処女に捧ぐ者たちの宴 (佐伯寿和2)
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処女の戯れ

『いったいママは何処(どこ)にいるのかしら。』

ある日見つけたママの『秘密の花園』。どこまでも、どこまでもグルグルと潜っていく、夢へと続く階段を『甘い香り(好奇心)』に誘われるままに降りていく。

もしも、あの階段を最後まで()()()()()()()………、

 

 

――私はまだママと一緒にいられたのかしら――

――ラヴィは私の側で笑い続けてくれたかしら――

――チェシャは私を愛してくれたのかしら――

 

 

 

ある日の夜、ママの寝室を訪ねてみると、部屋にママはいなかった。窓の外から、星一つない空に上弦(じょうげん)の三日月お月様だけが私に微笑(ほほえ)み、私の顔を覗き込んでくる。

『もう随分と遅い時間なのに、まだ書斎(しょさい)にでもいるのかしら。』

戻ってくるのを待とうとベッドに腰掛けていたら、()ぐに蝶番(ちょうつがい)()れる音がした。ママが帰ってきたんだと思って入口を振り返ったのに、口を開けたのは『見知らぬ扉』。

思わずベッドの下に隠れて様子を伺うと、そこから現れたのはやっぱりママだった。

ママは扉を閉めると、()()()()()鏡台(きょうだい)の上の『小箱』に何かをしまっていた。

 

ママは『小箱』に何かをしまうとまた、扉の向こうへと消えていった。誰もいなくなったのを確認すると、私はベッドの下から()い出て、スルスルと鏡台へと近寄ってみる。

 

鏡台の上の小箱は飾り気のない、地味なもの。鍵はない。私は箱を開けてみた。

どうしてだろう。これはママの物で、勝手に触ったら怒られるかもしれないのに、私は自然に『それ』を手に取っていた。

 

『それ』は、一本の鍵。

(みぞ)は単純で、()の先端には羽の生えたハートの紋章(エンブレム)。やっぱり見たことなんかない。

でも、その鍵を持っているとなんだか(わたし)(ママ)になったような気がして、気が大きくなっていくの。

それに、なんだか全身がフワフワと夢の中にいるような気分にもなったわ。

 

真っ暗な空の三日月がニヤニヤと見下ろしている。

 

三日月は私の背中を押すように『見知らぬ扉』を照らし、私はされるがままに扉の前に立ってみる。

するとそれは、とても背が低かった。12才の私の背丈と同じなのだから、大人のひとは皆、腰を曲げなきゃとてもとても中には入れない。

調べてみると、ドアノブはあっても鍵穴はなく、引けば簡単に開いた。

すると、私の中の好奇心が(ささや)いてきた。

『この鍵は何処の扉を開けてくれるんだろうね。』

もう私はこの鍵の正体が知りたくて、知りたくて仕方がなくなってしまったわ。覚悟なんて必要なの?いいえ、()()()()()()

振り返るとやっぱり夜空の中には三日月の微笑みだけが浮かんでいて、高みの見物とでも言うように私の様子を見守っているの。

私はハートの鍵を持って扉の向こうへと足を踏み入れる。

 

扉は底の見えない螺旋(らせん)階段に続いていました。

階段の外壁にはアール・ヌーボーを意識したような細かい装飾(そうしょく)(ほどこ)されているのだけれど、照明が弱過ぎて詳しくは見えない。

一段、一段、端から端まで、足が(わず)かに沈む上等な赤い毛氈(もうせん)が敷き詰められていて、それはまるで王様か何かが玉座まで進むためにあるようなとても立派なものだった。

だからなんだか、新しい階段を踏む度にイイ気分になったわ。

でもそんな小さな遊びじゃあ、あっという間に飽きちゃうの。もっと面白そうなものがないか辺りを見回しながら進むのだけれど、これといって私の気を()くようなものは見つからない。

 

ここにはあの月明かりも届かない。

2階の寝室から伸びていた階段は、もうすでに地下に潜っていてもおかしくない。それくらいグルグル、グルグルと下りていった。

どこまで下りても周りの照明は薄ボンヤリとしていて、見上げてみても見下ろしてみても、スッカリ暗闇に飲まれてしまっているの。入口も出口も見えない。だからちょっとだけ不安になってきちゃった。

なんだかその黒い、黒い闇の中から誰かが私を見て笑っているような気がしたの。

そう思った矢先だった。

 

『あら?』

階段の終りが見えてきた。そしてその先には妙な扉が待ち構えているのが見えた。

入口の『小さな』扉とはうって変わって、巨人でも通れちゃうような『大きな』縦長の扉。そして、扉の頂点(あたま)には鍵と同じハートの紋章(エンブレム)。それが私を見下ろしている。

 

私はやっぱり少しも警戒することなく扉に近づいてしまうの。まるでこの地下の(あるじ)にでもなった気分。これも、この鍵がそうさせているのしら。

 

すると、扉の向こうから人の話し声と生温かい吐息が交互に聞こえてきた。穏やかなのに熱くて、淡白(たんぱく)なのに蜂蜜のように(とろ)みのある声と吐息。

『さあ、お前も(ひざまづ)いてワタシに誠意(あい)を述べなさい。』

私を見下ろすハートが、そう言っているような気がしたの。

私は(あらが)えない。導かれるままに、差し込んだハートの鍵を回す。

 

『ガチャリ』

響いた重い解錠音(かいじょうおん)は私の心の()()()()を刺激した。私はゆっくりと()()()()()を開け放つ。

 

 

 

そして始まる。止まらない悪夢(快楽)

 

 

 

私は思わず目を(つぶ)ってしまったわ。

だって、扉の向こう側から(あふ)れ出るのは(まばゆ)いばかりの黄金色(こがねいろ)の輝き。格差を知らしめるような荘厳(そうごん)な装飾。どれもこれも、私が今いる場所とは正反対の『力強さ』を持っているんだもの。

 

そして、そこにいたのは獣の群れ。(いや)しくも忠実な様子を見せる彼らは、まるで(いぬ)の群れ。そして、群がる獣の中心に立つのは、さながら女王様(ハートの主)

(おとこ)たちは皆、仮面を被って(忠義を述べて)女王様の愛撫(あいぶ)(もだ)えている。次の愛撫を求めて(あえ)いでいる。

女王様は身を寄せ、快楽に身を(よじ)(みだ)らな狗を見て笑っている。

 

「アナタは誰なの?」

狗だか(うさぎ)だか分からない妙な『仮面』を(かぶ)った男たちに囲まれる中でただ一人、『素顔』を(さら)女王様(ハートの主)

私は、赤と黒の派手なドレスに身を包み、狗たちを(もてあそ)ぶ、彼女の顔に見覚えがあった。

 

答えには、すぐに行き着いた。

それは、この地下室(悪夢)の入口で見かけたものと同じ。

「……もしかして、ママなの?」

扉を隠していた鏡台に写り込んだ私の顔と()()()()だった。

女王様は、私がそうであるように、私を見て放心している。

 

 

 

どうやって『あの娘』はここに入ってきたと言うの?

なぜ『私』は鍵をわざわざ箱に戻したのかしら?

どうして『私』はその箱を化粧台の上に置きっぱなしにしたのかしら?

そして……、私に瓜二(うりふた)つな『あの娘』は……、()()()

 

『……そうよ。全部、私がそう仕向けたこと。』

 

『……そうよ。私は()()()()(アリス)。次はメアリー(オマエ)の番。』

 

まったく。魔女なんて()()()()()は根っからの性悪女(しょうわるおんな)ね。誕生日でもないのにこんな御馳走(ごちそう)寄越(よこ)すなんて。でもまあ、歓迎するわ。『好奇心』に素直な私の娘(ディナー)よ。

優しい(いつも)のママはどこ?」

()()が何か言ったかしら?まあ、そんなことはどうでもイイこと。

 

これこそ私が望んだモノなのだわ。サックスブルーのエプロンドレスを着た、この子こそ()()()(アリス)

「さぁ、アリス。こちらにおいで。私の()()()()()よ。私を楽しませておくれ。」

純粋無垢な、この舞踏会を(いろど)る私のための晩餐(ディナー)

さぁ、さぁ、面白可笑しく踊っておくれ!

 

 

メアリー()は走った。

ウソよ。ウソ、……ウソ。あの女王様はママと同じ顔の悪魔なんだわ。だって、ママはあんな(ゆが)んだ顔で笑わないもの!私を『アリス』だなんて呼ばないもの!

 

そうよ、これもその悪魔が見せている夢なんだわ。

『助けて、ママ!』

「お前たち、私のディナーを捕まえておくれ。」

女王様(悪魔)を取り巻く男たちは、弱った獲物で遊ぶように私を追いかけてくる。

 

走っても、走っても扉の外へ出られない。狗たちは私の背後にピッタリと張り付きながら囁きかけてくる。

 

「お待ちなさい。お待ちなさい。女王様(アリス)処女(アリス)。」

「お待ちなさい。お待ちなさい。魔女(アリス)ディナー(アリス)。」

「お待ちなさい。お待ちなさい。快楽(アリス)ハート(アリス)。」

 

「違う。止めて。それは私の名前じゃないわ!」

享楽(きょうらく)魅入(みい)られた狗たち。彼らが、口から出まかせを積み重ねるほどに、彼らの欲望(本音)(あらわ)になっていく。

足を引っかけて、扉に(もた)れ掛かるように倒れ込む。恐怖で足が(すく)んで動けない。

迫ってくる狗たちの愛撫。私はもう、抗えない。

 

『ガチャリ』

重たい響きとともに、暗闇の中から突然差し伸べられる紳士の手。

私は迷わずその手に(すが)った。

紳士はまるで魔法か何かのように、ひとっ飛びで長い螺旋階段を飛び越えた。

振り返る暇もなく、私は女王様(悪魔)の魔の手から逃れられた。

 

鼻から上を『仮面』で(おお)った、ドレスコードに()()()タキシードの紳士。私を助けてくれた人は笑っていた。あの三日月のように。

 

 

 

紳士は私の手から鍵を()()()()、鍵穴のない小さな扉に鍵を刺す。

『ガチャリ』

重たい響き。甘い、シトラスの香り。

()()から逃げ(おお)せた私の(そば)に、彼はいた。

「目が覚めたかい、エルシィ。」

彼は、あの三日月のような微笑みで私を見詰めていた。

彼の手には私の心を()(みだ)すハートの鍵があった。



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三月の白兎は青い目をしている

今日も今日とて蜜蜂たちは私のためによく働いてくれている。それもこれも私という『花』が魅力(みりょく)的だから仕方のないことよね。

客のいない午前0時、このお店で一番の支配者はマルガレーテ(ママ)でもあの()でもない。私なの。

この店で一番魅力的な女、それが私。

『Bar・Masquerade(マスカレード)』の舞台を(かざ)るのも本当は私の仕事なのに、ママは気づいてくれない。もうとっくにママの時代は終わったのに。

だから私は店中の従業員(蜜蜂)を飼って私の方が上だって気づかせてあげるの。

 

なのにあの()ったら、毎晩、毎晩、店じまいの度に歌の練習なんてしてるのよ。当て付けのつもりか知らないけれど、客のいないステージで(あえ)いでバカみたい。能無(のうな)しは大人しく掃除だけしていればいいのよ。

モップをマイク代わりなんて上品じゃないことも私はしない。可愛い私にシンデレラ(灰被り)は似合わないもの。

下品な仕事に用はないの。なんたって、私には昼も夜も惜しみなく働いてくれるたくさんの蜜蜂がいるのだもの。

 

私はただ、可憐(かれん)薔薇(ばら)を演じ続けていればいいの。

客だろうと、ママだろうと関係ない。昼も夜も関係ない。皆、同じ。ちょっと私が甘い声で囁けば誰も彼もが私の蜜蜂になるの。

だからアリス、そんなことをしても無駄なのよ。気づけないアナタは雑花(ざっか)精々(せいぜい)、タンポポやスミレが関の山。(ひと)の目を()く『薔薇』にはなれないのよ。

いづれ、この店は私の物になるんだから。それに気づけないアナタはやっぱり無能な雑花。

 

けれど、いつまで経っても、いつまで経っても、ママは私に主役(デビュー)の話をくれない。

仕事が終わればバーテンダー(チェスニー)とカウンターで世間話ばかりして私に見向きもしない。たまにあの()(つたな)い歌を見て笑っているだけ。

本当に、どうかしているわ。きっと、お酒の飲み過ぎで頭がオカシクなっているんだわ。そうじゃなきゃ、私みたいな逸材(いつざい)を放っておくはずがないもの。

 

もうママには頼らない。こうなったら自分の手でモノにするしかないんだわ。そのためには、もっとたくさんの(コマ)が必要ね。

私が求める『快楽』の全てを叶えてくれる、弾丸(バレット)のように強く、激しい(コマ)が。

 

そうして私が()()()()()に明け暮れているっていうのに、私は裏切られてしまったの。私は見てしまったの。

ママがあの()にレッスンをつけているのを。

『どうして?!』

「近々、ステージで歌わせるらしい。」

私の蜜蜂(マット)は、ママとチェスニーの会話を聞いたらしいのだけれど、私は信じない。

『何を考えているの?!』

これみよがしに、()()()()()()()()()()まで用意して。それじゃあまるで、『薔薇の花』じゃない!

数日後にはママが手配したデザイナーからポスターが届いた。あの()のデビューを告知するポスターが――――。

 

『冗談じゃないわ!』

 

私より不細工なくせに、キレイな(はな)になろうとするあの()が「嫌い。」

客を夢中にさせる(魅了する)愛嬌(あいきょう)もないくせに、私を見下す舞台(場所)に立つあの()が「嫌い。」

私がこんなに頑張っているのに、卑怯(ひきょう)な手でママを(たぶら)かしたあの()が「嫌い!」

派手で、下品で、真っ赤な花弁(ドレス)を着て浮かれているあの()が「嫌い!!」

 

 

 

裸の身体に、蜜蜂たちがウルサイ羽音を立てて群がる。お尻を振って仲間を呼び、花の(うたげ)はさらに熱を()びる。

もっと強く!もっと激しく!もっとよ。もっと、もっと、もっと!!

銃身(バレル)弾倉(シリンダー)も熱で溶かすくらいにメチャクチャに突き上げてイイのよ!!

 

可愛い喘ぎ声(空砲)だって聞かせてあげるわ。狂えるほどに気持ちよくしてあげるわ。

だからもっと、私の『望み』を叶えなさい!!

 

 

 

ダメね。まだなの。まだまだ私は満たされない。いくら弾倉(シリンダー)に弾を()めてみても、標的がいなきゃ名器(タカラ)の持ち腐れ。そうでしょ?

「ねぇ、あの()を可愛がってあげてよ。」

満たされた六匹の蜜蜂は私の命令に喜んで従ったわ。

 

あの下品なドレスに針を仕込んだり、ネズミの死体を入れたティーポットでお茶を飲ませたり、食事にイモムシを混ぜたり。

 

あの()はこの店に友だちなんていないから、蜜蜂たちの『遊び』を誰かに言い触らすなんて真似(まね)はできないのよね。だからオモシロイの。

本当は一番気に喰わない、あの下品なドレスを滅茶苦茶にしたいところだけれど、一応、ママが用意したものだから手を出さないであげたの。

でもね、これはただの『遊び』なんだから。私は蜂たちに『()()()()()』と命令したの。だからアリス……、(たの)しい、愉しい愛撫()はこれからなのよ。

 

六匹の蜜蜂に囲まれて、処女(名も無い花)は何を差し出せば良いか分からない。オドオドしている内に()たちはナイフ()を差し出し、動けない花の蜜を吸って、吸って、吸い尽くすの。

どうかしら。私が撃った弾丸(タマ)はアナタを熱くさせてくれたかしら?血を流したかしら?

あぁ、アナタの悲鳴(喘ぎ声)が聞いてみたかった。

フフフ。まったく、いい気味だわ。

 

 

これであの()は店を出ていくものだと思ってた。でも、違った。とんだ、私の計算違い。まさか、顔色一つ変えずに残っていられるなんて。

まったく、なんてしぶとい()なの?デビュー(例の日)までもう時間がないのに。だから根っからの召使い(メアリーアン)は嫌いよ。犯されるのも仕事の内だと思ってるんだから。

もっと、何か決定的な『モノ』を奪ってあげなきゃいけないんだわ。

 

「チェスニー、チェスニー。聞いてくれる?私のデビューに新聞記者が来てくれるの。私、新聞に()るかもしれないのよ!」

 

そうよね。アナタは我慢強い子だったものね。

でもアナタは言ってたわよね。お母さんに裏切られて()()()()()()()()()

そうよね。()()()()をしてあげればイイのよね。待っていて。私が最高の舞台(ステージ)を用意してあげるわ。

 

あぁ、あの()の『弱み』が手の内にあるなんて、なんて気持ちイイの。蜜蜂に囲まれているよりもずっと、ずっとイイわ。

 

 

閉店後、蜜蜂たちに人払いをさせて今は、チェスニー(野蜂)と二人きり。

「ねえ、チェシャ。そんなに沢山のポスター、どうするつもりなの?」

憎たらしい。ママの言いつけなんでしょうけど、なんて憎たらしいの。それが店を(いろど)るかと思うと苛立(いらだ)ちで(はらわた)が煮えくりかえりそうだわ。

……でも、それも今夜限りね。

「ねえ、チェシャ。アナタは女がどんな声で()くのか知ってる?」

私、決めたのよ。アナタの手であの()(けが)してあげるの。殺すよりはマシでしょ?

 

愛撫するなんてお手のもの。無防備な野蜂(カレ)の上に馬乗りになれば、ほら、もう飛んで逃げることだってできない。もう、私のモノ。

弾倉(シリンダー)が熱くなっていくのが分かる。

あぁ、早く。この撃鉄(忠誠心)を起こして、私に引き金(命令)引かせて(下させて)

「ねぇ、私を愛してよ。」

仕上げに茨の毒針(私のコトバ)でゆっくり、ゆっくり()()めてあげるわ。

ほら、こうやって体が触れあえば……、アナタも感じるでしょ?私の銃身(カラダ)がこんなにもアナタを求めてるのよ。

だから私の命令(コトバ)だけを聞いて――――。

 

「キャアッ!」

野蜂(カレ)可憐な花(ワタシ)を突き飛ばした。拒んだ。

……そんな、……まさか、どうして。

私はただ、アナタにも私の『蜜』の味を教えてあげようとしただけなのに。私は誰も彼も夢中にさせた『花』なのよ?『魅力的な女』を望まない『男』なんている訳がないじゃない。

……だったらどうして?……何がいけないの?……どうして私じゃいけないの?

拒絶されるなんて初めての経験で、屈辱(くつじょく)よりも先に喪失感(そうしつかん)を覚えた。皆、私のモノのはずなのに。私のモノにならないモノがこの世にあるという失望。

ママの前ではいつも、ニヤニヤと(いや)らしい笑みを張り付けてるくせに。私を見下ろす目は、まるで枯れた花を見るように冷えきっている。

ママよりも、あの()よりも、私が(おと)るっていうの?考えられない。信じられない。皆、皆、ミンナ、どうかしているわ!!

 

『もう我慢ならない!』

「殺してっ!」

ナイフをポスター(あの女の顔)に突き立てる。そんなんじゃ、この怒りは収まらない。そう、もう限界よ!

「あんな女、八つ()きにして死んでしまえばイイのよっ!!」

この私が命令しているのに、()どもは私を(なだ)めるばかりで動こうとしない。

「落ち着け。殺しはマズイ。」

「そうだ。バレたらラヴィが捕まるぞ。」

あの(雑花)を殺して、殺すのが()どもで、どうして私が犯罪者(枯れた花)なの?オカシイじゃない。どいつもこいつも、私をバカにしてっ!

 

 

 

あぁ、どうしたっていうの。誰も彼も私の前から離れていく。何で?どうして?そんなにあの()の命が大事?私の『蜜』よりも価値があるっていうの?

あっという間に私は独りぼっち(荒野の花)。こんなに(みじ)めなことってあるかしら?

あんなに従順だった(蜜蜂)たちはもう一匹だっていやしない。もう、誰も(枯れた花)を相手にしない。

引金(トリガー)を引いても聞こえてくるのはヒステリーを起こした()の金切り声ばかり。

どうして皆、あの()の味方をするの?!

 

そうして()()にあの()の晴れ舞台はやってきた。

憎しみで人は殺せない。それでも私はこのステージを見届ける。他にすることなんて何もない。

キラキラと輝く彼女を見ていると、枯れた自分が余計に惨めに思えてくる。それでも私は見届ける。今の私は、あの()から目を()らせないの。私から全てを奪っていくあの()から。

 

(しつけ)のなってない子どもみたいに爪を()んで、ただ立ち尽くしてる私はなんて(みにく)いの?

スポットライトを浴びた雑花(ざっか)ごときに羨望(せんぼう)眼差(まなざ)しを向ける私はなんて醜いの?

観客のバカみたいな歓声にさえ嫉妬(しっと)する私はなんて醜いの?

私は()()()いるのに、誰にも関心を持ってもらえない私は、()()()()()()?!

こんなに醜い私は嫌い!

 

『嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!』

 

もう、何もかもが嫌い!!

 

あの()舞台(ステージ)も残すところ一曲。期待(ふく)らむ観衆(かんしゅう)嫉妬(しっと)に溺れていく私。

 

「最後の歌は私の大切な友人に(おく)らせてください。」

 

不意に、私の手を小さな手が包んだ。視線を滑らせた先にはあの頃の()()()()

「一緒に歌姫(シンガー)になろうと、ここで働くことを(すす)めてくれた貴女(あなた)との約束。」

違う。途方(とほう)に暮れた私に生きる希望(約束)()わしてくれたのは、真っ赤な薔薇を手にしたあの子。

「ずっとここで、貴女を待ってるから。」

『ラヴィ、私、貴女が大好きよ。』

サックスブルーのエプロンドレスを着たアナタが、ローズピンクの私を愛してくれた。だから私は青の、アナタは赤のドレスを着ている。

 

……そうだったわ。

 

同じような境遇で、行き場のなかった私たちだから励まし合えた。手を取り合って、笑っていられた。

でも、アナタを想うと憎い母の記憶が目を覚ますから――――

 

『ガチャリ』

重たい響きとともに、スポットライトが落下する。あの()()()()

……だめ。…だめよ。ダメ、ダメ、ダメッ、ダメッ!!

私は走ってた。あの()は、突然駆け寄ってくる私を見て目を丸くしている。それ以上のことなんか()()()()()。私はあの()だけを目に映して、飛び込む。

 

 

 

気がつくと、私の目の前には貴女(アナタ)がいた。静かに見詰め合う私と貴女。

ねぇ、メアリー。なんだか、胸が痛くて、痛くて堪らないわ。

蜜蜂相手に喘いでいた私も、嫉妬に溺れていた私も、痛くて堪らないの。

だからお願い、メアリー。もう一度だけ、この枯れたの胸に貴女の『優しい水』を聞かせて。

また、アナタだけを――――

 

 

 

 

(ウサギ)が死んだ。

こんな()()()()()()()オス猫(チェシャ)は舞台袖から感じる視線に目を遣ると、そこには()()()()帽子屋(マット)が、冷えていく兎にさらに冷たい視線を送っていた(贈っていた)

(半端な女王)(ひつぎ)は、赤と白の薔薇で埋められた。



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猫の猫による猫のためのcocktail

午前0時、それはドレスコードで理性を縛るMasquerade(仮面舞踏会)の終わりを告げる時刻。

今夜もまたBar(酒場)は『女たちの香水(臭い)』で満たされて、酔わされた男たちはお金(紙クズ)を手に、意中の(カラダ)を探し回る。

女たちは店のための衣裳(ドレス)を脱ぎ捨て、男たちのための花弁(ドレス)に身を包む。より刺激的な(快楽)を求めて、無言で視線(欲望)を飛ばし合ってる。煙草(タバコ)(くゆ)らせて威嚇(いかく)し合ってる姿が滑稽(こっけい)だわ。

 

女も男もそういう生き物。処女(バージン)童貞(チェリー)じゃなきゃ誰だって知ってること。

強姦(レイプ)なんてその延長線。気にする女は頭がオカシイのよ。

 

だから、私にも大胆(だいたん)になりたい時だってあるのよ。今夜だってそう。言い寄る女に(なび)きもしないで()ましてる男を落としたい()()()()()()()

アイツはいつもそう。余裕のある『微笑み』なんて見せられたら()き立てられちゃうじゃない。

 

あの(いや)らしい三日月に()けて。思い出の衣裳(ドレス)を着て、アイツのポーカーフェイスを崩してやるわ。

あの日の『歌』と『私』を添えて――――

 

あの日の出来事は触れるだけで()()()()()、いつもいつも涙が抑えられない。

でも、そうじゃないとオカシイでしょ?薄情でしょ?

でも、安っぽい女のようには泣かないわ。アイツが気に掛けてくれるようにしなきゃ『意味』がないもの。

 

「エルシィ、今夜もイイ声だったよ。」

「ありがとう。」

安っぽい男たちは気づかない。

「これ、前に君が欲しがっていたドレスだよ。」

「ありがとう。」

行き着く言葉はいつも色欲(一つ)なんだもの。

「僕のも受け取ってくれないか?」

「ありがとう。」

これだからワンパターンな(盛りのついた)男たちに興味なんて湧かないの。女の身体にしか目がいかない駄狗(だけん)には、営業スマイルと「ありがとう」の一言で充分。

 

だけど、こうして可愛らしくソファに座ってれば、その男たちが薔薇(リボン)の付いた箱で私を囲んで、私の『女』を引き立ててくれるの。

だけど、私が沢山の男に囲まれていたって、アイツは素知(そし)らぬ様子(フリ)マルガレーテ(ママ)か客しか見ていない。悔しくはない。でも歯痒(はがゆ)いの。

でも、まあいいわ。『誰にも靡かない(チェリー)』なら、他の女に()られる心配もないものね。

 

 

「エルシィ、まだ上がらないの?」

「ママ、今日はもう少し飲みたい気分なの。ダメ?」

ママが引退してから、私の他に5人がステージに立つようになったけれど、実質、その中で私がNo.1。客の半分以上が『私の客』。

だからママも、私の()(まま)なら許してくれる。

ただの給仕だった頃、掃除中に歌ってるとよくママに怒られてた。あの頃のママは私が店の顔になるなんて思わなかったのよね。でも、()りない私にレッスンをつけてくれたし、舞台(ステージ)も用意してくれた。

だから店を奪おうなんて思わない。『ママの店で歌う女』で十分。ただ、同じ舞台に立つ女が、私の上にいるのが気に入らないだけ。

「しょうがないわね。チェシャに片付けを頼んでるけど、鍵だけはキチンと閉めておいてね。」

分かってるわ。むしろ、()()()()()だったから。

 

 

そして今は二人きり。それなのにアイツは私に見向きもしない。

「ねえ、チェシャ。こっちに来て一杯付き合ってくれない?」

店を閉める準備ができたらと、アイツは掃除を続ける。

「……そう。」

言いながら手際(てぎわ)良く一杯のカクテル作り、カクテルグラスに盛られたチェリーを添えて私のところまで持って来ると、「バーは開けておくから、好きに言ってくれ」と言う。

そういうつもりじゃないのに。ただの口実がいつも彼の逃げ場になってしまう。

 

それでも私は言われた通りに待つ。

 

待つのって退屈。()()()()で気分を(まぎ)らわせるのも何だか違う気がするし。彼に用意してもらったチェリーは、口にすればするほどに悶々(もんもん)とする。

チェシャは真面目で寡黙(かもく)。その上に愛想笑いが上手だから、身の上話を聞いても笑ってごまかされてばかり。

だからチェシャのことを詳しく知ってる人は誰もいない。私もそう。5年以上一緒に働いてるのに。

たまに彼が、実体のない幽霊なんじゃないかって疑ってしまう時があるの。ふと、彼の顔を思い出そうとすると、あの()()()()()が背景の中にあるような錯覚に(おちい)るの。

 

分かってるのは身寄りがないことと、恋人がいないことくらい。ママと『噂』になったことがあるけれど、『噂』を聞いた時のママの笑い方で()()は嘘なんだって分かった。

 

 

チェシャは、私たちがこの店で働き始めてから間もなく、男の人に連れられてやって来た。

その人も父親じゃないこと以外は何も知らない。

 

何も知らないのに、いつの間にか私はチェシャにくっついて回るようになっていた。

初めは何となく、不思議な子だと見守っていただけ。

だけど、何でもソツなく(こな)()()()とは違って、私は不器用だったから。黙って助けてくれる彼のそばにいるのが(くせ)になっていたのかもしれない。

彼も彼で、私がそばにいることに何も言ってこないから、それに甘えていたのかもしれない。

本当にそれだけ。他意はなかった。

だから何も起こらなかった。期待もしなかったし、『(あやま)ち』もなかった。

 

でも、あの事件(あの日)以来、私だけが彼を意識するようになっていた。

いつも(そば)にいた人が突然、いなくなる。彼が()()()()なんて思ってないけれど、彼女を想えば想うほどに彼が()()()()()

まるで針のない時計のように、巻いても、巻いても時間の分からない不安が付きまとうの。

どうしてだかは分からない。それでも、私はその『声』に抗えないの。

 

モップを持った彼が私のそばを通ったから言ってやった。

「ねぇ、私を愛して欲しいの。」

ここまでハッキリした告白をすれば、彼だって少しは私に目を向けてくれると思った。

それなのに、彼は新しいカクテルを寄越して微笑むだけ。

どういうつもりなの?冗談だと思ってるの?遊びだと思ってるの?バカにしないでよ!

 

飲めば飲むほどに『気持ち』は強くなっていくのに、それが彼に届く気がしない。しょせん、夢の中でしか叶わないのかしら。

グラスから立ち上る(溜め息)が、私の気持ちそのものみたいだわ。

 

「チェシャは誰かを愛したりしないの?」

「私はチェシャから見てどういう女?」

「私に合う男はどんなだと思う?」

何を聞いても返ってくるのは新しいカクテルと変わらない微笑みだけ。

どうして?何を考えているの?そう聞いてもどうせアナタは笑うだけなのよね?だったら私はどうすればいいの?

 

身体が熱い。このままじゃ、酔い潰れちゃう。その前に『決着』をつけなきゃ。

もしも今夜も()()、彼の『アルコール(笑顔)』に私の『リキュール(気持ち)』が(にご)されてしまうのなら、私はもう、二度と()()愛さない。

(はぐ)らかされるのはもう、()(ぴら)っ!

 

彼が望むのなら、私は『何色のリキュール(どんな女)』でも構わない。処女(バージン)にだってなってみせる。

私は勢いに任せてカウンターに身を乗り出した。

「ママみたいなオバさんとじゃ物足りないでしょ?私が相手になってあげるわよ。」

彼の(えり)(つか)んで私の唇に引き寄せながら、『気持ち(本音)』を告げる。もうカクテルを作る時間も、笑う余裕も与えない。アナタの『気持ち(本音)』を教えてよ。

 

でも、彼は私が思う以上に冷酷な人だった。そこまで乱暴に扱われるなんて思ってもみなかった。

 

「……どうして?」

彼は私の手を力任せに振り払うと、私を(にら)み付けた。それでも彼は一言も私をなじることもせず、静かにカウンターの片付けに戻っていく。

どういうこと?私の何がそんなに気に食わないの?アナタの言いたいことがサッパリ分からないわ!

打ち(ひし)がれた私は、ソファに突っ伏してクッションに顔を(うず)める。

 

 

やっぱりダメ。忘れられない!あの子も、貴方も!!

デビューの時に、初めてチェスに贈ってもらった薔薇(バラ)髪飾(かみかざ)り。私のそばにこれがある限り、忘れられる訳がないじゃない。

その気がないなら、どうしてこんなものをくれたの?何が本当の貴方なのか分からない。

胸が痛くて、痛くて堪らないわ。

 

私は三日月との賭けに負けて、眠りに落ちる。

シトラス(チェシャの)香水(好奇心)が私をまたあの夢の中へと()としていく。

 

 

 

 

ハートの女王様(ママ)』は何人もの裸の()たちの全身を撫で、舐め、頬や胸を(まさぐ)っていた。

男たちは奴隷のように、されるがまま。

夢中だったのかもしれない。視線が合うまで、彼女の愛撫はネットリと続いた。

 

視線が(から)み合って初めて私は気づく。私は彼女を見ていたんじゃない。()()()()()()ことに。

「アリス、こちらへおいで。」

そう。この、独善的な喋り方をしているのも私。(おび)える子どもの視線の先にいるのも私。そして、狗たちに仮面を被せて()()()()()(きょう)じているのも私。

女王様は、螺旋(らせん)階段を隠す鏡台に映り込んでいたメアリー()に似ているんじゃない。『鏡の中のそれ』が、女王様()そのものなんだわ。

 

 

私はずっと、夢の中にいたんだわ。だったら私はまだ処女のままなのね。

ラヴィの蜜蜂に遊ばれた時も、こうして狗たちに囲まれている今も。私は処女のまま溺れていたんだわ。

『犯されもせず、穢れもせず。』

 

デビューの舞台でスポットが落ちてきた時も、幾つものチェリーを口にして悶々としていたついさっきまでも。私は二人に(もてあそ)ばれていたんだわ。

『殺されることもなく、絶頂を覚えることもなく。』

私はずっと、ずっとこの夢の中(愛撫)で喘ぎ続けていただけ。

 

独り、自慰(じい)(ふけ)っていただけ。

 

その快楽の(とりこ)になったのは私で、その快楽を与えているのも私。この心臓が止まるまで続く、女王様()の遊び。

 

そしてまた、三日月の猫と青目の兎の夢へと続いていく(to be continued)――――




自分の知識が至らなかったために解釈が追い付かなかった原作の歌詞も多々ありますが、自分の中ではこんな感じのお話ではないかと頑張って書いてみました。
出来上がった話が多少、自己満足的で、難解な点もあるかもしれませんが、どうぞご容赦ください。

順番が逆になりましたが、登場人物の紹介をして終わりたいと思います。
少女、女王の成長前『メアリー』愛称『ポリー』
女王、少女の成長後『アリス』愛称『エルシィ』
メアリーの親友、女王の白兎『ラヴィ』
メアリーの初恋相手、タキシードの紳士、女王の猫『チェスニー』愛称『チェシャ』
ラヴィの蜜蜂、女王の帽子屋『マット』
Bar『Masquerade』の主人、チェシャの飼い主『マルガレーテ』

※メアリーとアリスの愛称は英語圏特有の法則でそう呼ばれるみたいです。

最後までお付き合いくださってありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


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