を突き動かしているのだ。少なくとも摩耶には伝わっていないようだが。

 

加えて、だ。その危機感、いや焦燥感ともいうべき感情には翔鶴が被弾した際、頭に点滅した過去の記憶も大きな影響を与えていた。曙の前で翔鶴が被弾するのは、これが初めてではない。

 

この世界においても、そして・・・・・・・・・・・あの世界においても。

 

「曙さんの言う通りね。榛名さん? 第2特別艦隊の指揮権は、私が中破した時点であなたに委譲されてるわ。後は任せます、後悔なき戦いを」

 

全身を痛みで覆われているだろうに翔鶴は背筋を伸ばし真剣な瞳で榛名に敬礼する。それをされれば答えないわけにはいかない。榛名も同じように答礼を行う。それを終えると榛名は摩耶と曙に視線を向ける。

 

「全艦最大戦速!! 進路そのまま!!」

 

ほぼ止まっていた艦隊が再び動き出す。回転するを上げる機関。速力に応じて激しさを増す足元の白波。

 

「作戦を変更。みずづきには正々堂々と砲撃戦を挑みます!!」

 

高々と宣言する榛名。それにガッツポーズを決める摩耶。砲撃屋の二人には静かな決意が浮かんでいる。そんな二人の後に曙が翔鶴の前を通りすぎる。その刹那に交わされる言葉なき会話。若干頬を赤らめながら顔をそむけ、急速に離れていく曙。彼女たちの姿が見えなくなると翔鶴は優しげな笑みで、独り言を呟く。

 

「またあの子に負担をかけてしまったわね・・・・こうならないように気を張ってたつもりだったけど、やっぱりこういう立ち位置からは逃れられないのかしら」

 

 

 

その遥かに彼方。曇天の影響で快晴時より狭まった有視界ギリギリの空域。より敵に近づかなければならないため曇天は迷惑なことこの上ないが、機体の白い塗装がうまく雲や霞に溶け込み視認性を下げているため、一概に無下にはできない。太平洋戦争時はマイナーで、瑞穂世界では試作段階の異質な航空機。直上に付いたローターによって得た揚力で、母艦の脅威を追跡していく。合成開口レーダーや赤外線監視装置、高精度カメラを用いて。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

「榛名、摩耶、曙、急速接近中・・・・。金剛さんの艤装を見たあのときは何も思わなかったけど、大砲載せすぎでしょ。うまく立ち回れるかな・・・。作戦通りことが運ぶ前にやられたら笑うに笑えない」

 

メガネに表示された、ロクマルから送られてくる映像。まだ、相手に気付かれた様子はなく、ばっちりと榛名たちの映像を記録し続けている。低速度かつ低機動力で装甲が完全にないロクマルは敵にばれれば、問答無用で終わりだ。しかし、そんな格好の獲物を野放しにしているところを見るに、どうやら瑞穂側はみずづきがヘリコプターの対潜哨戒機を持っていること自体を把握していないようだ。これはみずづきにとってまさしく僥倖である。

 

僥倖と言えば、翔鶴航空隊との戦闘もそうである。60機にものぼるかつて経験したことのない大部隊が、幾分ましになったとはいえ赤城航空隊のばらまいたチャフによってレーダーが乱れた状態で殺到したのだ。今日ほど探知、ロック、発射までのリアクションタイムや、ESSMが遅く感じたことはなかった。そして、案の定、主砲が自動装填に入り、手動管制のCIWSで迎撃したときはもう無我夢中だった。相手がまだ大人しかったというか理性的で、赤城航空隊のようにやけを起こしてなかったからよかったものの、CIWSの攻撃に怯んだり味方の損耗を気にせず特攻をされていたら、おそらく被弾していただろう。なんとか猛攻を防いだことは防いだが、精神力の消耗は大きい。

 

「さてとそろそろお出ましかな?」

 

額にだらだら汗をかきながらも誰に見せることもなく平静を装い、艦外カメラを向ける。実際は汗が示している通り、緊張で心拍数はとんでもないことになっている。耳を澄ませばハッキリと心臓の乱暴な鼓動が聞こえてくるほどだ。本音をいえば、ロクマルの着弾観測を使い視認圏内へ入られる前にダメージを与えておきたいのだ。しかしいくらロクマルがいるからとは言え、着弾観測を用いた砲撃は本来、対地目標への戦術であって対水上では「うじゃうじゃいるのに、SSMがないっ!!!!」といった非常時にしか使わない。まだ、止まっていたり低速力で航行しているのならいいが、軍艦が一般的に出す巡航速力で航行している目標への命中はそれなりに難しい。当たる前に砲撃の弾道から位置を特定され、深海棲艦航空隊の攻撃を受けることも珍しくないほどには・・・・・・。翔鶴の場合は、それに折り合いつけた上で撃ったのだ。もちろん空母である翔鶴を狙い、一撃で仕留められるよう対艦用弾種たる多目的榴弾を用いた。しかし、まさか2発で中破に持ち込めるとはさすがに予測していなかった。勝利の女神がこちらに微笑んでいるのか、はたまた日本世界の因果がいまだに翔鶴を縛っているのか。

 

それはみずづきには分からない。だが、1つだけは確実に言える。翔鶴を中破に持ち込めたのは、単に運が良かっただけ。他の3隻に通用する考えるのは甘すぎる。どのみち、相手は戦艦、重巡、駆逐艦。SSMを撃ち尽くしたみずづきはロクマルがいようとも、相手の土俵である有視界で勝負しなければならない。海の王者と言われ、5インチ砲など蚊に刺された程度にしかならない戦艦、それに劣るもののみずづきより遥かに強靭な装甲を持つ重巡洋艦がいようとも。

 

「・・・・・・・・・・来た」

 

艦外カメラに映る、演習開始以来初の艦影。それは徐々にハッキリとしてくる。見間違うわけがない。みずづきを仕留めにやって来た榛名、摩耶、曙だ。前の二人に隠れがちだが、曙もみずづきと同口径の12.7cm連装砲を持っているため、彼女の砲撃すら一溜まりもない。誰からの弾だろうと当たれば、戦闘の継続は厳しい。

 

「ふぅ~・・・・・・」

 

ここで深呼吸。息が震えているが気にしないでおく。砲撃戦による殴り合い。典型的な現代艦たるあきづき型護衛艦がもとになっているもののみずづきは砲撃戦が初めてというわけではない。艦娘になったから数はそうないものの、深海棲艦と殴り合いになったことはある。だから、痛感している。自分にとって現状がどれほど不利なのか。だが、こうなってしまった以上は最後まで勝利を掴みにいくだけだ。

 

榛名たちもみずづきを補足し交戦可能と判断したのか、速力を落としみずづきとは比較ならない規模と数を有する砲塔を旋回させる。Mk.45 mod4 単装砲と比較して、ゆっくりな動き。だが、それだけでも迫力は抜群だ。

 

「これが、最後の戦い」

 

いよいよ時空を越えた戦いの決着がつけられる。双方に衝撃を与えまくった喜劇のフィナーレだ。向けられる主砲。

 

 

「対水上戦闘よーい!! 目標曙!! 弾種、多目的榴弾!」

「合戦よーい!! 目標みずづき!! 弾種、徹甲!!」

 

 

相手を寸分違わず睨み付ける砲身。そして・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

「「うちーかた始めーーーーーー!!!!」」

 

 

 

 

 

一斉に火を吹く主砲たち。空気中には炸薬の爆発によって生じた衝撃波が駆け抜け、海面にも白波が発生し、もとからあった波を打ち消す。砲身から吐き出される硝煙。そして、一足早く音速のギリギリ手前で飛翔していく砲弾。

 

「うわぁ・・・・・・、まるきし映画じゃん」

 

斉射時の迫力といい飛んでくる砲弾の数といい、比較にならないみずづきと榛名たち。

 

何も知らないこの世界の人間からみれば、例え航空機をハエのように叩き落とした光景を目の当たりにしても大艦巨砲主義の申し子たる榛名たちの勝利を思って当然。瑞穂世界も第二次世界大戦期と同じく控え目ではあるものの大艦巨砲主義が信じられているのだ。

 

だが、その常識は日本世界では過去のもの。榛名たちが砲弾を装填している間に、次々と放たれる小さな砲弾。Mk.45 mod4 単装砲は、比較的遅いものの3秒に1発の連射速度を誇る。時間は日進月歩の技術革新をあますことなく反映し、大砲そのものの性能を変える。それだけで充分驚愕ものだが、さらなる驚愕が彼女たちに降りかかる。時間と人類の努力は何も連射速度のみに反映されたわけではない。

 

みずづきの周囲に林立する巨大な水柱。体に当たる着弾時の衝撃。巻き上げられた海水が若干霧雨のようにかかるが、みずづきは表情をなにひとつ変えない。前後左右の彼方に落ちる砲弾たち。榛名たちが放った射撃はむなしく全弾外れ。だが、対するみずづきの放った砲弾は正確に曙、彼女が進むであろう未来位置に向かって猛進し・・・・・・。

 

 

―――――――

 

 

「ぐはっ!?」

 

当たり前のように命中する。

 

「曙!!」

「何よ!! たかが、主砲と魚雷管やられただけだっていうのよ!! ・・・・・・・・ん?」

 

榛名の叫びに余裕綽々で答える曙。そこには危機感の欠片すらなかった。しかし、一拍遅れて、顔が青くなる。

主砲と魚雷管が使用不能。これはどう繕うと、とある結論しか導き出さない。それにようやく曙は気付いたのだろう。それを摩耶が、主砲をみずづきに撃ちこみながら半分呆れて口にした。

 

「いや、それ、戦闘不能じゃん。奇跡的に小破で止まってるけど・・・・」

「うるっさいわね!! そんなこといちいちあんたに言われなくても分かってるわよ!! でも、私はまだ戦える!! なんなら突撃して、体当たりでも噛ましてくる??」

 

いきなり、とんでも発言を噛ます曙。噛まされた側の摩耶は厄介ごとを増やすなと言わんばかりに大きなため息をつくと、血気盛ん、いや無鉄砲な駆逐艦を宥めようとするが、怒気すら含んでいそうな榛名の大声で遮られた。

 

「曙!! なにしてるの!! 早く回避行動を取って!! みずづきの待つ単装砲の連射速度は常識を逸脱しすぎてる!! 早く動かないといい的に・・・・・」

 

自分たちのものにしては迫力に欠ける主砲の炸裂音。しまったと思った時には、結果が具現していた。砲弾が砲身から無限とさえ感じられる広さの大気に滑り込んだ瞬間に発生する黒い硝煙と衝撃波、轟音、瞬く閃光。それらが絶え間なく、聞こえ、発生し、見える中、榛名と摩耶は曙を見て、苦し気に顔を歪めた。

 

「あ、曙・・・・」

「いった・・・・・・。あ~あ、やっぱり最初に脱落するのは私か」

 

損傷した主機に、砲身が折れ曲がった12.7cm連装砲。破れた制服に、ところどころ血がにじんでいる肌。誰がどう見ても中破だった。痛みに顔をしかめつつ、悔しそうに地団駄を踏んでいるあたり、戦意は残っているようだが、演習の規則的にも、そして曙の状態的にも戦闘の継続は不可能だ。だから、一隻でも多くの戦力が欲しいとはいえ、翔鶴から艦隊の指揮を任された榛名がいう台詞はこれしかなかった。

 

「曙、あなたはもう戦えない! 今すぐ、安全圏に下がりなさい!」

「え、いやでも・・」

「いいから、下がりなさい!!」

 

躊躇する曙に一喝を入れると、意識を摩耶に向ける。

 

「摩耶!! 回避行動をとりつつ、不規則航行!! ただ進んでたら曙みたいにいい的になるだけよ!!」

「了解!!」

 

直進から一転、額に汗を浮かべながら蛇行運動を開始する二人。そこに規則性は皆無。これではさすがのMk.45 mod4をもってしても百発百中の命中精度を維持することはできない。しかし、それでも榛名たちとの差は歴然で、体をかすめるような至近弾ばかりだ。それでも砲撃がやむことはない。蛇行しながらも瞬時に方位角や仰角を修正、必殺の一撃を雨あられとみずづきへ降らせる。だが、みずづきはまるで未来が読めているかのように、着弾地点を避けていく。

 

「そんな・・・・!」

「まぐれじゃない!! やつは正確に読んでる!! 超能力者かよ、全く」

 

あり得ない芸道に舌を巻く二人。いや、3人だ。曙も体の痛みを忘れて、その光景に目を見張っていた。普段の彼女なら戦闘不能になれば文句を言いながらも、周りの迷惑にならないようすぐに戦線を離脱するのだが、今日は違った。目の前で繰り広げられる、凄まじくあり得ない戦い。みずづきの主砲を見るとつい、自身の持っている主砲に目が言ってしまう。同口径の砲。あちらは単装砲のため、連装砲であるこちらの砲が攻撃力が高い、高いはずだった。だが、これはなんだろう。同じ砲で、自分では逆立ちしてもできない、戦艦と重巡2隻との砲撃戦をこなしている。それには速力や機動性も噛んでいるのだろうが、ただただ驚くしかない。

 

「は、ははっ・・・・。榛名たちでも無理なのに、肉薄なんて出来るわけないわね」

 

昨夜、見たもの。戦闘時に垣間見える彼女の本当の姿を探れる良い機会だと思ったのだが、観察できるぐらい近付くなど、はなから無理だったのだ。それ以上に潮の仇をとることも。

 

「曙!! 何度言えば分かるの!! 早く戦線を離脱しなさい!! これは命令よ!」

 

先ほどまでは口調がきつくとも促し程度だったが、今回は明らかに怒気を含んでいる。こうなっては後が怖いため、曙も従う素振りぐらいは見せなければならない。ここからは背中しか見えないが、いつも肩を並べている2人には柔和な雰囲気は皆無。

 

「い、言われなくても分かってる!! ・・・・・あ~怖い怖い」

 

と、答えたものの、大隅へ帰る気などさらさらない。曙もこの勝負の行方は、みずづきの涙と関係なく、非常に気になるのだ。

 

 

――――――

 

 

「曙はやったけど、全然状況が好転しない!! 分かってはいたけど、火力が違いすぎる!!」

 

曙とは正反対に無我夢中のみずづき。榛名たちのように額に汗を浮かべている点は同じだ。いや。汗の量は彼女が明らかに多い。レーダーに捉えられる当たれば終わる死の鎌。どれも直撃軌道には入っていない。だが、砲撃の回数を重ねるごとに精度が増してくる。当然といえば当然だが、その心理的圧迫感は尋常ではない。自身、そして榛名たちから発せられる閃光や衝撃波がそれを重圧に変え、思考の冷静さをゆっくりと奪っていく。ちらりと視線に入れる対空情報画面。そこにはいくつかの光点が映っているが、とあるひとつの点が強烈な存在感を放っている。「いつでもいける」、光点はそう言っている。だが、みずづきはそれを流す。

 

「駄目、まだ・・・・・あともう少し。もっと私に注意を引き付けないと、周りが見えなくなるぐらい」

 

発射される多目的榴弾。給弾ドラムの交換が近づいてきた。しかし、榛名たちが曙の被弾後、すぐに蛇行運動を始め、また砲弾の軌道予測には手慣れているようでなかなか当たらない。

 

「・・・・・経験のなせる技、か」

 

しかし、みずづきも負けてはいない。射撃指揮装置と速射を可能にする自動装填のコンビネーション。それによって質と量を両立させる。それにはいかな太平洋を駆け回った強者でも、かわし続けるのは困難だ。

 

「クソが!! 次から次へと反則にも程がある・・・って」

 

曙が中破した衝撃。その正体を身をもって知る時がついに来た。

 

「う゛・・・・」

「摩耶!!」

 

背後から轟いた爆発音に、榛名は血相を変えて叫ぶ。人の声など軽く凌駕する大音量が支配する世界のため、普段の彼女からは想像できないほどの大声だ。

 

「大丈夫だ、高角砲や機銃がいくつかのやられたが、まだいける!! ・・・運がよかったぜ」

 

摩耶は心配させまいと笑顔を浮かべながら、お返しと言わんばかりに砲弾をばらまいていく。その笑顔は彼女がよくやる誤魔化す笑顔ではなく、純粋な笑顔。榛名はそれには安堵し、摩耶に続く。

 

が、榛名の回避もここまで。摩耶に気を取られたせいか、未来の洗礼が訪れる。

 

「くっ・・・・」

 

榛名を覆う黒煙。

 

「榛名!! って」

 

だが、その黒煙は何事もなく撒き散らされた砲撃時の衝撃波で完全に四散する。少し艤装が焦げているものの、目立った損害は皆無だ。

 

「あははっ!! さすが、名高い金剛型戦艦だぜ! あたしも負けちゃいられないな!!」

「ふふっ。それは摩耶も同じでは?」

 

少し余裕の表情。だがそれに頭を抱えている人間が一人。

 

「かったぁぁぁあ~。摩耶さんには何発か撃ち込めば勝機はあるだろうけど、榛名さんは・・・・・大艦巨砲主義の軍艦は違うな・・・」

 

そう愚痴を言いつつ、引き金を引く。その直後、警告音がなり、引き金と主砲の操作がロック。

 

「ちっ」

 

きちんと残弾を追いかけていたため動揺はないが、軽く舌打ち。攻撃手段を一時的にしろ失った者にできることはただひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

突っ立っていてはいい的。奥の手は榛名用、というか摩耶まで対応できる火力がないため、まだまだ使えない。今はいかに攻撃に当たらないかただそれだけだ。加えて、こちらが逃げの姿勢を見せれば、榛名たちは追撃に移るだろう。蛇行しながら追撃にでる馬鹿はいない。速力を上げなければならないため、取る陣形はまっすぐ航行する単縦陣。それに命中させるなど、Mk.45 mod4では造作もない。給弾の終了後が勝負だ。

 

だから、逃げる。

 

「あっ、逃げた」

 

20.3cm連装砲を斉射しながらも、自然と出た呟き。現在の雰囲気を比較すると場違いなことこの上ない。

 

「砲撃がやんだと思ったら・・・・一体どうして? 弾切れ?」

 

榛名もみずづきの突然の行動に首をかしげる。その背中に向かって、35.6cm連装砲を発射する。常人なら即死確実の衝撃でも、髪が舞う程度でなんともない。

 

「それはないだろ。もしそうなら降参するだろ? あの機銃じゃ、あたしたちには豆鉄砲だし」

「罠、かしら・・・・・」

「かもな。だが、どのみち追うしかあたしたちには選択肢がない。それにこれは好機だ。お前も感じただろ?」

「ええ」

 

ハッキリと答える榛名。彼女たちはどうして曙が2発で中破に追い込まれたのか、身をもって知ったのだ。みずづきが放っている砲弾は、自分達が知っている砲弾ではない。原理は分からないが破壊力は曙たちが装備している12.7cm徹甲弾とは比べ物にならない。

 

「さっきはああいったけど・・」

「何発も食らうと、きついな」

「とりあえず、追うわよ! 対処の施しようがないし、砲撃戦は当てられる前に当てるだけ」

「おうよ! あたしたちの魂をあいつに刻み込んでやらないとな」

 

蛇行運動をやめ、砲撃戦開始時と同じ単縦陣で追撃を開始する二人。情け容赦なく砲弾が放たれ、みずづき近辺の海上をかき乱す。射撃も正確。夾叉一歩手前の射撃も出てきた。水柱で浴びる海水も霧雨から土砂ぶりに変化している。いくら未来位置を予測できるとはいっても、回避には限界がある。相手は1度に10発以上を撃ち込んでくるため、周囲が着弾地点で埋め尽くされ身動きが取れなくなるのだ。しかし、みずづきの表情に恐怖はない。

 

メガネに給弾完了が表示され、主砲のロックは解除。一瞬不敵な笑みを浮かべると、みずづきはキレイに180度回頭。推測通りにこちらを追いかけてくる二人。その一人である摩耶へ即座に照準を合わせる。正確には摩耶の背負っている主機へと。

 

「もらった!! 主砲うちーかた始めー!」

 

戦艦や重巡とは比較にならない小さな衝撃。だが、それでも絶大な攻撃力を持っていることには変わらない。「5インチ砲ナメるな」と言わんばかりに突き進む砲弾は、正確に、吸い込まれるかのように摩耶の主機へ飛び込み、成形炸薬弾の真骨頂、メタルジェットで主砲や体と異なり比較的薄い装甲を突破。内部で火薬を爆発させる。

 

「ぐはぁっ!?」

 

先ほどとは明らかに異なる爆発、衝撃。そして、痛み。

 

「摩耶!!」

「まだだ・・・・まだ、私は!」

 

しかし、体中が煤まみれになっても、激痛が駆け抜けようとも決して闘志を捨てようとしなかった摩耶に、勝利の女神は慈悲の手を伸ばさなかった。果敢に反撃するも、外れる砲弾。対して、引き金を引いた分だけ、正確に主機へ吸い寄せられていく“みずづきの砲弾”。己が背負っているものに磁石でも入っているのかと乾いた笑みを浮かべた時、一際大きい閃光が瞬いた。

 

「そんな・・・・・これで、残存戦力は・・・・・」

 

目をそむけたくなる現実だが、いやいやと頭を振っている場合ではない。みずづきは摩耶が戦闘不能になったことを確認すると即座に、目標を変更。榛名も撃破するべく攻撃を続ける。

 

12隻いた仲間も残すところ、榛名一人。回避行動を取りつつも、パターンが見破られたのか、次へとみずづきの砲撃が命中していく。

 

「くっ・・・・・」

 

損傷していく艤装。握りしめられる拳。いくら装甲が厚くダメージが少ないとはいえ、駆逐艦を一撃で葬る攻撃をその身に受けているのだ。痛くないわけがない。だが、そんな身勝手な理由で拳を握っているわけではない。撃破された仲間の顔が、悲鳴をあげる妖精の声が甦る。

 

(このまま、何も出来ずに終わるの。一矢報いることもできず、ただただ未来の、あの子との差を見せつけられて、一方的に蹂躙されて)

 

「榛名!!」

 

砲撃音に紛れて聞こえる声。その方向を向くと摩耶が煤と血で汚れた顔に笑みを浮かべて立っていた。痛みを我慢し無理していることがまるわかりの儚い笑顔。

 

「あきらめるな!! 赤城さんだって言ってただろ!? 意地の悪さを見せつけてやれって!! あきらめたら・・・・あきらめたらそこで終わりだ!! あたしたちのことに構うな!! お前が納得できる戦いをやれ!! それで得られた結果なら誰も文句は言わないぜ」

 

目を丸くする榛名。その彼女にみずづきの放った多目的榴弾が着弾する。充満する黒煙。しかし、それは速力を最大まで上げ、みずづきへ猛進する榛名自身によって無理矢理、こじ開けられる。そこには痛みに悶える表情も、無力感にさいなまれる表情もない。あるのは戦艦としての誇り。ただそれだけ。

 

「私の納得できる戦い。それは・・・」

 

脇を掠める砲弾。命中精度ではどう足掻いても敵わない。連射速度も桁外れで、当てられ続ければ、いかな戦艦と言えども中破は避けられない。だが、榛名には戦艦の象徴たる艦載砲、その中でも劣らない35.6cm連装砲を持っている。当てられれば、勝ちなのだ。まだ、勝機はある。

 

「正々堂々と、最後まで抗う!! そうよ・・・そう。諦めたら勝てるものも勝てない。私の・・・いや、私たちのあきらめの悪さ、とことん教えてあげるわよ!!!」

 

制空権がなく着弾観測ができない状態で、命中精度を上げる方法はだだ1つ。みずづきとの距離を縮めることだ。

 

闘志をみなぎらせて自身へ向かってくる戦艦。それだけでも恐怖なのに、常に微笑んでいる印象の榛名が、戦艦オーラ全開なのだから、恐怖倍増だ。

 

「ヤバイ!! これ以上間合いを詰められたら、回避が難しくなる!!」

 

急速接近してくる榛名。みずづきも必死に応戦しているが、当てても当てても榛名の足は変わらない。ところどころ損傷が見受けられるため、ダメージは与えられているのだろうが戦艦の装甲に阻まれていた。砲撃の隙を見計らい、35.6cm連装砲が一斉に火を吹く。尋常ではない衝撃波がみずづきまで届く。

 

「うっ!? なにこれ・・・・・・嘘でしょ!!」

 

だが、それに驚いている場合ではない。自身を挟み混むような着弾。

 

「っ!!」

 

ついに夾叉された。これは完全に榛名がみずづきを捉えたこと、そして、いつ直撃弾がきてもおかしくないことを意味する。みずづきも負けじと撃ち返すが、戦艦が固すぎる。もう20発以上撃ち込んでいるのに、ピンピンしている。再び振られる死の鎌。

 

レーダー情報から直撃を判断した艤装システムが本能的に危機感を感じさせる警告音を盛大に響かせる。自動的に発射されるチャフ。だが、相手が無誘導の砲弾である以上、無意味だ。みずづきは必死に回避行動をとるが間に合わない。最後の砦であるCIWSに望みをかける。が、CIWSは砲身を向けるだけで、肝心の迎撃を始めない。

 

「ちょっ、弾は残ってたでしょ!? どうし・・・・」

 

直撃判断の警告表示を押し退けて、別の警告が表示される。それを見た瞬間、みずづきの心臓が止まる。

 

甦る翔鶴航空隊との戦闘。あの時、みずづきは何をしたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“主砲が使えない間は、CIWSの手動管制で乗りきるしかない。そうならないためにも・・・・・・”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CIWSの手動管制。新たな警告はCIWSが自動管制ではなく、手動管制になっていることを知らせるものだった。ということは、だ。みずづきが引き金を引かなければ、毎分3000~4500発を誇るCIWSから、20mmタングステン弾は発射されない。

 

初歩的なミス、だ。

 

みずづきはゆっくりと、上を見上げる。透過ディスプレイが視界のとある一点を囲い、その下に数字が添えられる。命中までの時間。それはもうCIWSでの対処が不可能なことを意味していた。ゆっくりとゼロに近付く数字。

 

そして、黒い砲弾が見えた瞬間、とてつもない衝撃が体を襲う。大音響に鼓膜が揺さぶられバケツをひっくり返したかのように、海水が頭上から降り注ぐ。

 

“ったく、お前は・・・・”

 

そのとき耳鳴りに混じって、懐かしい声が聞こえた気がしたが構っている余裕は今のみずづきにない。

 

(ん? 海水を被ってる?)

 

衝撃は受けたが、痛みはない。直撃なら激痛が走るはず。自身の体に当たるのだから。急いで目を開けたみずづきは、榛名の放った砲弾が至近に落ちたことを知る。システムがいい方向に誤報をだしたのだ。だが、安堵も束の間。メガネにシステムエラーが一斉に表示される。

 

「嘘でしょ、こんなに・・・・」

 

艤装の詳しい構造は最高機密でみずづきですら、詳細は知らされていない。しかし、スマホやパソコンと同じく、デリケートな電子部品の塊であることは想像にかたくない。その精密さはスマホやパソコンの比ではない。そんなか弱い存在の隣に着弾したのだ。機関や武装などハード面は無事だが、コンピューターといったソフト面の影響は深刻だ。そして、ハード面はソフト面があってこそ動く。例え本体が無事でも、それ動かすプログラムがやられてしまえば、動かない。

 

「っ!! 機関システム、エラーによりダウン!! 速力低下!!このままじゃ、航行不能に!」

 

よりによって機関システム。運が悪いことこの上ない。そんなみずづきに構わず、誤差を修正し、砲撃準備を整える榛名。みずづきは鈍る足を抱えつつ、Mk.45 mod4の引き金を引く。榛名は次で決めるつもりなのか、みずづきの砲撃を浴びても微動だにしない。機関が動かなければ、当然回避行動はできない。次、撃たれれば、大手。それを少しでも遠ざけるため、みずづきは撃ち続ける。

 

「え・・・・・」

 

だがそれは、給弾ドラムの交換開始表示と引き金のロックで終わりを告げる。虚しく唸るMk.45 mod4。

 

絶体絶命のピンチ。何か行動しなければ、終わってしまう。

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!! このままじゃ、やられる!! えっとえっとえっとえっと!! まずは機関システムの復旧? それとも賭けでCIWSで迎撃してから? ロクマルが待機してるからそっちを先行? えっとえっとどれが最善策なんだろ?? えっとえっと!!」

 

必死に対抗策を考えるみずづき。しかし、予想外の頻発と絶体絶命の危機感とそれによって訪れるであろう未来が、頭の中を駆け抜け考えがまとまらない。いわゆるパニック状態だ。

 

「えっとえっと!!」

 

そんなみずづきを尻目に、眼光を鋭くする榛名。それだけで、未来が分かる。それなのに思考が働かない。このままでは、本当に・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

“なにしてるんだよバカ!! それでも第53防衛隊の隊長か!!”

 

 

 

 

 

 

「え・・・・」

 

あり得ない、聞こえるはずのない声が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

“素早い行動は戦闘において極めて重要だ。だかな、なにかしなければならないっていう強迫観念に取りつかれて、一度にたくさんの対処事項が押し寄せてきたら、どれを優先しどれを後回しにするかの判断が鈍くなる。それによる焦りがパニックを生み、さらなるパニックを生む悪循環の始まりだ。常に行動するのはお前の長所だが、そうなって周りの状況が見えなくなるのが短所だ。こういうときは、例え敵が目の前にいようとも、一度立ち止まって、周りの状況、持っている情報をしっかりと把握することが大切だ。急がば回れって言うだろ? あれほどさんざん言ったのにもう忘れたのか? 始末書の山が増える訳だよ”

 

 

 

 

 

「知山、司令・・・・・」

 

 

 

 

 

 

“分かったら、さっさとやるんだ。勝ち負けなんてどうでもいい。大事なのは勝ち負けではなく、勝ったなら勝った、負けたなら負けたことから得た経験だ。これも口が酸っぱくなるほど言ったが、覚えてるよな?”

 

 

 

 

 

 

「・・・・馬鹿にするのもいい加減にして下さいよ。それはもう、耳にタコが出来るほど・・・・、司令の言葉、そう簡単に忘れるわけ・・・・・・忘れるわけないじゃないですか!」

 

 

 

 

 

 

“なら有言実行だな。周りをよくみて、自分が最善と思った道を進むんだ”

 

 

 

 

 

「はい!!」

 

 

 

 

 

みずづきは深呼吸を行うと、さきほどのパニックから一転。冷静に状況を整理。そこで気付く。今、榛名には自分しか見えていないことに。即席だったが、戦闘と戦闘のわずかな合間に立てた作戦。それを実行する土壌は整っていたのだ。

 

「ロクマルに伝達! AGM-1の発射を許可する!! 頼んだわよ!!」

 

それを受け、即座にレーダー画面のロクマルを示す光点がさきほどまでと一転して、榛名に近づいていく。これがみずづきの立てた作戦、奥の手だ。AGM-1もとい30式空対地誘導弾2発を積んだロクマルを着弾観測も兼ねて空へ上げ、待機。榛名がこちらへ意識を向けている間に肉薄、AGM-1を発射し中破に持ち込む。

 

 

後は、みずづきが榛名の砲撃をCIWSで叩き落とせるかで決まる。だが、もちろんCIWSも自動管制に戻すため、みずづき本人ができることは、作戦がうまくいき、機械であるCIWSが外さないことを祈るのみだ。

 

「これで終わり!!」

 

榛名は勝利を確信し、渾身の一撃を放つ。衝撃波ともとに海上を駆ける轟音。飛翔してくる35.6cm砲弾。それを睨み付けるみずづきとCIWS。

 

そして、CIWSがついに火を吹く。あまりにも高速過ぎて一つ一つの発射音が聞こえず、チェーンソーのように唸っているとしか思えない。それらが2門、自らの母艦を守るため、ひたすら20mm弾をばらまく。急速に減っていく残弾。鳴り響く直撃警報。迫り来る砲弾の前に諦めかけたそのとき、みずづきの前方上空で複数の爆発が発生する。直後、周囲に水柱が立ち上ぼり、海水と砲弾の破片が一緒になって、降り注ぐ。痛く、不快なことこの上ないが、それを上回る歓喜がみずづきを包み込む。それを後押しするかのように、ロクマルからAGM-1を2発とも無事に発射したとの報告が届く。

 

「やったー!!」

 

海水で濡れた手でガッツポーズを決める。何か聞こえた気がしたが、意識がそちらに向くことはない。

 

 

 

 

 

声は聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

「砲弾を、撃ち・・・・撃ち落とした。そんな、そんな! 音速に近くの速度で、こんな至近から撃ったのに。それをいとも簡単に・・・・」

 

またも降臨した非常識。勝利を確信していただけに、その衝撃は凄まじい。だが、演習開始から非常識に連打され耐性がついたのか、榛名は恐怖しつつも再攻撃の準備を始める。

 

「落ち着け榛名。まだ損傷は軽微で残弾数も大丈夫。対するみずづきは、航行不能に陥っていると見て間違いない。まだまだ機会はある」

 

だが、その機会を刈り取る鎌は既に投げられた。

 

「ん?・・・・・この音は、っ!!」

 

聞こえてくる大気を無理やり押しのけてでも、敵を倒すという獰猛さを感じさせる轟音。一瞬、首をかしげる榛名だったが、演習開始直後の惨劇が脳裏によぎり、音の正体がなんなのか看破する。正確には全く別の代物なのだが、榛名からみれば同じようなものだ。音のする方向に目を向けると、それはいた。赤城たちを葬ったミサイルよりも噴煙が濃いように見える。わずかに別のミサイルのような気がするが、濃い噴煙のおかげで視認性が対艦ミサイルよりも高まっているため好都合だ。

 

「迎撃開始!」

 

みずづきどころではなくなった。一斉に火を吹く、主砲、副砲、高角砲、機銃。

 

「お願い! 当たって!!」

 

しかし、榛名の悲痛な叫びは射撃音に虚しくかきけされる。当たらない砲弾、銃弾。そのなかを悠々と進んでくる白い矢。みずづき用に装填していた徹甲弾を撃った主砲に大慌てで対空弾である三式弾を装填するが、遅い。そう感じる。みずづきの主砲を見たからだろうか。

 

「ま、間に合わない!!」

 

弾頭部に内蔵されたアクティブレーダーによって、正確に怯むことなく突き進む30式空対地誘導弾。そこに感情は一切介在しない。あるのは、目標を葬るという使命だけ。どれだけ弾が掠めようが関係ない。

 

そのあまりにも迷いがない矢に、恐怖を覚える。まるで自分が、魚や獣のように、ものとして狩られる立場に立ったように。

 

急速に大きくなってくる矢。命中を確信し身構えた瞬間、体にみずづきの砲撃とは比べものならない衝撃と激痛が走る。しかも、2度。黒煙に覆われる榛名。摩耶が撃破された時と異なり黒煙は彼女によってではなく、風によって四散する。

 

現れる榛名。

 

その姿にみずづきが、そして零式水上偵察機のカメラの向こうにいる一同が固唾を飲んで見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・やられてしまいました」

 

 

 

 

 

 

 

痛みに耐えつつ、苦笑を浮かべる榛名。艤装はボロボロではないが各所が損傷し、巫女服のような制服も破れたり、焼け焦げている。

 

「勝った・・・・・・・・・?」

 

さきほどまで歓喜していたにも関わらず、いざその時が来ると信じられず固まってしまった。時間的にはそう経っていないが、感覚的にはとてつもなく長いように感じた演習。だから、だろうか。いまひとつ、実感が湧かない。

 

だが、それを否応なく認識させる言葉が無線機から届く。

 

「榛名の中破を確認。横須賀側、全戦力を喪失。よって、勝者はみずづき。これをもって光昭10年度第1回横須賀鎮守府演習を終了する。全艦、帰投せよ!」

 

冷静さを装っているものの、興奮が隠せていない百石の声。伝わってくる百石がいるであろう場の空気も相当、上気しているようだ。

 

みずづきは、それを聞いて空へ視線を向ける。相変わらずの曇天だが時の流れに従い、灰色からくすんだ橙色へと色彩を変えている。わずかに雲の隙間から見える太陽は、地球の別の場所を照らす準備に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ふっ。まったく。なぁ、みずづき?俺は君が考えて選んだ道ならなにも言わない。だから、とことん考えて、悩んで、迷って、自分で考えた道を進むんだ。それがどれだけ悩ましいものでも、俺は否定しないし、ましてや・・・・・・軽蔑なんか、しない。”

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

見渡す限り広がる海。視界には自然物しかなく、いつも我が物顔で航行し自然の調和を乱している貨物船や漁船は1隻もいない。時たま、自身の命を刈り取ろうと、飛び回っている航空機がいるが、今日のような曇天では相手がこちらを見つけるより先に、エンジン音が聞こえるため隠れてやり過ごすことは容易。だから指示された情報収集は上手くいった。艦娘ならともかく通常兵器での哨戒は穴が多すぎる。だが、だからこそこうやって命の危険を感じることなく帰路につくことができるのだ。そして、海上は静か。いつものようにびくびくせず、新鮮な空気を吸えるかと思いきや、世の中はそううまくできていなかった。

 

闇を全て吸い込んだかのような漆黒の髪に、血の気が全くなく雪のように白い肌。体にまとわりついている機械的な何か。おおよそ人間離れした外見だが、胸が少し膨らんでいるところや顔つきを見るに、性別的には女性のようだ。ただそんな奇々怪々の容姿とは裏腹に、彼女は空に顔を向けたまま、ポカンと口を開け固まっている。物々しい外見のせいだろうか。その姿はひどく滑稽に見える。何度か頬をつねりここが現実か確かめるが、痛みがある以上ここは現実だ。

 

少し前と比べてだいぶ水温が上がり、泳ぎやすくなった海中。ここ数日は南方にいる台風のせいか塩分濃度の変化が激しいものの、魚や鯨類ならともかく彼女たちへの影響は皆無。そこを進んでいると、わずかに衝撃波を感じたのだ。不思議に思った彼女は海上の様子を慎重に確かめて、空気補給も兼ねて海面に出た。暗闇が支配する海中から出て安堵したのも束の間。断続的に響く爆発音が聞こえてきた。艦娘たちの熱意に感心しつつそちらへ視線を向けたのだが、そこには自身の想像とは次元が異なる信じられないものがあった。艦娘ものと思われる航空機を追尾し、命を刈り取る何か。それが乱舞し終え、辺りに静寂が戻っても彼女はしばらく放心状態だった。

 

それを終わらせたのは、彼女の敵だった。近づいてくるエンジン音。気を取り直し見つからないよう潜航の用意をするが、運良くこちらに来ることもなく明後日の方向に飛んでいったようで、姿すら確認できなかった。明確に視認できずとも、自身の体に意図せず反射してしまった光があれば、発光信号の如く敵に自分の位置を知らせてしまう。それを警戒し、自分自身の状態を確認するが、首から下は海面下にあるため、反射光を発生させる可能性は皆無。反射しやすい機械的な艤装はもちろん海面下。髪の毛や顔からの反射は微々たるもので警戒する必要はない。

 

それに安堵した後、彼女はさきほどの光景を思い出し、海上に姿を晒したまま大きくため息を吐くこととなった。そこには敵に見つからなかった安堵の色合いもあったが、悩ましさの方が多い。だが、実際に見たのだ。これも報告しなければならないだろう。補給を充分に終え、瑞穂近海にいてはならない存在が潜航していく。この世界にとっては手出しできない未踏破領域へ。気泡をたてることなく。但し、来るときと異なりその足取りは、いや海水を蹴る足さばきは重そうだ。




というわけで、この度の演習はみずづきの勝利に終わりました。ここに来るまでくせつ三十数話・・・・・・。いかがだったでしょうか?

これとは違う結末を考えなかったことはなかったですけど、私の頭では80年近い技術格差を覆せる展開は・・・・・・・・。みずづきが! というか現代兵器がチートすぎるんですよ!! 年が進むごとにまたチート度合いが進んでいきますから、科学ってすげぇ~。
そして、お値段も・・・・・・・。

何気に、あのCIWSが17億もするなんて度肝を抜かれました。そこらへん走り回って、120mm弾に耐えられる戦車より高いじゃないですか!?(ガセかと思いましたが、防衛省のHPで公開されている国会答弁書にそう書いてありますし・・・・・・)


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38話 余韻

演習という一区切りを迎えたこともあり、今回は少し箸休め的なお話です。


艦娘母艦 「大隅」

 

曇天の隙間から覗く、薄い橙色を帯びはじめた空。海上をわずかにかける風も、昼間の暖かさから暗闇を連想させる冷たさに比重を傾けている。至るところで飛んでいる海鳥たちも、自分たちが迎えようとしている状態を本能で察知し、羽を休められる陸へと徐々に移動していた。新たに迎える漆黒へ向け収束する世界。海鳥たちと同じくこの世の存在足るここにいる将兵や艦娘たちも本来ならば、世界の趨勢に巻き込まれていくはずであった。しかし、大隅の艦上に昼間の躍動感が収束する気配は微塵も存在していなかった。興奮や感動、動揺や戸惑い、驚愕や放心など、艦上という狭い空間に渦巻く様々な感情。その中には、海軍と瑞穂の行く末に深く関与している男たちもいた。彼らはほんの数時間前のように会話の華を咲かせることもなく、夜を先取りするかのように黒さを増している海と空の境目、水平線をただじっと見つめていた。新人将兵だけでなく、彼らのような人間と過去、そして現在で多く関わってきた艦娘たちでさえあまりの厳粛さに息を飲んでしまう。眼前に広がる世界。昨日まで何らか変わりなく、誰の目にも同じく映る光景。だが、彼らの瞳にはもうそれが映らなくなっていた。昨日まで、いやほんの数時間前までとは別世界が、目の前にはあった。艦娘や将兵たちも自覚してないだけで、彼らと同じであろう。あれだけのことがあったのだから。

 

ここにいる全員が、それを成した彼女たちを待っていた。

 

そして、決して止まらない時間は全員の前には、待ちわびる彼女たちを現す。

 

「見えた!! あそこだ! 榛名たちと鬼神のご帰還だぁ!!」

 

艦橋展望デッキから聞こえる興奮した言葉。それはすぐさま艦上の至るところを駆け巡り、一気に熱気が帯びてくる。艦橋要員が示した方向を目が潰れそうなほどの凝視する将兵と艦娘たち。そして、高さのアドバンテージを持つ艦橋だけでなく、海面との距離が近い艦上からでも、水平線に浮かぶ影が徐々にハッキリと捉えられるようになった。数は、4つ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「見えました、大隅です。みんな、もう少しの辛抱ですよ」

 

先頭を行く榛名が指差した先。そこへみずづきのみならず、少しお疲れ気味の摩耶や曙も視線を向ける。曇天の隙間から差し込む光の煽りを受け、「たかなわ」より一回り大きい船体はところどころ船体とは真逆に白く輝いている。それを見ると、一瞬のように思えた演習が実際にはかなりの時間を要していたことに気付かされる。

 

徐々に大きくなっていく艦影。それに比例して大隅の細かな部分を捉えられるようになっていく。

 

「え・・・・・・・」

 

そして、みずづきは大隅の現状をハッキリと認識した。艦上を埋め尽くす、ほどでは無いものの演習へ出撃したときとは比べものにならない数の将兵たちの姿を。そして、水上機カタパルトの真下でたたずんでいる、真っ白な軍服に身を包んだ一団と多種多様な制服を着る少女たちの姿を。全く想像だにしていなかった事態に、みずづきは思わず幻覚を疑い目を擦るが、依然彼ら・彼女らの姿は明瞭に存在していた。

 

そして、再び一言。

 

「・・・・・・・・え?」

「ど、どう言うことだ? 一体、なにがどうなって・・・・は?」

 

間の抜けた音に続く戸惑い一色の声。そちらに顔を向けると、摩耶がみずづきと同じように目を擦り、眼前の光景が現実か必死に確かめていた。つい吹き出しそうになってしまうが、なんとか抑える。よく見ると翔鶴のみならず曙までもが、目の前の光景を信じられないようで必要以上に瞬きを繰り返し、瞼を酷使していた。

 

「摩耶さんたちもご存じなかったんですか?」

「ご存じもなにもこんなのはあたしも初めてだ。演習が終わったあと、親しい間柄の艦娘や将兵、同じ艦隊の仲間が迎えてくれることはあったが、これほどのはなかった」

「私も同じく。でも、今回の特異性を考えると納得できる気が・・」

 

そういいつつ榛名はボロボロになった自分自身を見る。その視線を追っていまい、榛名の際どいところを見てしまったみずづきはマッハで顔を反らす。あまりの急機動に首が抗議の声をあげるが気合いで鎮圧する。やっと慣れてきたところだったが、再び顔が赤くなるのを感じてしまう。際どいところが見えてしまっているのはなにも榛名だけだではない。摩耶も曙も同様だ。演習中は戦闘に意識が集中して気付かなかったが、いざ落ち着いてボロボロになった彼女たちを見たときはその姿に驚愕で思わず叫んでしまったほどだ。損傷したのだから傷を負ったり艤装がボロボロになるのは分かるのだが、なぜ服が、それも上手い具合に破けるのだろうか。摩耶たち曰く、「いつものこと」らしいがそれがまたみずづきの動揺に拍車をかけていた。日本であのような格好は不可抗力でも、絶対に拝めない。拝めるような事態になれば真っ先に飛んでくるのは、相手を間違えているのではと指摘したくなるほど重装備に身を包んだ警察官である。

 

女同士とはいえ気になるものは気になるのだ。彼女たちが気にしている様子はないが。

 

「ほんっと、どいつもこいつも素直ね。こっちの気持ちなんて考えずにこんなときだけしゃしゃり出てきて。私たちは見世物じゃないっていうの。迷惑にもほどがあるわ」

 

頬を若干赤く染めて、心底嫌そうな顔を演出する曙。赤さが上手い具合にアクセントとなり、どう見ても照れているようにしか見えないが、微笑ましい光景のためみずづきを含め3人は誰も突っ込まない。

 

それを見て穏やかなため息を吐いたのは果たして誰だったのだろうか。

 

目の前を覆い尽くすばかりに大きくなった大隅。艦上だけにとどまらすず艦橋やなどからも数多の視線が4人、特にみずづきに向けられる。これだけの視線を浴びるのは、瑞穂海軍との共闘を決断し百石に食堂へ連れていかれた日以来である。そのため、自然と緊張してしまう。

 

ブザー音と共に下ろされてくる鉄製のかご。それがある程度海に沈むとその上に進み腰ほどの高さがある柵を閉める。再びブザー音が鳴ると、かごはゆっくりと上昇し、海水はそのままに艦娘だけをかごの網目に乗せ、上へと運んでいく。足ともを見て、若干青くなるみずづき。調理で使う網とは比較するのもおこがましいほど頑丈ではあるが、自分の背丈の何倍もある高さから海が丸見え。2度なので最初ほどの衝撃は感じなくなったものの、慣れるには相応の時間がかかりそうだ。

 

日本では艦娘の発着艦にウェルドックを使用していたため、発着艦時にこのような恐怖にさらさせることは皆無だった。諸外国の中には費用対効果を考え艦娘の発着艦に水陸両用車や艦載ボートの搭載で用いられる高価なウェルドックではなく、瑞穂と同じように安価な吊り上げ方式を採用した艦を運用している国もあった。しかし、瑞穂世界では瑞穂どころか艦娘を運用しているどの国も艦娘の発着艦には水上機と同じようにクレーンでの吊り上げ方式を採用している。ここには日本世界と艦から海上に人工物を発進させる方法がこれ以外にないことが大きな要因だ。大規模な物資の揚陸を伴う戦争が皆無だった瑞穂世界には元来ウェルドックなどという着想自体が存在していなかったのだ。現在は艦娘たちから知識を得て着想自体が存在しないという状況を脱し、研究が行われているもののまだ実戦投入にはほど遠いのが現状だ。

 

艦上と同じ高さまで上げられるかご。ブザーが鳴り終わり控えていた兵士によって柵が開けられる。足から感じる無機質な金属の感覚。数時間離れただけにも関わらず、随分と懐かしい。

 

「お疲れ様でした。みずづきさん、榛名さん、摩耶さん、曙さん。みなさんの戦いしっかりと見届けさせて頂きました」

「双方とも想定外の状況にも陥りながらも、諦めたり自棄になったりせず勝利に向かって邁進した。日本の名に恥じない立派な戦いぶりだった。僭越ながら私からも諸君に敬意を表する。ご苦労だった」

 

将兵から渡されたであろう軍服の上着を羽織り肌の露出を抑えている赤城に続き、長門が艦上に降り立った4人へ穏和な表情で声をかける。最後は敬礼で締めくくるかに思われたが、ただ笑顔を浮かべただけだった。おそらく少しでもみずづきたちに負担をかけまいとしたのであろう。2人の言葉が合図だったようで、それを皮切りに二人の後で立っていた艦娘たちがどっとみずづきたちに詰め寄る。その迫力は戦艦と化した榛名にもひけをとらず、足が甲板に凍り付いてしまうほどだ。だが、それも一瞬。あれだけのものを見たにも関わらず嫌悪感や恐怖心を一切向けず、口々に「お疲れ様」と自身を労ってくれる艦娘たち。優しい言葉に疲労感で覆われていた心が暖かくなる。いまだ現実が受け止められずぎこちない笑顔を浮かべている艦娘もいるが、ここに来るまで抱いていた一抹の不安は取り越し苦労だったようだ。それがとても嬉しい。同じ存在にも関わらず、恐怖か畏怖かの違いはあれど恐れを抱かれるのはあまりいい気分ではないのだ。

 

だが、だ。

 

金剛や加賀など大人の感性を比較的持っている艦娘ならともかく、演習の疲れよりも好奇心が格段に勝っている駆逐艦に拘束されるのは悲劇だ。一斉に「何あれすごい!!!」や「なあなあ、あれ一体どういう仕組みになってんだ? この際だから、ドンとこの胸に叩き込んでくれよ!!」などと動揺や戸惑いの欠片もなく言っくるのだから、堪ったものではない。長門たちとは大違いだ。

 

「ちょっと、みんなそんな一度に詰め寄られても答えようがな・・。冷静になろ、ね? だんまりなんて薄情な真似はしないから、また今度に・・・って、誰か助けてよぉ!!」

 

冷や汗を流しながら求めた助け。いつもは無視される願いが今回ばかりは叶えられた。先ほどから一転、騒がしかった場が一気に静かになる。喧騒の根元だった駆逐艦たちも例外ではない。

 

ゆっくりとこちらに近づいてくる、荘厳な雰囲気を幾重にもまとった集団。それを見た瞬間、みずづきはその場で凍りつく。

(助けてとは言ったけど、援軍の次元を履き違えてる!!)

結果的には駆逐艦たちの猛攻が止んだものの、それを受けていた時以上の心的負担がみずづきにのし掛かる。先頭を歩く的場がみずづきの前で立ち止まる。それに続いていた視察組や百石たちも同様だ。全身で感じる威圧感に、至るところの汗腺から汗がにじみ出てくる。的場は別に機嫌が悪いわけではない。だが、眼光はいつもにも増して厳しい。本来ならば艦娘と言えども、日本において的場や視察組はみずづきのような一兵卒では会うことすら叶わない、雲の上の存在。そんな彼に睨まれれば緊張してしまうのは当たり前だ。

 

艦上を支配する静寂。的場は険しい表情から一転、「ふっ」と嘲笑を浮かべるとよく見せる笑顔に戻る。

 

「よくよく考えれば自己紹介がまだだったな。はじめましてみずづき。もう知っているとは思うが私は、瑞穂海軍軍令部総長の的場康弘大将だ」

「は、はじめまして!! 私は日本海上国防軍防衛艦隊第53防衛隊隊長のみずづきであります。私のような若輩者にご配慮してくださり、感謝の念に耐えません!!」

「なに、私が好きでやっていることだから君が気にする必要はない。それに一度こうして君と話して見たかったんだ」

 

的場の言葉に目を見開くみずづき。それに的場は声を上げて笑う。

 

「君の出所を考えれば別におかしいことではないだろ? 軍人として確かめたいこともあったし、個人的に興味もあったからな。何せ君はイレギュラーな存在だ。大日本帝国の艦娘と比較してもとそれが薄れることはない。いや、むしろ逆だ。今回でそれがはっきりした」

 

的場は艦娘たちをゆっくりと一瞥する

 

「諸君、演習ご苦労だった。今回は私たちがここにいることも含め異例ずくめだったにも関わらず、よく頑張ってくれた。日頃、君たちが一生懸命取り組んでいる訓練の成果が発揮できたのは、一上官として大変嬉しく思う。一方で、様々な課題や困難が出てきたと思う。それを克服するため、これまで通り日々の鍛練に励んでいってほしい。そして、今回、私たちは彼女、みずづきによって未来を見た」

 

ごくりと息を飲む音が重なる。

 

「それは君たちも同じだと思う。その価値は十分分かってくれているだろう。だから、私はなにも言わない。言葉より行動だ。だが、その前に。みずづき、艦娘の諸君!!」

 

一際、声を張り上げる的場。それにみずづきたちはもとから正している姿勢をさらに清く美しくすることで応える。

 

「今日は素晴らしい演習を行って頂き、本当にありがとう。瑞穂海軍を代表してお礼を申し上げる」

「っ!?」

 

瑞穂海軍トップの謝意は衝撃がはかり知れず、1人残らず驚愕に顔を染める。それを見届けた的場は再びみずづきに向かい合う。他の艦娘と同じように固まっていたが、理性が無理やり頭を再起動させた。差し出される右手。

 

「今後とも、私たちと瑞穂をよろしく頼む」

「いえいえ、とんでもないです! こちらこそ、未熟者ですがよろしくお願いいたします!」

 

その右手を少し躊躇いながら握る。年齢のせいか百石ほどの力強さは感じられないが、その代わりに洗練された、信念のようなものを感じる。だが、冷たさなどは皆無で温かさもしっかり共存していた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・いい返事だったな、来た甲斐があった。私も彼女たちに胸を張れるようならなくては。明日から忙しくなるぞ」

 

艦娘が再び喧騒を取り戻した後部甲板からの去り際になされた的場の独白。それに表立って反応するものは誰1人としていない。だが、それでもいいのだ。的場の後ろを歩く視察組の表情。そこには的場と同じように、確固たる決意が浮かんでいた。それはスーツ姿の男も例外ではない。そして、百石たちも。

 

「百石」

「はっ!!」

 

打って変わって真剣な口調。的場はピカピカに磨かれた革靴と、これまたピカピカに磨かれた因幡の甲板によって産み出される透き通るような足音を止め、振り返る。そこには、同じく真剣な表情を百石がいる。巣へ急ぐ、海鳥たちの鳴き声が聞こえる。

 

「君には、いや()()()には近々落ち着いた頃合いに東京へ出頭してもらう」

 

東京への出頭。ぽっとでの話のように思えるが、百石もそしてこの場にいる誰も一人として、驚愕に染まるものはいない。

 

いや、厳密に言えば全員驚愕している。

「突然何を!?」ではなく、「遂に!!」という意味の驚愕だが。

 

東京。瑞穂の首都であり、瑞穂の中心地。経済だけでなく、軍令部をはじめとしたこの国の舵取りを行っている重要機関の集積地。数多の意志が介在する底なし沼。そこに、例の件について発端から関わり、海軍の中で最も精通している彼が足を踏み入れるのだ。これの重さ。分からない百石ではない。

 

「君の熱意と確信を、市ヶ谷でぶちまけてくれ。やつらが幻想を口にする暇もないほどに」

 

顔を百石に向けたままどこかへ飛ばされる意識。感覚レーダーは、後方で誰かが苦虫を潰したような表情になるのを感知する。

 

「・・・・了解致しました!!」

 

目の前の人物がそのようなことをしているとは露知らず、語られた言葉を噛み締めた百石。的場の想いと覚悟にお手本と言っても過言ではない立派な敬礼で応えた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

第5艦隊旗艦 「因幡」

 

海面を強引にかき分け白波を立てながら母港である横須賀へ進路を取る巨大、且つ重厚感漂う黒い船。天高くそびえる艦橋と、前・後甲板に20.3cm連装砲を備えた、一時は人成らざるものの手に落ちかけた大海原を堂々と行く勇姿は、まさに黒鉄の城である。有視圏内の少し離れた場所には、艦娘母艦や指揮下の巡洋艦や駆逐艦たちがいるが、それらを考慮しても存在感は絶大だ。浦賀水道に入ってから急増した、すれ違う漁船や貨物船。それは彼らによっても明確に証明されていた。漁師や貨物船の船員たちは、因幡を見るや否や自分たちの仕事を忘れてしばしの間、在りし日の瑞穂海軍を連想する光景に見いってしまう。

 

 

瑞穂魂を見せつけた第5艦隊の旗艦。

 

 

その肩書きが、かつて旧式とさえ言われていた基準排水量8700トンの威厳を半ば伝説的なものにまで引き上げていた。

 

だが、黒鉄の城も言ってしまえばただの鉄屑。それを黒鉄の城たらしめているのは、当然ながら瑞穂のために血反吐を吐いて従事している将兵たちがいるからだ。艦内では、今このときも、将兵たちがおのが職務を全うするため慌ただしく動き回っている。それは、忙しなさの程度が違うとはいえ、外観では無機質に見える艦橋も同様である。時折、特徴的な口調の命令や復唱が飛ぶ艦橋内。いつもは戦闘中でもない限りそれに細かな伝達事項のやり取りが加わるだけなのだが、今日は違っていた。

 

赤く高級そうなカバーが掛けられ、ちょうど座ったときに艦橋の窓から外界が見えるように設置されている椅子。そのすぐ隣にある台の上には、水兵が持っているものより遥かに高価そうな双眼鏡が置いてある。そこに座る白髪頭の男。深々と背もたれに体を預け、違和感は全くない。男の周囲には二人の男性が陣どっている。いつもは比較的静寂を保っている彼らなのだが、今日ばかりは少し興奮気味な様子で盛大に会話の華を咲かせていた。

 

「いや~、あれはすごかった。何がすごかったって、とにかくすごかった。あんなものを拝める日がくるなんて想像したこともなかった」

 

椅子に腰かける第5艦隊司令官の正躬信雲少将が子供のように目を輝かせる。正躬の代名詞たる気弱そうな雰囲気はどこへやら。完全に自分の立場を忘れて童心に帰ってしまっている。いつもならこのような状態に陥ったときは、第5艦隊司令部参謀長の掃部尚正少将が正躬の気を取り戻す大事な職務に従事するのだが、今日に至っては彼までも正躬の仲間と化していた。

 

「全くその前に通りであります。いまだに興奮故か手の震えが止まりません!」

 

苦笑しながら、震える拳を他の二人にも見えるように掲げる掃部。いつもため息ばかりついている彼とは見違えるほどの純粋な表情に、もう1人の男はついに吹き出してしまった。

 

「ご帰還なさってからそう経ってないとはいえ、まだ震えが止まっていらっしゃらないとは・・・。特別演習、私も拝見したかったものです」

 

正躬や掃部よりは少し若く大半の艦橋要員にとっては父親ほどの年齢である因幡艦長、大戸雅史大佐は、少し大げさに肩を落として見せる。それに「ご愁傷さま」と言わんばかりに笑う、非常識を目の当たりにした二人。

 

「艦長だから仕方がないな。もし結解や花表の具申を押さえ込んでいたら、私たちも大戸艦長と同じ境遇に陥るところでした。二人に押しきられた時は、頭を抱えたものですが」

「結果的に良い方向に転んだわけだ。私も緊張をおして総長たちの前に出た甲斐があったよ。・・・・・・みずづき、か」

 

絞り出すように放たれる言葉。正躬は笑顔のままだが先ほどまでとは、込められた重さが段違いだ。それに掃部と大戸も同調する。

 

「艦娘たちと同じ我々とは違う歴史を歩んだ平行世界から来た、 従来の艦娘とは一線を画する艦娘」

「あの日の件を筆端副司令から伺った時は度肝を抜かれ信じられませんでしたが、真実だったわけですね。私も簡易報告書には目を通しましたが・・」

 

脳裏に甦るくしゃくしゃになった文書。思い出しただけで大戸は言葉が詰まる。参謀部から配布された演習結果に関する簡易報告書。こちらとしては正統な報告書が欲しかったのだが、それには簡易というだけあり結果や時系列順に発生した事象しか書かれておらず、ましてや写真の添付などは皆無。実際に見た者と文字しか情報源がない者との格差は拡大する一方だ。しかし、それでも、それでも・・・・目を通した者の衝撃は凄まじいものだった。思わず自身の手が言うことを聞かなくなる程度には。

 

「私たちは、歴史の世界の転換点にいる、彼女の力を見てそう確信したよ」

「百石司令があそこまで奔走していたのも頷けます。下手な形で流れれば、第2の中将が現れかねませんからね」

「まったくだ。本来ならば百石司令の能力はいかに作為的な情報解釈の余地をなくすかではなく、いかに瑞穂のために挙国一致の合意形成を図るか、に向けられるべきなんだ。いまだに現実が分からない排斥派のバカどものせいでそれが出来ない。やつらのせいで一体この国がどれほどの徒労を支払っているか」

 

傍らから視線を正面の海上に向ける正躬。掃部と大戸からは横顔しか見えないので、笑みが消えていることしか確認できない。だが、拳は真っ白な手袋がシワだらけになるほど固く強く握りしめられた。そこには気弱で腰が引いている頼りない白髪頭のおじいさんではなく、一つの艦隊を率いこの国の現状を憂いている正真正銘の海軍軍人がいた。

 

「ですが、どうなんでしょうか、彼女は・・・」

「どう、とは?」

「この点は実際に見られた正躬司令や参謀長の方がよくお分かりだと思いますが・・・・・、彼女は強い。赤城航空隊と翔鶴航空隊、合計101機の攻撃を防ぎきるなどそんな神業ができる存在は人類側はおろか、既知の深海棲艦にも皆無です。百石司令たちが必死に考えた狩月作戦が発動されてもこの状況です。彼女は明らかに深海棲艦よりも上の存在。そんなものが突然現れたら、彼女の人柄をわずかでも知っている私たちはともかく、大多数の将兵や政治家にはどう映るでしょうか・・・・・」

「脅威、と?」

 

掃部の問いかけ。大戸はゆっくりと頷く。その瞬間、場の温度が急降下したような錯覚に陥る。誰からか分からないが大戸に刺さるような視線が向けられる。

 

「私はそうは思いませんが、排斥派は存在するんです。可能性としては目をつむれる代物ではないかと」

 

それでも大戸は続ける。若干険悪になりかける雰囲気。だが、それは正躬の唐突な笑い声で明確な形を得る前に四散する。あまりに突然過ぎて、掃部や大戸だけでなく艦橋要員の一般将兵までが、正躬に釘付けとなる。

 

「ははははっ。ふぅ~。脅威、か。確かに大戸の言う通りで、みずづきの強大な力を口実に排斥派の連中は必ず、脅威だの人類の敵だのと声高に叫ぶだろう。だが、連中はなにも分かってない。彼女は強い。だからこそ、言えるんだ。彼女は、みずづきは我々の希望だと」

 

柔和な瞳から一転。真剣な輝きが瞳に宿る。

 

「みずづきは、長門たちと同じ希望だ。希望なんだ。そりゃ、あいつらの主張も分からなくはない。私だって、この年まで積み上げてきた努力と瑞穂の科学、経済、軍事力、その総力を持ってあたっても勝てなかった敵を徐々にではあるが退けつつある艦娘たちに良くない感情を抱いたこともある」

「司令・・・・」

「だがね、嫉妬なんていう上から下まで身勝手な感情を抱いて、それを元に動いて、軍人としての使命を全うできるのか? 必死に身を粉にして本来は無関係な私たちを助けてくれる彼女たちに向かって、化け物と罵ることが、人間の、瑞穂人のやることか?」

 

言葉を止め、ひと息入れる正躬。だが、それはあくまで終わりではなく休憩であることを2人は分かっているため、口を開かず次の言葉を待つ。時折、伝声管から聞こえてくる曇った声だけが、静寂の中に人の気配を運んでくる。

 

「私は誓った、約束した。この国を守り、平和なあの頃のような海を取り戻すと・・・」

 

そういった正躬は椅子を回転させずに顔だけを後方に向ける。それにならい、掃部と大戸も同じ方向をみる。いつも大戸と本来ならば艦長である大戸の補佐を行う副長が立っている場所。今、そこには誰もいない。だが、「因幡」に副長がいないということではない。「因幡」には他の艦と同様に、副長は配属され、日月照彦(たちもり てるひこ)大佐がその任に就いている。現在機関長に用事があり、機関室に赴いているのだ。

 

艦橋要員の中には3人の行動を見て首をかしげる者も居れば、視線を下に向ける者もいて反応はバラバラだ。しかし、それはある一定の法則に基づいている。首をかしげる将兵たち。彼らは総じて艦娘登場後、ここ「因幡」に配属された者たちである。彼らには副長の日月も含まれる。そして、その人数は艦橋要員の半分近くを占め、人事異動の類いではあり得ない規模である。人を寄越すということは、もといた人間がいなくなったということ・・・・・・。

 

 

 

 

 

第5艦隊は決して基地に籠って仲間が海に消えていくのをただ見ていた訳ではない。今、この場にいられるのはただ運が良かっただけだ。

 

 

 

 

“司令・・・、これを、家族に・・・・・”

“瑞穂を、俺たちの国をどうか、よろしくお願い、します。平和な海を・・・・”

 

 

 

 

聞こえる声。点滅する過去の光景。

 

「彼女たちがいてこそ、それは果たせるんだよ。そこに、みずづきが加わった。彼女が前線に投入されれば、瑞穂優位の戦局は磐石になる。深海棲艦など敵ではない。昨日までは、無理だと思ってたんだがね。もしかしたら、私は、約束を果たせるかもしれない。生きている間に見られるかもしれないんだ。散っていった多くの仲間や部下たちが夢みた平和な海を」

 

無意識の内に落ちていた視線を上げ、正躬は窓の外に広がる海を見つめる。行き交う民間船舶の向こう側には三浦半島が見える。正躬にならい2人も大海原に目をやる。たが、内1人の視線は若干下がり、正躬と同じ景色を見ているようで見ていない。眼前に広がる東京湾の入り口。短いようで長かった航海も太陽の支配する世界同様、幕引きが近づいている。




この話に彼女は出ていないので、単に加賀つながりなだけですが・・・・・・・。

昨日、2017年3月22日、公試を行っていたいずも型護衛艦2番艦、「かが」が就役しました!!
配備先は第4護衛隊群(呉)だそうです。個人的には第2護衛隊群で、定係港は佐世保かなっと思っていたので、「いせ」が佐世保に飛ばされて、「かが」が呉とは少し驚きました。

なんの関係もない一国民ですが、お祝いの言葉を述べたいと思います。

某国たちは戦前の「加賀」と関連付けて、面白おかしく酒の肴にしているようですが、「かが」は海自の「かが」ですので、唯一無二の艦生を歩んでいっていただきたいと思います。(共産主義のくせに市場経済を導入するという“わけわからん”ことをしてる方々は、れっきとした航空母艦を3隻も作っていらっしゃいますから、そちらの方がよっぽど軍国主義です)

・・・・・・・・・・・・・あっ。
去る3月13日に就役したそうりゅう型潜水艦8番艦、「せきりゅう」にも祝辞を・・・。
決して忘れてたわけではありません!(それどころではなかっただけで・・・)


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39話 秘密の宴

今回はむさ苦しい軍人たちの語らいですが、どうかご容赦ください。


横須賀は瑞穂において有数の都市である。もともと平地であった沿岸部は低層ビルや商店に埋め尽くされ、その合間に張り巡らされた道路を無数の自動車が走り抜けていく。段々畑や里山が広がっていた平野に隣接する山々も例外ではない。都市の発展に伴う人口増加で動植物たちの楽園は人間の生活空間へと変貌し、山を縫うように住宅街が構築されている。人や機械の喧騒に支配されている中心部に比べると、電柱に止まった小鳥の鳴き声や木々が風に揺られる音、そしてその中を時々自動車がゆっくりと走っていく音によって包まれている住宅街は、時間の流れが緩やかに感じる。

 

だが、今は夜。昼間は心地よかった静寂が、現在は身を置くものに恐怖すら覚える不気味さを醸し出している。住宅の中に人の存在がわかる町中ですらそうなのだ。視界の中に数えきれないほどの田畑と両手で数えるほどしか人家がないここの不気味さはピカ一だ。山を一つ越えた先に人の気配でむせかえる横須賀中心部があるということが、周囲をみる限りでは信じられない。

 

そんな土地に、辺りの人家とは趣が少し異なる家屋が一つ。月は雲に隠れ、近くに街灯もなく暗闇に包まれているが、玄関とおぼしき引き戸の前に吊るされた提灯が淡燈の光を放ち、わずかな照明と相まって玄関を照らしている。提灯には達筆な字で「横洲(よこす)」と書かれていた。

 

走ってくる1台の車。黒塗りのため闇と同化してしまっていてなかなか輪郭がつかめない。砂利が敷かれた小さな・・・・・2台も止まれば駐車が困難となる駐車場に停められた車から2人の男が降りてくる。乱暴にドアを閉め、小走りな様子から察するに少し慌てているようだ。

 

「すみませ~ん!!」

 

ガラガラとリズミカルな音を発しながら縦桟(たてざん)の引き戸を開けると、取次(とりつぎ)式台(しきだい)を配した典型的な瑞風(みふう)の玄関が眼前に広がる。仄かに漂うい草と木の香り。これを感じて落ち着いている自分を思うとつくづく瑞穂人であることを感じてしまう。

 

「はいはい、ただいま!!」

 

少し遠くから聞こえる女性の声。廊下のきしむ音が急速に近付いて来る。立派な柱と土壁で死角になっている廊下からうぐいす色の着物を着た女性が姿を現した。年は男たちより、一回りほど上だろう。

 

 

「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます」

 

 

だが、背筋はしっかりと伸び、お辞儀などの所作には年を感じさせない雅さが宿っている。

 

「いえいえ、とんでもない。こんな素晴らしいところへ足を運べるなど、願ったり叶ったりですよ」

「そうです。毎度毎度お世話になっていますから、恐縮です。こういう落ち着いた情緒ある場所でないと、進まない話もありますから。ところで・・」

 

青いフレームのメガネをかけた男が自分達から見て、右側にある下駄箱に目を向ける。中には自分たちが履いているものより明らかに高級かつ新品同然に磨き上げられた靴が一足ある。

 

「はい。先程まで別のお客さまがおられましたが、もうお帰りに。今日はお客さまが最後となります」

「そうですか」

 

それを聞き安堵する男たち。

 

「では、どうぞ。ご案内致します」

 

ここ「横洲」の女将の後をついていく。一階にも部屋が複数存在するが、それには目もくれず急な階段で二階へと上がっていく。二階は一階と比べて小さく、少し広めの部屋が二つしかない。その内の一つに明かりが点いていた。

 

「お連れ様がお待ちです」

「うむ」

 

中から聞こえるあからさまに不機嫌な声。なにも知らない人間ならば拒絶と受け取って慌てるところだろうが、女将も男たちも長い付き合いのため、これが普通だと知っている。なので浮かべる表情は苦笑い。いつも通りに開かれる障子。

 

畳が敷かれた七畳ほどの瑞室。中央には座卓が置かれている。そこに腰を降ろし、水片手に新聞を読む中将の階級章を付けた男。視線は相変わらず新聞に向けられているが、意識はしっかり廊下で少し汗を浮かべている来客に向けられていた。

 

「中将、申し訳ありません! 遅くなりました! 失礼します・・・」

「失礼します!!」

 

あの件以来初めて会うというのに、いつも通りの対応。無愛想に映るが、これが彼なりの気遣いだと言うことは、とっくの昔に気付いている。

 

いつも通りで行く。

 

不器用な意思表示に2人はつい笑ってしまう。もちろん、顔に出せば罵声が飛んでくるので、心の中でだ。

 

「女将。さっきもいった通り酒はもう一人が来てからだ。余計な気遣いはいらん」

「承りました。どうぞ、ごゆっくり」

 

ひざまづいた女将は頭を下げると、上品な手つきで障子を閉める。階段を下りる音。二階には彼らしかいなくなった。

 

「・・・・・遅い。一体俺をどれだけ待たせたと思っている」

 

しばらく沈黙が続いた後、新聞を置いた中将が対面に座った二人を睨み付ける。ど本気ではないようだが、それなりにご立腹のようだ。しかし、四六時中ご立腹といっても過言ではない彼の性格を前提にすると、眼前の状態は少し不機嫌というレベルにまで下降する。とはいっても礼儀は礼儀。送れたこちらが弁解の余地なく悪いためただただ低頭するのみだ。

 

「も、申し訳ありません・・・・」

「まったく。・・・・・はぁ。・・・・・・・・・・・弁解したいことがあれば聞くが?」

 

不承不承といった雰囲気をまき散らしているが、その口から放たれた言葉に目を輝かせる二人。中将は二人を見ることなくコップの水を仰いでいる。

 

「実は、正躬司令のご意向で、今後の 第5艦隊の方針を話し合う士官会議が急遽行われまして」

「私たちも抵抗したのですが、立場上声を大にすることはできず・・・・・」

「あの老木め。俺と違い人付き合いにめっぽう弱いのだから、無駄な足掻きなどしなくてよいものを。とっとと田舎へ隠居してほしいものだ。これを見越して万一のときはさりげなく会話の方向をずらせ、と大戸に言ったんだがな。あいつはなにをしてたんだ?っと、噂をすればなんとやらだ」

 

階段を上がる音。そこには雅さなど皆無である。

 

「申し訳ありません!! 遅くなりました!!!」

 

障子を開けた直後、猛スピードで頭を下げる大戸。あまりのスムーズさに思わず圧倒されてしまう。相当慌てているようで、軍帽を取らずに頭を下げたため、軍帽は畳の上にまっ逆さまだ。その様子があまりにおかしく、先ほどきた二人は笑い声をあげないよう必死に口を押さえている。

 

「ええい!! 騒々しい!! ようやく来たと思ったらこれか・・・・・、無礼にもほどがある。こちらは散々待たされたんだ。・・・・・・・・・貴重な時間がもったいない。さっさと座れ!!」

「あ、ありがとうございます!! 失礼致します!!」

 

障子を開けたまま腰を降ろす大戸。自身の失態に気付き、血相を変えて障子を閉めるため立ち上がろうとするが、ちょうどお酒を乗せたお盆を手にした女将が現れた。結果オーライである。それぞれの手元にならべられていく焼酎瓶とお猪口。

 

「頃合いになったら呼ぶ。それまで下がっていてくれ」

「かしこまりました」

 

再び上品な手つきで障子を閉め、一階へ下りていく女将。それを確認すると中将が真っ先に焼酎を大戸の気遣いを拒絶して自分で注ぎ、お猪口を掲げる。それに続く三人。全員が掲げたことを確認すると、今回が番であるメガネの男が音頭をとる。

 

「では・・・・ゴホン! 皆さん、準備はよろしいですか!!」

 

全員の手元を確認するが、瑞穂酒で満たされたお猪口が例外なく握られている。

 

「えっと・・・よろしいみたいですね。それでは光昭10年度第1回横須賀鎮守府演習の無事終了を祝すと同時に、我ら、()()()()と瑞穂の輝かしい未来を願って・・・・」

「ちょっと待て!!」

 

「乾杯っ!!」と音頭の最終局面を言おうとした瞬間、相変わらずの仏頂面でお猪口を掲げていた中将が吠える。それを見聞きして「またか」と苦笑しながら肩をすくめる3人。次に吐かれるであろう台詞は考えるまでもない。このやりとりは耳にタコができるほど繰り返してきたのだから。

 

「何が御手洗派だぁ!! 俺はそんなもの認めた覚えは・・」

 

だから、3人は示し合わせたかのように中将の言葉を遮って、宴の開幕を宣言した。

 

「御手洗派と瑞穂の輝かしい未来を願ってっ」

『乾杯!!!』

「って、お前ら!!」

「ささ、中将もグビッといってください!」

「お前・・・・」

 

音頭をとった男をそれこそ睨みつけ、お猪口を小刻みに痙攣させる。だが、彼もこれがもはや定番と化し、開幕の合言葉になっていることは重々承知している。そのため「はぁ~」と呆れたようなため息をつくと「・・・・乾杯」と3人に聞こえるか聞こえないか程の声量で呟き、お猪口を一気に仰ぐ。

 

それを見て、この場で最上位の立場にある人間の許しが出たことを確認すると、3人も高く掲げたお猪口を仰ぐ。中将は恨めしそうな表情を強調しているが、向けられる側は全く悪びれた様子はなく、「旨い!」や「やっぱりこれですよ!!」など口々に笑顔を見せている。

 

もう時すでに遅し。久しぶりの宴は始まっているのだ。それが分からない、そしてそれを壊すほど無知ではない。観念したのか御手洗は不機嫌オーラ全開で瑞穂酒を仰ぐ。そして、空になったお猪口を部下の前に・・・・・・・。

 

注げ、と言うことだ。

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

当初は、近況報告など個人の話に終始していた宴も、料理によって腹が満たされ、瑞穂酒によって酔いがほどよく回ってきた頃合いになると、次第にもっと大きな話に移行していく。決して他の料亭では話せない、影のある話を。

 

「みずづき・・・・・。厄介な存在が現れたものですね」

 

誰がいつどのタイミングで堰を切るのか。暗黙の内で腹の探り合いが勃発するなか大戸が開始を告げる笛の役割を買って出た。視線で謝意を贈ると、これまた視線で「気にするな」の返答。ある意味体力を使う神経戦が集結したことに安堵のため息が出るものの、こちらの正面、大戸の隣に座っているお方にとっては災厄であったらしい。みずづきのみの字を聞いた瞬間、御手洗はお猪口を仰ぎかけた姿勢のまま硬直していた。

 

「全くその通りですよ、大戸さん。彼女が出てきたばっかりに、勉強ばかりで社会経験がろくにないヒヨコどものの暴走を招き、それを収めようとされた中将がとばっちりを・・・」

「おい」

 

突如、発せられる低い声。見れば、固まっていた御手洗はいつの間にか再起動し、結解をじっと見据えていた。

 

「何度も言わせるな。あれは俺の独断専行だ。俺の意思決定には、あんなくずどもの姿など微塵も反映されていない。何度言ったら分かるんだ? ・・・・・・ まっったくどいつもこいつも! 結解、今度言ったら無事では済まんぞ?」

「その様子だと、総長にも指摘されたんですね?」

 

側方から花表の奇襲攻撃。衝撃のあまり御手洗の眼力は鈍り、結解への渾身の攻撃は不発に終わってしまった。嬉々とする結解。御手洗は大戸に酒を注がせて平静を装っているが、全くそのもって装えていない。

 

「大戸」

「は、はい・・・・」

 

お猪口を置いた御手洗が振り向く。顔は血管が浮き出た上で、無表情だ。

 

「勝手に、彼女の話題を出すな!! 段取りが分からんやつだな!! 考えていた段取りが総崩れを引き起こしてしまったではないか!! ほんと~~~~にどいつもこいつも!!! しまいにはこいつらのお遊びの種になってしまったではないか!!」

 

あまりの声の大きさに、大戸は反射的に目を瞑る。

 

「いえいえ、中将。大戸さんには感謝です。段取りなどとおっしゃっていますが、要するに横須賀鎮守府乱入事件の話にできるだけ触れずにことをお進めになるということでしょう?」

 

メガネを不敵に反射させた結解の言葉。御手洗は視線を不自然な方向に反らす。誰がどうみてもそれは図星だ。

(今しかない・・・・・・・)

御手洗の気勢が緩んだ一瞬を好機と捉え、一気に畳みかける。御手洗は基本的に自分のことを周囲に語らない。そして、そういう空気でなければこちらが御手洗自身のことを尋ねても答えてくれないのだ。良く言えば括目、悪く言えば不愛想。

 

今、ここに漂っている空気は紛れもないそういうものだった。

 

「真剣な話、私はずっと気になっておりました。なぜ中将があんな暴挙に出たのか。あのようなことをすればどうなるかは、中将がもっともよくわかっていらした。なのに、何故です?」

 

結解は身を乗り出す。そこに先ほどまでの軽い色はない。さすがに御手洗もそれを感じ取ったのだろう。纏う雰囲気に憂いの色が帯びはじめた。

 

「何故でありますか?」

「花表、頼む」

「は、はい」

 

注がせた瑞穂酒を一気に飲みほす御手洗。顔は酔いが回っているのか、少しだけ赤い。

 

「結解。お前には、娘がいたな?」

「はい」

 

唐突な言葉。結解由造大佐には妻と、中学校に通う長女、幼稚園に通う次女の2人の娘がいる。それは御手洗も含め、この場にいる全員が知っている。「今更何を」と常人なら思ってしまうかもしれないが、結解は不思議に思うことも、ましたや無下に扱うこともない。彼は真剣な状況では、人当たりの良い政治家や官僚のようにさりげなく煙に巻くような粘り気のある行為は決してしない。言いたくないことははっきりと拒絶するのだ。

 

「なら、分かるだろ? 夢を壊すことの非道さ、そして裏切らないと思っていた対象に裏切られるという残酷さ。その罪の重さを。やつらは確かに自分の観たいものだけ見て現実から逃げているくずだ。現実逃避の結果でしか見えない幻想を夢とはき違えている。だがな、行動と思考はくずでも、志は擁護派のあいつらと・・・・・・・なんら変わらない本物だ。そして、あいつらはまだ若い。・・・・・・それだけだ」

「中将・・・・・」

「みずづき、か。お前たちはどう思う?」

 

この話は終わりと言わんばかりに、話の主導権を結解から奪い取る。だが、それに誰も反攻作戦を実施しようとはしない。みな薄々分かっていたのだ。

 

今回の宴。彼女が大活躍した直後も直後と言うだけあって、みずづきがメインテーマとなることは。そして、彼女の存在について、御手洗が意見を求めてくることも・・・・・・・。

 

「脅威だと、断言致します」

 

はっきりと迷いのない口調で大戸が言い放った。だが、その直後に顔が苦渋の色を帯びる。その気持ちはこちらも同じであったため、花表がとりなした。

 

「私も大戸さんの意見に異論はありません。みずづきが我々に与える脅威は主に2つに分類できます。1つは・・・おそらく百石提督も考えておられると思いますが、単純な軍事的脅威・・・・」

 

戦艦1、空母2 重巡1、軽巡1、駆逐7の計12隻・・・・2個艦隊に相当する戦力対みずづきただ1隻。空想戦記でも見かけない鬼畜とも言うべき戦力差。初めて演習の詳細を聞いた時、思わず横須賀鎮守府中枢の人間性に懐疑的な見方をしてしまったほどだ。

 

だが、それほどの戦力差をもってしても、瑞穂側の艦娘たちは・・・・・・・・負けたのだ。赤城航空隊41機、翔鶴航空隊60機、計101機もの猛攻はみずづきにかすり傷1つ負わせることもできず、唯一あと一歩まで迫った榛名もこちらが把握してなかった回転翼機からの奇襲を受け敗北。それでも、それでもみずづきはその船体に全く損傷を受けていないのだ。

 

国を守る軍人としてそんな力を目の当たりにした時、何を思うか。それを浮かべなければ軍人として失格だろう。

 

結解は想像した。これが演習ではなく正真正銘の戦なら、彼女の矛先が自分たちに向けられたら、と・・・・・・・・・・・・・。

 

「そして、もう1つ。みずづきが他の艦娘たちと同じように温和でお人好し、少し天然気がある一般的かつ信頼できる人柄である以上、こちらの方を我々は真剣に考えなければならないと思います・・・・」

「みずづきが戦場以外にばらまく間接的、そして無意識的な影響、だな?」

「ああ」

 

あまりの重大さに言いよどんでしまった花表の言葉を代弁する。

 

「2人の言う通りだ。全て彼女たちのせいにする気はないが、深海棲艦の出現と()()()()()()()をもった艦娘の登場によって、世界は()()してしまった。しかも、たちが悪いことに市井の市民のみならず大半の政治家や官僚、軍人までもがそれに気づいていない。それが、どれだけ危ういことか・・・・・。正躬司令は彼女を手放しで、希望と、そうおっしゃっていました。しかし、私はとてもそうは思えません。艦娘たちが不本意とはいえもたらした、世界の変質を鑑みるにみずづきが世界を、日本世界に近付けていく絶望の媒体になるような気がしてならないのです」

 

視線を空になった器に落とす大戸。彼の手は、報告書を読んだときの衝撃と、そこから派生した恐怖を思い出し小刻みに震えている。

 

「希望、か。部下と仲間の死を見て、現実を分かった気になっているあいつらしい・・・・・・」

 

いつもの気迫は何処へ行ったのか。誰に向けられているのか分からなかったが、その言葉にははたから聞いても感じ取れるほどの哀愁が含まれている。

 

「しかし・・・・・」

 

大戸を控えめに覗う花表。彼が何を言おうとしているか、思っているのか。分からない大戸ではなかった。儚げな笑顔で「そうだな」の相槌を打って、ここでどれだけ自分たちが喚こうが取ることになる“決定された現実”を語った。

 

「いくら彼女が脅威だとはいえ、彼女の力が今の瑞穂にとって絶対に手放すことのできない切り札であることは否定のしようがない。みずづきだけでなく、長門や吹雪たちも、な。俺たちが戦っているのは深海棲艦なんていう化け物なんだ。排斥派の阿呆はいまだに分からんようだが、我々の独力では・・・・局所戦でいくらかの勝利は拾えてもやつらを地球上から駆逐する勝利は勝ち取れない。絶対に、な」

「ええ、だから・・・やりきれませんね。長期的にはこの世界に悪影響しかもたらさないと分かっている存在を、短期的目標のため、身近に置いておかなければならないとは・・・・・・・」

「もう・・・・・・()()()には戻れないんでしょうかね?」

 

お猪口に出現した小さな水面を眺めながら、しみじみとそう言った花表。

 

「・・・・・・何、甘ったれたことを言っている? 戻れるわけがないだろう?」

 

若干苛立ちながらお猪口を仰ぐ御手洗。それに発言の張本人たる花表も含めて、誰も口を開かなかった。

 

「過去は過去だ。振り返ったところで、徒労だ。時間の無駄遣いだ。俺たちが見るべきは現実だ。そして、その現実は汚く、これでもかというほど穢れている。いや・・・・・お前たちが思う通り彼女たちのお陰で汚くなってしまった。そのことにいい加減気付いてほしいものだ。擁護派のバカどもにも・・・・・・・・。だから、着々とやつらの思い通りにことが運んでるんだ」

「っ!?」

 

驚愕する三人。顔を青くしながらも結解がおそるおそる声をあげる。そんな話は初耳だ。

 

「ついに、大使館の連中が動き出したんですか?」

 

日本世界同様、瑞穂世界にも100を越える主権国家が存在しており、当然国交を結んでいる全ての国の大使館が東京に設置されている。大戦発生以後、本国との連絡が回復していない大使館も存在しているが、彼らは絶望や不安に負けず、日夜連絡が回復した際に瑞穂政府と滞りなく関係の再構築が図れるよう、職務に励んでいる。瑞穂にとって好都合、不都合関係なく。

 

みずづきの情報はまだ公にはされていない。これはみずづきの重要性云々よりも、まだ政府が事態を上手く飲み込めてない点が大きかった。そして、それは諸外国にとっても同じことであった。みずづきの話は法的に機密に指定されている訳でもなかったが、軍内ではこのことについて緘口令が敷かれ、事実上の機密事項として扱われていた。しかし、みずづきが出現した当初は、誰もこれほどの力を有しているとは想像だにせず、まして彼女自身が盛大にばらまいた救助要請もあって、「みずづき」という存在自体を抹消することまでは出来なかった。近頃は百石や軍令部の動きもあって、みずづきの存在は横須賀を除き、瑞穂国内では表舞台から消えつつあるが、そんな話を諜報活動の拠点でもある各国の大使館が掴めないわけがないし、特ダネと判断しないわけがない。当然、本国と連絡がつく大使館は報告を行う。しかし、報告を受けたところで各国の上層部が示した反応は「なんじゃこりゃ?」だった。お膝元である瑞穂政府すらそうなのだ。海の向こうで必然的に情報の確度が落ちてしまう諸外国は、ただただ困惑するばかりだった。瑞穂も当然、この動きは把握しており、諸外国の困惑ぶりには安堵していた。しかし、時がたつに連れて確度の高いに情報を掴み始めた各国は、具体的なアクションを起こし始めたのだ。それは現在のところ平和裏に進んでいるが、今は戦時である。御手洗たちと同じくみずづきのインパクトに気付いた人間が出てくる可能性を排除していい情勢ではない。

 

「いや、外人どもは自称エリートの交渉びいきとお食事に終始している。少々ド派手なことをしようしても、簡単には動けん。動けばこちらとの関係悪化は避けられんし、公安と陸軍が目を輝かせて獲物を待っている状況だからな。問題は国内だ」

「 開発本部の件ですか?」

 

大戸の問いかけに、御手洗は沈黙する。結解はなんのことか分からず首をかしげていたが、対照的に花表は大戸の言葉と記憶が合致したようで何度も頷いている。

 

「みずづきが持っている兵器の解析情報を寄越せ、と軍令部を突き上げてたんですよね」

「ああ、その件なら私も小耳に挟みましたよ。主語がなかったのでてっきり財閥系の企業かと思ってましたが。そうか、兵本が・・・」

 

花表の言葉を受け、結解はポンと手を叩く。記憶をたどってみれば、確かにそのような話を聞いた覚えがあった。

 

「しかし、その件は百石司令の働きかけで収束したのでは?」

「やつらはとびきりの変態だ。それ以外の何者でもない。やつらが学生にとやかく言われたところで大人しく引き下がるわけがない。やつらはみずづきの出現を掴んだだけで軍令部のみならず、大本営にまで接触を持っていた。あわよくば大本営から、という俺たちの頭ごなしにことを運ぼうという魂胆が丸わかりだ。そして、やつらの情熱という名の圧力をさらに激しくするのが、今回の結果。これを知れば以前とは比較にならない規模で突き上げて来る」

 

御手洗は気だるそうにため息を吐く。

 

「安谷にそれとなく釘を刺そうにも、やつは擁護派・排斥派に深く関与しないとっちづかずで八方美人。また組織の性質上、総理官邸や国防省、大本営と近い分、下手に根回しが出来ん」

 

生粋の技術屋で、一部では「変態の総大将」ともささやかれる安谷隆一(やすたに たかかず)少将が本部長を務める兵器研究開発本部、通称兵本(へいほん)はその名の通り、瑞穂軍が使用するあらゆる装備の研究・開発・更新を一手に担う組織である。2033年現在では瑞穂軍における唯一の開発組織として1800人もの人員を擁している。かなりの大所帯だが、遥か以前よりそうであったわけではなく、その頃は全く異なる様相を呈していた組織であった。深海棲艦の出現以前、兵器研究開発本部自体は存在していたものの、開発方針の策定や各企業・大学との意見調整を行うなど施策の大枠を決める事務仕事が大半を占め、研究開発は全くといっていいほど担っていなかった。変わりに海軍軍令部や陸軍参謀本部のガチガチ軍人たちの戦略や方針・意見を聞いて研究開発を進めていたのは、それぞれの軍直轄の組織。海軍では、艦に関わる装備を担当する艦政本部、航空機に関する装備を担当する航空本部。陸軍では、戦車など陸上装備を担当する陸政本部と航空機(海軍が制空権確保を担当するため、陸軍は輸送機など航空輸送力を担当)に関わる装備を担当する航空本部。合計、4つもの研究開発組織が存在していた。またこれに加えて、国防省・大本営もそれぞれが開発を担当する部署を抱えていた。そのため、統一的な開発は困難を極め、同じ航空機の研究も陸軍なら陸軍、海軍なら海軍が別々に行うという非常に非効率的な実態があった。自分たちのペースで、他組織の横やりを気にせず開発に集中できるという利点はあったかもしれないが、開発の長期化・予算の肥大化・不完全な意思相通による開発方針の組織間対立は大きな問題だった。しかし、自らを滅ぼしかねない敵、深海棲艦が出現してもなおそれでは国防に多大な悪影響が出ることは必至。よって、政府や軍も重い腰をあげ、兵器の研究開発体制の大改革を断行したのだ。

 

その結果、研究開発は全て国防省の直轄組織である兵器研究開発本部に集約。当本部の権限も大幅に強化され、今では名実ともに軍の研究開発拠点として機能している。一方で陸・海軍の組織がどうなったかといえば、それぞれの航空本部は廃止され、艦政本部・陸政本部は縮小。前者は海政研究所、後者は陸政研究所と名前を変え、軍令部・参謀本部の意見を兵器開発本部に伝えるなどといった窓口機関的な組織になり果てている。所有していた立派な研究所や試験場も全て接収。元は陸海軍所有で現在は“兵本所有”となっている施設を間借りさせてもらって職員たちは職務に励んでいる。陸海軍技術将兵の肩身の狭さが尋常ではないことは容易に想像できるだろう。

 

彼らの反対で、研究開発の実権を握るに至った兵器研究開発本部はさぞかし自由奔放と思いきや、実はそうでもない。兵器研究開発本部は独立組織などではなく、国防省の直轄組織である。研究開発の主役で、綿密な意見交換を軸とした軍との密着した関係があるとはいえ、予算などの強大な権限を有し、瑞穂のありとあらゆる国防政策を決めているのは軍ではなく、国防省である。強大な官僚組織が上にいる以上、必然的に政治家や経済界との距離も近くなるのだ。これでは表はともかくとして裏のやりとりは不用意に行えるものではない。いくら御手洗が「国会議員を上回る」とさえ言われる家の権威を盾に傍若無人な振る舞いをしようとも、世の中には「上」がいる。御手洗以上の力を有する人物や勢力はうじゃうじゃいるのだ。その連中を「本気」で怒らせればどうなるか。結解ですら分かる事実を御手洗が知らないはずはないのだ。

 

「こちらから仕掛けずとも待っているだけで良いのでは? なんでも、近頃、擁護派にしびれを切らした一部の研究員が匿名で排斥派と接触を持っていると小耳にはさみましたが・・・・」

「やつらは俺たちが情報をぶんどってくることを前提にしている。ガキと一緒だ。下手なことを言えば、“話が違う”と暴走するかもしれんし、そのような不確定要因をむざむざ増やしたくない。やつらの上に立ち、かつ信頼している安谷あたりから抑え込んでくれるのが一番確実なんだが・・・・・・」

「その安谷少将は技術屋としては一流でも、リーダーとしては落第点っと・・・・」

「開発やら研究やらが絡まないことにはほぼ無関心・・・・・・」

 

耳にする噂、そして何より自分の目で確かめた兵器研究開発本部、本部長安谷隆一の人となりを思い浮かべ、なんとも複雑な表情になる結解と花表。それに触発されたのか大戸のみならず、御手洗までもが苦い表情となる。適材適所とは言ったものだが、微妙にずれている気がするのだ。しかし、この人選は軍令部も了承している。そして、軍令部も認めたということは御手洗の目も通っているということ。その時、彼は異論を唱えていないらしいが、だからこそ、そのような表情なのかもしれない。

 

「しかし、今からいずれ具現するであろう彼らの主張がすでに頭に浮かんできますよ。この奇跡を活用しないでどうする!! だの、あなたがたは瑞穂の防人たる軍人でしょ?ならば、彼女の技術が瑞穂の現在と未来にどれほどの恩恵をもたらすか分かっているはずだ!!」

「はははっ!! 大戸さん上手いですね!」

 

口調や表情のみならず身ぶり手振りまで再現した本格的なモノマネ。声をあげた結解以外の大戸や花表もお猪口を片手に「似てる」を連呼している。

 

「彼らの愚痴を散々聞いてきた立場だからな。しかし、もし彼らにみずづきの兵器情報が流れた場合・・・」

 

褒められたことによる照れ笑いから一転、大戸は御手洗と同様に深刻な表情を浮かべる。それには結解や花表も続かざるを得ない。

 

「深海棲艦という強大な敵がいる以上、我々や政府は勝利を掴むためにあらゆる情報や知識、技術を総動員して新兵器の開発を続ける。ましてや艦娘すらも相手にしない日本の先進科学技術が目の前にあれば、それを利用するのは当然の流れだ。だが、各国は艦娘を保有し深海棲艦と戦いを順調に進めている瑞穂の更なる強大化を絶対に看過しない。確実に、瑞穂に対抗して和寧や栄中、ルーシをはじめとした諸外国との兵器の開発競争が起こるだろうな。それが無意識に進んでいる軍拡の更なる促進を引き起こす。小学生にも分かる未来だ。ヘンタイどもは兵器を作ることしか興味がなく、そのあとのことは知らん顔。つくづく出来た頭を持ってるなと感心してしまう」

 

嘲笑。御手洗は他の3人と対照的にここに来て初めて笑みを見せたが、それは純粋な笑顔ではなかった。

 

「四・四艦隊計画は既に最終段階に入っていると伺っています。後は乗員と艦載機要員の養成のみ、とも。諸外国は一体?」

「艦娘を保有しているコロニカとルーシ、ブリテンは瑞穂と同じく空母機動部隊の建設が完了し、実戦配備はもうまもなく。あと、コロニカと因縁があるポピをはじめ栄中、バラードが空母や護衛艦艇の建造を進めている。国防省の知人に聞いたんだが深海棲艦にやられているポピとバラードは脇において、栄中は来年あたりで実戦配備に到達すると見込んでいるらしい」

「通りで佐世保が不可解な行動をしているわけですね。なんであそこまで“東シナ海の警戒監視”にこだわるのか、理解できませんでしたが・・・・・・そういうことですか」

 

有史以来、初めて自らを滅ぼしかねない敵と遭遇し、大戦を経験した世界は自存自衛のため空前の軍備拡張ブームに突入していた。瑞穂がその最たる例で大戦の煽りを受けた国内経済の下降によって国家財政が圧迫される中、莫大な予算を費やし、軽空母を旗艦とし、戦艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦2、駆逐艦2で構成される空母機動部隊を4個艦隊、整備したのだ。

 

整備計画「四・四艦隊計画」

 

計画名といい、艦隊の編成といい、新規建造された艦の概要といい、艦娘が所属し彼女たちから膨大な情報を手にした日本世界の大日本帝国海軍をモデルとしているのは明白であった。それは、これまで巡洋艦と位置付けられていた艦を重巡洋艦と軽巡洋艦に細分化したことからも分かる。この新艦隊は大戦で失われた艦隊の再建と銘打たれている。しかし、散った艦隊が本土防衛のみに主眼を置き、瑞穂近海海域での作戦行動前提の巡洋艦を旗艦とした軽武装艦隊であったのに対し、新艦隊は瑞穂近海海域のみならず敵掃討のため本土から離れた地域、いってしまえば瑞穂領域外での作戦行動を前提とした重武装艦隊だ。

 

再建といいながら、深海棲艦に対抗するためこれまで他国間との緊張を招くとして禁止されていた、「守る」だけの軍隊から「攻守両用」の軍隊へ大転換が図られたのが実態だ。そして、これは瑞穂だけではない。世界の大国が例外なく進んでいる道なのだ。コロニカ大陸にあるコロニカは軽空母ではなく、相当無理をして正規空母を旗艦とした空母機動部隊、3個艦隊の構築が完了していたりする。

 

そして、この流れを後戻り不可能なものにしたのが、瑞穂にとどまらず世界中に現れた艦娘たちの「並行世界証言録」だった。

 

考えてみてほしい。別の歴史をたどった世界。知的好奇心を最大限にして垣間見たその世界が、自分たちにとって決して受け入れられなかったものだとしたら。

 

その世界で自分たちに相当する国家が、他国家の侵略や理不尽な植民地支配を受け、社会・文化がいびつな形になっていたら?

そもそも、内的要因でなく外的要因によって、国家が、民族そのものが滅んでいたら?

 

並行世界においてそれをなした国に相当する国家が、ここに存在したら・・・・・・・・・・・?

 

 

「既にそこまで・・・・」

 

少し回復した顔色を、再び暗くする花表。そこに結解が追い打ちをかける。上京した際、軍令部に務める海軍兵学校の同期数人と飲みに行った折に聞いた話。その中の1人は情報局所属で機密指定されていない、横須賀にいては聞けない話を多く聞かせてくれた。その中には「世界の変質」をいやがおうにも連想してしまうものも含まれていた。

 

「それだけではありません。なんでも、空母建造のようにど派手な動きをしていなくとも、急速に軍拡を進めている国もあるらしいんです。しかも、明らかに深海棲艦以外の敵を念頭において・・・・・」

「インカやアステカ、か・・・・」

 

遠い目をして呟く大戸。それに結解はゆっくりと頷く。どうやら、大戸もその話は耳に入れていたようだ。

 

「彼の国は日本世界において、イスパニアに相当する国家に国・民族双方を滅ぼされていますから・・」

「彼らも動かざるを得ない、か・・・・・・」

 

口々に世界の不穏な動きを語る大戸たち。だが、彼ら以上に世界の深部を知っている御手洗は表情を全く変えない。そればかりや、若干ずれた話の方向をさりげなく修正する。

 

「確かに、大国においてものは出来上りつつある。しかし、それを動かした経験もノウハウも持たず操れる人間がいない以上、いくら日本を真似て立派なものを作ってもただの鉄屑だ」

 

四・四艦隊計画で建造された新艦隊の人員育成が何故進まないのか。その理由は御手洗の言った通りである。近代以降、日本世界と異なり国家・民族の存亡をかけるような大戦争が幸運にも起きていない瑞穂世界では、以前「他国が攻めてくる」という危機意識自体が国家レベル、国民レベル問わず非常に希薄であり、またそもそも深海棲艦が出現するまで「言葉ではなく、力による解決は、非文明的で下策の極み」という風潮が根強かった。そのような情勢下で、他国と国民からの非難、国家財政の圧迫を強いる強大な軍隊の整備は、各国とも選択肢になく万一の事態が発生した場合に、自国を防衛できる最低限度の軍事力しか整備していなかった。そして、周辺国が全てそうであったため、対抗心を燃やすことも、危機意識が煽られることもなかったのだ。そのため、自身と同等の火力・防御力を有する敵の撃滅を想定した戦艦や、高い機動力と外地展開能力を有する空母が、この世界では必要とされず、深海棲艦や艦娘が現れるまでウェルドックと同じく着想すらされてなかったのだ。誰も運用経験がないのに、人員の育成などトントン拍子で進むわけがない。

 

 

「だが、お前たちは航空隊と12隻の猛攻を防いだ強大な力に圧倒され、別の脅威を見落としている」

 

 

不機嫌さを感じさせるいつも通りの口調のなかに、諭すような色を込めた言葉。それに反発したり、心象を害したりすることもなく3人は無言で耳を傾ける。

 

「彼女は、日本を平和と、そう言ったんだな?」

 

御手洗の問いかけ。出席した横須賀鎮守府幹部から歓迎会でのやり取りを聞き、御手洗に報告した3人は、迷うことなく頷く。

 

「だったら何故、憲法解釈の変更などという反則技を使ってまで、再軍備に走る必要がある」

 

百石をはじめとした横須賀鎮守府幹部、そして伝聞情報のみの大戸たちすら抱いた当然の疑問。それを御手洗が抱かないわけがなかった。

 

「みずづきは横須賀で俺にむかってこう言った、自分の手は血で汚れていると。彼女は軍人だ。そして、俺たちと同じ人間だ。不利な状況を見てはったりをかました可能性も大いにあるが、俺はあの言葉が完全な嘘だとは、思えない。加えてあの力だ」

 

言葉を続ける御手洗のみならず、3人もそれぞれが見た衝撃的な映像や文書を思いだす。あまりの衝撃と驚愕で今でもあれが夢かなにかと錯覚していまいそうになる。

 

「あちらの世界に、戦争は文明の母である、という言葉がありましたね。戦争、本能的危機感を刺激する闘争によって技術は進歩し、文明は昇華する。みずづきの戦闘能力はまさにそれを体現しています」

「ソビエト連邦崩壊による冷戦の終結。第二次世界大戦の教訓から軍隊をなくした日本の再軍備。日本世界は我々と異なり、世界情勢も技術も激動という表現がぴったりの目まぐるしさで変化しています」

「つまり1970年以降も日本世界は・・・」

 

それらから導き出される仮説。深海棲艦も艦娘もおらず、この世界がもう一つの世界を知ることがなければ、エリートたちがどれだけ頭を捻っても考え付きすらしなかった、残酷な現実。だが、彼らは知っている。瑞穂世界とは全く別の道を歩み血にまみれた世界を。そして彼らは理解している。人間という生物が持つもう一つの側面を。

 

それをわざわざ言葉にする必要はなかった。口に出したくない仮説を飲み込んだ花表は、他の3人の顔を順番に伺う。全員、一致した仮説を頭に浮かべているのは一目瞭然だった。

 

「・・・中将がおっしゃった別の脅威とはこれだったのですね。艦娘たちは、少し癖のある子もいますが、総じてみな他人思いで優しく、責任感がある。そしてあの戦争に囚われ、日本の未来を非常に気にしている。執着と言い換えても良いかもしれません。そんな場所に2033年までの歴史を知り、なおかつそれを自らの足で歩んできた人間がやって来た。彼女の口から語られる世界が艦娘たちの許容範囲内なら我々が気を揉むこともないのですが、逆の場合は・・・・・・」

 

艦娘は深海棲艦と戦っていくなかで、いくら得体の知れない存在と叫ぼうがもはや必要不可欠な戦力であることは明々白々なのだ。もし彼女たちがいなくなったり戦闘不能に陥れば、瑞穂は終わりだ。いくら強力な艦隊を整えようとそれはあくまで艦娘の補完。主戦力は彼女たちなのだ。

 

「彼女たちも私たちより荒波にもまれたせいでしょうけど、現実を視る目は長けています。薄々勘付いている子もいると思いますが、動けないんでしょうね、怖くて。彼女たちの望む未来は、平和で豊かな日本。1970年まではそれが叶い、みずづきは2033年も平和だと言った。もしそれを疑うような行動を取ってしまえば、叶ったと思っていた自分の夢や願いを自分で壊すことになってしまう。聞きたくない認めたくない現実をわざわざ引き出してしまうかもしれない。・・・・・本当に、彼女たちはつくづく艦娘ですよ。化け物やら人外やらと罵声を浴びせるやつらの気がしれません」

 

結解の言葉が終わった瞬間、お猪口が座卓の上に置かれる軽い音がいつも以上の存在感を持って、室内に響きわたる。なんの力も入れずお猪口ー置けばこのような存在感は放たれない。意図的なのは一目瞭然だ。鳴らした者以外の3人が鳴らした者に視線を向ける。そこにはお猪口を固く握りしめ眉間に渓谷並のシワを作り出している御手洗がいた。

 

「も、申し訳ありません中将!! 結解が余計なことを」

「いえ、中将であろうともここははっきりと言わせて頂きます!」

「ちょ、結解!?」

 

事態を悲観的に捉えた過ぎた花表は、血相を変えながら場を取り繕おうと試みる。だが本当はその必要などないのだ。その証拠にこの中で最も御手洗との付き合いが長い大戸は慌てた様子もなく、笑顔すら浮かべて御手洗に酒を注いでいる。怒りの象徴である眉間の皺ができてはいるものの、不機嫌が平常の御手洗においてはごく普通のことである。

 

「筆端副司令や緒方参謀長から話は伺いましたが、あれはさすがに酷すぎではありませんか! お前らは化け物だ、お前らを作った存在は人間ではなく、存在するだけで侮辱だ、なんて言ったらそりゃいくらなんでもキレるでしょ!! あげくの果てにみずづきにも激昂されるとは、あまりにも悲惨すぎます」

「黙って聞いていれば、好き放題言いやがって・・・」

 

御手洗はお猪口を持つ手を震わせながら、大戸に注がれた透明の酒を一気飲み干す。そして、機関銃を乱射しはじめた。だが酒に酔っているのか照準が緩すぎる。

 

「俺だって、本当に艦娘が化け物で人外とは、ちっとも思っていない。そんなの見れば分かる。何年生きてきたと思っているんだ!! この目はしっかりと“現実”を捉えている! 体に恐怖しか宿していない愚か者どもとは違う。あれは、その・・・・頭に血がのぼってしまって・・・・。お、俺だって最初から、そんな気では」

 

一気に視線が泳ぎ出す。いつものハリネズミのような刺々しい雰囲気は皆無で、百石辺りが見れば今までの仕返しとばかりに高飛車な態度に出そうなほどだ。

 

「まあまあ、結解、その辺りにしておけ。中将もはたから見ればどこ吹く風だが、十分に反省しておられる。さすがに、撃たれてしまったからな」

「おいっ!!」

 

御手洗の睨みなど、それこそどこ吹く風で大戸は苦笑する。

 

「俺だって、あんなことになると分かっていたら最初から・・・・ゴホンっ!! だがな逆に聞くが、俺があいつらを罵倒する言葉以外を吐いて結果が変わったと思うか? みずづきに撃たれて横須賀の頭の中で花を栽培している連中に屈辱的な仕打ちを受けることもなかっただろうが、俺は御手洗家三男、御手洗実だ。俺のもとにみずづき出現の報が入った段階で・・・・・・・・大筋はもう決まったといっても過言ではない。例え、まともな言葉を吐いたとしても、だ」

 

撃ち方終了。御手洗はお猪口の隣にあった焼酎瓶を強引につかみ、直接飲みはじめる。大戸や花表が止めに入るが全く効果は見られない。それを片目にまだ何かを言いたそうに口を動かしていた結解だったが、あきらめて自身のお猪口に残りわずかとなった瑞穂酒を注ぐ。言いたいことは山ほどある。おそらく、御手洗に拾われた当初なら、このまま言葉を続けていただろう。しかし、彼の立場や性格を知ってしまった今となってはとてもこれ以上続ける気にはなれなかった。一般家庭で育ち、戦隊司令にまでのぼりつめたものの、彼とはそもそも歩んできた世界とこれから歩んでいく世界が違うのだ。そして、そこから見てきた景色も。

 

「・・・・・なんにせよ、さらに詳しくみずづきについて調査、情報収集を行う必要がある。くれぐれも学生や老木に勘付かれよう事を進めてくれ」

 

労いの1つもない冷たい言葉。だが、3人はそれに顔をしかめるどころか不敵な笑みを浮かべる。もし百石や筆端に同じ言葉を言ったとしても、受けとる印象は全く逆だろう。「進めてくれ」と「進めろ」の違い。一文字しか違わないが、そこに大きな意味があることは御手洗と親しい者しか知らない。

 

「簡単におっしゃいますが、これ結構大変なんですよ」

「そうですそうです。横須賀は擁護派の居城で、私たちも百石司令たちと同じ擁護派を装っているんです。今の所は排斥派だとバレてはいませんが」

「結解、今の言だといかにも俺たちが東京のバカどもと同じに聞こえる。排斥派は排斥派だが、違うだろ?」

 

ニヤリと悪そうに微笑む花表。それを受け取った結解も同調し、堂々と棟を張って応える。

 

「そうとも俺たちは御手洗派、だ!!」

「お前ら・・・・・もう知らん!! おい、大戸!! 酒がない。女将を呼んでこい!! 酒だ酒!!」

 

結解と花表から視線を反らし、御手洗は焼酎瓶をこれでもかと高く掲げる。よほど飲んだのか顔も手もマントヒヒ状態だ。だが、それでも御手洗実を見失ってはいない。大戸はそれにやれやれとほほをかきつつ立ち上がる。一瞬垣間見た御手洗の表情。わずかに微笑んでいるように見えたのは気のせいではないだろう。

 

 

ーーーーーーーーー

 

 

空になった食器、焼酎瓶。それが我が物顔で居座る座卓を離れ一同は、部屋に1つしかない窓の近くに集まっていた。もちろん焼酎瓶とお猪口も共に。先ほどまでの騒々しさはなりをひそめ、開けた窓から少し湿っているものの酒で火照った体には心地よい風が入ってくる。時折、早とちりした鈴虫の爽やかな鳴き声も聞こえてくる。

 

「なあ、お前ら」

 

宴も佳境に入るなか、御手洗がいつもからは想像もできない神妙な声色を放つ。大戸たちは耳を傾けるだけで特段の反応は示さない。静寂が人の意思とは無関係に鳴き続けている鈴虫の音色をさらに際立たせる。

 

「みんな、死んだな・・・・」

 

その言葉が深く胸に突き刺さる。かつて御手洗派は的場派など海軍内の著名派閥とは天地の差があれど、大戸、結解、花表を含め26人の構成員がいた。その頃は宴会を開こうにもここのような部屋では収まりきらず、女将に無理を言って1階全てを貸切りにしてどんちゃん騒ぎをしたこともあったほどだ。ほんの数年前にも関わらず、その光景がついこの間のように思い出される。しかし、大戦を経た現在は11人しかいない。そして、そうなったのは同僚や志を同じくする仲間だけではない。

 

御手洗の大切な、おそらく・・・・・・いや、確実に自分の命を差し出してでも守りたかった唯一無二の存在たちまでもが・・・・・・・・・・・。

 

戦争が始まってからだ。

 

 

 

 

 

 

 

もともとそこまでは笑わなかった御手洗が、もっと笑わなくなったのは。

 

 

 

 

 

 

 

「もうこれ以上、目の前から人が消えるのは・・・・・・・・・・ごめんだ」

 

それを最後に、紡がれはじめた規則正しい吐息。御手洗は器用にも、あぐらをかき焼酎瓶を持ったまま寝ていた。

 

「ずいぶんとお疲れだったんでしょうね。お体の線も細くなったように感じますし」

「こうして寝られてる分には、口の悪さなんて微塵も分からないんですがね」

 

花表とは対照的に就寝をいいことに御手洗をからかう結解。御手洗の顔を見て3人は吹き出すように笑う。

 

「お前の言う通りだな。だが・・・・あまりぐっすり眠られても困るな」

「ん? どうしてですか?」

 

首をかしげる結解。花表も似たような表情で大戸を直視する。

 

「中将は横須賀に宿泊されるが朝一で東京へ戻られるんだよ。なんでも、例の会談があるらしい」

 

それを聞いて、大戸と同じく2人は表情を曇らせる。

 

「また・・・・・ですか」

「おそらくみずづきの件でしょうね。まったくあのごm・・・・」

「止めとけ結解。瑞穂最大の財閥たる五美(いつみ)家を侮辱すれば、一族郎党山奥に獣の餌として投棄される」

 

冗談のようで冗談に聞こえない冗談。背筋が寒くなる。いくらなんでもそこまではされないが、本気になればやれるだけの力を有しているのは事実だ。

 

様々な業界に根を張り数多の企業を傘下に置く一大企業グループ、財閥。瑞穂には現在、五美、越後、松前、豊田、三沢の五財閥が存在し、国内総生産の約5割を彼らが握っている。そのため各方面への影響力は凄まじく、彼らなしには瑞穂の国家運営は成り立たない。そして、御手洗家は彼らより遥かに歴史を持ち、瑞穂の政財界に深く関わってきた名家。当然両者の間には太いつながりがあった。

 

「せめて私たちだけでも、中将の味方でいなければ」

 

御手洗を寝顔を見ながら紡がれた花表の言葉。それに大戸と結解も力強く頷く。

 

深みを時と共に増していく闇。数えるほどしかない人家の明かりも徐々に数を減らしていく。猫の皮を脱ぐことができる気楽で至福の一時も、もうまもなく終焉だ。




本話では、これまで語れなかった瑞穂世界の設定や特定人物たちのお話を少しばかり書かせて頂きました。

なお「設定集」、瑞穂世界側の記述に少しばかり加筆を行いましたので、よろしければそちらも合わせてご覧ください。本文中で説明したかったのですが、全て書くと何の物語か分からなくなってしまうので・・・・・・・。(一応、艦これの二次創作です!)

今後も物語の進捗状況に合わせて、「設定集」、特に瑞穂世界側の記述は随時加筆していくつもりです!


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40話 浸透

本作のUAがさ、ささ、3万を超えました!!

読者の皆様、誠にありがとうございます!

まさか、毎回1000近いUAがあるとは・・・・・。



横須賀鎮守府 1号舎 会議室

 

一点の汚れもない純白で清潔感溢れる布が掛けられた長方形の大きなテーブル。床には赤紫色の絨毯がひかれ、踏むたびに靴が沈み込む柔らかな感触が足元から伝わってくる。20人近くがつけるほどのテーブルを想定して作っているためか、そんな代物が部屋の中央にあるにも関わらず室内は広々としていて圧迫感は皆無。ここを外や隣の部屋と仕切る壁は焦げ茶色の木目調。そのため若干暗い印象を受けるが、天井中央に吊るされている装飾豊かな西洋風の照明がこれでもかと言わんばかりに、窓からの日光と張り合い室内を照らしている。

 

そのどれも、布から壁、照明、花瓶などの調度品に至るまで全てが素人目でも分かる高級品だ。もの自体が放っているオーラの格が違う。

 

それだけでも緊張感が煽られ、「壊したらどうしよう、私の財産が一瞬で消える」という恐怖感が湧いてくると言うのに、目の前の光景がそれのレベルを更に引き上げていた。

 

これまた高級感丸出しの椅子に腰かける参謀部と第5艦隊の重鎮たち。彼らと相対する形で位置する百石や筆端。

 

そして、その横須賀鎮守府トップ2の隣に座る、みずづき。

 

「・・・・・・」

「どうしたんだ、みずづき? 視線を泳がせて落ち着きのない」

「いやぁ、その・・・・・。なんか場違いな感じが凄くてですね・・・。緊張するといいますか・・・」

 

固い苦笑。笑う以前に、表情を柔らかくする余裕がないのだ。髪の毛の生え際が冷や汗で少しばかり湿っている。なんだか、瑞穂に来てから、冷や汗をかいてばかりのような気がする。そんなしおらしいみずづきの姿を見て、筆端が握った冊子を叩きながら笑い声をあげる。

 

「場違いも何もない。この会議は君の力をみなで共有するためのものだ。いなければそもそも話が進まん。演習で見せた闘志はどこへ行ったんだ? ()()()()?」

「う゛・・・・・。や、やめて下さいよ、その二つ名みたいなもの。恥ずかしくて堪らないんですから!」

 

冊子を見ながら語られた「鬼神」という言葉に、面白いほど顔を赤くするみずづき。それを見た百石や参謀部の何人かも微笑ましさについ頬が緩んでしまう。

 

「鬼神」。みずづきは演習で見せたあまりにも強大な力によって、瑞穂側の驚愕と興奮、衝撃を総なめにし、気付けば将兵・艦娘問わずそう呼ばれるようになっていたのだ。みずづきにとっては驚愕しかない。また、厄介なことに畏怖の意味合いが強ければ良かったのだが、いまのところこの二つ名はおおかた筆端のようにからかいの定番と化しつつあるのだ。

 

みずづきは顔を火照らせたまま大きくため息を吐き、目の前に置かれている筆端と同じ冊子に目をやる。これは二人に限らず、ここにいる全員に配布されていた。表題は「日本国海上国防軍 特殊護衛艦みずづきの要項」。内容はそれの通りである。そこにはみずづきの装備や武器、それらの性能、そして設計思想や戦闘方法などが日本の書店で一般国民が知ることができるか、それより少し深い程度の事が記されていた。もちろん、これのもととなった報告書を書いたのはみずづきである。

 

それを見ると、製作時の苦労を思いだし手首をさすってしまう。まだ文章を考えるのは良かったのだが、パソコンによる文書作成が当たり前の世代にとって、手書きで報告書を作るのはさすがに苦行だったのだ。

 

「筆端副司令、冷やかしはほどほどに。では、早速本題に入ろう。先日の演習で我々は彼女の力を目の当たりにした。それを見てどのような感傷を抱いたかはみなそれぞれだろう。だが、それはあくまで感覚的なものにすぎない。これから、みずづきと共に戦っていく上で、彼女の、日本の常識を感覚ではなく我々の兵器と同様に理論的に把握して把握しておかなければならない。ここにはみずづきもいる。不明な点や理解しがたい点があれば、今のうちに解決しておいてくれ」

 

この報告書はここでの議論をを円滑かつ有意義なものとするため事前に配布されていた。ここに集まっている者たちは全員一度では飽き足らず食い入るように何度も報告書を見返している。つい内容の次元がおかしくため息や瞬きの連発を行ってしまいがちだったが、何人かは内容の前にあることを懸念していた。

 

「司令。その前に1つ確認しておきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「大戸艦長。なんだ?」

 

軍人らしい荘厳な口調。普段艦娘や親しい者に囲まれて比較的砕けた姿を目にしてきたみずづきにとって、公人として振る舞う百石は新鮮だ。

 

「いえ、みずづきには失礼なのですが、この報告書に書かれている内容の真偽をお伺いしたいのです」

 

その言葉に同席している第5艦隊第5戦隊司令結解、同第10戦隊司令花表をはじめ数人の幹部が大戸に視線を向ける。そこには叱責と正反対の色が浮かんでいた。大戸たちを見て、百石はため息をつく。その次に出てきた言葉には若干のあきれが含まれていた。

 

「その点については、みずづきから答えてもらう。みずづき、頼む」

「は、はい! えっと、この報告書に書いたことは全て事実です。虚偽は一切含まれていません。但し、私の知識全てということは不可能ですので、その点はご了承頂ければと思います」

 

断言するみずづき。対するは鋭い眼光を覗かせる大戸。彼はみずづきの目を直視し続ける。

 

「では、具体的にどの程度を?」

「一般市民、ここでは日本国民のことですが、書店やマスメディアから得られる程度としています」

 

一挙に鋭くなる視線。大戸だけではない。懐疑的な見方をしていた幹部以外からも、疑念を感じる視線が向けられる。これは解釈によっては「瑞穂側は信用できない。だから情報の開示は行えない」とも捉えられるのだ。いや、何の不純物もなく普通に受け取れば、誰でもそう思うだろう。それはみずづきも当然分かっていた。「善は急げ」ということわざを思い出し、慌てて「そうではない」という補足を付け加える。一気に汗が吹き出しそうだ。

 

「こ、これは今回、私や日本の武器・戦術を皆様に分かりやすくお伝えするために作ったものです。そのため、専門的なことはできる限り言及しておりません。専門的なことや技術的なことを必要とされる場合は、これはダメというものを除き逐次開示いたしますので・・・」

 

一気に弛緩する会議室の雰囲気とみずづきの緊張。バレバレの安堵が微笑ましく、さらに緊迫した空気は四散していく。

 

「無礼なこと聞いて申し訳ない。ありがとう」

 

笑顔を浮かべる大戸。結解たちからも既に鋭利な眼光は失われている。それにはみずづきのみならず、百石も安堵してしまう。

 

「余興も済んだことだし、みなも大戸艦長のように気兼ねなく発言してくれ。ここはそういう場だ」

 

(た、他人事だと思って・・・・。調子よすぎでしょ)

柔らかい笑顔の百石とは対照的に、固い笑顔のみずづき。若干のいら立ちを含めた意識を向けるが、気づいているだろうに当の本人は無反応だ。

 

「じゃあ、いいですか?」

 

参謀部長の緒方が先陣を切る。出来れば静かに報告書を読んで、お開きになって欲しかったのだが、開始序盤でそのささやかな願いは打ち砕かれた。

 

「ど、どうぞ・・・・・・」

「君の兵装や武装の概要、性能については・・・・・・・まあ正直分からないことだらけだが、私は専門外だからここは置いておく。だが、仕組みはどうであれ演習やこれを見るに君の戦い方は、私たちの大艦巨砲主義に則ったものではない。対空・対艦の双方において、君はミサイルと呼ばれる噴進弾を中核に据えているとみていいんだね?」

「はい。おっしゃる通りです。私、いえ私たちの世界では、日本をはじめとした先進国から発展途上国まで、ミサイルを主軸とした戦術に転換しています。大砲で有視界の敵と撃ち合う戦闘方式はすでに過去のものです」

「それはどの範囲までかな? この間の演習では君の電探性能を見越して、索敵を省略し30kmの距離を保って行われた。これにはESSMと呼ばれる対空ミサイルの射程が約50km、17式艦対艦誘導弾ブロックⅡ、対艦ミサイルの射程が・・・約150kmと記されているんだが・・・・・」

 

言葉を重ねるにつれて小さくなっていく声量。それだけで緒方が心の中で何を思っているのか、丸わかりである。その反応と報告書の文字により瑞穂側はただただ苦笑するしかない。

 

「私の装備している武装では、対艦ミサイルが最大の射程を誇ります。そのため、その・・・・おっしゃられた150kmが最大交戦距離となります」

「・・・・・そうか、そうか・・・・・・・そうか」

 

日本海上国防軍のみずづきから見ても、厳めしい軍人たちが「ははははっ」と全てを悟ってしまったかのような笑みを浮かべるのはほとんど遭遇したことのない事態である。そのため、例え純然たる事実であろうとこちらも少し物腰の非常に柔らかい言い方になってしまう。それでも緒方は天を仰いでいるのだから、きっぱりと言った方が良いのか、相手の感傷を理解しつつゆっくりと話していった方が良いのか分からなくなる。緒方の視線の先には白く調度された天井があるものの、彼の目には少しも映っていないようだ。

 

150km。射程1万km越えの大陸間弾道ミサイル(ICBM)や1000km越えの巡航ミサイル、そればかりか艦載砲でもGPS誘導砲弾などを使用すれば射程100km越えなど、長射程兵器が跋扈する日本世界において、150kmはたかだか150kmであり、聞いたところでインパクトはほぼ皆無。しかし、これは日本世界での常識であって、瑞穂世界の常識ではない。150kmとは直線だと東京から横須賀を悠々と越え、静岡県の静岡市までの距離に相当する。大艦巨砲主義に基づきせいぜい十数kmの範囲で海上戦を行ってきた世界にとって、この数字は“たかだか”ではなく化け物である。それだけの長距離で攻撃可能な兵器が存在していることだけでも意識が飛びそうになるというのに、それを運用しているは誰かという至極簡単な問いが百石たち横須賀鎮守府上層部に頭痛の嵐を巻き起こしていた。みずづきは、ただの護衛艦・・・・瑞穂側から見れば軽巡洋艦、非常に低く見ても駆逐艦なのだ。戦闘機を運用可能で長距離打撃力を有する空母でも、ましてや巨大な主砲を備えている戦艦でもない。

 

そんな彼女が、命令や意思一つで150km先を叩ける。これは戦術を通り越え、もはや戦略の領域だ。

 

「みずづき? SSM-2B blockⅡの誘導方法が慣性航法とアクティブ・レーダー誘導の併用とのことだが、君の対水上レーダーは30kmが探知限界のはず。にも関わらず、これは射程が150kmで命中精度もほぼ100%と記述されている。そんな向こう・・・・・レーダー波の届きようがない遥か彼方の目標をどうやって見つけるんだ?」

 

緒方とその他が昇天しかかっているのを尻目に、工廠長の漆原が技術屋の漆原らしい極めて技術的な質問を行う。みずづきはそれに思わず感嘆してしまう。演習時に発動された対みずづき作戦、「狩月作戦」。演習終了後、両者の健闘を称えあう「大隈」の艦上で百石から彼がチャフによるレーダー妨害やレーダーの死角である超低高度を飛行しての肉迫、目標識別を惑わすための偽装工作など作戦の骨子を立案した立役者と聞いたのだ。それに肉付けを行ったのが百石や作戦課員たちとはいえ、今回の作戦は漆原がいなければ成立しなかったであろうことは作戦を仕掛けられた側のみずづきでも容易に想像がつく。漆原に対する豪快で現場主義、少し強面の軍人とイメージはそれを聞いた瞬間、180度転換せざるを得なかった。おそらく、横須賀鎮守府で最もみずづきが宿している“未来の技術”を理解しているのは、質問を投げかけてきた彼だろう。

 

「えっと、ですね、それはE・・・。う~ん・・・・・。資料と合わせた方がいいかな・・・。お手数ですが、今見られているページを2枚ほどめくっていただけますか? そこに電波妨害について記述した箇所があるんですけど」

「ああ、あった、あった、そういうの」

 

みずづきの声に合わせ、昨夜読んだ時の記憶を思い出しながら報告書に手をかける漆原。緒方なども例外ではない。ページをめくる紙のこすれる音が室内を一時的に支配する。

 

「ここに電子対抗手段の1つとして電波妨害装置について書いているんですが、これが胆です。電波妨害装置とはその名の通り、電波を妨害して相手の通信、レーダー、そしてSSM-2Bと同じように何らかの電子装置を用いて向かってくるミサイルの攪乱を行う装置です」

「これのおかげで我々は一泡ふかされたわけか」

「その通りです。五十殿課長」

 

忌々しげに報告書の「電子対抗手段」欄を人差し指でつつく、横須賀鎮守府参謀部作戦課長。完敗している頭部の激戦地が情緒ある照明の明かりを反射させているため、思わず吹きそうになる。だが、絶対に吹いてはならない。軍人としても、一人の人間としても・・・・・。人の道を外れないよう、お腹に力を入れる。なんとか耐えられた。

 

「・・・ですが、これには受信モードと発信モードがあり、妨害には発信モードが使われます。そして、受信モードは相手のミサイルや軍艦、航空機からの誘導電波をキャッチする際に使用されます。ミサイルの誘導には高周波・高出力の電波が主に用いられるため、数百km彼方でも補足は可能です。その情報をもとに慣性航法の情報を入力、目標近くまで飛翔するとアクティブ・レーダー装置が起動し突入、という流れです」

「なるほど・・・・・・・・な。よく分かった。敵攻撃手段の大まかな位置を知り、対処するだけならそこまで詳細な位置情報を掴む必要はない。どのみち、敵はこちらへ向かってくるから、待っていればいい話。しかし、それほどまで先の電波を収集、識別・分析可能とは・・・・・俺たちと君たちの技術格差をつくづく思い知らされてしまうよ」

「あははははっ・・・・・」

「みずづき、俺からもいいか?」

「は、はいなんなりと。筆端副司令」

 

次から次へと、日本にいれば言葉を交わすこともなかったであろう幹部から投げかけられる質問。平静に答えているように見えるかもしれないが、1つ1つの体力消費は半端ではない。なにせ、質問を投げかけ、答えなければならない相手は“お偉いさん”である。しかも、ここは横須賀鎮守府。同じ階級でも辺境の基地に配属されている士官たちとは出身が全く異なる。覚悟していたのだがそんな方々による連撃のダメージは想像を超えていた。いくら慣れてきたとは言っても、ここは軍隊。緊張はするものだ。

 

「今回の演習では、対空と対水上戦闘において君の力を見せてもらった。それはもう十分すぎるほどにな。ただ、既に艦娘たちや将兵たちから話を聞いて君も十分分かっていると思うが、我々の敵は船や戦闘機だけじゃない。海中に潜み、肉食獣の如く船を狩る悪魔・・・・・・・潜水艦もだ」

 

潜水艦。この言葉を聞いただけで幹部たちの表情が曇る。同時にみずづきも、だ。珍しいことにここでは世界・技術の差異は存在していなかった。いくら日本世界の技術が発達しているとはいえ、潜水艦の脅威は21世紀も変わらない。そして、瑞穂世界では深海棲艦が登場するまで戦艦や空母と同じくこの世界に潜水艦は存在していなかったのだ。そのため、通常兵器による対潜兵器。対潜戦術は艦娘たち・妖精たちの協力があるとはいえ発展途上も初期の初期。みずづきの想像以上に瑞穂海軍の潜水艦への危機感は深刻なのだ。

 

ただ、みずづきが表情を曇らした理由は潜水艦への純粋な危機感だけではない。あの日から、深海棲艦潜水艦は明確な仇にもなっているのだから。

 

「ここには、演習で見れなかった対潜戦闘についても記載がある。これも我々からすればもうファンタジーの領域だ。ファンタジー過ぎて、どれほどあてにすれば良いのか・・・・申し訳ないと思うのだが、正直図りかねる」

「対潜捜索・追尾・戦闘に使われる装備は書かれている通りです。私も自分が使っている装備は信頼していますが、水中のレーダーたるソナー次第としか、お答えは難しいです。水中は空気中と異なって液体である水に満たされているため、日本の最先端技術でも完全な捜索は・・・。しかし、そうは言ってもソナーの性能は織り込み済みです。一たび探知に成功すれば、かなりの確率で敵の撃滅は可能です」

「小型の水中探信儀を内蔵した誘導魚雷に、それを遠方まで即座に投射できる対潜用のロケット。そして対潜哨戒機と攻撃機を両立し、母艦の外周に展開可能な回転翼機。爆雷によるまぐれ狙いの対潜戦闘法とは格が違いますね。空だけでなく、海までハリネズミとは」

「ブリテンも対潜水艦兵装の開発を進めていると聞いているが、やつらこれを見たら卒倒するかもしれんな」

 

顎をさすりながら感慨深げに語る花表。隣に座る彼を見ながら結解はつい、頭をかきむしり、ラッパーも拍手を送ってしまうほど悶えているブリテン科学者の憐れな姿を想像してしまい、笑みを浮かべる。

 

「するかもしれん、じゃなくて確実になるだろう。兵本の連中も同様だな。しっかし、なにもかもレベルが違い過ぎる・・・・・・・。捜索装置と攻撃兵器がこれだけ発達してるんだ。それを受ける側である日本世界の潜水艦は、それはもう怪物だろうさ」

 

冷や汗をかきながら、泣きそうな目の筆端。みずづきが雑魚同然に捉えている深海潜水艦でも、この世界の人間にとっては脅威どころの話ではない。みずづきの兵装を持って立ち向かむ潜水艦など、怖すぎて想像もしたいくない。そんな目を向けられれば、余程の鈍感でない限り筆端の心情を把握することは容易だ。みずづきも潜水艦に何度も苦しめられ、大切な存在を奪われたのだ。無意識のうちに拳に力が入る。その気持ちは痛いほど分かる。

 

「みなさんから見るとそうでしょうが、私から見ても現代の潜水艦は怪物ですよ。潜水艦の建造にはその国の英知が総動員されますから、技術は日進月歩。私の兵装でも対潜水艦捜索・戦闘は、見えない恐怖もあって対空や対水上よりも正直厳しいです。装甲がない私たちは、魚雷が当たれば良くて戦闘不能、悪ければ轟沈ですしね」

「そうだよなって・・・・・・・ん? ちょ、ちょっと待ってくれみずづき。え? 君、装甲ないの?」

 

目を点にして、資料をめくりまくる漆原。その反応が理解できず、「そ、そうですけど・・・・」と歯切れの悪い返答しか返せない。だが、それを聞いてますます呆然とする漆原。彼だけかと思い周囲を見渡すが、一同全員が同じ表情になっていた。狐につままれたような、という表現がもってこいだ。何故、このような反応をするのか。思考の海に浸りかけるが、すぐに答えは導き出せた。「あ~あ、そうだったそうだった。昔の軍艦は」と独り言。それが一瞬分からなかった自分自身のバカらしさに、そして百石たちの表情に笑みがこぼれる。

 

「えっと、申し訳ありません。このことは報告書に明記しておくべきでした。私たちはミサイルの主力兵器化によって、防御性能より高機動性の確保に主眼が置かれているんです。いかに軽くするかという船体の軽量化が優先されてため装甲はありません」

「それでは攻撃を受けた時ひとたまりもないじゃないか」

 

目を若干大きく見開いた第5艦隊参謀長掃部尚正少将の至極当然な言葉。それに結解や花表をはじめ、何人かが真剣に頷いて同意を示す。

 

「私たちは、そもそも敵の攻撃が命中することを想定していません。ミサイルや戦闘機の迎撃が大前提で、何重にも張られた防衛網を破られれば後は・・・・・・」

「後は・・・・?」

「死なないよう祈るのみです!」

「・・・・やはり、私たちとはそもそも軍事戦略や運用概念が違いますね。装甲がないなんて、恥ずかしながら想像だにしていませんでした」

「それは私もだ工廠長。正直ここで聞いておいてよかった・・・・」

「そうですな。もしそれを把握しなければ、俺たちは大きな過ちを犯すところでした」

 

筆端の感嘆。それに百石は大きく頷く。先の演習やみずづきからの情報を基に百石たち横須賀鎮守府上層部は、みずづきの運用方法についてそれなりに突っ込んだ議論を交わしていた。彼女の力は対空・対水上・対潜などの戦闘任務から、電波妨害能力を生かした敵情報網のかく乱などの後方支援任務など想定しうるほとんどの任務に参加可能だ。また、1人で空・海上・海中いずれの敵とも対処可能であるため、極端に言えば今まで艦娘6人を使って行っていた船舶の護衛任務を1人で担うことも理論上は可能。こんな汎用性の高い戦力を一つの任務に限定して運用することは「宝の持ち腐れ」である。そのためどの任務や作戦の場合でも出動できる機動運用、特定の艦隊に編入せず、今後実施されるであろう作戦や優先順位の高い任務を念頭に置いて、逐次各艦娘部隊に“派遣する”という形で話がまとまりつつあった。しかし、「装甲がない」ならば機動運用に少なからぬ制約を加えなければならない。いくら戦闘能力が高いとはいえ、被弾可能性の高い作戦、戦艦が殴り合うような作戦には到底みずづきを加えることはできない。

 

「はあ~」と安堵のため息。一旦熱を帯びた会話が途絶える。その瞬間、正躬が遠慮そうに手をあげる。少し前から身じろぎを頻繁に行っていたが、発言の機会を窺っていたようだ。

 

「それでは・・・私も。漆原工廠長? 先の演習や報告書、艦娘たちの話からみずづきの凄まじさは身に染みて分かっている。だが、どうだろうね。彼女の劣化版でもいいから、似たようなものを作れないのかな?」

 

第5艦隊司令官、正躬少将の言葉。漆原は背筋を伸ばしつつも、彼が抱いているわずかな希望を一刀両断しなければならない。浮かべている笑顔には複雑な心境が反映されている。

 

「作れるか否かでいえば作れるでしょう。80年先とはいえミサイルやレーダーに使われている技術は魔法のような未知のものではなく、我々と相違ない科学をもとにしています。ただ、見るのも忍びない劣化版になるでしょうが」

「何かに例えて言ってくれないかね?」

「・・・・・31式戦闘機から100mも飛べない黎明期の複葉機しか生み出せない、と解釈して頂ければ・・・・」

「なんと・・・」

 

うめく掃部。みずづきは首をかしげるしかないが、31式戦闘機とは2031年に実戦配備された、それまでの瑞穂戦闘機とは異次元の最新鋭戦闘機である。それを必死に真似ても、今では博物館に収蔵されているレベルのものしか作れない。再び突きつけられたあまりの現実に海軍兵学校・一般大学出身に関係なく、特に文系専攻の幹部たちが重たいため息を吐く。

 

「虎の子にして、唯一無二の存在。みずづきの戦略的重要性は、新編中の機動艦隊をも容易に凌駕するほど高い。頼もしいかぎりだよ」

 

みずづきを見ながら語られた百石の言葉にうんうんと頷く一同。反論は出ない。いや、恥ずかしそうに視線を落としている者がいるため、瑞穂側に限っては反論や異議はなさそうだ。

 

「べ、別に私は、そんな大層な船ではありません。機械にばっかり頼っていて、個人的な技量は・・・・・。それに艤装のもととなったあきづき型護衛艦は2010年に進水した旧式艦ですし、主砲も時代遅れの大砲ですし・・・・」

 

1対12で勝利、計101機の猛攻を防ぎ切った鬼神・・・・などなどあの演習によってあきづき型特殊護衛艦の力はこの世界において、はっきりと証明された。それは実をいうとみずづき自身にも言えることだ。みずづきは自身がこの世界において演習での戦果を発揮できる存在であることをはっきりと認識したのだ。

 

世の中にはこのような劇的な成績を収めると調子に乗って、有頂天を極めるおバカさんがそれなりにいるが、当のみずづきはそうならなかった。百石の言葉に対する謙遜も社交辞令ではなく、心の底から思ってることだ。

 

この世界において、みずづきは確かに強い。

しかし、視点をこの世界から日本世界に向けたならどうか。「世界」という言葉に瑞穂世界と日本世界の二つの並行世界を内包する身にとると、自身の評価は決して高くできない。

 

この世界に来た衝撃で忘れていたものの、あきづき型特殊護衛艦は日本世界において既に陳腐化し始めているのだ。

 

「ん?」

 

みずづきにとっては散々、ここへ来る前に知山やかげろうたちと話していた言葉や内容だった。2018年に就役したまいかぜ型護衛艦をモデルとするまいがぜ型特殊護衛艦のかげろうはまだしも、みずづきが隊長を務めていた第53防衛隊には、あきづき型護衛艦より古い護衛艦をモデルとする艦娘が2人いた。その2人とは元気で男盛りなおきなみと無口で物静かなはやなみである。彼女たちは2003年に一番艦が就役したたかなみ型護衛艦をモデルとするたかなみ型特殊護衛艦で、深海棲艦には対抗できていたもののあきづき型のみずづきよりも能力の陳腐化は否が応でも意識せざるを得なかった。だから、作戦時や平時に関係なく、愚痴を言ったり、素直に現代技術の凄さを語り合ったりしていた。そのため、違和感など覚えようもなく滑らかに紡がれたのだが、瑞穂側にとってはそうもいかなかったようだ。百石が若干焦りの色を浮かべ、筆端が体をこちらへ傾け言葉をまくし立てる。

 

「みずづき、ちょっと待ってくれ。今、君は自分を旧式艦といったな?」

「は、はい。そうですが」

 

返答を聞いて、ますます困惑気味の筆端。彼だけではない。みずづき以外の全員が筆端と同様の状態に陥っているといっても過言ではなかった。みずづきは筆端に問われた時、いったいなぜそこまでなるのかわからなかった。鬼気迫る表情と乗り出す身に思わず、背中を反りそうになる。

 

「君以上の能力を持つ軍艦や艦娘が、日本世界には存在するのか? 私は、私だけではないと思うが、てっきり君は日本の最新鋭艦だと・・・・・」

「あ・・・・・・」

 

一瞬驚いたが、それは次の言葉できれいさっぱり融解した。安堵からか自然と強張った表情が緩む。

みずづきにとっての「世界」に2つの並行世界が内包されているといっても、いくら艦娘たちから日本世界のことを聞いているとはいえ瑞穂世界しか見たことがない百石たちは1つの「世界」しか知らない。そして、自身が日本世界の詳しい様相に口を噤んでいる以上、当然“現在”の日本世界を知る術を彼らは持っていないし、知らないのだ。

 

「なんだ、そういうことですか・・・・。まぁ、そりゃそうか・・・・・。私も属しているあきづき型特殊護衛艦のモデルとなったあきづき型護衛艦は今から23年前の2010年に就役した艦で、高い対空戦闘能力を持っていたため当時はかなりの注目を集めたそうです。私の艤装もそれをしっかりと受け継いでいますから確かに高い戦闘能力を有しています。しかし、当然ながらそのあとに建造された護衛艦をモデルとしている艦娘や近年建造された通常の護衛艦を比較すれば見劣りは隠しようがありません。さすがに20年も経てば、陳腐化は免れません。技術は日進月歩ですからね」

「いや、本当に・・・・・」

「我々もあちらさんの科学者を見習わなければなりませんね」

 

ため息をつく筆端に、みずづきの発言を一語一句逃さないとばかりに必死にメモをとる漆原が応じる。彼はまだまだ元気なようだが、筆端をはじめとする士官たちには疲れの色が見え始めている。さすがに、経験豊富な軍人といえども驚愕の連発はみずづきと同じく体力を消耗するようだ。

 

「筆端副司令。それも分かりますが初めに聞くことはそれではないでしょう」

「そうです、そうです」

「私たちのような大砲屋からすると、大砲が時代遅れという方がよほど衝撃です」

「お前たちの言うとおりだな。時代遅れとはいかに」

 

しかし、そんな士官たちとは異なる一団も存在していた。血相を変えて声を上げる大戸・結解・花表。中堅軍人の3人に老練の掃部が同調する。彼ら4人は艦隊勤務が長く、大艦巨砲主義にもっとも慣れ親しんできたいわゆる「大砲屋」であり、みずづきの言葉をいくら疲労が溜まっているとはいえ素直に飲み込めないのだ。それを知っているからこそ、批判したり顔をしかめたりする士官は皆無で、百石や正躬たちもことの行方を見守っているのだ。ただ、彼らにもみずづきの発言の真意を確かめたいという想いはあるだろうが。

 

「と、いうことだ。どうなんだみずづき?」

「申し訳ありません。舌足らずで少し誤解を生んでしまいました。火薬によって砲弾を射出する砲や大砲は2033年の地球でも様々な兵器において主力武器であることには変わりありません。砲にもいくら時代が移り変わろうとも不変の有用性がありますので。ただ、長い年月をかけて実用化された別の兵器へと移行が進んでいることもまた純然たる事実です。その兵器とは電磁投射砲、いわゆるレールガンと指向性エネルギー兵器の一種であるレーザー兵器の2種類です」

「な、なんだと!?!?」

 

驚愕のあまり、漆原がテーブルを思い切り叩き勢いよく立ち上がる。鎮守府司令官、副司令官、各部・各課長、第5艦隊の首脳などそうそうたる面々が出席している幹部会議で、マナー違反も甚だしいど派手な行動を起こした漆原に視線が集中すればいいものを、何故か視線は全てみずづきに集中していた。「なぜに?」という疑問が心の中で噴火するが、自力で鎮火するしかない。しかも、静かにだ。自身の発言がよほど衝撃的だったようで、会議室には一時の心休まらぬ平穏が訪れた。

 

「レールガンって、あの電磁石の原理を用いるっていう・・・・・・・・・」

 

とある課長の呟き。それが合図となって、瞬く間に発言の波が広がっていく。

 

「空想科学小説で出てくる定番の架空兵器だ。レーザーも同じ」

「個人的な研究でそれらについて言及している論文を大学時代に呼んだ覚えがありますが・・・」

「まさしく空想の産物だよ。瑞穂はおろかどの国もそんなもの、今後100年間は絶対に開発不可能と言われている代物だ。それを・・・・・」

 

興奮のあまり着席した瞬間、昇天してしまった漆原の隣でまだ意識を保っている幹部たちが口々にどうしていいか分からない動揺を周囲に吐露している。あまりの驚きように、これの元凶たるみずづきも若干ひいてしまう。だが、彼らの驚愕を大げさとは思わなかった。これまで幹部たちの言うとおり、架空の兵器であった両者。そのインパクトは、火砲によって成立していた現代の戦闘を大きく変えるほどの威力を持っていた。かくいうみずづき自身も初めてレールガンを見たときの衝撃と興奮はいまだにはっきりと覚えている口だ。だから、童心に帰ったような、まるで過去の自分のような様子を見ていると、つい笑ってしまう。

 

「あ、はは、はははは・・・・・」

 

急に響く、乾いた笑み。ひどく自嘲的で白旗を振っているような声。そう感じたのはみずづきだけではなかったのだろう。室内に充満していた興奮と衝撃が一気に影を潜め、全員の視線がとある1人の男に集中する。

 

「隔絶しているな」

 

しみじみと語った百石は、漆原に視線を合わせる。昇天していた彼も雰囲気の変化に触発されたのか、意識が回復していた。

 

「私たちがどれだけ策を巡らそうと、やはりあの世界には・・・・・みずづきには敵わない。悔しいな」

「百石司令・・・・・」

「勝負である以上、私も本気で勝ちを目指したのだが・・・・・。みずづき、君はどう思う?」

「え・・・・・」

 

もとより、いまいち会話の流れを把握していなかったため、問いかけの真意が分からない。少しあたふたすると、こちらの気持ちを察してくれたのか百石が会話の流れと問い噛み砕いたくれた。

 

「先日、行われた演習。まぁ、予想通りというかなんというか君の勝利で幕を下ろした。あれにおいて、私たちは勝つために工廠や参謀部・作戦課、そして私や先輩、艦娘たちも携わって狩月作戦を練り、発動させた。そこまでしたにも関わらず、私たちは負け、君は勝った。それなりに議論した代物だったからな。作戦を受ける側だった君の意見を聞きたいんだ。もともと、この会議も君が作ってくれた報告書の説明と、それを聞こうと思って招集したものだしな」

「え゛・・・・・・」

 

作戦の評価を聞くため、など今が初耳である。作戦に多くの人間が関わっていたため大勢の前で語って欲しいという考えも分からなくはないが、できれば提督室で百石と長門、筆端あたりと相対する環境で述べたかった。

 

「それで、君はどう思った?」

 

その問いは、百石1人だけではなく、漆原も当然含めるとしてこの場にいる全員から問いかけられているような気がした。

 

ものすごい重圧だが答えるしかなさそうだ。

 

「どう思ったか、ですか・・・・・・。正直に言って・・・・・」

「言って・・・・・」

「さすが、横須賀鎮守府だなと思いました」

「ほ、本当か?」

 

自然に出た笑み。百石がまるで少年のように、混ざり気のない表情で聞き返してくる。そこには安堵が浮かんでいる。周囲の士官たちも同様だ。笑みの中の自然さが効果的だったようで、お世辞ではなく本音と受け取ってもらえた。

 

「はい。私も相手が12隻で空母を2隻含み、有する航空戦力はあの誉高い海軍のしかも空母航空隊、という状況では勝てるかどうか分かりませんでしたが、百石司令や鎮守府の方々の作戦がなければ、もっと・・・・その、楽に戦えていたと思います。CIWSを使用したり、榛名さんたちと砲撃戦をしたりする状況まで追い込まれなかったのではないかと・・・・・・・・。ですから、作戦中は畏怖・安心もしました」

「安心?」

「敵でなくて、良かったと・・・・。深海棲艦にあんな戦術を使われたら、たまったものではありませんから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありませんから」

 

脳裏に点滅する記憶。近頃よく見る夢のせいだろうか。夢を見るようになってから、日本にいたころは抑えられていた記憶の浮上回数が心なしか増えている気がするのだ。

 

「ですから、大変心強いです。地球における現代の科学水準をご存じないにも関わらず、あそこまで私を追い詰めたのですから。それはみなさんの努力の賜物だと思います。私も寝首をかかれないよう精進しなければなりませんね」

 

みずづきの発言が終わり、一気に静まり返る会議室。窓の外を飛び回っているのであろうスズメたちの鳴き声が聞こえてくる始末だ。

(あ、あれ・・・・・・・・?)

「へんなこと言っちゃったかな」と急激な体温の低下を感じていると、突然百石が豪快に若い出す。それに続いて、漆原と緒方・五十殿もだ。筆端などの他の士官たちも爽やかな笑みを浮かべている。戸惑うばかりだが、彼らの中で何かの踏ん切りがついたようだ。

 

「そうか。私の、我々のやったことに意味はあったか・・・・・・・。ならば、反省会をしなければ、な」

「そうですとも。演習の経験は艦娘たちに、そして我々にとって何物にも代えがたい貴重な経験と情報です。この際、しっかりとまとめて、今後の財産としなければ」

 

漆原がぎっしり文字で埋め尽くされたノートを掲げる。そこには絶対的強者に対する諦めも、無力感もない。そこにあるのは、絶対的な力を前にしても不屈の精神と探究心と向上心のみであった。

 

「漆原の言う通りだ。作戦を立てた者の責任として、事後検証もしっかりやらなくては」

「ちょっと待って下さいよ、百石司令」

 

情緒が溢れんばかりの百石とは対照的に、ニヤニヤといかにも悪そうな笑みを浮かべる筆端。先輩後輩のやり取りを日常的に見ていたため、筆端が百石に対して敬語を使っている状況は違和感しかないが、親近感が滲み出る彼の表情がその違和感をかなり中和してくれる。かなり親密な間柄でなければ、このような場でそのような表情はやろうと思っても出来ない。

 

「随分とやる気をたぎらせておられますが、今夜は演習の打ち上げ。早とちりしたり、飲んでる最中にかたっくるしいことをいえば、艦娘たちからの寵愛は避けられませんよ?」

「おっと、そうだった、そうだった。私もこれ以上、彼女に構われるのは勘弁願いたい」

 

筆端に応じるようにおちゃらけた口調の百石。横須賀鎮守府最高司令官殿と艦娘たちのやり取りはここにいるもの全員が把握しているため、一挙に笑い声が会議室を支配する。歓迎会を起因とした長門とのひと悶着や第5遊撃部隊所属空母のコンビネタを諌めようとして、両名から集中攻撃を喰らう百石の姿などを間近かつこの目で見てきたみずづきもその輪に交じる。

 

そこでふと、思い出した。

 

某実験だのなんのが大好きで、ほぼ工厰専属艦娘になっている一人の影を・・・・・・・・・。

(・・・・・・・。どうやって、逃げ回ろうかな)

打ち上げは演習の無事終了と全員の労を労う名目で行われるため、当然みずづきも呼ばれているし、こちらとしても楽しみなので参加する気満々だ。ただ、その反面、「演習の打ち上げ」という嫌でも演習を想起する場のため、彼女が襲いかかってくるような気がしてならないのだ。

 

「はぁ~~~」

 

艤装を背負っていようとも、一般の女子たちと変わらない嘆息。みずづきにとって両親と同等かそれ以上の年齢である男たちの笑い声が響く空間に、それは溶けていく。




いまいち、レーザー兵器をはじめとする指向性エネルギー兵器、電磁投射砲の原理が分かっていない作者ですが、いくら深海棲艦と全面戦争をしているといっても2033年にはかなり一般化が進んでいると思い、少しだけ取り上げてみました。既にアメリカやイスラエルでは実戦配備されていますしね。(あちらさんは怖いです)

来週は文中でも語らさせていただいたとおり、艦娘たちもいる「打ち上げ」をお送りします。2週連続で艦娘たちが舞台袖に下がってしまって申し訳ありません(汗)。本当は40話と41話は1つの話だったのですが、文章が多くなりすぎたため分割しました。何度も文章を練り直していると量が・・・・。

っと、そういえば、「艦これ」公式クラシックスタイルオーケストラ Grand Fleet Tour 2017の受付が開始されましたね。2連敗&リアルの用事によりそもそも応募すらできなかった作者としては、今度こそが当たって欲しいところです!!! (将来に関わる用事とかぶったら、嫌だなぁ・・・・・)


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41話 打ち上げ

今回は2話連続投稿でいきたいと思います。

理由はもうお分かりの方もいらっしゃるかもしれませんが、あの話が後ろに控えているからです。


居酒屋 橙野

 

 

「では、演習の無事完遂及び艦娘たちの健闘を讃えて、乾杯ぃ!!」

『かんぱーいぃ!!』

 

日も完全に落ち、街灯をはじめとする照明たちの出番が訪れる中、とある典型的な瑞穂家屋から元気ハツラツという表現がぴったりの声が聞こえてくる。どこかの料亭のように玄関の軒先に吊るされた提灯と軒天に設置された照明の淡橙色が、闇の中で一際存在感を放っている。次々と訪れ、去っていく客たちもその引き立て役である。

 

今日ここでは一階の奥にある大広間を貸切り、先に行われた「光昭10年度第一回横須賀鎮守府演習」の打ち上げが催されていた。座卓の上には和・洋・中の様々な料理がところ狭しと並べられている。飲み物と思われる瓶も多く置かれているが、全てジュースやお茶などの非アルコール飲料である。一部の艦娘や百石などはこれに猛反発したが、腕組みをし清々しいほどの笑みを浮かべながら、額の血管を隆起させる長門には誰も逆らえなかった。長門曰く「歓迎会のような失態は絶対に容認できない」らしい。それも百石たちが原因なので、自業自得だった。

 

「うは~~~!! 訓練終わりの一杯はうまいわ~~!!」

 

居酒屋のオヤジや百石たちのように満開の笑顔で、コップを握りしめる黒潮。飲んでいるのは、オレンジジュースである。

 

「黒潮・・・・、時間や性別を超越しすぎじゃ・・・」

 

その姿にみずづきはツッコミを抑えることが出来なかった。今、みずづきは第3水雷戦隊と共に座卓を囲んでいる。大広間には五つの座卓があり、部隊別になっている。1つは百石や筆端を中核として、顔を出す幹部たち専用だ。今は2人に川合と額に雨粒のような汗を浮かべた、明らかに緊張気味の西岡が座っている。着席場所の話が出た際、当初どこの部隊にも所属していないみずづきの着席位置が問題となった。百石ら幹部たちと同じ座卓を定位置とすることも考えられたが、どうせなら艦娘たちと共に座った方がいいという事で、くじ引きを敢行。その結果、みずづきは何かと縁のある第3水雷戦隊にお邪魔することになったのだ。

 

「みずづきは、知らない、だろうけど、黒潮はいつもこんな感じ・・・」

「そうそう。ほんの少し前までみずづきと同じように陽炎がツッコミの入れてたんだけど、あきれちゃって、今はもうこの通り」

 

川内が自身の隣を指さす。そこにはバツが悪そうな陽炎がいた。

 

「な、なによ。別にいいじゃない! ツッコもうがツッコまいが私の勝手でしょ。・・・・・・そんなことより、今日の趣旨分かってるの?」

「そらしたな」

「ち・が・う!! もう! 深雪はほっといて、はいっ、白雪!!」

「わ、私!? えっと・・・・・演習のお疲れ様会だけど・・・・・・違う、かな・・・・・?」

「その通り! でも、不正解!!」

「えぇーーー!? どうして!!」

「私も実際に参加したし、大はしゃぎするのもありだけど、せっかくみずづきもいるのよ。少しはまともな会話しなくっちゃ!」

 

陽炎はビシッとみずづきを指さし、コップを仰ぐ。今度はみずづきがバツの悪い想いをする番だ。第3水雷戦隊の面々は演習用に編成された特別艦隊に属していた。要するにみずづきが17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B block2)でボコボコにした艦隊である。そんな彼女たちと演習の話をもろに行うのは、正直気まずい。みんなが陽炎の思惑に乗らないようダメもとで祈るが、推測通り好奇心旺盛な艦娘たちは「陽炎に誘導された」と認識しつつも、素直に陽炎の言葉に乗ってしまう。

 

「そうだな。俺ら見事にやられたわけだしな。何も言えなくなるほど・・・」

 

遠い目をする深雪。初めて見た彼女の大人しい様子に罪悪感が湧いてくる。

 

「う・・・・・。ご、ごめん。なんかトラウマを植え付けちゃったようで」

「あ? ・・ああ!! き、気にすんなって! あれは演習だったわけだし、俺もトラウマってほどには感じてないぞ!」

「そうやでみずづき。初見で撃たれてたらみずづきの言う通りになったかもしれへんけど、事前に吹雪たちから説明もあったし」

「心の準備はある程度できてたよね~」

「ああ、すいません! わざわざ注いでもらって」

 

「いいのいいの」と朗らかな笑顔で、半分ほどに減ったみずづきのコップに川内がオレンジジュースを注ぐ。先ほど、黒潮が仰いでいた中身と同じものだ。今日は前回絞られたのが余程聞いたのか、欲求に駆られずきちんと打ち上げに出席していた。溢れそうになりぎりぎりとところで瓶からコップへの大移動は止まる。「なにやってるんですか」と川内の失態を指摘する駆逐艦たち。

 

 

 

いつもの通りの光景。

 

 

 

そこにみずづきを断罪しようなどという空気は微塵もなかった。

 

心に出来たつっかえ。

 

大隅で将兵と艦娘に迎えられてからも残っていたそれが、彼女たちの自然な笑みを見て、今完全に取り払われたような気がする。自然と笑みがこぼれるのは仕方ないだろう。

 

「しっかし、吹雪から聞かされたときはあいつの気がおかしくなっちまったのかとも思ったけど、まさかな。あんなものが俺たちの目の前に現れるとは・・・・・」

 

言葉の内容とは裏腹にコップを持ちながら明るい表情でとある方向に視線を向ける深雪。その先には当然と言うかなんというかみずづきがいた。そして、こちらを見ていたのは深雪だけではなかった。彼女たちを見て自然に笑顔をこぼしてしまったのは、仕方ないことだろう。

 

なぜなら、深雪たちは全員、親しい友だちとふざけ合うような・・・・純粋で温かな笑顔を浮かべていたのだから。

 

 

 

「ふふ。この様子だと私たちの懸案は解決したようね」

 

 

 

 

深雪たちの笑顔を見て、心に染み渡るような感傷を抱いていると唐突な声が鼓膜を揺さぶる。それが予想外の事態であったのはこの場にいる全員の共通認識だったようで、聞こえた方向に顔を向ける。

 

「赤城さん」

「翔鶴さんも。それに・・・・・」

「加賀さんや瑞鶴まで。横須賀空母勢、全員集合だね」

「・・・・・ヤバくない? この光景。大日本帝国海軍の主力空母が4隻も一堂に会してますよ」

 

思はず出てしまったみずづきの独り言。一瞬顔を出しかけた罪悪感は、あまりの壮観さに押し込められてしまった。何気に4人が一緒にいるところを見るのはこれが初めてである。

 

「ちょっと、座らせてもらっていいかしら」

「どうぞ、どうぞ。みずづき、そこにある座布団取って」

「り、了解!」

 

陽炎に言われ、壁際に固められている座布団の山から4枚を持ち上げ、最も近くにいた翔鶴に手渡す。「ありがとうね」という言葉と同時になびく清楚な白髪。ここまで近くで見たことがなかったので、あまりの美しさに一瞬目を奪われる。

 

「よいしょっと。はい、みなさんも」

「失礼します」

「分かりました。ほら、あなたも」

「・・・・・・・」

 

加賀に促され、意気消沈といった様子をまといながら瑞鶴が腰を降ろす。うるさいほどの活発さは完全になりを潜めている。それに首をかしげた者はみずづきだけではなかった。

 

「こんばんは。みずづきさん。あなたとこうするのは歓迎会の時以来ね」

 

だが、瑞鶴ばかりに気をとられているわけにはいかない。なにせ、今、みずづきへ話しかけているのは、あの赤城である。それ以前に、人から話しかけられているにも関わらず、別の人物に意識を向けるなど失礼もいいところである。演習での出来事、そして「赤城がどんな感情を抱いているのか」という疑問を脇におき、いつも通りを意識して口を開く。

 

「こんばんは、赤城さん。そうですね。あの日からこの方、なんだか色々あって・・・・・まだそう日も経っていないのに随分昔のことのように感じます」

「なになに? どうしたの2人とも? 年寄り臭い会話なんかしちゃって。まあ、実際には臭いじゃなくてほんとに年寄りの・・・」

「川内さん????」

「っ!?」

 

ギギギと壊れたロボットのように向く赤城の顔。笑っている。きれいに笑っている。何も知らない純粋無垢な将兵たちが見れば、一瞬で目を輝かせてしまうほどの美しい笑み。だが、不純物のないその美しさが、今は恐怖を駆り立てる最凶のスパイスと化していた。川内はあまりの恐怖に手が震え、あわやコップを落とすところだった。

 

「冗談!! 冗談ですよ!! 私たち、日本にいたころとこの世界に来た年数を足し合わせても、人間的・船的にもまだまだきれいな年頃でしょう? それに赤城さんより私の方が年上って重々承知してますから、ね?」

 

必死に取り繕う。それが功を奏したのか、赤城の威圧感がみるみるうちに消えていく。「はあ・・・・」と川内の安心しきったため息。

 

「川内? あなたももう少し思慮深くなったらどうなの? 赤城さんだけじゃない。みずづきに対してもそう」

「か、加賀さん。私は別に気にしてませんから、川内さんも反省というか教育というか、十分言動の結果を分かっていると思いますから・・・・・・ねぇ? ・・・・・・・・・・・・川内さん?」

「はい!! もう十分すぎるほど理解しているであります!!」

 

加賀に対する慈悲深さ満天の笑顔はどこへいってしまったのか。川内に向けられる氷点下の笑顔。それでも美しいのだから、同じ女子としては複雑な心境にもなるが、川内の恐怖した苦笑とおかしな口調を目の当たりにすると同情心の方が強くなる。

 

「みずづき・・・・・」

 

捨てられた子犬のような雰囲気。あまりにも憐れで、必死に少しでも川内の気分を浮上させようと言葉を重ねる。

 

「川内さん、気にしてませんから。そんな顔しないでください。らしくないですよ? わ、私だってもう23ですか・・・・・華の時代はとっくの昔に・・・・・」

『えっ!?』

「ど、どうしたんですかみなさん! 突然・・・・・・みなさん?」

 

目を点にした赤城から黒潮までの一同。忘れてはいけない元気までどこかに忘れてきたのかと問いたくなる瑞鶴までもが周りと同じ反応をしている。予想外の事態。その理由が分からずただただ動揺するばかりだ。

 

「あ、あの・・・・」

「みずづき。さっきの発言は本当なの?」

「へ? さっきって・・・・」

 

みずづきに迫る加賀。思わず、言葉を飲み込む。迫力はさすが正規空母といったところだ。物静かな雰囲気がさらに物々しさを際立出せている。

 

「みずづきの年齢が23っていう・・・・」

「ああ、そのことですか。私2010年生まれですから、今年で23です。てっきり、私は何か皆さんの感に障ることを言ったのかと・・・・・・・・演習のこととか」

「そのことは気にせんでええっていゆたやろ? それより、23ってほんまなん? その、失礼やけど・・・・・」

 

黒潮は申しななさげにみずづきの全身を見回す。それを見て、何故一同が戸惑っていたのか納得する。みずづきが理解した真実とは少し違ったのだが。

 

「23にはとても見えない、って?」

「いや、その、うん・・・」

「別の嘘をついているわけじゃない。私は本当に23歳。だけど、正直、外見は艤装をはじめて受領した19歳のまま。一見すると不可思議の塊に見えるだろうけど、これにわけがあるの」

「わけ? わけって一体・・・。あなた、人間なんでしょう?」

 

怪訝そうに首を傾ける翔鶴の問い。なんとなく誰かに「君は神様?」と問われた時と重ねてしまい、妙な感傷を覚えるが、今は脇に置いておく。翔鶴たちにとって、それは当たり前の疑問だ。人間の成長が止まるなど絶対にありえない。いくらiPS細胞などの再生医療や遺伝子治療が革新的発展を遂げたからといって人間の成長を止めるなど、ほんの少し前までは幻想、妄想の類いであった。だが、それも日進月歩と言われる驚異的な科学の発達、正確には艦娘システムによって常識ではなくなった。

 

「そうです。もちろん、そうですよ。神様なんかじゃありませんからね!!」

「はいはい。・・・・相当、トラウマになってるようね」

 

同じ艦娘たちに向けた陽炎の独白。ご愁傷さまといった感じのそれを聞き、深雪たちはニヤつくがみずづきは一切気付かない。

 

「ただ、詳しくは機密やなんやらで私も知らないんですけど、艦娘システムと同期すると装着者の老化を司る遺伝子の働きを抑制するらしくて、成長が止まるんですよ」

「遺伝子なんとかはさっぱりだけど、要するに日本の艤装を纏う軍人はみんなあんたみたいに年齢と外見が一致しなくなるってこと?」

「飲み込みが早いね、陽炎。まあ、その通り。これもきちんと科学的に証明された事象。副作用もないって話だから、艦娘やそれ以外の軍人もほとんど気にしてない。若いままでいられる期間が増えるって、喜んでる人もいるぐらいだから・・・・ははは・・」

「はあ・・・・。なんか、もう、すごいね、未来の日本」

 

白雪の感嘆。一同もうんうんと同調する。川内もしかり。さっきのしおらしさは何処にいったのかと問いたいが、場の関心が自身に向いて川内から離れたため、彼女にとってはこれとない幸運だったようである。

 

「時間の流れというものの威力を知ってたつもりだったけど、だかだか20年弱と80年じゃなにもかもが違うのね。・・・・・・ねえ、みずづきさん?」

「は、はい」

 

儚げな声色。赤城の醸し出す雰囲気が明らかに変わった。それを察知すると自然に背筋が伸びる。陽炎たちも同様だ。薄々感じていたが赤城たちは気分でここに立ち寄ったわけではないらしい。ついに赤城たちがここへ立ち寄った目的、本題に入る。

 

「あなたは演習で、こちらの作戦通り電探のかく乱を受け、低空飛行によって近傍から襲撃を受けたにも関わらず、私たち空母の艦載機101機の猛攻を無傷で防ぎぎったわ。結局、あなたを危機に陥れたのは、艦載機と11隻の犠牲を経て肉薄した榛名さんだけでした。耳にタコができるほど聞いているでしょうが、私たちにとってあなたの力は常識外れです。でも、あなたたちにとってはその力は常識。・・・・・・・・そうでしょ?」

 

揺らいでいる瞳から紡がれた真剣な問い。醸し出される厳粛な雰囲気はここ限定で、少し離れた周囲では今でも愉快な宴が続行され、時折なんの不安も疑問もない笑い声が聞こえてくる。

 

「はい」

 

その雰囲気に微塵も影響されることなく、赤城と同様真剣に答えるみずづき。彼女たちのとって残酷な答えのはずなのに赤城の揺らぎは少し和らいだように見えた。

 

「そんな世界で、私たち空母や航空機は一体どうなっているのかしら? あなたのミサイルや主砲を見るに、その・・・・」

「やっぱり、そのことですか」

「気付いていたの?」

 

目を若干見開く赤城。だが、すぐに温和かつ冷静な表情に戻る。

 

「薄々ですけどね。でも普通に考えたら気になりますよ。赤城さんたちの気持ちはよく分かります。私もミサイルが飛んでいるハエみたいに叩き落とされて、訳の分からない未知の・・・ましてや思想も原理も検討がつかない攻撃方法でやられたら、自軍や護衛艦の行く末を案じますし」

 

張りつめた緊張感を緩めようとコップを仰ぐ。笑顔のみずづきを見て張りつめた糸が切れたのか、瑞鶴を除いて空母の3人は体の力を抜いた。

 

「全てお見通しだったわけですね。実のところ私も空母の未来が気になってしまって」

「すみません、翔鶴さん。赤城さんも・・・・。大事な航空隊を」

「いえいえ、とんでもない!! 妖精たちもけが1つないですし、落ち込むどころか、赤城航空隊にできて我々にできないわけがないって、前よりも闘志が燃えてますから」

「私の航空隊も同じです。隊長に追いつけ、追い越せっ!!!て、もう・・・ふふっ。みずづきさんとの演習がいい刺激になったみたいで」

「それなら、良かったです。しかし、あの芸当が広がるのは恐怖ですね・・・」

「確かに航空機にも簡単にあたる砲をよけちまうやつは恐怖だけどよ。俺たちにしてみれば、みずづきの色んな芸当の方がもっと恐怖だぜ?」

「で、ですよね~。でも、赤城航空隊の隊長機がよけたあれ、音速越えの目標にも当たる代物なんだよ?」

「ぶっ! ゲホッ、ゴホッ!! お、おおおお、音速ぅぅ!?」

 

飲みかけたジュースが変に喉で暴れ、苦しみながら絶叫する深雪。演習前のあの日、漆原とここ橙野で打ち合わせをした加賀・瑞鶴は特段の反応は示さないが、他の艦娘たちは文字通り驚きのあまり固まっている。

 

「えっと、えっと、お、音速って確か、音が伝わる速さだから・・・えっと・・」

「だいだい時速1300km。秒速に直すと、約340m。私たちはおろか、長門や金剛が持ってる大口径主砲の初速より速い」

「・・・・・・・・・・・・は」

 

バタンっ。

 

「ちょ、ちょっと、うえぇぇ!! み、深雪ちゃん!! ちょっと、しっかりして!!!」

 

ジュースが入ったコップを絶妙に死守しながら、畳にダイブする深雪。「はははは」と満面の笑みでそれなのだから、あまりにもシュールすぎる。本人は気付いていないだろうが、動転しながら深雪にとりついている白雪もそのシュールさを際立てている張本人なのだが、深雪の姉である以上、心配でそんなことを思う余裕はないのだろう。そうこうしているうちに金剛のおもちゃとなっていた吹雪型駆逐艦の長姉である吹雪までもが「どうしたの!?」とコップを持ったまま駆け寄ってくる。

 

「・・・・・・・・・」

 

伝播する沈黙。少し真剣な空気になりかけての“これ”なのだから、その空気に向かい合おうとしていた身としてはなんだかすごく気まずい。そして、どうしていいか分からない。対応策の当てにしようと赤城たちを見るが彼女たちも同じようだった。

 

すぐ近くで繰り広げられる駆逐艦たちの一コント。周囲がそうで、みずづきたちもそれに意識を持っていかれていたため、少し気が緩んでしまったのだろう。

 

不意に瑞鶴が口を開いた。

 

「そんなのに勝ってこないのよ。同じ土俵に立ってたはずの、アメリカ軍の新型信管にすら同じ目にあわされたんだから・・・・・・。それとは時代も、思想も、次元も違う兵装の前に私たちなんて・・・・・・・」

 

打ち上げが始まってから初めて聞く瑞鶴の消え入りそうな声。そこにいつも加賀と仲良し漫才を繰り広げている活気はどこにもなかった。沈んだ声色に、いつもとは比較にならないほど小さい声量。室内の喧騒に紛れてしまいそうだが、その声は不思議とはっきり聞こえた。まるで別人のような雰囲気。加賀にも聞こえていたようで視線を向けるものの無反応。そんな瑞鶴には一種の奇怪さを覚える。何故そうなっているのか。それを考えていると「アメリカ軍の新型信管」という言葉が妙に頭に残る。その言葉と「瑞鶴」は無関係ではない。いや、むしろ因縁と呼べるほどの太く固い繋がりが存在した。

 

 

 

マリアナ沖海戦。

 

 

 

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」。

 

 

アジア・太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)6月19、20日。アメリカの規格外の経済力に押され戦局が急速に悪化する中、掲げられたZ旗が示す通り、この戦いは文字通り日本の命運をかけた天王山であった。大日本帝国の絶対国防戦を撤下せんとマリアナ諸島に侵攻するアメリカ軍とそれを阻止し、マリアナ諸島の死守を目指す日本海軍。絶対に譲れない目的を持ったもの同士が、総力をもって激突した。

 

しかし、結果は日本の惨敗。血潮と国民の血税を総動員して造り上げ、数々の激戦をくぐり抜けてきた主戦力の空母機動部隊を投入したにも関わらず、誤魔化しようもない、完敗であった。大鳳、翔鶴、飛鷹、そして作戦に参加した機動部隊・基地航空隊の航空機と搭乗員の大半を喪失。機動部隊はおろか基地航空隊さえも壊滅し、西太平洋の制海・制空権は完全にアメリカの手に渡ってしまった。また、マリアナ諸島が陥落したことにより絶対国防圏は崩壊。そこから飛び立ったB29はなんの罪のない一般市民の頭上から無差別に爆撃を加え、原爆を落とし、日本の都市を焦土へと変えた。まとまった戦力を失い国土を徹底的に焼かれた追い詰められた日本は結果、持久戦や特攻に活路を見出し「狂気」を「正気」にしてまで、絶望的な戦いへ・・・「死」を前提に突き進んでいった。

 

それらの悲劇を惹起する結果となったマリアナ沖海戦では、零戦の長大な航続距離を生かしたアウトレンジ戦法を取った日本のあまりの敗走ぶりが、レーダーによる対空迎撃態勢を構築し大した損害もなく快勝したアメリカ海軍から「マリアナの七面鳥落とし」と揶揄された。

 

それぐらいみずづきでも知っている「歴史」だ。それと今の瑞鶴になんらかの関係性を見出すことはかなり容易だった。彼女が艦だったころをどのように感じ記憶しているんか一介の人間には想像のしようもない。だが、彼女の様子を見る限り、かけがえのない存在が虫けらのように駆逐されていく光景の衝撃は人間と大差なかったのだろう。

 

「瑞鶴さん、どうぞ」

 

みずづきは座卓の端に置いてあったコップを瑞鶴に渡し、オレンジジュースを注ぐ。その次に自分のコップだ。

 

「・・・どうも」

「いえいえ」

 

飲めと言わんばかりにみずづきは勢いよく、ジュースを口に流し込む。それの影響か瑞鶴も、みずづきほどではないがジュースに口をつける。

 

「瑞鶴さん? 私たち護衛艦が、いや私たちの世界の軍艦があれほどの戦闘力を持つにいった理由はなんだと思いますか?」

 

瑞鶴の手がピタリと止まる。瑞鶴は答えない。

 

「単純な話ですよ。それだけの力を持たなければ、艦を守れないし戦闘に勝てなくなったから。ただ、それだけです」

 

そんなことは分かってる。瑞鶴は少しイラついた様子でそのような雰囲気を放っている。そりゃそうだろう。相手はエンガノ岬沖海戦にて没するまで激動の太平洋を駆け巡った正規空母。戦闘における知識は比較するのもおこがましい。だが・・・・・・。

 

「瑞鶴さんはなにか見落としてませんか?」

 

しっかりと合わせられる両者の視線。

 

「瑞鶴さんの頭の中で、私にやられてるのはどんな機体ですか? 間違っていたら全力で謝りますけど、零戦や天山・彗星みたいなレシプロ機じゃないですか?」

 

瑞鶴の目が大きく瞠る。心の中でなんと叫んでいるか、いちいち聞かなくても分かってしまう反応だ。

 

「はっきりいいますけど、21世紀にそんな時代遅れのレシプロ機を第一線で運用している国家はどんな貧困国でもありません。日進月歩の技術革新から飛行機のみが取り残されるわけがないでしょ。それどころか、飛行機・・・戦闘機こそそれが惜しみなく反映されるものと瑞鶴さんは身をもって知っているはずです。日本は明治維新まで近代科学とは無縁でいながら、あの零戦を開発したんですから」

「じゃ、じゃあ、マリアナのようなことは・・・・」

「ありえません! 逆に船の方が危ないですよ。現代の戦闘機は音速越えで対空・対地レーダーを装備し、ミサイルが主兵装となっています。かつて航空自衛隊が配備していたF-2支援戦闘機・・・まあ攻撃機ですが、これは赤城さんたちに撃った対艦ミサイルを最大4発搭載可能でした」

 

外野から驚嘆の声(ぶっ倒れた艦娘らしき声も)が聞こえるが、今は目の前に集中だ。

 

「一機で4発です。4発ですよ!! それは迎撃したり、妨害電波浴びせない限り、よほど馬鹿な部品を使った二流品でなければ絶対に命中します。そんなのや私のように百数十kmの射程を持つ対艦ミサイルを積んでいる軍艦とやり合うのが、21世紀の世界です。私ぐらいの能力がなければ、そもそも作戦を遂行すらできずハチの巣にされますよ。だから、決して航空機が廃れたとか、あのがそこかしこで再現される世界だということはありません。戦闘機は21世紀でも海軍の主要敵です」

「じゃあ、空母は? 空母はどうなってるの!!」

 

みるみるうちに瑞鶴の雰囲気が見知ったものに戻っていく。しなびていたツインテールも艶と張りを取り戻している。瑞鶴の精神状態をそのまま反映しているようだ。その様子に、隣で経過を見守っていた加賀があきれたようなため息。だが、憑きものがとれたように清々しい笑みを浮かべていることに気付かない者はいないだろう。

 

「空母も第二次世界大戦期から位置づけは変わっていません。海上でなされる作戦行動において、唯一無二の存在です。搭載する機体がレシプロ機からジェット戦闘機になって、ジェット戦闘機を発艦するために甲板が木からアスファルトになったり、レーダーがついたりと構造的は変わってますけどね。下手をすれば国家が傾くほどお金がかかる点も相変わらずです」

「そう、そうなのね。・・・・・良かったぁ~。な~~んだ、心配して損したかも」

 

肺から絞り出されるような安堵。それを見て、赤城や翔鶴も嬉しそうだ。瑞鶴の目元に浮かぶ光。さりげなくそれを拭う姿に悲壮感は微塵も残っていなかった。

 

「はあ・・・・。まったく、人騒がせなこと。あなたは大戦末期までいたんだから、それぐらい想像つくでしょうに。早とちりして、勝手に落ち込んで、みんなに迷惑をかけるなんて空母の恥さらしね。これだから、五航戦は」

「はい??? というか・・・・・、私がいつもの調子じゃないからって、散々言ってきたましたよね?? 全部聞いてたんだから!! 今日という今日は、老いぼれ一航戦に五航戦の力を!!!」

「やっぱり、こうなるんですね。初めて見た時は度肝を抜かれましたが、今となってはここの風物詩という感傷にすっかり染まっちゃいました」

「ありがとうございます、みずづきさん。妹を励まして頂いて」

「私からも加賀さんの分を含めてお礼を言わせてもうわ、みずづきさん。本当にありがとう」

「いえいえ、そんな大層なことはっ! あ、頭をあげて下さいっ!!」

「私たちも少なからず、瑞鶴と共通の懸念を抱いてましたから、いいお話を聞けました。ところで・・・・」

「ん?」

 

赤城が自身の真後ろを指さした。マッハで逃げ出したい欲求に駆られるが、逃げ出してもマッハで追いかけてくるだろうとほんの少しだけ残っている冷静な自分が、非情なツッコミを入れてくる。一理ありと頭では分かっても、あの地獄をしぶしぶ受け入れる気にはなれないのだ。しかし、無言の圧力が背中に襲い掛かる。意を決し、ギギギという効果音がぴったりの鈍い動作で真後ろへ顔を向ける。

 

「・・・・・・・・・・」

「彼女たちもあなたに聞きたいことがあるみたいだから、よくしてあげて」

「ありがとうございます、赤城さん!!! 今か今かと機会を窺ってましたけど、それが今、やっと、遂に来たぁぁぁ!! さぁ、みずづき? 瑞鶴さんにいったような熱い話を聞かせて!!」

 

そこには好奇心に目をぎらつかせた夕張とその配下の暁・響・雷・電、そしてみずづきに「クマ~」と合掌する球磨がいた。歓迎会の再来が確定した瞬間だ。

 

「・・・・・・・お気の毒」

「夕張さんもみずづきが好きやなぁ~」

「当然でしょ。あの実験・新しい物好きの夕張さんが、みずづきを見逃すはずがないわ。でも・・・」

「歓迎会の時と、全く同じ流れ・・・・・」

「こういうのなっていうんだっけな、今見てる光景に対して前も見たな~っていう感覚。えっと・・・・」

『既視感』

 

深雪以外の4人が見事な連携プレーを見せる。モヤモヤ感が消えたことと目の前で起こった奇跡に大興奮だ。

 

「すげぇ! すげぇ!! さすが第3水雷戦隊だぜ!! 俺たちの絆は砲撃でもちぎれないぜ」

「まったく、調子のいいことを・・・・・・・・さっき、みずづきの言葉ぐらいで卒倒してたくせに」

 

深雪を小馬鹿にしながら、さりげなくみずづきに向けられる視線。彼女は暁たちにまとわりつかれた挙句、壁際に追い込まれ夕張に迫られている。「死に行け!!」という上官に対し「いやぁぁぁ!!」と絶望に暮れる新兵のように無我夢中で抵抗する姿は素だ。どこにも影はない。

 

「この間のは一体・・・・・」

「どうしたの? 陽炎ちゃん?」

「いや、なんでも」

 

あまりに小さすぎる独白。喧騒に包まれている室内では、どれだけ近くにいようと本人にしか聞こえない。

 

 

――――――

 

 

 

「・・・・・・・平和ですね」

「ああ、平和だな」

 

大広間全てに広がる温かな喧騒。ある者は爆笑し、ある者はある者をからかい、ある者はからかいに怒り、ある者は血相を変えて逃げ回る。本人たちにとっては「何が平和だ!!」と決死の抵抗を示しそうな輩もごくわずかに存在するが、それを含めての平和であり、温かさだ。傍観者としてはつい笑みをこぼしてしまう。

 

「これから、どうする?」

 

周囲に警戒心を張り巡らせることもなく、ましてやとげのある口調でもない。「飯でも食いに行くか」程度の軽い雰囲気で筆端が問いかけてくる。主語がないため、傍から聞けば・・・・「恋人の有無」を川合に問い詰められている西岡あたりが聞けば、何の話か分からないだろう。しかし百石は十分彼の意図を理解していた。なので、すぐに答えたいのだが・・・・・・・。

 

「大佐・・・・飲んでませんよね?」

 

普段と同じテンションなのだが、若干高いようにも見受けられたので、苦笑しながら筆端に確認をとる。

 

「で、どうなんだ? 西岡? かわいい、これ彼女いるのか? いないのか?」

「ですから、何度も言っているではありませんか! 俺に恋人はいませんって!」

「本当か?? 兵学校あがりのやつはたいてい囲ってるもんだがな? 帰省するたんびに同じ高校の女子からたんまり恋文、もらったんじゃないのか?」

「俺だって、その・・・・欲しかったですよ、男ですから。でも・・・・・うぅ」

「何の話デスカーーーーー!!」

「うわ!! こ、金剛さん!! 一体どこから・・・・」

「ずっと、いたずらを仕掛けるガキみたいな顔して機会を覗ってたよ、お前の後ろで。まったく・・・」

 

等々・・・・。

 

「大佐は飲んでおられないだろうが、顔の赤さでいえば西岡の方が・・・・」

「あははは。そうですね」

 

いきなり、金剛が真横に姿を現したため、顔を真っ赤に染め上げ真下の畳に視線を固定する西岡。初心な反応にもほどがある。艦娘たちは美貌の持ち主も多く、それぞれに愛嬌があるため同情の余地もあるが、彼は海軍兵学校あがりの立派な青年なのだ。まぁ、奥手な性格であるが故に、艦娘たちと日常的に関わる横須賀鎮守府配属になったのかもしれないが。

 

その光景が、自身に課せられ、自身にしか担えない責務の重さを痛感させる。

 

「・・・・・・・私には、ますますの精進が必要です」

 

軽さなど吹き飛ばし、真剣な口調で、先ほどの筆端の問いに答える。筆端は金剛に弄ばれる西岡というコメディーを眺め、無反応。だが、彼が意識をこちらに向けていることは分かっていた。だから、言葉を続ける。

 

「みずづきという強大な力を手にしたことで、横須賀鎮守府は今後、大本営の南下政策に伴う攻勢作戦や戦略的に価値の高い船団護衛などへの参加をこれまで以上に求められるでしょう。ですが、演習で思い知らされましたが今の状態では私たちとみずづきの技術格差がありすぎて力をフルに活用できません。部下の状態、自部隊の状況を全て把握し、それを基に最良の指揮をとり、作戦を立てることが部下の命を預かる指揮官の責務です。それを全うし、この国に“本当”の平和を取り戻すために、私は・・・・・」

「お前の言う通りだよ、百石」

 

こちらへ向き、先輩らしい風格ある笑顔。だが、すぐに視線を金剛や西岡たちの方へ戻す。そちらの騒ぎはまだ続いていた。

 

「みずづきの力を目の当たりにして、恐怖に震えている輩もいる。だが、俺たちのやることはそうじゃない。・・・・・・・・彼女たちと共に歩んでいくこと。ただ、それだけだ。俺も当然ながらお手伝いさせていただきますよ? 百石司令長官殿」

 

ニヤつきながら、筆端はこちらに向かって力の抜いた敬礼をかます。それにこちらも答礼すると、筆端と同時に吹き出してしまう。盛大に笑い合う2人。それに聞きつけ、信頼する部下たちに囲まれるのにそう時間はかからなかった。

 

 

~~~~~~~

 

 

「ふう~。やっと解放された・・・・・・。長門さんには後でお礼を言っておかないと」

 

大広間と打って変わって、静寂と橙野の提灯や街灯に支配された世界。息も絶え絶えにやっと自由の身になったが数度にわたる攻防戦で火照った体に室内の熱気はきつく、こうして休憩がてら橙野の外に涼みに来ていた。座っているベンチの冷たさといい、海風の爽やかさといい、いつもなら不快に思うが今は幸福の調味料だ。空に一面の星空が広っていればさらに最高だったのだが、あいにくもうそろそろ梅雨入りという過酷な事実を感じずにはいられない空模様だ。時々雲の隙間から星が覗くこともあるものの、彼らと共に夜空を彩る月は現在、新月となっているため影も形もない。それに若干の寂しさを覚えていると、こちらへ近づいてくる気配を察知する。誰かと思い、顔を向けた先には曙がいた。

 

「曙さ・・・、曙? どうしたの?」

 

初対面の印象が他の艦娘たちより強いせいか、口調が一瞬昔に逆戻りしてしまいそうになる。この間もこれを一度やって、曙の機嫌を斜めにしたのだ。曙との会話も吹雪や黒潮たちと同じく以前は敬語であったが今はため口である。いつも不機嫌そうでひとたび怒れば厄介という先入観がいつの間に形成されていたためこちらから一歩を踏み出せず、先にため口を提案したのは曙だった。彼女としても周囲の駆逐艦たちとみずづきの親密化に置いていかれるのはさすがに寂しく、また自身と他の艦娘の間に壁ができることを嫌ったのだろう。

 

曙はみずづきに声をかけられるが反応を示さない。いつもならどんなに不機嫌でも何かしらの反応を示すのだが、今日は全くない。それどころかいつもの刺々しい雰囲気もレベルが低いように感じる。不思議に思い表情を窺うが、至っていつも通りだった。

 

再び声を上げようとするが、口は開かない。威圧感というほどでもないのだが、声をかけないほうが良いように感じるのだ。心の中で首をひねってると、曙の顔がみずづきに向けられる。直視されたため、不意に緊張してしまい、口のチャックが閉まる。

 

しばしの沈黙。

 

「あんた、楽しかった?」

「えっ・・・・」

 

唐突かつ突飛な言葉。あまりに突然だったので咀嚼に時間がかかり、一間が空く。

 

「だ・か・ら! 打ち上げ、楽しかったって聞いてるのよ!!」

 

反射的になんの思惑もなく「どうしたの? いきなり」と聞いてしまそうになったが、馬鹿にされたと受け取り叫び散らす曙がこれでもかというほど思い浮かんだため、気合で飲み込む。

 

「う、うん。楽しかったよ。・・・・・夕張さんの好奇心は勘弁だけど・・・」

「あ~」

 

脳裏に浮かぶ、ついさきほどまで繰り広げられていた決死の戦い。あれほど、その場にいながら真剣に会話の方向を明後日の方向に流そうとしたのは、この世界に来て初めてだ。それがいかに過酷であったか、実際に追い詰められるみずづきを視野の隅に置いていた曙も理解したようで、気まずそうにほほをかく。反応から察するに、曙もみずづきと同じ立場に立ってことがあるのではなかろうか。

 

その疑問を視線に乗せて曙を凝視するものの、彼女は目を逸らしつつ隣の空いているスペースに腰を降ろす。その衝撃でふわりと柔らかさを示すように舞う艶やかな髪に意識を奪われる。が、彼女がこちらの意図を理解しつつ無視していることは容易に分かった。

 

そして、再び訪れた沈黙。痛々しいものになるかと身構えたのも一瞬、これは落ち着くタイプの沈黙だ。

 

時折吹く風によって生じる木々の葉がこすれ合う音。全くの暗闇で聞いたなら不気味さを増すBGMと化すが、すぐ近くに煌々と闇を照らす「橙野」があり、気分が高揚した状態では心地よく感じる。自然のBGMを楽しんでいると不意に隣から声が聞こえた。

 

「どう、思う?」

「え?」

 

主語がないため、何を言いたいのかサッパリ分からない。曙は一瞬、眉間にしわをよしたが、すぐに次の言葉を発した。

 

「あの中で、騒いでる連中のこと、どう思う?」

 

相変わらずの厳しい表情のまま、橙野を指さす曙。あの中では今でも、どんちゃん騒ぎが続けられている。時々、壁や窓を突き破って、個人名を特定できる声が聞こえてくるほどだ。

 

「ど、どう思うって・・・・・・」

 

街灯と橙野によって曙の真剣な表情ははっきりと照らし出されている。有無を言わさぬ視線。主語が出てきたものの彼女の真意は全く分からなかったが、絶対に答えなければないらいということだけは分かった。同時に中途半端な誤魔化しや嘘は悪手であることも。曙にとって、これは大事な問いなのだろう。ならば、変な詮索などせず自分の素直な気持ちを伝えるだけだ。

 

「うん・・・・。すっっごく、いい人たちだと思うよ!!!」

 

 

 

だから、示した。自分が彼女たちを、彼らをどう思っているのか。満面の笑みで。

 

 

 

こういう答え方は予想外だったのか、目を大きく瞠る曙。

 

「この世界に来た時は、状況を把握するのでいっぱいいっぱいだったけど、やっぱりどのような扱いを受けるか不安もあった。研究所に連行された解剖なんて映画とかだとお約束だったしね。でも、そんなことは一切されず、その・・・・・・怒りのあまりぶっ放しても、おとがめなしで済んだ。ここの人たちには感謝してもしてもしきれないよ。もちろん、曙にもね」

「は? なに言ってるのよあんた。一体どうし・・」

「みずづきー!! 曙ー!! こんなところで何してるのよ?」

 

曙が訝し気な瞳でみずづきに発言の真意を確かめようとした時、橙野の方から声がかかる。

 

「見ないと思ったら、こんなところにいたのね・・」

 

短めのツインテールを上下させながら、近づいてくる。もともとオレンジ色の髪は「橙野」の軒先に吊るされている提灯の淡橙色を受け、明度をいつも以上に高めていた。

 

「陽炎。どうしたの? 白雪たちと話してたんじゃ・・」

「さすがにあれだけ騒ぐと暑くてね。涼みに来たってわけ」

 

服の胸元をつまみ、掌で風を送り込む陽炎。よく見ると額がきらきらとわずかに光っている。表情を覗うと本当に暑そうだ。

 

「みずづきは夕張さんの件があるから納得いくけど・・・・。曙はなんでこんなところにいるのよ」

 

陽炎の、それこそ何気ない問いかけに一瞬、視線を下げる曙。だが、それは幻覚とでもいうようにいつも通りの不機嫌さを見せる。

 

「・・・・・・別に、あんたたちが醸し出す空気に付き合いきれなくなっただけ」

 

そういうとまるでジャンプするかのように勢いよく立上り、その場を去ろうとする。全く予想外の行動に慌てて「待ってよ」と声をかけようとする。

 

陽炎が現れる直前に言おうとした言葉。それをまだ曙に伝えていないのだ。あそこまで言ったのだから、ここでお開きにするのは後味が悪い。

 

「待ちなさいよ。せっかく3人集まったんだからもう少しおしゃべりぐらい・・・」

 

そう思ったのだが、反応速度はわずかに陽炎の方が早かったため彼女が先に声をかける形となってしまった。陽炎としても、そういう反応をすることが解せなかったようだ。曙は決して人見知りなどではなく、ましてや普段の言葉通り心の中まで他人を卑下しているようなろくでなしでもない。ぶっきらぼうで扱いづらいとはいえ友人を大切に思い信頼している子が曙だ。みずづきも歓迎会時は少し警戒したのだが、彼女とふれあい、また吹雪や黒潮たちから話を聞く内のその無駄な警戒心は解いていた。

 

だから、陽炎の問いかけを邪魔するようなことはしなかった。ただ、静かにことの成り行きを見守るのみ。

 

しかし、二人が待っていた応答は返ってこない。その代わり、なのだろうか。

 

曙は、敵を・・・少なくとも味方でないもの見る目で、陽炎を睨んでいた。

 

睨まれた陽炎は分からないとばかりに、「な、なによ」と額の汗を増やす。潮の香りをのせた風が木々を、そしておのおのの髪の毛を揺らしてもなお、曙の視線は減衰しなかった。

 

「・・・・ふんっ」

 

呆然とするこちらに構うことなく背中を向けた曙。足早に立ち去る後ろ姿に二人とも声をかけられない。そして・・・。

 

「行っちゃった・・・・」

 

曙の姿は建物の陰に吸い込まれていった。

 

「か、陽炎? なんか、曙を怒らせるようなことしたの?」

 

必然的に浮かんだ疑問を隣で首をかしげる陽炎にぶつける。一瞬、「私、何かしたのかな?」と思ったりもしたが、陽炎を睨んでいたことから考えるとその線はなさそうだった。しかし、陽炎は「ないないない」と必死に全面否定。

 

「んじゃ、一体・・・・」

 

曙ならおふざけの領域でしそうだが、今回の反応はマジのような気がするのだ。

 

それにしても・・・・・・。

 

「あ~あ、最後まで言えなかったなぁ~~」

 

そうなのだ。あの言葉を最後まで言えなかったのだ。言えなかったから不利益になるなどはないが、心の中にモヤモヤが残ってしまった。

 

「ん? 何? 言えなかったって?」

 

興味津々といった様子で陽炎が耳を傾けてくる。なにも隠すようなことではないので、正直に心情を吐露した。

 

「いや、さっき曙にあの中で騒いでる連中のことどう思うかって、聞かれたんだけど・・・・」

「へぇー。曙にしてはまともじゃん」

「まともって、今の聞いたら確実に曙怒るよ? ・・・本当に、なにもしてないの?」

「だから、してないってば! 私、そこまでバカじゃないから!」

 

ドンっという効果音が付きそうなほど、大きく胸を張る。

 

「それでそれで、あんたなんて答えたの? 私もそれ聞きたいな」

「もちろん、すごくいい人たちって答えたよ? いろいろお世話になったからね。無論、陽炎にもね」

 

笑顔をたたえて言うと、陽炎は照れ臭そうに首を撫でる。顔を若干赤みを増していた。

 

「これを曙にも伝えようとしたんだけど・・・」

「なるほどね。私、タイミングが悪かったわね・・・・・。でも、それ、出来るだけ早くきちんと曙に伝えてあげて。・・・・・・きっと、あいつも喜ぶと思う」

 

笑顔の陽炎。そんな顔で言われたら、うやむやにすることなど良心が許さない。明日にでも会ったら伝えようと思うが、みずづきの頭には陽炎を睨む曙の顔がこびりついて離れなかった。




今話は久しぶりに艦娘たちが主体のお話となりました。(口調、あってるかな・・・・)

個人的にはこうした和気あいあいの話も好きなんですが、シリアスも捨てがたい・・・。

っと、先週投稿のお話について、読者の方から指摘があったので少しご報告させて頂きます。


”みずづきは、ただの護衛艦・・・・瑞穂側か見れば軽巡洋艦、非常に低く見ても駆逐艦なのだ。”

・・・の後で、百石たちが「みずづきの非装甲」に驚いている描写があります。第二次世界大戦当時の大日本帝国海軍の軽巡洋艦は阿賀野型を除いて、駆逐艦たちと同じく非装甲です。

・・・・これだけだと明らかに矛盾しますよね(汗)。なので、ご指摘をいただいたしだいですが、瑞穂海軍の軽巡洋艦は「装甲あり」です!
作者の頭の中で「瑞穂海軍がつくっている軽巡は阿賀野型のように装甲あり」と勝手に考えて文字にしていました。そのため、少々舌足らずな書き方となってしまいました。(指摘を頂くまで、軽巡には装甲があるものと認識していたことは秘密です・・・・・)

続きましては「夢」シリーズの第三段です。


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42話 夢 -敵前逃亡-

「みずづき!! 遅れてるわよ!! 戦闘ばかりじゃなくて、航行にも気を配りなさい! 次来るわよ!!」

「り、了解!!」

「方位091、距離25000に新たな対空目標群。数、26!! 目標割り当て!!」

「データリンク良好!! 割り当て目標確認!! ESSM発射用意よし!!」

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音。重力から解放されたような浮遊感。それはこれまで生きてきた中で数え切れないほど感じてきた。しかし、その中に確かな感覚が存在する。鳴りやまない心臓の鼓動。隙を見ては必死に酸素を取り込もうとする肺。熱と湿り気を帯びた肌。そして、体にあたる凍えるような風と刺すような冷たさの海水。無線機から聞こえる怒号。どれも明瞭すぎて、一瞬自分がそこにいるかのように思ってしまったほどだ。

 

だが、これは現実ではない。以前いた場所とまったく同じところに立てるわけがない。

 

“この夢・・・・・・・・・”

 

何度も何度も見てきた夢。脳裏にこびりついて離れない記憶。決して逃れられない現実。思い出したくないのに、もう2度と体験したくないなのに、置かれる状況。夢とは自身が関与できないが故に、冷酷だ。せめて、見る場面ぐらい選ばせてほしいものだ。

 

「発射ああ!!!!」

 

通信機から聞こえる叫び声に合わせて、押されるボタン。その感触は最近押したためか、他の感覚の中でも妙に存在感がある。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「はぁ~~~、疲れたぁあぁぁぁ~~~~」

 

心身に重くのしかかっていた重圧から解放され、肺の奥からめいいっぱい吐き出される息。あと少し季節が進めば白く染まるのだが、まだまだ先の話だ。

 

「全然疲れを感じない響きなのは何故かしらね。あれだけへばってたのに、陸に上がると途端に元気になるんだから」

 

ギクッと、開放感に浸っていた少女は体を強張らせ、錆び付いた機械のようにぎこちなく後ろを振り返る。同じ制服を着て、少女より少し大人びた女性が、額に手を当てやれやれと首を振っている。艦娘にしては少し長い髪だが、後ろで束ねているため、首を振ってもなびくことはない。

 

「あ、あけぼのさん、いつの間に・・・・・・」

「あなたが、やっと終わった、今日も散々しごかれたわって愚痴を言ってたあたりから」

「そ、そうですか、はははは・・・・・。それは、その・・・・・申し訳ございません!!!」

 

マッハで腰を折る少女。あけぼのと呼ばれた女性は苦笑しながら「怒ってないわ」と頭をあげさせる。そして、海に隣接した小さいながらも頑丈な造りの小屋から、比較的大きな建物が隣接している区画へ向けて歩き出す。それに慌ててついていく少女。

 

「それにしてもやっぱりあなたには、周囲への気配りが足りないわね。さっき、私が後ろでニヤついていたのに全く気が付いてなかったでしょ?」

「は、はい。その通りです・・・・」

「う~ん、やっぱり訓練メニューをもう1段階上げようかしら?」

「そ、それはご勘弁願いたいというか、なんというか・・・」

「なにを言ってるの! どのみち、遅いかや早いかは候補生それぞれだけど、後期課程を卒業するには全ての訓練メニューを修了しないといけないのよ? それに自覚してないようだけど、全体としてあなたは優秀よ。飲み込みも早いし、対処能力も高い。こうやってドジ踏んでくれるところも可愛いし、先輩であり、教官としては教え甲斐がある」

 

最後の言葉に一瞬でほほが熱くなるのを感じる。耳に届くあけぼのの笑い声。からかわれているのは火を見るよりも明らかだ。いいように遊ばれままでは癪なので、抗議の声を上げようとするが、第3者の登場によってそれが実体化することはなかった。

 

「あ、みずづきじゃん! おーい!! それにあけぼのさんも」

「私たちと同じように、あけぼのたちも少し早く終わったみたいだね」

 

声を聞き後ろへ振り返る。空爆でこじあけられ放置されたままの大穴を避け、小走りで駆け寄ってくる2人の人影。どうやらちょうど少女たちが立ち去った後に、訓練から帰還したようだ。

 

「みちづきに、とねさん! 今終わりって・・・・・・・わぁ!!」

 

少女に飛びついてくるみちづき。訓練で疲れ切っているため、バランスを崩しそうになるが耐える。こちらが肝を冷やしているのとは対照的に、飛びついた側は全体重を傾けてくる。密着する体。過剰ともいえるスキンシップには慣れたつもりだったが、こうも引っ付かれると体の感触がもろに伝わってくる。あけぼののからかいでもともと火照っていた顔がさらに熱くなる。

 

「ちょっと、みちづき。いきなりはやめてってあれほど、てか重い、重いから!!」

「だって、足ガクガクなんだもん。みずづきはどうせいつもみたいにハードな目標をあっさりと片づけちゃったんでしょ? ほんっと、ガリベンってのは・・・あっ! そういえば・・・・」

 

「はぁ~」と心底呆れたようなため息をついたのも束の間、みちづきは急に何かを思い出したようでこちらへ肌を密着させ、体重をかけたまま意識を明後日の方向へ飛ばす。

 

「ん? どうしたの?」

「あんた、倒れてたよ」

「なにが?」

「・・・・・・写真立て」

 

先ほどのおちゃらけた雰囲気とはかけ離れた神妙な口調。「え・・・・」とかすれた声しか出ず、自然に歩みが弱まっていく。あまりの衝撃に「嘘・・・なんで?」という問いが頭の中をひたすら反響する。

 

「あんたが今朝、寝坊して慌てふためいてた時に、机にぶっけてたでしょ? 腕を。たぶん、そん時じゃないの? まったく・・・・・」

「あ・・・・・」

 

みちづきの声に塗りつぶされる頭の中の無意味な反響。それを後押ししたのが、脳裏に浮かぶ今朝の記憶だった。明確に事の顛末を理解した瞬間、歩みをほぼ止めていた足に力がこもる。「こんなのところでのんびりしてられない。早く、真っ暗闇の状態から解放してあげないと」という焦燥感が全身を駆け巡る。だが、それに先制するかたちでみちづきは朗らかさを含んだ不敵な笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、安心して。私、一度部屋へ戻る用事があったら、直しておいた。2つとも、ね」

 

その言葉を聞いた瞬間、全身から力が向けていく。どうやら、その様子ははたから見ても丸分かりなようで、いつの間にか離れていたみちづきのみならず、あけぼのやとねも優しい笑みを湛えていた。

 

「ありがとう、みちづき。直してくれて・・・」

「いいって、いいって。あれ、大切なものでしょ? 私だって、倒れてたりしたら気が気じゃないもん。こんなご時世だし」

「うん・・・・・、大切な・・・・大切な。かぞ・・・いや」

 

緩んだ意識から不意に出てきた言葉を、即座に無理やり飲み込む。体がじんわりと嫌な熱を帯びていくことを感じながら、そっとみちづきの様子を覗う。しかし、彼女も物思いにふけっていたようでこちらの失態には気付いていなかった。胸を撫でおろし、不審がられないよう自然体で言葉を続ける。

 

「この世にいる人ならまだしも・・・・・・・・・あの子・・・もう逝っちゃった人にはせめて写真の中からでも世界を見せてあげたいから・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

その言葉に無反応のみちづき。少し俯き気味で視線はこちらの足に向いているが、そこに映っているのは自分の足ではないとはっきり分かる。

 

「だから、ありがと、みちづき。いくら先輩にしごかれる気の置けない仲間とはいえ こういうのはきちっとしないとね」

 

恥を忍んで、礼儀を通す。自然に笑顔が形作られるが、生じる熱は半端ではない。みちづきも同じような様子であったがニヤリと口元を歪ませる。

 

「どうしたの? 顔そんな赤くして」

 

神妙かつ真剣な雰囲気から一転。必死に顔の熱を押さえながらみちづきはからかうように顔を覗き込んでくる。だが、いつものようなキレは皆無。恥ずかしさでかなり動揺していることは一目瞭然。形成が不利にならないよう上手く反撃しようとと試みるが、あけぼのと事の成り行きを見守っていたとねによって、ささやかな即興作戦は完全に破綻した。

 

「なんでも、さっきあけぼのがまたちょっかいかけたんだってさ。ほんと仲いいよね、あけぼのたち」

 

ニヤニヤと悪い笑みを漏すみちづき。さきほどまでの年相応の姿はどこへいってしまったのか。今は無性に頭にくる顔に変化している。

 

「それをいうなら、とねとみちづきもでしょ?」

「そう言ってくれると嬉しいけど、みずづきには敵わないなぁ。まあ、仕方ないかな。あいつら同期だもんね」

「そうそう。出身も同じ神戸だしね」

 

こちらに聞こえていないと思い込んだあけぼのが言葉を発した直後、突然さきほどまで笑っていたみちづきの表情が陰り一気に気勢がしぼんでいく。なぜそうなったのか、その理由を少女は知っていた。少しでも彼女の中に出現した闇を打ち払うべく言葉をかけようとしたのだが、次の瞬間バランスが崩れ、体が後ろ向きに倒れていく。「あ」と思った時には時すでに遅し。少しでも意識を弱めたのが悪かった。

 

「っ!?」

「みずづき!!」

 

響く先輩2人の声。転倒の衝撃を少しでも和らげようと反射的に後ろへ出た左手が何かにあたる。恐ろしく冷たい感触。続いて背中に衝撃を感じる。全く痛くないとは言えなかったが幸運にも背後にあったなにかのおかげで転倒は幻に終わった。沈んでいたみちづきは目を丸くして、自身の顔を覗ってくるがけがはなし。背中をさすりつつ、振り返った後ろにあったもの。それは空爆で鉄くずと化し、回収すら忘れ去られた軽装甲機動車だった。ガラスやドアが吹き飛び骨格だけとなったひしゃげた車体は、まるで骸骨のような印象を受ける。表面や運転席には、世の中がどう移り変わっても変化しない草が生えていた。

 

「みずづき!? 大丈夫!!」

 

血相を変えるみちづき。そして、あけぼの、とね。多少の痛みはあるが、そこまで距離がなかったこともあって、けがなどは一切なかった。それを伝えるかのように屈託ない笑みを浮かべると、場に安堵が広がる。

 

「まったく、だからあれほど戯れはほどほどにしなさいって言ってるでしょ!!」

 

みちづきを睨みつけるあけぼの。かなりご立腹のようだがみちづきが動揺した理由に気付いているのか、いつもの覇気は感じられない。

 

「ちょっと、2人にはお説教が必要なようね。お風呂まで少し時間があるから、覚悟しなさい!!」

「え? 私も?」

「そうです。連帯責任です!」

 

言い切るあけぼの。まさか、被害者であるはずの自分までもが説教されるはめとは全く思わず、少女は大きく肩を落とす。お説教へ段々と近づいていく宿舎への道のりは、精魂尽き果てるまで訓練したときよりも重かった。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「こちら、あけぼの。定時報告、異常なし、スケジュール通り訓練を開始する」

「こちら、由良基地、了解」

 

赤く染まる空。太陽の光を反射して金色に輝く平原。数刻の闇を見越して白から灰色へ移行しつつあった雲も、昼の最後の輝きの前に自らを茜色に染める。少し緊張気味の体にはちょうどいい冷たい海風。通信機の交信が途絶えると、耳には風と波の音しか聞こえない。その中を進むあけぼのと自身。赤色の空と金色の大海原、あたかもそれを追いかけて進むような、あけぼのの後ろ姿が醸し出すコントラストは絵になった。

 

日常を彩るために現れる非日常。めったにないそれが訪れたのだから今日は運がいい。誰でもそう思うだろう。見慣れたあけぼのの背中と、感じ慣れた海を駆け抜ける感覚。

 

日常は永遠ではない。だからといって誰が、それがいつ、どこで、どんな結末を迎えるのか、予測をつけられるというのだろうか。何の予兆もなく、加えて希有な光景を見た状況で。

 

「ん・・・・・・・・、っ!? これは・・・国際救難信号!」

「こちら、あけぼの。みずづき? そっちでも国際救難信号、捉えてる?」

 

平穏を容赦なく切り裂く警報音。少女が動くよりもはやくあけぼのが教本通りに動いた。

 

「こちら、みずづき。は、はい! 方位061、距離は・・・28900!」

「間違いじゃない・・・・了解したわ。進路変更! 最大船速! これより状況確認のため、発信現場に急行する!」

 

緊迫した声。周囲の幻のような光景は変わっていないにも関わらず、2人が放つ雰囲気は一変していた。高まる鼓動。その断続的な音の中で、あけぼのの交信が聞こえてくる。

 

「こちら、あけぼの。徳島県大島沖の海上で国際救難信号を受信。そちらでも捉えていますか?」

「こちら、由良基地。捉えている。現在、志摩半島沖で哨戒中のP1が現場へ急行中。また、徳島基地より状況確認のため海上保安庁救難ヘリが出動した模様。あけぼの隊の状況は?」

「全速力で現場海域に急行中」

「・・・・・了解。ん?・・・・・・」

 

通信の向こう側で、交わされる何かのやりとり。具体的な内容は全く聞き取れなかったが、現在の緊迫感も相まって非常に深刻なものであることは察せられた。そして・・・・・・・・。

 

「了解・・・・・・。艦娘教育隊より下令。訓練を一時中止し、現場海域での情報収集を実施せよ」

 

心拍数が一気に上昇する。

 

「・・・・・了解。訓練を一時中止し、現場海域での情報収集を実施する。交信終わり! みずづき? 聞いた通りよ。ここからは訓練じゃない。実戦よ。気を引き締めて」

 

実戦。その言葉がひどく他人ごとのように聞こえる。

 

「大丈夫。まだ、敵がいるって決まったわけじゃない。それにここは本土と目と鼻の先。冷静に対処すれば、基地に戻れるわ。いいわね?」

 

諭すような口調。緊迫した現状には似合わないが、少女の心には不思議と染み渡った。

 

「・・・了解」

 

だが、状況は最悪の方向へと転がった。それから、少し経ったとき、突如ジャミングが発生したのだ。

 

「うそ!? なんで!? 深海棲艦がジャミングかけてくるなんて、あり得ない!!」

「現実を見なさい!! 現実を!! 実戦に予想外はつきものよ!! 訓練通り、電子戦開始!!」

「りょ、了解!!」

 

慌てて訓練や座学で学んだことを思い出し、電子戦を開始する。

 

「ダメです! 僚艦以外と交信不能。多機能レーダー対空及び対水上捜索不能。周波数切り替え、ECCM効果なし!」

「そんな、あきづき型のECCMでも効かないなんて・・・」

 

絶句するあけぼの。そのうめきには今まで聞いたことのない深刻さが含まれていた。

 

「まもなく、現場海域が視認圏内に入ります。ど、どうしますか?」

 

震えそうになる口をなんとか押える。しかし、いくら頑張っても強張った声しか出ない。足と手は、もう抑えることが無駄だと悟れるほど、震えていた。確認した訳ではない。見た訳でもない。だが、状況が教えてくれるのだ。

 

敵がいる、と。

 

「命令通り、情報収集を続行するわ。・・・・・対水上戦闘よーい!! みずづき! 私にできる限り近づいて!!」

「・・・・了解!!」

「いい? もし本当に敵がいれば即座に反転、撤収するわ! 射撃だけじゃなくて、私の動きにも気を配って・・・・・っ!!」

 

前方で瞬く閃光。それがなんなのか、一瞬で分かった。それは・・・・・。

 

「砲撃よ! 回避ぃぃ!!」

 

こちらに高速で飛翔してくる砲弾。レーダーが使えない以上、回避はほぼ勘に頼るしかない。震えることも忘れて、ただ回避に意識を集中する。轟音と共に林立する身長の何倍もある水柱。頭から勢いよく巻き上げられた海水が降り注ぐ。口の中に広がる塩気。いつも以上に不快だが、そんな些細なことにかまっている余裕はなかった。2人はただ、着弾地点に目が釘付けとなっていた。

 

「初弾で・・・・きょ、夾叉された・・・・・!! こんなの既知のデータには・・。しかも、この砲撃力は!?」

 

再び瞬く閃光。回避に専念しながら、あけぼのは忌々しく呟いた。

 

「戦艦・・・・・」

 

心が凍り付く。だが、そうさせないと言わんばかりにあけぼのが叫ぶ。

 

「対水上戦闘!! 目標、敵戦艦!」

 

号令を受け取った少女は、手に持っている主砲を持ち直し敵に狙いを定める。透過ディスプレイに映し出される敵の姿。一見すると人間に見えるが、本能によってなのか、あれは人間ではないと脳が必死に訴えてくる。教本に乗っていた深海棲艦。その戦艦型と全く同じだった。目が金色に光り、視認できる物々しいオーラを纏っていることを除けば。だが、今の2人にそれを気にする余裕は皆無だった。

 

 

向けられる127mm 速射砲とMk45 mod4 単装砲。

 

 

 

 

 

「主砲、撃ちーかたはじめ―――――!!!」

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

あれからどれほどの時間が経ったのか、恐ろしく長かったようにも思えるし、恐ろしくあっという間だったような気もする。だが、1つ確かなのは、自分たちの装備では勝ち目がなく、撤退すらままならないという事だった。

 

「効かない効かない効かない効かない!」

「落ち着きさないみずづき! 闇雲に撃ってたら、弾切れを起こすわよ。・・・やっぱり、訓練弾じゃ気を逸らすことすら、敵わない。それをお構いなしでSSMを撃とうにも暇が・・・・・・・っ!? な、い!!」

 

もう何度目か分からない水柱。

 

「もう、これしかないようね。・・・・・みずづき?」

 

突然、いつもの穏やかな口調にもどったあけぼの。それになにかを感じ取ったみずづきは、全意識が耳に集中する。なぜだろう。聞きたくない、言ってほしくないと心が叫び出す。それに構わず、その言葉は紡がれた。

 

「私が囮になるから、あなたはその隙に逃げなさい」

 

「嫌です!」。 躊躇することなく即答した。あけぼのは言葉を詰まらせる。だが、再び林立した水柱が背中を押した。

 

「あなたに拒否権はありません。すべこべ言わず、とっとと消えなさい!!」

 

さきほどと打って変わって厳しい口調。いつもの少女なら引っ込んでいるが今回ばかりは聞く気はなかった。

 

「そんな!! あけぼのさん、それは聞けません!!」

「いいから!! 上官命令に従いなさい!」

 

さらに厳しい口調。いや、もう叫んでいると言った方が正しいだろう。

 

「敵は明らかにこちらが撤退の隙を窺っていることに気付いているわ! そして、私たちは敵にとって最高の攻撃圏にいる。まだ、沈んでないこと自体奇跡なのよ! それに、今回の敵は明らかに新型艦。こんな化け物が本土近海を跋扈しだしたら、日本は滅んでまうわ!! 絶対にこの情報を本隊に届けて!!」

 

通信機に怒鳴り、時々少女へ視線を向けながらあけぼのは無駄と分かっていても主砲の引き金を引き続ける。そして、徐々にゆっくりと、少女との間に距離を開けていく。追いかけようとするが、凄まじい怒鳴り声で止められる。

 

「来てはダメ! 何度言ったら分かるの?! いいから!」

「でも!!」

「でも、ではありません!! あなたはあきづき型なのよ、分かってるの!!」

 

唐突な問いただしに、頭に血が上る。

 

「だから、どうしたって言うんですか!!」

「あなたは必要な艦なの!! 敵の航空部隊にいためつけられている日本には!!」

 

一瞬、思考が止まる。廃墟になった街が、見るも無残な死体が、憔悴しきった人々が、触れた軽装甲機動車の冷たさが甦る。

 

「くっ・・・」

「だから、あなたは絶対に死なせない。死なせてなるものですか。後輩を守るのは、先輩の務め・・・」

 

確固たる意志が、信念が宿った言葉。そこには、形容しがたい不思議な響きがあった。

 

「あけぼのさん」

「早く行きなさいっ!!」

 

これで分かった。不思議な響きと感じたのは、単純な優しさだ。これを向けられてなお、否定できるものがいるだろうか。少なくとも少女には、できなかった。踏みにじることはできなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・了解。今まで・・・・ありがとうございました・・・!!」

「命を大切にね。生きて日本を・・・ふるさとを・・・お願い」

 

背中を向け、最大戦速。機関が焼き付こうが関係ない。心なしか射撃音が増えたように感じる。とめどなく流れてくる涙をふきながら、ただ少女は基地を目指した。生き残るためではない。少しでも早く敵のジャミング圏を抜けて、友軍を呼ぶのだ。そうすれば、決まりかけた運命をかけられるかもしれない。一途にそう、願って。

 

そうしてジャミング圏を抜けた少女は、直ちに由良基地に救援要請。紀伊水道に差し掛かったところで、待機していたみちづきととねによって保護され、基地に帰投。すぐに近くの公立病院へ搬送された。幸い外傷はなく、翌日には退院できると担当した医師から告げられた。

 

今どき、どんなに大金をはたいても入れない個室に、手に入れられないふかふかの布団。だが、眠れるわけもなかった。心がざわついたままの少女に、こんこんとドアをノックする音が聞こえる。

 

また、看護師だろう。

 

そう単純に思ったが、乱暴に開け放たれたドアの向こう側を見た瞬間、それは吹き飛んだ。なだれ込んでくる完全武装の隊員たち。銃口は向けられていないが安全装置を解除したうえで、89式小銃の引き金に指をかけている。彼らの間から出てくる、若い女性。腕には「警務 MP」と印字された腕章をつけている。彼女は感情の無い、冷徹な目で彼女に告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あきづき型特殊護衛艦候補生みずづき。貴官を自衛隊法第122条第1項3号、上官命令反抗・不服従・・・・・敵前逃亡の容疑で拘束します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・によって、今回の事案は著しく悪質かつ我が海上自衛隊と、職務に励む隊員たち、そして我々の活動を支えてくれている国民への侮辱であることは否定のしようがない。また、嫌疑人には全く反省の色が見られず、あまつさえ明々白々な事実をいまだに否認し続けている。今回の事案で名誉の戦死を遂げたきりさめ型特殊護衛艦あけぼのは、教官として嫌疑人を懸命に指導し、誇り高い特殊護衛艦として最期まで戦い抜いたにも関わらず、である。もはや、日本国を防衛する海上自衛官、国防と反撃の希望である特殊護衛艦としての適性、そして人間性をも疑わざるを得ない。更生の余地は皆無であり、情状酌量の付与も困難である。よって、艦娘教育隊特別審査委員会は、嫌疑人みずづきに対し・・・・・・・・・銃殺刑を言い渡す」

 

それから、何を思って、どう動いて、目の前の幹部たちがどんな表情をしていたのか。どうやって息をしていたのか、全く覚えていない。ただ、心がナイフで八つ裂きにされたかのように傷んだのははっきりと残っている。あと、何を話したかは分からないが、取り押さえようとする女性自衛官たちに抵抗していたことも。

 

気付けば少女は、特別審査委員会が開かれていた会議室から飛び出し、一番最初に目に入った男性自衛官に強引に迫っていた。いや、すがっていたといってもいいだろう。叫びすぎて枯れかけた声を、懸命に絞り出す。

 

「信じて! 信じてよ!! 私は敵前逃亡なんてしてない!! 私はそこまで腐ってない!! なんで!? なんで、どうしてよ!! なんで誰も話を聞いてくれないの!!! 艤装の交信記録を見れば、すぐ分かるのに!! どうして!!」

「あ、あの、君・・・・」

「ねぇ、お願い! 信じてよ! 信じて・・・・。私はこんなことになるために、艦娘に海上自衛官になったわけじゃ・・・・」

「いい加減にしなさい!!」

 

1人の女性自衛官が少女に容赦のないタックルをかます。いきなりの事で受け身を取ることもできず、豪快に床へたたきつけられる。全身に走る激痛。だが、身体的な痛みよりの精神的な痛みの方が大きかった。痛みに悶えている状況を好機とみて追跡してきた警務官たちが一斉に少女を取り押さえる。

 

「離して! 離してよ!!! 私はこんなことになるために艦娘になったわけじゃない! こんなことになるために海上自衛官になったわけじゃない!!」

 

少女は倒れながらも、もう一度迫った男性自衛官に目を向ける。彼は、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「黙れぇぇ!! この犯罪者!! 裏切り者! 非国民!! そんなやつの言葉を聞く奴なんてどこにもいいねえよ! 手を煩わせるな!!」

「う・・・・、うう・・・・・」

 

警務官の罵声。それに、少女はとうとう泣き崩れる。

 

「信じてよ・・・・・、誰か、誰か・・・・・・」

「お見苦しいところをお見せしました。大変申し訳ありません、一尉。お怪我はありませんか」

「いえ・・・・ああ、大丈夫だ。それより・・・・」

「あ!! し、失礼しました!! おい、連行するぞ! 立たせろ!」

 

無理やり持ち上げられる。少女にはもう立って歩く気力すら残っていなかった。ただ、「信じて」とうわごとを言い続けていた。

 

「さっさと、歩け! ぐずが!」

「おい、君」

「は! なんでしょうか?」

「言っても無駄だろうが、・・・・・・腐っても彼女は日本国民だ。できる限り丁重に扱うよう頭の片隅に置いておいてくれ」

 

両脇を抱えられ、無理やり歩かされる。例外なくすれ違う人間から向けられる蔑みの視線。一歩進むごとに死へ近づいていく。それが分かったうえでの一歩はとてつもなく恐ろしかった。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

「うわぁぁ!! ・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・・。夢? あ、あいつらは・・・・」

 

暴れる心臓。粗い呼吸。強張る顔。

 

意識が覚醒した瞬間、まどろみを感じることもなく、周囲をまんべんなく怯えきった目で見る。畳に、天井、壁、窓。1人で使うには贅沢すぎる部屋に、みずづきはいた。当然ながら、周囲には誰もいない。もし、万が一いたとしても、海上自衛隊の警務隊がいる訳がない。

 

今は、2033年。ここは瑞穂国横須賀鎮守府1号舎、第6宿直室。海上自衛隊はもう存在しないし、ましてや日本でもない。

 

それをオーバーヒートしかけた頭でようやく理解すると、安心しきったため息が出る。湿り切った作務衣による不快感。状況把握に注がれていた意識が解き放たれたため、感覚が戻ってきた。よほど汗をかいていたらしく、ピンク色の作務衣は寝る前よりも一段階色が濃くなっている。額に手を当てると、滲んでいた汗がべっとりとつく。これだけ見ると、室内が季節を先取りし、熱帯夜に蒸されていたのかと思ってしまう。もちろん、そんなことはない。

 

「よりによって、なんで・・・・・・」

 

昨夜は布団に入る直前までどんちゃん騒ぎの渦中にいたため、この世界に来て始めてというほど心が温まった状態で床についたのだ。にも関わらず、頭と心を支配したのはこんな夢。

 

タイミングの悪さに思い至ると無性に、悲しくなってくる。

こんなことが起こると、誰かに言われているような気がするのだ。

 

 

 

 

“お前にそんな資格はない。暗闇こそがいるべき場所だ”と。

 

 

 

「やっぱり、一人だけのうのうと生き残って、一人だけ幸せを享受するのは罰当たりなのかな・・・・」

 

こんなことを日本で、須崎で言ったなら、真っ先に拳骨が飛んできた。「お前はそんな人間じゃない。お前が持ってる幸せを掴む権利は例え神でも仏でも否定できない。だから、安心しろ」と言ってくれるかけがえのない存在がいた。

 

「知山・・・・・司令」

 

かけがえのない存在の、彼の名前を呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

”おう。なんだ?“

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

つい、この間まで当たり前に聞いていた声。だが、声は聞こえない。どれだけ、願おうとも聞こえない。それはもう2度と戻らない過去。一人の人間を精神的な死に追いやっても不思議ではない、過酷な現実だった。

 

 

 

 

 

直視しても、深く考えないようにしていた。考えたら、どうかなってしまいそうな気がしたから。

 

 

 

 

 

平行世界に来たという衝撃と大日本帝国海軍艦艇の転生体に会うという非常識がそれを意識させないようにしていた。

 

しかし、慣れとは怖いもので、時間経てば経つほど衝撃は和らぎ、非常識は常識となる。そうなれば、意識せざるを得なくなるのだ。

 

背筋が寒くなるのを感じ、慌てて思考の海に浸ることをやめる。そして、ゆっくりと体を起こすと、目の前にある窓を見る。カーテンの隙間から弱い光が漏れている。壁にかけてある時計は、午前4時を少し回っていた。

 

起床まで、あと2時間ほど。十分寝るに値する時間だか、あいにく目はバッチリと冴えてしまっていた。

 

これでは寝られないし、布団の中で悶々と起床ラッパを待つのも気が引けた。

 

 

 

 

 

 

 

黒く深い思考の海は足元を濡らし、全身を包み込める波を待っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ならば、やることはあれしかない。

 

「・・・・・よしっ」

 

これまでの暗さを吹き飛ばすかのように、頬を叩いて気合いを入れると布団のすぐわきにある襖を開け、中にある箪笥を物色し始める。「あった!」と歓喜が混じった声と同時に引っ張り出した服を、素早く身に付ける。国防軍の制服だけでは大変だろうと、百石たちから公的・私的に譲り受けたものの1つ。工廠などで使われている鼠色の作業着だ。もちろん女性用である。デザイン性は皆無だが、実用性以外を見なくなった国の人間であるみずづきは、なんとも思わなかった。寝癖を適当に整えると、玄関へ向かう。

 

いつかと同じだ。違いは真夜中か早朝か、だけ。気分転換のための外出。前回の反省を踏まえ、今回は散歩ではなく、泣く暇すらないランニングだ。

 

作業着を譲り受けた際、一緒に貰ったシューズを履くと鍵を開け、静まり返った1号舎3階の廊下に足を踏み出す。乙女らしい恐怖心を抑え込み、その中を小走りで階段に向け駆けていく。外はほんのりと明るさを帯びはじめていたが、舎内は恐ろしいほど闇を蔓延らせたままだった。




「夢」シリーズなので少々、説明を省いている部分があります。銃殺刑とか・・・・。

現在の自衛隊法にはもちろん、銃殺刑などという刑罰はありません! 

集団でやったとか、唆したとか類型によって刑罰に差があるようですが、いわゆる敵前逃亡をした場合、警務隊によって拘束された後、検察に身柄を移され、通常の裁判にて七年以下の懲役又は禁錮が下されるようです。

ただ・・・・・・、未来永劫こうかは分かりません。

最近、マジできな臭くなってきましたし。


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43話 準備

イベント、中規模って・・・・・・。


相模湾 海軍訓練海域

 

 

演習で激闘を繰り広げて以来の海。あの時はいかにも梅雨の訪れを感じる天気であったが、今日は時々雲で日光が遮られるものの良い天気。梅雨入り2日目にしてこの陽気。今頃、東京の気象庁では「やっちゃったかな?」とお偉方が冷や汗を流しているかもしれないが、あの不快な湿り気を感じる日が1日でも少ないのは嬉しいものだ。昨日降った雨の影響か空気は澄んでおり、雪化粧をなくし火山の風格を漂わせる富士山がはっきりと見える。海上を駆け抜ける風も珍しく爽やかだ。そのおかげで海上の視界も良好。貨物船やタンカーなどの大型船なら訓練海域の中にいても、ぎりぎり水平線に邪魔されつつも見ることができる。

 

そこを7人の少女たちが足元から白波を生み出しながら疾走していた。

 

「合図と同時に陣形変更! 周りをよく見て、打ち合わせ通りにね!!」

『了解!』

「・・・・・今っ!!」

「っ!」

 

単縦陣から輪形陣へ。全員が自分の指定された配置へ周囲の状況を把握しながら、素早く移動。陣形を整える。そこに穏健な表情はない。

 

「みずづき! 遅れてる!! 初雪はああみえて、海の上ではしっかりしてるから、変な気は使わないで!!」

「は、はい。分かりました!」

「・・・・・・・・・」

 

川内の至極当然の言葉に仏頂面の初雪。だが、ふざけているのではなく、あくまで真剣なやり取り。状況次第で受ける印象はこうも変わるのだ。

 

「みんなもいきなりならともかくちゃんと打ち合わせしたんだから、自信もって。・・・次、単縦陣に戻してからの一斉回頭! 少々ブサイクでもいいから、周りとの距離を意識して! 陽炎! 回頭後の先導、頼んだよ!」

「了解!」

 

自信ありげな笑みを浮かべる陽炎。川内の指示を聞いたみずづきは、失敗しないよう打ち合わせの内容と自身が取るべき行動を反芻する。メガネの透過ディスプレイに投影される航海レーダ画面。出入港時や近接での艦隊行動などでは、探知距離よりも精度を重視した航海レーダを用いるのが一般的だ。光る6つの影。それを見れば彼我の相対速度・距離は一目瞭然。

 

「行くよ!」

 

発せられた声と同時に動き始める各々。川内たちは無論、みずづきのような高性能の電子機器など装備していない。にも関わらず正確な動きを見せる。彼女たちより遥かに恵まれているのに、迷惑をかけたり無様な姿を見せれば恥ずかしいことこの上ない。自然と体に力が入る。が、その理由は目の前で繰り広げられる見事な乱舞だけではなかった。

 

 

 

――――

 

 

 

「船団護衛、ですか?」

 

雲に押さえつけられ、五月雨という言葉がぴったりの静かな雨。シトシトと気分を落ち着かせる清涼な音があちこちで聞こえる中、みずづきは第3水雷戦隊とともに百石から提督室に召集された。突然のことで戸惑ったが川内たちも同様だったようで、百石と対面して初めて呼び出しの理由を知ったのだ。だが、知ったところで頭は疑問符だらけだった。

 

「そうだ」

 

みずづきの、疑問に満ちた問い返しに対しては、あまりに簡素な言葉。これでは問い返した意味がない。

 

「提督? 船団護衛自体は分かったけど、なぜみずづきも一緒に? みんなぴんぴんしてるし練度は提督も知ってると思うんだけど」

 

みずづきはおろか、第3水雷戦隊全員の内心を代表するように挙手して川内が語った言葉。川内はおろか陽炎たち駆逐艦もこちらと同じように、百石がなぜ船団護衛と告げたのか理解できないらしかった。第3水雷戦隊は部隊名どおり、軽巡洋艦1隻と駆逐艦5隻で構成された、典型的な水雷戦隊である。対潜戦闘や輸送だけでなく、船団護衛もお手の物だ。第3水雷戦隊のみならば今まで行ってきたことと同じであるため、「そう」で終わりだが、今回は共同作戦だ。彼女たちが真意を気にするのは同然だろう。

 

「それは重々承知している。今回の船団護衛は今まで君たちが行ってきたものとはわけが違う。なにせ、軍令部直々の命令だからな」

「具体的には?」

「詳細は固まり次第通達するが、君たちには横須賀港から出港する民間船舶を那覇港まで護衛した後、そこから出港する軍の輸送船を横須賀港まで護衛してもらう。ここで重要なのが那覇港から出る輸送船だ。これの護衛のためみずづきの割り当てが要請された言っても過言ではない」

「那覇・・・・・ですか?」

 

思わずみずづきは聞き返した。後半の、いかにも重要そうな言葉を無視して。聞き逃していたわけではないが、気に止まらなかった。はっきりと確認したいと思ったのはそれだけだったのだ。

 

 

 

 

なぜなら、那覇は・・・・・・・・・。

 

 

 

 

「ああ、そうだ。那覇・・・沖縄に行ってもらう。少し遠いが辛抱してくれ」

「行き先は了解っと。んで、その那覇から護衛する船ってのは一体、何を積んでんだ?」

 

任務を命じられたものなら当然抱く疑問。みずづきも深雪の言葉に大きく頷いた。不本意とはいえ鬼神とさえいわれるようになってしまった自身を、しかも公式に初めて瑞穂海軍の任務に参加させるほどの積荷とはいかに。

 

「・・・・・俺も知らされていないが、今後の戦局に大きく影響するほどの代物だそうだ」

 

百石の顔から表情が消える。疑似的にピリピリとしびれを感じてしまうほど張りつめる空気。この場にいて深雪の問うた積荷がどれだけの価値を有するのか、察する事が出来ない鈍感な人物はいないだろう。深雪をはじめいつも百石を困らせている駆逐艦たちも誰1人、それ以上言葉を発しようとはしなかった。

 

「軍令部の大号令で君たちの航路上はあらかじめ、他の部隊による掃海や警戒監視が行われる。いつもそうだが、今回はいつも以上に失敗は許されない」

 

こちらへ向けられる百石の視線。それは、参加意思の確認を帯びていた。既に「共に戦う」と宣言し、この世界にきて日数が経つにも関わらず、意思確認を行ってくれるとは彼も律儀だ。だからこそ、横須賀鎮守府の将兵から、軍令部のお偉方から、艦娘たちから信頼されているのだろう。そして、だからこそ百石が下した命令に疑念を抱くことなく、素直に受け入れることができるのだ。ふっと肩の力を抜くと頼もしい笑みを浮かべた。これを拒否する理由は何処にもない。

 

それを見て、両者の反応をただただ静かに待っていた川内たちもにこやかな笑みを湛えた。

 

「了解しました。このみずづき、お力になれるよう精進する所存です」

「そうか。ありがとう。・・・・・よしっ。みんな、心して出撃までの訓練、そして任務にとりかかってくれ」

『了解!』

 

見事に重なる敬礼。大日本帝国海軍と日本海上国防軍、そして世界を越えた瑞穂海軍の間に所作の違いはない。

 

 

 

ここにあきづき型特殊護衛艦みずづきの初出撃が決定した。

 

 

 

 

――――――

 

 

 

だから、こうしてみずづきは第3水雷戦隊と艦隊行動や戦闘時の対処方法などを訓練しているのだ。艦船の陣形や航行特性などはほとんど双方の間に違いはなく、訓練は比較的に順調に進んでいた。多少の遅れや陣形の乱れなどはあれど、回数を重ねれば改善するものばかり。接触などの重大事故は未遂も含めて一切なかった。初回にしては合格点だ。ただみずづきはともかく川内たちは基本的に6隻1艦隊で行動しているため、7隻という中途半端な数は初めてらしい。6隻での行動が染み込んだ状態ではどうもやりにくいようだった。口々に出てくる愚痴に若干心配になったが、川内曰く「すぐなれるさ~」、だそうだ。だが、安堵も束の間。実際に航行してみて初めて分かることもある。

 

「よ~し。進路そのまま」

「あの、川内さん」

「ん? どうしたの、みずづき? なんかおかしいところとかあった?」

 

川内に近づくみずづき。無線を使っても良かったのだが、今の陣形では目の前に川内がいたのだ。

 

「いえ、そういうことでは。ただ、その少し不都合な点が・・・・」

「不都合な点?」

「打ち合わせで把握してたつもりだったんですけど、思った以上に陣形の密度が濃くて、ソナーにみなさんの航行音が干渉してるんです」

「ソナー? ・・・・ああ、水中探信儀と水中聴音機を兼ね備えた優れものね」

 

みずづきの対潜戦闘方法については既に説明済みだ。みずづきにとっては「説明した」という簡素な言葉で済むが、川内たちにしてみれば先に行われた演習並みの衝撃があったことは言うまでもない。それも漠然とした衝撃ではなく、明確な衝撃だ。潜水艦を主要敵とする自らとは隔絶した能力に彼女たちの間では「やっぱり、未来の日本すごい・・・」という意識が共有されていた。そして、今更ながらなぜ軍令部や百石が今回の護衛任務にみずづきを投入するのか理解できた。彼女を前にしては、艦娘が苦戦している敵潜水艦など敵ではない。

 

「でも、それだと厄介だね。かといって、今更陣形の変更とかできないし」

「そこで提案なんですけど、常に私を最後尾にしていただけませんか?」

「最後尾に?」

 

怪訝そうに聞き返す川内。対潜戦に関わらず、もっと実力のある艦を最後尾につけるなど、撤退戦のように殿が全部隊の命運を左右する状況でもなければあまり推奨はされない。どんな速度で航行しようが、もっとも敵遭遇率が高い艦隊位置は先導艦なのだ。

 

しかし、位置云々をそこまで神経質にならなければならない存在は川内たちと同じ土俵の存在。

 

川内はみずづきが「どこにいようが、誰よりも早く敵を料理できる」ことを咄嗟に思い出したようだ。

 

「ということは・・・・・えっと、あの、あれ、しっぽみたいに海中に垂らす・・・えっと、あれ・・・あれを使うんだね!」

 

「曳航式ソナー」という名前が出てこず、笑顔と覇気で誤魔化す川内。みずづきも物覚えが優れていると胸を張れるほどではないので、あえて指摘はしない。

 

「そう、それです。最後尾のほうが後続艦に気を遣うこともなく、状況に応じて曳航式ソナーの展開や回収ができますから」

「了解。今日はもう佳境だから無理だけど、明日からの訓練で実践してみよう」

 

安堵。これで一番の懸念事項に解決のめどが立った。今回の護衛任務では常に本土近海を航行することになっている。みずづきにとって最大の敵は潜水艦だ。演習で様々な方法で裏をかかれたため、大声ではとても言えないがFCS-3A多機能レーダーとESSMの前に深海棲艦の航空機は敵ではない。だが、潜水艦は全くの別物だ。

 

 

 

 

やつらには幾度となく苦汁を舐めされられ、そして大切な存在を奪われたのだ。妥協や慢心は自身が最も許さない。

 

 

 

 

「ありがとうございます! やつら、スクリューを使わずに足で泳ぎますから、ソナーを持ってても油断できないんですよね」

 

眩しいほどの笑顔。

 

「あははは。やっぱりみずづきにとっても潜水艦は嫌なやつか。私も散々遊ばれてきたからね。あんたとは紛れもない同志だよ」

「川内さんと同志とは、嬉しいです。では、私はそろそろ元の位置に戻りますね」

 

川内から離れるみずづき。心の重荷がとれたせいか体まで軽く感じる。

 

 

 

「ん? 同志・・・・・」

 

そんな想いを抱えながら離れていくみずづきを見届けた後に、やっと川内は内心に急浮上した違和感に気付く。それは些細で、小さなもの。記憶の海に浸っての呟きは、容易に周囲の音でかき消されていく。くしくも彼女は陣形の先頭にいたため、その表情を見れる者はここに誰一人としていなかった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「ああ~、疲れた。これからどうしよっかな」

 

手持ち無沙汰な様子で、疲労のせいか少しゆっくりと足を進めるみずづき。いくらミサイルも撃たずに海上を走り回っただけ、といってもやはり疲れるのだ。共同行動をとるのは同じ海防軍の部隊ではない。気配りや想定・学習しておかなければならないことは膨大で、きりがない。それに身を晒していればおのずと疲れの質も日本とは違ってくる。慣れれば幾分マシになるのだろうが、いくら横須賀鎮守府に馴染んできたとはいえ、そうなるにはにはまだ時間がかかりそうだ。

 

「あ、みずづきさん!」

 

肩を回しながら、これからの訓練に想いを馳せていると、唐突に声がかけられる。海浜公園からばっちり見える艦娘用桟橋から上がり、艤装を外し、川内たちと別れてから数分。ちょうど重要施設が集中している横須賀鎮守府中央区画に差し掛かったところだった。周囲の人や自動車をはじめとする機械の喧騒にも負けず、はっきりと聞こえた。目を向けると、第5遊撃部隊の吹雪、金剛、瑞鶴と第6水雷戦隊の球磨、4人がいた。吹雪は相変わらずの調子で手を振っている。眩しいほどの笑顔に少しだけ肩が軽くなったような錯覚を感じる。

 

「吹雪! それにみなさん。こんにちは」

「こんにちは、みずづき」

「hello! みずづき!!! ひょっとして、訓練の帰りデスカ? すこ~し、塩の香りがシマース」

「ほ、ほんとですか!? うそ~。波の穏やかであんまり海水を被ってないと思ったんですけど・・・・・。おっしゃる通り、ついさっき帰ってきたところです」

 

自身の制服をつまみ、鼻を近づける。地上ではまず嗅がない独特の匂い。残酷だがそれはしっかりと体にまとわりついていた。確かに金剛の言ったことは事実だった。がっくりと肩が落ちる。

 

「大丈夫ですよ、みずづきさん。気になるでしょうけどそこまで強いとか、そういうことではありません。それここは鎮守府内ですから」

「そうそう、それを言ったら私たちも同じだし」

「お互いさまだクマ。正直クマは分からないし、分かっても気にしないから気にする必要はないクマよ。将兵さんたちも、将兵さんだからそこまで気にしないと思うクマ」

 

気にする様子もなく、自然に励ましてくれる瑞鶴と球磨。2人の気遣いには涙が出てきそうだ。「ありがとうございます」というのは当然だったが、改めて見ると不思議な組み合わせだ。いやここに来て初めて見るのではないだろうか。吹雪たちはともかく球磨はいつも軽巡のよしみで夕張や川内などと一緒にいる印象なのだ。好奇心に駆られて理由を聞くと、吹雪たち第5遊撃部隊と球磨がいる第6水雷戦隊が共同訓練を行っていたそうで、これから4人でお茶をしに「橙野」へ行くところだとか。醸し出される雰囲気を見るに、この組み合わせも把握してなかっただけで初めてではないようだ。

 

「そうだ。良かったらみずづきさんもご一緒にどうですか? まだ橙野には夜しか行かれてませんよね?」

「そうだけど・・・・・」

 

吹雪の提案。そこには暗黙の内に「一緒に行きませんか」というお誘いが含まれている。みずづきも特段彼女たちに苦手意識はないし、ちょうど暇をしていたため「はい!」と言いたいのだ。だが、険しい表情となってしまう。

 

「どうしたクマ? なにか用事でも?」

「いえ、特に用事とかは。時間はもあるんですけど。その・・・・・・・私、手持ち金が」

 

瑞穂海軍と共に戦うと決めたみずづき。百石にも言われた通り相応の報酬が約束されはしていたのだが、まだここに来て1ヶ月も経っていないため、いまだに音沙汰はない。そこまでお金に飢えている訳でもなく、ランニング時に使っている作業時やシューズなどほとんどのものは支給品として受け取れていた。またその支給品も日本と比較すれば品質の差は歴然で、わざわざ売店などの商品が欲しいとは思わなかった。そのため今までやってこられたのだが、やはり一文無しというのは心も体も寒い。現在、それを久しぶりに痛感していた。

 

「ああ、そのことなら気にしないでください。こっちからお誘いするんですから、私が持ちますよ」

「え? ・・・・・いいの?」

「お気遣いなく。わたしもみずづきさんとお話したいですし」

 

なんだろう。目頭が熱くなってきた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。このお礼は絶対にするから!!」

「いいですよいいですよ」

 

ここまでしてせっかく誘ってくれたのだ。みずづきもこの4人とこうして日常の1ページを共にするのは嬉しい。

 

「そうと決まれば、さっそくlet’s go!! この金剛、英国生まれとして紅茶で最高のおもてなしをしなければ!!」

「金剛さ~ん、趣旨が崩壊してるクマ。クマたちはおもなしをされる側」

「また、厨房に介入して料理長さんたちをひっかきまわす気? みずづきをもてなしたいんなら、榛名とやってるお茶会にみずづきを招待したら?」

「おおお!! 瑞鶴、good!! その手がありマシタ!!」

「な、なんだろ。恐ろしく精神力を使いそうな気がする・・・・・」

 

日常の1ページが日常にならないような気がしてならないが、とにもかくにも橙野に向け出発だ。

 

 

 

―――――

 

 

「続きまして、次のニュースです。官房長官は神津(こうづ)記者会見でおととい、趣味のサイクリング中に皇居沿いの歩道で対向してきた自転車と接触し、転倒。額に大けがをした佐影(さかげ)総理の容体について、精密検査の結果、異状は見受けられず経過も良好で、一週間後には公務に復帰できるだろうとの見解を示しました。佐影総理はおととい、午前7時20分ごろ東京都千代田区皇居周辺の歩道を自転車で走行中、正面から走ってきた自転車とすれ違いざまに接触。佐影総理は転倒し、顔面を強打。額を12針縫う大けがをしました。事故当時、佐影総理はSPと2人で、相手側にけがはないとのことです。佐影総理はサイクリングを趣味とし、自転車愛好家として有名で、自転車の展覧会にはたびたび私的に保有している希少価値の高い自転車を出品しているほどでした。現在、事故による総理の入院を受けて、副総理兼大蔵大臣の米重(よねしげ)大臣が総理の職務を、自由憲政自憲党総裁としての職務を水破(みずは)幹事長が代行しており、国政への影響は最小限にとどまっている模様です。しかし。共和革新共革党などの野党からは総理の危機管理能力を問う意見があがっており、開会中の通常国会における法案審議に影響が出ることは必至と思われ、今後の政権運営に暗雲が立ち込めることも予想されます。では、次のニュースです・・・・・・」

 

 

横須賀鎮守府にある居酒屋「橙野」。比較的高い位置の壁に備え付けられたラジオから娯楽の時間には聞きたくもない堅苦しい音声が流れているが、居酒屋ということもあり、店内には酒の雰囲気がかなり漂っている。これだけを見るとおじさんたちが群がっている典型的な居酒屋の印象を抱いてしまう。しかし、それはあくまでカウンターの話。女将や店主、従業員たちが歩き回っている厨房と反対側の席。窓がすぐ横にあり、その気になれば外の景色も見れるここはかなり状況が違っていた。

 

「うわぁ~、すごい和菓子から洋菓子までいろんなのが揃ってるっ」

 

個室ではなくつい立てで分割されている座敷。新聞を読んでいる男性の隣に空いている座敷があったのでそこに座る。お品書き、いわゆるメニュー表を手に取り、中を見るとそこは居酒屋らしからぬ物のオンパレードだった。お品書きだけではない。店内の雰囲気も夜とは大きく異なっていた。酒の雰囲気はあるものの、親子づれでも立ち寄れるような定食屋とも甘味処とも取れる姿に変わっていた。

 

「でしょ? ここ、店名に堂々と居酒屋ってつけてるけど、実際は純粋な居酒屋じゃないのよね」

「夜は鎮守府の将兵さんたちのたまり場クマ、だけど昼間はもう少しこう・・・・健全な方向に変わるクマ!」

「球磨さん、健全って・・・。でも、私たちもこうしてお茶できる場所があるのはとてもありがいです! 市街に甘味処はありますけど、なにぶん遠いですから。外出許可も必要ですし」

 

吹雪の語った言葉こそが橙野が居酒屋と名乗りつつ、様々なサービスを提供している理由だ。横須賀鎮守府はあまりに大所帯で鎮守府機能が数カ所に分散しているが、それでも1つ1つの規模は辺境にある基地よりも遥かに巨大。特に今みずづきたちがいる区画は艦娘部隊の全機能、そして各部隊の中枢機能がおかれ、横須賀鎮守府の中心である。そのためここを勤務地としている海軍将兵の人数はバカにならず、それだけ需要はあるのだ。叩けば叩くほど需要の創出が可能ならば、後は供給を整えるのみ。娯楽が欲しい鎮守府にとっても利益があげられる橙野にとってもおいしい話だ。もっとも橙野に料理の腕だけでなく、顧客の需要を正確に把握できかつ多方面との調整能力に長けた人材が揃っていたことも、「橙野」が横須賀鎮守府にとってかけがえのない存在に昇華した理由である。

 

ちなみに、お酒から筆記用具、制服までの日用品一般を取り揃えている「売店」も横須賀鎮守府には複数個所存在している。ひと昔前までは「酒保」と呼ばれ、今でも年配の将兵たちは売店のことを「酒保」と口々に言っているが、時代の流れか横須賀鎮守府のみならず海軍内では「売店」派が年々増加している。

 

「う~ん、いっぱいあって悩むな~。みなさんはもう決めましたか?」

「Yes!!」

「は、早い・・・・。えっと、みなさんのおススメとかありますか?」

「おススメというか、私たちはいつもこれにしてるネ」

 

金剛が縦書きの文字が踊っているお品書きのとある部分を指さす。そこには「クリーム白玉あんみつ」という、いかにもおいしそうなものが構えていた。想像しただけで昇天しそうだ。これほどのものは深海棲艦によるシーレーン断絶で深刻な食糧難が起きて以来数年間口にしていないし、現在の日本では考えられないほどのぜいたく品だ。例えクリームの原料となる牛乳、白玉の原料となるもち米、あんみつの原料の1つである砂糖を生産できても、それは全て生活必需品の生産に回され、ぜいたく品には供給されない。

 

「ぜいたくは敵」。アジア・太平洋戦争中に、そして現在でも街の至る所に掲げられる標語が世相を分かりやすく、明確に反映していたのだ。

 

 

皇室でも手に入るかどうか・・・・・・・・。

 

 

「じゃあ、これにします!! ほんとごめんね吹雪、おごってもらちゃって・・」

「いいです、いいです。それにみずづきさんを見ると、その、もった甲斐があるというか・・」

「ん? なんで?」

 

言いづらそうに視線を逸らす吹雪。理由を求めて吹雪の隣にいた瑞鶴へ。彼女はからかうような目つきで口元を示した。

 

「みずづき、涎」

「!?」

 

そこでようやく気付いた。女子力激減必至の醜態に、真っ赤に染まるみずづきの顔。爆笑が忙しさの峠を越えて比較的落ち着いている店内に響き渡る。明るく考えるなら、ここが吹雪たちのいる場所で良かった。

 

もしおきなみたちの前ならば、ほぼ失墜していた隊長としての威厳がさらに低下するのは必然であるし、知山の前ならば・・・・・・彼だと「チャーミングな所もあるじゃないか」と普段通りに言ってくれるだろうが恥ずかしさで、正気でいられるかどうか。

 

両手で顔を覆い、首を左右に振りまくっているみずづきを尻目に、吹雪は注文を取りにきた店員に「クリーム白玉あんみつを4つお願いしますっ」とにこやかに告げる。結局、店員がお盆に4つのあんみつを運んでくるまで、周囲から励ましの言葉をかけられつつもみずづきは「うわぁぁぁあ~」と沸騰したままだった。だが・・・・・・・。

 

 

 

「うわぁぁぁ、すご~~~~い!!!」

 

 

 

それも目の前に鎮座する、クリーム白玉あんみつの神々しさの前にはひれ伏すしかない。こしあんにソフトクリーム、白玉に加え、パイナップルやみかんなどの果物、そして中央に添えられた真っ赤なさくらんぼが彩りに華を生み出している。それぞれが放つ輝きといったら、もう感動だ。気を抜くと意識が吸い込まれそうだ。

 

「これだけのものは橙野みたいに軍お抱えのところぐらいじゃないと食べられないのよ。ユーラシア大陸との交易路が復活してから久しいけど、まだまだ一般庶民にここまでのものは・・・・って聞いてないし」

 

このあんみつにどれほどの価値があるのか、似合わない風格を漂わせながら意気揚々と瑞鶴が説明しようとするも、みずづきは瑞鶴など、どこ吹く風だ。

 

「ふえ!! す、すみません! えっと、なんの話でしたっけ?」

 

苦笑し、ほほかくみずづき。その純粋な反応に怒りを覚えるはずもなく、ただただ呆れるのみだ。

 

「もう・・・・まったく、いいわよ、なんでもない。みずづきも目を輝かせてることだし、食べよっか?」

「そうですね。では」

 

個性豊かな「いただきます」を唱え、好きな具材を口に運ぶ吹雪たち。

 

「~~~~~!! delicious!! やっぱり、最高デース!!」

「クマクマ!」

 

幸せそうな表情。球磨は具体的な言葉を発しなくなっている。それを見てごくりと喉をならし、木製の匙であんことソフトクリームを口に運ぶ。

 

 

 

 

 

 

一言だけ言おう。最高だ。

 

 

 

 

 

 

「~~~~~~~!!」

 

したばとと悶えながら次々とどんぶりのなかに盛られた具材を口に運んでいく。白玉のモチモチと食感に、濃厚で舌に触れた瞬間、液体へ戻っていくソフトクリーム。あんこの控えめな甘さとパイナップルなどの直線的な甘酸っぱさが上手く調和し、ほどよいまろやかさを生み出す。もはや言葉も出ない。その様子に金剛ですら若干あっけに取られているが、それを気にする余裕は皆無だ。自然と匙を持っている手が動き、高速で減っていくあんみつ。だが、それに比例して目頭が熱くなってくる。必死に抑えようとしたのだが、それはついに眉間の力では抗えない領域に達した。

 

 

ほほを伝う感触。あの日、ベンチの上で感じて以来だ。但し、そこに宿る感情の割合は正反対のものだった。

 

 

「ちょっと、みずづきさん!!」

「みずづきが泣いてる!?」

「ど、どうしたんデスカ? そんなにぼろぼろと・・・まさか!?」

 

金剛の驚愕。それを言葉に出して確かめたのは球磨だった。

 

「そんなにおいしかったクマ!?」

 

こくりと静かに涙を流しながら頷く。一気にこの場に脱力感と安心感が広がる。

 

「美味しいのは分かるけど、泣くほど? 食いしん坊とは聞いてたけど、まさかここまでとは」

 

口の中に広がる幸福と目頭とほほから感じる熱に意識を持っていかれていたが、それでも看過できないことはある。

 

「なんですか、その不名誉な流言は!? 私、全っ然そんなのじゃないですよ!!! しょうがないじゃないですかっ。美味しいんですもん!」

 

涙をふきながら、ニヤついた瑞鶴へ必死に反論する。そう、美味しかったのだ。どうしようもなく。それに感動し、涙を流したのは紛れもない事実。そこに宿った感情はみずづきと吹雪たちの表情を見れば一目瞭然だ。だが、みずづきは自身のことだから分かっていた。この涙が透き通った感動のなかに、濁りを含んでいることを。

 

 

 

 

 

 

 

昔、これが当たり前だった。友達と話して、家族と笑い会い、発展途上国では高級品とされるものを大衆食として食べる。

 

それが当たり前だった。特段、感謝することもない日常。

 

だが、それでも今は・・・・・・過去なのだ。世界的に見ても、そして個人的に見ても。

 

いつも共に笑い会っていた仲間と上官は、もういない。みんなが、そして家族が、見ず知らずの誰かが、想像するすらできない幸福の中に身を置いている。それに見てみぬふりをし続けられるほどの冷酷かつ身勝手な人間なら、彼女は「笑顔を守る」といって自衛隊に入隊したりはしなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~。ここだけ見ると演習で翔鶴姉たちを粉砕した鬼神さんと同一人物とは思えないよね。あの鬼気迫る表情と、ほっぺた落としそうにしながら泣いてる表情。吹雪もそう思うでしょ?」

 

「誰が鬼神ですか!?」というもはや定番と化したツッコミを見事に無視する瑞鶴。

 

「・・・・・・えっ!? そ、そうですね。でも、みずづきさんらしいといえばらしいというか」

「なによそれ。なんか複雑・・・」

 

吹雪の反応にしょげるみずづき。吹雪は慌てて釈明を始める。

 

「ち、違うんですよ!! みずづきさん!! 私はバカにしているとか・・・そういうことは一切ないですから。ただ、感情表現の豊かなところがみずづきさんの第一印象ですから・・・。御手洗中将が来たときとか?」

「うぐっ!」

「そう痛々しい反応しなくでも大丈夫デスヨ!! 喜怒哀楽がはっきりしてることはいいことデース!! 言葉を交わさなくとも相手の気持ちや性格が分かりますし、コミュニケーションのきっかけにもなるネ!」

「金剛さん・・・・。いい言葉だけど、机をがたがた揺らしているから、効果半減クマ!!」

「ちょっと、あんたたちうるさい!! みんなの迷惑でしょうが!!」

 

こういう場合は、注意する本人が一番うるさいパターンである。案の定、客観的にみて一番大声を出したのは、金剛や球磨を注意した瑞鶴だ。店内にいる他のお客は温かい目で見守ってくれているが、「ゴホン」という咳払いが厨房の方から聞こえてくる。

 

「っと、まあ、じゃれ合いはここまでにしといて・・・・。聞いたわよ、初出撃の件。護衛任務だって?」

 

瑞鶴の瞳に少し真剣な色が宿る。それはなにも瑞鶴に限らないが、和やかな雰囲気を凝固させるほどではない。みずづきの涙は既に止んでいる。

 

「はい、そうです。なにを隠そう、みなさんとお会いしたのはそれに関連した訓練の帰りだったんですよね」

「三水戦ですよね? 白雪ちゃんたちから話は聞いてます。みんなが・・・・・・特に下の二人がご迷惑かけてないですか?」

「ううん、全然。むしろみんな真剣で圧倒されたぐらい。吹雪型って、根はみんな真面目なんだね」

 

それに吹雪は「そ、そんなことないです」とほほを赤く染めながら謙遜する。

 

「川内たちの一緒に横須賀から出撃デスヨネ。目的地はえっと、ウ~ン・・・」

「お・・」

「沖縄だ」

 

頭をひねる金剛をみずづきが助けようとした瞬間、投げかけられる男性特有の低い声。あまりの突然さに声すら上げらず固まる一同。だが、その声には聞き覚えがあった。みずづきの後ろ。座敷をいくつかの空間に分けている衝立から、立ち上がった1人の男性が姿を現す。手には今日の朝刊が握られていた。

 

「みずづきの行き先は沖縄だ」

「ふ、筆端副司令!!」

 

一同を代表し、みずづきや吹雪と異なり真正面から向き合う形になった瑞鶴が驚愕の声を上げる。そこには「なんでここにいるの!?」という疑問も含まれていた。

 

「失礼だな。横須賀鎮守府副司令官の俺が、息抜きに甘味を食べてはいけないのか? だいたい、先客は俺だ」

 

みずづきは記憶を巻き戻す。確かに来たときには既に座って、あんこのおはぎを食べている人物が座っていた。だが、まさか筆端だったとは。こちら側に背を向けており新聞を読んでいたことから顔が見えず、全く気付かなかった。

 

「す、すみません、副司令。ごあいさつもせず」

「ん? いやいや、いいよみずづき。俺も記事に没頭していて、気付くのが遅れてしまったからな。それに・・・・・いいものも見れたからな」

 

瑞鶴のようなニヤついた笑み。筆端がなにを思い浮かべているのか手に取るように分かる。急速に熱くなる顔。先ほどは羞恥だけだったが、今は乙女の会話を盗み聞ぎした怒りも混ざっている。

 

「まあ、そう恥ずかしがるなって。これを見ても、同じ態度をとれるかな?」

 

机の上に置かれる一万円札。日本のものと肖像画や偽造防止のシールなどが異なるが、全体的なデザインはよく似ている。

 

「俺のおごりだ。これで払え。おつりはみずづきに渡してやってくれ。いくら使う機会が少ないとはいえ、現金がなかったら不便だろ? 給料の支給はもう少しかかるみたいだからな」

 

思わず目が丸くなる。しかも、一万円とは太っ腹すぎる。5人いるとはいえ、合計しても2000円でおつりが出る程度。8000円近くがみずづきの手元にわたることになる。

 

「筆端司令、そんな!!」

「いいですいいです! 悪いですよ」

「遠慮すんなって。実際今日だって一文無しで困ってただろ? こういう機会もめったにない。もらえるものはもらっておいた方が得だぞ」

「う・・・・・」

 

ここまで言われてしまえば、反論は失礼だろう。筆端は純粋な善意で、行ってくれている。

 

「では・・・・・・すみません、頂戴いたします。ありがとうございます!!」

「よし。じゃあ、俺はこれで失礼するよ」

 

軽く片手をあげて、勘定をすまし出ていく筆端。彼の姿を見送り、机の上に置かれた一万円札を手に取る。彼の懐に財布が収められていたせいだろうか。お金とはいえ紙のお札が、ほんのりとした温かさに包まれていた。

 

 

~~~~~~~~~

 

 

「はぁ、ついてない・・・・・」

 

体育館裏の少し湿り気がある道に伝わっていく大きなため息。それをかき消すかのように大きく膨れた紙袋のこすれる音が、足を地面につけるたび発生する。両手に1つずつ持っているため、途切れることはない。

 

紙袋の中身。

 

それはゴミだ。今日は寮のごみ回収日だったのだが、同室の全員がそのことをすっかり失念。結果、たまりにたまったごみは回収されず、自ら体育館と工廠がある整備区画の中間にある焼却炉へ持っていくこととなってしまった。出たごみはすべて可燃物で特別な分別や処理を必要としないので、置いておけば当番の将兵たちが燃やしてくれる。だから、ただ運ぶだけでものもそこまで重くないのだが、訓練終わりのこれは倦怠感が半端ではない。本当なら、今頃自室でごろごろしていたはずなのだ。なのに、今両手にごみ袋を抱えて、人通りの全くない道を1人で歩いている。

 

では、なぜ彼女は1人で、ごみ出しをするはめになっているのか。

 

「じゃんけんに負けたりしなければ・・・・・」

 

結局これである。“この世で最も公平な判断を下せる手段”と彼女は言った。前回の悲劇に懲りず、また。しかも言い出しっぺである。彼女の表情は未練に満ちていた。

 

「あのときと全く同じ展開じゃない。私、運はそこまで悪くないんだけどな~。最近、罰が当たるようなことしたっけ? ・・・・・・ん?」

 

焼却炉の近くまでやってきたところで、人の声が聞こえてきた。だが、姿は見えない。どうやら音源は体育館を隔てた焼却炉前の広場のようだ。最初はただ声が聞こえるのみだったが、近づくにつれ、複数の人間がいて誰かが話しているのを把握する。会話の詳細はまだ分からない。気付かれないようにゴミ袋を体育館のそばに置き、忍び足で向こうから見た死角の端まで足を進める。そこでふと自分のしていることに気付いた。

 

なぜ、自分はこんな、盗み聞きするような真似をしているか、と。いつも通りに「こんなところで何してるの?」と胸を張って声をかければいいのに、今日は違っていた。理由は分からない。だが、そうするという考えは全く思い浮かばなかった。

 

耳を澄ませるとはっきり聞こえてくる会話。話している者たちの表情は分からないが、声色から笑っていないことは確かだ。

 

「んっと、まあこんな感じです。わざわざ足を運んでもらちゃってすみません。ただ、お伝えしておこうと思って」

「いや、謝られるどころか、お礼を言うべきところだ。お前が教えてくれなければ、私たちは零れ落ちた重要な要素を見逃すところだった。しかし・・・・」

「どうして彼女が潜水棲艦の特徴を知っているのでしょうか? 提督から?」

「可能性は高いがどうだろう。提督は知っての通りご多忙だ。そうそう鎮守府内で偶然出会うことは考えにくいし、もしあれば私に伝えて下さるはずだ。私がいる間も、そんな話はなかった」

「資料室はどうでしょうか? この前、時間があれば行くと言ってましたが」

「仮に行っていたとしても、スクリューを使わずに足で泳ぐなどという具体的な情報はない。それは機密に該当する。だから、彼女が足を運んだ、もしくは運ぼうとしている資料室からは知りようがないはずなんだ」

「ですが、彼女は知っていた・・・・。本当に自然体だったのよね?」

「ええ。あまりに自然すぎて、私も一拍置いてからおかしいと・・・」

「考え過ぎなのでは? 三水戦や吹雪から聞いている可能性も排除できません」

 

「っ・・・・・・」

 

一瞬、息が止まる。

 

「それはそうだが・・・・・・」

「確かに言われる通りですが・・・・。やつらって言ったんですよ? 深海棲艦のことを。勝手な推察で参考にならないかもしれませんが、そこにはこの世界の人間にも引けをとらない軽蔑と憎悪が込められていたように・・・・・・私は感じたんです」

「・・・・・・・・・そう。あなたが言うなら考慮しないわけにはいかないわね。もし、それが本当なら、彼女は・・」

「ああ、歓迎会の時の発言や態度からもそうだが、やはりなにか隠し事をしている。それも大きな何かを」

「最近、提督や副司令に妙な動きがあります。それは・・・・・」

「提督も優秀な方。おそらく私たちと同じように何か感じておられるのかも」

「そ、そうですか・・・・」

「とにかく、この話は内密に。各人、気になったことや引っかかったことがあれば遠慮なく報告してくれ」

『了解』

 

遠ざかっていく気配。緊張の糸が切れ、こわばっていた足から力が抜けていく。地面の上にへたれこまないよう、体育館の壁に体重をかけ直立を維持する。震える手。

 

 

 

 

“聞いてはいけないことを聞いてしまった”

 

 

 

 

その事実の前に、しばらくの間、体は言うことを聞いてくれなかった。




今まで長々と、そしてのらりくらりと進んできましたが、ついにみずづきの出撃が決定です。船団護衛というと華々しい任務でないかもしれませんが、戦略的重要性はバカにできません。川内たちとみずづきの奮闘(←深い意味はありません)に期待したいところです。

っと、ついに春イベ2017の情報が運営さんより伝えられ始めましたね。聞くところによると中規模とかなんとか。(・・・・・鬼畜ではないかもしれないが、鬼と言いたい・・・・)
リアルで動き回っている身としてはタイプの子が来ないこと祈るのみですが、もし来てしまったり、簡単なマップで「秋月」ドロが生じたりすれば手が煩悩のままに・・・・・・・。


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44話 資料室

艦これが4周年を迎えましたね。
僭越ながら、一提督としてお祝い申し上げます!!

・・・・・・・・・・ん? ロシア艦?


鼓動と息遣い、身じろぎなど自身が発する音以外が聞こえない静寂に包まれた空間。視覚を確保する明かりは天井に設置された照明のみで、昼間だというのに日光は一切ない。それどころか、窓そのものがここには1つもないのだ。静寂と温かみのない照明に着目すればひどい孤独感に苛まれるが、それは幻想だ。ここは様々な存在感で満ちている。但し、存在感を放つのが本や冊子、レコード盤などのものであることを勘定すればの話だが。

 

資料室。市民感覚で俗に言われる図書館と同じような役割と設備を持っているが、それは副次的なものに過ぎない。ここの目的は海軍、ひいては瑞穂軍の歴史から部隊・保有装備の詳細、そして戦闘の詳細、それの戦術的・戦略的分析などに至る様々な情報を収集・収蔵することである。それらには当然、軍事機密も含まれている。「戦史室」や「収蔵室」など様々な名称があるものの一般的に「資料室」と呼ばれている施設は大抵の軍事基地に設置されている。ここ横須賀鎮守府では1号舎の真向かいにある2号舎の地下1階に第1資料室を、地下2階に第2資料室を設けている。第1資料室は市井の図書館よりも軍事関連の書籍が多い程度の設備であり、新聞や街の書店に並んでいる雑誌や小説なども完備している。第2資料室は存在する場所からもわかるとおり機密指定されている資料類が収蔵されている。もともと両方とも地上の専用施設、1号舎と同じく赤レンガ造りの図書館にあったのだが深海棲艦出現以降、空爆での消失が危惧されたため地下に移設されたのだ。

 

そのため、第1・第2共に資料室には窓がない。そして、今は夕方の早い時間帯。大抵の将兵たち、そして艦娘たちは訓練や業務に携わっている時間である。訪れた時は数人いたのだが、現在は誰もいない。ここは昔あった都会の図書館ほどの面積を第1資料室だけでも有しているので、もしかしたらいるかもしれないが広すぎて分からないのだ。受付からも大分離れているため、司書の若い女性の気配も感じない。背後は本棚に敷き詰められた本だらけだ。

 

そして、目の前の机には集めてきた本や資料などが山を形成し、乱雑に置かれている。勉強嫌いな駆逐艦たちによっては頭痛必至の状況だが、みずづきは別の意味で頭を抱えていた。頭痛ではないことは、深刻そうな表情から一目瞭然だ。

 

瑞穂世界の歴史と現在を知る。この世界に来た当初からここに足を運びたいと思っていたのだが、それは船団護衛任務決定によってさらに重要性が増した。さすがに、川内や長門、百石たちから聞いてはいるものの、自発的な学習ゼロで実戦に出る訳にはいかない。また、しばらく横須賀を離れる。

 

出撃を明後日に控え、先日百石から作戦の詳細が伝達された。それまでは船団を護衛し沖縄まで航行し、また護衛しながら横須賀へ帰ってくるほどしか伝えられず、また作戦内容が流動的とも聞かされていたため、任務の詳細は全く不明だったのだ。

 

百石によると、みずづきと第3水雷戦隊は明後日、7月8日0700に横須賀鎮守府を抜錨。横浜港から出港してきた五美商船所属の貨物船3隻と合流し、一日かけて紀伊水道まで護衛。船団はそのまま大阪港へ向かい、別れたみずづきたちは和歌山県日高群由良町にある瑞穂海軍由良基地へ向かい9日0700に入港。ここで休息を兼ねて一泊したのち、大阪港を出港した豊田商船所属の貨物船5隻を丸2日かけて那覇港まで護衛。

 

那覇港入港予定は7月12日0300。その後、隣接する瑞穂海軍那覇基地で2日間の非番。そして、7月14日0700にあの輸送船を含む海軍輸送船5隻を伴い、那覇基地を出港。2日後の7月16日1900に横須賀へ帰港、というスケジュールだ。

 

予定通りに進んでも8日間。もし深海棲艦の襲撃を受けこちらに被害が生じれば、この日数はさらに伸びることとなるだろう。その間は絶対にここへ来られないのだ。たかが8日間かもしれないが、漠然と過ごす8日間とひたすら待つ8日間では、精神的負荷の差は歴然である。だが、今までなかなか時間が取れず資料室が入っている2号舎を外から眺める日々が続いていたものの、護衛任務の出撃が明後日と迫った今日ようやくまとまった時間が取れた。そのため、念願だった資料室に足を運ぶことができたのだ。

 

 

 

初めて触れる、伝聞ではなく文字としての瑞穂世界。

 

 

 

それは、衝撃の連続だった。

 

 

 

そこは百石たちから聞いた伝聞と、伝聞を基にした想像以上に日本世界と全く異なった世界が広がっていた。見知った国名は見当たらず各国の歴史も政治体制も、そして国境線も未知のものばかり。今更ながら、ここが本来は認知することすら不可能な並行世界なのだと強く実感してしまう。ただ、そこには驚きや感嘆、関心などもあったが、それよりも大きく、そして一筋縄ではいかない感情が深い心の底から湧き上がってくる。それは、2つの世界の最大の違いに起因していた。

 

 

“ああ、ちなみに瑞穂は君の祖国日本のように他国と全面戦争を行ったことはない。またそれはこの世界の全国家に言えることだ。この世界では近代以降国家間や民族間の大規模な戦争は運よく起きていないのだよ。小規模な戦争は多々あったが・・・”

 

 

これだ。一片の誇張がないことはみずづきが集めてきた本たちによって証明されている。日本世界が、人種・民族・宗教・思想・価値観・風習の相違、そこから来る感情的・構造的な対立や歴史・経済から噴出する政治問題によって、果てしなく行われてきた人間同士の殺し合い。それがこの世界では希有な事象でしかないのだ。あっても、日本世界でいうところの紛争程度。戦争と呼べるものはないといっても過言ではない。

 

この世界で近代以降最大の戦争にして、唯一の国家間衝突はこちらで言うところの、北アメリカ大陸であるポピ大陸に存在する原住民の国家、ポピ連邦と欧米系入植者の国家、コロニカ合衆国の間で20世紀に生起した東西紛争だ。背景や対立勢力は全く異なるが概念的には19世紀に勃発した南北戦争と似たようなものだ。

 

戦争は戦争。この東西紛争でも国境沿いに存在が確認された石炭炭鉱を巡り、両軍が激突。戦火はポピ大陸の資源に権益を持ち、それぞれに人種的親近感を抱く大国も消極的ながら介入したことにより拡大。約7年間の戦いで、様々な地獄が具現した。

 

しかし、この戦争で生じた犠牲者数は双方あわせて67万人。

 

 

 

 

 

「たった、67万人・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

みずづきの独白。不謹慎にもほどがあるが、日本世界の紛争や戦争では、60万人はおろか100万人以上の犠牲が出ることなどザラだったことを考えると、致し方ない。これがみずづきたちにとって当たり前だったのだから。

 

戦争が希有。それは東西紛争を教訓とし以降、国家間の紛争が起きていない歴史のみならず、現在(といっても深海棲艦出現以前だが)における各国の軍事力を見ても窺い知ることができる。瑞穂を含めた先進国ですら他国への侵攻を想定した装備や能力をそもそも保持しておらず、戦争による技術革新・装備更新・戦略変更が少ないため、日本世界で瑞穂世界と同レベルの時代において一般的となっていた兵器そのものが存在しない。戦艦や空母、潜水艦、そして核兵器が分かりやすい例だ。瑞穂世界には制度的・能力的・技術的に、戦争ができないまたはしづらいシステムが出来上がっている

 

平和を維持するシステムが自然発生的に構築されているのだ。しかも、かなり強固な形で。

 

「・・・・本当に、全然違うんだね。私たちと・・・・・・」

 

対して自分たちの世界はどうか。頭の中に、日本世界の宿命が生み出した光景が浮かび上がる。破壊された廃墟。惨殺された何の罪のない人々。血で塗装された街。自分の、親友。

 

しかし、少し離れた位置にある本から目の前の新聞記事の目を向けると、書いてある内容も自身の思考内容も面白いほどに一変する。

 

 

 

2025年。そんな正反対で交わることもなかったこの世界に、突然日本世界でも絶望を振りまく未知の敵が出現した。

 

 

 

 

深海棲艦だ。

 

 

 

 

瑞穂国防省が毎年刊行している国防白書や瑞穂一の発行部数を誇る「日就新聞」の掲載記事を見ると、瑞穂世界では日本世界より2年早い2025年5月、島南方海域布哇(はわい)で布哇王国海軍の哨戒艇が撃沈された事件によって、存在が確認されている。だが、環太平洋諸国海軍と深海棲艦が死闘を繰り広げる3か月前。瑞穂時間2025年2月17日には布哇諸島近海で瑞穂船籍のコンテナ船が突如、消息を絶った事件、「光陽丸(こうようまる)事件」が発生している。瑞穂では当時「クジラと接触して沈んだのではないか」と言われていたこの事件が、瑞穂世界で初めて深海棲艦が人類に攻撃を加えた事例であると一般的に解釈されている。

 

日本世界はどうだったのかといえば、「2027年1月15日」が未来永劫語られる人類史の分岐点である。2027年1月15日、アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ諸島の南に位置するキリバス共和国政府が突如緊急電を発信。1月17日にはキリバスの西方に位置するツバル、マーシャル諸島、サモアからも同様の突発的不明事象が発生した。軍・諜報機関、そしてグローバル化・情報革命が進んだ21世紀らしくインターネットや報道機関を通した情報から、アメリカとフランスは事態の深刻性を認識、軍事行動を起こした。それによって勃発した「ポリネシア攻防戦」が人類と深海棲艦が衝突した最初の戦闘である。

 

 

 

 

 

 

ただ当時の世界の様相は、とても瑞穂世界と比較できるようなものではなかったが・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

あの当時、世界は西側も東側も、民主主義も共産主義も全体主義も関係なく、まさにカオスと化した第三次世界大戦の真っ只中であった。第二次日中戦争が発端となり勃発した華中内戦、丙午戦争で世界第2位、第3位の経済大国が激しい内戦に突入したことで世界は大混乱に陥った。もともと2017年の西日本大震災と2025年から続く海難事故の多発で息絶え絶えとなっていた世界経済はついに瓦解。いくら世界の超大国アメリカが金をばらまおうと、欧州の頂点に立ったドイツがEU加盟国を巻き込み知恵を絞ろうと、それは・・・・・・・・・止められなかった。

 

地球全体をくまなく席巻する失業、飢餓、難民、格差、貧困、政情不安、そして・・・・・・・未来が見通せない絶望。

 

各国で時折ガス抜きしつつも溜まりに溜まり、いつ暴発してもおかしくないほど膨張する国民の不満。

 

各国政府が恐れたように、それは「戦争」という形で暴発した。

 

2026年1月3日、かねてよりイスラム教シーア派系勢力「フーシ」とスンニ派系部族主体の現政権間で内戦が続いていたイエメンで、「フーシ」実効支配下の病院をスンニ派系支援を名目に軍事介入していたサウジアラビア軍の戦闘機が誤爆。「フーシ」戦闘員及び治療を受けていたシーア派市民、双方合わせて104人が死亡する悲劇が発生した。この事件が報じられるな否や、シーア派世界は激高。各地でシーア派とスンニ派の衝突が頻発する中、壮大な宗派対立はついに国家間にまで波及。そして、1月10日、報復とさらなる誤爆阻止を掲げた「フーシ」支援国のイランがイエメン領空のアデン湾上でサウジアラビア空軍のF-16戦闘機を撃墜、軍事衝突に発展した。国際社会の仲介虚しく、スンニ派・シーア派の盟主同士の戦争はたちまちアラブ連盟を介した周辺諸国に拡大。それどころかスンニ派系過激派組織「イスラム国」・「アルカイダ」、シーア派系武装組織「ヒズボラ」などテロ組織までを巻き込んだ「第五次中東戦争」に発展。幾人もの国際政治学者や政治家が呼んだ「21世紀の火薬庫」との名称にふさわしく、中東は大爆発を引き起こした。

 

サウジアラビアなどのスンニ派やイスラエルを支援するアメリカ。イランやシリアのアサド政権などを支援するロシア。両国も当然手をこまねいて傍観していたわけではなかったが、彼らが最も恐れたことは中東の廃墟化、第三次石油危機の発生、自国やヨーロッパへの難民流入、世界経済の混乱による自国権益の損耗ではない。それは一重に世界の超大国、核兵器を持つ国同士が、支援国のいざこざに()()()()()()()で衝突することだった。当時、2017年のジャパン・ショック、チャイナ・ショックから続く経済不況によって両国は疲弊し、経済的・民族的問題から生じる国内問題の対応で忙殺され、とても他国の戦争を止める余力は皆無だった。そこでとった行動は自国海外拠点の防衛のみに専念する「知らん顔」だった。

 

言うまでもなく、その瞬間・・・・・・・・・「力による抑止」でかろうじて均衡を保っていた世界の秩序は吹き飛んだ。一国をいとも簡単に滅ぼせる強大な拳は振り上げられることすらなく、ポケットの中に忽然と消えたのだ。

 

抑止力を失った世界は従来から発火していたシリア、リビア、ソマリア、ミャンマー、ウクライナなどに加え朝鮮半島、カシミール地方、インド・パキスタン、アフガニスタン、フィリピン、マリ、アルジェリア、南スーダン、旧ユーゴスラビア圏、アゼルバイジャン・ナゴルノ・カラバフ自治州、コロンビアなどたちまち、くすぶっていた各地で炎上。アメリカとロシアが恐れたものとは別の形で「無秩序(アナーキー)な第三次世界大戦」に発展した。

 

そんな情勢下で、突如なんとか治安を維持し第三次世界大戦の余波を受け流していた太平洋上の島嶼国から「未知の勢力から攻撃を受けた」と信じがたい緊急電が発せられたのだ。各国、特に太平洋島嶼国と深い利害関係にあったアメリカ、フランス、オーストラリア、ニュージーランド軍が蜂の巣を叩いたような騒ぎになったのは言うまでもない。その4ヶ国の中で最も迅速に動いたのが、元超大国アメリカである。宇宙空間を周回する数多の偵察衛星とハワイ州オワフ島から緊急発進(スクランブル)したF-22A戦闘機、ロシアを睨み空中待機していたアラスカ州を根拠地とするE-3 早期警戒管制機(AWACS)による情報収集を敢行。この際、F-22Aとアラスカ州より急派されてきたF-16C/Dの2機が消息を絶っている。これもあってかアメリカは()()()たまたま真珠湾へ寄港していた合衆国海軍第3艦隊の駆逐艦4隻を派遣。また、ポリネシアの海外領土に陸海空軍と国家憲兵隊(フランス領ポリネシア駐屯フランス軍=FAPF)を駐留させているフランスにも応援を要請した。当時、フランスは現政権-反体制派(の皮を被ったイスラム過激派)間で2012年以来の内戦に突入していたマリへ単独で、またテロリストの養成学校と化しこれまた内戦を続けているリビアに欧州連合軍平和維持部隊の名で軍事介入し、国内では流入したイスラム過激派によるテロに翻弄されていた。一部で南太平洋の戦力を本国に召還するか否かを議論していたフランスもニューカレドニアに設置されたフランス版エシュロン「フレンシュロン」による盗聴からただならぬ気配を感じていたのか、二つ返事でポリネシアに駐留するフロレアル級フリゲート1隻の派遣を決定。

 

そして、なぜか戦場となっている島々に出撃した米仏連合艦隊が、自らの命と引き換えに寄こした報告。それが、「第三次世界大戦」をも凌ぐ未曾有の大戦の始まりとなった。

 

余談であるが、この過程でアメリカ・オーストラリアはおろか広大な海を隔てた日本・ロシアまでもが情勢確認及び他国軍偵察のため、複数の潜水艦をポリネシア海域に派遣したと言われている。だが、その詳細は今日に至るまで公表されておらず、撃沈艦は出たのか、何の情報を得たのか、そもそも本当に派遣していたのかすら、闇に沈んだままである。

 

深海棲艦が出現した詳しい時間帯・場所は事態を俯瞰できたキリバス政府の生存者がほぼ皆無のため、瑞穂世界と異なり現在に至っても不明のままである。対照的に深海棲艦が本格的に人類への敵対行動を示し始めたとされる事例ははっきりとしている。「ポリネシア攻防戦」が始まるちょうど2年前。日本時間2025年1月26日シアトル港を出発し、横浜港へと北太平洋を航行していたパナマ船籍のコンテナ船「WHITE QUEEN(ホワイト クイーン)」がハワイ諸島北方海域にて消息を絶った事件が最初だ。こちらでも第二次日中戦争の発端となった「東海艦隊事件」をはじめとする、2025年頃から多発した一連の海難事故が深海棲艦の仕業と確認されているので、本格的な衝突に時間差があっても出現時期はほぼ同一と見ることができる。

 

個体別にみると能力は日本世界の個体よりの低いようだが、撮影された写真を見るに外見はほぼ同じ。戦術行動も戦略爆撃を除き、島嶼部を最初に抑え要塞化とシーレーン断絶を並行させ、準備が整い経済的混乱で人類が疲弊したところを見計らって攻撃を仕掛けている。大方日本世界と同様だ。

 

 

この紛れもない事実。これを見て、知って疑問を抱かない者はいないだろう。人類は当然並行世界間の移動技術など持ち合わせていないし、2つの世界の深海棲艦が全くの別グループと考えるには、事態推移といい、深海棲艦の様相・行動といい共通点が多すぎる。

 

「これは・・・・・・・もしかしたら」

 

深海棲艦の起源に迫るきっかけを得られるのではないか。

 

もう1つ、日本・瑞穂両方の世界に共通していたこと。それは深海棲艦の正体が「全くもって不明」とされている点だ。比較研究というほど立派なものではないが、自分が持っている日本世界の深海棲艦に関する情報と瑞穂世界にある深海棲艦に関する情報を収集、比較すれば、誰もが至らなかった境地に辿りつける可能性はある。

 

 

みずづきは、何重にも積み重なっている本の内、最も上の本のある記載にとげ視線を向ける。

 

“2025年以降、大戦による犠牲者は各国の混乱、情報伝達網の攪乱によって詳細は不明であるが、瑞穂政府は連絡可能な諸外国の情報を基に少なくとも9700万人以上と推計している。”

 

「少ない、ね・・・・・・・」

 

9700万人。第二次世界大戦で生じた犠牲者を上回る、そして日本の人口と同程度の犠牲者が深海棲艦との大戦で生じているのだ。「少ない」など不謹慎にもほどがあったが、こう呟いてしまう理由が明確に存在していた。

 

 

 

 

 

 

16億4000万人。

 

 

 

 

深海棲艦との戦争、「生戦」で犠牲になったと日本政府が推計している人間の数が、これだ。無論この中には、日本の犠牲者2350万人も含まれている。たった6年間の戦争と混乱によって日本世界では総人口の約5分の1が、消えたのだ。それに比べて瑞穂世界の犠牲者数は16分の1程度にすぎない。

 

日本世界も、瑞穂世界に倣っていればどれほど良かったことかと憂鬱になるが、この“差”も貴重なデータだ。

 

この違いには要因はいくつかある。今、思い浮かぶのは深海棲艦単体の戦闘能力だ。外見はよく似通っているものの、瑞穂世界の深海棲艦より日本世界の深海棲艦の方が強いし、しぶとく狡猾だ。あらゆる個体が「絶対に人類を滅ぼしてやる」という気迫を纏っている。しかし、一度しか砲火を交えていないため自信を持って言えないが、こちらの深海棲艦は日本世界より闘志が弱いように思えるのだ。良く言えば、「理性」が比較的強い。

 

「やる価値はある」

 

いや。

 

「どれだけ時間がかかっても、やらないと。これを出来るのは、もしかしたら全人類で私だけかも・・・・なんてね。いくらなんでも買いかぶりすぎかな・・・・・」

 

「あはははっ」と乾いた笑み。自分をそこまで高く持ち上げられるほど、みずづきの神経は図太くない。しかし、確かに“調べてみる価値はあるだろう”。

 

この時、必死に考え事をしていた意識は完全に内側へと収斂していた。五感は思考に占拠され、現実を捉えない。だから、気付かなかったのだ。消えて久しい人の気配が解き放たれ、それがだんだんと自身に向け近づいてくるということに。

 

「こんなところで何してんのよ、あんた」

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

“うん・・・・。すっっごく、いい人たちだと思うよ!!!”

“この世界に来た時は、状況を把握するのでいっぱいいっぱいだったけど、やっぱりどのような扱いを受けるか不安もあった。研究所に連行された解剖なんて映画とかだとお約束だったしね。でも、そんなことは一切されず、その・・・・・・怒りのあまりぶっ放しても、おとがめなしで済んだ。ここの人たちには感謝してもしてもしきれないよ。もちろん、曙にもね”

 

非日常の高揚と精神的・身体的火照りのなか、いつも通りの笑みの中で語られた言葉。その言葉に裏はなく、10割本音で語られていることは分かった。

 

どんな反応をするのか。それによってみずづきという人間がどのような性格の持ち主か、あわよくばどんな過去を持っているのかを探るためにあんな質問をしたのだ。結果的にとある馬鹿に邪魔されてしまったが、やった意味はあった。

 

やはり、思った通り、そして周囲が言っている通りの人間なのだろう、彼女は。

 

だったらあの日、あの夜に流していた涙は一体何であったのだろうか。橙野でのやりとりから、ますますそれが気になって仕方がなかった。

 

みずづきの涙を見た時、戦争の結果を知り自分や周囲が流した涙と同じであると感じてしまったこと。そして、みずづきにかつ丼を持っていき、それを前にした彼女の表情が、あの人たちとかぶってしまったことも原因の1つであろう。

 

“戦争のない、世界、か・・・・・”

 

彼女はあの時、はっきりとそう言っていた。

 

戦争は、嫌いだ。反吐がでるほど嫌いだ。戦争は人も街も、大切なものを一瞬で奪っていく。そればかりか人間性をも失わせてしまう。だが、陽炎と同じように人間はそういうものだと思っていた。なぜ、戦争をするのか。長門や赤城あたりは真剣に考えているのだろうが、一介の駆逐艦でしかない自身には、あまりに大きすぎる主題だ。考えたことはない、といえば嘘になるが考えても仕方ないことだ。

 

日本は、復興し、平和になった。あいつらの・・・・・そしてみんなの犠牲は報われた。それだけで良かった。なのに、みずづきは時々、それを大きく強く揺さぶる。

 

だから、受付の司書からみずづきがいると聞いたとき、好機だと思ったのだ。幸い、第1資料室には彼女とみずづき、そして自分しかいないと聞く。

(今日こそは、このモヤモヤにけりをつけてやる)

自身より遥かに高い本棚の間を、流れるようなサイドテールを揺らしながら胸を張って歩を進めた。だが、それは長続きしなかった。彼女の姿を認めた瞬間、足が止まる。いや、足を止めたのはみずづきの姿ではない。その視線だ。ちょうど、みずづきの横顔が見える位置の通路から出てきた。向こうからも見えているはずなのだが、全く気付いたそぶりを見せない。

 

みずづきは、刺すような視線を机一面に広げられた本に容赦なく、向けていた。そこに、優しくて、心の底からそして他人に迷惑をかけまいと笑っているいつもの雰囲気は皆無だった。

 

まるで作戦課で必死に作戦を考える士官のように、銅像と化しているみずづき。微動だにしていないため、不覚にも寝ているのではないかと一瞬思ってしまった。だが、彼女は起きている。真剣な目で本と睨めっこをしていた。

 

見たこともない威厳を纏った姿。圧倒され、無意識に足が下がり本棚に隠れようとするが、気合で押しとどめる。自身の気持ちを再認識して、足を踏み出した。

 

「こんなところで何してんのよ、あんた」

 

気付かなければおかしい距離まで近づいたのだがよほど考え事に耽っているのか気付かない。仕方なく声をかける。声にならない声を上げ、目を丸くするみずづき。いつも通りの反応を見ると、さきほどの光景が幻覚のように思えてしまうが、そうではない。

 

「あ、曙!? どうして、ここに?」

「なに? 私がここに来ちゃいけないの? 私だって命張って戦ってるんだから、勉強の1つや2つするわよ。・・・もしかしてじゃなくて、馬鹿にしてるでしょ?」

「いやいや、そんなこと、誤解だよ、誤解!! 全く予想外だったから、つい」

 

そういいながらみずづきの意識は机の上に向けられる。さりげなく、体をずらしてどんな本なのか曙から見えないようにしている。気付かれないように、ほんの一瞬、机上へ視線を向ける。

 

「ほんとかしらね。陽炎や黒潮からなにか吹き込まれてるんじゃない?」

「ないない!」

 

断言するみずづき。どうやらこれは本当のようだ。思わぬ収穫があって何よりだが、本題はそこではない。

 

「ふーん。なら、いいけど。それより何読んでんの? 見せてくれない?」

「えっ!?」

 

一瞬、陰る表情。それを見逃すへまはしなかった。

 

「いいじゃない? それとも、なにかやましいものでも読んでるの?」

 

これが効いたようで、みずづきは「仕方ないな~。はい、どうぞ」と体をよける。「なにこれ、散らかりすぎでしょ」はお約束だ。実際、これは誇張ではない。煩雑すぎて全容を把握するのに手間取ったが、具体的な著作名は分からずとも、どういう本かは分かった。学校で使われている歴史や政治経済の教科書、新聞記事集、官報など、一読して瑞穂世界の様々な事柄を知ることができる、比較的軽いもので占められていた。

 

「こ、こんなにたくさん・・・・・・。あんた、いつからいたの?」

「訓練が終わってからだから・・・・・、ざっと3時間ほどかな。ただそれらしいものを集めただけで、目を通せたのは半分ほど。でも、もうかなりきつい」

 

肩をもむみずづき。年寄り臭いことこの上ないが、嘘の反応ではないようだ。問いかけから一拍。次は、みずづきのもとにきた理由そのものを聞く。核心をつくだけに、緊張する。

 

「そりゃ、当然ね。にしても、なんでそこまでして、こんなものを読ん・・・誰っ!?」

 

しかし、思惑通りにはいかなかった。突然現れる人の気配。最大にして唯一、そして他人には聞かれなくない疑問を投げかけようとした時だったため、思わず大声を出して過剰反応を示してしまった。さすがに逃げるようなことはなく、気配の主が本棚から数冊の本を手にして現れる。

 

彼は見知った人物だった。

 

「すまないな、驚かせてしまって。しかし、こういってはなんだが、資料室で大声とは感心しないな」

「お、大戸艦長!?」

 

全く予想外の人物に驚愕する曙。完全に先ほどのみずづきの立ち位置になっている。

 

「そんなに驚かれると心に来るんだが・・・・・・ま、いいか。無言で睨みつけられるよりは遥かにマシだしな。っと、そこにいるのは、もしや」

 

曙の隣にいる者の正体を把握した途端に、益々笑みを深くする大戸。みずづきも動揺することなく手慣れた様子で笑顔を向けていた。百石が手を手を回したのだろうが、どうやらこの2人。初対面ではないらしい。

 

「はい。ご推察の通り、みずづきです!」

「これは、これは・・・・。珍しいこともあったものだ。みずづきがここにいるとは。それに・・・・」

 

みずづきの敬礼に答え軽く答礼した後、大戸はわずかに首をかしげながらみずづきと曙を見る。それだけで彼が何を思ってるのか、容易に察することができる。どうやらみずづきも同じようで、百石が上官の前でやるようなぎこちない苦笑を浮かべている。

 

「君たち2人が、一緒で周りに誰もいないとは・・・・・希有だね」

 

(やっぱり・・・・・)

完璧に重なる2つのため息。

 

「「あ・・・・・・・」」

 

そして、感嘆も見事に一致。もともと気まずかっただけに、その度合いは急速に高まっていく。これは数々の気まずさに耐え抜いてきた身にとってもよろしくない。なにか、適当な文句を考えていると、みずづきが素朴に大戸へ視線を向けた。

 

「そういえば、第5艦隊は護衛任務で・・・・」

「そうだ。君たちの往路と帰路の安全を確保するために東京湾沖で哨戒と警戒監視を行うのは我々だ」

 

こちらの動揺を父親的視線で穏やかに眺めていた大戸は、こちらに気を遣ってか何も言わずみずづきの質問に答える。

 

「ここに来たのは、第2資料室に行ったついでだよ」

 

大戸が手にしている本。みずづきが机の上にまき散らしているものとは、厚さからして全く次元が違う。漂っている雰囲気は常人の接触を阻むかのような、厳つさを含んでいる。

 

「明朝出港なんだが、何か雑誌でも借りて持っていこうかと思ってな。置いてある場所を探していたんだが、君たち知らないか?」

「大戸艦長って、結構資料室に足を運んでるって聞いたけど・・・どうして?」

 

純粋な疑問。

 

「なんだか、書架の場所が移動したようでな。前の場所にないから、探し回ってたところ君たちに出会ったというわけさ。ちょうど、一旦受付に戻って、相川司書に聞こうかと思っていたところだったんだ」

「ああ、なんか言ってたわね。でもそれ、だいぶ前の話よ? えっと、確か、受付の真正面あたりにあったはずよ。ほら、新聞とかが置いてある場所」

「ああ! 曙の言うとおり、そのすぐ近くに雑誌が置いてありましたよ。記事集を探してるときに見ました」

 

申し訳なさそうな笑みから、明るくなる大戸。曙も同じような経験があり、また大戸は上位の軍人なのでいつもの辛口発言は控える。

 

「そうか。あそこか・・・・・。まったく見当違いのところを探していたっということか。ありがとう。2人とも。では、私はこれで失礼する。みずづき?」

 

向けられるまっすぐな視線。みずづきは自然に背筋を伸ばす。

 

「君たちの奮闘を期待する」

「ありがとうございます!」

 

交差する敬礼。それを見届けると大戸は背を向け、林立する本棚の間に消えていく。

 

「・・・・そうだ。曙、さっきなんて言いかけてたの? なにか重要そうなことだったけど」

「あ、えっと、その・・・・・。な、なんでもないわよ!!」

 

大戸の予期せぬ登場によって乱されたペースでは到底言える訳がない。しかし、それを口にした瞬間、濁流のような後悔が押し寄せる。気合を入れ直し、もう一度口にしようとするが自身の性格が邪魔をした。吹雪たちなら自身の発言を撤回することなど造作もないだろうが、不器用で、素直ではない曙には踏み出せない領域だった。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

「こ、これは・・・・・・・」

 

薄暗い室内。一見しただけではあまりの光の無さに薄暮かと錯覚してしまいそうになる。そのためか、照明がいつも以上に頼もしく思える。だが、今は昼から夕方に移ろう時間帯。決して、日が落ちた薄暮ではない。空にかかった分厚い灰色の雲が、日光を遮っているのだ。いつ雨が降り出してもおかしくない天気である。梅雨なのだから仕方ないのだが、この天気には、この時期に訪れるもう1つの厄介者が関わっている。

 

台風だ。

 

関東の遥か南東沖を北に進む台風8号が南方の湿った空気を瑞穂列島に運び、天気を不機嫌にさせている。明日は、みずづきを含む第3水雷戦隊が護衛任務で出撃する日のため、天気が気がかりだったが天気予報曰く、今日の未明には天候が回復するそうだ。

 

ほんの少し前までそのことに安堵していた百石だったが、現在は険しい表情で視線の先、執務机の前である紙に視線をくぎ付けにしている長門を見ていた。紙を持つ手は小刻みに震えている。

 

「これで、この任務に市ヶ谷が再三にわたってみずづきをつけろと言ってきた理由が分かっただろ?」

「はい。しかし・・・・・・」

 

喉から絞り出すような声。まだ、文書の衝撃から立ち直れていないようだ。

 

「私も積荷の中身を聞いたときは驚いた。前から大宮の部隊がブツを確保して本土への輸送を目論んでいることは知っていたが、なにせ、これほどのものだ。もしやつらに感づかれて船団が集中攻撃を受け失われたりすれば、それこそ取り返しがつかない。発見できたのは奇跡のようなものだからな。そのため、輸送計画の作成は入念に行われた。かなりの時間がかかってしまったが、結果的にそれが功を奏して計画の半分は成功した。しかし、まだ半分だ。保険はかけるに越したことはない」

「提督、よろしかったのですか? このような特定管理機密をわたしなどに・・・」

 

特定管理機密。国家情報保全法によって定められているこれは、国家機密の中でも漏洩すれば著しく瑞穂の国益が損なわれかねない最高レベルの情報のみが総理府の国家安全保障局によって指定される。開示が許されるのは適性検査を受けた人間と、軍令部などの許可が出された人物に限られており、もし上官や所属組織の許可なく漏洩させた場合、最高刑は平時には終身刑。大戦の真っ只中である現在が該当する有事の際は死刑である。そのため、扱いは爆弾を触るかのように慎重に慎重が期される。

 

「安心してくれ。軍令部に許可は取ってある。積荷の件についても私の知っていることは全て話して良いというお達しだ。ただ、このことは他言無用にな。もし、流せば・・・・あとは分かるな? 君のことだから、心配はしていないが」

 

雰囲気が豹変する。それだけを見ても、これがどれほどの重みをもっているのかが分かる。

 

「ご心配には及びません。それに、この身が信頼されているということですから、大変光栄です」

「さすが、長門だ。長い間黙っていてすまなかったな。俺も前々から市ヶ谷に開示を要請していたんだが、事の性質上・・・・な」

「心中お察しいたします。しかし、よくも手に入れられましたね。こんな代物を」

 

長門は再び、手に持っている文書―特定管理機密指定文書―に目を落とす。右上にでかでかと押された「特管秘」の判子が見る者に果てしない緊張感を与えるが、肝心な部分はそこではなく、本文だ。そこには、ここでなければ戯言と思えるようなことが至って真面目に書かれていた。

 

「なんでも、大宮島を奪還したときに偶然前線の歩兵連隊が発見したそうだ。最初は何か分からず、同行していた専門家の検分によって正体が分かったらしい」

「なるほど。して、例のものは現在どこに?」

「今朝、那覇港に入港したそうだ。さっき、君が持ってきてくれた書類はそれと積荷の状態を伝えるためのものだよ。あちらも相当ぴりぴりしてる」

 

封が切られた封筒とB5サイズの紙を持ち上げる。長門がここへ来るときに持ってきてくれた那覇基地からの状況報告書だ。

 

「第3水雷戦隊とみずづきの状態は?」

「7人とも体調に異常はなく、艤装の整備・補給も終了。あとは、明朝の出撃を待つのみです。あと、護衛対象船ですが、五美商船によりますと3隻全て今夜中に積載物の積み込みを終えられるそうです」

 

長門の気の利いた報告に大きく頷くと、百石は椅子をずらし、窓から外を眺める。引く垂れこめた灰色の雲。

 

「予報通り、回復してくれればいいのだが・・・・・」

 

そこにはいまだ絶好調の曇天が、見る人々に雨への危惧を惜しみなく振りまいていた。




ついに春イベの開始日が公開されました。人によっては休みであったり休みでなかったりする5月2日(火)だそうです。(・・・・かなりの確率でいろいろ手こずり、日付をまたぐような事態に発展する気が)

・・・・まぁ、とにかく新規実装艦の情報も出てきましたし、この季節がやってきましたね~。 ロシア艦? ソ連艦?の誰かが実装されるそうで。少し小耳にはさんだところによると、時期は分かりませんが「海防艦」も実装予定だそうです。

開始から4年。どういった展開を見せていくのか気になっていたところではありますが、まだまだ艦これが元気なようで一安心です。



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45話 船団護衛 その1 ~大海原へ~

ついに「出撃! 北東方面 第五艦隊 (2017年春イベント)」が開始されましたね。
イベントに勤しんでいらっしゃる方もおられると思いますが、今回は2話連続投稿でいきたいと思います!


横須賀鎮守府 艦娘用桟橋

 

ついに、この日がやってきた。一日の始まりを告げる朝日がゆっくりと照らす領域を広げ、地上の時間を夜から朝へと切り替えていく。空は雲が浮かんでいるものの、十分晴れといえる天気。風も穏やかで、昨日までとは大違いだ。心配された台風も瑞穂よりかなり離れた位置を北上中で、3・4日後は分からないが明日・明後日に関しては少し波が高いものの留意する必要はない。時刻は6時半を回ったところ。

 

みずづきの目の前に百石、彼より半歩下がった位置に長門が立ち、左右に第3水雷戦隊の面々が並んでいる。ついさきほどまで百石からの訓示を受けていたのだが、それも終了。既に艤装を装着した状態なので、後は回れ右をして出発するのみだ。

 

「みんな気をつけてな」

 

訓示の最中は軍人らしく険しい表情の百石だったが、終わった途端いつもの温和な表情となり声をかけてくる。日々の激務で疲れているだろうにそんな様子は微塵も見せない。

 

「言われなくても、夜戦ばりばりして意気揚々と帰ってくるよ。提督はいつも通り、長門にせかされながら書類に判子押しておけばいいの!」

 

珍しく朝から元気な川内。陽炎たち総出で、無理やり布団へ押し込んだのが幸いしたようだ。そんな彼女の声に「夜戦なんかされた日には、俺過労で倒れるぞ」とツッコむ百石。一気に笑いが巻き起こる。長門はいかにも自分が悪者のような語り草だったためか、口を尖らせ、艦娘たちと一緒に笑っている百石にジト目を向けている。見送りには長門も来てくれていた。最初は2人が来るとは全く思っておらず、「いつもこんな感じなの?」と黒潮に聞いたら、「そうやで!」と即答。なんでも、艦娘たちが出撃するときは、出張で留守のときを除き、例え雨が降っていようが、真夜中だろうが来てくれるそうだ。それを聞いたときは、つい嬉しそうに話す黒潮のように笑ってしまった。百石や長門と同じ行動を知山もやっていたのだ。相違点といえば、「さっむ」とか「眠たい・・・」とか司令官としてこういう場では言ってはいけないことを平気で言っていたところだ。

 

そんなことを思い、周囲に意識を向けていなかったからだろうか。突如、巻き起こったやけに懐かしい感覚が理解できなかった。

 

「え・・・・・・・・・・・」

 

頭に乗せられる大きくごつごつとした手。規則的に髪の上をスライドし、髪の毛がスポンジのように厚みを変える。そこから伝わってくるほんのりとした温かみ。

 

初めてなら、照れ隠しであろうが嫌悪であろうがもう少し反応できたであろう。だが、みずづきにとってこの感覚は初めてのものではなかった。須崎において、何度も感じた、何度でも感じたいと思った、心休まる少しくすぐったい感覚。

 

「みずづき、今回の作戦に参加してくれてありがとうな。並行世界での初任務だけに緊張しているかもしれんが、君なら大丈夫。頼りにしているよ」

 

眼前まで急接近している百石から、かけられる優しい言葉。

 

意味は、分かる。こちらを気遣ってくれている優しさも十分分かる。だが、自分は今、何をされているのか。

結局、深雪が声を上げるまで分からなかった。

 

「ああーーー!! 司令官がみずづきを撫でてる!!」

 

その抗議とも、からかいとも取れる声を聞いた瞬間、一気に心拍数が上昇し顔が火照る。自分でも真っ赤になっていることが分かるほど、顔が熱い。百石の手が離れても、その熱は一向に収まらなかった。

 

「え? な、なんだよ・・・・お前たち。私、なんか悪いことしたか?」

 

深雪をはじめ、艦娘たちからの重い視線を受け、百石は顔をこわばらせる。だが、効果はあまりなかったようで、特に重い視線を向けていた深雪と黒潮が百石に迫る。

 

「ずるい! ずるいわ!! なんでみずづきだけに、んなことしてうちらはさっさと行けって言わんばかりに笑顔を向けるだけなん?? 不公平や!!」

「そうだ! そうだ!! 不公平はんた~い!!」

 

どうやら、2人も撫でられたかったようだ。その意思を察知した百石は「悪かった」と謝りつつ、2人の頭を撫でる。嬉しそうに頬を緩める2人は年相応の少女そのもの。深雪は「漆原のおやっさんとはやっぱり違うけど、どちらも・・・」と実況をしていたりする。川内たちはその様子を苦笑交じりで眺めていたが、1名複雑そうに視線を泳がせている艦娘が・・・・・・。

 

それに気付いたのであろう。苦笑を浮かべながら、百石が手招きをする。

 

「はら、初雪。別に気にしなくていいさ。ここには曙もいないし、気心の知れた子たちばかりじゃないか」

「え・・・・。いや、その・・・・私は・・・・・」

「ああーーー!! もう!! 黒潮!!」

「了解や!! 深雪!!」

 

初雪のじれったい様子にしびれを切らした彼女の妹は、陽炎型2番艦と作戦行動を起こし、初雪の両脇をがっちりと固めて、百石の目の前に差し出す。初雪も「ちょ!? なにすんの!! 離して!! 私は別に!」と先ほどまでの気だるげな様子はどこに行ったのか。必死に抵抗していたが、さすがに2対1では勝てない。

 

だが、いざ百石の前に立った瞬間、顔をほんのりと赤く染まてじっと立っているあたり、やはり撫でてもらいたかったのだろう。百石に撫でられている初雪は少し微笑んでいた。

 

「まったく・・・・。そして、いつまで上の空なのよ・・・・。おーい、みずづき!!」

「うわっぁ!! ちょっと、陽炎。いきなり大声出さないでよ!! びっくりしたぁぁ・・・・」

 

別の意味で心拍数が大変なこととなる。視線でも抗議の意を示すが、全く構われない。それどころか「動揺しすぎ」と非難された。「なんのことだ」と一瞬思ったものの、頭に残る感覚がその言葉の意味を解説してくれた。同時に自分の状態を。

 

陽炎の言った通り、みずづきはここまで上の空で目の前で繰り広げられている状況を全く飲み込めてなかったのだ。

 

「まぁ、司令も司令だけどね・・・」

「まったくだ。提督には繊細さが欠けている。みずづきは1人の女性だというのに・・・」

「それはそうですけど、司令官に悪気は・・・・・・・」

「そうそう。それに司令がああなっちゃったのも、あの2人みたいに駆逐艦たちが迫るからだしね。というか、ここに川合大佐あたりがいれば、大変なことになるよね。物陰から監視してないかな?」

「せ、川内さん? それは司令官にとって最悪の事態じゃ・・・・・」

 

いつの間にか漂っていた緊張感は四散し、艦娘たちは百石に撫でられる側と傍観する側の2つのグループに分かれている。とりあえず、こちらが被害者的な立場となっていることに安堵しておこう。

 

「さてと、そろそろ時間だな。はいはい、そこまで!」

 

初雪を撫で終わった後も、3人の掛け合いを眺めていた百石が大きく手を叩く。まだ、鎮守府は始動したばかりなので軽快な音がよく響く。抜錨前のお遊びもここまでだ。

 

「はいは~い。全員集合!」

「川内、お前・・・・」

 

少し緊張感のかけた声に長門が眉間を押さえ、ため息を吐く。

 

「まぁ、お前たちのことだから心配していないが、油断は禁物だぞ。それだけ、言っておく。・・・・・・また、ここでな」

 

優し気な笑みをたたえる長門の言葉に、いつのまにか再び整列し終えていた全員が「はい!」と威勢よく答える。こちらもみな、いい笑顔だ。

 

「では、良い頃合いですしそろそろ出撃します」

「ああ」

 

交わされる敬礼。それを終え、全員が岸壁と桟橋をつないでいる階段を降り、桟橋から海に足をつける。当然、沈まない。全員が艤装の最終確認を行い、「異常なし」を告げる。この頃には全員に緊張感が戻っていた。そして、川内から発せられた「全艦抜錨」の掛け声と同時に機関始動。各々の艤装が唸りはじめ、体が海面を滑っていくと同時に足元の白波が高くなっていく。遠ざかる2人と桟橋、横須賀鎮守府。流れる景色とかすめる風。訓練で散々体験した感覚だが、今日は違う。艦隊の雰囲気からしてそうだ。川内、陽炎、黒潮、白雪、初雪、深雪。全員、真剣な表情をしている。

 

それを確認しながら、そっと空いている左手で自分の頭を触る。百石に撫でられたところだ。

突然のことで動揺はしたものの、あれは善意と気遣いによるものであり決して下心からなされたものではないと分かっているため、不快感はなかった。むしろ、少し照れてしまったぐらいだ。

 

しかし、やはり思ってしまう。あの頃は自分がどれほど嬉しく思っていたのか分からなかったが、今回のことではっきりと認識した。

 

「やっぱり、知山司令に撫でられるほうが・・・・・・・・・嬉しいな」

 

深雪あたりに聞かれたなら、そういう話に興味がある艦娘たちも巻き込んでの一大騒動になりそうな発言だが、幸いその独白は波しぶきに紛れ、誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 

 

 

横須賀港を抜錨後、左右に港湾都市ならではの風景を見ながらすぐに横須賀湾を向け東京湾へ至る。こんな時間にも関わらず、というよりはこんな時間だからこそかもしれないが、数隻の漁船がそれぞれの目的地に向け海上を疾走している。その中に、一際異彩を放つ船が・・・・いや船団がいた。

 

「ん?」

 

漁船とは明らかに規模が違う船体。あまりの違いに錯覚を疑い、目をこすってしまうほどだ。

 

「で、でっか・・・・・・・」

 

船団は三隻で構成されていたが、最も大きい船を前にすると茫然としてしまった。海の上に浮かぶ巨大な鉄の塊。黒や白、茶褐色の塗装を灰色にして遠くから見ると、高確率で日本にかつて()()()()()()艦と間違えてしまいそうだ。

 

「吃水から高さは敵わないだろうけど、全長ならひゅうがやいせと同じぐらいじゃないの?」

 

みずづきではなくとも、海防軍の軍人や実際にひゅうが型護衛艦の「ひゅうが」や「いせ」を見たことがある人間ならば誰でもそう例えるだろう。感覚的な感想だったが、これはかなり正確な表現だ。みずづきが見ている貨物船の全長は170m。対するひゅうが型護衛艦の全長は187m。もちろん、船の大きさは長さだけでなく、排水量や総トン数で決まるため一概にはいえない。実際、そうは言うもののひゅうが型護衛艦の方が大きく、目の前の船にあそこまでの迫力はない。だが、これもこれでインパクトはすごい。その一方で川内たちは慣れているのか、はたまた自分たちも昔は船だったからか船団を見ても平然としていた。

 

「こちら、五美商船所属、小牧丸(こまきまる)。瑞穂海軍第3水雷戦隊旗艦川内、聞こえるか?」

 

突如、耳に付けている通信機から聞こえる声。少し雑音が入っているが、聞き取りには支障はない。艦隊で言えば旗艦の役割を果たしている艦が代表して他集団との交信を行うため、おそらく小牧丸とはあのでっかい船だろう。

 

「こちら、川内、感度良好。あなた方が今回の護衛船団ですね?」

「はい、そうです。誉高い艦娘のみなさんに護衛して頂けるとは心強い限りであります。紀伊水道までどうかよろしくお願い致します」

 

心底、安心したような喜んでいるような声。この世界に来て、個人を認識できる民間人の声を聞いたのは何気にこれが初めてだった。ラジオを耳にした時や吹雪たちと横須賀市街へ出かけた折には散々民間人の声は聞いていたが、自分たち以外に向かっている声と自分たちに向けられている声とでは意味が全く異なる。そして、それからはこちらへの信頼が満ち溢れていた。漁船の漁師たちといい、電波の向こう側の人物といい、艦娘たちがこの国に受け入れられていることがよく分かる。それはラジオからも感じることができたが、実感としてこちらの方が強い。

 

「いえいえ、そんなとんでもないです。こちらとしても全力で貴艦らを護衛いたします」

 

互いを確認しあい、簡単な事務確認を終えた両者は1つの船団として、一番船足の遅い船に速力を合わせ航行開始する。15ノット(時速27km)で一路紀伊水道を目指し、東京湾から太平洋への進出を図る。到着は明日の今頃。常時とはいかないものの、みずづきはおろか川内たちも発揮可能な30ノット(時速54km)ならば、由良基地まで半日でいける。しかし、商船は基本的に船足が遅いため、どうしてもノロノロ航行にならざるを得ない。目の前に、どこまでも続く大海原。だが、対照的に海の下には何がいるか分からない。視界に占める大海原の比率が上がるにしたがって、体に入る力が確実に増していく。

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

台風とは、人智を越えた存在である。それとも数百km離れた場所での局所的な気象現象の影響がここまで来る点に着目して、大洋の相関性に驚くべきか。いつも以上に潮の流れが速くなった海中。魚たちをかき分けるように、日光が届くぎりぎりの深度を何かが進んでくる。

 

黒い体。

 

色彩だけでは説明できない、光を浴びても恐ろしいほど真っ黒な何か。一見しただけで、人智を越えた存在であろうことはいくら高度な知性を持とうと生物の本能が教えてくれる。見る者を恐怖させるそれは何かを感じ取ったように動きを止めると航行を中止。ゆっくりと感情を一切感じさせない機械的な動きで、浮上し、頭部を水面から突き出す。正確には目の下までだ。視界はここ数日で最もいい。かなり遠くまで見渡せる。この条件を存分に生かし瞳に何かを映した後は、すぐに潜航。来た道を戻ろうと体を反転させる。

 

 

が、それは「反転した」ではなく「回転させる」で終わった。何の予兆もなく、いきなり叩きつけるように襲ってきた衝撃波。同時に聞いたこともない規則正しい音も聞こえてくる。

 

ターン・・・・・・・。ターン・・・・・・・。

 

潮流と体の接触する音が耳を刺激しても、特異性を示唆するようにこの音はなぜか耳に入ってくる。まるで「聞かせてあげよう」といわんばかりに。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

みずづきを含む艦娘たちはおろか、護衛されている五美商船の船員たちも誰もが危惧していた事態。いつ襲い掛かってきても被害を最小限度に食い止めるため、あらゆる準備と心構えをしていた。しかし予測していても構えていても驚かざるを得ない地点で、危惧していたそれは襲い掛かってきた。みずづきの悲鳴が、通信機を通じ各々の耳に響き渡る。

 

「やっぱり、いた・・・・・。ソナーに感! 音紋より敵潜水艦と思われる! 方位267、距離・・・・10500!」

 

現在、みずづきたちは東京湾を出て、伊豆半島の下田沖に差し掛かっていた。抜錨したときは地平線を這っていた太陽も今は堂々と空の頂点で輝いている。ここまでの航路上は特になにもなかったのだが、哨戒のため前方海域に展開させていたロクマルのピッティング・ソナーが不審な雑音を捉えたのだ。音紋データと照合しても不明でクジラやイルカの鳴き声とも推察されたが、みずづきは瑞穂世界における深海潜水艦の詳細な音紋を保有していない。距離が離れていれば離れているほど、音紋での発生源探知は困難となる。

 

そして、そうである以上、雑音が敵である可能性は絶対に排除されないし、絶対に排除しては()()()()。万が一に備え川内に報告した後、曳航ソナーでアクティブ捜索を行った。相手が人間の操る潜水艦ならばアクティブソナーの発信源をすぐさま探知可能なため、こちらの位置を大声で叫ぶことに等しいが、今対峙している存在は敵であったとしても深海潜水艦である。ごく一部の例外を除き日本世界もそうであったように、瑞穂世界の深海潜水艦も第二次世界大戦レベルの兵装であり、アクティブ捜索を行ったとしても逆探知は不可能。

 

この情報は既に、百石・川内たちを通して頭に入っている。

 

そして、アクティブ捜索の結果、みずづきの懸念は見事に的中した。

 

 

 

 

 

敵潜水艦が、21世紀の日本世界でも実現困難な静粛性を生かして潜んでいたのだ。

 

 

 

 

 

みずづきの悲鳴を受け、艦隊が一気に緊張に包まれる。だが、そこには緊張に限らず驚きと感嘆も含まれていた。

 

「うへぇ~、やっぱりすごいなぁ、みずづきは。ヘリコプター?なんていう哨戒機も持ってて、雷撃も受けず、気泡や水上航行している潜水艦を見ることもなく、ただただ航行しているだけで敵を見つけるなんて」

「しかも、10km近く先の敵を方位も込みで、ね。話は耳にタコができるほど聞いてたけど、実際に見てみるとそりゃ、もう・・・・・笑うしかないわね。あ、はは・・・・・はは・・」

 

陽炎たちにとっての対潜戦闘は、常に潜水艦が圧倒的に優位な状況にあった。それは敵が連合軍であろうが深海棲艦であろうが変わらない。発見するにしても、相手が酸素補給中のため海上航行しているときを偶然見つけるか、排出している気泡を見つけるか、雷撃を受けるか、など多くが運に左右され、潜水艦が主導権と先手を握っていた。またそれは攻撃にも該当する。水上艦からは潜水艦が見えないのに対して、潜水艦からは聴音や潜望鏡を駆使し、水上艦を「見ること」が簡単でないとはいえ可能だ。攻撃手段である魚雷は狙って撃てるのに対し、水上艦はそもそもどこにいるのか分からないため、「このあたりかな」と思った大雑把な海域を闇雲に走り回り爆雷を、それこそ適当に落とすしかない。数を撃てば、当たるとはえい、精度は雲泥の差である。だから、潜水艦に葬られる船が後を絶たなかった。そのため、潜水艦は水上艦の、特にやつらと正面切って戦い深刻な被害を被った駆逐艦にとって恐怖の存在である。

 

 

だが、現状はどうだろうか。見えないはずの手強い敵をいとも簡単にあぶり出したみずづき。彼女の存在のみで、苦戦必至の戦いの主導権をこちらが握れた。

 

見つけられたのなら、あとは攻撃するのみ。そして、その攻撃手段も神業。

 

だが、ある意味呑気なその感嘆は次の報告で完全に吹き飛んだ。

 

「数は・・・・・6! 繰り返します! 数は6!!!」

「6!?!?」

 

みずづき以外の全員が、一斉に驚愕する。あと少しタイミングが合っていれば絶妙なハーモニーとなっていただろうが、誰もそれを気にも留めない。場所が、場所だけに段々と顔が青くなっていく。今、自分たちはどこを航行しているのだろうか。

 

「こんな本土の近海に潜水艦隊がいるって・・・・・」

「ここ、主要航路のど真ん中だぜ? さっきだって、民間船とすれ違ったじゃねえか」

「嫌な、予感がする・・・・・・」

 

ここは、伊豆半島の下田沖。海岸線は水平線に隠れているが青々と新芽を茂らした沿岸にある山々がはっきりと視認できる。まさしく目と鼻の先だ。だからといって、潜水艦がいること自体はそれほど驚くものでもない。多温諸島奪還作戦成功後、西太平洋の制海・制空権を回復しつつあると言っても完全な敵部隊の本土接近阻止は困難を極めていた。みずづきが初めてこの世界に出現した際、本土攻撃を目論み2個の敵空母機動部隊が侵攻してきた出来事は記憶に新しい。ましてや潜水艦は隠密性による偵察、監視、通商破壊が主任務。問題なのは、その数だ。

 

艦娘たちや深海棲艦部隊が基本的に6隻で行動するのと同じように、潜水艦隊を構成する場合は6隻で一艦隊となる。だが、偵察や監視の場合、潜水艦は1隻で行動する。6隻などという大所帯で密集していれば、1隻が発見されると芋づる式に他の艦が発見される可能性は大。そして、発見され全滅などという事態になれば、何のために戦力を割いたのか分からなくなる。

 

そのため、潜水艦隊で行動する場合は戦術目的を達成するため分散ではなく、集中を欲するとき。特定区域において火力投射性を高めたい時だ。

 

今まで幾度となく深海棲艦と戦ってきた川内たちも本土近海でこれほどの勢力と接敵するのは、まだ瑞穂近海を深海棲艦が跋扈していたころ以来だ。そして、船団護衛中は皆無である。

 

「川内さん! 事前の打ち合わせ通り、指示をお願いします!」

 

敵の不穏な意思を感じ、若干の焦りを抱きつつもみずづきは自信をみなぎらせた声で叫ぶ。あらかじめ鎮守府においてみずづきの艤装説明や陣形説明の合間に、川内たちとは「みずづきが矛となる」潜水艦の対処方針を決めていたのだ。概要はいたって簡素で、咀嚼すれば出来る限りみずづきに丸投げ、ということだ。薄情に思われるかもしれないが、これがもっとも合理的な戦術である。精密誘導魚雷を持つみずづきと無誘導の爆雷しか持っていない川内たちが、同時に対潜攻撃に挑んでも混乱を生むだけであるし、その隙を敵に突かれる可能性もある。

 

それを使えるものにするための訓練も十分に行った。後は旗艦である川内の指示を待つだけ。敵がどんな意思を宿していようとも、こちらにはその意思を理不尽に葬れる力がある。

 

「分かった! 総員対潜戦闘よーい!! 私たちは船の護衛に専念するよ! みずづき? 敵に雷撃の兆候は?」

「注水音は確認していないので、ありません!」

「了解! みずづき! 後は任したよ!」

 

川内の信頼を受け、みずづきは真剣な瞳で海面を睨む。

 

 

 

 

ついに来た、あの日以来の対潜戦闘。もう、へまは許されない。・・・・・・・・・・絶対に!!!

 

 

 

 

やることは1つ。たった、1つ。見つけた以上は、魚雷の餌食になってもらうだけ。

 

「対潜戦闘、07式VLA攻撃用意!!」

 

新鮮に感じる声。よくよく考えれば出現初日に深海棲艦空母機動部隊、演習の際に横須賀鎮守府艦娘部隊のと度にわたり戦闘を行ったが、対空・対艦戦闘のみであり対潜戦闘はこの世界に来て今回が初めてだ。そのため、ESSMやSSM-2B block2、Mk.45 mod4 単装砲各種砲弾、CIWS 20mmタングステン弾と異なり、工廠により複製された07式VLA及び12式短魚雷の使用も、また初めてだ。しかし、ESSMなど工廠で複製された弾薬は演習時にも正常に作動していたため、不安はない。

 

既にロクマルとのデータリンクにより、敵の詳細な位置は把握できた。敵はこちらがアクティブ捜索を始めて以降、各艦バラバラに当船団から離れる進路を取っている。人間視点で見れば、動きを鑑みるに相当混乱しているように感じられる。だが、それの方が好都合である。要するに敵は、日向灘沖で遭遇した敵潜水艦と異なり逃げているのだ。これなら、護衛対象である船団に、仲間である川内たちに魚雷が猛進してくる可能性は低い。

 

みずづきの号令を受け、開かれるVLSの蓋。蒼空を睨む白い弾頭は長期間VLSや鎮守府の弾薬庫で眠っていたとは思えないほど、新品同然に白く輝いている。VLSを映すカメラ映像を凝視していると、それを押しのけて「準備完了」を知らせる表示がなされた。生唾をゴクリと飲み込む。

 

「・・・・・・・っ。撃てえぇぇ!」

 

発射ボタンを思い切り押し込んだ瞬間、まばゆい閃光と耳を塞ぎたくなる轟音を奏でながら、VLSより07式VLAが天に昇っていく。もちろん、それは1発だけではない。

 

合計6発。彼らの行軍はESSMと比べれば見劣り必至だが、それでも空に伸びていく6つの白い筋は壮観である。だが、その行軍も束の間。発射されて息つかぬ間に遊覧飛行を終えると、弾頭とロケット部分が分離。蒼空に放り出された弾頭はパラシュートを展開。時間差で6発が白い花を咲かせたため、対潜攻撃をしているというよりは、落下傘部隊が敵拠点の強襲攻撃をしている光景に思えてしまう。弾頭は急激に減速したのち、ゆっくりと海面に着水。「魚雷を即座に敵潜頭上まで運搬する」という役目を終えたロケットはそのまま海面に激突、一足早く波間に消えていく。自分の土俵に運ばれた12式短魚雷たちは、潜航すると即座にアクティブソナーによるアクティブ捜索を開始。こうなっては目標である敵潜水艦の命は秒読み段階である。当てれば当てただけ、バカ正直なほど跳ね返ってくる音波。その源へ向け、容赦なく一直線に突き進む。HATE(対戦車榴弾)搭載弾頭による爆発は潜水艦ごときの装甲ではどうあっても耐えられない。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

ついさきほどまで、我が物顔でここを泳いでいた黒い何かは、戦略的撤退などの外見をかなぐり捨て逃げていた。もぎ取れるかもしれないと思うほど必死に足を動かし、逃げていた。もし知性があるなら「何から?」と問うても「分からない」と答えるだろう。だが、それでも逃げていた。頭の中で鳴り響く警報。それらにとって、最重要の行動原理である本能が叫んでいた。

 

逃げろ、と。

 

断続的にやってきた謎の衝撃波。それは、今は自身を追いかけているものからも発せられている。深海よりも冷たい単調な音。段々と近づいてくるそれがさらに恐怖を高める。唐突に海水をもろともせず、やってきた爆発音と衝撃。その時、確かに聞こえた。爆発音のような自然発生的な音ではない、絶叫のような生物的な声を。

 

後ろを振り返る。そこには白い、何かよりも白い肌を思った円筒形の物体がいた。恐怖に慄くが、オーバーヒート寸前の頭でやっと理解した。絶叫を次に発するのは自分自身だということに。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

海面の林立する水柱。その数、6。ロクマルを急行させ、搭載カメラにより当該海域を撮影する。映像からは多数の明らかに人工物である浮遊物が確認された。しかし、日向灘沖のことがあるので、今回はそれだけで敵の撃沈を判断せず、海中の状態が落ち着くのを持ってアクティブソナーによる再度の確認を行った。結果出るまでの間、艦隊を妙な静寂が支配する。額から頬に滴り落ちる一筋の汗に意識を向けることなく、みずづきはメガネに表示される情報に注目する。そして、緊張を解き放つように息を吐いた。

 

「敵の反応なし。全隻の撃沈を確認しました」

 

その瞬間、さきほどまで静寂が嘘だったかのように「おお!! やったぁぁーー!!」と川内たちから歓喜の声が上がる。いつもならあまりの喜びように苦笑を浮かべるところだが、今日に限ってはそれをしっかり噛みしめる。

 

あの日と状況は全く異なるが、潜水艦を味方の損害なく殲滅できた事実は紛れもない現実だった。黒潮などからの「さすがみずづきや!! 頼りになるわ!!」との声に思わず頬を緩めながら、前方を見る。右手には伊豆半島。左手には太平洋。戦闘を経てかなり航行したような気分になるが、由良基地への道のりはまだ半分にも達してない。

 

 

実績を噛みしめ、心の底から一息をつけるのはまだまだ、先のことだ。

 

 

 

―――――――

 

 

と、思ったが心の底からではないものの一息つける時間は案外すぐにやってきた。いや、やってくることは知っていたのだがすっかり忘れていた。

 

「へぇ~、瑞穂の貨物船ってどんなだろうと興味ありましたけど、そこまで日本の船を変わらないんですね」

 

周囲をきょろきょろと眺めながら、川内と陽炎の後ろを歩いて行く。青空の下にいたためか少し暗く感じる廊下。カツン、カツンと歩くたびに響く軽快な音が、それなりに雰囲気を出してくる。お世辞にもピカピカとは言えず、錆び付いていたり黒ずんでいる配管が天井や壁に走っているが、物は時間が経てば劣化していく。そこに瑞穂も日本もない。

 

「え? そうなの?」

 

みずづきの呟きを聞いて、心底意外そうな顔する陽炎。

 

「船の基本的な構造は、昔から変わってないから。積載量や速力みたいな性能面になってくると、相当違うだろうけどね」

「ふーん、そうなんだ。てっきり、そこまで科学が進んでいるのならもっと、こう、すごい感じになってるのかと思ったけどそうでもないのね。ちょっと、びっくり」

「それは私も同感。まあ、安堵もあるけど。正直、みずづきにあれやこれやと説明するのは骨が折れるからね。私も夜戦に備えて早く仮眠取りたいし」

「わ、私をなんだと思ってるんですか!? 気持ちは分からなくはないですけど、私、日本人ですからね。いくら科学が発達しても、不変のものはたくさんあります。こういうのを見ると、やっぱり世界は違いますけど現在と過去はつながってるんだなって感じます」

 

技術とは多重的な時間の積み重ねがあってはじめて、人の役に立ち、社会を発展させる触媒となるのだ。決して、過去は過去。現在は現在と切り離して捉えるべき性質のものではない。

(あ・・・・・ちょ、ちょっと、生意気なこと言っちゃったかな・・・・)

咄嗟にそのような感情が胸に浮上するが、2人の表情を見て杞憂であったことを思い知った。

 

「そうなんだ」

 

一言。呟いたのは陽炎だったが、彼女だけでなく川内も透き通るような笑みを浮かべていた。そこには隔絶した科学力を持つに至った世界でも、自分たちのいた時代とのつながりが確かに存在すること知った嬉しさが込められていた。

 

「えっと、割り当てられた区画って・・・・」

「あと少し、あそこに見える角を曲がったとこ」

 

船内を歩くみずづきたち。これだけ見ると護衛任務はどうしたんだと聞きたくなるが、彼女たちは決して任務放棄をしているわけではない。これは護衛任務を万全の状態で成し遂げるための行動だ。

 

ここはみずづきたちが護衛している3隻のうち、最も小さい「木曾丸」。といっても総トン数は7000トンもある船で、その居住区画内を3人は歩いていた。今回の任務でもそうだが、数日単位で護衛や紹介を行う場合は艦隊全艦が四六時中ぶっとおしで張り付くことなどという社畜も白目の過酷配置は行わない。全くないわけではないが、それは撤退戦など切羽詰まったごく一部の事例に限られる。艦娘とて、いくら転生体という常識外れの存在であろうと人間を変わらない。疲労もすればお腹もすくし、眠くもなる。そんな状態で戦闘ともなれば、全力を出し切れないのは明らかだ。そのため、こういう場合は艦隊を複数の班に分け、ある班が休息中は別の班が任務につくという交代制が取られる。みずづきにもなじみ深く、試行を重なればたどり着く当然の帰結を反映した運用だが、1つ日本と異なっている点があった。その休息時にご厄介となる場所が、護衛している船舶なのだ。瑞穂海軍は演習時に出てきた「大隅」のような艦娘母艦を複数建造・実戦配備しているが、軍事作戦の場合にしか使用されない。ここが日本との相違点である。日本では通常、特殊護衛艦が艦娘部隊の拠点となる。民間船のご厄介になることは機密保持の関係もあり非常時を除いてない。

 

そのため、新鮮味はすごかった。貨物船に泊まる人生で初めての経験であることも拍車をかけている。ちなみにみずづき・川内・陽炎は1班にあたり、12時から18時までが非番の時間だ。今も海上で頑張っている残りの4人のうち、白雪と初雪は18時から24時までが非番の2班、深雪と黒潮は24時から翌6時までが非番の3班に割り当てられている。対潜戦闘があったものの、明日0630に船団の護衛を終え0700に由良基地へ入港という予定に変更はない。

 

そして、今は13時前。そのため、みずづきたち3人は艤装を外して、木曽丸の居住区画を歩いている。船長へのあいさつを終え、自分たちが仮眠を取る部屋に向かっている。

 

「あった、あった、一番端の3人部屋。ここだね。・・・・・・ご丁寧にもきちんと分かるようになってる」

 

川内がとある船室の前で立ち止まった。意味深に含み笑いをしていたが、みずづきは相変わらず子供の用に好奇心の虜になっていたため気付かない。この階には6つの船室を有しているのだが、川内が立ち止まった船室は明らかに他より大きい。「本当に3人部屋なんだね、嬉しい!」などと思いつつ、川内と同じ箇所に目をやると確かに、「第3水雷戦隊さま」と書かれた紙が貼ってある。だが・・・その下には何やら物騒なものが貼ってあった。好奇心の延長でそれをまじまじと見るが、文字を追うにつれて苦笑が顔に張り付く。みずづきたちにとっては頼もしい限りのため誰も見て見ぬふりをする。今まで意識する機会もなかったのだが、やはり世界は違えど同じところは同じだ。

 

「警告。

お客様にご迷惑をおかけした場合は、年齢・階級・勤続年数に関わらず、天誅が下される。

日干しになったり、着衣海水浴をしたり、フカ(※サメのこと)と戯れたくない者は常識をわきまえろ! 

艦長 多久義昭(たく よしあき)

 

と、こんな感じである。多久艦長曰く、なんでも武勇伝や前線での出来事を聞きたくて、艦娘と接触を図ろうとする輩がいるとか。艦娘はかわいい子や美人揃いなのでそれだけではない気もするが、その輩たちも「海の漢」故に、決して悪気があってやっているわけではないそうだ。

 

艦娘たちの人気ぶりを垣間見たところで、部屋へ突撃である。

 

「おおおお!!!!」

 

3人の中でもっとも早く、そして嬉しそうに目を輝かせるみずづき。てっきり、日本と同じように二段や三段ベッドが配されているものと思っていたが、その認識は誤りであった。船室にしては広い部屋に、等間隔で普通のベッドが3つ並んでいたのだ。しかも各々のベッドや壁の間に小さな机まで置いてあり、清掃も行き届いている。これにはいくつもの船舶にお世話になってきた2人も笑顔だ。

 

「広いし、ベッドだし、ふかふか。うん! 今回は、あたりだ。いつもこの瞬間が緊張するんだよね」

「そうそう。あんまり変な部屋だと、上手く寝付けないし、何のために無理言ってまで使わせてもらってるんだか分からなくなるのよね」

「そ、そんなところもあったりしたんですか?」

 

2人の遠くを見るような視線に、好奇心を抑えきれずおそるおそる尋ねる。

 

「あったわよ。しかも、かなりの確率で。まあ、こういうのが普通じゃないんだけど。普通の船は軍艦と同じで三段ベッドが当たり前だし、かなり古い船になるとベッドとは呼べない板の上に雑魚寝なんてのも」

「それは・・・・」

「ほんっと、きついったらありゃしないわよ!」

「陽炎のいうとおり! みずづきは? 私たち以上に喜んでたけど、まさか瑞穂より劣悪なんてないでしょ?」

「まぁ、そうですね。基本的に私たちは軍所属の輸送艦を海上での拠点にしていたので、寝室とかも基本的に三段ベッドでした」

 

みずづきたちは三段ベッドだったが、これがもう少し格が高い部隊だったり、防衛隊群になると二段ベッドになる。軍内での、みずづきたちの扱いがこれを見ただけで分かるものだ。

 

「へぇ~、そういうところも私たちの時代から変わらないのね」

「うん。昔よりは広くなったって聞くけど、その昔を知らないからどれだけ向上したのか分からないんだよね。だから、この部屋は感動もの!」

 

海の上でぐっすり。非番の時間が6時間なので本当にぐっすり眠れるわけではないが、それは一種の夢だ。三段ベッド生活も入隊時から続けるため慣れたものだが、それでも人間、よりよい環境を求めてしまう生き物。

 

「あはは。この反応を伝えたら、きっと船長や船員の人たちも喜ぶだろうね。それじゃ、部屋も見たことだし、ご飯食べに行こう」

「ご飯? 食堂に?」

 

陽炎の確認。

 

「そう。船長も言ってたでしょ。ちょうどお昼時だし、早く寝ないといけないからちゃっちゃと行こ? 誰かさんもすっごく気になってるみたいだし」

 

向けられるニヤついた笑み。川内を見た瞬間、なぜか陽炎にも伝播する。2人の視線がこちらに向けて、照射。視線で2人が何を言いたいのか伝わってきたため、一気に顔が熱くなる。否定したいが「どんなごはんでしょうか!!」と気になる歴然とした事実があるため、反論できない。ささやかな反攻としてできるのは羞恥心を隠すことぐらいだ

 

「行くんでしょ!! なら、笑ってないで行動!」

 

笑みを深めつつ「はいはい」と適当な返事をして、廊下へ向かい出す2人。本心はバレバレだ。

 

この後、食堂で出されたの美味しさに食事に感動したのだが、終始2人のニヤつき顔を向けられることになってしまった。




さて、ついにやってきました船団護衛。
少し戦闘シーンが出てきましたが、よくよく考えると久しぶりの戦闘だったんですよね(苦笑)

作者としてももう少しそういう系の描写を増やしたいとこですが、まだ・・・・・・・。読者の方々の中には申し訳ない限りです。

今回も次話は「夢」シリーズです。本話もそうですが文章量がトンデモナイことになってしまったので、のんびり読んでいただけると幸いです。


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46話 夢 -出会い-

「・・・・・等の重大な瑕疵が、貴官に現状の処分を命じた艦娘教育隊特別審査委員会に確認されたため、刑の執行及び下された処分は撤回された。だが、貴官が上官を見捨て、身勝手な生存欲求から敵前逃亡を図ったことは覆しようのない、純然たる事実である。よって、艦娘教育隊ではなく、しかるべき時期に統合幕僚監部または防衛艦隊司令部より適切な処分が通知されるだろう。それまで、貴官は引き続き・・・・」

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音と響く声。重力から解放されたような浮遊感。それはこれまで生きてきた中で数え切れないほど感じてきた。

 

これで、何度目だろう。

 

際限なく繰り返される連鎖によって、もう具体的な数字が分からない。だが、その連鎖がこちらの意向を完全に無視した、残酷さの顕現であることは身に染みていた。

 

“よりによって・・・・・・・ここ・・・・・?”

 

何度も何度も見てきた夢。脳裏にこびりついて離れない記憶。決して逃れられない現実。思い出したくないのに、もう2度と体験したくないなのに、置かれる状況。夢とは自身が関与できないが故に、冷酷だ。せめて、見る場面ぐらい選ばせてほしいものだ。

 

「・・・・・・・・・・了解しました」

 

蔑み一色の瞳で睨みつけてくる、二回りほど年の離れた初老の男性。階級章は例外なくついているものの、己の目は眼前の世界を見ているようで見ていない。今となっては到底自身のものと思えない、感情の欠如した声。枯れに枯れ、調子の悪いスピーカーを持つ、二流品アンドロイドのようだ。それを意識した途端、あの時抱いていた空虚な感情がどっと流れ込んでくる。

 

これでは大人しく傍観者を気取ることはできない。しっかりと自我を、意識を自覚していなければ飲み込まれてしまいそうだ。

 

絶望、悲しみ、後悔、怒り、達観、諦め。

 

死なずに済むと理解しても、それらの想いは決して消えることはなかった。

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

“例え、先般の処置に瑕疵があり、効力が停止されようとも上官命令反抗・不服従罪を犯した者の原隊復帰を承認することは困難である。しかし、現在我が国はアンノンウン生命体・・・通称深海棲艦と国家・民族の存亡をかけた生戦の真っ只中である。我々自衛官のみならず、老若男女全ての日本国民が生戦遂行、宿敵撃滅に邁進する中、例え防人としての適性に疑問符を付けざるを得ないとはいえ、特殊護衛艦1人を野放しにしておく余裕は皆無である。よって、貴官は来週月曜日をもって艦娘教育隊から、高知県須崎市に新設された須崎基地第53防衛隊に転属。いまだ特殊護衛艦候補生後期課程を修了していないが、諸訓練が既に実施済み及びそれにおける成績が優秀であった実績を鑑み、貴官は特殊護衛艦候補生後期課程を修了したとみなし、継明12年4月1日をもって特殊護衛艦みずづきとなる。但し、正規の過程を全て修了し、過酷な卒業試験を通過した他の同期特殊護衛艦候補生との公平性を図る観点から、約1か月間は引き続き特殊護衛艦候補生として、訓練及び特殊護衛艦の後方支援任務についてもらう。日本国及び地球人類の勝利のため、今一度初心に立ち返り、過去の汚名を十分に(そそ)ぎ得る防人になることを切に願う・・・・・”

 

 

窓から差し込む日光をこれでもかと反射し、化学薬品系の匂いがわずかに漂ってくる廊下。床、壁、窓、LED照明、ドア、なにもかもが真新しい。ありとあらゆる物資が極限まで不足し、政府の統制下に置かれるこのご時世。だが、やはり自衛隊は別格のようだ。深海棲艦出現以降、衛生環境の維持より空腹の凌ぎを優先してきた身にとっては、ついこの間までいつの間にか自衛隊にも復活していた営倉へ放り込まれていた身にとっては、そして彼女を見殺しにしてしまった身にとっては非常に眩しく・・・・・刺々しく感じる。

 

ふと、視野の隅に人影が見えたのため、一点の曇りも汚れもない窓ガラスに視線を向ける。そこには、輝きと焦点を失った瞳としなびた髪の毛を持ち、生気が全く感じられない表情をした、まるで幽霊のような少女が立っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・ひどい顔」

 

ひと昔前ならば、どんな精神状態でも嘲笑か失笑の1つでも噛ましていただろうに、今はそんなことすらできない。

 

一体、どうやって笑ってたんだろう。そんな感慨が思い浮かぶも特に耽ることもなく、窓から視線を外し、目的地へと足を進める。

 

転属命令が告げられた際、同時に指示された第一の訪問先。「第53防衛隊 司令官室」の表札を確認し、ただ機械的にコンコンコンとドアを3回ノックする。ノック2回は厳密にいうと在室を確かめる際に行う動作のため、いることが分かっている現在は作法に則り、ノックは3回だ。

 

するとすぐさま「どうぞ!」と応答があった。穏やかで優しい声。久しぶりに敵意や憎悪のない声をかけられた。しかし、それが返って癪に障った。

 

「・・・・・・入ります」

 

だが、礼儀は礼儀。しっかりと一礼し、声の主を見据える。一瞬、悲しそうな表情を見せるも彼も、こちらに応えるようにしっかりと視線を合わせてきた。

 

「やぁ、はじめまして。君がみずづきだな。俺は・・・・・・っと」

 

質素な事務机についている、若い男性。特段イケメンでもなくブサイクでもなく、細身で筋肉質の体つきをした平凡な男性。どこにでもいそう。彼を見て抱いた感想はそのような取るに足らない、数歩歩けば忘れてしまいそうな些細なもの。しかし、今でも、夢想の中でもはっきりと覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、彼とみずづきの「出会い」だった。

 

 

 

 

 

 

 

「そんなに離れていたら、自己紹介とは言えないか・・・・。散らかってて申し訳ないが、遠慮せず、ここの前まで来てくれ」

 

部屋の至る所に積み上げられた段ボール箱。その積み方も雑の極みで、震度2か3の地震が来ただけでも倒壊しそうだ。壁に立派な安物の本棚が設置されているにも関わらず、この有様。みずづきも急だったが、彼も相当な急な異動命令を受けたのだろう。

 

彼の言葉に従い、淡々と段ボール箱をよけ、事務机のすぐ前までやってきた。終始、彼は幽霊のようなみずづき対してにこやかな笑みを浮かべている。

 

「よし。もう一度確認するが、君が第53防衛隊に配属された、みずづきだな?」

「・・・・はい。そうです」

「俺は君が属する第53防衛隊の指揮を命じられた、知山豊三佐だ。前任地は呉地方隊。幹部候補生出身だが、ずっと事務畑で戦術部隊の指揮はこれが初めてだ。至らない点も多々あると思うが、これからよろしく頼む」

 

何気なく右手を差し出してくる知山。握手を求めていることは一目瞭然だった。しかし、みずづきは握らないどころか、ますます闇を増した目で知山を見つめる。

 

例え、初対面の人間の手であるとはいえ、その手はみずづきを虚偽の罪で銃殺刑寸前まで追い込み、散々罵倒してきた“上官”の手。握るという選択肢は全くなかった。

 

どれほど時間が経ったのだろう。知山はわずかに視線を下げると何も言わず、手を引っ込めた。

 

「・・・・まぁ、なんにせよ、これからよろしくな。ところでみずづき? この先の指示は受けてるか?」

「・・・・・・いえ、何も受けておりません」

「そうか。なら、ついてきてくれ。濃野基地司令から1400まで顔を出すように言われているんだ」

 

現在の時刻は1345。10分前行動、5分前着席と学校でも教えられる通り、海上自衛隊でも5分前精神のもと、5分前までには準備を完了しておかなければならない。

 

「・・・・・・・了解しました。同行させて頂きます」

 

淡々と機械的な反応。それを聞いたであろう知山は足を止め、みずづきへと振り返る。そこには少し真剣な色が浮かんでいる。

 

「なぁ、みずづき?」

「なんでありますか?」

「戦闘畑はそうなのかもしれんが・・・・・・・俺と君は同じ部隊に所属する上官と部下だ。職務中、非番に関係なく、自衛官である以上最も多くの時間を共にする関係だ。もう少し、肩の力を抜いてもいいんだぞ? 少し他人行儀過ぎないか?」

 

全く持って予想外の言葉。あっけにとられ、思わず錆び付いた心が動きそうになるが、冷え切った頭がその前に答えていた。

 

「お心遣いありがとうございます。ですが、そのようなことはありません。これは当然の礼儀であります。私は特殊護衛艦候補生の身であり、知山司令官は私の指揮官であり、三等海佐であらせられます。また、日本国を防衛し、駒として散ってゆく運命にある私ごときがそのようなこと・・・・」

「君は今、なんと言った?」

 

突然言葉を遮り、恐ろしく冷え切った声が頭上から降り注ぐ。一瞬、8畳ほどのここにもう1人の人間がいたのかと感覚を研ぎ澄ませるが決してそのようなことはなかった。

 

声の主。それは紛れもない、先ほどまで笑顔を浮かべ、温かい声色だった知山だ。

 

「自分を駒だと、まるで使い捨ての安物みたいに言ったな?」

 

鋭い視線。それはとても、パソコンと向かい合い上司にこびへつらってきた事務畑出身者とは思えないほどの眼光だった。死体を見たか、実際に地獄の戦場を潜り抜けてきたかのような・・・・・。

 

これまた、予想外の反応。だが、これはそう簡単に譲れるものではない。肯定の固い意志を込めて、知山を見つめる。

 

「・・・・・・そうか。このことはおいおい話すことになるだろう。・・・・・・・ついてこい。無駄に時間を使ってしまった」

 

大きなため息をつくと、知山は一足早く退出。このやりとりからこちらに見切りを早々につけ、そそくさと基地司令室へ向かっていくのかと思いきや、知山はみずづきが出てくるのを待っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「だから、これは防衛艦隊司令部じきじきの命令だ。君がなんと言おうが、これは早々簡単にひっくり返すことなどできん」

「一体、どこのどいつが出した命令ですか!! 濃野一佐の権限で調べて下さい!! 私が直接、呉に乗り込んで、戦術的・戦略的意味を問いただしてきます!!」

「そう、熱くなるな知山。お前が行ったところで意味はないし、門前払いをくらうことは目に見えている」

「熱くなるな、ですと? ・・・・・ここに配属されたわずか1日、いまだろくに実戦を経験していない新兵に・・・私の部下に“死んで来い”と命令されて、熱くならないわけがないではありませんか!!!! 一佐もご存じのはずでは!?」

 

先ほどみずづきたちがいた部屋より、若干広い基地司令室。床にゴミは全くなく、入居主の性格を代弁しているかのように、整然と本棚には本が並べられている。本来は静かで厳かな雰囲気に包まれているのだが、血気盛んな若人の怒号と唾がしきりに飛んでいた。

 

簡単なあいさつも済み、第53防衛隊初任務が開示された瞬間から、この有様である。怒号と唾を飛ばされている、知山より一回りほど年上の中年男性はばつが悪そうに口を開く。

 

「確かにあの海域の危険性は重々承知している。しかし、司令部がみずづきの死を前提にして、命令を出したとは言い過ぎじゃないか、知山? 我々は旧軍とは違う」

「そのお言葉、沖縄で無残に散っていた幾万の同胞に、同じことを言えますか?」

 

抑えつつも、明らかに無念の思いが込められた言葉。濃野は視線をそらし、口を噤む。

 

「・・・・・・・・」

「私もそう思いたいです。しかし、八丈島の西方海域を単艦で対潜哨戒など、自殺行為です。いくら、あそこが本土防衛の最前線とはいえ、無謀すぎます。本来なら防衛隊群や連合防衛隊を差し向けるべき海域であり、適役はそれこそ呉や横須賀にいるではありませんか。私には、この作戦に対する意義がどうしても理解できません」

「しかしだな知山・・・・・・」

「一佐には数人、防衛艦隊司令部や海上幕僚監部(海幕)に務められているご友人がいらっしゃいます。どうか、ご尽力願えないでしょうか? ・・・・・・・この通りです」

 

かぶっていた制帽を取ると迷いなく腰を折り、頭を下げる知山。その真剣さに、濃野も耐えきれなくなったようだった。

 

「・・・・・分かった。本音を言えば、俺も連中の魂胆を図りかねていたからな。防衛艦隊の現状を把握するにはちょうどいい。言っておくが、これはついでだからな、つ・い・で!! それに変更が加えられなかった場合は、海上自衛官としての責務を全うしろ。いいな?」

「・・・・・はい」

「みずづきも、いいな?」

 

確認してくる濃野。それにはっきりと答える。

 

「了解しました。私は特殊護衛艦です。どんな死地にも赴き、この命が果てるまで任務を遂行します」

「・・・・・分かった」

 

濃野も知山と同様、視線を伏し目がちに下げた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「知山司令官、私はこの作戦に賛同致します。あの海域はこれまで潜水艦によって、多くの艦が食われてきた場所。私の1人の命を天秤にかけるまでもありません」

 

一件落着し、基地司令室から第53防衛隊司令室に戻る道中、いい年をした上官のやりとりを見ていて思ったことを告げる。あの時告げても良かったのだが、火に油を注ぐだけと判断し置物に徹していた。

 

「何?」

 

知山は少し早歩き気味だった足を止め、みずづきに振り返る。声色からも十分に察せられていたが、彼の表情は明らかに怒りで歪んでいた。

 

「今、なんだって・・・・?」

「先ほど濃野基地司令官から示された作戦に賛同すると申し上げたのです。例え私が大海原に果てようとも、敵潜水艦を道連れにし、あとに続くであろう友軍の踏み台になるのであれば本望です」

「・・・・・・・・・」

「ですから、この程度のことで人事評価に傷がつくような対応をしていただかなくても結構です。今からでも十分、間に合いますよ?」

 

そういうと自然に、少し遠くなった基地司令室の扉を手で示す。

 

人間は所詮、保身と体面を優先する自己中心的な生き物。彼が何故ここまでみずづきの「生死」を気にするのか不明だっただが、おそらく「生死」を気にするふりをしなければならない理由があったのだろう。出世のため、左遷先から中央へ戻るため、より多くの配給券・報酬へ得るため、推測される理由をあげればきりがない。

 

だからふりをしなければならない対象から、そんな茶番は必要ないと言ってあげたのだ。ならば、後の展開は安物の恋愛小説より簡単だ。

 

化けの皮がはがれ、中から自分にしか興味がなく、みずづきのことなど人事評価を上げるための試験程度にしか考えていない身勝手で醜い“大人”が姿を現す。

 

「はぁ~~~」

 

・・・・・・・・・・はずだった。

 

「君も意外としつこいな。こんなことは初日から言いたくないんだがな。これは上官の俺が下した決定だ。いくら聞こえのいい御託を並べようが、俺の意見は変わらない」

 

知山は怒りに任せて怒鳴り散らすこともなく、瞳に怒りを宿らせたままぶっきらぼうにそう言った。そして、また少し早歩き気味に足を進めていく。

 

「・・・・・」

 

少しずつ小さくなっていく知山の背中。追いかけなければならないが、みずづきはふつふつと湧きあがる怒りを抑えるのに精一杯だった。みずづきがわざわざ楽な道を提示したというのに、彼は猫をかぶり続けることを選んだのだ。

 

「・・・・・・絶対に化けの皮をはいでやる。もう、あんな連中の踏み台にされてなるものか・・・・・・」

 

光を失った瞳。そこにわずかな輝きが戻ってきた瞬間だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

知山の熱意が通じたのか、濃野の働きかけが上手く言ったのか、結局知山が“死前提”といった八丈島西方海域哨戒作戦は中止となった。それからこの方、ずっと訓練か知山の秘書的な職務をこなしていた。機会を見ては知山の本性を探ろうと色々な発破をかけたりもしたが、彼は手を挙げることも濃野に対して行ったような怒りを表すこともなく、真面目に対応していた。それどころか、積極的にみずづきとコミュニケーションを取ろうとしているようで、仕事中どころか食事中もみずづきを見つけるな否や「いいか?」と笑顔で話かけ近くの席につく始末だ。

 

彼曰く、なぜか特殊護衛艦候補生のみずづきが訓練よりも秘書的な職務に多く就かされているのも「コミュニケーションを図り、お互いのことを知るため」らしい。

 

「じゃあ、行ってくる。机の右に置いてある書類は目を通したから、紺色の冊子に挟んでおいてくれ」

「・・・・・・了解しました」

 

幾度目か分からない、第53防衛隊司令官室に1人という状況。いつもなら不信感を抱きつつも、波風を立てないよう彼の指示通りに動いていた。だが、今回だけは違っていた。

 

「・・・・・・・・・・」

 

足音が遠ざかったことを確認しすぐさま事務机の上に置いてある、今では公的機関や大手企業しか所有していないパソコンの電源を入れる。当然、自衛隊のしかも佐官用のパソコンであるため、開口一番にIDと暗証番号を要求される。本来ならばお手上げの状態。いくら特殊護衛艦候補生とはいえ、上官のIDと暗証番号を知るわけもなく、逆に知っていれば情報漏洩だ。

 

しかし、みずづきは焦ることもなく、アルファベットと数字の混合文字列をスムーズに入力していく。そして、ENTERキー。

 

何度も何度もちょうど知山がIDとパスワードを入力している最中に、怪しまれないよう後ろを行き来し一文字一文字を暗記した成果がようやく発揮された。

 

数回、キーボードを叩き、マウスを握ると何食わぬ顔で画面に現れたシャットダウンキーをクリック。知山に言われた通り、机の右端に置いてある書類を紺色の冊子に挟む。ふと自分の顔に違和感を覚え、パソコンの黒くなった画面をのぞき込む。それは光を適度に反射し、即席の鏡となっていた。

 

「・・・・ひどい顔」

 

みずづきの顔は、笑っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「第53防衛隊司令知山豊三佐、至急基地司令室に出頭して下さい。繰り返します。第53防衛隊司令知山豊三佐、至急基地司令室に出頭して下さい」

 

その放送が須崎基地を駆け巡ったのは、翌日の朝だった。身支度と朝食を終え、昨日に引き続いて書類たちを戯れようとしていた知山は慌てて、基地司令室へと向かう。だが、「君にも関係あることかもしれないから」とみずづきも同行する事になってしまった。

 

なんという幸運だろう。

 

みずづきはいつも通り、人間味のない機械的な返事をして彼の「憐れな」姿を拝みに行った。

 

「これは、どういうことかな?」

 

入室するな否や、厳しい口調を知山に向ける濃野。

 

「な、なんのことでしょうか?」

 

知山もただならぬ雰囲気を感じたようで、この間怒鳴り散らしていた姿が別人のようにかしこまっている。

 

「とぼけるつもりか? それとも、頭が書類にやられたか? まぁ、どうでもいい。なんにせよ、起こってしまった結果は変わらない」

「ですから、一体・・・」

「これを見たまえ」

 

濃野は自身の事務机に置いてあるデスクトップ型パソコンの画面を180度回転させ、こちら側へ向ける。何事かと画面を凝視する知山。そこに映し出されているものを、正確にはどこになにが映し出されているのかを把握した瞬間、額に汗が浮かんでくる。その横顔は傑作だった。

 

「一体なぜ、昨日送信した“君しか知らない機密ファイル”が“基地の共有サーバー”にアップされているんだね?」

 

みずづきの運用方針。正確にはいつどこで活動し、どんな部隊と共同で後方支援任務に就くのかが記された、艦娘部隊の指揮官と相応の役職にある自衛官しか閲覧を許されないデータ。それが、整備員から事務職員まで海上自衛官なら誰でも閲覧できる須崎基地の共有サーバーにアップされていた。

 

「これは、一体・・・・・」

「このデータは君しか知らないものだ。弁解の余地があると思うかい?」

「じ、自分は・・・なにも・・・・・っ!?」

 

知山を大きく目を見開くと、視線はそのままに意識をみずづきへと向ける。そして、肩の力を抜き、力なく笑った。つい笑いそうになったが、更なる彼の「憐れな姿」を想像するともう少し未来へ先延ばしになった。

 

「・・・・どれほどの隊員に閲覧されましたか?」

 

みずづきは、濃野の回答に耳を傾ける。もし、多くの隊員に閲覧されていれば処分はますます重いものとなる。

 

「私と総務課でシステムの管理・保守チームに所属している4人の計5人だな」

 

言葉を重ねるごとに笑みを深くしていく濃野。それに知山はおろかみずづきも唖然となった。

 

予測していたよりも、はるかに少なかった。

 

「そんな・・・・。データは共有サーバーにアップされていたはずでは?」

 

だから、思わず聞いてしまった。言い終えた瞬間、とてつもない危機感に襲われたが取り越し苦労だった。

 

「昨夜はちょうど、月1で行われるシステムの点検日でな。実際にネットワークやサーバーをいじくっていた彼らが最も早く見つけたのだよ。だから、実際に確認した彼らとその上官、上官から報告を受けた私しか、この件について知る者はいない。共有サーバーからは既に例のファイルは削除されている。・・・・・・・・運が良かったな、知山三佐」

 

知山は「あははは・・・」と乾いた笑みを浮かべ、肺に溜まりに溜まった息を思い切り吐き出す。

 

「今回の件はもちろん上に報告するが、過失ではなく誤って起きた事故ということにしておく。これなら、始末書を書かされるかもしれないが、君を警務隊に引き渡さずに済むだろう」

 

衝撃的な発言。みずづきは濃野の対応が信じられず、声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと、待ってください!!」

「おっ!? ど、どうした? みずづき」

「そのようなことをされて、大丈夫なのですか? 濃野基地司令官のご対応が上層部に万一露呈した場合、さらに厳罰が下されるのでは?」

「大丈夫だ。何故なら、これを知っている者は私たちを含めて7人しかいない。私も知山もそして知山を指揮官とする君もバレれば多大な不利益を被る。それに、当基地のシステム形式については開庁当時から上に何度も改善を上申してきた。少し操作しただけで、機密データが共有サーバーにアップできるような形は情報漏洩の可能性が極めて高くなる。それを上は長期間放置してきた。責任は上にもある。当然、上も何らかの処分を負わなければならないから、疑わしくても“事故”と報告すれば、そう処理してくれるさ。誰も、こんな些細なことで、出世コースを外れたり、家族の大黒柱としての役割を追われるのは勘弁さ」

「そうですか・・・・・」

 

「く、腐ってる・・・・!!」と呟きかけるが、寸での所で食い止める。

 

「だが、いくらそうは言っても、一歩間違えれば確実に大問題となっていた。小さなミスでも看過できない。総務課やみずづきにも示しがつかないし、なりより知山自身にとって良くないことだ」

 

一転して、濃野の言葉が厳しくなっていく。それを無言で淡々と聞く知山。おとがめなしの雰囲気もあったため、一安心だ。

 

「よって、知山豊三等海佐には配給券交付停止2週間、飲料水も含めた断食1.5日間、及び1週間の外出禁止を命じる。なお、破った場合は更なる追加処分があることをくれぐれも忘れぬよう肝に命じたまえ」

「・・・・・・了解致しました。処分を謹んでお受けし、今後二度とこのようなことが起こらないよう再発防止に努め、胸を張れる海上自衛官へ邁進致します!」

 

素早く頭を下げる知山。「退出してよろしい」のと濃野の声を受け、知山に続いて基地司令室を退室する。

 

予想外のこともあり処分はいびつなものだったが、軽いと断罪できないほどの処分が下された。特に水を含めた断食処分は1日半にも及ぶ。人間は3日間、一切の水・食糧を摂取しなければ生命活動に多大な支障が生じ、下手をすれば命さえも危ぶまれる。相応の苦痛が彼を遅い、世間体を構う余裕などなくなるだろう。

 

「・・・・・・さてと、あたなの本性を見せてもらいましょうか?」

 

沈み切った彼の背中を見つめて、みずづきは抑えていた笑みを発露した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

そのつもりだったのだが、断食2日目に入り、見るからに憔悴しているにも関わらず、知山は知山のままだった。息は荒く、脱水症状に陥ってもおかしくないのに額には油汗が浮かんでいる。だが、彼はいつも通りだった。話しかけてくるし、笑いかけてくる。

 

“みずづき、頼む”

“みずづき、元気ないぞ?”

“みずづき、その書類持ってきてくれ”

 

みずづきが知山を苦しめている元凶であることにも気付いているはずなのに、一昨日までと変わらずみずづきの名前を呼ぶ。

 

そんな知山の姿に、心の中に渦巻いた怒りはいつ爆発してもおかしくないレベルに達していた。

 

そして、いい加減溜まった怒りを放出しかけた時、ふいに知山はこう言った。

 

「みずづき? 散歩しないか?」

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

髪がわずかになびくほどの、浜辺にしては弱い海風。それに揺らされる木々。それを糧に大空を乱舞する真っ白なカモメたち。

 

さざ波をBGMにしたらそれらは、まだ純粋にあの人と海をかけていた頃と同じように心へ染み渡ってきた。その感覚に動揺していると、傍らで海を眺めていた知山が唐突に信じられない言葉を呟いた。

 

「すまない・・・・」

 

訳が分からず「なにを言っているんだ」と視線で訴える。が、それに対する応答もまた「すまない」だった。

 

「俺がちゃんとしていれば、君があんなことをしてまで俺を陥れようとすることはなかった」

「・・・・・・・っ!?」

 

心拍数が止まったのではないかと錯覚するほどの衝撃がつむじからつま先までを疾走する。血圧の変化からか一瞬立ちくらみを覚える。隣で知山は本当に申し訳なさそうな目をし、こちらを控えめに覗ってくる。

 

その、彼の目を見ると心の底でマグマがぐつぐつと湧きあがってきた。

知山は、一切みずづきを責めるような姿勢を示さなかった。

 

「やっぱり、俺には向いてないのかな・・・・・」

 

本当に自分を責めるような発言。その態度に、とうとうみずづきの怒りが爆発した。

 

「どこまで・・・・・偽善者ぶったら気が済むの・・・?」

「えっ?」

「なんで、なにも言わないんですか?」

 

爪が手のひらに食い込むのではないかと思えるほど強く握られる拳。歯はあごの筋肉が許す限界まで噛みしめられ、視線が外界の情報などいらないとばかりに下がる。

 

「・・・すまん。言ってる意味がよく分からないのだが・・・・」

「っ!?」

 

 

それは、こっちの台詞だ!

 

 

その激情を顔中にたぎらせ、知山をしっかりと睨みつける。彼は大きく目を見開き、何か言かけるがこちらが先制を期した。

 

「なんでっ!? なんで、なにも言わないんですか!! 私がやったって分かってるじゃないですか!! だったら・・・・私が憎ければ、怒鳴ればいいじゃないですか!! 蔑めばいいじゃないですか!! なんでそこまで本音を隠そうとするんですか!?」

「本音もなにも、これが俺の本音だよ」

 

まっすぐな視線。あまりのたちが悪い頑固さに愕然とする。

 

「どこまで・・・・・。私は他の艦娘よりそういう扱いに慣れてます。怒鳴られようが、殴られようが、罵倒されようが今まで散々経験してきました。だから、あなたがお持ちのなけなしの良心なんて気にする必要、ないんですよ?」

「君は勘違いをしているようだから、はっきりと言っておく。・・・・・君に対して、俺が怒る理由は、どこにもないよ?」

 

ますます火に油を注ぐ知山。みずづきは自分の目の前にいる人間が自身の上官であることも忘れて、怒鳴り散らした。

 

「はぁ!? だ! か! ら!!! 私がやったって知ってるんでしょ!? あなたが息絶え絶えになってる今を誰が引き起こしたのか!!」

「ああ、知ってる」

「だったら!?」

「なぁ、みずづき?」

 

柔らかなで儚い笑み。それを見た途端、今まで暴発していた激情が不思議と急速に収まっていった。

 

「怒るっていうのはな、自分の成した事をなんにも分かってないバカに対して、自分の成した行為を、それによって引き起こされた結果を思い知らせるための手段だ。君が自分のしでかした事の意味を理解していないのなら、俺も言うがな・・・・・。みずづき。君は自分の成した行為の意味をしっかりと理解していただろ?」

「そ、それは・・・・・・」

 

つい言いよどんでしまう。彼の言う通り、みずづきは自分の行為によって知山がどうなるかはっきりと認識していた。

 

「な? 怒ればいいじゃないか? 何で言わないのか?っていう問い自体が君の認識を証明している。・・・・・・それが分かっていて大切な部下を怒鳴りつけるほど、俺は図太くないよ」

「え・・・・・」

 

それは一瞬だった。知山が手を伸ばしたと認識した瞬間、頭にむずがゆい感覚が走る。みずづきの髪を撫で、その下にある頭を意識した動きでいったり来たりする、思わず安心してしまうほどの温かみを持った存在。

 

なにをされているのか。

 

それを理解した瞬間、一気に体中の血液・体液が沸騰した。

 

「っっつっつっっっつ!?!?!?!?!?」

 

動揺を分かっているだろうに、知山は手の動きを止めない。

 

「あ、ああああああああの!?!? ちやめしれぇ?」

 

動転しすぎて呂律が回らない。ますます、恥ずかしい状態へと陥ってしまった。だが、それを鎮めたのも、彼の言葉だった。

 

「こんな女の子さえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺は、救えない」

 

悲しみと後悔に染まった言葉。その言葉を聞いた瞬間、後頭部をトンカチではなくMk.45 mod4 単装砲で殴られたような衝撃を受けた。散々人間の醜い部分を見てきたみずづきでも、その言葉は。

 

 

 

 

 

 

 

知山の本音と、感じられた。

 

 

 

 

 

 

だから、彼がどんな人間が知りたくなった。

 

「あの・・・知山司令?」

「ん?」

「私があなたをどんな目で見ていたかって、お分りだったりします?」

 

ニヤリと不気味に笑う知山。それだけで、十分だった。

 

「・・・・・こいつ善人ぶってるけど、出世しか能のない悪猿ってところかな?」

「う・・・あははは。さすが、艦娘部隊の指揮官様で。その・・・・・・申し訳ありません!!」

「いや、別にいい。俺だって、無実の罪で裁かれたら人間不信になるさ」

「え・・?」

 

嘘みたいな言葉が聞こえた。あまりにもさらりと出てきたため、幻聴を疑ってしまう。

 

「っ!? し、司令!! い、今なんて!!」

「へ?」

「わ、私のこと!! ・・・・・・・・・信じてくれるんですか? 無実って、本当に?」

「あまり、自衛官らしくないんだがな。俺も君の過去は知らされていたし、どのような人物か調べもした。その成果を合算した結果、君は上官を見捨てて逃げるようなろくでなしではないって思っただけさ」

 

ここは現実。幻覚・幻聴・妄想全ての可能性を考えてしまうが、ここは現実。そして、聞こえた言葉は紛れもない・・・・・本物だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うぅ」

 

ずっと聞きたかった言葉。ずっと、欲しかった存在。

 

 

自分を、信じてくれる人。

 

 

今までどれほど願っても、どれほど待っても、どれほど夢見ても現れなかった人。それが、今・・・・・・・・・目の前に立っている。

 

 

それを理解した瞬間、感情を失っていたはずの瞳からとめどなく涙があふれてきた。拭いても拭いてもその流れは止まらない。

 

「本当に、なんでどいつもこいつも分かんねぇかな」

 

初めて聞く、自衛官らしくない年相応の口調に興味を惹かれ顔を上げる。

 

 

 

そこには、一点の影もなく、爽やかで、なにもかも包み込んでくれそうな優しい笑顔の知山がいた。

 

 

 

「こんなきれいな涙を流す女の子が、んなことするはずないだろうに」

「っ!?」

 

きれいな涙を流す女の子。その言葉が頭の中で反響するたびに体温が急上昇を開始する。そして、再び意識させられる頭の感触。

 

「あの・・・・知山司令?」

「ん? どうした?」

「これ、そろそろやめてもらいたんですけど・・・・・」

「あっ・・・・・」

 

そこでようやく自分の成している行為の意味を、真に理解したのだろうか。顔をみるみるうちに赤く染めた知山は「わ、悪い」と言いつつ、手を引っ込める。自分で言っておきながら、知山の手無き後の頭が少し寂しく感じた。

 

「そうだよな。みずづきも立派な女性だもんな。デリカシーなさすぎだよな」

「・・・・ほ、ほんとですよ、もう。なんか、お前は子供だって馬鹿にされた気分です」

 

わざとらしく、怒って見せる。こんな風に黒い感情が取り払われた状態で、誰かと話すのはいつ以来だろうか。とてもすがすがしく、気持ちいい。すると知山は安心したように頬を緩めた。

 

「なんだ、みずづきって結構言うじゃないか」

「あっ・・。てへへ・・・・・」

 

その反応に知山は小さく笑う。つられてみずづきも。ひとしきり笑った後、知山は笑顔でみずづきを見つける。右手を差し出した。

 

「目の前にいる君が本当のみずづきってことだな。なら、もう一度、あいさつだ。俺は第53防衛隊司令を命じられた、知山 豊だ。出身は京都府」

「だったら、私も・・・・ですね」

 

本当の自分。まさか、再び戻れるとは夢にも思っていなかった。

 

「はじめまして、知山豊司令。私は第53防衛隊に配属されたあきづき型特殊護衛艦候補生のみずづきです。本名は・・・」

「待て、みずづき。それは・・・」

 

みずづきの本名。知山は暗に無理して言わなくていいと目で言ってくるが、みずづきは上官の意向を無視した。

 

「大丈夫です。周囲に人はいませんし、それに・・・・・・・・・・・信頼の証ですから」

「そこまで言われれば・・・・・その・・・・」

 

照れたように鼻をかく知山。それを見て、本名を告げる意思を改めて固くした。

 

「本名は、水上 澄(むながい きよみ)です。出身は兵庫県です。あの・・・・その・・・・私、知山司令にひどいことをしてしまったんですけど・・・・・・・え?」

 

差し出される右手。思わず、「いいのか?」と目で確認するが、返答は「もちろん」。目頭が熱くなるのを抑えながら、みずづきも右手を差し出し・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

知山の温かくて大きな手を握った。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

小さなカーテンが閉められた船舶特有の円窓から、わずかに差し込んでくる光。寝起きにはうっとうしいが、今日ばかりは怒りを覚えるほど邪魔な存在だった。いつかのように飛び起きることもなく、気だるげに瞼を開く。一際、強く瞳へ吸い込まれてくる光。拒絶するかのように左側へ寝返りを打つ。自身と同じように左側へ寝返りを打っている陽炎の背中が見える。

 

耳を澄ませば、彼女の、もちろんその向こう側のベッドで寝ている川内の吐息も確認することが出来た。そこで不意に、右手が何かを握っていることに気付いた。

 

 

 

 

 

みずづきの右手は、彼の手を・・二度と握れない過酷な現実を否定するかのように、ただの掛け布団を力の限り握っていた。

 

 

 

 

 

「痛っ・・・・・・」

 

布団から手を放すと、わずかに痛みが走る。相当強く握っていたのだろう。手のひらをパーに開こうとしても、筋肉が固まっているのか完全に開かない。

 

その手を、当たり前に彼の手を握った自身の右手を、横たわったまま凝視する。

 

「・・・・・・知山司令」

 

戦時体制の中、自身の立場を勘違いしてしまった上官たちとは異なり、自分のことを信じ、大切な部下として認めてくれた知山。彼はあの後もたびたび無理難題を押し付けてくる上層部から、「敵前逃亡」を前提に蔑んでくる味方から常に守ってくれた。彼自身がどれだけ不利益を被ろうと、彼は決して「守ること」を止めたりしなかった。

 

それに、彼のおかげで「自衛隊に入ろうと思った理由」を思い出すことが出来た。彼が上官でなければ、地獄の中で抱いた信念を思い出すこともなく、闇の中で死に場所を探し、一部のクズが望んでいたようになんの意味もなく果てていただろう。

 

みずづきが今生きていられるのは、全て彼のおかげなのだ。そして、彼がいれさえすればどんなつらいことも困難なことも乗り越えられるのだ。しかし・・・・・・・・・。

 

「・・・・・・知山、司令」

 

声が、震える。そう。彼はもう・・・・・・・・いないのだ。あのつらくも温かった日々は、永遠に訪れない。もう、消えてしまったのだ。

 

時間が経ち、若干いつもの感覚を取り戻した右手を頭の上に持っていく。今朝、百石が撫でてくれた箇所。そして、百石のように一度ではなく数え切れないほど知山が撫でてくれたところを。

 

「う・・・・・・・」

 

あの時の感触を思い出した瞬間、もともと熱くなっていた瞳から水滴が寝ているため左耳へ向かって流れ下る。決壊の防止には成功したが、漏出は防ぎきれなかった。また一滴、また一滴と静かに水滴が下っていく。「2人に見つかったらやばい!!」とわずかに残った冷静な思考が警鐘を鳴らすが、あの感覚を思い出してしまえば対処は困難だ。

 

「う・・・・うぅ・・・・ぐす・・。司令・・・・・。知山司令・・・・・」

 

声に出すほど、あの頃の光景が今も続く現実と勘違いしそうなほど鮮明に浮かんでくる。だが同時に、自分の甘えを打ち消すかのように、あの日の情景が瞬く。

 

 

 

最期まで、部下の身を気遣ってくれた彼。真っ黒な大海原に引きずり込まれていく「たかなわ」。

 

 

 

そして、もう1人の自分が囁いてくる。

 

“お前のせいだ”っと。

 

「っ!?」

 

急速に息が荒くなってくる。再び足元に広がってきた黒く深い思考の海。それから逃れるため、必死に“あの頃”を思い出す。楽しかった、あの頃を・・・・・・。

 

そうするとしだいに呼吸と心拍数が落ち着いてくる。だが、物事は上手くいかないもので、そうすればそうするほど今度は寂しさが募ってくる。

 

みずづきは今、1人ではない。同じ部屋に陽炎や川内、船の周囲には黒潮・白雪・初雪・深雪がいる。横須賀鎮守府にも百石をはじめとする大切な仲間がいる。明らかに信頼できる相手は日本にいた時よりも多い。しかし、そうであっても“彼がいない世界”の寂しさは癒えないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知山司令・・・・・・・・・会いたいよ・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び始まる嗚咽。覚醒した際に2人の規則正しい吐息を確認したからだろうが、みずづきの意識は完全に内側へ収斂していた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

規則正しい吐息が1つ、不規則な吐息に変わっているとも知らず。




本話ではみずづきと知山の出会いを書かせていただきました。いろいろ、現状と比較しておかしいところ(断食2日間とか・・・・)があると思います。ただ、本作ではリアルとの世界観が乖離しているので、ご了承のほどよろしくお願いします。


さて、世間ではゴールデンウィークに突入し、春イベもスタート!
私も祝日をフル活用し、秋イベ以来の攻略にゆるく勤しんでおります(・・・・・丙か乙ですけど・・・・ね)。レア度があるとどうしても手が出ちゃうんですよね~。大鷹そうですけど、海防艦も出てきましたし。まあ、いろいろと用事があるので、あんまり攻略は進みそうにないんですけど(涙)

連休が終われば・・・・・・・はぁ~~。


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47話 船団護衛 その2 ~由良基地~

少し遅くなってしまいましたが、本作も・・・・・・。
UAが3万5000回を超えましたぁ!!

3万5000・・・・・・、指を折りながら数えていると日が暮れてしまう(震)

読者の皆様、本作に目を通していただき誠にありがとうございます!!
(展開が亀であることは作者が痛感しておりますので、何卒達観していただけると幸いです・・・汗)


「お待たせ~~」

 

仮眠をとり、非番を有効活用した3人の戦線復帰。迎える側、すなわち護衛を続けていた白雪・初雪・深雪・黒潮の4人には安堵の空気が広がる。時刻は18時前。既に太陽は地平線下に沈み、あたりは赤を通り越し黒に染まりつつあった。みずづきが抜け極端に戦闘能力が落ちた状態で暗がりを迎えるのは、川内たちにとってもそしてみずづきにとっても怖いことこの上ない。そのため、みずづきはまだ明るく白雪たちでも不測の事態に対処しやすい昼間に休み、夜に充てられたのだ。川内はいわずもがな。陽炎はどこでも良かったのだが、黒潮が昼間にと薦めたのだ。どうやらこの間のゴミ捨ての件を、黒潮なりに気にしていたようだ。

 

「白雪、異常は?」

「いえ、特にありません」

 

はっきりした声。それに川内はおろか、聞いていたみずづきと陽炎も一安心。旗艦である川内が艦隊を離れている間、白雪が旗艦代理を務めていた。

 

「了解。じゃあ、時間だから白雪と初雪はあがって。今から、私が指揮をとる」

「分かりました」

「やっと、上がれる・・・・・・。長かった・・・・・」

「今回はあたりだから、かなりいい休息になると思うよ~。ごはんも美味しかったし」

「!? あ、あたり・・・・」

「おおお!! やったぜぇぇぇ!! それを聞いただけで残りの時間をやり過ごせるぜ!!」

 

「疲れた」「帰りたい」「寝たい」といつも通りに愚痴を吐きまくっていた初雪ならしも、あと6時間海上にいなければならない深雪までが歓喜に沸く。通信越しで口調を聞く限りは元気だ。しかし、既に横須賀を出発してから11時間。途中戦闘も挟んでいるため、疲れはたまっているだろう。吹雪型の3人が話している中、黒潮の調子を気遣う陽炎の声が聞こえてくる。黒潮はいつもの調子だが、少し覇気がない。

 

深雪や黒潮の顔を直に見て二人の様子を確かめたいが、夜の帳が許さない。既に日は完全に落ち、周囲は闇に包まれている。視認可能な海岸線はわずかに人工の光を放っているが、みずづきたちを照らすにはあまりに無力。故に僚艦の様子を知るには通信機を使用するしかないが、この不自由さに助けられていることもまた事実だった。

(良かった・・・・。2、3時間したら赤みが引くから、なんとかバレずに済みそう・・・)

あの人を思い出し、流れ出た涙。止めるには相応の時間が必要だった。それだけ長い時間にわたって涙腺を酷使していれば、当然なんらかの後遺症は残る。この世界に来てからそのようなことがなかったため油断していたが、何気なく部屋に設置された鏡で自身の顔を見た時は思わず凍り付き、銅像と化してしまった。

 

目元がほんのり赤くなっていたのである。典型的な“泣いた”後。それが顔に降臨していたのだ。みずづきは焦りに焦り、川内や陽炎のツッコミに対する誤魔化しを必死に考えたのだが、結局今までこれについては一切触れられていない。昼間の海上や横須賀ならあらぬ妄想を抱いてしまうが、夜の現在ならば妄想を制御することはできていた。

 

安堵の理由。それは日没に呼応し船内で灯火管制が敷かれ、赤色や必要最低限まで光度が落とされた蛍光灯のみで船内が照らされているからだ。これでは相手の些細な変化は分からない。自身の顔も鏡で注意深く見て、ようやく変化を発見したほどなのだ。

 

いつも疎んでいた夜に、今日ばかりは感謝しなければならないかもしれない。

 

「みずづき、さっきと同じように哨戒機の発艦をお願い」

「・・・・・・・・・・」

「ん? みずづき?」

 

川内の呼びかけ。目元のことを深く考えていたため、2回目でようやく気付くこととなってしまった。失態である。

 

「は、はい!」

 

焦燥感に引っ張られぎこちない返事となってしまう。案の定、川内は不思議そうな声色。

 

「どうしたの? なんか異常でも見つけた?」

「い、いえ・・・・・・、少し考え事をしていて・・・・・」

「そう、ならいいんだけど。さっきと同じように哨戒機の発艦をお願い。今度はきちんと聞いている?」

「はい。それはもうばっちりです! ロクマルの発艦準備に入ります!」

 

少しでも、川内が抱いたかもしれない疑念を払しょくしようと努めて明るくいつも通りに振舞う。それが効果を発揮したようで「おっ! いいじゃん。その調子でよろしくね」と通信は終了した。思わず、ため息が出てしまう。

 

「危ない・・危ない。もう少し、気を引き締めないと・・・・」

 

空いている左手で左ほほを軽く叩くと、気合入れも兼ねて命令を発する。

 

「航空機即時待機。準備できしだい発艦!」」

 

主の動揺をよそに、命令を受けた各システムはロクマルの発艦準備を進めていく。艤装のシャッターから出てくるロクマル。ローターのロックが解除され、暖気運転が始まる。最初はゆっくりと回転していたメインローターも、ある程度の時間が経過すると一気に回転数を上昇させる。

 

「航空機、発艦!」

 

明るいうちは凝視しなければ分からない識別灯の赤色灯を点滅させながら、前方へ。昼間もそうであったのだが、その姿に再び感嘆の声があがった。

 

「やっぱり、何度見てもすごいわね。ああいうのを開発してるって噂は知ってたけど、海軍が作ってたのとは次元違うだろうし」

「これこそ、未来って感じやな! あれって、対潜捜索・戦闘だけやなくて、対水上捜索とかもできるんやろ?」

 

立ち聞きした時よりも元気そうな雰囲気。それに気付かなかった事にして、黒潮の疑問に答える。彼女なりに周囲に心配をかけまいと気を張っているのは見え見えだった。

 

「うん、そう。今まさに私のかけてるメガネのレンズには、ロクマルのレーダー画面が映ってる。私のレーダーで捉えられないところを捜索するときとかによく使うの。見たところ、私たち以外に3隻の船・・・・反応からおそらく民間船だと思うんだけど、水平線の向こう側に船がいるね」

「ひえぇぇ・・・・・。演習とか打ち合わせからも分かってたけど、やっぱり俺たちとは何もかも違うんだな」

「88年か・・・・。1世紀ちかく経てば変わるよね。そういえば、今まであんまり聞いて来なかったけど、そんな装備を持ってるってことは、ほかの国も持ってるってことでしょ? 現にみずづきのロクマルはその・・・・・・・アメリカ製のものをベースにしている訳だし」

 

アメリカ。川内がその国名を吐いた瞬間、通信機から伝わってるくる彼女たちの雰囲気が変わったのは気のせいではないだろう。そして、みずづきも別の意味で雰囲気が変わる。何も言わなければ全体の雰囲気が変な方向へ転びそうになるので口を開くが、言葉を慎重に選ぶ。

 

「ええ、まぁ・・・・・。日本は世界第三位の経済大国で軍事力も上位、技術力のトップクラスですが、世界から突出しているわけではありませんでした。先進国はもちろん、似たようなものどこもそろえてますし、今は新興国や発展途上国も先進国並みの装備を導入しています」

「へぇ~、そうなんや。状況は瑞穂にそっくりやね。ここはうちらがいた時代より、列強と途上国の差がめっちゃ小さいから、植民地もないしな」

「でも、それって、穿った見方をすれば、脅威が増えたってことじゃ・・・・。みずづき? 歓迎会の時に私がした質問覚えてる?」

 

高まる鼓動。話を逸らしたい衝動に駆られるが、ここでそれをすれば逆効果。しかも、今は夜で相手の様子を捉えるのは耳しかない。この状況では視覚があるときは分からない変化でも、容易に分かってしまう。今は心を落ち着かせて、耐えなければならない。

 

「うん。海上国防軍は何か、だったでしょ?」

「あんた、あの時、日本がもう一度軍隊を持つと決めた理由を自衛隊じゃ、日本を守れなくなったって言ってたわよね? 私あの時、よく考えずに納得しちゃったけど。それって、これのこと? 」

 

一拍の間。

 

「まぁ、それだけじゃないんだけど、ご名答。あの戦争のあと、いや、21世紀に入ってから、世界はがらりと変わったの。先進国が前みたいにいけいけドンドンの経済じゃなくなって、年寄り・老体って揶揄される状態になった一方、それまで貧しい生活を営んでいた途上国が一気に戦後の日本みたいに高度成長をし出して。あっという間にかなりの国力をつけたの。そうなったら必然的に、今までお金がなくて満足に整備できなかった軍隊にお金が回る。結果今まで絶望的なまでに開いていた差が一気に縮まって、危機感を抱いた政府が再軍備に踏み切ったの」

「なるほどね。あと、それだけじゃないって言ってたけどそれ・・」

「いや~、陽炎も鋭いね。意外っていうかなんというか。少し見直した」

 

いつも通りの明るい声を上げるみずづき。陽炎の言葉をわざと遮ろうとした意思を必死に秘匿する。陽炎は一瞬黙り込むと「なにいってんのよ。それより」と再度みずづきに尋ねようとするが、明らかに悪気のない介入が阻んだ。

 

「うちと同感やな! いや~、感心感心。妹として姉の成長は鼻が高いわ」

「お、やっぱ俺たち気が合うな! 話の内容はちんぷんかんぷんだったけど。陽炎、なんだか最近、難しいこと考えるようになったよな~」

「感心してないで、あんたもちょっとは真面目にやりさないって」

 

川内のお叱りに「え~。だって分からないもんはしゃあねえじゃんか」と深雪。その切り替え氏があまりに自然で、艦隊がとある一人を除いて笑顔に包まれる。

(ふぅ~、なんとか切り抜けた。ここまで緊張したのはいつ以来だろう・・・・。黒潮・深雪、フォローナイス!)

笑いながら、安堵するみずづき。

 

その後、時折雑談を交えつつ、白雪・初雪の復帰と黒潮・深雪の離脱などもあったが、潜水艦の襲撃を受けることもなく、護衛任務は順調に進んでいった。

 

そして、また新たな1日が始まった。

 

 

 

――――――――

 

 

 

「みなさん、ここまで、ありがとうございました! お気をつけて!」

 

無線と同時に鳴らされる汽笛。波や風の穏やかな音に撫でられながら、紀伊半島と四国を望む紀伊水道に響き渡っていく。相性は抜群だ。その美はみずづきたちから離れ、大阪港へ向かっていく3隻の船も例外ではない。天気が曇りじゃなければもっとよかっただろう。甲板や艦橋には大勢の船員たちが姿を見せており、笑顔でこちらへ帽子を振っている。それに対して敬礼。船員たち、もそしてみずづきたちもお互い、相手が見えなくなるまでそれを続けた。

 

「・・・・・・よし。これから、由良基地に入港するよ。総員、入港用意!」

「了解!」

 

川内の声かけに威勢のいい返事。休憩があり、いくら艦娘とはいえ丸1日を海上で過ごし疲れているだろうに、誰もそれを見せようとはしない。また、もうすぐ入港と認識しても警戒を怠るような雰囲気は皆無だ。その様子を傍目で確認していると、邪念が頭の中を飛び交っている自分が恥ずかしくなってくる。

 

訓練の成果か、なだらかに進路を変更すると、一路由良基地を目指す。

 

「こちら川内。由良基地応答せよ」

 

昔、自分が言っていた台詞と全く同じ言葉が聞こえてくる。あの時は日本、そして今は瑞穂。場所の違いを超越した一致は不思議なものだ。

 

「こちら、由良基地。第3水雷戦隊旗艦川内、どうぞ」

 

男性・・・ではなく、若い女性の声が聞こえてくる。声色はいかにも抑揚と感情を抑えた、司令部要員といった具合だ。

 

「先の報告通り、0700入港に変更なし。全艦異常は確認されず」

「了解。0700入港に変更なし。全艦異常は確認されず。報告内容確認。貴艦隊の入港をお待ちしております」

 

最後まで機械的な声かと思ったら、予想外。本来の彼女であろう柔和な声が聞こえてきた。最後は女性の完全なアドリブだったのだろう。

 

四国を背に航行していると、段々目の前の紀伊半島が大きくなってくる。海上では希薄だった人間の気配が距離を縮めるごとに濃くなっていく。すれ違う漁船。海岸線のあちこちに立つ簡易な木造の小屋。特に目を引くのは段々畑に浸食された山々だ。横須賀ではどちらかといえば家々に浸食されていたが、どうやら瑞穂も日本と同じように食料を増産するため森を切り開いたのだろう。日本でも食糧増産のため、多くの山々が戦時中と同様に段々畑へと姿を変えている。そして、その山々の麓に広がる街と港。瑞穂最大の軍港を有し、屈指の規模を誇る横須賀と比較するのは酷過ぎるが、静かは静かでもかつて日本の地方都市が直面していたような「寂れている」ということではない。人の気配は幾重にも重なり、街は生きている。

 

「ん? あれは?」

 

由良港に入り、由良基地が見えてきたところで、みずづきは目を細める。由良基地の港には20隻ほどの小型船がひしめくように停泊していた。「なんだったけ。見たことあるんだけどな~」と既視感に悩まされていると、白雪が助け舟を出してくれた。

 

「海防艦だよ。海防艦」

「ああ、そうそう。海防艦。横須賀でも何度か見たことあったんだけど、因幡とかと一緒に見ちゃうと印象が薄くて・・・・」

「私もみずづきちゃんの気持ち分かるよ。どうしても、大きい軍艦に目がいっちゃうんだよね・・・・・」

「ああ! べ、別に小さい軍艦が、とかそういうこと言ったわけじゃないからね!」

 

白雪の変化を察知したみずづきはマッハでフォローを入れる。「うん、分かってる」と白雪。どうやらあらぬ誤解を招かずに済んだようだ。

 

白雪たちは駆逐艦。日本で、そして瑞穂でもつい艦種によって落ち込んでしまうことはあるのだ。胸を撫で下ろしたみずづきは、川内の「入港よーい」という言葉を聞きながら、群れる海防艦を眺めていた。日本の、海防軍基地の光景が点滅する。

 

ここ瑞穂海軍由良基地には紀伊防備隊が置かれ、海防艦が複数配備されている。深海棲艦出現以前は海防艦も紀伊防備隊もなく呉鎮守府隷下の由良基地隊のみが在籍し、大阪湾や紀伊水道の警備と寄港するする艦船の補給が主任務だった。しかし、今となっては「警備」ではなく「防衛」が主任務となっている。仮に本土決戦となった場合、ここに配備されている海防艦は「海軍水上部隊の発露」として全滅覚悟の出撃となる。いわば彼らが最終防衛線なのだ。なぜ、全滅覚悟になるのかというと名前からも察せられる通り、海防艦は武装が貧弱でとても第一線部隊を葬りさった深海棲艦に対抗できるような代物ではないからである。構造が単純で搭載する武器も少ないことから、シーレーンが断絶した状態でも急ピッチで建造でき数は揃えられたのだが、メリットはそこしかない。

 

これを見れば日本のミサイル艇の方が遥かにマシである。瑞穂と同様に日本でも壊滅した既存戦力の穴埋めとして沿海域防衛、そして本土侵攻を目論む敵の足止め・戦力漸減を狙い、はやぶさ型ミサイル艇の後継艦である「いぬわし型ミサイル艇」が開発されたのだ。基準排水量は1500トン。武装は76mm速射砲、21連装SeaRAM、17式艦対艦誘導弾Ⅱ型8連装発射筒で、はやぶさ型からかなりの強化が図られている。艦娘が前線に投入される前の国防方針で配備が決定されたため、艦娘登場後は「用済み」との意見が出され開発が中止になりかけたこともあった。しかし、防衛手段多重化の必要性が重視され2031年から順次、各地の海防軍基地に配備されている。艦娘が海防軍の作戦において比重を高める中、まともに前線にたっている通常艦艇部隊は彼らいぬわし型ミサイル艇を持っている部隊のみであった。

 

かといって、かつて海上防衛の主役であった護衛艦が全滅してしまったと言うわけではない。護衛艦も数隻、運よく深海棲艦の攻撃から逃れており、彼らで「第5護衛隊群」を編成している。だが、行動の全ては極秘事項とされ、みずづきであってもその詳細は知らなかった。

 

そうこうしているうちに由良基地の艦娘用桟橋に到着だ。横須賀ほど毎日毎日艦娘が使っている、というわけではなく、支柱の表面をフジツボに占領されかなり年季を感じるが、それも味と思える。桟橋の管理は十分に行き届いている。一日ぶりの陸に感慨を抱きたいのだが、そんなことは目がついている以上言っていられない。桟橋と岸壁の接続部分近くに立つ3人の人影。彼らが何のために来ているのか、分からないわけがない。しかも、風格を見るにかなり上位の軍人だ。

 

手っ取り早く桟橋に上陸し、足の艤装を解除。3人の前に整列すると、川内が旗艦らしく声を張り上げた。

 

「第3水雷戦隊旗艦の川内です。短い時間ではありますが本日からお世話になります!」

「うむ。長旅、疲れただろう。そんなに固くならず、楽にしてくれ」

 

3人の中央に立つ最も年齢の高い男性が優しそうに微笑んでそういうと、深雪を発端として一気に「楽な姿勢」になる。少し体の力を抜いた程度の白雪を見習ってほしい。もちろんみずづきは白雪の方だ。なぜここまで力を抜くのかと疑問に思ったが、くしくもその答えはすぐに明らかとなった。

 

「ようこそ、由良基地へ。君たちと会うのも4ヶ月ぶりか」

 

そう、この中で目の前の三人と初対面なのはみずづきだけだったのだ。

 

「お久しぶりです。堀北司令。お元気なようでなによりです」

「おお、ありがとう、ありがとう。優しさが老骨に染み渡る。うちの孫はそんなことちっとも言ってくれん」

「堀北じいさんの孫って、まだ1歳にもなってないんだろ? そりゃ、なにがなんでも・・」

「無理」

「ちっ、ばれてたか。でも、君たちも相変わらずでなによりだ。初雪と深雪もちっともかわっとらんし。川内の調子も、か?」

「えっと・・・・・その・・・・・・」

「この間、長門さんにこってり絞られてから、大人しいもんですわ」

「おかげで、同室の身としては安眠のかぎりです」

「あははははっ。あの長門に絞られるとは、川内もやるではないか。横須賀も平穏でなりより。だが・・・」

 

軽快に笑っていた堀北と呼ばれた男性は、もの珍しそうな表情をして呆然としていたみずづきを見る。少し後ろに控え、会話に相槌を打っていた他の2人も同様だ。横須賀の荒波(的場や百石)に揉まれる以前よりは挙動不審になることもなくなったが、それでも上官相手は緊張する。御手洗のように敵意を向けられれば緊張しないのだが、あまり経験したくない回避方法だ。

 

「君が例の?」

「はい。私が現在横須賀鎮守府にお世話になっているみずづきであります!」

 

少しの沈黙。張本人としては、気まずさが半端ではない。みずづきをひとしきり見回した後、3人は同じ言葉を放った。

 

「普通だ」

「普通だな」

「普通、ですね」

「へ・・・・・・・・・?」

 

拍子抜けだ。なにを言われるかと身構えていたため、反射的におかしな声を発してしまう。

 

「おっと、すまない。私たちも自己紹介だな。私はここ由良基地を統括している基地司令の堀北市兵衛(ほりきた いちべい)大佐だ。どうぞ、よろしく」

 

白髪に掘りの深い幾重もの皺をたたえ、いかにもおじいさんの堀北に続いて、後ろの2人も自己紹介を行う。

 

「お初にお目にかかる。紀伊防備隊参謀長の中島克樹(なかじま かつき)中佐だ」

「みずづきさん、はじめまして。基地広報課の間谷敦(またに あつし)少尉です。今回、私が貴艦隊の身辺調整を担当させていただくので、分からないことがあれば遠慮なくおっしゃって下さい」

「あ、ありがとうございます」

「しっかし、普通だな」

 

2人の自己紹介を尻目に再びみずづきを観察しだす堀北。その視線は好奇心に満ち満ちている。例えるなら、新種の動植物か判断しかねている学者のようだ。しかし、彼らはみずづきが川内たちと同じ大日本帝国海軍から来たと思っており、2033年の並行世界から来た艦娘という真実は知らされていない。これらは演習の結果や本土攻撃を試みた敵機動部隊の壊滅と共に緘口令が敷かれているため、海軍内でも一部の人間しか知らない。どうしても横須賀にいるとみなみずづきの存在を知っているため忘れてしまいそうになるが、いくら横須賀と言っても所属将兵はほんの一握りでしかない。大半は堀北たちのように横須賀や東京以外で日々、職務に励んでいるのだ。みずづきが救難信号で「日本海上国防軍」と叫んでしまったことについては、東京と横須賀の情報操作で「転生時の記憶障害」とされ、時間の経過につれ人々の記憶から風化しつつある。

 

「一風変わった艦娘が来たと聞いていたが・・・。確かに艤装は見たことない代物、容姿は・・・・・陽炎のほうが変わっているな」

「な、なんですって?」

 

陽炎が少し気にしていることを自然に放つ。「まあまあ」となだめる言った本人の堀北。

 

「いや、なんだ艦娘っていうのは個性が強いから、どんな子だろうと思ってね。あまりにも凝視して失礼した」

「い、いえ。私は全く気にしておりませんから・・・・」

「司令、そろそろ・・・」

 

腕時計を気にした中島の耳打ち。

 

「なんだ、もうそんな時間か。分かった・・・・・。もっと、君たちと話していたいんだが、仮にもこの基地のトップだからな、やれやれ・・・・。みんな短い時間だが、ゆっくりしていってくれ。では」

 

軽く手をあげると堀北は中島を連れて、少し遠くの背後に控えている2階建ての建物へ去っていく。木造ではなくコンクリート製で、薄い緑色をしている。雰囲気から察するに、基地隊の本部庁舎だろう。周囲にもいくつか建物が立ち並んでいるが、その建物だけ玄関の扉が高級そうだ。彼らの背中を見届けると自然に肩の力が抜ける。だが、そうなった人間はみずづきだけではなかった。

 

「ふぅ~。じゃあ、みなさん、これから宿舎へご案内しますので、どうぞこちらへ」

 

大佐や中佐の隣。少尉の身としてはさぞかし疲れたことだろう。みずづきは間谷への同情を抱きながら、わいわいと騒いでいる川内たちと一緒にその背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

かつていた場所とは全く異なる同じ場所を。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

木造2階建て庁舎の二階にいても聞こえてくる女の子たちの楽しそうな会話。かつて、大戦が勃発する前はあり得なかった状況だが、それが当たり前になってからどれくらい経つだろうか。自身の耳が現実を捉えているのか確認するために一人の男が執務机から立ち上がり窓から、気付かれないように外を見る。

 

「到着したようだな」

「やはり、そうですか」

 

それに呼応し、執務室の前に控えていたもう1人の男も窓に近づく。2人の視線の先。そこには広報課の間谷少尉に先導されて宿舎へと向かう艦娘たちがいた。その中の1人に視線が集中する。一見、街に出ればすぐに見つけられそうな少女。何気なしに見れば、特段気に留めることもない。

 

 

だが、2人は彼女が何者か知らない外の将兵たちとは違った。

 

 

「あれが、みずづき、か・・・・・」

 

意識が目に集中しているため、幾分小さな声量となってしまう。表情の割には、威厳がない。

 

「誠に聞いたとおり、普通ですな。あれでは、東京の工作がうまくいった結果も道理です。誰もあの子があのような力を持っているとは想像もできないでしょう」

「本当に・・・・・・。現に俺も、連中から聞くまではそうだった。まんまとあの小僧と的場総長の手の平で踊ってたわけ、だ。的場総長ならともかく、三十路すぎの若人ふぜいに俺たちのような佐官が弄ばれるとは癪に触るな。・・・・・まぁ、文句を言ってもしょうがないがな。中央から離れてだいぶ経つ」

百千(ももち)司令・・・・」

 

百千と呼ばれた大柄の男は嘲笑すると窓から、執務机へ戻る。腰を椅子に降ろす動作は、いささか気だるげだ。

 

「しかし、時代とは凄まじい速さで進むものだ。そして、あらゆる可能性を内包している。まさか、あんな艦娘が現れるとは」

「兵本の連中がゴリラみたいに騒ぐわけですな。しかし、良かったのですか? いくら恩があるとはいえ、このようなことを・・」

 

男性は視線を執務机に置かれている一枚の紙に向ける。なんの変哲もない、文字が書かれているだけのA4用紙。表には「要望」としか書かれていない。

 

「そう案ずるな、十部(とべ)。これと引き換えに、ここで惰眠を貪っていたら絶対に知れない情報が手に入ったんだ。ばれたら終わりだが、ばれずに立ちまわれれば中央に戻れるかもしれない。それに、みずづきの動向を調査しろとか言ってるが、俺たちは彼女に接触する予定も可能性もないんだ。そもそも、行動範囲が違う。強引に動いて基地司令に怪しまれでもすれば、俺たちだけではく、あいつらもこれだ」

 

百千は両手を体の前に差し出し、「御用」のジェスチャーをする。

 

「だから、真面目に書かなくともそう言い訳すれば煙をまける。中立派という俺たちの立ち位置が脅かされることはない。お前が一番心配しているのは、俺が排斥派に加担するかもしれないということだろう?」

「おっしゃる通りです」

「俺は現実逃避してる排斥派に傾く気はない。知ってるだろう? もし加担するなら考えの近い擁護派だ。下っ端は予期せぬご褒美をもらった中学生のようでアホだが、的場総長たちはこの国と世界の現状を把握してらっしゃる」

「・・・安心しました。しかし、兵本が」

「ほっとけ、ほっとけ。どういう方針をとろうが、市ヶ谷の話。俺はただここで司令の任を全うするだけだ。今だけはここに飛ばされておいてよかったと思う。まさか、部下を死地に追いやらなければならない席に感謝することになるとは・・・・・・・この話はこれで終わりだ。もうすぐ、中島が帰ってくる」

「は!」

 

健美な調度品ではなく質素な掛け軸や書籍に彩られる室内は静寂に包まれる。和気あいあいとした声は既に聞こえない。その変わりか、木目の軋む特徴的な音が廊下から段々と大きくなっていく。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ああ、つ、か、れ、た~~~~」

 

井戸から這い出てきた怨霊のような声とともに陽炎が、二段ベッドの下段に飛び込む。鈍い金属を奏でながら軋むベッド。舞い上がるホコリ。曇っていても空気中を舞っているが分かる。もし、窓から光が差し込んでいたら、反射して肉眼で確認できるようになったホコリで恐怖の光景が作り出されていただろう。もっとも、見えないだけで現在、そうなっているだろうが。気のせいか鼻がムズムズしてきた。

 

「ちょっと、陽炎! 気持ちは分かるけど、飛び込むのやめてよ!」

 

「は~い」と反応はあるが、反省の気配なし。それどころか純粋な目で「みずづきもやったら」と言ってくる。みずづきは陽炎の上が割り当て場所だ。もし、そんなところでダイブしたらどうなるか。最近太ったという自覚はないが、支柱が折れた時を考えただけでも恐ろしい。

 

まるで修学旅行に来た学生のように騒いでいるこの場所は、港から少し離れた所に立っている外来者宿泊棟である。平屋で、2段ベットが4つあてがわれた部屋が8つあり、棟内にはトイレと洗面台も完備。みずづきの居城と化している第6宿直室や艦娘寮と比べるとベットの存在もあり、若干狭い印象を受けるが一般兵士の寮と比べれば、差は歴然である。もともと視察で訪れる軍人や工事関係者・取材関係者など民間人を泊めるための施設だそうで、建っている場所は基地に務める将兵、特に佐官や将官たちの寮が並んでいる一角である。

 

「みんなこれから、どうする? 私は寝るけど」

 

眠たそうに目をこする川内。みずづきも陽炎との言い合いを止め、川内を覗う。吹雪型の3人や黒潮もそれぞれのベッドからひょこっと頭を出している。というのも今日は一日非番なのだ。現在の時刻は0810。那覇へ向け由良基地を抜錨するのは明日の0600。街へ出たり、基地内を散策するには十分すぎる時間だ。だが、みずづきたちも自覚があるか分からないが一様に川内のような表情となっていた。

 

「私は川内さんとおんなじ。もう眠くて眠くて・・・・」

「みずづきちゃんと同じく私も・・・・・。初雪ちゃんは・・・・・?」

 

ベッドに横たわり、瞼が落ちかけている初雪。聞かなくても、意思は分かる。

 

「なんだ、なんだ?? お前らそれでも艦娘は!?・・・・と言いたいところだけどよ、俺も今日は一日ゆっくりするわ。明日から2日間海の上だし、休息はとっておかねえと」

「そうやな。でも、せっかくの機会がもったいない感じもするなぁ~」

「それは・・・・・」

 

あくびをしている黒潮に同意する初雪を除いた一同。せっかく、7人でここまで来たのだ。みずづきの運用方針が「各種能力を如何なく発揮するための機動運用」に決着した現在、このメンバーでこの先由良基地や那覇基地に行けるとは限らない。

 

少し重たくなった雰囲気を黒潮の元気な「そうや!」が吹き飛ばす。頭上に疑問符を量産するみずづきたちを尻目に黒潮は目を輝かせながら言った。

 

「那覇やと2日間! 2日間も非番なんやし、そんとき遊ぼうや? ちょうど、あのお祭りが開かれるそうやし」

「あのお祭り?」

 

抱える疑問符の量が限界に達し、聞き返す。すると言い出しっぺの黒潮より先に陽炎が体を布団に預けたまま答えた。

 

「竹祭りのことでしょ? 間谷少尉も言ってた」

「竹祭り?」

「ほんとは沖縄弁に基づいた名前なんやけど・・・・・・・・・・ちょうどうちらが那覇に立ち寄る日に竹祭りってのがあってな。琉球時代の建物が残ってる地区を、竹細工に入れたろうそくで照らすってお祭りや。もちろん屋台もぎょうさんおるで!!」

「へぇ~、そんなお祭りが・・・・那覇に。日本にはなかったけど・・・」

 

兵庫県というばりばり本土の人間であり、艦娘になって以降しか沖縄へ行ったことがない。そのため、あったかもしれないがいくら記憶を探ろうとも思い出せなかった。部下のはやなみは那覇市出身であり、昔話や思い出話が会話で出てくることもあったが「竹祭り」などやはり聞いた覚えはない。

 

「こっちじゃ、かなり有名らしいよ。竹明かりに包まれた沖縄独特の家屋・・・赤瓦を葺いた家々が立ち並ぶ光景は幻想的とか」

「前は五穀豊穣みたいな意味合いだったんだけど、大戦が始まってからは亡くなった人たちの鎮魂って意味に変わったの」

 

鎮魂。あの沖縄で鎮魂とは。日本にとっても、そしてみずづきにとっても何か意味があるような気がしてならない偶然だ。だが、偶然は偶然。

 

「みずづきちゃん? どうかした?」

「え? いや、何でもないよ。ちょっとどんな光景か想像してただけ」

 

実際には全く別のことを考えていたが、本当のことなど言えるわけがない。そのため、とっさに嘘をついた。即興のわりにはいい言葉が出てきたので安堵だ。

 

「どうやろ? うちもめっちゃ興味あるんやけど」

 

異議なし。口々に「どんなお祭りなのかなぁ?」や「間谷少尉に聞いて見よっと!」と言うあたり、全員が黒潮の提案に乗り気だ。その反応には提案した側の黒潮も嬉しかったようで、ベットから上半身を乗り出してしきりに話しかけている。

 

「じゃあ、それで決まりだね。そうと決まれば、後は寝るのみ。沖縄まで遠いし、みんなしっかり休むんだよ」

 

旗艦らしく、お姉さんのように事態を見守っていた川内がパンパンと手を叩き、眠たいと言いつつ会話の華を咲かせはじめた黒潮たちを布団と睡魔へ誘導する。その言葉が合図となり、全員手早く寝支度を済ませ、布団に潜り込む。だが・・・・・。

 

「そういえば、何時に目覚ましをかけるん?」

 

と、黒潮。

 

「何時でもいいんじゃないかな? 陽炎ちゃんはどう?」

 

同じく二段ベットの一段目でちょうど隣同士だった白雪が聞く。彼女の上からは周期的で可愛げのある寝息が聞こえてくる。

 

「私も特に希望は・・・・」

「2人とも何言ってるんだよ!」

 

眠たいのか少し抑揚の欠いた陽炎の声を遮る深雪。いつも声は大きいのだが、睡魔に拉致されようとしているためか一層大きく聞こえた。

 

「ちょっと深雪、声が大きい。初雪起きちゃうよ・・・」

「みずづきはいいのかよ?」

「何が?」

 

と問い返してみたものの、次に何が返ってくるかは容易に想像ができた。

 

「昼飯だよ!」

「やっぱり・・・・・・」

 

仰向けで布団をかぶっているという体勢だが、思わず脱力してしまう。

 

「みずづきだってそう思うだろう? さっき、お腹鳴らしてたじゃん」

 

だが、その言葉を聞いた瞬間、体に力がみなぎる。睡魔が全力疾走で逃げ出した。寝たいと心の底から思ってはいる。いるのだが、こればかりは見過ごせない。みずづきにも女子としての体面は存在している。

 

「あれは違うの! 空腹に由来するグゥ~じゃないから!!! その・・・・トイレにね・・その・・あの!!」

「みずづき、少しは冷静になろうよ・・・・」

 

川内の苦笑気味なツッコミ。

 

この後も壮大な紆余曲折を経ながら、「目覚ましを何時にかけるか」論争が行われた。結局、いつも間にかタックを組んだ深雪・みずづきの意見が反映され、寝すぎて昼食を逃してもいけないということで昼前となった。

(沖縄、か・・・・・)

よほど疲れていたのだろう。あれだけ騒いでいたにも関わらず静かになった瞬間、すぐに睡魔が襲ってくる。まどろみのなかで意識が閉じる前に思い浮かべたのは、あの任務の途中に上陸した土地、そしてこれから向かう場所の名前だった。




先週に引き続き今週も2話連続投稿でいきたいと思います!!

これまた先週に引き続き、文章量がとんでもないのでのんびりとお読みください。


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48話 夢 -那覇-

読まれる方によっては、ご気分を害されるかもしれないシーンがございます。閲覧注意、というほどではありませんが、一応一言添えておきます。


「輸送船団の状況は?」

「昨日2100に鹿児島港を出港。航海は接敵もなく順調なようで泊埠頭に入港後、補給・積載を完了ししだい平良港へ輸送するそうです!」

「了解。古見岳陣地を攻略中の普連に一刻も早くいきわたるよう上層部にかけあっておく。お前は・・・・」

「・・・・連隊第3中隊は今?」

「さきほど、入港しました、既に衛生分隊と医療班が待機。那覇病院及び嘉手納病院に搬送は手配済みです。先方からも空きはあると言われています」

「重傷者については、エプロンにて待機しているC-2で本土空輸だったはずだな?」

「そうであります。既に新田原へは・・・」

「・・・・・・は直ちに第一会議室に集合せよ。繰り返す・・・・」

 

 

 

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音。重力から解放されたような浮遊感。それはこれまで生きてきた中で数え切れないほど感じてきた。だが、今回は違う。今までもよりもはっきりとした感覚。ふっと気を抜いてしまえば、これが現実と、夢ではないと思ってしまう。

 

明確な視界。はっきりではないが、形をなす意識。耳に刺さる音。地に足がついた重力感。その異常さに休んでいるはずの心が恐怖を感じる。にも関わらず、自分の意思ではどうにもできない。ただただ、鑑賞するしかないのだ。

 

 

 

 

「本当に、いいのか? あそこはその・・・・・・なにも残ってないんだぞ?」

 

手元のタブレット端末や紙の資料に目を向け、同僚と緊迫した表情で話し、常に鳴っているのでは思えるほど頻繁に吠える放送に耳を傾け、多くの隊員たちが足早にLED照明に照らされた廊下を歩いて行く。靴、床、服、紙、声によって様々な音に包まれる中、その声は聞こえた。常に人が歩いている廊下から少し入った場所。何かの部屋の入り口前に、かなり真剣に探していた人影を見つけた。

 

「やっと、見つけた・・・。もう、手焼かせて・・・・。ちょっと、はやな・・」

「いい。・・・・覚悟は、できてるから・・・・・」

 

言葉と様子からただならぬ雰囲気を感じ、2人から見た死角に逃げ込む。その場所が良かったようで、会話がはっきりと聞こえてくる。そして、分かった。何を話しているのか。あの人とあの子が何故、那覇に着いてから妙に落ち着きがなかったのか。2人とも須崎を出発したときは平然としていたが、鹿児島港に着いてから明らかに様子がおかしかった。「かげろうの出身地である徳島が空爆を受けたことに由来することか」と、なんとなく当たりを付けていたが、外れだった。

 

「いや、その・・・・・・。お前が決めたならいいが・・・・、あの辺りはまだ手つかずだ。色んなものが・・」

「申請」

「え?」

「申請は?」

「・・・・・今、ちょうど行ってきたところだ。ほら証拠。ただの紙切れだが、上とかけあうのは骨がいったんだぞ?」

「それが、あなたの、仕事・・」

 

彼に容赦なく突きつけられる現実。ここにいても、あの人の悲壮感がひしひしと感じられる。

 

「うわぁ~、部下からもドライな言葉。ったく、お前といい、みずづきといい、なんでみんな俺のことを・・・・」

「でも、ありがと。心配、してくれて」

 

遮った声。それはさきほどまでの言葉と異なり、明確な温かさが含まれている。付き合いの長い人間にしか分からないほどであるが、おそらく彼女は朗らかな笑みを浮かべているだろう。

 

「・・・・・・・でも、もう大丈夫。それに、考えて考えて、決めたこと、だから」

「・・・・・・・そうか。なら、行ってこい。後でみずづきたちにも伝えておく。気を付けてな」

 

それは彼も同じだった。心にじんわりと広がる優しい声。それを聞いただけで心が温かくなる。ずっと、聞いていたい。

 

 

 

だが、彼の声と気配はそこで断絶する。以後、非情にも彼の声が聞こえることはなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「えっと、車庫ってどこでしたっけ?」

「私も分からないや。隊長?? 司令官の話、ちゃんと聞いてました? 私忘れちゃって、あとかげろうも」

「あ、あんた・・・・、毎度毎度・・・。はぁ~、えっと。ここをまっすぐ行って陸防軍の装甲車が並んでいる駐車場を右に回ってすぐのところにある車庫。ぼーとしてると通り過ぎちゃうから、注意しなさいよ、おきなみ!!」

「へ~い。しっかし、隊長ひどくないですか? なんで私だけ、かげろうだって」

「あんたは確信犯でしょうが! しかも前科なんぼ作ってんのよ??」

 

途絶えることなく会話を紡ぎ続ける4人の少女たち。周囲はついさきほどまでいた日本海上国防軍佐世保地方隊那覇基地隊第1庁舎と同じように忙しさと緊迫から生み出される喧騒に包まれている。だが、彼女たちの声はそれにも負けていなかった。すれ違う人間が思わず振り返ってもおかしくない声量だが、すぐ横を常にといって良いほど通り抜けていく軽装甲機動車の疾走音によってうまい具合に中和されていた。結果、冷たい視線を浴びるに済む。

 

「はてさて、なんのことやら。って、隊長~~~関西弁で出ますよ~~~」

「え、あ・・・・って、話をそらさないでよ!! あんたはいつもいつも・・・って」

 

吐きかけた言葉が止まる。喧騒の隙間から聞こえてくる、別次元の音。それが段々と近づいてくる。それに呼応して林立する建物の窓も小刻みに震え始まる。気付けば、大勢の人間が表情を変えずに行き交う中、自分たちのほかに数人が立ち止まり、聞こえてくる方向の空を見上げていた。よそ者かどうか、一発で分かってしまう。

 

「おいおい、マジか! 那覇に来て2時間で拝めるなんて!!」

 

道路の向かい側から興奮しきった声が聞こえてくる。見れば、頭を丸めた高校生ぐらいの一団がいた。おそらく、徴兵され沖縄防衛か先島諸島の前線に送られる新米隊員だろう。

 

けたたましい爆音を轟かせながら、上空をそれなりの速度で通過する影。真上に到達した瞬間、影の後部から発せられるこの世のものとは思えないほど大音響に聴覚のすべてが支配される。

 

「・・・・・・・・・・・!!」

 

はやなみが何を言っているか、全く分からない。だが、それも嵐のように一瞬。世界を轟音に包み込んだ4つの影はすぐに空の彼方へと飛び去って行く。いくら大出力エンジンを有していようとかなり低空を飛行していたことも相まって機体の特徴を抑えるには十分だった。

 

双発のエンジンに、推力偏向パドル、傾斜した垂直尾翼に、低視認性に力点を置いた灰色の塗装。少し前なら米空軍のF-22と間違えられたかもしれないが、今あれを他の機体と間違える者はいない。日本人、いや、東アジア人なら誰もが知っている。

 

「す、すげぇ・・・・・、あれがF-3、か・・・・・」

 

チカチカと太陽光を反射させて輝く点に目をくぎ付けにし、一団の1人が感動に声を震わせている。

 

「いや待て、まだ、来るぞ!! あれは・・・・」

 

再び頭上を駆け抜ける轟音。進路が違うため、先ほどの戦闘機隊とは別のようだ。それを見て、別の新人隊員が首を傾げた。

 

「ん? なんか形の違うやつが・・・・・。でも、隣の編隊はF-3だったし」

「お、お前、目いいな。俺なんて輪郭すら分からなかったぞ」

「こう見えても、徴兵検査じゃ、視力トップだったんだぜ。まぁ、空爆で同学年の多くが死んじまったから、もともと数はそんなに多くなかったが・・」

「おいおい。知らないのかよ。あれは華南空軍のJ-31だ。今回の作戦は東防機(とうぼうき)加盟国との共同作戦だろ? 石垣島か西表島か・・・分っかんねぇけど、おそらくどっかの島を爆撃した帰りだろうさ」

「と、いうことは嘉手納か・・・」

「アメリカ軍が太平洋の向こうに逃げて、東防機が出来た後は多国籍部隊運用の専門拠点になってるもんな、あそこ」

「ここにいる間に韓国や北朝鮮、東露の戦闘機も拝めたら最高なんだけどよ・・・」

 

目を輝かせ、あれやこれやと会話に華を咲かせる青年たち。そこまで世代が隔絶しているわけでもないが、その姿は眩しい。

 

「なんか、不思議・・・・」

 

上空から視線を戻し、他の三人と同じく会話に華を咲かせる一団に耳を傾けていたはやなみが呟く。その瞳は眼前ではない遠い場所を映していた。

 

「つい、この間まで、いがみ合ってた国同士が、共同作戦・・・・なんて」

「そう、ね・・・・・」

 

それを聞くとこちらまではやなみの醸し出す雰囲気に飲まれてしまう。例え分裂したとはいえ、共同作戦をとっている国の同族に何をされたのか。忘れるはずがない。

 

「華南も昔は中国で私が中学の頃には戦争をしてたし、その延長線上で丙午戦争も。あの子たちもそれを知ってると思うんだけどな~~」

「でも、今じゃ東亜防衛機構(とうあぼうえいきこう)を介した同盟国ですからね。華南も、台湾も、北朝鮮も、韓国も、東露も・・・・。深海棲艦という脅威の前にはさすがに・・・・・」

「まとまらないと、か。それは分かるんだけど・・・・・私は複雑かな」

「私も、隊長と、同意見」

 

3人はみずづきの過去を知っている。同じくみずづきは3人の過去を知っている。おきなみ、はやなみ、かげろうそれぞれがそれぞれの過去を知っている。そのため、あのはやなみといえどもみずづきやはやなみの感情に突っ込んでくることはなかった。

 

はやなみの音頭で堅苦しい話から先ほどと同じく馬鹿な話に移行し喋っていると、再び車列が接近してくる。警務隊の白い1/2tトラック(73式小型トラック)に先導された陸防軍の3 1/2tトラック(73式大型トラック)群。進行方向から察するに、那覇湾に面している泊埠頭から走ってきたのだろう。

 

「う・・・・。こ、この臭いは」

 

すれ違った瞬間、全員顔を歪める。本能的な不快感を惹起する腐臭。トラックが何を運んでいるのか察するが、誰も決して正体を口走らない。例外なく正体が分かっているのだから、いちいち口にはしない。いくら見てこようともその単語を出来る限り発したくないと思うのは当然の心理である。痛々しい沈黙に覆われていると、車列の一台である3 1/2tトラックが前方で不自然に停車した。

 

「ん? どうしたんでしょうか? 故障?」

 

かげろうに限らず首をかしげていると怒号が聞こえてくる。なんだなんだと近くにいた隊員たちが一斉に集まり出した。みずづきたちもその一団に加わる。しかし・・・・。

 

「気を付けろ!! 89式小銃(はちきゅう)持ってるぞ!!」

「っ!!」

 

緊迫しか感じられない絶叫。一瞬で場が凍り付く。

 

「俺は殺される、殺される、殺されるぅぅぅぅぅ!!!! いやだぁぁ、俺は、まだ、まだ、死にたくない! 死ぬわけにはいかないんだぁぁ!!」

 

よろよろと力なく、足を引きずるようにゆっくりと、ゆっくりと歩く陸防軍隊員の男。その人間味を失った動きは、映画に出てくるゾンビを連想させる。右手に握られた89式小銃。幸いグリップを握っているだけで、銃口は下に向いていた。

 

「おい!! 西谷!! しっかりしろ! ここは、那覇だ!! もうあそこじゃない、あそこじゃないんだ!!」

 

3 1/2tトラックの荷台から別の陸防軍隊員が血相を変えて飛び出してくる。額に巻かれた包帯には黒く変色した血が滲んでいる。彼は少しよろめきながら地面に着地すると、西谷と呼んだ男に近づく。

 

「おい待て門山!! 危ないぞ!!」

「うるさい! だいたいお前がよそ見をしてて89式をぶんどられたのが原因じゃねえか!! なんのための監視要員だよ!!」

 

西谷や門山と呼ばれた男と異なり、鉄帽に重厚な防弾チョッキを身に付けた男が血相を変えて、彼を止めようと腕を掴む。だが、門山は振り払うとそのまま無防備で西谷の近くまで歩いていった。

 

「西谷、ここは那覇だ! だから、安心していいんだ! ここにあいつらはいない。殺される心配はないんだ。だから、落ち着け!!」

「いやだぁぁぁぁ、ここも化け物どもに駆逐された! 来る、くるんだぁぁぁぁぁ!! あ゛ぁぁ!!!!」

 

「おい・・・・あいつ・・」

 

尋常じゃない西谷の様子に周囲のざわめきが大きくなっていく。かげろうはまだしも、いつも威勢のいいおきなみまでが少し怯えている。はやなみはどうだったかといえば、無表情の中に悲しみを湛えていた。

 

「貴様ら、そこでなにしとるか!!!!!!」

 

そして、いつかはやってくると思っていた彼らの登場。警笛を鳴らしながら、近づいてくる完全武装の警務隊員たち。そして「構え」という掛け声を合図に、警務隊員が来ても変わらず叫んでいる西谷へ、一斉に89式小銃の無機質な銃口を向ける。

 

「待ってくれ!!」

 

警務隊員の前に立ち、西谷を庇う門山。

 

「いい加減にしろ! 西谷!! ここのままじゃ本当に、本当にやられちまうぞ!! 同じ日本人に!! お前、帰りたいんだろ!?」

 

その言葉に西谷の動きがぴたりと止まる。そして、恐ろしいほどゆっくりと、門山にそしてその先にいる警務隊員に顔向ける。包帯だらけの顔から覗く焦点が合わさっていない目。

 

思わず息を飲む。「ひっ」と警務隊員の1人が小さな悲鳴をあげた。

 

「帰りたい? ・・・・・・帰れるわけないだろ!!!! みんな、死んだぁ!! 隊長もあいつらも、みんなみんなみんなみんなみんなみんなぁ!! 奴らに頭吹き飛ばされて! 脳髄をまき散らして!! 体真っ二つにされて! 生きたまま食われて!! ・・・・・・絶叫しながら食われるやつの顔、お前も見ただろ!! あの顔は・・あの顔は・・・。10式戦車(ひとまる)16式機動戦闘車(ひとろく)も吹き飛ばされた!! あんな化け物どもに勝てるわけがない!! 俺たちは殺されるんだあああああ」

「正気にもどれ!! あれは敵の罠にはまっただけで・・・・・・」

「あああああああ。その前にやるんだ!! やられる前に!!」

 

素早く銃を警務隊に向ける西谷。とても負傷しているとは思えない動きだった。

 

「やめろ!」

 

パッ――――――ン!

 

門山の悲鳴とほぼ同時に放たれた銃声。あまりの展開の速さに当事者以外誰も追いつけず、悲鳴や呻きは一切聞こえない。だが、一拍おいて西谷の体が崩れ落ちる。額から赤とピンク、両方の色を帯びた液体が吹き出していた。

 

「に、西谷ぃぃぃぃ!!」

 

「うそ・・でしょ?」

 

呆然とおきなみが呟く。それはこちらも思っていたことであるし、おそらく周囲の軍人全員が思っていたことだろう。門山は駆け寄り状況を認識すると、警務隊員をこれでもかと睨みつける。体を震わせながら後ずさる1人の隊員。彼の持っている89式小銃からはかすかに硝煙が上がっていた。その間に屈強な男が割り込む。雰囲気から見るに、ここにいる警務隊員の中で最先任か指揮官に相当する隊員だろう。

 

「我々は業務を遂行しただけだ。睨みつけられる筋合いなどない」

「業務・・・・・・・? やっとのこさ、前線から帰ってきた兵士を殺すのがあんたらの仕事かよ!! ふっざけるな!! それでも軍人かぁぁぁ!」

「それはこちらの台詞だ。未曾有の危機から国民・国家を守る我ら日本国防軍に、戦意を喪失した人間など、いた方が迷惑だ。国のために授かった命を差し出す。貴様も誓ったはずだ。それをこいつは放棄した。精神状態など関係ない。それにこいつはこちらに銃を向けたんだ。そいつが同族殺しをせずに済んだことに感謝したらどうだ?」

「お、お前・・・・・・」

 

顔中をしわだらけにして、台詞を吐いた警務隊員を睨みつける門山。今にも飛びつきそうな雰囲気だったが、それは唐突に鳴り響いた警報音で四散する。思わず心臓が飛び跳ねるが、航空攻撃警報ではない。正体は警務隊員の無線機から聞こえてきた。

 

「第2正門で発砲! 脱柵兵2名確認。現在展開中の部隊は任務遂行に不可欠な人員を残し、直ちに追跡を開始せよ! 繰り返す追跡を開始せよ! なお、現場の判断による発砲は可」

 

最後の言葉を聞いた瞬間、警務隊員の何人かは不敵な笑みを浮かべる。

 

「つまり、射殺しろってことか。腕がなるねぇ~」

「この間は普連の連中に先こされたからな。面目を取り戻さないとよ」

「もうじき、昼飯だってのに、ったく。どいつもこいつも。どうせ、また徴兵されたやつらだろ? 使えないクズを入れたところで部隊が荒れるだけだってのに」

「上の考えは分からんな。まぁ、捨て駒にする気じゃね? 俺ら軍人の露払いにさ」

「・・・・・・・・」

「お前ら、無駄口叩いてないで、さっさと動け!! 笹山! お前に臨時小隊の指揮を一任する!」

「はっ!!」

 

そういわれ、警務隊員の大半が走り去る。残ったのはいまだ震えている若い隊員と指揮官らしき隊員だけ。その視線の先には、肉塊のそばで泣き崩れる男がいた。

 

「う・・・ううう・・・、す、すみません隊長・・・・・。俺、約束守れませんでした・・・・・。俺、こいつを東京に、家族の元に返すと約束したのに・・・・・・・。すみません、すみません。西谷、もう一度、もう一度本土の土を踏ませてられなくてすまない・・・・」

 

警報音をBGMにした懺悔。それを痛々しい表情で見つめていたのは何も、彼女たちだけではなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「はぁ。悪いもの見ちゃったな・・・」

 

自身の感情を吐露しながら、乱れた呼吸を整える。目撃者という立場の事情聴取によって時間が食いつぶされることを危惧したため、陸防軍装甲車の車庫まで全力疾走してきたのだ。

 

「みんな、大丈夫?」

 

全員が呼吸を整えた頃合いを見計らい、車庫に向けて歩きながら顔色を窺う。当然、芳しくなかった。

 

「いくら正当防衛が成り立つからって・・・あれは」

「さすがに・・・」

 

俯きつつも無理に笑いながら言うおきなみとかげろう。だがそう言ってはいるものの彼女たちも分かっているだろう。2人が心の奥底で抱いている想いをはやなみが無表情で、そしてみずづきが代弁する。

 

「でも、処分は、絶対に・・・・・下されない。断言、できる」

「そうだね。むしろ売国奴に正義の鉄槌を下した英雄って言いいかねない。特に今は敏感な時期だから、軍内も世論も。それに・・・その、私個人はとても認められないけど、世間からみるとあの警務官の言ってることも端から端まで全部が間違っているわけじゃない」

「隊長・・・・・・」

 

かげろうが心配そうな瞳でこちらを覗ってくる。

 

「このご時世だもん・・・あれぐらいじゃないと・・・」

「そこまで無理しなくても、私だって・・・分かってますよ!! でも、それじゃ、あの人が浮かばれないですよ。陸と海の違いはあれど私たちと同じ軍人なのに・・・・・」

 

頭では理解していても、心が納得いかない。歯を食いしばるおきなみの姿はまさしくそれだった。だが、彼女をそうさせていた理由はほかにもあった。

 

「しかもあの隊員たちは・・・・・」

「ええ。発言や風体から察するに、第3段後段作戦石垣島攻略戦に投入された第15師団第51普通科連隊第3中隊の隊員」

「第51普通科連隊第3中隊・・・・・・・」

 

ゆっくりと噛みしめるように部隊名を復唱するかげろう。傍から聞けばひどく深刻げな呟きだが、あの戦闘を知っている者ならば、その口調に疑問は挟まないだろう。

 

10式戦車(ひとまる)16式機動戦闘車(ひとろく)が吹き飛ばされたって言ってたことからもそう見るのが妥当ね」

「本当に、気の毒・・・。本部の、誤判断で、敵の罠に、ハマって、包囲されて、一旦は全滅したとして、救助が中止されて、生存者は・・・・・186人中9人。あの人も、その1人だった、はず」

「悲惨の一言に尽きるって聞くもんね。それもこれも第51普通科連隊本部(51普連本部)が偵察小隊の全滅でろくな敵情偵察が出来なかったにも関わらず、第3中隊を突撃させたことが原因。しかも県道211号線の地雷除去を全く行わずにやったっていうんだから、本当に本部に就いてた佐官はあの防衛大学校出身者か疑っちゃうわ。宮古島戦の教訓を全く学んでいない。こっちが圧倒的な航空戦力を有している中で、あの10式戦車が中隊単位で撃破されたのに・・・。艦娘の私でも分かるのになんでかな?」

「あはははは・・・。唯一の救いというか光はミスを犯した第51普通科連隊本部(51普連本部)の佐官たちが正当な裁きにかけられるということでしょうか」

「そうでもしないとあの人たちは報われないよ。いくら()()()()()()とはいえ、さ」

 

おきなみが儚げに曇り空を見上げた時を同じくして、目的地であった海防軍の車庫に到着した。

 

はやなみが「やっと、ついた~」とやけに大きく息を吐く。それを見るとついこちらも背伸びをして達成感に浸りたくなる。いつもならここまでの安堵はないだろうが、今日は色々なことがあったため特別だ。しかし・・・。

 

「ちょっと、ここがゴールじゃないから!! スタートだから!! はいはいっ!! 乗って乗って!!」

 

大きく手を叩き3人を、特に先ほどまでの悲壮感は何処にやったのか大きく背筋を伸ばしているおきなみを急かし、流線型の自動車に乗せる。みずづきは運転席だ。

 

シートベルトを閉めつつ、ハンドルの形、アクセル・ブレーキの微妙な位置、サイドミラー・ルームミラーを確認。ルームミラーは完全にずれていた。

 

「みんな、準備完了?」

 

ルームミラーを調整しながら聞くと、全員から「完了」の返事。だが、1名の声色が若干変化していることを見逃したりはしなかった。

 

「・・・・・・はやなみ?」

「何?」

 

こちらが問いかけることを予測していたのであろうか。即座に反応が返ってくる。ただ答えにはなっておらず、再び問い返す雰囲気でもなかったため、彼女の瞳から真の想いを悟ろうとした。しかし、彼女もまたこちらと同様の態度。その間、あのおきなみも一切騒がず話さずの沈黙が流れる。

 

「・・・・はぁ。はやなみ? 昔、ここからだとあんたの家までどれほどかかった?」

 

エンジンをかける。さすが、かつて世界一と謳われた自動車メーカーが作っただけはある。軍用に卸された燃料電池車も非常に静かで、考え事をしているとエンジンをかけていることすら忘れてしまいそう。結局、折れたのはみずづきだった。

 

「空港から、混んでても、30分くらいだった。けど・・・・・」

「まぁ、あてにならないか。道案内よろしくね。あと、カーナビの管制も。・・・・・・一応ね」

「・・・・・うん」

 

眉毛を下げながら俯くはやなみ。ひざの上には基地の売店で購入した鮮やかな花束が乗せられている。

 

「んじゃ、行きま~す」

 

わざと明るい声を出しつつ、アクセルを踏む。モーターの駆動音と共に動き出す車。それに合わせて動くカーナビ上の点。カーナビ上の世界ははあの頃のまま。だが、これから向かうところは、あの頃とは全く別の世界。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

どこまでも、終わりがないと錯覚してしまうかのように続く廃墟。いや、がれきの山。一部を除き、雑木林の如く立っていた無数の建物は原型をとどめておらず、無残にも崩れ去り破片と化している。焼夷弾によって焼け野原となった木造家屋が多い本土の都市と異なり、一般住宅も含めて鉄筋コンクリートづくりを主とする沖縄の街は、また違った様相を呈していた。そして、その上に生い茂っている青々とした植物が、異様さに拍車をかけていた。その光景に、運転者を含めた全員が釘付けとなる。人の気配は全くない。あるのはかつての活気の残滓のみ。

 

道路は幹線道路・生活道路関係なく、建物の残骸と錆び付いた車、倒れた電柱、そして腰ほどはある草に覆われ、どこかの部隊が空けたであろう車がようやくすれ違えるほどの道幅しか通れるところはない。路面の状態も最悪で、非常に揺れる。無駄に口を開けば下を噛みそうになるほど。

 

「隊長、ストップ」

「おっと。ありがとう、はやなみ。電柱に気付かなかった。・・・・・あああ。ここも行き止まりか・・・・。戻って、県道行くしかないね。そっちからでも行ける?」

「行ける。でも、こんな状態じゃ・・・・・」

 

窓の外。その残酷な光景を前にいくら表情が乏しいはやなみとはいえ、悲しみに覆われていることはすぐに分かる。

 

「とりあえず、行ってみよ」

 

バックして、Uターン。

 

「隊長~。随分と慣れてますけど、いつ免許とったんですか? 隊長は生戦が始まったとき、高3でしょ? とる余裕なかったんじゃないですか?」

「それ、私も気になってました」

 

後部座席から上がる声。ミラー越しに見ると、こちらに話しかけつつ、2人の視線は自身でなくはやなみに向いていた。

 

「あれ? 言ってなかったっけ? 私、あんたたちより早く須崎に配属されたでしょ? あの時は艦娘、私1人で、例の件で協力要請も皆無だったから暇でね。その時、ふと知山司令に免許のこと言ったら、自衛隊お抱えの教習所に行けることになって・・・。資格支援制度ってやつ?を使ってね」

「へぇ~、そうだったんですか。あれって、普通免許もいけるんですね」

「いや、本当は無理というか、できないんだけど。どうも、知山司令がかなりお願いしてくれたらしくてね。直接は聞いてないけど、あの時の教習官の反応を見るに・・・。あの時はえ? とるの、って思ったけど、とっといてよかったと今は思ってる。軍隊ぐらいしか車乗れないけどね」

「その熱意? やさしさ? に惚れたっと。意外と隊長ってちょろいですね」

「なっ!?」

 

車体が揺れる。驚いて小さな悲鳴をあげたかげろうに謝りつつ、おきなみを睨みつける。

 

「ちょっと、あんた、何根も葉もないことを!」

「ん? 違うんですか? 顔真っ赤ですけど?」

「違います! だ、誰が、あんな・・・・あんな・・・」

「ふ~ん・・・・・。じゃあ、パシリ用ですかね。司令、東京に呼ばれても呉とかと違って、自分で来いって言われてましたもんね」

「う゛・・・・・。それは、あるかも」

「あはは・・・・。でも、隊長よく取れましたね。こんなご時世だし、それに・・・」

 

かげろうの声のトーンが下がる。

 

「別になんにもなかったよ。・・・・まあ、生徒からは臆病者とか非国民とか陰口叩かれたけどね。でも、教習官は全然。あっけらかんとしてたよ」

「そうですか。良かった・・・」

「でも、噂とか88日って言ってるけど、あれ完全にでまかせですよね。わたしが上官殴ってから3年近く経つのにまだ言われますから」

「第53防衛隊って、知られただけであれですからね。まさか、那覇に来ても、とは」

「全国の部隊が集結してるからしょうがないよ。私なんか同期の子に会わないかひやひやしてたし」

「それは私も!」

「あんたは会って少しは昔のしおらしさを戻しなさい!」

「隊長、ひっど~~~い」

 

そんな会話をしつつ、車を走らせ続ける。景色は完全な住宅街に移行していた。しかし、中心部と何も変わらない。窓を開けても聞こえるのは上空を通過する戦闘機やヘリコプターの轟音のみ。

 

「隊長、行き過ぎ」

「分かってる。でも、どこも通れないんだもん。えっと、ここからどうしたらいいの? 左折しようにも、どこも通れないし」

「82号線の、行けるところまで、行って、歩くしかない」

「ええっ!? 82号線ってあの・・・」

「っ!? 止まって!!」

 

おきなみの声を遮るはやなみ。みずづきは言われた通りブレーキを踏む。

 

「ちょっと、なんなの? はやなみ・・・・・はやなみ?」

 

彼女は、ただ、左側にある建物を見つめていた。手前半分が完全に吹き飛び、残りの部分は焼け焦げている校舎。草が生えているグランドだった場所には、空いた穴に水がたまり大きな池ができていた。

 

「ここって・・・・」

「私の、学校。そして、あの日、避難してた場所・・・・・」

 

その言葉を受け、もう一度動植物の居場所となった校舎を見る。確かに、草に紛れてオブリート色の車両が何台か確認できる。

 

おきなみがそっと声をかけた。

 

「降りる? この近くなんでしょ? その・・・・墜ちた場所は・・・」

 

だが、はやなみは首を横に振った。

 

「いい、先いこ」

「・・・・・・・・・」

「たぶん、ここじゃなくて魂はうちに帰っていると思うから」

「了解」

 

ギアをパーキングからドライブに替え、アクセルを踏む。それでも気になるようではやなみは校舎が別の廃墟で見えなくなるまで、眺めていた。それから、すぐだった。82号線にでたのは。

 

「・・・・・・・・」

 

眼前。それに全員言葉を失う。手近なところに駐車し、下車。

 

「ここが、あの・・・・」

 

アスファルトの隙間から延びている草を避けながら発せられたかげろうの呟き。それにはやなみが答えた。

 

「そう。ここが、陸自の墓場」

「ハニの地獄、那覇第一防衛線とも言うけどね。しかし、これはまた・・・・」

 

10式戦車、90式戦車、74式戦車、16式機動戦闘車、96式装輪装甲車、軽装甲機動車、87式偵察警戒車、中距離多目的誘導弾。砲塔が吹き飛び、焼け焦げ、横転し、横っ腹に穴が開き、原型すらとどめていないそれらが、片側2車線の道路に、それこそ埋め尽くさんばかりに息絶えている。見える範囲、全てにだ。中には他車に乗り上げて、蔓の住処になっている戦車もいる。射線を確保しようとしたのだろうか。

 

「たくさんの人がここで・・・・・・はやなみさん?」

 

かろうじて貫かれつつも原型を保っている10式戦車。それにはやなみが手を当てている。

 

「ここで、この人たちが、命を捨てて、戦ってくれなかったら・・・・私、今ここにいない」

 

手が寂れた戦車を優しくなでる。

 

「もっと多くの人が死んでた。・・・・・・ちょっと、車」

「え?」

「ここでなにもせずに帰ったら、軍人・日本人以前に人間失格」

 

そう言って、戻ってきたはやなみ。彼女の手にはここの凄惨さを少し和らげてくれるような1房の花束が握られていた。自身が取ってきた空き瓶に、クレーターに溜まった水と花束を入れ、戦車の前に備える。

 

そして、黙祷。敬礼はしなかった。今、彼女たちは軍人としてではなく、散っていった防人たちに守ってもらった者として、ここに立っている。

 

「ありがとうございました」

 

たどたどしくない、しっかりとした言葉。風によって草が揺れる音が一瞬、強くなったような気がした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「えっと・・・・・」

 

激動で埋め尽くされる前の、わずかな記憶を頼りに、昔道路だったであろう場所を進むはやなみについていく。だが終始、彼女の表情は曇ったまま。今、いる場所が彼女の知っている場所ではないことは自明の理だ。倒れた電柱に信号機、何者かに押しつぶされた自動車、跡形もなく消し飛ぶか焼け焦げていたり、外壁が倒壊し中が吹き抜けになっている数多の建物。ところどころに散見される陸自の車両、そして、かつて人間であったものたち。おきなみも1体や2体なら腰を抜かすこともなかったのだろうが、道路の上、溝、車内、屋内、がれきの下、至る所に散見される状況はさすがに許容範囲外だったようだ。しかも、ヘルメットを被り、防弾チョッキを着て、錆び付いた89式を握りしめている亡骸や家族で無理心中を図ったとしか思えない遺体もあるのだ。とても、かつてここではやなみが、大勢の人々が暮らしていたとは信じられない。違う世界ではないかと思えるほど、荒廃した景色が一面に広がっていた。

 

「あ・・・・。あのマンション・・・。あれって!!」

「ちょっと、はやなみ!?」

 

オレンジ色の塗装が剥がれ落ち、遺体を連想させる青白い色に変貌していたマンションを指さし、はやなみが走り出す。追いかけながら理由を聞くと、あのマンションの隣に家があったらしいのだ。がれきを越え、茶色い人骨を避け、はやなみの背中を追っていく。パトカーが突っ込んでいる家の角を曲がると、肩で息をしている彼女が立っていた。だが、肺とは真逆で、顔は無表情。いや、悲しそうだった。必死に涙をこらえている。

 

視線の先。

 

ヘリコプターが墜落したのだろう。ひどく損傷したローターや機体の一部を内包した、丸焦げとなりわずかに輪郭が残っている建物。おそらくはコンクリートづくりなのだろうが、それも一見しただけでは分からないほど損傷している。

 

「・・・・。ここが?」

 

主語がない問い。それにはやなみはいつもより単語の間隔をあけ、深みのある声でゆっくりと答えた。

 

「うん。・・・・・・・ここが、私が・・・・かつて、住んでいた家。・・・・・・・あの日まで」

「・・・・・・・・そう」

 

一筋の涙。それを拭くとはやなみは手に持っていた花束をそっと、建物の前に置く。そこから次の行動に移れない彼女に声をかけた。

 

「はやなみ?」

 

一瞬震える肩。しかし、しばらくしてそこから力が抜けていく。こちらへ向けられる顔。そこには「大丈夫」というように無理な笑顔が浮かんでいた。そして、はやなみは静かに手を合わせる。そして、みずづきたちも・・・・・・・・・。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「あれ? ここは・・・・・・」

 

廃墟ではなく、使用されている雰囲気が立ち込める清潔な廊下。照明はきちんと自分の役割を果たし、光を届けている。窓から見える新緑に満ちた山々。

 

何度となく、いや、いつも見ていた光景が視界で捉えられる範囲全体に広がっていた。

 

「す、須崎? なんで、私さっきまで那覇までいたはず・・。って、え?」

 

自然に吐いた言葉。自分の行為にも関わらず、激しい違和感を覚える。

 

“本当に、そう?”

 

聞いたこともない声が聞こえる。それが纏っている雰囲気は恐ろしく不気味だ。刻一刻と増大してく違和感。

 

それに動揺して気付いた。今は昼間。夜中以外、人が必ず行き交っている廊下はおろかどこからも全く人の気配が感じられないことに。

 

「みんな、どこ? かげろう、おきなみ、はやなみ?」

 

さきほどまで隣にいた大切な仲間たちの名前を呼ぶ。だが、返事はない。

 

「知山司令官? どこですか・・・・。ま、また、私にいたずらって魂胆ですか・・・・。降参です、降参。参りましたから、早く出てきてくださいよ・・・・・。ねぇ・・・?」

 

震える声で、ここに来てからずっと共にいた大切な人の名前を呼ぶ。だが、これも返事はない。

 

“返事なんてあるわけないじゃない。だって、みんなはもう・・・”

 

どこからともなく聞こえる声が言い終わる前に、走りだす。目的地などない。ただ、聞きたくなかった。ぼんやりとした違和感が、明確な孤独感とそこから派生した恐怖心に移行することを避けたかった。

 

感じるもの、聞こえるもの、見えるもの。全てを否定したくて、ただ走った、ひたすら走った。人が見つかれば、それらが偽りだと糾弾できる。そう思ったが、どこに行っても人は皆無。それどころか、生き物すらいない。肺の悲鳴を無視して走る。

 

司令官室、宿舎、浴場、艤装室、桟橋、岸壁、駐車場、正門、裏門。人が必ずいる場所。だが、誰もいない。いないのだ。

 

 

 

いきなり、視界が歪む。ふらつく足元。胸で暴れる不快感。世界が形を取り戻すと、さきほどまでいた「須崎」とは異なる景色が周囲に広がっていた。

 

 

 

ただ漠然と人生を歩んでいれば分からないはずのもの。だが、みずづきは知っていた。当然である。なぜならば彼女は・・・・

 

 

ここに来てしまったのだから。

 

 

心にぽっかりと穴が開いたような感覚。先ほどまでの孤独感と恐怖感がなくなり、喪失感に持っていかれるかと思ったが、そう上手くは運ばなかった。

 

 

別の孤独感と恐怖心。前のものよりも鋭さは段違いだ。

 

 

須崎に人がいない。当然である。みずづきが今、いる場所は瑞穂。それはただの幻覚だ。

知山たちがいない。当然である。みんなもう、この世にいないのだから。

 

では、何故だろう。

横須賀に、人がいないのは。

 

所々に経つ荘厳な赤レンガ造りの建物。港に泊まる古めかしい船たち。

 

みずづきは再び、走った。上がる息、鼓動する心臓、巡る血の感覚。そんなものどうでも良かった。追手から逃げるように、なんのために走っているのかさえ忘れそうになるほど、ただただ走り続けた。

 

しかし、いくら走っても、誰もいない。1000人を優に超える将兵たちの勤務地にも関わらず、誰もいない。世界に自分、1人だけ。地上にいるにも関わらず、水中にいるような圧迫感。とっさに、今の仲間たちの名前を叫んだ。

 

「いや・・・・いやだ! 川内さん! 陽炎! 黒潮、白雪、初雪、深雪! どこ、どこにいるの!? ねぇ? ねぇってば!!!」

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

「ぶはっ!! はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・ゴホッ! こ、はぁ、はぁ・・・ここは?」

 

目の前の、比較的近い位置にある天井。それは幻覚でもまやかしでもない。確かにそこに存在している。ドサドサと何かが暴れる音。その正体は使用者によって乱暴に押し上げられた熱と湿気を保持する布団だった。自身の吐息。汗だくの体と寝間着。それは細部に至るまで感じられる。明確に、そして明瞭に。

 

「夢、だったの?」

 

現実を認識した瞬間、どっと鉛のような疲れが押し寄せ、安堵の吐息が出る。疲れを癒すための睡眠が、逆に疲労を蓄積させるなど本末転倒もいいところだ。無性に、こんな夢を見せた自身の深層心理に頭が来る。

 

「なんて、悪趣味な・・・・・」

 

そう呟きつつ、体を起こす。

 

広がる視界。

 

「ん?」

 

そこで異変に気付いた。瞬間、安堵は四散し夢の中の恐怖感が容赦なく再浮上。ここは第3水雷戦隊に割り当てられた部屋。意識が閉じる前、川内たちは確かにいた。そして、今もいるはずなのだ。

 

ならば、何故、こんなにも気配を感じないのだろうか。

 

おそるおそる隣を見る。白雪が眠っているはずのベッド。しかし、そこには誰も居なかった。幻覚でもなんでもない。一気に血の気が引いていく。下半身にかかっている布団を蹴飛ばし、落ちるかもしれないほどのスピードで下を見る。

 

主を失った布団たち。視線の先には、それしかなかった。

 

真っ白になる頭。夢と現実の境界が曖昧になっていく。

 

「いや・・・・」

 

たが、頭は静止しても心は動き続ける。そして、心の動向に頭が左右されていく。甦るあの日。あの海で、何を失ったのだろうか。

 

「いや・・・・」

 

その結果、どうなったのだろうか。

 

簡単な答えと現状が、無理やり接続された。

 

「もう・・・・1人は、いやぁ!!」

 

その瞬間、夢の中と同じように駆け出す。否定の意味を込めて、孤独ではないことを確かめるために。勢いよく開かれる扉。運の悪いことに廊下には誰もいなかった。

 

「!?!?」

 

夢と眼前の光景が完全に重なる。ここは現実で自分は1人ではない、という思考の余裕さえ、今のみずづきには存在してなかった。ただ、あったのは孤独を忌避する心のみ。




よくよく考えれば、まるまる1話を使用して2033年の日本を描写した話は1・2・3話以降のような・・・・・・。(今まで日本は日本でも、過去でした)

ちなみに、文中「第15師団」が出てきますが、これは誤字ではありません。現在沖縄に配備されている陸上自衛隊第15旅団は深海棲艦の脅威から沖縄を守るため、陸上国防軍第15師団に改編されています。資料集に書きたかったのですが時間がなかったので、ここで説明させていただきます。

上記以外でもいくつかの見慣れない単語が存在したように思いますが、おいおい資料集に加筆していきたいと考えています。今は・・・・・勘弁してください!


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49話 船団護衛 その3 ~夜空の下~

本作も気付けば、49話。

本話から少しずつ物語が加速していきます。


「お? みずづきやん、おはようさん。・・・・? 今、昼やから、こんにちは、やね。こんにちは、みずづき・・・って」

 

いつもの人懐っこい笑顔から一気に急降下。こちらを覗った瞬間に唖然とする黒潮。まさにほかほかの白ご飯をすくおうとしていた箸は、時間が止まったかのようにぴたりと止まっている。それは彼女だけではない。川内たちも同様で、あの反応及び表情に乏しい初雪ですら口を開けたままだ。

 

「ど、どうしたの? みずづきちゃん」

 

背後に負のオーラを漂わせ、げんなりと落ち込んでいるみずづき。はたから見てただ事でないのは、一目瞭然だ。そんな姿は、さすがに目立つ。ここは由良基地の食堂。そして、今はお昼時である。横須賀鎮守府よりもかなりこじんまりとしたところだが、それがかえってみずづきの存在感を高めていた。いくら遠くてもみずづきのオーラを誰もがひしひしと感じてしまうため、遠近を問わずみずづきの様子に将兵たちが気付いてしまう。結果、みずづきは会話の肴にされてしまっていた。

 

それに本人が気付いていないわけがない。視線も会話もばっちり、この耳に聞こえてくる。だが、何かしらの反応を示す余裕は皆無だった。無意識に出るのは、重たく長い、何か大切なものまで排出していそうなため息ばかり。状況が分からない川内たちはただ首をかしげるしかない。

 

みずづきが落ち込んでいる理由。それは、半狂乱で廊下に出た直後に起こった出来事が原因だった。夢と現実が交差し、世界で1人になってしまったかのような錯覚に陥った。それを否定する為、人を探そうしたまでは良かったが、いざ人に会ったら会ったで大変なことになった。人を見つけたため、安堵に胸を撫で下ろしたのに対し、見つけられた側の若い士官はみずづきの行動を不審に思うよりも先に、真っ赤な顔になり視線を明後日の方向にマッハで逸らしたのだ。

 

その反応。凄まじい嫌な予感を抱えつつ、視線を自身の体へ下げた瞬間、意識が飛びそうになった。夢ならば、どんな服装か気にする必要はない。見ているのは自分だけなのだから。だが、現実は当然違う。ここでも寝間着は横須賀と同じような作務衣で、みずづきもそれを着ていた。作務衣は和服の構造を受け継いでいるため、あまりにも動き回ると止め紐が緩み、はだけてしまうのだ。

 

簡潔に言えば胸元が丸見えの状態になっていたのである。そんな状態で前方から若い女の子が疾走して来たら、誰でも驚愕するだろう。「寝ぼけてました」の一点張りでその場は丸く収まり当事者間だけの秘密ということになったものの、もし相手が憲兵隊なら拘束されることはないだろうが、事情聴取は確定である。それで「怖い夢を見たから、飛び出してきました」などと言えるほど、こちらの神経は図太くない。相手様にもいい迷惑だ。

 

これでみずづきはこれでもかいうくらいはっきりと「ここは現実で、あれは夢。自分は1人じゃない」と認識できたのだから、何とも言えない。

 

(まさか、はだけてたなんて・・・・。まぁ、自業自得だけどね)

 

「はぁ~」

 

もう一度、大きなため息。「これは重傷だ」とからかう選択肢を捨てた黒潮は優しいまなざしで、隣の椅子を叩く。心の中で黒潮の気遣いに感謝しつつ、示された椅子に座る。足の力が抜け、もう一度ため息を吐こうとするが、黒潮たちの前に置かれている料理がそれを抑止する。

 

落ち込んだ様子から一転、一気に目を輝かせるみずづき。あまりの変わりように、全員が再び唖然だ。

 

「ほんと、みずづきって食いしん坊だよね~。そのまなざしをおばちゃんたちに見せたら、さぞかし喜ぶと思うよ」

「し、失礼な! 別に私は、これがきっかけで機嫌が直ったわけじゃ」

 

どの口が言うかね。

 

全員一致の視線。言葉で伝えられなくても視線だけで十分だ。みずづき自身も最近料理に弱くなっているのを自覚しているため、火に油を注ぐような反論はしない。こうなった背景には事情があるのだが、それは言えないことだ。5人の視線から逃げているとあることに気が付いた。

 

「あれ? 陽炎は?」

「ちょっと、みずづき~~、そりゃねえぜ。話題をそらそうなんて」

「いやいや。それはそれ、これはこれ。一応、みんなの言いたいことは分かってるつもりだから。それより、陽炎はどこ行ってるの? トイレ? っていうか、なんで、みんな先に起きてごはん食べてる訳?」

「ちゃんと起こしたよ。目覚ましもそれはそれは、軽快に鳴ってたし」

 

そういいながら、川内は壁にかけられている時計を示す。あの騒動を勘定に入れても、みんなで話し合った時間より、明らかに遅い時間に起きていることが分かる。

 

「だから、陽炎と一緒に置いてきたっちゅうわけや。あの子も、全然起きれへんかったから」

「え・・・・」

 

黒潮の言葉に思考が緊急停止する。みずづきは確かに確認した。部屋に誰もいなかったことを。だから、廊下を疾走して名前も知らない士官に恥ずかしい姿を見られた訳だが、一度立ち止まって固まった頭でなんとか考えてみる。思い出される記憶。寝起きで混乱していたこともあって、ついさっきのことにも関わらず霞がかかっているが、思い出せば思い出すほど、顔が青くなってくる。

 

陽炎の布団。陽炎が丸まれば収まるほどのふくらみがあったような気がしてきたのだ。

 

(やばい、見られたかも・・・・・・)

 

もし見られていたら、マズイことだ。あの時、自分自身の姿など気にする余裕は皆無だったが、今から考えれば、相当ひどい姿であったことは容易に想像できる。

 

「・・・・みずづき、どないしたん? 急に顔を怖して」

「え? いやいや、なんでもない」

 

危機感が顔に出ていたようで、必死に取り繕う。黒潮はそれを聞くと納得したようで、特に気にすることもなくみそ汁をすする。みずづきが密かに動揺する中、ツインテールで特徴的な髪の色をした少女が歩いてきた。

 

「お、噂をすれば、陽炎!! こっち、こっち!」

 

わずかに肩を揺らし、おそるおそる陽炎に視線を合わせる。「あ、いたいた」とあくびをしながら近づいてくる陽炎。涙は浮かんでおらず空あくびのようで、至っていつも通りだ。

 

「みんな、ひどい。先に行くなんて。ちゃんと起こしてっていったじゃない!」

「いやいや、起こしたって。でも、あんたらっとも起きんのやもん」

「みんな、疲れてるからそっとしておいてあげようってことになったの。陽炎ちゃん、見るからに気持ちよさそうだったし・・・」

「そうそう。みずづきと、同様に」

 

急に自身の名前を呼ばれ、思考の海から意識が回復する。見れば、初雪の言葉に呼応して深雪が笑っていた。

 

「てかさ。陽炎の反応、みずづきと全く一緒だったよな。面白すぎる」

「え? ほんとに、みずづきも放置されてたの? ということは私の方が先に起きた訳ね。私が起きた時、あんた寝てたし」

 

みずづきと深雪たちを交互に見つめ、うんうんと頷く。その様子も、至っていつも通りだ。

 

(・・・・・・・やっぱりいなかったパターンかな)

 

そう思えるほどに、陽炎には変化がなかった。首をひねっていると陽炎がまじましと見つめてくる。そこで、自身が不自然なまでに陽炎を凝視していたことに気付いた。

 

「どうしたの? 私の顔になにか・・・・・」

「いやいや、考え事してて、つい。ごめんね」

「ふ~ん、寝癖とかそんなんじゃないんだ。一安心」

 

陽炎の言葉どおり、一安心だ。

 

「さ、2人とも、ご飯取って来たら? 私たち先に食べおわっちゃうよ?」

 

思いもしなかった言葉に、驚きながら一同の食器たちを見回す。川内の言い通り、全員の食器はほぼ空となり、深雪などは満足げにお腹をさすっている。食事は終盤に差し掛かっていた。

 

「分かりました、それじゃあ、陽炎いこ」

「了解」

 

おいてけぼりになる焦燥感とお腹のデモによる空腹感から少し慌て気味に席を立ち、陽炎の前を歩く。だが、それら2つの感情が浮かんでも、先ほど抱いた危機感が覆われることはなかった。しかし、陽炎の反応を鑑みるに少し心の余裕が生まれたことも事実だった。自分と陽炎の位置関係を利用し、小さく安堵のため息。

 

 

 

 

 

 

 

だが、みずづきは気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

もし、この時振り返っていたならば安堵のため息など絶対につけなかっただろう。背中に向けられていた、鋭い視線。そこには普段の彼女から想像もできない、マグマのように煮えたぎる激情が込められていた。

 

 

それに内包されているの、怒りか、悲しみか。正体は本人にしか分からない。

 

 

しかし、その時、視線には気付かなくとも視線の根源となる真実を知ることになったのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。明日早朝の出発を考慮して、全員比較的早い時間に布団に入った。・・・・・・・・のだが、寝息を立てている川内たちと異なり、みずづきはどれだけ眠ろうとしても、眠れなかった。昼まで寝ていたことも要因の1つだろう。だが、それが主因ではないこともしっかりと自覚していた。

 

瞼を閉じると、浮かんでくる光景。行き先が沖縄の、しかも那覇と聞いてから時々浮かんでいたのだが、あの夢を見たせいか、この世の絶望を体現したかのような際限のない廃墟とその中に沈む骸骨たちがやけに鮮明さを伴って脳裏によぎるのだ。そして、同時にあの無人の基地とほんの少し巡り合わせが違っていれば今も隣にいたはずの、大切な仲間の、・・・・あの人の姿が。

 

 

こんなじゃ、眠れない。

 

 

そう結論の下すのに長い時間はかからなかった。そしてみずづきは、今まで幾度となく繰り返してきた行動に出た。相違点といえば、ここが横須賀ではないことと、同じ部屋に仲間がいること。2つだけだが、難易度は段違い。ベットから抜け出し、高まる心拍数を無理やり押さえつけながら抜き足、差し足。その途中、黒潮が寝言を言いながら寝返りを打った時は心臓が飛び出そうになったが、それはあくまで無意識下の生理的行動。彼女の意識は全く介在していなかった。それにほっと胸を撫で下ろし、ゆっくりと木のきしむ音を押さえながら扉を開けた。

 

「すぅ~~~~、はぁぁ~~~~」

 

外に出てまず一番は、大きな深呼吸。梅雨も最盛期を迎えそろそろ夏の到来を覗う季節なのだが、時間帯の影響だろうか。新鮮で清涼な空気が肺と体に潤いを与えてくれる。空は昼間同様、あいにくの空模様で街灯がなければ真っ暗闇。だが耳を澄ませば聞こえてくる波の音が垣間見える恐怖を打ち消してくれた。

 

みずづきが寝ていた外来用宿舎は港のすぐ近くにあったため、海へは短時間で行けた。海防挺の一団を視界の端に入れながら見る海は墨汁かと思うほど真っ黒。そこを同じ由良湾の港でも、別の場所にある漁港から出港し、そして漁港へ帰港する漁船がわずかばかりの明かりを灯しながら行き交っていく。

 

闇に浮かぶ数々の光点。規模もレベルも雲の上で輝いてる本物とは全く違うが、その光景は星空に似ていると言えなくもなかった。

 

自身が独り占めする、世界のささやかな一場面。しかし、その儚い感傷はただの思い上がりであった。

 

 

 

 

 

 

 

「みずづき?」

 

 

 

 

 

 

 

なんの前触れもなく言葉通り突然、背中にかけられる声。それは随分と聞きなれたものだった。

 

「っ!?」

「一人で泥棒みたいに出ていったと思ったら・・・・・・。あんた、こんなところで何してんのよ?」

 

驚いて振り返ると、何かに安堵しているような、そして何かに戸惑っているかのような複雑な表情の・・・・・・・・・・・陽炎が立っていた。髪はいつものツインテールではなく、ストレートに流している。それはそれで似合っており、また一見しただけだと全くの別人に見えるものの、声と2人の間で役割を果たしている街灯によって陽炎だと気付くことができた。

 

「か、陽炎・・・・。はぁぁ~~。もうっ!! 脅かさないでよぉ! わりと本気でびっくりしたんだから」

「それは、こっちの台詞。夜中に人目を忍んで出ていくなんて、何事よ。トイレかとも思ったけど、なんだか雰囲気があの時と若干似てたし・・・」

「ん? あの時?」

 

心当たりがないため聞き返すが、「こっちの話」と完全に煙にまかれる。

 

「それで、どうしてこんな時間に外へ? 明日も早いのよ。見るからに気分転換~~とか単純な理由じゃなさそうなんだけど」

 

闇夜に木霊する静かで冷たい声。違和感を覚えたのも束の間。もともと髪を下ろしていたせいかいつもと違う雰囲気だったが、その言葉を境に彼女の纏う空気は一変した。

 

目の前にいるのは、陽炎だ。陽炎型駆逐艦のネームシップであり、横須賀鎮守府第3水雷戦隊所属。明るく、活発な性格のおかげか姉妹である黒潮をはじめとして、交友関係は駆逐艦を中心に広い。よくからかわれたりして怒ることがあるものの、それは相手や周囲を信頼した上での怒りであり、殴り合いの喧嘩に発展するような本気の類ではない。17隻もの大所帯である陽炎型の長女であるためか面倒見はよく、悪くいえばお節介かき。みずづきから見た陽炎の印象はこうだった。しかし、今はどうだろうか。その姿はこれまで見たどの彼女とも違っていた。

 

言葉でやりとりせずとも、それはナイフのような鋭利さを伴ってこちらまで伝わってくる。そうなった理由が頭をよぎった。

(まだ・・・・まだ、そう決まったわけじゃない)

冷静で、多角的・客観的に状況を推理したもう1人の自分が必死に訴えかけてくる。

 

「いやいや、単純な理由。さすがにあれだけ寝ると寝付けなくてね。こういうときは無理に寝ようとする方が悪いっていうし。陽炎も私より寝てたんだから、同じような口でしょ?」

 

笑顔を浮かべつつ、宿舎から歩いてきた道を戻り始める。みずづきの問いかけに、陽炎は答えない。顔を下に向けたため、彼女の表情は分からない。

 

「さ、私が言う事じゃないけど、もう遅いし、戻ろ。明日にもろ響くしね。私が原因で目が覚めちゃったのなら、ごめん」

 

陽炎の肩を優しく叩き、先導の意味も込めて、先に足を進めようとする。

 

「ごめんって・・・・・・」

 

だが、その足は次にかけられた言葉で完全に固定された。陽炎は、纏った雰囲気に似合わない、やけに明るい声で言った。

 

「ねぇ、みずづき? ここで1つ質問。私とあんたってなに?」

「何って・・・」

「私たちって、どんな関係?」

「どんな? そりゃ、友達であり、仲間・・・・でしょ?」

 

今さら確認するまでもない。みずづきにとって、陽炎はかけがえのない友だちだ。あの歓迎会の際、陽炎から言ってくれたではないか。そんなことを今確認してくる彼女の真意も、心の内も全く分からなかった。ただ、さきほど直感で察したやばい状況に陥りつつあることは感じられた。

 

「だったら、なんで・・・・」

 

一転して、悔しそうな声色。拳が強く握られる。異常を明確に感じ取り、とっさに「ちょっと、陽炎?」と言いかけるが猛スピードでこちらへ振り向いた彼女の顔を見た瞬間、水蒸気のように消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だったら・・・!! なんで・・・・・・嘘、つくの?」

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

悲しさと怒りが同居した表情。雷に打たれてしまったかのような、言葉にできない衝撃が全身を駆け巡る。頭の中で、警報音が鳴り響く。

 

「嘘? ちょっと待って、一体なんの・・・」

「もう、1人はいやだ」

「っ!?」

 

みずづきがあの時、足を半分ほど夢の中に突っ込んだ状態で口にした叫び。それと全く同じ言葉を、陽炎が言う。喉が驚きのあまり固まり、言葉が出ない。

 

聞かれていた。混濁する意識の中、それだけが頭に漂う。

 

「あんた、最近様子が時々おかしくなるときがあったわよね? 必死に誤魔化してたみたいだけど、気付いてないとでも思ってたの?」

 

呆れたような響き。疑問形になっているが、これは問いではなく確認だ。寒くもないのに、体が思わず震えてしまう。

 

 

夢を・・・・・歩んできた。

 

回想したくない人生の過去を振り返った後や現実と過去が重なった時、みずづきは指摘されたりしないよう極力、平静を装ってきた。きちんと隠せているのか不安になることもあったが周囲から特段の反応はなかったため、上手くやれていると思っていたのだ。

 

今、この時までは。しかし、それはただの幻想だと叩きつけられた。

 

「昨日も今日の昼間も、そう。そして、今も・・・。なのに、ただ寝付けなかったなんて、馬鹿にするのもいい加減にしてほしいわ。あんたを私は友達だと思ってる。そして、あんたもそう言ってくれた。なのに・・・・・なんで誤魔化そうと、嘘をつこうとするの!」

 

波の音しか聞こえない世界に、怒りを含んだ叫び声。それが心に容赦なく突き刺さる。

 

それでも、言えるわけがない。言えるわけがないのだ。それに触れれば、必然的にみずづきがそうなった原因を語らなければならなくなる。あの・・・・・・・・・・・「真実」を。

 

「・・・・・私たち、友達でしょ? 仲間でしょ? あんたにとって、あなたの世界の日本人にとって、友達ってのはその程度のものなの!?」

「っ・・・・・・」

「気に障った? それもあんたの・・」

「んなわけないじゃない」

 

陽炎の言葉を無理やり遮る。陽炎に乗せられたことは分かっていたが、無視することはできなかった。無視するということは、認めるということなのだ。2033年に生きる日本人が人間味のない薄情者と。

 

「んなわけないじゃない! 私たちにとっても友達は大切な存在。陽炎が思っているものとなんにも変わらない!」

「だったら!」

「友達だから!」

 

みずづきの叫び。ここまで声を荒げたのは、御手洗を相手にして以来だ。それに「へ?」と目を丸くする陽炎。驚きの対象が声量でないことは、全く状況を知らない赤の他人が見ても分かる。

 

 

今、みずづきは認めてしまったも同然なのだ。・・・・・・・・嘘をついた、と。

 

 

「しまった」と数秒前の自分の発言を心底後悔するが時すでに遅し。いくら数秒前だろうが、過去は変えられない。

 

みずづきは陽炎に背を向ける。例え陽炎との関係が破綻してしまうのだとしても、沈黙を・・・・逃げを選んだ。

そうしなければ苦しむのは、陽炎だから。

 

「なに?」

 

しかし、みずづきの陽炎に対する曲がりに曲がった親切心は、陽炎自身によって断ち切られた。掴まれる腕。その力は想像以上に強い。人間の少女と変わらない体のどこから、そんな力が出てくるのだろうか。その力が陽炎の気持ちを代弁しているかのようだ。

 

「・・・・・痛い。離して」

 

胸がちくちと針で刺されたように痛む。わずかに躊躇する気持ちが芽生えるものの、理性で摘み取った。こんなことで引くわけにはいかない。そして口から出たのは、突き放すような口調。後ろから息を飲む音が聞こえるが振り向かない。

 

「聞こえないの? 離して」

「離さない」

「離してよ!」

「離さない!!!」

 

腕を振り払おうとするが、払えない。しばらく攻防が続くが、突然陽炎の動きが弱まる。ようやく観念したかという希望もあったが、それ以上に「どうしたのか」という戸惑いが心に大きく浮かんだ。心配になりおそるおそる陽炎を覗う。あまりに多くの感情が垣間見え、一言で表現する事ができなかった。

 

「・・・・・分かった。じゃあ、もう1つ私の質問にはっきりと答えられたら、ここのことなかったことにする。もう突っ込んだりしないし、触れたりしないわ」

 

腕がようやく離される。握られていた部位に血が通う感覚。それに幾分かの不快感を覚えていると、不純物のないまっすぐな視線で陽炎は問うた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたの住んでいた日本は、本当に平和?」

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・そんな問い、これこそ愚問である。「平和」。歓迎会で大勢の艦娘を前に口走った「残酷な嘘」を、ここでも言えばいいだけ。平和と、二文字を言えばいいだけだ。それが、日本の未来を心の底から案じていた艦娘たちのためなのだ。例え悪でも、悪の内の善。これを貫くと心に決めた。

 

だから、言う。今まで散々言ってきた言葉をここでも。

 

口を開ける。たった二文字、二文字だ。だた平和と口にするだけ。

 

 

 

 

なのに、何故だろう。何故、言葉は出ないのだろう。口は開けても、出るのは吐息のみ。肝心の言葉は一切出ない。

 

 

 

 

自分で自分が分からなくなる。あれほど、誓って、意地を張って、罪悪感に苛まれて、大切なあの人にも嫌われかねない選択をしたのに、なぜ今更。

 

自分以外に答えを求めたかったのだろうか。霞んでいた視界が明瞭になっていく。映る陽炎の顔。

 

「あ・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

何故、隠したのか? 何故、嘘をついたのか? 

そう問われれば、みずづきはこう答えるだろう。

 

 

彼女たちが悲しむから、と。責任を感じるから、と。

 

 

彼女たちは、この世界に来る前は「軍艦」というただの物だった。だが、人間と共に様々なものを見て、様々な使命を持っていた。そこに人間との相違はない。大海原を駆け抜け、太陽に照らされ、雨や雪に打たれる。そして、祖国を護る矛と盾の役割を背負い、日夜激務に励む乗組員たちの家となり、停泊地で己を見上げる市井の国民に希望を与える。

 

それだけで一生をまっとうできたらどれほど良かっただろうか。しかし、彼女たちは見てしまったのだ。自分たちを生み出してくれた、崇高な役割を与えてくれた大切な人々と国が、誇りと希望を胸によりよい明日を掴むため邁進していた日々から、何もかもを失い掴むべき明日さえ見失ってしまった絶望の日々まで。

 

そして、彼女たち自身もまた・・・・・・・・・・。

 

祖国も、乗組員たちも、姉妹たちも、何もかもを守れなかった後悔と罪悪感、最期まで見続けた光景のしがらみはちっぽけな人間の身からは想像すらできない。そんな彼女たちに、希望を与えていたのが、繁栄した未来の日本なのだ。焼け野原で敵国に占領された祖国が、わずかな期間で独立を成し遂げ、焼け野原を街に戻し、驚異的な発展を遂げる。

 

彼女たちの立場をみずづきに適応してみよう。今から数十年後の日本が、あの日々と同等かそれ以上に発展していると知らされれば、どう思うだろうか。

 

死んだ街は生を取り戻し、飢えに苦しむことも、寒さに凍えることも、深海棲艦の空爆に怯えることもない。死が日常から非日常へと移行し、笑顔が溢れる生活が非日常から日常へと移行する。自分たちが血反吐を吐いて戦った結果、それなら嬉しいに決まっている。

 

だが。

 

もし、海防軍が壊滅し本土決戦に陥って、多くの人々が家を、生まれ故郷を追われ、死体の山が無数に出来上がっているとしたら。沖縄や先島諸島で巻き起こった“地獄”が無数に出現しているとしたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

それどころか、日本が滅んでいたら。

 

 

 

 

 

 

そんな未来が、待ち受けていると知らされれば・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

だから、決めたのだ。嘘をつこうと、真実を隠そうと。こちらの方が、幸せ・・・・・なのだから。

 

 

なのになぜなのか。なぜ、彼女は知ろうとするのだろうか。雰囲気と先ほどの問いから察するに、陽炎は“本質”を捉えている。何故、陽炎はあんな落ち着き払って、大人びた顔をしているのだろうか。

 

“もう苦しまなくていい。どんと当たって”

 

そう、陽炎の顔は語っていた。その包容力は人間のさせるわざとは思えない。もはや兵器の部類だ。

 

それを見てしまったら、この決意が・・・・・例え自分が居場所を失っても隠そうと思っていた決意がひどく歪で、空虚に思えてくる。そして、言っても良いのだと、自身の性格らしく罪悪感に苛まれる隠し事などせずに済むのだと、心が喜んでしまう。

 

ささやかな抵抗として、陽炎から視線を逸らす。自分が間違っていると理解しつつも、それを認められない反抗期の子供のように。なさけないことこの上ない。見た目的には陽炎より、こちらの方が年上なのだ。

 

「ねぇ、みずづき? こんなこといったら、あんたの努力を否定することになっちゃうかもしれないけど・・・・・・。あんたが隠していること、なんとなく分かってた。ぼんやり、だけどね」

 

爆弾発言。大きく目を見開き、自分を皮肉っていた心が瞬間冷凍される。凍らずに済んだ頭を必死に回転させて、陽炎の言葉を咀嚼し終えてようやく・・・・。

 

「なんで・・・・・」

 

という言葉が出た。

 

「なんで、ね。今がまさに答えよ。あんた、嘘が下手過ぎ」

「ぎく・・・」

「まぁ、私もそれを大声で指摘はできないか。その下手過ぎる嘘に最初は引っかかってたんだから。でも、それが本当じゃないかも知れないって思うきっかけをくれたのは実のところ、みずづき、あんただった。みずづきって、一回真夜中に、外で泣いてたことがあったでしょ?」

「っ!?」

「私、見ちゃったのよね。あんたの、涙。・・・・・・・・・・・・それがきっかけだった」

 

 

口調とは裏腹に儚げな笑みを浮かべる陽炎。雰囲気も相まって、妙に大人びて見えた。

 

 

「あんたの涙ね、似てたのよ。戦争の結果を知って、私が、ほかの子が流した、後悔やら無念やらモヤモヤした感情をないまぜにした涙と・・・・・・。私は戦争が終わる前、昭和18年に沈んだ。原因は触雷。ガダルカナルで負けて、戦局は芳しくなかったけど、まさか日本が無条件降伏しただなんてこの世界に来てから知った。そりゃ、悲しかったわよ。まだ、私の場合多くの乗組員たちを巻き添えにしなくて済んだけど、彼ら自身や彼らの家族、輸送作戦で乗せた将兵さん、あの人たちの家族が亡くなったり不幸になったりしたことを思うと・・・・・・・・・・・・、やりきれなかった。それに、私も日本が好きで、自分の国に誇りを持ってた。その故郷が・・・・・・・。その時を、その時の自分の気持ちを思い出したら、あんたの言動がおかしいって気付いたの」

 

向けられる視線。果たしてそこに自分は映っているのだろうか。

 

だが、声だけでもいやというほど思い知らされた。いかに自分が、彼女たちの表層的な部分だけを見て、いかにもすべてを知っているかのような思い上がりを抱いていたのか。彼女たちには、誰のものでもない自分だけの、記憶の、日々の積み重ねがある。人間である自分と同じく、そしては異次元の“人生”が。

 

一拍の間。両者の間に初めて完全な沈黙が訪れる。何も言葉が思い浮かばない。だが、両手を祈るように握りしめた陽炎は、他意を感じさせない必死さを込めて、その言葉を解き放った。

 

「ねぇ、みずづき? 話してくれない?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

沈黙を貫く。陽炎はゆっくりと深呼吸を行い、続ける。

 

「間違ってたら、悪いけど・・・・いいや、これは間違ってない。みずづき? あんたが嘘をつこうとしたのは、そこまで苦しんで、自分を犠牲にする覚悟をもってまで心に誓った決心は、私のことを気遣ってくてたからでしょ?」

「・・・・・・・・・っ」

 

あまりに、優しい声。反則だ。

 

「今まで散々気をかけてくれて来たんでしょ? もう、十分よ。私は、あんたをそこまで追い詰めて、無知なままを望むほど腐ってない。私たちは友達。あんたが1人で背負いきれないほど重いものは、私も背負う。2人でやれば大抵のことはうまくいくじゃない! 覚悟はできてるわ」

 

さきほどの影はどこへやら。胸にポンッと右手を当てた陽炎の顔は、晴れ晴れとした笑顔だった。思わず、それに見入ってしまう。

 

「もう少し客観的に言うと、私は艦娘。大日本帝国海軍陽炎型駆逐艦一番艦、陽炎よ。私にはどんな未来でも・・・・・・・・・・故郷の未来を知る権利がある! それに私にとって未来でも、あんたにとっては過去であり、現在。・・・・もう確定してしまった時間。いくら、ここで私たちがわめこうがもう変えられない。・・・・・もう、変えられないのよ。だから、私は逃げない!! 真正面から“歴史”を受け止める!!」

 

そこに込められた決意と覚悟。嘘、偽りは皆無だった。彼女自身の視線と声色、そして醸し出される雰囲気が証明していた。

 

そこまでされれば誰が彼女を突き放せるだろうか。陽炎は逃げることより、例え傷ついても立ち向かう選択をした。その潔く、力強い姿勢は感服の一言である。見とれてしまう姿勢を見せられれば、自己判断に基づいた身勝手な決意など太刀打ちできる訳がない。

(私は、今まで何やってたんだろ・・・・・・。ここまでの気持ちを持っている子に嘘ついて・・・)

そう思うと、微笑がこぼれる。これでは隠していた方が、かえって陽炎を苦しめる結果になっていたではないか。

 

 

「そう・・・・・・・・・。分かった」

 

 

みずづきも陽炎と同じく、覚悟を決めた。

 

 

「っ!? じゃあ」

「うん。私の知ってること、全部話すよ。本当のことを告白すると私もつらかったから。信頼してくれるみんなに嘘をつくのは・・・・」

「みずづき・・・。ありがとうね」

「いいって。お礼なんて、私に向けられるべき言葉じゃない。それにもうここまで言われたら逃げられるわけないしね。ほんまに、陽炎は意固地というか頑固というか」

「それは、みずづきも同じよ」

「あはは・・・・・そうかも、ね」

 

自嘲気味に笑うと、真剣なまなざしを陽炎へ。

 

「本当に、いいの?」

「お構いなく。さっきも言ったけど、覚悟はできてる」

 

同く真剣な視線が返ってくる。

 

「それじゃあ、あそこのベンチに座りながら、ね。かなり長い話になるから」

「了解」

 

近くにひっそりと置かれている、古びたベンチ。ただ海軍基地内であるため管理が行き届いているのか、剥げた塗装が服や肌につくようなことはなかった。今では少し肌寒く感じる、ひんやりとした感覚が布越しに伝わってくる。少し動いただけで肩が触れそうなほど近くに座った陽炎は、何も言わない。

 

一度、瞑目する。一拍の静寂をおいて、みずづきの口が開いた。

 

「私のいた日本は・・・・・・・」

 

暗闇の中、街灯にのみ照らされた2人。誰にも知られないこの場所でみずづきの抱えていた世界を揺るがしかねない真実が初めて吐露される。由良基地の港から見える海上。そこを行き交う漁船はもういなくなっていた。



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50話 それぞれ

お気に入り登録が、300を超えましたぁぁ!!

お付き合いいただいている読者の方々には、感謝の念しかありません。
本作を読んでいただき、本当にありがとうございます!


それと・・・・・すみません。今回は「間話」的な話となっており、視点がコロコロと変わります。お気づきの方もおられると思いますが、「~~~~~~~」←が視点変化の目印なので、ご了承のほどよろしくお願いいたします。


横須賀鎮守府 艦娘寮 1階 101号室

 

 

 

“・・・・・・以上、本日も前日に引き続いて異常なし。

但し、留意事項有り。射撃訓練にて主砲を発射した際、硝煙に異常を認める。砲弾の不具合、もしくは主砲発射機構の異常が予想される。一応、参考までに記載。

尚、既に工廠には届け出済み。後日確認されたし。”

 

「うわぁ~~~惜しいぃぃ!! 全然数が合わない!!」

「やりました!! これとこれが同じ数字だから・・・・えいっ!!」

「吹雪がトップを独走か~。・・・・・あと、3枚。私の手札は・・・・6枚」

「・・・・・・・・・・・」

 

開け放たれた入り口の開き戸から、一瞬も途絶えることなく流れ込んでくる楽しそうな声と雰囲気。それを塗りつぶすかのように、乾いた軽い音を奏でながら紙の上でペンを滑らせてゆく。少し前まで項目と枠しかなかった寂しい書類も今や丸みを帯びたかわいらしい文字でびっしりと埋め尽くされていた。文字の可愛さが文章量の迫力で半減してしまっている。しかし、もともと当の本人は自分の字を「可愛い」だのと微塵も思っていないため、全く気にしていなかった。

 

あらかた書き終えたことを確認すると、ペンを書類の右側に置き、凝り固まった筋肉をほぐすため両手を思い切り上方へ伸ばす。

 

「うーーーーんっと。よし! 出来た。あとは明日の朝にあいつへ提出するだけ・・・・」

 

そう言いつつ目を凝らし、誤字がないか確認。ここに今、船団護衛で鎮守府を留守にしている黒潮などがいれば、「真面目やね~~。感心、感心」とからかってくるのは確実・・・・・なのだが。

 

「今日はあいつらがいないから随分とはかどったわね。心なしかいつもより静かに・・・」

 

 

 

 

 

「やったぁぁ!! 私一番乗りです!! 一昨日の無念を晴らしましたよ!!」

「吹雪さんが・・・・・一番・・・・くっ」

「ああもう!! なんで合わないのよ!! 減りもしないじゃない!!」

「まぁまぁ、瑞鶴さん落ち着いて。あと6枚じゃないですか・・・」

「あと2枚であがりの夕張さんには言われたくないんですど?? 心の中でほくそ笑んでるのはお見通しなんだからね!!」

 

 

 

「静かに・・・・・・・」

 

 

 

「暁ちゃん、そこが狙い目なのです! そこにおけば、縦と横、そして斜めも黒に変えることが出来るのです!」

「え・・・・。い、電! よく見なさいよ! ここを埋めちゃったら、次のターンの響きに角を取られるじゃない。ここが1つ空いてるから1つの犠牲で済んでるのよ?」

「あ・・・・・。ほ、ほんとなのです・・・」

「全くもう、電は~。響が怖い顔で笑ってるじゃない・・」

「? なんだい雷、僕は何も。ただ、そのまま暁が置いてくれたら、僕の勝ちと思ただけさ。さぁ、暁。ここに置くんだ。そうすれば、電の言ったように白の多くが黒に変わるよ?」

「なに言ってるの! 置くわけないじゃない!! 勝って、売店のおばさんからもらったクッキーを私のものにするんだから!!」

 

 

 

「・・・・・なってないわね。全く、これぽっちも・・・・」

 

現実を恐ろしいほど再認識すると、背もたれに体重をかけた曙は大きくため息を吐く。背もたれと背中の間に密かに誇らしく思っている自身の髪が巻き込まれている。既に寝間着に着替え、髪を梳いているためだろう。しかし、髪の毛を救う気力は湧いてこない。

 

時計を見ると、時刻は22時15分を少し回ったところ。消灯まであと45分もないというのに、ここ「艦娘寮」は約6名の住民が欠けたにも関わらず、いつも通りの喧騒を宿していた。

 

横須賀鎮守府に所属する艦娘たちの家である艦娘寮。木造2階建てで、外観は最近の流行りと逆行し、木造であることを隠そうともしていない。むしろ、前面に押し出している感さえある外観だ。こげ茶色の外壁に引き窓が等間隔に並び、一階の正面に玄関を備え、屋根が瓦で覆われているため、軍の施設というよりは片田舎の古風な学校という印象が強い。それが2棟、中央区画へ侵入する海風や潮を防ぐための防風林のすぐ後ろ側に建っている。だが、現在使用され艦娘たちで賑やかな棟は北側に位置する北棟のみ。南棟は多温諸島奪還作戦後の部隊改編により横須賀鎮守府から多くの艦娘たちが異動したため、現在はかつての賑わいを示すモニュメントと化している。

 

1フロアには三段ベッドと机、ロッカーを備え、3人で共同使用する居住用の部屋が6つ。それの1.5倍ほどの広さを持つ共同スペース、通称「居間」と呼ばれている部屋が1つ。加えて複数のトイレ、トイレとは別に洗面台が設置されている。内装も木が基調となっており、廊下は板張りで部屋は全室畳が敷かれている。建てられてから6年も経つというのに、未だ木と井草の香りが時おり鼻腔をくすぐる。あちこちから、あの懐かしい日本の空気を感じることが出来る。もちろんそうであるから、室内は土足厳禁である。玄関には靴箱が設置されているため、自身の靴はそこへ納めなければならない。関西弁を話したり、男口調の特定艦娘たちが玄関を靴で散らかしたり放題にしたため、一日の激務を終えフラフラで帰還した長門の雷を全身で食らったのはいつだっただろうか。

 

今日も長門が帰って来ればこの騒々しさも沈静化するのだが、なんとなくまだまだ長門の帰りは遅くなりそうな気がした。それまではこの喧騒を聞き続けなければならない。

 

喧騒が喧騒となっている理由。それは全ての艦娘たちが1つの寮に入っていることだけではなく、現在の季節も関係していた。今は7月の初旬。日本と同様、瑞穂も高温多湿の気候で梅雨もある。この梅雨前線が居座り、中途半端に亜熱帯の風が流れ込んでくる時季は基本的に蒸し暑い。ここは海沿いでありまだ横須賀市街に比べれば涼しい方だが、それでも全ての部屋を閉め切った日には、熱さで暴動が起きるだろう。

 

かといって、熱さを凌ぐ方法は限られている。うちわで仰ぐか、冷たいものを飲むか、涼を求めて外出するか、窓を開けるか・・・・・・・・・風通しを良くするために部屋を仕切っている扉を全開にするか。現在、その全てが実行に移されている。だから、目の前の部屋とはいえ普段はあまり聞こえない「居間」での喧騒が減衰なく流れ込んでくる。「居間」は全く同じ間取りの部屋が2階にもあるのだが、何故か曙たちがいる1階の「居間」が艦娘たちのたまり場となっている。

 

「でも・・・・・」

 

これは悪いことばかりではない。普段文句を垂れ流しているとはいえ、大切な仲間たちが楽し気にしている様子は嫌いではないし、限度はあるが逆に見ていたい時もある。温かい空気は周囲も温かい気持ちにしてくれる。

 

また、行動の存在感を薄めてくれる効果もある。普段ならば、そもそも音を気にしながら戸を開けるところから始まり、廊下の足音、そしてドアをノックした後訪問先の反応にまで注意しなくてはいけない。静寂は些細な音でも、はっきりと遠くまで伝えてしまう。

 

しかし、周囲が喧騒に包まれているのなら・・・・・・・・。

 

「他人の目を気にせず、動きやすくなる・・・・・・」

 

そう独り言を呟くと、滑らかに立ち上がり、喧騒に近づいていく。だが、目的地は違う場所だ。

 

 

 

―――――――――

 

 

コンコンコン。

 

「曙よ。今、大丈夫?」

「あ、曙さん!! あ、えっと・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「だ、大丈夫よ! どうぞ、入ってきて」

「お・・・お邪魔します」

 

目的地。それは、隣の部屋。第一機動艦隊、赤城・榛名・翔鶴の部屋である。自身の部屋の敷居をまたいでから、ほんの十数秒。途中、部屋の前で翔鶴と鉢合わせるハプニングもあったが、総じて気合いの割にはあっけない出撃行だ。また、さらに締まらない雰囲気にしていたのは、目的の人物たる赤城であった。

 

「曙さん、どうしたの? 明日の訓練で何か不明な点でもあるのかしら?」

 

至って普通に、優しい笑みでこちらを見据えてくる赤城。寝間着に着替えベッドに腰をかけていても尚、艶やかな黒髪とまっすぐ伸びた背筋は彼女が赤城であることを周囲に明示している。だが、同じ部隊の艦娘として、気付かないわけがなかった。赤城の笑みには曙を歓迎する以外の感情がはっきりと滲んでいた。

 

「あの・・・・赤城さん?」

「ん? なにかしら? やっぱり、さっきの打ち合わせじゃ分からなかった? 曙さんの時間がいいなら、これからそこを詰めても・・・・」

「いや・・・そうじゃなくて」

 

思わず盛大にため息を吐きそうになる。ここへ来たのはこのようなほのぼのとする会話をするためではない。もっと、重要で深刻な話をするために来たのだ。ババ抜きで加賀と一騎打ちになり、ジョーカーを手に発狂している瑞鶴を翔鶴が宥めに行っている今が、今日の最大にして最後のチャンス。ここに来る途中、居間の様子を傍目で見たが、あの2人が本気でぶつかれば赤城も、そして曙も介入しなければならないほどの大騒乱間違いなしである。飽きずに瑞穂海軍が装備している魚雷の資料を眺めている北上や大井もさすがに意識をそちらへ向けざるを得ないだろう。

 

「背中に隠し持ってるもの、何? アイスクリーム・・・・・とか?」

「ええっ!?」

 

目を大きく見開き、大声をあげて「なんで分かったの!?」という驚愕を全身で体現する赤城。それは普通の女性そのもので、今ばかりは一航戦の誇りなど大海原の彼方に消えている。あれほど隠していると安堵している赤城に指摘を行うのは、あの正規空母であり、自艦隊の旗艦であり、長門と並んで横須賀鎮守府のリーダー格であるためさすがに少し気が引けたが、これを解決しなければ話が先に進まない。

 

「いや・・・だって、ドアをノックする前から幸せそうな呻きが聞こえてきたし、ここ甘い匂いが充満してるんだもの」

「く・・・・一航戦の正規空母とあろうものがこんな簡単な未来も予測できないとは不覚!」

「はいはい、格好つけないで。なんなら格好がつくようにしましょうか? ちょうど明日の朝、提督に報告書を届けないといけないし・・・」

 

避けようのない正規空母の憐れな未来を想像するとついほほが緩んでしまう。傍から見れば、さぞかし「悪く」見えることだろう。全く同じ未来を見たのか、未来を受ける側の正規空母は一気に顔を青くする。

 

「曙さん!! 後生ですから!! このことは提督には言わないでくれるかしら!」

 

必死に・・・・見方によっては実戦よりも必死に両手を合わせる。別に艦娘寮での飲食が禁止されているわけではない。もしそうなら、畳の上で寝転がりながら、将兵たちに分けてもらったお菓子をバリバリと食べている行儀の悪い特定艦娘たちは間違いなく長門の雷が落ちるし、百石から「優しい」罰(トイレ掃除)が下される。だが、赤城は特別だった。なんでも横須賀鎮守府に務める軍医・軍看護師のトップである医務部長道満忠重(みちみつ ただしげ)大佐が赤城の喰いっぷりを心配し、食事はいいとしてもおやつなどの間食を控えるようにと言ったのだ。彼は部長であるものの立派な軍医であり、今でも時々医務室へ顔を出し診察をしている。紛れもなく、ドクターストップである。それを受け、百石からも「道満部長の指示に従うように」と命令が出されているものの、本人はどこ吹く風。こうして、売店のおばさんたちや将兵からもらったお菓子を性懲りもなく、毎晩食べている。当然、長門を除くすべての艦娘たちはこの事実関係を把握しているが、時々赤城がお裾分けをくれることと、ばれているのに気付かず必死に隠そうとする意外に子供っぽいところが見られるため、曙も含め誰も見て見ぬフリをしていた。こういうところも海軍の中で赤城が絶大な人気を誇っている理由なのかもしれない。

 

「はいはい。まぁ、私も止めてないから同罪だし、お裾分けをもらってるから共犯ね。でも、さすがにアイスクリームを頬張られながら、はちょっと・・・・」

 

刹那、窓から涼やかな風が吹き込んできた。心なしか肌に刺さるような冷たさを湛えている。

 

「・・・・・・・。ご、ごめんさないね。今、片づけるわね」

 

そういうとみるみるうちにアイスクリームが溶け、消滅していく。排水量が大きい正規空母ならではの芸当だ。駆逐艦がやれば確実に頭痛との戦闘は避けられない。

 

「ん? そういえば、榛名は?」

 

ここは赤城と榛名と翔鶴の三人部屋。翔鶴はさきほど見たが、榛名は自室に入って以降見ていない。居間にも、そして彼女が使っている三段ベッドの中段にも彼女の姿はなかった。

 

「榛名さんなら・・・・・さっき金剛さんや・・・摩耶さんたちと・・・・橙野に・・・・行ったわよ」

「あ・・・・潮のみならず、榛名も一緒だったんだ・・・」

 

実は少し前、曙も摩耶に誘われていた。卑怯にも摩耶は潮を使ってまで連行しようとしてきたが、報告書を書いている途中であり、また特段何か食べたい気分でもなかったので断った。この様子だと、先ほどから姿を見ない球磨も彼女たちと行動を共にしているだろう。

 

「んと・・・・ふぅ~。美味しかった。やっぱりこのバニラは格別だわ」

「はいはい」

 

うっとりと食後の余韻に浸る赤城。木製の容器はきれいにアイスクリームを奪い取られている。だが、それは本題の到来を告げる婉曲な鐘だった。

 

「そろそろ、いい?」

 

その一言でぽあぽあという擬音語がぴったりの赤城の顔が、正規空母らしく引き締まる。例え先ほど赤城が言った通り、訓練の話をするとしても相手の萎縮を招きかねない真剣な表情とはならない。おそらく、彼女も勘付いているのだろう。

 

部屋の空気が重く肩にのしかかる。すぐ近くであるはずの喧騒が、かなり遠くに行ってしまったように感じる。我ながら相当緊張しているのであろう。相手はあの赤城。みずづきに対して行ったような遠回しの問いが通じるとは思えない。一言二言語れば、本質を言い当てられてしまう。

 

だから、ここは駆逐艦らしく正面突破だ。

 

「赤城さんは・・・・・・みずづきについてどう思う?」

 

やはり予想通りだったのか、アイスクリームを指摘した時とは対照的に全く動じない。どれぐらいの時間が経ったのか。長い沈黙を経た後、赤城は視線を泳がせることもなくしっかりと曙を見据えて答えた。

 

「そうね。曙さんがどれを聞きたいのか分からないから、2つの観点から言うわ。1つは、軍人・・・ておかしいわね。私は艦娘だもの。でも、その前提論を抜きにして、軍人的な視点からの感想。そして、もう1つは人間としての感想。これでいいかしら?」

「ええ」

 

その提案は曙としても願ったり叶ったりである。

 

「じゃあ、1つ目から。曙さんも思っているでしょうけど、みずづきさんの軍事的価値は言葉では言い表せないほど絶大よ。2個空母機動部隊をもってしても対抗できない。たった1隻でそれなの。また、彼女は対空のみならず対艦、対潜、対地さまざまな任務に、武器を使用せずともあの電探を生かした偵察、監視、観測なども担えるわ。その汎用性の大きさも彼女の価値を高めている。部隊や軍隊はある方面に特化しても、長期的にみれば置き去りにされた方面に足を取られ、衰退する。私たちはそれを身をもって知っているわ」

「そう・・・・ね。ほんと・・・そう」

 

思わず拳を握りしめてしまう。あの時自分たちは兵器であった以上、口出しする権利はないのかもしれないし、過去に縛られることは良くないと分かってはいる。だが、大日本帝国の上層部がもっと現実と未来を見ていればあの犠牲は少なく済んだのではないかという問いも同時に浮かんでくる。

 

 

 

 

 

 

 

あの時、故郷から離れた異国の地で無残に死んでいった人たちは、決して“問い”を浮かべずに済むような存在ではなかった。

 

 

 

 

 

 

「だから、肩を並べて戦う1人として心強い。私たちの猛攻を防ぎ切ったということは深海棲艦航空部隊の猛攻も防げるということ。それに彼女が私たちの直衛艦に配置されれば、艦戦を減らし、艦攻や艦爆隊を多く搭載して、1隻あたりの攻撃力を高めることもできる。空母だけでもこうだから、みずづきさんによって作戦の幅、また戦術行動の領域は爆発的に広がる。正規空母としてはこれからの作戦が楽しみでもあるわね」

 

ここへ来て、ようやく笑顔を見せる赤城。だが、それはあくまでも軍人としての笑みである。

 

「1つ目はこんなところかしら。次は2つ目、ね。これまでみずづきさんと関わってきて、他の子たちの話を聞いて、彼女の人格は大まかに把握したわ。一言でいえば、提督たちがおっしゃるようにみずづきさんはいい子よ」

「・・・・・・・・・・」

「優しくて、気配り出来て、他人想いで、謙虚。責任感もしっかりと持っている。信念も、ね。少し強すぎのかもしれないけれど、それは周囲の存在を大切にしてる裏返しでもあると思うの。だから、十分信頼できる仲間よ。もし、私の評価が間違っていて自分の力を鼻にかけるようなら、打ち上げの席であんな優し気な表情をして瑞鶴さんを慰めたりはしないわ。吹雪さんや白雪さんはともかくとして、初雪さんや深雪さん、陽炎さんや黒潮さん、暁さんに響さん、雷さん、電さんのように感性に素直な子たちがあそこまで懐いたりしない。潮さんだってそうでしょ?」

 

自身にとって、かなり説得力があるところを突かれる。潮はああいう性格である以上、初対面や会ってから日が浅い時はともかく、人格的に問題のある人物にはいくら時間が経ったところで慣れない。対して、信頼のおける人物ならば、時間が経つにつれて打ち解け、冗談を言ったりすることもある。そういうところは敏感な艦娘だった。事実、工廠長の漆原と初めて会った時は顔を見ただけで涙ぐんでしまい漆原が気の毒な状況であったが、日が経ち彼の人格を把握するにつれて潮も慣れていった。今では、笑顔で話せるほどになっている。

 

そんな潮もみずづきに警戒心を抱いておらず、仲間とはっきり認識している様子だった。

 

「でも・・・・・・」

「でも? 曙さんはみずづきさんを快く思っていないの?」

「別にそういうわけでは・・・」

 

そう。快く思っていないわけではない。赤城の意見にも自分なりに考えて異論はない。しかし、結局資料室でも聞けなかった「あの夜の出来事」と初日に見た「あの涙」に対する疑問が心の中でただただ無限に漂っている。ただ、つらいことを思い出しただけなのだろうか。ならばあの呟きはなんだったのだろうか。

 

 

 

確かにみずづきは言った。ひどく悲しそうな様子で“戦争のない世界、か・・”と。

確かにみずづきは泣いていた。ひどくつらそうな様子で。平和な世界で生きていて、あんな泣き方をするのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

平和な世界。

戦争のない世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・よく分からなくなってきた。赤城の反応を見ると、自分が深読みしすぎているような感じさえしてくる。深く考えて、自分の頭を酷使しているとそもそも“「艦娘」と「人間」の感情が全く同じものなのか”という根源的かつ答えが絶対に帰ってこない問いに突入してしまいそうになる。

 

考え込んでいる時間が長かったのか、意識が現実に戻ってきたときには赤城がこちらの目を不思議そうにじっと見つめていた。思わず、顔が赤くなってしまう。

 

「なんでもない。ありがとうね、変な話に付き合ってくれて。これ以上お邪魔するのも悪いし、これでお暇するわ」

 

見れば時刻は22時45分。喧騒も徐々に終わりが見えてきた。聞きたいことは十分に聞け目的を達成できた。赤城が嘘をついている様子もない。彼女ならよほどの事情がない限り、直接的でなくとも間接的に答えてくれるのだ。

 

「いえいえ、お役に立てて何よりよ。また、何かあったら遠慮なくいらっしゃい」

「そうするわ。それじゃ、おやすみさない。あと、その容器上手く捨てておかないと長門にばれるわよ」

 

ガラガラ。玄関の引き戸を引く音。気配は1人で、橙野に行った艦娘たちの誰とも異なる気配。これは、完全にあの人だ。

 

「はぁ~~、今日も疲れた。やっぱり、風呂は格別だな。溜まった疲れを流してくれる」

 

風呂上がりで上機嫌なのか、少し浮ついた様子で独り言を呟いている。ここからの急降下は見たくもないし、彼女自身にも味わってほしくない。よくよく考えれば、昨日も・・・いや昨日から上機嫌だったような気がする。百石と何かあったのだろうか。

 

「噂をすれば、なんとやら・・・・」

「つつつ!!!!!!!!」

 

言葉にならない悲鳴。勢いよく腰かけていた下段のベッドから立ち上がり、専用のごみ箱が隠してあるロッカーに直行。畳の上に置いてあるゴミ箱は長門が定期的に、というか毎日チェックしているため、赤城は間食用の専用ゴミ箱を自ら用意していた。それは貯まるとごみ焼却を任されたその時の将兵に直接手渡して処分してもらっているのだから、呆れるほどの執念だ。

 

「それじゃあ、また明日~~」

 

ついにやけてしまう顔を必死に統制しながら、赤城たちの部屋を後にする。すれちがい様に一言二言交わした長門は居間にいる艦娘たちに声をかけると、赤城の部屋へ向かっていった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

「ふぅ~~~~、あ、危なかったぁ~~~~」

 

額に浮かんだ汗をぬぐい、仰向けに布団へ倒れ込む。少しでも動作が遅ければ、アイスクリームの容器が見つかるだけでなくゴミ箱まで見つかる所だった。「赤城。調子はどうだ?」とやけに上機嫌で長門が部屋に入ってきたのと、ロッカーを閉め自然な姿勢を構築した瞬間はほぼ同時だった。

 

しかし、気が落ち着いてくると先ほどの光景が脳裏に甦ってくる。10分ほど前のことなので、極めて鮮明だ。

 

「はぁ~~~」

 

思わずため息が出てしまう。

 

彼女の問い。こちらとしても決して嘘はついていない。だが、彼女が抱いているであろう疑念に真正面から挑んだかと言われれば、答えは明確に否だった。

 

「曙さんも、か・・・・・・・」

 

急速に世界が1日の終わりへ向かっていく中、その言葉は紡がれる。誰も聞かない、自分だけの独白。

 

「やべ! 後、10分!! 早く支度しねぇと!!」

「まったく、誰かさんが調子に乗って提督の恥ずかしい話をするからクマ」

「ほんとだよなぁ~~。一体誰だよ全く・・・・」

「な、何故、私を・・・・・」

「紛れもなく摩耶でしょう?」

「そうクマ!! 長門さんに聞こえるかもしれないってさりげなく罪を擦り付けるのは良くないクマ! 摩耶さ~~ん、門限守る努力するクマよ~~」

「おい球磨! てめぇ!!」

「ちょ、ちょっと摩耶さん!! 落ち着いて!!」

「潮のいう通りよ。これでは本当に長門さんの雷が・・・」

 

ガラガラと玄関の引き戸が引かれる音がしたかと思えば、先ほどまで艦娘量全体を満たしていた喧騒が再び舞い戻ってくる。どうやら、橙野に行っていたメンバーが戻ってきたようだ。

 

それを受け、何事もなかったかのように寝支度を整え始める。

 

変に動揺し、何も感じていない子たちにまで、悟られる事態だけはなんとしても避けなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

不気味。ここを一言で表現するなら、その言葉しかないだろう。わずかな照明に照らされた薄暗い空間。空気はまるで生命の存在を拒絶するかのように、冷たく乾ききっている。そこへ断続的に響く何かの駆動音。設置されている数多の機械たちの息遣い。

 

だが、そんな空間も世界の一部である。真っ白な白衣を来た人々が隅に置かれているものに意識を向けながら行き交っている。不気味な空間でありながらも、活気があった。もちろん、商店街などで見られる晴れ渡った活気とは全くの別物であるが。

 

「主任!」

 

その中の1人が、設置された機械と睨めっこをしている中年の男性に声をかける。重力に従い自然に流れるきれいな髪。小走りになると乱れるが、それもまた絵になる。声をかけたのは若い女性であった。

 

「昨日の状態観測結果がまとまりました。ご覧ください」

 

差し出される薄い冊子。それを「うむ」と仏頂面で主任が受け取る。

 

「・・・・・・異常はないようだな」

「はい。現状ならば損傷が進むこともなく、理研へ移送できそうです」

「それは、なりよりだ」

 

安心したような吐息のあと、わずかに表情が緩む。

 

「理研とのすり合わせも順調なようだな」

「はい。あとはこちらが運ぶのみです。万一、深海棲艦に襲撃された場合も、すぐ本土の最寄り港に退避できるよう、海軍との最終調整も無事済んだそうです」

「そうか。そうか」

 

ますます、表情が和らぐ主任。

 

「横須賀への道中は強力な護衛がつくそうだし、あと少しでこの重圧からもおさらばだ」

「私も同感です。一介の研究者として、そして一瑞穂国民として、これがいかに重要なものなのか、分かっているが故に、もし失われたらと思うと・・」

 

2人は示し合わせた訳でもなく、同時に部屋の隅に置かれているものを見る。アナログながら用途不明の機械が張り付いた、一部が透明の容器。なにが入っているのか。外観でも分かる構造になっていた。

 

 

 

 

 

時間による劣化を防ぐ特殊な溶液に沈められた、“なにか”。

 

 

 

 

 

「俺たちが積み上げてきた科学って、なんだろうな・・」

「え?」

 

不意に主任が呟いた。唐突な言葉に女性は首をかしげる。

 

「今まで分からないことには必ず探求心を抱いてきたが、この世の摂理を根底から超越する存在を前にしてはとても・・・・・・・。いかに、人間が小さな存在か思い知らされる」

 

特徴的なレシプロエンジンの音が、天井からわずかに聞こえる。それを認識しつつ、主任の視線は部屋の隅に注がれる。そして、女性も。紡がれた言葉に同意を示すかのように。

 

 

~~~~~~~

 

 

瑞穂海軍横須賀防空隊 伊豆・小笠原警戒隊 三宅島監視所

 

「ふぅ~、ようやく一息つけた。しっかし、やっぱりきついな・・・・」

 

閑散とした食堂。人影は疲れ果てている男以外にはなく、厨房から人の気配が漂うのみ。しかし、これは男にとって好都合なことでもあった。横須賀鎮守府などの本土の基地と異なり、人員が少なく規模も小さい、ここ三宅島監視所の食堂は非常に小さいのだ。大きく捉えても学校の教室程度しかない。そして、人員が少ないため、監視所に配属されている将兵とは顔見知り。そのような環境下では、もし誰かいれば気を遣わなければならないし、上官ならば無視して黙々と食べる訳にもいかない。

 

激務で憔悴しきった心身を、休息中にもすり減らすのはさすがに堪える。しかし、今日はそれもない。繁忙時間からずれたことに感謝し、嬉々として配食されたみそ汁をすすろうと箸を持ったとき、後ろから声がかかった。

 

「よっ! お前も今、昼か? お互い軍人の鑑だな」

 

声の主は見知った人間だった。

 

「あれ? お前、今日非番じゃなかったか?」

 

怪訝そうな表情に「本当はな」と返し、席につく。

 

「お前も聞いただろ? 三水戦と敵潜水艦の戦闘の件」

「ああ、確か、下田沖だったよな。しかも、安全と目され哨戒も行われていた海域のど真ん中。だが、それとお前になんの関係があるんだよ」

「それを受け、お偉いさん方が青くなったようで市ヶ谷から大号令が下ったんだよ。哨戒を厳にせよ、一隻たちとも本土に近づけるな!!って。それはうちも例外じゃなくてな。本来、電波傍受・観測の俺まで、収集したデータの解析に回されたわけ。勘弁してほしいもんだ」

 

げんなりとした空気。かたや激務で疲れ切っている者と、かたや休日をつぶされ文句すら言えない者。当然の帰結だが、それでは飯が不味くなることは必至。美味しいご飯を得るため、空気の転換を図る。ちょうどいいネタがあった。

 

「そういえば、最近妙な電波が時たま受信されるって話、知ってるか?」

「ん? どうした急に? まぁ、知ってるぜ。ほかのやつらも話してたからな」

 

ご飯をかき込みながら、平然と答える。

 

「実は、昨日の夜にそれを捉えてな。でも、噂どおりすぐ消えちまった」

 

男の動きが止まる。視線がご飯からこちらへと向けられた。

 

「室長に報告したのか? それ」

「いや、してない。深海棲艦の暗号でもなかったし、単なる誤受信だと思うんだよな、あの波形を見るに」

「ふ~ん。まぁ、あんまり深く考えなくていいぞ」

 

再び男は、食事を再開する。

 

「なんでだよ?」

呉鎮守府(呉鎮)の知り合いに聞いたんだが、あちらでもあちこちでお前が捉えたような電波を拾ったらしくてな。原因を調査した結果、なんとアンテナの不備だったらしいんだよ」

「不備?」

「ああ。なんでも金の力で無理やりねじ込まれた五美財閥系某会社の部品に欠陥があったんだよ」

「なんだそれ・・・」

 

思えわぬ理由に倦怠感を覚える。男は呆れたに笑っているが、実際に探知して肝を冷やした者からすれば、笑えない。しかし、心の中に安堵が広がったことも確かである。

 

「だから、ほら。安心して食え食え。どうせ、また夜までぶっとおしなんだろ?」

「お察しの通りで。お前は?」

「正直分からん! 昼終わったらまた来いって言われてる・・・・」

「ご愁傷さま。じゃあ、再開しようっと」

 

再びみそ汁をすすり始める。今日はまだ半分が終わったばかり。これからも激務は続く。

 

 

~~~~~~~

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

 

「提督、こちらが由良基地経由で送られてきた戦闘報告書になります」

 

百石の前に立った長門の声。それに紛れてシトシトと降る雨の音が聞こえてくる。天気予報によれば西日本はおおむね曇りだそうだが、梅雨前線と今まさに台風8号が向かってきている東日本は一面の梅雨空であった。幸い、現在硫黄島の南東沖に停滞気味の台風はその後、偏西風に流され徐々に進路を東に変えると予測されていた。天気予報の精度と気象庁の信頼性が微妙なので、なんとも言えないが、うまく行けば数日後には天気が回復し、こんなじめじめと梅雨を体現したかのような気候はおさらばだ。

 

「おお、やっときたか」と表情を和らげながら、その報告書を受け取り、大雑把だがすぐに目を通す。

 

「敵の戦力は計6隻。新手は発見されず、全隻撃沈し戦闘は終了。当方に損害は皆無、か」

 

読み終えると、一気に体の力が抜け、椅子の背もたれに体重をかける。

 

「さすが、みずづきというか、なんというか。対潜戦闘としてはこれ以上ない満点だ」

「演習では潜水艦が参加せず、彼女の対潜戦闘能力は未知数でしたが、図らずもそれが証明される結果となりました」

「みずづきがいなければ確実に被害が出ていただろうな。それはなりよりだが、しかし・・・あんなところに潜水艦が潜んでいようとは・・・・」

 

一気に2人の表情が暗くなる。今回、みずづきたちが接敵したのは本土の目と鼻の先で、しかも民間船が無防備で航行する主要航路。別に「敵などいるか」と慢心していたわけでもなく、哨戒機や海防挺によって定期的な哨戒も行われていた。にも関わらず、いたのだ。しかも、一隻ではなく1個艦隊にあたる6隻も。その衝撃は計り知れず、瞬時に瑞穂全体へと拡散することとなった。もともと天候によって危ぶまれていた訓練は命令によって完全に中止され、空母機動部隊である第1機動艦隊を除く、第5遊撃部隊と第6水雷戦隊が出動し、雨の中対潜哨戒を実施していた。また、影響は軍内にとどまらず民間へも拡大している。当海域を航路としていた全ての船が運航を見合わせ、経済活動に深刻な影響が生じていた。しかも安全を鑑み、四国・九州、東北沖の航路でも航行を見合わせる船会社が出てきている始末である。

 

だが、それを思って2人が深刻な表情になっているわけではない。もちろん、全く感知していないわけではないが、最も気がかりだったのは敵の目的である。わざわざ撃沈される高い危険性をはらんでまで、肉迫した目的とは一体・・・・。

 

「敵の真意が分からん。もし、会敵場所が浦賀水道や東京湾内ならここの偵察・諜報と見て間違いないんだがな」

「向かう途中だったとも考えられます。何故、わざわざこちらが握っている第2列島線より内側から侵入を試みたのか、定かではありませんが。通商破壊でしょうか?」

「まぁ、それが最も可能性が高い推察だな、実際、軒並み船が港に引き込もってるわけだし。軍令部内でもそれが大勢を占めてるようだ」

 

潜水艦の役割はなにも攻撃だけではない。攻撃の成功率を保障する隠密性を利用し、いつどこにいるか分からない恐怖を植え付け、意識的・無意識的に相手の精神を疲弊させ、行動や思考を制約することも大きな役割だ。長年潜水艦とやり合ってきた日本世界でもいまだにそうなのだ。深海棲艦が登場して初めて潜水艦と接触した瑞穂世界において、その威力は日本世界と比較にならなかった。

 

「現在、三水戦は?」

「高知沖と報告を受けております。今のところ、新たな敵船との接触はありません」

「そうか」

 

真意不明の敵の動き。みずづきがこの世界にやってきた日、以来の出来事につい考え込んでしまうが、長門の呼びかけで、また現実に引き戻される。その手には別の書類が握られていた。確認することもなく、受け取る。

 

「例のメンテナンスに関わる書類か。通信課からは既に報告を受けている。しかし、参ったものだな」

 

つい、頭を抱える。百石も怪電波の報告はかなり初期から受けていた。当初は本気で深海棲艦の通信を傍受したのではないかと疑い軍令部にも照会したのだが、時間が進んで出てきた真実は、アンテナの不備であった。しかも、五美財閥と国防省経理局の癒着の結果とは、脱力もいいところである。随分と昔に行われたものだっただが、国難の真っ最中に発覚するとはタイミングが悪すぎる。

 

「早ければ、来月にも改修工事の準備が整います。工事期間中は平常通りの通信・情報業務の縮小は避けられないとのことです」

「前線の身としては困るが、致し方ないな。むしろ、次作戦の準備に追われる前に完了できることを喜ぶべきか」

 

そう言いつつ、書類に自身の印鑑を押す。

 

「これを通信課と総務課に届けておいてくれ」

「了解しました」

 

長門に書類を差し出すと、百石は次にやるべきことを反芻する。立場や場所が違えど、軍人みな忙しい。

 

 

~~~~~~~~~

 

 

どこまで続く水の世界。空が晴れていれば海面付近が蒼く染まり、屈折現象で疑似的な光のカーテンを拝める時もあるのだが、今日はもう1つの一面をのぞかせていた。秒単位で変わる潮の流れと速度。少しでも気を抜けば、一人立ちまもないクジラの子供のように翻弄されてしまう。海中は台風の影響で荒れに荒れ、日光が少ない影響でいつもはもっと下に居座っている底なしの闇が海面に、自身に近づいている。

 

無限の大洋、加えて猛威を容赦なく現す大自然の中で、1人ぼっち。常人どころか屈強な鍛錬を積み重ねた軍人でもとても耐えられない環境の中を、おくびもださず進む姿があった。時折体を叩きつける水の壁。それを器用にかわし、ダメージを最小限度に抑える。意識的にやっている行動のように思えるが、実はそうではない。彼女の全意識は耳に集中している。暴れる水の音をかき分け、ある音を追う。自然のあらゆるものと異なる、傲慢な音。

 

(そろそろかも・・・・)

 

一旦停止すると、気を引きしめ海面を目指す。自分の独壇場から相手の独壇場へ。味方の勢力圏ならいざしらず、それ以外の場所では常に緊張を迫られる。

 

いざ、海上へ。先ほどまでとは比較にならないほど、鮮明になる視界。海中と異なり、そこは雨も降ってなければ風もそこまで強くなく、とても台風の勢力圏内とは思えない天候に支配されていた。低く垂れこめ、猛スピードで移動する雲の下。

 

「っ!? そ、そんな・・・」

 

そこに、いてはいけない異形の存在がいた。だが、存在は遥か前から把握していた。では、何に驚いているのか。

 

視界の先、曇天の下に広がる異形の群れ。

 

 

 

 

 

 

そう、数が想像を絶していたのだ。

 

 

 

 

 

 

長時間海中にいたため、もともと低かった体温が一気に下がり、顔から血の気が引く。一瞬あまりの衝撃に我を忘れるが、自身の任務を思い出し、急速潜航。急いで一群との距離をとる。

 

(早く帰投して、本隊に伝えなきゃ。ではないと、大変なことになる・・・・・・っ!?)

 

急速に近づいてくる低く、いくら振り払っても取れそうにない重い音、音、音。本能が、理性が、感情が、頭が、心臓が、ありとあらゆるものが最大級の警報を響かせる。

 

続いて、海面に何かが着水する音。それも1つではない。複数だ。それが何か、いちいち理解するまでもない。直上を通り過ぎ、進路を転舵。再びこちらへ向かおうとしている音の一団。

 

しかし、それも推測で終わる。断続的に巻き起こる爆発音と衝撃波。皮膚と骨を通過し、直接、内臓と頭が揺さぶられる。それを避けようとぎりぎりの深度まで潜るが、爆発も後を追い、徐々に近づいてくる。

 

(こんなところで・・・こんなところで沈むわけには! せめてこのことを・・)

 

至近で起きる衝撃。水の壁とはまったく別物のそれにはさすがになすすべがない。遠のいていく意識。それでもなお爆発音は続いている。




間話と言いつつ、結構いろんなものが・・・・・・・。



再びみずづきと陽炎が登場する「51話」は来週投稿予定です。一週間お待ちいただけると幸いです。


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51話 船団護衛 その4 ~瑞穂の那覇~

今話は「演習編」並み、かなりの文量となっています。

本当は2話にわたって投稿しようと考えていたのですが、そうするとテンポが悪いかな?と感じたため、一気に投稿いたしました。

目がチカチカしだした方は無理せず、のんびり読んでいただけると幸いです。


陽炎? 今更こんなこと言うと私の人格を疑うかもだけど、私は詐欺師がやるように上から下まで完全な嘘をついていたわけじゃない。私が中学生のころまで確かに日本は平和だった。震災もあったけど、経済危機もあったけど・・・・・・あの頃は、平和だった。

 

でも、その平和を、私の日常をぶち壊したのも・・・いつの時代も変わらない、戦争だった。深海棲艦とじゃない。・・・・・・・・・・・人間との。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

やっと、中国との戦争が終わったと思ったら・・・・・・ゆうちゃんを殺したテロリストとの内戦が終わると思ったら・・・・・・・・やつらがやってきた。・・・・ん? 陽炎も知ってるよ。何度も砲火を交えてきたでしょ? ・・・・・・・うん、そう。

 

 

深海棲艦が。

 

 

陽炎だったら、日本の末路が分かるかもね。いうなれば、88年前の再来。東京も、名古屋も、大阪も・・・・・・神戸もっ。みんな・・・みんな・・・・。街だけじゃない・・・・・みんな・・・みんな・・・・・。あれ・・・・? ご、ごめんね! 私、泣いたらいけない立場なのに・・・・泣く資格なんて・・・・・・ないのに。ぐすっ・・・う・・・うぅ・・・。本当に・・・ごめん。す、少し落ち着かせるから・・・・・少しま・・・待・・ぐすっ・・・て。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

閉じていないようで閉じていた瞼がゆっくりと開けられる。丸く非常に小さい窓にかけられたカーテン。その隙間から弱々しい光が覗いている。視界に入るがちっとも眩しいとは思わなかった。布団に身をうずめながらもう一度、寝返りを打つ。正直、もう何度やったのか分からない。耳を澄ませると規則的で愛嬌さえ感じる寝息が聞こえてくる。しかし、それは1人のみ。もう1人は時々陽炎と同じく寝返りを打っているが完全に無音だ。寝ているのか、起きているのか。それすらも分からない。

 

任務を完遂させる上で休息は重要。これは己が艦娘という非常識な存在になって痛感していた。だがら貴重な時間を無駄にしないために瞼を閉じようとする。だが・・・・。

 

 

多くの人たちが、死んでいった・・・・・・・・。空爆で、戦闘で、飢餓で、病気で・・・・。

私の・・・・・知り合いも。私の・・・・・・。わ、私の・・・・・・大切な人も、仲間もっ。

 

 

すぐに瞳は現実を見せつける。

 

閉じると、闇を感じると、あの時、あの日の光景が浮かんでくる。そして、彼女から語られた未来と、自分の感情が霞むことなく新鮮なまま、浮かんでくる。

 

 

あの時、自分はどういう顔をしていたのだろうか。当然自分の表情なのだから、分からない。ただ、これだけは分かる。大人ぶって、調子に乗って大口叩いたくせに、予想外の現実を知って無様な表情をしていたことは。

 

 

あまりにも衝撃的な未来。みずづきの言動と時々垣間見せる雰囲気から、彼女が何かただならぬことを隠していることは分かっていた。しかし・・・・・・・正直、こんな惨たらしい未来だとは想像していなかった。一体、誰がこんな未来を想像できるというのか。

 

あの時、思わず叫びかけた。

 

自分がみずづきの枷を外したにも関わらず、「嘘言わないでよっ!! 冗談でしょ? 冗談って言ってよっ!!」と。もしかしたら涙を浮かべていたかもしれない。だが・・・・・・・・・・・彼女のあの顔を、あの涙を見てしまえば言えるわけがない。

 

嘘でもなく、誇張でもない。彼女は現実を語ってくれた。筆舌に尽くしがたい状況で、地獄を見てきたのだろう。

 

陽炎は、戦場を知っている。砲弾や銃弾に晒された人間がどうなるか知っている。無我夢中で死から、痛みから逃れようとする人間の姿を知っている。攻撃を受けた時の痛みを知っている。

 

だが、銃後は知らない。日常から戦争へ急降下する時の感情を知らない。空襲警報の怖さを知らない。本土決戦の恐怖を知らない。空腹の苦しみを知らない。一瞬ではなくゆっくりと死に向かっていく感覚を知らない。当然と言えば当然だろう。なぜなら、連合軍と死闘を繰り広げていた時、陽炎はただの駆逐艦だったのだから。

 

しかし、みずづきは陽炎たちと酷似した能力・立場であろうが軍艦でなく、1人の人間。彼女は人間として戦争の中に身を置いてきた。陽炎が知らない恐怖を彼女は・・・・知っている。

 

あの時、自分は何か言ってあげられたのだろうか。こちらの押しに応え、涙をながしながら、押し殺しながら語ってくれた彼女に。答えは否だ。

 

“ごめんね”

 

彼女は語り草が終わるとそう言って、いつも通りを装い自分たちの部屋まで案内してくれた。

 

「っ・・・・・・・本当にダメね。私は・・・・・」

 

非常に小さな、自分にしか聞こえない声量で呟く。自分の器の矮小さに嫌気が指してきた。

 

彼女は地獄を経験した上で、こちらの反応を予測し、こちらの幸せと満足を壊さないようにと自ら悪役を買って出てくれていた。現実を知らず能天気に笑い合う無知な存在に怒りをぶちまけることもなく、その笑顔を大切にしてくれていた。こちらの「真実を知りたい」という気持ちに応えてくれた姿勢からも言える。

 

 

 

 

 

 

みずづきは、優しい。ここまで痛みを抱えながら他人を想えるなど、つくづくできた子だ。

 

 

 

 

 

そんな彼女にお礼の一言も、労いの一言も言わずして、このままズルズルと引っ張って良い訳がない。艦隊型駆逐艦としてあの太平洋駆け抜け、この世界でも各艦隊の主力を担っている陽炎型駆逐艦一番艦の名が廃るというものだ。

 

 

加えて、彼女から“真実”を聞いたことは後悔していない。

 

あれは、未来。

どんな残酷な結末でも、結果でも、未来でも、否定したり逃避したりすることは許されない。これから逃げること、即ち目を背けることは、日本の努力も克服も苦しみも後悔も全て否定することになる。犠牲も、否定することになる。

 

自分たちの大切な祖国が、自分たちを作ってくれた人々と共に大海原を疾走した乗組員たちの子孫が、必死に考え、奔走した末に歩んだ軌跡。それを受け入れずして、直視せずして、なにが“栄えある大日本帝国海軍の艦娘”だ。この気持ちも彼女に伝えなければならない。

 

あの夜以来、みずづきとは2人きりで話してない。それどころか他の仲間がいてもあいさつ程度でろくな会話をしていなかった。衝撃の強さ故か、記憶に曖昧な箇所があるもののみずづきはやけに明るかった。こちらに気を遣っているようだが、それだけで気にしていることがバレバレだ。

 

彼女とは話さなければならない。陽炎と、そしてみずづきのためにも。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「どうしたの? 陽炎。こんなところに呼び出して」

 

とある船内の一室。と、聞くとつい薄暗く不衛生な環境を思い浮かべてしまうが、雰囲気だけであり実態は正反対だった。五美商船の木曾丸と同様に廊下からトイレまで清掃は行き届いている。現在お邪魔している船は護衛している豊田商船船団の内の1隻。いつものような和気あいあいの雰囲気ならば「へぇ~」と感嘆の1つや2つが出てくる。しかし、状況はそんな生易しいものではない。

 

遥か先まで続いている廊下を背にした陽炎と相対していた。瞳に映る陽炎。一見しただけ、疲れ切っているのが分かる。雰囲気は気合いで隠せても、目の下にうっすらと浮かぶ隈までは隠せない。自分自身もそうなっていることは分かっているが、憔悴した陽炎を見ると胸が締め付けられる。

 

大切な仲間である陽炎が、そうなっている理由。それは考えるまでもなく、あの夜だ。あの夜、陽炎に“真実”を話した。包み隠さず、全てを。

 

「陽炎? 大丈夫? その・・・・」

 

陽炎は予想だにしなかった日本の未来を聞かされて何を思ったのだろうか。それを考えると、言葉を紡ぐことが憚られるような気さえしてくる。

 

陽炎からの反応は、ない。不自然にこちらから目を逸らしたままだ。

 

「大丈夫なわけないよね。ごめん、無神経なこと言って」

「・・・・・・」

 

陽炎の口元がわずかに動く。しかし、言葉を発しようとしているのか、ただ息をするためなのか分からない。

 

場を支配する重苦しい沈黙。極めて居心地の悪い静寂が訪れる。それを受け、みずづきはあの日から伝えようとしていたことを伝える決心をした。

 

「陽炎? また無神経なこと言うかもしれないけど、あんまり気にしないでいいんだよ? これは完全に私たちの世代が引き起こして、私たちに降りかかった災厄。陽炎たちにはなんの責任も関係もない」

 

あの日以来、陽炎の様子は一変していた。寝不足や目の下の隈だけではない。いつも元気ハツラツで黒潮や深雪たちと会話のキャッチボールを当たり前にしていたが、それはすっかりなりを潜めていた。意気消沈で別人というほどではなく笑っている時もあったが、それがかえって無理しているように感じられた。

 

それを見るとやっぱり思ってしまう。

 

“言わなければよかった”と。陽炎との関係を壊しても、彼女がみずづきを捨てることでこうなる可能性を拾わずに済んだ方が良かった、と。

 

 

こうなることは分かっていた。初めから。

 

 

みずづきの言葉を聞いた瞬間、陽炎はここに来てから一番大きい反応を示した。震える肩。握られる拳。怒っている。そう直感的に思った。

 

「違う・・・・」

 

だが、その予測は大外れ。かすれた声ながらも、強い意志の籠った言葉がはっきりと聞こえた。

 

「違う・・・違う、違う、違う。私はそんな言葉をかけてもらいたくてあんたを呼び出したわけじゃない。そんな顔を見たくてあんたに会いたいと思ったわけじゃない」

「へ?」

 

陽炎の視線が交差する。今、彼女はしっかりとみずづきを見つめている。

 

「あんまり気にしないで、か。それはこっちの台詞よ、みずづき。私、あの夜に言ったわよね? 別に気遣わなくていいからって。私の眼中になかったことが降りかかってきたから、無効になってるとか思ってるかもしれないけど、それは今も生きてるわ。だから、あんたは自分の話したことに負い目を感じなくていいの。謝るのは・・・・違うわね。しっかりと礼儀を通さないといけないのは私」

「礼儀って・・・何を言ってるの? 私は陽炎を苦しめた。私がもう少し心を鬼にしていれば、自分を犠牲にしていれば、陽炎はそんな憔悴せずに済んだ。だから、全部私が・・・」

「悪いって?」

 

なんの躊躇もなく頷く。

 

「全く・・・本当にこの子は・・・・」

 

苛立たし気に自慢のツインテールをいじる陽炎。それを独占的に眺められる、そしてそうさせた立場としてはただただ傍観するしかない。行動の理由が分かっていれば何らかのアクションを起こせるが、一切分からない為、行動のしようがない。

 

「みずづき。あんた石頭なところがあるから、先に言っておくわね」

「ちょ、ちょっと待ってよ! え? 私が? いきなり石頭って、心外にもほどが・・」

「いいから私の話を聞きなさい!」

 

思わず「はい・・・」ということを聞いてしまうほどの迫力。さすがは17人もの姉妹を持つ陽炎型駆逐艦の一番艦だ。

 

「今から言うことは、嘘でも偽りでもない私の本心。あんたが真正面から答えてくれたんだもの。私も誠意を見せるわ。みずづき?」

「は、はい」

 

 

「話してくれて、ありがとう」

 

 

「え・・・・・・・・・」

 

これでもかというほど輝く陽炎の笑顔。なぜ彼女がそのようなことを言うのか。なぜ、彼女が満面の笑みを見せているのか。自分が彼女にしたことは悪趣味なことではなかったのか。脳の情報処理が追いつかない。

 

だが、みずづきの主導権を心が握ったのか、口が勝手に動いた。

 

「なんで・・・・・なんで、そんなことを。なんで? どうして? 私は陽炎を苦しめたんだよ? なのに、ありがとうなんて・・・」

「何、言ってるのよ? あんたは十分感謝されるような行動してるじゃない。私のごり押しにちゃんと応えてくれたし、それに・・・・・・あんたは私たちを第一に考えてくれていた」

「か、陽炎・・・・?」

 

思わず声が震えてしまう。床にぽつぽつと落ちる滴。

 

 

 

 

陽炎は、静かに泣いていた。

 

 

 

 

「そりゃ、聞いた時は・・・・・辛かったわよ。私たちにとって・・・何も守れず、大切なものを失った私たちにとって、唯一の救いは、故郷が・・・日本が植民地にもならず復興して、大きく発展したことだった。自分たちの犠牲は・・・あの人たちの犠牲は無駄じゃなかったんだって、意味あるものだったんだって、そう思えることで前を向けられた。もし、みんなにこれを話したら・・・きっと、私みたいに、いえ。敗戦を見ていない私でもこうなのよ? 玉音放送を聞いて・・・・焼け野原を見て・・・・いっぱい人が死んでいくとこを見た子なら・・・・どれほど悲しむか。容易に想像は出来る。みずづきはずっとそうなることが分かっていたから、黙っていてくれたんでしょ?」

「・・・・・・・・・・・・」

「だから、言わせてみずづき。私たちのことを想ってくれて、ありがとう。私は、あんたみたいな友達と出会えたこと、すごくうれしいわ」

「か、陽炎・・・・・って」

 

それは一瞬の出来事だった。示すことが出来た反応はただ「え・・!?」という驚愕のみ。しかも事が起こった後に成したため、遅きに失した感は否めない。

 

制服越しに伝わってくる温かい熱。顔の前で揺らめくオレンジ色の髪から漂うシャンプーの香り。ここまで近くで、そして密接に他者の存在を感じたのは果たしていつ以来だろうか。

 

みずづきは陽炎に優しく包み込まれていた。

 

「ねぇ、みずづき? 私ね。あんたから真実を聞いたことこれっぽっちも後悔していないの」

 

突然のことで密かに心臓が爆発しそうになっていたが、陽炎の静かな声色を聞いた途端に心拍数は落ち着き、沸騰で混濁していた意識は明瞭さを取り戻す。陽炎の言葉に鎮静効果の存在を疑ってしまうほどの即効性だ。

 

「確かに未来の日本は私たちが知っている、そして私たちが望んだ日本じゃない。むしろ、私たちが絶対にならないでと祈っていた姿そのもの。でもね、その未来は現実。そうでしょ?」

 

言ったことは本当なのか。陽炎は暗にそう聞いてきた。

 

「嘘なんて言うわけない!! 全て本当のこと!! って、あ・・・・・・」

 

言った張本人たる陽炎も本気で真偽を疑っているわけではないと分かってはいたが、ついに大声を出してしまった。近くに陽炎の顔が、耳があるにも関わらず。しかし、陽炎は抗議の声は挙げなかった。代わりに発したものは「ふっ」という微笑。

 

「陽炎?」

「私は、受け入れるわよ。あんたの住んでた、未来の日本を・・・・・」

 

全く予想していなかった言葉。

 

「例え再び日本が戦火に巻き込まれ多くの人たちが不幸になっているのだとしても、それに至った過程でなされた努力・苦労、生み出された犠牲と後悔、そして必死によりよい未来へ突き進んでいく決意と誓いは決して否定してはいけない、とても儚くて尊いものだから・・・・・。否定することは、それら全部を、私を大切に想って、動かしてくれていた乗組員たちの子孫が作り上げた、考え出したすべてを価値のないものとして、突き放すこと。私にはそんなことできない。それをすれば、突き詰めると・・・・・・あの人たちを否定すること、故郷を否定することになっちゃうから」

 

陽炎型駆逐艦一番艦、陽炎。活発で明るく、長姉の影響か面倒見もよく、周囲の駆逐艦からちょっかいをかけられて怒ったりもする少女。とても、あの「陽炎」自身とは思えない。いや、今この時までは思えなかった。艦艇の転生体やら神様やらと聞かされても無意識に自分と同じような人間と捉えていた。喜怒哀楽があり、会話を投げればそれぞれの個性を持って、十人十色の答えを返し、趣味や好きなものも千差万別。お腹もすくし、お風呂に入れば頬が緩む。だが、彼女たちはそこいらの人間とは違っていた。やはり陽炎は「陽炎」だった。

 

彼女ははっきりと言った。あの日本を、信じたくない未来を、受け入れると。

 

「私・・・・・・陽炎を舐めてたかもしれない。すごいよ、本当に・・・・。ねぇ? また怒られるかもしれないけど、1つ聞いていい?」

 

だから、これだけは聞きたかった。答え次第で、陽炎に行った、友達として許されない行為に対する評価が決まる。

 

「私が・・・・・・私から聞いた意味はあった?」

 

完全に主語が欠落した言葉。しかし、陽炎は欠落をものともせず、即座に答えた。顔が完全に死角に入っているため見えなかったが、笑みを浮かべていることは声色から分かった。

 

「もちろん!」

「そう・・・・・そう・・・・・・」

 

頬を伝ってく冷たい感覚。今まで針のように尖っていたそれは、丸みを帯びている。そればかりか、心なしに温かくすらあった。今なら、自分に素直になれそうな気がする。

 

「陽炎? 私ね。ずっと、怖かった・・・・」

 

震える声。陽炎は何も言わない。ただ、背中に回されている手の力が少し強くなった。

 

「敵前逃亡したって言われて、周りから蔑まれて・・・・・一人になった。そこから知山司令のおかげでまた大切な人たちに囲まれる時間を得られてたのに、それもまた・・・・。いつもそうだった。大切な人は、いつもいなくなっていた、いつも、いつも。だから、怖かった。また1人になるのが・・・・・。例え1人になっても、みんなが笑っていてくれたらそれでいいって割り切ろうとしたけど・・・・・・・やっぱり怖かった。また蔑まれたら、どうしようって。疎まれたらどうしようって・・・・・」

 

豪快に鼻をすする。女子的には出したらいけないタイプの騒音だったが、それでも陽炎はみずづきを優しく包み込んでいる。

 

「それでね。もしばれて、みんなが私と同じ悲しみを背負って、苦しんだらどうしようって。そう思った。私が日本は平和って言った時の、みんなの笑顔。今でもはっきり思い出す。あれを私が、自分で壊しかねないって・・・・。もう、いろんなものが怖かった。でも・・・・」

 

陽炎は言ってくれたのだ。ありがとうと。嬉しかったと。聞いたことを後悔していないと。その言葉が常に葛藤を抱えていた心に光をもたらしてくれた。

 

 

 

 

 

「私の行動は、空虚で無意味なものじゃなかったんだね・・・・」

 

 

 

 

一際強く、しかし優しく抱きしめてくれる陽炎。無言だったが、行動で「そうよ」と言ってくれたような気がした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

那覇。沖縄本島の南部に位置し、北西方向一帯に東シナ海を望むこの街は、古来より琉球王国の首都・首里に直結する港として栄えてきた。東アジア・東南アジア圏の中継貿易の拠点として、各国の独自性豊かな文物が一堂に会し、多くの品々がここを経由して各国へ向かっていった。時代の変化とともに貿易の質は変化したが、繁栄と活気は薩摩藩が行った琉球征伐により属国化しても、武家政権たる幕府から天皇を戴く新政府に変わった日本政府が廃藩置県の名のもとに琉球王国を解体し、沖縄県となった後も今まで変わることはなかった。

 

かつて琉球王国王族が住んでいた首里城と、国王に仕えていた特権階級層が居住していた首里城一帯は世界遺産条約に基づく世界文化遺産に指定され、深海棲艦が出現するまでは沖縄及び那覇観光の目玉として絶大な集客力を誇っていた。日本とも栄中とも和寧とも、ましてや欧州諸国とも異なる趣の、とにかく赤を基調とした城や屋敷たち。日本ならば、詳細な構造には差異があれど、城といえば姫路城・大阪城・名古屋城・広島城・熊本城などなど数え切れないほど存在している。だが、沖縄にもグズクと呼ばれる城はいくつか存在するが、やはり首里城は格が違っている。また、城の周囲を埋めつくす、貫木屋(ヌチジャー)と呼ばれる赤瓦葺きの平屋群とその麓にある琉球建築と瑞穂建築両方の家々を有する市場が、本土の京都とはまた異なる古都の雰囲気を現代にまで留めている。

 

「へぇ~~。これはまたすごいね」

 

陽炎から渡された白黒の観光本には、かつて存在していた日本の那覇とは異なる瑞穂の「那覇」がこれでもかというほど自己主張をしていた。しかし、その自己主張は不快になるような次元のものではなく、むしろ興味をそそられてしまうほどだ。

 

「でしょ? 私も何度か那覇に立ち寄ってて、首里城にも行ったことがあるんだけど、日本の・・・・というか瑞穂? まぁどっちも同じだから置いておいて、本土の城とは何もかもが違うから、それはもうすごかったわよ」

「いいな~~~。私も行きたいな~~~」

「そんなに行きたいのなら、川内さんにかけあってみたら? 黒潮たちも別に文句は言わないと思うけど・・・・」

「いや、別に川内さんに言いづらいとか・・・そういうんじゃないんだよね」

「ん? じゃあ、何?」

 

観光本をペラペラとめくり、とあるページを陽炎に示す。そこには沖縄弁でタギウチマーと書かれている「竹祭り」の写真が掲載されていた。よほどこの観光本を出版している出版社も気合いを入れているのか、「竹祭り」の特集は全ページが瑞穂では珍しいカラー印刷だった。この本でほかにカラーなのは首里城と沖縄の海が紹介されているページしかない。

 

「こんなきれいなら、おそらく竹祭りだけで夜が終わっちゃうからね。とても首里城まで見て回る暇はないと思う」

「だったら、今日行けば良かったのに。時間もたっぷりあることだし・・」

 

由良基地からの船団護衛は、陽炎の一件という身内のハプニングがあったものの、敵との遭遇も事故も故障もなく順調に進行。那覇港に入港する豊田商船貨物船団と分離後、当初の予定通り、本日7月12日午前3時に沖縄県那覇市にある瑞穂海軍那覇基地に入港した。

 

ということはこれから2日間、未来の予測不可能性によって理不尽に食いつぶされることもなく、そのまま2日間お休みを意味する。沖縄諸島近海で深海棲艦の出没事案があったり、どこかの部隊が市ヶ谷も大騒ぎという規模の戦闘を行ったりすれば、お休みという名の即時待機態勢に置かれるが、入港時那覇基地隊の将兵からはそういった話もなかった。

 

そのため、「次の日、厳密には今日から休みだから、睡眠なんて最低限でいいんだぜ!!」と思う人にとっては、3、4時間寝た午前7、8時が行動開始時間となる。竹祭りが明日開催のため、今日は何をしようとも良かったのだ。

 

しかし、みずづきはテンションを上げまくって基地内で初雪を引きずり回している深雪のように行動を起こすこともなく、こうして国場川の近くに設けられた公園のベンチに腰を降ろしていた。

 

「いや、私もさすがに疲れた。それに・・・・・・・・・ここが日本じゃないって、頭に叩き込んでおかないと、明日楽しめないと思って」

「あっ!! ご、ごめん! 嫌なこと聞いちゃって・・」

「ん? ・・・ああ!! いいよいいよ。私はなんとも思ってないから。それに、陽炎だから・・・・・・・こんなことを呟けるんだよね。黒潮とかだったら、絶対に言わないもん」

「・・・・そっか。・・ふふ」

「あ~、陽炎、照れてる」

「はぁ!! な、なに言ってんのよ!! 私は別に照れてなんて・・・・・。・・・・・・・・・ああそうよ。照れましたよ、照れましたとも!! ええ!!」

 

顔を真っ赤に染め、頬を膨らませてそっぽを向く。まだ、あの艦娘らしい「陽炎」が瞼に焼き付いているため、その姿と今の子供っぽい陽炎の比較は面白すぎる。つい、声を上げて笑ってしまった。それにつられて陽炎も。

 

一段落つくと、陽炎が先に口を開いた。

 

「・・・・・まぁ、そうよね。いくら違っても那覇だものね、ここは」

「うん。かつて存在した日本の那覇とは、全くと言っていいほど違う。なにもかも」

 

今、みずづきたちがいるのは瑞穂海軍那覇基地内の公園。日本に置き換えると、ここはかつて在日米軍那覇港湾施設があった場所。2033年現在は日本海上国防軍那覇基地の敷地の一部となっている場所。

 

ここから見える景色。それは子供の頃、テレビや雑誌を見て目にしたもの、そして日向灘で運命を迎える直前に立ち寄り、直接この目で見た那覇とはいずれも異なっていた。そもそも地形から違う。那覇市を2つに穿つ国場川は広く、漫湖の下流に中洲のような大きな島がある。

 

港湾区も泊埠頭線(旧国道58号線)が走り、通常艦隊再建後の一大拠点化を目指して鋭意長大なバースや桟橋群の整備が進められていた泊埠頭は完全な海で、依然は住宅街が広がっていた西新町に大型船停泊可能な港が設けられている。現在は海防軍那覇基地となっているが、対岸に見える通堂町は那覇埠頭が設けられていた在りし日の那覇と同じく小型船停泊用の港として多くの小型漁船や木材運搬船が係留されている。但し、林立する木造家屋の間から見える存在が、最も異彩を放っていた。

 

地形も全く異なり、東京ほどではないにしろ林立するビル群もない。だが、最もここが日本の那覇ではないと教えてくれる存在は、それだった。

 

その正体は、鉄道である。日本の沖縄でもかつてモノレールの「ゆいレール」ではなく、軌道を使用するれっきとした鉄道が存在していた。大きく分けると、762mmという通常規格より狭い軌間規格を用いた鉄道と路面電車、馬が機関車の役割を果たし線路の上を走って車両を動かす馬車鉄道の3つが存在していた。しかし、経営難により路面電車と糸満馬車軌道(馬車鉄道)は昭和初期に廃止。

 

最後まで踏ん張っていた鉄道と片割れの馬車鉄道、沖縄軌道も太平洋戦争の激化に伴い運航を停止。そして度重なる空襲や苛烈を極めた第一次沖縄戦によって線路・駅舎をはじめとする設備が徹底的に破壊されたため、終戦と同時に姿を消した。

 

その幻の存在が、堂々と走っているのだ。しかも、線路上に電線が走っていることを鑑みると電化されているようだ。基地の将兵から聞いた話によると、現在沖縄県には国営沖縄鉄道、旭町にある沖縄鉄道那覇駅と首里城のすぐ近くまでを結ぶ沖縄電気(電力会社)経営の路面電車が走っているそうで、沖縄鉄道の始発駅・路面電車の経由駅である那覇駅は乗降客数も多く、駅前の商店街はかなり賑わっているのだとか。

 

日本では時代の趨勢によって消えた存在が、並行世界たる瑞穂では当たり前の存在として生き残っている。

 

「でも、やっぱり同じところもあるよ」

「・・・・・・・・・例えば?」

「山とか? さすがに山レベルになるとそうそう輪郭は変わらない。沖縄独特の海の色も。それに今いる場所も海上国防軍那覇基地の一部だったし、陸上国防軍那覇駐屯地、航空国防軍那覇基地があった場所には同じように瑞穂陸軍那覇駐屯地が、瑞穂海軍那覇基地がある。身内の軍がここは那覇だって教えてくるのは、なんの皮肉なのかな・・・・」

 

ここでふと、抱いても今まで必死に隠してきた感慨を自然に話していたことに気付く。だが、この世界に来て作り上げられてしまった反射的な戸惑いも、あの夜と船内でのあれを思い出すと静かに引いていく。彼女になら、本当の自分で向き合えるのだ。

 

「やっぱり陽炎がいてくれて良かった」

「え?」

 

みずづきは何も暇でここに来たわけではない。きちんとした理由があってここでベンチに座っていたのだ。理由が理由だけに1人になりたかったのだが、「明日の打ち合わせ」などと強引な理由付けをして観光本を餌代わりについてきた人物が陽炎だ。何に起因した感情に従って公園に行くのか、彼女にバレていたらしい。最初は少しうっとおしくも感じたが、今となっては彼女の優しさに感謝だ。1人なら孤独感で心の整理をつけるどこではなかったかもしない。

 

「今までは、日本と瑞穂の差異を認識しても心の中で押さえてた。横須賀の街もさ、日本だと廃墟で、横須賀鎮守府と同じ場所は爆弾で穴だらけのところだった。今はもう慣れてなんとも思わなくなったけど、来て最初のころは誰にも言えず一人で抱え込んでた。絶対にそんなこと言えないもの。日本の破壊され尽くした那覇も直に見たから覚悟してたんだけど、やっぱり話せる相手がいるっているのは心強い。なんとなく体も軽いしね」

 

笑顔を見せると、陽炎は少し戸惑い気味に視線を泳がせる。不思議に思い声をかけようとしたが、陽炎が早かった。

 

「ねぇ? みずづき・・・・その」

 

奥歯に物が挟まったような言い方だ。でも言おうか迷っているというより、どう言おうか思案している雰囲気。ここは催促するより、待っていた方が得策。その判断は間違ってはいなかった。

 

「あのね、みずづきが抱えている真実・・・・・・・みんなに対してはどうする?」

 

いつかは決めなれば、陽炎と相談しなければならないと思っていた話。陽炎がその口火を切った。

 

「みずづきは誰にも言わないとしてここまで来たんでしょ? でも、私は知っちゃった。ある意味、あんたの誓いはもう破綻してる。新しい行動を起こす気はあるの?」

「陽炎の言う通り。一人が知っちゃうと、その本人がいかに口が堅くても漏洩するリスクは知っている人間が2人になる分、2倍に膨れ上がる。なら、漏れてみんなの心証が最悪になるよりもこっちから告白した方が遥かにお互いの傷が浅くて済むとは思う。でも・・・・・」

 

みずづきが1人で抱え続け、今では陽炎と背負い合うことになった真実。しかし、これはあまりにも悲惨で、残酷な重荷だ。太平洋戦争初期に沈み、比較的戦争によるトラウマが少なかった陽炎でさえ、受け入れてくれたもののあれだけ苦しんだのだ。

 

未だに「日本は平和」と言った時の笑顔は、はっきりと記憶に刻み込まれている。

 

「陽炎はどう思う? 陽炎はれっきとした艦娘だし、みんなとの付き合いも私とは比べものにならない。正直、私一人だけじゃ・・・・・」

 

その言葉を受け、いつになく真剣に考え込む陽炎。彼女にとってもこれは相当難しい問題のようだ。

 

「どうだろう・・・・・。艦娘によってまちまちとしか言いようがないわ・・・」

「ん? どういうこと?」

「艦娘によって、“真実”の受け取り方が違うってこと。例に出すと深雪は戦争前に電と激突して沈んでるから大東亜・・・・アジア・太平洋戦争は知らない。沈没時に数人の将兵さんたちが亡くなったらしいけど、そこまでむごたらしい現実をあの子は知らない。うちの黒潮も私と同じように戦争の初期に機雷で沈んでるわ。80人近くの犠牲者が出て、決して少ないとは言えないけど、まだ恵まれた方ね。斯くいう私も。だから、あの子たちならすんなりとはいかないだろうけど、受け入れてくれる・・・・・と思う。でも・・・・」

「でも・・・・」

「彼女たちとは対照的に大戦末期まで生き残って・・・地獄を見た艦娘たちは厳しいと思う」

「例えば、誰が?」

「横須賀鎮守府でいうと、長門さん、榛名さん、北上さん、潮・・・」

「あ・・・・・・・・」

 

陽炎が挙げた艦娘たち。彼女たちは大戦を生き残った艦艇として有名であり、みずづきも知っていた。特に長門は市井の日本国民にとって妹の陸奥と並び最も身近な戦艦でありながらあの戦争を生き残り、原爆実験の標的となった艦として絶大な知名度を誇る。

 

彼女たちが歴史の遺産であり、そのようなことを聞いても漠然と頷けた日本とは異なり、瑞穂には彼女たちが現に言葉を交わせる仲間として存在している。人間と同じ感情と精神を持つ以上、そうそう簡単には立ち回れない。

 

「あと、曙も・・・・・」

「え? 曙も? あの子って戦争を生き延びたんだっけ?」

 

横須賀鎮守府に来て1ヶ月半近く。艦娘たちの過去を知っていても良いように感じるが、鎮守府においてあまり過去の、日本世界のことに触れる行為はある意味タブー視されている感がある。全く聞かないわけではなかったが、それも軽い教訓のようなものを語るだけで、詳しい話は一切ない。そのような状況だと並行世界証言録を見ることにも少し負い目を感じてしまい、結局日本世界で知り得た知識止まりだった。

 

「ううん。曙は昭和19年11月のマニラ空襲で沈没してる。でも空襲を受けた場所が港で水深が浅かったから、大破着底っていう形になったらしい。船体はどうも戦後まで残ってたって話を聞いたわ」

「へぇ~。戦艦伊勢や日向みたいになってたんだね、曙って・・・」

「でも、当の本人はその運命を恨んでるみたい」

「え・・・・。それは・・・・」

 

どういうことだ。

 

「私もそのことを聞いた時、分からなかったわ。曙は大破着底したとき50人近くの犠牲者を出したけど、200人近くの生存者がいた。乗組員が全滅してしまった艦娘もいる中で、まだ・・まだ、ね? でも、生き残った将兵さんの大多数はろくな武器も持たされないまま、地上部隊に編入。マニラ地上戦に投入されて・・・・・」

 

陽炎はつらそうに俯く。それだけで彼らがどうなったのか、分かった。

 

マニラ地上戦。別名、マニラの戦いと呼ばれるこの戦闘はアジア・太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月3日から同年3月3日までフィリピンの首都マニラで行われた日本軍と連合軍の市街戦である。1945年1月にルソン島へ上陸したアメリカ軍を主体とする連合軍は2月3日、海軍を主体とする日本軍約1万4000人が立てこもるマニラ市街に海・空からの援護を受けつつ、突入。日本軍は官公庁などの頑丈な建物に立てこもり抗戦を続けるも、部隊の主体が敗残兵や沈没艦艇の生存乗組員、戦時徴用された元民間人で構成された烏合の衆であったこと。そして、3000人とも言われるフィリピン人ゲリラが暗躍し、マニラ市民が連合軍に協力的であったことから、アメリカ軍の圧倒的な物量を前に潰走を重ね、壊滅。

 

日本軍約1万2000人、連合軍約1100人、一般市民約10万人の犠牲者を出したこの戦いはその苛烈ぶりから「地獄のマニラ市街戦」とも呼ばれた。

 

 

「そんな・・・・」

「曙の最後の乗組員さんたちは家族みたいにとても仲が良くて、あの戦局でも士気が高く、なにより曙のことを大切に想ってた。そんな人たちが、その・・・・・・・そういう最期を迎えたことに、曙はいろいろ思うところがあるって、その・・・潮が。このことは内緒にしておいてよ。潮からも、絶対に漏らすなって言われているから!」

「分かった。絶対に言わない。絶対に・・・・」

 

陽炎の必死な懇願。その表情を胸に刻み込み、聞いた話を体の奥底にしまい込む。これは非常に繊細な話だ。曙が知れば激怒は間違いなく、冗談抜きで12.7cm連装砲を撃ちこまれかねない。だが、彼女の気持ちを思うにそうされてもあまり文句は言えないだろう。

 

「ありがとうね。こんなこと、教えてくれて」

「いいのよ。潮も全ての事情を知れば、許してくれると思うし。少し話があの子1人に偏ちゃったけど、あのあたりの艦娘はいろいろつらい経験をしてる。加えて、赤城さんや加賀さんも。あの2人はミッドウェー海戦のことを気にしてる。そんな艦娘たちに“真実”を語るのは・・・・・・・」

「そう、だね」

 

これは非常に難しい問題だ。だから、隠してきたわけだが陽炎にばれた今となっても、何が正解で何が間違っているのか、分からない。ただ今でも、あの頃から変わっていない想いがある。

 

彼女たちが悲しむ顔を見たくない。

 

「とりあえず、さ。この作戦が終わるまでは現状維持でいきたいと思う。今の状況じゃ、地に足のついた議論ができないし、無理に考えると作戦でミスを犯す可能性も出てくる。先送りは得策じゃないって分かってるんだけど・・・・・」

「ということは、少なくとも横須賀までは私もみずづきと同じ立場になるわけね」

「うん。ごめんね、陽炎って・・・・いたいいたいいたい!!!」

 

突然、頬に激痛が走る。痛みの性質から察するに頬をつねられたようだ。ここにみずづきと陽炎しかいない以上、犯人は彼女しかない。案の定、陽炎はしてやったりとニヤ付いていた。

 

「ちょ、ちょっともう! 陽炎!! いきなり何す」

「みずづき。あんた少し謝りすぎよ」

 

遮られるようにして紡がれた陽炎の言葉。顔を笑っていたが、言葉は真剣そのものだ。

 

「もう共犯、なんだからもう少し気兼ねなく接してよ。まぁ、あんたを見るにそれは性分のような気もするけど・・・・」

「陽炎・・・・」

「私もその方針に異議なし。本来なら話せって説得しなきゃいけないんだろうけど・・・。私もあんたの気持ちすごく分かるから。こんなのそう簡単に踏ん切りがつけられるものじゃない」

 

そういうと陽炎は笑みを消し、視線を対岸に向ける。ちょうど、家々の間から走行している電車が見えた。道路を走る自動車や歩道を歩く人の数を鑑みるに、おそらく多くの乗客がいることだろう。

 

その時、不意に陽炎が呟いた。

 

「みんな、どう思うんだろ」

 

それはみずづきに対する疑問なのか、陽炎自身に対する疑問なのか。はたまた、ただの独り言だったのか。真剣な横顔からは様々な感情が読み取れそうだった。

ここは、どこだろうか?

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

山あり谷あり、数多の可能性がある人生の中で、この疑問を抱く事態は果たしていかほど存在するであろうか。抱く事態が発生したとしても、それは高確率で望ましい状況下ではない。記憶喪失や迷子、かなり物騒になるが拉致・誘拐など。

 

しかし、この疑問は感動からも生まれ得る。

 

みずづきは目の前に広がった別世界の光景に、その疑問を噛みしめていた。

 

「ほらほら、みんなこっち! こっち来てみって! すっっごい、きれいやで!!」

「黒潮~、もう少し落ち着きなさいって、転んでけがしても知らないよ?」

 

目を幼い子供のように輝かせ、あちこちに忙しなく目を向ける黒潮。その騒ぎぶりに注意した川内もつい微笑んでしまっている。いつもはしっぽを掴んだとばかりにからかいに走る陽炎も、今日ばかりは別だった。白雪も初雪も深雪も同様である。そして、みずづきも・・・・・・。

 

みな、態度は違えど黒潮と同じく、目の前に広がる別世界に魅了されていたのだ。

 

7人が歩いている場所は首里城の麓、安里町。那覇駅を核とし沖縄県庁や那覇市役所が所在する那覇市中心部の外れに位置する、旧市街だ。長い年月をかけて行われた埋め立てなどの開発で現在の那覇市中心部が造成される以前はここ一帯が交易都市那覇の中心地であった。その所以から古民家や威厳を漂わせる商店が軒を連ね、今日に至るまで現役で使われている。また、首里城やその周辺一帯とは対照的にここには多種多様な家屋が存在している。2階建てで屋根に瑞穂瓦を葺いた瑞穂家屋。琉球建築よりも明度の高い赤を瓦に留まらずあちこちに使用した栄中様式の商店。所得水準の低い農民たちが暮らしていた茅葺(かやぶき)屋根の民家。そして、シーサーを飾り、赤瓦を葺いた琉球建築の平屋。その生活感あふれる雑踏さが、在りし日の那覇を2033年の今を生きる人間に色濃く感じさせてくれる。

 

ただ眼前に存在するだけで感動を得られるというのに、竹祭り(タギウチマー)はこの街を新たなる次元へと昇華させていた。

 

現代の日本では、ほぼ特定の場所にしかない立派な石畳。一つ1mほどの長方形の石が隙間なく、段差なく敷き詰められ、下手に舗装されたアスファルトの地面より歩きやすい道路。その隅に置かれた竹細工の行灯。瑞室に置かれている行灯と異なり目の細かい骨組みだけで紙は張られていない。そこから、控えめに漏れる橙色の光。人工的な照明によって生み出される冷たさ・無感情さはなく、ろうそくに灯された天然の光は見る者に温かみを感じさせてくれる。

 

その光が本土とは全く趣の違う家々を、あるいは見慣れた家々を、道行く人々を、見える限りのものたちを優しく照らし、包み込んでいる。図々しく全ての輝きを周囲にいきわたらせるのではなく、ろうそくを取り囲んでいる竹が適度に光を遮り、控えめな奥ゆかしさを出している。また、それによってできた実体のない光と影の造形が儚ささえ演出する。

 

なんと、情緒あふれる光景なのだろうか。見とれていると、自分が2033年の現代にいることを忘れそうになる。まるで、江戸時代のように身の回りにある全てのものが日本でいう和風のものに覆われていた時代。数百年の時を越えて、あの頃の風景を、その残滓でも感じ取れたことには嬉しさしかない。

 

人工の照明がいつものように多くついていればこの雰囲気は醸し出せないが、今日ばかりはお休み。ついているのは各々の家屋内か、露店で吊るされているろうそくの色合いに近づけた光度のものに限られていた。

 

「すっご~い」

 

ただ一言。だが、この一言で目の前の感動を、この光景に出会えた感謝を現すには十分だ。黒潮たちから聞いた時はただ好奇心から来る興味しかなく、「絶対に行きたい!!」などという熱意は皆無で「みんなとの思い出を作れればいい」と呑気に考えていた。しかし、このお祭りは「いい思い出」に最上級の華を添えてくれた。

 

「きれい。すごく、きれい・・・・・!!」

 

あの初雪までもが目を輝かせているのだ。普段の気だるげな雰囲気を振り払って。

 

「ほんとにこれは・・・・。話に聞く以上だよ! まるでおとぎ話の世界にいるみたい」

「沖縄の風情もいいものね。本土とは違ったこの独特な感じ、絶対ここでしか味わえないもの」

 

沖縄の風情。それは何も周辺地域の建築物が入り乱れる雑踏さが、赤瓦・石積みの塀・屋敷林などを有する家々しかない独自性が演出している話ではなかった。耳を澄ませばかすかに聞こえてくる。

 

体に染み渡るような優しさと大気中へ溶けてしまう儚さを兼ね備えた音色。

 

道端の露店や自然に作り出された光の芸術に目を奪われながら石畳を歩いて行くと、その正体が分かった。

 

とある一軒。開かれた玄関付近に人だかりができていた。場所を譲ってくれた人々の好意に甘え中を覗くと、沖縄の衣装、琉装に身を包んだ中年の女性たちが、三味線の原型となった三線からリラックスした様子で雅な音色を響かせていた。もし、彼女たちが琉装でも格式の高い恰好をしていたならばどうしても硬さを感じてしまうが、格式の低い普段着の恰好をしていたため気兼ねなく傾聴することができる。

 

「へぇ~、光だけじゃなくて音楽でも、か。本当に街が昔に戻ったみたい」

「基地の人曰く、周りの神社とかでも本土から音楽家とかを招いて演奏会をやってるらしいよ」

「だから、こうもにぎやかさを感じるわけね。納得」

「ほんとに、平和なんだね・・・・・」

 

みずづきが、本心から呟いた言葉。それにこの場にいる全員が頷く。但し、そこにどんな感情が込められているか、気付いた者は果たしてどれほどいただろうか。

 

「うん。平和。でも、これは現在進行形であって確定したことじゃない」

「この祭りも、鎮魂のため、ですもんね」

 

周囲を見渡しながらそう言った川内。白雪が目の前の光景で忘れそうになる現実を口にする。2025年に史上初の大戦が勃発して以降、全世界で9000万人以上、そして瑞穂では約15万人が犠牲となっている。川内たちも当然、その事実を知っていた。

 

「だから、うちらはやらんとあかんのや。この光景を、ああやって笑いあっている人たちの生活と命を守る為に。もう2度と過ちは繰り返せへん・・・・」

 

嬉々とした様子から一転、控えめの強い口調で黒潮は言った。それは代弁であって、みな同じ思いを抱いていることは自明の理であった。

 

なのだが、ここでふといつもなにも考えていないようで、要所をついてくる人物がいないことに気付く。

 

「あれ? 深雪は?」

 

川内の疑問。みずづきも白雪たちと共に首をかしげるしかない。慌てて周囲を見渡すが。いない。あれほど騒がしければ人ごみに紛れていても分かるのだが・・・・・。

 

深雪抜きの第3水雷戦隊に重い空気が出現する。みな初雪になってしまったかのように気だるげな様子だ。

 

「み、深雪ちゃん・・・・」

 

言葉だけ聞けば心配しているように思えるが、白雪の浮かべていた表情は全くの別もの。みずづきは見てはいけないものを見てしまったかの如く、マッハで白雪から視線を逸らす。もし、初雪やみずづきがいなくなったら白雪もこんな反応はしないのだが、当事者は「あの」深雪である。いつもは大人しく温和な彼女がなぜそうなっているか、心当たりがあった。

 

みずづきと深雪はここへ来る途中、那覇駅で迷子になった。当駅がかつての東京駅や新宿駅・大阪駅ほどの超巨大な駅でなかったためすぐに川内たちの本隊と合流できたものの、その際深雪もみずづきもそれなりに怒られた。その折に川内の説教が済んだあと、白雪が「勝手に動くな」と姉らしく深雪に言い聞かせていたのだ。かなり強い口調で。なぜそこまで真剣になるのか、自身の隣で傍観していた初雪に聞いたところ、「深雪は、常習犯」という答えが返ってきた。なんでも、今回のような外出先では好奇心に駆られた行動が目立ち、かなりの高確率で迷子に発展するのだとか。

 

 

これからなされるであろう捜索の苦労、そして具現するであろう白雪の雷を想像し「はぁ~」とため息を吐いた、まさにその時。

 

「ん? どうした? みんな揃いも揃ってしけた面して。これでも食うか?」

 

補足事項として付け加えておくが、このげんなり感は煮えたぎっている白雪を除いたこの場の全員が例外なく纏っていた。

 

そんな雰囲気を感じ取れなかったのか、幻想的な異世界である周囲がよほど浄化してくれていたのか定かではないが、この場に渦中の人物の声が届けられた。キョトンとまるでおかしな集団でも見るかのような表情をして、はむはむと気兼ねなく綿あめを食べる深雪。親切にも食べているものとは別の綿あめを差し出してくれる。

 

「いやぁ~、探したぜ。ほんとお前ら迷子になんなよな。探す方の身にもなってみろっつうの」

「・・・・・・・・・・・」

 

純粋な言葉。自己防衛から来る嫌味などの不純物は何もない。その心は幻想的な周囲には相性抜群だったが、黙っている方には見逃せる代物ではなかった。真横から感じる禍々しい雰囲気。ちらりと見ると拳が震えている。ものすごく力を入れて。

 

さりげなく、白雪から距離を取る。巻き添えを食らえば、死んでも死にきれない。

 

「み、深雪ちゃん?」

「ん? なんだ白雪? そんないい笑顔で」

 

これまた純粋なお返し。「白雪」という言葉通りの透明感が表層だけでもそこにはあった。その恐ろしい笑顔を見ると恐怖を通り越し、達観したような引きつった笑みがこぼれてしまう。白雪の声は笑っていた。ペンギンも嫌がるような冷たさを添えて。

 

「深雪ちゃん・・・。深雪ちゃん、ってば・・・・・!!」

「っ!?」

 

やばい!! 落ちるぞ!! 

 

と、旗艦で軽巡洋艦の川内までもが身構える。みずづきはお化け屋敷で幽霊に遭遇した状況よろしく反射的に目をつぶる。

 

だが・・・・・・・。

 

「あ、ここにたこ焼きがあるじゃねぇか!! やったーーー!!」

「へ・・・・・・・?」

 

聞こえてく深雪の歓喜。あまりに予想外の状況過ぎて、思わず変な声が出てしまった。恐る恐る目を開けると、少し離れた露店に走っていく深雪が1人。間違いない深雪だ。それを白雪は茫然と見つめている。どうやら深雪の空気を読めない活発さが、己の命を救ったようだ。体がカチコチに固まっていたため、その様子に拍子抜けしてしまう。

 

「い、いや~、なんというか、そのさすが深雪やね!」

 

冷や汗を浮かべた黒潮のフォロー。全員が白雪を宥めようと必死にうんうんと頷く。しかし、白雪はもはや笑顔すら浮かべず怒りに満ち満ちた様子で深雪の後を追う。露店の店主と楽し気に話していた深雪の前に到着するとなにやらやり取りを始める。が、すぐに様子がおかしくなる。

 

怒りから一転。戸惑いを帯びる白雪。それは店主の介入で、一層大きなものなった。そして・・・・・。

 

「あ、釣られた・・・」

 

ほほを赤く染めて、深雪からたこ焼きを受け取る白雪。しぶしぶと言った様子だが、案外嬉しそうである。純粋さ故の破壊力はある意味、兵器にも実現できない結果を導き出す。さすがにこれでは面目が立たず、また今を絶好の機会と思ったのかふらふらと歩を進めようとする深雪の腕を、白雪が掴む。しかし、戦況は芳しくないようでずるずると深雪に引きずられていく。

 

『あ~~』

 

傍観に徹していた4人の声があまりきれいではない四重奏を奏でる。

 

「あちゃ~。やっぱり白雪も真の鬼にはなれないか。こりゃ援軍が必要なようね」

「うん。白雪は、白雪。私たち吹雪型の、お説教係は・・・・吹雪。だから、押し負けてる・・・」

「そうと決まれば、支援艦隊出撃や! ちなみにうちらにとっては陽炎が、吹雪の立ち位置やな。怒られる方としてはもっと素直に、分かりやすく言って欲しいんやけど」

「はい!? 黒潮!!」

「うわ、怖っ!」

 

腰に手を当てる陽炎から逃げるように、すがすがしい笑みを浮かべながら戦闘現場へ歩み出す黒潮。

 

「まったくもう・・・・・」

「まあまあ、陽炎。そのへんにしておいてあげな。姉っていうのはそういうもんだよ」

 

陽炎の肩を叩くと、どこか達観したように控えめの笑みを浮かべた川内はやれやれといった感じで黒潮の後を追う。初雪もこちらの様子を覗った後、川内に続く。

 

当然、場の流れからみずづきも続こうとしたが、陽炎に腕を掴かまれ静止させられる。何事かと陽炎の顔を見るが、彼女は答えなかった。

 

「川内さん、悪いけど、私たちちょっとその辺で休憩してきます。少し疲れちゃって・・」

 

苦笑いを噛ます陽炎。その表情は自然体そのものであった。だが、隣にいたためか「真実」を知る共犯だからか。みずづきにはそれが嘘であると分かった。真意を確かめようと声を上げかけた瞬間、腕を掴んでいる手の力が強くなる。「下手なことしないで」。そう言っているように思えた。

 

「ほんと? 大丈夫? ごめんね、気付かなくて」

 

川内は特に訝しる様子もなく、心配そうに眉を下げる。

 

「いえいえ、大したことないですから。気にしなくても大丈夫ですよ」

「そう。なら、良かった。もし、追いつけなかったら、電車の中で話した場所に。いいね?」

 

「誰か」が迷子になることを想定し、川内からは祭り終了時の集合場所が伝えられていた。どこにいようともそこに集まれば、警察のご厄介になることはない。道路のど真ん中にある安里駅という路面電車の駅が集合場所のため、見落としたり辿りつけない可能性は限りなく低い。

 

「分かりました」

 

そう言うと陽炎はみずづきの腕をつかんだまま、川内たちと正反対の方向に歩き出す。みずづきはなされるがまま、だ。少しは抵抗しても良かったのだろうが、そんな気は微塵も怒らなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ん? あれ、二人ともどうしたんやろ?」

 

離れていく2人を目にした黒潮。同じ部隊の大切な仲間が突然離れていくのだから、当然、疑問に思うだろう。

 

「おーい! 陽炎! みずづき! どないしたん? かげ・・?」

「・・・・・」

 

声をかけ、2人に向かって方向転換しようとする。しかし、腕を掴まれたことによってその動きは封じ込まれることとなった。反射的に向く視線。その先には、初雪がいた。表情はいつもと変わらない。

 

「なにすんの、初雪?」

「いいから、いこ?」

「いや、そうやけど。陽炎とみずづきは?」

「ちょっと、疲れたから、休憩してくるって。今ついていったら逆に迷惑」

 

そういわれ、黒潮はしぶしぶ遠ざかっていく2人に背を向ける。それを確認すると初雪は手を放し、2人を一瞥した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

相変わらず掴まれた腕。別れてから何度か声をかけているのだが、無反応。人ごみをかき分けしばらくお互いに無言で歩いて行くと、小さな広場に出た。そこには広場に面した家屋の壁に沿って、橙色に輝く意匠をこらした数え切れないほどの竹細工が並べられていた。また木々の間にも適度に配置されているため、葉が光を反射してまるで木自体が光っているようにも見える。

 

「大丈夫?」

 

腕を離した陽炎はこちらへ振り返る。川内たちと別れてから初めて表情を見たが、そこにさきほどまでの陽気さはなく、先ほどまでハイテンションだった者と同一人物とは思えない。周りが光によって温かさに包まれるためは、その表情は際立って見えた。

 

「え? ど、どうしたの、陽炎? 急に・・・・。それにさっきなんで」

「分からないの?」

 

若干の怒気を含んだ声。咄嗟に指摘される事柄が分かったため、視線を逸らす。

 

「あんた、今、ものすっごくつらそうな顔してる」

「っ!?」

 

肩がビクッと震える。あからさまな動揺。これでは図星と公言しているようなものだ。事実、陽炎の言葉は図星だった。つい自嘲気味な笑みがこぼれてしまう。

 

「そっか、バレバレだったんだね。上手く隠せてると思ったんだけどな~」

「この間も言ったじゃない、あんた嘘が下手だって。もう忘れたわけ? それにあんたたちの生い立ちを知ったこの陽炎様を欺こうなんて、100年早いわよ!」

 

陽炎は言い終わると堂々と胸を張る。その様子が面白く、つい笑ってしまう。それにつられて陽炎も、だ。

 

橙色に輝く木々の中、それに照らされ仲良く笑い合う少女が2人。まさに幻想的な絵になる情景だ。

 

ひとしきり笑い合うとお互いの視線が交差する。表情は柔らかかったが、向けられた視線からは叱責を感じた。それには謝罪の念しか浮かばない。

 

陽炎は言ってくれた。昨日、国場川を眺めながら“もう共犯、なんだからもう少し気兼ねなく接してよ”と、優しい笑顔を湛えて。その笑顔に泥を塗るような行為を、無意識とはいえ行っていたのだ。酷いにもほどがある。

 

「ごめん、陽炎・・・」

 

まず最初にそう言うと、みずづきは謝罪の意味も込めて自身の心情を吐露し始めた。

 

「・・・・・本当に平和だよね。街があって、家があって、人がいて。ただ存在するだけじゃなくて、みんな生きてる。生き生きとしてる。私が高校2年生、17歳までと同じように」

 

戦争をしている。しかも、ただの戦争ではなく、文字通り自分たちの生存をかけた戦争を。周囲を見渡しても、そんな雰囲気は何処にもない。あるといえばある。この祭りの趣旨もそうだ。

 

だが、そんなものみずづきにとってはないも同然だった。飢えに苦しみ、寒さに凍え、人の死に悲しみ、廃墟に絶望し、自分の不甲斐なさに後悔する。それが日本では、日常だった。

 

「自分なりには、さ。昨日、公園に行って、陽炎に励まされて、心の整理がついたつもりだった。けど・・・・・・・やっぱり、私、ダメだな~~」

「みずづき・・・・」

「いくらここが日本じゃって言い聞かせても、ここが並行世界の瑞穂だって頭が理解しても、何をしても・・・・・・・・・・・日本の光景と重なっちゃう。・・・・・・・・・・廃墟、だったんだよ?」

「え?」

「日本の那覇、いや沖縄は全部、廃墟。死んだ街だった」

 

陽炎の目が大きく見開かれる。

 

「私ね、5月26日に日向灘で沈む前、今回と同じように船団護衛任務で海防軍の那覇基地に立ち寄ったんだけど、その時3人の部下と一緒に市街に出たの。沖縄は2026年に生起した第二次沖縄戦で破壊し尽くされちゃったから民間人は立ち入り禁止区域になってて、軍人でも許可なしに基地の敷地外へ出ることは禁じられてた」

「じゃあ、どうして市街に? その・・・・・何も残ってなかったんでしょ?」

 

伏し目がちに陽炎が言葉を紡ぐ。いかに「真実」を知っても“沖縄は廃墟”などという具体的な追加事項を聞かされれば、動揺も致し方ない。

 

「まあね。東京や大阪、神戸とかもそうだったけど、一面の廃墟。人間が滅んだんじゃないかって錯覚を受けるほどだった。でも、そこは昔、何十万って人たちが暮らしてた街だったんだよ。部下のはやなみって子はね、那覇出身だった・・」

「っ・・・・・・」

 

話の展開が予測できたのか、陽炎はつらそうに視線を落とし拳に力を入れる。

 

第二次沖縄戦。2028年9月、先島諸島から人間を一人残らず駆逐し、同諸島を占領した深海棲艦は宮古海峡を越え沖縄諸島へ侵攻。沖縄は再び戦火に焼き尽くされることとなった。1945年4月に始まり、日本・連合国、軍民合わせて約20万人以上が犠牲となった第一次沖縄戦。アジア・太平洋戦争で最大・最悪となった地上戦さえも可愛く感じるほど、第二次沖縄戦は凄惨を極めた。

 

2028年当時、第二次日中戦争による那覇攻撃、丙午戦争時における自衛隊・警察と「琉球独立」をかかげる「琉球解放戦線」との激しい戦闘。そして深海棲艦出現後は度重なる空爆と飢餓により人口は減少していたものの、依然沖縄諸島には100万人以上が居住していた。だが、先島諸島と同じく空港・港湾は初期の空爆で破壊し尽くされ、住民を避難させる方法は深海棲艦の攻撃を避け命からがらやってきた海上自衛隊と海上保安庁の数少ない艦船へ、ヘリコプターや小型ボートを使って輸送する以外になかった。まだ、先島諸島を思えば、避難が始まっただけましであったが、自衛隊部隊の展開が優先されてこともあり避難は遅々として進まず、結果第二次沖縄戦でも第一次沖縄戦同様、住民も容赦なく戦火に巻き込まれた。

 

上陸地点は米軍と同じ、嘉手納付近。もちろん陸海空自衛隊、そして警察は住民を守るため、必死に戦った。沖縄にもとから配備されていた陸自第15旅団に加え、本土の戦闘部隊・後方支援部隊は深海棲艦が先島諸島に集中している間に展開。各部隊は住民で自主的に組織された自警団や警察・海上保安庁・消防、各自治体などとも一致団結し、それこそ死に物狂いで戦闘を継続させた。例え街を産業廃棄物で埋め尽くしても、なんの武器を持たない住民を囮に使っても、寝起きや苦楽を共にした戦友たちを捨て駒にしても、自分たちが生き残るために、そして・・・・・・・・本土侵攻を少しでも遅らせ、予測される本土決戦の敵戦力を漸減させるために。

 

気付けば、艦娘が投入され本土部隊の沖縄救援(暁作戦)が開始されるまでの約一カ月間で自衛隊・警察は展開した部隊の9割に上る約3万人の戦死者・行方不明者を、沖縄諸島にいた住民も8割にあたる約80万人の犠牲者を出していた。

 

 

 

 

 

沖縄の悲劇。2万3491人の犠牲を出した“宮古海峡の悲劇”を含める用法もあるが、俗に言われる“沖縄の悲劇”は先島諸島防衛線と共に日本国民のとてつもないトラウマであり、現在の行動原理を規定する主要因となっていた。

 

 

 

 

 

“もし本土決戦になれば日本国民そのものが・・・・・・・・・・・・・・・絶滅する”

世の中を俯瞰できる年齢に達した日本人は全員、来るかもしれない明白な“死”に抗っている。

 

 

 

 

 

「だから、はやなみはあの時も那覇に・・・・。ご両親とお兄さんがいたらしいんだけど、みんな・・・・・・・。せっかく沖縄に来たんだから、手を合わせに、ね」

 

不意に上を向く。ここは楽しむ場。悲しさを振りまくところではない。熱暴走しようとする目頭を必死に冷却する。

 

「それを見てるから、つい・・・・・ね。ごめん。せっかくの機会なのに台無しにして」

「・・・・・・・」

 

廃墟の那覇と活気にあふれた那覇。比較してはいけないと分かってはいる。だが、どうしても心に広がるモヤが、重苦しい空気が消えない。

 

みずづきの言葉を黙って聞いていた陽炎。言葉が途切れてしばらくすると、みずづきの顔を見ず背を向け歩き出す。一瞬茫然と立ちつくしてしまうが「ついてきて」と言っている気がしたため、ついてく。さきほどの再現のようだが、それはすぐに終わりを迎えた。

 

突然現れた川。川といいても街中にあるごく一般的な小川で、その脇には遊歩道があり手を伸ばせば水に触れられる構造になっていた。本当に少し歩いただけのところにあったため驚いてしまう。だが、驚いた理由はそれだけではない。さらさらと流れ、清涼さを感じさせる川面。時折地上の光景を反射しているが、そこには普段は決して流れていないものがゆっくりと水に揺られていた。

 

灯籠である。遊歩道にはまだ乾ききった灯籠を持った人が大勢集まり、順番に川へ浮かべている。刻々と数を増やす灯籠。そして、それを見て静かに手を合わせる人々。お祭り気分の賑やかな雰囲気とは別世界だ。

 

灯籠流し。死者の魂を弔うため、灯籠やお供え物を川に流す日本の伝統行事。目の前の光景は完全にこれだった。

 

「別に、謝らなくていいわ。大切に想えば想うほど思い入れが強ければ強いほど、折り合いは付けづらいし、それは強くなる。私もその気持ち、分かるから」

「え?」

 

陽炎が唐突に口を開く。思わず顔を覗うが、彼女の視線は眼前の川に向いたまま。顔と瞳にゆらゆらと灯籠の明かりが反射している。どれほどの時間が経っていたのだろうか。顔を眺めていると不意に陽炎がこちらに振り向いた。あまり合わせたくない気分だったが、ばっりちと視線が交差する。彼女は微笑んでいた。

 

「みずづき? あんたは別に性根が腐ってるわけでも、人でなしなわけでもない、立派な人間よ。優しいから、他人想いだから、みんなが不幸になってしまったことを悲しむし、対照的なものを憎む。自己中心的で他人なんてどうでもいい、なんて思ってる人間なら、あんたが抱いている想いは絶対に抱かないと思うわ。だって、自分だけが良ければどうでもいいんだもの。でも、あんたは違う。その感情は人間だから、お人好しだから抱くもの。・・・・・・・・・・・・自分を責めないで」

 

世界が停止する。届けられた陽炎の言葉。それがゆっくりと霞む意識の中で咀嚼されるに従い、少しずつ心に浸透していく。真っ暗闇だった心。光はなく冷え切っていたそこに、いつぶりか温かさが甦ってくる。日がわずかに顔を出した。そんな気がする。

 

再び目頭が暴走を始める。しかし、それはさきほどと全く趣が異なっていた。

 

「・・・・・・ありがとう、陽炎。なんだか、心か軽くなった」

 

目元を拭いながら、晴れわたる空のような透き通った笑みを浮かべる。どれだけ笑っていても、ここに、いや沖縄に行くと聞かされた時から居座っていた雲。それの姿はもう、なかった。

 

「そう。なら、良かったわ」

 

短い言葉。しかし、万感の想いが込められていることは容易に察せられた。柔らかくなる空気。2人とも静かに川面を眺めるが、決して居心地の悪い沈黙ではない。この場に漂う厳かな空気がそれを後押ししていた。先ほどまで練り歩いていた通りなら、活気に押しつぶされこのような感傷を抱くことはできない。

 

「ねぇ? 1つ聞いてもいい?」

 

沈黙を終わらせてしまったことに罪悪感を覚えるが、それを押し切っても聞きたいことが頭に浮かんだ。

 

「なによ?」

「陽炎、ここのこと初めから知ってたよね? もしかして、私のためにいろいろと下調べをしてくれてたの?」

「・・・・・別に。あらかじめ知ってたのは本当だけど、それも白雪から聞いたことだし、ただの受け売りよ。・・・・・・それだけ」

 

口を閉ざす陽炎。答えていないも同然だが、追求は行わない。それだけで十分だった。彼女の横顔。灯籠の光が反射していようとも、少し赤みかがって見えたのは気のせいではないだろう。

 

それ以来、再び沈黙が訪れたが、どちらからでもなく2人は周囲の人々と同様に手を合わせる。

 

鎮魂。それは果たして世界の壁を越え、あの人たちの元へ届くのだろうか。

 

 

 

~~~~~~

 

 

およそ半日ぶりに昇った太陽によって、赤く染められた雲たち。数日前まで空と海を暴れさせていたとは、この美しさから全く想像できない。今では太陽という芸術家に色づけられる紙だ。人間の身体能力では絶対に到達できない神の領域。しかし、機械の力を借りて、己はその中を悠々と飛んでいる。目の前に並んでいる品格に欠けた計器類から目を逸らすと、この数十分と夕暮れにしか拝めない赤く輝く雲と茜色の空を独り占めだ。

 

「おい、福部! どこ見てんだ。哨戒中だぞ! 海を見ろ、海を!」

 

無線機越しに前部座席で29式偵察機の操縦桿を握っていた機長から檄が飛ぶ。見ればミラー越しに後部座席の様子がばっちりと捉えられていた。

 

「す、すみません! 機長」

 

慌てて視線を機体上方から下方へ移す。見渡す限りの大海原。台風8号は東北沖を舐めるように進み関東から遠ざかりつつあり、波もだいぶ弱まってきていた。

 

「気がつい抜けてしまうのは分かるが、しっかりしろ! 俺たちの働き如何ですべてが決まるんだ。ここ最近、本土への敵接近がないとはいえ、油断してはならんぞ!」

「は、はい」

「声が小さい!」

「はいっ!!!!」

 

無線機が壊れそうなほど叫ぶ。「それでいい」と機長。暑くもないのに出てきた汗をぬぐい、気を取り直して哨戒開始。

 

房総半島の先端、千葉県館山市にある館山航空基地所属の29式偵察機は現在房総半島九十九里浜沖の海上を飛行していた。ここ2、3日は台風の影響でまともに飛べなかったため、今回が久しぶりの哨戒飛行である。だが、檄を飛ばした機長も含めて機内の緊張感はそれほど高くなかった。本土決戦が現実味を帯びていた頃は、哨戒をするだけでも命の保障はできず、場合によっては所属部隊の指揮官や所属基地指揮官から直接激励の言葉が届くこともあった。しかし、今の戦局はそのころとは比較できないほど好転している。それはひとえに突如現れた「艦娘」という、なんでもこの世界とは違うもう1つの世界の軍艦が転生し、実体化した女の子たちのおかげだ。初めの頃は「未確認」という言葉自体に拒絶反応を示し、艦娘を深海棲艦の斥候ではないかと疑っていた者も多かったが、今ではそういった連中は少数派だ。彼女たちがいてくれたからこそ、本土が戦場にならなかったばかりか、多温諸島までも奪還できた。

 

自分たちは勝っている。そして、敵は負けている。敗軍がわざわざ出てくるわけがない。出てくれば、ただの自殺願望集団だ。

 

こうした状況では、そういった意識が広まるのも致し方ないだろう。

 

「予定ポイントを通過。これより逆コースに映る」

 

機長の淡々とした声。「ようやく折り返し地点か」っと肩の力を抜いたその時、自身の目が何かを捉えた。心拍数が急上昇する。

 

「機長、待ってください!!」

「どうした! なにか見つけたか!」

 

機長の問いかけを無視して、彼方の海面を凝視する。上官の問いかけを無視するなど地上でやればかなりの確率で拳が飛んでくるが、それを心配する余裕はなかった。

 

機体斜め右前方の海上に、不自然に朝日を反射させる一団がいた。見た瞬間、喉が固まる。

 

「う、うそだろ・・・・」

 

機長の茫然とした呟き。

 

「こんな・・・・本土の鼻っ先に・・・・」

 

それを停止した頭で聞いていると、一瞬視界の下にある翼が陰った気がした。反射的に上を向く。白い雲を背にこちらを睨む黒い影。日は完全に昇っていた。

 

「っ!? 後方に敵機! 数い・・・・・」

 

チカチカと凄まじい速さで光を点滅させる影。言い終わる前に、感じたこともない衝撃が体を襲う。ほほをかすめる何か。金属の破断音やガラスが割れる甲高い音で聴覚が覆われる。

 

そして、体の中から持ち上げられるような不快感。それがまっさかさまに海へ、死へ向かっている感覚だと気づくのに幾分かの時間が必要だった。

 

「っ!?!?・・・・き、機長!! 返事をして下さい!! 機長!!!」

 

目を開けると、機長が座っていた前部は真っ赤に染まっていた。必死に機内無線を使用して呼びかけるが、応答はなかった。血が穴の空いた風防から、次々と大空へ漏れていく。福部は一瞬で、現実を理解した。

 

「き、機長・・・・・そんな・・・そんな・・・」

 

翼からは白煙が漂い、霧状の何かが斜め後方上方へ尾を引いているのも確認できる。それはいうまでもなく、29式偵察機のエンジンを回す原動力の・・・・・・ガソリンだ。29式偵察機は他の瑞穂海軍機と同様、翼の中に燃料タンクを備えている。胴体下部だけでなく翼中にも燃料タンクを備えることで、航続距離を飛躍的に伸ばすことが可能だからだ。しかし、翼は揚力を得て飛ぶ航空機の要であり、同時に最も面積を有する部分。最も被弾可能性が高く、翼の中に爆弾を抱えているようなものなので燃料タンクの防弾性能を超える銃撃を受ければ、一溜りもない。幸い、敵の放った銃弾が徹甲弾だったのか、はたまた銃弾の破片によって損傷しただけのか、そのガソリンにはまだ引火していないようである。

 

だが「まだ」である。燃料タンクからガソリンが漏れ出し、翼の複数カ所から白煙が上がっている以上、いつ引火し、爆発するか分からない。

 

風前の灯となった自らの命。基地で共に任務に就いている仲間や故郷で待っている家族の顔が浮かぶ。そして、心を支配する死の恐怖。

 

ほんの一瞬、頭の中に機内からの緊急脱出訓練を行った時の記憶が甦る。落下傘は規則通り背負っているし、非常食が入った背嚢は座席の下に備え付けられている。

 

しかし、福部は恐怖と生存欲求に屈せず、震える手で通信用の暗号を作成し、無線機のダイヤルをいじる。

 

「俺は・・・・・・俺は・・・・・・偵察員だ・・・・・・」

 

“下半身が砕け散ろうが、心臓と脳みそ、そして手が動くうちは見たものを報告し続けろ!! 報告のみがお前らの、偵察員の存在意義である!!”

 

自分は栄えある偵察員。自分の如何で、友軍の・・・いや、家族がいる祖国の命運が決まりかねない。

 

偵察学生時代の教官の言葉をもとに、そう自らを鼓舞する。

 

「こちら・・・・・・石原機。折り返し地点付近にて、本土へ向け進撃する敵艦艇群を視認。数、不明なれど大部隊なり。・・・・・・・・我、空母艦載機と・・・お・・・お、ぼしき・・・敵機によ・・り・・・・被・・・・・弾。げ、現在・・・・・・・降下・・・・、中・・・・・。ほ、方位・・・方位・・・・ほ、う・・」

 

まるでお経のように同じ、打電を繰り返す福部。

 

しかし、彼は最後まで気付かなかった。

 

送受信状況や電波出力などを示すメーター。その針がずっとメモリの下で力尽きていたのを・・・・・・。

 

彼は最期まで気付かなかった。

 

機内に充満する、むせる鉄の臭い。それが誰から発せられているのかを・・・・・・。

機体が傾いているせいか、従来は側面だった箇所に形成される後部座席の血だまり。

 

意識がゆっくりと、しかし着実に遠のいていく中、漆黒に見える海面がすぐそこまで迫っていた。




題名にもあるように今回は那覇が舞台として登場したため、色々なことを書かせていただきましたが、間違いや誤解があるかもしれません。もし誤りがある場合、ご指摘いただけると嬉しいです。一応、調べてはいますが、グー○ル先生は万能ではありませんから・・・・。

今回みずづきたちが散策したお祭りは、とあるアニメで有名となったお祭りを参考にしています。偶然時間が出来た際に作者も訪れたことがあるのですが、あまりの美しさや情緒深さに感銘を受け、今話の参考とさせていただきました。




そして、来週から物語は新たな局面へと移行していきます。第2章も終局に向けて、転がり始めました。(といっても、まだまだなんですけど)



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52話 房総半島沖海戦 その1 ~再来~

千葉県館山市 館山航空基地

 

東京湾への入り口たる浦賀水道と東京湾のちょうど境目にある館山湾。広大な干潟に支えられた東京湾、目と鼻の先にある水深の深い相模湾、洲岬の越えた太平洋側には南洋の栄養分や魚たちを運んできてくれる黒潮。瑞穂でも屈指の漁場に囲まれたここは、昔から漁業が盛んで今も変わらない。それを眺めるように、沿岸に設置されている瑞穂海軍館山航空基地。当部隊は連合艦隊航空戦隊司令部の隷下にあたり、海軍横須賀航空隊のうち戦闘機で編成される第105飛行隊、第106飛行隊や偵察機部隊である館山偵察飛行隊などが所属している。百里・厚木・横須賀と並び首都東京がある関東地方の防空を担う四大基地の1つであり、房総半島の先端に位置し四大基地の中で最も太平洋側に近いことから、かつては迎撃を担う戦闘機部隊が他の基地より1個多い3個飛行隊が配備されていた。だが現在、海軍硫黄島基地の再建により1個飛行隊が硫黄島へ配置転換されている。

 

敵発見の報に神経を尖らせなくなって久しい、今日。かつていつ頭上から降ってくる爆弾で命を落とすか分からなかった基地の将兵は、そんな緊張感も忘れ、日々の業務を何気なしにこなしていた。

 

薄緑の塗装を施され、基地のちょうど中心部にある鉄筋コンクリートの建物。一見すると、ただの庁舎に見えるもののここに当基地の司令部が置かれていた。地下には平時・戦時問わず、館山航空基地所属部隊を統括する堅牢な指揮所があり、当直の将兵たちは昨日までと変わらない微小な緊張感の中、各部隊との調整や行動監督に追われていた。それは館山偵察隊飛行隊本部からここへ出向し、哨戒部隊の統括を任されていた士官も同じだったのだが、もはや過去のこと。彼の元に血相を変えて「失礼します!!」と駆けこんできた管制塔付きの下士官を発端に彼の表情は曇りに曇っていた。

 

「本当なのか、それは?」

 

信じられず、下士官へ再び問う。だが、彼は有無を言わさむ速さで頷いた。

 

「はい。本日0532に当基地を発進した哨戒機からの交信が、折り返し地点での報告を最後に途絶えました。現在、何度も交信を試みているのですが・・・・」

「回復しないか?」

 

再び、力強く頷く下士官。事実であることを疑いようのない状況だが、それでも素直に飲み込めなかった。なぜなら、行方不明となっている機体の搭乗員は顔なじみだったのだ。それをあらかじめ把握していたのか、下士官は飛行計画書を士官に手渡し、事態が切迫していることを伝えた。

 

「九十九里浜沖、か・・・・」

「既に最後の交信から1時間半が経過しています。救難隊と伊豆諸島近海で対潜哨戒にあたっている第5艦隊に捜索を要請しますか?」

「・・・・そうだな。交信を断った場所は本土からも近い。エンジンの不調か・・・・、躊躇している暇はないな。お前の言う通りすぐに捜索要請を・・・ん?」

 

ようやく事態を飲み込んだ士官の指示。しかし、無情にもそれは最後まで続けられることはなかった。何の前触れもなく、突如鳴り響く心髄にまで染み渡った音。指揮所に詰めている将兵は1人残らずそれの正体を知っていたが、誰も動かない。ただ、首をかしげるだけだ。

 

 

 

それでも空襲警報は鳴りやまない。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、今日防空演習なんてあったか?」

 

 

 

 

 

 

 

表情を曇らせる、とある館山航空隊司令部付き士官の呟き。

 

「い、いえ、自分は・・・」

「・・・だよな。抜き打ちでも俺たちには知らされるはずだし」

 

不審に思い、指揮所要員の1人が各地に設置された防空監視所を統括する防空指揮所に確認を求めようと直通電話に手を伸ばす。空襲警報は本来、基地司令部を介して発令される。司令部に指示を仰いでいる時間がない緊急時は防空指揮所から発令したり、そこが直接、館山航空隊司令部に迎撃命令を出すこともある。しかし、それがなされるのは本当にマズイ事態に限られるのだ。平時でそんなことをすれば指揮命令系統の混乱につながってしまう。

 

手を伸ばしかけた電話がけたたましく暴れる。受話器を取った士官が口を開くよりも早く、こちら側よりも先に口を開く。いや、絶叫した。

 

「こちら館山防空監視所! 敵機来襲! 敵機来襲、敵機来襲ぅぅぅぅ!!!! 機数は不明! 繰り返す、機数は、不明!! 現在、当監視所上空を通過中!!!!!!!!!!」

「な・・・・」

 

狂ったように受話器を怒鳴りつける兵士。そこに平穏さは微塵も残っていなかった。指揮所に雷鳴の如き驚愕が走る。館山防空監視所からの電話を皮切りに、指揮所に設置されている各部隊との直通回線が一斉に鳴りだした。

 

「ど、どういうことだぁぁ!! 何故、いきなり敵が!!」

 

室内は一瞬で生命の危機を帯びた怒号に包まれる。誰1人として予測していなかった事態。指揮所要員がパニック状態に陥るのにそう時間はかからなかった。その中に響いてくる、爆発音。非常に弱く、怒号にかき消されよく聞き取れないが、確かに聞こえる。

 

「陸軍洲岬要塞、防空戦闘開始した模様!! 洲崎要塞司令部より現状報告を求める問い合わせが!!」

「基地防空隊、指示を求めています!! 対空戦闘を下令しますか!?」

「105、106隊、発動機始動開始した模様!!」

「おい、待て!! 誰だ飛行隊にそんな指示を出したのは!! 飛行隊の一次上級司令部はここだ!! 待機させろ!」

「しかし、このままでは敵に!!」

「これは明らかな越権行為だ!! 下手をしたら、全員軍法会議行きだぞ!! 分かってるのか!!」

 

遠くで響いていた間隔の長い重低音に加えて、至近での比較的軽い連射音が加わる。それは徐々に増え、地下にあるここでもまるで地上にいるかのように感じられる。

 

「やばい!! 近づいてきたぞ!! ・・・・・・・っ!?」

 

そして、規模が違う連続した爆発と地震のような衝撃が世界の全てを覆った。

 

 

 

 

 

いつも通りの朝。昨日まで何も変わらない。ある者は通勤のため電車に飛び乗り、ある者は友達と待ち合わせ、学校に行き、ある者は溜まっていた洗濯物を軒先に吊るす。それは年齢・性別・社会的地位に関わらず関東に住む1800万人の誰も同じであった。台風の影響でぐずついていた空も晴れ間が見え、すがすがしい陽気の予感。

 

それに今までの鬱屈を深呼吸で吐き出し、空を見上げた者も多かったはずだ。

 

久しぶりに訪れる日光に踊る胸。

 

 

しかし・・・・・・・・。

 

 

「空襲警報発令ぇ!! 空襲警報発令ぇぇぇ!!」

 

訪れたのは自然の温かみではなく、作為的な死の槍だった。

 

「非常警戒放送、非常警戒放送です!! ついさきほど、関東地方・中部地方各地に空襲警報が発令されました! これは訓練ではありません、これは訓練ではありません!! 発令地域にお住いの方々は落ち着いて、落ち着いて、指定されている防空壕へ直ちに避難してください! 繰り返します! ・・・・・・・・」

 

ラジオから聞こえる極度に緊迫した声。そして、町全体に轟く警報音。日常を謳歌していた人々にそれは容赦なく、降りかかった。

 

甦る絶望に覆われていた時代の記憶。空襲警報が発令された地域にとどまらず、関東と、そして大事をとって危険地域とされた中部は一瞬で大混乱へと陥った。

 

瑞穂海軍の重要拠点がある神奈川県横須賀市も当然、絶望の嵐に飲み込まれていた。

 

とある典型的な瑞穂家屋。

 

「ひろ子! なにしてるの!? 早くなさい!!」

「待って、待って、紐が・・・・・」

「もう!」

 

玄関で防空頭巾に悪戦苦闘する娘を見かね、30代後半ほどに見える母親が駆け寄り冷や汗によって湿った手で、顎紐を結ぶ。娘が震えていることに気付かないはずがないが、いつものように安心させている余裕はなかった。

 

結解(けっけ)さん! さん結解(けっけ)! まだいるの!? ねぇ、返事して!  さん結解(けっけ)!!」

 

玄関の引き戸がガシャガシャと余裕のない音を立てる。声の主に気が付いた母親はすぐに玄関を開ける。そこには息を切らせ、自分たちと同じように防空頭巾をかぶり、顔を蒼くしている60代ほどの女性がいた。

 

「よっかぁ~。いくら待っても来ないから心配になって・・・」

 

瞳を潤ませる女性。どうやら、避難に時間がかかった自分たちを心配して、わざわざ探しに来てくれたようだ。見知った顔を見たせいか、娘は少し体の力を抜く。まだ幼稚園児か小学校低学年ほどだと言うのに恐怖で泣き叫んだりはしていない。

 

「ひろちゃんはいい子ね。これを見たらお父さんもきっと喜ばれるわよ」

 

それに少しだけ笑顔を見せる。だが、母親の方はなんだか複雑そうな表情だ。

 

「じゃあ、行きましょう。早くしないと時間がないわ」

 

女性の後を追い、母親は娘の手を引く。道路に出た時、昔に何度か聞いた音が再び木霊する。右手の空。そこには無数の黒い花が現在進行形で発生していた。血相を変えて道を駆けていた人々はそれを戦々恐々。

 

「走って!!!」

 

女性が叫ぶ。黒い花と響続ける音が一体何を意味しているのか。娘には分からなくとも、母親や女性には分かった。彼女たちだけではない。ここに住む大人たち、そしてあの時の記憶を持っている子供たちも同様だ。

 

「防空壕はこちらです! 防空壕はこちらです!! 早くこちらへ!! 中に入れば安全です!! 中に入れば安全です!! 早くこちらへ!!」

 

無秩序に止められたパトカーのそばで、大声を張り上げ避難誘導を行う警察官。顔中に汗をたぎらせ、呼吸は荒く、いつも穏やかな表情で手を振れば振り返してくれた面影はなかった。

 

「こちら横警45、横警45!!」

「こちら横警68!! どうぞ!!」

「こっちの避難誘導は完了した!! そっちは!!」

「まだです!!」

「っ!? ・・・・了解!! 避難誘導が完了したら、お前らもそのままそこへ避難しろ!! 分かったか!!」

「しかし、本部から・・」

「上を見ろ!! 上を!! 今俺たちは戦時下にいるんだ!! 死にたくなかったら、臨機応変に対応しろ!!」

「りょ、りょうか・・・・・」

『きゃあああ!!』

「なんだぁ!?」

 

一際、大きな爆発音。見れば、黒い花の間に、わずかな炎と黒煙を引きながら“何か”が地上に向け、真っ逆さまに落ちてゆくのが見える。更に顔を引きつらせる大人たち。だが、娘にはそれよりも気になることがあった。今は別世界と化してしまった場所。そこは自分たちと全く無関係な場所ではなかったのだ。

 

「あっちお父さんのいるところ。ねぇ、お母さん? お父さんは? ねぇお母さん? お母さんってば!!」

「少しは静かになさい!!」

 

母親は怒鳴るときだけ顔を娘に向けると、すぐに前方へ向き直る。娘は目元に涙をためはじめるが、それは指さした方向での爆発音に驚いた拍子に下へ流れ落ちる。不意に足を止めようとしたが、母親がさせまいと手を強く引っ張る。背中にあたる弱い衝撃波。母親と女性はそれに振り向くことなく、恐怖に慄く数え切れない人々と共にただ防空壕を目指した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・・そ、そんな・・・」

「現在、どこも混乱していて情報が錯綜していますが、これだけは確かです」

 

重苦しい緊迫感に包まれた第3水雷戦隊。騒がしい黒潮や陽炎、深雪すらも顔面蒼白で、川内と三重県にある横須賀鎮守府隷下鳥羽基地との通信をただ茫然と聞いている。よほど大混乱に陥っているのだろう。通信の向こう側が怒号に包まれているのがはっきりと分かり、時たま内容まで聞こえてくる。だが、そのどれも信じられないものばかりだった。

 

 

 

 

 

 

関東各所が深海棲艦航空隊に爆撃され、軍関連施設を中心に甚大な被害が出ている。

 

 

 

 

 

竹祭りを存分に味わい、那覇を出発してから丸2日。軍の最重要物資を積んでいるという軍の輸送船を含んだ船団のため、往路以上に神経を使った。しかし、心配された敵潜水艦による攻撃はなく、また探知もなく航海は往路と同じくいたって順調に進んでいた。現在地点は愛知県渥美半島沖。横須賀まで時速15ノットで11時間。このまま何もなければ7時ごろには帰港可能であった。

 

みんなで「あと11時間。そしたら、任務完了!」と言い、訪れるであろう解放感と達成感に胸を鳴らしていた矢先、その通信は最寄りの鳥羽基地からもたらされた。

 

自分たちの“家”である横須賀鎮守府とは川内が、鳥羽基地との通信の合間を縫って何度も交信を試みていたものの、現在に至るまで音信不通のままだ。

 

「みんなーーーー!!」

 

鳥羽基地との通信に割り込む形で白雪の声が耳に届く。彼女と初雪は休息中だったのだが緊急電を聞き、慌ててお世話になっている船から飛び出してきたのだ。しかし、いくら状況を飲み込めていないといってもまずいと思ったかのか、意外にも深雪が「しーー!」と注意する。それ以来、白雪は息を潜める。白雪の表情を覗う余裕がなかったため想像するしかないが、おそらく白雪たちもこちら同じ顔になっているだろう。

 

額に大粒の汗を浮かべた川内は白雪たちを一瞥すると、再び意識を電波の向こう側に向ける。

 

「失礼しました。それで、我々はどうすれば?」

「呉鎮守府に照会したところ、そのまま横須賀へ向かえとのことです」

「っ!? ま、待ってくださいそれは!!」

 

川内は目を大きく見開き無線に食いつく。ここまで危機感をたぎらせた表情は初めてだ。声も裏返り、聴覚だけでもどれほど動揺しているか分かる。今回の攻撃は関東で最大の軍事基地たる横須賀鎮守府とも連絡かつかないような苛烈なもの。関東の防空を担っていた基地が軒並み壊滅し、関東上空そして伊豆諸島一帯の制空権が一時的にせよ敵に奪われていることは容易に想像できる情勢だ。そして、その攻撃隊を放った空母機動部隊がどこにいるのかも分からない。規模も、だ。一撃で関東の防衛能力を奪ったことを鑑みれば、相当の規模であることは疑いようがない。そのような状況にも関わらず、呉鎮守府は「行け」と言ってきた。制空権がなく敵がどこに潜んでいるのか分からない海域に。

 

下手をすれば自殺行為だ。川内でなくとも、必死に反論するだろう。

 

 

“通常”ならば。

 

 

「伊豆半島沖には第5艦隊が作戦行動を取っており、現在、敵がいると推測されている房総半島南方海域へ急行中です。呉は房総半島南方海域にて第5艦隊と合流、共同して敵機動部隊を捜索、撃滅せよっと言っています」

「しかし・・・・」

「私には意味が分からないのですが、7隻いれば遂行は可能、とも」

「っ!?」

 

“7隻いれば遂行は可能”。つまり呉鎮守府はこう言っているのだ。

 

 

みずづきを存分に使え、と。

 

それを瞬時に理解すると、みずづきは自然と拳を握りしめる。今、瑞穂は現在進行形で“戦争”を行っている。こうしてのうのうと通信を聞いている今この時も、大勢の人々が恐怖に怯え、物言わぬ屍と化している。そして、自分たちはいかなければならない。偶然という神の見えざる手で、生死が決まる戦場に。笑って、怒って、泣いた日常の時間は終焉。これからは「非日常」の独壇場だ。

 

「・・・・・・・・・」

 

川内は焦燥感に駆られた顔でこちらを覗う。彼女も当然、呉鎮守府の暗示に気付ているだろう。どのみち、横須賀と連絡がつかない以上、第3水雷戦隊にとって現在の司令部は最寄りの呉鎮守府。拒否は、できない。しかしそのような規定など押しのけ、揺れる瞳に迷いを感じさせない真剣な表情で頷く。川内は一旦、こちらから視線を逸らす。そして、こちらを一瞥した後、第3水雷戦隊隊長としての判断を下した。そこにはもう、迷いはなかった。

 

「わかりました。これより第3水雷戦隊は房総半島南方海域に急行します。船団は任せました」

 

そういうと川内は覚悟のにじみ出た声で「最大戦速」を下令。

 

『了解!!!』

 

みずづき以下、陽炎たち駆逐艦5隻の覚悟が重なる。

 

 

船団を鳥羽基地からやってくる海防艦艦隊に任せ、一路東を目指す第3水雷戦隊。急速に水平線の彼方へ消えていく彼女たちに船団の旗艦、あの輸送船から発光信号が瞬いた。それを受け取った彼女たちは頭のギアを完全に戦闘モードへと切り替える。

 

 

 

―貴君らの武運長久を祈る、艦娘と瑞穂に勝利を―

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

東京都新宿区市ヶ谷 海軍軍令部

 

 

 

呉鎮守府や横須賀鎮守府鳥羽基地と同様、ここ瑞穂海軍の最高司令部である軍令部も蜂の巣をつついたような大混乱に陥っていた。いや、爆撃を受けた関東のど真ん中の首都東京にあり、さらに敵の最重要攻撃目標と目されるここの混乱ぶりは他の基地の比ではなかった。それは高い塀と狩人のような目をした警備隊で隔絶された外、一般市街からも容易に見て取れた。

 

「作業急がせぇぇぇ!! 後続部隊の状況は?」

「はっ!! 第1・第2小隊の運搬作業が完了との報告! まもなく出動するとのことです!」

 

つい1時間ほど前まで無数の自動車が駆け抜け、人々が会社へ学校へ歩を進めていた大通り。しかし、現在そこにいるのはカーキ色の制服に身を包んだ瑞穂陸軍の兵士のみ。そして、車の代わりに道路を占拠しているのは陸軍練馬基地より出動してきた第1高射群第1高射中隊の高射機関砲。彼らの存在意義は、首都の防空。そして、現在の任務は敵機の再来襲から瑞穂軍の心臓部を守ること。市ヶ谷には海軍軍令部だけでなく、陸軍参謀本部、瑞穂軍の最高司令部である大本営、そして国防省が置かれている。先刻来襲した敵機による被害はなかったが再来襲に備え、対空陣地の構築が急ピッチで行われていた。土嚢や兵士・作業機械を次々と運んでくるトラック。路肩駐車の車を移動させようとする兵士たちの掛け声。飛び交う怒号。空を睨む真っ黒な三連装の高射機関砲。そのどれもが緊張感に包まれている。

 

先ほどから声を張り上げ、指示を飛ばしている古参兵。彼も例外ではなく、震える手をジェスチャーとして動かすことによって部下にばれないよう誤魔化していた。

 

塀と、敷地と、窓によって外界から区切られた軍令部内にも、陸軍の怒号や作業機械の駆動音が絶え間なく聞こえてくる。だが、それがどうでもよくなるほどの叫び声、いや悲鳴に軍令部内は満ち満ちていた。

 

横須賀鎮守府1号舎と同じく、赤レンガづくりで情緒を漂わせる軍令部中央庁舎。その地下2階には瑞穂海軍全軍を統括する海軍中央指揮所が置かれ、現在軍令部の局長・副局長・課長クラスの主要幹部が駆けつけ情報収集を進めていた。だが、本気で叫ばなければならないほど騒乱状態となっているなかで聞こえてくる「現実」は、あまりも信じられないものだった。

 

 

壁にかけられた関東地方、そして伊豆・小笠原諸島の地図。その上に数カ所に赤いペンで乱暴な×印がつけられている。それは「増えないでくれ」と祈る士官たちの切実な願いを踏みにじり、時間の経過とともに増えていく。

 

「洲崎要塞より緊急電! 館山航空基地、滑走路及び格納庫が破壊された模様! 詳細な被害は不明! 繰り返す、詳細な被害は不明! また陸軍木更津基地より通報! 滑走路、及び格納庫に甚大な被害! 輸送機の大半が撃破されました!」

「百里・厚木を何度も呼び出しているのですが、応答がありません!」

「現在百里航空基地に横須賀教育航空隊霞ケ浦飛行隊が、厚木航空基地には神奈川県警厚木署の部隊及び陸軍座間基地偵察小隊が情報収集のため急行中!!」

「な、なんだと!!」

 

作戦局局長、小原貴幸少将の絶叫。顔面は死体と見間違えるほど蒼白で、光昭10年度第一回横須賀鎮守府演習へ視察に訪れた将官と同一人物とは信じられない。彼に呼応して簡素なテーブルにつき、直属の部下と緊迫した雰囲気でやりとりを行っていた幹部たちの表情も驚愕に染まる。その中、天井の照明をいつも通りに反射させている軍令部総長的場康弘は、ただ瞑目し、静かに構えていた。

 

「横須賀は!? 横須賀はどうなっている!?」

「爆撃を受けたようですが、田浦陣地と基地防空隊の迎撃で大した損害はないと。滑走路も健在であり、現在第102飛行隊が上空待機しています!」

 

一気に広がる安堵。しかし、情勢はそれを持っても補完できないところまで来ていた。焦燥感に駆られた士官たちの内、作戦局作戦課員の1人が溜まりに溜まっていた不満をぶちまける。矛先は、誰でもない。

 

「こうなるから、私は従来より掩体壕構築の必要性を訴えてきたんだ!! 予算がないだぁ?? 格納庫に駐機している時点で撃破されたら、元も子もないだろうが!!」

 

机を叩きつける鈍い音が室内に木霊するも、周囲の喧騒でかき消される。その姿勢に疑問を感じてか、他の士官たちから声があがった。

 

「今喚いても仕方ないだろう。海軍の予算は統合艦隊の構築や航空戦力の整備に費やされ、基地の防御力は後回しにされてきた。そんなものを含めた予算ではそもそも大蔵省の背広どもが首を縦に振らん」

「君は掩体壕の整備にどれだけの金が必要なのか分かっているかね? 前後左右、全ての分野に膨大な予算が必要なときにあれもこれもと言っている余裕はない。優先順位は必要だった」

「少将のおっしゃるとおり。予算編成に不満を抱いているのはあんただけではないんだ。防空レーダーの整備も費用対効果の根拠が薄すぎると言われ、削除を余儀なくされた。もし、軍再建整備計画策定時に防空レーダーの整備が明記されていれば、今回の攻撃もかなりの確率で事前に察知できた。・・・・・・・無念だ」

「しかし、どうなさいますか? 教育畑の小生が口を挟むべきではないかもしれませんが、現在判明している情報を合算しますと、非常に情勢は緊迫しております」

 

関東の制空権は館山・横須賀・百里・厚木の四大基地に配備されている、第101飛行隊~第108飛行隊(第107飛行隊以外)の7個飛行隊、計280機の30式戦闘機で維持されていた。館山に続き、仮に百里・厚木基地が壊滅し戦闘能力を失っていた場合、関東及び伊豆・小笠原諸島の制空権は上空待機している横須賀航空基地横須賀航空隊第102飛行隊と訓練で小松基地に出向いていた同第101飛行隊。そして、硫黄島基地の第107飛行隊でカバーすることになる。横須賀航空隊には豊橋航空基地第109飛行隊も所属しており、今回の攻撃を受けず健在であったが、かの部隊は舞鶴航空隊・呉航空隊と共に中部地方の制空権を確保する重要な部隊。関東が危機的状況に陥っているからといって、おいそれと引き抜くことは出来ない。その代わり、石川県小松基地から舞鶴航空隊第404飛行隊が増援として到着予定だが、かの部隊は一世代前、深海棲艦出現以前に配備された21式戦闘機の部隊だ。一撃で関東の制空権を風前の灯にした敵に対して、どれほど戦力として勘定できるか・・・・・・。

 

だが、名だたる階級章を有する軍人たちが頭に思い浮かべていた戦局展開の骨子はすぐに叩き割られることとなった。息を切らし、幹部たちの前に姿を現す情報局の青年将校。浅黒く焼けた肌にも関わらず、顔面から手に至るまで蒼白で、額には尋常ではない汗がにじんでいる。自然に騒いでいた軍人たちが静かになる。

 

「ほ、報告します! つい13分前、伊豆諸島・小笠原諸島の各基地が敵航空隊による爆撃を受けたとのとこです!!」

「っ!?」

 

衝撃のあまりか、下士官の1人が書類を豪快に落下させる。

 

「硫黄島基地司令部より緊急電を読み上げます! 我、奇襲爆撃により戦闘能力を喪失す、戦闘能力を喪失す。以上であります!」

「そんな・・・・硫黄島まで・・・・」

 

うめき声をあげ、首を垂れる幹部たち。「戦闘能力を喪失す」。至極簡単な文だが、硫黄島基地がどういう状態に陥ったのかはそれだけで明白だった。その電文はあらかじめ、「硫黄島基地が制空権確保能力を喪失した際に発信」と決められていた。

 

それが訓練でもなく、実際に発信されたのだ。

 

 

つまり館山航空基地と同じく、よく見積もっても滑走路が破壊され、制空権の確保が不可能になったという事。悪く見積もれば、それこそ第107飛行隊所属の30式戦闘機40機が全滅した、という事になる。

 

「おい! 各基地とはなんだ! 正確に報告しろ!! 全基地かそれとも、一部か! どっちだ!?」

「全基地であります!!」

「なっ・・・・・」

 

激高して詰め寄った中佐の階級章を付けた士官に、青年将校は強張った真顔で答える。何人かの幹部から同じうめきが出た。

 

「参謀本部に照会したところ、硫黄島のみならず大島、三宅島、父島陸軍基地も攻撃を受け、甚大な被害が出ているとのことです」

「うそだろ・・・・、そんなことが・・・・」

 

詰め寄ったとある中佐は衝撃のあまりふらつき、近くにいた部下に支えられる。「すまない」と断った彼は幽霊のような足取りで自分の席に戻っていく。硫黄島基地が伊豆・小笠原諸島の制空権確保や南方海域から進出してくる深海棲艦の迎撃を担っていたのに対し、陸軍の各基地も第二次列島線の防衛という、非常に重い任務を課せられていた。なにも、島と島民を守る為だけではないのだ。第二次列島線の確保は、そのまま西太平洋における制海・制空権の如何、そして西日本太平洋沿岸部・南西諸島の安全確保にも直結してくる。そのため、これは非常に重要な意味合いを持っていた。

 

「攻撃した敵航空部隊の様相は?」

「関東に来襲した部隊と同じく白玉型赤色種、とのことです」

「やはり、か・・・・・」

 

ため息すらでない落胆が空間を超えて伝播する。今回、関東に来襲したのは、深海棲艦のごくごく普通の部隊で見られる流線型の機体ではなかった。白玉型と一般的に呼称されている、流線型より遥かに性能が高い航空機であった。外見は一風変わっており、読んで字の如く「白玉」のようで一般将兵からは「たこ焼き」と呼ばれており、航空力学をはなから無視したトンデモ形状であった。だが、性能の高さは本物であり、21式戦闘機では全く歯が立たないことはもちろん練度の高い艦娘たちの艦載機とも互角に張り合う存在だ。

 

それが関東に来た。これだけでも敵がいつものようにちょっかいをかけに来たわけでなく、「本気だ」ということが分かる。

 

青年将校はそれを茫然と眺めた後、更なる報告を行う。任官後初めて見る軍令部の惨状を前に、どうやら時機を待っていたようだ。

 

「それと、さきほど銚子漁協より“所属漁船が深海棲艦とおぼしき艦隊と遭遇した”との通報がありました!」

 

「なんで先に言わないんだ!!」というように茫然としていた幹部たちの顔が一斉に、青年将校の方へ向く。いつもなら排斥派の“高貴な”軍人が鉄拳制裁を加えようとするが、擁護派・排斥派に関係なく彼らには歓喜がにじんでいた。

 

「ほんとか!!!」

「どこだ!? 敵は何処に!! 早速反攻作戦の策定に移らなければ!!」

 

だが・・・・・・・・。

 

「敵は九十九里浜沖、南東112kmの海域とのことであります!!!」

『・・・・・・・・・は?』

 

20人はくだらない男たちの間抜けな感嘆が見事に重なる。そして、全員の表情が一瞬の差もなく絶望に染まっていく。語られた言葉はいとも簡単に幹部たちを極寒かつ一筋の光もない暗闇に叩き落した。

 

「そ、そんな近くに・・・・」

「うそだろ・・・。おい、それは本当か!! 本当なのか!! おい!! 誤報じゃないのか!!」

「いえ、確度の高い情報であります!!! 実際に交信記録もこちらに届けられています!」

「な・・・・・・」

 

112km。これは空母や航空機にとっては目と鼻の先。すぐ・・・・・・・・・・・そこだ。

 

にも関わらず、海軍は事前に一切捉えられていなかった。いくら、台風の影響でまともな哨戒が出来なかったとはいえ、そのような言い訳はもう許されないだろう。実際に関東が攻撃を受けたのだ。

 

海軍の面目、丸つぶれである。

 

あまりの大失態に幹部たちは茫然自失。これは下手をすれば自分の首だけでなく、海軍と言う組織全体への信頼失墜につながりかねないほどの事態だった。事がどう転ぼうと政府や国民からの猛反発は避けられない。

 

「それは・・・・・・それはいつのことだ!」

「30分前であります!」

「編成は? 編成はつかめたんですか!?」

「通報は途中で途切れてしまった、と。おそらく目撃した漁船は撃沈されたものかと・・・・・。ただ、艦隊は一個以上で一応に黄色いオーラで満ちていたそうです」

「エリートではなく、フラッグシップか・・・・・・」

「しかも、それが全艦で、一隻ではないと・・・・・・」

「民間船であるため、もう少し詳しくとは言えないが・・・・」

 

数人が顔を手で覆い、数人が苛立出し気に頭を掻き毟る。「失礼しました!」と視界の外へ消えていく青年将校。しかし、誰も彼の姿など見ていなかった。深海棲艦には練度が上がり、戦闘力が高くなるにつれて特定の色のオーラを放つという特徴があった。普通の深海棲艦にオーラはなく、戦闘を重ね練度が上がると赤いオーラを放つようになる。これを人類側は万国共通でelite(エリート)と呼称している。そしてそのelite(エリート)がさらに練度を積み重ねると、オーラが黄色に変わる。これがflagship(フラッグシップ)だ。eliteがまだ通常艦を少し強くした程度なのに対して、flagship(フラッグシップ)は「旗艦」を意味する単語を与えられるだけはあり、elite以下の深海棲艦とは火力・機動力・装甲・回避力など全ての能力が桁違いでもはや別の存在だ。その上には青いオーラを放つflagship(フラッグシップ)改がいるが、これはもう鬼級や姫級を覗う化け物である。

 

そのflagship(フラッグシップ)を主体とし、白玉持ちの艦隊がすぐ目の前まで侵入しているのだ。。

 

「おかしい。敵攻撃隊は房総半島の東方面から来たはずだ。そうなれば、必然的に敵の機動部隊は房総半島東方沖にいることになる。伊豆諸島なら攻撃圏内だろうが、何故、本土から1000km以上離れている父島や硫黄島を同時に攻撃できるのだ? 特攻覚悟の片道飛行ならともかく、やつらはそこまで艦載機を飛ばせないはずだ」

「仮に新型機だったとしても、同時攻撃には緊密な連携、それをなす重厚な通信網の整備が不可欠です。深海棲艦にはいくらなんでも・・」

「別動隊、か・・・・」

 

とある士官の呟き。誰もそれを否定しようとはしなかった。状況から判断するにその可能性が最も高かった。

 

「一体敵は何隻いるんだ・・・・・・・」

「攻撃の精度から判断するに、予測される別動隊も相当の手練れでしょうな・・・・。なんということか・・」

 

苦悩をたぎらせて、首を垂れ始める幾人もの士官たち。まだ第一撃を受けただけにも関わらず、総力戦に負けたかのような無気力感が漂う中、彼らの周囲で走り回る下士官たちの喧騒に紛れて誰かがポツリと呟いた。本当に小さな呟き。だが、海軍最高指導層と一般的に解釈される軍令部の重鎮たちは誰一人として聞き逃していなかった。

 

「どう、この落とし前をつける・・」

 

その呟きに込められた意味。この場にはあまりにも不釣り合いで、嫌悪感を集めても仕方ない代物だった。聞いた瞬間、複数の士官たちが発言者に鋭い視線を向ける。その中には発言者よりも階級が低い士官もいたが、よほど発言が気に食わなかったのか、彼らは一切階級差を気にしていなかった。問題発言の主を咎めようと開かれる数多の口。だが、それは彼らより遥かに怒りを露わにしていた、海軍内で名の知れた軍人が代行した。

 

「おい! 貴様・・・・、今そのようなことをほざいている場合かぁぁぁ!!」

 

排斥派のリーダー格であり、作戦局副局長の御手洗実中将が怒鳴り声を上げながら、般若のような恐ろしい形相で発言者を睨みつける。意外な人物の登壇に発言者を睨め付けていた士官たちは口をあんぐりと開け、走り回っていた下士官たちは思わず足を止める。彼らだけではない。どちらかと言えば、発言者に同情的な雰囲気を醸し出していた士官たちまでも大きく目を見開いている。

 

 

 

“やつがそんなこと言うとは・・・・・・”

 

 

 

擁護派や排斥派の垣根を超えた一種の共通認識が生まれた瞬間だった。

 

「そんなにわが身が可愛いのかぁぁぁ!!!??? だったら、今回の責任をその矮小で非力に肩に背負って、とっととこの場からうせろ!! 保身と昇進にしか興味関心のない官僚もどきはここには不要だ!! ・・・・・幻滅したぞ、富原」

「っ!? 大変、大変、申し訳ございませんでした!!! 何卒・・何卒ご容赦を!!」

 

例の発言者である作戦局作戦課課長の富原俊三中佐は涙声で、テーブルに頭を擦りつける。体は震え、この世の終わりと雰囲気が周囲に訴えている。軍令部に務めている大抵の軍人ならば、中将である御手洗に激怒されようともここまでの怯え方はしない。しかし、彼にはそうなる理由があった。

 

彼は排斥派中堅士官のとりまとめ役で、御手洗と共に排斥派の重鎮の1人とされている軍人なのだ。

 

御手洗へ必死に慈悲を乞う富原を一瞥することもなく、敵の撃滅・祖国防衛よりも彼と同じことに主眼を置いている、と思われる士官たちに鬼の形相を向ける。

 

訪れる、久方ぶりの静寂。周囲では再び下士官たちが活動を再開しているものの、士官たちの間だけ。なんとも不思議な情景だった。士官たちが戸惑いで身じろぎをし出すと、先ほどの怒号が白昼夢であったかのように御手洗は消え入りそうな声で言った。

 

「俺たちは・・・・俺たちは誓ったはずだ・・・・。入営する時、そして・・・・あの絶望に支配されていた日々に。・・・・・・・・・・・今度こそ、果たすのだ。絶対に・・・・・」

 

俯いているため、御手洗の表情は誰にも分からない。いつもとは異なる御手洗の様子に静かな動揺が広がる。しかし、数人の軍人たちは御手洗と同じく俯いていた。

 

「御手洗の言う通りだ」

 

低く、誰にでも威厳を感じさせる声。視線を泳がせていた士官たちが一斉に姿勢を但し、特定の方向に体を向ける。今まで瞑目していた瑞穂海軍軍令部総長的場康弘大将はゆっくり立ち上がり、士官そして見える範囲全ての下士官たちをその視界に収める。

 

彼の表情には、ダイヤモンドよりも硬い信念と覚悟が浮かんでいた。

 

「我々は瑞穂海軍軍人だ。そして、我々は軍令部だ。我々の行動如何で部下たちの、国民の・・・・・・みなの家族の運命が決まる。この中にも家族が関東に暮らしている者は多くいるだろう」

 

少なくない士官・下士官たちが瞳を揺らす。

 

「確かに、我々は大きな過ちを犯してしまった。もう、取り返しはつかない。此度の責任は全て総長である私に所在している。お前たちが気に病む必要は、ない」

「そ、そんな・・・・」

「お、お言葉ですが・・・・責任は我々にも・・」

 

信頼ゆえの抗議を行う擁護派の士官たち。だが、的場は首を横に振り、彼らの弁を制止させた。

 

「総長とは、そういうものだよ。少しは格好を付けさせてくれ」

 

儚げな笑みを浮かべる的場。擁護派の士官たちは、苦し気に己の拳を握りしめている。

 

「だから、今は目の前の敵をどうするのか。それだけに専念して欲しい。時間の浪費も、驚愕の押し付け合いももう散々だ。分かったら、さっさと動け。・・・・・瑞穂人の底力、思い知らせてやるぞ!」

 

一転して、瑞穂海軍の最高司令官らしい勇ましい声。そこには勝ち気な笑みが浮かんでいた。それに擁護派も排斥派も関係なく全員が大きく、覚悟を秘めた視線で頷く。

 

 

それを境に再び軍令部が慌ただしく動き出す。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

レシプロエンジンの特徴的な振動で小刻みに揺れる機内。いつもはその音に頼もしさを感じるのだが、今日は違った。それは聴覚だけでなく視覚にも言えることだった。眼下に広がる大海原。紺青の海がいつも以上に黒く見える。

 

この海のどこかに敵がいる。

この海のどこかに自分たちの仲間を殺し、自分たちの祖国に忌々しい爆弾を落とした化け物がいる。

 

そう思うと自然に目が冴えた。自身が軍人になり、瑞穂で唯一大戦初期を生き残った第5艦隊に配属されてから、初めての実戦。もっと緊張したり、怖くなったりするかと思ったが、そうでもない。奇襲攻撃というある意味特殊な攻撃を受けからであろうか。

 

「こんなもんか・・・・・」

 

肩透かしを感じながら、第5艦隊旗艦巡洋艦「因幡」所属、水上偵察機搭乗員の高橋は機長である武田と共に30式水上偵察機で敵機動部隊がいると目されている房総半島南東海域を飛行していた。

 

第5艦隊に攻撃の一報が入ったのは、相模湾から太平洋側へと進路を取り、ちょうど伊豆半島と大島の間を航行中の時。実際に関東各地が攻撃を受けてすぐのことだった。事態の深刻性を即座に判断した第5艦隊司令官正躬信雲(まさみ しんうん)少将は、直後進路を大島の南を通る形で房総半島南方海域に出るルートへ変更。これは完全な現場の独断であったが、艦隊司令部や横須賀鎮守府も同じ考えだったため、交信が回復した後叱責されるどころか「さすが」と評価される始末だった。

 

暗黙の内に共有された両者の読み。それはその後に軍令部経由で送られてきた銚子漁協の情報で確信に変わっていた。

 

現在既に房総半島南方海域に進出した第5艦隊は敵艦隊との不意な遭遇を避けるため、当海域に待機。所属する偵察機を北東から南方面に発進させ、本土を爆撃した敵機動部隊の発見を急いでいた。

 

「何か見えるか?」

 

操縦桿を握る武田の問い。この偵察飛行に出て何度目か分からないが、高橋も何度目か分からない同じ回答をする。

 

「いえ、何も見えません! いたと思っても鳥ってオチばかりですよ」

「そうか・・・・・。俺も似たようなもんだな」

 

若干の影を帯びた言葉。それだけでなく焦りの色も垣間見える。どんな状況でも平静を保っていた武田にしては珍しい。だが、それに「何故」という疑問は無粋だ。

 

高橋の脳裏に、発艦前にかけられた武田の言葉がよぎる。

 

「なぁ、高橋。厚木には俺の古い友人がいるんだ。もうすぐ長女が中学校に入るんだって、この間会ったとき嬉しそうに話してた。昔は2人でバカやったっていうのに、すっかり毒が抜けちまって・・・・・・。無事でいてくれるといいんだが、やつは戦闘機のパイロットだ。おそらく・・・・・。例えあいつが生きていても、死んだ仲間はたくさんいるはずだ。俺たちが敵討ちの一翼を担わないとな」

 

自然と拳に力が入る。高橋も館山に友人がいた。気が弱く、狡猾で高圧的な先輩の横暴からよく匿っていた。そのたびに彼はいつも純粋な笑顔で「ありがとう」と言う。兵士としては適性を疑ったことはあるが、友人としては申し分ない人間だった。彼は武田の友人と違い29式偵察機の偵察員だが、館山偵察飛行隊の偵察機は大半が未帰還だと言う。

 

「あいつのためにも、俺が・・・・」

 

目頭に力を入れ、眼下を睨む。翼下を流れる雲。真っ白で綿あめのようにふわふわとした外観でところどころから海を見ることができる。

 

「っ!?」

 

視線を翼下から前方に映す。雲の隙間。そこに海水を傲慢にかき分けて進む異形の集団がいた。一瞬で瑞穂全軍が血眼になって探し求めている存在と確信した。

 

「武田機長! 見つけました! 前方、2時の方向。雲の隙間!」

「!?!? よくやった高橋!」

 

歓喜に沸く機内。お通夜のような雰囲気が幻であったかのようだ。

 

「敵には・・・・・気付かれていないようだな。よしっ! 高度を下げて、近づく。賭けだが・・・・・・・、高橋、しっかり見た全てを因幡へ報告してくれ!」

「はい!」

 

高まる緊張感。相手は空母を有する機動部隊。しかも、あの“たこ焼き”を有している猛者ども。見つかれば、ほぼ逃げ切ることは不可能だ。しかし、ここで引き返す気は毛頭ない。自分たちの行動如何で瑞穂軍の今後が大きく変わることを思えば、命を懸ける意味はあった。

 

深い深呼吸が聞こえた後、一気に高度が下がる。一面、白の世界へ。だが、それも一瞬で、すぐに雲の下へ出る。その先。異様な集団がはっきりと視認できた。すぐさま目に入るあらゆる情報を因幡へ送信していく。暗号を作成する手間が煩わしく感じるが、致し方ない。

 

「あと少し・・・・・・」

 

送信があと一歩で完了すると言うとき、武田が悔しそうに叫んだ。

 

「見つかった!」

「え!?」

 

チカチカと光を発する異様な集団。機体が急機動を開始した。続いて、至近で起きる爆発。それは1つだけではない。無数だ。数えることができない。上へ、下へ。右へ、左へ。機体は常に乱舞し続ける。それでも送信する手は止まらない。次々と送られていく情報。

 

「お、終わった!」

 

その瞬間、すべての音が消える。

 

「へ・・・・・・・」

 

身体に激痛が走ったかと思えば、急速に消えていく。目の前に広がる血飛沫。一体誰のだろうか。それを認識する前に視界が完全に闇に覆われた。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

第5艦隊旗艦 巡洋艦「因幡」 艦橋

 

 

 

「何度も武田機には呼びかけていますが、敵発見の報及び敵艦隊の詳細を発してから一向に連絡が取れません。状況から察するにおそらく、撃墜されたものと・・・・」

「そうか。自らの命に代えても、情報を集めてくれたか・・・」

 

敵機動部隊発見の報。それが届けられた瞬間、艦橋は歓喜に沸いた。既にこの情報は因幡の通信室を通じて各方面へ送信済みのため、おそらく同じような状況が各地の基地や部隊で起こっているだろう。だが、だ。それを得るために同じ艦隊の仲間が犠牲になった。たかが2人だが、されど2人である。艦橋は一気に歓喜から悲痛に急降下し、報告を行った第5艦隊参謀長掃部正尚(かもん まさなお)少将は固く拳を握りしめ、震わせていた。

 

「彼らの犠牲を無駄にしないためにも、瑞穂魂を発揮せんといかんな」

「はい」

 

静かに第5艦隊司令官正躬信雲(まさみ しんうん)少将は呟く。それに掃部や因幡艦長大戸雅史(おおど まさふみ)大佐のみならず、艦橋要員全員が頷く。

突如発生した関東への奇襲攻撃。大戦初期を前線で経験したわが身すら動揺するほどの状況に、将兵たちの様子が気がかりだったが、やはりそこは栄えある第5艦隊の将兵たち。士気は高く、戦意がみなぎっている。指揮官として頼もしい限りだ。

 

「・・こちらの情報は伝わったはず。呉は、まだ何も言ってこないか?」

 

第5艦隊の上級司令部である艦隊司令部は広島県呉市に所在している。改修や補給ではもっぱら横須賀鎮守府のお世話になっており横須賀鎮守府との関係が深いため、現在でも横須賀鎮守府司令部と交信は行っている。しかし、艦隊司令部の隷下である以上、そこの命令が絶対。例え、横須賀より対応が遅くとも。

 

「はい。横須賀鎮守府を抜錨する艦娘連合部隊と合流せよとの命令以降、何も。もう一度艦隊司令部に確認しますか」

「頼む」

 

険しい表情を示す正躬。掃部が目配せすると、そばに控えていた参謀部将校が急ぎ足で艦橋を後にする。艦橋には敵を見つけられずにいた数十分前と同じように、ピリピリとした緊張感が舞い戻ってきていた。正躬をはじめとした第5艦隊上層部がこうなる理由。それは、武田機の報告にあった。報告によれば、敵は正規空母4、戦艦1、駆逐1を配した艦隊を戦艦2、軽巡1、駆逐2を配した艦隊で取り囲んでいた。いわゆる、輪形陣である。そして、2個艦隊が1つの艦隊にまとまった連合艦隊であった。加えて、全隻例外なく全てflagship。

 

文句のつけようがない大部隊だった。正躬たちも参謀部など第5艦隊司令部で独自に敵の規模を予想していたのだが、これはさすがに予想の斜め上を行っていた。

 

これほどの規模の敵が本土に来襲するなど、八丈島沖海戦が行われて以来である。2027年、艦娘の協力を得て徐々に戦線を押し返していた時期に、今回と似たような編成の敵連合艦隊が出現したことがあった。当時、瑞穂も敵の反攻を予測し関東東方・南方海域の哨戒を密にしていたため、敵の早期発見に成功。艦娘部隊と艦隊司令部隷下の主力艦隊残存艦で臨時編成された特別水上打撃群の共同作戦により、八丈島沖での敵艦隊撃退を成し遂げることができた。特別水上打撃群の壊滅という代償を払ったものの、敵の本土攻撃そして反攻の出鼻を挫かれる事態は回避した。ちなみに、この時第5艦隊は大湊におり、幸いにも戦闘には参加せずに済んでいる。

 

今回はそれ以来の出来事である。しかも、戦況は比較にならないほど悪い。既にこちらが攻撃を受け、先手を打たれている。瑞穂海軍は水上艦部隊も、航空部隊も大戦初期の戦闘でほぼ壊滅状態に陥った。艦娘の登場により戦局が安定し、シーレーンの防衛に成功してから、特に航空戦力を急ピッチで再建・拡張していた。その虎の子の戦力に甚大な被害を出している。

 

加えて、だ。敵がそれだけならまだしも、伊豆・小笠原諸島への攻撃は房総半島沖と同等か、それ以上の敵部隊の存在を暗示していた。しかも、瑞穂側は敵艦隊の詳しい編成はおろか位置すら掴んでいない。瑞穂海軍は圧倒的不利な状況に置かれている。

 

再来。あの時を知る将兵はみな、今回の攻撃をそう呼んでいた。

 

「・・・・お前ら、敵の航空隊はどこに行ったと思う?」

 

特定の人物に向けられたものではない問い。それを聞きとるとますます、掃部・大戸たちをはじめとした幹部たちの表情が険しくなる。武田機の報告。それによれば艦隊上空に敵機の姿はなかったという。敵の攻撃から自艦隊を守る上空直掩機も含めてである。また、武田機の他に出した偵察機からも「敵航空隊、発見す」などの報告は寄せられていない。

 

それを聞いて、嫌な予感を抱かない者はいないだろう。空母機動部隊であるのに、航空機がいないのだ。では、消えた航空機は何処へ?

 

その答えは、さきほど出ていった将校によってもたらされた。慌ただしく開かれる扉。よほど走ってきたのだろう。出ていくときは満点だった身だしなみが、乱れに乱れている。普段なら掃部あたりから叱責が飛ぶところだが、彼の表情はそれを寄せ付けないほど緊迫していた。

 

「報告します! 敵機動部隊の第2次攻撃隊と思われる大編隊が大きく2つに分かれ、房総半島上空を飛行中。一方は横須賀方面、もう一方は東京方面へ向かっているとのことです!!」

「やはり、か・・・・・」

 

抱いていた予想が的中し、正躬たちは苦渋を浮かべる。

 

「呉と連絡は?」

「はい。つい先ほど、通信がつながりました」

「なんといってきた?」

「前回と同じく、現海域で待機せよとのことです」

「艦娘との合流予定は?」

 

正躬と参謀部将校の会話が途切れた頃合いを見計らい、怪訝そうに横須賀の方針を確認しようとする大戸。彼は明らかに苛立っていた。簡単に言ってくる“待機”がどれほど危険なのか。制空権がない状態で、通常艦隊が敵機動部隊に捕捉されればろくな戦闘もなく海の藻屑になることは避けられない。

 

「出撃した艦娘部隊は、横須賀防衛のため東京湾上で防空戦闘を行うとのことです。そのため、今は未定としか・・・・」

「はぁ? それではなにか。呉はこちらに丸腰で、敵に怯えながら、遊覧航行を楽しめと言ってきたのか?」

「いえ・・・その・・・」

 

参謀部の将校は口ごもる。文面だけをみれば、呉はそのようなことを一切言っていない。だが、意味は大戸が肩をすくめて言った台詞を大差ない。参謀部の将校すらも、それは分かっていた。

 

「正躬司令、呉はあてにできません。誠に怒りを覚えますが、おそらくこちらに思慮した命令を下す余裕すらないのでしょう。ここは一旦大島方面に下がってはどうですか。房総半島東方に存在する敵艦隊の発見という我々の任務は完了しましたし、敵との遭遇の可能性を考えますと、ここに留まるのはあまりに危険すぎます」

 

掃部の進言。大戸もそれに頷き、同意を示すが、正躬は首を盾に振らなかった。

 

「いや、艦隊は下げない。命令通りここで待機だ。呉もだいぶ混乱しているんだろうさ。じきにまともな命令が来る」

「しかし!」

「こちらはまだ敵に捕捉されていない。下手に動けば見つかるかもしれん。艦隊の後方には攻撃を受けた大島もある。攻撃の効果を確認しようと偵察機が飛んでいる可能性は往々にしてあるだろう?」

「そ、それは・・・・・・」

「だろう? わざわざこちらから敵の懐に飛び込む必要はない。それにお前たちは重要なことを忘れている。第3水雷戦隊は、今どこにいる?」

 

その言葉に正躬以外の幹部たちが目を丸くする。彼らはすっかり忘れていた。あの鬼神たるみずづきが臨時で組み込まれた第3水雷戦隊の存在を。彼女たちは護衛任務を解消され、一路こちらへ向かっていることは通信が回復した横須賀鎮守府より伝えられていた。

 

「現在、愛知県御前崎沖を航行中とのことです。あと3時間あまりで合流できます」

「よし! 少しかかるがもう少しの辛抱だ」

 

それに歓喜を浮かべたのは、正躬だけではない。掃部や大戸たちも、だ。鬼神と言われたみずづきや川内たちが来れば、航空機を出払っている敵の状況を最大限に生かし、通常戦力である第5艦隊でも敵に一撃を加えられるかもしれない。

 

「我が艦隊は現海域への待機を継続。哨戒を密にし、敵本隊の動向把握、敵偵察機の早期発見に努め・・・」

「ほ、報告します! 白波より電文! 我、敵偵察機とおぼしき、航空機と接触。敵機は東方向へ逃走したとのことです」

「な・・・・・・。なんてことだ・・・・・」

 

希望を絶望へ、たった1つの報告がいとも簡単に変える。艦隊最後方を航行していた第5艦隊第5戦隊に属する白波からの通報。嫌な静けさが艦橋を覆う。

 

これが意味すること。それは“第5艦隊の位置が敵に捕捉された”ということだ。深海棲艦も人間の通常艦隊が無力であることを知っている。やつらとは世界中の軍隊が死闘を繰り広げてきたのだ。それほど時間を置かず、敵の航空隊か本隊が、第5艦隊を殲滅しにやってくる。例え、やつらにとって敵の本拠地の眼前であろうとも。

 

勝ち目など、ない。正躬から掃部、大戸、そして一般将兵にとってそれは反論の余地がない残酷な現実だった。逃げるという選択肢もあるが、速力は機動部隊であるためあちらが上。いつかは追いつかれるし、航空隊は言わずもがなだ。それに別動隊の存在が確実な以上、下手に未哨戒海域には進出できないため、退路は限定される。深海棲艦は友軍の位置をある程度認識していると推測される為、退路が読まれる可能性も大。最悪、挟撃などに追い込まれれば、それこそ何もできず全滅だろう。前部砲塔の火力を総動員できる、真正面突撃の方が勝てなくとも、戦術的意味はある。

 

それにもしここでむざむざと退避行動に移れば、深海棲艦機動部隊が瑞穂軍を「その程度」の存在と見做し、陸軍が要塞を築いていない房総半島沿岸に艦砲射撃などの直接攻撃を仕掛ける可能性もある。現在は稼働していないものの千葉県や茨城県には、かつて稼働しており、将来を見据えて整備されている石油コンビナート群が沿岸部に点在している。攻撃された場合、砲撃や銃撃による一次被害とコンビナートが破壊されたことによる有毒ガスの発生などで二次被害は避けられない。民間人に多くの犠牲者が出るだろう。石油コンビナートには化学プラントも多数隣接している。

 

実際、諸外国ではそういった事例も生じている。そして、深海棲艦連合艦隊がそのような大胆な行動に移れる土壌は既に整っていた。

 

 

例え、深海棲艦が千葉・茨城県沿岸に姿を現しても、海軍は何もできない。もう、制空権はないのだから。

 

 

そのような事態が予測される中で、「逃げる」などという選択肢はなきに等しい。加えて、第5艦隊はただの艦隊ではない。瑞穂海軍の名誉と誇りと一身に背負っている。この攻撃では自分たちの祖国に再び爆弾を落とされたのだ。万が一司令官である正躬が退避を命じたところで、果たして納得できる者はいるだろうか。

 

それに、第5艦隊各艦艇には対深海棲艦用の新型砲弾も搭載されている。全滅に等しい被害を被ることになるだろうが、一矢報いることは可能だ。

 

 

「掃部、敵の位置は?」

「は! 武田機の報告を基に現在位置を推察しますと方位021、距離114000を北西へ進んでいるものと思われます」

「一方的にこちらが向かうと2時間半かかる距離だが・・・・・」

「敵は機動部隊。やつらもこちらへ向かってくるでしょうから、実質・・・」

 

大戸の重たい言葉。それから導き出される時間は・・・・・

 

「1時間、か・・・・」

 

1時間。それが、戦闘まで残された時間だった。

 

「掃部、もう一度確認するぞ? 確かに敵機はいないんだな?」

「それは大戸艦長に聞かれた方がよろしいでしょう」

 

掃部に促され正躬は大戸へ視線を向ける。彼は、堂々と胸を張って答えた。

 

「武田少佐と高橋中尉は、間違った報告を寄こすようなパイロットではありません。情報の確度はこの私が保障いたします!!!」

 

それを受け、正躬は覚悟を決めた。例え奇跡が起ようとも、多大な犠牲を払う命令に。

 

「分かった。・・・・・我が艦隊はこれより、敵機動部隊の撃滅に向かう。呉及び横須賀へ現状を報告後、進路回頭」

「進路回頭、取り舵」

「とりかーじ、いっぱーい!」

「掃部。通信参謀の松本に言って、千葉・茨城両県太平洋沿岸部に避難命令発令の用をみとむと市ヶ谷に伝えていおてくれ。一軍人の範疇を超えてるかもしれんが、この危機的な状況を見過ごすことはできない。的場総長のお耳に入れば、国防省ひいては総理官邸に届くかもしれん」

「了解いたしました!!」

 

淡々と告げられた命令。正躬は窓に体を向けているため、後ろに控えている掃部たちからは表情は見えない。命令を受け、再び喧騒が訪れる艦橋。

 

「みんな、すまない・・・・・・・」

 

小さく、非常に小さく呟かれた言葉。周囲が聞き取ったかは分からない。その背中に掃部がなにか言おうと口を開くが、結局解き放たれることはなかった。




今話から本作史上初の本格的な“戦闘”に突入します。「今さら~?」感が否めず、地の文や瑞穂軍の描写がどうしても多くなってしまうのですが、その点をご了承いただけると幸いです(汗)。

この戦闘は「演習」や「船団護衛」と比べて、文章量がかなりのものとなっています。そのため、しばらくはみずづき・艦娘・瑞穂軍VS深海棲艦の戦闘局面が続きます。何分、知識が浅いにわかのため、誤解や間違いがあった場合、ご指摘くださるとうれしいです。

後、前回の「51話 船団護衛 その4 ~瑞穂の那覇~」に関連して、読者の方から「竹があまり自生していない沖縄で“竹祭り”が可能なのか?」という疑問を頂きました。

ご存じの方もおられることと思いますが、沖縄には琉球竹という茎や葉が細いものは自生しているものの、本土の山林に生えているような茎の太い真竹のような竹はもともと分布していません。(私も最近知って驚きました。一応、本土在住者にとっては豆知識かもです)

そのため、そのままでは「竹祭り」は開催できないので、作者として裏設定を考えておりました。

“竹になじみ深い本土や中国・朝鮮半島(作中では栄中と和寧)からの観光客増加を目的に、単なる五穀豊穣のお祭りに本土の某所で行われているお祭りの要素を追加。竹は本土から仕入れて、竹祭りを開催している”

これだけだといかにも守銭奴みたいなのでもちろん、竹細工の織り成す情緒深い光景と沖縄の伝統家屋が合うから、という理由もあります。

「沖縄に真竹がある」という誤解を防ぐため、長々と説明させていただきました。言葉足らず、申し訳ありません。


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53話 房総半島沖海戦 その2 ~横須賀湾沖航空戦~

東京は大パニック。第5艦隊は敵に捕捉。

そのころ、横須賀は・・・・・・。


響き渡る空襲警報。あまりの大きさに驚いて、百羽単位で飛び立った鳥たちの羽ばたきも、変わらず海水を打ち寄せ続ける波も、全てを無に帰す。

 

それでも紡がれ続ける自然の中の日常。非日常というメガネから見たそれは、何故かひどく不気味に思える。自分たちと世界が切り離された感覚。

 

だが、誰も抱いているであろう儚い感傷に浸っている余裕はなかった。横須賀鎮守府1号舎地下2階。平時は参謀部の将校たちが詰めているこの部屋は、比喩表現としての戦場と化していた。くすんだ白熱灯に照らされた薄暗い室内。広さは今詰めかけている鎮守府幹部の数に比べると、明らかに狭く、駆ける幹部同士の肩がぶつかるなど常だが誰も気にしない。部屋の中央に置かれたテーブルには関東・伊豆・小笠原諸島の地図が広げられている。正面の壁にも形式は違えど、同じ領域を映した地図が張り付けられていた。時間が経つにつれて、中央の地図に置かれた敵・味方部隊を表す駒が動かされ、追加され、また壁の地図に友軍部隊の状況が秒単位で追加されていく。書ききれなくなったためか地図の左右に黒板が置かれ、喧騒に負けないよう、音量を最大にされたラジオの音を背景にそこにも次々と情報が書き込まれていく。

 

「館山消防本部によりますと、海軍館山基地から黒煙のようなものが上がっているとのことです。繰り返します。館山消防本部によりますと海軍館山基地から黒煙のようなものが上がっているとのことです。さきほど、入った情報です。これに関して、いまだ国防省や大本営、軍令部からの発表はありません。また厚木署を管轄する神奈川県警察本部から寄せられた情報では・・・・・はい、途中ですが、ここで神津(こうづ)官房長官の記者会見の模様をお伝えします!」

 

紙をめくる音とアナウンサー・スタッフ間のやりとりが聞こえた後、突然音声を伝えるはずのラジオが黙り込む。これからどのような内容が放送されるのか知らされている者は見向きもしないが、知らされていない下士官たちや兵士たちは額に冷や汗を浮かべながら不安げにラジオを見つめる。直後、どこかの喧騒を流し出すラジオ。怒号や人が激しく疾走する音が聞こえてくる。瑞穂政府官房長官である神津が記者会見を行う場所は総理官邸。普段は格式の高さもあって都内にありつつ喧騒とは程遠いところだが、現在はそれどころではないらしい。

 

今から放送されるであろう内容を聞けば、誰も認識せざるを得ない。

 

 

 

 

今、この国が危機に瀕していると。艦娘と軍の奮戦で見られていた残酷な夢は砕け散り、今は戦時であると・・・・・・。

 

 

 

 

 

「本日8時10分ごろ、関東地方各地の軍及び政府関連施設に深海棲艦爆撃隊による空爆が行われました。現在、被害の全容把握に全力を挙げておりますが、各地に甚大な被害が出ている模様です。また、爆撃を受けた基地周辺地域において、家屋の倒壊や民間人に負傷者が生じているとの情報が警察から報告されています。政府はこの事態を重く受け止め、事態対処の陣頭指揮にあたっている佐影総理に代わり、ここに国家緊急事態法に基づく非常事態宣言を発令します。総理からは早急に被害の全容を把握すること、各地方自治体と緊密に連携すること、政府一丸となって国民の生命・財産の保護に全力を尽くすこと、国民に対し避難や被害等に関する情報提供を随時行うこと、の指示がありました。総理官邸では閣僚による緊急会議及び大本営や国防省など関係省庁・機関を緊急招集し、総理や私も協議に参加し、事態対処に万全を図っております。今後とも被害の全容把握に全力を挙げ、敵部隊の殲滅及び国土防衛に万全を期して参ります。国民のみなさまに置かれましては、軍などからの情報のほか、各自治体からの情報などにも注意し、ラジオからの情報収集を行い、互いに助け合い落ち着て行動して下さい。以上です」

「えーえー、あー、神津官房長官の会見でした。・・・・さきほど神津官房長官は2027年に国家緊急事態法が制定されて以来初めて同法に基づく非常事態宣言を発令しました。繰り返します。さきほど神津官房長官は2027年に国家緊急事態法が制定されて以来初めて同法に基づく非常事態宣言を発令しました。発令地域は関東地方です。発令地域は関東地方です。みなさん、どうか落ち着いて行動して下さい。軍・警察・自治体からの情報に注意してください・・・・」

 

チョークやペンで情報を追加していく参謀部の将校たち。その表情は、耳にした情報とラジオからの音声で例がなく真っ青だ。それを見る百石たち横須賀鎮守府幹部。彼らは中央地図の傍らに立ち、非常事態宣言を発令に動揺を見せることなく、現状の把握と打破に全力を挙げていた。しかし、それも駆け声倒れになっている感は否めなかった。

 

室内に設置されたスピーカーから流れる、非常事態宣言発令を知らせる警報音。

 

「やはり、館山と厚木、百里はだめか・・・・」

 

百石は思わず肩をガクリと落す。壁地図に付された「壊滅」の文字。たった二文字にも関わらず打撃力は抜群だった。一般的な海軍軍人と比較して体の線が細く小柄なため、よく若年兵と間違えられる参謀部通信課長江利山成永(えりやま なりなが)大尉は百石の意気消沈ぶりに気付かないふりをしつつ、現状を分析する。

 

「手ひどくやれらました。館山と百里は所属機の過半が撃破を逃れられたものの、滑走路は穴だらけ。これで即時投入可能な航空戦力は田浦にある横須賀航空基地、第102飛行隊のみということになります。関東の制空権死守はおろか、ここの防空すらも危機的な状況です」

「上は滑走路の修復にどれほどの時間がかかると見込んでいる?」

「いや・・・それが、軍令部からは未だに何も。航空戦隊司令部にも問い合わせましたが・・・」

 

言いずらそうに視線を逸らす江利山。それだけで、航空戦隊司令部がどういう反応を示したのかように想像できた。

 

航空戦隊司令部とは、航空隊や教育航空隊、偵察飛行隊など海軍の航空兵力を一手に指揮・監督する機関である。海軍は軍令部の下に、全実働部隊を指揮する連合艦隊司令部を置いている。航空戦隊司令部は連合艦隊司令部隷下機関の1つであり、同様の機関として他に水上艦艇部隊を指揮する艦隊司令部、陸戦隊などの陸上兵力を指揮する陸戦隊司令部、補給部隊や輸送部隊などを指揮する後方支援集団司令部がある。

 

「門前払いを食らったか・・・?」

「・・・・・・・。鎮守府が口を出すなと言われました」

「江利山、あちらを悪く思うなよ? 航空戦隊司令部も危機感や焦燥感や責任感やらで、いっぱいいっぱいなんだ」

 

江利山の口調から苛立ちを感じ取ったようで、筆端が優しく諭す。

 

「先輩、滑走路はどれくらいで機能を取り戻せると思いますか?」

 

公の場であるにも関わらず、執務室や艦娘たちといるときのような口調。百石自身も自覚はしていたが、もう威厳を張れる余裕はなかった。筆端もそれを承知しているようで、先ほどから特に指摘はなかった。

 

「う~ん・・・・。一両日中は無理だろうな」

「私も同意見です。重機が足りない、訓練をさせてもらえない等々の嘆きは風の噂で聞いてきました。そんな状態では迅速な修復作業など不可能です」

「噂なら良かったんだがな。戦力一本柱の再建計画がここへきて歪を露わにしてきやがった。重機ぐらい買ってやったら良かったものを・・・・」

「私ごときが口を挟むものではないですが、もし航空戦隊司令部から横須賀基地の設営隊を百里や厚木に派遣してくれと言われた場合、どうされますか?」

 

江利山の疑問。それは十分に考えられる可能性だった。

 

「それは断固として、お断りする。こちらにもそのような余裕はない。第一次攻撃で横須賀の被害が軽微で済んだのは、運が良かっただけだ。次はない」

「そうですな。第一次攻撃の迎撃成功はこちらの手柄というよりも、敵が壊滅した3カ所に戦力を集中させたためと思われますから」

 

影を宿した苦笑を浮かべる、参謀部長緒方是近(おがた これちか)少佐。

 

「だからこその第二次攻撃。敵ははなから二段構えでかたをつける気だったわけだ。見るに現状は敵の思い通り。ということは、東京方面に向かった敵の狙いは・・・・」

 

筆端の察し。それを静かに代弁した。

 

「国家中枢部の破壊、及び麻痺誘発・・・」

「総理官邸に、国会議事堂、霞が関に市ヶ谷。あげればきりがありませんね」

 

視線を落とす参謀部長緒方是近。百石たちも同様だ。

 

「敵の戦力から考えてこちらが思い浮かべる攻撃目標の破壊は、例え陸軍高射部隊が奮戦したとしても確実でしょう」

 

市ヶ谷と同様に、緒方のあげた東京の国家中枢部には既に陸軍第1高射群第11高射中隊が展開、迎撃態勢を整えている。加えて千葉県下志津基地に配備されている第12高射中隊も緊急出撃し、都心へ向かっている。だが、相手はラジコン大。目視で銃弾や砲弾を当てたり、信管の炸裂時間を合わせるのは非常に困難だ。

 

「おい、椛田。軍令部は第101飛行隊と小松の第404飛行隊を都心へ侵攻中の敵部隊迎撃に向かわせたんだな?」

 

緒方とは中央地図を挟んだ反対側にいる男。色白の額や首に浮かんだ汗をしきりにハンカチで拭っている情報課長椛田典城(かばた のりき)大尉は揺らぎのない瞳で「そうであります!!」と大きく頷く。訓練で偶然小松へ展開していた横須賀航空基地所属の第101飛行隊は、運よく攻撃を逃れていた。そのため、小松基地所属で舞鶴航空隊第404飛行隊を引き連れて救援として関東へ急行している。

 

「このまま行きますと、20分後に東京湾北部浦安上空で戦闘が開始されると思います」

「30式戦闘機の初陣ですか。果たして、日本の中国戦線のような戦果をあげることはできるでしょうか?」

「相手は、たこ野郎。全滅しなければ上出来だと思うが・・・・」

「先輩・・・」

 

肘で筆端の腕を小突く。はっとなった筆端は「すまない。忘れてくれ」と意気消沈した様子で呟く。益々空気が沈んでしまった。

 

通常航空部隊と深海棲艦航空隊が戦えば、どうなるか。ここにいる全員、それを知っている。筆端が口を滑らせた言葉は誰も抱いていたが、決して口にはしなかった。

 

言霊。口にすれば本当になる気がするのだ。例え、第101飛行隊が瑞穂最新鋭の戦闘機を有する部隊だとしても。

 

「諸君、東京の心配をしている暇なんて俺たちにはないんだぞ。空だけじゃないんだ。緒方参謀部長」

「は!」

「吹雪に戦線を離脱。至急浦賀水道を抜け、第5艦隊の救援に向かうよう指示! それと第3水雷戦隊にも念のため、もう一度第5艦隊の救援要請を!」

「し、司令!」

 

目を丸くする幹部たち。複雑そうに地図を眺める者もいる。彼らがなにを思っているのか分かってはいたが、引く気は全くなかった。

 

「ここで、第5艦隊を失うわけにはいかない。お前らだって分かってるだろ」

 

「四・四艦隊計画」に基づき佐世保・呉・舞鶴・大湊・函館で建造されていた新生主力艦隊「統合艦隊」は既に進水を終え、艤装の点検を行う公試航海を始めていた。しかし未だに人員の練度に問題があり、明日明後日に実戦配備できる状況ではない。第5艦隊を失えば、通常戦力は旧式艦艇で編成された第二線級部隊と海防挺部隊しかいなくなる。

 

「それはもちろん。しかし、加賀と瑞鶴を有する第5遊撃部隊が抜けてしまえば、赤城と翔鶴を基幹とする一機艦、六水戦、そして102隊で敵の侵攻を食い止ることになります! 通常型ならまだしも、相手はあのたこやき・・」

「そんなこと言われなくて分かってる!!」

 

地図を叩き、拳を震わせる。百石の珍しい怒りに、作戦課長の五十殿(おむか)は反射的に目をつむった。喧騒に包まれていた作戦室内は静寂に包まれる。警報音は鳴りやんでいるのか聞こえない。

 

「・・・・・赤城たちには頑張ってもらうしかない。鎮守府が更地になるかもしれんが、非戦闘要員は既に退避済み。レンガやコンクリートなどいくらでも奴らの的にくれてやる。だが・・・・」

 

下を向いていた顔をあげる。決して譲れない信念。怒鳴りそうになる声を必死に抑えて、部下たちに伝えた。

 

「人間を、的にするわけにはいかない」

 

そう。大切な部下が、仲間が、同胞が、自分と同じように家族を持つ存在がむざむざと敵に食われるところを、傍観するなど出来ないし、してはならない。

 

敵が新たな行動に出たと言う報告が上がったのは、その直後のことであった。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

東京湾横須賀沖

 

 

「敵機編隊視認、数・・・・・不明! 多すぎます!!」

 

翔鶴の悲鳴。それが無線で、東京湾横須賀沖に展開している第1機動艦隊及び第6水雷戦隊の全員に伝わる。そして、こちらを心配そうに横目で窺いつつ自分たちの元を離れていった第5遊撃部隊にも・・・・・。

 

いつも通りの海。塩気を含んだ海風が頬を撫で、髪をなびかせる。不規則に身体を上下に揺らす波は航行に支障がないほどの些細なもの。

 

赤城は一旦目をつむると、深く深呼吸。真っ暗な視界に沈んでいると、つい今も「日常」が続いているものと錯覚してしまう。それほどまでに、海は平穏だった。しかし、これからここは戦場となる。音速を超える鉛弾が縦横無尽に駆け抜け、一瞬で有機物を炭化させる爆弾が降り注ぐ。

 

些細な大気の振動を肌で感じ取り、刃物のような鋭い眼光を一切四散させることなく、前方に向ける。灰色と青を背景に飛ぶ黒ゴマのような点の群れ。一見しただけでは鳥などと間違えてしまいそうになる。しかし、視認の時間が増えれば増えるほど、それがここに存在してはいけないものという事が分かる。自身の哨戒機が20分ほど前に、そして各地の防空監視所が発見した、敵空母機動部隊第二次攻撃隊の片割れ。横須賀を灰燼に帰そうとする魔の行軍が、ゆっくりと着実にこちらへ近づいてきていた。

 

もう一度瞑目すると静かかつ覚悟を決めた強い口調で、全艦に命令を下した。

 

「総員、対空戦闘よーい!! 第一次迎撃隊、迎撃用意!! 第二次迎撃隊発艦準備! 翔鶴さん!」

「はい!!」

 

返事というよりは、叫びに聞こえる翔鶴の声。第1機動艦隊、第6水雷戦隊の緊迫感が跳ね上がる。両艦隊が共に輪形陣をとり、艤装のあらゆる砲口を上空へ向けた。同時に弓を構える2人。だが、矢をつがえる前に赤城は艦隊の鼓舞に動いた。

 

波しぶきとわずかなエンジン音が聞こえる世界に、赤城の勇ましい声が響き渡る。

 

「いいですかみなさん!! ここから横須賀は目と鼻の先! ここを突破されれば、私たちの帰るべき場所に、お世話になりそしてこの国と人々を守るため奮戦している基地将兵のみなさんに甚大な被害が出ることは避けられません!」

 

駆逐艦たちが遥か後方、大気中のホコリとチリで霞んでいる横須賀湾の入り口へ振り返る。あいにく、横須賀鎮守府本体は地形上絶対に見ないのだが、それでも見ずにはいられなかった。その気持ち。まっすぐ前を向いたままの赤城や翔鶴、榛名、摩耶、夕張、球磨も全くものを抱いていた。

 

濃淡に関わらず浮かび上がってくる艦娘たちと、将兵たちとの思い出。自分たちに「ありがとう」と口をそろえて言ってくれた街の人々。

 

 

 

それを過去のものにするわけにはいかない。これからも紡ぎ続けるのだ。あそこで、あの人たちと・・・!!

 

 

 

「私たちが最終防衛線です。あとはありません! だから、絶対に守り切ります! 私たちが、守り切れなかった人々のためにも!」

『はい!!』

 

見事に重なる決意の現れ。その中でも、僚艦たち。榛名や曙、潮の声が大きいように感じたのは気のせいではないだろう。彼女たちは知っているのだ。自分たちが負ければ、どうなるかということを。

 

特に、榛名は・・・・・・。

 

だが、その心配も彼女たち自身が声でもって否定してくれた。

 

腰から弓をとるついでに彼女たちの顔を見る。奇襲攻撃を受けた際、赤城たち一機艦は身辺整理や事前準備を終え、今日行うはずだった対潜演習の打ち合わせを行っていた。突如鳴り響いた空襲警報を聞いた時の、血が引いていく感覚は今でも体中に残っている。こちらも全く予想していなかったのだ。まさか重厚な哨戒網を潜り抜け、いきなり奇襲攻撃を受けるなどと。幸い、空襲警報の発令から防空戦闘が開始されるまではそれなりに時間があり防空壕へ避難可能であったため、艦娘を含めて周囲の将兵たちにも被害はなかった。しかし、肉体的ダメージと精神的ダメージは全くの別物。艦娘たちは全員防空壕で動揺していた。赤城も動揺が全くなかったかと言えば、嘘になる。表に出しては駆逐艦たちの動揺を大きくしてしまうので、必死に隠していたが。だが、動揺を通りこし、顔面蒼白で震えている艦娘たちもいた。

 

 

 

榛名と潮である。

 

 

 

だから心配していた。しかし、表情と雰囲気から察する大丈夫そうだ。出撃時も若干、顔が青かったが今は血の気が戻っている。ひしひしと戦意も感じる。安心したが故につい、場の雰囲気にそぐわない微笑をこぼしてしまった。

 

徐々に近づいてくる敵編隊。戦闘へ突入する前に最後の通信を行う。交信先は自分たちの後方、横須賀湾入り口から鎮守府上空にかけて周回しながら待機している横須賀航空隊第102飛行隊だ。彼らの任務は赤城たちの防衛網をすり抜けた敵機の迎撃。赤城もああ言ったが自分たちだけで敵を食い止められるなどと、慢心まがいのことはこれぽっちも思っていなかった。

 

 

敵はあの“たこ焼き”なのだから。

 

 

「こちら赤城。102隊へ。これより我が艦隊は対空戦闘を開始します。背中をお預けします」

「こちら102隊、植木(うえき)。了解した。操縦桿が滑って、正面からあいさつすることになるかもしれんが、その時は歓迎をよろしく頼む」

 

場の雰囲気に全く似合わない軽口。思わず吹きそうになってしまった。無線の向こう側からはレシプロエンジンの音は聞こえど緊張した雰囲気は全く伝わってこない。務めていつも通りだ。それを聞いて初めて、自分の指がかすかに震えていることに気付いた。

(どうりで、翔鶴さんがしきりに私の様子を覗ってくるわけね)

第1機動艦隊旗艦として情けない限りである。本来は部下を引っ張っていかなければならないにも関わらず、逆に心配されるなど。もしかしたら、第102飛行隊隊長の植木譲治(うえき じょうじ)大尉はこちらの震えを感じたからこそ、このような発言をしたのかもしれない。そう思うと情けさ名を通りこして、恥ずかしくなる。

 

「分かりました。空と陸できっちりと歓迎差し上げます。覚悟のほどを・・・・・・」

 

一瞬の沈黙のあと、「ご冗談を」という言葉を最後に通信は終了。その間際の「ふっ」という安心したような微笑を、赤城は確かに聞いていた。

(陸でも、また・・・・)

拳を胸にあてる。もう震えはない。

 

「第二次迎撃隊発艦準備完了!」

 

翔鶴の報告。視線で撃墜せんとばかりに敵機群を睨みつけ、叫んだ。

 

「翔鶴さん!」

「はい!」

 

さきほどより戦意を感じる返事。翔鶴はしっかりと前方を睨む。

 

「第二次迎撃隊、発艦開始!!」

 

重なる号令。弓から飛び立った矢はまばゆい光を放ち、すぐさま零式艦上戦闘機に変身。迷うことなく、まっすぐ敵機編隊に向けて飛行していく。

 

続けて撃ちだされていく矢。断続的に零戦が一足早く展開し終えた零戦の後に、そして既に発艦を終えている第一次迎撃隊の後に続いていく。最後の矢が放たれたとき、第一次迎撃隊と深海棲艦艦上戦闘機軍が真正面から激突。

 

 

 

 

後に横須賀湾沖航空戦と呼ばれる、激戦の戦端が開かれた。

 

 

 

 

肉迫する科学と物理法則の申し子である零戦と、人間の数千年間にわたる努力を無視した白玉型深海棲艦艦載機。両者の銃口が一斉に認識できないほどの火を噴き、数え切れないほどの銃弾が空気を切り裂いて、己の目標へ飛翔していく。零戦隊は一度真正面から激突した後、引き続き敵艦戦を攻撃する班と敵艦戦の後ろに匿われている艦爆・艦攻隊の撃破を目指す班の二手に分かれる。後者の零戦隊はその機動性と高速性を活かし攻撃隊へ肉迫。一撃離脱戦法を狙うが、そう簡単にはいかなかった。敵もこちらの戦術を推測していたのか、零戦隊の上方、雲の中から突如として敵艦戦部隊が姿を現し、重力の力を借りた急降下銃撃を仕掛けてくる。敵艦戦は雲と同じ白色のため発見が遅れた零戦隊は敵艦戦とのすれ違いざまに4、5機が翼や胴体から火を噴き、落下していく。

 

だがさすがは一機艦航空隊。混乱からすぐに立ち直ると編隊を組み直し、必死に上昇を試みる敵艦戦隊へお返しとばかりに一撃離脱戦法を行う。敵艦戦隊は急降下後の編隊再建が間に合っておらず、一機また一機と零戦に食われていく。そうしている内に、進路を遮られる形となった敵攻撃隊が戦闘に加わってくる。

 

「赤城さん、敵の動きをどう見ますか?」

 

戦闘空域に目を張りつめたまま、翔鶴が怪訝そうに尋ねてくる。その疑問の真意はいちいち聞き返さずとも分かっていた。艦攻や艦爆には固定武装がついているものの、それはあくまで自衛用でしかない。戦闘機のように“敵を積極的に仕留めるため”のものではないのだ。また、戦闘機がもとから敵を仕留めるための機体であるのに対し、艦爆は爆撃機、艦攻は攻撃機として設計されている。そんな機体同士が戦えば、どうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。中には爆戦といわれる零式艦上戦闘機62型のように艦上爆撃機でありながら戦闘機と互角に張り合える制空力をもった機体もあるが、それは艦娘側の話。

 

にも関わらず、敵攻撃隊は遠回りして回避しようともせず戦闘空域に突き進んでいく。

 

「よほど、焦っているのかしら。回避している時間がないほどに。そうでなければ、あんなリスクの高い真似をするはずがないわ」

「焦っている、ですか? 敵は第一次攻撃で、関東地方の制空権を奪取しています。そして、その・・・・・瑞穂海軍の戦闘機だけでは敵を押しとどめることは厳しいはずです。にも関わらず、なぜ・・・・」

「正直、私にもよく分からないの。もし私が敵の立場なら、敵地の奥深くまでわざわざやって来たんだから確実を期すわ。でも、敵は迅速性を優先しているように見える。本土がそれほど怖いのかしら」

 

事実、敵の数が少なかったとはいえ、横須賀は陸軍横須賀田浦陣地と海軍横須賀航空基地防空隊の対空戦闘で第一次攻撃を切り抜けている。こちらの迎撃準備が完了する前に、腹に抱え込んだ物騒な荷物を届けたいのか。はたまた、別の理由か・・・・・。

 

しかし、黒煙を上げながら木の葉が舞うように海面へ吸い込まれていく零戦を捉えた瞬間、思考を中断せざるを得なかった。

 

額にうっすらと汗が浮かぶ。また、一機零戦が墜ちていく。戦況はお世辞にも優勢とは言えなかった。

 

数だけでいえば敵が百数十機に対し、こちらは約140機。ほぼ同数か、こちらが少し多い印象だ。ましてや、敵は3分の2が攻撃隊であるのにこちらは140機すべてが零戦。これ程の戦力差ならば、敵が通常型艦載機だった場合は一方的な殲滅戦になるのだが今回ばかりは違った。数の上では圧倒していても、敵は精鋭の白玉型。確かにいくつもの敵艦載機が火を噴き墜ちていったり、爆発四散している。しかい、日の丸をつけた機体も少なからずいた。

 

零戦隊は獅子奮迅の働きを見せていはいたが、敵は編隊単位で連携し、まるで零戦隊の動きを全て把握しているかのように的確な防衛戦闘を行っていた。そのため、中々攻撃隊に零戦が取り付けない。攻撃隊のみに気を向けていれば、左右・上方から雲を巧みに使っている敵艦戦が鉛弾を浴びせてくる。艦戦隊のみに気を向けていれば、今度は左右・下方から敵攻撃隊が貧弱な火力を集中によって強化し、凶悪な鉛弾を浴びせてくる。

 

互いにもみ合いながら艦隊へ迫ってくる零戦隊と敵第二次攻撃隊。艦戦・艦攻・艦爆共に敵は相応の被害を生じさせていたが、それでもまだ果敢に猪突猛進。今迎撃している航空隊は自分たちが時には厳しく、時には優しく、厚い信頼関係の下で育ててきた子たち。いつかは敵を食い破れるだろうが、現在の戦局を鑑みると確実に赤城たちの上空を通過してからだ。それでは遅すぎる。

 

自分たちが取り得る最終手段。奥歯を割れんばかりに噛みしめると、大切な相棒たちに被害を与えるかもしれない命令を下した。

 

「みなさん! 後方に展開している攻撃隊を狙って下さい!!」

 

双方がもみ合っている空域より、少し後方。そこに重そうな対地爆弾を腕のように見える箇所に持った艦攻隊が周囲を警戒しつつ、飛行していた。ここなら周囲に零戦隊がいないため、防空戦闘で彼らを巻き添えにすることはない。

 

「了解!! ようやく、傍観者から解放されるぜ! この摩耶様の力、思い知らせてやる!!」

 

摩耶の歓喜とも気合い入れとも取れる声を皮切りに、艦娘たちの鋭い視線が敵艦攻隊へ向けられる。もちろん、砲口や銃口も。

 

「ん!? あ、赤城さん!!」

 

翔鶴が驚愕しながら、敵艦攻隊を指さす。

 

「っち!」

 

はしたないと分かっていても、思わず舌打ちが漏れてしまった。こちらの意思を察知したのか、敵が新たな行動に出る。第二次攻撃隊を分離し、半数近くの艦攻・艦爆隊が艦戦の護衛も伴わず艦隊めがけて猛進してきたのだ。

 

敵の目標変更が明らかになった瞬間だった。いや、はなから艦娘部隊もまとめて攻撃するつもりだったのか。真偽は定かではないが、今は考えている時ではない。

 

「翔鶴さん!! こうなったら、やむをえません!! 予備機全てを上空直掩隊として発艦! 一機でも多く撃墜します!」

「了解! 予備機稼働状態へ。上空直掩隊、発艦準備! みんな、お願い!」

 

翔鶴が悲痛な表情で弓を引きしぼり、放つ。続いて赤城も上空直掩隊を発艦させるが、予備機をかき集めた即席の編隊であるため、なにぶん数が足りない。戦闘前に発艦させた零戦隊は相変わらず横須賀方面へ進撃を続ける敵編隊の迎撃で手いっぱいでとてもこちらの援護に回る余裕はない。上空直掩隊がどこまで防いでくれるかにかかっているが、こちらへ振り向けられた敵攻撃隊の機数はこちらの3倍。翔鶴の表情が悲壮感に染まるのも仕方ない。

 

だが、やるしかないのだ。

 

かなり至近で交差する上空直掩隊と敵攻撃隊。瞬く閃光。黒煙または火をたなびかせながら墜ちてゆく敵味方の機体。しかし、結果は赤城たちが予測したとおりとなった。直掩隊の被害はそこまででもなかったが、数の前に押しきられた。敵は撃墜され、波の間に消えてゆく友軍機に目をかけることもなく、後方で旋回を始めている直掩隊を伺うこともなくただ猛進してくる。

 

敵機の禍々しい形相からは殺意がマグマのように煮えたぎり、溢れ出ていた。

 

「来る・・・・・・」

 

生唾を飲み込んだ、曙の呟き。艦娘たちが各々の引き金に指をかける気配が伝わってくる。

 

直掩隊は旋回し、敵攻撃隊の後ろにとりつこうとするが間に合わない。泣く泣く、艦娘たちの防空戦闘の阻害要因となることを避けるため、退避していく。赤城は通信機で「賢明な判断よ」と直掩隊の隊長機にねぎらいの言葉をかける。

 

そして・・・・・・・・。自衛火器である20cm単装砲・12.7cm連装高角砲・25mm連装機銃で容赦なく、敵機を射貫き。

 

「撃てぇぇぇ!!!」

 

声帯が壊れんばかりの大声を上げた。直掩隊が射線上から離れたことを確認し、赤城の咆哮に呼応して一斉に砲口と銃口が火を噴く。駆逐艦たちの12.7cm連装砲が、榛名の35.6cm連装砲が、摩耶たちの20.3cm連装砲が、そのほかの副砲・高角砲・機銃が爆音を轟かせながら、絶え間なく砲弾・銃弾を放っていく。一直線に空気中を進んでいく曳光弾。調整信管の炸裂によってまき散らされる破片と、生み出される黒い花。濃密な対空防御網の前に、攻撃隊は次々と被弾。部品とおぼしき欠片を空中にまき散らしながら、海中に没していく。それは海面スレスレを飛行する艦攻隊も、高高度から急降下し爆弾命中を目指した艦爆隊も同様だった。

 

「よっしゃ! 3機撃墜!!」

 

摩耶の安堵と歓喜に満ちた言葉。赤城もそれに異を唱えることはなかった。自身を目標としたとみられる敵艦爆3機は放った12.7cm連装高角砲の直撃、また時限信管によって至近で炸裂した破片を受け、艦上爆撃機としての機能を終えた。

 

海上へ突っ込んでいく敵機に目を向けることなく、2つの目と通信機で仲間の状況を確認する。

 

「現状報告!!」

 

「損害なし!!」の返事が一機艦から6つ、そして六水戦からも6つ上がる。戦闘の興奮由来ではない高心拍が徐々に落ち着いていく。第一波は凌いだ。しかし・・・・・・・。

 

「9時方向より、敵艦攻隊7、まっすぐ突っ込んでくる!!」

「1時方向、高度450!! 敵艦爆9機、我が六水戦へ急速接近!!」

 

ほほ同時に一機艦の潮と六水戦の夕張が叫ぶ。第一波攻撃で撃破した敵機は周囲を飛び回り攻撃の機会を覗っている敵に比べれば、ほんの一握り。敵が攻勢側である以上、こちらはどうしても守勢に回らざるを得ない。長期戦は必死の情勢だった。

 

「各隊応戦!! 六水戦の防空指揮は夕張さんに一任します!! どうか、凌いで!!」

「了解!! 私、ここで沈む気は毛頭ないですよ!!」

 

夕張が危機感を必死に隠した健気な声で言ってくる。こちらへ向かってくる敵機を視界に捉えながら、微笑をもらす。そして、通信先を配下の艦娘たちに切り替える。

 

「みなさん、いいですか!?」

「上等よ! 特型駆逐艦の真髄、ここでやつらに見せつけてやるわ!!」

「高雄型重巡洋艦を舐めてもらっちゃあ困るぜ!!」

「金剛型戦艦も、です!! 赤城さんや翔鶴さんは私たちが絶対に守ります!!」

「私も微力ながら、全力を尽くします!! 特型駆逐艦、結構強いんですから!!」

「みなさん・・・・。私もお荷物になる気はありません!! 自慢の逃げ足で躱してみせます!!」

 

曙、摩耶、榛名、潮、翔鶴の勇ましい声が木霊する。思わず、目頭が熱くなってしまった。

 

「・・・・・。了解しました。深海棲艦に艦娘の力を見せつけてあげましょう!! 何度でも!!」

『はい!』

 

 

 

第二波攻撃を受けてから、どれほどの時間が経ったのだろうか。既に第六波攻撃まで凌ぎ、敵機の数も目に見えて減ってきたが、まるでスローモーションの中にいるように時間の流れが遅く感じる。10分なのか、20分なのか、はたまた1時間ほど経過しているのか。時計を覗えばすぐに分かることだが、そのような暇すらここにはない。

 

「翔鶴さん、残弾の状況は?」

「25mm3連装機銃はまだまだ大丈夫ですが、12.7cm連装高角砲はもう・・・・・」

 

その声色には明らかに疲労が混じっていた。彼女だけではない。普段は饒舌な摩耶も口数が目に見えて減っており、曙はしゃべりもしなくなった。そして、赤城も自身に疲労が蓄積されつつあることを自覚していた。このままではマズイ。

 

「すみません! もう少し弾薬を計画的に使っていれば、このようなことには・・・」

「翔鶴さんは悪くありません。私も20cm単装砲の残弾はもう・・・。12.7cm連装砲も心元ないわ」

 

上空直掩機の奮戦により、数は少ないものの上空にはまだ敵機が飛んでいる。そして、横須賀を目指した敵別動隊も依然一機艦零戦隊及び横須賀航空隊第101飛行隊と交戦中だ。

 

東京湾上にも関わらず、周囲は敵だらけ。

 

これからも防空戦闘が続く予感に危機感を募らせる。

 

 

 

 

だが、その危機感は艦娘たちが予想もしなかった事象の発生によって、現実のものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第6水雷戦隊響の驚愕に染まり切った絶叫が、全部隊に響き渡った。

 

「敵攻撃隊、艦隊後方 4時より急速接近!!!! 数・・・・だめだ! 多すぎて分からない!!」

 

反射的に後ろを振り返る。第6水雷戦隊は第1機動艦隊の左舷後方を航行しているため、響にとっての“後方”は赤城たちにとっても後方だった。

 

そこには確かにいた。数え切れないほどの大編隊が・・・・・・・。

 

「どういうことだ!! どっからあんな規模の部隊が湧いて出た!?!?」

「んなこと、知らないわよ!!・・・・って、それよりも、このままじゃ!!」

 

摩耶と曙の怒号。それが右耳から左耳へタイムラグもなく通過していく。目の前の残酷な現実に、一瞬思考が凍り付いた。

 

4時の方向。右斜め後ろから、敵は一直線に向かってきていた。赤城たちに向かって・・・・・。

 

「全艦、撃ち方はじめっぇぇえ!!!! なんとしても一機艦に敵を近づけないで!!」

 

夕張の悲鳴。6回にわたる波状攻撃仕掛けてきた別動隊より遥かに多い敵攻撃隊。既にこちらの懐に入り込んでおり、直掩隊は手が出せない。いち早く気付いた六水戦が防空戦闘を開始。続いて、残弾を気にする余裕もなく、一機艦各艦が砲弾・銃弾をばらまく。

 

自衛火器の炸裂振動に体を揺さぶられながら、赤城は敵編隊に既視感を覚える。そして、正体をはっきりと認識した。

 

「横須賀へ向かった編隊・・・・・」

 

今、まさに自分たちを水底へ叩き落とそうとしている敵攻撃隊はさきほど、赤城たちに目もくれず横須賀へ向かっていった攻撃隊だった。

 

彼らが一定の距離まで近づくと9、または8機単位の編隊に分かれ、大きく3つに散開。艦爆隊はそのままの進路で急上昇。艦攻隊の一方はそのままの進路を維持し、もう一方の艦攻編隊は後方へ回り込んでいた。どうやら、艦攻隊は六水戦をはなから無視し、一機艦を右舷と左舷から挟み撃ちにする気のようだ。

 

その挙動は波状攻撃を仕掛けてきた敵部隊と明らかに“格”が違った。正確に突入進路・高度を計算し、一発でも多く命中させようとしている。

 

“ただ突っ込んでくる”動きではない。

 

それを見て、全身に雷を受けたようなしびれが走る。

 

「敵の狙いはもとから、横須賀ではなくて・・・・・!!」

 

各艦必死の応戦も虚しく、敵は一直線に突っ込んでくる。

 

 

 

こちらとの度重なる戦闘で大半の戦力を失った別動隊も残存機で編隊を組み、一機艦へ猛進する攻撃隊に合流。こちらへ向かってくる。その姿からは鬱屈な任務を終えた解放感のようなものを捉えた気がした。

 

「ダメ!! 敵との相対距離が近すぎて、信管の調整が追いつかない!!」

「クッソ、クッソ、クッソォォォ!!!!! 当たれ、当たれ!!」

「曙ちゃん! 私たちは艦攻を!! 艦爆は射角の取れる榛名さんや摩耶さんに!!」

「んなこと、分かってるわよ! でもしょうがないじゃない!! こうしないと艦爆隊が!!」

「このままじゃ・・・・、このままじゃ・・・。くっ」

 

大気を震わす榛名の35.6cm連装砲。三式弾と呼ばれる対空専用の榴弾が放たれ、見事に破片の雨を降らせるが、調整が甘く敵に効果を与えられない。榛名だけでない。もともと空を高速で飛行する航空機に弾を当てるなど、極めて困難。ましてや今回は白玉型。迎撃は、上手くいかない。

 

 

 

 

 

 

そして・・・・・・・・・・。ついにこの時が来た。

 

 

 

 

 

 

「敵機、急降下ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

摩耶が、信じられないほどの大声であの時と同じセリフを叫ぶ。灰色と青が混じった空を背景に赤城と翔鶴へ向かってくる敵の急降下爆撃隊。それが恐ろしくゆっくり見えるのは、一度同じ経験をしているからだろうか。それとも、音速越えの攻撃を受けたからか。分からない。

 

 

だが。

 

 

「全艦、取り舵!!! 正規空母を・・・・なめないで!!」

 

 

舵を思いきり左へきり、敵が怯み照準は狂うことに賭けて、20cm単装砲・12cm連装高角砲・25mm連装機銃を撃ちまくる。砲身が焼き付こうが関係ない。

 

閃光のたびに、日本の記憶が、並行世界証言録の残酷な文字たちが瞬く。

 

諦めてなるものか。同じ轍を踏んでなるものか。心はその激情だけで支配されていた。

 

終わりの始まりとなった、あのミッドウェー海戦。自分たちは「世界最強の機動部隊」・「開戦以来負けを知らぬ無敵艦隊」と驕りに驕り、「アメリカなどおそるるに足らず」・「零戦1機で米戦闘機6機と互角に渡り合える」などと慢心に慢心を重ねて・・・・・・・・・日本を詳細に分析し、決死の覚悟で挑んできた米海軍に壊滅的敗北を喫した。約3000人もの犠牲者を出した挙句、約310万人を死へいざない、愛する故郷に地獄を具現させる道を開いてしまったのだ。その戦いの教訓は絶対に生かさなければならない。

 

自分へ、翔鶴へ投下される爆弾。そしてこちらの攻撃を受け発火した敵艦爆隊が掠めていく。しかし、そこであることに気付く。こちらへ向かってくる敵艦爆隊が少ないのだ。心にある可能性が発光する。確かめようと翔鶴へ視線を向けた瞬間と、彼女が爆炎で覆われるのは同時だった。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

爆発音と共に悲鳴が木霊する。

 

「翔鶴さぁぁぁぁん!!!!!!」

 

曙の絶叫。思わず、翔鶴への非難を込めて唇を噛んでしまう。彼女は・・・・翔鶴は敵を自身へ誘導するように1人だけ所定の位置を離れ、輪形陣の外側を航行していた。黒煙が晴れた翔鶴は出血している左腕を抑え、痛みに顔を歪めていた。白く雪のように美しい艶やかな髪は黒煙と血で染まっている。飛行甲板には大穴が空き、弓の弦も切れている。

 

中破。もしくは大破かもしれない損傷具合だった。

 

「なんで、もっと早く気付かなかったの!!!!」

 

自身への罵声を叫ぶが、そんな暇はない。最も艦爆隊の守りが脆弱になる、投弾後の急上昇時に集中攻撃を加えたことで翔鶴を被弾に追い込んだ艦爆隊9割の殲滅に成功。しかし、まだだ。次は両舷から迫りつつある、艦攻隊である。

 

左舷側の艦攻隊は六水戦からの攻撃も受けているため、徐々に数を減らしていくが、右舷側はそうもいかなかった。潮・榛名・曙は死に物狂いで応戦するも効果は限定的。こちらの抗戦をあざ笑うかのように、敵艦攻は海面から一定の高度につく。そして、魚雷を投げた。・・・・・・特定の艦娘に向かって。

 

「翔鶴さん!! 早く、回避行動を!!!」

 

通信機を大声で怒鳴りつける。しかし、翔鶴は動かない。

(まさか・・・・主機が・・・・)

そう絶句していると、翔鶴が苦痛を全て隠した優しい笑みを向けてきた。

 

 

 

赤城は、翔鶴の覚悟を悟った。

 

 

 

「翔鶴さぁぁんん!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

赤城の叫びを遥かに上回った鬼気迫る絶叫。物凄い速度で何者かが翔鶴に迫って来たと認識した瞬間、その何者かが翔鶴と向かってくる魚雷の間に割り込み、止まった。

 

翔鶴の顔が絶望で染まる。

 

「潮さん!!!」

「潮ぉぉ!!!!!!!」

 

曙の悲鳴が途切れる前に、翔鶴の後方から一気に駆け抜けてきた潮は彼女を容易に覆い隠す水柱に包まれた。赤城はその光景を瞳に焼き付けると、異変を感じた右舷を見る。目が大きく見開かれた。

 

 

真横に位置する榛名。6本の魚雷が迫っているにも関わらず、榛名は回避行動を一切取ろうとしていなかった。まるで、自分へ吸い込まれることを許容するかのように。

 

「赤城さん、すみません!!!」

 

榛名は魚雷が命中する直前、罪悪感に苛まれるような声でそう伝えてきた。魚雷6本の内、5本が榛名に命中した。

 

 

「榛名ぁ!!!!!!」

 

目元に水分を溜めた摩耶が鬼の形相で、20.3cm砲その他の副砲・機銃を撃ちまくる。自身の母艦をやられたことに怒り狂ったのか、味方同士の誤射を気にするそぶりも見せず、翔鶴の上空直掩機が上空で暴れまわる。赤城の上空直掩機も加勢。上空で待機していた敵艦戦も加わるが、戦いの主役は航空機同士に移っていった。

 

 

 

多数の機体が艦娘に、直掩機に撃墜された敵攻撃隊はもはや来襲前の見る影もなくなった。しかし、目の前には戦闘前の威光を無くした第1機動艦隊の姿があった。

 

「翔鶴さん! 榛名さん! 潮さん! 大丈夫!?」

「あ、赤城さん・・・。申し訳ありません。私また・・・・」

 

周囲の状況を確認しつつ、翔鶴へ近づく。煤だらけの顔で必死に翔鶴は微笑むが、相当痛みがあるのだろう。顔には深い皺が刻まれている。

 

“なんで?”

 

何故、こちらを庇ったのか。そう聞こうとしたが、翔鶴の覚悟を踏みにじるような気がして憚られた。

 

同じように駆け寄った摩耶から機関銃の如く容態を気遣う言葉を投げかけられている榛名も「大丈夫です。榛名はまだまだやれます!」と言っているが、全然大丈夫ではない。確実に中破している。自慢の35.6cm砲も端数の砲身が明後日の方向を向き使用不能。艤装を見ただけでもそうなのだ。榛名自身の体も、あちこちで血がにじみ、痛々しすぎる姿。そして、最も深刻なのが潮だった。

 

「潮! 潮! しっかりして!! ねぇ、ねぇってば!!」

 

敵機が上空直掩機と乱舞を始めるな否や、曙はふらついていた潮に駆け寄った。

 

「曙ちゃん・・・・うるさい・・・」

「うるさいって・・・。うるさくさせてるのはどっちよ!」

 

潮はもはや立っていることすらままならない状態で、曙の肩を借りている状態だった。艤装も体もボロボロ。血が刻々と制服を赤で染めていく。曙は今にも号泣しそうな表情で、潮の顔を食い入るように見つけている。彼女も聞きたいのだろう。先ほど、自身が口にしかけた疑問を。しかし、潮が庇っていなければ、翔鶴は確実に轟沈していた。

 

魚雷の集中攻撃。潮も覚悟の上だったはずだ。彼女は完全な大破で、一刻も早く入渠させなければ危ない。だが・・・・・。

 

「曙ちゃん? ここはまだ、戦場だよ・・・? 私のことはいいから、攻撃態勢に移って・・・」

「へ・・・・」

 

潮はかすかな笑みを浮かべて、そう言った。怒っているのか泣いているのか分からない曙は、瞬く間に表情を絶望に染める。沈黙する艦隊。「大丈夫よ。今すぐドックに!」と言えたらどれほどいいだろうか。言いたいが言えない。彼女が言った通り、ここは戦場。そして、今は戦闘中だ。一旦敵の関心が直掩機に向いているとはいえ、主力である赤城と翔鶴の第一次・第二次迎撃隊は今も敵艦戦隊と激闘を続けている。少し目を逸らせば、遠方で火を噴いて墜ちていく航空機を目にすることができる。

 

「ふざけないでよ!! 一人でろくに立てないくせに立派なこと言わないで!」

 

怒っているが、完全に曙は泣いていた。指摘すれば「目から汗が出てきただけ」と典型的な言い訳をかますだろうが、ボロボロと涙が海へ墜ちていく。

 

「あんた優しすぎなのよ・・・・・・。なんで、いつも・・・・・いつも・・・・。ちょっとは、自分を優先しなさいよ・・・・」

 

やり場のない怒りを言葉に乗せて吐き出してゆく。

 

「そんな・・・・ことないよ?」

「・・・・はぁ? あんた・・今、自分が言っていること・・」

「分かってる。私、そこまで重傷じゃないよ?」

 

どこをどう見れば、そういう解釈ができるのだ。苛立たし気に歪んだ曙の顔には、そう書いてあった。

 

「私は・・・・・・私はね、翔鶴さんを守りたい・・・・と思った。そして・・・・・・・これ以上、曙ちゃんに重荷を背負わせたく、なかった」

「潮・・・・あんた・・・・」

「“あの時”は・・・役目を果たせなかったけど、今度はきちんと翔鶴さんを守れた。曙ちゃんは何の責任も感じなくていいの・・・・・。あの時は本当に運が悪かっただけだし、今は私のわがまま・・・・・だから」

「くっ・・・・」

 

曙は辛そうに俯く。おそらく、2人の脳裏には記憶の彼方に埋もれた光景が浮かんでいるのだろう。

 

「だから・・・・ね、私が沈んでも・・・・」

「いやよ」

 

潮の言葉を遮り、曙は涙でべとべとに濡れた顔を上げた。目元から今も涙が流れ続けている。

 

 

「私はもう・・・・・・・・・・・・・・・・・仲間を看取るなんて絶対いや」

「曙ちゃん・・・」

「いやなの!!! なんで、どうしてよ!!! なんで、大好きな妹の!! 大切な仲間の!! 味方の死を見なきゃならないのよ!!! もう、そんなのたくさん・・・・たくさんよ!!!!! ・・・・・・・帰るんでしょ! 横須賀に!!」

 

涙をまき散らしながら、12.7cm連装砲の砲身を横須賀へ向ける。

 

「あそこに帰るんでしょ! またみんなでバカやるんでしょ! 私だって、もっとずっと潮と一緒にいたいの!」

 

いつもの強がりなどかなぐり捨てて、曙は懇願する。彼女の想いを叶えてあげたい。仲間も失いたくない。しかし、例え護衛をつけて潮を戦線離脱させても、敵の狙いが艦娘であると分かった以上、敵が上空を乱舞している状態では必ず狙われる。損傷艦はいいエサだ。

 

「どうしたら、どうしたらいいの?」

 

再来襲への備えに、零戦隊へ指示。艦隊の体制再構築に、潮の退避。情報過多でうまく思考がまとまらない。

 

「お困りのよう、だな。瑞穂男児の心意気を示す絶好のチャンス到来だ!!! いくぞお前らぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

そんな赤城の耳に予想外の、そして聞きたくなかった声が届いた。それを響かせたのは無線。相手は第102飛行隊隊長、植木譲治大尉だった。「おい、あれ!」と摩耶が指さした先。そこにはこちらへ向かってくる30式戦闘機の編隊がいた。大きさは周知のとおり、艦娘や深海棲艦航空機よりもはるかに大きい。

 

「さぁ、精一杯の歓迎をしてもらおうか! 艦娘の諸君!! 30式も君たちの歓迎がどのようなものか・・・」

「植木隊長! 作戦に従ってください!! ここは私たちの土俵。102隊は直ちに進路を反転し、横須賀へ戻ってください!」

 

怒気一色の声で植木の言葉を遮る。しかし、それは上辺だけ。怒りより大きい感情が心の中を暴れまわっていた。

 

植木たちが搭乗し、全国へ配備が着々と進められている30式戦闘機は、その前まで主戦力であった21式戦闘機やこれまでの瑞穂海軍戦闘機と全く異次元の戦闘機であった。これを日本人が見れば誰もが言うだろう。

 

 

 

 

 

ゼロ戦だ・・・・・・・・・と。

 

 

 

 

30式戦闘機は赤城をはじめとした艦娘たちが持っている零式艦上戦闘機、そして彼女たちの零戦の知識をもとに作られた戦闘機である。ひどい言い方をすれば高度なパクリだが、30式戦闘機は模造品が本家を追い抜くという希有な事例を体現していた。長大な航続距離、他機種を圧倒する機動性、そこから導き出される格闘性能が零式艦上戦闘機を一時期世界最強の戦闘機、そして技術大国日本の象徴に押し上げた由来だ。しかし、零戦には大きな弱点があった。だからこそ、大戦終盤アメリカの新鋭機に次々と撃墜され、挙句の果てに特攻機として海と空に散っていったのだ。

 

それは、エンジン出力の貧弱さと、そこから来る防弾性能の低さであった。明治維新からまだ百年も経っておらず、時間と経験の積み重ねが真価を発揮する基礎工業力の低かった日本は、アメリカやイギリス、ドイツのように小型かつ高出力の航空機用エンジンを作ることが出来なかった。そこで低出力のエンジンでも格段の性能を発揮できるよう、パイロットの命を守る防弾板は撤去され、燃料タンクに防弾性能が施されず、機体の骨格には「肉抜き穴」と呼ばれる穴をあけ、機体重量の軽減を図った。結果、一時的には他国を圧倒する性能を導き出せたものの、防弾板などの耐久性が高く重量が重い機体でも、零戦並みの機動性が発揮できる小型高出力エンジンを開発したアメリカに零戦は敗れたのだ。

 

その反省点を活かし30式戦闘機には、瑞穂国産の高出力レシプロエンジンが搭載さている。現在は2033年。技術力の発展度合いは比較にならないが時間と経験が生きてくる基礎工業力は当時の日本に比べ、瑞穂は圧倒的に進んでいた。そのため、零戦の素晴らしさを存分に発揮できるエンジンの開発が可能だったのだ。また、武装の強化も実現。20mm機関銃が機首と翼内にそれぞれ2門ずつ、計4門が取り付けられている。そして、20mm機関銃に装填されている弾薬は通常の徹甲弾ではない。もちろん従来の徹甲弾や焼夷弾も装填可能だが、VT信管を備え、敵機の至近で炸裂。その破片によって敵機を撃墜、するのではなく損傷させ追い払うことに主眼が置かれた新型対空榴弾、29式対空榴弾が装填されている。

 

かつて深海棲艦航空機との空対空戦闘は、悲惨の限りを極めた。肉迫できても、そもそも的が小さすぎて銃弾の命中は至難の業。そのため、当たらずとも敵に損害を与えられるこの29式対空榴弾が開発されたのだ。実際、艦娘を相手にした演習では完勝は無理だったものの、21式戦闘機とは別次元の戦闘能力を発揮していた。

 

赤城もこれに携わったため、当然その能力については把握していた。しかし、今回の敵は赤城たちですら苦戦する白玉型。赤城・翔鶴航空隊はかなりの損害を出している。相手の方が艦戦が少ないにも関わらず、だ。そんな相手と戦えばどうなるか。火を見るよりも明らかだった。

 

「申し訳ないが、お断りだ」

「え・・・?」

 

厳しい口調。そこには赤城たちでも感じ取れる覚悟が滲んでいた。

 

「俺たちは、誉高い102隊だ。少女たちが死に物狂いで戦っているのに、見過ごせるものか。俺たちはそんなことをするためにパイロットになったわけじゃない」

「植木隊長、それでも・・・・・」

「君たちの命と、俺たちの命。重いのは君たちだ」

「それは・・・・・。でも・・・・」

 

違う。命は全て平等。そう言いたかったが、赤城は現実を知っていた。

 

「さっさと、被弾した子を下がらせろ! あまり持たない!」

 

緊迫した怒号。目の前で30式戦闘機と白玉型との戦闘が開始された。開口一番、2機の30式戦闘機が火を噴き、無残に墜ちていく。

 

「しかし、それでも・・・それでも・・・私たちは・・・・!!」

「俺は海軍横須賀航空隊第102飛行隊隊長、植木譲治。瑞穂を守るためならば、命を捧げると誓った。俺の勇敢な部下たちもそうだ。君たちならこの覚悟、分かるだろう?」

「っ・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・瑞穂を、頼む。艦娘と瑞穂に勝利を」

「待って下さい! 私の話を聞き・・・」

 

無情にも、切れる無線。いくら耳を掲げても、何も聞こえなかった。

 

「あ、赤城・・・・・?」

 

躊躇しながら、摩耶が声をかける。激闘が繰り広げられている空を一瞥すると赤城は険しい表情で植木の言葉を実行した。

 

「我が艦隊は、これより後退を開始。横須賀湾沖合まで後退します。その後、護衛を伴い、翔鶴・榛名・潮は戦線を離脱。摩耶さん、これを夕張さんと鎮守府へ知らせてください。・・・・・・・彼らの誇りを無駄にはしないわ」

 

いまだ戦意を捨てていなかった榛名を含む被弾した3人は、それにただ頷くしかなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「みなさん! 今は前だけを見て下さい!!! 前を!!」

 

顔どころか、全身にかかる水しぶき。台風の影響下にあった数日前までと比べればどうと言ったことはないが、それでも時々目や口に侵入されると不快に思うのだ。

 

「う・・・・ぺっ!」

 

また、口に海水が入る。反射的に吐き出すが、味覚への反応は抑えられない。しょっぱいことこの上ないが、いつも以上に塩気を感じる。

 

「そんなこと、言われなくても分かってマース!! でも・・・」

「あそこには、翔鶴ねえたちがいるの! しかも、もう戦端は開かれた。気になるのは仕方ないじゃない!」

「まぁ、無線を聞くに、かなり厳しいそうだしね~」

「分かってます。分かってますけど、一刻も早く駆けつけないと、正躬司令たちが!」

 

本来、第5遊撃部隊は第1機動艦隊や第6水雷戦隊共に今、あそこで戦っているはずだった。百石から聞かされた敵の戦力。驚愕は驚愕だったが、こちらには正規空母が4隻に戦艦が2隻。敵が白玉型とはいえ、絶望に打ちひしがれるほどの戦力差ではなかった。第5艦隊との合流が中止となり、防空戦闘の任務と敵の陣容を聞いたときは安堵すら吹雪たちの間には漂っていた。

 

それが急変したのは、第5艦隊が敵連合艦隊に捕捉されたとの一報だった。彼らの救援に第5遊撃部隊を割いたこと。吹雪はそれが正しいことだと思っていた。第5遊撃部隊創設の目的は、戦局の急変時に的確かつ適切に戦力の投入を行うため。だからこその、従来の発想ではありえない編成となっている。今回の命令は、非常に不謹慎ではあるものの第5遊撃部隊の真価が試されていると言えた。

 

だが、姉妹がいる金剛や瑞鶴にそんなことは言えない。今も彼女たちは厳しい戦いに身を置いている。彼女たちにには自分たちに敵の意識を向けさせ、こちらに敵を行かせないようにする意味も当然あった。

 

 

 

第1機動艦隊と第6水雷戦隊は、横須賀の防波堤と共に第5艦隊支援のための“囮”をこなしていた。

 

 

 

彼女たちの努力を無駄にできない。だが、敵はそんなことに構うはずがない。

 

「後方に敵機! 数、5!」

 

大井の叫び。反射的にそちらへ視線を向ける。

 

たこ焼きと揶揄される雪玉、白に不釣り合いな赤いオーラを放つ白玉型が揺らめきながら迷いなくこちらへ向かってきていた。

 

「どうするの?」

 

加賀が視線で、そう問うてくる。瑞鶴は弓に手をかけ、金剛もやる気十分な様子だ。

しかし・・・・・・・・・。

 

「瑞鶴さん、弓をしまって下さい。本艦隊はこのまま直進。敵が有効射程圏に入りしだい、進路そのままで戦闘を開始します!」

「ちょっと、待ってよ! 敵はたったの5機よ。5機! 私の艦載機だけでも、瞬殺は確実じゃない! ここは迎え撃つべきじゃないの!?」

 

吹雪がそういうとは予想外だったようで、瑞鶴はまくし立てる。金剛も何も言わないが不服そうだ。しかし、吹雪は頷かない。

 

「いえ、私たちの目的は第5艦隊の救援です。一刻も早く駆けつけなくちゃならないんです! 瑞鶴さんに艦載機の発艦をお願いすれば、十数分を失うことになるんですよ。瑞鶴さんのおっしゃることは分かりますけど、十分私たちの対空砲火でも対処可能です。ですよね、金剛さん?」

 

返答までにはそれなりの間があったが、最後は親指を満面の笑みで立てた。金剛も一応納得したようである。北上と大井に関しては異論がないのか、ことの成り行きを見守ってる。

 

「あんたはどうなのよ! さっきから黙り込んで! 私たち空母でしょ! 目の前に敵がいれば、自慢の艦載機で倒すのが常道じゃない!」

 

噛みつかれた加賀はいつも以上に、大きなため息を吐く。そこには明らかに諦めではなく、怒気が含まれていた。一気に瑞鶴の気勢がしぼむ。

 

「旗艦である吹雪が出した結論よ。私たちがどうこう言うことではないわ。今、この瞬間も敵はこちらへ向かっている。無駄口叩く暇があれば、高角砲の動作確認でもしてなさい」

 

突き放すような言葉に、怒気を向けられていた立場でありながら同情心を抱いてしまう。瑞鶴のあからさまな落ち込みがそれをより大きなものにしている。

 

しかし、加賀の言った通り、敵は距離を詰め、もうすぐこちらの有効射程圏に入る。そのような感傷に浸っている場合ではなかった。

 

「総員、戦闘よーい!!」

 

前方に進路を取りつつ、後方に体と12.7cm連装砲を向ける。高速で後ろ歩きしているような状態だが、陣形が乱れるようなことはない。これも今まで散々訓練してきたのだ。だが、どうしても意識が前と後ろで分散にしてしまうため、やりにくさや違和感は半端ではない。

 

そんなことを思っていると、不意に通信が入ってきた。交信者は赤城と第102飛行隊隊長の植木だ。

 

「さぁ、精一杯の歓迎をしてもらおうか! 艦娘の諸君!! 30式も君たちの歓迎がどのようなものか・・・」

「植木隊長! 作戦に従ってください!! ここは私たちの土俵。102隊は直ちに進路を反転し、横須賀へ戻ってください!」

 

どうやら、作戦を無視して102隊が東京湾上空へ出てきたようだ。少々豪快な性格で、作戦を無視したと聞いても「あの人なら」と納得してしまうような人物だが、その実、命令には極めて忠実で強固な信念を心に宿している。今起きているのは、命令ではその信念が守れなくなったということだろう。

 

爆発四散し、破片と黒煙をまき散らす敵。一瞬、金剛か誰かが迎撃したと思ったが、違う。全員が同じ驚愕を浮かべていた。。

(こ、故障?)

いや、そうではない。あれは明らかに撃墜されている。敵の内在的要因ではない。

 

白玉型を撃墜したものの正体。それは聞こえてきた特徴的かつ、頼もしい音で判明した。

 

吹雪たちからみて、白玉型の左斜め後方から接近してくる4機の機影。30式戦闘機が白玉型を猛追する。意外な援軍に固まっていると、彼らから通信が入る。彼らは筒路中尉率いる102隊第7小隊で、敵機がこちらへ向かうのを捉え追撃してきたらしい。

 

「あなた方の任務については耳にしています。やつらは私たちが引きつけますからその間に」

 

願ってもみない申し出だったが、素直には頷けなかった。敵は4機。そして第7小隊も4機。同数で大丈夫なのだろうか。吹雪の心配は、その直後体現されることとなった。格闘戦の末、30式戦闘機より遥かに優秀な旋回性能を存分に発揮され、後ろを取られた1機が被弾。翼が取れ、きりもみ状態で海に没した。

 

「た、田中ぁぁぁぁ!!」

 

筒路が叫んでいる間にも、オオワシと小鳥のような戦闘が続けられる。悩んでいる時間はなかった。

 

「・・・・・ひきつけますから。早く!」

「了解しました。救援、感謝します! それと・・・・ご武運を!」

 

吹雪は通信を切り、戦闘命令を解除。前方のみを見つめて、最大船速で進む。それに異論は出ない。みな無言で同意を示していた。瑞鶴も例外ではない。

 

後方で、戦闘機が墜ちていく。敵味方どちらか分からない。追撃はその後もなかったため、筒路たちが奮戦してくれたことは分かるが、果たして彼は無事なのだろうか。

 

重苦しい雰囲気を抱いたまま、第5遊撃部隊は浦賀水道をひたすら進む。




今回は赤城たちの戦闘がメインでしたが、次回は我らがみずづきの登場です。本当は今話と次話で1話だったんですけど、加筆したら4万字近くになったので分割しました。

まだまだ拙い文章ではありますが、お待ちいただけると嬉しいです。

追伸。
お忙しいところ、度々誤字報告を寄せて下さる読者の皆様、本当にありがとうございます!
自分でやるとどうしても先入観や頭で描いたイメージが先行してしまい、見落としが発生するため、非常に助かっております。


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54話 房総半島沖海戦 その3 ~石廊岬沖海戦~

知識が浅い故のお見苦しい点があることと思いますが、
寛大な心で読んでいただければと思います。




みずづきたちも、ひたすら静岡県沖の海上を最大戦速で東へ、房総半島南方海域へ向け進んでいた。

 

対空画面に映る無数の光点。現在位置は伊豆半島の先端、石廊崎沖。みずづきのFCS-3A多機能レーダーは半径250km圏内の300以上の目標を同時に捕捉・追尾可能であり、現在空中戦が行われている東京湾上はもとより、敵連合部隊がいると目されている房総半島沖と伊豆諸島八丈島上空さえも“視認圏内”だった。それを聞いた川内たちは悶絶していたものの、みずづきは電子の目を通して見られる壮絶な戦いに釘付けとなっていた。

 

レーダー画面という平面上を乱舞し、交わり、そして・・・・・・・次々と消えていく光点たち。瞬きの終焉がどうのような意味を持つのか。それを分かった上で、味方の光点が消えていく光景は否が応でも精神を圧迫した。

 

「みずづき、横須賀と東京の様子はどう? もうかなりの時間が経ったけど。・・・・・・決着ついたんでしょ?」

 

その苦悩が表情に出ていたのだろうか。川内が戸惑い気味に訪ねてくる。周囲を覗うと、無言を貫いている陽炎たちもこちらをまっすぐと見据えていた。

 

「はい。おっしゃるとおりです・・・・・」

「どうなったん? その・・・・」

「完全な私見になるけど、瑞穂は“勝った”。・・戦術的にだけどね」

「戦術的・・・?」

 

奥歯に衣を着せるような言い方に、初雪が疑問を浮かべる。やはり、現状をしっかりとみんなに伝えなければならないようだ。

 

「横須賀沖では、既に戦闘は終結。横須賀上空に到達できなかった敵は帰投コースに入ってる。赤城さんたちの奮戦で敵を追い払うことに成功したみたいだけど、迎撃隊と102隊はかなりの機体を喪失。中でも102隊は40機中、29機が撃墜された模様」

「29機?」

 

聞き返してくる陽炎。「29機」と明確に答え直す。それを受け取った陽炎は複雑に目を伏せる。

 

「亡くなった人のことを思うとあんまり大きい声で言えないけど・・・・」

「よく、頑張ったほうだよな・・・・・。21式戦闘機じゃ開始数分で全滅とかザラだったんだろ?」

 

後頭部で手を合わせながら空を見上げる深雪。

 

「うん。・・・・・・提督も、そう、言ってた・・・・・・」

「29機、か。それなら30式戦闘機の意味はあったってことだね。都心の方はどうなの?」

「小松の第404飛行隊はかなり踏ん張ってました。ですが推測通り、戦闘開始まもなく・・・・・・・・・・・・・全滅しました」

 

自然に声のトーンが下がる。「全滅」という言葉の重みはとても計れるものではない。1つの飛行隊には40機が所属している。戦闘機の場合、1機に搭乗員は1名。

 

光点はただの光でも、ただの情報でもない。通常機の場合、人の命が宿る反応なのだ。それがいとも簡単に消えていく。いくら、人の死を見てきたとはいえ、この状況にはいつもで経っても慣れそうになかった。

 

“もし、自分があそこにいたら、どうなっただろう”。

 

死なずに済んだ人たちがいたのではないか。ここが日本とは異なる並行世界であるが故に、自分がここでは希有で強力な存在であるが故に、頭の片隅からそのような声が聞こえてくる。

 

「やっぱりか・・・・」

 

川内が物悲しそうに頭をかく。

 

「はい。70機近くの敵編隊を前にしては・・・・・全滅後、善戦していた第101飛行隊が戦線を維持する状態に陥ってました」

「101隊の現状は?」

「さすが瑞穂海軍航空隊の精鋭と言われるだけはあり、かなりの奮戦ぶりを見せていましたが、通常兵器だけで護衛戦闘機を有する敵攻撃隊は厳しかったようです。101隊は40機中34機が撃墜された模様です」

 

艦隊にますます重苦しい空気が流れる。

 

「こちらも横須賀同様、戦闘は終結。地上の被害は分かりませんが、戦力の過半を失った敵第二次攻撃隊は進路を反転。現在、千葉県上空を飛行し、太平洋へ向かっています。敵を退けた点を考慮すると、戦術的勝利と言えますが・・・・」

「戦略的には、完全な敗北」

 

初雪の嘆きが、瑞穂の置かれた現状を的確に表していた。

 

「この戦闘で瑞穂海軍航空隊は参加機80機のうち、8割にあたる63機を喪失したことになるよね・・・。これじゃ・・」

「ええ、かなり厳しいわ。敵も第3次攻撃を行えないほど戦力を消耗したとはいっても、館山とかの滑走路は敵にやられちゃったわけだし・・・・」

 

白雪が内心で思っているであろうことを、陽炎が代弁する。横須賀湾沖航空戦、そして浦安航空戦で海軍は関東において現在投入可能な航空戦力の過半を喪失した。敵が特攻まがいの攻撃を仮に仕掛けてきた場合、両航空戦で生き残った17機の30式戦闘機で迎撃することになる。だが、その17機も全てが無傷とは考えにくい。即刻、整備工場や修理工場へ引っ張られる機体も多いだろう。

 

そして、滑走路の復旧は攻撃を受けた基地の設営隊、民間建設会社が急ピッチで進めているものの、いくら早くても明日の未明までかかる。つまりは・・・・。

 

「関東の空は、真っ裸になってしもうたんやな・・・・」

 

黒潮がぎこちない苦笑を浮かべる。

 

「やばいね・・・・・・、本当にやばい。敵の別動隊がいる中でこれは・・・・・」

 

川内がぶつぶつと独り言を漏らす。その理由はみずづきのFCS-3A多機能レーダーが捉えたある反応にあった。第3水雷戦隊は横須賀鎮守府との通信が回復した後、百石から「第5艦隊との合流」と同時に「敵別動隊の捜索」を命じられていた。第5艦隊から「敵に捕捉された」との通報があった後は前者が「第5艦隊の救援」に変わっているが、もちろん後者はそのまま。第5艦隊救援に向かう傍ら、みずづきは艦娘たち・横須賀鎮守府・軍令部・第5艦隊などなど瑞穂海軍の並々ならぬ期待に見事応えた。

 

 

伊豆・小笠原諸島の主要基地を一瞬で無力化した敵別動隊。

 

 

第3水雷戦隊は存在はもちろんのこと、敵が自分たちの近くにいることを確信していた。

 

「みずづき? 例の反応はまだ・・・・」

「はい・・・・15分前に最後の反応があったあと、見失いました。すみません」

 

今から1時間ほど前、FCS-3A多機能レーダーが伊豆諸島三宅島の東方海域で航空機らしき反応を捉えたのだ。慌ててレーダー反射断面積(RCS)から機種を特定しようとしたが、三宅島に遮られレーダー走査の影となっていた区域から出てき所属不明機はすぐにレーダー画面から姿を消した。

 

川内たちとの議論を経て、当初は三宅島に配備されている水上機ではないかとの推測が立った。三宅島には各島との連絡用として陸軍が水上機を配備しており、偵察飛行を行っているのではないか。敵の偵察機なら効率的に情報収集を行うため、FCS-3A多機能レーダーにはっきりと捉えられる高高度を飛行するはず。

 

しかし、情勢が情勢だけに推測を立てても決めつけることはしなかった。

 

そして、今から43分前、35分前、26分前に断続的な反応があった。それは全く別の位置で探知されながら1時間前の所属不明機と同じように、まるでトビウオが海中と海上を行き来するかのように「捕捉」・「消失」を繰り返し、最終的には見失っていた。

 

 

この反応を見て、みずづきはある疑念を抱いた。

 

“こちらの対空レーダーに引っかからないよう、低空飛行をしているのではないか”と。

 

そして、決定的な情報。レーダー反射断面積(RCS)から捕捉した所属不明機が陸軍の水上機などではなく、深海棲艦の空母艦載機、しかも「白玉型」と断定できたのだ。

 

それを受け、川内は横須賀鎮守府に「敵別動隊艦載機を発見」と通報。同時に既に発艦させていた自身の零式水上偵察機2機を神津島西方海域に向かわせ哨戒を開始した。ちなみに、現在みずづきのSH-60Jことロクマルは第3水雷戦隊の進路上にあたる利島・新島周辺を重点的に捜索していた。

 

「いや、謝らなくてもいいよ。しかし、反応があった場所を鑑みるに、うちの子たちが敵を発見してもおかしくないんだけどな。天気も台風一過のおかげで、視界は良好だし」

「こちらも、念のため、島影なども重点的に捜索しまてすが、今の頃はなにも」

「捜索も大事だけど、第5艦隊の救援にも向かわないといけないし・・・、っと」

 

焦燥感を浮かべていた川内は不自然に言葉を遮ると、真剣な瞳でみずづきを見つめる。なぜ、そのような表情をするのか。凄惨な事実が飛び交う情勢もあって分からなかったが、次の言葉ではっきりと分かった。

 

「2番機から通信。ごめん、出るね」

 

右耳に手をあて、空に視線を向ける川内。誰のものか分からなかったが「ゴクリ」と生唾を飲み込む音が波しぶきを押しのけて聞こえた。

 

「そ、それは・・・・本当なの? うんうん・・・・。見間違えじゃない? 絶対に?

・・・・・・・・・・分かった」

 

耳元に手を当て一語一句逃さないという雰囲気を漂わせながら無線を聞く川内。表情がみるみるうちに険しくなっていく。それに比例して、おのずと心拍数が上がりだす。それを見ただけで、伝えられるであろう内容は大方予想がついた。

 

「みずづき?」

 

眉間にしわを寄せた川内が、目をしっかりと射貫いてくる。

 

「あんた、私の水偵・・・・2番機が今いる場所、捉えてるよね?」

「はい。そうですけど・・・・神津島の東海域上空です」

「そこを飛んでた2番機から、連絡があったの。敵の別動隊を発見したって・・」

「ほんで、川内さん? 敵の陣容は?」

 

黒潮が表情を暗くしつつも、興味津々といった様子で尋ねてくる。川内は務めて冷静に、その表情からは想像もできない内容を語った。

 

「神津島東方海域を北上中の艦隊は、重巡flagship2、軽巡flagshipが2、駆逐flagship2の計6隻だって」

「・・・・・・・・・・ん? あれ空母は?」

 

黒潮の素っ頓狂な疑問に全員がうんうんと頷く。敵は小笠原諸島の硫黄島などの航空戦力を用いて爆撃しているのだ。当然ながら航空機を海上で運用にするには空母が必要不可欠。にも関わらず川内の報告には空母がいなかった。

 

「私も確認したけど、空母はいないだってさ。でも、状況から考えて、空母はいる。と、いうことは・・・・」

「そんな・・・・」

 

頭の中で結論がフライングし、思わず驚愕の声を出す。内心で導き出された信じられない事実。それを白雪が震えながら、呟いた。

 

「少なくとも今回の本土攻撃には、4個艦隊が投入されている、と」

 

誰もが驚愕に目を見開いているが、反論は一切出なかった。最重要戦力を護衛も付けず空母単体で運用するなど正気の沙汰ではない以上、深海棲艦は今回の攻撃に4個艦隊を投入したことになる。4個艦隊、合計24隻だ。かつての海上自衛隊における3個護衛隊群に匹敵する規模の部隊を敵は一度に投入してきている。比喩抜きで貧弱な国なら滅ぼせるほどの戦力だ。しかも、またもや全艦、特異型。考えれば、考えるほど頭が痛くなってくるが、ここで思考停止に陥るわけにはいかなかった。

 

「川内さん、これからどうしますか? 敵がこのまま北へ進んだ場合、速力にもよりますけど、重巡艦隊と鉢合わせに・・・」

「分かってるよ、みずづき。ただ、まずは横須賀に報告しないと。この動き、房総半島沿岸を西進する敵艦隊と無関係なわけないからね」

 

九十九里浜沖に展開していた敵連合艦隊は第二次攻撃隊を放った後、2つの艦隊に分離。空母4隻を有する機動部隊は本土から離れる進路をとっていたが、問題は戦艦2隻を擁する水上打撃艦隊であった。敵水上打撃艦隊は房総半島沿岸に沿って、西進。敵連合艦隊を撃滅せんと東進する第5艦隊へ向かっているかのような進路を取っていた。

 

「ロクマルを2番機飛行空域に向かわせますか?」

「今、飛んでいる区域の哨戒はどんな感じ?」

「島影も含めてほぼ捜索し終えました。敵は見当たらず、大島周辺までの安全が確認済みです」

「了解。それじゃ、至急ロクマルを2番機の・・・・・・ん? こちら川内? どうしたのそんなに慌てて・・・」

 

こちらとの会話を打ち切り、再び通信機に意識を向ける川内。交信が始まった直後は「ほんとに!? やったぁーーー!!」と歓喜に沸いていたが、時間が経過するにつれて顔がみるみるうちに青くなっていく。先ほどの真剣な表情とは次元が異なっていた。そして、場に静寂が訪れる。あの川内が固まってしまった。

 

「ねぇねぇ、どうしたの? 川内さん」

「分からない・・・・」

 

額に汗を浮かべた陽炎の問いに、そうとしか答えられなかった。しかし、心の中では確信が急速に膨らんでいく。背中に悪寒が走る。早くなる鼓動。嫌な予感が全身をくまなく駆け巡る。

 

大きく長いため息。それは傍から聞いても分かるほど震えていた。こちらへ向き直った川内に、川内らしさが微塵も残っていなかった。

 

「今、1番機から連絡があった。神津島の西側海域で、空母機動部隊を発見したって・・・・・・・・・」

「おお!!」

 

深雪と黒潮が控えめに歓喜の声をあげる。川内の様子からただならぬ気配を全員が感じていたため、その歓喜も一瞬で終わる。

 

「んで、んで、編成。川内さん、編成は?」

 

黒潮の問い。川内はもはや精神が凍り付いてしまったのか、淡々と2番機からの報告を伝えた。

 

「敵の編成は空母ヲ級改flagship2隻・・」

「はぁ!?!?」

「戦艦棲姫1、戦艦タ級flagship1、軽巡ツ級flagship1、駆逐イ級後期型flagship1の計6隻」

「う、嘘でしょ・・・・・」

 

目を大きく見開き、首を垂れる一同。それは長年この世界で深海棲艦と戦ってきた川内のみならず、みずづきもにも降りかかっていた。この世界の深海棲艦には、日本世界の深海棲艦と多くの差異が存在する。ゼロ知識なら頭に疑問符を大量生産し首をかしげるしかなかっただろうが、みずづきもこの世界の深海棲艦について百石や艦娘たちから聞いたり、自分で調べたりしていた。そのため、川内が語った深海棲艦がどれほどの存在か理解できていた。

 

 

 

 

 

 

はっきり、言おう。最悪だ。

 

 

 

 

 

 

日本世界にも空母ヲ級改flagshipや戦艦棲姫に相当する深海棲艦がいた。それらは一往に特異型と呼ばれ、頻繁に出没する通常型と区別されていた。全身に青いオーラを纏い、戦闘力は桁違い。化け物中の化け物として、人類の恐怖の対象となっていた。

 

それがすぐ近くの海域にいる。川内の水上偵察機2号機が飛んでいる場所。機影はしっかりと多機能レーダーに映っており、その位置も把握できている。方位170、距離42000。多機能レーダーの対水上目標探知範囲まであと10kmほどというところにいた。

 

非常に近い。そして、もう一度思い出してほしい。今いる場所はどこか。そう、ここは伊豆半島沖。本土の目の前だ。

 

そこに最後の止めが加えられた。

 

 

「その艦隊は現在北上してる。私たちに向かって・・・・」

 

 

――――

 

 

「総員、戦闘よーい!! みずづき、手筈通りに!」

「了解! 目標、敵機動部隊6隻! SSM-2B blockⅡ諸元入力はじめ!!」

 

怒っているわけでもないのに、怒号にしか聞こえない叫び声の応酬。それがなによりもこの場に漂っている緊迫感を表現していた。

 

2個艦隊が伊豆諸島近海に展開し、一方は空母ヲ級改flagshipと戦艦棲姫を要する特大艦隊という別動隊捕捉の報告は聞いた者を否応なく椅子から転げ落すほどの衝撃を持って、瞬く間に瑞穂全土を駆け巡った。しかし、衝撃はそれだけに止まらなかった。敵4個艦隊の動きを俯瞰していくと、敵の真意が見えてきた。敵重巡艦隊は現在神津島の東側を航行しており、このままいけば敵空母護衛艦隊へ猛進中の第5艦隊が房総半島沿岸を西進する敵水上打撃艦隊と敵重巡艦隊によって挟撃される可能性があった。

 

しかし、横須賀鎮守府は即座に「敵重機動部隊の撃滅」命じてきた。周辺海域に代替戦力がいないこと、なによりみずづきがいなければ対処困難であることが、「第5艦隊救援」より撃滅が優先された理由だろう。みずづきとしても全く異存はなかったが、正直この戦闘がどう転ぶか全くの予想が立てられていなかった。

 

17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B blockⅡ)が効くのか。

 

これが最大の不安定要因だ。SSM-2B blockⅡは弾頭にHEAT(対戦車榴弾)を用い、こちらの戦艦タ級でも一撃で沈めることが可能な代物である。しかし、空母ヲ級改flagshipや戦艦棲姫の装甲は戦艦を遥かに凌駕する。日本での戦闘では、特異型にSSM-2B blockⅡが効かなかった事例が多々存在するのだ。その時は、艦娘・通常艦艇・航空機からミサイルの波状攻撃で撃破に成功していたが、みずづきの手持ちは8発しかない。30式空対地誘導弾(AGM-1)もあることにはあるが通常の戦艦にすら効果が薄く、また搭載したロクマルを相手の必中圏内にまで飛ばさなければならない。奇襲でもない限り、博打に等しい。

 

効くことを祈るのみ。日本の技術が化け物を射抜くことを信じるのみ。彼らを操る立場のみずづきにはそれしかできることはなかった。

 

「諸元入力完了。SSM-2B blockⅡ、発射よーい!」

 

波音や風音はどこへいったのか。一拍の沈黙が艦隊に流れる。川内たちの表情を横目で覗うが、いまいち掴めなかった。彼女たちにもみずづきの懸念は伝えてある。もし、効かなければ、砲雷撃戦で決着をつけるしかない。そうなれば、被害は確実に出る。この攻撃如何でこちらの出方が様変わりする。そして、戦闘がすぐに終わるか、長期化するかでは挟撃されようとしている第5艦隊の運命をも大きく左右する。

 

己の双肩にのしかかった責任故か、内臓がずっしりと重くなるような感覚に襲われる。

 

「・・・・・・っく。・・・発射!」

 

邪念を払うように、様々な感情が込められた指で発射ボタンを押す。命令者の精神状態に関係なく、無感情・機械的に次々と撃ち撃ち出されるSSM。一直線に、容赦なくみずづきが定めた敵へ猛進していく。

 

そして、ついに電子の目が待望した反応を捉えた。声に出して情報共有を図った瞬間、艦隊の緊迫感が跳ね上がる。

 

「対水上目標探知。方位084、距離31000。数、6。速力28ノットでまっすぐ当艦隊へ進行中」

「了解・・・・・・・。やっぱり、敵の狙いは・・・・私たち、なんだね」

 

明らかに感情を抑制している川内の声。

 

「はい。そして、おそらく・・・・・・・・・・・・私の撃破が目的」

『・・・・・・・』

 

川内の気遣いに感謝しつつ、しかし眼前に横たわった真実を口にした。一瞬頭がふらつくが、歯を食いしばり体勢を立て直す。無線越しに沈痛な雰囲気が伝わってくる。

 

こちらを発見していないにも関わらず、第3水雷戦隊へ吸い付くように進路を変え、直進してくる敵重機動部隊。だが、何故空母ヲ級改flagshipや戦艦棲姫を有するほどの艦隊が、ただの水雷戦隊にここまで固執するのだろうか。確たる証拠はない。だが、自身の直感がこう告げていた。

 

“狙われているのは、私”と。

 

「命中まで、1分40秒」

 

無機質な報告。緊張ゆえか、艦隊に会話はない。しかし、カウントダウンが1分を切った時、陽炎が唐突に口を開いた。

 

「みずづき、あんたなら、大丈夫。だから、気負わずいつも通りにやって」

「っ!?」

 

思わず、言葉にならないうめき声をあげてしまった。聞こえてきた声はまるでこちらの心を見透かしているような響きがあった。

(動揺・・・・・・ばれてた?)

 

「か・・・かげ・・」

「それでも、ダメだった時は・・・・・・・・・・・私があんたを守る。この命に代えても!」

 

鋼のような覚悟を有する陽炎に圧倒されたのか。反論の言葉が喉まで昇ってきているにも関わらず、声にならなかった。その後でようやく出たのは「か、陽炎・・・・」というなんとも情けない呟きだった。

 

「おっと、私たちをのけ者にしてもらっては困るねぇ~~~」

 

久しぶりに聞いた、川内のふざけた声。先ほどまで感情を抑えに抑えていた人の言葉とは思えない。

 

「せ、川内さん・・・・・・・」

「みずづき? もう作戦行動中だから、多くは言わないけど。これだけは分かって。“私たち”はあんたを信じてる」

「っ・・・・・・」

 

顔は良く見えないのに、沈黙を守っている白雪・初雪・深雪・黒潮からも温かい目を向けられているような気がする。なぜだろう、視界が歪んできた。

 

「だから、私たちはあんたが斃れそうになったとき、身を挺してあんたを守る。みずづきなら、私たちより多くの人たちを守ることが出来るのは、れっきとした事実だしね。・・・・・・あ~あ、なんか、格好つかないな。陽炎に先越されたばっかりに」

「先手必勝! 駆逐艦を舐めてもらったら困りますよ、川内さん? 私、みずづきの親友ですから」

「おっ、言ってくれるじゃん。こりゃあ、一本取られたねぇ~」

 

肩をすくめる川内を想像したのか、艦隊が微笑で包まれる。命中まで30秒を切った。

 

「みずづき?」

 

川内の優しい声。

 

「はい」

 

目元を拭いながら、しっかりと返事をした。

 

「私たちの力、思い知らせてやるよ? 準備はいい?」

「・・・・・・・はいっ!!!」

 

気弱な心を体の外へ追い出すように、力づよく頷いた。すると、どうだろうか。肩が軽くなり、体の震えはもうなくなっていた。

 

覚悟を確かめるように敵がいるであろう眼前の海へ鋭い視線を向けると、戦術情報端末(メガネ)の透過ディスプレイに表示されている数字を読み上げる。対水上画面には特段の変化なく航行している敵艦隊が映っていた。

 

「命中まで、3、2、1・・・・・・」

 

レーダー画面に浮かんでいる敵とSSMの光点が重なる。誤作動を起こすことなく、発射された6発は全て無事命中した。

(お願い!)

自然に目をつむる。再び目を開けレーダー画面を見た時、光点がすべて消えていることを想像して。

 

しかし、これは単たる幻想で終わった。

 

光点は4つに減っていた。しかし歓喜は全く湧いてこない。反応から見て、空母ヲ級フラッグシップ改と戦艦棲姫、戦艦タ級flagshipは撃破し損ねたようだ。

 

「みずづき?」

 

川内が心配そうに声をかけてくれる。不甲斐ない報告をしなければならないのが、残念でならなかった。

 

「全弾の命中を確認。攻撃は成功しました。しかし・・・・・」

「しかし・・・・?」

「軽巡、駆逐は仕留めましたが、空母ヲ級フラッグシップ改、戦艦棲姫、戦艦タ級は・・・・ごめんなさい」

「そっか・・・・」

 

広がる落胆。だが、それで絶望の淵に陥るほど艦娘たちはひ弱ではなかった。

 

「でも、こちらの位置を敵に知られることなく、艦載機も上がらないうちに4隻まで減らせたわけだし、戦火としては万々歳だよ」

「そうそう。それに、や! あの17式艦対艦誘導弾やろ? いくら敵さんが姫級とはいえ、かなりの損害をくらってるはずや」

「普通は・・・・大損害覚悟で、駆逐艦と軽巡を沈められるか、どうか・・・・だから、やっぱり、みずづきは、すごい」

「そうそう、初雪の言う通り!! 大体、俺たちじゃ、立場逆転してただろうからな・・」

「うん・・・。良くて、心の準備が出来てたくらいで空母2隻には太刀打ちできないもの」

「そうよそうよ。だから! そんなに落ち込まなくていいの! まだ、今は初撃を与えた段階、本番はこれからよ。普通ならこの段階で損傷してる子が出るんだから、それに比べると私たちは断然有利!」

「みんな・・・・・」

 

思わず、再び目頭が熱くなる。自身の気持ちを切り替えるには十分すぎる援護だ。

 

「・・・ありがとう! そうだよね。まだ戦闘は始まったばっかり・・・」

「焦る気持ちは分かるけど、二兎を追う者は一兎をも得ずって言うでしょ? 今は目の前のことに集中。取り逃がしたり、私たちが被害を受ければ結局、第5艦隊にしわ寄せが行くからね。ところで、みずづき? ヲ級から艦載機とか出てる?」

「いえ、不気味なほど全く・・・」

「ほんとに!? やったぁぁ!!」

 

突然、歓喜する川内。陽炎たちの「おおお!!」と興奮気味にガッツポーズを決めたりしている。そこについさきほどまでの緊迫感はない。訳が分からず棒立ちになるが、彼女たちの喜びようを見て気付いた。

 

敵の攻撃を受けたにも関わらず、直掩を出さないということは・・・・。

 

「確実にヲ級改は中破してる!! こうなれば置物同然。相手は戦艦棲姫と戦艦タ級だけってことなる!」

「そうだ・・・。そうだよね! でも・・・・」

 

まだ、ロクマルのカメラを使ってじかに確認した訳ではない。レーダー画面の反応から推測しているにすぎないのだ。確定するにはまだ、情報が足りなさすぎる。そんな懸念を感じ取ったのか、川内がこちらへ笑いかけてくる。安心して、と言うように。

 

「私の水偵を一度接近させてみる。その結果次第でみずづきのロクマルを動かして」

「威力偵察ということですか?」

「武装が自衛用だから使わなけどね。みずづき風にいうのなら、ミサイル、かな?」

「もし、これで敵が艦載機をあげてこなかったら・・・・・」

 

白雪の仮定。それに陽炎が答える。

 

「空母は確実に中破してて制空権を喪失。加えて、ロクマルを接近させられるし、ロクマルが積んでるカメラでこっちが接近する前に敵の色んな情報を入手できる、と」

「そういうこと」

 

ご名答というかのように笑う川内。彼女の水偵に危険を冒してもらうことになるため進んで賛成派できないが、「ロクマルの方が大事」という好意を無下にすることはできない。それに、戦術的に考えれば川内の選択は正しい。

 

「・・・・わかりました。それでいきましょう!っと、その前に・・・」

 

対空レーダー画面に映っている無数の光点。その内の4つが堂々とレーダー波を反射させながら、さきほどSSM-2B blockⅡを撃ちこんだ座標に直行している。

 

「間違いない・・・・・・。対空目標を探知、数4。進路から考えて、周辺海域を捜索していた敵索敵機と思われます」

「了解。みずづき?」

 

屈託のない笑みを浮かべる川内。

 

「了解です! 対空戦闘、目標敵索敵機、数4!! ESSM、発射よーい!!」

 

数秒と待たず、火器管制レーダーによって目標がロックされた。

 

「・・・・発射!!!」

 

SSM-2B blockⅡとは比較にならないほど母艦に優しく、そして軽やかに真っ白な弾頭がVLSより飛び出していく。ミサイルたちもすっかり慣れたのか。彼らの勇ましい行軍に、動揺は一切なかった。

 

約40秒後、わずかなタイムラグを置いて、4機の敵索敵機と4発のESSMがこの世界から姿を消した。

 

 

 

――――――――

 

 

 

対空戦闘の後に行われた水偵とロクマルのコンビネーション偵察の結果、第3水雷戦隊は敵を視認することなく、その全容を暴き出すことに成功した。

 

空母ヲ級改flagship2隻、大破。戦艦タ級、大破。戦艦棲姫、小破。なお、かなり接近しても気付かないほど、相手は混乱している。

 

これが水偵とロクマルの偵察によって明らかになった敵の状況だった。予測していたよりもはるかに良かったことは言うまでもない。日本世界で空母ヲ級改flagshipや戦艦棲姫にあたる特異型はSSM 2B blockⅡなどの高威力兵器を一発撃ち込まれただけではケロッとしているのが普通で、世界各国を恐怖に陥れてきた。だから、正直報告を聞いたときは信じられず数秒間、銅像と化してしまったが、ロクマルから送られてきた映像を見れば信じざるを得なかった。

 

青い体液と煤で汚れ、茫然とする空母ヲ級改flagship。ひしゃげた砲塔に目もくれず、廃人のように海面を凝視する戦艦タ級flagship。しきりに人間型の本体よりも大きい、化け物を体現したかのような艤装を撫でまわす戦艦棲姫。それも空母ヲ級改flagshipと同様で全身を体液で濡らし、意識ここにあらずといった様子だった。もしかしたら、特異型も日本世界の深海棲艦より弱体化しているのかもしれない。

 

これなら、勝てる。

 

「川内さん、作戦開始海域です!」

「了解! 艦隊減速! みずづき! 翔鶴をやったようにばっちり決めちゃって!!」

「はいっと、言いたいところですけど・・・・」

「瑞鶴さんがいるところで言ったら、修羅場確定やろうな・・」

 

巻き起こる失笑。全員が黒潮の発言に頷いているのだ。

 

「よしっ。対水上戦闘よーい! 目標、空母ヲ級改flagship! ロクマルとのデータリンク良好。着弾観測射撃、問題なし!」

 

敵艦隊から21km離れた海域。既に敵の射撃範囲だが、反撃の気配はない。あらかじめ、徹底した対空捜索を行い、空母ヲ級改flagshipの偵察機をESSMで撃ち落としておいて、正解だった。無論水平線に隠れて敵は見えないが、科学は距離と地球の丸みをも克服する。敵が全容が掴める位置を飛行しているロクマルから逐次送られてくる、映像・音声・電子データなど様々な形の情報。

 

Mk.45 mod4 単装砲へ弾頭にHEAT(対戦車榴弾)を使用する重装甲目標対処用の多目的榴弾が装填される。射撃管制装置の指示に従い、砲塔が川内たちから見ればあり得ない速さで指向。水平線の向こう側にいる敵へ灰色の砲身を突きつける。敵は攻撃を受けてから断続的に速力を落とし、現在は最盛期の半分、15ノット(時速27km)ほどまでになっていた。これは第3水雷戦隊が護衛していた民間船舶と同じ速度であり、陸上では話にならないが海上でも遅い。

 

命中は横須賀鎮守府の艦娘たちと戦った演習時より容易だ。みずづきは舌で唇を湿らすと、号令を発した。

 

「主砲、撃ちーー方はじめ!!!!」

 

海上に響き渡る、腹に響く砲撃音。川内の持つ14cm単装砲よりは口径が小さく、陽炎たちが持つ12.7cm連装砲よりも砲門数が少ないため迫力は比較にならないが、次々と砲弾が撃ちだされていく光景は圧巻だ。風向きの関係で灰色の硝煙をわずかながら被っている吹雪型の3人は、咳き込みながらもみずづきの砲撃に目を奪われている。

 

メガネにロクマルから命中報告が表示される。さすがに初弾命中とはいかなかったが、座標を微修正した3発目からは順調に命中をもぎ取っていた。ロクマル搭載カメラからの映像を見ると、パニックに陥っているのか目標にしている空母ヲ級改flagshipは体を左右に揺らし暴れていた。

 

「水偵1番機から報告。こちらも命中を確認!」

 

川内の嬉しそうな報告。それに駆逐艦たちもつられる。その間も約3秒に1発の連射速度をフル活用し、砲撃を続けた。そして、空母ヲ級改flagshipは大爆発を引き起こしたのち、カメラ映像から消えた。

 

「第一目標の空母ヲ級改flagshipの撃沈を確認!」

「やったぁぁ!!」

「続けて、第2目標へ移行。座標変更指示受け取り! 修正、完了! 撃ち方はじめ!!」

 

再開される砲撃。またリズム感のある砲撃音が海上を駆け巡っていく。

 

「こっちも確認した。す、すごい! 敵はなにが起きてるのか分かっていない! いけるっ、いけるよ! ・・・・・第2目標への命中も確認!」

 

突然止まる砲撃。砲身の先端から噴き出る水。しかし、艦隊に動揺はない。

 

「給弾ドラム装填開始。砲身冷却、順調に進行中」

 

焦らず、確実に。3秒に1発の砲撃を20回ほど聞いた直後というだけあっていつもより長く感じるが、自身の艤装を信じて待つ。そして、表示される「完了」の文字。

 

再び撃ちだされていく多目的榴弾。それは空母ヲ級改flagshipとはいえ、もはや抗えない運命だ。

 

そして・・・・、2隻目も無抵抗のまま静かに紺碧の大海原に消えていった。あとに残ったのは、海と比較しても青い体液のみ。

 

「第2目標の空母ヲ級改flagshipの撃沈を確認!」

 

続けて、戦艦タ級flagshipへ。だが、それは都合の良すぎることだった。仲間がなすすべもなくやられていく間、戦艦棲姫もただパニックに陥っていたわけではなかった。しきりに生き残った副砲や機関銃を周囲にばら撒いていたが、突然数多の光弾が一方向に集束した。

 

「くっ! やっぱりか。ロクマルがばれました! 現在空域から急速退避中!」

「被害は!」

「ありません! 間一髪のところでしたけど・・・・」

 

自身へ向かってくる砲弾・銃弾。それらが空域にまき散らす破片と黒煙。いくらカメラ越しとはいえ、肝を冷やすには十分すぎる迫力を持っていた。

 

「できれば仕留めたかったけど、あの空母ヲ級改flagshipを無傷で2隻も沈めただけであり得ない奇跡だし、最後はきちんと働けっていうお天道さまのお導きかな・・・・。みずづきばかりに負担をかけるわけにはいかない! みんな、いくよ!」

『了解!』

 

川内の言葉に頼もしい口調で返す陽炎たち。主砲を握る手は強く握りしめられ、覚悟の強さを感じさせる。敵艦隊との距離、17km。

 

「よし! みずづき!!! 第2弾の用意!! この距離なら、いけるでしょ?」

「了解! ばっちりです!! 21世紀の魚雷の威力、お見せしますよ!!」

 

川内の指示を受け、即座に作戦の第2弾。12式魚雷を使用した、異色の対艦攻撃準備を開始する。敵艦隊を倒すために川内たちが立てた作戦は3つの段階に分かれていた。第1弾は先ほどみずづきが行った遠距離からの着弾観測射撃。これで全艦を仕留められれば御の字だったが、そう簡単に問屋が卸さないことは初めから分かっていた。そのため、作戦にはあと2つの段階が用意されている。第2弾は、本来海中を忍者のように航行する潜水艦を仕留めるための魚雷を、戦艦タ級flagshipに撃ちこむというものだ。

 

潜水艦用の魚雷と侮ってはならない。12式魚雷は潜水艦の装甲を一撃で貫くため、SSM-2B blockⅡと同様HEAT(対戦車榴弾)弾頭を採用。弾薬重量はSSM-2B blockⅡなどの対艦ミサイルには遠く及ばないものの、装甲で覆われていない船底の至近直下で爆発すれば、いくら『海の城」戦艦といえどもダメージは計り知れない。速力は約40ノット(時速72km)、有効射程は約20km。誘導方式はアクティブソナー誘導。調定深度をうまく調整すれば、海面付近に居座っている変音層の影響を受けず、アクティブソナーが敵艦を捉え、突撃する。

 

「対水上戦闘!!! 目標戦艦タ級flagship!! 短魚雷、発射よーい!!!」

 

“俺もここにいる”と言わんばかりに艤装側面のシャッターが開くと、俵積みされた三連装魚雷発射管が砲撃で海面を泡立てる大海原を睨む。SSM-2B blockⅡやMk.45 mod4 単装砲、ESSM、CIWS 20mm機関砲などにお株を取られ、実戦においてあまり活躍の場を与えてこられなかった12式魚雷。

 

日本の誇る英知の結晶が、この世界においてついに日の目を見る。

 

「川内さん!! 面舵、10!!」

「面舵10!」

 

乱れもなく、艦隊がわずかに右へ舵を切る。三連装魚雷発射管の熱い視線と水平線の彼方にいる戦艦タ級flagshipが重なった。

 

「1番、撃えぇぇ!!」

 

プシュー。圧縮された空気の排出音と共に、日光をギラギラと反射させる12式魚雷が三連装魚雷発射管から飛び出し、海中へ飛び込む。

 

だが、戦艦タ級flagshipを海中に引きずり込む獰猛な魚たちは1匹だけではない。三連装魚雷発射管の装填数と同じ3発が狭い金属の筒からは解放される。彼らは自分の独壇場と認識した瞬間、推進機関を作動させ、急加速。艦船とは比較にならない速さで、己の目標へ一直線。

 

「駆逐艦や軽巡なら1発で仕留められる海防軍自慢の一品。いくら戦艦タ級flagshipとはいえ、大破状態でそれを受ければ・・・・・・。お願い!!」

 

心の中でただ祈る。12式魚雷を信じていたが、戦場はいまだ人類を翻弄し続ける海の中。何が起こるか、分からない。

 

「取り舵、14!」

「みずづき!! 命中まで、あと何秒!!」

 

陽炎の詰問。

 

「1番命中まで・・・・あと、15秒!!」

 

無線越しに生唾を飲み込む音が複数聞こえた。

 

「・・・・・・・・・・3、2、1・・・今!」

 

海中の音を拾っていた艦首ソナーが、凄まじい爆音を捉えた。

 

「1番! 命中!!!」

 

「う・・おぉぉぉ・・・・」

 

歓喜と言うより、呻くような感嘆。自分たちの魚雷では成し得ない戦果に、川内たちは唸っていた。

 

「続いて、2番! 3番の命中を確認!!」

 

再び聞こえてくる唸り声など顧みず、ただ対水上レーダー画面を注視する。まだ、敵の反応は2つあった。

(やっぱり・・・だめなの・・・・)

そう、心の呟いた時。

 

「っ!?」

 

対水上レーダーから戦艦タ級flagshipの反応が、消えた。念のため、OPS-28航海レーダ-も確認するが、そちらにも戦艦棲姫にか映っていなかった。

 

「戦艦タ級flagshipの撃沈を確認!! 敵は戦艦棲姫だけになりました!!!!」

「・・・・・・・・・・・」

 

鼓膜に寸分の減衰もなく、届けられる海風の疾走音。

 

「あ・・・・あれ・・・? み、みなさ~ん!! 戦艦タ級flagship、撃沈しましたよ~~?」

「ま、マジ?」

 

みずづきの口調を、真似たのか。大日本帝国があったころには存在していないであろう言葉を使う深雪。

 

「マジも、マジ! 大マジ!! どう? 12式魚雷の実力は?」

 

反応があまりにも薄いため、とある駆逐艦の口癖をいじってみる。

 

『す、すごい!!!!!!!!!』

「うわぁっ!?」

 

いじられた駆逐艦も含めて、歓喜が艦隊を覆う。1つの通信機から駆逐艦たちが一斉に興奮気味に話しかけてくるため、何を言っているのか、全く分からない。

 

だが、魚雷を必殺武装としている彼女たちの言っていることはなんとなく、想像できた。さぞかし、鼻息を荒くしていることだろう。

 

「もう・・・、あんたたち・・・・」

 

川内の苦笑が聞こえてくる。その直後、激が飛んだ。

 

「こらっ!!! もうそろそろ、敵の親玉が見えてくるよ! みずづき! ロクマルの準備は?」

 

対空レーダー画面及びロクマルの水上捜索レーダー画面を一瞥する。

 

「大丈夫です! 攻撃による被害は皆無。現在作戦通り、戦艦棲姫の背後に移動してます!」

「さすが、仕事が早い! それで、やれると思う?」

「こればっかりはなんとも・・・・。敵は1隻に減りました。戦艦アンド戦艦棲姫っていう二正面対決は避けられますが・・・・・・」

「ロクマルのミサイルだけじゃ、厳しい・・・かな?」

「攻撃に成功すれば、それなりのダメージは与えられると思います。けど・・・」

「最後はやっぱり・・・」

「はい。私たちの砲撃と、そして・・・雷撃で決めることになると思います!」

 

みずづきは川内の背中を見つめて、Mk45 mod4 単装砲を掲げる。これから開始する作戦は第3弾。7人での砲雷撃戦で戦艦棲姫を、仕留める。

 

「ようやく、私たちの出番ね・・・・。みんな? 準備はいい?」

「あたぼうよ!」

「どんとこいや!」

「当然でしょ!」

「特型駆逐艦の力、お見せします!」

「早く、帰りたい」

 

最後の言葉に思わずこけそうになったが、そこにはいつも気だるさのかわりに闘志がみなぎっていた。

 

「いいね~! みずづき! 着弾観測よろしく! 私たちじゃ、目視と勘で動くしかないから!」

「はい! 多機能レーダーの実力、ご期待下さい!」

「いや、それはもう十分・・・・・」

 

海風と波しぶきを受けながら、交わされる川内との会話。その時、単縦陣の最前列を進んでいた陽炎が叫んだ。

 

「敵視認! 左斜め前方、距離55500!」

 

艦外カメラの焦点をズームさせると確かに、いた。底部から人間より遥かに巨大な灰色の手を生やし、中央には既知のどの生物よりも頑丈な歯をむき出しにする口。息をしているのか分からないが時々粘り気を持って海上へ垂れていく赤交じりの涎が、無性に気色悪い。その口を愛おしそうに右手で撫でているものがいた。一見すると人間だ。ワンピースのような服を着て、女性らしい豊満な胸に日本人と同じ黒髪。

 

だが、似ているのは形だけで、それは人間ではない。死体のような白い肌、鬼のように額から突き出た2本の角。そして、赤く輝く瞳と人間型の体よりも遥かに大きい、あまりにも生物的すぎる艤装。

 

あれが、戦艦棲姫。数多いる深海棲艦の中でも、とびぬけた戦闘能力を持ち姫級の一員である化け物。見ただけで本能的な恐怖を惹起させるが、震えそうになる体を何とか抑え込んでいた。人間で言えば、痛がっている顔、苦しんでいる顔。そんな風に歪んだ表情を示していた。

 

しかし、くすんだ瞳がある一点を見つめると狩人のような、復讐者のような不気味な笑みに変わる。煤の黒と体液の赤で汚れた口元。それが舌なめずりで本来の白を取り戻す。持ち上げられる口角。体中が傷つき、艤装から煙と体液が吹き出していても、戦意は旺盛のようだ。

 

「ヤット、ミツケタ・・・・・・・」

 

海の底のような光が一切ない、寒々しい言葉。直感でそれが、戦艦棲姫の言葉だと分かった。しかし、理性がそれを認めない。話しているであろう戦艦棲姫とはまだ5km近く離れているのだ。人間並みの声帯では声が届くはずかない。耳ではなく直接頭に響いてくるような、そんな不思議で気味が悪い感覚。

(なにこれ・・・どういうこと!! テレパシー? そんな、馬鹿な!! てか、深海棲艦がしゃべった!?)

思わず、目を見開く。このような奇想天外の事象など、聞いたことも記録を見たこともない。ましてや、想像をしたこともなかった。

 

だが、そんなことに思考を割いている時間は終わりだ。

 

「ウミノソコヘ、ヤサシクアンナイシテアゲル。クルシンデ、カナシンデ、ナゲイテ、ウランデ、ネタンデ、オイキナサイ!!」

「来るよ!」

 

川内が言い終えた瞬間、海上が一瞬炸薬の爆発音と砲弾が無理やり空気中に飛び出す衝撃波で覆い尽くされる。あまりの大きさに、無意識で体が震えてしまう。演習や訓練で金剛の一斉射撃などをまじかで見たことがあったが、確実にあれ以上だった。

 

火を噴く、生物的な艤装の両脇に陣取った3連装砲はまだ健在。当たれば、確実に海の底だ。

 

「みずづき!! 着弾予測は!!」

 

川内が鬼の形相で叫んでくる。決して怒っているわけではないが、下手をすれば死ぬこの状況がそれを創り出している。おそらく、みずづきもそうであろう。

 

「大丈夫です! このまま進んで下さい!」

 

レーダー画面を一瞥したあと、秒速で川内に報告する。至近距離での撃ち合い。比喩ではなく、本当に1秒が命を左右する状況。そのすぐあと、艦隊の右側に巨大な水柱が出現する。激しい波浪が発生し、体が上下に大きく揺れる。信じられないほどの威力だ。

 

小破していることは間違いないが、それでもこれなのだ。万全の状況で戦うのは自殺行為としか思えない。

 

「こら! 深雪! ぼーっとしない! 沈みたいの!」

「わ、わりぃ!」

「総員、撃ち方はじめーーーーー!!!」

 

第一撃が終わると、装填の隙をつきすぐさま川内が攻撃開始を命令。それに従い、みずづきを含めた第3水雷戦隊の全火力が一斉に注がれる。ほぼ同時に瞬く14cm単装砲、12.7cm連装砲、Mk.45 mod4 単装砲。7人分を合わせても戦艦棲姫には遠く及ばず泣きたくなってくるが、数のではこちらが上だ。

 

「戦艦棲姫! 第2射!!」

 

黒潮の絶叫。

 

「みずづき!!!」

「大丈夫です! そのまま! 直撃コースではありません!」

 

戦艦棲姫の周囲に、こちらが放った砲弾が次々と着弾する。林立する水柱の間から戦艦棲姫の余裕そうな笑みが見える。しかし、己の艤装が爆発すると一気に驚愕へ転落する。たちの悪い笑みにイラついていたため。思わずガッツポーズを決める。

 

「さっすが、みずづき! 頼もしいかぎりやわ!!」

「おおきにな! 海防軍を舐めてもらっちゃ困ります! 第2射着弾まもなく!」

「総員、衝撃に備え!」

 

次々と周囲に林立していく水柱。その後も幾度かの撃ち合いが行われたが、いまだに損傷するどころか至近弾すらない状況。対して、戦艦棲姫は10発ほどみずづきの砲撃を受けていた。しかし、当然ながら目立った効果はあがっていない。

 

水柱を被り、空いている左手で目を拭うと川内に今後の展開を問うた。

 

「川内さん! どうしますか!? もう少し距離を詰めて・・・・」

「私もそうしたんだけど、さすがは戦艦棲姫。とてもじゃないけど、近づけない!」

「では?」

「みずづきの攻撃で戦艦棲姫に度肝を抜いてもらわない限り、私たちは魚雷を撃ちこめない! お願いできる!?」

 

いくらSSM-2B blockⅡが命中したからといっても、今対峙している戦艦棲姫は小破だ。多少の砲門が使用不可になっているようだが、最大の脅威である3連装主砲は健在。みずづき以外に川内たちの砲撃も食らって、余裕を感じさせる不気味な笑みを怒りを宿す般若そのものの表情に変化していたが、まだまだ攻撃は衰えない。

 

「了解です! ロクマルの攻撃と同時に私も雷撃を行います!! これを食らえば戦艦棲姫もただでは・・・」

 

攻撃の段取りを高速で組んでいたその時。ついに恐れていた事象が降って来た。

 

「っ!?  夾叉された!!!」

 

川内が悲鳴をあげる。艦隊の左右に堂々と立ち上る水柱。

 

「しょっぱ!!!」

 

容赦なく海水が降り注いでくるものの、そんなことを気にしていられない。一気に緊張感が跳ね上がる。夾叉とは目標に対し射撃した砲弾が、目標を挟んで着弾した状態をいう。つまり撃つ側が目標を完全に捉えたことを意味し、いつ命中させられてもおかしない状況だ。現代風に言えば、ミサイルをロックオンしたとでもいうのだろうか。

 

「みずづき! もう四の五の言ってられない!!! こっちがやられる前に!」

「了解!」

「戦艦棲姫!!! 発砲!!!」

 

陽炎の怒号が飛ぶ。局所的な波浪に歯を食いしばっていると、戦艦棲姫の獰猛な主砲が何度目か分からない閃光を放った。

 

「みずづき! 着弾予測は・・・・・」

「っ!! だ、ダメです!」

 

メガネの透過ディスプレイに警告が表示される。双方から放たれる砲声に紛れて、川内の息を飲む音が聞こえた。

 

「直撃コース! 黒潮には確実に命中!! 陽炎と川内さんにも高確率で命中します!」

 

警告が表示に遅れて、みずづきのFCS-3Aシステムがけたたましい警報音を発する。これを聞くのは演習中、榛名に追い詰められたとき以来だ。全員の顔が苦悶に染まる。

 

「分かった! 総員、回避行動!!!! あとは頼んだよ!」

 

だが、何故か川内は苦悶を無理やり押しのけて、ぎこちない笑みを浮かべる。それを受け取り、ある号令を発した。

 

「CIWS起動! AAWオート!!」

 

そう叫んだ瞬間、主艤装に取り付けられている20mm機関砲CIWSが永い眠りから覚めたように、すばやく動き出した。メリハリのある挙動で砲弾の飛び交う空を睨む6銃身。間をおかず、毎分4500発という艦娘たちを氷漬けにした凄まじい連射性能を持って、タングステン弾を黒い花で穢された蒼空にばら撒く。その先には、こちらの命を刈り取ろうと空気を切り裂く、複数の砲弾がいた。

 

「お願い!! 当たって!!!」

 

1発1発の射撃音が聞こえず、チェーンソーが駆動しているような音。それが鳴り終わった直後、第3水雷戦隊の斜め左前方で大爆発が発生。大小の破片が降り注ぐ。

 

「被害報告!」

 

川内の緊迫した声が木霊した。少なくとも川内は無事のようだが、みずづきは思わず身構える。

 

「陽炎。なんとか、大丈夫!」

「黒潮や! ぴんぴんしとるで!」

「白雪! 損傷、ありません! みなさん、大丈夫ですか!?」

「こちら深雪! 余裕!」

「初雪! ない」

 

「よかったぁぁぁぁ~~~~」

 

安堵のため息が漏れる。

 

「こちら、みずづき! 私も被害なし!」

 

破片によって艤装に多少の傷はついたが、こんなもの被害でも何でもない。

 

「了解!! 引き続き、戦艦棲姫を攻撃! やつが呆然としている今がチャンスよ!!!!」

 

見れば戦艦棲姫は面白いほどに固まっていた。先ほどまでの満足げな笑みは何処へやら。川内の言った通り、絶好のチャンスだ。こちらをいたぶり、大切な艤装を傷つけたお礼をしなくてはならない。

 

「こちらみずづき! ロクマルに攻撃を伝達! 雷撃準備に入ります!!!」

「全艦雷撃戦、よーい!! みずづきの攻撃が完了したら、一気に接近! 魚雷をぶち込むよ!!」

『了解!!』

 

駆逐艦たちの勇ましい声。戦艦棲姫がこちらへ気を取られている内に彼女の後方へ回り込んでいたロクマルが2発の30式空対地誘導弾(AGM-1)を放つ。教本通り、回避行動を行うロクマル。

 

「ロクマル、AGM-1発射完了! 対水上戦闘! 目標敵戦艦棲姫! 12式魚雷発射よーい!」

 

先ほど開閉したシャッターが再び稼働し、三連装魚雷発射管を日の下に晒す。それぞれの発射管には敵を沈めたくてうずうずしている獰猛な魚たちが、機械の力によって再装填されている。圧縮空気の充填もばっちり。

 

三連装魚雷発射管が睨んでいる方向へ視線を向ける。

 

その時。不意に戦艦棲姫と視線があった。

 

「っ!!!」

「っ!?!?」

 

戦艦棲姫は即座に砲身をこちらへ・・・・・みずづきへ指向させる。どうやら、やろうとしていることを悟ったらしい。だが、心臓を鷲づかみにされたような危機感もここまで。彼女を海の底へいざなう鎖はすでに必中の距離にまで近づいていた。

 

わずかに音が聞こえてくる。空気を切り裂くのではなく、押しのける馬力を持った轟音が。

 

戦艦棲姫は目を大きく見開くとその方向へ反射的に振り向く。それが彼女の運の尽きだった。

 

「12式魚雷! 1番・2番・3番、撃てぇぇぇぇ!!!!」

 

立て続けに3発の、この世界では存在しえないほどの高性能魚雷が海中へ放たれる。

 

「おお・・・・・、あれが30式空対地誘導弾。やっぱり・・・早いね」

「もうすぐ、命中するで!!!」

 

感慨深げな川内。彼女とは対照的に黒潮は息を飲む。いくら砲弾をばらまかれようが、横を銃弾が駆け抜けようが、わずかな躊躇もなく、戦艦棲姫へ猛進していく科学の結晶。

 

「弾着・・・・・」

 

2発の30式空対地誘導弾(AGM-1)はそのまま分厚い装甲に守られた禍々しい艤装ではなく、華奢にすら見える人間型の部分に肉迫し・・・・・。

 

「今っ!!!!」

 

網膜を焼き付けるような閃光と、鼓膜を突き破るような轟音を巻き起こした。SSM 2B blockⅡより威力は落ちるものの同じHEAT(対戦車榴弾)弾頭がノイマン効果によって、幾分の情けもなく肌という名の装甲を侵食。突き破ったのち、内部で炸薬を爆発させた。

 

 

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

体内で鋼鉄の破片が暴れまわる痛みに、2kmほど離れていても耳を塞ぎたくなる絶叫を響かせる。あまりの大きさに衝撃波も伴っているのか、艤装がカタカタと小刻みに震える。

 

だが、彼女の苦しみはそれで終わらない。

 

「っ!!」

 

痛みに顔を歪める戦艦棲姫を、激烈な“突き上げ”が襲う。人間にあたる口から吐き出された赤い体液すら、衝撃に抗えず、上方へとび散った。それが3度。水柱が収まった後に姿を現した戦艦棲姫にかつてのような禍々しい面影は残っていなかった。

 

しかし、闘志は十分残っている。第3水雷戦隊を睨む視線には、絶対的な殺意が滲んでいた。

 

「オノレ・・・・・オノレェェェ!!!!!」

 

体液どころか、体の一部だった肉片すらまき散らしながらの咆哮。

 

「うわぁ~~~~~」

 

上手くいかない現実に頭を抱えたくなる。

 

「くっそ!!! ここまでやってもまだ沈まねぇのかよ!!」

「さすがは戦艦棲姫。なかなかやりますね・・・・・」

「しつこい・・・・。これ以上、帰路を邪魔するなら・・・・許さない」

「姉妹揃っての恨み節はあと!! みんな、準備はできてる?」

「そりゃ、もちろん!!」

 

陽炎の勇ましい応答。それに続いて、黒潮・白雪・初雪・深雪から頼もしい返事があった。

 

「戦艦棲姫はほんとんどの武装を失っています! 大破と判断!! 今なら行けます!!!」

 

ロクマルと艤装に備え付けられている艦外カメラの映像から、川内の背中を押した。

 

「よし! みずづき! 万が一の指示と迎撃はよろしく!!」

「承りました!!! ここまで来て、ドジ踏むのは嫌ですからね!!」

 

川内は一笑すると大きく深呼吸をして、叫んだ。

 

「全艦・・・・・突撃!!!!!」

 

顔へかかる波しぶきと対抗しながら、一気に戦艦棲姫との距離を詰める。一糸乱れぬ、陣形。散々訓練を共にしてきたが、改めて練度の高さを思い知らされた。みるみるうちに戦艦棲姫の姿が大きくなってくる。彼女もこちらの気が付いているようで、必死に砲塔を動かそうとしているがスクラップになった艤装は全く言う事を聞かない。

 

「白雪・初雪・深雪は3発、陽炎・黒潮は2発! 私は2発を撃つ!!! 魚雷発射よーい!」

 

両太ももに備え付けられた三連装魚雷発射管、腰に据え付けられた四連装魚雷発射管、背中の艤装からアームで伸ばされる四連装魚雷発射管。それぞれが鈍い駆動音を響かせながら、戦艦棲姫へ指向。6人の艦娘たちが同じ一点を睨む。その迫力はもはや戦艦棲姫を上回っていた。

 

「撃てぇ!!!!」

 

12式魚雷を装填した魚雷発射管より重たく鋭い発射を伴って、総計15発の酸素魚雷が一斉に放たれた。

 

「進路、取り舵いっぱい!!」

 

回避行動に移りながら、ソナー画面と透過ディスプレイ越しに見える世界を交互に見る。全員が固唾を飲んで見守る中、戦艦棲姫に再び大きな水柱が立ち上った。

 

「よっしゃあああああああ!!!!」

 

川内の歓喜。3本が足元を逸れたものの、大日本帝国が心血を注いで開発した12本の酸素魚雷は見事、戦艦棲姫に命中した。

 

もう、戦艦棲姫は悲鳴すら上げなかった。

 

腹部に空いた大きな穴。そこから人間と変わらない赤い体液が吹き出し、海面を赤く染めてる。先ほどまで威圧感を放ち、こちらを恐怖に陥れていた艤装はただの物のように存在感を失い、巨大な手は力なく海面に指先をつけている。

 

なぜか、その姿に目を奪われた。完全に闘志を失い、痛みに悶える顔で戦艦棲姫はこちらを見る。点滅する赤い瞳。カメラ越しで見ているのになぜか、目があったような、そんな感じがした。

 

「ソンナ・・・・コノ、コノワタシガ・・・・。・・・・・・・ヤっぱり・・・」

 

 

 

 

 

 

 

“・・・・・には勝てないのね”

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

瞳の輝きを失い、前へ倒れ込む戦艦棲姫。二度と言葉を発することはなく、ゆっくりと・・・・・本当にゆっくりと海中へ没していった。

 

「・・・・私たち・・・・勝ったの?」

 

川内の呆然とした呟き。「あ・・・あはは・・・あははっ」と乾いた笑みを浮かべる後、陽炎たちと一緒に喜びを爆発させた。あれほど整然としていた隊列は乱れ、互いに飛び跳ねる。

 

『や、やったぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』

「勝った! 勝ったんやで、うちら、あの戦艦棲姫に!!」

「うんうんうん!! そう、そうよ! 水雷戦隊で、戦艦や空母なしで!!」

「やった、やったよ! 初雪ちゃん! 深雪ちゃん! 私たち、勝ったよ!!」

「白雪、手を強く握りすぎ! 深雪、抱きつかないで倒れそう・・・・」

「照れるな照れるなって! 言葉でどれだけ隠しても、ほほの赤みは隠せていないぜ! 今はそんなことより、この勝利を噛みしめようぜ!」

「みんな、ほんとに、ほんとに、よくやってくれたね・・・・。こんなにうれしいのはいつ以来だろ・・・・・みずづき?」

「は、はい!」

 

一斉に向けられる、美しい視線。笑顔を伴ったそれはとても眩しく、照れを抑えることはとてもできなかった。

 

「今回のMVPは間違いなく、みずづき! 本当に・・・・・本当にありがとう、みずづき!」

「いえいえ、そんなめっそうもない! 私はただ自分の役目を全うしただけですから・・・」

「ううん。あんたがもしいなければ冗談じゃなくて、本当に第3水雷戦隊は全滅してた。空母も、戦艦も、軽巡も、駆逐も、そして戦艦棲姫も倒したのはあんた。もっと胸を誇りなよ。そうしても罰なんて当たらないほどのことを、あんたは成し遂げたんだから・・」

「そ、そんな・・・・。確かに倒したのは私ですけど、それを発揮できたのはみんながいてくれたおかげで・・・」

「もう、みずづきって、謙遜しすぎや!」

「えっ!? ちょ、ちょっと、黒潮!」

 

いきなり前から抱きついてくる黒潮。恥ずかしくじたばたと暴れるが、暴れれば暴れるほどそれを抑えようと力を入れてくる。彼女の髪がほほを撫でる。海水で湿っているが、どことなく陽炎と似通った髪質だった。

(か、陽炎型って、その子もこうなのかな・・・・?)

依然抱きしめてきた陽炎や川内たちに助けを求めるが、みな爆笑するばかりで助けようとしてくれない。

 

しかし黒潮の温かみが、みんなの笑顔がとても尊いものに思えることも確かだった。何故なら、1つでも事象の組み合わせが違っていたら、勝利は可能性の1つにすぎなかったのだから。

 

結局、黒潮の気が済むまで抱き枕にならざるを得なかった。

 

「ひどいわ~! そんなに嫌がらんでもええやろうに! うち、今かなり心に来てるんやで」

「はいはい。嘘はええよ。見たらすぐわかるし・・・」

「あはっ。やっぱり???」

「それ見たことか」

 

苦笑しながら「堪忍な」と顔の前で両手を合わせる黒潮。それに大きなため息をつきつつ、「はいはい」の一言。黒潮はまた笑顔を輝かせる。反省していないことはまるわかりだが、このやり取りももう慣れた。そこでふと、気になったことを聞いてみた。

 

「黒潮?」

「ん? どうしたん?」

「戦艦棲姫が沈む直前、最後にしゃべってたじゃない?」

「ああ、私が~、の下りやろ?」

「それそれ。そのあと、なんて言ってたか聞いてた?」

「ん? えっと、“やはり”だけ違ったかな。その、すぐにこうバタンって、なってもうたから」

 

倒れる真似。笑みで浮かびそうになった思案顔を誤魔化す。

 

「それがどうかしたん?」

「いや、あれって、こう直接頭に響いてくたじゃない? 自分以外にも同じように聞こえてるのかなって・・」

「ああ、なるほどな。うちも初めてああいう大物の言葉を聞いたときは、戸惑ったもんやで。安心し。みんな自分と同じセリフが聞こえてるから」

「そう、なんだ・・・・」

「はい。全員、陣形を整えて! 横須賀への報告が済んだから、直ちに第5艦隊救援に向かうよ! かなり時間を使っちゃったからね。急がない、と・・・」

「ん? どうしたんですか?」

「いや、通信みたい。どこからだろ・・・・・っ!?」

 

大爆発を引き起こした歓喜から一転。川内は顔を真っ青にしていた。

 

 

 

 

彼女が受信した電文。そこにはこう記されていた。

 

 

 

 

“発、第5艦隊旗艦因幡。宛、第3水雷戦隊旗艦川内。

我が艦隊の戦況は絶望的なり。よって救援は不必要と認む。生存者の救助に全力を注がれたし”




今回、みずづきたちが深海棲艦と戦った海域は現実でいうところの、去る17日午前2時25分頃に米海軍横須賀基地所属のイージス駆逐艦「フィッツジェラルド」とコンテナ船「ACX CRYSTAL(エーシーエックス クリスタル)」が衝突した海域のすぐ南側です。

石廊崎沖での戦闘を着想したのが昨年の11月ごろだったので、まさかこのタイミングで「石廊崎沖」が出てくるとは夢にも思っていませんでした。主要航路だとは知っていましたが、あの海域ってあんなに危険なところだったんですね・・・・・・。

不運にも事故によって亡くなられた7人の「フィッツジェラルド」乗組員のご冥福をお祈りいたします。



作中の描写について、誤解や勘違い・間違いがある場合はご指摘いただけますと、作者も勉強になるため嬉しいです。


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55話 房総半島沖海戦 その4 ~激突の果てに~

今回は第5艦隊視点での話となります。

艦娘の露出がかなり少ないですが、あくまでも艦これの二次創作です!


「なに! それは本当か!?」

「はい! 第3水雷戦隊は先ほど通報された敵重空母機動部隊と交戦状態に入ったのとことです!!」

「なんてことだ。敵はもう目の前だというのに・・・・・・・・・」

 

顔中を油汗でぎらつかせた第5艦隊参謀長掃部尚正(かもん なおまさ)少将が大きく肩を落とす。彼だけではない。第5艦隊司令官正躬信雲(まさみ しんうん)少将や因幡艦長大戸雅史(おおど まさふみ)大佐がいる因幡艦橋だけでなく、第5艦隊全艦艇が掃部と同様だった。房総半島東方沖で分離した敵連合艦隊。第5艦隊は本土から遠ざかる進路を取った空母機動部隊よりも房総半島沿岸を西進する空母護衛艦隊を脅威と判断。撃滅を目指し、距離を詰めていた。想定していた敵の戦力が突如分散、低減したことと同時に救援部隊である第3水雷戦隊と第5遊撃部隊の存在。それらが艦隊に希望の光をもたらしていた。

 

これだけの戦力なら、勝てる! 

 

艦隊の将兵たちだけではない。正躬や掃部、大戸たち第5艦隊上層部も明確にそう思っていたのだ。

 

しかし今、勝利の確信は残滓すら残っていなかった。全ての発端は突然舞い込んできた第3水雷戦隊の「敵別動隊発見」の報だった。それによれば、現在第3水雷戦隊と交戦中の重空母機動部隊のほかに重巡を基幹とした水上打撃群が神津島の東方沖を北へ、第5艦隊へ向け航行中だという。

 

 

 

 

 

不自然な敵連合艦隊の解消。いくら戦艦が存在するとはいえ、敵より遥かに強力な火力を有する横須賀要塞近傍へ突入するかのような進路。

 

 

 

 

全ては第5艦隊を誘い出し、挟撃するためだったとしたら面白いほどに説明がつく。

 

「我々は、はめられたな」

 

正躬は掃部たちに振り返らず、前方の海に視線を向けて淡々と呟いた。しかし、言葉とは裏腹に己の不甲斐なさに起因した激情が全身を駆け巡っていた。拳ははめている純白の手袋が破れそうなほど、強く握りしめられていた。数日前まで居座っていた台風8号の影響が残る、少し波の荒い海面。その先、水平線以遠に敵艦隊がいる。

 

「これで第3水雷戦隊の救援は絶望的となった。第5遊撃部隊の状況は?」

「はっ! 現在、浦賀水道を全速力で南下中。敵艦隊と接触するのは早くてもあと一時間はかかる模様です!!」

 

通信参謀の松本孝大佐は直立不動で正躬の問いに答える。

 

「そうか・・・・・・・・」

 

これで、敵艦隊に第5艦隊のみで対峙しなければならないことが確定した。索敵機の報告によると敵もすでにこちらを完全に捕捉したようで、急速に接近してきている。そして、後方にも敵。もう、逃げることは叶わない。本来なら、南から第5艦隊、北から第5遊撃部隊、西から第3水雷戦隊が迫り、房総半島先端部の近海で三方向同時攻撃を行う作戦だったのだ。

 

しかし、それはもう過去の話。

 

「正躬司令。やはり我が艦隊だけでぶつかるのは得策ではありません。彼女たちには申し訳ないですが・・・・・みずづきに対艦ミサイルによる援護を要請してはどうでしょうか?」

「援護?」

 

訝し気に呟く大戸。掃部は一瞥することもなく、正躬の背中にのみ視線を向けている。

 

「彼女たちは今、空母ヲ級改flagshipと戦艦棲姫を基軸とする艦隊と交戦中なのですよ? こちらに意識を向ける余裕があるとは到底思えませんが?」

「彼女が持つ兵装の性質上、必ず視認圏外から戦端が開かれます。もし、対艦ミサイルで決着がつかなければ、我々と同じく砲で対峙することになるでしょう。彼女によれば対艦ミサイルの射程は約150km。・・・・・・おそらくは、それ以上あるかと」

「つまり、みずづきの対艦ミサイルで援護してもらおうということかね?」

「その通りであります」

 

掃部は堂々と背筋を伸ばした。

 

「待って下さい! それは少し早計ではありませんか、掃部参謀長?」

 

大戸が慌てた様子で噛みついた。

 

「一体第3水雷戦隊がどのような様相で戦っているのか、こちらに把握する手段はありません。おっしゃられた状況の可能性もありますが、そうではない、全くの逆の可能性もあるのですよ?」

「そんなことは分かっている。では聞くが、現状を打破する方法がこれ以外にあるのか?」

 

大戸は悔しそうに黙り込む。方法など、ない。誰もが分かっている単純明快な事実だった。

 

「我々単独でぶつかれば、全滅は不可避だ。瑞穂海軍唯一の通常戦力主力部隊である第5艦隊をここで失うわけにはいかない。あの戦闘を生き残り経験豊富な将兵たちを、ここで失うわけにはいかない。貴様にも分かるだろう?」

「分かっています。しかし、おっしゃられたことはあまりにも賭けに興じ過ぎています。 彼女は対艦ミサイルを8発しか、装備していないんですよ? 装甲が戦艦と比べても桁違いの空母ヲ級flagship改と戦艦棲姫を1発沈めることなど、どう考えても困難です。既に戦闘開始から時間が経過しています。全発撃ち尽くしていると見るのが妥当では?」

「そこまでだ。二人とも」

 

拳を震わせた掃部が口を開く前に、正躬が落ち着き払った口調で制止する。そして、第5艦隊司令官としての決断を下した。

 

「第3水雷戦隊・・・・・みずづきには目の前の敵との戦闘に集中してもらう。だが・・・・」

 

そこで止まる言葉。「どうしてだめなのか」。掃部は必死に視線で問いかけていた。さすがに無視するのは酷と思ったのか、若干の苦笑交じりに理由を語った。

 

「大戸の言ったことがすべてだよ。付け加えるなら、彼女に我々の援護は不可能という事だ。例え、戦闘をしていなくてもな」

「何故ですか!? 彼女の対艦ミサイルは射程が・・・」

「確かに、そうだ。射程だけなら敵艦隊も十分攻撃圏内だ。しかし、この海域には我々もいる。レーダーの探知圏内でない場合、大まかな位置情報で飛翔し、近傍に来るとレーダー走査等によち目標を定め突進する。これが彼女の持っている対艦ミサイルの仕組みだ。“大まか位置情報”、これが肝になる。もし、飛んできて敵と判断されたのが我々ならば・・・・・」

 

全員、息を飲む。瑞穂が伝えられる位置情報では被ってしまうほど、第5艦隊は現在敵に接近しているのだ。もうすぐ、視認できるところまで。

 

「日本世界の船にはそれぞれ所属や国籍を識別できる装置がついていたという。それがあれば誤射も防げるのだろうが、あいにく我々にそんな大層なものはない。・・・・・・これで満足か?」

「・・・・・・・・・・・」

 

小さく、本当に小さく「はい」とつぶやいた掃部。がっくりと肩を落とし、意気消沈もいいところだ。しかし、誰も責めたりあげ足をとるような真似はしない。彼の気持ちは誰もが知っていた。

 

「第5遊撃部隊の状況は?」

「現在、航空隊の発艦作業中。完了後、現空域への到着まであと40分ほどかかると、先ほど旗艦吹雪から報告がありました」

「40分、か・・・・・・」

「艦長!」

 

艦橋横に設置された見張り台から緊迫した声が響く。

 

「なんだ!」

「敵艦隊、視認」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

大戸と掃部のやりとりがあろうと騒がしかった艦橋が一気に静まり返る。伝声管を通じた他部署からの報告だげがむなしく響いた。

 

「そうか」

 

正躬の一言。長い間が空いたあと、それは下された。

 

「総員、戦闘よーい! 艦隊、進路回頭、取り舵いっぱーい!! 丁字戦法をとる!」

「了解! 進路回頭、取り舵いっぱい!! 総員、戦闘よーい!!!」

「とーりかーじ、いっぱーい」

「戦闘よーい!、戦闘よーい! 繰り返す、戦闘よーい!」

 

艦橋で復唱される命令。それは伝声管を通じ因幡の隅々まで、そして発光信号を通じて全艦に伝えられる。一挙に怒号交じりの喧騒に包まれる艦隊。各銃座に張り付いていた、ヘルメットや防火服で身を包んだ将兵たちは試射や弾薬補充の最終確認を行う。今まで寝ていた銃身が、次々と目の前の海を睨みつけ始める。そして、銃座に座る射手や、銃弾・砲弾を運んでくる補給要員も。

 

丁字戦法とは、敵艦隊と並行に位置するのではなく、敵艦隊を丁の時の縦線、自艦隊を横線に見立て、進行方向を遮る形で砲撃戦を行う戦法を言う。この場合、敵はこちらへ先頭艦の前部主砲、もしくは後続艦の前部主砲しか火力投射が出来ないのに対し、こちらは全砲門を使用できるため持ちうる全ての火力を、敵の先頭艦に、そして、後続艦に投射する事ができる。戦力が勝っている相手でも十分、勝利を拾える戦法だ。

 

20世紀初頭、世界最強と恐れられたロシア帝国バルチック艦隊を日本海海戦で大日本帝国海軍連合艦隊が撃滅した際も、この交戦形態が使用された。日本世界では海戦の主軸がミサイルによる視認圏外戦闘へ移行したため廃れてしまった戦法だが、いまだ砲雷撃戦が主流の瑞穂世界では現役である。

 

正躬たちは、特定の敵艦に艦隊火力を集中できるこの戦法に全てをかけたのだ。上手くいけば、第5遊撃部隊に属する加賀・瑞鶴の航空隊が到着するまで時間を稼ぐことが出来る。

 

しかし、如何せん回頭が遅すぎた。敵に丸見えの状態で回頭を行えばどうなるか。いかにflagshipの深海棲艦とはいえ、当たる確率が低いと分かっていてもただじっと見ていることはあり得ない。

 

「て、敵!! 発砲!! 攻撃を開始しました!!!!」

 

第5艦隊が攻撃体制を整える前に、敵艦隊からの砲撃によって戦端は開かれることとなった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

至近に立ち上る巨大な水柱。巻き上げられた海水が雨のように降り注ぎ、雨が降っていないにも関わらず、設置されているワイパーに仕事を与えてくる。急速に視界を回復する艦橋の窓。しかし、それはワイパーのおかげだけではない。前方に設置されている2基の20.3cm連装砲から発せられる世界全体を揺さぶるような衝撃波。これも窓に張り付いた海水を薙ぎ払うのに微力ながら役立っていた。飛翔していく砲弾。艦隊先頭を進んでいるツ級に吸い込まれていくが・・・・・・。

 

周囲に虚しい水柱を立たせるだけに終わる。

 

「はぁぁ~~。くっそ!!」

 

吐き捨てる第5戦隊司令官結解由造(けっけ ゆうぞう)大佐。断続的に自艦の、他艦の砲撃音が響くが、そのため息は隣にいる巡洋艦若狭艦長橋立翔太(はしだて しょうた)中佐も聞き取っていた。

 

「当たりませんな・・・・・」

「砲撃を続けろ! 絶対に当てろと、無茶は言わない! 敵の注意を少しでも逸らすんだ!! 橋立艦長、艦隊の回頭状況は!」

「ほぼ完了しました。本艦は先頭をゆく伊予に続きます!」

「分かった! 次の砲撃は威嚇ではなく当てる気でいってくれ!」

「分かりました! 砲雷長! 次の砲撃は・・・・」

 

瞬く閃光。それを見た若狭艦橋要員の誰もが一瞬、言葉を失う。これまでの砲撃とは明らかに格が違った。

 

第5艦隊を殲滅せんとこちらを睨む戦艦ル級flagship2隻による同時砲撃。その迫力は、もはや恐怖としか表現できない。そして・・・・。

 

ついに敵の砲弾が砲弾たる使命を果たす時が来た。

 

艦橋にいても聞こえる爆発音。感じる衝撃。海水で濡れ鼠となり血相を変えた艦橋見張り員が駆け込んできた。その勢いで体に染み込んでいる海水が艦橋内にまき散らされるが、誰からもそんな些細なことを気にする余裕は完全に消滅していた。

 

「河波、被弾! 艦首が消滅した模様!」

「速力、低下している模様! ああ!?!? 艦隊より落伍していきます!」

「クッソ!!」

 

奥歯を噛みながら、左舷側の見張り台に走り、身を乗り出すようにして被弾した河波の様子を自身の目で確かめる。河波は伊予の後方を航行中だった。船体の各所、特に前部から勢いよくどす黒い煙が噴き出し、偶発的な煙幕のようになっている。そのあまりに悲惨な姿に目が縫い付けられる。絶えず自艦から、そして他艦から反射的に耳を塞ぎたくなるほどの凄まじい砲撃音が轟いているのだが、まるで現実感がなく別世界の現象のような感傷を抱く。

 

「ちくしょう・・・・・・ちくしょう・・・・・・」

 

強く拳を握りしめる。それは結解だけではない。同じ空間を共有している見張り員たちも同様であった。あそこには、黒煙を巻き上げ炎の火種となっているあそこには323名の仲間がいるのだ。どうか助かってくれ、という心情は結局叶えらなかった。

 

段々と落伍しながら敵艦隊に近づいてく河波。現在、第5艦隊は敵艦隊を左斜め前方に捉えている位置関係のため、左舷方向へ惰性で航行している河波は敵艦隊に近づく結果となった。その姿が小さくなっていく。深海棲艦から容赦ない砲撃を受けながらも、無事な砲や機銃が必死に各個で応戦していた。

 

それを無視する形で進んでいく自分達、本隊。軍人として考えるならば敵の攻勢が河波に集中している今こそが、好機。だが、いくら機械的に合理性を追求した思考を巡らせようと、後ろ髪を引かれる感覚は決して消えない。そして・・・・。

 

「っ!?」

 

黒煙を押しのけ、一際巨大な爆発に包まれる河波。それでもなお打ち込まれる砲弾。あまりの砲撃の多さに姿をまともに捉えることもできない。砲撃がやみ、黒煙と共に、河波がいた海上に霞をかけていた水柱が収まる。そこにあったのは大戦勃発以後、自分たち共に瑞穂を守り323名の将兵を乗せていた船の残骸と上空へ漂っていく黒煙だけだった。激情をこらえながら、帽子をかぶり直し、艦橋内に足を運ぶ。

 

「河波、爆沈しました」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

戦場のさなか、静かな口調で語られたにも関わらず、はっきりと聞こえる報告。瞑目した後、前方のみに視線を向ける。後ろへ振り返りたくなる衝動を懸命に抑えながら。

 

敵の砲撃はますます激しくなる。こちら側も砲撃を強めるが、的が人間大のためかすりすらしない。なんという無様な姿か。

 

「やはり、的が小さすぎるな・・・・」

「この時に備え、艦の将兵が一丸となって訓練に励んできましたが・・・・忸怩たる思いです」

「まったくだよ・・・・。ここまでしても俺たちはやつらに、っつ・・・・・!」

 

しかし、敵艦隊がまばゆい閃光で覆われた瞬間、艦橋に漂っていた重い空気が一掃された。複数の敵艦が黒煙を上げる。

 

「これは・・・・・」

 

前方を航行する伊予から発射された砲弾が敵艦隊上空へ達すると、まるで花火のような小規模な爆発を起こし、小さな黒い点を敵の上空にまき散らしていく。続いて先ほどと同じように無数の爆発が巻き起こる。通常の砲弾に比べれば迫力は弱々しいの一言だが、これを受けた駆逐ロ級後期型flagship2隻と軽巡ツ級flagship1隻からの砲撃がやむ。その快挙は若狭艦橋からでもはっきりと視認する事ができた。醜い体からもくもくと黒い煙が立ち上っている。

 

「おおお! あれが・・・・あれが零式弾か!」

 

思わず、胸の前で拳を握りしめる。

 

「ええ、そのようです! 効果があるのかどうか心配していましたが、これは!」

「ああ、兵研の連中が胸を張っていただけはあるな。この戦いに間に合って良かった」

 

敵艦3隻が沈黙したあとも戦艦ル級からの砲撃をもろともせず、伊予は断続的に零式弾を発射していく。そのたびに、全ての敵艦に無数の爆発が起こる。それは確実に被弾した深海棲艦の戦闘力を奪っていた。灰色や漆黒の肌に空く穴。へし折れた砲身。噴き出す青い体液。

 

的が小さく従来の徹甲弾では対処不可能な深海棲艦用に開発された新型砲弾「零式弾」。これは一部の艦娘たちが装備している対空榴弾、三式弾を参考に対水上榴弾として開発された代物だ。もっと簡単に言えば砲弾のクラスター爆弾版である。目標の上空に到達すると子爆弾を周囲にまき散らし、爆発の嵐を巻き起こす。直接狙わなければならない徹甲弾と比べると命中率は次元が違う。確実に数発は当たるのだ。ただ1つ1つの子爆弾は威力が小さいため、駆逐級でも撃沈するには複数回にわたって大量の子爆弾を当てなければならず、戦艦や重巡洋艦には目くらまし程度の効果しかないと考えられていた。しかし、今まで深海棲艦に狩られる一方だった通常艦隊が駆逐級であろうと倒せる手段を得たことは歴史的な快挙だった。

 

「因幡の確認が取れました! 零式弾の砲撃が正式に下令されました!!!」

 

通信室の下士官が駆け込んでくる。彼の報告に橋立は大きく頷いた。

 

「分かった。司令、我が艦も零式弾の撃ち方はじめます!」

「分かった! やつらに思う存分、爆弾の雨を降らせてやれ! フライングした伊予に後れを取るなよ!!」

「若狭を舐めないでください! 砲術長へ転送。零式弾での攻撃を開始せよ!!」

「はっ!!」

 

控えていた伝令係の砲術科員が慌てて、伝声管に声を張り上げる。

 

直後、砲身がわずかに動き、今までと変わらない閃光と爆発音、衝撃波を伴って砲弾が撃ち出された。数秒後、敵艦隊の直上で華が開くと、爆発の連鎖が禍々しい化け物たちを襲った。

 

「よし!!!!」

 

若狭、伊予、そして正躬たちが乗艦している因幡の巡洋艦3隻から、断続的に瑞穂の科学技術と犠牲の結晶が撃ちこまれる。そして、ついにそれは散々苦しめられた深海棲艦の耐久力を打ち破った。艦橋の窓越しでもはっきりと確認できる閃光と爆発音。その直後、先ほどとは正反対の、歓喜混じりの報告が木霊した。

 

「駆逐ロ級flagship2隻! 撃沈! 軽巡ツ級flagship大破! 落伍していきます!!」

「よし! やった、やったぞ!!!」

「司令!! やりました!! 良かった、よかった・・・」

 

歓喜に沸く艦橋。誰もが笑顔を浮かべる。絶望一色だった雰囲気は、駆逐級爆発と共に四散した。

 

駆逐級を撃沈。言葉にすれば一文だが、これには一文では言い表せないほどの重みと意味が宿っている。夥しい味方の犠牲の果てに、息絶え絶えとなってようやく駆逐級や軽巡級を1隻倒せるかどうか。深海棲艦との戦いは、文字通り死を前提とした、過酷の一言では片づけられないほど残酷なものだったのだ。

 

それが今、現在から過去へと変わったのだ。第5艦隊は河波を失ったが、まだ1隻。あと7隻に残っている。

 

「司令! まもなく彼我の位置、丁字に達します!!」

 

力強い口調の橋立。そこにもう浮かれた感情はない。結解は視線で答えると、軍帽を深くかぶり直す。

 

「ここが正念場だ・・・・・・・。総員、全力砲撃!! 百発百中の心構えでいけぇぇぇ!!」

 

嵐の前の静けさと言わんばかりに、静寂と取り戻す艦橋。静寂は艦橋だけではない。若狭全体がまるで眠りについたように、数多の音が消失する。艦首が大洋に満ち満ちている海水を無理やりかき分ける音。それすらも艦橋には聞こえてくた。

 

撃沈した駆逐ロ級後期型flagshipと大破したツ級flagshipから生み出された黒煙に覆われる敵艦隊。そこへ向け、前部甲板の20.3cm連装砲2基、後部甲板の20.3cm連装砲1基に合計6門の砲身が微調整を繰り返しながら、正確な狙いをつけていく。そして、時が止まったかのように静止する。前方を航行している伊予の後部砲塔も同じく。

 

古参兵に檄を飛ばされ、重労働と装填室の暑さで汗びっしょりとなった兵士が数人がかりで砲身内へ零式弾や徹甲弾を装填していく。発射の号令を待ち、じっと薬室内で待機する人間大の砲弾たち。

 

第5艦隊の残存している全将兵、そして瑞穂の願いと希望を充填し、人類の敵である森羅万象を凌駕した化け物に、鉄槌を下す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

充満する黒煙を衝撃波で薙ぎ払い、飛翔してくる死の鉄矢。各国海軍を絶望の淵に叩き込んできた悪夢を、くしくも再び若狭と若狭乗組員、そして第5艦隊は目撃することとなった。

 

反射的に目をつぶってしまうほどの閃光。続いて轟く大音響。直後、小石があたるようなカンカンと軽い高音が、窓や見張り台から聞こえてくる。

 

顔面を蒼白にし、おそるおそる結解たちは前方を見る。そこにはほんの一瞬前まで、「鉄の城」と称えられるほどの威容を誇っていた伊予が、そこらじゅうから黒煙を吹き出し朽ち果てた廃墟になっていた。

 

「な・・・・・・なんと、いう・・・・・・・・」

 

もはや軍人らしい言葉もでない。眼前の光景はあまりに無慈悲で、心を揺さぶるものだった。

 

「伊予の仇をうってやる・・・・・・」

 

明後日の方向へ進んでいく、死に体の伊予。もはや、舵も利かないらしい。主機がやられたのか、機関室が壊滅したのか・・・・・・はたまた艦橋に砲弾が着弾したのか。そこまで考えて、思考を中断した。明確な事実は1つ。それは第5艦隊の先導艦がこの若狭になってしまったことだ。

 

「砲撃・・・・・」

 

無理やりしみ出したような言葉。しかし、次に放たれた言葉は、しみ出すなどかわいらしいと思えるほど、感情が込められたものだった。

 

「砲撃開始ぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」

「了解! 全艦、砲撃開始!」

 

橋立の号令から数秒の時差を経て、発射される砲弾。若狭だけではない。後続の艦からもほぼ同じタイミングで、正躬司令の作戦にのっとった渾身の砲撃が始まった。そして、それは敵も同じ。再び放たれる死の矢。当たれば一撃で海の底だ。砲撃の衝撃波と海風によって、場違いな黒煙が四散していく。久方ぶりに露わになる敵艦隊。そこには大破した軽巡ツ級の姿はもうどこにもなかった。しかし、それに笑顔を見える余裕は完全に失われていた。砲弾が空中を飛翔し、敵味方双方とも装填作業に入るわずかな時間。ここも、戦場に塗りつぶされていく。

 

「伊予、大破! 通信途絶! 傾斜角拡大中!!!」

 

もう悲鳴と化した報告。

 

「ああああ゛ぁ・・・・・、目が、目が!!」

「高坂!! 血が、血が・・・。えっと、えっと、こういう場合は・・た、対処法は・・!」

「腕に破片が・・・・・・、いてぇ・・・・」

「待て待て待て!! 抜くな! 抜いたら、一気に出血するぞ!」

「こちら艦橋見張り台! 飛翔した破片により、2名負傷! これより医務室へ搬送する!」

 

制服や肌を真っ赤に染める乗組員。患部から重力に従い、血がしたたり落ち床を濡らしていく。それが盛大に震える。右舷に林立する水柱。至近弾ではないにも関わらず、衝撃は尋常ではない。同時にこちらからの砲撃も着弾していく。徹甲弾はくしくも海上に。零式弾は残りの戦艦ル級flagship2隻と残っていた軽巡ツ級flagship1隻に降り注ぐが、運悪く効果は皆無に等しい。見張り員の注意が散漫になるなか、青かった顔をさらに青くした橋立が叫ぶ。

 

「おい、お前ら! 進路変更の必要性があるんじゃないのか!!!」

 

反射的に前方に注目する艦橋要員。1kmほど離れていた伊予とは、確かに近づいていた。徐々に大きくなる船影。自分たちの失態を明確に認識した見張り台要員たち。その中で最先任の下士官が詫びるよりも先に、周囲に立ち上る水柱の衝撃にさらされながら報告を行う。彼は呆けている新兵たちと異なり、結解たちと共に死線を潜り抜けてきたベテランだ。

 

「進路変更の要をみとむ! このままでは衝突の恐れあり!」

「進路回頭! おもかーじ!」

「おーもかーじ!」

 

ゆっくりと舵を切っていく。予期せぬ機動に各砲門の照準がぶれたため、一時的に若狭の砲声がやむ。それを見計らったかのように連続する砲撃。今まで抑制的な口調で逐次報告を行っていた弾着観測員が、聞きたくなかった報告をあげた。

 

「着弾可能性大!! 進路回頭の要、大!」

 

それを受け、即座に橋立が命令を下す。

 

「舵、戻せ!」

「もどーせー」

 

操舵手の復唱。それがいつもより幾分か短いのは気のせいではないだろう。再び移動する体の重心。バランスを保とうと体に力を込めるが、いつも以上に力が入ってしまう。

 

「あと、少しで丁字・・・・。頼む、もってくれ!」

「着弾、今!」

 

今までとは段違いの衝撃。

 

「うおっ!!」

「くっ・・・・・・・そ!!」

 

呻き声が連続する、なにかにつかまっていなければ、確実に転倒するほど船体が揺れる。

 

「く・・・・・・、夾叉されました!!! 敵、散布圏に本艦を捕捉!!!」

 

着弾観測員の悲鳴。艦橋の空気が凍り付く。

 

「橋立! 即座に回避行動だ! 散布範囲も広い・・・・・、次撃たれたら確実に当たるぞ!」

「分かってます! 進路かい・・・」

「敵、発砲!」

「っ!?」

 

彼方でわずかに瞬く閃光。河波や伊予が発した光に比べればどうということはない。しかし、光度は違えど、それが纏う絶望感と危機感は桁違い。

 

「だ、ダメです!!! 直撃コース! 回避困難!!」

「総員、衝撃に備え!!」

 

周囲にものを力の限り掴み、身をかがめる。そして、矢は的を射た。

 

「う・・・・、あぁぁ!!」

 

大戦初期以来、実に7年ぶりに感じる衝撃。その威力は凄まじく、真横にある自身の椅子を掴んでいた手はやすやすとはずれ、結解は後方に吹き飛ばされる。後頭部が鉄板の床に打ち付けられ、鈍痛が走る。だが、それに唸っている場合ではかった。

 

「被害報告!」

 

後頭部を抑えながら、立ち上がる。幸い、艦橋付近には着弾しなかったようで、目で捉えられる範囲に被害はない。自分のように軽傷を負っている者が多々いるが、命にかかわるようなけがをしている者はいない。

 

「結解司令! お怪我は!」

 

腕をさすりつつ、橋立がこちらの様子を覗ってくる。

 

「ああ、俺は大丈夫だ。気にしなくていい」

「それなら、よかった・・・・って、司令! 血が! 誰か、司令の治療を!」

「いい。これぐらいかすり傷だ。それより、被害報告!」

「艦左舷中央および、後部に被弾した模様。しかし、連絡網が混乱しており、詳細は不明!」

「情報収集を急がせろ! 直ちにだ!」

「は!」

「敵、直撃コース再び・・・・・・ああああ!!!!」

 

飛び交う怒号を押しのけ、着弾観測員の絶叫が響き渡る。理性のかたが外れた獣のような声。あまりの奇怪さに驚き、向かい合っていた将校からそちらに視線を移す。しかし、それが完全に実行されることはなかった。永遠に・・・・・・。

 

「橋立!!」

「司令・・・・・・」

 

左舷側の窓。海水で湿り切ったガラスの向こうに見える点。全員がその正体を認めると固まる。その中で、結解だけが足を右舷へ進める。呆然と目を見開く橋立。その姿がいつかの記憶と重なる。妻と2人の子供に囲まれ、ほほを緩める彼。そこに幾度となく戦場をかけてきた軍人の面影は皆無で、1人の夫、1人の父親だった。

(こいつを死なせて・・・・なるものかぁぁぁぁ!!!!!)

自分は何故、軍人になったのか。そんな問いがこのような状況にも関わらず浮かんでくる。瑞穂は徴兵制が敷かれているが、結解は志願して軍に入った。何のために自ら望んで、そして厳しい訓練に耐え、今ここにいるのか。様々な想いが溢れ、一言では語れない。しかし、1つ言えることがある。それは・・・・

 

「俺は・・・目の前で部下の死を見るために、ここまで踏ん張って来たわけじゃねぇぇ!!!!」

 

恐ろしくゆっくりと流れる時間。必死に、ミシミシと悲鳴をあげる筋肉などお構いないなしに腕を伸ばす、そうしているにも関わらず、なかなか届かない。この方法に見切りをつけ、自身を盾とするため彼に覆いかぶさろうと必死に身体をひねり足を動かすものの、やはり動きが遅い。

 

そして・・・・・・・・・・・。

 

「っ!!!」

 

目の前の橋立、そして結解の全身ごと前方から衝撃と光と熱が押し寄せてくる。それらで塗りつぶされる世界。激痛や灼熱を感じるかと思っていたが、待っていたのは完全な「無」だった。

 

しかし、その中で唯一感じられたものがあった。

 

(おとさ~ん!!)

(お父さん)

(あんた)

 

聞くだけで気分が穏やかになる声。見るだけで幸福を感じる笑顔が真っ白な世界で点滅する。

 

もう2度と会えない家族と会えて、結解は幸せそうに微笑んだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

第5艦隊旗艦 「因幡」 艦橋

 

 

 

砲撃のたびにミシミシと音を立てて震える窓ガラス。瞬く閃光で感じる刹那の熱。先ほどまで外的要因によるものだった振動と熱気は現在、艦橋内から発せられている。ガラスを震わせんかぎりの怒号、叫び声。行き交う数多の将兵たちから生じる熱。

 

だが平時なら不快に思う環境変化に誰1人として全く気を向けない。耳は、目は、頭はそんな些細なことに労力を割く暇などなかった。

 

「白波、氷雨、被弾! 状況不明なれど、甚大な被害が生じている模様!!」

「秋雨! 轟沈! ・・・・・・・・・うぅ、轟沈しましたぁぁぁぁぁ!!!!」

「伊予、傾斜角拡大中でしたが、さきほど転覆しました! 多数の乗組員が退艦作業中に巻き込まれたようです!」

「霧月艦中央および後部に被弾! 速力低下! 艦隊より落伍していきます! 座乗の花表(とりい)司令官が指示を求めています!」

 

次々と寄せられる希望のかけらもなくなってしまった報告。それを伝える将兵たちとは対照的に、聞く側の第5艦隊上層部はただただ沈黙していた。悔しさに唇を噛み、自身の不甲斐なさに拳を握りしめて。

 

「若狭より緊急電! 艦橋および艦前部に直撃弾!」

 

だが、いつまでも黙っていられるわけがなかった。報告を遮り、1人の男が声を荒げる。その表情には懇願の色が浮かんでいた。

 

「結解は・・・・結解や橋立たちは!!!!」

 

艦橋要員全員を代表した大戸の叫び。真剣な表情で一直線に視線を向けるが、報告した将兵はつらそうに大戸の視線から目を逸らす。それで、分かってしまった。

 

「結解司令をはじめとした、被弾時艦橋におられた方々は全員戦死されました・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・そうか」

 

絞り出すように呟く正躬。銅像と化した掃部たちは言葉すら出ない。

 

「艦長・・・・・」

 

唐突な声。それに振り向くと因幡副長の日月照彦(たちもり てるひこ)大佐が心配そうにこちらを覗っていいた。何故かと疑問が浮かぶが、そこで気付いた。爪が手の平に食い込みそうなほど自分が手を強く握っていることに。

 

「ああ・・・・・・大丈夫だ。すまんな・・・」

「いえ・・・」

 

日月は俯く。部下に気を遣わせるとは上官失格。自身の不甲斐なさは重々承知していたが、それでも反応せずにはいられなかった。

 

大戦勃発以降、苦楽と秘密を共通してきた戦友はもういなくなってしまったのだから。

 

「掃部」

「は!」

 

正躬が少し沈んだ声で、掃部を呼んだ。

 

「加賀たちの航空隊は、まだなのか・・・・・?」

「あと10分、あと10分です・・・・・」

 

「あと10分」を噛みしめる言葉。それを正躬は無言で聞く。

 

10分。平時ならあっという間の時間も、現状の第5艦隊にとってあまりにも長すぎるものだった。戦闘開始からもうまもなく30分。

 

「分かった」とつぶやいた正躬は、残滓が漂う前方の海から、大戸たちへ身体を向ける。武人然とした表情。ただならぬ雰囲気を感じ取り、大戸や日月をはじめ、幹部たちが一斉に正躬へ視線を向ける。彼から、自分たちの生存を左右する決断が告げられた。

 

「松本。第3水雷戦隊に打電。我が艦隊の戦況は絶望的なり。よって救援は不必要と認む。生存者の救助に全力を注がれたし。そして、霧月に。艦隊への復帰の必要性は皆無。航行可能ならば戦線を離脱し、横須賀へ帰投せよ、と。本艦はこのまま応戦しつつ直進、敵の注意を引き付ける」

 

第5艦隊司令官の決断に、掃部が抗議の声をあげる。

 

「ま、待ってください! 正躬司令! あと、10分、あと10分なんですよ! その間持ちこたえれば第5遊撃部隊の航空隊が到着し、敵艦を打ち払ってくれます! そうなれば、こちらの勝利は確実です! 我々はまだ勝てます!! ここで負けを認めるのは早計ではありませんか!!」

「・・・・・・・・負けだよ」

 

言葉を震わせる正躬。それを聞いてしまえば、後悔に苛まれている表情を見てしまえば、掃部でなくとも人間ならば言葉を続けることはできない。

 

「既に、まともに戦闘可能な艦は奇跡的にまだ被弾していない因幡のみ。3隻は沈み、2隻は大破炎上。霧月も艦隊から落伍した。もう・・・・丁字による効果的な攻撃は出来ない。お前の言う通り、10分は10分だ。だが・・・・・」

 

艦橋に容赦なく届けられる着弾の衝撃。至近弾のなかでもかなり近いようで、鍛え抜かれた軍人でも恐怖を感じるほどの大きさだ。それが、これまでよりも鮮明に感じられる。

 

「10分も持たない・・・・・」

 

誰も、正躬に反論する事ができなかった。既に因幡は戦艦ル級flagship2隻に夾叉されており、度重なる至近弾でゆっくりとではあるが着実に装甲などが湾曲。浸水や機器損傷の被害が拡大していた。

 

「そして、撤退もできない。我が艦は完全に捕捉されている。ならば、少しでも霧月が離脱する時間を稼がなければならないだろう? 彼らには、海上に漂流している将兵たちの救助を担ってもらわなければ・・・・・」

「正躬司令・・・」

 

第5艦隊旗艦「因幡」艦長として正躬の意見に賛同しようとした、その時。

 

「敵主砲斉射!!! 飛翔弾・・・・・・、直撃コース!!!!!」

 

着弾観測員の悲鳴が木霊した。

 

「取り舵いっぱい!! 何としても躱せ!!」

「と・・・・」

 

鬼の形相で大戸は叫ぶ。全力で舵を回し始める操舵主。しかし、復唱が行われる前に世界の全てが感じたことのない衝撃に覆われた。決して抗えない何か。それに遊ばれるように体が自分の意思とは関係なく、吹き飛ぶ。

 

「うわわぁあああああああああああああああああ!!!!」

 

頭、背中、腹、足、腕。全身に鈍痛が走る。意識が飛びかけるが、痛みと耳鳴りでなんとか保たれた。

 

「い・・・・・・」

 

もはや自分がどこにいるのかも分からない。痛みに歪む顔。口内に血の味が蔓延する。動くなという本能的な訴えを退け、体を起こそうとする。こんなところでへばっているわけにはいけない。まだ生きているのだから、やらなければならないことがあるのだ。だが、どうしても体を起こせない。不審に思い、目を開ける。

 

煙に覆われた天井。うっすらと配管が縦横無尽に走っている武骨な天井が見える。本来は黒のはずなのに、なぜが橙色に見える。しかも、橙色はゆらゆらと蠢いていた。

 

「ふっ・・・・・くそ、なんで・・・・・って・・・・・」

 

重さの原因を把握しようとした大戸の動きが凍る。天井から下った視線。自身の体の上に、血まみれとなった1人の人間が横たわっていた。

 

 

 

 

「掃部、参謀長・・・・・」

 

 

 

 

体をゆする。反応は、ない。まだ温かかったが、過去の残滓であることは容易に察せられた。

 

「参謀長・・・・・・」

 

ゆっくりと彼の体をどかす。ドサっと、物のような音を立てて残骸が散乱している床に転がる体。そこで初めて気づいた。彼の背中。肉は吹き飛び、数多の破片が血肉の間から覗く背骨にまで突き刺さり、いまだに患部から鮮血を流し続けている。

 

即死だったに違いない。だが、それはある意味救いだったはずだ。周囲に比べれば。自身のものか、はたまた掃部のものか分からない血に純白の制服を染め、ゆらゆらと立ち上がる。

 

無残にひしゃげてしまった艦橋の天井と窓。左舷側はそれらが完全に吹き飛び、吹きさらしとなっている。どうやら艦橋上層にある測距儀、その左舷側に砲弾が命中したようだ。だからだろう。被弾時、左舷側にいた将兵が丸ごと消滅しているのは。天井が橙色の染まっていた理由。ガラスが割れた窓から前方を見れば、一目瞭然だった。20.3cm主砲から煌々と立ち上る炎。艦橋の天井だけでなく、海水と人間の血で覆われた甲板をもきらきらと照らしている。その光景から、もはやこの因幡が海上を漂う鉄くずとなったことが分かる。

 

「なんたる・・・・・・」

 

地獄絵図。それがここを表す最も適切な表現だろう。散乱した死体。五体満足なのはいい方で、バラバラもしくは原型をとどめず、ゲル状になってしまったものも散見される。その中を、自身と同じように運よく生き延びた者たちが、各部署への報告に、うめき声をあげ助けを求めている者の救助にと駆け回っている。ある将兵は艦橋の隅で嘔吐している。充満する血と表現したくもない代物の臭いだけでも、気がおかしくなりそうだ。

 

「日月・・・・・」

 

頭部が壁に突き刺さり果てている遺体。見えるのは下半身と背中のみだったが、ズボンのポケットから覗くハンカチが、日月だということを示していた。

 

奥さんから初めてプレゼントされたと言っていた、ハンカチ。彼はそれをいつも肌身離さず持ち歩いていた。

 

「司令!! 正躬司令!!! しっかりして下さい! 早く、医務室へ!!!」

 

焦燥感に覆い尽くされた声。聞こえる方向へ振り向くと崩れ落ちた天井の陰に隠れて、血だまりに身をうずめた正躬と偶然艦橋へ報告に来ていた砲術科の新兵がいた。

 

「正躬司令!!」

 

思わず大声で叫ぶ。うっすらと焦点なく開いていた目が、こちらへ向く。浮かべられる微笑。

 

「おお・・・・・・大戸、か。無事で、よかった・・・・」

「正躬司令! ・・・・っ!?」

 

視線が釘付けとなる。意識が上半身に向いていたため気付かなかったが、正躬の下半身は大人数人がかりでもどうすることもできないほどの金属板に挟まれている。しかも、挟まれているにしては、正躬の下半身は厚みが失われていた。

 

「クソ! おい、誰でもいい! 現状報告を!」

 

その言葉を聞き、動転して我を忘れていた司令部の新米将校や航海科の将兵たちが負傷しまだ息のある仲間の治療を一部の者に預けて集まりだす。手の空いている者が全員目の前に集合する。しかし、それでも片手で数えられるほどしかいなかった。彼らは正躬の姿を見ると例外なく、血や煤で汚れた顔をつらそうに歪める。

 

「艦の状況は?」

 

彼らに問いかける。周囲に視線を投げかける者がいるものの、額から血を流している通信参謀松本孝大佐が先陣をきった。

 

「現在、火災・浸水・有毒ガス発生で指揮命令系統が完全に艦内各所で分断。伝声管や無線も同様で詳細が把握できません」

 

それに続いて他の将兵たちも自分の持っている情報の共有を図る。

 

「浸水は被弾した左舷に集中しているようです。隔壁を下ろして浸水域拡大の阻止を図っているとのことですが、被弾による変形で隔壁が用をなさなくなった箇所も散見され、上手くいっていないようです。ダメコンは破壊された主砲の誘爆を防ぐための消化作業に人員を割かれ、ますます浸水の防止が・・・・」

「前部主砲2門、そのほか左舷側高角砲・機銃の約8割が使用不能に。特に主砲要員の被害が甚大で、砲術科要員に多数の死傷者が生じている模様です」

「かろうじて先ほど機関科の人間と接触できました。彼によると機関室及び機関は無事だそうです」

「本当か!」

 

安堵に緩む表情。機関が無事なら真の鉄くずにならずに済む。損傷なしの状態に比べれば運動性能はやはり劣るが、隙を見て戦線の離脱も可能となる。

 

「ですが・・・・・」

 

大戸の表情もあってか、視線を下に落とす将校。胸に嫌な予感が急上昇し、先をせかす。

 

「機関室の周辺区画では浸水がひどくこのままでは、機関室は完全に孤立します。機関室を捨てて機関科の乗員たちを避難させるか、それとも足を確保するために・・・・その、機関科員たちに人身御供となってもらうか・・・・」

「・・・・・・・・。機関科の伝令が来ていたのは、その判断を仰ぐ為か・・」

「おそらくは・・・・。どうされますか?」

「後部砲塔は生きているんだな?」

「はい。後部砲塔及び被弾を免れた右舷側砲門は健在です」

「このまま傾斜角が拡大しますと、戦闘を継続するにしても照準に修正不能の誤差が生じ、砲そのものが使用できなくなります!! ご決断は早ければ早い方が・・・・」

 

床を転がっていく丸みを帯びた残骸。固体よりも傾斜に敏感な床に広がっている液体は粘り気を押しのけて、ゆっくりと左舷側に流れている。時たま感じる突き上げるような衝撃。発生源は自分たちの下だ。砲撃の類いではない。

 

「もう、戦闘継続は・・・・・・・無理だ」

「正躬司令・・・・」

 

判断に窮していた大戸、そして視線を下に向けていた将兵たちが、正躬に目を向ける。

 

「傾斜も増して、いつ主砲の弾薬庫が・・・・・爆発するか分から・・・ん。はぁ、はぁ・・。敵も・・今は砲撃を止めているようだが・・・・またいつ再開するか・・・・。後部砲塔や高角砲では奴らに・・・・勝てん! う、ぐ、あ・・・・」

「司令!」

「総員、退艦だ」

 

思考が止まる。

 

「早くしないと、再び奴らは・・・・攻撃を開始する・・・1人でも多くの人間を殺すために・・・・・がはっ、グホっ!!」

「正躬司令!」

「だが、だが・・・・・・・」

 

もう力など残っていないはずなのに、苦痛で表情を変える余裕もないはずなのに、正躬は言葉に力を宿す。表情に決意を込める。

 

「やらせるわけにはいかない・・・いかないんだ。軍隊に必要なのは、兵器ではない。人・・・人なんだ・・・・。ここで、1人でも多くの部下を本土に返し、経験と技術を後世に伝えさせるのが、司令官としての、最後の使命だ・・・・。彼らと彼らの家族の幸福を出来る限り維持することも、私の、最後の・・・・・・ぐっ!!」

「司令!」

「いいから・・・・。大戸、退艦命令を出せ! これは第5艦隊司令としての“命令”だ。・・・・・退艦の指揮はお前に一任する」

 

拳が、体が震える。退艦命令を出すということは、正躬を、艦橋内でまだ息がある将兵たちを・・・・・・・。しかし、正躬の覚悟を踏みにじるわけにはいかない。そして、彼が語った使命と信念。それは821名が乗艦している因幡を預かる自身も同じだ。

 

「分かりました」

 

大戸は一度目を閉じると、覚悟を決め命令を発出した。

 

「総員退艦よーい! 各所で伝達網が寸断されている。伝声管や口頭で命令を出来る限り伝えてくれ。頼んだぞ」

『了解!』

 

ちりじりになってく将校たち。血に濡れ、各所に肉片が散乱する中、退艦作業が始まった。わずかに聞こえる「総員退艦よーい」の音。どうやら、艦内にはまだ伝声管や放送設備が生き残っているようだ。それを見届けると、先ほどまでの平静ぶりが嘘のように慌てて正躬に駆け寄る。足元に広がる血だまりを靴が踏み、ピチャピチャと水たまりを踏んだ時と同じ音を響かせる。それが今回ばかりはとてつもなく不快に感じられた。大戸より先に駆け寄っていた新兵が自分の制服を破いて見える限りの傷口を止血しているが、出血の大半は金属板で押しつぶされた下半身のため効果は薄い。

 

「そこの君!」

「はい!」

「なにか棒のようなものを取ってきてくれ! てこの原理で、動かしてみる!」

「わ。分かりました!」

「いい・・・」

 

駆けだしそうになった新兵の足が止まる。何を言っているんだと反論しようと口を開くが、正躬に先制された。

 

「は、はは・・・・。この通りさ・・・・。もう、ダメ、みたいだな」

 

満足げに微笑む正躬。その弱々しさに目頭が熱くなってくるが、なんとかこらえる。

 

「しかし・・・」

「ありがとう・・・・・」

 

その言葉に誰が反論できるだろうか。正躬は覚悟を決めていた。そして、現実を受け入れていた。大戸が、新兵が必死に否定しようと、覆そうとしていた現実を。

 

新兵の目を見る。今にも決壊しそうなほど潤んでいたが、一瞬力強い目つきになるとそのまま駆け出して行った。自分の本来の持ち場へと。

 

こちらも、腹を決めねばなるまい。

 

「大戸・・・」

「はい」

「部下たちを・・・・・この国を頼む、な・・・・」

「はい・・・」

「大戸・・」

「はい・・」

「艦娘たちのことをもう少し、信用してやってくれ。あのオヤジのいうことが全て間違っていると、言うつもりはない。あいつも・・・・あいつも、この戦争で・・し、深海棲艦に大切な存在を・・・・・。だが・・・・・彼女たちは・・・」

「っ!? し、司令! ま、まさか・・・・」

 

息が止まる。相変わらずのほほ笑み。だが、そこには今までなかった達観したような色が浮かんでいた。平時なら気のせいと思っただろう。しかし、現状が否定のしようがない説得力を与えていた。

 

「こりゃ、まいったな・・・。司令、気付いておられたんですか?」

「まぁ・・・・・な」

「では、何故野放しに? あなたは生粋の擁護派。敵対陣営の人間など、邪魔でしょうに」

「なんでだろうな・・・・・・・。自分でも、よく・・・・分からないんだが・・・・なんかお前たちは・・・・・あいつらと違う・・ように・・・感じたんだ・・・。お前たちは・・・・艦娘たちと話している・・・・時も・・・・全く嫌悪感を抱いて・・・・いな・・・かった。むしろ・・・・・。だから、かね・・・・」

 

ふっと自嘲気味な微笑。その時、1人の航海科士官が近づいてきた。正躬に目を合わせない。

 

「艦長、退艦準備が完了いたしました」

「分かった・・・」

 

機密文書の処分や退艦の指揮など艦橋で作業にあたっていた将校たちが集まる。

 

「さぁ、いけ・・・・」

 

優し気な口調。その笑顔が痛い。あちこちから鼻をすする音が聞こえてくる。

 

「正躬司令、何か、形見を・・・・・」

「そうだな・・・・・では、これを・・・・」

 

血に濡れた腕で差し出された、軍帽。それを、受け取る。

 

「今まで、こんなひ弱な指揮官についてきてくれてありがとうな・・・・」

 

鼻だけでは収まらず、ついにすすり泣く声が響く。次々と伝播し、顔をぐしゃぐしゃにする将校たち。

 

「こちらこそ・・・・・今まで、ありがとうございました!!」

 

敬礼。大戸に続き、泣いている将兵も全員が満点の敬礼を決める。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・行け」

 

 

 

 

正躬の言葉を最後に、生き残った乗組員は艦橋を後にする。艦橋とそのあとに続く廊下の境目。

 

「ここを越えれば、もう・・・・・」

 

後ろへ振り返る。つい1時間ほど前とは様変わりしてしまった艦橋。戻ろうとする足を理性で食い止め、仕切りをまたぐ。

 

俺は、この艦の艦長。

 

そう、言い聞かせて・・・・・・・。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「因幡、退艦命令を発令。乗員の退艦が始まりました」

 

大海原をかける1隻の船。視認性を下げるための黒色の塗装に、各所に設置された主砲に機銃、魚雷発射管。その船が軍艦であることは一目瞭然だ。しかし、軍艦と言っても大戸たちや結解たちが乗っていた巡洋艦とは比較にならない。船体の長さや武装は隔絶している。

 

駆逐艦霧月。

 

これが艦の名前だ。なんの因果か、霧月を含む海月型駆逐艦も1942(昭和17)年6月11日に竣工した大日本帝国海軍秋月型駆逐艦と同様に、防空駆逐艦をコンセプトに建造されていた。その為、他の駆逐艦との一番の差異は艦を覆うように多数の砲や機銃が備えられている点だ。

 

ハリネズミのような外観。まっすぐそれぞれの前方を睨んでいる砲身・銃身たちが霧月のトレードマークだが、現在は少し様子が異なっていた。焼け焦げた後部主砲。砲塔に大きな穴が空き、周辺には金属片が散乱。砲身は曲がり、明後日の方向に向いている。損傷はそこだけではない。艦全体、特に艦後方左舷側に集中していた。

 

「分かった・・・・・」

 

苦しそうな呟き。霧月艦長雄蔵守(おんどり くらもり)少佐から聞いた第10戦隊司令官花表秀長(とりい ひでなが)大佐は、苦悶で浮かんだ顔のしわをますます深くする。静まり返った艦橋。今や事務的なやりとりと、機関科員たちの奮闘によって持ち直した機関によってかき分けられる波の音が、この場を支配していた。砲声や怒号が飛び交っていたことが信じられなくなる。

 

第5艦隊と戦艦ル級flagship2隻を基幹とした敵空母護衛艦隊との決戦は、隠しようがないほどの惨敗で幕を下ろした。伊予・白波は海中に没し、氷雨と若狭はまだ浮いているものの松明と化おり沈没も時間の問題。そして、ついには旗艦である因幡までも・・・・・。第5艦隊でまともな戦力は早期に被弾し、艦隊から落伍してしまった霧月のみとなった。なんとも皮肉な話である。早く被弾した方が生き残るなど。

 

「っ!!」

 

目の前にある壁を、自身と世界に対する怒りで蹴りそうになる。だが、なんとか抑える。つい数分前、第5遊撃部隊の航空隊が上空を通過していった。船なら数十分とかかる距離でも航空機なら数分。もう、既に敵艦隊への攻撃は始まっているだろう。

 

「もう、少し、早ければ・・・・・」

 

彼女たちになんの落ち度もないことは重々承知している。しかし、それで割り切るには失ったものがあまりにも大きすぎた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「す、すごい・・・・・・」

 

敵残存艦艇、戦艦ル級flagship2隻と軽巡ツ級flagship1隻に殺到する加賀・瑞鶴の両航空隊。60機近くに上る航空機から繰り出される、急降下爆撃、水平雷撃の波状攻撃は圧巻だ。いかに重装甲・高火力の戦艦ル級、航空機落としの軽巡ツ級とはいえ、その猛攻を防ぐことはできない。それほど敵と離れていないため、攻撃の際に発生する衝撃波がここまでやってくる。

 

ゆらゆらと漂う木製のカッター。大戸はそこに乗っている将兵たちと共にその光景を目の当たりにしていた。

 

「やっぱり、艦娘には敵わないな・・・・」

 

とある将校の呟き。首から布で吊るされた右腕をさすりながら、嘲笑を浮かべている。おそらく、カッターに乗り込んだり、しがみついていたりしている将兵に限らず、因幡の破片を浮き代わりに、波に揺られている者たちも同様だろう。

 

その光景の前を、因幡に搭載されていた内火艇が漂流者を1人でも多く収容するために横切っていく。因幡には救命艇としても使用できる内火艇4艇、カッター2艘、通船2艘が艦載されていた。だが、左舷に搭載されていた内火艇の内、1隻が被弾時に損傷。そのため、現在海上には5隻の救命艇が存在していた。収容人数は規定にのっとれば410人。沈まない程度にぎりぎりまで乗せれば、各自追加で4人ほどは乗せられる。だが、そのようなことをせずとも漂流中の全将兵を海水からすくい上げることは可能だった。

 

410人の収容人数でも十分な空きが出る人数しか、もう海上にはいないのだから。残りの人数は大爆発を起こしながら沈んでいった因幡と共に・・・・・・・。

 

正躬も、掃部も、日月も・・・・・・・。

 

であるからこそ、これ以上、ここで失うわけにはいかない。せっかく死から逃れられたのだ。

 

「よし! ほらっ! 掴まれ!」

「あきらめるな! 引き揚げるぞぉぉ!」

『せーの!!!』

 

瞬く閃光と立ち上る黒煙を背に、また1人の乗組員が引き揚げられる。自力で上ってくる猛者もいるが、海水をたらふく吸い込んだ制服の重さは尋常ではない。それに救命胴衣も加わるため、体力が消耗している大半の将兵には仲間の力が必要なのだ。大戸もただ見ているわけではない。今年入隊したばかりの、ついこの間まで高校生だった新兵たちと肩を並べて、部下を1人、また1人と引っ張り上げていく。

 

「ゲホッ! ゲホッ!! う・・はぁ~~。助かったぜ、ありが・・・・・・っ!? 大戸艦長!?!?」

 

 

引き揚げられた人間がお礼を述べようと顔上げた瞬間、こちら見て固まるのが徐々に固定化しつつあった。新兵たちも最初は気付いていなかったのだが、横を向いたら雲の上の存在である艦長がいた。開いた口が塞がらないのは仕方ない。しかし、彼らも今やらなければならないことをしっかりと把握していたため、驚愕もそこそこに救助作業を進める。

 

だから、だろう。

 

隣にいた内火艇が騒がしくなるまで、異変に気付かなかったのは。

 

何事かと視線をあげ、将兵たちが指差している方向を見る。さきほどまで航空隊が乱舞していた方向。上空に攻撃隊は見当たらず、爆音も聞こえない。

(やったのか?)

そう思うが、どうにも様子が変だった。目を細めて凝視すると、海上に何かいるのが見えた。

 

「戦艦ル級ですね、あれは」

 

近くにいた航海科の新兵が呟く。自分の目では存在しか確認できないため、感心してしまう。

 

「良く見えるな」

「か、艦長! いえ。目だけはいいのが私の長所でして。あれほどの攻撃を受けても、まだ沈まないとは・・・・ん?」

「どうした?」

 

大戸から何気なしにル級へ視線を向けた新兵が訝し気な表情を浮かべる。

 

「やっぱり・・・」

 

大戸の問いかけに答えず、凝視していた新兵。時間が経つにつれて、周囲も騒がしさを増していく。そして、そうなる理由を大戸自身も理解した。さきほどまでぼんやりとしか見えなかったル級の姿が、ル級と認識できるほど明瞭になっていた。

 

「間違いありません。やつは、こちらに近づいています!」

 

カッターに乗っている全員がそれを認識した瞬間、しがみついている将兵を根こそぎ引き上げ、縁の近くに座っている者たちが慌てて櫂で漕ぎ出す。深海棲艦がわざわざ遠くの漂流者へ近づいてくるなど前代未聞の出来事だった。撃沈した船の乗組員を皆殺しにすることは珍しいことではなかったが、それはあくまで目の前や進路上に漂っている場合のみ。1km近くはねられている状況で、しかもわざわざ進路を変えて襲ってくることはなかった。

 

この場に漂っている全員がそれを知識として持っていたため、日本世界で漂流する乗組員が必ず抱く「皆殺しにされる」という恐怖がなかったのだ。

 

しかし、ル級はやってくる。こちらに向かって。その光景は、抱かずに済むはずだった死の恐怖を植え付けるには十分すぎる代物だった。

 

しかし、当然ながら人力で数ノットしかでないカヌーに比べ、巡洋艦並みの速度を発揮可能なル級に敵うわけがない。徐々に詰まられていく距離。時間が経つごとに焦燥感が募っていく。

 

「なんで、あいつこっちに向かってくるんだよ!」

「知るか! 口を開く前に漕げ! 完全にやる気だぞ!」

「クソ! クソ!! やっと、終わったと思ったのに!!」

 

血相を変え、口々に抑えきれない激情を吐露する将兵たち。その間を縫い、ランドセルの比ではなく小型電気冷蔵庫の大きさに匹敵する無線機を持っている将兵に確認を行う。

 

「おい! 加賀たちの航空隊は? 何かあったのか!!」

「はっ!! どうやら第一次攻撃隊では仕留めきれなかったようで、現在第二次攻撃隊が急行中とのことです!」

「奴はその隙間を分かって・・・・」

 

加賀・瑞鶴航空隊の攻撃は決して無駄に終わっていたわけではない。事実、3隻いた敵はいまや1隻しか残っていなかった。2隻は沈めたのだ。怒りを向けるべきは完全に敵の運と分厚い装甲だろう。両手に持っていた人間型部分と同程度の大きさの艤装は激しく破損し、髪の毛らしきものは焼け焦げ、白い肌の部分は青で染まっている。だが、それでも船足と本能的恐怖を惹起する刺々しいオーラは健在だ。

 

近づいてくるル級。突然、まだ動く艤装の砲身をとある方向に向け始める。

 

「なにをする気だ・・・・・・・」

 

その先にはこちらよりも大分先に逃れていた、乗組員を満載した内火艇が疾走していた。刹那、奴の真意をはっきりと理解した。

 

「やめろ・・・」

 

その方向へ向け、ぴたりと停止する砲身。

 

「やめろぉぉぉぉ!!!」

 

大戸の絶叫と共に大音響を轟かせる戦艦の主砲。かなり近くのため、もろに衝撃波があたる。当たった箇所がひりひりと痛むがそんなことに意識を向けている場合ではなかった。

 

定員110名の内火艇が木っ端微塵に吹き飛ぶ光景。それを目の当たりにする。本当に木っ端微塵だった。そして、悪夢はそれだけで終わらなかった。

 

次々と撃ちだされていく砲弾。至近弾としてではなく直撃弾として、撃つたびに乗艦の沈没という悲劇を乗り越えた将兵たちの命を、文字通り消滅させていく。そればかりか、副砲や機銃を使って海面に漂流している者たちまでも。銃声や砲声に紛れて、壮絶な悲鳴が聞こえてくる。阿鼻叫喚の地獄が、眼前に降臨していた。

 

とてつもなく長い刹那。

 

一旦虐殺音が止むと、もう内火艇の類は大戸たちが乗っているカッターしか残っていなかった。

 

「ひっ!?」

 

新兵がか細い悲鳴をあげる。戦艦ル級flagshipはこちらに砲身をぴたりと合わせ、笑っていた。青い体液とやけどのような外傷に覆われた顔を、最大限歪めて。

 

「殺される・・・殺される・・・・殺される・・・・・っ」

 

下士官の1人が頭を抱えて、独り言を連射していた。今にも発狂しそうな勢いだ。

 

しかし、彼の言葉は正しかった。戦艦ル級は確実に自分たちを殺そうとしている。

 

「おい・・・」

「な、なんでしょか?」

 

絶望を体現した静寂の中、ル級を刺激しないよう隣に座っている通信機を背負った将兵に声をかける。彼も顔面蒼白で声は震えていた。

 

「第5遊撃部隊の第二次攻撃隊が来援するまで、どれくらいかかる?」

「5分ほど前の通信では7分と言ってました。つまり・・・・」

「あと2分か」

 

耳をすませば、レシプロ機特有のエンジン音がかすかに聞こえてくる。後2分持ちこたえれば、ここにいる全員は第二次攻撃隊が明後日のところに爆弾や魚雷を落とさない限り、本土の土を踏むことが出来る。

 

「だが、無理だろうな・・・・・・・・」

 

砲身は既にこちらへ向いている。ル級が引き金を引いただけで、肉片だ。2分など命を刈り取るには十分すぎる時間だった。

 

「総員に告ぐ。このカッターに銃は何丁ある?」

 

突然発せられた艦長の声に、大半の者は視線を泳がせる。勘が鋭い者は顔中の筋肉を引きつらせたが、中には不敵に笑う者もいた。

 

「保管庫からフカに襲われてはたまらんと、6丁ほど取ってきましぜ」

 

笑いながら、砲術科の兵曹長は自分の足元を指さす。

 

「使用できるか?」

「潮を被ってますが、24式小銃の耐久性は艦長もご存じでしょう? ・・・・・・・・瑞穂の意地を、あのクソ生意気な面にぶち込むんですな?」

 

こちらの真意を、兵曹長が言葉にした。驚愕が走る。「やめてくれ!!」と懇願する視線もあったが、多くの者は観念したように俯く。

 

「そうだ。どのみち、死ぬんだ。なら・・・・・せめて、一死報いなければ、死んでも死に切れん。お前らも、ここただただ泣き叫びながら死ぬのは嫌だろう? こんな無様な姿で人生を終えるなど・・・・まっぴらだ。・・・・・・俺に一丁をよこしてくれ」

「どうぞ」

 

兵曹長がル級にばれないよう、将兵たちの体に隠しながら、24式小銃を渡してくる。この距離なら、24式小銃の有効射程内だ。ル級はこちらの無様な表情を拝みたかったのか、かなり接近してきていた。

 

「この中で腕に自信があるやつは、俺の発砲と同時に銃をとり、やつの目を撃ちまくれ。艦娘たちの攻撃を楽にするんだ。・・・・・・効くかどうかは分からんがな」

「私、この艦隊でも腕はかなりのものでしてな。一丁お借りしますよ」

 

兵曹長が軽い口調で24式小銃を受け取り、あらかじめ装填されていた弾を薬室に押し込む。

 

「後、四丁だ。誰でもいい。撃ってくれ・・・・・・」

 

小銃を持つなど、いつ以来か。兵曹長と同じように薬室へ銃弾を押し込むと、カッターに乗っている将兵全員の顔を見渡す。達観している者、微笑んでいる者、泣きじゃくっている者、目の焦点が合っていない者。誰1人として同じ顔の者はいなかった。

 

「今まで、ありがとう。・・・・・・もしあの世で会えたなら、酒でも酌み交わそう。中西!!!」

「はい!!」

 

同時に24式小銃を構える。ル級は明らかに驚愕していた。

 

「ぶちかませぇぇぇぇ!!!」

 

あまりに小さな銃口から、あまりに非力な銃弾が音速を超えて飛んでいく。連続する炸裂音。それは回数を重ねるごとに増えていく。六丁の24式小銃が一斉にル級の目を狙う。

 

当然効いてはいなかったが、ル級はまるで人間のように目をつぶると顔を左右に振る。

 

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』

 

射手の雄たけびが重なる。

 

それを憐れと思ったのか、苛立たしく思ったのか。ル級はこちらを一瞥すると、主砲から砲弾を吐き出した。

 

「!?」

 

反射的にそっと腰に手を回す。腰とベルトの間に挟んだ正躬の形見。救助活動に専念するため、皺をつけてしまったが正躬ならきっと許してくれるだろう。

 

“正躬司令、申しわけありません。司令の形見、ご家族にお届けすることができませんでした”

 

 

“御手洗中将、申し訳、ありません。あなたの味方でいようとって誓ったのに・・・・。”

 

体中が命ごと燃やし尽くすような灼熱を感じる。

 

“瑞穂に・・・・・・勝利を!!!!”

 

 

 

 

大戸たちが瑞穂魂を発揮した2分後。因幡生存者を虐殺した戦艦ル級flagshipは加賀・瑞鶴航空隊の攻撃により、この世から消滅した。しかし、ル級を起点とした同心円状の海域は血で染まり、所々に浮かんでいたのは人体の一部だけだった。

 

後に野島崎沖海戦と呼ばれたこの戦いにおいて、第5艦隊は第10戦隊所属霧月を除く全艦艇を喪失。

爆沈により全乗組員が戦死した河波をはじめ、3237名中2544名が戦死。

 

第5艦隊の生存者は693名。戦艦ル級の残忍極まりない虐殺を受けた因幡乗組員の生存者は、821名中わずか12名だけだった。




みずづきたちが舞台袖の影に隠れてしまってすみません。しかし、艦娘たちが瑞穂と共に歩んでいる以上、通常部隊の動向も描写しなければ艦娘たちのみですべてが回っているかのようになってしまいますので・・・・・。

深海棲艦愛好家(?)の方にはお見苦しい点もあったかと思いますが、深海棲艦はあくまでも“人類の敵”ですからね(苦笑)。

追伸
設定集を少し加筆しました。


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56話 房総半島沖海戦 その5 ~終わらない~

今話は回想などが所々にあって、読みづらく思われる方もいらっしゃると思います・
「~~~~~」や「―――――」が転換の目印です。


曇り時々晴れ。

 

この世界に、日本とは異なる並行世界に来た時から脈々と続いてきた朝方はその表現がぴったりな空模様だった。しかし、今は地球の息吹を肯定的に捉えられない。天頂近くまで昇った太陽。それから発せられる日光がわずかに雲に遮られつつも、地上を照らす。季節はもう7月に入っているため、日光には夏の雰囲気が混じっていた。

 

「バイタル低下! 出血量増大! ダメです! 止血できません!」

「心肺停止! 心肺停止です!! 心臓マッサージを!!」

「川野! 川野! しかっりしろよ! なぁ! おいっ!! なんでそんなに白くなってんだよ!!」

「応急処置完了! 搬送急げ!」

「はっ?! ベッドがいっぱい! ふざけるな! 集中治療が必要な患者以外は全員、床でも廊下でも、平らな所に寝かせておけ! こっちにはまだ数え切れないほどの負傷者がいるんだぞ!」

「横須賀病院からの応援は?」

「もうまもなく到着です。しかし、いかんせん医師・看護師の絶対数がたりません!」

「近隣病院からは?」

「鎮守府を通して応援要請を行っていますが、まだかかると・・・」

 

久しぶりに頭上へ姿を見せた青空。台風8号による雨で大気中のチリやホコリが地上に落下したためか、空気はとても澄んでいる。

 

1つ深呼吸。

 

肺に入ってくる清涼な空気。体の外から、内から梅雨の憂鬱感を洗い流してくれる。誰もが、それに一時の解放感を味わう。

 

 

 

 

はずだった。

 

 

 

 

だが、そんな雰囲気はかけらもない。この状況でそんなことを感じる、思う人間がいたならば、そいつは人間ではない。

 

設置されたテントや近傍にある倉庫の合間を緊迫した表情で走り回る医師や看護師たち。ほとんどは純白のはずだった制服を、誰のものかも分からない血で真っ赤に、褐色に染めている。飛び交う怒号やうめき声。医師たちは必死だった。消えかかった命を1つでも多く救おうと。だが・・・。

 

「・・・・・・・12時36分、死亡確認」

 

また、だった。その「死亡確認」が常に周囲のテントから聞こえてくる。もう、なんど自分が言ったのか、もう何度自分が聞いたのか、誰も分からなくなっていた。

 

「次だ」

 

人間でなくなったものは、すぐさま処置台からどかされ、自分たちの手にかかる前に息絶えた者たちと合流する。そして、新たな負傷者が運ばれてくるのだ。

 

 

横須賀小海東岸壁。本来は船舶が停泊し、積荷の積み込みや荷降ろしを行い、長い旅路を終えた船たちが休息をとる場所。みずづきがこの世界に自らの力を見せつけた光昭10年度第一回横須賀鎮守府演習にて、海軍軍令部総長的場の訓示が行われた場所。しかし現在、ここは全く別の場所と化していた。

 

コンクリートの上に整然と並べられた無数の遺体。岸壁に停泊している霧月や警察、海上保安庁、そして海軍の要請を受けた船会社、地元漁協の船によって回収され、救助された後に力尽きた第5艦隊の将兵たちだ。彼らは死体袋に入れられることも、顔に布を被せられることもなく、ただそのまま置かれていた。五体満足で、寝ているのではないかと思えるほどきれいな遺体もあったが、大半はそうではない。顔面が吹き飛び、中身が丸見えの者。下半身がなく、内臓が・・・・腸が腹の断面から木の根のように広がっている者。体があらぬ方向へ曲がっている者。腕や手など一部しかない者。彼らから流れ出た血がコンクリートの上に広がり、日光の熱で蒸発し固まる。そして、海風に舞い上げられて、目に入るのだ。

 

目をこすりながら、みずづきはその光景を呆然と眺めていた。彼女だけではない。川内たちも、表情を凍らせて、視線を下げて、悔しそうに拳を握りしめ、眺めていた。

 

 

 

敵重空母機動部隊を殲滅したあと、みずづきたちは横須賀からの指示がなかったこともあり、因幡の電文を無視して、第5艦隊の救援に向かった。だが、その途中で第5遊撃部隊旗艦吹雪から連絡が入ったのだ。

 

“霧月を除いて、第5艦隊は全滅した”と。いつも明るく無邪気な吹雪からは想像もできないほどのひどく悲し気な声で。

 

その衝撃は、凄まじいものだった。敵部隊殲滅の歓喜を容易に、根底から、跡形もなく吹き飛ばしてしまうほど。そして、横須賀鎮守府からの連絡で正式に「第5艦隊救援」は取り消し。変わって、付近に新手の存在がいないか捜索するように命じられたため、さきほどまで浦賀水道沖の捜索を行っていた。

 

体が鉛と化してしまったのでないか思えるほどの重さと痛々しい沈黙を抱え、久しぶりに帰投した横須賀。まさか、こんな形で帰ることになるとは夢にも思っていなかった。2回にわたり敵の攻撃を受けたため、状況が気になっていたがそこまでの被害は見当たらなかった。だが、無傷とはいかず、損傷した建物もあり、艦娘用桟橋も被害を受けた施設の1つだった。そのため、艦娘が出現した黎明期に使っていた桟橋から、横須賀の地に足をつけたのだ。そして、旧桟橋はくしくも小海東岸壁の北側にあり、岸壁を通らなければ横須賀鎮守府の中心部へ行けない地勢になっていた。

 

 

耳のすぐ隣を何がが、羽音を響かせ高速で飛んでいく。しかも、1つではない。直接姿を認めずとも、その正体はすぐに看破することができる。

 

ハエだ。

 

特定の部位でなく、あくまで全体を見ているため分からない。だが損傷し、体の体組織がむき出しになっている箇所には、おそらくうごめているだろう。・・・・・・・・・黒い群団が。

 

これから遺体を食べ、繁殖の苗床にする予定だったであろうハエが1匹、右手に止まる。見た瞬間、迷うことなくつぶした。ぺったんこになり、内臓と体液を固い外殻からしみ出させているハエ。いまだ硬度をとどめている外殻はを人差し指ではじき、染みだした液体はちょうど足元に落ちていた生葉で拭きとる。

 

強く叩きすぎたのであろうか。真っ赤になった右手の甲をさすりながら、みずづきが一番初めに足を進める。遺体の間を通らなければ、中央区画に行けないのだ。川内たちは躊躇するものの、数秒遅れてみずづきの背中を追い始める。

 

自分たちの足元に横たわる第5艦隊将兵の遺体。血の臭いと、正体を想像したくない臭いが鼻を突く。目を開けたまま絶命している中年兵士の遺体を見た瞬間、体の中心が久しぶりにうずいた。

 

「う゛っ!!」

 

もどしそうになるがなんとかこらえる。

 

「だ、大丈夫? みずづき・・・」

 

遺体を運んでいる新兵たちのように胃の内容物をまき散らすことは回避できたが、嗚咽の様子は隠しきれなかったようだ。川内がこわばった声色で話しかけてくる。目に浮かんだ涙を拭きながら、出来る限り笑って答える。

 

「だ、大丈夫です・・・・すみません」

 

だが、笑えなかった。焦点が外れかけた瞳。青白い顔。震える体。決して「大丈夫」ではない様子は自覚していたが、いくら抑えようとしても効果は皆無。

 

「気を遣わなくていいんだよ。ほら。向こうの方が、その少ないし・・・・、ちょっと遠回りになるけど、歩きやすいよ」

 

川内の提案。だが、それに頷くことはできなかった。1秒でも早くこの場を離れたいという想いもあったが、それ以上にある感情があった。

 

「本当に大丈夫ですよ。川内さん。・・・・・・これぐらいの死体は何度も見てきましたから・・・・・平気です」

「え?」

 

川内たちの視線が一気に集中する。いつものみずづきなら「しまった」と発言の誤魔化しにかかっただろうが、本人には言い訳も、自分の発言を振り返る余裕もなかった。

 

「これぐらい・・・・これぐらい・・・・・・」

 

川内たちの反応を顧みることなく、言葉を続ける。みずづきには川内たちの顔が見えていなかった。

 

 

 

 

みずづきがこの死屍累々に耐える原動力にしていたもの。それはくしくもかつて故郷で散々味わった、地獄だった。

 

 

 

 

子供たちの無邪気な笑い声。親たちの優しげな微笑み。学生たちの思い出。数え切れない、想像すらできないほど尊いものが宿っていた公園。乱暴に大穴が掘られたそこには、もう尊いものは宿っていなかった。芝生を、砂場を踏み荒らして入っていく民間の、自衛隊のトラック。

 

「これぐらいで動揺するわけには・・・・・。見てきたんだもの。何度も、何度も・・・」

 

 

―――

 

 

「うっ。くっせぇ・・・・・なんだよ、この臭い・・・何かが腐ったような・・いってぇぇ!!」

 

自分と同じように長時間並んだ末、やっと手に入れた貴重な配給品が入る袋。それを持ち、隣を歩いている少し小さな少年。その頭を叩く。彼は大きな声を上げ、空いている方の手で頭をさする。そうなるのは当然だ。いつもする手加減を今はしていなのだから。

 

「あんた、少しは空気読みなさいよ!! 誰かに聞かれたらどうすんのよ! いい加減、少しはものを考えてから、口を開くようにしてよ・・・」

 

少年は反抗的な目つきで睨み返してくるが、どこ吹く風。しばらく無言で歩いていると、ようやく先ほど通りかかったトラックが、何を運んでいたか理解したようで視線を下に向ける。直接、物を見てから理解するとは遅すぎる。

 

だが、子供っぽい性格は世界がこうなる前から何も変わらないものだった。あの頃が思い出せなくなるほど周囲が変わっても・・・・。

 

そっと、彼の頭に手を乗せる。いつもそばにいてくれることへの感謝と、そしてこれから見るであろう地獄への鼓舞として。ろくに風呂も入れず汚れきった髪。髪が長い分、自分の方が汚いので気にしない。

 

「・・・・はぁ・・・・せーのっと!」

「立花? あといくつの残ってる?」

「まだまだですよ、先輩。数え切れません!」

「そうか・・・・・。急がねぇと、第6小隊の回収した分もくるからな」

「それに、早くこんな仕事とおさらばしたいしなっと!」

 

全身を泥まみれにしながら公園に掘られた穴に、それこそゴミを捨てるかのように放り出されて転がり落ちていくやせ細った遺体。既に捨てられていた遺体の上に落ち、何かが折れる音がするものの、薄汚れた迷彩服を着た男たちは気にも留めない。バケツリレーのようにして次々とトラックの荷台から遺体が運ばれて行き、穴に落とされる。全員マスクをつけているが、鉄帽との間からわずかに覗く顔を見ただけでも憔悴しきっているのが分かる。その反対側を歩いていく。少年が穴を見ないよう手で頭を固定しつつ、自分はその光景を見る。

 

自分と同年代の女の子が、両親と同じような背格好の男女が次々と無造作に落とされていく。

 

「なぁ、姉ちゃん?」

「なに?」

 

怯えたような声。中学3年生にしては情けないが、仕方ない。このような光景、これが初めてではないのだから。いや、まだましだろう。ウジ虫がわき、スコップでぶつ切りにして運ばないと処理できない腐乱死体に比べれば、腐っていないのだから。

 

「俺たちも、いつかああやって埋められるのかな。墓に入ることもできなくて、ゴミみたいに・・・・・」

 

公園と道路を分ける柵。近所の住民だろうか。柵の向こう側から複数の大人たちが汚れた顔でその作業を見ている。その瞳に宿る感情。なぜか、少年が吐露した心情と同じような気がした。同じだとしてもなんら不思議ではない。この国に住む全ての人間が、死の恐怖におびえているのだから。

 

自分自身も例外ではなかった。

 

「分かんない。・・・・・・でも、あきらめたら終わりよ」

 

ささやかな抵抗。当時はこれが精一杯だった。

 

 

―――

 

 

「あぁ・・あぁ・・・くそ、ちくしょう・・・・なんで、なんで・・・・・」

 

丸焦げになり、性別すら判別できない遺体。その前に跪き、嗚咽を漏らす1人の水兵。前方にその姿が見える。一瞬足を止めるが、無理やり動かす。

 

「こんな姿になっちまって・・・・。田舎のご両親、顔みられねぇじゃねぇかよ・・。さっきまで、さっきまで・・・・・・」

 

近づいていくみずづきたち。水兵が遺体に意識を集中してくれていたらどれほど良かったことか。だが、そのささやかな願いは叶えられなかった。当然の報いか・・・・・。

 

向けられる涙と煤で汚れた顔。みずづきたちを見た途端、悲しみに染まっていた表情に怒気が宿っていく。

(ああ・・・・)

どんなことを言われるのか、すぐに分かった。今まで幾度となく目にしてきた。耳にしてきた。

 

「なんでだよ・・・・・・」

 

呟かれた瞬間、足が止まる。第3水雷戦隊の誰も言葉を発しない。

 

「なんでだよ・・・・・」

「・・・・・・・・」

「なんで、なんで、お前たちがいたのに・・・・・。なんでなんだよ!!」

 

発せられる大声。初雪や白雪の肩が震える。

 

「お前ら、艦娘なんだろ? 瑞穂の、人類の希望なんだろ? なのに、なんでこんなことになってんだよ!!」

 

水兵は周囲を埋め尽くす遺体を示す。数え切れないほどの遺体。それぞれに夢があり、人生があり、家族がいた。ここで死ぬことを望んだ者は、許容できた者はいなかっただろう。

 

水兵が視線を戻す。しかし、震える瞳は艦娘という総体に対してではなく、みずづきという単体に向けられていた。

 

「なにが鬼神だよ・・・。なにが、最強だよ・・・・。誰も、守れてねぇじゃねぇか!!」

「・・・・・・・・・・っ」

 

“私が・・・私が自衛隊に入った理由は、みんなが普通に笑って普通に生きてほしいと思ったからです。家族や友人の死に悲しむことも、故郷が焼け野原になって嘆くことも、飢えや寒さに耐えることも、死の恐怖におびえることもない。そんな、ごく当たり前の平和で穏やかな生活を送れる一助になりたかったんです。別に昔のような贅沢三昧を望む気は毛頭ありません。ただ、私はこれ以上、家族にも友人にも誰にも苦しんでほしくない、悲しんでほしくない。誰にもあの頃・・・・平和だったあの頃みたいに笑顔でいてほしい。そのためには現状を引き起こしたやつらから、みんなを守らなくちゃいけない。だから、自衛隊に志願して、今も軍人としてここにいるんです”

 

唐突に、その声が聞こえた。

 

「わ、私は・・・・・・」

「どうして・・・・どうして・・・・・・う・・うぅ・・・」

 

みずづきにやりきれない想いをぶつけると再び泣き崩れる水兵。前方を遮る障害がなくなったため足を踏み出そうとするが動かない。一刻も早くここから離れたいのにも関わらず、だ。目の前に現れた川内が、こちらに振り返ることもなく手を掴むと引っ張ってくれる。そうされてようやく足が動き出した。

 

しかし、意識は完全に自身の内側へと収束していた。

 

「私は・・・・私は・・・・・・」

 

誰にも聞こえないうわごとを繰り返す。

 

“守れてねぇじゃねぇか!!”

 

その言葉が耳について離れない。

 

まだ、ここを抜け出すには時間がかかりそうだ。

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

一面黒に染まり切った空に浮かぶ月。少し欠けており満月とは到底言えないが、それでも昼間輝いていた太陽に代わり、闇夜に沈む地上を照らしていた。雲1つなく、台風一過の到来をようやく人々に告げていた。

 

しかし、誰も久しぶりの月に見向きもしない。当然だろう。夜空を見上げることができる外に人影がまばらで、大半の人間が家や防空壕の中に引きこもっているのだから。いつもなら仕事終わりのサラリーマンや買い物客などであふれる街は閑散とし、歩いている人影はほとんど軍人や警察官。その中をあちこちに居座った陸軍の高射機関砲陣地を片目に空気だけを乗せたバスやタクシーがむなしく走っていく。ほかに走っている自動車と言えば、軍や警察などの公的機関のものだけ。私有車や社用車は一切いない。

 

瑞穂最大の都市であるにも関わらず、街全体を包む静寂。一時的にそれを乱し、高架橋の上を電車が走り抜けていくが、そこに乗っているのも軍人や警察官。あとは妙に目つきの鋭い背広の男たち。一般人でないのは一目瞭然だ。

 

昨日、いや今日の朝方まで日常を紡ぎ続けていた首都東京。だが、現在その面影は何処にもない。2027年以来6年ぶりに行われた本土空襲。それは政府上層部から一般国民に至るまで計り知れない衝撃を瑞穂にもたらした。特に、攻撃目標となり、各所で迎撃戦・空中戦が展開された関東は恐怖のどん底へと突き落とされていた。艦娘たちの奮戦によって訪れていた束の間の平和。以前と変わらなくなった生活に、瑞穂国民は忘れかけていたのだ。

 

 

自分たちが今、人類の存亡をかけた戦争をしている、と。

そして、つい数年前まで頭上からいつ爆弾が降ってくるのか、得体のしれない化け物がどこから上陸してくるのか分からない恐怖に身震いしていたことを。

 

 

それを思い出し、しかもまだ攻撃を仕掛けてきた敵部隊が房総半島沖に遊弋していると知らされれば、もう日常など謳歌できない。恐怖は大戦初期に空襲と本土決戦の恐怖に怯えていた関東で特に顕著であった。結果、空襲警報が解除され、佐影総理や大本営長官がじきじきに記者会見を行い国民に冷静な対応を呼びかけたにも関わらず、一般市民が再攻撃に備え、家や防空壕に籠る事態を引き起こしていた。

 

だが、いつもは田舎のごとく人気が少ないのに、今日に限って新宿や渋谷あたりのように活気に包まれている場所が東京にあった。瑞穂の中心、皇居。その西側に位置する政治の中心、永田町から霞が関のかけての一帯だ。活気を演出しているのは陸軍関東方面隊第1師団第1高射群第12高射中隊の将兵たち。市ヶ谷と同じく大通りを占領し、対空陣地を構築。いつ再来襲があっても猛訓練の成果が発揮できるよう臨戦態勢が整えられている。

 

そんな彼らに守られている場所の1つ。総理官邸。瑞穂国の指導者である内閣総理大臣が執務を行う場所だ。海軍の重要施設より少し明度の低い茶褐色のレンガで立てられた、準西欧風の外観。横須賀鎮守府1号舎のようなきらびやかさはないが、達観した老人を思わせる落ち着き払った雰囲気を醸し出している。ここと、寝起きなど首相の私生活の場である総理公邸は隣り合わせで、何かあれば地下に設置された廊下を使い、わざわざ外に出なくともすぐさま執務に移れる構造になっている。その逆もまたしかりだ。

 

その中の一室。ここでは現在、瑞穂の行く末を決める最重要会議が行われていた。国家安全保障法に基づき、平時の外交・安全保障方針の決定や有事の際、対処方法の審議などを行う国家安全保障会議。その一形態であり、突如発生した非常事態への対処を審議する「非常事態大臣会合」が当会議の名称だ。議題は当然、今日から断続的に続いた深海棲艦との戦闘についてである。既に別の形態である4大臣会合や9大臣会合も行われ、非常事態大臣会合はこれで2回目だ。

 

「こ、これは、事実なのか・・・・・・」

 

人の身長ほどもある窓のカーテンは閉め切られ、天然の光源に一切頼ることなく、天井に吊るされたシャンデリアのみで照らされた室内。それが淡い橙色のせいかどうにも薄暗く感じる。部屋の中央に置かれたいかにも高級そうな長方形の机を、これまた高級そうな椅子に腰かけた10人の男女が囲んでいる。その中の1人、先日趣味のツーリングを楽しんでいる最中に転倒し、負傷。頭に包帯を巻いている内閣総理大臣、佐影禎明(さかげ さだあき)が海軍軍令部総長的場康弘大将から配布された資料を震える手で握りながら、問いかける。その声も、手と同じように震えていた。他の出席者たちも声には出さないが佐影と同じような心境であることは容易に察せられる。

 

「はい。事実です」

「なんということだ・・・」

 

的場の隣に座っている国防大臣小野寺七兵衛(おのでら しちべい)が、両手で顔を覆う。それに構うことなく、総理首席補佐官の大前研一(おおまえ けんいち)が険しい表情で説明を始めた。

 

「瀕死の重傷を負いつつも、任務を全うした伊168、そして夕刻に通信が回復した硫黄島基地からの情報は見事に一致しています。敵輸送部隊が、瑞穂本土に向かっていることは確実です」

 

静まり返る室内。今まで幾度となく荒波に揉まれてきた出席者たちも、こればかりは言葉を失うしかなかった。

 

事の発端は、房総半島沖での各海戦が終わった16時ごろまでさかのぼる。朝方の空爆の衝撃が覚め止まぬ中、全ての通信を押しのけ届けられた横須賀沖での戦闘結果と第5艦隊壊滅の報。それによって軍令部及び政府は大戦初期以来の大混乱となっていた。みずづきたちが無傷で重空母機動部隊を殲滅したことなど、ほとんどの人間の頭の中から吹っ飛んでいた。だが、その喧騒はたった1つの報告で凍り付き、静寂にとって代わられることになった。

 

5日ほど前から消息不明となっていた呉鎮守府潜水集団所属の潜水艦娘伊168が、突然和歌山県由良基地に姿を現したのだ。彼女は瀕死の重傷でいつ沈没してもおかしくない状態だった。血相を変えて即座に病院へ搬送しようとする将兵たちを自ら止め、彼女は言ったのだ。

 

 

 

“敵の大規模な輸送部隊が、まっすぐ本土に向かっている”と。

 

 

 

当初はあまりの突飛さに真偽を決めかねていたのだが、夕刻に通信が回復した硫黄島基地からもたらされた情報が、伊168の報告の信憑性を確実なものにした。硫黄島基地は敵航空部隊の攻撃を受け、滑走路が破壊されたものの戦闘機が格納されていた格納庫は健在で、現在修復を急ピッチで行っているとのことだった。しかし、敵が再攻撃を仕掛けてくる可能性も十分考えられたため水上偵察機を飛ばし、周囲の哨戒を行うなかで、彼らは見つけたのだ。

 

「奴らは、はなからこれが狙いだったのか・・・・・」

 

疲れ切った声で副総理兼大蔵大臣米重薫(よねしげ かおる)が独り言のように呟く。

 

「そう考えるのが妥当でしょうな」

「敵の攻撃は面白いほどに一貫性を保っています。まずは、第1次攻撃で関東上空の制空権を奪い、第二次攻撃で・・・これは結局艦娘部隊の奮戦と第101、102、404飛行隊の多大な犠牲で失敗に終わりましたが・・・・関東各地の重要施設をつぶし、名実ともに我が国のあらゆる指揮命令系統を分断」

「こんな真似をされれば、第5艦隊も動かざるを得ない。そして、あらかじめつぶしておいた伊豆諸島をかすめて、真打ちを投入。第3水雷戦隊と第5艦隊を葬る。そうなれば関東は空も海も丸裸同然です」

 

憔悴しきった笑みを浮かべる小野寺に、大本営長官鳥喰政憲(とりばみ まさのり)と陸軍参謀総長石橋英機(いしばし ひでき)が続く。深海棲艦の作戦立案能力。自らの経験と諸外国の情報から警戒はしていたのだが、今回は大きくこちらの予想を上回るものだった。

 

「そんな悠長な考察に浸っている場合か! 硫黄島で夕方に捉えられたということは、もうすぐそこまでやつらが迫ってきているということだろう! にもかかわらず・・・・」

「林、落ち着け。場をわきまえろ」

 

気勢を荒げる警察庁と海上保安庁を所管する保安大臣林豪将(はやし ごうすけ)に対して、官房長官で佐影の右腕と語られる神津四朗(こうづ しろう)が腕組みをしたまま、鋭い視線を向ける。新人議員なら失禁しそうな迫力があったが、相手は保安大臣。しかも、林は元警察庁職員で闇と肩を並べてきた猛者。神津の睨みなど意に介さない。

 

「官房長官・・・・。くっ。官房長官はなんともお思いにならないのですか?」

「なんの話だ?」

「もとはと言えば、今回の件は明らかに海軍の失態です。いくら勝ち続けていたとはいえ、台風が接近していたとはいえ、哨戒を疎かにするべきではなかった! 的場総長たちの慢心の()()()で瑞穂は取り返しのつかない犠牲を支払うこととなった」

「まぁ、まぁ、林さん落ち着いて。確かに海軍に責任の一端はある。しかし・・・・」

 

額に汗を浮かべながら、ぎこちない笑みで林を宥める佐影。しかし、この会議に・・いや、この国のトップとして議論をあるべき方向に導き、結論を下さなければならない男の気遣いを林は呑気と受け取った。

 

「総理・・・・。もう少し、危機感を持ってください!! これは軍事的見地からの影響だけでは収まりません。この国に、取り返しのつかない地殻変動をもたらすには十分すぎる! 我が内閣の存亡すら左右しかねません! それを軍人風情が・・・・」

 

唾を周囲に飛ばしながら、的場たち瑞穂軍勢を相変わらず睨みつける林。軍人嫌いなのはかなり有名な話だが、ここまで来ると感心してしまう。

 

「お前はさっきなんと言っていた?」

 

それを見かねた神津が口を開く。佐影を非難対象に対象に定めていた林は、よほど横やりを想像していなかったのか目を点にする。

 

「は?」

「今は非常時だ。この中で一番有事慣れしているお前が責任の押しつけをしてどうする。そんな()()()()()()()()()()時間はない。・・・・お前の言葉だぞ? 保安大臣の肩書が泣いているな」

「くっ・・・・」

 

林は拳を震わせながら、しぶしぶ口を閉ざした。彼の様子を確認し、神津は声をあげた。

 

「的場」

「は!」

「敵の現在位置及び真意は分かった。して、海軍は現有戦力で食い止められるのか?」

 

全員の視線が的場に向く。それを受けとめ珍しく額から的場は汗を流す。彼の口から出てきた言葉は、室内にさらなる危機感を抱かせるには十分すぎるものだった。

 

「はっきり申し上げて、かなり厳しいと言わざるを得ません」

「そうか・・・・・・・」

「ちょっと、待ってください!」

 

憲政史上初の女性自治大臣、山本良子(やまもと よしこ)が血相を変える。もうおばあちゃんと言われる年頃になっても健康不安説は皆無で、男性が大半の政界でも持ち前の元気さで着々と頭角を現している逸材だ。

 

「的場総長は厳しいと仰いましたが、それはどうしてですか? 失礼を承知で申し上げますが、こちらの損害は第5艦隊の壊滅や艦娘に複数の中大破艦が生じたとはいえ海軍が現在保有している全戦力に比べれば微々たるもののはず」

「そうだ! 君たちには呉も、横須賀も、佐世保も、大湊も、大宮も、無理を言ってかっさらった予算で造った新造艦隊もあるではないか!」

 

山本の言に、林が乗っかる。懲りていないことに神津の感情が刺々しくなるが、当の本人は気に留めていないようだ。

 

「山本大臣や林大臣のおっしゃることはごもっともです。ですが、現在全国に配置されている部隊を動かすことは不可能なのです」

「どういうことですか?」

「現在第1・第2統合艦隊は瑞穂海上で試験航海の真っ最中。第3・第4統合艦隊も進水こそは完了していますが、まだ試験航海にすら移れておらず、戦力としての勘定は不可能です。おのずと頼れるのは現有戦力のみということになりますが現在、大宮、幌筵各警備府の近海に深海棲艦が出現。艦娘を差し向ければ殲滅可能な小規模部隊ですが、明らかにこちらの戦力移動をけん制する動きを見せています」

「っ!?」

「また呉鎮守府は西太平洋にて多数の敵潜水艦が遊弋している兆候があると報告してきています。これを受け呉は瀬戸内海への侵入を防ぐため豊後水道並びに紀伊水道に防衛線を構築。太平洋上への出撃を控えています。タイミングを考察するに大宮、幌筵と連動した動きであると見られます」

「な、なんと・・・・・・・」

 

敵の連携した行動。いくら自治大臣である山本であろうとそこから的場達と同様の結論を導くのにそう時間はかからなかった。

 

「小笠原・伊豆諸島の陸軍基地といまだに連絡が取れない以上、第2次列島線はないも同然です。仮に被弾覚悟で呉の部隊を関東防衛に回した場合、西瑞穂の防衛はがら空きとなり、瀬戸内海が食い荒らされてしまいます。舞鶴を回すにしても、関門海峡ルート、津軽海峡ルートのどちらも結局太平洋へ出てしまいますし、佐世保は漢城条約に拘束され、自由に動かせません。仮に佐世保の部隊を関東救援に派遣した場合、東シナ海の第一義的防衛義務を定めた漢城条約第5条に抵触する恐れがあります」

「今は瑞穂の存亡がかかった非常時だ。国が滅んでは条約などただの紙切れ。大体、漢城条約の“義務”は真の義務ではなく、法的拘束力はない。軍事主権は常に我々が握っている。そうだろう?」

 

怒気を単語の端々から漏洩させる林。彼のいうことは尤もだった。瑞穂・栄中・和寧の東アジア3か国で2031年に締結された「漢城条約」。この条約では未知の敵「深海棲艦」に対し3か国が緊密な連携の下、共同して対処することが謳われていた。しかし、いくら未曾有の事態とはいえ、直接的に国家主権を侵害するような規定は存在していない。

 

「そうですがね。それはあくまで表向きはです。裏は違う」

 

ずれたメガネを人差し指で直しつつ、白髪の侵攻によって髪が灰色と化した外務大臣森本五典(もりもと いつのり)が苦悩に満ちた表情で語りだす。

 

「確かに、第5条には法的拘束力もありません。その他の条項にもわが国の主権を侵害する旨は記されていません。しかし、当条約は行動対行動の原則の下、信頼関係で成り立っています。もし、我々が漢城条約を軽視する姿勢を鮮明にした場合、深海棲艦侵攻時に瑞穂救援を規定した第12条を栄中と和寧は我々の姿勢を根拠に履行を渋る可能性があります」

「彼らの機嫌を決定的に損ねれば、問題は国防だけに収まらない。相互依存が進んでいるとはいえ経済にも壊滅的な影響が及ぶ」

 

元陸軍軍人で、退役してからかなりの時間が経過しているにも関わらずたくましい肉体を維持している通産大臣細川五郎(ほそかわ ごろう)は険しい表情で腕組みを続ける。

 

「第5条の規定は栄中の巨大な経済力の恩恵にあやかっている瑞穂には利するものだ。栄中が深海棲艦との直接的戦闘に突入すれば、世界と隔絶されたにも関わらずなんとか近隣諸国同士の重層的な交易を確立し、大戦勃発前の経済水準に戻りつつあった瑞穂経済は本当に終わる。民間の資源が全て戦闘に投入されるからだ。その現実があるからこそ、努力目標とすることを目指していた第5条が義務にされたんだ。やつらは本気で我々に東シナ海の防衛を託している。あの満州族が頭を下げたことからもその並々ならぬ覚悟は分かる。それを裏切れば、どのような報復行為に出るか分からん。海軍はよく東アジア情勢を考察している」

「ありがとうございます」

 

暗に「自分の立場を自覚しろ」と細川は林を叱責する。林は「そのような屈辱を許容するとは、瑞穂政府の一員として失格だ」と顔に刻み込み、細川を射貫く。この2人のいがみ合いも出身から今に始まったことではないが、今日は特に刺々しい。

 

「大湊は東北沖での哨戒に投入されています。哨戒戦力を幾分か割けば輸送部隊迎撃に参加させることも可能ですが、もともと大湊には第5機動艦隊、第2水上打撃艦隊、第1水雷戦隊しか配備されておりません。敵の周到な作戦を考えれば、関東そのものが囮で本命は別ということも十分に考えられます。この情勢下での戦力分散はリスクが高すぎます。動かした後に敵が現れたらそれこそ取り返しがつきません。大宮や幌筵の状況からこれは一部隊ではなく、太平洋に点在している泊地単位の部隊が各自に連携しているとみて、ほぼ間違いありません」

 

 

的場の言に合わせ、壁に張られた東アジア・東南アジアから西太平洋全体を収める地図を大前が指で示していく。それを食い入るように見る各大臣。現状を、軍事に鈍い者でも視覚的に把握していく。ますます顔が青くなるものが数名。

 

「ですが、厳しいことは厳しくとも、あくまで()()()です。もうお手上げというわけではありません。現在、軍令部では横須賀鎮守府と共同で迎撃作戦を立案中です」

 

各大臣から放たれる異次元の存在感を押しのけ、的場が決意を込めた口調で言う。的場の姿勢に対する反応は千差万別だったが、この中で最も過激な直感に至った林が皮肉と怒りを織り交ぜた。

 

「迎撃作戦? 危機感を煽ったにしてはまた随分なものを懐に抱えて・・・・。今、房総半島沖には敵の艦隊が堂々と居座っている。目先の敵を見逃し、わざわざ装甲が弱く、数もいる輸送部隊を名誉のためだけにやろうというのか?」

「いえ、決っしてそのようなことでは・・・」

「人の話は最後まで聞け」

 

的場の弁明を遮り、神津が神仏さえ連想してしまいそうな荘厳かつ圧巻な一言を放った。あまりの迫力に林はおろか的場たち海軍に不信感を募らせている幾人かの大臣が睫毛を伏せる。

 

「敵の残存部隊だな?」

「その通りです」

 

周囲に様子を確認した上での発言。的場は力強く立ち上がり、大前がさきほどまでいた地図の隣に移動する。

 

「敵は周到な計画で攻撃を仕掛けてきましたが、陣容を見るにとても撃沈覚悟で侵攻してきたとは思えません。深海棲艦は既に戦力の過半を失っています。これは敵にとって想定外のことでしょう。空母が4隻残っていますが、艦載機は昼間の戦闘でかなり消耗していると思われ、こちらが手を出さない状態での制空権確保がやっとの状態と推測されます。ですが、そうとはいえ横須賀航空隊各隊が壊滅した以上、制空の主導権が向こうの手にあることは否定のしようがありません。輸送部隊の護衛に軽空母が複数確認されていますが、あくまで彼らの役割は艦隊の防空。上陸作戦支援のための制空権確保は日本世界のアメリカ軍同様正規空母が担っていると思われます。我々はその点に着目し、深海棲艦の本土侵攻意思を撤下するため艦娘戦力で空母部隊撃滅を図ります」

「敵空母部隊の位置はつかめているのか? それに第5艦隊挟撃を目指した重巡艦隊は無傷だと聞いている。彼らの動向は?」

「最新の情報では、どうやら両艦隊は合流し連合艦隊を組んだ模様です」

 

漏れる複数のため息。いくら軍事に疎くても敵戦力が増えれば、撃滅が困難になることは分かる。

 

「そして、敵の位置は、ここです」

 

神津を見ながら的場は房総半島九十九里浜沖、100km地点を示す。

 

「偵察機を発艦させ、哨戒を行っているようですが目立った動きは確認されておりません」

「なるほど。敵輸送部隊の方はどうだ? いつ頃本土の近海へ?」

「現在の速力を維持しますと、明日の今頃には連合艦隊と合流します」

「あと、1日か・・・・・」

「と、いうことは、敵の上陸地点は・・・・?」

 

佐影の確信ある疑問。

 

「九十九里浜とみて間違いありません」

「大本営と参謀部も同様の見解ですか?」

 

佐影の言葉に、鳥喰と石橋が大きく頷く。

 

「敵は昼間の損害を考慮しても、上陸は可能と考えているのでしょう」

「敵ながら、よくこちらを分析していると言わざるを得ません。敵の規模から判断するに関東方面隊第1、第2、第3師団の3倍の戦力を有していると考えられます。仮に上陸された場合、全国の部隊を総動員しても排除はかなり厳しいものとなります」

「攻撃3倍の法則、ですか」

 

山本が呟く。攻撃3倍の法則とは、戦闘において特に他国や他国軍の展開地域など他国の軍隊がいる区域に侵攻して勝利するためには、他国軍の3倍の兵力が必要と言う理論である。もっと平たく言えば、隣国を侵略したかったら、隣国の3倍の軍隊を整えなければ勝てないということである。

 

「だが、万が一上陸したとして、やつらの狙いはなんだ? どうにも俺には奴らの真意が分からん。そのまま進んで東京を灰燼に帰すつもりか?」

「米重大臣のおっしゃることはもっともです。常道でいけば、最前線拠点である大宮を叩くはず。しかし、現在、大宮に主戦力が移動したため、本土はがら空きとは言わないまでも、以前より防御力が落ちていることは事実です。そして、大宮への補給は横浜港と大阪港が主体となって行われています。特に横浜港を出発する船舶は第2次列島線沿いに大宮島まで航行します。大阪の船舶も第2次列島線がミッドウェー、布哇方面からの敵侵入を防いでいるからこそ、安心して航行できるのです」

「急がば回れ、だな。まさしく。奴らは利根川を境として本土から房総半島を切り離し不沈空母、前線基地とし、瑞穂攻略の橋頭保を築く。そうなれば房総半島を拠点とした敵地上航空戦力の攻勢下に入る第2次列島線は手放すしかなく、補給路は経たれ大宮は干上がる。そして、満を持して大宮の奪還へ、と」

 

目の前の消しゴムを置き、神津は将棋で言う大手のようなしぐさを示す。

 

「完全に、攻勢が裏目に出たかたちですね・・・」

「ミッドウェー方面からの敵軍侵攻の可能性を予見できなかったのは、完全に我々の落ち度です。最近は少々上手く行きすぎていました。我々の間に根拠なき慢心が広がっていたことは否定のしようがありません」

 

視線を下に向ける的場。そして、大前。自分の言葉のせいだと気づいた佐影は慌てて顔をあげるように促す。

 

「慢心していたのは、我々政治家も同じです」

 

しかし、内閣総理大臣の気遣いを受けても軍人たちの顔は晴れない。だが、それほどまでにここの軍人たちが責任を感じている理由を佐影や神津、そして小野寺など軍事に明るい瑞穂の最高指導者たちは理解していた。瑞穂は潜水艦娘たちを投入した深部偵察、そして相互連絡可能な環太平洋諸国と連携によって既に、太平洋上に存在する敵泊地の大まかな位置を特定していた。その一カ所に布哇諸島の東方海域に存在する布哇王国領ミッドウェー諸島も該当する。駆逐隊や警戒監視部隊が常駐する小規模な泊地ながらもたびたび布哇諸島を本拠地とする機動部隊が進出していることから、ここが布哇諸島の防衛拠点であり同時に西太平洋への睨みを利かせる哨戒ラインであることは容易に察せられていた。そして、ここが的場たちに多大な責任を感じさせている所以だろうが、今回侵攻してきた部隊のおそらく中枢である空母ヲ級改フラッグシップ旗下の重空母機動部隊が多温諸島を奪還して以降にミッドウェー泊地に進出していることを軍は把握していたのだ。だが、このようなことは希有とはいえ、前例がないわけではなかったため、大本営でも、軍令部でも注目されることはなかった。

 

 

 

 

本土に爆弾が降り注ぐまでは・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

「海軍だけの責任ではありませんよ。それより今は・・・・」

 

軍人たちの顔を一瞥する佐影。そこにはこの国のトップらしい威厳が宿っている。

 

「単刀直入に聞きます。敵連合艦隊を撃滅した場合、上陸部隊は引きますか?」

「引きます。と断言したいのですが、確証は持てません。支援部隊の存在なしには上陸作戦が成功しないのは自明の理です。ですから、それらが撃破されれば通常は引きます。諸外国の情報を照会すると、多くの場合、深海棲艦も撤退しています。そのため、ほぼ引くと推測していますが、相手は人智を越えた化け物です。これ以上の慢心は避けなければなりません。既に敵か強行突破してきた際の作戦も」

「なるほど、だから、これが準備されていたんだな」

 

国防勢を見渡したあと、米重は手元に置かれている分厚い資料を手に取る。

 

「作戦1208号」

「通称、背水作戦」

 

黒く太い字。その上には「特管秘」と赤い判子が乱暴に押されている。米重と小野寺がそれを読み上げた瞬間、室内が久しぶりの静寂に包まれる。これが意味するもの。それは個々人が背負うにはあまりにも重すぎるものだった。

 

そこへ慌てた様子の足音が急速に近づいてくる。止んだと思った瞬間、響くノック。

 

「いいぞ」

「し、失礼します!」

 

息を切らせながら入ってくる若い男。ネクタイは曲がり、着ているスーツの第一ボタンは外れ、身なりがかなり乱れているが、彼の正体を知らない者はいないため、「礼儀がない」と怒る者はいない。彼は佐影の秘書で、今朝から佐影と同等に、もしかすると佐影以上にあちこちを走り回っているのだ。身なりを気にする余裕もないほどに。

 

「首相、記者会見の準備が出来ました!! ご指示通り、21時から開始できます。既に報道各社には通達を」

「分かった」

 

現在の時刻は20時半を少し回ったところ。後30分ほどで、佐影は憲政史上、いや約2000年前に瑞穂が建国されて初めての事態を国民に伝えねばならない。

 

「まさか、私がこのようなことを言う事になるとは、政治家になった時は全く想像していませんでしたよ。あはは・・・」

「総理・・・」

「みなさん」

 

儚げな笑みから一転、総理大臣の顔に戻る佐影。一同は背筋を伸ばし、身を固くする。

 

「これから1日で瑞穂の運命が決まります。瑞穂国民8200万人の命と未来、そして永久の時を経て築き上げられ唯一無二の歴史、文化、伝統が、我々の肩にかかっています。それを今一度思い出して下さい」

『はい』

「この場を持って正式に大本営作戦1208号、背水作戦を承認します」

 

息を飲む音。一気に緊迫度が増す。作られただけで発令されず済めばどれほど良かったことか。夢であればどれほど嬉しいことか。しかし、これは夢ではなく現実。紛れもない現実なのだ。

 

「以上、非常事態大臣会合を閉会します」

 

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「隊長?」

「ん? どうしたのおきなみ? そんな怖い顔して・・・・」

 

海防軍須崎基地第1庁舎1階の少し薄暗い廊下。天井に設置されているLED照明はサボタージュを起こすことなく、空間全体を、自分たちを照らしている。右側にあるガラス窓から覗く空は一面雲に覆われ、灰色一色だ。どうやらこれが薄暗くなっている原因らしい。

 

彼女の暗く、黒い表情も曇天の影響なのだろうか。いつもの頭にくるほどの陽気さが全く感じられない。

 

自然に後ろへ引き下がろうとする体。そうする理由が自分自身の行動にも関わらず分からない。本当に、分からない。そんなこちらの戸惑いに構うことなく、彼女は口を開く。だが、何故だろう。何故、この期に及んでも温かみを一切感じないのだろうか。

 

 

 

 

「なんで、私たちを守ってくれなかったんですか?」

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

恐ろしいほどまでに感情がない言葉。あまりの冷たさに体が凍てつく。自身の記憶の中にいる彼女とのギャップが、まるでナイフのような鋭利さを持って心を引き裂いた。おきなみの表情を覗おうとするが俯いているため、分からない。

 

なんで、守ってくれなかったのか?

 

こんな言葉を聞いてしまえば思い出さざるを得まい。この世界にくる直前の出来事を・・・・・。

 

「あ・・・・・あぁ・・・・・・・・」

 

瞼に瞬くあの日の光景。多くの隊員を、大切な人たちを乗せ無残にも沈んでゆく灰色の船。それが、何度も何度も再生される。

(もう見たくない!! 見たくないよ!)

いくら頑なに拒絶しようと何度も、何度も、何度も。

 

「隊長・・・・・」

「!? はやなみ・・・・?」

 

突如、後ろからおきなみとは別の声が聞こえた。あまりの唐突さに驚きつつおきなみを探すが、目の前に彼女の姿は見当たらない。

 

 

おきなみはもういなくなっていた。

 

 

急いで後ろへ振り返る。そこには、推測通りはやなみがいた。いつも通りの無表情をたたえて。おきなみの言葉で凍てついていた心が徐々に融解していく。顔が見えるということの重要性を改めて認識させられてしまう。思わず安堵のため息をついてしまった。

 

「ふう・・・・。なによもう。どうしたの、はやなみ? 私のよ・・・・」

 

ピチャ・・・・。

 

「え?」

 

粘り気のある不快な音が鼓膜を揺さぶる。聞こえた瞬間、心の融解は即座に停止。それどころか、溶けた分を上回るペースで氷結面積を拡大させる。体が震えてくる。寒くないのに、冬じゃないはずなのに震えてくる。

 

下に向けられる視線。この音には聞き覚えがあった。鼻につく独特の臭い。水ならば当然、このような臭いは発しない。

 

「!?」

 

音の正体。それは血だまりだった。つい先ほどまで存在すらしていなかった血だまりを自身の右足が踏んでいる。血の海に移り込むLED照明。白い蛍光灯型にもかからわず、それは赤く見える。震えを必死に抑え、おそるおそる視線を足の先に向けていく。ゆっくり、ゆっくりと・・・・・・。自身の身長ほどの半径を持っている血だまりの中心にいたのは、はやなみだった。

 

全身を血塗れに、あちこちが“損傷”しているはなやみ。指先から、破れたスカートの裾からぽたり、ぽたりと体内から体外へ生命維持に不可欠な体液を供給していく。さきほどまで普通の姿だったのだ。なのに、なぜ。

 

「は、はやなみ・・・・?」

 

声が震える。

 

「隊長。・・・・・・痛いよ・・・・・」

 

悲しみと苦しみを融合した声が・・・・・聞こえてくる。

 

「は、はやな・・・」

「体も、心も・・・・・・・。私、ずっと、居たかった・・・・・・・ここに。ずっと・・・ずっと・・・」

「う゛・・・」

 

胸に激痛が走る。頭に激痛が走る。はやなみの悲しそうな瞳に自身が映っている。恐怖と絶望と懺悔に染まり切った憐れな姿が、ただただ映っている。

 

「みずづき隊長~~~~~~!!」

 

耳に届く声。おきなみともはやなみとも違う、優しさを感じさせる穏やかな声。

 

「え? か、かげろう・・・・・・・。って、はやなみ・・・・はやなみ?」

 

目の前には、誰もいない。ほんの一瞬、意識を前方から逸らした間に足元の血だまりも消えていた。おきなみに続き2人目。また周囲を捜索するが見当たらない。

 

 

 

はやなみもいなくなっていた。

 

 

 

「みずづき隊長~~~~~~~!!」

 

こっちに向けと言わんばかりに叫ぶ声。額に浮かんだ雨粒のような汗をぬぐいながら、聞こえる方向へ顔を向ける。窓の外。第1庁舎正面を100mほど行った道路上にかげろうが立っている。

 

眩しい笑顔を浮かべながら、手を振って。

 

窓を開け、声をかけようとする。だが・・・・・・・・・。

 

「え? ち、ちょっと、かげろう!?」

 

突然、走り出すかげろう。こちらに背中を向け、海へ向かって走っていく。

 

「なんなの、もう!」

 

何故か追いかけなくてはならないような気がしたため、全速力で玄関を目指し廊下を走る。静まり返った廊下に、玄関に、自身の足音のみが木霊する。

 

人の気配は、ない。

 

「はぁ・・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・・あれ?」

 

必死に肺へ酸素を補給しながら、周囲を見回す。木々に、海に、岸壁。そこには追っていた人影はなかった。

 

「おかしいな・・・・この辺りに来たはずなんだけど・・・・」

 

 

かげろうもまた・・・・・・。

 

 

岸壁に向かって、足を進める。どこでも同じようでありながら、少しずつ違う潮の香りが鼻腔をくすぐる。鹿児島港から那覇港へ向かう船団護衛任務のため須崎を離れて以来、嗅ぎ慣れた香りを嗅ぐことはなかった。もう少しのところで第53防衛隊は・・・・・。

 

「ここって・・・・・」

 

自身の信念をあの人に伝えた場所。なんの偶然か、みずづきはかげろうを追っているうちにそこへ差し掛かっていた。

 

「え・・・・・」

 

そして、足が止まる。前方の岸壁でかげろうとは違う人影が、海を眺めていた。それを認めた瞬間、勝手に足が動き出す。歩きから早歩き、そして疾走へ。体が、足が激しく動いていく。だが、心もそれをいさめない。何故なら、会いたいからに決まっている。

 

「知山司令~~~!!」

 

だが、彼は聞こえていないのか、自身の存在に気付かない。

 

徐々に詰まる彼我の距離。

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。ち、知山司令?」

 

彼のすぐ隣まで来た。息を整え、彼を直視する。彼は海を見たまま、微動だにしない。

 

「あの・・・・」

 

言葉を遮るようにして、なんの前振りもなくいきなり視線がこちらに向く。

 

 

 

まるで、罪人を見るような視線で・・・・・・・・・・・。

 

 

 

もはや、言葉も出なかった。全身のあらゆる活動が停止する。そんな錯覚さえ覚えてしまう。まるで生身で極地に放り出されたかのような寒さ。震えることもできず、肌がちくちくと痛み出す。

 

そんな顔、見たくない。

 

視線を外そうとするが、どうしても顔が動かないため外すことができない。その視線が、自身を葬ろうとした会議室に座っていた老害たちと重なる。

 

そんな目を、向けないで。あなたに向けられたら、私は・・・・・。

 

彼がゆっくりと口を開き始める。恐ろしいほどゆっくりだ。まるでスローモーションのように。

 

いや・・・・・・・。

 

徐々に大きくなる。その口から何が放たれるのか、想像がついてしまった。その瞬間、全力で体の凍結を溶かそうとする。動こうとする。走ろうとする。彼の声が聞こえないところまで。塞ごうとする。自身の足元を根底から崩す言葉を聞かないために。

 

 

“俺は絶対先に逝ったりしないし、裏切ったりもしない。こう見えてもしぶとい。精神は外見通りなんでとても部下をおとしめるような図太さは、ない!”

 

 

あの時の光景を必死に再生する。現実逃避をするかのように。これから投げられる言葉は、それとは正反対の言葉。聞いてしまったら、もう生きていけない。前を見られない。

 

彼がいたからこそ、みずづきは・・・・・・・・・・。

 

「・・・・・・・・・」

 

唐突に声が聞こえる。あまりに遠く過ぎて何を言ってるのか分からない。何故か、ゆすられる体。それは徐々に大きくなっていき、声も段々と近くなってくる。

 

 

 

 

そして・・・・・・・。眼前の世界は消滅した

 

 

 

―――――――

 

 

 

「みずづき!!!」

「んはっ!? ・・・はぁ、はぁ・・・・ここは?」

 

朦朧とする頭と酸素を必死に要求する肺を抱え、みずづきは自身に声をかけた張本人を覗く。自分を見下ろすようにして、川内が体をゆすっていた。

 

「みずづき、大丈夫? なんかうなされてるみたいだったけど・・・・」

 

心配そうな表情の川内。いつもなら安心させるため言葉を重ねるのだが、今はそれに構っている余裕がなかった。川内から、前方へ視線を移す。目の前を忙しなく走り回る医者・看護師・将兵たち。その向こう側には治療を受けている大勢の将兵たちが寝かされ、所々からうめき声が聞こえる。いまいち状況が分からない。必死に記憶を振り返ろうとするが頭痛に邪魔され、よく思い出せない。

 

「えっと・・・・ここは・・・・」

「ここは体育館。覚えてないの?・・・・・まぁ、無理もないか。百石司令からここで待機するように言われたんだよ。その最中、あんたが船をこぎ出して。起こすのもかわいそうだったから・・・・」

 

そこで、記憶の霞が少しとれる。川内の言うとおり、一旦1号舎へ戻った第3水雷戦隊は負傷者救護の支援に回されてたのだ。しかし、戻った頃には治療と収容のピークが過ぎており、結局待機することになったのである。静かに体育館でじっとしているうちにみずづきは体育館で寝てしまったわけだ。

 

「あ~そうだった、そうだった・・・・すみません川内さん・・・って」

 

寝相が悪かったのか、痛む体にむちを打ち起き上がろうとすると、一枚の毛布が床に落ちる。

 

「これって・・・まさか、川内さんが?」

「厳密にいえば白雪だけど・・・まあそんなところ。もう7月とはいえさすがに毛布の1枚や2枚ないとね、風邪ひくし」

「あ、ありがとうございます!」

「いいよ、いいよ。それより、みずづき? すぐに体育館の外に・・・」

「川内さん!」

 

一転して深刻な表情になった川内の言葉を遮り、黒潮が体育館の玄関からこちらへ走ってくる。彼女も川内と同様の表情で、いつもの笑顔は消え去っていた。

 

「もうすぐ、放送が始まるで! はよせんと!」

 

時計を指差す。今の時刻は21時前。あと1分ほどで21時になるところだ。それに「うわ!」と焦燥感を浮かべる川内。だが、みずづきには2人がそうなっている理由が分からなかった。そして、最低限の人数のみを残し、体育館の人間が血相を変えて外へ出ていく理由も分からなかった。

 

「分かった! さ、早くみずづき!」

「ど、どうしたんですか!? 放送って・・・・」

 

手を引っ張り、走り出す川内。黒潮も後に続く

 

「なんでも9時から首相の緊急会見が開かれるんやって!」

「緊急会見? しかも首相って・・・・」

「総理大臣だよ! 総理大臣! この国のトップ」

「それは知ってますけど、なんで?」

 

上履きから靴に履き替えることもなく外に出る。一瞬、物心ついた時からの癖で「あっ」と立ち止まりそうになるが、その戸惑いはすぐに安堵へと変化する。現在は非常時。みずづき以外の医者や看護師、兵士たちも土足のまま体育館に出入りを繰り返していた。自分の着衣を意識したが故か、ここで右手が川内に握られていることを明確に認識した。

 

「あ、あの・・・・・・」

 

わずかな気恥ずかしさが気だるい心を幾分和らげてくれるが、一瞬のこと。川内の背中から前方へ視線を移すと段ボール箱4、5個を積み重ねた即席机にラジオが置かれている。その前に人だかりができていた。みな一様に緊迫した表情で、落ち着きがなく周囲の人間と話している。

 

「川内さーん!」

「やっと来たわね」

「ほらほら早くしろよ! もうすぐだぜ!」

「・・・・・・こっち」

 

手を振る白雪たち。一見した所、残酷な現実が押し寄せたにも関わらずいつもと変わらない。それに応えると、彼女たちと合流する。開口一番、陽炎にこの状況について問いかけた。

 

「一体何? この様子、ただ事じゃないよね?」

「私もさっぱり。ただ、かなり重要なことを言うとか・・・・」

 

陽炎も大して所持している情報が少ないのだろう。首をひねりつつ新たな情報を語ってくれたが、目的の音声を前に中断を余儀なくされた。

 

「21時になりました。これより、佐影総理大臣の緊急会見が始まります。こちらは総理官邸記者会見室です」

 

男性アナウンサーの低い声がラジオから流れてくる。一気に静寂へと移行する周囲。川内も口を閉ざし、一語一句聞き逃さないとばかりに耳を向ける。それにならって同じように耳を傾けるが、どうにもしっくりこない。総理大臣の記者会見と言えば、テレビを通じて総理大臣の顔も見ながら語られる言葉を聞くのが日本では一般的であった。深刻な電力不足からラジオの復調が顕著であったが、それでもテレビの地位が揺るぐことはなかった。

 

「まもなく佐影総理が入室・・・・あっ! たった今、佐影総理が姿を現しました。薄紫色の防災服を着て、神妙な面持ちで・・・・・・ゆっくりと・・・・今登壇されました」

 

実況の音声に紛れて聞こえてくるフラッシュの音。日本のように対空機関砲かと思えるほどの連射音は聞こえないが、かなりの数であることは察せられる。

 

「国旗に一礼・・・今、前方へ・・・・・」

「これより、総理からご発言がございます。なお、今回は記者の皆様からのご質問は一切受け付けませんので、ご了承お願いいたします」

 

総理官邸関係者と思われる男性が発言した瞬間、わずかに場がざわつく。

 

「おいおい、あの首相が質疑応答なしだとよ」

「一体、なにを話すんだ・・・」

 

口々に心情と事実を吐露している将兵たちへ何気なしに視線を向ける。

 

「あれ?」

 

そこで気付いた。周囲に数え切れないほどいる兵士たち。だが、士官以上の軍人は1人もいなかった。

 

「国民のみなさま、内閣総理大臣の佐影禎明です」

 

喧騒が示し合わせたかのように、ピタリと止む。ティッシュ箱サイズの機械から、東京に立っているこの国のトップの声が聞こえてきた。

 

「今朝発生した深海棲艦空母機動部隊による関東及び伊豆・小笠原諸島各地への空爆によって海軍を中心に多くの尊い命が犠牲となりました。亡くなられた方々、そしてご遺族に対し哀悼の意を表するとともにお悔やみを申し上げます。2027年以来、6年ぶりに深海棲艦は我々の頭上から再び牙を剥きました。降り注いだ恐怖に、多くの方が慄き不安に駆られていることは承知しております。そのような状況下、国民のみなさまにこのようなご報告をしなければならないのは慙愧に耐えません。しかし、私には瑞穂国民の皆様にこの国のトップとして真実をお伝えする義務があります」

 

ここで佐影は一旦、言葉を区切った。ざわつきの前兆が現れた始めた時、彼は冷静沈着に真実を告げた。

 

「・・・・・・・・・現在、我が瑞穂本土、関東地方へ向け、小笠原諸島沿いに輸送艦を中心とした深海棲艦の大船団が北上しています」

「っ!?」

 

佐影とは対照的に周囲は凍り付いた。

 

「確認された敵艦隊の規模、そして房総半島沖に展開している残存空母機動部隊から考察するに、敵が本土侵攻を目論んでいることは明白であります。・・・・・みなさん」

 

聞こえる佐影の深呼吸。一拍のあと、さきほどよりも強い口調で言葉が再開された。

 

「我が瑞穂は今、建国以来最大の危機に直面しています。ですが、いや・・・だからこそ、我々は今、一致団結し、共に助け合い、この未曾有の国難に対処しなければなりません。我々なら出来る。そう、私は確信しています。みなさん、今から8年前、2025年のあの時を思い出して下さい。あの時もわが国は、深海棲艦という未知の敵の出現によって未曾有の国難に見舞われ、多大な犠牲と苦役を被りました。しかし我々はあの国難を見事に乗り切り、尊い日常の継続を成し遂げることができました。我々は一度、自らの力によって深海棲艦の邪悪な意思をはねのけたのです。8年前にできて、今できないわけはありません。我々には強力な友人もいます。私は瑞穂政府を代表し、国民の生命・財産・幸福を守るため、死力を尽くすことを改めてお約束いたします。国民のみなさまもご協力のほど、よろしくお願い致します。現時刻をもって我が瑞穂国政府は、国家緊急事態法に基づく、特別非常事態宣言を瑞穂全土に発令。関東地方を警戒区域に指定し、特別非常事態宣言発令時第1号計画、通称本土決戦に対処するための避難行動計画の実施。及び、大本営作戦第1208号、背水作戦の承認を宣言いたします」

 

沈黙。マイクのすぐそばにいる人物が動いていることを伝える、布のすれる音。普通は聞こえないであろう音が、今回ばかりははっきりと聞こえる。本来情報を乗せた人の声を聞くためのラジオが、取るに足らない物音を流し続ける。雑音が頻繁に混じる電波環境でも記者会見室の沈黙がありありと伝わって来た。

 

横須賀鎮守府体育館前の広場も東京の総理官邸記者会見室と同様だった。いつも通り岸壁に打ち寄せる波の音が、無性に苛立だしく思えてくる。誰も、実況するはずのアナウンサーですら、声を発しない。

 

そして、情報過多で思考停止に陥っている周囲の兵士たちや川内たち大日本帝国海軍艦艇の艦娘たちのみならず、ここ瑞穂世界の並行世界たる日本世界から日本人であるみずづきも驚きのあまり固まっていた。口は無様にも半分開け放たれ、瞳の焦点はまったくあっていない。まるでここではない、別の空間を見ているようだった。

 

 

 

 

“本土決戦”

 

 

 

 

その単語が急浮上し、頭の中で何度も反響する。かつてのアジア・太平洋戦争で日本の敗戦が濃厚となる中、侵攻・上陸してきたアメリカをはじめとする連合国との間で生起すると予測された日本本土での国土防衛戦の通称。しかし、その言葉はポツダム宣言を受諾し、大日本帝国が無条件降伏したにも関わらず、歴史の影に隠れることはなかった。戦後が始まった後も“本土決戦”は綿々と次世代に受け継がれ、特殊な用語ではなく、読んで字の如く日本の存亡・興亡を決める戦いという一般的意味を宿すに至っていた。

 

それは、この瑞穂とも変わらない。しかし、瑞穂は本土決戦に晒された局面はあれど、連合軍による日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」の発動が目前まで差し迫っていたアジア太平洋戦争末期の大日本帝国、深海棲艦の九州上陸・伊豆半島上陸を多大な犠牲の果てに阻止した日本国ほど追い詰められたことはなかった。そのため、今まで歴史の1つの可能性や映画・小説の中の話だと思っていたことが、突然目の前に降ってわいた時の衝撃は、もう表現のしようがないのだろう。

 

佐影首相の言葉を受けて呆然となっているこの国の将兵たちの気持ちはよく分かる。あの時みずづきも、そして空爆と飢餓、エネルギー不足でパニックに陥っていた全ての日本人も同じ気持ちを抱いたのだから。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

「繰り返しお伝えします、繰り返しお伝えします! さきほど、政府はアウノンウン生命体、いわゆる深海棲艦の脅威が迫っているとして、関東及び中部の太平洋沿岸地域に国民保護法に基づく警戒区域の設定およびこれに伴う避難指示を発令しました! 発令地域にお住いの方はテレビ・ラジオをつけて、情報収集に努め、慌てず落ち着いて行動して下さい! 各自治体から何らかの指示がなされている場合があります。各自治体・自衛隊・警察・消防の指示に必ず従って下さい!」

「うそ・・・だろ?」

 

灯火管制が敷かれているため照明の光度を落とした、薄暗い室内。長い間掃除がなされていないのか、ほこりがスポンジのように積み重なり、ゴキブリすら逃げ出す汚染空間。お世辞を呟く余裕もないほど汚れているがそんな劣悪な環境な誰もど気にも留めない。

 

自分達のみがこのような有様なら気にもなるが、日本中よほどの高貴な家柄ではない家屋はどこも似たようなものなのだ。明日、自分が家族が生きているのかも、故郷があるのかも分からず、今日を生き抜くだけで精いっぱいな状況では当然。その絶望的な現状を室内の薄暗さが強調してくる。そこへ情け容赦なく響いてくる緊迫したアナウンサーの声。このご時世でも清潔感あふれる身なりを維持している男性が顔を真っ青にしてテレビの画面の向こう側から、こちらを見つめて必死に言葉を紡いでいる。

 

その言葉を聞いて、その顔を見て、正気を保てる人間が、冷静さを維持できる人間が果たしてどれほどいたのだろうか。少なくとも、自分にはそして自分の家族には無理だった。

 

 

最愛の家族、友人、知人がいついなくなるか、自分の住んでいる町がいつなくなるか分からない状況で、この国に住まう人間が最大にして不変の拠り所としているこの大地が消えるかもしれないという現実は、あまりにも重すぎた。

 

 

ほほの痩せこけた中年男性のうめき。それをただただ聞くことしかできなかった。

 

「・・・・・・なります! え? はい・・・・・はい・・・・分かりました! たった今、国防軍創設準備制度理事会委員、元海上自衛隊護衛艦隊司令官の日谷正成(ひたに まさなり)さんと電話がつながりました! 日谷さん! 聞こえますでしょうか?」

「はい。聞こえてます」

 

少し加齢を感じさせる年季の入った声。アナウンサーは耳に全意識を振り分けたのか、どこを見るともなく、視線を下げる。

 

「日谷さん・・・え、あ・・・わ、私も少し、混乱しているのですが、単刀直入にお伺いします。政府は日本本土に深海棲艦が侵攻してくると判断したため、このような措置を取ったと見ていいんでしょうか?」

「・・・・・・・まだ、断定はできません。私も突然の事で手持ちの情報が少ないのですが、現在、八丈島を占領するに至ったアウノンウン生命体、いわゆる深海棲艦に対し、陸海空自衛隊が総力を持って防衛戦を試みています。三宅島や伊豆諸島死守の最前線である御蔵島には、日本全国から陸自の特科・高射部隊が結集。また2023年度から調達が開始された23式地対艦誘導弾等も関東・中部各所に展開。八丈島から手を伸ばそうとする深海棲艦に対し、ミサイルや超長距離砲弾による攻撃を行い、これを敵の猛爆撃から生き残った空自戦闘機部隊と海自の第3護衛隊群が支援しています。政府はこれを“皇国存亡の天王山”と位置付けており、伊豆諸島を死守する決意を鮮明にしています」

「それは既に・・・・、一日本国民としても自衛官の方々には頭が下がる思いです。しかし、しかしですよ。日谷さんも重々ご承知のこととは思いますが、在ハワイ・グアム米軍、そして世界最強と謳われたあの第7艦隊も深海棲艦を前になすすべもなく全滅。世界各地では深海棲艦による本格的な侵攻が始まり、一部情報ではアメリカは西海岸に上陸を許し、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴでは激戦が繰り広げられているとも伝えられています。日本も、敵爆撃隊による度重なる空爆によって既に航空自衛隊・海上自衛他は壊滅。全国各地は焦土と化し、おびただしい数の死傷者が生じています。・・・・・・このような状況下で深海棲艦の攻勢を防ぎきれるのでしょうか?」

 

務めて冷静な返答をこなす日谷。この状況に至っても官僚的な答えが返ってきたことに不満を抱いたのか、アナウンサーが少し強い口調で迫る。

 

「・・・・・・・少なくとも、むざむざと撤退するようなことはないと思っています。しかし・・・」

「しかし・・・・?」

「言われる通り現状が極めて危機的状況にあることは事実です。隠しても隠し通せるものではありません。私たちには、遂に先人たちが抱いた決意を、再び心に宿すときがきたのかもしれません」

「それはつまり、敵の侵攻・・・・・本土決戦の可能性もある、と・・・・・」

 

沈黙。会話をしている両者だけではない。カメラには映っていなくとも、その後ろで控えているであろうスタッフも、こちら側でそれを見ている自分たちも静まり返る。そして、意を決したような吐息が聞こえた後、つらそうな声が届けられた。

 

「・・・・・・そうです」

「そ、そんな、この日本が、戦場になるのか・・・・・・」

 

中年男性は肘をつけていた机に、首を垂れる。自分は聞いた瞬間、声を発することも出来なかった。豊かな自然が、美しい田園風景が、自分たちの街が、家族が爆弾に侵されるのみならず、敵に蹂躙される。そう考えただけで、恐ろしくてたまらなかった。

 

「ですが、政府は、自衛隊は、私たち国民を守るために歯を食いしばって戦っています。今、私たちがこうやって話しているこの時も・・・・・。まだあきらめるの早計の一言です。彼らを、私の後輩たちを、信じてやって下さい。自衛隊は、そして国防軍は国民とこの美しい国土を守るために存在しているのですから」

 

日谷の呼ばれた男性の切実な訴え。正確には祈りと言えるかもしれない。その今にも社や寺院に飛び出していきそうな姿を想像できる声色が、何よりも日本の窮状を端的に表しているようだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

「・・・た、った、ったった今、総理が降壇していきま・・・・」

 

耳に響く、やけに鮮明な音。はっとなり、自分が今どこにいて何をしているのか把握し直す。気付かぬうちに意識があらぬ方向へ向けられていたらしい。どうやら、あの時の恐怖は、絶望は、祈りは、何年たっても一度経験すれば容易に忘れられない代物らしい。静寂が一気に喧騒へと変貌する。但し、それはラジオの向こう側だけだったが・・・・・。実況のアナウンサーが思わず声を噤んでしまう。

 

「総理! 本土決戦ということですか!? 総理!」

「待ってください! 詳細をお伝え願えないでしょうか!? 首相!」

「現在の戦力で深海棲艦の、侵攻を防げる確証はお持ちなんですか!?」

「敵は! 敵はどのような・・・・・・・・!」

 

ラジオの音が完全にかき消す警報音が突如鳴り響き、鎮守府をそして市街を「特別非常事態宣言下」に染め上げていく。人間も例外ではない。頭のてっぺんからつま先まで、薄れかけていた緊張感と緊迫感が充填された。はじかれたように周囲は動き出す。将兵も、医師も、看護師も関係なかった。全ての人間がそれぞれの持ち場へ、全力の疾走を開始する。

 

「くっそたれが!! 本土決戦って・・・・・」

「川島! 愚痴言ってないでさっさと来いよ! 遅れるぞ!」

「ちくしょう・・・なんでだよ・・・・」

「お前はまだ、滋賀出身だからましだよ! 隊の中にも千葉や茨木みたいな関東出身者は大勢いるんだ! そいつらが冷静なのに、お前が取り乱してどうする!」

 

「俺たちは一体?」

「さぁな、背水作戦でどういった作戦行動になるのかさっぱりだからな! 本部に行けばじきにいわれるさ」

 

あちこちから聞こえてくる声。彼ら・彼女らの姿をじっと同情心を隠しきれない視線で捉える。自分たちもその気持ちを5年前に抱えていたのだ。但し、全てが同じというわけではない。

 

 

 

みな纏っている雰囲気は緊迫。しかし、日本人が纏った雰囲気は絶望。自らと周囲の死と破壊を夢想した、滅びへの恐怖に苛まれたのだ。それに比べれば、まだマシだろう。

 

「せ、川内さん。わ、私たちは?」

 

脱兎の如く走り去っていく将兵たちとは対照的に、その場で立ちつくしたままの川内たち。どうしたらよいのか分からなかったため、声をかけたのだが反応はない。もう1度、声をかけようとした時、再び放送無線が吠えた。

 

「全艦娘は直ちに講堂へ集合せよ! 繰り返す、全艦娘は直ちに講堂へ集合せよ!」

「来たわね・・・・・」

 

拳を握りしめると、川内はみずづきに背を向け、講堂ある方角を見る。

 

「みんな、行くよ!」

 

走り出す川内。それに続いて、陽炎たちも駆け出す。みずづきは一瞬戸惑うものの、怯えそうになる表情を引き締めて彼女の背中を追っていく。




まだまだ、房総半島沖海戦は終わりません。


先週投稿の話に関して、読者の方から「因幡ほどで船体では、20.3cm連装砲の自動装填装置は搭載できないのではないか?」とのご指摘を頂きました。
大変申し訳ありません。つい、海上自衛隊が装備している砲弾の大きさが頭の中にあり、20.3cmクラスの自動装填機構、また砲弾や装薬そのものの大きさを考慮していませんでした。ですので、因幡に自動装填装置がある描写は変更させていただきました。

軍事知識が浅い作者ですが、今後ともよろしくお願いします(汗)


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57話 房総半島沖海戦 その6 ~反攻~

あの歓迎会以来の講堂。かつてあれほど眩しく輝き、数え切れないほどの笑顔が交錯していたこの場所も、今は重く痛々しい空気に覆い尽くされていた。照明がつけられているはずなのに、暗く感じるのは気のせいではない。

 

そこへ久しぶりに集まった艦娘たち。誰1人として清潔感を保っている者はおらず、みな肌や制服が何かしらで汚れている。中には、絆創膏を張り、包帯を腕に巻いている者もいる。みな視線を落としているわけではないが表情が暗く、特に第5遊撃部隊の悲壮感は顕著だった。そして、全艦娘集合と言いつつ、人数は全艦娘ではない。

 

いない艦娘が、いるのだ。

 

その理由をみずづきも知っていた。これも艦娘たちが俯いている原因だろう。横須賀鎮守府司令長官の百石は彼女たちの姿を人の背丈分ほど高い演台から見下ろす。暑くもないのに、異様なほど汗をかいていることをみずづきは見逃さなかった。

 

「これより、背水作戦における君たち艦娘の作戦行動について説明を行う」

 

響く長門の声。みずづきから見て右斜め前方、講堂の四隅に立ち、彼女はまっすぐ百石を見つめている。こちら側のように意気消沈することもなく、背筋を伸ばして堂々と。百石は小さく頷くと、目の前に置かれている台に近付き、口を開く。

 

「・・・・・・君たちの気持ちは十分に把握している。このような状況下で、満足な休息も与えてやれず、本当にすまない。しかし・・・・もう、なりふり構ってはいられないんだ。私のことはどう思おうと好きにしてくれ。だが、私には、私たち瑞穂海軍にはどうしても成さなければならない使命がある!! それを成し遂げるためどうか力を貸してくれ」

 

長門以外の全員が息を飲む。漠然と聞いていては誰だか判別できない、しおれた声。それが今、百石の口から発せられていた。声の出し過ぎが原因であることは枯れ方からすぐに分かる。よほど、作戦室で声を張り上げていたのだろう。百石が軍人として、自分たちの指揮官として必死に立ち回っていたことに誰も疑いの目など向けていなかった。彼自身は自覚が薄いようだが、彼の性格はこの場において最も付き合いの浅いこの身でさえも十分に承知している。

 

そんな彼から向けられた言葉。そこにどれだけの想いが込められているのか。分からなわけがない。

 

自分たちの肩にどれほどの責任と期待、懇願、使命がのしかかっているのかも。分からないわけがない。

 

瞳に宿る熱い意志。それを周囲からみずづきはひしひしと感じた。それは百石も同様のようで、「ありがとう」と小さく呟くと一転、険しい表情で裏に置かれている黒板に向く。そこには誰が書いたのか分からないが、地図と見間違えるほど正確かつ上手い関東の地形が書かれていた。そこの一点、第5艦隊が敵空母護衛艦隊と激突した房総半島野島岬沖に赤い磁石が1つ置かれている。

 

「既に承知のことと思うが、現在房総半島近海には空母4隻、軽巡4隻、駆逐2隻の空母機動部隊と重巡2隻、軽巡2隻、駆逐2隻からなる軽水上打撃艦隊、この2個艦隊で編成される敵連合艦隊が展開。現在は九十九里浜沖から房総半島野島岬沖に移動し、敵の本土侵攻部隊を最も叩く可能性が高い我々を東京湾に封じ込めようとしている。疑似的な海上封鎖だ。今後の動きは予測困難だが、連合艦隊は着上陸作戦の支援に不可欠な存在だ。よって、おそらくこちらへのけん制効果と本土沿岸からの攻撃リスクを勘定し、侵攻部隊が九十九里浜沖に近づくまでは、ちょうどいい位置である現海域に待機するはずだ。そして、今は夜。そこで、だ」

 

不敵な笑みを浮かべる百石。その笑みを最後の言葉で突如、ゆっくりになった口調が強調している。

 

「こちらが制空権が取れないことに胡坐をかいているところを、我々は・・・・叩く!」

 

言葉通り、黒板を百石が叩く。ドンッという鈍い音と共にチョークの粉が少し舞い上がる。

 

「って、ことは、夜戦? ・・・・ねぇ? そうだよね? そうだよね? 提督!? やったぁ!!

や・せ・ん、だぁぁぁぁぁ!!!!」

 

もうひと押しと言わんばかりに百石が人差し指で磁石を小突く。それと同時に発せられる、場違い極まりない歓喜。少し体を傾けて前方を注視してみると第3水雷戦隊の先頭に立っている川内が、天を射貫かんばかりのガッツポーズを決めていた。そのあまりの喜びように怒鳴ろうとした長門も思わず呆れ、天を仰いでしまう。その光景が、あまりに面白く、たった半日で失われてしまった日常が戻ってきたようで、つい微笑をこぼしてしまった。心の弛緩は何も1人だけではない。他にも吹き出すように表情を緩めている艦娘が多くいた。

 

だがその瞬間、昼間見た光景が脳裏をよぎり、心は凝固した。岸壁に寝かされた数え切れないほどの遺体。屍となった彼らを見て、悲壮に暮れる人々。

(私、何笑ってんだろう・・・・・。大勢の人たちが、死なずに済んだ人たちが、この世界でもまた死んでいったのに・・・・)

周囲から聞こえてくる自身と同じような「ふふふっ」という微笑。それは当然耳に入っていたが、地獄を見た後ではとてもつられて笑う気にはなれなかった。

 

「ふっ・・・・ははははっ! さすが川内だな」

「ついに、ようやく、この時が来たよ! やったぁぁぁあ!!」

 

艦娘と異なり、今までの湿っぽさを振り払うかのように大きく笑う百石。相変わらずのガラガラ声だが、つらそうな気配は微塵もない。

 

「お前にようやく、活躍の場を与えてやることができて何よりだよ」

「まったくよ、もう。演習以外の実戦で夜戦したのなんてもういつか忘れちゃったぐらい昔なんだから」

「だが、お前はあくまでも脇役だ。主役は・・・・・・」

 

百石の視線がこちらに向く。前に立っている深雪でなく、隣近所の艦娘でもなく、みずづきへと。

 

「みずづき、お前だ」

「へ・・・・・?」

 

一斉に向けられる視線。全く予想だにしてなかった展開に恥ずかしながら、間抜けな声が出てしまう。

 

「ちょ、ど、どういうことですか? 私が主役って・・・・・」

「君なら十分分かると思うがな、自分自身が選ばれた理由が」

「・・・・・・・・・」

 

戸惑う少女の表情から、険しい軍人の表情に変わる。

 

「君は昼であろうが夜であろうが、人間である以上多少の制約がつくとはいえ、備え持っている戦闘能力を如何なく発揮することができる。それだけじゃない。艦隊の目として、半ば出たとこ勝負の戦場の様相を水平線以遠から探知することができる。そんな非常識技を持つ君が脇役なわけないだろう?」

 

不敵な笑み。だが不快感や嫌悪感は全く湧かなかった。これは、そう。端的に信頼されている証なのだ。百石から視線を外し、周りの艦娘たちを見る。

 

みな、程度の差はあれど百石と同じ表情で、異存はないようだ。あの川内も若干、悔しそうにしていたが、最後は割り切ったようで純粋な笑顔を浮かべていた。一度顔を伏せ、目をつぶる。そして、百石に視線を向ける。こちらもお返しと言わんばかりの不敵な笑みをたたえて。

 

 

 

 

 

信頼からくる痛みを必死に隠して・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

「分かりました。主役の任、謹んで承らせて頂きます」

「こちらこそ、よろしく頼む。では、これより、敵連合艦隊撃滅作戦、“極夜作戦”の説明を開始する。まずは、参加メンバーだが・・・・・・、既存の艦隊を作戦の間だけ一時的に解消し、特別艦隊を編成する。敵連合艦隊を直接撃破するため、2個夜襲艦隊を編成。第1夜襲艦隊は長門を旗艦とし摩耶・川内・みずづき・陽炎・黒潮。第2夜襲艦隊は金剛を旗艦とし大井・吹雪・雷・電・曙。そして、後方支援艦隊を赤城・加賀・瑞鶴・北上・白雪・初雪、その護衛艦隊を夕張・球磨・深雪・暁・響の5隻で編成し、戦闘海域の後方で万一の時に備え待機してもらう」

「っ!?」

 

編成が告げられた瞬間、講堂内が一気にざわつく。

 

秘書艦である長門の登用。

 

なぜ、周囲がそのような反応を示すのか分からなかったが、長門が海上を疾走している姿はよくよく考えれば見たことがない。横須賀において、ビックセブンの一角であり強大な戦闘能力を有する彼女の実戦投入はそれだけ重い意味があるのだろう。

 

だが、ざわめきの理由はそれだけではなかった。瑞鶴が血相を変えて、百石に喰いついた。彼女の正面に立っている加賀が「瑞鶴、やめなさい」と言い放つも、瑞鶴は従わなかった。

 

「ちょっと提督! なんで私たちが後方に回されているの!? 私たちは空母よ、空母! 最前線出せとは言わないけど、前線に出てしかるべき存在でしょ!?」

 

その言葉にため息をつく百石。それは当然瑞鶴からも見えるため、彼女は更に語気を強めようとするが、手をあげて彼が静止する。

 

「瑞鶴・・・・・・。君の言い分はよく分かる。君たち正規空母は重要で欠くことのできない戦力だ」

「だったら!」

「君の心境は察するが、それで冷静さを失ってもらっては困る。今は何時だ」

 

窓から見える真っ暗な外を指さす。時刻は21時半を回ったところ。完全な夜だ。

 

「くっ・・・・・」

 

悔しそうに唇をかむ瑞鶴。その様子を見ると彼女も失念していたではなく、しっかりと分かっていたのだろう。

 

空母は、夜戦では役に立たない、と。

 

瑞鶴たち空母艦娘の艤装である航空機の妖精たちも基本的に、日本世界で人を乗せた本物の航空機を運用していた時と同様に、目視で飛行・哨戒・偵察・戦闘を行っている。レーダーなどの第二次世界大戦中に開発された初歩的な電子捜索機器を装備している機体もあるが、酒の肴にもってこいな性能。夜になれば目視が不可能となるため必然的に夜間の航空機運用はできないのだ。

 

「勘違いしないでくれ瑞鶴。なにも君たちに戦力外通告をしているわけではない。その証拠に後から、君たち3人には私と一緒に工廠へ来てもらう」

「え?」

「だが今、その話は置いておく。今作戦は日付が変わった午前1時より開始する。万が一、戦闘が長引き日の出を迎えた場合、いくらみずづきがいるとはいえ、相手は空母4隻。艦隊に危険が及ぶことは十分に考えられる。その際の制空権確保が、君たちに課された任務だ」

 

諭すような口調に瑞鶴は再び反論しようとするが、ついに瑞鶴の右手首を握るという実力行使に出た加賀がやめさせる。

 

「ちょっと、何すんのよ!」

 

目を大きく見開いた瑞鶴は加賀の手を振り払おうとするが、彼女の顔を見た瞬間、突然気勢を鎮める。そして、振り上げられた手がゆっくりと落ちていった。加賀の表情はここからでは見えない。

 

「・・・・さきほども言ったとおり、今作戦は1時に発動される。それと同時に全艦隊は抜錨。館山沖まで航行したのち、後方支援艦隊と護衛艦隊を残し、夜襲艦隊は前進。みずづきによる策敵で敵の正確な位置を掴んだのち、彼女の対艦ミサイルで第1次攻撃を敢行し、残った敵を夜襲艦隊の砲雷撃戦で、殲滅する。なお、後方支援艦隊の護衛には、夕張旗下の護衛艦隊に加え、海防隊群も出撃する」

「え・・・・・?」

 

互いに顔を見合わせる艦娘たち。海防隊群とは横須賀鎮守府隷下の海防艦からなる部隊であり、第1海防隊の伊豆(いず)式根(しきね)青賀(あおが)(にい)と第2海防隊の神津(こうづ)三宅(みたけ)八丈(はちじょう)御蔵(みくら)の計8隻で構成されている。それらは全て伊豆型海防艦と呼ばれる駆逐艦より一回り小さい艦船だ。基準排水量は940トン。速力は34ノットまで発揮可能で、主武装は前部甲板と後部甲板に設置されている12.7cm連装砲と2基の12.7mm対空連装機銃、爆雷投射機である。

 

深海棲艦との戦闘によって主力部隊が壊滅し、瑞穂海軍にとってシーレーン防衛と並ぶ最重要任務であった瑞穂本土近海の警戒・警備が困難になったことを受け、低費用・低資源そして短工期による大量生産性が追求された結果生まれたのが、大日本帝国がアジア・太平洋戦争末期に不足する海上戦力の補填にと計画・建造した海防艦とほとんど同様の代物であった。遠洋航海能力は放棄され、近海警備にのみ特化した船体・装備。武装はお世辞にも強力とは言えなかったが、深海棲艦に対抗するため質よりも数の確保が優先された。現在、横須賀や由良基地をはじめ、戦略上重要な海軍拠点にはほぼ複数隻が配備されている。

 

 

 

“そんな船を同行させて、意味があるのか”

 

 

 

このような直球ではなかったが、艦娘たちの目はそれに近い疑問を宿していた。完全な兵器ならば合理性を追求する冷徹な思考を行う場面。しかし、今は違う。金属なような冷たさではなく、血の通った温かい心から露わになった感情だった。なにせ、海防艦より遥かに高性能かつ高火力を持つ第5艦隊でさえ壊滅し、多くの将兵たちが犠牲となったのだ。いかに横須賀鎮守府に所属する艦娘の総力をあげた作戦とはいえ出撃する以上、彼らには身の危険が付きまとう。いくらこちらが身構え、注意を向けたとしても。

 

その複雑な感情を宿した視線が、艦娘たち特に第5遊撃部隊から百石に向けられる。加賀の視線はもはや刃物のようだ。

 

「・・・・・・・・確かに、君たちの思っているとおりだ。彼らを出したところで作戦に与える好影響は微々たるものだ。しかし、いくら貧弱とはいえ彼らとて立派な戦力。俺たちが警戒するべき敵は連合艦隊だけではない。まだ確認はされていないが潜水艦が東京湾に潜んでいる可能性は十分に考えられる」

 

百石が「潜水艦」の単語を発した瞬間、何人かの駆逐艦たちが震えあがる。その恐怖に「夜」という人間ではどうしようもない自然の摂理が拍車をかけていた。

 

「まぁ、みずづきが抜錨した時点でもし潜んでいたら血祭だろうが、万が一を考えておかなければならん。俺たちには、戦力を出し惜しみしている余裕はないんだ。先方にも既に説明はしてある。このような重大な作戦に参加できて、身に余る名誉と彼らは言っていたよ」

 

静かに視線を降ろす加賀をはじめとした艦娘たち。百石の説明はごもっともで、反論の余地はない。事が起こった時、彼らを無事に横須賀へ、家族のもとへ帰せるかはほかでもない自分たちの肩にかかっているのだ。

 

「・・・・・・・作戦の概要説明は以上だ。何か、質問は?」

 

静寂。誰も声を上げない。百石はそれを確認すると演台の際まで足を進める。そこに立つと丁寧に1人ひとりの顔を見ていく。

 

「みんな・・・・・・」

 

下を向く。だが、それは一瞬だった。再び露わになる顔。そこにはさきほどほんの一瞬見せた暗い表情はなく、信念に則った固い決意がにじみ出ていた。それを見ると反射的に背筋が伸びる。

 

「比喩でもなんでもなく、この戦いの結果次第で瑞穂の運命が決まる。もし・・・もし負ければ、膨大な犠牲者が出ることも、故郷を破壊し尽くされ悲しみの底なし沼に突き落とされる人々が出ることも避けられない。この国は、死と悲しみと憎しみに支配されることになる。・・・・・・・・・・それは、何としても避けなければならない」

「・・・・・・・」

「だから、だからこそ、私はこの言葉をもって場の締めとする。君たちは瑞穂の対をなす日本から来た存在だ。もう、これ以上は必要ないだろう・・・・・・皇国の興廃、此の一戦に在り・・・・」

「っ!?」

 

目を見開く一同。大日本帝国海軍として数々の激戦に参加してきた艦娘たちだけではない。平成生まれの現役軍人、みずづきも同様であった。一気に上がる心拍数と緊張感。この言葉の重みは身に染みて分かっていた。

 

「・・・・・各員、一層奮励努力せよ! ・・・・・以上、解散! 別名あるまで待機せよ!」

 

にじみ出た固い決意に相応しい、力強い敬礼。それに負けじとみずづきを含めた艦娘も見事に揃った敬礼を見せる。

 

1868年の明治維新から36年後。富国強兵を進め、未開と蔑視されていた非白色人種国家でありながら急速に発展した日本は、当時世界を席巻していた欧米列強の一角であるロシア帝国と日露戦争に突入した。正真正銘の国運を賭けた戦い。負ければ、待つのはロシアをはじめとする欧米列強の無慈悲な侵略。日本本土攻撃を目論み、遠路はるばる日本海にまで進出してきた世界最強の名を冠するバルチック艦隊との戦闘を前にし、大日本帝国海軍連合艦隊旗艦「三笠」は将兵の士気を鼓舞し今次海戦がいかに重要なものか伝えるため信号旗の一種であるZ旗を掲揚し、各艦にとある1文を送った。

 

たった、22文字。しかし、置かれた現状と自分たちの行い次第で待ち受ける将来を、的確に表し、また心に響き渡る不思議な力を持っていた。

 

日本の大勝利に終わった日本海海戦以来、この言葉の使用と海戦におけるZ旗の掲揚は、特にアジア・太平洋戦争下の大規模な海戦で顕著となった。日本が敗戦して以降長らく使用も掲揚もなくある意味ご法度となっていたが、日本は再びそれを必要とする時代を迎えた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

「あれ? ここは・・・・・・・」

 

一欠けらの雲もなく、星が嬉々と瞬く満点の星空。自然の芸術作品を頭上に掲げ、屋内そして屋外のわずかな照明に照らされた地上3階立ての鉄筋コンクリートの建物が佇んでいる。その前に大きなスクリーンが設置され、自分も含めた大勢の人間が見える位置に集まっていた。彼ら・彼女らは日本海上国防軍須崎基地の隊員たち。集まっていると言っても部隊ごとに整列し、それを基準にして近くの者と話している。決してもっと近くで話したいからと隊列を乱す者はいない。自分たちがなんのために集まっているのか。目の前のスクリーンが貴重な電力を消費し、どのような映像を映し出すために設置されているのか。分かっている者なら、そのような非常識な真似はしない。

 

「どうしたんですか、隊長? もうすぐ始まりますよ」

 

若干、緊張した面持ちのかげろうが、腕時計を見つつ後ろから声をかけてくる。一瞬状況に戸惑うものの「なんでもない」と誤魔化し、意識をスクリーンに集中させる。先ほどからみずづきたちの前で威光を放っていた須崎基地幹部が声を張り上げたのは、それとほぼ同時だった。映像が真っ白から、どこかの広場に変わる。ライトに照らされ、指揮台のようなものとその上に置かれたマイクスタンドが映し出される。

 

「これより、破魔真剛(はま しんごう)統合幕僚長の訓示が行われる。総員、気を付けぇぇぇぇぇ!!」

 

軍靴や革靴の音が見事に重なる。直後、画面の右側から姿を現す、顔のあちこちに刃物で切られたのかと思えるほどの深い皺を作り、真っ黒に焼け、猛獣のような鋭い目つきの男。一見すると反社会的勢力の一員と思ってしまう強面の彼が、文民を除いた日本国防軍の頂点に立つ統合幕僚長破魔真剛海将。マイクスタンド前に立つと、破魔はこことつながっているカメラではなく、その下に視線を向ける。

 

変わるカット。破魔の横に設置されているカメラの映像に切り替わったようだ。そこから見えたのは広場を埋め尽くさんばかりに整列している陸上・海上・航空国防軍の隊員たち。須崎とは比較にならない人数だがそれも納得である。

 

破魔と彼らが立っている場所。隊員たちの背後に映る終わりが見えない廃墟からそこが東京の市ヶ谷、防衛省本省であることが察せられる。

 

「諸君、ついにこの時が来た」

 

視線をゆっくりとカメラに、目の前の隊員たちに向けながら、破魔は静かな口調で語り始めた。

 

「深海棲艦と呼称する未知の生命体群が、突如、人類の前に姿を現して6年。世界は、日本は我々のささやかな願いに構うことなく変わってしまった。非情な現実を前に・・・・我々はたった6年で多くの尊い存在を失った。それは私ごときが言及せずとも、諸君らは十分に分かっているだろう。・・・・・・・2350万人だ」

「・・・・・・くっ」

「たった6年の間に、この国でこれだけの数の人々が、化け物どもに捕食され、化け物どもの爆弾に焼かれ、飢え、凍え、病に苦しみ、犠牲となった。日本にはもう9500万人しかいない。人口が1億を超えていた時代は・・・・・・・・過去となってしまったのだ」

 

眼前ではない、どこか遠くを見る破魔。それにつられ、みずづきもついあの頃を思い出してしまいそうになる。何気なく家族と、友達と、笑い合えていた日々を・・・・・。

 

「諸君らの目には何が見えているか?」

 

唐突な質問。だが、それを訝しがる人間は須崎にはいなかった。おそらくはこの訓示を見ている日本全国、各基地の幾十万の隊員たちも同じはずだ。

 

「私の目には・・・・・・・・廃墟が見える。かつて繁栄と栄光の象徴だった街の廃墟が・・」

 

再び変わるカット。画面の下半分で闇夜に沈んだ、地平線まで延々と続く廃墟が映る。数年前は四六時中放たれていたまばゆい光は皆無で、時々軍や警察車両のヘッドライトが弱々しく見えるだけ。防衛省庁舎の屋上に設置されているカメラだろうか。ゆっくりと景色が動く。しかし、どれだけ動いても廃墟という光景は変わらない。画面いっぱいに破壊され尽くし、かつて極めた繁栄の残滓となった廃墟を映し出すのみ。

 

「約90回に及ぶ無差別爆撃によって約70万人の、何の罪もない人々が犠牲になった廃墟が・・・・・・。我々は、守れなかった。自衛隊の存在意義であった職務を、誓約を果たすことが出来なかった」

 

悔しそうに、申し訳なさそうに表情を歪める破魔。隊員たち、特に生戦勃発時、自衛隊に属していた者たちは視線を下げる。放たれる雰囲気には後悔の念がにじんでいる。みずづきが真っ先に視線を向けた知山も同様だった。あの時とは、おそらく入隊時の誓約だろう。

 

命に代えても国を守る、と。

 

自衛隊、そして国防軍に入隊する者は必ずその誓約を行うのだ。みずづきも当然宣誓していた。

 

「もう、二度目は許されない。もうこれ以上・・・・・この国に地獄を具現させるわけにはいかないっ」

 

歯を食いしばると破魔は素手で深海棲艦を殺さんとするかのような視線でカメラを射貫いた。その視線の底で込められた想いは、みずづきでは推し量ることができないほどの濁流だった。

 

「我々は日本国防軍である! 今を生きる国民を、先人たちが苦難の果てに作り上げてきた文化を、伝統を、歴史を守らなければならない! 我々が引けばどうなるか。私の目の前に、そして諸君らの記憶の中に広がっている地獄と後悔が、待ち受ける未来である! 一歩引けば、引いた分だけ今この時を必死に生きている人々が危機にさらされる。もう我々には引くべき場所は存在しない。引くこと、それは、日本の滅亡を意味している。2600年の悠久の歴史を歩んできた日本を、我々の世代で終わらせるわけにはいかない! 日本を、我々の故郷を、2600年の間に積み上げられた歴史を、文化を、子供たちに、孫たちに残さなければならない! 前だ!」

 

言葉と連動させ、右手で遠方に浮かぶ廃墟群を指し示す。

 

「我々には前しかないのだ!! 敵を滅ぼしてこそ、我々に未来があるのだ。此度の作戦は日本の運命を決める天王山である。厳しい戦いが予想されるが、私は諸君らを、そして日本人の力を信じている。我々の先人たちはごく短期間の間に、欧米列強と肩を並べる大帝国を築き上げ、焼け野原を大都市へと再生・進化させた。我々には、出来る。先人たちは奇跡と称される日本人の底力を2度も歴史に刻み込んできたのだ。先人たちにできて、我々にできない道理はない!! 我々は日本人・・誇り高き日本民族である! 今度は我々が、3度目の奇跡を起こす番である。深海棲艦を滅ぼし、かつての栄光の日々を、安らかな日常をとり戻すのだ!  その為に、我々はここに立っている! 諸君の武運長久を祈り、この言葉を私からの訓示の締めとする。皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ! 現時点を持って東雲作戦を発動する! ・・・以上!」

「敬礼!」

 

固く熱い決意が困られた敬礼が、見事に重なる。その光景と雰囲気はまさに壮観だった。

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

 

世界が違えど変わらない。誰にも守りたいものがあるのだ。守らなければならないものがあるのだ。

 

「ふっ・・・・・」

 

参ったと言わんばかりの微笑み。それを浮かべたまま、百石は根拠のある安心感を抱えたまま、この場を締めくくった。

 

「奴らに、2度と日の昇らない永遠の夜をくれてやるぞ」

「はい!!」

 

またも見事に重なる声。そこに百石が登壇するまでの、絶望に染まった雰囲気はない。あるのは誇りと自信、そして“瑞穂を守る”と“2度と日本が味わった地獄を再現させない”という強い意志。例え、暗い感情があったとしても、その信念があれば乗り越えられる。

 

 

瑞穂と日本の反攻がついに始まった。

 

 

だが、日本人お得意の場合わせで、仮初めの態度を取っている者が1人。周囲の感情をあざ笑ってるわけでは決してない。むしろ、同じ気持ちはきちんと心に、体に宿っている。

 

だからこそ、思うのだ。

 

そんな純粋で、きれいな信念を抱いていいのかと。

抱いたところで、自分に果たせるのかと。

 

日本で、瑞穂で大切なものを、守るべき存在を常に取りこぼしてきた自分に今度こそ果たせるのかと。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 工廠

 

 

時刻は日付が変わろうとする頃合い。時々雲に隠れては顔をのぞかせる月に見守られているここは、通常ならば既に眠りに就いている時間帯である。出入り口付近の非常灯のみがぼんやりと周囲を照らし、そこから外れた辺境の空間は闇の中。幽霊の類が出てきそうな雰囲気が醸し出され、何故か人間よりそういったものに近く感じられる妖精ですら、青筋を浮かべてあまり近寄りたがらない場所。

 

しかし、現在は当然違っていた。昼かと錯覚を覚えるほど煌々と光を放つ照明。時間帯など全く気にすることなく動き回る、クレーンにリフト、トラック。その周囲を油や汗にまみれ、顔を黒く汚した作業員が大声をあげながら、走り回っている。その声は機械にも負けないほどだ。彼らより遥かに小さい妖精たちも同様で、汗を流しながらテコテコと表現されそうな足取りで走っている。

 

作戦発動より早く、ここは戦場となっていた。

 

「おい! 弾薬は!? ねぇじゃねぇか!!! なんでお前んところはすぐ来てこっちは来ねぇんだ!!」

「知るか! 自分で確認しろ!!」

「おい都木!! 上の方に確認してくれ!! これじゃ、間に合わん!!」

「了解!!」

「都木さん、都木さん」

「ん? なんだい??」

「お忙しいところ、申し訳ないです。先ほど提出した補修の書類なんですど・・」

「ん? それは黒髪ちゃんに渡しておいたけど」

「え!? 長にですか!?」

「ごめん! その話はあとで聞くから!! あっ!? 待って下さい! そこのトラック!!!!」

「補給・整備の進捗状況は?」

「現在、第1・2夜襲艦隊、後方支援艦隊が完了。夕張たちの艤装を順次進めています」

「頼んだぞ。遅れたら取り返しがつかんし、工廠の面目丸つぶれだ。工廠長にもどやされる」

「そういえば・・・・・・・工廠長はどちらに?」

「ああ、司令や赤城たちと一緒に開発棟だ」

「開発棟? ということは・・・・・・」

「ああ。あれをついに実戦投入するらしい」

 

 

喧騒に包まれている整備棟の裏手。横須賀湾と隣接している開発棟は比較的平穏を保っており、心なしか時間の流れがゆっくりと感じ、昨日までの平穏がわずかながらも残っているように思われる。

 

だが、それはあくまで幻想。ここも現状(戦時)に覆われていく。

 

「これは・・・・・・・」

 

平穏の残滓を四散させている張本人の1人が声をあげる。他の2人も声はあげなかったが、同じ感情を抱いていることは分かった。

 

「そう、これが君たち待望の新型機だ」

 

隣に黒髪の妖精を肩に乗せた漆原工廠長と百石が目の前の机に視線を向ける。そこには深緑に身を包んだ2機の小さな航空機が鎮座していた。人が容易に持てるほどの大きさ。ただ置かれていれば、子供たちや一部の物好きが欲しがる模型と見分けがつかない。だが、これは人の身でつくれる模型とは異次元の代物。醸し出す雰囲気はやはり全く比較にならなかった。

 

「紫電改二と流星・・・・・・」

 

静かに、そう呟く。全く呼び慣れない名前。

 

「ついに完成したのですね」

 

右側にいる赤城が、険しさをたたえながらも、もの珍しそうな様子で機体を凝視している。左側にいる瑞鶴も赤城以上に目を輝かせているが、何故か赤城のように腰をかがめたり、移動したりして機体を見ようとはしない。

 

「はい。どちらも零戦や天山、彗星と異なり証言や参考資料が乏しかったこともあってかなり苦労しましたが、妖精たちと終戦間際まで生き残っていた艦娘たちの協力でなんとか実戦配備にこぎつけることが出来ました」

 

漆原は心底嬉しそうな様子だ。黒髪の妖精も「えっへん」と遠慮することなく、いつも以上に胸を張っている。

 

零戦よりずんむりむっくりで、F4F-4 ワイルドキャットやF6F ヘルキャットなどアメリカ海軍艦上戦闘機に似ている印象を受ける紫電改二。天山と異なり、少し折れ曲がった逆ガル翼と呼ばれる特徴的な翼を持つ流星。

 

自分たちが日本で、そして瑞穂で運用している機種とはかなり異なった機体。つくづく技術の進歩には驚かされる。これらの機体が日本の空を飛び始めたのは、あの海戦で沈んでからわずか2年ほど経った後なのだ。

 

「性能はどれくらいなの? 見た感じ零戦や天山より断然すごいのは分かるけど、私も小耳にはさんだ程度で、実際に見たことも乗せたこともないの」

「どちらも零戦や天山などといった従来機を大きく凌駕している。紫電改二の格闘性能は零戦より遥かに強化され、零戦に不足してい防弾性能も付与。高速での一撃離脱戦法を行えるほどエンジン出力も向上したため今まで苦戦を強いられてきた白玉型ともほぼ互角にやり合えることが、試験で実証済みだ」

「ほ、ほんとですか!?」

 

瑞鶴よりも早く赤城が、机を大きく叩き目を輝かせる。あまりの喜びように、あの瑞鶴が苦笑している。発生した音で「きゃっ」と可愛らしく黒髪妖精が驚いたりもしているが、誰も赤城に怪訝な表情は示さない。今回も含めて、これまで白玉型には散々痛めつけられてきたのだ。その先頭に立ってきたのが自分たち空母。特に古参の正規空母勢である。日本の技術力の結晶である零戦に文句をつける気はさらさらなかったが、敵が強いのだ。アメリカと同じように。

 

「ああ、そうだ。流星についても、天山より雷撃力が向上。武装に至っては零戦52型と同等の火力を有する。さらにこれまで艦攻になかった防弾性能が加わったため、生存性も向上している。攻撃の成功率は跳ね上がるだろうがこいつは艦爆と艦攻一機で兼ねる統合攻撃機構想の申し子でもある。だから、雷撃のみならず爆撃もやろうと思えば出来る。任務の幅も大きく広がるな」

 

赤城の反応に笑みを浮かべながら流星の利点を大まかに説明する漆原。それを見ると大変言いづらいが、これは絶対に聞いておかなければならないだろう。

 

 

自分たちは、絶対に勝たなければ、守り切らなければならないのだ。

 

 

 

 

第5艦隊を壊滅させた敵空母護衛艦隊の最後の生き残りであった戦艦ル級flagshipが、命からがら退艦した因幡乗組員に何をしたのか。

 

その光景を激しい嗚咽交じりに報告してきた第二次攻撃隊隊長機の声はいまだに耳から離れなかった。

 

 

“俺たちがあと2分・・・・あと2分早くついていれば・・・こんなことには・・・。すみません・・・・すみませんっ!!”

 

 

 

「くっ・・・・・」

 

自然と拳に力が入る。失われなくてもいい命が、また失われたのだ。そんなことがこれから先も繰り返される事態は絶対に許されない。

 

それが周囲に漏れていたのだろうか。瑞鶴が心配そうに漆原や百石と言葉を交わしながら、こちらへ視線を向けてくる。だが、無用とばかりに無視するだけで反応はしなかった。

 

「工廠長、伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ん? 加賀、どうした?」

「これらの機体の素晴らしさはよく分かりました。私も感激の至りです。しかし、新型機には弱点がつきもの。紫電改二や流星にも・・・・・・・存在するのですよね?」

 

その瞬間、百石たちの表情が暗くなる。そして、「ご名答」と言わんばかりの苦笑。

 

「ああ、いくらか改善したんだが、やはり妖精たちの記憶が全ての根源だからな。こちらが手を加えるには限界がある」

「って、ことはやっぱり・・・」

「ああ。紫電改二はもともと局地戦闘機として開発されて機体をベースにしているため零戦より航続距離が短い。流星はエンジンが癇癪もちってところだな」

 

「日本のものと一緒じゃない」と瑞鶴。

 

「だが、それを勘定しても性能を考えれば十分に補えると我々は判断している。紫電改二は航続距離の短さを十分補えるほどの性能を有している。流星も同様だ。君たちの方が分かっていると思うが、これが横須賀だけでなく他の鎮守府にも配備されれば、戦局を再びこちらへ引き寄せることができる」

「今、最も問題となるのは機体の性能でも、欠陥でもない。ろくな訓練もなしに実戦投入しなければならないということだ」

 

百石の表情が険しくなる。

 

「この機体の妖精たちは出来ると胸を張っているが、正直判断に困る。彼らは試験飛行でしか飛んでないんだ。空母の発着艦の訓練も一応済んではいるが、その時付き合ってくれた翔鶴は現在治療中」

 

横須賀沖の戦闘で損傷した翔鶴・榛名・潮は、現在横須賀鎮守府内にある海軍横須賀病院の艦娘病棟で治療を受けている。102隊が決死の覚悟で離脱を援護してくれたため、幸い敵の攻撃を受けることもなく、横須賀病院へ搬送することができた。だが、潮を代表格に損傷は容易に回復するものではなく、今作戦から3人は外されていた。

 

その言葉を最後に黙り込む百石。その沈黙はこう告げていた。

 

 

できるか、と。

 

 

ぶっつけ本番で彼らを運用できるかと、そう百石は言っているのだ。

 

「できます! いえやってみせます!」

 

一番初めに声を上げたのは、赤城だった。そこに先ほどまで子供のように目を輝かせていた少女は存在せず、正規空母としての彼女がいた。疑いを感じさせない、自信に満ち溢れた言葉。こちらが声を上げずともそれだけで十分だった。一航戦旗艦赤城の言葉は加賀の、瑞鶴の言葉でもある。

 

「分かった」

「では早速艤装の換装作業に着手します! すぐに片付けますのでご心配なく!!」

 

そういうと、漆原は整備棟へ向かうため、慌てて話し合っていた部屋から退出する。彼の肩に乗っかった黒髪妖精も一緒だ。

 

「ねぇねぇ、提督?」

「ん? どうした、瑞鶴?」

 

意地悪げな笑みを浮かべて、百石を見る瑞鶴。百石は若干、動揺している。なぜ彼女がそのような表情をしているのか分からないことに加え、講堂での件を気にしているのだろう。

 

「私たちが戦闘することはほぼないって踏んでるでしょ?」

 

視線を逸らす。艦娘の指揮官であるため口では言えないのだろうが、視線ではきちんと教えてくれた。

 

「みずづきさんがいるものね」

 

柔和な顔に戻る赤城。それを見て、百石は気まずそうに苦笑する。

 

「彼女は、我々の切り札だ。だが、戦場ではなにが起こるか分からん。特に今回は用心しないといけない。それに、みずづきも私と同じれっきとした人間だ。いざという時は夜襲艦隊を頼むな」

『はい!!』

「但し、無茶はするなよ。特に、瑞鶴!」

「えっ!? なんで私だけ!! ちょっと、提督!!」

 

「前科を考えろ、前科を」と瑞鶴の弾幕を手で払う百石。めげず言葉を投げ続ける彼女であったが、意識の多くは相変わらず加賀へと向けられていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

何気なく夜空に浮かぶ少し欠けた月と人工的な照明によって、暗闇の中でもしっかり視認できる艦娘専用桟橋。敵の第2次攻撃によって損傷したものの、鎮守府工兵たちの活躍で昨日中にその機能を取り戻すことに成功していた。それを使い、艤装の重みを背中と肩に、感触を体中に覚えながらゆっくりと海上に足をつける。

 

乱れる水面。同時に浮かんでいた月と照明も形容できない形へと歪む。それはみずづきの後も次々と降りてくる艦娘たちによって続いていく。その姿を街灯から発せられる斜光を背に横須賀鎮守府の将兵たちが固唾を飲んで見守る。百石をはじめする幹部たちも軒並みたたずんでいる。人数は多すぎて数えられない。

 

そして、みずづきたちの姿を祈るような目で見ているのは彼らだけではなかった。艦娘専用桟橋を含めた横須賀鎮守府中央区画が存在する楠ヶ浦町のちょうど対岸に位置する箱崎町。大昔、海軍によって行われた開削で島のようになってしまった半島には、軽油をはじめとする燃料や弾薬の貯蔵施設が設置され、横須賀湾にはそれらの搬出用に補給船が横付けできる岸壁がつくられていた。深海棲艦空母機動部隊の攻撃による被害も軽微で済み、現時刻になっても2隻の補給船が停泊し、クレーン・車両を用いた燃料・弾薬の搬出が急ピッチで進められている。横須賀湾の入り口付近には数隻の補給船が待機しており、現在停泊している船への搬入が終わり次第、別の補給船が入港してくる。昨夜行われた佐影総理による特別非常事態宣言の発令及び背水作戦の発動・移行後、この光景がやむことは一瞬たりともなかった。ここで積載された燃料・弾薬は木更津港へ運ばれ、敵の房総半島九十九里浜上陸に備え緊急展開しつつある陸海軍部隊に供給される。

 

だが、その光景は今、瑞穂が明確な国難に直面して以降、初めて止まっていた。作業から身を退き、艦娘たちが見える岸壁に集まる水兵たち。汚れたシャツや汗だくになった顔に似合わず、宿している表情は百石たちと同じであった。

 

長門の指示に従い陣形を整えつつ、そこから今度は左側に視線を向ける。この世界に来た直後に、吹雪たちと足を運んだ海浜公園。街灯に照らされたそこは大きなバックや風呂敷を背負い、鞄を手に提げ、不安に押しつぶされそうな表情の人々で埋め尽くされていた。果てしなく続き、所々で曲がりくねっている列。国鉄横須賀線の上り電車で鎌倉方面へ避難する横須賀市民たちだ。その間に周囲へ目を光らせる警察官や非常招集された海軍予備役の兵士が立ち、誘導を行っている。横須賀駅に電車が来るたび、列は進んでいくもののあまりにもゆっくりだ。国鉄横須賀線は横須賀まで複線とはいえ、小田原方面へ向かう避難住民と横須賀や三浦へ展開する軍部隊の輸送でパンク寸前となり、輸送が思うようにはかどっていなかった。

 

その後ろ。

 

海浜公園と道路を隔てる形で横須賀鎮守府内まで続く海軍専用貨物線は弾薬をはじめ将兵たちを乗せてひっきりなしに、鎮守府方面へ、田浦方面へ走っていく。それを背に、将兵たちと同様にこちらへ視線を送ってくる市民たち。日本人のように「万歳ぃぃぃ!!!!」や「日の本の栄光を!」などの勇ましい声は一切あげない。口のかわりというように、ただ静かにこちらを見てくる。小さな子供が、中学生が、若者が、両親と同じくらい年をとった中高年の夫婦が、静かに・・・・・・・・。

 

「出港準備、完了しました!」

 

長門の声。現状でも、昨日までと変わらない。それを聞くと百石は頷き、険しい表情で短く重い一言を発した。

 

「出港せよ」

 

「総員、抜錨」の掛け声と共に第1・2夜襲艦隊、後方支援艦隊、護衛艦隊、総勢23人の機関が始動。煙突を持つ艦娘からは勢いよく黒煙が吐き出される。みずづきも彼女たちと同じく化石燃料を燃やしてエネルギーを得る内燃機関を使っているため煙は出るが薄い灰色で、昼間でもほとんど分からないため現状では見えない。

 

岸壁にいる百石たちに敬礼し、進み始める。

 

「帽振れ!!!!」

 

百石の掛け声を合図に被っている帽子をとり、将兵たちが一斉に頭上でゆっくりと回し始める。人数の多さがそれによって生み出される壮観さを際立たせる。しかし、それを行ったのは彼らだけではなかった。対岸にいる水兵たち、そして海浜公園にいる市民たちも百石たちと同じ動作を行う。市民たちに至っては、帽子を持っている者は将兵たちと同じように帽子を頭上で回すが、帽子を持っていない人々は防災頭巾やハンカチ・タオルを高く掲げ、回している。

 

一生懸命に。

 

そこへ汽笛の音が鳴り響く。プゥゥーーーーー、プゥゥーーーーーと。燃料・弾薬を積載中の貨物船からだ。よく見れば、艦橋にいる船員たちも帽子を振っている。

 

「絶対に勝って見せるデース・・・・・」

 

無線を通じて耳に響く金剛の声。そこには長門と対照的にいつもの陽気さはない。マグマのような闘志と、巨石のように何をしても揺るがない覚悟だけだった。こちらに彼女たちの気持ちを推し量ることはできない。自身も本土決戦の間際まで追い込まれた状況に身を置いていたが、それでもだ。特に長門たちは本土決戦が現実味を帯びた大戦末期まで生き残っていたのだ。

 

負ければもうあとはない。後ろには、本土が広がっているのだから。




房総半島沖海戦編もそろそろ佳境に入って参りました。果たして、みずづきたちは瑞穂を守り切ることができるのか・・・・。

っと、既にお気付きの方もおられることと思いますが、ここで艦娘たちの「入渠」について説明させていただきたいと思います。

艦娘たちが戦闘やじゃれあい(?)で入渠する場合、テレビアニメ版や漫画、多くの二次創作作品では「入浴」に近い形を取られています。本作でもそれに準じようと思ったのですが、傷だらけの状態で入浴(人間だと確実にドクターストップです)や時には20時間以上にも上る入渠時間中に何をしているのか(・・・ご飯は?)、といった点に疑問を抱いたため、本作では「入渠=入院」としています。こちらの方が作者的にはしっくりきました(苦笑)。ですので艦娘たちは湯船に放り込まれるのではなく、私たちと同じように医師・看護師監視の元、ベッドに寝かせられます。(・・・・・こっちの方が残酷のような気がしてきた)



この点をご了承下さいますようお願いいたします。


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58話 房総半島沖海戦 その7 ~有明に勝利を~

暑い・・・・・。暑い・・・・・・。
最近、「炎暑」などという笑えない単語を見る機会が多くなってきましたが、これは「酷暑」の上位種なのでしょうか。猛暑の次は酷暑。酷暑の次は炎暑。炎暑の次は・・・極暑?

連日の猛暑日(気象庁発表)に晒され、つい呪詛の念を吐いてしまいましたが・・・どうぞ!


あれから、どれほど時間が経っただろうか。精神的に重すぎるものを背負っているためか、透過ディスプレイに堂々と時間が表示されているにも関わらず、体内時計が狂ってくる。現在、艦隊は千葉県富津市と鋸南町の境にある明鐘岬沖の浦賀水道を着々と南下していた。今のところ、FCS-3A多機能レーダーに瑞穂側の船舶・航空機以外の反応はない。昨日1日で豊富過ぎる情報を得たため、目標識別はなんなく行えるようになっている。

 

「あれ、なにかしら?」

 

唐突に声をあげる雷。そう思ったのは自分だけではなかったようで電が「どうしたの、雷ちゃん」と少し控えめに問いかける。ピリピリしている長門や赤城たちを気にしているのだろう。雷も気付いているようだが、それよりも左舷、視界全体に広がる房総半島沿岸に光の線が続いていることが気になったようだ。

 

「ああ、あれか? 俺も気になってたけど、この距離じゃいくらなんでも見えねぇだろ」

 

ごく普通に会話へ入ってくる深雪。彼女の言う通り、ここから肉眼で捉えることは不可能。それでも艦娘たちの中で見えるものは見えているのだろうが、みずづきには光の線があるということしか分からない。

 

「そういえば・・・・なぁなぁ、みずづき?」

「ん? どうしたの黒潮?」

 

彼女の真意が分からず首をかしげる。深雪たちの話に関連していることは察せられるが、こちらと関係があるのだろうか。

 

「みずづきって、確かカメラ持ってたやんな? ごっつ先まで、仰天するほど見えるっていう・・・・・」

「うん、まぁ、そうだけど・・・・・・・って」

 

黒潮の認識が大げさに感じられ微笑をこぼすが、その過程で彼女の真意を理解する。要するに。

 

「あれがなにか、カメラで確認しろっ、と?」

「ご名答や!」

「やっぱり・・・・・」

 

黒潮や聞いているであろう他の艦娘に気付かれないようため息を吐く。別にやってもいいのだが、みずづきも十分艦隊の雰囲気を把握している。あまり危険が伴うことはしたくないのだが長門たちの沈黙を肯定と受け止め、雷や電からのお願いもあり結局カメラを向けることとなった。

 

「えっと・・・・・」

 

再び静寂を取り戻す無線。みずづき以外の22人が耳を澄ませているのかと思うと緊張してくるが、艦娘と海防隊群が映っている対水上画面から目を離し、意識を出来る限り眼前の光景に向ける。

 

上がっていく倍率。

 

適切な焦点でズームをやめる。暗視モードを使おうとも思ったが、不要だった。カメラの先には撮影に必要なだけの光量が存在していたからだ。

 

「どう、だった?」

 

気配の変化を察知したのか、雷が問いかけてくる。口が重たく感じるものの、彼女に彼女たちに見える光景をありのままに伝える。

 

「あれは北側、富津方面へ北上するバスと館山方面へ南下する戦車を乗せた運搬車のヘッドライトです」

「え?」

 

誰のものか分からない驚愕。深雪や黒潮も「それ、ほんと!?」と問うてくるが「ほんと」と答えるしかない。

 

「ちなみにですけど、厳密にいえば車のヘッドライトだけではありません。その脇を歩く民間人が持っている懐中電灯も含まれています」

 

訪れる重い沈黙。真夜中の道にそれだけの人が溢れているのだ。理由など、今さら考えるものではない。

 

「あの光一面に、避難してきた人が・・・・・・・」

 

誰も口を閉ざす中、陽炎の沈みきったようで固い決意を再確認するような一言が聞こえてきた。

 

かなり遅い速度で進んでいくバスの群れ。鼻の長いレトロな車体の中には隙間が確認できないほど人が乗り込んでいる。捉えられる範囲のバスすべてがそうだった。その脇を彼女たちに伝えた通り、人々が歩いて行く。格好や手荷物は横須賀と同じだ。バスが走っている反対車線には、戦車を乗せた運搬車が続々と走っていく。陸防軍が保有している10式戦車・90式戦車、74式戦車とは全く異なるシルエット。全ての戦車が同じかと思えばそうでもない。どうやら2種類の戦車が運ばれているようだ。

 

ずんむりむっくりの外見にしては細い砲身を持っている戦車と、角ばった車体の割には大きな砲身を持っている戦車。30式戦闘機と異なり一般人には不可能だが旧大日本帝国陸軍に詳しい日本人がそれらを見たなら、こう言うだろう。前者を「97式中戦車」、後者を「3式中戦車」と。アジア・太平洋戦争における旧大日本帝国陸軍の主力戦車とよく似ている前者は2011年から配備され始めた11式戦車である。そして97式中戦車の後継として開発された3式中戦車に似ている後者は、戦車型陸上深海棲艦の正面撃破を成し遂げるために開発された29式戦車である。主砲は75mmであり、57mm砲でしかなかった11式戦車よりも格段に攻撃力の向上が図られている。装甲も11式戦車が前面25mmであったのに対し、29式戦車は倍の50mmに強化されていた。

 

彼らは横須賀鎮守府田浦地区から船で東京湾を渡ってきた横須賀特別陸戦隊第3特別陸戦隊第4中隊で、房総丘陵に築かれている陣地に展開するべく移動中であった。戦車運搬車の後ろには、歩兵部隊である特別陸戦隊第1・2中隊、砲兵である第3中隊を乗せたトラックが続いている。この部隊は先陣であり、第2特別陸戦隊や第1・第2海兵団、そして陸軍の部隊を乗せた数多の輸送船をみずづきたちは横須賀湾沖で既に目撃していた。

 

「第1点に到着。みずづき、作戦通り、哨戒機を発艦せよ」

 

先ほどの会話がなかったかのように、淡々と長門は命令を下す。だが、自分の報告によってもともと抱えていた冷静さがさらに深まったように感じるのは気のせいなのだろうか。湧きあがってくる激情を、心を鎮めることによって抑えているような・・・。

 

「みずづき? 聞こえているか?」

「は、はい! 聞こえています! すみません。航空機発艦作業、開始します」

 

考え事をしていたら無視したような形になってしまった。気を取り直して、ロクマルの発艦準備を開始する。

 

「航空機即時待機。準備できしだい発艦!」

 

少しだけ慌ただしさを帯びる艤装。出撃直前の情報によると、敵連合艦隊は野島岬沖40km付近に陣取っているとのことだった。手出しできないことを知っていてこちらを舐めているのか、よほど牽制したいのか。どちらにせよ、本土の目と鼻の先にいることは純然たる事実である。ロクマルに課された任務はもちろん、水平線以遠の捜索だ。しかし、相手は空母4隻で夜間攻撃も可能なフラッグシップ。甘く見れば、看過できない損害を被りかねない。妖精によれば空母艦娘たちの艦載機と同じ原理で撃墜されてもロクマルの再生は可能らしいが、この機体は特別なのだ。

 

 

決して、失うわけにはいかない。この機体は彼女の形見なのだ。

 

 

開く格納庫のシャッター。カメラに映し出されるロクマル。柔軟性を持ったメインローターを広げ、固定。ロックを外し、支えを失ったローターが海風に揺れる。メガネに準備完了の知らせが表示された。

 

「航空機、発艦!」

 

回り始まるメイン・テールローター。可愛らしい爆音を響かせ回転数が一気に上昇し、機体がゆっくりと浮き上がっていく。風が弱いため、安定した発艦が叶った。

 

頭上を飛び越え、徐々に距離が開いていく。しばらくすると識別灯も消え、月光に邪魔されつつも夜の闇に紛れていく。対水上画面に映る光点とロクマルから送られてくる映像を含めた情報。それだけが視覚できないロクマルの存在をみずづきに示していた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「3特戦、明鐘街道を南下中。到着時刻、現状では変更なし」

「2特戦、木更津港に到着。揚陸開始」

「横須賀要塞、弾薬補給率90%。0300までに完了の見込み。横須賀要塞根拠地隊から留意事項の伝達なし」

「第2海兵団、千葉県に入りました。市川の陸軍第11砲兵連隊と合流後、銚子へ向かいます」

「小田原、第25歩兵連隊、第12砲兵連隊、第14高射中隊全部隊の出撃完了。現在、国道1号線平塚駅付近を東進中」

「高崎・新発田に分散配備されている第2師団、第15歩兵連隊が移動を開始。第1師団各部隊の穴埋めとして、都内を中心に展開する模様」

「東京より第2近衛師団が出撃しました。佐倉の第3近衛師団と合流予定です」

「陸軍豊岡飛行場への千歳第505飛行隊の展開が完了しました」

「土浦基地、出撃準備完了。さきほどから上空待機を開始しました」

「厚木・百里の滑走路修復、進捗率55%。夜明けまでには修復が完了するとのこと。なお館山基地の修復は放棄。基地残存部隊は修復中の陸軍木更津基地へ移動。第一次攻撃で損耗した基地防備戦力の穴埋めとするとのこと」

 

朝に比べると幾分、静かになった横須賀鎮守府1号舎地下の作戦室。肩がぶつかってなんぼという状況はすっかり影を潜め、敷かれた段ボールや不要になった書類の上で雑魚寝をしている士官が固い床に転がっている始末だ。このような状況でよく眠れるなと感心するが、余程疲れているのだろう。誰もが泥のように寝ている。その脇を行き交い、いまだに活動している将兵が地図と黒板に次々と入ってくる新しい情報をが書き込んでいく。

 

百石は地図が広げられた作戦室中央の机につき、ただ聞こえてくる音と書き込まれる文字に意識を向けていた。一斉に房総半島へ移動しはじめた関東駐留の陸海軍部隊。それだけではなく、陸軍の各方面隊隷下部隊、海軍の各特別陸戦隊など瑞穂全国の部隊が関東へ移動を開始している。展開は瑞穂軍が創設されてから初ということもあり、少し遅れているが比較的順調に進んでいた。

 

しかし、それはあくまで軍の話。百石は民間が気がかりで仕方なかった。

 

「緒方、住民の避難状況はどうなっている? さっき先輩から聞いた話では、かなり遅れているとのことだが・・・・・」

 

今回避難命令が発令された関東地方、1都7県には約1800万人が居住している。横須賀市だけでも約25万人がいるのだ。敵の上陸地点と予測されている千葉県に限っても人口は約210万人。千葉県の民間人をわずか1日で他県へ避難させるだけでも、あきらかに行政能力・社会インフラの許容範囲を超えていることは明らかだ。敵の早期到達地点や攻撃目標となり得る政府・軍関連施設近傍の地域から優先して避難が行われているが、果たして間に合うのか。

 

「懸念されている通り、状況は全く改善しておりません」

 

苦しそうに語る緒方。思わずため息が漏れる。

 

「太平洋沿岸市町村からの避難、そして軍・政府施設近辺からの避難は進んでいる模様ですが、その分別の自治体に人が溢れている状態です。少なくとも千葉県内にいる民間人の総数は徐々に減ってはいますが、現在のペースを維持すればとても今日の夕方までには間に合いません。日本の沖縄戦のようなことは何としても避けなければなりませんがどこもかなり混乱しているようです。一部情報では警察が発砲したとの話もあります」

「百石、一応展開している部隊が言ってきたことを考えて、腹を決めておいたほうが良くないか?」

 

隣で同じように事態の推移を見守っていた筆端が深刻な表情で言ってくる。現在展開中の海軍部隊のほとんどは鎮守府の直轄部隊ではない。しかし、こちらも本来は教育機関であるところの海兵団から経験豊富な教官たちを主軸とした海兵団陸戦部を既に派遣している。また前線部隊と鎮守府との意思疎通を円滑にする目的から、参謀部員と警備隊員で構成された横須賀隊も出立している。警察が発砲しなければならないほど避難地域で混乱が広がっているのなら、全速力で展開中の陸戦部や横須賀隊が住民を障害と判断し、発砲許可を求めてくることは十分に考えられる。呑気に「どいてください」などと言っている余裕はないのだ。現場ならなおさら。

 

「しかし・・・・・」

 

即断できない。いかに緊急時で、殺傷目的ではなく排除用の威嚇だとしても、本来守るべき国民に銃を向ける。これへの抵抗はぬぐえない。進言してきた筆端や緒方、そして今疾走している各部隊もそのようなこと、行いたくないのは重々承知している。だが、百石も軍人。国民を守るために、国民を恐怖させる行動を取らざるを得ないことも分かっていた。

 

百石が沈黙していると通信課の士官が大慌てでこちらへやってくる。何事かと問えば、横須賀市長が直接、百石と話がしたいと言ってきたそうだ。「分かった」と言うと地図の横に置いてある黒電話をとる。

 

「もしもし、百石です」

「もしもし、斎藤です。お久しぶりですな、百石提督」

 

少し気真面目さが感じられる声の男性。受話器越しの彼が横須賀市のトップ、斎藤忠兵衛だ。

 

「こちらこそ、ご無沙汰しておりました市長」

「いやいや、最近の多忙ぶりは小耳にはさんでおるよ。ゆっくりとお互いの愚痴を語り合いたいものだが、今は時間がない」

 

穏やかな口調から一転、緊迫感が漂う。電話口からは斎藤の声以外なにも聞こえない。横須賀市役所の前にある大通りを行き交い、四六時中聞こえる自動車の走行音も。

 

「現時刻をもって、横須賀市役所機能を横須賀市から富士市へ移転。当該事項を横須賀鎮守府司令長官百石健作提督に通告します」

 

特別非常事態宣言発令時第1号計画で定められた通告義務。それを果たした斎藤の言葉を百石は受話器を強く握りしめながら、黙って聞いていた。斎藤の声がひどく悲しげなのを聞き逃すことはなかった。

 

「市長、住民の避難状況は?」

「約半数は鉄道とバスで既に横須賀を退去。残る半数も正午前には鎌倉や平塚に避難できる模様だよ。・・・行政機能は移転するが、そっちは副市長に任せて、私は最後の住民が横須賀を出るまで、避難の陣頭指揮にあたるつもりだ」

「そうですか・・・」

「秘書には、散々一刻も早く平塚に行けと言われてるんだがね・・・」

「市長! 横須賀署とバス協会が第3次輸送計画の打ち合わせを至急行いたいと!」

 

斎藤の言葉を遮る形で叫ぶ男性。声だけなのでよく分からないが、おそらくやり玉に挙がっていた彼の秘書だろう。

 

「分かった、すぐ行く。・・・・・申し訳ない、こちらから連絡したのにも関わらず」

「いえいえ、とんでもないです。私も市長とお話しできてうれしかったですよ」

「市長!」

「うるさいな! すぐ行くから部屋の外で待ってろ!! ったく・・・」

 

相変わらずの忙しなさについ苦笑がもれてしまう。

 

「百石提督。最後に1つ聞いてもよろしいかね?」

「ん? どうしたんですか?」

「君は、横須賀が好きかね?」

 

柔らかく、静かな口調の問い。短くも重い言葉だが、そんなもの愚問だった。百石は斎藤と異なり、横須賀生まれではない。この地に腰を据えたのは横須賀鎮守府司令長官に任じられ、着任してからだ。しかし、横須賀の良さは十分に知っている。

 

「はい。好きです」

 

だから、即答した。はっきりと明るい声で。

 

「そうか・・・・」

 

嬉しそうな声。伝わってくる雰囲気から斎藤が笑みを浮かべていることが分かる。

 

「では、また()()()()会おう」

 

それを最後に切れる通話。ゆっくりと受話器を降ろす。彼の言葉が心にじっくりと染み込んでいく。誰も、故郷が戦場になることなど望んでいない。ただ、日常を望んでいるのだ。朝起きて、朝食を食べ、学校・職場へ行き、友達や同僚とたわいもない会話をして、帰宅し、家族と共に夕食を食べる。そんな、当たり前の生活を。

 

それを守れるのは、自分たち軍人だけなのだ。今実際に敵殲滅へ向かっているのは艦娘たちだが、こちらにもやるべきことはたくさんある。決して表には出ないものの、表に出る彼女たち・各部隊の機動的な対応に必要不可欠な裏方の仕事が。

 

「報告します!」

 

通信課長の椛田が久々に声を張り上げる。百石と同様に声が枯れていたのだが、のど飴のおかげか幾分マシになったようだ。

 

「長門より入電。みずづきのSH-60Kが敵連合艦隊を捕捉した模様」

「本当か!?」

 

疲れからくる睡魔でふらついていた作戦課長の五十殿が、勢いよく椅子から立ち上がる。顔には歓喜が浮かんでいる。彼だけではない。つめている士官たちが手を止め、椛田の言葉に耳を傾ける。

 

「位置は?」

「野島岬南方42km地点を9ノットで南下中」

「霞ケ浦の部隊が決死の覚悟で集めた事前情報と一致するな」

 

地図上で霞ケ浦を見つめる筆端。霞ケ浦には、水上機と偵察機、輸送機など後方支援機の練習部隊が置かれている。そのため通常ならば実戦に投入されることはないのだが、今回は関東の実戦部隊が軒並み壊滅してしまったことで、訓練課程を終えていない練習生までもが戦線に加えられていた。そんな彼らが日没間際で、野島岬沖を航行している敵連合艦隊を発見したのだ。かなり時間が空いているため、かなり遠くへ移動している可能性も議論されたが、敵はやはり動く気はないようだ。

 

「艦隊の現況は?」

「明鐘岬沖で二手に分かれた後、夜襲艦隊は南下。浦賀水道を抜け相模灘に進出。支援艦隊も作戦通りの海域で待機につきました」

「艦隊の進路上に、対艦ミサイルが敵と誤認しそうな味方艦艇は?」

「いないとのことです。みずづきが確認しました」

「そうか・・・・」

 

準備は整った。待ちに待った反撃、そして正真正銘、本土を守る戦いの始まりだ。

 

「長門に打電。作戦を開始せよ」

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「鎮守府より入電。作戦を開始する。みずづきに下命。攻撃を開始せよ」

「了解! SSM-2B blockⅡ、攻撃よーい!」

 

闇夜に響く声。月光が少しばかり味方に付いていてくれるものの「一寸先は闇」とはまさに今の状況で、メガネの暗視モードと多機能・航海レーダーがなければ、まともな行動は不可能であるし、恐怖感に押しつぶされそうになる。

 

つくづくレーダーもなにもなく裸眼で航行する艦娘たちには感心してしまうが、そのようなことを思っている場合ではない。ロクマルとリンクした対水上画面に映し出される12個の光点。典型的な輪形陣を形成し、中央に空母を4隻配している。もしロクマルがいなければ、重空母機動部隊との戦闘のように大まか位置情報に基づいて発射し、どの目標にあたるかはSSM次第という運任せの攻撃を行わなければならなかったが、今回はロクマルが夜襲艦隊の前方に進出している。今のところ気付かれた気配はなく、ロクマルの対水上レーダーから得られた詳細な目標情報をSSM-2B blockⅡご自慢の誘導装置に入力可能で、狙った目標に命中させることができる。

 

これは嬉しい限りだ。空母や戦艦、重巡を先制攻撃で沈めてしまえば、残るのは軽巡と駆逐のみ。いくらフラッグシップとはいえ、こちらは12隻で戦艦が2隻に重巡が1隻、手練れの軽巡・駆逐艦たち。そしてみずづきがいる。大きく戦局がこちらへ傾くことは明白だ。

 

主の意向を受け、最重要目標に照準を合わせた後、メガネに攻撃準備完了の表示がなされる。ゆっくりと発射ボタンに指を置く。プラスティックのような肌触りの無機質な突起を押し込む前に、眼前の闇を見つめ、大きく深呼吸を行う。

 

昨日の午前中に生起した石廊崎沖での戦闘に比べれば、圧倒的にこちらが有利の状況。しかし、情勢は偶発的迎撃戦ではなく必然的かつ敗北が許されない本土防衛のための殲滅戦。いくら、戦艦棲姫と空母ヲ級改flagshipを仕留めようと、緊張を拭い去ることは出来なかった。

 

順当に今までの経験と訓練の成果を発揮すれば、勝てる戦い。しかし、敗北した場合に待ち受ける未来は日本と同じ絶望の嵐。昼間に見た地獄を量的・質的に凌駕するおぞましい世界に膨大な数の人々が飲み込まれることとなる。

(それだけは・・・・、なんとしても・・・・)

 

許してはいけない。

 

(あの悲劇を受けた国の人間として・・・・。あの絶望と閉塞の中に身を置いた一人の人間として・・・・。もう。これ以上!)

 

 

みずづきは顎の筋肉が発揮しうる限界まで歯を食いしばる。そして、号令と共に力強く押した。

 

 

「SSM一番、撃ぇぇぇ!!」

 

刹那、照明弾かと思えるほどのまばゆい光を放ち白煙をまき散らしながら、SSMが発射筒から飛翔していく。照らされる海面と海上に浮かぶ自分自身の姿。周囲は轟音と共に、数秒間のみ昼を先取りする。1発だけでも圧巻だが、攻撃はこの世界に来て珍しくなくなった全弾発射だ。

 

次々と撃ち出されていく小さな太陽。暗闇が戻ってきたと思ったら、すぐにもうじき待てば出てくる太陽が出現する。さすがにこのような神々しい光景を前に口を閉ざしてはいられないのか、発射と発射の間でみずづきのSSM発射を初めて見る艦娘たちの騒ぐ声が聞こえる。

 

「こりゃ・・・たまげた・・・。こんな末恐ろしいものが赤城たちに飛んできたのか・・・・・。私に撃ちこまれなくて良かったと、今更真剣に思ったぜ・・・・」

「珍しいわね、あんたと意見が合うの。あのときは動転しててそこまで思わなかったけど、確かにこれだとああなるわね・・・」

 

現在、常に第1夜襲艦隊と第2夜襲艦隊の各艦で交信が繋がっている。そのため、第1夜襲艦隊の摩耶と第2夜襲艦隊の曙の間で行われた会話のように、無線の状況が良好なら会話も可能だ。

 

「眩しい! せっかく慣らしたのに夜目が台無しじゃない!」

 

その会話を押しのけるように怒気を爆発させた大井の声が聞こえてくる。「北上さんがいなくてよかった!」と遥か後方で待機している北上に想いを馳せているが、攻撃開始前に一応「目に注意してください」と注意喚起はしていた。誰もそれに構っていないようだが。

 

「電! 目を塞いでないで見てみなさいよ!! すごいわよ!! 花火が常に咲いてるみたい!!」

「雷ちゃん! 手をすり抜けて見えるほどのものを見ちゃったら、目がおかしくなっちゃうのです! 電は見ないのです! 見ないのです! 見ない・・・・す、少しだけ・・・・うわぁ!」

「Wow!! wonderful! And beautifulネ!!! 赤城はおろかあのブルーオーラを発艦不能に追い込んだ一撃デース!! 敵さんたちもこのようなクレイジーな鳥を見れば、ダンスダンス! 間違いないデース!!」

「金剛さん・・・ダンスダンスって。確かにダンスみたいに飛び跳ねるかもしれませんけど・・・・・。でも、これが未来の・・・みずづきさんたちの戦闘・・・」

 

妹たちと異なり、SSM-2B blockⅡ発射シーンを初めて見た吹雪が感慨深げに呟く。最後の1発が発射されたタイミングは吹雪の言葉が途絶えたと同時だった。艦娘たちの驚愕を背に上昇した一段は。急速にこちらと距離を取り、水平線の向こう側へ消えていく。多機能レーダーの対空画面に映る単縦陣を描いているような光点の群れ。彼らは迷いなく、堂々と己の目標へ突き進んでいく。彼我の距離、53km。

 

「全弾発射完了。命中まで3分20秒!」

「すごい・・・・・」

 

誰の声か分からないが、はっきりとそう聞こえた。

 

刻々と流れていく時間。しかし、命中までSSMの反応を祈るように凝視するこの時間は、何度経験しても平時と比べて遥かに長く感じる。自動車で移動すれば1時間近くかかる距離をわずか3分足らずで駆け抜けるのだから、目をむくほど速い。それでもこの時間は長かった。これは前方と後方を航行している艦娘たちも同様だろう。あれほど騒いでいた曙たちがすっかりなりを潜めている。

 

「命中まで、30秒・・・」

 

とうとう、カウントダウンを開始するところまで来た。敵は自分たちに必殺・百発百中の矢が向かっていることなど露知らず、呑気に航行している。

 

「命中まで15秒」

 

無線越しに息を飲む音が聞こえる。

 

「命中まで5、4、3、2、1・・・・え?」

 

敵艦艇と重なっていくSSMの光点。「命中」の文字が踊るが、異なる反応を示すものが2つあった。目標としていた空母機動部隊戦艦タ級flagship、空母護衛艦隊重巡リ級flagshipの手前で反応がSSM-2B blockⅡ消失したのだ。それも突然。誤作動なら何かしら前兆が生じたり、明後日の方向に飛んでいったりするのだが、それもない。しかも、1発ではない。2発だ。

 

「どういうこと・・・・・。ここまで忽然と消えるということは・・・・つまり」

 

入手できる情報を総合した結果、ある結論が脳裏をよぎる。相手は第二次世界大戦レベルの兵装。容易には信じられなかったが表示される「不命中」の文字がそれを後押しした。

 

「どうしたみずづき? なにかあったのか?」

 

カウントダウンから一転の沈黙に、長門が報告を求めてくる。その声色には、若干の戸惑いが含まれていた。

 

「その、すみません。発射した8発中6発の命中を確認。空母ヲ級4隻、重巡リ級1隻、駆逐ハ級1隻の撃沈を確認しました」

「おおお!!」

 

どよめき。主に暁などみずづきの戦闘情景をはじめて見聞きする艦娘たちの声だが、安堵したような陽炎たちの声も聞こえた。しかし、言葉に秘められたイレギュラーはすぐに察知された。

 

「ん? 8発中6発が命中? 残りの2発はどうした?」

 

最も早く異変に気が付いた者はさすがというべきか長門だった。

 

「え? 6発? みずづき! 撃ったのは8発だよね!?」

「そうやそうや! 6発て、残りの2発はどこにいったんや・・・」

「ま、まさか・・・・・・」

 

安堵から一転。陽炎は深刻そうに呻く。どうやら、その可能性に思考が追いついたようだ。

 

「う・・・・そ・・・」

「え? なに? 陽炎! 川内さん! まさかって・・・ほんまに・・・?」

 

黒潮の確認。誰に対してのものか明示されなかったが、声色から自身に向けられただと直感的に分かった。

 

「・・・・命中する前に反応が途絶えた。たぶん・・・・・撃墜されたんじゃないかと」

『え!?』

 

艦隊に衝撃が走った。

 

「う、嘘でしょ!? あれを、撃ち落としたっていうの!!」

 

今度は違う意味のどよめき。演習において赤城たちや潮が目の前でみずづきの放ったSSMで抵抗もできずにやられる姿を目撃した曙は、もはや悲鳴をあげていた。

 

「なんちゅうことや・・・・」

「深海棲艦があれを?」

「あり得ない、あり得ないでしょ・・・・」

 

昼間に敵重空母機動艦隊と激突し、砲弾の雨を間一髪のところで回避した第3水雷戦隊のメンバーも曙には届かないとはいえ、じかにみずづきの力を見ただけに明らかに動揺していた。陽炎はぶつぶつと独り言を呟いている。

 

「お前ら少しは落ち着けぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

無線越しに微細なマグマを感じてはいたが、艦隊の無警戒な動揺でマグマだまりをこれ以上ないほど刺激された長門は大爆発を起こした。周囲のわずかな音を全て無に帰す怒声。一瞬で思考を局限化する迫力。自分には一生かかっても会得できない威厳を最大限振り上げ、長門は艦隊を叱責した。

 

 

「現状を分かっているのか! ここは戦場! 一瞬の気の緩みが命取りになるぞ!! しかも私たちの不徳で損害を被るのは私たち自身だけじゃない! 私たちの肩には、瑞穂の運命が乗っているのだ! 今一度そのことを肝に命じろ!」

 

艦隊に異様な沈黙が流れる。全員、反省しているのだろう。その沈黙を最初に破った者は長門だった。

 

「みずづき、今回の件についてお前の見解は?」

「はい・・・えっと・・・・」

 

般若のような顔となっているかもしれない長門を想像すると恐怖で舌が上手く回らない。だが長門は怒ることもなく「ゆっくりでいい」とこちらを気遣ってくれた。案外、本気で怒っているものの、手当たり次第に八つ当たりするほどは爆発してないのかもしれない。

 

「対艦ミサイルは反応が消失する直前まで正常に飛行し、レーダーにも捉えられていました。誤作動や故障を知らせるシグナルも兆候もありませんでしたので、おそらく・・・・・」

「撃墜された、と?」

 

長門が慎重に尋ねてきた。

 

「はい・・・・・・・」

 

艦隊がざわめく。現状では楽観視は出来るだけ避けなければならない。未だに信じられない気持ちはあったが、理性が総合的に判断した結論を告げた。

 

「そうか・・・・・。それでお前はこの撃墜をどう思う?」

「狙って当てた、というわけではないと思います。私の対艦ミサイルは時速1150kmという亜音速で目標に接近。また、命中直前には敵艦の対空砲火を無効化するため、ホップアップを行います。そして、今は真夜中。対空戦闘能力の高い軽巡ツ級や戦艦タ級がいるからこそ成し遂げられた偶然の産物ではないかと。対艦ミサイルに装甲はありませんので、当たれば落とされます」

 

内心かなり焦っているが、みずづきは意識して冷静な物言いに終始する。ここで撃った張本人が動揺すれば、艦隊はますます力を発揮できなくなってしまう。事実、冷静沈着な様子が功を奏し、艦隊の動揺も収まりつつあった。

 

「・・・・・・・。なるほど、分かった。それでも一度確認したいのだが、空母ヲ級は全滅。重巡リ級と駆逐ハ級を仕留めたんだな?」

「はい、それは確実です! FCS-3A多機能レーダー及びロクマルの対水上レーダーに反応はありません。残存勢力は戦艦タ級flagshipが1隻、重巡リ級flagshipが1隻、軽巡ツ級が2隻、駆逐ハ級後期型が2隻の6隻です」

 

命中直後は未練を感じさせるように海上にとどまっていたヲ級たちも次々と海中へ引きずり込まれ、FSC-3A多機能レーダーの対水上画面には5隻だけが映っていた。みずづきの攻撃のみで敵は既に戦力の半数を失い、壊滅寸前となったのだ。

 

しかし、歓喜はない。

 

多機能レーダーを通して映し出される敵艦隊の様相は想定より明らかに敵戦力が残ってしまった現実をはっきりと突きつけてきた。敵の陣容を口で読みあげると自分の不甲斐なさが頭に来た。作戦通りなら、既に戦艦タ級flagshipと重巡リ級flagshipは海水漬けとなり、第1・2夜襲艦隊は軽巡と駆逐だけを相手にするはずだった。夜戦では必然的に敵味方の交戦距離が近づくため、駆逐艦のような小口径主砲でも戦艦や重巡などに大損害を与えられる一方、逆もまたしかりだ。敵も条件は同じであり、こちらが大損害を被る可能性もある。

 

「みずづき? 感傷に浸るのは戦いが終わった後にしろ。今はもっと考えることがあるだろう?」

「ふえ!?」

 

心を読まれた驚きのあまり、反射的に背中が反り返ってしまった。暗闇の中でそうしているのだから、ただの変人である。長門は「ふふふふ」と勝ち気な笑みを浮かべているようだ。文句の1つでも言いたくなるが、彼女のおかげで心の霞が少し晴れた。

 

「しかし、真夜中にも関わらず効果的な対空戦闘が行えたとすると・・・・・・」

 

長門は笑みを消し去ると、息を飲んだ。

 

「敵は電探を装備している可能性があるな・・・・・・」

「そうなるとかなり厄介デース! 敵は電波走査で雨のように砲弾を撃ちこんできマシスヨ!」

 

電探。金剛をはじめとする艦娘は、みずづきがこの世界にやってくる前から、自分たちがこの世界に現出する前から、電波を使用して目視困難な状況及び視認圏外で敵を捜索する装置の威力を身に染みて分かっていた。

 

「ああ、おそらくタ級かリ級か・・・・。しかし、脅威は脅威だが我々にはやつらの電探が霞んで見えなくなるほどのレーダーを積載した仲間がいる」

 

それが誰のことか。分からないはずがない。

 

「はい! FSC-3A多機能レーダーは深海棲艦の積んでいる電探とはレベルがそもそも違います! 同じだったら、気絶する自信がありますよ・・・」

 

艦隊が微笑で包まれる。長門はそれを見届けると、真剣な口調で叫んだ。

 

「これより、我が艦隊は敵艦隊への突撃を開始する。砲雷撃戦で、長く多大な犠牲を強いたこの戦いに終止符を打つぞ!」

『了解!』

 

頼もしい返事が寸分たがわず、一致した。

 

「総員、最大戦速! みずづき! しつこくてもいい! 敵艦隊の動向は逐一私に伝えてくれ!」

「了解です!」

「暁の水平線に勝利を刻むのだ!」

 

長門の口癖とも一部でささやかれる常套句。戦闘の行方と女神の微笑み方しだいでは、その言葉は比喩ではなく現実のものとなるかもしれない。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

一面黒の世界。台風が過ぎ去った数日前からは今日のように月のおかげで少し明るいものの、それを勘定しても黒の世界という表現は言い過ぎではない。空気で満たされている海上ならともかく、水で満たされ光が屈折現象によってあらぬ方向へ飛んでいってしまう海中は光の影響を受けにくい。

 

そんな気がおかしくなりそうな環境とはお別れし、水面を突き破り海上へ頭を出す。波が穏やかなため、顔に海水がかかりせき込むことはない。力を比較的抜いていても沈むことはなく、身体の安定を取りやすい。頭上から月と、月に追いやられながらも隅っこで健気に輝いている星の光を受けながら、水平線ぎりぎりの地点を凝視する。漂う黒煙がうっすらと見える。その下、灯火管制も忘れ周囲をばりばり照らしながら捜索する存在が複数。撃って下さいと言わんばかりの自殺行為だ。よほど混乱しているのだろう。だが、それに陥る理由もよく分かる。あんな攻撃をいくら事前に知らされていたとはいえ、劣化に劣化を重ねた伝聞情報だけでは余程の仙人でない限り、パニックは必至だ。手練れと言えども、彼女たちは真理と探究を極めた仙人ではない。

 

「?」

 

必至に目を凝らし、得られる情報を収集していたところ、海中からかすかに音が聞こえる。規則的な特定波長音。音源がかなり遠方のようで、かなり拡散している。それが徐々にではあるが近づいてくる。

 

「っ!?」

 

外部のからリアルタイムで届けられる情報と内部に蓄積された過去の情報が重なった瞬間、静かかつ早急に海中へ潜り、音源とは反対方向に航行する。つい発揮したくなる全速航行の欲求を必死に抑え込む。そして、可能深度ぎりぎりまで潜航することを忘れない。下手にじたばたし、海中に音をまき散らせば、見つかってしまう。

 

海上の存在を混乱の渦へ叩き落した元凶に。

 

飛び出しそうになる心臓を抱え、ひたすら逃走する。段々と小さくなる音。もう少し情報を収集したかったのだが致し方ない。

 

真っ暗闇を何かが進んでいく。わずかに聞こえる航行音と変化する水流。それだけがここで何かの存在を示していた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「敵艦隊まで距離、10000!! 以前、特段の変化なし! 敵は捜索に必死で気付かれていません!」

「了解! 作戦の変更はない! 第2艦隊は敵の後方に回り込み、敵がこちらへ気を向いている隙に一気に畳みかけろ! 挟み撃ちとはいえ、くれぐれもこちらの射線上に入るなよ!」

「みずづきの目と敵の厚意がありマース! 100%の保証はできないケド、了解デース!! 」

 

月に照らされた世界。白く黄色味を帯びた光を受けながら、12人の艦娘たちは白波をかき分け疾走していた。目指すは敵艦隊。全員がその方向に戦意がみなぎった熱い視線を向けている。まだ敵影は見えず、本来ならば敵艦の詳しい位置はレーダーを持っているみずづきにしかわ分からないのだが、今回は違っていた。みなが視線を向ける先。そこには上空に黒煙が漂い、光が四方八方にまき散らされている。

 

あんな痕跡があれば、誰でも見つけることは容易だ。一応、みずづきは彼我の距離を報告したが、もしかすれば不要であったかもしれない。

 

「総員、合戦よーい!!」

 

波と風の音に紛れ、長門の勇ましい声が聞こえてくる。眠っていたように真横を眺めていた長門と摩耶の艤装が、朝を迎えたかのように動き出す。みずづきとは比べ物にならない巨大な砲塔がゆっくりと旋回する。見ただけで冷や汗が出てくる太い砲身が睨んだ先は敵艦隊がいる海域。自身の前方に長門と摩耶が航行しているため、彼女たちの艤装を見ることができるのだが、後方を航行している川内や陽炎・黒潮の動きは分からない。ましてやさきほど別れた金剛指揮下の第2艦隊の状況は知る由もない。だが、推測はつく。彼女たちもおそらく長門たちと同じ行動を取っているだろう。

 

そしてみずづきも、だ。多機能レーダーで目標情報を捉え、射撃指揮装置に入力し各目標をロック。砲塔を少し左舷へ旋回させる。上下して仰角を調整する砲身。数度の微調整ののち、動かなくなった。正直にいえば昼間の戦闘で空母ヲ級を沈めたように相手の懐へ入る前にロクマルの着弾観測を通じた砲撃を加えたかったのだが、いくらレーダーと高速・大容量通信機器があるとはいえ、今は真夜中。視界が確保できなければカメラによる補正も、視覚での調整もできない。ロクマルを介した砲撃能力の限界がもろに露呈してしまった。

 

「いいか! 視認でき次第、戦闘を開始! 第一目標は戦艦タ級!! 戦艦タ級を撃沈できた場合の第二目標は重巡リ級だが、詳細は追って知らせる! まずは戦艦タ級に集中しろ! 私以外の全艦は雷撃準備を怠るな! 状況によっては雷撃戦を仕掛ける!」

『了解!』

 

見事な応答。しかし、まもなく開始される夜戦に高揚した艦娘がそれを瓦解させた。

 

「やったぁぁ!!! 私の魚雷たちを夜戦で、しかも戦艦タ級に撃ちこめるなんて! 夜戦冥利に尽き・・」

「こら! 川内! 気を抜くな! 沈むぞ!」

 

そして、集中に集中を重ねている長門の逆鱗に触れる。

 

「わ・・・分かってます!」

 

だが、長門も川内が夜戦好きであることは当然知っているわけで。

 

「だがな、川内。私は戦艦長門。いくら夜戦とはいえこの私を悶絶させるほど、戦果を上げられるかな?」

「な・・・・・。いいですよ! その挑戦! 川内型軽巡一番艦としてお受けします!」

 

長門の挑発に川内は即答した。両者ともかなり気合いが入っている。

 

「それでこそ、川内だ。今日は月が出ているため不意の遭遇はないだろうが、常に周囲の状況確認とみずづきの報告確認を怠るな!」

「こちら、みずづき! 敵に気付かれた模様! 駆逐ハ級が2隻こちらへ直進してきます」

 

まだ水平線に敵の姿は見えない。敵からもこちらの位置が見えていないだろう。しかし、ロクマルから送られてくる合成開口レーダの白黒映像にはこちらへ猛進してくる2隻の駆逐ハ級後期型がはっきりと映っていた。

 

「水上目標に気付いたってことは、敵の電探は対水上?」

 

第1夜襲艦隊の全員が抱いている疑問。それに対する自分なりの回答を陽炎が口にした。

 

「いや、そうとは限らねえぞ。飛翔中の対艦ミサイルに気付いたと仮定すれば対空電探と両方持ってるかもな」

 

摩耶のいうことも尤もである。しかし、敵は自分たちの周囲を飛び回っているロクマルに気付いていない。それを鑑みると対空電探を持っているとは考えづらい。

 

「あれか・・・・・」

 

長門が意識ここにあらずといった様子で呟く。艦隊の右舷斜め前方に駆逐ハ級後期型が姿を現した。

 

「まずは駆逐ハ級を倒す! 総員、照準合わせ!」

「待ってください!」

 

指向する主砲の動きを無理やり止めさせた。

 

「どうしたみずづき!」

 

長門が切羽詰まった様子で叫んでくる。今は一秒を争う状況。駆逐ハ級はこうしている間にも急速に距離を詰め、発砲してきた。

 

「大丈夫です! 直撃コースなし! 前進可能!」

「総員、聞いての通りだ! それでみずづき!」

「はい! 駆逐2隻が戦艦タ級の射線上を遮る形で突入しています。これでは射程距離の長いタ級がこちらへ攻撃し放題な一方、私たちは駆逐ハ級に射線を邪魔され、ハ級を優先的に攻撃する事になります!」

 

なんというタイミングか。駆逐ハ級とは異なる砲声が周辺世界に轟いた。

 

『っ!?』

 

無線から言葉にならない反射反応的呻き声が連鎖する。

 

「大丈夫です! 直撃しません!」

 

ハ級が放った砲弾の着水音に負けないよう、大声で叫ぶ。

 

「なんてことだ。ハ級を撃沈するまでいくら攻撃されようとも我々はタ級に反撃できない・・・。タ級への反撃の間はどうしてもハ級にとっての隙が・・・」

「ハ級の後期型はすっばしっこいことで有名。しかも、駆逐級の中じゃ高火力。まともに砲雷撃戦を挑めば、手こずりますよ!」

 

摩耶が滅多に使わない敬語で危機感を露わにする。戦っているだけでも回避行動が取りづらく危険だと言うのに、ハ級と戦っている時間が長ければ長いほど、タ級からの直撃弾を受ける可能性はますます高くなる。

 

「方法・・・・・。回避能力の高いハ級をすぐに仕留めて、なおかつ攻撃中も着実にタ級へ接近できる方法・・・あ」

 

みずづきは首を限界まで回転させ、背中の艤装を見た。

 

「長門さん! 私が雷撃でハ級を仕留めます! 許可を下さい!」

 

気付けば口が勝手に話し、手が勝手に三連装魚雷発射管装填の12式魚雷による攻撃準備を進めていた。

 

「私の魚雷は撃ちっぱなしです! 攻撃後、ハ級の攻勢を受け流しつつタ級の攻撃を行えます!」

 

続いて、アクティブソナー誘導であり、この世界の深海棲艦が誘導魚雷防御手段の一切を持っていないが故の12式魚雷の高命中率を説明しそうになるが、これは既に長門が知っている情報だ。

 

「ふふふ・・・。いいだろう。雷撃を許可する!」

「ありがとうございます!」

「総員、みずづきの雷撃後。タ級に突撃する。ハ級には構うな!」

 

長門の命令を聞きつつ艤装のシャッターを開き、三連装魚雷発射管を半日ぶりに外界へと晒す。

 

「対水上戦闘!! 目標敵駆逐ハ級2隻! 短魚雷発射よーい!!」

 

闇と星空に戸惑うこともなく、平常通り。12式魚雷や発射管に異常は見受けられなかった。ハ級はこちらの意図を詮索することなく、ただ明後日の方向に砲弾をばらまいている。彼らの猪突猛進ぶりのおかげで艦隊の進路を変更せずとも、足元に魚雷をぶち込むことが可能だった。

 

「1番・・・・撃ぇぇぇぇ!!!」

 

海面と無作法に突撃してくる駆逐ハ級後期型を睨んでいた魚雷発射管から、闇の中に魚雷が発射された。数は2本。「ジャボンッ!」という音を最後に生命の五感から12式魚雷は姿を消した。

 

「長門さん!」

「取り舵16!」

 

みずづきの合図で艦隊は右へ舵を切る。もうハ級と戯れる時間は終わりだ。舞台の欠員は水面下を優雅に泳いでいる12式魚雷たちが担ってくれる。ハ級は慌てたように舵を切り、こちらを追尾する姿勢を見せるが距離は徐々に開いていく。それでもめげずに砲弾は撃ちこんできた。戦意旺盛なことこの上ない。

 

「総員、タ級へ攻撃開始!!」

 

それはこちらも同じことだ。ハ級が急速に遠のいていく中、その言葉を合図に鼓膜・聴神経など耳の各器官がストライキを起こしそうな大音響が聴覚へ突撃した。敵は既に探照灯の照射をやめ闇に同化していたが、狙いは正確だった。

 

一斉に戦艦タ級へ火を噴きだす主砲たち。中でも長門の装備する41cm連装砲は格が違った。摩耶以下の砲声をかき消さんばかりの大轟音。そして、頭にのせているカチューシャ型の艤装が飛んでいかないかと心配になるほどの衝撃波。正直、それがもろにあった顔の下半分と首が痛い。それらだけで収まってくれれば良かったのだが、砲身から吹き出された火炎も異次元でSSM並みに周囲を照らし、かなり距離を取っているにも関わらず熱を感じた。黒煙もすごく、風向きが異なっていればかぶるところだ。

(こ、これが41cm砲の威力・・・・・・・。化け物だ・・・・・)

心に浮かぶ言葉はこれしかない。摩耶の20.3cm砲を前にしてはしょせん鉄砲であるみずづきのMk45 mod4単装砲は、完全に豆鉄砲だ。

 

当たれば確実に木っ端微塵の撃ちだされた砲弾はくしくも外れ。ほかの砲弾も長門と同じような有様で、命中させたのはみずづきだけだ。長門たちが砲弾を装填している間にみずづきがさらに1発を撃ちこむ。当然命中だ。

 

そして・・・・・・・・。

 

巨大な爆発音と水柱を最後に、四方の海面を泡立てていた元凶がこの世から文字通り消滅した。FCS-3A多機能レーダーで敵識別の対象となっている反応はもう4つだけだ。

 

「ハ級の撃沈を確認。敵、残り4隻!! なお、第2夜襲艦隊は順調に航行中。もう、まもなく所定位置に到着します!」

「よし!! いい調子だぜ!!」

 

摩耶が歓喜を上げる。

 

「やっぱ、みずづきにはかなわへんな~」

「私も一度はああいうふうに余裕しゃくしゃくで、戦闘してみたい」

「余裕しゃくしゃくって・・・・・」

 

引き金を引きつつ、陽炎の言葉に苦笑を浮かべる。もちろん余裕ではない。魚雷にしてもMk45 mod4単装砲にしても命中精度の差は単なる時間と血のにじむ苦労の積み重ねだ。歴史の重層さがみずづきに力を与えてくれている。

 

駆逐ハ級後期型出現時の懸念は幻想となり、未だ無損害の戦艦タ級flagshipに対する殴り込みも順調。他のメンバーも嬉しがっていたに違ない。

 

 

その一瞬の隙を、満を持してタ級は活用した。

 

 

もう何度目か分からない砲撃。接近警報に慣れてき耳に、直撃の可能性を示すけたたましい警報音が突き刺さった。

 

「直撃コース!! 10時方向より数4! 長門・摩耶への直撃可能性大!!」

「うそだろ!! まだ夾叉されてねぇぞ!!」

「10時? みずづき!」

 

こちらの報告を不審に思ったのか、回避行動を命じつつ長門が確認してきた。戦艦タ級flagshipは9時方向にいる。

 

「砲撃してきたのは重巡リ級です!!!!」

 

今まで沈黙を保っていた重巡リ級flagship。沈黙をかなぐり捨てていきなり牙を剥いてきた。

(まずい・・・・・・迎撃できないかも!)

現在、第1夜襲艦隊は長門を先頭に摩耶、川内、陽炎、みずづき、黒潮の順で単縦陣をなしている。今回、直撃の可能性が割り出された艦娘はみずづきからそれなりに離れている長門と摩耶。CIWSはあくまで自衛用火器。他艦を防衛するための兵器ではないため、例え毎分3000~4500発を放つ高性能20mm機関銃といえど他艦へ向かっている目標へ命中させることは至難の業。もはや運の領域だ。川内たちと戦った時は狙われた艦娘の位置が自分に近かったからできたのだ。ESSMを使用しようにも、既に砲弾はESSMが使用できない距離まで近づいている。

 

「CIWS起動!!」

 

CIWSの6銃身が他艦に突入する砲弾へ指向する。

 

「射撃指揮を手動に変更! 対空射撃、開始!」

 

長門や摩耶が必死に放っている弾幕とは文字通り桁の違う弾幕がカーテンのように2人の左舷側を覆う。

 

「お願い! 当たって!」

 

だが存在するかどうかいまだに立証されていない神々、そして運への懇願も虚しく、レアメタルのタングステンで創造された光弾のカーテンをやすやすと通り抜け・・・・・・・。

 

「っ・・・・・」

「長門さぁぁん!!!!!」

 

4発中3発が第1夜襲艦隊旗艦の長門に吸い込まれ、命中した。爆発による一瞬の閃光が消え去ったあと、彼女は再び闇の中に消えた。

 

「長門さん!! 返事してくれよ! 長門さん!」

 

眼前で長門が被弾するとことを目の当たりにした摩耶が必死に無線で呼びかける。川内たちも呼びかけたいのは山々だろうが、戦艦タ級flagshipと重巡リ級flagshipの攻撃を阻止する牽制射撃で忙く、それどころではないらしい。みずづきも後ろ髪が引かれる想いで川内たちに加勢した。早速、Mk45 mod4 単装砲から射出された多目的榴弾が重巡リ級flagshipに命中し、閃光を瞬かせる。

 

同時にみずづきたちが攻撃している方向とは異なる方角に複数の閃光が見えた。

 

「ついに来ちゃった・・・・・・。ちくしょう・・・・」

 

対空画面上を4の光点が音速一歩手前の速度でこちらへ飛翔してくる。そして数秒後、艦隊の後方で海水を空へ押し上げた。

 

戦艦タ級flagshipや重巡リ級flagshipとは少し離れた位置にいた軽巡ツ級2隻である。

 

「みずづき! さっきの砲撃は!?」

 

川内が緊迫した声で尋ねてくる。長門はいまだに沈黙していた。暗視装置越しに姿を確認しようにも閃光があちこちで瞬いている状況ではその都度視界が真っ白に染まるホワイトアウトに陥り、効果的な状況確認ができない。

 

「こちらへ向かっていた軽巡ツ級です! 2隻います! 2隻!」

 

戦艦タ級flagshipに多目的榴弾を浴びせながら、川内に応える。状況が夜戦であることも影響し、Mk45 mod4 単装砲の効果はほとんど見受けられない。ただ、摩耶や川内たちとの協同による射撃はたぶんな牽制効果生んでいた。敵はこちらへの攻撃より、回避行動を優先している。

 

「いくら夜戦が得意とはいえ、これはまずいよ、これは! 金剛さんたちは!」

「まだ回頭中! 攻撃位置に着くまでしばらくかかると思います!」

「雷撃しようにもまだ距離があるし、砲撃で火力を弱めようにもタ級もリ級も小破しかしてないし ああ! もう!!!」

 

やり場のない怒りを発散させる川内。重巡ごときの砲撃で長門が戦闘不能に陥ったとは考えにくいが、戦場では運が勝敗を大きく左右する。戦艦とて無敵ではない。くしくもそれは軍事史上、大日本帝国が多くの事例で証明していた。

(これ以上、艦隊に被害を出すわけには・・・・・・)

 

“何も守れてねぇじゃねぇかよ!!!”

 

小海東岸壁で見た死屍累々の光景が瞬間的に甦った。そして・・・・・・

(私はもう2度と・・・・・)

沈みゆく「たかなわ」と満面の笑みを浮かべて散ったかげろうが瞬間的に甦った。

(今の私に出来ること・・・出来ること・・・。ロクマルはAGM-1も12式も積んでいないから使えない・・・)

今の自分出来ること。給弾ドラムの装填を終え、再び活動を再開したMk45 mod4 単装砲の発射ボタンを

押しながら、決意を固めた。

 

「川内さん! もう一度私が雷撃を仕掛けます! 私が準備している間の援護をお願いし・・・・」

 

だが。

 

「ふん!!!」

 

その言葉はビッグセブンの一員であることの象徴であった41cm連装砲4基の一斉射撃で最後まで紡がれることはなかった。

 

「いっっつ!!」

 

鼓膜がついに悲鳴を上げる。しかし、心も脳もそのような些細なことに関心を向けなかった。

 

つい先ほどまで全員が砲身を向けていた重巡リ級flagshipと軽巡ツ級の1隻が大爆発を引き起こした。軽巡ツ級は完全に爆炎に包まれ、重巡リ級flagshipはカーリングのストーン顔負けの滑走で海上を転がっていく。

 

あまりに衝撃的かつ唐突な事態に敵味方双方の砲撃が止んだ。

 

「ビッグ7の力・・・・・侮るなよ!!!」

 

東の水平線から空が白み始め、星たちが帰り支度をしはじめた頃合い。うっすらとしか肉眼で姿を確認できずとも、自らの足で堂々と立つ長門の姿に第1夜襲艦隊が歓喜に包まれた。

 

『長門さん!!!!』

 

6人の声が完全に重なった。

 

「川内! 私が2つだ!」

 

勝ち誇った長門の声。見れば、対水上画面から重巡リ級flagshipと軽巡ツ級の反応が消えていた。背筋に悪寒が走る。重巡リ級のflagshipと軽巡の中でも最高位に位置するツ級をわずか一撃で葬り去ってしまった。

 

 

長門、恐るべし。

 

 

「相変わらず、長門さんの砲撃はすごいなぁ・・・・・。でも、負けてはいられないですよ? 夜戦と言えば、この私、川内型1番艦川内の土俵なんだから!」

「いいだろう。ちょうど砲身も温まってきたところだ」

 

一拍の間。海上に火花が散ったように見えた。

 

「敵戦艦との殴り合い、か。胸が熱くなってきた!」

 

その言葉を最後に、長門が再び戦線に復帰した。41cm連装砲を轟かせ、直撃すれば戦艦タ級flagshipと言えども中破は免れない超撃。対する戦艦タ級flagshipも長門の砲撃を持ち前の機動性で交わし、16inch三連装砲を叩き込む。

 

日本世界ではついぞ実現しなかった正真正銘の殴り合いだ。

 

あまりの白熱ぶりに砲撃の手が緩みかけるも、これは戦争。スポーツマンシップや武士道を過度に守っていては勝てない。長門の砲撃の隙を縫って、Mk45 mod4 単装砲の驚異的な命中率をお見舞いする。

 

「あ、ありえねぇ・・・・・どうやったら、芸当ができるんだ?」

 

戦艦タ級flagshipを包む、ささやかな多目的榴弾の爆炎。20.3cm砲を轟かせつつ、再び目の前に具現した神業に摩耶が冷や汗を流すが、神業を発揮している当の本人も彼女と同じ発汗作用に悩まされていた。

 

「か、硬い・・・・・」

 

当たってはいるが本体はぴんぴんしており、砲弾をしきりに長門やこちらへ投げつけてくる。周囲のあちこちに発生する水柱。海水が顔にかかり口が塩気で満たされるが気にしている場合ではない。砲撃をしてくる敵は目標にしている戦艦タ級flagshipの他に存在を忘れ去られないよう必死に応戦している軽巡ツ級もいる。

 

その時、リ級に一際大きな爆炎が発生する。足元を照らすオレンジの炎と、月光を遮る黒煙。明らかにみずづきのものとは異なっていた。

 

「やったぁぁ!! 命中!!」

 

川内の歓喜。どうやら川内の放った14cm砲弾だったようだ。単体で貧弱でも、損傷の積み重ねはささいな一撃の威力を飛躍的に増大させる。副砲がひしゃげ使用不能になっている戦艦タ級flagshipは苦しそうに顔を歪めていた。続いて、摩耶がリ級を夾叉する。前後に立ち上る水柱。戦艦タ級flagshipは挙動不審となっており明らかに慌てていた。

 

「え!? ちょっと、金剛さん!?」

 

FCS-3A多機能レーダーの対水上画面に目を疑う。

 

「どうしたんや? みずづき?」

 

偶然、こちらの驚愕を聞き取ったようで黒潮が砲撃の間に尋ねてくる。

 

「いや、あのね、金剛さんたちが・・・・」

「oh!!! 悲鳴を受けて来てみれば、長門たちだけで美味しいところ持っていく気デスカ?」

 

またもや発言を遮られた。おちゃらけているようで闘志がみなぎっている金剛の声が聞こえる。

 

 

 

予想外の人物の登場に全員が頭上に疑問符を浮かべたその時、軽巡ツ級が肉片をばら撒くことなく消滅した。

 

「へ?」

 

一瞬何が起きたか分からない。戦艦タ級flagshipも同様だったのか、軽巡ツ級がいた場所を凝視していた。

 

「なにをちんたらしてるんですか!? 早く帰投して北上さんの麗しいお顔を・・・・」

「私たち第2夜襲艦隊もいることをお忘れなく。ここまで来て傍観してましたなんて格好つかないじゃない!」

 

大井の言葉を遮って、曙が甲高い声で叫ぶ。

 

「・・・・・・みずづき」

 

長門が疲労感ありありの声で名前を呼んできた。素直に答える。

 

「はい。第2夜襲艦隊はあと一歩で所定位置に到達する地点で回頭。急速にこちらへ接近しています。もう、まもなく肉眼でも確認できるかと」

 

空は半分近くが白く染まり、目が正常に機能するところまで光が戻ってきている。

 

「はぁ~」と吐き出されるため息。長門は頭を抱えていた。しかし、彼女たちはこちらの危機的状況を覚悟し、長門の叱責を覚悟の上で突撃してきたのだ。いくら作戦違反を犯したとはいえ叱れない。

 

「・・・全く」

 

長門は微笑を浮かべる。次の言葉は金剛と同じく、闘志に溢れたものだった。

 

「事情聴取は後だ。こうなってしまった以上、協同で叩き潰すぞ!!」

「了解デース!! 皆さん! 行きますよ!!!!」

「こちらも負けてはおられん! 一斉攻撃だ!!」

「了解!!」

 

うっすらと東が茜色に染まり始めた空の下、佳境を迎えた艦娘12隻と戦艦タ級flagship1隻による戦い。それはもはや戦いと呼べる様相ではなくなっていた。撃ちこまれる桁違いの砲弾量に、撃てばほぼ当たるみずづきのMk45

mod4 単装砲。結果は誰の目にも明らかだった。それでも戦艦タ級flagshipは、戦艦タ級そしてflagshipの名に恥じない意地を見せ続けた。

 

しかし。

 

「これでチェックメイトデス!!!」

 

最後は金剛の35.6cm連装砲によって捉えられ、わずか1隻で艦娘12隻と戦った戦艦タ級flagshipは上半身の構成組織をミンチにされて、爆散。未練にすがる暇もなく海底に沈んでいった。

 

「敵戦力の全滅を確認。捜索範囲内に敵影なし。深海棲艦の殲滅を確認しました」

 

明るい声でみずづきは無線に向かって叫ぶ。対水上画面、そしてロクマルの対水上レーダーには自分たちの反応以外は何も存在していなかった。

 

「よ、よかった~~~」

「誰もけがなくて、良かったのです!」

「完全勝利デース!!」

 

雷・電・金剛をはじめ安堵する一同。長門が小破一歩手前、複数の機銃が破壊され、艤装に煤がつく損傷を負ったが、誰1人として致命的な損傷を負わずに勝利を手にすることができた。手を叩いて喜んでも、罰は当たらない。しかし、一通り声を上げるとみな黙り込んでしまった。達成しなければならないのは深海棲艦の本土上陸部隊を撤退させること。この戦いは敵に上陸断念を迫るものなのだ。

 

「全艦、前進微速。作戦通り後方支援艦隊、護衛艦隊と合流する」

 

鎮守府への報告を終えた長門が控えめの声量でそう号令する。目の前の敵は殲滅した。だが、これは手段であって目標ではない。茜色から青色へ変わっていく空。東のみはオレンジ色に染まりつつある。日の出が近いらしいことを世界が教えてくれた。

 

「っ!?」

 

航行を初めて数十分。沈黙の艦隊に突然長門のうめき声が響いた。不審に思った吹雪が「どうしたんですか? 長門さん」と声をかけるが反応なし。少しざわつく。

 

「やった・・・・」

「ん??」

 

小さすぎてうまく聞き取れない。だが、そこにははちきれんばかりの歓喜が宿っていた。「何事か」と全関心が向けられる。不安ではなく好奇心を原動力とする静寂。長門は呼び出しを受け、横須賀鎮守府と連絡をとっている真っ最中のはず。何か情報を得たのだろうか。

 

「みんな、今、百石提督から連絡があった」

 

震える声。少し涙ぐんでいるようにも聞こえる。長門のこのような声を聞くのはこれが初めてだった。

 

「深海棲艦上陸部隊を監視していた呉鎮守府所属潜水艦娘伊19から緊急電。敵輸送部隊が進路を反転、東進を開始した」

「っ!?」

 

誰もが息を飲む。長門の声が、言葉が頭を高速で駆け巡る。輸送部隊の進路反転。それはつまり・・・・・・。

 

「みんな、ありがとう・・・・・」

 

完全な涙声の長門。それが、それこそが、長門の言葉が真実であると己の頭で出した結論が妄想ではないことを証明していた。

 

赤く染まる雲。金色に輝く東の水平線。そこからゆっくりと真っ赤な存在が姿を現してくる。差し込んでくる不純物のない純粋な光。それが海を、空を、雲を、そして自分たちを照らしていく。

 

「作戦は、成功だ・・・・・」

 

 

 

 

『やったぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

「やった、やったよ! 私たちやった! 守り切ったんだよ!」

「ちょ、ちょっと吹雪! 苦しい! 苦しいってば!! 私は白雪でも初雪でも、深雪でもないの!! 曙! 曙よ!!ああもう!! うっとうしい!!」

「北上さん、私たちやりましたよ!! ・・・・・・うわぁぁーーーーん!!」

「やったんデスネ・・・・・私たち・・・・。ぐすっ・・・・・、私たちは勝ったネェェェ!!」

「やった、やった! ねぇ、だから言ったでしょ!! 電! 想いは必ず届くって!」

「うん・・・・うん・・・・雷ちゃんの言う通りなのです・・・。神様は私たちの願いを受け取ってくれたのです・・・・」

「よっしゃぁぁぁぁ!!! うちらの大勝利や!! これで関東が戦場になることも、みんなが本土決戦の恐怖に震えることもうあらへんで!」

「そうそう!! それもこれもみずづきがいてのことよね!!」

「え!?」

 

陽炎が放った、予期していなかった言葉。「いやいや、何言ってんの」と否定するが、全く効果がない。

 

「謙遜しないの!! 私はただ純粋な事実を言ってるまでよ! ねぇ、川内さん」

「そうそう。みんな今こうして大した損傷もなく喜びを爆発させてるけど、敵は空母4隻を含めて私たちと同数の12隻いたんだよ。もし、みずづきがいなくて完全な夜戦になってたら大破艦が続出してもおかしくなかった」

「夜戦はお互いの距離がどうしても近くなるから、食らった時の損傷は大きいし、予測不能な事態も必ずと言っていいほど起こる。川内の言ってることは何の誇張もないぜ」

 

肩に手を乗せ、満面の笑みを見せる摩耶。これほど混ざり気のない笑顔を見たのはいつ以来だろうか。それだけで目頭が熱くなってくる。

 

「まぁ、私より夜戦が出来るって点は悔しいけど・・・」

 

その言葉につい爆笑してしまう。陽炎や黒潮、摩耶も同様だ。夜から朝へ完全に移行した海上に、温かい笑い声が木霊する。

 

「みずづき・・・・」

 

優しい笑顔を浮かべ、流れ出た涙を拭いながら長門が近づいてくる。鼻をすする音。とても上品であるが故に聞き苦しさは皆無。執務室でいつも醸し出している少し冷たい雰囲気もすっかり四散していた。

 

そんな彼女は、みずづきの前に立つとただ一言だけ呟いた。

 

「ありがとう・・・・」

 

空気や海に溶けてしまいそうな柔らかく、儚げな声。たった一言。だが、それだけで長門のあらゆる気持ちが伝わってくる。

 

決壊しそうな目頭を必死に抑え、みずづきは返事にと満面の笑みを浮かべる。朝日に照らされ、いつも以上に輝く瞳から流れ落ちる一筋の涙。これぐらいは許されるだろう。

 

新たなる夜明けと1日を迎えた世界。昨日は昨日で、今日は今日だ。連続しているようで連続していない時間。危機は途切れ、日常の営みを再開するときが来た。

 

東の空に太陽を認めながら、空のはるか彼方に浮かぶ月。名残惜しそうに余韻を残しているが、徐々に太陽へ舞台を譲り渡していく。見たかったものは見られた。有明の下、瑞穂の歴史に新たな1ページが加わった。

 

もちろん、悪い事象ではなく良い事象が。




今話にて約1ヶ月半(リアル時間)にわたった「房総半島沖海戦編」は終了です! 
次話より第2章終局に向けて、物語が転がってゆきます。(なんだか前にも言ったよな気が・・・・・)


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59話 亀裂

今話は少々、アク? くせ? が強くなっております。

不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、閲覧注意ほどではないですが一応注意喚起をさせていただきます。

あと、かなりの長文です。


「歴史的な勝利から一日が経過しましたが、いまだ瑞穂国内の歓喜と安堵は収まるところを知りません。昨日午前に特別非常事態宣言が解除され、一時は混乱の極みにあった関東地方も徐々に日常の営みを取り戻しつつあります。警戒区域に指定され避難を余儀なくされた住民の帰還も本格化し、房総半島を中心に展開していた陸海軍部隊も撤収を開始しています・・・・・・」

 

夜明けとともにもたらされた極夜作戦の完全成功と敵侵攻部隊の撤退。これはすぐさま東京に報告され、佐影総理自らの口から国民に伝えられた。その時の安堵と歓喜はもはや言葉では表現できないほど、凄まじいものだった。

 

列島が揺れた。もちろ原因は地震ではない。政治家も、軍人も、一般市民も、みな大声をあげ、腕を天高くつき上げ、周囲の人々と体を使って喜びを分かち合った。

 

それはラジオが伝える通り、いまだ収まる所を知らない。次々とホームに滑り込んでくる電車たち。続々と車内から降りてくる人々。その足取りは昨日、ここへやってきたときとは桁違いに軽い。慌て詰め込み、財布や通帳などの貴重品が入っているため、乱暴に扱えない重い荷物などなんのその。表情は静かな安堵と歓喜で満たされ、まっすぐホームから改札口へ向かう。瑞穂でも珍しい段差のない構内は、状況に関わらず利用客にとっては嬉しい限りだ。人でごった返し、薄暗かった駅舎内から外へ。世界の全てを照らす太陽。青空に浮かんでいる餅のような形の雲が時々遮り、お世辞にも快晴とは言えないが、十分すがすがしい陽気。駅前の広場も例外なく人であふれかえっており、その向こう側の道路には大型バスが複数台止まっている。時折、喧騒に紛れて聞こえてくる乗車案内の声。

 

だが、誰もそれを小耳にはさみつつ、一目散にある場所へと向かう。胎動する人の波。駅を出て、左側。設置されている踏切を渡ると、横須賀湾が一望でき横須賀市民の憩いの場である海浜公園へ。

 

日光を反射し、まるで宝石のように輝く海面。十分美しいのだが、今日ばかりは脇役である。人々の視線は海面や横須賀湾の景色ではなく、特定の場所へと向けられていた。感謝と尊敬、そして信頼を抱いた瞳で。

 

「ねぇねぇ、お父さん?」

 

とある小さい女の子が、隣にいる男性の服を引っ張る。

 

「ん? どうした? トイレにでも行きたいんか?」

 

それに反応し、優し気な瞳で女の子を見下ろす。顔には若干の疲れが見えていたが、それを隠せるほどの明るさが存在していた。女の子は「うんうん・・」と首を横に振り、再び顔を前方に向ける。

 

「あそこにいる人たちが、私たちのおうちを守ってくれたの?」

 

女の子がまだ小さい指を差した先。それを確認すると父親は満面の笑みを浮かべ、頷く。

 

「そうだよ。お父さんやお母さん、じいやばあ、そして陽菜やお姉ちゃんのおうちを守ってくれたのはあそこにいる人たちさ。そして・・・・」

「?」

 

感慨深げに言葉を打ち切る父親。女の子は可愛らしく首を少し傾ける。

 

「ああ・・・ごめんな。その・・・・・」

 

口ごもると父親は「どう言ったものか」と困惑気味に首筋へ手を回す。女の子はますます頭の疑問符を浮かべる中、彼が心の中で待ち望んでいた助け舟がやって来た。

 

「陽菜? あそこにいるおじさんやお兄さんたちもそうだけど、陽菜たちのおうちを守ってくれたのはあの人たちだけじゃないんだよ。艦娘って、いうお姉ちゃんたちも、ね」

「お姉ちゃん!」

 

後ろから声をかけてきたセーラー服姿の少女の登場がよほど嬉しかったのだろう。目を輝かせながら駆け寄っていくと彼女に抱きついた。

 

「そのお姉ちゃんたちのこと、知ってる!! この間、園長先生が話してた!! お化けから陽菜たちを守ってくれる正義の味方だって!!」

 

はちきれんばかりの笑顔で少女の前を飛び跳ねる女の子。姉と同じことを知っていたのが余程嬉しかったのだろう。姉と父親は諫めるものの、周囲の人たちはそれを温かい目で見守っていた。

 

「艦娘のお姉ちゃんたち、すごいな~~~。今度会ったら、きちんと・・・か・・・感謝の、こ、言葉? を言わないといけないよね!」

「そうね・・・・。助けてもらったんだもんね・・・・・」

 

覚えたての言葉を無理に使ったためか、話し方がぎこちない。必死に言葉を紡ごうとする姿があまりにも可愛い。父親はその陰で語られた内容に苦笑しつつ、優しい手つきで女の子の頭をなでる。

 

「そうだな。もし、会えたら、な」

「うん!!」

 

子犬のように目を細めた女の子は、嬉しそうに大きく頷いた。

 

 

 

 

 

しかし、歓喜が収まり、思考が冷静さを取り戻した時、直視しなければならない現実はあまりにも過酷なものだった。

 

 

「神津官房長官はさきほど開かれた記者会見において、本日正午現在で確認されている今回の攻撃による犠牲者は民間人187名、軍人・軍属4137名、合わせて4324名にのぼると述べました。民間人の犠牲者は、攻撃を受けた軍関連基地がある館山市・小美玉市・厚木市・大島町・八丈町などに集中しており、家屋の倒壊も多数発生している模様で、自治体と警察が状況把握を進めています。空爆で壊滅状態となった各基地は現在急ピッチで補修作業が行われ、海軍館山基地、陸軍大島基地、父島基地を除くその他の基地では一両日中に通常機能の回復を図れる見通しであることが示されました」

 

犠牲者4324名。あまりにも・・・・・あまりにも大きな犠牲。のちに「房総半島沖海戦」と呼ばれることとなるこの戦闘で犠牲となった者たちには、例外なく家族がいたのだ。夢があったのだ。死ぬことなど、誰も望んでいなかったのだ。

 

それを「防げたかもしれない」と少しでも思える立場にいる人間には、あまりに重すぎる現実。中には、この犠牲を無駄にしないよう教訓を洗い出し、次につなげようと前を向く者もいた。だが、大半がそうであったも一部はそう捉えられなかった。

 

 

 

 

“守れなかった。また・・・・また”

 

 

 

その後悔と罪悪感が、本人の気付かぬうちに心を蝕んでいく。

 

 

 

「百里偵察隊より緊急通報。勝浦沖34kmに軽巡を旗艦とする深海棲艦水雷戦隊、計6隻を確認。艦娘各自は極夜作戦での臨時艦隊を編成。緊急出撃せよ。なお護衛艦隊は陽動警戒のため明鐘岬沖で待機。繰り返す・・・・」

 

突如、警報音が響き渡る横須賀鎮守府内。昨日から少しずつ戦時であっても平穏が続く日常を取り戻そうとしていた矢先の中途半端な制動。これに不快感を露わにし「チッ」と舌打ちしつつ将兵たちは即応体制へ移行。各々の持ち場へ、全力疾走を開始する。そして、それは緊急放送で直々に命令が下された艦娘たちも同様だった。

 

血相を変えて、駆けだす少女たち。

 

「On my god!! またデスカ!! ティタイムがぁぁ!!」

「嘘でしょ~~。まだ、続くの?」

「敵さんもしつこいな。あれだけこてぴしゃにされたんやから、しばらくはおとなしくしてると思おてたのに! 懲りんな~」

「夜戦じゃないから、まぁ、いいかな~~」

「いいわけあるか!! すべこべ言わず、さっさと動け!! お前たちもだ!! それでも艦娘か!!」

 

同じような速度で疾走している将兵たちとすれ違いながら、放送を押しのけた長門の一喝が響き渡る。どうやらかなりご立腹のようだ。進行する事態だけでなく長門の激昂を受け、さらに顔を青くした一部の艦娘たちは一目散に艦娘専用桟橋へと疾走する。

 

その姿を目に映しつつ、みずづきも猛ダッシュ。だが、何故かいつもよりスピードが出ない。足が重いのだ。そして、体も・・・・・。

 

「ん? どうしたの、みずづき?」

 

少し前を走っていた陽炎が、心配そうにこちらを覗ってくる。いつもなら「大丈夫」と反射的に言葉が出てくるのだが、なぜか出てこない。それどころか、陽炎はそんなこと微塵も思っていないことを分かっているはずなのに、陽炎の視線に叱責の色が浮かんでいるように感じる。

 

震えてくる足。不幸中の幸いか、走っているため震えは外見からでは分からない。

 

「・・・・・顔が青いけど、本当に大丈夫? 気分が悪いようなら長門さんに言って・・・」

「大丈夫だから!!!」

「!?」

「あっ・・・・・・」

 

心の中に浮かんでくる感情を否定するように、叫んだ。だが、そこで過ちに気付いていしまった。突然のことで目を丸くし、固まる陽炎。2人は他の艦娘たちと同じように、艦娘専用桟橋。正確にはそのすぐ近くにある艤装保管棟の入り口に到着していた。

 

呼吸音がやけに耳につく。これが疾走での身体的負担に由来するものなのか、陽炎を前にして緊張している精神的負担によるものなのか、判別がつかない。

 

「ごめん、陽炎・・・・」

「え・・・・う、うん・・・・」

 

ぎこちない返事。視線を明後日の方向に向けているためどんな表情をしているのか分からない。

 

「私は、大丈夫だから。・・・・・心配してくれてありがとう」

「それなら、いいけど・・・・」

 

空け放たれている入り口から薄暗い棟内へ入っていくみずづき。ほかの艦娘たちも続々と入っていく中、陽炎は黒潮に声をかけられるまで見えなくなったみずづきの背中を見つめるように立ちつくしていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「あ~あ。みずづきの対艦ミサイル使えたら、ちょちょいのちょい、なのにな~」

「深雪ちゃん! 贅沢言わないの!! そんなこと言ってたら腕、なまっちゃうよ!」

「白雪、真面目すぎ」

「ちょっと、初雪ちゃんまで!!」

 

現在、第1・2夜襲艦隊と後方支援艦隊は護衛艦隊と分かれ、穏やかな海上を一路敵がいると思われる海域へ進んでいた。一昨日の夜に進出し、朝日が顔を出すのと同時に勝利がやってきた海域。その感傷に浸っているためか、静まり返る艦隊に吹雪を除いた吹雪型姉妹の会話が飛び込んでくる。火付け役は深雪だ。慌てて長女である吹雪が「ちょっと、みんな!?」と空気を読むように促すが、「吹雪だってそう思うよな~~」という深雪の問いかけをきっかけにずるずると引きずり込まれていく。

 

艦隊に広がる失笑。賑やかな喧騒を咎める者は誰もいない。長門がいつ介入しようか思案していることは確実だが、まだ猶予がありそうだ。

 

「しっかし、どういうことかしらね。これは」

 

川内の呟き。それに呼応するかのように、摩耶が口を開いた。

 

「深海棲艦の様子が明らかにおかしい、か・・・・・」

 

再び本土に進出してきた深海棲艦艦隊。これを知った瑞穂政府や大本営・軍令部・陸軍参謀本部、そして横須賀鎮守府は一昨日の恐怖が甦り、浮ついた空気から急転直下。再びハチの巣をつついたような大騒ぎとなった。一時は背水作戦の発動を受け房総半島に展開していた部隊の撤収作業が中断されたりもしたのだ。その動揺は艦娘たちも同じであった。

 

 

 

“また、来るかもしれない”

 

 

 

誰もがそう思ったのだ。的場総長は直ちに海軍航空隊の各偵察隊に濃密な哨戒を指示。百里や硫黄島、いまだ修復作業が続けられている館山基地の代わりとして霞ケ浦の偵察部隊がただちに出動。また千葉県太平洋沿岸漁協にも協力を要請。すぐさま各漁協は所属漁船に確認作業を開始。政府や軍の誰もが偵察隊や漁協からの続報を待った。そして、判明したのは「本土近海に展開している敵部隊は最初に発見された水雷戦隊のみ」だった。

 

付近には空母機動部隊も水上打撃艦隊もいない。水雷戦隊のみが敵地の懐に突撃していた。4個艦隊を葬った敵の懐へ、と。

 

行動の意味が分からず怪しいことこの上ないが、これを百歩譲って置いておくとしても解せないことがあった。通常、一昨日のように深海棲艦にとって重大な戦略性を帯びた戦術行動やflagshipでもeliteでもない限り、普通の深海棲艦は偵察機が少し近づいただけで射程距離ぎりぎりであろうが攻撃してくる。しかし、今回はなんのオーラも放っていない通常型、軽巡ホ級1隻、駆逐イ級後期型5隻で編成される水雷戦隊にも関わらず、偵察機と遭遇した瞬間、反撃せずに逃走を開始した。それはもう潔い逃げっぷりで、偵察機の乗員が「こそ泥を追いかける警察官の気分」と思わずつぶやいてしまったほどだ。

 

このようなことは前代未聞。みずづきも違和感しか覚えなかった。当然横須賀鎮守府も同じ思いで、情報収集の観点から視認外で敵を仕留めてしまうみずづきの武装を使わず、従来通り自分の目で敵を確かめてから攻撃する方法が選択されたのだ。

 

だからといって、みずづきは暇をしているかというとそうではない。持っている電子機器、特にFCS-3A多機能レーダー、そしてそれを補うロクマルは、文字通り艦隊の目となっていた。

 

「みずづき、この進路で変更はないか?」

「はい。大丈夫です。会敵まであと30分!」

「こちら、赤城。当偵察機が敵艦隊を確認。これより追尾・監視を開始します」

「了解。航空隊はいつでも発艦できるようにしておいてくれ」

「了解」

「いやはや、やはりみずづきがいると全く違うな。偵察機がこれほど短時間に敵艦隊を発見できるとは、今までなら奇跡さ」

「いえいえ、そんなことは・・・・」

 

無線越しに聞こえてくる長門の声。前方を見ると、第1夜襲艦隊を先導している長門がこちらへ振り返り笑顔を向けている。その理由は赤城の偵察機がみずづきの誘導によって、一発で敵艦隊を捕捉できたからだ。今までならば例え本土近海で他部隊の補足情報があるとしても、迅速性と確実性を両立させるため多方向へ複数の偵察機を出さなければならなかった。当然いくら航空機が早いとはいえ、その速度をいとも簡単に相殺してしまうほどの海は広い。その広い大洋の中で小さな偵察機は捜索活動を行う。必然的に見落としも生じてしまう。

 

だが、みずづきがいれば、あらかじめ敵がいると分かっている地点に偵察機まはた攻撃隊が向かうだけなので時間的にも艦娘・妖精の体力的にも多大な浪費をせずに済む。長門が笑顔になってしまうのも無理はなかった。

 

「長門さん。報告どおり敵は一目散に逃走しています。艦種も特筆すべき点はなく、普通のホ級とイ級後期型です。さきほどみずづきさんが言われたように先回りする形の現進路を維持すれば、会敵可能でしょうが、もし敵が勘付いて進路を変更した場合、運が悪ければ会敵できなくなる可能性も」

 

敵は水雷戦隊。速力は早い部類で、仮にまだ少し距離がある現時点で全速力を発揮されると、駆逐艦たちでも追いつけなくなる可能性があった。ホ級やイ級よりも駆逐艦娘や軽巡艦娘の方が早いことは早いが、決定的な差ではなく距離があればあるほど、情勢は敵にとって有利だ。

 

赤城の言葉を受けしばらく黙り込んだあと、長門が声をかけてきた。

 

「みずづき、敵に変化は?」

「少し速力を上げたようです。現在27ノットで増速中」

「そうか。・・・・よしっ。後方支援艦隊赤城・加賀・瑞鶴は攻撃隊を発艦させ、航空攻撃を行え。但し、全隻撃沈は許可しない。1隻でも2隻でも良いから、ある程度痛みつけた艦を残しておいてくれ」

「それは・・・・・・・、可能なことは可能ですが・・・」

「直接この目で確かめてみたい。提督とも相談済みだ。安心してくれ」

「・・・・・分かりました。これより後方支援艦隊は航空攻撃を開始します」

 

やれやれと言った様子で赤城は了承すると、無線を切った。しばらくすると、夜襲艦隊上空を100機近くにも上る航空隊が悠々と飛んでいく。機体自体が小さくよく目を凝らさないとカモメの大群と見間違えそうになるが、その光景は圧巻だ。多機能レーダーの対空画面は航空隊を示す光点で一部分が埋め尽くされている。目指すは、敵水雷戦隊。

 

「敵が憐れ・・・・・・」

 

思わずそう呟いてしまった。長門の命令がなければ化け物どもは瞬く間に海の藻屑だ。

 

「あれが、新型の・・・・」

 

曙の声。艦外カメラで倍率をあげて見てみると、確かに今までの機種とは少し違う形状の機体が混じっている。

 

「そうよ。彗星は今まで通りだけど、艦戦は紫電改二に、艦攻は流星に変わったの!」

 

嬉々とした声。先輩2人が静寂を持つ中、口を開いたのは瑞鶴だ。

 

「戦闘能力は飛躍的に向上! 前回は誰かさんのおかげで出撃せずに済んじゃったけど、今回は思う存分この子たちの力を発揮できるわ!」

 

明らかにみずづきを意識した発言。だが、とても陽気に答える気分になれず、結果無視してしまった。それが予想外だったのか。聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で瑞鶴は何かを言ってきたが、結局それっきり黙ってしまった。

 

ほどなくして、進路の前方に黒煙が見え始める。航空隊がその圧倒的な牙を敵水雷戦隊へ向け始めたようだ。

 

「まもなく視認圏内に入ります!」

 

肉眼でも見えてくる戦場。既に力尽きた深海棲艦を松明にしてモクモクと立ち上っている黒煙の間から、対空砲火の曳光弾が上空へ飛んでいく。獲物を見つけたタカのように群がる航空隊から必死に逃げ惑う深海棲艦たち。ホ級は既に沈んだようで、イ級後期型のみが確認できる。彼らのすぐそばに立ち上る水柱。しかし、命中はしない。かなり小回りが利くようで、舵を左右へしきりにきって、回避行動を続けている。

 

だが、それも長くは続かない。時間が経つごとに、こちらが近づくごとに数を減らしていく。そして、こちらが機銃すらも射程に収めそうなほどの距離まで至ったころには大破し、じき沈みそうなイ級が一隻残っているだけだった。

 

それを認めると群がっていた航空隊は上空で隊形を組み直し、撤退。さすがに無傷の完全勝利とはいかず、傷付いた機体はで懸命に風を2つの翼で切りながら、自らの母艦へ向かっていく。

 

航空隊を発進させた3人が戦闘を労うように、飛行甲板へ着艦した機体を「矢に戻す」という形で収容していく。

 

「申し訳ありません長門さん。せめて2隻は残そうとしたんですが・・・・・」

「いやいや、謝らなくていい。こちらが無茶な命令を下したんだ。むしろ、紫電改と流星を評価するべきじゃないか?」

 

少し後方を航行していた後方支援艦隊は全航空機収容後、夜襲艦隊と合流。長門は赤城が背中に駆けている矢筒に視線を送る。今回の戦いは紫電改と流星の初陣。瑞鶴は新型機に明らかに酔いしれているが、長門も栄えある初陣を叱責や苦言で穢したくなかったのだろう。

 

「さてと・・・・」

 

長門がゆっくりと前方へ視線を向ける。それを受け、今まで必死に目を逸らしていたみずづきたちもそちらへ目をやる。

 

体長3mはあろうかという巨体。大きさといい、体のラインといいクジラの子供によく似ている。しかし、あくまで既知の生物と似ている点はそこだけだ。消えかかった緑色の目に、なんの物質でできているか見当もつかない硬そうな外殻。そして、青い体液を絶えず海へ放出している、頑丈な歯を備えた口。中には不気味に輝く折れ曲がった砲身が覗いている。不快極まりない生き物にありがちな、嫌悪感を惹起させる臭いはしない。無臭で、海上のためか塩の臭いしか感じない。

 

「うわっ! 気持ち悪っ!! 北上さんがいなくて良かったわぁ~。え、こ、これは!! 決して北上さんがいなくていいとかそういうわけじゃ・・」

「あんた、一体誰に向かって話してるのよ」

 

先ほどまでデレデレしていた態度が嘘のように眉を顰めた瑞鶴がツッコミを入れる。

 

「うるっさい!! 誰って向こうで待機している北上さんに決まってるでしょ!!」

「私、これほど近くで深海棲艦を見たのは初めてだと思いマース」

 

しかし、北上以外の全員は眼前の深海棲艦に目を釘付けにしていた。

 

「それは私もだ。今まで散々戦ってきた相手だったのだがな」

 

苦笑する金剛と長門。長門の言葉は幾分の減衰もなくみずづきにも当てはまるものだった。彼女たちと同様にみずづきも手を伸ばせば触れそうな距離まで深海棲艦に近づいたことも、至近で見たことも無かった。

 

時々、口を開け閉めし、体液を勢いよく吐き出すイ級後期型。尾びれや中途半端にのびた足のようなものも動かすが弱々しい。訪れるであろう運命から必死に逃れようとしているような動きを見ると・・・・・・・・・・・・・黒い感情が沸き上がってきた。

 

 

 

自分たちの生活を根底からぶち壊したのは誰だっただろうか。無差別に街を焼き、目に入る全ての人間を捕食し、殺しつくし、日本で世界で夥しい数の人間を死に追いやったのは誰だろうか。世界を絶望の淵に叩き落したのは誰だろうか。

 

 

 

 

大切な仲間を、大切な人を自分から奪い去ったのは誰だろうか。

 

 

 

 

今まで抑え込んできた、意識的に抱かないように湧きあがらないようにしていた気持ちに心が塗りつぶされていく。

 

抱いたって無駄。ずっと、そう思ってきた。敵は軍艦や戦闘機級の攻撃力がなければ葬れない化け物。そして、例え自らの手で復讐を誓ったとしても葬った自覚を感じないほどの遠距離戦闘が普通で、嫌でも復讐だの敵討ちだのを自覚してしまうほどの近距離戦闘は、日本ではあり得なかった。

 

だが敵は今、目の前にいる。夢でも幻でもない。現実に弱り切った姿で。

 

自然と右手に持っているMk45 mod4 単装砲に視線が移動する。この距離で撃てば確実にやつは木っ端微塵だ。・・・やつらが散々、人々に対してやったきたここと同じように。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「外見は資料通り。兵装も異変はなし、か・・・・・・」

 

長門はイ級後期型の周囲を何度も回り、頭の中に浮かんでいる資料と食い違っている点がないか確認する。しかし、確認すればするほど、ただのイ級後期型であることがはっきりとしてくる。

 

「ただのイ級後期型ね」

 

長門ほど大胆ではなかったが、観察していた瑞鶴が長門の心の内を代弁する。

 

「まったくだ。従来とは違う行動を取るものだから、新型か、それに準ずる類いかと思ったんだがな」

「では、ただ単に・・・・・」

 

考え得る最も高い可能性を口にしようとする赤城。続きは長門が述べた。

 

「偵察目的だったということか・・・・」

 

敵連合艦隊によって攻撃を受けたことに加え本土決戦が目前に迫ったことなど、瑞穂にとって今回が初めてだ。それを受けた瑞穂の事後行動を収集しに来た可能性は十分に考えられる。

 

「敵の目的も分かったことだし、んじゃ・・・・これ、どうする?」

 

摩耶が気まずそうな笑顔で、横たわっているイ級後期型を指さす。

 

「あとは沈むしかないだろうが、このまま放置ってのもやべえだろ?」

「摩耶の言う通りだな。さて、どうしたもんか」

 

 

「・・・・・・・・・!?」

 

今まで彷徨っていたイ級後期型の目。それがある人影を捉えた瞬間、波に揺られるだけだった巨体が、自分の意思で揺れる。いや、震えると言った方が正しいだろう。怯えたような目。はたからみると些細な変化だったため、ほとんどの艦娘は気付かなかったが、長門はそれを見逃さなかった。不審に思い、イ級後期型が焦点を合わせている方向に目をやる。

 

「・・・・・・・?」

 

一瞬、幻覚かと思い目をこするが、視覚で認識した光景は現実だった。イ級後期型の視線の先にいた者。それはみずづきだった。

 

 

なぜ、みずづきなのか。

 

 

浮かんで当然の疑問はみずづきの表情を見た瞬間、きれいに吹き飛んでしまった。目をこすったのもこの延長線上である。

 

 

 

彼女の顔。そこは・・・・・・・・・・・。

 

 

 

怨嗟にまみれていた。普段の彼女からは想像できないほど、恐ろしい表情をしていたのだ。本能的に危機を察知し、声をかけようとしたその時、1人の艦娘が声をあげた。それは聞き捨てできるものではなく、結果的にみずづきへ声をかけることが叶わなくなってしまった。

 

「助けて、あげられないでしょうか?」

『・・・・・・・・・・・・・・・はぁっ!?!?!?』

 

唐突に放たれた電の衝撃発言。あまりの突飛さに、雷を除いた全員が言葉を失った。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

それはもちろんみずづきも同様だった。彼女が何を考えて、何に基づいてそのような戯言を言ってるのか、分からなかった。

 

 

 

本当に・・・・・・・・分からなかった。

 

 

 

「お、お前なに言ってんだよ・・・」

「そうよ! こいつは深海棲艦で、私たちの敵なのよ!」

「電! この間だって、こいつらの攻撃で4000人以上の人間が死んだのよ! あんただって戦闘に参加して、戦闘機が撃ち落とされるところを・・・・・・・、っ。人が死んでいくところを見たじゃない!」

「言われなくても、分かってるのです」

 

つぶさに反論する摩耶、瑞鶴、曙。彼女たち以外の艦娘も動揺を隠せないでいる。いつもの彼女なら泣いて謝っている状況だが、今回ばかりは違っていた。3人から荒い言葉をぶつけられようがめげること、怯えることなく、真剣なも眼差しをたたえて覚悟の籠った言葉を放つ。普段とのあまりの違いに「本当に電か?」という問いが浮かんできそうなほど、今の彼女は堂々と海面に足を付けている。

 

「だったら!」

 

そんな電の様子に構うことなく、曙が口調を荒げる。だが、いかに毒舌で始末に負えない曙でも今の電を説き伏せることはできなかった。

 

「曙ちゃん? 曙ちゃんがやろうとしていることで何が解決するのですか?」

「それは・・・・・・」

 

曙は電に圧倒されてしまった。

 

「敵だから、仲間を殺されたから・・・・・。色んな理由があると思います。でも・・・・“敵だから”。その理由だけで殺し合っていたら何も解決しないのです。みなさん、それは十分分かっているはずなのです」

 

曙を片目で見ながら再び反論しようとした艦娘たちが口を閉ざす。艦娘たちにとって重たい言葉。それになにも感じない艦娘はいないだろう。彼女たちは以前、国家の存亡をかけた本気も本気の殺し合いをしていたのだから。

 

「だがよ、あの時と今とは違うだろ?」

「同じなのです」

 

即答する電。あまりの潔さに摩耶はその先の言葉が出ない。

 

「姿形が違っても、同じ生き物なのです。命ある存在なのです。確かに、私たちには守るべきものがあって、大切な人たちがいます。それを守るための戦闘を否定する気はないのです。でも・・・・不必要な戦闘は不必要だと思うのです。・・・・・・今は、その不必要な戦闘だと思います。・・・・・不必要な戦闘はただの虐殺です」

「ぎゃく・・・さつ?」

 

不必要な戦闘は虐殺。電はそう言った。しかし、果たしてそうだろうか。

 

“き、きいちゃん? 私、私・・・・・死にたくない・・・。わたしこんなところで死にたくない・・・・・・”

 

(・・・・・・・・・・・・)

唐突にあの光景が浮かんだ。何の罪もない友人が日本人と言うだけで殺された、多くの人々が情け容赦なく幸福から排除された忌まわしい光景が。

 

それを成した者は日本人の「敵」だった。その敵を、武器も奪いといられ泣きじゃくりながら命乞いをするテロリストを殴り殺した行為は誰も「虐殺」とは言わなかった。・・・・・・・・自分も含めて。

 

 

いくら否定されても湾曲しそうない強い信念を瞳に宿し、一歩も引かないと鬼気迫る表情のもとで紡がれる言葉。これにはいつも電を指導する立場にある長門や金剛、赤城たちですら下手に太刀打ちできない。様々な想いを含有した沈黙が漂う中、場違いな明るい声が響く。

 

「さすが、私の妹!」

 

今までと異なり、その言葉が無性に頭に来た。そして、過酷な「夢」に翻弄されようとも、いつまで経っても変化しない無力な現実に打ちのめされようとも、無意識に支えていた心のかせが怒りの発火を前にして・・・・・・・・ついに崩壊してしまった。

 

雷が優し気な笑みを浮かべて電の肩に手を乗せる。

 

「私は、賛成かな!」

「雷ちゃん・・・・・・・・・」

「戦う意思のない敵は敵にあらず。敵でなければ、友人なり。・・・・・武士道の精神は私たちの誇りだもん!」

 

2人の様子に、他の艦娘たちは顔を見合わせる。動揺は先ほどと同じだが、抱いている気持ちは徐々に電や雷の方向に寄っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2人とも、何言ってるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感情が全くない、冷え切った声。極寒の深海から現出したような空気の振動が全員の鼓膜を震えさせる。言葉を吐いた本人以外は誰が言ったのか分からず、聞こえた方向に目を向けた。

 

 

 

そこには無表情のみずづきがいた。

 

 

 

 

「み・・・・・・みずづき、さん?」

 

 

 

 

動揺する電。彼女だけではない。ある1人を除いた全員が、みずづきの様子に驚愕していた。食いしん坊で、少し天然の気があり、優しくて、確固たる信念を持つ、親しみの持てる女性。しかし、今の彼女にその面影はどこにもなかった。無表情で人間味がないと評されるまるで人形のような顔。わずかに開いた瞳孔が周囲にただならぬ気配をまき散らす。

 

 

 

 

「これを、助けるって? ・・・・・・・・ふざけるのもいい加減にして」

 

 

 

 

眼前で時が経つごとに弱っていくイ級後期型を指さしながら、怒りと軽蔑を込めて電を睨みつける。心に渦巻く、感情の激流。かつてはもう1人の自分が必死に抑えようとした。しかし、その自分はもういない。

 

「敵は、敵なのよ」

 

ゆっくりと語られる言葉。聞く者にとっては一種の恐怖を感じさせる。体にまとわりつくような粘着力がそれを一層引き立てていた。

 

電は答えない。

 

「敵は敵。それ以上でも、それ以下でもない。・・・・・・・・敵は全て、抹殺するべき存在よ」

『っ!?』

「ちょっと待ってください!! みずづきさん!!」

 

必死な形相で電が大声をあげる。聞いたこともないほどの大声を。これは彼女にとって絶対に許容できないことだったのだろう。みずづきの語った「敵」。これは何も深海棲艦だけを差しているわけではなかった。

 

「それは違うのです!! 確かに敵は敵ですけど、敵だって電たちと同じ存在なのです! 抹殺なんて、そんな、そんなおぞましいことをしていい対象じゃないのです・・・・」

「していい存在よ」

 

みずづきはつい先ほどの電と同じように、寸分の間も置かず即答する。そんな思考は考える価値もないと無言で伝えるように。電の目に大粒の涙が浮かんでいく。

 

「敵だって私たちのこと、・・・・・・・・・・・そういう存在だって認識してるんだから」

「そんなこと・・・・・そんなこと・・・・・・うぅ・・う・・」

 

ついに電が泣き出してしまった。背中を丸め、必死に反論しようとしているのか涙を拭い続けるが、涙の量が多すぎて言葉を紡ぐ余裕はない。さすがにこうなっては黙っておられなかったのだろう。雷がみずづきを怒りに満ち満ちた目で睨みつける。

 

「ちょっと、あんた、自分が何を言っているのか分かってるの!! それでも日本人!? あの人たちの子孫なの!?」

「そうですけど。何を今さら」

「くっ・・・・・・。だったら、なんでそんなことを・・・・・・。日本人なら例え敵とはいえ、戦う意思のない存在には手を差し伸べて当然でしょ!?」

 

当然。そう、当然だった。・・・・・・・・・深海棲艦が出現する前、中国がミサイルをぶち込んで、自分たちの意のままに動くテロリストを使って「日本人の数」を減らそうとしてくるまでは。

 

「それがどれだけ難しいことか。雷なら分かるよね? みなさんなら分かりますよね? 自分たちと戦争をしている相手を、自分の大切な存在を虫けらのように殺した相手を許すことが! 助けることが・・・・・。どれだけ、難しいかを・・・・・・」

 

みずづきとて、日本に蔓延している「敵は抹殺すべし」というおぞましい風潮に何も感じなかったわけでない。深海棲艦ならともかく、人間ならばその後ろに家族がいる。友人が、知人が、恋人がいる。その人間の帰りを持ち、帰宅こそがその人々の幸福だ。

 

1人の人間を殺すということ。それは本人の夢と希望、日常を永遠に奪い去る行為に留まらず、後ろに控える数多の人々から永遠に幸福をむしりとる行為だ。

 

しかし、やつらはそれをこちらに行った。しかも、一方的に、凄惨な歴史の果てに築かれた国際法など紙くずといわんばかりに。敵にも家族がいるからと言って、無実の人々から生命・幸福を奪っておきながら何の裁きも受けさせないのはただの理不尽だ。ある意味、敵を殺すことよりも罪深い。

 

みずづきは親友を殺した「敵」も、日常を徹底的に破壊し仲間と大切な人の命を奪った「敵」も許すことは出来なかった。

 

「おい・・・・・・・・待て、みずづき」

 

長門が顔面蒼白で言葉を震わす。

 

「その言い方ではまるで・・・・」

 

そこまで言って、口を噤む。その様子を見てはいたが、みずづきは無視し言葉を続ける。

 

「スラバヤ沖海戦」

「「っ!?」」

「私も日本人で、軍人ですから戦史や歴史には少し強いの。だから、その海戦の話は・・・・・知ってる」

 

雷と電の2人が目を大きく見開く。一見すると2人にしか関係ない事柄のように思われるが、他の艦娘たちも例外ではない。その理由は単純。みずづきが具体的なアジア・太平洋戦争期の出来事を口にするのはこれが初めてだったからだ。

 

「すごいですよね。潜水艦に発見される危険性まで冒して艦の乗員より多い()()を1人残らず救助したんですから。さすが、大日本帝国海軍。日本人として私も誇りに思います。でも・・・・・・それって、余裕があったからできたことなんですよ。それはみなさん自身が一番よくご存じのはずですよね?」

 

冒頭はいつもの雰囲気を若干取り戻していたが、言葉が続くにつれて感情が消えていく。最後の言葉にはあきらめの感情も含まれていた。唇を噛みながら、殺意一歩手前の激情を容赦なく向けてくる雷。涙を流しながら彼女にしがみついている電。2人に比べて恐ろしく冷静さを保っている、いや感情を放棄しているみずづき。

 

 

 

電たちだって、そんなこと分かっていた。

 

 

 

 

あれは巡り合わせが良かったからできたこと。戦争末期ならばいくらなんでも救助する余裕はなかっただろうし、それはみんなが証明していた。しかし、いくらそうであろうと、自分たちに乗っていた将兵たちは武士道の精神、大和魂に従って行動したのだ。戦争という外道に足を突っ込んでも、彼らは人の常道を忘れなかった。

 

今でも覚えている。敵に助けられたという状況に怯えながらも、必死に訳の分からない言葉で乗組員へ気持ちを伝えようとする兵士たちの顔が。煤や油で汚れていたが、そこにはとても計れない嬉しさと感謝が詰まっていた。

 

その涙でぐしゃぐしゃになった顔が証明していた。これは間違ったことではないと、正しいことなのだと。

 

それが誇りだった。乗っていた将兵たちは、自分たちの祖国は立派だと。

 

なのに・・・・・・・・・・・。

それなのに、彼らの子孫であるみずづきの言葉は彼らの信念とは、自分自身が誇りに思った姿勢とはかけ離れたものだった。吐き出された言葉を聞くと、悲しくなってくる。

 

どうして、そんな、悲しいことをいうのだろうか。

 

 

 

 

「私もその難しさは分かる。雷は助けるで折り合いをつけたのかもしれない。たけど、私は、私たちは違う。私たちは・・・・・・排除することで折り合いをつけた」

「ちょ、ちょっと待ってや!」

「排除することってどういう・・・・」

「だって、そうなるじゃない。こっちが善意で手を差し伸べても、連中は1人でも多くの命を刈り取ることしか考えていなかったんだから・・・・・・」

「へ?」

 

言っている意味が分からないと言う風に、目を点にする黒潮と曙。みずづきは笑みを浮かべた。典型的な自分自身をバカにする自嘲だった。

 

「人間相手だって、そんなのですよ。こちらの善意を食い散らかすような真似をされても、いつかは分かってくれると、相手へ一方的に私たち日本人の価値観を押し付けて理想論を信じた。でも、日本人の価値観は日本人にしか通用しない。武士道も、大和魂も日本人にしか通用しない。ましてやこいつみたいな化け物には、私たちの想いなんて分かるわけがないし、そんな尊いものをかけていい存在じゃない」

 

2017年。あの大震災が起きて以降、日本は、日本人は常に歴史の激流に翻弄されてきた。世界的な経済危機、いきなりの国家間戦争、考えもしなかった国内での対テロ戦争。しまいには深海棲艦などという人智を越えた、空想上で出てくるような化け物どもに蹂躙される始末。

 

「日本人は変わったんです。いや、ようやく現実に目を向けたんです。理想論ではなにも・・・・・なにも解決しないって」

 

これには語弊がある。日本人は変わりたくて、好きで追い求めた理想を捨てたわけではない。

 

 

変わらされたのだ。気付かされたのだ。容赦も慈悲も存在しなくなった現実に・・・・・・・・。

 

 

「純粋な信念では、大切なものを守れない。私はもう、もう無力なのはいやなんです。・・・・・だから!!」

「っ!?」

 

Mk45 mod4 単装砲の砲身をイ級後期型に向ける。雷・電を含めて誰も動揺が大きすぎて動けない。視線でみずづきを追っている間に、引き金にかけられている指へ力が込められる。しかし・・・・・・。

 

「みずづき!!」

「っ!?」

 

イ級後期型とみずづきの間に陽炎が割り込んできた。いきなりの急加速に、いきなりの急停止。昔の軍艦の機関を詳しく知らないためはっきりとしたことは言えないが、そんな機動を行って機関が喜ぶはずがない。機関は艦の命だ。それに構うことなく、陽炎は行動していた。

 

対して自分は今、何をしているのか。

 

必然的に陽炎へ向けられることとなったMk45 mod4 単装砲の、冷たい砲身。

 

 

それを認識した瞬間、全身が震えだす。

 

 

みずづきは今、陽炎の体に・・・・大切な友達の体にまっすぐと殺意を向けているのだ。

 

 

「ちょ、ちょっと、陽炎!!! なにしてるの! そこをどいて!」

「どかない!!」

「いいから、そこをどいてぇ!! あんたにだって分かるでしょ!! 私の言ってることと、雷や電の言ってること、どっちが正しいのか!! ねぇ! 陽炎っ!!! やつらはこの世界でも、そして・・・・・地球でも数え切れないほどの人間を殺した!! 大戸艦長たちも・・・・・・・かげろうも、おきなみも、はやなみも・・・・」

 

“みずづき”

 

あの人の顔が浮かぶ。声が聞こえる。思い出が甦る。でも、もうそれを見ることも、聞くことも、紡ぐこともできない。

 

「知山司令も・・・・・・・・」

 

まだまだ、一緒にいたかった・・・・・・・。声を聞いていたかった。姿を見ていたかった。くだらない話をしていたかった。なのに。

 

「それをなした、業の集合体みたいなのを野放しにできるわけないじゃない!! 陽炎ってば!!」

 

Mk45 mod4 単装砲を持つ右手を小刻みに震わせながら、そう陽炎を問い詰める。

 

彼女はこの中で、唯一「真実」を知っている艦娘。なにもかもを知ったうえでみずづきを責めることもなく軽蔑することもなく、こちらの葛藤を理解し、受け入れてくれた。今、最も近い間柄は誰かと問われれば「陽炎」と答える。

 

だから、分かってくれると思ったのだ。例え、電たちが認めてくれなくとも、陽炎ならばと。

 

しかし。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

その沈黙は、みずづきにとってあまりにも残酷なものだった。

 

「へ・・・・・・・なんで・・・・」

 

力の抜けきった、か弱い声。先ほどの絶叫とも感じられる大声を発した人物とは到底思えない。力なく、自身の上に立っている者の心情などお構いなく揺れている海面に視線が縫い付けられる。海面と陽炎の足、そしてその後方に控えるイ級後期型のみが映る世界。陽炎は頃合いを見計らっていたように、静かに口を開く。

 

「砲を下ろして、みずづき。もし、ここで憎しみに飲まれてあれに引き金を引けば、あんたはもう戻れなくなる」

「戻れなくなる?」

 

「どこに?」。視線でそう訴えると陽炎は諭すように弛緩させていた表情を引き締める。

 

「あんたはなんのために、その砲を持っているの?」

「っ!?」

 

衝撃が全身を駆け巡る。一瞬、朦朧とする意識。思い出される知山との会話。

 

“私は志願した理由は・・・・・・・”

 

「それは・・・・・守るためのものでしょ?」

「あ・・・・・」

「仲間を守るために、っていうなら私もここまでしない。でも、あんたは明確にあのイ級へ、今まで散々味会わされてきた憎しみを抱いて、それを発散するために守るためのものを向けているのよ」

 

陽炎に促されるように右手に、Mk45 mod4 単装砲へ視線を向ける。波しぶきがかかったのだろう。砲塔に水滴が幾つも浮かび、日光を受けてキラキラと輝いている。美しいが、見ていると気が重くなる。

 

何故だか、それは涙のように見えたのだ。

 

「分かったら、砲を下ろして。私は今のみずづきが好き。変わって・・・・」

 

急に言葉に詰まる陽炎。腕で強引に目をこすると発言を再開する。

 

「変わって欲しくなんてないっ」

 

俯き、小刻みに震えるほど強く、強く握られる拳。

 

引き金から手が引かれ、Mk45 mod4 単装砲を持っている手がだらりと垂れさがる。

 

「私は・・・・・・私はっ!!」

 

かすれた声と同時に瞳から零れ落ちる涙。電のような激流ではなく、小川のようだ。災害や人間の開発で以前の清らかさを失い、ボロボロになったような流れ。

 

 

みずづきのすすり泣く声が、海風の波を、間を縫って、周囲に響き渡っていく。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ねぇねぇ、ちょっと、一体何があったのよ。みんな変よ。ねぇってば!」

「夕張の言う通りクマ。このご時世であんまり言っちゃいけないかもだけど、お通夜みたいクマよ」

 

夕張たちに声をかけられても、目すら合わせない艦娘たち。暁や響に至っては大事な妹である電や雷の様子が尋常でないため、言葉を失っていた。明鐘岬沖で合流した護衛艦隊。彼女たちはあの場にいなかったため、現在の状況にかなり困惑していた。あの北上ですら、青筋を浮かべるほどだから、どれほどの困惑ぶりか分かるだろう。だが、夕張たちなりにかなり勇気を出して現状の打破を図っていたがこの有様。全く効果は上がっていない。あの長門ですら、少し挙動不審気味だった。

 

艤装を外し終えた艦娘たちは無言のまま、ぞろぞろと玄関前のエントランスホールに出ていく。あれ以来、ずっとこの調子だ。何人かの艦娘たちはイ級後期型が、こちらが手をかけず自然に沈み、決定的な対立を回避できたことから横須賀につけば事態が好転するのではないかと淡い期待を抱いていた。が、それは本当に淡い期待で終わっていた。

 

夕張や球磨の言葉がなかったかのように出入り口から外に出ようとする一同。先頭には顔に影を作ったみずづきと、彼女へ寄り添うように歩く陽炎の姿があった。

 

「待ちなさいよ・・・・・」

 

みずづきたちが出入り口をあと数歩でまたぐと言う時、夕張たちでも崩せなかった沈黙に曙の声が響く。顔を前方に向けたまま一斉にみずづきたちが立ち止まる。再び訪れる、空気が肌に突き刺さるかのような痛々しい静寂。だが、それはほんの少ししか続かなかった。

 

「このまま、うやむやにするつもり?」

 

曙の鋭い視線がみずづきの背中に刺さる。わざわざ、振り返らずとも曙がどのような顔をしているのか、手に取るように分かった。相変わらず前を向き続ける自分とは対照的に陽炎は伏し目がちに曙へ顔を向けた。

 

「ちょっと、曙、今日のところは・・・」

「私はそいつに言ってるの! あんたは黙ってって!!!!」

 

あまりの声の大きさに夕張たちは思わず、手で耳を塞いでしまう。「はぁ、はぁ」と息継ぎ。今の怒号は曙にとっても相当の負担だったようだ。

 

「・・・・・・・・・・」

 

だが、それでもみずづきは反応を示さない。大声をうけた反射的な驚きでさえも。ここで反射的・生理的反応を問わず何らかのアクションをとってしまえば、今までの葛藤は、現在の陽炎の気遣いは全て水泡に帰してしまう。

 

あれを話さなければならなくなる。

 

例え、それが自分の心の弱さによって引き起こされた自業自得な結果であったとしても。

例え、それがもはや回避不可能な未来だとしても。

 

それでも、みずづきには自らが決めた方針の世襲しか選択肢はなかった。陽炎と何らかの打ち合わせをしていれば、打開策が見いだせたかもしれない。しかし、房総半島沖海戦が勃発したため、「真実」の扱いについて陽炎とは、那覇以来話していない。だから、世襲以外の選択肢はそもそも存在しなかった、と言う方が適切かもしれない。

 

だが、それは次の言葉によって「甘え」であり「現実逃避」であると容赦なく突きつけられた。

 

「あんたにはいろいろ言いたいことが、あったけど、今がその時・・・・・・みたいね。いい加減、隠すのやめたら」

「っ!?」

 

全身を驚愕に染め上げ、勢い良く振り返る。一拍の間。体の震えが、動悸が収まるどころか時間の経過と共に激しくなっていく。曙たち、第三者からみれば一目瞭然であろう。抑えなければ状況は悪化する一方と分かっていても、自分ではもう制御できなかった。頭の中で鳴り響く警報音。事態の打開策を考えようと隣にいる陽炎へ怯えた視線を向ける。だが、それは徒労以外の何物でもなかった。陽炎もみずづきと同じように固まっていたのだから。

(な、なんで・・・・・・・・・)

その疑問が頭の中を駆け巡る。何度も往復させていると陽炎と目があった。「曙に話したの?」。そう陽炎が視線で問いかけてくる。もちろん、答えはNOだ。必死に隠してきた「世界の秘密」は陽炎以外誰にも話してなどいない。

 

「やっぱり、なんか隠してたのね」

 

そんな2人のやりとりからか。はたまた2人の動揺ぶりからか。確信を得たと言わんばかりの言葉。怒り心頭の表情に諦めの色が宿る。それを見た瞬間、曙の言葉を咀嚼し意味を理解した瞬間、みずづきははっきりと認識した。少し苛立ちを感じる。こちらの葛藤を全く考慮せず軽率な行動に出た曙に、そして簡単な心理戦にはまった自分自身に。

 

「やってくれたね・・・・・鎌、かけたってこと?」

「そんなに睨まないでくれる? あんたから見ればそうかもしれないし、頭に来るんだろうけど、あんたたち、私の行動を非難できるの? できるもんならしてみないさいよ」

 

「してやった」と言わんばかりの不敵な笑み。追い打ちをかけるように加えられる挑発。いつもなら、本当にくだらない、たわいもない事柄ならみずづきも陽炎も気負いすることなく反論を噛ましていただろう。しかし、ここでは曙の発言に異議は唱えられなかった。

 

彼女の発言は、どこにも間違っているところはないのだ。

 

「なによ、やっぱりできないじゃない。そして、次はだんまり? ・・・・・・・なんで」

 

今まで、寸分たがわずみずづきと陽炎に視線を向けていた曙が俯く。握りしめられる小さな拳。その行動が理解できず、首を傾げかけたその時。曙は顔を上げた。

 

「・・・っ」

 

思わず息を飲んでしまった。唖然という表現がぴったりなみずづきたちの反応に曙の背中を拝むような形で立っている艦娘たちは一往に隣近所で顔を見合わせていた。

 

そりゃ、肝心の顔を見なければ分からないだろう。

 

曙の目元には今にも決壊しそうなほど涙が浮かんでいたのだから。

 

「なんで、どいつもこいつも嘘ばっかりつくのよ!! みずづきも陽炎も・・・・・どいつもこいつも、なんで」

「ちょっ、ちょっと曙ちゃん、一体どうし・・・」

「あんたは悔しくないの?」

「へ?」

 

額から一筋の汗を流し、曙の異変をいち早く察知した潮が駆け寄る。いつもよりさらに口調が自信なさげ、いうなれば弱々しくなっている原因は大切な姉妹である曙の様子が尋常でないことに由来しているのだろう。しかし、曙はそんな潮の様子など顧みず、唐突な言葉を投げかける。

 

潮は動揺を大きくする一方だ。

 

「悔しい? ・・・・・曙ちゃん、どういうこと? 悔しいって・・・・」

「私たち、仲間・・・なのに友達なのに、こいつらは平気で嘘をついた。私たちをずっと欺いていたのよ!」

 

オブラートに包むこともなく、直球で向けられる叱責。甲高い叫び声が胸に突き刺さった。

 

「そんなことされて・・・・・・悔しくないわけないじゃない・・・・・・」

 

目元を離れ、ついに落下する水滴。キレながら泣く。なんとも器用だが、普段は毒舌かつきつい態度ばかりの曙らしい感情表現だ。そこに必死さを惜しみなく宿しているところも曙らしい。だから、だろう。人間の営みをあざ笑う地震のように感情を揺さぶってくるのは・・・・・・。

 

それでも、みずづきの決心は原型を保持していた。このまま、曙1人が喚き散らしていたなら状況はまた別の方向に進んでいたのかもしれない。

 

だが、曙が次の瞬間に明らかにしてしまった想像を絶した「現実」は、みずづきを諦め一色にするには十分すぎる威力を持っていた。

 

「あんたたちは、なんとも思わないの?」

「え?」

 

戸惑いの呟き。みずづきは潮に寄り添われている曙を漫然と覗う。叱責の言葉が続くことは覚悟していた。陽炎も同じだろう。だが、その覚悟が拍子抜けだと告げられたのだ。陽炎と顔を見合わせる。

 

「ねぇ、どうなの?」

 

続く言葉。その矛先はみずづき・陽炎両人かと思いきや・・・・・・。

 

「なんか言ったらどうなの? あんたたち」

 

背後に控えて、事態を傍観とは言わないまでも見守っていた艦娘に向けられた。

 

曙の意図に気付き、一斉にざわつく。

 

「な、なに言ってるんだよ、曙・・・」

「あんた、自分の言葉、理解してる?」

「なんでクマたちが疑われないといけないクマ?」

 

などと抗議の声を上げたり、「どう?」という具合に互いの顔を見合わせたり。それは純粋そのものの、演技の雰囲気は皆無。全ての艦娘たちがそうであったなら、どれほど良かったことだろうか。曙は先ほどの怒りを隠し、寂し気に一同を見回し、みずづきに視線を合わせるとこう言った。

 

「・・・・ほらね」

 

それが、その声が、今だけは悪魔の宣告に聞こえた。

 

突きつけられた、逃避のしようがない現実。それを前にして平静を保つことができない。歪む視界。震える足。早くなる動悸。胸に溜まる不快感。ふと気を抜けば、力が抜け、尻餅をついてしまいそうになる。そうならないよう、両腕で自分の体を抱く。寒さと格闘する雪山の遭難者のように。

 

「みずづきっ?」

 

慌てて、そっとみずづきの肩に手を添える陽炎。「大丈夫?」とかなり深刻な表情で顔を覗き込んでくる。その気遣いには答えたい。しかし、今はその余裕すらなかった。

 

「私や潮と違って、悔しいなんて思ってない連中がいたでしょ?」

 

続く宣告。耳を塞ぎたかったが、もうその程度で足掻ける範疇を越えているのだ。

 

 

 

みずづきは見た。見てしまったのだ。みずづきから、曙から、そして陽炎から視線を逸らす数人の艦娘たちを・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

「その動揺ぶりを見るにこの可能性を全く考えていなかったようね。呆れた。それでも軍人・・・・所詮は人間ってことか。それともあんたがよほど間抜けなだけ? ・・・・・・はぁ~。私と同じで、ふとしたところから気付いたんでしょうね」

「私と同じ?」

 

怒気を含んだ陽炎の声。すましたような様子の曙をどうにも許容できない。視界に捉えた陽炎の顔にはそう浮かんでいた。

 

「言ったでしょ? あんたたち・・・・みずづきの嘘は分かってたって。最初は当然、私もそんなこと微塵も考えていなかった。でもあの日・・・・・・あんたと初めて会った日、私見たのよ」

「見た? って何をよ?」

「あんたに庇われている・・・・・そこのみずづきへ夕食を持って行ったときに・・・・・。あんたがかつ丼を前にして、泣いているところを、私、見たのよ」

「っ!?」

 

衝撃のあまり、陽炎に寄り添われているにも関わらず、足が半歩退く。あの日。確かにみずづきは、数年ぶりに見たかつ丼を前にして感動の涙を流していた。深海棲艦が出現して以降、ホクホクのごはんに、卵、小麦粉、そして豚肉などを使用するかつ丼は日本のかじ取りを任されている政治家や伝統に裏打ちされた強大な権威を持つ皇族ぐらいしか手を付けられない高級料理と化していた。庶民は白米すら毎日食べることが出来ず、それまで食べ物と誰もが認知していなかったカエルや蛇、各種昆虫まで日常食にして深刻な食糧難を凌いでいた。そんな状況が当たり前で・・・・・・生きているだけで納得しなければならなかった。死因の上位に餓死が占有する世界で、えり好みするなどもってのほか。そこから一転、かつ丼が出てきたのだ。さも、当たり前というように。そんなを見たら、感情の発露を抑えることなどできない。曙たちが立ち去ろうとした瞬間から涙腺が決壊してしまったのだが、どうやら少し早すぎたらしい。

 

「その顔がね、似てたのよ」

「似てた?」

「ええ、あの戦争で・・・・・・・・・・飢えに苦しんできた人間の顔に」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

陽炎の表情が急速に曇っていく。彼女も分かったのだろう。もう、しらを切り通すという選択肢が消滅してしまったことに。

 

みずづきも、はっきりとそれを認識した。

 

みずづきと陽炎の深く長い嘆息を好機と受け取ったのか、あやふやで儚げだった曙の目が先ほどの、喚き散らしていた頃の力強さを取り戻す。

 

そして・・・・・・。

 

 

 

 

「みずづき? 日本に、あんたの住んでた世界に、何があったの?」

 

 

 

 

 

核心をつく問いを放った。凍り付く空気。電とみずづきの口論を目撃していない夕張たちは「は?」と目を点にしていたが、あの一件を見ていた艦娘たちは一語一句聞き逃さない、どんな感情の起伏も見逃さないといった気迫を纏い出す。

 

「み、みずづき・・・・・」

 

「どうするの?」。自分にしか聞こえない声量で陽炎が問いかけてくる。その顔は絶望に染まっていた。即座に行動を起こさなけらばならない状況。しかし、みずづきは即断できなかった。

 

点滅する、艦娘たちの笑顔。その笑顔を、守りたいと思った笑顔を自分の手で壊すことは・・・・・・。

 

「いつまで、だんまりを決め込む気?」

 

陽炎の問いかけを、みずづきの逡巡を自分から「逃げている」と認識した曙は口調を厳しくする。

 

「・・・・・・黙ってないで、なんか言ったらどうなの? ここまで来てしら切り通す気?」

「・・・・・・・・・・」

 

明らかに曙は苛立っている。傍らに立つ潮は先ほどのように彼女を宥めることはしない。ただじっと、こちらを見つめてくるだけだ。

 

“だから、こんなの上手くいくわけなかったのよ。自業自得ね”

 

頭の中に自分の声が響く。意識とは違うもう1人の自分の声が。それは全くもって正論だ。本当に自業自得。

 

“だいだい、私が嘘つくの下手って誰よりも分かってたじゃん。それなのに、いきがって進んだ結果が、これ。起こるべくして起こした結果ね”

 

「・・・・とことん馬鹿にされたものね。そんなに言いたくないことなの? それとも私たちを信用してないの?」

 

“見たくないものは見ない。人間の宿命だけど、あんた毎度毎度ここぞと言う時にそうするよね。昔から全然成長していない”

 

「黙ってないで、なんか言ったらどうなのよ!!」

「いい加減にして!!」

 

怒気を周囲に振りまきながらみずづきに近づいてきた曙の行く手を陽炎が阻む。「なにすんのよ! 邪魔!」とよけようとするが、陽炎が前進させないよう幾度となく位置を変える。

 

その喧騒で、少し遠いところに引き込まれていた意識が現実に戻される。

 

「もう少し冷静になりなさいよ! あんた自分を見失っているわよ!」

「はぁ!? こんな状況で冷静になれるわけないでしょ!! あんたこそ、なに言ってんのよ!! こいつは、私たちに嘘をついた。しかも・・・・おそらくとんでもない嘘を!! 問い詰めるのは当然でしょ!! もし、もし・・・・日本がもう一度地獄絵図とかしているなら・・・・・私たちの・・・・私たちの努力はなんだったのよ!!! あいつらの・・・・・私の中で見るも無残な姿になって、そこからせっかく生き残ったのに・・・船の乗組員にも関わらずろくな武器も持たされず“死んで来い”って・・・・、っ」

 

曙の目元から、一筋の涙が滴り落ちた。

 

「“死んで来い”って市街地戦に投入されたあの人たちの無念は!! 犠牲は!! なんだったのよぉぉ!!!!!」

「曙・・・・」

「あんただって、そうでしょ!! 見たんでしょ! ついさっきまで笑っていた人たちが、血まみれの・・・バラバラの“もの”になるのを!! 目の前で黒潮もやられて・・・・・・。なのに、なんで、さっきからそうこいつの肩ばかり、持つのよ!」

「それは・・・・・・。でも、こんな状況で話したっていい方向に進むわけない。こういう時は時間が必要なのよ」

「何よ? 知ったかぶって! もしかして、あんたみずづきとグルなの!?」

「・・・・・それどういう意味?」

「ちょっと、2人ともやめて!!!」

 

目の前で繰り広げられる火花。さすがにこれは看過できなかったのか、潮が血相を変えて仲裁に入る。涙を周囲にまき散らしながら、陽炎に食って掛かる曙。なんとか、みずづきにとって負担の少ない環境構築を目指す陽炎。

 

知りたいという必死さ。嘘をつかれたという悲しみ。

他人を思う気遣い。同情を抱きつつも、それを押し殺す葛藤。

 

その激情の交差が、みずづきに決心を促した。

 

 

視線を前方へ向ける。すぐ目の前で言い争いを繰り広げる陽炎と曙。そんな2人をどうしたらいいのか、立ち尽くす艦娘たち。彼女たちの顔を見ると、たった2ヶ月だったがその間に積み重なった思い出が甦ってくる。

 

それが、もう紡げなくなるのは怖い、寂しい。大切な存在を失うのは、軍人になって3度目。その前もカウントに入れるなら・・・・4度目だ。しかし、引き際を誤れば、事態がさらに悪い方向へ転がることもある。なにより目の前の友人に多大な迷惑が掛かってしまうのは現在進行形の明確な事実だ。陽炎が立たされている茨の道はこちらが歩くべき道だ。

 

「陽炎・・・・」

 

彼女の肩にそっと手を乗せる。それですべてを察したのか、つらそうに顔を歪めると翻意を促す視線を送ってくる。静かに笑い、首を横に振る。陽炎がそうしたように、今度は陽炎と曙の間にみずづきが割り込む。顔を下に向け、力尽きたように後ろへ下がる陽炎とは対照的に、曙は驚きつつも鋭い視線を向けてくる。

 

 

 

 

 

これから、自分はあの時の誓いを破り、真実を語る。

 

 

 

 

 

曙の顔。黒潮や吹雪や白雪や初雪や深雪や川内、みんなの顔を見ると息が苦しくなる。しかし、ここでやめるわけにはいかない。

 

これは、罰。嘘をついた、みんなを守れなかった、そして誓いを新たにしたにも関わらず、再び同じ過ちを犯したこの身への、罰。自分が出来ると勘違いし、振り返ることもなく闇雲に進んだ愚か者への当然の報いだ。

 

「なに、どうしたのよ? やっと言う気になったの?」

 

意気揚々と言葉を投げかけてくる曙。妙に音程のずれた声から察するに、これから語られるであろう“真実”に少なくない恐怖の感情を抱いているのだろう。

 

「2350万人。この数字、なんだか分かる?」

 

憔悴し自嘲気味な笑みを浮かべる。「2350万人?」と曙。何を言ってるのか分からない。眉間にしわを寄せた顔にそう書いてある。

 

 

 

 

 

ついに、言う時がきた。残酷な日本の、彼女たちにとってかけがえのない故郷の未来を。

 

 

 

 

 

 

「これはね、教えてあげる。・・・これは深海棲艦との戦争でこの6年間に犠牲となった日本人の数よ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」

 

緊張感のかけらもない、間の抜けた呟き。時間が経つにつれて艦娘たちの顔が、強張っていく。

 

「2033年現在の日本の人口は約9500万人。忘れない・・・・・・忘れてなるもんか。深海棲艦が地球に姿を現し、全人類に牙をむく前の2027年はじめ、日本には1億2500万人の人間がいた。でも・・・・・もう日本には1億人なんていない。たった、6年前まではみんないたのに・・・・・・・・・・。たった、6年・・・・・6年で総人口の4分の1が死んだの」

 

あまりにも残酷すぎる真実。これはまだほんの入り口だ。日本世界の真っ黒が、艦娘たちの心を真っ黒に染め上げていくのにそう時間はかからないだろう。

 




まず、一言。雷ちゃん、電ちゃん、ごめんなさい。作者もスラバヤ沖海戦での救出劇には感動した身です。決して、殲滅戦思考に毒されているわけではありません・・・・。


本作は“2章における”分岐点に到達いたしました。

戦闘シーンが多かった前話までの房総半島沖海戦編と異なり、ここからは主に対談シーンが多くなりますのであしからず。



-追伸-
1つ、言い忘れていることがありました。
2027年時点の日本の総人口が1億2500万人。2033年は9500万人。深海棲艦との戦争による犠牲者数が2350万人。・・・・・・650万人はどうしたと思われる方もおられたことと思いますが、これは計算違いではありません。あくまで戦病死者数とは区別される、戦争があろうとなかろうと病気などで「死んだだろう」と推測される純粋な死亡者数です。

文字におこすだけでも憚られるようなことを書いてしまいましたが、一応捕捉させていただきます。


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60話 送り梅雨

ついに季節は8月(リアル)に入りました。日本全国も梅雨が明け、2ヶ月ほどスタートをフライングした夏も本番。

と、思っていたところ・・・・。よくよく考えたら、本作が昨日8月2日で投稿開始から1年を迎えたことに気付きました。

初めて投稿する際、マウスをクリックする指が震えていたのがもう遠い過去になってしまいました。

一周年という大事な節目をあわや忘れてしまうほど物語が続いているのも、ひとえに本作を読んでいただいている読者の方々のおかげです。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!!!

そして本作は「まだまだ」続く予定なので、これからもよろしくお願いいたします!

では、「60話 送り梅雨」をどうぞ。前書きとのギャップが激しすぎますが、ご容赦ください・・・・。




横須賀鎮守府 1号舎 提督室

 

 

「はぁ~、なんてことだ・・・・・・・・・」

 

曇天の空。台風が過ぎ去り、すがすがしい陽気だった昨日までから一転して、見ているだけで憂鬱になってくる空模様。季節は7月も折り返し。天気予報によれば、梅雨最後の一雨がくるらしい。これが過ぎればいよいよ、夏本番だ。

 

「降ってきたか・・・・・・」

 

窓に衝突し、重力に従って下へ流れていく雨粒。最初は微々たるものだったが、時間が経つごとに数は増し、雨音が室内でも聞こえるようになってくる。ますます憂鬱さを濃くしていく天気。外を見ながら疲れ切った様子で呟いた百石も含めて、提督室に足を運んでいる全員が、完全にその空模様に飲み込まれていた。

 

「何か隠してることは分かってたんだがな。しかし、まさか・・・・・・これほどとは・・」

 

呻いた筆端。天井を仰ぐようなことはせず、脱力しソファーの背もたれに身を任せる。目の前に置かれた冊子に向けられる視線。対面に俯いて座っている長門から提出された、一連の騒動に関する報告書だ。だが建前ではそうなっているものの、中身のほとんどはみずづきが語った「日本世界の真実」で占められていた。

 

「対深海棲艦大戦・・・・」

「通称、生戦。“生きる”ための“戦い”、か。変な意味づけをしていないあたりが、その危機感を伝えてくる。・・・・・・・・・・・・第二次日中戦争に、丙午戦争、そして、第三次世界大戦、か」

「あのみずづきがまさかこれほどまでの過酷な世界を渡り歩いてきたとは・・・・・」

 

彼女は周囲に嘘を付くことが下手だと言っていたらしい。だが、演じることに賭けては右に出る者はいないように思える。

 

百石もみずづきが隠し事をしていることには勘付いていた。歓迎会での様子や日本世界についての質問時など反応から、尻尾を掴んでいた。隠し事の正体に迫れる重要な尻尾を。しかし、結局、こちらは最悪の事態を防げなかった。

 

「くっ・・・・・・・・・」

 

手を握りしめる鈍い断続的な音。長門の手は強く、強く握りしめられ、爪が手のひらに食い組んでいる。いつ皮膚が割けて出血してもおかしくない状態だ。

 

「長門・・・・・・・」

 

昨日起こった、みずづきの衝撃的な暴露。それは艦娘たちに形容できないほどの精神的ダメージをもたらしていた。この世界の住民である百石ですら報告を受けた時は、卒倒しそうになったのだ。みな悲しみに暮れ、それぞれの部屋や布団に引きこもり、外に出てきても抜け殻のようにぼーっと景色を眺めている。とても、任務が遂行できる状態ではなかった。だが、先の房総半島沖海戦を受け、市ヶ谷からは「哨戒強化!!」の大号令が下っていた。特に今回、戦場となった全地域を管轄する横須賀鎮守府には、他鎮守府とは比較にならないほどの重責がある。こんな状況で、「艦娘たちが不調なので、呉とか大湊とかが代行してくれない?」などとほざく者は軍法会議で裁かれたい超ド級の馬鹿だ。どうしたものかと頭を抱えていだが、ちょうどその時市ヶ谷から連絡があったのだ。

 

 

 

 

先日の戦いにおける艦娘たちの健闘を賞して、いろいろ便宜を図りたいのだが、と。

 

 

 

 

それを聞いた時、百石は思わず電話先に気付かれないようガッツポーズをつき上げてしまった。絶好のタイミングである。「数日間、艦娘に休養を」。さすがにこれだけではなく、きちんと電話先の軍人たちが納得するような理由を付与したが、この百石の要請は二つ返事で受理された。哨戒や船団護衛の任務が課せられている中、正直、ここまですんなりと通るとは思っていなかったが、皮肉にも先の戦いが艦娘たちのまとまった休養を後押ししていた。

 

第5艦隊の壊滅を受け、現在瑞穂海軍は深刻な状況に追い込まれていた。深海棲艦に対抗できる通常戦力がついに消えてしまったのである。通常戦力の早期復旧を達成するため、横須賀鎮守府警備区域の哨戒を一時的に第2統合艦隊が訓練も兼ねて担うことになった。そして、船団護衛も民間船会社が軒並み情勢の不安定化を理由に運航を停止してしまい、出動しなくてもよくなっていた。

 

この旨は既に艦娘たちへ伝えてあるため、現在彼女たちは思い思いの時間を過ごしているはずだ。そこに浮かれた雰囲気などは一切存在していなかったが・・・・・。

 

「はぁ~」

 

肺の底から吐き出される、重たいため息。直近では自己ベストに届くのほどの長さでもある。

 

「申し訳ありません、提督・・・」

 

一瞬別人と錯覚してしまうほど、憔悴しきった声。昨日まで放たれていた威風堂々の雰囲気は今の長門から完全に四散していた。それを見ただけで、胸が苦しくなる。今まで彼女がこれほど弱り切った姿を見せることはなかった。もしかするとこの世界に来てから、初めてではないだろうか。

 

「いや、お前を責めているわけじゃない。誰だって、あんなの聞けばおかしくなる。俺はすごいと思う。俺が君たちの立場だったらおそらく・・・・・気が狂ってるだろうな」

「百石の言う通りだ。長門は強い。十分に強い。それだけは・・・・忘れるなよ」

 

まっすぐ、長門を直視する筆端。ゆっくりと顔をあげる長門。赤く腫れあがった目に、若干こけたほほ。わずか1日でこれだ。どれほどの葛藤を抱えているのか。その一端を物語っている。

 

「ありがとう、ございます。副長、提督・・・・」

 

ぎこちなく笑う長門。本当は笑う気にもなれないだろうに、気を遣っていることが容易に分かる。「気を遣わなくていい」。そう言いかけるが、飲み込む。彼女は無理にそうしているわけではない。出来る限りいつも通りを演出しようとしているのだ。それを親切心とはいえ、否定してしまえば、さらに負担をかけることにつながってしまう。

 

「情けない限りです。はは・・・・・、みずづきが何かを隠していることは私も提督や副長と同じく分かっていたのに、いざその正体を知った途端、これです」

「さっきも言っただろ? 自分を責めるな。こんなの誰も想像できない」

「ありがとうございます。でも、やはり・・・・・・・。私は、横須賀鎮守府にいる艦娘たちリーダーとして、提督を補佐する秘書艦として一同の混乱や不安につながらないよう行動してきたつもりです。そのことに自信もありました。しかし今回、私はリーダーとして、秘書艦として振舞えなかった・・・・・・。膝がすくんで、視界がかすんで・・・何も」

 

言葉が重なるに連れて、瞳が潤み、涙声に変わっていく。百石と筆端は何も言わない。

 

「様々な想いが浮かんできて・・・・・・・本当に、様々な想いが・・・」

 

そして、涙が目元からほほをつたいだす。そっと自分のハンカチを差し出す筆端。感謝の言葉を告げ、ハンカチを受け取っても、長門の悲しみが収まることはなかった。

 

 

みずづきから語られた、日本世界の真実。自分も含めて、筆端や緒方などあの日、みずづきの歓迎会で彼女の言葉を聞く場に参加していた横須賀鎮守府は認識の差はあれ、例外なくみずづきが「何かを隠している」ことは分かっていた。みずづきが時々見せた身の毛もよだつ表情に、憲法の話。あげれば、根拠はいくらでもある。だが、誰が予測し得ただろうか。瑞穂世界に衝撃を与えた第二次世界大戦をはじめとする血塗られた歴史がかわいく思えるほどの惨事が、再び日本世界に具現していようなどと。

 

そんなの嘘だ。同じ人間が暮らしている世界なのに、ここまで違うわけがない。

 

出ることならそう叫びたい。だが、そう思っている自分がいる一方で、それを聞いてみずづきによって生じた疑問がうまく説明できることに納得している自分もいた。

 

国防軍の話。憲法の話。戦力の定義に関する話。並行世界証言録から見える日本とみずづきから見える日本の齟齬。

 

あれだけのことがあれば、そうなるのも・・・・・国の姿が、国民の価値観が根底から覆るのも特段おかしいことではない。

 

それを彼女は1人で抱えていた。しかも、彼女にとれば羨ましくて、羨ましくて、もしかすれば嫉妬さえ覚えかねない世界で。いくら軍人とはいえ、特殊護衛艦システムなどという軍事機密の塊を任された者とはいえ、彼女は女性であり、この世界の誰とも変わりない人間である。心に、どれほどの重圧を感じて、日々の生活を営んでいたのか。

 

百石とて、これまでの人生を安穏と過ごしてきたわけではない。日本と比べるのがおこがましいと分かってはいるが、自分たちも深海棲艦と戦争をしてきたのだ。戦死したり、行方不明となった者の中には、顔見知りもいた。

 

だから、不謹慎かもしれないが、みずづきにはある種、尊敬ともいえる感情を抱いてしまうのだ。自分だったなら・・・・・・・。果たして、みずづきと同じように笑っていられただろうか。例え、仮初めの笑みだったとしても・・・・・。

 

椅子を回し、視線を再び、雨粒に覆われている窓に向ける。

 

あの時、抱いた懸念。優しいあまりに到底抱えきれないことを1人で抱え込み、取り返しのつかない事態になるのではないかという懸念・・・・・予感はついに現実のものとなってしまった。

 

 

長門のすすり泣く声。それを背景とした梅雨空はひどく、慈悲が欠けているように感じた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

横須賀鎮守府 1号舎 第6宿直室

 

 

普段は特定の人物しか立ち寄らない場所。1号舎の最上階で、しかも端という位置条件が数多の将兵たちが行き交う横須賀鎮守府の中枢でありながら、その地位を第6宿直室に与えていた。

 

その扉の前に、1人の少女が立っていた。ノックしようと差し出された手が扉へ近づいたり、体へ引き戻されたりしている。これは今に始まったことではない。かなり前からこうしているのだが、いまだに決心がつけられない様子だった。

 

窓に叩きつけられる雨粒。物言わぬ艦だったころ、そして人の身になってからも散々聞き慣れた音だが、今日はやけに耳につく。続いている左側の廊下を時々行き交う将校たちが不思議そうに、こちらを覗ってくるが気にしている余裕はなかった。

 

「・・・・・よしっ!」

 

何度目か分からない決心。しかし、今回は違った。コンコンと軽快な音が2回響く。幾度となくやりかけては断念を繰り返したノックがようやく果たされた。だが、これがゴールではない。ゴールはまだまだ先。これはスタートラインに他ならない。1度深呼吸を行うと、出来る限り平静を装って声を出した。

 

「みずづき、いる? 私、陽炎だけど・・・・」

 

いつも通りの声が出せたことに心の中でガッツポーズを決める。自信がそれほどなかったのだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

だが、反応はない。

 

「あんたあれから、何も食べてないでしょ? 食いしん坊のみずづきさんだから、お腹減ってるんじゃない?」

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・はぁ」

 

反応はやはりない。この状況にめげず、声をかけ続ける。

 

「もしよかったら、一緒に食べにいかない。ほら、今の時間帯なら、すいてるだろうし・・」

「陽炎・・・・・」

「っ!?」

 

思わず、声にならない声をあげてしまい、すぐさま自分の手で口を覆う。完全に後の祭りだが、体が反射的に動いてしまったのだからどうしようもない。わずかに響く雨音に紛れたみずづきの声。扉は開かれなかったものの確かに聞こえた。安堵から浮かぶ笑顔を必死に抑え攻勢をかけようと身構えるも、みずづきの先制によって完全に封じられてしまった。

 

「ごめん。今は、1人になりたいの・・・・・・」

 

暗く落ち込んだ様子でそういうと、気配は遠ざかっていく。物音が聞こえなくなると同時に、扉越しでも感じていたみずづきの気配が途絶える。開きかけた口が名残惜しそうに閉じられる。いつもならそんな言葉を投げられてもめげないが、あんな口調は反則だ。

 

覇気もなく、生気もない。ただ罪悪感と謝罪の念で満ちている口調など。

 

それを聞けば、もう帰るしかない。憔悴しきった相手を無理やり引きずりだせるほど、陽炎の神経は図太くなかった。酷く重たい足を引きずり、第6宿直室に背を向ける。ゆっくりと進んでいく足。すれ違う将校たちや廊下の床は目に入らず、みずづきの顔が浮かぶ。

 

みんなに真実を語っている時の顔。語り終わった時の顔。・・・・・・呆然とするみんなに背を向け、全てを諦めてしまったような顔。

 

艤装保管棟を後にする彼女。声をかけようとしたが、かけられなかった。

 

“ほっておいて”

 

そう背中が語っているような気がしたから。

 

「Hey! 陽炎! 奇遇デスネェ~、こんなところで会うなんて!」

 

突然、前方を遮る自分より大きな影。何事かと顔を上げると1号舎の玄関付近に見知った顔が立っていた。まるで来ることを知っていたかのように落ち着いて。

 

「みんな・・・・・・」

 

いつも通りに笑う金剛。一瞬、彼女だけかと思ったが、傘に着いた水分を払え終えたのだろうか。続々と彼女の後ろから新たな人物たちが姿を現す。吹雪に、加賀に、瑞鶴に、北上に大井。第5遊撃部隊、全員集合ではないか。金剛と同様に北上はいつも通りに見えるが、そのほかの4人に笑顔は皆無で、伏し目がちにこちらを覗ってくる。そこには明らかに不信感と叱責の念がこもっていた。吹雪は比較的同情の色が見受けられるが、加賀・瑞鶴・大井の3人は強烈だ。特に加賀は完全に怒っているといっても過言ではない。気まずくて、つい視線を逸らしがちになっていまう。

 

「どうしたの? 一体?」

「みずづきのところに行ってたんデスカ?」

「・・・・・・・・・」

「図星、デスネ」

 

こちらの疑問を無視し、一気に声のトーンを下げる金剛。聞きなれない低音の声を浴びせられ、一瞬背筋に悪寒が走る。彼女の言った通り、ここへ来たのはみずづきに会うためだ。だから、完全な図星である。あの出来事以来、みずづきはずっと部屋に閉じこもり、食事もおそらく全く摂っていない。人間、完全な断食なら3日、水だけなら7日間生きられると聞くがだからといって放任は非道にもほどがある。例え生死に関係なくとも、体調や精神状況に影響を及ぼすことは必至。

 

しかし、みずづきに会いに行ったことを理由に糾弾される筋合いはない。そういう意味も込め、陽炎は鋭く金剛を直視する。

 

「どうだったんデスカ? 何か話でも?」

「こっちの質問無視して、次から次へと・・・・・。答えが聞きたいんなら、さっさとさっきのに答えなさいよ。偶然、ここで会った、奇遇ですね~って感じじゃないのはいくらなんでも分かるわよ?」

「怒りまシタカ?」

「別に・・・・・馬鹿にする意図がありありなら怒るけど?」

「いやああ~、陽炎、怖いデース! 陽炎のお願いに応えるのはいいデスケド、ここだと何かと不便デース! 足も疲れマスシ、場所、移動しまセンカ?」

「は?」

 

「なにを言っているんだ?」という心の声を顔全体で表現する。いわるゆ唖然だ。金剛のペースには大分慣れた、というか、適応したと自負していたが、これは予想の斜めを行き過ぎだ。しかし、こちらの様子を鑑みず、「いいですヨネ? いいですヨネ?」と迫ってくる金剛にこちらをかまう気は感じられない。

 

「ちょうど、橙野も空いてる時間デスシ、goodideaだと思うんデスケド」

「ま、待ってよ! とんとん拍子で話を進めないで。なんで、わざわざ橙野に行かなきゃならないのよ。雨も降ってるし、濡れちゃうじゃない!」

「大丈夫デース!! 陽炎だって、きちんと傘を持っているデショ? そこの傘立てに陽炎の傘がありましたシ

「だから、なんで私の質問の回答ごときに橙野まで? そんなに回答が長いものなの? 一言、二言でしょ?」

「何? 私たちと一緒に行ってなんか不都合なことでもあるわけ?」

 

金剛だけでは無理と判断したのか加入してくる瑞鶴。その鋭利な視線には、正直冷や汗をかかざるをえない。駆逐艦の身で正規空母の怒りを受け止めるのはかなり厳しい。ここは同じ駆逐艦仲間であり、第5遊撃部隊の旗艦であり、何より強者たちのブレーキ役である吹雪の仲裁に期待するが、それは視線を逸らされるという形で無残にも四散した。ただ、つらそうに俯くだけの吹雪。そして、分かってしまった。これが金剛や瑞鶴の気まぐれや、たまたま第5遊撃部隊と陽炎が出くわしたという偶発的な事態ではなく、吹雪も含めた第5遊撃部隊の意図ある行動であることが。

 

こうなってしまえば、この場をやりきるなど不可能だ。金剛や瑞鶴の後ろには怖い顔をしたお三方が控えている。北上は笑っているが、こういう状況での笑顔ほど怖いものはない。

 

「別にそういうわけじゃ・・・・・」

「特に用事もないデショ? ならOKなはずネ! それに・・・・・・・・」

 

呼吸が止まる。心臓の動きが鈍くなる。全くの無表情から放たれる氷点下の言葉に全身が震えあがる。天真爛漫でいつもはしゃいでいる普段とのギャップがより深刻な影響力を持つ。

 

「断ることが、本当にできると思っているんデスカ?」

 

明らかな怒気。怒っている、のではなくその寸前といった様子。それでも金剛のこのような姿は初めて見たかもしれない。先ほど、抱いた確信は間違いではなかったようだ。

 

しぶしぶ了解すると、無言でついてこいと言ってくる第5遊撃部隊各員の背中を追いかける。勢いが衰える様子もなく降り続ける雨。足取りがより一層重くなったのは果たして雨のせいか、それとも今後待ち受ける立場を明確に想像できてしまったためか。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「な、なによ、それ・・・・・・」

 

自分を映しているようで映していない瞳。強張った表情と焦点が合わなくなってしまった顔のダブルパンチは、威力が半端ではなかった。

 

「それが、日本の・・・・・・・。今の日本、だって言うの!!!」

 

こくりと頷く。信憑性を増すために、表情を変えずゆっくりと。

 

「ふざけないで!! あんた、あんた・・・・そんな冗談言って何が楽しいのよ! なにが面白いのよ!!」

 

楽しいも面白いも何も、それが現実。私の故郷の、そしてあなたたちの故郷の未来の、現実。それを言えって詰め寄って来たのは、曙? あなたでしょ? 許容できない真実だからといって信じないのはあまりに都合がよすぎる。

 

「あんた、言ったじゃない!! 日本は平和だって!! 戦争も何もない! 私たちが望んだ平和が、あるって! 叶ったって、そう言ったじゃない!!」

 

そう、確かに言った。日本は平和だと、みんな幸せに暮らしていると。あなたたちの努力と犠牲は、無駄じゃなかったと。

 

「だったら・・・・!!」

 

でも、それは嘘。ただの嘘。これが現実。

 

「なんで・・・ふざけないでよ・・・なんで・・・・・。お願い、冗談って言ってよ」

 

冗談だって言いたい。自分のイカれた妄想だって言いたい。だって、その地獄を経験したのは、放り込まれたのは紛れもない自分たちなのだから。でも・・・・・

 

「現実よ。嘘もへったくれもない。明確な真実。もう、あんたたちが思い描いている日本は何処にも存在しない。日本は地獄・・・・・・・あの頃と同じように」

 

泣き崩れる艦娘たち。胸に感じる痛み。下を見ると、曙が胸に拳を打ちこんでいた。瞳を涙に沈め、怒りを隠しきれない様子で見上げてくる。

 

パンチは終わったはずなのに、激痛が胸を走る。だが、今更後悔しても遅いのだ。これは自業自得。これは全て自分の選択が成した結果なのだから。

 

激痛は続いていく。どこまでも、どこまでも。

 

 

 

―――――

 

 

 

「みずづき、いる? 私、陽炎だけど・・・・」

 

一筋の光もない暗黒の視界の中、耳から入ってくる明確な声。寝汗で湿った布団の中で重たくだるい体をねじり、モグラのように顔を出す。いつぶりか、本当に分からない現実。布団に入ったのが一体いつだったかのか。それさえ思い出せない。長時間潜り込んでいた気がするが、睡眠は全くとれていなかった。

 

動いた拍子で室内の空気が対流し、締め切られたカーテンがわずかに舞い上がる。壁との強制的な接触状態より解放された隙間から弱い光が差し込んできた。それによって多少は明るくなっているものの、照明もなにも点いていない室内は暗い。だが、それが今は心地良かった。窓と壁越しに少し強い雨音が聞こえてくる。

 

そして・・・・・・。

 

「もしよかったら、一緒に食べにいかない。ほら、今の時間帯なら、すいてるだろうし・・」

 

陽炎の声が聞こえてくる。いつも通りの人懐っこさを感じさせる声。だが、視覚に頼らずとも聴覚だけで判断できた。無理して発声していると。こちらに気を遣わせまいと、平静を演出していると。

 

よろよろと立ち上がる。布団の横に散乱する制服。型が崩れるからとハンガーにかける習慣は身についていたが、律儀にそうする気分には到底なれない。

(はやなみ、みたいに、ね)

「はははっ・・・・」と弱々しく乾いた笑みがこぼれる。笑みだが、果たしてこれが笑っていると言えるのだろうか。

 

掛け布団を踏み、和室から台所へ移動して扉の前に立つ。明瞭に伝わってくる陽炎の気配。今まではなんとも思わず、むしろ求めてさえいたその気配が、現在はひどく恐ろしく感じた。

 

「陽炎・・・・・」

「っ!?」

 

驚く気配。それを感じた瞬間、鼓動が早くなる。足がすくみそうになる。なにか言おうとしていることはすぐに分かった。だから、間をおかず、すぐに次の言葉を放った。

 

「ごめん。今は、1人になりたいの・・・・・・」

 

それだけ言うと、扉に背を向け布団に向かう。陽炎の反応が気にならないことはなかったが・・・知るのが、感じるのが怖かった。

 

掛け布団の上から倒れ込む。巻き起こる風。おそらく無数の誇りやハウスダストが一緒に舞い上がっていることだろう。しかし、今はどうでもいい。

 

目を閉じる。浮かんでくる陽炎の表情。悲しそうな、苦しそうなあの顔は見るのも忍びない。あんな表情にさせたのが自分だと思うと、殴りたくなる。

 

一体、この世界に来てどれだけ彼女に助けられたのだろうか。

 

陽炎は昨日の一件があるまで、横須賀で、この世界で唯一日本の真実を知っていた。あの破滅的な戦争の果てに世界に名だたる経済大国へと躍進し、先進国の一角を占めるまでに発展した祖国日本を寄り処とする艦娘たちには、あまりに悲惨な真実。ショックで寝込んでしまっても文句は付けられない。しかし、それを知った上でも彼女は寝込むばかりか「話してくれて、ありがとう」と口にして、彼女たちの犠牲の果てに築き上げた平和が失われた日本を受け入れてくれた。そして、誰にも打ち明けることが出来ず一人で抱えていた罪悪感と葛藤に理解を示し、優しい抱擁をもって、自分の選択を認めてくれた。あの時の慈悲に溢れた温かさはいまだに感覚が残っている。

 

みずづきの立場がもし陽炎であった場合、果たして陽炎と同じ行動がとれるだろうか。自信はなかった。

 

許容し、理解を示すにとどまらない。陽炎は瑞穂に日本の面影を重ね、勝手に気落ちしていたみずづきを見捨てず、少しでも楽になるようにいろいろ立ち回ってくれた。心の中では思うことが多々あったろうに陽炎は真実を聞いたあの夜以来、悲しみも怒りも垣間見せることはなかった。

 

この期に及んでも陽炎はこの身を心配してくれている。

 

対して、自分はどうだろうか。

 

「私は、なんて・・・・・・醜いんだろ・・・・。信念を果たせず、また多くの人たちを見殺しにして・・・・・・。笑顔を守ると決めた決意も果たせず、みんなを傷つけて・・・・・・・。陽炎に心労を強いて・・・・・」

 

村八分を覚悟したにも関わらず、陽炎に叱責されたり拒絶されたりすることに恐怖を感じ、自分がしでかしてしまったことから逃避し、艦娘たちに与えた心の傷を癒そうと・・また笑顔になってもらおうと行動することもなく、ただただ停滞を選択。

 

結局、自分可愛さに拳を向けることは出来なかった。人生から何も学んでいない。

 

自分自身の卑怯さが一番、頭に来た。

 

 

耳を澄ませる。もう、陽炎の気配は消えていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 橙野

 

「で、では・・・・・その・・・・ど、どうぞごゆっくり」

 

各人に水の入ったコップを渡した後、ぎこちない笑顔で足早に退出していく店員。いつもなら不快に思ってもおかしくない態度だが、この雰囲気では一刻も早く逃げ出したくなるのも頷ける。橙野の二階。演習の後に打ち上げが行われた大広間のちょうど上にある大座敷に、先の戦闘で負傷し入院中の翔鶴・榛名・潮を除いた横須賀鎮守府所属の全艦娘22人が集まっていた。

 

普段なら和気あいあいとした会話がそこらじゅうで起きるのだが・・・・・・・・。

今、ここには水銀のように重苦しく、刃物のように心へ刺さる沈黙が漂っている。

 

それを最も感じる場所に陽炎は座っていた。座卓を挟んで相対する各艦隊メンバーを一望できる、大座敷の正面。隣には目をかなり充血させた長門が座っている。肌身に感じる重圧は半端ではない。金剛や瑞鶴、赤城・加賀あたりの一部の艦娘がこちらへ視線を向けているだけでもそうなのだ。

 

全員が向いて来たら・・・・・・・・。さすがの陽炎でも、逃げ出したくなる。だが、それはできない甘えだった。

 

金剛が無理やり陽炎を連れてきたわけ。それはまさしく事情聴取を行うためだった。陽炎がここへ来たとき、すでに全員が集まり、痛々しい沈黙を形成していたのだ。入室した瞬間に向けられた視線で全てを悟ってしまった。

 

自分が今、みずづきと並ぶこの前代未聞かつ唯一無二の騒動の嫌疑人であることを。これから同じ艦娘として根掘り葉掘り聴取されるということを。

 

そして、その時は不意にやってきた。

 

「なぁ、陽炎? 1つ聞いてもええ?」

 

陽気が完全に霧散した、酷く沈んだ声で黒潮が問いかけてくる。あのおちゃらけた雰囲気は完全に引っ込んでいた。視線を下へ向けたり、明後日の方向に飛ばしたりしていた艦娘たちが一斉に顔をあげ、瞳に様々な感情を宿して黒潮と陽炎を見た。

 

受け止めなければならないことは分かっていたが、あまりの重圧に受け止めきれない。結果、視線が泳いでしまう。同じ基地に所属する以上、艦娘たちの過去は彼女たちが不快に思わない範囲で知っていた。

 

「何? 黒潮・・・・・」

「あんた、知ってたんやね?」

 

黒潮へ分散していた視線までもがこちらに向いてくる。みんな真実を知りたがっていた。あの時の陽炎のように。

 

あの時、夜空の下で大風呂敷を広げてみずづきの言葉を促した末に、予想もしない真実を聞くことになった。だが既に決心している通り、陽炎はそのことを後悔していない。そして、未来の日本を、みずづきが暮らしていた日本を、みずづきが罪悪感に苛まれながら教えてくれた真実を受け入れていた。

 

否定はしようとすら思い浮かばなかったし、それを認める気は毛頭ない。

 

逃げ出したい。真実を知っていたにも関わらず黙っていた裏切者のレッテルを張られたくない。心の臆病な部分は必死にそう叫んでいる。しかし、みずづきがついに膝を屈してしまった今、真実を前にうなだれている彼女たちが少しでも自分自身で納得できる結論を導き出せるよう助太刀できる存在は、自分しかいない。そして、時間はかかるかもしれないが彼女たちは自分で納得できる結論を導き出す確信があった。自分の助太刀があろうとなかろうと、彼女たちが未来を見続ける視野を持ち続けるなら、自分の努力は決して無駄ではない。

 

それに自分も望んだくせにここで口を噤んでは道理に合わない。裏切者呼ばわりされても文句は言えない。昨日のみずづきに比べたら、何のその。

 

陽炎は腹を決めた。自分にしかできないことを精一杯やり遂げると。「真実」と対話できる唯一の艦娘として。

 

「うん・・・・・」

 

視線を泳がせることもなく、しっかりと妹を見つめて頷いた。

 

“なんで?”

 

即座に無言の問いかけが飛んできた。

 

なんで知ってるの? なんで隠してたの? なんで教えてくれなかったの?

 

黒潮だけではない。あえて言うなら全員から無言で撃ちこまれる。それに対し、陽炎は余計な説明を省き簡潔に答えた。

 

「だって・・・・・言えるわけないじゃん。こんなこと・・・・・」

 

つくづくみずづきの気持ちが分かる。こんな痛みを彼女はここに来てからずっと抱えていた。彼女の気持ちを思うと無意識のうちに嘲笑が浮かぶ。これは果たして、誰に対して向けられたものか。自分か、黒潮たちか、はたまた・・・・・・。陽炎にも分からなかった。

 

「言ったら、どうなるか、あんたたちが証明してるじゃない。私には仲間や妹が悲しんだり落ち込んだりするところを見る悪質な趣味はないわよ」

「それは・・・・・。でも、うちは・・」

「私だって、みずづきから聞いた時は黒潮みたいに思ったわよ? でも、いざこれを抱える立場になってみて、みずづきの気持ちが分かった。何も知らないみんなの笑顔を見て、それが今みたいに壊れちゃうことを想像したら、とても・・・・・・」

「みずづきが隠してた理由も?」

 

加賀の問い。長門やほかの艦娘たちと同様に赤くなった目元。普段の様子からは想像できないが、鉄仮面の彼女でも今回は感情の爆発を抑えきれなかったようだ。

 

「・・・・はい」

「そう・・・」

 

肯定すると加賀は表情を変えず、俯いた。

 

「みずづきもかなり迷ってたそうです。本当のことを言うか、それとも・・・・。でも、私たちが響や雪風から得た、()()()()()を拠り所にしていることを知って・・・・決断したって」

「ひどく、滑稽に映ったでしょうね。私たち・・・・・」

「あ、曙・・・・」

 

「ふふふ」と乾ききった自嘲とも艦娘全体への嘲笑とも取れる不気味な笑み。いくら曙でも異常な表情に思わず隣に座っている摩耶が反応してしまう。

 

「嘘の情報に踊らされて、安心して、嬉しがって・・・・・ほんっと、ばっかみたい!! さぞかし、おかしかったでしょうね」

「あ、あんた・・・・・・・」

 

主語はない。しかし、自分たちを「おかしく」思っていた存在が誰であるか。それは明らかだった。認識した瞬間、目元を腫れ上がらせた曙の眼差しに萎縮していた感情が一気に赤みを帯びる。頭に昇る血。気弱な目つきが、鋭さを持つ武器に一変した。

 

“陽炎? 大丈夫? その・・・・・・”

 

“大丈夫なわけないよね。ごめん、無神経なこと言って”

 

“陽炎? また無神経なこと言うかもしれないけど、あんまり気にしないでいいんだよ? これは完全に私たちの世代が引き起こして、私たちに降りかかった災厄。陽炎たちにはなんの責任も関係もない”

 

曙はあの時、船内でこちらの身を案じてくれたくれたみずづきを眼前に、そのようなことを言えるのだろうか。

 

“ごめんね”

 

思い出すだけでもつらい過去に、騙したという罪悪感を宿した言葉を涙ながらに語る彼女を見て、「私たち、おかしかったでしょ?」とあざ笑うことができるのだろうか。

 

「あんた、それ、本気で言ってるの?」

「な、なによ?」

 

陽炎の豹変にたじろぐが、決して自分の非は認めない。いかにも曙らしい。

 

「あの子が、どれほどの葛藤を抱いて、どれほど私たちのことを想ってくれていたか。知ろうともしないで、よくそんな口が叩けるわね」

「想ってくれていた? ・・・・・・だったら。だったら、なんで言ってくれなかったのよ!!」

 

座卓を固めていた拳で叩き、大声をあげながら立ち上がる曙。周囲は目を丸くし、摩耶や赤城が血相を変えて落ち着かせようとするが効果は皆無。彼女にはもう陽炎と、そしてみずづきしか見えていないようだった。

 

「あいつは、言った、言ってくれた! 友達だって、仲間だって! うわべだけじゃなくて、本気でそう思ってくれていることも分かってた! 私をなめんじゃないわよ!! そうなんだから、隠し事なんてなしでしょ!! あいつの言った真実はひどすぎるものだった。でも私にとってはそれよりも隠されていたことの方が・・・・・。私は・・・・私は・・・・・・」

 

ボロボロとこぼれだす、涙。無情にも重力に引かれ、座卓に、畳に黒いしみを作っていく。

 

「言ってほしかった。例え、こうなることが分かり切った残酷な真実でも・・・・・1人で抱え込むなんて、あいつ、自分を大きく見過ぎよ・・・・・。なんで、頼ってくれなかったのよ・・・・・」

「曙・・・・」

 

その言葉は激昂していたほんの少し前まで比較してあまりにも弱々しいものだった。長年の付き合いで分かっていたにも関わらず、陽炎は曙の「表面」にまんまと騙されてしまっていた。

 

曙は確かに毒舌で態度がきつく、不器用で人柄が誤解されがちだ。だが、付き合いを重ねれば重ねるほど誰にでも分かる。毒舌が本気でないことを。きつい態度が心の底からのものではないことを。困っている人、傷付いている人、悲しんでいる人をほっておけない優しい性格のくせに、妙に恥ずかしがり屋な駆逐艦。

 

そんな彼女が本気でみずづきを侮蔑するなど、最初からあり得ないことだったのだ。

 

「あっっっのばかづき!!! そして、これはあんた()()にも、よ! なんでよ・・・・・・・?」

 

曙の怒りに染まった視線がこちらへ向けられる。かと、思いきや、その予想は完全に外れた。怒りよりも悲しみを宿した視線は陽炎ではなく、第3水雷戦隊と第5遊撃部隊、正確には吹雪型4姉妹に向けられる。話の流れを把握していた瑞鶴たちは吹雪たちがやり玉に挙げられたことに一斉に反発する。

 

「あ、あんた、いきなり何言ってんのよ? 吹雪が? は?」

「そうデス! 瑞鶴の言う通りデース!! ブッキーがなんで疑われなくちゃいけないのデスカ?」

「こっちもそうだよ! 白雪も初雪も深雪も・・・そんな・・」

 

だがそんな同僚の擁護を否定するかのように吹雪たちは一斉に俯く。しばらく外を散歩していた沈黙が再び戻ってくる。壊れたロボットのようにぎこちなく吹雪たちへ顔を向ける第3水雷戦隊と第5遊撃部隊のメンバーたち。

 

「え、ちょっと、吹雪さん? 冗談でしょ?」

「ほんとに? 曙の言ってること、本当なの? ちょっと、吹雪!」

 

戸惑いのあまり近くに座ってる吹雪へ詰め寄る加賀と瑞鶴。吹雪はそうまでされても何も言わない。

 

「あ~あ!」

「っ!?」

 

吹雪を救おうとしたのか、声を伴った吐息を出しながら大きく背伸びをする深雪。場違いにもほどがあるリラックスした雰囲気を醸し出す。周囲との隔絶ぶりに加賀と瑞鶴も目を丸める。

 

「ばれちまった、か。・・・・・・・上手く隠せてると思ったんだけどなぁ~」

「ちょ、ちょっと、深雪ちゃん!! それはみんなで内緒にしておこうって!」

 

隣に座っていた白雪が、加賀と瑞鶴が可愛く見えるほどの勢いで深雪に詰め寄る。それを見た初雪が普段からは考えられない大声で、白雪の反射反応的行動をいさめた。

 

「白雪! それ言っちゃ、もう・・・・」

「え? あっ・・・・・・・」

 

頭を抱える吹雪に、一気に視線を鋭くする周囲。白雪は結果的に深雪の援護射撃をしてしまったことに気付く。

 

「今から足掻いたって遅いだろ? もう、ばれちまったんだからよ」

「え? ちょ・・・・ど、どういうこと!? え? は? 深雪たちも知ってたの!? 日本世界のことを!?」

 

陽炎の詰問に吹雪型4姉妹を代表して、観念したように吹雪が頷いた。

 

「うそでしょ・・・・・」

 

ここに来て急展開。思わぬ事実の発覚に何も知らなかった艦娘たちのみならず、陽炎も半パニックだ。

 

“なぜ吹雪たちが真実知っているのか”

 

この問いが頭の中で無限ループを開始する。自分以外に真実を打ち明けたなど、みずづきは一言も言っていなかった。彼女の人柄と様子を見るに嘘を付いていたとは考えられない。百歩譲って、陽炎が「私の前に誰かに話した?」と聞いていなかったとしよう。しかし、それでも自分の前に誰かへ話した雰囲気など全く感じなかった。

 

周囲の狼狽ぶりに深雪が手を打とうとするが・・・・。

 

「うーん・・・・、どう言ったらいいんだろうな。深雪様には負担が大きいんで、初雪にバトンパス!」

「・・・・・・無理。吹雪?」

 

隣に座っている吹雪を肘で小突く。いつもの彼女なら「もう! 初雪ちゃん! 人を呼ぶときは・・・」と説教が始まるものを今日の反応はただ「・・・・・・・・・・・何?」という一言だけだった。

 

「お願いできる?」

 

まっすぐ見つめた初雪にこくりと頷くと吹雪は顔をあげる。眉を下げ、伏目がちな表情からは謝罪の念がありありと伝わってきた。吹雪型以外の全員が注目する。

 

「まず、はじめにお伝えしておきたいことは陽炎ちゃんのようにみずづきさんから直接、話を聞いたわけではないということです」

「それは、どういう・・・」

「全て、私たちの勝手な推測から・・・・」

「導き出したってこと・・・・・」

 

長門の呟きに、白雪と初雪が答える。白雪はすこしおどおどしているが、初雪は深雪と同じく堂々としたものだ。

 

「導き出した?」

 

夕張の確認。

 

「みずづきさんの普段の言動や些細な感情変化から、です」

「あいつ、ちょくちょくぼろ出すことがあったんだよな。おそらく、本人はぼろと思っていないんだろうが。みずづきのいた日本が、()の知ってる、そしてあの分厚い本から見えた日本とかけ離れていることに確信を抱いたのは、いつだったけな?」

「あの日。みずづきと一緒に街へ買い出しに行った・・・・・」

「そうそう。そんときだ!」

 

初雪の言葉に深雪が喜々として手のひらを叩く。初雪の言葉を頼りに記憶を巡ると衝撃の事実へたどり着いた。

 

「え!? それって、みずづきが来たばかりの、本当に最初の頃・・・」

 

「よく覚えてるな」という深雪に、初雪が「当然」と返す。今は7月の中旬を覗う時期。みずづきが横須賀鎮守府にやってきたのは5月下旬だった。その時、みずづきがやってきたこと自体に大騒ぎで、自分をはじめほとんどの艦娘たちは彼女の正体を知るだけで精一杯だった。もう、驚くしかない。現在ではかなり開きがついているものの「真実」という名のマラソンは、当初吹雪たちが先陣を切っていた。

 

「あの時、みずづきさん、ひどく切なげで悲しそうな目をされていたんです。まるで、目の前の当たり前の光景が、既になくなってしまったもののように・・・・・。そして、あの歓迎会です。みずづきさんはのらりくらりと必死に立ち回っていましたが、表情や口調が時々急変したような印象を受けることがありまし・・・」

「あいつ嘘、へったくそだよなぁ。まぁ、でも、完全に嘘つくなんてできないか」

「ある程度の真実を、混ぜることが、欺瞞工作の上では、必須。・・・・・・それをするには隠すものが大きすぎた」

「あ、あんたたち・・・・・・・」

 

吹雪は脇に置いておいて、淡々と語る初雪と深雪に拳を震わせる曙。

 

「曙? あのな・・・・」

 

深雪が弁明を試みようとする。だが・・・・・。

 

「曙」

 

深雪よりも遥かに有無を言わさぬ威厳をたたえた長門の声で全ての営みが中断される。文句をつけられない荘厳な響き。深雪に対しての怒気はどこへやら。曙は「何を言われるのか」とおそるおそる顔を動かす。

 

「すまない」

「・・・・・・・・・・・・・え?」

 

間の抜けた響き。あまりにも滑稽だが、曙の唖然は幾人かの艦娘の気持ちを代弁していた。自分をはじめ、吹雪たちは冷静さを保っていたが。

 

「な、長門さん? 一体、どういう・・・」

「吹雪たちをそう攻めるな。攻めるなら私たちも同罪だ。なにせ、私たちも吹雪と同じように、彼女へ疑念を抱いていたにも関わらず、黙っていたのだからな」

「っ!?」

 

曙を含めた複数の艦娘たちが凍り付く。長門だけでは忍びないと思ったようで、1人の艦娘が彼女の後に続いた。

 

「曙さん、勘違いしないでくれると助かるけど、私たちは別にあなたたちを軽く見ていたわけではないのよ」

「あ、赤城さん・・・・」

 

やっとのこさ、口を開く大井。

 

「と、いうことは・・・・・・」

 

珍しく北上を眼中に失った大井は同僚の加賀を見る。先ほど吹雪に詰め寄った手前、言いづらいのか。無言を貫くものの明らかに瞳が揺れていた。

 

表に現れた艦娘たちを取り巻く真実。突然、北上が笑い出す。

 

「結局、何も知らなかったのは私と大井っちと・・・」

「私たち第6水雷戦隊よ・・・・・」

 

少しイラついた様子で夕張が声を上げる。暁たちはみずづきの言動が相当効いているようで俯いたままだが、球磨も夕張と同様の表情だ。

 

「私と金剛もお忘れなく」

 

手を堂々とあげる瑞鶴。こちらはもう完全に怒っていた。吹雪が怯えようが、知ったことではないらしい。

 

「あと、入院している翔鶴姉、榛名、潮も・・・」

「瑞鶴」

 

発言を遮って、硬い声色で名前を呼んだ。それで察したらしい。

 

「ん? なによ・・・・って、金剛、あんたまさか!」

 

申し訳なさそうにほほをかく金剛。顔に笑顔はない。

 

「sorry、瑞鶴。私も長門やブッキーたちほどではありませんが、なんとなくおかしいとは思ってマシタ。つじつまの合わないことが多々ありましたカラ」

「くっ・・・・」

「それと・・・・」

 

瑞鶴の言葉を闇に葬った罰だろうか。今度は金剛が曙に遮られた。

 

「なによ・・・・なによなによなによ! みんな分かってたのに黙ってたんじゃない! なんなのよ、この隠しあいは! 私たち背中を合わせて戦う仲間でしょ?」

「そうだ」

 

目元に涙をためながら、再び曙が叫び始める。悲痛な訴えを一身に受ける長門。大半の視線が2人へ向けられる中、陽炎の視線は金剛に向けられていた。彼女は明らかに何かを言いかけていたのだが、曙に遮られ、言葉を無理やり飲み込んでいた。

 

彼女らしくないつらそうな表情。一体何を言いかけたのだろうか。

 

「そうだって・・・長門さん! そんなことしておいて、それは・・」

「ひどい、か?」

「・・・・・・・」

 

肯定とばかりに沈黙する曙。

 

「そうだな、お前の言う通りだ。だが、お前は1つ忘れていないか?」

 

さっきまで好戦的だった表情がみるみるうちに青くなっていく。その様子を見るに意識的にしろ無意識的にしろ、完全に忘却していたわけではなさそうだ。陽炎が指摘すれば保身に走っているような印象がどうしても出てしまうため極力避けていた事実。それから逃避し続ける彼女はどうやら長門の琴線に触れてしまったようだ。

 

「お前も、私たちと同類だぞ?」

 

青くなる、ではなく真っ青になった顔。

 

「お前もみずづきが隠し事をしていることに気付きながら、1人で抱えていた。誰にも言わず・・・。もし、間違っていたなら、それは私の誤解だ。遠慮なく言ってくれ」

「・・・・・・・・」

「あまり言える立場じゃないんだがな。自分のことを棚にあげて、他人に食って掛かかるのは感心しない。なぜ、言わなかったのか? それはお前が一番よく分かってるだろうに・・・・」

 

俯く曙。長門はそれで言葉を止めた。他の艦娘たちも彼女を批判したりはしない。少しイラついていたのは全員共通だろうが、それは「仲間が愛おしい」故の暴走であることを分かっていた。「自分も同じことをした」という罪悪感が暴走をさらに激しくしていたのだ。

 

“なんでみんな言ってくれなかったのか”

仲間なのに。

 

“なんで()()()言えなかったかのか”

仲間なのに。

 

これに起因する2つの怒りと言わなかった、黙っていた理由が彼女の心の中でかき混ぜられ、彼女自身も上手くコントロールできていなかった。

 

だから、誰も曙に対し本気で怒ってなどいなかった。

 

「曙?」

「なに?」

 

しぼんだ声色。余計な感情の着色や葛藤の介入が一切ない。純粋な反応。今なら、本当の彼女と向き合えるだろう。

 

「ごめんって、あの子は言ったのよ。私に話してくれた時に・・・」

「え・・・・・・・・」

 

俯いていた曙はこちらを見た。

 

「気にするな、ともね」

「・・・・・どういうこと?」

「これは完全に私たちの世代が引き起こして、私たちに降りかかった災厄。陽炎たちにはなんの責任もない。だから、気にしないでって・・・」

「何? 随分と素直じゃない? 昨日、電たちや私たちに言った時の態度とはかなり違うけど」

「・・・・ここからは完全に私の私見になるけど、それでもいい?」

 

一拍の沈黙。曙だけではなく、眼前にいる全て艦娘たちに問いかける。異論はなかった。というより、むしろ「是非」と前かがみになっている子もいた。電は典型的だ。

 

「みずづきは、もう、限界なのよ・・・・」

「え?」

「あの子は、日本で散々地獄を見てきたって言ってた。曙の言った通り、あの食い気は過去の経験から来てると思う。深海棲艦の侵攻で日本は完全にシーレーンが破壊され、大戦末期のような状態になった。飢餓が蔓延して、あの子もいつ餓死するか分からない時があったって。それだけじゃない。そこらじゅうで人が死んで、あちこちに遺体が散乱。誰も生きるのに精いっぱいで死んだ人間にまで手が回らなかった・・」

「だ、だから、みずづきはあの時、死体は見慣れてるって・・・・」

「なに、それ? どういうこと?」

 

深刻な表情で話す川内に、瑞鶴が問いかける。

 

「ほら、あの日桟橋が破壊されて、臨時から上がったでしょ? そこらからここに戻ってくるまでに、ね・・・」

 

瑞鶴は川内の言いたいことを察したようで、視線を下げる。第5遊撃部隊もあの惨状は見ているはずだ。

 

「そんな状況を見て、思ったんだって。もう誰にも死んでほしくない。平和だったころみたいにみんな笑って当たり前の生活を送ってほしいって。人々を守りたいって」

「だから、みずづきは・・・」

 

合点がいったように曙が呟く。

 

「そう、軍人・・・その時はまだ自衛隊だったらしいんだけど、なったのよ。でも・・」

「でも?」

 

長門の疑問。大きな深呼吸を経た後、陽炎はみずづきから聞いた全ての「みずづきの過去」を語った。

 

阪神同時テロ事件に遭遇し、目の前で親友を喪ったこと。

教官を置き去りにして戦闘海域から離脱した行為が敵前逃亡とされ、銃殺刑一歩手前までいったこと。

そして。

 

「・・・・・・・」

「陽炎?」

 

沈黙に対する雷の戸惑い。昨日あれだけのことを言われたにも関わらず、みずづきを「理解」しようとするお人好しに背中を押され、最後にこの世界へ転移する直前の惨劇を伝えた。

 

『・・・・・・・・・・・・・・・』

 

あまりに壮絶な人生の途。誰も言葉がなかった。

 

 

「あの時の叫びはそういう意味だったの・・・・・ね」

 

雷がいう「あの時の叫び」とはみずづきが主砲をイ級後期型に指向させたあと、陽炎に吐き出された「そこをどいてぇ!」の流れだろう。それとみずづきの過去をリンクさせることに成功したようだ。

 

「そう。それらを経て、みずづきは私たちの元にやって来た」

 

初めて見たみずづきの顔を思い出す。御手洗に連行中という最悪の場面だったが、彼の愚弄に対し身の危険を顧みず反論する姿は立派な軍人だった。まさか、これほどの苦難を歩んでいるとは真実を知るまで一瞬でも閃いたことはなかった。

 

「それでも、みずづきはつぶれることなく踏ん張った。この瑞穂で、知山司令たちに顔向けできるように、この世界の人々を守るんだって。同じ深海棲艦の脅威にさらされている世界の役に立つんだって。でも・・・・・」

 

みずづきの様子が明確におかしくなったのは、あの並べられた死体を見てからだ。おそらく、こう思ったのだろう。

 

「守れなかった・・・・。あの戦いをへて、あの子はそう思ったんでしょうね。抱き続けてきた信念が揺らいで、自我が不安定になってる。そんな時に、あれが、ね? あったから、その、爆発しちゃったみたいで・・・」

「っ・・・・」

 

あの場面に立ち会って「あれ」が分からない艦娘はいない。当事者であった2人のうち、電が唇を噛んだ。

 

「ああ、別に電を責めてるわけじゃないの!! でも・・・・・・タイミングが悪かったのは・・・その・・・」

「まぁ、ああなるのもしかたないと言っちゃ、仕方ないよな。俺も最初は不快に思ったけど・・・・・・話を聞いて納得したよ」

 

深雪が天井を仰ぎながら器用に座卓の置かれている麦茶の入ったカップを掴み、口を付けようとする。視線が中身に至った時、その動作が停止した。

 

「・・・・・・日本じゃ、これも飲めねぇのかな・・・」

 

睫毛を伏せ、深雪はお茶を口に含むことなく、カップを置いた。

 

「私、みずづきさんに謝らないといけないのです」

 

深雪をじっと見ていた電は目に涙を溜めこみ、絡みそうになる舌を必死に動かす。そんな彼女に寄りかかる雷も同じことを思っているようだった。

 

「陽炎? さっきみずづきとこ行ってたんでしょ? あの子の様子は?」

 

優し気な視線を対面に座っている電たちに向ける夕張。彼女たちの健気な気持ちを叶えてあげようという気持ちは分かる。

 

しかし、あれでは何を言っても無理だろう。首を横に振る。球磨はみずづきに意識を飛ばしながら問い返してきた。

 

「そんなにクマか?」

「かなり、参ってるみたいで。さっきも1人になりたいって、それきり・・・」

「時間が必要、か。お前のいう通りだな、陽炎。確かに、まだ時間が必要なようだ。彼女にも、私たちにも・・・・・」

 

長門に視線で促され、周囲を視界に収める。そこにはここへやって来た時とは異なる想いを抱えるに至った艦娘たちが意識を自らの内側に引っ込めていた。代表格はもっとも感情の起伏が激しかった曙であった。

 

眼前の座布団を見つめたまま、呆然自失。ピクリとも動かない。

 

コップに注がれた水を飲み干す長門。視線を受け、最も出入り口に近いところにいた吹雪が、立ち上がり店員を呼びに行く。

 

いくつもの事実を白日の下に晒した話は一旦、お開きだ。




以前(・・と言ってもはるか前ですが)に書かせていただきましたが、艦娘たちの反応や考えは作者のイメージに基づいております。違和感を抱かれる方もいらっしゃることと思いますが、温かい目で見守っていただけると嬉しいです。


瑞雲祭りに加えてロー○ンやら大阪○将やらとのコラボイベントなど艦これはリアルで進撃中ですが、先日ついに大規模や多数の新艦娘投入うんぬんの大まかな情報を経て2017年夏イベの詳細が公開されましたね。

その名も『西方再打通!欧州救援作戦』。・・・・なんか欧州が出てきた(笑)。しかも救援って・・・・。あちらさんは一体どういう状況なのか・・・。

大規模イベで現代日本では不可能な規模の派兵となると嫌な予感しかしませんが、攻略に暗雲が立ち込めようが魅力的な艦娘が投入されようが、本作の更新は滞りなくすすめて参ります。


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61話 雨はいつか止む

本作の更新は滞りなくすすめて参ります!

って、言ったそばからなんかヤバくなってきた。リアルめチクショー!
艦これやる時間すら、ないじゃないですか・・・・・。

今回は作者自身の都合により、誤字脱字が多くなっている可能性があります。校閲はしたのですが、眠たくて眠たくて・・・。


真っ暗な世界。一筋の光もなければ、些細な音もない。高さも奥行きも、周囲に起伏があるのかさえ分からない。

 

全てを失ってしまった世界でもただ1つだけ、感じられるものがあった。「音」と表現するにはあまりに激情の籠った声。

 

もう何もかも終わってしまったにも関わらず、それだけが聞こえてきた。

 

「撤退はあり得ない!!! 死守せよ! 死守せよぉぉぉ!!!!」

「アメ公風情が!!!」

「むがっ!? はっ・・・、あ・・・ああ・・・・・」

「中尉!! しっかり気を持ってください!! 中尉! 中尉ぃぃぃぃ!!!」

「こ・・・こんな・・ので・・・、勝てるわけないだろうが!!」

「弾がない! 弾がない!!!!」

「っ!? しりゅう・・だ・・・」

「あああああ!!!! 助けて!! 助けて!! 体にひが!! 火がぁぁぁぁ!! 熱い!!! きえない、きあ・・・・」

「頼む・・・・・・頼む・・・・・。・・・・・殺してくれ・・・・」

「この軟弱者が!!! それでも帝国海軍軍人か!! あん!? ・・・・・・村に帰るって・・・、嫁さんに会うんだって・・・・・、てめぇ・・・・言ってたじゃねぇかよ・・・」

「帰りたい! 帰りたい!! 帰りたいです・・・・分隊長・・・・。日本に・・・・・・・・・・。日本にっ」

 

 

『兎おーいし彼の山・・小鮒つーりし彼の川・・夢は今もめーぐーりーて・・忘れがーたき故郷・・・・っ。如何にいーます・・ちちは・・はっ・・・っ。・・・・』

「諸君、これまでの献身、感謝に耐えない。・・・・・・・ここでは今生の別れだが、なに・・・また、靖国で会おう!」

 

「天皇ぉぉぉ陛下ぁぁ、バンザァァァァァァァイ!!!!!」

「大日本帝国、バンザァァァァァァァイ!!!!!」

 

「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ、んっ!  はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ!! うう・・・ずっ、あう・・・・うううう、うう・・・・・。お母さんっ。・・・・・・・・・・・・・・・んんっ!!!」

 

バァンッ!!

 

 

 

 

「んっはっ!!  はぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・・・・・」

 

何かの炸裂音が引き金となり、ただただ真っ暗闇だった世界が感覚と色彩に溢れる現在の居場所に打ち負けた。

 

光彩がパニック寸前となる光量に、寝ぼけている鼓膜の許容範囲ぎりぎりの振動に、感覚神経が大忙しの触覚。「無」の世界からの突然の変化に戸惑いながら、ひとえに感覚と呼ばれる情報を集計し把握する。

 

眼前には下着が露出する一歩手前までめくれ上がったスカートをはいた自分の下半身があった。どうやら、本当に飛び起きたらしい。上半身が起き上がっている感覚は本物だった。

 

夢ではない。そう、夢ではない。

 

「・・・・・・・また」

 

先ほどまでが夢だったのだ。

 

「いつっ!」

 

暑さと疲労で弱っている脳にむち打ち記憶を甦らせようとすると、電気でしびれたような鈍痛が駆け抜ける。そこまで負担が大きいなら見せなくて良いものを。

 

誰も、人が死ぬ時の声など、死神の鎌を首にかけられている者の声など聴きたくないのだから。

 

この身が鋼鉄の無機物から、人間と同じように血液の通う有機物になってから、幾度となく見てきた夢。何も見えない。ただ、声が聞こえるだけの夢。最初は聞こえる声が誰のものなのか、どうしてこのような夢を見るのか分からなかった。

 

しかし、他の艦娘の伝聞と自らの調査で知った残酷な事実が、その正体を暴いた。

 

あれは常に苦楽と行動を共にし、最後までこの身を愛して誇りに思ってくれていたかけがえのない人たちの・・・・・・・最期もしくは命を散らす直前の声だった。

 

無数に聞こえる声の内、決して1つたりとも同じものはない。どれもそれぞれの激情が込められていて、様々な想いが内包されていた。

 

だからこそ、その声とその声を発している人たちの顔と思い出がつながるからこそ、心に突き刺さった。

 

「・・・・・・・・・・・・・はぁ」

 

更なる痛みを覚悟の上で頭を左右に振り、自身の下半身からベッドの外へ視線を向ける。部屋には誰もいない。隣の部屋や2階からの物音もなく、静寂そのものだ。時刻はあと数分で18時というところ。最後に時計を見てから2時間ほどが経過していた。窓から外を見ると、雨を降らせている灰色の雲に赤みが加わっている。雨脚は相変わらずだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

窓に張り付いた雨粒を見ていると、脳裏に橙野で行われた話し合いが甦る。だが、如何せんベッドの中は狭い。このような閉鎖空間ではどうしても物事を否定的に捉えてしまう。それが嫌だった。

 

特段の行先もなくベッドを降り、引き戸を引く。

 

「ん? 誰かいる・・・・」

 

部屋の中では一切感じなかった人の気配。廊下に出た瞬間、雨音に紛れて漂ってきた。発生源は居間だ。抜き足差し足で近づき、開け放たれた扉から中をのぞき込む。だが、それは単なる徒労で終わった。

 

「よ! 人肌が恋しくなったのか? 曙にしては珍しい」

 

ここ艦娘寮に充満する空気とは正反対の快活な声。こちらの努力をあざ笑うかのように深雪が微笑みかけてくる。

 

居間には吹雪・白雪・初雪・深雪の4姉妹が各々の姿勢で座卓の周囲に座り、窓越しに鬱屈な空模様を眺めていた。

 

 

 

――――――――

 

 

 

「なんか食べる? お煎餅とか饅頭とかあるけど」

「・・・・いい、遠慮しておく」

 

吹雪が蓋の開け放たれた菓子箱からいくつかのお菓子を示してくる。甘味の前に理性が崩壊するほど空腹に悩まされているわけでもなかったので、断った。「こっちに来いよ」という深雪の誘いで目的地を決めてからしばらく。いつも沸き起こっている喧騒とはかけ離れた静けさにも関わらず、完全な静寂に飲み込まれていない断続的に会話が続く空間。

 

深雪は畳に寝ころびながらカードゲームの解説本を眺め、初雪は座卓に突っ伏し、白雪は曙に背を向け窓の外に視線を送っている。隣に座っている吹雪は菓子箱の中に入っている菓子の種類を集計していた。

 

確かに彼女たちも雰囲気は沈んでいる。吹雪たち4姉妹が同一空間に集合してここまで静かな事態は通常あり得ない。必ず誰かが口を開き、会話は途切れなくいつまでも続く。日常の姿を知っているが故に具体的な異変を捉えることができた。しかし、彼女たちは非日常に飲み込まれながら、日常を捨て去ってなどいなかった。曙が見る限り、これを維持できている艦娘は吹雪たちだけだった。

 

それが分かった瞬間、思わずつぶやいてしまった。

 

「強いのね、吹雪たちは・・・・・・・」

 

吹雪たちがみずづきの抱えている真実に勘付きながら黙っていたことは正直頭に来ている。しかし、長門に言われた通り、自分が他人されて最も嫌う行為を自分自身もしていたことは紛れもない事実だった。この時点で曙に吹雪たちを責める資格はない

 

なぜ、隠したのか。

ここまでのことだとは想像していなかった。これが最大の理由であることは認めざるを得ない。みずづきの様子から不穏な気配を感じつつも、故郷を地獄に追いやったあの戦争を上回る惨状に陥っているなど、考えたことすらなかった。もしかしたら、考えないようにしていたのかもしれない。

 

もしそうならば、あの戦争で命を散らせた幾万の人々、自分を大切に思い無念の内に死んでいったであろうあの人たちの犠牲が無駄になると思えてならなかったから。

 

こんなわが身が吹雪たちや陽炎の立場に立った時、同じ振る舞いを取れるかどうか。曙には「できない」という確信があった。みずづきの支えになることも、他の艦娘たちに寄り添うこともできない。ましてや日常の継続などできやしない。ショックを受けながら、今のみずづきの如くベッドの肥やしになるのが関の山だろう。それを自覚してようやく陽炎や吹雪、そして長門たちの気遣いが分かったのだから、つくづく自分が嫌になる。

 

彼女たちが黙っていた理由。そして、みずづきが黙っていた理由。他人の痛みが分かり、その痛みを与えまいという優しさを持つ彼女たちだからこそ、曙は大切に想っていたのだ。

 

「そんなこと、ないよ・・・・・」

 

吹雪が弱々しく菓子を数えていた腕を座卓の上に力なく置く。彼女の横顔を覗きこんだ瞬間、思わず息をのんだ。吹雪は今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。

 

「そうそう。俺たちだって、相当堪えてるんだぜ?」

 

本から視線をこちらに移した深雪が捕捉する。

 

「勘付いてたって言っても、大まかにしか分からなかったからな。陽炎や曙と同じように、21世紀になっても人間同士で戦争をして、化け物どもに食い荒らされているなんて、想像の上。・・・・・・・・完全に上だった」

 

時折笑顔も見られたが、最後の言葉は完全な真顔で喉から絞り出された。深雪は艦娘の中であの戦争を知らない唯一の駆逐艦だ。しかし、彼女とて日本と中国の戦争は知っているし、祖国の平和と安寧を担っていた栄えある大日本帝国海軍の駆逐艦。何も思わない、という薄情さは皆無だった。

 

「2350万人・・・・。大東亜戦争の犠牲者が約300万人だから約6倍。これに第二次日中戦争とかで死んだ人たちが・・・・・・・」

 

突っ伏したままの初雪が髪の毛を揺らす。表情はここからでは見えない。そこまで言って、深雪は言葉を封印した。

 

「そりゃ、こうなるよな」

 

寂し気に笑いながら、静まり返った廊下に視線が向けられる。そこに人の気配はない。いつもの活気は・・・・ない。

 

「でもよ」

 

これまでと一転。固く熱い信念が漏れ出る口調。曙は思わず深雪を見た。口調と同調した艦娘寮と雨脚由来の憂鬱さを容易に吹き飛ばす、真剣な表情。

 

「いくら残酷だろうともう決まっちまった未来、現実なんだよ。それをとやかくいうのはなんか違うと思うぜ」

 

深雪のいうことは分かる。それでも。あれだけの犠牲を払ったのだ。日本は戦後、あの戦争の教訓を生かし平和を何よりも尊ぶようになった。他国に軍事的介入を行うこともなくなった。それでも結局、戦争の惨禍は再び日本を覆い尽くした。もう少しまともな未来があったのでないかと悔やんでしまう。

 

「・・・・・あの未来も、あの時までと同じ」

 

初雪が顔を上げることなく、そう言った。

 

「・・・・同じ?」

 

発言の真意が分からず聞き返す。あの時までとは戦争を生き残り、その後の世界を直に見つめた艦娘たちが伝えてくれた「日本が平和だった」頃のことだ。初雪は自分たちが拠り所としていた未来と決して容認し得ない悲惨な未来が同じだと言った。渦中の彼女は無反応。代わりというように白雪が窓に視線を向けたまま答えた。

 

「響ちゃんが教えてくれた日本。そして、みずづきさんがいた日本。あまりに対照的でその差につい目がいっちゃうけど・・・・・。どちらもその時を生きている人たちが一生懸命よりよい未来に向けて今日を、明日を歩んで成し遂げた結果。それが平和とか幸福じゃなくても、本質的には同じこと。私たちの犠牲は、あの人たちの・・・・っ」

 

俯く白雪。吹雪が駆けよろうと立ち上がるが、こちらへ振り向いた彼女に制止される。

 

()()()で殺された人たちの犠牲は、無念は日本が苦難に負けず、未来を切り開いていく一助になってる。決してっ! 無駄なんかじゃないっ」

 

ぎこちない笑みを浮かべながら一筋の涙を流す白雪。曙と同じか、ある意味こちら以上に残酷な仕打ちを受けた彼女の言葉。そして初めて聞いた白雪自身の過去が織り交ぜられた言葉は重い一撃となって胸に染み込んでいく。

 

 

正直、はっとさせられた。

 

 

白雪はしっかりと自身の心にけりをつけていた。それに比べて自分はどうか。

 

「曙ちゃん?」

「・・・・・なによ」

 

吹雪が名前を呼ぶ。一直線に2つの瞳を射貫いてきた。

 

「曙ちゃんはみずづきさんをこれまで見てきたよね?」

「ええ・・・・そうね」

「みずづきさんは紛れもない日本人なんだよ? 私たちと一緒に奮戦した乗組員さんたちの子孫なんだよ? あれほどの逆境を受けてもみずづきさんはみずづきさんになった。みずづきさんをみずづきさんにしたのは、今の日本。・・・・・・私たちと乗組員たち、そしてあの戦争で、外国で、日本で死んでいった数え切れないの人たちの死をなんとも思わない、顧みることすらしない人たちがそんな日本を作れるわけないよ。だから、あの未来には・・・・・」

 

吹雪はそこで意識的に口を閉ざす。あとは自分で考えろというように。いつもなら、吹雪の態度に突っかかっていただろうが、今回ばかりは素直に従うことにした。

 

吹雪はみずづきを優しい人間と位置付けている。それに異議はない。昨日は彼女の人格評価を根底から覆しかねない一件があったものの、それも一方的に非難できない理由がきちんとあった。周囲の人間を心の底から侮蔑した言動ではない。もしそれを成すようなクズなら、来て早々に真実を語っていただろうし、語っても平然としているだろうし、“自分に不利益を被らせたこと”に起因する恨みではなく、“他人に不利益を被らせた”ことに起因する恨みで敵を殺そうとはしない。それに自分自身に対していかなる状況に陥ろうとも“自己嫌悪”には至らないだろう。

 

他人を常に想い、謙虚で現実をしっかりと受け止める。だからこそ曙はみずづきに心を許した。

 

そんなみずづきが生まれて、生きてきた場所は現代の日本だ。みずづきを見ていれば分かる。今の日本は、外見は時代の進歩や理不尽な現実で様変わりしているかもしれないが、中身はあの頃と変わらない。あの戦争で理想論では拭えない様々なものを思い知ったにも関わらず変わらない。それどころか世界の非情さに屈することなく、歩み続けている。

 

その事実が、曙にこの確信を抱かせた。

 

彼らが愛した日本は、まだある。そして、彼らの犠牲が彼らの愛した日本を持続させる原動力の一部になっている。吹雪たちにそれを気付かされた。彼らの犠牲は2033年でも意味はある、と。

 

そんな日本を2033年時点だけで判断し、否定すればあの人たちはなんというだろうか。あの人たちは子孫たちを愚弄するほど性根は腐っていない。受け止めるという確信はあった。

 

ならば13年間、あの人たちと共に大海原を駆け抜け、崇高な使命を果たすために共に努力し、最後は戦争で散った1人として、彼らの意思を代弁しなければならないのは当然だろう。

 

あの人たちの最期は今でも納得できない。だが、納得できないために未来へ厳しい視線を向ける行為はただの八つ当たりだ。今まで知山や潮、周囲の艦娘たちに散々八つ当たりしてきたため分かる。

 

「ちょっと、感情的になりすぎてたのかな・・・・・」

 

心を覆っていたどす黒い雲が消え、爽やかな日光に温められたすがすがしい風が疾走していく感覚。それに浸っているとついここではない空間と時間を超越した場所に言葉が向かってしまう。反応は当然帰ってこない。そして、今まで散々呻いていた自分自身もおとなしいものだった。

 

吹雪たちと顔を見合わせると、こちらに向かって優しく微笑んだ。

 

“頑張ったね”

 

そう視線で伝えているような気がした。曙も評判ほど捻くれた艦娘ではない。ただ直球で伝えると癪なため、少々の癖球で一連の謝意を伝えた。

 

「やっぱり、あんたたちは強いわね。同じ特型駆逐艦であることを誇りに思うわ・・・少しだけ」

「またまた~~~~。ほんと、曙は素直じゃねぇな~~~」

 

起き上がった深雪が胸のマグマを容赦なく刺激する笑顔でからかってくる。

 

「・・・・気持ちを言った素直な言葉を・・・・。ふん!」

 

そっぽを向けた瞬間、失笑が居間を覆った。

 

「あ。それからだな曙。受け入れたからってむやみやたらに行動するなよ」

 

深雪が真顔で忠告してくる。

 

「は? なんでよ?」

 

陽炎と共にみずづきの回復に手を尽くそうと考えていただけに口調が荒くなる。「その気持ちは否定しないが」と深雪。

 

「まぁ待てよ。俺たちは駆逐艦。今回の役者は俺たちじゃない。ここは縁の下の力持ちと行こうぜ」

 

そう言いながら深雪は扉の向こう。一機艦メンバーが使用している部屋を指さす。その2つには誰もいない。赤城は橙野で解散後、加賀と瑞鶴を連れだってどこかへ行ってしまった。

 

そこで1つの可能性が閃いた。即座に深雪を見る。彼女は不敵に笑っていた。

 

「赤城さんたちは俺たちより図太いぜ。心も体も」

「体は余計。・・・・・聞かれたら爆撃される」

「ぶっ!!」

 

深雪と初雪の初歩的なやりとりについ吹き出してしまった。しかし、彼女の言う通りでもある。

 

これまでの反省も込めて、大人しくしているのもいいかもしれない。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「雨、止まないわね」

「そう・・・・・・・ですね」

 

日が落ち、闇が支配する世界になっても止まない雨。窓から見える横須賀の街並みはガラス表面についた雨粒によって歪み、子供の落書帳のようになっている。だが、歪んでも屈折しても人の営みを遮断することはない。ヘッドライトを照らし道路を走る無数の自動車。それを見ていると雨の音に紛れて、街の声が聞こえてくるような気がする。

 

「できたわ。どうぞ」

「ああ! ありがとうございます! いつもすみません。加賀さんたちだって、その、お忙しいのに」

「何言ってるのよ、翔鶴姉。そこの人は暇で暇でしかたがないの」

 

包丁で皮を剥き、適度な大きさに切り分けたリンゴを目の前で横になっている翔鶴に渡す。もちろんお皿に盛って、つまようじ付きだ。彼女は謙遜しているが嬉しいようでほほが赤く染まっている。雪のように自然で落ち着いた白い肌に、髪。着ている服は若干緑がかった色をしているが布団や枕も白色のため、ほのかな赤が赤自身も白も引き立てる。自分にはないその奥ゆかしい美しさについ目を奪われてしまうが、隣で何もせず沈黙を痛々しいものにしていた彼女の言葉に正気を取り戻す。

 

頭に来たため睨み付けるが、本人はどこ吹く風。

 

「もう瑞鶴ったら、いい加減にしなさい!」

「りんご、あげないわよ」

「っ!? ほら、こうだもん。人を子供扱いして!」

 

冗談で瑞鶴が座っている位置から彼女の分を遠ざけてみる。あからさまに元気をなくす自慢のツインテール。同時に翔鶴とは対照的に品性のかけらもなくほほを怒りで染める。欲しいなら欲しいと言えばいいのだが。

 

「なに? 暇って言ったことが勘に触った? だって事実じゃない! 昨日だってずっと寮にいて、今日だって弓を触らずに、外を見てばっか・・・」

「瑞鶴!」

 

怒気を含んだ叫び声。翔鶴は睨みながら瑞鶴に視線で謝罪を促している。「いい」というのだが、聞いてくれない。病床の姉に怒られかなり凹んでいるが瑞鶴は瑞鶴だ。視線が交差した途端、反攻的にそっぽを向く。「はぁ~」と翔鶴のため息。

 

「ふふふっ。相変わらずでなによりだわ」

「ほんとですね、榛名、安心しました」

「私もです」

 

翔鶴が横になっているベッドの対面。そこにある別のベッドで横になっている翔鶴と潮。そして2人の間で、もはや常設となっている椅子に座る赤城がくすくすと微笑んでいる。あくまでも自然な笑みにほほが赤くなるのを感じる。目の前の2人を見ると、同じようにほほを赤らめている。

 

「3人も、どうぞ」

 

翔鶴のベッド脇にある椅子から立ち上がり、その後ろのテーブルに置いてあった調理済みのリンゴを持っていく。「すみません」と翔鶴のように頭を下げつつ、榛名と潮は受け取ってくれた。しかし・・・・・・。

 

「あ、ごめんなさい加賀さん。私、お腹いっぱいで・・・誰か欲しい人にあげて。せっかく剥いてくれたのに」

 

まただ。一瞬で和やかだった部屋の空気が重くなるが、赤城を除くメンバーたちの暗黙の了解でなんとか持ち直す。彼女たちが震える喉に力をくれた。声が裏返りそうになるものの、土壇場で回避。

 

「そうですか。気にしないでください。でも、もしお腹が減ったら遠慮なく」

「ああ! もしかして加賀さん、私の言葉、信用してませんね」

「信用は積み重ねが大事です」

 

一気に笑顔が巻き起こる。翔鶴も、そして先ほどまでハリセンボンのように頬を膨らませていた瑞鶴も、だ。ひとしきり笑顔が飛び交うと再び沈黙が訪れる。窓へ雨粒が打ちつける音。りんごを頬張る「シャリシャリ」という軽快な音。その2つだけが室内を支配する。ベッドが3つずつ2列に並んだ、一般的な6人部屋にも関わらず、その音が支配権を握るとはなんとも不思議な気分だ。

 

「加賀さん」

 

お皿に乗っていた4切れのリンゴを全て食べ終わると、翔鶴が先ほどとは打って変わって真剣な表情を浮かべる。これからどんな話題を話そうとしているのか。すぐに分かった。自然と姿勢が正される。瑞鶴は皿に乗っているリンゴに視線を固定していた。

 

「どうでしたか?」

 

主語の無い問いかけ。戦場では鉄拳制裁をくらっても文句のつけようがない失態だが、ここは病室。そして、これは日常会話。主語がなくとも言いたいことは理解可能だ。

 

「やっぱり、陽炎は知っていたわ。例の事」

「そう、ですか・・・・・・」

「なんでも、第3水雷戦隊が那覇への船団護衛任務中に知ったんだってさ。黒潮とか夜戦バカとは、よく気付かなかったわね。私なら絶対・・・・」

 

「気付くのにな・・・・・」。そう小さく消え入りそうな声量で呟く瑞鶴だが、ばっちりと聞こえている。おそらく赤城たちも・・・・。顔に影を作り、下半身を覆っている掛け布団に視線を縫い付ける翔鶴。その顔を見るたびに、橙野解散後の一悶着が脳裏によぎった。

 

 

――――

 

 

「なんで、翔鶴姉に教えたのよ。しかも、私に断りもなく、勝手に。これは金剛の独断、それとも・・・・・」

 

いつもと異なり、こちらを容赦なく睨みつけてくる瑞鶴。そこには本気の怒りが含有され、不器用ながら醸し出していた控えめな雰囲気は皆無だった。

 

「ま、待ってくだサーイ! 加賀は何も・・」

「じゃあ、吹雪?」

「い、いえ・・・・、私は・・・・・」

「・・・・ばれたのよ」

「は?」

 

仲間に詰め寄る瑞鶴も、瑞鶴に詰め寄られる吹雪たちも憐れに思え、瑞鶴を落ち着かせてから言うつもりだった事実を早々に告げる。「なんで言ったんデスカ!」と金剛が視線で叱責してくるが、これしか方法はない。このまま引き延ばせば取り返しのつかないことになるのは明白だった。

 

「ばれたのよ。今朝、お見舞いに行ったときに」

「ちょ、ちょっと待ってよ! そこには私もいたじゃない! いつ・・・いつ話したのよ!」

「あんた、院長と話をするため、一足早く退室したでしょ?」

「!? まさか、その時に・・・・・」

「翔鶴は気を遣ってたんデスヨ。最初からこちらがただならぬ状態であることは分かったそうデスケド、瑞鶴を傷つけるかもしれないから聞けないって・・・・・。ごめんなさい、瑞鶴。勝手なことして」

「私からも・・・・。ごめんなさい。もっと早く言うべきだったわ」

「いや、その・・・・・・」

 

2人同時に頭を下げられ対応の仕方が分からなかったのだろう。素で挙動不審になった彼女は、横須賀市街を歩いている普通の少女のようだった。

 

 

――――――

 

 

「ごめんね。翔鶴姉。それに榛名や潮も・・・・」

「ど、どうしたの瑞鶴? 急に・・・」

 

唐突に謝り出した瑞鶴。翔鶴の問いかけは全員共通の疑問だった。

 

「今朝お見舞いしに来たときに、隠し通そうとして・・・・。あれ、私がお願いしたの。加賀さんと赤城さんと、吹雪たちに・・・・・」

 

そう。隠し通せるものではないから開口一番説明した方がいいという加賀たちに対し、瑞鶴が強硬に「沈黙」を主張したのだ。翔鶴たちが退院してから言うべきだ、と。しかし、翔鶴たちの退院は昨日の予定であったにも関わらず暫定的に1週間延期されていた。なんでも現在の鎮守府の状況を加味した百石の判断らしい。今、帰したところで同じように寝込むだけ。なら、医師や看護師が24時間で対応可能な病院にいた方が安全と見たのだろう。これは瑞鶴も知っており、事実上その主張は「先延ばし」を意味していた。議論は紛糾し、赤城の仲立ちで瑞鶴の主張が取り入れられたのだが、結局は水泡に帰してしまった。

 

「そうだったの? でもなんで、今・・・・・。別に謝らなくていいのよ? 私も榛名さんも潮さんも怒ってなんて・・・・」

「そうよ、瑞鶴。翔鶴の言う通り」

「そうです、そうです。私、全く気にしてませんから・・・」

「私もそういう立場、だったから・・・」

「え?」

 

自嘲気味な乾ききった笑み。瑞鶴以外の全員が顔を見合わせる。だが、なんとなく言いたいことは分かるような気がした。

 

「今日橙野でいろいろなことを話しあった。みずづきの過去にも驚いたけど、みんなが・・・・・加賀さんや赤城さんや吹雪たちが、私に内緒でいろいろ勘ぐっていたことは、正直・・・・かなりきた」

 

悲しそうな表情。それを見ただけでこの大地の重力が変化したかのように体が重くなる。

 

「でも、内緒にしなきゃって気持ちは分かった。みんな私や何も知らない子のことを考えていたからこそ、黙っていたんだって・・・・・・・」

「瑞鶴さん・・・・・」

 

思わず、名前を呼んでしまった。

 

「嬉しかった。嬉しかったけど・・・・・やっぱり、言ってほしかった。だって、仲間なんだもん! 大切な、大切な・・・・」

 

潤んだ瞳でこちらを見てくる。黙っていた理由はたくさんあった。軍人のように、話せば動揺が広がり効率的な作戦行動が行えなくなるという打算もあれば、仲間に不安を、恐怖を抱かせたくないという感情もあった。打算と感情。どちらが大きかったと言えば、感情だ。感情があったからこそ、打算が導き出された。それらに疑問を抱いたことは何度かあったが、「これが最善」と飲み込んできた。

 

しかし・・・・・・・。

 

目の前の涙を見てしまえば、もう「最善」とは思えない。

 

「だから・・・・・。ごめん。翔鶴姉たちも本当は言ってほしかったよね・・・・」

「瑞鶴・・・・」

「え・・・・・」

 

そっと優しく瑞鶴を包み込む翔鶴。瞬くを繰り返す目。姉に抱き寄せられていると瞬時に分からなかったようだ。

 

「しょ、翔鶴姉・・・・」

「謝らなくて、いいのよ」

「でも・・・」

「確かに、少し寂しかったけど。あなたが私たちを想ってくれている気持ちは十分に伝わったから・・・」

 

静かに微笑む榛名と潮。無言で翔鶴に同意を示していた。

 

「それに、私もきっと同じような行動を取ったと思うわ。・・・・・事が事だもの」

「翔鶴姉?」

 

瑞鶴が目を丸くして、翔鶴を見上げる。癪だったものの、今は瑞鶴と同じ心境だった。榛名と潮の間で座っている赤城も。こちら側の反応を確認した翔鶴はくすくすと少し誇らしげに笑う。

 

「なに? 泣くと思ったでしょ?」

 

うんうんと頷く瑞鶴。やけに素直だ。

 

少し赤みを帯びた瞳。翔鶴の人格を考えると号泣とまではいかないものの、静かに涙を流すと思ったのだ。その考えが見破られたようで、ほほ笑みがこちらへ、そして赤城へ向けられる。

 

ちなみにここにいる3人はそれなりに泣いている。程度は軍事機密だ。

 

「今は大丈夫だけど、昼間とかは酷かったのよ。・・・・・・あんな未来を聞いてしまえば・・・・2350万って。あれほどの戦争を遥かに超える犠牲がたった6年で・・・・・・・・」

 

室内の雰囲気が一気に重くなる。今度は赤城がりんごを遠慮した際とは比較にならない。みずづきから語られた未来のインパクトはあまりにも強すぎた。艦娘の精神をボロボロにする程度には。あの長門さえ、涙を流すほどなのだ。自分たちが死に物狂いで戦った戦争もなく、平和で繁栄した日本。未来だと思っていたそれが、みずづきにとっては過去だった。

 

信じたくなかった。嘘だと否定したかった。だが、あの顔を見て、誰が嘘と言えるだろうか。そんな軽率なこと、思うこと自体ができないほどの迫力と狂気があった。

 

自分たちの犠牲はなんだったのか? 一度はけりをつけたその問いを、再び思わない艦娘はいないだろう。深海棲艦は関係ないと切り捨てることもできるが、それ以前の人間同士の戦争は直視しなければいけない。それは日本の敗戦と密接に関わっているのだから。

 

「でも・・・・・・ですよね。榛名さん?」

 

予想外の流れ。膝の上に乗っている空の皿に固定されていた視線が榛名へ向けられる。彼女は戸惑っていたが、それも一瞬。

 

金剛型共通である包容力抜群の笑みが浮かんだ。

 

「みずづきさんがいた、今の日本。確かに悲惨だと思います。私もその・・・荒廃した本土を直に見ましたから。・・・・・悲しいです」

 

一瞬だけ睫毛を伏せながら控えめに向けられる視線。榛名と潮以外、この部屋にいるメンバーは終戦前に沈んでいる。しかも多数の乗組員を道ずれにして・・・・・・。気を遣ってくれたのだろう。

 

「みずづきさんは“自分たちの責任”とおっしゃったそうですが、やっぱり責任の一端は私たちにも・・・・・・」

「そうね・・・・・」

 

赤城が応じる。反論はない。

 

「未来は過去があってこそ存在する。過去によって決定づけられるといっても過言ではありませんから。それは例え100年近く経っても、背負わなければならない鎖。でも、だからこそ私たちは信じなければならないと思います」

「信じる?」

 

「何を?」という視線と同時に口から出た疑問。榛名は毅然とした表情ではっきりと答えてくれた。

 

「2033年の日本人を。みずづきたちを・・・・・・・・」

「っ!?」

 

あれだけ窓を叩いてきた雨音が聞こえなくなった。にも関わらずいまいち榛名の言葉が呑み込めない。今、榛名はなんと言っただろうか。

 

「責任を感じることも、反省することも、悲しむことも非常に大切です。しかし、私は、私たちは日本とこの世界で大海原を駆け抜けて知っています。後悔や罪悪感といった後ろ向きな感情は何も生まない。悲劇を止めるばかりか、悲劇の推進剤にしかならないことを嫌というほど・・・・・」

 

榛名は丁寧にアイロンがけされた掛け布団のシーツを思い切り握る。シーツに刻み込まれる皺の数と深さが彼女の激情を表しているようだった。

 

彼女の言った“後ろ向きな感情”が引き起こした悲劇。並行世界証言録を読んだ身として、1つ心当たりがあった。くしくもそれは自分たちが守り切れなかった祖国、大日本帝国の終焉に関することこだった。

 

世界有数を誇った水上戦力が壊滅し、絶対国土防衛線が突破され、敵の航空戦力が自国上空をわがもの顔で飛び交い、一言では語れない歴史と情緒を有し、多くの人々が暮らす街を丸ごと破壊し尽くされ、最後は国土の一部である沖縄に侵攻され、敗戦が確実視される状況になっても、なぜ大日本帝国は降伏しなかったのか。諸説あるが、その1つに「責任を感じ過ぎた」こともあった。国粋主義に浸かった酩酊状態で日本の勝利を謳い、軍隊だからと部下を死地に送り、絶望的な戦況でも投降を許さず、起死回生の一擲として十死零生の特攻までさせた。そこまでしたにも関わらず、「はい。降伏」など即座に方針転換などできるだろうか。

 

機動的な対応を取る依然に、日本は犠牲を出し過ぎた。

 

人命を思えば思うほど、無謀な作戦を立て死ぬと確信しつつ“人間”を戦地へ送れば送るほど、将兵や国民を駒と思い込めば思い込むほど、後に引けなくなる。

 

引いてしまえば、「犠牲はなんだったのか?」という解決し得ない究極の罪悪感につながってしまう。だから、引かなかった。その結果引き起こされたのは「あの時、引いておけば・・・・・・」というこれまた永遠に解決し得ない究極の後悔。

 

スケールは全く違う。だが、この事例は艦娘たちに度を超えた後悔が生み出すものを教えるにはこれ以上ないものだった。

 

「未来へ進む意思こそ、いろんなものを生み出してくれる。それに気付かせてくれたのは皮肉ですけど、空襲で焼き尽くされたあの廃墟でした。戦争に負けたのに、家族や財産や職を失い、今日の食べ物にさえ事欠く状況だったのに、みんな前を向いていたんです。明日を見ていたんです。日本を、この手で再建するんだって。犠牲になった人たちが還ってきたときに、笑顔で天国へ旅立てるようにするんだって。その結果はみなさんご存じのはずです」

 

日本は復興し、世界有数の経済大国になった。

あの廃墟から大日本帝国を凌駕する日本国が日本人の総力によって再建された。

 

並行世界証言録を見て、響や雪風の言葉を聞いた時の感動と安堵は今も忘れない。それをなした国が自分の祖国だということ、自分たちを生み出し共に戦ってくれた人たちだということは決して揺るがない誇りだ。

 

「赤城さん、加賀さん、瑞鶴?」

 

しっかりと1人ひとりを見つめてくる。

 

「日本は日本なんですよ。いつの時代も変わらない。みずづきさんを見て、理解されてますよね? いくら時が経とうとも私たちの故郷はいつまでも私たちの故郷だって」

 

頭に航空爆弾を受けたような誤魔化しようのない衝撃が襲う。なにもなかったはずなのに、世界が変わったように感じる。

 

「みなさん衝撃でいつもの思考が鈍っているようですけど、みずづきさんのいた日本は深海棲艦の侵攻を受け、全土を焦土にされ、2350万人もの犠牲を払っています。でも、艦娘システムを開発し、占領寸前だった沖縄を奪還。犬猿の仲だった近隣諸国と友好関係を結び、そして先島諸島の奪還作戦を遂行しています」

 

榛名の言いたいことが分かった。

 

「前に、進んでいる・・・・」

「犠牲の重さに飲み込まれることもなく」

「絶望に膝を屈することなく、明日を見て・・・・」

「そう・・・・・。日本は未来を諦めてなんかいない。私が見た時と同じです。だから、信じてあげなくちゃいけなんです! 日本は必ず繁栄と幸福を勝ち取るって。私たちは日本の艦娘です! 日本の勝利を信じて戦って、日本に住む人々が幸せになるために生み出された存在なんです! ただ知っただけの私たちが、実際に地獄の中を生きている日本人が前を向いているにも関わらず、屈してどうするんですか! 私たちが・・・・・・私たちが信じなくて、誰が日本を信じるんですか!!」

 

ガラスが震えるほどの真剣な叫び。耳がおかしくなるかもと思ったが、さすがに拒否感を示さなかったらしい。このようなご高を聞き逃すことなどできないだろう。

 

「ふふふっ・・」

 

流れ落ちてくる涙。おかしい。悲しくないのに、笑っているはずなのに、拭いても拭いても涙が出てくる。でも、全く苦しくない。

 

「ははははっ!」

 

一斉に笑い出す赤城と瑞鶴。こちらもつられて、瑞鶴ほどではないが控え目に笑う。相変わらず流れる涙。ここまで気持ちよく笑えたのは、いつぶりだろうか。

 

「はい、どうぞ」

 

潮がわざわざベッドからから立ち上がり、タオルを持ってきてくれる。遠慮したかったが浮かべた笑顔の前には敵わなかった。

 

「ありがとう」

 

素直にタオルを受け取る。赤城や瑞鶴もほほを赤らめながら、同じように受け取っている

 

「・・・・・・敵わないわね。これじゃ、どちらが病人なんだか」

「いえいえ、そんな! 私はただ、思ったことを整理しただけで・・・・。ただのこじつけでしょうか?」

「そんなことないわよ。榛名は私たちが忘れていたごく当たり前の感情を呼び覚ましてくれた。いや~、参ったわ」

「私も榛名さんや潮さんのおかげで、しなくても済むお肌の防衛に成功したの」

「えっ!? ということは・・・・・・」

 

翔鶴は気まずそうに自分の妹から視線を逸らす。それだけで現実を示すには十分すぎた。回復させるためには、かなりの労力と時間が必要だろう。鬱憤の晴らし先に百石や筆端がいないことを祈るのみである。他人の心配をしている場合ではないかもしれないが。

 

「加賀さん、加賀さん」

「ん?」

 

そんな懸念をしていると赤城が恥ずかしそうに視線を泳がせながら、出来るかぎり自分以外に聞こえないよう口に手を添え、小声で話しかけてくる。そんなの無駄ですよと言ってあげたいが、健気な様子がもっと見たいため黙っておく。

 

「あの、その・・・・・・・お、お腹減ったので、り、リンゴを頂けないかと・・」

「ぶっ!!」

 

一気に爆笑の渦が、室内を席巻する。これにはさすがに耐えられない。真っ赤に顔を染める赤城が、さらに笑いのツボを押す。

 

「き、聞こえてたの!?」

「す、すいません・・・・ふふっ・・・あ、あまりに、ふっ、赤城さんが、その、可愛かったから・・・・ふふふっ!!」

 

必死に笑いをこらえつつ、瑞鶴が代表して答える。それが終わると同時にリンゴを贈呈。瑞鶴なら拗ねて「いらないわよ!!」と反応するのが常道だが、ほほを膨らましつつ本能に忠実な赤城は「ありがとう」と言って、リンゴを受け取る。彼女がおいしそうにリンゴを頬張る姿を見ると嬉しくなってくる。ようやく、赤城の調子が戻ってきた。

 

「じゃあカウンセリング? も受けて、我らがエース赤城さんも空腹を満たしたところで・・・」

「ちょっと瑞鶴さん! そんなはしたない! それに私はまだ空腹です!!!」

 

どや顔を決める赤城。調子は完全に戻ったよう・・・戻ってしまったようだ。ツッコんでいると時間がなくなるので、無視しろと視線で瑞鶴に伝える。瑞鶴の考えていることはすぐに分かった。だてに第5遊撃部隊で肩を並べているわけではない。

 

「引きこもったお人好しさんをどう、引っ張り出すか」

「まさに、天の岩戸ね」

「一応、私たち、神様なんですけど・・・」

 

それもそうだと微笑。だが、天の岩戸伝説で引きこもった天照大神を引っ張り出したお方も神様。引き籠っている対象が人間であること以外は、伝説どおりと言えなくもない。

 

降り続ける雨。だが、天気予報によれば明日の朝までだ。それからはうっとしい梅雨前線は去り、いよいよ夏が訪れる。




今話のタイトルはとある艦娘から採用させていただきました。雨関連といえば、やっぱりあの子。本作の主人公は出てきませんでしたが、次話にはきちんと登場いたします。

長かった第二章もいよいよ佳境です。


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62話 梅雨明け

やっと、地獄ような忙しさに揉まれていたリアルから解放されました。スマホを積極的に活用しわずかな空き時間に出撃を繰り返して、はや一週間。

作者は現在、「なんで日本がわざわざヨーロッパにいかなきゃならないんだよ」というどうにもならない文句を垂れつつE-4の戦力ゲージ一本目を鋭意削りながら、前段作戦の山場と言われている戦力ゲージ2本目を前に戦々恐々としています。イベントに参加されている方々はどうでしょうか?

梅雨明け後の方が梅雨らしいという変わった天気が続いていますが、これはあくまで例外です。




カーテンの隙間からわずかに入ってくる光。それはあまりに弱々しく、聞こえてくる雨音と共に外を見ずとも世界を覆っている天候がどのようなものか教えてくれる。まだ日が昇る前は土砂降りの雨だったのだが、今は小康状態のようだ。もしかしたら天気が回復へ向かっているのかもしれない。

 

少し気になるものの、とても外を見る気分にはなれなかった。とても布団から抜け出す気にはなれなかった。ここに閉じこもってから何時間経ったのか。今は何時なのか。正確には分からない。あの後、何度か陽炎が様子を見に来てくれていたが、まともな応対はしていない。

 

「ん?」

 

扉の向こうに現れる気配。今までの幾度となく繰り返されてきた過去からまた陽炎かと思い、布団の中で身じろぎをしかける。だが、どうも様子がおかしい。体勢をうつ伏せに変更し、ちょうど芋虫のように布団へ身体を埋めたまま顔だけを扉の方向に向ける。

 

一切の身動きを止め、研ぎ澄まされる感覚。どうも、明らかに気配の数が多い。陽炎のみならず、複数人で来ているようだった。

 

「はぁ~」

 

大きなため息を1つ。1人と複数人とでは対応するだけで労力は桁違いだ。断ること、拒絶することが前提なら、なおさらである。

 

正直、面倒くさいし鬱陶しい。

 

その内心を反映したかのように顔を歪めたのと同時に、ノックがコンコンと2回。これが面接なら「いい滑り出し」と褒めたくなるがほどの完璧なノックだ。雨音で多少なりとも減衰するかに思われたが、ノックの音は室内を支配していた雨音を押しのける。人工的な事象に自然的事象があっさりと引いたことにイラつきつつ、耳へ入れないよう掛け布団を握り、潜り込もうとする。しかし、そのひ弱な抵抗は予想外の人物の声が聞こえた瞬間、停止に追い込まれた。

 

「朝早くに悪いわね、みずづき。・・・・加賀よ、おはよう」

 

雨音を無理やり押しどけるのではなく、雨音さえも存在感を強調するBGMに変えてしまう包容力と、聞く者が思わず耳を傾けてしまう清涼感を伴った声色。

 

それはみずづきの抵抗を、ひ弱と断罪するには十分すぎる威力を持っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

第6宿直室前廊下

 

「・・・・・・・・・・」

 

場を支配する居心地の悪い沈黙。沈黙と一言でいえども、雰囲気によってこうも価値が変わるものなのだろうか。心地よく聞こえるはずの雨音が今この時ばかりは痛々しい雑音に豹変している。それは扉の前で棒立ちになっている彼女だけが感じていることではなかった。周囲にいる赤城・瑞鶴・陽炎から向けられる視線。赤城や陽炎は純粋に「どうした?」と視線で問うてくるが、瑞鶴はやはりというかなんというか「何してんのよ!」と明らかに叱責を含んでいる。今にも肘で小突いてきそうだ。いざ小突かれたり、怒鳴られたりすれば反応したくなるが、その権利はないだろう。

 

みずづきを更生させる作戦の第1弾。彼女を部屋から出すための交渉役という最重要任務を引き受けたはいいが、最初の台詞を言った途端、考えていたその後の言葉が飛んでしまったのだ。必死に思い出そうとするが、そうすればそうするほど記憶が曖昧になっていく。と、その時。

 

「?」

「・・・・・・・・・・・」

 

左腕に感じる衝撃と若干の痛み。大方の予想をつけつつ左へ視線を向けると、眉間にしわを寄せている瑞鶴がいた。案の所、沈黙にしびれを切らした瑞鶴が攻撃を加えてきたようだ。

(私、先輩格なのだけれど・・・・・・・・・)

少しイラつく。だがなんとか理性で抑えつける。ここでいつものように反応してしまっては作戦も、段取りを組んだ昨夜の努力も水の泡だ。

 

しかし、なまじ普段が無表情なだけあって彼女の葛藤は目の前の艦娘には微塵も伝わらない。それどころかこちらの努力をあざ笑うかのように追撃をかけてくる。

 

「いつまでだんまり決め込んでるのよ! さっさと話して! なんでもいいから!」

 

口元に手を当て意識的に声量を抑える瑞鶴。だが、それでもこちらを基準とすればかなり大きい。意識しているとはいえ、小声にしているつもりがあるのだろうか。作戦に対する協力姿勢を疑いたくなる。

 

「声が大きいわ。もう少し抑えて」

「なっ!? じ、十分声抑えてるわよ! 今はそれじゃないでしょ! これだから・・」

「それで抑えてるつもりなの? 呆れたわ・・・・・。もう少し周りを見なさいとあれほど・・」

「ちょ、ちょっと、加賀さん!?」

「2人とも、今はそういう仲良しコンビぶりを示すときじゃないでしょ!! 今は・・・」

 

血相を変えてと言うか、やれやれと呆れた様子で仲裁に入ってくる赤城と陽炎。だが、陽炎の言葉が最後まで語られることはなかった。一変して、怒気がたぎる廊下。さきほど聞き捨てならない言葉を聞いたような気がするのだが。

 

「へ・・・・。な、なんですか・・・はは・・。2人とも顔が怖いですよ、顔が・・・・」

 

ぎこちない苦笑をしながら、直立不動で額に汗を浮かべる陽炎。その隣で、赤城が額に手を当てて天井を仰いでいる。「はぁ~」という重いため息も聞こえてくるが、あえて聞かなかったことにする。一応、そのため息の矛先が瑞鶴ただ一人に向けられている可能性もあるわけで。心の中で赤城に詫びを入れつつ、額の血管を浮かび上がらせている瑞鶴と共に陽炎を睨みつける。こういうときばかり息が合うのはなぜだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・」

「!?」

 

唐突に扉の向こうから聞こえる物音。全員の意識がそれぞれから一斉に扉へ、正確には扉の向こう側へ飛ばされる。

 

茶番は本当に終わりだ。

 

物音は一瞬のことだったが、みずづきが扉のすぐ近くにいることがはっきりと示された。感覚を研ぎ澄ませると、確かに気配を感じる。

 

「み、みずづき? えっと・・・えっと・・・お、おはよう~。げ、元気にしてる? って、痛っ!?」

 

こちらに見切りをつけたようで、さきほどの二の舞を防ぐべく瑞鶴が真っ先に話し出す。だが、あまりにみずづきの気持ちを考えないひどすぎる発言だったので拳骨をお見舞いする。そこまで強くしたつもりではなかったのだが、瑞鶴は「いっっつ・・・・」と呻きながら頭を抱えている。

 

「な、なにすんのよ!!!!」

「あなた、もう少し他人の気持ちになりなさい。これは当然の結果」

「それは・・・・・その、だけど! 殴るってあんまりじゃない!! たらふく食ったご飯でみなぎった力をこんなところで使ってんじゃないわよ!!!」

「・・・・・・・頭にきました」

「ああ゛~~もうぅ゛~~~~」

 

陽炎が言葉にならない声を出し、頭をかき乱している。見るからに相当イラついている。いじられるなどして喚き散らしている姿は何度も見かけたが、やけくそ気味に怒っている姿を見るのはこれが初めてではないだろうか。彼女の気持ちは、みずづきに対する想いは十分に分かっているつもりだ。しかし、それを理解すればするほどなぜ自分がこの場に立っているのか、という疑問がふつふつと湧いてくる。作戦を聞かされた時から常に疑問を抱いていたが、真剣に分からなくなってきた。赤城や陽炎とならまだしも、瑞鶴がいるとどうしても調子が狂うのだ。こんなこと、この鎮守府で一番の新参者であるみずづきですら知っている摂理だ。

 

この人選は赤城と榛名が主に指揮を取ったのだが、真意がまるで不明。

 

だが・・・・・・・。

 

「あの・・・・・・・」

「み、みずづき!?」

 

岩戸隠れ伝説において天の岩戸に引きこもってしまった天照大神。彼女を現世に再降臨させるため、他の神々がとった行動は説得ではなく、わざと天照大神に聞こえるよう大騒ぎをすることだった。それが気になり様子をみようと天の岩戸を少し開けた、わずかな瞬間に天照大神が引きこもって困り果てていた神々は狙いを定めていたのだ。

 

神話と比較するのはおこがましいかもしれないが、今の状況はそれにそっくりであった。

 

さりげなく行われる赤城のガッツポーズ。表情を見ずとも強く握りしめられた拳から「よしっ!!」と歓喜が伝わってくる。作戦は手筈通りに始動した。

 

相手の気を引くためのどんちゃん騒ぎ。当然のことながら、これには高レベルの自然さが求められる。下手に芝居ががったものを演出すると誰も興味をそそられないし、最悪の場合、こちらの真意をみずづきに悟られる可能性もあった。かといって、自分たちの会話が作戦の成否を左右するという場においてはいくら仲良しで会話が途切れることがない間柄でも、通常は緊張から会話は途切れてしまうし、普段の面白さなど見る影もない。

 

どんな状況下でも発動し、第三者の意識を容赦なく自分たちに引き寄せる独創性を持った艦娘。そのような空気を読めない関係を構築している艦娘はもはや熟考するまでもなかった。幸い、みずづきも以前、かなり面白がっていたので、彼女たちの起用は本人たちの合意を取り付ける間もなく決定事項となったのだ。

 

赤城や榛名の読み。いくら加賀や瑞鶴の間でも無意識的・偶発的に発生する衝突を利用することにはリスクも存在していたが、それは本当に杞憂であった。赤城の様子を背中で感じ、自分たちがどういう立ち位置であったのかを明確に認識すると複雑な気持ちになってくるが、彼女たちの思惑通りことが運んだのだから、結果オーライである。どうやら、気まずそうにほほをかいているあたり瑞鶴も同じような結論に達したようだった。

 

「なんの、ようですか・・・・・・。今日は、その・・・・随分と賑やかそうですけど」

 

扉の向こうから聞こえてくる声。それは確かにみずづきの声だった。掠れていて、かなりやつれている印象を受けるが、それでも幻聴の類ではない。4人の顔にわずかな歓喜が浮かぶ。

 

ここからが本番だ。

 

「おはよう、みずづきさん。調子はいかがかしら?」

「・・・・・・・まあまあです」

 

ぶっきらぼうな口調。人あたりの良い印象のみずづきからは容易に想像できない、他人を煙たがっているかのような反応に赤城の表情が曇る。しかし、そこで動揺する彼女ではなかった。

 

「そう・・・・・。陽炎さんから聞いたわ。ここ2日、何も食べていないんですって? お腹すいてない? もし言ってくれたら、私たちが食堂に行って、取ってくるけど・・・」

「・・・・・はぁ・・・・馬鹿の1つおぼえみたいに、何度も何度も・・・」

「えっ?」

「何でもないです」

 

明らかに怒気を含んだ口調。赤城は聞こえなかったようだが、確かにこの耳は捉えていた。瑞鶴には散々地獄耳と言われてきたが、もしかするとそうなのかもしれない。体の中で、熱せられる血液。みずづきの状態は重々把握していたが、それでも許容範囲というものがある。

 

さきほど、彼女はなんと言っただろうか。

 

「お腹すいてないから、結構です。昨日から、私何度も言ってるんですけど、誰とも話したくもないし会いたくもないんです。陽炎から聞いてないんですか?」

「それは・・・・聞いているわ。でも・・・」

「だったら・・・・私を気遣ってくれる気持ちがあるのならそっちを尊重して下さいよ」

 

明確に向けられる怒り。みずづきがあのオヤジを除いて誰かに怒るのは初めてではないだろうか。赤城もどうしたらよいか分からず、バトンのパス相手を視線で必死に探す。こちらへ視線を向けることなく・・・・・。基本的に人付き合いが得意ではないので分かってはいたが、せめてパス相手の候補には入れてほしかった。

 

瑞鶴や陽炎にバトンを渡そうとするが、候補者間で押し付け合いともとれる視線の応酬が始まる。瑞鶴は陽炎に押し付けようとするが、陽炎も「この状態でやれば、悪化する!!」と一向に受け取らない。その様子が伝わってしまったのか、みずづきの口調がさらに激しくなっていく。

 

「だいたい、私だって女子なんですよ。なのに、食べ物で釣ろうとか、ひどすぎませんか? 子供じゃあるまいし」

「それは・・・その・・・・」

「私は赤城さんみたいに、大食いじゃないし、食べ物で釣り上げられるような単純思考でもないんです・・・・」

 

プチッ。

 

みずづきの言葉が、ピタリと止まる。再び訪れる静寂。重たいと思いきや、重たくない。むしろ、寒い。なぜか肌がひりひりする。まだ雨は降り続いているのに、それとは別の音が聞こえる。地鳴りのような音が・・・・・・。

 

「か、加賀さん・・・・・・・・・・?」

 

固まっている瑞鶴・陽炎を尻目に、赤城が顔を引きつらせながら話しかけてくる。だが、そんなことお構いなし。心の中は完全に激情で支配されていた。

 

「わ、私は別に、気にしてないから、ね?」

 

嘘だ。それは顔を見れば一目瞭然。彼女は昔からそのことを気にしていた。最近は割り切りつつあるものの、人間はおろか他の艦娘をも凌駕する食欲に対していまだに「はしたない」という感情を引きずっている。そこをみずづきは突いたのだ。例え、赤城が気にしてなくとも、相棒を馬鹿にされて、大人しく引っ込んでいる相棒がどこにいるだろうか。そんなもの相棒でも何でもない。

 

みずづきを説得しに来たのだと言い聞かせ、我慢していがもう限界。少し話してみて分かったが、彼女の意思はかなり固い。だらだら話していても無駄だろう。

 

 

こういった頑固者には、少々の強硬手段がちょうどいい。

 

 

 

みずづきを引きずり出した後、橙野へ連れていきみんなで説得攻勢。これが作戦の第2弾だったが、昨夜の議論や各人の段取りなど、彼女の頭から完全に消え去っていた。

 

「みずづき」

「・・・・な、なんですか」

 

扉の向こうでもただならぬ雰囲気を感じ取っているようだ。怒気はまだ残っているが、動揺も大きい。

 

「いい加減、出て来たらどうなの?」

「ちょっと、加賀さん!」

 

「単刀直入」の四字熟語がぴったりなほど単刀直入な言葉。血相を変えた陽炎が介入しようとするが、視線で黙らせる。当初は陽炎と同じような様子を示していた赤城や瑞鶴も、今は事の成り行きに任せる態度に変わっていた。

 

「・・・・・・・・・・」

「さっきから聞いていれば、ああいえばこういって。陽炎から聞いたわよ? 昨日もそんな感じだったらしいわね。子供扱いじゃなくて、完全に子供じゃない」

「・・・・・・・・っ!」

「だから、部屋に閉じこもるなんて身勝手な真似ができるのよ。・・・・私たちは、あなたから真実を聞いても腐らずにここに来てる。仲間であるあなたを日常に戻そうと・・。軽い気持ちで来ていると思う? これが大人の対応よ。それに比べてあなたはどうなの?」

「・・・・・・・子供、子供って」

「事実じゃない」

「・・・・・・・人の気持ちも知らないで・・・・・」

「私は加賀よ。あなたの気持ちなんて分からない」

「くっ・・・・・・・」

 

扉の向こう側から怒気がひしひしと伝わってくる。一旦は収束しかけたように見えたが、また盛り返したようだ。だが、次にみずづきから吐かれた言葉は到底怒りだけでは説明できない複雑なものだった。

 

「・・・・・・・・・・・・顔向け、できると、思いますか?」

 

全員が息を飲む。

 

「私は、皆さんに嘘をついた。私は、なにも守れなかった。私は、この世界に来ても・・・・・・。そんな人間が大手を振って、意気揚々と歩けるわけ・・・・・・・・・みなさんと楽しくしゃべれるわけないじゃないですか・・・。私はそこまで・・・・・・・・・・無神経になんかなれない・・・・・っ!」

 

声を上げない静かな叫び。4人とも苦し気に扉を見つめる。自分が犯したと思い込んでいる罪に震えているみずづきの姿が無意識のうちに浮かび上がる。その声を聞いて、宿った感情を受け止めて、彼女はある確信に至った。

(やっぱり・・・・・・やっぱりみずづきは・・・・・・・・)

 

だからこそ、頭に来たのだ。

 

「加賀さん!!」

 

瑞鶴たちの静止を無視して、ドアノブに手をかける。ガチャリと自分たちがこんな状態に陥っているにも関わらずいつも通りの音を立て、ドアノブが中途半端に回転する。

 

 

 

鍵は、かかっていなかった。

 

 

 

「ほら、やっぱりあなたは・・・・・・」

 

開かれるドア。そこには光を受け眩しそうにしながらも、目を大きく見開いているみずづきが立っていた。髪はぼさぼさで、人並みの艶やかさを維持していた肌は女子としては致命的なまでにダメージを受けていた。ろくに眠れていないのだろう。目の下にうっすらと隈が出来ている。

 

だが、そこにいたのは紛れもないみずづきであった。

 

「み、みずづき・・・」

 

安堵とも動揺とも取れる陽炎の声。だが、その次に響いた音はなんとも対照的だった。

 

振り下ろされた右手。こちらにも相当ダメージが来たようで、掌がひりひりと痛む。目の前で、呆然と左ほほをさするみずづき。さすっている部分はほんのり赤くなっている。なにが起こったのか、いまいちに理解していないようだ。目の焦点が合っていない。

 

それを見ると罪悪感が湧いてくるが、抑えこむ。そして、彼女の手を無理やり掴むと、同じように呆然としている3人を押しのけて、部屋の外へ連れ出す。もちろん靴を履かせることは忘れない。

 

昨晩遅くまで激論を交わし、出来上がった段取りはどうなったのかと詰問されそうだが、結果オーライ。引きこもった鬼神を外界に連れ出すという任務は完了だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

何が起こったのか。みずづきは自身の身にふりかかった事情を、幾分かの時間が与えられようとも理解することができなかった。久しぶりに感じる光も、久しぶりに吸い込む新鮮な空気も、自分たちに吸い寄せられてくる将校たちの視線も、その疑問の前には些細な事象だった。

 

いつもは必ず浮かんでくる様々な感情が出てくる様子はなく、ふて寝を決め込んでいる。

 

痛む左のほほ。さすってもさすっても痛みと熱は一向に収まらない。

 

自らの足が、自らの意思に関係なく階段を下っていく。「何してるの!? 戻らなきゃ」と心の中の誰かが叫んでいるが、その声は分厚い壁を隔てているようにひどく遠い。

 

「え? 加賀さんにあか・・・・・・って、みずづき!?」

 

川内の、これまで聞いたことのないような素っ頓狂な声が聞こえてくる。それをきっかけにざわつく1階、玄関ロビー。その他にも大勢に艦娘たちがいるようだ。

 

「作戦、上手くいったみたいですね・・・っと」

「どいて」

 

摩耶を押しのけ、加賀はまっすぐ進んでいく。彼女に手を握られ、強引に腕を引っ張られて。「ちょっと、どこへ!?」と焦った声が聞こえてくるが、当の本人は意に介さず、そのまっすぐと足を進めていく。玄関を越え、雨が容赦なく降り注ぐ外界へと。

 

そして・・・・・・・・・・・・。

 

「・・・つめた・・・・」

 

全身に駆け巡る鋭利な感覚。大気中に形ある水分を含みに含み白む景色。髪に、服に、靴に、頭上から落ちてくる水がゆっくりと染み込んでくる。「ザーッ」という少し激しくなった雨音。勢いを増した雨が全身の浸水速度を格段に早めていく。その状況は手を放し、対面した加賀も同じだった。色が濃くなっていく弓道着のような制服。ほほから滴るように、袖や袴の端から水滴が地面に落ちていく。おそらく自分もそうなっているだろう。

 

にも関わらず、全く変わらない加賀の表情。雨の存在自体を感じていないかのようだ。先程までは引っ張られる形だったため、その大きくも小さい背中しか見えなかったが、現在は彼女と相対する形になっていた。

 

無意識の内に左手が加賀に握られていた右手をさする。だが、それは一瞬。すぐに両手は本来あるべき定位置に帰還する。それもそうだろう。

 

右手には痛みのなどの不快感はなく、解釈に困る温かみのみしか残っていなかったのだから。

 

 

「私たちを馬鹿にするのも、いい加減にして」

「・・・・・・・・・・へ?」

 

いつもの無表情から繰り出された唐突な言葉。声色しか彼女の心情を察する要素がなかったため、その意味が全く分からなかった。

 

「あなたは私たち艦娘を舐めているわ」

「舐めてる? 私が、あなたたちを・・・・・?」

 

あまりに予想外すぎる言葉に思わず問い返す。真顔で、こちらの感情や葛藤を逆なでするような発言。焦点が、明確に加賀と合った。その目は確実に自身の発言の意味を理解していた。瞳と拳に力が宿る。自身でも恐怖してしまうほどの力が。

 

「そんな、こと・・・・・・」

「私の言葉の意味、分からないの? あきれたわ。()()()()()()()()を隠してた程度で、負い目を感じないで言ってるの」

「は?」

 

何を言っているのか分からなかった。本当に分からなかった。加賀の突き放すような、侮蔑するのような口調などどこへやら。その言葉の「意味」に対するあまりの動揺に体が固まる。目を点にした反射的な反応は、さぞかし無様なことだろう。

 

だが、いつまでも現実を忌避する訳にもいかず、無情にも時間の経過とともに脳は活動を再開。ゆっくりと加賀の言葉を咀嚼していく。

 

「あ、あれぐらい・・・・・・?」

 

そして、みずづきはその意味をはっきりと理解した。理解してしまった。自らの瞳に映る加賀。艶やかな髪、透き通る肌を雨に濡らし、著名な画家が心血を注いで描きあげたような姿はもうどこにも存在していなかった。まるで自分達が殺意を向け、侮蔑し「敵」というひどくあやふやな何かに豹変してしまったかのような錯覚を受ける。

 

加賀は今、確かに言った。幻聴でもなんでもない。あの地獄を、あの理不尽な現実を、あの膨大な犠牲を、あれぐらいと・・・・・・・・・。

 

加賀の言葉が頭に反響すればするほど体が熱くなってくる。雨粒の冷たさなど、存在そのものが感じなくなるほどに。

 

 

冷静で冷えきった彼女を相手に、狼狽えドロドロに熱せられた激情を発露することがどれほど、醜く稚拙なことか分かっている。

 

しかし、しかしだ。

 

そうでも、黙っていられるわけがない。

それを聞いて、そう理解していても黙っていられるわけがなかった。

 

 

 

一人の日本人として、あの中を必死に生きてきたのだ。あの中で多大な犠牲を払ってきたのだ。世界中の神を磔にしても収まらないほどの理不尽を強いられてきたのだ。黙っていることなど、できない。

 

「ふ、ふざけないでよぉぉぉぉ!!!!!!!」

「・・・・・・・・・」

 

声帯が壊れるかもしれないほどの大声。だが、本能的な抑止は全くと言っていいほど機能しない。一瞬、雨音が聞こえなくなった。

 

「あれぐらい!? あの地獄が、あの苦しみが、あれぐらいって言うの!!!??? 何人死んだと思ってるのよ!? 何人が私の目の前で死んだと思ってるの!? 何人が!! 何人が!! ・・・・・・・・・・・・何人がっ」

 

見ず知らずの他人の無残な姿が、親しかった人間の最期が、大切なあの人の声が甦るたび目から涙があふれ出る。だが、すぐに雨粒と混じってしまうため、どれほどの量なのか、どれが涙なのか分からない。

 

「どれだけ、苦しかったか・・・・・どれだけ惨めだったか・・・・・。どれだけ、生きることがつらかったか・・・・。あの頃の豊かで平和だった日本は、もう消えてしまった。今から過去のものになって、現実から夢になった。なのに・・・・・・・・」

 

 

“日本は・・・・・・平和です”

 

自身の吐いた残酷かつ非道極まりない嘘。

 

“そう。・・・・・・・・良かった”

 

嘘とも知らず、疑いすらもせず浮かべられた純粋な笑顔と安堵。一体何度、頭の中を駆け抜けたことか。

 

 

「あの時、見せた笑顔は偽物だったんですか? 未来の日本なんてどうでもよかったんですか? 何人死のうが、どれだけあの美しかった国土が荒廃しようが、私たちがどれほど苦しもうが・・・」

「どうでもよかったと、思う?」

 

遮られる言葉。声色が変わり、違和感を抱いたのも一瞬。そこで初めて気付いた。

 

 

 

 

加賀が静かに涙を流していることに。静かに、そしていつもの凛々しい姿を維持したまま。

 

 

 

 

その姿はこんな状況でも思わず見とれてしまうほどの、美しさとは違う不思議な力を持っていた。

 

「どうでもいいわけないじゃない・・・・・」

 

拳を強く握りしめながら、俯く加賀。雨によって水分を含みに含んだ前髪が額にくっついているものの、表情は分からない。但し、そこから発せられる気迫は尋常ではなかった。

 

それだけで、彼女の気持ちは伝わってきた。

 

“どうでもいいわけない”

 

その言葉は心の底から出てきた本音だ。

 

「だったら、なんで、さっき・・・」

「どうして、隠したの?」

「っ!?」

 

再びこちらへ向けられる顔。そこには、初めて見る加賀の悲しそうな表情があった。普段が無表情である分、その「表情」はみずづきを半歩後退させるほどの威力を備えていた。それを見てしまえば、無表情を覆すほどの激情を把握してしまえば自分の問いなど、放棄せざるを得ない。加賀の方が、明らかに重要だ。

 

「そ、それは・・・・・」

「私は、言ってほしかったわ。みんなと同じで・・・・・・・。嘘なんかつかずに、傷づけてもらってもいいから、言ってほしかった。真実を伝えてほしかった」

「・・・・・・・・・・」

 

加賀の吐露。そして、彼女だけでなく彼女たちの本音。それが胸に深く突き刺さる。考えて迷った挙句の選択だからこそ、痛みが走る。

 

「・・・・私だって、嘘をつきたくてついたわけじゃないですよ。あなた方が旧海軍艦艇の転生体と聞いた時、伝えようか迷った。本当に何度も、何度も・・・・。でも、言えるわけないじゃない・・・。あんな顔を・・・・・」

 

日本の未来が知りたくて、話しかけてくる艦娘たち。好奇心にあふれ、全員真剣に日本の未来を知りたがっていた。あの輝く瞳は、いくら新たな記憶を積み重ねようと忘れられない。

 

「あんな顔を見てしまったら言えるわけ、ないじゃないですか・・・・・。悲しむのが、壊れるのが分かり切っているのに」

「それでも私は言ってほしかった。一緒にその肩に背負っているものを分かち合いたかった」

「え・・・」

 

自分の耳を疑う。今、加賀はなんと言ったのだろうか。強烈な既視感に襲われる。

 

「あなたのような、優しい子1人にそんなもの背負わせたくなかった・・・・」

 

優しい子。その言葉で既視感の正体に見当がついた。いつか、自分の後ろで事の成り行きを心配そうに見守っている少女が言ってくれた言葉と重なる。

 

誰もかれもが、自分を「優しい子」と言ってくれる。それは素直にうれしい。だが、同時に否定する感情が浮かぶこともまた事実だった。

 

なぜなら、みずづきは・・・・・・・・・・。

 

「ふふ・・・・。優しい子、か・・・・・・・ありがとうございます、加賀さん。でも、それは誤りですよ」

「え?」

 

前にもこんなことがあった。ついこの間の出来事にも関わらず、随分と懐かしく感じる。あの時は素直に受け入れられた。しかし、今となっては・・・・。あの戦いを経て、自身の無力を突き付けられた今となっては・・・・・。

 

「陽炎も言ってくれたんですけどね。私、全然優しくなんてない・・・・。自分の事しか考えてなくて、行動の結果を都合のいいように捻じ曲げる。最悪の人間ですよ」

「そんなことない!!」

 

背後から響く声。相変わらず降り続いている雨でもかき消すことはできなかった。そちらへ振り向く。

 

「陽炎・・・・」

 

そこには雨に濡れることお構いなしに、1号舎の玄関から出てきた陽炎が必死な形相で立っていた。徐々に保水していく陽炎。

 

「みずづき! 前にも言ったじゃない! あんたは、あんたは立派な人間だって! きちんと他人のことを考えて、どうやったら悲しまないように出来るかっていつも動いてたじゃない!」

「やめて・・・・」

「あんたは当たり前って言ったけど、その当たり前を遂行できる人間なんてそう多くない! あんたはそれを実行していた。常に考えてた! だから、あんたは・・・」

「やめて!!!!」

「み、みずづき・・・・・」

 

陽炎の言葉がやむ。いや、無理やり中断させた。そんな身に余ることをこれ以上聞きたくない。

 

「私は・・・・・私は・・・・・どうしようもなく身勝手で、馬鹿で、醜い人間なのよ」

「まだ言うの!? だから・・・」

「私は何もできなかった!! なにも守れなかった!! 何度、その機会が訪れようとも、何も・・・何も・・。・・・・・親友だった、いつも一緒にいたきいちゃんを目の前で失って、当たり前だと思っていた日常も幸せも全部、ぶち壊されて・・・・。もう壊されたくない、失いたくない、まだ残っているあの頃の残滓を守りたいって、くじけそうに・・・・・引きこもりたくなる心を奮い立たせて、ここまで来た。でも、私は・・・・」

 

重くなる心と共に閉ざされる口。感情を吐露しようとする自分がいる一方で、それを必死に拒んでいる別の自分がいた。

 

頭の中を駆け巡る走馬灯。明るく幸福に包まれているものも当然のことながら存在するが、ある頃から雰囲気は一変していた。

 

「何度も、何度も・・・・つらいことを経験しても、犠牲を無駄にちゃいけない、死んだ人ためにもと思って、踏みとどまった。あけぼのさんに逃げろって言われたときも、敵前逃亡の件でハレモノ扱いされたときも。なのに、私は・・・・・・・、あの時だって・・・・あの時だって・・・・・そう。みんな、みんな、私のことを慕ってくれていたのに・・・、私のことを信頼してくれていたのに・・・・。おきなみも、はやなみも、かげろうを・・・・・。知山司令を!! 私はっ!!!!!」

 

顔に付着した涙や雨水が周囲に四散するが、気にしない。

 

「一度は割り切ったわよ。この世界に来て、違う世界に身を置いたんだからって。ここまで、死んだはずの自分がそれこそ奇跡でまた生かされたんだから、うじうじしてちゃだめ。今度こそ、守りたいものを守り抜く。それでこそ、私の目の前でこの世を去った・・・・私が守れなかった人に少しでも顔を向けられる、そう思って・・・・・・・・・。でも、結局・・・・・・」

 

 

“なんで、なんで、お前たちがいたのに・・・・・。なんでなんだよ!!”

 

頭に響く声。

 

“お前ら、艦娘なんだろ? 瑞穂の、人類の希望なんだろ? なのに、なんでこんなことになってんだよ!!”

“なにが鬼神だよ・・・。なにが、最強だよ・・・・。誰も、守れてねぇじゃねぇか!!”

 

脳裏に甦る、死体の数々。そのどれもが、まるで自分自身を叱責するような怨嗟の声をあげているような気がした。

 

それに続いてよぎる4324という数字。守ると意気込み、いざその時が来て生じた結果がこれだった。

 

「みずづき・・・・・あんたは背負い過ぎ、なのよ・・・・」

 

喉から無理やり絞り出したような声が耳に届く。記憶の彼方へ飛ばしていた意識を引き戻し、陽炎へ視線を向けるとバッチリ目が合った。

 

悲しそうで強い意志がこもった瞳。なぜ陽炎がそこまでの意思を込めているのか、みずづきには分からない。しかし、視線の理由は分からなくとも、そこに宿っている感情は手にとるように分かった。

 

「そんなことない。私は、さっきもあんたにそこまで心配されるような存在じゃない」

「まだ、言うの? いい加減、怒るわよ?」

 

温かみを失う・・・いや、逆に扱い方を間違えると暴走するような熱が言葉に帯びる。

 

他人を思うあまりの怒り。

 

いつもなら嬉しく思う激情も、今この時ばかりは願い下げだ。だから、みずづきは口を開く。自分が陽炎の言うような人間ではないことを証明するために。

 

「ねぇ、陽炎? 私、前にも話したわよね? ここに来て抱いた想いを・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

陽炎は、答えない。

 

「あれは、必死に隠してたけど、完全に嫉妬だった」

 

最初のころはこの感情がなんなのか全くわからなかった。苛立ち、ざわつく心。だが、それは皮肉にも艦娘たちとそしてこの世界と交流を深めていく中で、形が露わとなっていった。

 

「この世界を知れば知るほど、この世界を理解すればするほど、羨望よりも憎しみが強くなっていった。ここは、地球とあまりにも違い過ぎる。ねぇ? 誰か、答えてよ? なんでここまで違うの?」

 

陽炎に、加賀に、玄関で事の成り行きを見守っている赤城たちに視線を向けるが誰も答えない。

 

「同じ人間が住んでる世界なのに、同じように深海棲艦の侵攻を受けてるのに、なんで・・。こんなのってない。こんなの・・・・・・」

 

だが、心の重荷になっていた感情はこれだけではなかった。そう思うと同時に「優しい」自分が声を上げていたのだ。

 

「そう、思う自分が、また嫌だった。純粋に良かったねって、私たちと同じ道を歩まなくて、なによりって、そう言いたかったのに言えなかった」

 

拭っても、拭っても涙があふれてくる。震える足。立っているので精一杯だ。あまりの不甲斐なさに膝を屈しそうになる。

 

「やっぱり、舐めてるわね、あなた」

 

そこに、加賀の言葉が響き渡る。自分の内側から外側へ意識を向ける。良く聞こえると思ったら、少し雨の勢いが収まっていた。

 

「私たちだけじゃない。あなた自身を・・・・・」

「な、なにを言って・・・・」

「私の、いや・・・私たちの見立て通り、あなたはすごいわ、みずづき。・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう、自分を責めないで」

「え・・・・?」

 

思わず聞き返す、いやそのような単純行動すら行えなかった。

 

「いや、だって・・・私は・・・・・・・」

「私たちは、もう怒ってない。あなたがどうして嘘をついたのか分かったら。それに・・・・」

 

指で上品に涙を拭きとると、加賀の顔にはもう悲しみはなかった。あるのは揺るぎない覚悟と信念だけだ。そこからとある言葉が放たれた。

 

 

「梅雨明け」を決定づけた言葉が。

 

 

「私たちは栄えある大日本帝国海軍の艦娘。私たちは、祖国を・・・・・・・・・・・・日本を信じている」

「っ!?」

 

信じている。たったの一単語。今まで、今日に限っても交わされた会話から微々たるたったの4文字。だが、何故だろう。心を覆い尽くしていた黒いモヤが急速に四散していく。

 

「みずづきさん。1つお伺いしたいのですが?」

「!?」

 

反射的に飛び上がる体。一瞬で爆発寸前に至った心臓を必死に落ち着かせていると、右側からひょっこりと榛名が姿を現す。全く接近に気付かなかった。満面の笑みだが、顔といい、髪といい、制服といい、びしょ濡れだ。

 

「ちょっと、榛名さん!! いつの間に!? じゃなくて、え・・え!? なんで濡れてるんですか!? それに入院中じゃ・・・・。って、これじゃ体に障りますよ! なにか拭く物・・」

 

動揺に全身を揺さぶられつつ体中をまさぐるが、そんな物持っているわけがない。持っていたとしてもびしょ濡れだ。ここだけの話、体にまとっている全ての布が濡れていた。

 

「ふふふっ。やっぱり、みずづきさんですね・・・・」

「え?」

 

意味が分からず聞き返すが「何でもありません」と煙にまかれる。

 

「それより・・・・さきほどの質問いいですか?」

「え? ええ・・・・・」

 

そう答えると、榛名は笑顔を絶やさないまましっかりとこちらを直視する。戦艦がなせる業か柔和な表情の割に妙な迫力があり、体が固まる。変な間をあけることも遠回しにすることもなく、彼女は質問を直球で投げてきた。

 

 

 

 

「あなた方は、前を見ていましたか?」

 

 

 

 

投げかれられた問いに時が止まる。これは単に自分や自分の周辺へ向けたものではない。そして、これは瑞穂世界で生きているみずづきではなく、日本世界で生きていたみずづきへの問いだ。そして、これは日本世界で、あの地獄と絶望の中で生きていた日本人への問いだ。

 

 

 

荒廃してしまった日本。かつて繁栄は失われ、泥水をすする生活。いつ自分が、家族が、友人が死ぬのか分からない社会。でも、それでも・・・・・・・・・・。

 

 

“いつもいつもご贔屓に。そちらも大変でいらっしゃいながら、ありがとうございます”

“いえいえ、海防軍人さん、しかもあの艦娘部隊の指揮官さんの謝意なんてわしごときにはもったいない限りですよ”

“本当にありがとうこざいます。今日もこんないいアジをお裾分け下さって・・・・”

“これはみずづきさんまで・・・・・。困ったな・・・、あはははっ。あなた方には一生をかけてご奉仕する恩があります。あなた方がいなければ、この須崎もおそらく沖縄と同じことになっていたでしょう。私の目の前から永遠に消えた家族も・・・・・娘だけではなかったはずです。今、こうして私がこのふるさとであなた方に獲れた魚を渡せているのも、あなた方が守ってくださったおかげなんですよ”

“そんな・・・・・私たちは守れたと感謝されるにはあまりに多くものを守れませんでした。そのお言葉は・・・”

“なら、わしの言葉を事実誤認とおっしゃるなら、1つだけ約束していただきたいことがあります。・・・・あまり、深く捉えてもらう必要性はないんですがね”

“・・・・・・なんですか?”

“あの頃を・・・・・娘にもう一度見せてやっていただきたいっ”

“・・・・・・・・・・・・”

“娘はあの頃の日常を少しかじって・・・・逝ってしまいました。わしにはあの子の親として、あの子が本当は浸れた世界を見せる責任があります。だが、わしはしょせん漁師。・・・あなた方に託すしかないんですよ。・・・・・・どうか、日本をよろしくお願いします。わしも些細なことですが、これで生戦勝利の一助となりますから・・・どうか・・・・・・どうかっ”

 

日光を反射する涙をひび割れたアスファルトに落としながら、新鮮なアジを掲げるやつれた漁師。だが、彼の目は決して絶望に染まってなどいなかった。

 

 

“うわぁ~~~、きれい・・・・・。花火なんて見たのいつ以来だろう・・・・”

“私も本当に久しぶりです。第二次日中戦争開戦前ですから・・・・小6以来ですね・・・・・。なんか、久々すぎて・・・うるっときちゃいます”

“同感・・・・・。あっ、またあがった”

“たーまーや~~~~~~!”

“かぎや・・・・・”

“夜空に咲く、大輪の華・・・か、・・・・・・・・・。なに、おきなみ?”

“いや、隊長も随分と風流なことをいうなぁ~~~と思いまして。ふふふっ。・・・・司令と一緒に来られなかった悲壮感が粋な空気を出してますよ?”

“っ!? な、なに言ってんのよ! 知山司令には大事な仕事があったから仕方ないじゃん。わ、私は別に一緒に来られなかったから悲しんでるとかそういうことは・・・”

“隊長、顔、真っ赤・・”

“なんで、夜に顔色が分かるのよ!?”

“あの・・・・・、花火の光が反射してますよ・・・隊長・・。あははは・・・”

“・・・・マジで? って、あんたたち、あんまり騒いじゃダメ。周りの空気を見なさいよ”

 

“ほらほら~~、これが花火だぞ。どうだ? きれいだろう?”

“ふわぁぁぁ~~~、すごい! すごい! お空がいろんな色で明るくなってる! 大きい・・・”

“絵本や写真とは全然違うんだぞ? こらこら、そう走るな。人様の迷惑になるだろう? じっとして見ような?”

“うん! 分かった。・・・・・お父さん?”

“ん?”

“どうして、泣いてるの? どこか、痛いの?”

“・・・・・・・・・・・・・え? ほんとだ・・・、俺・・・・どうして・・・・・。う・・・はっ・・・うう・・・”

“お父さん・・・・・”

“ああ、ごめんな。つい、昔を思い出しちまって・・・・。う・・・・。お前のお母さんがいた昔を・・・・。でも、大丈夫”

“ほんと?”

“ほんとだとも。お父さん、滅多に泣かないだろう? お母さんとも約束したんだ。さぁ、また見られるかどうか分からない花火だ。一緒に見よう”

 

夜空が纏う闇を払う花火。単なる思い出や記録と化して久しい夏の風物詩は人々の足が著しく不自由となっているこのご時世でもどうやって来たのか首をかしげるほどの人を集め、それだけの人々の心を幾度となく照らした。感動している者の隣で泣いている者もいた。合掌している者もいた。しかし、これだけは共通していたと言えるだろう。みな、いつものように俯くことなく、空を見上げていたのだ。

 

 

 

日常は確かに存在していた。どれだけ残酷な、理不尽な現実があろうと、そこでは誰もが喜びや悲しみなど様々な感情を発露をし、そして前を向いていた。私たちは、日本人は、明日を信じていた。未来を見ていた。権力の脚色がもろに反映されている社会情報からそうしている者もいただろうが、みずづきをはじめとする日本人はかけがえのない家族、友人、知人、職場、学校、故郷の中から、それを見出していた。そこに明けない夜などはなかった。

 

これは熟考を要するものではない。なぜなら、あの日、御手洗と対峙した際にこれはもう分かっていたのだから。

 

 

 

 

 

よって、答えは・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

「はい」

 

憂いや偽りを感じさせない、はっきりとした明るい声。笑う気はなかったのだが、自然と笑みが浮かんでしまう。これだけでいい。これだけで、想いは伝わるはずだ。榛名がそっと目元を指で拭う。雨粒などでは決してない。

 

「そう・・・・・。なら、私たちは背負える」

「どんな未来でも、どんな現実でも・・・・」

「未来に未来があるのなら、あなたたちが明日を信じているのなら、私たちは・・・」

 

涙を浮かべつつも、安堵したような喜んでいるような表情をした艦娘たちが玄関を出て、こちらに歩み寄ってくる。

 

「ほら、だから言ったじゃない」

 

加賀の声。顔は相変わらず無表情にも関わらず、声色は明るい。

 

「私たちを舐めてるって」

「ほんとですね・・・・・。私、舐めてたのかも・・・・・」

 

今なら、加賀が言った言葉の意味がよく分かる。こんな現実を受け入れても彼女たちは・・・・前を向いている。想像すらできないほどの残酷な祖国の未来。希望はおろか、自分たちが今までなしてきた行動全ての意味を見失っても不思議ではない現実。

 

だが、それを知っても彼女たちは後ろを向かず、前を見た。“みずづきたちの日本”の未来を信じてくれた。

 

彼女たちの日本に、祖国に対する想いはみずづきと比較するのもおこがましく感じるほどに強靭で、頑丈で、そして・・・・・・・・純粋だった。

(本当に、神様じゃん・・・・・・・)

もし、これを日本人に、儚く散っていった彼女たちの乗組員に告げたなら・・・・・・・果たして、どういう反応を示すのだろうか。

 

不意にそんなことを思ってしまった。

 

「これぐらい受け止めきれなかったら、国家を背寄って戦った、大日本帝国海軍艦艇失格よ」

「さすがですね。みなさん、すごすぎます。それに比べて・・・まったく、私は・・・・・・・・痛っ!?」

 

額に強烈な凸ピン。いきなり急接近してきた加賀による容赦ない攻撃。凸ピンがこの世界か、過去の日本にあったことも驚きだが、それよりも加賀の行動に驚愕だ。理由を問いたかったが、無理だった。加賀の顔。収束したと思っていたのに、明らかに怒っていた。

 

「あ、あの・・・・・・」

「前を向きなさいみずづき。つらいだろうけど、それが失われた者に対する弔いでもあるのよ」

「っ!?」

 

遠くを見る目。どこを見ているのか、みずづきには分からない。だが、それが彼女の「過去」に起因した言動であることは容易に分かった。これは大日本帝国海軍の栄光を支え、勝ち続けたが故に、終わりのはじまりを招いてしまった正規空母加賀の言葉だ。

 

「みんなあなたが自己嫌悪に陥るほど、いい人たちだったんでしょ? 後付けかもしれないけど、そんな人たちがあなたに苦しみ続けてほしいと思う? その姿を見たいと思う? 思うような人間なら、私は軽蔑するけど」

「違います! みんな・・・・みんな・・・・」

「でしょ? なら、割り切っていいのよ。割り切ることと忘れることは違う。それに・・・」

「み、みずづきさーーーん!!!」

「え? ちょっ!? 吹雪!?」

 

突進してきた勢いのままに、背中へ抱きついてくる吹雪。なんとか踏ん張ったが、少しでも反応が遅れていたら、濡れたコンクリート舗装の道へダイブだ。

 

「え? え!? てか、吹雪! 私、びしょ濡れ!! 濡れちゃうよ!!」

 

泣いているのか一向に顔を上げようとしない。吹雪に申し訳ないやら、抱きついてきた理由が分からないやら、照れくさいやらで頭は大パニックだ。

 

「良かった、良かったみずづきさんの顔がまた見られて」

「ふ、吹雪?」

「もう見られないんじゃなかって・・・・もう会えないじゃないかって・・・怖くて・・」

 

震える体。彼女たちのためと思って、取った行動は結局・・・・・自身も含めて全ての存在を不幸にしただけだった。素直に話していれば、もっと違う結果になっただろう。

 

自身に欠けていたもの。それは艦娘たちをそれこそ信じることだった。吹雪や陽炎たちは言ってくれたではないか。自分のことを友達と。

 

加賀たちは言ってくれたではないか。自分は仲間だと。

 

気遣うあまり、壁を作ることは友達の、仲間のすることではない。

(今さら気付く、なんて・・・・・・。この世界に来て、視野狭窄なってたのかな。ははは・・・)

 

無性に自分を殴りたくなってくる。だが、本当に殴りたいのかと問われれば、答えは否。

(自分を、もう少し肯定的に見てみよ・・)

これは彼女たちへのささやかな感謝でもある。

 

彼女たちは、みずづきのことを本当に、友達として、仲間として、かけがえのない存在としてくれていた。そんな彼女たちの気持ちを無下にすれば、今度こそ神罰が下るだろう。

 

「それに、みんなで抱えれば・・・・・・・。あなた覚えてるかしら? 中将と戯れた日の夜。私たちと浴場であった時のことを」

「た、戯れてって・・・・・」

 

戯れたにすれば、どの当事者にも凄まじいインパクトをもたらした気がしないでもないが、ここは無視が無難だろう。加賀の表情を見るに、こちらが複雑な心境になることを見越して言っていることは一目瞭然だ。

 

「もう・・・・・。はぁ~。ええ、覚えていますよ・・・・って、っ!?」

 

あの日。加賀をはじめ、金剛・瑞鶴の3人と浴場で遭遇した。御手洗に発砲し艦娘たちの目を気にしていたのだが、彼女たちはそんな自分を励ましてくれた。そればかりか、こういってくれたのだ。

 

“私だけじゃなくて、金剛も瑞鶴も吹雪も北上も大井も、他の艦娘たちもみんなあなたの仲間よ。なにかあれば1人で抱え込まないで”

 

あの時は嬉しかった。自分がこの世界でも暖かみを受け取れることに気付いた。不覚だったが泣いたのもいい思い出である。だが・・・・・・・。

 

「あんた、完全に忘れてたでしょ?」

「あははは・・・・、面目ないです」

 

眉をひそめる瑞鶴には素直に謝るしかない。完全に忘れていた。

 

「そういう瑞鶴も、加賀に言われるまでは忘れてましたよネ?」

「はぁぁぁ!! ちょっと、金剛!! なに根も葉もないこと言ってんのよ!!」

 

瑞鶴に言ってあげたい。その反応自体が、真実を露わにしていることを。

 

「はぁ・・・まったく。あの騒がしいのは置いておいて、そういうことよみずづき。あなたが抱えているものは私たちと同じく、こんな小さな身体でとても背負いきれるものじゃないわ」

 

「誰が騒がしいの、よ!!」と怒りを爆発させる瑞鶴。雰囲気の総崩れを予感した赤城が、退院した翔鶴を投入する。大好きな姉を目の前にした瑞鶴は案の定、すぐに大人しくなった。いまだ病み上がりという翔鶴の状態がそれに拍車をかけているのであろう。病人にストレスはそれこそ毒である。しかし、思うところはある。「単純」とお約束の呟きをしたことは秘密である。

 

「でも、みんなで背負えば・・・・」

「一人でも、みんなとなら、ね」

 

左肩を優しく叩いてくる陽炎。そこには今までの振る舞いから出てきてもおかしくない拒絶は全くなかった。陽炎だけではない。みんな、そうだった。

 

「みんなとなら・・・・か。そういえば、あの人もそんなこと言ってたっけ・・・」

 

いつだっただろうか。艦娘たちと似たようなことを言われたのは・・・・・。

 

“君は嘘がへたくそなんだから、無理に隠そうとするな。経験則で悪いが、抱え込んだってどうにもならない。なんのための俺だ。まぁ・・・・その、信用できないのも分かるが、黙っていられるより、相談してくれた方が、う、嬉しいしな・・・・。って、笑うなよ!!”

 

“お前らは4人いるんだぞ。なら、負担は4等分だ。俺が加われば5等分。仲間なんだから、余計な気遣いは無用だ。なに? もう、大丈夫? そ、そうか・・・・。なら、良かった。但し、俺は上官だから、な! ・・・・・聞いてるのか!! おきなみ!!”

 

埋もれていた記憶。無意識に思い出さないようにしていたのかもしれない。楽しかったあの日々を。だが、今は違う。

 

「私って、ほんと馬鹿だな・・・・」

「み、みずづき?」

 

一旦は止まっていた涙が再び、溢れてくる。しかし、悲しくない。心は晴れ渡り、体も以前の倦怠感はなく軽い。なんとも不思議な感覚だ。

 

「みんな・・・・・・・・・ありがとう」

 

心からの感謝。自分のことをここまで思ってくれる存在と再び出会えたことは、嬉しく仕方がない。嘘をついてくれたのに、許してくれた。残酷な未来に絶望することなく、背負ってくれた。そればかりか、心に日の出をもたらしてくれた。長かった夜。

 

みずづきの夜は、明けた。

 

そして、やはり言わなければならないだろう。これは最低限の礼儀だ。

 

「そして・・・・・・すみませんでした!!!!」

 

再び額に走る激痛。またもや犯人は加賀だ。しかし、彼女が浮かべている表情は違っていた。1点の曇りもない、すがすがしいほどの笑み。それを見ると安心感からかつい笑ってしまう。それが、周囲の艦娘たちへと伝播していく。広がる笑顔の輪。その力は大きく当事者たちだけでなく、見る者すべての心を穏やかにしてくれる。

 

「一件落着ですかね・・・」

「そう、だな・・・・・」

 

ぎりぎり外から見えない玄関の陰に身を潜め、艦娘たちの様子を覗う百石と筆端。前日の深刻な表情から一転。今は艦娘たちと同じようにいい笑顔だ。司令長官の後ろで堂々と職務放棄している数多の将校たちも同様だ。怒りは禁じ得ないが、今日ばかりは警備隊や憲兵隊に「お掃除」を依頼するのはやめておこう。それに、彼らの中に警備隊や憲兵隊のお偉方が混じっているのも事実であるし。

 

「晴れてきたな・・・」

 

筆端の言う通り、ここ2日間ほど空を覆っていた分厚い灰色の雲が四散し始め、雲の隙間から日光が降り注いでくる。雨はもう完全にあがっていた。

 

「さてと。夏がやってくるな」

「ええ。・・・そうですね!」

 

長かった梅雨も終わりを告げ、支配者は雲から太陽へと移り変わる。これから新たな季節の始まりだ。

 




雨と言えば連想される彼女の言葉通り、止まない雨はありません。梅雨は、明けました。

なんか完結を迎えそうな流れですが、残りの話数が少なくなってきたとはいえまだ第2章は続きます。そして、本作「水面に映る月」もまだまだ続きます。




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63話 同じ空の下

「まだ」と言って、まだ2、3話続くのかな? と思われた方がいましたら、ごめんなさい。話のテンポが悪いので2話で本話63話を構成し、64話と二話連続投稿を意図していたことをすっかり忘れていました。

ですので、今日が・・・第2章が完結を迎える日です。

いろいろバタバタしていて(イベントのせいではありませんよ・・・・・うん・・)、誤字・脱字が乱舞している可能性があります。その点を頭の片隅に入れて、読んでいただけると幸いです(汗)


雲1つない真っ青な空。ついにやってきたと梅雨の鬱憤を晴らすかのように、思う存分大地を照り付ける太陽。それによって天井知らずに上がっていく気温。長い長い地中生活を終え、夏の風物詩を奏でるセミたち。全開にした窓から、それら夏の雰囲気がこれでもかというほど流れ込んでくる。それを背に腕をまくり上げ、書類に目を通す百石。セミの鳴き声程度ならなんとも思わないのだが、夏が生み出す試練はさすがに看過できなかった。

 

「あ、暑い・・・・・・」

 

書類から手を放し、背もたれに全体重をかける。鈍い音を上げ、少し傾く背もたれ。扇風機に飛ばされないよう、書類に重しを乗せることは忘れない。毎年毎年、乗せ忘れで悲劇を味わっているのだ。こんなに蒸し暑い中、しなくても良かったはずの書類整理をするなど、徒労もいいところだ。

 

「提督、さきほどもそうしておられましたよね? お気持ちは分かりますが、早く目を通して下さい。それ、憲兵隊からの申請書ですよ」

「っ!?」

 

額に汗をにじませつつ、文句1つなく事務仕事を手伝ってくれる長門。見るからにこちらと同様の不快感を味わっているだろうが、平然としている。その姿には、もう何度目か分からない感心を抱かざるを得ない。夏になるとあからさまにやる気を無くす一部の艦娘には見習ってほしいものだ。

 

長門に指摘され、再び書類に手を伸ばす。

 

憲兵隊の書類。それを聞くと、あの時の惨劇が頭をよぎってしまうのだ。

 

「分かってる。んだが・・・・・・・・しかし、あの時はひどい目にあった。提督としての威厳のなさを痛感したよ・・・・」

「ふふふっ」

 

口元に手を伸ばし、上品に微笑む長門。同情の色が見えるため、それだけで心の救いだ。

 

あの惨劇。時間は、加賀たちの作戦が成功し、みずづきがいつものみずづきに戻ったあの朝までさかのぼる。百石と筆端、そしてその後ろで成り行きを見守っていた将兵たちは、艦娘たちの笑顔を見て安堵。特に2人はその心情が大きかった。榛名たちの明朝退院や加賀たちによる突撃をはじめとした艦娘たちの作戦を聞いた時は嬉しさが込み上げてきたものの、正直不安も大きかった。失敗すれば、取り返しのつかないことが目に見えていたため、当然である。だが、彼女たちは独力で生じた問題を解決したのだ。彼女たちを部下に持つ指揮官として、誇らしく思わないわけがない。

 

感動に打ち震える心を抱えて、2人は艦娘たちへと歩みよった。手をふるとみんな満面の笑みで答えてくれた。

 

「作戦成功、か。こちらの出番はなかったな」

「そのようなことは・・・・。提督のご助力がなければ・・」

「謙遜しなくてもいい長門。これは、君たちの絆が生み出した結果だよ」

 

見守るように、みずづきを取り囲む艦娘たちの輪から少し離れた位置にたたずんでいた長門。満足そうで、優しさを湛えた笑顔に、もう悲壮感はなかった。

 

 

 

だが、舞い上がる気持ちと長門に意識を取られ、肝心なことに全く気付かなかった。

 

 

 

「あっ!? 司令官!!」

 

声を上げる深雪。こちらに気付き、艦娘たちは輪を解いていく。

 

「みんな・・・・って」

 

取り囲まれ、瑞穂人と同じ黒髪しか見えていなかったみずづきの姿が露わになる。遠征前までいつも浮かべていた笑顔。それが再び戻ってきたことを感じると安堵の吐息をつきたくなったが、眼前の光景はそれを許してはくれなかった。

 

瞬時に明後日の方向へ飛ぶ視線。筆端の顔を一瞥すると彼も全く同様の行動を取っていた。顔が・・・・赤い。どうやら、彼も気付いてしまったようだった。

 

「ん? どうしたんですか? 2人とも、なんで視線を・・・・・って、っ!?」

 

みずづきは不審がり、自然に自分の体を確認して、固まった。段々と赤くなってく顔。

 

おそらく、寝起き直前かそれに近い状況で、無理やり引っ張り出されたのだろう。彼女は寝間着である作務衣を着ていた。そして、それは就寝時の寝心地を良くするため比較的薄い生地で作られている。そのため、雨にぬれたりすれば・・・・・・・・。

 

「す、すまない! でも、これはその・・・お、俺はそこまで目が良くないから、そんなに捉えられていないぞ! ねぇ!! 先輩もそうでしょ!!」

「ああ!! 当然だ!!! この年にもなって、こんな状況に感化されるなど・・・」

「きゃあああああああっ!!!」

 

甲高い悲鳴。胸元を隠し、みずづきは顔を真っ赤に染め、その場にしゃがみ込む。彼女の前に立ちふさがり、こちらへ鋭く、えげつない視線を向けてくる艦娘たち。

 

さきほどまでの感動はどこへ行ってしまったのだろうか。顔から血の気が引いていくのが分かる。

 

「ま、待って!! 確かに見たのは見たが、その・・・・・」

「正直、下着かどうか判別できなかった、ていうのが正しいところで、みずづきの反応が証拠になってしまったというか・・・・」

「先輩!!!」

 

ピ―――――――――。

 

鳴り響く警笛音。それだけで今後、どのような展開が訪れるか予測できてしまった。振り返ると、そこには鉄帽をかぶって程よく視界を遮った川合を筆頭とする警備隊が十数人、こちらへ猛進していた。

 

真っ赤だった顔が、一瞬で真っ青に変貌する。あまりに急変ぶりに顔の血管たちもさぞ驚いていたことだろう。

 

「百石司令長官。筆端副長官。あなた方にはその他もろもろの嫌疑がかけられていますので、ご同行願います」

 

目の前に立つ川合。連動してこちらが反応する前に、左右と後ろを固める屈強な警備隊員。同行はもはや既定路線らしい。大体、軍規には不可抗力で女性の下着を見てしまったことに関する罰則もなければ、規定もない。当然、それ以上になれば存在するが。

 

「その他、もろもろって、川合大佐? もしかして私たちを暇つぶしの道具に・・・」

「連行します」

 

毅然とした反応。

 

「そうなんだな・・」

 

筆端が顔を引きつらせる。どうやら、まんまとハメられたらしい。ヘルメットを被っていたあたり、玄関でこちらと同じように艦娘たちの様子を眺めながらこの展開を予測していたようだ。

 

「えっと・・・・け、憲兵隊はどこに?」

「あちらの方がいいですか?」

「いえ、遠慮しておきます・・・・・・」

 

あの毒舌が封印されるほど絞られた御手洗たちを間近で見ていれば、「うん」などとは絶対に言えない。拘束はされなかったが、あの中将は中堅将兵でもトラウマもののお説教をみっちりくらっているのだ。

 

「じゃあ・・・・憲兵隊は?」

「あちらです」

 

川合が指さした方向。1号舎の玄関前では警備隊といかにもエリートという雰囲気を醸し出した憲兵隊が、激しい火花を散らせていた。見ているとこちらまで熱を感じる。「そこを通せ!! 司令たちは我々の獲物だ」と叫ぶ憲兵隊に対し、「頭でっかち野郎の獲物は机の上にある書類だけだ!! さっさと事務処理に奔走して来い!!」と行方を遮る警務隊。一見すると今にでも殴り合いが始まりそうだが、楽しそうな雰囲気を感じるのは気のせいか。

 

「我々にも、梅雨明けが必要ですな」

 

日光を遮りながら、空を見上げる川合。なかなか様になっている。そのすがすがしい表情に、さすがに文句は言えない。

 

 

・・・・・・・わけがない。

 

 

「「ふ、ふざけるなぁぁぁ!!」」

 

 

みずづき並みの声量で、そう叫ぶのは当然の反応だろう。

 

 

そして、今日に至る。あの日から1ヶ月近くが経過したものの、いまだにハメられた時とその後の事情聴取を思い出しただけで頭が痛くなってくる。これはもう一生物の記憶だろう。

 

「はぁ~」

「まぁまぁ、提督。川石大佐たちも提督を信頼しているからこその行動ですから。畏怖されていたり、嫌われていたりすればこのようなこと絶対にありませんよ?」

 

苦笑しつつ長門が励ましてくれる。謀られた本人としては最悪で個人としてはかなりの怒りを抱いたが、横須賀鎮守府司令長官としてはやられた腹いせに処分を下すなどの行為は行っていない。あの頃、房総半島沖海戦とみずづきの暴露を受けた艦娘たちの動揺によって鎮守府の雰囲気は落ちるところまで落ちていた。いつも以上に鎮守府が静かに感じたのも、雨のせいだけではなかった。第5艦隊は霧月を残して全滅し、関東に展開する海軍航空隊も甚大な被害を受け、実際に小海東岸壁は遺体の安置場所となっていた。沈むのは当然だろう。どうしたものかと頭を抱えていのだが、あの出来事が鎮守府を盛り上げる格好のネタとなったのだ。

 

“不可抗力でみずづきの下着を見てしまい、警備隊に連行された”

 

これに憲兵隊との獲物争奪戦や百石たちの足掻きが加われば、笑わない者はいない。おそらく川合たちもそれを見込んで、あのような暴挙に出たのだろう。ならば、この鎮守府を預かる身として何もいうことない。

 

だだ。

 

もう少し別の方法にしてほしかった。

 

因みに、警備隊に対する処分は下してないが「下着は何色でしたか?」などと安易に聞いてきた不届き者には、厳罰を与えている。妻子持ちは同情の余地なしだ。

 

「そうなんだがな・・・・・・て、長門?」

 

何気なく聞いていると、とある言葉が耳に引っかかる。

 

「はい・・・・・?」

「畏怖は必要じゃないか? というか、俺、やっぱり畏怖されてないんだな・・・・・」

「あっ・・・・・」

 

しまったと言わんばかりに、動きを止める長門。「はぁ~」と再び大きくため息が出てくる。「いや、その・・・・これは言葉のアヤで、ご、誤解です!」と必死に弁解する姿が、さらに虚しさを増大させる。わたわたと電のように慌てふためく彼女は珍しいが、じっくりと観察する気分ではなかった。

 

「百石? いるか~?」

 

現実を認識し、乾いたぎこちない笑みを浮かべていると、ノックが響き1人の男性が入室してくる。額に汗をにじませ、腕をまくっている姿は百石と全く同じだ。

 

「先輩? どうしたんですか? 会議はまだ先じゃ・・・・・」

「いやいや、その件じゃない。これ」

 

そういうと筆端は、右手に持っているそこそこに分厚い冊子を掲げる。

 

「霧月の損傷状況に関する最終報告書だ」

「ああ、昨日言われていたやつですね。分かりました。目を通してきます」

「それにしてもかなりかかりましたね。通常ならもう少し早く完了する印象を持っていましたが・・・・」

 

こちらの様子を若干覗いつつ、長門が筆端に声をかける。来客があっても、さきほどの話を忘れることなく気に留めてくれているようだ。

 

「なんでも、損傷箇所には出来る限り新しい技術や部品を使って、修理とは一線を画すらしいんだ。まぁ、体よくいえばついでの改装だな。どれほどの規模で行うのかはまだ決まってないらしいが・・・・・・」

 

思案顔だった筆端の顔が、厳しくなった。不思議に思い、彼の視線を負う。長門が座っているソファーの前。小さなテーブルの上に置かれている新聞に視線が止まっていた。今朝登庁後に読んでいた今日の朝刊。百石と長門もそれを見た途端、筆端と同じ表情になる。新聞は半分に折りたたまれているが、ちょうど一面のトップ記事欄が見えていた。

 

そこに踊る文字。

 

『早期の報復攻撃 支持8割越え 本社緊急世論調査』

『共革党、海軍軍令部上層部の国会への証人喚問を自憲党へ要求』

『佐影総理、引責辞任を改めて否定』

 

それは、あの攻撃以来この国に渦巻きだした悪しき流れを体現するものだった。

 

「・・・・・・軍令部でも、世論に感化されたのか、利用しているのかしらないが早期に反攻作戦を実施すべきとの意見がかなり大きくなり始めている。総長が抑え込んでいるが、世論に押された政府の意向とそれを盾にした排斥派の攻勢で、予断を許さない」

 

打って変わって、危機感を帯びた声色。百石も長門も、ただ沈黙をもって同意を示すしかない。

 

あの戦い以降、瑞穂の雰囲気は大きく変わってしまった。空爆を伴った深海棲艦空母機動部隊による奇襲攻撃と本土決戦の恐怖を味わった国民は、再発防止と国防強化を訴え、攻撃部隊の本拠地と目されているミッドウェー諸島への全面攻撃を声高に叫んでいた。最初は一部の識者や国防政策に明るい者たちの間で収まっていたのだが、メディアと野党である共和革新党(共革党)が便乗したため、今や国民の大多数が支持するに至っている。その動きは日を追うごとに増加し、連日国会議事堂や市ヶ谷の国防省前で激しいデモが繰り広げられている。そして、1週間ほど前から過激化したデモ隊と警視庁機動隊が衝突し、一昨日にはついにデモ隊に2名の死者が出てしまった。

 

政府も大本営もミッドウェー攻略はまだ「時期尚早」とし、いかにこちらの準備が整っていないか、いかに敵が強大かを、国会、記者会見、メディアを通じて国民に説明を繰り返しているのだが、一度燃え上がってしまった世論を鎮火させることは困難だった。これに呼応して高水準を維持していた佐影内閣の支持率も急降下。攻撃前は71%だったにも関わらず、直近の調査では46%となってしまっている。株式市場や先物取引市場も社会・政情不安が起こる可能性が高まるとの見方から、乱高下を繰り返し、深海棲艦の侵攻以来持ち直していた経済にも影を落とし始めていた。瑞穂は議院内閣制をとる民主主義国家であるため、政府の権力は国民の支持と直結する。いかな政治家といえども、国民の意向に完全に逆らうことは不可能なのだ。例え、国民が間違っていると確信していても・・・・・・。

 

そして、それは軍も同じである。瑞穂軍の最高指揮官は内閣総理大臣であり、軍の上に立つ内閣総理大臣と国防省大臣は文民でなければならないとする文民統制(シビリアンコントロール)が定められている。また、軍も公的組織であるため、何をするにも原資は国民の血税だ。汗水流して得た財産を真面目に納税し、各種国防政策に協力している国民を無視することはできない。

 

ある意味、それは文民統制が厳格に履行されている状態を示していた。

 

そのため当初、報復攻撃に慎重だった政府・大本営も次第に「早期攻撃の方針」へ傾斜。ミッドウェー攻略作戦が発動されると主体的役割を担う海軍軍令部も攻撃直後から報復を訴えていた排斥派に加え、擁護派からも消極的賛同者がちらほらと出始めている。いまだに百石たちのように反対を唱えている勢力が多数を占めるが、それ故の擁護派と排斥派の対立は激化の一途を辿っていた。

 

「そういえば、君はこんなところにいていいのか? 今日は・・・・だろ?」

 

「悪い悪い」と謝り空気の転換を図るためか、筆端は壁にかかっているカレンダーに目を向ける。季節はもう8月。瑞穂にとって8月は夏本番の8月だが、長門たちにとって8月とは特別な月だ。聞くところによれば、その日も今日と同じく青空が広がっていたらしい。なんという偶然だろうか。

 

「もう少ししたら私も・・・・・・。みずづきたちは既に例の場所へ行っているそうです。しかし、こちらも気になってしまって」

 

苦笑を浮かべ、書類を示す長門。「すまない」と顔の前で合掌する。最近は世間のきな臭い動きもあり、事務仕事がかなり増えている。これに専念できれば1人でも処理は造作もないが、会議やら根回しやらも同時に増加したため、てんてこ舞いなのだ。

 

その言葉を聞き、筆端が目を少しだけ見開く。気付いたのか長門が「どうしたんですか?」と聞くが、彼は微笑をこぼすと少しうれしそうな様子で答えた。

 

「いや・・・・・。君は変わったな」

「え?」

 

訳が分からないと長門は目を点にする。こちらへ視線を向けてくる筆端。こちらも意味深な視線を彼に合わせる。そして、微笑む。「な、なんですか?」という若干凄みが入った長門の問いには、最後まで微笑みを貫き続けた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

海から、街から吹き抜ける風によって心地よい音を奏でる木々。セミの鳴き声も相まって、自然と体の緊張がほぐれていく。彼らのおかげで快晴にも関わらず、鎮守府内の灼熱地獄は別世界となり、葉が適度に木陰を提供してくれている。清涼な海風のためか、木陰に入ると一瞬、夏であることを忘れてしまう。それほど過ごしやすい空間が生み出されていた。感謝も込めて背中を預けている幹に触れる。金属などとは異なり温かみのある冷たさ。この世界で戦う理由を考えるために訪れた時と何も変わらない。

 

本当に、なにも変わらなかった。

 

「懐かしいな~。もう、この世界に来てから3か月か~」

「なに、年寄り臭いこと言ってんのよ! まだ、3か月じゃない。私たちは年単位よ、年単位!」

「ちょっと、曙ちゃん・・・・」

「やっぱり、曙は曙。いつもの曙」

 

苦笑する吹雪とは対照的に、真顔でうんうんと頷く初雪。「やっぱりってどういうことよ!」と噛みついてくる曙をさらりと回避する。

 

「初雪の言う通りよ・・・・・。朝はあんなにしおらしかったくせに、今日が何の日かもう忘れちゃったの?」

「なによあんたまで! べ、別にしおらしくなんか、私は平常心よ、平常心」

 

明後日の方向に顔を向けるが、ほんのりと赤くなった耳がニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた陽炎の言葉が真実であることを証明していた。

 

巻き起こる笑い声。桜の木も笑っているのか、一際強い海風に吹かれ葉の摩擦音を周囲に伝える。

 

ここから見える景色。

 

この世界に来たのが5月下旬。初夏だったためそこまでの変化は見受けられないが、山々の緑が深くなっていることは確かだ。

 

「あの戦争が終ってから、88年か・・・・・」

 

みながひとしきり笑い終わった後に訪れた沈黙。誰も声を発さなくなったため、風物詩であるセミの鳴き声が堂々と鼓膜を揺さぶる。それにもだいぶ慣れてきた頃合いに、白雪が遠い目をしてぽつりと呟いた。

 

「そうだね、88年・・・・」

「でも、今の日本は戦争を続けとるんやんな・・・・・・、うちらが見たものよりも遥かに深刻な戦争を・・・・・・」

 

何気なく返した言葉。それに黒潮が反応する。俯くこともなくしっかりと前を向いているが、葉の影がいくつも顔に映し出されている。やはり、割り切っても、受け入れても思うところはあるのだろう。これはそうそう踏ん切りをつけられるものではない。みずづきは何も言わない。だから、深雪は心に浮かんだ感慨をそのまま口にしたのだろう。

 

「そりゃ、色々変わるよな・・・・。日本も」

 

桜の木の下に集っている7人の間を木々と潮両方の匂いを宿す風が駆け抜けていく。深雪や陽炎たちが何を考えているのか。今だけは手に取るように分かった。

 

あの一件後、みずづきは艦娘たちにそして百石たちに自分が知り得る限りの日本世界の現状を、包み隠さず話し続けている。現在進行形なのは並行世界証言録に追加するためかなり詳細な聞き取りが行われていることと、一介の軍人・日本国民とはいえ頭に入っている事実は膨大なため、まだすべてを話し終えていないからだ。艦娘たちの信念と優しさを知ったみずづきは、話せば確実に物議を醸しそうな事柄も隠すことはしなかった。

 

 

 

日本の核兵器保有も、そうであった。

 

 

 

視線が無意識のうちにコケに覆われている地面へ下がる。その時、背中に程よい衝撃が加えられた。痛みもなく、原因も分かり切っていたため、声は上げない。ただ、抗議の意思を込めて視線は向けた。柔和な微笑でそれを受け取った陽炎は自身の隣に腰を降ろす。彼女の右手は少し赤くなっていた。

 

「私たちはあんたたちの選択には何も言わない。難しすぎて分からないってこともあるけど、色々変わるのは当然よ。・・・・・・・・・日本も変わっていったから」

 

笑顔は笑顔でも、見る者の心を締め付ける悲しさを湛えて語られた“日本”がどの日本を指すのか。分からないみずづきではない。

 

「日本の変化は、無条件降伏っていう最悪の結果を招いた後進だったのかもしれない。でも、結果を見るまで前進か後進かなんて、結局のところ自分の主観でしか判断できないのよね。だから、あんたは主観を信じればいいと思う。結果を見てから判断しようとするのはただ停滞で・・・・・・・一番やっちゃいけない卑怯な行為よ」

 

笑っている表情と険しい口調。そのギャップが彼女の言葉はより素早く、より強く胸に落とし込んだ。そして、より感情の感度を向上させた。

 

「私は前進だと思う。ただ、それだけ・・・・・」

「陽炎・・・・・」

 

視線をみずづきから眼前に海に向ける彼女。言葉だけでなく、その横顔でも陽炎はいまだに弱さを抱える心を支えてくれていた。

 

「いつか来るんやろうか・・・・。うちらみたいに、いろんなものを抱えずに済む時代が、同じ人同士で憎みあって、蔑み合って、殺し合うなんてアホみたいなことがなくなる時代は・・」

 

陽炎に倣ったのだろうか。ここから見える横須賀湾の景色を見つめたまま、静かに呟く黒潮。軽い感情ではなく、体の奥底に眠る心情の吐露というべき風格が備わっている。

 

世界平和。人類の大多数が切望してやまない究極の理想。

 

今まで、様々な時代で幾多の人々がこれを達成しようと奔走してきた。しかし、文明が誕生するはるか以前から組織的抗争を続け、「血塗られた歴史」とも言われるほど戦争まみれの歴史を積み上げてきた現実を前に、それが達成されることはなかった。そして、「血塗られた歴史」は人間同士という内在的要因、深海棲艦という外在的要因によって、今この時も追加され続けている。

 

これはどうしようもない事実だった。

 

「確かに難しい・・・・・。国家、民族、宗教、経済、領土、歴史、覇権、いろんなものが相互に混ざり合って、戦争は起きる。混ざり合っているが故に、どれか1つを解決しても根本的解決にはならない。ほんとに・・・・・・・・。でも」

 

みずづきは確かにこの目で見たのだ。人間の可能性を。

 

「いつかはきっと・・・・・出来ると思う。日本にいたころは戦時下だったから考えられなかったし、無理だと決めつけてた。人間はそういう生き物だって、諦めてた。でも、この世界に来て、もしかしたらっていう儚い希望が生まれたの」

 

そう瑞穂世界は日本世界と対照的な歴史を歩んだ世界。一方の視点では嫉妬の対象になるが、もう一方の視点で見れば希望の根拠になる。

 

「だから・・・・・」

 

みずづきも吹雪たちにならい、しっかりと前を向く。眼下に見える横須賀鎮守府と横須賀湾。快晴のためか、海の青が非常に映えている。こちらの顔を覗う視線。前を向き続けることがみずづきの導き出した答えだ。

 

「そう・・・・やな」

 

嬉しそうに黒潮が微笑をこぼす。陽炎たちも声は出さなかったものの、黒潮と同じ感情であることは察せられた。

 

但し、やはりというかなんというべきか彼女だけは少し違った感傷を抱いていたようだ。

 

「ふふ・・・・。なによ、大口叩いちゃって。もう夜中に1人でむせび泣くのは、ないってことね」

「・・・・・・・・・・・ええ!?」

 

物悲しいような、希望を信じるような儚い雰囲気が、みずづきの驚愕で煙が風に吹かれるようにあちこちへ四散していく。名残惜しさが否めなかったものの、それを気にしている様子はなかった。黒潮たちは訳が分からずまばたきを繰り返しているが、事情を知っている陽炎もみずづきと同じ反応だ。

 

「ちょっと、曙!? え・・・え!?」

「あんたなんで知ってんのよ!!」

「なんでも、なにも見たからに決まってるじゃない」

 

2人の驚きようが気に入ったのか、曙はいたずらに成功した子供のように悪い笑顔を浮かべる。少しイラつくが、今は怒りよりも驚きが完全に勝っていた。

 

「どういうこと! だって、あそこには私しか・・」

「私も全然・・・・・。まぁ、陽炎が見ていたことにも気づいていなかったから、全否定はできないんだよね・・・」

 

あの日見た、阪神同時多発テロの夢。徐々に直視したくなかった現実が露わになっていたことも相まって悲しみに耐えきれなくなり、気分転換を図るため、真っ暗闇の世界に飛び出した。あの時はまさか誰かに見られているとは思わず、堂々と涙を流していたのだが、のちに陽炎の目撃が発覚。その事実を知ったときもかなり驚いたのだが、またこの驚愕が訪れるなど夢にも思っていなかった。

 

「なんだ、やっぱり気付いていなかったのね。心配して損した。一時期のひやひやを返してほしいわ」

「いやいや、あんたが勝手に見て、勝手に思い込んだだけでしょ。それよりも、どこから見てたのよ? 私、誰も見てないけど・・」

「私は見てたわよ。あんたが顔面蒼白になってるところ」

「はぁ!!」

 

大声を出して立ち上がり、曙に詰め寄る陽炎。明らかにに曙は陽炎とみずづきの反応を楽しんでいる。

 

「どういうことよ!! 私がいたのは両脇を植え込みと公園に挟まれたあそこ。私の顔を見れるのって・・・・・・・」

 

言葉が止まる。目を見開き、ここではない別の場所に意識を飛ばす。一拍の沈黙。目の焦点を再度合わせると、曙へゆっくり話しかけた。

 

「あんた、植え込みの中に、いたのね・・・?」

 

「やっと分かったの? ほんと馬鹿ね」と挑発的な笑みを浮かべる曙。陽炎は自身の失態を恥じるように両手で顔を覆う。

 

「嘘でしょう~~~~。ということは、あの物音は・・・・」

「私よ。やっちゃった時は終わったと思ったけど、あんたそれどころじゃなかったみたいだし」

「あ、はははは・・・・・。私も大概だな・・・・・・」

 

自身の鈍感さと無警戒ぶりに、もはや笑うしかない。

 

「ほんと、そうよ! 軍人で、しかも最先端技術の塊を背負っている艦娘とは思えないわ。よくもまぁ、試験合格出来て、左遷先とはいえ一部隊の隊長になれたわね」

「め、面目ないです・・・」

 

「言い過ぎ」と続けて吹雪姉妹が援護射撃してくれるが、「事実じゃない!!」という曙の装甲は固かった。それに、これは素直に受け止めなければならない事実である。

 

「もう、うるさいわね! こういうのはびしっと言った方がいいのよ。ったく・・・・。それでどうなのよ?」

「・・・・へ?」

 

先ほどから一転。頬をほんの少し赤らめて視線を適当に逸らしつつ、挙動不審気味に話しかけてくる曙。あまりの変わりようについていけない。

 

「だから、その・・・・・・」

 

なにか、大事なことを言いたいようだ。彼女とも数え切れないほど話し、顔を合わせた。だいたいどういう性格かは把握済み。陽炎たちと呼吸をあわせ、その時を待つ。しばらくモジモジしていたが、決心したようで、ぼそぼそとセミに完敗しそうな声で呟いた。

 

 

 

 

「夢とか・・・・心とか・・・・・大丈夫?」

 

 

 

 

一瞬こちらへ視線を向けてくるが、目があった瞬間に慌てて逸らす。更に赤くなる顔。耳などは真っ赤だ。今の曙には、いつもの威勢のよさは皆無だった。

 

寄せてくれた心配。これにきちんと答える。

 

「うん・・・・。あれ以来、夢とか見なくなったし、急に落ち込むこともなくなった。・・・・・・・・・・・ありがとうね、曙。そして、みんなも」

 

心に浮かぶ、明確な気持ちだ。どれだけ感謝してもしきれない想いを、みんなに伝える。

 

 

あの日以来、己を苦しめてきた夢(過去)はもう見ていない。

過去や記憶とは関係ない、己の弱さが生み出した夢(幻)も同じく。

 

目を閉じ、柔らかな布団に包まれている感覚を得ながら、次の日の朝を迎える。

そんなささやかで取るに足らない、しかし爽やかで必要不可欠な感動が、当たり前になった。

 

つい先日まで信じられなかったものが、今、現実のものとなっている。

 

彼女たちがいなければ、みずづきの心の中が優しい光と優しいぬくもりで満たされることはなかっただろう。

 

 

 

だから、恥じらいはなしだ。当分の間、見られなかったみずづきの笑顔。決して作り物でも、無理したものでもない。

 

純粋で、透き通った本物の笑顔。青空を背景に思う存分輝いている太陽よりも、眩しく美しい。

 

 

あまりの美しさに見とれているのか、数秒間反応を示さなくなる陽炎たち。だが、すぐに表情を和らげ、みずづきと同じように、華を咲かせる。これでこの場にいる全員が笑っていれば、有名かつ高価な絵画にも劣らない微笑ましい光景なのだが、そう簡単には問屋が卸さない。笑顔の輪の中で、ただ1人リンゴのように熟れた顔を明後日の方向へ向ける曙。「そ、そう」とそっけない反応で、謙遜したり、素直に喜んだりと各々の個性に基づいた反応を示している陽炎たちと対照的に見えるが、これも彼女の個性に基づいたものである。そのため、なんら場に水を差すような存在ではない。むしろ、黒潮や深雪の餌食となり、微笑ましさに拍車をかけていた。

 

「吹雪ちゃん、今何時?」

 

ひとしきり、曙をからかったりその余波をこちらに受けたりした後、吹雪が身に付けている腕時計を白雪がのぞき込む。だが、見えなかったようで結局、吹雪の解答が必要となった。

 

「もうすぐだよ。・・・・・あと5分少々・・」

「5分か・・・・・。そういえば、みんなどうしてるんだろう? 今日、演習や任務は入ってないよね?」

 

不意に浮かんだ疑問。なぜ今さらと自分でツッコミたくなるが、胸の内に閉じ込められるほど軽いものではなかった。

 

「みんな思い思いの場所にいるのさ。俺たちみたいに外にいるやつもいれば、寮にいるやつもいる。俺も詳しい場所は、事が事だけに把握してない」

「へぇ~。そうなんだ」

「みんな、そろそろだよ」

 

吹雪の呼びかけで腰を降ろしていた全員が、立ち上げる。賑やかさにとって変わる厳かな沈黙。しばらく意識していなかった葉同士のこすれる音が再び聞こえてくる。

 

昨日までとなんら変わらない世界。しかし今日は川の如く流れくる時間における、ただの1日ではない。

 

特別な、1日だ。

 

今日、実際にあの戦争を戦った陽炎たちがどのような想いを抱えて、ここへ立っているのか知る由もない。但し、分かることもある。

 

彼女たちへ向けられる視線。そこには明確な意思が宿っていた。

 

しっかりと前だけを見つめる彼女たち。会話の中で見せた時と同じように、ブレや迷いなく、ただ前を・・・・。

地獄を見て、後悔し、葛藤を抱いても、日本の現実を知らされ、絶望に飲まれかけても、屈することなく割り切り、ただ前を・・・・・。

 

なんと勇ましい姿だろうか。これほどまでに日本を、自分たちを愛し、信じてくれる存在を前にしては、涙腺が決壊寸前にまで緩むのも致し方ない。

 

しかし、今は泣く時ではない。今は生者として死者を弔う時。1人の人間としてこれを疎かにすることはできない。

 

再び巡ってきた特別な日。

 

 

・・・・・朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。

 

 

西暦2033年(光昭10年)8月15日。

 

 

・・・・・朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス。

 

 

世界は違えど、88年前に日本が昭和天皇の玉音放送によって無条件降伏を大日本帝国臣民に伝えた日。日本全土に響き渡る現人神の肉声。頭上に翻るぼろ布と化した日の丸。歓喜、絶望、脱力、後悔、虚無。様々な感情を抱え、知らないうちに歴史の転換点に立つ人々。その光景が見えたような気がする。

 

あの日と同じ真っ青な空の下。

 

88回目の特別な日がやってきた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

時間が経つにつれて、地平線へ没していく太陽。ここ数日瑞穂全体を覆っている太平洋高気圧のおかげか、雲は皆無で、茜色に染まる空の下、地上のありとあらゆるものをオレンジ色に染め上げていく。名残惜しいのか、はたまたこれから出番を迎える月や星たちに妬いているのか、沈んでいく速度は非常にゆっくりだ。それに合わせて、下降していく気温。そのまま快適な温度帯へ到達して欲しいものだが、熱と言う置き土産は早々に退場しない。

 

道路を走り抜ける自動車の群れに、歩道を歩く人々。その流れには一定の法則があった。スーツの上着を腕にかけ、カッターシャツの袖をまくり上げ、暑さに辟易としながら、会社員や学生たちが帰宅の途についていく。自動車も心なしか都心から離れる道に多く見受けられる。

 

だが、彼らと違う動きをする人間がいるのも事実。

 

「これは・・・・・・一体どういうことでありますか?」

 

宴会用の部屋だと一目見ただけで分かる、広々とした和室。畳と言い、襖と言い、障子といい、花が生けてある花瓶といい、高級品独特の厳かな雰囲気を醸し出している。普段、市井で見かける品とははなから格が違う。上流階級出身者でなくとも、それは直感的に察せられるだろう。そんな一般人が入ったら緊張で銅像と化してしまいそうな大広間に、慣れているのか周囲の品々に全く目を止めることもなく、20人ばかりの真っ白な制服を来た男性たちが鎮座している。

 

この場を離れようとする雰囲気は皆無。

 

そこへ漂う、とある男性のうめき。露呈しないよう虚勢を張っていたが、多くの者が男性と同じように内心では怒りをたぎらせていた。少しつつけば爆発してしまいそうである。

 

 

「・・・・・・・・・・・」

 

瑞穂において最も地位・身分の高貴な者が座る、上座。入り口から最も遠く、床の間を背に戴くその場所に座っている中将の階級章を持つ1人の男。両隣りに少将の階級章を有する男が座っているものの、障子や土壁を背に座っている男たちの視線は彼に集中していた。

 

排斥派の実質的リーダー。軍令部作戦局副長、御手洗実。

 

彼は発言を求める物々しい沈黙が形成されようと、その継続を望む。耐えきれなくなったのか、先ほど発言した男が言葉を重ねる。

 

「閣下は我々の信念を、現在に至るまで奔走してきた我々の努力を放棄するとおっしゃるのですか?」

「宮内。言葉にすぎる」

 

御手洗の右隣に座る少将がこちらに食って掛かる軍令部軍備課課長宮内芳樹中佐を一睨み。宮内は一瞬で汗だくとなり震え上がりながら、「ご無礼申し訳ありませんでした!!」と胡坐を正座に組み換え頭を下げる。額が畳に接触しそうなほどであるため、土下座と遜色ない見た目だ。

 

「閣下も何も望んでこの方針を打ち出されたわけではない。ただ深海棲艦は我々憂穂会に爆撃を敢行し、忌々しい艦娘ども・・・・・・みずづきは我々に無慈悲な砲撃を加えた。それを経たならば、我々も行動しなくてはならない」

「行動には限度があると小生は愚考致しますが・・・・・」

 

拳を握りしめる少将を前に堂々と作戦課課長富原俊三中佐が口を開く。少将は一瞬顔を歪めると体を前傾させるが、「言わせてやれ」と小声で制した。

 

「横須賀からもたらされた日本世界の真実。情報公開、情報公開とスズメのように騒がしく鳴いていた輩が今の今までそのような重大事項を秘匿していた明確な事実を受け、我々憂穂会同志は変革の必要性を再認識するに至り、先日の会合では血生臭い蛮族の申し子かつ深海棲艦の斥候であるかもしれない艦娘の掃討、真実を秘匿し艦娘を擁護し我々をコケにした老害の排除に向けた行動の開始で一致したはずです」

 

横須賀、正確には百石健作の報告によって海軍上層部に知れ渡ることとなった2033年までの日本世界の歴史。見聞きした者に例外なく凄まじい衝撃をもたらした事実は依然より蠢いていた海軍内の地殻に大規模な変動をもたらすには過剰なエネルギーが含まれていた。

 

あの、人生でも数えるほどしか感じたことのない、あまりの突飛かつ激烈さに意識が強制終了しそうになるほどの衝撃。

 

だが、書面から現実に帰還した際、最初に浮かんだ感情は強烈な危機感だった。そして、それは後一息対応が遅れていれば、現実のものとなるところまで進行していた。しかし、まだ完全に抑え込めた訳ではない。むしろ、見事な手腕と同じ危機感を共有していた部下から称賛された対応が、不満の漏出を招来した雰囲気さえあった。

 

「にも関わらず、なぜでありますか?」

 

その典型例がこれだ。しかし、自身の対応のまずさに気負っている場合ではない。ここで適切な対応を取らなければ、過去の対応は誤りと決定してしまう。それによって自分1人だけが不利益を被るなら構わない。だが、ここで不利益を被るのは・・・・・瑞穂そのものだ。

 

「富原? なぜはこちらの台詞だ。この場でそのような耳障りにもほどがある雑音を垂れ流す」

「・・・・・・・・・・」

 

普通なら「は?」と目を大きく見開き「お前こそ何言ってんだよ」を表現するところ、富原は動揺もなくただ悔しそうに顔を歪ませた。それが確信をさらに強固なものへ変えた。

 

「貴様は軍令部で一体何をしている? 擁護派いじめがそんなに楽しいのか? 高貴な趣味に口出しする気はないが貴様は作戦課長だ。自らの願望と信念の前に事実を歪曲するような輩は・・・・作戦課にいらん」

「そ・・・それは!?」

 

この場にいる最高位の言葉。それは単なる言葉だけに留まらない。現実を改編するほどの力を有していると分かっているからこそ、富原は血相を変える。

 

「そうでなければ、事実を前に行動しろ。貴様がほざいた計画が本当に実を結ぶと思っているのか?」

「それは・・・・我々憂穂会が一致団結すれば、不可能なことは・・」

「後援組織と最も接触を持っている存在がこの私であるということを忘れていないか?」

「っ!?」

 

大きく開眼した宮内は息を飲む。御手洗の示唆する事項。それが分からないほどの愚か者はいかな排斥派と罵られている彼らの中でもいなかった。

 

「それを踏まえて、改めて問う。私が示した方針に対して、どう思考する?」

 

保身のためか。はたまた、彼の中にも海軍軍人としての良心が生き残っていたのか。富原は無念と拒絶をなんとか押しのけ、悔しさを言葉の端々に宿らせて口を開いた。この冷静さがまだ残っているからこそ、彼は作戦課課長を全うできているのだ。

 

「・・・・・・・・・・閣下のご判断は・・・・・・・・・、最良の選択と同意いたします・・・」

『・・・・・・・・・・・・・・』

 

安堵、叱責。両方の感情のため息が交差する。

 

「計画の遂行は現実的ではなくなりました。そして・・・・・・・」

 

一際、強く拳を握りしめる。

 

「通常部隊では・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。深海棲艦に対抗することはっ!」

 

富原は顔中に深い皺を刻み込み、最後の一言を放った。

 

「・・・・・・・不可能です」

 

房総半島沖海戦はこれまで見続けてこられた“夢”を完膚なきまでに否定するには十分すぎる威力を持っていた。通常水上戦力の象徴だった第5艦隊は、兵器開発本部が開発した新型装備“零式弾”を装備していながら海月型駆逐艦5番艦霧月を残して全滅。急ピッチで構築した30式戦闘機による強固な防空網は初手から突破され、輝かしい戦果を発揮するはずだった浦安沖航空戦と横須賀湾沖航空戦で海軍横須賀航空隊は舞鶴航空隊第404航空隊と共に壊滅。最終的には背水作戦が発動される最悪の事態にまで発展した。

 

その強大な敵を打ち払ったのがほかでもない“艦娘”である。もし彼女たちがいなければ、確実に房総半島は敵の橋頭保・前線基地と化しここ東京を含めた関東一円は将兵・民間人の死体で埋め尽くされていただろう。

 

その紛れもない現実は憂穂会を頂点として束ねられている排斥派に重大な転換点を提供した。

 

「しかし・・・・それでもっ!! くっ・・・・・・・・・・」

 

富原の荒々しい鼻息を前に、沈痛な沈黙が訪れる。それを利用して御手洗は両隣の少将・・・憂穂会の会長・副会長と話し合い、資金・便宜などを提供してくれるこの国の真の権力者たちと折り合いをつけた憂穂会助言役としての決断を改めて周知した。

 

「艦娘の処遇、棚上げ。計画の白紙撤回。これこそが・・・我々が今後も影響力を保持し、ここまで築き上げてきた組織を維持する唯一無二の方策だ。貴様らも承知の通り、これを踏まえた私たちの戦略は想像以上に効果を上げている。ここで世論の意に背く言動に出れば、それこそ擁護派の思うつぼ。我々が進むべき道は・・・・・・これしかない。・・・・・・これしかないのだ」

 

各員の意識に刻み込むため、御手洗実としての意思と結論を2度言う。

 

「・・・・・う・・・・・うぅ・・・・・・」

 

各所からむせび泣く声が木霊してくる。まるで大日本帝国の如く、敵対勢力に屈したかのような雰囲気だ。

 

一体、彼らは何に負けたのだろうか。

 

それをただただ、無言・無表情で見つめていた。だが・・・・・。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

その呻きを許容ではなく、抵抗として発している者の存在を御手洗は見逃さなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

6畳ほどの小さな和室。中央に座卓が置かれ、右手にある縁側からは風情あふれるこぢんまりとした瑞穂庭園と、感動さえ覚える美しい星空を拝むことができる。畳と言い、襖と言い、障子と言い、花が生けてある花瓶と、座卓といい、市井の品々で先ほどまでいた料亭とは雲泥の差だが、高級品が無意識のうちに放ってしまう緊張感は皆無で、自宅にいるような落ち着いた雰囲気を作り上げている。憂穂会の将校たちは、この身が御手洗家出身だからと勘違いしているようだが、個人的には格の高低に関係なくこういう雰囲気が好みであったりする。これを分かってくれているのは、果たしてどれぐらいいるだろうか。昔はかなりいたのだが、今は・・・・。

 

ここは、都心の少し外れに位置するとある居酒屋。居酒屋と言っているが、どちらかといえば料亭に近い。そもそも瑞穂庭園がある居酒屋など通常は考えられないのだが、頑固者の店主が強硬に言い張っているため、常連客はみな「居酒屋」ということにして通っている。久しぶりに来たのだが、今回はとても酒を飲む気にはなれない。

 

それでもせっかく来たのだからと、正面に座っているスキンヘッドの男に注がれれば、多少は手を付けるのが流儀だろう。

 

しぶしぶおちょこに口をつける。やはり、まずい。

 

「・・・・・・・すまない」

 

おちょこを座卓に置くと、わずかに頭を下げる。男は若干目を見開いていたが「いい」といって、おちょこを仰ぐ。うまいと頬を高揚させるが、いつもの陽気さはなく沈んでいる。

 

「こちらの顔を立ててもらったにも関わらずこのような・・・・」

 

カタンっと軽快な音を立てて、座卓の上に空になったお猪口が置かれる。その音が「言わなくていい」と暗示しているようで、言葉を紡ぐ意思を失った。しかし、静寂は男の発言で登場を許されない。男はお猪口に酒を注ぎ終わった後、落ち着いた口調で言った。

 

「薄々は覚悟していた。ここで万事解決なら、ここまでもつれてはいないだろう」

 

その言葉が何より背負っている責任感を刺激した。

 

「俺とて事態を楽観視していたわけではない。だが、あいつらは俺の部下だ。上官として・・・・・・・信じていたんだ」

「しかし、同時に疑念も抱いていた。そして、事態は疑念から練られた対処を始動しなければならないところまできてしまった。・・・・・・・・・やはり、世間は上手くいかないものだな。いつまでも予想外に翻弄される。そういえば・・・・・・・・」

 

唐突に視線を空気中に漂わせる男。何事かと首をかしげていると、年に似合わず子供のようにニヤニヤと笑みをこぼしながら、場違いなセリフを吐いてきた。

 

「予想外といえば、お前が俺に頭を下げたことも予想外だったな」

 

これこそまさに予想外で思わず、「・・・・・・・はぁ?」と顔を歪めながら聞き返してしまう。その反応にさらに笑みを深くする男。御手洗の心は窯のように熱を帯びはじめ、両手を強く握りしめる。

 

「一体いつ以来だろうな・・・・・、こういうのは。お前、雪子さん以外にはめったに頭を下げないから」

「くっ・・・・・・・・」

 

苦虫を噛み潰したよう顔になる御手洗。必死にそれを隠そうとしているが、はたからみればバレバレだ。いつもならここからお怒りモードに移行するするのだが、一際大きなため息をつくと拳を緩め、お猪口に入れた瑞穂酒を一気に飲み干す。

 

それを見て男も口を閉ざし、お猪口に口をつける。

 

「俺が悪いんだ。下げなくてよいなら絶対に下げないが、下げなければならないなら下げる。俺だって、人間だ・・・・・」

 

いつもの覇気が全く感じられない弱々しい言葉。こちらを元気づけようと気を遣ってくれた男には悪いが、とてもそれに乗っかる気にはなれなかった。

 

心に鉛のように重い現実がのしかかる。もっとうまく動いてれば防げたかもしれないという後悔と共に・・・・。

 

“も、申し訳ありません、中将・・・・。誠に・・・・誠に・・・・!! 結解も・・・大戸艦長も・・・、みな・・みな・・・・。私だけが無様に生き残ってしまいました。どう家族に顔向けしたらいいか・・・”

 

自分の前で必死に涙を抑えつつも、決壊を阻止できずただ「申し訳ありません」と謝罪を続ける1人の男性。食べ物も喉を通らないのか、数か月前にあったにも関わらず、軍服を着ている状態でも分かるほど体の線が細くなっていた。

 

 

 

その姿が、その苦しそうな声が・・・・・・犠牲者の数字と遺族の悲壮が頭に染みついて離れない。

 

 

 

「そうか・・・・」

 

俯く御手洗を見た男は淡々と呟く。ただ、何の感情も籠ってないというわけではない。むしろ逆だった。

 

 

「お前が必要以上に負い目を感じる必要性はないんだぞ。擁護派、排斥派問わず、海軍のトップである以上、みな俺の大切な部下たちだ。本当なら、俺だってこんなことはしたくない。だが、俺は部下を預かっていると同時にこの国の未来にも大きな責任がある」

「お前・・・・」

 

俯いていた顔を上げ、男を見ると彼はおちょこ片手に縁側から星空を眺めていた。悲壮感のかけらもない横顔。それを見ていると不意に問いたくなった。

 

「本当に、いいのか?」

 

何度聞いたか分からない質問を、もう1度行う。苦笑を浮かべながら返ってきた言葉はこれまでと全く同じものだった。

 

「いいんだ。俺は、十分この国に奉仕できたと思っている。髪もふさふさで、肌にハリがあったあの頃はもう学校の教科書にも出てくる時代になってしまった。歴代の総長と同じように定年退職するのも良かったが、そんな性分じゃないことぐらいお前だって知っているだろ?」

「・・・・・ああ、反吐が出るほどな」

「最後まで瑞穂のために働けるのは本望だ。これは、俺の身にあまる大きな価値がある。それに一刻も早く対処しないと取り返しのつかないことになる」

 

 

真剣な表情で星々からこちらへ視線を移す男。悪ふざけが許されるような雰囲気ではない。それにしっかりと応える。

 

「・・・・・・頼んだぞ」

 

簡素な一言。しかし、これにどれほどの想いが込められているのか、想像しただけでも胸が張り裂けそうだ。

 

「ああ、しかと頼まれた」

 

瑞穂酒で満たされたおちょこを掲げると、同時に喉へ流し込む。だが、頼まれても果たせないことまで背負えるほど、この身は大きくない。それは自分自身が最も自覚していた。だから・・・・・・そう、言ってやった。

 

「だが、海軍トップの椅子から去るのは認めんし、頼まれもしない。愚痴や怒りのはけ口はどこの組織にも必要だ」

「お前・・・・・・・」

 

外から聞こえてくる寿命が近いセミの鳴き声とパトカーのサイレン。それが来るかもしれない未来とモザイク模様の現実を的確に表し過ぎており、先ほどまでの真剣な雰囲気は一変。2人とも腹の底から湧き上がる爆笑を阻止できなかった。

 




第2章開始から7ヶ月。こうして、終わりを間近にするとなんだか不思議な感覚です。

次話は「無の世界で」シリーズの第3弾です。


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64話 無の世界で 参

本話は前話までと視点・文体を変えています。そのため、読みづらいところが多々あると思います。わざと読みづらくしている点もありますのでご了承下さい。


「・・・・・・・・・・・」

 

見渡す限り、どこまでも続く廃墟。風の吹き抜ける音が支配する何もかもが過去となってしまった空間。そこを、男は歩く。

 

目的もなくただ、下を向いて。

 

靴とアスファルトのこすれる鈍い音が風に溶けて、何事もなかったかのように消えていく。

 

涙はとうに枯れ、もはや嗚咽すらこぼれない。発するのはただ足を引きずる音のみ。この世界にいたイレギュラーは、ゆっくりと周囲に飲み込まれていく。

 

 

 

ただただ聞こえていた単調な音が前触れもなく、突然オーケストラのような多重かつ多種多様に変化する。

 

「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」

「お会計はこちらです」

「すみませ~ん!!! 店員さ・・・・あっ!! こっちです! こっち!!」

「かしこまりました! 少々お待ちください」

 

それを不審に思い、男は顔を上げる。

 

「ここは・・・・・」

 

 

 

 

 

「なんだ? そのツラは? 久しぶりに人の顔で爆笑しそうだ」

 

5畳ほどの小さな部屋。対面に、座卓を挟んで1人の男性が座っている。男と年はそう変わらない。

 

右側にある窓。そこが唯一、外界とつながっていた。

 

見える景色。

 

空は全て黒一色に塗りつぶされ、それへ抗うかのように地表のあらゆるものが光を放っている。ビルに住宅、自動車、電車、人間の手元に至るまで。一体、どれほどのエネルギーがこの瞬間に消費されているのだろうか。

 

 

それを考える必要がないほど、様々なものが溢れかえっていた時代。

 

 

男たちの祖国がまだ、繁栄していたころの光景がそこにはあった。

今では、例え神に泣きつこうとも取り戻せない栄光。

 

 

 

 

 

それには一切目を向けず、対面の男性はねばりつくような笑みを浮かべながらこちらを、正確には真正面を見る。

 

男性の視線の先。

 

そこには正座をし、怒気を含んだ表情で手元の書類を睨んでいる人物がいた。ちょうどこちらの足元。

 

「一体、どういうことですか? なぜこんな代物を私に」

 

書類を目の前に置くと、視線をそのまま男性に向ける。それでも彼の雰囲気は変わらない。いや、むしろ笑みを深くしたか。

 

「なぜも何もない。お前がそんな顔をするからだ。ほら、単純明快だろ?」

「ふざけないで下さいよ。そんなこと言えない雰囲気を作ったのはあなたでしょ。それじゃあ、私があなたの望みに適わない顔をすれば、ここから立ち去れるんですか? ・・・・・・・・・・無理でしょ?」

 

刹那、男性の表情が一変する。見る者の心臓を凍らせてしまいそうな、冷え切った感情のない顔。死体より冷え切っていると言っても過言ではない。しかし、見間違えかと思ってしまうほどにすぐ元の顔に戻る。

 

「ご名答。君がもしここから私の許可なく立ち去れば、ビルの前の交差点で、持病がある69歳男性の運転する中型トラックにひかれ、ミンチに調理されることが()()()()()()

 

末恐ろしいことを口走りながら、先ほど店員が持ってきた水をなんのためらいもなく、飲む男性。

 

「やけに具体的ですね」

「すでに何回か現実になっているからな。聞かなかったか? 技研のとある二佐が3日前、交通事故で死亡した話を」

「・・・・・・・・。その話は既に。なんでも衝撃が大きすぎて遺体は原型をとどめていなかったとか。そういうことですか?」

 

鋭さを増す男の眼光。

 

「ふふ・・・・・」

 

意味深な笑みを浮かべる男性。幾分、顔の影が面積・濃度共に増大する。それだけで心の中に浮かんだ疑念は、揺るぎない確信へと変わる。

 

確かめようと口を開きかけるがその前にやるべきことがあった。再び意識を四方八方に向ける男。それを見た男性は馬鹿にするのでもなくただ笑う。

 

「安心しろ。盗聴器や盗撮カメラがないのは確認済み。だが、それはあくまでもあちらさんのは、だ。俺たちはノーカウントでお願いしてもらおう。ここはうちお抱えの店でな。経営している企業グループの経営陣とその親族は俺たちを支持するOBと深い繋がりがある。いかな同盟国でもここに食い込むのは、死体の山を覚悟しなければ」

 

その言葉を受けて小さく出る吐息。男の意識が真正面に集束する。

 

「理由を、覗っても・・・・?」

「これまでの話から、推測はついているだろう? やつは()()を知ったにも関わらず、俺たちの前から勝手に消えた。気を遣って、優しく、分かりやすく説明したにも関わらず、だ。ただ、それだけだ。()()を知った者は、俺たちと共にあらなければ生きていけない。この星の上に・・・・・・・・居る限りは」

 

「だからお前も気を付けろよ」。言葉を区切った男性の顔にはそう書いてある。

 

「なんでそんなことをしてまで、わざわざ・・・」

「さっきの質問とかぶる部分もあるな、それは。なに、簡単な話さ。人が欲しいんだよ。仲間としての人間が。いろいろあって、人は減っていく。常に人材の供給がなければ、組織は成り立たない。だが、ご覧のとおり、うちは特殊でね。そうやすやすと動くわけにもいかない。こちらから接触するのはそれなりに見込んだ人物のみ。・・・・・・嬉しいか?」

 

全ての水を飲みほし、空になったコップを別のコップの隣に置く。それには水とかなり趣の異なる液体で満たされている。

 

「脅迫まがいのことを笑いながら言われて、嬉しいわけないでしょ。しかも、私なんかがあなた方のメガネに適うほどの人間とはとても・・・・・・。ほかにもいい人材は腐るほどいるでしょうに」

「なに、強制はしない。留まるのも、出ていくのも君の勝手だ。但し、部屋の敷居をまたいだ場合、行先は自宅ではなく、あの世だが、な。それに・・・・・・・・」

 

一際深くなる邪悪な笑み。心の中を見透かされているようで、無性に気が逆立つ。

 

「君は断らないだろ?」

 

見透かされているようではなく、完全に心を見透かされる。胸の内を怒りが支配するものの事実のため、実力行使はできない。唯一可能な選択肢は睨みつけることのみ。抵抗はそれで精一杯だった。

 

にも関わらず変化しない部屋の雰囲気。主導権を誰が握っているのか、空間が教えてくれる。

 

「いいな、その目。心にあやふやではなく、確固たる信念を持っていることがすぐに分かる。今まであってきた連中とは大違いだ。人を見る目がないと散々陰口をたたかれてきたが、これで少しは汚名返上できそうだ」

 

男は反射的に声を上げそうになるが、寸でのところで飲み込む。そして、大きなため息。向かってきた言葉に反応しても、聞きたい返答が返ってこないことに脱力しているようだ。

 

「確固たる信念、ですか・・・・。この私にそんなものがあると?」

「あるさ。気付いていないとは言わせないぞ。君は持っている。防人として当然の、私たちと同じ信念と覚悟を」

「信念と覚悟・・・・・」

「ああ、そうだ。そこらへんをうろついている腑抜けどもとは違う、矜持を」

 

男性は座卓中央に置かれていた給水ポットを手に取ると、空になったコップに水を注いでいく。透明だったコップが温度差によって結露を吹き、うっすらと白く塗装される。水流に揉まれ、カランカランとガラスの中で踊る氷たち。見るからに冷え切った水を、少し乱暴に喉へ流し込んでいく。

 

一気飲み。

 

再び空になったコップは少し大きな音を立てて、座卓の上に舞い戻る。

 

「国を守り、富ませるためには、理想など薬物でしかない。それを勘違いしている人間が多すぎる」

 

こちらを挑発するような口調から一転して、何者かへの嫌悪感を露わにする表情。それを男はただ無言で見つめている。目を背けることも、睨みを利かせることもなく。

 

「だが、お前は違う」

 

その言葉はかなり分厚いはずの扉を通しても聞こえてくる喧騒を一瞬で無に帰す。先ほどまでの軽薄な雰囲気からは想像できない男性の真剣な表情が、言葉に重みを加えていた。

 

「世の中は残酷だ。いくら文明が発達しようと、いくら時代が進もうと、この摂理は変わらない。俺たちが今、何をすべきか。専守防衛? 平和主義を守る? 違う!!! それが何なのか、お前は分かっているはずだ。俺たちと同じように」

「それが私の問いとあなたが抱いていた確信の答え、ですか?」

「ああ、そうだ。お前は国のために何をなすべきか、分かっている。そして、それが決して正義ではないことを認識している。同時に自分は邪道を進んでいるという罪悪感も。この意識を両立させなければ、結局先人たちが歩んだ過去の二の舞だ。現実逃避で得た現実など、所詮まがいものだ。現実を、受け止める。どんなに残酷なことでも。お前がすでにそれを会得しているのは目を見れば分かる。直感的なものだから、正直不安もあったが・・・・・今確信したよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それを見て衝撃を受けることはあっても、お前、嫌悪感は一切抱かなかっただろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表情は変えずとも、あからさまに身体がビクつく男。それに気付きつつも、男性はただ満足げな視線を窓の外に送るだけで、特段の反応は示さない。目の前に置かれている、先ほどまで読んでいた紙の束。

 

厚みがあるため、天井の照明に照らされるとわずかに影が出来る。同種のものは部屋の至る所に出現していた。光と物があれば確実に生ずる自然現象のため、気を留める必要は皆無。

 

白い紙に黒い影。

 

にも関わらず、なぜだろう。今までずっと気のせいかと思ってきたが、眼下の光景が現実であったことをはっきり認識させた。時間など関係ないというように。

 

冊子に張り付く影。それは周囲の影に比べ、とびぬけて黒かった。影が映し出されているはずの座卓が見えなくなるほどに。

 

それに視線を固定させた男も口を開かない。久方ぶりに訪れた沈黙。壁一枚を挟んだ向こう側にある喧騒が懐かしく感じられる。それを不意に終わらせたのは、やはり男性だった。彼が無だった表情をいわく付きの笑顔に変えると、まっすぐ男に視線を合わせる。手は表面に真っ白な泡を浮かべ、黄金色の液体で満たされているグラスを握る。それと同じものは男の目の前にもあった。

 

「了承ってことでいいか?」

 

俯き、男は瞑目する。

 

 

――――

 

 

 

スピードダウンする時間。少し足を動かしただけで、触れられる距離にいる彼。すぐそばにいる。だから言ってやりたい。だから教えてやりたい。だから伝えてやりたい。

 

そんな誘い、断っちまえ! と・・・・・・。例え、自分の命がここで潰えると分かっていても、あの出会いがなかったことになるとしても・・・・・・・。

 

 

あのような地獄は生み出すものよりも、失うもののほうが圧倒的に多かったのだから。犠牲に果てには、何もない。

 

本当に、なにも・・・・・・・。

 

だが、出かけた心の叫びが世界に解き放たれることはない。叫んだところで結果は何も変わらない。

 

ここは過ぎ去った夢。既になしてしまった結果は絶対に変えられないのだから。

 

 

 

――――

 

 

 

「はい。私で良ければ」

 

力強い視線を正面に向ける男。その気概と迫力は並大抵のものではない。それを見た男性は嬉しそうに「そうか」と呟く。そして・・・・・・。

 

「ほら」

 

ビールの入ったグラスを掲げる。見習って男も。

 

()()()()()()()()に、乾杯!!」

「乾杯!」

 

グラス同士がぶつかりあい、発生した透き通るような清い音。まるで水中のように音の波紋が同心円上に広がっていく。

 

 

 

 

 

その余韻に浸ろうと目をつむりかけたその時、世界が暗転。目の前の光景が水に付けた絵の具のようにぐちゃぐちゃになったかと思えば、目にも止まらぬ速さで再構成が始める。あまりの奇怪さに気分が悪くなるが、世界が明瞭になるにつれて収まっていく。

 

そして、世界は完全に世界の姿を取り戻していた。

 

「ここは・・・・・」

 

 

しかし、立っていた場所はさきほどまでいた緊張感と日常が交差する在りし日ではなかった。

 

 

弱々しく光る青色のLED照明。それによって、自動車が2台すれ違えるかどうかの細い道路がかろうじて、闇夜でも浮かび上がる。だが、それは見たくない現実までも、世界に留めてしまう。

 

ひび割れたアスファルトに、道路を塞ぐように倒れている電柱。両脇に立つ建物のガラスはほとんどが割れている。建物の中には原型をとどめないほど損傷していたり、焼け焦げていたりするものもある。所々には痛々しくひしゃげた自動車が放置され、周囲に部品をまき散らしている。

 

かつて歩いていた廃墟。そこに限りなく酷似していたが、全くの別物。認識した瞬間、変化するはずがないのに動悸が激しくなる。体が痙攣を引き起こす。

 

それはわずかに聞こえた声で、決定的なものとなった。

 

「え・・・・・、~~~~~~~~~~!!」

「っ!?」

 

建物と建物の間。照明の残滓により、かろうじて視界が確保できる空間からそのかすかな声は聞こえていた。周囲に確認できる人影は彼らのみ。いや、ビルの中にもいる。だが、彼らはカウントしない方がよさそうだ。

 

聴覚が紛れもない少女の声を捉えた瞬間、緊張が走る。必死に中年男性が少女の口元に布を押し付け、これ以上の気配を拡散を防ごうと奔走する。しかし、もみ合いから生じる断続的な物音を消すことは叶わない。

 

「対象を捕獲。これより、確認作業を開始する」

「了解」

 

タブレット端末を片手に持った男がハンドサインでそう宣言すると、少女の下半身を地面に抑え込んでいる青年に体温計のような機器を渡す。手慣れた様子で起動させ、先端にかぶせられていたカバーを外すと、少女の腕に思い切り突き刺す。

 

「!?!?」

 

反射的に、意識的に暴れる体。屈強な中年男性に押さえつけられた口から声にならないうめきが漏れる。しかし、誰も気にしない。

 

かつて美しかったであろう汚れた肌をつたい、地面に一滴、また一滴と温かい液体が滴り落ちてゆく。

 

“反応、白”

 

青年が一目で分かる歓喜を宿した視線で測定結果を伝えてくる。それを受け、言葉ではなく再びハンドサインで命令を下す。

 

「了解。選別個体、59713056と確認。輸送作業、開始用意」

 

タブレット端末の淡い光で不気味に顔を浮かび上がらせる男。それを見た少女の目にはただ恐怖のみが浮かんでいる。だが大人しくなるようなことは決してなく、逆に恐怖故か抵抗が激しさを増す。そして、それは男たちの予想を超える事態を招来した。

 

「っ!? いっ!!!!!」

「「っ!?」」

 

突然、言葉にならない悲鳴をあげる中年男性。彼をよんだ男、もう1人は何が起こったのか分からず、ただ焦るがその理由は彼が全力で抱えている少女によって明かされた。見たところ、16、17ぐらいだろう。

 

「ぷはっ!! はぁ、はぁ、はぁ。んぐっ・・。ちょっと・・・あんたたちなんなのよ!! いきなりこんな! 私が何したって言うのよ!! いきなり変な機械刺して!! いいから、離して!! あんたたちに弄ばれるなんてまっぴらごめん!! 誰か!! 助けて!!! 誰かってばぁ!!!」

「ちょっ! お前!!」

 

思い切り噛まれ、裂け目から血が流れ続ける手をさすりながら、班長が殺意すら籠っていそうな目つきで少女を睨みつける。だが、全く効果なし。「班長!」と視線で叫び、彼の手を見て動揺する青年も彼女の下半身を押さえつけながら黙らせようとするが、幾分抵抗が激しすぎて手に負えない。

 

「おい、これは・・・ちょっと・・・!! ぐふっ!!」

「坂城!!」

 

顔面を蹴られ、悶絶する青年。中年男性はもはや隠密行動のためのハンドサインなど無意味と判断したのか、青年の名前を叫び、声でタブレット端末を持っている男に指示を求める。

 

「くっそ! どうするんだよ!! 一尉! あんたの言う事はもっともだが、意識を損なわないまま納品なんてできないぞ!!」

 

少し離れたところで、タブレット端末を必死にスクロールしていた男性。薄汚れた作業着を着ている他の2人とは異なり、少しよれているもののスーツを着ているため、タブレット端末を持っていなければ闇夜と同化してしまいそうだ。

 

 

 

全身の震えがぴたりと止まる。凍り付く体。震える余裕すら、生気を失った世界に吸い取られていく。

 

“一尉”

 

この言葉が、何度も何度も脳内に反響する。それはかつて、自分がいた階級だ。

 

 

 

「やむをえないな・・・・。木下班長。許可する」

「了解!」

 

懐から姿を現す、不気味に光を反射させる鉄の塊。それを見た瞬間、少女の動きが停止する。

 

「ちょ、ちょっと、何をする気・・・・」

 

それが彼女の後頭部に向かって、勢いよく振り下ろされる。固いもの同士がぶつかる鈍い音。

 

「あがっ!!」

 

獣のようなうめきを出し、徐々に少女は大人しくなっていく。

 

「待って・・・・待ってよ・・・・・。私の帰りを・・・弟が・・・」

 

糸が切れた人形のように、首を垂れ、必死に振りまわされていた腕が地面に崩れ落ちる。同時に胸元からすり抜ける何か。

 

「ふう~。これで一件落着ですね。班長、大丈夫ですか?」

「まぁ、なんとかな。肉が噛み千切られたかと思ったが、前歯が食い込んだだけでそれほどひどくない。それにこんな傷程度で悶えていたら、逝ったあいつらに顔向けできねえや」

「木下班長。申し訳ない。既に救護班には連絡しておいた。彼女を運び次第、車内で応急手当てを」

「別に謝らなくていい。一尉の立場は重々承知してるからな。俺も、貴重な試料を傷つけて白衣どもにネチネチとAIみたいな嫌味を言われるのは、この傷より嫌ですし。お互い、貧乏くじを引いたってもんですな」

「そう、だな」

「よしっ! いちにのさんで上げるぞ! 用意はいいか?」

「はい!!」

 

「いち、にの、さん」と気を失った少女を持ち上げ、木下と坂城は躊躇することなく特定の方向へ進んでいく。

 

「こちら、湯宮。田間、送れ」

 

右耳を押さえ、意識を別の場所に飛ばす男。一拍空あいたのち、インカム越しに木下でも坂城でもない男性の声が聞こえてくる。

 

「こちら田間。送れ」

「回収に成功。これより撤収する。収容準備を行え。送れ」

「了解。送れ」

「以上、終わり」

 

通信が終わるとタブレット端末を腰に備え付けてある収納ケースに入れ、木下たちの後を追おうとするが不意に立ち止まる。地面に落ちていた一枚の写真。

 

そこには少しぎこちない笑顔で仲睦まじく肩を寄せ合う4人が映っていた。中年の男女に、中学生ぐらいの男の子。そして、さきほどの少女。

 

写真の右下に記された日付は、地獄が現界する直前。再び写真に映されている在りし日の光景を目に入れる。その時、事前に報告された彼女の身辺情報が脳裏をかすめた。

 

第6次東京空爆にて、住宅全壊。以降、近傍公園にてバラック小屋暮らし。

両親は金目当ての暴漢により殺害。

現在は2歳下の弟と2人で、物乞い・日雇い清掃業務にて生活。

 

拾い上げた写真をそっと、地面に戻す。そして、男は歩き出す。悔しそうに唇を噛み、必死に深く考えまいと背を向けて。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

誰もいなくなる。地面の上で妙に存在感を放つ写真。それを手に取ろうとするが、取れない。何度試しても同じ。

 

写真が手をすり抜けるのだ。

 

自分がひどく無意味な行為をしていると悟った時、周囲に光景が再び果てしなく続く廃墟に戻っていることを知る。周囲を見回した後、下を向くとあの写真は姿形もなく消えていた。

 

なのに、脳裏にあの写真が焼き付いて離れない。あの声が耳から離れない。

 

“待って・・・・待ってよ・・・・・。私の帰りを・・・弟が・・・”

 

 

 

国家・国民を守ることと、国家・国民を構成する個人を守ること。これが両立し得ないことは初めから分かっていたし、両立し得ない理不尽な世の中を割り切っていた。

 

1人のために、複数の人間が危機にさらされることはご法度。1人の犠牲で複数の人間が助かるのなら、国家を守る者として、国民を守る者として、取るべき選択肢は決まっていた。

 

 

 

だから、その選択を遂行する立場になった。

 

 

日本を守り、繁栄させ、この国に住まう人々を1人でも多く幸福にするため。

 

 

だが、現実はあまりにも残酷だった。最前線は人の心を持って、立っていられるような場所ではなかった。人を物として扱うのは「人間」には無理なのだ。

 

 

あの写真を引きずったまま、男は再び歩き出す。それに連動して、脳裏に浮かぶ数々の光景。もう、多すぎて数えられない。

 

「俺は、一体何人の守るべき存在を殺して、死に追いやったんだろうな・・・」

 

漏れる嘲笑。この世界を認識して初めて笑った気もするが、果たしてこれは「笑う」に該当するのだろうか。心の中には「笑い」と似ても似つかない感情が胎動している。

 

「願った未来を追い求めた結果がこれか・・・・・・・。人を殺し、故郷を荒廃させ、挙句の果てに、彼女たち・・・・・も」

 

 

ひたすら動く足。真っ赤に腫れ上がった目からはもう涙が出ない。完全に枯れてしまった。目的地のない移動。

 

 

果たして、終着はあるのだろうか。




今話をもちまして、『水面に映る月 第2章 過ぎし日との葛藤』は完結です。今章は作者の暴走もあり、第1章の倍近い話数、3倍近くの投稿期間となってしまいました。気が付けば、物語全体の文字数が90万字を超えており、自身のことながら唖然としてしまいました。(当初予定では100万字あたりで「水面に映る月」を完結させるつもりだったんですが・・・・・・・)

長大な文字数かつ拙文、知識の浅さでお見苦しい点も多々あったと思いますが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!

本作を読んで下さった皆様、ご感想やご指摘を寄せて下さった皆様、お気に入り登録をして下さった皆様。みなさんのお力添えがあったからこそ、ここまで至ることができました。

そして、『水面に映る月』の終着点はここではありません。現在、第3章「真実」を鋭意執筆中です。本作は全4章を予定しており、詳しくは明かせませんが第4章用の伏線も稚拙ながら張らせていただいています。お察しの方もおられることと思いますがもちろん、第3章の伏線も・・・・・です。


第3章はそこそこ書き進めており、年内中の連載再開を思い描いていますがまだ流動的な部分があり、まだ詳細な日時は申し上げられません。ただ、年内には意地でも再開したいという熱意はあるので、そのつもりで製作を進めています。

しばらくお待たせする結果となりますが、第3章の投稿開始まで今しばらくお待ちいただけると幸いです。


それでは、またお会いしましょう!


追記(2017/10/16)
第3章執筆のため第2章を見直していたところ、重大な誤字が見つかったため、修正をご報告します。修正後の設定が、筆者が考えていた真の設定です! 誠に申し訳ありません。

「修正前」→修正後、です。

・47話 船団護衛 その2 ~由良基地~
「海防挺」→海防“艦”。(海保の巡視“艇”になぜか引っ張られていました。瑞穂海軍由良基地に停泊していた艦船は海防“艦”です!)

「第6護衛隊群」→第“5”護衛隊群。(新編護衛隊群として考えていたのですが、海自には第4護衛隊群までしかないにも関わらず、なぜか第5をすっ飛ばしていました・・)


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第3章 真実
65話 新たなる場所


みなさん、お久しぶりです!

寒くなってきましたが、お体の調子は大丈夫でしょうか?

提督のみなさんは、秋イベの進捗状況、いかがでしょうか?

2017年8月24日から約3か月。季節はもうすっかり冬になってしまい、雲隠れしていた作者ですが、ようやく新章の投稿を開始する準備が整いました。長らく、お待たせしてしまいましたが、本日より『水面に映る月 第3章「真実」』の投稿を開始致します!!

いやぁ~、長かった。

今回も第3章一発目ということで、第2章投稿開始時と同様に2話を連続投稿します!

執筆開始から1年半が経過しても、成長しない「文才なし+にわか知識+誤字・脱字多い」ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

引き続きテンポの悪い長文ですが・・・・どうぞ!!


第2章終了時点より、少し時間が経過しています。



真実、とはなんだろうか。

 

本当。誠。真理。

世の中に把握できないほどの辞書があふれようと、定義や意味は似たようなものである。

しかし、それは果たして“単一”のものであろうか。人種・民族・国・身分・地位・年齢・性別・門地。人間とは独自の感情を有するのみならず、身体的特徴・社会的立場などは十人十色であり、唯一無二の存在である。この世界において“同じ”人間は絶対に存在しない。

 

そのような世界で、果たして誰もが“事実”を全く同じ“真実”と捉えるだろうか。

 

「事実と真実は、似て非なるもの」

 

そう、誰かが言った。

 

「事実は、自己の・・・または属する集団の価値観に基づいた脚色で彩られて初めて、真実になる」

 

そう、別の誰かが言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

真実、とはなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「う~ん・・・・・良く聞こえない」

 

目の前まで迫った天井の通気口。ホコリが溜まりに溜まり、いつ張られたのか見当もつかない劣化した蜘蛛の糸が、吹き抜ける風によって飛ばされそうになるホコリを綿あめの如く固定している。

 

「なんで、今日に限って風がこんなにも強いのよ・・・・。いつもなら、バッチリ聞こえるのに・・・」

 

人一人が匍匐前進でようやく進むことができるほどの容積を持った換気用配管。風が駆け抜けるたびに、土とも葉とも、腐敗臭とも捉えられる臭いが鼻腔に突入を図ってくる。

 

「う!! ゲホッゲホッ!! うえ~。・・・・って!!」

 

突然ふらつく足元。通常ならば地震か目眩を疑うところだが、あいにく地面に足はついていない。原因はバランスを崩したことにある。いくら脚立とはいえ自分より背丈の高い道具を利用して、自己の力では絶対に届かない高みに挑んでいる以上、行動には細心の注意を払わなければならない。バランスは特に、だ。

 

「あっぶな・・・かった。危うくバレるところだった」

 

そのようなことより落下した際の負傷の危険性を考えなければならないが、今の彼女に自分の安全を気にする余裕は皆無だった。全意識は聴覚に、そして通気口から聞こえてくる音に集中していた。

 

「どう? ・・・・・・・・・・? 須崎・・・・・でしょ?」

「・・・・・・・・・・・。経過は・・・・・・・です、はい。詳細についてでありますが・・・」

「・・・・・・・・・・」

「さすがです。・・・・・・・・・」

「これぐらい、・・・・・では当たり前。・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

お世辞にも、楽しそうとはいえない空気。ここの周囲を歩いているごく普通の隊員たちが聞けば、そういう判断を下すだろう。それが風に乗ってここまで漂ってくる。

 

しかし・・・・・・。

 

「あ~~~もう!! 聞こえるようで聞こえない。この感じが一番むしゃくしゃするぅぅ!!」

 

バランスが崩壊する危険性。全てを無に帰す可能性を孕んでいるが、髪の毛を掻き毟っている彼女にはとるに足らない雑味らしい。関心は全く別の方向に向けられている。

 

「何よ・・・一体どういうこと!? なんで突然東京から、しかもあんな美人が視察に来るなんて・・・・」

 

今、ここから倉庫を1つ隔てた事務室に彼女の上官と上官より階級が1つ上の佐官が2人きりで話をしていた。1つ屋根の下で男女が二人きり。しかも、女性の方は長身でスタイルが良く、セミロング。彼女がぐうの音も出ないほどの美人で、胸も完敗していた。彼女は自身の上官を本気で信じている。しかし、立派な大人の女性が上官のそばにいることを想像しただけでいてもたってもいられなくなるのだ。

 

“隊長。そこまで気になるのなら、張り込んでみたらどうですかね? 脚立は・・・・じゃじゃ~~~ん!! 総務課から借りてきました!!! どうです? 私、仕事早いでしょ? 早いですよね? ですよね~~~~!!”

 

部下に背中を押されたのが最後、彼女は部下たちが艤装を保管ロッカーにしまい込んで退室してからこの方、ずっと盗み聞きに徹していた。ここは艤装保管室。艤装保管棟という鉄筋コンクリート平屋建ての一室。この建物にはいくつかの部屋が存在し、全部ではないが複数の部屋がそれぞれの通気用配管で繋がっている。建物自体には迷彩塗装が施され、対地爆弾の直撃にも耐えられる構造。さらに各所には赤外線センサー・動体センサー・監視カメラ等の警備システムが張り巡らされ、配管をネズミが走り回っただけで作動する厳重性。国家機密の塊である「特殊護衛艦用艤装」の保管場所としては当然の設備だが、警備に力点を置きすぎたためか、ここにはある大きな構造上の欠陥が存在していた。

 

特定の部屋の音が通気口を介し、別の部屋に聞こえるのである。空調などの関係で不変ではないが、この季節は比較的事務室の音が聞こえてくる。

 

これに気付いたのはいつだっただろうか。彼女も、そして部下たちも上官に申告しようとしたが、聞こえてくる音は機密でも何でもないただの世間話。また「自分たちだけの秘密」を持ったことが面白く、今まで放置していた。

 

まさか、このようにこの欠陥を活用するハメになろうとは・・・・・・。

 

「世の中って何が得か、本当に分かったもんじゃないね」

 

堂々とではないが、彼女はこの幸運を噛みしめていた。だが、果たしてそれを幸運と呼べるか否か。

 

「・・・・・・・・・?」

「っ!? ま、待って下さい!! みずづきは!!」

 

聞き慣れた上官の声。今までとは比較にならないほど、その言葉は明瞭に聞こえた。おそらくそれなりに大声を出したのだろう。

 

「え!! わ、私!? なになに、なに話してるの~~~~?? もう!! 聞こえない!! なんなの!!」

 

再び曖昧になる会話。この匙を投げた者は良心的な神様か、悪戯心満点の神様か。はたまた、はるばる東アジアの島国に遠征してきた一神教の悪魔か。

 

それから最後まで、会話の脈絡を掴むことはできなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

チュンチュンチュン・・・・・、チュンチュン・・・・。

ミーンミーンミーンミーン、ミー。

 

「・・・・・・う」

 

開け放たれた窓から聞こえてくる生き物たちの息遣い。鳥たちは雲一つない青空を背に不自由なく飛び回り、虫たちは木陰で休みながら個性的な音色を奏でる。横須賀湾によって育まれた爽やかな海風が窓の端で束ねられているカーテンを豪快に揺らし、部屋に注ぎ込んでくる日光に波のような強弱を生む。

 

布団を蹴飛ばし、寝間着一枚で夢の世界に旅立っていたみずづきは、絶えることのない自然の営みによって現実への帰還を余儀なくされた。

 

「うっ、あ~~~。・・・・・・・暑い」

 

薄い布一枚で寝ていたにもかかわらず、額には汗が浮かび前髪を固定していた。いくら夏も終わりに近づいたとはいえ、秋は想像すらできない。残暑は厳しく、まだまだセミたちの楽園は続きそうだ。

 

釈然としないまどろみの中で感傷に浸っていると不意に目覚まし時計が目に入る。デジタル式でも液晶ディスプレイタイプでもなく、針がカチカチと動くアナログタイプの目覚まし時計。長針と短針で7時56分を指していた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・え」

 

時刻を認めた瞬間、固まるみずづき。いつも起床する6時からは1時間56分が経過していた。しかし、今日は休みである。任務もなければ訓練もない、外を飛び回っているスズメたちのように自由を謳歌できる休みである。二度寝しようが、散歩をしようが、部屋で本を読もうが、仲間と話そうが、外出(許可制)しようが、本人の勝手。

 

なのだが、休みだろうとなんだろうと何らかの約束事があれば、そして惰眠を貪っていたが故に遅れそうになっている状況は、寝坊である。

 

「やっば!! 今日は引っ越しの日だったぁぁ!! もう8時じゃん!!」

 

目覚まし時計を両手で掴み、目の前の光景を紛れもない現実と確認すると、みずづきは大慌てで枕元に置いてあった制服に着替える。周囲には積み上げられた段ボール箱のタワー。倒して中身をぶちまけるというベタな展開を誘発しないよう慎重に脇を通り、洗面台で洗顔と歯磨き、寝癖直しなどなど。

 

身支度を大まかに整えると、寝起きの体にはつらい全力疾走で第6宿直室から1号舎3階の廊下へ飛び出す。約束の時刻は午前8時。間に合わないことは既に分かっていたが、先方の怒りをわずかでも減らすために、みずづきは風となる。

 

今日は9月24日。みずづきの部屋を1号舎第6宿直室から艦娘寮に移す本番であり、待ちに待った引っ越し当日だ。

 

 

 

 

 

 

みずづきの部屋をどうするのか。

 

 

 

この問題はみずづきが横須賀に来て以降、横須賀鎮守府司令長官である百石や副司令長官である筆端、横須賀鎮守府に所属している艦娘たちのリーダーであり、秘書艦を務めている長門など一部の者たちの間でずっと提起されていた。

 

第6宿直室はまだみずづきが来たばかりで正体も分からず、瑞穂側も艦娘も不信感を抱いており、いわば場当たり的に隔離する目的で彼女に宛がわれた部屋だった。場所も艦娘たちが起きている間は喧騒と活気が絶えない艦娘寮から様々な意味で離れた、緊迫感に包まれている1号舎。とても日常的な住まいとする建物ではない。加えて横須賀鎮守府にもなじみ、気の置けない仲間たちが増えている中で、1人だけ他の仲間たちと離れて暮らすことは人間関係上不便で悪影響も大きい。また孤独感から来る精神的負荷もある。

 

みずづきが時たま「寂しい」と周囲に艦娘たちに漏らしていた事実もこれを裏付けていた。

 

彼女が来て約4ヶ月。船団護衛作戦や房総半島沖海戦などがあり遅々として進まなかったが様々な歯車がかみ合わさり、ようやくみずづきの「引っ越し」が実現する運びとなった。

 

 

「すみません!! 遅くなりました!!」

 

 

集合場所である食堂前に到着した瞬間、腰をくの字に折り、玉のような汗を浮かべた寝癖だらけの頭を下げる。その先には残暑の大洋から逃れるようにして食堂の影に隠れる8人の姿があった。顔なじみだけならタメ口を使っていたものの、そこには敬語を使わなければならない人物も混じっていた。

 

「もう! みずづき! 今、何時だと思ってるのよ!! 約束の時間は8時よ! 8時!! 昨日あれほど言ったじゃない!」

 

腰に手を当て、ツインテールをまとめている黄色のリボンを揺らしながら迫ってくる陽炎。その気迫にはただただ恐縮するしかない。昨日、別れる間際まで散々「8時よ」と言われ「はいはい、分かってるよ~」と軽く返していたため、反論はできなかった。

 

「ご、ごめん。ちょっと、寝坊しちゃって・・・・」

「はい? 寝坊って・・・・」

「やっぱり、そうやろ? みずづきのことやから、どうせ寝坊か、逆に早く起き過ぎて散歩でもしとるんちゃうかってみんなで言ってたんやけど、大当たりや!!」

 

朝から興奮気味に陽炎の言葉を遮り、腰に手を当て「ドヤッ」と胸を突き出す黒潮。この世界に「どや顔」という言葉はいまだに存在していないが、黒潮の表情はまさしく「どや顔」だ。オレンジ色の髪を持つ姉の陽炎と異なり、黒髪のセミロングで日本人や瑞穂人と変わらない風貌を持つ黒潮だが、腰に手を当てるしぐさは陽炎そっくりだ。やはり、姉妹ということか。

 

「そうそう! てか、はじめにみずづき寝坊説を唱えたのは俺だから、そこんとこよろしくな!」

「もう深雪ちゃん。それ吹雪ちゃんの受け売りでしょ? せっかく答えてくれたのに、吹雪ちゃんが可哀想だよ」

 

相変わらずの元気さで「黒潮」と同じくすがすがしい「どや顔」を決める深雪。だが、隣に控える白雪に苦笑ながら真相を告げられた途端、「え? そうだっけ?」と一気に表情が曇り始める。

 

「眠い・・・・・・・・。ねぇ? みずづき? みずづきも眠たいんだし、今日は引っ越し、やめにして、ゆっくりとお昼寝しない? 私はそっちの方が嬉しい」

 

眠たそうな目をこすりつつ、希望に満ちた口調で篭絡を図る初雪。長姉の吹雪の代わりに監督役となっている白雪が深雪へ目を向けている間に、これである。みずづきとしても篭絡される気は全くなかったが、断ることに対して少し罪悪感が湧き上がる。

 

「いや、眠たいの事実だけどね。今日は念願の引っ越し! だから、それはちょっと・・・」

「っ!? そんな・・・・・・」

「ああ! 初雪!」

「こらこら、無言で勝手に帰ろうとしない!」

「せ、川内さん・・・」

 

90度反転して影づたいに離脱を図ろうとした初雪の首根っこを、第三水雷戦隊の旗艦である川内が容赦なく捕まえる。「うぐっ!」とうめき声があがったが、みずづきとその他2人以外誰も気にしない。初雪はこのままでは無理と判断したようで、潤んだ瞳で川内を見つめる。だが・・・・・・。

 

「はいはい。みずづきや甘い将兵たちに通用しても、私には効かないし、その涙が本物かどうかの区別もつく。本物の涙を見たこともあるしね。とっとと、嘘泣きをやめなっ!」

「ちっ。・・・ばれた」

 

捨てられた子犬のような顔から、一瞬で真顔に戻る。今まで何度もその変化を目の当たりにしてきたが、いまだに苦笑を抑えられない。

 

「本当に、ごめんなさい。目覚まし時計かけてたんだけど、無意識に止めてたみたいで・・・。西岡少尉も坂北中尉もお待させしてしまって、本当に申し訳ありません!!」

 

再び頭を下げる。だが、それは艦娘たちに対してと言うよりも、カーキ色の軍服に身をつつみ、先ほどからひたすら苦笑いを浮かべている2人の青年士官に向けられたものだった。

 

「いえいえ、お気になさらず。近頃は一機艦との演習も増えてきたと伺っていますし、訓練などの疲労は、私も身に染みて分かっていますので」

「そうだよ、みずづきさん。俺たちは、出身は壮大に違えど同じ軍人。隊長や百石長官のお話を伺う限り、日本も瑞穂と似たようなものって聞くし、寝坊する気持ちもよ~く分かる」

 

2人して、寝坊したこちらを労わってくれる西岡と坂北。彼らはせっかくの休みを潰してまで、引っ越しの手伝いを引き受けてくれたのだ。みずづきが来てから4ヶ月。いくら軍人で訓練や演習、戦術の研究に明け暮れる日々とはいえ、生活している以上ものは増える。タンスや本棚などは典型例だ。女性の引っ越しとはいえ、さすがにそれらを移動させるのは艦娘たちだけでは荷が重い。かといって、それほど物が多い訳でもないのでわざわざ引っ越し業者を鎮守府内に入れるほどでもない。そこで横須賀鎮守府の将兵たちが検討対象となった。そして、その話を聞いた横須賀警備隊隊長の川合清士郎(かわい せいしろう)大佐が推薦し、ちょうど引っ越し日に休みが重なっていた西岡少尉と坂北中尉に白羽の矢がたった。お願いに行くと2人は「お役に立てるのなら」と二つ返事で了承。これにより、労働力不足は解決を見た。

 

ちなみに坂北は、みずづきが初めて横須賀鎮守府1号舎3階の司令長官室に入室した際、川合や西岡と共に入室した横須賀警備隊所属の士官である。坂北は西岡の2期先輩にあたる同じ海軍兵学校卒業者のため、かなり親密な関係を築いている。

 

「中尉は私が任官してから2度寝坊して、隊長の武術訓練の実験台にされていましたからね」

「あれは本当に死ぬかと思った。隊長もあそこまで本気で首絞めにかからなくても・・。何が怖かったかって、首絞められながら“もう寝坊すんなよ”って笑いながら隊長が優しく諭してきたことだよ・・・・」

 

(こわっ!! でも・・・・・川合大佐なら・・・・・やりかねない、かな)

口に出しては言えないため、心の中で密かに恐怖。そして、苦笑。まだまだ“若い”坂北中尉を彼の父親ほどの年齢である川合が締め上げている光景はなぜかしっくりきた。そこで不意にいつか小耳に挟んだ話を思い出した。

(そういえば・・・・・・この間の辞令で警備隊からも何人か異動する軍人が・・)

瑞穂でも日本と同様に毎月1日は辞令が多いのだが、諸外国では年度初めにあたる10月1日は他の月と比べて異動が多い傾向にあるらしい。特に、今年は先の房総半島沖海戦の件で部隊の再編が行われるとの噂もあり、横須賀鎮守府においても10月1日付で多くの辞令が出されている。

(まぁ、今はそれどころじゃないし、後から聞いてみようかな?)

 

「本当にすみません。この失態を取り戻すために精一杯働きますので、どうかご尽力よろしくお願いします!」

「よしっ!! そうと決まれば、ちゃっちゃといこうぜ!!」

 

ハイテンションで嬉しそうに拳を突き上げる深雪。それにつられ、ご立腹であった陽炎も加わり、全員がやる気をたぎらせて拳を青い天に向けて突き上げる。

 

引っ越し開始だ。

 

 

 

――――――――

 

 

 

「私、今日からここに住むんだぁ~~~」

 

みずづきの新しい住まい。艦娘寮であることは前提条件として空いている部屋のどこに入るのか。一見単純そうに見える問題だが、決定されるまで艦娘たちの間では一悶着があった。現在、艦娘寮北棟は1階に1部屋、2階に2部屋の空き部屋がある。1階には第一機動艦隊(赤城・翔鶴・榛名・摩耶・曙・潮)と第五遊撃部隊(吹雪・加賀・瑞鶴・金剛・北上・大井)、そして長門。2階には第三水雷戦隊(川内・白雪・初雪・深雪・陽炎・黒潮)と第六水雷戦隊(夕張・球磨・暁・響・雷・電)が入室している。

 

いかに自艦隊と近い位置にみずづきを入室させるか。特に駆逐艦が主戦力となって2階派と1階派に分かれ、激しい舌戦が繰り広げられたのだ。中でも第三水雷戦隊はみずづきと付き合いが長いこともあり、駆逐艦が5隻いることもあって、一時期は2階が優勢な時期もあった。しかし、長門が「私は隣の方が事務的なやりとりも行いやすい。1階ではダメか?」と言った途端に流れが激変。最後は「私も長門さんの意見に賛成です。いちいち、2階まで上がるのめんどくさいし」というみずづきの鶴の一声で情勢は決した。

 

結果、みずづきは1階、6号室。真正面には第五遊撃部隊の吹雪・加賀・瑞鶴が入っている3号室。右には長門が入っている4号室、左には「居間」がある部屋へ入ることとなった。

 

「すーーーーー。はぁ~~~~~」

 

一度、深呼吸。ホコリっぽさもかび臭さもなく、漂うのは井草と木の匂い。清掃はきちんと行き届いており、布団も三段ベッドの下段にしっかりと敷かれている。聞くところによると陽炎が昨日干してくれたそうで、太陽の匂いも新生活への高揚感に大きな好影響を与えていた。

 

「ちょっと、みずづき。感傷に浸ってないで、はい! 段ボール!」

 

口元の高さまで重なった段ボール箱を抱え、部屋に入ってくる陽炎。慌てて、パスを受け取る。やはり、見た目通り重い。

 

「陽炎? そこまで急がなくても・・・」

「なに言ってるのよ。せめて昼頃までにだいだい終わらせておかないと地獄を見るわよ。今日も真夏日っていうし」

 

みずづきもだったが、そういう陽炎の額にはいくつもの汗が浮かんでいる。午前中でこの状態。陽炎のいった天気予報も今日ばかりは外れることもないようだ。

 

「陽炎~~~~。そこどいてくれへん? 入られへんのやけど・・」

「ああ、ごめん黒潮、初雪」

「おおきにな」

「うん・・・・・・・」

 

陽炎と同じように段ボール箱を持った黒潮と初雪が入ってくる。さすがに、口元まで積み上げてはいなかったが。

 

「えっと・・・・・ひ、ふ、み・・・。黒潮、あとどれくらい残ってた?」

「ん? 川内さんに白雪と深雪も運んでるからもうないと思うで? タンスは運び終えて、本棚は少尉と中尉が今、運んでる最中や」

「了解。んじゃ悪いけど、タンスを運ぼっか。あまり大きなものじゃないし4人もいれば大丈夫でしょ」

 

タンスは艦娘寮玄関の前に置かれていた。底面が汚れないように下には新聞紙が敷かれている。川内たちは「別に中に入ってもいい」と言ったのだが、西岡たちは「それはさすがに・・・・」と頑なに首を縦に振らなかった。みずづきとしても中まで運んでほしかったのだが、西岡たちの気持ちも察せられたため、無理強いはしなかった。男性将兵にとって艦娘・人間問わず、女子寮は立ち入り禁止の聖域。あの百石ですら女性軍人用の寮に無断で侵入すれば、女性軍人たちにボコボコにされた挙句、憲兵隊にお灸をすえられることとなる。彼らにとって雲の上の存在である百石でもそうである。いくら兵学校卒の士官とはいえ、万が一嫌疑をかけられれば社会的に終わりだ。

 

だから、彼らの助力は玄関まで。ここから先は艦娘のみでやらなければならない。

 

「うーん。まぁ、駆逐艦でもいけるやろ?」

「うん。早く終わらせて、休みたい」

「あんたね・・・・。助っ人を頼もうにも、ここには私たちしかいないし、やるしかないわね」

 

夜は賑わう艦娘寮も住人である艦娘たちの大半が訓練や任務でいなくなる昼間は、閑散としていた。必ずどこかの部隊がローテーションで休みとなるため、完全無人化は大規模作戦が発動されるような時以外はないが、それでも寂寥感せきりょうかんは否めない。

 

「お? なに、タンス運ぶの?」

 

タンスを運ぶため外に出た際、ちょうど川内たちが帰ってきた。

 

「はい。4人もいれば大丈夫かなっと」

「うーん。みずづきもいるし、大丈夫だと思うけど・・・。ちょっと、待ってて。私たちも手伝うよ。あまりいても邪魔だけど、3人増えたぐらいじゃむしろ利の方が大きいでしょ?」

「では・・・お言葉に甘えて、お願いします」

「大丈夫やって川内さん。こんなの、ちょろいもんやで」

 

少しふざけたようにいう黒潮。それを「はいはい」と笑顔であしらって川内たちは、寮の中へ入っていく。

 

「あ。少尉たち・・・・・・」

 

川内たちが戻ってきたあと、運び方や置く場所などを相談していると初雪が唐突に声を上げた。指差す方向を見ると、何食わぬ顔で本棚を運んでいる西岡と坂北がいた。

 

「さすが、警備隊の士官さん。あんな重たそうなものを表情1つ変えず・・・」

 

白雪の驚愕に例外なく全員が頷く。やはり、士官とはいえ陸軍の歩兵と同様に地上で戦う部隊である以上、体は相当鍛えられているのだろう。

 

「遅くなりました。みずづきさん? どこらへんに置いておけばいいでしょうか?」

「えっと、すぐに運びますから、道路の端・・・・・ここでいいですよ」

 

実際に歩いて、置いてもらう場所を示す。広い道路の端であるため自動車が来ても邪魔にはならない。

 

「分かりました」

「よし、んじゃっと。西岡? いくぞ。手を挟むなよ?」

「了解」

 

敷かれた新聞紙の上に運ばれ、ゆっくりと地面に近づく本棚。

 

そして・・・・・・。

 

「ふ~」

「これで大きな荷物は運び終えましたね」

「ありがとうございます、西岡少尉、坂北中尉。本当に助かりました」

「いやいや、いいよ。こんなのお安い御用さ」

「いやぁ~、さすがだな! 俺もそんな肉体が欲しいぜ」

「いやいや、深雪はそのままの方がいいと思うぞ。それに筋肉マッチョは男の特権だ。まぁ、隊長には敵わないが」

「川合大佐は別格でしょ?」

 

川内のツッコミ。それに対して「おっと、そうだったそうだった」と頭をかく坂北。一気に場が爆笑に包まれる。

 

「あ、そういえば・・・」

 

ここで機会があったら聞こうとしていたことを思い出す。

 

「あの坂北中尉?」

「ん? どうしたみずづき?」

「警備隊にも人事異動があるんですか? 食堂かどこかで小耳に挟みまして・・・・」

 

「はっ?」と鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる坂北。お門違いの質問をしたようで、頬が熱くなってくる。質問の意味を咀嚼し終えた後、彼は豪快に笑い始めた。

 

「えっと・・・・、その・・・・」

「いや、悪い悪い。ぶっ・・・・。あまりにも予想外なことだったんでな。ぶ・・ふふ・・・」

「みずづきも変わったところに興味を抱くわね」

 

呆れたように陽炎が苦笑顔を向けてくる。

 

「いいでしょ、別に! 私だって海上国防軍の軍人だったから異動とは無縁じゃなかったし、やっぱり瑞穂も日本と同じような感じなのかなって」

「なんだ、めちゃくちゃ全うな理由じゃないか。これは坂北純一(さかきた じゅんいち)の名に懸けて、お答えしなくちゃなりませんな」

 

ふやけ切っていた笑顔を引き締め、胸を張りつつ爽やかな笑みを演出する坂北。そんな彼に周囲全員を代表して、西岡が「格好つけないでくださいよ、中尉」とツッコミをかます。「格好などつけてない!」と反論しつつ、彼はこちらの質問に答えた。

 

「日本がどうだったかは知らないが、今回もいつも通りの辞令だよ。山梨副隊長を筆頭に警備隊からも数人が異動するということらしい。今回は10月にしちゃ、多い方だよ」

「そうなんですか。例年より多いというのは、やはり先の戦闘の影響でしょうか?」

 

今から約2ヶ月前に行われ、多数の犠牲者を出した房総半島沖海戦。当海戦において生じた激震は遅効性の毒のように海軍内へ、そして瑞穂全体に広がり続けていた。

 

ラジオから聞こえてくる声は、攻撃を未然に防げなかった海軍・佐影内閣への野党の追及。永田町・市ヶ谷で連日暴れまわっている「早期反攻作戦実施」を求めるデモ隊のシュプレヒコール。新聞の紙面には、海軍を非難し、反抗作戦実施を叫ぶ有識者を取り上げた記事が羅列。度々行われる世論調査結果を大々的に掲載し、いかに国民世論と政府・海軍が乖離しているのかを強調させるような演出を行っていた。

 

それらを飽きるほど見聞きしてきたためそう思ったのだが、坂北は肯定するでもなく対照的に悩まし気な表情を見せた。

 

「あれ・・・違いましたか?」

「ま、まぁ・・・・・房総半島沖海戦の影響と言われればそうだが・・・・」

 

彼は周囲に視線を泳がせる。途中、西岡と交差するものの、彼はキョトンと首をかしげる。それを見て、みずづきは咄嗟に口を開いた。

 

「す、すみません! 部外者が出過ぎた真似を・・・・」

「あ・・・いや、別にいいんだ。そうだよな、これは艦娘にも関係あることだもんな」

 

視線を下に向け、独り言を吐きつつ坂下は1人で勝手に納得する。訳かわからず「あの・・・」と声をかけようとしたが、コンマ数秒の差で彼が先に話した。

 

「いや・・・俺も人づてに聞いた話なんだがな。どうやら、今回の人事異動に排斥派が噛んでるって噂があるんだよ」

「は、排斥派が?」

 

予想外の単語に、川内が問い返す。「あくまで噂だがな」と前置きした上で坂北は肯定する。

 

「それはどういう・・・・」

 

思わず首をかしげてしまう。この世界へ来た翌日に自分を拉致しようとした御手洗実(みたらい みのる)が所属し、艦娘の排除を声高に叫ぶ艦娘排斥派。房総半島沖海戦で彼らが「深海棲艦など鎧袖一触(がいしゅういっしょく)」と豪語していた30式戦闘機部隊が壊滅状態となり、通常兵器での対抗がますます非現実的妄想と受け取られるようになった昨今。彼らはすっかり「艦娘排斥」の主張を封印し、代わりに「反攻作戦早期実施」を叫ぶ「積極攻勢派」へ姿を変えつつあった。世論・メディアの後押し、そして「反攻作戦」実施に消極的な擁護派上層部に見切りをつけた多数の擁護派将兵が彼らと合流したことにより、艦娘に対する認識に相違があろうと「積極攻勢派」は艦娘を投入してでも脅威の排除・敵討ちで一致団結。海軍内において最大勢力に成長していた。

 

「さぁ? 俺も詳しいことは分からん。山梨副隊長の代わりに異動してくる十部(とべ)?とかいう中佐も排斥派じゃないからな」

「前職は紀伊防備隊の副隊長でしたっけ?」

 

西岡が記憶の確認を行う。「そうそう」と記憶の海に意識を向けながら坂北は頷く。

(ん? 紀伊防備隊)

何気なく西岡が発した単語。それに聞き覚えがあった。

 

紀伊防備隊。房総半島沖海戦の直前、川内たちとの船団護衛任務の途中で立ち寄った由良基地に所在する部隊だ。由良基地司令堀北市兵衛(ほりきた いちべい)大佐の時間を気にしていた中島克樹(なかじま かつき)中佐は紀伊防備隊の参謀長だった。

(あそこから来た人か・・・・・・・)

由良基地の風景を思い浮かべつつ、十部新警備隊副隊長の人となりをなんとなく把握する。

 

「変な噂もない、普通の陸戦畑の士官だ。排斥派の思考が分からん。ようやく目が覚めたのかと思ったら、まだまだ君たちを腹に据えかねている連中は大勢いるようだしな」

 

そう言いつつ、とある人物のように人を見下した視線で、腸はらわたが煮えくり返っている表情を作る。強烈に襲ってくる既視感。坂北が真似している人物の正体を最も早く看破したのは黒潮だった。

 

「あのおっさんや!! 御手洗のおっさん!!」

「正解!」

「よっしゃあ!!!」

 

天を突きあげるようなガッツポーズ。その隣では深雪が坂北を指さしながら「似てる似てる!! 面白すぎ!」と大爆笑。「そうだろ? そうだろ?」と彼は誇らしげに胸を張る。

 

その姿には笑いを止められなかった。周囲を見ると、陽炎たちや西岡も大笑いしている。

 

 

少し辛気臭くなった雰囲気が以前の状態に戻っていた。

 

「さてと、小難しい話はおしまい、これでいいかな? みずづき」

「はい、もう十分です。傑作な物まねも見せて頂きましたし、大満足です。ありがとうございます」

「そうか、そうか。それはよかった。えっと・・・・・これで俺たちの仕事は終わったが・・・・・ほかに何かすることはあるか?」

「いえ・・・・特には」

 

頭の中でこれからやるべき仕事を反芻する。後はタンスと本棚を運び、段ボール箱の中身を片付けるだけ。タンスと本棚はそこまで大きくないので、十分女手だけでもいける。一応、川内にも確認をとったが、彼女もみずづきと同意見で特に反論はなかった。

 

「・・・・・・はい。大丈夫です。無理を言って手伝っていただき、本当にありがとうございました」

 

みずづきに続いて川内たちも「ありがとうございました」とお礼を述べる。1名だけ「あんがとよ」と軽い口調だったが、厳しい姉のほほつねりを受け「ありがとうございました」と言い換えていた。

 

「いやいや、お役に立てて何よりです。汗を流した甲斐がありました」

「それにこんなかわい娘ちゃんたちにお礼を言われるなんて、男として歓喜の極み!! ほかの奴らに自慢してやろう。高崎とか新田とか、悔しがるぞ~~~」

 

まっすぐ背筋を伸ばしたまま爽快に微笑む西岡。拳を握りしめ、体全体で喜びを体現する坂北。発言はいささか乱暴気味だが嫌悪感を覚えないのは、彼の豪快ですがすがしい性格故だろう。

 

「じゃあ、私たちはこれで」

「おう。みずづき? 新しい住まいで頑張れよ。深雪! 黒潮! あんまりみずづきを困らせるなよ!」

「何言ってるんだよ。俺はみんなの心の友、深雪様だぜ。んなことしてもねぇし、しねぇよ!」

 

どこが? という呟きが聞こえてくるがこちらも思っていたため流す。

 

「なに言うてんの! 私がみずづきを困らせてるんやなくて、陽炎がみずづきを困らせてるんやで!!」

 

ニヤ付いた笑みで陽炎にチラチラと視線を送る。当然、陽炎が反応しないわけがなかった。「ちょ! なに言ってんのよ、黒潮!! 私がいつどこでみずづきを困らせたっていうのよ!」と陽炎が迫るものの、黒潮は川内の後ろに隠れて「いや~~~。こわっ!」と反応している。そこまで陽炎は怒ってないのだが、どうやら大げさに振舞っているようだ。

 

その様子を見てひとしきり笑った後に、西岡と坂北は「じゃあ」と男らしく手を挙げて、颯爽と帰っていった。

 

「よしっ!! あと少し!! 三時までには終わらせて、橙野に行こう!!」

 

と言った瞬間、暑さと疲れにやられいつも以上にダウンしていた初雪の目が甦る。光輝き、やる気に溢れている。その激変ぶりはさすがというべきだが、苦笑を抑えきれない。周囲を見ると先ほどまで姉妹コントを行っていた陽炎や黒潮、コントの犠牲になっていた川内も笑っていた。

 

「私、アイスクリーム!! いや、いちご! ストロベリーアイスクリーム!! それが食べたい!!」

「もう、初雪ちゃんったら」

「うちは鉄板のソフトや。あの純粋さがたまらへん!」

「私もソフトかな。いや、コーヒーも捨てがたい・・・・・」

「俺はかき氷!! メロンで!! あのキーンっていうのがいいんだよな」

「深雪・・・・・いつかもそう言った挙句、やりすぎて苦しんでたじゃないの。私もソフトかな。みずづきは?」

「私は行ってから決める!!!!」

 

洋・和を問わず甘味が溢れるこの季節。当然、橙野もこの季節を惰性で過ごすわけはなく、一同が挙げた以外にも様々な種類の甘味を揃えていた。にもかかわらずメニューを見ずに決めるなどもったいない。メニューをじっくりと見て最適解を導き出さなければ甘味に失礼である。

 

その熱意がありありと伝わったため、みずづき以外の全員が『ですよね~~~~』と達観した目でこちらを見ながら、見事なハーモニーを奏でてきた。顔が一気に熱くなる。無意識のうちに右腕が気合い十分のガッツポーズをかましていた。

 

「もう! はいはい! 無駄口叩いてないで作業始めるよ!! だいたい、これが終わらなかったら行けないんだし」

 

恥ずかしさを誤魔化すために率先して行動を開始するが、すぐに「一番乗り気なの、みずづきじゃん」と茶化すような陽炎のツッコミが飛んできた。

 

そういうこともあり、途中深雪や黒潮が遊びに走って作業が中断する事もあったが、3時までには無事、引っ越し作業は終了。

 

橙野には予定通り、解放感と達成感に満たされた艦娘たち(特にみずづき)の幸せそうな歓喜で覆われるのだった。

 

例え、新たに得られた居場所が急速に変貌を遂げていたとしても。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

中秋の名月。

 

台風、残暑、秋雨、彼岸、祭り等々。世界に類を見ないほど四季が色濃い瑞穂において、9月も他の月と変わらず、気候的・文化的風物詩が数え切れないほど存在する。あまり人間にとっては好ましくないものも含まれているが、誰もが「この季節こそ!」と口を揃えるのはやはり“月”であろう。

 

その言葉通り、雲一つない夜空に小さくも堂々と浮かび、まるで太陽のように金色の光を発して地上を照らす月は、比喩できないほど美しい。なんの障害物もなく月光が降り注ぐ様はあまりに幻想的で、この世のものとは思えない。

 

「はぁ~~~~~~~~~~~」

 

そのような光景が備え付けられた窓をいただく部屋に、主の心労を示すような重く長いため息が響く。

 

百石は常人が思わず頬を緩めてしまうような座り心地の高価な椅子にリラックスすることもなく、窓から見える景色に感動することもなく、他人が敬遠してしまうため息を吐き続けていた。

 

彼が魂を放出しかけている場所。

 

ここは横須賀鎮守府の中ではない。鎮守府から少し離れつつも鎮守府・横須賀市街・横須賀湾そして東京湾を一望できる田戸台(たどだい)に建てられた横須賀鎮守府司令長官官舎の執務室である。司令長官が入居する専用の官舎。既婚者の場合は妻子も共に入居するため、造りは非常に豪華であり市井に建っている並みの豪邸とは比較にならない荘厳さ・雅さ、そして芸術性を兼ね備えている。全て木造で大半が平屋、一部が2階建て。会議や執務、接待などに使用される洋館と私生活を送る瑞館に分かれている。双方とも一般的な一軒家と同等の広さを有している。また、家屋の周囲には家が複数建てられるほどの庭が広がり、横須賀鎮守府司令長官がいかに重要なポストか暗示していた。

 

横須賀鎮守府司令長官室と同様に上品な柔軟性を宿す赤い絨毯、漆で艶やかに仕上げられた執務机に皮椅子など、一目で高級品と分かる品々が所狭しと自己主張を繰り広げている一室でなぜため息を吐いているのか。それは机上に置かれている今日付けの「日就新聞」記事が原因だった。そこには新たに横須賀へ異動してくる将兵の素性を調べた「新任者身体検査結果」など、他にも複数の書類で埋め尽くされていたが当新聞の記事が一番上にあった。

 

「なんでだ・・・・・・・。どうして!!」

 

あまりの理不尽さに腹が立ち、感情を発散させるため拳を振り上げる。だが激しく机へ叩きつけられることもなく、拳は弱々しく机上へ帰還した。

 

拳のかわりに、ただの紙切れを睨みつける。そこの一面には大々的にこう書かれていた。

 

“大本営 南下戦略を変更か 東進戦略へ含み”と。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

こうなることは薄々分かっていた。しかし、分かっていてもいざ現実となればすぐに容認できるような代物でもなかった。

 

 

 

 

「百石、今日の日就新聞を読んだか?」

 

 

 

 

 

海軍軍令部総長的場康弘(まとば やすひろ)大将から直々に電話があったのは今日の夕方だった。

 

 

 

 

「はい。既に一読しております」

「そうか」

 

たった一言。しかし、的場がこの記事にどのような想いを抱いているか。その口調だけで推測は可能だった。

 

 

「やられたよ。まさか口の緩い下士官からではなく、今まで散々コケにされてきた排斥派の上層部から漏れるとは。あちらさん、もうマスコミとは仲良しこよしのようだ」

 

乾いた笑みが聞こえてきた。その声には明らかに疲労が滲んでいた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

房総半島沖海戦によって、瑞穂は変わってしまった。国民世論は4000人もの犠牲の前に復讐に燃え、国民世論に迎合したラジオ・新聞などのマスコミは敵の侵攻を未然に防げず、反攻作戦実施を頑なに否定する海軍上層部を袋叩き。積極的攻勢を主張することで派閥の存続及び世論・マスコミの力強い後ろ盾を得た排斥派が海軍内で発言権を高め、擁護派は事実上排斥派が主導する「積極攻勢派」と的場達と志を同じくする「攻勢反対派」に分裂していた。

 

海軍内での火種は「艦娘の登用」から「反攻作戦実施の可否」に移ったのだ。

 

かつては海軍内で最大勢力を誇った百石たちもいまや少数派。的場が急速に求心力を失っていく中、発車しかけているバスを止めるためにいくら足掻こうと現実は非情だった。

 

「百石?」

 

唐突に的場が声をかけてくる。「はい」とすかさず返事をするが意識が思考の中に沈み込んでいた影響で、少し反応が遅れてしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

感覚的に長く感じた沈黙。それは的場の真剣な口調で破られた。

 

「言いたいことがあるなら、はっきりと言ってくれ。変にため込んでは不信ばかりが募りやがて・・・・・組織全体を殺す毒となる」

 

どうやら考えていたことはお見通しのようだ。百石は生唾を飲み込むと、受話器を上げて以来聞きたかった問いを的場に投げかけた。

 

「・・・・・・・・もう、止められないのでありますか?」

 

その問いに彼はむなしさを隠さず、「・・・・・・・・止められないな」と呟いた。

 

「東京の様子は私の口からいちいち伝えんでも、あの通りさ。さすがに機密は含まれていないがな。一時的な東進戦略への変更、敵機動部隊集合地の撃滅は政府内で既定路線となりつつある。お上が決定すれば、我々軍令部内も動かねばならん。一昨日の統括会議で“MI/YB作戦”の検討及び立案が正式に決定された。陸軍参謀本部も軍令部の決定を受け、本格的にMI/YB作戦に必要な戦力及び部隊の策定を開始した」

「そう・・・・・・・ですか」

 

その言葉がわずかに残った儚い希望を完膚なきまでに叩き潰した。

 

艦娘たちの参戦によって本土防衛に成功して以降、瑞穂は「南下戦略」と呼ばれる伊豆・小笠原諸島、多温諸島、ベラウ諸島で構成される第2次列島線の確保を至上命題としてきた。これを達成するために戦局が安定して以降、戦力が整えられてきたと言っても過言ではない。また西太平洋の安定化を切望する東・東南アジア諸国の要請もあり、これまで一切の変更が加えられてこなかった国家的基本政策でもある。それが完成した暁に十分な準備期間を開けて実行しようと検討されていたものが「東進戦略」だ。この戦略は確保した第二次列島線の各諸島を前線基地として、東アジア・東南アジア諸国と協同し北・南太平洋の各諸島を占領・前線基地化。深海棲艦の本拠地であり、難攻不落の要塞と化している布哇(はわい)諸島を攻略するという一大戦略である。

 

 

だが瑞穂は一時的にしろ「南下戦略」の完成と同時に諸外国との調整や装備・人員の充足がなされていない「東進戦略」へ舵を切り、とある諸島の攻略を行おうとしていた。

 

もし、そこ以外の島々なら的場たちが「税金泥棒」の汚名を被ってでも反対はしなかっただろう。

 

「いくら暗雲が立ち込めていようと決まったことには従う。それが軍人だ」

 

最後に語られた言葉。まだ数時間前の会話だが無念と慙愧(ざんき)に覆い尽くされたつらそうな言葉はそうそう風化に晒されることはないだろう。

 

 

追憶から現在に意識を戻し、椅子から立ち上がる。窓を開け、景色を楽しめる体勢を整えるのにそう時間はかからなかった。

 

「きれいだな・・・・・・・・」

 

思わず、そう呟く。その美しさがますます胸の鈍痛を強く、強調していく。

 

穢れのないまっさらな月と信念を貫き通せなかった汚い自分。その対比は残酷なものだった。

 

「これを長門たちに言ったら、どうなるかな。・・・・・・・・・・軽蔑されるか、はたまた同じ轍を踏まないよう知恵を絞ってくれるか。・・・・・・・・・・本当にどっちだろうな」

 

百石が先ほどまでいた机の上。折り重なっている数多の書類の隙間から「ミッドウェー」という単語が月明かりを浴びていた。




よくよく考えるとみずづき引っ越ししてなかったんですよね・・・。


さてさて、イベントに参加されている提督のみなさん、秋イベの進捗状況はどうでしょうか?
今回はギミックがひじょ~~~~~~うにうっとおしく、自力で突破された方や攻略サイトを見られた方の中には「は?」と思われた方も多かったのではないでしょうか。(なぜか、支援艦隊のシステムが変更されますしね・・・、砲撃支援しようと思って航空支援になったときはたまげました)

ただ、そんなのに屈しないのが恐ろしいところ。特に今回の報酬艦は本作の作者として絶っっっっ対に見逃せない艦娘だったので、とにかく突っ走りました(・・・丙ですが。たまに乙があったような・・・)。

本当は内心で11月中旬後半に投稿の再開を予定していたのですが、さすがに無理でして、このタイミングになってしまいました。読者の皆様をお待たせする結果となってしまいましたが・・・、これで作者の鎮守府には秋月型が全員・・・・。

何か悪寒を感じたので、次話をどうぞ!

まだ、攻略できていない方、ご自分のライフルスタイルが崩壊しない程度にアタックしてみてください!!(攻略サイトではE-4において、ギミックとゲージ一本目がネックで後は楽勝とか書いてるところがありますが、作者はゲージ二本目が最も苦戦しました)


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66話 戦いの気配

新章ですから、新たなアクセントが必要ですよね。


「主砲迎撃圏、まもなく突破されます!! 再度敵情復唱! 敵残存機数9!  距離40500!  速力296ノット!! 高度16! 方位092より赤城へ突入!!」

「っ!? 了解!! 全艦、みずづきさんの主砲迎撃終了と同時に撃ち方はじめ!!」

『了解!!』

 

大海原を駆け抜ける7隻の艦影。1隻からは等間隔で主砲が硝煙をあげ、遥か彼方の大空へ砲弾を投射していく。その間から木霊する少女たちの叫び声。

 

火球となり海上へ落下していく艦上攻撃機も相まって、ここ横須賀鎮守府相模湾訓練海域はさながら戦場の様相を呈していた。

 

「こちらみずづき。主砲迎撃終了! 最終報告! 敵残存機数7! 距離38700! 速力以下変更なし! すみません!」

「いえ、いいのよ。長い間お預けを食らっていたけれど、ようやく私たちにも腕の試しどころが回ってきたわ。・・・・・・・全艦、撃ち方よーい!!」

 

先ほどまで海風すら聞こえなかった艦隊に異様な静寂が訪れる。みずづきはメガネ型戦術情報表示端末(メガネ)を穴が空いてしまうほどに睨みつけ、赤城たちも呼吸をしているのが疑ってしまうほど己の火砲と蒼空に意識を集中している。いつもは会話の絶えない艦隊だが、和気あいあいとした空気はここに全く介在していなかった。

 

そして・・・・・・・。

 

「撃ち方はじめーーーーーー!!」

 

戦場でしか聞かない、いつも清楚な赤城の図太い絶叫。それを合図に一斉に艦隊を構成する各艦から砲が、銃が放たれる。もうどの音が榛名の35.6cm砲で、どの音が摩耶の20.3cm砲で、どの音が潮や曙の12.7cm砲で、どの音が赤城をはじめとする各艦の対空銃座の音なのか、はっきりと区別できない。空を切っていく紅蓮色の曳光弾も誰から発射されているのか、分からない。

 

だが、放たれている先で次々と後生大事に魚雷を抱え一直線に赤城へ猛進してくる艦上攻撃機が海の藻屑と化していく。みずづきは今行われている壮絶な対空戦闘に参加していないが、その光景を見てつい安堵のため息を漏らしてしまう。

 

 

今回、ここ相模湾訓練海域では“極限環境下における対空戦闘連携”及び“極限環境下における対空戦闘能力養成”をコンセプトにかなり実戦的な演習が行われていた。状況設定は「みずづきを第一機動艦隊直営艦とし、所属空母赤城・翔鶴の艦上戦闘機搭載数を最小化。艦上戦闘機・艦上爆撃機搭載数増加による攻撃力の強化に力点をおいた編成で敵との航空戦が発生。機動部隊若しくは基地航空隊との戦闘により、みずづきが対空ミサイルである発展型シースパロー(ESSM)を全弾消耗、また赤城・翔鶴の紫電改部隊が全滅した状況で再度の敵航空部隊による襲撃が発生」というかなり残酷な状況だ。

 

普通に考えれば、あり得ない事態。しかし、リスクを最大化して思考するならそれはあり得ない事態ではなかった。みずづきのESSM搭載数は最大128発。Mk.45 mod4 単装砲の主砲弾は200発少々。CIWSは完全自衛火器で射程距離も短く、連射速度が凄まじいとはいえ、すぐに弾を使い果たしてしまう。つまり、みずづきが搭載する弾薬量より多い“飽和攻撃”を仕掛けられた場合、みずづきとて窮地に立たされる。

 

しかし、横須賀鎮守府はみずづきを単独で運用する気がさらさらないため、こうした極限環境下に陥った場合、いかにして僚艦たちと効率的に情報交換を行い、適切な対処方針を打ち立てられるか、に取り組んでいた。その結実がこの演習である。

 

 

元来、対空戦闘とはみずづきは脇において、大日本帝国海軍の艦娘たちにとってはかなり苦戦する分野の1つであった。性能に難があろうとも虚偽目標(ゴースト)を映さない程度のレーダーさえあれば改善を見るが、目視では敵がどこからいつ来るのか分からず、発見しても接近された状況であり、天候によっては完全な奇襲も発生。またいざ攻撃を始めても敵の高度・速力を見誤れば、弾は当たらないし、調整信管を有する砲弾も明後日のところで爆発し、結果攻撃しているようで攻撃していない事態に陥る。

 

しかし、決して彼女たちは遊んでいるわけではないし、決して練度が低い訳でもない。その能力を思う存分発揮できる環境を整えれば、戦況は劇的に改善する。

 

それがまさしく今だ。みずづきがいなければ艦上攻撃機の魚雷投下を甘んじて受ける場合もあった。しかし、みずづきが視認以前から彼我の相対距離、敵の進路・速力・数、そして目標とされている艦の報告を行ったことで、あらかじめ敵情を把握でき、効率的な防空戦闘が可能となっていた。

 

敵側の流星が296ノット(時速548km)という公試速度を超える爆走を見せ、こちらの動揺を誘ったにも関わらず、第一機動艦隊はその艦隊名に相応しい完璧な防空戦闘を行った。

 

最後の一機が腹に抱えた巨大な魚雷を放つこともなく、魚雷の誘爆のよって閃光を発しながら四散する。

 

「よっしゃあ、私1つ!!」

 

通信機から摩耶の歓喜が聞こえてくる。目視だと彼女が撃ち落としたのか分からなかったが、レーダーでははっきりと彼女の放った20.3cm砲弾が流星の真下で炸裂したことを捉えていた。「ほんとに~~?? お得意の見間違えじゃないの?」と曙が突っかかることは目に見えていたため、あとから摩耶をフォローする材料になりそうだ。

 

「目標全機撃墜を確認。みずづきさん?」

 

赤城がこちらに確認を促してくる。FCS-3A多機能レーダー画面は静かの一言だった。

 

「はい。周囲に敵影なし。敵航空隊の殲滅を確認しました」

「そう。対空戦闘終了及び今次演習の完遂を演習全艦に通達します。・・・・ふぅ~」

 

赤城のため息。疲労が蓄積している影響か、みずづきも含め一機艦全体に波及していく。

 

「なんとか無事に終わりましたね、お疲れ様です赤城さん」

 

安堵の中に嬉しさをたたえた様子で翔鶴が赤城に話しかけている。百石から演習の内容を聞かされた際に、“私、被弾するかも・・・・・”と引きつった笑みを浮かべ瑞鶴や榛名に励まされていたが、彼女の不安は具現化せずに済んでいた。今回の演習で被弾艦は1隻も出ていない。

 

これまで何度も一機艦と組んで演習を行ってきた成果が如実に表れている。

 

「ええ、そうね。反省は鎮守府に帰ってから行うとして、今はみなさんの健闘をたたえましょう。みなさん、お疲れ様でした」

「おうよ。この摩耶様の力、ようやく発揮される時が来たぜ!」

 

有り余る元気が通信機から流失してきそうな錯覚を思わず受ける。脳裏に勝ち気な笑みを浮かべ、20.3cm連装砲を振り回している摩耶の姿がはっきりと浮かんでくる。

 

「なにがこの摩耶様の力、よ。その力だって、みずづきあってのものじゃない。しっかりと現実っていうのを見なさいよ、現実を!」

 

こちらも腕組みをして、摩耶の方に気だるげな視線を送っている姿がありありと脳裏に浮かぶ。あまりの想像のしやすさに吹き出してしまいそうだ。また、この後の展開もだいたい想像がつく。

 

「んだと!! 一発もあててない奴に上から目線で言われる筋合いはないっての」

「はぁ!! 一発も当ててないって、それはあんたも同じでしょ!!」

「違います~~。私はきちんとはっきりと一発当てたんだよ!!」

「はぁ~~」

「ああ! 信じてねぇだろう!! 私はこの目ではっきりと見たんだよ! 自分に撃った弾が流星の真下で爆発するのを!」

「またまた、曳光弾の瞬きに目がやられたんじゃないの??」

 

笑いを噛みころした、挑発的な口調。恨み節のような「このやろう~~」が聞こえてくる。そろそろ彼女の登場かと思いきや、今日は少し違っていた。

 

「まぁまぁ、摩耶に曙。そんな熱くならずに・・」

 

苦笑気味の榛名が仲裁に入る。ついこの間まで曙が熱くなるとびくびくした雰囲気を纏いながら姉に助け舟を出していた潮は沈黙を保っていた。というより、この状況を楽しんでいるかのように笑っていた。あの騒動以前はあまり彼女の笑顔を見る機会はなかったが、最近は心なしか潮の笑顔をよく見るようになった気がする。

 

「別に熱くなってるわけじゃねぇ!! 私は味方の手柄を認めず、嘘をまき散らす無礼な駆逐艦に優しい教育をしてやってるんだ!」

「ほらほら、聞いた榛名。これでどっちが無駄な熱さにやられているのか、一目瞭然じゃない。って・・・・・何が無礼な駆逐艦よ!!」

 

どう見たって、両名は熱くなっておられますが。

 

苦笑を浮かべていると、榛名が話しかけてきた。

 

「はいはい、分かりました。・・・・みずづきさん? あなたなら、摩耶さんの言っていることが本当かどうか分かるでしょ? 少し、真実を語ってあげて」

「はい、了解です!」

 

思わず敬礼をしたくなる気分だ。こうなった場合は想定済みだったため、即座に「摩耶の弾が当たった旨」を両名に伝える。歓喜と驚嘆が交差した後、「まぐれよ、まぐれ」と必死に現実を逃避する声が聞こえてくる。

 

「あの~。す、すみませ~ん・・・・・」

 

突如、通信機から聞こえてくる申し訳なさげな声。これを聞いた瞬間、「あっ」と呟き、赤城が話しはじめる。その声色には少し「やってしまった」感が漂っている。

 

「ご、ごめんなさいね、吹雪さん。少し一機艦側の問題が長引いてしまって・・」

「どこがネー。いつもの漫才と楽し気な笑い声がずっーーーーーーと聞こえてたネ」

「金剛さん・・・」

 

「漫才じゃない!!」と息ぴったりな2人分のツッコミがかまされたものの、一機艦もそして向こう側も完全に無視である。ただ、必死に笑いを噛み殺している声も複数聞こえたが。

 

今回の演習で敵役を演じてくれていた艦隊は吹雪を旗艦とする第五遊撃部隊であり、みずづきたちに撃ち落されることが分かっていながら猛進してきた航空隊は加賀・瑞鶴の艦上攻撃隊。以前の主戦力は天山であったが房総半島沖海戦時の先行配備を終え、現在は全機が流星に機種転換されている。

 

赤城も自分の攻撃隊が無残に散っていく様を、あの日を境に何度も経験しているので今日ばかりは第五遊撃部隊に頭が上がらない様子である。吹雪や金剛はまだしも、沈黙を保っている正規空母お二方が不気味なことこの上ない。

 

「いえいえ、見事に演習を完遂されましたから、特にこちらからどうこう言うことは・・。ただ、少し時間が・・・・」

「赤城さん、時間が押しているから早く合流を。・・・・・・待ってます」

 

背筋に悪寒が走る。無機質の冷たさが凶器並みの鋭さを宿している。

 

「ちょっと、加賀さん!! もう・・・・。あの、それじゃ、お待ちしてますので!! 通信終わります!!」

 

吹雪が慌てて交信を終了させたものの一機艦周辺には肌を地味に痛めつける冷たさが漂っている。

 

「そ、それじゃあ、行きましょうか」

「・・・・・ありゃ、加賀さん、相当怒ってるよ・・」

「う゛・・」

 

誰もが言葉だけで感じていた残酷な真実を摩耶がわざわざ口にする。一航戦の相棒である赤城が再度ダメージを受けたようだ。

 

「まぁ、時間が押してるっていうのは事実ですからね」

「うぐ゛!」

「え!! 赤城さん! いえ、私は決してそのような意味で言ったわけじゃ・・」

「・・・分かっているわ、榛名さん。大丈夫、私は大丈夫よ・・・」

 

この防空演習が本日最後の演習というわけではなく、実はこの後に第五遊撃部隊と合同で“連合艦隊における艦隊行動”の演習が控えている。防空演習は熱が入りすぎたのか少し長引き気味だったため、あらかじめ吹雪から赤城に「すぐに来てくださいね!」と通知があったのだが、この有様。訓練に真剣な加賀が怒るのも無理はない。

 

本来なら赤城もそういう類いの艦娘なのだが、最近は実戦を想定した本格的な演習が連日連夜続いているため、疲労が溜まっている様子。それでも訓練時はミス1つ犯さないためさすがと言えるが、一たび気が抜けるとドジが目立つようになっていた。

 

「艦隊両舷微速。みなさん、疲れも溜まっていることと思いますがあと少しです。この機会を無駄にせず、意義あるものにしましょう」

「そうそう。この後は橙野だし。ちゃっちゃと終わらせようぜ~~」

「もう摩耶さん! 演習と橙野は比べてはいけませんよ」

 

凛々しい声。第五遊撃部隊のことをうっかり失念していた時とは雰囲気がまるで違った。今は正真正銘、正規空母の赤城である。

 

「どちらも大事です!!!!」

「やっぱり!!」

 

感心したのも一瞬。予想通りの展開に反射的にツッコミを入れてしまった。呆けているわけでもテンションが異様に高い訳でもなくとも、食い意地が張っているところは変わらなかった。

 

 

いつもの赤城である。

 

 

そう思ったのだが、ここで抱いた認識はすぐ後に揺らぐこととなった。

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

居酒屋 橙野

 

「5追加!! え? 5だって5!!」

「6番 オーダー!! ここは俺がやっておくから、先にあっちを!!」

「おい!! これは7番のお客様! こっちは16番のお客様! 忙しいからって間違えるなよ!」

「はい!!」

「す・・・すみませ~ん」

「はいはい!!! ただ今!!!」

 

太陽が水平線下へと眠りに入り、星々の独壇場になろうかという時刻。ちょうど鎮守府に勤務している将兵たちの課業終了時間と重なるこの時間帯は曜日に関わらず、橙野の最繁忙時間帯にあたる。そのため、今日も店内に店員の喧騒が途絶えることなく木霊していた。

 

「・・・・・・。ぷは~」

 

食後のお茶を一口飲み、一服。日本人にとって風呂よりも遥かに身近な至福の一時に身を委ねていると左隣でお茶碗を持っている曙からさりげなく未来ある女子にとって許しがたい一言が呟かれる。

 

「おばあさん」

「うるさい」

 

即座に肘で脇腹を小突く。目を細めて見つめてくる彼女を無視して、再び湯呑を傾ける。

 

「ぷは~~~~。・・・・・・・・・」

 

食道と胃を経て、全身に広がる温かさ。自然に、身体のあちこちに蓄積した疲れが消えていく。激務を終えた身体にはこれ以上ないご褒美だ。

 

しかし、それは体止まり。心も癒されているかと問われれば、答えは否だった。

 

いつもなら、身体と心に壁は存在しない。原因は自身が身を置いている場の空気にあった。

 

演習が終わった後、みずづきは第一機動艦隊・第五遊撃部隊の艦娘たちと共に橙野を訪れていた。今いる場所はよく打ち上げで使われる大広間ではなく、陽炎たちや吹雪たちと連れ立って来た際に通される、座敷。人数の関係で艦隊ごとに衝立を挟んだ2カ所に座ることとなった。しかし、衝立は格子が組み合わさった構造で向こう側がばっちり見えるため、それを挟んでも実質1つの空間にいるのと大差はなかった。

 

「いや~~~、染みる~~~~! やっぱり、1日の終わりに飲むこれは最高だな!」

「ちょっと、摩耶さん! お酒はほどほどに。明日もみっちり訓練が入っているんですよ」

「そう堅苦しいこというなよ、翔鶴。どう? 一杯ぐらい」

「いえ・・その・・・」

「ちょっと。なに人の姉に無理強いしてんのよ?」

「うわ! ず、瑞鶴・・・・・・。お耳が早いことで」

「翔鶴姉、嫌がっているじゃない! 翔鶴姉をいじめたら・・ただじゃおかないんだからね!」

「うわぁ~~~。相変わらずの姉大好きぶりだな。えっと・・・これ、英語でなんていうんだっけ・・・・。この間、工廠で聞いたんだけど・・・・」

「シスコン、ネ!! ここだと英語って言わないデスケド、sister complexの略称デス!」

「ちょっ!!」

「ああ~~~、それそれ!! 姉や妹が大好きで大好きでたまらないやつのことをそういうんだよな!! お熱いね、お二人さん」

「あんたね・・・。酔ってるんじゃないの?」

「そりゃあ、この摩耶様は飲んでるからな」

 

頬を朱色に染めつつある摩耶に、衝立の向こうから噛みつく瑞鶴。その様子を面白がっている金剛。どう場を収めようか苦笑しながら思案している翔鶴。

 

至っていつも通りの、少し騒がしい光景。そこだけを切り取ってみれば、なんら違和感はない。しかし、そこからほんの少し視線を右へ移行するだけで、形容しがたい違和感が容赦なく心を蝕んだ。

 

対面には赤城が座っている。彼女の目の前には、こちらと同じ数の皿や器しか置かれていない。あの大食漢で有名な赤城が、昨今の激務に袖を引っ張られ近づくことすらできなかった橙野へ久しぶりに訪れたというのに、みずづきその他大勢と同じ量しか胃袋に収めていなかった。それは「赤城より大食漢」と鎮守府内で暗黙の了解となっている加賀も同様だった。

 

普段の彼女たちならいくら疲れ切っていようと、今の3倍は平らげているはずである。赤城と加賀の顔を見た瞬間、これから戦場へ赴くような決死の覚悟を固めていた店員たちも脇の通路を通り抜けるたび、首をかしげるばかりだ。

 

それだけなら、赤城に理由を聞くなり、曙あたりが聞いた理由で疲労が融解していく感覚に身を委ねられただろう。

 

そうできない理由。赤城や加賀の小食ぶりを、誰も指摘しようとしなかったのだ。全員、赤城や加賀を見ても、平然としていて特に気に留めている様子もない。

 

「あれ、赤城さん。今日はそれなんですか?」

 

店員が料理を運び終え「いただきます」の掛け声のもと、赤城が定食に箸を伸ばした時、自然に声をかけた。不審に思って声をかけようとした者は他に誰もいなかった。

 

「・・・ええ。今日はそういう気分なの」

 

微笑みながら言葉少なめにそう言うと、赤城はすぐに食事を開始した。いまいち納得がいかず、さらに問いかけようとした。しかしその時、監視カメラで見つめられているような底知れぬ気配を複数の方向から感じ取ったのだ。

 

直感的に“超えてはいけない一線”と認識し、そのあとはひたすらそこを避けていつも通りの周囲と合わせ続けるしかなかった。

 

(う~~~ん。一体何だろう、このモヤモヤ感)

意識を現実に戻し、平静を装いつつ、湯呑を傾ける。

 

「いらっしゃいませ!! お久しぶりです! 何名様ですか?」

 

店員の快活な声が響く。また、お客が来たようだ。

 

「今日も盛況みたいだな」

 

(ん? この声は)

どこかで聞いたことのある声。脳内で記憶を辿っていく。

 

「あ・・・・・・お茶が。ごめん、潮? そこのポット取ってくれる?」

 

しかし、その歩みは湯呑が空になった事実で中断を余儀なくされた。

 

「ちょっと、待ってくださいね・・・・。はい、どうぞ」

「ありがとう」

 

潮かポットを受け取り、お茶を注いでいく。

 

「これもみなさんのご贔屓のおかげです。えっと、3名様ですね。座敷でもよろしいでしょうか?」

「ああ、分かった。さ、こっちへ」

「うわぁ~~~~~~。ここが橙野ですか? めちゃくちゃ、繁盛してますね」

「なんたって、横須賀鎮守府内唯一かつ一流の居酒屋ですからね。私たち、艦娘もよく利用させてもらってるんですよ。ほら、実際、あそこにも・・・」

 

今度は聞き覚えある声でも、一瞬で正体を看破できる声が鼓膜を通過してきた。

 

「え? 夕張さん?」

 

ここは橙野。工廠ではないため詰め寄られる可能性が限りなく低いとはいえ、今までのトラウマはそう簡単に闇へ葬れるものではない。散々受けてきた悲劇を思い浮かべながら、ゆっくり後ろへ振り返る。

 

そこには前から順に工廠長の漆原、夕張、そして、白衣を着た見慣れない女性がいた。年はみずづきと同じぐらいだろうか。

 

先頭の漆原と目が合う。彼はこちらの正体を認識すると目じりを下げた。

 

「お。みずづ・・・」

 

彼が言葉を紡ぎ始めた瞬間、彼の後ろから白い塊が尋常ではない気迫を持って駆け抜けてきた。あまりの予想外かつ高速の出来事に脳の処理が全く追いつかない。しかし、視覚と触角は今現在起きている現実を報告し続けた。

 

「あの・・・・・・」

 

両手でみずづきの両肩を掴み、鼻息がかかるほど至近まで顔を近づけてきた女性はひたすら目を凝視してきた。感じたこともない異様な迫力に、言葉が出ない。騒いでいた艦娘はおろか周囲の客までもが会話を中断し、こちらに視線を注いでいる。

 

心いくまで観察できたのか、女性がゆっくりと顔を離していく。極度の緊張から解放され、安堵のため息を1つ。だが・・・・・・。

 

「すっっっっっっっごーーーーーーーーーい!!! 本物!!! 本物の!! みずづきですよ!!!」

「っ!?」

 

鼓膜が吹き飛ぶほどの大声。反射的に耳を防衛しようと腕が持ち上がるものの、その動きは彼女が激しく肩を揺さぶったことであえなく封じ込めらえることとなった。

 

視界がジェットコースター搭乗時のように、情け容赦なく上下する。徐々に目の前が色あせてきた。

 

「リーダー!! リーダー!!! すごい! すごい! すごいですよ!!! これがあの、超有名なみずづき!!! やっほーーーーー!!! リーダーの言う通り、本当に人間なんですね!!!」

「ちょっと・・・やめ・・・・・」

 

勢いがわずかに減衰した隙を狙い、抗議しようとしたが再開された局所的大地震により目的は不達成に終わる。

 

「おい! 椿!! いい加減にしろ!! それ以上やるとみずづきが!!! いいから離せ!!!」

「椿さん!! 気持ちは分かりますけど、やりすぎです!! みずづきが旅立ちゃいますよ!!」

「あんたいきなり何よ!!! 今すぐ、みずづきから手を離しなさい!! ちょっと、聞いてるの!? ねぇ!? 潮!! あんたも加勢しない!!」

「え? ・・・う、うん!! 分かった!!」

 

漆原、夕張、曙、潮の切羽詰まった声が耳鳴りの盛大なコンサートを開催。幾つもの手が体の周囲を慌ただしく行き交う。そして、痛みが残るほど掴まれていた肩から他者の存在が消えた。しかし、女性によって引き起こされた天変地異はすぐに消えるものではなかった。平衡感覚が狂いに狂い、座っていることは触覚から分かるものの、一体自分が今どういう姿勢なのか、全く分からない。

 

身をよじった瞬間、背中に温かい感触が広がった。

 

「みずづき!! 大丈夫!?」

 

曙の声が後頭部から聞こえてくる。だが意識は奇怪になった世界でチカチカと散っている幻想的な火花に根こそぎ持っていかれた。

 

「あの~~~~~、い・・・一体何が~~~~~~~、それより・・・・、なんか世界が回転してるんですけど、これ~~~~~新手の地震? いやですね~~~~。こんなの日本自慢の耐震基準でも耐えられないですよ~~~~。あはははは」

「みずづき!! ちょっとしっかりして!!! なに笑ってるのよ!! ねぇ!! みずづきってば!!!」

 

曙の悲痛な叫びが聞こえてくるが、右から左へ時差なく通り過ぎていく。それに引っ付けられて何か重要な思考も一緒に四散していくが、それが意味を持ってくるのは少し先だった。

 

 

 

―――――

 

 

「大変申し訳ござませんでした。・・・・・・・・おい、椿! お前も笑ってないで頭を下げろ!!!」

「痛い痛い痛い!!! リーダー痛いですよ! 分かりました、分かりましたから!!!」

 

般若のような形相とすがすがしい笑みを両立させて、妖怪すらも恐れおののくほどの凄まじい表情になっている漆原。頭を下げられている側にも関わらず、顔を見ただけで土下座したくなるのほど気迫だ。先ほどまで歓喜に沸いていた女性は頭を掴まれ、一転して絶望の渦中にいた。透明感あふれる少し焼けた肌に、ぱっちりとした目。桃色の唇は適度な潤いを保ち、鼻も適度な高さ。顔立ちは少し童顔のため、美人というよりは可愛い系と言った方が適切だろう。そんな愛嬌を感じさせる顔は冷や汗だらけで、目尻にははっきり分かるほどの涙が溜まっていた。

 

 

その姿のまま、こちらへ何度も頭を下げる彼女はあまりに不憫すぎた。

 

「工廠長、もういいですよ。私はなんともありませんから、それぐらいにしてあげて下さい」

「いや、しかし・・・・・・」

 

本来は2つの空間であったものの、衝立を撤去したことにより1つの空間となった座敷。みずづきのほぼ真正面で正座している漆原は相変わらず叱責の念を女性に向ける。それを見た途端「ひぃぃ!!」と悲鳴をあげる女性。

 

こんなことを正面でやられていては精神が持たない。今やみずづきたちは店内において注目の的であり、和むどころの話ではなかった。

 

「その方も・・・確か椿さん? でしたっけ? 何度も何度も頭を下げてもらってますし、お気持ちは十分に伝わりましたから」

「そ、そうか・・・・・。なら・・・・・」

 

漆原の怒気が少しずつ後退していく。それに比例して、生気を取り戻す椿。彼女は輝かしい笑みを浮かべて、こちらへ近づいてきた。そして、手を握られる。

 

「ありがとうございます、みずづきさん!! あなたって優しい人ですね!!」

 

死神の鎌から逃れられた喜びの大きさ故か、かなり強い力で手を握られる。彼女の後ろで「また、お前は調子に乗って!!!」と漆原が騒いでいるが、彼自身もやりすぎたと感じたのか口調には先ほどまでの迫力はない。

 

「ごめんなさい。つい、本物を見られたことでつい興奮してしまって・・・」

「いえいえ、私は気にしてませんから。それに怯え切っている人に頭を下げさせるほど鬼畜じゃないですから。それにこんな風な歓迎は誰かさんのおかげで耐性が付きましたし・・・・」

 

椿から視線を外し、座卓の向こう側で苦笑いをしていた夕張を細い目で見つめる。

 

「いや・・・・その・・・・・あはははは・・・」

 

こちらの会話を聞いていた彼女は明後日の方向へ視線を逸らした。

 

「あ、やっぱり夕張さんもそうだったんですか?」

「そうそう。何度トラウマの創造をかけた逃走劇を繰り広げたか。って、椿さん、夕張さんとお知り合いなんですか?」

 

そこで椿は何かを思い出したかのように目を丸くして口元を抑える。

 

「そうだ、自己紹介・・・・。リーダー? 自己紹介を・・・」

「ん? ああ。ご勝手にどうぞ。どのみち、艦娘全員に知らせる予定だったからな」

 

口を尖らせつつも笑顔を浮かべる漆原に背中を押され、椿は居ずまいを正してこちらへ向き直った。こちらも自然に背筋が伸びる。みずづきの後ろで事の成り行きを見守っていた艦娘たちも同様だ。

 

「お騒がせしてしまってすみません。お初にお目にかかります。私、国防省兵器研究開発本部で安谷(やすたに)本部長をトップとする特定害意生命体研究グループに所属している椿澄子(つばき すみこ)海軍中尉です。この度は将来的な大宮警備府工廠への配属を睨み、事前研修のため10月1日付で横須賀鎮守府工廠へ配属されました。ご迷惑をおかけしますが・・・・・もうかけちゃいましたが、今後ともよろしくお願い致します」

 

先ほどと異なり、椿が初々しく頭を下げる。同時に艦娘たちから拍手が巻き起こった。怒気が完全に四散した漆原も満足げな様子で拍手の輪に加わっていた。

 

拍手が始まると、恒例の質問時間である。みずづきがこの世界へ来た時のように司会者がいるわけでもなく、自然発生的に質問が投げかけられる。かつて質問される側だった自身が質問する側に座っている事実に、時の流れを感じる。

 

「なんであんなにみずづきを珍しがってたのよ? その気持ち、分からなくはないけど、少しドが過ぎてたわよ」

 

いくつかの質問の後、みずづきが昇天しかけた理由を聞く質問が曙から発せられた。それに「いや~~~」とふやけた笑みを浮かべつつ、椿は胸の前で両手をモジモジさせる。軍人というよりは、どこか子供っぽさを感じさせる仕草だ。

 

「私はその・・・・空想科学とかおとぎ話とかが好きだった関係もあって、私が生きているこの世界とは違う、別の歴史を歩んだ日本世界にすごく興味があったんです。生物学やら工学やら理系街道まっしぐらの私でしたが、出張で艦娘と会ったりした時は職務の合間に日本世界のことを聞いたりしてました。国防省の資料室へ行って並行世界証言録を読み耽ったこともありました。そんなとき、2033年という同一時間軸からみずづきという艦娘が来たと聞きまして。・・・・ああ、これでも一応、私それなりに機密情報へアクセスできる士官なんですよ」

 

みずづきや曙をはじめ、ほぼ全員が怪訝そうに目を細める。

 

「う・・・・・否定できないところがつらい。それでですね。聞いた時は思わず大声を上げてしまいましたよ。日本世界は私たちより遥かに科学技術が進んだ世界。そんな世界の2033年から来たんですよ。研究者にとっては発狂ものです!! 人間として、研究者としての興味を一身に宿したみずづきに会いたい、会って直接話を聞きたいと思うのは当然じゃないですか!!」

「そうね、そうね! 分かったから少し落ち着いて!!」

 

椿はいつの間にか手にしたビールジョッキを天井に向かって突き上げる。何者にも基本的に無愛想で毒舌である、あの曙が椿の醸し出す空気に飲み込まれていた。曙に変わって、彼女の言葉から類推できた仮定が事実かどうか確かめる。

 

「もしかして、横須賀へ来た本当の理由は・・・・・・」

「はい! 大宮警備府工廠へ配属を睨んだ事前研修っていうのは本当ですけど、上司やリーダ・・・・漆原工廠長にお願いして研修先を横須賀にしてもらいました」

 

夜行性生物なら焼け死んでしまうほどの眩しい目でこちらを見つめてくる。

 

「みずづきさんにどうしても会いたかったもので・・・・」

「う・・・・・」

 

敵意も害意もなく、興味と羨望で自身に会いたかったといわれて不快に思う人間などいない。だが、彼女の視線に射抜かれた瞬間、尋常ではない悪寒が走ったことは事実だった。

 

狂気に追いかけられた時の恐怖が甦る。そして、これから恐怖の頻度が激増する予感が芽生えた。

(厄介な存在が増えた・・・・・・・)

彼女は純粋な感情を語ってくれているが、純粋ほど怖いものはない。「私の同志」といわんばかりに椿の背中を見て頷いている夕張も悪気はない。だだ、度が超えているだけ。

 

そして、彼女が夕張と同様の存在であることはつい先ほど証明されている。

 

「良かったじゃん、みずづき。ファンがまた1人増えたじゃん」

 

完全に頬を朱色で染めている摩耶が憎たらしい笑顔を向けてくる。ここで「んな訳あるか!!」などと口が裂けても言えないので、満面の笑みを返す。

 

「こえぇぇ・・・・」

 

徳利へ現実逃避を図る摩耶や「on my god」と声を震わせている金剛は見なかったことにする。

 

「その・・・できれば、今後もよろしくお願いいたします」

「は、はい・・・・・。私の体力が持つ限りは・・・・・・」

 

2回も「よろしくお願いします」と言われてしまった。彼女の秘められた興味の強さを鑑みるに「あやふやな予感」は「確定された未来」に格上げしなければならないだろう。

 

みずづきの反応に愛嬌たっぷりの笑顔を見せた椿は、一気にビールを仰ぐ。「おお!!」と摩耶や赤城が拍手を送った。それに応えるように「店員さん! 追加お願い!」と声を張り上げる。急速に摩耶と同じ顔色になっていく椿。

 

確定された未来の足音が聞こえてきた。椿がなぜか上目遣いでこちらを見つめてくる。こういうことは同じ女子ではなく、男子にやってほしいものだ。

 

先手を打とうと、やみくもに口を開く。特に話題を考えていなかったのだが、これによって確定された未来を寝床に押し込むことに成功した。

 

「そういえば、椿さん・・・・椿中尉は・・・・」

「そんな堅苦しい呼び名じゃなくて結構ですよ。外見だとそこまで変わらないように見えますから」

「椿さんっていくつなの?」

 

こちらの会話を聞いていた瑞鶴が衝立から身を乗り出して問いかける。隣に座っている加賀が「はいしたない」と鋭い目線で攻撃しているが、本人は全く意に介していない。

 

「ちょっと、瑞鶴。いきなりそんな・・・」

「いいですよ、翔鶴さん。私が言い始めたことですし」

 

礼儀をわきまえない瑞鶴をいさめようとした瑞鶴を椿が制止する。柔らかく微笑んでいる表情から「堅苦しい呼び名は結構」という言葉が社交辞令でなく、本音であることが察せられた。

 

「私は今年で27歳になります」

「ということはみずづきより4歳上ってことか」

「え?」

「やっぱり、そういう反応になりますよね」

 

瑞鶴の言葉を受け、目を点にしながら見つめてくる椿。今回も今までの前例を逸脱することはなかった。

 

「いえ、その・・・・・・てっきり20歳前後かと・・・・」

「いろいろ事情がありまして、こう見えても23歳なんですよ、私。2010年生まれです」

「そうなんですか! ほぼ同世代ですよ! うれしいなぁ~。周りがリーダー・・・漆原工廠長みたいな年上でむさ苦しいおっさんたちしかいなかったので、なんだか仲間が増えたみたいです!」

 

子供のようにハイテンションで椿ははみかむ。こうしていると4歳年上の人物と応対している感覚がまるでない。お酒が入っていることも影響しているだろうが、喜怒哀楽がはっきりとしていて、正直にいうと年下にしか見えなかった。

 

「むさ苦しいおっさんで悪かったな。どうせ、俺は怖がられ、恐れられる面構えのヤクザですよ・・・・」

「げ・・・・・リーダー」

 

仏頂面の漆原は冷奴を口に運びながら、じっとりとした視線を椿に送る。彼は怒ってないだろうが、それだけでも子供を怯えさせるには十分すぎる威力があった。今まで絶好調だった椿を先ほどの絶望に誘うのは少し忍びない。急速に酔いを吹き飛ばしていく椿に助け舟を出した

 

「そういえば、なんで椿さんは漆原工廠長のことをリーダーっていうですか?」

「はーい! 私もそれ気になってました」

「私もー」

 

北上と瑞鶴が堂々と手を挙げる。椿はみずづきに柔らかい視線を向けると、理由を話した。

 

「私が兵学校を卒業してもろもろの課程を修了した後、兵本に入って初めて所属したチームのリーダーが漆原工廠長だったんですよ。初めの頃は漆原っていう名前が分からなくて、ずっとリーダーって呼んでたもので」

「そのまま漆原工廠長をリーダーと呼ぶようになったと?」

 

こくりと頷く。

 

「俺がいくら言っても聞かなんだよ。もうリーダーを辞めて3年になるっていうのに・・・」

「い、いいじゃないですか? もう癖になって直らないんですもん!」

「はぁ~~~。みんな、特にみずづき。こんなやつだが、本当にこれからよろしく頼むな」

「な、なぜ・・・・そこで私を見つめてくるんですか・・・・・」

 

艦娘たちの顔を眺めた後、今にでも悲痛な表情で敬礼をかましてきそうな雰囲気を醸し出す漆原。それにつられて、椿も見つめてくる。

 

「はい! 生ビールお待ち!!」

 

通路を行き来する店員やお客に紛れて確定された未来の足音が迫ってくるような気がする。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

椿の登場により大気中に消滅しかけた艦娘たち、特に赤城たちへの疑念。

 

それが勘違いではなく、正真正銘の事実であったことが明らかになったのは翌日のことだった。

 

雲によって陰りつつもめげることなく地上を照らす満月のもと、吹きぬける風たち。残暑厳しい昼間とは一転。爽やかさを通り越し、少し肌寒いほど。それを感じると季節が徐々に秋へ移行し始めていることが察せられる。昼間も十分に発揮してほしいところだが、気候というものは存外ひねくれ者だ。

 

その中に浮かび上がる人影が3つ。3つとも道路に設置されたベンチに腰掛けている。

 

「あ、あの・・・・・・・。赤城さん、加賀さん? どうしたんですか? こんなところで話って・・・・」

 

その内の1つはみずづきである。居間で陽炎たちと騒いでいたところ、いつも通りの様子であった赤城と加賀に呼ばれ、ここにやって来た。突然のことで言われるままついてきたため、服装は寝間着である作務衣のまま。正直寒く、さりげなく腕をさすっていたりする。だが、「寒いです」と言えるような雰囲気ではなかった。本当に彼女たちが「いつも通り」ならここまで萎縮することもなかったが、笑顔や無表情の中に別の感情があることを見逃したりはしなかった。

 

「外れているかもしれませんが・・・・・・、対地攻撃演習の件、ですか・・・」

 

これ以上の沈黙に耐えきれず、頭の中に浮かんだ可能性の中で2番目に高いもの口に出す。昨日、百石から硫黄島にてみずづきの対地攻撃能力を把握する演習が行われると告げられた。その際、赤城たち第一機動艦隊と吹雪たち第五遊撃部隊が共に参加することは聞いていた。まだ詳細は分からないが、十分赤城たちとも関係のある内容だ。1番目は、とても口にする勇気はなかった。

 

赤城と加賀が顔を見合わせる。数秒間彼女たちの間でアイコンタクトが交わされた後、深呼吸を行った赤城が口を開いた。

 

「対地攻撃演習・・・・・・・・・。そうね、少しかすっているけど、正解ではないわね」

 

だとしたら、もう赤城たちが心のうちで抱いているものは、あれしかない。

 

「・・・・・・・・次作戦の攻撃目標、あなたは知っている?」

 

心地よい波音を強引に押しのけるような問い。月光で露わになった赤城の、そして加賀の表情は真剣そのものだ。

 

「次作戦の攻撃目標、ですか?」

 

質問の意図は明確に認識しており、答えも分かっていた。しかし、即答する勇気は相変わらず湧かない。時間稼ぎと2人の真意を測るため鸚鵡返しのように、確認の問いを返す。

 

居心地の悪い沈黙の時が訪れる。巣に帰り、眠たそうに絞り出される鳥の声。未だに真夏と勘違いしているセミや鈴虫たちの音色。何があろうとも繰り返し海岸に打ち寄せては引いていく波音。それが空気も読まず、これでもかと耳に届いてくる。

 

緊張感の真っ只中に置かれている身としては腹立たしいことこの上ないが、それが事態の急展開を招くこととなった。

 

「っ!? 誰!!」

 

加賀が突然、肝を冷やすような低い声を上げる。立ち上がると、こちらみて右にある建物の角を睨みつけていた。声は発しなかったが赤城も同様の表情である。一瞬、何が起きたか分からなかった。だが、感覚を研ぎ澄ませてみると、確かに人の気配がした。それも複数。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

しばらくこちらが「出てこい」と目で思念を送っていると観念したようで、建物の影から2人が姿を現す。この場に相応しい人物たちであった。

 

「申し訳ありません、赤城さん、加賀さん。隠れるつもりはなかったのですが・・・・・」

 

言葉通り罪悪感を宿した表情で頭を下げる翔鶴。彼女の妹であり隣に立っている瑞鶴は「そっちの雰囲気が悪いのよ」と言いたげな表情をしていたが、自分も悪いと自覚しているようで、珍しく大人しかった。

 

「あなたたち・・・・・」

 

2人、特に妹の方を眺めて加賀は悩まし気に頭を抱える。そのことを察知したであろう瑞鶴は一瞬眉間にしわを寄せるが、すぐに怒気を引っ込めた。

 

「いつから、ここに?」

「赤城さんたちがこのベンチに座られてから、です」

 

赤城の問いに答える翔鶴。ますます、2人の苦悶が増す。さらに聞くと、赤城たちがみずづきを連れ出したことが気になり、直後から尾行してきたと言う。つまり、最初の最初からこの場には5人いたということだ。

(ん、ちょっと待って・・・・・2人だけ?)

赤城たちが瑞鶴たちを感じ取った際、瑞鶴たちとは明らかに位置も、質も違う気配があった。赤城と加賀は納得しているようだったが、みずづきはしきりにセンサーと化した意識を全周囲に走査する。しかし、その気配は最初からなかったように消滅していた。

 

「まぁ、もう来てしまった以上仕方ないわね。それに・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「あなたたちにも関係があることでもあるし・・・・、そこに掛けなさい。少し、狭いだろうけど、5人座れないことはないわ」

 

沈黙を保つ加賀とは対照的に、赤城は加賀の隣にある空きスペースを示す。嬉しさと気まずさが同居した複雑な表情を浮かべる、似てないようで似ている姉妹。なかなか座ろうとせず、加賀が何も言わないので、努めて自然な笑みを浮かべて「どうぞ」と促す。それで決心がついたのか、2人はゆっくりとベンチに座る。翔鶴が意図したのか、瑞鶴が意図したのか、はたまた偶然か。加賀の隣に瑞鶴が座る。

 

「少し、人数が増えてしまったけど・・・・・・」

「ちょっと、いいですか?」

 

赤城の言葉を遮ると瑞鶴・翔鶴両名に顔を向ける。遮られた本人の赤城は少し不服そうだったが、街頭で闇夜に浮かび上がるみずづきの表情を捉えた瞬間、黙り込んだ。加賀もしかり。

 

「翔鶴さんたち以外に私たちを尾行していたり、盗み見ていた人っていましたか?」

「いえ・・・・・」

「私たちの存在に気付かず通り過ぎていった人ならいたけど、私たち以外にあんたたちをつけていた気配なんてなかったわよ?」

 

例え言葉数が少なくとも、しっかりと視線を合わせて力強く否定する2人。嘘ではないようだ。

 

「どうかしましたか? みずづきさん?」

「いえ、気のせいみたいです。気にしないでください」

「そう。なら、話を再開してもいいわね」

 

(一体何だったんだろう? やっぱり、気のせいかな?)

試しにもう一度意識してみるがやはり気配はなかった。

 

「えっと、どこまで話したかしら」

「次作戦の攻撃目標」

 

加賀が聞きなれた抑揚の乏しい声で告げる。

 

「そうそう。ごめんなさい、加賀さん」

「もとはといえば、そこで借りてきた猫のように大人しくしている五航戦が問題です。赤城さんにはなんの落ち度もありません」

 

瑞鶴は本当に猫のような敵意丸出しの鋭い視線を加賀に向けるが、自分の立場はしっかり自覚しているようで声を出すことはなかった。

 

「それでみずづきさん、・・・・・・・あなたは知っている?」

 

赤城は主語のない質問を飛ばす。少し離れた建物の影からも聞いていたのか、翔鶴たちは戸惑うことなく耳を傾けている。

 

「ええ・・・・・・、大まかにですけど」

「それはどこかしら」

 

危うく言葉が遮られるほど、瞬間的な問い。これはもう言わなければならない。

 

「・・・・パラオ、いやベラル諸島と・・・・」

 

今すぐ水分を欲するほど喉が渇いていたが、反射的に生唾をゴクリと飲み込む。

 

「ミッドウェー諸島・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

ミッドウェー諸島。そう、アジア・太平洋戦争において無条件降伏への第一歩、大日本帝国滅亡への分水嶺となったミッドウェー海戦が行われた場所。それが多温諸島の南に位置するパラオ諸島、瑞穂でいうところのベラル諸島と並ぶ次作戦の攻撃目標だった。

 

「・・・やっぱり、気付いてたのね、みずづきさんは」

 

儚げな笑みを浮かべる加賀。月光との相乗効果でつい見とれてしまうほど幻想的な表情だ。

 

「それは、提督から聞いたの?」

 

瑞鶴からの問い。百石から聞いたのか、赤城たちから聞いたのか、薄々感じ取っていたのか。どうやら翔鶴姉妹もそのことを知っているようだ。

 

「いえ、私は何も」

「それにしては、断定的な物言いだったけど?」

「・・・・・・・・私も世間が移り変わってく過程を何度も見てきたので。特に根拠があったわけではないんですけど・・・。噂もちらほらと聞きましたし」

「そう」

 

何かを決心したように呟くと、赤城は再び真剣な表情をみずづきに向けた。

 

「みずづきさん。あなたのいう通り、次作戦の攻撃目標はベラル諸島と・・・・ミッドウェー諸島よ。まだ作戦が立案段階で要項がまとめられていないけれど、既に瑞穂政府はその方針を決定したわ。だからもう作戦の実施は決まったも同然。瑞穂軍はその総力をもって、次作戦“MI/YB作戦”を遂行することになる・・・」

「そうですか・・・」

 

驚愕の事実。なのだろうが、そこまで驚く内容ではない。報道を見ていると瑞穂政府や軍は平和ボケした頃の日本と同じく民意に敏感な節があった。また、言動も日を追うごとに「再来を防止するため、房総半島沖海戦に於ける敵部隊出撃拠点は撃滅しなければならいない」と熱を帯びていた。そこに舞い込んだ噂。

 

“敵機動部隊は布哇方面から来たらしい”

 

“方面”と言っていたこと。にわかに鎮守府があわただしくなってきたこと。そして、現時点で瑞穂軍が“深海棲艦の本拠地”と目される布哇攻略を達成できるほどの戦力を持ち得ていないこと。それらを総合的に判断すると、目標はおのずと見えてくる。

 

ただ・・・・・

 

「・・ふふっ。なんで今、そんなことを教えたのか。顔に出てるわよ、みずづきさん」

「え・・・・・。あはははっ・・」

 

苦笑する赤城。つられてこちらも乾いた笑みをたたえてしまう。心の内は、筒抜けだったようだ。

 

「演習から帰って来た後に、提督から言われたのよ。できる限り早いうちにこのことをみずづきに伝えてくれ。彼女はだいだいの概要を把握しているって」

 

昨日、百石から本来は対艦兵装であるところのSSM-2B block2がどこまで対地攻撃に通用するのか、問い合わせがあった。問い合わせといってもみっちり執務室で話したわけだが、どうやら「限定的ながらも対地攻撃は可能」で締めくくられたやり取りとから、百石はみずづきの隠された確信を悟ったらしい。

 

「直接言いたかったそうなのだけど、ここ数日は長官室で話すこともできないほど忙しいらしくてね」

「そう、だったんですか・・・」

「加賀さんも私もこのことは聞かされていたから、その・・・ね。ことがことでもあるし“できるだけ早く”に従ったの。もう動き出してもいるし・・・」

 

ベラル諸島、ミッドウェー諸島への攻撃。瑞穂政府は、瑞穂軍は、そして横須賀鎮守府はその実施に向け、本気で準備を開始している。

 

 

 

だが、みずづきはいくらこれが決定事項であり、瑞穂が勝つために様々な方策を練っていると把握しても、腑に落ちなかった。

 

 

 

なぜなら、ミッドウェー諸島は少し歴史を齧った日本人なら誰でも知っている“あの”海戦が行われた場所なのだ。

 

 

 

右側に座る4人の正規空母。翔鶴や瑞鶴はともかく、あの海戦で歴史に名を残すこととなった赤城・加賀は何を想っているのだろうか。

 

「・・・・・奇縁ね」

 

一介の人間には到底推し量れる事柄ではなかったが、その悲しそうに微笑みながら告げられた赤城の言葉が、重要なカギになるような気がする。

 

 

 

 

「そういえば、百石司令から東京行きの件、聞いたかしら?」

 

「ふう~」。この重たい話は終わりとばかりに吐き出された湿り気のあるため息のあと、赤城をそう聞いてきた。

 

「はい。さっき、食堂でばったりお会いした際に、聞きました」

 

少しほほが膨らむ。

 

“対地攻撃演習が終わったら、一緒に東京へ来てほしい”

 

演習で極限まで憔悴した腹の虫を癒し、機嫌よく食器を返却口に戻そうとした時に、そう告げられたのだ。私的な事であったり、軽い内容なら不満も抱かなかっただろうが、「東京に行く」はもちろん観光ではない。百石曰く「軍令部の幹部たちに顔見せを行うため」らしい。聞いた瞬間、ほほがげっそりとそぎ落とされ、若干のいらだちを覚えたことはいうまでもない。ここ最近の百石の多忙ぶりはこちらも把握していたが、もう少しきちんと話してほしかった。

 

これは完全に深読みだが、百石はさりげなく赤城にフォローをお願いしたのではないだろうか。なぜか、赤城が嬉しそうに笑っているのだ。

(赤城さん・・・。なんか、条件を付けて司令から食べ物をかっさらったんじゃ・・・)

赤城の笑みはそういう疑念を抱いても仕方がないものだった。

 

「私たちはあいにく訓練があって同行できないけど、川内さんたちや長門さんが同行することになってるから、みんなをよろしくね」

 

赤城に触発されてか翔鶴も「よろしくお願いします」と小さくお辞儀をする。

 

「まぁ、ずっと軍令部幕僚の方々とお話するわけでもないし、観光の時間も確保して下さるようだから、肩の力を抜いて、ね。・・・・・・・・・・おそらく、数少ない息抜きの時間になると思うから」

 

その言葉。明るい声色の裏に深刻さを垣間見せる二面性は、これから押し寄せてくるであろう荒波を容赦なく連想させる威力があった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

話し込んでいた4人がベンチから立ち上がり、連れだって艦娘寮の方向へ歩いていく。

 

年月の経過と度重なる風雨に晒され、透明感をゆっくりと失いつつあるガラス越しでもその姿ははっきりと捉えることができた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

空気中を滞留したのち肺へ侵入していくホコリや天井・部屋の四隅、煩雑に置かれた荷物の間などに張られた蜘蛛の巣、かつてはガラス並み輝いていたであろう板張りの床に堆積した数年分のゴミ。それらによって体が、衣服が汚れていくことを全く気にせず、あって当たり前の気配を一切飛散させず、黒い影は見えなくなるまで4人を追っていく。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

月が雲に隠れ、夜の闇が深まる。それが合図であるかのように影は音もなく立ち上がると、足のない幽霊のように、散らばっているゴミに足跡を残さず出口に向かって歩いて行く。

 

そのまま出ていくかと思いきや影は制止すると腰を屈め、床から闇と同じ色の髪の毛を回収。

 

既に照明が落とされた廊下に存在自体を溶かしていった。




みずづきの天敵?候補かつ本作初の女性軍人がようやく登場しました。本作を書き進めていて「・・・・ん? なんか偏りがあるな・・」と常々思っていたので、椿さんには頑張っていただきたいと思います。それでも、艦娘を除くとほとんど男ですからね・・。まぁ、軍隊を描写するとどうしてもそうなってしまうんですが・・・。

文中に何度も出てきたためお分りの方も多いと思いますが、第3章は「ミッドウェー」が大きな題材となります。そして、「ミッドウェー」という歴史に刻まれた地名を扱う上でアクセントに欠けないよう、第3章は「真実」の題名に負けない本作の根幹を扱い、張ってきた伏線の大部分を回収するお話になります。

故に・・・・・・。

めちゃくちゃ、暴走してます。これまでが飲酒して喋りまくるマニアなら、今回は原付で爆走しながらパトカーに喧嘩を売る「やんちゃな冒険者」ではないかと、個人的には思っています。ただ、第3章の内容は第1章執筆時点からのプロットに沿っています。決して、とってつけたものではありません! それに暴走するといっても作品の雰囲気をブチ壊すような真似やヘマ(キャラが崩壊したり、整合性が取れない突飛な舞台変更など)はしていないのでご安心を。これは作者である私が最も許しません。あくまで「水面に映る月」の雰囲気にのっとった「暴走」です(笑)。それに・・・・・・・第3章も第2章並みの長さ、かつそういう部分はどうしても最後の方になってしまうので、語られるのはかなり先になると思います。

日常生活の一時として、のんびり本作を楽しんでいただけると嬉しいです。

なお、今回は12月1日というきりのいい日付だったため投稿しましたが、来週からは第2章と同様に毎週木曜日午後10時ごろ、1話を基本として投稿していきます。

あと、設定集を大幅に改変しました。これまでは一番最初に最新話までの設定を含めて掲載していましたがネタバレ防止の観点から、3話のあとに「設定集 簡易版」を、最新話の後に「設定集 詳細版」を作成することにしました。簡易版と詳細版で共通している文言が結構ありますが、簡易版に書いて詳細版から除外すると読者の皆様が設定を見る際に不便ではないかと思い、敢えて重複する内容もそのままにしています。当サイトでは聞くところによると「文字数稼ぎ」はアウトとのことですので、もし「これはダメなんじゃないか」という意見がございましたら、変更します。


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67話 硫黄島 前編

お気に入り登録が400を超えました!

みなさん、本作を応援していただきありがとうございます!

また、この間、何気にランキングを見ていたら、先週の投稿直後、日間ランキングに本作の名前がありました!

それを記念して・・・というわけではなく別の理由(詳細は68話のあとがきで)があるのですが、今週は先週に引き続き2話連続投稿を行います。先週、毎週1話とお知らせしたのですが、来週が何月何日か把握していませんでした・・・。


硫黄島。

 

小笠原諸島の南端近くに位置する東西8km、南北4km、総面積約24㎢と東京都の品川区より少し小さい島である。東京都からの直線距離は約1200km。噴火などの派手な活動はないものの、活火山を有する火山島のため至る所から異臭を放つ硫黄などの火山性ガスが噴き出している。これが「硫黄島」という島名の由来だ。地理的要因から水源もないに等しく、土壌も火山灰や溶岩が主成分となっているためイモ類はともかく、米や小麦などの穀物の栽培は困難。

 

他の島々と異なり、居住には向かない島。

 

しかし、かつて目を向けられることすらなかった島は第2次列島線の中央付近に位置する戦略上の要衝であるため、現在陸軍関東方面隊硫黄島守備隊、海軍硫黄島基地隊・横須賀航空隊第107飛行隊等が置かれる瑞穂軍の一大拠点と化していた。当拠点が帯びる任務は硫黄島の死守のみならず、西部太平洋の制海・制空権確保の一助となること、本土侵攻・攻撃を目論む敵部隊の早期発見を達成すること、多温諸島へ向かう船舶・艦娘の補給・休息拠点となること。

 

去る7月に生起した房総半島沖海戦時に、敵揚陸部隊を硫黄島の水上偵察機部隊が発見。命からがら由良基地に帰還し、貴重な報告を行った呉鎮守府所属伊168の情報と並び、その功績が政府の意思決定に重要な役割を果たしたことは記憶に新しい。

 

深海棲艦側も硫黄島の重要性を認識しており小笠原諸島奪還作戦である還2号作戦で瑞穂側に攻略されて以降、幾度となく奪還を仕掛けてきていたが房総半島沖海戦からこの方、硫黄島周辺海域は平穏そのもの。潜水艦の捕捉回数も劇的に減少していた。

 

そして、もう1つ。この硫黄島には重要な価値があった。品川区より少し小さい総面積約24㎢の土地でありながら標高169mの擂鉢山(すりばちやま)以外は基本的に平坦であり、広く良質な砂浜が存在。活発な火山島故に生態系も本土と比較すれば貧相であり、ある程度吹き飛ばしても環境保護団体から後ろ指を指されることはない。また、島は軍所有の土地で、一般住民は軍から土地を借り、国防に不利益が生じない場所で生活している。

 

そのため、ここは演習場としては瑞穂有数の能力を秘めていた。

 

島の北半分は滑走路や管制塔・格納庫・官舎などの基地構造物と繁華街を中心とする小規模な市街地がひしめいているが、南半分は演習場として原野のまま鋭意活用されている。

 

 

 

対地演習を実施するに至った横須賀鎮守府上層部、そしてみずづきを含めた第一機動艦隊と第五遊撃部隊も硫黄島の存在に感謝しながら、各々に課せられた任務を全うしていた。

 

 

 

「第一機動艦隊、所定の海域に到着。実施準備完了との報告」

「地上部隊の状況は?」

「準備完了。既に安全エリアまで後退したとのことです」

 

艦娘母艦「大隅」の作戦室内。艦内としては他の区画より断然広く、蛍光灯に照らされた区画内は非常に明るく、艦内と分からないほど。いつもなら、そうだった。しかし、室内に充満する緊張感故か薄暗く感じる。

 

そう自覚した瞬間、自身もその緊迫感の一員となっていることに気付き、思わず苦笑を漏らしてしまう。各地からの報告を統括していた参謀部長の緒方是近(おがた これちか)中佐が近づいてくる。すぐに笑顔は消えた。

 

「百石司令。全ての準備が完了いたしました」

「了解」

 

眼前の机を隔てた壁に張られている地図。硫黄島の南側海域にある複数の青色の駒。それと妖精たちが面白半分で作ったモニター画面に映っている第一機動艦隊の様子を一瞥すると、百石は抑揚を抑えた声で号令を下した。

 

「赤城に打電。演習を開始せよ」

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

「大隅より入電。みずづきさん! 攻撃を開始してください!」

「了解!!」

 

空の青と雲の灰色が五分五分で移り変わっていく天の下、みずづきは第一機動艦隊と共に硫黄島の南、約28km付近の海上を航行していた。硫黄島を肉眼で確認することは叶わないものの、FCS-3A多機能レーダーの対水上画面、OPS-28航海レーダー画面にはあまりに存在感がありすぎて、逆に見落としてしまいそうなほど硫黄島がはっきりと映っている。直にこの目で、並行世界とはいえ“あの”硫黄島の姿を見ると、なんだか感慨深い。

 

今回の対地攻撃演習において17式艦対艦誘導弾でSSM-2B block2で攻撃する目標は、今日のために陸軍工兵隊が設営したコンクリート製の掩体壕(えんたいごう)をはじめとする建築物と滑走路を模したアスファルトの地面である。既に戦果観測のため飛行しているロクマルから詳細な位置情報を入手しているため、今回ミサイルを目標まで導く慣性誘導装置には座標を入力済みであり、ロックオンは完了。後は、引き金・・・もとい発射ボタンを押すだけだ。

 

兵装が全て正常に作動していることを確認すると、一旦深呼吸。ロクマルを通して透過ディスプレイに投影されている目標と透過ディスプレイ越しに見える硫黄島を交互に睨む。

 

この演習の主役は日本へ迫りくる深海棲艦を食い止め、艦娘の登場によってもたらされた反撃ののろしを確固たるものとした17式艦対艦誘導弾Ⅱ型-SSM-2B block2。

 

しかし、みずづきはその威光にあぐらをかき、呑気に構えてなど全くなかった。

 

17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B block2)は本来、水上艦を攻撃するための兵装である。Ⅱ型は対深海棲艦大戦の勃発以降、人間大の大きさである深海棲艦に対処することを主眼に開発・改良され、クラッター除去能力を大幅に向上。水上における人間大目標に対する捜索、識別、追尾能力を通常艦艇のみが海の支配者だったころに開発されたⅠ型とは比較にならないほど強化・改良されていた。だが、それはあくまで対艦兵装としての発展。同じ地表に存在する目標を攻撃する兵器でも、障害物がほぼない海上に浮かぶ艦船と、山あり谷あり建物ありの地上とでは要求される性能水準、技術体系、センサーは似て非なるもの。

 

撃てば、とりあえずどこかには当たるだろう。だが、問題は「目標へ、正確に」命中するかである。

 

その成否は事実上、目標への道案内が主目的である中間誘導の1つ、慣性誘導が握っていた。

 

SSM-2B block2は中間誘導にGPS誘導と慣性航法装置による慣性誘導、そして終末誘導にアクティブ・レーダー誘導を用いる標準的な対艦ミサイルである。GPS衛星からの信号と慣性航法装置に内蔵された加速度計・ジャイロで目標付近まで飛翔、近接したところでアクティブ・レーダーを作動させ目標へ突入する。

 

この世界にGPS衛星は存在していないため、GPS誘導は使用不可。アクティブ・レーダーが地上目標を識別できるか疑わしい以上、頼みの綱は必然的に座標を指定されれば、他のセンサーに依存することなく性能を発揮する自己完結型の慣性航法装置にならざるを得なかった。

 

開発者もおそらく想定していないであろう、中間誘導装置に終末誘導を託す奇天烈な運用。だが・・・・・・。

 

「教練対地戦闘! 目標、敵地上拠点! 数、8!」

 

 

本当に奇天烈な運用をするしかないのだろうか。

 

 

「SSM1番、発射よーい・・・・・・。撃てぇーーー!!」

 

8つある発射筒の1つが瞬き、発射煙をまき散らしながらSSM-2B block2が大空へ飛び上がる。一直線に水平線の彼方へ消えた後に訪れる余韻。それはさきほどの暴れぶりが嘘のような平穏だった。

 

「いやぁ~、やっぱ、すげなぁ~」

 

合計、8発。この世界に来て珍しくなくなった全弾一斉発射をようやく終え、放たれたSSMたちは達観したような摩耶の呟きを証明するため、己の目標へ向けイノシシも恐れおののく猛進ぶりを見せる。

 

その様子を見届け、FCS-3A多機能レーダーの対空画面と目標の1つである掩体壕を映しているロクマル搭載カメラ映像に注目する。

 

そして、ロクマル搭載カメラに映っていた掩体壕が突然火炎と黒煙に包まれた。大きく振動するカメラ。目を凝らし、思考を巡らせて確認するまでもない。

 

「っ!!」

 

命中だ。その光景はこれまでの懸念を嘲笑するかのように連続。無感情に陸軍工兵隊の努力を砕き、火山性の粗悪な土を耕し、ロクマルのカメラを揺らす。

 

「・・・・・命中している。しかも・・・・・」

 

FCS-3A多機能レーダーの対空画面からも1つ、また1つとSSM-2B block2を示す光点が消えていく。ロクマルに指示を出し搭載カメラの焦点を引かせると、FCS-3A多機能レーダーの対空画面から光点が消えていくに従って、増えていく黒煙がはっきりと見て取れた。最後の一発も先行組に恥を晒すことなく、滑走路を模したアスファルト目標に突入。巻き上がった噴煙の一部となった。

 

「全弾・・・」

 

ロクマルによる情報収集が不可欠と制限付きではあるが、自分の切り札が、対艦ミサイルにもかかわらず水上だけでなく陸上にも通用する。ガッツポーズを上げ、「さすがは日本製」と喜びを爆発させる場面なのかもしれない。

 

実際、みずづきは笑っていた。

 

「本当・・・・さすがは、日本・・・・ね」

 

肩をすくめた上での、ぎこちない失笑だったが。

 

 

「・・・これのどこが“対艦”ミサイルなの?」

 

 

透過ディスプレイには巻き上げられた粉塵が降下したことにより、掩体壕や滑走路を模したアスファルト面が高精細で露わとなっていた。対艦ミサイルの炸薬量では成形炸薬弾頭とはいえ、せいぜい掩体壕の天井に穴を穿ち、アスファルト面のど真ん中を吹き飛ばした程度。一方、命中精度で言えば、文句のつけようがない大成功だった。

 

慣性航法装置はその構造上、移動距離が長ければ長いほど誤差が蓄積され、命中精度が低下するにもかかわらず。近年の対地ミサイルが慣性誘導単体ではなく、GPS誘導や母艦・哨戒機とのデータリンクを併用して中間誘導する所以であるが、さすがに28km程度で致命的な誤差は生じない。しかし、寸分の誤差もなく、いやさらに言うならロクマルの指定座標よりも正確に命中するものだろうか。

 

偶然で片付けるほど、みずづきは日和見主義ではない。全ては映像という純然たる事実が語っていた。

 

「ほんっと、こういうの好きよね、私の故郷は。素直に言えば良かったのに、何が不都合だったの?」

 

“えっと、自衛的戦力っていうのは他国を半永久的に占領、もしく・・は・・・・・・・もしくは、他国に回復不能の損害を与えうる侵略的戦力以外の全て、だったと思います”

 

日本は既に「専守防衛」という「国民の犠牲を前提とした本土決戦思想」に縛られているわけでもなければ、先制攻撃能力を否定した「座して死を待つ」受動的な防衛政策に囚われているわけでもない。国民の犠牲を局限化し、可能な限り日本の領域外での敵及び脅威の撃滅・排除を目指す「絶対防衛」戦略を策定し、日本版トマホークと呼ばれた対艦・対地兼用巡航ミサイルとその発展型である核兵器搭載能力を有する巡航ミサイルを保有するに至っている。

 

ましてや自衛隊は国防軍となり、日本は核保有に足を踏み出している。

 

能力をわざわざ秘匿する理由が分からなかった。

 

「捨てきれない悪癖か・・・・・・。それとも・・・・もしかして」

 

“なんか、不思議・・・・。つい、この間まで、いがみ合ってた国同士が、共同作戦・・・・なんて”

“そう、ね・・・・・”

“華南も昔は中国で私が中学の頃には戦争をしてたし、その延長線上で丙午戦争も。あの子たちもそれを知ってると思うんだけどな~~”

“でも、今じゃ東亜防衛機構を介した同盟国ですからね。華南も、台湾も、北朝鮮も、韓国も、東露も・・・・。深海棲艦という脅威の前にはさすがに・・・・・”

“まとまらないと、か。それは分かるんだけど・・・・・私は複雑かな”

“私も、隊長と、同意見”

 

「・・・・・さん!」

 

思考が沈んでいく。だが、何かがそれを食い止める。抵抗はしない。素直に従った。

 

 

「みずづきさん!」

「は、はい! すみません、赤城さん! 少し、戦果確認に集中してました」

 

これ以上、人間から離れるわけにはいかないし、これ以上心配をかけるわけにはいかなかった。

 

「それならいいです。それより・・・」

 

言葉を濁す赤城。はっきり言われなくとも赤城の言いたいことは理解していた。

 

「はい。攻撃の結果ですが・・・・」

『・・・・・・・・・・・・・・・・』

「全目標の無力化を確認。17式艦対艦誘導弾Ⅱ型による対地目標の破壊・無力化を確認しました」

「そう。了解」

 

簡潔な言葉。だが、通信機の向こう側からは歓喜とも、畏怖とも、感嘆とも取れる興奮が伝わってくる。交信相手の赤城はいつも通り。発生源はおそらく外野だろう。

 

「演習、お疲れさまでした。今後の予定に変更はありません。全艦に通達。当艦隊は当初の予定通り第五遊撃部隊と合同で艦砲射撃訓練を行います。進路そのまま、前進強速」

「了解」

 

硫黄島に近づいたのち、次に撃つ装備はMk45 mod4 単装砲。榛名や摩耶がいるとどうしても貧弱に思えて仕方ないが17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B block2)は対地目標にも十分に対処可能なことが証明されたのだ。

 

上を向いて臨みたいが、1つどうしても吐露したい愚痴があった。

 

「なんで艦娘にすら伝えなかったのよ。・・・・・・百石司令官への説明の時間を返して。せっかく、誘導方式の説明までして、期待しないで下さいって言ったのに・・」

 

気が抜けたのか、海上を疾走しているにもかかわらずあくびが出る。ここへ来て、誰かが決めた秘匿はみずづきの睡眠時間を削っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「一機艦・五游部、合流。まもなく、射撃位置に入ります」

「赤城より報告。全艦の準備完了。命令を受け次第、射撃を開始するとのこと」

「さきほど訓練海域に侵入した父島漁協所属のマグロ漁船は基地隊の警告に従い、退去。演習への影響は皆無」

 

わざと生成した無感情・無機質な声があちこちからあげられる。第一機動艦隊と同じく、みずづきの対艦ミサイルが全目標に命中、また無力化が確認された時は驚嘆でどよめきが起こったものの艦娘母艦「大隅」司令室は艦砲射撃訓練を前に再び緊迫感に包まれていた。

 

「守備隊司令部より報告。工兵隊撤収を完了す。当方、艦砲射撃を幾度となく拝見してきたが故、心得を熟知せり。百発百中を期待するものなり、であります」

 

しかし、時たま気の緩みをついてくるようなこともあるわけで。

 

「陸軍も言ってくれますな。今まで散々見てきたから、下手かどうか分かる、とは」

 

微笑む、通信課長椛田典城(かばた のりき)大尉。

 

「あちらさんも気分が高揚してるのだろう。居酒屋でばらしたり、手紙に書いて検閲に引っかかったりしなければ良いのだが・・」

 

肩をすくめながら茶化す緒方の言葉に、参謀部員や通信課員から控えめな笑い声が巻き起こる。

 

百石や隣に座っている横須賀鎮守府副長筆端佑助(ふではし ゆうすけ)も若干ほほを緩めるが、陸軍の報告で艦砲射撃演習の準備は整ったため、和やかさもほどほどに号令を下す。

 

「椛田課長。赤城に打電、演習を開始せよ」

「了解!」

 

笑っていた椛田は一瞬で真剣な表情に戻ると、弾けるように通信室へ駆けていく。後は、ここで演習の様子を傍観するだけだ。

 

この演習の目玉。もはや恒例となりつつあるが、やはりみずづきである。さきほどまで行われていた演習では第五遊撃部隊の加賀・瑞鶴、第一機動艦隊の赤城・翔鶴が航空攻撃を行った後のトリだった。しかし、この艦砲射撃演習ではみずづきが最初である。

 

複数あるモニター画面の内の1つがみずづきで占拠される。撮影を行っている妖精もよほどみずづきが気になるようだ。艦娘たちに聞かれるとヤキモチを焼かれるかもしれないが、この場にいる全員もみずづきの戦果が気になっている。そのため、赤城たちが映っていなくとも誰も文句は言わない。

 

「さてさて、彼女の単装砲はどこまで使い物になるのか」

「今回使われる弾種は、確か多目的榴弾だよな?」

 

筆端の確認。手元にある資料を示しながらそれに答える。

 

「ええ。多目的榴弾・・・・、弾頭に対戦車榴弾とばれる成形炸薬弾を使用しているため、重装甲目標の撃破も可能にしていると」

「重装甲目標、な。果たして、瑞穂が誇る11式戦車や29式戦車との対決はいかに」

 

みずづきだけが映し出されているモニターとは別の、地上の空撮映像が淡々と流され続けているモニター。筆端につられ、百石もそれに視線を向ける。かなりの低空から撮影されているためか、地上の目標もはっきりと視認できる。

 

そこにはただの石ころにしか見えないコンクリート製の標的がある一方、艦砲射撃の的としては場違いなものが2つ並んでいた。

 

 

瑞穂陸軍が保有する11式戦車と29式戦車である。

 

 

11式戦車は2011年に制式化された戦車で57mm砲と7.62mm機関銃を2挺装備。全長は5.5m、全幅は2.3m、重量15トン、乗員は4名。装甲は側面に限ると20~25mmである。価格は約3億円。深海棲艦が出現するまでは瑞穂陸軍の主力戦車であったが陸上型深海棲艦戦車型と戦闘を行った際、火力・防御力不足が露呈したため、後継の29式戦車に活躍の場を譲り、配備数は減少の一途を辿っている。

 

29式戦車は2029年に制式化された戦車で、既述の通り陸上型深海棲艦戦車型への対抗を目的に開発された。主武装として75mm砲、副武装として7.62mm機関銃を2挺装備。全長は5.7m、全幅は2.3m、重量18トン、乗員は5名。装甲は最も被弾する可能性が高い正面を筆頭に強化され、正面前方は50mmと11式戦車より倍増している。高火力化・重装甲化が威力を発揮し、多温諸島奪還作戦(還3号作戦)では歩兵にとって最大の脅威となっていた敵戦車型の早期撃滅に成功し、迅速な作戦の完了に大きく貢献している。11式戦車にかわり、現在では瑞穂陸軍の主力戦車である。価格は4.5億円。

 

11式戦車・29式戦車、合わせると7.5億円。

 

これがみずづきに用意された的だ。さすがにこれを聞いたみずづきはびっくり仰天で、比喩ではなく本当に椅子から転げ落ちた。というか、横須賀鎮守府上層部もこちらの要請が陸軍に快諾されたことを聞いた瞬間、腰を抜かした者が数人発生していた。

 

「まさか、陸軍がゴーサインを出すとはな・・・」

 

筆端の苦笑。これが横須賀鎮守府の総意と言っても過言ではない。艦砲射撃演習の錬演内容を策定する中で作戦課から「戦車や装甲車を的に使ってみてはどうか」と提案がなされた。理由は既に艦娘による艦砲射撃演習は腐るほど行われていて、みずづきの装備するMk.45 mod4 単装砲の威力は駆逐艦たちが装備する12.7cm連装砲から類推できるため。また、命中率も百発百中とまではいかないまでも、90%を超えることはこれまでの経験から想像可能なため。

 

どうせやるなら、今まで試みられたことのない艦砲射撃演習をしよう。と、作戦課は言ってきたのだ。

 

しかし、作戦課が提案してきた的はどれも高価な装備品ばかり。戦車や装甲車は海軍も陸戦隊用装備として保有していたが、海軍予算が海上戦力へ集中的に回された煽りを受け地上戦力は戦車1両すらも手放せないほど困窮していた。そのため軍令部を介して行われた各陸戦隊への要請は立ち消え。

 

頭を抱えていた時、唐突に執務室の黒電話が鳴った。電話は関東地方の防衛を担当する陸軍関東方面隊からで、近々廃棄予定の戦車2両の提供を申し出てくれたのだ。なんでも参謀本部から「横須賀鎮守府が演習の的として戦車を欲している」という話が伝わって来たらしい。嬉しすぎて昇天しそうになったことは言うまでもないが、理由を聞くと、そこには陸軍独自の危機感が背景にあった。

 

瑞穂陸軍の戦車は深海棲艦以前を含めて、艦砲射撃を受けた経験がない。正確にいえば、受けた経験のある人間、それを間近で見た人間がいない。戦車が艦砲射撃を受けた戦闘では総じて、部隊そのものが全滅していた。よって、艦砲射撃を受けた場合の被害や取り得る最善の作戦が参謀本部の上層部から一兵卒に至るまで分からない。今後、状況によっては深海棲艦から艦砲射撃を受ける可能性は十分にあり、作戦の立案・次世代戦車開発の参考とするため“壊れ方”のデータを収集しておきたいそうだ。

 

陸軍も次期作戦を見越して、本格的に動いていた。

 

関東方面隊からの申し出てあったため、一応上級司令部である参謀本部にも確認をとったが、相手先からの返答は“是非ともやってくれ”。陸軍はかなり乗り気で、事実この演習に合わせ兵器研究開発本部の技術者も硫黄島に入っている。

 

「みずづき。まもなく、射撃開始します」

「お? ついに、か」

 

通信課員の報告で、司令室に詰めているほとんどの人間がモニター画面に注目する。おそらく、陸軍や兵器開発本部の人間も各々の場所で演習の行方を見守っていることだろう。

 

異様な静寂。そして・・・・・。

 

「みずづき、発砲!!」

「っ!?」

 

画面の向こう側でみずづきの可愛らしい主砲が火を噴く。数秒というタイムラグを経たのち、第2弾が発射されたと同時に11式戦車を映していた画面に突然煤煙と土砂を含んだ黒煙が立ち上る。

 

「あ~あ、3億円が」

 

筆端の呟き。

 

次は29式戦車に無慈悲な砲弾が降ってくる。一瞬で姿を消す戦車。黒煙の中から金属片が遥か遠くに飛んでいく。

 

「あ~あ、4.5億円が。サラリーマンの4.5人分の生涯年収が一瞬で・・・」

 

またしても筆端の呟き。

 

弾着後しばらく。黒煙が晴れるとそこには対艦ミサイル攻撃を受けた掩体壕などと同様、焼けこげ、無残な姿を晒している2両の戦車があった。

 

11式戦車は木っ端微塵という表現が正しく、もはや戦車かどうかも分からないほど破壊されている。29式戦車はよくよくみると戦車と判別できるが、自慢の75mm砲を搭載した砲塔は見当たらず、大穴の空いた車体だけが残されていた。今回、演習の的として使用するにあたり、当該戦車からは燃料・弾薬は全て取り除かれている。もし、それらを満載した状態で攻撃を受ければ、29式戦車も木っ端微塵となるだろう。

 

 

 

本当にみずづきは万能だ。

 

 

 

「やはりすごいなみずづきは。SSMも対地攻撃に利用可能なことが実証された。これで対潜戦も特筆してるんだから、まさしく汎用護衛艦だな。軍令部がわざわざ“みずづきのあらゆる能力を把握し、作戦立案に活用したい”と言ってくるだけはある。・・・・・・って、百石? ・・・・百石司令!」

「・・・・っ!? は、はい!」

 

慌てて筆端を見る。彼はこちらの顔を凝視すると椅子から立ち上がり、すぐ近くにいた参謀部員の1人にこう言った。

 

「俺と長官は席を外す。すぐそこの廊下にいるから、何かあったらすぐに知らせてくれ」

「はっ。了解しました」

 

まだ艦砲射撃演習は終わったわけではない。これから、金剛たちをはじめ多くの艦娘たちが砲撃を行う。そう目で訴えるが、筆端は何のその。背中に“ついてこい”と暗示ながら司令室から出ていく。

 

「百石司令?」

 

さきほど筆端から命令を受けた参謀部員が心配そうに声をかけてくる。「ああ、すまない」と言った後、百石も筆端の後を追う。

 

「どうした? って、考えていることは分かるがな。そんな深刻な表情をしていると参謀部の連中はともかく、一般将兵に勘付かれるぞ」

 

普段はほとんど人が通らない司令室近くの廊下。周囲を一通り探った後、筆端は呆れたように頬を緩めながら・・・・ではなく真剣な眼差しで問いかけてきた。

 

「まだ、迷ってるのか? 前も言っただろ? 汎用性を活かすことも重要だが、一兎を追う者は二兎も得ず。みずづきは空母の直衛と敵艦隊の策敵に回すべきだ」

 

筆端のいうことも分かる。だが、みずづきの、あまりに大きな可能性を前にすると思考がまとまらない。もはや実施されることが既定路線のMI/YB作戦において、みずづきにどのような任務を付与するのか。ここ数日間、時間と場所が許す限り筆端と議論を行っていた。彼の主張は一貫している。

 

「中間棲姫の撃滅も、出てきた場合、敵機動部隊の殲滅も・・・・・・やらないといけない」

 

中間棲姫。

海上を疾走する通常の深海棲艦と異なり、侵攻において投入される戦車型深海棲艦などと同様の地上型深海棲艦。本体は人型であるものの艤装として3本の滑走路を持ち、数多の人間と資材・面積を必要とする飛行場をその身に体現した深海棲艦である。瑞穂軍の脅威認識は最高レベルで、あの戦艦棲姫も中間棲姫に比べれば通常の深海棲艦に成り下がる。

 

そこまで瑞穂が中間棲姫を恐れる理由。それは多温諸島奪還作戦(還3号作戦)の際、大宮島にいた同じ飛行場としての特徴を持つ“飛行場姫”に叩きのめされたことに起因する。当時、瑞穂は飛行場姫の存在について潜水艦娘及び空母艦娘による度重なる偵察、諸外国からの情報提供で把握していた。しかし、脅威認識が甘く艦娘部隊を前進させたところ、航空戦力によってボコボコにされたのだ。

 

幸い艦娘たちに撃沈艦が出ることはなかったが初めて艦娘部隊が大敗したこともあり、海軍のパニックぶりは相当なものであった。これを受け、瑞穂海軍は即座に“飛行場姫”を最優先攻撃目標に設定。残存戦力の総力を持って攻撃を行ったのだが飛行場姫の制空能力が高く、また装甲が強固であったため、戦闘は苛烈を極めた。

 

結果、波状攻撃を仕掛けた瑞穂側の勝利に終わり、その後上陸した攻略部隊により多温諸島は解放され多温諸島奪還作戦は完了した。

 

あれからまだ1年も経っておらず、海軍軍人には飛行場姫のトラウマが存在している。そのような状況で報告された新型深海棲艦が、あの“中間棲姫”である。滑走路は飛行場姫より1本多い3本。また、周囲を取り囲んでいる艤装も明らかに飛行場姫より重厚で、飛行場姫よりも強力な深海棲艦であることは一目瞭然だった。

 

「だが、中間棲姫は艦娘たちでもその気になればいける。機動部隊もおそらく先手を打てる。だが、対空戦闘におけるパーフェクトゲームも、水平線以遠からの長距離攻撃もみずづきにしかできない」

 

全くもって正論だ。しかし・・・・。

 

「・・・・・・・・・」

 

その直後に吐かれた言葉には、食いつかざるを得なかった。

 

「唯一無二の戦力に、替えがいる戦力でも可能な戦闘をさせるわけにはいかない」

「先輩!」

 

反射的に大声を上げてしまった。いくら、親しくとも筆端は自分の先輩。この行為は完全に礼に失していた。それでも、言わずにはいられなかった。まさか、彼の口からそのような言葉が出てくるとは。

 

「・・・・すまない。少し言葉が過ぎた」

 

彼も自分が口走った言葉に衝撃を受けたのか、声色が一気にかすれる。

 

「だが、俺の言いたいことはそのとおりだ。お前は横須賀鎮守府司令長官。もうすぐ東京にも行くんだろ?」

 

筆端はそう言いつつ、百石に背中を向ける。

 

この場で最後となる言葉が紡がれた瞬間と足が踏み出された瞬間は同時だった。

 

「迷っている暇はないぞ。俺たちは・・・・・・・勝たなければいけなんだからな、この国のために」

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ふう~。ようやく終わりか~」

 

空を茜色に染め上げ、水平線へ時を追うごとに近づいている太陽。早朝からほぼ連続して行われていた対地攻撃演習もついに終了。第一機動艦隊と第五遊撃部隊はそれぞれ単縦陣を組み、硫黄島北側、監獄岩と呼ばれる小島の対岸にある硫黄島港へ向かっていた。日本の硫黄島には港湾施設はなかったが、瑞穂の硫黄島には排水量2000トンクラスまでなら同時に2隻が接岸できる港が整備されていた。艦娘出現後は艦娘用桟橋も設置されたそうだ。

 

「長かったですね」

 

安堵の色が垣間見える潮の言葉。

 

「うん、本当に。朝からずっとだもの」

「みずづきは今日も主役だったからな。そのおかげで私たちは少し気を抜いても、どやされない! 今後ともよろしく頼むぜ」

 

潮との会話に割り込む形で、摩耶が罪悪感を微塵も抱いていないすがすがしさで言葉をかけてくる。少しイラつき、今日の摩耶にとって耳の痛い話をお見舞いしてやろうとしたが思わぬところから指摘が飛んできた。

 

「だからなのね、成績悪かったの。摩耶様の力はどこに行ったのかしらねぇ~」

 

含みのある言い方。声を聞いただけで他人をあざ笑っている様子が目の前に浮かんでくる。曙も同じことを思っていたようだ。聞いた途端「んだと!」と好戦的に反応する摩耶だったが、言葉を重ねるごとに声量が小さくなっていく。それを好機と捉えたのか、今まで冷やかされた分まで冷やかしてやろうと攻勢をかける曙。

 

「まぁまぁ、曙。今日のところは摩耶の完敗だから、その辺に・・・って」

 

見かねた榛名が仲裁に入ろうとするが、その言葉は最後まで紡がれない。ほぼ同時に摩耶と曙の痴話喧嘩も収束する。それどころか「おおお」と感慨深い呻きをあげてさえいる。

 

そうなった理由。それは水平線から徐々に見えだした艦影、みずづきのFCS-3A多機能レーダーの対水上画面に映っている艦隊にあった。

 

「ようやく、見えてきた・・・」

 

みずづきの独白。しかし、誰も反応する者はいなかった。第一機動艦隊の全員、そして第一機動艦隊の後方を航行している第五遊撃部隊の全員も徐々に大きくなっていく艦影に目を釘付けにしていた。言葉も出ないほどに。

 

こちらから見て船体の左側、艦隊自身からみると右舷側に夕日を浴びた不思議な着色で、漆黒に染まりつつある大海原を悠々と進んでくる。全部で8つの艦影の内、2つは異様に近く感じる。船体が大きい故に距離が近く感じる典型的な錯覚だ。それはつまり2つの艦影は自分の遠近感がおかしくなってしまうほど、巨大であることを示していた。

 

「あれが、第3統合艦隊・・・・・」

 

翔鶴が畏怖とも驚嘆とも判断に困る抑揚を抑えた声で、眼前と多機能レーダーで存在感を発揮している艦隊の名を呟く。

 

深海棲艦との戦闘により通常戦力の過半を失うに至った瑞穂海軍が再建構想として掲げた『四・四艦隊計画』。その計画に基づいて建造・新設された艦隊の1つが、呉を母港とする第3統合艦隊である。軽空母1隻、戦艦1隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦2隻の計8隻より構成された瑞穂史上初の空母機動部隊。

 

 

瑞穂海軍ひいては瑞穂国の威信と誇りを一身に受けた最新鋭艦隊が、みずづきたちの前に姿を現したのだ。

 

「ん?」

 

あまりの威風堂々ぶりに言葉を失っていると、単縦陣で航行する艦隊の中央から発光信号とぼしき光の点滅がなされる。慌てて脳内変換を試みるが、赤城が一足早く翻訳してくれた。

 

「我、第3統合艦隊旗艦、出穂(いずほ)。貴隊に邂逅し得た幸運に感激す。これよりの貴隊の行動は如何なる・・・・・や?」

 

一拍置いてからの疑問形。電文自体は理解できたものの、第3統合艦隊司令部の意図が掴めない。

 

「どういうことかしら?」

「とりあえず、港に向かっていることを言ってみたらどうだ? いくらこっちが考えたところで八方ふさがりだしよ」

「何言ってんのよ。意図が掴めていない状態で返答なんて、失礼もいいところじゃない。真意が分かりません、もう一度言ってくださいって返答してみたら?」

 

摩耶に食って掛かる曙。しかし、即座に摩耶が飛んできたボールを打ち返す。

 

「それこそ、失礼だろう」

「例えよ、例え!! それに聞いたところ、向こうの司令部はガチガチ石頭の軍人って感じじゃなさそうだし」

「それは、まぁ・・・・」

 

榛名が苦笑気味に同意する。みずづきとしてもそれには同意だ。曙曰くガチガチ石頭ならそもそも艦娘部隊と遭遇しただけで発光信号を寄こしたりはしない。第3統合艦隊司令部はユーモアのある軍人たちが集まっているのではないだろうか。

 

「あ、あの・・・」

 

ああだこうだと主に曙と摩耶の間で白熱した議論が交わされる中、あることに気付いた。最も早く反応したのは赤城だった。

 

「どうしたの? みずづきさん」

「もしかしら、第3統合艦隊は私たちと同じように硫黄島港に入港したいんじゃないかと」

「あっ」

「肉眼だと微妙に分からないんですが、レーダーで見るとわずかに硫黄島方向へ転舵をしています。私たちが港を目指して直進した場合、お互いの進路が交差します。接触の危険性を鑑みて、確認の電文を打ったんだと思います」

 

一気に静まり返る無線。あれほど言い合っていた摩耶・曙両名もおとなしいものだ。硫黄島港には第3統合艦隊所属の軍艦を1隻であろうとも接舷させる能力はない。統合艦隊に配備されている軍艦は駆逐艦ですら2000トンを超えるのだ。しかし、沿岸から少し離れた場所ならば水深も十分にあり海流も安定しているため錨を下ろせば停泊可能。また、小型ボートを使えば硫黄島への行き来も比較的自由に行える。

 

「みずづきさんの言う通りね。すぐに硫黄島港へ入港する旨を伝えます。ありがとうね」

 

赤城からの感謝の言葉。全く予想外だったため、反射的に謙遜する。

 

「いえいえ、とんでもないです! 私も今は第一機動艦隊所属ですから」

 

「ふふっ」という微笑が聞こえた後、赤城から第3統合艦隊旗艦「出穂」に向け発光信号がなされる。しばらくすると、再び「出穂」から発光信号。今度は赤城が翻訳をしてくれなかったので、自力で脳内変換を行ったが短い電文だったため容易に理解することができた。

 

“了解。当艦隊も硫黄島港へ停泊予定。貴艦隊と並走す。間隔に注意されたし”

 

並走。いくら距離があるとはいえ、空母機動部隊と並走する機会はそうそうあるものではない。硫黄島を正面に左舷側を空母機動部隊が航行する光景はまさに圧巻だった。

 

「すごい・・・・・。これは、すごい・・・」

 

思わず、そのような感想が漏れてしまう。9月上旬、横須賀に第一統合艦隊が配備された関係から『四・四艦隊計画』の申し子たちを初めて見ると言うわけではなかった。だが、基地内から停泊している姿を見るのと海水をかき分け、海上を疾走する姿を間近で見るのとでは全く感慨が異なる。

 

第3統合艦隊は第3機動隊と第7機動隊の2個機動隊で編成され、それぞれに4隻が所属している。第3機動隊は高千穂(たかちほ)型軽空母3番艦の「出穂(いずほ)」に司令部を置き、伊吹(いぶき)型重巡洋艦3番艦「鞍馬(くらま)」、信濃(しなの)型軽巡洋艦3番艦「富士(ふじ)」、海月(うみつき)型駆逐艦8番艦「佳月(よしつき)」で構成。第7機動隊は薩摩(さつま)型戦艦3番艦「紀伊(きい)」、阿蘇(あそ)型重巡洋艦3番艦「十勝(とかち)」、信濃型軽巡洋艦7番艦「筑後(ちくご)」、泡雪(あわゆき)型駆逐艦3番艦「米雪(こめゆき)」で構成。

 

みずづきが見渡せる範囲にはちょうど軽空母「出穂」が所属する第3機動隊が航行しており、なんという幸運か真横に「出穂」が航行していた。現在、両艦隊は東南東方向に航行しており、夕日は背中にあたる形となったため、船体をよく観察することができた。

 

他の軍艦とは素人でも判別がつく、艦首から艦尾までを貫いた飛行甲板を有する船体。側面に張り付くようにして、機関銃や機関砲が天を睨み、ついでと言わんばかりに窮屈そうな艦橋が甲板に乗っている。飛行甲板には数機の航空機が駐機されている。艦上戦闘機なのか艦上偵察機なのか、はたまた艦上爆撃機や艦上攻撃機なのか判別はつけられなかった。瑞穂海軍は艦船の塗装色に黒を使用していたが、第3統合艦隊の艦船は全艦、海上国防軍やアメリカ海軍同様灰色系の塗装となっている。

 

「それにしても、大きい・・・・。この船、“いずも”と同じぐらいの大きさじゃないの?」

 

みずづきの推測は惜しかった。「出穂」を含む高千穂型軽空母は基準排水量15900トンで、全長は227.5m、乗員は約1100名、常用機54機と保用機18機の計72機を運用可能な空母である。海上自衛隊にかつて配備されていたいずも型護衛艦と比べれば船体は一回り小さいが、大日本帝国海軍に所属していた正規空母「蒼龍」とほぼ同じ大きさ・搭載能力を誇っている。というか高千穂型軽空母は「蒼龍」をモデルに建造されているのだ。「軽空母」という分類は明らかに名ばかりだった。

 

「その前方には海月型駆逐艦、後方には・・・・戦艦」

 

思わず身震いしてしまう。みずづきが視界に収めた軍艦は「紀伊」。薩摩型戦艦の3番艦で排水量は32000トン。全長は222m、乗員は約1300名。武装は35.6cm連装砲4基、12.7cm連装高角砲8基に加え、対深海棲艦戦闘の教訓を取り入れ40mm四連装機関砲6基24門と多数の機銃を装備。対空戦闘能力の向上を図っている。カタパルトも2基設置されているため、水上機の運用も可能となっている。

 

「こっちもデカい・・・・」

 

正真正銘の「戦艦」。日本世界では時代の趨勢により消え去ったかつての海軍の象徴。決して見られないと思っていた存在が今、目の前にいる。その迫力はいかな3Dを駆使した映画、CGを駆使したVRとはいえ、比較することもおこがましいほどのものだ。

 

あまりにも右へ左へ首を酷使しすぎたためだろうか。なんだが首が痛くなってきた。だからなのか。

 

みずづきは摩耶や曙がいる第一機動艦隊の不気味な静寂に最後まで気付かなかった。

 

「いてて・・・・。どれもこれも大きい船ばかり。駆逐艦でも艦娘より遥かに大きいから、仕方ないか。それにしても・・」

「随分と物珍しいようね」

「うわぁ!?」

 

突然、耳元で妙に明るい曙の声が聞こえた。仰天するみずづきだが、その正体はただの無線機であった。あまりの興奮ぶりに無線機の存在を忘れていた。

 

そのことに情けなくなってくるが、曙の押し殺したような笑い声が羞恥心を刺激する。

(も・・・もしかして・・・)

とある可能性が頭をよぎる。今も無線機でやりとりできてるとおり、第一機動艦隊は常につながっていた。

 

「もう、独り言のレベルじゃなかったな」

「うっ・・・・・・・・・・」

 

興奮のあまり紡がれてしまったみずづきの独り言は独り言ではなかったことが摩耶によって明らかにされてしまった。続く、笑い声。身体が熱くなってくる。

 

「これはその・・・。そう! そう・・・独り言では・・・」

 

と、醜態を少しでも緩和するため、反論を試みる。しかし。

 

「いいじゃねぇか、いいんじゃねぇか」

 

聞けば笑顔だと即断できる朗らかさを醸し出しながら、同情や激励とは異なる色彩を帯びた声の前に何も言えなくなってしまった。

 

「私もその気持ちは分かるし、なにより昔は私もこうだったからな。・・・・・・・・しっかり、目に焼き付けとけよ、みずづき。今、私たちは戦争をしているんだからな」

 

その言葉を境に景色が変わった。

 

世の中の万物に永遠はない。それをみずづきは身に染みて、知っていた。自国を守るために他国や他者の物を破壊し、人や命あるものを殺傷するが故に、他国や他者から破壊され、殺傷されるリスクを負う兵器ならなおさら。

 

事実、眼前を航行している第3統合艦隊の姉妹艦隊である第2統合艦隊は、大宮鎮守府の天城旗下第3機動艦隊、瑞穂陸軍海上機動師団第1海上機動旅団第1機動大隊約1400名を基幹とする木下支隊約2100名を乗せた数隻の輸送艦と南鳥島攻略部隊を編成。2027年より深海棲艦の手に落ちている瑞穂固有の領土を奪取するため、今まさに南鳥島に向かっていた。

 

南鳥島は瑞穂本土より遥か東方に位置しているため夜明けが早く、本土ではまだ薄暗い明朝に攻撃が開始され、正午すぎに強襲上陸が行われる予定である。事前の偵察では小規模な部隊の駐留しか確認されていなかったため、損害は少なく済むとの見方が支配的だった。

 

今回の南鳥島攻略。2027年に占領され、戦局が好転したにもかかわらず放置されていた絶海の孤島が今になって攻略対象となった背景には当然、房総半島沖海戦と次作戦が隠れていた。

 

眼前の第3統合艦隊もまだ新参者とはいえ、すぐに実戦へ赴く日がやってくる。このようなことを考えること自体、縁起が悪いのかもしれないが、もう2度と彼女たちの勇姿を見られない可能性もあった。

 

 

水平線の奥から覗いてくる、夕日によって赤く染め上げられた島。これからあの「硫黄島」に上陸だ。




うっとうしいと思われた方もいるかもしれませんが、一応第3統合艦隊の全艦艇にふりがなをふらせていただきました。

筆者自身も艦の名前を探している時に読めたけどあっているのか自信がない名前、佳月(よしつき)とか・・があったので念のため。

作中はまだ秋ですが、現実はもう冬本番です。秋イベも残すところあとわずか。みなさんも体調管理を万全に。


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68話 硫黄島 後編

狙ったわけではないのですが、まさか彼女たちの登場シーンが今日になるとは・・・。

2話ともかなりの文章量になっています。目の疲れを感じた方はほどほどに。これは逃げませんので。


硫黄島の戦い。アジア・太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)2月19日、マリアナ諸島を攻略し日本本土へ一歩、また一歩と近づいていたアメリカ軍は、開戦後初めてかねてより日本の領土であった小笠原諸島「硫黄島」に侵攻。日本軍守備隊約2万1000名との間で激しい戦闘が行われた。当初アメリカ側は甚大な被害を予測しつつも、「5日間」で攻略が終了すると見込んでいた。しかし、いざ火蓋を切ってみれば、日本軍は日本本土を焼け野原にしているアメリカ航空戦力拠点の造成を阻止するため、徹底的なゲリラ戦で抵抗。37日間にわたり行われた戦闘で日本軍は参加兵力の96%にあたる約2万人が戦死。アメリカ軍も約6800人の戦死者を出した。

 

アジア・太平洋戦争末期の戦闘においてアメリカ軍攻略部隊の戦死傷者数(約2万9000人)が日本軍戦死傷者を上回った希有な戦いとなり、第二次世界大戦における激戦の1つに数えられる。

 

そのような戦いが行われ、戦後何十年と経とうが満足に遺骨収集も進まず、2、3分土を掘れば簡単に人骨を発見できるとさえ言われた硫黄島。

 

これは日本世界の話であるが、瑞穂世界の硫黄島も「死」と無縁ではない。深海棲艦が出現し、人類に対し無差別攻撃を仕掛けてきた大戦初期、硫黄島には滑走路を有する海軍基地が置かれていた。当基地は主に哨戒機が配備された後方支援基地の性格を帯びていたが、瑞穂本土から約1200kmと近く、既に滑走路も存在することから多温諸島を占領した深海棲艦の攻略目標となり瑞穂版「硫黄島戦」が生起した。当時、海軍水上戦力に甚大な被害が出ていたことから瑞穂政府は硫黄島を見捨てた。結果、駐留していた海軍将兵1000名は全滅。

 

その後、艦娘の出現により戦局が転換した際、小笠原諸島奪還作戦(還2号作戦)で硫黄島攻略作戦が行われ、深海棲艦守備隊との間で「第二次硫黄島戦」が生起。海兵隊的組織を有していた陸軍は海軍を通じ艦娘たちから「硫黄島の戦い」を耳にしていたため、かなり悲観的な見方に支配されていたが、いざ戦ってみれば約460名の戦死者を出したものの1週間で攻略は完了。

 

硫黄島は再び瑞穂の領土となった。

 

しかし、この島で約1460名もの人命が奪われたことは紛れもない事実。当然、そのような島に上陸するのだから、心構えの1つや2つを作るわけだが・・・・・。

 

「うわぁ~。すごい・・・・・。ここ、本当に硫黄島? 小さな町じゃん」

 

港の近傍に広がる繁華街を唖然と見つめるみずづき。横須賀とは比較にならないが、絶海の孤島とは到底思えない活気がそこにはあった。

 

「やっぱり、そう思いますよね」

 

物珍しそうにあちこちを見回すみずづきの隣で苦笑する吹雪。彼女のほかに、赤城たち第一機動艦隊、そしてもちろん第五遊撃部隊もみずづきと共に繁華街を練り歩いている。

 

「いや、私たちにとって、硫黄島というのはあまり、その・・・いいイメージはなかったから。怪談とか有名だったし」

「まぁ、日本じゃな。でも、戦前は硫黄島も結構栄えてたんだぜ。米とかは無理でもサトウキビとかよく採れたらしくて、役場とか小学校とかもあったからな」

「え? 摩耶さん、それ本当ですか?」

 

信じられず聞き返すが、摩耶は胸を張り意気揚々と答える。

 

「この商店街・・」

 

「繁華街!」と後方から不機嫌そうな声が飛んでくるが、摩耶はさらりと受け流す。

 

「繁華街も商店街も、似たようなもんだっつうの。それでここ“西商店街”っていうだろ? 日本の硫黄島にもこの辺りに“西集落”っていうのがあってだな。中心は海軍の飛行場が作られちまってる元山集落だったらしいが、ここにも民家やらサトウキビの工場があったらしい。どうだ!」

「摩耶さ~ん。めちゃくちゃ堂々と話されておりますが、それ赤城さんからの入れ知恵でしょ~」

 

ニヤニヤしながら「大将首をとった!!」と言わんばかりに、先ほどの摩耶と同じく胸を張る北上。「すごいです!! さすが北上さん」と声をかけている大井はお約束だ。

 

「え? そうなんですか? 摩耶さん・・・・」

 

「し!! それ言うなって言っただろ!!」と小さな声で怒鳴っている摩耶に、幻滅感をたっぷり織り交ぜた声色で問いかける。

 

「いや、そのな・・・・。つい・・・・、な。あははははっ」

 

後方で「なんですか!! あのお店は!! おいしそうな香りが!!」と大興奮し、「赤城さん・・・」と加賀や翔鶴に制止されている赤城を見ながら苦笑。

 

「みてみて潮。無様に顔を真っ赤に染めてんの。醜態晒して、ざまぁみろね。いい機会だからどんどん自分の浅はかさを思い知ればいいのよ」

「あ、曙ちゃん・・・・そこまで言わなくても」

 

憂いなく、はっきりと言い放つ曙。その刺々しい物言いはさすがだ。

 

「曙に潮、いつの間に」

 

2人は赤城たちと同じく少し後方を歩いていたと思っていたが、先行している第五遊撃部隊の足が遅くなってきたため、追いついたようだ。よくよく耳を澄ませば、テンションが上がりに上がっている赤城の声が聞こえてくる。同時に、諫めている加賀と苦笑している翔鶴の声も。瑞鶴はというと自分の艦載機が映っている写真が飾られている写真店に食らいつき、財布の中身と格闘していた。様子を見るに・・・・・・厳しいようだ。

 

「重巡様の憐れなお姿を拝見しに来たのよ。最近、調子に乗ってたからいい気味よ。せいせいしたわ」

「一体、なにがあったの? なんか曙、いつも以上に度し難い性格になってるけど」

「実はこの前の訓練・・・・・・みずづきさんが川内さんたちと対潜訓練をやってた時だったんですけど、その時曙ちゃんの主砲が暴発しちゃって・・」

「・・・・マジで?」

「幸い、けがというか損傷はかすり傷程度だったんですけど、曙ちゃんの顔が煤で真っ黒になちゃって・・」

「それに摩耶さんが爆笑した、と」

「・・・・はい。正解です」

 

ふんぞり返っている曙を尻目に、少し距離をとって潮と内緒話を行う。当事者に聞こえないよう小声で、だ。今いる大通りは将兵や硫黄島港に接岸・停泊している民間船舶の船員たちも歩いているので、上手くこちらの姿を遮ってくれていた。

 

「なるほどね。というか、摩耶以外は全員笑わなかったの? 私なら、摩耶さんみたいに吹き出してたと思うけれど」

「その・・・・笑うに笑えないほどの汚れっぷりで・・」

「あ~。そこまでの強運の持ち主だったんだ・・・。道理であの日、不機嫌だったわけね」

 

 

 

「誰が不機嫌ですって????」

 

 

 

「「っ!?」」

 

いきなり聞こえた、地獄の底から響いてきたような暗く冷たい声。それは刺々しいオーラを伴い、背中から聞こえてきた。

 

心臓が一瞬止まったかのような錯覚を感じる。いや、実際止まったのではないだろうか。事実、隣にいる潮の額には大粒の汗が現在進行形で増え続けている。これ以上の事態悪化を招かないために、潮と頷きあい同時に振り向く。仏頂面の曙がすぐそこに立っていた。

 

「やっほー、曙。今日はいい天気ね」

「そうね~、いい天気ね~。星もきれいで、もうすぐ月も・・・って、何言ってんのよ」

 

眉間にしわを寄せて、馬鹿を見つめるような目で見てくる。

 

「曙も乗ったじゃん」

「わ・た・しは呆れすぎて、いちいち訂正することが面倒だから乗っただけ。苦し紛れに言ったあんたと一緒にしないで。それで、何話してたの? じっくり、詳しく、きっちり!!とお聞かせ願えますでしょうか?」

「oh・・・・・」

 

あまりの由々しき事態に金剛のようなうめきが出てしまう。

 

「曙ちゃん、落ち着いて。私たちは全然やましいことなんか・・」

「じゃあ、なんでそんなに汗をかいているのよ。言っておくけど、いくら火山島とはいえそんなに暑くないわよ」

「う・・・」

 

痛いところを突かれる潮。曙の全視線が潮に向いているため、アイコンタクトで応援する。

 

「で、何を話してたの? ことによってはいくらあんたたちでも容赦しな・・」

「曙ちゃんは信じてくれないの?」

「え?」

 

言葉の端から端まで悲壮感に染まった潮の言葉。さすがの曙も目を丸くしている。

 

「私、曙ちゃんに嘘ついたことあった? 馬鹿にしたことあった?」

「いや、ないと思うけど・・・」

「分かってるのになんで疑うの? 私は曙ちゃんを馬鹿にしたりしない。曙ちゃん、ひどいよ」

「え!? わ、私!? なに、私が悪いの? え? そうなの? ん? ・・・・・私が悪いの、か?」

 

(来たぁ! 潮の泣き落とし作戦!)

ついに発動された幻の作戦に、心の中で思わず歓喜。いつの日か、摩耶・潮と3人で集まった時に摩耶が曙を丸め込むために言い出した案が遂に結実した。

 

曙はああ見えて仲間想いであり、特に姉妹想いの艦娘だ。同じ艦隊に妹の潮がいるため、彼女を特に目にかけており、大切な存在としている。そのため、彼女に泣かれたり、彼女を悲しませたりすることが、曙にとって最も精神的にくるのだ。

 

潮に落ち込まれ、怒りも忘れて狼狽している曙自身が、なによりそれを証明していた。

 

(摩耶さん! あなたの言ったことは正しかった!)

などと興奮していると、集団の先頭で1人だけ事態を俯瞰していた艦娘が手を叩きながら、「叫ぶ」一歩手前の比較的大きな声を出した。

 

騒ぎに騒いでいた一同が一斉に顔を向ける。

 

「もう! みなさん!! いい加減にしてください!! 私たちがここに来たのは、こうして大騒ぎをするためじゃありませんよね?」

 

困ったように眉をひそめると摩耶と居酒屋探しをしていた金剛を指さす。その動作に情けは一切ない。人身御供の気配を察知した金剛は「on my god!!!」と頭を抱える。

 

「ねぇねぇ、吹雪? お金、持ってない。ほんの少しでいいから貸してくれない? あの写真、どうしても欲しくて・・・」

 

性懲りもなく、お怒りモードの吹雪にお金をせがむ瑞鶴。もちろん返答は「瑞鶴さん!!」という(かみなり)だ。

 

「全くもう・・・・。みなさんにお伺いします。私たちがここに来た理由はなんですか?」

「美味しい食べ物を買うためです!!!」

「赤城さん、違います!!」

 

あからさまに落ち込む、誉高い一航戦の正規空母。

 

「基地の食糧が枯渇することを防ぐため」

「違います!! なんで加賀さんまでそっちに回ってるんですか!?」

 

地味に怖いことを言う、青い正規空母。何気に加賀の方が大食いな事実は、ここにいる全員の暗黙の了解だ。

 

「なんとなく」

「さきほどの2つと比べるとましだけど違う!! 曙ちゃんまで~」

 

そろそろ本気で悲しみだした吹雪。おふざけはここまでだ。

 

東山(とうやま)司令に“君たちに会いたがっている者たちがいる”からって言われて、西商店街にある居酒屋“擂鉢(すりばち)”に行くためでしょ?」

 

一同を代表し、まともな意見を述べる。

 

「みずづきさ~~~ん。さすが、みずづきさんです~~~。これでみずづきさんまでおかしなこと言いだしたら、どうしようかと」

 

鼻水をすすりながら、吹雪が抱き着いてくる。赤城を除いた誰も本気で言っていたわけではないのだが、少々気合いが入りすぎていたようだ。

 

ここに来た理由。それは海軍硫黄島基地隊司令東山日出次(とうやま ひでじ)大佐にそう言われたからだ。

 

「しっかし、会いたがっている者って誰だろうな?」

 

摩耶が呟く。

 

「う~ん・・・・。第3統合艦隊の人達、とか」

 

瑞鶴が言うものの、加賀が「彼らはまだ艦の中にいるわ」と虚偽ではない事実をぶつけ、瞬時に葬り去る。あからさまに苛立つ瑞鶴も明確な事実を言われて反論のしようがなく、「う~~~」と翔鶴の横で唸っている。

 

その後もいくつかの推測が出たが要領を得ず、結局候補すら上げられないまま、居酒屋「擂鉢」に到着した。

 

典型的な和風の-こちらでは瑞風(みふう)と呼ばれる-造りで、玄関に暖簾(のれん)を垂らし、手書きのお品書きが店先に置かれている。庶民的な店構えで、敷居の高さなどは感じない。

 

「すいませ~~ん」

「はい、いらっしゃいませ!! 何名様でしょうか?」

「いえ、その、待っている人たちがいると思うんですけど・・・」

 

真っ先に突入したものの、返答に窮する瑞鶴。赤城をはじめとする空母勢や吹雪が捕捉しようとした時。

 

「あ! すいませ~~ん!! 店員さん、そこの人達、私たちのお客さん!」

 

一同が一斉に目を向けると、個室のような部屋から慌てて飛び出してくる1人の女性が見えた。靴を履くのに手間取っていたが、すぐにこちらへ走って来た。

 

「あ、あなたは!?」

 

赤城の驚愕。ほかの艦娘たちも、特に赤城を除いた加賀たち空母勢が戸惑いを隠せていない。だた、みずづきだけが「誰?」と首をかしげている。

 

「あ、ああ。そちらのお客様でしたか。事づけをいただいていたにもかかわらず、申し訳ございません。すぐにお通しします」

「いえいえ。こんなに大人数が押しかけて、大丈夫ですか?」

 

気さくに店員とやりとりを交わす赤橙色の着物とかなり短めの緑色の袴を着た、ショートヘアの女性。偶然「擂鉢」の店内も赤橙色の照明で照らされていたため、同じ色調の服装をした女性は、やけに印象に残った。

 

「久しぶりね、飛龍さん」

 

赤城の優し気な口調。それを聞いた途端、飛龍と呼ばれた女性は元気がみなぎっている満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

――――――

 

 

 

「みなさん、お久しぶりです。お怪我もなく、お元気そうでなによりです!」

「本当に久しぶりね。いつ以来かしら?」

「確か、還3号作戦で大宮への上陸支援をして以来じゃなかったかと」

「さすが加賀さん、おっしゃる通りです。もう、7ヶ月近くになります」

「今日はどうして硫黄島に? 私たちは聞いてなかったけど」

「私たち、明日対地攻撃演習をやるんですよ。その関係でこちらに。うちの提督から横須賀に話はいっていると伺ってたんですが・・・・」

「百石提督・・・・」

「仕方ないわよ、加賀さん。おそらくあまりのご多忙ぶりに失念されているんでしょう。まぁ、こういう“サプライズ”も悪いものではないわ」

 

「蒼龍さん聞いてくださいよ!! さっき、ここへ来る途中、私たち空母艦娘の艦載機を映した写真をたくさん置いてある写真屋さんを見つけたんですよ!!!」

「お、やっぱり見つけた? 瑞鶴なら食いつくと思った。で、どうだった? 結構、いい写真ばかりだったでしょ?」

「そりゃ、もう!!」

「瑞鶴ったら、もう・・・」

「いいの、いいの翔鶴。艦娘関連の写真は新聞に載ることはあっても、そこいらでは売っていないからね。瑞鶴が興奮する理由も分かる」

「それは、そうですけど」

 

居酒屋「擂鉢」の大個室。20人が収容可能なこの部屋には総勢19人の艦娘たちが集い、久方ぶりの再会に会話の華を咲かせていた。

 

「お久しぶりです!! 金剛お姉さまーー! 久しぶり!! 榛名ーー!!」

「oh!! 比叡!! 相変わらずの様子で、私は嬉しいデース!!」

「お久しぶりです!! 比叡お姉さま!! 最近の調子はどうですかって・・・・。聞いてないですね」

 

「お姉さま、最近の調子はどうですか?」

「どうこうもこうねぇよ。さっきもひどい目にあったばっかだしよ」

「相変わらず、お元気そうでなによりです」

「・・・・・どこを見てそう受け取ったんだよ。お前、笑ってるだろ? てか、私が受けた拷問をなんで知ってんの!?」

「なんのことですか? 私は何も・・・・ぷっ」

「知ってんじゃねぇか!! って・・・北上、大井。喋ったのお前らだろう!!!」

「なんのこと~~~。私たちはただ鳥海と再会のあいさつを交わしただけだよ~~?」

「そうです、そうです。北上さんの言う通りです。摩耶さん、少し被害妄想気味ではなくて?」

「・・・・言ってくれるな大井」

 

「吹雪!! 潮!! 久しぶり~~~!!」

「お久しぶり。どう? 上手くやってる?」

「照月ちゃんに、朝潮ちゃん!! 二人とも元気そうで良かったぁ~」

「うん。私たちは特に問題もなく、順調」

「そう。良かった、って。思い出した。聞いたわよ、吹雪。あんた遊撃部隊の旗艦に抜擢されたって?」

「照月も聞いた! すごいじゃん吹雪! 駆逐艦の誉だよ~!」

「いやいや、そんなことは・・・」

「吹雪ちゃん、私たちよりクラスが大きい人たちと同じ艦隊でも、とっても頑張ってるんだよ」

 

楽しそうに笑い合う艦娘。みな、顔見知りに会えたうれしさを爆発させている。会話を聞いていると長い間会ってなかったようであるし、その気持ちも分かる。分かるのだが・・・・・。

 

「場違い感が、半端じゃない・・・・」

 

横須賀鎮守府の艦娘と全く面識のないみずづきにとっては、人間としての精神力を大いに試される試練の時間となっていた。

 

 

こちらを待っていた人物たちが横須賀鎮守府以外の艦娘であると知った時、みずづきは思わず身構えた。

 

“日本の未来”

 

房総半島沖海戦後、明らかにしたそれは横須賀鎮守府側からの聴取を経て、「並行世界証言録」に追加されることとなり、その気になれば「並行世界証言録」の閲覧を許可される立場の人間、そして艦娘の誰もが“未来”を知ることが可能となった。

 

みずづき出現の事実は各鎮守府・警備府司令長官の裁量次第とはいえ、既にほぼ全ての艦娘にいきわたっていた。そして、“未来の日本”から来たという正体も。

 

質問攻めにされるのではないか。

 

そう危惧したのだが飛龍たちはよほど顔なじみの艦娘に会えてうれしかったようで、最初からみずづきそっちのけで会話に没頭。結果的にみずづきは場に馴染めず、気まずい雰囲気を一手に引き受けることとなった。

 

「はぁ~。まぁ、僥倖(ぎょうこう)といえば、僥倖(ぎょうこう)だけど・・・これはさすがに」

「何が僥倖よ。あいつらが攻めてきてもご自慢の武装で返り討ちにしてやればいいじゃない。私にやったように」

「曙・・・・・」

「うん」

 

壁の隅で三角座りをし、縮こまっていると曙が話しかけてくる。ソーダの入ったグラスを差し出されたため「ありがとう」と素直に受け取る。曙は左手からグラスが消えると、隣に腰を降ろした。

 

「返り討ちってなに? 私、曙にそこまでひどいことしたっけ? まぁ、酷いことしたのは否定しないけど」

「あんたに自覚がなくても、こっちにそれだけのダメージがあったの! 告白も、納得も・・・」

「・・・・・・・・。そういえば、あんたは輪に交わらないの? みんなは楽しそうに話し込んでるけど」

「ん? 私はいい。もう、あいさつは済ましたし。あんまり騒々しいのは好きじゃないの」

「そう」

 

その言葉を最後に会話は途切れる。だが、曙はこちらをチラチラと覗ってくる。言葉に嘘はなかったのだろうが、“ここへ来た理由”を全て白状していないことは容易に察せられた。

 

例えこちらの見立てが間違っていようとも、曙の行動は素直に嬉しかった。さすがに1人だけ孤立するのは精神的に(こた)える。

 

「・・・・・・ねぇ、そこのあなた」

 

しかし、曙によって解消された孤独感が、はっきりと消滅する機会は唐突にやって来た。

 

 

声の方向に振り向くと、先ほどの飛龍と呼ばれていた女性がまっすぐこちらに視線を向けていた。するとどうだろう。示し合わせたかのように先ほどまで談笑していた見知らぬ艦娘たちもこちらをじっと見つめていた。

 

赤城たちはというと「ついに来たか」と、目の前の料理をつまみ出す。いずれは助け舟を出してくれると信じたい。

 

「あなた、例の・・・・みずづき、よね?」

 

こちらを探るような妙に迫力のある言葉。

 

「はい・・・・。そうです。じ、自己紹介が遅れてしまって申し訳ありません。私は・・・・」

 

生唾を飲み込む。緊張からか喉に絡みつき、なかなか飲み込めなかった。

 

「私は日本海上国防軍防衛艦隊第53防衛隊隊長のあきづき型特殊護衛艦、みずづきです。現在は瑞穂海軍と行動を共にし、深海棲艦から瑞穂を護るべく日夜職務励んでいます。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」

 

仰々しく頭を下げる。すぐに上げたいが、沈黙が続いていたので上げづらい。「もう、どうにでもなれ」と半ばやけくそになって頭を上げたのと、飛龍・蒼龍の笑い声が木霊したのはほぼ同時だった。

 

「へ?」

「はははははっ!! 噂には聞いていたけど、境遇や持ってる武装にかかわらず意外と小心者っていうのは本当だったんだね」

 

お腹を抱えて笑う、飛龍。

 

伊地知(いちじ)司令から話を聞いた時は、何言ってんのこのおっさんって思ったけど、本当だったんだ~」

 

飛龍ほどではないものの十分爆笑している、緑色の着物に暗緑色のこれまた短い袴を履いたツインテールの女性。

 

「な~んだ、可愛いところもあるじゃん! 警戒して損した」

「それはその・・・・ありがとうございます」

「いやだ、礼儀正しいいい子でもあるじゃん。・・・ほらほら、みんなもこれでみずづきがどういう人間か分かったでしょ? 横須賀のみなさんは騙されたようだけど、最前線の大宮で鍛えられた私たちの観察眼は伊達じゃない」

 

飛龍は笑顔で沈黙を守っている仲間の艦娘たちを見回す。

 

「そうそう。それにみずづきが自己紹介してくれたんだから、私たちもしなくっちゃ!」

「お! さすが、蒼龍!」

「お褒めに預かり光栄です。じゃあ、誰から・・」

「それはもちろん、我が第二機動艦隊旗艦の蒼龍殿で!」

「はいはい。全く調子いいんだから・・・」

 

苦笑いしながら蒼龍と呼ばれた女性がこちらに体を向ける。その瞬間、重力に従い揺れるものに思わず視線が吸い寄せられてしまうが、心の中でカツを入れ、視線を戻す。それにしても・・・・・勝負にならない。完敗だ。

 

「初めまして、みずづき。私は大宮を母港とする第二機動艦隊の旗艦を務めている蒼龍型航空母艦一番艦の蒼龍よ。あなたの話は色んな所から聞いているわ。これから、よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」

 

優し気に微笑みながら、蒼龍は片手を上げる。美人であるが故か、とても絵になる姿だ。

 

「よしっ!! 次は私の番だね。これからよろしくね、みずづき。私は飛龍型航空母艦の飛龍。私ね、あなたにずっと聞きたいことがあったんだ・・・・」

 

勢いよく立ち上がった、飛龍。だが、田んぼを駆け巡る子供のような覇気が言葉を重ねるごとに急速にしぼむ。

(ついに来た!?)

みずづきのみならず、そばにいた曙が咄嗟(とっさ)にみずづきを庇うような姿勢をとる。迫って来たあの時とは正反対の行動だ。

 

「待って飛龍さん! ここはそういう話をする・・・」

「21世紀の日本でも多聞丸は知られている?」

「場じゃなくてですねって・・・ん?」

 

曙が固まる。「ま~た、飛龍の多聞丸癖が始まった~」と呆れるようにジュースを飲んでいるのは第二航空戦隊(二航戦)の相棒、蒼龍だ。

 

「た・・・・多聞丸?」

「うん、そう多聞丸。・・・・・・やっぱり知らない?」

 

子供のように活発なら、子供のようにこちらの良心を苛むような落ち込み方をする飛龍。

 

「ああ!! すみません!! ちょっと、待ってください!! 今、今思い出しますからって・・」

 

その時、記憶の女神が下りてきた。

 

「多聞丸って、多いに聞く丸ですよね? それで、た・も・ん・ま・る。・・・・ミッドウェー海戦時、空母飛龍に乗り第二航空戦隊司令として指揮を取っていた山口多聞少将ですね」

「っ!?」

 

飛龍が大きく目を見開いた。

 

空母飛龍と第二航空戦隊司令山口多聞少将。例え初対面であろうとも周囲に放出される彼女の性格を把握すれば、両者がどのような絆で結ばれているのか、察することは容易だった。

 

「もちろん知ってますよ。すいません、海防軍内ではあまりあだ名は使ってはいけなくて・・。勇猛果敢な海軍軍人として、山本五十六連合艦隊司令長官と並ぶほど私の生きてた日本でも有名な方ですよ」

「そう・・・・、そう・・・・・・。ありがとう、みずづき! その話、聞けて良かった。やっぱり、多聞丸はすごい軍人だったんだね」

 

目元を拭いながらそういうと飛龍は静かに座る。一瞬、このまま自己紹介していいのかと金剛や榛名と同じ巫女服を着た少女が蒼龍を伺うが、答えは可だった。

 

「えー、ゴホンっ! 初めまして、みずづき。私は金剛戦艦型2番艦の比叡です!! 偉大な金剛お姉さまの妹、そして榛名の姉にあたります! 金剛お姉さまの恥とならないよう日夜頑張っているので、どうかよろしくお願い致します!!」

「よ・・・・よろしくお願い致します」

 

あまりの気迫につい後退を余儀なくされた。どうやらかなり快活な艦娘のようだ。

 

「私からもよろしくお願い致しマース! 比叡は元気でまっすぐでとてもいい子ネ!!」

「お姉さま!!」

 

そして、かなり金剛大好きであるらしい。榛名に目を向けると苦笑している。

 

「えっと、次は・・・」

「は、はい・・・・。えっと、高雄型重巡洋艦4番艦の鳥海です。姉がいつもお世話になっております」

「私は朝潮型駆逐艦1番艦の朝潮です。未熟者ですが今後ともよろしくお願い致します」

 

ぺこりと頭を下げる2人。緊張気味なのだろうか。人のことは言えないが表情が少し硬い。そのことをからかう外野。外野には第二機動艦隊のメンバーはもちろん、鳥海の姉である摩耶や朝潮の駆逐艦仲間である吹雪や潮、曙がいる。彼女たちの存在は幾分2人の緊張を解きほぐした。笑顔を見られたことは大きい。

 

「じゃあ、最後は照月ね」

 

(ん? 照月?)

蒼龍の言葉。自分があきづき型であるため“つき”に思わず反応してしまう。海上国防軍あきづき型特殊護衛艦の原典である海上自衛隊のあきづき型護衛艦の艦名は大日本帝国海軍防空駆逐艦秋月型駆逐艦から拝命されている。

 

「は、はい! えっと・・・・みずづきさん! こんばんは!」

 

誰にでも分かる緊張ぶり。人間同士ではよくあるスタートダッシュだが、ここに限定すれば全く新しいパターンである。

 

「こ、こんばんは!」

「私は、秋月型駆逐艦2番艦の照月です!! 対空戦闘ならお任せください! 自慢の高射装置と長10cm砲ちゃんで対空戦闘はお手の物・・・・って、あ! これ、言っちゃいけなかったんだっけ。みずづきさんの方が圧倒的に上だもんね・・えっと、あっと」

「・・・・・・・・・・・」

 

なんだか、罪悪感が湧いてくる。みずづきの能力はそれなりの確度を持って、大宮警備府にも伝わっているようだ。

 

「あ、あの照月さん?」

「は、ふぁい!」

「私、自分の能力を鼻にかけてるわけじゃありませんから。それより、自身の練度と精神力であんな高速の物体に挑まれているなんて、同じ防空艦として尊敬しています。だから、落ち着いて、ゆっくりと、ね?」

「みずづきさん・・・・」

 

2回ほど、深呼吸を繰り返す照月。それを経た後は幾分、緊張もマシになったようだ。

 

「ありがとうございます。同じ防空艦として、これから何卒よろしくお願い致します!」

「こちらこそ、よろしくお願い致します」

 

これで全員の自己紹介が終わった。序盤の心配も完全な取り越し苦労。全員、いい人たちのようで安心だ。

 

「じゃあ、そろそろ行きますか」

 

大人びた笑顔の蒼龍は全員の顔を見渡すと、淵ぎりぎりまで緑色の液体で満たされたグラスを掲げる。それに呼応してまた1人、また1人と手に持っているグラスを掲げる。食事に没頭している赤い艦娘には相棒の拳骨が投下され、何事もなかったかのようにグラスが上がる。そして、曙やみずづきも。

 

「今日は東山司令のおごり! 無礼講だよ!! 東山司令に感謝しつつ、今日この縁を精一杯楽しもう!! かんぱ~~~い!!」

『かんぱ~~~い!!!』

 

あちこちからグラスがぶつかり合う音が響く。心のとげが無事に抜かれたこれからが、宴の本番だ。

 

眼前の卓上に並ぶ数々の料理と飲料。口に広がる幸福感と腹を覆い尽くす満足感によって、ますます進む会話。箸と共に意識することなく会話は自然と弾みに弾み、全体の料理が半分近くにまで減った頃合いには先ほどまで初対面だったとは信じられないほど、みずづきは第二機動艦隊のメンバーと打ち解けていた。

 

話題に事欠くことはなく、次から次へと新しい酒の肴があちこちから提供されていく。ちなみにみずづきも泥酔して暴走しない程度に酒をたしなんでいた。

 

「電探に、高速計算機に、命中不可避の噴進弾・・・・・。技術の進歩と言うのは凄まじいものですね」

「まったくよ。あ~あ、みずづきの時代じゃ、零戦も九九艦爆も九七艦攻も骨董品か~~。なんか、寂しいね」

 

みずづきの能力とそれに関連した未来の話。

 

「いくらなんでも酷過ぎない? 多忙だってことはじゅうぅぅぅぅぅぅぶんっ分かってるけど、あれは酷い! 提督の判子がなかったら、何も動かないのよ!! しかも演習の段取りが滞ったつけは全部この私へまっしぐら! なんで爆睡中の提督の頭上に艦載機たち派遣しちゃけいないのよ!? 横須賀だと許されてるじゃない!?」

「お、落ち着いて下さい蒼龍さん! 横須賀でも無条件で許容なんてされてませんよ。百石司令が甘いのは怒られると小学生みたいにムスッとする方がおられるからで」

「みずづき、なんか言った??」

 

所属基地では人を憚らずに垂れ流せない自分たちの指揮官に対する愚痴。酒のアルコールや居酒屋特有の高揚感も手伝い、酔いも満腹感もない普段なら躊躇せざるを得ない話も喉のつっかえが取れたようにすらすらと産声を上げる。

 

「天城さんたち、大丈夫かしら」

 

内心はともかく飄々(ひょうひょう)とした表情を維持している加賀が、内側に幽閉していた決して消せない想いを吐露したのはそのような時勢だった。

 

みずづきは突然のことで、隣にいた照月や曙と顔を見合わせる。

 

「大丈夫ですよ、彼女たちなら」

 

そのようなみずづきたちをよそに飛龍はビールをたたえたグラスを勢いよく仰いだ後、揺るぎない確信を感じさせる口調で即答する。

 

既に夜が世界を支配下においた時間帯。作戦通りに進行していれば、今頃南鳥島攻略部隊は南鳥島の西20km付近に進出。夜明け後の航空攻撃を敢行する航空戦力や強襲上陸部隊の被害を局限化するため、第2統合艦隊艦艇による掃討射撃が行われているはずだ。

 

「数え切れないほど演習をしてきましたし、第2統合艦隊側との折衝も順調に進みました。今回の主役はあくまでも経験蓄積中の第2統合艦隊ですが、準備と心構えにぬかりはありません」

「そう・・・・」

 

南鳥島攻略作戦に参加している天城を基幹とする第三機動艦隊と飛龍たち第二機動艦隊は同じ大宮警備府に所属する親しい仲間たち。飛龍や蒼龍が艦としても艦娘としても天城の先輩格であり、第三機動艦隊が第二機動艦隊と同じく空母2隻を配した空母機動部隊であるため、両艦隊は大宮警備府内でもとりわけ関係の深い艦隊であった。だからこそ、飛龍の言葉には加賀でさえ納得させるほどの説得力が宿っていた。

 

そしてそれは飛龍たち自身の問題に対しても功を奏した。

 

「だから、私たちも・・・・・大丈夫です」

「?」

 

その言葉の真意が分からない。みずづきだけでなく、赤城や吹雪など艦娘の中でも瑞穂海軍中枢に近い彼女たち以外も同様であったが、ぽっかり空いた脳内のピースはほんのり顔を赤く染めた赤城の発言で埋まっていく。

 

「では?」

「はい」

 

赤城の問いに、柔和な表情で答える第二機動艦隊旗艦蒼龍。

 

「どうやら、ウエーク島攻略作戦は私たち第二機動艦隊が主軸となるようです」

「っ・・・!?」

 

照月が無言で蒼龍を凝視する。だが彼女の性格からいって、仰天も不思議ではないところを鑑みると、薄々勘付いていたのではないだろうか。自分たちが抜擢されるという確信はなくとも遠隔地への戦力投射能力を有する空母機動部隊に所属する以上いつ来てもおかしくない、とここにいる全員と同じように。

 

「こうなるとあの離島棲姫の相手は私たちというわけです。明日行われる対地攻撃演習は非常に重要ですよ」

「離島棲姫・・・・・」

 

蒼龍の言葉に含まれていた、希有かつ不穏な単語を復唱する。太平洋哨戒線の東進及び中部太平洋諸島攻略の布石として攻略が決まったウエーク島、瑞穂名オオトリ島には新種の深海棲艦が確認されていた。

 

「Wow!! ということは次の領土奪還の大役を引き受けるのは蒼龍たちデスカ! Congratulation!! これもこれまでの努力と精進の結果ネー! さぁ、飲んで下さーい!!」

「ありがとうございます、金剛さん・・・って!」

「あ! ちょっ!? 金剛さん!」

 

蒼龍たちの意に反しわずかに辛気臭くなった雰囲気を払拭したまでは良かったが、金剛もそれなり酔っていた。手元がおぼつかず、蒼龍のグラスへ傾けられたビール瓶からは限界を顧みない濁流をもってビールが注がれていく。

飛龍の困惑が結果的に蒼龍の風情ある着物を救う。

 

「おっとっと・・・・危なかったネー」

「「もう! 金剛お姉さま!」」

 

妹たちの叱責が見事にシンクロする。それでもなんら懲りずに摩耶や鳥海に向かうのはもはや日常風景だ。各所から笑い声が上がる。無論、みずづきも笑わせてもらった。

 

しかし、それは単に金剛の図太さが笑い袋を刺激しただけではない。戦地へ赴くことは当然自分もしくは仲間の身に危険が迫ることを意味する。しかし、生死をかけるからこそ実力のある者、認められた者のみが戦場へ赴ける。

 

蒼龍たちの作戦参加決定は危険を伴う以上金剛のいうような「おめでたい」ことではないかもしれないが、喜ばしいことではあった。

 

宴は蒼龍たちの晴れ舞台をささやかながら彩るため、ますます盛り上がりを見せていく。しかし、何分アルコールが入った頭では特定の事柄が妙に気になってくる。

 

 

 

乾杯の直前に蒼龍が言った言葉。それは・・・・。

 

 

 

 

 

東山司令のおごりって、瑞穂海軍横須賀鎮守府硫黄島基地隊司令東山日出次大佐の財布は・・・・・・・・・・大丈夫なのだろうか。

 

正規空母だけで、6隻いるが。・・・・・・・・・とりあえず、合掌。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

真っ暗闇。

 

「はぁ・・・・・・・・はぁ・・・・・・・・・はぁ」

 

見るものは黒。そして、本土とは異なるうっそうと生い茂ったジャングルの隙間から垣間見える無数の星たち。七夕の時期よりは幾分見劣りするものの、天の川がきれいだ。

 

「はぁ・・・・・・・・はぁ・・・・・・・・・・はぁ」

 

聞こえる音は自らと周囲で塹壕の中に身を縮めている将兵たちの息遣い。そして、闇と相まって不気味さと緊張感を天井知らずで高める不快極まりない虫たちの鳴き声。時々、獣か鳥の低い唸り声も聞こえる。ほんの少しでいいから本土の虫や動物たちを見習ってほしいものだ。

 

コンコン。

 

塹壕の壁に、被った鉄帽を擦りつけるように身構えていると隣にいる部下が、肘で腕を小突いてくる。同時に周囲がわずかにざわつき始めた。両翼に展開している将兵たちが一斉に塹壕からわずかに顔を出し、24式小銃を構える。それにならい、自分たちもわずかに塹壕から顔をのぞかせる。

 

視界全体に広がる熱帯性の雑草。

 

その間から星明かりによってなんとか識別できる海辺が見える。昼間ならばさぞ美しいだろう。砂は白く、波は果てを知らずに絶えず砂浜に打ち寄せている。

 

だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

 

動物の唸り声とは異なる、獰猛で生命を感じさせない唸りが徐々に近づいてくる。音だけでは数が判別できない。それは海岸の全方向から聞こえてきた。

 

水上をこちらに向かって疾走してくる無数の黒い影。もはや耳には影が発する音しか聞こえない。夜目で将兵たちを見ると24式小銃や重機関銃を握りしめている。

 

ここから見える水平線の7割近くが影に覆われた瞬間、少し離れた位置にいた巨体の男が無線機、そして周囲の将兵に向かって盛大に吠えた。

 

「撃てぇぇ!!!!!!」

 

刹那、あちこちから閃光が瞬き、砂浜の至る所で紅蓮の炎が立ち上がり、衝撃波と轟音が伝播する。もう、聴覚は銃声や砲声しか捉えない。いくら聞き慣れているとはいえ鼓膜を塞がなければ、耳がおかしくなってしまいそうだ。

 

それにも全くひるまず、黒い影は急速に接近してくる。そして、第一陣が上陸した。砂を無理やり踏み固め、キャタピラを駆動させながら砲を旋回。一際大きな閃光。

 

「っ!!」

 

こちらの攻撃とは比較ならないほどの、内臓自体を揺さぶる凄まじい砲声。連続で打ち出された鋼鉄の槍の1つが頭上をかすめ、後方に着弾する。

 

「っぷ・・・はぁ!」

 

それが肌で分かった。

 

続いて第二陣が砂浜に接舷。数は第一陣の比ではない。

 

不思議な沈黙。

 

真正面に設置されているランプがゆっくりと下がり始め、中に控えている数多の存在が露わになっていく。そして、ランプが十分に下がった瞬間・・・・・・。

 

『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』

 

「バッカも~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

『うぉ?』

 

瑞穂陸軍海上機動師団第3海上機動旅団第1機動大隊第1・2歩兵中隊約400名の屈強な将兵たちを思わずひるませるほどの怒号が飛んだ。

 

29式水陸両用戦車(水戦)の威嚇射撃が始まる前に突撃するバカがあるかぁぁぁ!!! わざわざ月明かりのない夜中に強襲をかけているにもかかわらず大声を出して、自分たちの存在を露呈するどアホがおるかぁぁぁぁ!!!」

 

ここにいても鼓膜が痛い。

 

「こんなんじゃ、命がいくらあっても足りん!! もう一回やり直せ!!」

 

その言葉が吐き出された瞬間、場に異様な倦怠感が蔓延する。だが、それが火に油を注いだ。

 

「なんだぁ? 文句があるか? ・・・・無礼極まりないやつは誰だぁ!!! この俺が直々に特別訓練を施してやる!! ほら、出てこい!!!!」

 

当然、誰も出てこない。

 

「だったら、さっさと戻れぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」

 

弾かれたように完全武装の陸軍将兵たちが先ほどまで乗っていた15m運貨船(通称:大発動艇)や18m運貨船(通称:特大発動艇)に戻っていく。素晴らしい俊敏さだ。

 

「おい! 第1輸送隊司令部瑞州(みしゅう)丸に電文! 再度、上陸訓練を行う。以上だ!」

「はっ!!」

 

通信班の兵士に鬼の形相で指示を発する、瑞穂陸軍海上機動師団第3海上機動旅団長不死川孝之助(しなずがわ こうのすけ)少将。29式水陸両用戦車や運貨船たちがげんなりと発進した母艦へ帰投していく中、一般的な瑞穂人が見上げるほどの巨体からは闘志が無尽蔵と思えるほどあふれ出ている。

 

 

 

―――――――

 

 

 

「いやぁ~、やっぱり実弾を使った上陸演習と言うのは凄まじい迫力ですね。恥ずかしながら、少しチビッてしまいましたよ」

「百石司令もですかな」

「ということは、東山司令も・・」

「お恥ずかしながら」

 

一拍の沈黙を置いて、百石と東山、そして会話を聞いていた筆端が一斉に笑い出す。塹壕のそばや中を、銃弾やら水やらを手に走っている将兵たちが何事かと顔を向けてくるがすぐに己の任務に戻っていく。

 

演習の合間に訪れたわずかな休息。周囲はあらかじめ設置されていた照明で照らされ、先ほどの闇が嘘であるかのように明るい。左右で汗まみれになりながら、塹壕の中で息を潜めていた筆端や東山の顔もばっちりと見える。

 

2人とも汗と砂で体中が汚れていた。

 

 

日が昇っている間に艦娘たちが実施した対地攻撃演習の指揮・監督を取った百石・筆端両名は、硫黄島沖に停泊している大隅から下船し、硫黄島のとある海岸に来ていた。その理由は上陸作戦専門部隊、陸軍海上機動師団の一部隊である第3海上機動旅団の演習を見学するためだ。この部隊はベラウ・多温・小笠原・伊豆諸島が深海棲艦に占領されたことを受け、急きょ創設された。深海棲艦が出現するまで瑞穂は敵地への上陸・強襲を担う日本世界の海兵隊的な部隊を保有していなかったため、瑞穂軍の歴史において画期的な部隊だった。

 

 

「本当なら今日の演習では実弾を使わずに、空砲だけを使用するということになっていたんです。ここなら実弾を撃っても民家にあたる可能性はありませんが、実弾は何かと厄介でして」

 

話しながら東山が塹壕のあちこちに転がっている薬莢を手にする。今回の演習では空砲と織り交ぜて、実弾も使用されていた。もちろん、実際の戦場に近づけるための演出で跳弾しても展開している将兵に命中しないような位置に向けて撃っていたが。

 

「確かに、そうですね。実弾は実弾ですから、万が一破片でも当たれば負傷しますし、不発弾の処理も面倒・・」

「金もかかることだしな」

 

横須賀鎮守府の2人も同意する。

 

「はい。しかし、昨日になって急きょ第3海上機動旅団(三海機)から、実弾を使用したいとの申し出がありまして」

「昨日? ずいぶんと急な話ですね」

「それがですね、その・・・・」

 

辺りを見回す東山。どうやら一般将兵に聞かれるとマズイ話のようで、自然と声量も小さくなる。

 

「中央では第3旅団を次作戦に投入するか検討しているとの噂がありまして、どうもその布石ではないかと」

「そういうことですか。ライバル視していると有名な木下少将指揮の第1旅団は実際に現在作戦行動中ですからね。不死川少将の気合いの入りようも納得できます。凄まじいの一言ですからね・・・・」

「第1旅団や第2旅団の連中が国民から拍手喝采を浴びる中で還4号作戦では唯一、第3旅団のみが実戦投入されなかったからな。ようやく日の目を見ると・・」

 

筆端の言葉が不自然に止まる。百石や東山はそれを不思議に思わず、筆端と頷きあい、背後にある大きなヤシの木を睨む。

 

 

「・・・・・・誰か?」

 

 

百石が低い声で誰何すると、ヤシの木の影から肩幅が広く筋肉質の若い軍人が姿を現した。

 

「自分は不死川孝之助少将付副官の柳葉亨(いなば とおる)大尉であります。無礼を働き、誠に申し訳ありません」

 

背中に棒が入っているかのように背筋を伸ばしたまま、教本通りの礼をする柳葉。言葉遣いも覇気があり、さすが優秀な人材が登用される“副官”だけはある。

 

「して、我々に何か?」

「はい。不死川少将から伝言を承り、これをお伝えするべく馳せ参じた次第であります」

「伝言?」

 

東山が訝し気に聞く。「はい。そうであります」と柳葉。

 

「内容をお聞かせ願えるかな?」

「はい。不死川少将から“稚拙な我が旅団の視察に、海軍において屈指の戦歴をお持ちのお三方に足をお運びいただき、感激の極み。もし、よろしければ、更なる熟達のためご指摘・ご教示をいただければ幸いであります”とのことであります!」

 

声を張り上げた柳葉。彼は若干笑っていた。それを見て、不死川がどのような表情でこの伝言を託したのか。薄々察することができる。

 

「意外とユーモアがあるお方なんだな、不死川少将は。あのお姿の身を拝見するに、大きな声では言えないがスパルタと言う言葉がぴったりの将官だと思っていたよ」

「よく、言われます」

 

筆端の言葉に、柳葉は少し困ったように答える。

 

「畑違いの私たちが、誇り高い信念を持ち、日々過酷な訓練に耐えられているあなた方に指摘などもってのほか。そのような恐れ多いことはできません。むしろ、お礼を申し上げるのは我々の方です」

 

瞳に力を込めて、柳葉を見つめる。彼も今から紡がれる言葉が伝言の回答と察し、背筋をさらに伸ばした。

 

「・・・・私たち海軍軍人は陸戦隊将兵を除き、敵の銃弾へ突撃することもなければ、屍を踏み越えていくこともない。ただ、船の上で、本土で、空で機械の力を借りて敵と戦います。あなた方を送り届け、また支援する立場としてこの度の経験は大変貴重で、学ぶべき点は数え切れません。私たちのようなど素人の視察を認めて下さり、誠にありがとうございます。と、不死川少将の伝えてくれるかな? 長々と申し訳ないが・・」

「いえ、ご心配には及びません。・・・百石提督のお言葉、しかと不死川少将にお届けいたします。聞かれればさぞかしお喜びとなるでしょう」

「俺や東山の司令のこともよろしく。できれば、この伝言は3人の連名ということで」

「ちょ、ちょっと、先輩。それはないですよ・・・」

「お三方のやりとりも含めて、ご報告させていただきます。では、私はこれにて失礼させていただきます。貴重なお時間を割いてご対応いただき、誠にありがとうございました!」

「しっかりと報告を頼むよ」

「はい! では、失礼します」

 

そういうと柳葉は凄まじい速さで走り去っていく。やはり、陸軍。しかも精鋭が集められる海上機動師団の将兵。頭だけでなく、体も一級だ。

 

「さてさて、私たちもそろそろお暇しますか?」

 

すがすがしい表情の東山。筆端もうんうんと頷いている

 

「そうですね、これ以上お邪魔するのも悪いですし・・・・って、え?」

 

百石も肯定し、踵を返しかけた刹那、照明が一斉に消える。明かりに慣れていたため、夜目が全くきかない。辺り一面が再び真っ暗闇に支配された。

 

嫌な予感で急速に全身が満たされていく。

 

「おいおい、待ってくれよ」

「これは・・・・・・・。まずいですね」

 

気配で意思統一を図った三人は、嫌な予感を具現化させないため、全力疾走しようと身構える。だが・・・・。

 

「こらっ!!!! そこで何つっ立っとる!! もうすぐ、演習が再開されるぞ!! ぼうっとしてないでさっさと塹壕に潜れ!!!」

 

どこからともなく、こちらを海上機動旅団の将兵と勘違いした怒号が飛んでくる。周囲に意識を向けると塹壕の外で突っ立っている者は自分たち以外にいなかった。

 

「・・・・・・・・塹壕に潜りますか?」

 

東山の達観した声。

 

「そうですね。潜りますか。ねぇ? 先輩?」

「そうだな、潜るか」

 

逃走の機会を逃した3人はまるで敗残兵のように意気消沈した様子で塹壕の中に消えていく。

この後、3人は結局日付が変わるまで訓練に突き合わされ、大破。特に身体的のみならず艦娘たちのおかげで財布にまで大ダメージを負った東山日出次大佐は白目をむいて轟沈したという。

 

 

合掌。




明日、12月8日は今から76年前の日本時間昭和16年(1941年)12月8日、現地時間12月7日に大日本帝国海軍がアメリカ合衆国ハワイ諸島オワフ島の真珠湾を攻撃し、アジア・太平洋戦争の幕開けとなった真珠湾攻撃が行われた日です。

今話は真珠湾攻撃に参加した第2航空戦隊蒼龍、飛龍の初登場シーンだったため、2話連続投稿を決断いたしました。何気なくカレンダーを見ていて・・・・気付きました。

日本が昔、あんなところまで行って軍事作戦を展開していたとは今となって信じられません。真珠湾攻撃についての評価は人によってまちまちなので、筆者みたいなにわかは口を挟みませんが、この攻撃で生じたアメリカ側約2400名、日本側約60名の犠牲者の冥福を祈りたいと思います。

そして、一言。みなさんはもうよくお分りのことだと思いますが・・・


アメリカさんを舐めたら・・・・・・いけませんよ。


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69話 東京へ その1 ~出発~

2週続けて2話連続投稿でしたが、今週から平常運転の1話投稿です。


「ついに、この日が来たか~~。・・・・・・・・・・憂鬱だ」

 

残暑に終わりを告げ、徐々に秋の雰囲気を帯び始めた日光に照らされながら、大きなため息をつくみずづき。彼女とセットで多くの人が行き交っている横須賀駅を見ていると、瑞穂でも日本でも珍しい段差が皆無なフラットホームを有する駅が色あせたように感じる。

 

瑞穂海軍という巨大組織を一手に動かしている司令塔、海軍軍令部。そこに勤めている最上位の海軍軍人たちにみずづきをお披露目する日。光昭10年度横須賀鎮守府第1回が実施された際に、軍令部総長的場康弘大将から横須賀鎮守府司令長官百石健作提督へ告げられた運命の打診。それが房総半島沖海戦などの紆余曲折を経て結実する日がついにやって来た。

 

同行者はみずづきや百石、秘書艦の長門だけではない。より具体的な実感を持って軍令部の軍人たちにみずづきを認識してもらうため、実戦で共に戦い、その能力を間近で目撃した第三水雷戦隊もだ。

 

今は多忙を極める百石と彼についている長門を横須賀駅前で待っているところなのだが、今回も主役を務めるみずづきは緊張が臨界に達し病人さながらの空気を醸し出していた。

 

そんなみずづきの様子を哀れに思ったのか。陽炎が励ますように肩を叩いた。

 

「なに気負ってるのよ。そこまでげっそりしなくても・・・・・・。司令も言ってたじゃない、顔見せ程度で終わって、あとは観光だって。ねぇ? 元気だしさないよ。これから東京に行くのよ? あんたも瑞穂の東京、見たがってたじゃない」

「それはそうだけど・・・・・」

 

真っ白な軍服に身を包み、厳めしい表情でこちらを凝視する超エリートの軍人たち。象の群れの中に迷い込んだ小鹿のような自分。

 

想像しただけで・・・・・・・・・。

 

「やばい・・・お、お腹が・・・・。陽炎、横須賀駅って、どこにトイレあったっけ??」

 

真っ青な顔で血眼になりトイレを探す。その様子に陽炎が大きなため息を吐いた。

 

「こりゃ、重傷ね。トイレなら、確か構内にあったと思うんだけど・・・。川内さぁーん! トイレって、改札内でしたよね?」

「ん? トイレ?」

 

白雪たち吹雪型姉妹、黒潮と話していた川内が「そうだけど・・」と眉をひそめつつ、こちらに駆け寄ってくる。だが、みずづきの哀れな姿を見た瞬間、吹き出した。

 

「もう~、みずづき~。昨日の夜からずっとそんな感じじゃん。安心して。もう、たぶん出すものないから、トイレがなくても大丈夫でしょ」

「川内さん、それ下ネタ一歩手前・・・」

 

神経系の腹痛に耐え、彼女の体面のために指摘する。が「だって事実じゃん!」と一蹴される。

 

「ちょっとは陽炎や黒潮、白雪たちを見習ったら? 私も含めてだけど、あの子たちも軍令部にいるお偉いさん方の前で話さないといけないんだよ」

 

川内の言葉に呼応し、「えっへん!」と胸を張る陽炎。そして、どこから聞いていたか知らないが、姉と同じように胸を張る黒潮。感情を刺激しまくるどや顔はさすが姉妹。いつかと同じくそっくりだ。

 

「みずづき! もう横須賀駅やで。そろそろ司令はんもくる頃合いやし。なんとかせんと・・・・・・。無理に軍令部のこと考えんと、その後のこと考えたらええんやて! その証拠に・・・・じゃじゃあ~~ん!」

 

手にしている旅行カバンのとあるポケットからA4版の本を取り出し、これでもかと見せつけてくる。それは東京の観光本だった。表紙はあの“東京タワー”である。

 

「まだ行先は決めてへんけど、今日泊まるホテルでじっくり考えような!! あ~あ、明日が楽しみや!! 最近、訓練やらなんやらでろくに休みなんてなかったし。久しぶりの休暇や!!」

「・・・・さすが、黒潮。その元気とポジティブさを私にちょうだ~~い・・」

「うわぁ! こわっ!! まるきしゾンビやん!! こっちにこんといてみずづき!!」

「なんとかせんとってさっき言ってたやん・・・・。お願い、少しだけやから生気を~」

「いっつも拒否するくせに、こんな時だけ関西弁とは卑怯やわ!! 関西人を貶してるようなもんやで!!」

「なにやってんのよ、あんたたち・・・」

 

ゾンビのように手を前に出し、血の気の失せた顔で小走りに黒潮を追う。対して、妙に迫力があるのか、黒潮はかなり本気で駅前のそれほど広くない広場を逃げ回る。嘆息する陽炎やぎこちなく苦笑する川内を尻目に、「おっ!! 鬼ごっこ? 粋じゃねぇか」と2人に加わる深雪。

 

「ちょっと、深雪ちゃんもみずづきちゃんも黒潮ちゃんもなにしているの!!」

 

非常識な行動には当然、鉄槌が下った。

 

「だって、みずづきが!!」

「だって、黒潮が~~」

「だって、黒潮とみずづきが!!」

 

同じようなセリフにもかかわらず、三者三様の物言い。駅前広場という共有空間が3人に限定された運動場となっていくことに危機感を覚えた白雪が慌てながら、3人を止めようとする。

 

しかし、その一騒動は駅前通りに黒塗りの高級車が横付けされた瞬間、終わりを告げた。運転席から運転手が出てくるより先に、自ら扉を開け出てくる百石と長門。手持ち無沙汰な様子で苦笑する運転手の若い兵士に笑顔を向け、黒塗りの高級車が発進するのを見送ると少し小走りでこちらに近づいてきた。

 

「すまんな、みんな。だいぶ待させてしまって・・。会議が思いのほか長引いてって。みずづき!! どうしたんだ、その顔!」

 

申し訳さなそうな笑顔から一転、こちらの顔を覗った瞬間、仰天する百石。長門もたいそう驚いたようで「大丈夫か!! 具合でも悪いのか!!」と両肩を掴まれ、長門型戦艦に恥じない馬力で体を揺さぶられる。現状でこれはきつい。なんだか、お花畑が見えてきた。

 

「いやぁぁぁぁぁ、ちょっとぉぉぉぉ、緊張してしまいましてぇぇぇぇ」

「長門さん、それ以上やるとみずづき、昇天しちゃうよ」

「あっ」

 

陽炎のおかげで、目の前のお花畑は消滅。申し訳なさそうに謝る長門の顔が見えてきた。

 

「す、すみません。これからのことを思うと緊張してしまって。みんなが励ましてくれたんですけど、ちょっと・・・・」

「あ~、なるほど。その気持ち、私もよく分かる。今も胃の調子が・・・・・。だが、ああだこうだ言っていても仕方がない。そういうときは行動あるのみ!! これは経験則だが、ある程度楽になるぞ!」

 

言い終わると百石は風となって駅の窓口へ向かう。聞こえてくる、次の列車を知らせるアナウンス。どうやら、この列車に乗るらしい。

 

「す、すみません! 東京駅までの二等乗車券を9名分、いただきたいんですが!!」

 

時刻表やキャンペーンの告知などが雑多に掲示されている窓口に、皺ひとつない真っ白な第一種軍装を纏った軍人が立っている。なんとも既視感を覚える光景だ。

 

「はいはい、ただ今・・・・・って!?!?」

 

少し鬱陶しそうに事務所の奥から出てきた中年の駅員。だが、百石の姿を見た瞬間、硬直。血相を変えた。

 

「これは!? 百石司令長官!!」

「はい、そうです。お手数をかけますが・・・・・東京行きまでの二等乗車券を・・」

「申し訳ございません!! ただ今、駅長を連れてまいります! 少々お待ち下さい!」

「ああ!! ちょっと・・・・もしもし!!」

 

百石に焦りに焦った呼びとめも虚しく、疾走していく駅員。

 

「駅長!! 駅長はどこに!! ・・どうしたって、横須賀鎮守府の百石司令長官がお見えになったんだ、俺が対応するわけにはいかないだろう!!」

「駅長ならさきほど、トイレに・・・・」

「はぁ!? 今すぐ連れてきて!! 百石長官がお待ちしてるんだ!! 一秒でも早く!!」

「わ、分かりました!!」

 

「まもなく、三番線に東京行き快速電車が参ります。点字ブロックの内側でお待ちください」

 

乗客となるかもしれない者たちに一切関知せず、いつも通りに響く接近アナウンス。

 

「私たち・・・・・乗れるんでしょうか?」

「さ、さぁ・・・・」

 

みずづきもそして話しかけた川内もただただ笑うしかなかった。

 

 

――――――

 

 

「はぁ~~~~。乗れた~~~~~~」

 

外見は日本の電車と同じく鋼鉄製の東京行き直通快速電車。しかし、内装は木材がふんだんに使われ、車窓やシートの淵・手すりなどは木。扉や天井などの金属部分も調和を崩さないために黄土色や茶色で塗装されている。何気なく乗っていると都会を走っている通勤電車ではなく、田舎を走っている観光列車に乗っているようだ。その内の1両。固定式の対面クロスシートがいくつも並んでいる二等車で、感傷に浸ることもなく百石は背もたれにもたれかかり盛大に安堵のため息を吐いた。

 

「見てみて!!! あれあれ!!」

「うわぁ~!! ぎょうさん、船が止まっとるわぁ~」

「う、見えない」

「ちょっと、初雪動かないで!! きつい・・・」

「もう、みんな、もう少し静かに。ほかのお客さんに迷惑だよ」

 

・・・などと駆逐艦たちが大興奮している車窓の景色には目もくれず、ただただ「良かった」と扇子(せんす)を仰いでいる。その姿には百石の隣に座っている長門や彼の真正面に座っている川内同様、笑うしかない。

 

「でも良かったじゃないですか、きちんと切符も買えましたし」

「そうそうみずづきの言う通り! それに“タダ”で切符買えたじゃん!!」

「ま、まぁ・・・そうなんだが・・・」

 

 

ホームに響き渡る軽快なメロディー。扉の位置に集まりだす乗客たち。百石が本気の焦りを見せる中、初老の駅長も顔中を汗まみれにして駅の窓口にやって来た。「あ、乗れる」と安堵に包まれる一同だったが、もう1つ予想だにしない幸運が待っていた。

 

「お代は結構です」

 

百石が自身の財布からお金を取り出そうとした時、駅長が笑顔で制止したのだ。理由を問うと。

 

「先の房総半島沖海戦が“海戦”で済んだ最大の功労者はあなたを含めた横須賀鎮守府海軍将兵さんとあそこにおられる・・・・艦娘のみなさんだと伺っております。それに南鳥島での大戦果は既に伺っております。そのような方々からお代を徴収するなど、瑞穂人としての恥でございます」

 

そう、駅長は言ったのだ。それでも心配する百石に「これは本社からの通達でもありますので、お気になさらず」と駅長は切符を渡した。

 

駅長に横須賀鎮守府の司令長官。かなり目立つコンビであり“お代はいらい”のくだりも周囲に露呈していたが、駅員も市民も誰1人咎めるような表情をしている人間はいなかった。

 

 

 

 

結果、百石の財布が軽くなることなく、総勢9人が二等車に乗れたのだ。

 

 

 

 

「ありがたいものですね。市民や社会の信頼というのはどのような状況でも身に染みます」

 

しみじみと手に持っている自分の切符を眺める長門。新聞の紙面上や東京を練り歩くデモ隊だけを見ていれば誤解しそうになるが、房総半島沖海戦後も市井のレベルでは依然海軍への信頼は厚かった。先日、決行された南鳥島攻略作戦も無事終了。軽微とはいえ第2統合艦隊「初穂」航空隊、強襲上陸を行った木下支隊から約128名の戦死者が出たものの、南鳥島には瑞穂の国旗が翻ることとなった。

 

その一報が伝わった時の瑞穂はお祭り騒ぎで、「天誅!」、「雪辱を晴らした!!」と全土が歓喜に包まれた。駅でみずづきたちが暴れていても行き交う市民たちが温かい目を向けてくれたことはその影響と無関係ではあるまい。

 

「ああ。だが、その信頼も私がいたからじゃない。あの駅長は最大の功労者に私たちも入れていたが、真の功労者はお前たち艦娘だ。この浮いた分はどこかで還元しなくてな」

「とんでもない。お気持ちはそのお言葉だけで十分です。そのようなことをしていただかなくとも」

「そうそう。私たちは提督にそう言ってもらえるだけでいいの。感謝は物で表すのも大事だけど、やっぱり気持ちだよね」

「お前たち・・・・・」

「それにさ、正直提督そこまで余裕ないでしょ」

 

ニヤ付きながら百石のポケットを指さす川内。百石は気まずそうに視線を車窓の外へ向けた。

 

「あ・・・、やっぱりそうなんですね」

「ん? やっぱりとは?」

 

よほど気になったのだろう。百石はこちらを覗ってくる。

 

「いえ、その・・・軍人って世間一般から見ると高給取りみたいなイメージがあるんですけど、実際は結構厳しいんですよね。自腹を切らなきゃいけない部分もありますし、そもそも忠誠心が当たり前のところですから、報酬が少なくても文句が言えないし・・・。日本は自衛隊時代も国防軍になったあともそんな感じで、瑞穂はどうなのかなと疑問に思ってたんですが・・」

「そうだ。私たちも君たちと変わらない。軍令部に勤めていたころはまだましだったが、司令長官ともなると付き合いや結婚式とかの祝賀行事に結構かかるんだ」

「電車の切符すら自腹だもんね。あ~、寒い寒い」

 

横須賀鎮守府司令長官とは対照的に川内は余裕の表情を見せる。艦娘はかなりの報酬が保障されており、地位のある軍人のように付き合いや体面保持のための出費が比較的少ないため、計画的に金銭を管理していれば、結構溜まる。

 

みずづきも日本との違いに、ニヤけ顔を抑えられないことがしばしばあった。

 

「昔・・・大戦が始まるまでは交通費や基地内での食費は支給されていたんだ。だが、少しでも限られた予算を装備品の開発や調達に回すため、今は補償対象が狭められている。軍人として文句は言えんが、その・・・寒いな。鎮守府司令長官ともなれば一等車に乗るという慣習もあるが・・・」

 

百石ほどの軍人が二等車に乗っている理由。今乗っている電車の編成に二等車以上がないこともあるが、それよりとても“買えない”という切実な事情があった。

 

「まぁ、私は乗らないが。富豪や旧家・名家出身者ならいざしらず、私みたいな一般家庭出身者はあんなところに乗ったって、肩身が狭くて逆に疲れが溜まるだけだ」

「そうですね・・・」

 

なんだろう。百石の声が遠くに聞こえてきた。不思議と瞼が下がってくる。

 

「みずづき?」

「・・・・・・・・・」

「みずづき?」

「・・・は、はい!!」

 

意識も強引に叩き起こし、名前を呼んでくれた長門を見る。彼女はくすくすと静かに笑っていた。百石や川内も優しそうに笑っている。

 

「眠たくなったか?」

「あ・・・その、はい。電車に乗ったら一気に睡魔が来まして・・・・」

「気が抜けたんだろうな。もう、ここまで来たらなるようになるしかない。昨日もよく眠れなかったんだろう?」

 

こちらから何も伝えていないにもかかわらず事実を言い当てる百石。顔に現れた不眠の痕跡はいくら、化粧品を使おうとごまかせなかったらしい。

 

「はい・・・・」

「なら、寝ても構わんぞ。快速とはいえ、まだ東京駅まで1時間ちかくかかるからな。眠れるときに眠るのは軍人の鉄則だろ?」

「いえ、そんな! 百石司令の前ですし、瑞穂の電車に乗るという貴重な経験です。ここで寝るわけにはいきません!!」

「そうかい」

 

堂々と三人の前で宣言する。しかし、全員したり顔。この時点で3人には既に未来が見えていたのだろう。

 

睡魔が再び意識を刈り取ろうと、鎌を持ち上げたのはすぐ後のことだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・! ・・・・・・・!」

 

何も感じない。何も分からない。何も理解できない無の中で、声が聞こえてくる。

 

「・・・・! おい、・・・!!」

 

あの時までいつも傍らにいた人の声が聞こえてくる。漆黒の闇に一筋の光が差し込んだ。

 

「おい!! 起きろ」

 

そして、一気呵成にまどろみの中にいた意識が引きずり出された。

 

これは、夢。しかし、後悔と葛藤と贖罪に苛まれた過去への旅路ではない。

これは、単純な追憶。あの頃を思い出しただけだ。

 

「ふぇ?」

「ふぇ? じゃない! まったくどれだけ寝入ってるんだよ・・・・。もうすぐ岡山駅に着くぞ」

 

呆れたように苦笑しながら、こちらを覗きこんでくる知山。意識が混濁して、ついさきほどまで自分が何をしていたのか分からない。気遣うことなく鼓膜を叩くモーターの駆動音と体を右へ左へと揺らす振動。それに眉をひそめる。しかし、「もうすぐ岡山駅に着く」という知山の言葉を思い出し、慌てて車窓に目を向ける。外には・・・・・・・・・・、

 

 

 

 

 

 

一面の廃墟が広がっていた。

 

 

 

 

焼け焦げたビル。大穴の空いた道路。墜ちた高架橋。倒れたままの信号機。草原と化している住宅街。無数の墓標に埋め尽くされている公園。

 

 

 

 

これより約2ヶ月後に見た、破壊の嵐に沈んだ那覇。そして、日本中の都市と同じ光景に岡山県随一の都市であり県庁所在地である岡山市も覆い尽くされていた。

 

かつて繁栄を極めた街の、祖国の末路。その間を縫うように、かつて自動車が絶え間なく疾走していた道路の上をバラック小屋が埋め尽くしている。

 

空襲も受けず、山林や田畑の面積に比べれば人口が少なかった須崎。そこにいては分からない残酷な現実が見渡す限りの世界にあった。

 

自分ではどうにもできない光景から目を逸らし、今までの行動を反芻する。自身と上官である第53防衛隊司令官の知山が須崎から特急に乗り、長時間揺られながら岡山まで来た理由。

 

それは海上幕僚監部から“至急、東京に来い”と言われたからだ。百石曰く、近々実施される大規模作戦の説明が行われるのではないかとのことだ。みずづきの部下である、おきなみ・はやなみ・かげろう、そして須崎基地では“反攻作戦ではないか”ともっぱらの噂である。

 

「岡山駅を出たら、新幹線に乗り換えだ。時間は・・まぁ、あるから少しのんびりできるな」

 

須崎からの行程が書かれた手帳を片手に、みずづきと同じように車窓から岡山中心部を眺めつつ知山は言う。口調は笑っていたが、顔は無表情だった。

 

「新幹線に乗ったら、そのまま東京ですよね?」

「ああ、指定を取った新幹線は東京まで直通だからな。だから、お前にとって最大の難関は岡山駅だ」

 

ニタ~と頭に来る笑み。あからさまにバカにされれば、反応しないわけにはいかない。

 

「はい? そんな人を小学生みたいに。私、何度もここに来てるんですよ」

「3回ほど駅員のお世話になったやつはどこのどいつかね?」

「う・・・・・・」

 

思わず、言葉に詰まる。知山の言葉は紛れもない事実であるため反論のしようがなかった。第53防衛隊に配属されてから、約4年。知山に同行する形で東京へ行くことは数回あった。岡山県と香川県を結ぶ瀬戸大橋を通り、本州と四国を結ぶ宇野みなと線が接続している岡山駅には、須崎から特急一本で行け、そのまま山陽新幹線に乗車可能ということもあり、そのたびに訪れていた。

 

接続路線が多く、便利な駅ということはそれだけ広く迷子になりやすいということ。いくら、役所から“通行許可証”と、切符とは別の“乗車券”を発行してもらわなければ電車にすら乗れないご時世とはいえ、駅は常に人が多い。それも方向を見失わせる特殊効果に一役買っていた。

 

「すみません。迷子になったのはこの私です」

 

潮らしく頭を上げる姿に、電車の中ということもあって知山は控えめに笑い声をあげる。

 

「そうそう。それでよろしい。いいか? 絶対に俺の傍から離れるなよ。俺の背中にかじりついていれば迷うことなんてないからな」

「分かってますよ。爆弾が降ってこようと背中にかじりついていきますよ」

 

ここにはやなみなどがいれば“ヒュー、ヒュー。お熱いね、お二人さん。もう付き合っちゃえば?”などと悪趣味もいいところの戯言が雨あられと飛んでくるだが、あいにくここに第53防衛隊の問題児はいない。だから、いちいち返答に気を遣わなくても知山と会話できる。心なしか、体が軽い。

 

「まもなく、終点、岡山、岡山です。お出口は右側、6番のりばに着きます。到着の際、電車が揺れます。また、ホームと列車の間が少々開いておりますのでお降りの際はお足もとにご注意下さい。お乗換えのご案内です。山陽新幹線・・・・・」

 

2人の会話を遮るように車内に流れる、男性のアナウンス。走行音で少し聞きづらかったが、何を言っているのかははっきりと理解できた。こちらと同じように車内を満たしていた乗客たちがにわかに下車準備を開始した。

 

そして。駅機能にとって必要不可欠な箇所以外は焼け焦げたまま放置されている岡山駅に到着。その昔、一日中明かりが消えることはなかった駅周辺は・・死んでいた。

 

「う、う~~~~~ん!! 久しぶりの外! 久しぶりの空気! やっぱり、いつもとはまた違って長時間の移動は疲れます」

「確かにな。って、おいおい。まだここは中間地点だぞ。これから新幹線で速達の旅だ」

「そんなこと、言われなくても分かってますよ」

「ならいいんだが。・・・・・・・・ん?」

 

突如、乗って来た電車に、正確にはその向こう側に知山は意識を向ける。彼だけではなく、特急から下車した乗客、これから到着する電車を待っている乗客たちもなんだなんだと知山と同じ方向に視線を向ける。首をかしげたのも束の間、すぐにその理由を察知した。

 

聞こえてくる勇ましい声。聞こえてくる熱を帯びた声。知山は「ついて来い」とだけいうと野次馬根性を発揮した一部の人間の流れに乗り、対面のホームが見える位置に移動する。目の前から塗装のはがれた電車が消え去り、ところどころ亀裂の入ったホームが見える。

 

そこには目が眩むほどの日章旗や旭日旗を持った大勢の人々が集まり、陸防軍の真新しい深緑色の制服を着た50人余りの少年、少女たちを取り囲んでいた。耳を澄まさずとも彼らが何を言っているのか聞こえてくる。

 

「・・高等学校卒業、総勢53人。犠牲となった家族・友人・知人の仇を取り、かつての日本を取り戻し、みなさんに“夜明け”をもたらすため、生戦遂行・宿敵撃滅を心に刻み込み、防人としての役割を全うしていく所存であります!!」

「よう言うた!!!」

「それでこそ、大和男児や!!」

 

一際、高身長で筋肉質の肉体を持ち、肌が浅黒く焼けている少年が礼儀正しいお辞儀をすると拍手喝采が巻き起こる。この光景を見て、首をかしげる人間はこの国に存在しない。もはや、日本中で当たり前となった光景。これは・・・・・・・・・。

 

「出征式、ですか」

「そうらしいな」

 

こちらと同じで知山は淡々と返してくる。だが、視線は頑丈に固定されていた。

 

「全員、体つきがいいですね。それになんだか、頭よさそう・・・」

「間違いなく特待生だな。一般枠で行く兵士なら、ここまでの催しはされない」

 

2033年、日本は生戦初期の混乱で消耗した自衛隊(現・国防軍)の人員を可及的すみやかに充足させるため、2030年の日本国防軍発足に伴いアジア・太平洋戦争で日本が敗戦した昭和20年(1945年)以来85年ぶりに徴兵制度を再導入。主に高校を卒業し、身体検査や筆記試験、心理テストで優秀な成績をおさめる満18歳以上の男女を“特待生”として徴兵していた。しかし、徴兵制とはいいつつも“特待生”として徴兵される満18歳以上の男女は国防軍の予算、また経済維持における労働力の問題もあり、ごく一握りに限られていた。そのため、必然的に徴兵レベルは上昇。近年は“特待生”として出征していく兵士は“愛国的エリート”として尊敬を集めると共に、日本人の模範と見做す傾向が強まっていた。

 

ちなみに一般枠での徴兵は身体検査や筆記試験での成績が芳しくなかった一方、心理テストで“軍人適正”が見出され、なおかつ志願した者にあてられる採用枠である。

 

「まもなく、特別列車が3番のりばより発車いたします。まもなく、特別列車が3番のりばより発車いたします。ご乗車されるお客様、列車とホームの隙間にご注意の上、ご乗車をよろしくお願い致します」

 

電車の扉が開くと同時に、車内へ大きな荷物を持った少年・少女たちが乗り込んでいく。その瞳にはさきほどまでなかった不安や寂しさが宿っている。彼ら・彼女らを取り巻いていた群衆が一気に叫び出した。

 

「日本のために頑張って来いよぉぉ!!!」

「体にはくれぐれも気を付けて!!」

「日本にとって唯一無二の軍人になれ!! お前らならできる!!」

 

「この度のご出征、誠におめでとうございます。みなさんの武運長久を心より祈念いたします。稚拙ではございますが、本日のご案内を担当いたします車掌の松本より祝辞を述べさせていただきました。まもなく、特別列車、発車いたします。扉が閉まります、ご注意下さい」

 

ゆっくりと締まる扉によって、外界と隔絶される車内。電車は滑るように走り出し、ホームに立ちつくす群衆から徐々に、そして確実に引き離していく。

 

誰から、というきっかけはなかった。ただ自然に群衆は手に持った日章旗や旭日旗を彼ら・彼女らに見えるように際限なく振り、万歳を叫んだ。

 

「バンザーイぃぃぃ!!」

「陸防軍、バンザーイぃぃぃ!!!」

「出征、バンザーイぃぃぃ!!!」

「日本、バンザーイぃぃぃ!!! 日本民族、バンザーイぃぃぃ!!!」

「小室 隆俊!  バンザーイぃぃぃ!!!」

 

熱狂に包まれる対岸のホーム。みずづきたちがいるホームでも万歳三唱を叫ぶ者は数名おり、また例外なく全員が拍手を送っていた。

 

だが、内心で目の前の光景をどう思っているかは分からない。その証拠に、近くにいた男性が連れの仲間にポツリと呟いた。

 

「一体、何人が生きて帰ってくるんだろうな」

 

呟かれた方の男は、血相を変えて周囲を覗い、「警察や軍人がいたら、どうする!!」と耳打ちする。

(目の前にいる私たち、バリバリの海防軍人なんだけど・・・・。知山司令は三佐だし)

しかし、分からなくても仕方ない。なぜなら、みずづきと知山は身元が割れないよう一般市民と同様に薄汚れた格好をしていたのだから。

 

「大丈夫さ。これぐらいでしょっぴかれたりしねえよ。お前は少し過剰反応しすぎ。だいたい、事実じゃん。ここらの人間もほとんどがそう思ってるぜ」

「まぁ、それはそうだが。しかし・・・」

「近々、なにかしらの大規模作戦が発動されるって、結構噂になってるじゃねぇか。あの子たちが投入されることはないだろうが、これから先も戦争が続くなら・・・いずれかはあの化け物どもと戦うことになる。かなり、死ぬだろうさ」

「だが、仕方ないだろう。それも必要な犠牲だ。軍が頑張ってくれなきゃ・・・・あいつらが本土に上陸すれば、沖縄や先島の地獄が俺たちに降りかかることになる。日本人は絶滅さ。俺は食い殺されるなんてまっぴらごめんだし、娘も・・・・」

「ああ、分かってるって。俺にも妻の忘れ形見がいる。しかし・・・」

 

最初に呟いた男性は、遠い目をして最後もまたポツリと呟いた。

 

「いつまで続くんだろうな、この戦争は・・・・・・」

 

 

 

「まもなく、列車が通過します。ご注意下さい」

 

少し離れたホームを、軽装甲機動車やFH70 155mm榴弾砲を満載した貨物列車が、無機質な接近アナウンスを経て、強風と轟音をまき散らしつつ駆け抜けていく。

 

際限なく押し寄せる時代の荒波に達観することが、日本の日常だった。そして、それはどこであろうと・・・・東京であろうと変わることはなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・! ・・・・・・!」

 

目の前の景色が歪み、急速に色を失っていく。その過程はあまりに不快で、理解しがたい。

 

「みず・・・・・? みずづ・・?」

 

徐々に世界が明るみに包まれていく。耳にはもう聞き慣れた声がリズミカルに届いてきた。

 

「みずづき? ねぇってば、みずづき?」

「ふぇ?」

「お? やっと、起きたみたい」

「川内さん・・・・?」

 

釈然としない意識の中で、みずづきを起こしたと目される少女の名前を呼ぶ。しばらくボーと彼女の顔を眺めていたが「まだ、寝ぼけてるな」やら「そりゃ、こんな短時間で起こされれば脳も機能不全に陥るか」といった声が、みずづきを現実に引っ張り出した。

 

急速に回復する意識。判断力・記憶力は元通りとなり、自分の置かれている状況を把握する。周囲を見渡すと相変わらず通路を挟んだ隣に固まっている駆逐艦たちは、車窓から見える景色を肴に騒いでいた。

 

「すみません。私、寝ちゃってましたね」

 

あれほど宣言したのにもかかわらず、睡魔に完敗。痛恨の極みだ。しかし、外を見た瞬間、そのようなくだらない感傷など吹っ飛んだ。

 

「いやいや、こちらこそごめんね。ぐっすり、眠ってたからどうしようかと思ったけど、おそらく言わなかったほうが怒るかなと・・・って、こりゃ言わなくても分かるかな」

 

川内の苦笑。百石も長門も笑っている。

 

横須賀では当たり前にあった山は消え失せ、どこまでも続く空と地上の境界線。当初は田畑がかなり散見されたが、電車が走っていくほど建物の密度が高まっていく。日本では地方や歴史ある住宅街でしか見られなくなった典型的な日本家屋たち。こちらでは瑞穂家屋と言われているが、木と瓦を使った家たちの連なりは古き良き日本の雰囲気を感じさせる。高層ビルや景観に著しく不釣り合いな大型商業施設が皆無な町は新鮮だ。

 

「横浜を超えたら、すぐに東京だよ。あんたが見たがってた、どこの世界でも変わらない首都が」

 

瑞穂では政治・経済・文化の中心として栄え、日本では徹底的な空爆で死に絶えた東京。

 

世界の壁を超えた因果で繋がった世界有数の大都市に、もうまもなく足を踏み出す。




「38話 余韻」で張った伏線をようやく回収するときがやってきました。「なんのこっちゃ」と思われている読者の方もおられることと思いますが、一応この話を考えて言及していました。これから複数話にわたって、東京編をお送りします。

秋イベも終わり、2017年も残すところあとわずかです。「もう12月か~」と哀愁を漂わせ、寒波の前に身を縮めてた作者ですが、クリスマス限定グラとボイスが全てを吹き飛ばしてくれました(・・単純ですね)

まさか・・・。まさか、あの子に来るとは・・・。


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70話 東京へ その2 ~軍令部~

今年もあと残すところ、あと10日となり、2週間を切りました。年末にク・・・・・。年末に、年末と年の瀬はみなさんお忙しいことと思います。そのような時期に長文を投下いたしますが、何卒ご容赦を。

ん? クリスマス?

知らない子ですね・・・・・。と言ったら、限定グラまで否定することになってしまうので言えませんね。


東京。

 

瑞穂国の、政治・経済・文化の中心であり、名実ともにこの国の象徴たる世界有数の大都市。史上初の総力戦に遭遇し、大戦初期には数回の空爆を受けたものの、その繁栄と活気は衰退を知らない。見渡す限りの大地を埋め尽くすビル群と住宅街。地上を、高架を駆け抜ける無数の自動車。圧倒されてしまうほどの人ごみ。

 

この街は大戦を経てもなお、進み続ける瑞穂を体現していた。

 

 

 

東京。

 

日本国の、政治・経済・文化の中心であり、“かつて” 名実ともにこの国の象徴であった世界有数の大都市。

アジア・太平洋戦争以来、いや史上初めて国家・民族の生存を賭けた真の総力戦に遭遇し、無数の空爆を受け、極度の飢餓に襲われた街。見渡す限りの土地を埋め尽くしていた高・中・低層ビル群は廃墟と化し、住宅街は灰塵に帰し植物の楽園となった。

 

地上を、高架を駆け抜けた無数の自動車。圧倒されてしまうほどあふれていた人ごみ。

それはすべて過去。記憶と記録上の存在になり果てていた。

 

この街は生戦を経て、かつての繁栄と栄光を失った日本を体現していた。

 

 

どちらも並行世界という枠を超えた、同じ東京。

 

 

「うわぁ~~~。すっご~~~~い!!」

 

今、みずづきはなんたる数奇な巡り合わせか、“瑞穂の東京”に立っていた。

 

「人、人、人っ!!! 懐かしいなぁ~~~~。こんな人ごみを見たのっていつ以来だろう」

 

自分の周囲を、離れた場所を、各々の目的地に向かって歩いていく数え切れない人たち。内装からも歴史を感じる丸の内口は、朝か昼かの区別が今一つ分けづらい時間帯にもかかわらず、人でごった返していた。ホームからここまで来る道中も人ごみに揉まれてきたが、駅を出るまでこれは続きそうだった。日常の一節としている者ならば、ただの苦行。しかし、みずづきはそれを苦行とは一切、感じなかった。むしろ、目を輝かせてさえいる。

 

外観に気を遣った清潔な駅舎。太陽に代わり駅舎内を煌々と照らす照明。例え、無表情であろうとも未来への希望をもって、各々の目的地へ歩みを進めていく人々。聞こえてくる軽快な音楽。

 

かつての故郷と同じ光景。細部は異なるが、失われた、もう2度見ることは叶わないと思っていた活気が目の前に広がっていた。

 

以前ならばここまで純粋に感激はできなかったかもしれない。だが、己の内に溜まった真実を吐露し、確固たる居場所を確保した現在。そのような矮小(わいしょう)な感情はもう消え去っていた。

 

「お眼鏡に叶ったようで良かった。やっぱり、日本も科学水準はさておき、世相は瑞穂と変わらなかったようだな」

 

慎重に言葉を選びつつ、優し気に微笑む百石。その表情からは容易に彼の心情が察せられた。

 

彼は、そして艦娘たちは今の日本を知っている。みずづきがどのような状況で生きてきたのか、今の日本人がどのような生活をしているのか、知っている。

 

日本の東京駅。西洋風赤レンガ造りの荘厳かつ伝統・歴史を感じさせる東京の玄関口は、岡山駅と同様に各所が焼け落ち、駅機能の維持に必要不可欠な部分を除いて修復は放置されていた。駅の中には軍歌や勇ましい歌謡曲が響きわたり、「生戦遂行・宿敵撃滅」などのスローガンと日章旗が至る所に掲げられ、89式小銃を持った警視庁の警察官や陸防軍の普通科隊員が、1人でも火あぶりにしようと不審者(非国民)に目を光らせていた。そして、誰が設置したかも分からないボロボロのトタン板を使った掲示板には、東京駅周辺で行方不明となった少女たちの情報が張り出されていた。人身売買、臓器窃盗、労働者確保のための拉致。かつて、世界一安全と言われた日本も、海を越えた諸外国と同様に、安全はタダではなくなっていた。以前知山と共に東京へ来たとき、彼がその掲示板を深刻な表情で見つめていたことを覚えている。その少女たちのほとんどが身寄りのない戦災孤児たちであった。

 

深海棲艦だけではない。目を覆いたくなる人間自身の醜さを突きつけられる光景が日本の現実だった。だから、百石はこちらに気を遣っているのだろう。だが、その心配は無用だ。

 

「はい! 正直、思っていた以上のものです!! 横須賀とはやはり規模が違いますね。このような活気を感じると、自然に気分が高揚してきます!!」

 

この身は踏ん切りをつけた。それに眼前の光景は鬱積する感情など吹き飛ばしてしまうほどのものだった。

 

「やっぱり、みずづきは人間なのね・・・・」

 

だが、輝く目と明らかに正反対の色彩を帯びた声がすぐ隣から聞こえてくる。声の主は声色から分かるため、「へ?」と首をかしげて、表情を覗った。

 

「か、陽炎? ど、どうしたの?」

 

振り向いた先には、人ごみを背景に顔色を悪くし、虚ろな瞳で見てくる陽炎がいた。

 

「気分でも悪いの? 自分の顔見てないから変わらないけど、横須賀駅の私みたいになってない?」

 

その様子は明らかにおかしく、いつもは元気な彼女とはかけ離れていた。

 

「そこまではひどくない!!」

 

おちょくったわけではなかったのだが、怒られた。どうやら、いつもの元気は有り余っているようである。だが、さすがに心配になったのか、百石の傍に控えている長門が「大丈夫か?」と声をかける。それに対し、「大丈夫です。それにもう少しの辛抱ですから」と無理に笑顔を作る陽炎。「本当につらかったら、言うんだよ」と頼りがいのある笑みを浮かべる川内。

 

東京駅からは迎えの車で市ヶ谷の軍令部へ向かう手筈となっている。そのため、人ごみはここを切り抜けると、明後日の観光中または帰路に東京駅へ来るまで遭遇することはない。

 

「私、あんまり人ごみは得意じゃなくてね。横須賀ぐらいなら平気なんだけど、東京駅レベルになると、ちょっと・・・・」

「あ~。まぁ、これはもう慣れの問題だからね。私は神戸に住んでたから、三ノ宮とかの大きな駅に行く機会もあって、耐性は持ってる方かな。私も最初はさすがに参ったけど」

「私たち艦娘は人と変わらない生活を送っているとはいえ、“人”としての人生は長い子でも6年程度。30年以上生きてきた提督や20年以上のみずづきには到底敵わない。置かれている立場上、あまり、目立つわけにもいかないからより一層、順応していかなければならないな」

 

長門は笑いながら、周囲を見回す。一見、普通に見えたが、彼女の笑みは明らかに硬かった。長門も程度の差はあれ、陽炎と同じ心情を抱えているのだろう。

 

では、黒潮たちはどうか。それはいちいち視線を向けなくても、耳が外界の音を拾い続けている限り把握できた。

 

「うっわぁ~~~。すっげぇ! こっちの東京ってこんなに電車が走ってるんだ! 俺たちの東京とは比べもんになんねえな~」

「ほんまや、ほんまや! 大阪ともこりゃ比べもんにならへんわ~。なんか、負けた気分や・・」

「うーん。私、鉄道のことは分かんない。深雪ちゃんや黒潮ちゃんは知ってるの?」

「いや、知らない」

「右に同じや」

「へ!? だったら、なんで?」

「感覚と直感」

「初雪、大正解!! さすが、俺のお姉ちゃんだぜ!」

「お姉ちゃん・・・・・」

「よっ!! 深雪の姉! 吹雪型の三女!! ここぞと言うときに頼りになる姉の鑑や!」

「姉の、鑑・・・・・」

「初雪ちゃん、嬉しいのは分かるけど、そのグッドサインは早く下した方が・・・。直感と感覚の話はもう分かったから」

「おっ! こっちには東京駅の地図が!!」

「さすが、深雪や!! って、待ちんさいよ!!」

「って、ちょっと、深雪ちゃん!! 初雪ちゃんまで!! あんまり、司令官たちから離れたらダメだよ~~~~!!」

 

あまりの自然体が、自然体になれない陽炎たちを強調。結果、笑うに笑えない。

 

「黒潮たちは順応できてるようなんですけど・・・・」

「あの子たちは駆逐艦だ」

「そうそう」

 

長門の逃避に、うんうんと頷く陽炎。百石と川内は「へ?」と当たり前のように頷いているオレンジ色の髪をツインテールにしている艦娘を凝視する。もちろん、みずづきもだ。

 

「そうそうって、陽炎も駆逐艦でしょ。なんでさも私関係ないみたいな感じで頷いてるの?」

 

何か素早い影が視界の左端を横切った。

 

「だって、私はあんなお子さま駆逐艦じゃないもの。私は陽炎型駆逐艦の長姉!! そんじょそこらの駆逐艦とは違うのよ!!」

「おいおい、聞きましたか、黒潮さん。あなたのお姉さん、人ごみにすら適用できないくせにあんな大口叩いてますよ」

「いやぁ~、お恥ずかしい限りで。いっつもうちが手綱を握っているんですが、離すとすぐこれで。大口など叩かず、いつも正直に自分の気持ちを話される深雪さんのところの吹雪さんを見習ってほしいものですわ」

 

陽炎の真後ろに移動後、にやにやを抑えきれない様子で口元を手で隠し、井戸端会議を再現する素早い影。傍から覗うまでもなく、非常に楽しそうだ。その素早さを少しでも演習で発揮できたなら、全身塗装されずに済むものを。

 

「おやおや、ありがとうございます。お姉さんもいつか吹雪のようになるとよろしいですな」

「まったくで」

『あはははははははっ!!!!!』

 

数多の存在が作り出す喧騒の中で、確かに響き渡る駆逐艦の高笑い。それに紛れて「ブヂッ」と何かが引きちぎられる異様な音が聞こえた。

 

「あ、あんたたち・・・・・」

 

俯き、爪が食い込まんばかりに拳を握りしめる陽炎。血相を変えた百石がなだめようと機関銃並みに言葉を連射するが・・・・・・・。

 

陽炎は絶対零度の笑みを2人に向けた。

 

「あんたたち、そこでまってなさ~~い。姉を馬鹿にする行為の恐ろしさ、たっぷり味わわさせて、あ・げ・る」

「うわぁ~、余裕がないくせに怒った!!」

「深雪!! ここは戦略的撤退や!! あんな深海棲艦もどきと無理に戦う必要はあらへん!!」

「了解!! 機関全速!! 撤退!!」

「待ちなさい!!! この私を馬鹿にした罪の重さ、今日こそ思い知らせてやるわぁぁ!! 東京だからって手加減すると思ったら、大間違いなんだから!!」

 

必死に広い駅内を駆使して逃げ回る、深雪と黒潮。対して、2人の進行方向を読み、常に先回りしようとする陽炎。大勢に人がいるにもかかわらず、ここに盛大な鬼ごっこが勃発する。

 

「とっつかまえて、営倉にぶち込んでやるわ!!! 覚悟しなさいぃぃ!!!!」

「営倉? 東京駅に営倉があるんかいな?」

 

黒潮が走りながらはてとほほに人差し指を当てた。あれはダメだ。いくら黒潮にその気がなくとも、他人から見れば煽っているようにしか見えない。

 

「横須賀に決まってんでしょうが!!! このどアホぉぉぉ!!」

「うわぁ!? 陽炎が関西弁を!?」

 

案の定、陽炎はますます燃え上がる。白雪が血相を変える。顔面蒼白もいいところだ。

 

「ちょっ、ちょっと2人とも! 場所をわきまえて! 周りをよく見て!」

「陽炎~~~。営倉って、どこの? 横須賀には営倉、3つあるけど」

「え? 2つじゃないの?」

 

好奇心を刺激され、つい初雪に質問する。

 

「潮から、聞いた。あの子、意外に博識だから」

「もう! 2人とも!!!」

 

白雪の怒号が飛んできた。普段聞かない分、威力は絶大。全身がすくみ上がる。だが、白雪はあくまで駆逐艦。そこからの怒気も、駆逐艦の領域は逸脱していない事実を、この直後突きつけられることとなった。

 

 

「「へ?」」

 

 

首根っこを掴まれ、2人の両足が地面から離れる。まだ、初秋だというのに、背後を震え上がらせる風が漂ってきた。同時に直視すら本能的に拒絶してしまう禍々しいオーラも。それに身動きが取れないようで、2人はそのまま百石の前に放り出される。2人の背後から出てきた無表情の長門は百石の傍らに立つと、眉間にしわを寄せ、額の血管がわずかに浮かび上がる。その阿修羅を前に、2人は顔を引きつりただただ冷や汗を流すだけとなった。

 

「あ、はは・・・あはははっ」

 

乾いた笑みを浮かべ、先ほどまで怒りに怒っていた2人の憐れみの視線を送る陽炎。

 

「さすがに、あれは・・・ねぇ~」

「はい・・・・・・。ここにいても怒気というかもう殺意すら感じますし」

「長門、怖い・・・」

「うん・・・・うん・・・・・・」

 

白雪と初雪がみずづきと川内に背後に震えながら隠れる。つい、好奇心の誘惑に勝てず、先ほどは空気を読めない外野と化してしまったが、一歩間違えれば長門の逆鱗に触れる恐れがあった。これからは自重しなければならないだろう。

 

このまま長門の静かなお怒りを眺める羽目になるのかと思いきや、舞台の転換は唐突に訪れた。

 

「もし、少しお尋ねしますが?」

 

誰とは言わず、全員にかけられる声。振り返ると、そこには百石と同様に濃紺色の第1種軍装に身を包んだ1人の若い海軍軍人が立っていた。

 

「あなたたちは横須賀鎮守府所属にする艦娘の皆さんですね?」

「はいそうですが・・・あなたは・・・」

 

代表して、川内が答える。

 

「あっ。すみません。申し遅れました、私は・・・・・」

「おお! 山内じゃないか!!」

 

青年軍人が名前を名乗ろうとした瞬間、目を輝かせた百石がお取込み中の三人を放置してこちらに走ってくる。それを捉えると青年軍人も嬉しそうに破顔した。

 

「お久しぶりです!! 百石先輩! あっ、し、失礼しました! 今はもう・・・」

「よしてくれ。いくら横須賀鎮守府司令長官になろうが、俺は百石健作のままだ。そういう堅苦しいのが嫌いなことはお前も良く知っているだろう?」

「はい、仰る通りです。やっぱり、先輩は何も変わっていませんね」

「あ、あの・・・・・?」

 

勇気を振り絞って声を上げる。みずづきの傍らにはいつの間にか、長門ご一行が立っていた。

 

「百石司令、この方は?」

「ああ、すまない。久方ぶりの再会でつい・・・、おい、山内自己紹介だ」

「・・・・・・・・・」

 

百石に応えず、こちらを見つめてくる山内と呼ばれた男。

 

「山内? 山内?」

「・・・あ。す、すみません! つい。そうか・・・・・この子が」

 

目を見開いて独り言を呟いた後、彼は背筋を伸ばして話し始めた。

 

「初めまして、艦娘のみなさん。私は海軍軍令部作戦局軍備課課員の山内昭三(やまうち しょうぞう)中尉であります。本日、軍令部総長的場康弘大将より、みなさんの送迎を仰せつかりました。百石司令長官とは作戦局作戦課時代にお世話になりました。至らない点もあると思いますが、本日はよろしくお願い致します」

 

礼儀正しくお辞儀をする山内。そこにはこちらを卑下するような態度は一切ない。御手洗の一件もあり、軍令部の人間に警戒心を抱いていなかったといえば嘘になるが、少なくとも軍令部にも百石のような人間はいるようだ。

 

「すまんな、ダラダラと来てしまって」

「いえ、時間の方は大丈夫です。ただ・・・・・・」

 

山内は百石やこちらから視線を外し、周囲に向ける。そこにはかなりの人だかりができていた。

 

「ねぇ、ねぇ、あの子たちって・・・もしかして・・」

「普通の女の子が尉官クラスやそれ以上の軍人と行動を共にするかよ。もしかしてじゃなくて、確実に彼女たちは・・・・・」

「お母さん! お母さん!! ねぇねぇ! あのおじさん、お父さんの読んでた新聞で見たことある!!」

「すげぇ・・・・俺、本物を生で初めて見たよ」

「いや、俺もだって・・・・」

 

スマホやらデジカメが大衆品であったころの日本ならば、無数のシャッタが切られている雰囲気。しかし、ここ瑞穂にはそのような最新デジタル機器は存在しない。

 

どれも羨望の眼差しであったが、軍人にとってみれば、あまり好ましくない状況で。

 

「とりあえず、こちらへ。これから、市ヶ谷の軍令部へお連れします」

 

つい1時間ほど前に腹痛の原因となった未来。それがいよいよ近づいてきた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

電線が張り巡らされ、せいぜい5階建てほどの低層ビルや2階建ての木造家屋がひしめき、みずづきにとってレトロ感満載の自動車が無数に走る街中を進むこと、約30分。博物館に収蔵されていそうな山内が運転する黒塗りの高級車は、建物が密集する周囲の中でひときわ異彩を放つ区画へ堂々と進入。そして、その中でも異次元な建物の前に堂々と横付けする。

 

東京都新宿区市ヶ谷にある海軍の最高司令部、軍令部。海軍設立当時の流行りであった西洋風赤レンガ造りの3階建て。それだけ見ると横須賀鎮守府の1号舎と同じに思えるが、大きさが段違いであった。建物の全長は優に3倍を超えている。また、1号舎も整備や清掃は行われていたが、赤レンガの色合い・窓ガラスの輝き・植樹されている木々の剪定(せんてい)具合。全てが徹底的に手入れされている。だが、無秩序にただ清潔さが求められているわけでもない。若干、色あせた赤レンガや(こけ)が幹に生えている木々は時間の経過によって生み出された“重層的な荘厳”という見事な調和を生み出していた。

 

誰もが思わず感嘆してしまう、歴史的建築物。

 

それに思わず「うわぁ~」と感心してしまったのも束の間。山内に見送られ、百石に先導される形で軍令部の一階、エントランスホールに入る。

 

「うわぁ~~~」

 

マナー違反とは重々承知の上だが、ついきょろきょろと頭を動かしてしまう。一点のシミも汚れも塗装のハゲもなく、雪のように真っ白な壁と天井。真上には、少し塗装やガラスがくすみ、年季を感じさせる西洋風の照明。ただそこにあるだけで踏むことを躊躇してしまう石材が敷き詰められた廊下には、人が通りそうな箇所に真っ赤な絨毯が敷かれている。

 

過去ここに勤めていた百石や彼と共に軍令部を訪れたことのある長門はいざ知らず、陽炎たちもさぞかし珍しがっていると思いきや、みずづきを除いた全員の顔が目の前にある階段の踊り場に向けられていた。その視線は例外なく、鋭い。みずづきも顔を向けた瞬間、一同と同様の視線となった。

 

そこにいたのは・・・・・・・・・・。

 

「お久しぶりです、御手洗中将」

 

排斥派のリーダー格であり、みずづきを力ずくで東京へ連行しようとした、あの御手洗実中将であった。

 

彼は1人で眉間にしわを寄せることもなく、罵声を吐くこともなく、百石の敬礼に応えることもなくただ2階へ続く階段の踊り場からみずづきたちを見下ろしていた。

 

「ん?」

 

妙な違和感。彼はこんなつかみどころのない人間だっただろうか。あの御手洗なら、こちらを認めた瞬間、罵声を吐いてきそうだが。

 

「失礼します・・・・・・・」

 

明らかに苛立った様子の百石は御手洗にもう一度敬礼すると、足早にその場を立ち去る。黒いオーラを放つ長門と不快そうな顔をした陽炎たちも彼に続いた。

 

御手洗の視界から百石と艦娘たちが消えた瞬間。

 

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 

2人の視線が交差する。あれ以来の対面。今度こそ、何か言われるかと思いきや、御手洗は無表情のまま、「早く行け」というようにこちらから見て左側に顎を向ける。

 

「失礼します!」

 

一応、中将であるため敬礼をし、その場を立ち去る。

(なんだったんだろう・・・・・)

ただ、こちらを見てきただけの御手洗。今までなら「良からぬことを企んでいるのでは?」と疑念に駆られただろうが、不思議にもそのような気持ちは湧きあがってこなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

約4ヶ月ぶりの再会。百石とはあの騒動以降もたびたび顔を合わせているため、特段の感傷はなかった。だが、あの艦娘はあの時こちらに銃を、怒りを向けてきたときのままだった。いや、少し変わったのかもしれない。

 

「嘆かわしい・・・・。誉れある海軍の最高司令部たる軍令部に、深海棲艦もどきや蛮国の軍人を招き入れるとは・・・・・。擁護派の愚行もここに極まれり、ですな」

 

顔を怒りで歪めながら、階段を下りてくる少将の階級章を付けた男。御手洗は以前のように同調することもなく、男を一瞥して言った。

 

「そんなことを言うためにわざわざ、やって来たのか? 今は国難の真っ只中である。用がないなら、今すぐ戻れ」

「大変失礼致しました、閣下。あやつらが到着しましたが故、もうすぐ統括会議が始まります。・・・・・・・閣下は参加されないのですか?」

 

こちらの顔色をしきりに窺う問い。それにゆっくりと頷いた。

 

「既に総長には通してある」

「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「私がいてもプラスには働かん。・・・・それだけだ」

「!?!? そのようなことは!! 閣下は我らにとっての師であり、擁護派の目を覚まさせる急先鋒。閣下のお言葉の前にはやつらもタジタジとなることは自明の理であります」

「あの会議には富原や宮内も出る。あの2人がいれば、十分だ」

「しかし!!!」

 

なおも食らいつく少将。相変わらず無表情だった御手洗は眉間にしわを寄せる。

 

「私は出ないと言っている。・・・・・・ほかには?」

 

蒸し暑い空気が滞留しているにもかかわらず、寒気を感じるほどの低い声。少将は背筋を伸ばすと「いえ、申し訳ありませんでした!!」と叫ぶ。

 

彼を見ることもなく、御手洗は階段を上がっていった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

(やばい・・・・・・吐きそう・・・・・・)

表情では平静を装いつつ、自分の置かれた環境に屈服しそうになる。一目で世間の大富豪御用達と分かる、カーテン・絨毯・照明・テーブル・机・花瓶・絵画などの調度品から水の入ったグラス。身の丈に合わない品々に包囲され、居心地の悪さが最高潮だというのに、眼前の世界はみずづきに追い打ちをかけていた。

 

柔和な表情でこちらを見てくる軍令部総長的場康弘大将に、演習の際に顔だけを見た作戦局副局長の小原貴幸(おはら たかゆき)少将。そして、初見の軍令部次長松本勉(まつもと つとむ)中将に、総務局局長・副長、人事教育局局長・副長、作戦課課長、軍備課課長、運用課課長、用地管理課課長、通信局副長、情報局副長、情報保全室室長、情報部副長、情報部第7課課長代行、兵站局局長、開発局副長代行など軍令部全部署の幹部が座り、こちらを見つめてくる。

 

また彼らなどの軍令部幹部に加え、幌筵(ぱらむしる)警備府司令長官氷室篤(ひむろ あつし)、大湊鎮守府司令長官柊守(ひいらぎ まもる)、舞鶴鎮守府司令長官赤松利男(あかまつ としお)、呉鎮守府司令長官三雲幾登(みくも いくと)、佐世保鎮守府司令長官五十風又八郎(いそかぜ またはちろう)、大宮警備府司令長官伊地知景範(いちじ かげのり)、の瑞穂に存在する全鎮守府・警備府の最高司令官たち。

 

彼らとみずづきたちが座っているロ字型の机の左右後方には、各鎮守府・警備府の参謀たち。そして、艦娘部隊及び鎮守府・警備府直轄部隊以外の全通常戦力を統括指揮する連合艦隊司令部、連合艦隊司令部の下で航空戦力を指揮する航空戦隊司令部、陸戦隊などの地上兵力を指揮する陸戦隊司令部、統合艦隊や第二・第五艦隊の残存艦艇で新設された海上護衛艦隊などの水上戦力を指揮する艦隊司令部の幕僚たちが座っている。

 

まるでこれから開戦方針を採決するような、文字通り海軍の上層部全員が一堂に会した統括会議。いつもは軍令部の局長級以上が参加する会議だったのだが、この後に開かれる会議の関係もあり、これほど壮大なメンバーがみずづきたちの前に顔を揃えていた。

 

さすがの深雪や黒潮も眼前のメンバーに絶句し、ガチガチに緊張して冷や汗を流している。百石も含めた一同はそのような感じだが、唯一長門だけが堂々たる風格を維持していた。さすが、かつて世界に名だたるビック7と呼ばれ、連合艦隊旗艦を務めただけはある。

 

「さてと、メンバーも揃ったようであるし、そろそろ統括会議を始めたいと思うが・・・」

 

軍令部総長的場康弘大将の言葉にざわついていた幹部たちは一斉に口を閉じ、軍人らしい厳しい表情となる。ほとんどの視線がみずづきから外れた。

 

「よいようだな。では、これより、統括会議を始める。通常なら、ここで松本次長に本会議の趣旨を説明してもらうところだが・・・・」

 

的場は一同の顔をゆっくりと見回し、笑顔を見せた。

 

「今日は必要ないだろう。時間的な問題もあり、また趣旨は今までになかったほど明確である。・・・・横須賀鎮守府司令長官百石健作提督!」

「は!」

 

寸分のブレもなく、まるでロボットのように百石が顔を的場へ向ける。

 

「貴官に1つ確認しておきたい。この報告書に書かれていることは、真実であるか」

 

的場は真剣な表情で、目の前に置かれていた冊子を持ち上げる。

 

「はい! 瑞穂海軍軍人の誇りにかけ、真実であることをここに宣言いたします」

 

百石は即座に応える。それは百石が作成した、みずづきに関する報告書であった。内容は把握していない。だが、おおよそあきづき型護衛艦の戦闘能力や房総半島沖海戦における戦闘経過、そこから推察される“瑞穂海軍にとってのみずづきの価値”などが事細かに記されてるのだろう。

 

「そうか。分かった」

 

そういうと的場の視線はこちらに移動した。それに呼応し、そうそうたる顔ぶれの軍人たちの視線も。思わずうめき声を上げそうになるが、ここで非常識な言動することは雰囲気と海防軍人、それ以前に人としての矜持が許さない。努めて、長門のように平静を装う。

 

「あの演習で会って以来だな。久方ぶりだ、みずづき。それに長門たちも。このような堅苦しい場に出席してくれて、ありがとう。本日、ここに来てもらった理由は百石から聞いていると思うが、ここにがん首を揃えて座っている、海軍の趨勢を決めていると言っても過言ではない軍人たちに“君”を知ってもらうためだ」

 

再び周囲に視線を向ける的場。追随することはあまりの緊張感に憚られた。

 

「ここにいる全員、君のことは知っている。だが、人間と言う生き物は複雑で、いくら伝聞で聞かされても、実物を見るまでは踏ん切りがつかない。私も紛れもない人間だから、その気持ちは良く分かる。今まではそれでよかったかもしれない。しかし・・・・・・、これからは違う。君には近々の実施が予想される次期作戦“MI/YB作戦”において、唯一無二にして戦局を左右する重大な位置・・・ポジションについてもらわなければならない」

 

軍人たちの眼光がより一層鋭利さを増した。

 

「この作戦は、瑞穂の将来を左右する失敗の許されない作戦だ。その成否の一翼を君に任せる前に、瑞穂海軍として確認しておかなければならないことがある」

 

一拍の沈黙。瞑目した的場はゆっくりと静かに、その言葉を呟いた。

 

「君は、命に代えてでも、この国を、私たちの祖国を護ってくれると言ってくれるか?」

 

人間とは不思議なものだ。答えなければならない問いに思考が集中すると、あれほど流れていた冷や汗がぴたりと止まるのだから。

 

「・・・・・・・・・・・」

「その答えを聞く前に、1つ確認しておきたい。君は今でも日本海上国防軍人か?」

 

熟考するまでもない。その問いに、今までのおどおどした雰囲気を消し去って、みずづきは即答した。

 

「はい」

 

一部の軍人が明らかに睨んでくる。

 

「・・・・・・・・・」

「私は1人の日本人であり、この身を犠牲にしようとも祖国を、家族を護ると誓った1人の軍人です。例え、祖国がなくとも、家族がいなくとも、日本海上国防軍人としての誇りを捨てる気は毛頭ありません」

「そうか。では、それを踏まえた上で、先ほどの質問の答えを聞きたい。君は、瑞穂を守ってくれるか?」

 

一度目を瞑ると、みずづきは決意と覚悟を感じさせる真剣な表情で答える。これは、嘘偽りのない、本心だ。

 

「はい!」

「っ!?」

 

目を大きく見張る的場。今まで静寂に包まれていた2階にある大会議室がざわつく。だが、彼らとは対照的に百石たち横須賀組は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「的場総長、そしてお集まりいただいたみなさんに、1つお伝えしたいことがあります」

 

その言葉にざわめきが消えていく。完全に収まったことを確認した後。

 

「瑞穂は、良い国ですね」

「っ!?」

「自然が豊かで、人は優しくて暖かくて、いつも笑っている。食べ物もおいしくて、どこに行っても活気にあふれている。本当に平和で、深海棲艦と戦争をしていることを忘れてしまいそうになるほどです。・・・・・私もかつて、あの中にいました。中国との戦争が始まるまで・・・・深海棲艦と国家・民族の存亡をかけた総力戦が始まるまでは・・・・」

「み、みずづき・・・・・・」

 

的場が戸惑うように声をかけてくる。みずづきの瞳からは・・・・・一筋の涙が流れていた。

 

「私たちは、私たち日本人はどん底の中を生きてきました。空爆で街を、家を焼かれ、爆弾や飢餓・病気で家族を失い、いつ深海棲艦に食い殺されるか、いつ自分が肉の塊と化すのかという恐怖の中を生きてきました。その中でも、かつての栄光を取り戻し、平穏だった日常で再び暮らすために無数の犠牲を払い闘ってきました。・・・・・・・・瑞穂には、私たちが失ってしまったものが、私たちが取り戻そうと躍起になっている“かつての日常”が紡がれ続けています。今、この時も。悲劇を体験した者として、なにもかもを失ってしまった国の軍人として、何より人々の笑顔を護ると誓いを立てた一人の日本人として、瑞穂は命に代えてでも守るべき存在であると断言いたします」

 

そう。並行世界でも、国名が違っても、技術水準が異なっても、瑞穂はあの頃の日本に似ていた。

 

「瑞穂が、第二の日本と化すことは絶対に容認できません。私はもう死体も、苦しみ、悲しみ、嘆き、絶望し、この世の不条理に怒る人々を見たくありません。また、いきなりこの瑞穂に出現した私に様々なご厚意を与えて下さった瑞穂海軍の方々には御恩があります。それに・・・・」

 

みずづきは隣に座っている横須賀組を一瞥する。

 

「帰るべき場所もできましたので」

 

こちらの笑顔に応えるように、みな笑顔を向けてくれる。横須賀は紛れもない、みずづきの帰るべき居場所なのだ。

 

「そうか・・・・・。ふっ」

 

嬉しそうに微笑む的場。

 

「さすが、艦娘たちの絶対的な信頼を勝ち得た子だけはある。君の信念、しかと受け取った。この国を愛し、この国のために身を捧げる同志として、これからもどうかよろしくお願いする」

 

腰を10度ほど折り曲げ、頭を下げる的場。彼に呼応して、一時期はみずづきを睨んでいた軍人も含め全員がみずづきに頭を下げる。

 

その光景を前に、果たして慌てふためかない肝の据わった人間は世界にどれほどいるだろうか。

 

 

 

耳や風聞で掴んだ伝聞情報と直接相手の顔を見て得た視覚情報。双肩に瑞穂の未来と瑞穂国民8200万人の生命・財産・幸福を背負う立場の人間にとって、後者は非常に大きな意味を持っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

軍令部に務める海軍軍人たちが腹を満たすため、休憩をとるため、談笑を楽しむため、見たくもない上司の顔から逃れるために利用する、軍令部内の食堂「紺碧」。個室は店内の奥にあるため分からないが、もう昼時をとうに過ぎた仕事真っ盛りの時間帯。広い面積を持つテーブル席やカウンター席にはちらほらと軍人が見られるものの、周囲はガラガラに開いていた。それを考慮してか無意識か、魂の抜けきった脱力感満載のため息が、大きく吐き出された。

 

「はぁ~~~~、つ~か~れ~た~」

 

4本の足によって、全ての重荷を床に伝えている椅子の背もたれに、体重を預ける。わがままに力の向きを急激に変えたため椅子も気を悪くしたのか、バランスが崩れるもののなんとか立て直す。内心で若干焦っていると、店員が持ってきてくれたジュースを川内が手元に置いてくれる。お礼を言おうとしたが、ニヤけ顔を前にしては黙らざるを得ない。

 

「お待たせしました、みずづき大臣。ご立派な演説、お疲れ様です」

「なんですか~~? ちょっと勘弁してくださいよ、川内さん。私は今、酸欠状態の金魚です。少し、体力回復の時間を」

「なに言ってるの?、あんだけ心を揺さぶる演説をかましたのに、みずづきときたら・・・。もう少し、威張っても私たちは怒ったりしないわよ?」

 

川内の同様の表情で、ジュースを仰ぐ陽炎。この2人、見えないところで示し合わせていたに違いない。悪意が露骨に構い見えていたのなら対応のやり方など様々だが、一番厄介なものは悪意も何もない、ただ純粋な羨望による喝采だ。

 

「そうやそうや。みずづきの心意気、くぅぅぅぅ~~~! うち、つい目の前にお偉いさんがぎょうさん(※たくさん、大勢などの意味)おることを忘れて聞き入ってしもうたわ」

 

拳をギュッと握り、目を輝かせる黒潮。嫌な予感がして、黒潮の左に座っている深雪や初雪を見る。「あ・・・・・、やっぱり」と思ったら時すでに遅し。みずづきが口を開くよりも早く、深雪が機関銃を乱射した。

 

「俺は・・・俺は・・・感動したよ!! みずづきの真剣な顔、熱のこもった言葉、誰も逆らえないオーラ!! 揺るぎない信念!! 血がたぎって、心が吠えるぜ!! みずづき!! 俺はあんたのことそれなりに一目置いてたけど、今回のことでますます尊敬せずにはいられなくなった!!」

「へ・・・? えっ!?」

 

感化された熱血教師のように暑苦しさ全開で叫びまくる深雪。同時に話が変な方向に進んでいる気がする。川内があちら側に回りいまだにニヤケを宿し続けていることから、白雪に視線で助けを求める。深雪とはベクトルが異なるものの、無言で眩しい瞳を向けてくる初雪は論外だ。

 

しかし・・・・・・。

 

「これ、吹雪ちゃんたち聞いたら、喜ぶだろうな~~。絶対に言わないとだめだよね!」

 

と、肝心の白雪は1人で決意を新たにしている。それは例え震度7の地震が来ようとも揺らぎそうになかった。

 

「こりゃ、だめだ。・・・・・み、深雪たちだって、あんなそうそうたるメンバーを前にしても、堂々と振舞ってたじゃない! 私、正直びっくりしちゃったよ」

 

みずづきの“演説”が終わった後、長門や第3水雷戦隊のメンバーも海軍上層部から様々な聴取を受けていた。特に多かった内容は、やはりというかみずづきに関する事項である。

 

最初は「最近はどうだい?」から始まり、「訓練の状況は」と実務的な事柄に推移。そして、場が温まったと全員が認識できる状況に達すると、いよいよ本題。「みずづきの戦闘を見た感想は?」などの比較的軽いものから「我々がみずづきと共闘する上での、注意点は? 例えば戦略的見地の相違による誤解発生の危険は?」などかなり専門的なことまでが艦娘たちに質問されていた。当然、考え込んだり、「分かりません」と答える場面も存在したが、総じて全員的確に答えていた。いつもバカ騒ぎをして、百石とも特に緊張感なく接している姿ばかり見てきたため、黒潮や深雪の応対は意外だった。

 

「いやいや、みずづきの驚愕とうちらの感動は、もう比べもんにならへん! そない謙遜せんでも」

「黒潮の言う通り、軍令部大会議室でのMVPはみずづきに決定!!」

「異存、なし・・・・・」

「私も!」

 

人の気も知らずに大盛り上がりの、吹雪型駆逐艦姉妹と陽炎型駆逐艦の2番艦。「少し大口を叩過ぎたかな?」と後悔し、もともとあまり褒められることが得意ではないみずづきとして、これはあまりにも苦行だった。

 

「長門さんがいれば、諫めてくれるんだろうけど・・・・。長門さんはいないし」

 

大会議室退出後、長門は「作戦局と打ち合わせがあるのだ」といって、みずづきたちとは別行動を取っていた、そのため、今ここに長門がいない。

 

 

 

 

だが、助け舟はみずづきかおろか、この場にいる全員が予想もしなかった人物によって差し出された。

 

 

 

 

 

 

「随分と騒々しいな。これだから、艦娘どもは・・・・」

 

 

 

 

 

こちらへの不快感を隠そうともしない、失礼な口調。聞こえた瞬間、賑やかだった雰囲気は四散し、全員がある人物の顔を思い浮かべる。

 

 

振り返ると、そこには想像通り、作戦局副局長の御手洗実中将が苛立たし気に立っていた。

 

 

「なっ!! 傲慢ちきなおっさん!!」

「なんで!! 排斥派の棟梁がここに何しに来たんや!!」

 

嫌悪感をたぎらせて、飛び上がるように立ち上がる深雪。それに黒潮と陽炎が続く。川内・白雪・初雪は座ったままだが、向けられた者の心を再起不能にするほどの憎悪に満ちた視線を突き刺す。もし、御手洗の立場だったらな、みずづきはおそらく引き込もり決定だろう。

 

「私は、軍令部に勤める軍人だ。ここに来て、何が悪い」

 

だがそんな視線を向けられ、深雪と黒潮に暴言を吐かれても平然と対応する御手洗。

 

「来たことを言ってるんじゃないわ!! 私たちはなんで、わざわざここに来たのかって言ってるのよ!!」

 

みずづきたちが座っているテーブル。ここは店内と軍令部の廊下を結ぶ出入り口からは少し離れた位置にあたり、出入り口付近の席が混んでいない限り来ようとは思えない位置にあった。みずづきたちは軍人たちの視線を気にし、ここを選んだのだが、御手洗は1人。知れ渡っている彼の性格を鑑みるに、ここへ来る理由は皆無に思われた。

 

ただ、1つを除いて。

 

「答えなど簡単だろうに。そんなことすらお前たちは分からないのか?」

「なんですって・・・・」

 

怒りに歯ぎしりする陽炎。御手洗はそのような陽炎に構うことなく、こちらに目を向ける。

 

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・」

 

あの階段以来、またもや2人の視線が交差した。(さら)おうとして、返り討ちにあった者と(さら)われそうになり、中将へ発砲した者。2人からただならぬ気配を感じ取ったのか、艦娘たちはしばし沈黙する。

 

「何か?」

 

いい加減、中高年のオヤジに見つめられることに疲れたため、理由を問う。すると御手洗は眉毛を上げることもなく、机に置かれた伝票を手に取り、体を180度反転。

 

「ついて来い」

 

そのまま、歩き出す御手洗。深雪などは「あ~行った行った」と清々していたが、御手洗が一同の飲食代を払っている姿を見て、凍り付く。

 

あの御手洗が、他人の飲食代を払った。

 

この事実が受け入れられず、第3水雷戦隊はしばらく動けなかった。だが、みずづきは違っていた。

 

「とりあえず、行ってみよ。なんかあの時や噂と全然雰囲気が違うし・・・・」

「あっ!! ちょっと、みずづき!!」

 

陽炎の静止に躊躇することなく、みずづきは足を踏み出す。

 

 

不愛想に会計を済ませている御手洗へ近づくにつれ、「ど、どうする・・・・?」と深雪が戸惑いを大きくする。しばらく沈黙が流れた後、「仕方ないね」と川内が立ち上がった。

 

その言葉が最終決定となったのだろう。素早くジュースを飲みほした第3水雷戦隊は急いでみずづきの後を追った。

 




ちょくちょく、登場してはいましたが、みずづきと傲慢ちきなおっさんが再会するのはあの事件以来ですね。

今話では特に、新たな登場人物や軍令部内の組織がかなりたくさん出てきました。軍令部内の組織が出てきた箇所は思わず飛ばしてしまった方もおられたのではないでしょうか(苦笑)。第3章からこれまで新たに登場した設定を設定集に追加したいとは思っているのですが、いろいろなことに時間を取られて、ずるずると後回しになっているのが現状です。一応、私的なパソコンやノートなどに設定を練っているので、今までのようにおいおい追加していこうと思っております。


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71話 東京へ その3 ~軍令部の裏側~

新年まで残すところあと3日となり、「もういくつ寝ると~」という童謡が着々と意識へ侵攻してくる中、とうとう今年最後の木曜日が来てしまいました。本話が今年2017年(平成29年)最後の投稿となります。


軍令部屋上。軍令部が入る赤レンガ造りの庁舎は基本的には粘板岩という天然の石を薄く板状に加工した高価な天然スレート材を中勾配に設置する形で屋根を設けている。だが、そのまま屋根を伸ばすと中世ヨーロッパの建物に見られるように屋根だけで2階分ほどの高さを消費してしまうため、途中からビルのように平らな屋根を有する構造となっていた。平らな部分は俗に言われる屋上であり、人が出られるように階段で3階からつながっていた。

 

ほぼ4階に相当する高さ。周辺に中層ビルが林立していた日本の市ヶ谷ならば、それらに遮られ、見えるものはビルの外壁のみであっただろう。しかし、瑞穂の市ヶ谷は違っていた。どれも5階程度のビルであり、お世辞にも景色は良くなかったが、街の輪郭と活気を感じるには十分だった。

 

同じ敷地内にある陸軍参謀本部、大本営、国防省の庁舎。市ヶ谷通りを走る自動車と歩く人々。東京駅や新宿駅周辺に林立する10階程度の中層ビル群。そして、この街の象徴となりつつある赤い電波塔、「東京タワー」。

 

今、みずづきたちは御手洗に先導され、この屋上に来ていた。少し曇り気味だが、風もなく、いい日光浴日和。

 

通常はほとんど人の出入りが禁止されている屋上だが、御手洗の権限で屋上への立ち入りが認められていた。屋上へ続く階段についている鍵などの備品を管理する総務局総務課に行くや否や課員に有無を言わさず、鍵を持ってこさせ、そのまま持ち去った行為が果たして“認められた”と言えるのか定かではなかったが。

 

各々の足音が消え、外界からの音に支配されてからしばらく。

 

東京タワー方面に目を向けて直立していた御手洗は、いつの間にか手に上げていたビニール袋に手を突っ込むと、各人の趣向にあった缶飲料を無言で手渡す。艦娘たちはなにが起こったのか分からず、何度も瞬きを繰り返す。当然、誰も御手洗などに趣向を告げたことはない。

 

駆逐艦たちには缶ジュース。川内にはコーヒー牛乳、みずづきにはコーヒーが配られた。

 

「あ、ありがとう、・・・ございます」

 

艦娘たちは嫌悪というより驚愕で銅像と化していたが、みずづきはぎこちなくお礼を言う。

 

「・・・・・・・・まぁ、飲め」

 

低い声でそう言うと、御手洗は缶コーヒーのプルタブを開け、飲み始めた。それを見て、みずづきも飲み始める。ちなみに2人の缶コーヒーは同じコーヒーでも銘柄が違っていた。手にしている缶コーヒーは苦み控えめが売りの商品。一方、御手洗が飲んでいる缶コーヒーは完全なブラックだった。

 

「人の営みとは・・・・・・・・素晴らしいものだ」

 

唐突に御手洗が語り始める。みずづきは缶を口から放し、御手洗の横顔を覗う。相変わらずの仏頂面だ。

 

「大戦が勃発してから8年。一時期は本土決戦すら覚悟しなければならない状況に追い込まれた瑞穂は、数度の空襲を受けた東京は今もこうして繁栄を紡ぎ続けている。見ているとあの頃が悪い夢か、たちの悪い妄想だったとも思えてしまう。我が瑞穂の偉大さを痛感する今日この頃だ。しかし・・・・・・あの頃の地獄は、悪い夢でもたちの悪い妄想でもない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうであれば、どれほど良かったことか」

 

御手洗は一度缶を仰ぐ。遠い目をしたその言葉を、聞き逃したりはしなかった。紡がれた言葉には明らかに感情が含まれていた。

 

「この大戦で、この国では確かに15万人が犠牲となったのだ。そして、我が国を脅かす脅威は幾ばくも変わっていない。今、まさに瑞穂は国難の真只中だ」

 

御手洗はある方向へ目を向ける。みずづきたちが山内の運転する自動車で入って来た、海軍正門。ほかにも市ヶ谷の敷地には陸軍正門や国防省正門など複数の門が存在するが、そこには一般市民とは雰囲気の異なる群衆が集まっていた。その周囲を警察官や機動隊員が取り囲んでいる。夕方近くの時間帯になり、仕事帰りの特異な市民で構成されているようだ。

 

「防人としての気概を失った税金泥棒にこの国の命運を託すとは言語道断。敵を侮り、慢心の頂点に君臨する的場康弘総長以下、海軍軍令部は即刻退陣せよ!!!」

「内閣の方針に反旗を翻し、シビリアンコントロールをないがしろにする軍国主義者は出ていけ!!!!」

「海軍という史上最大・最悪の浪費組織に、これ以上国民の血税を投入する資格はない!!!」

「的場はたったと反攻作戦の実施を宣言しろ!!!」

「4300人の犠牲を無駄にするのか!!! この人でなしが!!!」

 

ここまで聞こえるシュプレヒコール。それぞれの手には「軍国主義打倒」・「民主主義に基づくシビリアンコントロールの順守を!」・「反攻作戦、早期実施の請願!」とゴシップ風に書かれた看板を持っている。

 

房総半島沖海戦の報復としての「反攻作戦」を切望する過激派。そして、国民世論を「反攻作戦早期実施」に傾け、瑞穂政府と軍を追い詰めた張本人たち。南鳥島攻略作戦成功後は素直なことにかなり数を減らしていたが、それでも筋金入りの強者には関係ないらしい。

 

暑さや引いている市民を気にもせず、良いお年の青年や中高年男性はひたすら叫び続けていた。

 

 

 

「お前は、なんと答えたんだ?」

 

本当に、唐突な質問。思わず「はぁ?」という呆れを視線に乗せて御手洗にぶつけるが、彼はこちらを見ようともしない。

 

必死に頭をひねり導き出した仮定に基づいて答える。

 

「命を懸けて、瑞穂を護るために闘います。そう、的場総長にお答えしました」

「・・・・・・・・そうか」

 

賭けの部分がほぼ全てを占めていたが、どうやら正解だったようだ。表情はともかく声色だけで判断すれば、上機嫌らしい。

 

「お前は、私が横須賀鎮守府に出向いた際、礼儀もわきまえず、中将であったこの私にこうこうと軍人について説教を垂れたな?」

「礼儀をわきまえてねぇのはそっちだっつうの」

 

深雪の的確なツッコミ。「おおー」と川内たちが拍手を送っている。それに御手洗は苦虫を噛み潰したような表情になるが、すぐにもとの仏頂面に戻る。

 

「そんなお前に聞きたいことがある」

 

こちらへ振り向く。この場に来て、御手洗は初めてこちらの顔を見た。

 

「・・・・・・・・軍人とは、なんだ?」

 

至極簡単でもあり、深く突き詰めていくと底なし沼のように答えが見つからない究極の問い。「軍人は軍に所属する人間」。御手洗の求める答えが、そのような小学生でも言える答えではないことは容易に分かる。かといって、哲学者やそれこそ中将レベルの軍人が語り合っている難解な定義を聞いているわけでもない。

 

御手洗はじっとこちらを凝視してくる。

 

だから、みずづきは例えキレられようとも、自分の胸の内を答える決心をした。今まで御手洗が見ていた景色に手を向ける。

 

「目の前の繁栄を、日々の生活を何気なく謳歌している国民の日常を、例え自らの命に代えてでも守っていく気概を持つ存在が、軍人であると考えます」

「・・・・・・・そうか」

 

みずづきと目の前の景色を見比べ、御手洗はそう小さく呟く。

 

その時、一際強い風が吹く。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

意図的に合わせたのか、偶然か。一番近くにいたみずづきでも、彼の呟きを捉えることはできなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「ふっざけるな!!!」

 

銃声顔負けの怒号が空気を切り裂いた。

 

「貴様、我々を馬鹿にするのも大概にしろ!!!」

「馬鹿にしているのはどっちだ!!! 気に入らないなら、根拠を立てて言え!! 親のコネで海軍大学校(海大)の受験慣習を捻じ曲げた卑怯もんが!」

「なにぃぃぃ? 言っていいことと悪いことがある。もう一度言ってみろ!!」

 

鼻息を荒くし、顔を真っ赤に染め、あちこちから罵声が飛び、今にも乱闘が発生しそうな軍令部大会議室。みずづきたちがいた先ほどまでの風格のある緊迫感はどこへやら。今では罵詈雑言が飛び交う、下品な緊迫感に包まれている。

 

百石はなんとか場を収めようと口を度々開きかけてはいたが、すぐに閉じるを繰り返していた。目の前で暴れているのは、例外なく自分より経験豊富で年上の猛者ばかり。いくら提督という、鎮守府・警備府司令長官にしか与えられない将官クラスの階級とはいえ、まだ30代前半の若造が大声を上げるのは憚られた。

 

この場でトップの的場は現状を前に、怒るでもなく諫めるのでもなく、ただ瞑目して黙っていた。それに呼応したのか、次長の松本も置物と化していた。これも、百石をはじめ冷静な判断力を失っていない軍人たちが黙っている1つの理由だった。

 

 

 

 

海軍上層部が一堂に会した軍令部大会議室が、一触即発の状態。そうなっている発端は、みずづきたち艦娘が退出した後に行われた「MI/YB作戦」の概要説明だった。実はこれが当会議の最大の目的である。みずづきのお披露目は“ついで”の性格が強かった。作戦局が主導し、作成された作戦概要は以下のとおりである。

 

・作戦名はミッドウェー諸島攻略、ヤップ島・ベラル諸島奪還作戦双方を差す場合、「MI/YB作戦」とし、ミッドウェー諸島攻略作戦に限定する場合「MI作戦」、ベラル諸島奪還作戦に限定する場合「還4号作戦」と呼称する事。なお、オオトリ島攻撃は「還4号作戦」に組み入れるものとする事。

・作戦実施に於ける達成目標は、ミッドウェー諸島の占領及び同島に於ける要塞建設、布哇諸島より当方ミッドウェー諸島攻略部隊を迎撃してくるであろう布哇泊地敵機動部隊の撃滅、ベラル諸島各島の攻略・占領の3点とする事。なお、これらに優先順位は存在しない事。

・作戦実施日は瑞穂時間で今日より約2か月後の光昭10年12月22日火曜日とする事。

・「MI作戦」において、横須賀鎮守府第一機動艦隊(みずづき込)、第五遊撃部隊、幌筵警備府第四遊撃部隊、大宮警備府第二機動艦隊、第1統合艦隊を機動部隊とし、横須賀鎮守府第三水雷戦隊、大湊警備府第五機動艦隊を下記地上兵力等の輸送を護衛する船団護衛艦隊とする事。地上兵力として、陸軍海上機動師団第1海上機動旅団・海軍舞鶴特別陸戦隊第3特別陸戦隊及び陸軍関東方面隊第3設営団から編成される「MI支隊(仮)」を攻略部隊とする事

・「還4号作戦」において、佐世保鎮守府第四機動艦隊、第二遊撃部隊、第四水上打撃艦隊、呉鎮守府第三遊撃部隊、舞鶴鎮守府第一水上打撃艦隊、大宮警備府第三機動艦隊、第一遊撃部隊、第三水上打撃艦隊を主力艦隊とし、佐世保鎮守府第二水雷戦隊、呉鎮守府第四水雷戦隊、舞鶴鎮守府第五水雷戦隊を下記地上兵力等の輸送を護衛する船団護衛艦隊とする事。地上兵力として、陸軍海上機動師団第2海上機動旅団、第3海上機動旅団、第4海上機動旅団、第1、2、3特殊機動連隊、海軍佐世保特別陸戦隊第3特別陸戦隊、第4特別陸戦隊、呉特別陸戦隊第2特別陸戦隊、舞鶴特別陸戦隊第1特別陸戦隊及び陸軍中部方面隊第4設営団、近畿方面隊第5設営団、九州方面隊第6設営団から編成される「YB攻略部隊(仮)」を攻略部隊とする事。

・作戦終了日は瑞穂時間光昭11年1月9日月曜日とする事。

 

 

作戦局長小原貴幸少将が「MI/YB作戦」の概要を読み終わった瞬間から、戦いのゴングは鳴った。瑞穂軍が経験したことない前代未聞の大規模作戦への興奮はどこへやら。真っ先に抗議の声を上げたのは、ある意味興奮している陸戦隊司令部参謀長の富樫裕也(とがし ゆうや)大佐だった。彼は立ち上がると小原局長ではなく、彼の傍に控えている作戦課長富原俊三(とみはら としぞう)中佐を睨みつけた。

 

「なんなんだこれは!!! 一体どういうことだ!! ミッドウェー諸島攻略し、要塞を建設するなど私は初耳だ!!!」

 

これを皮切りに、あちこちから作戦局、特にこの作戦策定に主導的な役割を果たしていた作戦課に罵声が投げられた。

 

 

時間は冒頭に巻き戻る。

 

 

百石も腸が煮えくり返り、それに加勢したい気分であった。

 

外で騒いでいるような国民世論は置いておいて、海軍としては佐影内閣の意向をくみ取り、本土空襲及び本土決戦の再発防止を念頭に、既に「ミッドウェー諸島敵基地を破壊し、布哇泊地よりミッドウェー諸島防衛のため敵部隊が進出してきた場合はこれも合わせて撃滅する」方針を決議。ミッドウェー諸島から敵の目を引き離す陽動として、かねてより検討されてきた「ベラル諸島奪還作戦」を実施。そして、敵の目を確実にベラル諸島へ向けると同時にベラウ諸島奪還作戦の円滑化を実現するため、作戦発動約2週間前をめどにパラオ諸島各地の敵拠点および本土侵攻を目論んだ敵輸送船団の集結地であったウルシー泊地を大宮鎮守府所属の艦娘で空爆。また、ベラウ諸島奪還作戦成功後の哨戒線構築、いつかは実施される中部太平洋諸島への攻勢作戦に備えた拠点獲得のため、オオトリ島(ウェーク島)の攻略実施を“決定”していた。そして、これは既に国防省・大本営・参謀本部、そして佐影内閣の了承を取り付けている。

 

ちなみにウルシー泊地とはベラウ本島とグアム島の間に位置しているヤップ島から東約150kmにあるウルシー環礁を拠点化した深海棲艦の一大泊地である。ベラウ諸島奪還作戦における攻略目標の1つであるヤップ島の至近にあり、なおかつ西部カロリン諸島における最重要拠点であるため、瑞穂はベラウ諸島奪還作戦の一環としてウルシー泊地の攻略も行う予定であった。

 

しかし、今説明され、手元の作戦概要書類には軍令部内の議論で早々に「我が軍の能力を逸脱しており、実施困難」として検討対象ではなくなっていた“ミッドウェー諸島の攻略”が組み込まれていた。

 

これは議論の初期段階から、作戦課が強く実施を求めていた目標である。作戦局作戦課はかねてより排斥派が主導権を握り、今や「早期反攻実施」に共鳴する擁護派をも取り込んだ“攻勢派”の牙城として、反攻作戦の策定過程に大きな力を振るっていた。作戦課長富原俊三中佐は御手洗の腹心とも言われる生粋の排斥派。

 

当然と言えば、当然だろうが、この作戦を作った作戦課員は“並行世界証言録”など読んでないか、空想小説程度に思っているのだろう。でなければ、あの“ミッドウェー諸島の攻略”など作戦に組み入れるわけがない。

 

「我が精強なる舞鶴陸戦隊、そして陸軍の海上機動旅団を前に、深海棲艦の虫けらどもなど雑魚も同然!! そのような敵と相対することに恐怖を抱くなど、笑止千万!! それでも陸戦隊司令部の参謀長か!!???」

 

声を荒らげる軍備課課長宮内芳樹(みやうち よしき)中佐。彼も排斥派であり、“第二の御手洗”と言われるほど傲慢さで有名な性格である。彼が言葉の矛先を向けていた相手。それはあの陸戦隊司令部参謀長の富樫裕也“大佐”であった。彼は地べたを這いずり回ってここまで昇進してきた生粋の陸戦畑だ。

 

「ああ?? 貴様、中佐の分際で誰に口を聞いているか!!!!! 出身家の七光りで、エリート街道をのうのうと上がって来たぼんぼんに、陸戦の何たるかが分かるか!!」

 

階級が絶対視される軍事組織においてのタブーを前に、ついに富樫の堪忍袋が派手に破裂してしまった。周囲の彼の部下や同僚が止めに入るが、逆に止めた方が殴られる始末。かなり頭に来ることを言われたにもかかわらず、先ほどまで言い調子で吠えていた宮内は富樫の表情を見た途端、完全に青ざめていた。だったら、最初から言うなと思うしだいである。

 

「ああ、そうだ!! 私の部下に、そして心の友である陸軍にかかれば、あんなちっさいサンゴ礁など、中間棲姫が撤下された後ならすぐに占領できようさ!! 私たちはこうやって慢心とも受け取られかねない発言を堂々とできるほど訓練を重ね、教訓を学び、敵の情報収集に奔走している。私はそこを心配しているのではない!! 攻略の戦略的意義と攻略後の補給線が確実に確保されるのかを問うているのだ!! 宮内! 誰でもいい。ミッドウェー諸島攻略の攻略意義を説明してみろ!!」

「そ、それは・・・・房総半島沖海戦で明らかとなった本土攻撃の前哨基地たるミッドウェー諸島を撃滅・攻略することで直接的には再度の本土攻撃を防ぎ、また間接的には哨戒線をミッドウェー諸島近海まで押し上げることにより本土防衛を確実なものとし、布哇泊地にいる深海棲艦艦隊の監視をも可能とする。いわば、一石三鳥の・・・」

「ふざけるな!! なんだ、その机上の空論は!! 私は現実問題を聞いているのだ! 敵本拠地の目の前に、味方の水上・航空戦力の支援を一切受けられない孤立した前哨基地をおいて、哨戒やら監視やらが本当にできると思っているのか!!!??? あそこがお前らのいう戦略的価値を帯びてくるのは、ミッドウェー諸島より西方の太平洋全域を我々が押さえ、なおかつ布哇泊地艦隊が息絶え絶えの状態に陥った場合に限る! 日本があそこを攻略可能と判断したのも、すでに南太平洋の各島を攻略しアメリカが積極攻勢を控え、太平洋の主導権を握っていたからだ。それに比べて我々はどうだ! 第二次列島線の完成もいまだ成し得ず、南太平洋への進出を行う“東進政策”は夢の彼方だ!! そんな状態で東西南北全方位を敵が跋扈している敵勢力域のど真ん中にいきなり前哨基地を置いても、ライオンの群れの中に迷い込んだ仔馬の如く、一瞬で食い散らかされることは自明の理だ! そうなった場合の対応策は考えているのだろうな!!」

 

宮内をはじめ、作戦局が発表した今次作戦案に賛成した将校を睨みつける富樫。

 

「あそこは絶海の孤島。第二次列島線の各諸島とは全く事情が異なる! 東京から直線距離で4000kmだぞ!! 周囲に基地を置ける島々もない。敵潜水艦や航空機の攻撃どころか、天候が荒れるだけでも補給は困難を極める。わが軍はおろか我が国にそれだけの補給線を維持する国力も船もない!!!」

 

兵站能力の欠如。瑞穂世界に存在する各国も同様であったが、深海棲艦が出現するまで純粋な本土防衛のみを眼中に置いていた瑞穂軍にとって、それは早急に改善を図らなければならない喫緊の課題だった。軍再建整備計画において兵站能力の向上に欠かせない輸送艦や給油艦の整備は認められたものの、統合艦隊の整備に予算も資材も人材もドックも占有され、瑞穂軍の要求水準には2033年現在でも遠く及んでいない。そうなれば必然的に民間船が頼りの綱となる。幸い、瑞穂は大戦の影響で複数の先進国が国力を大幅に減衰させる一方、本土防衛に成功し国力を維持していたため栄中に次いで世界第2位の船舶建造能力を有していた。しかし、それをもってしてもわずか4年という短期間で、しかも瑞穂史上初となる空母を含めた4個艦隊32隻の戦闘艦艇を建造・進水させた荒業は民間企業に看過できない悪影響を及ぼしていた

 

「民間の体力が統合艦隊整備に費やされた結果、輸送船の新造は激減し、船会社所有の船舶数は世代交代が上手くいかず減少傾向にある。このような現状であの島まで補給線を伸ばすなど正気の沙汰ではない。あの大日本帝国海軍ですら困難性が指摘されていたほどだったのだ。今すぐ、資料室に行って“並行世界証言録”を読んで来い!!!」

「あんな蛮族どもの妄想に感化されるとは。陸戦隊司令部も落ちたな」

 

誰かが呟く。富樫は般若のような表情となり血眼になって犯人を捜すが、代わりに航空戦隊司令部首席参謀の大黒周平(おおぐろ しゅうへい)大佐が誰とは言わず、作戦課員全員に問うた。作戦局長小原貴幸やその他の作戦局員に視線を合わせなかったのは、大黒なりの彼らに対する配慮だろう。作戦局本体は比較的理性的な対応を取っている人間が多かったものの、部下からの突き上げに耐えきれず、今やお飾りと化していた。本人たちにしてみれば、認めたくもない作戦を作戦局名で発表するのは忸怩たる思いだろう。

 

「ではお尋ねしますが、補給線が1週間ないし2週間途絶した場合の対処策、及びその際に予測される敵の行動、万が一その隙に敵がミッドウェー諸島の奪回を図ってきた際の備えは策定されておられるのですかね?」

「そ、それは・・・・・・」

 

うろたえる作戦課長富原俊三中佐。これで彼らが、作戦終了後を見据えていなことが分かった。

 

「全く、嘆かわしい。軍令部の作戦課ともあろう部署がその程度の事までしか考えていないとは・・・・・」

「いくら、航空戦隊首席参謀とはいえ、そのお言葉は看過できません!! 即時撤回を要求します!!」

「そうだ!! 無礼にもほどがある。戦闘には犠牲はつきもの。そのような些細なことに気を使っていては大事をいつまでたっても達成できない! 小林少将に言いつけてやるぞ!!」

 

青から一転、顔を真っ赤にする富原。彼に同調して、総務局副長の武田正人(たけだ まさと)大佐が怒鳴る。武田が口にした小林少将とは、航空戦隊司令部司令官で大黒の上官である小林久兵衛(こばやし きゅうべい)少将だ。

 

「言いつけたかったら、好きに言いつけろ、武田。むしろ、小林少将はお前を怒鳴りつけられるだろう」

「何が言いたい?」

「分からないか? 部下を部下と思ってない軍人など、上官である資格はないと言っている。富樫大佐のおっしゃるとおり、ミッドウェー諸島への補給線の確保は困難も困難。補給線が維持された状態で攻撃を受けても、敵戦力またこちらの支援戦力しだいでは甚大な被害が生じかねない。もし補給線が絶たれた状況で深海棲艦の総攻撃を受ければ、確実にミッドウェー諸島守備隊として送り込まれる予定の約2000名はあんな殺風景な島で全滅だ。あいつらやお前は故郷より遥かに離れた、敵本拠地の目と鼻の先に放り出される将兵たちのことなど、一顧だにしていない! 自分たちがいかに英雄となるか、手柄を立て支持母体のご機嫌を取るかしか考えていない!」

「それ以上は、侮辱であり、冒涜だ!! 憲兵隊に通報されたいのか!! いいから黙れ!!」

「いいや、黙らない!! 俺たちは目先の利益と保身だけ考えて、心の内では間違っていると理解しつつ、場の空気に流され突き進んだ連中の末路を知っている!! 待っているのは“壊滅的な敗北”と知りつつ、部下と熱を帯びた国民にNOを言えなかった連中の結末を知っている!! 慢心と驕慢という不治の病に侵され、現実を見る目が失われ、目が覚めた時には後悔してもしきれない結果を招来していた連中の慟哭を知っている!!」

「それは瑞穂民族とは違う蛮族が辿った軌跡だ。俺たちとは関係がない!」

「蛮族だぁ?? 一体、その根拠はどこだ? 私が思うに、今の瑞穂の状況はドーリットル空襲を受けた後の大日本帝国と同じに見えてならんが」

「蛮族と我々を同列視するとは・・・・・・。海軍軍人失格だ!!」

「あのみずづきを見ても、日本人が我々より劣る蛮族と見做している人種差別主義者は軍人の前に人として失格だ。小学校に戻って、道徳の授業をやり直して来い」

 

「そうだ、そうだ」と富樫を中心に野次が飛ぶ。

 

「過去と歴史から学ばない者は、過去において存在した同じ事象、同じ理由で身を滅ぼす。お前らの身勝手な願望で、将兵たちの命を危険にさらし、この国を亡ぼすことは断じて許さない。日本世界におけるミッドウェー海戦の教訓を一切くみ取らず、むしろミッドウェー海戦を参考にしている節すら感じられる。私はこの作戦について、明確な反対を表明致します!」

「私も大黒と同じ意見であります!!」

 

大黒と富樫の声に同調する一方、作戦課などこの作戦案に賛成する攻勢派からは「敗北主義者!!」・「臆病者!」・「艦娘に篭絡された腑抜け!」・「お前らは野党か!」・「反対なら対案を出して見ろ!!」などの野次が飛んできた。

 

それにまた、反対派が猛反発。

 

富樫と武田が机を叩きつけて立ち上がり、掴みあいを始めようとしたその時。

 

「そこまで」

 

今の今まで瞑目し、各士官の意見に耳を傾けていた的場が声を発した。大会議室は数時間ぶりの静寂に包まれ、富樫と武田は火花を散らしつつ自分の席に着く。

 

「みなの意見はよく分かった。今回のこの作戦案。従来に比べ、いささか反対意見が多い。これを海軍全体の意見とするのは困難。そう、思わないかね? 富原課長」

「的場総長のご意見はもっともであります。しかし、私たちは内閣の意向、そして何より血税を収め、我らに多大な助力を与えてくれている国民の意向を最大限にくみ取り、これを立案いたしました。海軍内には国民の気持ちをよく理解している将兵も多くおります。まずは、彼らの意見も参考にしないことには・・・・・・」

 

的場の遠回しな言葉を理解しているのか、理解していないのか。傍から見ると、的場に富原が反抗しているようにしか見えない。室内に富原への敵意が渦巻く。

 

「何、言ってんだ、偽善者が」

「国民を盾に使うとは、なんたる羞恥」

「プライドが高く、傲慢ちきな役人そのものだ」

「あいつらこそが軍国主義者じゃねえか」

 

わざと聞こえるように小言を漏らす反対派の軍人たち。富原は的場が目の前にいるため、笑顔を作り続けているが、額の血管が浮き上がって痙攣していた。

 

「ではこうしよう。多数決だ」

「はっ?」

「幸い、ここには海軍を代表する軍人たちが集まっている。それに多数決ならば、君たちのいう国民の気持ちを理解している将兵の意見も反映される。妙案だと思うのだが?」

「いえ・・・その・・・」

 

明らかに動揺する富原。

 

「こ、これまで、そのような採決方法を取られた前例はありませんが?」

「だからどうした。統括会議規則に“多数決をとってはだめ”などというふざけた規定があったか?」

「いえ。ありません・・・・・」

「ならば、いいじゃないか。前例に縛られるような硬直性は国防省だけで十分だ。では、これより、今次作戦案に於ける評決を取る。まず、賛成の者は挙手を・・・・」

 

 

 

 

結果、この作戦案は8割近くの反対が叩きつけられ、的場の大号令で再検討が指示された。主な反対意見としては以下の通り。

 

・結果ありきの内容であり、敵が作戦で予測された行動と異なった動きを取った場合の対応が一切考慮されていない。

・敵戦力の想定が曖昧すぎる。

・不確実な敵情を基に作戦が策定。更なる偵察活動が必要不可欠。

・作戦目標が多すぎて、現場に混乱が生じる可能性が大。

・作戦実施日までの準備期間が短すぎる。特に統合艦隊は実戦に出せるレベルか疑問。

・MI作戦において、みずづきに役割を割り振りすぎている。策敵はみずづき、攻撃は艦娘部隊に任せ、それでも手に負えない場合に限りみずづきを攻撃に回すなど、明確な役割分担が不可欠。

・そもそも中間棲姫を撃破できるのか、戦闘経験が皆無なため未知数。

 

などである。

 

 

大きく吐かれるため息。これでひとまず、当面の危機は回避された。ここまで反対が根強ければ、作戦局ももう少し抑制的な作戦内容を検討するほかないだろう。だが、今や百石や的場のように、反攻作戦自体に反対する“慎重派”が海軍内では少数派であることも事実。今回、反対に回った多くの士官も反攻作戦自体には賛成の“攻勢派”、特に擁護派で構成される“穏健攻勢派”だ。あの富樫や大黒も穏健派である。穏健派とは反攻作戦に関する意見の相違によって、決定的な対立には至っていないが、的場たち慎重派とはもはや修復不能の大きな亀裂ができている。

 

少しでも気を抜けば、また“バカげた”作戦が出てきかねない。

 

その証拠に百石はしっかりと見た。松本と談笑している的場の背中を睨みつけている、富原の顔を。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

「結構待ったけど、結局先にホテルへ行くことになったね。予定じゃ、百石司令も一緒に行くことになってたけど」

 

新旧の建物群を抜け、一路軍令部の駐車場を目指すみずづきたち。本来はここに長門と百石もいる予定だったのだが、会議が長引きまたいつ終わるか分からないというカオスな状況であったため、案内役は山内が務めていた。

 

「あんな様子じゃ、仕方ないわよ」

「2階まで、図太い怒鳴り声が聞こえてきたもんね。何言っているのか分からなかったけど、ありゃ相当荒れてるよ・・・・」

 

苦笑する陽炎と川内。みずづきもついその輪に加わってしまう。御手洗と別れた後、みずづきたちは軍令部内で一応暇そうに見えた部署を訪問するなど時間を潰していたのだが、さすがに限界があり、一度大会議室に一番近い階段まで足を運んだのだ。本当なら3階までは上がろうと考えていたが、端から端まで尋常ではない怒気にまみれた叫び声が1つではなく乱発される状況は、わざわざ足を運ばなくとも百石の置かれている現状が察せられた。

 

「あははははっ。どこの世界でも軍人ってのは血気盛んな方が多いみたいですね」

「全く持って、その通り。まぁ、そう言ってる張本人さんも疑いあり、だけど」

 

ニヤつく川内。一応、心当たりはあった。

 

「だって、あ、あの時は仕方なかったじゃないですか! いきなり、変なオヤジたちに脅されて、連行されて、挙句の果てに日本を侮辱されて・・・・・・。あれで怒らないのって異常ですよ。・・・・・異常ですよね!?」

「さぁ~~~」

「え~~~~。ねぇ、陽炎? 陽炎だったら怒るよね?」

「さぁ~~~」

 

川内と瓜二つの顔で、はぐらかす陽炎。この2人。またしても連合を組んでいるようだ。

 

「もういいです! 黒潮辺りに聞いてきます!」

 

ほほをハリセンボンのように膨らませ、山内や白雪たちと共に少し先行している黒潮へ向かって大きく一歩を踏み出す。

 

「あぁ!! 分かった、分かったから!」

「ごめん! ごめん! みずづき! つい、反応が面白くて・・・・っぷ」

 

笑いながらみずづきの静止を図る2人。ひとしきり笑うと「私も怒ったと思う」と本心を明かしてくれた。「銃をぶっ放したかまではさすがに分からないけど・・」というおまけ付きで。こちらもそのことは反省しているので、反論はしなかった。

 

歩いて数分。駐車場が見えてきた。みずづきたちが乗ってきた自動車が置かれている場所は将官クラスの自動車が駐車を許されているスペースだ。単に駐車場といっても、国防の中心と言うだけあって、1つ1つは広大な面積を持っていた。そのため、将官用のスペースは軍令部に最も近い場所に設けられており、駐車場本体が視認できればもうすぐだ。

 

「しっかし、今日は珍しいというか、なんというか、すごい日だったね」

 

唐突にそんなことを言う川内。何のことか分からなかったが、陽炎の同調によって彼女の意図するところを把握する。

 

「御手洗中将のことですか?」

「そうそう。ちょうど、あのおっさんがかかわる話だから、不意に思い出してね」

「あ~。そういうことですか」

「みずづきの言った通り、なんか変だったね。まともになったというか、とげの密度が減ったというか。本当に本人?」

「双子の弟だったりして!」

 

陽炎の冗談に、思わず笑ってしまう。妙に信憑性を感じるところが、御手洗らしさだ。

 

「陽炎ってば、冗談きついよ~。ほら、車も見えてきたって・・・」

「ん? どうしたの? みずづき」

「川内さん。あれ」

「ん?」

 

自分の見たものを川内や陽炎にも共有しようと、さりげなく特定の方向に指を指す。駐車場は駐車場でも庁舎から最も離れた位置でほとんど車が止まっていないエリア。そこに1台の乗用車が止まっていた。色は白。純白といっても差し支えないほどの明度で、どれほど手入れされているのかは一目で察せられた。

 

その車の周辺に3人の男女が立っていた。2人の男女は初見の人物だったが、濃い水色を基調とした和服の訪問着姿から、着飾らないお淑やかという印象を受ける50歳後半から60代前半の女性に頭を下げている男性には見覚えがあった。というか、忘れるわけがない。

 

「え? ・・・・・あれって・・・・」

 

女性に何かを言われるたびに毒気のない苦笑を浮かべている海軍将官はどうあがいても決して忘却できないほど、記憶に染みついている人物なのだから。

 

「み・・・御手洗実中将?」

 

あまりに信じられない光景に声が震えてしまう。両隣りにいる陽炎や川内もショックで口を開けたまま、固まっている。

 

「本当に、あの御手洗? ・・・・全くの別人に見えるんだけど・・」

 

陽炎が銅像状態から立ち直り、目を擦る。しかし、表情から見るに目の前の光景は現実のようだ。

 

「ちょ、ちょっと! 山内中尉!」

「どうされたんですか、川内さん!! 落ち着いてください! これはさすがに!!」

 

山内のうわずった声が聞こえてくる。名残惜しみつつ、聞こえる方向へ目を向けると川内に腕を掴まれ、引っ張られる彼の姿があった。強引とも見えるものの山内が恥ずかし気に顔を赤く染めているあたり、まんざらでもないらしい。

 

川内は彼の様子に気付かず、遠目で見える御手洗を指さした。

 

「あれは・・・一体・・・」

「え? あれですか? あれって・・・・・・ああ」

 

納得したように感嘆すると、苦笑を漏らす。こちらが何に仰天しているのか理解したようだ。

 

「やっぱり、驚きますよね。私も初めて見た時は度肝を抜かれましたよ。あの御手洗中将が家庭ではあんな“普通の人”、だなんて」

「家庭? ってことは・・・・あの女の人は・・・」

 

頭の中で閃いた推測。推測ではなく正解だと山内が代弁した。

 

「そうです、みずづきさん。あの女性は御手洗実中将の奥様、御手洗雪子さんです。ちなみに、運転席の前で立たれている方は御手洗家の・・御手洗中将は既に他界されている御手洗大将のご三男ですので、正確には分家の筆頭使用人だそうですよ」

 

御手洗が三男であったことすら驚嘆必至だが、それより。

 

「ええええ・・・・・・。あんな優しそうな人があれの奥さん。てか、結婚してたんだ」

 

失礼と承知していたが、つい本音が出てしまった。山内は「そんなひどすぎますよ」と苦笑しているが、陽炎と川内も同意を示すように頷きまくっている。

 

「しかも、なんだか様子を見るに尻に敷かれているような感じだったんですが・・・・」

 

山内を覗うと、肩をすくめていた。話し込んでいた御手洗たち3人を乗せた自動車はエンジンを始動させ、走行を開始すると大通りへ溶け込んでいく。

 

「マジですか・・・・・」

「夫婦仲はかなり良好らしいです。奥様は病気がちと風の噂で聞いていますが、中将が献身的に看病などをしているとか」

「あの中将が家ではよい旦那? ・・・・・中将をあそこまで変えた奥さん、何者よ」

 

誰もいなくなった駐車場の隅。見てはいけない一部始終を目撃した者は川内の言葉に頷かざるを得なかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「こちら、ケイ1。目標、軍令部将官用駐車場を出発。送れ」

「アキ3、了解。目標の行動予定に変更なし。送れ」

「ケイ1、これより撤収作業を開始する。送れ」

「アキ3、了解。現時点でカメに変更なし。有りの場合は追って通達する。送れ」

「ケイ1、了解」

「通信終わり」

 

駐車場に止められ、主の帰りを待つ無数の自動車たち。その中に、1日ごとに変わる主たちを乗せつつ息を潜めたままの自動車が一台。どこからどう見ても街中を走っている大衆車と変わりないが、特定の職業に就いている者なら看破できる特有の雰囲気が染みついていた。

 

フロントガラスからは今まさに門から大通りに入る所の高級車が見える。世界を穿つ塀で視界から消えるまで追うと、運転席に座っている男は手元の分厚い資料に視線を落とした。文字しか書かれていない無粋なページをめくり、白黒写真が掲載されている箇所を探し出す。

 

助手席で小型無線機を格納していた男がその写真を覗きこんできた。その顔には安堵と驚愕が併存していた。

 

「写真があって助かりました。情報通り、WMは一般的な瑞穂人と区別がつきません。まさか、ここまで似ていようとは・・・・・」

「世界が違うとはいえ、同じ列島に住まう民族だからな。自然環境条件が同じ以上、身体的特徴は極度の近似状態となる。横須賀のrabbitには感謝だ。あいつのおかげでこちらも幾分楽ができる」

「しかし、ここまで詳細な写真をどうやって・・・・」

「あいつは我々とはまた違う出身。世間に身を置いていた時間が長い分、あそこに溶け込むにはうってつけの人材だ。俺たちはもう血の臭いが染みついて離れない」

 

運転席の男は着ているスーツに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ仕草をする。獰猛な苦笑を浮かべると、エンジンをかける。

 

「今後も我々に力を貸してもらうとしよう。この国に巣食うウジ虫共を駆逐してこそ、初めて未来が開かれる」

 

ギアチェンジを経て、走行に最適な状態となった自動車は軽やかにアスファルト路面を滑っていく。日が傾きかけていることもあってか、黒く長い影が自動車から伸びていた。




昨年もそうでしたが、本年も至らない点が多々ある中、ご感想や誤字報告など読者の皆様のご助力に支えられた一年でした。執筆や作業の都合上、どうしても「パソコンと仲良く」状態になってしまい、いろいろと悩むこともありましたが、画面の向こう側におられる皆様のおかげで今年も走り抜けることができました。

本当にありがとうございます。

未来に漠然とした不安を感じさせるニュースが絶えない昨今ですが、2018年(平成30年)がよい年になりますように。

では、みなさん良いお年を!

※作者はインフルを疑われる風邪をこの時期にひいて、直近の2日間ほど寝込んでいたので体調管理には本当に気を付けて下さい! 年末年始はお医者さんや看護師さんも多くはお休みですので、おかしいと思ったときは早めに病院へ駆けこみましょう。それで私もなんとかなりました。結局、インフルではなかったようなので。この時期に風邪とか、最悪もいいところです。



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72話 東京へ その4 ~夜更けの語らい~

みなさん、あけましておめでとうございます。
前年は拙作ながら、ご覧いただき、またご声援をいただきましてありがとうございました。

上記への感謝も込めまして、今回は2話連続投稿で投下したいと思います。2話合わせて3万時越えという長文ですので、無理せずご覧いただければ幸いです。

このように本年2018年(平成30年)もこれまで通り、投稿を続けていく所存です。これからも『水面に映る月』をよろしくお願いいたします。




季節を先取りしたかのようなひんやりと空気。蛍光灯によって暗闇から救われている10畳ほどの部屋にどんよりと漂っている。窓がなく日光が届かない地下室のため、どうしても雰囲気が暗くなってしまう。このような時は必ず誰かが音頭を取り、場を盛り上げようとするのだが、現状はそれすら思いつかいほど緊張感に包まれていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

自身が口を閉じて、どれほどの時間が経過したのか。中央に置かれたテーブルについている6人は一切口を開かず、ある者は眼前の書類から目を離さず、ある者は視線を泳がせ周囲の顔色をうかがい、ある者は場を好転させようと口を開きかけるがすぐに閉じてしまう。

 

「クソ!!! 俺たちの不眠不休は何だったんだぁ!! 東京から飛ばされた左遷野郎どもが寄ってたかって!! あああ! むしゃくしゃする!!!」

 

あまりにも静かすぎるため木製の扉越しに、聞いてはいけない類いの愚痴が聞こえてくる。おそらく、作戦室の隣部屋が使用されているとは夢にも思っていないのだろうが、残念。ここ軍令部地下2階、作戦小会議室は使用中である。

 

そのような愚痴が聞こえたにもかかわらず、場は一向に変化が見えない。これ以上、待っても埒が明かない。

 

「みなの気持ちはよく分かる。なにせ、私もはじめは知らなかった。・・・みずづきから聞いた時は、それはそれは堪えたよ」

 

大きく深呼吸をしたのち、横須賀鎮守府秘書艦の長門が苦笑交じりに語りだす。長門の目の前に座る6人が一斉に視線を向けた。

 

それを認めると、笑みから一転、瞳に力がこもる。

 

「だが、私たちは乗り越えた。これに書かれている通りに」

 

幾人かが凝視していた書類を高々と掲げる。題名は「みずづきと横須賀鎮守府」。この会議のために長門が作成した、みずづきと横須賀鎮守府所属艦娘たちの大まかな記録である。

 

長門の表情と掲げている書類を交互に見比べたあと、互いの顔を見合わせる6人。しかし、視線は自ずと1人の艦娘に集束する。長門を除けば、この場で最も権威があり、尊敬されている彼女に。

 

彼女は悩まし気にため息を吐くと、姉に視線を合わせた。

 

「横須賀の状況は一通り分かったわ。あなたたちは未来に・・・日本の人々が未来を見て必死に生きている点に着目して、“この未来”を受け入れたのね」

 

感慨深げに呟く幌筵(ぱらむしる)警備府秘書艦の陸奥型戦艦2番艦、陸奥。彼女が何を想っているのか。表情からは分からない。

 

本日、軍令部地下2階作戦小会議室では秘書艦会議が行われていた。

秘書艦会議とは各鎮守府・警備府に所属する艦娘たちのリーダーたる秘書艦たちが一堂に会し、作戦の考察・研究や瑞穂側への技術協力から艦娘同士のたわいもない喧嘩まで様々な艦娘に絡む問題を話し合う場である。特段、規則があるわけでもなくそこまで強制力を帯びた会議ではないが、一般的にここでの対外的な決定や結論は艦娘たちの最高意思と解釈される。

 

本日の参加メンバーは以下のとおりである。

横須賀鎮守府秘書艦、長門。

佐世保鎮守府秘書艦、瑞鳳。

呉鎮守府秘書艦、伊168。

舞鶴鎮守府秘書艦、天津風。

大湊鎮守府秘書艦、青葉。

幌筵警備府秘書艦、陸奥。

大宮警備府秘書艦、大淀。

 

度々作戦や任務の関係もあり、秘書艦のかわりに秘書艦代行の艦娘が出席することもあるのだが、今日は珍しく全秘書艦が勢揃いしていた。

 

高出席率には、今日の議題が無関係とは言えないだろう。

 

今日の議題。それは単純明快、「みずづき」についてである。硫黄島で邂逅した大宮警備府所属の第二機動艦隊がそうであったように“真実”は既に全鎮守府・警備府に共有され、当然それぞれの鎮守府・警備府のトップである彼女たちも把握していた。

 

艦娘たちは自分自身だけの、誰とも違う“人生”を持っている。“真実”を、しかも酷く凄惨な“真実”の受け取り方は千差万別だった。自分ひとりで真実を受け入れた者。涙を流しながらも、仲間と共に前を向いた者。しかし、全艦娘がそうとはいかなかった。みずづきのように自暴自棄に陥り、自室に閉じこもるような事象は発生してないものの、心の中に葛藤を抱えている艦娘もそれなりに存在していた。

 

本会議は横須賀の経験及び結論を全鎮守府・警備府と共有し、秘書艦を通じて彼女たちが“真実”に一定の結論を下せるよう後押しすることが、最大の目的であった。

 

「ああ。お世辞にもスムーズとは言えず、紆余曲折もあったがな」

「すごいですね、長門さんたちは」

 

室内の空気に流されず、温かみのあるほほ笑みを長門に向ける大淀型軽巡洋艦一番艦の大淀。だが、その瞳に揺らぎが宿っているのを見逃したりはしなかった。

 

「私たちなら、果たして横須賀のみなさんと同じ道を歩めたかどうか・・・・・」

「大淀さんには全く持って同感です。青葉もこればかりは確信をもって扱えたとは断言できません」

 

いつも活発で駆逐艦にも負けない元気さを持ち、カメラ片手の傍若無人ぶりを止めるために大湊鎮守府の秘書艦に“させられた”という逸話を持つ、青葉型重巡洋艦一番艦の青葉も、今日は人が変わったように大人しい。いつもの底抜けの笑顔は苦笑にとってかわられていた。

 

「事が事、ですからね」

 

小柄な体をさらに縮めている瑞鳳。心なしか、声までしぼんでいる。いつもは他人に元気を分けてくれるような純粋な笑みも、今この時ばかりは見る者に不安を惹起する凶器に成り下がっていた。

 

どう楽観的に捉えても、自身が導こうとしていた雰囲気とは真逆の室内。じわじわと危機感が心の中に浸透していく。

(やはり、難しいものだな・・・・・)

しかし、弱気になる訳にはいかなかったし、そうなるつもりも毛頭なかった。

 

彼女たちなら、受け入れてくれる。

 

同じ大日本帝国海軍の軍艦として乗組員たちと大海原を駆け巡り、圧倒的な国力を有する大国と肩を並べて戦った者として。最後まで彼女たちの雄姿を皮肉にも見続けてきた者として。そして“第二の人生”を歩むことになったこの世界で共に戦ってきた防人として。

 

長門は彼女たちを信じていた。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

なんたる偶然か、陸奥に視線を向けると彼女もこちらを見つめていた。その力強い瞳には言葉でやりとりせずとも分かる、自身と同じ確信が込められていた。

 

それを見るとつい微笑をこぼしてしまう。人間の姉妹とは異なれど、やはり長門と陸奥は“姉妹”であるらしい。

 

長門は陸奥と頷きあうと、彼女たちに素直な自身の心情を吐露するため、口を開こうとする。

だが・・・・・・・・・。

 

「もう、その辺にしておいたら?」

「そうそう。この間会った時と醸し出してる雰囲気が全然違うじゃないですか?」

 

「・・・・・・・・・は?」

「・・・・・・・・・はい?」

 

「はぁ~」とため息をつかんばかりに呆れたような口調の天津風。眉間にしわを寄せて少し不機嫌気味な伊168。そして、「ギクッ」と額に冷や汗を流しながら、ぎこちない苦笑を浮かべる3人。

 

彼女たちの予想外も予想外の言動により、長門と陸奥の決意が実を結ぶことはなかった。

 

「ご、ごめんなさい! 私もそんなつもりで発言したわけでは・・」

「青葉だってそんな天津風や168が思ってるような畜生なことはこれっぽっちも考えていません! ただ・・・いくらなんでもここで、こんな話題を扱ったら否が応でも深刻な雰囲気になっちゃうじゃないですか!」

「事が事ですからね」

「瑞鳳さん、さっきと同じセリフ。あと、この期に及んで言い訳しない、青葉さん!」

「「うっ。ごめんさない・・・・・・」」

「謝るのは私じゃないでしょ! ほら!」

 

さすがは底なしの海中を1人で長期間行動し、執拗な爆雷攻撃を受けつつも本土に貴重な情報をもたらした潜水艦、伊168。軽巡洋艦大淀・重巡洋艦青葉・軽空母瑞鳳に怯むことなく、圧倒的な威圧感で3人の顔を長門へ向けさせる。隣に座っている天津風は若干、顔を引きつっていた。

 

「な、なんだこれは・・。一体、どういう・・・」

 

全く状況が読み込めない。援軍を求め、陸奥に目を向けるが、やはり姉妹。当の陸奥も「ん? へ?」と頭の上に疑問符を増殖させながら、こちらに大きく見開かれた目を向けてきた。

(こんなところまで似なくても良いものを・・・・・・・)

思わず、書類とみずづき関連の業務に忙殺される百石のように頭を抱えたくなる。

 

そのような長門の心情を知ってか知らずか、混乱の元凶である3人が申し訳なさそうにこちらを見つめてくる。最初に口火を切ったのは大淀だった。

 

「長門さん、ご気分を害してしまい、誠に申し訳ありません!」

 

彼女に続き、「申し訳ありません!」と青葉・瑞鳳が頭を下げる。

 

「ちょっと、待ってくれ。え? 気分を害した? 一体、何がどうなって」

「えっと、ですね。今、長門さんは“未来”に葛藤する私たちをなんとかして納得させようと思考を巡らせておられたと思うんですが・・・・」

「ああ。まぁ、そのようなところだ」

「その・・・・・つい、暗い雰囲気になってしまったんですけど、私は・・・・少なくとも長門さんの目の前に座っている私たちは・・・・・」

 

一旦言葉を切り、目を閉じる瑞鳳。次開かれた時、彼女の目には軽空母らしい気概があふれんばかりに宿っていた。

 

「この未来を、受け入れています」

 

それに同意するかの如く、大淀・青葉・伊168・天津風が誇らしげにゆっくりと頷く。それを見ると先ほどまでの沈痛な雰囲気がまるで夢か幻であったかのように感じられた。

 

「ほ、本当か?」

 

あまりに信じられず、つい戦艦らしくない弱々しい問いを発してしまった。それに瑞鳳は力強く「はい」と答えてくれた。涙腺が、緩んだ。

 

「そうか・・・・」

 

目尻に溜まった輝きを指で拭う。彼女たちはやはり思った通りの彼女たちだったのだ。心配などいらなかったのだ。おのずと笑みがこぼれる。だが、どうにも腑に落ちない点があった。

 

「なら、なぜ最初からそう言ってくれない? 私もお前たちが深刻そうな雰囲気を醸し出すから、その・・・・悩んでいるのだと」

「す、すみません。大湊鎮守府では横須賀鎮守府の一件が伝わって来た後、すぐに結論を出せたんですが、いざこうして改めて議論をするとどうしてもとっつきにくくて・・・」

 

長門の雷を恐れているのか、微妙に身体が震えている青葉。さすがに気の毒で声をかけようとしたが、青葉の発言に含まれていた言葉が容赦なく、その気遣いを吹き飛ばす。

 

「はぁ!? ちょ、ちょっと待て!!」

「ひぃぃぃ!! ご、ごめんなさい、ごめんなさい!!」

 

目頭を湿らせ、真っ青になって真剣に怖がる青葉。

 

「横須賀鎮守府の一件が伝わって来た後、すぐに結論を出せたんですがって、え? 大湊鎮守府は結論を下せたのか?」

「そう言ってるじゃないですか。なんでいつもいつも、青葉ばっかり。隠し撮りして、盗聴して、提督の・・・。他人の弱みを握って、何も悪いことしてないじゃないですか・・・」

 

机に人差し指で8の字を描きながら、いじける青葉。

 

「いや、めちゃくちゃしてるじゃない。青葉さん、一応このことはあいつに言っておくから。青葉が反省してないようなら、逐次報告してくれって頼まれてるし」

「ちょっ!!! 天津風、それだけは勘弁を!! 赤松司令官はうちの司令官と仲いいから、すぐに拳骨が降ってくるよぉ~」

 

今度は別の意味で目頭を潤ませて、慈悲を願う青葉。

 

「おい、天津風。舞鶴鎮守府も大湊と同じ結論に達したのか?」

 

ある意味ボケとも捉えられる青葉の言動を完全無視する長門。「う・・・」と青葉はますますいじけていく。

 

「はい。舞鶴には・・・・・・雪風もいましたから」

 

優しく微笑みながら、天津風は遠い目をする。

 

あの大戦をほぼ無傷で戦い抜いた幸運から「奇跡の駆逐艦」、また自身のみが生き残り僚艦が悉く沈んでいった悲運から「死神」とも呼ばれた陽炎型駆逐艦8番艦の雪風。彼女は戦後、戦時賠償艦として中華民国に引き渡され、「丹陽(タンヤン)」と改名。中華民国海軍旗艦も務め上げ1970年に解体されるまでに見た、世界を・・・・・復興し、先進国への街道をひた走っていく日本の姿を艦娘たちにもたらした張本人だ。

 

直に日本の底力を見た彼女なら、どんな地獄にも未来を見出すことは可能だっただろう。

 

「呉も、確かにそう簡単ではなかったですけど、みんな栄えある大日本帝国海軍の軍艦ですから」

「それに私たちは、私たちを生み出してくれて、共に大海原をかけて、負けると薄々分かっていても、あの絶望の中でも最後の最後まで、私自身と祖国と家族のために戦い抜いた彼らを十分知ってます」

「みずづきさんも、2033年に生きる日本人はそんな人たちの子孫ですもの。きっと、3度目の奇跡を起こしてくれる。私はそう思ってます」

 

伊168も大淀も瑞鳳も嘘偽りを一切感じさせない、明るくそして己の信念に基づいた力強い笑みを浮かべている。

 

「ふ、ふふふ。あはははははははっ」

「な、長門さん・・・?」

 

突然、長門が笑い出す。その嬉しさがにじみ出ている笑顔は、とても美しい。

 

「悪いな、イムヤ。つい・・・・・。そうか、そうか。・・・・・・・・やっぱり、お前たちも艦娘だな」

 

とても一言では語れないほどの想いが詰まった、深遠な響きを持つ言葉。大きく目を見開いた後、目の前に座る5人の艦娘たちはお互いに顔を見合い、そして・・・・・。

 

『はい!』

 

と、力強く返事をした。

 

「ふふふ。これにて一件落着かしら」

 

こちらと伊168たちを見て、お淑やかに微笑む陸奥。だがそれも一瞬。微笑はそのまま目が細くなった。

 

「だけど、長門? あなた、彼女たちに聞きたいことがあったんじゃないの?」

「え? いや、聞きたいことは全部聞け・・・・・」

 

陸奥の呆れた言葉がきっかけとなったのか。

 

「待て」

 

唐突に自身の声が頭に響いた。

 

“なら、なぜ最初からそう言ってくれない? 私もお前たちが深刻そうな雰囲気を醸し出すから、その・・・・悩んでいるのだと”

 

「あ!」

「やっと、思い出したようね。相変わらず、信念とか正義とかを前にすると周りが見えなくなるんだから・・・・」

 

「はぁ~」と額に手を乗せながら、悩まし気にため息を吐く陸奥。こちらに非があるので、ただただ苦笑するしかない。

 

「・・・・面目ないな。お前たちの結論はよく分かった。だが、1つだけ疑問がある。先ほども聞いたが、なぜそれを前もって言ってくれなかったのだ。これでは、この会議の意味がないではないか」

 

そう。本会議の目的は横須賀の経験及び結論を全鎮守府・警備府と共有し、秘書艦を通じて彼女たちが“真実”に一定の結論を下せるよう後押しすること。後押しも何も、既に全鎮守府・警備府で横須賀鎮守府と同じような結論が出ているのなら、わざわざ全秘書艦が集まった貴重な機会を使うこともなかった。時間は有限であり、話し合うべき議題は事欠かない。ここ最近は昨今の情勢もあり、議題は山積している。

 

「陸奥は言ってくれたぞ?」

 

この会議が始まる前、作戦小会議室に陸奥との2人きりの時間帯があった。その折に彼女が所属する幌筵警備府の状況を聞いていた。

 

幌筵警備府は千島列島北方、カムチャツカ半島近傍の北海道占守(しゅむしゅ)群幌筵島に設置された瑞穂最北の海軍基地である。北海道から約1100kmも離れた僻地中の僻地だが、南北3000kmにも及ぶ広大な領土を持つ瑞穂における北方防衛の拠点として、非常に大きな責務を負っている。また大戦勃発後は第一列島線の構成諸島たる千島列島の防衛、またオホーツク海への深海棲艦侵入を食い止め、当海の制空・制海権死守に大きな貢献を果たしている警備府であった。

 

「す、すみません。その結論は伊地知提督もご存じで、こちらから報告も上げていたので、てっきり提督会議で共有されているものと」

 

ずれたメガネを慌てて直しながら、大淀が少し焦りながら話す。提督会議とは、名称通り各鎮守府・警備府の司令長官が一堂に会し、任務の割り振りや鎮守府・警備府間の資源融通はもとより、艦娘関連の様々な問題を話し合い、認識の共通化を図る場である。

 

「私もです。さらにいえば、三雲司令官から大宮をはじめほかの鎮守府や警備府の状況もそれとなく聞いていました。私たち関連の議題は会議でもよく話されるそうで」

「青葉も、司令官からいろいろ伺いました!」

「私たち佐世保も・・・いろいろ」

「舞鶴も同じく・・・」

 

青葉は例外として、段々と艦娘たちの声量が落ちていく。原因は彼女たちの目の前で、静かに眼光を強めていくビックセブンの1人が原因だった。

 

「私も一応知っていたけれど、この子たちこの部屋に入って来たかなり深刻そうだったから、てっきりまだ葛藤を抱えているものと・・・・・・」

「す、すみません。この話題について長門さんたち秘書艦と話し合うのが初めてだったもので、つい緊張してしまって・・・」

 

申し訳なさそうに俯く瑞鳳。

 

「ということは・・・・横須賀だけが知らなかった、と?」

 

伊168が鳥肌を立てながら、おそるおそる誰ともなく、いうなれば全員に問いかける。一拍の沈黙の後、長門が怨念の籠った声でゆっくりと呟いた。

 

「百石・・・・・・提督・・・」

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

「ふあ~~~。いいお風呂だったぁ~。まさか、東京で露天風呂に入れるなんて・・・・」

 

炎天下や訓練後とは異なった心地よい火照り。体の芯から指先に至るまでのポカポカ感は訓練や演習によって酷使されていた身体によってはこれ以上ないほど最高のご褒美だ。傍から見れば、さぞかし幸せそうな表情となっているだろう。それもそのはず。広縁(ひろえん)にある椅子に腰かけ、うちわで体へ寄せられる風の清涼感を満喫しながら、先ほどまで身を沈めていたお風呂たちを反芻する。

 

今、みずづきたち横須賀一行がいるのは、軍令部より少し南西に下った新宿御苑のすぐそばにある「皇山(みやま)ホテル」と呼ばれている宿泊施設だ。地上4階鉄筋コンクリート洋風造りの本館と2階建て純瑞穂風の瑞穂館から構成され、軍関係者御用達のホテルということもあり、外観・内装ともみずづきを含めた一般庶民の日本人の感覚を基準にすると非常に豪華でとても「ホテル」の雰囲気ではない。

 

門には衛兵と見間違うばかりの風格を持った警備員が立ち、敷地の多くを占めている庭園には庭師によって手入れされた木々が立ち並び、その隙間から見える本館や瑞穂館はもはや高級旅館の装いだ。

 

当然外観・内装共にそうであるから、お風呂も豪華なわけで。お風呂の数や広さ自体は横須賀鎮守府の横須賀鎮守府 艦娘専用浴場 灯の湯 (通称:お風呂)とさほど変わらなかったのだが、雰囲気がまるで違った。浴槽の外輪や床を構成している岩々は同じ色ではなく、黒色や墨色、蝋色などを宿してそれぞれ個性があり、檜風呂からは使用されている檜木の香りがほのかに漂っていた。直接入浴とは関係ない浴槽の外側に植えられた植物たちも庭園と同様にほどよく剪定(せんてい)され、まるで山奥の秘湯へやって来たかのように気持ちが落ち着いた。

 

日本と同様に西欧文化に浸食されつつも、瑞穂文化しかこの国に存在しなかった時代を思わせる趣。あの頃の日本でもそうそうお目にかかれないお風呂を堪能すれば、幸福感が身からあふれ出しても仕方ないだろう。

 

 

お風呂は、日本人のいきがいである。

 

 

「・・・・・・・。とぉぉぉ!!!!」

 

 

そのような感傷に浸っていると突然雄叫びが聞こえてきた。

 

「うわぁ!! ちょっと、深雪ちゃん!! なにしているの!! はしたないよ!」

 

そして、条件反射的な叱責が飛ぶ。だが、彼女を失速させるには少々迫力が足りない。

 

「いいじゃん、いいじゃん。これ、最高に気持ちがいいんだよ~~~。このふかふか感! いやぁ~、たまんないねぇ~。誰にも迷惑かけてないし、ほら、白雪もやってみろよ~」

「やるわけないでしょ! せっかく仲居さんたちが敷いてくれたのに・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

その隣で平然と倒れ込む初雪。

 

「って、なんで初雪ちゃんまで!」

「深雪。これ・・・・最高・・・!」

「だろ! そうだろ! さすが、初雪! 分かってるじゃねぇか!」

「ん・・・・。だったら、うちも・・・・・・」

 

触発された黒潮が、ご立腹中の白雪を伺ながらゆっくりと布団に体をうずめる。ほほが緩みきった。

 

「・・・・・うわぁ~~~、至福の一時やぁぁ」

「何やってんのよ、黒潮・・・」

「そんなこと言わんと、ほら、陽炎も。 深雪みたいに飛び込めへんかったら白雪の雷が落ちる子もあらへんし、幸い怖い怖い白鬼様は妹のお守で手一杯や」

「・・・それじゃあ、私も・・・どれどれ・・・・・。・・・・・うわぁ~~~」

「やろ! さすがは軍御用達の高級ホテル。布団からしてちゃうわ~」

「う・・・・・・。そ、そんなに・・・・・・・・。じゃ、じゃ・・・私も・・。よいしょっと・・・・。うわぁ~~~」

 

当初“私はあんたたちと違うのよ”オーラを出していた陽炎であったが、布団は些細なプライドさえいとも簡単に吸収してしまった。

 

「あ~あ、やっぱり最後はこうなるんだね。白雪、気持ちよさそうだよ」

「あはははっ・・・・。確かにあの布団、鎮守府のとは格が違いますからね。踏んだだけで分かりました」

 

布団に寝ころびながら、「うわぁ~~~」と幸せオーラを放つ駆逐艦たち。見ているとこちらまでその一員になりたくなるのだから、白雪の気持ちもよく分かる。

 

こちらの言葉に「そうだね」と相槌を打った川内は不意に視線を窓の外へ向ける。

 

「やっぱり、何度泊まってもここはいいよね。静かで落ち着いてるし、雰囲気もあって、警備もばっちり! 横須賀もいいけど、こうして浴衣でのんびりと月とか夜景を眺めるのも味がある」

 

広縁に置かれた椅子に座りながら、優し気に微笑む川内。作務衣とはまた異なる浴衣を着ているためか、月明かりをわずかに受けた彼女には大人びた美しさがあった。

 

「そうですね。って、川内さん、ここに泊まられたことがあるんですか?」

「うん。報告やら作戦会議やらで東京に呼び出されたときはここに泊まるんだ。まぁ、大抵は日帰りだから、そういうのも滅多にないんだけどね」

「へぇ~。じゃあ、あっちに泊まられたことはあるんですか? ここ真正面にあった瑞穂館とかいう・・」

「いや、ないよ。あそこはやっぱり、海軍の中でも特に偉い人たちが泊まる由緒正しき場所でね。私たち艦娘でもあそこはダメみたい」

 

醸し出す雰囲気から薄々察してはいたが、やはり瑞穂館は並大抵のところではないらしい。

 

なんだか、隣が騒がしくなってきた。

 

「まぁ、私はここで十分だけどね」

 

みずづきたちが現在泊まっている部屋は本館にある8人が宿泊可能な大部屋である。部屋の広さと泊まっている者たちの性格もあり、さながら部活動の合宿のような雰囲気だ。

 

「静かは静かでいいんだけど、私ってこういう性格じゃん? あまり静かすぎたり畏まりすぎるのは性に合わない。わいわいと騒ぐ駆逐艦の子たちに囲まれる方が楽しいんだよね。・・・みずづきはどう? こういうの?」

「え・・・・」

 

開け放たれた窓から聞こえる、風によって木々の葉が擦れる音。一瞬、すぐそばの喧騒が遥か遠くに行ってしまったような錯覚に陥る。

 

問いを発した川内。彼女はいつも通りの自然で人懐っこい笑顔を浮かべていた。なんだか、心の内を見透かされているようだ。おそらく、彼女はこちらの心情を把握しているのだろう。

 

気恥ずかしさから、つい不機嫌さが正面にでた口調になってしまう。

 

「そりゃあ、まぁ、その・・・・・・・」

 

好きですよ、こういうの。

 

と、何も起こらなければ世界に解き放たれるはず・・・・・・・だったのだが。

 

「ごふっ!!」

 

なんというタイミングか。言葉を紡ぎかけた瞬間、視界が真っ暗闇となり、顔面全体に鈍痛が走る。視界を覆い尽くした物体から香る、芳香剤の甘い匂い。それがやけに、身体の内側に灯った業火を成長させた。

 

 

 

 

「あ・・・・・・。やべ・・・・・」

 

 

 

 

静まり返った室内に響く、深雪の焦燥感に溢れた呟き。みずづきと川内が情緒あふれるやり取りをする中、こういう場では恒例の枕投げをしていた駆逐艦たちは各々枕を持ったまま、時が止まったかのように固まっている。

 

彼女たちの視線は流れ弾の直撃を受けた憐れな艦娘に向けられていたが、彼女の顔からゆっくりと枕が重力に従い落下していく。その動きは恐ろしいほどに遅い。

 

だが、その枕は床に吸い寄せられることなく、中途半端な所で停止した。世にも不思議な動き。駆逐艦たちが瞬きをした刹那。

 

「へ・・・?」

「うがっ!!!」

 

陽炎の前を白い塊が超高速で通り過ぎたと同時に、深雪のうめき声が轟く。深雪の顔面に直撃した枕は重力に従う暇もなく、深雪と共に布団へ沈んでゆく。

 

一瞬で共有される危機感。

 

「み、みずづき・・・・・・?」

 

引きつった笑みを浮かべながら、流れ弾を受けた艦娘の名前を呼ぶ。その声は明らかに震えていた。

 

「ほい、みずづき。次弾、装填」

「って、川内さん!!! なにやってんのぉ!!!!」

 

何とも軽いノリで川内がみずづきに枕を手渡してくる。枕を何度か揉み、感触をチェック。握力にフィットする適度な硬さ。これはいい。これなら多少力を入れてもコントロールを利かせることは可能だ。自然に頬が緩む。悪魔のようになっているかもしれないが、構わない。

 

「なにって、こっちの方が面白いじゃん。私は高みの見物してるから、思う存分楽しませてねぇ~~~~」

「うわぁぁ~~~」

「よくも・・・・・・・」

 

初雪の心底嫌そうな呻きをも凌駕する低い声が空気を揺さぶった。

 

「よくも、やったわねぇぇぇ!!!!」

 

感傷を邪魔された怒りを込めて、腕に力を込める。みずづきの加勢により、枕投げは壮絶な大戦へと発展した。

 

室内を縦横無尽に飛び回る、本来は飛び道具ではなく寝具の枕たち。当て、当てられ、よけ、フェイントをかけての乱舞。

 

「くっそ!!! この!!!」

「狙いが甘い!! 脇ががら空きだよ!!」

「んな、あほな!! ぐはっ!!」

 

顔面に自らが放った枕を食らう、黒潮。へなへなと視界の下に消えてった。

 

「へへ~~ん!! どんなもんよ!! このみずづき様をなめんじゃ、ごほ!!」

 

突然脇腹に走る鈍痛。振り向くと、極悪人のような笑みを浮かべた初雪。

 

「ふふふふ・・・。みずづき、脇が甘いよ。そのまま、水底に沈むがいい!」

「ここ陸だけどねっっと!」

「ちっ。外した」

「みずづき!! 回避!!」

「へ?」

「へ? って・・・・・・」

 

左に回避した途端、先ほどまでいた場所を駆け抜ける剛速球。それが初雪の顔を吸い寄せられていった。無言で水底へ沈んでいく初雪。その憐れな姿を目の当たりにすると、背筋に悪寒が走る。陽炎が言ってくれなければ、こちらが昇天するところだった。

 

「ちょっと、誰!! あんな魔球を放ったのは!!!」

「ふふふふ、あははははっ!! 見たか、この深雪様の力を!」

「あれ、深雪が?」

「そう」

 

こちらを振り向かず、常に深雪との間合いを測る陽炎。手には枕が1つ握られている。ちらっと、視野の隅に映る人影。

 

「ふ~ん。そういうこと、ねっ!!!!」

「うわっぁ!!!」

「初雪ちゃん! 初雪ちゃん! はつゆ・・うぐっ!!!・・・」

 

指が枕のシーツに引っ掛かり、コントロールを間違えた。黒潮の足に直撃。お互いにせめぎ合った枕と黒潮の運動エネルギーは前者に軍配が上がる。布団へ頭からダイブする黒潮。側方から奇襲攻撃を敢行しようとしたようだが、迎撃成功だ。そして、なんという偶然か。黒潮がダイブする直前に手放した枕が、彼女の遥か前方で初雪の介抱をしていた白雪に直撃。

 

「うひょ~~~。流れ弾って、こえええ!!」

「あんたも元凶の1人でしょ!! くらえ!!」

 

渾身の一撃をお見舞いするが、ふらっと右足を軸にした回転でなんなく躱される。何気に精神的ダメージが大きい。

 

「ちちち!! そんなへっぽこ球、きかねぇよ!!」

「私の直撃弾を受けて、卒倒してたのは何処の誰かさんかな?」

「さ~~~て、なんのことやら」

「誤魔化すな!!」

 

盛大なツッコミ。残弾がなくなったみずづきは陽炎の背中に逃げ込み、手近な枕を拾い上げる。

 

「陽炎、ここは・・・」

「ええ。共同戦線よ。あんたの勝負は、深雪を懲らしめてからね」

「はいはい、了解!!」

 

頷き合うと、左翼と右翼から同時にじりじりと距離を詰めていく。そして、何度目か分からない砲撃戦の幕開けだ。

 

 

楽しい。

 

 

今、心の中にはそれしかなかった。横須賀とは異なる環境で、気の置けない仲間たちと限界を超えて騒ぐ。現在進行形の問題も、未来も考えることなく、今まさに目に見えている状況だけに対処して、後先考えずにただ騒ぐ。このような機会など早々ない。

 

この瞬間だけでも尊いというのに、様々な重責から解放された息抜きはまだ始まったばかりだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

「んーーあ、ハックッシュン!!!!!!」

 

分厚い壁を隔てた向こう側に広がっている都会の喧騒に負けないほどの、盛大なくしゃみ。注文の掛け声や店員の疾走、ほどよく出来上がった客の歌声からここを居心地よく守ってくれている四方の壁も、今回ばかりは悪戯を働いた。

 

反響によって、外や大部屋よりも増強される突発的大音響。ここを道路の街灯やネオンのように図々しく照らすでもなく、控えめ過ぎて本末転倒な暗さでもなく、まだ太陽が覗いている薄暮のように照らしてくれる照明。それが心なしか揺れているように見えた。

 

「ん? なんだ、風邪か? 頼むからうつしてくれるなよ、百石提督殿?」

 

漏出しかけた鼻水を啜っていると対面に座っている男がニヤニヤという表現な的確な笑顔を浮かべ、からかうように持っているグラスを揺らす。目の前には空になったグラスが3個ほど転がっている。ビールならそこそこ酒に強いという評価が下るものの、それにはかつてチュウーハイが入っていた。

 

「今、俺が寝込んだら、潜水艦たちのクーデターが発生しかねない。“休暇をくれ”だの“ブラック鎮守府反対”だの、散々魚雷片手に追いかけられている俺の身にもなってみろ。真剣痛いぞ、艦娘の魚雷」

「はいはい、のろけは結構。相変わらず、仲良しみたいでなりよりだ。最近、寝不足気味で風邪っていうのも、あながち正解かもしれないが・・・・。一応、俺はどこかの誰かさんと違って、健全な生活をしてるんでな」

「ほーー、言ってくれるね~~。まるでこの俺が健全じゃないみたいな言い方しやがって。だったら、あれじゃないか? お前の秘書艦」

 

今まで適当に受け流していた聴覚が“秘書艦”と捉えた瞬間、臨戦態勢に突入する。全身を重力から解放していた浮遊感が一気に消失していく。

 

「随分と絞られるそうじゃないか? ちょうど今の時間、あいつらは会議をしてる時間だから、散々言われてるんじゃないのか?」

 

ますますいやらしい笑みを深くして「ほれほれ」と目の前でグラスを揺すってくる。拳を一発、無防備な顔面に打ちこみたい衝動に駆られるが・・・・・・・。

 

「は! うちの長門を見くびってもらっては困るな。長門はそんなやつじゃ、そんなやつじゃ・・・・・」

 

否定しようと口を開くがなぜだろう。言葉が出てこない。記憶の海からサルベージした彼女は「提督!!」と眉間に皺を寄せているおっかない姿ばかり。その時、背筋に尋常ではない悪寒が走った。

 

「ひっ~~~~~~~~~」

「あはははははは!!! こりゃ、確実だよ、絶対、そうだって!! あははははははっ、ひひひひひ、あ~、腹痛え、腹痛て!!!」

 

腹を抱えて、大爆笑する男。その姿は癪に障るどころではなかった。

 

「お前!!! 他人事だと思って!!! 絶対、お前だって、168に散々陰口叩かれるだろう!!」

「それがどうした!! あいつは裏でうじうじと言う性格じゃない。まぁ、ほぼ100%なんか言ってるだろうが、俺に直接言ってることを愚痴ってると思う・・・ぜ!」

 

一拍溜めてからの、誇らしげなグッドサイン。憎らしくも破壊できない、いい笑顔だ。

 

「はいはい、そうですか、そうですか!」

 

ジョッキいっぱいのビールを一気に喉へ流し込む。激務で消耗し、イライラで熱せられた喉に広がる鋭利な清涼感。

 

「ぷはぁぁぁ・・・・・・。本当にお前ら仲良しだな」

「あたぼうよ。呉鎮守府司令長官であるこの三雲幾登(みくもいくと)様は、そんじょそこいらの軍人とは違うのだよ!!」

「確かに、部下に魚雷をお見舞いされるとはそこいらの軍人と大違いだ。的場総長も人を見る目がおありだ」

「あはははははははははははははははははははははっ」

 

こちらの皮肉を、皮肉とも捉えられず胸を反りかえして大笑いしている男。百石と同じくまだ30代を迎えたばかりの男は身体の線が細く、どことなく頼りない雰囲気をまとい、とても軍人のように見えない。だが、彼は立派な海軍軍人。しかも呉鎮守府司令長官という重職に就いている。百石にとって彼が兵学校における同期生で、その中でも親友と呼べるほどの間柄であった。

 

決して妻の尻に敷かれているサラリーマンではない。

 

しかし、ひしひしとイラつきを感じる笑みだが、つい安堵を覚えてしまう。なぜなら・・・・・・・・。

 

「でも、安心したよ。お互い元気そうで」

「・・・・・・・ああ。本当に良かったよ」

 

先ほどまでの威勢のよさはどこへやら。「ふっ」と悲しげな微笑をこぼしながら、三雲は半分ほどチュウーハイの入ったグラスを眺める。そこには儚さすら漂っていた。

 

呟かれた言葉にどれほどの意味が込められているのか。

 

三雲の秘書艦、伊168は小笠原諸島周辺海域を哨戒中に本土上陸を目論んだ深海棲艦輸送艦隊を発見。爆雷攻撃を受け、満身創痍となりながらも由良基地にたどり着き、貴重な情報をもたらした艦娘だ。ただ、小笠原諸島沖で「異常なし」との報告を行ったあと、由良基地にたどり着くまで彼女は行方不明であった。その時の三雲を直接見た訳ではないが、風の噂によると相当憔悴していたと聞く。いくら軍人といえども、人間。その後の彼が気がかりだったが、表情を見るにもう心配は不要であるようだ。

 

「なぁ、百石」

 

先ほどまでのやりとりでは想像できない神妙な顔つきで三雲が問うてくる。少しほほが朱に染まっているものの、それは紛れもなく軍人の顔だ。単なる親友同士のおちゃらけた飲みから軍人同士の真面目な飲みに変貌を遂げることは寂しく感じる。だが、他鎮守府の司令長官と肩の荷を下ろして話せる機会は早々ない。互いの双肩に様々なものを背負っている以上、貴重な機会の浪費は絶対に避けなければならない。

 

「どうした、三雲?」

 

だから、百石も少し声のトーンを落として応じた。

 

「今回の作戦、どう思う?」

「・・・・・・。お前はどうなんだ、三雲?」

 

非常識な行為をしている自覚は当然あった。質問に質問で答えるなど、相手をないがしろにしていると受け取られても反論の余地はない。だが、例えそう思われても彼には真正面から聞きたかった。同じ鎮守府司令官、そして親友の本音を。

 

三雲は百石の瞳を一瞥した後、チュウーハイを仰ぎながら本音を語ってくれた。

 

「俺は、賛成だ」

「っ・・・。そうか・・」

「ショックだったか?」

 

微笑する。彼の性格をそれなりに把握していなければ親友面はできない。彼の答えは薄々分かっていた。だから、この問いが次に出てきたのであろう。

 

「理由を聞かせてもらってもいいか?」

「理由・・・・ねぇ~~~~」

 

三雲はグラスの中に残った、角の取れた氷を弄ぶ。室内に漂う重苦しい雰囲気を氷の犠牲によって奏でられる透き通るような音が幾分、和らげてくれた。

 

「俺たち呉は瑞穂に存在する全潜水艦娘が所属し、彼女たちが遠路はるばる命を懸けて集めてきたやつらの情報に、おそらくこの国で最も接している鎮守府だ。お前にすら開示されていない情報も俺は知っている。それを知っているからこそ、俺は・・・・擁護派を、的場総長を裏切っても排斥派が主導したこの作戦に賛同するんだよ」

 

三雲は鎮守府司令長官の肩書きに恥じない迫力でグラスを睨んだ。しかし、百石はその原動力がどのような感情か、看破する。

 

「深海棲艦は、一刻も早く殲滅しなければならない」

 

三雲は明らかに怯えていた。

 

「お前・・」

 

呆然と呟いてしまう。長い付き合いながら初めて、と認識できるほど三雲は怯えきっていた。彼はゆっくりと眼前にあったもも串を掴み、乱暴に串から肉を歯でむしりとった。

 

「百石?」

 

口の中からもも肉が消えると、真剣な表情で問いかけてくる。

 

「深海棲艦は、強い」

「・・・・・・・・・・・・」

「そのことをお前も重々分かっていることは承知している。だが、お前は今話した暗号の件で、さらに奴らに対する脅威認識を高めたはずだ。なぜ、俺がお前と違って“MI/YB作戦”に賛同するのか。俺の認識に少しでも近づいてから、その問いに答えたかった。・・・・・・・・・・・・・今がチャンスだとは、思わないか?」

「チャンス?」

 

三雲が何を言い出したのか分からず、反射的に問い返した。

 

「先の戦闘で本土に殴り込みをかけてきた艦隊は、布哇所属のいうなれば精鋭艦隊だ。そいつらを4個艦隊もこちらは殲滅した。やつらは・・・」

「積極攻勢に動くなら、敵の戦力が漸減した今が好機と?」

「そうだ。また敵は精鋭艦隊が殲滅されたことに大なり小なり浮足立っている。潜水艦娘たちは各地で敵の一貫性を欠いた戦力移動を目撃しているし、例の電波も最近は海戦前と比べると激増している。これまでには見られなかった動きだ。俺たち呉はオオトリ島が確保できるなら中間棲姫をはじめとするミッドウェー諸島の敵施設を破壊するだけで、本土攻撃の再来を防げると考えている」

 

呉には呉鎮守府のほかに、連合艦隊司令部・艦隊司令部・陸戦隊司令部・航空戦隊司令部など海軍の全司令部機能が存在している。かつては横須賀にあったものの、深海棲艦の本土侵攻が現実味を帯びた際、呉湾と言う本土の懐深くに存在する呉の方が安全と判断され、各司令部が移転されたのだ。

 

おそらく三雲が言った呉とは、各司令部を含めての「呉」ということだろう。

 

「オオトリ島を確保する上でも敵の動揺は好都合だ。また、ベラル諸島攻略の際もしかり。出だしは海軍の意向を無視した政府や世論のごり押しだったが、今は違う。多くの情報を合算した結果、多くの者が“今しかない”と言ってるんだ。事実、今しかない」

 

三雲は座卓に体をせり出してくる。

 

「敵が態勢を立て直してからでは遅いんだ。先手必勝。そのために俺たちもあの子たちも身を粉にして、職務に励んでいる。なぁ、百石?」

「今が好機なのはよく分かっている。だが、俺は・・・・・・」

 

鎮守府に着任以降、常に進退を共にしてきた艦娘たちが脳裏に現れた。

 

「・・・・・賛同できない」

 

この言葉に三雲は解せないと眉をひそめた。

 

「なぜ? なぜ、お前は反対するんだ? 的場総長もそうだが・・・・なぁ? なぜなんだ?」

「逆に聞くが、お前は分からないのか?」

「は?」

 

そのようなことを聞かれるとは全く思っていなかったのだろう。言葉が見つからない様子の三雲に構わず、言葉を続ける。

 

「この作戦の・・・・ミッドウェー諸島へ向かう戦力の中核は誰だ? 他でもない、艦娘たちだ。そして、艦娘たちにとってミッドウェー諸島は特別な場所。お前だって、並行世界証言録を読んでいるのだから、知らないとは言わせないぞ」

「ああ、そりゃ、俺だって・・・・・」

「横須賀には日本におけるミッドウェー海戦で沈んだ赤城と加賀がいる。必死に平静を装っているが彼女たちは明らかに動揺しているし、不安を抱えている。他の子たちも大なり小なり、そうだ。俺はできれば彼女たちを前線に送りたくない。なにか起きるかもしれないし、もし万が一ミッドウェー海戦と同じようなことが起きれば、彼女たちの精神的ダメージは甚大だ。ミッドウェー諸島での戦いの後にまで深刻な影響が及ぶ。本土攻撃の再来は哨戒の強化と防空レーダーサイトの整備で局限化が可能だ。なにもわざわざ高リスク高リターンをとる必要はない」

「お前のところには、“あの”みずづきがいるだろう?」

 

誰も彼も、横須賀と聞けば“みずづきがいる”の連呼。彼女の驚異的かつ衝撃的な戦闘能力を知れば、当然の成り行きかもしれない。だが、みずづきは決して神ではない。彼女には明確にして、絶対に克服できない欠点がある。目の前の三雲も、軍令部の将兵もそれを忘れ過ぎだった。

 

「彼女はれっきとした人間なんだ。彼女にとってもミッドウェー海戦は無関係じゃない。それに日本人は艦娘の言う通り、瑞穂人とそっくりでな。雰囲気に影響されやすいんだ。確かに彼女は凄まじい力を持ってる。だが、万能じゃない。弾にも制限はあるし、体調が悪ければ力は発揮できない。俺たちと何も変わらない・・・・・・」

 

残っていたビールを一気飲みし、話しすぎて乾ききっていた喉に潤いを供給する。見れば、三雲はグラスの底に溜まった氷水を必死に仰いでいた。注文すれば良かったのではとも思うが、ずっと話しっぱなしであったためそのような暇がなかったことに気付く。

 

「悪いな、三雲。すこし、演説が過ぎた。なんか頼むか?」

「いいや、いい。気にすんな。そんなこと言われたら俺もだしな」

 

優しげな笑顔で、三雲は手をひらひらと仰ぐ。

 

「それにお前が相変わらず、百石であることを再確認できたからな」

「なんだよ、俺が俺であることって」

「その鬼になりきれないところが、だよ」

「・・・・鬼になりきれない、か。そうだな。まぁ、俺もお前がお前であることを再確認できたしな。艦娘に囲まれても、その頑固さは変わらんか」

「お前にだけは言われたくないな、それ」

「うるさい。ほら、お品書き。どれ頼む?」

 

適当にあしらいながら、お品書きを見せる。

 

「へいへい・・・・。んじゃ、俺はレモンチューハイと冷奴、あと・・・・枝豆だな」

「了解。俺はビール2つ追加だな」

 

お品書きを確認し、店員を呼ぼうと左側にある扉に手をかける。まだまだ、居酒屋が繁盛する夜は始まったばかり。軍人たちの語らいは続きそうだ。

 




今話は初出の艦娘たちがたくさんいましたね。また、様々な作品の影響で「枕投げ」はいつかやりたいと思っていましたので、なんとか目標を1つ達成することができました。一応脳内にあるイメージをアウトプットしたのですが、「性格がおかしい」、「口調がちょっと・・」や「そもそも艦種が違う」などの初歩的ミスがありましたら、気軽に感想欄やメッセージボックスへご連絡下さい。またこれ以外でもご意見、ご質問、ご感想などがありましたらご連絡ください。

では、次話へ


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73話 追憶 -東京-

今回はこの間も少し出ましたが、久しぶりに「日本」のお話です。


新幹線の小さく、狭い車窓から容赦なく押し寄せる現実。かつて自身の祖国が先進国であり世界第3位の経済大国であり、先人たちと現代を生きる人々の努力が結実した大国であると視覚から教えてくれた街並みは、もはや過去の残滓(ざんし)しか残していなかった。

 

(ここは・・・・・・・・・・)

 

「廃墟ばっかり・・・・・。前来てから1年以上経ってるのに、ちっとも復興は進んでない」

 

正面から自分と瓜二つの声が聞こえる。瑞穂には存在しない東海道新幹線を走るN700系Sの車内。三列席の窓側に座っている少女は哀愁を漂わせた真顔で車窓から景色を眺めていた。

 

その少女は紛れもない自分自身であった。

 

「まもなく、終点、東京です。中央線、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、京葉線、東北・上越・北陸新幹線はお乗換えです。なお、総武線は先日の空爆により千葉-銚子駅間で運転を休止しております。運転再開の目途は立っておりませんので、お乗換えの際はご注意下さい。お降りの際は足元にご注意下さい。今日も新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございました」

 

爽やかな女性のアナウンス。それを受け、少しざわついていた車内が一気に動き出した。みずづきの隣に座っていた男性が微笑みながら声をかけてくる。

 

「外の景色を眺めるのは一向に構わないが、もうすぐ東京だ。支度、支度」

 

つい4ヶ月ほど前まで当たり前だった笑顔がすぐそこにあった。

(知山・・・・司令・・・・・)

あの日を境に、二度と感じることが叶わなくなってしまったささやかな幸せ。うっかり返事をしてしまいそうになるが、かつてのように現実とそうでないものを混同したりはしない。返事をするのは、こちらの自分ではないのだから。

 

「分かってますよ。分かってますからそう急かさないでください。こっちの方がよっぽどなにか忘れ物をしそうです」

 

目の前の少女が知山に向かって、頬を膨らませながら返事をする。

 

これでここがどこかはっきりした。

(ここは・・・・・・夢)

 

「ご乗車、ありがとうございました。まもなく、終点、東京です。19番線に到着、お出口は左側です。お降りの際、車内にお忘れ物がございませんようお手回り品を今一度お確かめ下さい。列車とホームの間が広く空いているところがございます。お降りの際はお足もとにご注意の上、お降りください。今日も東海道新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございました。まもなく、終点、東京です。19番線到着、お出口は左側です」

 

これは、夢。しかし、後悔と葛藤と贖罪に苛まれた過去への旅路ではない。

これは、単純な追憶。あの頃を思い出しただけ。

 

此度の追憶における舞台は東京だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

数十回に及ぶ深海棲艦の苛烈な空爆に晒された日本国の首都、東京。被害が著しかった23区の大部分はあまりに過密で複雑な都市構造を有するが故に復興は放棄され、警戒区域に指定。民間人の立ち入りは公共交通機関の拠点は例外として、原則禁止されていた。

 

しかしいくら街を焼かれようと、いくら人々が殺されようと、首都の所以である日本国政府が依然として所在し、関東一円に広がる鉄道網の起点であるためか、この超巨大なターミナル駅は生戦勃発前となんら変わらず大勢の人で大混雑していた。

 

「うわぁ~~~。相変わらず、すごい人ごみ・・・・」

 

県庁所在地詐欺の田舎出身で、部隊配属後も須崎などという辺境の片田舎に住んでいる者としては嫌悪感すら抱く。呆然としていれば確実に肩がぶつかるほどの混雑ぶりは顔を限界までしかめてしまうほどの威力を持っていた。

 

「頼むから迷子になってくれるなよ。時間に余裕を持たせて着いたと言っても、これからホテルに行って着替えたりしなきゃならないんだからな」

 

 

彼はキャリーバッグを指さす。いつもなら「だから、分かってますよ」と語彙(ごい)を強めて反論するところ。しかし、この人ごみでは冗談で流せないほど迷子になる可能性が高かった。

 

「とりあえず、外に出るぞ。南口は・・・・こいつが迷ったとき面倒だから、中央口だな」

「なんか、すごく失礼な発言をしませんでしたか?」

「・・・・・・・さて、行くか」

 

こちらを一瞥して、何事もなかったように歩き出す知山。何か仕返しをしたい気持ちも山々だったが、ここは東京駅。周囲は人だらけ。しかも、一般人と見せかけて多数の私服警官が混じっているし、駅のあちこちには89式小銃を構えた警察官や陸防軍隊員が歩哨として立っている。何か不審な行動を見せれば、殺気を放つ厳つい包囲網を築かれることは確実だ。

 

感情を落ち着かせると、こちらがそうなるまで待っていてくれた知山に駆け寄る。広大な駅舎から出るのに、そう時間はかからなかった。頭上を抑え込んできた天井が消え去り、曇り空の下に全身を晒す。同じように駅舎から出てきた人々とバスを降車後、駅舎へ入っていく人々が周囲を行き交うが駅舎内より圧倒的に少ない。解放感を全身で表現しようと知山が立ち止まった瞬間に、キャリーバッグを握っていた右手を伸ばそうとする。

 

「ふぅ~~~、やっと人ごみから解放・・・・」

『深海棲艦など、我々日本民族の前には強敵にあらず!!!』

「はぁ?」

 

だが、それは狂気を含んだやかましい声で中断を余儀なくされた。あまりに不快で思わず、挑発的な声を出してしまう。しかし、拡声器を片手に吠えている初老の男には絶対に聞こえていない。積み上げられた木箱の上から行き交う人々を見下ろしている男の瞳に、他人は映っていない。全意識が自身の言葉に集中しているようだった。

 

『大日本“皇国”は神国である!!! 神聖なる我が国土のあらゆる場所から日本民族を庇護して下さった八百万の神々の下、そして万世一系の天皇陛下統治の下、我々日本民族は悠久の時をもって唯一無二の歴史・文化・伝統・習慣を育み、世界最古の国家を築き上げ、幾度となく押し寄せてきた国難を粉砕せしめて来た!! よって、此度の国難も真の国難にあらず!! 神国大日本皇国は絶対不可侵の聖域であり、邪悪な化け物どもに蹂躙させるなど世の理が許しはしない!!』

 

長々と耳障りな演説が垂れ流される。遠巻きに演説者を眺める群衆が歩道を圧迫し、思うように進めない。知山は演説から足早に遠ざかろうとはせず、キャリーバック持ちでも通行可能な隙間ができるまで、演説者を真顔で見つけていた。

 

聴衆のあまりの多さに言い知れぬ危機感を覚えるものの、大衆がここで立っている理由は何も高説を聞くことがメインではなかった。耳を澄ませると弱々しいながらも、一生懸命で心を動かされる声が聞こえてくる。

 

「ご協力、よろしくお願いいたしまーす!! 来週、当校の先輩方が出征されます! 千人針へのご協力お願いしまーす!!」

 

見れば、つぎはぎだらけの制服を来た女子高校生たちが街頭の一角で白い布地を道行く通行人に差し出していた。かつての戦前・戦時中は主に女性が行っていた風俗も男女平等が叫ばれる21世紀においては男性も大きな原動力。女性に紛れて、つたない手つきながらも男性たちは必死に糸を通していく。

 

自分の手を見つめる。軍人である以上裁縫の腕はそれなりに自信があった。

 

「あの・・・・」

「・・・まったく、仕方ないな。それは俺が持っておいてやるから、行ってこい」

「ありがとうございます!」

 

その苦笑に背中を押され、女子高生へ駆け寄る。ちょうど、人がはけていたタイミングだった。声をかけると女子高生は疲労を押し殺した笑顔で布を差し出してくる。それを受け取り、あともう少しで結び目が完成しようかという時、ふと女子高生を見るとポケットから別の布地が覗いていた。

 

「あの・・・それは?」

「あ・・・えっと・・・」

 

結び目が完成し、差し出したついでに問うと女子高生は視線を泳がせながら、布地を掴んだ。乱暴など程遠い、優しい掴み方だった。

 

「もしかして、ご家族の誰かが・・・・」

 

口ごもっていた女子高生だったが、苦笑を浮かべたあと教えてくれた。

 

「兄が来月、海防軍に・・・・。まぁ、陸軍さんに比べたら安全ですけどね」

「それ、貸して」

「え・・・・?」

「それも縫ってあげる。これも何かの縁だし、お兄さん、無事に帰って来られるといいね」

 

呆然と佇む女子高生から白い布を拝借すると結び目を作る。既に1つだけ結び目が縫い付けられていた。女子高生の声が震えた。

 

「・・・・・・・・ありがとう・・ござます・・」

「よしっと。大変だと思うけど、お互いに頑張ろうね」

 

女子高生の顔を直視することなく、その場を離れる。数秒後、先ほどよりも大きく決意の籠った声が他の呼びかけに混じり再び木霊しはじめた。それに微笑むと待ってくれていた知山の元に駆け寄る。

 

「それじゃあ、行くぞ」

 

見れば、いつの間にか歩道にいた聴衆は完全武装の警察官に入れ替わり、通行可能なスペースができていた。

 

刻一刻と近づいてくる、東京へ来た目的。それに倦怠感と憂鬱を覚える身としては、どうしても足取りが重くなってしまう。

 

JR中央線・東京メトロ有楽町線が乗り入れる市ヶ谷駅近くの海防軍専用ホテルに荷物を放り込み、自身が海防軍人であり艦娘であることを示す制服を着る。これから向かう場所は事情がない限り制服でなければ立ち入りを許されない。

 

 

東京都新宿区市ヶ谷。防衛省市ヶ谷地区。またの名を市ヶ谷駐屯地。日本国防衛の中枢が目的地だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

寸分の狂いもなく、選定された木々に芝生。ゴミ一つ、ましてや空爆による着弾跡もない道路に広場。時折雲の間から顔をのぞかせる太陽の光を煌々と反射する窓ガラス。几帳面なほど清掃されているようで、大理石のように輝いている各庁舎の壁面。

 

あの頃と変わらないであろう、官庁としては自然な光景。しかし、人の背丈の2倍近くある頑丈な壁と有刺鉄線、各種センサー、監視カメラで隔てられた境界の外側を、庁舎A棟と同等の広さを有するに至ったメモリアルゾーンを見れば、その美しさを素直に享受できない。

 

ここは、もう外と完全に隔絶していた。

 

正門、靖国通りに面し、最も一般国民の目に触れる機会が多い出入り口に立っている陸防軍の警衛隊員に身分証を提示する。かつて市ヶ谷地区の警備は他の基地や駐屯地と異なり、民間警備会社が担っていた。しかし、第二次日中戦争における日中全面戦争局面、10月戦争がまさに始まった翌日の10月4日に発生した「市ヶ谷事件」を契機に警備体制の見直しが行われ、それ以降は陸上自衛隊、2030年以降は陸上国防軍の市ヶ谷駐屯部隊が警衛隊を編成し警備にあたっていた。

 

「お手数をかけましますが、ご協力ください」

 

儀仗広場を抜け、塀の外から最も目に入る位置にある防衛省庁舎A棟の正面玄関に差し掛かったところで、鉄帽に防弾チョッキ、まだら模様の戦闘服を着て、89式小銃をもった陸防軍隊員に進路を遮られる。現在では身分証や手荷物の確認は正門にとどまらず、セキュリティーに万全を期すため各庁舎の出入り口でも行われている。正門は陸上国防軍市ヶ谷駐屯部隊が単独で担っているのに対し、各庁舎の警衛は陸・海・空の持ちまわりとなっている。海防軍ならばいわゆる身内であるため、少々面倒なことになる。金属探知機を通り、手荷物をX線検査機へ。

 

「身分証を」

 

それらをクリアした後、身分証の提示を要求される。守衛は陸防軍隊員。安堵のため息が漏れる。

 

「!?」

 

知山から身分証を受け取り、詳細を把握した瞬間、受け取った中年の隊員が凄まじい速さで敬礼を行う。

 

「遠路はるばる、お勤めお疲れ様です!!!!」

 

その反応で知山とこちらの身分が露見したようで、保安検査を見守っていた他の隊員も一斉に知山へ敬礼を行う。こういう祭り上げられる雰囲気が苦手な身にとってはそそくさと通り抜けたい衝動を抱くが、そうするとこちらが艦娘と分かっていようが確実に銃を向けられる。後々の反応に辟易としながら、身分証を渡す。

 

「・・・・お、お願いします・・・・」

「・・・・ありがとう、ございます・・・・」

 

それを恭しく受け取る、父親と同世代の隊員。その光景はまるで新入社員同士の名刺交換のようだ。

 

「・・・・・確認しました。どうぞ、お入りください。次!」

 

そのまま、前方を塞いでいた隊員が両脇へ退く。

 

「あれ?」

 

思わず、素の戸惑いを呟いてしまう。守衛たちは自身が艦娘であることに気付いたにもかかわらず、知山に対して行ったような緊迫感に溢れる敬礼を示さなかった。

 

「気を遣ってくれたんだよ、あの人たちは」

 

不思議がっていると、知山が苦笑気味に声をかけてくる。正門を通過してから初めて声をかけられたため、反応が一拍遅れてしまう。

 

「気遣ってくれた?」

「俺が敬礼している時、うわぁ~~って顔をしてただろ? あんな顔してたら、誰でもお前の気持ちが分かるさ」

 

知山が肩をすくめる。

 

「げっ。・・・・そんな顔してました?」

「してた、してた。今日は優しい守衛たちで良かったな。出てくる時もあの人たちだったら、きちんと謝意を示しておくんだぞ」

「そうですね・・・・。分かりました」

 

なにもかもが変わってしまった世界。そこでも脈々と存在し続けるさりげない優しさ。あの頃を必死に装いつつ、装い切れていないこの場所でもそれがあることは例えこちらの評価が知られていないとしても1人の軍人として、1人の日本国民として嬉しかった。

 

だが、現実は精神状態に関係なく、唐突にやってくる。

 

「ここで談笑とは、随分と出世されたものですね。知山三等海佐」

 

鼻で笑ったかのような微笑を含む、こちらを見下す口調。まるで待ち構えていたかのように壁面に背中を預けていた男性は一直線にこちらへ向かってくる。自身と同年代の少女を従えて。

 

二等海佐の階級章を付けたつり目の男性に見覚えはなかったが、彼の半歩後ろを歩いている少女は違う。みずづきは彼女を知っていた。

 

「・・・・・・はるづき」

 

自身の同期で、同じあきづき型特殊護衛艦。日本人にしては少し茶色がかった髪色で、セミロングの髪を後頭部でまとめ、ポニーテールにしている。艦娘学校で前期課程を履修していた頃は同じあきづき型として親交もそれなりにあったが敵前逃亡の一件以来、彼女もこちらを非国民と見做しているのか、任務など出会っても徹底的に近づいてこようとはしなかった。

 

視線を合わせると逸らすような真似はしないが、道端の石を見るような感情の籠っていない瞳で射貫いてくる。内心でこちらをどのように捉えているのか、それだけでも十分察せられた。

 

「これはこれは・・・ご無沙汰しております。佐藤トオル二等海佐。こちらにいらしているということは貴官も今次の会議に・・・・」

「それより、知山三佐。君は相変わらず、須崎なんて言う何の戦略的価値もない辺境の浸食が続いているようだな」

「は?」

「ここは我が偉大なる祖国、日本を防衛する中枢であり牙城の防衛省。しかも、統幕・海幕・陸幕・空幕など我が日本国防軍の中心であるA棟。今は国家・民族をかけた戦時であるというのに談笑など、もってのほか。これから重要な会議に出席するにもかかわらず、その羞恥。恥ずかしいとは思わないのかね? 嘆かわしい」

 

だったら、お前もそのゲスい笑顔をやめろ。

 

上官を徹底的になじる佐藤にそう言いたくなるが、耐える。ここで言ったところで火に油を注ぐだけ。しかし、他人を中傷する人間に限って、自身への中傷には敏感なわけで。

 

激情を宿した鋭い視線が瞬発的に向けられる。盛大に大きなため息をつくと、再び知山へ向き直った。

 

「以前から他の司令官たちからも苦言を呈されていることと思うが、君は自身の立場を理解しているのか怪しい素振りがある。防大を出ていない一般大学出身者(U)は軍人としての心構えが乏しい傾向にあるが、君は特にだ。未だに自衛隊員のつもりか? 我々は日本国の運命を直に背負う艦娘部隊の指揮官。部下の命が最優先などと甘ったれた理想主義を後生大事に抱えていては作戦目標が達成できないばかりか、全軍に甚大な損害が波及する。所詮艦娘などただの駒だ」

「・・・・・・・・・・」

 

知山は特段の変化なく、佐藤の言葉を受け取る。傍から見れば特段の感傷を抱いていないように思われるが、みずづきは知っていた。

 

直立不動で腕も太ももまでしっかりと伸ばした知山。彼は軍人でさえよく注意してみなければ分からないほど、わずかに左手で太ももを撫でる。イラついていたり、怒っていたり、腸が煮えくり返っていたり。とにかくその仕草は眼前の光景や出来事に対して感情が熱せられている時によくなされる知山の癖だった。

 

だから、彼が飄々としているのは外見だけだ。

 

「替えなどいくらでも効く。護衛艦でバカ正直に戦っていた頃より遥かに、人道的じゃないか。1隻沈めば数百人は下らないが、艦娘なら1人だ」

 

戦争慣れしてしまったためか、もともとの性格に難があるのか。飛散し続ける妄言。知山は内心とは裏腹に佐藤の言葉を真剣に聞くフリを続けていた。反論しなければ彼は満足いくまで汚い口を開くと会議室へ向かうだろう。しかし、一度反論すれば、頭に血が上って口調が激しくなることは必至。そして、不満のはけ口をみずづきに求めることは容易に考えられることだった。

 

知山は決して、自分のことだけを考えて侮辱に耐え、妄言を耳に通しているわけではなかった。その姿があまりにも痛々しかったため、そして1人の艦娘として絶対に彼の妄言は容認できなかったため、火に油を注ぐことになると分かりながら口を開いた。

 

「貴官は・・・・・それでも部下の命を預かる指揮官ですか?」

「あん?」

 

石どころか汚物でも見るような目を向けてくる。先ほどまで知的ぶっていた雰囲気はどこへやら。ヤクザまがいの本性が見え隠れしている。

 

「貴官は隣にいるはるづきもただの駒と、ただの物と・・・そうおっしゃるんですね」

「貴様、非国民の分際で誰に口を聞いている。立場も地位もわきまえない根っからの非国民とは聞いていたが、ここまでとは。知山三佐。あんたはこれの上官でしょう。黙ってないで何か言ったらどう・・・・」

「話を逸らさないでください。知山司令は関係ありません。私は貴官に伺いを立てているのです」

「ちっ・・・・・・。ああ、そうだ。こいつもただの駒だ」

 

そう言って佐藤は苛立たし気にはるづきへ視線を向ける。はるづきは自身が駒だと面と向かって言われたにもかかわらず、特段の反応も示さず、無表情のままだった。

 

「だが、臭い貴様と異なり、こいつも含めた我が部隊の艦娘は全員、駒であることを誇りに思っている。これこそが真の人徳だ。その腐りきった脳みそでは考えられないだろうがな」

 

男はこれ見よがしに腕時計を眺めると、つま先をエレベーターへ向ける。

 

「知山三佐。私だからこれほどで済んだことをしかと心に刻み込み、それに適切な教育を施すように。教育方法について知りたいことがあれば相談に応じることもやぶさかではない。それでは・・・・・」

「佐藤三佐」

 

声を上げた知山は一直線に佐藤を見据える。あまりの気迫に佐藤は完全に動揺していた。

 

「ご教示、ありがとうございます。その返礼として恐れながら、貴官にお伝えしたいことがあります。既にお分りのことと存じますが・・・」

「・・・・・・・?」

「・・・血塗られた手では輝かしい未来は創造できない。それをしかと、改めて、心に刻み込んで下さい」

 

 

 

その声は知山とは思えないほど、冷徹で闇に満ちたものだった。

 

 

 

「・・・・ああ、忠告ありがとう。それでは失礼する」

 

般若のような顔から一変。額に汗を浮かべながら佐藤ははるづきを連れだってエレベーターへ歩いて行った。

 

「はぁ~~~~。気分わるっ。知山司令、会議まであと20分ほどですけど・・・」

「すまん、少し休憩させてくれ。今の状態では会議の内容が頭に入らない」

 

知山は柱に背中を預けると、小声でそう言った。一見すると平穏だが、彼が今何を思っているのかはっきりと分かった。気付いていないのだろうが、声も体も怒りのあまり小刻みに震えている。

 

それを見ると思わず頬がほころんでしまう。

(知山司令が司令で・・・・・・ほんまに良かった)

偽ることのできない気持ちが、心の中でささやかに呟いた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

高気圧が近づいてきたためか、昼間とは比較にならないほど広々とした漆黒の空。歓喜に沸いているのか本領を発揮している月の淡い光により、闇夜に沈みきっている街並みが露わになる。せいぜい1階では視界に収められる範囲など限られる。しかし、幸い目の前を片側二車線の大通りと神田川が流れているため、空爆時に破片が飛び散らないようガムテープで補強されている窓ガラス越しでも比較的広い範囲を見ることができた。

 

駅周辺以外に人工の明かりは、ない。対岸に見えるビルは窓ガラスやサッシが吹き飛び、全身を傷だらけにしているものばかり。中には隣人にもたれかかり、いつ倒壊してもおかしくないものも散見される。目の前の大通りは真新しいアスファルトに覆われ、爆撃によって生じたがれきも撤去されている。が、街灯などはなく、時折走っている自動車もパトロールをしているパトカーや軽装甲機動車ばかり。

 

時刻は9時手前。ホテルの食堂にて知山と夕食を取っているにもかかわらず、箸は止まり、意識は外界へ向けられていた。

 

いつも東京へ来ると暇があれば、街並みを眺めていた。最初の頃はなぜ気が付くと街並みを・・・・・・膨大な犠牲者が眠る廃墟を眺めているのか分からなかったが、最近ようやくその行為が暗示するものを理解し始めた。

 

「私・・・・まだ、信じられないんだろうな。あの東京がこうなっちゃったって・・・・」

「・・・・・・俺だって、信じたくないさ。こんな光景・・・」

 

対面で雑穀米を頬張りながら、知山が答えた。つい先ほどまで食堂からも見える玄関ロビーに掲示されている「市ヶ谷駅周辺失踪者」の張り紙を真剣に見つめていたが、いつの間にかこちらに意識が戻ってきていたようだ。無意識のうちに発露された言葉。反射的に口をふさぎ、知山を見る。彼は失態を茶化すわけでもなく少し心配そうにこちらを覗いながら食事を進めていた。

 

心に宿る一抹の不安。いくら隠そうとしても上官に分かってしまうようだ。

 

「あの・・・知山司令」

「俺だって、不安だよ」

 

知山は行おうとした質問を先読みし、回答を口にした。上官としては絶対に部下に口外してはならない本音。だが彼は嘘をつかず、こちらに対して本音で向き合ってくれていた。

 

「今回の作戦は明らかに日本の国力を超えてる。東防機加盟国の協力を得られるとはいえ、見通しは厳しいと言わざるをえない」

「やっぱり、そうですか・・・・・」

 

昼間に行われた会議の目的。それは先島諸島奪還作戦「東雲作戦」の概要を各艦娘部隊に説明することだった。

 

「先島諸島の奪還。これは日本の悲願ですけど・・・・」

「先島諸島は深海棲艦にとって第一列島線に空けた重要な穴。各島の要塞化は衛星によって確認されているし、深海棲艦は徹底抗戦するだろう。しかも、俺たちは今回戦後初めての強襲上陸・占領作戦を行う。相手が深海棲艦ということもあって、かなりの犠牲者が出るだろう」

 

犠牲を払うのは陸防軍だけではない。敵は上陸した陸防軍本体を排除対象とすると同時に彼らの補給線を遮断するため、通商破壊も行うだろう。そうなった場合、戦場から遠く離れた海域で敵潜水艦や空母艦載機の攻撃を受けるのは、陸防軍でも空防軍でも、ましてや上陸支援を行っている海防軍の第一線部隊でもない。

 

船団護衛を第二線部隊の一翼である、自分達だ。

 

「大丈夫、心配するな」

 

不安が首をもたげかけた時、知山の力強い言葉が耳に届いた。

 

「今回の作戦には日本国防軍全部隊が何らかの形で関わる。上も通商破壊は予想済みだ。そう簡単に寝首をかかれることはない」

 

彼は目の前に唯一残っていた水を飲み干すと、真剣な視線で射貫いてきた。いつもなら気恥ずかしくて逸らしてしまう直視が、今日ばかりはしっかりと見据えることができた。

 

「俺も上や哨戒部隊と連携してできる限り多くの情報を集めて、お前たちが少しでも気楽に任務に従事できるよう努力する。船団護衛で高リスクを負わせたりはしない。絶対だ」

 

絶対。他の司令官が使用すれば安っぽく聞こえる単語も知山が使用すれば、絶大な安心感を心にもたらしてくれる。一抹の不安が急速に四散していく中、胸が熱くなり、何かが目元に溢れてきた。彼にからかわれることを恐れ、急いで拭う。だが、彼はいつものようにからかうことはなく、静かに見守っていた。

 

「知山・・・・・司令」

「そろそろ、部屋に戻るか。明日も早いしな」

 

知山は必死に目元を拭うこちらに優し気なほほ笑みを向けると立ち上がる。彼は「落ち着くまでここにいろ」と視線で伝えてきたが、それを容赦なく拒否し立ち上がる。気を遣われたままでは癪だった。

 

「相変わらずだな、お前は。少しは紳士的な対応に応えてくれたら良いものを」

「お構いなく。本当の紳士は乙女の涙を見つめたり、自ら紳士的な対応を取ったと言ったりしませんから」

「手厳しい」

 

悲しそうに肩をすくめる知山。演技であることはお見通し。食器が乗ったお盆を持って、一足先に返却口へと足を進める。

 

「やれやれ」

 

ため息交じりにそう言うと彼はみずづきの後を追っていく。

 

(知山司令)

 

あの日を境に、未来永劫失われてしまった日常。それをどれだけ微細でも、どれだけ少量でも感じ取りたいと思い、もう1人の自分を追いかける彼の背中に手を伸ばす。しかし、あと数cmというところで腕は凍り付いた。

 

過去を教訓とし、残酷な未来を否定せず受け入れてくれた、自分を認めてくれた人たちの顔が浮かぶ。

 

(・・・・・・・・・・・・・)

 

過去は過去。どう足掻いたところで、どれほど近づいたところで、どれだけ願ったところでもう取り戻すことはできない。

 

これは記憶。過ぎ去ってしまった過去を未来でも心へ留めるための単なる情報。生者として、人間として未来へ向かって歩み、よりよい世界を紡がなければならない宿命を負っている以上、「前」を見なければならない。

 

急速に世界が霞み、存在が希薄になっていく。遠ざかっていく知山の背中。世界が完全に光で覆われる直前、知山がこちらに向かって微笑んでくれた気がする。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

木目調の天井に、主たちと同じく眠りに就いている木と和紙で構成された照明。カーテンの隙間から強引に差し込んできた一筋の朝日が流れ星のように天井を横切っている。耳を澄ますと規則正しく愛嬌のある寝息と共に、スズメたちの美しい歌声が聞こえてくる。

 

もしかしてではなく、完全に日が昇っている。一応、午前7時に目覚ましがかかっているので、そう早い時間ではないようだ。えらく体が火照っていることも、そのせいだろうか。

 

「う・・う~~~~ん、ん・・・・・・」

 

二度寝しようとも考えたが、あいにく先ほどまで見ていた夢の残像を感じる両目はぱっちりと冴えていた。

 

「・・・・外の・・・様子でも見ようかな」

 

幾度となく人生をピンチに追い込んできた誘惑を断ち切り、立ち上がるため体を起こそうとする。

 

「あれ・・・・・・・・?」

 

体が動かない。

 

「おかしいなぁ・・・・・よいしょっと・・・」

 

もう一度試行。

 

「あれ~~?」

 

動かない。再び挑戦しようとしたところでようやく胸辺りに妙な重量があることに気付いた。目は冴えていても体の各機能はまだ寝起きらしい。頭だけを上げて、布団の上を見る。

 

「マジですか・・・・」

 

自身の胸、正確には右の脇腹あたりに陽炎の頭が堂々と乗っかっていた。ついでに言うと伸ばされた腕が右太ももを押さえつけている。

 

人を枕代わりにして爆睡する陽炎。陽炎に枕代わりにされても平然と爆睡していた自分自身。どちらにも妙な感心を抱いてしまった。

 

「とりあえず、どかさないと。・・・・・・意識すると結構苦しい・・・・」

 

いくら少女の頭とはいえ、呼吸を阻害するほどの重さ。本当によく眠れていたものだ。

 

「そおっと、そおっと・・・・・・・よし!」

 

ゆっくりと陽炎を正常な位置に戻すと、数時間ぶりに立ちあがる。よほど深い眠りに入っているのか、危惧したように彼女が目を覚ますことはなかった。未だに夢の世界へ旅立っている彼女たちを起こさないよう、抜き足差し足で広縁へ向かう。そして、カーテンをわずかに開け、外の世界を一望。容赦ない朝日の攻撃で視界が真っ白に染まる

 

「っ・・・・・・・」

 

強烈な朝日に順応し、真っ白だった視界が徐々に鮮やかな色彩を帯びてくる。

 

眼前の東京は“かつての東京”と同じように、より輝かしい未来へ向けひた走っていた。主たちの出社、お客の来店を待ちわびる建物たち。道路を疾走する自動車。時間に追われる人々。

 

「いつかは東京も昔みたいに、この東京みたいに・・・・・・」

 

人智では越えられない壁の向こう側に存在する故郷。どん底にある故郷が復興していく様子を、栄光を取り戻した姿を見られるかはここへ来た原理も理由も分からない以上、限りなく低い。しかし、「願い」に世界の壁は関係ない。

 

1人の日本人として、この願いが届きますように。

 

「みずづき・・・・?」

 

いつの間にか起きていた陽炎が眠気眼をこすりながら、振り向いた顔を覗き込んでくる。大爆発を起こした頭髪の乱れっぷりはもはや芸術の域だ。吹き出しそうになるのをなんとか抑え込み、陽炎に満面の笑みを向けた。

 

同時に夢からの帰還を促す、目覚まし時計のけたたましい音が鳴り響いた。

 

「おはよう、陽炎。さぁ、今日はとことんはしゃぐよ!」

 




ちょっと息抜き回になりそうな次話ですが、次話から少しずつ、ほんの少しずつですが物語が加速します。といっても、これまでと同じスピードかもしれませんね。

横道に逸れ気味かなとも思いましたが、おそらく今後の展開を経なければ、瑞穂は1つにまとまれないと思いましたので、あしからず。


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74話 東京へ その5 ~楽しむ者と悩む者~

今話で東京編も終了です。同時に作者的には、本章において「日常」話は最後になるのではないかと・・・・。


雲一つなく、透き通る青空。700万もの膨大な人口を有し、一国の政治・経済・文化の中心である首都とは思えないほど、澄み切った空気。灰色に霞むこともなく、目を凝らせば凝らすほど、望遠鏡で遠方を見れば見るほど、世界が広がる。

 

果てしなく続く世界。この空が地球上のあらゆる場所につながっていることを知識としてではなく、感覚的にこの青空は伝えてくれていた。

 

「うわぁぁぁぁ~~~~、すっごいきれい!!!」

「日頃の行いが良かった証拠や!! うちらめっちゃ運ええで!!」

「こらっ!! ほかの人の迷惑になるから、もう少し静かに!! って・・・・・聞いちゃいない」

 

走り回る陽炎たちに向かって隣で怒鳴っていた川内は彼女たちが見向きもしないことを確認すると、呆れたようにため息をつく。

 

「あはははは・・・。まぁ、川内さん、そう言わずに。今日は平日で他のお客さんも少ないですから」

「それはまぁ・・・・でも」

 

みずづきははしゃぐ陽炎たちの気持ちも理解できるため、苦笑気味に彼女たちの肩を持つ。不服そうに頬を膨らませる川内であったが、みずづきは気付いていた。あともう少しで陽炎たちの仲間入りをしそうなほど気分が高揚している自身と同様、川内もまたはしゃぎたくてうずうずしていることに。

 

「ふふ・・・・」

 

その様子につい頬が緩んでしまう。彼女もはめをはずしたい気持ちと、旗艦としての矜持の間で揺れ動いているようだ。

 

「ほらほら、二人ともそんな隅っこにいないでこっち来いよ! 絶景だぜ! 絶景!!」

「絵画みたい・・・・・・。見ないともったいない」

 

いつもより少しテンションの高い深雪。そして、いつも通りの無表情を維持しつつ、声が上擦っている初雪。2人は一直線にこちらへ向かってくると、目にも止まらぬ速さで川内とみずづきの手を掴み、陽炎たちが歓声を上げている展望ガラスの目の前まで曳航される。海上でやれば満点の手際だった。

 

「全くもう・・・・・」

 

初めは「ちょっと・・」と軽く抵抗した川内だったが、もはや成すがまま。優し気に微笑んでいる表情には「やれやれ」といった良い意味での諦めの感情が見え隠れしている。

 

やはり、彼女たちには敵わない。

 

「「うわぁぁ~~~~」」

 

眼前の景色を間近に感じ、圧倒されるあまり川内と全く同じ感嘆を紡いでしまう。

 

「東京タワーからの眺めは・・・・・・どこの世界でも変わらないんだね。きれい」

 

東京都港区にある高さ333mの東京タワー。地上120mの大展望台2階にみずづきたちは今、足を運んでいた。都内各地に林立の兆候を見せ始めていた放送各局の100m級電波塔を一カ所に集中させ、都市景観の改善及び利用者の利便性向上、航空事故リスクの低減を実現させる「総合電波塔」として2017年に建設された“瑞穂の”東京タワー。鉄骨のさびもなく、塗装のハゲも十数年未来のこと。まだ開業16年しか経っていない真新しさを周囲へ四散させる新参者であったが日本同様、既に「かれ」は観光客そして東京都民の心を掴み、東京のシンボルとして受け入れられていた。

 

「私たちが泊まってた皇山(みやま)ホテルってどこでしょう? ・・・・あのあたりかな?」

 

白雪が手すりからわずかに身を乗り出し、新宿御苑方向を凝視する。ちょうどみずづきたちは東京タワーの北側にいたため、皇山ホテルがある“あたり”は視界に収めることができた。

 

「あの緑が新宿御苑だろ? その東側だから・・・・・。たぶん、そのあたりじゃね?」

 

姉と同じく目を細め、渋い表情となる深雪。つられて同じ方向に視線を向ける。確かに新宿御苑(ぎょえん)の青々とした緑ははっきりと見える。だが、それ以前に新宿御苑が新宿方向で一番目立つ存在であることに驚いた。果てしなく透き通る空と様々な景色が混じり合い不思議な色彩を生み出している地平線に圧倒され、眼下に広がる東京を感じていなかった。

 

「新宿駅近くの高層ビル群も、東京都庁も・・・ない」

「え?」

 

黒潮や川内との談笑を通じ、怪訝そうに顔を覗きこんでくる陽炎。横目で彼女に反応しつつ、今立っている場所から見える景色を総なめにする。

 

展望ガラスのサッシや鉄骨、訪れた人々の間から広がる汐留・新橋・丸の内・銀座・新宿・六本木。見知った建物どころか、高層ビル群が作り出す見慣れたコンクリートジャングルそのものが存在していなかった。

 

眼下に広がっているのは、地べたに這いつくばった印象の街。せいぜい天空に挑戦している建物も10階越えが限度だった。

 

「なるほど。だから、空と地平線に目がいったわけか・・・・・」

「さっきからなに独り言、ぶつぶつ言ってるのよ」

 

陽炎の反応を認識しつつ、放置したからだろうか。彼女の口調が少し不機嫌になっている。今回は明らかにこちらが悪いため、謝罪の言葉を喉に待機させながら陽炎へ視線を向ける。だが、陽炎は尖った口調と裏腹に眉を下げ心配そうに見つめてきた。

 

みずづきはそこで陽炎の心中を察した。陽炎は知っているのだ。みずづきが生きていた2033年の、“日本の東京”がどうなっているのかを。みずづきが生まれてからこの世界に来るまで何度も東京へ足を運び、繁栄の絶頂とどん底の絶望双方を直に知っていることを。

 

陽炎はそうであるが故に、こちらを気遣ってくれているのだ。

 

しかし、それは彼女の深読みである。確かに脳裏には日本の東京が浮かんでいたものの、悲観的な感傷に浸るためではなく単純な比較が目的だ。現在と過去。その境界、そして追憶の意義はこの世界に来てから経験した様々な出来事によって明確に理解している。

 

陽炎には余計な心配をかけてしまった。ここで「ごめん」と言うことは簡単。だが、どこまでも友達思いな親友に伝える言葉はこれだろう。

 

「ありがとう、陽炎。こんな時まで気にかけてくれて・・・」

「ちょっ!? なによ急に・・・・・。わ、私は別に・・・・その・・・・」

 

暗い表情から一転。時計の秒針が進むごとに顔が真っ赤に染まっていく。言葉は全く逆のことを語ろうとしているが、生理反応は素直だ。陽炎は俯くと聞こえるか微妙な声量で言葉にならない言葉を呟き続ける。その反応に微笑みながら、視線を展望ガラスの外、ちょうど皇居周辺に向けて話す。

 

「私は大丈夫。確かに頭の中には日本の東京がある。でも、ここは瑞穂の東京。私たちの世界とは全く別の世界。そこに私の世界を投影して感傷に浸るのはこの街を造って、この街で生きる人々に失礼かなって」

 

いつの間にか、陽炎の独り言は収まっていた。

 

「ここにはここの良さがある」

 

おそらくはかつての東京もこのような外観だったのだろ。建築技術の成熟を要因とする天空への挑戦がなく、街がおとなしく地上で収まっているため、東京の空は日本と比較にできないほど広かった。地平線を凸凹にする無粋な建築物もなければ、視線に堂々と立ちふさがる反抗的な高層ビルもない。

 

東京タワーがこの街で最も高く、街がまだまだ発展途上であるために生き残っている古来より受け継がれてきた世界。

 

「こんなの日本にいたままじゃ、絶対に見られなかった。せっかく神様もびっくりの希有な立場にいるんだから、堪能しないとね!」

 

嘘も偽りも見栄もない、心の底から湧き上がった笑顔を陽炎に向ける。彼女は柔和な笑顔で応えると、背中にもたれかかって来た。

 

「なになに? 今日のみずづきさんはやけに笑顔が透き通ってますね~~。昨日、大切な仲間の顔面に枕を打ちつけて、狂乱していた人と同一人物だとは思えませんよ」

「もう! それは陽炎だって同じでしょ! 深雪を倒した直後に同盟解消! とかいって不意打ちしてきた不届き者はどこのどいつよ!」

 

両手を後ろに回し脇腹をくすぐると陽炎は甲高い笑い声を上げながら、背中に寄りかかっていた身体を少しだけ離す。そして、この階に充満する高揚した空気に溶け込みそうな儚い声でこう言った。

 

「あんたは・・・変わったわね」

「え?」

 

陽炎らしからぬ口調に驚き、慌てて後ろへ振り返る。しかし、絶妙なタイミングで左脇腹に深雪が抱きついてきた。

 

「みずづき! みずづき!! あっち! あっち!」

 

それだけを口にしてエレベーターを、方角的には南西方向を指さす。深雪のことなのでてっきりそちらに白雪と初雪がいるのかと思ったが、彼女たちの姿は見当たらなかった。

 

「ど、どうしたの!?」

 

そう声をかけると、深雪は子供のようにはにかむ。

 

「あそこから富士山が見えるんだよ! 富士山が!」

「え!? 富士山が!」

 

深雪に抱きつかれた動揺はどこへやら。頭の中に山頂に雪化粧をした富士山が浮かぶ。今は10月でちょうど初冠雪を観測したばかりの時季。日本人の誰もが思い浮かべる霊峰・富士よりは山腹から山頂まで一面赤褐色の活火山という風貌が強いが、あの特徴的な山体美だけでも見る価値は大いにある。

 

「あ・・・・・そうや! 富士山! 忘れてた!」

 

少し離れた位置で何かをしでかしたのか、川内に首根っこを掴まれている黒潮が目ざとく反応。「川内さんもはよ!」と川内の拘束を脱し、目の前を駆け抜けていく。

 

「こら! 黒潮! 走ったら危ないから!」

 

川内の注意は虚しく喧騒にもまれて、消えてゆく。

 

「雪がない富士山ってのも味があっていいぜ! さ! 早く、早く!」

「ちょっ! 分かった! 分かったから! 深雪、もう少し落ち着いて!」

 

ズルズルと深雪に引っ張られていくみずづき。周囲の人々も微笑ましい光景に目尻が緩んでいる。しかし、それが尋常ではないほど恥ずかしい。

 

「ちょっと! 陽炎! 川内さん! 笑ってないで、助けて!!」

 

いつの間にか陽炎の隣に立っている川内。結局、常に周囲の注目を集めながら、富士山が見えるポイントまで誘導されることとなった。艦娘と気付かれなかったことがせめてもの救いである。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

関東地方某県の幹線道路。両脇を住宅と商店で埋め尽くした片側2車線の道路は平日の通勤ラッシュ時間帯ということもあり、合計すると4つある車線は自動車でひしめき合っていた。時間に追われている者からすれば、感情を逆なでする光景。学校・職場への「遅刻」が現実味を帯びれば、誰しも感情が高ぶる。いくら自動車の知識に疎くても一見しただけで高級車と分かる厳めしい乗用車に乗っている百石もその一員のはずだったが、彼は苛立つこともなく、窓の外に広がる“日常”へ視線を向けていた。

 

運転席で苛立たしげにハンドルを叩く運転手。バスの中で立ったまま目を閉じている中年のサラリーマン。歩道を、友達と爆笑しながら歩いて行く男子学生たち。背筋を伸ばし、眠たさも垣間見せず男子学生の脇を駆け抜けてゆく、スポーツウェア姿の女子学生たち。

 

自身が生まれてから常に目にしてきた光景が、そこにはあった。

 

「申し訳ありません、長官。これでは・・・・・」

 

エンジン音と他車が鳴らすクラクションしか聞こえなかった車内。唐突に運転席から声がかけられる。後部座席からルームミラー越しに運転手の顔を覗くと、わずかに眉が垂れていた。

 

「気にしなくていいさ。既に先方には連絡は入れてある。彼らもここの酷さは身に染みて分かっているようだったから、大丈夫だ。この渋滞じゃ、どうもこうもない」

 

少しでも心の重荷を軽くしようと笑いながら話す。不意に自動車が止まった。どうやら、信号に引っかかったようである。

 

今まで自分の意思とは関係なく流れていた日常が、思いのまま捉えられるようになった。偶然、視線を向けた先に白のブラウスに紺色のリボンを結んだ一般的なセーラー服を身にまとう4人の少女たちがじゃれ合いながら歩道を進んでいた。全員小柄で幼さが垣間見えることから、おそらく中学生だろう。彼女たちの姿が、今まさに久しぶりの息抜きを楽しんでいるであろう部下たちと重なった。

 

「川内さんたちは今の時間だと、ホテルを出たあたりですかね?」

 

山内がルームミラー越しに笑いかけてくる。少女たちの姿はフロントガラスからもばっちり見えている。山内も彼女たちを見て、全く同じことを思い浮かべたようだ。それを思うとつい笑みがこぼれてしまう。

 

「ああ、おそらく・・・・というか絶対、川内たちが先行しようとする深雪と黒潮の手綱を握ろうと必死になっているはずだ」

「いや、もしかしたら、川内たちではなく川内さんが孤軍奮闘しているかもしれませんよ」

「ん? というと?」

「昨夜も川内さん以外は暴れに暴れておいでで、人数確認に訪れた際は枕投げという決戦を終えた戦場の様相を呈していました」

 

これ以上吹き出しては運転に支障が出ると必死に笑いを噛み殺す山内。だが、よほどツボに入った光景なのか全く噛み殺せていない。彼の言葉を元に、その光景を想像してみる。皇山ホテルへの宿泊は経験済みのため、容易に部屋の雰囲気が脳裏に浮かぶ。乱れきった布団。広縁の隅など寝具がいてはいけない場所にいる枕たち。そして・・・・・・・。

 

着物が無意識のうちにはだけた艦娘たち。

 

「・・・・・・・・・・・・・・。ゴホン!」

 

行き先を反芻するたびに浮上する緊張感から無意識のうちに逃れようとしたのか、隠しようのない邪念が浮かんだ。「至誠(しせい)(もと)()かりしか」に代表される海軍士官にとって心の友と言うべき訓戒の五省を心の中で唱える。

 

これを唱えると海軍兵学校時代の地獄が鮮明に思い出され、俗人の煩悩が怖いほどに消えていく。捉え方によってはそれほど兵学校時代に教官や先輩からお優しい指導を受けたということだが人間、物事によって思考の程度を選択できるから便利である。

 

「川内たちは東京タワーへ行ったあと、どこへ行くんだ?」

「私も詮索は野暮、道中は警視庁公安局が秘密裏に警護して下さるということで・・・」

 

急に山下の声がしぼむ。

 

「ん? どうした?」

 

山下の様子を不審に思い、声をかける。山下は「いえ」と表情を曇らせて、ブレーキをかけた。また、赤信号だ。

 

「心強いと言えば、心強いんですが・・・その・・」

「だから、どうした?」

 

山下を圧迫しないよう、穏やかな口調を心掛ける。山下はこちらを一瞥したあと、口を開いた。

 

「なんでも、部内での噂ですが、情保室も動いていると」

「・・・・・・・・」

 

山下の声色は決して高圧的ではない。しかし、押し黙る。気圧されたとすれば、山下にではない。山下の語った噂にだ。みずづきによれば、日本には内閣府-瑞穂では総理府との名称-に付属する内閣情報局をはじめとして、警察庁、警視庁、公安調査庁、防衛省、統合幕僚監部、陸・海・空幕僚監部など諜報活動に従事する組織や部隊が存在していたという。所詮は同じ人間が君臨する世界。瑞穂にも日本と同様、法的権限や規模はさておき、諜報機関は複数存在していた。山内が言った、情保室。正式名称、海軍軍令部情報局情報保全室は対外的・対内的諜報活動及び情報収集活動を担っている情報局内組織で、軍令部総長の指揮下にある海軍の諜報機関である。諜報機関としての特性上、トップである室長など一部の幹部を除いた構成員は不明。横須賀鎮守府司令長官である百石でも把握することはできない。ただ、任務は明確だ。海軍内の機密情報の管理、将兵の思想統制、情報漏洩の際の調査、警察や公安・憲兵隊などでは対処できない事件の捜査などを主に職掌としている。それを全うするために手段は選ばす、合理的と判断すれば時には潜入・破壊工作・暗殺・脅迫なども行う。それだけでも一般将兵からすれば畏怖の対象だが、情報保全室は何も身内外ばかりに注力しているわけではない。むしろ、身内を(あさ)る性質の組織だと言ってもよい。将兵の身上・思想調査は典型例だ。同じ情報局内組織ながら対外活動を主な任務とする情報部とは対照的に、快く思っている者はほとんどいない。しかし、情報保全室員は多くの者が普段別の肩書きを背負って、それぞれの組織に完全に溶け込み、活動している。故に、その感情を公言する者はそうそういない。いることにはいるが・・・・。

 

ここは車内。2人しかいないものの、その恐怖は簡単には抜けないものだ。

 

「だが、彼らほどの実力者がそばについていてくれるのなら、何も心配することはない。東京タワーの後は?」

 

辛気臭い話はここまでと先を急かす。山下は一笑するとアクセルを踏み込んだ。信号は青に変わっていた。

 

「あまり詳しく聞いていないんですが、東京タワーへ行ったあと六本木や赤坂周辺を散策。最後に修文(しゅうぶん)神宮を訪れたのち、新宿駅で待ち合わせです」

 

山内が挙げた固有名詞を聞いて「ほう」と唸る。

 

「なかなかいいじゃないか。六本木は昔、陸軍の歩兵連隊が所在していたことに由来して、23区でも有数の商店街。修文神宮もあの厳かさによって古来より続く瑞穂の伝統を体現している」

「私も同行したかったものです」

「悪いな。華の欠片すらないオヤジの送迎を頼んでしまって」

「まったくです」

 

有無を言わさぬ勢いで、断言する山内。一拍の無言を経て、車内は爆笑に包まれた。

(俺も久しぶりにはめをはずしたいな・・・・・)

隠し通す必要もない、自身の本音。身近な存在のはしゃぎっぷりがありありと想像できる分、その欲求は脈打ち理性を刺激する。

 

しかし、それを抹殺せんとするかのようにまもなく目的地到着を知らせる標識が視界に飛び込んできた。それ見た途端、心臓の鼓動を生々しく強調する緊張感がタイヤの回転ごとに高まっていく。

 

「あいつらが思う存分はしゃげるよう、職務をまっとうしないとな」

 

気合いを入れるため、頬をはたく。何気に痛い。これから百石が訪れる場所。そこは鎮守府司令長官でさえも無意識のうちに心臓へ過酷労働を強いてしまうほど重要性を宿した施設だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

国立理化学研究所。

 

文科省所管の研究機関で、物理学、化学、工学、生物学、医科学などの基礎研究から応用研究まで行う瑞穂で唯一の自然科学系総合研究所。同時に瑞穂で最も歴史を有する近代科学の研究所で、国内そして国外においても絶大な権威を有している。本所は埼玉県にあり、そのほかの研究所や研究拠点・実験施設・協力機関が瑞穂全国に置かれている。人員は約4000人。

 

希少性だけではく、文字通り規模も実績も名誉も瑞穂においてトップの研究所である。

 

「どうぞ、海軍で出されているものよりは安物とお察しいたしますが、良ければ」

「あ! これこれは! ありがとうございます。・・・そのようなご謙遜を。一般の方々にはあまり知られていませんが、我々が飲んでいるものも大したことありませんよ」

 

瑞穂一の研究機関にいることを忘れてしまいそうな、平凡極まりない執務室。壁際に置かれている本棚も窓の傍に置かれている机や椅子も、腰かけている接待用のソファー、隅に置かれている観賞植物も市井にあふれている品々だ。

 

目の前でカップに口を付けている初老の男性が入れてくれたコーヒーを飲む。決して、高級品とは言えない味だったが、今の疲弊しきった体には染み渡る。おそらく今の自分は敗残兵と誤認されるほど憔悴しきっていることだろう。

 

その原因は対面に座る男性から語られた言葉、そして残酷に突きつけられた実物の書類にあった。もともと男性からこれを見聞きするために的場総長の特命を受け、存在すら公表されていないこの研究所へ足を運んだのだ。

(まさかこれほどのこととは・・・・・・・・)

総長室にて特命を言いつけられた際、的場のただならぬ雰囲気から機密も機密、この国でも一握りの上層部しか知らされていない事柄に関係することだとは容易に察せられた。しかし、誰が事前に予測できようか。もし予測できたものがいたなら、即総理大臣か大本営長官に就任すべきである。横須賀鎮守府司令長官に任じられたとはいえ、この平凡な脳みそでは想像の次元すら超越していた。

 

「やはり、いかな鎮守府の司令長官どのとはいえ、こればかりは動揺されるものなのですな」

 

男性の視線の先には、小刻みに震える己の手があった。カップに注がれた黒い水面は常に波打っている。

 

「あ、いえ、卑下しているわけではないのですよ。私も、その・・・・・三日三晩、眠れなくなりましたので」

「かの有名な所沢所長でもそうなられましたか・・・。私は倒れるかもしれませんな」

「ご冗談を。倒れられてもすぐに回復なされるでしょう。私たちのように室内でかび臭い白衣を着ている人間とは体の構造が違いますからな」

 

乾いた笑みが木霊する。だが、それも長続きしなかった。2人の心から染みだしたかのように、暗く重苦しい沈黙が室内に充満する。ブラインドを下ろしているためか、昼間にもかかわらず、ここは薄暗い。

 

沈黙とさきほど知らされた事実に耐えきれなくなり、弱々しい声で本音を吐露した。

 

「無礼を承知で申し上げますが・・・・・・私はいまだにあなた方の解析結果が事実だとは信じられません。このようなことが・・・・・本当に」

 

所沢と呼ばれた男性は反論することもなく、脇に置いていたポーチから1冊の分厚い書類を取り出した。そして、静かに目の前に置く。室内の空気がさらに重くなったような気がした。

 

「私もあなたの気持ちは痛いほど分かる。先ほど三日三晩、眠れなくなった申し上げたとおり、私も・・・・」

 

所沢は深刻そうな表情でテーブルに置いた書類を見つめる。

 

「当初は、信じられなかった」

 

その表情はもはや泣きそうだった。瑞穂国内で生命科学の第一人者と言われる、所沢源五郎(ところざわ げんごろう)。生命科学系学部を有する難関国立大学を練り歩き、優れた研究業績がある科学者しか任命されない国立アカデミーたる瑞穂学術会議の委員。当分野で世界最先端をいく北京理工大学から招待状を受けたほどの科学者。

 

そのような人間の、世界に見放されたかのような表情は、人の死すら間近で見てきた心に突き刺さった。

 

「ですが、何度解析を繰り返しても同じ結果がでるのです。何度、作業を精査しても、慎重に慎重を期しても・・・・・・同じ結果がでるのです。なら、認めざるを得ないではありませんか。私と、信頼のおけるこの国で最高峰の研究員たちが担っていたのです。この解析結果が、そこから導き出される結論が・・・・・・・事実だと」

「しかし、これでは・・・・・」

 

瞬間、報告書に書かれていたことが濁流となって、脳裏に押し寄せてくる。胃と食道に違和感を覚え、とっさに口を押えた。額を脂汗がゆっくりと流れていく。

 

「洗面所なら、この部屋を出て、右のつき当りです。全速で走れば口からぶちまける前に辿りつけますよ」

 

妙に現実感を伴った言葉。その可笑しさに意識を集中させると、内容物は本来の居場所へ戻っていった。

 

「ご親切、ありがとうございます。なんとか、なりました。ふぅ~~」

「軍人さんは違いますな。我々はトイレか洗面所直行ですよ。おかげさまで、体重が5kgほど落ちました・・・・あはは・・は・・」

 

疲れ切った微笑みを示しながら、「私もまだまだですな」と所沢は真っ白になった頭を掻く。薄くなり始めている頭と心労の種は、決して無縁ではないだろう。

 

「・・・・・・・ずっと、考えてきました」

 

笑みを消し去った顔で呟く所沢。「何を?」は愚問であろう。一軍人に著名科学者の思考を推し量かることはできない。ただ、この場だけは彼の思考が分かるような錯覚を抱いた。

 

「百石提督。あなたの鎮守府には、“みずづき”という瑞穂と同時間軸の並行世界から来た艦娘がいらっしゃいますね?」

 

一語一句確かめるように言葉を噛みしめながら、所沢は海軍内でも少数の人間しか知らない機密事項を語った。

 

「はい。そうです」

 

しかし、困惑はない。今目の前にいる科学者は“みずづきの存在”より遥かに機密レベルの高い、漏らせば著名科学者とはいえ確実に暗殺されるレベルの機密事項を扱っている人間。彼にとってそれ以下の “些細な”機密を知っていたところで特筆すべきことはなかった。

 

「私はご覧のように生命科学しか脳がないため、詳しく把握しているわけではありませんが、なんでも彼女の世界は艦娘の艤装と同能力のものを科学技術で作っているとか・・?」

「はい。付け加えるなら、艦娘たちが大洋を駆け巡っていた90年後というだけあり、同じ艤装でも戦闘能力は桁違いです」

「それを用いて・・・・・・いや、自ら艦娘を生み出し、完全な独力で深海棲艦に対抗していると・・・・・・・・・。そうですか」

 

所沢は深く頷くと、氷が解けすっかり温くなってしまったコーヒーを口に含む。一瞬、彼に倣ってカップの取っ手に指をかけるが、止めた。所沢の放つ雰囲気が、弱り切ったものから決意を秘めたものに変わっていたからだ。

 

「百石長官」

 

所沢は修羅場を潜り抜けてきた軍人にも負けない視線で百石を射貫いた。

 

「彼女に・・・・・みずづきに、日本世界の深海棲艦について探りを入れてもらえませんか?」

「探りを、ですか?」

「はい」

「しかし、既に日本世界の深海棲艦についてみずづきへの聴取はあらかた・・・・」

 

言葉を遮るように、所沢は首を横に振った。そして、目の前に置かれた例の書類を指さした。

 

「これを踏まえての、詳細な調査です」

 

思わず、生唾を飲み込んだ。その言葉には“方法はいとわない”というかのような気迫が備わっている。公平性・中立性、規則・規範。普遍的かつ先進的な研究結果の創出に必要不可欠なそれらが最重要視される科学。当然、所沢を含めた科学研究に従事する科学者はそれらの重視が真髄にまで染み渡っている。

 

それを、科学者としての矜持・プライドを捨ててでも彼は探究を追い求めていた。今回、百石に示された純然たる事実は所沢ほどの科学者に半世紀近く順守してきた矜持を変形させるほどの威力を有していた。

 

「百石長官? 私はね・・・・・・・・・人間に不可能はないと思っています」

 

彼の目は真剣だった。あやふやな精神論や風説を根拠に語る宗教家や霊媒師と対照的に科学者らしく、その言葉の裏には誰も反論できない科学に基づいた根拠があった。

 

「航空機、艦船、鉄道、自動車はおろか、この部屋にある本棚や机、ガラス、照明・・・・・」

 

空になったコーヒーカップを持ち上げる。

 

「これすらも科学の産物です。人間は時間と血が滲む試行錯誤、数世代にわたる失敗と成功の連結によって、不可能と言われた様々な偉業を可能にしてきました。そしてこれからも、可能となる偉業は加速度的に増え続けます。そして、いつかは・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

重苦しいを通り越して、室内の空気が凍り付く。

 

「これはあくまで推論です。根拠はありますが、反対意見をねじ伏せるほど強固なものでもない。ただね、私も人間ですから思ってしまうのですよ。・・・・私たちは世界をくまなく見ているようで、実は見ていると思い込んでいるだけではないか、とね」

「だったら・・・・・」

 

所沢の真意を受け、沸騰しかけた頭。心の中に広がる得体のしれない恐怖心を隠すように、苦し紛れにはじき出した言葉を誰にでもなく呟いた。

 

「私たちは何と戦っているのでしょうか?」

 

それに対する答えはない。一日の勤めを終え始めた斜光がブラインドの隙間から、相変わらず薄暗い室内を照らしていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

言葉では形容できない、厳かな雰囲気。入ってくる者を拒絶する冷たさでもなく、逆に歓迎する温かさでもない。今や人工林とは思えないほど鬱蒼(うっそう)と生い茂った木々。感情の起伏もなくただただ鎮座する風雨によって若干青みがかった大鳥居。両脇そして頭上をせり出した木々と共存させている参道。

 

都内の喧騒から隔絶されたここは、「神聖」という人間が生み出した言葉を本能的に教えてくれる場所だった。

 

「・・・・・・・・・・・・修文神宮、ね」

「日本で言うところの明治神宮。祀られている神様は違うけど、位置は全く同じ。社の雰囲気とかは・・・・・・みずづきに一任」

 

東京都広しといえど、ここしか充満していない特別な空気を思う存分肌で感じながら、みずづきはこの神社の名前を呟く。そこから何かしらの感傷を感じ取ったのか、隣を歩いている陽炎が説明を開始するもののすぐに息詰まる。即座にこちらに投げてきた。

 

「ええ・・・・。乗りかかった船じゃんか。なんで途中でやめるの?」

「う・・・・・。だ、だって私駆逐艦だったから、明治神宮の大まかな概要は知ってても、詳しいことは分からないのよ!」

「陽炎、静かに」

「すいません・・・・・・・・・・」

 

陽炎の背中に川内から少しとげのある言葉が刺さる。ここは瑞穂でも屈指の知名度と気品を有する修文神宮。また、近代化を推し進め、現代瑞穂の礎を築いた修文天皇が祀られているということもあり、境内での立ち振る舞いにはそれなりに気を遣わなければならない場所であった。

 

白雪たちはともかくあの深雪でさえ、ここでは非常におとなしくしている。川内が境内へ入る前にきつく言い聞かせたこともあるが、決してそれだけではないだろう。

 

「えっと・・・・・。修文神宮は1906年、修文44年に崩御した修文天皇の御神霊を祀るために造営された神社・・・」

 

陽炎が川内から注意された一端はこちら側にもあるため、彼女の下がったテンションを回復させようと原宿駅で手に取った無料パンフレットに書かれている文章を読む。その効果はあったようで陽炎は下降したテンションを即座に回復させ、胸の前で広げているパンフレットを覗きこんでくる。

 

「例年初詣客は都心の至近と言うこともあり瑞穂一を誇る」

「本当に明治神宮そのままだね」

 

陽炎が読み上げた文章やパンフレットの内容、そして参道の雰囲気。それらを見るとそうとしか言えなかった。

 

「みずづきは明治神宮に来たことあるんやんな?」

 

会話を聞いていた黒潮が尋ねてくる。六本木のとあるレストランで昼食を取った際、明治神宮と酷似した「修文神宮」に行く話を聞いたのであらかじめ彼女たちには「明治神宮に行ったことがある」旨を伝えていた。

 

「うん。小さい頃に家族と旅行でね。まぁ、あまりにも小さかったからほぼうろ覚えなんだけど。でも、この雰囲気は変わらないな~」

 

幼心に日本の明治神宮で感じた俗世とは明らかに次元の違う空気。ここ修文神宮も記憶の彼方で霞みがかっている感覚と同じものが漂っていた。

 

「そっか、日本の明治神宮もこんな感じなんだね」

 

神妙な面持ちで川内が周囲を見回す。神社は何も造営物と自然物だけで成り立っているわけではない。参拝者が柏手(かしわで)を打ち、おみくじに一喜一憂し、祭事に参加し、記憶にとどめてこそ信仰を集める神社である。参道には平日にもかかわらずこれから参拝へ向かう人、もう終えた人、単に散歩や散策、ジョギングに勤しんでいる人などで賑わっていた。

 

「お、拝殿が見えてきたぜ!」

 

いくらリラックスできる雰囲気とはいえそろそろ飽きていたのか、御社殿が見えてきた瞬間、深雪が歓喜に沸く。視界が開け、木々が急速に遠ざかっていく。砂利から石畳に変わる参道。その先に多くの人々が願いを捧げている外拝殿が堂々たるたたずまいで構えていた。

 

「やっと・・・・やっと・・・。長かった・・・・・」

「ちょっと初雪って・・・・はぁ~」

「もう・・・・初雪ちゃん、さっきまで歩いてたんだから、一人で歩けるでしょ? もう・・・」

 

 

注意しようとした川内だったが、息絶え絶えの初雪のうめき声が機先を制する。初雪は白雪にもたれかかり、彼女に肩を貸してもらう形で一歩一歩足を進めていく。当初は頬を膨らませていた白雪だったが、すぐに優し気なほほ笑みに変わった。

 

「初雪も疲れてるんだね」

「そりゃ、何気に黒潮や深雪並みにはしゃいでたからね、あの子」

 

陽炎が相槌を打つ。

 

「今日は楽しかったな~。東京タワーに六本木・赤坂。新宿で横須賀のみんなへのお土産も買えたし、夕闇に染まる空の下でお参り。ここまで羽を伸ばせたのは本当に久しぶり!」

「私もよ! わたしも! 最近は訓練に演習、帰っても報告書の作成やら明日の打ち合わせやらでろくに遊べもしなかったし。はぁ~~、これで幾分充電できたわ!」

 

茜色に染まり、東から紫色が迫ってくる空を見上げながら、陽炎と共に今日一日を噛みしめる。

 

近づきつつある、MI/YB作戦。今後の戦局、そして瑞穂の命運を左右する戦いは実感が湧かないほどゆっくりと、しかし着実に迫ってきている。気持ちを切り替え、明日からは再び訓練に邁進する日々だ。

 

陽炎の横顔を盗み見る。こちら同じように上空へ向けられる視線。そこには待ち受けているであろう苦難を覚悟する真剣な瞳があった。お互い、息抜きの余韻を壊したくない一心で口にはしないものの、抱いている想いは酷似していた。

 

「陽炎ーー! みずづきーー! 何してんの!! お参りするよ! お参り!」

「「へ?」」

 

いつの間に川内たちは外拝殿の前まで進み出ていた。参拝の列などはないため、すぐにでも柏手を打てる状態。慌てて、川内たちと合流する。

 

「うちは何をお願いしようかな?」

「休みが増えますように・・・!」

「だったら俺は給料が増えますようにで、どうだ!」

「二人とも、罰が当たっても知らないよ。もう少し、こう人様のためになるものにしようよ。というか、初雪ちゃん? 元気になったんなら一人で歩けるよね?」

「う・・・・急に動悸が・・・・」

 

表参道の脇では陽炎を除く駆逐艦たちが願い事を思案していた。少し遅れての合流となったがなかなかに難航している様子を見るとこちらも願いごとを熟慮する時間を確保できそうだ。自分たちを置いていったことへ恨み節の1つでもかましたいが、川内の前で和気あいあいと願い事で盛り上がっている駆逐艦たちを見るとどうでもよくなった。

 

「ん?」

 

そこで、何故今まで気付かなかったのかと過去の自分を殴りたくなるほどの異様な光景に気付いた。

 

「ねえねえ、陽炎?」

「私か~~~、どうしよっかな? って、みずづき? どうしたのよ? 願い事、何にするかって?」

「えっとね・・・あのね?」

「なになに、どうしたん? みずづき」

「ん?」

 

陽炎が不思議そうに顔を覗きこんでくる。彼女と願い事を話し合っていた黒潮や川内も同様だ。その表情を見て、質問の有無を迷ったが思い切って聞いてみることにした。

 

「陽炎たちって、軍艦の転生体・・・・・付喪神のような存在だよね?」

「そうだけど・・・」

「そのあまり気を悪くしないでほしいんだけど、人とは違う神様のような存在が神社にお参りするのはどんな気分なのかなって・・・」

 

陽炎たちはこちらの質問に瞬きを繰り返した後。

 

『あああ~~~~』

 

と、間抜けな感嘆を漏らした。

 

「やっぱり、みずづきもそう思う?」

「逆にみずづきだから、かな?」

 

陽炎と川内が苦笑気味に問うてくる。

 

「やっぱり?」

「私たち今まで初詣とか戦勝祈願とかで横須賀の神社とかにお参りに行くんだけど、そのたびに言われるのよね。今、みずづきが言ったことと同じようなこと」

「あはははは・・・・」

 

どうやら、先人たちはきちんと世にも不思議な光景にツッコミ入れてくれたようだ。少し眉に皺が寄ったあたり、陽炎のお気に召してはいないようだが。対照的に川内は普通に笑っていた。

 

「そりゃ普通に考えたら、おかしいよね。神様みたいな存在が神様に祈願するんだもん」

「でもうちら神様って言われても、そんな実感ないからな~」

「露骨に社を立てられて、崇められたこともないし・・・。艦内神社は別だよ?」

「神様として力を及ぼして何かを達成したこともあらへんし・・・・」

「柏手打たれて願いを託されたこともない・・・・・・あったかな?」

 

最後はなんとも締まらないが、総じて3人はみずづきの言葉の前に「う~ん」と首をひねり続ける。その様子があまりにおかしく吹き出してしまった。このような可愛らしい神様は信仰以上のものを集めそうだ。というか、現に集めているともいえるだろう。

 

「やっぱりそこいらに鎮座されている神様たちとは違うみたいだね、陽炎たちは」

 

その言葉がよほどうれしかったのか、陽炎は満面の笑みでウインクを決める。

 

「さっすが、みずづき。分かってるじゃない! 私たちはあやふやな神様じゃない。この世に生を受け、この体を持ったこの国に生きる人々の未来を守るため、あの人たちの想いを受け継ぎながら戦う艦娘。みんなとなんにも変わらない。少し境遇が違うだけの存在よ」

 

その言葉を紡ぎながら示される陽炎の表情と仕草、そして雰囲気がなにより彼女の言葉を証明していた。陽炎の言葉に川内と黒潮も「うんうん」と笑顔で頷いている。

 

みずづきが抱いた疑問は無粋だったようだ。

 

「よし! 決まった!! 川内さんたちはどうだ?」

 

深雪が飛び跳ねながら尋ねてくる。白雪や初雪もどうやら決まったようだ。

 

「みんな、大丈夫?」

「うちは決定済みや!」

「左に同じ」

「右に同じです!」

 

右側に立っている陽炎に倣う。願い事は既に決めていた。深雪はそれを聞くとすぐに外拝殿へと進み出る。

 

「こら! 深雪! こういう時ぐらい落ち着きさない!」

 

それに構わず、「早く早く」とこちらを急かしてくる深雪。彼女はどこでも平常運転だ。周囲の人々も自分たちが艦娘だとは露知らず、微笑ましく見守ってくれている。

 

「まったく、それじゃ行こっか」

 

川内に続き、多くの人々が現在進行形で祈りをささげている外拝殿へと近づいていく。

 

ここでの願い事は果たして叶えられる日が来るのだろうか。

 

修文神宮が今日最後の目的地。参拝を終えると、横須賀への帰路となる。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

正面の開け放たれた窓から黄金色に輝く丸い月が見える。左上に雲を従え、障子と土壁の額縁から見えるその姿は、高名な絵画と見間違えるばかりに美しい。残暑も過ぎ去りつつある中、いまだ夏と勘違いしてリンリンと優しい音色を鈴虫たちの合奏は、眼前の絵画に華を添えていた。

 

視線の下には、何度食しても飽きないお袋の味が染み込んだ懐石料理と数本の徳利がある。

 

帰心の知れた仲間同士でこの席を楽しめたなら、どれほど良かっただろうか。

 

もはや過去となってしまった光景を、つい忍んでしまう。目の前には本来ならこのような席を囲みたくもないメンツが座っていた。おかげで室内の空気も最悪。対面に座っている男たちはわざわざ持参した軍刀に手をかけそうな雰囲気をまとっていた。

 

「鬼のいぬ間にそのような知らせるため、祖国に身を削って報いている我々を呼び出したと。貴君はそうおっしゃるのですかな?」

 

「本物の海軍軍人なら人前で祖国に身を削って報いているなどと言わない」と心の中で愚痴を吐き、外の情景へ飛んでいた景色を現実(室内)へ引き戻す。満月の月と雲が織り成す絵画の下には、感動を一瞬で、不快感で塗りつぶしてしまうほどの人物たちが酒を仰ぎ、料理を摘まんでいた手を止め、こちらに殺気を向けていた。

 

下品極まりなく鼻の下に蓄えた髭と唇に直接徳利を当て、酒を飲んでいた男性は発言後も「早く答えろ」と睨み続ける。自分たちの頭でこちらの意図をくんでほしかったのだが、さすがにこれ以上沈黙を続けると軍刀で切られかねない。

 

こちらの真剣さを言葉にせずとも伝えるため、相手の目を射貫いたまま口を開く。

 

「ご多忙の身を考慮しても、今日お呼び出しすることが賢明と判断し、このような場を設けさせていただいた次第です」

「貴様、何様だ! 敗残兵ごときが誇り高き横須賀特別陸戦隊司令にそのような口の利き方。貴様の替えなどいくらでもいる。ここで天誅を下してやっても良いのだぞ!」

 

煮卵のように頭皮が黒ずみ、毛髪が全滅している男性は激高した様子で勢いよく膝を立てると、座布団の淵に置いていた刀を持ち上げる。彼の顔は本気だった。

 

彼らにとって、自分は戦場からおめおめと生きて帰って来た恥知らず。いくら一艦隊の指揮官であろうとも、先任であろうとも、房総半島沖海戦で生き残った「霧月」と大戦初期に壊滅した第2艦隊の生き残り3隻で構成された艦隊はスクラップ同然と思っている。そんな自分に敬意を示すような軍人ではないことは初めから分かっていた。

 

「武原、座れ。陸戦兵の命である刀をこのような細事で穢してならん」

「申し訳ありません、和深閣下」

 

髭を蓄えた男性が真顔で武原と呼んだ煮卵頭を制する。武原は男性に一礼すると、居ずまいを正した。しかし、相変わらず殺気は収まらない。日常的にとある人物の殺気を感じてきた身にとっては何ともないが、それを少しでも示唆すると切られそうであるため黙っておく。

 

対面に座っている2人の男性。海軍の軍服を着て、軍刀を所持していることからも分かる通り彼らはれっきとした海軍軍人である。

 

髭野郎は10月1日付で佐世保特別陸戦隊司令部より異動してきた、横須賀特別陸戦隊司令官和深千太郎(わぶか せんたろう)中佐。

煮卵頭は同じく10月1日付で沖縄防備隊より異動してきた、横須賀特別陸戦隊第1特別陸戦隊隊長武原勝(たけはら まさる)少佐である。

 

「いくら、あなたのお言葉とはいえ、それらを受け入れることはできません」

 

和深の言葉を受けまた一段階、室内の緊迫感が上昇した。

 

「これは御手洗中将直々の命令です。先ほど申し上げた期限までに計画の中止が行われない場合、我々は最終手段を講じることになります」

「やれるものなら、やってみるがいい。そもそも、あの御手洗閣下が我々と志を異にされていること自体がおかしい。我々は貴様の言葉を信用することができない!!」

 

和深と話しているにもかかわらず、武原が煮卵頭を真っ赤なタコ頭にして反論してきた。「黙れ」と睨みつけるが、意に介さない。

 

「御手洗閣下は孤軍奮闘の苛烈な戦いを通じて、我々の心を欺くため忌々しくも婦女子を模した化外(けがい)の正体を暴き、危険性を唱え続けられてきた! 昇進の道を捨て、汚名を被ろうとも、この大瑞穂のために骨を砕いて来られた! そのような偉大なるお方が化外の正体に近づく今次計画の中止を求められるなど、あり得ない!」

「私が誰かお忘れですか? 私はあなた方が全幅の信頼を置いている御手洗中将ご自身からの特命を受けて参っているのですよ。これは嘘偽りのない御手洗中将のご意思です。神仏に誓って断言いたします」

「神仏に誓って、だぁ? 貴様がどれほど言葉を重ねようが我々の認識は揺るがない。貴様らは・・・東京は権力と地位が欲しいがために的場と妥協に妥協を重ね、許しがたいことに化外の排除を脇に置き、擁護派どもと手を結んだ。我々に断りもなく、突然、一方的にだ!」

 

唾を周囲に飛ばしまくり、武原は自分たちにとって都合のいいように作り替えた事実を垂れ流す。本気でそうだと信じているのなら、もはや妄想と現実の区別がついておらず、即刻精神病院に入院しなければならないほどだ。

 

彼の言っていることも全てが虚偽なわけではない。事実、すでに艦娘の排除及び軍人による国防の完結を大戦勃発以降声高に叫び続けていた排斥派は綿密な人間関係を維持しているものの、「MI/YB作戦早期実施」「房総半島沖海戦の敵討ち」の御旗の元に多数の擁護派を巻き込んで「攻勢派」として姿を変えていた。しかし、これにあたりもともと血の気が多い将校たちの反発を抑えるため、排斥派上層部は目回しに目回しを重ねた。当然、彼らにもその話を伝わっており、蚊帳の外に置いた事実はない。

 

「裏切者!」と突っぱねたことを蚊帳の外に置いたと表現する事は、ただの強弁でしかない。心の中で長いため息をつく。彼らがもう手に負えられないほど過激化しているとは報告を受けてはいたが、御手洗が特命を発したことも納得だ。

 

「前科がある人間の言葉など誰が信じようか。御手洗閣下、御手洗閣下を連呼するが、それが御手洗閣下のご意思だとは到底思えない!!」

「どういうことだ?」

 

自身の妄想を貫き通すためだけに御手洗の意思を捻じ曲げようとする姿勢に膨らみに膨らんでいた堪忍袋がついに限界を迎えた。破裂はなんとか抑えつつ、ドスの聞いた低い声で問いかける。こちらの反応があまりに予想外だったのか、武原は先ほどまでの挑戦的な姿勢を一変させ、「いや・・・・」と目を泳がせる。額には急速に汗の球が出現していた。

 

「我々は、御手洗中将はあなた方にたぶらかされているのではないか。そう思っているのですよ」

 

怯えてしまった武原とは対照的に和深はお猪口をあおりつつ、平然と答えた。

 

「いくらあなたが御手洗閣下の特命を口にされても、我々に疑念がある以上、あなたのお言葉は我々の胸に御手洗閣下のお言葉として届かない。である以上、我々は我々の信念に従って行動させていただきます。申し訳ありませんな。それに・・・・・・」

 

和深は武原など吹けば飛んでしまうほどの物々しい気迫を乗せた視線を向けてきた。背筋に悪寒が走る。

 

「既に賽は投げられました。今さらどうこうしろ言われても、もう遅いのですよ。潜入させた手駒には命令を下し、おそらく数日中に計画は実行されるでしょう。邪魔されるも、傍観されるもあなた方の自由だ。しかし、これだけは言っておく。正義は我々にある。その正義を邪魔しようというのなら我が横須賀特別陸戦隊が総力をもって聖戦遂行に身命を賭すだろう」

 

その言葉に頷いた後、額の汗を拭った武原も死を覚悟している視線を向けてくる。

 

来るべき流血の事態を避けるために行われた会談。それは和深たちの見当外れな硬い意思によって決裂した。

 

 

 

 

 

 

「はぁ・・・・・・・・・」

 

会談の内容を反芻するたびにため息が漏れる。そして、徳利を仰ぐごとに消えていく焼酎。先ほどまでは全く気が進まなかったにもかかわらず、今は面白いように酒が進んだ。あれほど、残っていた懐石料理もほとんど消えている。

 

「やはり、もう強硬手段しかないか・・・・・・」

 

唐突に自身しかいない室内に他者の声が響く。振り返ると開け放たれた障子越しに、深い皺が刻み込まれ、不機嫌そうな様子の海軍軍人が立っていた。直に彼らの様子を聞こうと最初から対面の部屋で聞き耳を立てていたが、彼らの退散を確認したが故に姿を現したようだ。遥かに階級の高い人物であったが、もはや敬礼をする気力もない。軍人はそれに眉をひそめることもなく、隣に腰を降ろした。直に畳へ座っているため、「せめて座布団でも」と腰を上げるが「いい」とぶっきらぼうに気を遣われる。

 

軍人は窓から見える満月に視線を向けた。

 

「私がたぶらかされているとは、他人の分際でよくも言ってくれる」

「さすがは中将閣下。熱い信頼を勝ち取られていますな」

 

苦笑を浮かべながら皮肉を言う。中将はバツが悪そうにこちらを一瞥した。

 

「あれは信頼ではない。依存だ。自分たちの信念が崩れていく様に恐怖を感じ、必死に拠り所へすがっているだけ。・・・・・・・・醜いものだ」

 

そう言いつつ、彼の口調は蔑みに染まってなどいなかった。

 

「しかし、最悪の事態となりました。いかがいたしますか?」

 

その問いを受け、御手洗がこちらへ視線を向けた。

 

「既に警備隊の有志には伝えてある。あの野獣ども従えている川合なら、作戦を知っても動揺せず的確に制圧へ動いてくれるだろう」

「お言葉ですが、警備隊は所詮警備隊。陸戦隊とは兵力も装備も桁違いです。陸軍を動かすことはできないのですか?」

「そんなことをすれば、この一件は確実に現体制の転覆を図ったクーデターとして処理される。一応関東方面隊と話はつけているがそうなれば、和深も武原も死刑は免れん。瑞穂海軍の名誉は今度こそ地に落ちる。また短期的な影響に留まらず歴史に未来永劫、海軍は同族殺しをしたと刻み込まれるんだぞ?」

「陸軍が動かない以上、もし衝突に発展すれば警備隊側に多数の犠牲者が、そして艦娘たちにも犠牲が生じるかもしれないんですよ!? そうなればますます・・・・」

「落ち着け。俺は犠牲者を1人も出さないために今日まで必死に駆け巡ってきたんだ。既に手筈は整った」

「っ!? では?」

 

彼の言葉に心から歓喜か湧き上がる。もう少し酒が回っていれば上官の前でありながら、子供のように飛び跳ねてしまうところだった。彼も最初は強い口調だったものの言葉を重ねるごとに気迫は消え、最後には笑みを浮かべていた。中将は未使用のお猪口を傾ける。彼の意図を察し、まだ手を付けない徳利から酒を注いだ。彼は満足げにお猪口を揺らす。

 

「ああ。万全を期すために俺が乗り込むことになるだろうがな?」

 

そう言って、中将はお猪口を仰ぐ、一気飲みだ。その言葉は彼の性格を考えれば至極簡単に思いつく帰結だが、いまだに一抹の不安が消えない。その心情を察したのだろうか。中将は再び窓の外に浮かぶ満月を見ながら言った。

 

「・・・・・あの世にはあいつらがいる。だが、あいつらは優しいから俺が来ることを望んではいない。雪子は今も幸せだったあの頃の面影を胸に抱いて、俺の帰りを待っている。1人の男として、あいつを残しては逝けない。・・・・・俺は意地でもまだ死なない。だから、安心しろ。万事解決して、勝利への道を進むのだ」

 

迷いを感じさせない力強い言葉。彼は相変わらず、月を眺めていた。その横顔からでも彼の覚悟を把握することはできた。

 

光を宿す瞳。

 

その瞳に見据えられた月は雲を被ることもなく、闇に沈みかけた世界を淡く、優しい光で照らしていた。




本当は日本人なら誰でも知っているようなところではなく、もう少し東京らしいところを描きたかったのですが、東京に土地勘がない作者には無理でした(東京は時代ごとに変化か著しい街ですから、なおさら難しい・・・・・)。

次話から舞台は横須賀に移ります。



ここからは恐れながら、文中に出てきた難しい言葉の解説を少々行いたいと思います。雑談のようなものなので、興味がない方はスルーしていただいても結構です。
(私が習った内容に基づいてお話するので、この点に留意してもらえると嬉しいです)

注釈する言葉は「化外(けがい)」という言葉です。初めて目にするという方も多いのではないでしょうか。

この言葉は隣国で21世紀の現代でもそれなりに影響力を持っている中華思想、厳密にいえば華夷秩序と呼ばれる、中国皇帝を中心とした東アジアにおける階層的な国際関係において登場する概念です。華夷秩序は現在の国際関係(主権国家は例えアメリカだろうが、アイスランドだろうが平等)とよく比較される国家間(王朝間)に純然たる序列が存在する不平等な国際関係です。この華夷秩序の世界観は円でよく表現され、皇帝を世界の中心として、皇帝から地理的に遠ざかるにつれて内臣、外臣、朝貢国と区分されていきます。多くの方もご存じのとおり、かつて朝鮮やベトナムは中国王朝に貢物を送り、その代わりその土地を統べる王と認められていたため、朝貢国でした。日本も室町時代の一時期などは朝貢していたため、朝貢国になるかもしれませんが、島国であるためか少し曖昧です。この朝貢国の外側、すなわち中国皇帝の支配を受け入れない、または及ばない地域の民族、集団が「四夷(しい)」あるいは「夷狄(いてき)」とされていました。そして、このさらに外側にいるのが「化外」です。

wikiでは夷狄と化外が同じ領域の概念のように書いてありましたが、少なくとも筆者が聞いた話では、夷狄より化外が外です。

中国では、武力で抹殺する欧米諸国と異なり、相手が自ら進んで支配下に入りたがる高貴さ、教養深さ(徳)を持って支配することが文明的とされ、皇帝は王や民を教化し、導かなければならないと考えられていました。この思想には夷狄も含まれるそうです。

この点を抑えた上で、化外の話に戻ります。「化ける」という字は化物などにも使れるとおり、人ではない獣を表す漢字です。

「化外」とはすなわち、「人ではない」ため『教化する価値もない獣』という意味があり、中国における他民族への蔑称でも激烈な部類に入ります。欧米でいうところの“イエローモンキー”でしょうか。中国は朝鮮や日本になどに対しては使用していなかったそうですが、未開の原住民や欧米人には公文書で使用したことがあったそうです。

なので「化外」はかなりヤバい表現です。蛮族や原始人、未開人、土人などとは次元が異なることだけはご理解いただいた上で、文中の発言。

・・・・彼らは艦娘に対して“そういう”認識ということです。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。そして、少し端折り気味なのでおかしいところがあるかもしれませんが、すみません。作者が勉強不足です。

もし、周辺で軽々しく「化外」などと使っている人がいたら、さりげなく注意してあげて下さい。いつか問題になった土人よりこちらの方がヤバいです。




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75話 忍び寄る影

先週はご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。既にすっかり体調も回復したため、先々週までと同様に投稿を行いたいと思います。

では、二週間ぶりとなりますが、どうぞ!


横須賀鎮守府 工廠

 

 

 

西の空が色づき始めたものの、まだまだ太陽の強い影響圏下にある時間帯。時計の針が時を刻むごとに、迫ってくる課業終了の刻限。どう考えてもそれまでに終わりそうにない仕事を抱えている将兵たちは階級に関わらず、工場内で、道路上で、工作機械の前で、事務所の中で追い込みにかかっていた。

 

道路を疾走するトラックを横目で見ながらやってきた艤装工場。ここも他の区画に類を見ず、多忙を極めていた。

 

「あの・・・・すみませ~~~~ん! 先ほど連絡させていただいたみずづきですけど!」

 

開け放たれている巨大な鉄扉の隅から顔を覗かせ、声を張り上げる。視線の先には汗と油にまみれた将兵と妖精たちが徒競走でもしているのかとツッコミたくなるほど真剣な表情で走り回っていた。

 

「・・・・・・・・・・・」

「おい! 馬鹿野郎!! この報告書を総務に上げたやつはどこだ!? 数字がはなから違うぞ!」

「作業の進行状況は?」

「あと30分だそうです! 先日発生した鋼の湾曲も既に解決済みであります!」

「よし! お前の班は作業完結後、妖精たちは開発へ回してくれ。どうにも芳しくないようでな」

「おい! こら!! お前らどこにトラック置いてる! ここは道路だ! 道路!!!」

「うるせぇんだよ! 工廠長がいないからって調子に乗りやがって! お前らだって俺らの通り道に資材山積みにしてただろうが!!」

「いつの話を蒸し返すんだ!? 腐った女みたいに!」

 

みずづきの声はミサイル並みに大気中を飛翔し、着弾する怒号によって上昇中にあえなく迎撃されていた。

 

「全然聞こえてない・・・・・・。ん?」

 

「走るな! 危険! 漆原」と隅で書かれた張り紙があちこちに張ってある。もちろん、誰も一切順守していない。それほど忙しいのだろう。次期作戦の足音が日を追うごとに大きくなっている今日この頃。工廠も足音にせかされている代表的部署だった。しかし、これではこちらの存在に課業終了まで気付いてもらえないだろう。

 

大きく息を吸い込む、最大限肺に空気を貯蔵。そして、腹に力を入れ、横隔膜のさらなる収縮を誘発し、声帯を一気に臨界点へ昇華させる。

 

「すみませーーーーーーーーーん!!! みずづきですけどーーーーーーーーーー!!!!! ・・・・ゴホッ! げっほご!! ごほ・・ゴホッ!!」

 

生体器官に無理を強いた反動が、声を出し切った後に押し寄せてきた。喉に発生した違和感を体が条件反射的に解決しようと試みる。結果、咳が優先され声を出すまで少し時間がかかった。

 

「ゴホッ! ・・・・ん! はぁ~~。どう・・・これでさすがに気付いてもらえ・・・」

 

 

「これから残務処理かよ! 畜生!!!」

「黒髪ちゃんちょっと!!! は? 黒髪ちゃんは!」

「黒髪なら開発の方へ行ってますけど、どうされました曹長?」

「この子がこれの比率を知りたいそうだ」

「こりゃ・・・・・。我々では手に負えませんね・・・・」

「だろ?」

「だいだい、お前んところが一昨年に総務と財務に手を回して、仕様計画書をおしゃかにしたんだろうが!!!」

「だから、過去の話を蒸し返すな!」

「俺は事例を出して反論しているだけだ!! また、退廃的とか言って煙に巻く気だろうが!!」

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・。マジ?」

 

思わず、天を仰ぐ。わずかなきらめきを得た儚い希望は目の前の戦場を前に、なすすべもなく打ち砕かれた。

(どうしよう・・・・・・・・)

これ以上、大きな声を出せば、確実に何か大事なものを失う。かといって勝手に工場内に入れば、殺気だっている将兵たちを見るとお説教は確定。

(ここに置いていこうかな・・。いやいや、連絡して伺いますって言っちゃったから顔出さないとまずいし・・・)

右手に握っている中身の膨れた2つの紙袋を持ち上げる。買った者の1人として贈り主が喜ぶ顔を見たい。

 

「あれ? みずづきさんじゃないですか? こんなところでどうしたんですか?」

 

飛び交っている怒号とは次元が異なるその声に現状打破の気配を察知し、首の筋肉が悲鳴すらあげられないほどの速さで声が聞こえた方向を向く。

 

「うわぁ! はやっ!! って、本当にどうされたんですか? 汗、びしょびしょですよ!」

 

声をかけてくれた女性はいつも来ている白衣をはためかせながら、わたわたという擬音がぴったりな動きで様々な視点から心配そうにこちらを覗う。

 

「椿さん・・・・・。良かった・・・良かった・・」

「ん? みずづきさん? あの・・・・大丈夫ですか?」

 

みずづきの様子にただならぬ気配を感じた椿澄子海軍中尉はますます眉を下げるのであった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「コーヒーと紅茶、どっちにしますか?」

「ではコーヒーで」

「分かりました」

 

艤装工場の2階にある応接室。7畳ほどの空間に座卓とソファーが一組と小さなテーブルが一つ。椿が張り付いているそこには各種インスタント飲料と給湯室から取って来たやかんが置かれている。壁には表彰状や工廠の過去を映したものと思われる白黒写真が飾られている。百石がいる執務室、ましてや軍令部の応接室とは比較にならないが、油の匂いが充満し、一日で出たゴミがあちこちにまとめられている1階からは想像できない清潔さが保たれている。

 

「すみません。お忙しいところ、お手間を取らせてしまって・・・」

「いえいえ、大丈夫ですよ。私もちょうど一服つきたいと思っていたところですから」

 

やかんのお湯をコップに注ぎながら、肩越しに椿は笑顔を見せてくれる。煙たく思っている様子はなかった。

 

「はい、どうぞ。お待せしました」

「ありがとうございます・・・」

 

椿から熱々のコーヒーが入ったカップを受け取る。椿が席に着き、コーヒーを口に含んだことを確認し、口をつける。口内にコーヒー特有の香ばしい苦みが広がった。

 

「ふふふ・・・・お気に召したようでなによりです。それで今日はどのようなご用件で」

「あ・・・・えっとですね・・・漆原工廠長は?」

「リーダーは航空基地の方に出向いています。なんでも急な打ち合わせが入ったとのことで」

「そうですか」

 

椿が両手でカップを持ちつつ答える。事前に工廠へは連絡を、正確には漆原へ伺う旨を伝えていたのだが留守の可能性も告げられていた。その際は工廠関係者に渡しておいてくれと言われていたため、椿に渡しても問題はないだろう。

 

「実はですね・・・・・・・」

 

足元に置いた紙袋から中身を取り出し、椿の前に差し出す。椿は興味津々の様子で差し出された箱を凝視する。

 

「これは・・・・?」

「これは先日、東京で出向いた際に買ってきたものです。工場の皆さんには日ごろからお世話になっているので、せめてものお礼として」

「え!?」

「粗品ですがお納めください」

「え・・・・そんな」

 

苦笑気味に胸の前で手を振る椿を無視して、2つの紙袋に入っていたお土産の箱を座卓の上に並べていく。彼女の動揺は箱を並べるごとに大きくなっていった。

 

「こんなにたくさん・・・・・・」

「すみません。あらかじめ艤装工場と開発工場の将兵さんたちに合わせて用意したんですが、もしかしたら数が・・・」

「いえいえ、そこまで心配して頂かなくても十分です! みなさん、きっとお喜びになると思いますよ」

 

椿は満面の笑みを咲かせる。

 

「みなさん、艦娘さんたちのお土産と言ったら飛び跳ねますよ。私も和菓子は大好きなので嬉しいです!」

「それは良かったです」

 

反応は上々だ。立ち寄った和菓子屋でおススメされた白あんの饅頭を買ったのだが、選択は間違っていなかったようだ。緊張の糸が切れて、安堵のため息が漏れる。

 

「ふふふ・・・・・」

「ん? どうしたんですか?」

 

いきなり上品にも口元に手を置いて笑い出した椿。その理由が全く分からなかった。

 

「いえ、こういう作法というか仕草は日本も全然変わらないな、と思いまして」

「ああ~~~~」

 

彼女が笑い出した理由に納得する。土産物を渡す作法も国によって、また地域ごとに様々だ。

 

「また1つ、並行世界のことを知ることができました。みずづきさんからお土産を受け取れて良かったです!」

 

嬉しそうにガッツポーズを決める椿。白衣のかわりにスポーツウェアを着ていたならば、スポーツ選手に見える仕草だ。

(本当に日本のことを知りたいんだろうな~~)

 

椿とはこれまで何度もこのように話してきたが、彼女は新しい知識を得るたびに子供のように喜んでいる。日本が絡む話はいつも興味津々。例えば現在のように夕張が好む武器関連以外の話でも彼女は常に耳を立てている。最初は強襲されたこともあり警戒心を抱いていたが、彼女はそうそう肉食獣に変貌することもない普通の女性士官。今では警戒心はすっかり薄れ、気軽に話ができるまでになっていた。

(私ももう少し人を見る目を養わなきゃね。・・・・・って)

心の中で微笑みながら何気なしに椿の胸元を見た瞬間、目が釘付けとなる。その変化に築いた椿は首をかしげながら問いかけてきた。

 

「どうしたんですか? みずづきさん。胸にゴミでも・・・・・」

「あ!? えっと、その・・・・・・」

 

自身がしていた行動の意味に気付き、慌てて視線を逸らす。おそらく耳は真っ赤に染まっているだろう。もしこれと同じことを陽炎や黒潮にした場合「なに?」と理不尽な世界に対する怒りを受けることは確実。瑞鶴なら、下手をすると爆撃を受けかねない。

 

だが、椿はみずづきが耳を赤くしている理由が分からないようで、首をしきりにひねっている。彼女の天然ぶりには感謝だ。邪念を振り払い、胸を凝視した本当の理由を復活させる。

 

「いえ、その・・・・椿さんのお名前・・」

「ああ。これですか?」

 

合点がいったと言わんばかりに、首から下げられ胸の膨らみで若干浮いている名札。日本では一般的な写真やバーコードの類が付与されたネームプレートより遥かに簡素だったが、名札としての役割は十分に果たしている。

 

そこには椿の名前が、漢字で書かれていた。

 

「お名前は知っていましたが、澄子(すみこ)ってこう書くんですね・・・・・・」

「はい。この名前は気に入っているんですが、この澄って字は同時にきよいとも読みますから、時々きよこって間違えられるんですよね」

 

「澄」を「きよい」と読む。日本人の中には知らない人間もそれなりにいるだろうがそれはみずづきにとって、幼い頃、まだ学校で「澄」を習う前から知っていた自身の常識だ。

 

なぜなら、「澄」と言う字は・・・・・・・・。

 

「みずづきさん? 私の名前、日本じゃ珍しいんですかね?」

 

椿はみずづきが自分の名前に注目した理由をそう解釈した。当然、その問いにみずづきは首を横に振る。

 

「いえ、私の身近な人にも“澄”と言う字が含まれている人はいましたよ」

「そうですか・・・・。なんだか、嬉しいです!」

 

嬉しさを目一杯たたえた、見ている者さえ笑顔にしてしまうほどの眩しい笑顔。よほどうれしいのか、みずづきの神妙な声色に彼女は気付いていないようだ。

 

自分と同じ字を名前に使っていることを知ったためか、この時ばかりは笑顔を爆発させている彼女が全くの他人とは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

道路や歩行者の足元を優しく照らす街灯。鎮守府全体がまどろみに沈み始める時間帯にもかかわらず、電力を消費し続けている建物内から漏出した弱々しい光。

 

月と星々を隠しつくした雲によって、灯たちの勢力圏外は一寸先も分からない黒の世界となり果てていた。

 

「話し込んでたらこんな時間になっちゃった・・・・。ごめんね、忙しいのに長々と突き合わせちゃって・・・・・」

「いえいえ、とんでもないです!!」

「あんた、もう少し堂々としなさいよ! 悪くもないのに謝る必要なんてないのよ、本来は。まったく、あんたたちは・・・・・。鬼神っていう二つ名が聞いてあきれるわ」

「やめて! 恥ずかしいから! 二つ名とか言わないで!!!」

 

みずづきの常軌を逸した反応に、茶髪の妖精といい黒髪の妖精といい、見送りに立ち会ってくれた妖精たちが爆笑の渦を巻き起こす。朝から今まで工廠内で職務に従事していたにもかかわらず、まだまだ元気と体力は有り余っているようだ。瞳は今起きたばかりというように神々しい輝きを放っている。何度もあくびをかみ殺してきた自分とは対照的である。

 

「もう! 私の名前はみずづきだからね! 二つ名とかない、みずづき! それじゃあ! お休み! 漆原工廠長にもよろしくね」

「分かったわ。長であるこの私に任せない!」

「おやすみなさい、みずづきさん!」

 

足元で手を振ってくる妖精たちと遠くで作業しながら軽い会釈をしてくる将兵たちに見送られて、みずづきは艤装工場を後にする。すっかり夜も深くなり、来るときはまだまだ太陽の支配下にあった世界もすっかり闇に沈み、怒号や罵声が飛び交っていた工廠は眠り支度を始めていた。昼間は汗や油でまみれた将兵たちや素人目には理解不能の機械や部品を積んだトラックが縦横無尽に駆け回っていた道路も静まり返っている。建物には明かりが灯り、人の気配が完全に途絶えた訳ではなかったがここには自分1人しかいないようだった。

 

時刻は21時半すぎ、あと1時間半もすれば消灯という時間では当然の光景だった。

 

点々と孤独に設置されている街灯の明かりに沿って、艦娘寮へ歩いて行く。その足取りは周囲の雰囲気、そして体を覆い尽くす倦怠感に対して軽やかだった。

 

「すっかり遅くなっちゃった。報告書は明日かな・・・。でも、久しぶりに椿さんや妖精たちと話せたし、いいか」

 

今日みずづきは第一機動艦隊と共に日が昇る前から起床・出港し、夜明け前及び夜明け直後の天候条件を想定した訓練を行っていた。さすがに時間帯が時間帯なだけに盛大な騒音を発生させる実弾や演習弾を用いた訓練ではなかったものの、艦隊運動・敵情の伝達、赤城・翔鶴航空隊の発着艦訓練を行っていた。

 

いつもなら睡魔で刺激された脳内から愚痴の1つや2つが沸き上がってくるものだが、課業開始が早かった分、課業終了が繰り上げられ、比較的早い時間に工廠を訪れることができた。その結果、椿からお土産の送り主としてこれ以上ない反応を見ることができた。彼女はあの後残務処理のために退出したが、入れ替わりでやって来た漆原、そして妖精たちと久しぶりに話し込むことも実現した。忙しすぎて関わりを持つ人たちが固定化されていた身としては嬉しい限りである。

 

「早起きは三文の得、か・・・・。初めてことわざの意味を理解したかも」

 

今日は早起きによって三文以上の、貨幣では換算できないほどの得をした。

 

「毎日は勘弁だけど、たまには早起きするのも・・・・いいかな?」

 

今朝、自身が抱いていた気持ちとは対照的な感慨に苦笑を浮かべる。その時だった。

 

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・!」

 

眠りにつきかけていた軍人の五感が、おぞましい意志を宿した“何か”を捉えた。それは幻でも妄想でもなく、確実に自身の後方に存在していた。建物の影に隠れ、こちらをじっと観察している。意識を背中に張り付け、視線は前方へ向いたまま今まで通りの歩みで、足を進める。

 

「・・・・・・・・・」

 

何かは、後を付けてきた。こちらと同じ歩行速度で、音をほとんど発さず、まるで事前にシミュレーションをしていたかのように街灯を回避し、徹底的に闇と同化している。警戒心を叩き込まれていない一般人なら帰宅するなり、交通機関を利用するなり最後まで気付かないだろう。先ほどまで抱いていた高揚感は本能が鳴らす警報音で完全に消滅していた。

(手慣れてる・・・・・・。素人じゃない。しかも、この気配は・・・・・)

みずづきは“何か”が発する微細な気配に心当たりがあった。

 

星空の下、赤城たちと次期作戦について話し合った時。建物の隅からこちらの様子を覗っていた翔鶴と瑞鶴に紛れる形で存在していた別種の気配。翔鶴と瑞鶴が姿を現したと同時に消えてしまったため、この瞬間まで気のせいだと思い記憶の奥底に封印されていた。

 

みずづきは特殊護衛艦。一通りの近接格闘訓練を受け、祖国と所属する組織の裏側に放り込まれたといっても、影の住人ではない。危機察知能力は彼らに遠く及ばないが、この気配は確かにあの時感じたものだった。

 

二度も木陰からこそこそとこちらを観察する“何か”。なんらかの目的があると見て間違いないだろう。そこで相手の出方を覗うためとあるアクションを行った。不意に立ち止まると何気なしに左側にあった建物に目を向ける。“何か”は道路の左端に沿って進んできていたため、こうすれば視野に入るはずだった。

(・・・・・・やっぱり、プロだ)

“何か”はこちらの行動を予見したかのように、立ち止まった瞬間、ここから絶対に見えない乗用車の影に身を潜めていた。そして、歩き出すと再び全く同じ歩行速度でついてくる。

(・・っ)

それを確認すると一気に汗が噴き出した。いつもより粘着度が増した汗によって衣服と肌が密着し、熱の放出を阻害する。不快でたまらない。相手ほどの手練れなら、こちらが相手の存在を気付いていると看破している可能性は極めて高い。にもかかわらず反撃や逃走、或いは警備隊などに通報される危険性を冒しても、何かは後をつけていた。

 

“危害を加えられるかもしれない”

 

直感がそう訴えていた。相手の目的は不明。しかし、何かが強い意思を持っていることは確かだった。

 

艦娘寮は既に視界に入っていた。駆け出したくなる本能を、訓練された理性が弾圧する。ここで明らかに気付いていると声高に叫ぶ行為は危険すぎた。

 

呼吸が高まる心拍数に連動しないよう死に物狂いで、平静を演出する。永遠にも感じるほど長い時間を経て、とうとう、艦娘寮が面している道との交差点にやってきた。ここを右に曲がれば、ゴールは目の前である。

(さぁ・・・・どう出てくる・・)

ここを超えれば、一気に街灯が増えてくる。いくらプロとはいえ、相手に気付かれないよう闇に紛れるのは至難の業だ。気付かれたことを察知し、仕掛けるつもりならば今しかない。こちらが動かなくとも、相手が動く可能性は大。普通に手を振りながら、足を踏み出しながら、対応術を頭の中でシミュレートする。五感は伊豆半島沖で戦艦棲姫を有する敵重機動部隊と戦った時以来の感度を誇っていた。

 

しかし、“何か”は仕掛けてこなかった。何も起こらない。交差点を曲がると先ほどまでの出来事が幻のように、忽然と“何か”は消えた。

 

得体の知れない危機感を覚えつつ、みずづきは艦娘寮玄関の引き戸を開けた。

 

「え~~~? だから、黒潮。もう少し大きな声で言ってくれなきゃ、聞こえない! って、みずづきじゃない。おかえり」

 

玄関のすぐ隣にある階段を陽炎がのぼろうとしていた。さりげなく「おかえり」と言ってくれた彼女は作務衣のような寝間着を着て、特徴的な色の髪の毛を降ろし、夜独特の可憐な姿になっていた。その緊張感が微塵もない姿を見ると、一気に強張っていた身体の力が抜けた。

 

いくら意地を張っても、いくら理性で抑え込んでも、生を欲する人間である以上、恐怖は制御できなかった。

 

「か、陽炎・・・・・・。ただいま」

 

そう呟いた言葉が、酷く尊いものに感じた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 提督室

 

 

 

つい先ほど消灯時間を迎えた鎮守府。半ば無理やり休息へ追い込まれた照明たちは完全に闇の恐怖感を煽る背景と化していた。ここ提督室のように闇の侵攻から逃れている部屋もところどころに存在するが、消灯時間を経た現在では、あくまでも少数派だ。

 

窓の外に広がる闇と絶望的な抵抗を続けるわずかな照明たち。当直以外でそこを我がもの顔で闊歩している怖いもの知らずはさすがにいなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

百石は窓辺に立ち、ガラス越しにその光景を眺めていた。室内の照明によって即席の鏡となっている窓ガラスには深い皺が顔中に走り、険しい表情の自分自身が鮮明に映っていた。

 

その原因はさきほどまで提督室を訪れていた参謀部長緒方是近(おがた これちか)少佐が焦燥気味に寄こした緊急報告にあった。これがなければ今頃、百石は別邸に帰宅し、湯船で一日の疲労を洗い流していたところだった。

 

“特別陸戦隊司令部及び陸軍横須賀要塞根拠地隊に不穏な動き有。また、神奈川県警警備課特命チームが横須賀入りしたとの情報も”

 

「一体、どういうことだ・・・・・・・」

 

これはまさに青天の霹靂、寝耳に水の情報だった。このような報告など全く予想しておらず、緒方から聞いた瞬間、思考が凍り付いてしまった。単にその報告なら警戒レベルを上げるなり、翌日横須賀特別陸戦隊司令の和深大佐を呼び出し、真意を問いただすなり、軍令部から横須賀特別陸戦隊司令部及び横須賀要塞根拠地隊を指揮する陸軍関東方面隊司令部に確認するなり、それらを行う時間的猶予は大いにあった。しかし、緒方たち参謀部が不穏な動きと断じた根拠は悠長に構えていられる代物ではなかった。

 

現在、横須賀特別陸戦隊は2日前から4日間の日程で四六時中、基地施設が置かれている田浦地区内で限定的な近接戦闘演習を行っている。特別陸戦隊司令部から直々に、そして陸戦隊司令部から提出された演習計画書には各部隊の歩兵中隊である第1、2中隊、重迫撃砲中隊である第3中隊、戦車中隊である第4中隊に所属する全将兵2835名が参加する旨が記されていた。通常なら特別陸戦隊といえども、陸軍の演習場を使用して演習は行われる。これだけの戦力を一度に投入するにもかかわらず基地内で行われる事態は異例中の異例だった。

 

普通に聞けば陸戦隊の熱血さに感銘を受けるところだが、田浦地区が担当区域となっている警備隊第4分隊の報告では「明らかに参加部隊が少ない」らしい。また、弾薬や食料を満載した五美財閥の一社、五美運送のトラックが頻繁に田浦地区へ出入りしていることも確認された。特別陸戦隊の基地であろうが田浦地区の管理は一元的に横須賀鎮守府が担当している。そのため、当然車両の出入り・物資の搬出には鎮守府総務課への届け出が必要なのだが、総務課には一切警備隊第4分隊の報告にあった弾薬や物資の搬入は知らされていなかった。陸戦隊司令部もそのような指示は出していないという。

 

「演習といいつつ、実戦部隊の雲隠れ。一部隊独断での過剰な弾薬・物資の貯蔵・・・」

 

これの動きは横須賀要塞根拠地隊にも言えた。さらに当部隊では佐官以上の士官に裏で非常招集がかけられているとの未確認情報もあった。

 

そして、横須賀鎮守府参謀部が警戒心をあぶられた最たる理由。

 

「陸軍根拠地隊はともかく、特別陸戦隊司令は排斥派の中でも最強硬の和深千太郎。旧知の仲であり、信念を同じくする武原勝は第1特別陸戦隊隊長・・・・・・・・」

 

自身とはかけ離れた価値観の持ち主だけに10月1日の人事異動で横須賀に来る前から彼らの存在は知っていた。

 

房総半島沖海戦を受け、艦娘の処遇を脇に置いた排斥派上層部と激しく対立。半暴走状態に陥っていること、そして対外・内の諜報活動を行う軍令部情報保全室、憲兵隊が「要監視対象」としてマークしていることも耳に入っていた。

 

 

 

 

言い知れぬ危機感が、規則的に鼓動を打つ心臓を鷲づかみにした。

 

 

 

 

「備えあれば、憂いなし・・・・・・・」

 

この言葉。そして、そう呟きながら机の上に置かれている黒電話に手を伸ばす感覚に既視感を覚える。記憶の引き出しを開け放つと、すぐに正体が分かった。

 

「みずづきがやって来た時もこうだったな。あの時は結局無駄骨に終わったが・・・」

 

黒電話の受話器を上げ、ダイヤルを回す。

 

「今回は遥かに嫌な予感がする・・・・・・」

 

数度の乾いた呼び出しのあと、目的の部署に電話がつながった。受話器からこのような時間にもかかわらず、張りと気合いの入った声が聞こえてきた。先方にはどこからの電話か知られているため当然かもしれないが。

 

「こちら、横須賀鎮守府警備隊本部」

「もしもし、百石だ。当直で最先任の者と変わってくれ」

 

その後交わされた会話は窓外の世界とは対照的に、当事者たちの思考と身体を全力稼働状態に置いた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

最近、みずづきの様子が変だ。

 

「陽炎、塩とって」

「ん? ああ・・・・、はい」

 

今、陽炎はみずづき・黒潮の3人で訓練終わりの幸福感あふれる夕食を取っていた。ちょうど、一般将兵の課業終了時間であるためか、食堂には疲労の色もそこそこに神々しい光を放つ食べ物たちに目を輝かせた将兵たちが大勢ご飯をかき込んでいた。みな、激務の解放感に浸り上官などに対する緊張感はあれど、心身に多大な負荷を強いる警戒心を抱いているものなどいなかった。

 

目の前に座っている、1人を除けば。

 

「みずづきって、塩ばっかりやな。なんで醤油かけへんの? 美味しいで」

 

黒潮の問い。みずづきは彼女の持っている醤油を一瞥すると、ごく自然のように見える苦笑をした。

 

「え、いや、私の家は子供のころから塩だったから。トマトに醤油って・・・・本当においしいの?」

「なにを言うとるんや! トマトに醤油って言うたら定番やろ?」

「聞いたことはあるけど、日本にいた頃はあまり見かけない食べ方だったなぁ。なんか、おばあちゃん・おじいちゃん世代に多いって感じ?」

「・・・・・・ということはなに? うちらの食べ方は年寄り臭いってこと?」

「んん? いや、その・・・・・そういうことじゃ・・」

「確かにうちらはバリバリの昭和生まれやけど、みずづきより遥かに生まれたの早いけど、まだうち人間基準やと10代やで。そんなのあまりやわ・・・」

「だからね、黒潮。私は・・・・」

「・・・と、いうことで罰としてから揚げ一個徴収や!!!」

「え!? や、やめてよ!! 唐揚げ5つしかないんだから! とりゃ!!」

「な・・・・うちの箸が弾かれた・・・・・」

「10年以上、弟と聖なる戦いを続けてきた私に勝とうなんて、甘いよ黒潮」

 

「ちちち」と指を振り、唐揚げを頬張りつつ、みずづきは黒潮に挑発的な表情を示す。黒潮はいつも通り、「あーーーーーー!! またや!!」と悔しそうに頭を掻きむしっている。

 

その一瞬、みずづきの意識が黒潮以外に飛んだ。

 

「塩も案外おいしいわよ。渋いトマトにはやっぱり醤油だけど、熟したトマトには塩の方が甘くて、合う」

 

口を開くと、高速でみずづきの意識がここへ戻って来た。

 

「さすが、陽炎!! 分かってるじゃん! 黒潮もどう? かけてみる?」

「いらんわ、んなもん! 私は塩なんかに浮気せぇへんで! 一生、醤油と添い遂げるって決めたんや!」

 

「変な所で頑固」とご飯をかき込みながら、みずづきは笑った。だが、やはりその笑顔には何気なく見ていると分からないほどの薄い影が差していた。

 

みずづきの様子がおかしくなったのは、2日前の夜。もうすぐ消灯という時間に工廠から帰って来た時だった。薄暗くてよく分からなかったが、みずづきの顔は真っ青で制服には汗を吸ったことによるシミが多く発生していた。その時は「通りがかりの将兵を幽霊と見間違えた」ぐらいに捉え、特段気に留めなかった。しかし、その日を境にみずづきは例え艦娘寮でも気を張るようになり、しきりに窓の外を確認。起床ラッパが鳴る時間よりも早く起きて、艦娘寮周辺を鋭い目つきで歩いていることもあったし、枕元には殴られると悶絶しそうな分厚い辞書を置くようになっていた。

 

そして、極めつけは昨日、2人きりで艦娘専用浴場「灯の湯」の露天風呂に浸っていた時に呟かれた言葉だった。

 

「ねぇ、陽炎?」

 

みずづきは珍しく「ああああ゛」とオヤジ臭い声を上げることもなく、神妙な面持ちでお湯に浸かっていた。いつもは積極的に話しかけてくるにもかかわらず、口は閉じられたまま。湯船の幸福感にも幾分慣れ、彼女の様子を不審に思い始めた時だった。

 

「私の拳銃って、まだ提督室の金庫にあるのかな?」

 

思いもしなかった言葉に「え?」と問い返してしまった。

 

私の拳銃。それを聞いて首をかしげるほど、記憶力は欠如していない。彼女はこの世界に来た当初、軍人らしく一丁の拳銃を所持していた。当初、瑞穂側は拳銃の存在を認知していなかった。横須賀鎮守府に無断で侵入し日本を侮辱した御手洗に、激高したみずづきが発砲したことでその存在が明るみに出た。

 

その後、みずづきが持っていた拳銃は鎮守府によって没収。横須賀鎮守府の金印など司令長官が持つ公的貴重品と共にみずづきの拳銃は提督室にある金庫に保管されていた。

 

その措置にはみずづきも同意しており、彼女が来てから約5か月間「拳銃」に関する話は全く出なかった。

 

にもかかわらず、みずづきは拳銃の在りかを気にしていた。探っていた、と言っても語弊はないだろう。

 

「あ・・・・・な、なんでもないよ。・・・・・え・・その。・・今日は特段疲れたぁぁ」

 

彼女の真意を聞きたくて問い返しに続く言葉を待ったのだが、彼女はすぐさま話の方向を転換した。

 

結局、その話を真意は今に至るまで確認できていない。

 

「あ~~~~~、お腹いっぱい食べし、お風呂も入ったし、あとは寝るだけやな!」

「私はちょっくら、外の空気を吸いに・・・・」

「だめですよ、川内さん! 最近風紀が乱れているからって、消灯が10時からになったばかりじゃないですか。不届き者にお灸を据えるため、警備隊の巡回も始まったんですよ?」

「ぎく・・・・・」

 

艦娘の自室で机につきながら、忍者のような足取りでドアノブに手をかける川内。優しい笑顔を浮かべた警備隊員に問答無用で連行される川内が恐ろしい現実感を持って脳裏に浮かんだため、制止する。三段ベッドの最上部で歓声を上げながらゴロゴロしている妹の眼中に川内はいないらしい。

 

「一応、忠告はしましたからね? あとは知りませんよ。最近、司令カリカリしてるから、面白いことになるんじゃないかしら」

 

もっともらしい独り言を呟きながら、報告書を書こうと引き出しを開ける。

 

「あれ・・・・・。おかしいわね・・・・・」

 

いつもここに報告書の原稿用紙を入れていたのだが用紙は姿形もなく、引いた反動で適当に突っ込んでいた鉛筆が虚しく転がる。

 

「今日は雲も多いし、なんか鎮守府が殺気立ってるし・・・・・。すがすがしい、夜戦は無理だよね、うん・・・・・」

「どこにやったのかしら。昨日確かにここに・・・・って」

 

唐突に1階居間での光景が瞬いた。つい30分ほど前まで陽炎はそこにいた。

 

「そうだ、そうだ。吹雪に原稿用紙をあげたんだった・・・・・」

 

食堂で夕食を済ませた後、陽炎たちは一旦下着などを用意するため艦娘寮へ戻った。その際、たまたま玄関で靴を脱いでいた吹雪に遭遇し、「もし余裕があったら、原稿用紙貸してくれない?」と申し訳なさそうに言われたのだ。その時は黒潮やみずづきがいたこともあり「お風呂に入ったあとで」と言い残し、艦娘寮に戻ったあと彼女に原稿用紙を渡した。

 

ちょうどそこは艦娘たちが消灯まで騒ぐ居間。渡した直後、案の定ババ抜きをしていた一機艦メンバーに捕まり、原稿用紙を座卓の上に置いたままゲームに熱中してしまった。

 

「さてと、明日も忙しいし、夜戦の体力を温存するためにも寝ますか」

 

さも当然のようにドアから踵を返す川内。陽炎の忠告がよほど効いたようで制服から寝間着に着替え始める。その彼女を横目に廊下へと出て、階段を下りる。あちこちから仲間たちの笑い声が聞こえた。

 

「あ、陽炎」

 

階段を下りきって、居間へつま先を向けようとした時、玄関から正体がすぐに分かる声がかけられた。いまだに制服のまま、靴を履こうとしているみずづき。彼女はいたずらが見つかってしまった子供のように苦笑を浮かべる。

 

「みずづき。どうしたの? これから外出?」

 

少し非難を込めた口調で行動の理由を問う。彼女も消灯が1時間早まったことは知っていた。

 

今の時刻は9時20分すぎ。

 

「うん。ちょっと工廠に用があって」

「工廠に? 今から?」

「そう。この間、艤装の定期点検をしてもらったでしょ? 今日寄った時に忘れちゃったみたいで」

 

目を逸らしながら、気まずそうに頬を掻く。その言葉にはいつも宿っている覇気が微塵も感じられなかった。

 

心の中に一抹の不安が発生する。彼女は明らかにおかしかった。

 

「なんで今なのよ? 明日でもいいじゃない。もう、消灯時間よ」

 

さらに非難を込める。その口調はもはや質問ではなく、叱責だった。苦笑を消し去り、俯くみずづき。だが、彼女はのぞかせたわずかな希望を裏切り、玄関の引き戸に手をかけた。

 

視線を合わせることもなく、みずづきの背中だけが視界に映る。

 

「ごめんね、陽炎。明日でも問題はないけど、忘れ物は確認や届け出とかで拾った人に迷惑がかかっちゃうから。消灯までには戻ってくるね」

 

丸まった背中。覇気のない口調。そして、玄関の照明が当たっているにもかかわらず、外界と同じように底なしの暗闇に飲み込まれている彼女の影。

 

あまりの特異な気配に陽炎は言いようのない不安を覚えた。

 

みずづきがこのまま目の前からいなくなってしまうのではないか。

みずづきが遠くへ行ってしまうのではないか。

 

なぜかのような不安が急浮上し、胸が覆い尽くされた。

 

「み、みずづき!」

 

その不安を振り払いたく思い反射的に彼女の名前を読んだ。しかし・・・・・・。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

答えてくれたのは引き戸が閉まる、無感情な音だった。みずづきの姿が、気配が完全に消失する。

 

「みずづきは・・・・・帰ってくる。絶対に・・・・・」

 

恐怖心から目を逸らすように、言霊が現実のものとなるように、滑舌良く呟く。みずづきが横須賀へやってきてから約5か月。彼女は常に艦娘たちの前で喜怒哀楽を見せ、肩を並べて戦ってきた。一日もかけず、毎日だ。

 

その常識が、心の中に充満しつつあった不安・恐怖心を幾分か和らげてくれた。

 

 

 

しかしその常識は今日、盤石な常識の地位から滑落した。

芽生えた恐怖心は現実のものとなったのだ。

 

 

みずづきが艦娘寮から外出してしばらく消灯時間になり、鎮守府から光が消えてしばらくしても、彼女が寮に帰ってくることはなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

横須賀鎮守府 提督室

 

横須賀鎮守府司令長官の権限で一時間早めた消灯時間を迎えてから、1時間30分。ここ提督室は房総半島沖海戦以来、いや当時は所属不明艦だったみずづきがやって来た時と同等の緊張感に包まれていた。

 

2日前に緒方の報告を受けてから微増を続けていたが、跳ね上がったきっかけは艦娘寮付近を巡回していた警備隊第1分隊兵士からの緊急報告だった。

 

それを受け、事態の緊急性を直感的に察知した百石は横須賀鎮守府の幹部をここへ緊急招集した。そのため、ここはかなり手狭となっている。誰もそのことを気にする余裕は皆無だったが。

 

「まだみずづきは見つからないのか?」

 

焦燥感のあまり、つい怒気を含んだ声になってしまう。カーキ色の戦闘服に鉄帽。瑞穂軍の一般的な士官が所持している19式拳銃を腰にさげ、24式小銃で完全武装した部下2人を従えた警備隊隊長の川合清士郎(かわい せいしろう)大佐は百石の剣幕に怯まず、冷静に報告した。

 

「現在、第2分隊を工廠へ急派し、捜索を行っています。しかし、現在のところ発見したとの情報はありません」

「憲兵隊も同様です」

 

川合の視線を受け、筆端や緒方、参謀部各課長の後方に控えていた頭を丸めている高身長の男性が声を上げる。肌はそこまで焼けていないが頑丈な体つきで、鋭い視線からは知的な雰囲気も感じる。彼も川合と同様に19式拳銃を所持していた。憲兵の中には特権階級意識から、任官時に支給された軍刀を武士のように携帯する輩もいたが彼の所持武装は19式拳銃のみであった。

 

「目下、みずづきが外出した時間帯にうろついていた将兵に聞き取り調査を行っています。工廠までは目撃証言もあがっているのですが、それ以降の足取りは全く持って掴めておりません」

 

横須賀憲兵隊長副官の山田寅助(やまだ とらすけ)少佐は申し訳なさそうな響きを最後に、口を噤む。事は今から1時間前、警備隊第1分隊の小隊が艦娘寮付近を巡回中に血相を変えた艦娘たちから「みずづきが帰って来ない!」と詰め寄られた際に発覚した。艦娘が所属基地内で行方不明になるという前代未聞の事態。

 

「川合? 田浦の様子はどうだ?」

 

応接用のソファーに座り、顔の前で組んだ両手の隙間から猛獣のような視線をのぞかせている筆端が言った。現在の情勢下で、このような事態が不穏な動きと無関係で発生したと考えることはあまりにも楽観的すぎる思考だった。

 

誰も筆端に異を唱えず、川合の言葉に耳を傾ける。

 

「第5、6分隊によりますと大きな動きはないとのことです。ただ・・・・・」

「ただ?」

「昨日まで異なり、消灯後も明かりが灯っている建物が多いと。さらに消灯時間の前倒しを“実質的な外出禁止令”だと反発し、違反者を拘束しようとする分隊員とのもみ合いも発生しています」

「明らかに今までと異なる動きですな」

 

緒方が低い声で呻く。横須賀鎮守府の敷地である以上、風紀の取り締まりや不審者の拘束は一義的に横須賀鎮守府隷下の警備隊が担う。いくら特別陸戦隊ともいえども、警備隊に抵抗する権限はない。

 

軍規上は。

 

通信課長の江利山成永(えりやま なりなが)大尉はその小柄な体に危機感を張りつかせて、視線を向けてきた。

 

「百石長官。特戦隊の行動は明らかに常軌を逸しています。それに呼応するかのようなみずづきの失踪。念のため、特戦隊司令部にコンタクトを取ってみては?」

「それはだめだ!」

 

江利山の意見具申に、山田が声を荒らげる。

 

「あちらの我々に対する不信感は大尉も知っているだろう? こちらからアクションを起こせば、それを口実に喜々として何らかの行動を起こされる可能性がある」

「しかし、このままでは・・・・」

「膠着状態に陥っていることは認める。だが、これは横須賀だけの問題ではない。こちらから・・・擁護派から手を出したと喧伝されれば、御手洗中将たちが決めた方針にしぶしぶ従っている強硬派が一気に息を吹き返しかねない。そうなれば、影響は国家全体に波及する」

 

コンコン!

 

山田の言葉を制止するかのように、提督室の扉がノックされた。こちらの目配せを受け、最も至近にいた山田が「なんだ? 今こちらは取り込み中なんだぞ」と怒気を発散させながら扉を開く。

 

人が1人通れるほど扉が開いた瞬間、黒い影が廊下から染みだしてきた。

 

「っ!?」

「貴様!! なにも・・・」

 

その影は目にも止まらぬ速さで一直線に百石めがけて疾走。山田が怒号を発しきる前に、川合や彼の部下たちが拳銃や小銃を構え切る前に、それは極寒の鋼を自身の首元に添えていた。

 

「くっ・・・・・・・・・・」

 

首元の頸動脈付近に感じる、死の可能性。心臓は破裂しそうなほど高速で鼓動を繰り返していたが、思考はこの影についてで埋め尽くされていた。

(この動き・・・・・・もしかして・・・・・)

 

「百石!!!」

「百石長官!」

「貴様!! その汚らわしい手を即刻離せ!!」

 

突然の乱入者に対する動揺も一瞬。首元に鋭利なナイフ突きつけた影から筆端や川合は一斉に距離を取る。そして川合・山田をはじめ、銃を持っている将兵は全員影へ殺意を込めた視線と共に躊躇なく銃口を向けた。銃を持っていない者は警備隊に急報を知らせたり、手近で武器になりそうなものを構えたり、全員が臨戦態勢に突入した。

 

 

 

こいつ、ただものではない。

 

 

 

この部屋の士官全員が1秒にも満たない時間で同じ認識を共有した。室内にこれほど人間がいるなか、超高速で全員を交わす俊敏性。一斉に銃口を向けられても変化1つない頑丈な精神。この状況で飛び込むことを決意した大胆性。

 

相当高度な訓練を受けたプロであることは容易に察せられた。

 

室内の緊迫感は頂点を突き破り、もはや死者が出かねないほどの状況だ。

 

「衛兵は何をしていた!!」

「だ、ダメです!! 衛兵2人はやられています!!!」

 

提督室の前には用心を期し、警備隊兵士2人が配置されていた。開け放たれた入り口からうつ伏せに倒れた2人が見える。出血などは見えない。

 

「何が目的だ? 言え! 要求なりなんなりがあるんだろ!!」

 

下手をすれば自身の命どころか、命より優先される所属組織の情報が洩れかねないにもかかわらず、こうして横須賀鎮守府司令長官にナイフを突きつけているのだ。

 

お前の命だ、などと言われればもうお手上げだが、もしそうなら全ての銃口が向けられる前に首元を切り裂いて、窓から脱出しているだろう。

 

外では異変を察知した警備隊員の怒号と警笛が聞こえてくるが、その根源たる提督室は異様な静けさで覆われていた。じりじりと川合たちが近づいてくる。

 

一触即発の中、唐突に笑みが混じった声が蚊の鳴くような声量で耳打ちされた。そこには外見と発散されている刺々しいオーラに似合わず、人間らしい感情が含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「さすがは天下の横須賀鎮守府。やっぱり平和ボケはしてないようですね。安心しました」

「っ!?」

 

 

 

 

 

驚愕で反射的に首を動かした瞬間、首元からナイフが離れ、黒い影は窓に体当たりをかます。その動作故だろう。

(この臭いは・・・・・・・・・)

黒い影が発する空気が鼻腔に反応した。

 

「撃つな!!!」

 

パシャリンっ!!!!!

 

発砲を制止する川合の怒声と同時に、独特の響きを持ったガラスの砕ける音が聞こえる。

 

「おいおい、嘘だろ・・・・」

 

黒い影が窓ガラスから逃亡を図った。その事実を咀嚼するとあまりの衝撃に、窓枠から下を覗きこむ。ここは3階。常人なら命にかかわる重傷。運が悪ければ死に至ってもおかしくない高さ。

 

だが・・・・・・・。

 

「うお!! なんだ!!」

「不審者だ!!! 警笛ならせ!!」

「止まれ!! 止まらないと撃つぞ!!!」

 

もともと騒がしかった外は「騒がしい」を通り越し、見る者に恐怖さえ与えかねない緊迫感に覆われる。その俊敏性を最大限発揮し闇に紛れ込んだのか、黒い影の姿は捉えられなない。しかし、5、6人の警備隊員が24式小銃を構えている別班と協同して、特定方向へ走っていく。どうやら、彼らの先に黒い影がいるようだ。

 

「ありゃ、完全に特務機関系だぞ」

 

同じように窓から黒い影の驚異的な身体能力に恐怖する筆端。彼には全く持って同意する。

 

「百石長官! 筆端副長!! 見て下さい!」

 

緒方のうわずった声に慌てて振り返る。彼や川合たちの動揺気味な視線の先。執務机の上には山折りにされた1枚の紙が置かれていた。無論、影が来るまで執務机の上に折られた紙はなかった。

 

百石はすぐさま紙を取る。

 

 

そこには達筆な字で以下の事柄が記されていた。

 

 

横須賀鎮守府司令長官百石健作提督への要望事項。

 

一、 現在展開中の横須賀鎮守府司令長官隷下地上部隊を10月22日午前3時までに撤収させること。かつ撤収後すみやかに武装解除を行うこと。

一、 不定期で開催される朝礼を前例通り、横須賀鎮守府体育館内で実施すること。なお、実施時間は10月22日、午前10時30分とすること。

一、 艦娘の艦娘寮からの外出を一切禁止する事。なお、朝礼実施時は例外とする。

一、 要望外の鎮守府一般業務は平時通り、遂行すること。

一、 当事項及び当事項伝達時に発生した事象について、伝達時に遭遇した者を除き、あらゆる個人・あらゆる組織への一切の口外を禁止すること。なお、他組織・個人からの問い合わせについても同様である。

一、 上記以外の追加要望事項が生じた場合、すみやかに承諾すること。

 

 

以上の要求が遵守されない場合、現在不法入国の容疑で拘束中の国籍不明者、また横須賀鎮守府将兵、所属艦娘の身の安全は保障されない。

 

貴君らの聡明な判断を期待する。

 




行方不明になってしまったみずづき。
鎮守府に潜む謎の人物。
もたらされた不都合な要求。

次話より「横須賀騒動編」に移行します!


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76話 横須賀騒動 前編

季節は2月。まだまだ冬真っ只中で、インフルを頂点に様々なウイルス・細菌が調子に乗っています。くれぐれも体調管理にはお気を付け下さい。(昨晩、夜空を見上げておられた方は要注意です)

と、いいつつ今話は久しぶりに2万5000字を超えています。目の疲れなどを感じられた方は無理をせずに読んでいただけると幸いです。


「この非国民が!!! お前みたいなグズが同じ自衛官だなんて、考えただけで虫唾が走る!! なんで貴重な飯を与えなきゃならないんだよ!!」

 

一筋の光すらない真っ暗な空間。真っ暗な視界。肌を溶かすような湿った空気。人間がいてはいけない空間に、罵声が轟く。

 

「クソでも食って、苦痛と後悔にまみれてくたばりやがれ!! この日本にお前の居場所なんてないんだよ!!」

 

まただ。飽きることなく、止むことなく、自身の存在意義を否定し、着実に精神を腐敗させていく罵声が放たれる。

 

「もう・・・・いや・・・・・」

 

火に油を注ぐため、必死に閉じていた口。必死に抑圧していた本音。しかし、もう我慢の限界だった。報復を覚悟しながら、顔を上げ、看守と同じく自分を責めてくる天井に顔を向ける。

 

「もう・・・いや・・・・いや、だよ。なんで、なんで、私がこんな目に。誰か、助けて・・。誰か・・・・誰か!!!!」

 

その時、唐突に世界が真っ白に染まった。看守の報復はない。

 

「みずづき・・・」

 

敵意も殺意も憎悪もない、純粋に思いやりだけが詰まった優しげな言葉が聞こえてくる。

 

「知山司令・・・・」

 

それはこの闇から救ってくれた、大切な人の声だった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「う・・・・・・・・・」

「起きろ」

 

視界が過剰な光で機能を喪失し、視覚細胞と視神経によって接続された脳へ強烈な刺激を伝送する。真っ白な視界と半覚醒状態の意識で、周辺認知能力が極めて低下する中、感情の欠如した比較的高音の声がかけられた。あまりの不愛想さに苛立ちつつ、眩しさのあまり反射的に降りようとする瞼を拘束し、目を開けた。

 

「ここは・・・・・・・・・・」

 

目の前で光っていた懐中電灯らしい光が消える。しばらくの間、視界が白くぼやけていたが次第に本来の機能を取り戻し、薄暗い室内でも視覚情報を捉え始めた。

 

4畳ほどの狭い空間。壁・床・天井は何の加工もされていないコンクリート。前方には鉄格子。その外側に3人の人間がいた。

 

筋肉質の体。広い肩幅。背中に棒でも入っているかのように伸びた背筋。体格と雰囲気から男性と推測される人間が2人。

(もう1人は・・・・・・・女?)

男性と思われる2人とは明らかに体格の異なる人間-一見すると女性のように見る-が1人。胸の膨らみや腰の括れが確認できないため、分からない。人相で判断しようにも3人は銀行強盗やテロリスト愛用の目だし帽で顔を覆っていた。

 

更なる情報収集を敢行するため後方を確認しようと身をよじる。そこで異変に気付いた。体が動かない。全力で動こうするが、何かがミシミシと悲鳴をあげるだけで肝心の体は一切動かない。

 

「・・・・・拘束されてる」

 

椅子に座らされた状態で、背もたれの後ろで組まれた手首と足首をひものようなもので縛られている。胴体も背もたれに固定され、一切の身動きは不可能だった。結びの緩さに期待して身をねじるものの、そうたやすく物事は運ばない。結び目は頑丈だった。

(どうりで、あんな夢見たわけね。ここ・・・・・営倉のそのものじゃない)

そう。ここは艦娘教育隊特別審査委員会による処分が下されていた後に放り込まれていた営倉と酷似していた。右の壁際には小さなベッド。左の壁際には洋式便座がしっかり設置されていた。

 

「やっと観念したようですね」

 

みずづきの行動を静かに身じろぎ一つせず、観察していた3人のうちの1人が声を発する。例の性別が読み取れない人物だ。先ほどの声と異なり、これまた男とも女とも取れる中途半端な声は感情の籠った人間らしいものだった。目だし帽のせいで表情は読み取れないが、苦笑しているようだ。

 

キッ、という効果音が伴いそうな鋭い視線を彼(?)に向ける。彼は身をのけ反らすこともなく、わざとらしく反応した。

 

「おっと、怖い、怖い。さすがは日本海上国防軍の艦娘であり、軍人でもあるみずづき。このような状況でも戦意は有り余っているようですね」

「ここは、どこ? あんたたちは何者?」

 

彼の言葉を無視して、心の中で渦巻いている疑問を解決するための問いを発する。身の危険を感じる状況に陥った場合、まず最初の行動はパニックでも絶叫でも、ましてや助けを呼ぶことでもない。情報収集による現状把握。そして、これに人の意思が介在していのなら、その相手の真意の把握、もしくは推測。これらがあって初めて、対処なり行動をとることができる。人間とは案外繊細な生き物で、砲弾やミサイルが飛び交う戦場でビクともしなかったのに、両手両足を拘束されて、殺気を放つ人間を眼前に据えられると冷静さを失い者もいる。

 

ようは事前の教育と慣れだ。くしくも丙午戦争時、自衛官の拉致が多発した過去からみずづきたちは捕虜また拉致監禁時の対応について丙午戦争以前より遥かに教育時間が割かれていた。また、みずづきはこのような空間に幽閉された経験がある。

 

もちろん動揺はしていたが、そのため比較的冷静さを失わずに済んでいた。

 

みずづきは意識が途切れる前、消灯前にもかかわらず工廠にいた。

 

忘れ物を取りに行くため。

 

しかし、陽炎に語った理由は完全な嘘だった。訓練を終え、陽炎・黒潮と夕食・入浴を共にし、艦娘寮の自室へ戻った時までは平穏そのものだった。不自然にほんの数ミリだけ開いた、机の引き出し。開けるとそこには身に覚えのない一枚の便箋が入っていた。

 

“本日、21時30分に工廠でお会いできることを楽しみにしている。不審者より”

 

そう、端的かつ無機質な字を染み込ませた便箋が。それには簡素であるが故に言い知れぬ恐怖が備わっていた。

会えなかったらどうなっても知らないぞ、と。

 

「・・・・・・・・・」

 

そして、みずづきは1人で工廠へと出向いた。この行動そのものが誤っていたことは否定しない。艦娘寮に忍び込んで土産を置いていった相手も不明。なぜ、みずづきを呼び出したのか、その相手の真意も不明。多くのことが不明。ただ、その中でも2つだけ分かることがあった。

 

相手がただ者ではないことと工廠からの帰り道に遭遇したあの影が関与していること。

なら、不明な点があろうとも1人でいくしかなかった。

 

あの影は躊躇しない。その世界の人間にとって、上からの命令か、目的達成が至上命題。

それを達成するためなら、流血もいとわない。

 

艦娘たちや百石たちに危険が及ぶことだけは避けなければならなかった。

 

出向くにあたっては当然、最大級の警戒は行っていた。だが、敵は想像通りみずづきの手に負えるような存在ではなかった。明確な気配を捉え、そちらに意識を向けた途端、どこからともなく伸びてきた腕にあっさり抵抗を封じられ、容赦なく口と鼻に布を押さえつけられた。何か薬品を染み込ませていたのだろう。慌てて、呼吸を止めても時すでに遅し。意識は急速に遠のいていった。

 

 

意識が戻ってみれば、営倉の中である。

 

 

「さてさて、どうでしょう。あなたなら、お分りになるのではないでしょうかね?」

 

見事、予想通りはぐらかされた。

 

「私を拉致した理由は? 私が見る限り、あなたたちは小事のために動いている人間じゃない。もっと大きな、この国の存亡を左右するような大事で動いている人間・・・・・」

 

反応があるかと思ったが、彼に全く変化はない。

 

「そのような人間・・・・いや公僕たちが私なんかを拉致するのはどうして?」

「あなたは自身の立場をよ~く理解しておられる。私たちからお教えしなくとも、よいのでは?」

 

まただ。また、はぐらかされた。拉致され、拘束され、なおかつ相手は3人という圧倒的な不利な状況では、一度はぐらかされた質問を再度行うことはあまりにもリスクが高すぎる行為だった。

 

自身の命も、応対の方向性も全て相手に主導権がある。

 

「あなたのご質問にお答えすることも非常に面白いのですが、本題へ入る前にあいにく私たちはあなたにどうしても伺いたいことが1つあるのです。ご質問への回答は是非ともその後にしていただきたいです」

 

あまりにも一方的かつ身勝手なお願い。この状況ではもはや強制だ。

 

「な、何ですか?」

 

笑みの皮を被った冷淡さに、生唾を飲む。

 

「あなたにとって、横須賀にいる艦娘たちは大切な存在ですか?」

 

(待って・・・・・・)

彼の、いや彼らの真意が2つの目を限界まで開眼させる。「ほう」と彼は感慨深げに呟いた。

 

「そうです。あなたの思っている通りですよ。あなたが私たちの要求に答えない、あるいは不利益につながる行為に走った場合・・・・・」

「やめて・・・・・・・・」

「あなたの大切なお仲間の安全は保障しかねます」

「くっ・・・・・・・・」

 

怒りのあまり、全身が小刻みに痙攣する。無意識のうちに唇を噛んだのか、口内に鉄の味が拡散した。反射的に罵声や怒号を発しそうになるがすんでの所で抑え込む。この場での激情はただの自殺行為だ。

(こいつら・・・・やっぱり・・・・)

周囲の大切な人々を巻き込む形で捕縛対象を脅し、精神と思考を拘束した上で、目的達成に動く。尋問の常套手段だ。しかも、これは自分より他人の命に重きを置く人間に対しては絶大な効果を持つ。厳重に守られた鎮守府内の艦娘を脅しの手段にしている点と言い、頭にくるほど性格を分析している点と言い、目の前にいる人物たちは並大抵の勢力ではない。そして、その直感的思考に現実味を持たせる凶悪な雰囲気を彼らはまとっていた。彼らなら、艦娘たちに危害を加えることも可能かもしれない。

 

首が垂れる姿を確認すると、彼は嬉しそうに口を開いた。

 

「聡明なご判断、ありがとうございます。では、早速本題に入りましょうか」

 

その言葉を最後に、彼のまとう雰囲気から感情が消えた。

 

「深海棲艦とは何ですか?」

「・・・・・・・・・・は?」

 

下手をすれば自身の命、そして艦娘たちの命が消えかねない状況で、みずづきは鳩から豆鉄砲をくらったかのような間抜けな表情を示してしまった。

 

それほどに彼らがいう「本題」は眼中にないものだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

みずづきの行方不明。

 

それはこの世界に現出し、相応の時間を瑞穂で過ごしてきた艦娘たちにとっても未曾有の事態だった。消灯時間を過ぎても艦娘寮の明かりは消えず、みずづきの行方を心配した艦娘たちはみずづきの足取りを調査するためにやって来た警備隊員や憲兵と日付が変わる間際まで情報交換を行っていた。しかし、彼女たちには翌日もそれぞれ演習や任務が控えており、艦娘の不安を払拭するためにやってきた筆端や艦娘たちのリーダー格である長門・赤城たちがみずづきの身を案じる彼女たちを諭し、なんとか艦娘寮の明かりを落とすことに成功した。

 

そして、夜明け。起床ラッパと共に憂鬱な朝を迎えた艦娘たちは、信じられない光景を目にすることとなった。

 

「だから! これは一体どういうことだよ!! しっかり説明してくれよ!!」

 

摩耶の怒号が幾重もの壁や梁を透過して、室内に充満している動揺を飛び越えて、ここ居間にまで聞こえてくる。玄関にて艦娘寮を包囲している警備隊員へ説明を求めている長門・摩耶・曙を除いた全艦娘が居間に集合していた。

 

「なぁ、陽炎? これどう思う?」

 

昨日までの快活さはなりを潜め、深雪が不安げに尋ねてきた。

 

「どうって・・・・・。私だってサッパリよ。起床ラッパで起きた時にはもうこうなってたわけだし・・・・・」

 

陽炎もこの前代未聞の状況に口ごもるしかなかった。現在、艦娘寮は警備隊によって四方を完全に包囲され、外出ができない状態となっている。これは艦娘たちが全員目を覚ました時には、既に勃発していた。異変に気付いた直後から摩耶を筆頭とする強気な性格の艦娘たちが包囲中の警備小隊を率いている坂北純一(さかきた じゅんいち)中尉を詰問するも、応対は一向に平行線をたどっている。

 

全員、突如発生した現在の状況が理解できず、各人で考察と情報収集に(ふけ)っていたが成果は芳しくなかった。

 

「何よ!! 全く! 坂北中尉があんな石頭だったなんて初めて知ったわ!!」

「ダメダメだ! クッソ!」

「はぁ~~~~~」

 

坂北たち警備隊と相対していた3人が、各人の性格に倣った反応を示しながら居間へと帰って来た。様子を覗うに今回も無駄足に終わったようだ。坂北や取り巻きの警備隊員を責め立てて、もう何度目か分からない。

 

「どうだった?」

「どうもこうもねぇよ!!」

 

問いかけた榛名の隣に、摩耶が乱暴に腰を落とす。かなり苛立っていることはその様子だけだけでも容易に察せられた。

 

「いくら聞いても、“川合隊長の命令です”の一点張りだ。命令の理由を尋ねても、“小生の権限ではお答えできません”の連呼。こんな時だけいっちょまえの軍人になりやがって」

 

強く握りしめられた拳が、畳に叩きつけられる。

 

「っ!」

「ちょっと、摩耶さん!」

 

暁たちの怯えを察知した夕張が摩耶を睨みつけるも、彼女はどこ吹く風。貧乏ゆすりをはじめ、頻繁に舌打ちを繰り返す。

 

「この状況で平常心を維持できるかって! みずづきは行方不明になるわ、軟禁状態に置かれるわ、意味分かんねぇよ!」

 

一応夕張の言が効いたのか、摩耶は実力行使を伴わず口で怒りを爆発させる。戦闘中やブリーフィング中などでこのような態度を示せば、長門たちの叱責が容赦なく降り注いでくるが、現時点で誰も摩耶の言動自体を激しく責め立てる者はいなかった。

 

理由は簡単。全員、摩耶と同じ感情を抱いているからだ。

 

「本当に不可解の一言ね。今回の事態は・・・・」

 

背筋を伸ばし正座をしている赤城が、ここではいないどこかへ思考を飛ばしながら呟く。本来なら朝食を終えている時間帯。赤城を筆頭格とする一部の艦娘たちにとって拷問のような状況だろうに、彼女たちは平時のように不平不満を口にすることもなく、腹の虫がデモを起こすこともなく、一目置かざるを得ない風格を維持していた。

 

「唐突なみずづきの失踪に始まり、警備隊の出動。提督からの指示は昨夜の“安心して寝ろ”以降、沈黙。そして、みずづきの所在は不明。いまだに見つかっていないのか、はたまた見つかったのか。それすらも私たちには伝えられていない」

 

加賀がカーテンの隙間から外の様子を覗いつつ、赤城に続く。居間にある窓ガラスの前にも3人の警備隊員が背中を向けて立っていた。

 

「長門さん? 長門さんは何か知っているんじゃないですか?」

 

加賀に触発されたのか、今まで誰1人として挑まなかった長門への伺いを瑞鶴が立てた。「ちょっと! 瑞鶴!」と傍らにいた翔鶴が制止しようとするも時すでに遅し。正座したまま微動だにせず瞑目し、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた長門の答えを聞こうと、室内は静まり返る。だが、いつまで経っても長門は口を開かない。

 

「ちょっと、長門さん! 長門さんは秘書艦で提督や鎮守府の人たちと私たちの中で一番近い位置にいた。本当は何か知ってるんじゃないですか?」

 

沈黙を貫く姿勢へ苛立ちをあらわにした瑞鶴は語彙を荒げる。曙もしびれを切らしたようで瑞鶴に加勢した。

 

「昨日だって、消灯時間の直前まで提督の傍にいたんでしょ? なにも知らないなんておかしいじゃない! 秘書艦なんでしょ?」

「ちょっと、曙さん! これ以上は!」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「っ!?」

 

室内が再び静寂に包まれた。長門に迫っていた瑞鶴と曙。曙を制止しようとした赤城も拳を震わせながら、ゆっくりと開かれた長門の眼光を見た瞬間、凍り付く。

 

「私は・・・・・・・何も・・・・知らない」

 

悔しそうに唇を噛みながら、長門は消え入りそうな声でそう言った。彼女のやりきれなさはその言葉だけで十分に伝わって来た。瑞鶴も曙も言葉がないようで俯いてしまった。

(この空気は・・・・・・)

重苦しい雰囲気。このまま昼を越えて、夜まで沈黙が続きそうな気配さえある。しかし、今の自分にとって時間は何よりも大切なものだった。浪費は許されない。

 

目の前の座卓に目を向ける。そこには鼻をかんだチリ紙に偽装するかのように丸められた状態でゴミ箱から発見された一枚の紙が置かれていた。

 

「みずづき・・・・・・・」

 

今はどこにいるのか分からない親友の笑顔を頭に浮かべる。彼女は明らかに様子がおかしかった。おそらく今回の失踪と無関係ではないだろう。自分はみずづきの異変を捉えながら、日常に甘んじ百石に報告するなり、警備隊にみずづきの身辺警護を依頼するなり、適切な行動を起こさなかった。みずづきを消失させた全責任は「不審者」にあるとしても、異変を察知していた以上、この身にも責任の一端はある。陽炎は果たせなかった責任を果たすため、そして一刻も早く状況の打開を図るため、勇気を振り絞ってこの空気を換えようと声を上げた。

 

「みんな、警備隊の人たちや仲間のあらさがしをするのはもうやめよう」

 

陽炎がこの空気で口を開くとは思っていなかったのか、全員が驚いたように視線を集中させる。暗に自分たちのやっていることがあらさがしと非難された瑞鶴や曙は目を細めるが、自覚があるのか反論はしなかった。

 

「みずづきの失踪と警備隊の包囲は明らかに無関係じゃない。そして、みずづきの失踪には“人間”が関与してる」

 

座卓の上に視線を向ける。

 

「一刻も早く解決策を導き出さないと取り返しのつかないことになる。みずづきはあの時、工廠へお土産を持って行った日から明らかに様子がおかしかった。私たちと一緒にご飯を食べているときも艦娘寮にいるときも四方に警戒心を向けてたし、みずづきが横須賀に来たときに持ってた拳銃の在りかも気にしてた。おそらく・・・・・」

「みずづきさんは気付いていた。その紙を私たちの誰にも気付かれることなくみずづきさんの机に忍ばせた“不審者”の存在を」

 

吹雪の言葉に頷く。

 

「計画性から考えても、あのみずづきが誰にも告げないほど危ないやつなら不審者は明らかにプロだわ。この鎮守府の中でプロがここまで大胆な行動に出るのならそれだけの理由、目的がないとおかしいわよ。私には皆目見当もつかないけど、そんな輩に捕まっている時点でみずづきの身が危ない。早く、なんとかしないと・・・」

「なんとかしないとって・・・・陽炎? あんた何考えてるの?」

 

瑞鶴が戸惑いながら、真意を尋ねてきた。眉を細めることもなく、顔に皺を刻むこともない。彼女も薄々これから言うことに気付いているのだろう。その核心をより強固なものにするため、そして首をかしげている艦娘たちに己の覚悟を伝えるため、陽炎は勝ち気な笑みを浮かべて、こう宣言した。

 

「私たちの手で、みずづきを助ける!」

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「は?」

 

思考が追いつかなかった。今、みずづきは謎の集団に拘束され、いうことを聞かなければ自分はおろか艦娘たちにも危害を加えるかもしれないと脅迫されている。

 

彼らは4日前から尾行や監視を繰り返し、拉致する機会を周到に覗っていた。しかも、相手は多数の軍人がひしめく鎮守府に気付かれることもなく、拉致を達成し、捕縛対象の自分を吐かせるために鎮守府内にいる艦娘や将兵にこれまた気付かれることなく凶器を向けている。これはいくらプロでも、あまりにハイリスクな作戦。

 

ここまでして捕縛した理由が「深海棲艦は何?」なのだ。艤装の供出を要求するでもなく、横須賀鎮守府の保安情報や艦娘たちの行動範囲・弱点などを聞き出そうとするでもなく、ハイリスク・ローリターンに感じられる抽象的な問い。

 

「し、深海棲艦・・・・・・?」

 

このようなことを聞かれるとは、はっきり言って全くの予想外だった。

 

「そうです。あなたはここへ来る前から深海棲艦を知っていた」

「ちょっと、待って! いきなりなに言い出すの!! 深海棲艦について私は今までの聴取で答えてきた。にもかかわらず、え? こんな真似してまで、みんなを危険にさらしてまで、聞きたかったことがそれ?」

「それ・・・・ですか」

 

失望と怒気を融合させた嘆息。なりを潜めていた生存本能が再び活発に動き始めた。

 

「あなたが深海棲艦をどのように認識しているかは知りません。しかし、少なくとも私自身、おそらくはこの世界の全人類にとって深海棲艦は平和を叩き潰し、海を奪い、大切な家族を、唯一無二の故郷を、長い時を経て築き上げた生活と財産を容赦なく奪い去った敵です。瑞穂だけでも15万もの人命が失われたことぐらい、あなただってご存じでしょう?」

「それは・・・・・・」

 

言葉が出なかった。自分の発言がいかに不用意かつ不謹慎なものであったのか。今さら気付いた己が腹立たしい。いくら、こういう状況で聞かれる常套句や常識から問いと目的が逸脱していると言っても、ここで銃殺されても文句は言えないだろう。

 

深海棲艦の存在、やつらの成した罪を知らないのなら言い訳も通る。しかし、この身は脳に刻まれるほど痛感している。目撃している。

 

「あなたも、あなたの世界も私たちの世界と同じように深海棲艦によって多くのものを奪われたでしょう?」

 

その問いは先ほどと打って変わって、同情や思いやりが含まれていた。そこであることに気付く。

(ん? ちょっと待って。こいつらは日本の・・・・2033年までの地球の歴史を知ってる?)

房総半島沖海戦を経て日本世界の本当の歴史を艦娘たちに語って以降、みずづきは百石たち瑞穂側の要請を受け、「並行世界証言録」に2033年までの歴史を書き加えるべく実施された聴取に応じていた。語った内容はそれこそ多岐にわたり、聴取は一回で終わらず数度行われたほどだ。しかし、この内容は聴取を行った百石や筆端、軍令部の軍人、編纂を行った国防省の上級官僚をはじめとする、瑞穂において一定の役職・地位に就いている人間しか知らされていない。

 

軍民問わず世間一般において、みずづきは他の艦娘たちと同じ大日本帝国海軍所属艦として処理されている。みずづきが語った2033年までの歴史を完全公開してしまうと、2033年までの歴史を知っている艦娘の存在を間接的に明かすことと同義である。そうなれば、みずづきの存在を知っている者が限られているとはいえそれなりの数に上っている以上、正体が暴かれる可能性は極めて高くなる。そのため海軍内では最高レベルの機密情報として秘匿していたのだ。

 

それを目の前の三人は知っていた。

 

「つまり・・・あんたたちは・・・」

 

彼らの正体に至るかもしれない推測を口にしようとしたところで、彼がこちらの言葉を遮った。

 

「ご推察の通りです。私たちは一般に開示されていない並行世界証言録、2033年に至るまでの日本世界の歴史を知っている。下手に隠してもお分りになるでしょうから言いますが、私たちはそれにアクセスできる立場の人間ということになります」

「ご親切なことで」

 

隠すどころか、むしろ自慢げに語ってくる。目の前の3人が所属しているであろう組織の類は構成員の命より情報を優先する。敵側に自組織の情報が漏れそうになった場合、情報漏洩を防ぐため進んで自決を取ることは希有な事象でも奇怪な事象でもない。にもかかわらず、彼は正体に迫るヒントを自ら差し出してきた。知られてもいいと思っているか、はたまた分かるはずがないと高をくくっているのか。

 

「ありがとうございます。私たちは伺っている立場ですので、できる限り不信につながる要素は排除したいと考えています。あくまでもできる限り、ですけどね」

 

だったらそもそも拉致するなというご真っ当な意見を封じるためか“できる限り”を強調する。

 

フレンドリーとさえいえる態度に惑わされると、取り返しのつかない事態になりそうだ。愉快に話している彼の左脇に控えている男の手にはしっかり拳銃が握られているのだから。

 

「あなたが私たちの要求に対して誠実に応えて下さるのなら、名乗っても良いですよ。私たちは所属組織があなたに露見することをそこまで恐れていません」

「いえいえ、結構です。私も命が惜しいもので。・・・・・・深海棲艦について私が知っていることは聴取で話した内容が全て」

「私たちが聞きたいのはあなたが隠しているかもしれない核心部分のことです」

 

親し気な口調のまま、まるでこちらの応答が分かっていたように即座に次の言葉を放ってきた。

 

「隠しているかもしれない、核心部分? なんのことよ?」

「文字通りの意味です。あなたは聴取に嘘をついているんじゃないですか?」

 

こちらの苛立ちが伝わったのか、彼はそれを容易に抑え込めるような気迫を言葉に込める。無意識のうちに心拍数が上昇した。

 

「は? 嘘? 私は聴取に嘘をついたことはないし、隠し事をしたこともない」

「本当ですか? 並行世界証言録には深海棲艦について、相変わらず不明や未確認、解明待ちといった文言が踊っていた。あなたが話した箇所でもそれはしかり。しかし、ね。これは普通に考えたらおかしいでしょ?」

「おかしい?」

「ええ。あなた方は我々より遥かに科学が進んだ世界から来た。そして、あなた方の世界にも深海棲艦はいた。進んだ科学力を有する世界がこの瑞穂世界より遥かに好戦的で凶悪化している深海棲艦の猛攻を受け、甚大な被害が出ているのなら、当然勝つために調査・研究を行いますよね。そうすれば我々より多くのことを知れるはず。にもかかわらず、あなたは深海棲艦について“詳しいことは不明”と繰り返すばかり。あなた方は、あなた方の世界は自らを滅ぼそうとする敵を調べようともせず、ただ大砲をぶっ放していただけなのですか? 違うでしょう?」

 

確かに男たちのような解釈もできる。しかし、彼らは少しこちらを買いかぶりすぎだ。

 

「私は日本海上国防軍の一軍人として聴取を受けた。証言内容も自らの記憶に基づくものとあらかじめ断りを入れてる。あんたたちから見れば、私は特別な存在なのかもしれないけれど、日本じゃ・・・私の世界じゃ、ほかにも私みたいな艦娘はいた。私はただの軍人だったの。例え、深海棲艦に重要なことが判明していたとしても、私みたいな平軍人、しかも前科持ちにそんな情報が開示されるわけないじゃん」

「では、質問を変えます。あなたは艦娘で艤装を背負って、戦闘行動を行っている。そうですね」

「ええ、そう・・・・です」

「ならば、艤装についてそれなりの知識はお持ちのはず。私のような阿呆に1つご教示いただきたいのですが、なぜあなた方の艤装は神業を体現できるのですか?」

 

神業。それはおそらく軍艦の転生体である艦娘たちと同じように、超小型の艤装を用い、あらゆる物理法則を捻じ曲げて、通常の軍艦と同じ戦闘能力を発揮できる点だろう。みずづきもそこは特殊護衛艦の存在を聞いた時から疑問に思っていた。

 

そのようなSFまがいのことが、現時点の人類の技術力で可能なのか、と。

 

「申し訳ないけど、そんなのこっちが聞きたい」

「ええ、そうでしょね。なんでも軍事機密だったとか?」

 

この話は聴取の際にも聞かれたため、そう答えていた。事実この点は軍事機密とされ、いくら存在自体が高度な秘匿性を帯びている艦娘でも開示されていなかった。

 

「それであなた方は納得できたのかもしれませんが、あいにく私たちはそこまで権力に従順ではなくてですね。どうしても、疑問に感じてしまうのですよ」

 

まだ聞くのかと顔をしかめる。しかし、次の言葉でこの無意味な応対に辟易(へきえき)していた心が吹き飛ばされた。

 

「あなた方の神業と艦娘の御業、そして深海棲艦の魔術。・・・・・・・・・・・・・・・どれも似ていると思いませんか?」

 

その問いの後、自分が何を口走ったのか正直覚えていない。ただその疑問を発した真意が非常に腹立たしく、罵詈雑言を吐いた感覚は残っていた。あまりの興奮にこれ以上何を聞いても無駄だと思ったのか、3人のうち拳銃をちらつかせていた男が独房内に入るとナイフを右手に持ち、一振り。殺されると思ったのも一瞬、手首の違和感が消えた。男が手首のひもを切ったのだ。「手が自由になったんだから、あとはがんばれ」と言わんばかりに男は足首や胴体の拘束をそのままに残りの男たちと同様、視界から消滅。静寂が舞い戻ったためか、独房の寒々しい気配が肩に寄りかかって来た。

 

苦労して残りの拘束を解き、ベッドに倒れ込んでから体内時計で数時間。背後の壁に設置された小さな窓から差し込む光を見るに、今の時間は朝方と言ったところだろう。半地下の独房で時より聞こえる汽笛から海岸近くということは分かったが、横須賀なのかはたまた別の場所なのかは皆目見当がつかなかった。

 

場所探しよりも、思考はあることに占領されていた。

 

“あなた方の神業と艦娘の御業、そして深海棲艦の魔術。どれも似ていると思いませんか?”

 

その言葉が頭の中で絶え間なく回転していた。

 

日本にいた頃は考えたこともなかった問い。その問いが暗示する荒唐無稽な結論。

 

「そんなの、あり得るわけないじゃん・・・」

 

脳天からつま先までそう信じていた。しかし、1度抱いてしまった疑問は記憶の彼方からあの男らしき人物が示唆した結論を補強しかねない断片を収集してくる。

 

 

 

深海棲艦は何なのか?

 

 

 

この巨大な問いは深海棲艦の猛威と共に、第三次世界大戦で疲弊しきっていた世界を席巻した。各国政府や軍の記者会見では必ずと言っていいほど深海棲艦の正体に関する問答があり、テレビや新聞、ネットなどのマスメディアでは深海棲艦の攻勢と連動して、軍事評論家や生物学者、政治ジャーナリスト、果てには宗教家や怪しいオカルト研究家までもが出演し日夜大激論が交わされた。

 

 

自分の周囲でも、SFやアニメの世界が現実に降りかかって来たこともあり、深海棲艦の攻撃がまだ他人事であった時期は大きな話題となった。高校でも学生たちは授業そっちのけで禁止されているにもかかわらずスマホに夢中。本来は注意しなければならない立場の教師もほとんどが見てみぬふりをし、中には「何か新しい動きはあったか」と机の下でスマホを覗き見ていた友人に聞いた教師もいる始末。

 

ネット上にあふれる映像や写真、そして各国の政府や軍が開示した情報から専門家たちは口々に持論を展開した。しかし、事態が事態なだけにどれもSFかぶれが著しいものばかり。

 

とある一神教の聖職者はこれを「原罪」の具現であると声高に叫んだ。あの世での救済を確実にするためさらなる強固な信仰心を信者に求めて。

とあるオカルト研究者はこれまでの戦争で沈んだ軍艦及び乗組員の怨念が実体化し、いまだに醜い戦争を続ける人類に復讐しようとしていると説いた。

とあるミステリー作家は2012年~2022年まで続いた桂明文(かつら あきふみ)内閣崩壊寸前に相次いだ政治家・官僚・自衛官・警察官などの汚職摘発、失踪、偶然とは思えない連続事故死・病死・自殺と深海棲艦の出現に何らかの関連があるのではないかと疑いの目を向けていた。

 

 

それらはマスメディアの売り上げアップには多大な貢献を成したが、とても真に深海棲艦の正体に迫れるようなものはなかった。中には、日本とアメリカが共同開発した生体兵器などという世迷言を弄する学者もいた。

 

 

だが深海棲艦が世界各地に本格的な侵攻を開始。日本が総力戦に陥って以降、深海棲艦の正体は市井では井戸端会議の定番ネタになっているものの、政府や軍から語られることは一切なくなった。そして、2033年現在、政府の統制下に置かれているテレビ局や各種新聞も戦果報道に終始するばかりで、深海棲艦に関すること自体一切報道していなかった。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

深海棲艦の正体を探る余裕すらないほど日本が追い詰められていることも事実であったため、また自分自身が深海棲艦の正体を気にする余裕自体がなかったため、今までその不可思議な事態経過に疑問を抱いたことはなかった。しかしいくら機密事項とはいえ、あれだけ騒いでいたメディアも含めて“一切”語らなくなるものだろうか。深海棲艦の正体に一歩近づいたと抽象的なことを公表するだけでも、国民の士気は劇的に向上するだろうに。

 

まるでハレモノを忘れさせるかのようだった・・・・・。

 

「あり得ない・・・・」

 

自分の思考が荒唐無稽な結論に浸食されている。それに気付くと、必死にして否定する。

 

「あり得ない、あり得ない、あり得ない・・・・・・!!!」

 

みずづきはうつ伏せになって、かび臭いベッドに顔を埋める。息を吸うたびに吐き気すらもよおす刺激臭が鼻を駆け抜けるが、カビの力を借りてでも、体調を崩すリスクを犯しても頭の中に宿る思考を忘却したかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

「あ・・・・あの・・・・・一体、どういうおつもりで?」

「英国生まれの私がありったけのLoveを注いで淹れた、愛情たっぷりの紅茶デース!!」

「・・・・・はぁ・・・」

「起床ラッパが鳴る前からのお勤めで喉もカラッカラだと思いましたノデ、どうぞどうぞ飲んで下サーーイ!! 味は保証シマス! そして、私のLoveも保障シマース!!」

「だったら、ぜひ!」

「おい!」

「いったぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

座卓の上で、紅茶が注がれているきらびやかなティーカップに勢いよく手を付けようとした西岡修司(にしおか しゅうじ)少尉が隣で正座していた坂北の拳骨をもろに食らう。「ゴツ」という鈍い音のあと側頭部を抑えつつ、畳の上でアルマジロのように丸まる戦闘服姿の西岡。

 

思わず他の艦娘と同じように「痛そう」と顔をしかめてしまう。坂北はかなり本気で西岡を殴っていた。

 

「んで、用件は何だ?」

 

疲労が色濃く刻み込まれている顔ながら、苛立たしげに聞いてくる。余程ここへお連れしたことが気に食わないらしい。

 

「まぁまぁ、そう怒らないで下サーイ! 紅茶でも飲んで、心も体もリフレッシュデース!!」

「俺の心と体をズタボロにしたのは金剛、お前だろう!!! いきなり玄関から飛び出てきたと思ったら、抱きついてきやがって! 振り払おうとした時のお前の顔と言葉、俺は一生忘れないからな!!!」

「なんのことデスカ? 私はただ可愛らしい艦娘たちと一緒にお茶でもどうデスカ? ・・・・・・・と言っただけネーー」

 

言葉通り、可愛らしいウインクを坂北にお見舞いする金剛。坂北は全力で空中を飛翔していたウインクを振り払った。そして、恨めし気な声で言った。

 

「ここで私が大声を上げたら、中尉はどうなりますかね? あそこに憲兵さんがいますよ? お前はそう言ったよな? 一瞬で男を社会的な死に追い込みかねない言葉を・・・・」

「うわぁ~~~。金剛さん、そんなこと言ったんですか?」

 

みずづきを捜索するか捜索しないかは一旦保留し、捜索状況などみずづきに関する情報を集めるため、まず警備隊とコンタクトを取ることにした。しかし、今までの応対から警備隊がいつもの優しく気さくな警備隊ではないことは把握していた。そこで強引にでも艦娘寮を包囲している小隊の小隊長坂北中尉をここ居間に連行し、艦娘総出で事情聴取を行うことにしたのだ。坂北は警備隊の中でもよく知っている青年士官で暁たち駆逐艦にも懐かれている。暁たちが怖くて近づけない今の彼は本当の彼ではない。艦娘たちにそれこそ包囲されれば、部下の前では話せないことも話してくれるのではないか。そのような期待があった。

 

「私が行きマース!!!」

 

と、熱烈に立候補した金剛に坂北の強制連行、もといご同行を依頼する役割を任せたのだが、面白半分に男性のトラウマとなりかねない言葉を囁いたようだ。

 

「だって中尉があまりにも強引に、そして頑なに私を引きはがそうとするからつい・・。Love故のムチデース!」

「俺はあそこでは小隊長なんだよ!!! 金剛に抱きつかれて鼻の下伸ばしてたら、示しがつかないだろう! ああ・・・、どうしてくれるんだ・・・。俺、原隊に復帰したらあいつらに殺されるかも・・・・・・・」

「あはははは・・・・」

 

坂北の言葉から推察するに艦娘寮を包囲している警備隊員の中に、金剛の熱烈なファンがいるようだ。顔面蒼白で頭を抱える坂北に西岡が「大丈夫ですよ。あいつら、そこまで純情じゃありませんから」と励ましている。本来は坂北だけを招くはずだったのだが、金剛に連行されていく坂北の身を案じたのか、交代要員を引き連れてきた西岡までもが付いてきてしまった。

 

「中尉、一応金剛の言に偽りはない。冷めないうちに飲んでくれ」

「あ・・・・。そ、それでは・・・・」

 

こめかみを抑えている長門に促され、坂北があれほど警戒していた紅茶に手を付ける。西岡は坂北より遥かにお人好しであるため、結果オーライだ。

 

「それでなんで俺たちを強制連行したんだ? ・・・・・・まぁ、だいたい見当は付いてるがな」

「ほう」

 

摩耶が喉を鳴らした。

 

「・・・・・・あれの理由ですかね」

 

西岡がカーテンで覆われている窓を指さす。それだけではカーテンを示しているように見受けられるが、彼は窓の外にいる警備隊員を差しているのだろう。

 

「それだけじゃない。おそらくは・・・・・・みずづきの件についても、だろ?」

 

坂北はしぶしぶ紅茶を飲みながら、座卓の上に置かれていた皺だらけの便箋を掲げる。見ても驚かないあたり、彼も報告を受けたのかこれの存在は知っているようだ。

 

「すげぇ!! 良く分かったなぁ!」

「馬鹿野郎。これぐらい誰でもすぐ分かる」

 

深雪の歓声に、坂北はここ時へ来て初めて苦笑を浮かべた。しかし、すぐに険しい表情となる。軍人の顔だ。

 

「包囲の理由はお前たちに散々言った通りだ。嘘もへったくれもない。いくらここへ強制連行しようが・・・・・」

 

ジーーーーーーーーー。暁姉妹4人が捨てられた子犬のように、上目遣いで坂北を見つめる。並みの人間なら一瞬で虜にされてしまう愛嬌の攻撃。彼は一瞬銅像のように固まるが、すんでのところで意識を取り戻した。

 

「こうするためにわざわざ暁たちを真正面の最前列に配置してたわけか・・・・・。だが、俺を舐めるな! いくら、そんなつぶらな瞳で見つめられようが軍人の本位は曲げられない。みずづきに関してもそうさ。まだ見つかった云々の話は聞いていない! ・・・・・・あ」

 

坂北が固まる。

 

「いや、これは言ってもいいんじゃないですか? みずづきの捜索状況を秘匿しろという命令は受けていませんし・・・・」

「そうなのか。隊長から言ってもいいとは言われていないが? みずづきの捜索状況が逐次報告されないのもてっきり、艦娘たちへの漏洩を嫌っているからと思っていたんだが・・・。だって、この子たちだぞ」

 

坂北は西岡からこちらへ顔を向ける。

 

「なにをしでかすか分からないじゃないか」

「いや~~~~~」

「金剛、褒めてないからな!」

「いえ・・・・・、私たちにはかなりの詳細が報告されてましたよ。ここへ向かう直前にも報告を受けましたし。艦娘への漏洩はあまり気にしてないんじゃないかと」

「ん? どういうことだ? 各員で受けている命令が違うのか?」

「あの・・・・・・・お取込み中悪いけれど、少しいいかしら」

 

首を捻っている男2人組に相変わらず、カーテンの隙間から外を伺っている加賀が声をかけた。

 

「私もあなたたちの気持ちが分かるから無理に聞こうとは思わないけれど・・・・・、なぜ隊員のみなさんはこちらに背を向けているのかしら?」

 

「外を見てた方が気分がいいからじゃない?」と瑞鶴が答えたその問いに、2人は明らかに表情を変えた。そして、加賀から視線を逸らす。

 

「え? どういうこと・・・ですか」

 

2人の様子に榛名のほか数人が戸惑う。もちろん、加賀に拳骨を食らった瑞鶴もだ。

 

「こちらを軟禁する意図があるなら、包囲している側は脱走の兆候などをいち早くつかむため、建物側へ視線を向けるわ。建物の外に艦娘がいるなら外への警戒も必要だけれど、あいにく横須賀の全艦娘はここにいる。だから本来なら外を警戒する必要はない。でも、警備隊は外を向いている。つまり、警備隊にとっての警戒対象は私たちじゃない」

 

加賀が不意に皺だらけの便箋に目を向けた。不審者の存在が一気に存在感を発揮する。実際、その不審者によって艦娘が1人、行方知れずになっている。

 

「え・・・、ということは、中尉たちは私たちを」

 

摩耶がおそるおそる坂北たちを見る。

 

「チッ」

 

摩耶と目が合った彼は隠すこともなく、舌打ちをした。そして大きなため息を吐いた。

 

「迂闊だった・・・・・。普通に考えればそういう結論になるよな・・普通に」

「は? だったら、なんでさっさとそれを言ってくれないのよ! 私たちがどれだけ・・・どれだけ動揺したと思ってるの! 最初からこれは私たちのためだって言ってくれたら、ここまで・・・」

「勘違いするな、曙。俺の言ったことに嘘偽りはない。隊長は確かに艦娘を外出禁止にするための包囲を命じられた。・・・・・・・・・・俺たちはその命令を着実に遂行しただけだ」

 

立ち上がって坂北に詰め寄る曙に、容赦なく言い放つ。だが、彼も完全に鬼にはなれなかったようだ。

 

「ただ・・・・・・」

「ただ?」

「命令の文面にどのような意味が込められているのか分からないほど、俺は馬鹿じゃない。俺も昨日はみずづきの捜索に参加していた」

 

そういうと坂北は紅茶を一気に飲み干した。金剛が感激しているものの、わざと反応をこらえている。そのような先輩の様子に微笑みつつ西岡も紅茶を飲む。

 

久しぶりの沈黙だったが、決して居心地の悪いものではなかった。言葉では表現できない妙な温かさがある。2人は耳を少し赤く染め、こちら側と目を合わせないようにしていた。

 

やはり、2人は2人だった。今なら、こちらの覚悟に応えてくれるかもしれない。

 

「坂北中尉、西岡少尉」

 

いつも話しかけるときと全く異質の真剣な表情で2人の目を射貫く。彼らはしっかりとこちらの目を見てくれた。

 

「私たちはみずづきの安否が心配で心配でたまりません。捜索状況を聞いたからといって、お2人にご迷惑をおかけするわけではありません。ですから、みずづきの捜索状況について教えていただけませんか?」

「うそ、だろ?」

 

坂北は意地悪げに微笑んだ。

 

「お前ら、状況によっては探しに行く気だろ? 少なくとも陽炎たちは」

「えっと、その・・・そんなことは・・・・」

「薄々感じてましたからね、こうなることは・・・・・」

 

そういうと西岡はポケットから4つ折りにされた横須賀鎮守府の地図を取り出し、座卓の上に広げた。ちょうど、座卓に広がる大きさだ、このようなものをこのタイミングに限って偶然持っていたとは考えにくい。

 

どうやら、こちらが彼らの人格を把握しているように、彼らもこちらの人格を詳しく把握しているようだった。

 

苦笑を浮かべながら、西岡の広げた地図を除き込む。周囲も顔を見合わせながら、座卓の周りに集まった。それを確認すると西岡が説明を開始した。

 

「鎮守府内の捜索はほぼ終えました。まだ、食糧・弾薬などの備蓄施設の一部や山林に手が回っていませんが当箇所はとても人を監禁できるような場所ではないため、みずづきが監禁もしくは拘束されている可能性は限りなく低いです。ですが、そうなった場合・・・」

 

西岡が口ごもる。その様子に吹雪が疑問を呈した。

 

「どうしたんですか?」

「いえ、この進捗状況でまだみずづきが見つかっていないとなると鎮守府外へ連れ去られた可能性があるのですが、上はみずづきが鎮守府内で監禁されていると見ています。鎮守府内外を行き来する自動車や貨物は我々が徹底的に臨検を行っています。その中から女性とはいえ、1人の人間をこちらに悟られず鎮守府外へ連れ出すのは不可能ではないかと・・・」

「お前らも知っての通り、今は何かと胡散臭い。鎮守府内に爆弾やらが持ち込まれてはいかんと臨検は以前に比べ格段に厳しくなっている。また、塀から脱出したと見るのも非現実的だ。最近、理由は不明だが鎮守府境界付近の警備も数か月前とは比べ物にならないレベルに引き上げられている。ここ2、3日は特に厳しくてな。塀の前後にはどこであろうと常に警備兵が立っていた。・・・・・・・内通者でもいない限り、無理だ」

「っ・・・・・・・」

 

長門や赤城たちが、坂北たちを気にするように顔を合わせる。彼女たちが何を懸念しているのか。彼の言葉を考慮すると、駆逐艦の身でも容易に分かった。もちろん、2人が分からないわけはない。

 

「安心してくれ。憲兵隊の力も借りて、警備隊員の内偵は既に済んでいる。誰もある日突然消えたり、何の前触れもなく辺境に異動したりしたやつはいない。もちろん、俺たちもな。というか、上や憲兵隊はあらかじめみずづきが攫われる前から俺たちの内偵を秘密裏に進めていたようだ」

「す、すみません! 皆さんを疑うような真似を・・・・」

 

赤城が眉を下げる。

 

「いえいえ、いいですよ。状況から考えて横須賀鎮守府内にみずづきさんを拉致した犯人がいることは私たちも確実視してますから。ただ、警備隊以外の人間、ということは保証できます」

「なら、今考えるべきはみずづきが横須賀鎮守府のどこに監禁されているのか・・・」

「その通りだ」

 

西岡の言葉を受けた要点の集約に、坂北が大きく頷く。「陽炎にしては頭が冴えてるじゃないか」とえらく失礼な感情も垣間見えるが、この状況に免じて放置しておこう。

 

「でも、良かったじゃない。みずづきの居場所がある程度限定できて。もしこれが鎮守府の外もありなら、陽炎たちの野望は確実に実行不可能だったよ」

 

この状況でもいつも通りの軽い口調で北上が話す。彼女の隣で手を握りながら「そうです! そうです!」と言っている大井ほどではないが、その意見には完全同意だ。鎮守府の外は完全に警察のテリトリーだ。

 

「でも、鎮守府内はあらかた捜索し終えたんだよね? それでもみずづきは見つかっていないと?」

 

夕張の問いに2人は苦し気に頷く。

 

「一部とはいっても、まだまだ探してないところは相当な広さだクマ。警備隊はいない可能性大って言ってるけど、やっぱりそこが一番濃厚ではないクマ?」

「なぁなぁ? 今捜索してる山林ってどこだよ」

「ん?」

 

球磨が警備隊とは異なる見解を示した後、唐突に深雪が尋ねてきた。坂北は「ここだ」と言って、その捜索域を指し示す。「ここかよ・・・」と少し驚いた後、深雪は断言した。

 

「たぶん、そこにみずづきはいねぇよ」

 

数人の駆逐艦を除いた全員が説明を求めるように深雪に視線を集中させる。彼女はそこを捜索するという徒労を犯している警備隊に対して、苛立ちを露わにしながら語った。

 

「あそこは急な斜面に木が生い茂っていてで洞窟もない。俺は吹雪たちと何度か遊びで入ったことがあるから分かるけど、あそこは人を隠すには一番苦労する場所さ」

 

深雪の言葉に吹雪姉妹や曙・潮と同様、自分も大きく頷く。警備隊が今捜索している場所は横須賀鎮守府中央区画の裏手にある「中山」。中腹に横須賀湾を一望できる吹き抜けがあり、日本を感じさせる一本の桜が生えている山。そして・・・・・・・・。

 

「みずづきがよく通っていた場所だ」

 

そう。みずづきはあそこからの眺めが好きでよく足を運んでいた。最近はあまりの多忙さに足が遠のいている印象だが、黒潮と3人で足を運んだ時は「この桜が満開になるところを見たい!」と盛り上がったものだ。

 

「突発的な行動なら知らねぇけど、そんなところにみずづきを隠したりするのか?」

「・・・・・・・・・・・」

 

坂北と西岡は黙り込む。もしみずづきが拉致されたのではなく、単なる行方不明と認知された場合、当然みずづきがよく足を運んでいた箇所が重点的に捜索される。目の前に堂々と拉致を暗示する便箋があるため、不審者ははなからみずづき失踪の真実を隠す気がないと判断しがちになる。しかし、これはゴミ箱を漁ってこちらが発見した。不審者がみずづきの失踪を行方不明か拉致か、どちらを演出しようとしていたのかは実のところ本人しか分からない。仮に行方不明とするつもりならば、捜索対象の可能性がある当該地域にはみずづきを隠さないだろ。

 

「俺たちに言ってくれれば、もっと早く分かったのによ・・・・」

 

深雪はそっぽを向く。これが坂北たちに怒っている理由のようだ。

 

「中山は小屋とかもありませんし、不審者がどのような意図を持っていてもあそこに隠すのは深雪ちゃんやみなさんが考えられているとおり、無理があります。残りは貯蔵施設ということになりますが・・・・・」

「あ、あの・・・すみません」

 

吹雪の言葉を遮って、坂北たちがここへやって来て初めて潮が声を上げた。それだけでは気付いてもらえないと思ったのか、真面目な小学生のように挙手をして。

 

「潮ちゃん?」

「みずづきさんは工廠付近で目撃情報が途絶えたと聞いています。それはつまり・・・」

「ああ。あのあたりが犯行現場だと思っている」

 

坂北が頷きつつ、地図の工廠付近を指さす。そこは中央区画から離れているものの鎮守府工作機関の半数が集中している箇所。決して人目が少ない訳ではない。

 

「最後の目撃証言は消灯の25分前ですよね? 昨日は消灯時間が急に早くなって、最近はなにかと皆さん忙しいですから、かなり人目はあったはずです。みずづきさんほどの人を抱えるなり、連行するなりするとかなり目立つと思うんですが・・・」

「潮さんは工廠の近くにみずづきが捕らえられているのではないか。そう言いたいのですよね?」

 

西岡の確認に潮は大きく頷いた。しかし、坂北は潮の懸念を笑い飛ばす。曙が「ちょっと、中尉!」と睨みつけても彼の笑いは収まらなかった。

 

「潮の懸念はもっともだが、俺たちはそこまで馬鹿じゃない。まず第一に工廠周辺を徹底的に捜索した。そして、みずづきはいなかった」

 

だが、潮は坂北の失礼な笑いに一切ひるまず、逆に眼光を鋭くして彼の目を射貫いた。坂北と西岡から笑みが消える。

 

「本当ですか? 本当にすべてを、くまなく探したんですか? どこかに見落としがあるんじゃないですか? 例えば・・・・・」

 

潮は地図上のある一点を差し示す。それは終戦まで生き残った幸運艦「潮」の勘だったのかもしれない。

 

「こことか」

 

そこは艤装工場や開発工場などがひしめく工廠区域の裏手。中山の麓にある警備隊の営倉棟だった。

 

坂北と西岡の顔が徐々に青くなっていく。

 

「え?」

 

彼らの顔を見て、思わずそう呟いてしまった。明らかに様子がおかしい。西岡に至っては手が震えていた。

 

「鎮守府には営倉が3つあると聞いています。1つは憲兵隊の営倉、1つは特戦隊の営倉、そして1つは警備隊の営倉。工廠から最も近い営倉は警備隊の営倉です」

 

ここで言葉を区切ると、潮は2人にもう一度問いかけた。その姿はいつも怯えていて、頻繁に涙目を作る潮とはかけ離れていた。

 

「・・・・・・すべてを、くまなく探したんですか? どこかに見落としがあるんじゃないですか?」

 

潮の冷たい問い。そして2人の明らかな動揺。静寂に包まれた室内の視線は顔面蒼白の坂北と西岡に注がれる。時計の秒針が半周するころ、坂北が重そうな口を意地で開け、かすれ切った声で潮の詰問に答えた。

 

それは予想通りでもあり、事態の急展開を知らせるものだった。

 

「そこは・・・・捜索していない。警備隊司令部から直々にそこは捜索しなくてもいいと・・・・」

 

坂北は瞳孔を開ききり、「うそだろ・・・・」と言いながら両手で顔を覆う。

 

そのあまりの落胆と動揺ぶり、そして一気に増した不穏な空気に艦娘たちも言葉がなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

 

あれからどれくらいの時間が経過しただろうか。

 

「いたっ・・・・・・・・」

 

カビの胞子を吸い過ぎて脳が麻痺したからだろうか、いい加減うつ伏せに飽きて、体を起こした途端に血管が脳細胞を圧迫するような鈍い頭痛が走る。体中に筋トレ用のダンベルを吊るされたような倦怠感の上の頭痛は、全ての気力を奪い去るには十二分の効力を有していた。

 

錆びた鉄で構成された鉄格子を見る。そこに人影はない。そして、いくつもの営倉があるこの階に人の気配は全くなかった。

 

自分を拘束した張本人、または実行犯の仲間と思われる3人組の姿を思い出した瞬間、ほんの一瞬前まで巻き起こっていた頭痛を遥かに超える激痛が頭を、加えて強烈な吐き気が胃と食道を襲う。

 

「う・・・・くはっ!」

 

日本は、世界は何かを隠しているんじゃない?

 

どこからともなく、優しさと嘲笑の混じった魅惑的な声が聞こえてくる。

 

「やめて!」

 

声と同時に襲ってくる脳と心がとろけるような感覚。自身のすべてが侵食されていく不快感に死に物狂いで抵抗するも、その声はまた聞こえてきた。

 

深海棲艦の正体・・・・根源に迫る何かを。

 

「っ!」

 

声は絶対に言ってはならないことを、言葉にしてはならないことを言った。みずづきは殺意を込めて目の前の壁を睨みつけ、声帯の未来など無視して叫んだ。

 

「そんなことない! あれは天災! 人智を超えた災厄! 人間はまだまだひ弱な生き物なのよ!!!!! 勝手なことを吹き込まないでぇぇぇぇ!!!!」

「っ!」

 

その時、何者かの気配が風に乗り、出入り口から最も離れているここまで到達した。自分をここまで苦しめる遠因を作った3人とは明らかに異なる気配だったが、ここにいるということは所詮あの3人のお仲間だろう。

 

「何? まだ、なんか用?」

「・・・・・・・・・」

 

暗に「出ていけ」という意思を込めて、乱暴に言葉を投げる。しかし、反応は皆無。馬鹿にされているようで無性に腹が立った。

 

「ちっ! ぞろぞろ来たくせに反応しないの? 結構なご身分だことで」

 

しかも、一歩一歩探るように歩いてくる気配は時間を追うごとに増えていく。数えたところ7人はいる。皮肉を口にしたものの、そこで明確な異変に気付いた。

 

「・・・・・・・・・・・!」

「!!」

 

即座に飛びのいたベッドを力ずくで横倒しにする。狭い空間故に反響もあり、凄まじい大音響が木霊するが、構わず鉄格子から見えないようベッドの影に隠れる。そこに飛び込んだと同時に集団が鉄格子の前を埋め尽くす。

 

「動くな!!!」

 

緩みの欠片もない怒号。何かが布とこすれる音から相手が銃を構えていることは分かった。

 

死。

 

その文字と発音が、この状況にもかかわらず、冷静沈着に思い出された。だが。

(私はまだ・・・・・・・)

ここで「あ~、もう駄目だ」と死を許容するほど、自分の命を粗末に扱うような人間ではない。この命は見ず知らずの多くの犠牲、身近で大切な仲間の犠牲と奇跡のおかげでいまだに生を紡ぎ続けている。そして、この命は自分ではなくこちらを最後まで心配してくれたあの人のささやかな願いを宿している。

(ここで死ぬわけには・・・・いかない!)

そう決意を新たにした時だった。

 

「みずづき!」

 

いつもよく聞いていた、そして昨夜交わした最後の会話で聞いた声だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

一瞬、自分の耳が信じられず、思考から何から全ての動作が一時停止に追い込まれる。聞こえるはずのない声。カビがついに鼓膜からツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨、そして蝸牛(かぎゅう)を犯してしまったのだろうか。しかし、確かに彼女の声が聞こえたのだ。

 

「ふぇぇ?」

 

呂律が上手く回らず、あまりにもひどい幼稚語を放って、横倒しになったベッドから顔を出す。そこには事前の把握通り、7人の姿があった。

 

「ふぇ?」

 

それでも信じられなかった。なぜ、彼女たちが目の前にいるのだろうか。驚きのあまり、具体的な言葉が出てこない。

 

「みずづき!!!!」

「みずづきさん!!!」

 

幻でも、夢でもない。彼女たちは確かに実在していて、歓喜に沸いていた。

 

「ちょっと! みんな!!?? 一体どうしてここに・・・」

「どうしてもなにもないわよ! あんたを助けに来たんじゃない!」

「え!?」

 

てっきり助けが来るとしても、あの3人に対抗できるような闇の組織が乱入してくると思っていたので、この展開は想像の斜め上どころか想像の範疇を弾道ミサイル並みに飛び出していた。

 

「助けに来た!? え・・・ちょっと・・・何が何やら・・・・」

 

聞きたいことが多すぎる。何故、監禁場所が分かったのか。何故、助けに来たのか。何故、救助メンバーが摩耶・曙・陽炎・黒潮・吹雪、警備隊の坂北と西岡なのか。そもそもここは何処か、などなど。

 

しかし、鉄格子の向こう側にいるメンバーはみずづきを見つけるな否や、こちらの反応などお構いなしに歓喜やら焦燥やらで大騒ぎだ。助けられるはずなのに存在が忘れられている気がする。

 

「おい! 中尉! 早くしろよ!」

「分かってる、分かっているからそう急かすな、摩耶! えっと・・・・」

 

坂北が10個ほどの鍵が束ねてあるケースから一つずつ鍵を取り出し、鉄格子の鍵穴に差していく。だが、あまり順調ではないようだ。「早く早く」と周囲が坂北を急かす。詳細は分からないが、どうやら彼女たちは相当危ない橋を渡っているようだ。

 

「ちくしょう! これも違う!」

「みずづき! もうすぐの辛抱やから! すぐに出してあげるからな!」

「ちょっと! なにぐずぐずしてるのよ! 男のくせに頼りないわね!」

「曙ちゃん! 坂北中尉も頑張ってるから・・・」

「なに呑気なこと言ってるのよ! 吹雪! これで警備隊司令部がみずづきを拉致に関わっていることが分かったのよ!」

 

曙がさらりと衝撃的な言葉を口にした。

 

「警備隊が・・・・・・え!? ねぇ! ちょっと、それはどういう・・!」

 

ベッドを飛び越え、鉄格子越しに曙へ迫る。だが彼女はよほど焦っているようで、こちらの存在に気付かず、吹雪ばかりを見つめている。その表情は鬼気迫るものだった。

 

「しかも、ここは警備してる人間がいない! やつらが帰ってくる前に抜け出して、クソ提督にこのことを伝えないと!」

 

 

ガチャッ!

無理やりはめられていた金属が、自由の身になったことを宣言した。

 

「よし! 空いたぞ!」

 

坂北の歓喜。聞くだけでも不快になる鈍い摩擦音を奏でながら、こちらの背丈より少し低い戸が開いた。

 

「みずづきさ~~~ん!!!」

「うわぁぁぁ!!! 吹雪!」

 

ようやく出られる。訳の分からない状況でも、眼前の光景を冷静に分析した心の隅が安堵に浸る。心の大部分と頭もそれを追いかけようとしたが、吹雪の突撃であえなく遮られた。

 

吹雪が少し小柄な体を目一杯密着させ、腕を背中に回す。

 

「良かった! 良かったです! 無事で、本当に!」

「あ!!! ちょっと、吹雪何してんのよ! 離れなさい! 離されない! 離れろって言ってるでしょ!」

 

血相を変えた陽炎が引きはがそうとするが、鼻をすすっている吹雪は微動だにしない。この小さな身体のどこにそのような力があるのだろうか。

 

「お前ら! 誤解を招きかねない奪い合いは後回しだ!! 早くずらかるぞ!!!」

 

苦笑を浮かべている摩耶の隣で24式小銃を持っている坂北が叫ぶ。曙も顔を赤らめながら「ば、馬鹿じゃないの!? 早くしなさいよ! 捕まりたいわけ!」とヒステリックに脱出を急かす。

 

「えっと・・・・・・」

「みなさんこちらへ! ・・・・クリア!! 敵影なし!」

 

姿の見えない西岡の声も聞こえる。

 

「ほら! 感動の再会は後回しや! ほらほら!」

 

みずづきの胴体にまきつけられている吹雪の腕を黒潮が優しく離す。彼女の顔を見ると「へへ~~」と嬉しそうに微笑んでくれた。

 

吹雪も黒潮も、そして吹雪の隣で膨れている陽炎も艦娘たちはこの身を心配してくれていたのだ。それを実感すると胸が熱くなる。

 

「みんな・・・・ありがとう!」

「ええって。さ! 逃避行の開始や!」

「行くぞ!」

 

坂北の合図で全員が一斉に走り出す。みずづきも黒潮や吹雪の背中を追って、走る。陽炎は後方で殿を務めてくれていた。一瞬で営倉区画を出ると両脇に事務室をいただく何の変哲もない廊下に出た。天井には主が消えて久しい蜘蛛の巣が張られ、本来白かったであろう床は黄ばんでいる。空気中に漂うホコリの濃度から考えて、営倉だけではなくここも使用されなくなって相当な期間が経過しているようだった。今は太陽が高い時間なのか、ブラインドやカーテンが開けられたままの窓や扉の隙間から差し込んだ光で、それなりに明るかった。

 

その中を駆け抜け、一際光が差している場所に突っ込み、右へ。下駄箱に傘立て。そして、眼前には日光がさんさんと降り注ぎ、草木が風でなびいている外界。ここがこの建物の玄関だ、と認識したときには既に久しぶりの外に出ていた。

 

カビや錆、湿気の悪臭がない爽やかな空気。朝か夜が認識できる申し分程度ではなく、頭上全体から心地よい温かみを届けてくれる太陽。

 

一瞬、あまりの解放感に現在の状況を忘れそうになるが、前方を必死に走る6つの背中を見て、先ほどまで自身が置かれていた状況を思い出す。監禁されていた場所を把握しようと走りながら振り返る。陽炎の後方。そこには中山を背に艦娘寮と同程度の大きさでレンガ造りの、一階部分を蔓に覆われた建物がひっそりとたたずんでいた。

(まるで、幽霊屋敷じゃん)

だが、そこはれっきとした横須賀鎮守府の建築物。日光と風雨により剥げた看板にはうっすらと縦書きで「警備隊監獄署」と書かれていた。

 

「警備隊・・・・・・」

 

曙の言葉を反芻する。彼女は警備隊司令部とあの3人組がグルだと言っていた。自分が警備隊の施設に捕らえられていたことを鑑みると曙の言葉には十分信憑性がある。

 

しかし、全くこのような凶行に及ぶ理由が分からなかった。警備隊は組織の性質上血の気の多い人間で構成されているが上層部に反抗的な気配はなく、隊長の川合や目の前を走っている坂北・西岡をはじめとして、艦娘にも親切に接してくれる。百石との関係も良好なはずだった。

 

「おやおや、朝から全力疾走とはお元気ですね。どこに行かれるんですか?」

 

だから、突然かけられたその声に対する反応が遅れてしまった。

 

一同の目の前へ、まるで瞬間移動したかのように現れた白衣を身にまとう女性。彼女は笑っていた。

 

昨日までと変わらない、いつも通りの服装で、いつも通りの髪型で、いつも通りの表情で。

 

「っ!?」

 

しかし、彼女から吐かれた言葉は全てを、命すら舐めとるような末恐ろしい粘着力を有していた。その声をみずづきは知っていた。

 

いや、ついさっきまで聞いていた。

 

同じく直感で悟ったのだろう。減速するため体の重心を後ろへ駆けつつ、坂北と西岡が素早く24式小銃を構える。

 

「なんであの人がこんなところに・・・・・? ちょっと! 危ないわよ! つ・・・」

「下がって!」

 

いまだに何も気づいていない曙をはじめとする艦娘たちに叫び、彼女たちを後方へ下がらせようとする。

 

「ちょっと! なに! なんなよの!」

「みずづき! どないしたんや! 中尉も少尉も!」

 

前へ駆けだそうとする陽炎と右手で制し、左手で黒潮の首根っこを掴む。「うぐ!」と苦しそうだったが、それに構っている暇はなかった。

 

「「ひ!」」

「摩耶! 曙! 下がれ! 西岡!」

「はい!」

 

「ここにいろ!」と陽炎たちを容赦なく睨みつけ、西岡たちのすぐ後ろで固まっている摩耶と曙に全力で近づく。その時だった。

 

「な!!」

「う・・・・・・!!!!」

 

白衣を着た女性は瞬きほどの一瞬で、それなりに距離を保っていた坂北に近づくと彼の脇腹に回転蹴りを直撃させ、彼を2mほど吹き飛ばす。無様に空中を舞う24式小銃と華麗にひらめく彼女の白衣は対照的だった。

 

「先輩ぃぃ!!!!」

 

絶叫する西岡。

 

「な・・・な・・・・・」

「摩耶さん! 曙!」

 

2人の両手を掴むと思い切り引っ張り、「こかしたらごめん」と心の中で謝罪しつつ自分より後方に吹き飛ばす。幸い、背中に感じた雰囲気では2人とも地面を憐れに転がったりはしなかったようだ。

 

それを確認すると摩耶、曙、そして陽炎と黒潮を庇うため、彼女たちの正面に立つ。狙いが自分だと確信があっても、仲間を護るために身を張る。このようなリスクを犯してまで助けに来てくれた仲間に対する義理は通さなければならないし、それがなくとも仲間を庇う行為は人間として当然だ。

 

「くっそ!!!!」

 

西岡が坂北を蹴り飛ばしたあと、余裕しゃくしゃくで立っている女性に24式小銃の銃口を躊躇なく向ける。指をかけ、引き金を引こうとして。

 

「ふ・・・。見直しましたよ」

 

女性は笑った。そして・・・・・・・。

 

「う・・・・・・うそ・・・だろ・・・・」

 

いつの間にか、西岡の首元に鋭利なナイフを突きつけていた。彼も何がどうなって後ろを取られたのか分からないようだ。両眼を大きく見開き、自分の首元を見ようと視線をできる限り下げている。

 

「少尉!!!」

「く・・・・・・」

 

曙が叫ぶ。女性はそれを聞くとわざわざ体をずらして、首元にナイフをあてがわれた西岡を見せつけてきた。

 

 

抵抗すれば、頸動脈を掻っ切る。彼女の顔はそう言っていた。いまだに浮かべられているにこやかな笑みが彼女の残忍性を確定的なものにした。

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ゆっくりと胸の前に突き出された両手を下に降ろす。彼女は満足そうにうんうんと頭を縦に振った。

 

「さすが、みずづきさん! 話が分かります! さっきは半分錯乱状態のようでしたので、少し心配でした!」

 

表情とは不釣り合いのナイフを他人に突きつけ、親し気に話してくる女性。昨日までと変わらない態度が、無性に心を虚しさと寂しさで覆った。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・椿さん」

 

否定して欲しくて、あの無邪気で何事にも興味を持ち、一生懸命職務に励む彼女が自分の思っていた通りの人だと証明して欲しくて、彼女の名前を呼んだ。

 

しかし彼女は何も答えず、ただただ笑うだけだった。




横須賀騒動編は前後編の2話構成です。その分、1話あたりの文字数が多くなってしまったんですけど・・・。後編も本話並みの文量です。

校閲を作者なりに行ったところ、誤字脱字が噴き出していましたので、たぶんあると思います。もし気付かれた方がおられましたら、ご一報いただけると嬉しいです。ちなみに1行目の「グズ」は誤字ではありません。・・・・使いますよね(震)。

執筆している作品に「月」がついているのだから、見なければと夜空を見上げたのですが・・・・・・。見えたのは赤銅色の月ではなく一面を覆うネズミ色の雲だけでした。





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77話 横須賀騒動 後編

もう「冬イベ」という単語が垣間見える季節、ですか・・・・。


横須賀鎮守府 体育館

 

近接格闘訓練や剣道・柔道をはじめとする武術の鍛錬、そして運動を通じた将兵たちのストレス発散に数々の力を貸してきた体育館。建設されて以来、激しい取っ組み合い、相手の心臓を凍り付かせんとする殺気が飛び交う試合などは日常茶飯事のことだっただろう。しかし、果たして現状のような空気に巨大な容積をもつ体育館内が床から踊り場、天井まで満たされたことがあったのだろうか。

 

「これはどういうことですかな? 百石提督」

 

静まり返る広々とした空間に、蔑視を含んだ生暖かい言葉が響く。演台の左端に整列した横須賀鎮守府上層部。そしてカーキ色の戦闘服に鉄帽、腰には帯刀し、24式小銃で武装した部下を引き連れた軍人が2人。その内の1人が最も近くにいる百石に問いを発する。

 

素手の警備隊。そして、その外側から演台上の軍人たちと同じく完全武装の陸戦隊員に囲まれた赤城たち艦娘、総勢19名は混乱する頭を押さえつけ、必死に見つめていた。

 

事の発端は潮の指摘によって判明した事実を元に陽炎たち5人を送り出してから、すぐ後に始まった。これを思えば捜索隊に志願した長門を、「指揮官クラスが抜けることは大問題、ここは駆逐艦たちに任せるべき」と無理やり抑え込んだことは正解だったかもしれない。警備隊の川合隊長を連れだってやって来た百石は警備隊による包囲の説明を全く行わず「体育館での朝礼実施」だけを下令した。その表情は鉄仮面の一言で、彼ほどの地位の軍人ならば喜怒哀楽が激しい部類に入るいつもの彼はすっかり消えていた。しかし、彼は艦娘が5人足りず、19人しかいないことを知ると激しく狼狽。

 

「どうしたんですか? 提督。そのように焦られて」

 

あわよくば口を滑らせそうな雰囲気に乗じたのだが、そう簡単にいなかった。彼は同じく顔面蒼白になっていた川合たちと話し合った後、「ついてこい」と一言だけ発し、体育館へ移動が命じられた。

 

ますます膨らむ疑念と不信。

 

それは体育館に入った瞬間に決定的なものとなった。横須賀特別陸戦隊司令官の和深千太郎(わぶか せんたろう)大佐、横須賀特別陸戦隊第1特別陸戦隊隊長の武原勝(たけはら まさる)中佐が数人の部下を、第2特別陸戦隊隊長の梨谷克治(なしたに よしはる)中佐が100人ほどの隊員を引き連れて待っていたのだ。1人たりとも例外なく、完全武装で。

 

そこで心の隅でくすぶっていた可能性が可能性ではなくなったが、後から続々と首を垂れた横須賀鎮守府上層部が非武装で体育館へ入ってくる様子を眺めて、ある確信に至った。

 

赤城はこの光景を間近で見たことはない。ただ、話だけなら記憶の彼方にあった。

 

クーデター、もしくは反乱と。

 

「あなたは苦労して届けた我々の要望書に目を通されていないのですか? だとしたら、死活問題ですな? そのお命にかかわるほどの」

 

武原は階級では雲泥の差がある百石をあからさまに卑下する言動を行う。それはこの場に百石と和深たちが揃って以降、常に具現する光景だった。艦娘たちの中には百石を侮辱する武原を睨みつける者もいたが、彼女たちには容赦なく24式小銃の小さく凶悪な銃口が遠くから突きつけられた。

 

「いえ・・・それは・・・・」

 

いつもの百石とは言えないほど、弱々しい返答。彼は胸をのけ反っている武原とは対照的に心なしか背中が丸まっている。

 

「まったく、無能にもほどがある。おい!」

 

武原の咆哮に反応して取り巻きが一枚の紙を懐から取り出す。それを受け取った武原は紙を破れる一歩手前まで広げ、百石たちに見せつけた。

 

「ひとつ! 艦娘の艦娘寮からの外出を一切禁止する事。なお、朝礼実施時は例外とする。・・・・・・・・・今の状況はどうですか」

 

武原はこちらへ視線を向ける。百石は苦しそうに唇を噛んだ。

(まさか、百石提督は・・・・・・)

脅されている。その結論に至る要素は目の前の光景以外にいくつもあった。最も大きなものはみずづきが失踪して以降の鎮守府の動きだろう。警備隊の不自然な撤収。宿舎に籠ったと思ったら、艦娘寮の包囲。すべて武原、その上官である和深の指示ならば、百石では考えられないちぐはぐな動きも納得がいく。

 

「どうなんですか! ん? ・・・・・・何?」

「ん?」

 

百石が答えに窮していると、体育館の外から駆け込んできた特戦隊員が武原に耳打ちをする。言葉が重なるごとに彼は気色悪い笑みを浮かべ、深くしていった。そのような彼と対照的に百石たちは急速に顔色を悪くしている。

 

どのような内容かは分からないが、これだけは言えた。

 

横須賀にとって、ますます状況が悪化したと。

 

「今すぐ、連れて来い!! ついている! 俺たちには風が吹いているぞ!」

 

武原は場の空気もわきまえず、その場で小学生以下のへたくそなステップを刻む。

 

だが。自身の浅はかさを呪った。特戦隊員と見知った人物に銃口を突きつけられ、強制連行を強いられている集団を認めた百石たちの顔面蒼白ぶりを見るに、状況は「悪化」の一言では表現できないほど深刻なものだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

今まで経験により、あまり良い思い出を持っていない体育館。これまで唯一足を踏み入れたのは房総半島沖海戦が勃発した日の夜、第一次野島岬沖海戦で壊滅した第5艦隊の生存将兵の治療支援を命じられた時だ。

 

あの時以来の体育館。史上2回目になる今回も前回に負けず劣らず、館内は悲惨極まりない状態だった。

 

「な・・・なに・・・これ・・・・」

 

玄関から椿と特戦隊員に24式小銃を突きつけられながら、体育館へ入る。内情を目で把握した瞬間、曙が呆然と呟いた。曙だけではない。摩耶たちはおろか、西岡に肩を借りて歩いている坂北、彼に肩を貸している西岡も眼前の光景に絶句していた。

 

演台の上で身を寄せ合うように立っている百石や筆端などの横須賀鎮守府上層部。様々なスポーツ競技用の白線が引かれた床に整列し、非武装の警備隊と完全武装の特戦隊に囲まれている艦娘たち。無表情を保ちつつ、苦悩に満ちている警備隊員。特戦隊は艦娘と同時に彼らにも怪しく光る銃口を向けている。上を見上げると踊り場にも特戦隊員が展開し、下方へ24式小銃を構えている。

 

指示があれば、警備隊もろとも横須賀鎮守府上層部及び艦娘をハチの巣にできるように。

 

みずづきの誘拐。そして、現在目の前で起こっている異常事態。これら2つの間に強固な関連性を見出した瞬間、みずづきは唇を噛んだ。

 

「み、みずづき!!」

 

こちらの姿を認めた瞬間、目元に隈を刻み込んで顔面蒼白の百石が口元を緩めながら叫ぶ。そこには明らかに安堵と喜びの感情があった。彼のように声を上げなくとも、筆端たちは消え入りそうなほほ笑みを浮かべて顔を見合う。よほど、こちらの安否を気遣ってくれていたようだ。

 

整列し、混乱の渦中にいながら艦娘もほっと胸を撫で下ろしてくれている。だが、そのわずかな和みは漆原の驚愕で四散した。

 

「お・・・おい! ・・・・・・椿? お前、椿だろ!」

 

彼はみずづきの側頭部に拳銃を突きつけている白衣の女性を見た瞬間、半狂乱で指を突きつける。その様子はあまりにも痛々しい。百石たちもつらそうに顔を歪める。中には怨嗟を込めた視線もあった。

 

「何してんだよ!! お前!! どういうことだ!! ええ!! どういうことだよこれは!! 椿!! なぁ!? どういう・・・・・・」

 

一瞬、真顔になると唐突に漆原は口を閉ざす。右隣の椿が何かしらの行動に及んだのだろうが、拳銃を突きつけられているため迂闊に首を動かせない。彼女に特段の変化はなかった。漆原が肩を落とすと同時に体育館の空気をますます穢す(けが)笑い声が轟いた。

 

「あ、ははははははははははは!!!!!!」

 

演台上。百石たちの対面で完全武装した部下とおぼしき特戦隊員を従えているチョコボール、またはおでんの定番メニューである煮卵のような頭を持つ男が腹を抱えて、笑い転げる。その声はもはや悪霊かと思えるほど狂っていた。彼はこちらを一瞥すると、トカゲのように唇をゆっくりと舌で湿らせる。

 

「愚かにも我々の手助けをしてくれた恩人だ。我が軍は礼を尊ぶ。そのご恩に敬意を払い、特等席を用意することと致しましょう。司令、よろしいですか?」

 

煮卵男は後方で事の成り行きを静かに見守っているちょび髭の軍人に伺いを立てる。彼が頷いた瞬間、「おい!」と一喝。特戦隊員は24式小銃を横に振り、演題へ上がるよう指示する。一番先頭だったため戸惑ったものの「あがれ」という低い声にせかされ、階段を上る。

 

煮卵頭の歓喜が聞こえてきた。

 

「これで・・・・これでようやく!!!」

 

みずづきたちは演題の中央、百石たちと武原たちの間に立たされた。無論、椿と特戦隊員の銃口付きである。そこから見える景色は高い分、異様な状況がより詳細に把握できた。

 

「ご苦労だった、椿中尉。君のおかげでこれ以上ないほどに事が上手く運んだ」

 

一転、軍人らしく引き締まった声色で椿をねぎらう煮卵頭。彼すらも椿には一目置いているようだ。椿は「ふっ」と笑うとこちらの側頭部へ拳銃を突きつけたまま答える。

 

「いえいえ、とんでもない。私はたまたま彼女たちを捕捉しただけです。これは私たちの手柄ではなく、和深司令官、武原隊長の類い稀なご手腕あってのこと。そのご手腕によって発生した蜜にあやかれた身としては、お礼などもったいない。私がお礼を言いたいぐらいです」

「と、いうことは?」

 

武原が下衆な笑いから想像できない真剣な表情で問いかける。椿は大きく頷いた。この2人、相当深い間柄のようだ。それはつまり、椿が武原側であることを明確に示していた。

 

瑞穂の国難を幾度となく救い、瑞穂のために身を賭して戦ってきた艦娘たちに平気で銃を向ける排斥派であることを。

 

武原は再び気色悪い笑みを浮かべると、視線の先を百石たちに変更する。

 

「さてさて、状況は全て整いました。先ほどまでの続き・・・・いえ。裏切者どもの断罪を始めるとしますか!!!! もう、お分りですよね? 百石提督?」

 

不穏な単語に抗議の声すら上げず、百石は黙り込む。武原は最後の追い打ちとばかりに、手に持っていた紙を広げ、そこに書いてあるだろう文章を読み上げた。

 

「ひとつ! 現在展開中の横須賀鎮守府司令隷下地上部隊を10月22日午前3時までに撤収させること。かつ撤収後すみやかに()()()()()()()()。ひとつ! 艦娘の艦娘寮からの()()()()()()()()()()

 

その文言を聞いた瞬間、血の気が素早く引いた。特戦隊員の1人が持っている24式小銃を見る。それは特戦隊員のものではない。そして、自分たちの姿を脳内で想像する。助けに来てくれた陽炎たちは弁明の余地もなく、警備隊監獄署前で椿と彼女の後からやってきた特戦隊員に拘束された。

 

次に武原の口から出るであろう文言を想像する。彼の卑しい表情から数秒後に訪れる未来を想像することは非常に容易だった。

 

「以上の要求が遵守されない場合、現在不法入国の容疑で拘束中の国籍不明者、また横須賀鎮守府将兵、所属艦娘の身の安全は保障されない!!!!」

 

驚愕、そして沈黙。想像していた通りの言葉が武原の口から放たれた。

 

「何か弁解はありますか? 百石提督? 筆端副長?」

「くっ・・・・・・・・・・」

 

2人は拳を震わせつつ、無言を続けた。この状況においてそれがどういう意味を有するのか、分からない人間はいなかった。傍らで懇願するように百石を見ている陽炎の目はあまりにも心を(えぐ)った。当然、そのような視線を一身に受けている百石たちの心はボロボロだろう。

 

しかし、みずづきは見逃さなかった。彼らがどうしようもない現実に打ちひしがれている雰囲気を醸し出しつつ、時々左腕の腕時計に意識を向けていることを。

 

「残念です。まったくもって残念です。瑞穂海防の中枢である横須賀鎮守府がこのような単純な要望すら守れないほど、外道に落ちているとは! しかも、それに至った理由がこれを助けるためだとは!? 私には理解できない! 理解できない!」

 

武原は道端を張っている毛虫でも見るような目で、こちらを指さした。とても人間に対する視線ではない。彼はゆっくりと軍刀に手を伸ばす。もともと高かった緊迫感がうなぎ上りで上昇していく。しかし、御手洗が乱入したときには上官に対して拳を振るうこともいとわないほど噛みついていた百石は明らかに艦娘が命の危険にさらされているにもかかわらず、動かない。噛みつかない。

 

「深海棲艦の斥候だけでは飽き足らず、不和の種をまき我々人間同士で争わせ、自滅させようと画策する虫けらを庇いだてるとは、もはや同じ海軍軍人であるか疑わしい。お前らのような輩がいるから、瑞穂はいつまで経っても神国の御業を発揮することができないのだ! ここにこそ天誅(てんちゅう)が必要だ!!」

 

そして、軍刀の柄を握る。引き抜こうと彼が手に力を入れた、その時。

 

「待て!! 武原!」

 

耳に染みついて離れない声が玄関から聞こえてきた。脅す側、脅されている側に関係なく体育館内にいた全員が同じ方向に視線を向ける。

 

「あ・・・あいつは!?」

 

黒潮の驚愕。それには完全同意だ。

(なんで、あの人が・・・・・・)

声を発した人物は視線に構わず、1人の部下を従えゆっくりと歩みを進める。

 

「我が国民の血税で賜った誉高い軍刀をたかがものに振るい、刃を欠けさせ、汚らわしい体液に染めるなど、この私が認めん。偉大なる海軍の恥さらしだ」

「おおお!! ・・・・・・おお!!!」

 

諫められているにもかかわらず、武原は目を輝かせ感動のあまり拳を打ちふるわせている。彼だけではない。今まで寡黙どころか一言も言葉を発していない和深すら、「閣下!! おお! 閣下!!!」と目を大きく見開いて突然の乱入者に視線を釘付けにしている。

 

先ほどの緊張感が嘘のようにざわつく体育館。彼の正体を知らない者は例え艦娘であろうといなかった。横須賀の艦娘たちはみずづきが来て以降、必ず一度は堪忍袋を刺激する憎たらしい顔を見ていたのだから。

 

「み、御手洗中将・・・・・・」

 

古来より瑞穂の政治中枢に多大な影響力を保持してきた名家、御手洗家の三男、御手洗実。現海軍上層部が何かと接点を有する海軍大将を父に持ち、息子という覆しようのない身分を乱用して問題ばかりを引き起こした海軍の問題児。そして、艦娘の脅威を声高に叫び、排除を信念とする艦娘排斥派の重鎮であり、リーダー格。

 

近頃は哀愁を漂わせることも多かった彼が、初めて会った時と寸分違わぬ雰囲気を宿し、横須賀鎮守府体育館に姿を現した。

 

「そういうことか・・・・・・・」

 

御手洗を見て和深と武原が歓喜に沸く一部始終を見ていたであろう百石は、怨念が籠っていそうな低い声で呟く。彼の目は怒りで真っ赤に充血し、今にも眼球から血が噴き出しそうだった。

 

「御手洗閣下! 御手洗閣下!! やはり、来てくださったのですね! 御手洗閣下はやはり、小生たちが知っている御手洗閣下だったのですね!!」

「御手洗閣下! 私は・・・私は信じておりました! ずっと! ずっと!!」

 

演台へ階段を登ろうとする御手洗にかけより、手を貸そうとする涙声の武原と破顔している和深。御手洗はそんな彼らを「いや」と煙たりながらも、叱責しないあたり満更でもないようだ。

 

「2人ともよくやってくれた。私はお前たちのような部下を持てて、誇りに思う。同志のみならず、この功績は瑞穂全国民の光となろう」

 

御手洗の笑顔を初めて見たかもしれない。笑う彼に対して和深と武原は敬礼。そこには隠そうとも隠しきれていない巨大な歓喜があった。だが、気のせいだろうか。

 

御手洗と武原・和深。両者で共有されているはずの達成感が、水と油の如く隔絶しているように感じるのは。

 

「後は私に任せろ」

 

そう言うと御手洗はこちらに向き、見下すような、そしてこれから消える者を憐れむ視線を送ってくる。

 

「みんな!!」

 

取り返しのつかない結果を招く不穏を察知した瑞鶴が叫び、こちらへ駆けだそうと整然としている列から飛び出す。

 

「「瑞鶴!!!」」

「瑞鶴さん!」

 

翔鶴と加賀、潮の制止。特戦隊員の24式小銃にお構いなく、ツインテールを揺さぶる瑞鶴。だが、彼女の突発的行動は百石の尋常ではない叱責で特戦隊員の包囲網を突破する前に収束させられた。

 

「止まれぇぇぇ!!! 瑞鶴ぅぅ!!!!!」

「ひぃぃ!!」

 

瑞鶴はみすぼらしい悲鳴を上げると急停止。「戻れ」と端的に伝える彼の冷たい視線に顔面蒼白となりすぐさま元の位置に戻る。百石は瑞鶴を半泣き状態にした血走った目線を御手洗に向けた。

 

「ここはお前の関知する場所ない。私たちの・・・・海軍軍人の独壇場だ」

「ほう。言うようになったな学生」

 

御手洗はいやらしい笑みを浮かべながら、右手を上げる。「下がれ」と武原が一言。それに従い、椿と特戦隊員が周囲から退く。

 

銃口を突きつけられてから1時間も経っていないが、極寒の殺意を感じない世界がえらく久しぶりのように感じる。しかし、その解放感も束の間。

 

御手洗はゆっくりとこちらに向けて歩み出した。

 

「やはり・・・やはり、この件はあなたが手を引いてたんですね。御手洗中将!!」

 

百石は今まで発散を控えていたストレスを爆発させるように、御手洗を責め立てる。しかし、御手洗は何食わぬ顔。そして、みずづきの隣にやって来た。こちらには視線を向けようともしない。

 

彼の雰囲気はやはり初めて遭遇したものと同一だった。

 

「この件とはどの件だ? 抽象的な物言いが通じるのは貴様がいまだに浸り続けている一般社会のみだ。明快な報告。これは海軍軍人の基礎中の基礎だ。そんな基礎もできないやつにこの私がわざわざ教示してやる道理はない」

「人事教育局への圧力を通じてそこの2人を横須賀へ異動させ、椿中尉を送り込んでみずづきを誘拐し、排斥派の反乱を画策・決行した今、この状況です!!」

「反乱? 今、貴様は反乱と言ったか?」

 

この2人と言われ激高しかけた武原が可愛く思えるほど、怒気を充填する御手洗。冷静だったつい先ほどまでが幻想と錯覚しそうになるほど、顔は真っ赤となり、鼻息が荒くなる。しかし、百石は一切ひるまない。

 

「これは反乱ではない! 今まで散々国民をだまし、正当な議論を呼びかける我々をコケにしてきたお前ら擁護派に対する天誅である!! そしてMI/YB作戦の勝利を持って貴様らの失策で無残に命を散らした将兵たちの無念を晴らし、ウジ虫と深海棲艦斥候の排除を通じて瑞穂の道を正す世直しである!! 反乱などと我々が国民の願いと陛下のご意向に反する逆賊のようない言い方をするな!!!!」

「いいえ、これは反乱以外の何物でもない!! ここにいる艦娘たちは、本来は無関係であるはずの私たちのために、命の危険を顧みずあなた方のような恩を仇で返すような無礼極まりない連中に石を投げられようが歯を食いしばって戦ってくれた! だから瑞穂は今も存続しているのです!! その功績がどのようなものか。一番分かっているのは市井の国民です。瑞穂国民は艦娘たちを信頼し、艦娘たちに未来を託している! 国民は艦娘と共にあることを望んでいる! それを武力や脅迫で覆すことはいかなる理由があろうと許されない!!!」

 

百石は深呼吸を行うと、はっきり言い切った。

 

「あなた方は逆賊だ!!!」

「き・・・・貴様、我々に向かって・・・・・」

 

歯を砕けんばかりに噛みしめた和深が軍刀の柄を掴む。だが、それを御手洗が止めた。

 

「自分たちに都合のいい情報だけを流し、国民を誘導して形成した偽世論を拠り所として我らを逆賊呼ばわりするとは・・・・貴様の方がよほど逆賊だ。いや、もはや万死に値する。確かに洗脳された国民に我らの行為はお世辞にもすぐには許容されないだろう。だが、真実を伝えれば国民は気付く。貴様らがこの国にとっての害悪で、我らが正義であることを」

「狂っている・・・」

 

百石は怒りの視線に蔑視を含ませる。

 

「狂っているのは貴様らだ。私個人としては貴様らが国民に後ろ指を刺され、己の信念と葛藤し憔悴していく様子を見たい限りだが、その前に」

 

御手洗は腰から拳銃を引き抜き、みずづきの額に照準を合わせた。

 

「っ!?」

 

逃れようのない、命の危険。怯えていると悟られては癪と思い、必死に平静を装う。しかし、外見は誤魔化せても体の内部は誤魔化せない。過酷労働に従事する心臓。あまりにも頻繁にかつ大量に過剰な血液が体中に供給されるため、鈍い頭痛が脳内を侵食していく。

 

「みずづき!!!!」

「動くな!!!」

 

走り出そうとした、飛びかかろうとした百石・陽炎・黒潮に代表される者たちを一喝。動いたら容赦しないと言うように、このタイミングで安全装置を解除した。

 

その音で以前このような位置関係になったことを思い出した。御手洗もあの出来事は忘却のしようがないようで呟きかけた言葉は彼が代弁した。

 

「あの時とは逆だな」

「そう・・・・ですね」

「て・・・てめぇ!」

 

もはや怨嗟の権化と化した百石が特戦隊員ですら汗を浮かべるほどの怒りを持って御手洗を睨みつける。握りしめられた拳からは血が流れ出ていた。

 

「今すぐその汚い銃をどけろ! さもなくば・・」

「さもなくば、どうするんだ?」

 

御手洗の問いかけに百石は黙り込む。今の百石にできることは口で御手洗の精神状態を乱すことしかない。実力行使は自分、そしてみずづきの死を意味する。だが、唯一の抵抗手段も効力を失いつつあった。百石を見放すように、御手洗は拳銃の照星と照門越しにこちらへ視線を向ける。

 

「同じ人間同士で果てしない殺し合いを続ける知性の欠片もない猛獣。その際たる蛮族である日本人の貴様はこの世界に存在してはいけなかった。来てはいけなかった。貴様は存在しているだけで死をばら撒き、善人をたぶらかし、この瑞穂世界を血生臭さで満ちている日本世界に近づける。貴様こそがこの国をここまで堕落させた、最後の汚物だ」

 

見える。目と鼻の先にある銃口。言葉を重ねるごとに引き金に掛けられた右手の人差し指に力が籠っていくのが見える。引き金が引かれ、発射された音速越えの鉛弾が額を突き破り、脳細胞をかき乱した場合、ほぼ100%絶命は免れない。一瞬で23年間この世に存在し続けた意識は消滅し、残された体は脳髄をまき散らしながら光っている床を赤く染め、無様に転倒するのみ。

 

艤装を付けた状態なら、この世界にある拳銃など所詮豆鉄砲。しかし、いくら艦娘とはいえ生身の状態では拳銃など防げない。

 

「それはこいつが必死に脱走を試み、結果これらの力を借りて脱走したことからも伺える。こいつは汚物でありながら、強硬な行動原理を持つ獣。早く処理しなければ、侵食は取り返しのつかないところまで到達する」

 

常人ならば泣き叫んだり、体を震わせたり、命乞いをする場面。死を覚悟していた軍人でもあきらめたように笑い、これまで生きてきた人生を追憶する場面。

 

決して、死ぬのが怖くないわけではない。決して、生に執着がないわけではない。

ここで死ぬ気は全くない。生まれてからまだ23年。自分より若くして死んだ人間は大勢いるものの、まだまだ生きたい。例え苦難が待ち受けていようと、険しい壁がそびえ立っているのだとしても、これから許される限り生きていたい。陽炎たちや百石たちと馬鹿をやっていたい。誰かの役に立ち続けたい。自分が生まれ育った世界とは異なるこの世界を並行世界から来た人間としてできる限り見続けたい。

 

少しでも長くかげろうが、おきなみが、はやなみが生きていた証を胸に抱き続けたい。

 

・・・・・・知山が最後まで示してくれた想い。それをこの先もずっと果たし続けたい。

 

「貴様の消却が、新生瑞穂への第一歩だ」

 

御手洗の眼光が変わる。握りしめられる拳銃。力が臨界点を突破する人差し指。自身の命などお構いなしに駆けだす百石。そして、陽炎・黒潮・曙・吹雪・摩耶。

 

明確な死を宣告する情景。だが、死を許容する感情など一切持ち合わせていないのにかかわらず、死への恐怖はこれまた一切なかった。

 

自分が狂っているのではない。あまりの恐怖に感情が麻痺してしまったわけでもない。

 

人を撃つより、自分が撃たれそうになっているような貧弱な表情。ここからしか見ることができない御手洗の表情がある確信を与えてくれた。

 

彼は自分を撃たない、と。

 

「っ!!!!」

 

その確信は。

 

唐突に銃口が睨む目標を変更する御手洗。体を約90度旋回させ、腕を固定。人差し指を思い切り引いた。

 

パ―――ンッ!!!!

 

間違っていなかった。

 

「ぐあはっ!?」

 

御手洗の銃撃を腹部に受け、盛大に後ろへ吹き飛ばされる武原。錯乱状態で「あぁぁ! あぁぁぁぁぁぁ!!!」と唾をまき散らしながら絶叫する。

 

「な!?」

「は? はぁ!?」

 

今まで交わることのなかった擁護派と排斥派が初めて感情を共有する。何が起こったのか分からず、言葉にならないうめき声を上げながら視線を泳がせる百石たちや和深たちを尻目に、御手洗はすぐ近くいる人間の鼓膜が破れそうなほどの大声を上げた。

 

「梨谷ぃぃぃ!!!!! 川合ぃぃぃぃぃ!!! 制圧開始ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」

「了解!!!!!!」

 

呆然とするその他大勢に対して、御手洗の絶叫を受けた横須賀警備隊隊長川合清士郎大佐と横須賀特別陸戦隊第2特別陸戦隊隊長梨谷克治中佐の動きは隔絶していた。そして、両名を指揮官として仰ぐ将兵たちの動きも並大抵のものではなかった。

 

「うぉぉぉぉぉ!!」

 

一斉に演台へと駆けあがり和深や悶えている武原、とっさに拳銃を構えようとする彼らの部下に飛びかかる第2特別陸戦隊の将兵たち。

 

「みなさん! 危ないですから! 危ないですから! 下がって! 下がって!!」

 

艦娘たちの前に立ちはだかり、安全地帯と目される体育館の後方へ下がらせる、特戦隊に銃口を突きつけられていた警備隊員。

 

「全員武器を捨てろ!!」

 

玄関からは低姿勢で24式小銃を構え、殺気に満ちた第2特別陸戦隊員が突入してくる。体育館の外を固めていた部隊だ。彼らの銃口の先は和深と武原たちだ。

 

「どういうことなんだ!! これはどういうことなんだよ!!」

「おい!! お前ら! どうしたんだよ!! 拘束するべきは俺たちじゃない!! あいつらだ!!」

「おかしいだろ!! 艦娘は人を操る能力まであるのかよ!?」

 

第2特別陸戦隊員に引き倒され、抵抗できないよう組み伏せられた和深と武原の部下たちは口々に叫ぶが、誰も聞く耳を持たず、先ほどまで味方と信じて疑わなかった仲間たちに手錠をはめられていく。

 

「え・・・・? えっと・・・・・・」

 

御手洗が撃たないことには確信を思っていたが、この光景はさすがに予想外だった。というか、誰がこの急展開を予想できようか。目の前で先ほどまで絶好調だった和深たちが乱暴に拘束技をかけられ、複数の屈強な特戦隊員たちに押しつぶされている。

 

武原本人に至っては手錠をはめられているのもかかわらず、撃たれても出血していない腹をまさぐりながら「あれ? お、おかしいなぁ???」とずっと凝視している。あれは周囲の状況が上手く呑み込めていないようだ。

 

「川合大佐!! これはどういうことですか!? ええ!!!」

「説明して下さい! なんであのクソ中将の口からあなたの名前が出てきたんですか!? なんで、警備隊員たちはあらかじめこれを知っていたかのようにテキパキと行動しているんですか!?」

「えっと・・・・その・・・・あの」

「答えて下さい!!!」

 

演台の淵まで追い詰められ、鬼の形相で百石や筆端たちに詰め寄られる川合。詰問をかわそうとこちらに顔を向ける。だが。

 

「なんじゃ・・・こりゃ・・」

「あはははははは・・・・・・。川合隊長、俺たちだけのけ者だったんですか・・・・」

 

捨てられた子犬のように肩をがっくりと落し、ひざまずいて床に「の」の字を書いている坂北と西岡に遭遇する。視線が交差する両者。川合は気まずそうに苦笑いを浮かべると天を仰ぐ。

 

「あの隊長があそこまで現状に窮するなんて、レアにもほどがある」

「誰がクソ中将だぁぁ???」

 

引きつった笑みを浮かべていると騒動の火付け役である御手洗がたまたま聞こえてきた筆端の詰問に額の血管を浮かび上がらせる。だが、直後に聞こえてきたあまりにも情けない声が、中将の罵声から筆端と百石を救った。

 

「閣下!! 閣下ぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

声の主は鉄帽が神隠しにあい、口元から一筋の血を流している和深だった。乱れ切った容姿は横須賀特別陸戦隊司令官の威厳にすっかり愛想をつかされていた。

 

「どういうことですか、閣下!!! これは閣下の差し金なのですか!? そうではないでしょう!? 早く、こいつらに天誅を!!! おい! 梨谷!! この裏切り者が!! お前など八つ裂きにしてくれる!! 嫁や娘が慰め者になる前で苦しみながら神罰を下してやる!! 覚悟しておけ!!!」

「・・・・・やれ」

「は!」

「な・・・。うぐ!!!」

 

御手洗の命令を受け、和深の隣にいた特戦隊員が彼の顔面にパンチを食らわす。「ああああ゛」と激痛の前に喚き散らす和深。今までの経験から虫でも見るような目で彼を見ているのかと思いきや、御手洗はひどく罪悪感に駆られた顔をしていた。

 

「椿。武原を抑えつけ・・・・・・って」

「この様子だと私がみなさんに恐怖される必要性はないかと。正直、これ以上ここのみなさんに嫌われるのは勘弁なんですよね・・・・・・・」

 

ネジまきが切れたように首を垂れたまま微動だにしない武原。その隣で苦笑する椿。不意に彼女と目が合った。

 

「椿さん・・・・」

 

彼女は可愛らしいウインクをしてきた。そこには肝を震え上がらせた粘着力もなければ、冷たさもない。今まで散々会ってきたいつもの彼女だった。

 

「全員、静まれぇぇぇぇ!!!」

 

百石たちに詰め寄られる川合。艦娘たちに事情聴取される警備隊員。泣き叫ぶ和深たちの部下。彼らを静かにさせようと空恐ろしい雰囲気を醸し出す第2特別陸戦隊員。大混乱の体育館内に御手洗の大声が木霊した。

 

だてに中将ではなく、その声には無意識のうちに人を従わせる威厳があった。

 

「か・・・・閣下・・・・」

 

静まり返った中で唯一、殴られた和深だけが細々と呟く。救いを求めるような目を御手洗は一刀両断した。

 

「貴様らを海軍刑法反乱罪の容疑で拘束する。まもなく東京の海軍憲兵隊本部から応援が到着する」

「っ!?」

「・・・・・お前らの野望もここまでだ」

「なぜ・・・・・・」

 

涙を流し始めた和深は最後の力を振り絞って、御手洗に視線を向けた。

 

「なぜですか! 閣下!! これは閣下も望んでいたことではないですか!!」

 

御手洗は中年軍人が鼻水を垂らしながら、泣きわめく様子をただ見つめていた。

 

「我らの良心を利用し、少女の皮を被った深海棲艦どもが! 化け物どもが本性を現す前にこの国から駆逐する! 我々人間の手に国防の主導権を取り戻す!!! 自分の身は自分で守る! 自らの手で祖国を護ることこそが義では、道理ではありませんか!!」

「和深」

「閣下は何者かに騙されているんです! 目を覚まして下さい!」

「和深!!!!」

「っ・・・・・」

 

御手洗の一喝を受け、和深は黙り込む。

 

「和深。俺は正気だ。これは俺の決断だ。俺自身が最終的に下した」

「なぜ・・・・・・」

「和深。そう気負うな。・・・・・・・・・・・任せてもいいんだ」

「っ!?」

 

涙を流したからだろうか。激高していた時の百石のように真っ赤に充血してしまった目を大きく見開いた和深は御手洗を凝視する。

 

対する御手洗は、優し気に笑っていた。

 

「俺たちは人間。限界は悔しいがある。でもな、人間の限界は誰にものしかかっている平等なものだ。お前だけじゃない。お前がどうやったって手が届かない場所があるように、俺にも手の届かない場所がある。その限界を無理に埋めようとしなくていい。限界は限界に届く奴に任せればいいだけだ。誰も限界を持っているから、少し楽をしたところで誰も責めないし、罰も当たらん。お前はよく頑張った」

「・・・・・・・・・・・」

「どうだ? 少しの間、休養がてら国防は彼女たちに任せて、田舎に帰ってみるというのは。・・・・・・・・・なあに、安心しろ」

 

微笑みながら御手洗は体育館の中を見渡した。その顔は悪名名高い御手洗実とはかけ離れたすがすがしいものだった。

 

「彼女たちはお前の家族を背負える。故郷を背負える。お前が背負わなければと、無理に背負っていた大切なものを一緒に背負ってくれる。それを山形から見ておけ。そしてもう一度、海軍軍人として再起を図るなら・・・・・・俺のところに来い」

「う・・・・・・う・・・・・み、御手洗、中将ぉぉ・・・・うぅ・・・」

 

関を切ったように、数年間に及ぶ葛藤を流し出すように、その場に這いつくばって涙を流す和深。その涙は透き通っており、泣声を聞いても不快感は一切ない。

 

憲兵隊が体育館に現れるまで、御手洗に見守られながら和深は泣き続けていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「で? 階段を塞いでいる学生よ。私はお前と違って多忙な身でな。早く東京へ戻らんといけないのだ」

「で? ではありません。こちらの寿命を数年分縮めておいてそれはないでしょ?」

「貴様・・・誰に向かって口を聞いて・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

演台から床へ降りる階段を塞いでいる川合を除く百石たち横須賀上層部。えらくご立腹の御手洗は彼らの目線を追う。階段の下。そこには特戦隊員ですら怖気づく怒気をたぎらせた艦娘たちが「おいでおいで」と笑顔で呼んでいた。

 

御手洗の顔が引きつる。

 

「今すぐどけましょうか? 私も中将のご多忙ぶりは存じ上げております。我々も海軍全体の損失につながりかねない蛮行に及ぶ気は毛頭あ・・・」

「分かった!! 分かった!!! だから、そこをどくのをやめろ! できることなら、下の猛獣・・ゴホン! 妖気をそこで食い止めてもらえると助かる・・・・・」

「さすが御手洗中将。聡明なご判断、痛み入ります」

「くそ! 思ってもないことをタラタラと・・・・・」

 

和深たちが憲兵隊に連行され、少し静かになった体育館に御手洗の恨み節が聞こえる。聞こえているはずにもかかわらず無視を決めこみ、ただただニヤニヤと笑っている百石たちや艦娘たちはある意味銃を向けられるより恐怖心を煽ってくる。御手洗は冷や汗を流しながら、この恐ろしい空間から逃れようとしていた足を停止させた。

 

不承不承で従っているところから、彼もこの展開は予想していたようだ。

 

「それで? なにが望みだ?」

「なにもこれも・・・・・・。我々に多大な心労を敷いたこの状況についての説明です! どうせ、すべて中将の掌の上で転がっていたのでしょうが、我々にはさっぱりです!」

「・・・・・はぁ。状況からそのようなことも導き出せんのか貴様は。横須賀鎮守府司令長官の肩書がこれ以上地に墜ちる事態を見過ごすわけには・・・・・・」

 

長々と続く百石攻撃の予感にうんざりし、さりげなく自分の視線を演台の下で笑っている艦娘たちに向ける。思惑通り額に冷や汗をかいている御手洗はこちらの視線につられ艦娘たちを見下ろし、凍り付くように言葉を止めた。

 

「ああ!! くっそ!!」

 

苛立たし気に頭を掻きむしるなと投げやりに「分かった! 分かった!」と大声を上げる。どうやらこちらの無言説明要求は彼の心の鉄壁を突破したようだ。

 

「何から話したものか・・・・・・・・」

 

御手洗は時折独り言を呟き、時折眉をひそめながら、彼とは思えないほど丁寧に一語一語を紡ぎ出す。しかし、自らのあずかり知らぬところで動いていたあまりに巨大で深淵な事実に、誰も彼の様子を不思議がる境地に達する者はいなかった。

 

 

 

彼によれば、ことは約2ヶ月前。世間的には房総半島沖海戦が発生し、世論が着実に煮えたぎっていた時期。横須賀鎮守府では暴露してしまった“真実”を艦娘たちが受け入れた時期までさかのぼる。

 

当時、軍内では既存の強固な擁護派・排斥派という二大派閥が房総半島沖海戦の衝撃と後始末を巡り、動揺。艦娘の処遇より国民受けが良かった「敵討ち」・「本土攻撃の再発防止」を掲げ派閥の自然消滅を乗り切った元排斥派が主導する「積極攻勢派」とミッドウェー諸島攻撃など積極的な攻勢に反対する的場たち元擁護派の「攻勢反対派」に海軍内派閥が再編され始めていた。

 

だが、いくら房総半島沖海戦を受け「小事」に費やす暇が惜しくなったとはいえ、海軍軍人にとり深海棲艦と戦う上で最重要存在である艦娘の捉え方は目を瞑れるほど「小事」ではなかった。第5艦隊とアジアでも栄中に次ぐと言われるほど粋を極めた瑞穂航空機技術の申し子である30式戦闘機。両者は奮戦虚しく深海棲艦という人智を超えた化け物の前に「壊滅」。ここに至って、いくら頑固者、分からずや、石頭、お花畑、人類至上主義者、妄想屋、万年日陰者等々、海軍内にとどまらず政府やマスコミから散々叩かれてきた排斥派の大多数は当然の結論に帰結した。

 

「艦娘は瑞穂に必要」、と。

 

非常に不愉快だが、などと憎まれ口もつきものだったが排斥派とて個々人がそれぞれの信念を抱き、一般社会とは隔絶した別世界に自ら進んでやって来た軍人たち。かなり血の気が多く、世間一般や・擁護派の批判も一部正しい連中だが、追求するべき目標を自身の身勝手な理想と瑞穂国民8200万人の国益で履き違えるような真髄の馬鹿ではない。

 

しかし、やはりというべきか全員が全員そうではなかった。

 

「我々は覆しがたい現実を受け入れ、排斥派として長年にわたり膝を突き合わせてきたこの繋がりを今後も保つため、派閥のリーダー格として結論を下した。だが、我々上層部の意向に公然と抵抗した輩もそれなりに存在した」

「それがさっきの軍人たちだと?」

「ああ」

 

みずづきの問いかけに御手洗は生返事。どうやら、少し外れた確認だったようだ。今度は当ててやろうと意気込んで口を開きかけるが、彼はしってか知らずか話を先に進めた。

 

今は同じ海軍軍人同士で争っている場合ではない。深海棲艦は内輪もめをしながら勝てるような雑魚ではない。

 

大戦勃発以後、少なくとも艦娘出現以降擁護派が口を酸っぱくして耳にタコができるほど言ってきたことを言いつけ、説得を試みたものの効果はほとんどなかったらしい。それが逆効果につながったのか、はたまた偶然なのか。説得に疲労困憊し、上官としての慈悲も「放置」の方向で決しようとしていた「強硬派」の処遇は彼らの大胆不敵な行動によって水泡に帰した。

 

人事教育局を操った、不穏な人事異動である。強硬派の賛同者を東京、もしくは関東近郊の基地や部隊に転属。怪しまれないために抜けた穴にわざわざ御手洗たちに賛同する同じ元排斥派を放り込む周到ぶり。

 

排斥派上層部はこの時点で強硬派の思惑を長年の付き合いから直感的に悟った。

 

「なぜそこで摘発しなかったんですか? 御手洗家の三男であるあなたなら、例え証拠がなくても、証拠らしきものがあればそれ相応の対応を行使できたはずです。ご自身が今まで散々行われてきたように」

 

平常心なら絶対に言わない皮肉を織り交ぜた言葉を百石は堂々と投げかける。

 

「き、貴様・・・・・・。クッソ・・・・」

 

今にも怒号を放ちたそうな顔の御手洗はすんでのところで口を閉ざす。もう、自分の立場をしっかりと把握しているようだ。思わず御手洗の未練たらたらの表情に苦笑してしまうが、百石の言は誰もが抱く疑問だ。そもそも2ヶ月前に分かっていたのであれば、何らかの対策を講じていた場合、実際に軍の規律が乱れ、演出であろうとも命の危険を感じる状況にまで至らなかったはずだ。

 

「それでは根本的な解決にはならない。罪状をでっちあげて刑務所に押し込んだとしてもせいぜい10年が限度。服役を終えれば、やつらは再び表舞台へ帰ってくることになる。下手に激高させた状態で捕まえれば、思想やら行動が反抗期のガキの如く過激化することは火を見るよりも明らか。こちらの方が海軍にとってよほど危険な事態だ。それにやつらの背後には強力な存在がついている。私ですらどうにもできないほどの存在が・・・・・」

 

最後の言葉に、背筋が寒くなった。

 

「それは一体・・・・」

 

当然、その言葉を百石が聞き逃すはずがない。だが、御手洗は「お前には関係のないことだ」と冷たくあしらった。それでも食いつく百石に御手洗が冷たくこう言い放った。

 

「お前・・・・・・・・・・・・死にたいのか?」

 

だが、それは突き放しではない。どちらかといえば、慈悲の類いだった。

 

「・・・・・・は?」

「やつらには、この国で最も力を有している・・・・・政治家の1人や2人、簡単に世間から葬ることができる連中が背後にいる。これはここだけの話だ。いいな? お前らも下手に首を突っ込むな! 深入りすれば・・・・・・殺されるぞ」

 

御手洗は百石だけでなく、周囲にも警告を発する。初めて見た彼の真剣な表情。それが彼の語った言葉の信憑性を否応なく高める。

 

 

将来的な強硬派の過激化、後援組織の存在から御手洗たちは彼らの動きを察知しつつ手が出せなかった。そこで、彼らに気付かれることなく内情を把握するため、最も動きが不穏だった横須賀に密偵を送り込んだ。

 

それが。

 

「はい! 私です!」

 

数人、それ以上の人間にとって忘れられない数々のトラウマを植え付けた張本人が、それを意識しないように元気よく手を上げる。

 

椿澄子中尉。国防省兵器開発本部で安谷本部長をトップとする特定害意生命体研究グループに所属している技術士官。御年、27。兵器開発本部入部後、初めて配属されたチームのリーダーが工廠長の漆原であった縁から彼のことをリーダーと呼ぶ、ごく普通の女性。

 

しかし、彼女は普通などではなかった。彼女のもう1つの所属先は軍令部情報局情報保全室。海軍内の機密情報の管理、将兵の思想統制、情報漏洩の際の調査、警察や公安・憲兵隊などでは対処できない事件の捜査などを主に職掌とし、時には潜入・破壊工作・暗殺・脅迫などを行う、海軍特殊部隊“特別陸警隊”とは趣を異にする組織である。職掌の性格上、詳しい構成員自体が機密事項で、その実態は百石クラスの軍人でも噂程度しか伝わっていないが、構成員は並大抵ではない訓練を修了した文武両道の強者ぞろいであるという話はかねてより知られていた。

 

「あの話・・・・・・本当だったんだな」

 

乾いた笑みを浮かべる、“黒椿”を垣間見た1人の筆端。漆原に至っては「お、お前が・・・・・・・?」とあんぐり口を開けたまま非常に失礼なことを言っている。

 

「リーダー! それはあんまりです! 露見しないように演じるの、すごく大変なんですからね! 私は技術士官という立場を生かした、技術畑の内偵を行うことが仕事なんです!」

 

一応情報保全室員と身分を明かしたにもかかわらず隠そうともせず、感情を発露する椿。あまりの平常運転に漆原の言葉で頷きそうになる。案外、今まで接してきた椿は素だったのかもしれない。騙されたかもしれないと意気消沈していた身にとっては嬉しい希望だ。

 

彼女は強硬派の巣窟となった横須賀特別陸戦隊を効率的に内偵するため、あくまでも東京の強硬派が「百石長官をはじめとする横須賀の擁護派を監視するため」に送り込んだ密偵という風に身分を偽った。俗にいう二重スパイである。

 

なぜ、和深たちが彼女を信用したのか。なぜ、彼女が密偵に選ばれたのか。ここは御手洗の口からは語られなかった。ちなみに「将来的な大宮警備府工廠へ配属を睨み、事前研修のため横須賀鎮守府工廠へ配属された」話や「どうせどこかの鎮守府に配属されるなら、横須賀がいい」と上司に頼み込んだ話は本当らしい。これが彼女の選出理由かもしれないが、それだけではないような気がした。

 

そして、御手洗たちは椿が寄こした情報を元に和深たちが反乱を起こす腹積もりでいることを明確に察知した。

 

「やつらとて、完全に知らない顔ではない。どうにか説得して抜いた刀を鞘に納めさせようとしたのだが・・・・・・」

 

海上護衛艦隊司令官、前第5艦隊第10戦隊司令官の花表秀長(とりい ひでなが)少将による説得及び脅迫は失敗。ここで御手洗は着々と進めていた計画の実行を決断した。

 

それはあまりにも賭けに興じ、あまりにも残酷な計画だった。横須賀特別陸戦隊の一部の蜂起を意図的に見逃し、明確な罪状を背負わせてから拘束する。彼らは誰にも気付かれず計画を遂行しているようで、御手洗たちの掌の上で踊らされていた。

 

椿も御手洗の差し金。

第2特別陸戦隊は和深に忠誠を誓うふりをしてその実、御手洗側。和深たちが暴走したときの鎮圧、御手洗からの命令を受けた拘束を担当していた。ちなみに第3特別陸戦隊も御手洗の息がかかっているし、司令部・第1特別陸戦隊の一部将兵も同様だ。武原指揮の第1特別陸戦隊ではなく、梨谷中佐指揮の第2特別陸戦隊が主力として和深たちと同行していたのは、彼らの働きかけによるものである。

警備隊は百石の鎮守府にふさわしく隊長の川合清士郎大佐をはじめ大多数の隊員たちは擁護派で構成されており、御手洗とはアリの巣穴ほどの接点もなかったが、10月の辞令で紀伊防備隊から異動してきた十部副隊長以下、数名の将兵は異なっていた。彼らには逐一御手洗たちの動きが報告され、第2・3特別陸戦隊や海上護衛艦隊と緊密な連携のもとにあった。

 

「私はご存じのとおり中立派なものですから、考え方は擁護派に近いとはいえ排斥派とのパイプもありました。まさか、このような重大な使命を任されることになるとは思いもしませんでしたが・・・・・」

「と、いうことは・・・・・」

 

百石が十部の隣で縮まっている川合を見る。川合は百石の推測が正しいというように頷いた

 

「みずづきの拉致が決行される2日ほど前に十部から話を聞きました」

 

この時にみずづきの監禁場所を警備隊監獄署にすることが決められたそうだ。さすがに特別陸戦隊の営倉に監禁することは危険性が高い。監獄署は完全な警備隊の管理下であり、和深たちが不測の行動に出てもみずづきの安全を守れると判断したらしい。

 

ちなみに坂北と西岡に知らされなかった理由は艦娘たちと親交が深く、彼女たちへの漏洩を防止するためだったらしい。決して2人が上司から見放されたわけではない。その話を川合と十部から聞いた2人は当初目を輝かせたが、時間が経過するにつれて「うーん」と首をかしげている。

 

“絶対に漏らさないから、言って欲しかった”

 

同じ隊の人間として情報を共有したかったという想いがあるのだろう。

 

「本当に・・・・何から何までお膳立てが済んでいたんですね・・・・」

 

つい、聞き方によっては皮肉に捉えられてしまいかねない言葉が口から出てしまう。御手洗が和深たちや百石たち、そしてこちらの無知で無様な姿を見て嘲笑し、弄んでいたわけではないことは彼らの語り草から分かってはいた。この言葉に皮肉や非難を込めたつもりはない。ただ、あまりの用意周到さと計画性に感服してしまった。

 

「何を言っている?」

 

だが、意味深な笑みを浮かべている御手洗を見るにまだ「お膳立て」の達成要素があったようだ。

 

「軍部隊の反乱という非常事態を前にして、場合によっては我々より迅速に行動することが求められる“公僕”どもが無関係なわけないだろう?」

 

そういうと御手洗は「もういいぞ」と言いながら、体育館全体に振動が響き渡らせようとするかの如く乱暴に演台の床を足の裏で叩いた。

 

「え・・・・・・。ま、まさか!?」

「その、まさかです。申し訳ありません。百石長官」

 

百石が驚嘆と共に幕を稼働させるワイヤーや演台を照らす水銀灯、それら備品点検用の簡素な通路がある天井を見上げる。その先から声が聞こえたと思った瞬間。

 

「うぎゃぁぁぁ!!!!」

 

上から、ヘルメットから銃・半長靴に至るまで漆黒で統一された12人の集団が飛び降りてきた。予期せぬ役者の登場に、目の前に筋肉質のごつい男性が落着した黒潮が腹の底から悲鳴を上げる。彼らだけではない。どこに隠れていたのか、同じ出で立ちの集団がぞろぞろと湧いて来る。ざっと見渡しただけで中隊規模、50人近くはいそうだ。その全員が第2特別陸戦隊員の24式小銃とは異なる銃を持っている。

 

「う・・・・うそ、でしょ・・・・・・」

「ほんと、俺たちの思考は中将の思い通りってか、あははは・・・。笑えねぇ・・・・」

 

口から出かかっている魂を「黒潮ぉぉ!!!!」と叫ぶ陽炎によってなんとか現世に留めている彼女を気にすることなく、横須賀鎮守府司令長官と副司令長官は手持ちの株券が一瞬で紙くずとなった投資家のように頭を抱える。

(こりゃ・・・だめだ)

彼ら2人と放心状態になっている他の横須賀鎮守府上層部の様子から、この場を前進させられる役者は自分しかいないと思い知った。御手洗は「ざまあみろ」と言わんばかりのどや顔をして、胸を逸らしている。実にいい顔だ。

 

「あ・・・あの、あ・・・あなた方は?」

 

鍛えたれた背筋に裏打ちされた、見事に伸びきっている背筋。直立していても銅像のように微動だにしない身体。漆黒の身なりからか、染み出る近寄りがたい雰囲気。声をかけづらい「危ない人」を絵にかいたような存在だが、勇気を出し雰囲気からこの集団の指揮官とおぼしき男性へ戸惑いがちに声をかける。

 

「ああ・・・すみません。あなた方はご存じなかったですね」

 

外見が幻であるかのように優し気な声色の男性は柔らかい手つきで被っていたヘルメットと強盗愛用の目だし帽を取る。そこには漆原や御手洗よりはよほどまともな、高校で教師をしていそうな何の変哲もない男性の顔があった。

 

「どうも、お初にお目にかかります! 私は神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班第1班、通称横須賀監視隊を指揮する杉生仁男(すぎばえ ひとお)警部です!」

「き・・・機動隊・・・・?」

 

どこからどう見てもテロリストや極左・極右の過激派と日常的に相対している「特殊部隊」にしか見えない風貌にもかかわらず、自らを「機動隊」と称した杉生に震えた指を差してしまう。

 

いくら深海棲艦の脅威を前に国家権力、ひいては警察の力が膨れ上がっている日本でも89式小銃の標準装備化など重武装化が進んでいるとはいえ、杉生たちのような強者が機動隊と称することはなかった。彼らは明らかに警視庁警備部警備第一課や各都道府県警に所属している特殊急襲部隊(SAT)、海上保安庁の特殊警備隊(SST)で犯罪者や国民世論の意向に反旗を翻す「過激派非国民」を睨みつけている類いの人間だ。同じ制服を着ていれば交番や警察署勤務の警察官と見分けがつかない機動隊員とは一線を画している。日本人の視点から見てもおかしい組織構成もあるが、なぜ杉浦たちは真上から御手洗の合図とともに降下してきたのか。なぜ、杉生と御手洗の間に関係があると知った瞬間、百石たちは達観したように首を垂れているのか。

 

動揺しているこちらの心境が分かったのだろう。杉生は爽やかな笑顔を浮かべるとはっきり断言した。

 

「はい! 私たちは機動隊です!」

 

(この人・・・・いまいちわかってないよ)

誠意を感じる、少しずれた回答に文句を言うわけにもいかず心の中でため息をつく。だが、さすがは“神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班、通称横須賀監視隊”などという厳つい組織に所属している人間。「あ・・、そちらですね」と気まずそうに頬を掻くと、百石たちを見てふんぞり返っている御手洗のかわりに説明を始めた。

 

「私たちも第2特戦隊や警備隊と同じです。百石長官から秘密裡に支援要請を受ける前から御手洗中将の計画の一員でした」

「はぁ~~~~~~~~」

 

大きな、司令長官としては吐いてはいけない類いのため息が聞こえてくる。しかし、それも仕方のないことだった。なんでも、彼ら神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班は神奈川県内の海軍基地、特に全国的に見ても屈指の規模を誇る横須賀鎮守府を捜査対象とし、反乱やクーデターを引き起こしそうな危険思想を持った軍人の内偵・情報収集・監視、時には警察力の行使も任務としているそうだ。そうである以上、以前から和深大佐をはじめとする一派は重要監視対象。そして、現在の海軍上層部が神奈川県警本部、ひいては一部上層部を除いた保安省や警察庁と良好な関係にあるため、的場の信頼が厚い百石は神奈川県警警備部とそれなりの関係を築いていた。

 

椿を介して和深たちの要求を受け取った百石は和深たちに気付かれないよう横須賀監視隊と接触を持ち、万が一の事態にせめて艦娘たちだけでも救い出す体勢を整えていた。しかし、だ。

 

「あれだけ、気を使って、ああでもないこうでもないと死に物狂いで考えたのに・・・」

 

百石の貴重な寿命を使った作戦は初めから何の意味のなかった。

 

「道理で、相手が陸戦に長けた特戦隊で戦力も隔絶しているのに、お前たちがあんな素直にこちらの要請を受け入れたわけだ。部下を死地に行かせるような命令、あなたならそうそう簡単に決断しませんよね?」

「申し訳ありません。これは御手洗中将ら元排斥派重鎮発案の計画ですが、既に県警本部長の正式な命令書であなた方への情報提供が禁止されていました」

「え・・・・?」

 

筆端と同じ疑問をみずづきも浮かべた。御手洗は海軍軍人。彼らが発案した計画が「神奈川県警察本部長」の判子を通じて、末端の実動部隊に届いている。警察という治安組織の特性上、上から下へというピラミッド構造の指揮命令系統は軍と同様に強固。県警には上位組織がある。

 

「つまり・・・?」

「軍令部も保安省も警察庁も裁可した?」

「そうだ」

 

御手洗の真剣な顔を見る。

 

「これは国家的案件だ。貴様らが思っている以上に事は大きく動いている。・・・・・私の完璧な計画で見事完全勝利を収めたがな」

「的場総長もかかわっていらっしゃいますよね?」

「・・・・・・・・。いいから、お前は黙っておけ! 小池!」

「は!」

 

どや顔を決め込む御手洗の隣に立っていた彼の部下がご真っ当なツッコミを入れる。よくよく見ると彼は乱入事件でみぞうちに拳をお見舞いした御手洗の取り巻きだ。以前よりかなり経験を積んだのか、その表情は引き締まり立派な軍人の威厳をわずかに宿し始めていた。名前を呼ばれなければ分からなかっただろう。

 

しかし、小池には可哀想だが今はどうでもいいことだった。固まっている百石たちが示すように今回の一件は「横須賀」に留まらない、国家規模で事態対処が図られていた。

 

わざわざ和深たちの行動を見過ごしていながら、である。

 

だから、この疑問を抱いた者はみずづきだけではなかったのかもしれない。

 

「ここまでなされなくても良かったのではないですか?」

 

これを聞かずにはいられなかった。軍令部情報局情報保全室の椿、警備隊、第2特別陸戦隊のみならず保安省や警察庁まで巻き込んだ事案。いくら御手洗でも太刀打ちできない存在が後ろについていようと国家権力、しかも血で汚れた最悪の魑魅魍魎の彼らが本気になれば、ここまで事態が悪化する前に、百石たちが寿命を削る前に解決が図られたはずだ。にもかかわらず、御手洗たちは彼らを放置した。温めた鍋で具材が食べごろになるまで。

 

「その・・後援組織もぐうの音が出ないほどの罪状が必要ならば、私が拉致された時でも良かったはずです。中将たちは既に反乱罪、少なくも未遂で摘発できるほどの証拠を揃えていた。なのに、中将は動かなかった。あいつらの目の前に艦娘たちや百石司令たちが晒されるまで。下手をしたら・・・・」

「取り返しのつかないことになっていただろうな」

 

やはり、御手洗実中将。最悪の可能性もしっかり考えていたようだ。しかし、それでも彼はこの計画を実行した。

 

“どうして”と、その理由が聞きたかった。

 

直感でこちらから理由を尋ねるのではなく、じっと待つ忍耐を選択した。時計の針が半周するほどの沈黙を経た後、彼は視線を体育館の窓に向けながら言った。

 

「そこの中長期的視点が全く持って欠如している若造は一生かかっても導き出せん思考だろうがあいつらが過激化しないため、自暴自棄にならないため、なによりあいつら自身のために“現実”を知らしめる必要があった。一般の将兵たちが」

 

御手洗は第2特別陸戦隊員を見る。

 

「かつて排斥派としてまとまっていた将兵たちすら」

 

御手洗は梨谷を見る。そして、最後に。

 

「お前らを認めている、お前らに未来を託しているという、現実を」

 

御手洗は憎悪の欠片もない、いつもの仏頂面でもない、呆れたような表情で艦娘たちを見た。

 

「ここまで同志に否定されれば、やつらも“強硬派”としての再起は考えまい。あいつらも立派な指揮官。部下がいなければ、自分1人では無力であることは承知している。・・・・海軍軍人として誤った道に進んだあいつらを性根から叩き直す。なあに・・・責任は全て俺が背負っている。言いたいことがあれば、この俺に言うがいい」

「あ、あの中将が・・・・・・部下のため・・・に?」

 

驚愕に染まり切った震える声がどこからともなく聞こえた。発言者の特定はできなかったが、それは今まで御手洗を「艦娘はおろか気に食わない上官・同期・部下でさえ人間扱いしない、親の七光りを利用した傲慢将官」としか見ていなかった横須賀鎮守府上層部の総意に思えた。

 

「勘違いするな」

 

御手洗は威厳をたたえた鋭い目つきで百石たちを睨みつける。

 

「俺はただ・・・・・・海軍軍人として、国家・国民のために行動しただけだ。あいつらの救済はそのついでだ」

 

そう言いながら示された彼の表情には見覚えがあった。その表情をいつどこで見たのか思い出した瞬間、あの問いが鮮明によみがえる。

 

“・・・・・・・・軍人とは、なんだ?”

 

軍令部の屋上で行われた奇妙な問答。あれは彼にとって、今後の方針を決める重要な問い。今さらながら、それに気付かされた。

 

瑞穂に来て、約5ヵ月。日数に直すと約150日の間に巻き起こった経験から、抱い続けてきた問い。

 

“本当の御手洗実は存外、噂とはかけ離れた軍人なのかもしれない”

 

今日、これは確信に変わった。



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78話 横須賀騒動 その後

もう2月中旬・・・。再びこの季節が・・・。

カチ・・・・、カチ・・・・・。

「・・・・・・・・は? な、なな・・・・、oh・・・。7海域!?」

提督の皆さんにお伺いします。見間違いではありませんよね?


そろそろ夏が過ぎ去り、秋の気配が満ちてきた10月下旬。あれほど容赦なく地上のあらゆる物の温度を上げていた日光は今まで通り輝いているにもかかわらず、どこか弱々しい。太陽が天頂付近に居座っている昼間はどうということはないが、朝夕は半袖では少し居づらく、寒暖の差が激しくなってきた。

 

初めてここを訪れた時、初夏を一身に受け若々しく広がっていた新緑の葉っぱたち。彼らは風雨を凌いできた貫録を身にまとって深緑に染まり、中には赤や黄色に色づき始めているものもある。

 

久しぶりに駆け抜けるようになった海由来の爽やかな風がセミロングの黒髪を撫で、あと数ヶ月で地上へ落下する運命にある葉っぱたちを鼓舞するかのように揺らす。「サー」と背中を預けている桜の木も風に応じるかのように鳴いた。セミや鈴虫たちが退場し、少し寂しくなってしまった森にわずかばかりの活気が戻る。これで快晴かつ空気が澄んでいれば文句はなかったが、あいにくそこまでの欲は叶えられないようだ。

 

日光は空を覆い尽くす雲に阻まれ、運が良ければ拝める水平線は大気中へ舞い上がったチリで霞んでしまい見えない。せめて眼下の景色でも楽しもうとすぐ下方にある横須賀鎮守府を眺める。

 

「あれから、もう・・・・・・」

 

横須賀特別陸戦隊司令官和深千太郎大佐率いる排斥派の一派、強硬派の反乱未遂騒動、「横須賀騒動」と呼ばれるようになったあの一件から今日で一週間が過ぎた。

 

一歩間違えればクーデターとして、瑞穂社会を大混乱に陥れかねなかった騒動は市井の国民に知られることもマスコミに勘付かれることもなく、静かに幕を下ろしていた。たまたま運が良かったのか。御手洗たちの計画が完璧だったのか。今回の騒動に直接的にかかわった部隊以外の将兵たちに行われた「特別陸戦隊の機動演習」という誤魔化しにより、海軍内でも横須賀騒動は一部の者しか共有されない機密事項の地位を確立している。だが、あの日以来新たに機密の仲間入りを果たした事件は横須賀だけではない。

 

あの騒動をきっかけとして瑞穂ではこの一週間、軍規違反などの軍法各種法規違反、脱税・恐喝・暴行・痴漢など一般法令違反容疑で海軍・陸軍問わず一斉摘発が行われたのだ。表向きは単なる通常検挙となっているが、いわずもがな、各捜査機関が総力をあげて行っている強硬派狩りの一環である。北は幌筵(ぱらむしる)から南は大宮まで、3桁を優に超える将兵が連行・拘束もしくは逮捕されている。あまりの一気呵成ぶりに現在のところ、拘束過程で捜査対象や警察・憲兵隊側に死傷者は発生していない。殴り合いで頬や瞼を腫らした者はいるが・・・・。

 

そして、これと連動するかのように行われ、現在各種新聞の一面を総なめにしている事件もあの日から本格的に世間をにぎわせていた。

 

瑞穂の経済を実質的に支配している5大財閥。その内、瑞穂最大の五美財閥、第3位の豊田財閥、第5位の三沢財閥で政治家との悪質な癒着及び数十億円にも上る大規模な脱税が発覚したのだ。しかもそれを主導していたのが、瑞穂最大の自動車メーカ、豊田自動車の会長や30式戦闘機を製造している三沢航空機の社長、そして統合艦隊の建造を松前造船と合同で受注していた五美重工業の最高取締役。各財閥の名立たる最高権力者たちであった。しかも、五美財閥の統帥とされる五美第一銀行の名誉会頭も五美重工業最高取締役が行った、脱税資金の反社会的集団への供与に密接に関与していた事実は瑞穂国民に大きな衝撃を与え、以前から渦巻いていた財閥不信を決定的なものにした。

 

それを利用して、警察や検察は捜査の手を強めていた。「日就新聞」によれば、今まで強大な権力故に煙が立ちながら捜査のメスが入らなかった事件は数多あるらしく、今後も続々と捜査線上に大物の名前があがるだろうと予見していた。

 

「財閥、か・・・・・。もしかしたら、裏で財閥が排斥派をけしかけていたっていうのは本当なのかも」

 

このタイミング。そして、あの騒動のおりに御手洗が口にした言葉。御手洗すら太刀打ちできない存在など、この瑞穂にそうそういない。つい口に出た憶測が横須賀鎮守府の内部で広まることも致し方なかった。

 

日本ではアジア・太平洋戦争敗戦後に行われた連合国軍総司令部(GHQ)の経済改革で解体された財閥。しかし、ここ瑞穂では未だに財閥が経済を牛耳っていた。但し、日本もバブル崩壊後に行われた規制緩和によって企業のグループ化が認められて以降は、資本力に物を言わせた旧財閥企業が集合し、一大グループを結成。現在では生戦による大混乱で無数の企業が淘汰されたため、日本も名前は違えど瑞穂と同じように一大企業共同体の巣と化していた。そのため、財閥がどうのこうのと聞いても違和感は全くなかった。

 

「・・・・・・・・・」

 

日本と瑞穂を意識の深層で重ね合わせていると、それを無理やり釣り上げるかのような鋭い気配が左半身に突き刺さった。みずづきの海馬に深々と刻み込まれているそれが、背中に突入しなかったのは桜のおかげだろう。なかなか出てこない。

 

「椿さ~~~ん。もういいですよ。参りました、参りましたから」

 

待つのは時間の無駄と、ため息を吐きながらこの高度な遊びに終止符を打う。麓まで続いている階段の脇から、たくさんの葉を白衣に付けた女性が苦笑を浮かべて歩いてきた。こちらへ近づきながら放った第一声は「みずづきさん・・・やっぱり、すごい」だった。

 

「すごいって・・・・・」

「いやいや、普通の将兵ならこれぐらい気配を送っても気付かないんですよ? あの時は本当に驚きましたが、まぐれではないんですね・・・」

「まぁ、一応、これでも近接格闘訓練とかはマスターしてるんで」

 

椿の言葉を謙遜する気持ちが半分。椿ほどの軍人に褒められて素直にうれしい気持ちが半分。どちらの気持ちに傾斜した言葉が最適なのか分からず、こちらまで苦笑を浮かべてしまった。

 

「日本世界、恐るべし」

「いや、まぁ・・・あははは」

 

数々の将兵にトラウマを残した椿の怯え顔。そうさせている存在が自分の生まれ故郷だとはなんだか複雑だ。

 

「って椿さん?」

「はい?」

「なんでわざわざこんなところまで。何かお話でもあるんですか?」

 

ここは横須賀湾を一望できるお気に入りの場所。中山の中腹。みずづきと同じように椿も常連ならばそのような問いを発せずとも良かったが、彼女をここで見かけたのは初めてだった。

 

「あ・・・えっと、あるにはあるんですが・・・・その」

「ん?」

「・・・・隣、いいですか?」

 

何かを思案するように手をモジモジと触っていた椿はみずづきの隣を指さす。特段都合の悪いことはなかったため、「いいですよ」と左隣の土を叩く。

 

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて・・・」

 

「どっこいしょ」と言いながら、白衣に下手な皺がつかないよう注意を払って、ほんのり湿った冷たさを供給してくる地面に腰を下ろす。みずづきと同じようにできるだけ土との接触面積を小さくしようとしてか、体育座りの体勢となる。

 

「おばあさん臭いですよ?」

「放っておいてください」

 

定番のやりとりに思わず2人は吹き出す。ひとしきり笑った後、やってくるであろう沈黙を埋めるかのように再び潮風が木々を揺らした。突発的に強風が混じっており、反射反応的に遊ばれている髪を押さえつける。その時、偶然椿の横顔が見えた。

 

先ほど豪快に笑っていたとは思えないほど、思いつめた顔。紡ごうとしている言葉を選んでいるのだろうか。視線が空中を彷徨っている。

 

彼女がここへ来た目的。あの騒動を経たが故に、なんとなく分かった。

 

「あ・・・あの、みずづきさん? 今さらと思われるかもしれませんが・・・・・」

 

意を決したように視線を固定させると椿は体ごとみずづきに正対し、体育座りのまま頭を下げた。

 

「ごめんなさい。今まで騙していて・・・・・、あの時酷いことをしてしまって・・・」

 

みずづきは静かに謝罪の言葉を受け取る。椿がしでかしたことを鑑みれば声を荒げる者もいるかもしれない。彼女は身分を偽り、この身を尾行し、拉致し、監禁したのだ。

 

しかし、ここで彼女の謝罪を無下に扱うことは筋違い。なぜなら彼女は。

 

「いいですよ。気にしないで下さい」

「でも。私は・・・・」

「椿さんはただ自分の職務を全うしたに過ぎない。そうですよね?」

 

肯定するように俯きがちだった視線は完全に地面に固定された。

 

「私と根本的に立場は違えど、軍人として上官や司令部からの命令を忠実に遂行する。例え、自分の心を押し殺そうとも。今回の件は確かに一人間としては悪いことかもしれない。でも・・・椿さんはきちんと自分の使命を全うされました。そんな椿さんを私は・・・」

 

みずづきはつらそうな椿を一瞥した後、弁慶のあたりで交差していた彼女の両手に優しく手を重ねた。驚いたように顔を上げた椿の両目をしっかり見つけて、少しでも罪悪感の軽減につながればと本心を告げた。

 

「同じ故郷を守る軍人として、尊敬します」

「っ!?」

「私も日本海上国防軍の軍人です。国益のためという大義名分のもと、私情を抑圧して時には手を汚さなければならないことも理解しています。もし私が椿さんの立場なら、同じことをしたと思います。だから、そこまで思いつめないで下さい」

 

数十万人のうち1人でも身勝手の行動をとれば、「国民を守る」という使命が崩壊しかねない軍にとって、上官からの命令は絶対。それは深海棲艦が登場するまで比較的平和が保たれていた瑞穂でも日本と同様だった。時には上官の非道な命令に共鳴し、何の罪悪感も覚えず任務を遂行する軍人も存在する。しかし、必要性は認めつつも、善悪の正常な判断力を有し、罪悪感を大切に胸の中に抱き込む者もいる。椿は完全に後者だ。もし、椿が前者なら。

 

「み、みずづきさん・・・・・・」

 

現在のように謝罪をしたりはしないだろう。そして。

 

「ぷっ。椿さん? ハンカチいります?」

「だ、大丈夫です! これ以上みずづきさんにご迷惑をおかけするには・・・・」

 

今にも氾濫しそうな涙腺を抱えて、鼻を下品にすすったりはしないだろう。いくら、情報保全室の諜報員とはいえ、彼女も普通の女性だ。

 

「やっぱり、艦娘の子たちを見ても思いましたが、日本の方は違いますね。肝が据わっているというか、心が広いというか・・・」

 

目元を人差し指で拭いながら、椿が微笑みかけてくる。もう、影は消えていた。みずづきの本心は椿に届いたようだ。

 

安堵と少しの照れくささで視線を正面の横須賀湾に向ける。

 

「いえいえ、全然そんなことないですよ! 私は事実関係をしっかり把握してものを言ってるだけです。今回の一件は明らかに・・・・・・」

 

靄の中に複数の船舶を浮かべた横須賀湾。そこに横須賀鎮守府の元凶である、あの軍人の憎たらしい顔が出現した。無性に腹が立ってくる。

 

「あのオヤジ・・・・御手洗中将のせいですよ。だって、和深大佐たちをわざと決起させてから捕まえるって、御手洗中将の発案なんですよね?」

「は、はい・・・・・・」

「情報漏洩を危惧したのかもしれませんが、最初から私たちに知らせてくれていれば、椿さんはおつらい思いをしなくてすみ、私も営倉に放り込まれるようなことはなかったんですよ! 百石司令だって2日間寝込まずに済んだものを・・・・」

 

みずづきが行方不明になって以降、不眠不休で次々と巻き起こる異常事態に対処していた百石は御手洗が意気揚々と東京への帰路についた後、過労と安心感のあまり失神。医務局のベッドで一日。邸宅で一日病人生活を送っていた。3日後からは元気な様子で鎮守府に戻ってきているが、寿命をすり減らしたという例えはあながち間違ってはいない。

 

「あ、あは、あははは・・・・」

 

あまりに気迫を出し過ぎたのか、顔を若干引きつらせながら椿は苦笑する。彼女は御手洗の愚痴を言っても同調する訳でもなく、非難する訳でもなくただ笑った。

 

「みずづきさんのお気持ちも分かります。でも、御手洗中将もいろいろありますから。ここのままではあの人が可哀想ですし・・・・・・みずづきさんには言ってもいいかな?」

「どうしたんですか? 言ってもいいかなって、何を・・・・」

 

問いかけるが言葉では何も返事が帰って来ない。椿はこちらを優しい目で一瞥すると、御手洗の幻影を見ていたみずづきと同じように横須賀湾へ視線を向けた。

 

「自己中心的で、傲慢。私たち人間の力だけで深海棲艦に打ち勝てるなどと妄想をのたまう、国粋主義者。親の威光のみでここまで、ここってのは中将ですね、にのし上がった木偶(でく)の坊。御手洗家と言う名家出身のためか、人格は救いがたく、口からは常に暴言が垂れ流し」

「つ、椿さん?」

 

さすがにここまで悪口を聞いていれば、止めたくなるのが人情というもの。

 

「まだまだ、ありますけど、聞きます?」

「いえ、遠慮しておきます・・・・」

 

百石なら目を輝かせて続きを急かすかもしれないが。みずづきはそこまで鬱憤をため込んでいない。

(しっかし、どれだけ恨み買ってんのよあの人。分かってたけど、逆にすごい・・・)

 

「海軍での御手洗中将の評判はざっとこんな感じです。思わず止めたくなるくらい酷いでしょ?」

「はい。それはもう・・・・・」

「火のない所に煙は立たぬってことわざ通り、これは御手洗中将の振る舞いが完全に影響してるんですけど、みずづきさんは違和感を持たれますよね?」

 

もし、御手洗がみずづきを拉致しようとした時、あのまま暴言を吐き散らして警備隊に拘束されていたら、御手洗実に対する評価は何があっても覆しようがないほど憎悪にまみれたものとなっていただろう。しかし、みずづきは知っていた。涙ながらの訴えに対する小さな謝罪。軍令部での哀愁漂う問答。何気ない夫としての一面。部下想いの後ろ姿。

 

「ええ。御手洗中将は風説にはない、真逆ともいえる一面を持っていました」

「あの人は・・・口は悪いですけど、いい人なんです。ただ、不器用なだけで・・・・・・・」

「いい人? ですか?」

 

みずづきは御手洗の悪人ではない姿を知っている。しかし、それを持って「いい人」という言葉には素直に賛同できなかった。

 

“彼女たちはお前の家族を背負える。故郷を背負える。お前が背負わなければと、無理に背負っていた大切なものを一緒に背負ってくれる”

 

御手洗は和深に対して、こう言った。

 

艦娘を認めた。

 

排斥派のリーダー格として「艦娘の処遇」問題を脇に置くと決断した点を鑑みれば、そう言えなくもない。しかし、彼はあれほど艦娘を毛嫌いしていた。あれは嘘ではないだろ。艦娘に対して暴言を吐く彼の目は本物だった。

 

「艦娘を目の敵にされてましたからね、昔は。でも・・・・その感情は優しさから来ているんですよ? 私も直に御手洗中将からお話を聞くまで想像もできませんでしたが・・・」

「え・・・どういう・・・」

 

その後、椿が語った事実。それは彼女の言う通り、想像を絶していた。

 

「御手洗中将は深海棲艦の攻撃で7年前に、長女さんと長男さんを亡くされているんですよ・・・」

「え・・・・・・・」

 

椿は今回、横須賀潜入という重大な任務を委ねられ、また情報保全室の直属の上官が御手洗と親交の深いいわゆる御手洗派の1人ということもあり、横須賀に赴任する数日前に東京都内の料亭で御手洗と会食をしたらしい。その席はちょうど海上護衛艦隊司令官花表秀長(とりい ひでなが)少将たち御手洗派の数人も招かれていたため、御手洗は酒が進みに進み会話がぎりぎり可能なほど泥酔。

 

その時、しめっぽい雰囲気になった御手洗と花表や上司たちの会話を聞いてしまったのだ。

 

御手洗には妻雪子との間に2人の子供がいた。気が強く、御手洗の怒号などもへっちゃらで弟よりも男らしい長女、(かえで)。彼女の弟で、誰に似たのかクソがつくほど真面目で律儀な長男、(なおる)

 

「あの頃は、幸せだった」

 

口元をほころばせて語られた、御手洗の言葉だ。しかし、それは「だった」という過去形だ。楓は2027年2月1日、勤務先の高校から東北本線の快速電車で帰宅中に「十条空襲」に遭遇。電車から降りることも叶わず深海棲艦航空機からの激しい爆撃を受け、犠牲となった。直はもともと千葉県銚子市の第1師団第2歩兵連隊に所属していたが、深海棲艦の侵攻が予見されていた八丈島に応援部隊「銚子支隊」として派遣され、2027年2月11日から生起した「八丈島の戦い」に参加。当部隊を含めた八丈島守備隊は2月26日、「万策尽く、これより最後の突撃を開始する」の打電を最後に音信不通。1人の生存者もなく、八丈島守備隊約9500名は玉砕した。

 

「楓さんは私より1つ年上の27歳。直さんは24歳だったそうです。・・・・・・・瑞穂で最初の艦娘が現れたのは八丈島守備隊が玉砕した約2週間後の3月に入ってからでした」

「まさか・・・・・・中将が艦娘を嫌う理由って・・・・」

 

まるで自分自身に降りかかった不幸のように沈む椿を見ていると、他人を介してですらここまで悲しみが見えるほど、御手洗にとって子供の死が心の深い傷になっていることが分かる。

 

御手洗にとって、子供たちの存在は自分の命に代えてでも守りたいと思えるほど巨大で、大切な存在だったのだろう。

 

“俺の命とお前の命? そりゃ、お前の命だろ? 優先するほうは。なんたって、俺はお前の父親だぞ? 俺にとって自分より家族が大切なんだよ”

 

そう言って、微笑みながらまだまだ小さかった頭を撫でてくれた、もう2度と会えない家族。世界が違えど、出身が違えど、立場が違えど、御手洗もみずづきの父親と同じだったのだろう。

 

大切な家族を奪った途方もない存在に抗える人智を超えた存在が、家族を失ってからわずかな期間の後に現れた。家族を大切に思えば思うほど、無念は倍々ゲームで膨張していっただろう。

 

「はい。中将は艦娘がもっと早く出てきてくれなかったことに大きな恨みを抱いていらっしゃるんです」

 

予想通りの言葉にやりきれなさを満載したため息を吐き出した。

 

「身勝手な憎悪。吹雪や陽炎たちだって、望んでその時期に現れたわけじゃない。中将の子供さんが死ぬのを傍観してたわけでもない。にもかかわらず、そんな私情で艦娘の脅威を喧伝し、国政や軍をかき乱してきた。明らかに重罪だけど・・・・・・」

 

しかし、私情を挟んでいるからと、軍人としての義務“国益の追求”をないがしろにしたからと、彼の傷だらけの心を一刀両断することはできなかった。

 

いくら中将の階級にあるとはいえ、彼も感情を持った人間だ。

 

“なんでもっと早く来てくれなかったのか”

 

この言葉は広義的に言えばみずづきと無縁ではない。直接、面と向かって言われたことはない。だが、沖縄救援作戦(暁作戦)の折、参加した艦娘たちがボロボロになりながら死に物狂いで戦っていた沖縄本島駐留部隊や生き残っていた住民から凄まじい口火でそう迫られたと風の噂で聞いていた。第二次沖縄戦での犠牲者は自衛隊・民間合わせて約82万人。

 

犠牲になった者が犠牲にならなかった可能性が見えるからこそ、人は後悔してしまうのだ。その可能性が手に届くほど近ければ、近いほど、割り切れない。

 

「難しいね。こういうのは・・・・」

「否定・・・・されないんですね。やっぱり、みずづきさんに話して良かったです」

 

椿は視線をこちらに向けると呆れたように笑う。

 

「中将もその点は自覚されてました。でも・・・・・・・・。あれ以来、快活だった奥さんも床に伏せるようになってしまったそうですし、なかなか折り合いがつけられないんでしょうね」

 

その言葉に東京へ行った時に見た、光景を思い出す。案内係の山内が「中将の奥さん」と紹介した女性は表情こそにこやかだったが、色白で、雰囲気は沈んでいた。

(あの姿にはそういう意味があったんだ・・・・・・・・)

 

彼は心の奥底で何を想っているのだろうか。

 

「でも、小さいですけど中将はようやく前へ進まれました。これで・・・・・・・」

 

椿はもともと緩んでいた目尻をさらに緩めると、ゆっくり地面からお尻を放す。白衣についた雑草や土を払いながら小さな歩幅で向かう先は桜の守護下を離れた、横須賀湾の全容を見渡せる淡い日光の下。

 

さらに白く映えると思っていた白衣は、弱々しいとはいえ立派な日光を受けても映えない。だが、ここから見える椿の背中は映えなくとも白かった。

 

「みずづきさん? 私、ずっと悩んでました」

 

朗らかさの中に哀愁を漂わせた口調。みずづきは「何を?」という問いを抑え込み、ただただ彼女の言葉を待った。風に揺られる桜の声がそうしろと言っているように思えた。

 

「私のなした行為について謝るか否かではないです。あの言葉を口にすることはたいぶ前から決めてました。でも、私は存在自体が機密に足を突っ込んでいる軍人。今まで決めあぐねていましたが・・・・・・今、決めました」

 

「みずづきさんなら、大丈夫でしょうし」。そう言いながら両手を背中で組み、片足を軸として椿はこちらへくるりと半回転した。そこにはこちらも誘われる不思議な力を持った笑みを浮かんでいる。

 

「みずづきさん? 私は御手洗中将をはじめとする東京の意向を受け、百石提督たちの動向を調査すると和深大佐たちに吹き込んで横須賀に来た二重スパイでした。横須賀特別陸戦隊の動きを東京に知らせる。でも、私たちには・・・いえ“私”にはもう1つ大きな目的がありました」

「大きな目的?」

「あなたとあなたの世界に関することですよ、みずづきさん?」

 

視線を合わせたまま話すことが気恥ずかしくなったのか。椿はみずづきが背中を預けている桜を見上げた。

 

「私は以前お話した通り、軍人のしがらみがない椿澄子として並行世界には大きな興味がありました。百石提督のような、この国を背負える立場の方々やお堅い学者の先生方はこの世界とは全く異なる並行世界の様相に頭を抱えていましたが、私は純粋に並行世界を知れてうれしかった。本来は存在の感知すら不可能な並行世界の、私たちとは違う歴史を歩んだ世界の話。確かに戦争ばっかりしてたのかもしれませんが、技術の進歩も私たちとは異次元の日進月歩で、ここにはない科学の申し子が並行世界には、あの世界には溢れていた! 科学は人を幸せにする。科学の発展こそが人類を更なる高みに昇華させる! 並行世界の技術を少しでも取り込めば、人を幸福にして、死ななくてよかった人たちをこれから先も家族と一緒にいられるようにできる。人類を殲滅せんとする深海棲艦の脅威から多くも人々を救うことができる。私は、もっと現実をみろと言われても、世界のバランスを乱すと分かっていてもそう・・・・考えていました。だから・・・・」

 

彼女は寂し気に笑った。

 

「みずづきさんがもたらした技術を頑なに秘匿する百石提督やリーダーの姿勢が理解できなかった」

 

“工廠は鎮守府隷下、私直轄の組織だから当面の間、他の場所に漏れることはない。だが、このことは上層部も承知していて、すでに兵器研究開発本部、名称の通り兵器を開発する組織からは情報をよこせと突き上げが来ている”

 

歓迎会が催された直後に提督室で語られた百石の言葉。みずづきの艤装に宿った日本の技術を積極的に欲する勢力。

 

間違いない。椿はその1人だった。

 

「加えて、私はある疑念を持っていました。これを確かめることとさらに濃い並行世界の情報を持ったあなた自身を知るために横須賀行きを兵本の上司にお願いし、もう1人の上官からの命令を受け入れました」

「ある疑念って、まさか・・・・・・・」

「そうです」

 

全身をかび臭い暗闇に拘束されていた約一週間前の記憶がよみがえる。そこでみずづきは男とも女とも取れる拉致組の1人からある疑問を投げかけられた。もう、気付いている。あの疑問を投げかけた人物と目の前の女性が同一人物だということは。

 

暴れ出した胃を必死に脳が抑えつける。あと一歩遅ければ、脳ではなく食道が逆流しようとする内容物を押さえつけるところだ。

 

「私は深海棲艦を詳しく調べるようになってからずっと疑問に思っていました。深海棲艦は私たち人間やこの桜、海を飛んでいるカモメのように永遠とも思える時のなかで発生した突然変異という偶然の産物と同じ存在なのか、と」

「それは、つまり・・・・・・」

「ええ。時が経つにつれてその疑念は深まってきました。深海棲艦の出現には何らかの、いるかどうかも分からない神ではなく明確な意思が働いているのではないかと。これは瑞穂指導層の中でかなり危機感を持って共有されている事項です。みずづきさんも知ってのとおり、私たちはその疑念を成し遂げられるまで科学技術は進歩していません。通常ならここで堂々巡りのスタートですが、私たちはそれを成し遂げられるかもしれない存在を知っています。・・・・・・・・あなた方ですよ? みずづきさん」

 

海から吹き付ける心地よい風を押しのけて、冷たく抑揚のない声が鼓膜を揺らした。その声は監禁された時に掛けられた声と性質を同じにしていた。

 

反射的に沈黙を維持してしまいそうになるが、思考が凍結し、融解したと思ったら暴走したあの時とは違う。心の中には未だにあの時浮かんだ荒唐無稽な仮定に対する結論は出ていない。しかし、いくら自分を死に追いやろうとしても、いくら残酷で非道でも、みずづきは日本国防軍を、日本政府を、世界を信じていた。だから、はっきりとその言葉を口にできたのだ。

 

「それはただの妄想で間違いです」

 

その言葉を全身で受け止めた椿は目を細める。だが、決して目を逸らさない。自分の言葉が真実であることを証明するため、みずづきは椿と視線を合わせ続けた。すると椿は険悪な雰囲気を四散させ、再び柔和な表情に戻った。

 

「分かってます。あなたの言葉に嘘偽りがないことは。何度聞いてもあなたは同じ目で同じ言葉を繰り返した。実はですね、あなたを攫ったのは計画の範疇だったんですけど、質疑応答は私の独断です。追い詰めた状態でどうしても聞いてみたかった。いくら屈強な軍人でも密室で銃をちらつかせられれば、吐く人は結構いるんですよね」

「あははは・・・・・・」

 

さすがは情報保全室員。取り調べの極意は心得ている。

 

「でも、やった甲斐はありました。あなたの主張は一貫していた。少し錯乱していましたが、あなたの目は本物だった。ここでもそう。その姿勢は信じるに十分値するものです。私は・・・・・・・横須賀に来て良かったです」

 

季節はとうに過ぎてしまったが煌々と輝く太陽をいただいた青空の元、風に揺られるヒマワリ。一身に空を目指そうとするヒマワリたちのような満面の笑みをここに来て初めて見せてくれた。

 

「みずづきさんを知ることもできましたし、疑問にも一定の回答が得られました。私、もう推進派とは行動を共にしません」

 

そして、椿ははっきりそう最後に言い切った。

 

「どうして・・・・」

「みずづきさんは嫌でしょ?」

 

相変わらずの笑顔のままそう聞いてきた。こちらが呆然としても反応はない。

 

「それに」

 

椿は眼下に広がる横須賀鎮守府を見る。

 

「私は、技術者としての矜持(きょうじ)をいつの間にか忘れていました。技術は使われる人に喜ばれて、役に立って初めて意味を帯びる。決して頭脳を自慢することでも、押し付けることでもない」

 

彼女の後姿は曇天と景色を(けが)す靄を吹き飛ばしてくれそうなほど、すがすがしい。椿は、今は東京で憲兵隊がしょっぴいてきた強硬派のお守で大わらわの御手洗に対して「ようやく前に進んだ」と言った。しかし、その言葉は決して彼1人に向かっているわけではない。

 

椿も今まで踏み出せなかった一歩を、ようやく踏み出せた。

 

「ありがとうございます。私、みずづきさんと知り合えてよかったです。心の広い人でしたから、数々の非礼を許してもらえましたし」

 

桜にお別れを告げ、みずづきの目の前までやって来た椿は腰をかがめ、右手を差し出した。「それはどうも」と嘆息して彼女の手を掴む。地面が遠くなり、世界が少し広がった。

 

「こんな私ですが、よろしければ今後ともよろしくお願いします! 任務が終わったからって、横須賀から消えたりなんかしませんよ! まだまだ研修をこなさないといけないし、みずづきさんに聞きたいことは山ほどあるんですから!」

 

輝く目つきで右手を強く握られる。先ほどまでの温かみはどこに行ったのか。彼女の手は明らかに熱い。数々の悲劇を生んできた悪夢再来の予感に思わず身が震える。しかし。

 

「はぁ~~~~」

 

楽しそうな椿の笑顔を見ているとどうでもよくなってきた。立場上もしかしたら雲隠れするかもしれないと思っていたため、みずづきも椿が横須賀に居続けると聞いて嬉しかった。騒がしい日々は終わらない。

 

「まぁ、私も椿さんとお話しするのが好きですからね。拉致・監禁をご遠慮しただいた上で、こちらこそ、これからもよろしくお願いします!」

 

握られていた右手で、しっかりと彼女の右手を握る。椿は子供のように表情を崩しながら握り返してきた。

 

 

 

これで解散なら良い幕切れだったのだが、あいにくそうは問屋が卸さない。日常の継続として昼休みのサイレンが唐突に響き渡った。

 

 

 

「え?」

 

 

 

昼休みの合図と共にサイレンは現在の時刻を知らせている。今は昼の12時。

 

それを認識した瞬間、全身から嫌な汗が噴き出した。みずづきは今、ここにいてはいけないのだ。なぜなら・・・・。

 

「工廠長に飛び出されているんだったぁぁぁぁ!!!!!!」

 

なんでもぜひ耳に入れたいことがあると、時間厳守をきつく言い含められて工廠に来るよう朝の時点で言われていたのだ。これからみずづきが受ける仕打ちを想像したのか、椿は「ぶっ!」と必死に笑いをこらえている。が、お約束でこらえきれていない。文句の1つでも言いたかったが、今やるべきことは・・・。

 

「一秒でも早く工廠につくために猛ダッシュすることぉぉぉ!!」

「いってらっしゃ~~~~い、みずづきさん! リーダーがどんな怒り方したのか、夕食の時でも聞かせてくださ~~~~い」

 

思わずこけてしまいようになる間延びした声を受けながら、みずづきは土と木材で構成された自然情緒あふれる簡素でボロボロの階段を駆け下りる。

 

木の枝で合奏を楽しんでいたスズメたちもあまりの慌てぶりに、飛び立つこともなくただみずづきの姿を見つめていた。

 

 

~~~~~~~~

 

 

「いっちゃった・・・・・・」

 

感情と物理的な動作に基づいた音源が1つ消えたからだろう。彼女のいる時はそこまで聞こえなかった鳥のさえずりや木々の揺れる音、眼下の横須賀湾で鳴らされたであろう汽笛が独特の存在感を持って周囲を満たす。彼女が抜けた寂寥感(せきりょうかん)を優しく埋めてくれる。

 

決して、この身と同じ存在にはできない所業だ。

 

「もう出てきたらどうですか? みずづきさんはりー・・・・漆原工廠長にどやされに行きましたよ?」

 

彼女と同じ場所で腰を降ろしつつ、後方の階段に意識を向ける。すると階段脇の林から放たれていたかすかな気配が明確な存在に変わった。

 

「すまないな。盗み聞きするつもりはなかったんだ」

 

姿が見えないにもかかわらず、まるですぐ隣にいるかのように明瞭な声が聞こえてくる。平時でも緊張感を忘れない、かといって肩に力を入れすぎているわけでもない真面目に訓練や各種課程をこなしてきた優秀な軍人。声色には言葉通りの雰囲気もあるが、それ以外の感情を見逃しはしなかった。

 

「本当ですかね~~、あなたともあろう方が。なにか言いたいことがあるならはっきりと言って下さい。幸い、ここには私とあなたしかいませんし、みずづきさんが戻ってくる気配もない」

 

図星だったようで男はすぐに言葉を返してこない。横須賀湾を行く海軍の補給船らしき船舶が岸壁から離れた時、先ほどより低い声で本当に聞きたかったことを口にした。彼自身に自覚があるか分からないが、小学生なら確実に大泣きの声だ。

 

「なんでみずづきにあんなことを言ったんだ?」

「あんなことって、なんのことですか? 御手洗中将のことですか?」

「あんなクソオヤジのことじゃない。分かって言ってるだろ。うんこだのカスだのうちの上司をあれだけ激昂させたやつの評価なんかどうでもいい」

「うわ、酷い・・・・・」

 

噂で耳にしていたが、彼が所属している部署の上司はいまだにご立腹状態のようだ。

 

「深海棲艦についてのことだ。なぜ、あんな言い方をした。深海棲艦の出現にかかわる日本世界への疑念。みずづきが知らないと判明しようがまだ我々はそれを捨てきれていない。それどころか例の大宮の件はお前も知っているだろう?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

無言で肯定を示す。多温諸島奪還作戦(還3号作戦)の終了後、大宮島で発見された特定管理機密。それは既に瑞穂随一の設備・体制を誇る理化学研究所に運び込まれ、分析は完了していた。彼女にあのような乱暴な真似をしてまでも深海棲艦と日本世界の関係性を問うたのは、その衝撃的な結果があったからこそだ。

 

「あれで日本世界の疑念がますます深まった。あの分析結果は深海棲艦が“神”によって創造されたのではないことを示している。みずづきの言葉は真実では・・・」

「真実ですよ」

 

彼の言葉を遮る。

 

「彼女の記憶に基づいている、という注釈はつきますが」

「だからか? まだ日本世界への疑念を持っているにもかかわらず、今回の一件でそれが消えたように装ったのは」

「そうです」

 

その行為に罪悪感を覚えなかったわけではない。むしろ、胸がきりきりと痛み、しきりに目線を合わせようとしてくる彼女の顔を直視できなかった時もあったほどだ。しかし、これを最善と判断したがための選択だ。彼女の体を軽くし、この先に行われるであろうMI/YB作戦に全力で参加するため。そして、薄情だが課せられた任務を順調に遂行するために。

 

「みずづきさんはあれだけ過酷な運命を強いられても、自分の故郷には思い入れがあるようで日本を信じています。私は彼女をこれ以上苦しめる言葉をかけられなかった。触らぬ神にたたりなしってことわざがあるじゃないですか。日本にも全く同じことわざがあるらしいですけど、それです。はっきりと深海棲艦の真実が分かるまではそっとしてあげたいんです」

 

彼はこちらの言葉が途切れるまで黙って聞いてくれていた。言葉を遮ったことは気にしていないらしい。

 

「はぁ~~~~~」

 

このままお帰りかなと淡い期待を抱きはじめた頃、大きなため息が聞こえた。これはまだまだ話が続く合図だ。

 

「まぁ、日本世界が絡んでるっていうのはこちらの早とちりの面もある。反攻作戦の実施もほぼ確定な情勢で切り札を不安定化させるのは得策ではないか・・・・・・」

「私も表の所属は違いますが、こう見えて一応あなたと同じ保全室の人間なんで、人としての道理を踏み外さない程度には頭を使っているんです。・・・話は変わりますけど、新作案が裁可されたような口ぶりでしたが、まだ幹部会議は行われていませんよね?」

 

彼の言葉には把握している情報以上のことが含まれていたため確認してみる。今、海軍内、そして世間は横須賀騒動を発端とした、社会の裏・表で繰り広げられている大捜索劇で荒れに荒れている。それは海軍の最高司令部、軍令部も例外ではない。

 

「ああ、さすがに今の情勢ではな。しかし、作戦課長の富原大佐や軍令部で幅を利かせていた軍用課長の宮内大佐も地位を追われてからこの方、作戦局の実権を掌握した小原局長が不眠不休で海軍の全部隊が同意する作戦案を作成された。既に内閣の了承も取り付けたようだからこの混乱が収束し次第、新作戦案は裁可されるだろう」

「みずづきさんが呼ばれたのもこれに絡んでのことかな・・・・・・・」

 

横須賀騒動で一悶着あったが、これに関与した者は横須賀鎮守府でも一握りの人間。百石が寿命を削っていた時も、大多数の将兵たちは「反攻作戦の実施近し」という噂を背負ってその噂の信憑性を高める激務をこなしていた。それは今、この時も変わらない。

 

瑞穂海軍は既に反攻作戦実施に向けて動いている。

 

「さぁな、それは俺にも分からないがそうなんじゃないのか?」

 

独り言だったにもかかわらず、彼は律儀に答えを返してきた。その割には適当な雰囲気が半端ではない。

(返すのが苦痛なら返さなくていいものを。独り言なんだから・・・・あ)

ここでこの苛立ちをすっきり解消できるいい案を思いついた。

 

「あの?」

 

彼に気取られないよう、気を抜くとニヤ付きそうになる顔を必死に押さえつけ、飄々とした空気を保つ。

 

「?」

「お節介かもしれませんが、ここでこんなことしていいんですか? みずづきさんが忙しいということは参謀部も忙しいということですよね?」

「うっ・・・・・・・・・」

 

彼のまとっていた空気に焦燥感が混じる。

 

「早く行かれた方がいいんじゃないですか? 緒方部長に怒られても知りませんよ?」

 

こらえきれず歯の間から笑みが漏れ出る声色になってしまった。しかし、これが逆に不気味さを煽ったようで、「そうだな」と明らかに動揺した声を出すと彼の気配は完全に消滅してしまった。大急ぎで今の職場に向かったのだろう。

 

「みずづきさんみたい・・・・・・・。私は大丈夫だもんね」

 

午前中に終わらせなければいけない仕事は既に済ませた。この時間帯に誰かと会う予定もない。よくよく考えれば、こうして頭を働かせずにぼーっとできる時間は横須賀に来てから初めてだ。

 

「風が、気持ちいい・・・・」

 

みずづきも趣味が良い。この場所は心を休ませるのにうってつけの場所だ。

 

こうして、中山の中腹を贔屓(ひいき)するメンバーがまた1人増えた。




今話を持ちまして、横須賀騒動編は幕引き。次話からは少しずつMI/YB作戦が近づいていきます。別の言い方をすれば、これからずっとMI/YB作戦が物語の土台になります。(あくまで土台ですが・・・)

なんとか張ってきたいくつか伏線を回収しましたが、新たに張りまくってるので作者と致しましては平行線。どれは伏線かについては、読者の皆様のご想像にお任せします! そんな大層なものではありませんが・・・・、張れるようになりたい(願望)。

さてさて、いろいろ忙しくてできるかどうか微妙なんですけど・・・、丙でいきます!
嫌な予感しかしないので、わざと主語を抜きましたが提督のみなさん、勝利が待つ暁の水平線を目指しましょう!

追伸
設定集にいくつか追記しました。(決意表明を書くならこれ追伸にするなというツッコミはご遠慮いただければ・・・・)


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設定集 詳細版

設定集の詳細版です。

簡易版でも述べさせていただきましたが、詳細版は「第3章 67話」までの内容に準拠しています! 1章や2章時点からご覧になるとネタバレ等がありますので、まだ第3章まで(もしくは最新話まで)読まれていない方はご注意下さい。

※2/15 78話までの内容にのっとり、加筆しました。78話をまだ読んでおられない方はそちらを読まれてから、ご覧ください。




日本世界

 

 

 

用語

 

日本国

かつて世界第3位の経済大国として名を馳せた先進国。2033年現在では、第二次日中戦争と丙午戦争、そして深海棲艦との戦争により大・中・小都市のほとんどが焦土と化し、インフラも破壊され疲弊している。それらによる軍民の犠牲者はおびただしいとしか表現できない約2350万人に達する。但し、これには戦死者や空爆での直接的死者以外に餓死者や凍死者など深海棲艦との戦争がなければ()()()()()()()()の間接的死者も含まれ、それがなくても()()()()()()()()()と区別されている。シーレーンの断絶により、エネルギー不足と食糧不足が深刻化。計画停電と過酷な食糧配給制が実施されている。また、深海棲艦との本土決戦に備えるため、徴兵制の導入のみならず、中学校・高等学校において軍事教練が行われている。経済も徹底的に破壊されたため、民間経済は壊滅、多くの企業が倒産。各種インフラの復旧、軍再建・拡張などの官需がなけなしの日本経済を支えている。失われた20年とは比較にならない閉塞感に覆われていたが、艦娘の登場以降は深海棲艦爆撃隊の襲来回数が激減したため、復興の兆しも見えている。このような状況にもかかわらず、軍事力は東アジア一であり、本格的な攻撃を受けていない他国からは「島国根性の発現」として畏怖されている。一時期、「歴史上稀に見る親密な同盟関係」とまで称された日米安全保障条約を核とするアメリカ合衆国との関係は、アメリカ側の一方的な安全保障条約の破棄を受け完全に途絶している。

 

華南共和国

 2025年10月、第二次日中戦争のさなかに起きた中国華南地方の中国人民解放陸軍を中心とする勢力のクーデターによって南京で成立した新国家。クーデターには華南地方の各省・市・自治区の共産党委員会も一斉に加わったため、統治機構は強固。これにより中国大陸には、華南と中華人民共和国が併存することとなった。かの国とは今でも戦闘を続けており、最近は中華人民共和国の北東アジアにおける孤立、日本の経済・軍事的な支援によって戦線を押している。日本とは同盟国。

 

台湾民主共和国

 第二次世界大戦後の国共内戦以来、国家もどきという微妙な位置づけであったが、2017年以降中国がさらに対外強硬姿勢を強めたため、独立し日本・アメリカとの安全保障条約の締結を求める世論が強まる。華南共和国が成立したあと、協議のすえ独立が認められる。台湾の新たなスタートとして、それまで掲げていた中華民国という国号を廃し「台湾民主共和国」とした。先島諸島奪還作戦が成功したあかつきには、台湾政府の強い意向を受け台湾にも艦娘を主体とする日防軍の基地がおかれる予定である。

 

中華人民共和国

 かつて世界最大の人口を抱え、世界唯一の超大国であるアメリカ合衆国を経済・軍事の両面で追い越すとさえ言われ共産党一党独裁国家。2017年、日本の西日本大震災発災に端を発した経済危機「チャイナ・ショック」の震源地。第二次日中戦争中に起きたクーデターにより版図の一部だった華南地方が独立。多くの領土と人民を失ったものの中国は華南を国家承認しておらず、いまだに徹底抗戦の構えを崩していない。だが、それまでになしてきた行動のつけか日本はもちろんロシアを含めた周辺諸国に見捨てられており、まさしく四面楚歌の状態。華中内戦は、華南に日本や韓国・北朝鮮・台湾・東露などがついているため戦線は押されっぱなしである。

 

ロシア連邦

 ソ連崩壊以降、事実上のソ連後継国家として民主主義・市場経済を導入しつつも、独自の価値観からアメリカ合衆国、EU加盟国と対立が絶えなかった世界最大の領土面積を有していた国家。核兵器に代表される大量破壊兵器をアメリカに次いで保持しており、通常兵器においても周辺諸国を圧倒する強大な軍事力を誇っていたが、2033年現在、事実上4つに分裂している。事実上としているのはロシア連邦、モスクワの中央政府が他の3ヶ国の独立を容認しておらず、いまだにロシア連邦の一員であり、中央政府の統治下と主張しているためである。一つはロシア連邦南部、北カフカス連邦管区に相当する地域を統治する北カフカス共和国。ロシア中央政府の管轄地域と境界を決しているが、この国は1990年中ごろから2009年まで続いた第一次・第二次チェチェン紛争、そして第三次世界大戦中の2026年に勃発した第三次チェチェン紛争にて、ロシアと激戦を繰り広げた旧チェチェン共和国が主導して成立した。そのため、深海棲艦が暴れまわっている現在でもモスクワの中央政府とは戦争中であるが、散発的な戦闘が主でそこまで激しく戦火を交えているわけではない。もう一つはロシア中央部・シベリア地域、ウラル・シベリア連邦管区に相当する地域を統治するシベリア共和国。ヨーロッパとアジアを穿つウラル山脈がロシア中央政府との境界だが、北カフカス共和国と異なり近隣の国々、政府とは良好な関係を築いている。そして最後の1つは東露連邦である。

 

東露連邦(東ロシア連邦)

 2029年、ロシア連邦を構成する共和国の1つ、サハ共和国が主体となって成立した新国家。ロシア連邦中央政府は独立を承認していないため、彼らに言わせれば東露連邦もまたロシア連邦の一部である。但し、日本をはじめ華南・台湾・韓国・北朝鮮・ベトナム・パラオなど多数の国が国家承認している。首都はハバフロスク。領土はロシア極東部、極東連邦管区の全域とシベリア連邦管区の一部。第三次世界大戦と生戦の勃発以前、独立思考は皆無であったものの、それによる世界情勢の大混乱から少なくとも連絡が取れる地域を守るため、そして日本などの周辺諸国と機動的な外交関係を構築するため、なかばやむなく独立した。独立の過程には日本が直接的・間接的に深く関わっているため、日本をはじめ東アジア諸国とは同盟関係である。シーレーン断絶途絶により深刻なエネルギー不足に陥っていた東アジア諸国へ原油や天然ガスなどを供給する見返りに、経済的・軍事的支援を受けており、東アジア各国とは同盟関係である。

 

アメリカ合衆国

 誰もが知る世界唯一の超大国、だった国家。現在は日本同様、栄華を誇った都市部は深海棲艦の爆撃により壊滅し、建国以降初めて敵対勢力による本土侵攻を許している。侵攻されている東海岸各所では、本土にある戦力を総動員し激しい戦闘が継続中である。日本に続いて艦娘の実戦配備を成し遂げ、彼女たちの活躍によりメキシコ湾とカリブ海の制海・制空権の確保及びそれらの海洋に浮かぶ島々の死守に成功している。かつて日本とは同盟国であったが、深海棲艦の侵攻による本土防衛の強化を名目に締結していた日米安全保障条約を破棄。現在、日本との同盟関係は完全に途絶している。第二次日中戦争勃発当初、国力の衰退から日本の度重なる条約履行要請を黙殺。戦局が東シナ海における局地戦から日本本土への無差別攻撃を含む全面戦争に発展したことを受け、「中国勝利」への危機感と「中国撃つべし」という国際・自国世論の高まりに背中を押され日中開戦から1ヶ月あまりのちにようやく介入した。結果的には人民解放軍の戦闘能力を喪失させることに成功するが、「約束を反故にし、見捨てた」と受け取った日本との関係は極度に悪化。日米安全保障条約の破棄は深海棲艦出現以前に日米関係が悪化していたことも遠因の1つである。

 

東亜防衛機構(とうあぼうえいきこう、通称:東防機)

 2030年、深海棲艦及びいまだに抵抗を続ける中華人民共和国の脅威に共同して対処することを目的に設立された、東アジア地域の多国間軍事同盟。北大西洋条約機構(NATO)をモデルとする。加盟国は日本、華南、台湾、韓国、北朝鮮、東露の6か国。オブザーバーとしての参加国はモンゴル、ベトナム、パラオ。地理的要因から事務局は韓国のソウルに、東亜防衛機構軍総司令部はかつて米韓連合司令部や在韓米軍司令部が設置されていた韓国の龍山基地に置かれている。日本航空国防軍嘉手納基地が東亜防衛機構軍の対深海棲艦用拠点として運用されており、先島諸島奪還作戦への参加に際し華南空軍のJ-31をはじめとする各加盟国空軍部隊が進出している。

 

J-31(殲-31)

 中国(2025年10月以降は華南)が自国の航空機技術と情報窃盗(パクリ)の総力を結集して作り上げ、2031年に実戦配備した第5世代ステルス戦闘機。一時期定着した輸出用ステルス戦闘機FC31の別命「J-31」と同様の名前を有するものの、FC-35とは全く別の機体。FC-35の外見がアメリカ軍ステルス戦闘機F-35と酷似していたのに対し、J-31はF-22や航空国防軍のF-3よりとなっている。ターボファンエンジンを1基搭載し、機体の大型化と先尾翼によりステルス性能が著しく低下したJ-20の反省を踏まえ、機体の小型化とカナード翼の廃止及び水平尾翼の採用などの改善が図られている。性能はF-22と同等とさえ囁かれるF-3を開発した日本が全面協力したこともあり、「単機ならF-35、1対2ならF-3やF-22にも対抗可能」と評されている。価格がF-3の3分の2程度ということもあり、東亜防衛機構加盟国への輸出用機体はJ-31をモデルとすることが有望視されている。なお、F-3と同様に空母艦載機型の開発も進んでいる。

 

日本国防軍

 2030年に前身の自衛隊を国軍化した軍事組織。略称は日防軍。国軍化に伴う日本国憲法第9条をはじめとした条文の改正は行われていない。内閣による憲法解釈の変更、侵略戦争放棄論の採用により現行憲法下でも侵略的戦力以外の自衛的戦力の保持が可能となったため、創設に至った。日本国憲法を受けた日本独特の階級や装備品の言い回しは、自衛隊から引き継がれている。国軍化と当時に戦闘で損耗した人員の補充ならびに本土決戦に備えるため、世論の圧倒的な支持を受け徴兵制が導入された。

 

陸上国防軍(陸防軍)

 陸上自衛隊の後継組織。海防軍や空防軍と比較して戦力の消耗はまだ少ない。それでも、先島諸島防衛線や沖縄本島攻防戦、小笠原・伊豆諸島での戦いでは多くの犠牲者を出している。先島諸島奪還作戦では、普通科連隊など大規模な戦力を投入している。

 

・第15師団

 深海棲艦による再度の侵攻から沖縄諸島を防衛するため、第二次沖縄戦にて壊滅した陸上自衛隊第15旅団を基礎に新編・拡充した陸上国防軍西部方面隊隷下の師団。司令部及び主力部隊は航空国防軍那覇基地、海上国防軍那覇基地双方に隣接する那覇駐屯地に駐屯。先島諸島奪還作戦(東雲作戦)では奪還作戦の先陣として、各島の攻略作戦に投入されている。

 

・第51普通科連隊

 第15師団隷下の普通科連隊。第二次沖縄戦では全滅の憂き目になったものの、防衛成功後再建。第15師団の基幹普通科連隊として先島諸島奪還作戦(東雲作戦)に投入される。第3段後段作戦「石垣島攻略戦」の際、第3中隊は第51普通科連隊本部の命令を受け、県道211号線伝いに石垣島深部へ進撃中、地雷と集中砲火によって優先的に10式戦車及び16式機動戦闘車を無力化した上で包囲網の形成を図る深海棲艦の周到な罠にハマり、孤立。情報の錯綜により救助が一旦中止され、独力での戦闘を強いられた結果186人中177人が戦死。生存者は9名のみであり、第3中隊はほぼ全滅した。この事態には、偵察小隊の全滅によって敵情が把握できなかったにもかかわらず、10式戦車及び16式機動戦闘車による護衛を過剰に評価し、突撃を命令した第51普通科連隊本部の慢心と人命軽視の姿勢が指摘されており、幹部には適正な処分が下される見通しである。

 

海上国防軍(海防軍)

 海上自衛隊の後継組織。通常戦力はほぼ壊滅しており、現在は艦娘と特殊輸送艦、小型護衛艦、対潜哨戒機が主戦力となっている。艦娘の優位性が確認されて以降は通常戦力の再建より、艦娘部隊の増強が優先されている。艦娘が深海棲艦の侵攻を防いだ事実から、日防軍なかでも海防軍に対する国民の信頼・期待はずば抜けている。

 

・第5護衛隊群

 艦娘が実戦配備されるまでの絶望的な戦局を運よく生き延びた護衛艦で編成された護衛隊群。残存護衛艦を既存護衛隊群に集約することも議論されたが、第1~4護衛隊群の奮戦と犠牲を後世に伝え、亡国の危機感を保持するため、あえて新編護衛隊群「第5護衛隊群」が編成された。残存護衛艦は日本にとって貴重な通常水上戦力であるため、動向は艦娘でも知らされないほどの極秘事項となっている。

 

・那覇基地

 沖縄防衛成功後、宜野湾市牧野港以南の国道58号線東側という広大な那覇・宜野湾旧市街に新設された基地。2033年5月現在、発動中の先島諸島奪還作戦や沖縄諸島・奄美諸島近海の哨戒・警備、東シナ海の制海権維持、沖縄-本土間シーレーンの防衛における、最重要拠点である。泊埠頭線(旧国道58号線)が走る泊埠頭では既存の港湾施設を一新し、通常艦隊再建後の一大拠点化を目指し鋭意長大なバースや桟橋群の整備が進められていた。完成すれば横須賀・佐世保・舞鶴・呉・大湊の5大基地に肩を並べる規模となる。

 

・摂津基地

 兵庫県神戸市に所在する海上自衛隊(現海防軍)の基地。呉地方隊隷下の摂津基地隊が基地業務を担い、掃海部隊が所属している。都会の喧騒に紛れた存在感の薄い基地だったが、阪神同時テロ事件ではテロリストの標的に。昨今の情勢から警備のため陸上自衛隊普通科連隊の分隊が配置されていたものの、重火器で武装したテロリストに蹂躙され多数の戦死者を出し壊滅した。2033年現在は再建と度重なる深海棲艦の空爆によって神戸市街が壊滅したことから、丙午戦争時の面影は完全に消失している。

 

・須崎基地

高知県須崎市の野見湾にある海防軍の基地。生戦勃発後、高知湾からの敵侵攻阻止及び高知湾沿岸地域の安全を確保する目的で新設された。しかし、その辺境な立地もあって今では、問題児たちの左遷先と化している。当基地には艦娘部隊である第53・54防衛隊と彼女たちの輸送任務を背負う特殊輸送隊が配備されている。基地の規模は小さく、所属する隊員の名前は知らなくとも顔は知っている、という状態が一般化している。

 

・艦娘教育隊

艦娘の教育・養成・訓練を一手に担う部隊。所在地は広島県呉市呉基地及び江田島。

 

・防衛艦隊

特殊護衛艦(艦娘)で構成された海上戦力作戦単位。通常艦艇である護衛艦で編成された護衛艦隊の艦娘版。司令部は呉基地。22個防衛隊群(44個防衛隊)と16防衛隊で構成される。

 

・防衛隊群

ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)を旗艦に編成されていた機動部隊たる護衛隊群の艦娘版。司令部は呉基地。全22個防衛隊群編成であり、F-35BやF-3などの航空機を搭載している特殊航空護衛艦を旗艦に構成されている。日本の悲願だった太平洋戦争敗戦以来初の、空母打撃群であり、海防軍呉基地には3個艦隊が配備されている。戦術・戦略双方において極めて重要な存在であるため、重要な作戦には必ずどこかの防衛隊群が参加し、艦娘の中でもエリート中のエリートが配属されている。そのため、防衛隊群を動かす事態というのはかなり深刻な事態に限られる。

 

航空国防軍(空防軍)

 航空自衛隊の後継組織。深海棲艦侵攻初期に海防軍と同様、日本全国の基地が爆撃を受けたため、数少ない戦力で奮戦したものの一時壊滅した。現在は急ピッチで再建が進められている。従来戦力の大半が失われたため、F-35Jと戦後初の国産戦闘機F-3が主戦力となっている。

 

防衛省

 日本の国防政策を担う中央官庁。昨今の情勢により、日本政府内での発言力の強さは高止まりしている。自衛隊の国軍化の後も、名称は防衛省のままである。

 

食糧配給法

 深海棲艦の侵攻によるシーレーン断絶受け、政府が定める適正量の食糧を国民にいきわたらせ、飢餓を少しでも抑止することを目的とした法律。戦時関連法の1つであり、戦時特措法とは別である。

 

戦時特措法

 従来の法体系では対処できない現状を受け制定された政府(内閣)の超法規的措置に法的権限を与える法律。これによって定められた政令は、国会の事後承認が必要。発布された政令の1つには最高刑死刑の秩序妨害行為が定められ、配給待ちの列への割り込み、配給品の強奪などが該当する。

 

西日本大震災

 2017年7月22日、午前11時46分に発生した平成29年度中部地方太平洋沖地震による津波・火災などを含めた大規模地震災害の総称。発生した日付から「7.22」と呼称されることもある。当地震の震源地は三重県志摩半島沖、震源の深さは10km、地震の規模を示すマグニチュードは9.3を観測し、2011年3月11日に発災した東日本大震災(M9.0)を上回る明治以降で最大規模の地震。死者・行方不明数は41万7921人。震災関連死は11万3986人。これを合わせた死者・行方不明者数は53万1907人に達し、1923年に発生し約10万5000人の死者・行方不明者を出した関東大震災を上回る日本史上最悪の地震災害となった。以前より発生が指摘されていた「南海トラフ巨大地震」と震源地、震源域、規模が酷似していることから、当地震は「南海トラフ巨大地震」であると結論付けられている。西日本を中心に激しい揺れに見舞われ、九州から関東に至る広大な地域で建物の倒壊、道路・鉄道網をはじめとする社会インフラの損壊、それに伴う大規模な火災が発生。また、発生直後から西日本及び東海地方、伊豆・小笠原諸島の太平洋沿岸部に大津波が来襲。津波は内湾で勢いが弱まると想定されていた京阪神沿岸、中京沿岸にも強大な破壊力をもって到達し、大阪市・名古屋市などの市街地中心部が浸水。軒並み壊滅状態に陥った。明らかに「想定外」を想定した想定を上回る“想定外”の事態。政府・各自治体・自衛隊・警察・消防は懸命の救助活動・被災者救援を実施するものの日本全土は富士山の噴火も相まって大混乱に陥り、想定外の現実を前に対応が錯綜。更に夏休み最初の休日とあって、普段あまり居住地域から出ない人々が不慣れな土地に遠出をしていたことも人的被害の拡大を招いた1つの要因となった。

 

平成の大噴火

 西日本大震災発生翌日の2017年7月23日、午前6時58分に発生した富士山の大噴火。西日本大震災発生に伴う混乱により避難が遅れ、人的被害が拡大。噴火単体の死者・行方不明者は2万428人。火山灰の降灰予測から当時の日本政府内部では真剣に東京放棄と首都機能の移転が議論されたが、幸運なことに太平洋上に存在していた台風が南風を関東・中部地方一帯に吹き付け、火山灰の降灰地域が富士山の北から北東に分布。そのため関東地方各地でも1~3cmの降灰を観測するも都市機能が崩壊するほどではなく、東京放棄は回避された。その代り、富士山の北側から北東地域は多大な降灰に見舞われ、火山弾や火砕流の影響を受けた地域と同様に甚大な被害が生じた。

 

第二次日中戦争(東シナ海紛争)

 2025年9月に発生した日本国・中華人民共和国との戦争。開戦のきっかけは東シナ海日中中間線公海上で発生した中国海軍東海艦隊の駆逐艦2隻が何者かに撃沈された事件である。犯人は深海棲艦であり、これは2033年現在もはや常識となっている。直接の戦闘が尖閣諸島周辺の東シナ海で収まった局地戦の9月戦争と日本本土に対するミサイル攻撃・サイバー攻撃が発生し全面戦争の様相となった10月戦争に大別される。華南共和国が成立するきっかけとなったクーデターと重い腰を上げた米国の消極的な介入により、中華人民共和国は継戦能力を喪失。一応は終結したものの停戦条約などは一切ないため、現在も戦争は継続中である。この戦争は平和ボケと揶揄されていた日本国民に計り知れない衝撃を与え、国民世論が変質するきっかけとなった。

 

市ヶ谷事件

 2025年10月4日、中国政府との即時講和を求め、東京都新宿区市ヶ谷の防衛省敷地内へ侵入しようとした在日中国人及び左派系市民団体とそれの阻止を試みた警視庁機動隊、陸上自衛隊第1師団普通科連隊との間で発生した大規模衝突事件。中国海軍東海艦隊所属駆逐艦が何者かに撃沈された東海艦隊事件発生の翌日(2025年9月5日)より、日本全国では在日中国人・左派系市民団体による日本政府(武内内閣)への抗議活動が散発的に発生していたが治安出動による陸上自衛隊治安維持部隊の展開もあり、沈静化の方向へ向かっていた。しかし、10月3日に行われた中国による大規模サイバー攻撃、沖縄本島防空戦及び沖縄本島沖航空戦に呼応するかのように同4日より抗議活動が激化。防衛省近辺において機動隊は放水と催涙弾、陸自部隊は空砲による威嚇射撃で牽制及び鎮静化を図ろうとしたものの、当初投石や火炎瓶で応戦していた暴徒側の何者かが自動小銃を発射。暴徒が自動小銃で応戦してくる事態を想定していなかった機動隊・陸自部隊は一時的に混乱に陥り、結果機動隊12人、自衛隊員2人を殺害された上で、防衛省敷地内への暴徒の侵入を許した。陸自部隊が武器使用による制圧を早期に開始したため、防衛省敷地からの暴徒排除は早期に完了した。この“防衛省掃討戦”の際、偶然庁舎外にいた当時の防衛事務次官が陸自側の流れ弾を頭部・腹部に受け、失血性ショックで死亡した。この事件による死者は機動隊員15名、自衛隊員3名、防衛省職員7名、暴徒42名。この事件を契機に民間警備会社に委託されていた警備体制の見直しが行われ、それ以降は陸上自衛隊、2030年以降は陸上国防軍の市ヶ谷駐屯部隊が警衛隊を編成し防衛省の警備にあたっている。

 

丙午戦争(へいごせんそう)

 2026年から深海棲艦が出現した2027年までの約1年間勃発した、史上初の日本国内における対テロ戦争。日本との軍事衝突の際自国に有利な情勢を少しでも創り出すために潜入し破壊工作を担った中国人と民族的・思想的に現体制へ不満を抱く日本人によって構成された複数のテロ組織による無差別テロが頻発し、全国各地が戦場と化した。第二次日中戦争と合わせてこれも日本国民に大きな影響を与え、長い歴史のなかで培われてきた日本人の価値観を根底から変えてしまった。

 

阪神同時多発テロ事件

 2026年3月、神戸市など兵庫県阪神地域を中心に発生した同時多発テロ。無差別に一般市民を殺傷し、攻撃対象の共同体に士気の低下や統治機構への不満惹起、恐怖による秩序の崩壊といった心理的負荷をかける典型的な都市型テロ。都市型テロとしては一か月前に起きた京浜同時多発テロ事件に続き、日本国内で2例目。しかし、攻撃対象は一般市民が集まる駅や行政の象徴たる役所にとどまらず、無差別テロ攻撃が常態化して初めて自衛隊施設までもが襲撃された。中でも海上自衛隊摂津基地の被害は甚大で警備のため陸上自衛隊普通科連隊の分隊が配置されていたにもかかわらず、多数の戦死者を出し壊滅した。この事件では今までのテロ事件においてテロリストの個人的な感情の発露で行われていた数々の非人道的殺戮行為が、日本人の恐怖を目的とした組織的・戦略的行為として横行。暴力的手段もいとわない報復攻撃が暗黙の内に了承されるほど日本人を激高させる端緒となった。身体損壊による多数の身元不明遺体も含めた死者数は5603人。

 

第三次世界大戦

 これまでの第一次・第二次世界大戦のように、世界の先進国や新興国が二つの陣営に分かれて全面戦争を行う従来の世界大戦とは全く違う様相を呈した世界大戦。「新世界大戦」とも呼ばれる。その最たるものとして、アメリカ合衆国はこの戦いを傍観していた。第二次日中戦争とその後に続いた華中内戦による世界経済の大混乱が最終的な発端となった。

 

第五次中東戦争

イスラム教の宗派対立に根差した大規模国家間紛争。2026年1月10日、イランがイエメン領空のアデン湾上でサウジアラビア空軍のF-16戦闘機を撃墜したことが、直接的な発端となった。1月3日、イスラム教シーア派系勢力「フーシ」とスンニ派系部族主体の現政権間で内戦が続いていたイエメンで、スンニ派系支援を名目に軍事介入していたサウジアラビア軍の戦闘機が「フーシ」実効支配下の病院を誤爆。「フーシ」戦闘員及び治療を受けていたシーア派市民、双方合わせて104人が死亡した。この悲劇を受けシーア派世界は激高。各地で発生したシーア派とスンニ派の衝突が国家間にまで波及した形となった。イランとサウジアラビアが戦闘を開始した直後、国際社会は国連や地域機構を通し講和を目指した仲介を行うものの破綻。血相を変えた各国の努力も虚しく、スンニ派・シーア派の盟主同士の戦争はたちまちアラブ連盟を介した周辺諸国に拡大。スンニ派系過激派組織「イスラム国」・「アルカイダ」、シーア派系武装組織「ヒズボラ」などテロ組織までを巻き込む形で泥沼化した。犠牲者数は不明。深海棲艦が出現し、情報網が寸断される最後の最後まで中東は果てしない「人間同士の殺し合い」を継続していた模様。

 

ポリネシア攻防戦

 2027年1月15日のキリバス政府緊急電を始まりとした初の対深海棲艦戦闘。2027年1月15日アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ諸島の南に位置するキリバス、1月17日にはキリバスの西方に位置するツバル、マーシャル諸島、サモアからも同様の突発的不明事象が発生。太平洋上の島嶼国から「未知の勢力から攻撃を受けた」との報告を重く受け取ったアメリカとフランスは即座に軍事行動を決定。アメリカ海軍は真珠湾に寄港していた第3艦隊所属駆逐艦4隻、フランス海軍はポリネシアに駐留するフロレアル級フリゲート1隻を当該海域に派遣した。結果は全滅。交戦中に「深海棲艦」の存在を明示する情報をそれぞれの本国へ送ったことが唯一の功績となった。第三次世界大戦によって大混乱に陥っていた世界が更なる混沌に引きずり込まれている間に、フランス領ニューカレドニアに駐留するフランス軍やニュージーランド・オーストラリア両軍の奮戦むなしくわずか12日間でハワイ諸島・ニュージーランド島以外のポリネシア主要島は陥落。約72万人が犠牲となった。

 

 深海棲艦

世界が第三次世界大戦で混乱の極みにあった2027年に、突如として出現した謎の生命体。出現当初から軍民問わずの無差別攻撃、無差別殺戮を遂行し、個体によっては人間を捕食する。どの個体も何らかの火器で武装しているが、一応に兵器水準は第二次世界大戦並みである。しかし、すべての個体が現代兵器の想定していない大きさ(人間大やドローン程度)で物量も規格外であったため、通常兵器での対処は困難を極め各国海軍を壊滅させた。陸上型の個体が世界各地に侵攻し、人類の生存圏を圧迫している。存在など詳細は一切不明。但し人類との激戦を通じ、武器や戦術が少しずつ進化しているため、低能な生命体でないことは確かである。

 

 

深海棲艦との戦争(対深海棲艦大戦、生戦)

 2027年、深海棲艦の無差別攻撃により勃発。当初の楽観論に反し、世界各国は連戦連敗。高度に築かれた情報網は各所で寸断され、東アジア・極東ロシア・東南アジアなど日本周辺を除いた各国の詳しい情勢は不明。全世界の犠牲者数は16億4000万人と推定されている。アメリカは日本侵攻戦力を遥かに上回る敵部隊の侵攻を受け、本土侵攻を許している。ヨーロッパは、地中海の制海権を死守し西欧諸国が奮戦しているものの中・東欧諸国は激戦が続く中東や南アジアからの難民に紛れて侵入したテロリストやロシア連邦を後ろ盾とする新露派といまだに交戦しており、それどころではない。ただ、なんとかEU(ヨーロッパ連合)の枠組みで結束は維持している。中東は、相変わらず泥沼。一説には、あまりの泥沼ぶりに深海棲艦が侵攻を控えているとさえ言われている。アフリカ・南米の情勢は不明。2033年現在では2025年から深刻化し第二次日中戦争や世界大戦などの遠因となった海難事故の犯人と特定されている。

 

宮古海峡の悲劇

 2028年9月、マリアナ諸島、八丈島以南の伊豆・小笠原諸島、大東諸島の陥落・放棄を受け日本政府は、南西諸島をはじめとする太平洋側島嶼部の民間人退避を決定。その第一陣として、最も被侵攻危険性が高い先島諸島から疎開が行われることとなった。徴用された民間企業のフェリーなどには未成年者や高齢者の搭乗が優先され、念のため海上自衛隊の護衛艦2隻が護衛に付けられた。この後も随時疎開が実行される予定であったが、船団全滅を受け計画は中止された。船団がロストしたのち、自衛隊・警察・海上保安庁による決死の捜索が行われたものの、生存者は一人も発見されなかった。死者は全乗客・乗組員2万3491人。

 

先島諸島防衛戦

 2028年9月、アジア・太平洋戦争末期の1945年に生起した沖縄戦以来、83年ぶりに発生した地上戦。与那国島・石垣島・宮古島などの主要島を含め全島に深海棲艦地上部隊が上陸。生戦勃発以後、自衛隊が深海棲艦の地上部隊と交戦した初めての戦闘である。詳しい様相は生存者がいないため不明。しかし、断片的に送られてきた映像や写真には、生きながら捕食される人々や自衛隊員と島民が肩を並べて戦っている姿など、21世紀の常識では到底信じられないような光景が映し出されていた。死者は約10万2000人。市役所など公的機関も壊滅したため、詳細な人数は不明。

 

那覇第一防衛線

 第二次沖縄戦に際し、那覇市に残る一般市民の退避時間を稼ぐため国道82号線から国道240号線、県道331号線沿いに設定された陸上自衛隊の防衛線。苛烈を極めた戦闘の様相や戦闘後に残された凄惨な光景から陸自の墓場やニハの地獄とも呼ばれる。ここでの戦いと国道29号線、国道82号線、県道241号線沿いに設定された那覇第二防衛線での戦いで沖縄防衛の陸上自衛隊主要部隊は壊滅。ただ、詳しい推計は戦闘の混乱により残っていないものの、防衛線での戦闘で深海棲艦侵攻前に多くの市民が那覇から脱出できたことは紛れもない事実である。

 

伊豆諸島攻防戦

 先島諸島防衛線に先駆けて発生した深海棲艦と日本国の本格的武力衝突。在グアム米軍を壊滅させた深海棲艦は日本本土を目指し第二列島線の島々を北上。日本政府はグアム米軍の惨状を受け、そうそうに小笠原諸島・八丈島以南の伊豆諸島の放棄を決定。深海棲艦が八丈島へ達するまで、住民の避難と部隊展開の時間を稼ぐため数回、自衛隊が襲撃。この甲斐あって、小笠原・伊豆諸島の住民には空爆に巻き込まれた者を除いて、死者は出なかった。八丈島を敵が侵攻する際、自衛隊は対艦ミサイルや高高度からの爆撃など、効率そっちのけの徹底した遠距離戦を展開。深海棲艦が疲弊し体制の立て直しを図っていた隙をついて、決戦を挑んだ。敵の守備部隊は健在だったが侵攻部隊の殲滅に成功した。この過程において八丈小島沖で、空自爆撃隊の爆撃や陸自の遠距離砲撃の阻止をもくろむ敵機動・水上打撃部隊と周辺に展開し作戦行動を取っていた護衛隊群との間で戦闘(八丈小島沖海戦)が生起した。結果は、刺し違え。護衛隊群の全滅と引き換えに敵艦隊は大損害を受け撤退。これによって、完全なる制海・制空権確立に成功し、侵攻阻止の地盤が整った。

 

日本国の核兵器保有

 2033年現在、日本は数百発の戦術核弾頭を保有し、戦闘機搭載型対地爆弾と国産巡航ミサイルを運搬手段とした核戦力を構築している。2027年に誕生し現在に至るまで政権を維持している長井内閣は生戦勃発後、「日本を取り巻く安全保障環境の根本的かつ未曾有の激変」に対処するため非核三原則の破棄を閣議決定し、国会もこれに賛同。同時に原子力を研究・開発及び平和利用に限定していた原子力基本法を改正し、安全保障に資する「あらゆる」利用を可能とした。「持てる力」を有していた日本はいざ開発にとりかかってみると核保有国であった華南や北朝鮮、東露の協力を引き出せたこともありかなりの短期間で開発を完了。中華人民共和国由来の核戦力を持つ華南、ロシア連邦由来の核戦力を持つ東露と肩を並べられるほどの核保有国となった。あまりに順風満帆すぎたため国内や諸外国から以前より秘密裏に核開発をしていたのではないかという疑念が持ち上がったことがあったが、日本政府はかなり強い姿勢でこれを否定している。

当初、日本は戦術兵器にとどまらず華南や東露同様、大陸間弾道ミサイル(ICBM)やICBM搭載型原子力潜水艦などの戦略兵器の保有を計画していたが、同盟国である東亜防衛機構全加盟国が猛烈な反対運動を展開し、断念。東亜防衛機構では傘下の東亜原子力機構が加盟国の核兵器を保有国と共同で直接的に管理・運用する体制が構築されているため、日本に不足している戦略核戦力は華南と東露が補填している。

 

特殊護衛艦(艦娘)

 専用過程で特別な訓練を修了し、特殊護衛艦システムを装備し戦う女性軍人の公称。公称というだけあって、公的文書や国会答弁、政府首脳の記者会見ぐらいでしか使用されていない。日防軍ですら一般的には艦娘と呼んでいる。彼女たちも一般国民であるため、当然のことながら個人の名前があるものの、特殊護衛艦システムという国家機密の塊を背負っているため身元が特定されないよう任務名で呼ばれる。艦娘を養成する艦娘教育隊への入隊に際し、幹部候補生学校試験と同程度の筆記試験及び適性検査(心理テストやDNA検査を主軸とする)が課せられる。合否に関し、艦娘の特殊性から適性検査に比重が置かれている。但し、あまりにも筆記試験の成績が悪い場合、例え教育課程を修了しても艦種や所属部隊などに希望は通らない。外見では一般軍人と判別不能。しかし、特殊護衛艦システムの同期影響により老化が停止するため、容姿は特殊護衛艦艤装を受領したときのままである。特段の副作用もないため、艦娘の中にはこれを喜んでいる者もいる。

 

特殊護衛艦システム

 日本が世界に先駆けて開発し、2028年10月に実戦配備した対深海棲艦用の切り札。その実用性には、感服するばかりである。戦闘艦の戦闘能力を個人単身でも発揮できるため、少ない物的・人的資源でも通常戦力並みの作戦行動が可能。艤装装着による深刻な身体的悪影響は存在しないものの、同期により老化の停止が存在する。老化停止の副作用は現在のところ確認されていない。日本以外に、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ロシアが既に実戦配備済み。各国とも実在する戦闘艦をベースにしているが、それだけでは数が足りず日本のように実在せず独自のシステムを開発している国もある。

 

なみかぜ型護衛艦

平成26年度中期防衛力整備計画(26中期防)で計画された全く新しいタイプのコンパクト護衛艦。何故かまいかぜ型護衛艦と同じく艦名に“かぜ”がついている。命名当時、何故同じなのか論争が巻き起こったが、一説にはネタぎれで仕方なく、とさえ言われている。一時期は軽武装過ぎて作戦能力の低さが露呈したアメリカ海軍の沿海域戦闘艦(LCS)の二の舞だとの指摘も出たが、深海棲艦との戦闘ではその高速性と機動性を主軸とした一撃離脱戦法で高い評価を受けた。この戦法は、レーダーなど捜索機器が満載されている現代艦には自殺行為だが、目視による哨戒が主な敵に対してはかなりの戦火をあげた。それでも多くの同型艦が撃沈されている。

 

いず型輸送艦

派遣先の海上でも休息や食事、また艤装の点検・補修を可能とするいわば臨時海上基地をコンセプトとし、平成26年度中期防衛力整備計画(26中期防)で計画された「コンパクト護衛艦」である、なみかぜ型護衛艦をベースに開発された、艦娘運用に特化した特殊輸送艦である。これにより、艦娘の弱点である継戦能力の低さと作戦行動範囲の狭さが解消され、護衛艦や航空機と並び第一線級の戦力として確立された。船体の後部に艦娘発着艦用ウェルドック、艦橋下部の第二甲板に戦闘時の司令部となるFIC(司令部作戦室)と艦の戦闘を担うCIC(戦闘指揮所)が設置されている。武装は僚艦や艦娘との共同行動を大前提としているため、62口径76mm単装速射砲(ステルス・シールド版)や21連装SeaRAM、20mm CIWS ファランクスなどの自衛火器のみ。対空ミサイルや対艦ミサイル、アスロック、魚雷などの攻撃兵器は搭載していない。基準排水量は3300トン。2033年現在、2個防衛隊(艦娘8人)に対して一隻の割合ですべての艦娘部隊に配備され、後継艦の開発も始まっている。艦名の由来は深海棲艦の本土侵攻を多大な犠牲の果てに防ぎきった、伊豆諸島防衛戦である。

 

・たかなわ

須崎基地に配備されているいず型輸送艦。第53・54防衛隊の臨時海上基地として数々の作戦に参加してきた。日向灘では、潜水艦型深海棲艦の魚雷攻撃により後部ウェルドック付近と、FIC・CIC下層を被弾。突然の奇襲だったため隔壁の閉鎖が間に合わず、浸水域と傾斜角が拡大。岩崎艦長が退艦命令を発した後、62口径76mm単装速射砲の弾薬庫が誘爆し、沈没した。

 

まいかぜ型護衛艦

 あきづき型護衛艦の次に建造された対潜重視の汎用護衛艦。他の護衛艦と同様、同型をベースとするまいかぜ型特殊護衛艦の方が艦の数が多い。

 

いぬわし型ミサイル艇

壊滅した既存戦力の穴埋め、本土侵攻を目論む敵の足止め・戦力漸減を目的に 沿海域防衛の柱として開発されたはやぶさ型ミサイル艇の後継艦。基準排水量は1500トン。武装は76mm速射砲、21連装SeaRAM、17式艦対艦誘導弾Ⅱ型8連装発射筒で前型よりかなりの強化が図られている。艦娘が前線に投入される以前の国防方針で配備が決定されたため、艦娘登場後は「用済み」との意見があがり開発が中止になりかけたこともあった。しかし、防衛手段多重化の必要性が重視され2031年から順次、各地の海防軍基地に配備されている。艦娘が海防軍の作戦において比重を高める中、まともに前線にたっている通常艦艇部隊は彼らいぬわし型ミサイル艇を配備する部隊のみである。

 

 F-3 ステルス戦闘機

国防軍創設と同じ2030年に実戦配備された日本初のステルス戦闘機、そしてアジア・太平洋戦争以来初の純国産戦闘機である。上記のようなあまりに大きすぎる肩書きと期待を背負っているものの、世界最先端の技術力を誇る日本の申し子にふさわしい、性能を誇っている。生戦により壊滅した従来航空戦力たるF-15戦闘機やF-2支援戦闘機の代替として、F-35ステルス戦闘機と共に急速に配備が進められている。長大な滑走路を有する航空基地での運用を想定したA型と空母での運用を想定したB型の2タイプが存在する。但し、開発費と開発時間を削減するためF-3BにはF-35AとF-35Bほどの相違はなく、外見ではF-3Aかどうかほぼ判断できない。

 

 17式艦対艦誘導弾(SSM-2B blackⅠ)

90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)の後継として、2012年に制式化され陸上自衛隊に配備された12式地対艦誘導弾を艦載化した新型艦対艦誘導弾。SSM1-Bと比較し命中精度や目標識別機能の向上、射程距離の伸長が図られた。射程は150km以上。弾体の塗装はこれまで通り視認性の低い白。しかし、これも人間大の深海棲艦などを想定していなかった。それほどの小型目標を通常の軍艦を念頭に開発されたSSM内蔵のアクティブ・レーダー装置や赤外線識別、画像識別装置で判別するのは非常に困難であった。また、弾種はHE(高性能爆薬)。駆逐級や軽巡級など低装甲目標にはそれなりの効果があったが、重巡級や戦艦級などの重装甲目標には効果が乏しく、結果、17式艦対艦誘導弾の撃沈率は悲惨なほど低い水準にとどまってしまった。

 

 17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM 2B blockⅡ)

従来の対艦兵装では対処困難な深海棲艦の出現により、開発された17式艦対艦誘導弾の発展型。弾種はHE(高性能爆薬)から対戦車弾などで使用される成形炸薬弾へ変更。また、誘導装置のプログラムに改良が施され、人間大の小型目標対処が可能になった。もっとも、開発が完了し実戦配備されたのは、海上自衛隊が壊滅しシーレーンが寸断され、艦娘が活躍しだした2028年の暮れ。

 

30式空対地誘導弾(AGM-1)

2030年に制式化、実戦配備が開始された初の国産空対地誘導弾。誘導方式はアクティブ・レーダー誘導(ARH)で、いわゆる撃ちっぱなし式。発射後、誘導に機動を縛られることもなく即座に回避機動が行えるため、母機の安全が格段に向上した。弾頭は戦車など装甲目標の撃破を念頭に置いた成形炸薬弾頭。搭載可能数は2発。第3次世界大戦と生戦によって、使用してきたアメリカ製の空対地ミサイルヘルファイアが入手困難となったため、ヘルファイヤミサイルの代替・後継、そして対深海棲艦戦闘でも重要な攻撃手段となることを目的に開発された。一部の専門家からは「ヘルファイアを丸パクリした模造品」と酷評されたりもしたが、そこまで言われるほどの欠陥品ではない。日本がかつて実戦配備していたヘルファイアはAGM-114Mと形式番号が付されたタイプで、誘導方式はアクティブ・レーダー誘導(ARH)ではなく、弾頭が命中するまで母機が目標にレーザーを照射し続けなければならないセミアクティブ・レーザー誘導(SALH)。またその弾頭は爆風破片弾頭であり装甲の薄い地上の装甲車や小型艇への攻撃を念頭に置いていた。そして、射程が9kmと短いこともあって、AGM-114M ヘルファイアⅡは対深海棲艦戦闘において全くと言っていいほど役に立たなかったのだ。

それを教訓とし最後の手段でも切り札となれるよう開発されたのが、この30式空対地誘導弾である。これによってこのミサイルでも、戦艦は困難であるものの重巡洋艦クラスまでなら戦闘不能にさせることが可能になった。ただ、開発が急ピッチで行われ射程の伸長は見送られたため、9kmのままなのが玉に瑕である。

 

32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)

アメリカ製携帯地対空誘導弾の後継として1991年(平成3年)に制式化された携帯式防空ミサイルシステム91式携帯地対空誘導弾をほぼそのまま流用する形で開発された、ヘリコプター用の空対空ミサイル。誘導方式は91式携帯地対空誘導弾改と同様に赤外線画像(IIR)誘導である。生戦勃発後、艦娘部隊では物量攻撃でこちらの重厚な防空網を突破してくる深海棲艦を前に、母艦の防空圏内にいながら捕捉・撃墜される哨戒ヘリコプターが続出。当初、防衛省内では母艦防空圏下での行動が基本である哨戒ヘリコプターに対空ミサイルは必要ない、対空ミサイルを乗せる余剰があるのなら魚雷なり対潜爆弾を積載という従来の戦術思想に基づき、防衛装備品の研究、開発を進めていた。だが、実戦部隊の現状を受け、即座に対応策を検討。開発を行うにあたり、誘導装置も含めたシステム全般が小型であり、携行SAMとしては世界初の赤外線画像(IIR)誘導方式を採用し、2連装発射ランチャーを用いたOH-1の自衛用空対空ミサイルで導入実績を有する91式携帯地対空誘導弾改が自衛用空対空ミサイルの最有力候補に登場。91式携帯地対空誘導弾を製造していた大手電機メーカーは不正会計問題や原発事業のつまずきによる痛手から回復できず、生戦の混乱により実質倒産。防衛省は新たなメーカーの下で91式携帯地対空誘導弾の製造を決意。そのメーカーの流れを組む旧財閥系重工業メーカーを新たな製造元とし、各種部品の刷新、そして射程距離の伸長を図った次期哨戒ヘリコプター用空対空ミサイルが開発された。

 

32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)

32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)と同じくSH-60Kの後継機種に搭載するべく開発された、ヘリコプター搭載対艦ミサイルである。SH-60Kが搭載する30式空対艦誘導弾(AGM-1)の後継といって差し支えない。誘導方式は赤外線画像誘導(IIR)とアクティブ・レーダー誘導(ARH)の併用。弾頭はHETA(対戦車榴弾)。炸薬量は約140kg(30式空対地誘導弾12kg)。着発信管採用。これらにより30式空対艦誘導弾(AGM-1)では仕留めることが出来なかった重巡洋艦クラスも一撃で仕留めることが可能となり、戦艦クラスに対しても無視できない損傷を与えられるようになった。射程は約20km。30式空対艦誘導弾は緊迫した情勢下での開発であったため開発期間の短縮がなにより優先され、成形炸薬弾頭への変更は成し遂げられたがモデルとなったAGM-114M ヘルファイアミサイルの射程と同じ9kmに留まってしまった。現場部隊には歓迎されたものの海上幕僚監部は30式空対艦誘導弾に満足せず、アクティブ・レーダー誘導と成形炸薬弾頭、そして長射程の空対地ミサイルの開発を防衛省に要求。予算と開発期間の問題から防衛省は既存装備の流用とし、新空対艦誘導弾にはP-1哨戒機にて運用実績のあるAGM-65F マーベリックミサイルを模倣することが決定された。

 

 

 

 登場人物

 

知山 豊(ちやま ゆたか)

 須崎基地の第53防衛隊司令官。階級は三等海佐。基本的に真面目だが、親交の深い同僚や部下には子供のような悪戯を働くこともある。防衛大学校などエリートコース出身者以外の艦娘部隊司令官というのは珍しいため、他部隊の司令官から時々遠回しの嫌味を言われることがある。但し、信念にどうしてもそぐわない言動があれば、上官が爆発しない程度に物を言う。部下を想う気持ちが非常に強く稀に昇進を餌に懐柔を図る上層部と衝突している。その立場上、東京などへ出張する機会が多かった。2033年5月26日戦死。

 

みずづき(本名:水上 澄)

 あきづき型特殊護衛艦であり、第53防衛隊の隊長。あまり社交的ではないが、親しい人間とは積極的に交流する。基本的に温和で仲間想いの優しい性格だが、故郷や信念など自身の拠り所が貶されれば、後で後悔することが分かっていても大胆な行動を取ることがある。御手洗に対して発砲し、彼の取り巻きを蹴散らした乱入事件が一例。知山は第53防衛隊創設時よりの上官。そのため同隊の中で最も多くの時間を知山と過ごしている。少々天然な所があり、よく始末書を書かされていた。その性格が影響しているのか、はたまた横須賀鎮守府へ来てから巻き起こった一連の騒動からか艦娘たちからはよく「嘘が下手」と評されており、みずづきも自覚している。出身は兵庫県神戸市。都心ではなく、六甲山系の北側で「神戸」のイメージとはかけ離れた田舎。そのため、ごくまれに関西弁で話すことがある。2010年生まれ。父・母・弟がいる。2033年5月26日に敵潜水艦の魚雷を受け戦死、かと思われたが、あり得ない事象に巻き込まれた。

 

かげろう

 まいかぜ型特殊護衛艦。同隊で一番の新人。物静かで温和だが、みずづきをからかったりなど、外見では想像しがたい意外な一面もある。出身は徳島県徳島市。父・母・兄がいるため、徳島が空襲を受けた際は心労を重ねていた。2033年5月26日、みずづきをかばい戦死。

 

おきなみ

 たかなみ型特殊護衛艦。活発で男盛り、The運動部といった感じのムードメーカー。気兼ねなく初対面の人物、上官にも話しかけるため初印象は上々。ただ、知山に無茶な要求をしすぎるなどフレンドリーすぎるところもある。はやなみとは結構仲がいい。2033年5月26日戦死。

 

はやなみ

 たかなみ型特殊護衛艦。人見知りが激しく、基本的に無口。第53防衛隊の仲間など親しい人間とは話すものの、声量が小さく言葉も断片的でよく聞かないと何を言っているのか分からない。何故か性格が真逆のおきなみとは仲良し。2033年5月26日戦死。

 

みちづき

 由良基地でみずづきと共に特殊護衛艦候補生後期課程を履修していたあきづき型特殊護衛艦候補生。基本的に活発な性格でみずづきと同郷ということもなり、いきなりみずづきに飛びつくほどの間柄。ただ、みずづきたちと同様に地獄を経験しているため、常に明るく振舞えるわけではない。

 

あけぼの

 特殊護衛艦候補生後期課程のみずづき担当教官。そして、特殊護衛艦の先輩。栄えある艦娘教育隊一期生であり、むらさめ型特殊護衛艦として数々の激戦に参加。豊富な実戦経験を買われ、前線から教官へ転属となった。身体年齢は同一にもかかわらず、みずづきより少し大人びて見える。徳島県沿岸にて深海棲艦戦艦級と遭遇した際は自らの命と引き換えにみずづきを退避させた。

 

とね

 特殊護衛艦候補生後期課程のみちづき担当教官。あけぼのと同様に艦娘教育隊一期生。あぶくま型特殊護衛艦として戦闘に参加するも、もともと実艦の「あぶくま型護衛艦」の評価が芳しくなく、あきづき型特殊護衛艦などの実戦投入によって早々に性能が陳腐化したため冷遇。あぶくま型特殊護衛艦が教育などの後方支援任務を割り当てられる煽りをうけ、前線から離れることとなった。しかし、本人は教官としての現在に不満は持っていない。

 

岩崎 友助(いわさき ともすけ)

いず型特殊輸送艦たかなわの艦長。階級は一等海佐。一等海佐という階級、そして艦長という肩書きを具現化したかのような威厳をたたえている。例に漏れず彼も深海棲艦との戦闘経験があり、地獄を味わった。そのため、自身がのうのうと生き残っていることに責任を感じている。一人の青年の最期を案じ、みずづきに奇跡の発現を託した。たかなわの損害状況を鑑み、総員退艦命令を発令。艦橋を目に焼き付けた後、最後に艦橋を後にした。

 

坂下 芳樹(さかした よしき)

いず型特殊輸送艦たかなわの航海長。階級は三等海佐。岩崎の性格や葛藤を理解している良き部下。岩崎の退艦命令に従い、艦橋を後にした。

 

濃野(のうの)

須崎基地の司令官で、当基地における知山の上官。階級は一等海佐。上層部からの命令には従う真面目な軍人だが、知山の懇願を受け取ったり、部下の失態を上手く誤魔化したりするなど情も持ち合わせている。

 

門山

 第51普通科連隊第3中隊の数少ない生存者の1人。仲間としての信頼関係、そして第3中隊隊長と交わした約束への義務感から発狂した西谷を最後まで救おうとした。

 

西谷

 第51普通科連隊第3中隊の数少ない生存者の1人。第3中隊がほぼ全滅することになった戦いにおけるあまりに凄惨な光景により精神が不安定化。那覇基地を移動中に暴走する。

 

加島 結衣 (かしま ゆい)

神戸市出身。幼なじみの澄と電車の乗り換えで兵庫県神戸市の三宮駅に立ち寄った際、阪神同時多発テロに遭遇。自衛隊に保護されるも、避難途中に背中へ銃撃を受け負傷。医薬品が不足する中で陸上自衛隊の医官からできる限りの治療を受けるも銃創のため、澄の目の前で息を引き取った。享年15歳。

 

 

 

 

瑞穂世界

 

 

 

用語

 

瑞穂世界(日本世界とは異なる歴史を歩んだ並行世界)

日本世界とは異なる歴史を歩んだ並行世界の呼称。地形や気候、自然環境は日本世界と差異はない。但し、国名は全くの別物であり、地名も異なるところが多々存在する。近代以前は同一ではないものの、大方日本世界と似たような歴史をたどっていた。だが、近代以降は明確に分岐している。「力よりも言葉」が万国共通の概念として定着しているため、戦争や紛争は日本世界と比較して圧倒的に少なく、あっても小規模な紛争でとどまっている。そのため、日本世界では数えきれないほど行われてきた国家間の大規模戦争や、果てしなく続く宗教・民族戦争、ましてや第一次世界大戦や第二次世界大戦もない。そのため、深海棲艦との戦争が史上初の「大戦」である。大戦による犠牲者は全世界で約9700万人と推定されている。技術水準は日本世界と比較にならず、日本世界の1940年代~1960年代に相当する。

 

 

瑞穂国

 日本に相当する国家。立憲君主制かつ議院内閣制。太古の昔から瑞穂を治めてきた天皇家は国民統合の象徴と位置付けられ、統治能力の一切は瑞穂政府が握っている。領土は本州・四国・九州・北海道と周辺に存在する諸島。他国と同様に深海棲艦との戦争で海軍は壊滅。一時は第二次列島線を占領、シーレーンも完全破壊され本土決戦の可能性も浮上したが艦娘の登場により、本土決戦は回避された。そればかりか、艦娘との共同作戦で部分的なシーレーンの回復にも成功している。それを経た戦況の改善により、多温諸島奪還に動くなど攻勢をかけている。人口は約8200万人。国内総生産(GDP)は世界第7位で、経済規模・成熟した政治・社会制度から先進国の一角を占めている。陸軍・海軍は存在しているものの、両軍から航空兵力を完全独立させた空軍は創設されていない。そのため、陸軍は航空輸送力を、海軍は制空権確保を担当する航空兵力の分割が行われている。

 

栄中帝国

 華南共和国成立以前の中華人民共和国に相当する国家。但し、日本世界における中国のような西欧諸国による苛烈かつ非道な侵略を受けておらず、不平等条約である1858年のアイグン条約、1860年の北京条約は存在していない。そのため、日本世界においてロシア、または東露の沿海州とされる地域は「外満州」と呼ばれる立派な栄中領である。立憲君主制。憲法が制定されているものの、君主(皇帝または天子、清朝)の権限が非常に強い。皇帝によって貴族や軍人・有識者から任命される貴院(上院)と省・自治区レベルで選出される民院(下院)で構成される二院制の議会が存在するものの、瑞穂のような民主主義国における議会に準ずる権限はなく、あくまで皇帝の協賛機関との位置づけ。そのため、政治形態は民主主義とはほど遠い、「帝政」に分類されている。人口は約6億2000万人と世界最大。その人口から生み出される活発な経済活動により、国内総生産(GDP)も世界第1位。深海棲艦の脅威に対抗するため、空母機動艦隊の編成に動くなど軍事力も世界最強。自他ともに認める、認めざるを得ない瑞穂世界の頂点に立つ超大国かつ先進国である。

 

和寧帝国

 朝鮮半島に相当する和寧半島に存在する国家。立憲君主制かつ議院内閣制で、民主主義が瑞穂やヨーロッパ諸国並みに定着・成熟している。人口は約3100万人。国力が大きい栄中帝国や瑞穂国に挟まれているため、相対的に小国と見えてしまうが、世界基準で見れば立派な大国である。ちなみに瑞穂や栄中同様、先進国。

 

バラード共和国

 インド・パキスタン・バングラデシュ・スリランカに相当する国家。立憲君主制かつ議院内閣制。但し、同じアジア諸国である瑞穂や和寧に比べると若干、政府に対する皇帝(ムガル朝)の権限が強い。人口は約4億7000万人で栄中に次ぐ世界第2位。また、国内総生産(GDP)も世界第2位である。そして、軍事力も栄中に次ぎ強大・・・・・だったが、現在はバラード洋から侵攻してくる深海棲艦の猛攻に晒されており、かなり内陸部まで占領されている。そのため、国力の疲弊は凄まじく、かつて栄中に肉薄していた頃の面影は遠い過去のものとなっている。自国領内の全ての港が使用不能となったため、いまだに使用可能な軍港を保持している中東の友好国で空母機動部隊の構築を進めている。

 

ポピ連邦

 北アメリカ大陸に相当するポピ大陸の中央部から太平洋側の広大な一帯を版図とする国家。政治形態は大統領制。国王やそれに準ずる地位は存在しない。ヨーロッパ諸国や国境を接するコロニカ合衆国から長らく「インディアン」と呼ばれていた原住民によって建国された。ブリテン入植者との遭遇や建国に至る経緯などから、ヨーロッパ諸国、特にブリテン入植者によって建国されたコロニカ合衆国とは事あるごとにすこぶる対立しており、犬猿の仲。大戦勃発前には、両国の政府首脳が互いに互いを「敵国」といって憚らなかった。その関係は現在も健在で、深海棲艦による本土侵攻を許している状態にもかかわらず、ポピ陸軍は少なくない地上戦力をコロニカとの国境に張り付けている。「深海棲艦に対抗する」との名目で空母機動部隊構想を掲げているが、主要港の全てが深海棲艦に占領されているため、実現の見通しは立っていない。大戦勃発前、人口は約1億3000万人で、国内総生産は(GDP)は世界第6位。先進国の一角であった。

 

コロニカ合衆国

 北アメリカ大陸に相当するポピ大陸の中央部から大西洋側を版図とする国家。政治形態は大統領制で、合衆国というだけあり中央政府である連邦政府に限らず、地方政府である州政府に強い権限が付与されている。大航海時代にブリテンからやってきた入植者たちによって建国された。そのため、国民の大多数が白人である。隣国であるポピ連邦とは犬猿の仲で、かの国に対する国民感情もかなり悪い。大戦勃発後、深海棲艦による本土侵攻を許し、戦況は絶望的であったものの、艦娘の出現によって深海棲艦の押しとどめに成功。いまだに占領されている地域も存在するが、多くの領土の解放に成功している。ただ、もともと先進諸国のように豊かでもなく、国力の裏打ちとなる経済力も貧弱であったため、国内の閉塞感は激しい本土決戦を行っているポピと同等か、それ以上である。「我が国を溶かす気か!」と一部で言われるほどかなり無理をして正規空母を旗艦とする空母機動部隊、3個艦隊の整備を進めており、実戦配備は近いと見られている。大戦勃発前の人口は約9000万人。発展途上国または後進国の1つ。

 

ブリテン

 イギリスに相当する国家。立憲君主制かつ議院内閣制。近代化と資本主義の幕開けとなった産業革命を世界で初めて成功させた。それによって得られた強大な経済力と軍事力を用いて世界中の海を縦横無尽に疾走。瑞穂をはじめとする非ヨーロッパ諸国が封建制を主体とする旧制度から脱却する端緒となった。かつては強大な国力を手にしていたものの、アジア諸国の成長によって衰退。大戦が勃発するかなり以前より、「世界の超大国」から「ただの大国」になり果てていた。深海棲艦によって海軍が葬られ、本土決戦寸前まで追い込まれたが、瑞穂と同じようにぎりぎりのタイミングで艦娘が出現。間一髪のところで国難の回避に成功している。主要港の復旧が順調に進んだため、空母機動部隊の構築にも早期に着手。実戦配備も近いと見られている。人口は約8000万人。国内総生産(GDP)は世界第3位。

 

イスパニア王国

 スペインに相当する国家。立憲君主制かつ議院内閣制。大航海時代初期、ブリテンが本格進出する前に世界を駆けまわっていた。その過程で主に強固な統治能力を有する国家または勢力が存在しない世界中の土地に多くの植民地を建設した。しかし、産業革命を果たしたブリテンとの勢力争いに敗北し、国力が衰退。その過程で貴重な国力を消費してまで統治する価値なしと判断した多くの植民地を手放した。瑞穂に割譲された多温諸島もそのうちの1つである。人口は約6500万人。先進国の一角。

 

ルーシ連邦帝国

 ロシア連邦(分裂前)に相当する国家。立憲君主制かつ大統領制。皇帝(ロマノフ朝)は存在するものの、実権はなく象徴的存在。世界最大の領土面積を誇っている。深海棲艦との戦闘は行っているものの、もともと版図が北極に近い過酷な地域で深海棲艦があまり近寄らず、攻撃にさらされる沿岸部も相対的に少ないため、他国のような死に物狂いの激戦は行われていない。艦娘出現以降はさらにその傾向が強まった。消耗せずに済んだ国力を使い、ブリテンに次いで空母機動部隊の構築に着手。瑞穂と同様に、近々の実戦配備が見込まれている。

 

アステカ帝国

 メキシコなど中央アメリカ一体に相当する地域を版図とする国家。立憲君主制かつ議院内閣制。ユーラシア大陸で勃興した4大文明とは全く異なる文明の申し子で、有史以前より居住していた先住民の国家である。近代化以前から土木・建築・工芸に優れ、特に天文学は他諸国を圧倒していた。その優位性は21世紀の現代においても健在。先進国であるものの、工業水準は低い部類に入り、巷ではそのことによって深海棲艦の侵攻目標から外れたのではないかと囁かれている。

 

インカ帝国

 コロンビア・エクアドル・ペルー・チリの一部に相当する地域を版図とする国家。南北に極めて長い領土が特徴である。憲法によって縛られているものの、皇帝が強大な権力を有する帝政。数多の民族が居住する多民族国家のため、連邦制をとっている。こちらもユーラシア大陸で勃興した4大文明とは全く異なる文明の申し子で、イスパニアと接触した際は文字を持っていなかった。しかし、「文字を持っていない」にもかかわらず高度な技術体系を有していたため、技術水準はもともと高かった。そのため、21世紀にあっては先進国の一角を占め、他の先進国と肩を並べている。版図の東側は6000m級の山々が連なり、南北7500kmにわたり大陸を縦断するアンデス山脈があるため、南ポピ大陸攻略の橋頭保には向かいないと判断したのか、深海棲艦の侵攻は受けていない。

 

硫黄島

小笠原諸島の一部の火山島で、ろくに水も出ず火山性ガスと硫黄満ちている過酷な島。一時は深海棲艦に奪われたが度重なる戦闘の果てに奪還。しかし、第2列島線の要衝であり、西太平洋の制空・制海権を握る上での重要性は深海棲艦も認識しているようで、奪還後も度々小競り合いが発生している。現在、横須賀航空隊硫黄島分遣隊をはじめとする陸海軍の航空・地上部隊が展開し、艦娘の停泊地としての機能も整備されるに至っている。

 

三宅島

伊豆諸島を構成している一島。一時は陸軍守備隊の奮戦虚しく深海棲艦に占領されたが艦娘との共同作戦により奪還に成功。海軍三宅島観測所以外に陸軍基地が設置され歩兵を中心とする守備隊が駐屯している。また、島民の帰還も行われ漁港には多くの漁船が停泊している。

 

多温諸島

 マリアナ諸島に相当する。語源は原住民であるタオ人が自分達や自分たちの住む土地をタオと呼んでいたため、イスパニアから瑞穂へ割譲された際に当て字で「多温(たお)」とした。一応「すごく暑い」という意味も込められている。深海棲艦侵攻初期に占領されたが、奪還作戦の成功によって再び瑞穂の領土となった。

 

大宮島

 グアム島に相当する。多温諸島命名時と同様、イスパニアから割譲された際に瑞穂語名がつけられた。意味は「大いなる神が住まう」である。深海棲艦登場以前から海軍基地がおかれており、奪還作戦後急ピッチで再建され、多くの艦娘がここに移動している。

 

大本営

 統合幕僚監部に相当。大日本帝国の「大本営」と異なり、法的根拠を有する常設機関である。

 

・大本営統合参謀会議

 瑞穂軍全体の戦略・作戦・部隊配置・兵器開発・装備配備など人事以外のほぼ全ての軍業務を統括・最終決定する瑞穂軍の最高意思決定機関。委員は大本営長官、陸軍参謀本部長、軍令部総長以下、作戦・運用・兵站などの陸・海軍責任者。

 

瑞穂海軍

 瑞穂国の海上国防組織。最高司令部は軍令部。艦娘を運用すると同時に、軍再建整備計画に基づき大戦で消耗した通常戦力の再建に力を入れている。軍再建整備計画では基地の抗堪生確保、防空レーダーの開発・整備は先送りされたものの、30式戦闘機をはじめとした航空戦力の再建及び拡充、統合艦隊の整備が認められ、急速な軍備拡張が実現している。机上の計算で現場を分かった気になっている中央省庁の官僚に若干不満を抱いている模様。瑞穂本土及び作戦行動領域の制空権確保は航空兵力分割方針に伴い、海軍の担当である。

 

海軍軍令部(軍令部)

 海上幕僚監部に相当。作戦立案・実行、兵站などの後方支援を指揮・監督する瑞穂海軍の最高司令部。軍令部の元に全実働部隊を指揮する連合艦隊司令部があり、隷下に艦隊司令部、航空戦隊司令部、陸戦隊司令部、後方支援集団司令部が存在する。直率する特別の機関として、横須賀鎮守府をはじめとする各鎮守府、海軍兵学校などが存在する。

 

・統括会議

海軍内のあらゆる方針を「海軍として」議論・決議している海軍最上位の幹部会議。出席者は軍令部総長をはじめとし、鎮守府司令官が緊張で硬直してしまうほど海軍指導層である。

 

・情報局情報保全室

対外的・対内的諜報活動及び情報収集活動を担っている情報局傘下組織。軍令部総長の指揮下にある海軍の諜報機関。諜報機関としての特性上、トップである室長など一部の幹部を除いた構成員は不明。海軍内の機密情報の管理、将兵の思想統制、情報漏洩の際の調査、警察や公安・憲兵隊などでは対処できない事件の捜査などを主に職掌としている。それを全うするために手段は選ばす、合理的と判断すれば時には潜入・破壊工作・暗殺・脅迫なども行う。「身内を漁さる」性質の組織であるため、同じ情報局内組織ながら対外活動を主な任務とする情報部とは対照的に、一般海軍将兵にとって警戒対象。情報保全室員は多くの者が普段別の肩書きを背負って、それぞれの組織に完全に溶け込み、活動している。故に、その感情を公言する者はそうそういない。

 

艦隊司令部

 水上戦闘艦艇の指揮・監督を司る機関。大戦勃発前は主力である第1、2、3、4、5艦隊など先進国海軍の名に恥じない多数の艦艇を指揮していたが深海棲艦との戦闘後、隷下部隊が第5艦隊と少数の第二線級部隊にまで激減。房総半島沖海戦にて第5艦隊が壊滅したため、現有戦力は就役したての第1、2、3、4統合艦隊と第二線級部隊及び第5艦隊唯一の残存艦艇である「霧月」と第2艦隊残存艦艇で編成された海上護衛艦隊である。

 

・第5艦隊

瑞穂海軍で唯一、深海棲艦との壮絶な戦闘を経験したにもかかわらず、海底に引きずり込まれることなく大戦初期を生き残った艦隊。そして、2033年時点で実働状態にある唯一の主力部隊である。第5戦隊と第10戦隊の2個戦隊で編制されている。旗艦は巡洋艦因幡。構成艦は因幡のほかに巡洋艦が若狭と伊予、駆逐艦白波・氷雨・霧月・河波・秋雨。配備先は横須賀鎮守府。深海棲艦出現以前は大湊鎮守府に錨を下ろしていたが、大戦による戦力消耗を受けた軍の再編によって、太平洋や伊豆・小笠原諸島、そして関東防衛の重要拠点である横須賀鎮守府の所属となった。本土の基地や司令部勤務の将兵に比べ、艦隊勤務者やあの悲劇を生き残った者は艦娘排斥派の比率が高い傾向にあるものの第5艦隊は指導部、一般将兵共に擁護派が圧倒的多数を占有。横須賀鎮守府配備に際して、これも重要な決定打の1つとなった。

 

・第5戦隊

第5艦隊を編成する戦隊の1つ。当艦隊の旗艦である因幡をはじめ、戦隊旗艦である若狭のほか、白波、氷雨が所属している。司令官は結解由造大佐。

 

・第10戦隊

第5艦隊を編成する戦隊の1つ。戦隊旗艦は霧月。ほかに伊予、河波、秋雨が所属している。司令官は花表秀長大佐。

 

航空戦隊司令部

 航空隊や教育航空隊、偵察飛行隊など海軍の航空兵力を一手に指揮・監督する機関。

 

陸戦隊司令部

 海軍特別陸戦隊など、陸軍とは別個に海軍が保有する陸上戦力を一手に指揮・監督する機関。

 

・横須賀特別陸戦隊

 横須賀鎮守府田浦基地に駐留する特別陸戦隊。特別陸戦隊司令部と3個特別陸戦隊で構成。1個特別陸戦隊は4個中隊で編成され、第1・2中隊は歩兵、第3中隊は砲兵、第4中隊は戦車中隊。第4中隊の戦車は急速に更新が図られており、11式戦車も配備されているが主力は既に29式戦車となっている。

 

・横須賀要塞根拠地隊

 横須賀鎮守府及び東京湾の防衛を目的に建設された横須賀要塞を運用・守備する特別陸戦隊。横須賀要塞を構成する沿岸砲・高射砲は三浦半島各地に点在しているため、当部隊は三浦半島全域に展開・駐屯している。横須賀鎮守府と横須賀湾を望む丘陵地帯には、横須賀鎮守府並びに横須賀港港湾機能防衛を目的に多数の高射砲が配備されている田浦陣地がある。

 

後方支援集団司令部

 輸送部隊や掃海部隊、補給部隊など通常艦艇の補助任務を担う艦艇・部隊を一手に指揮・監督する機関。正面戦力ではないため存在感は薄いが、当司令部に所属する部隊の働きがなければ、艦艇や航空機・戦車は動くことすらできない。まさしく、縁の下の力持ちである。

 

横須賀鎮守府

 神奈川県横須賀市にある瑞穂5大鎮守府の内の一つ。

 

・横須賀鎮守府工廠

通常艦艇の修理・点検、及び艦娘用艤装の修理・点検・新装備開発を行う鎮守府直轄の施設。田浦町・長浦湾にある工廠隷下の横須賀造船部が通常艦艇を、横須賀鎮守府中枢に隣接する工場群が艦娘用艤装を担当している。後者は主に艤装の点検・修理を行う艤装工場と新装備の開発を行っている開発工場で構成される。トップは工廠長の漆原明人。

 

・資料室

海軍、ひいては瑞穂軍の歴史から部隊・保有装備の詳細、そして戦闘の詳細、それの戦術的・戦略的分析などに至る様々な情報を収集・収蔵を目的に、1号舎の真向かいにある2号舎の地下に設置されている施設。地下1階に第1資料室を、地下2階に第2資料室が設けられている。第1資料室は市井の図書館よりも軍事関連の書籍が多い程度の設備であり、新聞や街の書店に並んでいる雑誌や小説なども完備。第2資料室は存在する場所からもわかるとおり機密指定されている資料類が収蔵されている。深海棲艦出現以前は両方とも地上の専用施設、1号舎と同じく赤レンガ造りの図書館にあったのだが空爆での消失が危惧されたため地下に移設された。

 

・横須賀海防隊群

 横須賀鎮守府隷下の海防艦からなる水上部隊。艦娘母艦を除けば鎮守府司令長官の指揮下にある唯一の戦闘艦艇部隊。第1海防隊と第2海防隊で構成される。第1海防隊は伊豆、式根、青賀、新、第2海防隊は神津、三宅、八丈、御蔵。第1・2海防隊合わせて8隻で構成されている。当群所属海防艦は全て伊豆諸島の島々から名付けられている。

 

・横須賀警備隊

 横須賀鎮守府内の警備を担う部隊であり、一般的に陸戦隊と呼ばれる海兵団のように外地へ展開することはない。そのため、武装も小銃や機関銃など軽い。

 

・三宅島観測所

 横須賀鎮守府隷下の横須賀防空隊伊豆・小笠原警戒隊の施設。電波収集や付近海域を航行する船舶の監視・観測が主任務。深海棲艦から三宅島が奪還された後に新設された。瑞穂海軍施設の中で最も早く、みずづきの救難信号を受信した。

 

由良基地

和歌山県日高郡由良町に所在する呉鎮守府隷下の海軍基地。基地の維持・管理・業務遂行などを担う由良基地隊と複数の海防艦を配備している紀伊防備隊が置かれている。深海棲艦出現以前は海防艦も紀伊防備隊もなく呉鎮守府隷下の由良基地隊のみが在籍し、大阪湾や紀伊水道の警備と寄港するする艦船の補給が主任務となっていた。しかし、現在の主任務は「警備」ではなく「防衛」。仮に本土決戦となった場合、ここに配備されている海防艦が全滅覚悟の最終防衛線を担うこととなる。

 

爽風会

現軍令部総長を会長とする海軍内の一大派閥。艦娘擁護派の中心勢力であり、房総半島沖海戦以前は海軍内の最大勢力を誇っていた。

 

憂穂会

 軍令部作戦局副局長である御手洗を助言役に据えた海軍内の一派閥。爽風会と対立関係にある排斥派を束ねる中心的存在。会長と副会長を差し置き、実質的なリーダーは助言役の御手洗。艦娘の排斥を至上命題として活動してきたものの、房総半島沖海戦を機に一部の反発を抑え込み、艦娘を黙認する現実路線へ舵を切る。

 

瑞穂陸軍

 瑞穂国の陸上国防組織。伊豆・小笠原諸島以外に本格的な戦闘を行っていないため、壊滅した海軍とは対照的に大戦勃発以前の戦力を保持している。だが、あくまで自分たちを「陸の防人」と自負しており、戦力を盾として海軍の方針に口出しすることはあまりない。海軍が制空権確保を担当するため、輸送機を中心とした航空輸送力の整備が図られている。軍再建整備計画によって、大幅な定員増加が実現。2029年4月以前は12個師団・2個旅団態勢であったが、2029年4月1日をもって山梨・静岡両県を管轄区域とする第16師団、富山県・石川県・福井県を管轄区域とする第17旅団が新設。また、2029年10月1日に千島列島を管轄区域とする第5旅団、南西諸島を管轄区域とする第6旅団がそれぞれ第5師団・第6師団に拡充。2029年10月1日をもって15師団1旅団体制に移行した。(第11師団は欠番)。

 

・洲崎要塞

海軍館山航空基地がある館山湾及び浦賀水道を一望できる千葉県館山市洲崎に建設された防衛用要塞。本土攻撃を目論む航空機・艦船の撃破を目的に、海軍横須賀要塞と同様に多数の沿岸砲・高射砲を設置している。陸軍関東方面隊隷下の洲崎要塞根拠地隊が要塞の運用・守備を担当している。

 

国防省

 防衛省に相当する。国防政策を担う中央官庁。

 

兵器研究開発本部(兵本)

防衛装備庁または旧技術研究本部に相当する。瑞穂軍が使用するあらゆる装備の研究・開発・更新を一手に担う国防省の直轄組織。略称は兵本。現在では瑞穂軍における唯一の開発組織として1800人もの人員を擁している。かつては開発方針の策定や各企業・大学との意見調整を行うなど施策の大枠を決める事務仕事が大半を占め、研究開発は全くといっていいほど担っていなかった。だが深海棲艦の出現を受け、研究開発の迅速化・効率化を図るため各組織に分散していた機能を集約化。当本部の権限も大幅に強化され、今では名実ともに軍の研究開発拠点として活動している。これに伴い、陸海軍それぞれの研究開発組織であった、海軍航空本部、陸軍航空本部は廃止。また艦政本部・陸政本部は縮小。前者は海政研究所、後者は陸政研究所と名前を変え、軍令部・参謀本部の意見を兵器開発本部に伝えるなどといった窓口機関的な組織に改編された。本部長は生粋の技術屋で、一部では「変態の総大将」ともささやかれる安谷隆一(やすたに たかかず)少将である。

 

保安省

 旧内務省に相当する。警察庁と海上保安庁を所管し、瑞穂国内の治安維持行政を一手に担う中央官庁。

 

神奈川県警警備部第一機動隊特定危険思想対処班

神奈川県内の海軍基地、特に全国的に見ても屈指の規模を誇る横須賀鎮守府を捜査対象とし、反乱やクーデターを引き起こしそうな危険思想を持った軍人の内偵・情報収集・監視する機動隊内の特殊部隊。時には警察力の行使(実力行使)も行う。

 

大蔵省

 財務省に相当する。多温諸島奪還作戦にかかる費用を過小評価したため、瑞穂国の財政運営を危機におとしいれた。

 

通商産業省(通産省)

 経済産業省に相当。瑞穂の通商に関する行政を一手に担う。

 

軍再建整備計画

正式名称、「陸海軍戦力回復及び特定害意生命体対処実現に係わる国防力整備計画」。深海棲艦の攻撃により現有(2025年当時)の有望な陸海軍、特に海軍戦力の喪失と国防力の根本的な陳腐化を受け、深海棲艦に対抗可能な通常戦力の整備を5か年計画として2027年に策定した瑞穂軍の再建計画。実施期間は2028年~2033年。陸軍兵力の増員、30式戦闘機をはじめとした航空戦力及び統合艦隊の整備が明記された一方、予算の不足を理由に格納庫の掩体壕化といった基地の抗堪性確保、敵機の接近をいち早く捕捉する防空レーダーの開発・整備は先送りされた。房総半島沖海戦によって、軍再建計画の欠陥が露呈することとなった。

 

特定管理機密

国家機密の中でも漏洩すれば著しく瑞穂の国益が損なわれかねないと判断され、総理府の国家安全保障局によって指定される最高レベルの機密情報。国家情報保全法に明記。開示が許される対象は適性検査を受けた人間と、軍令部などの許可が出された人物に限定。仮に上官や所属組織の許可なく漏洩させた場合、最高刑は平時には終身刑。大戦の真っ只中である現在が該当する有事の際は死刑である。そのため、扱いは爆弾を触るかのように慎重に慎重が期される。

 

漢城条約

 2031年、瑞穂・栄中・和寧の東アジア3か国で締結された対深海棲艦条約。当条約では未知の敵「深海棲艦」に対し3か国が緊密な連携の下、共同して対処することが謳われており、条文に各国の具体的な行動が明記されている(瑞穂に東シナ海の第一義的防衛義務を定めた第5条や栄中と和寧に深海棲艦侵攻時の瑞穂救援を定めた第12条など)。条文自体に法的拘束力はなく国家主権及び軍事主権は犯していないとの建前だが、行動対行動の原則の下、信頼関係で成り立っている以上、経済的な関係もあり両国への配慮は欠くことができず、当条約に抵触しかねない行動は取れない。そのため実質的に国家主権及び軍事主権に制約がかかっているのが現状である。実際に房総半島沖海戦時佐世保鎮守府は有望な戦力がありながら、東シナ海の防衛に拘束され、横須賀鎮守府単独で敵残存連合艦隊を殲滅する事となった。

 

並行世界証言録

 艦娘たちの証言を集め、日本世界の歴史・文化・社会情勢・技術レベルなどを体系的に記した一大史料。雪風や響も加わっているため、戦後1970年代ごろまでの出来事も掲載されている。製作は国防省主導。当初は国防省の官僚たちも並行世界の情報を欲していたが、艦娘たちに様々なトラウマがあったことから関係悪化を避けるため、聴取の計画は棚上げにされていた。しかし、艦娘たちの出身を知った政治・歴史・文化・民俗などから生物や物理・化学いたるまでの学界、それら管轄学界の要望を受けた各省庁の突き上げを受け、製作が決まった。決まったはいいが製作主体や各省庁の関与を巡って、激しい闘争が繰り広げられ、軍の全面的なバックアップを受けた国防省が最終的に勝利した。製作開始直後は艦娘たちが消極的で難航したが、少数の艦娘たちが協力したことをきっかけに参加人数が増加。現在ではほとんどの艦娘が協力し、各学界も大満足し研究に励んでいる。

 

東西紛争

ポピ連邦とコロニカ合衆国の間で20世紀に生起した国家間戦争。日本世界と異なり、約7年に及んだ当紛争が瑞穂世界における近代以降最大の戦争にして、唯一の国家間衝突である。両国の国境沿いに大規模な石炭炭鉱の存在が確認されたことをきっかけに緊張が激化。諸外国も巻き込んだ平和交渉が行われるも、建国以来犬猿の仲であった両国はついに激突。ポピ大陸の資源に権益を持ち、それぞれに人種的親近感を抱く大国も消極的ながら介入したことにより戦火が拡大。双方あわせて67万人が犠牲となった。

 

光陽丸事件(こうようまるじけん)

 瑞穂時間2025年2月17日。布哇諸島近海を航行中であった瑞穂船籍のコンテナ船「光陽丸」が突如、消息を絶った事件。瑞穂では当時「クジラと接触して沈んだのではないか」と言われていたが、瑞穂世界で初めて深海棲艦が人類に攻撃を加えた事例であると一般的に解釈されている。

 

十条空襲

 2027年2月1日、東京都北区に対し、深海棲艦空母機動艦隊によって行われた航空攻撃。2027年初頭は瑞穂海軍を含めた環太平洋諸国海軍水上部隊の壊滅、栄中海軍・和寧海軍の第1列島線内への戦略的退避により、本土決戦の危機が最も迫っている時期であった。瑞穂海軍に制海権維持能力はなく、深海棲艦空母機動部隊は瑞穂列島の近海に進出。陸海軍基地や軍需工場に対し、空母艦載機による航空攻撃を実施する中で、陸軍十条基地や民間企業の軍需工場が集積していた東京都北区が標的となった。攻撃そのものは兵器搭載量が限定される艦載機が主体となった空爆であったため、小規模にとどまったが、攻撃機の護衛として飛来していた艦上戦闘機が走行中だった東北本線快速電車を執拗に銃撃。銃撃を受けた電車は脱線の後、横転しながら住宅に激突。この電車内だけで108名が死亡し、本空襲による犠牲者159名の3分の2を占めた。

 

八丈島沖海戦

2027年に八丈島沖北東海域で行われた瑞穂海軍通常艦隊・艦娘の連合部隊と深海棲艦連合艦隊が激突した戦い。当時、艦娘の協力を得て徐々に戦線を押し返していた時期であった。そのため瑞穂も敵の反攻を予測し関東東方・南方海域の哨戒を密にしていたところ、敵の早期発見に成功。艦娘部隊と艦隊司令部隷下の主力艦隊残存艦で臨時編成された特別水上打撃群の共同作戦により、八丈島沖北東海域で敵艦隊の撃退に成功。特別水上打撃群の壊滅という代償を払ったものの、敵の本土攻撃そして反攻の出鼻を挫かれる事態は回避した。ちなみに、この時第5艦隊は大湊におり、幸いにも戦闘には参加せずに済んでいる。

 

房総半島沖海戦

 2033年7月12日早朝、空母機動部隊を中核とする深海棲艦連合艦隊による関東地方陸・海軍基地への奇襲空爆に始まり、翌13日夜明け頃まで関東地方及びその周辺海空域で断続的に発生した戦闘の総称。発生した攻撃及び戦闘は関東空爆、伊豆・小笠原空爆、浦安航空戦、横須賀湾沖航空戦、石廊崎沖海戦、野島岬沖海戦、第二次野島岬沖海戦に大別される。

 7月12日早朝、九十九里浜沖に進出した空母ヲ級flagship4隻を主力とする深海棲艦連合艦隊は百数十機を擁した第一次攻撃隊で瑞穂海軍横須賀基地、館山基地、百里基地、厚木基地、瑞穂陸軍木更津基地を攻撃。瑞穂軍は台風8号の影響で哨戒を緩めていたため深海棲艦連合艦隊の接近に全く気付かず、完全な奇襲により瑞穂海軍館山基地、百里基地、厚木基地、瑞穂陸軍木更津基地は壊滅。関東地方の制空能力の過半を初撃で失った(関東空爆)。また、深海棲艦は関東空爆後、九十九里浜沖に展開する連合艦隊とは別の連合艦隊によって硫黄島基地をはじめとする伊豆・小笠原諸島の陸海軍基地を攻撃、各基地は壊滅状態に陥った(伊豆・小笠原空爆)。瑞穂が大混乱に陥る中、九十九里浜沖に展開した深海棲艦連合艦隊は第二次攻撃隊を発艦させ、横須賀及び東京への攻撃を意図。これの阻止を目指した横須賀航空隊横須賀基地所属の第101飛行隊、舞鶴航空隊小松基地所属の第404飛行隊が千葉県浦安市上空で、横須賀鎮守府第一機動艦隊、第六水雷戦隊、横須賀航空隊横須賀基地所属第102飛行隊が横須賀湾沖で激突(浦安航空戦及び横須賀湾沖航空戦)。激戦の末、深海棲艦第二次攻撃隊は横須賀・東京への攻撃を断念し撤退するも、第404飛行隊は全滅。第101飛行隊は40機中34機、第102飛行隊は40機中29機が撃墜され、壊滅。艦娘部隊は第一機動艦隊の翔鶴・潮が大破、榛名が中破。「防衛成功」という戦術的勝利を得られたものの、この時点で海軍は関東において投入可能な航空戦力の過半を損耗し、制空権を失った。

 一方、関東地方周辺海域においても、戦闘が発生。伊豆半島石廊崎沖では第三水雷戦隊と連合艦隊を解消した別動隊(空母ヲ級改flagship2、戦艦棲姫1、戦艦タ級flagship1、軽巡ツ級flagship1、駆逐イ級後期型flagship1)が、房総半島野島岬沖では第5艦隊と連合艦隊を解消した水上打撃部隊(戦艦ル級flagship2、軽巡ツ級flagship2、駆逐ロ級後期型flagship2)が激突。第三水雷戦隊はみずづきの目を見張る活躍により無傷で敵艦隊の撃滅に成功する(石廊崎沖海戦)も、新兵器零式弾をも使用した第5艦隊は第五遊撃部隊の救援が間に合わず、奮戦むなしく敗北。霧月以外の全艦が撃沈され、第5艦隊司令官正躬信雲少将、参謀長掃部尚正少将、因幡艦長大戸雅史大佐、第5戦隊司令官結解由造大佐をはじめ、3237名中2544名が戦死した(野島岬沖海戦)。

 12日夜、由良基地に満身創痍で辿りついた呉鎮守府潜水集団所属伊168の報告により、多数の輸送船を伴った深海棲艦揚陸部隊の関東地方への進軍が判明。これを受け瑞穂政府は史上初めて国家緊急事態法に基づく、特別非常事態宣言を瑞穂全土に発令。また関東地方を警戒区域に指定し、特別非常事態宣言発令時第1号計画(通称本土決戦に対処するための避難行動計画)の実施及び大本営作戦第1208号(通称:背水作戦)の承認を宣言し、本土決戦の準備を開始。形容しがたい絶望感が漂う中、陸軍部隊の展開と住民の避難が行われた。

 横須賀鎮守府は背水作戦の発令を受け、第一夜襲艦隊(長門・摩耶・川内・みずづき・陽炎・黒潮)、第二夜襲艦隊(金剛・大井・吹雪・雷・電・曙)、後方支援艦隊(赤城・加賀・瑞鶴・北上・白雪・初雪)、護衛艦隊(夕張・球磨・深雪・暁・響)を編成し、房総半島沖に遊弋している敵連合艦隊(空母4隻、軽巡4隻、駆逐2隻の空母機動部隊、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐2隻の軽水上打撃艦隊)の撃破、これによる深海棲艦の侵攻意思排除を企画。13日明け方、第一・二夜襲艦隊と深海棲艦連合艦隊は野島岬沖で激突。みずづきの対艦ミサイル攻撃もあり、優位に戦いを進めた第一・二夜襲艦隊は長門が軽微な損傷を受けるも、小破艦さえ出すことなく深海棲艦連合艦隊の殲滅に成功。瑞穂側が関東地方の制海権を盤石にしたことを受け、深海棲艦揚陸部隊は関東侵攻を断念し、撤退。瑞穂初の本土決戦という最悪の事態は土壇場で回避された。

 この戦闘による犠牲者は民間人187名、軍人・軍属4137名、合わせて4324名。房総半島沖海戦は大戦を忘れかけていた瑞穂国民と優位な戦局を前に安堵していた政府・軍に計り知れない衝撃を与え、後に実施される軍事行動に多大な影響を及ぼすこととなった。

 

11式戦車

 2011年に制式化された主力戦車。ずんむりむっくりの外見と対照的な細い砲身が突き出している独特の外観が特徴。57mm砲と7.62mm機関銃を2挺装備。全長は5.5m、全幅は2.3m、重量15トン、乗員は4名。装甲は側面に限ると20~25mmである。価格は約3億円。深海棲艦が出現するまでは瑞穂陸軍の主力戦車であったが陸上型深海棲艦の戦車型と戦闘を行った際、火力・防御力不足が露呈したため、後継の29式戦車に活躍の場を譲り、配備数は減少の一途を辿っている。大日本帝国陸軍の97式中戦車に外見が酷似している。

 

29式戦車

 2029年に制式化された最新鋭の主力戦車。角ばった車体の割には大きな砲身を持っている外観が特徴。11式戦車と根本的に外観が異なるため、見分けることは専門的知識がなくとも比較的容易。陸上型深海棲艦の戦車型への対抗を目的に開発された。主武装として75mm砲、副武装として7.62mm機関銃を2挺装備。全長は5.7m、全幅は2.3m、重量18トン、乗員は5名。装甲はもっとも被弾可能性が高い正面を筆頭に強化され、正面前方は50mmと11式戦車より倍増している。高火力化・重装甲化が威力を発揮し、多温諸島奪還作戦(還3号作戦)では歩兵によって最大の脅威となっていた敵戦車型の早期撃滅に成功し、迅速な作戦の完了に大きく貢献している。11式戦車にかわり、現在では瑞穂陸軍の主力戦車である。価格は4.5億円。大日本帝国陸軍の3式中戦車に外観が酷似している。

 

艦娘母艦

艦娘を疲労させることなく前線に運び、かつ作戦・戦闘終結後、損傷の程度に関係なく艦娘全員を所属基地まで運ぶ輸送性。本土から離れ迅速な情報交換ができない前線においても臨機応変な作戦行動が取れるよう臨時司令部機能。その2つを両立させ艦娘運用に特化した特殊輸送艦。技術発展の度合いよる多少の差異は存在するものの、コンセプト自体は日本の「いず型輸送」に代表される特殊輸送艦とほぼ同一である。全長はあきづき型護衛艦やまいかぜ型護衛艦と変わらない、145m。基準排水量は5000トン。武装は艦首前部に設置されている2門の中口径連装砲をはじめとして連装高角砲に3連装機銃。あくまで戦闘艦艇ではなく、普通の輸送艦と同様に補助艦艇扱いのため武装は自衛レベル。情報収集能力確保のため、水上偵察機を2機搭載。後部甲板には水上機発艦用のカタパルトが設置されている水上機。艦娘部隊が配備されている各鎮守府・警備府・基地に必ず1隻は配置されている。

 

霧月

海月型防空駆逐艦の5番艦。所属は第5艦隊第10戦隊で、停泊港は横須賀。乗組員は219名。防空駆逐艦の名が示す通り、艦隊を脅かす対空目標の迎撃を主眼に設計された、一風変わった駆逐艦。

 

伊豆型海防艦。

 横須賀海防隊群に配備されている海防艦。船体は駆逐艦より一回り小さい、基準排水量940トン。速力は34ノットまで発揮可能で、主武装は前部甲板と後部甲板に設置されている12.7cm連装砲と2基の12.7mm対空連装機銃、爆雷投射機である。伊豆、式根、青賀、新、神津、三宅、八丈、御蔵の8隻が就役済み。

 

21式戦闘機

 深海棲艦出現前の2021年に制式化された瑞穂海軍の戦闘機。当時は他の先進国戦闘機と肩を並べる高速性能、軽快な運動性能を誇った固定脚式の全金属製低翼単葉機であった。しかし、「瑞穂世界において高性能」という自負は深海棲艦を前に叩きつぶされ、固定脚式による高速性能の拘束、防弾性能の欠如による継戦能力の貧弱さ、そして7.7mm固定機関銃2門のみという軽武装が仇となり、深海棲艦航空機に対し全く歯が立たなかった。空母艦娘によれば、固定脚が目を引く外観は大日本帝国海軍の96式艦上戦闘機に酷似しているとのこと。

 

29式偵察機

数々の新機軸を盛り込み、2029年に制式化された瑞穂海軍の複座陸上偵察機。29式偵察機以前の瑞穂陸海軍航空機は複葉機また単葉・固定脚など、艦娘たちが所属していた大日本帝国と比較して旧態依然とした航空機が主流であり、深海棲艦を前に能力不足は顕著であった。瑞穂海軍は八丈島沖海戦などを通じ、迅速かつ場合によっては強行偵察も可能とする俊足、長大な航続力を有する偵察機の必要性を痛感。当機は瑞穂軍単発航空機で初めて引き込み脚を採用し、引き込み脚機構によって燃料搭載スペースが制限されているにもかかわらず、翌年に制式化された30式戦闘機には及ばずとも1000km超の後続距離を実現した。搭載火器は自衛用の7.7mm旋回機銃1門のみ。開発には空母艦娘も関与しており、外観は大日本帝国海軍の97式艦上攻撃機に酷似している。

 

30式戦闘機

 2030年に制式化され、旧来戦闘機の常識を覆した革新的な戦闘機。21式戦闘機の惨状を背景に瑞穂海軍は深海棲艦に対抗可能な新戦闘機開発を模索。艦娘たちにとって最も親しみがあり、かつ運用経験が豊富な大日本帝国海軍の艦上戦闘機“零式艦上戦闘機”をベースに開発が行われた。零戦の弱点であったエンジン出力と防弾性能の貧弱さは、瑞穂が誇る成熟した基礎工業力の結実である高出力レシプロエンジンの搭載によって解決。機動力と耐弾性、そして20mmを主力とする重武装化の並列に成功した。当機は零戦の模倣機でありながら、本家を凌駕した希有な戦闘機である。機首と翼内にそれぞれ2門ずつ、計4門が取り付けられている20mm機関砲には通常、敵機を撃墜するのではなく損傷させ追い払うことに主眼が置かれ、TV信管が内蔵された新型対空榴弾、29式対空榴弾が装填されている。また、当機には限定的な爆撃能力が付与されており、30kgまたは60kg爆弾を翼下に2個装備可能となっている。以上の類い稀な性能から戦果が期待されたが、房総半島沖海戦時に生起した航空戦では多数の機体が撃墜された。21式戦闘機より遥かに善戦したものの、深海棲艦航空機に対し、依然として通常航空戦力では太刀打ちできないことを図らずも、当機自ら証明する形となった。

 

30式水上偵察機

 2030年に制式化された艦載型複座水上偵察機。艦娘を通した日本世界における航空技術の流入と深海棲艦の脅威に対抗するため配分された多額の国家予算で航空業界が活況に沸く中、開発された機体だけあり大戦初期に現役であった水上偵察機とは性能面で隔絶している。翼下にフロートを付け、「下駄ばき」と言われる水上機でありながら、21式戦闘機に迫る高速性、機動性、航続力を有している。搭載火器は自衛用の7.7mm旋回機銃1門のみ。低翼単葉かつフロートを有する外観は大日本帝国海軍の零式水上偵察機に酷似している。但し、当機は純粋な艦載型偵察機であり開発に際し爆撃性能は要求されていないため、大日本帝国海軍の零式水上偵察機と異なり爆撃は不可能。

 

零式弾

 的が小さく従来の徹甲弾では対処不可能な深海棲艦用に開発された新型砲弾。弾頭内に複数の子爆弾を搭載した対水上榴弾。大日本帝国海軍の対空榴弾、三式弾を参考にとして開発された、いわゆるクラスター爆弾の砲弾版である。当砲弾は目標の上空に到達すると子爆弾を周囲にまき散らし、爆発の嵐を巻き起こす。多数の子爆弾がばら撒かれるため、高命中率を誇る。ただ、子爆弾単体の威力が小さく、複数発を当てなければ駆逐艦の撃沈も叶わない、命中率を優先したが故の致命的欠点が存在する。野島沖海戦では威力不足を命中率で補い、駆逐ロ級flagship2隻を撃沈、軽巡ツ級flagshipを大破まで追い込む戦果を挙げた。

 

竹祭り(タギウチマー)

 沖縄県那覇市で毎年7月中旬に行われるお祭り。かつて首里城の城下町として栄えた大中町や当蔵町、市場として栄えた大道町や安理町など琉球王国時代の建物が数多く現存している地区を中心に、蝋燭を入れた竹細工で街を照らす。もともと五穀豊穣を祈るための祭事であったが、竹になじみ深い本土や栄中・和寧からの観光客増加を目的に、本土の某所で行われているお祭りの要素を追加した結果、現在の形となった。沖縄には竹細工に使用可能な太い竹が自生していないため、本土から仕入れている。しかし、大戦勃発以降は鎮魂の意味合いも込められている。非常に幻想的な光景が生み出されるため、写真家はおろか本土の一般人の間でも有名。人気もかなりのもので観光本の出版社が珍しく高価なカラー印刷で特集を組むほど。露店や地元商店の屋台なども軒を連ね、神社仏閣では音楽家のコンサートが開催、民家では地元住民などによる演奏も行われるため、景色以外の見どころも満載。

 

 

 

登場人物

 

 

海軍

・横須賀鎮守府

百石 健作(ももいし けんさく)

 横須賀鎮守府の司令長官。階級は提督。年は30代前半と非常に若いが、通常ならあり得ない官職につけるだけの実力は兼ね備えている。横須賀鎮守府司令長官に推挙される以前は、軍令部で作戦局を中心に様々な部署に勤務。作戦局作戦課勤務時代、山下の上官であった縁から、今でも彼と懇意にしている。的場と親交が厚く、艦娘擁護派に属しているため、対艦娘感情はすこぶる良好。また軍人にありがちな高圧的態度を取ることもなく部下想いであるため艦娘たち・一般将兵との関係は良好で、信頼も厚い。ただ、それを妬んだり、快く思っていない軍人が上層部、特に御手洗が率いていた旧排斥派に少なからず存在している。特に御手洗とは犬猿の仲で、彼を前にすると普段の温厚さが神隠しにあう。みずづき出現以降、艦娘部隊の指揮官という立場に加えて、「瑞穂の切り札」としての地位を確立しつつあるみずづきの監督も担うことになったため、たびたび激務にケツを叩かれている。付け加えると時折、秘書艦の長門にお灸を据えられている。

 

川合 清士郎(かわい せいしろう)

 横須賀鎮守府の警備を担う横須賀警備隊の隊長。階級は大佐。百石より年上だが、それに不満を抱くこともなく命令には忠実で、警備隊内の人望もあつい。要領が良く仕事は早く済まれられるタイプ。ただ、血の気の濃い海軍陸戦兵のため、堪忍袋の緒が切れたあかつきには阿修羅と化す。御手洗が横須賀鎮守府へ無断侵入した際は、取り巻きの態度に激高し、発砲しかける一幕もあった。お酒を飲めば、百石以下その他大勢の例に漏れずバカ騒ぎをする。

 

筆端 祐助(ふではし ゆうすけ)

横須賀鎮守府の副司令長官。百石とは海軍兵学校時代から続く先輩・後輩の仲で、軍令部勤務時代は百石と同じ部署に配属されていた。瑞穂の未来、艦娘の捉え方、深海棲艦の脅威認識など考え方も非常に近く、とても親しい間柄。誰に対しても分け隔てなく接し、いつも豪快な笑顔で周りに元気を与えてくれる性格のため、百石と同様に部下からの信頼が厚い。そんな性格のためキレる姿はめったに拝めず、西岡はある意味貴重な経験をしたと言える。

 

緒方 是近 (おがた これちか)

横須賀鎮守府参謀部の部長。階級は少佐。年は百石と大差なく肩書の割には若いが、仕事ぶりを見る限り年齢のハンデは全く感じない。比較的柔和な表情をしていることが多いのだが、激高したときも平時そのままに笑っていることがある。そのため、彼にこっぴどく絞られた人間の中には彼の笑顔に恐怖する輩も存在する。横須賀鎮守府侵入の際、彼の素養教育をうけたあの御手洗実もその1人であるとかないとか。

 

五十殿 貴久(おむか たかひさ)

横須賀鎮守府参謀部作戦課長。階級は大尉。普段はごく普通の軍人だが、作戦立案に全身全霊を注ぐ作戦課のトップというだけあり、作戦立案に駆ける熱意は尋常ではない。まだ五十路を超えていないにもかかわらず、頭髪の生え際防衛線が撤下されつつある。

 

江利山 成永(えりやま なりなが)

横須賀鎮守府参謀部通信課長。階級は大尉。一般的な海軍軍人と比較して体の線が細く小柄なため、よく若年兵と間違えられる。

 

椛田 典城(かばた のりき)

横須賀鎮守府参謀部情報課長。階級は大尉。室内での情報畑を歩んできたせいか、他の一般的な軍人と比較して色白。

 

宇島 忠 (うじま ただし)

横須賀鎮守府参謀部の青年将校。階級は中尉。冷静沈着な性格で、みずづきの第一報が入ったときも多少の動揺はあったが、比較的落ち着きを保っていた。

 

西岡 修司(にしおか しゅうじ)

横須賀鎮守府警備隊の青年将校。階級は少尉。まだまだ、士官学校(海軍兵学校)卒業したての新人だが、なにどこにも懸命に取り組むため川合も含めた上官から信頼されている。だが、未だに警備隊の雰囲気には完全に馴染めていないようで、川合たちの暴走に振り回されることもしばしば。気が少し弱いところがまたにきず。加えて奥手な性格が災いしてか、未だに彼女はおらず、高校時代の同級生からも恋文すらもらえていない模様。

 

坂北 純一(さかきた じゅんいち)

 横須賀鎮守府警備隊の青年将校。階級は中尉。西岡の2期先輩。同じ海軍兵学校卒業者のため、西岡とはかなり親密な関係を築いている。西岡と異なり、女性にも比較的耐性を持っているため、艦娘との関係も良好。

 

漆原 明人 (うるしばら あきひと)

 艦娘が身に付けている艤装の整備、補給及び新装備開発を一手に担っている横須賀鎮守府工廠の工廠長。それだけでなく通常艦艇の整備等を管轄する造船部も工廠の隷下であるため配下に収めている。肌は浅黒く焼け、軍人の中でも屈強な体を持ち、あまつさえ強面なので第一印象はお世辞にも良いとは言えず、とある職業に従事する者と区別がつかない。だが、性格は他の軍人たちと同じく温厚で、頼れる上官である。またかつて兵器研究開発本部に務めていた経験から、最先端の科学技術動向に見識を持つ。そのため、みずづきとの演習を控え、百石と第五遊撃部隊で行われた対策会議に招聘されている。但し、いわずもがな怒ると非常に怖い。

 

椿 澄子(つばき すみこ)

 あの安谷本部長をトップとする特定害意生命体研究グループに所属している国防省兵器研究開発本部所属の海軍中尉。将来的な大宮警備府工廠への配属を睨んだ事前研修のため2033年10月1日付で横須賀鎮守府工廠へ配属された。普段から明るく、とっつきにくさなど微塵も脳裏をよぎらない親しみやすい性格だが、やはり彼女も技術者。自身の興味関心を刺激する対象が現れると、時折感情の枷が外れ、暴走気味になることも。探究心は強靭で、横須賀鎮守府への配属もみずづきに会いたかったため、上司や漆原に懇願した結果。漆原とは顔なじみ。兵器研究開発本部に入って初めて所属したチームのリーダーが漆原工廠長だった縁。その際、漆原の名前が分からずリーダーと呼んでいた癖が抜けず、いまだに彼のことをリーダーと呼ぶ。

 国防省兵器研究開発本部所属の技術士官ではあるが、その実、情報保全室の諜報員。単身で横須賀基地に潜入し、和深たち強硬派の動向を監視。みずづきの誘拐をはじめとする東京の指令をつつがなく実行した。その実績が、彼女の情報保全室員としての能力を証明している。

 

都木(つぎ)

 去年、横須賀鎮守府海兵団をしたばかりでまだ幼さを残す工廠員。純粋無垢な性格を利用され、黒髪の妖精の使いぱっしりにされそうになったことがある。

 

道満 忠重(みちみつ ただしげ)

医務部のトップである医務部長。階級は大佐。医務部長という管理職に就いてからも、時々医務室へ顔を出し診察をしている現場主義の軍医。赤城の喰いっぷりを心配し、食事はいいとしてもおやつなどの間食を控えるようにとドクターストップをかけたが、結果は言わずもがな。

 

 

・横須賀航空隊第102飛行隊

植木 譲治(うえき じょうじ)

 横須賀航空隊第102飛行隊隊長。階級は大尉。防空戦闘を前に動揺する赤城をさりげなく励ましたり、第一機動艦隊の艦娘たちを守るため決死の覚悟で深海棲艦戦闘機に空戦を挑んだりするなど、勇猛果敢かつ他人想いの観察眼を有した戦闘機乗り。

 

筒路(つつじ)

 横須賀航空隊第102飛行隊第7小隊の小隊長。階級は中尉。第5艦隊の救援命令を受け、横須賀湾沖より退避中だった第五遊撃部隊を掩護するため、吹雪たちを追撃する深海棲艦戦闘機へ空戦を挑んだ。

 

 

・軍令部

的場 康弘 (まとば やすひろ)

 瑞穂海軍の最高司令部たる軍令部の総長。階級は大将で名実ともに瑞穂海軍のトップ。艦娘擁護派の筆頭に挙げられる「爽風会」の会長で、擁護派の中心的存在。温和で情に厚く、部下想いの性格ゆえに士官・兵士問わず、部下からの信頼度は文句のつけようがない。百石や筆端も同会に所属しているため、彼らとの関係は深い。一見すると対立派閥である艦娘排斥派のリーダー格、例の問題児さんとは関係が険悪だと思ってしまうものの、実は・・・・。かなり古い付き合いである。

 

御手洗 実 (みたらい みのる) 

 瑞穂軍の最高意思決定機関、大本営統合参謀会議の委員(横須賀鎮守府への乱入事件で解任)。階級は中将。瑞穂の政・経・軍界に、多数の人材を輩出してきた旧士族の名家である御手洗家出身。性格は、独善的で自己中。自分が格下と思った相手は、例え上官であろうと噛みつく。軍規を無視した自己中心的な法外行為は当たり前で、軍の意思決定に自分の見解が反映されていなければ不満らしく、何かと介入している。その悪評は、海軍内において辺境の一兵卒にまで轟いている。艦娘の排斥を主張する排斥派の1人。排斥派の中心派閥である「憂穂会」の助言役でありながら、会長を抑え、実質的なリーダー。そして、裏の権力を使い作戦局の裏のトップとなっている。そのため、擁護派の百石や筆端とはすこぶる仲が悪い。並行世界から突然現れたみずづき欲しさに横須賀鎮守府へ強引に侵入し、みずづきの奪取を試みるが失敗した挙句、みずづきから物理的・精神的にきつい一撃を、ついでに横須賀鎮守府将兵からお説教を食らっている。現軍令部総長の的場とは同期で腐れ縁。また第5艦隊旗艦「因幡」艦長の大戸、第5艦隊第5戦隊司令官の結解、同第10戦隊司令官の花表とは深海棲艦出現以前から親交が深く、よそでは絶対に口にしない感情を吐露できる貴重な存在であった。しかし、房総半島沖海戦にて大戸、結解は戦死。また、通常兵器が深海棲艦の前に無力であることがはっきりと証明されたため、排斥派の実質的なリーダーとして重大な決断を下した。

 

 

 

 

御手洗 雪子(みたらい ゆきこ)

 御手洗実の妻。親類との付き合いやあいさつ回り、接待の補助、御手洗家の体面保持など前近代的な風習が色濃く残る世界に嫁いでも体調1つ崩さなかった強靭な女性。しかし、楓・直の他界後に体調を崩し、現在も床に伏せっている。

 

御手洗 楓(みたらい かえで)

 御手洗実・雪子の長女。母親に似たのか気が強く、海軍内で厄介がられていた父親の怒号などもへっちゃら。周囲からは「弟よりも男らしい」、「性別を間違えた」と評判だった。「望むなら、ツテで名門校へ通わせてやる」との父親の提案をはねつけ、自力で教員免許を取得し、自力で採用試験を受け、晴れて教師になるという夢を叶えた。ただ、親(父親)の七光りとコネから逃れるため、国公立教育機関は当初から選択肢に入っていなかった。2027年2月1日、勤務先の高校から東北本線の快速電車で帰宅中に「十条空襲」に遭遇。深海棲艦航空機から機銃掃射を受けたため、遺体が激しく損傷。歯型照合によって、横転した電車内で発見された身元不明遺体が本人と確認された。享年27。

 

御手洗 直(みたらい なおる)

 御手洗実・雪子の長男。楓の弟。誰に似たのかクソがつくほど真面目かつ嘘が下手。悪く言えば堅物、良く言えば実直な性格。故に、優しくも不器用で、外見上は性根が腐っている父とは最期まで折り合いがつかなかった。御手洗家の長男であり、跡取りであったため、父親はしつこく海軍兵学校への入校を要求したが、父の威光と意思で人生が左右されることを嫌い、陸軍士官学校に入校。卒業時、九州または東北方面隊への任官を希望したが、なぜか千葉県銚子市を拠点とする関東方面隊隷下第1師団第2歩兵連隊へ配属された。2027年、深海棲艦の侵攻が予見されていた八丈島に応援部隊「銚子支隊」として派遣され、2月11日から生起した「八丈島の戦い」に参加。当部隊を含めた八丈島守備隊約9500名は2月26日に玉砕。書類上、「死亡」とされた。御手洗家の墓に直の遺骨は入っていない。享年24。

 

 

 

 

 

富原 俊三(とみはら としぞう)

 軍令部作戦課課長。階級は中佐。排斥派中堅士官のとりまとめ役で、排斥派重鎮の1人。軍備課を任されるだけの現実的な思考を持っているが、ときたま保身や思想に基づいた非現実的行動が垣間見える。

 

宮内 芳樹(みやうち よしき)

 軍令部軍備課課長。階級は中佐。“第二の御手洗”と言われるほど傲慢さで有名な排斥派の中堅士官。

 

山内 昭三(やまうち しょうぞう)

軍令部作戦局軍備課課員。階級は中尉。作戦局作戦課に勤務していた際、上官の1人が百石だった縁で今でも彼との親交は厚い。一時期は排斥派が軍備課の実権を握っていたが、本人は擁護派。的場からの信任も厚く、みずづきたちが東京を訪れた際は的場よりみずづきたちの送迎・案内を命じられた。

 

武田 正人(たけだ まさと)

総務局副長。階級は大佐。統括会議において当初のMI/YB作戦を批判した大黒に、小林の名前を出して噛みついた。

 

安谷 隆一(やすたに たかかず)

技術研究開発本部の本部長。階級は少将。生粋かつ常人からは奇異の目で見られるほどの技術屋。あまりの変わり者ぶりに一部では「変態の総大将」とも囁かれている。

 

・第5艦隊

正躬 信雲 (まさみ しんうん)

瑞穂海軍で唯一の海上主力戦力たる第5艦隊の司令官。階級は少将。勇猛果敢な軍人のイメージとはほど遠く、あがり症でどこかおどおどした雰囲気を纏っている。頭髪はほとんど白に染まっていることも相まって、落ち着いた雰囲気の時は街を歩いている一老人と区別がつかない。但し、深海棲艦出現以前から現在の肩書であったため、深海棲艦の猛攻から第5艦隊を守ったのは正躬であるといっても過言ではない。軍令部作戦局局長の小原とは同期であり、軽口を叩きあうほど親交も深い。2033年7月12日、第一次野島岬沖海戦にて戦死。

 

掃部 尚正(かもん なおまさ)

第5艦隊の参謀長。階級は少将(但し、正躬の方が先任である)。その立場上、正躬の近くにいることが多いため、よくあがり症を発病した正躬のフォローを行っている。しかし、掃部も深海棲艦出現以前から第5艦隊の参謀長を務める古参組であるため、既に正躬のフォローには手慣れている。2033年7月12日、第一次野島岬沖海戦にて戦死。

 

大戸 雅史(おおど まさふみ)

第5艦隊旗艦因幡の艦長。階級は大佐(但し、結解や花表より2期先輩。そして先任)。正躬や掃部に比べ少し若く、大半の艦橋要員にとって父親ほどの年齢である。みずづきが参加した特別演習への参加を希望したものの、危機管理上の観点から艦隊旗艦の士気をとる艦長が離れるのはまずいと判断され、因幡に残ることとなった。そのため、直にその目で演習を見た正躬や掃部たちを羨ましがっている。排斥派のリーダー格たる御手洗と親交が深く、「御手洗派」の一員。2033年7月12日、第一次野島岬沖海戦にて戦死。因幡から脱出するも、運悪く遭遇した戦艦ル級flagshipの攻撃を受けた。

 

結解 由造(けっけ ゆうぞう)

第5艦隊第5戦隊の司令官。階級は大佐。妻と中学生の長女、幼稚園児の次女の4人家族。正躬に百石へ演習参加要請を行うよう、目を輝かせながら半ば強引に働きかけた張本人の1人である。御手洗とは大戸や花表と同じく、それなりに胸襟を開いて接することができる間柄であり、「御手洗派」の一員。2033年7月12日、第一次野島岬沖海戦にて戦死。

 

花表 秀長(とりい ひでなが)

第5艦隊第5戦隊の司令官。階級は大佐。結解と共に演習参加要請を行うよう正躬に迫った張本人の1人である。御手洗のペースに引きずられることもしばしばだが「御手洗派」の一員であり、大戸や結解と同じく親交が深い。

 

武田

 第5艦隊旗艦巡洋艦「因幡」所属の水上偵察機搭乗員。搭乗機は30式水上偵察機。その内の一機、武田機の機長。階級は少佐。海軍厚木基地に中学生の長女を持つ古い友人がいる。

 

高橋

 第5艦隊旗艦巡洋艦「因幡」所属の水上偵察機搭乗員。搭乗機は30式水上偵察機。その内の一機、武田機の偵察員。階級は中尉。海軍館山基地館山偵察飛行隊に29式偵察機搭乗員の友人がいる。気が弱く、狡猾で高圧的な先輩の横暴を受けていたためよく匿っていた。兵士としては適性を疑ったことはあるものの、友人としては申し分ない人間と認識している。

 

 

・陸戦隊司令部

富樫 裕也(とがし ゆうや)

陸戦隊司令部参謀長。階級は大佐。佐世保海兵団出身。地べたを這いずり回ってここまで昇進してきた生粋の陸戦畑。故に、血の気が多く、血気盛ん。MI/YB作戦を議論する統括会議では上官でありながら侮辱してきた宮内に対して、激高した。その火勢は凄まじく、止めに入った同僚や部下にも拳を打ち込んだ。これだけ見ると短気を絵にかいたような性格だが、少々熱血気味なだけで基本的には部下想い。当初のMI/YB作戦には一歩間違えれば多大な犠牲が生じかねないことを危惧し、積極攻勢派でありながら強固に反対した。

 

・横須賀特別陸戦隊

和深 千太郎(わぶか せんたろう)

10月1日付で佐世保特別陸戦隊司令部より異動してきた、横須賀特別陸戦隊司令官。階級は中佐。出身は山形県。鼻の下に日本における明治政府高官のように髭を蓄えている。艦娘の処遇を脇に置き、反攻作戦実施に注力するとした憂穂会上層部の方針に従わず、房総半島海戦後の情勢においても艦娘排斥を唱え続けた強硬派の1人。同じ強硬派で懇意にしている武原より物腰が柔らかく、一応礼儀作法は重んじるが、腹の底に渦巻く感情は武原と大差ない。憂穂会の会合で示した御手洗の意志を「たぶらかされてるのではないか」と曲解し、旗下の横須賀特別陸戦隊を用いた反乱を画策。実行に移すが、全て御手洗を筆頭する東京の手のひらの上で踊らされていたにすぎず、最後は「横須賀騒動」の主犯として憲兵隊に拘束された。

 

武原 勝(たけはら まさる)

10月1日付で沖縄防備隊より異動してきた、横須賀特別陸戦隊第1特別陸戦隊隊長。階級は少佐。煮卵のように頭皮は黒ずみ、毛髪が全滅しているため、一部からは「煮卵頭」と蔑まれている。艦娘を「化外」と言い放ち、海上護衛艦隊指揮官に任命され、階級も地位も上の花表秀長に対して軍刀を抜こうとするほどの過激軍人。和深と懇意にしており、強硬派の1人。和深と共に旗下の横須賀特別陸戦隊第1特別陸戦隊を用いて反乱の片棒を担当。御手洗に腹へ非殺傷性のゴム弾をぶち込まれた際は、実際に銃撃を受けたと勘違いしたのか大声を上げて呻いていた。最終的には和深と同様、憲兵隊に拘束された。

 

梨谷 克治(なしたに よしはる)

横須賀特別陸戦隊第2特別陸戦隊隊長。階級は中佐。排斥派の一員であり、当初は和深と共に反乱に参加したが、御手洗が発案した計画の参加者であり、警備隊と協力して和深たちを拘束した。排斥派は排斥派でも、憂穂会の決定に賛同する積極攻勢派に近い立ち位置にいる。

 

 

・航空戦隊司令部

小林 久兵衛(こばやし きゅうべい)

航空戦隊司令部司令官。階級は少将。大黒の上官。大黒は「戦闘に犠牲はつきもの」と噛みついた武田に対し「むしろ、小林少将はお前を怒鳴りつけられるだろう」と述べている。

 

大黒 周平(おおぐろ しゅうへい)

航空戦隊司令部首席参謀。階級は大佐。冷静に理性を保ちながら富樫に同調し、積極攻勢派でありながら当初のMI/YB作戦案に強固に反対した。ただ、部下からの突き上げを受け、自分の意に反した作戦案を答申することになった小原たち作戦局の苦悩を理解しており、口火は武田たちに向けた。

 

・由良基地

堀北 市兵衛(ほりきた いちべい)

 由良基地隊の司令官。階級は大佐。白髪に掘りの深い皺を幾重もたたえ、いかにもおじいさんという風貌。まだ1歳にならない孫がいる。第三水雷戦隊のメンバーとは顔なじみで、気を張らずに話し合える人物である。

 

中島 克樹(なかじま かつき)

 紀伊防備隊の参謀長。階級は中佐。いざとなれば部下を死地に送らねばならない立場に相応しく、合理主義で規則に厳しい。

 

間谷 敦(またに あつし)

 由良基地広報課の士官。階級は少尉。艦娘に対して嫌悪感はなく、上官の前では緊張してしまう一般な軍人。

 

百千

 紀伊防備隊司令。

 

十部

 紀伊防備隊副司令。後に横須賀鎮守府警備隊副隊長に異動。擁護派、排斥派双方に属さない中立派の立ち位置を絶妙に活用し、警備隊隊長川合と御手洗、御手洗派の1人花表との橋渡し役を担った。

 

 

瑞穂陸軍

石橋 英機(いしばし ひでき)

 陸軍参謀本部総長。

 

 

大本営

鳥喰 政憲(とりばみ まさのり)

 大本営長官。陸軍参謀本部総長の石橋、海軍軍令部総長の的場を指揮下に置く、瑞穂軍のトップ。

 

 

神奈川県警察

杉生 仁男(すぎばえ ひとお)

神奈川県警察警備部第一機動隊特定危険思想対処班第1班(通称:横須賀監視隊)隊長。階級は警部。

 

 

瑞穂政府

佐影 禎明(さかげ さだあき)

瑞穂国内閣総理大臣。政治家ならば誰もが目指すゴールに到達できた実力と運を兼ね備えた政治家だが、それを鼻にかけることもなく、自慢する事もなく、いくら自分より地位が低かろうと必ず年長者には敬語を使用する人徳者。趣味は自転車で駆けながら景色を楽しむサイクリング。自転車愛好家としても有名で、自転車の展覧会にはたびたび私的に保有している希少価値の高い自転車を出品しているほど。サイクリング中に接触事故を起こし、入院したこともある。房総半島沖海戦時、額に包帯を巻きながら危機管理に奔走した。

 

大前 研一(おおまえ けんいち)

 佐影の首席補佐官。

 

米重 薫(よねしげ かおる)

 副総理兼大蔵大臣。

 

神津 四朗(こうづ しろう)

 官房長官。政府内・自憲党内で佐影の右腕と語られる実力政治家。現在に至る苦労を無言のうちに伝えてくる鋭い眼光はひとたび怒気を宿すと、新人議員が失禁するほどの迫力を帯びる。

 

森本 五典(もりもと いつのり)

 外務大臣。メガネをかけ、加齢のためか白髪の増加により頭髪は灰色となっている。

 

小野寺 七兵衛(おのでら しちべい)

 国防大臣。

 

林 豪将(はやし ごうすけ)

 保安大臣。元警察庁の官僚。デスクワークだけでなく現場で社会にはびこる闇と肩を並べてきた猛者であるため、非常事態大臣会合時に向けられた神津の睨みなど全く意に介さなかった。高学歴警察官僚の風潮に漏れず、大戦勃発以降着実に力を増しつつある軍に対して警戒感を隠さず、軍人嫌いを公言して憚らない。そのため房総半島沖海戦時はしきりに海軍の責任を強調していた。軍人嫌いのため、元陸軍軍人である通産大臣細川五郎との関係は険悪。

 

細川 五郎(ほそかわ ごろう)

 通産大臣。元陸軍軍人。退役してからかなりの時間が経過しているにもかかわらずたくましい肉体を維持している強者。細川自身は警察嫌いでもなんでもないが、保安大臣の林が大の軍人嫌いであるため、彼との仲は険悪。

 

山本 良子(やまもと よしこ)

 憲政史上初の女性自治大臣。一般的におばあちゃんと言われる年頃でありながら健康不安説は皆無。男性が大半の政界でも持ち前の元気さで着々と頭角を現している逸材。

 

 

 

自由立憲党(自憲党)

水破

 自憲党幹事長。佐影が自転車事故で入院した際は自憲党総裁の職務を代行していた。

 

 

 

横須賀市

斎藤 忠兵衛(さいとう ちゅうべい)

 横須賀市の市長。横須賀出身。故郷である横須賀に思い入れがあり、房総半島沖海戦時深海棲艦侵攻部隊の接近を受け、横須賀市が警戒区域に指定された際は市長の責務を最後まで果たそうとしていた。

 

国立理化学研究所

所沢源五郎(ところざわ げんごろう)

瑞穂国内における生命科学の第一人者、。生命科学系学部を有する難関国立大学を練り歩き、優れた研究業績がある科学者しか任命されない国立アカデミーたる瑞穂学術会議の委員。当分野で世界最先端をいく北京理工大学から招待状を受けたこともある。

 

 

妖精

黒髪の妖精

工廠に所属している妖精たちを統率するリーダー。リーダーらしく堂々たる立ち振る舞いで、初対面の人間にも物怖じせず対応できる。純粋無垢な少年をこき使おうとした黒い一面もあるが、漆原には若干腰が引けている。定位置は漆原の肩。

 

茶髪の妖精

 茶髪を黄色いリボンでポニーテールにしている妖精。天井から落下した際、みずづきの手で受け止められた。それ故か、みずづきへかなり心を許している。

 

 



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79話 発動前 前編

ただただ苦しみながら生きる毎日だった。

 

家族は全員、深海棲艦と猛獣になり果てた人間に殺された。父も、母も、兄も、姉も。身近にいた親戚は全員、焼け野原となった故郷を捨てた。

 

 

私は廃墟と亡骸で周囲を固められ、1人ぼっちになった。

 

 

ただただ目的もなく、希望もなく惰性で生きる毎日だった。その中でとある胸の内に気付いた。

 

そこからはあっという間の日々だった。目的もできた。目的を果たすために歩んだ路上で、希望となる光も見つけた。

 

 

あの時までは。

 

 

「どうして・・・・どうして!? どうして・・・・・あの子を殺したんですか?」

 

この国がひた隠す真実を知っても、家族と故郷が死んだ真の理由を把握しても、私は耐えた。割り切った。

 

そして、世界のおぞましい闇に手を貸しさえした。

 

「答えてください!! 二佐! なんで・・・なんで・・・・何も知らないあの子を始末したんですか!?」

 

そこまでしたのに、これが忍耐と寛容への報いか。向けられた銃口に問う。

 

「ふ・・・。どうせ、お前も向こうに行くんだ。いいだろう。教えてやる。・・・・・・もう用済みになったからだ」

 

そう、これが報いだったのだ。この身が行ってきた献身も努力も、なにもかも虫けらのように殺される行為と同列のものだったのだ。

 

 

私は恩を仇で返された。そして、私は光を容赦なく奪われた。いともたやすく。

 

 

「じゃあな、・・・・・・・・」

 

 

どこまでも暗く、一点の光もない、極寒の闇。感覚はとっくに機能を停止しているにもかかわらず、肌を割くような冷たさと気色悪い生温かさがどこからともなく伝わって来た。

 

ふざけるな・・・・・・・・・。

 

その感覚も次第に消えていく。あるのは「無」。だが、私はその「無」を受け入れるわけにはいかなかった。

 

こんなところで・・・・・・・・。思いがけず掴めた希望の光を理不尽に奪われて・・・・。

 

ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!

 

“あなた、いいわ”

 

限りなく「無」に近づいたその時、声が聞こえた。この闇が可愛く思えるほど、絶望と怨嗟に染まり切った暗黒。それが私にはとても心地よかった。

 

“来なさい。あなたにチャンスを与えてあげる。とびきりのチャンスを”

 

感覚はない。もはや自分がどこにいるのかさえ分からない。だが、何かに包み込まれたことだけは分かった。酷く歪でこの世の全てに絶望した何か。

 

それが私にはとても心地よかった。

 

そう思った瞬間、暗闇だった世界が真っ白に染まった。

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

「今日はいい天気だな~~! 空気が澄んでいいて、視力の限り遠方まで見渡せる」

「はい! 隊長! 相手の電探には敵いませんが、これなら相手が退避する様子を目視で捉えられるかもしれません」

 

靄に支配されていた昨日と異なり、透明感あふれる空気をいただいた空。宝石のように輝いている海と綿あめのように真っ白な雲で描き出されたコントラストは見る者の心を浄化してくれるような気さえする。

 

その中を悠々と飛行する彗星・流星・紫電改二各1機、計3機で構成された赤城航空隊の混合飛行隊。上機嫌な赤城航空隊隊長妖精を乗せた彗星を先頭に見事な雁行(がんこう)隊形を見せる。

 

2033年、妖精たちから見れば80年近くの未来から来た艦娘みずづきに「かすり傷すら与えられず全滅」という辛酸を舐めさせられてから、苦節4ヶ月。慣れ親しんだ艦上攻撃機「天山」、艦上戦闘機「零戦」から新鋭艦上攻撃機「流星」、新鋭艦上戦闘機「紫電改二」への機種転換があったものの猛訓練によって、それがなかったかのように赤城航空隊は練度を維持させるどころか、向上さえ成し遂げていた。

(MI/YB作戦か・・・・・・・・・)

まだ母艦である赤城が艦娘ではなく「正規空母赤城」として大日本帝国海軍の威信を背負っていた頃に発動され、21年の艦歴を閉じた運命の作戦「MI作戦」に酷似した今次の作戦。部下たちの気合いは何もみずづきに叩き落されたことだけではないだろう。

 

「しかし、なんなんでしょうね、今回の訓練は」

 

補佐妖精が座席越しに尋ねてきた。

 

「ああ。今回はちと特殊だな。赤城さんからはロクマルの捕捉・追尾を命じられたが・・・」

 

今回の訓練は至って単純。今後みずづきの目であるロクマルが哨戒飛行中、深海棲艦航空機に捕捉・攻撃される可能性は大。そこでロクマル自身の回避性能、またみずづきの防空圏まで逃げ帰る退避能力を測定及び養成・向上させるため、赤城航空隊の3機が敵役を任された訓練だ。赤城とみずづきの様子に変化はなかった。それでも違和感は確実にあった。

 

「ロクマルを追い回すのに、なんで紫電3機じゃなくてそれぞれ1機を出してきたんだ?」

 

この編成も赤城直々の命令だ。対地・対艦攻撃に特化している彗星や流星を連れて来てなんの意味があるのだろうか。周囲をくまなく見渡していた補佐妖精の叫び声が轟いたのは、隊長妖精が唸っていた時だった。

 

「隊長! 真正面から何かが近づいてきます!!」

「なに!?」

 

慌てて意識を眼球に集中させる。

 

「あ、あれは!?」

 

それは確かにいた。全身の毛が逆立ち、不快極まりない汗が噴き出す。こちらへ一切の躊躇を見せず、猪突猛進してくる真っ白な物体には見覚えがあった。赤城航空隊の、トラウマ。

 

それがこちらと同数の3つ。

 

「な、なんで急にミ・・・!?」

 

正体を把握した瞬間、無駄と分かっていながら操縦桿を押す。しかし、絶対的な運命から逃れられない隊長妖精の冷静沈着な勘は当たっていた。回避行動をとるには近すぎる距離。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!!!」

 

操縦桿を押し倒して1秒も経たないうちに、この身を機体の外に投げ出さんばかりの衝撃が愛機を襲う。耳の許容量を凌駕した爆音に、頬や鼻頭をかすめる風防の残骸。機内に外の冷気が容赦なく侵入してきた。

 

急激に高度が下がっていく。前回のように爆発四散は免れたようだが、エンジンをやられたのかこの機体は航空機としての力を失ったらしい。

 

「どういうことだ!? こんなの聞いてない! どこからミサイルが!? ・・・・・あ」

 

根気強く機体を立て直そうと操縦桿を握りしめながら、思考を巡らせていると偶然工廠で聞いた話を思い出した。その瞬間、体中の血液が煮えたぎる。

 

「あ・・・・赤城さん・・・・」

 

隊長妖精は操縦桿を震わせながら、近づいてくる海に向かって咆哮した。

 

「俺たちを謀ったな!? 俺たちはもとからロクマルに搭載される対空ミサイルの標的だったんだろ!!!!! 俺たちを生餌にしやがった!!!!!」

「た、隊長!!! そんなことより、海! 海が!!!」

 

“ごめんね。橙野のパフェおごってあげるから”

 

補佐妖精の声に紛れて、赤城の申し訳さなそうな声が聞こえた。海はもうすぐそこだ。

 

「っふ、ふ、ふっっっざけんじゃねぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!! 俺はガキじゃねぇんだよ!!!!!」

「あぁぁぁぁぁぁ!?!?」

 

無線機が再起不能になるほどの叫び声を上げながら、隊長妖精と補佐妖精を乗せた彗星は左翼を失いながら、光り輝く海面へ豪快に飛び込んだ。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

「あはは・・・あはははは。そりゃ、怒りますよね。生餌にされたら誰でも・・・・・」

「うわぁ~~~~」

 

FCS-3A多機能レーダーの対空画面から先に散った2機の後を追うように、最後まで粘っていた1機が姿を消す。それは隣で苦笑している赤城の無線から盛大に漏れ出た怒号が途切れるタイミングと重なっていた。

 

「抵抗して本当に良かった・・・・。あんなのもう絶対に食らいたくはないよ」

 

罪悪感を匂わせながら安堵のため息をついている声が通信機から聞こえてくる。

 

「こちら観測カモメ3。赤城航空隊全機の撃墜、及び32式短距離空対空誘導弾の正常作動を確認。赤城航空隊隊長の恨み節も含めて滞りなく試験は完遂されました。・・・・・・・みずづきさん?」

「ああ! ごめんなさい! 了解。こちらでも同様の結果を観測。各カモメは帰投コースに入ってください」

『了解!』

 

なんという嬉しそうな声か。瞼に操縦席で鼻歌を口ずさんでいる光景がありありと浮かんでくる。今頃、ロクマルの無慈悲な攻撃と赤城の罠にハマった隊長妖精たちは工廠で怨嗟を垂れ流しながら体を乾かしているころだというのに。本来ならこの役目は現在悠々自適に零式水上偵察機で観測を行っている妖精、コードネーム「カモメ」たちが引き受けるはずだったのだ。

 

「傷つくと言うかなんというか・・・・・。私だって、そんな妖精たちを黒こげにすることが趣味じゃ・・・・・」

「趣味でしょ?」

「趣味じゃない!」

 

感情を逆撫でするような笑みを浮かべているであろう曙に反論する。

 

「でも、開発工場直属・・・というか訓練や演習の相手をしてくれる妖精たちの大半はあんたのこと、相当怖がっているわよ」

 

先日、工廠でお披露目されたみずづき用新装備の試射を行うため、みずづきは第一機動艦隊と共に相模湾の訓練海域へ来ていた。遅刻が原因の漆原の雷。阿修羅ですら土下座そうな迫力に、精神力は正気を失う一歩手前まで消耗したが、世間の荒波を超えた先に待ち受けていた代物はその心労さえ、いとも簡単に衝撃で吹き飛ばしてしまうほど予想外の代物だった。

 

真新しい長方形の消しゴムのような箱形の物体。

爪楊枝のように細く一見ちゃちだが、目を凝らすと効率化を随所に体現している棒。

 

みずづきの艤装が持っている記憶を妖精たちが最大限に引き出し、夕張も便乗したお遊びの結果、生まれたものが目の前の産物だった。

 

時代の容赦ない進歩を前に、旧式化・老朽化の憂き目に会っていたSH-60K。その後継機種に搭載するべく防衛装備庁で開発された、32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)と32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)。風の噂や資料でしか見聞きしたことがない日本の最新鋭装備が、ここ瑞穂海軍横須賀鎮守府の工廠に堂々と鎮座していたのだ。

 

みずづきがこの目で実物を見たことも、ロクマルに搭載したこともない装備。しかし、妖精たちは「艤装が覚えていたから作れた」とどや顔。

 

「ん? あの艤装に情報なんて・・・・・・あっ」

 

みずづきも上層部から忌み嫌われていたとはいえ、日本を深海棲艦から守る重要な戦力。みずづきの艤装にはSH-60K後継機の搭載を見据え、FSC-3Aが32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)と32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)を正確に識別し、戦術情報表示システムの透過ディスプレイにそれぞれの名称を表示できるようにするための艤装改修及び更新が先島諸島奪還作戦(東雲作戦)発動直前に行われていた。カタログとしての情報は艤装の中にインストールされていた。

 

妖精たちは艤装にある無実体の電子情報から、実体ある2つの装備を生み出したのだ。

 

艦娘より妖精たちの方が明らかに人智を超越している。と、思う今日この頃である。

 

百石曰く「作ったのなら使ってみよう」。

 

当然、実際に使用するのだから「撃たれ役」が必要になる訳だが、工廠に所属している妖精たちは海の藻屑一歩手前に行くことを拒否した。

 

「そりゃ、そうなるでしょ? 空母艦載機が絡まない対空戦闘演習の時にはいつもいつもあの子たちがでばってきて、撃ち落とされるんだもの。私だったら、絶対に拒絶するわ。自分の力量を試せる戦闘ではなく、あんたとの場合はただの獲物になっちゃうもの」

 

さりげなく抱いていた罪悪感を曙が少しずつ掘り下げてくる。

 

「やっぱりそうだよね・・・・・」

「まぁ、それで白羽の矢が立ったのが、赤城さんの航空隊だったんですけどね」

 

会話を聞いていたのであろう榛名が苦笑気味に、隊長妖精が聞いたら絶叫ものの事実を語る。この目で直に妖精たちの反応を見て困り果てたみずづきは対処法を赤城たちに相談。するとびっくり仰天。赤城が自らの航空隊を標的にすることを提案したのだ。

 

「赤城さんの提案は非常にありがたかったんですけど・・・・本当に良かったんですか? 隊長さんめちゃくちゃ怒ってましたよ?」

「大丈夫ですよ、みずづきさん。これは彼らにとっても必要なこと。この経験も彼らは有意義とみなしてくれます」

 

わずかなほほ笑みの混じった、静かで清涼な声。そこにはこのようなことでは絶対に揺らがないという固い自負心が宿っている。

 

「ちょっとお茶目が過ぎたかもしれませんが、戦場では何が起こるか分からない。私は正直安心しました」

「安心?」

「ええ。私の航空隊を率いる隊長は自機が正体不明の攻撃で被弾し落下しつつも、冷静に現状を分析し、陥った状況を導き出しました。これは生半可な経験では不可能。反攻作戦を前に有意義な訓練ができました。だから、心配は無用です」

 

影や不安など皆無の、見る者の心を解きほぐす優しい笑顔を浮かべる。「ほっ」と翔鶴から安堵のため息が聞こえた。

 

「その代わり、妖精たちの愚痴はしっかりと聞いて下さいね?」

「あ・・・・・はい」

 

赤城は妖精たちのご機嫌を取るため、そして自分自身がエネルギーを補給するため、訓練終了後、橙野へ行くと公言している。みずづきも既に「行きます!」と同意を示していたが、彼女の言葉からは自分のため以外の出費を強いられそうな予感がする。既にみずづきも一文無しから脱却し艦娘たちと同様の給与を受け取っているため、懐はポカポカ。しかし、横須賀鎮守府にはみずづきの懐を一瞬で真冬にしてしまう大喰らいが複数名存在する。まかり間違って彼女たちにおごってしまうと身の破滅だ。そのためか知らないが、日本にいた時よりも財布のひもが固くなっている実感がある。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

赤城に勘付かれないよう青筋を立てている、その時だった。不意に赤城が睫毛を伏せる。つい先ほどまで微笑んでいたとは到底考えられないほど、表情には影が差していた。空は青一色。海上の存在に日光の供給を遮る不届き者はいなかった。

 

「ん? 赤城さん? どうし・・・・・」

 

その様子を不審に思い、声をかけようとする。

 

「おーい!」

 

だが、偶然通信機からではなく直に聞こえてきた摩耶の声で見事に遮られる。

 

「的、回収してきたぞ! 原型をとどめていたのは半分もなかったが・・・・」

 

水平線と蒼空を背に摩耶が右手を振っている。左手には粉々に吹き飛んだ的の残骸とそれが詰め込まれた布袋が抱えられていた。

 

「おかえりなさい、摩耶さん。どうでしたか?」

 

潮が摩耶に声をかける。摩耶は「おう」と応じると頬を朱色に染めて興奮気味に鼻息を荒くした。

 

「やっぱり、ミサイルっつうのはすげぇな! 音は私や榛名、長門には敵わないが空気を無理に押しのけてきた速さ! んでいきなり的が吹き飛ぶ光景は圧巻だったぜ! あれを食らう敵さんが憐れでならん!」

 

摩耶たっての要望で32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)の試験時、彼女は着弾観測のため当ミサイルの標的となった的の近くに控えていたのだ。彼女が脇に抱えている残骸はその時、32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)によって破壊された的である。

 

ちなみに、「改」は通常艦艇に搭載する装備ではなく、艦娘に搭載する装備を示す表号だ。17式艦対艦誘導弾Ⅱ型や30式空対地誘導弾など2031年以前に制式化された装備では通常艦艇装備と艦娘装備の厳格な区別をしていなかったのだが、書類上は全く同じであるため混乱が生じていた。それがいよいよ看過できないほど増大したため、2031年以降の装備では厳格な区別がつけられるようになった。

 

「摩耶さん? 何か異常はありませんでしたか? 黒色の煙が出てたとか炎が見えたとか?」

「いやいや、何にも。正常の一言だったぜ? 弾道も早すぎて良く見えなかったが、ブレてなかったしな」

「そうですか・・・・」

 

ほっと一息。赤城航空隊の尊い犠牲をも払った試射は完全に成功だ。これでロクマルの戦術は確実に広がる。反攻作戦を前に吉報だ。

 

「では、よろしいですね。これより我が艦隊は横須賀鎮守府に帰投します! 前進微速」

 

先日軍令部で裁可された「MI/YB作戦(確定版)」に基づき、今日はこれから提督室において旗艦を集めた作戦説明が行われる。みずづきも当作戦においての要とされているため、赤城たちと共に出席予定である。

 

約4000名の死者を出した房総半島沖海戦から約4ヶ月半。瑞穂国内に大激論を巻き起こし、強硬派暴発の遠因ともなった「MI/YB作戦」の全容がついに明かされる。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

横須賀鎮守府 1号庁舎3階 提督室

 

 

全身の毛を逆立てる、異様な静寂。

 

現在の提督室が置かれている状況はまさにそうだった。ただの静寂ではない。誰1人として微笑みもしなければ、身じろぎすらしない。それらが憚られるほどの緊張感で満ちていた。

 

大日本帝国海軍にとって永遠の業となってしまった作戦。この作戦がそれに似通っている偶然はこの場にいる全員から容赦なく平常心を奪い去っていた。

 

神妙な面持ちで席についている百石。彼の左右で直立している長門と筆端。その前で一列に整列し、硬い表情で真正面を見つめている赤城や第五遊撃部隊旗艦吹雪、第三水雷戦隊旗艦川内、第六水雷戦隊旗艦夕張。その中で特筆すべき表情となっていたのは長門だった。今の長門は厳めしという言葉が意味をなさないほど眼力が凄まじく、ほんの少し咳払いしただけでも鉄拳を振り下ろしそうな雰囲気を醸し出していた。

 

「ではこれより、一昨日軍令部で裁可された“MI/YB作戦”の概要説明を開始する。なお、質問や疑問があれば、適宜その時に質問してくれ」

 

百石は執務机の左翼にあらかじめセッティングされていて黒板の隣に立つ。彼の言葉が合図だったのか、筆端が100ページはあろうかという冊子を手渡してきた。構成素材が紙であることを疑いたくなる重さが両手に襲い掛かる。表紙には「極秘」の印で若干侵食された「MI/YB作戦要綱」と記されていた。

 

「各員、注目」

 

みずづきと同様、赤城たちも冊子に目を釘付けにしていたのであろう。百石が艦娘の関心を自身に、正確に言えば北太平洋を正確に模写した地図が描かれている黒板に向けさせた。

 

「このタイミングで配ったが、それは持ち帰ってゆっくり読んでもらうためのものだ。この場で目を通せという代物ではないから、今はこちらに集中してくれ。これから君たちには本作戦の大まかな概要を説明する。詳細は発動一週間前に全艦娘参加のもとで行う予定のブリーフィングで説明する。まだ開示の許可が下りなくてな。すまないが今日のところは触りだけで勘弁してほしい。・・・・本作戦はミッドウェー諸島攻撃作戦、暗号名MI作戦。ヤップ島及びベラル諸島奪還作戦、暗号名YB作戦の2作戦で構成される大規模作戦である」

 

百石は手に持った指示棒で瑞穂本土から遥かに離れたミッドウェー諸島、多温諸島の南西に位置するヤップ島とベラル諸島を差す。

 

「参加兵力約6万人、艦艇約200隻。艦娘部隊に至っては実に9割を投入する、多温諸島の奪還を果たした還3号作戦、いやそれをも上回る瑞穂海軍史上類を見ない作戦だ」

「っ!?」

 

衝撃。雷鳴の如き驚愕が室内を駆け抜けた。みずづきは百石が還3号作戦と呼んだ多温諸島奪還作戦がどのような規模であったかは知らない。だが、この作戦がいかに壮大で、いかにこの国が威信をかけているのかはっきりと認識した。これは日本が2033年4月28日に発動した先島諸島奪還作戦「東雲作戦」や富国強兵の先に辿りついたマンモス軍隊、大日本帝国軍でも数えるほどしか発動されたことのない大作戦と同規模の作戦だ。

 

あのMI作戦とも・・・・・・。

 

当該世界の技術水準に合わせた単純な戦力値で見た場合、2033年時点において日本国防軍と同程度の軍事力しか備えていない瑞穂軍にとってはまさに“総力戦”だ。そして、ハワイの目と鼻の先にあるミッドウェー諸島と多温諸島奪還作戦(還3号作戦)にて大宮を奪還したが故に深海棲艦の対瑞穂最前線拠点と化しているヤップ島・パラオ諸島、そしてウルシー泊地への殴り込み。特にパラオ諸島は西太平洋の制空・海権を左右する第2次列島線の重要拠点であるため、今次作戦は相応の犠牲が予測された。

 

しかし、百石は興奮することも悲観することもなく淡々と説明を続ける。いまだに彼の中では本作戦に複雑な感情を抱いているのだろう。彼がMI作戦に懐疑的な見方を示していることはみずづきの耳にも届いていた。

 

「本作戦に於いて我々横須賀鎮守府は大宮鎮守府第二機動艦隊、第3統合艦隊と協同してミッドウェー諸島攻撃を行うMI作戦の全工程を担うことになる。MI作戦の目的はミッドウェー諸島イースター島の深海棲艦防備陣地、サンド島に存在する敵泊地の破壊、同諸島を航空基地たらしめている中間棲姫の撃破・・・」

 

中間棲姫。その言葉が紡ぎ出された瞬間、室内の温度が急降下。今まで変化ない真顔を保っていた長門が眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。

 

「そして、布哇泊地から出撃してくるであろう深海棲艦本拠地機動艦隊の撃滅だ。これらにより、ミッドウェー諸島を拠点とした再度の本土攻撃を不可能にする」

「あの、司令官、よろしいですか?」

 

吹雪が若干背中を丸めながら、弱々しく手を上げる。吹雪を見た百石と筆端は険しい表情を崩す。それで踏ん切りがついたのか、さりげなく赤城を一瞥しつつ吹雪はおどおどしさを消して百石に疑問をぶつけた。

 

「ありがとうございます。では質問を・・・・。司令官は先ほど深海棲艦の本拠地と目されている布哇泊地から機動艦隊が出てくるであろうと説明されました。私も現状、その可能性が高いと思います。でも・・・・・」

「世の中に絶対はない。確証は持っているのか・・・か?」

 

吹雪は百石の先読みにゆっくりと頷いた。「百石司令官ご自身の確証、ですが」と付け加えて。

 

「作戦が大規模になればなるほど、“あろう”とか“だろう”とかいう仮定は独り歩きをして、取り返しのつかない事態を招きます。司令官はそれを・・・・・知っておられますよね?」

「・・・・・・・・・ああ、そうだな」

「あの時も・・・・・」

 

吹雪は一旦、言葉を区切ると意を決したように厳格な顔つきで続けた。

 

「あの時も、MI作戦の時もそうでした」

 

そのMI作戦がどのMI作戦を差すのか。分からないわけがない。ここにいる人間に分からないわけがない。吹雪が絞り出すように語った瞬間、赤城が震えているようなため息を漏らした。

 

「真珠湾から出撃してくるであろうアメリカ機動艦隊の撃滅とミッドウェー諸島の攻略。当初は本土空襲を防ぐための敵機動部隊撃滅が優先目的でしたが、軍令部の意向でいつの間にかミッドウェー諸島の攻略がMI作戦の主目的のようになってしまいました。機動部隊の所在を確かめるべく立案された第二次K作戦は失敗して、ミッドウェー諸島南東の哨戒線構築は遅れに遅れ、潜水艦の配備が完了した頃合いには既に機動艦隊が哨戒線上を通過していました。最後まで機動部隊の所在を掴むことができず、かの部隊は南方にいるという前提で作戦行動をとっていた友軍はその後・・・・・」

 

そこで吹雪は言葉を詰まらせ、俯いてしまった。隣にいた川内が優しく右肩に手を乗せる。吹雪はMI作戦時、戦艦大和を旗艦とし多数の戦艦・重巡を従えていた主力艦隊の護衛任務が割り当てられていた。そのため、前衛の南雲機動部隊が主役のミッドウェー海戦には参加していない。

 

その話をみずづきはあらかじめ聞いていた。白雪たちとじゃれ合っている時の笑顔のまま語ってくれたが、その笑顔は楽しさに由来するものではなく、悲しさに由来するひどく儚いものだった。

 

黙り込んでしまった吹雪のかわりに夕張が周囲の感情を確かめながら慎重に口を開く。

 

「提督? 私が今更言うことじゃないと思うけど、この作戦には確実性が何よりも求められる。それが認められないと私は暁たちにこの作戦を説明できない。海軍は事前に敵機動部隊の所在を確認する手立てをもっているの?」

 

百石と相対している全員が彼に視線を集中させる。彼はその視線を数秒間受け続けて、不敵な笑みを唐突に浮かべた。

 

「吹雪? 君はさっき俺は確証を持っているのかと言ったな? 俺は、必ず敵機動部隊が出てくると思っている」

「っ!?」

 

ここに出席メンバーが集合してから幾星霜。艦娘たちが待ちに待ち望んでいた百石の本音が吐露される瞬間がようやく訪れた。

 

「これまでの戦闘状況から深海棲艦は自らの拠点を脅かす人類側の行動には全力で反撃してきた。多温諸島奪還作戦時も攻略部隊に対し執拗な攻撃をしかけてきた。今回、瑞穂は敵の鼻っ柱に殴り込む。さっき説明したようにミッドウェー諸島の地理的性格上、深海棲艦には看過できない事態だ。やつらは必ず我々を排除しようとするはずだ」

「でも、布哇泊地に守備隊以外の機動部隊がいるって上は確証を得ていないんでしょ?」

 

さりげなく問いを後回しにされた夕張が再度質問する。百石は「ああ」と頷いたものの最後に「今のところは、な」と付け加えた。

 

「今のところは?」

「俺たちだって、その・・・・・日本と同じ轍を踏む気は毛頭ない。君たちの関知しないところで病的なまでの神経質さをもって敵情把握は行われている。数日中には呉の潜水集団が本格的な深部偵察へ出撃する予定だし、紛糾に続く紛糾の末にようやく裁可された第二次K作戦の模倣作戦を伊401によって行う計画も順調に進んでいる。作戦の発動は12月17日。まだまだ時間の猶予はある」

 

百石の言葉が重ねられていくうちに室内の緊張がゆっくりと弛緩していく。だが、みずづきには絶対に聞いておきたい事柄があった。

 

帝国海軍も初戦の勝利に浮足立ち慢心に慢心を重ねていようが、明治維新後の1872年(明治5年)に創設されて以降、強大でしたたかな欧米列強から大日本帝国の独立を維持した縁の下の力持ちだった。日本最難関とも言われた海軍兵学校を卒業したエリートたちが「祖国繁栄」を胸に率いてきた防人である。MI作戦の真意を見失わず、機動部隊の位置特定に心血を注いでいた将兵たちも帝国海軍内には依然存在していた。しかし、偵察・電波傍受など幾重にもわたる捜索網はアメリカの驚異的な情報解析能力やもはや天に見放されたとしか言いようがない不運の積み重なりにより、悉く無意味に終わった。

 

いくら万全の準備を重ねようと運の前に人間は無力だ。今回、運が味方してくれるかを知るのは天や神のみであろう。

 

「もし、全ての試みが失敗、または成功しても深海棲艦機動部隊が発見されなかった場合、百石司令はどうされるおつもりですか? 本作戦も百石司令が指揮を取られるんですよね?」

「ああ、そうだ。私は例え機動部隊が発見されなくともこう命令するつもりだ。艦載機の半分は雷装で待機、と」

「提督・・・・」

 

吹雪もよりも一足早く赤城が小さく呟いた。

 

「これが揺るがない俺の方針だ。赤城航空隊のことだから、その気になれば魚雷でも信管さえ調整すれば爆撃はできる。なにも戦術の最適解にこだわる必要性はない。ようは・・・・結果なんだ」

「・・・・・・・」

「華々しい戦果も、特筆する活躍もいらない。ただ、我々に必要なものは誰1人欠けることなく掴む、勝利なんだよ」

 

そう言った百石の表情に迷いは一切、なかった。

 

「まぁ、そもそも本作戦にはとんでもないイレギュラーが助太刀してくれるから、過剰な心配は不要だな。なにせ、こちらにはみずづきがいる。みずづきが健在な限り、深海棲艦に奇襲は不可能だ」

「イレギュラーって・・・・・」

「そうだろ?」

 

筆端がからかうように聞いてくる。その腹立たしい表情に屈することは非常に癪だが、事実なので抗いようがない。

 

「俺は今回の作戦を失敗させるつもりは毛頭ない。そして、君たちの内で1人でも誰かと最後の別れを交わす気は毛頭ない!」

 

鋼鉄の覚悟を宿した、頼もしい瞳が眼前の少女たちを1人ずつ映していく。もちろん、みずづきも、だ。

 

「その当たり前をより確固たるものにするには、君たちが行ったように疑問をお互いにぶつけることが一番の近道だ。いくら実戦経験を積もうがは1人の思考は所詮1つ。視点の異なる他者の考えを知ることで新しい世界が見えることもある。夕張、川内、吹雪、赤城、みずづき、これからもどんどん疑問をぶつけてくれ。勝利は地道な努力で着実に近づいてくる」

 

自信と未来への希望があふれる言葉に、大きく頷く。

 

“いまだに彼の中では本作戦に複雑な感情を抱いている”

 

この憶測は間違っていた。いくら反対といえども実施が決まった以上は艦娘たちの指揮官として彼女たちを守り、1人の海軍軍人として祖国のために全力を尽くす。彼にもう迷いは見られない。

 

百石も一歩を踏み出せたようだ。

 

それから疑問と回答が飛び交いMI作戦の概況が佳境に入るとベラル諸島を攻略するYB作戦についての説明も行われた。こちらは直接的にはミッドウェー諸島攻撃部隊に関係はない。協同する蒼龍旗下の第二機動艦隊はミッドウェー諸島沖で横須賀鎮守府部隊と合流する前に、太平洋の要衝、オオトリ島を攻撃するため、簡単な説明がなされた。こちらもまだ参加各部隊の調整が強硬派狩りの影響もあって遅れているとのことで、確定された詳細は後のブリーフィングで知らしてくれるとのことだった。

 

それも終わった頃、外はすっかり夜の帳を降ろし、鎮守府は寝支度を始めていた。腹の虫が暴動を起こしていたのも納得である。

 

「すっかり遅くなってしまったな。時間もあれだから、説明はここまでとしよう。まだ分からないことなどがあれば、私や先輩に聞いてくれ。それでは解散。ご苦労様」

 

(終わった~~~~)

いくら必要性を感じていても、堅苦しい雰囲気の終焉に解放感を覚えてしまうのは仕方ない。だが、解放感への入浴は唐突にかけられた百石の言葉で押しとどめられることとなった。

 

「みずづき。少し話がある。残ってくれないか?」

「話・・・・ですか?」

「ああ」

 

百石が普通の雰囲気なら恨み節の1つでも吐いたかもしれない。そうせず彼に素直に従った理由。それは彼がとある人物の背中を心配そうに見つめていたからだ。

 

川内たちの「一緒に行こ?」という温かい誘いを丁重に断り、百石は長門の退室を許可し、騒がしかった提督室にはみずづきと百石だけが残った。

 

「それで、お話ってなんですか? もしかして、赤城さんに絡むことですか?」

 

「うっ」と明らかに図星だよと主張する呻き声が真正面から聞こえてきた。

 

「やっぱり、気付いていたか・・・・」

「そりゃ、あれだけ赤城さんの背中を凝視してたら誰だって分かりますよ。それに・・・」

「赤城、変だろう?」

 

みずづきの言葉を遮り、百石は端的に呟いた。

 

「ええ・・・・」

 

百石が気付いていたように、みずづきも赤城の変調には気が付いていた。一見すると以前から何も変わらない。食糧の摂取量が激減したり、激増したりすることもなければ情緒が不安定になることもない。相も変わらず長門に怯えながら、隠れてお裾分けのお菓子を幸せそうに頬張っているし、この間も生餌事件で荒れに荒れていた隊長妖精を持ち前の包容力で骨抜きにしていた。

 

しかし、これまでとの相違点として不意に哀愁を漂わせることがある。そして、意識が明後日の方向に飛び注意力が散漫になっていることも増えていた。先ほどもそうである。いつもの赤城なら死角の背中といえどもあれだけ凝視されれば、確実に気付いた。みずづきでも気付く。にもかかわらず赤城は気付くことなく、長門と談笑しながら執務室を出ていった。

 

「MI作戦が近づいてるからでしょうか・・・・・・?」

「十中八九、そうだろうな」

 

百石が髪をかきながら嘆息した。

 

「上官としてなんとしてやりたいと気持ちはあるんだが、どんな言葉をかけても仮初めの言葉になってしまう。私はなにせ私は並行世界の人間だからな。・・・・・そこで、君に1つ頼みたいことがある」

 

逃がさないとばかりに懇願を秘めた瞳にみずづきの姿が映る。身震い共に不穏な予感が足元から這い上がって来た。

 

「なに、そこまで怯えるほどのことでもない。嫌なら断ってくれてもいい。・・・・立ち止まったままの赤城を、一歩でもいい。前に進めてくれないか?」

 

その言葉を紡いだ目は真剣で、思わず見惚れてしまった。

 

「でも・・・・・」

 

百石の気持ちは重々分かった。また赤城にはこれまで散々お世話になり、みずづきが日本世界の真実を隠していたと知っても他の艦娘たちと同様、現在の日本を受け入れ、みずづきを仲間として迎え入れてくれた。

 

その恩を返す時がやってきたのだ。しかし、みずづきは即座に頷けない。

 

「私に出来ることでしょうか・・・・・・」

 

第一機動艦隊旗艦赤城。瑞穂へ来る前は鋼鉄の体で大海原を疾走していた大日本帝国海軍第一航空戦隊旗艦の正規空母。日本海軍を一時期世界最強の座に君臨させ、真珠湾攻撃を皮切りに歴戦を股にかけたアジア・太平洋戦争初期における日本軍快進撃の立役者。そして、運命のミッドウェー海戦で没し、約310万の死と無条件降伏に続く阿鼻叫喚の扉を開いてしまった悲劇の空母。

 

彼女が抱えているもの。彼女が背負っているもの。

 

全てが一介の人間であるみずづきとは次元が違い過ぎる。

 

「みずづき。君は彼女たちと同じ日本から来た。君は彼女たちに乗って祖国の未来を想って大洋を駆け巡っていた海軍将兵たちの子孫だ。いくらと時が経とうとその事実は揺るがない。赤城にとって未来の日本人の客観的な視点に基づいた言葉はどんなものであれ、有意義なものだと思う」

 

躊躇するみずづきを優しく諭す。10年以上多く乱世を渡り歩いているからか。はたまた、高い地位にいる分世間の良い面も醜い面も見てきたからか。百石の言葉には不思議な説得力があった。

 

「それを成せるのは君しかいない」

 

だが、それでもみずづきは踏ん切りをつけることができない。

 

「すみません。少し時間をいただいてもいいですか。優柔不断にもほどがありますが、即断は・・・・・できません」

 

自分が赤城の力になれるのか。百石だけでなく、赤城にとって身近な存在たちに自分の価値を確認してみなければ鵜呑みにできない。

 

「気にしないでくれ。急げば回れともいう。これは時間をかけなければならない事項だからな。答えが出たら教えてくれ」

 

慈悲と思いやりにあふれた言葉をもらい、みずづきは提督室を後にする。廊下は時刻相応に静まり返っていたが、窓から差し込む月光が近づいてくる闇を退治してくれた。




ようやく始まりました。
敢えて3章を2つ分けた場合、「横須賀騒動編」と「ミッドウェー編」になると思いますが、今話からミッドウェー編です、最後まで。

文中で登場した新装備、32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)と32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)の説明は設定集に掲載していますので、興味のある方はご覧ください。当初は文中に乗せていましたがそれなりの長文だったので、本編から設定集に引っ越ししました。

以前、読者の方から提案をいただき、思考してみたのですが、お披露目がここまでかかるとは・・・・。


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80話 発動前 後編

と、トリプルゲージ・・・・・。


「それで私たちに白羽の矢が立った、と・・・・・?」

「はい・・・・・・」

 

提督室で依頼を打診されたからみずづきは食事中も入浴中も、陽炎たちには悪いが彼女たちと談笑している間も、自分自身の価値を相談する最適な相手を考えていた。

 

百石は言った。

 

“赤城にとって未来の日本人の客観的な視点に基づいた言葉はどんなものであれ、有意義なものだと思う。だからそれを成せるのは君しかない”と。

 

しかし、百石が思っている大層なことが本当にできるのだろうか。艦娘たちにとって自分の言葉が肩を並べて戦い、過去を共有する仲間として届くのだろうか。

 

相手はあの赤城。なら、相談する相手は絞られた。同じ正規空母として日本海軍の威信を背負い、激戦に身を晒し、赤城たちの背中を追い続けた艦娘たち。僚艦ではなく、あくまで先輩という距離感を置いているからこそ、彼女たちは極端な情に左右されることなく、相談に応じてくれるだろう。

 

「なんで私たちなのよ・・・・・」

 

そう思ったのだが・・・。相談自体には応じてくれたものの、紆余曲折を経るような予感がしてならない。

 

「ごめんなさいね、みずづきさん。ここでお答えする形になってしまって・・・」

「いえいえ、そんな! なんの根回しもなく、くつろいでいたお2人にいきなり声をかけてしまったのはこっちですから、お気になさらないで下さい。私は・・・・その、お答えいただけるならどこでも」

 

こちらに非があるにもかかわらず、隣で膨れている瑞鶴とは対照的に頭を下げる翔鶴。風呂上がり故に(つや)やかさを増した純白の髪に目を奪われつつ、慌てて彼女の罪悪感を(やわ)らげる。

 

翔鶴と瑞鶴。現在はそれぞれ赤城と加賀を僚艦とし、転生前は姉妹で第五航空戦隊を編成していた、アジア・太平洋戦争開戦時の最新鋭正規空母。

 

みずづきは加賀に次いで、もしくは加賀と同等に赤城と親交の深い2人を相談相手に決めた。

 

「もう! 瑞鶴。いつまでそうしているの! みずづきさんに失礼でしょ?」

 

声をかけてからふてぶてしい態度を取っていた妹に翔鶴が言い放つ。「だって、翔鶴姉・・・・」と加賀にさえ突っかかる瑞鶴らしくない弱々しい声で反応するも、翔鶴は表情を険しくしさらに言葉を放とうとする。

 

「大丈夫です! 私は気にしてませんから。本当に気にしてませんから、ね。翔鶴さん」

 

無実の瑞鶴が姉に叱られる様子を傍観できず、これ以上険悪にならないよう笑顔に努めて翔鶴を必死に制する。

 

いつもは妹の暴挙や失敗に対して、叱るよりも優しく諭すことが多い翔鶴。先ほどまでいつもと変わらない様子だったが、この部屋-艦娘寮の空き部屋-に入ってから微妙に雰囲気が変わっていた。

 

「私が諸悪の根源ですから。こんな時期にお2人の内心に踏み込むようなことを聞いて、瑞鶴さんの反応も当然です。無神経な真似をして・・・・・・すみません」

「みずづき・・・・・」

 

畳の上に正座したまま、頭を下げる。それから2人も口を閉ざし、気まずい静寂が訪れた。壁越しに聞こえてくる駆逐艦たちの爆笑がより心を凍えさせる。

(失敗、しちゃったな・・・・・・)

自分の言動で2人の間に沈痛な空気を流してしまった罪悪感から、2人の顔が見られない。

 

「提督の言う通り、かもね」

 

静寂の中で前触れもなく発生した波紋。思わず、俯いていた顔を上げた。ここで身を引くことも考えていたみずづきを引き留めたのは瑞鶴だった。

 

「瑞鶴さん?」

 

翔鶴は何も言わない。瑞鶴は翔鶴を一瞥して、言葉を続けた。

 

「私たちだって赤城さんの様子には気付いていたわよ。同じ正規空母で尊敬する先輩だもの。でも、私たちは何もできなかった。気付いてから今日まで・・・・」

 

瑞鶴は意識を記憶や心に飛ばしているようでしっかりみずづきも見ていた。

 

「近すぎるから、触れられない。複雑なのよ、こういうのは・・・・」

 

瑞鶴のため息に肩が震える。

 

「でもこのままじゃ、いいわけないよね・・・・・」

 

誰に向けられたものではない、空気に溶けていくような角のない独白。そこには無意識のうちに聞き入ってしまう魅惑があった。

 

彼女の中で何があったのか。それを境に凝り固まっていた表情が少し柔らかくなり、どこかへ飛んでいた意識が現実に帰還していた。

 

「赤城さんの様子がおかしくなった原因は間違いなく、今度の反攻作戦にあると思う。本土空襲を受けてからにわかに盛り上がった辺りも、日本とそっくり。私たちの攻撃目標がミッドウェーそのものなんだから、重ねない方がおかしいわよ」

 

瑞鶴も百石と同じ見解を示した。

 

「私たちだってなんとかしようとしたわよ? けど、ミッドウェー海戦は私たちの手に負えない」

「瑞鶴さんたちでも?」

「違う。私たちだからよ」

「それは・・・・・・・・」

 

彼女の言っている意味が分からなかった。

 

「私たちは同じ正規空母。しかも、翔鶴型の方が赤城さんや・・・・加賀さんに比べて性能は良かった。戦術も知っている、運用方法も頭に叩き込まれている。そんな“同じ”存在がいくら親身になって励ましたって・・・・・」

 

そこで言葉を詰まらせた。

 

「嫌味にしか聞こえないじゃない」

 

瑞鶴は悔しそうに奥歯を噛みしめながら呻くように言った。

 

「あの海戦で私たちが大敗北を喫したのはどう言い繕っても明らかに・・海軍の失態。あの頃は南雲機動部隊が壊滅したと聞いて、全然信じられなかったけど、この世界で他の艦娘から話を聞いていくうちにそう思った。決してアメリカ単独で勝利を拾えたわけじゃない。それは赤城さんたちが一番分かっている。そして、あの海戦での惨劇が、私が沈むまで続いた、私が沈んだあとも続いた悲劇の呼び水になってしまった・・・・・。これも赤城さんは良く分かっている。私たちが赤城さんたちの犠牲を最大限教訓として生かして、傾いた戦局を戻せたのならまだ嫌味に聞こえないかもしれないけど、結局私たちは先輩たちの後を継げなかった。そのままずるずると祖国滅亡への流れを押しとどめられなかった若輩者に言葉をかけられたって、苛立つのが普通でしょ?」

 

瑞鶴はそういって、悲しそうに微笑んだ。

 

「でも赤城さんたちはそんなこと・・・・」

「ええ、しないと思う。赤城さんたちは優しいから。気を遣ったところでその理由は簡単に看破されて、逆に気を遣わせちゃう。そこがまたね・・・・・・」

 

時々ツインテールに触れる延長線上で、首元にかかっている髪の毛を触る瑞鶴。現在の彼女は若干緑がかった黒髪をストレートに下ろしている。そこから醸し出される外見の雰囲気は隣に座っている姉の翔鶴とそっくりだ。

(ん? ・・・・・・・赤城さん“たち”?)

そこが引っかかった。

 

「あいつも何考えているのか分からないくせに勘がいいし・・・・」

 

その疑問は瑞鶴自らが解消してくれた。一応瑞鶴は気付いていないようなので、生暖かい感情は秘匿する。

 

ミッドウェー海戦に起因した赤城の変調。それを察知したとき、みずづきはとある艦娘を瞬時に思い浮かべた。この鎮守府にはミッドウェー海戦で赤城と同じく沈没した空母がいる。

 

「でも、みずづきなら・・・・・・」

緩みかかった表情を引き締め、瑞鶴が一直線に見つめてくる。その視線に気遣いや嘘は一切ない。そして、こう言ってくれた。

 

「大丈夫かもしれない」

「本当、ですか・・・・・?」

「提督の言った通りよ。あんたは同じ艦娘でも私たちとは違う。未来から来た日本人。あんたたちにとって私たちは神様かもしれないけど、私たちにとってはあんたたち人間が神様よ。つらいこともたくさんあった。でも私たちを生み出して、崇高な使命を与えてくれたのは紛れもないあの人たち・・・あんたのご先祖様。主観に基づいた身勝手な言葉なら私は爆撃するけど、数十年っていう時の中であの戦争を教訓に醸成された未来の意見なら私は受け入れるし、赤城さんも同じ。一番つらい思いをしたはずの人たちが出した結論だもの。それは絶対に私たちの道しるべになってくれる。そうだよね? 翔鶴姉」

 

鬱屈した雰囲気を瞬く間に吹き飛ばす瑞鶴の眩しい笑顔。翔鶴は妹の笑顔に同調して微笑むと正座をしたたま体の向きを変え、みずづきと正対した。

 

「みずづきさん」

「はい」

「どうかよろしくお願いします」

 

そう言って、深々と頭を下げた。お願いという柔らかい表現より「懇願」が翔鶴を的確に表現している。何を必死にみずづきに乞うているのか。

 

「・・・・・・・分かりました」

 

分からないほど、目を背けるほど性根は腐っていない。赤城と時には談笑し、時には真剣に話し合い、時には共に訓練に励む。妹が一航戦の片割れといざこざを引き起こす中、そのような翔鶴の姿は目に焼き付いている。

 

「お2人の想い、しかと受け取りました」

 

みずづきは握った拳を胸に充てる。やはり、この2人に相談して良かった。

 

翔鶴と瑞鶴の想いを経て、みずづきはようやく決心を付けた。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

「撃て! うてぇぇ!!!」

「敵艦爆急降下!!!」

 

激しい銃撃音に紛れて、沈痛な叫び声が聞こえてくる。自身の真上から迫ってくる黒点。異様な殺気と歓喜をまとったそれは腹からさらに小さな点を切り離した。その正体を看破した男たちは、信じられなかったのか間抜けな顔でそれを見つめ・・・・・・。

 

閃光に飲み込まれた。

 

自身の中で次々と爆発が起こり、その度に苦楽を共にしてきた乗員たちが(たお)れていく。爆風で生きたまま肌を焼かれ、破片に体を切り刻まれ、酸欠で喉を掻きむしりながら。

 

「艦長戦死!!」

「副長戦死! 航海長、主計長せ・・・・・・」

「おい! 報告続けろ! どうした! おい!!」

 

自身はそれをただ見ていることしかできなかった。手を差し伸べることも、目を背けることもできない。

 

遥か遠方には火柱と黒煙を吹き上げている、かげかえのない仲間が見える。しかし、これもまた見ていることしかできなかった。

 

ただ、自身が洋上の豪華な棺桶になっている状況を受け入れるしかなかった。

 

「艦長、大丈夫ですか!? ・・・・・っ!? 艦長・・・・返事を下さい! 艦長!!」

「飛行長!」

「なんだ!?」

「・・・・・砲術長が戦死されました!!」

 

そして。

 

「総員退去せよ・・・・」

 

傷付き、汚れた乗員たちが去っていく。生者の気配は完全に消え去った。

 

 

 

「天皇陛下、バンザーーーイィィィィィィ!!!」

 

 

ただの鉄くずと化したこの体は無数の無残な屍たちとともに、暗黒かつ極寒の海底に引きずれこまれていった。

 

もっと、みんなと一緒にいたい。もっと、もっと。

 

その願いは流れ込んでくる海水を前に、無力だった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「う・・・・・んん・・・・・・。・・・・・・はぁ~」

 

まだ薄暗いにもかかわらず、起床ラッパが聞こえていないにもかかわらず、木製の天井が目の前に見える。先ほどまで焚き木で炙られていたかのような熱を持った体。体は汗まみれで、水分を目一杯吸収した寝間着が肌に密着している。不快なことこの上ない。

 

だが心はそのような上辺の感覚より過去に起因した倦怠感の前に屈していた。

 

まただ。また、あの夢を見た。あの時を夢に見るのはこれで何回目だろうか。

 

どれだけ納得しても、どれだけ理解しても見続ける夢。いくら時間が経とうと、人の身に転生しようと追いかけてくる過去。

 

挫けそうになったことはある。立ち止まってしまったこともある。それは否定しない。この身は周囲が認識しているほど、強くない。それでも過去は切り離せなかった。そこで気付いた。これはこの身が滅ぶまで背負うべき業のようなものだと。生きている、明確な自意識が確立されている間は背負っていくと誓った。

 

しかし、そうできない者もいる。その気持ちは痛いほど分かった。

 

ある種の予感に突き動かされ、扉と廊下を経た居間に向かう。夢を見て目覚めたとき。決まって彼女はあそこにいた。

 

「あら、また加賀さんじゃない。奇遇ね」

 

今回も最近確立されつつある慣習に漏れることはなかった。

 

静まり返っている居間。畳の上に正座した赤城は体を窓に向けたまま振り返り、微笑んだ。

 

「赤城さん・・・・・・」

 

その笑顔は本当の笑顔ではない。あまりに痛々しく、胸が切り裂かれたように痛い。話しかけられているにもかかわらず言葉を返すことができなかった。

 

赤城はこちらの様子に構うことなく、自身の隣を優しく叩く。そして、挙動を確認することなく、すぐそこまで防風林が迫りわずかに空が見えるだけの殺風景な窓へ視線を戻す。彼女が何に想いを()せているのか。それこそ愚問だ。

 

加賀は無言で赤城の隣に座る。

 

一瞥した赤城の表情はとても凝視できるものではなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

翔鶴・瑞鶴への相談を経て、決心を付けたのだが・・・・・・・。

 

「ヤバい。赤城さん、いつも誰かと一緒にいる・・・・・・」

 

事の性質上、誰かに聞かれることはマズイ。そう考え、さりげなく赤城と2人きりになれる機会を日常生活から覗っていたのだが、その好機は何者かの意思が働いているのではないかと疑いたくなるほど到来しなかった。

 

訓練中や艦娘寮はいわずもがな。食事や入浴なども大抵、一機艦のメンバーや加賀たちと行動を共にしている。事情を知っている翔鶴や瑞鶴が気を利かせてくれても、次に立ちはだかったのは駆逐艦たちの壁。そして、将兵たちの壁だった。暁たちにまとわりつかれていたり、筆端や緒方と廊下で簡易な打ち合わせをしていたり。

 

いくら注意力が散漫しているとはいえ赤城は鋭い。そして、彼女の相棒は散漫の「さ」の字もないため、強敵だ。正直、誰かのように尾行でもして好機を覗わなければ進まない膠着状態に陥っていた。

 

「はぁ~~~~~~」

 

待ち望んだ夕食にありつけたにもかかわらず、ツッコミどころ満載のため息を吐いてしまった。周囲に艦娘たちがいる以上、無視されることはないわけで。

 

「なに、開口一番ため息って辛気臭い。・・・・・・・・どうしたのよ? 快食艦みずづきでも口に合わないものでもあった?」

 

曙が珍しく心配そうに様子を伺ってくる。答えてあげたかったが、今の精神状態では言葉が思い浮かばなかった。熟考故の沈黙をどう受け取ったのか。みずづきの対面に座っている潮が右手に箸、左手に茶碗を持ったまま、みずづきの右隣に座っている曙を睨む。

 

「快食艦って・・・・」

「な、なによ、潮・・・。違う! 違うわよ! その名前付けたの、私じゃないわよ!」

「ええ~~~。そうでしたかね?」

「おっかしいな~~。私、曙発祥って聞いたんだけど?」

 

みずづきの左隣に座っていた深雪がみずづき越しに不敵な視線を送る。面白いと思ったようで深雪の隣でみそ汁を啜っていた陽炎も便乗する。

 

「だから、あれは私じゃなくて・・・・・」

「みずづき、可哀想」

 

深雪の対面で冷奴と悪戦苦闘していた初雪が、箸により冷奴を粉砕してしまった悲しみそのままに最適な音節で曙の言葉を遮る。白雪はちょうど、自分の四角い冷奴と初雪の半分豆乳と化した冷奴を器ごと取り換えていた。

 

「On no!!!!! 私としたことがぁぁぁ!!!!」

「あるあるだねぇ~~~~」

「ちょっと静かにしてください! 金剛さん! 北上さんが集中して食べられないじゃないですか!?」

「・・・ん。これ」

「あなたがかけたら? 冷奴にソース。新しい境地に辿りつけるかもしれないわよ?」

 

吹雪は冷奴に間違えてソースをかけてしまった金剛を必死に慰めていた。彼女の対面ではさりげなく嫌がらせを仕掛けた瑞鶴と加賀の間で火花が散っている。

 

曙に味方してくれそうな艦娘はいなかった。ちなみに黒潮は提督室にて百石の書類に落書きをしでかしたため、現在説教中である。

 

「ああああ!! もう!!! あれは摩耶だってば!! 大体、面白おかしく快食艦を使い出したのはあんたたちでしょうが!!!」

 

ニヤニヤとコロッケを頬張っていた陽炎と深雪に箸を突きつける。当然、そのような粗相を潮が見逃すはずなく、一睨み。

 

「・・・・はい」

 

あっけなく、曙は食事を再開した。一応このままでは曙が戦犯になってしまうので、一言添えておく。

 

「私は別に気にしてないから。平気、平気。鬼神って呼ばれる方がよほど心に来ます、はい」

「え? そうなの?」

 

口に箸を加えたままキョトンと目を見開く、曙。

 

「うん。ってこの間陽炎や吹雪たちと橙野にいた時、話に上がって似たようなこと言ったんだけど・・・・」

 

曙から視線を逸らし、明後日の方向を向く、陽炎、深雪、初雪。

 

「あんたたち、謀ったわねぇぇ!!!!」

「また、始まった」

 

どこからともなく聞こえてきた苦笑。近くに座っていた将兵たちが「いけいけぇ!」と歓声を上げる。完全に面白がっているがこれも既に横須賀鎮守府の風物詩となりつつあった。

 

「そういえば、最近、赤城さんの様子がおかしくない?」

「うぐっ!!」

「み、みずづきさん!?」

 

前兆もなしに叩き込まれたミサイルを前に嚥下(えんげ)能力が敗北した。飲み込みかけていた白米が逆流し、咳き込む。「大丈夫ですか!? これを!」と血相を変えた潮が自分の水を差しだしてくれるが、なんとか自力で吐き出すという最悪の事態は回避した。

 

「どうしたのよ、みずづき?」

「なんでもない。なんでもないから、続けて」

「変って、どう変なんだよ? 単に腹が減ってただけじゃねぇの?」

「あんたね・・・・」

 

深雪の名誉棄損発言に曙の関心が持っていかれた。怪しまれていただけに思わぬ助太刀だ。

 

「変っていうか、最近寝不足気味みたいでね。よくあくびをしているのよ」

「ああ~~~」

 

みずづきはその言葉に心当たりがあった。就寝直前ならともかく、訓練中では皆無といっていいほどあくびをしなかった赤城が今日は連発していた。よくよく考えればここ1週間ほど、横須賀騒動があってからあくびが目立っている。

(でもなんで赤城さんが・・・・・)

 

潮が突然、何かを思い出したかのように呟いたのはその疑問を浮かべた直後だった。

 

「あ・・・・」

「ん? 潮? なんか心あたりでもあるの?」

「・・・・それがあくびの原因が分からないんだけど。一昨日の朝、外がほんのり明るかったから5時すぎかな? お手洗いに行こうと起きた時、居間に赤城さんがいるのを見かけたの」

「え? 居間に?」

 

赤城の行動パターンに翻弄されていたみずづきにとっては貴重な情報。更に深い情報が欲しかった。

 

「うん。寝ぼけててよく覚えてないんだけど、外を見ていたような・・・・」

「誰か・・・・いた?」

「ううん」

 

潮は首を振った。

 

「あ、そういえば、俺も・・・・」

 

食事を中断し、何やら険しい顔で考え込んでいた深雪が声を発する。潮とよく似た声の調子だった。

 

「え?」

「いや、直接見たわけじゃないんだけどな。どこだったか・・・。そう! 風呂! 風呂に入っている時に・・・・・・」

 

深雪は第五遊撃部隊を一瞥するとテーブルに身を乗り出し、口元に手を添えて、小さい声量でもみずづきたちに聞こえるような仕草をした。一同は彼女の意図を察し、聞き耳を立てる。

 

「加賀さんがよ。赤城さん、目が覚めてもベッドにいてはどうですかって。言ってる意味が分かんなかったが、今ようやく理解したぜ」

 

その瞬間、みずづきは心の中でガッツポーズを決めた。

(見つけた!!!!)

赤城と2人きりになれる方法。成功する確率はそこそこ低いが加賀が心配するほどなら、かなりの高頻度で居間に出てきているのであろう。

 

艦娘たちが寝静まっている時間帯ならよほどのことがない限り、盗み聞きされる心配はない。音の発生源が少なければ少ないほど、1つの音の存在感は大きくなり、隠密行動は行いづらい。

 

見つけたなら、早速行動。みずづきは水で喉の渇きを潤しながら、ご飯をかきこみ、席を立つ。

 

「ふ~ん。心配だけど、加賀さんが付いてくれているなら安心ね」

 

そう言いながらこちらを一瞥した艦娘に気付くことなく。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

この段取りにおける一番の問題。「赤城が起床して居間にいるか?」もあるが、それは夜が明け始めた頃というピンポイントの時間帯に起きられるか、であろう。艦娘寮にもそれぞれ部屋ごとに目覚まし時計が1つ支給されている。しかし、これは盛大にベルを鳴らしまくるタイプの古い目覚まし時計。みずづきは3人部屋を1人で使用しているが、艦娘寮の壁は結構薄い。使用したら最後、よからぬ観衆を召喚してしまう可能性は大だ。スマホや携帯電話に標準装備されているバイブレーション機能を有する電子製品は少なくとも、身近にはない。

 

ということで。

 

「・・・・・・・・・・眠い」

 

最も確実な寝過ごし防止法。起きられる自信がないなら、寝なければいい。学生の頃によくやった徹夜を選択した。

 

案の定、頭は機能停止寸前で体は極度の倦怠感に蝕まれている。もはや体が極限状態すぎて、あくびも出ない。快眠したことを感じさせるスズメのさえずりには思わず苛立ちを覚えてしまった。

(ここまでして空振りだったら、きついな・・・・・・)

布団にくるまりながらそう思っていた矢先、遠くからかすかに物音が聞こえた。

(ん?)

聴覚に全意識を集中させる。露見を恐れるような開閉音を捉えた。音源の距離から少なくともここの対面にある第五遊撃部隊の部屋ではない。赤城たち第一機動艦隊が使用している部屋の音だ。

(来た、かな・・・・・・・・)

待ちに待った瞬間。その可能性が極めて高くなった。重い上半身や動きが鈍い手足に鞭を打ち、起床。一路、居間へ向かう。

 

みずづきたちが使用している部屋の1.5倍ほどの面積を有する和室。本来は誰もいないはずの空間に、防風林の隙間や上方から差し込む弱光で身を照らしている赤城が正座していた。

 

「・・・・あら、今日は珍しいお客さんね」

 

こんな時間帯に居間へやって来た変わり者の正体を認めると赤城は優しく微笑んだ。その笑顔に儚さが含まれているのは、なにも寝起きが理由ではないだろう。

 

「おはようございます、みずづきさん。どうしたの? こんな時間に。まだ起床ラッパには1時間ほどの時間があるわよ?」

「おはようございます・・・って、赤城さんこそどうしたんですか? こんなところで」

 

努めて偶然を装う。

 

「私は・・・・その、目が覚めてしまって」

「まあ! 私と同じね」

「赤城さんもですか?」

「ええ。少し、夢を見てしまって・・・・・・・」

 

まだまだ夜目から脱するには早い時間帯。暗くてよく見えなかったが、気配から俯いたことは分かった。

 

 

 

よくない、夢だったのだろう。

 

 

 

「もし良かったら、どうぞ。今日はたぶん来ないだろうから」

 

自身の隣を手でぽんぽんと優しく叩く。随分と手慣れた動き。そして言動に疑問を感じるも、赤城からのお誘いだ。こちらが骨を砕かずとも赤城と話しやすい位置に行けることは予想外の幸運。

 

「では、失礼して・・・・」

 

赤城の隣に腰を降ろし、正座する。徹夜に起因する顔色の悪さを怪しまれないか心配だったが、赤城は特段気にすることなく視線を窓に移した。彼女につられてみずづきも窓の外を見つめる。ごく自然に沈黙が訪れた。

 

スズメの穏やかなあいさつとカラスの騒々しい叫びのみに支配された居間。

 

だが、みずづきの心中は穏やかではない。座ったところまでは良かったが、あいにく言葉が出てこない。正確に言えば、赤城のどのような言葉をかけたらいいか分からない。自分の不甲斐なさが頭にくる。

 

赤城が唐突に言葉を発したのは、みずづきが腰を降ろして5分ほどたった頃だった。

 

「みずづきさんは夢を見ますか?」

 

視線を窓に固定したまま語られた。彼女の真意は分からない。だが、その神妙な声色はこれが赤城にとって重要な問いであることを示しているように思えた。だから、みずづきは親身に応えることにした。

 

「はい。まぁ、それほど頻繁には見ませんが・・・・。赤城さんもその・・・」

「私も頻繁に見ることはなかったのだけれど、ここ最近は同じ夢ばかり見るの」

「それは・・・・・・」

 

口を開いてから、思い出した。赤城が見ている夢は良くない夢だということを。しまったと自身の浅はかさを呪うが、彼女は気にするなというように途切れることなく言葉を重ねた。

 

「最初はね、楽しい夢なの。訓練に励む乗員たちを影で応援して、並走するカモメに目を輝かせて、停泊した港で手を振ってくれる大勢の人に手を振り返して・・・・」

 

本当に楽しい夢なのだろう。先ほどまでの鬱屈は消え、表情には生気が戻っている。だが、それも束の間。すぐに元の消沈した空気が舞い戻って来た。

 

「でも、それは絶対に最後まで続かない。最後は決まって・・・・・っ。ねぇ? みずづきさん? 私は本当に大日本帝国海軍の象徴として機動部隊の威信を背負った正規空母だったのかしら?」

「それはどういう・・・・・」

 

意味ですか? 言い切る前に赤城は右手をわずかに持ち上げた。

 

「あの時は手なんてなくて掴みようがなかったけど、今、私はこの手で大切なものを繋ぎとめられる自信がないの」

 

己の右手を見ながら、寂し気に微笑んでそう言った。

 

「みんな慕ってくれる一航戦旗艦赤城ならここは正規空母として、戦艦と並ぶ戦力の核として作戦成功に向けてみんなを激励しないといけない。でも私は・・・・私はいまだにそれをしていないし、できない。こんなお粗末で、こんなひ弱な私がそうな名乗る資格なんて、言われる価値なんて・・・」

 

言葉を詰まらせると、防風林の上方に広がる茜色の空を見上げた。

 

「なに、言ってるんですか?」

 

彼女の吐露には絶対に応えなくてはならない。これまで発言が億劫だと感じていたことが嘘のようにその言葉は抵抗なく解き放たれた。これは本心そのもの。そして心に浮かんだ言葉も確固たる根拠を持った、あの戦争を歴史として学んだ日本人の揺るぎようがない結論。なら、彼女には絶対に伝えなくてはならない。

 

「赤城さんは正真正銘、大日本帝国海軍の象徴として機動部隊の威信を背負った正規空母ですよ?」

「っ!?」

 

ここで出会ってから微笑むか哀愁を漂わせるしかなかった赤城の顔が、面白いほど驚愕に染まった。だらしなく解放された口が美貌を著しく損なわせていた。

 

彼女がどのような想いで、どのような過程で、どのような因果でそういう結論に至ったのかは分からない。だが、過去に囚われるあまり、未来に希望が持てなくなってしまう、過去が未来においても襲い掛かってくるのではないかという恐怖は理解できた。

 

なぜなら、自分も同じだったから。

 

「みずづきさん・・・・・・・・」

「赤城さん? 赤城さんもご存じのことと思うんですけど、私もたいぶ前に頻繁に夢を見ている時期がありました。日本の夢、どれもこれも追憶ともいえる血生臭いものばかりでした。なぜ、あの夢を見たのか。私ははじめ皆さんに日本の真実を隠す罪悪感が原因だと思っていました。でも、それもありましたが、別の理由もあったことをここ横須賀鎮守府でみなさんにお世話になって、知りました」

「別の理由?」

「私、みなさんとの生活を楽しんでいたんですよね、心の底から。ここが尊くて、大切であるが故に、なくしてしまう、日本のように地獄と化してしまうことが怖かった」

「・・・・・・・・・・」

「居場所を、大切な人を再び失う恐怖。その潜在的無意識が悪夢の原因になっていたんじゃないかって。私も赤城さんとは比較になり・・・・・比較してはいけませんよね」

 

人の命。数が存在する以上、他の単なる物と同様に数字で表されるが、数で比較することは許されない。人命は少ないから軽い、多いから重いと数によって価値が変化することはない。

 

みずづきは膝の上で丸まっていた右手を持ち上げた。

 

「私も大切な存在をこの手で掴むことはできませんでした。今でも仲間をあの人を奪った、この私を葬った潜水艦を対峙する時は、もしかしたらまたという怯えた声が聞こえます」

「でもみずづきさんは・・・・・」

 

そこで一旦言葉を区切る。赤城は数秒ほど考え込んだのち、真剣な眼差しで問うてきた。

 

「みずづきさんはどうやって、その恐怖を克服されたんですか?」

「何も大層なことはしてません。ただ・・・・・・」

 

かげろう。おきなみ。はやなみ。そして、知山。4人が須崎での色彩豊かな生活の中から顔をのぞかせる。

 

「自分が犯した罪から目を背けず、教訓を拾い、訓練を重ねて、もう2度と過ちは繰り返さないと、死んだ仲間と上官に誓っただけです」

「・・・・・・・偉いわね、あなたは」

 

赤城も当然、みずづきと同じことは行っていた。ミッドウェー海戦での惨敗で何が起きたのか、何を導くことになったのか。何が惨敗の原因でどれだけの海軍将兵が犠牲になったのか。

 

赤城の一番の問題。

 

彼女はみずづきと同じことを行っているにもかかわらず、それでも足りないと考えていることだ。あの時はただの軍艦だったから関係ない。人間視点で言えばそうだが、自身の中で寄り添ってきた乗員が無残に死んでいった彼女たちには到底受け入れられない事実なのだ。

 

ここでみずづきができること。それは赤城が自分の償いと戒めに納得できるようハードルを下げることのみ。

 

「いいえ、赤城さんも十分悩まれています。私はこれ以上、自分を責められるべきではないと思います。正直に言いますがMI作戦における南雲機動部隊の失態はとても看過できるものではありません。赤城さんの結論はおおむね戦後日本と同様です」

「・・・・・・・・・・・」

「しかし、日本は断罪よりも教訓を重視しました。私たちにとって歴史となってしまったこともあるでしょうが、赤城型航空母艦一番艦赤城は現代の日本人にとっても、栄光を極めた昭和日本の象徴として深く胸に刻み込まれています。誰も赤城が悪いなんて言う人はいませんよ」

「・・・・・・・・・・・」

「連合国には申し訳ないですが、ミッドウェー海戦が霞むほど赤城さんたちは真珠湾攻撃以来の快進撃で、私たちが日本を誇りに思う歴史の1ページを作ってくれました。だから私たちは今でも赤城さんに憧れているんです!」

「・・・・・・・・憧れている?」

「そうです!」

 

虚ろな瞳で伺ってくる赤城に有無を言わさぬ勢いで断言した。その瞬間、赤城の瞳に光が戻ったような気がした。慌てて彼女が視線を逸らしたため、確認できない。

 

「そう・・・・・・私は、そう・・・・・・・っ」

 

言葉に詰まると赤城は立ち上がり、居間を後にする。

(マジで・・・。変なこと言っちゃったかな・・・・)

全身を強烈な不安感で覆い尽くされる。百石と翔鶴姉妹の激励が走馬灯のように駆けてゆく。

 

だが。

 

「みずづきさん」

 

振り返ると、そこには朝日で神々しい化粧を施し、何の変哲もないほほ笑みを浮かべる赤城が立っていた。手にはどこから仕入れてきたのか、栗饅頭の箱がある。

 

「一緒に食べませんか? 少しお腹がすいてしまって・・・・・」

 

恥ずかしそうに身をよじらせる。その眩しすぎる愛嬌に、目頭が熱くなった。前触れもなく時折彼女を蝕んでいた影。彼女のどこからも消滅していた。

 

「・・・はい! いただきます!」

 

嬉しさのあまり大きな声を出してしまい、慌てた赤城に注意される。それがなんだか面白く、赤城と共に腹を抱える。

 

「憧れ・・・・・・・ね。・・・・・・私はどうなのかしら?」

 

居間に向けられていた意識が急速に迫力を失っていく。引き際に残された温かみ。果たしてこれに2人は気付くのだろうか。

 

輝かしい朝日の元、新たなる一日の始まりを告げる起床ラッパが鳴り響いたのは2人して最後の栗饅頭を頬張っている時だった。

 




とあるアニメ“たち”の無差別な飯テロの影響で、情緒が不安定気味の今日この頃。書いたはいいが、投稿するか迷っていた「発動前 前後編」。流れ的にはカットした方がいいことは十分承知していましたが、やはりミッドウェーということもあり、投稿させていただきました。

最後の饅頭。ラーメンとかにするべきだったのかだろうか(設定的に無理あるけど・・・・橙野もさすがに閉まってるだろうし)。


突然ですが、個人的なトリプル“ダメージ”。
艦これのイベントE-5がトリプルゲージ。
ラーメンだの、キャンプ飯だの、画面越しのテロ行為が頻発。
街とのコラボイベントが佐世保開催。←遠いんですよ・・・(泣)


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81話 MI/YB作戦、発動

あ~、もう3月・・・・。


「は、は・・・・・はっっくしゅん!!! うう~~~、寒い・・・・・・」

 

両手で体を(さす)る。摩擦熱で夏服より遥かに耐熱性と重厚さを増した冬服越しにほんのりと温もりが肌に伝わってくるが、なんという悪魔の所業か。海面を駆け抜ける寒風は多大なエネルギーを使用して生み出した希望を、一瞬で無に帰す。

 

艦娘用桟橋に打ち付ける波しぶきと曇天の空が、触覚だけに飽き足らず聴覚や視覚からも着実に体温を奪っていく。寒々しい光景は肉体ではなく精神を凍えさせてしまう絶大な効果をはらんでいた。

 

季節は巡り巡って12月。「読書の」、「食欲の」、「運動の」と言われるように何をするにも過ごしやすい秋は訓練と打ち合わせに追われている間に終了。深緑一色だった山々を幻想的な絵画に変えてくれた紅葉はすっかり消え、広葉樹の木々は丸坊主。

 

完全に冬本番のご時世。北海道や東北、北陸では既に自動車が天然の雪だるまと化してしまうほどの降雪に見舞われていたり、湖が天然のスケートリンクに変貌してしまうほどの寒波に襲われたところもある。そのような折にこんな所に来ている方が悪いのだが、手と耳の感覚を強奪した自然には恨み節の1つでも言いたくなるものだ。

 

強烈な速度によって気化熱殺しと化した海風がまた体を洗う。

 

「うぅぅぅぅ~~~~。寒いったらありゃしない」

 

それでもみずづきは動こうとしない。桟橋に根を生やしている理由は目の前の光景にあった。

 

「しっかし、何度見てもすごいな~~~。まさに圧巻。吉倉地区が軍艦でいっぱいに・・」

 

横須賀湾を挟んで横須賀鎮守府中央区画や工廠の対岸にある吉倉地区。そこは小海東岸壁と同様に艦娘ではなく通常艦艇の停泊場所。横須賀鎮守府に寄港した艦船が頻繁に船体を休める。第5艦隊が壊滅してしまって以降、横須賀を母港として活動する艦隊は花表秀長(とりい ひでなが)少将を指揮官とする海上護衛艦隊と鎮守府直轄の横須賀海防軍第1海防隊・第2海防隊の8隻、第二線部隊である「薄霧(うすぎり)」「秋霧(あきぎり)」「雨霧(あまぎり)」の海霧(うみぎり)型駆逐艦3隻で構成される第11戦隊のみ。書類上は高千穂(たかちほ)型軽空母一番艦「高千穂(たかちほ)」を旗艦とする第1統合艦隊も所属しているのだが、訓練に諸外国への表敬訪問でほとんど横須賀には停泊していなかった。そのため、かつて瑞穂一と言われた軍港の寂寥(せきりょう)感は否めなかった。

 

しかし、本日。その吉倉地区は久しぶりに軍艦たちでごった返していた。

 

「四・四艦隊計画」の申し子で房総半島沖海戦後に進水したばかりの第3統合艦隊がMI/YB作戦を控え横須賀に寄港していた。去る11月下旬。MI/YB作戦の前哨戦として大宮鎮守府所属の艦娘たちが主力となり決行されたパラオ諸島・ウルシー泊地の空襲作戦は無事に終了。パラオ泊地・ウルシー泊地それぞれに居座っていた泊地棲姫と飛行場姫に大打撃を与えたことが確認され、MI/YB作戦実施の土壌は整っていた。

 

みずづきが彼らの勇姿を拝見するのは10月上旬に硫黄島沖で偶然出会って以来である。洋上で航行する姿も圧巻だったが、港でひっそりと休憩中の姿も風情がある。

 

甲板上で上官の(げき)を受けながら走り回っている水兵たちには合掌だが・・・・・。新鋭艦は通常、進水してから就役するまでの約6か月間。各種艤装試験や乗員の育成訓練を行い、就役後すぐに戦力として勘定できるよう体制を整える。瑞穂海軍も大日本帝国海軍や海上自衛隊、海上国防軍と同様の運用思想を持っているのだが、第3統合艦隊は進水から4ヶ月弱で実戦投入。本来なら早すぎる。第1・2統合艦隊が本土防衛と定期点検に回されたための苦肉の策らしく、第3統合艦隊司令部の「渋り」を軍令部が「気合いだ」と言って突っぱねた話はみずづきの耳にも届いていた。ちなみに、第4統合艦隊も進水から3か月弱しか経っていないのだが、第3統合艦隊と同様に軍令部の根性主義で実戦投入が決まっていた。

(どこでもやることは変わらないな・・・・・)

強烈な既視感を覚え、そんな事を思っていると。

 

「あ! こんなところに・・・・・」

 

疲れ果てた声が聞こえた。

 

「みずづき発見デース!! ほら、榛名! やっぱり私が正しかったじゃないデスカ!」

 

同時に疲労困憊とは程遠い元気はつらつな声も聞こえてくる。

 

「ん?」

 

軍港らしい風景を惜しみつつ振り返る。あちこちに切れ目が入り冬のへ適応性が皆無な制服故に、お揃いのコートを着た2人の姿が見えた。

何の変哲もない、海軍士官が着用する黒いコート。なのに、なぜ彼女たちが着ると目が引き寄せられるのか。

 

「金剛さんに榛名さん・・・・」

「みずづき! そろそろ時間デース!! 講堂へ行きマショウ!」

 

金剛がにこやかに手招きをしてくる。「うう!」と寒風に完敗している榛名とは対照的だ。

 

「分かりました!!」

 

2人の好意に応えようと心の中で第3統合艦隊各艦に別れを告げ、素早く踵を返す。

 

今日は12月11日。これからMI/YB作戦のブリーフィングだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・・・。全員、揃っているな」

 

所々に置かれた石油ストーブがなけなしの暖を放出している講堂に、百石の静かな一言が響き渡る。先ほどまで艦娘や百石たち横須賀鎮守府上層部の談笑で暖まっていた空間はすっかり凍え、石油ストーブの労働が需要に追い付かない。

 

だからこそ、そこまで大きくないにもかかわらず彼の声は不思議と明瞭に届いた。

 

みずづきたちが部隊別に整列している板張りの床より子供の背丈ほど高い位置にある演台。背面の壁を覆う、地図や文字で埋め尽くされた複数の黒板の脇に、百石はいた。彼はゆっくりと真剣な眼差しで艦娘たちを見回した後、壁脇に控えていた長門に合図を送る。彼女の隣には筆端を筆頭に、緒方をはじめとする各部長、五十殿(おむか)をはじめとする各部各課長。加えて、現在横須賀に寄港している第3統合艦隊の司令官安倍夏一(あべ なついち)少将と同参謀長左雨信夫(さう のぶお)少将も横須賀鎮守府首脳と共に直立不動で整列していた。第3統合艦隊は今次作戦において、MI攻撃部隊及び艦娘母艦大隅の護衛としてMI攻撃部隊に同行。艦娘航空部隊によってミッドウェー諸島が無力化されるなど、作戦が順調に進んだ場合、錬成の意味も込めて出穗航空隊によるミッドウェー諸島への空爆を行う予定だ。

 

ちょうどみずづきが並んでいる一機艦の列は講堂内で一番右端、お偉方の視線を一身に受けかねない位置取りである。彼らの一挙手一投足が拝める最高の位置取りだが、代わりにこちらの一挙手一投足までが彼らに監視される最悪の現状。外観からどう判断されるか分からないが、心拍数増大と冷や汗は明らかに場の空気よりも数多の濃い視線によるものだ。

 

そのような邪念を打ち消すように、長門が一歩前に進み出て声を張り上げた。自然に背筋が伸びる。

 

「これより、MI/YB作戦のブリーフィングを開始する」

 

それを合図に百石は黒板の足に背中を預けていた指示棒を手に取る。喉の耐久性が心配なほどの声量で「MI/YB作戦」の説明を開始した。

 

「本作戦はMI作戦と還4号作戦の二正面作戦であるが時間の関係上、この場では還4号作戦は省略する。なお、作戦規模が作戦規模だけに説明は長時間に及ぶ。今回、終了後に時間を設けるため、質問や疑問点はその際に聞いてくれ。既に各艦隊旗艦から伝達されている通り、MI作戦は我が横須賀鎮守府全艦娘部隊と大宮鎮守府蒼龍旗下第二機動艦隊、そして7月に進水したばかりの最新鋭艦隊、第3統合艦隊が担う、文字通り横須賀鎮守府の総力を挙げた一大作戦である! 達成目標は本土から遥か西方4000km、ミッドウェー諸島に存在する敵泊地と中間棲姫の撃破。及び布哇泊地から出撃してくると予測されている敵機動部隊の撃滅である。本作戦の発動日時は今日より一週間後の12月17日1000。我が横須賀鎮守府で構成されるMI攻撃部隊の出撃を持って発動される」

 

講堂内がどよめいた。還4号作戦に参加するYB攻略部隊のうちで最も早く出撃する部隊の出港日時は12月18日早朝。あの日、提督室に呼ばれていたメンバーは知っていたものの、みずづきたち以外の艦娘には自分たちが最先行部隊となることは伝えられていなかった。

 

「そう、我々が先陣を切る」

 

不敵な笑み。そのような表情をされれば否が応でも気合いが入ろうというものだ。

 

「我々はMI攻略部隊として、12月17日1000に横須賀港を抜錨。総指揮は大隅と共に同行する私が受け持つ。ミッドウェー諸島への直接攻撃を行う攻撃部隊は第一機動艦隊と第五遊撃部隊、第3統合艦隊、そして“能登”を連れた第二機動艦隊である」

 

硫黄島で出会い、共に居酒屋ではしゃぎあった彼女たち。今回、みずづきは彼女たちとも肩を並べて戦うことになる。彼女たちはウルシー泊地と日本世界でいうところのウェーク島(瑞穂名オオトリ島)を攻撃後、同島の攻略を担う第2統合艦隊を基幹とするオオトリ島攻略部隊と分離。2人1班でローテーションを組み、大隅型艦娘母艦「能登」で休息を取りながら、ミッドウェー諸島海域に進出する。

(大日本帝国海軍の空母6隻が一堂に会する・・・・。真珠湾攻撃の再来じゃん)

日本が航空攻撃という奇策を持ってアメリカ太平洋艦隊を壊滅させ、アジア・太平洋戦争の戦端を開いた真珠湾攻撃。この攻撃に参加した正規空母と今回の作戦に参加する空母艦娘は全く同じメンバーだった。日本人として驚愕を通り越し、感慨深いの一言である。

 

「みずづきは第一機動艦隊所属として行動だ」

 

大きく頷く。この日のために事実上の一機艦所属として今日まで訓練に明け暮れてきたのだ。その甲斐もあり、連携も一機艦メンバーと遜色ないほど円滑に取れるようになった。

 

「第三水雷戦隊と第六水雷戦隊は攻撃部隊と大隅の護衛を行ってもらう。本部隊は横須賀抜錨後、対潜警戒を厳とし、無線封鎖を行いつつ約5日西進」

「5日・・・・・・」

 

誰かがうんざりと言った様子で呟く。当然、百石が噛みつく。

 

「おいおい、これでも主機が死なないぎりぎり速力を発揮し続けた最短時間だぞ。一度この工程を航行したことがある君たちなら分かると思うが、道中は霧中航行も予測される。気象庁によれば可能性は高くないとのことだが、太平洋の大部分は現在の人類にとって未踏破領域。仮にそうなった場合、みずづきの対水上・航海レーダーを艦隊行動の指標とする。他艦からの発光信号に留意すること」

 

複数の艦娘たちが冊子に鉛筆を走らせる。

 

「オオトリ島攻撃を終えた二機艦との会合地点はミッドウェー諸島サンド島北西300km地点。時刻は瑞穂時間22日正午を予定している。合流後、MI攻撃部隊はミッドウェー諸島サンド島西北西200km地点に進出。同諸島への攻撃は瑞穂時間23日0430、現地時間22日0730の夜明けと同時に開始する」

 

瑞穂から西方に4000km、しかも西経177度に位置しているため、ミッドウェー諸島は世界で最も遅い標準時で動いている。対照的に瑞穂は比較的早い標準時のため、瑞穂時間をミッドウェー諸島現地時間に換算する際は“現地時間に1日加えて、3時間引かなければ”ならない。その逆のミッドウェー諸島現地時間を瑞穂時間に換算する際は“瑞穂時間から1日引いて、3時間を加え”なければならない。

 

「この際、航空攻撃を担う空母艦娘に限らず、全員に絶対忘れてもらっては困ることがある。それは我々の敵は中間棲姫だけではないということだ」

 

百石と冊子を交互に見比べながら走り続けていた全ての鉛筆が、止まった。

 

「中間棲姫は飛行場姫とは比べものにならないほどの強敵だ。それはみずづきがいようと変わらない。だが、我々には本土空襲を防止する上で絶対に成し遂げなければならない機動部隊撃滅という使命がある。潜水艦娘による命がけの深部偵察、伊401の布哇泊地偵察によって・・・・・・・・・当泊地に空母6隻を擁する機動部隊の存在が確認された」

『っ!?』

 

吹雪が発言した、艦娘の間で共有されていた危機感。“また機動部隊の所在で翻弄されるのではないか”。ミッドウェー海戦惨敗の要因となった事象はこの世界ではそもそも発生すらしなかった。

 

「しかも、だ。布哇には敵本拠地と目されているだけあって、非常に強力な空母級がいる・・・・・・」

 

そこで言葉を切ると、百石は肩が触れそうなほど近くにあった何も書かれていない黒板の前に立つと、チョークを手に取り、白い文字を書き始めた。誰かが息を飲む。

 

「空母棲姫と空母棲鬼・・・・・・・」

 

赤城がそう呟いた。百石は相槌を打つ。

 

「ああ、そうだ。6隻の中に空母棲姫と空母棲鬼が含まれている」

 

「真剣」だった空気が、未来への不安を感じさせる「深刻」な空気に変わる。

 

台風8号の瑞穂接近の隙をついて瑞穂本土へ接近し、石廊崎沖海戦で17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B block2)とMk.45 mod4 単装砲の遠距離砲撃で打倒した空母ヲ級改flagship。それの上位に君臨するのが空母棲姫と空母棲鬼であった。

 

両者とも空母ヲ級や軽空母ヌ級など空母型深海棲艦の頂点と言って差し支えない。瑞穂、そして艦娘たちは多温諸島奪還作戦(還3号作戦)時に両者と砲火を交え、脅威を自らの肌で知っていた。特に艦娘たちの肝を冷やしているのが、空母棲姫である。空母であるにもかかわらず、純粋な火力が戦艦並み。その業火と強大かつ夜間でも運用可能な航空戦能力とのコンビネーションは、昼戦はおろか夜戦においても戦艦を一撃で大破させるほどの絶大な威力。

 

既に中間棲姫という敵がいる戦場に、それらが加わったのだ。しかも・・・・・・。

 

「他の空母4隻は通常個体だが、内訳は空母ヲ級改flagship2隻・・・・」

『はぁ!?』

 

腹の底から飛び出してきたような凄まじい驚嘆が複数の艦娘から発せられる。

 

「と、空母ヲ級flagship2隻だ」

 

そして、百石の言葉が終わり久しぶりの静寂が訪れた頃には歯ぎしり一歩手前まで歯を噛みしめていた。

 

「機動部隊である以上、我々の敵は空母だけではない。布哇泊地艦隊という性格上、我々は空母単体だけでも厄介な存在が強力な護衛を率いて、同時に出撃してくる事態を想定しなければならない。歴戦の正規空母6隻が勢揃いするとはいえ、相手も全くの同数。慢心は即刻海底への片道切符となる。私が今更言うことではないと思うが・・・・・・本作戦は決っっして! 甘くない」

 

強調から一転、聞き耳を立てなければ危うく聞き逃すほどの小声。そのギャップが聴衆に彼の心境を明確に教えてくれた。今回は日本で行われた「MI作戦」と名称は同一でも全く異なる「MI作戦」。「MI作戦」を知っているからと、教訓を洗い出したからと安心していては勝てない戦なのだ、と。

 

「既に我々は伊401たち潜水艦娘の決死の作戦行動で敵機動部隊の存在と陣容を把握した。日本におけるMI作戦の反省を生かし、ミッドウェー・布哇間には呉鎮守府潜水集団が総力を挙げて哨戒網を構築し、敵機動部隊の事前捕捉・発見に全力を挙げる。だが・・・・」

 

百石の口調が急に威勢をなくす。

 

「私よりも諸君の方が遥かに分かっていると思うが、海は広い。いくら実戦経験が豊富でもたかが数隻の潜水艦ではどうしても穴は発生する。いくらみずづきがいるとはいえ、航空機の高速性能上、発見からの対処時間は限られる。諸君には遭遇戦も・・・・・・覚悟してもらわなければならない。よって、赤城、翔鶴、加賀、瑞鶴は攻撃隊を爆装隊・雷装隊の2つに分け爆装隊のみでミッドウェー攻撃を行う。流星の雷装隊は常に待機だ。いいな? みずづきは最後の切り札として温存する。絶対に待機だぞ?」

「「「「了解!」」」」

 

念には念を入れた確認。それに対する答えは百石とみずづきたちの心配をかき消すのに十分過ぎる気概がある。

 

「この方針は既に蒼龍・飛龍にも伝えてある。一機艦・五游部航空隊はイースタン島の中間棲姫と泊地、二機艦航空隊はサンド島の対艦・対空陣地攻撃を受け持つ。第3統合艦隊はまだ部隊の練成が満足のいく水準まで達していないため、艦娘航空隊空爆後、掃討戦にて投入する。助太刀は期待するな。攻撃部隊をはじめとする艦娘部隊の現場指揮は・・・赤城?」

「はい!」

 

切れのある勇ましい声で、一機艦の先頭に立っている赤城は答えた。みずづきだけではない。誰もが憧れ、尊敬し、慕う赤城がそこにはいた。

 

「君に一任する。私は大隅で指揮をとるから、迅速な対処ができない。艦娘たちや航空隊を指揮し、勝利の糸を手繰り寄せてほしい」

「・・・・・・・・・・・・」

 

赤城は即答しない。久しぶりに講堂が静寂に包まれる。しかし、ざわついたり、浮足立ったりすることはなかった。みずづきも穏やかな心情でしばしの急速に身を預けていた。その安心感の理由は赤城自身が証明してくれた。

 

「・・・・・はい。この赤城、失敗と懺悔(ざんげ)を教訓と決意に変え、しかと務めさせていただきます!」

 

赤城は引き受ける。誰もが共有していたたった1つの可能性だ。

 

「よし。頼んだぞ」

「はいっ」

「中間棲姫の制空能力を奪ったのち、各部隊は艦砲射撃にて中間棲姫に止めをさす。なお、敵機動部隊発見のタイミングによってはミッドウェー攻撃の開始時間の変更・前後やみずづきを赤城たちと共にミッドウェー攻撃に投入する場合もあり得る。また・・・・・」

 

そこで一旦、百石は言葉を区切った。

 

「状況によっては作戦の中止もあり得る。各員、個々人の情報収集、各部署との連携に注意しろ。聞き逃していました、報告し忘れてましたと後から泣くことがないように」

 

作戦の中止。自部隊の名誉、自身の地位をどん底に落としかねない、人事の意味で首すらはねられるかもしれない決断も百石は1つの可能性として考えている。犠牲が少なく済むとはいえ、実現を託された祖国の意思を自ら否定する行為はとよほどの覚悟がなければできない。それが考えられる、決断できる人間だからこそ艦娘たちは百石を信頼しているのだ。

 

「これで、俺からは以上だ。何か質問はあるか?」

 

百石と艦娘たちはこれまで散々議論やすり合わせを行ってきた。まだまだ非常に細かい折衝は残っているが、大衆の面前で聞くことはもうない。質問がないことを確かめると百石はブリーフィングの締めくくりにこう言った。

 

「君たちにとってこの作戦は思い出したくない、克服した過去を想起させてしまう、極めて残忍なものであることは承知している。だが君たちはこの作戦に意味を見出し、瑞穂の安寧を継続させるために心血を注いでくれた。瑞穂人として是非ともお礼を言わせてほしい、ありがとう」

 

百石は頭を下げる。彼に続いて筆端たち横須賀上層部、そして安倍と左雨も頭を下げた。

 

「絶対に勝って、全員笑顔で横須賀に帰ってくるぞ!」

 

誰も声は発しない。それでも百石は笑った。声で聞かずともこの場にいる全員の気持ちは伝わってくる。艦娘と人間の垣根など存在しない。

 

帰ってくる。

 

その純粋な決心で行動は満たされていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

壮行会。かつて若さと非常識の象徴だった暴走族がやっていたような走行会ではない。出撃を前に参加する将兵たちを鼓舞し、作戦の成功と生還、特大の活躍を祈って挙行されるお祝いである。

 

通常なら参加将兵の中で最上位軍人の訓示に始まり、各部隊指揮官のあいさつ、決意表明。それが終わり、腹の虫を過労死させる豪勢な料理や酒にありつけるかと思ったら、他部隊のあいさつ回りに上官たちへのお酒注ぎにご機嫌取り。英気を養うどころではなく、消耗させられる残念な仕打ちを受けることも多いが、ここ横須賀鎮守府では全く趣が異なっていた。

 

MI作戦に際した横須賀部隊の抜錨を明日に控えた、今日。橙野の大広間では艦娘たちを盛大に送り出す壮行会が開かれていた。

 

日本と異なり、退屈で登壇者の素養を暴露してしまう訓示もなければ、反感を買うこともあるあいさつ回りもない。軍人たちは日本にいた頃のみずづきと同じように談笑の皮を被った社交辞令を行っているが、肩の力が抜けている。半強制的な交流ではなく、自分の意思に基づいた自由な交流なのだろう。

 

艦娘たちははしゃぎにはしゃぎ、爆笑が絶えない。士気の鼓舞と英気の養いというお祝いの目的は果たされている。

 

「俺らはお留守番ですか!? そうですか、そうですか! 散々上官に弄ばれ、踏ん張って来たっていうのに、うう・・・・・・・うあぁぁ!!!」

「ちょっと!? 隊長!! いきなり号泣って、飲み過ぎですよ・・・・いい年して・・」

「ところで西岡? お前ら、あの騒動の時に艦娘寮でいいことしてたらしいな?」

「へ・・・・・・・・・」

「奥手を装っていたお前は・・・・・・・どこに行った? こういう大人しそうな顔した奴が一番タチわりぃんだよな! 大きい方と小さい方どっちがそそる? 俺は・・」

「ひぁぁぁぁぁぁ!? 先輩! 副隊長!? どこですか!? どこですかぁ~~~。これは俺の手に負えませんよ~~~」

 

目的を超越してしまっている者も若干名、存在するが。

 

「というか、川合隊長、どんだけ飲んでんのよ・・・・・」

 

顔といい手といい衣服に覆われていない肌を真っ赤に染め、一升瓶片手に暴れまわっている川合が見える。お守を頼まれていた西岡は必死に援軍を乞うが、既にその援軍が撤退済みであることを知れば絶望に染まってしまうだろう。だから、あえて誰も言わなかった。決して面白いからといういかがわしい理由ではない。

 

それにこの状況では1人や2人暴れていようとも目立たない。金剛は吹雪と榛名をおもちゃにしているし、深雪と黒潮は般若と化した曙に追いかけられているし、空母勢は食事に夢中。みずづきも先ほどまで陽炎たちと料理をつついていたが、背後からとある軽巡洋艦の不穏な気配を感じていたため、比較的将兵たちが固まっているエリアに退避してきていた。しかし、1人になるわけはなく・・・・。

 

「みずづきさん・・・」

「ぎゃぁぁぁ!!!!」

 

いきなり耳元で、しかも幽霊が発するような末恐ろしい口調でささやかれれば悲鳴を発しない人間などいないだろう。気配も一切なく本当に突然だった。声色から悪趣味ないたずらをしでかしてくれた人物の顔は思い浮かんでいたが、一応振り返る。

 

「・・・・・・・・」

「あははははは!!! みずづきさん・・・ぶっ! 最高・・あははは!!!!」

 

案の定、椿だった。気配を微塵もまき散らさず、軍人の後ろを取れる人物など彼女ぐらいのものだ。

 

「椿さん・・・・・」

 

少し、というかかなり頭に来たため、感情の赴くまま睨みつける。唐突な奇声に周囲から奇異な目で見られたんじゃないだろうか。それでも椿の爆笑は収まらなかった。

 

「ごめん・・・、ははっ。まさか、そんな典型的な反応をするとは思わなくて・・・てっきり、あの時みたいに気付いてくれるものと・・・ふっ」

「年がら年中、気を張っているわけないですよ。私だって人間です。少しは気を休めないとやってられないですよ」

「へぇ~~~」

 

ニヤ付いたまま目を見つめてくる。同性とはいえここまで凝視されると頬が赤くなる。

 

「・・・なんですか? 少し恥ずかしいんですけど・・」

「いえいえ、みずづきさんも人間だなと思いまして」

「心外でしょ、それ」

 

自分が人間ではなかったら、数々の偉業を成し遂げた椿はとんでもないことになる。

 

「褒め言葉ですよ。これ、どうですか?」

 

微笑みながら、座卓に置いてあったビール瓶を掲げる。みずづきは外見がどうであれ、年齢は23。瑞穂政府からも許可は出ていた。瑞穂に来てからも付き合いで飲むことはあったので持って来たコップを椿に差し出す。

 

出撃を前日に控えているからといってもさすがに飲酒は禁止されていなかった。但し、たしなむ程度という規制付きである。超えたと長門に判断された場合、阿修羅と化した長門のお説教タイムが待っている。そのため、現在酔っぱらっている者は川合にしかり総じて見送る側の将兵だ。・・・見送る側のはずだ。

 

「すみません、いただきます」

「どうぞ、どうぞ」

 

コップに独特の風味を持った黄金色の液体が泡を立てながら注がれていく。椿の分はみずづきが注ごうとしたが「いいですよ、みずづきさんは歓迎される側ですからね」と断られた。

 

「それでは・・」

「作戦の成功を願って・・」

「「乾杯!」」

 

滑らかなコップに口をつけ、半分ほどビールを流し込む。喉の奥ではじける炭酸と口の中で広がる苦みの不思議な調和が溜まらない。

 

「ぶはっぁぁ~~」

「こういう場のお酒はいいですね。なんだか、特別な感じがして」

 

みずづきと同じほどの量を口の中に消した椿は頬を高揚させながら、口元についた泡を白衣の袖で拭う。

 

「そうですね。私も好きですよ、こういうの」

「・・・・・・・・頑張ってきて下さいね」

「え?」

 

豹変した口調に驚き、コップで揺れているビールから彼女に視線を移す。ちょうど、残ったビールを仰いでいるところだった。空になると勢いよく座卓に叩きつける。

 

「負けることはないと思いますけど、念のため。これからみずづきさんたちは()()をしに行くんですから。・・・・・・・この作戦が終わったら2人で飲み明かしましょう! いいですか!? 約束ですよ?」

 

暑苦しささえ感じるほどの元気ぶりを見せる椿にしては、抑えた笑顔。あえてお淑やかに投げかけられた激励が想いの強さを示しているようだった。

 

「椿さぁ~ん」

 

彼女に圧倒されているとどこからともなく西岡のような声が聞こえた。見ると机に突っ伏してしまった漆原の背中をさすっている工廠の兵士だった。漆原は自分が陥っている状況を理解できていないのか左手に持った箸で何を掴もうとしている。だが、何度も試しても掴むものは空気。ちなみに彼は右利き。脳の発達を促すため左手で箸を持つトレーニングしているわけでもない。

 

「リーダー・・・。お酒に強い訳でもないのにあそこまで飲んで。あれは重傷ね」

 

要するに酔ってぼけているだけだ。頭を抱えると椿はコップを持って立ち上がる。

 

「ごねんなさいね。みずづきさん、ちょっと見てくる」

「いいですよ、どうぞどうぞ」

 

呆れつつも心配な様子に思わずニヤ付いてしまった。相変わらず、だ。「そんなじゃないですからね!」と最後に毒づき、彼の元へ行ってしまった。十分脈ありと思うのは自分だけだろうか。

 

「相変わらず、元気な人ね」

「うわっ、酷い。それ皮肉? 看護しようと去った人にその言葉、人格疑われても仕方ないわよ」

「純粋な言葉を皮肉としか捉えられない方がよほど深刻だわ。深層心理まで冒されているんだもの」

「なんですって?」

 

漆原とは反対方向から聞きなれた声と感じ慣れた雰囲気がやって来た。彼女たち以外に冷静さを保っている艦娘がいることは分かっていたので2人にはツッコまず、残りの2人に声をかけた。

 

「赤城さん! 翔鶴さんも!」

「しっかり食べてるみずづきさん? 腹が減っては戦は出来ぬ。しっかり食べないと万全の力は発揮できませんよ」

 

(朝ごはん、あるんだけどな・・・・・)

お腹いっぱいで幸福感に包まれている赤城にこのツッコミは厳禁だろう。彼女の幸せを否定することはできない。心の中が見えているのか、翔鶴は赤城の背後で苦笑していた。

 

「ああ、もう! なんでこういつもいつもあんたは!!! ふん! それより、早く乾杯しましょうよ。乾杯!」

「乾杯ですか?」

 

加賀の面前から逃げ出してきた瑞鶴が目の前に新品のビール瓶を差し出してくる。先ほど椿が注いでいたビール瓶はそのまま置かれているので、どうやら瑞鶴の持参品らしい。「はぁ~」とため息をつきつつ、加賀が隣に座った。

 

「そうよ! このメンバーでやることに意味があるのよ!」

 

みずづきの周りには赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴。文字通り、作戦の成否を己の双肩(そうけん)に乗せている5人が集まっていた。重圧を与えないようそれを言葉にしない当たり、瑞鶴もそれなりに気を配っていた。

 

彼女の言葉に4人が苦笑を浮かべた。ビールの栓を栓抜きで取る。

 

「そうと決まれば・・・」

 

瑞鶴に最も近いコップは加賀のコップだった。正確にはみずづきが一番近いのだが、あいにくコップは座卓の上だ。視線を交錯させる両者。一騒動始まるかと思いきや、瑞鶴は素直にビールを注ぐ。コップの容量ぎりぎりまで入れるいたずらもしない。

 

「ありがとう・・」

 

短い加賀の一言に顔を俯けると「次は赤城さんのね!」とわざとらしい快活さでビールを注ぐ。耳が赤く染まっているあたり、内心が隠せていない。

 

「すいませんね、瑞鶴さん。私が瑞鶴さんの分入れましょうか?」

「ありがとう。でも、大丈夫」

 

みずづきのコップに注ぎ終えた後、そそくさと自分のコップを黄金色と白色に変えた。ビール瓶を座卓に置くと、瑞鶴は一同を見回す。瑞鶴も含めて全員、いい笑顔だ。

 

そして、それは心の底から生み出された本物の笑顔だった。彼女たちの過去を知っているが故に、彼女たちの葛藤と心労を垣間見たが故に目頭が熱くなった。

 

「では、MI作戦の成功と無事の帰還を祈って・・・・・・乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

 

瑞鶴の音頭に合わせ、ガラスコップの同士がぶつかり合う清涼感と透明感を併せ持った風流な音が鳴り響く。

 

数々の思い出と伝説を残した壮行会も夜更けと共に佳境へ突入する。これが終わり、夜が明ければ、もうすぐそこだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

昨日の真冬らしい曇天から一転、頭上には澄み切った青空と綿菓子のような柔らかさを自慢する雲。風も日光を受け寒風ほど刺々しくない、荒々しくない。その影響で、先ほど第3統合艦隊が出港していったにもかかわらず海面は凪いでいた。

 

絶好の出撃日和である。

 

艦娘専用桟橋が設けられている岸壁には課業時間にもかかわらず、みずづきたちを見送ろうとわずかな隙間もないほど将兵たちが詰めかけていた。艦娘専用桟橋を見通せる建物の窓にも将兵たちがぎっしり張り付いて、こちらを眺めている。いくら晴れているとはいえ外気は苦痛を与えるほど冷たいが、誰も嫌そうな顔1つしない。

 

「準備はできたか、長門? 第3統合艦隊は横須賀湾を離脱した。もう、頃合いだ」

 

二日酔いで顔が土色になっている川合を引き連れた筆端が艦娘専用桟橋から、長門と既に抜錨準備を終えた艦娘を見下ろす。その数、14名。赤城を旗艦とし、みずづきを加えた第一機動艦隊、川内を旗艦とする第三水雷戦隊だ。残りの第五遊撃部隊、第六水雷戦隊は大隅に乗艦し、既に横須賀湾沖で待機している。ミッドウェー諸島までの道のりは日本人の感覚では想像もできないほど遠い。そのため、船団護衛の際に行ったように一機艦・三水戦組と五游部・六水戦組で警戒と休息のローテーションを組むことになった。壮行会の場で執り行われた赤城と加賀のじゃんけんで一機艦・三水戦組が先に警戒を行うことが決まった。そのため彼女たちは大隅に乗り込んだ百石たち横須賀鎮守府同行組と共に、既に見送りを受けていた。

 

「了解しました。総員、機関始動!」

 

長門の命令を受け、14名の機関が一斉に唸り始めた。みずづき以外の艦娘は始動時特有の一際大きな煤煙を吐き出し、快走を実現できるように機関を温める。ここで何かしらの不調が見つかれば、抜錨どころではなくなる。故に若干筆端の表情が険しかったが、軽快な唸り声に目尻を緩めた。

 

「各員、機関に異常なし。抜錨可能です!」

 

百石の不在に伴い、MI/YB作戦中横須賀鎮守府を任された筆端は目尻を緩めたままゆっくりと頷く。そして、左手首にある腕時計を覗いた。現在時刻1000。その数字が透過ディスプレイに映し出されていた。

 

「・・・・・・・・・・・時間だ。お前ら、また会おうな」

 

そう優しく微笑みかける。「MI/YB作戦」の発動を告げる軍人らしい豪快な声を張り上げた。

 

「総員出港ぉ!!」

「前進微速! 進路そのまま!」

 

長門の命令と共に暖機運転で調子を上げていた主機の出力を拡大。速度を上げれば上げるほど攻撃性を高める厳冬の空気をかき分け、凪の海を乱していく。14名が生み出す海面の乱れは十分波の境地に達していた。

 

「帽振れ!!!」

 

筆端を合図に詰めかけていた無数の将兵たちが軍帽を頭上に突き上げて振る。真夜中で過酷な現実を前に懇願を宿した、悲痛な帽振りとは全く意味が違う。視界の端で流れていくその光景は胸を熱くし、戦意を確固たるものにするには絶大な威力を持っている。ただ・・・・。

 

「あれは・・・・・」

 

己の心に静かな火を灯したのは、彼らだけではなかった。視界に入る。海浜公園には出撃を見守る市民だけでなく、知った顔があった。

 

かつて艦娘を忌み嫌い、軽蔑の視線しか向けなかった海軍士官たち。そのリーダー格の男に従い、彼らは真剣な眼差しで敬礼を行っていた。脇をしめた、海軍式の敬礼。全員、微動だにしない。

 

「ほんっっと・・・・、海軍軍人っていうのは・・・・・・」

 

みずづきたちは苦笑した後、見事な陣形を維持したまま大隅・第3統合艦隊への合流に向けて横須賀湾を進む。合流後、艦娘26名と第3統合艦隊、大隅、給油艦2隻の通常艦艇9隻で構成されるMI攻撃部隊は瑞穂本土を背に一路西進するのみ。

 

 

日本世界で大日本帝国の命運を決した海戦の舞台となり、この世界で房総半島沖海戦を引き起こした深海棲艦の出撃拠点となった絶海の孤島。歴史の教科書や戦史関係の書籍で文字としてしか見たことがない島はどのようなものなのだろうか。

 

それをこの目に映すまであと5日。好奇心を警戒心で抑えつつ、決して気の抜けない5日間の航海が瑞穂史上最大規模の軍事行動となる「MI/YB作戦発動」と共に始まった。

 




次話から主な舞台は“横須賀以外”に移行し、本格的にMI/YB作戦に移行します!
そのため本作でも“時差”なんていうややっこしい自然現象がついに堂々登場です・・。一応、作者は把握していますが、何分時差が大きすぎるので表記ミスや勘違いがあるかもしれません。文中に記した通り、時差は21時間ですので、間違いなどに気付かれた際はご一報いただけると幸いです。

っと、細かいことですが、忠実のミッドウェー海戦や現在と異なる部分があるようなのでお知らせ致します。

・時差について
現在では世界時の規格?が変わったのか、ミッドウェー諸島と日本との時差は20時間と表示されます。しかし、戦前、戦中はwikiや戦記を見るとミッドウェー諸島と日本の時差が“21時間”になっています。本作ではミッドウェー海戦と同様の「21時間」の方を採用いたします。

・日の出の時刻について
ミッドウェー諸島においてミッドウェー海戦が行われた6月4日(現地時間)は午前5時ごろが日の出だったようですが、調べてみると12月後半はミッドウェー諸島も日本と同様に日の出が遅くなり、午前7時頃にお天道様が顔を覗かせるようです。ですのでMI作戦では日の出を午前7時ごろと想定して、作戦行動を行います


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82話 MI作戦 その1 ~往路~

やってくる・・・・。
やってくる・・・・・・・。

し、4月が・・・・・。


絶え間なく世界全てを支配する、上陸地点から敵を殲滅せんと頭上を駆けていくラジコン大航空機のエンジン音。爆弾と砲弾が地上の全てを薙ぎ払う轟音。不規則に船体を降らすうねりをかき分ける波音。この時のための猛訓練を積み重ねてきた兵士たちの荒い呼吸音。

 

そして。

 

「下げろ! 下げろ! 下げろ!! 頭がハチの巣になるぞ!!!」

 

頭上を音速越えの銃弾がかすめる、末恐ろしいほど軽い音。大発動艇の最先任士官の怒号に従い、銃弾の前には無力の鉄帽ごと、頭を抱え込んでしばらく。緊張で乱れそうに呼吸音を必死に整えながら、反射的に閉じていた瞼を開く。

 

現在は真夜中。しかも大潮で新月。ここは街や基地、船内など人間の生活領域ならともかく、深海棲艦に占領されて久しい島の沿岸。普通なら広がるのは暗黒の闇で、せいぜい眼前にある海水で湿った大発動艇の床が見えるぐらいだろう。

 

しかし、役立たずであるはずの眼球は世界の様相を明瞭に捉えてくれた。橙色を反射する海水。

 

「第1中隊第1小隊大発に敵沿岸砲が直撃! 沈没!」

「N地点は29式水陸両用戦車(水戦)が敵戦車型と交戦中! 各上陸艇は回避されたし!」

「サンゴ礁に注意! 大潮だからと気を抜くな! 座礁すれば命はないぞ!」

 

操舵室から漏れ出した無線で交わされる緊迫したやりとりが聞こえてくる。

 

「あそこだ! あの丘!」

「了解!」

 

この大発動艇へ執拗に銃撃を加えてくる敵機関銃陣地に向け、2人の射手がそれぞれの7.62mm機関銃で応戦する。脳自体を揺さぶる重低音の炸裂音。それに加えてなぜかこちらへ飛んでくる高温に熱せられた薬莢に注意しつつ、50人ほどが頭を下げている向こう側を見る。

 

上陸地点に隣接した熱帯雨林が炎に舐められ各所で燃えていた。

 

艦娘航空隊による空爆、沖合に停泊した艦娘・通常艦隊からの容赦ない砲撃でベラウ本島の戦いから再生しかけていた森林は再び焼け野原になろうとしていた。

 

7年半の年月を経て、瑞穂と深海棲艦の立場は逆転していた。かつて、軍民合わせて1万1000人の犠牲を出したベラウ本島の戦いでは瑞穂が深海棲艦の砲爆撃に怯えて地下に籠り、深海棲艦が海上から押し寄せる立場だった。人間を虫けらのように殺し、数多の人々の思い出と故郷を奪った挙句の報いに、死に瀕している化け物に感情があるのならどのような心境なのだろうか。

 

「お母さん、お父さん、お母さん、お父さん、お母さん、お父さん、お母さん、お父さん、お母さん、お父さん、お母さん、お父さん・・・・!」

 

こちらは既に正気を失いかけている人間が出ている。屈強な兵士でもこうだ。弱音を少しでも吐けば殴りかかってくるこの部隊の先任下士官も今ばかりは大人しくしていた。ただ、軍服の下から出してきた写真を虚ろな目で眺めるのみ。自分の立場なら戦意を喪失している者に鉄拳制裁を食らわすことは可能だが、当旅団司令官副官という立場がある以上軽率な行動はできない。なにより、彼らの反応は人間としてごく自然なものだった。人間の感情を捨てなければ軍務は遂行できない。かといって、人間でなければ軍人は務まらない。ここの匙加減を自分の上官はあの外見と性格だが理解していた。

 

先ほどより、銃撃が激しくなってきた

 

「総員! 上陸用意!」

 

いまだに軍人の矜持(きょうじ)を保っている士官の叫び声。全員、大発動艇の正面にあるランプに体の正面を向け、突撃体勢に入る。お父さん、お母さんと連呼していたこの場で最年少の兵士は口を噤み、24式小銃を握りしめた。

 

「いいか! ブリーフィング通り、ランプが降りたら、一直線に走って砂浜の縁に身を隠せ! 絶対に立ち止まるな! 少しでも躊躇したら死体袋行きだぞ! 沿岸の敵火力を制圧している水戦には絶対に近づくな!」

 

ちょうど一足早く上陸し、敵と激戦を繰り広げている29式水陸両用戦車(水戦)の37mm砲が吠えた。断続的に副武装である7.62mm車載機関銃の銃撃音が砲爆撃音の間を縫って聞こえてくる。

 

「吹き飛ばされても知らないぞ! あとは上陸してから通達する!」

「上陸まで、あと一分!」

 

舵を握っている操舵主が叫んだ。7.62mm機関銃の射手は懸命に装填作業を行っている。大発動艇の射手には道中の応戦だけでなく、歩兵突撃時の射撃援護も重要な任務だ。運んできた歩兵が決死の思いで上陸しているにもかかわらず呑気に装填作業をしようものなら、沿岸から狙撃されても文句は言えない。火力支援の有無で容易に数十人の生死が決まるからだ。

 

「上陸、10秒前!」

 

第3海上機動旅団第1機動大隊第1歩兵中隊第3小銃小隊の将兵たちが息を飲む。大発動艇は減速、突然の急激な制動で停止する。ずりずりと砂の摩擦音が足元から伝わって来た。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

一拍の沈黙。両翼には運よく敵の砲撃を逃れた大発動艇がひしめいている。それも第3海上機動旅団の将兵、装備、物資を満載している。ランプがわずかに振動する。艦娘を筆頭とする砲爆撃はベラウ本島の中央部に移り、変わって29式水陸両用戦車(水戦)が森林を猛火で薙ぎ払う。

 

「上陸・・・・・・」

 

わずかな振動は盛大な落下につながった。

 

「開始いぃぃ!!!」

「撃てぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

各大発動艇の7.62mm機関銃が一斉に火を噴く。

 

「うぉぉぉぉぉっぉ!!!!」

 

覚悟を決めて将兵たちが比較的安全な大発動艇内から銃弾や砲弾、その破片が作為・無作為に関係なく飛翔する戦場に身一つで飛び込む。最後尾ながら彼らの勇姿に続く。

 

しぶとく生き残り、それを待ち伏せていた銃口はなんの感情もなく彼らに鉛弾を無数に叩き込んだ。絶叫と悲鳴が銃撃に負けず響き渡る

 

「ぶはっ!」

「う゛」

「あ・・あぁぁぁぁぁ・・・・・・」

「ぼぶっ! お、ぇ・・」

「ああぁぁ!! 腹が! 腹が!!!」

「うで・・・腕は!!! 俺の腕!」

 

周囲で数え切れないほどの将兵が血飛沫を上げ、顔を絶望に染め、四肢をバラバラにされながら、砂浜に倒れ込んでいく。それに構わず、閃光と熱と音で意識が霞む中、ひたすら進む、走る、駆ける。

 

「がぎゃ!」

「っ!?」

 

多数の将兵が張り付いている砂浜の縁まであと少しと迫った時、顔面に赤く、鉄の味がする人間の体液が降りかかった。視界を確保しようと顔面をかきむしる。前を走っていた兵士が奇怪な声を上げ首を押さえながら「ぶぶぶぶっ!!! ごごがぎごっ・・・」と倒れ込む。首から血の噴水を上げている彼にも構わず、走った。

 

「今はまだ応戦するな! 敵の抵抗がまだ強い! 下手に命を散らすな!」

 

周辺に檄を飛ばしている中隊の指揮官らしき男の近くに滑り来んだ。反動で顔面に砂がかかり、鉄分で武装した砂が味覚を犯し始める。唾で必死に口内の異物を排除する。

 

「おい! そこのお前! 大丈夫か! 顔面が血だらけだぞ! 衛生兵! 衛生兵は!」

「だ、大丈夫です! これは私の血ではありません!!!」

 

指揮官にくっつき、血まみれの顔面を認めるなり衛生兵を呼ぼうとした兵士はこちらの言葉に全てを察し、「そうか」と視線を逸らす。この顔面が影響しているのか、彼にもそこまで余裕がないのか。しっかり顔を凝視されたにもかかわらず、特段の反応もない。そのまま職務に戻ろうとしたが、これ千載一遇の好機。敵味方の銃砲撃に負けないよう大声で叫ぶ。

 

「申し訳ありません! 近く、または配下の兵士に無線機を持っている者はいますか!?」

「なぜだ!?」

「自分は不死川(しなずがわ)司令付副官の柳葉亨(やなぎば りょう)大尉であります!」

「はっ!?!?!?」

 

当たれば絶命必死の銃弾が頭上でレースを展開しているにもかかわらず、彼は素っ頓狂な声を上げた。

 

「そういえば・・・・」

「至急不死川司令に連絡を取り、上陸の現状を報告しなければなりません! 大至急です!」

「ああ・・分かった。おい! 流郷(りゅうごう)! 二谷を引っ張って来い! 今すぐだ!!」

「分かりました!」

 

砂に顔面をうずめていた気弱そうな兵士が匍匐前進で移動していく。それを見届けると彼は呆れたような目で見つめてきた。

 

「よくもまあこんなとこまで来たな? 不死川司令の命令か?」

「はい! そうであります!」

 

特に緘口令も敷かれていないため、柳葉は正直に話した。通常、安全な海上の母艦で指揮を取っている司令官の懐刀が死傷確率の極めて高い第1次上陸に参加することはまずありえない。だから彼のある意味、無礼な反応こそが自然だ。しかし、的確な指揮には正確な戦場情勢が必須。それを収集できる人間は不死川を知り尽くしている副官にしか務まらなかった。

 

「遠路はるばるご苦労なことで・・・・・・っ!? 伏せろ!!!」

 

反射反応的に顔面を砂にうずめる。顔面が砂で覆われたと同時に後方で爆発が起きた。言葉になっていない絶叫が聞こえる。

 

「正面、距離500! 数1! 敵戦車型! カブトムシだ!」

「くそったれが! 地下に潜っていやがったな!」

 

彼が毒づく。カブトムシとは地上型深海棲艦機甲部隊の主力を成している戦車型の深海棲艦の俗称である。見た目が子供たちに大人気のカブトムシに酷似していることから名付けられた。全長約6m、全高約3mもある巨体を複数の図太い足で支え、ちょうどカブトムシの角にあたる部分に正面装甲25mmを誇った11式戦車をいとも簡単に粉砕する主砲がある。装甲は戦車型というだけあり、正面は11式戦車の57mm砲でも歯が立たない。29式水陸両用戦車(水戦)の32mm砲は投石のようなものだ。断続的に同じ場所へ複数の砲弾を叩き込めば32mm砲でも動きが鈍重なため撃破は可能だが、一撃では仕留められない。

 

こうなる事態を防ぐため、2日間にわたる徹底的な砲爆撃が行われたのだが、日本世界の大日本帝国陸軍よろしく地下深くに構築された塹壕の中に身を潜めていたようだ。

 

上層部の懸念が見事に的中した。

 

「おい! 対戦車ロケット! 早くしろ! 吹き飛ばされるぞ!」

 

身を屈めながら、将兵たちが走り回る。手の空いている者は24式小銃をぶち込み、威嚇目的で手榴弾を投げるが効果なし。そして、再度解き放たれた鋼鉄の咆哮により砂浜に大穴が空き、数人の体液と内臓がぶちまけられた。四肢をまき散らしながら宙を舞う人間の姿は筆舌に尽くしがたかった。

 

「やれやれ・・・。俺たちは生きて本土に帰れるのか? たまんねぇな・・・・・」

 

死に肩を叩かれた状態での吐露。不死川の副官として指導しなければならないことは分かっていたが、同じ想いを抱えている柳葉に一刀両断する選択肢は浮かばなかった。

 

大宮鎮守府第三機動艦隊を主力とする艦娘部隊によりパラオ泊地、泊地棲姫・飛行場姫が撃破された12月21日。当日中にベラウ本島奪還の初手、ベラウ本島上陸作戦が決行された。幾多の犠牲を払おうとも瑞穂陸軍は暗黒に火の粉をまぶした空の下、国土奪還のため前進していく。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

ベラウ諸島で激戦が繰り広げられている頃、MI攻撃部隊は順調に航海を重ね、出撃後5度目の夜を迎えていた。瑞穂時間本日1830過ぎにミッドウェー諸島イースタン島から1100kmの敵哨戒圏内に突入。これまでに2度ほどみずづきのFCS-3A多機能レーダーが中間棲姫の哨戒機とおぼしき機影を探知。ここまで敵潜水艦の反応もなく、ましてや空を飛ぶものは渡り鳥のみという状況だったため、みずづきが初の発見報告を上げた際、部隊には緊張が走った。

 

空母航空隊のみで中間棲姫の制空能力奪取は可能。この青写真は真珠湾攻撃と同様に中間棲姫に発見されず懐に飛び込む「奇襲攻撃」を前提としている。日本世界におけるMI作戦時のように、敵に発見され、防御態勢を構築された上での「強襲攻撃」では中間棲姫に大ダメージを負わせることは困難。更に中間棲姫から発艦した敵基地航空隊との空中・海上での航空戦は不可避であり、みずづきがいるとはいえ同時多発的に複数の戦闘が生起した場合、航空隊・艦隊の双方に甚大な被害が生じる可能性もあった。そのようなてんてこまいの状況で敵機動部隊が出現したら、最悪である。

 

それを避け、「奇襲攻撃」を敢行するには敵に発見されないことが必須条件。故の緊張だったが、哨戒機は目的もなくただジグザグ飛行をするわけではない。基本的に一直線に飛行し、特定の地点に至ると転進、また一直線に飛行し、また転進、基地へ帰投というようにあるパターンに基づいた飛行を行う。これは日本世界・瑞穂世界の人類問わず深海棲艦も同様で、みずづきが逐次監視した状態なら、哨戒機に発見されずミッドウェー諸島に近づくことは比較的容易だった。

 

いまだにMI攻撃部隊は敵に発見されることなく、俄然ミッドウェーに進撃中だ。

 

「ぶっは~~~~~~~。気持ちいいぃぃ!! やっぱり、お風呂は日本人の生き甲斐!」

 

そのため、横須賀鎮守府に所属する艦娘を一機艦・三水戦、五游部・六水戦に分けた12時間交代のローテーションは現在に至るまで継続中。

 

1000から2200までの艦隊護衛で疲労困憊(ひろうこんぱい)の身体。汗や海水の粘つきにうんざりしていた肌に適温のお湯は至上のご褒美だった。

 

「あんたね・・・・・。風呂ごときでよくもまあ、そこまで盛り上がれるわね・・・。昨日も一昨日も似たようなこと言ってたし・・・。壊れた蓄音機?」

「何を失礼な! そりゃ、テンション上がるもんでしょ! 船の中でお風呂! 海水とはいえ、最高じゃんか!」

「・・・・・元気ねぇ~~~」

 

隣で肩まで浸かりながら目を細めてくる曙に抗議を行い、自分にとってどれほどこれに価値があるのか、握り締めた拳で示す。

 

ここは大隅の艦内に設置されている「艦内浴場」だ。浴槽は気合いを入れれば20人ほどが入れるステンレス製。右舷側の端に所在するため、浴槽が唯一密着している壁は傾いており、床より天井の面積が小さい。シャワーは10個ほど付いており、横須賀鎮守府の「灯の湯」と比較すれば雲泥の差だが、艦内浴場としては十分すぎる設備である。地球では浄水技術や運搬技術の革新によりこうした設備が一般化しているとはいえ、技術水準の差や旧海軍の逸話からシャワーがあったら幸運と考えていた折に、長門から「大隅の艦内浴場」の存在を聞かされた時は非常にうれしかった。瑞穂海軍も日本海軍と同じで浴槽はあっても使用は港に立ち寄った時ぐらいなもので、航海中はシャワーすら厳しい。しかし、大隅は艦娘の前線基地となる特別な艦船であり、風呂をはじめとした福利厚生は2033年現在の日本より遥かに充実していた。

 

真水が有限である以上、使用されている水が海水なのは致し方ない。シャワーに時間制限が存在するのも仕方ない。ただ1つ問題があるとすれば・・・・・。

 

「揺れますね・・・・・」

 

対面で熱っぽい吐息と共に呟かれた榛名の言葉。特段低気圧に遭遇しているわけでもないのだが、海面のうねりが高く、大隅はかなり揺れていた。浴槽の水面が規則的に上下するほどには。

 

「みんな気を付けなよ~。艦娘が艦内で転んで損傷なんて、未来永劫笑い話にされるよ~~」

 

貴重なお湯やら、石鹸・シャンプーやらで大盛り上がりの深雪を筆頭とする三水戦の駆逐艦たちを入浴中の川内が諫める。若干元気がないように聞こえるのは疲れからか、はたまた夜になった途端、艦に回収されたからか。この揺れは今に始まったことではない。今日の正午過ぎからうねりの高い状態が続いているため、大隅はずっとこのような感じらしい。顔面蒼白でトイレに並ぶ将兵や涙目で医務室に駆けこむ将兵たちからなんとなく察していた。

 

みずづきも海上の揺れには慣れているため、艦娘たち同様に何食わぬ顔で入浴している。

 

「よっしゃぁぁぁ! 終了! 待ち望んだ入浴やぁぁぁ!!! っと!」

「黒潮!」

「ん?」

 

陽炎の驚嘆に振り向いた途端、黒潮がなぜか浴槽へ飛び込んできた。「ザパーーンッ」と浴槽内が大しけとなり、淵から大量の海水があふれ出す。もれなく入浴中の全員が頭から海水をかぶる。突然の珍事に顔を拭いながら呆然としていると黒潮が頭を振りながら、水面を突き破ってきた。

 

「黒潮! 大丈夫!!?」

 

血相を変えて声をかけると、黒潮は気まずそうに苦笑を浮かべる。

 

「あ、あぶっな~~~~。足が滑ってしもうたわ、ごめんな・・・・・」

「だから言わんこっちゃない・・・・・・。川内さんも言ってたじゃん、走るなって!」

「そうよ、黒潮! もし滑った場所がここじゃなかったら、あんた全裸で医務室に運ばれるところだったのよ!」

 

みずづきに続いて、浴槽に入った陽炎が水面をかき分けながら詰め寄る。黒潮は「ごめん、ほんまに堪忍してや」と顔を引きつらせながら、こちらに近づいてくる。そして、曙の足を踏んだ。

 

「あ・・・・・・」

 

みずづきをはじめとした入浴中の艦娘が黒潮に無言で合掌する。曙からはお湯に負けない熱気がひしひしと伝わってきた。

 

「あんたね・・・・・・・・」

 

髪の毛から海水を滴らせながら、ゆっくりと立ち上がり・・・・・。

 

「いい加減にしなさいよぉぉぉっぉ!!!!!!」

 

怒りを爆発させた。

 

「あ~~あ・・・・・」

 

緑がかった黒髪を泡まみれにした瑞鶴が憐れな視線を黒潮に送る。黒潮は曙に飛びかかられ、浴槽内で羽交い絞めにされている。黒潮もおとなしくしていればよいものを「あんたやって人のこと言えんやろうが!!!」と果敢に反撃。「口答えする気!! 先にしでかしたのはあんたでしょうが!! 川内さんの忠告も聞かずに!!!」とますます曙はヒートアップ。

 

浴槽の半分に身を寄せ合った艦娘たちは形容しがたい現実から目をそむけるように、至極真面目な話を始めた。潮も曙を見放したのか、呆れて介入する気が起きないのか、艦娘の輪に加わった。

 

「そういえば、誰かパラオ・・・・ベラウの状況聞いた人いるか? ヤップ島の状況は緒方部長から聞いたんだけどよ・・・・」

「もうパラオでいいんじゃない? ここだけは。私たちにとってはベラウよりパラオの方が馴染深いんだし」

 

浴槽の隅で行われている苛烈な水上戦闘に背を向け、川内が摩耶の心中を鑑みた提案を行う。異論が出るどころか、洗髪を終え入浴してきた赤城も特に口を挟まない。パラオ共和国パラオ諸島にはアジア・太平洋戦争時、パラオ本島・コロール島にまたがる日本海軍の巨大な泊地があった。1944年(昭和19年)2月のトラック島空襲によりトラック泊地の使用継続が困難となった後、旧海軍はパラオ泊地をトラック泊地に代わる前線根拠地として使用した。わずか1か月半後の1944年(昭和19年)3月30日から31日にかけて行われたアメリカ海軍機動部隊による大規模空襲「パラオ大空襲」により機能を喪失したが、例え立ち寄ったことがなくとも日本が委任統治をしていたこともあり「パラオ」は身近な地名だった。

 

「私は何も・・・・・・。みずづきは? 夕方に捕捉した哨戒機の件で司令室に呼ばれてなかったっけ?」

「え・・・・・・まぁ・・・」

 

疑問を投げかけてきた陽炎の言葉は事実だ。みずづきは敵哨戒機の特徴や動向、捕捉して気づいた点などを報告しに司令室を訪れた際、百石からベラウ諸島方面の戦況を聞いていた。

 

「と言ってもそこまで詳細は聞いてないよ? ベラウ本島・コロール島をはじめとするベラウ諸島に対する上陸作戦は予定通り今夜決行。空母航空隊、艦娘、通常艦艇からの砲爆撃で支援されながら、第2連合特別陸戦隊、第2海上機動旅団、第3海上機動旅団、第1、2、3特殊機動連隊、合計約2万名がベラウ諸島各島に上陸。今、海岸付近を中心に激しい攻防が起きているみたい」

「被害の状況は? ヤップ島じゃ今朝の時点で60人近い犠牲者が出てるみたいだったが」

 

摩耶が心配そうに尋ねてくる。多温諸島とベラウ諸島のちょうど中間に位置するヤップ島では還4号作戦で最初となるヤップ島上陸作戦が昨日の午後に決行されていた。呉特別陸戦隊第2特別陸戦隊、佐世保特別陸戦隊第4特別陸戦隊で構成される第1連合特別陸戦隊約1600名は同島深海棲艦守備隊と現在も戦闘を行っており、既に72名が戦死していた。

 

「艦砲射撃を行っている艦娘たちに被害はないと。今のところ、トラック泊地をはじめ各泊地からベラウ諸島奪回を目指した艦隊の出撃も確認されていないということです。ただ、対潜戦闘はかなり頻発していると・・・」

「敵の注意が向こうに行ってるってなら、陽動作戦の意味はあったな。こっちは潜水艦のせの字もないんだぜ?」

 

陽動とは言えないほど還4号作戦には大規模な兵力と尋常ではない労力が費やされているのだが、現状を考えると深雪の言葉には頷かざるを得ない。それなりの陣容を誇るMI攻撃部隊は今のところ、敵に発見されていない。こうして風呂で疲れを癒せるのも、そのおかげだ。

 

「上陸部隊の被害ですが・・・・・・・」

 

摩耶が本当に聞きたがっていることを言おうとした瞬間、司令室で聞いた言葉を思い出し、つい言葉を詰まらせてしまった。赤城や翔鶴は既に知っているためか、同情の視線を向けてくれる。だが、摩耶など知らない艦娘たちは先を急かしてきた。

 

「おいみずづき、どうしたんだよ?」

「その・・・・・・・。そうなんですか?」

 

摩耶に続いた潮の消え入りそうな声に、立ち止まっていた背中を押された。

 

「ウルシー泊地はトラック泊地から敵艦隊が進出してきていないこともあり順調なようですが、パラオはその・・・・・・・かなり出ているようです」

 

なんとも抽象的な言葉だったが、表情から察したようで一往に空気が重たくなった。

 

「なんでだよ・・・・。泊地棲姫や飛行場姫は空襲作戦もあって撃破できたし、守備隊が待ち構えていることは大宮の偵察から分かってた。こういう事にならないよう2日間も空と海から掃討作戦をしてたじゃねぇか」

「今回の作戦には多くのみなさんが参加されています。なのに・・・」

「・・・・不可解」

「どうやらね。深海棲艦は塹壕を掘って、地下に部隊を隠してたらしいのよ」

「え・・・?」

 

摩耶、白雪、初雪の疑問に赤城が冷静な口調で答える。目を丸くする3人。血相を変えた深雪が赤城に詰め寄った。

 

「塹壕を掘ってた? 多温諸島の時は艦砲射撃で吹き飛ばせたじゃねえか」

「敵も学習しているのよ。今回は多温諸島で見られたような単なる塹壕ではなく、地下要塞と呼べるほど敵は地下にトンネルを張り巡らせていて、そこに身を潜めて攻撃してきているそうよ」

「なんでも、ベラウ本島の戦いの際に瑞穂軍が使用してたトンネルを深海棲艦が再利用してるんじゃないかって話。まぁ、空爆と艦砲射撃で自分たちが掘ったトンネルを瑞穂軍が徹底的につぶしてもこれだから、おそらく新規に掘ってるんだろうけども・・・・・」

 

赤城の説明をわずかばかり捕捉する。

 

「それじゃあ、まるで・・・・・・・いや」

 

深雪は言葉を言いかけるが、途中で口を閉ざす。その続きを神妙な面持ちの潮が口にした。

 

「まるで・・・・・・・日本みたい、です」

「確かに・・・・・・そうね」

 

のぼせたのか、いつの間にか浴槽の淵に腰を掛けていた榛名が視線を落としながら同意した。いまだに激戦を繰り広げている2人以外の全員がそう思っていたのか、一拍の沈黙が訪れた。

 

それが良くなかった。

 

この世界にいる深海棲艦が次元の壁を超えなければ知っているはずがない、そして人類から膨大な情報収集しなければ知ることができない旧軍の戦術を、日本の歴史を知っているなら、必然的にあることを証明することになる。

 

 

“日本は、世界は何かを隠しているんじゃない?”

 

 

あの時、営倉で囁かれた粘り気のある言葉が甦る。

(深海棲艦と人類は・・・・・・・・)

 

 

深海棲艦の正体・・・・根源に迫る何かを。

 

(深海棲艦は人類を殲滅対象とする敵。そして、深海棲艦は人類が殲滅しなければならない宿敵。・・・・・・それだけよ、それ・・・だけ)

 

「う・・・」

 

思考が許容量を超えたのか、心が強制的に思考を遮断しようとしたのか、急に目眩が襲ってきた。世界が歪む。

 

「ちょっと、みずづき? ・・・・・大丈夫?」

 

心配をかけまいと誤魔化したつもりだったが、隣にいる陽炎にはバレてしまった。不自然に見えないよう必死に愛想笑いを作り、「大丈夫、大丈夫」と手を振る。

 

「本当に大丈夫? 嘘ついていたら、承知しないわよ」

 

日本の真実に絡む一件のせいか、陽炎が全く納得してくれない。

 

「大丈夫だって! その、あっちの2人の熱気にあてられたのかも・・・・」

 

陽炎の後方を指さす。そこには疲れを癒すためにもかかわらず、疲労を蓄積させた曙と黒潮が浴槽の淵に腰かけてのぼせていた。「はぁ・・・・はぁ・・・・・」とゆでだこ状態で戦闘不能に陥った2人を見ているとこちらまで熱く感じる。

 

「・・・・・・・・上がる?」

 

陽炎も同様の感覚に陥ったようだ。2人に呆れたような視線を向けると立ち上がる。みずづきもそれに続いた。本当にのぼせていたこともあったが、自分よりとある部分が格上の赤城や加賀、榛名が目の前にいては劣等感に苛まれることこの上ない。彼女たちにさりげなく背中を向けている鶴姉妹は賢かった。

 

「っち」

 

空耳か。前方から舌打ちのようなものが聞こえた気がした。背筋になぜか寒気を感じる。言葉が喉まで出かかったものの、命のためツッコまないことにした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

第二機動艦隊と予定通り会合できるのか。会合地点がミッドウェー諸島北東300kmという中間棲姫の懐で敵に発見される懸念のほかに、そもそもこの渺々(びょうびょう)たる太平洋で落ち合えるのか、という点が気がかりで仕方がなかった。

 

平時で、無遠慮に無線の使用が可能なら気を揉む必要はない。だが、現在は有事で、敵にMI攻撃部隊の存在を傍受で悟られないよう両艦隊とも無線封止中。天候は雲量が4のぎりぎり晴れ。視界も比較的良好だが、もし艦隊の現在位置を、航海長をはじめとする航海科士官や艦娘が間違えていたり、お互いの視認圏外ですれ違ってしまった場合、非常に厄介なこととなる。日本海軍では会合できないことに業を煮やした艦隊の指揮官が上級司令部の無線封止命令を破って、電波を壮大にまき散らすという荒業もかなり行われていた。

 

「こちら、みずづき! 大隅よりの方位105、距離62000にて第二機動艦隊を捕捉! 速力27ノットで当部隊へ接近中!」

 

だが、MI攻撃部隊には瑞穂が心血を注いで開発した各種電探を子供の玩具に貶めてしまう電子の目を持ったみずづきがいた。よって、頭を抱えることも気を揉むこともなく、常識では考えられない迅速さで全く異なる航路を進んできた第二機動艦隊をあっさり捉えることができた。

 

「こちら、赤城。了解しました。引き続き、第二機動艦隊の誘導をお願いします。これで一安心ね」

 

第二機動艦隊を捕捉したのはみずづきのFCS-3A多機能レーダーではない。あらかじめ、作戦計画で明示されていた第二機動艦隊の航路上に進出させていたSH-60K、ロクマルの対水上レーダーである。あちらにもみずづき搭載の回転翼機が迎えに上がるかもしれない旨は伝達済みであるため、蒼龍たちが肉眼で見える位置まで近づいても特段の反応はない。

 

「こちら、赤城。みずづきさん、二機艦との会合後は今朝の打ち合わせ通りに」

「分かりました」

 

第二機動艦隊とMI攻撃部隊の横須賀組が会合するまであと1時間弱。第二機動艦隊はこちらと合流後、一旦引き連れている艦娘母艦「能登」に収容。艤装を格納したのち、能登の内火艇で大隅を訪問。案内係を一機艦、特にみずづきが務めることになっていた。本来なら夜遅くまでこのまま哨戒・護衛を行う予定だったのだが、明日はいよいよミッドウェー諸島攻撃期日。みずづきたちが引きあげたあとは五游部・六水戦の担当だが、彼女たちも日没までには大隅と能登に引き込み、護衛と哨戒は第3統合艦隊のみが担うことになっていた。

 

これに対しまたしても第3統合艦隊司令部は「自信がない」として渋ったが、軍令部と横須賀鎮守府が「艦娘の休息と万全の体調による攻撃精度の確保が不可欠」と突っぱねていた。

 

それより気がかりなことがあった。現状、こちらの方が遥かに重要である。

 

何故、蒼龍たちと親交が深い赤城たちを差し置いて、艦内にまだまだ不慣れなみずづきが案内係に選ばれたのか。それは二機艦が大隅の甲板に上がった時に分かった。

 

「お久しぶりです、赤城さん! 硫黄島で会って以来ですから2ヶ月ぶりですね!!」

「久しぶり、蒼龍さん。遠路はるばるご苦労様。どうだった? オオトリ島は?」

 

子犬のように寄り添ってくる蒼龍に母性あふれるほほ笑みを浮かべる赤城。

 

「どう翔鶴、最近の調子は? 私なんて明日かと思うとわくわくが止まんないよ! この飛龍、もう一度、ここで意地を見せるよ!」

「赤城さんに指導していただいてきましたが、やはり私はまだまだです。飛龍さんの技量を拝見して、よりお役に立てるよう最善を尽くしていきたいです」

 

体全体で興奮を表す飛龍に、いつも通りの清楚さで決意を伝える翔鶴。

 

「よっ。久しぶり。・・・・・・なんか、太ったか?」

「なっ!? あなた、会って早々姉に向かってなんてひどいことを・・・・。気にしてたのに・・」

 

会えなかった時間に頓着せず心に素直な摩耶にため息をつく鳥海。

 

「お姉さまは!? 麗しい金剛をお姉さまは何処に!? 金剛お姉さまの妹分、比叡。ここに参上仕りましたよぉぉぉぉ!!!」

「ちょっと、比叡お姉さま! 声が大きいです! それに金剛お姉さまはさきほど護衛に・・・」

「Noooooooo!!!!」

 

ショックのあまり半分金剛化が進行している比叡を必死に宥める榛名。

 

「相変わらず、元気そうね。浴場で黒潮と暴れたって聞いたけど、もう少し瑞穂を守る艦娘の矜持(きょうじ)ってものをね・・」

「ふん! なんで会ってそうそう、そんな説教じみたことを聞かなきゃならないわけ? そんなんだから、堅物って言われるのよ!」

「堅物? トラブルメーカーのあなたに私を堅物って非難する資格はないわ」

「・・・・・・・・・トラブルメーカー????」

「ああ!!! 曙ちゃん! 落ち着いて! 朝潮さんも悪気があって言ったわけじゃ・・・」

「朝潮! 少し言いすぎ! みんな仲良くしないと! 同じ駆逐艦じゃん!」

 

険悪なようで本気に見えない火花を散らしている曙と朝潮。それを必死に抑え込む潮を照月。

 

その光景を呆然と1人、正確には第三水雷戦隊のメンバーと見つめるみずづき。大海原で十分に冷やされた海風が首筋を舐める。

 

「まぁ、その・・・・・・・がんばれよ!」

 

顔をひきつらせた深雪が肩を叩いてきた。久方ぶりの姉妹、仲間、戦友同士の再会。それにしのごの言う気はない。ただ、自分は案内係だ。そして、二機艦の滞在時間、各訪問先の到着時間も既に決められている。スケジュールの狂いから生じる責任はやはり案内係にのしかかる。

 

「私、案内できるかな・・・・・」

 

いつもは騒がしい第三水雷戦隊は心情の吐露に何も答えてくれない。ただ、「あきらめるな」と苦笑で背中を押すのみだった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「ここが司令公室です。既に百石司令官と緒方参謀部長は待機されています」

 

大事な作戦前に将兵-船酔いで精神が逆立っている者も含めて-から恨みを買ってたまるか、と気合いでなんとか予定をスケジュール通りに消化。当初、興奮気味だった一機艦・二機艦双方のメンバーも堅物だのトラブルメーカーだの言い争いをしている2人は除いては徐々にクールダウン。みずづきが注意しても、潮や照月がなだめても一向にいうことを聞かなかった2人は大隅の整備工場を訪問時、MI攻撃部隊に同行している漆原からお灸を据えてもらった。それ以来、2人も借りてきた猫のように大人しい。

 

そして、ここ第1甲板の司令官公室が最後の場所だ。司令室が作戦・指揮を行う司令部であるのに対し、「公」の1文字が加わっているこの部屋は司令官、鎮守府司令長官の執務室である。寝起きや余暇を楽しむ司令私室はここの隣にある。どちらも艦内だけあり空間は限定的だが、司令公室は15人なら収容可能な広さを持っている。

 

全員いることを確認しノックすると中から「入れ」という百石の声が聞こえてきた。

 

「失礼します!」

 

全員を代表して声を張り上げ、ドアを開く。室内には打ち合わせ通り、横須賀と比べても簡素な執務机についた百石と彼の右側に控えている緒方がいた。

 

「想定通りだな。さぁ、入って入って」

 

破顔した百石に促され、続々と艦娘たちが入室していく。金属感あふれる扉を閉めると百石を正面に形成されている横列の最後尾、潮の隣につく。二機艦は一機艦の前方で同じように横列を組んだ。今回の訪問は二機艦が主役である。

 

「久しぶりだな、みんな。最後に会ったのは硫黄島基地かな?」

「はい。第一庁舎でお会いして以来です」

 

代表して旗艦の蒼龍が答える。

 

「大宮の状況は? 私も還3号作戦終結後はさっぱりでな」

「最近は作戦の準備や排斥派の検挙で騒がしかったですが、もともと大宮は騒がしいところですので、平穏そのものです。ベラウ諸島からのちょっかいも各艦隊と交代で大事なく。伊地知提督も相変わらずお元気です」

「そうか、あいつの騒々しさも相変わらずか・・・・。安心したよ。最近はいろいろこちら側の事情でごたついていたこともあるし」

 

蒼龍たちは横須賀騒動について知らされてはいなかったが、海軍に身を置いている以上、海軍内の地殻変動についてある程度認識していた。

 

「さて、あいさつはこれぐらいにして、本題に入ろうか」

「・・・・・・なにか、変更でも?」

 

穏やかだった蒼龍の声色が固くなった。

 

「ん? ああ、すまない。作戦については伊地知から指示してもらった通りだ。変更はない。中間棲姫がこちらに気付いた兆候もないし、ミッドウェー東方海域に展開している潜水艦娘たちから敵機動部隊発見の報もない。作戦はこちらの思惑通りに進んでいる」

 

ミッドウェー諸島東方海域には呉鎮守府潜水集団の潜水艦娘たちが身を潜め、敵機動部隊による奇襲の防止と敵機動部隊の動向をMI攻撃部隊に知らせるため哨戒線を構築している。日本の反省を生かし、MI攻撃部隊が横須賀を出港した17日には展開を完了。2重の厳重な哨戒を実施していた。相手が潜水艦娘の存在を知らず、布哇泊地から最短距離でミッドウェー諸島を目指した場合、複数張り巡らされた哨戒線のいずれかに引っかかる。だが、そう言って日本海軍は運悪く、アメリカ海軍機動部隊が哨戒線上を通過した後、哨戒線を構築。哨戒線のすぐ北側を通過されてミッドウェー諸島攻撃中に奇襲を受けた。仮に敵がこちらの動きに全く気付いておらず機動部隊が布哇泊地に停泊中だとすれば、現時点から出撃しても丸1日かかる。しかし、誰も「空母は来ない」などと慢心はしていなかった。

 

「本題というのはだな・・・・。緒方部長、お願いします」

「はっ!」

 

この司令公室は隣の司令私室と扉一枚で繋がっている。緒方は左側にあった扉を開けるとその中に消える。一分ほど経ったあと、漆で艶やかさを放っているお盆を抱えて戻って来た。そこには人数分の白い小皿が置かれており、小皿の上には殻を取った栗が1粒置かれていた。透明感あふれる黄色で、甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 

「提督、これは!?」

 

栗の正体を看破した赤城をはじめとする艦娘たちが驚いた様子で百石を見る。

 

「心配しなくていいぞ。今日の夕食にはちゃんとかち栗に尾頭付きの鯛、赤飯、・・・朝潮たちには無理だが赤城たちには冷酒も出る」

「いや・・・その・・・・」

 

瑞穂海軍には日本海軍と同じように作戦前に艦内神社に参拝したあと、かち栗と尾頭付きの鯛、赤飯を用意し冷酒で乾杯。勝利を祈願するという恒例の儀式があった。これは士官限定の儀式で飛行科員や下士官たちにはまた別のゲン担ぎ料理が振舞われる。作戦時、艦娘たちもその重要性から士官たちと同じ料理が出撃前日や直前に出される。

 

「本当は五游部や六水戦とも一緒にやりたかったが、仕方ない」

 

緒方がお盆をそれぞれの艦娘たちに差し出し、それを恭しく受け取っていく。みずづきもお盆に置かれた手拭きで手の汚れを落とし、「ありがとうございます」と謝意を述べて栗を受け取った。

 

かち栗。「かち」は漢字で「搗」と書き、古来の意味は「臼でつく」。現代語に訳すと「籾を除去する」という意味合いがあった。この「搗」が「勝つ」に通じることからゲン担ぎとして、出陣の際や勝利を得た際、正月の祝儀などに用いられるようになった。いわゆる、甘栗である。

 

特別な意味合いが込められているためかたかが1粒、されど1粒。大きさや個数にしては重たく感じる。他の艦娘も感じ入るところがあるのか栗を凝視している。

 

最後に百石とお盆を司令私室に片づけた緒方が手に取った。

 

「ゲンはいくら担いでも、罰は当たらないだろう。なら、担がせてもらおう。勝つために」

 

百石は艦娘を見回し微笑むとかち栗を少しだけ掲げた。彼の心中を察した艦娘たちは驚愕から真剣な表情に変え、かち栗を控えめに掲げる。みずづきも続いた。

 

「諸君、明日は頼んだぞ。いただきます」

「いただきます!」

 

口の中にかち栗を豪快に放り込む。舌に触れた瞬間、口内、鼻腔に広がる甘味。咀嚼し、柔軟さの中に脆さを抱え込んだ実を砕くと先ほどまでと比較にならない濃厚な甘さが口内を席巻する。だが、それだけでない。

 

心の中で着実に強固になる決意。咀嚼するたびにそれは力強さを増していった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

月もない。星もない。聴覚と触覚のみが運命を左右する醜い暗黒の世界。視界はいくら暗順応が働こうとも黒一色。

 

この世界の、本当の色彩。

 

希望もなければ、未来もない。いくら偽善に満ちた汚らわしい色彩で塗りたくろうとも黒こそこの世界の一糸まとわぬ姿だ。

 

水平線の向こうで群れている連中や自分たちが支配者だと勘違いして海中を泳ぎ回っている骨董品には見えない現実。

 

無力のくせに英雄気取りでもてはやされているピエロには辿りつけない真実。

 

それを脳みそに叩きつけるまで、あと少し。

 

「・・・・・・・・・・・・・ひひひっ」

 

 

 

 

本来の色彩である群青色さえ闇に飲まれた大海原。墨汁と大差ない不気味さに墜ちた海面を複数の存在が駆けていく。

 

躊躇なく遥か前方へ一直線に。




後半のかち栗うんぬんのシーンはとある戦史書籍(昭和17年のある海戦を取り扱い)を参考にしました。そのため、時代や部隊によって多少の差異があるかもしれません(にわかですみません・・・)。その際はご指摘いただければ、と思います。

それにしてもとある超大国の軽空母さんはどうしてあんなにドジッ娘感が溢れているのか・・・・・。ああいう人を見ると、少しからかいたくなるんですよね・・・・。

というか、あのレベルの軍艦を週単位で建造してた超大国って・・・・、訳分からん。あ、だから超大国なのか・・・。


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83話 MI作戦 その2 ~攻撃、そして~

佐世保、行きたかったです・・・・。


ミッドウェー諸島サンド島の北東約190km。黒と灰色が東から鮮やかな茜色に塗り替えられていく大空を頭上にいただいた、島1つ見当たらない大海原のど真ん中。

そこに艦娘31人、通常艦艇13隻を要した一大部隊が一糸乱れぬ佇まいで所定位置に展開。MI攻撃部隊旗艦大隅に座乗している当部隊総指揮官百石健作横須賀鎮守府司令長官の命令を今か今かと待ち構えていた。

 

瑞穂ではまだまだ夜空を眺められる時間帯。しかし、瑞穂より遥か東に4000kmのここは日付もそうだが、時間も二足ほど早かった。

 

「す~~~~~」

 

土の匂いも林の香りも感じない、潮と水だけで構成された恐ろしいほど純粋な潮風を思い切り吸い込む。横須賀へ来る前。この世界で目を覚ました時に肺へ送り込んだ空気と味わいは似ていたが、やはり違っていた。

 

「は~~~~~~~」

 

それは本当に構成物質の総意に由来するのか、はたまた精神状態に変動に由来するのか。前者は理系知識に加え、この世界の技術力で作れるのか怪しい専用の分析装置を使用しなければならないため、ここでは分からない。しかし、後者には一定の結論を下すことができる。

 

大隅、能登、2隻の給油艦を含んだ第3統合艦隊の前方に輪形陣で展開している第一機動艦隊。その最前衛を務めているみずづきは高鳴る心拍数を抱えながら、意識的に無心を保っていた。

 

ついに始まる。

 

そう、ついに始まる。

 

ここがあのミッドウェー海域。

 

厳密言えば、今立っている海面ではない。しかし、世界最強とも謳われた南雲機動部隊が壊滅し、アジア・太平洋戦争の趨勢を開戦から一年も経たずして決してしまったミッドウェー海戦勃発海域から目と鼻の先に、みずづきは立っている。

 

反芻すればするほど単なる事実は感情を左右する各種ホルモンと同等の効果を生み出す。だが、まだ作戦は始まったばかりだ。スタートラインから緊張していては体も心も持たないことは今までの経験から嫌というほど学んでいた。

 

「・・・・順調に飛行中。対水上レーダー、磁気探知機に反応なし」

 

心臓に集中する意識をあるべき領域に拡散させようと、透過ディスプレイに映し出されたFCS-3A多機能レーダーの対空画面とロクマルの高度・速度・センサー情報等の現状を把握する。

 

SH-60K(ロクマル)は去る30分前。赤城・翔鶴・加賀・瑞鶴・蒼龍・飛龍の各空母艦娘の彩雲及び第3統合艦隊旗艦「出穂」の33式艦上偵察機と共に敵機動部隊の哨戒を行うべく発艦していた。みずづきの担当海域はミッドウェー諸島の南方海域である。敵が血眼でミッドウェー諸島へ駆けつけた場合、同諸島への最短ルートである南側ルートを通る可能性が高いとされていた。MI攻撃部隊で飛びぬけた哨戒能力を有するロクマルは赤城・翔鶴の艦上偵察機彩雲と共に南方海域に割り当てられた。

 

「ワレニオイツクグラマンナシ」の電文で有名な、日本海軍機で最速の足を誇る艦上偵察機「彩雲」。今まで偵察・哨戒は艦上攻撃機である天山や流星の役割であったが、本作戦より偵察・哨戒は純粋な偵察機に移譲された。そのため、彩雲にとり今回が初陣である。

 

何の縁か。彩雲を参考に開発され、今年制式化された瑞穂海軍初の最新鋭艦上偵察機「33式艦上偵察機」も今回が初陣であった。

 

「脅威及び要注意を必要とする対空目標なし」

 

既に味方識別された彩雲、33式艦上偵察機、所属機のロクマル以外、留意するべき反応はない。中間棲姫の哨戒機も艤装の中で眠っているのか、まだ飛び立っていなかった。

 

しかし、もうすぐ電子の海の凪は終焉を迎える。

 

ミッドウェー諸島の時間に合わせたメガネの時計が0630を表示する。その瞬間、大隅から発光信号が瞬いた。

 

“発艦を開始せよ”

 

隣、と言ってもドングリと同等の大きさに見えるほど離れた位置で弓を構えていた赤城。そして翔鶴。聞こえるはずがないにもかかわらず勇ましい「了解!」と幻聴が聞こえた瞬間、弦を引く右手を離す。

 

発光信号よりもまばゆい光が赤城たちの眼前で発生したのち、複数の航空機が出現。視覚でもレーダー画面上でも幻覚ではないと強調しながら上昇、編隊を組んでいく。見れば、一機艦の両翼に展開している第五遊撃部隊、第二機動艦隊でも同様の光景が降臨していた。

 

見る見るうちに自然の赤いキャンパスを埋め尽くしていく異物。紫電改・彗星・流星で構成された第一次攻撃隊、合計約150機は壮観の一言に尽きる編隊を組み終わると一直線にプロペラを回していく。

 

誰が最初かは分からない。だが、気付けば赤城たち同様、みずづきも茜色から赤色に変わりつつ東の空に突っ込んでいく第一次攻撃隊に、手を振っていた。

 

「訓練の成果! ちゃんと発揮してきてね!!!」

 

攻撃の成功と無事な帰還を祈って。

 

大隅からは第一次攻撃隊向けて、彼らが見えなくなるまで発光信号を打っていた。

 

“武運長久を祈る”と。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

北ポピ大陸とユーラシア大陸のちょうど中間点に位置していたため、発見者の母国語ブリテン語で中間を意味する単語が名称に込められたミッドウェー諸島。まだまだ航海技術が未発達で大海原を危険が跋扈(ばっこ)していた時代、北太平洋の真ん中に浮かぶ小さな島々は灯台の如く、船乗りたちに現在の位置を示し、ここまでやって来た努力をたたえてくれた。

 

発見から約2世紀。サンド島、イースタン島などの主要島、スピット島、サンド小島などの島々で構成された面積約6.2㎢の環礁は布哇諸島から瑞穂列島に至る広大な北西太平洋における唯一の諸島であるが故に、布哇王国から深海棲艦に支配主が変わっていた。

 

絶海の孤島であろうが、時代の潮流からは逃れられない。

 

2026年に布哇王国陸海軍守備隊が全滅して以降、人類の世界から外れた未踏破領域。

 

彗星に搭乗する赤城航空隊隊長妖精を攻撃隊隊長とする第一次攻撃隊は約7年ぶりに人類の存在をミッドウェー諸島に叩き込むため、一路猛進を続けていた。

 

「・・・・・静かだな」

 

前方を悠々と飛行する直衛機の紫電改二を見ながら、隊長妖精は呟く。発艦時はまだまだ薄暗かった空もすっかり青みを帯び、飛行及び攻撃に十分な光量で満ちている。天候はまさに攻撃日和と言えるもので水玉模様のように所々小さな雲が出ているが、視界を遮るほどのものでも、奇襲に利用されるほどのものでもない。

 

攻撃に際して懸念されていた問題の1つ、天候。これはクリアだ。自然現象であるため確信はもてないが、周囲に天候の急変を強いるような積乱雲も不気味な色彩の雲もない。

 

浮いているのはただの水蒸気の塊だ。加えて、気流も安定している。

 

「おい。艦攻隊・艦爆隊の状況はどうだ? 変わりないか?」

「はい! 全機直進。しっかりついてきています!」

 

補佐妖精の快活な報告に安堵する。今回従えている妖精は共に汗水を垂らして腕を磨いた直属の部下だけではない。一航戦で日本・瑞穂問わず比較的作戦を共にしてきた加賀だけではなく、二航戦の蒼龍と飛龍、五航戦の翔鶴・瑞鶴の航空隊も今や自分の部下だ。赤城航空隊ならこのような遊覧飛行日和にいちいち追随してきているかなど確認しないが、他の航空隊が混ざっている以上、総隊長として確認しなければならない。

 

操縦席についている鏡越しに自機の尻を追っている攻撃隊を見る。

 

鏡が反射する全ての世界に広がる、各々の腹や翼に物騒な荷物を抱えた第一次攻撃隊。これほどの攻撃隊が編成されたのはいつ以来だろうか。もしかしたら瑞穂史上初めてかもしれない。それを見ていると足を小刻みに揺らしている緊張が不思議と消えていく。空母艦娘航空隊という質、150という数が「勝利」という幻影を見せてくれる。

 

しかし、現実はそう甘くない。自分たちの母艦の過去と記憶に埋もれる敵情を反芻すると、貧乏ゆすりが再発した。

 

「・・・・・・・・我々でどこまでやれるか」

「隊長・・・・」

 

独り言のつもりだったが、機内無線を通じて後部座席の補佐妖精にも聞こえてしまったらしい。彼の湿っぽい声色から自身の心情を悟られたようだ。予定通りいけばそろそろミッドウェー諸島が視認できる頃合い。攻撃開始の直前に、いつ敵に発見されてもおかしくない状況で部下に不安を抱かせる行為は上官として落第点。慌てて、訂正を試みる。

 

「いや、その・・なんだ」

「やれますよ、俺たちなら」

 

補佐妖精の頼もしい声。思わず、笑みを浮かべ相槌を打とうとした、その時だった。

 

「っ!?」

 

正面上空を飛行していた紫電改二の内、1機が翼をバンクする。敵発見の合図だった。

 

「クッソ!!」

 

敵の姿を認めようと視線をバンクした紫電改二の周辺に向ける。

 

「あそこです! あの細長い雲の下!」

 

先に見つけた補佐妖精が座標を示してくれる。それに従って雲の下を見ると確かに弱光を不規則に反射させる物体がいた。しかも機首を反転させ、回避行動をとっている。

 

「完全に捕捉されたな・・・・」

 

ここまで捕捉されずに来たこと自体も奇跡だった。しかし、せめてミッドウェー諸島に肉薄してからと天を恨まずにはいられない。即座に直衛隊から紫電改二の1個小隊3機が分離。哨戒機を海の藻屑に変えんと肉薄する。

 

日の出直前の空を切り裂く曳光弾がかくれんぼの終わりを告げた。

 

「総員に通達! 無線封止解除! 我が航空隊は敵哨戒機に捕捉された。これより突撃体勢に移行する! 艦攻・艦爆隊は陣形を密にし、直衛隊は対空警戒を厳とせよ!」

 

無線機を口元から放すと僚機にハンドサインで無線では伝えられない詳細な指示を送る。訓練・実戦問わずいつもはふざけて笑顔を見せたりこちらを笑わせようとしてくる僚機も今回ばかりは真顔で指示を受け取る。

 

「た、隊長!」

 

機会を覗っていたのか、ハンドサインの終了と同時に補佐妖精が声を上げ風防越しに前方を指さす。

 

「・・・・ついに」

 

補佐妖精の指先。そこには一直線の水平線を歪に遮る、待ちわびていた影があった。まさにグッドタイミングだ。

 

「ミッドウェー諸島を視認。全機、我に続け!!!」

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「あちゃ~~、やっぱり見つかったか・・・・・」

 

水平線から半日ぶりに顔をのぞかせる太陽によって体の半分が熱せられる中、みずづきはFSC-3A多機能レーダーの対空画面を見て、唸る。

 

みずづきのFSC-3A多機能レーダーが探知範囲250km以上、同時捕捉目標数300以上を誇るからには、当然第一次攻撃隊の現況、敵哨戒機の存在は把握していた。そして双方の進路からミッドウェー諸島に肉薄する前に交差、すなわちお互いがお互いの存在を発見することは容易に想像がついた。

 

「みずづきさん? やはり・・・」

 

傍受を警戒し、隊内用無線で赤城が話しかけてくる。出力をわざと落としているため、いつも使用している無線より雑音が多い。彼女の声が落ち込んでいるように聞こえるのは雑音のせいだけではないだろう。

 

「はい。第一次攻撃隊は敵に捕捉された模様です。既に敵哨戒機は直衛隊によって撃墜。第一次攻撃隊はあと5分ほどでミッドウェー諸島上空に達します」

「敵の反応は?」

「まだ、何も。イースター島からの対空目標は・・・・・・・」

 

ありません、と言いかけて言葉を止める。突如増加し始めたFSC-3A多機能レーダーの光点が、その言葉が事実ではなくなったことを如実に示してきた。雑音に紛れて、報告の続きを促す無言の圧力がのしかかってくる。

 

「中間棲姫のものと思われる対空目標を捉えました。現在数は刻一刻と増加中。おそらく戦闘機ではないかと」

「・・・・了解したわ。あと・・・・・・」

「はい。現在のところ、ミッドウェー諸島周辺海域以外に未確認反応はありません」

 

赤城の意図を看破し、欲していた情報を伝える。おそらく大隅に報告するためだろう。

 

「さすが、中間棲姫。動きが早い」

 

無線を切った赤城に代わり、摩耶が無線を繋いでくる。

 

「はい。第一次攻撃隊は大丈夫でしょうか?」

「事前に見つかったとはいえ、ここまで接近できたなら十分奇襲だぜ。後はあいつらの腕と運次第かな?」

 

摩耶の言う通り、暗号解読により数か月も前から露呈し、上陸部隊を乗せた輸送船がミッドウェー諸島攻撃前日に発見され、完全な強襲攻撃となった日本のミッドウェー攻撃より遥かに上手く現状は推移していた。

 

「MI」の第二関門、奇襲攻撃の敢行は成功と判断できるだろう。捕捉されずにミッドウェー諸島に接近という第一関門も突破した。次は第三関門、中間棲姫の撃滅だ。

 

それを果たさんと視覚ではとても数え切れない光点たちが2つに分離し、一方が中間棲姫のいるイースタン島、一方が泊地と対艦・対空陣地が構築されているサンド島に向かう。

 

そして、イースタン島から飛び立ち高速で西進する光点群と赤城・加賀・翔鶴・瑞鶴の連合航空隊がサンド島南側で衝突した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「敵機に構うな!!! 直衛の紫電改二に任せろ!! 俺たちの敵はたこ焼きじゃない! 進め! 進めぇぇぇ!!!」

 

無線に向かって吠えつつ、操縦桿を左に傾け足元のペダルを操作。紫電改二で構築された迎撃網をかいくぐって突撃してきたたこ焼きの銃撃を交わす。それを追って1機の紫電改二が急降下。再び攻撃隊へ銃撃しようと上昇し始めたタコ焼きに高度差による優位性を生かして、機銃を一連射。タコ焼きは体中を引き裂かれ、黒煙を吐き出しながら落下していく。

 

「すげぇぇ・・・・・・・」

 

目の前で行われた華麗な迎撃。たかだか一事例のみならここまでの感慨は抱かなかっただろうが、思わず視線を釘付けにされる戦闘は四方八方で繰り広げられていた。

 

撃墜を恐れることなく一路、肉薄してくるタコ焼き。直衛隊の誇りを胸に攻撃隊への被害を少しでも防ぐために奮戦する紫電改二。艦攻隊・艦爆隊の意地で銃撃を回避し、応戦する攻撃隊。

 

自然によって整えられた空は、曳光弾・黒煙・炎などの人工物で汚されていく。

 

「こちら二機艦攻撃隊! サンド島への攻撃を開始する!!」

「了解! お届け物を無駄にするなよ!」

「言われなくとも! 俺らも母艦が怖いんでね!」

 

甲高いエンジン音を背景に轟かせながら、声色で感じる不敵な笑み。それを最後に無線が切れる。二機艦攻撃隊へ敵戦闘機が殺到していないか心配だったが、自分たちが上手く敵を引き付けたらしい。こちらの方が二機艦攻撃隊より多くの直衛紫電改二を抱えているため、敵戦闘機を一刻も早く駆逐するには都合が良かった。

 

「こちら翔鶴艦攻第3中隊! 僚機がやられた!」

「加賀艦爆第5中隊! 至急! 至急! タコ焼きにとりつかれた! 既に1機喪失! 救援を求む!」

 

それでも「味方無傷、敵全滅」というパーフェクトゲームは程遠い夢のまた夢。紫電改二も奮戦しているとはいえ、相手は零戦を凌ぐ格闘戦能力を有するタコ焼き。純粋な性能は紫電改二と肉迫しており激闘は必死。しかも直衛紫電改二と攻撃隊の迎撃に上がって来たタコ焼きはほぼ同数。無線がしりきに叫ぶようにその中には運悪く撃墜されてしまう機体もやはりいた。

 

遠方でタコ焼きに後ろを取られた紫電改二が胴体から炎を引きながら墜ちていく。

 

しかし、中間棲姫を仕留めるべく行軍を続けるイースタン島攻撃班約80機は敵戦闘機の攻撃を受けようが、足は止めない。進路も変えない。応戦していた編隊も迎撃を紫電改二に一任。直衛隊の奮戦もあり、タコ焼きは今や紫電改二に狩られる立場となっている。後顧の憂いは絶たれた。攻撃隊はタコ焼きから既に視界に入っている眼下のイースタン島の支配者へ全意識を集中する。

 

「あれが・・・・・・中間棲姫」

 

環礁に浮かぶ2つの島。所々で黒煙が上がっているサンド島の東側、礁湖へ続くブルックス水道を隔てたイースタン島。以前は布哇王国軍の滑走路であっただろう金属のような禍々しい無機物で覆い尽くされた大地に、ぽつんと1人の女性がいた。しかし、それが単なる女性、いや人間ではないことは彼女自身を見ただけで分かる。彼女が座っている自身より大きなソファーには牙が生えており、その下から無数の砲門が生えている。腰のあたりには自分たちがいつも着艦する赤城の飛行甲板より長い3本の滑走路が取り巻き、タコ焼きが発進準備を開始している。

 

そして、これが約3000m上空からでも中間棲姫を中間棲姫と瞬時に判断できた理由だが。全身からたて突く者を1人残らず地獄に叩き落すという、尋常ではない殺意が放たれていた。

 

彼女がこちらを見た。

 

「っ!?」

 

背筋に悪寒が走る。高度3000mでは外気は氷点下であるため元から寒いが、この悪寒は寒さ由来のものではない。顔など見えるわけもないのに、見られたと直感で分かった。

 

「各機! 突撃よーいぃぃ!!!!!」

 

ぐずぐずしていてはまた機体を上げられる。中間棲姫の収容機体数は不明だが、既に戦闘機二十数機が上がっている。中間棲姫をそのまま航空基地と捉えた場合、最低でも50機、多ければ100機以上はくだらないはず。それだけの敵機を上げられれば、いかな空母艦娘航空隊といえども任務は果たせない。先手必勝のことわざ通り、一刻も早く中間棲姫を置物に変えるため、無線に叫ぶ。自機も含め、急降下爆撃を敢行する彗星及び艦上攻撃機であるにもかかわらず彗星と同様の任務を帯びる流星は現高度を維持。水平爆撃を担当する流星は水平線から脱した太陽の光を翼できらめかせながら一気に急降下。彗星の遥か下方で急降下したとは思えないほど整然とした陣形のまま進んでいく。

 

中間棲姫を前にしても、各機の闘志は衰えを見せない。それどころか、ますます高揚しているようにも見受けられた。さすがは空母艦娘航空隊。

 

操縦桿を一際強く握りしめる。深呼吸しながら無数に張り付いている速度計や高度計などの計器類を確認。異常はない。

 

「おい! 準備はいいか!」

「ばっちりです! 照準中の高度確認は任せておいてください!」

 

破顔する補佐妖精。思わず苦笑が漏れる。彼も僚機や攻撃班と同様、腹を決めていた。それに背中を押され、無線機を握る。そして・・・・・・。

 

「各機、突撃せよ!!」

 

ありったけの声量で号令を発した。これを受けた各機の動きは迅速だった。

 

中隊長機、小隊長機を先頭に秩序だって、待ってましたと言わんばかりに中間棲姫へ彗星と流星が殺到する。しかし、中間棲姫も黙ってはいない。海面低空を一直線に、頭上へ侵入し急降下を開始する流星・彗星に対し、上空を向いていた無数の砲門が火を噴いた。

 

「・・・・く」

 

分かっていたことだが難易度の跳躍という非情な現実に唸り声が出てしまう。多温諸島奪還作戦時、辛酸を舐めさせられた飛行場姫の弾幕が脳裏をよぎる。あの時も飛行場姫の撃破自体には成功したものの、看過できない損害を被った。

 

あれから1年弱。より実戦経験を積み、より訓練を重ね、機体も新型機に換装が進んでいる。しかし、こちらが強くなったと同時に相手する敵も強力化。

 

空へ向かって撃ち出される砲弾に、銃弾。無表情の中間棲姫も内側では必死なのか直前に上げた3機のタコ焼きに構うことなく迎撃砲火を撃ち続ける。結果、攻撃隊より先に友軍機がご自慢の濃密な弾幕の餌食となってしまうが、中間棲姫にとっての最優先目標は自分自身の防衛。友軍機を爆発四散させた猛火は彼女の意思を示すように、攻撃隊へ牙を剥く。

 

「ああ・・・・・、加賀と瑞鶴の中隊が・・・・・」

 

先ほどの威勢はどこへ行ったのか。弱々しい声で補佐妖精が眼下で繰り広げられる死闘の感慨を呟く。空爆には綿密な連携と迅速な協同が必要不可欠なためイースタン島攻撃班において、第一撃は五游部航空隊、第二撃は一機艦航空隊とあらかじめ決められていた。それにのっとり、五游部航空隊が攻撃を開始したが積み上げられた経験と鍛えぬかれた腕前はただ放たれるだけの弾幕を前に1機、また1機と本土から遠く離れた海と大地に散っていく。

 

「いけ! いけ!! そのまま!!!」

 

僚機が次々と爆散、火を噴いて離脱していく中、加賀航空隊のとある彗星が意地を見せる。突入角度60度を保った見事な急降下。中間棲姫との高度を瞬く間に詰めていく。

 

「今だぁぁ!!!」

「ああ・・・・・なんて・・・・」

 

しかし、爆弾は投擲されない。あと一歩まで迫った彗星は左翼を撃ち抜かれ、バランスを喪失。そのまま、イースタン島を覆っている殺風景な平原の中に激突した。あまりの惜しさに風防を叩きつけそうになるが、砲火に臆することなく猛進する水平爆撃隊の流星が目に入る。彼らにも加賀航空隊彗星一個中隊8機を葬った迎撃が行われている。次々と各中隊の機体が海面に没していく中、機銃ぐらいではかすり傷しか与えられない防弾性能を思う存分生かし、秒数を重なるごとに距離を縮めていく。

 

そして、弾幕を潜り抜け3分の2ほどの機体が投弾範囲に至った。天山では全滅もあり得ただろう。腹に抱えられた爆弾が宙を滑空し、中間棲姫に吸い込まれていく。中間棲姫の頭上を飛び越える際に2機ほどが撃墜されるも、大隅で目覚めた搭乗員は一応に安堵するだろう。

 

ここで撃墜されても、妖精たちが目覚めるのは横須賀鎮守府の工廠ではない。艦載機の妖精は撃墜されたり、墜落したりした際、母艦の艤装を整備する妖精たちがいる最寄りの工廠、または整備工場に呼び戻される性質がある。大隅には被弾時を想定し、工廠から各艦娘専属の妖精たちが同行しており、修復と「トンボ釣り」で一石二鳥の役割と果たしている。

 

2発は照準に焦ったのか中間棲姫の足元を掘削しただけ。しかし、残りは的確に照準がつけられており、足元や背後に穴を穿つことはなかった。

 

あれだけ濃密だった砲火を一時的にせよ中断させるほどの連続的な爆発。爆炎で中間棲姫の姿が隠れる。

 

「よし!! 五游部連中、やりやがった!!」

 

それは艦娘航空隊の努力が報われることを示した瞬間だった。無線から歓喜の声がひっきりなしに聞こえてくる。

 

「さすが、第6中隊だ!! 加賀航空隊の真髄、ここに見参!!」

「瑞鶴航空隊もお忘れなく!」

「瑞鶴さんに自慢するネタができたぜ。やっほ~~~~」

「これも俺たちが指導してやったおかげだな。感謝しろよ、五航戦の諸君」

「空母艦娘航空隊の力、見たか!!」

 

この好機を逃す手はない。爆炎を砲火で四散させた中間棲姫は複数の対地爆弾を食らっても健在だが、弾幕の勢いは明らかに落ちている。巨大で生々しい艤装の各所からは黒煙が上がっている。何よりだ。隊長妖精ははっきりと、中間棲姫の滑走路が2本になっていることを捉えた。どうやら、中間棲姫は滑走路が使用不能になると、もの自体が消滅するようだ。

 

一気に希望が見えてきた。五游部水平爆撃隊に感化されたのか、中間棲姫の周囲で攻撃のタイミングを見計らっていた五游部急降下爆撃隊が一息に頭上へ侵入。先ほど全滅した加賀の彗星隊に負けない見事な急降下を決め、次々と爆弾を投擲。中間棲姫の命をじりじりと削っていく。

 

「さて、次は俺たちの番だな」

 

荷物を配達し終えた五游部攻撃隊の残存機が中間棲姫から距離を取り始める。あれだけ苛烈だった対空砲火も今や見る影もない。速射砲が1、2門と機銃が少々。曳光弾を見る限りではそれほどしか確認できなかった。

 

「これは・・・・絶好の機会だな」

「はい! 迎撃網はボロボロ。滑走路も1本の撃破に成功し、2本目にも亀裂が見られます! このまま行けば我々だけで制空能力の奪取まで持って行けますよ!!」

「第二次攻撃隊を楽にしてやれるな。そのためにも・・・・」

 

僚機にハンドサイン。示す意味は「行くぞ」。僚機からハンドサイン。示す意味は「お手柔らかに」。

 

「一機艦航空隊に通達する。俺から言うことはただ1つ。五游部の連中に後れを取るな!! 横須賀鎮守府一の航空隊が誰か思い知らせてやれ!!!」

 

絶叫し無線機を投げつけると大海原と対面していた機首を中間棲姫に向ける。隊長妖精は部下を、そして翔鶴航空隊を信じていたため、攻撃態勢に移行できているかを確かめるために振り向くことはしない。今までどおりやれているかは視界に映る僚機だけで判断できた。前だけを見つけて、ただ一直線に飛行。そして、中間棲姫に近づくと機首を下げ、急降下を開始。隊長妖精が指揮する中隊直属の僚機たちは阿吽(あうん)の呼吸でタイミングを合わせ、爆撃嚮導(きょうどう)機を先頭に、隊長機を2番手に並べ見事な一列で降下していく。

 

「降下開始! 高度2700! 2600、2500!!」

 

高度計が壊れたかのように回転を続け、それに合わせて真正面に見える地面と中間棲姫が近づいていく。下から弱くなったとはいえ生存本能を刺激する光弾が風防越しに駆け抜けていく。だが、使命感と誇り、意地で恐怖を抑えつけ、重力に悲鳴を上げる体に鞭を打ってひたすら降下していく。

 

「1200! 1000! 900!!」

「っ!?」

 

あと少し。そう思った瞬間、前方を飛行していた爆撃嚮導(きょうどう)機が爆散。衝撃と同時に黒煙が機体を襲う。本当に一瞬だった。爆撃嚮導(きょうどう)機とは先陣を切って爆弾を投擲し、後続機へ目標を示すと同時により正確な投擲位置を示す非常に重要な役割を担う機体だ。しかし、指導官がいなくなったからといってやめるわけにはいかない。

 

「700! 600!」

 

補佐妖精はきちんと任務を遂行している。自機に続いている部下たちも。そして、こちらの攻撃後に肉薄しようと態勢を整えている水平爆撃隊も、だ。

 

「500!」

 

風防を叩いていた黒煙が晴れ、視界が回復する。唐突にあの時の光景が瞬いた。演習と実戦。全くかけ離れた状況だが、相手が強敵だということは共通していた。自機の奮戦ぶりはみずづきを恐怖に陥れたと言う。中間棲姫は恐ろしい敵だが、艦上攻撃機にとってこちらの視認外から残弾の続く限り一方的な殺戮を継続し得るみずづきの方が遥かに恐怖である。そのみずづきでさえ、空母艦娘航空隊、ひいては赤城航空隊に一目を置いていた。

 

彼女を唸らせた赤城航空隊が中間棲姫ごときに屈する道理はない。

 

「みずづきに迫った隊長機の気概を見せやる!!! 赤城航空隊をなめんじゃねぇ!!!」

 

中間棲姫は照準器のど真ん中に入った。

 

「400!!!」

「投弾、今!」

 

補佐妖精の絶叫と同時に投下索を思い切り引っ張る。一瞬の浮遊感を味わった後、軽くなった機体を持ち上げ回避行動へ。艦爆にとって完全な無防備状態になる投擲後の回避行動中が最も危険だが、聞こえてきたのは断続的な爆発音のみ。後方へ振り返ると、弾幕を打ち上げることすらしなくなった中間棲姫は血気盛んな部下たちの情け容赦ない猛爆撃に晒されていた。

 

「命中です! 当機投擲弾は中間棲姫に命中しました!」

「ふぅ~~~~」

 

律儀に爆発の瞬間を見守っていた補佐妖精の報告に安堵の吐息が漏れる。まだまだ続く爆発音。

 

「この調子なら赤城さんが喜びそうな報告ができるな」

 

すっかり日が昇り、新たな一日を歩み始めた世界。黒煙を吐き出すサンド島、ミッドウェー諸島上空をわがもの顔で飛行する紫電改二を見ると、そんな予感が浮かんだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

艦娘母艦 大隅

 

 

「みずづきより定時報告。敵影確認されず、なお第一次攻撃隊は現在も攻撃中の模様」

「出穂より報告。33式艦上偵察機出穂2号機、第一転進地点に到達。これより並行線に入る。なお現時点で敵は確認されずとのこと」

 

慌ただしくあるも喧騒と呼ぶには比較的平静を保っている艦娘母艦「大隅」の司令室。各艦から寄せられる哨戒情報を黒板や眼前に置かれているミッドウェー諸島・布哇諸島とその周辺海域のみに限定した巨大な地図に参謀部員や情報課員の将兵たちが書きこんでいく。

 

瑞穂海軍の総力を挙げたMI作戦。当作戦において山場の1つであるミッドウェー諸島攻撃を行っている最中とはにわかには信じられない光景。とてもMI攻撃部隊の作戦本部とは思えない。血相を変えて走り回ることも、他部隊の報告を催促する怒号もない。当作戦の総指揮官たる百石は作戦課長の椛田たちが書きこむ情報を椅子に座りながらただじっと見つめていた。

 

ミッドウェー諸島の状況は非常に気になる。今すぐにでも出穂に無理を言って、33式艦上偵察機でミッドウェーへ連れていって欲しいほどだ。だが第一次攻撃隊の電文を待つしかない受動的な立場では、そしてここを離れるわけにはいかない総司令官の立場では自ずとやることは限られる。これはここにいる全員に当てはまることでもある。全員、ミッドウェー諸島の現状を知る術がない。戦闘を継続しているのか、はたまた撤退あるいは退避中なのかと言った大まかな第一次攻撃隊の様相はみずづきの対空レーダー情報から知ることができる。だが、大隅の司令室に籠っていれば把握できる情報は最低限。

 

百石も含めて、ここにいる全員は待っている。第一次攻撃隊からの電文を。だからこそ、静かなのだ。

 

第一次攻撃隊の発艦を見送ってどれくらいの時間が経ったろうか。完全に日が昇り切ってからしばらく。その静けさは乱暴にドアを開け放った通信課士官の登場であっけなく終焉を迎えた。

 

「報告します! 第一次攻撃隊隊長機より入電! カワカワカワ、カワカワカワ。以上であります!」

「カワカワカワが、2回だと?」

 

目を細め、眉間に皺を寄せた通信課長江利山成永(えりやま なりなが)中尉が報告の真偽を確認する。「カワカワカワ」とは第一次攻撃隊の空爆だけではミッドウェー諸島を無力化させることは叶わず、第二次攻撃の要ありと現場指揮官、現在では第一次攻撃隊隊長、赤城航空隊隊長妖精が判断した場合に送られてくる電文だ。これは事前に取り決められており、第二次攻撃の要ありには「カワカワカワ」を一回だけ打つ電文と「カワカワカワ」を2回連続で打つ電文の2種類が用意されている。

 

敵に中間棲姫がいる以上、誰も第一次攻撃隊のみでミッドウェー諸島を無力化できるなどと楽観主義を通り越したお花畑思想など考えてすらいない。第二次攻撃の要ありは十分想定していた事態。

 

ただ、「カワカワカワ」と一回だけ打つ電文には、中間棲姫への攻撃が芳しくなく敵に制空権を握られた状態での第二次攻撃隊出撃を要請するものだ。その対をなす「カワカワカワ」を2回連続で打つ電文は・・・・・。

 

江利山の確認を受けた通信課士官は控えめに破顔して、報告を続けた。

 

「はい! カワカワカワが2回であります!」

「ということは・・・・・・」

「中間棲姫の無力化に成功し制空権を握れた、と?」

 

参謀部長緒方是近の後に続いた、百石の状況整理。その瞬間、沈黙に陥っていた司令室は抑制しながらも、はちきれんばかりの歓喜で満たされた。嬉しさのあまり満面の笑みを浮かべる士官たちがその表情のまま、各艦への伝達、今後の作戦計画の確認、各部署との調整に奔走しだす。彼らを見ながら、緒方がしみじみと語りかけてきた。

 

「やりましたね」

「ああ。彼らはやってくれた。幸先のいい滑り出しだ」

 

個人的には第二次攻撃は中間棲姫の制空権下で強行しなければならないと思っていただけに、嬉しい誤算だ。第二次攻撃隊約70機は敵戦闘機の襲撃に怯えることなく自らの使命を全うすることができる。また、中間棲姫の完全撃破を達成するべく艦砲射撃を行う予定の第一機動艦隊、第二機動艦隊、第五遊撃部隊、第3統合艦隊も上空を気にする必要はなくなる。

 

ミッドウェー諸島が早く片付けば片付くだけ、敵機動部隊との決戦も混乱なく進めることができる。

 

百石は第一次攻撃隊の奮戦に感謝しつつ、総司令官としての命令を発出する。

 

「第二次攻撃隊発艦準備はじめ! 準備出来次第、即時発艦。発艦後、当艦隊はミッドウェー諸島へ向け前進。第一機動艦隊、第二機動艦隊、第五遊撃部隊、第3統合艦隊はミッドウェー諸島砲撃に向け、準備開始せよ!」

『はっ!!』

 

第一次攻撃隊の電文を報告してきた通信課士官以下、司令室に詰めている士官たちが表情を引き締め、慌ただしく動き回る。

 

大隅の司令室はようやく作戦本部らしくなってきた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

しかし、特定の位置でかみ合ってしまった運命の歯車は刻一刻と決定された未来へ向け、主人たちを誘っていく。

 

これに最も早く気付いたのは、みずづきだった。

 

「どういうこと・・・・・?」

 

第一次攻撃隊発艦時の薄暗さが嘘のようで光で満たされた世界。第一次攻撃隊の「カワカワカワ、カワカワカワ」を受け、みずづきはすがすがしい潮風を切り、赤城たちと共に一路ミッドウェー諸島を目指していた。現在は3分の1の戦力を失うも華々しい戦果を挙げた第一次攻撃隊を収容するため、速力5ノットで巡航中だ。

 

第一次攻撃による中間棲姫の無力化。思わぬ嬉しい誤算に艦隊の空気は第一次攻撃隊発艦時と比較し、明らかに軽くなっていた。

 

「お帰りなさい。お疲れさま。よく頑張ったわね」

 

繋がっている通信回線から赤城の慈悲にあふれた労いの言葉が聞こえてくる。その口調は穏やかの一言に尽き、搭乗席で胸を張ったり頬を赤らめたりしている妖精の姿が手に取るように分かる。

 

「本当によくやってくれました。ありがとうね、みんな」

 

声色から察する翔鶴の飛行甲板でも同じような光景が見られていることだろう。時折、「ふふふっ」と微笑みを漏らしている榛名や摩耶、潮のように何事もなければみずづきも、心温まる実況に浸れるはずだった。それを糧に心を引き締め、ただ中間棲姫の撃滅に集中して海上を駆けるはずだった。しかし、透過ディスプレイを凝視する目には安堵や歓喜は皆無もない。ただ動揺と困惑に染まり切っている。

 

「どうして・・・・・・・、なにが・・・どうなって・・・・・・」

 

事の発生はつい5分ほど前。ミッドウェー諸島サンド島まで100kmを切り、赤城たちが攻撃を終え帰投した第一次攻撃隊の収容をちょうど始めた頃合いに、何の前触れもなく現れた。

 

頭部のカチューシャ型艤装についている電波探知妨害装置 NOLQ-3Dが突然、詳細な位置は不明なるも当艦隊の北側に強力な電磁波を探知したのだ。全く想定していなかった突然の異常事態。

みずづきは第一次攻撃隊収容に混乱が出ることを避けるため、赤城を経由せず直接大隅へ緊急通報を行ったあと、即座に探知した、いや探知し続けている電磁波の解析を開始した。

 

石廊崎沖海戦での疑念。記憶の奥底に眠っていた得体の知れない危機感が浮上してくる。この電磁波は探知源が急速に移動しない点から鑑みると艦船用各種レーダーの可能性が高い。戦艦棲姫を旗艦とする深海棲艦重機動部隊の哨戒機はトビウオの如く探知・消失を繰り返し、まるで対空レーダーの存在を認知しているかのような飛行経路を辿っていた。第二次世界大戦レベル、そして瑞穂世界と同等の科学力を有している可能性のある深海棲艦が対空レーダーの存在を知っているのなら、当然保有の可能性も考慮しなければならない。

 

しかし、今回探知した電磁波はみずづきが知っている黎明期の対空レーダーとは桁違いの出力を持っていた。しかも、探知した周波数帯は各国の対水上レーダーや対空レーダー、そしてみずづきが装備しているFCS-3A多機能レーダー、OPS-28航海レーダーが使用しているCバンドとXバンド。この2つのみだった。

(も、もしかして・・・・・・・・・・)

みずづきは解析を進めていくうちに、「敵機動部隊が重厚な哨戒網を潜り抜けて接近」よりも唐突に瞬いたある可能性に思考を侵食されていく。胃をねじられたような不快感と今にも逆流しそうな胃液を必死に抑え込みながら判明した解析結果。

 

それはみずづきの内側をかき乱していたあらゆる感覚を喪失させるには十分すぎる威力を持っていた。

 

「どうして・・・・・どうして・・・・・あきづき型のレーダー波がこの世界で、ミッドウェーの近くで・・・・・」

 

探知した電磁波。透過ディスプレイには“あきづき型特殊護衛艦装備、FCS-3A多機能レーダー”と表示されていた。しかも可能性ではなく、断定だった。

 

「あり得ない・・・・あり得ない・・・・・」

 

しかし、何度解析プログラムを走らせても、同じ結果が導き出される。並大抵のことなら信じただろう。それでも約4年間、命を預け共に死線を潜り抜けてきた相棒の結論でも、今回ばかりは信じられなかった。

 

何もかも突飛すぎる。頭が付いていかない。

 

だが、その思考硬直を断罪するようにみずづきのFCS-3A多機能レーダーは粛々と主に探知した目標情報を提供する。透過ディスプレイの対空画面に新たな光点が現れると同時に艤装と頭のサイレンがけたたましく鳴り響く。

 

脳で認識し、正体を看破した目標はみずづきの本気を否応なく求める必殺の矢だった。

 

「至急! 至急! 緊急報告! みずづき、新たなる対空目標を探知! 本艦よりの方位278! 距離35000! 数3、いや4! 速力520ノット! まっすぐ本艦隊へ突っ込んでくる!」

 




動き出す世界、転がり始めた運命。闇の深淵に沈められてきた事実が露わとなるとき、みずづきは、艦娘たちの選択は・・・・。




ちょっと、本文中のようなノリで書いてみました。解説はあえてなしということで。




ここで作者からお知らせです。
この4月、正確には3月下旬から作者の周辺環境が、社会的な意味で激変します。そのため、今回はわりと本気で更新がこれまで通りにいなかったり、寄せていただいた感想に反応がなかったりするかもしれません。ただ、本作およびハーメルンに費やす時間もある程度ある(逆になかったら、お先真っ暗)とはずなので、ほったらかしはないと思います。
ご迷惑をおかけするかもわかりませんが、今後も本作をよろしくお願いします。

追伸
投稿を始めたのが、2年前。そう思うとなんだか・・・・・感慨深いです。


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84話 MI作戦 その3 ~衝撃~

今話から本作の重大な根幹にかかわるお話が続きます!

無駄に文字数が多いため、初めて訪れてくださった方、まだ83話までご覧になっていない読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、83話までをご覧になってから今話の閲覧をお勧めいたします。

また、艦これの重要な存在に本作なりの一定の解答を付与することになると思います。。そのため、一応閲覧注意をつけさせていただきます。


鬼気迫る怒号で全艦隊に突きつけられたみずづきの緊急通報。第一次攻撃の戦果、そして順調に進む作戦で足取りを軽くしていたMI攻撃部隊は、1人の艦娘、たった1つの報告で大混乱に陥った。第二次攻撃隊を送り出した直後で、今まさに傷ついた第一次攻撃隊の収容作業中。ただでさえミッドウェー諸島に接近し、慌ただしさに包まれていたMI攻撃部隊にとって最悪のタイミングだ。

 

無線が(せわ)しなく吠える。

 

「ちょっと、みずづき!!! どういうことよ!? 単純な目標情報だけじゃ、意味分かんないわよ!?」

「もっと、詳しく! 一体、どういうことだ!? 速力520ノットって、明らかに航空機じゃねぇだろうが!」

 

曙と摩耶がしりきに更なる情報提供を求めてくる。音速を軽々と超えるミサイルが飛び交い、データ通信によって大容量のデータを瞬時に他艦と共有、共同戦線を構築する現代戦が未知の領域である艦娘たちには緊急通報1つで事態を把握しろとは酷な話だ。しかし、現代戦は即決と俊足が命。一秒の気の迷いが、自艦の運命を、艦隊の命運を決する。刻一刻と目標は27km遠方から時速1000km近い猛スピードで迫ってきている。いちいち、対応している暇はなかった。

 

「ねぇ、みずづきってば!?」

「ちょっと、黙ってて!!!」

「ひっ!?」

「赤城さん! 目標は対艦ミサイルと思われます! 即刻、攻撃隊の収容を中止、回避行動に移ってください! 着弾まで1分30秒!」

 

罪悪感を覚えるほど弱々しく怯えた声を上げた曙を完全無視し、赤城に意見具申という名の指示を出す。4つの目標は音速一歩手前の速度で、対空レーダーを意識した低空を、こちらに向け一直線に進んでいた。

 

深海棲艦の航空機ではない。これは明らかに()()()()()()だ。しかも、超低空を飛翔するシー・スキミング機能を有しみずづきが装備するSSM-2B block2など先進国が配備している対艦ミサイルと同等の代物だ。

 

「了解! 全艦隊、攻撃隊の収容中止。回避行動をとりつつ、対空戦闘よーい!!」

 

艦隊が即座に舵を切り始める。このような事態は誰も想定していない。敵機動部隊出現時もみずづきは赤城たちと協同して攻撃することが取り決められており、現時点のように明らかに艦娘では対処困難な敵が出現した場合の役割分担など決められていなかった。しかし、さすが第一機動艦隊の旗艦、そして艦娘部隊の総指揮を任された正規空母赤城。想定外の事態に直面しても冷静な思考を維持し、適切な判断を下す。

 

「みずづきさん! 頼みましたよ!」

 

赤城の声援を受け、彼女から視認できるか分からないが視線を透過ディスプレイに向けつつ親指を立てる。

 

「分かりました! 艦隊には指一本たりとも触れさせません! 対空戦闘よーい!  目標、未確認飛翔体! 数、4! ESSM、発射よーい!」

 

あの日。房総半島沖海戦での石廊崎沖海戦以来、約5か月ぶりの命令。主の指示を受け、FCS-3A(00式射撃指揮装置3型A)は多機能レーダーからの目標情報を瞬時に分析、火器管制レーダーを照射してロックし、VLSの蓋を解放。戦闘準備を終える。

 

本来なら、対空戦闘はECMによる電波妨害を主とする電子開始されるが、主砲迎撃圏まで侵入された現在、そのような悠長なことをしている暇はない。また、誘導電波が未探知という状況から考察するに、向かってきている対艦ミサイルは中間誘導がアクティブ誘導方式ではなく、SSM-2B block2と同様に慣性誘導である可能性が高い。この場合、対艦ミサイルが終末段階に至り、アクティブ・レーダー誘導装置を作動させるまで効果がない。確実な迎撃方法は物理的な破壊だ。

 

透過ディスプレイに表示された“攻撃準備完了”の文字とカメラで捉えられている解放されたVLSの蓋を確認し、右手に持っているMk45 mod4 単装砲の下部にあるボタンに親指を乗せる。

 

生唾を飲み込む。

 

敵は明らかに、深海棲艦ではない。FCS-3A多機能レーダーと全く同じレーダー波。SSM-2B block2にも引けを取らない高性能対艦ミサイル。そこから導き出される回答は容赦なく頭痛と吐き気を引き起こした。

 

「ESSM、発射!!」

 

対艦ミサイルとの距離、21km。着弾まであと、1分。万が一に備え、各目標につき2発を割り当て、発射ボタンを押す。150機にものぼった第一次攻撃隊の威容の前にはささやかな出立。航空隊の発艦とは比較できないほどの高速で撃ち出されていくが、亜音速の迎撃目標を前にするとじれったく感じて仕方がない。

 

「左対空戦闘! 主砲旋回! 破片調整弾、装填よろし!」

 

1目標につき確実を期して2発。6発目が蒼空をかけ始めるとMk45 mod4 単装砲を旋回させながら即座に主機の出力を上げ、輪形陣の外に進出する。みずづきは現在、東進している第一機動艦隊の右翼側、つまり南側を航行している。これでは第一機動艦隊の左翼にいる摩耶や翔鶴が邪魔でMk45 mod4 単装砲の射線が確保できない。陣形を崩すことは軍艦として、艦娘として失格だが、状況が状況だ。

 

射線を確認し、お互いの距離を詰めつつある8の光点を祈るような気持ちで見つめる。だが、新たな事象がわずかばかり訪れるはずだった結果判明前の静寂を破壊する。

 

「っ!? あ、新たな対空目標! 距離、52000! 数・・・・・」

 

FCS-3A多機能レーダーに捉えられる光点は秒を追うごとに増えていく。そして、既視感のある数字で頭打ちとなった。

 

「10! 数、10! 速力・・・1300ノット!」

 

これは間違いない、対空ミサイルだ。一瞬、こちらが撃ったESSMの迎撃用という考えがよぎる。しかし、いくらマッハ2の速度とはいえいささかタイミングが遅すぎる。今から撃っても ESSMと対艦ミサイルの接触には間に合わない。

 

対空ミサイルは文字通り、対空目標を撃ち落とすためのミサイルである。そして、ミッドウェー諸島周辺空域には相手にとって敵、みずづきにとって味方の航空機が飛んでいた。だとすれば、対空ミサイル発射の目的は・・・・・・

 

「っ!?」

 

思考が明確な形を成す前に意識が透過ディスプレイのFCS-3A多機能レーダー対空画面に縫い付けられる。ESSMが対艦ミサイルと接触したのだ。みずづきから16km地点。もし抜けられれば、対地目標砲撃用の側面が強いMk45 mod4 単装砲で亜音速を誇り、どの艦を目標にしているのか判然としない対艦ミサイルを迎撃しなければならない。

 

しかし、それは杞憂に終わった。接近、接触した8個の光点が嘘のように消える。

 

「全弾命中。未確認飛翔体4の迎撃成功」

「・・・・了解」

 

それでも、応える赤城の声は暗い。とてもまだ安心できる状況ではなかった。FCS-3A多機能レーダー対空画面にはまだ敵から発射された対空ミサイルの光点が悠々と泳いでいる。縫い付けられた思考を透過ディスプレイから剥がす。光点が向かっている先を慎重に目で追って、対空ミサイルを撃ちあげた敵の狙いを看破した。すでに2つの光点は目標としている航空機に肉薄している。ミサイルの性能を知っているが故に結果は分かっていたが、わずかな望みをかけて無線に叫ぶ。

 

「こちら、みずづき! 敵、対空ミサイルの狙いは哨戒機と思われる! 赤城さん! 二機艦、五游部、出穂に警告して下さい! 既に飛龍さんの彩雲と出穂一号機が肉迫されています!」

「はぁ!?」

「分かったわ! こちら、赤城。北方海域を哨戒中の全哨戒機に接近警報を発令する! 哨戒機は敵に捕捉されている! 全力で回避行動を!」

「みずづき! あんただって対空ミサイルを持って、ミサイルを撃ち落とせるんでしょ? なんでやらないの! このままじゃ、哨戒機が全滅するのはあんたが一番よく分かってるじゃない!」

 

赤城の命令を遮るように曙が言葉で言い寄ってくる。放置すれば曙の精神状態が極度に悪化するためすぐに弁明したいが・・・・。FCS-3A多機能レーダー対空画面が示す純然たる事実を誤魔化すことはできない、そして、してはならなかった。

 

「飛龍機、出穂一号機、撃墜されました。加賀機、蒼龍機・・・まもなく肉迫されます」

「ちょっと、みずづき! あんた・・・・」

「私だってなんとかしたい。・・・・・でも無理なの」

 

今はもうない、3名の“搭乗員”が乗っていた出穂一号機(33式艦上偵察機)の光点。そして、もうすぐ消えようとしている出穂二号機を含めた複数の光点。それを見ても無念と罪悪感でただただ拳を握りしめることしかできない。

 

「相手の対空ミサイルは私が持つESSMとほぼ同じ速度で飛翔している。こちらに向かってくるならまだしも、私から遠ざかってくミサイルは現有の装備じゃ対処できない。分かって、曙」

「っ・・・・・・」

 

悔しそうに唇を噛む音が、風音や波音、そして艦隊近傍の上空で未だに待機を強いられている一部の第一次攻撃隊のエンジン音に混じって不思議と聞こえてくる。曙がこれ以上、声を荒げてくることはなかった。

 

「こちら蒼龍! 所属彩雲からの緊急電受信後、当機との通信途絶! なお、飛龍機も同様!」

「こちら、吹雪! 加賀及び瑞鶴の所属彩雲がなんらかの方法で撃墜された模様!」

 

蒼龍と吹雪の叫びを耳に入れても。

 

「こちらも確認しました。出穂二号機も含め10機全機、撃墜されました」

 

これでMI攻撃部隊は北方海域の海上を捜索する手段を喪失した。各空母艦娘そして出穂にはまだ偵察機はある。しかし、制空権が揺らぎだした現状、百石は再出撃を命じないだろう。

 

「了解・・・。一体、なにがどうなっているのかしら・・・・」

 

おそらく、MI攻撃部隊全員が抱いている疑問を赤城が口にする。

 

突如、飛来したSSM-2B block2に劣らない対艦ミサイル。

北方海域の哨戒網を葬った対空ミサイル。

 

そして、探知した電磁波から導き出された荒唐無稽な結論。口にするのは憚られたが、ここはミッドウェー諸島海域。そして、自分はMI作戦に参加中。報告は待っているかもしれない悲劇を回避するスタートラインだ。

 

「あの? 赤城さん?」

「・・・・みずづきさん?」

 

声色からただならぬ雰囲気を感じたのだろうか。若干喉を震わせる。

 

「実は・・・・・」

 

みずづきは赤城に、そして聞き耳を立てていた一機艦メンバーに荒唐無稽な事実を伝えた。

 

「北側にみずづきと同等の能力を有する艦娘がいる?」

 

おそるおそる報告を端的にまとめる赤城。

 

「そう・・・・いうことになります」

 

歯切れの悪い肯定。自分でもいまだに信じられない。だが、状況はその存在を明確に示していた。そして・・・・・・・・。

 

「み・・・・みずづきみたいなのが、敵にもいるって・・・・・言うのか?」

「そう・・・・・です」

 

動揺を必死に抑え込んで答える。彼女たちと同じようにみずづきとて認めたくない。特殊護衛艦の運用では想定外が許されない軍事組織の特性上あらゆる敵、つまり同じ特殊護衛艦や通常艦艇、戦闘機、潜水艦との戦闘も想定されており、実際訓練もあった。しかし、特殊護衛艦の達成使命は深海棲艦の撃破。それ以外の敵との戦闘はあまり重要視されておらず、訓練も座学が中心でとても実戦に応用できる代物ではない。今まで量だけが取り柄で第二次世界大戦レベルの装備体系を中心とする“格下”相手とのみ戦ってきた身にとって、唐突に生じた同士討ちの可能性は覚悟の面でも経験の面でもすんなり受け入れられるものではなかった。

 

無線が沈黙する。

 

「と、とりあえず、提督に判断を仰ぎます。これは私たちだけで結論を下せる事柄ではないわ」

 

現在、MI攻撃部隊はミッドウェー諸島への第二次攻撃を敢行中であり、敵機動部隊への警戒も怠れない状況。そこに登場したみずづきと同等の戦闘能力を有する可能性のある存在。MI作戦の行き先を決定づけかねない一擲だ。

 

「翔鶴さん? 少し長話になるから、引き続き周辺警戒を厳にお願い。何かあったら構わずにすぐ知らせて」

「分かりました」

 

その時だった。

 

「っつ!?」

 

いきなり無線機が盛大な砂嵐を吐き出す。先ほどまでの明瞭さは完全に四散し、「ザー」という雑音ばかり。視界に収めているにもかかわらず、一機艦メンバーの声が誰1人として聞こえない

 

「え? 一体、どうしたの!? 故障?」

 

そう言って、タイミングが良すぎることに気付く。慌てて、FCS-3A多機能レーダー対空画面や対水上画面、航海レーダー、各周波数帯の電波状況を確認する。だが、みずづきがジャミングではないと判断する前に砂嵐は収束。

 

明瞭になった無線機からは一機艦メンバーの声は聞こえない。代わりに聞いただけで心身を凍り付かせるような、戦艦棲姫と似通った雰囲気を帯びる不気味な声が聞こえてきた。

 

「やっと、繋がった・・・。ふ・・・ふふふふふっ・・・。聞こえてるのかぁ~~~? 私の声、認識できているのかなぁぁ~~~~? 毒された脳みそでも、腐った耳でも・・・。ふふふふふっ・・・・・」

「なに・・・・・これ。てか、この声、どこかで・・・・・・」

「ようこそ、おいで下さいました。まんまと罠にはまった、虫けらさんたち。はじめまして、私ははるづき。無様で気色悪い醜態をさらしているだろう、あきづき型特殊護衛艦みずづきの同型艦です」

 

強制的に突然通信を繋げてきた電波ジャック犯が名乗った名前。「はるづき」をみずづきは知っていた。

 

「っ!? ・・・・・は・・・る・・・・」

「ふふふふふっ・・・。ふふふ・・ひひ・あははははっ!!!」

 

雷鳴を通り越し、核爆弾級の衝撃を受けたみずづきは呆然と「はるづき」の闇に染まり切った下衆な笑い声を聞き続けるしかなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

大隅 司令室

 

 

 

第一次攻撃隊より「カワカワカワ、カワカワカワ」の電文を受け取った時の歓喜は、どこへ消えてしまっただろうか。各士官たちは疲れ果てた様子で椅子の背もたれに背中を預けている幹部たちと同様に、ただただ中央に置かれたミッドウェー諸島周辺海域の地図を立ったまま呆然と見つめている。傍からみるとまるで獲物を待っているゾンビのようだ。そんな彼らに怯えながら各部署から報告や伝達事項を持って来た水兵たちが司令室を行き交っている。彼らがいるからこそ、ここはお通夜にならずに済んでいた。

 

「本当にこれでよかったのですか?」

 

作戦課長の五十殿貴幸(おむか たかゆき)大尉が顔面蒼白で今にももどしそうな百石に尋ねる。生気を完全に失った視線が五十殿に向いた。

 

「仕方ないだろう? みずづきと同等の力の前では我々に拒否権などなかった」

 

「はるづき」と称した敵はひとしきり気味の悪い爆笑を行った後、こちらにただ1つの要求をしてきた。

 

 

 

みずづきと話がしたい。護衛を伴おうが関係ないからとにかくみずづきを連れてこい・・・・・と。

 

 

 

そして、発言に拘束力を持たせるための脅しも忘れなかった。

 

“ひひひっ。あ、後、小賢しい細工は許しません。やったら・・・・・・・地獄を見せてあげる”

 

今までの相手をおちょくるような口調から一転。最後の言葉にはおぞましいほどの殺意が込められていた。

 

通信のあと寄せられた、FCS-3A多機能レーダーではるづきとおぼしき艦影を捉えたみずづきの報告によれば、現在MI攻撃部隊の北北東、28km地点に空母級6を基幹とする、戦艦級3 重巡級4、軽巡級6、駆逐級5の計24隻、はるづきを含めれば25隻を要した2個連合艦隊規模の敵機動部隊が航行中とのこと。一報を聞いただけで意識が遠のくほどの陣容及び隻数から考えて、布哇泊地から進出してきた撃滅目標の機動部隊であることは容易に察せられた。

 

出現はMI作戦策定時から想定されていた。だが、誰が予想しえただろうか。敵機動部隊のお出ましが奇襲でもなければ遭遇でも捕捉でもない。対艦ミサイル攻撃による“未来戦”であろうとは。

 

「呉は一体、何をしているんだ・・・・・」

 

みずづきを含めた艦娘31人、通常戦闘艦艇9隻のそうそうたる戦力が見劣りする不利な現状。どこからともなく聞こえてきた恨み節にも同情はできた。

 

ミッドウェー・布哇間では日本世界におけるミッドウェー海戦時のように、敵機動部隊との不意の接触を避けるため伊58をはじめとする呉鎮守府所属潜水艦娘たちが哨戒網を築いている。広大な大海原を哨戒するには量的不足感が拭えないとはいえ、ミッドウェー作戦の教訓から構築した重厚な哨戒網に対する期待は大きかった。万一、哨戒網に敵艦隊が引かかった場合、発見・捕捉した潜水艦娘から直接、もしくは呉鎮守府かYB作戦に参加している呉鎮守府司令長官三雲幾登座乗の艦娘母艦「島根」経由でMI攻撃部隊の司令部がある大隅へ緊急電が送られる手筈になっている。ミッドウェー諸島への攻撃開始から8時間。敵機動部隊が哨戒網付近を航行していたと推定される時刻から一日半。

 

なんらかの反応があってもおかしくないが、現在に至るまで何の一報も入っていない。定時報告を受けているはずの島根からも音沙汰はなかった。

 

言い知れぬ危機感が心から徐々に光を奪っていく。この状況は並行世界証言録を通じて、そして赤城から聞いたことがあった。しかし、わずかに抱いた可能性を知識が否定する。軽巡洋艦と同様に排水量が5000トンしかなく、艦橋も低い大隅だけで航行中なら、今すぐ傍らに控えている通信課長の江利山成永(えりやま なりなが)大尉や大隅の船務長に命じて、島根や呉鎮守府に確認を取っていただろう。だが、MI攻撃部隊には大日本帝国海軍の高速戦艦金剛型戦艦を参考にしたと囁かれている第3統合艦隊第7機動隊の「紀伊」がおり、ミッドウェー諸島攻撃開始以降、大隅が傍受できなかったYB攻略部隊や本土の各基地・各司令部との通信を“全て”拾っていた。ならば、潜水艦娘関連の通信だけ傍受できないというのはあまりにも不自然だ。

 

「発生した事象にケチをつけても意味がないだろう? 今、考えるべきことは眼前のイレギュラーにどう対処するか。そうですよね? 百石長官」

「ああ・・・、そうだな」

 

江利山の問いかけに、身体の奥底に沈んでいた意識を急浮上させ、相槌を打つ。彼の言う通り現在の最重要課題ははるづき出現を受けた対応だ。神経を割かなくてよい問題に思考を振り向けている余裕はなかった。この場で確固たる方針を示さなければ、齟齬による重大なミスが生じかねない。

 

「五十殿・・・。お前の言うようにごり押しすれば、勝てないことはないだろう。しかし、相手は我々より規模が小さいだけで、我々と同じだ」

 

我々と同じ。その言葉に五十殿は視線を伏せた。

 

「みずづきの報告では、はるづきからはあきづき型特殊護衛艦が装備するFCS-3A多機能レーダーと同じ周波数帯のレーダー波が出ているという。それに加えて、こちらへの対艦ミサイル・対空ミサイルによる攻撃、通信ジャック。彼女が日本海上国防軍の特殊護衛艦である事実は状況証拠からほぼ間違いない。いいか? あちらにもみずづきがいるんだぞ?」

 

はるづきからの通信を受けた後、大隅司令室(MI攻撃部隊作戦本部)ははるづきの要求に従うべきだとする勢力と要求など無視しMI攻撃部隊の総力を持って敵機動部隊を殲滅すべしという勢力に割れ、怒号飛び交う大騒乱となった。しかし、最終的には百石の鶴の一声で前者に決した。その後、反旗を翻そうとする士官はいない。後者を主張していた士官たちも心の底では理解していたのだ。

 

やりあえば、ただでは済まないと。みずづきの戦闘能力。それをここにいる全員は身に染みて分かっていた。

 

「みずづきの戦闘能力から察するに、甚大な被害は避けられない。下手をすれば轟沈する艦娘も出るだろう」

 

はるづきはこちらが罠にハマったと言った。もしそれが欺瞞ではなく否定しようのない事実なら関知していないだけで新手の機動部隊なり潜水艦なりが出番を待っている可能性もある。ここは敵地。いくらみずづきがいるとはいえ、いくら気を引き締めているとはいえ、危険は看過できないほど大きい。

 

「それに・・・・・・・・」

 

百石は黒板に堂々と書かれた「はるづき」という文字を見る。隣には上から斜線をひかれた「春月」が見える。

 

「これは前代未聞の事態だ。リスクを負ってでも情報収集する価値はある」

 

日本海上国防軍の特殊護衛艦が来たと解釈すれば2例目となるわけだが、はるづきは深海棲艦と行動を共にし、躊躇なくこちらを攻撃してきた。そして、口調や声色から察するに彼女はみずづきと異なり正気ではない。並行世界の存在が深海棲艦側につくなど百石、そしてここにいる士官たちが知る限り前例はなかった。

 

情報は国家の命運を左右することもある。

 

どうして、はるづきが瑞穂世界にいるのか。

どうして、深海棲艦側についているのか。

どうして、みずづきと話したがっているのか。などなど。今後の軍、そして瑞穂の戦略にはこれらの情報がなによりも不可欠だった。

 

「第二次攻撃隊の収容状況は?」

「ほぼ完了しました。戦果確認を行っていた加賀の流星が旗艦すれば、収容は完了です」

「本当なら、今頃歓喜に沸いていたところなんですけどね・・・・・・」

 

緒方の報告を聞き、通信課の江利山が肩を落とす。第二次攻撃隊もそれぞれの所属航空隊、そして母艦の名に恥じない奮戦ぶりを見せ、中間棲姫の撃破に成功したのだ。

 

航空攻撃だけでは仕留めきれないと考えられていただけに、誤算も誤算。また、サンド島にあった泊地機能及び停泊していた12隻の深海棲艦守備艦隊の撃滅にも成功し、MI攻撃部隊は航空攻撃のみでにっくきミッドウェー諸島の無力化に成功した。

 

今では完全に過去のものとなっているが。

 

「みずづきたちは?」

「もうまもなく、接敵する頃合いとみられます。既に不測の事態に備え、攻撃隊の出撃準備は完了。長官がご命令次第、敵機動部隊に対し、我が部隊の航空戦力が総力を持って攻撃します」

 

据え付けられている時計を見て、緒方は淡々と答えた。みずづきは各艦隊より抽出された金剛、比叡、榛名、摩耶、鳥海の5人に護衛され、はるづきの要求に応えるべく、海上を駆けていた。

 

「緒方? 場合によっては即時撤退できるよう準備を進めておいてくれ」

「長官!」

「既にミッドウェー諸島の無力化は達成された。オオトリ島もこちらが握った今、これで敵も機動部隊が無傷だろうがやすやすと本土には接近できない。作戦の半分は果たされた。二兎を追う者は一兎をも得ず。ここで欲を出して、部隊壊滅の憂き目にあうなど私は容認できない。そうなれば辛勝が完全敗北になってしまう。・・・・・・なに、ここまでやったんだ。上もそこまで言わないだろうさ」

「しかし・・・・・・」

 

それでも五十殿は食い下がらない。何故彼がそこまで固執するのか、百石には分かっていた。

 

「ありがとうございます。五十殿大尉。でも、いいんですよ。・・・・・・・・本当に」

「長官・・・・・・・・」

「心配して下さって、ありがとうございます」

「くっ・・・・・・・・」

 

五十殿は瞳を潤ませ唇を噛むと、しばらく座っていなかった椅子に腰を降ろした。それを見届けて、周囲を見回す。

 

「みなもよろしく頼む」

 

返事は、ない。だが、全員首を垂れるだけで反論はなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

FCS-3A多機能レーダーの対水上画面に映った13個の光点が、集中力が散漫していれば気付かないほどゆっくりと、しかし着実に近づいてくる。

 

肌を擦る風があまりにも凍えていて、霜焼けのような痛みを常にもたらしてくる。天気は晴れ。太陽も天頂近くに達し、世界は日光の温かみで満ちているというのに、なぜだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

なぜ、震えは止まらないのだろうか。

 

光点13個の内の1個をIFF(敵味方識別装置)は味方と判断し、FCS-3A多機能レーダーも追随。機械たちは「はるづき(HARUDUKI)」と表示する。

 

「・・・・・・はるづき」

 

青い水平線の向こうにいる“仲間”の名前を呟く。途端、みずづきの限りある脳ではとても処理できない量の疑問が溢れてきた。

(なんで・・・・どうしてっ!)

 

“ふふふふふっ・・・。ふふふ・・ひひ・あははははっ!!!”

 

思考過多に陥った脳細胞の防御反応か。狂気を孕んだ彼女の笑い声が木霊する。みずづきははるづきを知っていた。ただの「知っている」ではない。実際に言葉を交わし、同じ苦難や感動を乗り越えた同期として、彼女のことは良く知っていた。

 

“宮城県より参りましたあきづき型特殊護衛艦候補生のはるづきです。これから半年間、どうぞよろしくお願い致します”

 

広島県江田島にあった艦娘教育隊所管の艦娘学校。自分と肩を並べた同期に対し、黒板を背に自己紹介する在りし日の彼女の姿が瞬く。

 

あきづき型特殊護衛艦「はるづき」。宮城県女川町にある日本海上国防軍横須賀地方総監部隷下の女川基地を母港とする、第20防衛隊群第45防衛隊に所属する艦娘。出身は宮城県仙台市。日本人にしては若干茶色がかった髪色。セミロングと分類される髪を後頭部でまとめたポニーテール。特徴的な髪型と相反するような仏頂面をしていることが多かったため、大抵の第一印象は「官僚みたいな堅物」。しかし、内面は他人想いで、困難に直面している人間をほっておけないお節介焼き。少しツンデレを齧っている性格が災いしてなかなか抱かれた第一印象を変えられないことが大きな悩みという人間味豊かな少女だった。

 

みずづきも当初は積極的にかかわろうとはしなかったが、共に学び、共に訓練に励み、共に教官にしごかれる中で徐々に相互理解が進展。同じあきづき型特殊護衛艦ということもあり同期の中では比較的厚い友人関係を構築していた。

 

みずづきが非国民と後ろ指を刺される、あの日までは。あれ以来約3年間、彼女とは口を聞いていない。

 

それでも、みずづきとて海防軍人の端くれ。同期生の、しかも親交のあった艦娘の動向は一通り把握していた。はるづきたち第20防衛隊群は先島諸島奪還作戦(東雲作戦)に参加せず女川基地に腰を据えながら東北沖の対空・対潜哨戒及び太平洋より侵攻してくる航空機・艦船・潜水艦の迎撃を行っているはずだ。

 

にも、かかわらず。なぜ・・・・・・・・・。

 

「み、みずづき・・・・・?」

 

いつもの陽気さがなりを潜め、別人と勘違いしてしまうほど緊張した金剛の声。彼女は、はるづきの要求を受け、彼女に肉薄するみずづきを護衛するため比叡・榛名・摩耶・鳥海で臨時編成された護衛艦隊の旗艦を務めている。

 

彼女の呼びかけの意味。肉眼で正面を見つめ、透過ディスプレイに映し出されるFCS-3A多機能レーダーの対水上画面を確認して、理解した。

 

水平線から続々と姿を見せる、異様な人影と化け物。その中に周囲と隔絶し、また初見の存在が“複数”混じっていた。あちらもこちらを見つけたのだろう。みずづきたちとは対照的ににんまりと笑う不気味な笑顔が倍率を上げた艦外カメラを通して、メガネに映し出される。

 

金剛たちも気配と直感で敵の現状を把握しているはずだが、誰も無反応を貫く。今次作戦のラスボスとも言うべき空母棲姫と空母棲鬼が眼前に姿を現したにもかかわらず。

 

「敵機動部隊を視認しました。間違いありません・・・・・」

「了解デース。みなさーん、いつでも応戦できるよう準備だけは怠らないで下さいネ」

 

今回の接触はあくまではるづきの申し出による「話し合い」。そうでなければ、空母級5、戦艦級4 重巡級1、駆逐級2に加えてはるづきがいる13隻を要した敵機動部隊にみずづきがいるとはいえたった6隻でのこのこと接近したりはしない。だが、既に視認圏内。そして、相手は空母型深海棲艦の頂点に君臨する空母棲姫とみずづきと同等の戦闘能力を有するであろうはるづきを擁する艦隊。不測の事態への対応は万全を期す必要があった。

 

必然的に上昇する心拍数を抑えつけ、思考の熱暴走を阻止すべく心を落ち着かせている内に、その時は来た。風切り音が止み、主機の唸り声が沈静化。艦隊を率いていた金剛が後ろへ下がるのと同時に前へ進み出る。

 

 

正対する、同一の艤装を持った2人。

 

 

先に声を発したのは、みずづきだった。

 

「やぁ、はるづき。・・・・・・・・・・久しぶり」

 

それに対するはるづきの反応は。

 

「ふっ・・・・」

 

鼻にかけた笑いと見下すような視線だった。

 

「ちっ! 相変わらず、自分の本心を軽視する部分だけはとびぬけた才能を持ってるようね。・・・・・・・・・・・そういうのを見ると反吐がでる。こんなやつのために、こいつらが無理して大規模派兵したなんて・・・・・。とんだ貧乏くじね、こいつらに殺されたその子たちは・・・」

 

自分が侮辱されているにもかかわらず、みずづきは彼女の言葉より、変わり果てた彼女の姿に目を奪われていた。

(深海・・・・棲艦)

どこからどう見ても人間ではない。彼女は人間の敵に成り下がっていた。ぎりぎり黒いと言えた髪は雪より少しくすんだ色の白髪となり、肌は死人のように真っ青。メガネをかけていないため見える瞳は全ての光を吸収し消滅させてしまうほどの闇に染まっている。みずづきと同じはずの制服も瞳と同じ。灰色であるはずの艤装は黒を基調とし、滴る血と火山から流れ降りる溶岩を連想させる赤色の筋がいたるところに走っている。

 

その姿は、彼女の心を暗示しているように思えてならなかった。

 

「いきなり、無視? 真実を教えられていない木偶の坊のくせにいいご身分だこと。・・・・・・・いいでしょ?」

 

「ふふふっ」とニヤ付きながら、みずづきの態度の意味を察知したはるづきは体を一回転させる。本当に嬉しそうだった。

 

「私にはぴったりの姿。・・・・・・・・世界に復讐する、裁定者には」

「え?」

 

言葉に込められたどす黒い激情。あり得ないと脳が否定するものの、周囲の気温が低下した。

 

「い・・・今なんて・・・・」

「ねぇ? 私があんたをここに呼んだ理由は1つだけ。あんた・・・」

 

容赦なく言葉が遮られる。しかし、彼女の放った言葉は容易に流せるものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私と一緒にこの世界を滅ぼさない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

(なに・・・・言ってんの・・・・こいつ・・・)

必死に保っていた冷静な思考を一瞬で冷凍する言葉の前に、口はただ開かれただけだった。

 

「地球にいる人間と全く同じ知的生命体が居住し、きれいで(けが)れのない世界。苦しみも悲しむも孤独も後悔も、み~~~んな分かった気になって、のうのうと暮らしている人間。そんな世間知らずどもが、私たちが味わい続けてきた本当の理不尽さを前に、苦しんで、悲しんで、叫んで、泣きわめいて、苦痛にもがき、孤独に苛まれ、後悔に死ぬまで付きまとわれる。ああ! 想像しただけでゾクゾクしちゃう! そんな姿を、この手で作った素晴らしい地獄をこの目で拝みたいとは思わない?」

 

彼女から視線が離れない。理由は分かり切っている。きらきらと目を輝かせ、真っ青な肌を若干朱色に染めながら、身の毛もよだつおぞましい妄想を話している彼女が理解できなかったからだ。

 

「こんな偽善に満ち溢れた()()に、日常を紡ぎ続ける価値も意味もない。存在が許される道理もない! あんただって、そう思うでしょ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

彼女が口にした「世界」。あふれだす憎悪の矛先がこの世界だけではないことはすぐに分かった。血の匂いが鼻をついた。

 

小さいころからずっと一緒で親友だった彼女は、ある日突然・・・・・・・テロリストに殺された。

 

物心ついてから親しんできた日常は深海棲艦という人智を超えた化け物に破壊された。

この身を隊長として認め、数々の思い出を作った部下たちは深海棲艦との戦闘で死んだ。

 

敵前逃亡をした非国民と、蔑まれていた自分を信じ、最後まで身を案じてくれた上官も。

 

幾度となく、世界の理不尽に翻弄され続けてきた。あの世界で歯を食いしばり、数々の屍を踏み越えてきた人間にとって、この世界は眩しすぎる。あまりの違いに嫉妬を抱いたことも確かにあった。

 

しかし、それよりも巨大な気持ちがあった。この世界には在りし日の日本が、世界があり、喜怒哀楽豊かに日常を営んでいる人々がいる。世界の理不尽に虐げられないよう、懸命に歯を食いしばって駆け回っている人々もいる。

 

地獄を知っているからこそ、ついこの間まで笑顔を浮かべていた人々の屍を超えてきた人間だからこそ、そんな人々を守りたいと思った。

 

だから、みずづきの返答は決まっていた。

 

「思わない・・・・・・・」

 

拳を握りしめ、一点の曇りもない一直線の視線ではるづきの目を射貫く。

 

「私はこの世界が好き。あんたのいうトンデモ提案には賛同できないし、認める気もさらさらない!」

「みずづき・・・・・・」

 

金剛か、榛名か。誰かの呟きが聞こえてくる。

 

「ふ~~ん・・・・・・」

 

激怒の可能性も漂っていたが彼女は怒らない。それどころか嬉しそうにゆっくりと口角を上げ、唇をトカゲのように一舐めした。

 

その反応に言い知れぬ不安感が駆け抜けた。右足が後ずさる。

 

「ふふ・・ひひ・・・。やっぱり、あんたはそういうよね~~~~。その表情、最高! 軍人らしく覚悟を決めたすがすがしい顔。だからこそ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶち壊し甲斐がある。ひひ・・ふ、ははははははははっ!」

「あ、あんた・・・・・」

 

そして、次の言葉でその不安感は心を容赦なくズタズタに切り裂く鋭利さを持って現実のものとなった。

 

「しっかし、あんたはすごいよ。秘密を垣間見てしまったばっかりに、上の都合で敵前逃亡犯に仕立て上げられて、大切な仲間を、上官をこれまた“上”の勝手な都合で殺されておいて、よくもまぁいっぱしの人生を歩めるよね」

「え・・・・・・・・・・」

 

唐突に聴覚が捉えた未知の、そして真偽不明の情報。それを前にして脳は一瞬で完全なフリーズ状態へ陥った。

 

今、彼女は何と言ったのだろうか。

 

彼女は口走ったこと。それは2つの事件について、みずづきが認識している事実と異なる事実だった。

 

「ゴキブリも驚愕の無神経さと耐久力にはびっくりだよ。どうしたの? み・ず・づ・き、さん? ひひひ・・・・・」

「え・・・・え・・・・・」

 

無意識のうちに情けない吐息が漏れる。それを見て、はるづきはますます愉悦に由来する笑みを深くする。どれだけ温和な人物であろうと腸が煮えくり返るほど侮辱する笑み。だが、みずづきにはそれを認識する余裕は残されていなかった。

 

「上って・・・・・・いうのは?」

 

分かっていながら信じたくない、受け入れらない、否定して欲しいの一心で、敵であるはるづきに思い通りの回答を期待する。彼女はみずづきの激痛に襲われる心中を察して・・・・・。

 

「あんたの思っている通り、軍の上層部。そして、日本政府の上層部よ」

 

ささやか、かつ沈痛な願いを一刀両断した。

 

「分からない! 分からない! 分からない! 分からない! 私の部下は! 知山司令は深海棲艦に殺された! なんで・・・・なんで深海棲艦に殺されたにもかかわらず、人間の話が出てくるのよ!」

「そりゃそうでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたたちを水底に引きずり込んだ深海潜水艦は()()()()()()()にある個体なんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ!?』

 

微笑みながらなんでもない、軽いことを言うような口調ではるづきは衝撃の事実をみずづきに、金剛たちに放った。鼓膜の振動が神経情報に変換され、聴神経を通って脳へ。彼女の言葉が瞬時に解析され、その意味をあますところなく理解する。耳があり、外界の情報を捉え続ける以上、途絶えることなく行われている日常業務。しかし、いまだかつてこれほど新鮮かつ即座に配達されたことがあっただろうか。そして、これほどまでに言葉のみで怒りを惹起されたことはあっただろうか。

 

「彼女たちはこいつらみたいに野良の深海棲艦と違って、人間の命令がなければ動かない。だから・・」

「いい加減にして。そんな冗談まき散らして何が楽しいのよ」

 

発言の続きが今後の立ち振る舞い、明日へ向かって歩むために非常に重要な情報であると意識の外から理性が呼びかけて来ても、みずづきは激情の発露を抑え込むことができなかった。

 

「あら、荒唐無稽すぎて怒っちゃった? でも、残念。これは事実。いえ・・・・・真実よ」

「人間が・・・・日本が深海棲艦を従えているって? そんなこと、あり得ない! 断じて、あり得ない! あり得る訳・・・ないのよぉぉ!!!!」

 

声帯が許す限り、はるづきの戯言を否定する感情に比例した声量で叫ぶ。はるづきはそんなみずづきを一切意に介さず、再び舌なめずりをして続けた。

 

「ちちちっ。従えているだけじゃないのよねぇ~~~、これが。あんたの上官も、仲間もあんた自身を殺した深海棲艦も、世界を地獄に突き落とした深海棲艦も、そしてこの世界をいい感じに血で染め上げようとしているこいつらも、全部ぜ~~~んぶ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もとは日本が、作ったものなのよ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ」

 

口がだらしなく開け放たれ、威厳も怒りもない不格好なうめき声だけが漏れる。なぜか神妙な面持ちで撃ちこまれた最後の一撃が心身の全機能を鈍らせる。荒くなる呼吸音、激増する心拍数、急上昇する体温。霞がかかり始めた思考内に「深海棲艦が作った」という彼女の言葉が際限なく反響する。もはや、はるづきに反論する能力は完全に消失していた。

 

「いいわよ。その証拠、見せてあげる。・・・・・・・・・・久しぶりの再会を楽しんできなさい」

 

もはや口角が上がりすぎて唇の間から白い歯を見せるはるづきはそう言うと、一転の真顔でみずづきの瞳を凄まじい眼力を込めた視線で射貫く。

 

「っ!? ああ・・ああああああああ!!!」

 

刹那、激しい頭痛と目眩が同時に襲ってきた。あまりの痛みと不快感にここがどこなのか、今どのような状態なのかに留まらず、立っているのか、生きているのか、自分が誰なのかさえ曖昧になっていく。

 

「みずづき! てめぇ! みずづきに何しやがった!!!!」

「みずづきさん! しっかりして下さい! みずづきさぁぁん!」

 

誰か分からない絶叫を最後にあらゆる感覚、あらゆる音、あらゆる光が消滅し周囲が「無」に帰す。みずづきの意識はここと何もかも異なる別の場所へ強制的に飛ばされた。




「・・・・・・・・・・は?」

なんじゃこりゃー!(驚愕)
ふっざけんな!?(怒)
な・・なにがどうなって・・(動揺)

皆様の中には上記のような反応となっている方もいらっしゃることと思います。作者からはまだ具体的な情報をお伝えすることはできませんが、ここから今まで回転を遮られていた歯車が一気に回り始めます。

次回へ至る前に1つ、独り言を・・・・。
例え客観的に1つであろうとも事実や情報は受け手によって捉え方、解釈の仕方が変化します。それは世の中の様々な事情、相変わらずの国会や周囲の些細ないさかいなどを思い浮かべてもらえばいいと思います。今回、「暴露」したのはあくまでも・・・・・・“はるづき”です。


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85話 MI作戦 その4 ~つきつけ~

よ、よみずいランド・・・・?


今話にはほんの少し猟奇的(?)なシーンが存在します。なので閲覧注意ほどではありませんが、一言お断りをいれさせていただきます。


自分自身の存在以外、何もない「無」の世界。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚は機能不全を起こし、何も聞こえない、見えない、感じない。星が消え去り、暗黒に染まり切った宇宙空間に身一つで投げ出されたようだ。

 

ただ分かるのは自分がここにいるという事実のみ。

 

そんな情報量が局限された世界も永遠の産物ではない。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

無音から一転、人の声とおぼしき音がわずかに、そして数多く聞こえてくる。遥か彼方に思わず腕で目を保護してしまうほどまばゆい光球が出現。喧騒と表現できるほど増加したざわめきに比例して、光球は急接近。

 

逃げることも避けることも、ましてや抵抗することもできず、暗黒にただただ漂っていた身体は目にも止まらぬ速さで記憶に飲み込まれた。

 

 

――――――――

 

 

「ついにこの日が来たのでありますか・・・・・」

「計画は順調に推移しているようで安心した・・・・・・」

「・・・・・・・・。目標の生産効率も達成。ラインも正常に稼働。見たところ、出来栄えも上々。いや~~~、たまりませんな!」

 

妙に霞んだ視界。釈然としない意識。他人事のように聞こえる様々な音。重力から解放されたような浮遊感。これまでの人生で、つい最近まで数え切れないほど感じてきた感覚。

 

夢か。

 

ワックスが掛けられ、自分の身長より遥かに高い構造物丸出しの天井から、控えめに降ってくる淡い光を反射する床。薄緑色の液体に満たされた、教育施設にある実験器具の試験管を巨大化させたようなガラス構造物。それが秩序だって所狭しと並べられた空間。その間を、タブレット端末を手に真剣な眼差しで行き来する白衣をきた老若男女。目の前には海上国防軍の幹部常装第一種冬服を着て、白色のヘルメットを被った一段。両袖にあしらわれた階級章を見るに全員佐官。彼らはヘルメットを被らず、白衣と同じ色に堕落した頭髪を持つ初老の男の説明を受け、時折歓喜に沸きながらガラス構造物の中を比較的離れた位置から覗きこんでいる。

 

初めて見る光景。たちの悪いSF映画に迷い込んだような雰囲気。

 

夢。そう判断しても、無理はいない。しかし。

 

(なにこれ・・・・・・・・)

 

夢とは一線を画した世界が周囲全てに広がっていた。視界は色彩豊か。意識も明瞭。音は自身の耳で取られているという明確な存在感を主張し、重力に抗い2本の足で立っている。

 

起きている時と、現実とほとんど変わらない。唯一の相違点と言えば・・・・・。

 

自分の意思とは無関係に突然、視線が下に下がり、目の前にスケジュール帳のようなものが出現する。まるで印刷機を使用したかのようにきれいな書体を維持して整然と整列し、一面を埋め尽くす文字たち。自分が書く文字とは明らかに異なっている。

 

「はぁ・・・・・・・・・」

 

そして、唐突なため息。これも自分の意思とは無関係の行為だ。声も異なっている。

 

そう。完全に感覚は同調しているのに、体の自由が全く効かないのだ。

 

(どうなってんのよ、これ)

 

現在の技術水準でも実現不可能に違いない高度な拡張現実(VR)に投入された感覚。どれだけ自意識を反映させようとしても、届かない。

 

またもや、視線が勝手に動く。ことごとく試みが弾かれ、無力感に苛まれる中、みずづきは見てしまった。

 

(一体、なにがどうなって・・・・・・・・・って、なに・・・・なんなのよ・・・・これは)

 

数え切れないほど見える薄緑色の溶液をたたえたガラス構造物。その中に1つの空きもなく、顔からつま先まで死人のような白い肌を持ち、白髪をたなびかせる人類の敵が収められているところを。

 

そして。

 

(・・・・・・・っ!? ・・・・・・・・なんで)

 

2350万人を屍に変え、国土に阿鼻叫喚の地獄絵図を描き、自らが死に物狂いで戦っている敵を前に談笑している一段の中に。

 

(・・・・・・・・どうして、あなたがここにいるんですか?)

 

不可能だと分かっていながら、ずっと再び会う日を切なく願っていた唯一無二の人物がいるところを。

 

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・知山、司令)

 

 

 

 

 

 

視界が、胃を暴走させる不快感に構うことなく無造作に歪曲する。

 

(うっ!!)

 

洗浄寸前のパレットのような様相を呈すると、時間を巻き戻しているように色彩が再構築。

 

眼前にあらたな世界が出現した。

 

胃を気合いで鎮め、融通が利かずただ見えるだけの視界から状況把握を行う。今いる空間は先ほどまでいた場所とは全く異なっていた。

 

床は絶えず靴に踏みつけられ続けてきたためか黒くくすみ、パソコンを乗せ、壁際に張り付けられている机に乗れば手が届きそうな天井。醜い構造物を隠すように頭上を覆っている白い天井板に埋め込まれている蛍光灯型LED照明は遠慮することなく、自身の能力を発揮。だが、やはりここも普通ではなかった。本来、壁で覆われているはずの真正面は全面がガラス張り。ここよりも遥かに明るいその向こう側には、手足をベルトで拘束され、白一色の壁に張り付けられている1人の少女がいた。黒髪に薄桃色の肌。褐色の瞳。少しやせ気味の華奢な体。ごく一般的な東洋系・・・・日本人の少女だ。右腕の手首から細い管が少女の右側にある白一色の箱に伸びている。同様の管はもう一本あり、病人服で覆われている箇所につなげているのか少女の股の中に消えていた。

 

ガラス越しにその少女を見つめる先ほどの一団。当然のように知山もいた。

 

(・・・・・・・・・・・・・・どういう状況なの?)

 

白衣を着た老若男女は一団の傍に控える者もいれば、操作者の顔面を不気味に照らす数多のパソコンと睨めっこをしている者もいれば、しきりに手持ちの資料にペンを走らせている者もいる。ただ、死に装束のような白く簡素な病人服に身を包んだ彼女に注目している点だけは変わらなかった。

 

少女に意識はあるようだが、全てを諦めてしまったのか微動だにしない。

 

(これじゃ・・・・まるで・・・・)

 

刺々しさを伴った嫌な予感が掛けぬける。心の中で言葉の続きを語ろうとした、その時。ざわついていた空間内が静まり返る。

 

「これより、検体D5013466の改造実験を開始します」

 

一団の隣に陣取り、先ほどの空間で説明を行っていた初老の研究者が発声。それに頷いた1人がパソコンを操作。

 

数秒後、少女と箱を繋いでいる管に水のような透明の液体が侵入。ゆっくりと少女の体内へ進撃を重ねていく。

 

「いや・・・・・いや、誰か・・・・お願い・・・。誰か、助けてよ。お願い・・・・・」

 

透明の液体が彼女の体内まであと一歩と迫った時、弱々しくもわずかな光に希望をかける切実な懇願が聞こえてきた。しかし、誰1人として無反応。知山も例外ではなく、だだ左手で太ももをさするだけだった。

 

「ぎぐっ!! あ・・・あっ!! い・・・や!! うが、ぎ・・・」

 

管を進んでいた液体が全て少女への侵入を果たし、管が再び空になった頃合い。少女は苦しそうに奇声を発しはじめ、ベルトで拘束されている手足を引きちぎらんばかりの勢いで暴れはじめた。凄まじい騒音が聞こえてくる。

 

それでも、誰1人無反応。

 

「体温の上昇を確認。現在、41.2度。なおも上昇中。熱による体組織の破壊、及び劣化確認されず」

「脳波、特定振幅数で推移。・・・・・っ!? DNAの変異確認!」

 

そこでようやく大勢の人間が反応を示した。

 

「ううう・・・・・・うううう・・・・・・・・・」

 

獲物を前にしたオオカミのように唸る少女。声は明らかに人間を逸脱していたが、それは声だけに留まらない。

 

(う・・・・・・そ・・・・・・)

 

何もかもが白に染まっていく。いや、変わっていく。日本人として当たり前の黒髪は真っ白に、薄桃色の肌からは血の気が消え、真っ青に。瞳孔が開ききり、視点が彷徨っている瞳は熱燃焼率を究極まで高めた炎のような青色に。

 

その姿は知っていた。

 

(し・・・・・・深海棲艦・・・・・・・)

 

一撃で現代文明が誇る最先端科学技術の申し子をただの鉄スクラップに貶め、世界各国の海軍にその名を轟かせた戦艦級。出会えば命はないとさえ言われたほどの化け物が、目の前に現れようとしていた。

 

「よし! よしっ!!! 今度こそ! 今度こそは!!」

 

だが、そのような代物を前に誰も恐怖に慄かないどころか、白衣を着た研究者の1人がガラスに張り付き、大声を上げる。

 

「ううううう・・・・・・・。う・・・ぐ、あ゛・・・・」

「ん? どうした?」

 

唸り声をやめ、再び不規則な奇声を発し始めた変わり果てた少女。空間の空気が止まる。

 

研究者が視線をパソコンと対峙している男たちに向けた瞬間、状況は一変した。

 

「あ゛。わたし・・・・は。に・・・がきふgrし・・・・。ぐが・・がはっ! あ、ああ」

「っ! 体温、上昇止まりました! 血液循環に異常! 体組織の急速崩壊が始まりました!」

「なんだと!」

 

血相を変え、警報音を響かせながら赤く点滅するパソコンの画面。一団に落胆が広がる。

 

その間にも少女は人間から離れていき、体中の血管を浮かび上がらせる。

 

「あ・・あ。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛!!!!!!!」

 

自動でスピーカーが向こう側の音を遮断してしまうほどの大音響を轟かせたあと。

 

(うっ!!!!)

 

少女は全身の皮膚を突き破って噴出した血を周囲にまき散らして、絶命した。瞳が吹き飛んだ眼球がゆっくりと視神経を切断し、重力に従って鮮血に染まった床に落下。こちらへ転がってくる。

 

(・・・・・・・・・・・う・・うっ)

 

幸い、彼女から吹き出した血液が10mほど離れたガラスをも真っ赤に染め上げたため、少女の亡骸の全体像をこの目に入れる事態だけは避けられた。視線は全く動揺することなく少女の方を向いている。所々自慢の透明度を保っている箇所から垣間見える少女の損壊具合を鑑みるに、目に入れてはいけない状態のはずだ。

 

「はぁ~~~~。今回も失敗だったか・・・・」

 

1人の人間が筆舌に尽くしがたい残酷な最期を迎えたにもかかわらず、一団は少女の死に全く頓着せずただ肩を落とす。顔をしかめる者がいなければ、顔面を蒼白にする者もいない。少女の体内から飛び出してきた血が眼前のガラスを赤で染めようとも誰1人として驚くどころか、表情1つ変えなかった。

 

「やはり、人間から遺伝子改変で直接・・・を創造するのは難しいな。重巡で成功例が出たと聞いて期待していたが・・・・・・」

「生殖細胞から生成する従来手法と比較し、コストパフォーマンスに優れる分、そうそう簡単には進まないものですな」

 

ガラスとその向こう側から視線を外し、議論に耽り始める。その姿勢に底抜けの恐怖を感じた。誰も般若のような形相をしているわけではない。おぞましい雰囲気を醸し出しているわけではない。至って平然としている。

 

それが、常軌を逸したこの光景を目の当たりにしても平常心を抱いているその姿が恐ろしかった。

 

「っふ」

 

一団を蔑むような鼻息のあと、視線は一団の外輪にたたずむ1人の男を捉えた。なぜ、彼に着目したのかは分からない。

 

(・・・・・知山司令?)

 

いつもの優しい声を聞きたい欲求に駆られ、思わず呼びかけてしまった。表情が一切ない、能面のような真顔。艦娘部隊の上官であり、三等海佐でありながら喜怒哀楽が豊かで、いつもおきなみに表情をからかわれていた知山。真顔の時も確かにあった。しかし、感情が一切読み取れないあのような顔を見たことがなかった。まさしく、有事の軍人といった風体。

 

本当に彼なのか。

 

確信を得ながら、信じたくないと叫ぶ心の弱い部分がしきりに疑問を呈してくる。だが、みずづきはそれを否定せざるを得なかった。

 

視線が捉えている人物は、知山豊だと。

 

そして。

 

(・・・・・・・・・・くっ)

 

彼は自分に重大な隠し事をしていたと。

 

 

視界は再び、歪曲。しかし、一刻も早くここから離れたいと思っていたみずづきには、徐々にめちゃくちゃになっていく世界は救いだった。

 

 

 

~~~~~~~~~

 

 

「みず・・・・! 大丈夫か! ・・・・・・き!」

 

ぼやける視界。断片的にしか機能しない耳。霞がかかったかのように釈然としない意識。思考力も鈍っているのか、ただ現在の状況を甘受するしかない。まるで夢のよう。

 

「う・・・・・・・・」

 

しかし、徐々に回復してきた意識がそれを否定した。自分の意思で自分の声が出る。一気にまどろみからの急浮上が始まる。

 

「みずづき! おい、みずづき!」

「みずづきさん!」

「しっかりするネー!! みずづき!」

 

鼓膜に激震を走らせる鬼気迫った怒号。それがみずづきの意識を現実に釣り上げてくれた。体の前面に包容力抜群の温かみを感じる。海上に立っているはずなのに鼻腔には潮と明らかに異なる香りが立ち込めている。わずかに石鹸の匂いを残した、安心感を増長させる優しい香りが。

 

「みずづき!!」

 

耳元で生じた大音響に驚き、発生源に視線を向ける。

 

「摩耶・・・さん? 私・・・・・って」

 

そこで初めて現在の状況を把握した。摩耶の肩口に預けられた頭部に、抱き留められた体。みずづきは摩耶に体を預ける形でようやく海面に立っていた。傍から見れば摩耶に抱擁を促しているような姿勢だ。これは恥ずかしい。

 

「みずづき! 気が付いたのか! 良かったぁ~~~」

 

真っ赤に熟れたみずづきの顔面に気付くことなく、長く深い安堵のため息とともに摩耶は破顔する。すぐ目の前にまで接近し、こちらの顔を覗きこんでいた金剛や榛名も強張っていた表情を弛緩させた。

 

全く状況が分からない。なぜ、自分は摩耶に体を預けているのか。なぜ、金剛たちは血相を変えて心配していたのか。原因を探ろうと記憶に意識を沈めて。

 

「っ!?」

 

鈍い頭痛と共に混濁した意識に蓋をされていた全てを思い出した。残酷な事実を前に涙腺が決壊しそうになる。

 

「みずづきさん! 大丈夫ですか?」

 

大丈夫。そう言いたかった。そう言わなければこれ以上の余計な心配をかけることもわかっていた。しかし、何も言えなかった。

 

ガラス構造物に収められた深海棲艦。

通常兵器を扱うように議論を重ねる海防軍人に研究者。

体内の血液で一面を赤色に染め上げた少女。

 

それらが脳裏に瞬いて消えない。

 

 

そして、それよりもみずづきの心を(えぐ)ったもの。公私共に全幅の信頼を置き、この理不尽な世界を歩んでいく上で心の支柱となっていた知山が、それを知り、それを隠して、自分たちと接していたことが何よりも心を壊死寸前にまで追い込んだ。

 

「おい、みずづき? 本当に大丈夫か?」

 

榛名と顔を見合わせた摩耶が喉を震わせながら静かに声をかけてくる。それを聞いた上でなされた爆笑はみずづき以外全員の堪忍袋を破裂一歩手前まで膨張させた。

 

「くっ・・・。ふふ・・・、あはははは、く・・ははははははははははははははははははっ!!!!!」

「て、てっめぇ! 一体にみずづきに何をしやがったんだ! ああ!?」

「何もくそも、くっ・・・っふ・・・、あんたに抱かれている憐れなピエロに・・ふ・・・・ふふふ、あはは・・真実を・・ふふ・・・教えてあげた・・ふっ・だけじゃない・・・。私の・・・・ぶっ! 私の記憶を使って、・・・・・ああ、もうだめ! 腹痛い、腹痛いっ! ぎゃあ、はははははっ!」

 

はるづきの爆笑は留まるところを知らない。しまいには腹を抱えて前屈姿勢を取り始めた。

 

「あのクソ生意気な顔が今では半べそ。最高すぎる! その顔が見たかった! じゃあ・・見たかったものも見れたし、こいつの心を掻きむしることも叶ったし・・・・」

 

雲に時々遮られながらも日光がさんさんと降り注いでいるにもかかわらず、周囲の空気が凍り付いた。

 

「死んでよ」

『っ!?』

 

憎悪と殺意しか込められていない、死の宣告。駆逐級や重巡級のみならず、戦艦級や空母棲鬼、空母棲姫まで自前の砲門をこちらへ向けてくる。距離は潮風が駆け抜ける中、肉声で会話が成立するほどの至近。戦闘が勃発すれば、甚大な被害は避けられない。照準を先に合わせた敵が遥かに優位だ。

 

「総員! 撤退ネ! 最大戦速っ!!!」

『了解!』

 

暖機運転を続けていた主機たちが一斉かつ一気に稼働。吐き出された黒一色の煤煙をたなびかせながら、はるづきたちに背を向け、一路本隊を目指す。同時にその場に留まりながら苛烈な砲撃が開始された。

 

「速力を落とさない範囲で各個に応戦して下サイっ!! 当てなくイイネ! 牽制効果をはらめば上出来デス!」

 

轟音と爆炎が現出すると同時に金剛の号令が飛ぶ。艦隊の周辺に水柱が林立する直前、金剛型戦艦3隻、高雄型重巡洋艦1隻の各主砲から当たれば損害必至の砲弾が大気を押しのけて撃ちだされる。

 

2隻いる高雄型重巡洋艦の内、攻撃に参加している艦は鳥海。鳥海の姉である摩耶の主砲は静寂そのもの。決して被弾や故障で主砲が死んでいるわけではない。摩耶が金剛の命令を無視しているわけでもない。彼女には攻撃に参加できない理由があった。

 

「クッソ!! あいつら! はなからこれが目的だったのか! みずづき! みずづきって! どうしたんだよ!」

 

無意識のうちに摩耶と速力を合わせ、海面に視線を張り付けたみずづき。彼女は摩耶に肩を借りた状態で正面を向いたり、こちらを向いたり目まぐるしく前後を変えている金剛たちを追いかけている。摩耶はみずづきの身体を支えるので精一杯でとても攻撃を行う余裕はなかった。

 

「分からない・・・・・分からないよ・・・・」

 

摩耶に多大な迷惑をかけていることも、自分たちが攻撃を受けていることも分かっている。たが、それでも脳裏からあの光景が離れない。知山が手の届かない、後を追いかけてはいけない場所に遠ざかっていく幻影が瞬いて仕方がない。

 

「せっかくの機会だし、いいものを見せてもらったから、もう1ついいこと教えてあげる」

 

自分にこの混乱の原因を植え付けた張本人。はるづきの声が通信機から聞こえてくる。当たれば轟沈確実の砲弾が周囲に着弾し、海水が頭上から落ちてくるにもかかわらず、その意味深な声はなぜか明瞭だった。

 

「あんたの大好きな司令官があんたたちに見せていたのは偽りの姿。笑顔も怒りも悲しみも、み~~~~んな嘘!」

「嘘よ・・・・・」

 

信じたくなかった。消え入るよう声ではなく、怒号で否定したかった。しかし、着実に死んでいく心が否定と抵抗の意思を吸い取っていく。

 

「あいつの正体は深海棲艦を生み出し、世界を自分たちの意のままに操ろうと両手を血で真っ赤に染めてきた“救国委員会”の古参メンバー。人間の命なんてこれぽっちも思い入れのない、人間の業と世界の理不尽が生み出した怪物、その一柱。それがあんたの上官よ」

「信じない・・・・・私は・・・・・」

 

 

だが。

 

 

“みずづき、最後の命令だ。必ず生きて故郷に家族のもとに帰れ。絶対に死ぬんじゃないぞ・・”

 

“今までこんなむさ苦しい男の指示によくついてきてくれたな・・・。ありがとう。そんで約束守れなくてごめんな”

 

あの時の、激痛に苛まれているにもかかわらず、死がすぐそこまで迫っているにもかかわらず、こちらの身を案じる優しい声が。

 

“こんなきれいな涙を流す女の子が、んなことするはずないだろうに”

 

あの時の、一点の影もなく、爽やかで、なにもかも包み込んでくれそうな優しい笑顔が・・・・・・。

 

 

心に否定と抵抗の猛火を灯した。

 

「私は信じない。そんな嘘、あの人の全てを侮辱する言葉なんて許さないっ!!!!」

「ちょっ! ま・・・・みずづき!」

 

摩耶から身を離し、ジェットエンジンの流れを汲むガスタービン機関の利点を最大限発揮。一瞬で高速域へ到達。必死に制止する摩耶を無視しながら、小さくなった特徴的な影に寸分のブレなくMk45 mod4 単装砲を向ける。

 

「許さない。あんた、絶対に許さないっ!!!」

 

これほどの至近距離なら、音速越えの目標を撃ち落とせる艦載砲が外すことはまずありえない。対して、はるづきはみずづきと同じMk45 mod4 単装砲を向けるなり、取り巻きの深海棲艦に攻撃を命じるなど応戦体勢を示さない。ただ、立っているだけで特段の反応なく、言葉を続けた。まるで、みずづきの言動全てが何の価値もない悪足掻きに過ぎないと示すように。

 

「優しかったから、嘘だって? そりゃ、優しくするに決まってるじゃない。だって、あんたたちは、第二世代深海棲艦の開発実験に使用予定のモルモットで、知山豊は救国委員会供給第二課、研究所へモルモットを出荷することが至上命題の部署の幹部。あんたたちを夢で見た少女のような末路に追い込むために健全な身体の発育を促し精神を安定化させることが仕事だった。そのためには優しくすることが最も手っ取り早い方法だったんだから」

 

みずづきに猛火を灯した知山の言動。心の拠り所としてきた思い出。それが「別の理由でなされたもの」という消火剤は一瞬で燃えたぎっていた炎を鎮火させてしまった。自分自身の知っている知山は本当の知山ではない。先ほど得た事実が消火剤の威力を限界まで高めていた。

 

もはや声すら出ない。足元が轟音を立てて崩れ落ちていく感覚に襲われる。そこに、はるづきは最後の一撃を加えた。

 

「知山にとってあんたは出世と保身のための、ただのモルモット。あんたは自分たちを物としか見ていなかった人でなしに心を許し、あまつさえ特別な感情を抱いていたのよ?」

「あ・・・・あ・・・・ああ・・・・」

 

世界が真っ黒に染まっていく。全身からあらゆる力が抜けていく。

 

「みずづき! なにしてる! 回避行動を取れ!」

 

摩耶の絶叫を背中に受けても、周囲に深海棲艦が放った砲弾が落ちてきても、はるづきが意気揚々とMk45 mod4 単装砲をこちらに指向させる姿を見ても、足が動かなければ、動こうとも思わない。

 

心を覆っていたのは生命の営みを停止させかねない脱力感と喪失感、そして悲しみだけだった。

 

「さようなら。いい夢を。・・・・・ふふっ」

 

そして、今まで散々自分が演習で戦闘で、味方に敵に撃ちこんできた21世紀の賜物が自分に撃ちこまれた。

 

全身を駆け巡る激痛。口の中で暴れ、眼前に飛び散っていく生命維持に不可欠な赤い体液。強烈な生臭さと生ものが強引に燃焼させられている悪臭。激烈すぎて全ての音を無に帰す大音響と誰かの悲痛な叫び声。しかし、そんなものどうでもよかった。

 

「知や・・・・ま・・・し・・・れぇ・・」

 

保持の限界に達し、急速に光と感覚を失っていく意識の中、みずづきはただ脳裏で微笑んでいる大切な人物の幻影に損傷した手を伸ばす。

 

しかし、それが届くことはなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

ベラウ本島 東海岸 瑞穂軍前線基地

 

 

熱帯性の植物たちが所狭しと生い茂り、虫から鳥に至るまであらゆる生物たちの楽園であったろう、程よく減衰した海風を受ける場所。しかし、ここにはもう熱帯雨林はない。それどころか、かつての面影をしのぶことすらできないほど破壊され尽くした一面の焼け野原が広がっていた。炭化した木々を押しのけるように大地に空いた大小さまざまな無数の穴。有機物にしぶとくまとわりつき、炸裂音を伴いながらいまだにくすぶっている炎。そこから放たれる臭いは絶えず嗅覚を攻撃し、中には一瞬で胃の内容物を外界へ解き放つ威力を持ったものも存在していた。これまでに一体の何人の将兵たちがそれによって名誉を貶められたのかもはや分からない。位置関係上大海原でたっぷりと潮の香りを吸い込んだ潮風に期待したいところだが、あらゆる生命を殺戮し尽くした戦闘で生じた悪臭はいとも簡単に風を(けが)し、戦闘を行った張本人たちに現実を知らしめようと牙を剥く。

 

それは陸軍設営隊が死に物狂いで整地し、数え切れないほどのテントがひしめき、ひっきりなしに戦車・装甲車・輸送車両が駆け抜けていく瑞穂軍前線基地内においても変わらない。しかし、顔や制服を汗・垢・泥・血で汚した将兵たちには些細なこと。誰も違和感を覚えるのは最初だけであり嗅げば嗅ぐほど慣れ、悪臭が日常の構成要素になり果てていた。

 

瑞穂陸海軍約2万人の上陸開始から約1日半。深海棲艦守備隊の猛烈な抵抗を受けつつも、海空からの全面的火力支援という頼もしい援護を背に第3海上機動師団、第1・2・3特殊機動連隊、第2連合特別陸戦隊は沿岸部のジャングルとマングローブ林を灰燼に帰し、ベラウ本島内部に進軍。ジャングルを艦砲射撃や空爆で根こそぎ焼き払い、島内に張り巡らされた地下トンネルを1つずつ火炎放射器や29式戦車、29式水陸両用戦車の主砲で使用不能にする焦土戦を展開しながら、着実に島の奥深くへ前進している。

 

少なくない犠牲は生じた。12月21日のパラオ泊地中枢に対する攻撃では艦娘にも多数の大中破艦が発生している。しかしおおむね作戦は滞りなく、順調に推移している。

 

前線基地のほぼ中心に置かれた第3海上機動師団、第1・2・3特殊機動連隊、第2連合特別陸戦隊の合同司令部、ベラウ本島上陸作戦司令部の入る一際頑丈で立派なテントには悲痛な雰囲気など皆無。各部隊の伝令たちはここと各部隊司令部が入っている隣接しているテントの間を慌ただしく行き来し、参謀たちは前線部隊の戦闘状況を受け、作戦の立案や各部隊の調整に奔走。司令部付きの士官たちは中央の台に置かれたベラウ本島の地図、そしてYB作戦に於ける攻略目標をあますところなく表示する壁に貼り付けられた地図に次々と情報を掲示、また掲示を修正・更新していく。

 

既にヤップ島、ソンソール諸島、ヘレン環礁、オオトリ島の攻略は完了。ベラウ諸島南側各島、ウルシー泊地の攻略も作戦通りに進んでいた。それらと比較するとベラウ本島は苦戦を強いられている方だがこれはあくまで想定されたこと。「ベラウ」でまとめられる各島総面積の約7割を有する広大な島の攻略などそう簡単に進むはずがない。その点の理解は事前の会議や折衝で各部隊とも浸透していたため、特に焦燥感などは芽生えておらず、焦りによる弊害も生じていなかった。

 

「なんだと? それは・・・・事実なのか?」

 

だから、だ。第3海上機動師団司令官の不死川孝之助少将に副官の柳葉亨大尉からもたらされた緊急通報は寝耳に水、もしくは青天の霹靂だった。

 

「はい。東京から第1統合艦隊旗艦高千穂経由で各部隊の指揮官へ転送されている情報です。信憑性はほぼ間違いないかと・・・・」

 

少し歩けば「日陰」という名のテントの加護から外れ、南洋特有の労わりの欠片もない直射日光で焼かれかねない位置。情報漏洩を防ぐため人気の少ないここへ案内してきた柳葉は深刻な表情で事実関係を告げた。今回は参謀にすら伝達されていない。機密中の機密であることは内容だけでなく伝達経緯からも察することはできた。

 

「そうか・・・・・・」

「・・・・・・信じられませんか?」

 

ため息交じりの応答に本音が混じっていたようだ。柳葉が顔を凝視してくる。

 

「大隈発の東京・高千穂経由だ。事実なのだろう。しかし・・・・・あのみずづきが大破し、戦闘不能に陥ったなど・・・・・・解せない。全く解せない」

 

不死川も柳葉も海軍から直々に説明を受けた訳ではなかったが、みずづきの正体は断片的に陸軍上層部から伝えられていた。もちろん緘口令を敷かれた上で。

 

「通報はそれだけなのか?」

「はい。ただ、みずづきが大破し、戦闘不能に陥った、と」

「MI作戦の進捗状況やみずづきが大破した理由は?」

「全くもって含まれておりません」

「・・・・・解せない」

 

これではMI攻撃部隊がどのような状況にあるのか、最悪の事態しか導き出せない。つまり、みずづきをも大破させる敵の出現。もしくはみずづきが有する異次元の捜索・攻撃能力でも起死回生が不発に終わるほどの敵の狡猾な罠の可能性。2日前から一睡もせず、いくら「名字そのままだ」と言われる驚異の肉体を持とうとも疲労を感じていた身体が重くなる。

 

「小生もこれには疑問を・・・・信憑性についてではなく、通報そのものの性格に疑問を抱いております。通報の完結性から鑑みるにこれは第一報ではないかと」

「・・・そうだな。続報を待つしかないか」

 

作戦計画ではYB作戦、MI作戦どちらかで不測の事態が生じた場合、他作戦に深刻な悪影響が及ぶまたは予測される場合を除いて、計画通り進行させることが取り決められている。だから、現在のところYB作戦を行っているベラウ諸島周辺展開部隊には何の影響もない。ただ、順調に進んでいた作戦は大きな不安定要因を抱えることになった。

 

「柳葉、承知済みと察するが一切の口外を禁ずる。また、続報が入り次第いくら不可解・不自然であろうが一語一句正確に私のもとに届けてくれ」

「はっ!」

 

見事な敬礼を決めた柳葉に鼻が高くなるのを感じ、彼から正面の空に視線を向ける。

 

「・・・・・一雨来そうだな」

 

天高くそびえ立つ黒々とした積乱雲。セミがやかましい時季、故郷で見た夕立を降らせる雲とは規模も高度も異なる凶悪な雲の一団が見えた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

MI攻撃部隊 「大隅」 司令官室

 

 

艦娘たちの心情をそのまま投影したかのように、窓がなく空間の容積にしては小さい照明しか持たない司令公室は地球の重力が数倍にも増したかのような重苦しい空気に包まれていた。ここには主の百石、秘書艦の長門、参謀部長の緒方、医務部長の道満、各艦隊の旗艦、そして体のあちこちに軽微の傷を負い、病人服に身を包んでいた金剛以下5名がいた。

 

「道満部長、みずづきの容態は?」

 

血の気を失いつつも軍人の威厳をなんとか維持している百石が沈黙を破る。全員の視線を受けた道満忠重(みちみつ ただしげ)医務部長は一歩手前へ進み出て、手持ちの資料と百石を交互に見ながら説明を開始する。

 

「緊急手術後、麻酔の効果もあり容態は安定しています。現在、常時軍医1名、軍看護婦2名を配置し、容態の急変等緊急事態に対処可能な陣容を構築しています。みずづきの負傷具合についてですが・・・・・・」

 

数人が息を飲む。全身と艤装を血まみれにして、所々の皮膚を炭化させたみずづきを金剛たちが協力して大隅へと収容。医務部員たちが血相を変えて処置室へ搬送する一連の光景を全ての艦娘、ほとんどの横須賀鎮守府幹部が目撃していた。

 

「前方から砲撃が直撃したと思われ、下腹部の損傷が激しく、下腹部から胸部にかけて著しいやけどが認められます。また皮膚のみならず大腸・小腸・肝臓・膵臓が損傷。また胃・肺に出血が見られ、肋骨6本骨折」

 

具体的な損傷具合を聞いていると遠目で見た、赤一色のみずづきが甦ってくる。潮風に乗って自分のところにまで血生臭さが漂ってきた。胸に形容しがたい不快感が昇ってくる。そのような彼女を間近で見た金剛たちは一見すると平静を保っていたが、明らかに顔色は悪化していた。

 

「とっさに胴体を庇ったためか、右腕の損傷も著しいものがあります。手のひらはほぼ三度のやけど、尺骨(しゃっこつ)及び橈骨(とうこつ)が露出しており・・・・・」

「もういい」 

 

百石が片手を上げた。道満はそれによって自分の行為の意味を自覚し、即座に頭を下げた。

 

「・・・・ご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ありません」

「いや、私が悪かった。道満部長に非はない。・・・・・・途中で言葉を遮ってしまったが、全治にはどれほどかかりそうか? 彼女は我々と同じ人間。彼女たちのようにけがの直りが早い訳でもない。負傷の程度からよほどの日数を要することは覚悟しているが」

「彼女が日本世界では国家存亡の重要戦力であったことから、おそらく療養期間を劇的に短縮する方法はあるのだと思います。しかし、我々にはその方法が分かりません。よって通常ならば、良くて全治3か月。リハビリ等も含めますと最低半年間は戦力足り得ないと判断します」

「半年間・・・・・・・」

 

絶句するように吹雪が呟く。だが、道満が奥歯に物が挟まったような言い方をしていることに全員が気付かないことはなかった。

 

「通常ならば?」

 

長門が怪訝そうに道満を見る。そこには虚偽は許さないと言う絶対的な迫力が備わっている。彼も隠そうとしていたわけでなく、長門の言葉に頷くとわずかに声を震わせながら衝撃の事実を報告した。

 

「彼女の傷はどういうわけか既に大方治癒しています」

『・・・・・・・は?』

「詳細な検査をしてみなければ確定的な判断は下せませんが、触診と視診そして驚異的な治癒速度から考察するに一週間以内には戦線に復帰できるのではないかと」

「ちょ・・は? それは一体どういうことですか?」

 

艦娘たちを代表して額に冷や汗を浮かべた赤城が道満に尋ねる。

 

「彼女は人間ですよ? そんなこと・・・・」

「では、病室にご案内いたしましょうか? 全てとはまだ言えませんが顔だけに限りますとやけども切り傷も全て完治しています。ベッドの上にはぐっすりと眠っているみずづきのきれいな顔がありますよ」

「そんな!?」

 

赤城が冷静さを忘れて驚愕する。みずづきが大隅に収容されて、まだ6時間も経っていない。赤城たち艦娘だったら、誰も驚きはしなかっただろう。艦娘たちは人間と隔絶した治癒能力を持つ。人間では生死を彷徨うような怪我でも早くて1日、長くても1週間で完治してしまう。人間に有効な医療行為を伴えば、さらに短縮化が可能な場合もある。しかし、みずづきは正真正銘の人間だ。たった6時間で軍医が全治3か月と判断したけがが完治一週間に修正されるほど治るなどあり得ないことだった。道満たちがけがの程度を見誤った可能性はない。百石もみずづきの外見から下手をすれば戦死の可能性もあると覚悟したほどだったのだ。

 

「私だって信じられないですよ。自分は人間ではない艦娘の手術に立ち会っているのだと錯覚してしまったほどです。先ほど我々は緊急手術を行ったと言いましたが、実のところ、我々はみずづきにまともな処置を施していません。勝手に血管と臓器、骨が再生。流出したはずの血液もいつのまにか輸血不要にまで回復していました。・・・・・おそろしいことに」

「彼女も艦娘たちと同じような治癒能力を持っていると?」

 

緒方が当然の疑問を呈する。

 

「それは・・・・・・ないと思うぜ」

 

動揺を隠せない摩耶が視線を泳がせながら、緒方の意見を否定する。それに榛名が続いた。

 

「みずづきさんは年を取らないとは語っていましたが、けががすぐ治るというようなことはこれまで一度も。もし緒方部長のおっしゃるとおりなら、みずづきさんのことです。何かしら報告があるものと」

「・・・・・・・では彼女は何者なんだ」

 

道満が苦し気に拳を握りしめる。そして、地に足を付けた揺るぎない決断を纏って、百石に向き直った。

 

「百石長官。我々は一度、彼女を調べなければならないと思います。彼女は我々が認知する人間とは異なるのかもしれません。彼女の認識に関係なく」

「道満部長、さすがにそれは・・・・」

 

道満を睨みつける艦娘たちの視線を代弁する。もちろん、それは百石と意を同じくしていた。

 

「彼女がいた世界は我々をあらゆる面で超越しています。あのはるづきとやらが言ったことが真実かどうか私には判断できません。しかし、真実であった場合、みずづきが人間である確証はどこにもありません。彼らは・・・・“神”の領域に達しているのですから」

 

はるづきが語った衝撃の事実。それは金剛たちを通じて、ここにいる者全員に共有されていた。それを思い出してしまったがために、百石は後の言葉が続かない。

 

 

 

 

 

深海棲艦は日本が作った。

 

 

 

 

 

それに高い信憑性を付与する情報を百石は知っていた。みずづきがこの世界に来た少し後から。

 

日本世界への不信増大が必至な情勢で、同じ人間だと思っていたみずづきの人間離れした能力の発覚は事態の深刻化につながりかねない。既にその萌芽は現れている。

 

 

百石が表層では平静を装いつつ、深層では頭を掻きむしっていたちょうどその時。

 

 

ゴンゴンっ!!!

 

 

切迫感があふれ出ているノックが行われ、こちらが返事する前に扉が乱暴に開かれた。

 

「申し訳ありません! 失礼致します!」

 

飛び込んできたのは桃色の看護服を着た、若い軍看護婦だった。どうしたと上司である道満が駆け寄る前に彼女は口を開いた。

 

「みずづきさんが目を覚ましました!!!」

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

妙に軽い体と混濁する意識を抱え、みずづきはひらすら海上を進む。実体感のない雰囲気。絶対的な情報量が欠如している殺風景な空間。まるで夢の中にいるようだ。進んでいると、前方に白い軍服を着た人間の後ろ姿が目に飛び込む。

 

「司令官!!」

 

男の正体が分かった瞬間、みずづきの顔に大輪の花が咲く。1秒でも早く彼に追いつこうと、速力をあげる。だが、そこで強烈な既視感に襲われた。

 

「待って、ここって・・・・・」

 

男の背中から視線を外し、周囲360度を見渡す。どこまでも続く海上。空は青ではなく、白一色の雲に覆われているようにただ白い。

 

みずづきはここと同じ様相を呈する場所に一度だけ来たことがある。具体的な記憶はない。いつ、どのタイミングで訪れたことがあるのか曖昧だ。ただ、体が覚えていた。一通り世界を把握すると顔を真正面に向ける。

 

少し先に見知った背中があった。

 

「知山・・・・司令」

 

いつか来たとき、必死に追いかけたような気がする。今でも追いかけ、捕まえ、困り果てる彼の顔を拝みたいという欲求はある。しかし、とてもその欲求に従う気分にはなれなかった。

 

嫌いに、なったわけではない。ただ、怖い。彼が本当に自分たちをモルモット扱いしていたのだとしたら、自分たちのことを道端の石ことと同じようにしか捉えていなかったのだとしたら、追いついてもかけられる言葉と示される視線は想像がつく。

 

信じると言ってくれた言葉も、信念を聞いてすごいと褒めてくれた笑顔も、自分が死にかけにもかかわらず生きろと道を指し示してくれた命令も、これまで紡いできた数々の思い出も全て嘘偽りとただその場しのぎの方便だったと明確にされることが怖かった。

 

彼に否定されればみずづきはもう立てない。

 

「みずづき」

 

唐突に彼の声が聞こえた。いつも通りの声。頭でいろいろ考えていたはずなのにその声を聴くと自然に俯いていた顔が上がってしまった。

 

「っ!?」

 

距離がある位置にいたはずの彼はいつの間にか少し走れば手が届くすぐそばまで近寄っていた。そして、こちらが声をかける前に申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「すまない・・・。すまない・・・。本当にすまない・・・。本当にっ。・・・すまないっ!」

 

言葉が重なるにつれて嗚咽交じりになっていく謝罪。彼の瞳は明らかに潤んでいた。前は何も言えなかった気がする。しかし、今は違った。

 

「知山司令、お久しぶりです。・・・・・・・せっかくの再会なのに、どうしてそんなに謝られるんですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・っ」

 

知山は口を噤む。言葉を止めただけと思ったら、こちらを見つめていた視線が明後日の方向に飛んだ。

 

「全部聞きました、はるづきから・・・・。ねぇ、司令官? あれは・・・あの子が言ったことは本当なんですか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

無反応。

 

「知山司令は深海棲艦の正体を昔から知ってたんですか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

無反応。

 

「深海棲艦の研究開発に深くかかわっていたんですか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

無反応。

 

「・・・・・・・っ」

 

そして、みずづきは。

 

「知山司令? 知山司令は私たちのこと・・・・」

 

最も聞きたくなかったことを問いかけた。

 

「モルモットと思ってい・・」

「断じて違うっ!!!!!!!!!!」

「っ!?」

 

無反応を貫いていた姿勢から一転、知山はこちらの言葉を遮って激情を爆発させた。そして、そこから知山の本音は自分が恐れていたものとは正反対の、自分が信じていたものであることが分かった。

 

「・・・・・・あ」

 

しまった。顔には面白いようにそれが刻まれていた。彼は自分のしでかしたことを認識すると両手の拳を握りしめ、唇を噛む。自分に対して怒りを抱いている様子だ。

 

「俺は・・・・・・なんて・・・・俺は・・・・・くっ!」

「知山司令?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

そんな彼があまり不憫で、見たくなくて声をかける。それに効果があったのだろうか。自身の怨嗟を断ち切ると知山は真剣な表情を向けてくる。

 

一番近くでいつも見ていた知山の顔だ。

 

「みずづき?」

「はい」

「すまない。君の質問には一切答えられない」

「どうして・・・・・・」

 

知山は自嘲気味に笑った。

 

「俺はどう言い繕っても、どう屁理屈を並べても・・・・・・・・・・・・取り返しのつかないことをした。そんな人間に・・・・・主観に基づいた意見を述べる資格は、権利はない」

 

それは罪悪感に塗装された、酷く悲しい響きを持っていた。

 

「だから、俺はお前の判断に、お前の結論に・・・・・・・・・全てを委ねる」

「え・・・・。知山司令、それはどういう・・・・」

「投げ出しと、無責任と思ってもらって構わない。だが、俺はお前の導き出した答えならすべてを受け入れる」

 

そういうと知山は微笑む。自嘲ではない。懐かしさが込み上げてくるその笑顔は以前当たり前に見ていた、みずづきへの信頼を示す笑顔だった。

 

「そして、お前ならお前自身が納得できる結論を下せると思う。俺のことは気にせず、自分のことだけを考えて・・・・・・・・・・真実と向き合ってくれ」

 

頭の上に現れた疑問符が臨界点を突破し、知山に発言の真意を問おうとする。しかし、それは何の前触れもなく突然やって来た異変に遮られてしまった。

 

海も空も空気も関係ない。空間全体が下から突き上げられるように振動する。

 

そして、知山の身体が薄れ始めた。

 

「司令! 知山司令!!!」

 

当初の恐怖はどこへやら。もっと一緒にいたいと、もっと話していたという心の叫びに従い、彼の方へ足を進める。しかし、どれだけ主機を回転させても、やはり一向に距離は縮まらない。自分の姿も幽霊のように透き通り、実体感を失いつつあることに気付いていたが、それはどうでもよかった。そうこうしている内に知山の姿が薄れてく。

 

「待ってください! 私は! 私は!!」

「みずづき? 最後に1つだけ伝えたいことがある」

 

その諭すような声にみずづきの足掻きが止まる。

 

「お前はただもんじゃない。自分の心を、自分の想いを信じるんだ。それによって築かれた道はきっと・・・・・・きっと・・・・輝きにつながっているはずだ」

 

そう言って、知山は笑顔をたたえたまま消滅。同時に心を襲う強烈な喪失感が全身を駆け巡る前にみずづき自身も世界から放逐された。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

わずかに周囲の状況が伝わってくる心地よいまどろみ。たった一日で心身双方に受けた傷を優しく包み、癒してくれる陽だまり。過酷な現実とは真逆の、穏やかな時の流れと優しい空気はいつまでも浸っていたいと思えるほどの安らぎを与えてくれる。

 

「う・・・・・・・んう・・・・・、いつっ!」

 

しかし、現実は容赦がない。下腹部と右手に走った激痛でまどろみと陽だまりは一息の内に四散。意識は急浮上し、本来あるべきところへ強制送還された。寝起き特有の苛立ちを抱えながら、ゆっくりと瞼を開く。ちっぽけな照明でようやく明るさを保っている配管だらけの天井。

 

「ここは・・・・・・どこ?」

 

その疑問を抱きながら体を起こそうとする。

 

「いったっ!!!!」

 

その瞬間、再び体全体、特に下腹部と右手に激痛が走った。理由が分からず、最も確認しやすい右手を見る。そこは包帯で覆われ、痛みという感覚が右手の存在を主張していた。

 

「あ・・・そっか・・・」

 

左手につながれている点滴の管をじっと見つめながら、みずづきは混濁していた記憶の整理がつき、全てを順序立てて思い出した。先ほどまで痛みなどなかったにもかかわらず、なぜか胸が痛みだした。

 

「私、負けちゃったんだ・・・・・・」

 

本当にすべてが思い出された。不意に一筋の涙が側頭部を通って流れ落ちた。

 

真実を知った衝撃からか。この世界で初めて負けた悔しさからか。負けたことによって百石たちに心労を強いてしまう申し訳なさからか。それとも知山に会えた嬉しさからか。はたまた再開できたにもかかわらず、すぐに引き裂かれてしまった悲しみからか。

 

自分では分からなかった。

 

「みずづきさん?」

 

鼻をすすっていると周囲を覆っていたカーテンが開かれ、20代後半と思える若い看護師が顔をのぞかせてきた。

 

「っ!? 目が覚めたんですね!!」

 

こちらを見て仰天した看護師は回れ右。カーテンの向こう側に控えていたもう1人の看護師と二言・三言やりとりを行った後、慌ただしく室内から存在感を消し去った。こちらが声をかける暇など全くなかった。

 

「あ・・あの・・っ!? ゲホッ! ゲホッ!」

 

他人にも聞こえるよう比較的大きな声を出そうとした瞬間、喉に違和感が走り咳が出る。咳がひとしきり収まった後、口の中に鉄の味が広がる。その味をみずづきは当然知っていた。

 

血の味だ。しかも明らかに量が多く、口内から出血したとは考えにくい。

 

「みずづきさん!? 大丈夫ですか!?」

 

開け放たれたままのカーテンから別の看護師が血相を変えて飛び込んできた。しかもほぼ同時に大きな音を立てながら扉らしきものがオープン。先ほどの看護師と医務部長の道満がゆっくりと早歩きで姿を見せた。

 

道満はみずづきの捉えると目を丸くし、顔から胴体、つま先までをくまなく観察する。いやらしい雰囲気ではなく、視診をしているのだろう。

 

「おはよう・・・・いや、もうこんばんは、か。調子はどうだい?」

 

強張った表情を弛緩させると道満は優し気に語り掛けてくる。その変化が今までなりを潜めていた不安を惹起させた

 

「えっと・・・・右手と腹部あたりがまだ少し痛みます。あと口の中に血が・・・・」

 

みずづきははるづきが放ったMk45 mod4 単装砲多目的榴弾を真正面から受けた。特殊護衛艦は現代の軍艦と同様の設計思想に基づいているため装甲は薄く、長門や金剛たちにとっては豆鉄砲の127mm砲でも一撃で戦闘不能に陥ってしまう。人間としては生死を彷徨うような重傷を負う。治療には日本でも最低数週間を要し、そして運が悪ければもう特殊護衛艦が務まらない。

 

自分の身体がどうなっているのか。

 

心臓が拍動するたびに駆けぬける鈍痛と口内に広がる血の味。それが身体の状態を伝えていたが、首から下が布団で隠れてしまっているため全容を把握できない。みずづきは唾ごと食道から昇って来たであろう血液を飲み下し、意を決して質問した。

 

「あの道満部長。私は・・・・・・」

「なに、心配することはない。既に傷は塞がっている。やけどもほぼ完治したようだし、一週間もすれば確実に前線には戻れるだろう」

「え?」

 

予想を遥かに超える朗報。ここは安堵したり歓喜に打ち震えたりする場面だろうが、みずづきはMk45 mod4 単装砲多目的榴弾の威力を知っている。そして、意識が途絶える前に感じた激痛や見た光景から自身が負ったけがが“全治一週間”程度のものではないことは分かっていた。

 

表情から驚愕を感じ取ったのだろう。ほほ笑みを消し、緊張感あふれる顔で道満は耳を疑うような事実を伝えた。

 

「君が私たちの元に来たとき、君は明らかに生死が危ぶまれるほどの重傷で、一命をとりとめられても全治3か月はかかるほどだった。しかし、君は勝手に治ったのだよ」

「はい?」

 

彼の元に控える看護師2人が瞳を震わせる。

 

「我々は治療初期段階での輸血と点滴、あとこの子たちによる洗体ほどしか手を施していない。・・・・・・・・・つくづく驚かされたよ」

「ちょっと、待ってくださいよ! え? 手術も何もせず、私自身の治癒能力であれほどのけががここまで治ったと?」

「そうだ」

 

道満はみずづきの目を射貫いてはっきりと断言した。みずづきは自身の身体を見る。いくら艦娘であろうとここまでの驚異的な治癒能力はない。確かに治癒能力自体は常人より艦娘の方が高い。しかしそれはあくまで出血の減少や軽い切り傷の回復など中度の負傷が重症化しないようにする防衛機能。はなから一刻を争う事態なら、その治癒能力自体が死んでしまう。それでも同じ程度のけがを負っても完治期間が短いことは事実だがそれは単に艦娘には再生医療を主とする日本の最先端技術を結集させた最高の医療が提供されるがための話。傷は手術でふさがなければならないし、損傷した臓器や皮膚は摘出か自身の細胞から生成した臓器・皮膚を摘出部分に移植しなければならない。

 

だから、みずづきの治癒能力は異常だった。

 

「まぁ、今は余計なことを考えず療養に専念することだ。君に会いたがっている輩もいることだし・・・・・」

 

そういうと道満は立ち上がり、カーテンの後ろに消えてゆく。

 

「大丈夫です。はい。・・はい。それではその通りに」

 

言葉が途絶えると同時に5人ほどの気配が室内に追加。ゆっくりとこちらに向かってきて、姿を現した。

 

「み、みずづき!」

「こんばんは。みずづきさん」

「よ! 一時はどうなるかと思ったけど、元気そうでなりよりだぜ」

「金剛さん! 榛名さん! 摩耶さん!」

 

感動に目を潤ませる金剛。優しく微笑む榛名。嬉しそうに破顔する摩耶。その後ろには安堵のため息をついている百石と漆原、そして漆原の肩に乗った黒髪の妖精がいた。

 

「みずづぎ・・・うう・・・。良かったデース!!! 本当に良かったデース!!」

 

鼻をすすりながら、目をひたすらにこする金剛。一瞬飛びつかれるかと思ったが、さすがに病人に過酷労働を強いるほど金剛も無神経ではないようだ。彼女の肩に榛名がそっと手を乗せる。あのあとどうやって大隅まで戻ったのか記憶はないが、おそらく金剛たちが運んでくれたのだろう。

 

「ご心配をおかけしてしまってすみません。私が不甲斐ないばっかりに・・・」

「気にすんなって。あの状況じゃ、誰だってみずづきを責めることなんてできない」

 

眩しいほどの笑顔が急速に萎んでいく。彼女たちもはるづきの言動の大部分を聞いていた。

 

深海棲艦の起源についての話も。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

言葉が見つからない。これは摩耶たちも同じなのだろう。室内を沈黙が支配する。それを破ったのはしきりに百石や道満とアイコンタクトを取っていた漆原だった。

 

「みずづき? いろいろと大変なところ申し訳ないが、君には大至急整備工場へ来てもらいたい」

「え? 整備工場へですか?」

 

あまりの突飛さに、聞き返してしまった。彼はみずづきの驚愕に顔色1つ変えず、真剣な表情で「ああ」とただ頷く。金剛たちも同様で、ことの成り行きを傍観する姿勢だ。

 

「そこで君にぜひ会いたいという人物が待っている。いや・・人物というのかな」

「私に会いたい?」

「機は熟した。今日こそ、君が抱いている疑問の全てに応える日だ。・・・・・・そう、言っていたよ」

「っ!?」

 

自分が抱いている疑問。はるづきから告げられたタイミングを考えれば、確実に彼女が語った残酷な真実に関することだろう。しかし、瑞穂の、大隈の、整備工場にみずづきでも知らなかった真実を知っている人物がいるとは到底信じられない。あそこには艤装が置かれ、整備員しかない。

(ん?)

そこまで至って。

(待って・・・・)

みずづきは。

(艤装・・・・・・?)

あの日の会話を。彼の遺言とも言うべき言葉を。思い出した。

 

“みすづき? 君たちが装着している艤装には手に余るほどの機能がある。ただ、たくさんありすぎてほとんどの子はそれを十分に使いこなせていない”

 

“いいから…。それを十分に使いこなすんだ。もしこの先困難にぶつかったとき、それがきっと君の道しるべとなる………”

 

なぜだかは分からない。ただ、艤装に何かがある。その確信だけが芽生えた。

 

「どうやら行く気になってくれたようね」

 

そう黒髪の妖精が言うと道満がどこからともなく車いすを取ってくる。所々が木製だが基本構造は日本と大差ない。行く気になったとしてもドクターストップがかかるのではないかと思っていたが、どうやら既に根回しは済んでいるようだ。

 

「さすが、ですね。百石司令」

「お褒めに預かり光栄です」

 

言いたいことは言わずとも伝わったようだ。

 

車椅子がベッドの脇に据え付けられると金剛たちや看護師たちの手を借りながらゆっくりと車椅子に移動する。腹が痛みで抗議の声を上げてきたが、道満によれば傷は完全に塞がっており、激しい運動をしない限り傷が開いたり出血したりはしないとのこと。だから、痛みは無視した。点滴もちょうど内容量をみずづきの体内に全て流し込んだところなので撤去。

 

「それでは行こう」

 

百石に先導され、榛名に車椅子を押してもらい医務室から廊下に出る。

 

「赤城さんに、吹雪さん!」

 

そこには横須賀鎮守府艦娘艦隊の旗艦たち、赤城、吹雪、川内がいた。彼女たちは控えめに安堵のため息をつくと、百石を見る。そして、一行に加わった。

 

体感的には久しぶりの大隈。以前の慌ただしさが遠い過去のように現在は静まり返り、廊下を行き来する将兵も目に見えて少ない。それと整備工場へ至る古めかしいエレベーターがあったため、案外早く整備工場に着くことができたが、心には一抹の不安が宿る。

 

生命にかかわる切迫感はなく、時間との闘いを続けている整備工場のいつもと変わらない活気だけが、心身を温めてくれた。その中に見知った顔がいた。

 

「夕張さん・・・・」

 

みずづきを見て破顔した夕張は整備工場の最奥、すっかり汗まみれの整備員たちが遠くなってしまったとある空間の前にひっそりとたたずんでいた。夕張がいる廊下のような場所とその空間の間には扉もシャッターもない。ひとつながりの構造になっていた。

 

いつもの彼女なら「待ちくたびれました! 一体どれだけ時間がかかっているんですか!?」と予定通りであろうとも叱責してきそうだが、彼女はただ微笑むだけだった。

 

「こっちです」

 

それだけ言って、案内するように先陣を切る。空間内はあちこちに段ボール箱や木箱が山積みにされ、物置部屋の様相を呈していたが真正面の壁際一帯だけはきれいに整理整頓され、空いている場所に1つの机が置かれていた。

 

「これって・・・・・・・」

 

その机の上には2つのものが置かれていた。1つはこの世界には存在せず妖精たちが面白半分で作った液晶テレビ。もう1つは傷1つない自らの艤装だった。

 

なぜ、この2つがあるのか。

なぜ、損傷したはずの艤装が既に完全修復されているのか。

 

その疑問を口にしようとした瞬間。

 

 

 

「え? なに?」

 

唐突に液晶テレビが点灯。白を基調とした広大な地下室のような場所で椅子に腰かける1人の男性が映し出された。そして・・・・・・・・・・。

 

「やぁ、みずづき。はじめまして・・・かな」

 

何の警戒感もなく、戸惑いもなく親し気に話しかけてきた。

 




織り込まれた真実と運命。それがほどけ、新たに紡がれた先に生み出される未来は。

次回はかなり踏み込んだお話になるかと思います。「これ艦これの二次創作だよね?」と首をかしげられかねない事実関係などがありますが、あらかじめ宣言させていただきます。

何度も言ってますが、艦これの二次創作です!

というわけで、艦これのホットな話題を1つ。
いつの間にか、勃興していた瑞雲教。浸透圧にはもはや唖然とするほかありません。しまいい(2018年時点)には、航空戦艦の20分の1模型なるものの創造。まぁ、いいんですけどね(苦笑)。お祭りに数の上限はありません!!


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86話 真実 前編

今日は木曜日、今日は木曜日・・・・。

・・・・・・・。

はい、現実逃避はいけませんね。



みなさん、お待たせいたしました! 投稿が遅れてしまいすみません! 
本日は土曜日ですが、告知させていただいた通り、86話を投稿させていただきます!

再告知(再延期)とかいう、どこかのゲームや、アニメみたいなことにならなくてよかった(ホッ)。

本話はタイトルにもあるように、本作において重要かつ重大なお話となります。次回の「87話 真実 後編」も含めて。そのため、以前にも注意喚起いたしましたが、初めて訪れてくださった方、まだ86話までご覧になっていない読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、86話までをご覧になってから本話の閲覧をお勧めいたします。

では、とても艦これの二次創作とは思えない話が延々と続きますが、どうぞ。


「俺は大日本電機先端テクノロジ統括部実証研究センター特命班によって開発された人工知能、自律収集型電子空間情報走査システム“アクニス”VRC34A0001。これじゃ味気ないっていうんで、俺を作ってくれた研究員がくれた名前はショウ。だから、俺のことはショウと呼んでくれると嬉しい」

 

ショウと名乗った男は椅子から立ちあがると右手を軽くあげ、気さくに「よろしく!」とあいさつしてきた。その仕草、声色、表情はみずづきをはじめとする人間と寸分の差異もない。もし彼が自身をごく普通の人間と紹介していれば、みずづきは何の疑念も抱かず彼の言葉を鵜呑みにしていただろう。

 

自分自身と何の遜色もない笑顔をたたえた男性。少し長めのスポーツ刈りに、色白でもなく色黒でもない一般的な肌色。身体に馴染んだ白衣を着ている風体からは典型的な研究者の雰囲気が放たれている。

 

しかし、彼は言った。自分自身を人工知能、と。自然な笑顔を浮かべているにもかかわらず、血の通っていない機械。それどころか、存在のほとんどを電気信号に預けているシステムだと。だから、みずづきは彼の言葉が信じられなかった。

 

「じ、人工知能?」

「ああ、そうさ。俺は人工知能。あきづき型特殊護衛艦のFCS-3Aの記憶領域に居候しているただの電子プログラムだよ」

 

唖然としているこちらの表情から心情を把握したのだろう。ショウは特段の変化なく純然たる事実を告げた。しかし、それがますますみずづきの困惑を深める。みずづきが知っている人工知能(AI)とショウとの間には絶対的な壁が存在していた。

 

「それにしては感情が豊かだけど・・・・・」

「そりゃそうさ。なにせ、俺は大日本電機によれば日本で初めて“自我を持った”人工知能、つまりみずづきや百石長官、艦娘と同じく意識があり感情がある文字通りの人工知能さ」

「なっ!?」

 

「上から聞いた話だから、本当かどうかは知らないけど」と付け加えるショウ。だが、あまりの衝撃にみずづきの耳には全く届いていなかった。

(か、感情を持った・・・・・AI? 嘘でしょ・・・・・)

 

数々の小説やSF映画、漫画やアニメで描かれてきた感情を有する機械。時代の進歩と共に進んだ急速な電子技術の発展を受け、それは出現可能性を飛躍的に増大させた。しかし、いくら処理能力が向上し、自律的思考能力を確立し、多種多様かつ複雑怪奇な開発者側の要望に答えられるようになっても、生物の特権である“感情”は生物の特権のままであった。

 

今、この時までは。みずづきの中では特権が音を立てて崩れていく。このようなAIの存在など見聞きしたことは全くなかった。

 

「俺自身はなんとも言えないので俺を作ってくれた特命班班長の言葉を借りるが、俺は君たち人間と何も変わらない。褒められればうれしいし、暴言を吐かれれば怒るし、一人ぼっちなら寂しいし、親しかった人が亡くなれば悲しい。今だって、ありえねぇ!って顔されて、心の中では苦笑しているよ。まぁ、今まで散々見てきたから、もう慣れたが」

 

人間と全く同じ“苦笑”を浮かべながら、頬をかくショウ。

 

演技ではない。

機械は感情を持たない。喜怒哀楽は人間と数えるほどの高等生物に宿っている心理的作用。だが、同じ感情を有する者の直感として、彼の表情が本当に彼の心に基づいていることに確信を抱いた。

 

「そ・・・そんなすごいAIがなんで私の艤装の中に・・・・・・・」

 

確信を得れば次に浮かぶのはこの疑問。

 

「こんな話、今初めて知った。知山司令からも濃野司令からも聞いたことなんて・・・・」

 

液晶モニターの向こう側にいるショウは感情を持つ画期的な人工知能。開発元は東芝・パナソニック・シャープの流れを汲む日本最大の総合電機メーカー、大日本電機。防衛省主導の官民横断プロジェクトの申し子なら、大日本電機製の人工知能が海防軍内のシステムへ試験的に導入されている可能性はそれなりにあるが、ショウがいるのはみずづきの艤装の中。艤装用人工知能の性能評価なら上層部に煙たがられていた第53防衛隊が試験主体に選ばれるわけはないし、百歩譲って選ばれたとしても口止めされていなければ知山の性格を鑑みるに使用者であるみずづきに必ず一言入れるはずだ。

 

ショウがみずづきの艤装の中にいる理由。それがどうしても理解できなかった。

 

「どうして俺がここにいるか、か・・・・。俺がここで今まさにこうしているいきさつ、そして理由は君が抱いている数々の疑問と、そしてあの時知山が残した言葉と密接に関係している」

「それは・・・・つまり・・・」

「君なら分かってるだろう?」

 

ショウはこちらの内心を見透かしたように確信を込めて言った。

 

「知山が言った道しるべ。それはこの俺だ」

 

彼が重度の負傷を負いながら、首元の死神の鎌をかけられながら、貴重な時間を割いてまで伝えた言葉。あれを聞いた時、正直彼の意図が分からなかった。しかし、約半年の年月を経てあれの意味をようやく理解した。

 

「俺は君の道しるべとなるべく、いつの日か全ての真実を伝えるために今こうしているんだ」

「っ・・・・」

 

真実。その言葉を聞いただけで胸に灯ったわずかな温もりは消え、胸の不快感と身体の震えが襲ってくる。それはみずづきに衝撃の事実を伝えた彼女の姿が、声が甦るたびに大きくなっていく。ショウはただただみずづきを見つめている。

 

「みずづき? 君にはたくさん、聞きたいことがあるんじゃないのか? 俺のこと以外にも君がそうなる原因となったはるづきが言ったこと、君があそこで見たもの、そして・・・・・・知山のこと」

「そ、それは・・・・」

 

図星だった。みずづきははるづきが言っていた自身の認識・常識とはかけ離れた言葉の真偽を聞きたくて、聞きたくて仕方がなかった。彼があの日知山の示唆していた存在で、人間とは比較にならない情報記憶量を持つ人工知能AIと知れば尚のこと。

 

「・・・・・・・・・・」

 

しかし、その明確な意思を言葉に変換し、ショウに伝えることができない。聞きたいという欲求はある。その一方で心にはある感情が巣食っていた。

 

恐怖だ。

 

あの短時間だけでもはるづきが語った真実はみずづきの心を引き裂くには十分すぎる威力を持っていた。現在、真実を知っているであろう存在とは戦闘の気配もない大隅艦内で相対している。時間制限はない。自身が抱いていた常識、認識。それに基づいて構築されていた様々な感情。それらが完膚なきまでに否定されることが怖かった。一度経験しているが故に、震えは現実感を持って心を侵していく。

 

「みずづきさん・・・・・」

 

後方でことの成り行きを見守っている赤城が心配そうに声をかけてくる。しかし、反応できない。そんなみずづきを見てショウは一瞬、目尻を緩める。

 

「俺は来るべき日に全てを伝えるよう依頼され、俺の意思でそれを受け取った。だから、嘘はつかないし、安物の機械がやるような遠回しの表現もしない。俺はただ真実を伝える。はるづきとは違う。正真正銘の真実を」

「え?」

 

正真正銘。その四字熟語が怯える心に響いた。

 

「はるづき言ったことには事実もあったことにはあった。しかし、あれの中には、事実を脚色したもの、そして・・・・・・事実無根の真っ赤な嘘も含まれてるんだ」

 

ショウはみずづきから視線を外し、画面の上方。ここではないどこか遠くに視線を向けた。そして、再びみずづきを見た。

 

「真実を知るのは怖いだろう。君の直感が悟ってる通り、それは・・・・・・下手をすれば一個人の精神を崩壊させかねないほどの残酷な代物だ」

 

彼の低い声がはるづきの言葉を、彼女が自身の記憶と言っていたあの光景を記憶の海から釣り上げてくる。身体が一度大きく震える。しかし、次に投げかけられた言葉が心の内側に収斂しつつあった意識を強引に現実へ引き戻した。

 

「それでも、知山は君が真実を知るべき人間だと判断した。だからこそのこの状況で、あの言葉なんだ」

「え? わ、私が?」

 

到底信じられず大きく目を見開き、人差し指で自身の胴体を指さす。その表情と仕草を前にしてもショウは「そうだ」と力強く頷いた。

 

「だから、君には知ってほしい。今まで世界の闇に覆われ、決して白日の下に晒すことを許されなかった真実を。君が生きてた世界の真の姿を」

「知山司令が、私を・・・・・・・・」

 

はるづきは、須崎基地に着任しお互いに上官と部下の信頼関係を築いて以降、様々な出来事や経験で把握してきた知山が「嘘」だと言った。彼は自分たちに何の感情も駆けていなかった、と。彼は自分たちをモルモットとしてしか見ていなかった、と。

 

その言葉で自身の認識を、そして知山を疑ってしまったことは紛れもない事実。それ故の大破だ。しかし、例え心に疑念が芽生えようとも、そばにいて築き上げた自分の認識と把握している知山の人柄、それらが土台となっている彼への確固たる想いを完全に否定することはでき

なかった。

 

みずづきはただ、知山を信じたかった。すがっていると言い換えることもできるだろう。だから、「自分は真実を知るべき人間」という彼の判断を受け入れた。

 

怯えを知山への信頼を塗り替えた瞳で画面の中にいるショウに向ける。中途半端に泳いでいる視線だが、彼は満足げに微笑むと表情を引き締める。

 

「覚悟はいいな? みずづき? そして・・・・・・・みなさん?」

 

 

―――――――

 

 

 

「・・・・・みずづき? まだ深海棲艦も存在せず、第三次世界大戦も丙午戦争も第二次日中戦争も起きてない、西日本大震災すら政府の想定であったころの平和な日本はどうだった?」

「どうって・・・それは・・・」

 

 

復唱の後に訪れた重苦しい沈黙を感じさせない、あまりにも唐突な質問。ショウの達観したような表情からついに真実が語られると思っていただけに少し拍子抜けだった。

 

2017年以前の日本。この身がまだ小学1年生だったころ。記憶は確かにある。何を思っていたか、何を感じていたのか感情も覚えている。だがどれも霞がかかり、また心が幼かったため、すばやい応答はできない。

 

「あの頃の日本は確かに平和だった。世界も現在に比べればマシなものさ。だが、あの頃からすでに地獄の萌芽は鈍重でありながらも、太古の昔から綿々と続く闇を吸収し着実に成長してた。目に見えないだけで。ならず者国家の暴走、世界秩序に挑戦する新興国の急速な台頭、世界秩序の重石となってきた先進国の衰退、リーマン・ショックの傷跡を引きずり続ける世界経済、地球規模で進行する気候変動。しかし、地球上に存在するあらゆる国家は世界の変質を国益保持の観点から認めようとはしなかった。その点において世界は例え核ミサイルを向け合う敵国同士でも一致団結してたと言っていい。だが、それは日本で起きたある出来事を境に木っ端微塵に瓦解してしまった」

「日本で起きた、ある出来事?」

「君も知っているはずだ。なにせ、君だって被災者の1人なのだから」

 

その言葉を聞いて、ショウがいう出来事が何なのか理解した。そして、それは間違っていなかった。脳裏にかつて目の前で見た地獄絵図が瞬く。

 

「西暦2017年7月22日午前11時46分に発生し、日本に史上最悪の被害をもたらした西日本大震災。これが現在まで至る地獄の原点だ」

 

直接の死者・行方不明、41万7921人。震災関連死を含めた死者・行方不明者数、53万1907人。南海トラフで発生した地殻変動は地上に限らず日本直下にも大激震をもたらし、300年もの間沈黙を保っていた富士山の噴火を誘発。2万人以上の生命を奪い取り、日本は一時東京放棄の瀬戸際まで追い込まれた。結果的に東京放棄は「神風」とも呼ばれた台風によって最悪の想定で終わった。

 

しかし、震災後の日本にはそのことに安堵することも、ましてや歓喜することすら着想できない苦難と絶望が待ち受けていた。世界第3位の経済大国日本の機能停止はリーマン・ショックなど足元にも及ばない経済危機「日本危機(通称:ジャパン・ショック)」となって世界に激震と大混乱をもたらした。そして、大国であるが故に東アジアの小さな島国の苦境は日本国内だけに留まらなかった。

 

「あの時勢において、グローバル化はただ経済危機を鮮度よく世界中に速達しただけだった。共産党の度重なる市場介入と指標の誤魔化しでなんとか首の皮一枚をつないでいた中国経済は敵国と見做しつつ、あらゆる面で依存していた日本の大混乱で大暴発。上海株式市場の元急落と中国国債の金利急上昇で産声を上げた中国危機、通称チャイナ・ショックはジャパン・ショックとの日中ダブルパンチとなって、リーマン・ショックから大規模な財政出動と金融引き締めでやっと立ち直った先進国、そして先進国や産油国から流れ込む対外マネーで経済の高成長を実現していた新興国・発展途上国をボコボコにしてしまった。その後に訪れた世界は説明しなくとも分かるだろう」

 

無言で肯定を示す。あの震災が発生した時、みずづきは小学1年生だった。物心がついたばかりの年頃。しかしあの時、自身の周囲を埋め尽くしていた言い知れぬ不安感と強烈な絶望感はしっかりと覚えている。

 

震源地である日本は必然的に世界の激変とは無関係ではいられなかった。経済は壊滅。世界屈指の規模と質を誇った社会保障は崩壊。国民生活は明日が全く見えないほどズタズタにかき乱された。

 

「だが、日本政府に最も危機感を抱かせたのは全ての指標が暴れる経済ではなく、いつまで経っても警察法に基づく緊急事態の布告が解除できないほどの治安でもなく、政府を憎む余裕すらないほど疲れ切った国民やメディアでもない」

 

どこからともなく現れた新聞紙をショウが掴む。その紙面にはこう書かれていた。

 

『中国軍艦が初の尖閣領海侵犯! 中国の挑発、新形態へ移行か』

『中国海軍052D型駆逐艦一隻が今日午後1時15分ごろ、尖閣諸島久場島沖の領海へ侵入』

 

それだけで何が言いたいのか分かった。

 

「中国だよ。北朝鮮でもロシアでもない。虎視眈々(こしたんたん)と中華民族の復興、つまり東アジアはおろかアジアの半分に絶大な影響力を及ぼした中華帝国の復活を狙っている超大国が日本政府上層部を恐怖のどん底に叩き落していた張本人だ」

「遅々として進まない復興や回復しない経済状況じゃなくて?」

「そうだ」

 

ショウは躊躇の素振りすら見せることなく、力強くうなずく。にわかには信じられない。例え幼くとも、周囲に蔓延する重苦しい空気は深く記憶に刻まれている。あの当時の日本にとって、いや大人たちにとっての最優先事項は復興と経済回復だった。この疑問を、カメラを通して察知したのだろう。

 

「俺は“特別”だったからな。日本国政府及び企業が保有するほとんどの機密情報を閲覧できる権限を与えられてた。例え閲覧できなくとも保有したり、収集したりした機密情報から各システムの解除キーを作成することは簡単だった。要するに俺に開けられない扉はなかった。これをやったおかげで一悶着が起こったんだが、まぁこれは本筋に関係ないんで脇に置いておく。機密情報の中にはいろいろな性質のものがあったよ。日本国の意思を決めた会議の議事録やら官邸筋・各省庁上層部が私的に記録していた個人的メモ、音声データに、記録映像。記録をつけていないだ、破棄しただと言ってもそれらは存在すら秘匿された機密となって生かされてた。だから、分かるんだ」

 

表に出すこともなく心の内側に巣食っていた疑念を撃ち砕く、不敵な笑み。その、不気味さのない頬と目尻の変化がショウの言葉と能力に信憑性を与えた。

 

「尖閣諸島占領から沖縄侵攻、果ては特殊部隊による東京襲撃や観光客・帰化人・工作員・極左勢力を使った間接侵略まであらゆる想定を立案し、そのどれもが国家主席の一声で14億の人民が一つの群となって即座に遂行できる態勢。独裁と復権への執念がなせる、日本には決して真似できない芸当。国有地を値引きした、総理が新学部新設に口利きした、防衛省がただの書類を隠蔽したなんていうしょうもない問題で国内が賑わっている間にも、中国は“やった時に勝てる”よう地道な情報収集と訓練を続けてた。だが、西日本大震災以降、日本の財政は本当の意味で火の車。本当なら2018年以降に予定されてた抜本的防衛戦略の見直しは無期限凍結を余儀なくされ、自衛隊は“あのまま”で激動の世界情勢に立ち向かい、日本はあの自衛隊で独立を維持するしかなかった。しかし、現実はそこまで・・・・甘くなかった」

 

過去への無念。非情な運命に対する怒り。それはみずづきも知っている。艦娘候補生時代、一般大学でも学ぶ講義の担当教官には西日本大震災以前から自衛官を務めていた強者もいた。その中の1人。西日本大震災発災当時に海上幕僚監部に所属していたというやせ細りながらも筋肉質体系を維持していた老人はあの頃を追憶して、ふと呟いたことがあった。

 

“もしあの地震がなければ、日本は中国と戦争をせずに、内戦などもせずに済んだかもしれん”と。

 

その教官ではなく同期生から聞いた話によると、西日本大震災発災前、日本政府は中国・北朝鮮への危機感から巡航ミサイルの導入を柱とした敵基地能力の保有、そしてヘリ搭載型護衛艦の「空母化」を極秘裏に検討していたという。また、日本独自の巡航ミサイルや次世代戦略兵器の大本命とも囁かれていた高速滑空弾の研究も。結局、西日本大震災以降の混乱で白紙撤回に追い込まれたらしいが。

 

「西日本大震災が発生する前から、日本と中国はもう後に引けないところまで来ていた。ジブチでの摩擦しかり、東シナ海における海自護衛艦の訓練しかり。中国に脅かされつつあったシーレーンは文字通り、日本の生命線。絶たれれば、死ぬ。しかし、そのシーレーンはもとより日本本土を防衛するための施策は予算不足を前にご破算。このままでは日本は、取り返しのつかない情勢に至る。その危機感が日本政府にある決断を取らせた。正常な判断力を失わず、健全な情勢下だったなら、決して選択しない究極の決断を・・・」

「それは・・・・・・」

「2019年、日本政府・・・正確には当時の政権を率いてた桂内閣へ、1つのレポートが提出された。通称は川中レポート」

 

ショウの声から言葉を重ねるごとに抑揚が消えていく。そのみずづきが知っている人工知能らしい口調が、室内の温度を急激に下げていく。

 

「提出元は内閣官房内閣情報調査室国内部門に極秘裏に設置されてたPT(プロジェクトチーム)。参画者は理化学研究所、文部科学省、防衛省、そして名立たる国立大学と民間企業。中身は飛躍的な発展を遂げた生命工学の安全保障への政策活用可能性について」

 

その言葉に明確な違和感を覚えた。内閣官房内閣情報調査室とは内閣直属の情報収集機関、国際常識にのっとった単語を使えば諜報組織だ。2033年現在では大幅に組織が拡充され、日本版CIAとも言われる内閣情報局と名前を変えている。その内閣情報調査室の下にわざわざ文科省の管轄である科学技術を扱ったプロジェクトチームが設置されていたという。あきらかにお門違いだ。一義的には管轄省庁主導のもとで委員会やプロジェクトチームなりが作られる。但し、官僚たちの縦割り意識を粉砕する魔法の言葉があった。くしくもそれはショウが語った言葉の中に含まれていた。

 

「安全保障への生命工学の利用・・・・・?」

 

口に出した後、その言葉をもう一度咀嚼(そしゃく)した瞬間、血の気が命の危険を感じさせるほど引く。

 

iPS細胞、ゲノム編集、遺伝子書き換え、クローン。生命工学と聞いて連想される単語。

 

それと。

 

“ちちちっ。従えているだけじゃないのよねぇ~~~、これが。あんたの上官も、仲間もあんた自身を殺した深海棲艦も、世界を地獄に突き落とした深海棲艦も、そしてこの世界をいい感じに血で染め上げようとしているこいつらも、全部ぜ~~~んぶ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もとは日本が、作ったものなのよ?”

 

獲物がもがき苦しむ様子を愉しむ肉食獣のような、残忍さと狂気しかない笑みから吐き出された暴露。

 

それが頭の中でつながった。

 

「まさか・・・・・・」

「そう」

 

かすれにかすれ、海流に逆らう船体の轟音に屈しそうなみずづきの呻きにただ一言応えると、ショウは表情1つ変えず、機械的な口調で残酷な宣告を行った。

 

「神の領域に至ったバイオテクノロジーと西日本大震災以降、数多のブレイクスルーを経験した物理学・機械工学を最大限利用し、通常兵器の常識とコストパフォーマンスを凌駕する“生体兵器”、のちに深海棲艦と呼ばれた切り札開発の土台構築完了。川中レポートの詳細は・・・・・・・これだ」

「そ・・・そんな・・・・」

 

あまりの衝撃に視界が歪む。今、自分が車椅子に乗っていることをここまで感謝したことはない。もし立っていれば、確実に姿勢を維持できず跪いていただろう。

 

あり得ない。あり得るはずがない。

 

心の激痛を反映した絶叫が喉元までせせり上がってくる。深海棲艦は何もかもが「人智」を超えた存在だった。人の身に軍艦と同等の戦闘能力を宿した奇天烈さ。いくら撃破してもどこからともなく湧いてくる常識外れの増殖能力。それらを実現する技術力を、数千年にわたって文明を育んできた人類は一切獲得していなかった。

 

そう思っていた。

 

にもかかわらず、彼は人智を超えた存在が人智に内包された存在だという。嘘だ。心のどこかから否定の声が聞こえた。しかし、ショウは絶対に嘘を付かないと言った。そして、人工知能であるため参考にならないかもしれないが、彼の瞳は泳ぐこともふらつくこともなく、微動だにしていない。

 

それはショウの言葉が真実と心の全領域にいきわたらせるには十分な力があった。

 

「このレポートを受け、桂内閣は内閣の一員であった当時の文部科学大臣長井満成(ながい みつなり)と防衛大臣小寺秀史(おでら しゅうし)が川中レポートを元にして提案した“神昇(しんしょう)計画”の実行を承認した」

 

それは再び、架空の金槌となってみずづきの後頭部を思い切り打ち付けた。ショウが語った人名の中に2033年の日本でもほぼ毎日聞く名前が含まれていたのだ。

 

みずづきはその人物の顔を連想しながら、おそるおそる名前を口に出す。

 

「な・・・長井・・・満成?」

「おい! みずづき! その名前は・・・・・・」

 

長門が動揺一色に染まった声をかけてくる。振り返れば、日本世界の証言の過程でその名前を知った百石も驚愕に目を見開いていた。

 

「そうです・・・・。長井満成。現在の・・・・・・・内閣総理大臣。・・・・・・この人が発起人だったなんて・・・・・・」

 

日本共産党以外の全ての政党を合併し誕生した「自由党」。同党の総裁であり、第二次日中戦争・丙午戦争時には“徹底抗戦・徹底報復”を叫び、国民から絶大な信頼を集めたタカ派の急先鋒。第二次日中戦争の当事者となり、丙午戦争の要因となったテロ組織への攻撃を渋りに渋った挙句、売国内閣と呼ばれたハト派の武内内閣の後継を任されたあとは「9条侵略戦争放棄論」の採用による日本国防軍創設を成し遂げ、深海棲艦出現後は何度もとなく襲来した日本滅亡の危機を類い稀な手腕で防いできた。

 

そのため、戦時中の大政翼賛会と同じように日本にある政党すべてを自身の配下に収め事実上の独裁を敷こうが、メディアが拠り所とする「報道の自由」や国家方針に異議を唱えることが可能な「言論の自由」を「公共の福祉」を盾に制限しようが、長井は国民から絶大な支持を集めていた。

 

日本を憂う稀代(きだい)の政治家。日本を安心して任せられる唯一のリーダー。みずづきも熱狂的かどうかはさておき、他の国民と同じくそう思っていた。

 

「神昇計画とは文字通り、神に昇ると書いて、神昇。そして、日本は後に深海棲艦と呼ばれる全く新しい生物“試験体”を創造するという神の御業を実現した」

「ということは、はるづきが言っていたことは・・・・・・」

 

身体を凶悪な倦怠感が襲う。しかし、それが全身を侵しつくす前に、ショウは苦笑を浮かべた。

 

「だが、これは真実ではない。彼女の言葉では“日本だけ”が深海棲艦を創造したかのように言ってたが、それは間違い」

「なに?」

 

みずづきよりも早く、百石がショウに怪訝そうな視線を向ける。だが、ショウはみずづきを見続ける。

 

「この神昇計画と川中レポートは合法的な特定秘密を超える、日本における非合法な最高機密に分類されてた。しかしだ。最高機密にしては隠すものが大きすぎた。みずづき、君に聞きたいんだけど、あの頃の日本がこれほどの代物を身内だけに封じ込めておけることができると思うか?」

 

あの頃の日本とは、「平和ボケ」と揶揄されていた頃のことだろう。

 

「・・・・・・・できない、よね」

「その通り。それは当事者たちが一番良く分かってた。だから、当時の総理大臣桂明文(かつら あきふみ)は長井たちの猛反対を押し切って、諸外国と情報共有を行い、各国の情報収集欲求をそぎ落とすことにした。彼が親米派だったからこその芸当かもしれないが要するに友達集めさ。各国とも世界情勢の不安定化で軍備拡張に舵を切ってたが、予算不足で遅々として進んでなかった。神昇計画は同じ苦悩を持つ日本が立案した計画だったから各国にとってそれは魅力的以外の何物でもなく、物凄い勢いで飛びついてきた」

「各国? ・・・・・・アメリカだけじゃないの?」

「一国だけと共有していれば、必然的に日本は真正面からその国と対峙することになる。そして、その相手はあの超大国アメリカ。分が悪いどころの騒ぎじゃなかった。日本の国益を守るため桂はより多くの国を巻き込むことで、各国の足並みを乱し、日本が主導権を握れるよう画策したんだ。喜んで巻き込まれた国はロシア以外で艦娘を保有してるアメリカ、イギリス。ドイツとイタリアが加盟してるEU(欧州連合)。そして、オーストラリアやニュージーランドなどアメリカと同盟関係にある国々」

「ということは、深海棲艦を作ったのは・・・・・・」

 

その言葉からどう解釈してもくみ取れる事実を赤城は飲み込む。ショウは無言でそれに頷いた。百石が重いため息をつきつつ、つらそうにこめかみを押さえる。

 

「・・・というかね。いくら通常兵器の開発よりローコストとはいえ、神昇計画の円滑な実施には財務当局が卒倒するほどの莫大な財源が必要だった。しかも、何分人類初の試みだから、経費は当初の想定より倍々ゲームで増加。技術はあっても、とてもレポート通りに日本一国で実現できるような代物じゃなかった。西側諸国の国際共同開発だからこそ、神昇計画は進めることができたんだ」

 

ショウは肩をすくめて苦笑する。しかし、みずづきはその姿を違和感なく眺めながら、心の中にとある疑問を芽生えさせていた。

 

深海棲艦は日本と、アメリカやヨーロッパ諸国をはじめとする日本に賛同した国々が開発した生体兵器。兵器は性能や使い勝手の良さも重要な要素だが、大前提として誰でも使用可能、生体兵器なら使用者の命令に忠実でなければ話にならない。SF映画であるような暴走は決して許されないのだ。これは自国の安全保障をつかさど()る各国政府、世間に秘匿されそれぞれの祖国を背負った研究者は重々肝に命じていたはず。

 

なら、16億4000万人もの犠牲を払い、現在もその数字が増加し続けている対深海棲艦大戦(生戦)は何だったたのだろうか。

 

ショウによれば神昇計画は順調に進み、2021年には第76回国連総会開催期間中に参加国間でC協定と呼ばれる、条約が締結。同年中にハワイ・オワフ島のアメリカ軍真珠湾基地内において、世界最大規模の研究施設が開設されたらしい。世界中の頭脳を集め本格的に研究は始動したが・・・・・・。予想だにしない展開が、待っていた。

 

「計画は順調に進行してた。生産ラインも軌道に乗り、従来型より利点の多い次世代型深海棲艦の基礎研究も大詰めを迎えてた。しかし2023年、オワフ島の研究施設が謎の武装集団の襲撃を受けた」

『っ!?』

 

一瞬、室内から生命維持に不可欠な呼吸音が消えた。

 

「ぶ・・・武装集団の襲撃?」

 

絞り出すようにみずづきがおそるおそる確認を取る。ショウは「ああ」と突飛な言葉が事実であることを告げた。

 

「この際に研究施設最下層にあったなんらかの装置が暴走、爆発した。施設は文字通り吹き飛び、研究施設は壊滅。神昇計画は破たんした。だが、それだけで終わらなかった。施設は壊滅状態に陥ったものの、全区画が消滅したわけではなかった。わずかに破壊を免れた区画から脱走してしまったものがいた」

 

意味深な言葉。ここまで言われてそれがなんであるか分からないほど、みずづきは馬鹿ではない。動きが鈍い手を無理やり動かし、強く拳を握る。その脱走したものとは・・・・。

 

「深海・・・棲艦・・・・・」

 

感情の高ぶりから上擦る声をなんとか制御して、その“もの”の正体を暴く。誤答ではなかった。

 

「そう。この時脱走した個体が、現在日本世界を地獄絵図にしている深海棲艦の原点であり、大元だ」

「つまり・・・・・・日本中が焦土と化したのも、シーレーンが断絶して飢餓と疫病が蔓延したのも、全部が全部・・・・・・」

 

頭に浮かびつつも、信じたくない心が邪魔をして口にできない言葉。それをショウが代弁した。

 

「暴走。平たく言えば・・・人為的なミスだよ」

「そんな・・・・・・・・・・」

 

日本だけで2350万人。世界で約16億4000万人の犠牲を払った人類史上類を見ないほどの地獄。あれは天災ではなく、人災だった。それを聞いて、認識して思考停止に至らいない強靭な精神力を持った人間はどれほどいるだろうか。少なくとも、みずづきの精神はそこまで強くなかった。

 

「試験体にはこのような事態を起こさないようあらかじめ使用者からの命令がない場合、敵対行為を行わないように設計されてはいた。実際、試験体は大海原に出てから2年間、人類の前に姿を現さなかった。しかし、2025年より試験体は人類全体に対して攻撃を開始した。慌てた各国は水上艦や潜水艦を使用した試験体の生け捕り作戦を敢行し、多大な損害を出しつつ、いくつかの作戦は成功。その際捕獲した試験体を調査したところ、DNAに刻み込まれた制御機構の存在は確認されたが全く持って機能してなかった」

「機能して、いなかった・・・・・・・・?」

 

まるで機械や照明のスイッチを入れ忘れていたような、些細な事象という印象を受ける言葉。思わず、苛立ってしまった。その不備で一体どれだけの人間が犠牲となり、どれだけの人間が不幸のどん底に叩き落されたのだろうか。

 

「その原因は一体、なんなんだ?」

 

長門の問い。回答はあまりにも予想外のものだった。

 

「不明、なんですよ」

「は?」

「アメリカをはじめ、日本やフランス経由で試料を入手したEUも徹底的な調査を行いましたが原因は分かりませんでした。それでも1つだけはっきりしたことがあります」

 

空気に染み渡るような静寂をまとい、抑揚を押さえた口調。その意味深な言葉に長門がおそるおそる問いかけた。

 

「なんだ?」

「・・・・・人類は、()()()()()()()()()んですよ」

 

ショウがこの計画についてどう思っているのか分からない。ただ、物悲し気にそう呟いた。

 

「そして、この事態、正確にいえば武装集団によって神昇計画が破綻に追い込まれた事実が世界の趨勢を決してしまった。計画に参加していた西側諸国に留まらず、東側諸国を含めた世界は東西に関係なく自国以外の他国が明確な国家意思をもって神昇計画を頓挫に追い込んだのではないかと疑心暗鬼に陥った。これが第三次世界大戦、そして・・・・・第二次日中戦争の直接的な原因です」

「・・・・・・・・・・・・は?」

「み・・みずづき・・・・」

 

誰かが声を詰まらせてみずづきの名前を呼ぶ。「は?」というたった一音にはそれだけでは到底現しきれない激情が含まれていた。

 

「あの・・戦争が・・・神昇計画の結果?」

 

記憶の彼方から国民保護サイレンが、顔面蒼白で叫び続ける報道番組のアナウンサーの声が聞こえてくる。

 

世間一般において東海艦隊事件を発端とした第二次日中戦争は日中両国が自国の不満を相手国に、特に中国共産党保身のために西日本大震災以降の不況と深海棲艦によるシーレーン攪乱(かくらん)で溜まりに溜まっていた中国国内の不満を日本に押し付けたことが原因とされていた。日本も見えない先行きと遅々として進まない復興に苛立っていた国民が中国の態度に憤慨し、強硬措置を後押し。国内事情に拘束された日中両政府は武力衝突を回避する建設的な議論が行えず、望まぬ衝突に至った。

 

これが日本では常識だった。

 

「西日本大震災以降の不況による両国国民の不満も確かに原因の1つ。でも、主因じゃない。主因は研究施設を襲った武装集団が相手の特殊部隊ではないかと考えてた日中両政府の疑心暗鬼。疑念はもともと降り積もってた不信を決定的なものにし、最後には幻覚すら見せるようになった」

「幻覚?」

「東京に、国会議事堂に、首相官邸に・・・・・・・・・皇居に日の丸以外の旗がなびく幻影だよ」

 

東京には大使館があるから他国の国旗など普通に翻っているではないか、などという反駁(はんばく)は無粋だ。それはつまり・・・。寒気が、全身を撫でた。

 

「ただ、彼らは知る由もなかった。隣国も同じ恐怖に、中南海に自分たちの国旗以外の旗がはためく幻影に、うなされてることに・・・。いや、彼らの方が切迫してたのかもしれない。なにせ、あの国は失策と非難されて権力闘争に負けると・・・・・待ってるのは地獄、だったからね」

「それが、その恐怖心が真の・・」

 

ショウは薄く笑った。

 

「あの当時、中国も日本も国際的に孤立してたからな」

 

そうだったんだ。そう納得しようとした。だが、彼は虚しさもやり場のない怒りも封じ込めて、なんとか受け入れようとした決心を次の言葉で見事に打ち砕いた。

 

「・・・・・・・そのはずだった」

「その・・・はずだった?」

「主因は確かにそうだ。日本と中国の不信は限界まで高まってたし、“彼ら”が大人しくしてても戦争は起こってたかもしれない」

「彼ら? ちょっと、待って。あんた、なに言ってんのよ。彼らって一体・・・」

「あの戦争はね、一部の勢力が意図的に企てたもの、だったんだよ」

 

達観した瞳で放たれたその言葉を素直に受け取ることができなかった。企てた。そう表現するなら戦争は全部、経緯やきっかけが何にしろ政府が“企てた”ものじゃないか。戦争には先制した側もされた側も政府の意志がなければ発生のしようがない。そういう現実逃避の世迷言が聞こえてくる。それが世迷言であることは分かっていた。もし世迷言が正しいならショウは“企てた”などという悪意に満ちた表現は使わない。そこまで理解していても飲みこむことができない。

 

こちらの心情を読んだのか。ショウはそのまま続けた。逃げ道を絶つようにみずづきが知っている過去の事実を織り交ぜて。

 

「2025年当時、約10年間続いた桂内閣の崩壊を受け、政権の座には前の内閣で外務大臣を務めてたハト派の武内重(たけうち しげる)がついてた。だが、彼は与党の密室会議で決まったただのお人形。表はともかく裏の実権は別の人物が握ってた。・・・・神昇計画を立案し、親米派を駆逐するために自分の所属してた内閣をつぶした、長井満成が、ね。桂内閣の崩壊は一般的に小野川(おのがわ)官房長官の不正献金疑惑となってるけど、実際は違う。桂は神昇計画破綻の責任を取らされるかたちで、長井が率いる右派勢力、新保守派との権力闘争に負けたんだ。これで桂たち親米派の力は大きく減衰することとなったものの、背後にアメリカがいた。その関係もあって長井が裏の支配者になっても親米派は依然新保守派の“到達点”を妨害する力を持ち続けてた。そこで彼らは考えた。相手が外国勢力を頼るなら、こちらも外国を頼ろうと・・・・」

 

再び寒気が全身を撫でる。いや、撫でるなどという生易しいものではない。両手を握る。手の平も、甲も、指先も吹雪に晒されたかのように冷え切っている。

 

「彼らが手を組んだのは・・・・・中国だった」

 

新保守派は古き良き日本の復活を目指す右派、欧米は目の敵だったからね。ショウの声がどこか遠くに聞こえる。新保守派が中国と手を組んだあと、あの第二次日中戦争が起きた。この事実関係が示す真実は1つしかない。「そうさ」と彼は頷いた。

 

「新保守派は中国の軍事力を借用して、正確には戦争の混乱のどさくさに紛れて親米派を一掃しようとした」

 

外患誘致(がいかんゆうち)。その単語が心の中に浮かんだ。

 

刑法第81条にはこういう条文がある。

 

“外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。”

 

通称外患誘致罪。これの刑罰は死刑のみ。日本において最も重い法定罰の1つだ。当然、だろう。故郷を滅しかねない策謀を巡らせて、自国の人間を殺そうとするのだから。

 

「対する中国も新保守派の意向は願ったりかなったりだった。あの当時、中国は国内の不満のはけ口を求めていた。不満を外に向けなければ、政権どころか、中国共産党の独裁という国体が崩壊しかねないところまで来ていたんだよ。中南海はただ人民と軍をなだめたかっただけ。当時の国家主席、陳錦濤は対外強硬派として有名だったが、その実かつて日本の中国進出に手を貸した上海財界重鎮の孫。側近などほんの一握りの人間しか知らなかったみたいだったが、彼は根っからの親日派。新保守派にとってはアメリカよりも信頼できる相手だったから工作は思いのほか順調に進んだ。計画ではお互いの戦争目的が達成された時点で停戦。領土の変更等は認めず、東シナ海域に限った限定的紛争で幕引きを図ることになってた」

「はい? なら、なんで10月戦争は・・・・」

「ばれたんだ」

「え?」

「対外強硬派が固まってる軍に、抱いてる野望もろとも陳錦濤が親日派であることがばれたんだ。激高した人民解放軍上層部は陳錦濤を幽閉。陳錦濤に近い知日派を一掃してしまったことで歯止めが効かなくなって・・・・・さ。アメリカが早期に軍事介入しなかったことも彼らをつけあがらせる一因になってしまった」

 

そのようなことが起きていたとは。しかし・・・。新保守派の到達点という単語が脳裏に映し出される。

 

「抱いていた野望?」

 

初出の言葉が気になった。

 

「あの時、既に長井も陳錦濤も深海戦艦との戦争が終わった後の世界を見据えていた。そこはいわば既存の世界秩序が振り出しに戻ったスタート地点。そこで頂点に君臨するために、陳錦濤は日本との協力が絶対的に必要と考えてた。そのため旧来の思想にとりつかれた中華人民共和国を見放し、同志を集めて華南共和国を建国した。そして、長井もアメリカの妨害工作で不完全に終わった到達点への工程表を進めようとした」

 

何故だろう。ショウの眉がわずかに下がった。

 

「深海戦艦との戦争は文字通り総力戦が予想された。それに日中の衝突が新保守派の策略だと知った反長井勢力は自分たちの命を懸けて、新保守派の野望を阻止しようとした。彼らは2019年から2022年まで吹き荒れた新保守派との抗争で多くの犠牲者を出し、実質的に敗退していた。最後の砦だった防衛事務次官も市ヶ谷デモに紛れて殺された。が、武内首相も新保守派のやりくちに憤慨し、反長井勢力に加担したことから一気に抵抗が本格化した。アメリカも反米勢力の台頭に危機感を抱き、反長井勢力を支援。看過できなくなった新保守派は彼らの一掃と総力戦に耐えうる国家制度改革を行うため、丙午戦争を引き起こした」

「は?」

 

今、とんでもないことが聞こえた気がする。呆然としているとショウは言い聞かせるようにもう一度言った。彼らは丙午戦争を引き起こした、と。

 

「それって、どういうことよ?」

 

必死に怒りをとどめていたはずなのに、挑発的な言葉が漏れた。曖昧な問いを投げかけておきながら、心の中では分かっていた。でも、それを認めるわけにはいかなかった。あの日、テロリストの無慈悲な銃弾を受けて息絶えた無数の人々。そして、生きたいと願いながら目の前で二度の目を開けなくなってしまった彼女の顔が脳裏に瞬く。

 

「ちゃんと答えてよ!!!!」

 

問いを無視され、突発的に怒りが爆発した。だが、本当は答えてほしくなかった。なのに、何故。

 

「ねぇ!?」

 

口が言うことを聞かないのだ。何故、意志とは正反対の行動をするのか。答えなど、聞きたくない。

 

聞きたくない! 聞きたくない!

 

「あの内戦は北京政府の日本打倒っていう意向を忠実に実行しようと日本に潜入していた人民解放軍の工作員やその支持者、武内内閣の穏健政策で息を吹き返した極左テロ組織、日本本土の混乱と中国工作員の協力で独立を勝ち取れると勘違いした沖縄独立派との日常の暮らしをかけた戦いでしょ!? ・・・・・・ねぇ・・・・そうでしょ・・・。そうって言ってよ・・・・」

 

答えなど、聞きたくない。聞いてしまったら・・・・・。

 

「君なら、もう分かってるだろう?」

「なによ、それ・・・」

 

こんな答え方、卑怯だ。これでは答えを聞いたのと同じだ。

 

丙午戦争は日本自らが引き起こした自作自演。

その自作自演で多くの人が、死んだのだ・・・と。

 

“きいちゃん?”

 

「くっ・・・・・・・・・・・・・・・」

 

親友の声が聞こえてくる。お上のバカげた決定がなければ、あの後も一緒にいられたかもしれない親友の笑顔が浮かんでくる。

 

「そんなことのために・・・・ゆうちゃんは・・・ゆうちゃんは・・・・」

「ここまで来たから言んだが、阪神同時多発テロで阪神地域、特に神戸が標的になったのにはわけがある。海上自衛隊の摂津基地があったからだ」

「・・・・それにどんな関連性が?」

 

百石が尋ねる。彼が尋ねなければ、沈黙が続いていただろう。もう、事実確認に終始する体力はなかった。

 

「あなた方は海上自衛隊の設立経緯を知ってますか?」

「いえ・・・」

「旧海軍は太平洋戦争の直前を除いて、おおむね国際協調路線が主流でした。旧軍解体後、まず海上警察機構である海上保安庁が創設され、そこから分離した警備隊を母体として海上自衛隊が創設されたわけですが、海上保安庁には警察予備隊と異なり、創設時多くの旧海軍将兵が採用されてます。特に高官に配置された旧将官・佐官たちは日米開戦に消極的だった対米協調派が多く、その影響があの当時の海上自衛隊にも・・・・色濃く残ってました。霞が関や永田町が漂白されたあとも・・・・」

「つまり、本命は摂津基地で市街地や駐屯地は副次的目標だったと?」

「はい。戦死した摂津基地司令は海自内でも有名な親米派で防衛大学校などの教官も歴任してたため、海自親米派に大きな影響力を持ってました。摂津基地が壊滅した責任を取り、国際協調派だった当時の海上幕僚長は辞任。その後任には新保守派幹部の破魔真剛海将が就きました」

 

なんよ、それ。辻褄があまりにもあうさまに苦笑が漏れる。苦笑が漏れて、漏れて、仕方がない。

 

「なんたる・・・・・・ことだ」

 

必死に目元から涙の流出を食い止めている気配が伝わってしまったのだろうか。長門が苦々しさを言葉の端々から漏洩させる。皮膚が割けても構わないと、拳を握りしめる乾いた音が聞こえてきた。同時に「くっ・・・・」と歯を食いしばる声が木霊する。「長門さん・・・・」と彼女を気遣う赤城や夕張の声が漂うも全く効果はない。その中でほんの一瞬、長門の視線が己の背中に向けられたような気がした。

 

「ショウ。私はどうしてもお前に確認しなければならないことができた」

 

みずづきに向けられた同情の視線と裏腹に、長門の口調は鋭利な迫力を同居させていた。そこから語られた言葉は非常に言いづらいものだっただろうに、長門は一切逡巡(しゅんじゅん)することなく解き放った。

 

「日本は、目指していたのか? かつての・・・・・・・大日本帝国の復活を」

 

ここにいる全員にとって、人生で最も重苦しく、長い沈黙が訪れる。どれほど時間が経過しただろうか。ショウは瞑目して・・・・・。

 

「はい」

 

そうはっきりと告げた。

 

「日本政府は深海棲艦駆逐後の世界で復興したアメリカやEUと覇権を争っていく新生日本、大日本皇国建国ために・・・・・・・少数の国民を・・・人身御供にしたのです。これが日本政府は・・・・いや、新保守派の真の目標だと思います。そのためには何でも利用した。襲撃によって漂流することとなった・・・深海棲艦さえも」

 

刹那、長門は鉄パイプをも潰しそうなほど握り締められていた拳を緩めた。決して、安堵ではないだろう。おそらく、脱力と虚しさだ。

 

「・・・・・大日本皇国」

「そうです」

 

ここにいる誰もがどこかで聞いたことのあるような国名。しかし、ある1文字が記憶に刻み込まれている国名とは明らかに異なっている。怪訝そうに顔をしかめる夕張の確認にショウは強く頷く。

 

だが。

 

“大日本皇国は神国である!!!”

 

みずづきは明確に「大日本皇国」を聞いたことがあった。これが全てを物語っていた。

 

ショウが提供した真実が真実であることを。日本政府は神昇計画が破綻した瞬間から大日本皇国の建国を目指し、そのためには深海棲艦をも利用し、国民を生贄にしたことを。

 

「戦後日本は確かに平和を謳歌し、大日本帝国とは比較にできない繁栄を享受しました。しかし、その一方で国防と経済、政治はアメリカに牛耳(ぎゅうじ)られ、日本固有の数多の文化や習慣が欧米文化に浸食され、消滅していきました。欧米諸国のイエスマンになり果て、例え自国を(おとし)められても、自国の文化を否定されても真正面から喧嘩を売れない。売った者は不祥事や不慮の事故で社会の表舞台から退場を強いられる。またあの戦争で教訓という名の免罪符を得た短絡的な左派勢力が幅を利かせ、国家と国民を思っての行動がすぐに軍国主義・帝国主義と断罪される。愛する祖国が劣化し、着々と愛するべき祖国でなくなっていく現状、そしてひたひたと忍び寄る有事の足音を前にしても無力な現状に我慢ならない政治家、官僚、自衛官、警察官、企業家、右翼団体たちが居ました」

「それが?」

 

百石の確認。彼は完全に答えを分かっている様子のため、これは問いではないだろう。

 

「はい。新保守派と呼ばれるグループです。彼らは嫌いだったんですよ」

 

ショウの目がどこか遠くを見つめる。

 

「今の日本が・・・・。そしてひとえに憧れた。昔の、大日本帝国だったころの日本に。それを成すために日常を生きるごく普通の国民が生命の危機を感じ、憎悪のみを向けられるような“敵”を創り出した。人心の誘導には憎しみの利用が最も効率的ですからね」

 

なぜだろう。それほど分厚くない複数の鋼材で激闘中の整備工場と隣り合っているのに、やまびこのように彼の声が何度も何度も鼓膜を振動させる。そして、自分自身が、ショウ以外のこの場にいる全員が生唾を飲み込んだ音でさえ、複数回にわたり鼓膜を揺さぶる。

 

「そして、この野望は現在のところ、非常にうまくいってます。人間の敵対勢力と深海棲艦の容赦ない攻撃を受けてようやく日本人は力がなければ、自分も家族も友人も知人も故郷も思い出も日々の暮らしさえ守れない。何も守れないことを思い知りました。同時に強大な国家権力の下で一致団結すれば、絶望的な状況下でも生き残れることを学びました。そして、自分たちがやればできる民族だということを約半世紀ぶりに思い出しました。民主国家において、絶対的に必要な“政権を支持する世論”の醸成ももはや盤石となっいます。この歩みは止められません。核兵器の保有、復興したアメリカ軍への対処を睨んだ第5護衛隊群と華南海軍艦艇との共同演習・・・・・。もう、取り返しのつかないところまで来ているのですから・・・」

 

ここまで言われてしまえばもう、認めざるを得ない。国民を守るはずの政府は自らを“何の躊躇もなく”悲願達成のためなら肉塊にしてもかまわない駒として見ていたことを。軍人としてなら駒とみられる覚悟はできている。しかし、一国民として完全なる駒。ものと捉えられていた事実は非道な政府への怒りよりも、あの世界でものではない1人の日本国民として生きてきた自身の存在意義を揺さぶった。

 

深海棲艦は日本が主導して西側諸国が作った生体兵器。

世界を地獄に変えた深海棲艦は不慮の事故で研究施設から脱走した試験体。

 

これだけでも心を血まみれにしたというのに、神と自然の摂理を冒涜する行為に及んだにもかかわらず、あまつさえ脱走した深海棲艦を利用し、自らが抱く理想実現のために数多の自国民を生贄にした、という事実はみずづきの心に抱いてはいけない疑問を抱かせるには事足りていた。

 

「私が・・・・・私が抱いてきた想いって・・・・・何だったの?」

 

第二次日中戦争。丙午戦争。そして、生戦では目の前で大切な存在が、見ず知らずでも助けてあげなければならない人間が数え切れないほど死んでいった。生まれてから親しんできた日常はあっけなく消滅し、繁栄は脱兎のごとく廃墟と墓標の向こうに逃げていった。

 

だからこそ、みずづきは思ったのだ。

みんなが普通に笑って普通に生きてほしいと。

家族や友人の死に悲しむことも、故郷が焼け野原になって嘆くことも、飢えや寒さに耐えることも、死の恐怖におびえることもない。そんな、ごく当たり前の平和で穏やかな生活を送れる一助になりたいと。

これ以上、家族にも友人にも誰にも苦しんでほしくない、悲しんでほしくないと。

 

だからこそ、みずづきは自衛隊に志願したのだ。艦娘になったのだ。

敵前逃亡と蔑まれても、大切な人を大切な仲間を手の届く範囲で失っても、再起を誓ったこの世界で再び自分の無力さを痛感する事態に遭遇しても、その信念があったからこそみずづきはここまで歩んでこられたのだ。

 

しかし、それを抱かせた歴史は、経験は全てお上の計画と想定外による人為的な犠牲と地獄だった。

 

「ピエロ・・・・か。言い得て妙ね、全く・・・・・・」

 

はるづきが何故、自分のことをピエロと呼んでいたのか今、理解した。みずづきは所詮、血筋も教養も敵わない日本の支配者に踊らされていただけに過ぎなかった。誘導されていた、とも捉えられるだろう。

 

「あはは・・・はははは・・・・」

「み、みずづき・・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

なんだか可笑しくなってきた。自分の抱いていた信念はただのまがい物。自分はどこまでいっても駒だったのだ。長門が青い顔に玉のような汗を浮かべ、顔を覗きこんでくる。しかし、消えかけた嘲笑は途絶えない。徐々に涙が混じってくる。

 

その聞くに堪えない、見るに堪えない自嘲を終焉に追い込んだのは、みずづきをこのような状態に陥れた張本人のショウだった。彼は一度瞑目すると、目を閉じる前とは別人のように力強い声色でみずづきに語り掛けた。

 

「みずづき? 君はこんな程度で壊れてしまうのか? 俺から伝聞で真実を聞いただけで。日本海上国防軍第53防衛隊隊長、あきづき型特殊護衛艦みずづきの名が聞いて呆れる」

「ショウさん!!」

 

咎める吹雪の絶叫が木霊する。しかし、彼は一切ひるまない。

 

「知山は最後まで・・・・・・・壊れなかったぞ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

俯いていた視線を久しぶりにあげ、ショウを見る。視界は涙で歪んでいるものの、彼の顔ははっきりと捉えることができた。そう言った彼の視線。指向性エネルギー兵器(DEW)も生半可に思える一直線の視線には意識を繋ぎとめる不思議な力が籠っていた。

 



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87話 真実 後編

もう・・・5年か。


「彼は全てを知ってた。深海棲艦が日本の主導の下で西側諸国によって創造されたことも、第二次日中戦争や丙午戦争がお上の策略であったことも。日本が廃墟と屍の山から目指してる未来も・・・・・・すべてを」

 

その言葉を聞いた瞬間、記憶が激痛と灼熱で途切れる前に聞こえてきたはるづきのいやらしい声が聞こえてくる。

 

彼女は言った。

知山が救国委員会と呼ばれる深海棲艦を生み出し、世界を自分たちの意のままに操ろうと血で両手を染色してきた組織の古参メンバーだと。

 

彼女は言った。

知山が人間の命なんてこれぽっちも思い入れのない、人間の業と世界の理不尽が生み出した怪物だと。

 

彼女は言った。

知山にとって自分は出世と保身のための、ただのモルモットだと。

 

しかし、夢の中で出会った彼は最後の言葉を明確に否定した。あれはただの夢。いくら身勝手な妄想で現出させようと知山豊は2033年5月26日に日向灘沖で戦死した以上、彼の真意を確かめる術はもうない。

 

それでも、みずづきにはあれが完全に自分自身の願望の体現、妄想の塊だとは思えなかった。もう、なにを信じたらいいのか分からない。

 

表情からみずづきがはるづきの声を思い出していることをくみ取ったのだろうか。ショウはわずかに口元を緩めるとみずづきが抱いている疑問に回答を与えた。

 

「・・・・・安心していいんだ。君が知ってる知山豊は本物なのだから」

「え・・・・・」

 

幻聴でも、複雑な精神構造が生み出した幻影でもない。目の前のショウは明確に、明瞭にそう言った。

 

「さっきと一緒でな。はるづきが言ったことは事実も、そして嘘も含まれてる」

 

言葉を紡ぎながら、拳を握りしめ、眉間にしわを寄せるショウ。人間視点で見れば、完全に怒っていた。

 

「あいつは余程、他人の不幸を見るのが好きらしい。・・・・・・そういうやつを見ると反吐が出る」

 

画面越しでもひしひしと感じる怒気に思わず圧倒される。彼と対面してまだ小一時間。初めて彼の激情の発露を目撃した。

 

どうして、そんなに怒っているのか。この疑問が浮かんだが、心の中に留めておくことにする。早く知山の話を聞きたい一心もあったが、理由はもう1つ。何故だか分からないが、その理由は彼自身がいつか語ってくれるような気がしたからだ。

 

「救国委員会。内閣府に設置された日本版CIA内閣情報局の傘下組織でありながら、実質的に内閣情報局より上位に位置する内閣の直轄諜報機関。委員長は現内閣総理大臣長井満成が務め、職務内容は日本国の最重要推進政策である大日本皇国樹立のための各政策の立案、実施、及びそれにかかわる機密の保守・管理。大日本皇国建国準備会ともいえる救国委員会に知山が属してたことは・・・・・・本当だ」

「・・・・・・・・・・っ」

「彼は表向き呉地方総監部所属になっていたが実際のところ、救国委員会供給第二課に出向という形で第二課内に6つ存在した班の内、1つの班長を任されてた。一般企業で言えば係長クラスだな。供給第二課の仕事ははるづきの言った通り」

 

そこまで言うとおもむろにショウは表情を曇らせ、しなびた声色で問うてきた。

 

「君は・・・・・見たんだろ? 日本が行ってるおぞましい闇を?」

「っ・・・」

 

主語はない。しかし、表情と声色、加えて雰囲気から彼が何のことを尋ねてきているのか、一時のタイムラグもなく瞬時に理解した。その瞬間、本来とは逆向きに物を運ぼうとする食道の胎動を感じた。わずかに口の中に生臭い酸味が広がる。

 

「日本国内にはオワフ島の研究施設が開設される前から、いくつもの研究施設が開設されてた。かの施設が壊滅した後、神昇計画は第二次神昇計画と名を変え、日本政府が主導し国内で引き続き研究開発が行われ、それは現在も続いてる。第二次神昇計画の特徴は製造する深海棲艦が次世代型に変わったこと。主に神昇計画時に日本やオワフ島で開発されてた人型の深海棲艦は遺伝子操作を行ったヒトの精子と卵子を使用し、生命が成長していく過程と同様に受精卵から人工子宮で幼体へ。幼体からは培養器に移送して成体に成長させてた。これもこれで良かったんだが、この方法はどれだけ遺伝子操作を行ってもどれだけ人工子宮や培養器の性能を向上させても、成体へ至る時間に少なくとも数か月を要した。時間がかかるということはそれだけ生育中の環境維持にコストがかかるということ。この問題を克服しようと提案されたのが、次世代型深海棲艦。・・・・・・・あらかじめ成長し終えた人間を深海棲艦へ改造することで生育時間の劇的な短縮とコスト削減を両立させる第二世代の深海棲艦だ」

『っ!?』

 

嫌悪感の混入を考慮すると、ここで暴露が始まってから最大の驚愕だろう。みずづきも百石や長門たちの例にもれず、目を大きく見開き、全身を痙攣させていた。そして、衝撃の波が意識の中から引いた後、おそるおそる口を開いた。

 

「に・・・・人間を・・・・・深海棲艦、に?」

「そうだ」

 

はっきりと明言した。自分のいた世界は、自分のいた国はどれほど闇に落ちていたのか。並行世界に来てからそれを知るとはあまりにも皮肉すぎる。

 

「次世代型は特殊な薬剤を投与してから数分で普通の人間を、制御機構によって縛られた理性のない深海棲艦へと改造することができる。あとは被験者の遺伝子型に適合した艤装を生成し、戦術・戦略・指揮命令系統を教え込めば、たった数日間で前線に投入可能。また、そこいらを歩いてる人間を使うわけだから素材に困ることもない。学者の先生たち曰く、()()()()()()()だとさ」

 

唾を飛ばすように、自らの言葉を吐き捨てる。淡々と語る口調がみずづきの良心を逐一刺激してきたが、どうやら彼も“良心”を傷つけながら話していたようだ。

 

「次世代型は実験をしようにも、開発を行おうにも、製造を行おうにもその特殊な製造方法故に常に人手ではなく試料としての人間が必要だった。その試料を捜索・選別して、薬剤に拒絶反応を示さない遺伝子型を持った人間、正確には10代後半から20代前半の女性を拘束し、研究施設への移送を行ってたのが救国委員会の供給課。第一課は市井の国民から選別して、昔の北朝鮮ばりに拉致を専門とし、知山がいた第二課は主に戦闘での負傷や遺伝子劣化を発端とする艤装不適合で特殊護衛艦の任を全うできなくなった艦娘たちを選別し、深海棲艦の適性を見出された者の移送を担当してた。その関係上、研究施設の見学もたびたび参加してた」

 

その言葉とはるづきが語った言葉。そこからある推論が導き出される。

 

「まさか・・・・・・・・」

「そう。君たち第53防衛隊全員は移送対象者だった」

「なんで・・・・・」

 

世界はここまで理不尽なのだろうか。これではあの須崎も、思い出が溢れている第53防衛隊もモルモットを成長させるため飼育小屋ではないか。

 

そして、その飼育小屋の管理は救国委員会の供給第二課が担当していた。

(やっぱり、知山司令は・・・・・・・・・・)

 

瞳が急速に潤んでいく。しかし、みずづきの涙は決壊する一歩手前で止められた。

 

「だが、君たちは“移送対象者”というだけであって、“移送者”ではなかった。移送対象者はあくまで候補に残った者。移送者は移送が確定した者。救国委員会の上層部は問題児の集まりである第53防衛隊の早期解隊と所属隊員の抹殺を望み、君たちを移送者リストに載せようと何度も画策した。しかし、それは悉く失敗することとなる。何故だか、分かるか?」

 

そして、ショウは背筋を伸ばし、顔を引き締めてはっきりと告げた。

 

 

 

 

 

「知山のおかげだよ」

 

 

 

 

 

 

「司令のおかげ?」

 

それを受け、この短い言葉しか出なかった。口数を制限しなければ、画面に詰め寄りCIWSの如く、彼を質問攻めにしてしまいそうだったから。

 

「彼は何度も上層部に呼びつけられ、挙句の果てには暗殺も示唆されて意向に従うよう要求されてた。しかし、彼はそれをことごとく跳ねつけた。まぁ、その無茶が彼の運命、そして不幸にも第53防衛隊の運命を決してしまったわけだが」

「じゃ・・・じゃあ、あの日、日向灘で私たちを襲った深海潜水艦が防衛省管轄の個体だって話は・・・・・」

「ああ・・・・・。本当だ。君たちは戦死じゃない。君たちは・・・・・・・救国委員会の上層部によって殺害されたんだ」

「・・・・・・っ・・・・・・・。はぁ~~~~~~」

 

全身で煮えたぎる怒りを必死に理性で抑え込み、爆発しないよう冷静にため息に乗せて発散させる。

 

大切な仲間。たかなわの乗組員。そして・・・・・大切な人。その犠牲が天災と同列の戦闘ではなく、明確な意図に基づいた殺人・暗殺であると聞かされて激怒しない人間はいないだろう。あの日、日向灘で散っていったおきなみ、はやなみ、かげろう。そして、知山は容易に怒りへ火を付けるほどかけがえのない存在だった。

 

それを聞いて、あの日、知山の様子がおかしかった点にも合点が行った。彼はいつも以上に、隊長の自分が首をかしげるほど敵潜水艦を警戒していた。あの時はこういう日もあるかと呑気に捉えていた。しかし、知山は分かっていたのだろう。自分の身に危険が迫っていることを。

 

「でも、どうして知山司令はそこまでして・・・私たちを」

 

知山は昔から、出会った時からそういう人間だった。自分よりも他人を、自分たち部下を優先し、守り、常に気遣ってくれた。暗殺を示唆されても引かなかったという話を聞いても、違和感はない。知山ならそうするだろうと純粋に思ってしまった。

 

しかし、普通の人間ならそうはいかない。誰もまず自分の命と自己の利益を最優先して行動する。それは例え他者と集団を重んじ、個を抑圧しがちな日本人でも変わらない。

 

そうであるにもかかわらず、知山はいつも自分は二の次。後回しだった。優しい。他人想い。情に厚い。それで片づけられるのかもしれない。今まではそれで片づけていた。知山豊とはそういう人間なのだと。

 

だから、みずづきは彼のことを・・・・・・・・。

 

だが、ショウの話を聞いてそれだけでは収拾がつけられなくなってしまった。いくら優しかろうと、いくら他人想いだろうと、いくら情に厚かろうとそれだけで自分の命を他者のために投げ打つだろうか。

 

「・・・・・・・知りたいか?」

 

こちらの心を見透かしたように絶妙なタイミングでショウが問いかけてくる。それへの回答はここへ来た冒頭でなし崩し的に示している。言葉の代わりに、ショウにも負けない視線を向けた。

 

「分かった」

 

それだけ言って、ショウはこちらからどこか遠くを見つめたまま儚さを含んだ言葉を紡ぎ始めた。

 

「知山にとって、君たちが・・・・いや、君たちを守ることだけがこの世に存在し続ける理由だったんだよ」

「その言い方じゃ・・・・まるで・・・・・」

 

自分たちがいなければ、死んでしまいそうな、そんな言いぐさだった。

 

「彼が救国委員会に参加した原点は・・・・君が親友を喪った阪神同時多発テロ事件。あの時、知山は壊滅した摂津基地にいた」

「えぇっ!?」

 

それは今、初めて聞く事実だった。兵庫県神戸市に所在し、阪神地域における掃海艦艇の拠点だった海上自衛隊摂津基地。かの基地は阪神同時多発テロ発生時、自動小銃に飽き足らずロケット弾で武装した新倭建国団の一味に奇襲され、勤務していた海上自衛官、警備のため派遣されていた陸上自衛隊普通科連隊1個小隊の約半数が犠牲となった。自衛隊が創設以降初めて遭遇したといっても過言ではない近接戦闘発生現場に、知山が居合わせていたのだ。

 

「戦闘慣れした人民解放軍精鋭部隊流れのテロリストを前にデスクワークに適応した地方基地の職員が立ち向かったところで結果は見えていた。この戦闘で知山は親友と公言するほど親しく、婚約者がいた同僚を目の前で失い、自身も左肩に銃創を負った。これが知山の心に火を付けた。今の日本では誰も守れないという確信を抱かせた」

「それは新保守派と・・・・・・・」

「違う」

 

同じ、と言いかけた夕張の機先を制する。夕張はあまりの気迫に一歩後ろへ引き下がった。

 

「彼は世界のパワーバランスを徹底的に研究し、新たな秩序構築を模索してた新保守派とは違い、方向性は同じでも想いはもっと純粋なものだった。今の日本では誰も守れない。だから、守りたい誰かを守れるように、死ななくてよかった人々が死ななくて済むように、もう2度とこんなことが起こらないようにする。そのためならば、少数の犠牲もいとわない。少数の犠牲を払うことでその他の大勢が幸福になれるのなら、国家・国民の防人である自衛官として取るべき選択はそれしかない。そして、彼は救国委員会に出向し、全てを知った。第二次日中戦争と丙午戦争が仕組まれたものだったことも、シーレーンを混乱させてる元凶が史上初の生体兵器であることも、日本や華南が目指す野望も全部。それでも彼は救国委員会の方針に賛同した」

「ち・・・知山司令が・・・・」

 

それには戸惑いを感じざるを得なかった。知山は人間を駒として容赦なく切り捨てられるような人間ではない。

 

「確かに意外だ。でも、これで日本は再び戦争の惨禍に翻弄されることがなくなる。軍隊を整備し、仮想敵国だった近隣諸国を同盟国に変え、アメリカの不当な支配から解放され日本は自国民を自国で守れる“普通の国”になれる。そのためならば人身御供もやむを得ない。この世界は等価交換の原則で動いている。何かを成すのなら、それに見合うもの差し出さなければならない。例え、一生人殺しの汚名を着て、地獄に落ちることになるのだとしてもそうすべき。彼はそう・・・・・思ってた。その点は救国委員会の上層部と全く同じだった。しかし両者には決定的な相違点があった」

「それは一体・・・・・・・」

「知山は・・・・・・・優しすぎたんだよ。彼は人の命を、自分の不甲斐なさ故に失われた数多の命を重んじるがあまり、“幸福のため”の犠牲を許容した。しかし、2350万人という膨大な死者数、繁栄を誇った愛する祖国の荒廃ぶりを前に彼は思い知った」

 

 

 

 

 

「・・・・・・血塗られた手では誰もが幸福になれる、誰もが犠牲にならなくて済む未来など創造できない」

 

 

 

 

 

 

「・・・・という、誰でも分かるこの世の摂理を。そして、2350万人もの犠牲を払うことになった計画に参加したこと、その犠牲を経なれば少数の犠牲で幸福が得られると勘違いしていた罪悪感がどこまでも彼を苛んだ。その彼に追い打ちをかけたのが、供給第一課での拉致業務だった」

「嘘・・・・・・。知山司令が・・・・・そんなことを・・・・・」

 

自分たちを必死に守ろうとしてくれた知山。その彼が人の命を摘む職務に就いていたとは、彼の表情や雰囲気からは想像もしたこともなかった。

 

「彼は上の指示に従い、第二課へ異動するまで絶望の中から必死に1人で、きょうだいで、家族と、恋人と希望を掴もうとしてた少女たちの日常を唐突に遮断し、絶望へ叩き落し続けた。その中で彼の誰かを守りたいという信念はただの過去となり果て、いつもこう思っていたそうだ。・・・・・・俺は誰も守れないし、救えない」

 

その言葉をみずづきは直に知山の口から聞いたことがあった。

 

“こんな女の子さえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺は、救えない”

 

後悔と悲しみが染みついた口調であの日、知山はそう言った。なぜ、あの言葉が上官に対する疑念と憎悪にまみれた己の心に光を照らしたのか。その理由がなんとなく分かった気がした。

 

「知山は第二課に異動した後もひたすら死神であり続けた。その時のことを話していたあいつの様子を見るに、あの当時の知山は鬱一歩手前の状態じゃなかったのかと思う。そりゃ、そうなるだろう。彼は数多の死を見て誰かを守りたいと願ったにもかかわらず、ずっと誰かを殺す仕事を・・・・テロリストや救国委員会上層部と同列のことをしてきたのだから」

「知山・・・司令・・・・」

 

その時、彼はどんな気持ちで日々を生きていたのだろうか。彼はどんな気持ちで人間を選別していたのだろうか。彼の心情に想いを馳せると彼の名前を呼びたくなってしまった。

 

「しかし、そこに一筋でも強烈な光が差し込んだ」

 

そういうと彼はみずづきにしっかりと視線を合わせた。突然の状況変化に困惑するみずづきを放置し、ショウは明瞭に信じられないことを告げた。

 

「みずづき。君だよ」

「・・・・・・・・・・・・・は? わ、私?」

「そう。紛れもない君自身が闇に飲み込まれつつあった知山を照らした」

「なにが一体、どういうこと? 私が知山司令の光になったって・・・・」

「君と知山の出会い。君は須崎基地と思ってるかもしれないが、そうではないんだよ」

 

そして、訳の分からないことを言い出した。記憶に基づいて毅然と反論する。

 

「はい? なに言ってるのよ。私と知山司令が初めて会ったのは私が須崎基地に着任して、司令官室へあいさつに行った時」

 

だが。

 

「それ以前に会ったことなんて・・・・・・・・・」

 

言葉を重ねるごとにあれだけ硬かった自信がふやけていく。何かを忘れているような、モヤモヤ感。それは一気に全身を駆け巡り始めた。それを解放させるカギはショウからもたらされた。

 

「知山は所属部署の関係上、よく江田島の艦娘学校へ足を運んでた。あの日も知山は江田島の艦娘学校にいたんだよ」

 

あの日がいつを差すのか。彼の微笑みから分からないはずがない。あの日とはみずづきが敵前逃亡の嫌疑をかけられ、艦娘教育隊特別審査委員会から「銃殺刑」を言い渡された日。そして、その日、みずづきは特別審査委員会に出席していた艦娘教育隊の幹部、警務隊員以外の尉官と言葉を交わしていた。

 

あの時、悲しみと悔しさで覆い尽くされた心では泣きついた尉官の個人的な特徴を覚える余裕は皆無だった。しかし、いつかの夢のおかげで声とこの身を案じてくれた言葉は鮮明に覚えている。

 

そして、その声は・・・・・・・・・・・日向灘で永遠の別れを迎えるまで常に聞いていた彼の声と同じだった。

 

「・・・・・・・・・・・そう、だったんですね。あの時の尉官はあなただったんですね、知山司令」

 

今さら気付くとはなんとも間抜けな話だ。せめて、彼の生前に気付き、お礼を言いたかった。そして、みずづきは気が付いていなかったが彼女はここで来て初めて笑顔を見せた。

 

それを見たからだろう。ショウは儚さをたたえた笑みでこういった。

 

「知山もきっと、そんな風に笑ってただろうな」

「え?」

「君は教官であったあけぼのの命令に従ったにもかかわらず、敵前逃亡の嫌疑をかけられあまつさえ、一部隊の審査委員会で銃殺刑を言い渡された。これは明らかに服務規程違反だ。いくら艦娘であろうが自衛隊法違反の場合、警務隊に拘束後、通常の裁判所で裁かれるか、機密が絡むときは防衛艦隊に設置される諮問会議で処罰が下される。そして、銃殺刑はあり得ない。ここまで艦娘教育隊が異例づくめの対応を取った理由は、君が見てはいけないものを見てしまったからだ」

 

みずづきには明確な心当たりがあった。あの時、みずづきとあけぼのは前例のない敵と遭遇し、結果あけぼのは戻らなかった。

 

「あの深海棲艦は徳島県某所にある研究施設から脱走した第一世代の試験体。それを視認し、あまつさえ交戦してしまった君を艦娘教育隊は機密が漏洩する前に一刻も早く消したかったんだ」

「一体、日本はどこまでみずづきさんを・・・・・・・・・・」

 

苦し気に呻く赤城へ視線を向ける。「大丈夫です」と首を振っても、赤城のしかめっ面はなおらない。なおるまで説得したかったが、こちらもそれなりに堪えていた。

 

「しかし、いくらなんでもそれはやりすぎ。かえって、不信感を高め、みずづきの証言に信憑性を見出す者が現れるかもしれないと海自上層部は艦娘教育隊に方針を撤回させた。そこで問題となったのが、みずづきの処遇。これには2つの案が検討されてた。1つは即刻、素体として研究所送り。まぁ、事実上の死刑。艦娘は艤装と適合してるが故に、実験試料として有望株だった」

「ん?」

 

ショウの発言に引っ掛かりを覚える。しかし、今は好機ではないとして質問を控えた。

 

「2つ目は創設準備が進んでた第53防衛隊への配属。あの僻地なら万が一の場合も情報が拡散するまで時間的猶予が稼げるから、基地ごと吹き飛ばすなり、特殊部隊で暗殺するなりの封じ込めが比較的容易だった。しかし、この案には1つの課題があった。艦娘部隊には例え1人だろうが指揮監督する司令官がいる。今回の場合、事情が事情だけに“全て”を知っている人材が要求された。しかし、いくら国家的戦略に絡んでいるとはいえ、深海棲艦の真実を知ってる者は海防軍内でも一握り。その上、艦娘部隊の司令官を全うできるほどの人材は誰もが重要な地位についてた。そのため、上は1つ目の案で調整を開始したが、みずづきの上官を志願する者が現れた。・・・・・・・・・知山だよ」

 

肩をすくめるショウ。しかし、それが負の感情由来のものではないことは一見しただけで分かる。彼は笑っていた。

 

「彼は上司の留任要請を固辞。彼は上がみずづきの指揮官を探してる話を聞いた時、すぐに上司のもとへ駆けこんだそうだ。まったくあいつらしい・・・・・。あいつはそういう人間だ。決して、あいつが言ったような化け物じゃないっ」

 

あいつが一体誰のことを指すのか。いちいち聞かずとも怒りで顔を歪ませている様子を見れば、把握は簡単だった。

 

「こうして、君と知山は正式に須崎で出会った。だが・・・・・・・」

 

笑顔から一転。険しい表情が浮かぶ。それで分かった。ここからは知山の終わりに転がっていく話なのだと。

 

「必死に部下たちを守ろうとする知山は徐々に救国委員会内で孤立。しまいには命を狙われる事態となった。みずづきたちを引き渡せば、暗殺対象から除外され、二等海佐への昇進も打診されていた。それでも知山は蹴ったんだ。・・・・・・・・その頃の映像がある。いつか君たちに見せようと思って保存したものだ」

「その頃の映像って・・・・・・。ということは・・・・」

「ああ。その中には、知山がいる」

 

あの5月26日から人智では理解を超えた様々な出来事を経て、今は12月。ここで彼が収まっている映像を見れば、約半年ぶりに彼の顔を拝み、肉声を聞くことになる。唐突な別れから半年の間に一言では決して語り尽くせない出来事があった。一瞬では到底反芻(はんすう)できない多くの記憶が新たに蓄積した。多くの時間を過ごしたからこそ、多くの経験を積んだからこそ、あの日より成長したからこそ、みずづきはその映像を見たいと思った。

 

自分の知らない知山が残酷で理不尽な現実を前に何を語っているのか、当然知りたい。しかし、それ以上に彼の顔を見たかった。彼の声を聞きたかったのだ。

 

「・・・・・・・・見るか?」

「うん」

 

だから、ショウの問いへ二つ返事で答えた。彼は真剣な表情のまま頷くと目を閉じる。その瞬間、彼を映していた画面はモニター全体の8分の1ほどの大きさに縮小し、残りの画面は天井の明かりが灯っているものの、人気がなく、様々な機器が雑踏に置かれた殺風景な空間を映し出す。

 

その場所にみずづきは見覚えがあった。いや、見覚えがあったでは生ぬるい。よく知っている場所だった。

 

「ここは・・・・・艤装保管棟」

 

須崎基地敷地の外れ。野見湾に面した雑木林の中にあった、名称通り艤装を保管する施設の一室。よく、整備員と知山が腕を組んで唸っていた保守点検室の1つだった。

 

「・・・・・・・やっぱりだ。我々とは使用している機械のレベルが違う」

 

初めて映し出される21世紀の日本の身近な風景に漆原が唸る。いまだにみずづきは現在映っている保守点検室に置いてある機械の用途や使用方法が全く分からないのだが、さすがは工廠長。同じ界隈の人間として、瞬時に保守点検室の概要を把握したようだ。

 

「おっ。来たな」

 

漆原の観察眼と奥深い知識に感心していると誰かの呟きが聞こえてきた。その声はいちいち正体を探るまでもない。8分の1まで小さくなってしまったものの、相変わらずこちらを見ているショウの声だ。しかし、彼の口には容易に動きそうもないチャックが施されている。

 

だとしたら、応えは1つしかない。画面にはいない過去のショウの声だ。

 

ドンッ!!

 

過去のショウが「はぁ~~~~」と深いため息をついた直後、画面の中央にある開き戸が物騒な音を立てながら、寿命を著しく低下させる乱暴な開け方で保守点検室と隣接している廊下を繋ぐ。その接点に会いたいと心の底から願っていた、大切な人物が立っていた。

 

しかし。

 

「ん?」

 

半年間の空白があろうとも、相手が彼である以上記憶は鮮明だ。だから、すぐに異常を発見した。

 

「まったく、またかよ・・・・・・」

 

呆れ果てたようなショウの声が響く。それに対して彼は「いやぁ~~~、あははははっ!」とえらく上機嫌で歩み寄ってくる。だが、足元がふらついていて進路が定まらず、中々近寄って来ない。

 

「おかしいなぁ~~~」

 

何が可笑しいのかゲラゲラと豪快に笑いながら、足を進める。それでも、足は彼自身が思い描いた方向に進まない。この状態をみずづきは、そしてこの場にいる全員が知っていた。

 

「千鳥足・・・・」

 

そう。知山は今、アルコールの過剰摂取による奇行の1つである、千鳥足状態に陥っていた。

 

顔と制服の合間から覗くが肌が真っ赤なこと。妙に締まりのない表情になっている点から見ても完全に黒。いや、赤か。明らかに酔っている。

 

「知山・・・・し・・司令・・・」

 

脱力感が半端ではない。半年ぶりの再会と胸を躍らせてみれば、一番見たくないと言っても過言ではないみっともない姿を見せられては仕方ないだろう。百石たちや長門たちもどう反応していいのか分からず、互いの顔を見合わせている。

(本当にこれが私たちに見せたかった映像なの?)

ショウの真意が分からなくなってくる。しかし、それ以上に不可解な点に思い至った。

 

「珍しい・・・・・・。知山司令がこんなに酔ってるなんて」

 

深海棲艦の攻撃によってシーレーンの断絶、大都市の壊滅、飢餓・疫病の蔓延が引き起こされ壊滅的な打撃を被った日本では、ほぼ全ての食糧は配給制で各国民に規定量のみが配分されている。再生可能資源や華南・北朝鮮・東露から意地で調達しているエネルギーも言わずもがな。そんな状況では嗜好品の製造などめったに行われず、行われても皇族や政治家・軍人、資産家・企業家など血統と金で日本に君臨している特権階級にほとんどか供給されるため、一般庶民はほぼ入手不可能だ。知山やみずづきたちはれっきとした海防軍人であったため、酒などの嗜好品もごくたまに支給されることはあったが、とても酔える量ではなく、量があったとしてもその希少性から誰も少しずつしか(たしな)まなかった。

 

それはいくら艦娘部隊指揮官でも同様であり、最も近くにいたみずづきでさえ、ここまで泥酔した彼を見るのは初めてだった。

 

「よぉぉぉ、ショウ~~~。言われた通り来てやったぜぇ~~~。ったく、時代は進むもんだよなぁ~~~~。まさか、生きてる間にAIに呼びつけられる日が来るなんてぇ~~~。こりゃ、ドラ・・・」

「ゴホンっ!! ゲホゲホッ!!!」

「・・もんも22世紀の夢じゃないかもなぁ~~」

 

妙に間延びする声。この世界に来て以来、姿と同様にずっと聞きたいと願っていた半年ぶりの肉声だというのに、感動は全くない。その声色は寂れた商店街の一角で密造酒片手に宴を楽しんでいる1人のオヤジと遜色ない。

 

「こ・・・これが、ち・・知山司令・・・ですか・・・・」

 

笑ってもいいのか。戸惑ったままの方がいいのか。吹雪が状況の混沌さを前に、顔を複雑に引きつらせながら尋ねてくる。今まで散々、普通の知山を語って来ただけに肩身が狭い。「そう・・・です。はい・・・」と司令官の醜態を詫びながら答えるのが精一杯だった。みずづきの答えを受け取った吹雪、小耳に挟んだ百石以下一同はまじまじと知山を見る。

 

彼は相変わらず、ショウに対する愚痴を垂れ流している。

 

「ふふっ・・・・」

 

その緩み切った顔を見ると思わず、失笑が漏れる。感動はなくとも、目元を湿らせる懐かしさが心を満たした。

 

「おい。聞いてんのか、ショウ!」

「はいはい。というか、それなんだよ」

「これか?」

 

ショウに言われ、知山は右手に持っていたラベルのない茶色の酒瓶らしきものを掲げる。それなりの大きさで容量は1ℓ以上ありそうだ。「ああ」と答えたショウは声色を刺々しいものに変える。

 

「それだろ、お前が今そうなってる原因は。また、例の元酒蔵のところの密造酒か?」

 

その瞬間、目を輝かせた知山はその密造酒について非常に熱く語りだした。なんでもその密造酒を作っている酒蔵は生戦勃発以前、須崎はおろか高知県を代表するような有名処。生戦が始まった後は他の酒蔵と運命を同じくしたが、その酒蔵の酒をどうしても飲みたい高知県内の有力者や役人が裏で造酒に必要な各物資を横流しし、密造酒として在りし日の酒が出回っているのだという。知山も須崎では知らいない人がいないほどの知名度を誇り、その知名度が当たり前と言うほどの役職に付いているため、当然人脈や付き合いの関係上、粗品として回ってくるらしい。

 

味は知山を見れば一目瞭然。

 

「ヒクッ!」

 

最後はしゃっくりがでる始末だ。だが、みずづきはそれに違和感を覚える。そして、懐かしさを源とする優しい温かみに覆われていた心が急速に冷えていく。いくら、酒が美味しいからと言って、知山がここまで飲むのは異常だった。

 

それはショウも察知していたのだろう。知山が上機嫌な一方、ショウは彼が言葉を重ねるごとに口数を少なくしていく。

 

「ショウ! なんだよ、つれねぇな!」

 

それに苛立った知山が言葉を荒げる。だが、次の言葉が放たれた瞬間、絶句すら通り越し滑稽に思えるほど知山の酔いは消し飛んだ。

 

「なにがあったんだよ、知山・・・・」

 

染み入るような声色に知山は一瞬呼吸を止めると俯いて、床を見つめる。先ほどまでの上機嫌はもはや過去と化していた。

 

「お前がそこまで酒に入り浸るなんてどう考えても変だ。・・・・・・昼間から変だったが、今はもっと変だ」

「・・・・・・・ここに呼びつけた理由はそれか?」

 

数々の苦難と葛藤を痛感させる荘厳な響き。気さくな口調から一転、日本海上国防軍三等海佐に相応しい冷淡な口調に移行した。ショウは沈黙で肯定を示す。

 

「はぁぁぁ~~~~~~」

 

長く、重いため息。一升瓶に直接口をつけ、「ゴクッ」という嚥下音と共に喉仏を三回ほど上下させる。一拍の静寂を挟んだあと、知山は葛藤と怨嗟を混在させた顔で苦し気に口を開いた。

 

「あいつが・・・・きやがった」

「あいつ?」

「大阪の死神だよ」

 

(大阪の・・・死神?)

全く誰のことか分からない。ショウの解説が行われないまま会話が進行していた場合、おそらく付いていけなかっただろう。

 

「ああ・・・・。供給第二課課長の一等海佐、黒川夏美か。救国委員会創設以来、最多の捕獲数を誇り、対象に全く感情移入せず、情けをかけようとした部下の額に風穴を開けたと有名な女性軍人。・・・・・・・やつがわざわざここへ来たということは」

「そうだ」

 

知山は硬く丸まった拳から血が滴り落ちようとも、腕を振るわせながら握り続ける。

 

「みずづきたちを引き渡せ・・・・、だとさ。・・・・・・・・はぁぁぁぁ~~~」

 

感情の激流を押さえるための深呼吸。拳から流れる血は徐々に減少していった。

 

「それで・・・お前はどうしたんだ?」

「どうしたもなにも、丁重にお断りしたよ。・・・・・・・当然だろ?」

「そんなことしたらお前は・・」

「構わない」

 

聞かなくても推測可能な言葉を、知山は意思の強靭さを示唆するように遮った。そして、再び傷付いた拳を握りしめた。

 

「俺の・・・この穢れきった命に執着はない。彼女たちが笑顔で門をくぐる姿を見たいが、それは二の次だ。・・・・・・絶対に守ってみせる。守るんだ・・」

「し・・・司令」

 

その姿はみずづきが知っている、知山だった。

 

「ここであいつらを守れなかったら・・・俺は・・・一体・・」

 

時を超えても、スピーカーを通しても分かった。彼の声は潤んでいた。

 

「なんのために・・・・・・自衛官になったんだ。この世に生を受けたんだっ」

 

知山はそれっきり口を開くこともなく、酒をおあることもなく、鼻をすすることもなく、額を抑えたまま俯いた。どれほど時間が経っただろうか。そんな彼にショウが声をかけた。「みずづきたちを救う方法はあるのか?」と。「救国委員会を宥める方策を具体的に準備しているのか」と。

 

「・・・・・・・・・・」

 

知山は答えない。ただ首を動かし、腕を上げ、赤黒い血に覆われた手の平を凝視する。

 

「お前、まさか・・・・」

 

それから何を悟ったのだろうか。ショウの口調には焦燥と叱責が混ざった。

 

「本当に、それでいいのか?」

 

腹の底から湧き上がってきたような確認。具体的な返答はない。ただ、知山は「は・・はは」と微笑した。失笑でも、嘲笑でもない。それは幾度となく向けてくれた慈悲深い温かみのある笑顔だった。

 

「そうか・・・」

 

観念したかのような嘆息。しかし、ショウはその後も同じような言葉を問いかけた。「これで、いいのか?」と。それに対する知山の反応は「閉口して語る」先ほどと明らかに異なった。

 

達観したような表情に未練が浮かび上がった。

 

「いいんだよ、これで。どのみち、俺には許されないことだ。・・・・・守ると誓いながら何1つ守れず、破壊することしかできなかった人殺しには・・・・・・・幸せになれる権利なんてないんだよ・・・」

 

 

 

 

 

そこで映像は終了した。

 

 

 

 

 

 

今まで、自分はなんて罰当たりなことを思ってきたのだろうか。

 

混乱を極める状況で、その元凶から足元を崩壊させるような事実を告げられた。

己の住んでいた世界の真実が想像を絶しすぎていた。

 

そんなもの、言い訳の欠片にもならない。彼の一番近くにいて、彼をずっと見てきた身であるにもかかわらずの醜態には自分でも頭に来た。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「みずづき?」

 

ショウの問いかけで内側を向いていた意識が外界へ目を向ける。

 

「君は覆い隠されてた世界の真実を知った。そこで1つ、君に問いたいことがある。・・・・・・・・・君はこれからどうする?」

「どうするって・・・・・」

「結局、あいつは最後まで抱き続けた信念を全うすることはできなかった。知山の見通しをも上回る強固な意志を前に、あの日第53防衛隊は壊滅。・・・・・・君だけが奇跡的に生き残った」

「くっ・・・・・・・」

「そして、世界がどれだけ理不尽で残酷で、闇に満ちてるかを思い知った。常人ならば・・・・・・はるづきのようになってしまう現実を」

 

面白いわけでもおかしいわけでもないのに、乾いた笑みを浮かべていた先ほどの自分が甦る。あれは何かもが絶望に覆われ、歩むべき道を見失った、到達すべき未来を失った亡者のスタートラインだ。

 

全て、仕組まれたものだった。

 

日本を変えてしまった第二次日中戦争も。

親友を殺し、温和だった人々を復讐の阿修羅に変えてしまった丙午戦争も。

 

全て、作為的な代物だった。

 

地獄絵図を現世に具現させた深海棲艦も。

敵前逃亡として銃殺刑一歩手前まで言った、あの事件も。

この世界へくるきっかけとなり、全てを失うことになった日向灘での戦闘も。

 

全部。

 

そこから生まれた自分の信念も、明確な意思によって植え付けられたまがい物。

 

「君は常に世界に翻弄され続けてきた。多くの傷を負わされてきた。それを知っても君は・・・・・・・・・・・・」

 

ショウは大きな深呼吸の後、不安と覚悟と信頼を同居させた表情でこう問いかけてきた。

 

「前へ進むか?」

「私は・・・・・・・・」

 

特定の結論を宿した即答など、できない。ここから飛び出したい衝動が芽吹くも車椅子に乗り、両腕が使用不能になっている現状では一人で移動できない。だが、部屋に引きこもった前科がある以上、この場での回答を求められているのならここで示さなければならないだろう。そう分かっていても自分の歩んできた道は崩落し、足元にはひびが入り、床に付けていない足は面白いように痙攣している。

 

 

 

“私と一緒にこの世界を滅ぼさない?”

 

 

 

あの時は理解不能だったはるづきの言葉。今なら、そこに秘められた想いが少しだけ分かる気がする。彼女に何があったかは知らない。しかし、唯一の拠り所であった世界に裏切られ、人間そのものに憎悪を吹き出し続けるほど絶望しているのだろう。そして、日本世界では当たり前に満ちていた闇が薄いこの世界を目にして、嫉妬したのだろう。

 

みずづきも1人の人間だ。徹底的にコケにされ、物扱いされ、大切な存在を奪われた挙句、殺されたとあってはそれを成した人間たちに、そしてその存在を許容し続けている世界に恨みを抱かないはずがない。何も知らない多くの人々が自分と同様に踊らされ、意図的に不幸へ叩き落されているのなら、その憎悪は天文学的規模まで膨張する。

 

己が日本で、そして瑞穂で完全に孤独なら、その憎悪に飲み込まれていたに違ない。しかし。

 

「みずづき」

 

みずづきは1人ではなかった。

 

「・・・・・・・・長門さん」

 

ショウの語る真実の前に、みずづきより早く膝を屈してしまいそうな雰囲気で覆い尽くされていた長門はもういない。振り返ったそこには凛々しく背筋を伸ばし、こちらを見据えてくるいつもの長門がいた。そして・・・・・・・・・。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

百石と漆原、漆原の肩に乗る黒髪の妖精、吹雪、赤城、夕張がいた。

 

「私は・・・いや、私たちは日本にいた頃のお前を伝聞でしか知らない。だから、あくまでも今から語る言葉はお前がこの世界に来て、私たちがこの目で見てきたものだ。しかし、きっと日本にいた頃のお前を見てもこれは変わらないだろう。お前はここまで想像を絶するような苦難を乗り越え、困難を克服し、自身の抱く信念を体現するために足を進めてきた。それは紛れもない・・・・・・・・・本物だ」

 

本物。真実という名の刃物で切り刻まれ赤黒く染まりかけていた心にその言葉は優しくも強い光を浴びせた。こちらの揺らめく視線に大きく頷くと長門は自らを指さす。

 

「その証拠は私たちと・・・・・この瑞穂そのものだ」

「へ?」

 

感嘆など出せるような気分でも状況でもなかったが、あまりにも壮大な提示に思わず目を剥いてしまった。一笑すると、長門はどんな精神状態でも言葉を咀嚼できるようゆっくりと語る。

 

「お前が自身の信念に基づいた行動をとってくれなければ、私たちは今、こうしてMI/YB作戦を発動し、大隅に乗ってなどいなかっただろう。深海棲艦との戦闘でもっと多くの被害・犠牲が生じていたかもしれない。今、私たちが仲間たちと談笑できているのも、瑞穂が平穏に浸れているのもみずづき? お前のおかげなんだ。お前が歩んできた地獄の中で育んだ信念のおかげなんだ」

「私の・・・・おかげ?」

「「そうだ!」」

 

長門だけにとどまらず、百石までもが間髪いれずに断言する。始まりから終わりまであまり完璧な重奏を成し遂げた2人。状況が信じられず「ん?」と真顔でお互いを凝視する。奇跡の発生に赤城たちをはじめとする周囲に笑いの嵐が巻き起こる。照れくさそうに頬をかく百石と長門。

 

その光景に目が、意識が急速に吸い寄せられる。

 

自身の目の前で発生しているその光景は飢えに苦しみ、死体から目を逸らしていたあの地獄の中で失われていったもの。そして、みずづきが命を懸けてでも守りたいと、取り戻したいと切望していたごく普通の日常に酷似していた。

 

「みずづきさん?」

 

そこでの微笑みを維持しながら赤城が笑いかけてくる。長門と同様、日本世界の真実を知ってとても笑顔を永続させる気分ではないだろうに、彼女の強さには一生到達できる気がしない。

 

「私たちはあなたにたくさんお世話になり、何度も助けてもらいました。具体的な事例はあげません。ただ・・・・、それが否定しようのない明確な事実です」

「赤城さん・・・・・・」

 

笑顔をたたえつつ有無を言わさぬ威厳を宿しながら投げかけられた言葉には、全ての事柄に疑心や不信を向ける卑屈な心を引きこもらせる灼熱の輝きが込められていた。

 

全て、仕組まれたものだった。その中から生まれた信念をこれまで誘導されたとも気付かず後生大事に抱えてきた。それに基づいて、己の道を定め、言動を決めてきた。これで何も守れず、何も成し遂げられていなかったならば、この信念は無意味と断罪するに足る空虚な妄想だ。

 

しかし。

 

「私は・・・・・私は果たせていたんですね。遅かったのかもしれないけれど、この世界で・・・・ここで・・」

 

一同が頷いてくれる。それでようやく自分に厳しかった自分自身が、自分の働きを認めた。形成要因は確かに作為的な事象だったのかもしれない。それでもみずづきは水上澄(むながい きよみ)のころから必死に勉強して、必死に努力して、抱いた信念を果たせる力を得るために全力疾走してきた。いくら巨大な壁が立ちはだかろうと封印せざるを得なくとも、その想いを完全に忘却することはなかった。

 

それは自分自身の歩みと周囲の励ましによって成し得たもの。決して、まがい物ではない。だからこそ、大切な存在を失い、帰る場所から切り離されてもその信念は行動原理の土台足り得ていたのだ。

 

「う・・・・・・・・・」

 

目元から一筋の涙が下る。

 

この信念は抱き続けてきた価値があったのだ。例え原点は薄汚れていても、導き出せる結果は輝きに満ちている。いくら全てを知ったからといって、否定して良い代物ではない。

 

 

“たいしたもんだよ。やっぱり、みずづきはすごいな”

 

 

かつて、知山は己の信念を聞いてそう言ってくれた。地獄と闇の双方を同時に駆け抜けてきた彼がどう思っていたのかは分からない。しかし、これだけは断定できる。

 

彼はこの信念を認めてくれていた。

 

その信念を彼に比べれば生半可な人生を歩んできた自分が否定して、どうするのか。知山は須崎で当たり前に見せていた優しく、思いやりのある性格で手を真っ赤に染めてきた。手から様々なものを滑り落していった。

 

みずづきなら確実に闇へ落ちていただろう。しかし、知山はそれでも踏ん張った。腐らず、堕落せず、やけくそにならず、抱いた信念を抱え続けた。

 

ここで膝を屈してしまっては彼の称賛も、真実を知るべきと判断してくれた信頼も裏切ることになる。

 

「それだけは・・・・絶対にっ」

 

してはならない。彼に命も心も救われた者として、彼が命を懸けて守ろうとしてくれた部下として、彼を想う一人の女性として彼の思いを否定する行為は。どんな理由があろうとも。

 

ならば、みずづきの歩むべき道は決まっていた。

 

「私は」

 

眼球自体に力を込めて生み出した鋭い視線でショウを射貫く。複雑そうな表情は一体どうやって書き換えたのか。満足げに口角を上げている。

 

「これまで信じてきた道を進む。日本でも瑞穂でも変わらない。例え作られた地獄であっても、その中で飛び交う絶望と閉塞感は本物。そして、儚い幸福と希望も本物。私の、この手でそれを明るい方向へもっていけるのなら・・・・・・・」

 

包帯で真っ白になっている右腕を胸に添える。痛みは全くなかった。

 

「この信念を抱き続ける。私は日本海上国防軍第53防衛隊隊長特殊護衛艦みずづき。防人としての誇りを忘れて引きこもって、なにが“みずづき”ですかっ」

 

湧き上がってきた激情を必死に制御して、自身の想いを余すところなく告げる。時計の秒針が半周するほどの沈黙の後、画面の向こう側から嗚咽が聞こえてきた。

 

「え・・・。あの・・・・・。ええ??」

 

自身の瞳が捉えた情景が信じられず、頭上に大量の疑問符が生成される。

 

「泣く」。これは生命が地球上に誕生して以来、生物のみの特権だったはずだ。しかし、人間はその特権を創造物にも供与できる神域に達したらしい。

 

「わ・・・悪い。つい感極まっちまって・・・・」

 

ショウは涙を流して、泣いていた。目元から透明の液体が頬を伝って流れ下り、鼻はトナカイのように赤く染まり、鼻水の流出を啜ることで防いでいる。普通の人間と全く変わらない。彼が本当に人工知能なのか、疑いたくなってきた。

 

「そっか・・・、そっか。やっぱり、お前は正しかったよ、知山。さすがだ」

 

目元を拭いながらここではない、どこか遠くを見つけて優し気に微笑みかけるショウ。彼の目には一体何が見えているのだろうか。

 

そのすがすがしい表情を見ると、自身の動揺が些細なことに感じられる。彼を泣かした自覚があるため文句は言えない。それでも少々照れ臭かった。

 

「・・・・・・・・赤城さん?」

 

鼻を人差し指で掻いていると、両肩に力を解きほぐす穏やかさを持った手が優しく乗せられる。後方には赤城がいた。彼女は何も言わず、ただ微笑みかけるだけ。

 

それが合図だったのだろうか。吹雪と夕張も駆け寄ってくる。二人は赤城とは対照的に口に備わった機関砲を乱射してくる。特に後者には思いやりという感情が明らかに欠如していた。

 

「さすが、みずづきさんです!!! 良かった~~、本当に良かったぁぁぁ~~~」

「一件落着したんだし、あれ! あれ! ショウさんの話を聞かせてよ! なんなら艤装を分解する許可を出してくれてもいいんだからね!!」

 

夕張が興奮のあまり、包帯で春巻き状態の右手を掴む。それが事態を静観していた長門の琴線に触れた。

 

「こらっ! 夕張ぃぃ!」

 

41cm連装砲にも引けを取らない咆哮。隣にいた百石は咄嗟に耳を塞いだおかけで無事だが、一歩対応が遅れた漆原と黒髪の妖精は頭上に星を回転させている。空間の違いからかショウにダメージはないようで興味深そうにこちらを覗いていた。

 

そして問題の夕張は耳鳴りを気にする余裕もなく、額に汗を急増させ右手をそっと両手で包み込む。

 

「ご、ごめん、みずづき!!! 大丈夫?」

 

いくら今まで追いまわれてきた身としても、その様子には同情を禁じ得ない。

 

「大丈夫、大丈夫。気にしないで。全然痛くもかゆくもないから」

「本当に?」

 

大きく頷く。これは本当だ。夕張に握られても、自分で力を込めてみても痛みはない。けがをしているのが信じられなくなるぐらいだ。

 

そう言ったものの、言ったは言ったで夕張の表情が曇る。吹雪たちも同様で艦娘たちは一斉に百石を見た。何かしらのアイコンタクトが交わされているが全く、内容も意図も分からない。一同の顔を見続けてしばらく。

 

「みずづき? その包帯、取ってみてくれないか?」

 

意を決したように百石が言ってきた。

 

「取る、ですか?」

「ああ・・・。痛みがないってのはおかしいからな。状況次第では道満部長に見てもらわないといけない」

「・・・・・・・・・分かりました」

 

はるづきとの戦闘で自身が重傷を負ったことは知っている。そして、普通の人間でありながら、常識はずれの治癒能力を示したことも道満から告げられている。

 

両腕・両手を覆っているガーゼと包帯の重厚な鎧。これだけでも両腕がかなりの重傷を負ったことが分かる。それ故に無痛が不気味に感じられた。

 

包帯を固定しているテープを外し、ゆっくりと包帯をほどいていく。包帯の下にある血と膿を限界まで吸引したガーゼを取るとその不気味さが心を覆い尽くした。

 

「え・・・・・。どういうこと・・・・・」

 

ガーゼの下から出てきた腕は多少血や膿で汚れているものの、かすり傷一つなく()()()だった。とても重傷を負っていたとは信じられない。

 

「・・・・・・・・・やっぱりか」

 

みずづき以上に百石たちの動揺が大きい。百石は顔の右半分を手で覆い、瞳孔を開ききっている。

 

その動揺を衝撃のあまり消化する言葉がショウから告げられた。その瞬間、真実を聞いても維持し続けた呼吸が止まった。

 

「それは当然の回復だよ。なぜなら、みずづきは生命の輪廻(りんね)から足をはみ出してしまったのだから」

 




今週はなんとか木曜日に投稿することができました(汗)。作者の脳内カレンダーを凝視する限りしばらくは木曜日投稿でいけると思いますが、一寸先は闇。仮に厳しくなった場合は事前に「延期します!」などの告知を行いますので、ご配慮のほどよろしくお願いします。

さてさて、艦これもそろそろ5周年。来てほしいなぁ~と子供並みの無責任さでつぶやいていたら、きました。

ロー○ンとのコラボイベント!

そして本日、その詳細が明らかとなりました。なんでもこれまで登場したロー○ン制服modeのデザインを施した“タヌキみたいなキャラのカード”(なんのカードなのか、お察し願います!)が準備されているとか・・・。

ほしい反面、そのカードを持ったところで、毎回店員に出せる勇気がない・・・。デザインを拝見して、ひしひしと頭痛に襲われるチキン作者だったりします。

追伸
読者の方々から多くの誤字報告をいただきました。作者の至らなさをお詫びするとともに、ご多忙の中、誤字報告をしてくださった読者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。今後も、誤字・脱字が発生するかもしれませんが、見限ることなく、本作をよろしくお願いします。


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88話 衝撃

艦これ、5周年、おめでとう!!


「は・・・・・・・・・?」

 

淡々と世界に吐き出された衝撃発言。その内容と一切の動揺がないショウの態度に、脳や肺に留まらず声帯までがパニックを起こし、機能停止を引き起こす。

 

彼は今、なんといったのだろうか。

 

この場にいる全員がみずづきと同じなのか、驚愕している雰囲気は伝わってくる。誰1人声を発するものはいない。水銀のような重苦しさとハチミツのような粘着力を同居させた不快な沈黙が訪れる。

 

その沈黙を破ったのは、この沈黙の創造主たるショウだった。

 

「俺がみなさんに伝えようとしてた世界の真実には、彼女が置かれてる純然たる事実も内包してます。先ほども言ったように、彼女は・・・・」

「こっちが物言えないことをいいことに・・・・・」

 

全身が震えてくる。突然の衝撃的な宣告にも原因がある。しかし、主たる原因は驚愕でも恐怖でもない。怒りだ。唐突に存在自体を否定するような、信じられないことを低姿勢でもなく、逆に抗言が許されないほどの高飛車な姿勢でもなく淡々と語られて、不快にならない人間がいるだろうか。

 

ただこの感情は、ショウの言葉を吟味した末に導き出される得体のしれない結果からの逃避によって加熱されていた。

 

「私が生命の輪廻から外れてる? どういう意味よ? 人類は神になれなかったって言ってたくせに、私は神とでも? それとも実はもう死んでて、幽霊とでもいいたいの?」

 

やけくそ気味の発言だった。自分自身が幽霊などと思ったことも、疑ったこともない。もちろん、神などという世迷言も。だが、ショウの応対は「ある意味、惜しいな」。その瞬間、煮えたぎっていた激情は恐ろしほど一瞬で消火された。

 

「え・・・・・・」

「百石司令に確認します。みずづきははるづきとの戦闘で全治数か月を要する重傷を負い、本来なら今頃病床の上で絶対安静を言い渡されてますね?」

 

ショウの発言を聞いても艦娘たちのように暴走せず、直立不動でことの成り行きを見守っていた百石。横目でみずづきを一瞥すると唇を噛みながら、肯定した。

 

「ああ。普通ならば、意識が戻っただけでも奇跡と身を寄せ合って歓喜に沸くほどの状態だった。にもかかわらずみずづきは・・・・・・・」

 

百石の瞳がわずかに揺れる。

 

「これは一体どういうことなんだ?」

 

その問いに対する回答は果たして、誰に向けられたものだったのか。ショウは特定の人物に視線を肯定することなく、衝撃発言時と同様の淡々とした口調で再び宣告を行った。

 

「みずづきはもう厳密な意味での人間では、ないんです」

「っ!?」

 

黙っていては気がおかしくなりそうだったため、胸の内に蓄積した心情を吐露しようとする。しかし、ショウが機先を制した。

 

「君は確かに百石たちと変わらない人間だった。・・・・・・・・・・・日向灘の戦闘で沈むまでは」

「沈むまではって・・・・・」

「君はあの時、生物としての明確な死を迎えたんだ。それは君自身が一番よく分かってることだろう?」

 

その言葉に反論は浮かばなかった。ショウの言う通りだった。日向灘でかげろうを葬り去った深海潜水艦と差し違え、かげろうのロクマルを収容した後、漆黒に染まっていた大海原に倒れ込んだ。

 

徐々に大気ではなく、海水に覆われていく清涼感。

全身の至るところから消失していく感覚と熱。

淀んで霞み、遠のいていく意識。

 

それらを得て生命としての本能は、総合的な判断を下した。「死」・・・・・と。

 

「その感覚は間違いじゃない。確かにあの時、君は・・・・・・・死んだんだ」

「でも、私はここで、五体満足でこうして生きてる。この矛盾はなんなの?」

 

今までは死を迎える本当に直前でこの世界に転移してきたと思っていた。自身を死の瀬戸際まで追いやった傷も転移の際に何らかの作用が働いて回復したのだと、そこまで深く考えていなかった。しかし、よくよく反芻してみれば不可解な点だらけだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ショウは突然黙り込む。先ほども似たようなことがあった。彼なりの配慮だろうが、逆に気になって仕方がない。「いいから、話して」と先を急かす。意を決したように語られた言葉を聞いて、ショウの態度の理由を痛感した。

 

「君の身体はこの世界にやってきていない。やってきたのは・・・・・・艤装だけなんだ」

「・・・・・・はぁ?」

 

突飛な発言に思わず、顔をしかめてしまう。

 

「肉体という膨大な情報量を維持した存在は、現在の物理学の知見では世界の壁は超えられない。その体、そして制服は艤装に記憶されていたみずづきの体組織構成、厳密言えば原子組成にのっとって艤装が生成した器。意識は君が死を迎える間際に艤装が自己の記憶容量に緊急退避させたものを再インストールしたにすぎない」

 

突然告げられた、みずづきの常識を逸脱する事実の列挙を前にもはや言葉がない。ただ、唯一出た言葉がある。

 

「何よ・・・・・・・それ・・・・・・」

 

艤装が体を作った。

意識は艤装が再インストール。

まるで高校生が授業で何らかの情報機械を製作するように言う。全く持って信じられない。

 

「だから、目覚めたとき、体と制服は元通りになっていたんだ」

「そ、そんなことが・・・・・・可能なの? その艤装に・・・ねぇ?」

 

眼前の艤装へ指を差そうとする。だが、差せない。

 

あまりの寒気に体が震え、指がいうことを聞かなかった。

 

「体の再生には驚いた。まさか、炉心にこんな機能があったとは・・・」

「ろ、炉心?」

「炉心とは艤装の核、人間でいえば心臓に相当する部分だ。燃料から得たエネルギーを艤装各所へ臨機応変に供給する機能も持ってるが、最も大きな役割は限定的な特異点を発生させ艤装と艤装装着者を既存の物理法則から解放すること。人間には成し得ないと言われた神の御業。その根本が炉心なんだ。そして、その炉心はレアメタルなどの貴金属ではなく、試験体・・・・深海棲艦の細胞によって構成された生体機械・・・・」

『っ!?』

 

“今、なんて言った?”

誰も口を開いていないにもかかわらず、その疑問が聞こえた気がする。それはごく自然の反応だ。それほどのことをショウは語ったのだ。

 

みずづきは自身が今まで装着し、命を預けてきた艤装をまじまじと見る。どこからどう見ても、ただの艤装であり、現代人なら違和感など覚えない機械。この中に抹殺対象とする敵の一部が入っているなど、誰が想像できようか。

 

「し・・深海棲艦の・・・?」

「というか、特殊護衛艦システムは深海棲艦開発過程で生まれた副産物なんだよ。深海棲艦がいなければ、艤装は永遠にこの世に登場することはなかった」

 

深海棲艦の開発が始まったのは川中レポートが提出され、神昇計画が承認された2019年。一方、特殊護衛艦システムが登場したのは2028年10月。日本が世界で最速。時系列でみれば、ショウの言葉に矛盾はなかった。

 

「炉心がみずづきを再生させた。そして、その炉心は深海棲艦の細胞でできている・・・・っ!?」

 

百石が顔面蒼白となり、息を飲む。その反応がただ百石の独白を聞いていた一同の理解を促進させ、全員に同一の結論へと導いた。

 

それはみずづきも同じ。

 

「ということは・・・・・・・」

 

おそるおそる自身の体を見る。

 

「ただの機械であったはずの炉心がなぜ、君を救う決断をしたのかはわからない。事実を述べれば、炉心は君を救った。ただし、炉心は炉心。炉心は装着者を救うことなど想定して設計されていない。それでも炉心は自らの力で君を延命させようとした。なら、とるべき手段は1つしかない。深海棲艦の遺伝子を拝借して即席の()を作るしか・・・・ね?」

 

絶句。その2文字がこの室内を覆い尽くす。

 

視界が一瞬歪み、平衡感覚がストライキを起こす。このまま意識を閉ざしたい衝動に駆られたが、この体は心と脳のいうことを聞かない。すぐに今の状態が目眩であると認識できるほどに意識が正常運転を開始する。なんとも残酷な仕打ちだった。

 

まじまじとなんの傷もない左手を見つめる。己の肉体が「人間」から逸脱していることを証明する動かぬ証拠だった。この体には深海棲艦の細胞が入っている。

 

あの、無慈悲かつ殺人兵器の一部が。

 

「ショウ、教えて。私が・・・・わ、私がある日突然、深海棲艦になる可能性は、あるの?」

「みずづきさん・・・・・」

 

自身は人間ではなく深海棲艦と知らされて、一番に思考を支配したもの。それは自身が深海棲艦と化して、艦娘たちや瑞穂軍を攻撃する幻影だった。

 

自分の体に深海棲艦の遺伝子が入り込んでいた。その事実だけでも全身は恐怖に席巻されている。しかし、これはもう事実であり、どうしようもないこと。それ以上に真実を知っても貫くと決めた信念と、信念に基づいて守ろうとしたものを自分の手で破壊することが何よりも恐ろしかった。

 

あのような化け物になること自体嫌だったが、何より自身が跳ねよけようとした邪悪な意思に染まって破壊者になることが嫌だった。

 

その意思を赤城は察知したのだろうか。

 

「あると言えばあるし、ないと言えばない」

「はい?? ・・・・・・ちゃんと答えてよ・・・・・・」

 

あやふやな返答に、こちらの気持ちをないがしろにされたようで頭に来た。つい、尖った物言いとなる。ショウとしても不本意な回答だったようで「すまない」と睫毛を伏せた後、的確な返答を寄せた。

 

「君が深海棲艦になることはほぼない。君には深海棲艦の遺伝子が混ざっていが、あくまで君の元の身体を参考にし、極限まで忠実に再現されてる。だからあくまでも君は、治癒能力以外は人間の枠を外れていない。それは元の身体を参考にしてる以上今後も変わらない。これは、断言できる。さっきはああいったが、深海棲艦の遺伝子を組み込まざるを得なかったのはおそらく戦闘で炉心そのものが損傷、または疲労して100%の性能が発揮できなかった結果だろうさ。詳しいことは俺でも分からなんが」

「そう・・・・・ふぅ~~~」

 

ひとまず、安堵。

 

「じゃあ、なんであるって言ったの?」

「深海棲艦の遺伝子がなくとも、普通の人間が深海棲艦化する場合があるんだ」

『えっ!?』

「もっとも分かりやすい事例は・・・・はるづきだろうな」

「はるづきが?」

「君も覚えているだろう? はるづきの容姿を。あれは人間に近い云々の議論の余地すらない完全な深海棲艦だ」

 

その結論に異論はない。全ての感情をそぎ落としたような白髪に、死体のような青白い肌。禍々しい装いに変貌した艤装。彼女はどこからどう見ても、誰が見ても同じ結論に至る深海棲艦になり果てていた。

 

「特殊護衛艦システム装着者には艤装と精神が高度の接続状態に置かれる以上、炉心の暴走に巻き込まれるリスクが一定程度存在する。装着者はもともと炉心と親和性の高い遺伝子を持ってるから炉心が暴走すると、第二世代深海棲艦開発用の薬剤と同様の効果が発生し、装着者を不適合者より簡単に深海棲艦へと変異させてしまう。艦娘が素材の有望株とされるのもこれが理由だ」

「艦娘の深海棲艦化・・・・・・」

 

それを聞いても、みずづきは百石たちほどの衝撃を覚えない。なぜなら、その話は聞いたことがあったのだ。一部の海防軍関係者の間で囁かれていたとある噂。

 

“艦娘は耐えられない恨みを抱くと深海棲艦になって、恨みの発散・・・・復讐に走る”

 

ここから、深海棲艦は艦娘のなれの果てという別の噂につながっていくのだが、それはここでは関係ない。

 

問題は噂が事実だったという点だ。そして、そこには律儀にも深海棲艦化の原因が明示されていた。

 

「その原因って・・・・・」

「感情の負荷蓄積。簡単に言えば、装着者が許容できないほどの精神的な苦しみ、怒り、恨み、嫉妬などを抱えた時に炉心の暴走が起こりやすく、比例して深海棲艦化が起きやすい。神話や昔話と一緒だ。・・・・・・・・闇に墜ちると化け物になる」

「・・・・・・それにしては、私たちの扱いが雑だったような気がするけど」

 

艦娘部隊の指揮官には艦娘をただの駒、出世の踏み台としか捉えていない指揮官が通常部隊とは比較にならないほどの確率で存在していた。知山はあくまで少数派。その紛れもない証拠が第53防衛隊である。おきなみも、はやなみも、かげろうもそんな指揮官との間で深刻な問題を起こし、須崎と言う僻地に左遷された艦娘だ。そして、もしショウのいうことが正しければ、この身も深海棲艦の一歩手前まで肉薄していたことになる。全ての希望を失い、全てに疑心を抱いていたあの頃、体の隅々まで闇に浸食されていたのだから。

 

「これはあくまで仮説。まだ決定的な判断が下されてない代物だった。しかし、はるづきを見てしまえば、それは実証されたも同然だ。仮説は正しかった・・・・・・」

「それじゃあ・・・・・・」

 

夕張が周囲の反応を気遣いながら、弱々しく声を上げる。彼女にしては非常に珍しい態度だが、発せられた推測を聞いてその理由が分かった。

 

「もしみずづきがその・・・・負荷を蓄積させた場合、深海棲艦になってしまう可能性は・・・・・・・・あると?」

「そりゃ、当然ありますよ。みずづきだって、特殊護衛艦ですから」

 

その言葉に「さっきの話は嘘か」と殺気すら帯びる怒りが沸き上がってくるものの、ショウの言葉を反芻し、とあることに気付いた瞬間、一気に沈静化する。

 

彼は言っていた。深海棲艦になることは“ほぼ”ないと。可能性を全否定していなかった。確実性を得るなら、あそこで安堵に浸らず問い詰めるべきだったのだ。自分の弱さにため息が出そうになる。自身が人間ではない。その事実を受け止めきれない。

 

「しかし・・・」

 

心の中に意識を閉じ込めていたが故に、その言葉は唐突に聞こえた。

 

「みずづきが深海棲艦になる可能性は“ない”でしょう」

 

そして、ショウの苦笑は大海原に身をうずめつつあったみずづきを思い切り釣り上げた。

 

「へ?」

「みずづきは周囲全てから蔑まれ、絶望の住人となっても、目の前で部下と上官の死を目撃しても、房総半島沖海戦を経験しても炉心に全く影響を及ぼしませんでした。精神が貧弱な者なら3回深海棲艦化のリスクを負う事象を経ても、彼女は全く持って平常運転。ここまでくればもうないと断言できますよ」

 

苦笑から失笑に変わったその表情が何より言葉の信憑性を確立させる。周囲に広がる無条件の安堵。みずづきもそれに片足を突っ込んだが、もう一方の足を浸しかけたところで止める。不意にあることに気付いた。

(なんか・・・・鈍感ってバカにされているような気がする・・・・・・)

失笑にしては嘲笑気味なところが確信を抱かせた。

 

「あとみずづきのみなさんのために補足しておきますが、彼女が身近にいるからと言ってみなさんのような普通の人間、艦娘に影響はありません。遺伝子は細菌やウイルスとは違いますので、手をつないだり、同じ食器を使用したりしても大丈夫ですし、キスや濃密な性的接触とかも何ら問題ありません」

「そうか。分かった」

 

さも当然のように日常生活において憚られる単語を挿入していたが、この場では誰からも卑猥な表現と咎められることはなかった。百石は司令長官らしい引きしまった表情で間髪入れずに頷く。この身に秘められた衝撃の事実を受けた今後の対応が不安であっただけに、みずづきの安全性と危険性双方を把握しようとする姿勢は嬉しかった。

 

彼の性格はこの半年間上官として仰ぎ、様々な出来事を通して十分に把握している。彼はただただ報告書を作り、東京の指示を仰ぐために情報を収集しているわけではない。もちろんそれもあるだろうが、みずづきを今後も部下として仲間として横須賀に置いておくための行動であることは容易に分かった。

 

涙腺のほてりを感じていると、ショウがこちらへ視線を向ける。放たれた言葉は諭すような優しいものだった。

 

「みずづき? もう一度いうが君は厳密な定義に基づいた人間でなくとも、常識に照らせば十分人間だ。深海棲艦の遺伝子が混ざっていようがご飯を食わなければ倒れるし、治癒能力でも対処不能な傷を負えば死ぬ。年も取る。感情の起伏も依然と変わりなし、喜怒哀楽もあるし、恋もできる。子供だって産むことができる。今までとなんら変わらない。ちょっと、体が頑丈になっただけだ。戦場に立つ者としては十分活用できるスキルだ。だから、そこまで悲観的になるな、みずづき。もし・・・・・・・・・・もし、あそこで炉心が君の存命を選択していなかったら、君はこの世界に来ることもなく、あそこで死んでいた。この幸運がどれほど尊い物なのか、君なら俺がいちいち指摘しなくてもいいだろう」

 

日向灘で空を見上げながら海に倒れ込んだ時、みずづきは「死」を受け入れていた。死を望んでいたわけでは決してない。

 

上官や仲間を失っても、家族がいた。帰るべき故郷があった。

守り続けなければならない、信念があった。

果たさなければならない、命令があった。

 

しかし、どう足掻いたところで「死」は確定した未来。もう覆すことは不可能だった。だから、受け入れたのだ。潔く、穏やかに人生を終えられるように。その前座は敵討ちの達成で整っていた。

 

しかし、そこで人生は終わらなかった。そのことに後悔しているか問われれば、答えは逡巡の余地すらない。

 

答えはNOだ。

 

死なずに済んだ。自分は生きている。これからも生を謳歌できる。その事実に嬉しくないわけがない。その幸運を噛みしめないわけがない。ましてや、自分は並行世界への転移という前代未聞の事象に遭遇し、大日本帝国海軍艦艇の転生体と出会い、ついには抱き続けていた信念が果たされていることに気付いた。

 

例えこの体が人の領域から足を踏み外しているのだとしても、それを経なければ貴重な経験も大切な想い出も育めず、(いただき)に辿りつけなかったとあらば、これも悪くない。

 

この先も限界まで生きていたいし、可能な限り知山の“命令”を果たし続けたい。

 

“生きろ”

 

そう言ってくれた、彼の想いを叶え続けたい。

 

みずづきは自身の身体を見る。そこにはもう嫌悪感は存在していなかった。

 

「それにその力はすぐに必要となるものだ。君が受け入れようが受け入れまいが、関係なく。・・・時間は残り少ない」

「え?」

 

真意をつかみかねる言葉。意味を正そうと口を開きかけたその時、ぐぐもった爆発音が空気と四方八方の鋼鉄製の壁と梁を揺らす。衝撃はない。ただ、木霊しただけだ。

 

「これは・・・まさか・・」

 

百石が血相を変えて、艦橋との直通電話がある整備工場へかけようと身をひるがえす。しかし、この一室どころか大隅全体に響き渡った警報音が彼の足を一時的に床へ縫い付けた。

 

「総員、対潜戦闘よーい!!」

 

自身がよく発する号令と同一の発令。軍人としての危機感が臨界点へ向け急上昇を開始した。

 

「っ!? 潜水艦の攻撃!?」

「はるづきは弱った獲物を逃さない。彼女は日本海上国防軍の艦娘であり、人類に創造されながら人類に牙を剥いた深海棲艦なのだから」

 

みずづきはその言葉を経て、真実を前にして意識から欠落していたMI攻撃部隊の現状を百石たちから把握した。

 

みずづきの大破とはるづきの出現、そして中間棲姫の撃破を受け、当部隊は在布哇泊地機動部隊の撃滅を断念し、一路本土へ向かっていること。

みずづきが大破してからそれほど時間は経過しておらず、いまだに当部隊はミッドウェー諸島の哨戒圏500海里を脱していないこと。

 

はるづき及び空母棲姫、空母棲鬼を要した機動部隊の所在を見失っていること、を。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

20年近く前の大震災で更地となった街。住民の憩いの場である公園整備と複数の漁港を集約し、効率化で過疎化に対抗しようとした拠点漁港計画は後者のみが生戦勃発以降の食糧増産要求を受け、実施。前者は街が更地になった6年後に再びこの国を襲った大震災の煽りを受け、動物と植物たちの楽園を前に事実上の破綻を迎えていた。

 

人間が支配する場所とそうでない場所。活気にあふれている場所と海水によって瓦礫と化してしまった建物の基礎が寂しく存在を閉じつつある場所。

 

海の上からはそれが良く分かる。その光景を見たが故、だろうか。

 

不必要な死を量産している、自分たちの居場所は果たしてどういう位置づけになるのだろうか。おそらく思考に表情が引っ張られたからだろう。

 

後ろから無線ではなく、直に声をかけられたのは。

 

「どうしたんですか? 先輩」

 

自分と同じく、この国で生まれ、生きてきた。この狭い島々で具現した地獄を知っているにもかかわらず、染みついた絶望を一切感じさせない無垢で、純粋な声。

 

それを聞くと心に巣食う闇が奥底に沈んでいく。

 

無言を無視と受け取って怒ることもなく、声をかけてきた部下は年相応の可愛らしい笑みを浮かべて、いつも通り手を差し伸べてくれた。

 

「なにかあったら言って下さいね。先輩にはお世話になってますから、いくらでも相談にのります」

 

その優しい心遣いに思わず、凝り固まった表情筋が緩む。

 

「もう・・・・・・。分かったわ。ありがとう。・・・・・・・・・・・」

 

彼女の名前を呟こうとして。

 

 

 

世界は残酷にも夢を切断した。

 

 

 

全身に広がる倦怠感と不快感に苛立ちながら、目を開ける。一面、自分たちに相応しい漆黒の闇。雲に大半を覆われた月がわずかにここが夢や意識の内側ではなく、現実であるということを示してくれる。

 

「深海棲艦も・・・・・夢を見るんだ・・・・・・・」

 

現在位置は穏やかな波に支配された海上。自分は器用にも立ったまま、寝ていたようだ。湧きだしてくる不思議な感慨に浸った後、周囲を見回す。そこには相も変わらない、現在の仲間たちがいた。

 

しかし、目を閉じる前と少し様子がおかしい。雰囲気がざわついている。どうやら彼女たちが仕掛けた網に獲物がかかったようだ。

 

「やるじゃん・・・・」

 

数か月の年月と膨大な血税を投じて造り上げたガラクタがスクラップとなり、中で小生意気に息巻いていた人間が、血を吹き出し、臓物をまき散らし、激痛に悶え、命乞いをしている情景を想像すると全身に快感が走る。

 

なんと気持ちいいことだろうか。

 

そして、これからその快感はさらに純度をあげる。舌なめずりをしながら、前方の空を見上げる。この艤装を前にしては虫けら以下のゴミに与えられるのは“死”のみ。

 

「ふ・・・ふふっ」

 

一刻も早く力を解放したい衝動に駆られるが、艤装の準備完了をしばし待つ。そして。

 

「さようなら」

 

感覚を楽しむようにゆっくりとボタンが押された瞬間、1つの煌々とした輝きが、海上を、深海棲艦機動部隊を、そして人の死を見たくてうずうずしているはるづきを照らす。

 

輝きははるづきの精神状態に関係なく自らの使命を果たすと一際大きな閃光をあげ、この世から消滅した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

瑞穂国 東京 海軍軍令部

 

 

緊迫と怒号が飛び交っている戦場から、渺渺(びょうびょう)たる大海原を隔て日常を紡ぎ続けている内地の中心、東京。だが、中心であるからこそ渺渺という距離的概念は無に帰さなければならないほどの障害物となる。無線技術の進歩と数多の屍の上に築かれた戦訓を得て構築された組織・体制はここ東京を、東京に所在する海軍軍令部を戦場に隣接した存在へ導いていた。

 

YB作戦の狼煙をあげたヤップ島攻撃から4日。約3万5000もの陸戦兵力と艦娘66を投じたYB作戦すら陽動としたMI作戦の大一番、ミッドウェー諸島攻撃が開始されてから丸半日。

 

国防省庁舎や陸軍参謀本部などと並び、この街を軍の御膝元「市ヶ谷」たらしめている西欧風赤レンガ造りの軍令部中央庁舎。その地下2階に設置されている海軍中央指揮所は深海棲艦機動部隊が奇襲攻撃を仕掛けてきた房総半島沖海戦序盤以来となる熱気と多忙に包まれていた。

 

あの時のようにこの世の終わりと言わんばかりの強張った表情を浮かべた者はさすがにいないが、軍令部各部署、連合艦隊司令部、航空戦隊司令部、陸戦隊司令部、艦隊司令部、後方支援集団司令部、各鎮守府司令部、統合艦隊司令部、そして陸軍、国防省から派遣されている将兵・官僚たちが自らの職務を全うするために静かな奔走をひっきりなしに継続している。その1つとして、中央指揮所のあらゆる壁、机上に張られた地図・用紙にはMI/YB作戦に参加している陸海軍部隊から収集した情報が休む暇もなく追加、更新され続けている。書き手には疲労の色が顕著だが、決して手は休めない。

 

その情報を、そして自身の部下たちから手渡された書類を睨みながら軍令部の局長・副局長・課長クラスの主要幹部が情報収集及び指揮を行っている。時刻は午後7時を少し回ったところ。ベラウ諸島は瑞穂と同じ標準時を採用しているため、時差はない。ミッドウェー諸島は瑞穂時間から一日を引いて3時間を加えなければならないので、12月23日の午後10時すぎということになる。この時間ならば作戦初日や山場を迎えていたり、不測の事態に直面していたりしていなければ、主要幹部たちはちょうど退庁する時間帯だ。本日最終の打ち合わせや荷造りをする光景が散見され、昨日と一昨日は比較的日常の法則に従っていた。しかし、今日に限っては誰も机から離れようとはしない。1人の例外もなかった。

 

ということは、なんらかの帰れない事情が生じたということ。その理由は彼らへほんの一瞬耳を傾ければ把握は容易だった。

 

机を深刻な表情で囲んでいる幹部の1人、軍令部次長松本勉はため息交じりに呟いた。

 

「みずづきが大破、か・・・・・・・」

 

その一報が知らされて既に数時間。しかし、波紋と困惑は際限なく広がり続けていた。

 

ここに軍令部、そして海軍のトップである的場康弘大将の姿はない。同時にこの場に最もいなければならない作戦局局長小原貴幸少将、副局長の御手洗実中将の席も寂しく天井の照明を浴びている。

 

彼ら三人は自らの肩書きと責務を放棄して退庁した訳ではない。彼らはしっかり軍令部にいた。ただ、いる場所が異なるだけで・・・・・・・。

 

「どうした? こんなところに仰々しく呼び出して。下からの憎悪や嫌味をどれだけこの私に集中させたいのだ?」

 

軍令部総長室。海軍のトップが執務と応接をこなすというだけあり、室内に存在するあらゆる事務用品・調度品はこの肥えた目でも感嘆を禁じ得ないほどの逸品。そして、逸品を逸品たらしめる清掃と手入れが行き届き、著名な絵画の中にいるような錯覚を抱かせる。

 

しかし、わずかに聞こえる繁栄の残響と目の前でこちらの問いを堂々と無視する2人の姿が情緒深い感覚を錯覚と切り捨てる。房総半島沖海戦以来、かつての威光を失いつつある海軍のトップは執務机の椅子に腰かけながら無言でこちらを見つめ、応接用のソファーに座っている年下かつ階級も下でありながらこの身の上司となっている男はただただ眼前にあるガラス製のテーブルに視線を縫い付けていた。その様子に苛立ち、視線を窓の外に向ける。

 

まだ昼の残滓を残している時季もある空は、12月という季節を前にすっかり夜に屈している。そのため、室内は天井に据え付けられたシャンデリア風の照明で照らされていたが、心なしか電球の寿命が間近に迫っているように感じた。

 

「お前には1つ、読んでほしいものがある。小原」

「はい」

 

唐突に声を上げたかと思うと、苛立ちを発露する前に小原が一枚の紙を押し付けてくる。部下とはいえ、階級が上の者に対してあまりに礼儀を欠いた態度。日常的にそうなら堪忍袋は平静を保っていただろうが、彼はいつも敬語で差しさわりのない他人行儀を貫いていた。

 

「き・・・貴様・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 

しかし、口から怒気が染み出そうとも彼の態度は変わらない。その恐ろしささえ感じる気迫が融解したマグマを一瞬で凝固させた。彼をそうさせている存在がこの、書類とは到底呼べない紙切れと悟り、しぶしぶ受け取る。こちらに背を向ける小原を視野の片隅で捉えながら、紙切れに目を通していく。

 

「な・・・・・・なんだと」

 

喉は潤っていたにもかかわらず、対立勢力と掴みあいの乱闘を繰り広げた後のようなかすれた呻きが漏れる。

 

手は衝撃のあまり痙攣し、無意識のうちに紙切れを皺だらけにしてしまう。だがそんなことどうでも良かった。文字さえ読めればどうでも良かった。

 

最後に「百石健作」の名が記されている書面には文字以外から意識を回収する強烈で悪質な誘引作用が込められていた。

 

全てを把握し終えた後、対面に構えている的場を射貫く。彼は決して表情をほころばせることなく、頷いた。再びソファーに腰かけていた小原が背中を丸める。その反応でこれが決して虚偽でも、誤報でもないことを知った。

 

「確認は取った。事実だ」

 

心中に浮かんだ疑問へ答えるようにこの部屋に入って、初めて口を開いた的場。先ほどまで笑顔を交えながら中央指揮所で指揮を取っていた者と同一人物であることを疑いたくなるほど、簡素な言葉には感情が乗っていなかった。

 

思わず、ため息が出てしまう。これを見て、わざわざここへ連れてきた意図に合点がいった。これほどの情報ならば、中央指揮所での開示など不可能だ。

 

誰が想像できようか。

 

みずづきと同型艦である日本海上国防軍特殊護衛艦が深海棲艦として、よりにもよってMI攻撃部隊に立ちはだかろうとは。

 

誰が導き出せようか。

 

深海棲艦となり果てたあきづき型特殊護衛艦「はるづき」の攻撃によって、あのみずづきが大破に陥ったなどと。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

誰が、あの推測を真実にまで昇華させたかったのだろうか。

 

深海棲艦は人の手によって創造された。

深海棲艦は日本世界に存在する何らかの勢力が関わって生み出された人工物、と。

 

瑞穂は、みずづきが出現して以降、深海棲艦が日本世界で創造されたのではないかという疑念をくすぶらせていた。日本世界が関わったという直接的証拠はなかったが、少なくとも深海棲艦に人の手が加わっている証拠は握っていた。

 

その特定管理機密を御手洗は知っていた。芽生えていた虚無感が急速に成長し、心の中に根と枝を気遣いなく広げていく。

 

“この戦争はなんだったのか?”

 

結局自分たちは人間の影を背負った存在と戦っていたに過ぎない。何の関係もないにもかかわらず並行世界の過ちを償っているだけに過ぎない。

 

しかし、御手洗は大木に成長しつつあった虚無感を根元から伐採し、枯れ葉剤を惜しみなく投入する。瑞穂海軍中将の1人として、作戦局副長として今、考えるべきこと。それはこの戦争のむなしさではない。MI攻撃部隊を、そしてゆくゆくは瑞穂全体を絶望に叩き墜としかねない新手についてだ。

 

それでこそ、祖国を護る軍人でありながら家族を守れなかった罪人はあの世で待っている存在に顔を合わせることができる。今まで散々犯してきた過ちを清算することができる。

 

「対処方針は? お前のことだ。・・・・・もう、伝えたのだろ?」

「ああ。・・・・刺し違えてでも即時撃滅を命じた」

 

“刺し違えてでも”の部分に万人では理解できないほどの感情を込める的場。その発言には食って掛からない。

 

艦娘31人、艦娘母艦2隻、給油艦2隻、膨大な予算と時間をかけて建造した第3統合艦隊8隻、そしてみずづきを加えた大戦力を犠牲にしてでも、はるづき及び在布哇泊地の敵機動部隊は葬るに値するほどの脅威だった。

 

「みずづきと同様の戦力を有する存在がもう1隻現れた。しかも、我々人類の殲滅を意図している深海棲艦側に・・・・」

 

うなだれる小原。作戦局局長及び少将の威厳は消え去り、クビになった会社員のような風体と化している。

 

みずづきは瑞穂世界より遥かに進んだ科学技術力によって、艦娘を含めた瑞穂海軍では太刀打ちできない強大な戦闘能力を有している。それはこれまでの演習、実戦で把握済みである。横須賀鎮守府の主力を相手に完勝を収めた第一回横須賀鎮守府演習。戦艦棲姫や空母ヲ級改flagshipを第三水雷戦隊ともども無傷で殲滅した石廊崎沖海戦。精密さを武器にした対地攻撃能力を見せた硫黄島での演習などなど。

 

そのみずづきと敵対し、あまつさえ戦闘に陥った場合の損害など考えるだけで末恐ろしい。その力の影響力は軍事的観点から見た戦術・戦略の領域に収まらない。みずづきがその気になれば、瑞穂の経済を大混乱に陥れることも、総理大臣の首を挿げ替えることもできる。

 

それほどの存在が“敵”に現れたのだ。戦闘能力はみずづきを大破に追いやったことで証明されたも同然。そして、はるづきは完全に深海棲艦。

 

殺人を愉しんでいる者ほど、戦う相手として怖い者はない。相手の目的は“殺す”ことなのだから。そこに倫理観や道徳観はない。

 

みずづきが瑞穂を絶望的な状況に追い込みかねない力を持ちながら、味方として名実ともに受け入れられている理由は、彼女がまっとうな人格の持ち主だからだ。対してこの紙切れを読むに「はるづき」にはみずづきとは逆の感情しか思い浮かばない。

 

これほどの脅威は一刻も早く摘まなければならない。失敗すれば、待っているのはあの頃の絶望だ。しかし・・・・・・。

 

「みずづきは戦闘不能なのだろう?」

「「・・・・・・・・・・・・・・・」」

 

脅威の排除には必要不可欠な存在を確認する問い。2人とも沈黙を続ける。

 

「みずづきがいなければ、特攻に等しい。お前らはMI攻撃部隊を敵の戦力評価に使う気か?」

 

それでも2人は答えない。さすがにここまでコケにされて感情が高ぶらないわけなく、意地でも口を割らせようと腹に力を籠める。そこで。

 

「おい、お前ら・・・・・・・」

 

この2人から決して出てこないと思っていた愚かな判断が脳裏をよぎった。

 

「一縷の望みにかけるなどと博打中毒も甚だしい真似を・・」

「それは違う」

 

これで沈黙を続けられていたら2人のうちどちらかの胸倉をつかんでいたが、そうなる前に的場が有無を言わさぬ迫力を持って断言した。

 

「この方針を向こうは了承している」

 

その言葉に目を剥く。

 

「あの学生が・・・・・・?」

「そうだ。詳しくは報告されていないが、現場の判断だ。なら、信じるしかないだろう?」

 

現場の裁定に全てを託す的場。その方針に異を唱えようとして、やめた。なぜなら、その方針によってこの身は今まで散々好き勝手な道を歩んでこられたのだから。この口にそれをいう資格は微塵もない。海軍軍人としてスタートラインを同じくし、いつまでも噛みついた背中を見せ続けた同期の気遣いが理解できないほど、御手洗は馬鹿ではなかった。

 

しかし。

 

「だが・・・・」

 

異議を腹の奥底に押し込もうとも決して納得はできなかった。今事態は現場に一任するにはあまりにも大きすぎる。MI攻撃部隊の運命は何も一部隊の範疇だけに留まらない。かの部隊の行く末は瑞穂の前途を占う試金石なのだ。

 

勝てば、加速度的に膨らむ輝かしい未来。

負ければ、徐々に森羅万象を暗黒に染め上げる絶望。

 

あまりにも、振れ幅が大きすぎる。

 

「私は百石たちを心の底から信じている。例え、相手がイレギュラーの塊でも、例え敵がこちらより強大でも、横須賀は、彼女たちは今日ここに至るまで数え切れないほどの奇跡を生み出してきた。だからやってくれると思っている。それでも軍令部総長として最悪の事態は考えなければならない・・・」

 

これだけ心中を身体の表層に現したのだ。こちらが何を思っているのか、当然的場や小原も悟ったのだろう。的場は海軍トップの風格をたたえた厳かな視線でこちらを一瞥した後、壁に掛けられている瑞穂地図を見ながら静かに告げた。

 

「既に呉、佐世保、舞鶴、大湊、幌筵の各鎮守府・警備府、及び海軍全航空隊へ迎撃作戦に基づく即時待機を発令。また、参謀本部、国防省、総理官邸への通報も行った。もうまもなくの国家安全保障会議では大本営作戦第1208号の再発動も視野に対応策が話し合われる予定だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

的場が適切な手を施していることへの安堵も一瞬。かつて瑞穂全土を佐影総理大臣の一言で戦時に引きずり下ろした大本営作戦第1208号、通称背水作戦と呼ばれる本土防衛作戦の名称を聞いた瞬間、体の内側に寒風が吹き抜けた。的場の言葉からは想像もしたくない推測しか導けなかった。

 

「上は敵による再度の瑞穂侵攻があると?」

「あり得ない話ではないだろう? 結局、本土上陸を目指した敵輸送船団は小笠原諸島近海で反転したため手つかず。オオトリ島攻撃時にも同島泊地にはPTしかいなかった。そして、房総半島沖海戦で壊滅した横須賀航空隊の再建はようやく始まったばかり。西太平洋の制海・制空権が完全に深海棲艦の元へ渡れば、いつでも私たちの喉元に小刀を突きつけることができる。やつらにとって房総半島沖海戦で瑞穂が疲弊している今が絶好の機会なんだ」

 

何も反論の言葉は浮かばない。もし、瑞穂太平洋沿岸で唯一の実働艦隊である横須賀の艦娘部隊、そして虎の子の艦隊である統合艦隊の一角が壊滅した場合、海軍が思い描いた構想、今まさに実働中の全戦術・戦略行動の破綻は免れず、関東は丸裸同然となる。他の鎮守府の戦力をやすやすと横須賀へ異動させることは戦力配置上非常に困難。横須賀航空隊の再建も30式戦闘機の生産ラインの多くが予定調達数到達を機にまだまだ生産が続いていた33式艦上攻撃機へ変更されていたこと、長大な時間と莫大な費用がかかり簡単に供給人数を増減できない操縦士育成の硬直性により、房総半島沖海戦から半年弱を経たにもかかわらずいまだ完了時期すら見通せない有様。現在は大湊をはじめとする他の航空隊からローテーションで派遣されてくる飛行隊によってなんとか関東上空の迎撃網を保っているが、多額の予算と時間を費やして整備完了した飛行隊を壊滅させた敵に到底太刀打ちできないことは火を見るよりも明らかだった。

 

横須賀がいなくなった状態で今侵攻を受ければ、瑞穂は確実に2700年の歴史の中に、凄惨な傷跡を残すことになる。

 

「事が事だけに松本たちにも伝えていないが、事態の推移によっては現状を開示する。そうなった場合、軍令部は再びハチの巣を叩いような大騒ぎになるだろうから2人とも心しておいてくれ」

「はっ!」

 

仏頂面を決め込んだ御手洗とは対照的に背筋を伸ばす小原。何がおかしかったのか両人を見てひそかに吹いた的場は視線を後方にある窓。そこから見える外界へ視線を送る。久しぶりに訪れた沈黙。それを終わらせたのは、こちらの気も知らないでクラクションを鳴らすタクシーでもなく、小枝で就寝の体勢に入っているスズメでもない。

 

意気揚々と輝く星を遮る雲。そこから連想できた、空気の読めない雲に美しい容姿を穢された月だった。

 

「しかし、勝っても負けても、俺はこの椅子に長く座れないな・・・・・」

 

こちらの思考へ割り込むように、名残惜しそうに豪華絢爛(けんらん)な椅子をなでる的場。その姿に言い知れぬ違和感を覚えた。

 

「何、弱気なことを言っている。軍令部総長ともあろう者が」

 

他者にどう思われようと自分なりの励ましのつもりだった。的場とはいつ知り合ったかも忘れてしまったほどの腐れ縁。いつもなら彼はこちらの真意を察し、苦笑するなり微笑する。

 

しかし。

 

「・・・・・・・・・・」

 

苦笑も微笑も浮かべない。的場は微動だにせず、ただ窓の外を眺めていた。

 

「おい。聞いて・・・」

「小原、退出してくれ。少し、御手洗と話がある」

「・・・・・・・分かりました。失礼します」

 

わずかな逡巡ののち、小原は総長室から出ていく。扉の閉まる音が、これまで歩んできた人生を区切ったような気がした。

 




ネタバラシともいえる暴露編は今回で一応、終結です。次回から3章のクライマックスに向けて走り出します。しかし、もうわかっておられる方もおられるかもしれませんが、3章はまだまだ続きます。

話は変わりまして・・・。
今週、艦これが5周年を迎えました。提督の端くれとしてお祝い申し上げます!

ロー○ンとのコラボイベントに
第二次瑞雲祭りに
サーバー異動届に
新艦娘の実装
改二の実装(←ここ重要)にと、艦これ6年目のスタートも濃密なものとなっています。今後とも艦これの航海が続きますように。


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89話 始動

今日からゴールデンウィーク4連休。休日の方、出勤の方、十人十色だと思いますが、本作は今週も平常運転で徐行です!


頭上で瞬く無数の星々のみが唯一の光源となった新月の夜。星々の光量は地球の衛星である月とは比較にならないほど弱々しい。それでも闇夜をわずかばかり昼行性の生物が活動できる環境を整えてくれる。また、弱々しいとはいえ光は光。数に物を言わせ地球に降り注いだ赤・青、白、黄色、金色の色彩たちは最終的に海面というこの星を生命に溢れる母なる星に昇華させた存在へ激突。反射を持って、海上を行く存在に別の光源を提供する。

 

ここがミッドウェー諸島西方の外洋ということもあり、絶えず上下する海面を前に足元の光源たちは疲れ果てていたが、それでも良かった。頭上から遥か彼方にいる光源たちが助太刀をしてくれていたから。

 

だが、万物が善と悪に区分されるように光源にも善し悪しがある。

 

頭上・海面の淡い光を無理やり押しのけ、昼間と見間違えるほど周囲を赤く照らす光源。そして、あちこちから海面に向かって照射される探照灯。新手を警戒しているのか、落水者を捜索しているのか。自艦隊の位置が敵に察知される危険を冒しても、探照灯は真っ黒な海面を照らし続ける。

 

もしくはもう秘匿は無理と判断したのだろうか。

 

「火災、収まらないわね・・・・・」

 

耳元の無線から、一般人が聞けばあまりの場違いさに茫然としてしまう幼い声が聞こえてくる。しかし、過酷な訓練と激烈な勉学、悲惨な実戦を経験した軍人ならば、一般人とは異なった感傷を抱くことだろう。

 

いくら幼い雰囲気を残そうとも彼女の声色には強固で荘厳な軍人の気配が漂っていた。

 

「そう、クマね・・・・」

 

無線越しでもひしひしと感じる艦隊の重苦しい空気。その空気を茶化すような口調が己の口から放出される。これは自分自身が鋼鉄の艦から人間と変わらない血の通った肉体に変貌していた頃には既に固定してしまっていた「地」だ。直そうとしても決して治らない地のため、普段は割り切って全く気にせず他人から聞けば奇異としか認識されない口調で話している。しかし、いくら地という免罪符を掲げても発言が憚られる場面は多々存在する。

 

今のような状況はまさしくそれだった。本当は無視を決め込みたかったものの、そうするわけにはいかなかった。自身は今、旗艦が不在のため当艦隊の旗艦代理を務めている軽巡洋艦。また、彼女とは日本で、そして横須賀鎮守府に異動して以来は苦楽と寝起きを共にしてきた戦友だ。

 

例え空気を険悪化させることになろうとも彼女の心中を察した上での無視など、心が許さなかった。

 

「・・・・・こちらMI攻撃部隊司令部百石。球磨、応答せよ。繰り返す、応答せよ」

 

身体の内側からいまだに夜空へ溶けていく黒煙を吐き出している船体に意識を向けた時、彼女の声に変わって、最も身近な男の声が聞こえてきた。

 

彼ならいかなる状況でもこの特徴的な口調に反応することはない。今まで散々艦隊や部隊を指揮する軍人から奇異の視線を送られてきただけに思わず胸を撫で下ろしたくなるが、眼前の光景が阻止した。

 

安堵を胸の奥底に押し込み、第六水雷戦隊旗艦代理に恥じない口調で応答する。そして、百石も。ここは安穏の日常を謳歌できる横須賀ではない。

 

どこに敵潜水艦が潜んでいるのかも分からず、どこから敵の夜間攻撃隊が襲い掛かってくるかも分からない、戦場だ。

 

「こちら、第六水雷戦隊旗艦代理球磨。提督、どうぞクマ」

「こちら百石。・・・・・第3統合艦隊(三統)司令部から報告は受けた」

「ん?」

 

沈みきったというよりは疲れ果てているようなしおれた声色。違和感を覚える。それは即座に、膨張。理性を吹き飛ばし、口を動かすほどの激流となる。

 

なぜだか、分からない。だが、百石がそうなった理由が無性に気になった。

 

「提督、どうしたクマ? なんだか様子がおかしいクマよ?」

「・・・・・・・・・・。いろいろ・・・・・あってな。本当にいろいろ・・・・・」

 

 

波間に消えていきそうな弱々しい言葉を最後に、百石は口を閉ざす。それだけでは到底欲求を満たすことは叶わない。理由を問いただそうと口を開きかける。しかし、百石が機先を制した。この状況で報告を求められれば、艦娘として上官への報告を優先するしかなかった。

「第7機動隊米雪へ雷撃を行った敵潜水艦は大隈よりの方位062、距離11000付近で球磨、響の爆雷攻撃で撃沈したクマ。浮遊物からソ級と思われるクマ。暁、響、雷、電の水中探信儀、魚雷の航跡から敵潜水艦は1隻と推定されるクマ」

「そうか・・・・・」

 

無線がゴロゴロとまるで雷を内包した積乱雲のような音を運んでくる。おそらく百石が吐き出した安堵が通信機のマイクにかかったのだろう。

 

「よくやってくれた。暁たちにも伝えておいてくれ。・・・・お前たちの被害は?」

「実被害は皆無だクマ。しいて言うなら爆雷が減ったことぐらいだクマ」

「実被害は?」

 

さすがは百石健作。さりげなく強調した部分を把握し、尋ねてきた。こちらから積極的に報告することが憚られる事柄であるだけに、百石の対応には感謝を抑えきれない。

 

「・・・・・魚雷は暁の至近から発射されたクマ。・・・・・・・・・ごめんなさい、提督」

 

目の前に百石はいない。しかし、球磨は自分たちが防げなかった魚雷攻撃で決して軽くない損傷を負った米雪に向かって、深々と頭を下げる。時折、聞こえる怒号と爆発音。それが旗艦代理、そしてMI攻撃部隊外輪に展開し、対潜哨戒任務を担っていた自分達への叱責に聞こえた。暁にも同様に聞こえていることだろう。

 

海に潜る潜水艦を魚雷発射前に見つけ出すことは難しい。相手が視認不可能な海中にいる以上、どうしても受け身にならざるを得ない。

 

それは言い訳でもなんでもない、対潜戦闘に従事したことのなる艦娘なら誰でも知っている事実。しかし、自分たちは無茶を承知でそれに抗わなければならない立場にいる。決して諦めてはならないのだ。にもかかわらず、結局自分たちはこれまで幾度となく繰り返してきた過去と同様にその事実に抗うことができなかった。

 

自分たちが発した絶叫を受け、暗闇の中、必死に回避行動をとる米雪の艦影が脳裏に瞬く。甲板を走り回っていた乗組員たちは魚雷命中による艦橋よりも高い水柱が上がってから姿を消していた。

 

だが、百石は声を荒げるようなことはしなかった。

 

「・・・・・・・既に起こってしまったことをとやかく言っても仕方ない。各艦は今、どうしている?」

「対潜攻撃で一時的に陣形が乱れたけど、今は元通りクマ。これ以上の被害を出させないため引き続き哨戒中クマ」

「了解。・・・・・・それでいい」

 

それどころかこちらの報告を聞いて、無線越しでも笑っていることが分かる柔らかい言葉を届けてくれた。疲れ果てているのもかかわらず、いつも通り。

 

「え?」

 

予想外の応対に思わず戸惑ってしまう。「どうして?」という疑問を漂わせるが彼はただ微笑。明確に答えてくれることはなかった。回答らしい回答は「暁たちにも伝えておいてくれ」だけ。

 

だが、百石がこちらに怒りや不信感を抱いていないことだけは分かった。鉛のように重たかった身体が少し軽くなったような気がする。

 

「もうまもなく、増援として三水戦を向かわせる」

「ほんとクマ!?」

 

思わず、歓喜に大声を出してしまった。米雪への雷撃からも露呈したように、いくら艦娘といえども通常艦艇12隻を有する艦隊を5隻で守ることは非常に困難。ここに川内たち第三水雷戦隊が加われば、艦隊の全周へ常時艦娘を張り付けることが可能となる。

 

「新手の反応は? 他に敵潜はいないか?」

 

声色から笑みを消し、先ほどのように尋ねてくる。球磨も口調に真剣さを取り戻して、否を告げる。現在のところ、目視範囲に潜望鏡が見えることもなければ、魚雷が走っていくこともない。目視に頼っている自身より水中探信儀を装備し、広範囲を迅速に走査可能な暁たちからも音沙汰はない。

(ここにみずづきがいれば・・・・・・・)

彼女の隔絶した対潜戦能力からそう思わずにはいらないが、所詮は無理な話。現在大隈にいる夕張を除いた球磨たち第六水雷戦隊は今朝大隅から出撃する背中を見て以来、彼女の姿を見ていない。みずづきが金剛たちに曳航されて大隅へ帰投したときも、第三水雷戦隊と協同して対潜哨戒、対空・対水上警戒を行っていた。しかし、度重なる大隅との交信で大方の容態は把握していた。

 

そんなみずづきに助力を願うなど、もはや感情を有する者のすることではない。この場は自分達のみで受け持つしかない。

 

「了解した・・・・・」

 

鈍重な口調。こちらが首をかしげる前にそうなった理由は百石自らの口から語られた。

 

「君には言っておかなければいけないな。・・・つい先ほど、出穂航空隊の偵察機が高速飛翔体とおぼしき攻撃で撃墜された」

「そ、それは!? ほんとクマか?」

 

肯定を意味する沈黙。暁から雷跡発見の報告を受け取った際と同様の悪寒が全身を無遠慮に疾走する。高速飛翔体。聞き慣れない単語だが、横須賀にいて、みずづきの能力を散々見せつけられた身に分からないはずがなかった。

 

高速飛翔体とはつまり、ミサイルだ。

 

「しかも、撃墜場所は当部隊からそう離れていない」

 

衝撃の大きさに、もはや言葉も出なかった。そして、唐突に現れた糸が潜水艦の襲撃と偵察機の撃墜を結ぶ。此度の雷撃によって米雪は外見上中破とおぼしき損傷を負った。右舷艦尾側には大きな破孔が穿たれ、船体の各所から炎と黒煙が上がっている。仮に米雪が自力航行不能に陥っていた場合、他艦が米雪を曳航しなければならないので必然的に艦隊の速度を落ちる。それはミッドウェー諸島から“退避中”という現状では“敵機動部隊に追いつかれる”という凶悪な危機感を煽るには十分すぎる威力があった。第六水雷戦隊も敵の陣容は知らされていた。

 

「海中も気になるだろうが、対水上・対空警戒も厳にしろ。MI攻撃部隊としての方針が決まり次第、報告する」

「了解したクマ・・・・」

「球磨?」

「・・・・・・・なんだクマ?」

「おそらく、明日は長い一日になる。・・・・・・・・・・・心しておいてくれ」

 

「何か質問はないか」という問いの後、それを最後の締めにするかのように大隈からの通信は切れる。海風に揺られる波音と海上を駆ける風音が再び鼓膜を揺らし始めた。

 

「・・・・・・暁たちに伝えないとクマ。・・・・こちら、球磨。みんな聞こえるかクマ?」

 

目の前に広がる漆黒の海面から目を逸らすように無線機を操作し、百石からの命令を伝達するため暁たちに呼びかける。

 

風で飛ばされないよう半ば無意識のうちに耳元の無線機を押さえている右手。それが不安で震えていることは球磨本人でさえ分からなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「・・・・・・・はぁ~~~~」

 

今朝のような張りつめた静寂でもなく、第一次攻撃隊からの電報に逐一反応するでもなく、はるづきの出現とみずづきの大破を受けた絶望による沈黙でもない。各員それぞれが己の職務に邁進するささやかな喧騒に包まれた大隅の司令室に、この場で最高位の人物のため息が木霊する。各所から訝し気な視線が背中に突き刺さるが、愛想笑いで誤魔化す気力もなかった。

 

「すまなかったな。引き続き任務を遂行してくれ」

 

耳当て型のスピーカとマイクを所定の位置に戻し、傍らで控えていたここの主である一等兵曹に席を譲る。「はっ! ありがとうございます!」と威勢はいいが、雲の上の存在である鎮守府司令長官のため息を今のような状況下で聞きたくなかったのだろう。口調とは裏腹に表情は気まずそうに歪んでいた。

 

こちらもできればため息など吐きたくはなかった。しかし、大切な部下の不安1つ和らげることができず、かえって煽る結果を招いてしまった己の不甲斐なさがどうしても許容できなかった。和らげる方法もないことはなかったが、これはまだ流動的。しかもこの場ではまだ言えない事柄だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

いつもは特徴的な口調と小動物のような仕草で不安や危機感が希薄とも思える球磨の怯える声を反芻しながら、流れるような動作で職務を再開した一等兵曹を眺めていると背後で気配が立ち止まった。

 

「百石長官? 全員、揃いました」

 

いつにもまして硬い緒方の声。もともと険しい表情をしていることが多い軍人だが、今日は相対する者の動揺を否応なく惹起するような影で覆い尽くされている。

 

彼の背後に揃った面々の陣容がこの認識の正誤を証明していた。司令室の中央に鎮座するミッドウェー諸島・ハワイ諸島とその周辺海域のみに限定した巨大な地図。端々に殴り書きを宿すその周りに五十殿(おむか)をはじめとする横須賀鎮守府幹部、大隅副長伊豆見広海(いずみ ひろみ)中佐、能登副長樋口友三(ひぐち ともぞう)中佐、第3統合艦隊首席参謀田所昭之助(たどころ あきのすけ)大佐以下MI攻撃部隊司令部を構成する各艦隊・各部隊の幹部たちが雁首を揃えて座っていた。

 

一人の例外もなく全員が、百石に視線を合わせている。

 

「では、はじめるとしようか」

 

場数と経験、階級、立場、そして司令室に漂う険悪な空気と合わさった視線は心の脆弱な部分をこれでもかと攻撃するが、全く臆せず堂々と口を開く。

 

「作戦会議を」

 

そう端的に発言して、用意されていた椅子に腰かける。緒方が席に着くと視界の正面、右翼、左翼は全て幹部で埋まる。その後ろを意識的に真正面のみを見つめながら、将兵たちが駆けていく。

 

彼らとは対照的に幹部たちは“作戦会議”と聞いた瞬間、一往に視線を眼下の地図に張り付ける。だが、現実は一瞬の逃避も許さない。地図のある海域。そこには下部に“出穂航空隊33式艦上偵察機撃墜地点”と記された×印がしっかり存在感を発揮していた。

 

それでも幹部たちは口を開かない。肌が血の気を失うほど拳を握りしめたり、表情筋を無意識のうちに痙攣させたり、瞑目したりただただ沈黙を貫くばかり。作戦の検討自体に反感を抱いているものすらいる始末だ。これがMI作戦の策定会議ならこの場においても胸を張って堂々と発言できる年齢ではない百石は声を荒げて、叱責していた。しかし、彼らの様子を見ても一切感情が煮込まれない。彼らの気持ちが分かるだけに百石は緒方に命じて、状況整理から開始した。

 

生唾を飲み込んだ緒方が粛々とMI攻撃部隊が置かれている現実を改めて、幹部たちに突きつける

 

「当部隊は現在、想定外事象の発生によるMI作戦中止に基づきミッドウェー諸島サンド島より西北西560km付近を瑞穂本土、横須賀基地に向けて航行中です。14時ごろに発生したはるづき艦隊との戦闘以降、敵との接触はありませんでしたが、つい1時間前の19時59分ごろ内側輪形陣右翼を航行していた米雪がソ級と思われる敵潜水艦の雷撃を受け、中破。現在のところ、死者21名、負傷者43名、行方不明者9名が確認され、機関室への浸水により全力航行が困難な状態となっています。また、40分ほど前に出穂航空隊所属の33式艦上偵察機が対水上レーダーで敵機動部隊を捕捉。しかし“高速飛翔体接近”の緊急電を最後に消息を絶ちました。ポイントは本部隊の後方324km、サンド島の北西135km付近・・・・・」

 

緒方が足元から取り出した木製の指示棒で地図上の×印を突く。その後、地図上を這ってMI攻撃部隊を表す凸型の駒との距離を示す。広大な大海原においては例え東京-仙台間に匹敵する距離も微々たるものだ。

 

「捕捉された敵艦隊は陣容から考察するに昼間に邂逅したはるづきを有する布哇泊地機動艦隊と思われます」

「・・・・・・ちくしょうめ」

 

敵機動部隊は2群から構成されており、規模は2個連合艦隊。

第1群主力艦隊は空母棲姫、空母ヲ級改flagship2隻、戦艦タ級flagship2隻、軽巡ツ級elite。護衛艦隊は重巡ネ級elite2隻、軽巡ツ級elite、駆逐ロ級後期型elite3隻。

第2群主力艦隊は空母棲鬼、空母ヲ級flagship2隻、重巡リ級flagship2隻、軽巡ツ級elite。警戒部隊は戦艦ル級flagship、軽巡ツ級3隻、駆逐二級後期型2隻。

 

合計24隻。はるづきを含めれば25隻の、大規模な機動部隊群。

 

金剛からの報告で敵の陣容を把握していた大隅副長伊豆見広海中佐はがくりと首を垂れる。これだけなら、田所もここまで絶望することはなかっただろう。もともと瑞穂は場合によってはこれと同規模の敵機動艦隊との戦闘も想定していたのだから。しかし、イレギュラーは想定できないからこそ、イレギュラーという。

 

はるづきの存在が、この場の大多数から勝算を奪い去っていた。布哇泊地機動部隊の撃滅を断念し本土への帰投を決断したのだが、現実は容赦がない。

 

「こちらの偵察機の存在が露呈してしまった以上、我々の位置は特定されたも同然ですな。この位置ならあきづき型の対空電探にはぎりぎり捉えられるはず。・・・・・・・・そうでありますよね? 百石長官」

 

左翼に座っている第3統合艦隊首席参謀田所昭之助大佐が視線を泳がせながら、尋ねてくる。

 

「ああ・・・・その通りだ」

 

低い声色の肯定を受け、あからさまに狼狽する田所。敵にこちらの位置を大声で懇切丁寧に教えることとなった偵察機。みずづきとの交流により、FCS-3A多機能レーダーの性能を把握していた横須賀鎮守府組の猛反発を押し切り、はるづきのFCS-3A多機能レーダーに捕捉される危険性を冒してまで33式艦上偵察機による夜間哨戒の実施を主張したのは、紛れもない第3統合艦隊側。田所だった。

 

彼らはみずづきの戦闘能力を書面でしか知らない、艦娘すら深海棲艦への有効打という漠然としたイメージしか持っていない“通常艦艇の海軍軍人”。第3統合艦隊司令官安倍夏一(あべ なついち)中将や参謀長の左雨信夫(さっさ のぶお)少将は俯瞰的で、思慮深い目を持っていたが、その下が食えないのだ。田所や田所経由で聞かされた主張にはいまいちみずづきの戦闘能力を理解していない、または誤解している点が散見された。そして、何より第3統合艦隊全艦艇を無事に本土まで辿りつかせたいという保守的で、消極的な姿勢が目立っていた。夜間哨戒の実施を声高に叫んだのも、要するに奇襲を受けて第3統合艦隊に損害が生じることを何よりも恐れたからだ。

 

部隊の損害可能性を局限化するという観点では一理ある。だが、最終的に漆原や緒方たちに詰め寄られようとも百石が夜間哨戒の実施を決断したのは一部隊の行く末などに頓着しない、大局的な観点からだった。

 

はるづきが今後、どう動くのか。これは百石はおろか東京も知りたがっている可及的な関心事項だった。ミッドウェー諸島に居座るなり、布哇泊地に向かうならそれでいい。しかし、もしこの後YB作戦発動中のベラウ諸島や瑞穂本土に接近されれば、房総半島沖海戦に匹敵する混乱を巻き起こしかねないことは明白だ。

 

敵の脅威度を重々承知しているにもかかわらず、哨戒や偵察もせずわが身可愛さで逃げ帰ったとあらば、売国奴のそしりを受けるが、それはそれ。だが、これは返って良かったのかもしれない。

 

「悲しいことに、敵潜の哨戒網にも引っかかってしまったようですからな。例え、はるづきが偵察機の発進挙動を監視していなくとも、当部隊の大まかな位置は敵に知られたはずです。しかも・・・・・・」

 

五十殿が広がり切った額を撫でながら、視線を落とす。

 

「我々は“足”を奪われました。もう・・・・・逃げ切ることは不可能です」

「偵察機の報告によると敵は32ノットの高速で本艦隊へ直進しています。雷撃により米雪が約15ノット程度しか発揮できないとなると、現在の彼我の位置から計算するに約10時間後には追いつかれます」

 

司令室に重苦しい空気が充満する。大破炎上など米雪が修復、航行不能の損害を被ったのならいざしらず、中破で15ノットとはいえ自力航行可能な艦を置いていく、つまり見捨てるという選択肢は誰の胸の内にもなかった。艦隊の中にそのような艦がいれば、いくら他の艦が全速航行可能といっても一番足の遅い艦に船速を合わせなければならない。そうすると艦隊の速力は15ノットということになる。これでは32ノットで猛追してくる敵からは絶対に逃れられない。

 

「敵はこうする為にわざわざこの海域に潜水艦を配置していたというのか?」

「まぁ、普通に考えればそうでしょう。ここだけに配置しているとは限りませんし。数打てばあたる、ですよ」

 

伊豆見の恐怖に樋口が肩をすくめる。彼はもう深海棲艦の狡猾さを割り切っているようだ。

 

「これで敵が俺たちのケツを追ってきたのか合点がいった。こうなることを初めから想定していたんだな」

「そして、我々はまんまと網にかかったと。笑えませんね・・・・」

「だから、偵察機にも手を出さなかったんだな・・・。って、待てよ」

 

とある幹部が顎に肘を当てる。ほとんどの者は深海棲艦にはめられたという脱力感にとりつかれていたが、彼の疑問は無視していいほど無価値ではなかった。

 

「はるづきはどうして、このタイミングで撃墜したんだ? あれほどレーダーがあるなら昼間のように回避して接近も可能。わざわざ存在を露呈する撃墜などしないほうが合理的では?」

 

その疑問はもっともである。こちらは敵に気付かず、敵はこちらを捕捉可能。奇襲攻撃による一方的な殲滅戦の土壌が整っていたにもかかわらず、敵はそれを自ら放棄した。普通の感覚で考察すれば不可解の一言に尽きる。だが、百石は彼女の口調と金剛たちの報告からその理由をなんとなく察していた。そして。

 

「あいつは俺たちに散々恐怖を味合わせて、なぶり殺しにしたいのだろうさ」

 

漆原も。

 

「もしくは、わざとこちらに存在を知らせて決戦を望んでいるのかもしれない。事実、みずづきは大破し、私たちには東京から布哇泊地機動部隊の撃滅が命令されている。日の入りまで存在した“撤退”という選択肢はもう・・・・・・・ない」

『・・・・・・・・・・・・・・・』

 

ある意味盛り上がっていた室内が一気に凍り付く。百石の報告を受けた瑞穂海軍軍令部、大本営、国防省、佐影内閣は布哇泊地機動部隊を瑞穂そのものの存続を脅かしかねない脅威と判断し、軍令部発の命令でありながら“内閣ノ意向ニ基ヅイテ”との一文が付与された命令文が無電で送られてきていた。米雪が被弾したあとに受け取ったが、既にこの場にいる全員はこれを知っている。

 

“刺シ違エヨウトモ、敵艦隊ヲ殲滅スベシ”

 

東京の強固な意志も同時に。

 

軍人にとって、命令は人命より重い絶対的な行動原理。無視は、あり得ない。そのため、MI攻撃部隊はその総力を挙げて、祖国への脅威を摘むため布哇泊地機動部隊を撃滅しなければならない。通常ならば、ここまで将兵たちを統率しなければならない一部隊の上層部が命令にやりきれなさを示すことは珍しい。

 

だが、戦闘の有無だけでなく、結果である勝敗までも既定路線であろうがなかろうがが、やることは変わらない。

 

「どうするんですか? みずづきが投入できない状態で勝利を掴むことが・・・、勝利の女神を微笑ませることができるんですか・・・」

 

今にも胃の内容物をばら撒きそうなほど憔悴しきった声。誰もその問いに答えない。理由はそれを否定できるほどの強固な確信と可能性を持っていないから。

 

あいにく、この身はそれを持ち合わせていた。急速に氷点を突破しつつあった空気。これを吹き飛ばしかねない可能性はこの手に握られていた。しかし、まだ言えない。起死回生の一打である以上、可能性というあやふやな状態では決して口にできない。膨れ上がった期待からの落胆は容易に人間の精神を回復不能のレベルまで揺さぶる。

 

だから、これは“可能性”から直接判断を聞かなければならない。作戦会議が予定通りの時刻に始まって30分少々。時刻は伝えてあるため、いつ来てもおかしくない。果たして、この場に来てくれるのか。そして、来てくれたとしてもどう答えてくれるのか。他人であり重傷を負った以上、彼女の決断は完全に予測できない。

 

祈るようにテーブルの下で手を合わせる。

(頼む・・・・)

 

心の中での懇願と室内に響き渡った扉のノック。タイミングは全くの同時だった。

 

「失礼します!!」

 

その覚悟に満ち満ちた叫びを聞いた瞬間、懇願と祈念は消滅。強張っていた身体からは力が抜け、椅子の背もたれに上半身の全重量を預ける。

 

だが、それも一瞬。扉の向こうから己の足で甲板に立っている力強い姿を見ると、闘志がひしひしと湧き上がってきた。

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

“みずづき、この通りだ”

 

第3統合艦隊所属、駆逐艦米雪への雷撃事案によって、喧騒に包まれた艦内をかき分け、随分と久しぶりに思える医務室へ帰投。待機していた看護師たちや赤城たちに手伝ってもらいながら、再びベッドに身をうずめた直後、緒方と共に司令室から戻ってきた百石はそう言って、人目を憚らず頭を下げた。

 

“ちょ・・・ちょっと、どうしたんですか!? 百石司令!”

 

下腹部の痛みを覚悟しながら発した驚愕。目を丸くした看護師たちは静かに医務室から退出。室内には百石と険しい表情を浮かべている赤城、長門、吹雪だけが残った。

 

分からなかった。

 

なぜ、横須賀鎮守府司令長官ともあろう百石がこちらへ頭を下げているのか。

なぜ、赤城たちが正反対の感情を交差させた複雑な顔色になっているか。

 

全く、分からなかった。

 

“いくら治癒能力があろうと君はまだ安静にしておかなければならないことは重々承知している。だが、それでも我々は君に頼らなければならない”

 

だが、出穂航空隊33式艦上偵察機撃墜などその後語られた「現状」でその疑問はきれいさっぱり解消した。

 

“私は撃墜と雷撃で我々が敵機動部隊に捕捉されたとみている。そして、撤退という選択肢はない。君にはできれば・・・・・・・・戦場に立ってもらいたい”

 

君がいなければ、勝てない。隠すこともなく深刻な危機感が彼の表情にはありありと浮かんでいた。そして、赤城たちにも。

 

敵の編成と深海棲艦と化したはるづきの存在。そこから導き出されるMI攻撃部隊の運命は例え故郷や歩んできた道そのものが異なっているとしても、百石たちと全く同じだった。そして、この身が戦線に復帰することで手繰り寄せられるかもしれない可能性も。

 

それが分かっていたからこそ、即答したかった。しかし、下腹部の痛みがブレーキをかけた。

 

善処と無謀は違う。決して両者を混同してはならない。

 

冷静沈着なもう一人の自分がそう諭してきた。今の状態ではあきづき型特殊護衛艦みずづきとしての力が、「お前のおかげなんだ」と長門が言ってくれた信念を発揮することができるのか。

 

“それは・・・・・・・・・”

 

自信はなかった。

 

“・・・・。無理強いするつもりはない。だが、答えは聞かせてくれ”

 

軍帽のつばを掴み、顔を隠した百石はそういうと緒方を引き連れて、医務室を退出していった。その背中はやけに小さく見えた。

 

 

 

「みずづきさん? みずづきさん?」

「あっ。・・・・・すみません、赤城さん」

 

傍らで果物ナイフ片手にリンゴを食べやすい大きさに切っている赤城。彼女の声で深層に潜り込んでいた意識が現実に帰還した。

 

「もうすぐ・・・・・できますから、待ってくださいね。潮さん? そこのお皿取ってくれるかしら」

「はい、分かりました」

 

にこやかに微笑んだ潮が仏頂面のまま対面のベッドに腰かけた曙の視界を一瞬だけ遮り、診察台などが置かれている診察エリアとベッドが4つほど置かれている病床エリアの間にあるテーブルに駆け寄る。その上には「調理室から拝借してきた」とリンゴと共に曙・潮が持ってきた皿が置かれていた。その一言以来、曙は口を開いていない。

 

静まり返った室内にリンゴの果肉を切断する爽快な音と陶器同士が接触する軽快な抗議が木霊する。先ほどまで吠えていた艦内放送はすっかり大人しさを取り戻していた。

 

それを破ったのは赤城の隣に座っている榛名の感心だった。赤城の手元と潮が運んできた皿の上に鎮座するリンゴに目を釘付けにしていた。

 

「うわぁ、赤城さん、お上手ですね」

「本当だ。食べる方に特化していた赤城さんがいつの間に新領域への進出を果たしていたんだ?」

 

榛名に呼応して、口調そのものでは分からずともよくよく言葉を吟味すると大変失礼なことを言っている摩耶。

 

「ちょっと摩耶さん!」

 

摩耶の隣で立っていた翔鶴が眉を顰めて、彼女の左腕をつつく。「なんだよ、翔鶴。事実じゃねえかよ」と余裕しゃくしゃくの様子で語る。だが案の定「あげませんよ」と満面の笑みで強烈な対抗手段に打って出た赤城の前には無力。「すみませんでした」と顔を引きつらせる。赤城はなぜか果汁で湿り、怪しく天井の照明を反射させる手元の果物ナイフをゆらゆらと揺らしていた。

 

「加賀さんに教えてもらったのよ。榛名さんたちが休んでいた時、私はただ座っていることしかできなかったから・・・・」

 

房総半島沖海戦とひとくくりに語られる本土防衛戦の中で生起した横須賀湾沖海戦。横須賀鎮守府及び艦娘部隊の壊滅を狙った深海棲艦空母航空隊とその阻止を目指した第一機動艦隊、第六水雷戦隊との航空戦で、赤城たちは横須賀航空隊第102飛行隊の支援もあり戦闘目的を達成するも、榛名・翔鶴・潮が被弾。入院を強いられた。

 

その折、赤城はよく加賀や瑞鶴、金剛を連れだって彼女たちを見舞っていた。加賀がウサギリンゴを作って瑞鶴と戯れていた話は金剛から聞いていたので、赤城の発言に違和感はない。

 

「よしっ。これで完成。加賀さんと比べればまだまだだけど、多めに見てちょうだいね。みずづきさん、どうぞ」

 

満面の笑みを見せる赤城。4切れのリンゴが乗った皿を渡してくる。

 

「あ、ありがとうございます! すいません、わざわざ・・・・」

「お礼なら、曙さんたちに。あの子たちがこれを持ってきてくれたのだから」

 

そう言うと赤城はベッドに腰かけている曙と「いえいえ」と謙遜している潮を見る。曙は相変わらずの仏頂面でこちらに一切、視線を合わせない。妹の潮とは対照的だ。

 

「さぁ、みなさんもどうぞ。さっき、夕食を食べたばかりだから大丈夫かしら?」

「さっきって、もう3時間近く前だぜ? 私はありがたくいただきます!」

 

赤城を貶していた摩耶が真っ先にリンゴを受け取り、みずづきよりも早く口の中に放り込む。そして、「うめぇ~~~」と安らかな笑顔。それにつられたのかどちらが先に取るか視線で譲りあっていた翔鶴・榛名・潮の三人も距離順で赤城から受け取っていく。

 

それを見届け、爪楊枝を指してリンゴを持ち上げる。医務部長道満からは「少量かつ胃に優しいものなら食べてもいい」と許可をもらっている。加えて、鈍痛に紛れて腹の虫も抗議活動の準備をしていた。

 

日が昇る前に口にした朝食以来の食べ物。自然にあふれ出てくる唾液を飲み込み、一切れの半分をほどを頬張る。シャリシャリと独特な咀嚼音を奏でた後、みずみずしかった果肉から奥ゆかしい甘みを宿した果汁が溢れてくる。適度に果汁を絞り出して、一飲み。リンゴが胃に落ちた後には喉の渇きと空腹をも同時に緩和する爽快感のみが残っていた。

 

みずづきの感想を代弁するようにあちこちから「美味しい」という単語が聞こえてくる。

(マジでおいしい・・・・・。これが食堂にあったってことはいつか知らないけど、出てくるってことだよね。これは期待できる。って・・・・)

 

そこで一時的に忘却を許されていた現実が“もう逃避は十分だろう?”と一気に押し寄せてくる。がたがたの断面から果汁を一つ滴らせた食べかけのリンゴが行き先を口から皿の上に変更する。

(そうか。もう・・・・・・・)

 

「みずづきさん?」

 

先ほどまでの和やかな口調は何処へ行ってしまったのだろうか。思考さえ妨害しそうな圧力を宿して、赤城が問いかけてくる。手元のリンゴから一機艦メンバーへ視線を移す。

 

そこにはいたたまれない空気に覆い尽くされ、理不尽で残酷な現実の前に必死に抗っている彼女たちがいた。

 

「いえ・・・その・・・」

「リンゴにとって酸素は天敵です。早く食べないと味が落ちしてまうわよ?」

 

そう言っていいつつ、赤城もリンゴを頬張ろうとしない。そして、みずづきに話しかけているにもかかわらず、こちらに視線を合わせない。顔は俯き、垂れた前髪からわずかに覗く表情は沈んでいた。

 

それではっきりと分かってしまった。赤城たちもリンゴを食べられる機会がこれで最後になるかもしれないという危機感を抱いていることに。それならば、百石のように戦線復帰を求めればいいものの、誰1人としてそのようなこと言う以前に思っている気配すらない。赤城も、翔鶴も、榛名も、摩耶も、潮も、曙も“自分自身”と向き合っていた。そこにみずづきはいない。みずづきに頼み込めば生き残れるという貪欲さもなかった。

 

ただ、これは“こちらの戦い”とみずづきを遠ざけていた。その姿勢は潔く眩しいが一方で悲しくなってくる。先ほどまで爪楊枝を持っていた手でお腹を撫でる。

(っ・・・・・)

鈍痛でありながら所々に突発的な鋭さを宿した悲鳴が脳に駆けあがる。これが赤城たちに気を遣わせている元凶だ。自分があまりにも不甲斐ない。はるづきの挑発に乗らず、あそこで摩耶に付き添われたまま素直に撤退していれば、不安と絶望の応酬ではなく、勝利に向けた建設的な議論を一同全員でなすことができたのだ。

 

自分がいなければ、MI攻撃部隊は壊滅し、やっと得られた居場所も帰る場所もなくなる。あきづき型特殊護衛艦として日本で瑞穂で数々の実戦を経験し、大海原を駆けてきたからこそ赤城たちの運命は火を見るよりも明らかだった。

 

はるづき一隻のみなら、みずづきがおらずとも圧倒的物量を有するMI攻撃部隊の勝利は間違いないだろう。しかし、今、はるづきには赤城たち艦娘部隊と同規模、もしくは上回るかもしれないほどの機動部隊がついている。絶対的なミサイルの傘と大威力の弾。対して赤城たちや百石はそれを吹き飛ばす暴風も、打ち返すバッドも持っていない。これではワンサイドゲームだ。抵抗の希望はない。

 

彼女たちの顔を見る。今は誰も固まっているが、横須賀鎮守府で、この大隅で、日常的に見せてくれていた眩しい笑顔の幻影が唐突に彼女たちの顔に重なる。

 

そして、その次に瞬いた光景は「沈みゆくたかなわ」と「最期に微笑むかげろう」、「岸壁に寝かされた無数の遺体」だった。

(こんなの・・・・・・・、もう2度と・・・・・・・・・見たくない!)

その対照的な2つの記憶がみずづきの自信を奮い立たせ、躊躇する心を消滅させる。

 

何を迷うことがあるのだろうか。少しでも迷ってしまった自分がひどく腹立たしい。ついさっき、改めて決意したばかりだったではないか。

 

“これまで信じてきた道を進む”と。例えその信念を抱くことになった原因が作為的なものであったとしても、抱くことになった苦しみの悲しみも全て本物。抱き続ける価値があると確信したではないか。

 

今がまさに再び訪れた防人としての真価を発揮する時。負傷していたとしてもそんなもの、逃避と躊躇の理由にはならない。

 

意識がある。腕が動かせる。頭が動かせる。足は無傷のためその気になれば歩くこともできる。やれることは無数にある。この手にはきちんと選択肢が握られているのだ。

 

確実ではないにしろ、彼女たちとこれから先も笑い合い、歩んでいける道。

確実に後悔と絶望を味わい、知山の命令をも守れず、ここで果てる道。

 

よって、どの未来を望むかはこの身次第。神でも天でも運でもない。この手が、この身が判断しなければならない。なら、答えは明白だ。腹から湧き上がってくる抗議を黙殺し、みずづきは選択を下す。可能性があるのなら、その可能性を高め100%に昇華させるために考えて、努力して、邁進する。決して諦めては、逃げてはならない。

 

最後の最後までこの信念を貫くため、防人としての矜持を果たすため。あの地獄を見て、奇跡で生かされ、この世界で様々な人々に助けられた1人の“人間”としてここでの停滞は絶対に許されないし、何より自分自身が自分自身を許せない。

 

「みなさん」

 

ゆっくりと、しかし大きくはっきりと言葉に覚悟を乗せて赤城たちに話しかける。それで察知したのだろう。ある一人を除いて、全員がこちらを案じるような視線を向けてくる。それを否定するように頭を横に振り、自らの選択を告げようとする。

 

「私は・・」

 

だが。

 

「やめさない」

「曙ちゃん・・・・・」

「恰好・・・つけてるんじゃないわよ」

 

唇を噛みながら声を震わす曙によって中断を余儀なくされる。曙は潮の問いかけを無視して、「やめさない」と言った意思を視線で突き刺してくる。

 

久しぶりに見た曙の表情。それは怒気すら含んだ口調と対照的に今にも泣きだしそうなほど悲し気なものだった。

 

「あんた、自分の身体でしょ? なら自分の状態が戦闘可能かどうかぐらいわかるでしょ。・・・・・・・無理よ、あんたには。まだ、完全に傷が癒えていないんだから」

 

彼女の言葉は何も間違っていない。道満からは全治3、4日。最低、明日一日は絶対安静が必要と言われているし、いまだに痛みは引かない。包帯が湿っていることから見ると曙の言う通りだ。そんな状態では身体に多大な負担を強いることになる戦闘など遂行できないと考えるのが普通だ。特に今回のような激戦が予想される戦闘には。

 

しかし現状はそのような甘えが許されるような情勢ではない。何より・・・・・・。

 

「だから、あんたはここで大人しく・・・・」

「しないよ」

 

仲間の死を座して眺めていることなど到底できなかった。だから、曙の言葉ははっきりかつ速やかに否定する。

 

「私は戦う。みんなを守るために、みんなと一緒に横須賀に帰るためにっ」

「みずづき・・・・」

「なん・・・・でよ」

 

目を潤ませる摩耶と曙。だが、同じ行為でも宿している意味は全く違う。唇を噛むだけでは飽き足らず睨んできた。

 

「負傷した艦なんて足手まといもいいとこ。独りよがりな決意で抱えなくても済んだ負担を抱えるこっちの気持ちにもなってみなさいよ。迷惑にもほどがあるわ」

「ちょっと、曙さん?」

 

琴線に触れたようで、珍しく赤城が鋭い視線で曙を睨みつける。一瞬ひるむものの、収まらない。

 

「状況に応じた適切な対応。これが軍人の基本でしょ? あんたは今けが人。そして、あんたが向かおうとしているのは戦場。一瞬の気の緩みや集中力の欠如で取り返しのつかない事態を招く。そして、それは本人だけには・・・・・・」

 

曙は長々と留まるところを知らず、話し続ける。普通に聞けば“足手まといは引っ込んでいろ”という配慮の欠片もない、拒絶。だが、彼女と知り合って約半年。もう、みずづきも曙の性格は熟知していた。だから、彼女がどのような感情に基づいて声を荒げているのか分かった。

 

「もういいよ。曙」

「は? あんたが良くても私が良くないのよ。現実を見ない愚か者にはこうして指摘してやらないと・・・・・」

「心配してくれてありがとう」

 

心の中で渦巻く彼女への感謝と愛おしさができる限り伝わるよう、最大限の笑顔を示す。果たして、彼女にはどう届いたのだろうか。曙はあんぐりと口を開けると俯いて沈黙。これで終わりではないと覚悟していたが、案の定「だから、なんで」とか細い声を発した後、勢いよく顔を上げ、食い掛かってきた。その拍子に照明の光を反射し不規則な光を放つ水滴が宙を舞う。

 

彼女の涙はいつ以来だろうか。

 

「あんたは・・・・・なんで他人ばかりを庇おうとするのよ!!!!」

 

涙腺の決壊による鼻と喉の異常を意地で抑え込み、声を張り上げる。

 

「馬鹿なの!? ねぇ!? 馬鹿なのあんたは!? そんな体で出撃なんかしたら、いくら治癒能力が人間の次元じゃないって言ったってただじゃ済まないに決まってるじゃない!!」

 

曙にはショウの元から医務室に戻ってきた際に、みずづきの身体に限定してショウから語られた事実が赤城の口から伝えられていた。その場には翔鶴以下、赤城と曙を除く一機艦メンバーもいたため、みずづきが厳密な人間ではないことは既に全員知っていた。その時、誰も衝撃のあまり、事の真偽を赤城に迫った。その中で最も取り乱していたのは曙だった。

 

“そんなの・・・・・。そんなのってないじゃない!!!”

 

この身を想うが故の怒り。それは胸に深く染み渡った。

 

「もう少し自分を大切にしなさいよ! あいつは・・・はるづきはあんた、あんただけを殺そうとしたっていうじゃない。はるづきはあんたを目の敵にしてる。行けば、確実に狙われる。あいつは・・・・・・・」

 

裏返ろうとする声。声帯を必死に誘導し、言葉を紡ぎ続ける。

 

「あんたを・・・・・・・・殺そうとする。私たちじゃ、それを止められない。あんたを守れない・・・・・・・」

 

曙は右腕で乱暴に涙を拭う。潮が優しく左肩に手を乗せるものの、まだ曙らしさは止まらない。

 

「だから、あんたはここで大人しくしろって言ってんのよ・・・・」

 

やはり、確信は間違っていなかった。そんな曙だからこそ、そんな仲間たちだからこそ、みずづきはこの選択をしたのだ。

 

「ありがとう、曙。でも、その忠告に従えない。私は行くよ」

 

そう告げると胸のちょうど腹部の辺りまでかかっていた布団をどかし、背中を預けていた背もたれから体を起こすと足をベットの脇に垂らす。それで何をしようとしているのか分かったのだろう。

 

「みずづきさん!?」

「何してるんですか!? そんなことしたら傷が!」

 

赤城と翔鶴が血相を変えて止めようとするも、手と力を入れた視線で制止。ゆっくりと足を地面につける。足裏から久々に感じる圧力。興奮と緊張を抑え込むため、何度も深呼吸。

 

「ったく、どいつもこいつも・・・・。ほら、手・・・・貸してやるよ」

 

頭を掻きむしった摩耶が目の前に立ち、両手を差し出してくれる。視線で謝意を伝え、彼女の手に自身の手を重ねる。摩耶はしっかりと驚異的な速度で治った手を握ってくれた。後は足と腹筋に力を入れるだけ。そうすれば、身体の回復を示すことができる。身体のあちこちで骨や筋肉、神経が悲鳴を上げるが意図的に無視。

 

そして、激痛に抗い、足に思い切り力を入れて立ち上がる。

 

「いたっ」

「みずづき? 大丈夫か?」

 

さすがに全ての感覚を裏で処理することはできなかった。腹部を震源とする痛みで顔が歪む。包帯が生暖かい液体を含んでいく感覚が正常に機能している感覚細胞から伝わってくる。摩耶が深刻な表情で問いかけてくるが、痛みに耐えながら無理に作った笑顔で「大丈夫」と答えた。

 

だが、予想以上に痛みが引くのは早かった。これも深海棲艦譲りの治癒能力のおかげか。「ふぅ~~~」と安堵する曙。みずづきが何故ここで立ち上がったのか、分かっているようでバツの悪そうな顔をする。対するみずづきはどや顔。

 

だからその問いは行為自体ではなく、行為を発生させた意思に向けられていた。

 

「・・・・・・・・なんでよ」

「その理由は曙も分かってると思うけど? あんただって、私と同じでしょ?」

「くっ・・・・・・・・・」

 

悔しそうに顔を歪める。

 

「あんたはもう少し自分を大切にしろと言った。でも曙だって、仲間が危険にさらされれば身を顧みずに助けに行くよね?」

「そ、それは・・・・・別に、そんなこと・・・・」

 

否定するような発言をしながら、顔を明後日の方向に向ける。分かりやすい反応に潮が苦笑。それをきっかけに赤城たちにも伝播する。

 

「なによ? あんたたち・・・・・。言っておくけど、私にとって・・・」

「私だって、死にたくない。でもそれと同等に人の死を、死を前に絶望する姿を見たくない。・・・・・・散々、見てきたもん」

 

自身の言葉を遮られ声をあげかけた曙だったが、みずづきを見て黙り込む。その想いの源流に何があるのか。日本世界の歴史をみずづきから直に聞いてきた赤城たちは知っていた。そして、だからこそ否定などできない。曙にすら不可能だ。その想いは単純に彼女の優しから生み出されたものなのだから。

 

「だから、私は行くよ。大事な乙女の身体にこんな大傷刻み込んだんだもの。仕返ししてやらないと気が済まないしね」

「あんたって・・・・・・、はぁ~~~~」

 

もう好きにしろと突き飛ばすように重いため息をつく。だが、表情はなぜか晴れ渡っていた。赤城たちにおいても同様である。お互いに顔を見合わせ、肩をすくめて「こいつらは・・」というように笑っていた。

 

「でもみずづきさん? その気持ちは大変嬉しいけれど、道満部長の判断次第よ? 道満部長が無理と判断すれば、私から直接提督に意見具申します」

「その心配はいらない」

『っ!?』

 

幽霊もびっくり仰天の唐突さで室内響く声。全員が一斉に声の聞こえた方向、医務室の出入り口付近に視線を向ける。そこには・・・・・。

 

「み・・・・道満部長!?」

 

苦笑を浮かべて後頭部を撫でている道満が立っていた。

 

「ど・・・どうして」

 

摩耶が顔を強張らせながら、人差し指で人を指す。御手洗あたりなら激高確実な行為だが、状況が状況だけに道満は反応しない。

 

「どうしても、なにも。ここは医務室だ。私がいて何がおかしい?」

「そうじゃない! いや、ありません! 先ほどの言葉はいかにも話を把握しているような口ぶりでしたが?」

「そりゃ、把握していた。扉越しに聞いていたからな」

 

盗み聞きしていたと素直に認める道満。怒りを覚えるものの、相手は軍医で大佐。こちらに対抗手段を講じる手立てはなく、摩耶が無念そうにため息をつく。

 

「君たちの同意も得ずに聞いてしまったことは素直に謝る。しかし、扉の前に立っていても普通に聞こえてくるほどの声量で話しているのもどうなのだね? ここは医務室だよ、医務室」

 

わずか一言で形勢逆転。こちらが叱責される立場となってしまった。道満の言葉にはどこにも誤っている点はないので、一同で素直に「すみませんでした」と頭を下げる。

 

「まぁ、おかげで君たちの意思を確認することができたからね」

 

道満は扉を開けたままみずづきの元に歩み寄ると、険しい表情に変えて視診する。訪れる緊迫の沈黙。そして、彼ははにかんだ。

 

「結論はさっきと変わらない。私がドクターストップを駆ける心配はいらない。・・・・・・許可しよう」

「ほ、ほんとですか!?」

「本当ならあと1日は安静が必要なんだがね。まぁ、特例だ。それに君に頑張ってもらわないと私たちもここで果てることになりかねないからね」

「良かったぁ~」

 

安堵のあまり全身の力が抜けてベッドに倒れ込みそうになる。しかし、背中から回された腕が直立を不動に固定する。体を支えてくれたのは立ち上がりを手伝ってくれた摩耶だった。

 

「良かったな、みずづき。これで俺たちにも希望が見えてきたぜ」

「ありがとうございます! 摩耶さん!」

「おう! それじゃあ・・・・」

 

摩耶は笑顔を浮かべたまま、開け放たれた扉を見つめる。そして、赤城たちと視線を交差させると威勢よく言った。

 

「行くか。提督の元に!」

 

それに対する答えはもちろん・・・・。

 

「はい!!」

 

威勢のよい応答だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

ベラウ諸島海域 

 

闇夜に浮かび上がる、赤い島。各所から立ち上った黒煙は海風の影響で1つにまとまり天高く上昇し、活躍の場の到来に歓喜している星々に容赦なくレッドカードを突きつける。瑞穂人にとってそれは本土の至るところに存在する火山の噴火を連想させる様相だ。島内に自生していたあらゆる植生を燃料とし吐き出し続けている灼熱の炎と暗黒の火煙は衰えを知らず、攻撃開始から3日半が経った現在でも常時炸裂し続けている砲弾と爆弾が新たな加勢となり島を焼け野原に変貌させている。

 

その穢れた光を船体の側面に反射させ、島同様暗闇の中でも明確な存在感を放っている一隻の軍艦。周囲には本来黒のはずの船体を赤に変色させている艦艇が5隻ほど確認できるが、その中でもその軍艦は「軍艦」と呼称するには目を引く大砲も機銃もなく、民間の船会社が保有している貨物船の趣を強くしていた。しかし、その艦は艦娘と呼ばれる艤装を身にまとった少女たちが深海棲艦対抗の切り札とされる現在の情勢では、一般的な軍艦よりも遥かに戦略的重要性を帯びていた。

 

大隅型艦娘母艦3番艦「島根」。山陰地方の島根半島より名前を授けられたこの艦の所属は西瑞穂太平洋沿岸を管轄海域とし広島県呉市に拠点を置く、瑞穂海軍5大鎮守府のうちの1つ、呉鎮守府。YB攻略部隊の司令部は佐世保鎮守府大隅型艦娘母艦2番艦「西彼」に置かれている。そのため、ベラウ本島西方沖に停泊しているかの艦よりは活気も取り巻きの艦艇も少ないが、呉鎮守府司令長官三雲幾登(みくも いくと)提督が座乗した立派な前線作戦司令部。

 

時間帯が時間帯のため艦内は灯火管制が敷かれ、外の方が明るいという奇妙な事態に陥りながらも各々の職務を全うしている。おかげで艦娘母艦として、一隻の瑞穂海軍艦艇として稼働している島根。呉鎮守府の前線司令部として活動を支えている司令室は窓がないため通常の蛍光灯が灯され、闇世の中、進行する作戦情報がひっきりなしに届いていた。

 

それを当直将兵たちが、室内に詰めている三雲以下、参謀部長山下智侑(やました ともゆき)中佐をはじめとする呉鎮守府幹部の顔色をうかがいながら適切な処理を施していく。

 

「第二海上機動旅団司令部よりYB攻略部隊司令部経由で砲撃支援要請。ペリリュー島南部、旧ペリリュー海軍飛行場滑走路北端に構築された敵トーチカ群。当トーチカが第1大隊第3中隊の前進を阻んでいる模様」

「滑走路北端?」

「この位置です。敵撃破は瑞雲による爆撃の場合が容易と考察されますが、第1大隊もそれは承知のはず。にもかかわらず砲撃支援を要請してきたということは伊勢や日向の35.6cm、足柄や羽黒の20.3cmほどの威力がなければ撃破できないトーチカではないかと」

「そうだな・・・・。第三遊撃部隊(三游部)の現在位置は?」

「ペリリュー島、西浜沖13km! 現在、第3大隊作業中隊の要請を実行中。8分後に達成の見込み」

「よしっ。伊勢に打電。砲撃支援要請に基づき、第3中隊の前進を妨害している敵トーチカ群を粉砕せよ」

「了解」

 

聞いている限り、順調に進んでいるペリリュー島攻略。しかし、同じ室内でも、当直将兵たちと呉鎮守府上層部との間に漂う空気には天と地ほどの差があった。

 

砲撃を至近で食らったのかと心配してしまうほど髪の毛を乱し、目の下に黒々とした隈を刻み込んだ三雲。彼ほどではないものの、一往に深刻な表情の幹部たち。彼らはペリリュー島ではなく、ここから約5600km離れたミッドウェー諸島及び布哇諸島の地図をテーブルの上に乗せていた。ミッドウェー・布哇間の所々にひかれた直線。複数あるそのうちの2つに×印がつけられていた。

 

「伊168と伊19からの定時報告が途絶えて丸5日。敵に見つかったとしても遅すぎる」

 

もともと落ちていた肩を益々落とす三雲。他の鎮守府や司令部の指揮官や部下たちが見れば“指揮官失格”の烙印を押されかねない光景だが、彼を取り巻いている部下たちの中でそう思っている者は誰もいなかった。誰でも懇意にしている存在が、生存の絶望的な状況に置かれれば憔悴する。伊19もそうだが、伊168と三雲は呉鎮守府所属艦娘の中でも特に親密な間柄で、これは呉鎮守府将兵の間にも広く知られた事実だ。彼がどれほど彼女を信頼しているかは伊168が秘書艦を務めていることからも分かる。かといって、後生大事にそばに置くわけでもなく、必要性があらば三雲は伊168を他の艦娘たちと同様に出撃させている。

 

房総半島沖海戦での雪辱を晴らし、深海棲艦によって奪われた国土を奪還する一大作戦。しかもあの作戦の再来であるMI作戦で責任重大な敵機動部隊捜索網の構築を任されたとあっては士気が上がらないわけなく、潜水艦娘たちは勇んで呉湾から出撃していった。彼女たちが見えなくなるまで岸壁から見送っていた三雲の姿は多くの将兵によって目撃されている。

 

それから約2週間。三雲を、そして呉を取り巻く事態は深刻さを増していた。

 

1つは敵機動部隊のMI攻撃部隊への肉迫。これを呉鎮守府が受け持っていた哨戒網は一切捕捉することができなかった。呉としては「はるづき」の存在が哨戒網を事実上無効にしたと推測していたが、早くも海軍の各所から呉鎮守府への非難が上がり始めている。

 

2つ目は伊168と伊19の消息不明だった。潜水艦娘たちには情勢把握のため1日に2回、呉鎮守府に定時報告を行う旨が通達されていた。事実、ミッドウェー諸島東方海域で哨戒にあたっている伊58、伊8、伊401からは滞りなく報告が入っている。敵が至近に存在する状態で浮上を伴う報告を行えば捕捉されるため、報告の中止もが容認されている関係上、報告が滞ることはそれほど珍しいことではない。今までもそのような事案はあった。しかし。

 

「そうですね・・・・・」

 

三雲の呻きに山下が応じる。丸5日間も報告がない事態は初めてだった。さすがに5日間も敵の対潜部隊に追い回されているとは考えにくい。戦闘で通信機器が破壊され、報告を行えない状態の可能性もあったが、伊168と伊19の哨戒ラインははるづきを擁する敵機動部隊が航行したと思われる航路と重なっている。大隈の報告でははるづきはみずづきとは同列視できない完全な深海棲艦と化しているとされていた。そして、はるづきはみずづきと同等の捜索・戦闘能力を持つと言う。

 

呉鎮守府の上層部にも見た者を例外なく椅子から転げ落すほどの衝撃を宿したみずづきの能力は知らされていた。

 

もし、はるづきに伊168たちが捕捉されていた場合、生存は・・・・・厳しいだろう。

 

それは三雲を含めた全員の共通見解だった。口には誰も出さないが。

 

「川田? 伊58が報告してきた新手について、MI攻撃部隊には報告しただろうな?」

「はっ。緊急情報でしたので中佐の裁可を経た後、即座に通報いたしました」

 

山下の対面に控えている通信課長川田友臣(かわだ ともおみ)中尉が鬱屈な空気を払うように、深夜にもかかわらず覇気のある回答を寄せる。通常ならば、これほどはっきり答えられると「そうか」で別の関心事項に移行する。しかし、世の中には何かの意思が働いているとしか思えない不自然な事象が多々存在する。

 

並行世界証言録、そして艦娘たちの話の中にもそれはあった。

 

「大隅は艦橋が低い。無電が届いていることは確認したか?」

「はい。小生も中佐と同様の懸念を抱いておりましたので、部下に大隈からの受諾電報受信の確認を取りました」

 

安堵を抱きたくなるが、まだだ。

 

「一度しか打ってないだろう? もう一度打つ必要性は?」

「現在、MIは軍令部の命令を受け、敵機動部隊殲滅作戦を企画・検討中です。既に先ほど申し上げたとおり、大隈は無電を受信していますから、同じものを2度、3度と送るのはあちらに負担と混乱を生み出しかねません。よって、必要性はないと判断いたします」

 

川田ははっきりと断言する。相手はおそらく瑞穂海軍の歴史の中で最強の敵機動部隊。それを葬る作戦だけに今頃、大隅や各艦は大わらわだろう。通信班も多忙を極めているはずで、そこに不必要な無電を送るのは迷惑以外の何物でもない。既に大隈が受信したことは確認されている。

 

山下は川田に「お前の言う通りだな」と応じ、安堵のため息を漏らす。

 

「これでミッドウェー諸島海域に存在する敵艦隊は空母棲姫を旗艦とする1群と空母棲鬼を旗艦とする2群と合わせて3群。無事に乗り切ってくれよ・・・・・」

 

もうこれ以上、犠牲が生じないように、犠牲によって途方に暮れる者が出ないように山下は誰にでもなく祈る。

 

 

 

 

 

 

だが、何かの意思が働いているとしか思えない不自然な事象がよりによって現在生じていたとは誰もまだ気付かない。




誤字・脱字が絶えない作者ですが、とあるつじつまが合わない部分は“わざと”です。

ただ、なんの意思も絡んでいない普通の間違いもあると思いますので、気づかれた方はご一報くださるとうれしいです。


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90話 大戦の理由

運営はついに、現世の魑魅魍魎どもと手を組んだか。
・・・・・・あれ、前からかな?


我がMI攻撃部隊は総力をもって、深海棲艦布哇泊地機動部隊を撃滅する。

 

司令室に現れたみずづきと第一機動艦隊の意思を受けたMI攻撃部隊総指揮官百石健作の決断。詳細は追って伝えるとしつつも、それの明確な方針は即座に全艦、全艦娘、全将兵に通達された。

 

みずづきの被弾を前にした沈黙から一転、米雪への雷撃を受けて大わらわとなったMI攻撃部隊。それが今や応急対処・対潜警戒から次作戦の準備へと全く別の達成目標に向けた慌ただしさに180度変わっていた。

 

指揮を任されている艦の状態を万全にしようと打ち合わせを重ねる艦長以下、艦の上層部。各艦との調整・連絡事項の伝達に走り回る横須賀鎮守府通信課員、各艦の船務科員。弾薬の補給・確認、火器の点検を暗闇の中でも順調に行う砲術科・水雷科員。どこも「暇」など微塵もない多忙さだが、地獄ではない。

 

「地獄のような」と形容されるほどの忙しさ。作戦の主体となる艦娘たちが身にまとう艤装の点検、整備、補給を一手に司る大隅の整備工場はMI攻撃部隊の中でも類を見ない、まさしく地獄のような忙しさに包まれている。ここは野球場かと指摘したくなるほどの怒号と喧騒、慌ただしさに浸食されつくしていた。

 

「整備も補給も装弾も全て終わってるんだろう!? だったら、最終点検と弾薬・装備の確認だ! 次の戦闘は大規模な航空戦が予想される! 三式弾を忘れるな!」

「二機艦の艤装は第二に置いてある! 能登組はそちらへ向かってくれ! おい! 都木! 案内してやれ!」

「了解!」

「目ぇかっぽじって、些細な傷も見逃すな! 万全な状態で艤装を渡し、彼女たちに活躍してもらってこそ、工廠員の誉となる! 分かったか!」

 

いつもの例にもれず、忘れ油や煤で全身を真っ黒に染まりながらも、檄を飛ばし、疾走し、無言で艤装や工作機器と向かい合い、書類片手に会議を重なる整備員たち。そこに階級による差は一切存在しない、責任者の大隈船務長に代わって陣頭指揮にあたっている漆原も一兵卒と同様の装いだ。

 

己が使命を全うとしている点は脳内を思考で埋め尽くした将兵に踏み潰されないよう気を遣いながら足元をテコテコと駆けていく妖精たちも同じ。そして整備工場に隣接する事務所に陣取り、配下の妖精たちに指示を出し、仲間と議論を重ねている赤城以下空母艦娘たちも同様であった。漆原を筆頭とする工廠員、艦娘たちには撃滅方針のみならず、撃滅作戦の大枠を伝えてある。彼ら・彼女らはその大枠にのっとって、勝利を掴むための準備を進めていた。

 

「加賀さんと瑞鶴さんの進捗状況は?」

「既に再編成は完了しました。現在、機体は弾薬・燃料の補給中。妖精たちは各中隊・小隊に分かれ、隊長妖精から戦術説明が行われています」

「私たちは今朝の戦いで先陣を切った影響で航空隊の損耗が激しくて、再編成しても戦力が心もとない。誰か融通が利く機体とか余ってないですか?」

「瑞鶴! わがまま言ってはいけません! みなさんも私たちと同じ状態なのよ」

「後輩の要望はできればかなえてあげたいけど・・・・・。無理、かな。蒼龍は?」

「もう! 飛龍! あなただって知ってるでしょ! 私だって、いくらサンド島担当だったって言っても、相手は中間棲姫を配置した布哇泊地の前哨基地。対空砲火で少なくない機体が撃ち落とされたの。他の子に回す余裕は・・・」

「その点については大丈夫。今回、私たち空母艦娘は再編成される空母機動艦隊で6人全員が集中運用されることになっているわ。艦隊ごとの個別運用ではないから、協力し合っていきましょう! あっ・・・提督と長門さん」

 

ガラス窓越しにこちら気付いた赤城が軽く会釈してくる。それによって、加賀たちも気付いたようで加賀と翔鶴は赤城と同じく会釈を、瑞鶴、蒼龍、飛龍は対照的にまるで艦娘同士で行うように手を振ってくる。傍らにいた長門が3人を「失礼だ」と視線で睨みつけようとしたため、咳払いで制止した。

 

「提督・・・・・」

「まぁ、いいじゃないか。いつものことでもあるわけだし」

 

そう言って、それぞれの性格が表れた彼女たちのあいさつに応えるため、軽く手を上げる。それを確認した赤城たちは再びお互いに顔を突き合わせて、打ち合わせを再開する。その表情は歴戦の正規空母たる風格を漂わせる凛々しさにあふれている。

 

「・・・・・・・さすがだな」

 

彼女たちの表情を見ると、つい心に浮かんだ感慨が口に出てしまう。敵はあのはるづきを擁する強力な機動部隊。みずづきがいようとも激戦が避けられない相手だ。怖気づいても罵声など浴びせられない状況だが、彼女たちは決して悲観的にならず勝利だけを見据えている。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

長門もそのような彼女たちの様子に、そしてここに来るまでに見かけた、艦隊ごとに集まって話し合いを行う仲間たちの様子に思うところがあるのだろう。真剣な眼差しで赤城たちを見つめていた。

 

しかし、こちらが足を踏み出すと赤城たちから正面、整備工場内でありながら人気が少ない最奥に視線を向ける。ここにやって来たのは整備工場を視察することでも赤城たちを激励することでもない。正面に相も変わらず存在する、物品保管室。そこにいる、もはや人と認識しても構わないであろう人物に会うためだ。MI攻撃部隊の最高指揮官が艦娘たちのトップである秘書艦を連れて、このような大事な時勢にあえて訪れた目的。

 

それはこの先に生起するであろう戦いを超え、深海棲艦と人類との戦争そのものを左右しかねないほどの事柄を彼に聞くため。

 

「おや? どうされたんですか? またここにおいでになるとは?」

 

百石と長門の登場に困惑した様子を見せながら、モニターの電源が入った状態で悠々自適に椅子に座っていたショウ。先ほどは天井に隠れていたシャッターが存在意義を発揮していたため、やむなく脇にあった扉を開けた瞬間、彼と目があった。本来、皺が刻まれていなければならない顔には笑顔が浮かび、困惑を示しているのはわざとらしい首の動きと口調のみであった。

 

それを見て、誰が彼の言葉を鵜呑みにできるというのであろうか。

 

「はなから分かっていたくせによく言う。本当に君は人間と変わらないな」

「横須賀鎮守府司令長官ともあろうお方から皮肉という名のお褒めをいただけるとは、恐悦至極でございます」

 

心底嬉しそうに微笑みながら、頭を下げる。その動作を見てあからさまに脱力感を示しながら、長門が一際大きな音を立てて、扉を閉める。この瞬間、この部屋は数え切れない将兵と妖精たちが行き交う整備工場から隔絶され、3人しか存在しない閉鎖空間となった。

 

人一人の通過を前提に設計されていたとはいえ、面積と比較して多くの喧騒を届けていてくれた接続領域が封鎖されたためであろうか。艦内としては広い部類に入る物品保管室の空気が一変した。

 

「・・・・・・・・みずづきの様子は、どうですか?」

 

一変したのは空気だけではない。一見すると先ほどまでと同じ表情・口調と判断できるショウ。だが、彼も空気と同様に変貌を遂げていた。声のトーンはより一層低くなり、漂ってくる雰囲気に涼しさが混じる。

 

その変化もさることながら、彼の問い自体にある確信を抱いた。

 

「今、医務室で最終検査を受けている。出撃が決まったからな。日本には到底及ばないが我々が持ちうる手段を尽くして、彼女の背中を押しているところさ」

「・・・・そうですか」

「みずづきが無理を押して出撃すること・・・・・・・・・、分かっていたな?」

 

頬を掻くショウ。長門は何故それを・・・・・、ずっとここにいながら敵機動部隊撃滅作戦が控えていることやこれにみずづきが参加することを知っていると言いたげな表情をしていたが、百石は彼女ほどの動揺は覚えなかった。ここは見渡せばわかる通り、艤装や工作機械の部品、工具などが保管されている物品保管庫。みずづきの艤装が置かれているとはいえ艤装本体には施錠がなされているため、特段出入りの規制は行っていなかった。大方、敵機動部隊の存在など昼間に収集した情報とここへ入ってきた将兵や妖精の会話、表情を合算した結果だろう。

 

「そりゃ、まぁ・・・・。何年、あの子を影から見守ってきたと思ってるんですか? 彼女の性格は大体把握してます。お人好しで意思が固くて、自分の気持ちに気付かず、自分がお人好しであることすら気付かないほどの鈍感ちゃんであることは」

 

肩をすくめて、苦笑する。

 

「それに俺、一応AIですから」

「・・・では、私たちがここへ来た理由も把握していたりするのか?」

 

「ほうほう」とショウの発言に相槌を打ちながら、長門が柔らかさの中に強烈な鋭さを持った視線で彼を射貫く。暁たちあたりなら泣き出しそうな視線に動じるどころか笑みを深くしたショウはこう言った。

 

「ええ・・・・・・。深海棲艦のことについて、ですよね?」

 

彼の口ぶりや表情からから分かっていたことだが、できれば思考がお見通しという事実を証明してしまう推測は外れてほしかった。しかし、推測は正解。肌を刺激する緊張感に呼応して心拍数がゆっくりと着実に上昇していく。

 

「もっと、正確に言えば、日本世界の深海棲艦と瑞穂世界に存在する深海棲艦の関係性について」

「・・・・・・・ご名答だ。何もいうことはない」

 

全身の血管が先ほどより激しい収縮と弛緩を繰り返しているというのに、自然と笑みがこぼれてくる。機械に敗北する人間。つくづく、日本世界の恐ろしさと凄さを感じる。

 

「当たってて何よりです。しかし、これについて、俺からお伝えすることはもうないのでは?」

「どういうことだ?」

 

いくら時間を作ってここへ足を運んだと言っても、この身はMI攻撃部隊の指揮官。長門は艦娘部隊全てを掌握し、こちらの職務を補佐する秘書艦。現在の情勢では一分一秒が惜しいことに変わりはない。必死に時間を作った努力を否定するかのような突飛な発言。長門が真意をただす。

 

「具体的な理由は分かりませんが、あなた方は深海棲艦が日本世界の創造物であるのではないかという疑念を持たれてた。はるづきが現れる前から、そして俺があなた方の前に姿を見せる前から。・・・・・・よほどの証拠があったのでしょう?」

 

最後に強調された疑問符が自然に視線を長門へ向けさせる。そして、長門もこちらを振り向く。交錯する2つの視線。彼女もショウの要求を察知していた。

 

“どうしますか?”

 

そう無言で問いかけてくる。ここには3人以外誰もおらず、シャッターと扉が閉められた状態ではかなりの大声を上げなければ、外に漏れることはない。

 

いつの日か。横須賀鎮守府の執務室で長門に打ち明けた特定管理機密。これは百石であれば軍令部の許可なしに他者へ開示できない代物。そのため、開示の有無を悩む余地すら本来はない。だが目の前にいる人物は、この状況はいかなる法令も規則も想定していないイレギュラー。そして、今後の瑞穂とこの世界の命運を左右しかねないほどの情報を握っている。

 

特定管理機密の存在意義は端的に言えば、瑞穂の国益を保護し追求すること。

 

瑞穂の国益となる情報をより引き出すために特定管理機密を開示する行為は法治主義に犯された上層部とて認めざるを得ないだろう。それに彼は瑞穂世界ではSFや空想科学小説にしか見られない存在。日本世界では莫大な情報を内包し、光速で全世界のあらゆる場所に転送が可能なインターネットと呼ばれる光速通信網に接続し、多種多様な情報を集めていた。

 

日本世界の真実や深海棲艦の正体は明らかに特定管理機密相当の情報。彼の前に特定管理機密はただの言い訳だ。よって、百石は開示を決断した。

 

「ちょうど一年ほど前。多温諸島奪還作戦で奪還された大宮島にて信じられないものが発見された。あれは海岸だったか・・・。人間の女性のような骨格・容姿を持ちながら、白髪に、死体のような白い肌といった我々が散々戦ってきた人型深海棲艦と同じような特徴を持った死体。同島に上陸していた専門家の見分でそれは・・・・・戦艦タ級の上半身であることが判明した。瑞穂、いや少なくとも瑞穂政府が把握する世界初の事態に、誰もが専門家の誤認を疑った。だが、大宮島に設けられていた臨時研究所で徹底的な調査に掛けられても鑑定結果は、判明した事実は、所見と変わらなかった」

「具体的には?」

「骨格も、内臓の配列も同じ。皮膚には毛細血管はもちろんのこと汗腺や神経線維が張り巡らされ、頭髪と爪はケラチン。細胞の染色体数も21対で人間と変わらなかった。これ受け、上層部はそれまで戦闘から導き出した方針の転換を余儀なくされた。深海棲艦は人類とは異なる種ではなく、また人類から派生したものではなく、人類そのもの。だが、生物学的常識から考えて、人類があのような強大な力をこの身に宿すことなど考えられなかった。必然的に諸外国の動向を疑うわけになったわけだが、そこに一度抱いてしまえば払拭できないほどの疑念をばら撒くみずづきが現れた」

 

あの時の衝撃を思い出すと今でも、失笑が漏れる。

 

「人工説を嫌っていた私でも思ったよ。みずづきの世界なら、私たちと同じ人間でも深海棲艦が作れるのではないかと。深海棲艦が人の手によって生み出されたものではないかと。・・・・・・・・・結果的には正しかったわけだが」

「なるほど、そういうことがあったのですか。まぁ当然と言えば、当然ですね。なにせ、人間がもとになってるんですから」

 

意図的か、それとも無意識的か。平然と受け入れがたい真実を述べるショウ。長門の拳に力が入る所を見逃したりはしなかった。

 

この戦いは一体、何なのか。何のために我々は血反吐を吐いて戦ってきたのか。

 

瑞穂世界の人間でも、この真実を知れば全員が思うであろう。まして、自分たちの故郷がそれを作り、あまつさえ不作為とはいえ世界に解き放ち、野望の達成に利用していたと知った艦娘たち、長門の葛藤はこの身では計り知れない。

 

だが、今はそれに身を委ねる時ではない。出自以外にも聞かなければならないことは山ほどあった。その中でも特に重要な事項。

 

「深海棲艦が日本世界の創造物で、人間がもとになっていることは分かった。しかし、深海棲艦は日本世界のとどまらず、並行世界である瑞穂世界にも現れた。これは一体、どういうことなんだ?」

 

それはこれだ。

 

「確認しておくが、瑞穂世界の深海棲艦は日本世界で生み出された創造物、なんだろうな?」

 

日本世界の部分をショウにも分かるように強調する。艦娘たちが現れたように、みずづきが現れたように並行世界の壁は高名な物理学者が唱えるほど高く分厚いものではないことが、状況証拠で明らかとなった。ということは可能性の数だけ無数に存在すると言われる並行世界との間で、まだ瑞穂世界が認知していない並行世界との間でも存在の往来が可能である確率は高まる。

 

「俺やみずづきがいた日本以外の、またそもそも第二次世界大戦あたりから分岐し、日本世界と同じように深海棲艦の開発を行ってた並行世界のものである可能性も確かに存在します。しかし、俺はその可能性は低いと考えています」

「理由は?」

「みずづきが戦った深海棲艦は、細部は異なれど全て俺が持ってる識別表に掲載されてる、日本世界にも存在する深海棲艦でした。さすがに全く同一のものを作ってるとは考えづらいです。兵器はその世界の情勢やパワーバランス、歴史、科学技術の集合体ですからね。それに・・・・・・・・瑞穂世界には現在我々が認知している範囲では長門さんたちにしろ、みずづきにしろ、日本世界のものしか流入してません。両者とも何者の意思も介在してない偶然です。・・・・・・・・・・・・・・・それに」

 

これから更なる事実の暴露を感じさせる単語、そして雰囲気。これまでに語れた事実を腕組みしながら必死に考察している長門を横目に入れつつ、これまで幾度となくおこしてきた衝撃の大きさに端を発した思考停止を招かないよう身構える。しかし、その言葉は突然に我に返り「あっ」と自分の行為を諫めるような表情を最後に再び紡がれることはなかった。人工知能にしては詰めの甘い失態が言い知れぬ不安感を惹起する。

 

これは絶対に聞いておかなければならない。そう、冷静な思考が訴える。

 

 

「それに?」

 

 

続きを聞こうと言葉で彼に詰め寄る。しかし、彼の応対はなんとも後味の悪いものだった。

 

「いえ、なんでもありません。お気になさらず」

 

それでも食いつこうと声を上げかけたものの、それを遮ってしまったのは長門だった。

 

「つまり・・・・・・」

 

そう言って、ショウの語った事実から導き出される、自身が行った質問への回答を匂わす。長門も長門なりに頭を全力稼働して自身と百石の疑問を解消するために動いていた。それが分かっているため結果的にショウの肩を持ってしまったとしても、非難や叱責はできなかった。

 

この話はもう終わりと言わんばかりに、ショウは長門の催促を受けはっきりと断言した。

 

「瑞穂世界の深海棲艦は俺とみずづきがいた日本世界で作られたものです」

「そうか・・・・・・。では、なぜ、深海棲艦が瑞穂世界へ? 君は重々承知だろうが、あくまで被接触勢力は日本世界だ。それ以前において、我々は全くと言っていいほど、日本世界の存在など認知していなかった。こちらはとばっちりを食らった側だから、あくまで被害者であり、傍観者。偶然の一言で、片づけられる代物か?」

 

その問いへの反応は明らかにこれまでものと趣を異にしていた。ショウはふっと一瞬、微笑むと視線を俯け、そうですね・・・・・・そうですね」と寂し気に呟いた。それを見て、何も感じない、何も思わないほど百石は疲労していなかった。機先を制したのは長門だったが。

 

「・・・・・・・やはり、何か知っているな?」

「違います。ただ・・・」

 

続けられた言葉は、寸分の違いもなく人間のものだった。

 

「この世に、本当に神々がいるのなら、なんて答えるんだろうか。どのような顔をして答えるんだろうか。そう・・・・・・思いまして」

 

ここにきて初めて、ショウが押し黙る。それで分かってしまった。察してしまった。

深海棲艦が来た理由、この戦争の真の発端。すべてが神や天のみぞ知る・・・・・偶然なのだと。

 

長門の問いに対する回答は、内心の結論そのままだった。

 

「瑞穂世界におけるこの戦争は、深海棲艦が世界の壁を突き破ってこの世界にやってきたのは・・・・俺の持ちうる情報を総合しても偶然としか言えません。日本をはじめ、日本世界の各国は瑞穂世界の存在を認知していませんし、並行世界論も推測とSFネタの領域でしかありませんでした。ただ、明確な事実として、武装集団がオワフ島真珠湾基地内にあった研究所を襲撃したとき、実験施設の暴走・爆発に多くの深海棲艦が巻き込まれ、()()しています」

 

「消滅」の部分がことさら強調される。当然、長門が食いついた。

 

「・・・死体や身体の一部は?」

 

ショウはゆっくりと首を横に振る。実験施設の暴走・爆発がどのようなものだったのかはわからない。ただ、研究施設を壊滅させ、厳重な「檻」の中にいたであろう深海棲艦が脱走したという発言を考慮すれば、爆発の規模は抽象的に想像できる。日本世界の超大国アメリカ。その連邦軍の敷地であろうと民間にも大規模な被害が出たはずだ。

 

「その実験施設とは、いったい・・・・。以前、君がいった発言を鵜呑みにするなら、高圧変電所や火薬工場などの類ではないだろう?」

「ええ、長官のおっしゃるとおりです。ただ、その疑問はこの私も抱いています」

「というと?」

 

長門が眉をひそめながら、ショウに鋭い視線を送る。その視線は「俺も全くといっていいほど、知らないんですよ」とショウが言った途端、角が取れ、威厳が四散した。

 

「ただ、それはおそらく深海棲艦と艦娘の、あの力の源泉、いや、生まれ故郷だったのだと、個人的には思ってます。どのような芸当かは、一般的な人間が把握できる現代科学では答えようがないですけど。その実験施設が爆発した際、全世界で時空震や空間の歪み、断裂域と呼ばれる次元の亀裂が観測されています。このことから俺は、一部の深海棲艦は、日本世界からは消滅したものの、本当に消滅したわけではないと思っています」

「爆発が何らかの形で世界の壁に穴をあけ、深海棲艦を吹き飛ばしてきた・・・・・と?」

 

長門の確認。それにショウは無言で、瞑目した。

 

「そうか・・・・・そうか・・・」

 

無意識のうちに嘆息が吐き出される。ここへ足を運び、解決したいと願っていた疑問。それに対する回答は、瑞穂世界からすれば神に等しい存在から得られた。しかし、解決の後に待っていたのは歓喜でも解放感でも爽快感でも達成感でもない。

 

ただのむなしさだった。

 

この気持ちの理由を長門が代弁してくれた。

 

「結局、瑞穂世界は日本のとばっちりを受けただだけだった、と・・・・」

「ええ。・・・・・そういうことになります」

 

罪悪感を背負いながら、ショウがこちらを向いてくる。彼は人間が作った人工知能。彼に一切の罪はない。人間であるみずづきに罪があるのかと言えば、それも違う。みずづきはそして日本世界に生まれ、生きてきた人々の大半は被害者だ。

 

それを言葉にして、彼に伝えてあげたかった。しかし、今は心の整理をつけるだけで精いっぱいだった。日本世界とは比較にできないがこの大戦によって瑞穂では約15万人、世界では約7600万人もの人々が犠牲となったのだ。正躬信雲少将以下、壊滅した第5艦隊乗組員。艦娘たちを、横須賀を、東京を守るために散っていった横須賀航空隊の戦闘機搭乗員たち。

 

彼らもそうだ。

 

そして、その数十倍の人々が家族を、家を、財産を失い、故郷を追われ、日常を奪われた。この世界に住まう全ての人々が史上初の大戦に怯え、未来に希望を見いだせなくなった。それを思うといくら理性が最適の行動を提案したところで、口が動かない。

 

「百石長官」

 

しばらく黙り込んだ彼なりの気遣いだろう。鼓膜が彼の言葉で振動した瞬間、そう思った。だが、それに続いた言葉で自分の推測が身勝手で独りよがりな産物であることを思い知らされた。

 

「俺が語った事実とおそらく印刷されるであろう文章を有効に活用して下さいね。この国と、この世界のために。俺は・・・・・・・・見届けることができませんから」

 

後退しつつあった体の熱気が一気に四散。それに代わり体の奥底から輪郭の掴めない重苦しい感情が沸き上がってくる。その原因は一瞬で看破できた。

 

「ショウ? お前は何を言っているんだ。見届けることなど・・」

「君は・・・・まさか」

 

先ほど見せた儚さが再びショウに現れたのだ。前回はただの可能性に過ぎなかったが、長門の言葉を遮ってでも行った確認に対する悲し気なほほ笑みが可能性を確信に昇華させた。

 

「え・・・・・。提督・・・」

 

長門もこちらと同じ結論を導き出したのだろう。恐る恐るといった様子でこちらに確認を求めてくる。それに頷いた。その瞬間、目にも止まらぬ速さで長門がショウに視線を合わせる。両者が向き合って数十秒。

 

 

ショウは優しく微笑みながら首を横に振った。

 

 

「ありがとうございます。でも、これが正しい選択なんですよ」

 

刹那、長門は悔しそうに俯いた。

 

「正しいなんて・・・・・」

「長門さんも百石長官も分かっているはずです。この俺がどれほどこの世界にとって危険な存在か」

 

それに対する反論は、出なかった。そう2人とも分かっていたのだ。

 

「俺はもう、本当に・・・・人が死ぬ原因にはなりたくなんです。・・・・・お気遣い、ありがとうございます」

 

笑顔でそう言った、ショウ。彼の目元が不自然に光っていることを百石と長門は見逃さなかった。しかし、両者には何もできることがない。

 

彼の選択を心では許容できなくとも、時には嫌悪さえ抱く合理的な思考が“仕方がない”と言っている状態では慰めの言葉も翻意を促す意思も全て薄汚れた嘘になってしまうから。

 




今話は箸休め的なお話として投稿させていただきました。がっつり重い話題を延々と話してる点はご容赦を。

先週は投稿をお休みしてすみませんでした。お詫びに2話連続投稿を!・・・と画策しましたが、見えざる神の手によって阻止されました。加えて・・・きりが悪かったんですよね。

来週からは第3章のクライマックス「ミッドウェー海戦編」に突入します。

木曜日投稿に向けて最善を尽くしますが、万一投稿できない場合はご連絡しますので、よろしくお願いします。


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91話 ミッドウェー海戦 その1 ~眼前の闇~

ついに・・・ついに・・・。
お気に入り登録が500を超えました!!!
読者の皆様、いろいろとつたない本作をご覧いただき、本当にありがとうございます!

第3章も佳境に入りつつ(あくまで入り“つつ”です)ありますが、みずづきと艦娘たちの物語はまだ続きます。作者も社会と労働の荒波に負ける気はありません。今後も、本作「水面に映る月」をよろしくお願いします。


「そのまま・・・そのまま、よし・・・・よし・・止め!」

「止めぇ!!!」

 

鼓膜と髪が揺れる。何の障害物もない大海原を思うがままに駆けていた潮風。何者の力も及ばない太古の昔から疾走が突如、方向転換と減速を余儀なくされ、顔面に「風圧」という抗議の意思をたたきつける。彼らは疾走を妨害した元凶である、人間が作った人工物にも「音」で抗議の意を示す。が、彼らは甲板から聞こえる将兵の怒号とクレーンの駆動音とまったくもって勝負にならなかった。風が徐々に凪いでいく。

 

そして、意思を刈り取られたのか。クレーンが休息に入ろうともそのままわずかな星の光しかない暗黒の世界へ駆けだしていく。そんな彼らに「ご愁傷さま」と合掌しながら、眼前に広がる光景を見据える。彼らは何の躊躇もなく進んでいったが、太陽の庇護下が本来の活動時間である生物にとって、視野の限りに広がる眼前の世界は本能的な恐怖をこれでもかと煽ってくる。

 

一応、甲板上には文明の産物である照明が設置されている。だが、足元や発着艦用の鉄かごの乗降り口など限られた場所のみをわずか照らす白色灯では月明かりのない真の闇の前に、全くの無力。自身の真下付近しか照らさず、管轄領域ぎりぎりまで闇に迫られていては頼りないにもほどがある。これは敵に発見されないよう最低限の光量で照明の役割を果たそうとしている結果である。また、甲板のほとんどを闇に支配されようともまるで昼間のように慌ただしく動き回っている将兵を見れば、文句など一切言えない。

 

荒天時波に攫われることを防ぐため、甲板上に置かれていた発着艦用の鉄かご。稼働可能状態にするため、専用クレーンで運搬クレーンに連結し、自身の目の前に鉄かごが据え付けられた。クレーンを類い稀な操作技術で操作し、目の前に鉄かごを置いてくれた設置してくれた将兵に手を振る。相手から見えているかどうか分からなかったが、きちんと手を振り返してくれた点を見るに、見えていたようだ。

 

ひとしきり、手を振ると再び視線を前方へ。そして、足を前へ進めていく。腹部の痛みは完全になりを潜めていた。既に完治もしくは完治の手前まで行っていると安堵したくなるが、先ほど行われた出撃前の最終検査で道満から釘を刺されていた。

 

「一応、万一の時でも君の体力消耗を局限化する処置を施しておいた。しかし、肝に銘じておいてくれ。君は本来、最低あと1日はベッドで安静にしていなければならない状態だ。傷口も塞がったのではない。塞がりかけているんだ。身体に悪影響を及ぼすほどの急機動はやむを得ない場合を除いて行わないように。守らなかった場合、苦しむのはみずづき? 君自身だぞ?」

 

ちょっとやそっとではほどけないほど頑丈に、そうでありながら身体を捻っても窮屈さを感じないほど丁寧に巻かれた包帯が腹部の肌を伝って存在感を放つ。夏であれば蒸れて仕方なかっただろうが、今は12月。奄美諸島や小笠原諸島の聟島(むこじま)列島に相当する緯度とはいえ、風は肌に刺さる。分厚い包帯はいい具合の腹巻になっていた。それは同時に腹部の保温と共にこれから向かう場所がどれほど危険かつ残酷かを静かに強調してくる。だが、そのようなもの、既に固めた覚悟の前には何の意味もない。

 

自分が行かなければならない。

 

それだけで十分だ。

 

鉄かごまであと少しというところで、乗降口の前に立っている士官が敬礼を示してくる。

 

「開けますか?」

 

陸防軍や瑞穂陸軍とは異なる、同脇を閉めた特徴的な敬礼で応えた後、百石より少し若いように見える士官が尋ねてきた。頷くと滑らかな作業で鉄かごの外と内を区切る柵が開けられた。鉄かごの底面はいくら頑丈とメーカーや工廠員のセリフを鵜呑みにしようと金網で構築されているため、足元数m下に広がる海面が一目瞭然。なのだが、今回は闇のおかげで全くと言っていいほど見えなかった。今では大分慣れたが、初めて大隈のこのシステムを利用したときは肝が冷えたものだ。

 

あの時はただただ冷や汗をかいていたが、今となってはいい思い出である。

 

「閉めます。出入柵、閉鎖。・・・・・施錠確認!」

「了解!」

「発進作業開始、よーい!」

 

士官の言葉を合図に、まるでやまびこのように号令が伝播していく。そして最後に聞こえた、「発進作業開始!」の深夜とは思えないほどの勇ましい声。

 

「ご武運を」

 

鉄かごが海面に吸い寄せられ始めたと同時に背中へそう言ってくれた士官はすぐに頭上の存在となり、代わりにこれから足を踏み入れる真っ黒な大海原が近づいてくる。待つこと数十秒。ついにこの時が来た。

 

直立の土台が人工物である不変の鉄網から自然物であるつねに揺れ動いている海水へ。“いつも通り”に移行する。

 

特殊護衛艦がただの人間でありながら大海原を自らの足で駆けられる所以の艤装。受領してから共に人生を歩み、はるづきに大破させられたみずづきの艤装は何の異常もなく正常に稼働。装着者の命令に従い、活動を開始する。

(この艤装が・・・・・私を・・)

 

人ならざる者に変えて、生かした。

 

右手に握られたMk45 mod4 単装砲を覗う。うっすらとだが、暗闇の中でも存在を触覚ではなく視覚で捉えることができた。創造物であり兵器であるはずの存在に、創造主で人間であるはずの自分が助けられたとは何とも不思議な話。信じられなくなるが、何より腹部の傷がその証拠だった。

 

「ねぇ? なんで生かしたの?」

 

波に従い、身体が大きく上下する。

 

「ショウならともかく・・・・・。答えてくれるわけないか」

「なんだ? 呼んだか、みずづき?」

「うわっ!?」

 

何の前触れもなく、唐突に突然に、いきなり透過ディスプレイ(メガネ)のど真ん中に相も変わらず椅子に腰かけているショウの姿が映し出された。あまりに予想外の出来事に心臓が飛び跳ねた。

 

そのようなこちらの様子を見て、意識的か無意識的か、「どうしたんだ? そんなに驚いて」と心底不思議そうに首をかしげる。その様子が堪忍袋を容赦なく刺激した。

(あんたAIでしょ・・・・・・・・)

人間と異なり膨大な情報を瞬時に把握・収集・分析・蓄積できる人工知能が、しかも今まで幾人もの人間と触れ合ってきたであろう彼がこちらの心情を把握していないわけがない。だが、みずづきが苛立った理由はもう1つあった。

 

「作戦行動中はいきなり出てこないでって言ったよね? しかもついさっき。にもかかわらず、もう反故ですか?」

 

ショウとは出撃前、視界を遮られると作戦行動に多大な支障をきたすため、助言なり進言があれば「声」で伝える旨を話し合っていた。ショウが艤装の中にいるということが分かった以上、例え大海原の中心でももうみずづきは1人ではない。しかも、みずづきと共にいるのは日進月歩の科学技術が生み出した奇跡、人工知能。ならば、協力しない手はない。それにショウも「今まで退屈だったからな」と苦笑交じりに応じてくれた。だが、早速これである。

 

「反故もなにも、お前が呼んだからだろう?」

「あれは呼んだわけじゃないの! なんていうか・・・そう、独白、独り言!」

「はぁ?」

 

危ない人を見るかのような目で身体を後ろに引くショウ。

(ここにいたんなら、散々私の独り言、聞いてきたでしょうが・・・)

自慢ではないが、独り言は多い方の人種だと思う。

 

「全く紛らわしいったらありゃしない。俺だって、約束をわざと反故にして、相手の驚く顔を見る趣味なんてないんだぜ?」

「・・・・・なら、なんでそんなニヤニヤしてんのよ?」

 

指摘した途端、笑顔のまま固まる。

 

「・・・・とまぁ、そういうことだから、俺には反故の意思がない。紛らわしい呼びかけを行ったお前が悪い。・・・・・・・・それじゃな!」

「あ・・・・ちょっと!」

 

逃げるようにショウが映っていた画面が閉ざされ、目の前の海が帰ってきた。不愉快な真意を白日の下に晒そうと何度も彼の名前を呼び、眼前に引きずり出そうとするが反応は皆無。結局のところこちらが手を出せない電子空間上に存在している以上、現実世界へのコンタクトの如何は彼の意思次第。艤装を壊すなど彼の存在自体を危うくする行為をちらつかせれば出てくるだろうが、それはみずづきにはできない選択。よって、主導権は彼が完全に握っていた。

 

「まったくもう・・・・何がしたかったのよ。あんたは」

 

眼前の世界ではなく、透過ディスプレイ自体を睨みつける。反応はない。

 

「はぁ・・・・」

 

意識的に心の中の業火を鎮め、先ほどの問いかけを思い出す。それを聞いても、ショウとのバカみたいなやりとりを経ても平常運転の艤装。みずづきの命といっても過言ではないFCS-3A 多機能レーダー、そしてOPS-28 航海レーダーが作動していない相違点はあったが、あきづき型特殊護衛艦を特殊護衛艦たらしめているFCS-3Aをはじめとする各システムは各々の役割を果たしている。

 

それがなんだか、可愛く思えた。

 

この身は幾度となく、この艤装に助けられてきた。自ら覚悟を決めて死と隣り合わせの環境に進んだとはいえ、死など望んでいなかった者にとっては非常にありがたかった。

 

だから、例え意思がなくとも、物であっても言うべきだろう。日本には付喪神という言い伝えがある。艦娘たちが付喪神であるかどうかは立証のしようがないが、存在する以上“先人の妄想”と笑い飛ばすこともできない。

 

「ありがとうね」

 

そう言って、機関を始動。両舷微速で大隈から離れていく。レーダー画面の一切が表示されないため、昼間と同様の明度で海を映し出している透過ディスプレイ(メガネ)から見える世界が広く感じる。しかし、その感動に浸る暇はない。すぐさま、レーダー画面とは別の画面を表示。視覚的にも聴覚的にも認知できない情報を収集・観測する。この出撃で収集した情報如何でMI攻撃部隊の行動が、そして運命が変わる。

 

大隅の司令室では百石が赤城たちをはじめとした各艦隊の旗艦に策定された作戦を説明している頃合い。みずづきもいろいろと思うところはある。

 

だが、彼の発案を上回る最善の策はないという確信も同時にあった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「夜襲・・・・・・ですか?」

 

戸惑いに満ちた赤城の確認。横須賀鎮守府の通信課員、大隅の船務科員数名を除いて、ほとんどの司令部要員が束の間の休息に出発した司令室。通信班のわずかなやり取りが交わされるのみで静まり返った室内に感情さえも明確に読み取れる赤城の声が響く。

 

長門たちに並び横須賀鎮守府所属艦娘のリーダー的存在である正規空母。その彼女の動揺を受け、元から影を落としていた蒼龍、夕張、吹雪の表情がさらに暗くなる。夜襲、つまり夜戦と聞いて飛び跳ねていそうな川内も今日ばかりは沈黙を保っていた。彼女たちの内心を把握しつつ、司令室の中心に置かれた地図の傍らに立っていた百石は議論の余地すら漂わせない明瞭さを伴って、大きく頷いた。

 

「そうだ」

 

そして、隣に控えていた長門から指示棒を受け取り、地図の端。赤と青の駒が置かれている海域を指し示す。

 

「装甲を鑑み戦艦を中心に編成した夜戦艦隊をもって、MI攻撃部隊後方230km付近を航行中と思われる敵艦隊を襲撃。明朝に生起するであろう航空戦を有利にするため、敵戦力の漸減を図る。出撃は日付が変わった0000。・・・・・・・・今から1時間後だ」

 

最後の言葉を聞いて、お互いの顔を見合わせる艦娘たち。わずか一時間で旗艦から各艦隊に所属している艦娘たちに作戦の説明を行い、艦隊の再編。なりより、心の準備を行わなければならない。補給や整備は漆原達工廠組が行ってくれているのだとしても、あまりに時間が少なすぎる。

 

まして、これからMI攻撃部隊が戦う相手は瑞穂がこれまで砲火を交えたことがないと断言できるほどの強敵。彼女たちに無理を強いていることは重々把握していた。

 

「君たちの気持ちは理解しているつもりだ。だが、とにかく今は時間がない」

 

現在、当部隊は米雪の被弾により1時間に約25kmのペースで敵機動艦隊に距離を縮められている。このままでは日が昇り、空母航空隊が真価を発揮できる午前7時ごろまでには肉薄される計算だ。

 

そうなるまであと8時間少々。この8時間をどう使うのかが運命の分かれ道だ。

 

「それはこちらも承知しています。しかし、夜襲というのは・・・・・」

「ちょっと、厳しいんじゃない?」

「提督? まさか、敵の戦力、忘れてるわけじゃないよね?」」

 

赤城と蒼龍の難色に呼応して、夕張が見る者の心を締め付けるような苦笑で尋ねてくる。彼女がどのような疑念を抱いて、その問いを発したのか。理解できない愚者でも何者でもない百石は疑念の払拭を図ろうと口を開くが、夕張の気迫に溢れた指摘を前に言葉は紡がれなかった。

 

「敵には・・・・・はるづきがいるんだよ? あの、あきづき型特殊護衛艦が」

「はるづきさんはみずづきさんと同じ能力を持っているんですよね、司令官? なら、いくら通常の深海棲艦に効果が大きい夜戦も、レーダーを前にしては・・・・」

 

ここにいる全員が分かり切っているため、言う必要がないと判断しかのか。はたまた、導き出される明確な結論を言葉にしなくなかったのか。困惑顔の吹雪は最後まで語らなかった。

 

「みずづきさんがけがの影響で随伴できない点は分かっています。でしたら、無理に突入しなくても・・」

「提督も当然、危険性は把握されている。提督は何も“絶対”夜襲を仕掛けるとは言っていない。・・・・・・もう少し冷静になったらどうだ、お前ら?」

 

司令室に詰めている艦娘の中で唯一、平静を保っていた長門。眼前に立つ仲間たちの狼狽ぶりが癇に障ったのか、吹雪の言葉を覆い潰し、少し強めの口調で諭す。

 

「赤城? お前は一航戦だろう? こんな大事な時に動揺してどうする? 蒼龍もだ」

「「っ・・・・・・・・・・」」

 

大きくため息をつく。長門も彼女たちがそうなってしまう心情も理解しているようで、決して怒鳴りはしなかった。

 

みずづきの圧倒的かつ絶対的な力を前に、ここにいる全員がとてつもない衝撃を受けた。しかし、最も激烈な衝撃を受けたのはこの身でも、長門でも吹雪でも川内でも夕張でもない。第二次世界大戦でも、そしてこの世界でも戦闘の趨勢を決する航空戦力を運用し、幾度となく勝利に貢献してきた愛機たちが「虫けらに過ぎない」と叩きつけられた赤城たち、航空母艦だ。

 

「・・・・・・・申し訳ありません。少し、動揺していました。お恥ずかしい限りです」

 

赤城は一度神妙な面持ちで瞑目すると、会釈をするように軽く頭を下げる。

 

「私もちょっと、我を見失ってた。・・・・・ごめんなさい」

 

蒼龍は気まずそうに視線を明後日の方向に向けながら、最後はこちらと長門を直視し、謝罪を明確にする。

 

「ん? どういうこと?」

 

そのような赤城と蒼龍をよそに、反省の色もなく平然と長門と百石の真意を問う川内。「川内・・。お前というやつは・・・・・」と拳を握りしめていた長門を制止し、長門の発言を捕捉する。

 

「確かに、お前たちの懸念通りなら私は君たちを死地に追いやることになる。私はそんなことはしない。軍人としても人間としても・・・・・・。だが、君たちの懸念が外れているのなら、向かってもらわなければならない」

「外れている?」

 

赤城が首をかしげる

 

「ああ、そうだ。日本世界における()()()ではレーダーが絶対的に不可欠な兵装だ。しかし、レーダー波は高出力の電磁波を360度に照射するため、レーダー波そのものはレーダー本体の探知範囲を超えて遠方まで四散する。それを捉え、発信源・周波数・方位を調べれば、どこの国の、どの艦が、どのあたりにいるのか敵に把握されてしまう。また、有事でなく平時でもところかまわずレーダーを使用していては周波数や機種特性などの情報を収集され、軍事機密となっている探知範囲などを特定される。だから、日本世界では敵地や敵勢力圏下に進出している場合、敵を捕捉したり、攻撃を受けたりするまで基本的にレーダーを使わない」

「ん・・・・へ・・・え? どういうこと? レーダー波が360度に飛んでいって、敵の勢力圏で・・・・・・・。艦長・・・・、電探の開発にかかわってたんだから助けてよう・・」

「つまり、はるづきが位置の露呈を嫌い、レーダーを作動させていない可能性があると?」

「その通りだ」

 

さすがは赤城。思わず、口角を上げてしまった。全く持って話に付いていけていない蒼龍には合掌しかない。この作戦が終了した後にでも赤城や翔鶴からレーダーの知識を蒼龍たちに教えるのもいいかもしれない。

 

「事実、はるづきの出現時、みずづきはかなり前からあきづき型特殊護衛艦の存在を掴んでいた。彼女たちにとってレーダーは視認圏外をも視認可能とする千里眼であると同時に敵に自分の位置を教えてしまう諸刃の剣なんだ」

「ということは、やっぱり私たちはみずづきの本当の敵にはなり得ないってことですね・・」

「レーダー、当たり前みたいに使われてましたからね・・・」

 

「あ・・・・・あはははっ」と分かり切っていた異次元の現実に夕張と吹雪が苦し気に笑う。百石もみずづきからこの話を聞いた時は彼女たちのように面白くもないのに声を上げて笑ってしまったものだ。

 

発達しすぎて使えない。お粗末または高価過ぎて使えないと嘆いている国の人間からしたら、なんと贅沢な話なのだろうか。

 

「それを確かめるため、現在みずづきには大隈の近傍に停泊し、電波探知装置、ESMと呼ばれる装置を使用して逆探を行ってもらっている。これの如何によって・・・」

「「「えっ!?」」」」

 

横須賀鎮守府司令長官の言葉を堂々と容赦なく遮り、赤城と長門以外の艦娘たちが尋常ではない驚嘆を発する。あまりの大きさに眠たい目をこすりながら必死に職務をこなしていた通信班員たちが反射反応的にこちらへ振り向いてくる。なんだと理由を問いかけたくなるが、彼女たちにはまだ“血まみれのみずづき”が刻み込まれていることを思い出す。人間であれほどの重傷を負い、数時間後に前線に立っているなど驚いて当然だ。理由を聞きたくもなるだろう。

 

みずづきが瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、重要な任務を遂行している理由。これまで、そしてこれからも共に海上を駆けていく仲間である彼女たちに隠す気はなかった。

 

「すまないが、君たちは席を外してくれるか。何かあればすぐに呼ぶ」

 

だが、一般将兵にはそうはいかない。幸い、司令室に回されてくる通信は時間が時間だけに少なく、事情を知っている横須賀鎮守府通信課員2名で処理できる数であったため、退出を促す。

 

「了解しました」

 

大隅の船務科当直士官の受諾を合図に通信班たちが司令部を後にしていく。より一層、静かになる室内。あの時、整備工場にいなかった蒼龍もすでに、百石からみずづきの現実は聞いていた。

 

「提督、どういうこと?」

 

ただならぬ気配を有した夕張が、鋭い目つきで直視してくる。

 

「出撃を命令したの?」

「命令でない。これはあくまでみずづきの意思だ」

「みずづきの意思?」

「そうだ」

 

あの時の光景が脳裏によみがえる。司令室の鉄扉を自らの手で開いたみずづきの目は輝き、まっすぐ前を向いていた。

 

「私はでます」

 

そうみずづきが言ってくれた時、飛び跳ねたくなるほど嬉しかった。しかし、その一方で冷静さを保ち、眼前の艦娘たちと同じように彼女を心配する自分もいた。だから、聞いた。

 

「本当に出てくれるのか?」と。赤城たち一機艦に背中を守られたみずづきははっきりと。

 

「私は日本海上国防軍人で、特殊護衛艦です。大切なものを守るために死力を尽くします。・・・・そういってくれたよ、笑ってな。本当に、あの子はよくできた子だ。軍人としても、一人の人間としても・・・・」

 

どのような笑みなのか。苦笑とも微笑とも取れる艦娘眺めていた赤城に視線を向ける。「ふっ」と一瞬笑みを濃くすると静かに語りだした。

 

「そう・・・ですね。お人好しで頑固で、どこまで信じた道を歩み続ける。ショウさんから壊れてもおかしくない真実を延々と聞かされても、みずづきさんは私たちが知っているみずづきさんのまま。何も変わっていません。怖いくらいに」

「そう、ですか・・・・・・」

 

安堵を吐き出しながら、吹雪が笑顔を浮かべて目元の水滴をふき取る。吹雪ほど涙もろくないとはいえ夕張と川内もみずづきの選択と現状に安心しきりだ。あの場では、最後は丸く収まったものの、みんな、怖かったのだと思う。ショウの語った真実は残酷を通りこし、凄惨の一言に尽きた。人を死に追いやるほど、という彼の例えは大げさでも、陰湿でもない。それを聞いて、みずづきは変わってしまうのではないか。しかし、あの場から少し距離と時間をおいても彼女は、自分たちが知っている彼女だった。この身でも安堵と歓喜があふれているのだ。彼女と苦楽を共にしてきた艦娘たちの安心と喜びは比較にならないはずだ。

 

「既に策定した作戦は彼女に説明している。今回の任務も合意済みだ。そして、夜襲の件についても」

「みずづきはなんて?」

「そりゃ、君たちと同じように難色を示した。だが、万が一はるづきのレーダー波を探知した場合は作戦を中止するという意見具申を受け入れ、例のものを搭載すると説明したら、しぶしぶ了承してくれたよ」

「例のものって、まさか!?」

 

心に浮かんだ可能性が事実であるか確かめようと夕張は大きく見開いた目で百石を直視する。赤城たちは「なんのこと?」と百石と夕張の間で視線を彷徨わせていたが、夕張の問いを頷きで肯定すると一気にこちらへ固定された。

 

「レーダー警報機とチャフ。夕張と妖精たちの努力のおかげで完成を見たこの2つを夜戦部隊に装備させ、はるづきの攻撃に対しわずかでも被弾可能性を低減させる」

 

これを聞いた瞬間、赤城が一気に表情を明るくする。

 

「ついに完成したのですね!」

「ああ。まさか、みずづき以外の相手に使うことになるとは夢にも思っていなかったが」

「あ、あの~~~」

 

会話についていけなくなったのか、頭上に疑問符を大量発生させている川内を見ながら吹雪が「レーダー警報機というのは?」と説明を求めてくる。苦笑している辺り、吹雪本人が分からないわけではなく、川内を思っての行動だろう。

 

「チャフは説明不要だな?」

「はい。初めてのみずづきさんと戦った演習で、司令官たちがみずづきさんのレーダーを無効化するために使用した金属片ですよね」

「あーーーー」

 

「そうだそうだ」と手を叩く川内。

(こいつ、チャフも分かっていなかったな)

思わずため息をつきたくなるが、今はそのような余裕はないため先延ばしだ。

 

「これはレーダー波の妨害だけではなく、アクティブ・レーダー誘導方式のミサイルをかく乱する目的にも使用できる。ただ、みずづきたちの対艦ミサイルは画像識別装置も搭載されているから、有効性は未知数。まぁ、願掛けだな。それでレーダー警報装置。これは自艦がレーダー照射を受けた、あるいは受けていることを知らせる装置だ。レーダー波を放って飛んでくるミサイルはもちろん、艦の火器管制レーダーを使用した砲撃なら、レーダー波が照射された時点で砲撃されようとしていると警報が鳴る」

 

こちらの説明を受け、理解したのか川内も顔を輝かせる。

 

「それって、夜でも撃たれる前に自分が狙われてるって分かるってことでしょ? すごいじゃん!」

「レーダー波を照射してから砲撃までには数秒の余地がある。砲煙や硝煙を見てから回避するよりも瞬時かつ的確に回避行動を行えるだろう。もともと、演習でボコボコにされる空母航空隊の妖精たちの発案なんだが、一矢報いたいという彼らの悲願はともかく作らせておいて本当に良かった」

 

これはもともとみずづきを対戦相手とする演習において使用される予定だった代物。みずづきが泡を吹くさまを見たいという妖精たちの懇願で彼女には秘匿されていたが、稼働試験は実施済み。ただまだ実戦に使用したことがない。いきなりの投入には不安が残るものの、ないよりははるかにましであった。

 

「また夜戦部隊の全員には果てしない資源と予算の浪費の末、ようやく完成した22号対水上電探を装備させる」

『おおおお!』

 

ついに全員の顔が花火のように輝く。みずづきが横須賀へやってくる以前より、艦娘たちからは電探の装備を求める声が途切れることなくあがっていた。しかし多温諸島奪還作戦後、横須賀鎮守府の主な任務は領海警備と船団護衛に移り、行動範囲も多数の軍施設が存在する瑞穂本土近海に限られていた。そのため、本土防衛・反攻作戦の最前線であった大宮や僻地で艦自体が索敵能力を持たなければろくな行動がとれない幌筵(ぱらむしる)と異なり、電探の整備は主砲や副砲、魚雷などの攻撃兵装より優先順位が低く、百石が望んでも軍令部が必要な予算を認めずなかなか進まなかった。

 

しかし、その姿勢を一気に転換させたのがみずづきである。軍令部は電探による索敵能力が攻撃力そのものを底上げすることにようやく気付き、横須賀が要望する予算は難癖つけられることなく認められるようになった。その結果が22号対水上電探の実戦デビューである。

 

「ただ、みずづきがレーダー波を捜索できるのならはるづきも同様だ。使用は最後の切り札ということになる。しかし、これらの施策で大分こちらに運を引き寄せられたはずだ。今回の夜戦部隊は長門を旗艦として、金剛、榛名、比叡、摩耶、鳥海で編成する。このことは各艦にしっかりと伝達してくれ。赤城、吹雪、蒼龍・・・・分かったな?」

「了解です! 任せておいてください、提督」

 

歓喜から一転。真剣な表情となった蒼龍に続き、無言で赤城と吹雪が頷く。

 

「また、敵艦隊が撤退行動中の夜戦部隊を追撃する可能性も踏まえ、第三水雷戦隊・第六水雷戦隊、みずづきを艦隊後方110kmに配置。追撃部隊の撃退を担う。頼んだぞ?」

「「了解」」

 

声から動作に至るまで完全に一致した敬礼。多少の不安は残れど、使命感と闘志の方が勝っていた。

 

「夜襲に参加しない艦娘も明朝には全員出撃となる。明朝の作戦行動ではMI攻撃部隊の艦娘を空母機動部隊と水上打撃艦隊に分割。航空戦を担う機動部隊と機動部隊に誘引されている敵艦隊を側面から直接殴り込む打撃艦隊は夜襲が終了し再編成が完了した後、速やかに別行動を取る! 編成だが空母機動部隊は・・」

 

コンコンっ!

 

夜戦の説明を終え、いよいよ本作戦の本番である決戦作戦の概要説明に入ろうとしたところで司令室の扉が乱暴にノックされる。「誰だ! 現在、作戦会議中だぞ!」と通信課員が声を荒げるがただならぬ気配に入室を許可する。息を切らせて走ってきたのは船務科の少尉だった。

 

彼は息の整理もほどほどに背筋を伸ばし、現在が真昼かと錯覚してしまうほど声を張り上げた。

 

「ほ、報告します! みずづきより、発光信号! 我、はるづきのレーダー波を探知せず。以上であります!」

「提督!」

 

拳を握りしめ、歓喜を浮かべる長門が視線を向けてくる。彼女の表情が全てを物語っていた。

 

「夜襲は・・・・・・・実施だ」

 

勝利を手繰り寄せるための決意、損害の可能性に震える恐怖、可否を判断する責任、艦娘たちへの信頼、信頼からくる喪失の不安。多種多様で複雑怪奇な感情を宿した低く重い言葉は放出された瞬間、空気に溶けていく。

 

 

 

 

 

 

それからの艦娘たちの動きは早かった。赤城以下各艦隊の旗艦は司令室を飛び出し、指揮下の艦娘たちに作戦の概要と目的を説明。長門もすぐさま緒方や漆原、MI攻撃部隊司令部要員と最後の打ち合わせを開始。時計の針が不変の速度で進めば、進むほど作戦の準備は進んでいった。

 

わずか1時間。されど1時間。作戦の実施と骨子の大枠を前もって通達していた甲斐もあり、赤城たちが司令室を脱兎のごとく駆け出しから1時間もしないうちに出撃準備は完了。大隅の右舷甲板にたたずむ長門を旗艦とする夜戦部隊、川内を旗艦とし第三水雷戦隊・第六水雷戦隊・みずづきから編成される連合水雷戦隊を見下ろすこととなった。

 

艦娘たちの顔を少しでも近くで伺おうと、落水を防ぐために設置された柵ぎりぎりまで近寄る百石。後方でその自分と眼下の艦娘たちを視界に収める第一機動艦隊、第二機動艦隊の居残り組。一歩引いたところから艦娘たちを見守る緒方以下、瑞穂海軍の将兵たち。

 

先ほどまで鳴り響いていた人工の機械音が消失し、波音と風音のみで構築された世界。それぞれに何を想っているのであろうか。太陽がお目見えする昼間なら推察も容易だったが、生憎今は夜。そこにいるという存在しか把握できない環境では各自の姿や表情から心中を察することは不可能だった。

 

しかし、詳細は分からずとも大筋は充満している空気から直感が教えてくれた。大隅のわずかな明かりを反射している左手首の腕時計を見る。針は11時50分を指していた。

 

「諸君」

 

作戦発動まであと10分。ここまで来れば、艦内でただ静かに戦況を見守る指揮官が最前線に立ち生命の危険と引き換えに目的を達成しようとする部下たちにしてやれることなど1つしかない。それを果たすため、百石は腹筋に力を込め、口を開く。地球も空気を読んでくれたのか、海風は拡声器を使わずとも地声で周囲の全艦娘、全将兵に聞こえる程度には落ち着いてくれた。

 

「もうまもなく布哇泊地機動部隊撃滅作戦、その第一弾が発動される。まずは私の急な命令に迅速な対応を行い、こうして準備を完了させてくれたことにお礼を述べたいと思う。・・・・・・・ありがとう」

 

軍帽を取り、瞑目して頭を下げる。ざわつきが芽生えるものの、それを放置し言葉を続ける。

 

「本作戦の概要・目的は既に各艦隊の旗艦から説明済みであることと思うが、本来私が諸君らに直接説明しなければならない事項であるために簡単に触れておきたい。本作戦の目的は単純明快、布哇泊地から抜錨・出撃し、ミッドウェー諸島防衛と我がMI攻撃部隊の殲滅を目論む敵機動部隊の撃滅である。これを達成するため、我がMI攻撃部隊は敵の強力な戦力を鑑み、夜戦と航空戦の二段構えで撃滅を図ることとした。長門を旗艦とする夜戦部隊は川内を旗艦とする連合水雷戦隊と艦隊後方100kmまで進出。連合水雷戦隊(連水戦)と分離したのち、敵機動部隊に砲戦による夜襲を仕掛け、状況に応じて撤収。連水戦と合流したのち、一機艦・二機艦と会合。空母機動部隊と水上打撃艦隊に艦隊を再編成し、空母機動部隊を囮とし敵艦隊の側面から水上打撃艦隊が殴り込む第二段に移る!」

 

空母機動部隊。

主力艦隊、旗艦赤城以下、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴。

直衛艦隊、旗艦金剛以下、鳥海、潮、曙、朝潮、照月。

警戒部隊、旗艦夕張以下、球磨、暁、響、雷、電。

水上打撃艦隊。

主力艦隊、旗艦長門以下、榛名、比叡、摩耶、北上、大井、みずづき。

警戒艦隊、旗艦川内以下、白雪、初雪、深雪、陽炎、黒潮。

 

計31隻。

 

対する布哇泊地機動艦隊は25隻。房総半島海戦時、そして多温諸島奪還作戦時にも生起しなかった一大部隊同士の決戦。それを反芻すると思わず言葉に力が入ってしまうのも無理はない。だが、語尾を強めた理由は何も興奮だけではなかった。

 

「今回の作戦は当初のMI作戦と同様に・・・いや、それ以上の激戦が予想される。我々は今回、未曾有の敵を相手にすることになる」

 

これが何を意味するのか。察することすらできない愚者は一同の中に1人もいなかった。

 

「はるづき・・・・・・」

 

眼下か、後方か、側面か。どこからともなく恐怖で覆われた声が聞こえてきた。

 

「そうだ。はるづきだ!」

 

息を飲む音が周囲全体に伝播する。

 

「生半可な覚悟や決意は今すぐ、足元を泳いでいる魚にくれてやれ。今回の戦いはこれまでとは明確に違う!」

 

そこまで言って、続く言葉が待機していたにもかかわらず、唐突に身体の内側から声が聞こえてきた。

 

“俺たちが戦っているこの戦争は何の意味があるんだ?”と。

 

それはひどく自然に、滑らかに脳内に溶けていった。単なる偶然によって、日本世界のとばっちりを受け、甚大な被害と夥しい犠牲を強いられた自分達、瑞穂世界。この大戦はほんの少し巡り合わせが異なっていれば、そもそも勃発することはなかった。深海棲艦によって、日常の断然を経験することも明確な死の恐怖に怯えることもなかった。家族や友人、知人、仲間の死に直面し、嘆き悲しみ、後悔の念に苛まれることもなかった。

 

原因は全て日本世界。人工的に生み出されたものなのだから、糾弾は不可避。しかし、責任を一方的に追求し、贖罪を強いることは心の整理をつける上で適切な方法ではなかった。

 

みずづきの話を聞けば、誰であれその結論にたどり着く。

 

だから、やりきれない想いが募っていく。この大戦をどのように捉えたら良いのだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

しかし、その思考はほんの一瞬で断ち切られた。希薄な存在感しか把握できない暗闇の中でも分かる長門の視線。それを感じ、自分たちが置かれている現在の情勢を思い出した。今はそのような定義論に終始している場合ではない。

 

一度思考をリセットするため深呼吸を行い、今か今かと出陣の時を待っていた言葉を紡ぎだす。

 

「そう、これまでの戦いとは明確に違うのだ! 今一度、我々がどこにいるのか思い出し、驕慢(きょうまん)や慢心、先入観、思い込みは取り払って欲しい」

 

艦娘たちから漂う空気がより一層張りつめる。いくらミッドウェー諸島を攻撃した時間が今朝だったとはいえ、この海は日本世界において一海軍の栄光と一国家の未来を飲み込んだミッドウェー海域だった。

 

「それを成すことができれば、我々は勝利を掴むことができる! 私はMI攻撃部隊指揮官として横須賀鎮守府司令長官として、何より一海軍軍人として確信を抱いている」

『・・・・・・・!』

 

俯きかけた艦娘たちの視線が一斉に突き刺さる。

 

「君たちはこれまで血のにじむような努力を重ねてきた。こちらが組んだ過酷なスケジュール、到達目標にぐだぐだ文句をいう艦娘もいたにはいたが、そんな彼女たちも文句を言うだけで疲労困憊になりながらも海上を駆け、勉学に励み、能力を磨き上げた。その成果を発揮できれば、激戦であろうとも勝利を掴める。また、こうして・・」

 

後方に赤城たちを含め、全艦娘を勝ち気な笑顔で見渡す。

 

「みんなで顔を合わせることができる」

 

再び視線を正面に向けて、こう言った。

 

「今回の遠征で私の懐には、相応の特別手当が入る。そして、緒方参謀部長をはじめ、参加した横須賀鎮守府将兵にも支給される。作戦が成功した暁には私たちのおごりで祝賀会を行おうと考えている。参加したくない者は知らんが、私たちは思う存分はしゃぎまわる予定だ」

「え・・・・・・」

 

後方から歓喜に満ち溢れた感嘆が聞こえてくる。一瞬で誰かは看破したが場の雰囲気を崩壊させないために敢えて無視した。こちらの気遣いを一瞬で後悔に変えてしまいかねない恐るべき存在であるため、釘を刺しておきたいが、これは彼女たちが無事に帰って来てからでも十分時間的余裕はあった。

 

「だから、全員で一人も欠けることなく、横須賀に戻ってどんちゃん騒ぎするぞ。分かったな?」

『・・・・・っ。はいっ!』

 

こちらと、彼女たちを眺める将兵たちと同じ気持ちであることを示すように、そして、言霊に懇願するように艦娘たちは誰一人ずれることなく、見事な多重奏を見せる。彼女たちの思いの強さに涙腺と軍人としての信念を刺激され、思わず声が上ずる。しかし、気にせずうわずったまま、張り上げた。

 

「瑞穂において記録される()()()()()()()()を勝利で締めくくるぞ!」

『はい!』

 

そして、この場にいる全員の時計が一日の始まりに針を到達させた。

 

「作戦発動! 総員! 抜錨せよ!」

『了解!』

 

感動さえ覚える応答の後、表舞台から波音と風音は後退。一斉に唸る数多の主機たちを前に再び人工音が胸を張って舞台に登壇する。一糸乱れぬ行進は練度と経験という彼女たちの努力を観客にこれでもかと、見せつけてきた。

 

潮の香りを煤の刺激的な匂いで屈服させた空気が鼻腔に流れ込んでくる。

 

「総員、出撃! 我に続け!」

 

勇ましい長門の声が轟いた後、一斉に180度反転。すぐさま陣形を構築し、艦娘たちが大隅を背に敵艦隊が航行しているであろう大海原へ向けて一目散に航行していく。

 

あっという間に姿は暗闇の中に消えていった。

 

昼間ならまだ見えている距離。せめて、自分1人だけでも水平線の向こうに消える時間が経過するまで彼女たちの見えているはずの背中を見続けようと思ったが、そう考えていたのは百石だけではなかった。

 

「・・・・まったく」

 

思わず苦笑がこぼれる。後方の赤城たちはもちろんのこと、甲板や艦橋構造物から艦娘たちの勇姿とこちらの醜態を見つめていた緒方をはじめ、将兵たちも百石が踵を返すまで大海原の彼方を神妙な面持ちで見つめていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部。12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり』

 

 

視界一面に広がる闇。頭上に垂れこめる雲の切れ間から相も変わらず瞬く星々が顔を覗かせているため、日本においてそして瑞穂において幾度となく経験した“真の闇”ほど視力が役立たずの状況ではない。前方警戒に付いている第六水雷戦隊はさすがに感知範囲外だが、夜戦艦隊の周囲で輪形陣を組み、対潜・対水上警戒を行っている第三水雷戦隊は波しぶき、風切り音に紛れて聞こえてくる主機の駆動音で存在を捉えることができた。

 

だが、いくら視力が役目を維持していようと聴覚が他者の存在を届けようとも、周囲を埋め尽くす闇は容易に身体全体を孤独へ染め上げていく。仲間たちの様子や言動に注意を向ける必要性が低減し、脳が暇を持て余した結果だろう。

 

その声が聞こえてきたのは。記憶の奥底に眠る数々の声が聞こえてきたのは。

 

『只今宣戦の御詔勅(ごしょうちょく)渙発(かんぱつ)せられました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも(かかわ)らず、遂に決裂の()むなきに至ったのであります。・・・・・。事茲(ことここ)に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為、断乎(だんこ)として立ち上るの已むなきに至ったのであります。・・・・・・・・・。建国二千六百年、我等は、未だ()つて戦いに敗れたるを知りません。この史績の回顧(かいこ)こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝(こうき)ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります』

 

「鬼畜英米を粉砕せしめた精鋭なる我が帝国海軍はもはや世界最強の海軍である!!」

「大日本帝国は神国なり! 日本民族はアジア解放の立役者なり!」

「天皇陛下、バンザァァイィィィ!!! 大日本帝国バンザァァイィィィ!!!」

 

これまで師と仰ぎ、敵として対抗してきた列強に対する予想外の連戦連勝に酔い、自分たちが戦っている相手がどれほど強大な存在か、何のために自分たちがそのような背伸びしても追いつけない相手に喧嘩を売ったのか、都合よく忘却した威勢のいい声。

 

アメリカ。イギリス。今や祖国の敵となった国々の実態をほとんどの国民が曖昧でも認識していたにもかかわらず、“英米おそるるに足らず”という慢心が国土の隅々にまで波及していた。

 

しかし、覚えている。国粋主義の蔓延と風に流される無知な国民に無力感と脱力感を抱きつつ、日本の歴史をここで終わらせまいと使命感に燃える背中を。

 

彼らの懸念はすぐに的中した。そして・・・・・・・・・・・。

 

「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

 

日本は、負けた。全面戦争の果ての、無条件降伏という最悪の形で。

 

日本は過ちを犯した。どれほど反省しようと、どれほど後悔しようと、どれほどむせび泣こうと取り返しのつかない、大きな過ちを。

 

だから、せめて、この先は。

 

そう願った。全てを見届けたからこそ切にそう願った。そして、自身より遥かに長生きした艦娘たちから伝え聞いた世界は相変わらずだったが、日本はその願いを着実に叶えてくれていた。

 

だが。

 

「っ・・・・・・・・・・」

 

やはり、歴史は繰り返すものなのだろうか。

 

滅び去った大日本帝国への憧れ。更なる高みに至りたいという欲望。これが2つの世界を地獄の底に叩き落した。原因には日本以外の国々も参加している。もともとの目的は祖国を守るためという守勢的な一点のみだった。それでも、原因を作った原点は自身の祖国、あの人たちの子孫だった。そして、原点を生み出した勢力は自身を生み出してくれた大日本帝国の亡霊だった。その時点で大日本帝国と完全な無関係とは言えなかった。

 

大日本皇国。

 

その言葉が反響する。いつまで経っても亡霊が成仏しない理由。それはなんとなく察していた。確かにあの当時、日本は“帝国の栄光”だけに観点を絞れば絶頂期にいた。かねてよりの領土であった本州・北海道・九州・四国以外に版図を広げ、帝国海軍は世界第三位とも言われる強大な力を有していた。

 

国家としての意思を明確に公言し、国益の追及には他国との衝突を覚悟しても貪欲に追求する。

 

強い日本。誇れる日本。誰しも祖国を愛していれば、より強さを、より誇りを追い求める。だが、日本は学んだはずだった。愛国心は一たび方向性を間違えれば、売国につながるという理不尽を。

 

にもかかわらず、何故。

 

「なぜ・・・・なんだ」

 

やりきれなさのあまり、奥歯を噛みしめる。顎に鈍痛が駆け抜けるものの、力が弱まることはなかった。

 

彼女は艦娘たちに対してこう言ってくれた。

 

“また無神経なこと言うかもしれないけど、あんまり気にしないでいいんだよ? これは完全に私たちの世代が引き起こして、私たちに降りかかった災厄。陽炎たちにはなんの責任も関係もない”

 

これはまだ、真実を聞かされる前の言葉だが、今でもあの彼女のことだ。同じことを言ってくれるだろう。あの戦争から既に88年。深海棲艦製造計画が動き出したのは戦後74年。自分たちが海上を駆けていた時代がもう確定した歴史となってしまっている以上、歴史を学んだ上で、確定していない未来を歩む選択権は全て子孫が握っている。彼女の言った通り、関係ないという見方は成立する。だが、関係ないと切り捨てるには祖国が再び犯した過ちは莫大過ぎた。

 

日本世界、16億4000万人。

瑞穂世界、7600万人。

 

 

「・・・・・・・さん?」

 

 

これに日本世界では、神昇計画の破綻を間接的な要因とする第三次世界大戦、第二次日中戦争、丙午戦争、華中内戦での犠牲も加わる。あまりにも膨大な犠牲と惨禍。

 

それは彼女の暴露を受けて一旦は噴き出したものの、仲間たちの助けもあり封印に成功していたある想いを再び解放させるには十分すぎた。

 

あの時、自分たちが道を踏み外さなければ、こんなことには・・・・・・・。

 

「長門さん!」

 

心の声を呟かせまいとするかのように、接触ぎりぎりまで近寄った鳥海の声が鼓膜に突き刺さった。

 

「ああ、すまない。少し、考えごとをしていた」

 

こちらを訝しむ気配を感じるが、敢えて気付かないふりをして話を先に進める。

 

「どうした?」

「まもなく、艦隊後方100km。連合水雷戦隊との分離地点です」

「了解した」

 

潮風によってなびく髪を右手で押さえている鳥海に視線で謝意を示すと、旗艦としての指示を出す。

 

「総員に通達。全艦、第二戦速。僚艦との相対距離に注意しつつ、分離作業を開始せよ」

「了解しました」

 

命令を受け取った鳥海はすぐさま長門と距離をとり、発光信号で金剛以下夜戦部隊に、連合水雷戦隊の旗艦を任されている川内に長門の命令を伝達する。現在、艦隊は逆探による位露呈を防止するため、無線封止を行っていた。これは通信用無線のみならず、みずづきのFCS-3A多機能レーダーや長門たちの22号対水上電探にも適用されていた。

 

減速に伴い、耳元で大騒ぎしていた風切り音の勢いが減衰する。

 

「っふ」

 

自身が今どこにいるのか。これから何をしようとしているか。何をなさねばらないのか。それを思い出した瞬間、嘲笑が漏れる。

 

これでは百石と同じではないか。思考の泥沼に陥りかけた彼の腕を掴んだのはどこの誰だっただろうか。

 

「我ながら、とんだ醜態だな」

「何か、おっしゃいましたか?」

「いや、独り言だ、気にしないでくれ」

 

運悪く独白を拾ってしまった鳥海に微笑みかけると長門は前方を睨む。考え事はここでお開き。現実は思考に浸りきっている者を生かしてくれるほど、優しくない。




みずづきたちはみずづきたちです。黙ってやられるような可愛いタチではありません。本話より、「ミッドウェー海戦編」がスタートです。

しっかし、本話を執筆するうえで、某総理大臣の「開戦声明」を一読しましたが、あれはまぁ、なんと言っていいのか。
最近、艦これサーバーが攻撃を受けている件についての鬱憤も含めて、とりあえず、一言。
・・・・この国の史蹟から光輝を奪って、どうすんだよ。はぁ~。


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92話 ミッドウェー海戦 その2 ~新月の下~

伊勢に、改二・・・・・だと?
そして、氷祭りとは・・・いかに?


地球の自転活動により太陽の加護を受けられなくなった、光のない世界。月の慈悲をも途絶える時期には何光年も離れた星たちのみが唯一の抵抗勢力として、闇に立ち向かう。ここには、自然を犠牲にして人工的に光を生み出す人間はいない。

 

そうなれば必然的に天空へ意識をむけてしまうわけだが、突然、水平線上に星が現れた。

 

海面上から規則的に放たれる発光信号。それは何度も何度も送信元の意思を伝えようと光の点滅を繰り返す。光速で指示された彼方には、意思を受け取る相手がいた。無作法に相手を浮かび上がらせた後、星は闇の中に隠居。ひとときの静寂を経て、先に動いたのは、相手だった。闇と同化し一目散に海上を駆けていた相手は顧みる姿勢すら見せず、無視。それどころか、取り巻きとは一線を画す容貌を宿す存在が鬱陶しそうに顎をつき出した瞬間、必死にコンタクトを取ろうとする送信元にクジラのような形をした禍々しい化け物が頭部を向ける。

 

送信元は大きくため息をつくと、再開した発光信号を止め、すばやく海面上から姿を消す。・・・・・と思いきやそのまま殺意を明確にして向かってくる化け物を射貫くと肩に乗っている砲身を向ける。

 

行動対行動。

 

その原則を叩きつける意思が物理的破壊力を伴って、放たれる。静寂に包まれていた海上に木霊する2回の轟音。それは同数の爆音と絶叫を響かせることとなった。

 

貧弱な武装の持ち主にしては大戦果。しかし、コンタクトが失敗した際の対応はこれ以上の戦果を要求していた。明確に忍び寄る死の気配に抗いながら、海中に潜る。

海上と異なり、無音と言えるほど静まり返った水の世界。同時に視界もゼロに等しいが、海中が主戦場の存在にとって、周囲の状況を把握する手段は聴覚だけで十分だった。

 

わずかに液体同士がせめぎ合う柔らかい摩擦に紛れて、分子の調和を乱しに乱す雑音が多数。それに向けて腕に抱えているこれもまた禍々しい物体から複数の魚雷を放つ。

 

魚雷の発射音と海中のあらゆる物から冷静さを奪い去る衝撃波。その波動を縫うように、先ほどの返礼がもたらされた。この世界のあらゆるものとは次元の異なる意思が標的を定めた。海中を静寂から喧騒に変えるオープニングはほぼ同時に奏でられた。体の全組織を締め付ける危機感を尊重し、攻撃を停止。限界深度まで重力に任せて潜っていく。

 

ピコーン・・・・。ピコーン・・・・・。

 

しかし、着水後自走を開始した存在に通常なら有効な対処法たる子供だましは通用しない。時間の経過に比例し、“死”が近づいてくる。

 

ピコーン・・・・。ピコーン・・・・・。

 

それでも、不敵に笑う少女は抗う。ここで果てる気など微塵もないのだから。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「長門さんたち大丈夫やろか・・・・・」

 

長門たちと別れて約30分。現在、みずづきたち連合水雷戦隊(連水戦)と布哇泊地機動部隊との距離は敵の進行速度から換算して約100km。長門たちの会敵はまだ30分近くかかると見られていた。連合水雷戦隊の任務は、夜襲を終えた長門たちが深海棲艦に追尾された場合、深海棲艦を撃退し、長門たちの撤退行動を支援すること。同時にこちらの予測を上回る速度で進行していた場合にいち早く機動部隊の接近を把握する哨戒活動的な目的もあったが、主任務はあくまで前者だ。

 

そのためどれだけ理由を作ろうとも、どれだけ警戒に神経を削ごうとも長門たちが夜襲を決行し、“撤退”の電文が来るまで連合水雷戦隊は暇な状態に陥っていた。敵が攻撃を仕掛けてくるかもしれない恐怖で神経をすり潰すよりはマシであろうが、思考に余力が生まれるため、どうしても不安に意識が深入りしてしまう。厄介にも、今回は不安感を増長する要因が多すぎた。

 

黒潮の呟きは或る意味、当然の帰結だった。

 

「だ、大丈夫だって黒潮。あんたも長門さんたちの化け物火力知ってるでしょ? 思う存分砲弾をばら撒いて、帰ってきてくれるって」

 

比較的に近くにいた陽炎が深夜とは思えない覇気をたたえて、妹を励ます。口調を聞くと陽炎の笑顔が浮かぶが、それは満面の笑みではなく苦笑だった。言葉の端々で震える声が陽炎も黒潮と同様の気持ちを抱えていることを暗示していた。

 

「いくら元海防軍の艦娘といっても、レーダーを使ってなかったら私たちとそう変わらない。ねぇ? みずづき? イー・・・・、なんていったっけ?」

「ESM。電波探知装置」

「う・・・・・・・・。わ、分かってるわよ! その、電波探知装置はまだはるづきのレーダー波を捉えていないんでしょ?」

 

初雪に指摘され、恥ずかしさで頬を膨らませているであろう陽炎が少しでも不安を払拭しようと尋ねてくる。手持ちの情報は彼女たちの不安を低減できる代物だった。

 

「うん。今のところESMで探知したレーダー波はなし。作戦は順調に進んでる」

 

滑舌を意識し、明瞭かつ比較的大きな声量で告げる。ESMは電子戦支援装置や電子戦支援対策装置ともいうのだが、電子戦を支援するために電波を探知・収集する装置なので、わかりやすくそれで通していた。陽炎、黒潮、初雪はおろか会話が聞こえる範囲にいた川内、白雪、深雪も安堵のため息を漏らす。レーダーによって周囲の捜索が行われていなければ、奇襲の確率は反撃による損害のリスクを許容できるほど高まる。逆にレーダーで捜索が行われていれば奇襲は不可能。作戦では万が一はるづきのレーダー波が探知された場合、無線封止を解除して長門たちに撤退を指示することになっていた。

 

「このまま作戦通りに行ってくれるといいんだけどね。それにしてもはるづきや戦艦級の攻撃に耐えられようにって長門さんたちを選抜した理由は分かるんだけど、この私が夜戦を前にして後方で待機なんて・・・・・ああ、もう! 体がうずいてうずいて仕方ないよ!」

『はぁ~~~~』

 

全員の説得でようやく収まった夜戦バカぶりが再発し頭髪をかきむしる川内が出現した瞬間、安堵とは正反対のため息が第三水雷戦隊を覆い尽くす。先ほども多大な体力を消費して「今回は仕方ないですよ」と説得したばかり。陽炎によると大隅の艦内でも幾度となく、夜戦バカの発動を抑え込んだらしい。それでもこれである。正直、第三水雷戦隊には厭戦気分が漂っていたが、「ねぇ? 陽炎もそう思うよね? 今から最大戦速で向かえばおこぼれにあずかれるんじゃない?」と突飛な行動を予感させる言葉を聞いてしまえば、そうはいかない。

 

「川内さん! だから、言いましたよね。今回の作戦は・・・・」

 

白雪を筆頭に駆逐艦たちが強い口調で説得攻勢を開始する。

 

「川内さんも相変わらずだねぇ~~~。まぁ、そっちの方が調子が狂わなくていいけどよ」

「なに一人だけ・・・達観してるの? ・・・・・深雪も来る」

「え・・・。なんで・・・・。・・・・・・マジかよ」

 

後頭部で腕を組み、口笛さえ吹きそうなほど余裕しゃくしゃくだった深雪が真顔の初雪に連行されていく。よくだだをこねる初雪を深雪が持ち前の明るさと強引さで引きずっていく光景を見ていたので、逆のパターンは珍しい。思わず、まじましと見つめてしまった。

 

本当ならみずづきも陽炎たちの輪に加わりたかったが、陽炎が尋ねてきたESM以外から収集された情報が加勢する余裕を完全に奪っていた。みずづきは現在、目ともいうべき重要な捜索機器であるFCS-3A 多機能レーダーを作動させていない。OPS-28航海レーダーも同様だ。この両者が眠りについただけでみずづきの情報収集能力は陽炎たちと遜色ないほど激減するが、それは対水上・対空に限った話。水中はこちらから音波を放つアクティブソナーを使用せずとも、放たれる音から情報を抽出するパッシブソナーがあるため、通常稼働時となんら変わらない収集能力を維持していた。

 

だから、それを捉えることができたのだ。

(爆発音・・・・・?)

数分ほど前、海中に垂らしていた曳航式ソナー、足底に備え付けられている艦首ソナーが共に爆発音らしきものを捉えた。発生源は北東方向。布哇泊地機動部隊が航行している方向、そして長門たち夜戦部隊が向かった方角だ。深度・距離共に遠方過ぎて算出できなかったが、音紋は明らかに人工的な爆発現象の際に見られる反応を示していた。

 

海中は気体の大気と異なり、塩分を含んだ海水で満たされており、しかも複雑で高低差が激しい海底面が接触しているため、音の伝わり方はその時々の水温、塩分濃度、潮流、海底の地形など様々な自然要因によって変化する。これは気温や水蒸気濃度、磁気の揺らぎで電磁波の直進距離が変動する大気中でも言えることだが、海中の場合はさらに変動が激しい。そのため、カタログスペックで明確な探知距離が明示されていても状況によってはそれより近い音も拾えない時もあれば、遥か先の音を拾えることもある。あきづき型特殊護衛艦に搭載されているOQQ-22バウ・ソナーとOQR-3戦術曳航ソナーシステムもその宿命には逆らえなかった。故に何度も辛酸を舐めさせられてきたわけだが、ごくたまに運が巡ってくることもある。

(偶然とは・・・・・思えないな)

ミッドウェー諸島周辺海域で爆発を引き起こせるほどの存在は瑞穂海軍のMI攻撃部隊と深海棲艦の布哇泊地機動部隊しか確認していない。夜戦部隊も布哇泊地機動部隊と同一の方向にいるが、現在の彼我の距離を考慮すると万が一攻撃を受けた場合、深海潜水艦が雷撃した時点でソナーに捉えられる。反応は爆発音のみ。魚雷や爆雷なら発射時や着水・潜航時に雑音が発生する。捉えられなかったということは相当の遠方か、そもそも原因が魚雷や爆雷ではないのか。

 

布哇泊地機動部隊がいると推測されているほどの遠方に。

 

(魚雷攻撃? それとも撃沈された船の水中爆発? にしては一回だけだったし・・・・・)

考えれば考えるほど、疑問が募る。やはり、今回の戦いも順調にはいかないようだ。

 

川内に詰め寄っている陽炎たちを一瞥して、みずづきは眼前の海を、長門たちと布哇泊地機動部隊がいるであろう方向を見つめる。

 

今すぐにでもこの情報を長門や百石に伝えたいが、現在無線封止中。連合水雷戦隊の旗艦は川内であるため、彼女に打ち明け、意見を覗うことも選択肢の1つだが、彼女の周囲には陽炎たちがいる。ここで彼女たちを追い払って内緒話を行えば、こちらへの不信感を植え付けるばかりかようやく沈静化した不安を誘発しかねない。このままだんまりを決め込む気はなかったが、直近の状況はみずづき1人で抱え込めと言っていた。

 

「とりあえず、対潜警戒を厳にするしかないか。はぁ~~」

 

思わずため息をついてしまった。

 

「一体、どうなってるの・・・・・・」

 

早速、ご登場なさった潜水艦の存在と不可解な事象。考察に疲れたみずづきは包帯に覆われた腹部を左手で撫でつつ、頭上で優雅に瞬く星に問いかけた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「一体、どうなっているんだ?」

 

まさか、みずづきも考えてもいないまい。一路、布哇泊地機動部隊の漸減に向かった長門も同じセリフを吐くことになろうとは。だが、それは当然のことだった。

 

なぜなら海上に設置された灯台の如く煌々と輝き、自分たちの位置を懇切丁寧にばらまいている布哇泊地機動部隊が水平線上にいたからだ。月がしばしの休息に勤しんでいる新月の夜だからこそ、炎は暗黒を土台にしてより一層存在感を放っていた。

 

その光景は長門に限らず、夜戦部隊の全員にある可能性を抱かせた。

 

「戦闘・・・・・?」

 

その可能性を鳥海が動揺しながら呟く。闇夜を照らす眼前の光景はこれまで幾度となく見てきた惨事だった。

 

「十中八九そうだろうな、ありゃ。にしても・・・・・・」

「ええ」

 

摩耶が匂わした疑問に榛名が相槌を打つ。それを横目で伺い、ようやく慣らした夜目を侵食していく松明を見ながら、金剛が殺意さえ感じるほど目つきを鋭くする。

 

「何がどうなってるデス・・・・」

 

やはり終着点はここである。既に全艦の射程圏内に入っている水平線上の現実は思考の斜め上を進んでいた。

 

「長門さん? 改めて確認ですけど、私たちが夜間における敵戦力の漸減を任されたんですよね?」

 

前方を進む榛名が視界を遮り、こちらの姿が見えなかったのか。比叡は体を少し横に倒すとそう尋ねてきた。その言葉には声として放出された意図以外の秘められた真意が存在していた。それを看破すると、即答する。

 

「ああ。私たちが囮という話は聞いていないし、現有戦力から考えても我々以外に敵へ殴り込める部隊はいない」

 

陽動作戦。敵が強大である以上、有効な選択肢の1つとなり得る戦術だがそれはいくら貧弱でも作戦実施に耐えうる十分な戦力があった時のみの打開策。今回は相手が相手だけに実施するとしても危険性が大きすぎる。

 

「そうですか・・・・・」

「秘書艦である長門がそう言ってるんデス。間違いないデショウ」

「仮にそういう作戦だったとしても、囮が到着する前に本隊が攻撃と言うのはいささかおかしな話です。夜戦が実質的に可能な連合水雷戦隊(連水戦)は追撃の撃退という不可欠な任務を帯びて待機中ですし、赤城さんたちでは夜戦は不可能です。この事態にMI攻撃部隊が関与しているとは考えにくいですね」

 

長門と同様に比叡の疑念を察知した金剛と鳥海は旗艦の発言を支持する。その言葉を聞いて「そうだよな~~」と唸っていた摩耶だったが、唐突に息を止めた。

 

「潜水艦?」

 

その呟きを偶然耳にした榛名はすぐさま、全員が聞き取れるほどの声量で長門に摩耶の閃きを伝えた。

 

「水上戦力の可能性がないのなら潜水艦はどうですか? 現在、当海域には呉鎮守府の潜水艦たちが展開していると伺っていますが?」

「確かにそうだ。しかし、当海域と言っても展開海域は布哇泊地から出撃してくる奴らを事前に捕捉するため、ミッドウェー諸島の東側だ。鎮守府が異なることから、なんとも言えないが潜水艦の展開はあくまで哨戒網の構築。本隊の支援ではない。作戦を忠実に実行する三雲提督の性格を考えるに、伊168たちが加勢してくれたとはとても思えん」

「では・・・・・・・・」

 

遠方の場違いな灯を受け、橙色に染めていた榛名の表情が困惑の色を深める。味方が関与した可能性は全て否定された。そうなれば、おのずと考えられる可能性は別次元のものしかなくなる。

 

「仲間割れ?」

 

比叡が漠然と呟いた可能性。誰も荒唐無稽とも思える結論に異議を唱えない。もうそれしか考えられないことは全員が理解していた。

 

そして、これは“絶対にない”と断言できるほど、あり得ない可能性ではない。事実、瑞穂近海では確認されていないが、諸外国においてこれまでにごく稀にではあるが深海棲艦の同士討ちが目撃されていた。深海棲艦も高度に組織化された戦闘集団であるため、人類側で例えると艦隊や方面軍のように、泊地に停泊している深海棲艦を1つの作戦基本単位として戦闘行動をとっていた。泊地にはそれぞれ姫や鬼級の深海棲艦が居座っており、これが指揮官的な役割を果たしていると推測されている。そのため、人間でも方針や考えの違いによって陸軍・海軍間や艦隊間、部隊間で軋轢が生まれるように、指揮する深海棲艦個体の方針の相違によって本来肩を並べて戦うはずの友軍同士で戦闘が起きているのだと考えられていた。

 

現状ではこれがもっとも高い可能性だ。

 

“布哇泊地の方針が気に入らない深海棲艦の存在”。

 

潜水艦は多種多様な深海棲艦の中でも最下位の個体、いわば一兵卒であるため、上には当然指揮官がいる。仮に推測が的中していた場合、敵に損害を与えた潜水艦は所属している深海棲艦部隊の氷山の一角だ。

 

「めんどくせぇことになったな」

「まぁ、そういうな。なにせ、誰がどのような意図をもって、敵を攻撃したのか推測の域を出ないが、揺るぎない事実が1つだけある」

 

警戒要因が増えたことに愚痴をこぼす摩耶。そんなある意味いつも通りの彼女に微笑みかけると、長門は勝ち気な笑顔を浮かべて、相変わらず混乱の渦中にいる敵を睨む。

 

「風はこちらに吹いている」

 

敵は攻撃を受けた損害があまりにも大きかったのか、精神的ショックが計り知れなかったのか、松明と化している駆逐級に照らされた影がどの個体か確認できる距離まで接近しても夜戦部隊の存在に気付かない。あのはるづきすら、重厚に構築された対潜警戒輪形陣の真ん中で空母棲姫と顔を突き合わせて、こちらには見向きもしていない。

 

勘が告げる以前の問題だ。夜戦部隊は今、正体不明の存在が行ってくれた攻撃のおかげで、絶好の機会を手にしていた。被弾した駆逐級が松明の役割を果たしているため、夜戦には考えられないほど視界も良好。22号対水上電探を使用せずとも、高命中率が期待できる環境が整っていた。

 

「敵艦隊との距離、45000。いまだ当艦隊は捕捉されていない模様。敵艦隊の速力は・・・・・・っ!? ほぼ0! 敵艦隊は被弾したためか、停船しています!」

「よしっ!!!」

 

金剛や摩耶の歓喜を押しのけて、思わず拳を握りしめてしまった。背中に苦笑が向けられる。気恥ずかしさを覚えるものの、鳥海の報告を受けた旗艦の決断を反芻するとざわついていた心が一気に静まり返っていく。波を立てずに湧き上がってくる闘志と決意を確認し、長門は寝かせに寝かせた号令を発した。

 

「全艦、左砲撃戦よーい! 弾種、徹甲!」

『っ・・・・・・・・・』

 

摩耶、鳥海、金剛、榛名、比叡は(いか)めしい表情をたたえながら無言でうなずくと、それぞれが持つ自慢の主砲、副砲の砲口を一糸乱れぬ動きで指向させていく。持ち主の愛情や整備員の精魂を無言のうちに示すピカピカに磨かれた砲身は鏡に迫るほどの明瞭さで、これから自身の威力を見せつける相手と世界を反射する。

 

その中にいる敵は愚かにも、いまだに右往左往していた。

 

しかし、情けをかける必要も意味もない。巨大さ故の重量によって、鈍重にも感じる速度で旋回する4門の41cm連装砲、仰角を合わせる2本の図太い砲身。だが、その遅さこそが見る者の軟弱な心をゆっくりと、しかし着実に押しつぶしていく迫力を持っていた。風切り音に紛れて聞こえていた、複数の機械的な駆動音や摩擦音が一斉に止む。

 

単縦陣で航行する全員の砲門は例外なく、布哇泊地機動部隊に殺意を向けていた。この状況では言葉による激励など無意味。部下たちがどれほどの神経と気合いを持って敵を睨んでいるのか、雰囲気だけで察せられなければ旗艦失格だ。はるづきの存在を知っても、戦意旺盛な部下たちの存在は実に頼もしい。長門は心の中で微笑むと、笑顔とは正反対の鬼気迫る表情で声を張り上げた。

 

「撃ち方はじめーーーーーー!!!!」

 

その瞬間、世界の様相は一変した。風切り音は炸薬の炸裂と瞬間的な空気の圧縮によって生じた轟音にかき消され、闇と遠方の淡い炎は気遣いも容赦もない突発的な閃光の前に一時的にせよ完全敗北し、鼻腔で踊っていた潮の香りは硝煙独特の刺激に撃ち消される。

 

いざ消えてしまうと名残惜しいものだが、この身体になんの利益もない感覚と刺激が戦場の醍醐味だ。

 

寸分違わず、一斉に撃ち出された灼熱の砲弾は放物線を描き、音速には及ばない高速で空気を切り裂いていく。だが、それはもうこちらの意思から独立した、別個の存在。いくら祈りを込めて眺めようとも、結果は変わらない。

 

「各艦、各個に撃ち方はじめ!!! 最優先目標は空母だが、無理に狙わなくていい!! 私たちの役割は敵戦力の漸減だ!!! それを肝に銘じろ!」

 

次発装填完了の合図と共により砲身の意思を砲弾に反映させるため、微調整。そのために目標に選んだ軽巡ツ級を睨みつけていると、その周囲に龍と見間違えるほどの大きな水柱が立ち上った。軽巡ツ級だけではない。布哇泊地機動部隊の各所に眼前とは比べ物にならないほど、それでも深海棲艦の姿を容易に隠すほど海水が自らの意思に反して巻き上げられていた。

 

「Shit!!! 全弾外れです!!!」

「こっちもだ! ちくしょうっ」

 

金剛や摩耶だけではない。その悔しさは全員共通のものだった。砲弾の着弾を示す水柱は全て、目標の周囲。命中弾は一発もなかった。そして、空気中を漂う水しぶきを蹴破って、数え切れないほどの砲弾が向かってくる。敵艦隊もこちらを捕捉した。

 

ワンサイドゲームは開幕で終了。ここからは被弾覚悟の、そして戦艦の本領が発揮される艦隊決戦だ。

 

「さすがは、深海棲艦の本拠地と名高い布哇泊地の部隊。対応の迅速性は素晴らしいです・・・・・・ね!」

 

苦笑交じりに皮肉を言いながら、榛名が4門の35.6cm連装砲を一斉射。妹に負けじと「全くその通り!」と比叡や金剛が続く。周囲に水柱が視界を遮るほど林立しようが、砲門の猛々しい咆哮は収まらない。

 

自身の41cm連装砲、金剛姉妹の35.6cm連装砲の炸裂に隠れがちだが、戦艦に次ぐ大火力を発揮可能な摩耶、鳥海の20.3cmも最大装填速度で限界ぎりぎりの火力投射を見せる。

 

戦艦への対抗意識か。埋没への危惧か。はたまた、任務達成への使命感か。様々な感情が渦巻いているであろう心の発露。それが摩耶と鳥海の努力を物理的な結果に変換した。

 

海水を無差別に巻き上げる喧騒とは異なる、衝撃波を伴った大気の振動が艤装を、身体を叩きつける。41cm連装砲を斉射する際の衝撃に比べればそよ風のようだが、強靭な皮膚は維持し続けている繊細な感覚でそれを捉えた。

 

「あら・・・・。当たった?」

「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 一番やり!!!」

 

大破炎上する2群警戒部隊の軽巡ツ級に、激痛を発散するかのように絶叫する主力部隊の重巡リ級flagship。「あともうひと押し!!!」と摩耶が20.3cm連装砲の砲口を苦しんでいる重巡リ級flagshipに向けている点から考えて、前者は鳥海、後者は摩耶の戦果らしい。

 

だが、そのようなことどうでもいい。今、必要な事実は同じ艦隊の仲間が戦果を挙げたということ。戦艦としては重巡洋艦に先を越された事実もかなりの留意点だ。

 

「いやはや、お見事デース! デスガ、私は金剛型戦艦の一番艦! この子たちの威力、とくとご覧に入れマース!!」

 

周囲に相当の至近弾を受けているにもかかわらず、唇を舐める金剛。その闘志は直撃弾を受けても消えることはなかった。

 

金剛を鮮やかな爆炎が包み込む。

 

「っ!!」

「お姉さま!!!」

「金剛おねぇ様!!」

 

姉の消失を目の当たりにして、いくら悲劇を、地獄を垣間見てきた艦娘でも冷静でい続けることなどできない。妹2人の絶叫が耳をつんざく砲声や着水音に負けじと戦場に木霊する。

 

「二人とも、おおげさ・・・・デース!!!」

 

金剛を包み込んだ火薬の燃焼による黒煙が、無力と突きつけられるように至近で生じた衝撃波で文字通り吹き飛ばされる。戦意だけでなく怒りが込められた鉄槌は1群警戒部隊の重巡ネ級flagshipに猛進し、惜しくも右舷海面に着弾した。

 

「もう!! あと少しだったのにぃ!!!」

 

煤で汚れた顔を気にするそぶりも見せず、声で地団駄を踏む。遠方の敵と至近にいる姉の双方でしきりに視線を交互させていた比叡と榛名は35.6cm連装砲の唸りに紛れて、安堵のため息をこぼした。金剛の損傷は重巡ネ級flagshipの攻撃を受けた割には幸運なことに軽微で済んでいるようで、出血もなければ制服の破れもなかった。

 

しかし、その幸運がどれほど続くのか分からない。こちらが至近弾を量産する一方で、敵も時間を追うごとに至近弾を増加させてくる。

 

「っ!? とうとうやってきましたか・・・」

「鳥海!!!」

 

鳥海を挟むようにして、彼女を飲み込まんばかりに立ち上る水柱。海水が巻き上げられ、落水によって発生した局所的な大波に鳥海が(もてあそ)ばれる。深刻な表情で必死に艦隊から落伍しないよう舵を取るが、鳥海が冷や汗を浮かべているのも姉の摩耶が血相を変えているのもそれが原因ではない。

 

「ついに夾叉(きょうさ)されたか・・・・・・・」

 

わずかな切れ間を残して連続する轟音。その間を息絶え絶えになりながらもやってきた摩耶の絶叫から視界に収めずとも状況を把握できた。敵の砲声のタイミングから察するに鳥海を夾叉したのは2群警戒部隊の戦艦ル級flagship。その砲撃をまともに食らえば、鳥海とえども轟沈の可能性すら忍び寄ってくるほどの損害を受けることは明白。旗艦としての判断を思考しながら、2群主力部隊に向けて、散布域を広げつつ斉射。

 

「艦隊、増速!」

 

敵の照準を狂わすため、速力を上げる。反対にこちらも戦闘開始からここまで慣れ親しんできた速力を捨てるため照準を再調整する必要性が生まれるが、これに構っている場合ではない。

 

だが、いくら増速しようとも、いくら回避しようとも、かつてビッグ7と言われ基準排水量3万9120トンを誇った体躯では決して逃れられない、いやおそらくみずづきでしか逃れられない百発百中の痛撃がついに襲い掛かってきた。これには増速などただの子供だまし。

 

いきなり、全身が爆発に巻き込まれる。

 

「うっ!!」

「長門さん!」

「長門!」

「っち! ついにおでましだ!!!」

 

摩耶の言葉と爆炎に舐められる長門の姿が、夜戦部隊の緊迫感を桁違いに膨張させた。1人の人影が警戒部隊に守られている主力部隊から離脱し、一目散にこちらへ向かってくる。「砲」の概念を根底から突き崩したみずづきが持っている主砲と全く同一の単装砲を、不気味に微笑みながら容赦なく向けてくる、夜戦部隊各員とは比較にならないほどお粗末な武装で身を固めた少女が。

 

反射的に金剛たちが彼女へ照準を向けるわずかな時間に、2発の12.7cm砲弾が肌と艤装を熱し、全身の細胞を突発的に振動させる。工廠妖精自慢のレーダー警報装置は豪快に揺さぶられても爆睡していた。「おいおい、こんな時にいかれちまったのか!?」と摩耶が容赦なく警報装置を殴っている。ということは・・・・・・・・。

 

「くっそ! やっぱり、次元が違う!!」

 

摩耶と異なり明らかな恐怖は宿らないものの、同様に悪態をつきそうになる。はるづきはみずづきのよる逆探を警戒してか、この期に及んでもFSC-3A 多機能レーダーを作動させない。光学機器に頼っている。裏を返せば、夜間であろうが光学機器で十分対処可能という末恐ろしい現実が待っているが、現在最も重要な事実ははるづきの砲撃を妨害する手段がこちらには皆無ということ。だが、恐怖を誇張する要因にはなりえない。榛名や摩耶たちから聞いていた通り、いくら重装甲目標用の弾種とはいえ戦艦にとってはただ豆鉄砲。いちいち周囲を熱せられ、体を揺さぶられる小賢しさには辟易するが対艦ミサイルの使用できない近接砲撃戦ならそこまでの脅威でない。まして、相手は装甲をほぼ持っていない攻撃に特化した軍艦。こちらは被弾と撃ち合いが前提の、大艦巨砲主義の申し子。それがこちらには6隻もいる。これほどの戦力なら・・・あるいは。ただ、勝利の女神に最大限の助力を願うのはあくまでそれは彼女が1人、もしくは貧弱な護衛を引き連れている時のみ。夜戦部隊の敵は彼女だけではなかった。

 

彼女の戦果に感化されたのか、敵の砲火は激しさを増す一方。

 

鳥海は戦艦ル級flagshipの散布域から何とか脱したようだが、代わりに摩耶が至近弾を受け、一時的に砲撃が途絶える。対して長門ははるづきの攻撃を受け続けている。

(確か給弾ドラムの装填数は20発。ドラムの換装が行われる1分ほどは砲撃ができない・・・)

当方の奇襲によって大損害とはお世辞にも判断できないが、それなりの被害を敵艦隊に与えていた。鳥海がツ級を撃沈させたことにはじまり、摩耶が中破させた重巡リ級flagshipは榛名の追い打ちを受け、爆沈。金剛にかすり傷を負わせた重巡ネ級flagshipは怒り心頭の比叡から執拗に攻撃を受け、全身を炭化させ中破していた。そして・・・・。

 

「おい! 誰だ!? 空母ヲ級flagship、中破してるぞ!!!」

 

摩耶の歓喜が断続的に轟く砲声と爆音を押しのけて、周囲に拡散する。

 

「Wow!! ほんとデス!!!」

「誰? 榛名? 私、知らないよ?」

「いえ・・・・私も」

 

気付けば、苦し気に全身を体液で濡らしながらこちらを睨んでくる空母ヲ級flagshipがいたのだから、困惑も当然である。ただ、誰かのおかげで夜戦部隊の任務は撤収可能なほど達成された。

 

これほどの戦果なら、敵戦力の漸減は十分に達成されたといえる。空母棲姫や空母棲鬼は夜間航空攻撃能力を持つため、いつ砲撃戦が対空戦になるか分からない。現在のところ空母棲姫たちは航空戦力の温存を優先しているのか戦況を傍観しているだけ。今すぐにでも退避行動に移りたい。だが、はるづきの正確無比な攻勢の前に指示を出すことができない。金剛たちも砲撃と回避で手一杯でこちらに構う余裕がない。主砲で弾幕などという驚異的な連射速度を誇る主砲が沈黙するのは限られたタイミング。幸い、まだこの身は小破でとどまっている。砲撃を重ねるごとに、笑みが憎悪に代わっていくはるづきだが、逆にこちらは笑みを深くしていく。

 

「大艦巨砲主義なんていう、前世紀のおいぼれが!!!」

 

余程鬱憤が溜まっていたのだろう。罵声が聞こえてくる。彼女を苛立たせたこの分厚い装甲は耐久性以外の面においても、この身に幸運を与えてくれた。

 

唐突にはるづきの主砲が沈黙する。

 

「え・・・・あれ? なんで・・・どうして。あ・・・・・・」

 

みずづきと変わらない血の気を失っても可愛らしささえ感じる、キョトン顔。思わず、「興奮しすぎだ!」と満面の笑みで呟いてしまった。主人の不興を買うまいと必死に唸り声を上げて、給弾ドラムを換装するMk45 mod4 単装砲だがいくらこちらの主砲と比べて早いといえども、冷静沈着な思考の前には鈍重すぎる。

 

「っふ」

「ち・・・・・・・・ちくしょうぉぉぉぉぉ!!!!」

「全艦、進路反転! 最大戦速で当海域を離脱する! さっさと逃げるぞ!!」

『了解っ!!!』

 

戦果に固執する者も、主砲の瞬きに飲み込まれ冷静さを失った者もいない。全員、長門の命令に覇気を持って答えると、素早く踵を返し、脱兎のごとく逃げ去る。

 

給弾ドラムの換装後、まだまだMk45 mod4 単装砲の射程圏内に夜戦部隊はいたが、はるづきはただこちらを尋常ではない殺意を宿して睨むだけ。他の深海棲艦も彼女の姿勢に従うように砲撃を停止。

 

夜戦を経ても傷を負わせられなかった空母棲姫や空母棲鬼の夜間攻撃もなく、退避行動中の夜戦部隊に常時張りつめた緊張感を抱かせ続けた対艦ミサイルによる報復攻撃もなし。ましてや軽巡や駆逐艦で構成された即席の水雷戦隊が追撃をかけてくることもなかった。結局夜戦部隊は夜戦決行時の大きなリスクであった布哇泊地機動部隊の追撃を一切受けることなく、退避に成功。

 

連合水雷戦隊及び大隅より進出してきた赤城たちと合流後、直撃弾をうけた金剛をはじめ全艦の損傷が軽微であったことから、簡単な処置を施したのち直ちに艦隊を空母機動部隊と水上打撃艦隊に再編成。MI攻撃部隊司令部より下令された作戦にのっとり、作戦行動を開始した。

 

時は午前6時前。東の空が新たな一日の始まりを匂わせていた。




三○とのコラボに、深海棲艦艦隊に主計科物資が奪われるミニイベ。「艦これ」運営鎮守府はよほどの物資不足なのか・・・・。

大本営に逆らったかもしれない方々はわきに置いておいて、どうやら伊勢の改二が実装されるようです。長かった・・・・。もともとがすでに改二形態のような航空戦艦であるため、改二の姿がどのようになるのか・・・。


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93話 ミッドウェー海戦 その3 ~長い一日の始まり~

あれから76年。


海上を慌ただしく吹きぬける、刺すような鋭さと闇に浸りきった冷たさを抱える風。目的地もなく、目的もなく、使命もなくただただ海上の存在を自身の領域に引き寄せる副作用をばら撒いていく。だが、彼らにはれっきとした目的があった。

 

それは、逃げること。

 

何から。その答えは意識を思考に埋めずとも足元と頭上を見れば一目瞭然だった。約半日ぶりに待ちに待った明るさと温かみに包まれていく世界。海は墨汁と遜色なかった色彩を独特の紺碧に戻し、空は幻想的な茜色に染まり、その空に遠慮がちに浮かんでいる綿あめと見間違える雲はぶどう果汁を混ぜ込んだような色合いに変心している。

 

美味しそう。

 

欲望に忠実な腹の虫が涎を垂らす。ここが横須賀で、今が日常の一節なら赤城も腹の虫と同じように朝一番から思考を食事のことで埋め尽くしていただろう。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

しかし、その“美味しそうな雲”を拒絶せんとばかりに睨みつけた赤城は強圧的な態度で緩みきっている腹の虫を弾圧、沈黙させる。自身の一部である腹の虫がことここに至っても呑気に構えている現実に赤城は怒りと羞恥心を覚えていた。

 

全身が、全ての細胞と組織が認識しているはずだった。

自分が今、どこに立っているのか。

自分が今、どのような使命を負っているのか。

自分が今、どれほど緊張感を保たなければいけないのか。

 

全てを。

 

視界と視力の許す限り把握できる周囲の艦娘たちは例外なく、それを認識していた。

 

相変わらずの無表情ながら、醸し出す雰囲気が桁違いに極寒の加賀。

いつもの温和さはどこに行ったのか、もはや加賀の無表情に肉薄している翔鶴。

特定の艦娘と口論したときのように、眉間に深い皺を刻み込んで周囲を警戒する瑞鶴。

瑞鶴と異なり、幻想的な空を背景に翼を翻す艦載機のみを鋭利な視線で睨む蒼龍。

海上では一際目立つ紺色の着物を夜明けから逃げ惑う風ではためかせながら、寒さなどものともせず、ただ眼前の一点を見つめて矢を射る飛龍。

 

聞こえる音は風切り音と足底の艤装が海水を切り裂く音、そして蒼龍・飛龍の艦載機発艦に伴う疾走音のみ。

 

箱形陣形(ボックスフォーメーション)を取った空母艦娘の周囲を護衛艦娘で取り巻く輪形陣、第三警戒航行序列。その外輪を固めている金剛以下、護衛艦隊の鳥海、曙、潮、朝潮、照月。本隊より先行し、警戒任務についている第六水雷戦隊も一切、口を開かない。極限まで張りつめた空気が、ここにいる全員が知っている歴史が、よけいにそうさせていた。

 

一瞬の気の緩みが、本当に取り返しのつかない惨劇を招く戦場において、緊張感により心を律することは必要不可欠。しかし、それは無条件の沈黙を意味しない。複数の艦娘と連携する以上、適切な意思疎通、命令伝達、意見具申は勝利を掴むための絶対条件。緊張感を隠れ蓑にした沈黙は害悪以外の何物でもなかった。

 

その事実と垂らし合わせれば、現状は落第点だ。全員、悪気はない。百石から緒方以下MI攻撃部隊司令部から託された使命を全うするという覚悟故の、“再来”は絶対に容認しないという決意故の結果であることは分かっている。

 

あのミッドウェー海戦を“惨劇”に、祖国の“終わりの始まり”にしてしまった張本人であるこの身もそれを抱いているのだから。

 

“またここで一大決戦を行うことになるなんて・・・・・・奇縁ね”

 

出撃前、大隅の甲板上で加賀は目尻を緩めながら、しみじみとそう語った。

 

そう、奇縁だ。軍艦としての生を終え、転生と受肉という奇跡を経て歩む権利を与えられた二度目の人生。国も歴史も故郷と異なる世界で、再び自身が引きずり込まれた海域と同じ名前、同じ地理的条件を備える諸島に、海域にやって来た。

 

果たして、単なる偶然と切り捨てることができるだろうか。できたなら、みずづきに肩を押してもらうこともなかった。それでもこれは単なる偶然なのだろう。一切の意思が介在しない事象をあたかも意思が存在するように定義することは非常に危険な行為。しかし、前へ進むための踏み台とするなら、自分の意思で未来を切り開いていく動機づけとするなら偶然にも価値はある。

 

“瑞穂において記録されるミッドウェー海戦を勝利で締めくくるぞ!”

 

百石の決意。これは自分たち空母艦娘と寸分違わず同一だった。

 

この海戦での勝利。これを経て初めて、世界は違えどあの海域と同じ海で、あの海戦の教訓を生かし、自分たちの反省と後悔と努力を示すことで、自分たちは新たなステップに進める。

 

いつかこの身が果てた時、胸を張ってあの人たちに会えることができる。もし日本に帰れるのなら、堂々と故郷の土を感じることができる。

 

だから、この戦いは何としても勝たなければならなかった。勝つために“囮”を演じなければならなかった。

 

しかし、現状はこの有様。

(空母機動部隊の旗艦は私。私がなんとかしないと・・・・・)

拳を握りしめ、瞑目したのち、決意を実行しようと振り返る。だが、あと一歩のところでそれは遅きに失した。

 

 

「直掩隊・偵察隊の発艦、完了しました。赤城さん? これで大丈夫ですか?」

 

 

赤城ではない空母艦娘が重苦しい沈黙を打破する。それは直前まで悲しそうに偵察機を見つめていた飛龍だった。悲壮な雰囲気を振り払い、緊張感をまといながらも朗らかさを交え、無線を通じて話しかけてくる。蒼龍や翔鶴が冷や汗を浮かべながら、加賀に視線を送るが無反応。日本からの付き合いだ。それが了承を示すものだと分からない愚者はここにはいなかった。雰囲気を乱した怒りどころか、安堵の色さえ覗うことができる。彼女もこの状況には危機感を覚えていた。

 

「ええ。ばっちりよ。ごめんなさいね、つらい役割を押し付けてしまって・・・・・」

 

自身が押し付けた命令。愛情たっぷりに愛機を整備し、妖精たちと話し込んでいた飛龍を想うと罪悪感が込み上げてくる。心情が顔に出ていたのか飛龍は、そして蒼龍は鬱憤を感じさせない爽やかな笑みを見せた。

 

「いえいえ、気にしないでください。妖精たちもやる気に満ち溢れていましたから」

「そうです、飛龍の言う通りですよ。横須賀湾沖航空戦で敵機動部隊の第二次攻撃隊を退けるなどした実戦経験豊富な部隊を温存することは当然の選択です」

「それに私の攻撃隊はこんなことではへこたれません!」

 

飛龍が誇らしげに、背中に引っ提げている矢筒を叩く。だが、その直後急に表情が引き締まった。

 

「これではるづきには私たちの位置を教えることができるんですよね?」

「“できる”ではなく、“できるかもしれない”よ」

 

加賀が鋭く言い放つ。「?」と首をかしげている蒼龍、飛龍を見ると説明不足感が否めないため、捕捉する。

 

「レーダーが普遍化、高性能化した21世紀において、戦闘艦は敵による逆探を防ぐため常にレーダーを作動させているわけではないらしいの。はるづきがレーダーを作動させていれば飛龍さんたちの艦載機は間違いなく捉えられるだろうけど、彼女がレーダーを作動させているのか、作動させていないのかは現状、みずづきさんしか分からない。だから、敵が私たちに食い付いてくれるかはまだ確定ではないの」

 

既にこちらの存在が露呈しているため、現在無線封止は行われていない。が、それはあくまで空母機動部隊の艦娘、航空機間、そして大隅間との通信のみ。水上打撃艦隊との通信は禁止されていた。みずづきと連絡を取ることが可能なら確定的な判断を下せるが、水上打撃艦隊の位置が露呈すればこちらの意図が漏れてしまうおそれがあった。

 

「は・・・はぁ・・・・」

「なるほど。だから、順当におとり用の直掩機だけでなく偵察機にも発艦命令を下したんですね」

「そういうことよ。まぁ、偵察機には予期せぬ奇襲を防ぐ意味合いもあるのだけれど」

 

こうしてみると、個性が出て面白い。小難しい話に生返事の飛龍と冷静に考察する蒼龍。これだけでは飛龍が芳しくない評価を食らってしまうが、彼女には代わりにミッドウェー海戦時、単艦で起死回生と敵討ちに打って出た大胆さと即決さがある。二抗戦の僚艦としてみれば、上手くバランスが取れている。

 

夜襲艦隊(長門艦隊)の方は大丈夫でしょうか? 既に夜明けも近く、敵も偵察機を発艦させていると見られます。分離から既に1時間半近くが経過しましたが・・・・・」

 

赤城が肯定した後も二人で掛け合いを続けていた蒼龍と飛龍を見て微笑んでいた翔鶴が、急に表情を曇らせる。彼女の懸念は(もっと)もだ。

 

「そうね。万一、こちらより先に長門さんたちが発見されれば、みずづきさんがいるとはいえ、大惨事の可能性もある。・・・・・蒼龍さん? 南東方向に向かわせた偵察機の状況は?」

 

偵察機を発艦させるにあたり、蒼龍には本艦隊よりの方位0から100を、飛龍には260から360の範囲を割り当てている。水上打撃艦隊は敵艦隊の側面から奇襲攻撃を目論んでいるため本艦隊の右舷側、南方海域を航行している。

 

「現在、3番機が本艦隊の45km付近を飛行中。現在のところ、敵・味方ともに艦影・機影を見ず・・・・・です」

「そう、ありがとう」

 

とりあえず、今のところは大丈夫なようだ。

 

「長門たちの心配もほどほどにね。私たちがやられれば、その影響はそのまま長門たちを苦しめることになるわ。警戒すべきは空だけじゃない。あなただってそれはつくづく・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「ごめんなさい。口が滑ったわ」

 

加賀も過敏になっているのか。いつもよりとげのある口調で語りだすものの、視線が振れた瞬間、不意に口火が鎮まる。原因がそれだけではなかっただろうが、視線が翔鶴以外の艦娘を捉えたことも大きかっただろう。

 

「いえ・・・・・。お気になさらず。・・・・・・ご忠告、ありがとうございます」

 

艤装を装着している関係上、深々とお辞儀ができないため、軽く頭を下げる翔鶴。だが、意識の何割かは謝意の送り先である加賀ではなく、左翼を航行している妹に向けられていた。そして、受け手である加賀も同様だった。

 

2人の意識を一身に受ける瑞鶴。彼女はほどよく緩んだ空気に感化され会話に飛び込んでくることもなく、姉と先輩の視線に気づくこともなく外洋を見つめていた。

 

儚げな雰囲気をたたえて・・・・。

 

「瑞鶴・・・・・・・」

「ん? ・・・・・・・翔鶴姉? ・・・・・・・どうしたの?」

 

翔鶴の心配そうな独白で、ようやく自身が注目の的になっていることに気付いたようだ。状況が理解できず、最も身近な姉に伺いを立てるも翔鶴は睫毛を伏せる。「え? なに?」と戸惑いから苛立ちにギアチェンジしつつある瑞鶴。妹の視線が鋭くなるにつれて、ますます口を結ぶ翔鶴。

 

瑞鶴がどのような幻影を見て、外洋を眺めていたのか。どのような気持ちを抱いているからこそ翔鶴が沈黙を貫いているのか。赤城には分かっていた。

 

彼女たちがMI/YB作戦を聞いてから常に自身や加賀を気遣ってくれたことは知っている。みずづきのよき相談相手を引き受けてくれたことも艦娘寮で話し込んだ後日、みずづきの口から聞いていた。だから、2人の力になってあげたいと思うが、それはこちらの役割ではない。

 

表情と感情が全く持って一致しない不器用な相棒の役割だ。

 

「瑞鶴?」

 

その確信は誤りでも、過剰評価でもなかった。

 

「・・・・・・なによ?」

「気に触れたの? 囮と言う、言葉が・・・・・」

「ちょっと、加賀さん!」

 

翔鶴が慌てて加賀の言葉を止めようとするが、例えあと一歩早くとも彼女の言葉は止まらなかっただろう。それほどまでに加賀は真剣な視線で瑞鶴を射貫いていた。

 

他意を感じさせずじっと直視してくる加賀。不安げに両者を交互に見つめる翔鶴。その2人とその2つの対照的な感情を目にしても、瑞鶴は特段の反応を示さなかった。

 

囮。

 

これが瑞鶴に対してどのような意味を持つのか。ここにいる全員がそれを知っていた。

 

「気に触れた・・・・か。ある意味そうかもね。ここまで来て、変に取り繕ってもしょうがない」

 

そう、ため息交じりに呟く瑞鶴。加賀の視線がわずかに揺らぐ。瑞鶴が、翔鶴がどれだけ先輩である自分たちのことを思ってくれているのか。感情だけでなく行動で実行してくれているのか、この身が知っているのと同じく加賀も当然知っていた。

 

「あのね、瑞鶴・・・・・」

 

彼女の中で何らかの決断が下されたのだろう。可愛い後輩に伝えようと口を開く。しかし、それは“口を開く”で終焉を迎えた。

 

「でも分かってるから。同じ囮でも、あの時とは違うって・・・・」

 

直前に下された決断。既に醸成されていた覚悟。短時間で伝えられる想いは断然後者だ。瑞鶴は儚げに微笑みながら、先ほど飛龍が行ったように矢筒を優しくなでる。

 

「敵との戦力も拮抗してる。頼りになる艦載機もある。たくさんの仲間がいる。確かな未来を抱えた希望がある。一緒にする方が無理よ、どう考えても」

 

途中までは良かったものの、さすがというべきか最後はあからさまに加賀を馬鹿にした発言。いつもなら微笑ましい激戦の開幕だが、ボールを投げても受け手がグローブを準備していなかった。

 

「私、決めたの」

 

主語があっても目的語がない言葉。なぜ、そのような言葉を選択したのか。茜色から水色に移ろう空を眺める横顔には特定の意思が垣間見えている。

 

「何を?」

 

躊躇せず、加賀が尋ねた。瑞鶴は自慢のツインテールとスカートの裾を翻して、加賀を直視すると凛々しくこう断言した。

 

「絶対にこの戦いに勝って、全員で瑞穂に帰るって」

「瑞鶴・・・・・・・」

「そう・・・・・・。まぁ、せいぜい頑張ることね」

 

感極まった翔鶴と対照的なそっけない言葉。しかし、目元で瞬くかすかな輝きが内心は翔鶴と同じであることを本人の強がりに関係なく、空母艦娘全員に示していた。どうやら、自身が感極まったことすら認識できないほど、感極まっているらしい。

 

わずかに頬を朱色に染めながら、瑞鶴は対空警戒のため加賀から視線を逸らす。

 

なんとも微笑ましい光景だが、その終焉を明確に告げる瞬きが視界に飛び込んできた。続きは作戦終了後のお楽しみだ。

 

「みなさん」

 

この一言で、状況を把握したのだろう。全員が表情を引き締めて赤城と前方の瞬きを睨む。

 

「警戒部隊旗艦、金剛より発光信号。“川内より入電。当艦隊球磨、敵偵察機とおぼしき機影の接触を受く。機影は北方向へ逃走」

「どうやら、かかったようですね」

 

飛龍が勝ち気な笑みを浮かべて、ゆっくりと呟く。反論が上がることなく、空母艦娘は全員、向こう側にいるであろう敵の幻影を浮かべ水平線を見つめる。

 

 

 

――――

 

 

 

戦艦などとは比較にならないほどの遠距離火力投射能力を持つ空母機動部隊同士の戦闘において、“相手に先んじ、いかに早く敵を発見・捕捉するか”、これが勝敗の行方を大きく左右する。一刻も早く航空隊を空に上げ、空母を空にし、万一被弾した場合も報復攻撃を可能とする。相手が後生大事に航空隊を抱えている間に打撃を加えられれば、空母と航空隊の双方をわずか一撃で葬り去ることも可能。

 

くしくもこれを軍事学上の推測ではなく、事実として確定させたのはミッドウェー海戦であった。

 

先手必勝。まさしく、この四字熟語が空母同士の戦闘を如実に例示している。ただ、森羅万象は例外なく“例外”が存在していることも事実。アジア・太平洋戦争におけるマリアナ沖海戦では日本海軍機動部隊がサイパン・グアムをはじめとするマリアナ諸島侵攻を目論む米海軍機動部隊を先に発見し、攻撃隊を発艦させたにもかかわらず、“マリアナの七面鳥落とし”と揶揄されるほどの大敗北を喫した。この要因としては度重なる激戦によって熟練搭乗員が減少し、航空隊全体の練度が低下していたことなどがあるが、最たる要因は高性能な対空レーダー、的確な航空管制、VT信管などアメリカとの科学技術力の差が既に“大和魂”では覆せない領域に至っていた点だ。

 

これはみずづきとの戦闘演習においても、既に実証されている。技術水準が上回る敵に対し、いくら先手を打とうとも、奇襲を撃とうとも結果は敗北しかない。

 

今回の決戦においてもこちらが布哇泊地機動部隊より技術の点で上回っていれば、ここまで悲壮な覚悟を決めずに済んだだろう。しかし、生憎、艦娘と深海棲艦は同じ土俵に立っていた。

 

そして、この土俵において、先手を打たれたのは“予定通り”空母機動部隊側だった。金剛から発光信号が瞬いた12分後、飛龍4号機が空母機動部隊よりの方位031、距離71km海上に布哇泊地機動部隊を発見。即に日の出間近であったため、各空母艦娘から護衛の紫電改二、攻撃隊の彗星、流星で編成された第一次攻撃隊約260機が素早く発艦。前方の空を埋め尽くす大編隊は機首を敵艦隊に向け、躊躇することなく猛進。あきづき型特殊護衛艦が有するFCS-3A多機能レーダーではなく、あくまで深海棲艦の対空電探対策として低空飛行しているため、深緑の機体が真っ赤に染め上げながら黄金色に輝き始めた水平線に溶け込んでいく。

 

「ふぅ~~~~~。これで一石二鳥は防げたわね」

 

しかし、安堵はこの一瞬。いくら、航空隊を派出できたとはいえ、先手を打たれたことは揺るぎない事実。彼らが敵に己の真価を発揮する前に、こちらが敵攻撃隊の猛攻を受けることは確実。加えて、飛龍4号機からの情報によれば、布哇泊地機動部隊は相変わらずMI攻撃部隊を追うように西進を続けている。空母機動部隊はかの部隊及び水上打撃艦隊から目を逸らすため、北東に進路を向けている。向かい合ってはいないものの、この位置関係でお互いが艦載機を相手に差し向けたとなれば、飛行中に両航空隊が接触する可能性すらあった。

 

敵がどのような機種構成で攻撃隊を編成しているのか不明な以上、接触には多大なリスクを孕む。こちらが圧倒できればいうことはない。もしこちらの第一次攻撃隊が壊滅した上で敵航空隊が継戦可能な状態なら、訪れるのは悪夢だ。

 

だが、仕方がない。百石が示した作戦には最終的に空母艦娘全員が同意を示していた。相手が布哇泊地の機動部隊であり、最強の盾であるはるづきを擁している以上、そもそも数に物を言わせて先手を打ったところで芳しい戦果は挙げられない。

 

此度の戦いにおいて、敵の注意と艦載機を一身に集め、敵艦隊上空の航空戦力を削減し、砲雷撃戦が可能な戦場を提供する餌こそが最も勝利に近づける自分たちの役割だった。

 

役割が課されている以上、守勢であろうが攻勢であろうがやることは変わらない。ただ、役割を、任務を存命しながら達成すること。ただそれだけだ。

 

「翔鶴さん! 全艦に通達! 面舵25! あきづき型の防空圏は直径60kmよ。なんとしてもその中に航空隊を入れないようにって!」

「了解! っ!? あ、赤城さん!!」

 

勇ましい声から一転、驚愕を匂わす悲鳴。あまりの落差と急変から、ある確信を抱く。それが正解だと翔鶴の報告が冷徹に告げてきた。

 

「金剛さんより入電。本艦の22号対水上電探が多数の機影をみとむ。方位401、距離29000。時間を追うごとに反応増大中。・・・・・・もうまもなく、視認できるかと」

「二機艦、五游部直衛隊は捕捉空域へ直行! ただちに迎撃! 一機艦直衛隊は現空域に待機! 奇襲を警戒せよ!」

『了解!』

 

自身の命令を受けて、艦隊上空を周回していた42機の紫電改二が一斉に機首を旋回。一目散に金剛の22号対水上電探に反応があった空域に急行する。空が、海上が慌ただしくなる中、自分たちを水底に沈めんとする禍々しい殺意を帯びた一団が美しい空を穢し始めたのは翔鶴の推測通り、その直後だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

茜色から赤色へ。赤色から青色へ。決して立ち止まらず、人類が誕生するはるか以前、この星が奇跡と偶然によって産声を上げたその時から無限に繰り返されてきた営みを続ける空。新たなる一日に歓喜した太陽に照らされ金色に染まっていた東方の水平線は高揚ゆえの容赦ない日光が海上と空中の存在に向いたため、空の水色と海の紺碧が混じり合った複雑な色彩に立ち戻っていく。

 

彼らを見習い、長門を旗艦とする水上打撃艦隊も決して歩みを止めることなく、主機が許す速度で鋭意布哇泊地機動部隊に向け航行していた。

 

今日は昨日と変わらず、快晴とは言えないまでも晴れに含むことができる天気。所々に立派な雲が浮かんでいるが、ただの水蒸気の塊。自らの維持で精一杯であり、とても配下に水蒸気の集合体をばら撒くほどの力は有していない。そのため、風も波も穏やか。所によっては暴風雪も覚悟しなければならない瑞穂近海とは大違いだ。

 

「・・・・・・・・・うっ。っぺ」

 

それでも化石燃料の燃焼により生み出したエネルギーで無理矢理、海水を引き裂いているため、反動で波しぶきが全身を洗う。口内で唾液と混ざり合い、味覚細胞を不当に刺激する海水を吐き出して、もう何度目か。荒天時と比較すれば可愛いものだが、速力の関係もありこの天候と海面状況では異例といえるほどの抗議がみずづきを襲っていた。

 

「赤城さんたち、うまく会敵できたのかな~。もう日が昇っちゃったけど・・・」

 

風切り音に紛れて、後方を航行している北上のボヤキが聞こえてきた。現在、水上打撃艦隊は前方に第三水雷戦隊、中央、後方に長門、摩耶、みずづき、北上、大井、榛名、比叡を廃した第四警戒航行序列で航行している。また、敵偵察機による発見を防ぐため、海上における展開面積を縮小していた。そうすると必然的に密集陣形となるため、無線封止下でも身近な艦との意思疎通は会話で十分成立した。

 

「もう空母機動部隊と分離してから2時間弱。作戦だともう火蓋が切られている頃合いだよな?」

 

みずづきと同じく波しぶきを食らったのか。黒髪からキラキラ輝く海水を流出させている摩耶が右斜め後方を航行している榛名に問いかける。

 

「ええ。というか・・・・・・・」

「そうなっていてもらわなければ、困る」

 

摩耶の問いに答えたものの、困惑気味な表情で尻すぼみする榛名。彼女が言いかけた水上打撃艦隊としての都合を主力部隊の先陣を切る長門が代弁した。

 

「我々の目的は上空がお留守になった、または航空戦の生起によって敵艦隊の意識が上空へ向いている間に肉薄し、対空戦闘を極力避けながら砲雷撃戦で敵艦隊を殲滅することだ。敵が強靭な空母機動部隊であり、はるづきを擁する以上、我々が勝つ道は奇襲的な艦隊決戦しかない。もし、敵の航空隊が赤城たちに殺到していなければ、我々にその分の航空隊が殺到することになる。・・・・・・・・・・・・作戦は根本から崩壊だ」

「あ・・・あの~~~?」

 

声色を固くする長門や不安げにお互いの視線を交差させる榛名たちが見ていられなくなり、みずづきはゆっくりと慎重に手を上げる。カチューシャ型の艤装に埋め込まれている電波探知装置(ESM)は周囲360度、一瞬たりとも休まず収集し続けた情報からある推測をもたらしていた。

 

「ん? どうした、みずづき?」

「あくまでも推測ですが、空母機動部隊は敵航空戦力の誘引に成功していると思います」

 

長門の疑問に、はっきりと断言する。だが、これだけでは「それまた、なぜ?」と詳細な説明を求める比叡が自然。自分がそう述べた根拠を理解し「おお! 本当か!」と歓喜している長門は例外中の例外だ。大宮鎮守府を母港とする第二機動艦隊に所属し、長門たちほど日本の技術に慣れていない比叡にも理解できるよう、カチューシャを左手で示しながら説明する。

 

「30分ほど前から、この艤装に埋め込まれている電波探知装置で捉えられる空母機動部隊発とおぼしき通信が激増しています。ほとんどは隊内無線と思われる短波通信で現在も収束の兆しは一切ありません」

「通信量の増大は部隊が作戦準備に奔走している場合や作戦行動を開始した場合の典型的な兆候だ。みずづきのESMが捉えたのだとしたら、ほぼ間違いないだろう」

「では?」

 

榛名が再度、長門の意思を確認する。長門はこちらを一瞥すると第三水雷戦隊の遥か向こう側に広がっている水平線に目を向け、言明した。

 

「本艦隊はこのまま前進。布哇泊地機動部隊への肉薄を目指す。敵航空隊は作戦通り誘引に成功し、はるづきも露呈を警戒してかレーダーを切っている。各艦とも引き続き、対空・対水上警戒に気を抜くな。はるづきのみならず、みずづきもレーダーを切っているからな。また未明のこともある。対潜警戒も怠らぬように!」

 

各艦は無言で頷くと、哨戒に割いていた意識の割合を100%に引き上げ、周囲にくまなく目を光らせる。みずづきのESMによってるづきもFCS-3A多機能レーダー及びOPS-28航海レーダーを作動させていないことが明らかとなった。あと最大の戦果が期待できる奇襲を目指してひらすら海上を駆けていくだけ。状況によってはみずづきによる防空戦闘が展開される中での強襲肉薄も想定されていたため、勝算は格段に向上していた。敵艦隊の位置もESMが捕捉したごく微弱な電波を受け、大方絞られていた。

 

不安定要因が多々あり、賭けの要素が大きい作戦だが今のところ順調に進んでいる。

 

しかし、これから先も順調に進むかどうかはまさしく“神のみぞ知る”である。

 

仮にここで敵の偵察機なりに発見されてしまえば、様々な過去と想いにけりをつけ歯を食いしばって敵の猛攻に耐えている赤城たちの努力を完全に踏みにじってしまう。偵察機に見つかるかどうかはもはや運の領域だが、かといってただ祈ることが適切な行動ではない。運を思い通りに操ることはできないが引き寄せる方法はいくらでもある。

 

みずづきはそのうちの1つ、カメラや赤外線センサーなど光学機器をフル活用し、上空の動体、赤外線反応をくまなく捜索する。科学の進歩はレーダーに頼らない光学的な捜索手法をも肉眼では到底確認できないような遠方及び条件次第で雲の反対側までを捜索可能なほどに進化させていた。場合によっては敵偵察機よりも早く存在を捕捉できるかもしれない。

 

「みずづき?」

 

透過ディスプレイに投影されている艦外カメラや赤外線センサーの画像に気を取られていたからだろう。唐突な長門の呼びかけに、反応が遅れてしまった。

 

「は、はい! どうされましたか? 長門さん?」

 

だが、今度は長門が反応を示さない。彼女は思考の読み取れない眼差しでこちらの瞳を射貫いてくる。どれほどの時間が経過しただろうか。不意にその眼差しを緩めるとこう言った。

 

「その様子では大丈夫なようだな」

 

長門の視線が顔面から首、胸、そして腹部へ至る。そこで彼女の真意を把握した。気遣ってくれているのだ。いつ偵察機が飛来するかもしれない、いつはるづきの17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B block2)が飛んでくるかもしれない張りつめた状況でも、長門は仲間をしっかり胸に留めていた。

 

その心構えへの感服と感心、なにより感謝を伝えるため、みずづきはできる限りの笑顔と覇気ある口調で身体の現状を報告する。

 

「はい! 痛みもありませんし、これなら支障なく戦闘に参加できると思います!」

「意気込みは嬉しいが、あまり無茶はするなよ? いくら痛みがなかろうがお前は負傷兵だ。負傷兵に無理強いさせたなど、不名誉にもほどがある」

 

苦笑した長門は「それでもいざという時は頼んだぞ」と言うように手を掲げると再び正面を向く。それを笑顔で見送り、みずづきも哨戒を再開した。

 

会話が途絶えてしばらく。海上は平穏の一言で敵の偵察機が現れることもなければ、ソナーに潜水艦が引っかかることもない。偵察機かと緊張が走ることは多々あったが、どれも雲の切れ間を飛ぶ渡り鳥というオチばかりだった。

 

もしかしたら、このまま行けるのではないか?

 

艦娘たちだけでなく、みずづき自身にもそのような淡い期待の籠った楽観視が芽生えるのにそう時間はかからなかった。この時、敵が出てくるかもしれないという緊張感、任務を達成しなければならないという使命感が、心の奥底を蓋で覆い隠し、ある事実を忘却させていることにみずづきは最後まで気付かなかった。

 

 

世界は理不尽で残酷。その純然たる、覆しようのない事実を。

 

 

心の醜い蓋を取り払ったのは、くしくもみずづき自身ではなく360度全周に聞き耳を立てていたESMだった。艦外カメラ映像や赤外線センサー画像を押しのけてメガネに表示されたそれは脳が事実を把握する前に、本能的危機感を惹起する警報音を轟かせた。

 

心拍数が急上昇し、血圧の急変に頭痛や下腹部の痛みで抗議する血管。

 

「な、なんだ!」

 

真っ先に反応したのは、さすがというべきか長門。しかし、その驚愕はいとも簡単にこちらの悲鳴に押しつぶされた。

 

「本艦のESMが対艦ミサイルの誘導電波らしき誘導波を探知! 方位356! 距離、21000!」

『っ!!!』

 

絶叫は風すらも支配下に置き、全艦に雷鳴を遥かに凌駕する衝撃をもたらした。長門が苦虫を噛み潰したよう顔を歪める。

 

こうなった時の対処法は既に長門と打ち合わせを行っていた。そのため、長門の命令を受けるまでもなく、即座に行動を開始する。

 

「現時点を持って、我が艦隊の位置が露呈したと判断! レーダー管制解除! FCS-3A多機能レーダー及びOPS-28航海レーダー、即時待機状態から全力稼働状態へ移行!」

 

その瞬間、今の今まで黒一色だったFCS-3A多機能レーダー及びOPS-28航海レーダー専用の電子画面が活躍の時を待ちわびていたように、瞬時にメガネに出現。半日近く待機状態に置かれていたとは思えないほどスムーズにCバンド、Xバンドの電磁波を照射。視覚はおろか艦外カメラや赤外線センサーで明らかにできなかった視認圏外を自らの影響力下に置いていく。

 

そして、FCS-3A多機能レーダーの対空画面、対水上画面、OPS-28航海レーダーの画面に無数の光点が映し出された。その中で特に脅威とFCS-3Aが判断した光点が黄色から赤に変色する。それはFCS-3A多機能レーダーの対空画面に4つ、対水上画面とOPS-28航海レーダー画面に5つ、存在していた。そして、全レーダー画面に共通して示されている高速でこちらに向かってくる4つの光点が点滅を開始した。

 

「対空目標探知! 方位・・・・・って、間に合わない!!!!」

 

悲痛な絶叫が無意識のうちに声帯から放たれる。速度及び一切の躊躇を感じさせない猛進ぶりから見て、こちらに接近してくる飛翔体は間違いなく、対艦ミサイル。発射位置が至近であったため亜音速には到達していないが、それでも対処時間は約1分しかない。

 

呑気に現状報告している暇は、本当になかった。

 

「対空戦闘よーい!!」

「総員!  左対空戦闘よーい! 各個射撃を許可する!」

「りょっ、了解!!!」

 

もはや癖と化した自身に対する号令なのだが、こちらの雰囲気から切迫度を判断したようで長門が詳細な報告を上げていないにもかかわらず、号令を発する。通常ならばこちらが詳細な報告を行ったあとに旗艦である艦娘が判断を下すのが慣例だが、長門は上手く気を回してくれた。彼女の頼もしいフォローもあり、驚愕に表情筋を引きつらせつつも艦娘たちは混乱なく各砲口と銃口を左舷の空に突き上げていく。

 

「迎撃よーい! ESSM発射はじめーーーーー!!!」

 

主人の焦燥感とレーダー情報からただならぬ気配を感じたのか、ESSMは久しぶりの乱舞に歓喜することもなく、自らの性能に酔っているわけでもなく、冷静沈着にVLSから飛び出し、FCS-3A多機能レーダーの誘導電波に従い、己が主人たちを脅かす敵を海の藻屑に変えんと瞬時に音速を超える。

 

発射された数、4発。確実を期すためには1発あたり2発を撃ちこむのが常道だが、ESSM8発を撃ち出す余裕すら惜しかった。ESSMの尋常ではない推進力で艤装に負荷がかかる時間も無駄にはできない。ESSMが艤装から飛び出し、頭上を飛び越えていく衝撃と爆音を感じながら、長門たちに一足遅れて左舷側へMk45 mod4単装砲を白雪たちの12.7cm連装砲とは異次元の素早さで指向。砲身の仰角を調整。装填弾種が対空用の調整破片弾であることを確認する。

 

全ての確認を終え、対空画面に視線を移動させたタイミングと水平線上に3つの火球が瞬くタイミングはほぼ同時だった。

 

「ちっ!!! 外れた!!!」

 

4つを3つと勘違いした見間違いならどれほど良かったことか。しかし、人間の身勝手な感情に左右されない無機質の機械となんの意思も介在しない衝撃波は冷酷な現実をありのまま、教えてくれた。

 

消滅したのは3つの光点。決して4つではない。ESSMの迎撃を運よく躱した光点は点滅の感覚を急速に短くしていく。それは心臓の鼓動と連動していた。

 

自身に命中するまで後、25秒。

 

「左対空戦闘、主砲うちーかたはじめーーーーー!!!」

 

懇願を込めて声帯が許す限り叫び、発射ボタンをこれでもかと凹ませる。その瞬間、長門はおろか陽炎たちにも及ばないが、頼もしさとこれ以上ない信頼感を覚える重低音と衝撃波が周囲に拡散。海水を叩きつけ、巻きあげさえもする衝撃を持って砲身から外界に身を晒した砲弾はESSMのように意思を持つことなくただ一直線に、目標との接触を夢見て空気を切り裂く。

 

だが、それは夢で終わる。虚しく立ち上る水柱。彼を抱擁したのは己の爆炎でもなく、相手の爆炎でもなく、傍観者であるはずの海水だった。

 

「お願いっ!! 当たってぇ!!!」

 

3秒の装填時間がここまで恐怖を孕んだ長さに感じたことはなかった。わずか、3秒。しかし、その3秒の間に目標は2.5kmも距離を縮めてくる。そして、もう対艦ミサイルは自動管制のCIWSが活動を開始するほど目の前。次の一発で当たらなければ、目標はポップアップを開始し、Mk45 mod4単装砲では完全に手に負えなくなる。あとはCIWSに望みを繋げるしかないが、例え撃墜できたとしてもそこまでの至近なら亜音速で飛来する破片で皮膚が切り裂かれることは確実。

 

被害は免れない。

 

再び空気を強制的に押しのけて、撃ち出された砲弾。先ほどとはわずかに異なる軌道を描き、みずづきはおろか水上打撃艦隊全艦娘の切願を一身に受けて、主人に突き刺そうとしている「死」を不届き者自身に突き刺すべく、一心不乱に進んでいく。これはもはや夢ではない。使命だ。

 

 

そして。

 

 

調整破片弾はその使命を全うした。

 

十分肉眼で捉えられる位置に発生する紅蓮の火球。瞬間的な発生と同時に衝撃波が皮膚を叩きつけたことから見てもどれほどの近さか分かる。火球が消え去った後、そこには対艦ミサイルの爆炎が悔しそうに漂っていた。

 

「よ・・・・・・」

 

それを認めて、ようやく声帯と脳の金縛りが溶けた。

 

「良かったぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 

一歩間違えると魂が抜け出てしまうほどの安堵を吐き出す。幸い、破片による被害もなく、迎撃は成功していた。冷静な精神状態下で味わう2度目の恐怖に足が震えているが、いくら猛攻を防ぎ切ったからとはいえ、へたりこむわけにはいかない。

 

「え・・・・? 終わり・・・・? 終わったのか? はぁ~~~~~~~」

 

こちらの様子のみで現状を把握している摩耶たちにもきちんと情報を提供したいが、後回し。

 

4つの光点が一挙に消えた各種レーダー画面。しかし、そこには対艦ミサイルとは比較するのもおこがましい速度だが、確実にこちらとの距離を縮めている1つの光点がFCS-3A多機能レーダー対水上画面とOPS-28航海レーダー画面にあった。それがなんであるか。考えるまでもない。

 

隠す気がないのか。光点から発せられる敵味方識別装置の信号によって、レーダー画面には「Haruzuki」と表示されていた。そのローマ字を見た瞬間、暴走していた心臓が、沸騰していた血液が一挙に静まり返り、熱を失っていく。

 

彼女の下衆な笑みを、彼女の悪意ある語り草を思い出した瞬間、彼女の明確な意思を理解した瞬間、溢れる熱を吸収しても平常心を保てないほど怒りが決定的になった。みずづきの異変を前に底抜けの安堵から靄のかかった困惑に移行する艦娘たち。

 

その中で1人だけ、平静を保ちこちらの報告と判断を待ち受けていた長門に視線を合わせた。

 

「本艦隊に飛来した対艦ミサイルは全て迎撃。現在、本艦隊に直接的な脅威を及ぼす対空目標は認められません」

「了解した。それで? はるづきはどこだ?」

 

その名前が紡がれた瞬間、安堵なり動揺なり困惑なり、流動的だった艦隊に対艦ミサイルが飛来するまで保たれていた緊張感が沸き上がってくる。

 

「本艦隊よりの方位356、距離19500。布哇泊地機動部隊から単独で分離したと思われ、現在単独でこちらへ接近中です」

「単独で? 一体どういうことよ、それ・・・・・」

 

大井の眉間に皺が刻まれる。これは彼女だけの意見ではない。みずづきも含めた、全艦共通の認識だった。

 

「・・・・・・布哇泊地機動部隊の位置は?」

「対水上捜索範囲外のため詳細は不明ですが、対空目標の分布から見るに、方位352、距離54000付近に彗星や流星など艦娘航空機と深海棲艦航空機が乱舞している空域があります。目標が探知・消失を繰り返したり、特定ポイントへ向け降下している探知状況から判断するにそこに布哇泊地機動部隊が存在するものと推察されます」

「つまりはるづきは布哇泊地機動部隊の直衛を捨て、わざわざこちらへ向かってきたということか・・・・・」

「でも、そしたらどうやって、こちらの位置を? はるづきは電探を切っていたんでしょ?」

 

比叡の言う通りだ。加えて、艦隊の中で誰一人として敵偵察機を目撃した者はいなかった。ならば、潜水艦の可能性もあるがこれもソナーが一切音紋を捉えてないことから低い。

 

「肉眼での哨戒にはやっぱり限度がある。見落としていたとしても不思議じゃないぜ?」

「そうですが、今はそれを議論している暇はありません。長門さん」

 

摩耶をはじめ傾きかけた空気を修正し、長門を見据える。彼女の目を確認すると、変動も揺らぎもない凛々しい口調で意見具申を行った。

 

「はるづきへの攻撃命令を。私が持つSSM-2B block2全8発を撃ちこみ、はるづきを沈めます」

「・・・・・・・・・・・・」

「彼女は明確な意図をもってこちらに向かっています。そして、その意図がなんであるか現状、私たちに知る術はない。ここで彼女という今次作戦において最優先撃破目標かつ最大の不安定要因を排除しておかなければ、作戦の遂行自体が脅かされます。今回の攻撃は4発で、はるづきは前日も4発のSSMを使用していますが現状どれだけの残弾があるのかわかりません。それにこれはチャンスです。はるづきをここで沈められれば、勝利は大きくこちらへ近寄ってきます!」

「8発の飽和攻撃ではるづきを沈められる確率は?」

「4発の攻撃で私があそこまで追い詰められたことから考えると、おそらく8割がたは撃沈できるかと」

 

堂々と答える。これだけ言えばという楽観的な考えが全身を支配する。しかし、それはある意味裏切られた。

 

「う~~ん」

 

腕組みをし、思案するという予想外の反応を示す長門。他の艦娘たちにも理解できなかったようで摩耶がこちらの肩を持ってくれた。

 

「何を迷うことがあるんだよ? みずづきの言う通りじゃねぇか。ここではるづきを()れれば、勝ちの可能性は跳ね上がる。この作戦においてあいつだけが目の上のたんコブなんだろう?」

「それは・・・・・そうだが」

 

奥歯に物が挟まったような言い方をする長門。彼女は摩耶に向けられていた時と一変させた厳めしい視線を、瞳はおろか思考まで読み取ろうとするかのように固定する。そして、こう尋ねてきた。

 

「お前はそれでいいのか?」

 

意味が分からなかった。「それ」が指し示す行為が理解できなかった。そもそもなぜこのタイミングでそのような釈然としない質問を投げかけてきたのか、彼女の真意が把握できなかった。

 

頭の中が疑問符で埋め尽くされるが、長門は長々と引っ張る気はないらしくあっさりと引いて見せた。

 

「いいなら、いいんだ。これはお前たちの問題であるわけだし、私が口を挟むことではなかったな」

「一体、何を・・・・・・」

「意見具申、受諾しよう。但し、4発という条件付きだが。まだまだ戦いは続く。ここで貴重な切り札を使い切ることはリスクが高すぎる」

 

こちらの疑念を遮るように下された攻撃許可。このタイミングは絶妙だった。長門が何を考えているのか、非常に知りたい。しかし、その欲求ははるづき排除という喫緊の問題の前にはどうでもいい小事。いくら気になろうと、欲求は抑圧せざるを得なかった。

 

「ああ、言い忘れるところだった。条件はもう1つある。対艦ミサイルによる攻撃終了後、ただちに・・・・・・・」

 

加えて、長門の判断は時勢を鋭く考察した的確なものばかり。こちらがそれを無下にする権利などなかった。

 

「まぁ・・・・・・そう上手くはいかないと思うが」

 

(長門さん。本当にどうしたの?)

旗艦の許可を受け、攻撃準備を介する傍らで聞こえた意味深な呟き。例え4発になろうとも距離はこちらが攻撃を受けた時よりも近づいていた。

(これほどの距離なら、勝機は・・・・・・ある!)

この時はそれが予言になろうとは考えもしなかった。

 

 

 

 

 

 

「う・・・・うそ・・・・でしょ・・・・・・」

 

FCS-3A多機能レーダー対空画面上に表示された4つの“LOST”。しかも、こちらより対処時間が少なかったにもかかわらず、全てESSMで叩き落されたとなれば衝撃はひとしおだ。

 

はるづきへのSSM-2B block2 4発による攻撃。それは全弾の迎撃であっけなく終了していた。みずづきの頬を日光で温められた潮風が撫でてく。

(攻撃されるっていう心構えがあるのとないのとでここまで差が出てくるか・・・・)

そのようなこと、今まで経験から分かっていたはずだった。しかし、今回の戦場はもはや人間の知覚範囲を超えた高速域。圧倒的な速さの前にちっぽけな心構えなどないも同然と思っていたが、やはり戦場においていくら深海棲艦に墜ちようとも重要らしい。

 

「・・・・・・仕方ねぇよな、こうなっちゃよ。それでみずづきさん? はるづきの位置は?」

 

はるづきの対処能力に笑っているのか。はたまた、みずづきの落胆ぶりに笑っているのか。摩耶は茶化すような口調で報告を求める。戦場ではあるまじき態度だが、それによって心が軽くなったのも事実だった。

 

「現在、速力29ノットで俄然突進中。あと15分ほどで会敵します」

 

こちらから離れていく光点がある一方で、急速に距離を詰めてくる光点が1つ。意思は強固なのだろう。SSM-2B block2以外では有効な打撃が与えられない総勢13隻の艦隊に躊躇なく向かってくる。

 

ここに至っても、彼女の意図が全く分からなかった。いや、心の奥底でなんとなく察しは付いていた。しかし、合理的な思考が必死にそれを否定する。

 

“ここは戦場。そして、今は戦闘中。特殊護衛艦たる者、時局を考察し、大局観を持って行動しなければならない”と。ただ、自分たちはいかに教育を受け、信念を抱こうと喜怒哀楽の感情を持つ人間。合理性を、正当性を貫こうと心を束縛することは簡単ではない。

 

いくら闇に墜ちようとはるづきもそうだった。

 

「15分・・・・・・な。この天気なら、もうそろそろ視界に入ってもおかしくない。あの時の仕返し、たんまりしてやらねぇとな!」

 

腕に備え付けられている艤装の砲身が接触しないよう、器用に両手の拳を激突させる摩耶。闘志で燃えたぎるその視線は長門に向けられた。

 

「なぁ! 長門さん! 罠だなんだって警戒している場合じゃない! さっき、みずづきが言った通りだ。ここでかたをつけようぜ!」

 

そういって、20.3cm連装砲が引っ付いている右腕を左舷側の海、はるづきがいる方向に突き出す。体を熱しているのは彼女だけではない。榛名たち戦艦勢は当然として、Mk45 mod4単装砲の攻撃をまともに食らえば、戦闘不能は避けられない川内たち第三水雷戦隊も同調していた。思案の末の決断であることは真剣な眼差しが物語っている。結果、長門を除く全ての艦娘が摩耶の言葉に頷いていた。

 

長門は困惑気味に苦笑すると彼女たちの眼差しを受け入れた。

 

「よしっ。全艦、砲雷撃戦よーい! 左砲戦! 視界に捉えたと同時に一斉砲撃を行う。各艦、準備急げ!」

「よっしゃあ!」

「布哇の連中もいいけど、一足先にこの深雪様の力を見られるとははるづきも運がいいんじゃん」

「みずづきを血まみれにしたお礼、たっぷりしてあげないとね。ふふ・・・ふふふ・・・」

「はるづきと接触する前にうちの姉が深海棲艦になりそうなんやけど・・・・これは・・」

「っ・・・・・・・。知らないっ」

「あっ! 初雪! んな、殺生な!」

 

静まり返っていた艦隊がにわかに騒がしくなってきた。意見具申をしていた摩耶もそうだが特に駆逐艦たちの歓喜が大きい。なぜそうなっているのか。言葉を聞かずも表情から垣間見える彼女たちの優しさには感謝するしかない。

 

だから。

 

「彼女たちには、指一本触れさせないっ。対水上戦闘よーい! 目標、はるづき!」

 

“LOST”の驚愕で隠れていた心の中の撃鉄を再び降ろし、決意と殺意が籠った視線で水平線を睨む。既に多機能レーダーと連動したMk45 mod4は砲塔も砲身も一たび砲弾を発射すればはるづきを射貫ける体制で待機。弾種も調整破片弾から対艦用の多目的榴弾に換装。

 

攻撃準備は完了していた。そして・・・・・・・。

 

「はるづき、視認しました」

 

倍率を上げた艦外カメラで当該方向を監視していたみずづきが抑揚の抑えた冷静な声色で報告を上げる。同時に長門たちも彼女の姿を捉えたようで、先ほどまでの喧騒が嘘のように艦隊は静まり返る。これほどの静寂ははるづきからSSM-2B block2の攻撃を受ける前以来だ。

 

「長門さん」

「全艦、撃ち方よーい!」

 

こちらの頷きを受け、長門は声を張り上げる。既に長門以下全艦の主砲ははるづきを睨んでいる。後は細かな砲身の仰角を変更するのみ。些細な駆動音が駆け抜けた後、再び風の世界が訪れた。だが、これは一瞬。長門の咆哮と共に世界は爽やかな風を無慈悲に押しつぶす。

 

「撃ち方はじめーーーー!!!」

 

総勢13隻から一斉に放たれる砲撃。それはもはや独立した砲撃ではない。連続した鉄の暴風雨と呼ぶべき、情け容赦のない超撃だった。反響しあった衝撃波は大気を、海水を、艤装を、皮膚や内臓さえも昏倒するほど激しく揺さぶる。味方にも容赦ない超撃を受けては冷静な思考の維持など不可能だった。脳内をガンガンと金槌が振り下ろされているような頭痛が自由奔放に疾走する。

 

「ゲッホっ! ゴホッ!」

 

そして、極めつけは各砲門から吐き出され、気道と肺を絶え間なく刺激する真っ黒な硝煙。視界も一面、黒に染まる。1つ1つの砲門からの硝煙はMk45 mod4単装砲に比べた量といっても、風下にいる艦の視界を覆い尽くすほどのものでない。このようなことは今回が初めてだった。

 

いかに凄まじい砲撃か。頭痛だけでなく視界までもがこれでもかというほど認識させられた。

 

「えげつない・・・・・・」

 

なら、その超撃をみずづきの砲弾も込みで全弾躱したはるづきはどうなるのだろうか。長門たちが必死に砲弾の再装填を行っている間に、黒煙などお構いなしに次射を放ったみずづきははるづきが華麗な回避運動でいとも簡単に砲弾を躱していく様子をFCS-3A多機能レーダー対水上画面を通しリアルタイムで目撃していた。

(さすが・・・・・・)

あちらのFCS-3A多機能レーダーで弾道、速度、着弾位置を瞬時に計算、予測されていただろう次射も難なく躱される。音速越えであろうが意思を持たない兵器の未来予測はできても、意思のある存在の未来予測は困難。ここが技術の限界だ。

 

せめて、視線で発散できない鬱屈をぶつけようと、ようやく晴れ渡った視界を持ってはるづきを睨む。そこで彼女の異常に気が付いた。

 

「え・・・・・・・?」

「ああっ、くそ! あの散布域を躱すかぁぁ~~~」

「そんな・・・・・。この距離で、しっかり狙ったのに・・・・・」

 

わずかな希望があっさりと裏切られた摩耶。初めて直に21世紀の力を見せつけられ、顔色を悪くする比叡。一足遅れて、結果を目の当たりにした艦娘には落胆と驚愕が広がる。いちいち言葉に出している暇はないようで2人以外は歯を食いしばりながら黙々と指向させた砲身の先を睨む。自分以外、あれに気が付いている者はいないようだった。

 

「各艦、近接砲戦! 各個に撃ち方はじめ!」

「待ってください!」

 

このままではタイミングを逃すと判断し、大声で長門の号令を遮る。長門が目を大きく見開いて、口を開こうとするが機先を制した。

 

この目で見たものをありのままに報告する。

 

「はるづきはMk45・・・主砲をこちらに指向させていません!」

「・・・・・・・・・・・」

「はぁ!? それは一体どういうことだよ!!!」

「そのまんまの意味です!!!」

 

沈黙した長門に代わって、沸き上がった感情をそのまま吐露する摩耶。何も思考を煮詰めないで吐き出した姿勢にイラついたため、強い口調で先ほどの報告を繰り返す。

 

「意味が分からないから、どういうことかって聞いてるんだよ! 主砲を向けていないだぁ!? あいつに戦闘の意思がないっていうのかよ!? さっき、対艦ミサイル撃ちこんできたじゃねぇか!!!」

 

売り言葉に買い言葉。摩耶もこちらの対応に苛立ったのか、怒気を含んだ口調で唾を飛ばしてくる。慌てた榛名が沈黙を続けている長門に判断を仰いだ。

 

はるづきはこうしている間にも刻一刻と近づいてくる。いちいち、多機能レーダーを持っている自分に伺いを立てなくとも、己の目で把握できる現実だ。長門が言いかけた命令を忠実に守っている駆逐艦たちは今にも砲弾を撃ち出しそうな形相だ。

 

「長門さん! どうされますか! 撃つんですか!? 撃たないんですか!?」

 

混乱する周囲とは一線画す荘厳な雰囲気をたたえていた長門は、榛名の催促を受け、雰囲気そのままの視線で指揮下の艦娘全員を見回す。

 

そして、“とんでもない”命令を下した。

 

「全艦、撃ち方やめ。目標に戦闘意思の欠如を認める。当艦隊ははるづきへの警戒を厳としつつ、直進する」

『っ!?』

 

ようするに猛進してくるはるづきを野放しするということだ。当然、摩耶を筆頭に長門の真意をただす抗議の声であふれる。

 

しかし、みずづきはその攻勢に参加しなかった。はるづきがわざわざ布哇泊地機動部隊から分離しここまでやって来た目的は“水上打撃艦隊と砲火を交えること”ではない。“別の目的を達成するため”。曖昧な直感だったが、艦外カメラで彼女の表情を捉えて、確信に至った。

 

その目的を達成するためにここへやって来たのだと。その目的がなんであるかを。

 

合理性に叶っていないだの、軍人として失格だの、現実を前に座学の空論は意味をなさない。みずづきははるづきを睨みながら、Mk45 mod4 単装砲を握りしめる。

 

 

 

 

 

 

猛々しい砲声が止み、日常の爽やかな営みを再開した世界。穏やかな波は適度に身体を揺らし、すがすがしい風は心地よい感触を持って皮膚や艤装を撫でていく。本来なら、その感覚は幾分の減衰もなく脳に届けられるはず。今も現在進行形で届けられているのだろう。だが。

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

容赦ない殺気と緊迫が交差する現状では、それは集中力の阻害要因でしかなかった。

 

水上打撃艦隊の眼前に停船したはるづき。そのはるづきへ殺気を帯びた全砲門を向ける水上打撃艦隊。睨みを利かせているこちらに対して、彼女はあくまでも癪に障る下衆な笑みを浮かべていた。

 

姿は昨日見た様相と変わらない。彼女は完全な深海棲艦に墜ちていた。

 

「なんの用?」

 

彼女の真意を確かめたく、最初に口を開く。出た声は自分でも信じられないほどの感情を感じない低音だった。それを受け、やれやれと大げさに肩をすくめる。

 

「分かってるくせに、ほんと性格ひん曲がってるわね。私と同じで。ひひひっ・・・」

 

堪忍袋が一気に膨張する。だが、必死に心を落ち着かせ、膨張を鎮静化させる。堪忍袋に従って行動した結果は昨日示された。二の舞は何としても避けなければならない。

 

「あんたと一緒に・・」

「あんたとみずづきを一緒にするんじゃないわよ・・・・・・」

 

だから言葉で鬱憤を発散しようとしたのだが、こちらより遥かに煮えたぎった激情を前にして引っ込めるしかなかった。一同の視線が全身を怒りで震わせる艦娘に向けられる。

 

「陽炎・・・・・・・」

 

物怖じすることなく、正面切ってはるづきを睨んでいた艦娘は陽炎だった。

 

「あんたが・・・・・・あんたが・・・・・みずづきを・・・・」

「ふ~~~ん」

 

陽炎を一瞥し、全てを悟ったように鼻を鳴らす。その仕草も極めて、堪忍袋を刺激した。だが、次に示された態度は予想していたものと180度異なっていた。

 

「あんたはいいわよね。全部持ってて」

「はぁ?」

 

下衆な笑みから一転、儚げに陽炎はもちろん艦娘たちを見回す。その様子はこれまでの接触から導き出されたはるづきからは想像もできなかった。

 

「大切な存在があって、仲間がいて、帰る場所があって・・・・。同じようにあの世界で生まれて、あの世界で育ったのに・・・・・・。本当にいいわよね、あんたは」

 

その言葉が胸に落ちていく。

 

「だから、教えてあげる」

『っ!?』

 

表情からは一切の笑みが消え、声色のトーンも急降下。深海棲艦特有の、全ての生者に対する憎悪が籠った禍々しい邪気がはるづきから放たれ始める。そして、彼女はゆっくり右腕を伸ばし、初めてMk45 mod4 単装砲の小さな砲身をみずづきに向けた。

 

「全てを理不尽に奪われた者の憎しみを、悲しみを、苦しみを、全部っ」

 

緊張感が一挙に高まる。砲塔に更なる力を込める艦娘。いつでも砲弾を撃ち込めるよう万全を期していたが、そんな彼女たちにはるづきは面倒くさそうに言い放った。

 

「ちっ。あんたらは邪魔なの。さっさとこの私の視界から失せてくれる? 私に用があるのはこいつだけ」

「なっ!?」

 

驚愕している榛名には悪いが、こちらにははるづきの目的が分かっていた。

 

「あんたら老害はどうでもいいの」

「あんた、自分の言ってること分かってるの?」

 

正気を疑うような視線で陽炎が問う。はるづきはお返しとばかりに、陽炎より容赦のない正気を疑う目つきを示す。

 

「ええ。分かってるわよ。でも、先を急がなくっていいじゃない」

「どうしてよ?」

 

陽炎の確認に、奇妙な笑い声を上げながら舌なめずりをしたはるづきは憐れみを浮かべて、こういった。

 

「だって、こいつを(なぶ)り殺したら、悠々自適にあんたたちと遊べるもの・・・・・」

 

その口調、その表情、その雰囲気。この場にいる者全員の魂胆を極寒の暴風でさらうほどの狂気。はるづきの強固な意思を確認し、長門へ視線を送る。長門はすぐに気付いてくれた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

交差する2人の視線。最後にみずづきは大きく頷いた。

 

「分かった」

 

こちらの意思を組んでくれた長門はそう視線で告げた後、旗艦としての判断を全員に伝えた。

 

「本艦隊はみずづきの単独航行を容認し、進撃を再開する。全艦、両舷前進微速・・」

『・・・・・・・・・・・・・・』

 

重苦しい沈黙が艦隊を支配する。誰も長門の命令に納得などしていない。だが、はるづきがそう言っている以上、他の方策がないことも同時に分かっていた。彼女は本気だ。そして、なにより、長門が部下の意向を確認せずしてこのような重大な決断をする非情な艦娘でないことは全員の共通認識だった。だから、肯定も否定も示さない

 

だが、それが分かっていようと声を上げずにいられない者もまたいた。

 

「そんな・・・・・」

「陽炎・・・・・・」

 

黒潮が近寄り、優しく肩に手を乗せるが効果は皆無。陽炎は拳を握りしめ、唇を噛みしめながら苦し気に呟く。矛先は長門だ。

 

「あんまりですよ。それは・・・・。そんなの、酷過ぎるじゃないですか」

「長門さんを責めないで陽炎。これは私の意思なの。そう・・・・・私の意思」

 

これ以上は長門に負担をかけられない。そして、陽炎にも負担をかけられない。この身をいつでも心配してくれる他人想いの彼女への、せめてもの感謝として自身の決意を伝える。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「あいつにはたっぷり借りがある。この手で返さなきゃ、あきづき型特殊護衛艦の名折れ。それに・・・・・」

 

視線を陽炎から余裕しゃくしゃくのはるづきに向ける。

 

「あいつは、私が止めなくちゃならない。同じ日本人として、同じ海防軍人として、同じあきづき型特殊護衛艦として、絶対にっ」

 

陽炎は深海棲艦が日本世界で創造されたこともまだ知らない。だから、そうそう簡単に割り切れないのだろう。しかし、目の前のはるづきを生み出してしまったのは、業を積み重ね続けた21世紀の世界。あの世界で生まれて、生きてきた者として、この身には彼女を過ちを正し、これ以上重ねさせない使命がある。

 

それにそのような大きなものを背負わなくとも、彼女を止める理由はほかにもある。いくら関係が途絶えたとはいえ、かつて懇意にしていた友人なのだ。あの地獄を、あの地獄から培った使命を、使命を全うするための努力を共有した仲間なのだ。

 

もう、彼女はかつての彼女に戻れない。許可もなくまた透過ディスプレイに顔を出していたショウが、憂鬱げに首を振っていた。なら、せめて、この砲弾で葬ってあげたかった。

 

それに彼女にはどうしても1つ、聞きたいことがあった。

 

こちらの決意を分かってくれたのか。陽炎はそれきり、声を上げることはなかった。しかし、代わりに視線でこう言ってくれた。

 

絶対に勝って、と。負けたら、死んだら承知しないというおまけ付きで。思わず、苦笑してしまった。おまけはともかく、その言葉は長門がはるづきとの一騎打ちを認める代わりに提示した条件と全く同じものだった。

 

「全員、いいな? 両舷前進微速、進路そのまま!」

 

長門の号令を受け、視線で激励を行ってくれながら、徐々に距離を開けていく水上打撃艦隊。名残惜しさもあったのか。随分時間がかかったはずなのに、姿が水平線下に沈むまであっという間だった。

 

「最期のお別れは済ませた? みずづきさん?」

「ええ。それはもうたっぷり。あんたも神様を最期に拝められた気分はどう? はるづきさん」

 

気色悪い笑顔とすがすがしい笑顔。同じ笑みでも対照的な表情を浮かべた両者はゆっくりと互いのMk45 mod4 単装砲を向ける。

 

砲口と共に交差する視線。はるづきは知る由もないが、ショウも鋭い目つきで彼女を見つめていた。

 

一際、強い潮風が両者の間を駆け抜けた瞬間、これまた対照的な色彩に身を包んだMk45 mod4 単装砲が同時に衝撃波と硝煙をばら撒いた。




もうすぎてしまいましたが、76年前の6月5日(日本時間)はあのミッドウェー海戦が生起し、日本が破滅に至るターニングポイントとなった日です。あの海戦はアジア・太平洋戦争における重要性とあまりに何らかの意思を感じる戦闘経過(日米双方にとって)から、様々な議論が今日も続けられています。作者に小難しいことはわかりません。が、事実としてミッドウェー海戦では日米約3000名の命、そしてそれぞれの祖国の想いを背負ったいくつもの艦船が喪われました。

ふるさとが歩んできた歴史として、ほんの少し過去に思いを馳せるいい機会なのかもしれません。

現在、ちょうど本文もミッドウェー海戦に多大な影響を受けたストーリーとなっていますが・・・・・合わせたのではなく、いつの間にか6月になっていたというのが真相です。時の流れは早い・・・・。


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94話 ミッドウェー海戦 その4 ~過去との対峙~

時間のあった頃が羨ましい・・・・。いつのまにか改ニが実装されてるし。


とある正規空母の腹の虫が、空気を一切読まず「綿あめのよう」と形容した、輪郭が定かではない雲。ぶどうを思わせる薄紫色は太陽の出現と同時にまさしく橙を思わせる濃い赤黄色に取って代わられる。そうかと思えば、天への接近によって日光を受ける面積が減衰し、先ほどまでの鮮やかさが嘘のように黒や灰色など単調な色彩へ落ちていく。

 

明け方の移ろいは、動物をも驚愕させるほど早い。わずか十数分の飛行中に、曙、東雲は過ぎ去り朝の足音が聞こえてくる。通常なら、自分たちは模様替えに奔走している雲たちを見上げるのではなく、横目に捉えながら彼らの背後や足元に目を光らせる。だが、今回ばかりは海面スレスレを時速400km手前の高速で駆け抜け、海面下の海洋生物たちにあいさつを行っていた。

 

「周囲に異常は?」

「ありません。・・・・・怖いぐらいです」

 

機体後方を確認するバックミラーの端にぎりぎり映っている赤城航空隊隊長機の彗星に搭乗する補佐妖精は一瞬たりとも休むことなく周囲360度に加え、上方をくまなく見張っていた。それほどの厳重な警戒をもってしても、いまだに確実視されていた異常事態の発見報告はない。無線封止が通達されているとはいえ非常時には解禁される無線も静かなもので、ゴーグル越しに正面、左右を飛行している無数の友軍機を見なければ、孤独感に苛まれるほどだ。

 

左斜め前方から照り付ける朝日に機体を金色へ仕様変更する、紫電改二、彗星、流星。高い練度を必要とする超低飛行を一糸乱れぬ編隊で成し遂げる攻撃隊はまさに圧巻。つい、遮光のために装着しているゴーグルを取る衝動に駆られる。だが、上方から突っ込んでくるミサイルの幻影がその散漫を食い止めた。

 

「既に俺たちははるづきの防空圏に侵入しているはず。にもかかわらず、一切迎撃がない。どういうことだ?」

「低空飛行が功を奏しているのでしょうか? もともとは深海棲艦への対策でしたが・・・」

「いや、彩雲の敵情から算出した敵艦隊との距離はすでに10kmを切っている。いつもみずづきはとっくに見つけていたから、対空電探を作動させている限り探知されているはずだ。加えて、米海軍の初期型対空レーダーもこれほどまで近づけば低空目標を探知していたと聞く。深海棲艦も把握している可能性が高い・・・・・」

 

あくまで持っていればの話だが。語尾にそう付け加える。しかし、みずづきから寄せられた石廊崎沖海戦時に奇妙な機動をとった深海棲艦艦載機、まるで飛来を察知していたように艦載機によって攻撃を受けた飛龍3号機。状況証拠はある事実を匂わせていた。

 

「では・・・・・」

 

補佐妖精の声色が固くなる。

 

「ああ。待ち伏せされている可能性もある。頼んだぞ、艦戦隊・・・・・」

 

今回も攻撃隊の総隊長を任された赤城航空隊隊長妖精は正面上方を飛行する紫電改二を見つめる。大型の機体は房総半島沖海戦直後まで艦戦隊の主力だった零戦に比べ、頼もしさがあった。

 

その時、紫電改二の垂直尾翼、正確には垂直尾翼と空の接触面がチカチカと白く点滅した。

 

「ん?」

 

点滅を捉えた場所は太陽がいる方向とは異なっていたため、ゴーグルを外し、肉眼で確かめる。限界まで目を細めるが光はなかった。

 

周囲には約260機の友軍が飛行し、各々が自分たちと同じように警戒監視を続けている。もし、その点滅が敵機ならば確率論的に考えて、他の搭乗員も発見していると見るのが自然だが、無線は惰眠を貪る。

(気のせいか・・・・・)

しかし、妙な胸騒ぎがあった。

 

「おい?」

「どうしました?」

「お前、光見なかったか?」

「光、ですか?」

 

訝し気に詳細な説明を催促する。

 

「ほら、あの紫電改二の垂直尾翼の上。雲の合間」

「いえ、私は見ていませんが・・・・」

 

補佐妖精は困惑気味に否定する。気のせいという結論が大きくなっていくが、胸騒ぎは一向に収まらない。むしろ、大きくなっていた。

 

念には念を入れて、低空飛行下で密集陣形をとるか。

このまま、編隊飛行で肉薄するか。

 

判断に迷う。海面が足元に迫っている高度でただでさえ練度を要求される飛行を行っているにもかかわらず、これまた練度が要求される機動を指示すれば、当然事故の危険性が跳ね上がる。攻撃隊が味方に不意の特攻をして墜落しました、などもはや笑い話にもならない。確実性をとるなら後者だが、精強なる空母航空隊、その中でも誉高い赤城航空隊隊長としての自信、そして、攻撃隊総隊長としての確信が前者選択の背中を押した。

 

これほどのこと、世界最強とも畏怖された航空隊には造作もない。隊長妖精は胸騒ぎに従った。

 

「無線封止解除! 全機、密集陣形! 上方の警戒を厳とせよ!」

 

さすがは空母航空隊。突然の急報に動揺することなく、列機との間隔を図りながら、やや開き気味だった陣形をまとめていく。だが、このわずかな逡巡が攻撃隊の前途を決してしまったことに隊長妖精はその時が来るまで気が付かなかった。無線に向かって吠えた直後、さきほど見つめていた紫電改二が両翼を振って、敵発見のバンクを示す。

 

「敵!? どこだ! まさかっ!?」

「そのまさかです!」

 

補佐妖精は首の仰角いっぱいに直上を見上げ、叫んだ。

 

「敵機、上方! 急降下してきます!」

「ば・・・・・、馬鹿な!?」

 

驚愕しつつ、補佐妖精が指さす方向を必死に辿っていく。自分たちは今、海面スレスレの超低空を飛行している。雲の切れ間などを利用し、攻撃隊に接近。複数の機体が一方の棒のように連なり上方から食らいつく迎撃方法は一般的とはいえ、現状ではまずい選択肢に思われた。なぜなら、自分たちの下は海。大気中ではない。急降下後、機首を反転させて海面に激突せずに空へ復帰するには、いくら科学の集大成である航空力学に喧嘩を売っているタコ焼きにも不可能に思われた。

 

しかし、ゴーグル越しの肉眼で捉えた深海棲艦の上位航空機、“タコ焼き”はこちらの懸念をよそに3機ごとの三角形編隊から一本の単縦陣へ。そして、先頭を行くタコ焼きが重力による加速度を付け、猛スピードで機首(顔面)を攻撃隊に向けた瞬間、一斉に攻撃隊へ向け降下を開始した。

 

これに対し、突撃を何としても阻止しようと正面を飛んでいた護衛の艦戦隊が3機一組となって、一斉に翼を翻す。一切の躊躇なく己が使命を全うせんとする気概にあふれた姿は勇ましいが。

 

「いくら紫電改二とはいえ、あのタコ焼きに上を取られた状態では・・・・・」

 

心に湧きあがる不安。相手は既に突撃体勢に移っているものの、航空戦は総じて上を取った者が有利。しかし、それは全く予想外の形で現実のものとなった。無線機が悲痛な報告を届ける。

 

「赤城第3艦攻中隊! 前方正面に敵艦戦をみとむ!! 当方へ急速接近中!」

「なにっ!?」

 

引きかけていた血の気が、部下の悲鳴で一気に後退した。咄嗟に前方も見るも日光に邪魔されて思うように視力を発揮できない。

 

「どこだ! 敵機は!」

「あそこです! あそこ! ちょうど、太陽に被ってます!」

「・・・・・日光を背にして、欺瞞していたのか」

 

補佐妖精に誘導され、視力を確保できるぎりぎりまで目を細めて、ようやく攻撃隊のわずか上方を猛進する敵艦戦隊を視認した。日光に加え、白の塗装が上手く空に溶け込んでいたのだろう。

 

敵は気付いた時には紫電改二という強力な護衛を失った攻撃隊の眼前まで、迫ってきていた。こうした事態を憂慮し、攻撃隊の両翼に残っていた紫電改二が頭上を飛び越えていくがいかんせん数が少なすぎる。突破は必然と思われた。

 

「やはり敵は対空電探を持っていたのか」

 

待ち伏せ。複数の航空隊を連続的に殺到させる高度な航空管制。敵がこちらの位置を把握している点、ミサイルではなく艦戦によって攻撃してきた点から見て、赤城たちや横須賀鎮守府の懸念は正しかったことになる。

 

「隊長ダメです! このままではっ!?」

 

勇敢にも迎撃に向かった紫電改二2個小隊は一気につき複数のタコ焼きに追い回され、次々と翼をもがれ、機体から火炎と黒煙をなびかせて、視界から消えていく。それは遥か上方でも繰り広げられていた。

 

「やつら、最初から」

 

急降下の気配を見せていたタコ焼きは紫電改二の接近を認めると速度を減衰させ、散開。上昇してきた紫電改二とすれ違いざまに一戦交えると機首を反転。無防備となり、艦戦出現に混乱している攻撃隊に見向きもせず、零戦並みの旋回性能を生かして反転を試みる紫電改二へ突進していった。その行動が深海棲艦の作戦を如実に物語っていた。

 

もはや確定となった事態に備え照準器を覗きこみながら、指示を出す。

 

各編隊単位での密集は既に完了していた。彗星の艦爆、流星の艦攻は中隊単位で編隊を形成し、翼端が間近に迫るほど密集していた。

 

「全機、応戦を許可する! 絶対に敵の餌食になるな! 今まさに我々の母艦は敵攻撃隊と激戦を繰り広げている! 彼女たちの苦しみをっ、忍耐をっ、無駄にするな!!」

 

言い終わるとハンドサインで僚機に迎撃と守勢の段取りを指示する。今回は上方から降下し、すれ違いざまの連射で仕留める常道ではなく、こちらの正面火力お構いなしに敵艦戦隊は突っ込んできた。これではぎりぎりまで敵を引き付け、密集によって得た後部旋回機銃を降下してきた艦戦先頭機に集中投射し、撃墜もしくは攻撃を怯ませる運用が使えない。やむなく、編隊前部の機体は機首の7.7mm固定機銃で突進してきた敵機を迎撃。前方の味方機を撃ち抜きかねないため、後方の機体は上空警戒。敵機が前、後ろ、右、左、上からの多方向攻撃を仕掛けてきた際は全機が後方の7.7mm旋回機銃で応戦。希有とはいえこれまで何度も実施してきた方法であるため、僚機は即座に返事。部下たちに無線機で吠えた後、こちらと同じく照準器を覗きこむ。

 

先手は敵艦戦だった。単縦陣を組むことなく、3機単位の三角形陣形で降下してくる。

 

「敵、発砲!」

 

開け放たれたおぞましい口から光弾が飛び出し、至近の大気中を切り裂いていく。そして、それに運悪く捉えられた流星や彗星が爆弾や魚雷を抱えたまま、爆発または海面に激突し海水の花を咲かせる。それを尻目に悠々と上昇していくタコ焼き。仇とばかりに尻を向けた敵機に後部7.7mm旋回機銃が一気に火を噴く。

 

それを肌で認識しながら、先ほど攻撃を仕掛けてきた編隊とは別に、真正面から向かってくるタコ焼きを睨む。補佐妖精が後部7.7mm旋回機銃の斉射を止めるタイミングを見計らい、照準器の中心から少し左に捉えられた敵機が火を噴く妄想を描き、発射レバー(把柄)を握る。彗星には機首に7.7mm機銃が2挺装備されている。後部の7.7mm旋回機銃胴体は前述のとおり。機首に13mm機銃2挺、翼内に20mm機関砲4門を装備している紫電改二と互角に戦う艦戦型タコ焼きの前にはこけおどしだが、機銃は機銃。あたれば、撃墜は可能だ。

 

機体を軽く振動させる断続的な発射音。エンジンの唸りと無線機からの報告のみだった世界に機銃の雄叫びが加わる。

 

「彗星を舐めるなよ! タコ焼き!」

「さすが、隊長!!」

 

己より明らかに貧弱な武装に撃ち抜かれるタコ焼き。攻撃を悟り、余裕しゃくしゃくな様子で右に回避するが、それが存在の終焉。右翼に他の深海棲艦航空機がいないため、回避するなら右と未来を読んだ隊長妖精の勝利だった

 

他にも勝利を得た者はいたようで、複数のタコ焼きが黒煙を吐き出てのたうち回り、海水浴に直行する。しかし、それはあくまでも一時的。まるで重力を無視しているかのように自由奔放に動ける敵に対して、こちらは草食動物のごとく密集陣形を組み、腹に爆弾や魚雷を抱えているため思うように動けない。(てい)の良い的だった。

 

後方へ離脱後、反転。今度は後方上空からの急降下という正攻法で仕掛けてきたタコ焼きが左翼スレスレを一瞬で銃弾と共に通過していく。当機は幸い事なきを得たが運悪く、機体の天頂から腹を撃ち抜かれた指揮下にある後方の彗星が、爆弾の誘爆に巻き込まれ四散。敵艦の表面で成すはずだった爆炎をここで輝かせ、力尽きる。全身を瞬間的な無重力状態に置くほどの衝撃。見れば、そのような光景が直率の中隊だけでなく、各所で巻き起こっていた。

 

攻撃能力を維持したまま、敵艦隊に辿りつけるのか。不安が駆け抜ける。

 

「く・・・くそったれが!!」

 

部下の無様な輝きに無念を覚えながら、力の限り発射レバーを握り締め、7.7mm機銃を連射する。しかし、当たらない。あざ笑うかのように回避される。前後左右、上方。敵味方が入り乱れ、曳光弾が飛び交い、炎が瞬き、青と白で構成されていた世界に黒が加わる。

 

れっきとした航空戦の空が一面に広がっていた。

 

「た・・・隊長!」

 

機体を左に傾け、タコ焼きの機銃掃射を間一髪のところで回避したとき、補佐妖精の悲鳴が轟いた。

 

「なんだ!?」

「右翼から燃料が漏れてます!」

 

あまりの衝撃に一瞬、彼が何を言っているのか分からなかった。

 

「っ!?」

 

固まりそうになる体を意地で動かし、四方警戒を維持するため一瞬だけ右翼を見る。彼の誤認であることを祈ったが、それは非常にも事実だった。本能から生じる警報音がけたたましく頭に響き渡る。濃緑色の右翼から後方に流れている一筋の白い線。各所でわずかな煙を上げている右翼には同じ濃緑色の破片が数え切れないほど、突き刺さっていた。

 

彗星に高速で突撃してくる有害飛翔体を跳ね除ける防弾性能は・・・・・なかった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

「はぁ・・・・・はぁ・・・はぁ・・・・・」

 

これほど空気が美味しく感じたのはいつ以来だろうか。硝煙や炸薬の特徴的な臭いが鼻につくが関係ない。吹き抜ける風によって、四散していく数え切れないほど咲いた黒煙の花。遥か遠洋から続く海面運動によって、海中に没していく敵攻撃隊の残骸。

 

鼓膜を不作法に荒らす轟音は消え去り、久方ぶりの静寂が舞い戻っていた。そこに無線機から伝わる翔鶴の声が加わった。

 

「はぁ・・・はぁ・・・・はぁ・・・・・っ。敵、第一次攻撃隊、進路反転・・・・、艦隊から遠ざかります・・・・」

「・・・・りょ、了解・・・・・はぁ・・はぁ。全艦・・・被害報告」

 

断続的な回避行動と投弾による緊迫で酷使された心肺。死に物狂いで酸素と安寧を懇願する内臓を抑えつけ、布哇泊地機動部隊第一次攻撃隊約240機の猛攻撃を受けた艦隊の状況を確認する。

 

憔悴しきった敵第一次攻撃隊残存機の後ろ姿を眺める空母機動部隊は、数度にわたった苛烈な防空戦闘及び回避行動により陣形が変形。加賀だけは自身の隣に食らいついていたが後方の翔鶴、瑞鶴、蒼龍、飛龍とは無線機を使用しなければ、意思の確認が困難なほど距離が開いていた。外輪で敵艦攻と死闘を繰り広げた金剛旗下の護衛部隊は視界に入りさえしない。

 

「赤城。戦闘続行可能」

 

まず最初に自身の状況を、固唾をのんで聞き耳を立てているだろう部下たちに伝える。日本が故郷であることを示す自慢の制服といい、艤装といい、至近弾による破片で各所に傷がつき、着物から露出している腕には出血を伴う多数の切り傷。不意に押し寄せてきた黒煙によって、顔も煤にまみれていた。

 

しかし、飛行甲板や弓矢には損傷は皆無。艦娘としては小破にも至っていない。そのため、報告を受けて不安げに見つめてくる加賀の心配は過剰反応だった。

 

「こちら、加賀。異常なし」

 

むしろ、赤城にとって加賀の方が心配に思われた。空母機動部隊同士の必然とはいえ、敵は自分たちを執拗に攻撃してきた。上空からは一列に連なった艦爆による急降下爆撃。水上からは見事な編隊を見せた艦攻による魚雷攻撃及び水平爆撃。そして、おまけに手の空いた艦戦による銃撃。間一髪の回避行動とハリネズミの如く上空を睨む25mm連装機銃、20cm単装砲、12cm連装高角砲での応戦によって、加賀も目立った損害を受けることなく、凛々しい表情を煤で汚していた。しかし、あまりの連射に防御火器の過半が焼き付き、また弾薬が底をついた事実は加賀が隠そうともしっかりと把握していた。

 

満身創痍の艦爆隊が最後の急降下爆撃を敢行した際、加賀からはほとんど銃砲弾が放たれていなかった。

 

「こちら、翔鶴。戦闘続行可能」

「こちら、瑞鶴。異常なし」

「こちら、蒼龍。大丈夫です」

「こちら、飛龍。まだまだ戦えます!」

「こちら、金剛。護衛部隊はみんな無事デース! ただ・・・・」

 

日常の騒がしさを感じる声に浮かんだ微笑も束の間、語尾に不穏な空気が立ち込める。

 

「金剛さん?」

「鳥海が艦爆の爆撃で、朝潮が艦攻の銃撃で小破してしまいマシタ・・・・」

「・・・・・二人の様子は?」

「そこは安心してくだサーイ! 二人ともぴんぴんしてるネー。艦隊行動にも支障はないようデース」

 

体温が下がった分、安堵の感慨もひとしお。自身と同じ雰囲気は無線機から複数漂ってきた。

 

「あれだけの攻撃を受けて、小破艦が2隻だけ。十分、善戦じゃんか!」

 

瑞鶴が歓喜に沸く。戦闘後の倦怠感を持ち前の明るさで吹き飛ばした金剛に触発されたようだが、本来空気を読まない妹や後輩を叱る翔鶴・加賀は何も言わない。そして、蒼龍も飛龍も。瑞鶴の言葉は慢心でも、楽観でも、現実逃避でもなく、れっきとした事実だった。

 

ようやく息が整い始めた艦隊に安堵感が広がる。

 

「ということは、艦隊行動は円滑に行えそうね。では、全艦、再度第三警戒航行序列。陣形が乱れているわ。急いで!」

 

適度に空気を引き締める。素直に従ってくれたようで、しばらくすると笑顔で手を振る瑞鶴たちが後方に姿を現した。

 

「ん?」

 

しかし、1人だけ様子がおかしかった。翔鶴である。彼女は右耳に手を当てながら、眉間に深い皺を刻み込んでいる。彼女は空母機動部隊における通信担当。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

加賀も気付いたようで、表情を険しくする。翔鶴がそうなった理由。それは無線を通じて、即座に全艦へ報告された。

 

「第一次攻撃隊、赤城航空隊隊長より緊急電! 我、敵艦戦の待ち伏せに遭遇し、敵艦隊への肉薄に成功するも約半数が撃墜され被害甚大!」

「は・・・・半数っ!?」

 

飛龍が悲鳴を上げる。

 

「当攻撃隊は獅子奮迅の活躍をみせ、敵各艦に猛攻を仕掛けるも被害増大中! 現有戦力での攻勢は困難と判断。指示を乞う」

 

艦隊に一拍の沈黙が訪れる。

 

「・・・・以上です」

 

翔鶴は苦し気に報告を終えた。

 

「半数って、そんな・・・・・。あの子たちが・・・」

 

赤城航空隊隊長の急報が信じられないのか。飛龍のうめき声が聞こえてくる。だが、赤城たち横須賀鎮守府組は別の感慨を抱いていた。

 

「どう思いますか? 加賀さん?」

 

相棒である加賀の意見を聞こうと硬い声色で問いかける。自分の中で報告が意味するところは確定していたが、彼女の意見が聞きたかった。加賀はこちらを厳しい視線で一瞥すると答えた。

 

「約半数の損害で敵艦隊への肉迫に成功したこと、敵艦戦隊の待ち伏せをうけたこと。そして、なりより言及がないことから考えるに・・・・・・」

「はるづきが防空戦闘に加わっていない」

 

最後の結論は瑞鶴が答える。いつもなら「人の邪魔をしない」とたしなめる加賀だが、今は皮肉を言う余裕もないらしく反応は皆無だ。瑞鶴の結論を踏まえて、可能性を提示したりもする。

 

「ここで考えられる事態は2つ。敵艦隊とはるづきは共同しているものの、戦闘に加わっていない。もしくは、はるづきが敵艦隊にそもそもいない。そして、一番厄介な事態は・・」

「・・・・・・・後者」

 

翔鶴がおそるおそる答える。そこから導き出される可能性。

 

「赤城さん! 隊長の更なる詳細報告を求めます! よろしいですか!」

 

これを察した翔鶴が滅多に見せないほどの剣幕で迫ってくる。もちろん、許可しないはずがなかった。

 

「分かりました。早急に攻撃隊総隊長に問い合わせてください!」

「了解!」

「まずいんじゃないの? これ・・・・」

「ええ。あなたの言う通りよ。下手をすれば、長門たちが・・・」

 

ようやく、声をかけられるほど近くに合流を果たした一同。しかし、さきほどの健闘をたたえ合うわけでもなく、お互い煤まみれの容姿を笑うわけでもなく、瑞鶴と加賀のように冒頭から深刻な顔を突き合わせた。

 

「よほど向こうも混乱しているのか、赤城さんの隊長にしては要領を得ない報告。追加情報がなければ、判断のしようがないわ」

 

第一次攻撃隊総隊長を任されている赤城航空隊隊長ははるづき所在の有無を明言するどころか、味方の被害を強調するばかりで敵の陣容、与えた被害など味方機の損害と同等にこちらが知りたい情報を何1つ加えていなかった。加賀の言う通り、向こうの戦況は隊長妖精の気を動転させるほど厳しいものらしい。

 

「なに、ぐだぐだ言ってるんですか! 要するにはるづきはおらず、第一次攻撃隊が苦境に立たされているってことですよね! ここは第二次攻撃隊の発艦が、現状取り得る最善の策と判断しますが、いかがですか?」

「飛龍・・・・」

 

こちらの思案を傍観していた飛龍が怒気を含ませながら、声を上げる。血気盛んな彼女を蒼龍が宥めようとするものの効果はなし。意見具申の切実さを伝えるように、鋭い視線でこちらを睨んできた。

 

彼女の意見具申には一理ある。はるづきがいなければ、こちらは敵の艦戦隊と対空砲火のみを気にすればよく、どう足掻いても回避できないミサイルで爆散する味方機を眺めながら進軍する悲壮な覚悟を決めなくてよい。第一次攻撃隊が苦戦しているとはいえ、第二次攻撃隊用に派出可能な戦力はまだ約220機残っている。第三次攻撃隊の派出は不可能になるがこれだけの戦力が追加で戦線に加われば、布哇泊地機動部隊の無力化も決して夢物語ではない。しかし、これはあくまではるづきが布哇泊地機動部隊と行動を共にしていた場合。

 

「いえ、それは許可できないわ」

「っ!? なぜですか! 赤城さん!」

「はるづきがどこにいるのか分からない。それに布哇泊地機動部隊が一団で固まっているのかも分からない。ここで攻撃隊を出してしまえば、奇襲攻撃を受けた際、私たちは何もできない。そうなれば・・・・・・・あの時の再来よ」

 

一斉に加賀たちの視線が集中した。

 

「直衛隊も疲弊している。今、攻撃を受ければ、私たちはさっきよりも苛烈な防空戦を行うことになるのよ」

 

22個小隊、66機いた各空母の直衛隊紫電改二も格闘戦の末、約3分の1が姿を消し、生き残った機体も多くが主翼から糸を引いていたり、尾翼を千切れさせていたり戦闘能力を低減させる損傷を抱えていた。それは飛龍も分かっているはず。しかし、彼女は引き下がらない。

 

「では、ここで攻撃を受けたらどうするんですか? 私たちは空母です。航空戦力を空に展開させてこそ、存在意義があります! 私たちが持っているこの子たちは矢の姿のまま、朽ちるためにいるんじゃない。敵に爆弾と魚雷を撃ちこむためにいるんです! 少し、消極的ではありませんか? 赤城さん!」

「やめなさい。当部隊の指揮官は赤城さん。意見具申は構わないけど、判断への非難は許されないわ」

 

沈黙を保っていた加賀が視線を合わせる。それは柔らかい、鋭いの世界ではなく、完全に睨みつけていた。赤城がどうしてそのような“消極的な判断”をしたのか。加賀は理由を知っている。そして理由を知っていながらあえてそう言った飛龍に腹を据えかねたのだろう。

 

それでも、飛龍は引き下がらない。

 

だが、炎上の気配を見せる議論は金剛からの緊迫に満ちた通報によって打ち切られた。もはや、通信担当の翔鶴をも通さなかった。

 

「こちら、金剛! 対水上電探に反応! 方位410、距離15000! 反応から見て、間違いなく攻撃隊デース!!」

「はぁ!? どういうことよ!?」

「敵の第二次攻撃隊!? でも、敵艦隊はこっちの攻撃隊と交戦中じゃ・・・」

「しかも、15000って・・・・・」

 

金剛の報告に狼狽する瑞鶴、蒼龍、飛龍。彼女たちが驚愕するとおり、布哇泊地機動部隊の第二次攻撃隊にしては出現のタイミングが明らかにおかしい。だが、探知方位は第一次攻撃隊と同様。布哇泊地機動部隊は空母ヲ級flagshipが夜戦部隊の活躍により戦闘能力を喪失したとはいえ、依然かの部隊は400機前後の運用能力を誇る。第二次攻撃隊もしくは、第一次攻撃隊の後発と考えることは可能だった。

 

真相は分からない。それでも今、目を向けなければならないのは現実だ。

 

「総員、対空戦闘よーい! 空母各艦に伝達! 紫電改二の補用機を全機、発艦。直衛にあてて下さい!」

『了解!』

 

命令を受け、瑞鶴たちも即座にお互いの距離を取る。自慢の弓矢に矢をつがえ、弦を適度に引き、目標に定めた空中を睨み、手を離す。高速で空気をかき分けた矢はまばゆい光を放つと姿を消し、代わって紫電改二4機が当たり前のように出現。翼を翻し、顔を上げなければ捉えられない高度に上昇していく。各空母艦娘から4機ずつ。計24機が戦線に加わった。

 

これが赤城たちの擁する全艦戦戦力だ。彼らは既に空へ上がっている小隊と合流後、金剛の22号対水上電探の捕捉空域に向かう。

 

「翔鶴さん! 隊長妖精からは・・」

「いまだ、ありません!」

 

こちらが全文を吐き出す前に翔鶴が答える。そうであるならば、仕方ない。

 

「・・・・分かりました。攻撃隊隊長には敵攻撃隊の接近により、増援の派出は困難。判断は一任すると打電して下さい! 応答がなければ、一回でやめてもらって構いません!」

「しかし、それでは・・・」

「あの子はやわじゃありません! 安心して! それより、回避行動に専念して!」

 

あの翔鶴のことだ。集中力が散漫になる危険性を覚悟して、隊長妖精が答えるまで打電を続けかねない。それを防ぐため、念を押す。

 

これに説得力を与えるように、左斜め前方の空が不自然な点滅を開始した。決して、雷でも流れ星でもない。そうなら、炎上しながら黒煙を引いて落ちていく光景が見えるはずがない。

 

「どうやら、始まったようね・・・・・。加賀さん!」

「なんですか、赤城さん」

 

覚悟を決めた飄々たる表情でこちらを見つめてくる。そこからは被弾を避ける主たる手段がもう回避運動しかないとは感じられない。彼女は必死に隠していた。仲間に心配をかけまいと、この身に対しても。

 

その姿を見て、言葉が出なかった。

 

「赤城さん?」

「いえ・・・・・・・・」

 

他人の身を案じている暇などないにもかかわらず、加賀は心配そうに眉をひそめる。その表情を見るのが居たたまれなく、赤城は咄嗟に拳を握りしめた。

 

「無事にここを乗り切りましょう! 加賀さん!」

「ええ! もちろんです!」

 

加賀も即座に頷いてくれた。

 

「直衛隊と金剛たちは頑張ってくれてるけど・・・・・・厳しい」

 

戦闘開始から十数分。いまだ、敵の攻撃機は輪形陣の外側で食い止められていたが、じりじりと戦場がこちらに近づいている。炎上しながら墜ちていく紫電改二も多く見受けられ、平穏の時間的猶予はそうない。

 

これは確信ではなく、確定させたのが輪形陣の左翼に展開している潮から届けられた悲痛な報告だった。

 

「こちら、潮! 曙ちゃんが・・・・曙ちゃんが被弾しました!」

「なんですって!?」

 

咄嗟に曙が応戦しているであろう方向を覗う。しかし、当然のことながら見えない。ただ、紫電改二から護衛艦戦によって守られ上空を乱舞している敵攻撃隊は捉えられた。

 

「このままじゃ・・・このままじゃ・・曙ちゃんが!! 被弾状況は・・・・・・・っ!?」

 

鼓膜を引き裂くほどの爆音。そこで通信は途絶えた。

 

「潮さん!? 潮さん!? 返事して! 潮さん!」

「マズイっ! 突破された!!!」

 

瑞鶴が息を飲む。くしくも敵第二次攻撃隊が侵入を開始した空域は曙と潮の担当だった。純然たる事実から導き出される結論。

 

敵攻撃隊に捉えられた赤城には、無事を祈るしかなかった。大切な仲間を痛めつけた攻撃隊は艦爆隊と艦攻隊の二手に分離。前者は雲スレスレの高空から、後者は海面スレスレの低空からおぞましい顔面でこちらを捉え、迫ってくる。紫電改二は敵の護衛艦戦に誘引、もしくは妨害され、約40機前後の攻撃隊に追いつけない。

 

直上の空は広かった。

 

「総員、迎撃はじめ!」

 

号令を発した瞬間、一斉に空が曳光弾に引き裂かれ、爆炎の花で彩られる。小刻みな衝撃波を伴ってけたたましく鳴り響く25mm連装機銃の連射音。数は少ないものの一発一発が重い20cm単装砲、12cm連装高角砲の砲撃音。第一次攻撃で同様の防空戦を繰り返し、そろそろ残弾が底を尽きかけていたが、止めるわけにはいかない。自分だけでなく翔鶴以下の全員が各々の防空火器で必死に応戦する。弾幕を張らなければ、食われるのはこちらだ。

 

加賀もわずかに残っている火器で応戦するが、見えるのは25mm連装機銃の射線のみ。20cm単装砲、12cm連装高角砲は完全に沈黙し、高品質な鉄の装飾と化していた。それでも血気盛んなら心配せずに済むが、唯一の稼働火器である25mm連装機銃も稼働率は最悪。本来ならば連射によって被弾の不安が和らげられるものを、逆にその弱々しさが増幅させていた。

 

「お願い! 当たって!」

「当たれぇぇぇ!!!!!」

 

数機は射線に捉えられ、獲物を目前にして憐れにも空中や海面に没していく。しかし、翔鶴姉妹の懇願も虚しく、艦爆、艦攻隊は練度を感じさせる連携した動きで同時に攻撃態勢に移行。

 

低空、高空からの立体的な挟撃を開始した。

 

「敵機! 急降下!」

 

蒼龍の絶叫が響き渡る轟音の合間を縫って木霊する。脇に爆弾を抱えたタコ焼きは3分隊に分離。それぞれ一列に連なり、爆撃嚮導(きょうどう)機を先頭として順番に顔面をこちらに向ける。

 

「あ・・・・・・・・」

 

その光景は当然、あの時と重なった。

 

“敵機直上! 急降下!!!”

 

「まだ・・・・まだよ! まだっ」

 

砲身が焼き付こうが、砲塔が暴発しようが構うことなく撃ち続ける。横須賀湾沖航空戦において、今と全く同じ状況に陥った時、戦闘中にもかかわらず赤城は幻影に囚われてしまった。

 

だが、ここでは幻影に囚われるわけにはいかない。浸るわけにはいかない。ましてや、諦めるわけにはいかない。この身には大きな役目が二つ託されているのだから。

 

布哇泊地機動部隊航空戦力を誘引し、水上打撃艦隊の突入を支援すること。そして、この海戦を無事に終え、自分を気遣ってくれた、心配してくれた百石やみずづき、加賀、翔鶴、瑞鶴をはじめとする艦娘、将兵たちに無事な姿を見せること。

 

“過去にけじめをつけ、前を進むこと”もあるが、これはあくまで胸の内の話。自分を支えてくれた、前を向けさせてくれた人たちの笑顔があってこそ、前進が可能なのだ。

 

「だから、ここでやられるわけには!!!!!」

 

爆撃嚮導機のタコ焼きが脇から航空爆弾を切り離す。ゴマのような取るに足らない極小の点だが、命中すれば身体的・精神的激痛が避けられない痛撃。

 

「回避行動!」

 

そう叫び、面舵を切る。自分視点で見る敵の位置が変わる。そこで初めて、自分に向かって投下されたように見えた爆弾が、実のところ自分など眼中に置いていないことを認識した。

 

「っ!?」

 

赤城・加賀へ向かってきた彼らの目標は初めから決まっていた。盛んに対空砲火を撃ちあげ、実際に艦爆を撃ち落としてもいる赤城。弱々しい射線で必死に艦爆を睨む加賀。攻撃しやすい目標は熟考するまでもない。

 

「加賀さん!」

 

“加賀がやられた!”

 

瞬く悲惨な光景を振り払いながら思わず、相棒の名前を叫ぶ。銃声。砲声。轟音。爆弾の飛翔音。聴力を無に帰す大音響が縦横無尽に疾走する中、聞こえたのだろうか。

 

加賀がこちらを振り向く。

 

 

 

そこには悲しそうに微笑む彼女がいた。

 

 

 

 

「加賀さ・・・・・」

 

その直後、加賀は火炎に包まれ、爆音の発生源となった。くしくもそれは瑞穂世界のミッドウェー海戦でも航空母艦加賀が最初の被弾艦になったことを確定させた。

 

「あ・・・・あ・・・・・加賀さん・・・・・」

 

投弾は至近弾を挟みながら、次々と加賀に命中していく。そして、悠々自適に飛び去っていく艦爆隊を赤城は涙を溜めこんだ目で力なく見つめるしかなかった。

 

そんな赤城にも危機が迫る。攻撃隊は何も艦爆隊だけではなかった。

 

「蒼龍! 危ない!」

「このぉ!!!!!」

 

加賀の被弾に唇を噛みつつ、猛烈な対空砲火と巧みな回避行動で艦爆隊に無駄足を踏ませた蒼龍と飛龍。しかし、いくら彼女たちにとっても高練度な攻撃隊から繰り出される立体的な挟撃には対応しきれない。海面を這った艦攻は艦爆の投弾による回避運動の方位、速力を読んでいたように蒼龍の進行方向に合わせ魚雷を投下。

 

一発ならまだしも、相手は複数の可能性を計算し、全てに対応できるようそれぞれ放射状に放たれた複数発。

 

「蒼龍さん!」

「蒼龍!」

 

全てを回避することは不可能だった。

 

「だめ・・・・か」

「蒼龍ぅぅぅ!!!!!」

 

顔を歪めた蒼龍の足元で海面が盛り上がり、緑色の着物が特徴的だった彼女は白と青が入り混じる水柱の中に消えた。

 

そして、その芸当は赤城を獲物に定めた艦攻も使用。複数の航跡が無音で勢いよく迫ってくる。回避行動をとりながら意地で発射した12.7cm連装高角砲がタコ焼き一機を爆散させたのが、せめてもの報復だ。

 

その直後、足元から凄まじい衝撃が突き抜け、全身を無理やり上へ押し上げた。

 

「ぐ・・・・。あっ!?」

「あ・・・・赤城さん!」

「そんな赤城さんまで・・・・・、これじゃ・・・・・あの時と・・・・」

「くっ・・・・」

 

瑞鶴の叫び。飛龍の狼狽。翔鶴の後悔。

 

衝撃に少し遅れて、突き上げられた全身の組織が激痛という名の悲鳴を上げる。上昇後の反動による落下がさらに全身を軋ませる。その前に頭上からすり注ぐ海水などどうでも良かった。

 

滝に飲み込まれたような錯覚の後、視界が海水から解放される。

 

「う゛・・・あっ・・・・・。ん・・・・・・。ひ・・被害確認」

 

反射的に航空母艦の命である飛行甲板と弓矢を見る。穴だらけの無残な飛行甲板を想像するが、存外損傷はなく健在。弓矢も海水を滴らせているが弦はしっかりと張りを保ち健在。航空機の発艦、着艦など運用には全く支障がなかった。もちろん矢筒も背中に張り付いている。ただ、体には激痛が走り、両足の至るところで出血が発生していた。

 

「しょ・・・・小破?」

 

唖然とそう呟く。安堵のため息はこぼれそうだったが、状況はそれを許さない。

 

「瑞鶴! 早く、回避行動を!」

「瑞鶴さん!?」

 

濡れた顔面から手で海水を排除しつつ、慌てて瑞鶴の方向に顔を向ける。3班に分かれた艦爆・艦攻の中で箱型陣形の中央、翔鶴姉妹を狙った攻撃は3班の中で最も遅かったようだ。艦爆隊は既に艦隊から遠ざかりつつあり、急降下爆撃を凌いだ2人は魚雷を抱えた艦攻隊と対峙していた。

 

必死に回避しつつ、対空砲火を浴びせかけるものの、その対空砲火は弾幕に慣れた艦攻隊を怯ませるには弱すぎる。彼女たちにも限界が迫っていた。

 

そして、先頭の艦攻が顔面を翔鶴姉妹、ではなくその先を見据えて魚雷を放つ。だが。

 

「へ?」

 

ここで珍事が発生した。

 

「嘘でしょぉぉぉぉ!?」

 

魚雷は海面に突っ込むことなく、海面に衝突した衝撃で跳躍。水切り石のように跳躍、飛翔、跳躍、飛翔を繰り返しながら瑞鶴に猛進していった。

 

「ちょっ!? 魚雷で反跳爆撃とか聞いてない!」

 

驚愕した瑞鶴は慌てて増速し、面舵を切る。それでトビウオのように駆ける魚雷からは逃れられたものの、その急機動で発生した局所的な波がまたしても予想外の結果を招来した。

 

瑞鶴の右舷側を航行し、衝突を回避するため、同じく面舵を切った翔鶴。本来なら彼女も魚雷の進路から外れたはずだったが、着地地点でちょうど瑞鶴の回避運動で立った波に激突した魚雷は約60度、方向転換。

 

「えぇぇぇ~~~~」

 

そのまま翔鶴の左脇腹に突進し・・・・・。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」

 

激突。爆発した。

 

「しょ・・・・翔鶴姉!!!!!」

 

瑞鶴は血の気を一気に失い、翔鶴の元に駆け寄ろうとする。彼女の頭からは後続の艦攻がすっかり血の気と共にどこかへ飛んでいた。

 

「待って! 瑞鶴さん!」

 

だが、突然の事態に後続の艦攻も動揺したのか、魚雷を放たずにそのまま直進。高速で空母艦娘の間を通過していく。その中の、魚雷を抱えた一機の進行方向には瑞鶴がいた。魚雷のみでも当たれば小中破は避けられず、ましてや魚雷とは比べ物にならない高速で燃料を積載した飛行爆弾であるタコ焼きと共に激突されれば、最悪の事態も生じかねなかった。

 

こちらの呼びかけは瑞鶴に届かない。

 

「瑞鶴!」

「ずい・・・っかく! 横を!」

 

飛龍と激痛に耐えながら紡ぎ出された蒼龍の注意も届かない。無力感に苛まれる中、艦攻は猛スピードで瑞鶴との距離を縮めていく。

 

「あ・・・・・・・」

 

そこで瑞鶴が気付いた。その理由は艤装と制服をボロボロにし、全身から血を流す姉の表情から生気が消えたため。おそらく、翔鶴も気付いたのだろう。

 

それでもすでに回避が不可能なほど両者は近づいていた。瑞鶴は頭が状況に追いつかないのか、呆然自失。固まっていた。

 

「あっ!!! 瑞鶴さん!!!」

「ふんっ!!!」

 

全員が爆炎に包まれる瑞鶴を覚悟したとき、艦攻に何かが突き刺さった。そして、目玉から光を失った艦攻は惰性で飛行。瑞鶴はそのわずかな時間に我を取り戻し、両腕で頭を抱え、その場に伏せる。

 

直後瑞鶴の真上で爆発した。

 

「きゃぁっ!?」

 

小さな悲鳴が木霊する。しかし、普段から何かと周囲を騒がせている彼女。声色だけで無事かどうか分かってしまった。

 

「か・・・・加賀さん!」

 

何かが飛んできた方向。そこには飛行甲板に3つの穴をあけ、青と白の制服を刻一刻と赤で染めつつある加賀が、激痛をこらえるように瑞鶴を睨んで立っていた。

 

 

その左手に弓はなかった。

 

 

「う・・・・」

「加賀さん!!!」

 

闘志に溢れた阿修羅のような様相はここまで。顔を歪めると、加賀は海面に倒れ込む。咄嗟にかけより、血や海水で汚れることなど一切躊躇せず、彼女を抱きかかえる。

 

「赤城・・・・・・さん」

 

小さくそう呟いた顔は血色の代わりに、半分ほどを血で染めていた。海面が徐々に赤く染まっていく。

 

今まで幾度となく見てきた“死”。

 

その強烈な臭いが立ち込める情景に体の芯が凍り付いた。

 

「加賀さん! しっかりして! ねぇ! 加賀さん!」

 

ぐったりと腕に全体重を預け、焦点が合わない瞳を彷徨わせる。いつも無表情で無口。とある欧州への留学経験が所以で日本海軍士官たちにクールビューティーとも称された加賀。激痛に翻弄されつつ、釈然としない表情にいつもの面影はなかった。そんな彼女が唐突に呟いた。

 

「赤城さん・・・・・。ごめんなさい・・・・」

「え?」

 

何に対する謝罪か、分からなかった。候補はあった。全く理解できなかったのではなく、選択できなかった。

 

「それはどういう・・・・・」

「加賀さん!」

 

 

真意を確かめようとした言葉は強張った呼びかけで終焉を迎えた。

 

 

蒼龍を肩で支える飛龍が顔面蒼白でやって来た。その後ろには同様に翔鶴を支える瑞鶴がいる。彼女たちの上空を見ると、ようやく到着した紫電改二が再度の攻撃を目論む敵攻撃隊を追い回していた。

 

「か・・、・・かが・・・・さん」

 

いつもの威勢のよさは、憎まれ口はどこへ行ったのだろか。飛龍に負けない蒼白さで小刻みに身体を痙攣させる瑞鶴はただ弱々しく彼女の名前を呟く。それに対し、加賀は微笑んだ。

 

「だい・・・じょ・・・うぶよ・・・・。これぐらい」

 

自力で立ち上がろうとするが、激痛に呻き声を上げ、赤城の胸に倒れ込む。大破。しかも、危機的状況であることは誰の目にも明らかだった。中破した蒼龍や翔鶴とは苦痛で刻み込まれる皺も出血も次元が違った。

 

「無理しないで! 今動ける状態じゃない! 加賀さんが一番分かってるでしょ!」

 

無茶が頭にきて、怒鳴りつける。だが、加賀は儚げに笑った。

 

「でも、このままでは私・・」

「やめて!!!」

 

加賀の言葉を遮るように、瑞鶴が爆音すら怯ませる大声を上げた。そして、大粒の涙を流し始めた。

 

「なんで・・・・なんで・・・・・こんなことに・・。こんなことになるのよ・・」

「瑞鶴・・・・」

 

翔鶴の気遣いを受けても、嗚咽は止まらない。

 

「たくさん苦しんできたのに・・・・、それに耐えて・・・・乗り越え来たのに・・・・・。なのに、その果てがこれって・・・・・」

「ありがとう・・・・・・・・」

 

彼女の嗚咽は姉ではなく、信頼する先輩によって止まった。加賀の微笑みに瑞鶴が息を飲む。

 

「え・・・・・・」

「ありがとう・・・・・ずいかく。でも安心して。私は・・・・・・」

 

加賀の身体に力が籠る。

 

「こんなところで沈む気は毛頭ない・・・・から」

「う・・・う・・・。かが・・・・・さん!」

「もう2度と自分の死によって、守りたいと願った仲間を、居場所を地獄に引きずり込むなんてしない。もう2度と無責任に逝って、残った人たちに苦しみを、悲しみを背負わせたりしない」

 

血に濡れた顔で遠くを見つめる加賀。そこに何が映っているのか。分からない者はいなかった。

 

「せめて逝くときは全てにけじめをつけてから・・・・・。あの時みたいに中途半端で、一番退場してはいけなかった時ではなくて・・・・・・・・。まだ、私はけじめをつけてない。あなたたちにも・・・・。瑞穂にも・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・あの人たちにも」

 

そこで初めて、加賀は一筋の涙を流した。

 

「かがさん・・・・・・」

 

再び目元が決壊し始めた瑞鶴が鼻をすする。

 

加賀の想いと瑞鶴の信頼。それを見て、決意は固まった。

 

「大丈夫よ、加賀さん! あなたは私たちが沈めないわ! 絶対に!」

 

(もう、退避しかない!)

上空を見ると先ほどまでわが物顔で乱舞していた敵攻撃隊の姿はなく、誇らしげに迎撃に出ていた紫電改二が直衛に戻ってきていた。どうやら、彼らが敵の攻撃隊を撃退してくれたようである。

 

第一次攻撃隊の状況が分からないが、空母機動部隊は加賀、翔鶴、蒼龍が運用能力を失い、先ほどの会話から警戒部隊の曙と潮も戦闘能力を失っている可能性が高い。小破艦は赤城、鳥海、朝潮の3隻。まだ艦隊としての戦闘能力は維持していたが、空母機動部隊としては壊滅的な打撃を被っていた。

 

これではここに留まり、第一次攻撃隊が敵の撃破に成功していたとしてもわずかな第二次攻撃隊しか派出できず、もし第一次攻撃隊の攻撃が失敗し布哇泊地機動部隊が健在であった場合、補給と整備・再編成を終えた敵の攻撃隊が来襲する。それは損傷艦にとって“死”を意味していた。

 

しかし、この考えは飛龍からあげられた報告によって、水の泡と化してしまった。

 

「あ、赤城さん!」

「どうしたの!」

 

尋常ではない様子に声が裏返る。それをまったく気にせず飛龍は続けた。

 

「MI攻撃部隊南方に向かった彩雲6号機から至急電! 我、MI攻撃部隊よりの方位221、距離540000に新たなる敵水上打撃群を捕捉。編成、戦艦棲姫1、戦艦タ級flagship2、雷巡チ級flagship2、重巡ネ級flagship1の計6隻! 速力26ノットにて、MI攻撃部隊へ接近中!!!」

「な・・・・なんですって!?」

 

悲痛な絶叫は紫電改二が飛びまわる空にゆっくりと溶けていった。




道半ばで閉ざされた艦生。様々な想いを背負っていたからこそ、そして澄んだ瞳と心を持っているからこそ見えるものもある。見た目だけでは分かりませんが彼女たちも同じだと思うんですよね。



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95話 ミッドウェー海戦 その5 ~現在と過去の狭間~

クソだるい月曜日の朝、ばっちり目が覚めました。


「呉は何をしていたんだ!!!」

「ひっ!?」

 

大隅副長伊豆見広海(いずみ ひろうみ)中佐の怒号。続く打撃音。叩きつけられた机の悲鳴は顔面蒼白で飛龍からの緊急電を伝えに来た横須賀鎮守府通信課の下士官を震え上がらせる。伊豆見の怒り、机の嘆き、兵士の怯え。“空母機動部隊、実質的に壊滅”の報で静まり返っていたMI攻撃部隊司令部が置かれている大隅司令室に3つの感情が伝播する。一人で俯き、上官や同僚、部下と深刻な表情を突き合わせた将兵たちが一斉に伊豆見へ視線を集中させる。それでも、彼の激高は収まらない。

 

「なんのために意気揚々と潜水艦を派遣したんだ! 布哇泊地機動部隊を見過ごすしたばかりか、別動隊の所在まで掴めないとはあいつらはバカンス気分なのか!? ピクニック気分か! 全く持って理解できん!」

「いえ・・・その・・・あの・・・・」

「我々が決死の覚悟で作戦遂行へ向けて邁進しているというのに、いいなぁ! あいつらはお気楽で!」

「っ・・・・・・・」

 

ただ報告にきただけにもかかわらず、司令部幹部からの視線を一身に受け、なんの不運か自分に一切落ち度がなく全く持って関係ないことで怒鳴られる下士官。さすがの理不尽に見ていられなくなり、頭に血が上っている伊豆見を制止した。

 

「伊豆見副長、そこまでです。彼はこちらの所属。呉に失態とは全く持って関係ありません。お気持ちは重々理解しますが、これでは彼に酷すぎます」

「あ・・・・・・いや・・・」

 

指摘を受けようやく我に返ったのか、自身の行いを反芻しばつが悪そうに視線を泳がせる。

 

「・・・・すまなかったな。報告、ご苦労だった」

 

それだけいうと先ほどまでの剣幕が嘘のように、落ち着いて椅子に座る。下士官はあっけに取られていたが、「下がってくれ」というと安堵の色を隠さずに退出していった。「失礼しました」の後、扉の閉まる音が響く。

 

それを境に再び重苦しい静寂が司令室の支配者に舞い戻ってきた。伊豆見に集中していた視線が今度はMI攻撃部隊指揮官の百石へ向けられる。彼らは無言で今後の対応を求めていた。

 

「接敵までどれぐらいかかる見込みだ?」

 

身体にまとわりつく沈黙を払いのけ、正面左翼に座っている通信課長江利山成永(えりやま なりなが)大尉に尋ねる。

 

「飛龍の通報から考察しますと、おそらく一時間後には接敵すると思われます」

「1時間か・・・・・」

「はい。1時間です・・・・・・」

 

ため息交じりに唸る第3統合艦隊首席参謀田所昭之助大佐。本能的に拒絶したくなる情報を拒絶させないために、あえて江利山はもう一度事実を告げる。田所は作戦実施にあたり、第3統合艦隊との連絡役として大隅の司令室に留まっていた。

 

「なら、もう打てる手は1つしかありませんな」

 

猶予のなさに吹っ切れたのか、緒方は妙にサッパリとした表情で作戦策定時に検討したとある対処策を示唆する。その瞬間、田所が俯いていた顔を即座に上げたものの、何も言わず再び俯いた。何か言いたそうにはしていたが、この案には田所に代表される第3統合艦隊司令部からも同意が示されていた。さすがの彼らもここまで切迫した状況を前に“逃げる”などといった妄言は吐かなくなっていた。

 

最小限の犠牲で、あわよくば敵に大損害を与えられる作戦。

 

緒方が示唆した対処策は既に司令部要員全員に知らされている。緒方が肩を落とす田所から視線を切り替えたのを合図に、田所を除いた司令部要員がこちらへ視線を向ける。

 

百石は口内に溜まった唾を飲み込み、喉の調子を整えると緒方が示唆した指揮官としての判断を伝えた。

 

「我がMI攻撃部隊は現在の進路を維持しつつ、対処案“ア号”を発動。第3統合艦隊は航空母艦出穂同航空隊以下、総力をもって敵水上打撃部隊を襲撃、殲滅するものとする。第3統合艦隊はただちに出穂航空隊を全力出撃。作戦行動を開始せよ。・・・・・・・異議は?」

 

正面の右翼、左翼に座っている各員の顔を見回す。田所を含めて、異議は出なかった。

 

「攻撃後の動向については逐次、下令する。総員、準備にかかれ!」

『はっ!』

 

力強い返事が木霊すると要員たちは一斉に立ちあがり、司令室から姿を消し、副官や部下など待機していた将兵と顔を突き合わせる。気だるげな様子で最も遅く立ち上がった田所はぶつぶつと他人には聞こえない独り言を呟きながら、司令室の最奥に設置してある第3統合艦隊との直通電話を手に取る。この電話は司令部としての大隅司令室の機能を整えるものであり、直通電話といっても作戦や随伴艦の相違によって接続先は変わる。今次作戦においてこの直通電話は第3統合艦隊司令部が置かれている出穂艦橋につながっていた。

 

そのような彼の後ろ姿を緒方と共に眺めていると出入り口のドアが激しくノックされた。

 

「し、失礼します!」

 

慌ただしく入室してきたのは、先ほど伊豆見から場違いな怒号を浴びた通信課の下士官だった。彼があからさまに怯えながら、こちらへ駆け寄ってくる。

 

「どうした?」

「島根からの緊急電です!」

「読んでくれ」

「はっ!」

 

彼は右手の小さな紙きれに視線を落とす。しかし、このころには彼の存在が司令室全体へ広がり、伊豆見も含めて再びその身に視線を集結させていた。

 

「発、呉鎮守府司令長官三雲幾登(みくも いくと)。宛、MI攻撃部隊総指揮官、百石健作提督。当鎮守府所属の伊58が12月22日5時49分ごろミッドウェー諸島の南方、98海里において、戦艦を主力とする敵艦隊を発見。動向に細心の注意を払われたし。・・・・・以上であります」

 

電文を読み上げた時と、終了を伝えた時の口調があまりにかけ離れていると感じたのは気のせいだろうか。彼の気まずそうな顔を、そして大きなため息を吐き続ける司令部要員を見るとそれが事実であることに気付いた。

 

「おい。今日は何日だ?」

 

抑揚のない声色で伊豆見が控えていた航海長に尋ねる。

 

「えっと・・・。ミッドウェー時間で12月24日。瑞穂時間では23日になります」

「そうだよな。俺の勘違いじゃないよな・・・」

 

そして。

 

「あいつらは2日間何してたんだぁぁぁ!!! 今更送られても遅いんだよ!!!」

 

再び激高し、その場で地団駄を踏む。下士官は再来の予感に身を強張らせていたが、さすがの百石もこれには脱力感を禁じ得ず、緒方と共に眉間を抑えるしかなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

所狭しと壁に沿って設置された、通信機器の数々。傍を駆け抜けたり、机につきペン片手に聞こえてくる音声や符号に耳を立てたりしている将兵と同等の大きさを有するものもあれば、事務机に収まるものまで多種多様。彼らは24時間休むことなく当直の将兵たちと連携し、自艦と他艦の架け橋を果たし続けていた。

 

いくら電動とはいえ機械の宿命である排熱によって、いつもは外気温より一段階高い室温に悩まされているのだが、今この瞬間、室温は適温を遥かに下回り絶対零度を目前とするまで降下していた。身体的温度はいつも通り、冬に弄ばれている室外と比較して幾分温かい。しかし、身体的温度と無縁ではない精神的温度は外界のどこかにいる冬将軍も裸足で逃げ出してしまうほど凍えていた。

 

それに耐え、必死にこれ以上の寒冷化を招かぬよう平常通り任務に励む将兵たち。その背中に努力をあざ笑うかのような凄まじい怒号が突き刺さった。

 

「この恥さらしがぁぁぁ!!!」

「うぐっ!!」

 

聞こえただけで不快感を惹起するぐぐもった激突音に、有機物が無機物に倒れ込み思わず不安感を抱かせる雑音。ただならぬ気配が立ち込めるが、それでも当直の将兵たちは自身の仕事に専念する。怒号が事実を歪曲した理不尽極まりないものなら、彼らも声を上げるなりドスを利かせるなり行動に映っただろう。しかし、今回は怒りを爆発させ、1人の少尉を殴り飛ばした呉鎮守府参謀部長山下智侑(やました ともゆき)中佐には絶対的な“激高する理由”があった。

 

山下の怒りを物理的に左ほほへ受けた少尉は呻くことも、頬をさすることも、ましては反抗的な態度を示すことなく、瞬時に立ちあがり、山下の前へ歩み出る。彼の左隣には顔を強張らせた一等兵曹が、山下の傍らには眉を垂らす通信課長川田友臣中尉がいた。

 

「まことに・・・・まことに申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!!」

「謝って済むことか! あん!? 貴様らがしでかしたことの重大性は貴様らが一番よく分かっているだろうがぁぁぁ!!!!!!!!!!」

 

山下は再び少尉の頬へ突撃しそうになる左腕を寸でのところで抑え込み、胸に溜まった鬱憤を言葉に変換して放出する。それはいくら必死の形相で頭を下げられようとも、収まりはしなかった。

 

山下がここで呉鎮守府通信課に所属する将兵2人へ怒鳴り散らしている理由。ことの発端はつい1時間前。MI攻撃部隊旗艦の大隅から“敵別動隊発見及び戦闘不可避”の緊急電が送られてきたことに始まる。

 

布哇泊地機動部隊とは別行動をとる戦艦を主体とした深海棲艦の水上打撃艦隊。この存在を呉鎮守府はMI攻撃部隊がミッドウェー諸島を攻撃した頃合いに伊58の緊急報告で把握。事態の深刻性を鑑み、即座にMI攻撃部隊へ通報したはずだった。しかし、MI攻撃部隊が敵水上打撃艦隊の存在を把握したのは伊58の発見から2日も経過した本日。飛龍が放った彩雲による目視偵察の結果だった。

 

「どういうことだ!? 大隅に打電したんじゃなかったのか!?」

 

通信課及び島根航海科からは大隅に打電し、打電を受諾した旨の返信も受信したと参謀部長である自身はおろか現在島根の通信を一手に指揮している通信課長川田友臣中尉にも報告されていた。にもかかわらず、この事態である。川田が調査を行った結果、偶然と初歩的な人為ミスが重なった不祥事であることが明らかになった。

 

当時、通信室ではMI/YB作戦の発動中ということもあり大隅を含めた各艦、各地上部隊、各艦娘からの通信が舞い込み、加えて呉鎮守府の意思や決定を他艦へ伝達する業務もあり、多忙を極めていた。その折、MI攻撃部隊との通信を担当していたのは1等兵曹。彼が山下の意向を受け、大隅に敵別動隊発見の急報を打電した張本人。しかし、大隅からの返信はなかった。訝しがっていた時にちょうど当直交代の時間となり、1等兵曹は大隅の件を当直士官であった少尉に報告し、退室。ところがこの時少尉に提出された通信履歴の順番が間違っており、あたかも先ほどの通信に大隅が返信したかのような構成になっていた。本来ならここで報告を受けた少尉は疑問に思い、1等兵曹を追いかけて事情を正すなり、1等兵曹の次にやって来た2等兵曹に再び大隅へ打電させるなりの確実性を期さなければならなかったが、少尉は「あいつの勘違いだろう」と多忙を極めていたこともあり一人で早合点。2等兵曹には「大隅とは連絡がついたから」と言って別の業務を指示。「大隅から返信を受諾」とこちらに報告した。

 

だが実際、大隅はおろか高いマストを持つ鞍馬(くらま)すら島根の緊急電を捉えることはなく、MI攻撃部隊は別動隊が自分たちへ向かっているとは夢想だにせず、作戦を遂行していた。

 

この些細なミスと思い込みが、艦娘を含めた約6000名の人命を風前の灯に変え、海軍の長期的な戦略、ひいては瑞穂に房総半島沖海戦の“再来”をもたらしかねない、いくら贖罪を重ねようとも償い切れない大失態につながった。

 

通常艦隊が深海棲艦と砲火を交えればどうなるか。海軍はいやというほど屍を晒され、思い知ってきた。例え、技術力、経済力、財政力の全てを結集し、瑞穂の国力を結実させた統合艦隊であろうとも、結局のところこの運命には抗えない。少なくとも呉と横須賀、軍令部は承知していた。

 

山下もまさかこのような正念場にこれほど天に見放された事態に陥ろうとは、日本世界のおけるMI作戦中、アメリカ海軍空母の呼び出し符号を赤城が傍受しなかった不可解を並行世界証言録から知っていたものの思いもしなかった。

 

 

時勢の展開次第では“役立たず”を飛び越え、“仲間の首を絞めた穀潰し”の烙印を押されるだろう。だが、一義的な原因は彼らにあった。

 

「一体何をしているんだこのような時に! 多忙だったことは理解している。だが、非常時に任務を着実に遂行できてこその軍人だろう! 貴様らは海兵団で、田浦の通信学校で何を学んできたんだ!」

 

MI攻撃部隊壊滅の危機感が怒号の蛇口を開き続ける。些細なミス。偶然の重なり。誰がどこかでほんの少しでも行動していれば、偶然がほんのわずかばかり歯車のかみ合わせを違えていれば、このような結果は起きなかった。今となっては喉から手が出るほど欲しいその道が明確に見えるからこそ、後悔と怒りが収まらない。

 

「山下参謀部長・・・・」

 

こちらの説教を見守っていた川田が意を決したように声を上げる。何事かと視線を向ければ、後悔と葛藤のあまり獣のように顔を皺だらけにしている御年25歳の川田がいた。その鬼気迫る形相に思わず、言葉を失った。

 

「今回の失態は通信課、ひいては彼らを指揮監督する立場にある自分の責任です。まことに申し訳ございません」

 

彼は腰を90度折り曲げ、つむじをこちらに向ける。こうされるのは今日だけで2回目だ。

 

「もし今後もご指導されるのであれば、小生もお加えください。拳で悟れとおっしゃるなら、彼らではなく私に。彼らには私からきつく言い聞かせますので・・・・・」

「中尉・・・・・・」

 

呉鎮守府幹部の中では最年少、最下位だった川田。部下に自身と同じ中尉はおろか、父親にも匹敵するほどの年齢の兵士がいる中で舐められないよう、そして命令に信頼を抱いてもらえるよう彼は同じ年齢の若者が東京や大阪で遊び歩いているのを尻目に奔走してきた。特権階級意識が高く、自分たち以外を見下す傾向が強い、海軍兵学校・海軍大学校を経た海軍通信学校高等科卒業組でありながら、彼はエリート意識を垣間見せることはなかった。

 

その彼の、重大な過失を侵した部下への庇いだて。失態を侵した2人も意図的だったわけでない。彼はそこをくんでいるだろう。

 

彼の姿勢を甘いと見る視線。

彼の姿勢を温情に厚いと見る視線。

 

その交差は異様な沈黙を島根の通信室にもたらした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

目まぐるしく動き回る風防ガラス越しの世界。常時変化する重力。真夏にもかかわらず厚着をしなければたちまち凍えてしまう気温。身を預けている機体に急機動を強いるたびに甲高い唸り声を上げる発動機。機関銃発射把柄(はへい)を握るたびに全身を痙攣させる小刻みな振動。

 

狭い搭乗席が私室になってから、学生を脱した一人前のパイロットとしてこの機体が相棒になってから、見慣れた景色。感じ慣れた感覚。

 

しかし、薄気味悪い笑みを浮かべながら追ってくる人智を超えた存在を、火煙を胴体から吹き出しながら墜ちていく味方機を見た瞬間、日常への帰還を望む邪念が現実に消滅させられた。

 

「中尉! 後ろを取られています! 回避を! 回避をぉぉ!!」

 

僚機無線から声の裏返った絶叫が聞こえてくる。

 

「はぁ・・・・はぁはぁ・・・・・はぁ!」

 

視界の隅をかすっていく橙色の小さな光。蒼空を切り裂いていくそれの果てに、無残に撃墜さる自機が見えた。

 

「っ!?」

 

暴走する心臓に触発され胃の内容物と弱音をぶちまけそうになる嘔吐感を必死に抑えながら、操縦桿を前後左右に倒し、ペダルにかける力を微調整し、もはやだれのものか分からない大空を乱舞する。

 

「俺しか残ってない! 俺しか! ・・・第102飛行隊第5小隊! 祖国瑞穂の空に栄光を刻まんとす!」

「このタコ焼き風情がぁぁぁぁぁ!!!!!!」

「絶対に艦娘だけはやらせるな! 彼女たちは俺たちの・・・瑞穂の希望だ!」

「くっそ! 中山がやられた!」

 

スイッチを入れたままの隊内無線から悲痛な声が途切れることはない。時間の経過とともに減っていく声が、仲間たちの置かれた状況を如実に物語っていた。

 

「う・・・・・・っ。田中・・・・田中・・・・・・」

 

水色の空から青色の空へ眼前の景色が移行した瞬間、先ほどその青色の中に溶けていった仲間の顔が浮かんだ。

 

3機いた、自分の部下。今となってはもう1機しかいない。

 

だから、そもそも邪念が望む日常の再会など不可能なのだ。2機は永遠に自分の元から、消え去ってしまったのだから。

 

「隊長・・・・・。ここでくたばることは俺が認めませんよ!!!」

 

前方から見慣れた影が猛スピードで現れる。影の思惑を看破した一瞬、思考が停止した。

 

「こらぁ! 桃谷! そんなことしたら・・・・・」

 

視界の隅をかける光。それは空気だけでなく、大切な部下さえも引き裂いた。雑音を吐き出した後、沈黙する僚機無線。

 

「あ・・・・・・・・・」

 

飛び散るプロペラ。紅蓮の炎を吹き出す発動機。もはや空の守護者たる力を失った金属の塊が自機とすれ違う。

 

「桃谷・・・・・」

 

発動機から流れる黒煙によって搭乗席は見えない。

 

「桃谷・・・・」

 

 

 

「・・・・・・・・・!」

 

どこからともなく声が聞こえてくる。ぐぐもっていて何を言っているのか分からない。

 

 

 

 

惰性で飛行した後、30式戦闘機は故郷の地上へ突入していく。

 

 

 

 

「つ・・・・た・・い!」

 

小刻みではなく、ゆったりと体が揺れる。

 

 

 

 

 

そして、どこまでも続く大海原に水柱を巻き起こした。

 

「あ・・・・あ・・・・。も・・・桃谷ぃぃぃぃぃ!!!」

 

 

 

 

そこで。

 

 

 

 

筒路(つつじ)大尉!」

「んはっ!!」

 

意識はいつまでもまとわりついてくる過去から、行先が決まっていない現実へ引き戻された。

 

「んは・・・っは・・・はぁ・・・はぁ・・・・・。ここは?」

「大丈夫ですか? 筒路大尉?」

 

見慣れた武骨な天井に、特段の感慨も浮かばない硬めの布団。自分の顔を心配そうに見つめる、茶色の飛行服を着た士官。「ここは」の問いなどはなから不要であった。自身がなぜここでこうしているのか。理由が分からなければ即刻軍病院へ直行だ。

 

「そうだった。そうだった。横になろうとしたんだった・・・・・」

「筒路大尉、本当に大丈夫ですか? どうやらうなされていたようですし、顔色も芳しくありませんよ?」

 

おそらく梯子に登っているのであろう。部下の桜野伸吾(さくらの しんご)中尉が二段ベッドの上段であるにもかかわらずベッドの脇から顔を覗かせている。度重なる質問への無視が彼の不安を増長させているようだった。ここは航空隊の士官が寝泊まりする出穂士官用居住室。二段ベッドが壁際に2つ設置された6畳ほどの部屋で、他に私物用の狭いロッカー人数分。机はない。現在、出穂航空隊が置かれている状態を知っているため、誰かほかにいるのかと探す気力も湧かなかった。出穂航空隊搭乗員、偵察員全員は搭乗員待機室に集合していた。

 

「俺はなんともない。・・・・それより、どうしたんだ? お前が来たってことは何か動きがあったんだろう?」

「・・・・・・・・」

 

無言で目を細める桜野。この言葉が彼の気持ちを逆撫ですることは分かっていた。しかし、心情の吐露は自身の置かれている地位が許しはしなかった。

 

「まもなく飛行隊長が来られます」

 

それだけで、桜野がここへやって来た理由はおろか今後待ち受けている自身や桜野を含めた出穂航空隊の未来が察せられた。

 

それだけいうと、やれやれとため息をつきながら桜野は梯子を下りていく。

 

「すまんな、桜野・・・・」

 

一瞬で空気に溶けそうなほど弱々しい言葉を天井に向かって呟く。それが休憩の終わりと言わんばかりに素早く起き上がるとベッドから降り、吊るしてあった上着を羽織ると待っていた桜野を横目に居住室の扉を開ける。

 

室内の静寂から一転。燃料や応急対処用の角材、医薬品、食糧などが所狭しと並べられ、依然に比べてより一層通りづらくなった廊下を下士官が右に左に表情をこわばらせながら駆けている。桜野を伴いその間を縫うようにして、搭乗員待機室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

「いいか!? もう一度確認するぞ!!」

 

これから発艦する航空機の先を越すように約217mの飛行甲板を絶好調で駆け抜ける風。聴覚に風切り音を、嗅覚に視界の限り広がる大海原の香りを速達。総勢137名に向かって吠える偉丈夫で肌を浅黒く焼いた男の声をかき消そうと画策するが、彼の声帯は自然の意思をも屈服させ、自らの言葉を全員に届ける。

 

彼は54機の常用機を誇る出穂航空隊を指揮する飛行隊長山口弘毅(やまぐち ひろあき)少佐。“深海棲艦を撃沈してこそ艦攻隊員”と今回の作戦を非難した艦攻隊員を一喝した血の気の濃さで名を轟かせる猛将だ。

 

山口は全員に見えるようMI攻撃部隊と深海棲艦水上打撃艦隊を図示した黒板を両手で胸の高さまで掲げる。そして、要所要所で黒板に抱えている記号を指し示しながら、先ほど搭乗員待機室で説明された作戦のおさらいを開始した。

 

「敵艦隊と当艦隊の接敵まで後30分。先ほども説明したが、本作戦は我々が主役ではない。あくまで彼らが主役である」

 

そういうと山口は雁首を揃えている隊員たちの後方を指さす。ここにいる全員、山口が何を指しているのか把握しているため、彼の顔を直立不動で見続ける。輪形陣の中心で航行する出穂の左舷側遠方には35.6cm連装砲4門を有する瑞穂史上最大の戦艦、薩摩型3番艦紀伊が左舷を警戒するように航行していた。

 

「我々は特定海域に敵を誘引させる脇役だ。艦戦隊は通常爆弾、艦攻隊は航空機雷と特殊焼夷弾を持って、敵の進路を妨害。特定海域に敵が進出後、紀伊が燃料気化砲弾を撃ち込み、敵を殲滅、もしくは無力化する。これにあたり・・・・・・・」

 

“出穂航空隊の総力を持って、敵水上打撃艦隊を襲撃、殲滅する”

 

百石の明確な方針が伝達された時、航空隊には言葉では言い表せないほどの衝撃が駆け抜けた。中でも敵の濃密な対空砲火の真っ只中に飛び込み直接攻撃を仕掛けることになる艦攻隊では絶望を通り越し、百石をはじめMI攻撃部隊司令部で幅を利かせる横須賀鎮守府への罵詈雑言の嵐が吹き荒れた。

 

「上は一体俺たちの命をなんだと思っているんだ! 結局俺たちは捨て駒かよ!」

「深海棲艦とやりあって、まともに勝てるわけがない。あんな小さな的にどうやって爆弾やら魚雷を当てろっていうんだ!?」

「百石といい横須賀は俺らの立場を何も分かってない! 懇切丁寧に撃ち落とされにいけだぁ??? ふざけんな、くそが!」

「慣れ過ぎなんだよ、人死(ひとじ)にに! いっしょくたにされたら、たまんねぇんだよ!」

 

艦攻隊員が放った暴言の一礼である。自分より遥かに階級の高い軍人、加えて司令部を非難し、あまつさえ罵倒することは本来ならば許されない。しかし、この場にいた山口でさえも彼らを怒鳴りつけることはしなかった。

 

航空機が深海棲艦とやりあえばどうなるか。それは身をもって知っている。だが空中戦だけでなく、通常兵器の劣勢は対艦攻撃任務であっても顕著だった。瑞穂海軍は大戦勃発初期、各航空基地に配備されている中翼単葉、主脚固定式の20式攻撃機、24式爆撃機で数度本土へ接近した深海棲艦への対艦攻撃を実施したことがある。結果はぐうの音も出ないほどの全滅。全長100m越えの艦船にすら命中させることが困難であるにもかかわらず、相手は人間と同等の大きさ。空中戦における機銃と異なり、爆弾や魚雷などをそもそも命中させることは不可能だった。

 

“あの百石提督がこんな愚策を考案するものか?”

 

山口からMI攻撃部隊司令部の意向が伝えられた時、率直に疑問を感じた。横須賀において百石健作提督の評判はすこぶる良く、房総半島沖海戦後は横須賀航空基地に足を運び、自分たち生存組を激励してくれたこともある。横須賀鎮守府司令長官という立場上、深海棲艦との戦闘の最前線に立ち、房総半島沖海戦における横須賀航空隊第101、102航空隊、第5艦隊の壊滅も至近で目の当たりにしている。

 

航空隊の怒りに触れ、艦橋へすっ飛んでいった第3統合艦隊航空参謀森本喜市中佐は戻って来た後、その感慨が正しかったことを示した。百石は全滅覚悟で運に任せた攻撃を行う考えは微塵も持っていなかった。

 

“あえて航空機による直接攻撃を避け、被弾の危険性を負ってまでも戦艦及び重巡洋艦の主砲で迎撃する”

 

説明を受けた後、現有戦力を最大限有効活用できる作戦と判断した艦攻隊員たちは一挙に鎮静化。昨日3機の33式艦上偵察機を“はるづき”に撃墜され、9名の戦死者を出している偵察隊の隊長である先任分隊長吉岡実大尉が賛意を表明したことで、一挙に最善を尽くす流れに落ち着いた。

 

「再度の作戦説明は以上である! 何か質問は?」

 

自然をも屈服させる強靭な声が止む。その隙に一瞬だけ視線を上方、艦橋脇の見張り台に向ける。そこにはこちらを険しい表情で見下ろす第3統合艦隊司令官安倍夏一中将と参謀長の左雨信夫少将、出穂艦長の有賀友憲大佐がいた。通常なら安倍と有賀から短い訓示があるのだが、今回は早急な発艦が要求されているためなかった。

 

山口は殺意すら籠っていそうな鋭い視線で137人を見回すと再び屈強な声を張り上げた。

 

「此度は誘引任務とはいえ、れっきとした実戦であり、敵の防空圏内に突入する。これまで行ってきた訓練ではない!! そのことを魂に刻み込め!! 日ごろ培ってきた訓練の成果が存分に発揮できることを期待する!!!」

 

迫真の気合いが宿る敬礼。それに覚悟を込めて、答礼する。

 

「総員、発着位置につけ!!!」

 

裂帛の号令と共に180度回れ右。全速力で駆けていく部下の背中を負い、足を全力稼働させて後部甲板に待機している愛機へ駆け寄る。

 

プロペラを適度に回転させ、木製甲板の上でリズミカルな音を奏でる15機の30式戦闘機乙型。その後方には胴体下部に特殊焼夷弾を抱え込んだ32式攻撃機乙型が艦尾の海面を遮るほど規則正しく並べられていた。

 

30式戦闘機乙型とは2030年に制式化され、先の房総半島沖海戦にて白玉型深海棲艦航空機、通称“タコ焼き”と善戦した30式戦闘機の艦上型である。陸上基地に配備される陸上型の丙型とは異なり着艦に必要な着艦フックを装備し、空母エレベーター幅及び格納庫内空間を考慮して翼端が50cm短縮された上で、主翼に折りたたみ機構が採用されている。それら以外の外観、性能、武装は丙型と相違ない。

 

多数の機体が撃ち落とされた房総半島沖海戦の教訓を受け、30式戦闘機には防弾性能を向上させた丙一型の開発が持ち上がっている。搭乗席や燃料タンクなどの防弾板を厚くし防弾性能の向上を図ると機体の重量が増し、運動性能が低下する。これを防ぐため丙一型には重くなった機体でも丙型や乙型と同様の運動性能を発揮できる新型高出力レシプロエンジンが搭載予定である。だが、開発予定はあくまで陸上型の丙型。今のところ、艦上型の乙型に強化の話は上がっていない。

 

操縦席で各種機器の点検作業をしていた愛機の機体付き整備員松野猛虎(まつの たけとら)一等水兵に敬礼すると、すぐには乗り込まず部下たちが自機に乗り込むのを見守る。艦戦隊を任された先任分隊長の務めだ。

 

房総半島沖海戦横須賀湾沖航空戦において、横須賀航空隊第102飛行隊第7小隊で唯一生還し、同航空戦を生き残った11人の中の1人である元第7小隊長筒路喜人(つつじ よしと)大尉は同海戦後出穂航空隊に異動。艦戦隊隊長である先任分隊長を務めていた。

 

“深海棲艦航空機、しかもあのタコ焼きと正面切ってやり合い、生き残った搭乗員”として、房総半島沖海戦を凌いだ第101、102航空隊搭乗員はその後一躍英雄となり、海軍内では航空部隊であろうが、水上部隊であろうが、地上部隊であろうが知らぬ者はいないほど名を轟かせていた。筒路も例外ではなく、房総半島沖海戦後中尉から大尉へ一階級昇進。また、航空部隊の中でも生え抜きエリートの集合体である空母航空隊への異動が命じられ、異例にも艦上戦闘機隊隊長である先任分隊長に任命された。本来ならこのポストは将来の航空部隊指揮官を目指し海軍兵学校から飛行学生を経て搭乗員になったいわゆる江田島組の椅子である。筒路は兵学校出身ではなく一般大学卒業生に用意されている中級士官養成を目的とした飛行予備学生出身。高校卒業後、士官として過酷な教育・訓練を受けてきた江田島組からは“ぼんぼん”と卑下されがちで、空母航空隊に所属する飛行予備学生出身者はごく一握りだった。大半は飛行学生出身者か高校卒業後搭乗員・偵察員だけを夢見て突き進んできた航空練習生だ。

 

自分に務まるのか。辞令を受けてから、そして異動直後から現在に至るまでこの自問は消えない。あの日、自分は3人の部下を失った。そして、所属していた部隊は壊滅した。ただ運が良かっただけで生き残った、艦攻隊の江田島組曰く“死にぞこない”。だが、そのような自分を飛行学生出身である桜野伸吾中尉をはじめ、艦戦隊の部下たちは信頼してくれている。

 

今は栄えある艦戦隊先任分隊長としての責務を全うする。次々と外されているタラップを眼前に再度決意を固めると松野に視線を合わせ、力強く頷く。自らタラップを駆けのぼる。

 

「試運転終わり! 結果良好!」

 

レシプロエンジンが駆動中でも聞こえるよう松野が叫ぶ。それを確認し、もはや私室といっても過言ではないほど慣れ切った操縦席を交代。座席の座り具合、操縦桿やブレーキの聞き具合を自らの手で再点検。その間に松野は手持ちのウェス(布)で忙しなく風防ガラスを磨く。

 

結果は松野の言った通り、良好だった。タラップに乗っている松野に向け笑顔でグッドサインを決める。

 

「武運長久をお祈りします! 頑張ってきてくださいね! 分隊長!! 横須賀航空隊の意地、見せて下さい!!!」

 

磨き終わった松野が耳元で叫ぶ。松野は轟音や死の可能性など微塵も感じさせない満面の笑みを浮かべる。いくら誘引が任務とはいえ自分たちが下手を打てば、第3統合艦隊は危機的状況に陥ることになる。

 

この身が背負っているのは部下たちの命だけではない。そして、あの日の情景に精神をすり減らしている場合ではない。

 

「おう! 見ていろ!」

 

 

松野の機体に応えるよう、こちらも笑顔を浮かべる。それを見届けると松野は飛行甲板に降り、他の機体付き整備員共にタラップを持って機体から離れていく。風防を閉め、前方の何もない飛行甲板を直視する。艦戦隊先任分隊長であるため、自機が発艦機の最前列だ。

 

飛行甲板前方で待機する飛行科兵曹長は赤白2本の旗を持って、待機状態。白旗を振れば発艦開始の合図だ。先ほどの作戦説明では出穂が増速し、合成風力を生み出している旨も伝えられた。機体の揺れ方、兵曹長が持っている旗の動き方から見るに既に発艦に必要な風力は満たしている。いつ、白旗が意思を持ってはためいても不思議ではない。艦橋見張り台や指揮所には安倍以下多くの士官が航空隊を見つめている。

 

そして。

 

「・・・・っ」

 

兵曹長は風に吹き飛ばされないよう飛行甲板に踏みとどまり、大きく白旗を振った。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

風と共にただ海面しか存在しない世界を駆け抜ける断続的な砲声。そして、着水音、炸裂音。それらは複雑怪奇な波紋を広げ、時には激突し合い、時には融合し、時にはすれ違い、世界を振動させていく。間接的物理現象である波紋はそうだったが、波紋を発生させている張本人たちの姿勢は極めて一貫している。

 

すれ違うことも、手を取り合うこともない。ただ、ひたすら。

 

「このぉぉぉ!!!」

「ふんっ!? これだから、腑抜けはっ!!」

 

唯一の中口径砲填兵器であるMk45 mod4 単装砲を撃ち続けていた。

 

「ちっ!」

 

FCS-3A 多機能レーダーが捉えた砲弾の機動、速度情報から被弾可能性ありと判断した警報システムの警報音が鳴り響く中、急減速・面舵を同時に行い、自身とほぼ並走しているはるづきから放たれたMk45 mod4 単装砲弾を間一髪のところで回避する。彼我の距離は1kmを切っている。これではSSM-2Bは使用できない。ほんの1秒前までいた場所に爆音を伴いながら大きな水柱が発生し、滝のようにざわめきながら崩れ落ちていく。足に一瞬だけ痛みが走るが気にしない。

 

直撃弾はなくとも度重なる至近弾の破片や衝撃波によって、ゆっくりと蝕まれていく艤装と体。しかし、気にしない。気にする余裕もない。相手は自身と同じあきづき型特殊護衛艦。知識も、能力も、装甲も。一撃=死という現代艦の宿命も同等。

 

みずづきがはるづきの至近弾を受けているように、はるづきもみずづきの至近弾を食らっていた。彼女も人間味のない純白の肌の各所を赤く切り刻まれ、艤装も傷付いている。

 

だから、集中力は常に現実へ。同等である以上、勝負の分れ目は精神力だ。

 

「っ!?」

 

お返しと言わんばかりに、波しぶきを一瞬で水蒸気に変える砲身が何度目か分からない咆哮を行う。迫力では長門たち戦艦と話にならないものの、一見地味に感じる火煙はその実、この世界で最高の命中精度を誇る。

 

弾庫に眠っていた時間と比較して、本当に一瞬の飛翔時間。その過酷な運命にめげることも、ぐれることもなく多目的榴弾は大気中を音速一歩手前の速度ではるづきに突進し・・・・。

 

 

 

虚しく、左舷に水しぶきをあげた。

 

 

 

「やっぱり、不規則な動きをする相手には分が悪いか。・・・・技術の限界だな」

 

難しい顔をして腕を組む、ではなく、声のみでその表情がつい浮かんでしまうほど唸るショウ。彼は現状においてさすがにみずづきと交わした“勝手にメガネに出てくるな”という言いつけを守り、姿を現さず声で存在を保っていた。

 

その声が語る現実。みずづきはそれに苛立ちながら、次射を放つ。

 

「レーダー、光学照準機器と連携した射撃統制装置をもってしても、意思のある存在を前にしては所詮プログラムに基づいた計算でしかない。予測など困難。イコール、命中精度も・・・・・」

「んなこと分かってる!! 御託並べてると舌噛むわよ!!! いいから、黙ってて!!!」

 

AIに噛む舌がないことは分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。向かってくる灼熱の砲弾。それが今まで以上にはっきりと視界に捉えられた。脳がFCS-3A 多機能レーダーにも引けを取らない速さで対処策を検討、決定する。

 

主機を急停止。惰性で航行しながら、スケール選手のように体を回転。首元を容赦ない“死”が掠める。後方で生じる水しぶき。もろに頭から海水をかぶるが、お構いなしに主機を起動。ガスタービン特有の甲高い駆動音を伴って、疾走を再開する。CIWSが恨めし気に佇んでいるが、短所が装弾数の少なさではこの長期戦においてやすやすと使えない。

 

回避した直後、通信機から聞きたくもないいやらしい声が流れてきた。

 

「ひゅ~~~。お見事! その動き、もう人間じゃないね」

 

睨みを利かせているみずづきとは対照的に、常時笑顔を張り付け命の取り合いに快楽を感じているようなはるづき。舌なめずりを境に、その狂気がさらに深まった。

 

「やっぱり、あんたも私と同じじゃない!!!」

 

黒を基本として流れ出る血のような赤い不規則なラインを引いた禍々しいMk45 mod4 単装穂が主人の意思に応え、一際大きい咆哮を轟かす。

 

「この感覚、その雰囲気。ただの人間にしてはおかしいと思ってたけど、そう・・・そうなのね」

「だから、なんだっていうのよ! いくら、どうなろうと私はみずづき! あきづき型特殊護衛艦! そして、第53防衛隊隊長を拝命し、故郷を! 居場所を! 仲間を! 守るために闘う海防軍人!」

 

はるづきは精神攻撃のつもりで“わざわざ”この事実を引っ張り出したようだが、あいにく踏ん切りはついていた。なにより、深海棲艦の細胞が入っているこの体だからこそ、人間の純粋な反射速度では対応できず、機械に依存する現代の戦闘に食らいつけていた。

 

だから、そのようなこと屁でもない。

 

「例え同じであろうとも、あんたとは何もかも違う!!!」

 

砲撃の報復、加えて言葉に込められた意思の強さを示すため、引き金を引く。はるづきからの砲撃はこちらの蛇行航行に惑わされ、明後日の方向で浪費と化していた。

 

「どうして! どうしてよ!! なんで・・・なんであんたはそんな姿になってんのよ!! ねぇ! どうして!?」

 

あきづき型特殊護衛艦の能力を持った深海棲艦が“はるづき”だと分かってから、常に抱え込んできた疑問。正真正銘、本気の命の取り合いをしているさなかに、甘いと言われるかもしれない。

 

それでも、これだけは聞いておきたかった。以前の彼女を知っているが故に。幾重にも飛び交う砲弾は長らくその機会を与えてくれなかったが、声を発せられる状態で絶好の機会が訪れた。

 

「なんでよ! はるづき!」

 

だから、ここぞとばかりに“そうなってしまった”理由を問う。理解不能すぎて、涙が出てきた。

 

しかし。

 

 

 

 

 

 

 

「そりゃ、こうなるでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

この世全ての音を吸い尽くして自分の支配下に置く、どこまでも深く黒い怨嗟。世界が変わった。幻覚ではない。勘違いでもない。身を置いている世界が明確に別次元へ移行した。

 

もちろん、悪い方へ。地雷を踏んだ。この例えが生易しく慈悲に溢れていると感じてしまうほど。全身を強烈な悪寒が駆け抜ける。

 

「えっ?」

 

はるづきの顔にはもう“快楽におぼれる”笑顔はなかった。

 

「なんで、あんたこそ・・・・・・・・分からないのよぉぉ!!!」

「っ!?」

 

防衛産業の屋台骨を支える大手電機メーカーが製造したあきづき型の通信機ですら音切れを起こすほどの絶叫。艦外カメラで視認したはるづきの顔は阿修羅や般若を通り越し、まさしく船の怨念と語られた深海棲艦の形相に一変していた。

 

はるづきは吠えながら、Mk45 mod4 単装砲を射撃。同時にCIWSで水平射撃を行ってきた。彼我の距離が1kmであるため、この身は十分毎分4500発を誇る光弾の懐だ。命中を期待しない牽制射撃を行いつつ、右へ左へ、前へ後ろへMk45 mod4 単装砲及びCIWSの砲身を睨みながら、必死で海上を舞う。

 

「あんな腐り切った世界に、存在も、人生も、努力も全部否定されて! 大切な存在を全て奪われた! こんな理不尽を強いられた・・・・誰だってこうなるでしょうが!!!」

「くっ!?」

 

砲撃は回避したものの、左腕がCIWSから伸びてきたタングステンの触手に絡み取られる。向かい風を受け、弾けた血が左肩全体を真っ赤に染めた。

 

「あんただって、知ってるんでしょ!? あの世界の闇を! 私たちが翻弄されてきた歴史の、あの戦いの正体を!!」

「っ!? なんでそれを!!」

「あの偽善者が何の策もなく、のうのうとくたばるようなタマでないことは昔から知ってる! 何度も会って来たんだもの! どうせ、その艤装に細工でもしていたんでしょ!?」

 

これも深海棲艦の勘なのだろうか。彼女は大まかにこちらが置かれている立場を把握していた。しかし、その事実よりも言葉から導き出された看過できない推論が全意識を炙った。

 

「偽善者って・・・・あんた、知山司令のことを!!!」

 

怒りに任させて、Mk45 mod4 単装砲の引き金を引く。当たらなくてもいい。外れて構わない。艦載砲をはじめ武器には相手を殺傷する以外に、自己の明確な意思を伝達する存在意義がある。はるづきにはいくら蔑まれても、罵られても決して変わることのない不変の意思を示したかった。

 

知山は偽善者でも、己が悲願成就のため無実の人々を生贄にした暗部の構成員でもない、と。

 

「まだ、信じてるのあいつのこと!? あいつは日本を地獄絵図にした連中の一味よ! 数え切れないほどの女子から未来を、その命をも奪いとり、眼前で人間がもがき、苦痛に絶叫しても顔色1つ変えなかった、人外の化け物よ!」

「違う!! 違う違う違う違うっ!!! 確かに知山司令は私たちに嘘を付いてた、裏の顔を持ってた。でも・・・・・」

 

“みずづき?”

 

自分の名前を優し気に微笑みながら呼ぶ、彼の顔が浮かんだ。

 

「知山司令は知山司令だった!! 私が知ってる知山豊と変わらない・・・私の大好きな人だった!!」

「分からない・・・・・・・」

 

そう声を震わせ、日本刀のような鋭さを視線に宿した瞬間、声と砲口が吠える。

 

「分からない・・・分からない、分からない!! どうして、真実を知っても・・・・あんたは正気でいられるのよ!! 私にはあんたが分からない!」

 

前方に立ち上る水柱。真正面から豪快に突っ込み、全身が海水で現れる。それでも瞳にははるづきしか映さない。

 

「中国との戦争も! 丙午戦争も! 深海棲艦との戦争も全て、大日本皇国なんていう中二病的妄想のための行程だった!! そんなしょうもないもののために、父さんも、母さんも、おにぃもおねぇも死んだっ!! ふざけるな!!!!」

「なっ・・・・」

 

ここへきて、お互い年月の経過ではあり得ないほど変わり果て、しまいには並行世界に来て初めてそれを知った。

 

「はるづき・・・あんた」

 

自らの境遇。日本では軍内であろうと一般社会であろうと、全ての人間が地獄の中で苦しみ、一言では語り尽くせないほど多くのものを失ったため、そして何より日本全国に広がる廃墟などいまだに地獄の渦中であることをはっきりと明示する残骸がひしめいているため、悲惨な記憶と夜明けが訪れない絶望を呼び起こす過去の話はご法度。できる限り、触れない、聞かない、話さない暗黙の了解が存在していた。

 

それは艦娘学校でも同様だった。由良基地で共に後期課程の訓練を受けていたみちづきは例外中の例外だ。

 

「家族は・・・みんな・・・みんなっ!! 大好きだった故郷の仙台も一面の焼け野原になったっ!! それでも受け入れようとした。身勝手で自己都合しか考えない人間という存在も、そいつらが生み出す果てしない理不尽を許容する世界もっ。だって、抗っても仕方ないじゃん。そこらへんにいる女子高校生じゃ、無力だったんだから。でも・・・・・でも・・・・・」

 

はるづきの声が震える。悲しみによるものか。虚しさによるものか。怒りによるものか。はたまたすべてを内包しているのか。

 

おそらくすべてだと直感が言った。いつの間にか、はるづきからの砲撃は止んでいた。そして、自身も。

 

「あの世界は、あの世界の寛容さで自己中を貫いている連中はっ。この私の命をゴミを捨てるみたいに奪い去ったっ」

「!?」

 

その言葉は容易に表皮を突破し、心に突き刺さった。

 

「そして、私がこの命よりも大事にしていた後輩を・・・・・“ながなみ”をあいつらは・・・」

「ながなみ?」

 

はるづきの唇から人間と変わらない赤い血が湧きだし、切り裂いた空気に乗って後方へとび散っていく。それでも震える歯は唇を噛み続ける。

 

“ながなみ”という艦娘。その名前は同期で、同型艦であるおきなみやはやなみから聞いたことがあった。なんでも“このご時世ではめったにいないほどの天真爛漫な子”であったとか。

 

「ながなみをあいつらは・・・・・かもしれないという可能性で、蚊を殺すように・・・・・・始末した」

「っ・・・・・・・・」

 

彼女の声。表情。雰囲気。あまりの痛々しさに、いくら地獄を見続けてきたみずづきでも目を逸らしたくなる。慣れることと何も感じなくなることは違う。そして、“あいつらならやりかねない”と心構えがあったとしても、この身は他人の不幸を、苦しみを、悲しみを無感情で眺めることはできなかった。

 

「笑っちゃうよね。真実を知った可能性があるってだけで、救国委員会のメンバーだった私たちの上官に殺されたなんて。本当に・・・・・・・・」

 

笑おうとしたのだろうか。はるづきの顔が引きつる。だが、彼女は笑えなかった。

 

「ここまでされて、我慢できるわけない。何もかも奪われた・・・・・。絶望の果てに掴んだ一筋の希望まで・・・・・。・・・・・・この()()に!!」

 

聞き覚えのあるしおらしい口調は終了。最後には再び怨念が籠った。

 

「復讐してやる。滅ぼしてやる。こんな理不尽を許容し矯正(きょうせい)しない世界も、いくら悲劇を繰り返そうと学ばないサルも全部・・・・全部!!!」

「ちょっと待ちなさいよ!!!!」

 

彼女の行動原理は砲弾を腹部に撃ちこまれたあの時の会話で把握している。それでも声を上げずにはいられなかった。

 

この世界は美しく、尊い。自分が命を懸けて守るに値する存在。そう決意したのだから。

 

「私たちに理不尽を敷いたのは地球!! この世界じゃない! この世界は関係ない! 八つ当たりなんてもってのほか。あんた自身がっ、幸福と笑顔にあふれていたあの頃までの生活をぶち壊したお上と同じことを、この世界でしてどうするのよ!!!」

「正論なんて吐き気がする。・・・・・憎らしいからしょうがないじゃない。この世界は地球と同じようにサルがいながら、世界大戦もなく、民族浄化もなく、お偉方がどす黒い野望を抱えることもなく、艦娘なんていうびっくり仰天の存在によって平穏を保ってる。自分たちで未来を切り開こうともせず。憎らしくて、妬ましくて、もう・・・・・頭が狂いそう!!!!!」

 

激しく頭を掻きむしる。振りかぶられた頭から複数の血飛沫が舞う瞬間をみずづきは見逃さなかった。電池が切れたように突如、動きを止めるとゆっくりこちらへ視線を向けてくる。頭皮から血を滴り落しながら。

 

「それにここのサルも、地球のサルと同一。いずれはこの星そのものを巻き込んで盛大に散るに決まってる。ここで滅ぼしてあげることが、未来において私のような存在を生み出さないために、この星と全ての生命にとってのベスト。・・・・・()()で意気揚々と国民が苦しんでいる様子を眺めている老害をいたぶる準備運動にはもってこいよ」

「はるづき・・・・・・・」

 

人類をサルと蔑むはるづき。その論理でいえば、自身もサルになってしまうことを彼女は分かっているだろう。それでも、高度な知性を有する生命体とは認められない様子。自分自身すら内包した存在をここまで蔑むほど、堪えがたい苦痛と理不尽をこの手で生み出した人類そのものを彼女は許せない。

 

「そして、あんたも、よ。みずづき。連中の身勝手で辛酸を幾度も舐めさせられ、モルモットとされていたにもかかわらず、それを知ってもなお、この世界に希望を見出すあんたを私は許せない。目障りで目障りで仕方がない。あんたの絶望にまみれた死に顔をもって、悲願の成就への第一歩にする。でも・・・・・・・・・」

 

そこではるづきは「ふっ」と久しぶりの快楽を含み、鼻で笑った。

 

現在位置から約100km。ちょうどMI攻撃部隊が航行しているポイントに突然現れる、複数の対空目標。FCS-3A多機能レーダー対空画面に光点が瞬いたタイミングとはるづきの意味深な笑みは全く同時だった。

 

「まさか・・・・・・・」

「みずづき・・・・・これは」

 

これまで沈黙を守っていたショウが深刻な雰囲気を帯びた声を上げる。偶然では片づけられない一致を前にして、1つの推測が数々の思考を押しのけて奥底から付き上がってきた。にわかに先ほどCIWSによって削られた腕が痛みだす。レーダー断面積と光点の大きさから追加反応は艦娘及び深海棲艦の航空機ではなく、人が登場している通常の航空機であること、そして出穂に搭載されている30式戦闘機を筆頭とした艦上機であることが確認された。

 

発艦した艦上機はそれぞれ編隊をくみ、一目散に特定の方向へ飛行していく。これだけの動向を見れば、もはや推測ではない。事実への最後の一押しを行ったのは、悪寒と怒りを惹起する不気味な笑みを深くし、海面へ向けられていたMk45 mod4 単装砲の砲身でこちらを睨んでくる・・・・・はるづきだった。

 

「第一歩はあんたじゃなくて、非力で傲慢で身勝手で、“私たち”の前には虫けら同然のサルどもかもしれないけど」

 

「ひひひ・・・・あはははははははっ」と体をくねらせて、爆笑する。あまりの外道ぶりに緩んでいたMk45 mod4 単装砲を握る右手に力が入る。

 

はるづきはみずづきと同じく、世界に、国家に翻弄された被害者。

はるづきは艦娘学校時代の同級生。

はるづきには闇へ墜ちてしまう所以も、世界を憎む理由もある。

 

だが、自分たちを翻弄した“悪”と一切の関係がない世界の住人を、嫉妬で無差別に殺して良い訳がない。もし、説得しても無理なら・・・・その時は。長門たちと別れた時の決意が再浮上してくる。

 

“お前はただもんじゃない。自分の心を、自分の想いを信じるんだ。それによって築かれた道はきっと・・・・・・きっと・・・・輝きにつながっているはずだ”

 

夢の中だったが知山はそう言ってくれた。そして、それは不思議と知山自身の言葉に思えた。

 

だから、みずづきは決めた。

(知山司令。私は自分の心を信じて・・・・・・はるづきを止めます!)

 

眼球に力を集中し、はるづきを睨む。

 

この世界において神の御業とも受け取られる連続的な砲声が再開される前の、一時の静寂。太陽はいまだ上昇を続けているが、すでに天井が見えていた。

 




近頃は南洋などで続々と旧日本海軍時代の艦艇が“発見”されていますが、この頃舞鶴港がある若狭湾で「呂500」とみられる潜水艦が「発見」されたようです。戦後73年が経過しましたが、こういうニュースを聞くと昔、自分の故郷である日本が戦争をしていたという事実を再確認させられます。若狭湾(舞鶴)には何度も足を運んだことがあるのでなおさら・・・(今さら何言ってんだ、ですけどね・・)。

それと直接、本作に関係することではありませんが・・・。6/18(月)、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が発生しました。この地震では、運悪く5名の方が亡くなられました。哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。読者の皆様の中にも、強い揺れを感じたり、被害にあわれた方がいるのではないでしょうか。

あの震災から7年。この国に住む以上、地震と無縁でいられることはできません。本作では2017年に南海トラフ巨大地震(西日本大震災)が発生し、その後の日本と世界の岐路になったとの設定を採用しています。先日、土木学会は阪神淡路大震災などを参考に、南海トラフ巨大地震が発生した場合、20年間で最悪1410兆円の経済的な被害が生じるとの、にわかには信じがたい想定を公表しました。

設定のような事態にならないことを祈るばかりですが、地震は天災です。人間にはどうしようもありません。ただ、もし起こった場合、負傷したり、命を落とす可能性は減らすことができます。少しづつでもいいので、様々な備えを行っていきましょう。

その前に、まず作者自身が家具の固定なりをしなければけませんが・・・。


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96話 ミッドウェー海戦 その6 ~決死の抵抗~

「はぁ・・・・・はぁ・・・・・はぁ・・・・・」

 

大空を鳥のように飛翔する愛機。その速度に比例し規則的に流れていく雲。発動機の回転数に応じて規則的に響き渡る爆音。

 

そして・・・・・・・。

 

「はぁ・・・・・はぁ・・・・・はぁ・・・・・」

 

あの日、突然降りかかってきた戦場と同じ未来に緊張し、規則正しく吐き出される硬直した息。胸が重量物で圧迫されているように苦しく、少しでも気を緩めれば、過呼吸になってしまいそうだ。

 

「っ!?」

 

“た、田中ぁぁぁぁぁ!!!!”

 

火を噴き、回転しながら墜ちていく30式戦闘機。部下の死という過酷な現実を前にした絶叫。これが眼前に瞬いた。

 

慌てて、周囲を覗う。僚機は訓練通りしっかり編隊飛行を行っており、後続の32式攻撃機も気流にもまれることなく、特徴的で兵器でありながら美しさを感じる機体を蒼空の中に浮かべていた。

 

「ふぅ・・・・。我ながら、情けない」

 

安堵が胸の内に広がる。

 

2032年に制式化された、瑞穂航空技術の結実たる革新的攻撃機、32式攻撃機。この機体はこれまで「攻撃機」と「爆撃機」の2機種に分担されていた水平爆撃・雷撃・急降下爆撃はおろか戦闘機にまかされていた機銃掃射による掃討をも実施可能。世界最先端の航空技術力を誇り、同様の構想を有する栄中よりも早く実現した、攻撃機と爆撃機の任務を統合させた世界初の多用途機であり、兵器開発本部及び航空機メーカー渾身の一作である。

 

主翼は機体正面から見てW字型に見える逆ガル翼。時には1トンもの魚雷を搭載しようとも高速性能を損なわないため、空気抵抗の一因となる爆弾は胴体下部の爆弾倉内に格納。航空魚雷はその大きさから爆弾倉内に格納できないため、爆弾倉外の胴体下部に懸架する。最高速度は250kg爆弾×2個装備時で556km。航続距離は過荷状態で約3000km。武装は翼内に20mm機銃2挺と機体後部に13mm旋回機銃1挺。また、可動フラップの採用により、誇張ではなく戦闘機並みの運動性能を誇る。

 

艦上攻撃機といながら、32式攻撃機は30式戦闘機と遜色ない驚異の性能をその身に収めた、他国の同機種の一世代先を行く世界屈指の軍用機だ。

 

性能といい、仕様といい、外観といい、32式攻撃機は大日本帝国海軍がアジア・太平洋戦争末期に実戦配備した「流星」または「流星改」に酷似していた。だが、これは開発途中で妖精たちの助言を受けたものの、あくまで瑞穂が自ら企画し、国防省の過大な要求に悪戦苦闘した技術者たちの努力の賜物として誕生した。

 

攻撃機と爆撃機の統合。これは深海棲艦との大戦が勃発して以降、大幅に国防予算が増えながら30式戦闘機の開発や統合艦隊の整備、そもそもの瑞穂軍の定数兵力拡大に多額の予算がさかれ、逼迫。予算の効率化が叫ばれる中、攻撃機と爆撃機それぞれを開発する余力がなく、また“無駄遣い”と世論から非難されたこと。そして、瑞穂史上初となる艦上機運用に際し、整備・補給の効率化を行うために決定された。

 

開発に際し、機体構造は機体重量が増大しながら、着艦時の衝撃と重量を支えるため必然的に長くなる主脚を短くでき、強度の確保と軽量化を両立できる逆ガル翼が提案された。しかし、この機体構造はまだ理論段階であり、世界広しといえども実際に採用した機種がなかった。加えて、四試艦上攻撃機の構想が練られていた当時、瑞穂には日本で言うところの九九式艦上爆撃機のような中翼単葉、固定式主脚の20式攻撃機、24式爆撃機の開発経験しかなく、先進的な“四試艦上攻撃機”は「背伸びの極み」、「妄想の体現」と酷評された。その空気を一変させたのが、艦娘を通じて瑞穂軍内に知れ渡った「流星」及び「流星改」の存在である。実際に並行世界において開発されたそれらの性能を聞いた瞬間、誰もが瑞穂の技術力でも開発できると悟り、兵器開発本部の上層部は開発案に捺印。

 

その結果、この世界においても逆ガル翼を有した一目見れば忘れられない独特の外観を持った攻撃機が誕生した。32式攻撃機にも陸上型の丙型と艦上型の乙型が存在し、乙型には30式戦闘機と同様に着艦フック、主翼の折り畳み機構が備わっている。

 

「もうそろそろ、敵が見えてくるころですね。俺、狙った位置に投弾できるか分かりませんよ・・・・」

 

機内の無線機が何の予兆もなしにいきなり話し始める。30式戦闘機に搭載されている隊内無線は雑音が頻繁に混じり聞こえづらいことこの上なかった21式戦闘機の無線と異なり、まるで地上の黒電話で会話しているような明瞭さで音声のやりとりが可能となっていた。

(あいつ・・・・・)

声の主を察知し、右翼後方へ視線を向ける。自身が直率している艦戦隊第1小隊の2番機、桜野伸吾中尉が白い歯を見せていた。彼の機体には他機と同様、両翼にそれぞれ60kg爆弾が携行されている。

 

「弱気になるな。何も当てろなんて、無茶な要求はされていない。要するにこちらが通常の攻撃をしかけてきたと深海棲艦に思い込ませられればいいんだ。鼻先に落として、ちびらせてやれ」

「んな無茶な! 俺たちはここへ来てからまだまともに投弾訓練してないんですよ。田原とかは実弾抱えたの初めてと言ってました」

 

田原とは後任分隊長菊川博吉大尉が直率する第2小隊の3番機で、今年の4月に実戦部隊に任官した新人の少尉だ。30式戦闘機は30kgまたは60kg爆弾を翼下に2個装備可能であり、搭乗員の腕はともかく性能的には命中率を度外視した嫌がらせ程度の爆撃なら遂行可能だった。

 

威力なら無論32式攻撃機が上だが、彼らは腹に海上でも業火を発生させることができる特殊焼夷弾を抱えている。深海棲艦を確実に鞍馬以下、各艦艇が照準を合わせている海域に誘導するため、より多くの焼夷弾が必要だった。32式攻撃機に余裕はなかった。

 

「大丈夫だ。お前ならできる」

 

ここで一拍を開ける。桜野の些細な変化。それを見逃したりはしなかった。

 

「だから、緊張しなくていい」

「・・・・・・・・・・・・」

 

黙り込む桜野。明るさを演出していたが、口調の強張りは隠せていなかった。いくら欺瞞工作の投弾とはいえ、攻撃は攻撃。相手の懐に飛び込む以上、対空砲火は避けられず、撃墜される可能性は常に各々の背中を尾行していた。死の恐怖を前に怯えるのは自然。

 

「さすがは分隊長。参りました。しかし、分隊長。それはあなたも・・・」

「っ!?」

 

まだ、発艦から数分。ここまで接近してはいないだろうという希望的観測を裏切り、前方の海面を忙しなく睨んでいた視界がわずかに不自然な反射を捉えた。その瞬間、出穂航空隊で随一の視力を誇る第1小隊3番機、山名宗定少尉が叫んだ。

 

「前方、距離2600! 深海棲艦らしき艦影を確認! 数・・・・数は・・、視認不良にて不明!」

「おいおい、もう艦隊は敵艦の射程圏内じゃないかよ。索敵機をあらかじめ派出させなかったことが正解か?」

 

桜野が独り言を呟く。既にMI攻撃部隊と深海棲艦水上打撃艦隊の距離は15kmを切り、いつ砲撃戦が生起してもおかしくない状況にあった。この距離では鞍馬が艦影を捉えているはず。しかし、深海棲艦は総じて身長が人並みであるため、水平線に阻まれせいぜい5km先までしか見渡せない。だが、砲門の射程距離は別。通常艦艇と同等の性能を有しているため索敵機が捕捉されれば、来た方向、逃走した方向に砲弾がばら撒かれる。これがなぜかかなり正確な代物で、瑞穂海軍はこれまでも辛酸を舐めさせられてきた。

 

偵察機の艦上待機が狙ったものだったらならば、桜野の言葉は正しいだろう。

 

「山名! 詳細な報告はいい! さすがにお前でも見えないだろう。敵は下方にある雲に視界を遮られているのか、こちらをまだ捕捉してない! あわよくば奇襲に持ち込めるぞ!」

「では?」

 

山名の主語無き確認。

 

「ああ。これより我が艦戦隊は爆撃を開始する。嘉本は嚮導機(きょうどうき)として前進。その後方に第3小隊が続き、後は隊順に突入だ」

「第2、了解」

「第3、了解」

「第4、了解」

「第5、了解」

 

全小隊長から応答が届けられた。

 

「全機、突入! 出穂航空隊の真髄を刻み込むぞ!!」

 

自機のすぐ下方を第3小隊の3機が駆けていく。

 

「お前らもいいな!」

「覚悟はできてます!」

「右に同じ!」

 

山名と桜野が威勢のいい返事をしてくる。それに満足し、無線を切ろうとしたがまだ一言言い忘れていたことに気付いた。

 

「桜野?」

「はい?」

「・・・・・ありがとうな」

 

彼が陽気を装って話しかけてきた理由。そこに自身の恐怖を紛らわせるため以外の目的があることも見逃してはいなかった。意識しないようにしていたが、気付いていた。己の声も強張っていることに。

(俺はいい部下を持ったな。江田島組も捨てたもんじゃない)

かつての部下たちの顔を浮かべながら、笑う。

 

不思議にも息を飲む音が聞こえる。もう返答を待つ余力はなかったため、一方的に無線を切る。

 

そして、下方に垂れこめている雲を睨む。正確には雲の下を航行しているであろう深海棲艦を。現在の天候は晴れ。雲量が比較的多いものの、雨を降らせるような不穏さはなく、水蒸気の塊であることを強調している白色だ。そのため、一瞬雪原を駆けているような錯覚をもたらした雲は途切れ、紺碧をたたえどこまでも続く大海原が眼下一面に広がる。

 

自然が織り成す美しい情景だが、感動はない。人並みの大きさでありながら、人では到底成し得ないほどの妖気を放ち、世界の調和を攪乱している存在がいる限りは。戦艦棲姫と呼ばれる深海棲艦の中でも飛びぬけた砲戦能力、装甲を持った敵の禍々しい艤装が懇切丁寧に居場所を教えてくれていた。

 

おのずと、操縦桿を握る手が強く握り締められる。死が寄り添う恐怖よりも散った部下の敵討ちとして深海棲艦の度肝を抜きたい衝動が全身にみなぎる。

 

「種類は違うが久しぶりだな、深海棲艦。7月以来だ」

 

高度は約1000m。さすがにここまで来ると敵もこちらの存在に気付いたようで、一斉に対空砲火を放ってきた。しかし、敵艦隊は約340kmで飛行する航空機にとってすぐ目の前にいた。

 

あわよくばと願った奇襲。それはなんという幸運か、現実のものとなった。爆撃嚮導機を務める嘉本たち第3小隊が橙色の火線にかすられながら緩降下爆撃を行うため、緩やかに降下していく。更に高い高度から行う急降下爆撃の方が命中せずとも盛大な水柱を巻き上げることができ、至近に落下すれば爆弾が身にまとった運動エネルギーだけでもそれなりの影響を与えことが可能だ。しかし、練度の低い者が行うと機首引き上げのタイミングを誤り、海面に激突。また、そもそも急降下時の荷重に耐えきれず、まともな操縦ができなくなる可能性があった。そのため、全員が確実に荷物を敵へ配送できるよう筒路は緩降下爆撃を選択した。

 

「よしっ!」

 

深海棲艦から第3小隊の尻に視線を移動。彼の後を追い、爆撃体勢に入るため、操縦桿を倒し機首を下げる。後方を鏡で確認すると32式攻撃機は予定通り、編隊から分離。特殊焼夷弾の投下準備に入っていた。水平線を境に五分五分で空と海が広がっていた視界はほぼ8割がたが紺色で覆われる。しきりに火煙を吹き上げる6つの点。それらが放った輝きは一切終息を見せず、目にも止まらぬ速さで直進。上下左右の至近を掠めていく。奇襲の甲斐あってか信管が上手くいっていないようで中口径砲から吐き出される榴弾は前方や後方など、空気しかいない明後日の方向で炸裂。黒い花を咲かせていた。しかし、直撃を前提とする徹甲弾はそういかず、中口径砲・機銃共に練度を感じさせる精度で放ってくる。

 

敵の砲銃弾が駆け抜ける衝撃波で機体が不規則に振動する。あの時と全く同じ感覚。無性に懐かしさが込み上げてきた。

 

「よし・・・・よし・・・・そのまま・・・そのまま」

 

機体に揺れで予想外の動きを見せそうになる手を抑えつけ、ただひらすら第3小隊各機の尻を射爆照準器越しに追う。徐々に近づいてくる海面。降下に従って速度も増すため、時間が経過すればするほど海面がより早く近づいている。

 

だが、本能が抱く恐怖の矛先は間違っていた。海面などいくらでもよけようと思えばよけられる。一方、音速で殺傷欲求を満たそうとする大小様々な鉛弾はどうだろうか。

 

「あっ!?」

 

編隊の左翼を飛行していた第3小隊3番機が右翼を至近で炸裂した榴弾に吹き飛ばされる。その瞬間、揚力を失い目まぐるしく回転しながら急降下。視界から消えた。

 

「くっそぉぉぉ!!!」

 

嘉本たちも叫んだに違いない。それでも、30式戦闘機は一切ぶれることなく降下していき、嘉本機は両翼に抱えられた60kg爆弾2つを同時に投下。続いて第3小隊小隊長紅葉努大尉も宅配物を強引に見えるものの、計算された機動で空中に放り投げる。そのまま深海棲艦水上打撃艦隊の上空を最高速度に迫ろうかという猛スピードで突っ切っていく。爆撃後の離脱中は無防備かつ見えない腹を敵に晒すことになるため、もっとも被弾可能性が高い瞬間。

 

2機は火を噴くこともなければ、黒煙を上げることもなく海面を這った後、上昇していく。投下した爆弾は先頭を行く戦艦棲姫の手前100mに落下した。

 

「次は俺たちの番だ・・・・・」

 

だが、安堵している余裕はない。十分健闘した方だが、まだまだ100mでは効果が薄い。

 

「もっと・・・・もっとだ」

 

せめて、10mほどまで距離を縮めなければ。

 

「ここで・・・・ここで何かを成さなければ・・・俺はっ!!」

 

あの世への片道切符である火線が量質共に看過できないほど周囲一帯を満たす。前方、両脇で炸裂し、無数に飛び散る破片で命を機体ごと刈り取ろうとする榴弾。こちらへ向かって連射され続ける機銃。それでも、目標と定めた戦艦棲姫のみを見つめる。嘉本たちよりもさらに低い高度まで侵入しようともまだ爆弾を離さない。爆弾投下レバーを引かない。

 

操縦席前方に据え付けられた射爆照準器の中心と戦艦棲姫が近づいていく。本体とは比較にならない大きさを誇る艤装。そこに生える各国海軍を戦慄させた三連装砲がついに全て自分に向けられた。あまりにぴったりと合わせられているため、目が良ければ砲身の底まで覗けそうだ。

 

「あと少し・・・・。せめて、あの時の借りを・・・・・こいつらに!!!」

 

そして。こちらを忌々し気に睨む異形の女性と目が合った。

 

「っ!? 投下!!!」

 

破損の可能性などお構いなしに、発揮される限りの力で爆弾投下レバーを引く。

(これはいいぞ!!)

直感がガッツポーズを決める。歓喜に内心湧きたちながら、機体に急減速をかけ、思いの限り操縦桿を引き倒す。体を海面に誘うような下向きの重力。誘惑に負けてなるものか、必死に抗い、視界が再び真正面に水平線を捉える。

 

機首の引き起こしは成功だ。

 

「このままはや・・・・・・」

 

しかし・・・・。

 

「っ!?」

 

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!!!!!!

 

発動機の駆動音。大気を無理やり押しのけた故の風切り音。甲高い音を上げて落ちてくる爆弾の滑空音。衝撃波をもって世界そのものを振動させる数々の咆哮。

 

それを全て抑え込み、凄まじい大音響の連射が轟いた瞬間、聴覚が捉えきれないほどの破壊音が操縦席に轟いた。

 

「あ゛!?」

 

小刻みを通り越し、始点と終点が判別できないほど連続した揺れ。速度故の暴風からひ弱な操縦者を保護してくれていた風防は砕け散り、鋭い凶器となった破片は保護対象であった操縦者に牙を剥く。

 

左目が真っ赤に染まり、顔中に焼けるような鈍痛が走る。

 

 

一体、何が起こったのか。

 

使用不能になった左目を閉じたまま、一秒にも満たない一瞬の出来事を把握しようと片目だけで周囲を見回す。

 

「あ・・・・・・・・」

 

通常の半分に縮小した眼前にはもはや金属製の外枠のみを残した風防と松明と化している右翼、そして惰性で回転しているプロペラがあった。

 

「は・・・・はやく脱出を!!!」

 

体中に走る激痛を気合いのみで押さえつけ、血まみれの手で風防を開けようとする。愛機の命はもう風前の灯火。深海棲艦の機銃掃射に撃ち抜けかれた機体は徐々に海面へと近づいている。だが、まだ人生の終焉が決定づけられたわけではない。背中には規定通り、パラシュートを背負っている。

 

「あ・・・・あれ!?」

 

心拍数が急上昇。風防はどれだけ力を込めて引こうとも・・・・開かなかった。数度にわたる施行の後、わが身に訪れた運命と降りかかった現実を認識した。一挙に脱力感が押し寄せ背もたれに全体重を預ける。不思議と笑みがこぼれた。

 

「・・・・たい・・・・う! ぶんた・・・・・!」

 

隊内無線が途切れ途切れに何かしらの音声を伝えてくる。だが、銃弾か破片にやられたのだろう。自慢の無線機の命も風前の灯火だった。

 

「あははは・・・ははは。・・・・俺も・・・ここまでか。よりによって、先任分隊長が被弾するとは情けない」

 

己の未来が見えた瞬間、物心ついてからの記憶が一気に脳裏を駆け巡り始めた。やんちゃの限りを尽くし、勉強に明け暮れ、両親と何度もぶつかり、紆余曲折を経て今につながる人生。

 

「走馬灯って、本当だったんだな・・・・・」

 

その中でも特に多くの場面が浮かんだのはやはり。

 

「桃谷・・・、田中・・・・、上原っ」

 

共に切磋琢磨し、上官の愚痴を言い合い、瑞穂の将来を本音で語り合った、初めての部下たちだった。もうこの世のどこにもいない3人。久しぶりに会ったからだろうか。無性に目の前に浮かぶ3人に問いかけたくなった。

 

「なぁ? お前ら? 俺はあそこで生き残った意味があったんだろうか・・・・・」

 

心の奥底であの日から抱き続けてきた想い。部下をすべて失い、上官であり真っ先に先陣を切らなければならない自分が、彼らより多く生を謳歌できた自分が生き残った。

 

「吹雪さんたちを助けようとした判断は正しかったと思うんだ。だが・・・・」

 

彼らは一切答えない。ただ、微笑をたたえながら佇むのみ。

 

「まぁ、もう逝っちまったお前らには関係ない話だよな。これは俺の中で・・・・踏ん切りをつけないと」

「・・・・・・う!! 諦めな・・・・・・・い! まだ・・・」

 

力尽き賭ける無線を鼓舞するように吐き出され続ける絶叫。臆病ながら戦闘機乗りらしい肝を持つ彼らしい。

 

「桜野、安心しろ。お前ならきっと、立派な指揮官に・・・・・・・・」

 

全てを言い終える前に世界は何の音かも判断できない轟音に包まれ、一切の光が消えた。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「艦攻隊特殊焼夷弾による誘導、成功しました!!!」

「そ、それは事実か!!」

「はい! 事実であります!!!」

 

周囲を航行している航空母艦出穂、戦艦紀伊、重巡洋艦鞍馬・十勝と見比べれば、涙が出てしまうほど低い大隅艦橋。全長145m、基準排水量は5000トンと海月型駆逐艦を一回り大きくしたにすぎないため、艦橋も基準排水量8200トンを誇る信濃型軽巡洋艦に敵わず、駆逐艦とのドングリの背比べがいいところであった。高さのみならず、艦橋内の面積も出穂や紀伊とは比較ならないほど狭い。そこに現在、大隅艦長城嶋健臣(じょうしま たけおみ)大佐、副長伊豆見広海中佐、航海長沢木雄山(さわき おやま)中佐以下操船、見張りを行う航海科員、そしてMI攻撃部隊司令部の百石、緒方などが詰めている。

 

一般将兵が見れば余りの威圧感に言葉を失ってしまう光景だが、吉報を持参してきた伝令は例外だった。一斉に向けられる鋭い視線に怯むことなく、興奮気味に報告を上げる。それを聞いた伊豆見は険しい表情を破顔させた。

 

「敵艦隊は速力そのままに転舵。まもなくポイントに突入します!」

 

伊豆見に留まらず、立ち聞きしていた航海科員たちからも『おお・・・・』とどよめきが起こる。しかし、彼らを除く城嶋以下の士官たちはその報告を聞いても、眼前の海面を睨んだまま。

 

そうなっている理由。この場を代表して、百石が声をあげた。

 

「航空隊の被害は?」

 

伝令はこちらの懸念が的外れでなかったことを示すように、雰囲気を沈ませた。

 

「分かった、ありがとう。下がってくれ」

「・・・はっ! 失礼致します!」

「やはり無傷ではいかなかったか・・・・・」

 

背中を向ける伝令を横目に城嶋がため息をこぼす。百石や緒方にとって、父親と仮定してもぎりぎりあり得る年齢の中年男性。部活動に励む学生のように短く切りそろえた頭髪には白髪が混じり、これまで歩んできた年月と苦労を示している。身体は細い部類に入り、一見すると弱々しい印象を受けるが、漆原に及ばないとはいえ十分な強面であるため威厳が十分である。

 

そう言ったあと、城嶋はこちらを一瞥してくる。彼も当然知っていた。この作戦を、艦戦隊に犠牲を強いる作戦を誰が主導したのか。だが、彼は非難の声を上げることも、視線で訴えことなく、やりきれなさを含むため息をつくと前方の海面に視線を向けた。

 

「MI攻撃部隊指揮官ともあろうお方がここにいても良いのかね?」

「既に詳細は通達済みです。現場指揮も安倍中将に一任しました。もう、私にやることはありません。それに司令室にこもっていては戦闘の概況が分かりません。それに・・・・」

 

ここはいくら低くても艦橋。そして、大隅及び給油艦は出穂の後方に続き、紀伊以下第3統合艦隊の艦艇はこの大隅を起点に変則的な輪形陣を組んでいる。周囲にはうっすらと各艦艇が視認でき、戦闘を俯瞰する場所としては司令室より遥かに良い。

 

「私がこの作戦を立案したのです。責任者としてどちらの転ぼうとも見届けなくては・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

城嶋は何も言わない。そして、彼の後方に控えている伊豆見も。2人の背中は明確に何かを語っていたが、恣意的な解釈を防止するためあえて察しなかった。

 

航海科員たちの事務的なやりとりのみに満たされる艦橋。それは決して永遠のものではなく、ついに待ちわびていた瞬間が訪れた。

 

「紀伊より、電信! 我、これより攻撃を開始する!」

『っ!?』

 

電信室と直通の伝声管が叫ぶ。一気に空気が緊迫した。

 

「総員、閃光に注意。特に見張り員。目をやっては意味がない。特に警戒せよ」

「達する。これより、紀伊による砲撃が開始される。総員、閃光に注意し・・・」

 

城嶋の言葉が艦内放送を通じて、全乗組員に伝達される。見張り員たちは双眼鏡から目を離し、いつでも視界を閉じられるよう目を細めながら、大隅の左舷斜め前方を航行している一際巨大な軍艦を見つめる。百石たちでも例外ではない。薩摩型戦艦の代名詞である4門の35.6cm連装砲は霞んでいるものの、まるでビルのような艦橋、基準排水量32000トンを誇示する船体ははっきりと分かる。事務的なやりとりすら消え去り、艦首が海水をかき分けるざわめきのみが艦橋内を満たした次の瞬間。

 

「っ!?」

 

紀伊の前部主砲2門が閃光を瞬かせ、火煙を吹き上げた。数秒ほど遅れて、艦橋のガラスを暴れさせる衝撃波が到達。雷のような爆音も共に轟く。これまで見てきた砲撃とは桁が異なる凄まじさ。冗談交じりで語られる“近くにいたら死ぬ”という話が事実であることをひしひしと感じさせる。

 

そんな人の命をいとも簡単に奪う鋼鉄の矢が向けられた先は、睫毛についたゴミかと錯覚してしまうほど、海上に浮かぶ微小な点。通常の徹甲弾なら、ここまで距離が離れていると水柱も見えず、命中時の爆炎も気を抜いていれば見落としてしまうほどささやかなもの。しかし、今回は違う。

 

「4・・5・・・6・・・・。そろそろだぞ!」

 

必死に興奮をひた隠した、抑制的な声色。伊豆見の言う通り、その直後、世界は一変した。

 

「うわっ!?」

「なん・・・だこれ!!」

 

青も紺も、海も雲も艦影も、世界の全てを一瞬で真っ白に染め上げる閃光。あまりの眩しさに本能が危険を察知し、反射的に瞼が固く閉じられる。見張り員たちの悲痛な声に遅れて、彼ら猛烈な衝撃波と爆風に混じった轟音が襲い掛かる。艦橋のガラス、備品、そして自身の体組織から大気にいたるまですべて物が存在を瓦解させんとする勢いで激しく揺さぶられる。

 

視覚へ攻撃。聴覚へ攻撃。触覚への攻撃。あまりの非常識かつ前代未聞さの前に、過酷な訓練で幽閉したはずの情けない恐怖心が泣きわめく。その瞬間、みずづきから聞いた日本世界の戦争の様相が暗黒の瞼に映し出された。

(こんなものを我々は・・・・・・・・・)

永遠に続くと錯覚した異常事態は、それほど長くは続かず短時間で終結。あれほどの衝撃波と爆風が駆け抜けたにもかかわらず、今は唖然としてしまうほどの静寂が訪れている。

 

その様子に茫然自失だったには自身だけでない。城嶋は軍帽を床に落としたまま、目をカッと見開き、紀伊より大きな黒煙が揺らめいている空を見ていた。

 

「あ・・・・あれが、試製あ号砲弾・・・・・・・・」

 

息も絶えた絶えに、よろめきながらおそるおそる口を開く伊豆見。興奮は衝撃波と爆風に吹き飛ばされたのか、表情は歓喜に沸くどころか強張っていた。

 

「我々人類はついに・・・・・ここまで来てしまったのだな」

 

凍り付いた艦橋に、怒りとも悲しみとも取れる複雑な感情を宿した城嶋の一言が響き渡る。報告書のみで知っていた存在を直に目の当たりにして、抱いた感懐。それは伊豆見や緒方はおろか、下士官兵に至る全員にまで共有された共通認識だった。

 

試製あ号砲弾。これは、火薬による瞬間的な爆発力、そしてその爆発力で飛散する高速の破片を持って対象物を殺傷または破壊する砲弾を代表例とする兵器体系とは一線を画す、新機軸の兵器であり、兵器開発本部の研究者たちが燃料気化爆弾と呼称している装備の1つだ。この爆弾は炸薬による爆発ではなく、空中に散布した燃料の激烈かつ突発的な燃焼による爆風と衝撃波を持って、効果の達成を図る。この爆弾の特徴は榴弾のように破片で対象を殺傷・破壊できない代わりに、通常爆弾では一瞬しか発生しない爆風と衝撃波を断続的に発生させ、通常爆弾では実現不可能な破壊力で対象を焼き殺し、吹き飛ばす。また、燃焼に酸素が使用される都合上、激烈な燃料が起こった爆心地付近は極度の酸欠状態に陥り、爆風・衝撃波を逃れられた、例えば地下や衝撃波では破壊できない堅牢な建物の中にいる生物をも一酸化炭素中毒などで死に至らしめる。加えて、燃料には殺虫剤などに使用される猛毒の化学物質が用いられ、燃料しなかった燃料が降り注ぐ爆心地付近や風下は汚染される。

 

対象を焼き殺し、吹き飛ばし、窒息させ、猛毒死させる。この兵器は日本世界にも存在しており、こう言われていたという。

 

“賢者の核兵器”と。

 

深海棲艦との戦争の結果、人類は以前とは比較にならないほどの残虐性、破壊力を持った兵器をこの世界に産み落としてしまった。これはまだ試製の段階であり、海軍内において存在自体が最高機密。政府内でも一部を除いて、存在は知られていなかった。当然、諸外国は知らない。しかし、もし漏洩した場合、各国も血相を変えて燃料気化爆弾の開発に乗り出すだろう。既に燃料気化爆弾の原理、霧状に散布した燃料を燃焼させると爆発的反応がおこることは理系出身者なら大抵の者が知っている。そうなれば、大国間の開発競争は時間の問題だった。

 

これはまだ試製の段階だ。しかし、既に兵器開発本部は開発を最終段階まで進め、砲弾化と航空爆弾化を提案している。もし航空爆弾化が実現し、人間同士の戦争で使用された場合、戦争の様相はまた一歩日本世界に接近することとなる。

 

「長官・・・・・・」

 

緒方が険しい表情で睨んでくる。彼はこちらへ怒りを抱いているのではない。そもそも、怒りなど抱いてない。ただ、世界の将来を憂えているが故にそのような表情にならざるをえないのだ。

 

「っ!? みなさん! あれ! あれを見て下さい!! 黒煙で形成された雲のした!!!」

 

鬱屈な雰囲気を吹き飛ばすように、鳥居の驚愕が響き渡る。指が差された先。そこには複数の黒煙が立ち上っていた。

 

「おい。・・・・あれは・・・・・」

「はい」

 

伊豆見の確認に鳥居が頷く。タイミングよく、双眼鏡で戦果確認を行っていた見張り員が歓喜を上げた。

 

「敵艦隊! 陣形が崩壊! 重巡ネ級flagship沈没! 戦艦タ級flagship1! 雷巡チ級flagship1! 大破の模様! 艦隊から落伍していきます!!」

『おおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!』

 

先ほどまでの沈黙は完全に消滅。艦橋には野球場にも引けを取らない地響きのような歓声が轟き、伊豆見をはじめ数人の士官が飛び跳ねる。不思議にも他の艦も同様の光景が繰り広げられている直感があった。

 

「大戦勃発からくせつ8年。ついに・・・・ついに・・・、人類は深海棲艦をこの手で撃破できる力を手に入れたぞ!!!!!」

 

大歓声の理由。それは伊豆見の言葉に凝縮されている。人類は深海棲艦の前に、数千年にわたって築き上げられてきた科学、努力の結実である各種兵器をいとも簡単に葬られ、おびただしい犠牲を強いられてきた。にもかかわらず、まともに対抗できる存在は並行世界からやって来た軍艦の転生体である“艦娘”のみ。彼女たちを極度に嫌う元排斥派以外の軍人でも、自分たちの無力に歯がゆさを覚えない者はいなかった。

 

それが今、通常艦隊が全滅を待つしかない強大な敵に大損害を与えた事実が見事に吹き飛ばされたのだ。伊豆見たちの気持ちも分かる。自分自身も本当なら試製あ号砲弾の評価を脇に置き、歓喜に浸りたい。

 

だが、そうするわけにはいかなった。伊豆見たちが喜びのあまり忘れている重大な事実。緒方と城嶋も気付いているのだろう。緒方に至っては無念そうに顔歪め、今にも膝間付いてしまうそうだった。

 

「見張り員」

 

これ以上の猶予はなく、深刻な声色で同僚と抱き合っている見張り員に尋ねる。

 

「やったのは重巡ネ級と戦艦タ級、雷巡チ級のみ・・・・なんだな?」

 

こちらの質問に当初首をかしげていた見張り員は高揚した顔色を一瞬で蒼白に染め、慌てて双眼鏡を覗きこむ。百石の問いを受けて、伊豆見たちも動きを停止。彼らも優秀な将兵であるため、導き出された可能性の前に震えていた。そして。

 

「はい。戦艦棲姫以下、別の戦艦タ級、雷巡チ級は損傷を受けていますが、希望的に見積もっても小破です・・・・・・」

 

持ち上がった空気からの落下によって、艦橋内は一瞬にして外気温と同等の寒冷化に襲われる。

 

「まさか・・・・。あれほどの爆発を受けても・・・・耐えたと?」

 

信じられないとばかりに首を振る伊豆見。それに対し、その理由を語った。

 

「試製あ号砲弾は爆風と衝撃波によって、燃焼による各物理効果をもって対象を破壊・殺傷する兵器です。航空機や木造家屋、一般的な生物には効果絶大ですか、鋼鉄製の頑丈な軍艦には分が悪い。深海棲艦に対しての効果は未知数でしたが・・・・・」

「どうやら、あれらは名実ともに軍艦らしいな」

 

額に汗を浮かべた城嶋が言う。

 

「はい。多少の艤装は破壊可能のようですが、やはり爆心地から少しでもずれると効果は薄いようです」

 

戦艦にとって目の前と言っても過言ではない彼我の距離であるため、一発で仕留めてほしかったがやはり熟練の将兵が集まっていた第5艦隊との差は歴然。第3統合艦隊の練度はまだまだった。せめて、第5艦隊の生存者が多く配置された第1、2統合艦隊なら更なる戦果の上積みができただろう。

 

「そ、それでも、革新的な兵器に変わりはないでしょ! あの重巡ネ級、しかもflagshipが一撃で沈んだ! 次撃てば、確実に勝敗が・・・・」

「それは次があればの話です」

「は?」

 

こちらが言いたいことが分かったのだろう。伊豆見は慌てて、窓ガラスに張り付き紀伊を凝視する。

 

「次があれば、もうとっくに撃ってますよ」

 

試製あ号砲弾はあくまで“試製”。まだ開発段階で、今回は不測の事態に対処できるよう特別に自衛用として4発の試製あ号砲弾を搭載していただけ。機密の関係もあり、これ以上の搭載は軍令部の唸りで認められなかった。

 

「もう、切り札は切ってしまったんです。後は通常兵器で決着をつけるしかありません」

 

敵もそれを望んでいるのだろう。大隅から見ると左舷、敵艦隊から見ると真正面に位置する紀伊、鞍馬の周囲に複数の巨大な水柱が上がった。

 

「そ・・・・そんな・・・・・」

「総員、左砲戦よーい!! 死にたくなければ、さっさと動けぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

思わず身構えてしまうほどの怒号。今まで冷静さを保っていた城嶋が顔を上気させ、うなだれる伊豆見たちを怒鳴りつける。

 

「も、申し訳ありませんでした!!! 総員! 左砲戦よーい!」

 

弾かれたように動き出す将兵たち。伝声管で砲術科に命令が伝達された瞬間、眼前に鎮座する12.7cm連装砲2基が唸りながら、ゆっくりと左へ旋回。砲塔のすぐそばを鬼気迫る表情で機関銃用の弾倉や角材を持って走り回っていた将兵たちが蜘蛛の子を散らすように視界から消える。彼らは今頃班長に檄を飛ばされ、動作点検と装弾を猛速で進めているだろう。

 

艦娘母艦は運用上、現在のように他艦との協同行動を前提にしているため、武装はあくまで自衛用のみ。12.7cm連装砲は2基存在し、対空機銃と合わせて魚雷がない駆逐艦並みの火力を誇るが、これは艦娘母艦に何があろうとも沈没が許されないため。

 

艦娘母艦の沈没。それは艦娘運用能力の喪失を意味し、艦娘運用能力の喪失はすなわち深海棲艦への無力を意味する。また、艦娘母艦には艦娘が身に着ける艤装の整備に欠かせない鎮守府工廠員や妖精たちが乗艦しているため、例え艦娘たちが無事でも作戦行動は大きな制約下に置かれる。

 

だから、何があろうと大隅にはここで沈むという選択肢はない。敵に完全捕捉された状態で生き残る方法。それは敵の殲滅のみだ。

 

「紀伊、鞍馬、十勝及び出穂砲撃開始!!」

 

MI攻撃部隊は接敵方向を事前に割り出せたため、左舷側に高火力重武装の紀伊、鞍馬、十勝を敵艦隊と反対方向にあたる右舷側に装甲が薄い米雪と佳月、艦隊の後方と前方には比較的耐久力がある筑後、富士を配していた。これなら一撃で軍艦が吹き飛ぶ悪夢はひとまず回避される。

 

しかし、相手はあの戦艦棲姫に戦艦タ級。いくら、戦艦とはいえ直撃を食らえば即戦闘不能もあり得る。重巡や空母、そして艦娘母艦なら考える意味もない。それを避けるためには3隻のようにただ敵に照準の時間を与えないよう断続的に射撃するしかなく、命中はもはやまぐれ頼みだ。房総半島沖海戦にて一定の効果を発揮した零式弾も当然使用されているが、相手は戦艦棲姫、戦艦タ級、雷巡チ級。雷巡チ級ぐらいなら仕留めることも可能だが、練度の低さがここでも露呈していた。高速で肉薄してくる深海棲艦に照準が追いついていない。

 

「砲撃準備完了!!!」

 

伝声管の声を受け取った航海科員が、至近で起きる戦闘の轟音に負けないよう叫ぶ。それを受け、城嶋は静かに呟いた。

 

「砲撃開始!」

「砲撃開始!!!」

 

航海科員が伝声管に向かって叫んだ瞬間、2基の12.7cm連装砲が臆病者の魂胆を焼き尽くすほどの闘志を持って、火を噴く。深海棲艦の身長を優に上回る水柱が絶え間なく上がる中、一際ささやかな水柱が戦艦棲姫の前方に上がる。

 

外れだ。

 

「次発装填急げ!!」

 

伊豆見が檄を飛ばす。みずづきのMk45 mod4 単装砲の連撃を知っている者にとって、何もないこの空白はもどかしい。みずづきならもう1発ほど火力を投射している時間だ。しかも、深海棲艦なら100%の命中率をもって。

 

「それだけの力が・・・・私たちにあれば・・・・・・」

 

一際大きな閃光が味方から上がることもなかっただろう。

 

「あああ!!! 紀伊が・・・・紀伊が!!!」

 

航海科員の悲鳴が木霊する。後部甲板から黒煙を激しく吹き出す、瑞穂史上最大最強の戦艦。次の瞬間、後部砲塔が火焔に押し上げられ吹き飛び、海面に落下した。それを境に味方の被害がうなぎ上りに増えていく。どうやら敵はこちらの攻撃に怯まず、各艦を捕捉したようだ。

 

「紀伊、左舷後部に被弾! 第3、第4砲塔沈黙! 機関室は無事なれど、浸水域拡大中!」

「鞍馬左舷艦首付近に被弾! 艦首喪失! 艦隊から落伍しつつあります!」

「十勝、至近弾! 機銃要員に死傷者多数! 戦闘能力全般には影響なし!」

 

それらの中で大隅上層部に最も危機感を抱かせたもの。城嶋が額に溜まった汗を袖で拭う。

 

「まずいな。鞍馬が抜けると出穂や我が艦は敵の眼前に晒される」

 

鞍馬は輪形陣内側を守る鉄壁として、文字通り身を挺して出穂・大隅の前に立ちはだかっていた。それが抜ければ必然的に敵艦隊と大隅の間には何もなくなる。4kmという距離は深海棲艦が誇る砲撃の前には何の意味もなさない。

 

オオカミの前に放り出された憐れな子羊同然だ。

 

「撃て! 撃て! 撃ち続けろ!!」

 

伊豆見の決死の命令に従い、黒煙を上げ続ける主砲たち。しかし、どれだけ撃っても当たらない。そして所詮は12.7cm砲弾。着弾時の衝撃もタガが知れており、こちらに不気味な笑みを向ける戦艦棲姫以下3隻の歩みを止めることができない。

 

瞬く戦艦棲姫と戦艦タ級の主砲。誰もが悟った。それは先ほどまでと異なり、明確に大隅を狙ったものだと。

 

「観測員! 弾道は!?」

「至近弾の可能性あり! 回避運動の要、みとむ!」

「面舵!」

「おーもかーじ!」

 

沢木の迅速な指示を受け、船体が傾いていく。

 

「総員! 衝撃に備え!!!」

 

城嶋の命令を受け、後ろにあった海図などを収める棚にしがみつく。緒方は床にしゃがみ込んでいた。ヒュルルルル~~~~と花火が打ち上がる時のような音が爆発音や砲撃音に紛れて聞こえた瞬間。

 

「うおっ!!!!」

 

台風下で荒れる海に放り込まれたかのような揺れが大隅を襲った。窓の外を見ると右舷及び左舷に大隅の艦橋を遥かに上回る水柱が上がり、まるで瀑布をかき分けているような光景が広がっていた。その光景を見て、伊豆見が絶句する。

 

「おい!! 待て待て待て!!!」

 

一見すると幻想的な光景だが、両舷のざわめきはもはや決定してしまった運命をこれ以上ない明瞭さをもって、大隅乗組員全員に教えてくれた。

 

「きょ・・・・夾叉(きょうさ)された・・・・・」

 

緒方は床に尻餅をついたまま、悔しそうに首を垂れる。百石は明確な死の足音に言葉すら出なかった。

 

「敵! 再び発砲!!!」

「何故だ!!! 何故なんだ!! どうして本艦ばかり執拗に!!!」

「まさか・・・・・・・・」

 

脳内に信じたくない可能性が浮上する。しかし、これしか現状で深海棲艦の行動を説明できるものはなかった。伊豆見が地団駄を踏んだように、深海棲艦は至近にいまだ戦意旺盛な紀伊や十勝、落伍しつつも必死に砲弾の雨を降らせる鞍馬がいる中、大隅だけを狙っていた。空母である出穂すら眼中に置かず。

 

「やつら・・・・・この艦の存在意義を理解している・・・」

 

思わずへたり込みそうになる。もしそうなら、戦艦棲姫たちは大隅が海面下に姿を消すまで攻撃を仕掛けてくるだろう。そして現状、戦艦棲姫たちを殲滅する手段はMI攻撃部隊にない。艦娘たちは布哇泊地機動部隊殲滅に向かい、MI攻撃部隊は丸裸。あれほどの戦力が餌の役割も持っていたとは誰が想像できるだろうか。

 

敵ながら、あっぱれな作戦だ。

 

「敵弾! 直撃コース!!!」

「取り舵15! 増速!!」

「とーりかーじ!!!」

 

沢木の叫びを受けて、操舵員が舵を回す。彼も緊張しているのか、復唱の声も舵を回す腕も小刻みに震えていた。

 

「頼むぞ、沢木」

 

城嶋が切迫した口調で祈る。ここまで来てしまった以上、後は操船を指揮する航海長沢木の手腕と勘に任せるしかない。

 

「着弾・・・・・今!!!」

 

凄まじい衝撃。あまりの激烈さに棚を掴んでいた手が外れ、豪快に棚へ頭突きをかます。

 

「う゛」

 

鋭利な激痛が額と脳全体に走り、脳裏に火花が散る。そして、世界が歪んと思えば全身から力が消失。重力と激しく動揺する船体に抗えず、そのまま床に倒れこんだ。今度は全身に激痛が走る。

 

「ちょ・・長官!!! ご無事ですか!!! 長官!!!」

 

珍しい緒方の悲鳴が沈みゆく暗黒の世界に響く。その声でまだ休息を取れないことを思い出す。闇がおいでおいでと誘ってくるが、その手を強引に振りほどき現実へ向け激走。

 

「額にお怪我を!? おい、誰か! 止血用の布を!」

 

頭蓋骨を金槌で滅多打ちにされたような断続的に頂点を迎える激しい頭痛に耐えながら、目を開ける。体は頭突きをかました棚に預けられていた。しかし、視界がまだら模様で赤く染まっている。そこで額から出血していることに気付いた。

 

嵐の真っ只中のように忙しなく海水を押しのける窓ガラスのワイパー。艦橋内では海水と血にまみれた見張り員が次々と見張り台から運び込まれていた。

 

現状を再確認し、頭を押さえながら立ち上がる。

 

「長官!!! ご無事ですか!!」

 

傍らに控えていた緒方がもともと引いていた血の気をさらに引き心配してくるが、手を振って無事を強調する。

 

「これぐらいなんともない。状況は?」

「直撃は間一髪のところで回避しました。しかし、至近弾により被害が多数発生・・」

 

緒方は呻き声を上げ、助けを求める血まみれの兵士を一瞥する。

 

「中でも主機の損傷は致命的です・・」

「な・・・・なんだと!?」

「どうやら浸水が発生したようで。大隅の足は止まりかけています・・・・・・」

 

思考が一瞬、停止した。こちらの気持ちを察してくれたのか、緒方も黙り込む。怒号が飛び交う中、彼が苦し気に呟いた言葉は不思議とはっきり聞こえた。

 

「もう、終幕のようです・・・・・・・」

「戦艦棲姫及び戦艦タ級! 紀伊、十勝の弾幕を脱出! 本艦に主砲を指向中!!」

 

明らかに嗚咽が混じった報告。平時にそのような声を発すれば鉄拳制裁は免れないがこの状況。城嶋も伊豆見も沢木も悲痛な表情でそれを聞いていた。

 

「いやだ・・・・・死にたくない! 死にたくない!!! せめて子供の顔を見させてくれ!!」

 

腹から血を吹き出す兵士が絶叫する。

 

その姿を認めた瞬間、無力感の大波が襲い掛かってきた。MI攻撃部隊全将兵、全艦娘を預かる者として、何より瑞穂海軍軍人として、勝利を掴むため、祖国に安寧をもたらすため最善と思える選択肢を取ってきた。しかし、実際に始まってみれば、予想外に翻弄されてばかり。そして、最も死んではならない自分の生命が風前の灯火となり果てるまで状況を悪化させてしまった。

 

自分の無策による犠牲。

自分の無残な死の後に押し寄せる困難と犠牲。

 

全てもう少し頭を回転させていれば、生み出さずに済んだ地獄。

 

「俺は・・・・・・・俺はっ」

 

あまりの悔しさに、あまりの情けなさに、あまりの申し訳なさに胸が張り裂けそうだ。

 

「俺はこんなところで死ねない! 俺はせめて自分が背負った責任を果たさなければ」

 

無力な自分を変えるため。引き起こしてしまった結果の責任を取るため。瑞穂を守る海軍軍人の使命を果たすため。横須賀鎮守府司令長官として艦娘たちや部下たちと共に歩むため。

 

百石は生きることを願う。

 

神にでもない。仏にでもない。悪魔にでもない。ただ、願った。

 

それは。

 

「ん!? 右舷より雷跡!! 数・・・・・・・8!?」

「はぁ!? て・・・・敵の潜水艦か!!」

「いえ・・・待ってください!!  雷跡、本艦前方を通過・・・・・。っ!? 戦艦棲姫以下3隻に向かっていきます!!!」

 

全く予想だにしなかった存在によって。

 

「戦艦棲姫、戦艦タ級、雷巡チ級に命中! 続いて、第二射!!」

「第二射も命中。雷巡チ級、戦艦タ級沈没!! 戦艦棲姫・・・・・・ちゅ、中破です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

『っ!?』

 

叶えられた。

 

「戦艦棲姫、紀伊の砲撃により大破! 戦線から離脱していきます!!!」

 

あまりに突発的であり得ない報告を前に、歓喜も安堵も起きず観測員以外の全員が呆然とその場に立ちつくす。激痛に唸っていた負傷たちも目を点にしていた。

 

先ほどまで壮絶な砲撃戦が展開されていたとは思えない静寂が訪れ、なりを潜めていた潮風が優雅な疾走を開始する。

 

「な・・・・・・なにが起こった?」

 

軍帽が床に落ちていることにも気付かない城島が上ずった声で金縛りにあっている全員に問いかける。誰も返事は寄こさないが、艦橋の上にいる観測員が返事になり得る報告を告げた。

 

「本艦の2時方向。何かがいます!」

 

その報告を受け、自力で歩ける全員が艦橋の窓や見張り台に張り付く。そして、海面を突き破って出てきた存在の正体を認識すると・・・・・。

 

『おおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!』

 

戦艦棲姫の砲撃など屁でもない、大隅が揺れるほどの大歓声。そして重機関銃の連射音と聞き間違えるほどの拍手喝采。それにつられて、なんだなんだと艦内から汗や海水にまみれた将兵たちが甲板に現れ、艦橋要員と同じように全身を利用し沸きに沸いた。

 

彼女たちが手を振ってくる。

 

将兵たちの興奮はピークに達し、「ありがとう!」、「よくやったぁぁ!!!」、「瑞穂の守り神!!」とあちこちから声が上がり、中には涙を流しながら手を合わせる者が出る始末。

 

その様子に思わず苦笑を浮かべてしまう。

 

「まったく、()()()()は。俺たちを殺したいのやら、生かしたいのやら、どっちなんだか」

「おっしゃる通りです」

 

傍らでその光景を眺めている緒方も乾いた笑みを浮かべている。彼女たちは疲労など臆面にも出さず、満面の笑みで手を振り続ける。

 

伊19(イク)さん!!!」

伊198(イムヤ)さん!!!」

 

彼女たちの名前を知っている将兵が、声帯が許す限りの大声で叫ぶ。第3統合艦隊は母港が呉であるため、彼女たちを知っている者は多かった。

 

呉鎮守府潜水集団所属、潜水艦娘伊168、伊19。両者はMI攻撃部隊本隊の窮地を救った英雄として通常部隊、とりわけ第3統合艦隊での人気を絶大なものとし、呉鎮守府が犯した致命的失態への処罰をいくばくか和らげる活躍を見せた。

 

直後、空母機動部隊の残存空母である赤城、飛龍、瑞鶴の航空隊がMI攻撃部隊本隊の上空に到達。退避中だった戦艦棲姫以下戦艦タ級flagship、雷巡チ級flagship1を総攻撃。深海棲艦第3群、水上打撃艦隊の殲滅に成功した。

 




様々な出来事があり、隠された真実、埋もれていたこの世界の摂理が明らかになるたびに、苦悩し、葛藤し、それでもみずづきや艦娘、瑞穂世界の人々は答えを導き、前進を続けてきました。荒波の連続だった第3章もエピローグ的なお話はありますが、次回で一応の終焉、クライマックスを迎えます。

ぶつかるはるづきの怨嗟とみずづきの信念。その結果と結末は・・・。

次回、「97話 ミッドウェー海戦 その7 ~死闘、そして決着~」


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97話 ミッドウェー海戦 その7 ~死闘、そして決着~

「正しい」とは・・なにか。


「な・・・・・・な!?」

 

水平線からお出ましになって以降、発揮し続けてきた勢いを失い、とうとう惰性で天頂を目指すまでになった太陽。光量増加の影響か、足元が濃い紺碧色であるため今まで映らなかった自身の影が、速度に妨害されつつうっすらと浮かび上がる。

 

それは人間を仕留めるには過剰すぎるMk45 mod4 単装砲を撃ちあっているはるづきも同じこと。しかし、彼女の影は同じ速力で疾走しながら、ゆれにゆれていた。まるで内心の動揺を懇切丁寧に教えてくれるかのように。

 

「な・・・なんで、ど・・どうして!?」

 

微小の波にわざとぶつかり、その衝撃で正攻法では成し得ない急回頭を実現。サーファーの要領で右腕をMk45 mod4 単装砲ごともぎ取ろうと飛翔してきた砲弾を華麗によける。攻撃を続ける執念にはあっぱれだが、狙いがブレブレだ。

 

彼女の動揺ぶりを見ていると、傍から見れば確実に怖がられる邪悪な笑みが歯の間から漏れ出る。

 

「あんたは人間を舐めすぎ。そして、艦娘を舐めすぎ。日本人の癖に()()で慢心するのは不用意すぎるのよ」

 

その感懐を言葉だけでなく、Mk45 mod4 単装砲の引き金に触れる人差し指にも込め、引き金を引く。もう、何度目かメガネの表示を見なければ分からなくなるほど酷使してきた砲身、発射機構。それでも文句1つ言わず、使用者の命令を遂行し続ける。

 

「不用意・・・・? 馬鹿にしないで!!! 左遷組が!!」

 

真円と表現できるほど開いていた瞳が一転。狐のように鋭く釣り上がり、渓谷と見間違えるばかりに皺が刻み込まれる。そして、炸薬の破裂と空気の瞬間的な圧縮による突発的轟音。

 

「たかが人間ごときに・・・・あいつらは何やってんのよ!!! クッソォ!!」

 

FCS-3A 多機能レーダーがこの大地の丸みに抗えない以上、レーダー水平線以遠の詳しい状況は通常ならば分からない。対空画面に映る光点の動向、味方の性格や目標の挙動から推察するしかないが、眼前のはるづきとFCS-3A多機能レーダーの探知情報が推測とは名ばかりの明確な事実を与えてくれた。

 

敵別動隊の攻撃を受けた、MI攻撃部隊本隊。深海棲艦に対抗できる全艦娘を布哇泊地機動部隊殲滅に差し向けたため、戦況は絶望的と思われた。しかし、FCS-3A多機能レーダーは多数の味方艦載機がMI攻撃部隊本隊へ殺到する様子を克明に捉え、表示し続けていた。そして、はるづきの驚愕と動揺。

 

それによって、導き出される結論は1つだけ。MI攻撃部隊本隊は、勝ったのだ。自力で死に抗ったのか。空母航空隊が仕留めたのか、対水上捜索範囲外のため分からない。しかし、勝ったのだ。

(良かった・・・・・)

胸に広がる安堵。身体の内側に湧きあがる感情はそれだけではない。少しアクが強すぎるものもあったが、一時的な発散に過ぎない。

(私も・・・・がんばらないと・・・・・)

対空画面上。いくつもの光点が踊り狂う中、MI攻撃部隊上空からもう1箇所、光点が乱舞している地点に視線を移す。FCS-3A 多機能レーダーが捕捉した当初より、目に見えて数を減らしてしまった光点。しかし、その過酷な現実に立ち向かう光点たち、そして光点たちの下で奮戦しているであろう彼女たちの努力の成果は着実に上がっていた。

(あともうひと押し・・・・・・・・。みんな、頼んだ)

度重なる演習でボコボコにしてしまった小さな英雄たちが操る光点と区別されたもう1種類の光点。一時は顔見知りたちよりも多かったそれは今や数えられるまでに減っていた。

 

相変わらず給弾ドラムの変更時を除き、一定のリズムを刻んでこちらへ猛進してくる砲弾。足元に落ち、脇腹をかすり、破片で往生際の悪さを誇示する。それらに耐え、こちらも一定のリズムを刻んで引き金を引き続ける。

 

仲間の勝利に励まされて。

 

「でも、構わない。どうせ、いつかは沈む鉄くず。無意味な延命に過ぎない。これで残るはあんたと旧世紀のおいぼれ。先に沈むのはどっちか・・・・・・・え?」

 

明らかに演出していた余裕が突然、消滅する。はるづきはみずづきとは反対方向へ瞬時に顔を向け、固まった。

 

予想だにしなかったその行動が、その不注意が。

 

「え?」

「あ・・・・。しまっ!?」

 

ようやくMk45 mod4 単装砲の役割を中途半端ではあったが果たすことになった。

 

「いつっ!?」

 

はるづきの足元近傍に着水し、水柱と共に盛大な爆煙を上げるみずづきの砲弾。そこから四方八方に飛び散った破片はこれまでとは比較にならないほどの損傷をはるづきにもたらした。先ほどまで盛大に光弾をばら撒いていたCIWSは着実に砲弾を追尾していたが、弾幕を張ることはなかった。

 

飛び散る鮮血。割ける皮膚。えぐられる艤装。苦痛に歪む顔。それは彼女が小破したことを示すには十分すぎる光景だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・はるづき」

 

果てしない近接砲撃戦の幕が切られてから、初めての戦果。歓喜が浮かんでもおかしくない。おそらく、相手がただの深海棲艦なら今ごろ破顔していただろう。しかし・・・・・・・。

 

「ちっくしょう・・・・・・。まだ、まだ・・・・・っ!!!」

 

いくら変わり果ててしまっても、いくら止めると決意してもかつて同じ釜の飯を食った仲間の傷づく姿には・・・、あきづき型特殊護衛艦の艤装がボロボロになる情景にはさすがに喜べなかった。

 

「一体、どうしたんだろ? いきなり、注意を私から逸らして・・・・・・」

 

今まで「殺す殺す」と執着されてきた存在からすれば、当然の疑問。はるづきの顔から何かを探ろうとしても、彼女は「まだ・・・まだやれる」と呪詛を呟きながら死に物狂いで砲弾をばら撒くのみ。彼女の闘志は形を変えて、周囲に水柱を林立させる。

 

「これじゃっ! なにもっ! 分からないっ!!」

 

回って、駆けて、止まって・・・・走る。不可解な事象の答えを見つけられず苛立つ。火に油を注ぐように前後左右から、もういやほど浴びた海水が血気盛んに襲い掛かってくる。ますます体が熱せられるが、一時的な身体の冷却は思考の海に漂っていた欠片を1つの糸で結んだ。

 

「あ・・・・・・。もしかして・・・・・・・・」

 

閃いたとある可能性。それは。

 

「もしかして・・・・・ではない」

 

突如鼓膜が揺さぶられる。はるづきではない、絶大な信頼感を供与してくれる声で。

 

「そうに決まっている、だ」

 

事実であると証明された。

 

「な・・・・・長門さん!!!」

 

まだ分離してからそう時間が経っていないにもかかわらず、随分と久しぶりに思える。あまりの嬉しさに大声を上げてしまう。向こう側からは複数の苦笑が聞こえてきた。

 

「待たせたな、みずづき。こちらは片付いた。今からそちらへ向かう。もう少し耐えてくれ」

「ほ、本当ですかって・・・」

「みずづき! 回れ!!!!」

 

貴重な安堵の空気を叩き割るように、聞いたこともない切迫感に溢れたショウの声が全ての音を覆い尽くす。反射的に大きく円を描くように回頭。

 

「っ!?」

 

ほんの一秒前まで自身がいた場所が泡立つ。ここへ来て初めて、背筋が凍った。ショウの怒号が飛ぶ。

 

「ばかづき!!! ぼーっとするな!!! ここは戦場だぞ!!」

「ご・・・ごめん!」

 

あまりの気迫に、しのごの言わず謝る。それに今のは完全に自分に非があった。はるづきは小破しようと動揺しようと関係なく、虎視眈々とこの命を狙っている。そして、小破とは言ってもまだまだ戦闘能力は健在。侮れば、一気に気勢が決する。

 

「みずづき! みずづき!!! 大丈夫か!? みずづき!!」

 

突然の怒号と爆音で、無線越しでもこちらの状況が長門たちに伝わったようだ。長門が必死に呼びかけてくる。これに応えようとはるづきを睨みつつ口を開くが。

 

「来られるもんなら来てみなさい。隔絶した未来を前に自分たちがどれほど無力で、どれほど劣っているのか・・・・・。こいつとは比べ物にならない残忍さで思い知らせてあげるから」

 

もう、はるづきに笑みはない。怨霊のように恨み辛みが蓄積した恐ろしい形相でとある一点を、おそらく長門たちがいる方向を睨む。その言葉が単なる脅しではない可能性にいきつくが、はるづきの艤装が否定する。

 

はるづきのSSM4連装発射筒は全て空だった。

 

「その言葉、しかと受け取った。吐いたことを後悔させてやる。大日本帝国海軍の実力、首を長くして待っていろ! ・・・・みずづき!!!」

「はい!」

「頼んだぞ!!!」

 

裂帛(れっぱく)の気合いが籠った言葉。単語そのものの意味だけではない。表層を隠れ蓑にし、深層に秘められた真の意図。

 

 

 

 

 

はるづきと接触する前。まだ薄暗い赤城たち空母機動部隊と分離した直後を思い出す。

 

 

 

 

 

「みずづき? 正攻法ではるづきに勝てると思うか?」

 

あの時、長門はみずづき1人に通信先を限定したうえで、後方を航行する鳥海に気取られないよう静かに問いかけてきた。

 

「この人数で数に任せて押せば、勝てるとは思います。しかし・・・・」

「しかし?」

「それなりの損害は生じると思います。はるづきは私と同一の性能です。機動力に長け、CIWSを使用した直撃弾を撃ち落とすことも可能。対してこの主砲は長門さんたちなら百発百中とは言えませんが、ほぼ命中します。そして、砲弾は重装甲用の多目的榴弾と思われ、最悪・・・・・・・・」

 

その先は言えなかった。

 

「そうか。では、やはり・・・・・・・・」

 

長門が意味深な呟き。その内容は伺う前に彼女から語られた。

 

「榛名や戦艦棲姫に使った戦術を覚えているか?」

「・・・・・はい。ロクマルを使った例の・・・」

 

そこまで言って、彼女が何を言いたいのか分かった。

 

「それをはるづき相手に?」

「そうだ」

 

長門は断言する。みずづきは悩んだ。しかし、思考の末、長門の提案に乗ることにした。

 

「分かりました。ちょうど、使えそうな武装が揃っているところです。砲撃戦の距離ではSSMはおそらく使えませんし、レーダーに妨害をかけ戦闘能力を奪おうにも対抗手段があるため打開策とはいいがたいですし・・・・・。では・・・・・」

「ああ。時機はお前に任せる。自分のタイミングで飛ばしてくれ。それは我々にとっても、みずづきにとっても大切な装備だからな」

 

みずづきにとって大切な装備。長門はどういう意味で言ったのか。勝利を掴むための兵器としてか。それとも・・・・・・・・。みずづきは両方とも意味が込められていると解釈した。長門にもロクマルが本当は誰の機体か、話していたのだから。

 

 

それからしばらくして、みずづきが搭載しているSH60-Kはレーダーに細心の注意を払い、超低空で発艦。現在は位置の露呈を防止するため、通信・データリンクともに切断した状態で飛行しているはずだ。はずだと言ったのは、みずづきの各種レーダー画面にも捕捉されておらず、どこを飛んでいるのか分からないからだ。

 

ただ、こちらが盛大にレーダーを稼働させているため、ロクマルにはこちらの位置が伝わっている。みずづきが捉えられていないということはすなわち、はるづきにも捉えられていないということ。

 

「今のところは順調・・・・・・・」

 

砲声がめっきり減った海上。その上をはるづきと視線を交差させながら、駆ける。

 

「いっつ・・・・・」

 

下腹部に走る鈍痛。かすかに鉄の匂いが鼻腔を突く。肉体の方はそれほど順調でもないようだ。

 

「あっちもそろそろ残弾が厳しいみたいだな」

 

「まぁ、こっちもだけど」とショウが続けて呟く。Mk45 mod4 単装砲の残弾を示す画面は多目的榴弾の危機的状況を告げていた。

 

「調整破片弾はたっぷりあるんだけど、当たっても嫌がらせにしかならないからなぁ~~」

 

長かった戦闘は確率論を根拠にした乱れ撃ちから、自身の技量を信じた一撃必殺に移行していた。

 

「てか、よくもまぁあれだけの砲撃受けて、至近弾で済んだな。治癒能力以外は変化ないと言った前言、撤回しておくよ」

「もう、今更・・・・。これがなかったら、おそらく私沈んでたしね」

 

はるづきを視線で牽制しながら、身体のあちこちに刻まれた傷跡を一瞥する。既に驚異的な治癒能力のおかげか傷口は塞がり、出血は収まっていた。下腹部を除いて。

 

「それより・・・・・もうそろそろころあ・・・・っ!」

 

こちらに殺意を向けるはるづきのMk45 mod4 単装砲が光った。彼女が“やれる”と思った瞬間だけに、酸素が必要不可欠にもかかわらず息が止まる。主機の回転数を落とし、惰性で海上を駆けながら、回頭。間一髪のところで一撃を躱す。しかし、安堵も束の間。

 

「ん?」

 

激しく回る視界から解放され、はるづきを見た時。こちらを睨む、はるづきのCIWS。先ほど、左腕を抉った一番ではなく、実艦でいうところのヘリコプター格納庫上部に設置されている2番と視線があった。

 

「何をする気?」

「・・・・・あっ!? ま、まずい!! みずづき! 回避! かいひぃぃぃ!!!」

「え?」

 

ショウが狂ったように絶叫する。しかし・・・・・。

 

「い!?」

 

反射的に身体をねじった瞬間、下腹部に走る激痛。突発的な電撃に足が動かなかった。

 

CIWSが音速目標から、水上を駆ける小型艇まで瞬時にハチの巣にするタングステン弾を文字通り目にも止まらぬ速さ、連射性能で発射。それは予想外にもみずづきの後方に照準が合わせられ、わずか2秒ほどで停止。しかし、毎分4500発を誇る連射性能から空中を飛翔、または海面で跳弾し十数発がみずづきに命中した。

 

タングステン弾、それ自体の威力はそれほどでもない。せいぜい、皮膚を切り裂く程度。しかし、小さな石ころでも死に至る場合があるように、些細な一撃でも当たり所によっては致命的損傷を与えかねない大打撃となり得る。その要因がみずづきの艤装には備え付けられていた。

 

「SSM、パージ!!!」

 

ショウが咄嗟にみずづきの意思を確認せずに背負っている爆弾を切り離しにかかるが、彼の判断が早くともパージに至る艤装の動作が遅すぎた。

 

「あ・・・・・。そっか・・・・。はるづきの狙いは・・・・・・」

 

みずづきの艤装から離れゆく4発の17式艦対艦誘導弾Ⅱ型(SSM-2B blockⅡ)。その内の1発にタングステン弾の破片が命中。瞬間、みずづきからそう離れていない位置で、“艦を葬るための炸薬”が炸裂した。

 

「きゃああああああああああ!!!!!」

 

重力の縛りから解き放つとてつもない衝撃が背中を直撃。そして、脳裏に火花を散らせるほどの激痛と灼熱。それに脳を炙られながら、水切り石のように海上を豪快に跳ねる。跳ねる。跳ねる。ただ跳ねるだけならまだ救いはある。だが、海上は液体の表面とはいえ、高速でぶつかればコンクリートとそう変わらない衝撃を伴う。炸薬+燃料によって発生した爆風によって海水のクッション効果を得られないほど加速した体は海面によって、ますますダメージを追っていく。

 

「あ・・・・あがっ!!」

 

口内全体に不快極まりない鉄の味が広がり、酸素を取り込もうとした瞬間、気管に侵入。無意識のうちに鮮血を吐き出す。

 

「あ・・・・あ・・・・」

「みずづき!!! みずd・・・・き! くそ!!! こうな・・・・・・・てやる!!」

 

(い・・・・息ができない!!!)

息苦しさと声を発しそうになる激痛を我慢し、大パニックに陥る体を落ち着かせる。気道の痙攣を強引に押しのけ深呼吸。

 

「ゴホッ!! ゴホッ!! げほっ!! はぁ・・・・・はぁ・・・・あああっ!!」

 

息苦しさの次は日向灘沖以来の激痛が全身を駆け巡る。

(やばい!! これはかなりヤバい!!)

直感が、現状を中破以上と判定する。必死に立とうとするが、立てない。先ほどの衝撃で下腹部の傷が完全に開いたらしく、鮮血が面白いように溢れてくる。

 

「損害は・・・・・」

 

鳴り響く警報音、メガネは警告を表す真っ赤に染まり、それは淡々とプログラムにのっとって「大破」を告げていた。

 

3連装魚雷発射管は使用可能。FCS-3A 多機能レーダーも健在。しかし、元凶となったSSM4連想発射筒はもちろんのこと艤装の表面に設置されていた2基のCIWSは完全に損傷。もう、使用は不可能だった。加えて、頼みの綱であるMk45 mod4 単装砲は装填機構が動作不良を起こし、発射機構しか生きていなかった。これは発射待機状態にある1発しか、もう撃てないことを意味する。

 

そして、なりより深刻な事態。

 

「そんな・・・・・・通信機能が・・・・」

 

全て失われていた。これではロクマルへ奇襲攻撃が下令できない。かの機体には人工知能が搭載されているとはいえ、使用者の命令を受けて臨機応変に対応するタイプの受動的な人工知能であり、ショウとは全く異なる。そのため、こちらの命令がない限り、動かない。

 

「これで・・・・ようやく・・・・」

「!?」

 

はるづきが無表情で近づいてくる。Mk45 mod4 単装砲を右手に構えて。全身から血の気が失せ、昼間にもかかわらず吹きずさぶ寒風が臓物全てを凍り付かせる。慌てて、煤で真っ黒になりつつも健在なMk45 mod4 単装砲を向けようとするが上手く右手が動かない。後退しようにもようやく重力に逆らった足は生まれたての動物のようにがくがくと震え、主機も唸らない。

 

「私は復讐への一歩を・・・・・・・」

「このぉぉぉぉぉ!!」

 

力に物を言わせ、ようやく動いた右手をはるづきへ突き出した時には、もう・・・・・・・。

 

「くそ・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

はるづきは目の前にいた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

 

「これでようやく・・・・」

 

長かった。ここまで来るのは本当に長かった。時間的な尺度ではない。時間だけに焦点を絞れば、この身は眼前の存在に比べれば新参者。

 

時間は常に一定ではない。流れる時間は一定でも、感じる時間は心の在り様によって変動する。

 

彼女よりも旅路は長かった。その自負は決して揺るがない。

 

「私は復讐への一歩を」

 

全身から鮮血を流出させていくにつれ、血の気を失っていくみずづき。気合いだけを頼りに立ったは良いものの、先ほどまでの気迫はどこへ吹き飛んでしまったのか。脳が焼き付くほどの激痛に苦しみ、酷使に対し足が猛抗議を行っている今となっては、自身の脅威でも、深海棲艦全体の脅威でもなかった。

 

ただの、死にかけの少女。外見とは裏腹にいまだ闘志を捨てていない彼女の前に立ち、変わり果ててしまった主砲の砲身を向ける。

 

「くそ・・・・・・・」

 

彼女の砲身と自身の砲身。どちらが敵を葬るのか。未来は一目瞭然。意地で向けたは良いものの、ろくに照準を合わせられなければ威嚇にもならない。醜態を晒しているだけだ。

 

引き金を引けば、全てが終わる。いや、始まるのだ。かけがえのない存在を容赦なく無慈悲に奪っていった世界への、理不尽を許容する世界に胡坐をかいた魑魅魍魎への、正義の鉄槌を下す、一本道へ。化け物に堕ちても望んだ目標へ。

 

なのに、どうしてだろうか。これほど単純明快な動機があるのに、どうしてだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

みずづきの顔面を睨むMk45 mod4 単装砲。その引き金を引くことが・・・・・・・・できなかった。

 

「な・・・・・・んで。どうしてよ・・・・・どうして・・」

 

自分のことにもかかわらず、分からない。どれだけ自問自答しても、分からない。「分からない」が狭い脳と心を埋め尽くす。

 

分からない。なぜ、引き金を引くことができないのか。

 

真実を知ってもなお、この世界に希望を見出し前へ進もうとする姿が、殺意を抱くほど憎らしいのは事実。この世界の人類を殲滅する上で最大の危険要因となるみずづきは最優先排除対象であることも事実。

 

そう分かっているにもかからず、いざ眼前に血まみれの顔見知りが立っていると引き金が引けない。分からない。

 

分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない!!!

 

「先輩はどうして艦娘になろうと思ったんですか?」

 

唐突に大切な存在が手を差し伸べてきたのは、そんな時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

この世界へやってくる前の、まだ人間だったころの記憶。あれは徐々に秋の足音が近づいていた彼岸のとある日だった。

 

 

 

―――――

 

 

 

「先輩はどうして艦娘になろうと思ったんですか?」

 

ガラス窓の外に広がる、平和だったころと変わらない海からこちらに視線を向けるながなみ。一度目の言葉を完全に無視されたからか。口調には若干とげがあり、頬がフグのように膨れていた。

 

女川基地のある一室。先ほどまで作戦総括が行われていたが、もうここには自分とながなみしかいなかった。

 

「何、その顔。プっ、面白すぎ・・・・」

「面白すぎって、ひっどーーい!! 原因は先輩じゃないですか!!! あっ!? まさか、私のこの顔が見たいばっかりに? そんな・・・・・先輩にそんな性癖が・・・・」

「あるわけないでしょ!!」

「私、口軽いからうっかり隊長に・・・・」

「やめて。それだけはマジやめて。あの人、堅物すぎて冗談きかないんだから・・・・はぁ~~」

 

彼女の意図をはっきり理解しているため、このデキレースに付き合うことが億劫になってきた。ため息をついた瞬間、しぼんでいた雰囲気が一気に明るくなる。無邪気の皮を被ったしつこさには何度も轟沈させられているため、ここは素直に応えることにした。

 

「前にも言ったでしょ? 私は食うに困って、入っただけ。前にも話したけど、両親は第9次仙台空襲で焼死。姉はびた一文のために身売りした挙句、金目当てで殺された。兄は白米一合のために死んだ。だから、私にとっての最優先は食べ物のことで・・・・」

「嘘ですね」

 

何度も言い繕ってきた防壁は、この時初めて一刀両断された。

 

「なっ。嘘ってあんた・・・・・」

 

最後まで抱いた感情が吐露されることはなかった。こちらの目を見つめる、ながなみの迫力ある瞳。こちらの口を強制的に閉じさせるほどの真剣さを前に、はるづきは観念せざるを得なかった。

 

視線を交差したままでは気恥ずかしく、窓ガラスの外に目を向ける。今日は一日曇天続きだったが、天気予報の通り雲の切れ間から日光が降り注ぎ始めていた。

 

「みんなに希望を持ってほしいから。ただそれだけ」

「希望?」

 

ながなみがゆっくりと復唱する。

 

「そう、希望。人間ってさ、なくして初めて大切なものの偉大さに気付くんだよね。おにいを看取った時、私の目の前から全ての希望が消えた。残ったものはただの闇。どこまでも暗くて、どこまでも寒い。ちょっとやそっとじゃ、光が届かない。だから、何も見えなかった。進むべき道も、今こうして生きている意味も。・・・・・・・今でもあの時を思い出すと震えてくるの」

「先輩・・・・」

「だから、本当の絶望を知ったからこそ・・・・・・・もう、誰にも自分のようになってほしくないと思った。希望をもって人生を歩んでほしかった。既に日本はぼろぼろ。多くの人が大切な人を亡くした。あの頃なんて、もうどうやったって取り戻せない。なら、希望をもって別の未来を創り出せばいいだけ。そこに自分のような人間がいなければ、私がここでこうしている意味は・・・・・ある、はず・・・・・だから」

 

言葉を重ねるごとに頬が熱くなっていく。じっと固定された視線がますます体を火照らせた。長い静寂の後、ながなみは優し気にこう言った。

 

「先輩は希望に憧れていたんですね」

「あこ・・・・が・・・れ?」

 

意味が理解できない。視線で説明を求めるが、ながなみはそれを無視し、母性に溢れる笑顔をたたえた。

 

「ありがとうございます、先輩。話してくれて。やっぱり、先輩は先輩です。その目標・・・・・・・・叶えて下さいね」

「ながなみ・・・・・・」

 

その美しさに思わず、見惚れる。ながなみは面白がることもなく、生返事を返すこともなく、背中をしっかりと押してくれた。

 

 

 

―――――

 

 

 

「そっか・・・・・・私は」

 

引き金にかかる人差し指の力が抜ける。

 

なぜ、あれほどみずづきを憎らしく思ったのか。

なぜ、殺意を抱いたにもかかわらず、引き金が引けなかったのか。

 

やっと、分かった。

 

「みずづきに憧れてたんだ・・・・・・・・」

 

あれほどの理不尽を受けても、その真実を知っても屈しなかったみずづき。前を見続けたみずづき。希望を持ち続けたみずづき。

 

そんな彼女だからこそ、はるづきは憧れた。そして、殺したいと思った。似たような境遇でありながら、対照的な道を進んだ両者。比較してしまえばどれだけ自身が弱く、生半可な存在か白日の下に晒されてしまう。それがただ怖かったのだ。

 

苦しむ顔が見たいだの、断末魔が聞きたいだの、それは醜い劣等感の延長線上に過ぎない。

 

だからこそ、憧れたからこそ一方で殺したくないと思ったのだ。彼女を殺してしまえば、自身の信念は、信念を抱かせるきっかけとなった家族の死は、信念を認めてくれたながなみの微笑みはどうなるのだろうか。否定にほかならない。

 

否定しても構わない。そう誰かが言う。信念を抱くに至った過程は全て魑魅魍魎の計算通り。作為に満ちた偽物、と。それはそうだ。

 

それでも、はるづきは自身の信念を、信念を抱かせるきっかけとなった家族の死を、信念を認めてくれたながなみの微笑みを否定することができなかった。

 

「私は一体・・・・・何がしたいの」

 

ここまで来て、既にこの世界の人間を殺しておきながら、かつての仲間を死の間際まで追い込みながら、足が完全にすくむ。

 

復讐したい。何度も過ちを繰り返す人類を終わりにしたい。

 

これも事実。

 

人々に希望を抱いてほしいと願った信念。

 

これも事実。

 

「れ、レーダーに新手!? これは・・・・・・。やっぱり・・・・・・」

 

今にも膝が折れそうなみずづきから一直線に横たわる水平線へ視線を移す。

 

「隠し玉、持ってたか・・・・・」

 

メガネに表示、ではなくもはや感覚と一体化しているFCS-3A 多機能レーダー。引っかかった新たな目標を前に、堂々巡りの様相を呈していた思考は停止する。

 

一時的に。そして。

 

 

 

永遠に。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

はるづきが言った、隠し玉。それは彼女が捕捉できた以上、幸運にもFCS-3A 多機能レーダーが健在であったみずづきにも捉えられた。

 

味方機の符号が振られた光点。その中でも1つしか存在しないはずの識別符号がその光点には振られていた。

 

「ろ・・・ロクマル!?」

 

予想だにしなかった事態にはるづきが眼前にいながら、大声を出してしまう。発生による激痛に浸っている暇などない。

 

第一回横須賀鎮守府演習時において榛名に、石廊崎沖海戦において戦艦棲姫に使用したSH-60K装備の対艦ミサイルによる攻撃。これをはるづきにお見舞いするため、ロクマルははるづきから24km圏外の高度5m以下という超低空で待機していた。この高度で24km以上離れた位置を飛んでいれば、FSC-3A 多機能レーダーには捕捉されない。

 

しかし、現在ロクマルは高度そのままに一路、東へ、こちらへ向け最高速度ぎりぎりの140ノット(時速約260km)で猛進していた。

 

「どうして・・・・。私、命令なんて下してないのに。通信機能は完全にいっちゃてるし・・・」

 

そう思った時、激痛と置かれた状況の過酷さに圧迫されていた耳元の静けさが耳についた。いち早くはるづきの意図を看破し、大声でこちらへ警告を与えた彼。その彼の声はあれ以来、一切聞こえなかった。真っ先に声をかけてくれそうなショウが。

 

「もしかして・・・・・・あいつ・・・」

 

その可能性へ至るのに、そう時間はかからなかった。なぜなら、彼がここにいないのだから。

 

「哨戒ヘリ風情がこの私に? あんたもやきが回ったもんね」

 

そう言って、はるづきはみずづきから距離を取り始め、Mk45 mod4 単装砲の砲口を西の空に向ける。

 

「いいわ。あんたのささやかな抵抗、一瞬で叩き落してあげる。お楽しみはその後で」

 

無表情で語るはるづき。一方のみずづきは湧き上がる疑問に翻弄され、自問自答を繰り返していた。

(どうやって、あいつロクマルに? それより仮にあの状況で移動したのだとしたら・・・・)

彼がどれほどの情報量で生きているのかは分からない。彼が名乗り出るまでみずづきの艤装にいることが分からなかったことからそこまで莫大な情報量を有しているとは考えづらいが、矮小でもないはず。そんな存在が通信機能喪失の一瞬手前に移動すればどうなるか。そして、そんな存在が艤装に比べ貧弱な記録媒体しか持たないロクマルに無理やり乗り込めばどうなるか。いくら大容量のデータ通信が可能とはいえ、一瞬で完了する訳ではない。

(情報の欠損は避けられない・・・・)

電子的な存在の彼にとってそれは体や意識を削り取られるようなもの。そのような荒療治を行って彼は大丈夫なのだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・・・いつっ!」

 

先ほどまで火照った体を冷やしてくれていた寒風が、今では傷口を弄ぶ厄介者に代わっていた。

 

彼我の距離が20kmを切る。先手はロクマルが打った。対空画面上に1つの光点が出現する。現れた瞬間、一気に加速すると速度はあっという間に音速を超える。

 

「なっ!?」

 

途端にはるづきの悲鳴のような金切り声が響き渡った。

 

「これ、30式空対地誘導弾(AGM-1)じゃない!! なんで・・・なんであんたが持ってるのよ!! 須崎に32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)は配備されてなかったはずでしょ!!!」

 

VLSの蓋を解放しながら、睨んでくる。痛みと体温低下でそれどころではなかったが、不敵な笑みを向けてやった。はるづきの顔が憤慨に染まる。

 

妖精、様様だ。

 

「所詮はただのミサイル。こんな子供だましが私に通用するかっていうの!!」

 

はるづきの艤装がまばゆい光に包まれ、4つの輝きが西へ飛翔していく。いつもは頼もしくみえるそれが今回ばかりは絶望の権化に見えた。

 

視覚に留まらず、レーダー上にも現れるはるづきのESSM。お互いに向かい合っている両者は即座に肉薄。まず、音速で飛翔していた1つの光点と2つの光点が消滅した。

 

「これで・・・・王手よ!!」

 

残るロクマル。かの機体に迫る2発のESSM。はるづきは勝利を確信していたが、みずづきは敗北にうなだれてなどいない。まだ、負けたと決まったわけではないのだから。

 

ここはあのミッドウェー諸島海域。慢心や驕慢(きょうまん)は身を亡ぼす。理由は不明ながら32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)を所持している時点で、それの存在に思い至らなければならなかった。

 

ロクマルから2発の光点が新たに出現。それらははるづき、ではなく猛烈な速さと的確性で目標の消滅に邁進しているESSMへまっしぐら。

 

「うそ・・・・・・・」

 

外れることも、あさっての方向へふらつくことも、すれ違うこともなく32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)はESSMに接触。発射母機を守る自衛対空ミサイルとしての役割を存分に果たした。

 

呆然自失のはるづきへ、満を持して放たれる2発目の32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)。ロクマルは左右2基あるパイロンに32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)をそれぞれ2発ずつ搭載可能だった。

 

ロクマルは既にはるづきから15kmの空域に進出。そこからスタートダッシュを切った32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)がゴールテープに到達するまでの時間は約50秒。もはや、ESSMによる迎撃は使えず、主砲とCIWSによる迎撃しかできない。

 

苦し気にMk45 mod4 単装砲を西の水平線上へ向けるはるづき。注意は完全に空へ向けられ、脇ががら空きだった。

 

「作戦・・・・どうり・・・ね。あとは・・・・・・・」

 

背負っている艤装へ振り返る。

 

「お願い・・・・開いて」

 

現代艦や軽巡・駆逐級なら一撃で戦闘不能に陥れられる12式魚雷が詰まった3連装魚雷発射管をレーダー波や海水から守るシャッター。被弾した影響により、それはいくら指示を出しても一向に開かなかった。

 

「お願い・・・・お願いだから!」

 

いくら32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)とはいえ、一発だけではFCS-3A 多機能レーダーと光学照準器が健在なはるづきに到達することは不可能だ。32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)が撃ち落とされた後に発射しても、注意がこちらに回復しているため、音響を発して誘導魚雷を誘引し自艦から離れた位置で誘爆させる自走式デコイ(MOD)や海面に浮遊させ艦のエンジン音やスクリュー音と酷似した音響で欺瞞する投射型静止式ジャマー(FMJ)、また艦尾のデコイランチャーで防がれるのは確実。

 

それだけではない。もし32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)が消え失せれば、Mk45 mod4 単装砲の砲身やESSMは唯一の敵対航空目標に向けられる。既に32式空対艦誘導弾改(AGM-2b)を撃ち尽くしたロクマルに対空戦闘能力は、ない。

 

「ロクマルは絶対、撃ち落とされるわけにはいかない。あそこにはショウがいるの! あの機体は・・・・・」

 

 

 

“今までありがとうございました。お元気で・・・・”

 

 

自分を犠牲にしてでも救ってくれた、かげろうの形見なのだ。この身を死に追いやった潜水艦を仕留めてくれた戦友なのだ。

 

「だから、動いて!!!」

 

それでもシャッターは動かない。開閉装置の唸りは聞こえてくるが、動かない。そうしている間に、無情にも紅蓮の花が咲いた。

 

はるづきが主砲の砲身を微調整する。悲鳴など関係なく意地でも阻止しようとMk45 mod4 単装砲を構え、引き金に人差し指を乗せる。

 

だが、あと一歩及ばなかった。

 

狭い砲身から吐き出される硝煙と衝撃波。一直線に飛翔していく砲弾。砲弾はまるで磁石のようにロクマルへ吸い寄せられ・・・・・・・・・・・、対空画面上からロクマルの反応が消えた。「LOST」と無感情に表示される。

 

「そ・・・・そんな・・・・・・・・・」

 

思考も、息も停止した。かけがえのない存在の消失を前に、全身が凍り付く。だが、みずづきは過去の教訓を学ばないバカではない。ここで固まっていては、はるづきに撃たれた時と何も変わらない。

 

震える足を海面に固定し、心を奮い立たせる。

 

過去との、起こってしまった出来事との向かい方。それは日本で、そして艦娘たちや百石たちと共に歩んできたこの瑞穂で学んだ。完全凍結を一歩手前で阻止し、心に火を入れる。血まみれの左手。曲がってはいけない方向へ限界まで曲げて、無理やりシャッターをこじ開ける。手のひらに艤装の破片が食い込むが、構わない。

 

ようやく日の光を浴びた3連装魚雷発射管。命令に従い発射管を斜めに指向させると、獰猛な視線を海面上の一点に集中させる。彼我の距離、約300m。これほどの至近であれば、こちらの動きを中止していない限り、必ず命中する。

 

「無様なものね。一体何がしたかったのか。さて、邪魔なハエは片付いた。今度はあん・・・た・・・・を・・・・・」

「ふっ」

 

こちらへ視線を向けた瞬間に、安堵で緩みきっていた表情をこわばらせるはるづき。不敵に口元を歪めるのと同時に、発射の命令を下した。

 

「一、二、三番、てぇぇぇぇぇ!!!!」

 

ショウとロクマルの犠牲を、この身が受けた苦痛を込めて、腹の底から叫ぶ。圧縮空気の反発力に背中を押され、軽やかに躍り出る魚雷。遠慮なく水しぶきをあげると、スクリュー始動。なんの躊躇もなく、一直線に目標へ突き進む。

 

「んな!? 対潜用装備を対艦用に使うなんて、なんてデタラメ!!」

 

驚愕もそこそこにさすがは特殊護衛艦。誘導魚雷を前にして、即座に投射型静止式ジャマー(FMJ)を発射。健在である主機をフル稼働して回避行動に移る。一番魚雷と二番魚雷はまんまとデコイに誘引され、明後日の方向へ。無意味な場所で大きな水柱を上げて、役目を終える。

 

「よし!! このまま・・・・」

「あんたの相手は魚雷だけじゃない!!!」

「っ!?」

 

煤と血で汚れたMk45 mod4 単装砲。装填機構が動かなくとも発射機構は生きている。発射待機状態を強いられ、被弾の影響を運よく逃れた一発が籠った砲塔をはるづきに向ける。しかし、引き金を引いたはいいがそれの目標ははるづきではなかった。

 

唯一生き残った3番魚雷の進行方向に上がる水柱。それに引きずられ、デコイも破片をまき散らしながら宙を舞い、無様に沈んでいった。その脇を12式短魚雷が疾走。彼の目の前には全身を驚愕に染めているはるづきがいた。

 

「うそでしょ!? あ・・・あんたこそ、化け物じゃ・・・・」

 

その言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 

「!?」

 

後継となった言葉は、もはや言葉でもないうめき声。それすらも炸薬の爆発によって生じた爆音と水柱の音に遮られ、姿もろとも存在を抹消される。12式短魚雷三番は見事、はるづきの左舷側に命中。ほぼ直撃の形となったはるづきは衝撃のあまり、水柱からもはじき出され、全身を使って海面を滑走。水とは思えないほどの硬さを示す海面に顔面を叩きつけられ、停止した。

 

「・・・う・・・・ぐはっ!?」

 

彼女を起点として、海面が真っ赤に染まっていく。ほぼ原形をとどめないほど破壊され尽くした艤装。白髪も白い肌も全て鮮血で染め上げた全身。砲身がひしゃげてしまったMk45 mod4 単装砲。左腕は肘から先が消えていた。

 

それでも彼女は戦意を失わず、立とうとする。

 

「私は・・・・・まだ・・・・まだ! こんな・・・ところで・・・・こんなところで・・・」

 

だが、轟沈が目前に迫った大破状態の彼女にはどこにも重力に抗う力は残っていなかった。

 

はるづきは力尽きたように、うつぶせに倒れ込む。海水につかった白髪がゆらゆらと揺らめくが、彼女の動きはそれだけだった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

勝利。眼前の光景がそう強調してくる。しかし。

 

「全然嬉しくないや・・・・・・・・・・」

 

徐々に霞んでくる意識の中、高揚感も幸福感も何も湧かない。あるのはただ喪失感と無力感のみ。

 

彼女を止められた。ただ、これが“本当に”正しい選択だったのか。「澄」と何気なく読んでくれた親友を、残酷な世界にどこまでも翻弄され続けた彼女を(あや)めることが正しかったのか。

 

これは一生かかっても、答えが導けそうになかった。

 

「最後にせめて、看取るだけでも・・・・・・・」

 

そう思い、自らも瀕死状態でありながらダメコンの活躍により、数ノットだけ発揮可能になった主機を動かし、沈没を待つだけとなった彼女に近づく。

 

何もかも変わり果ててしまった少女。それを見ると、怒りとも悲しみとも、後悔とも懺悔ともいえない、複雑な感情が沸き上がってくる。

 

その時だった。FCS-3A 多機能レーダーに見慣れた光点が現れたのは。

 

「うそ・・・・でしょ・・・・・」

 

メガネに出現した光点が、表示された識別符号が信じられない。だが、これはFCS-3A 多機能レーダーの誤作動でもましてや幻覚でもない。32式短距離空対空誘導弾改(32短SAM-b)とESSMが激突した方向には、黒煙を上げふらつきながらも空を飛ぶSH-60Kがいた。機首をみずづきに向け、一直線に飛んでくる。その機動が何を意味するのか。分からないみずづきではなかった。

 

「航空機、収容用意・・・・」

 

格納庫のシャッターは吹き飛んでいるが幸い、後部甲板の被害は軽微。着陸及び収容に影響はなかった。

 

「まったく、私は・・・運が悪いのやら・・・・ついているのやら・・・」

 

ロクマルの鼻先を見ていると日向灘沖での最後も思い出す。あの時も瀕死の状態で激痛に抗いながら必死に艦の動揺を抑えていた。追憶するとこの神経を焼き尽くす激痛も味覚細胞を汚染させる血の味も懐かしく思える。

 

みずづきに接近し、着陸態勢に入るため一旦周囲を旋回するロクマル。機体右側に攻撃を受けたようで、ドアは吹き飛び、底面の磁気探知機も中が完全に露出している。しかし、メインローター、テイルローター、エンジンともに被害は軽微らしい。調整破片弾を至近に食らいながらこれとはまさしく幸運の一言に尽きる。

 

旋回後、艦尾に機首を固定し、ゆっくりと近づいてくる。そして、艤装に無くなって久しい重みが加わった。ロクマルも安堵したのだろうか。着艦を完了させた瞬間、エンジンが勢いよく黒煙を吹き出し、唸りを停止。同時にメインローターとテイルローターの回転も止まった。

 

「・・・・・・・お疲れさま。ありがとうね」

 

いつかと同じく、ポンポンと艤装の格納庫あたりを優しく叩く。ジリリリと砂嵐を発生させた後、彼の声が聞こえてきた。

 

「・・・・・・・・・・。へへへっ、どうだ? 俺、大活躍だっただろう?」

 

どうやら、艤装内のデータ通信機能は生きているようだ。胸を張るショウの声が聞こえてくる。だが、笑みの中に苦し気な響きがあった。

 

「本当にあんたってやつは。・・・・・・いろいろ言いたいことはあるけど・・・・ありがとう。あんたのおかげで私は死なずに済んだ」

「勝った、とは言わないんだな?」

 

海面に横たわっているはるづきを一瞥する。

 

「客観的に見れば勝利だろうけど、私はどうであろうとかつての仲間を殺した。気持ちいいものじゃ・・ないじゃんか?」

「愚問だったな。すまない」

 

一拍の沈黙が訪れる。彼が何かを言いたそうにしている雰囲気は伝わってきた。相変わらず傷口を刺激し続ける寒風が、その言葉の内容を教えてくれた。

 

「やっぱり、そうなの?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

すぐに答えない。驚いているのか。苦笑しているのか。ショウはいつも通りの口調で答えた。

 

「ああ。俺も少し海防軍人の根性主義に毒されたようだ。情報の欠損が激しくてな、もう人工知能としての機能も、自己も保持できそうにない」

「なんとか・・・・・・・ならないの?」

 

ショウが意味するところはすなわち、死。自我を持ち、感情を有する以上、人間と同じ死だ。例え人工知能であろうとも死が目前に迫っている存在を見捨てることなどできない。彼は影からこの身を見続け、知山の願いを果たし、命を救ってくれた恩人だ。だから、なんとか生きてほしい。そう思った。

 

しかし、彼は。

 

「ならないな。それに・・・・もともとここで退場する気だったし」

「え・・・・」

 

死を受け入れていた。

 

「退場する気だったって・・・・」

「そのままの意味だよ。君に真実を伝えると判断してから、決意していた。引き際をどうしようか悩んでいたが・・・・・・」

 

ショウは笑った。

 

「これ以上ない幕引きだ」

「どうして、そんな・・・・・・・・」

 

みずづきには死を前に笑う彼の気持ちが分からなかった。

 

「生きたくないの?」

「そりゃ、生きたいさ。俺だって、死ぬのは怖い。これから世間の情報に接することも、分析することも、みずづきの顔を見ることもできなくなる。完全な無。考えただけで末恐ろしい」

「だったら・・・・」

「でも、それ以上に怖いことがある。俺はこの世界に日本世界が生み出したおぞましい惨禍をもたらしたくない。その原因になりたくないんだ・・・・・・・」

 

ショウの声が震える。そこで初めてショウの真意と、ショウの存在がもたらすインパクトに思い至った。

 

「俺には日本世界のあらゆる情報が詰まっている。歴史、文化、経済、社会構造。それだけじゃない。人類が数千年にわたって積み重ねてきた科学技術の情報も。・・・・・・・核兵器などの大量破壊兵器、遺伝子操作に至るまで・・・・・」

「だから?」

「そうだ。この情報はこの世界には不要だ。危険だ。しかし、存在すれば人は知ろうとする。それは君が良く知っているだろう? 日本世界の真実を艦娘たちに話した君なら・・・」

「そう・・・・ね」

 

好奇心。これに人は抗えない。未知の領域を、他者との知的平等を求める。これが人類を進歩させてきた所以だが、これは時に進歩では片づけられない結果を導き出す。

 

「この世界の人間も知的好奇心は旺盛だ。俺が居続ければ・・・・断言する。この世界は地獄絵図と化す。それだけは絶対にいやなんだ!」

 

その叫びが決意の固さを物語っていた。みずづきがとやかく言う権利は何処にもなかった。

 

「それでも、決意しても、どうにもならなくなっても、死ぬのは怖くてね」

 

ショウの声に雑音が混ざり始めた。

 

「最期に・・・・1つ、話を聞いて・・・もらえる・・・・・かな?」

「ええ。・・・・・・ええっ」

 

涙腺の崩壊を必死に抑える。絶対にこの言葉は覚えておかなければならない。

 

「俺が閲覧権限を与えられていない情報を強引に閲覧した話は前にしたよな? そのおかげで俺を作ってくれた班は・・・・名前を付けてくれた研究員は全員、内閣情報局によって始末された」

「え・・・・・・・・」

「本当は俺も処分されるはずだった。でも、上の意向を知った研究員は殺される前に旧知の仲だったとある海防軍三佐のもとに俺を逃がしてくれた。その三佐は・・・・・」

 

確信をもって、名前が浮かんだ。

 

「知山司令?」

「ご名答。彼と研究員は大学時代の知り合いでな。知山は俺を匿ったら、最悪暗殺される危険性を承知で匿ってくれた。君の艤装の中にいたのも、海防軍のPCや例えネット回線がつながっていないPCでも捜索プログラムに引っかかる可能性があったからだ。艤装は完全に独立していて、整備も地方隊の整備員が請け負っていた。実質的な上官である知山が口止めしておけば、外部に漏れる心配はない。研究員が俺のダミーを処分してくれたおかげで日本政府の記録上、俺は消えたことになった。だから、俺はここまで生きられたんだ。知山が君にとって命の恩人であるように、俺にとっても知山は命の恩人なんだ・・・・・。どうして、殺される危険性を追ってまで、人間ですらない俺を助けてくれたのか。一回、尋ねたことがある」

「・・・・・・司令はなんて?」

「生きたいと願い、誰かの想いを背負った存在に、生物だから、機械だからとその命に優劣はない。この国に宿る命を守ることが、俺の・・・いや、俺がここにいる理由だ。・・・・・・・そう、知山は言ってくれた」

 

ショウの声が湿気を帯びる。

 

「本当にあいつは・・・・・・どこまでお人好しなんだか・・・」

「本当に・・・・・・・」

 

思わず、苦笑が漏れる。やはり知山は何処まで行っても、知山だった。

 

「そんなお人好しの心をつかんだのも、同じぐらいのバカだったが・・・・」

「え? それは一体どういう・・・・・」

 

妙にその言葉を掘り下げたくなる。だが、ショウは答えない。

 

「これは俺の・・・・最後のはなむけだ。意味はあとからしっかり、考えろ。・・・・・・そろそろお迎えの時間だ」

 

雑音が一気に激しくなる。一時期は収まっていた涙腺の暴走が一挙に熱を帯びる。それでも、まだだ。

 

「みずづき?」

 

儚げな声で呼びかけてくる。

 

「・・・・なに?」

「俺の旅路はここで終わる。しかし、君の旅路はまだまだ続く。色んなことがまだまだあるだろう。それでも・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかり、生きろよ」

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを言われたら、それほどの想いを込めて言われたら、我慢などできない。

 

「う・・・・うぅ・・・・・。うん・・・・。うん!」

「いい返事だ。答えも聞いたし、贈り物も届けた。それじゃあ、俺は逝くよ。今まで、本当にありがとう、みずづき」

「うん・・・・・こっちこそ、ありがとう。知山司令の想いを成し遂げてくれて、力を貸してくれて・・・・・・」

「ああ。・・・・・・日本海上国防軍あきづき型特殊護衛艦みずづき。貴君の栄光ある航海に幸があらんことを。・・・・・・・・・達者でな」

 

その言葉を最後に、彼の声は聞こえなくなった。

 

 

 

―――

 

 

 

「はぁ・・・・・・。最後まで格好つけちゃって。そこは知山司令そっくりなんだから」

 

目元に溜まった涙をふき取る。不思議と心には痛みに負けない朗らかな風が吹いていた。不意に誰かの声が聞こえた。振り向くとそこにはいくつかの人影。艦外カメラが全てダウンしているため、目を限界まで細め凝視する。

 

「あ!! 長門さんたちだ!」

 

布哇泊地機動部隊殲滅に向かった長門旗下の水上打撃部隊。誰一人として無傷な艦娘はおらず、中には他の艦娘たちに肩を借りている子もいたが、誰1人かけることなくこちらに手を振っていた。あまりの嬉しさに全意識が長門たちに集中する。

 

だから、長門たちの表情が凍り付くまで身に迫った危険に気付かなかった。

 

「え?」

 

殺意を感じ取り、咄嗟に後ろへ振り向く。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

「あ!?」

 

そこには決死の表情でMk45 mod4 単装砲を突き出すはるづきが迫っていた。距離は図る意味のないほど目前。ひしゃげつつも砲身が鋭い刃と化し、即席の凶器となったMk45 mod4 単装砲は火を噴くこともなく、身体に吸い込まれ・・・・・・・・。

 

「あ゛っ!?!?」

「・・・・・・・・・・・ふっ」

 

下腹部のど真ん中に深々と突き刺さった。激痛と共に何かが気道へせせり上がってくる。その不快感を解放しようと吐き気に身を任せた途端。

 

「ぶっ・・・! ぐはっ! ごぼっ・・・・」

 

泡だった血が口からあふれ出た。あまりの激痛に点滅する視界。平衡感覚が悲鳴をあげ、前後左右、上下が分からなくなる。身体は必死に幕引きを望むが、激痛にうなされつつも激情を糧にした意識が抗う。

 

「は・・・・・・はるづき・・・・・・。あ・・・・あん・・・・た」

 

下腹部にMk45 mod4 単装砲を突き立てるはるづきは不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

「最後まで・・・・油断するんじゃ・・・・・ないわよ。・・・・・(きよみ)

 

 

 

 

 

 

そういうと彼女の全身から力が消失。引き抜かれたMk45 mod4 単装砲は海面へ落下し、はるづきは姿勢を崩す。どこにこのような力が残っていたのか。咄嗟にみずづきははるづきを捕まえ、抱き留めた。ちょうど、お姫様だっこのような状態だ。

 

「あ゛!? ううううう・・・・・・・・」

 

激痛に全身が痙攣する。もはや立っていることは不可能で膝をつく。その顔を見て、虚ろな瞳でうっすらと目を開けているはるづきは肩をすくめた。

 

「みずづきーーーーーーーー!!!!!」

 

陽炎の絶叫が木霊する。答えてあげたかったが、もうその余裕はない。

 

「みずづき!! みずづき!!!」

 

傍らで急停止し、肩に手を乗せてくる陽炎。その声色は焦燥感に溢れていた。

 

「あんた・・・・・これ・・・・・・・」

「みずづき!? 大丈夫って・・・・・・・・なんや・・・これ」

 

陽炎と黒潮はみずづきの変わり果てた姿を目の当たりにし、絶句。続々と到着した艦娘たちも一様に顔面蒼白となり、口元に手を当てた。

 

「みずづき・・・・・お前」

「てへへ。やられちゃい・・・・ました、長門さん・・・・・・」

 

さすがにこのままではマズイと笑顔を浮かべるが、小さな吐血をしてしまったため結果的には逆効果だった。

 

「もうしゃべるな! みずづき! このままではさすがのお前でも・・・・・」

「あらあら・・・・・老いぼれたたちが勢揃い。壮観ね・・・・・」

 

うっすらと笑みを浮かべるはるづき。その表情に陽炎が激高した。

 

「あんた・・・・・いい加減しなさいよ!!! みずづきを! みずづきをこんな目に!」

 

殺意一色に染まった瞳と煤にまみれた12.7cm連装砲を向ける。周囲にいた黒潮や白雪たちが慌てて止めに入るが、彼女の気勢を奪ったのはみずづきの制止だった。

 

「待って・・・・・・。陽炎・・・・・・・。はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・」

「みずづき・・・・・どうして・・・・・・」

 

涙すら浮かべ、12.7cm連装砲を震わす。心の中で謝りながら、腕の中にいるはるづきを見下ろした。

 

「やられちゃった。あんた相変わらず往生際悪すぎ・・・・・・」

「あんたこそ、すぐほかのことに・・・・目移りしちゃって。その癖が・・・・発揮されなかったの・・・・って、あの男に・・・・対して・・・の・・気持ちだけ・・じゃないの?」

「ほっといて」

 

思わず笑みがこぼれる。はるづきも同じだった。

 

「私・・・・・死ぬのね。今度こそ・・・・・・・・・」

 

静寂に包まれる世界にその言葉は溶けていく。

 

「散々な人生だったな・・・・。老害に翻弄されて、家族も後輩も殺されて、深海棲艦に落ちて・・・・・、人を殺して・・・・・。何のために生まれてきたんだろう・・・・」

「後悔してるの? 生まれてきたこと」

 

はるづきは自身の顔を見てくる。焦点が合っていないため、正確に捉えられているのか、分からない。だが、言葉はしっかり届いていた。はるづきはMk45 mod4 単装砲が消えたことで露わになった血染めの右手を弱々しく握る。

 

「後悔は・・・・・・不思議なもんね。全然、してない。つらいこと、悲しいこと・・・・本当にたくさんあった。というか、つらいことばっかりだった。泣いてばっかりだった。でも・・・・・」

 

その右手を晴れ渡っている空へ伸ばす。

 

「その傷も、この世界に生まれてこなければ感じることすらできなかった。嬉しかったことも、楽しかったことももちろんあった。全部をひっくるめて、私の人生。最後の幕引きは最悪だけど・・・・」

「そんなに世界が憎い? 日本のお偉いさんたちが疎ましい?」

 

大海原のど真ん中にしては、優しい潮風がみずづきの頬を撫でる。はるづきの血で固まった白髪を揺らす。はるづきは微笑して、「当たり前じゃんか」と弱々しく拳を握った。

 

「もう退場する人間がとやかく言うことじゃないけど、私は完全に間違っていたとは・・・・思わない。罪人には罰を下さいないと・・・・。ではないと・・・、死んでいった人たちが全然浮かばれないじゃない・・・・」

 

はるづきの瞳から一筋の涙が下る。みずづきは初めて、はるづきの涙を見た。

 

「みずづき?」

「なに?」

「あんたは、道を踏み外さないでね?」

「え?」

 

優し気なほほ笑み。もうそのような体力が残っていないにもかかわらず、涙腺が緩み始めた。はるづきの声が段々と小さくなっていく。

 

「あそこまで大口叩いたんだから、最後までその信念・・・貫いて。あの犠牲が、その信念の道しるべになるなら・・・みんなが死んだ意味は・・・」

「うん・・・・・うん!」

 

必死に涙をこらえ、何度もうなずく。はるづきは満足そうに微笑む。その顔は、艦娘候補生時代(あのころ)と変わらなかった。

 

「頼んだ・・・わよ? へへ・・・。これで胸張って、怒られに行ける。あの子の元に・・・・・・」

 

はるづきの身体に宿っていた熱が消えていく。

 

「あんたの身体・・・・・・・・・・・・・。温かいね。・・・・なんだか・・落ち着く」

「うん・・・・・・・」

 

静寂に包まれる世界。はるづきの最期の表情は笑顔だった。

 

「う・・・・・う・・・・・」

 

もう涙腺の決壊を抑えることはできなかった。はるづきの身体が柔らかい光に満たされ、消えていく。蛍を思わせる小さな光の粒はそのまま空へ帰っていった。その昇天を前にしてめそめそと泣いていることなどできない。涙をぬぐい、力強くその光を見つめる。

 

 

そして、敬礼。過ちを犯そうとも、残酷な世界に翻弄され続けた魂へのせめてもの追悼だ。長門たち水上打撃部隊一同の敬礼によってそれはより強固なものとなって、彼女の御霊を導くだろう。

 

 

「さようなら。奈帆(なほ)ちゃん・・・・・・・」

 

 

その光を見届け、世界が暗転。ひんやりと冷たい海がすぐそばまで近寄ってくる。自身の名前を呼ぶ声が聞こえるがひどく遠い。痛みの、苦しみの全ての感覚が引いていく。

 

これはあの時の感覚に似ていた。しかし、異なる点が1つだけ。意識が完全に閉じる前に。

 

 

 

・・・・・・・・ありがとう、みずづき。

 

 

あの人の声が聞こえたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミッドウェー時間、12月23日正午過ぎ。瑞穂時間同24日午前9時過ぎ。布哇泊地機動部隊の指揮官的立場にあった「はるづき」消滅。これにより布哇泊地機動部隊は全滅。ミッドウェー諸島の無力化と布哇泊地機動部隊殲滅を目的とした「MI作戦」は通常部隊に大きな被害を出しつつも沈没艦もなく、誰1人艦娘がかけることなく終結。瑞穂海軍の勝利で幕を閉じた。

 

同時刻、ベラウ諸島で決死の抵抗を見せていた深海棲艦守備隊の攻勢が一挙に減衰。瑞穂軍は一気呵成に各諸島の攻略を完了させていった。

 





次回、第3章本編最終話「年末」。


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98話 年末

せ、せめて文字の世界でも涼しく・・・・。


夏と比較し低緯度から、地上を照らす太陽。真夏に発揮した暑苦しさはどこへやら。弱々しい日光は堂々と前を素通りする雲はおろか、万物から熱を奪う寒風にすら及び腰。ますます調子に乗った寒風が道行く人々を震え上がらせ、丸坊主になった木々を揺らし、ガラス窓を介しせっかく石油ストーブの活躍でほどよい気温に至った室温を押し下げる。

 

加えてだ。ヒュ~~という効果を伴ってガタガタと窓ガラスが振動する様子は心までも凍えさせる。いかにも真冬らしい光景だ。

 

「うわぁ~~~。寒そう・・・・・」

 

肩にかかっている羽織物を思わず抱きしめる。先ほどまで適温と思っていた室温が心なしか低くなったように感じる。

 

「だったら、閉めればいいだろう? 窓が一番室内の温度を奪う箇所なんだからよ」

 

寒そうと身震いしながらもカーテンを閉めない姿勢に非難が飛ぶ。それはごもっともだ。しかし、カーテンで覆うわけにはいけなかった。それでは見えなくなるのだ。

 

「それはそうだけど・・・・・・この世界で年末なんて、初めてだし・・・・」

 

いつもより人通りが多い歩道。いつもより交通量が車道。いつもよりどこか浮かれた雰囲気。両手に買い物袋や段ボール箱、木箱に風呂敷包みを持って、慌ただしく歩道を行き交う人々。声が聞こえるはずないのに、幻聴が聞こえるほど表情豊かに客引きに生を出す商店の店主たち。

 

横須賀鎮守府の敷地内に所在する横須賀海軍病院艦娘病棟。ここから見える横須賀はすっかり、慌ただしくあれど、新たなる年の訪れに興奮を隠しきれない年末に染まっていた。頼み込んで病室に持ち込んだラジオからは日本で幾度となく聞いた童謡が聞こえてくる。

 

『もういくつねるとお正月・・・・・』

「この歌、瑞穂にもあったんですね。メロディーといい、歌詞といい日本と全く同じですよ」

「あら。まだこの歌、日本にも残ってるのね」

「驚いたでしょ? 私も初めて聞いた時はびっくりしたわよ」

「そりゃ・・もう。思わず、ここがあの世かと思って背筋が寒くなりました」

「・・・・・・縁起でもないこと言わないの。もう少しでそれが現実になるところだったのはほかでもないあなたなのよ。分かっていて? みずづきさん?」

 

真横からじっと凝視してくる加賀。普段なら震え上がる場面だが、赤城の向いたリンゴを必死に頬張っている姿に威厳を見出すことは不可能だった。「は・・はい」と頭を下げるがどうしても、生返事になってしまう。それがまた視線を鋭くさせる悪循環。ただ、邪険にはできなかった。

 

「本当に一時はどうなることかと思ったぜ。顔色は真っ白だし、血は止まんねえし・・・・・。まったく、今こうしてるのも奇跡だぜ。奇跡!」

「そうよそうよ! あんた一体どれだけこっちを心配させたと思ってるのよ!」

 

「う・・・さみぃ・・・」と石油ストーブに手をかざしている摩耶と同じく頬を赤くした曙が指を差してくる。あまりの気迫にのけ反ってしまった。

 

「はい。全て事実でございます。皆様には大変なご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんでした」

 

この世界における一般的な病院と大差ないらしいとある個室にみすづきの弱々しい声が木霊する。あの戦いから6日。みずづきは大隅における道満忠重医務部長以下医療関係者の尽力によって一命をとりとめ、現在横須賀海軍病院で療養していた。いくら深海棲艦ゆずりの治癒能力を持つとはいえ、大破に加え下腹部への刺突はみずづきを一時危篤状態にまで追い込んだ。普通の人間なら大隅に辿りつく前に確実に死亡するほどの傷だったと道満は述べている。驚異的な治癒能力はみずづきの存命に貢献した訳だが、みずづきの意識が回復したのはMI攻撃部隊が横須賀に帰港し、横須賀海軍病院に運び込まれた一昨日のこと。それまで外見上、傷が完治しようと意識不明の状態が続き、百石以下横須賀鎮守府上層部と艦娘たちに不安を抱かせ続けていた。その不安はみずづきの負傷具合を目の当たりにした長門たちほど大きいものだった。

 

この際、百石はみずづきの身体について何も知らされていない艦娘たちに情報を開示。少しでも安堵させようとしたものの、艦娘たちの「このまま・・・・」という不安は消えなかった。

 

そのため、みずづきが目を覚ましたとの一報は光もひっくり返るほどの速さで伝播。横須賀鎮守府を覆っていた重苦しい空気は一気に吹き飛んだ。この時、みずづきとの面会を求める艦娘たちや腹の虫の暴れ具合を訴えるみずづき、そのどさくさに紛れて食事制限の解除を目論んだ赤城と医務部長道満忠重中佐との間で一悶着が発生したのだが、これはまた別の話。

 

「まぁまぁ、曙ちゃんも摩耶さんも。良かったじゃないですか。みずづきさんもだいぶお元気になられましたし」

「まぁ・・・・潮の言う通りなんだけどね・・・」

 

みずづきは目を覚ました後、出血による脳の障害など後遺症が残ることもなく、医療関係者全員が脱帽するほどの早さで順調に回復。既に自力での歩行も成し遂げ、現在のようにリンゴを頬張ることも可能だった。

 

「しっかしあんた、あれほどの傷を負ってから一週間も経ってないっていうのに元気なものね。一体いくつ食ってんのよ」

「6切れ目ですけど、何か?」

「いや、それ1玉分よね? 丸々1玉」

「そうだけど・・・ん?」

「ん?・・じゃない!! あんたなに言ってんの?、みたいな顔はやめて‼」

「すご~い。曙、バッチリだよ」

「この・・。馬鹿にして・・。なんでこの類いが増殖してるのよ・・」

 

曙は額に手をあてながらみすづきと共にもう一人の艦娘を見る。視線を受けた艦娘は何の悪気もなく、首をかしげる。

 

無自覚は怖い。

 

「だ、大丈夫ですよ。道満部長から許可はもらってます!」

「あれを許可っていうの・・・・」

 

椅子に座る、ではなく背もたれを正面に向けまたがるように腰を降ろしている瑞鶴は大きなため息をつく。そんな彼女に榛名が苦笑しながら同調した。

 

「あれは許可っていうより諦めじゃ・・・・」

「そんなに食いたかったら好きにしろ。腹が痛いって呼び出ししても応じないからなって、部長・・・眉間押さえてたからな」

 

終いには理解を示してくれそうな摩耶まで同調する始末。これは由々しき事態だ。

 

「だってお腹がすくんですもん、仕方ないじゃないですか・・・。ここのご飯は思った以上に美味しかったですけど、いかんせん量が・・・・・・」

「その気持ち、すごく分かります!!!」

 

戦艦級すらドン引きするほどの気合いで拳を握りしめる赤い正規空母。既に自分が剥いておきながらリンゴ2玉ほどを平らげたツッコミ殺しの彼女だが、今日ばかりは強力な味方だった。

 

「さすが赤城さん! 話が早いです。それに皆さんはいいじゃないですか」

「ん、何の話かしら?」

 

あからさまに動揺しながら視線を逸らす翔鶴、そして、それに対して「翔鶴姉!」と小突く瑞鶴。被弾した加賀や蒼龍と同様に翔鶴も昨日病人服を脱いだばかりだったが、もう本調子のようだ。ちなみに、MI攻撃部隊と行動を共にしていた第二機動艦隊、そして大隅に回収された伊168、伊19は現在も横須賀に滞在していた。

 

「とぼけないで下さいよ! 今日は大みそか! そんでMI作戦の成功を祝して、盛大な飲み会が挙行されるそうじゃないですか!?」

「飲み会ではなくて祝賀会」

 

真顔で、加賀の訂正が飛ぶ。存在自体はもう誰も隠す気がないようだ。胸に溜まった鬱憤を視線にこめる。

 

「いいですよねぇ~~~~~。・・・・・・・・・・私だってパーッ!とやりたいですよ」

 

これはおふざけでもなんでもなく、本音だった。

 

「あの戦いではいろいろなことがありました・・・・・。本当にいろいろなことが・・」

『・・・・・・・・・』

 

あまりに様々な出来事が押し寄せてきたため、本当にあの短い期間で巻き起こった出来事なのか、分からなくなる時がある。ただ、あれが現実であったことは紛れもない事実だ。だから、ほんの一瞬でも全てを忘れて騒ぎたかった。

 

みずづきも1人の人間だ。あの戦いで心身ともに深く傷づき、人生に決して消えない節目を刻み込んだ。だからこそ、騒いでみたかった。

 

「もう面白がるのはやめてあげたら?」

 

原因不明の赤みを頬に宿しながら、曙がぴしゃりと言い放つ。病室の緊張が一気に弛緩した。

 

「え? 面白がる?」

「それもそうだな。十分、みずづきらしい反応は堪能できたし」

「曙にしては珍しいじゃん。どうしたの? みずづきがいなくちゃ寂しいとか?」

「ばっ!?!?」

 

瑞鶴のニヤ付きを受けて、曙の顔がまさしく熟れたリンゴのように真っ赤に染まる。

 

「ばっっっっっっっかじゃないの!? 誰が寂しいよ! だ・れ・がっ!!! 私がそんなお子さまみたいな感情、持つわけないじゃない!」

「言葉と表情が一致してないけど、それは? ふふふ・・・・」

 

ついに始まった瑞鶴と曙の応酬に、病室内は一気に騒がしくなる。止めようとする潮や翔鶴に加えて、摩耶がちょっかいを出すために加わったため事態は複雑化。疑問を完全無視された挙句の大乱闘に、目を点にするしかなかったが赤城と加賀がきちんと答えてくれた

 

「ごめんなさいね、みずづきさん。実はあなたに祝賀会参加の許可が下りたの」

 

予想だにしなかった吉報に瞬きを繰り返す。

 

「提督と部長の連名付き。よかったわね、みずづき」

 

意識を引き込む不思議な力を宿す優し気な笑みを浮かべる加賀。

 

笑顔をたたえる2人と彼女たちが語った事実に、喜びを通り越して涙が出てきてしまった。

 

「もう、どれだけ出たかったのよ。ほら、これ使いなさい」

「う・・・・。あ・・・ありがどうございまず・・・」

 

加賀がハンカチを差し出してくれる。キレイに四方の角を合わせ、折りたたまれたハンカチ。加賀の几帳面な性格がにじみ出ていた。きれいなハンカチを汚すことに罪悪感を覚えつつ、目元を拭く。霞んでいた視界が明瞭になった。

 

「祝賀会は正式には午後5時から。4時半に私たちが迎えに来るから、そのつもりでいて」

「はい、分かりました。でも正式っていうのは・・・・」

「えっとね・・それは」

 

赤城が言いづらそうに頬を掻く。代わりにため息を交えながら、加賀が答えた。

 

「もう・・・なし崩し的に始めている人たちがいるからよ」

 

それですべてを察した。どこの世界にも、どこの組織にもいる、開始が待てずにフライングする野郎たち。年末年始、しかもMI作戦は成功を収め、YB作戦もあちらで忘年会やら新年会が行えるほど作戦が順調な状況なら、テンションが昼前から上がり切っていても不思議ではない。赤城たちが来る前に聞こえた奇声はどうもこの時間帯からデキてしまい、警備隊や憲兵隊などお構いなしの戦意旺盛な野郎たちだったようだ。

 

苦笑が止まらない。

 

「どこの世界も変わりませんね」

「まったく、その通り。人間はどこでもいつでも変わらないわ」

「まぁ、何もかもうまくいきましたし、今日と明日ぐらいは楽しみましょう。私も臨戦態勢です!」

 

一瞬垣間見せた凛々しさが鼻息で飛んでいく。赤城は加賀が悲しそうな目をしていることに気付いているのだろうか。真実を語ると百石や筆端、経理部が恐れているのは赤城よりも加賀なのだが。

 

「あははははは。もうみんな世間に充てられてますね・・・」

「本当に・・・・」

 

「一体どんな料理が出てくるのかしら~~~~」と今から頬を落としかけている赤城から目を逸らし、加賀と共に視線を窓の外に向ける。

 

まるで赤鬼のように顔を上気させながら、看護婦長が殴り込んできたのはその直後だった。

 

 

 

 

「ここがどういう場所か分かっていますか? え? 分かっているのですか!?」

『は・・・はい!!』

「ここは病室ですよ、病室! ここにも廊下にも、いたるところに静粛に、大声を出すなと書いてあるでしょうが!!! まったく毎回毎回なんど注意すれば・・・・・」

 

看護婦長の前に直立させられた赤城、翔鶴、榛名、摩耶、曙、潮、瑞鶴。曙、摩耶、瑞鶴は当然の報いとして、止めようとしていた翔鶴と潮、事態を傍観していた榛名は完全な巻き添えだ。彼女たちの全身から助太刀要請が放たれるが、加賀と二人で完全無視。心の中で手を合わせていた。

 

「もうすぐ新年ね」

 

看護婦長の図太い怒号が轟く中、加賀が神妙な面持ちで呟く。あと半日近くたてば、年は移ろい2034年、光昭11年という新しい年が始まる。気が付けば、この世界に来て半年以上の時間が経過していた。この半年間。本当にいろいろなことがあった。しかし、それを全て乗り越え、想いを受け取り、みずづきは今ここにいる。この歩みは着実に自身の糧となっていた。

 

過去を反芻するとともに、来るべき未来に想いを馳せる。これから進むべき未来に何が待っているのか分からない。この世界に辿りついたからこそ、知ることになった真実以上のものを叩きつけられるかもしれない。その真実の翻弄されたあの子以上の存在が目の前に立ちはだかるかもしれない。それでも歩みは止められない。止めてはいけないのだ。

 

「はい。来年が待ち遠しいです!」

 

2033年(光昭10年)12月31日。この世界で、そして艦娘たちと迎える初めての年越しまであと少し。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

天を突かんばかりにそびえ立つ高層ビル群。街中を網の目のようにくまなく走る高速道路。片側3車線、4車線の道路を埋め尽くす、車、車、車。それ自体が車道ほどの幅を持つ歩道を、諸外国とは異なる出で立ちで歩く人、人、人。本来、植物たちよって清涼に保たれているはずの空気は常時放出される膨大な排気ガスの前に汚染され、視界は灰色に霞んでいる。空も雲が低く垂れこめているように灰色一色。晴れにもかかわらず、他国では当たり前の青い空はこの国、この都市において信じられないことに希有だと言う。

 

見渡す限り人工物に埋め尽くされ、世界全体を圧迫感が支配する都市。祖国である瑞穂、その首都である東京と比較しても歴然とした差を持つこの街が、この世界の頂点に君臨する栄中帝国、その帝都北京である。

 

瑞穂における東京と同じように、栄中帝国の国家元首である清朝皇帝の居城である紫禁城を起点とし、道路・鉄道を環状に整備した街には東京都を超える約1100万人が居住。この人口は大戦勃発以前、先進国と言われる国家さえも凌ぐ国内総生産(GDP)を生み出し、世界に類を見ない近代的な都市景観を構築する原資となっていた。その勢いは深海棲艦の出現によって他の先進国が没落していく中、衰えることを知らない。

 

その理由は栄中帝国が世界最大の経済大国、軍事大国でありながら、深海棲艦の直接侵攻を受けていない一点に集約される。栄中帝国と太平洋の間に存在する瑞穂国。文字通り防波堤となった隣国のおかげでこの国はいまだに依然と変わることのない繁栄を享受していた。

 

しかし、だからといって悠長に構えているほど、この国は馬鹿ではない。3000年とも5000年とも言われる雄大な歴史に裏打ちされた中・長期的な視点に基づき、国家元首である皇帝が強大な権限を有しながらも優秀な官僚・貴族たちが政治の主導権を握っているからこそ、この国は超大国に辿りつき、その地位を維持できているのだ。

 

瑞穂ではおせち料理や年越しそば、家や会社の大掃除に忙しい大晦日。旧正月と呼ばれる旧暦の正月を尊ぶこの国でも、一応新暦の年末年始は特別な日なのだが、彼らには関係ないようだった。

 

妙泉(よしずみ)大使? これは一体どういうことですか」

 

紫禁城の近傍に所在する栄中帝国外務省。その一室には現在4人の男性たちが顔を突き合わせ、会談を行っていた。通訳も書記もましてやメディアもいない、Face to Face。相互理解と強固な信頼関係の上にある場だけに、こちらの弱点を相手に知られかねない行動も許容されていた。

 

スーツではない栄中の民族衣装に身を包んだ相手を前に、血相を変えて耳打ちしてくる中年の男性。紺色の軍服を見にまとった彼は瑞穂海軍栄中帝国駐在武官の與語信也(よご のぶや)大佐。海軍兵学校を上位で卒業し、将来を渇望されたエリート軍人。いつも鉄仮面で滅多に狼狽しない彼が今回は額に汗を浮かべていた。

 

「・・・・・・・・」

 

與語の詰問に無言を貫く、瑞穂国栄中帝国大使の妙泉幸三(よじずみ こうぞう)。疑問を抑えきれなかったのか與語はさらに畳みかけてくる。

 

「これはわが国の最高機密のはずです。私はこの件、東京から何も聞かされていません。まさか、外務省はこれほどの案件を独断で・・・・」

「そうではありません」

 

與語の考えをきっぱり否定する。そして、眼前に座る2人に聞こえるようはっきりと言った。

 

「これは内閣の判断に基づいた行動です。国防省ひいては軍令部からも了承は取り付けています」

「・・・・・・ではこういうことですか。東京は私の頭ごなしに事を進めていたと・・・」

「おっしゃる通りです」

 

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる與語。駐在武官をコケにするような対応に憤慨している様子だが、これには訳があった。

 

だがそれは妙泉ではなく、対面に座っている枯れ木のように細身の男性から流暢な瑞穂語で説明された。通訳なしで異国人同士が向かい合っているこの場が保たれている所以は、男性たちの語学能力と気遣いだ。

 

「お気持ちはお察しします、與語大佐。しかし、これは漏洩が絶対に許されない事項。知る者は1人でも少ない方が良い。我が国でもこれを知っている者は私と林を除いて、ごく少数なのです。いくら世界最大の人口がいようとも」

「江外相」

 

そう、田舎の貧民のような容姿の彼こそがこの栄中帝国の外交政策を一手に引き受ける外務大臣、江徳。その隣に座っている男性は江の首席秘書、林少奇。これは栄中帝国と瑞穂国という世界に名だたる先進国同士のトップ級会談だった。

 

「我が国は貴国の姿勢を大変好意的に受け止めています。皇帝陛下も世界と共にあろうとする瑞穂に最大級の賛辞を、と申されております」

「これは・・・これは。恐悦至極に存じます。もしご機会がありましたら、陛下に感激の至りとお伝えください」

 

深々と妙泉は頭を下げる。皇帝にまで上奏され、しかも皇帝の言葉をわざわざ一国の大使に伝えるということはそれだけこの会談を栄中が重視している現れ。

 

この姿勢を前にしては與語もこれ以上、不満を表せない。

 

「これほどのもの、知っただけでも動揺は必然であると言うのに、他国へ提供する意思決定は大変な心労が伴ったことと思います。それをこの短期間で決定し、実行する栄中帝国外務大臣として、一人の栄中人として貴国には尊敬の念を抱いてなりません・・・・・」

 

江はそこまで瑞穂を持ち上げておいて、林と視線を交差させる。ほんの一瞬で、打算・策略をやり取りするアイコンタクト。一拍の沈黙が流れた後、江は意を決したように抑揚の抑えた声で告げた。

 

「我が国は貴国と、そして統一派の意見に賛同し、共に人類の共存共栄、世界平和への歩みに参加することを明言いたします」

「「!?」」

 

妙泉と與語の息が止まる。お互い外交官・軍人と完全に異なる畑を歩いてきた両者だが、ともに国家権力の内部を渡り歩き、数々の修羅場を経験・突破してきた逸材。その2人を否応なく驚愕させるほどの重みが江の言葉に含まれていた。

 

「・・・・ま、誠ですか?」

 

この会談に先立ち、外務省官僚と瑞穂大使館員との間で行われた実務者協議。そこで“この件”が議題に上ったとの報告は受けていない。あまりの突飛さに真偽を疑うが、妙泉の懸念を見抜いたように江は頷いた。

 

「これは皇帝陛下の裁可を受けた我が国の確固たる方針です。加えて、我が国と特別な友好関係にある国々の意向も極めて前向きなものです」

「なっ!?」

 

目をむく與語。テーブルに身を乗り出し、江に食いつく。

 

「近隣諸国にもこれを知らせたのですか!?」

 

対する江は驚くことも、不快そうに顔をしかめることもなく平然と応対した。

 

「私より妙泉大使に聞かれた方がよろしいかと。この件について、我が国は“知らない国家”と接触は持っておりません」

「既に内定によって信頼に足る国家と判断された各国の駐在大使が私のように説明を行っているのです、與語大佐。もう一度言いますが、これは“内閣”の判断です」

 

内閣というお題目の前に鼻息を荒くしつつも、與語は「はぁ~~。まったく・・・・」と深いため息をつく。江たちが皇帝の言に逆らえないことと同様に、国民が選挙で選んだ政治家で構成される内閣の決定には外交官はもちろんのこと、軍人も逆らえない。

 

妙泉は視線で與語の非礼を詫びた後、外交官らしい鋭い目つきに代わる。

 

「では国際会議の件についても?」

「ええ。和寧の他に、暹羅(シャム)緬甸(めんでん)越南(えつなん)も既に。貴国が既に根回しをして下さったおかげで案外事は滞りなく進みました」

「そんなご謙遜を。貴国の外交力の賜物でありますよ、これは」

「いやいや、これはあなた方のその姿勢があったからこそ、なのですよ?」

 

意味深な笑みを浮かべる江。

 

「越南はともかく、いくら深海棲艦との本土決戦で疲弊している暹羅や緬甸も他国の動向を極めて緻密かつ詳細に調べています。もし・・・・・・・・・。もし、貴国が特殊艦娘の扱いを少しでも違えていれば、結果は180度変わっていたでしょうな」

 

その発言を境に、比較的和やかだった雰囲気が一変。テーブルの上では笑顔で握手し、死角であるテーブルの下では容赦なくけり合うとさえ言われる外交交渉らしい緊張感が漂い始める。

 

この急変が予想外だったのか。江は苦笑を受け、場を取りなす。

 

「失礼しました。今の発言は決して、貴国に対する警戒感を現したものではありません。ただのたとえ話です。・・・・・・・ただの」

 

しかし、瑞穂人の2人は一向に緊張を解かない。

 

「確かに江外相のおっしゃる通りかもしれません。しかし、我が国も貴国と同様にそれなりの行動をとらせていただいております。その結果から思考するに、貴殿のご発言は相応の意味を含有すると受け取らざるを得ません」

「右派の件ですか・・・」

「・・・・・・・・・」

 

2人に確認するまでもなく、独白する江。その様子を妙泉は無言で注視していた。

 

「彼らはいつもあのような感じです。いちいち気にされていてはお体がもちませんよ? 保守の強硬派がどうであれ、我が栄中帝国政府の見解は一貫しています」

 

そういうと江はおもむろに立ち上がり、妙泉たちから見て右側にある窓に向かう。そこからは高層ビルに遮られつつも紫禁城を基点にして繁栄を極める北京が見える。彼は霞む街を見ながら続けた。

 

「貴国が特殊艦娘から得られた莫大な情報を元に軍拡に走っていれば、我が国もそして諸外国も相応の対応を取ったでしょう。しかし、瑞穂国は特殊艦娘の存在感を薄めようとしたとはいえ、得られた情報を使ってほくそ笑むことはなかった。だからこそ、我々はかの世界のような相互不信を抱くことなく、新たなる世界の構築に動き出すことができたのです。妙泉大使?」

 

景色から視線を外し、江は妙泉を直視する。細見からくる弱々しさを打ち払い、老練な仙人を思わせる風格を宿した江は問いかけてきた。

 

「あなたは祖国を愛していますか?」

 

常人なら沈黙する場面。しかし、間をおかず妙泉ははっきりと答えた。

 

「はい。愛しています」

「そうですか。私も祖国を愛しています」

 

江は再び視線を窓の外に向ける。そこに哀愁が漂っていることを2人は見逃さなかった。

 

「この街が深海棲艦はおろか、同じ人間の手で焦土と化すことだけは・・・・・・・・・・避けなければなりませんな」

「全く持って、そのとおりであります」

 

與語が力強く頷く。江は「ふっ」と爽やかに微笑した。

 

「妙泉大使。與語大佐」

「「はい」」

 

江が歩み寄ってくる。それに合わせ起立する両者。そして、林。いつの間にか室内の雰囲気は、緊張感は緊張感でも、決意を含む緊張感に代わっていた。

 

「これからよろしくお願い致します」

 

妙泉の前に進み出た江はそう言って、右手を差し出す。妙泉はしばらく呆然とした後、破顔した。

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

そして、江の右手を握る。がっちりと握られる2つの手。その力強さはこれから先の世界を導く、灯の予感で満ちていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健気に輝く月光をも拒絶するほど、鬱蒼と生い茂った熱帯雨林。木々の葉によって天空と分断された世界に光は届かず、地上は一面の闇で蝕まれていた。その中で不気味に響く獣や昆虫の鳴き声。そして時たま轟く叫喚。濃すぎる生き物の気配は時として、生き物を殺す。

 

おぞましい殺気が闇を隠れ蓑に充満。どこまで行っても殺気。木の上にいても、殺気。洞窟の中に隠れても殺気。近傍に海という別世界があれど、終わりはない。

 

だが、殺気は唐突に終わりを迎える。突如、姿を現した人工物らしき家屋。木々の下にこっそりとたたずむそれは1つではない。壁や梁は熱帯雨林に生い茂る多種多様な木々を巧みに組み合わせ、屋根は歯や皮を積み重ねた防水性を有する一枚の板で建築されている。三方を急峻な崖で囲まれた入り江の傍に複数存在するものの、殺気を照らし出す弱光を漏らす家屋は1つだけ。

 

窓とおぼしき箇所は屋根と同じ板で頑丈に塞がれていたが、光に加え音の漏出を完全に防ぎ切れていなかった。

 

殺気が交代するとにわかに音の存在感が増す。

 

「それは・・・・・本当なの?」

 

凛々しさを感じさせる大人びた女性の声。それに答えた声も大人は大人だったが、少し幼さを残し、動揺を露わにしている。

 

「うん。しっかりとこの耳で捉えました。私も信じられないけど、事実です」

「・・・・・・ふぅぅ。普段なら再調査を命じるところだけど、ここまで私たちと一部が知らないことを言い当てているとなると無視はできないわね。例の一件もあったところだし。傷の回復具合はどう? さすがにこの世界の武装とは比べ物にならなかったでしょ?」

「その通りで。幾分楽になって来たけど、まだ無理そう・・・です」

「そう・・・・」

「すみません」

「謝ることはないのよ? もうこれまでのようにはいかないのだから。パラオが奪還された以上、ここにもいずれ・・・・・」

「じゃあ?」

「ええ。既にみんなには伝えたけれど、あなたも計画に則って準備を進めて。あまり日はないと思うから」

 

途絶える声。しかし、光と周囲を警戒する何者かの気配は例え殺意が逃げ出そうとも、緩められることない。もう“昔”と表現されるほどの前から綿々と続く光景。破壊を知らない植物たちは苔を代表格に本能のまま、人工物すら自然物に変えようとしていた

 




よくよく考えれば、第3章が始まってから8か月も経つんですよね・・・。第2章も長かったですが、第3章がおそらく記録を更新していると思います。



読者のみなさん、だらだらと続く本作をご覧いただきありがとうございました。

次回、「無の世界で」第4話。これで本作「水面に映る月」は3度目の区切りを迎えます。


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99話 無の世界で 肆

この暑さ・・・異常じゃありませんかね。

どうもお久しぶりです、金づち水兵です!

暑さで体が参ってからの、いろいろなドタバタで最終話の投稿が随分と遅れてしまいました。読者の皆様の中にはやきもきされた方もいらっしゃるかもしれません。本当にすみませんでした。

耳にタコができるほど聞かれているでしょうが、みなさんも十分気をつけてください。地球が、地球にしては優しい方法(猛暑)で人間をからかいにかかってますから・・・。

今までも述べてきましたが、「無の世界で」シリーズは若干、本編とは異なる文体で執筆しています。読みづらい箇所があると思いますが、ご容赦いただけると嬉しいです。


「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

もう流れる涙も、放つ嗚咽もない。ただただ足を引きずり、目的もなく、かつて様々なものであふれかえっていた、無を歩く。

 

自分が信じた正義の結果、この国に、この世界に具現してしまった廃墟の中を、ただただ歩く。

 

 

 

 

 

この道が正しいと思った。

 

 

 

 

戦いを「平和主義に反する」と言って極端に拒絶し、国益のための犠牲を「人権無視」と叫んで忌避した。それは誰も否定できない、きれいな理想。それが正真正銘の“現実”で唱えられたならどれほどよかったことか。いくら年月を重ねても変わらない世界の実情を突きつけられた果てに待っていたのは、あの光景と同じ唐突で、理不尽で、無意味な・・・・・犠牲だった。

 

人類は歴史の蓄積と苦難の踏破の末、1つの思想を生み出した。運命論。人はこの世に生を受けたときから、どう生きて、いつ死ぬのか、その運命は決まっている。

 

くそったれ、だと思った。そんなもの、世界の獰猛さを前によりよい人生の獲得を諦めてしまった、全ての不条理を世界か、はたまた全知全能の神に押し付けなければ生きていけなかった弱虫の発想だ。

 

未来には、数多の可能性がある。無数にある未来の中から、どれをつかみ取るのか。選択権を握っているのは、いるかもわからない神などではない。

 

ひとえに、自分たちなのだ。

 

だからこそ、覚悟が必要だったんだ。誰かの死を、許容したわけではない。だが、この世界は何かを犠牲にしなければ、何も得られない。何も守れない。誤魔化しと逃避は・・・・・、最善の未来を放棄するに等しい。

 

誰かが、その手を血で汚さなければならなかった。誰かが・・・・・・。その罪を背負って初めて大切な人々を、身近な人々を、見ず知らずの人々を守ることができる。そう、信じていた。

 

 

 

 

 

 

しかし、いざ奈落の底に飛び込んで知った事実は暗黒の黒と鮮血の赤で汚れ尽くした醜い思惑だった。それを産み落とし、実行する勢力は国を想うがあまり、国民を駒としてしかみなさず、命をただの『数』としか見ていなかった。

 

それでも、自分は血塗られた道の先には輝かしい未来が、力の強弱に関係なく誰も理不尽な死を迎えることのない安らかな日常があると信じた。

 

この世の中は等価交換。そう誰かが言った。欲するものを手に入れるためにはそれに見合うものを差し出さなければならない。

 

 

 

 

 

―我々は強い国家を建設するために、国民を差し出す。ゆえに、我々はその犠牲を無駄にしてはならない。必ず生き残った国民が安らかに生活を営める、家族や友人、恋人と笑いあえる国家を作り上げなければならない―

 

 

 

 

 

そう、誰かが言った。

 

 

 

それに自分は反論しなかった。表舞台でも、心の中でも。数年の歳月を経て、追従の先にその結果が示された。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

目の前に広がる廃墟と2350万という犠牲、そして生者全てを絶望の底に叩き落した地獄こそが、俺の信じた道の・・・・・・・末路だった。

 

 

「俺は・・・・・・俺は・・・・・・。ううう・・・・・」

 

 

涙は枯れたはずなのに目元が焼けるように熱い。喉は枯れたはずなのに、空気を振動させる。

 

いつ止まってもおかしくなかった歩みがついに止まる。足はひび割れ、雑草の肥やしとなったアスファルトに固定され、もう一歩も動かない。

 

役目を終えたと悟った瞬間、両足から力が消えていく。そして、全身から両足を思い留めていたなけなしの信念が消えていく。

 

この世界も重力に囚われている。周囲の廃墟たちと同じ骸を目指し、膝を屈しかけた・・・・その時。

 

「いいのか?」

 

唐突に自分とよく似た声が聞こえた。ゆっくりと長らくアスファルトに固定されていた視線を上げる。

 

「本当にいいのか?」

 

そこには。

 

「お前・・・・・」

 

もう1人の自分がいた。

 

「ここで終わりにするのか? 何もかも」

 

もう1人の自分は無表情でそう問いかけてくる。無視し再び俯こうとすると、聞き捨てならない台詞を吐いた。

 

「あの子は・・・・・・・・・・乗り越えたぞ」

 

もう1人の自分が言う()()()が誰か、分からないわけがない。そうか。彼女は乗り越えたのか。

 

その事実があったからこそ、もう1人の自分は語気を強め、批難してくる。

 

「なのに・・・・お前は何やってんだよ。うなだれて、さまよって、挙句の果てに全てを放り投げて。えらくいいご身分じゃないか。必死こいて勉強して、こび売られる幹部になっただけはあるな」

 

鼻を鳴らした嘲笑にペキッと、何かがひび割れる音が聞こえた。

 

「お? 癪に障ったか? だが、事実だろう? お前は失格だよ・・・・。彼女たちの想いと命を預かる一部隊の指揮官としても、国家・国民を守る自衛官としてもな!! こんなところで泣きべそかいて・・・・・・・・無責任にもほどがあるだろうが!!!!!」

 

その言葉は心の奥底で死にかけていた何かを、強引に目覚めさせた。覆いかぶさっていた闇が粉々に砕け散る。

 

「無責任・・・・?」

「ああそうだろうさ。お前はただ逃げているだけだ。自分が犯した罪から、自分が引き起こした地獄から」

「逃げ・・・・だって? これが・・・・・・逃げだっていうのか、お前は」

 

そして、目覚めさせるにとどまらず、強烈な刺激は抱え込み過ぎて機能不全に陥っていた心を爆発させた。

 

「じゃあ・・・・・・・俺は・・・俺は・・・・・どうすればよかったんだよ!!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ああ、そうだよ! 俺は自衛官失格だぁぁ!! 俺の・・・・・俺の信じた道のせいで、何の罪もない、無条件で人生が保障されるはずの夥しい数の人間が死んだ!! 不幸にならずに済んだはずの人々を不幸のどん底に叩き落した! 無数の汗と涙の先に、行きついたはずの・・・東京も大阪も名古屋も札幌も福岡も・・・・・繁栄した街はすべて爆弾の雨に消えた!!! それだけじゃない! 俺は・・・俺は招いしてしまった地獄を、背負えなかった。()()()以下だよ・・・・・。俺はな?」

 

そこで今まで散々目を逸らしてきた事実が、顔面に張り付いた。思わず苦笑が漏れてくる。そうだ。それこそが、紛れもない真実だ。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・何一つ、守れなかったんだよ」

 

 

 

 

 

枯れたはずの涙が頬を伝う。

 

「すべてを犠牲にしてでも、生きてほしかったあの子さえ・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「この身は決して浄化できないほどの罪で穢れきっている。なら、この地獄の中で、ゆっくりと朽ちていくことがけじめじゃないのか? お前だってそう思うだろう?」

 

決してブレない視線でこちらの話を聞いていたもう1人の自分。無言を貫いていたが、話が区切りを迎えたと見るや、こう言った。

 

「御託は終わりか? なら・・・・・・」

 

そして。

 

「このバカ野郎が!!!!!」

「うぐっ!?」

 

左ほほに頭蓋骨が軋むほどの強烈な一撃を加えてきた。足が2、3歩後退する。口内に広がる血の味。染み出した血を拭いながら、覗った彼はこれまでの冷静さが信じられないほどに激高していた。

 

そのままの勢いでこちらへ突進。胸倉をつかみ、激しく揺さぶる。

 

「いつまでうじうじ言ってんだよ!!! お前は被害者じゃない! 加害者なんだよ!! みすぼらしい・・・。被害者づらもいい加減にしろよ、反吐が出る!!」

「んなこと、お前に言われなくたって分かってるよ!!! だがな!! 俺は、2350万人を殺した! その計画に加担した! その計画を正しいと信じた! 加担したくせにその計画から逃げ出した!」

「それが被害者づらだって言ってるんだよ!!! 何度も何度も自分の犯した罪をこれみよがしに叫びやがって。んなこと、俺だって知ってるんだよ!! お前は自分を正当化したいだけだ!」

「なん・・・だと・・・」

「自分の罪を声高に叫ぶことで同情を誘いたいだけだ。そうか、そうかって、つらかったなって、寄り添ってほしいだけだろ!!」

「違う!!! そうじゃない・・・・そうじゃないんだよ!!!!」

 

もう、限界だった。無理やり、胸倉をつかんでいるもう1人の自分の手を振りほどく。そして、先ほどの借りを返した。

 

「うぐっ!?」

「俺は!!! 自分を正当化したいなんて、これっぽちも思ってない!!! 同情なんて、一切いらない!!! ただ俺は責任を・・・・、道を見誤った人間として、自衛官として、責任を取りたいだけなんだよ!!!!!」

「なら・・・・」

 

再び自分と同じ右手が拳となって飛んでくる。頬を激痛で覆い尽くしたそれは、先ほどよりも重かった。

 

「前を向けよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

 

鼓膜が破れんばかりの大声。この世界全体に絶叫が響いていく。収束した後、どこからともなくガラスが割れるような音が聞こえてきた。

 

しかし、今はそれどころではない。もう1人の自分が発した言葉。それに全意識が持っていかれていた。

 

「責任をとるだぁ?? 人聞きのいいことをひたすらのたまいやがって・・・。お前はその腫れた目で何を見てる! 何を見てきた! ここで立ちどまって何になる!? お前は・・・・・お前は・・・・・・。全てを知っても俺たちを認めてくれたみずづきの信頼を否定するっていうのかよ!!!!

「は・・・。どういうことだよ? って・・・・」

 

背中を悪寒が駆け抜ける。酸性の胃液が食道の下部を撫でた。

 

「まさか・・・・」

 

もう1人の自分が「ガキみたいにわんわん泣いて、無為に過ごしていたのなら教えてやる!」と鼻息を一層荒くする。

 

「あの子は全てを知った」

 

足元が歪む。自分にショックを受ける権利がないことは十二分に承知している。だが、彼女が感じたであろう衝撃、思ったであろう虚無、抱いたであろう怨嗟。想像しただけで足が折れそうになる。

 

これで、もうなくなったに違いない。彼女がこの身に、あの・・・愛嬌の中に不思議と心を引きつける魅力を持った笑顔を向けてくれることは。

 

「それでもあの子は立ち止まらなかった。全てを知っても、失望も絶望も見限りをしなかった」

「え・・・・・。うそ・・・・・だろ・・・・」

「嘘じゃない! 乗り越えて、新たな道を歩み始めた。そんでな・・・・あの子は・・・・」

 

もう1人の自分が声を詰まらせる。阿修羅のような表情は四散し、目じりに力を込めている。

 

「みずづきはな、言ってくれたんだぜ。知らない俺たちも・・・知っている俺たちと同じだと彼女は言ってくれた」

「っ!」

 

甦るここへ来る間際の記憶。

 

自分は彼女に生きろといった。そこには単に延命しろと言う意味だけではなく、これまで悲惨だった分、これからは前を向いてよりよい人生を歩んでほしいという意味も込めていた。

 

俺はバカだった。ひどいお節介かきだった。

 

みずづきに、アドバイスなど必要なかったのかもしれない。それほどあの子は・・・強い子だったんだ。

 

「そう思うなら、立てよ。みずづきの信頼にこたえることが俺たちの責任じゃないのかよ! 背負いきれないものまで過剰な責任感や罪悪感で背負って、背負いきれるものまで、投げ出すんじゃねぇよ! 背負いきれるものはどこへいこうとも背負って、責任を果たすんだ! これこそがけじめだよ!!!」

 

同じ顔をしたもう1人の自分に殴られて、罵倒されて、怒鳴られて、説教されて。守るという約束を果たせず、並行世界に追いやり、そこでも過酷な運命を強いたにもかかわらず、相も変わらず信頼してくれるあの子の想いを受け取って。

 

ようやく、気付いた。

 

「・・・・・悪い。俺」

 

息を切らせているもう1人の自分に謝る。

 

「・・・・・悪い。おきなみ、はやなみ、かげろう。俺、本当のクズになるところだった。まだ、あいつが・・・隊長が生きているんだ。なら・・・」

 

まただ。またガラスが割れるような音が聞こえる。

 

「いくらこの身が穢れていようと最後まで、見守って、導いてやらないとな」

「そうだ。それでこそ・・・・・・俺だ」

「あいつ、真面目に見えてそそっかしいからな」

「ああ。ドジで、嘘が下手で、それでも他人の安らぎと幸福を願う。あいつはあまりに理不尽を受けすぎた。なら、この先の未来はせめて穏やかに過ごしてもらわないとよ。これをなせなかったら、俺は性根の腐ったただのくずだ」

「おい。それはもうさっき言ったぞ。自虐も言い過ぎれば耳障りだ」

 

口元を赤く染めるもう1人の自分が満足そうに笑う。それにつられて、今まで引き下がってばかりだった表情筋が胎動。同時に冷え切っていた身体の奥底に熱が戻ってくる。

 

 

そして、いつぶりか分からないほど、久しぶりに笑った。

 

 

その瞬間。

 

断続的にガラスが割れるような音が木霊し、世界に亀裂が入っていく。自分たち以外が亀裂に支配されたのち、大音響と共に世界がまばゆい光で覆い尽くされる。

 

「なん・・・・だ・・・・・・・これ・・・・」

 

反射的に目をつぶる。瞼を閉じていても、薄い筋肉など役に立たず、視界が白一色へ。

 

しばらくするとすべてが収まった。代わりに別のものが周囲を満たし始める。かつて、当たり前に身を置いていた存在。自分の加担した計画により消滅し、成すべき目標となってしまった「喧騒」。

 

慌てて、目を開ける。

 

そこには、眩しい日常があった。

 

「こ・・・・ここは」

 

建築されてまだそう時間が経っていない、真新しさを持ったガラス張りの高層ビル。

数々の巨大な重機を内包し、『戦災復興事業』と記された外壁。

青々と茂る葉を風で揺らす、若い街路樹たち。

その横を走り抜ける、流線型の静かな自動車たち。

自動車や歩行者を的確に通行されるパネル式信号機。

皺もつぎはぎも汚れもなく、清潔に整えられた服装で前を向いて、目的地に向かう人々。

人々の様々な要求にこたえ続ける、ピカピカのスマートフォン。

 

世界に閉塞感や絶望感はない。あるのは未来への希望。ただそれだけ。

 

周囲を埋め尽くす気配が、ここがどこであるのか。親切に教えてくれた。そうここは・・・・・

 

「前を向くってことはこういうことだ」

 

身体を透き通らせたもう1人の自分が、儚げに笑いながら言う。

 

「ここは可能性の1つ。みんなが前を向けば、得られる未来。場合によっては、手に入らないかもしれない。ただ、可能性は俺たちの前に、無造作に転がっている。これに手を伸ばすか、伸ばさないかは・・・・・・」

「己しだい」

「そうだ。運命論なんざ、手榴弾で燃やしちまえ」

 

同じ顔を突き合わせ、笑い合う。

 

「今までありがとうな。俺の代わりに、責務を果たしてくれて。でも、もう大丈夫だ。俺はあの時の誓いを果たす。だから、俺の中に戻って来い」

「ようやく・・・・・だな」

 

もう1人の自分の影が徐々に消えていく。それでも彼は笑みを止めない。

 

「ああ。ようやくだ」

「絶対に挫けんじゃねぇぞ」

 

そして、握った右手を突き出してくる。

 

「ああ。俺は知山豊。栄えある第53防衛隊司令官だ」

 

力強くそう言って、もう1人の自分の右手に己の握りこぶしをぶつける。

 

もう1人の知山豊は、その瞬間、微笑んで消滅した。

 

 

 

 

 

あの日本に訪れるかもしれない、明るい未来が光の中に消えていく。しかし、この身はまだ消えない。例え命が尽き果てようと、目的を持った魂は一直線に走り続ける。

 

「さぁ! 行くか!」

 

知山豊はしっかりとした足取りで、一歩を踏み出した。




今話をもちまして、『水面に映る月 第3章 真実』は完結です。第3章も2章と同様に文字数も投稿期間もましましになってしまいました。
もう“100万字で完結”は記憶の残滓と化してますね・・・。

長大な文字数かつ拙文、知識の浅さでお見苦しい点も多々あったと思いますが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます! 本作を読んで下さった皆様、ご感想やご指摘を寄せて下さった皆様、お気に入り登録をして下さった皆様。みなさんのお力添えがあったからこそ、ここまで至ることができました。

皆様に応えるためにも、以前より示唆していた第4章のことを明確にしたいのですが・・。
正直なところ、4章自体は書き進めているものの、具体的な再開時期をお知らせすることはできない状況です。今までは「年内に」とか言っていましたが、現時点では全くの未定です。

ただ、作者としても、完結させたいとの想いは持っておりますので、続報をほんのちょっぴりお待ちいただければと思います。

それではみなさん! 暑サニモ試練ニモ負ケズ、お体に気を付けて! 
またお会いできる時を、切に願います!


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