サイト君、がんばる (セントバーナード)
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第一章 召喚の儀

女王陛下、駄目ですよ、駄目。いくらなんでも、それは無茶というものです。

「そう、よく分からないわ、私は3番目だと思うから」



 それは、トリスタニア王宮内の屋外練武場で行われた。

 使い魔召喚の儀。儀式の主は、アンリエッタ・ド・トリステイン。しばらく前に王冠を戴くようになったものの、その美しさは「トリステインの花」と称された王女時代と何ら変わらない。

 

 練武場には、不測の事態に備え、魔法衛士隊、女王直属の銃士隊、水精聖霊騎士隊が控える。さらに、各大臣、諸侯、官僚たる法衣貴族、王国におけるブリミル教の最高位たる大司教の姿も。

 皆、一様に口元を引き締めている。これから起きることの想像が付かないのだ。魔法学院で十四、五歳の学生が進級条件として実施する儀式とは訳が違う。国の、トリステイン王家の威信がかかっているのだ。

 

 

 アンリエッタはこの場に至るまでの数々を思い出していた。

 

 父亡き後、その友情に殉じる形で、宰相としてこの貧しい国を支え続けてくれたマザリーニ枢機卿。

「歴代の王が使い魔を召喚しなかった理由には、訳があるのですぞ。王の使い魔と家臣の順位付けはどうするのか? 王の使い魔を傷付けた者への処罰は? ドラゴンよりも巨大な魔獣が現れたら、その食費も尋常ではありません」

「王族の多くは熟練の魔法の使い手です。それゆえに高位の使い魔が現れるでしょう。トリステイン王家は代々、水魔法の使い手を輩出しております。水系統の使い魔なら、蛙、水鳥、魚? それらなら幸いです。しかし、マーマンやサイレーンが現れたら? はたまた、シーサーペントやクラーケンならどういたします? その飼育場所の設営も含めて国が傾きますぞ」

「けれど、貴族の範となるべき王が使い魔の処遇で他国に恥じるようなことはできません。これらゆえに、王は召喚を行わないのです。なにとぞ、考えを改めていただけますよう」

 

 マザリーニは王母たるマリアンヌまでも引っ張り出して説得に当たったが、アンリエッタは頑として肯んじなかった。「アルビオンはジェームズ王、ウェールズ皇太子が戦火に倒れ、チューダー家は途絶え、今も混乱の極みにあります。トリステインもまた同じです。「浅薄非才の身で王位に登りましたが、もし、私を狙う者があり、それが成功したならば、当家もこの国も滅びに面することになるでしょう。

「王家の盾となるべき魔法衛士隊もグリフォン、ヒポグリフは今や隊の形をなさず、残るのはマンティコア隊だけ。だからこその使い魔召喚なのです。身近にいて、私を常に守ってくれるものがこの非常時、絶対に欠かせません」

 

 理路整然と必要性を述べるうら若き女王。老練なマザリーニも「よくぞ成長なされた」と若干のうれしさをかみしめながら、その弁に屈するしかなかった。ただ、いざというときのために、屈強で精悍な兵を、ことの成り行きを国民に納得させるために、武官文官、諸侯ら主要な人々を立会人に付けさせることを条件にするのが精一杯だった。

 

 

 そして、今。

 

「我が名は、アンリエッタ・ド・トリステイン。五つの力を司るペンタゴン。我のさだめに従いし、使い魔を召喚せよ」

 

 相伝の王杖に据えられた握り拳ほどのサファイヤが水色の半弧を描くように見えた後、女王の前に銀色に光る枠が現れた。高さは約2メール強。大きさはその4分の1。とりあえず大海獣が召喚されることはなさそうだ。娘の召喚と王家の行く末を心配して参列していたマリアンヌ太后は、傍らに控えた宰相から安堵の息が漏れるのを聞いた。

 

 だが、吐息さえ聞こえるような静寂は突如、破られた。「おおおおおっ!」というどよめきが女王の右斜め前方20メイル周辺から上がったためだ。

 

 そこには、アンリエッタの目の前にあるゲートと同じものが出現していた。水精霊騎士隊の副隊長サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールの真ん前だった。

 

 状況を理解し、最初に動いたのは、近くにいたギーシュ・ド・グラモン隊長。貴族ならではの功名心と麗しき女王陛下とキスできるチャンスを逃すまい、という彼ならではの多大なスケベ心に煽られてゲートに歩を進めた。サイトの隣という地の利があっただけに迅速だった。だが、足早に歩を進めたものの、彼の熱意が実を結ぶことはなかった

 ゲートの奥はもやがかかったように見えるのに、その表面は目に見えない壁で覆われていた。前屈みでゲートに飛び込もうとしたギーシュは、額をガラスのようなものにひどくぶつけて目を回した。

 それを見て「どいてどいてどいて」と転がり込んできたのはマリコルヌ・ド・グランドプレ。「なんで、サイトばっかり」と嫉妬の炎で火だるまとなったマリコルヌは右45度の角度でゲートに飛び込み、そのままの勢いで左45度の方角にはじかれていった。

 

 銃士隊の隊列からは、隊長のアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランが「陛下の危機(主に貞操面で)」とばかりに進み出た。前二人の愚行を見ているだけに、ゲートの前ですっと右手を差し出すにとどめた。上から下まで、右から左までを触れたが、どの場所も硬質ガラスのよう。指一本、内部に入ることがない。

 

 誰も動かず、動けなくなってから数分が経過した。魔法力が費消され二つのゲートは徐々にその輪郭がぼやけて来る。

 サイトが左を向き、可憐な女王に視線を移す。まるで親とはぐれた子犬のような不安そうな瞳でこちらを見つめる女の子がそこにいた。

 

 

 背中のおしゃべりな剣が「覚悟を決めるしかなさそうだな、相棒」とささやいた。

 ピンクブロンドのご主人さまの怒った顔が目に浮かぶ。それでも、こちらを見つめる女の子を泣かすわけにはいかない。

 サイトは意を決して一歩、また一歩ゲートに向かう。あれだけ他の人を拒んでいたゲートはなにごともなかったように正当なるゲストを迎え入れた。

 

 サイトがゲートに消えてからおよそ10秒後、アンリエッタの近くのもう一つのゲートの内部が揺れた。そのもやの中にサイトの姿が浮かび、右足からゲートの外に足を踏み出した。「そう言えば、こけたりしないでこの門をくぐるのは初めてかな」。彼はどうでもいいことを考えていた。

 

 ゲートを抜け出したサイトは、アンリエッタの正面に立った。

 アンリエッタの頬はこれからのことを思って、軽く上気していた。使い魔にサイトを喚ぶ、という最初の賭けに彼女は勝利した。

 この賭けは本当に運否天賦だった。きっかけは、アルビオン王弟・モード大公の娘で、従姉妹に当たるティファニア・ウエストウッドがその想いの強さだけで、ルイズの使い魔であるサイトを使い魔にすることに成功したと聞いたからだ。

 ティファニアは虚無の担い手ゆえに成功したのでは? 使い魔一人に主人が二人というのも前代未聞だが、さらに加えて三人はあり得るのか? ゲートがサイトさんの前に開いたとして、ルイズを好きなサイトさんが私の使い魔になるのを承諾し、ゲートを抜けてくれるのか? さまざまな疑問と不安がアンリエッタにまとわりついた。しかし、サイトを使い魔にしない限りは、ルイズと対等の位置には決して立てないのだ。

 「サイトさんを慕う心はルイズにも、テファにも負けていない」。やるしかなかった。

 

 まっとうそうな理屈を付けてマザリーニを説き伏せた。マザリーニが安全のため、魔法衛士隊を控えさせることは想定のうち。そこに、銃士隊と水精霊騎士隊を女王直属の近衛だから、という名目で加えさせた。これで、もう一つのゲートがサイトさんの前に現れるか、その場で確認できる。サイトの前にゲートが開かれなければ、「気分が優れない」と言って、すぐに召喚の儀を取りやめるつもりだった。

 

 サモン・サーヴァントはメイジにとって基本中の基本の魔法であるにも関わらず、分からないことだらけだ。その仕組みは不可解ながら、想い人を呼び出せたアンリエッタはその賭けに勝ったと言える。この勝負に比べたら、次に控える人間相手の問題は、はるかに対処が容易だ。手も打ってある。目を三角にして怒り出しそうなルイズは、他の生徒とともに魔法学院に授業と言う名で幽閉中だ。

 

 

 

 「サイトさん、私の召喚に応じていただき、まことにありがとうございます。コントラクト・サーヴァントをしとう存じます。どうぞ、こちらへ」

 サイトをにこやかに招き寄せたアンリエッタは再び、王杖を掲げ、呪文を唱え始めた。その声は先ほどの召喚呪文と比べてはるかに大きい。練武場にいる全ての者の耳に届いた、アンリエッタの狙い通りに。

 

「我が名は、アンリエッタ・ド・トリステイン。始祖ブリミルの直系にして、王国トリステインを統べる者なり。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔にして生涯の伴侶となせ」

 

 「?」。最後の言葉にサイトがあっけにとられている間に、アンリエッタはサイトの頭をかき抱き、その唇を奪った。

 

 

 練武場あちこちから声が上がった。「えええええっ」「使い魔に加えて、伴侶?」「どういうことだ?」「陛下は何を?」

 

 

 喧噪がさめやらない中、ずっとサイトに口づけしていたアンリエッタが名残惜しそうに顔を放す。「これからはずっと、ずっと一緒ですわよ。サイトさん」。サイトにしか聞こえないように小さな声でささやいた。

 

 アンリエッタの野望が適ったと思った瞬間、サイトが膝から崩れ落ちた。その黒髪が地面に着きそうになるのをアンリエッタは両手で必至に押しとどめた。王杖は投げ捨てられ、純白のドレスが土にまみれるのも気にしなかった。「ドクター、ドクター!」。女王の悲痛な叫び声が練武場にこだました。

 

 

 

 

 

 




投稿小説は初めてです。プロットは完成しているので、最後まで書けたらいいな、と思っています。


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第二章 第3新東京

 サイトはもやの中にいた。先ほどのゲートの中との違いは、意識だけの存在になっていることだ。見聞きなど五感はあるものの体がない。目の前に差し出したはずの手がそこに見えない。心だけがふわふわと浮かんでいるような感じだった。「ああ、とうとう俺は死んじゃったのか」とも考えたが、さほどの衝撃はない。

 もやが薄れ、周囲が明るくなってきた。街がある。ビルがある。看板には漢字やひらがな、カタカナが使われている。

 「やった。日本に帰ってきた」とサイトは小躍りした、したつもりになった。実体がないのだから仕方がない。

 

 だが、大きな街なのに、人がいない。自動車はみな道路脇や駐車場に止まっているだけ。動いている車は一台もない。あまりにも不自然だった。高層ビルが林立する大都会なのに山脈に取り囲まれており、どこか近未来的な臭いがあった。サイトがルイズに召喚される前の日本の都市とは、何かが決定的に違っていた。

 

 サイトが少し不安になった矢先。車道を行く車を見つけた。猛スピードで突っ走る青い車だった。サイトが自動車に詳しかったら、アルピーヌ・A310だと見抜けただろう。とりあえず、この車について行ってみよう。意識体のサイトは難なく時速200キロ近くで走る車に追いついた。背後から、次々に爆発音が響いてきた直後、車はドリフト走行しながら急停車し、道路脇に立っていた男の子を拾った。白いワイシャツに黒ズボン。中学生らしい。

 

 それからは走馬燈のようだった。ここが第3新東京と呼ばれる都市であること、碇シンジという名のあの少年は、国連直属の超法規的武装組織ネルフに運用される人造人間エヴァンゲリオンのパイロットとして、ネルフ総司令の父親から呼び出されたこと。少年は、使徒と呼ばれる未知の巨大生命体と戦い続けたこと、最後は人間同士の争いに巻き込まれ、少年と同僚の少女パイロットを除き、人々はLCLという液体に変わり、人類も、文明も滅びたこと。どれもサイトのいた平和な日本からは想像もつかない状況の連続だった。

 

 大気圏外には、サードインパクト時に第2使徒リリスから噴出した血が今もアーチを架けていた。地に落ちた白いエヴァンゲリオン量産機9体が磔のような姿で風にさらされていた。その世界で、どれだけの日々が過ぎただろうか。血の色に染められた海のほとりで、あの少年パイロットは一人で寄せる波の方を向いて体操座りしていた。泣き果てたせいか、もうその頬に涙はない。

 

 ある日突然、その少年によって沈黙が破られた。「ぼくは碇シンジだけど、あなたは?」。

 これまで、この世界の人と接触しようとしてことごとく失敗していただけに、サイトは驚いた。シンジは言葉を続けた。「うん、存在を感じるんです。もし、よければ海の中で自分自身を強く意識してもらえませんか。LCLからあなたの体を再構成できるかもしれない」

 

 アドバイスに従って意識を海に沈めたサイトは自分を強く念じてみた。ほどなくしてサイトは海から上がってきた。青いパーカーにジーンズという服を身につけたサイトはハルケギニアでの姿のままだった。

 

 「サイト。平賀サイトっていうんだ。よろしく、シンジ君」。

 シンジの隣に腰掛けたサイトは、これまでの人生を語った。シンジのいるこの世界とサイトがいた地球と日本が大きく違っていること、ハルケギニアという魔法が支配する異世界に召喚されてルイズという名の大貴族三女の使い魔となっていること、諍いが、戦闘が、戦争があったこと、そして、今までのご主人様に加えて、新たに女王からも使い魔契約された瞬間、意識が飛んだと思ったらこの世界に来たこと、死んでしまったらしく、シンジが第3新東京に来たときからずっと見守る以外できなかったこと、などをじゅんじゅんと説明した。

 

 まじめな顔で話に耳を傾けていたシンジだが、「そのアンリエッタさまってやっぱりルイズさんやティファニアさんより美人なんですか?」。葛城ミサトそっくりのにやにや顔で尋ねてきた。

 (美人だけど、ルイズも美少女だし、テファも綺麗なんだよなあ)とサイトが思いを巡らして返事に窮している間に、シンジがもう一つ真剣な表情で質問を重ねてきた。「その世界に帰りたいですか?」

 「ああ、戻りたい。あの世界の人々と結んだ絆が今の俺を形作っているんだ」。今度は即答だった。

 

 「力になれるかもしれません。僕の手を取ってくれますか。あちらでもサイトさんを呼んでいるようですし」

 

 サイトは教えられたように、左手でシンジの左手を、右手でシンジの右手を取った。二人は両腕をクロスする形で握手した。「痛いかもしれないですが、少し我慢してくださいね」と言いながらシンジは力を込めた。ロンギヌスの槍のコピーでエヴァ初号機の掌を貫かれたときに、シンジの掌にも刻まれた聖痕。この聖痕がうっすらと熱を帯び、つないだ二人の手の中が光を放ち始めた。魔法のある世界にいたサイトは、神にも近くなったこの少年の力を借りれば、ハルケギニアに戻れることを直感で理解した。理解したからこそ言わねばならなかった。「俺が帰ってしまったら、シンジ君はこの世界でどうするんだ?」。サイトはズキズキする痛みを掌に感じながら口を開いた。

 

 「綾波とカヲル君からリリスとアダムの力と魂を受け継いでしまいました。望んでなんかはいなかったんですけどね…。だから、もう少し、この世界で僕の果たす役割を考えてみます」。

 

 掌からの光は、サイトがもう目を開けていられないほどの輝きになった。

 次の瞬間、サイトを構成した肉体はLCLに戻り、サイトの意識が飛んだ。浜辺の砂に残されたLCLの染みを見たシンジはつぶやいた。

 

 「さようなら、サイトさん」

 

 



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第三章 百合の間

 


 女王の目の前で倒れ込んだサイトは、王宮内の最上級の客間に運び込まれた。アンリエッタの厳命だった。

 体、特に頭を揺らさないように細心の注意を払って、レビテーションでゆっくりと動かされ、ベッドに横たえられた。水魔法に長けた名うての王家侍医団がディテクト・マジックやヒーリングなどさまざまな呪文を口ずさみながら、サイトの体を隅から隅まで探る。

 

 

 アンリエッタは、広い広い王宮内の準公務室である百合の間にいた。サイトが流行り病だった場合のことを考えると、国家そのものとも言える女王をサイトから引き離すのは当然だった。実際、幼少時代のアンリエッタも父王が病床にある時は、見舞い程度の短時間しかそばにいることは許されなかった。そのことをよく知っているアンリエッタは客間という名の病室を離れざるを得ず、百合の間に居場所を移した。数ある部屋の中から、この部屋を選んだのは、私室では客間から遠すぎること、公式の部屋では、煩瑣な作法無しでは部屋を飛び出ることがかなわなかったからだ。

 

 約3時間後、5人の侍医は診立ての協議を終え、代表して侍医長のバナクホーフェンがアンリエッタの前に進み出た。

「陛下、シュバリエ・サイトの容体について報告いたします」。バナクホーフェンは、王家が信頼する名医。その貢献から子爵に叙されている。不測の事態があっても動じない姿勢は、現場での長年の経験で培われたものだ。その初老の男が言った。「心臓、脳ほか各部位には損傷、炎症もなく、なんらかの病気にかかっている徴候は見つけられません。防御反応であると考えますが、体温、脈拍などの基礎代謝は、生命を維持するぎりぎりのところまで低下しています。この昏睡状況が長く続けば、生命力旺盛なシュバリエ・サイトといえども、3日ほどが限界かと。手を尽くしていますが、意識の回復の見込みは残念ながら……」。昏睡は、コントラクト・サーヴァントによる衝撃と考える以外にないが、練武場での一連の流れを知っているバナクホーフェンはアンリエッタを傷つけるだけと分かっているだけに、あえて口にはしなかった。「サイト殿へのお知り合いに今のうちから声を掛けておくのがよろしいか、と」。

 

 「ご苦労様でした。引き続きシュバリエ・サイトへの治療継続を命じます」。椅子に座ったアンリエッタがマホガニー製の黒光りする机の前から震える声で侍医長をねぎらった。この場に及んで「何が何でも絶対に救命せよ」と無茶を言うほど愚かではない。王家侍医団が最善の努力を重ねてきたことは、侍医長の顔を見れば分かる。わずか数時間で、バナクホーフェンの頬はこけ、目の周りは黒ずんでいた。各種魔法の使いすぎで精神力が枯渇したのだ。

 

 サイトの主、ルイズとティファニアへの連絡には、最速の風竜が用意され、腕利きの竜騎士がまたがって魔法学院に向かった。続いて二人を乗せて王都に連れ出すための龍篭もトリスタニアから飛び立った。

 

 

 「私のせいだわ…、自分の想いを通すわがままで、サイトさんをこんなふうにしてしまった。サイトさんまで失ったら、私はもう生きていられない…」

 

 王の責務たる各種書類へのサインはじめ、各種公務は滞っていたが、この日ばかりは、マザリーニも何も言わなかった。マリアンヌが女官を引き連れて、部屋を訪れた。サイトが倒れて以来、アンリエッタが一杯のお茶も口にしていないことをボルト侍従長から聞き、食事に誘いだすためだ。

 「アンリエッタ、あなたまでが倒れては、それこそ回復した時にサイト殿が悲しむことになるでしょう。すでに夕方、昼食というのには遅くなりましたが、とりあえず、一緒に食事を取りましょう」。マリアンヌは最愛の夫を亡くしている。娘を慰めるのに、自分の辛い経験が役立つことの不運を呪った。しかも、娘はいとこウェールズに続いて二人目だ。ウェールズとは互いに一国の皇太子、皇太女という立場で結婚ははなからかなわぬことをある程度覚悟していたから、サイトを失う衝撃はそれ以上かもしれぬ。

 

 

 母の誘いとあれば、アンリエッタも無碍にはできなかった。侍従に、サイトの容体についての報告が寄せられれば、すぐに知らせるよう頼み、百合の間を後にした。

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとティファニア・ウエストウッドが竜駕籠でトリスタニアに到着したのは、翌朝になった。本来、王宮に入るのには正門から幾つもの関門があるのだが、女王の命ですべてフリーパスだった。

 学院で二人は、オールド・オスマンらとともに竜騎士から即席の報告を受け、竜駕籠が来るまでの間に旅支度を整え、竜駕籠が到着するやすぐに飛び乗った。カーゴの中には、なぜかシェスタも蒼い顔をしながら座っていた。「私は…、私は女王陛下からサイトさん付きのメイドを言いつけられました。主人であるサイトさんのもとに向かうのは当然かと思います」。主人という言葉だけを強く、はっきり口にしたことに、ルイズはイラッとしながらも、あえて言い返さなかった。ここで、何かを言うと、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。実際、隣のテファはもう泣いている。「サイト、サイト、サイト…」とうわごとのように繰り返しながら。

 

 病室では、具無しのポタージュだけで朝食を終えたアンリエッタがベッドの横に椅子を置き、サイトの右手を両手で握っていた。見舞いは昨日同様、短い時間しか許されておらず、その間だけでもサイトを両手で感じていたかったのだ。

 

 

 病室に入ったルイズたちは、アンリエッタの前でひざまづき、臣下の礼を取った。「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール及びティファニア・ウエストウッド、王命によりまかり越しました」。アンリエッタに飛びかかりたいほどの思いを抱えていても、王宮内とあれば、そのルールに従うしかない。公爵家の三女に生まれついた時からしつけられたマナーは何よりも優先された。また、王宮内の席次では、アンリエッタの従妹ではあっても無位無官のティファニアより、女官に任じられているルイズの方が上になる。平民のシェスタは名前も呼ばれない。背後で平伏していても最初からいないものとして扱われるしかなかった。

 

 

 二人、いや三人に泣いて謝りたいのが偽らざるアンリエッタの本音だが、王の立場はそれを許さない。椅子に座ったままで儚げな笑みを浮かべ「よく来てくれました。ルイズ・フランソワーズ、そしてティファニア。我が伴侶、シュバリエにして水精霊騎士隊副隊長のサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールをどうぞ見舞ってやってください」。まこと、宮廷作法の模範となりそうなやり取りだったが、この少女らの内に込めた本当の感情を知る者は広いこの客間にいる30人ほどの貴顕の中でも、隅に控えたアニエスら数人しかいない。

 

 

 侍従に促され、アンリエッタは客室を出て行った。お付きの女官、護衛の者たちもそれにつき従う。サイトのそばに残ったのは、学院から来た3人と侍医らだけになった。最初に動いたのは、典礼やマナーに束縛されないシェスタだった。ベッドに横たわるサイトに飛びつき、「サイトさん、サイトさん」と泣き叫んだ。続いて、ルイズ、ティファニア。「許さないんだからね、早く目を覚ましなさい。これはご主人様の命令なんだからね」。ティファニアは二人にベッドのサイトを取られたため、アンリエッタが先ほどまで握っていた右手を取り、自分の頬に当てた。アンリエッタのぬくもりが残っていたはずだが、その温かみもどんどん失われていくのが余計悲しい。少女三人の狂おしいまでの悲しみぶりは、見かねた侍医が「容体に差し障ります。お控えください」と注意するまで続いた。

 

 

 

 

一方で、サイトの昏睡は、南に位置する大国ガリアとの摩擦も引き起こしていた。

 

 

 

 



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第四章 ガリア王国

 

 

 アンリエッタの召喚の儀は国内要人だけに伏せられていたが、国の中枢を担う人々が王宮に集められるイベントに駐トリスタニアのガリア大使館が気がつかないわけがなかった。そして、儀式の途中で召喚された虎街道の英雄・サイトが昏倒したことも。これにアンリエッタが取り乱し、喧噪のなかで終わった儀式、サイトの容体が思った以上に重そうであることなどは各国知るところになった。サイトとガリアの縁は深い。先代の狂王ジョセフとの死闘はガリア国民の語り草になっている。しかも、ジョセフの後を継いだシャルロット・エレーヌ・オルレアン(即位後、シャルロット・エレーヌ・ガリアと名を改めていたが)現国王の命を何度も救った恩人でもある。

 

 

 大使館は事の経緯を至急便で王都リュティスに知らせた。だが、まさか、その国王自身が乗り出してくる大ごとになるとは思ってもいなかった。報告は外務省に出したのに、返事はなぜか内務省から。しかも「シャルロット女王がお忍びでシュバリエ・サイトを見舞う強い御意向を示された。トリステイン外務部に連絡を取り、調整すること。なお、女王のお召し艦は護衛艦2隻とともに本日、リュティスを出立予定」とある。即位以来、もっぱら戦争で疲弊した国内の再建と掌握に専念していた新女王が外国に行くのは初めてだ。しかも、今回のお召し艦は通常のリシュリューではなく、高速フリゲート艦のシャトールノーだという。

 出発が昨日なら今日の夜にはこちらに到着してしまう。大使館は大使以下総出で、トリステインと折衝に当たることになった。非公式とはいえ、ガリアの誇る両用艦隊の3隻が到着するとなれば、随行の貴族、王宮内の侍従、護衛、女官に加え、艦船乗員で少なくとも800人を超える規模になる。その宿泊場所の確保と食事の手配、何より、艦艇の停泊場所をトリステインと詰めねばならない。今は敵国同士ではないとはいえ、軍船が他国の王都にそう簡単に足を踏み入れられるものではないのだ。しかも、両国の面子と威信がかかるだけに、間に立つ大使館の精神的疲労は生半可ではない。

 

 

 臣下である大使館員の激務をよそに、ハルケギニアを代表する大国ガリアの最高権力者となったシャルロットはすでに艦上の人だった。シャトールノーのデッキでサイトのいる北を見据えながら、王位に就いたことを心から後悔していた。「一人でシルフィードに乗れば、明日の朝にもサイトと会えたはず。復讐は確かに私の願いだったが、王位は望んでいなかった。どうしてこんなことになった」。傍らで使い魔が心配そうにこちらを見つめていた。が、今、一人でシルフィードにまたがってトリスタニアを目指すほど浅はかではなかった。女王に置き去りにされた艦隊では、責任問題となり、比喩的にではなく本当に数人の首が飛びかねない。それはさすがに避けたかった。それに、高速フリゲートを用いた理由もあった。もし、トリステインでサイトが治る見込みがないのなら、ルイズやアンリエッタを説き伏せてリュティスに連れて帰ることも考えていた。ガリアは魔法大国である。北の小国では治癒不能の病でもガリアなら回復するかもしれない。場合によっては、かつての縁を頼ってエルフに協力させることもやぶさかではない。相応の対価を求められるだろうが、シャルロットにすれば、それを出し惜しみする気はさらさらなかった。これらの理を説明すれば、感情を抜きにして、サイトを心から愛しているあの乙女たちは賛同してくれるとも考えていた。逆にルイズたちがリュティスまでついてくるかもしれなかったが。

 

 

 全速で風を切る両用艦隊の周囲はすっかり暗くなって久しい。今のシャルロットにできることは「サイト、私が行くまで無事でいて」と天空にかかる双月に祈ることしかなかった。

 

 

 

 

 「ガリア王国、シャルロット女王のおなり~」

 シャルロットがアンリエッタの王宮を訪れ、サイトの病室に足を運んだのは、ルイズより丸一日半遅れた。ひとえに魔法学院とリュティスの距離のためだ。お忍び、非公式の訪問とはいえ、外国のトップを迎えるにあたり、トリスタニアの各官僚は極度に緊張していた。何か粗相があれば、即座に外交問題である。「すべて略式で、簡素に」とはガリア側から言われていても、「はい、そうします」とは言えないのが辛いところだ。サイトの病室に当てられた客間が、王宮内でも最上級の部屋だったことがこの場合、ありがたかった。調度品などはすべて極上品が使われており、広さも、新たにガリア女王のお付き約20人を呑み込んでもまだ余裕があった。

 

 宮廷作法に基づき、アンリエッタ以外の者はみな、シャルロットに片膝をついて敬意を表す。アンリエッタも椅子から立ち上がり、歓迎の意を示した。両女王のあいさつもそこそこに、シャルロットがベッドに近寄り、サイトの顔をなぜた。「で、容体は?」 「意識が戻らないまま変わりません。医師の診立てでは、今夜がヤマと。」と憔悴しきったアンリエッタが応えた。シャルロットはサイト強奪作戦が不可能なことを悟った。ならば「邪魔にならないようする。今晩はここにいたい」。「ありがとうございます、シャルロット女王。シュバリエサイトも喜ぶか、と。ええ、もちろん私も今夜はここで過ごします」。

 

 

 

 女王同士のやり取りで決まったことながら、臣下の立場では異を唱えざるをえない。まず、口を挟んだのはガリアの外務副大臣カルヴァン伯爵だった。「陛下、長旅の強行軍でございました。シュバリエサイトの顔を確かめられたことでございますし、今夜はお休みになった方がよろしいか、と」 トリステイン侍従長のボルトも「いかに見舞いとはいえ、ベッドに男性が眠る中です。さらに、昏睡の原因も不明な中、長時間の病室滞在は陛下のご健康に差し支えます」。

 外務副大臣の忠言は、無表情のシャルロットに完全に無視された。だが、アンリエッタの強烈な反発に比べたら、まだその方がよかったかもしれない。「流行り病ではない、と申したのは当家の侍医団です。私にここを去れ、というのはその診立てを否定するに等しい。王家のスキャンダルが怖いのなら、そこもと達が全員、ここに残ればよいことではないですか!」

 

 かくして、ベッドの周囲は女王2人と伝説の虚無の使い手2人という4人の美少女で固められた。看護婦代わりとしてシェスタもその場にいることを認められた。いざという時に備え、侍医団がベッド足元からサイトの呼吸、脈拍を測り、女官がそのそばに。客室に付属する控室二間には人数分の椅子が用意され、トリステインの中枢、ガリアの随行団がそこに下がった。

 

 

 二人の女王はベッド両サイドにしつらえられた椅子に座った。アンリエッタは布団から出されたサイトの右手を、シャルロットは左手を握りこみ、それぞれ顔近くに当ててサイトの回復を祈る。虚無の二人もその下座、ベッドの中ほどにあってサイトとの思い出をかみしめつつ「早くよくなって」とそれだけを願う。

 

 

 

 

 「ああああああああああっ!」

 

 異変に最初に気がついたのは、ベッドの足もとに控えていたシェスタだった。女王二人が握りこむサイトの両掌から薄い光が漏れ出ていたのだ。二人の女王は瞑目していたため、その光には気がつかず、虚無の二人も眠り込むサイトの顔だけを見ていたため、反応が遅れた。ガンダールフのルーンをその左手に刻み込む役目を果たしたルイズが叫んだ。「姫様、手を放してはなりません。使い魔の契約が今、なされようとしています。サイトを呼び寄せて。目を覚まさせるのです」。ルイズの叫びに応えるようにアンリエッタも、シャルロットも愛する人の手を一層、大切に包み込んだ。「「「「「サイト!(さん!)」」」」」。その間にも光はどんどん強くなる。

 

 主間での喧噪に、控室で居眠りを始めていた両国の貴顕もどどどどっと姿を現した。虚無の使い魔の両掌から溢れる光は部屋全体を照らし出し、夜にもかかわらず、まるで真夏の太陽の下のような明るさをもたらしていた。さらに光はまぶしくなり、誰も目を開けていられなくなった瞬間、間の抜けた声がして、光が消えた。

 

 

 

 

「あれっ、みんなどうしたの?」

 

 5人の少女は一斉にベッドにダイブした。しかし、標的は一つ。乙女たちは側頭を、頬を互いにぶつけながら、サイト周りに、美しい5輪の花を半円状に咲かせることになった。

 

 

 

 

 



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第五章 ルーン

 

 

 とりあえず、この夜はサイトを一人で安静にさせることが侍医団からの強い要請だった。立場上、母国と隣国の君主に対して、そうそう言えることではないが、医師という職責が背中を押した。何せ、患者は昏睡から回復したばかり。脈拍、呼吸、体温はいずれも平常値に戻っているが、再発する可能性は皆無とは言い切れない。できるだけ刺激を与えないに限る。もういちど昏睡に陥っても、医師団には手の打ちようがないのだ。

 

 

 「そうですわ、姫様。サイトのことを考えれば、いつも通りにさせるべきです」。侍医団の方針に真っ先に賛成したのは思わぬことにルイズだった。彼女の普段の言動からすれば反論するのが当然のようだが、彼女なりの深い思惑があった。「で、学院でも、オルニエールの館でも私の隣にいつも寝かせています。何せ、私の使い魔ですから。おほほほほ。皆さまはどうぞお引き取りください。今晩は私が見守ります」。やっぱりルイズだった。思惑はあまり深くはない。

 「じゃあ、私も一緒ですね、ミス・ヴァリエール」とシェスタ。その笑顔には決して出し抜かせないぞ、との決意があふれていた。

 先ほどまでの憔悴ぶりが一掃され、戦う顔になったアンリエッタがルイズに挑む。「あら、ルイズ。勘違いしているようですが、サイトさんは私の使い魔にもなってくださったのです。それに、学院に出した竜騎士から、コントラクト・サーヴァントで私の伴侶になることを聞きませんでしたか。やはり、ここは将来の妃が病み上がりの夫を支えるべきでしょう」。

 使い魔と主人の関係では、ティファニアも二人と同じ立場のはずだが、気の優しい彼女は火花散る争いについて行けず「あうあうあうあう」とうめくだけだった。

 

 劣勢に立たされたのがシャルロットだった。彼女には使い魔契約はなく、しかもここはトリスタニアの王宮。言わば、敵地だ。このままではまずい。冷静に考えを巡らせた彼女は一度は捨てた「サイト強奪作戦」に活路を見いだした。「サイトは私にとって、ガリア王国にとっても恩人。聞けば、今回の昏睡の原因は不明のままだとか。ガリアは、治癒魔法には長年の蓄積がある。決して、トリステインの医療水準を貶める考えはないが、ここは暖かなリュティスで静養に努めるべき。幸い、私が乗ってきた船には、王族専用の医務室が付属している」。

 四人は「このちっちゃいの、両用艦隊を動かしたのは最初からそのつもりだったのね。油断も隙もないわ」と心の中で悪態を吐く。アンリエッタは、にこやかな笑顔で「過分なお申し出に感謝します。ですが、サイトは私のシュバリエにして、当国騎士隊の副隊長。本人も決して他国に渡るのを良しとしないでしょう」。

 

 

 

 「ここは私が」「では私も」「いえいえ私が」「あうあうあうあう」「やっぱりリュティスへ」ー。

 壮絶な堂々巡りは、青筋をこめかみに浮かべたバナクホーフェン侍医長が「皆様方、どうぞお引き取りを」と一喝するまで止まらなかった。

 

 

 

 

 頭上で繰り広げられる「女の戦い」をよそに、サイトはシンジのこと、赤く染まった地球のことを考えていた。

 聞けば、アンリエッタとのキスの後、自分は三日間昏睡していたという。ならば、夢かとも思うが、リアリティがありすぎた。サキエルから始まる数々の怪物と人類との死闘、エヴァ初号機に握りつぶされて落ちる渚カヲルの首、ネルフ本部で殲滅戦を展開する戦略自衛隊…。いずれも血しぶきが自分の顔にかかるようにまざまざと思い出される。加えて、体にも異変を感じていた。ルイズに召喚される前はただのアキバ好きの高校生。こちらに来てからはガンダールフの力で身体能力が飛躍的に向上した。たが、頭脳は全く別だった。いまだハルケギニアの文字さえ解しない。

 

  しかし、今はなぜか、とてつもない量の知識が大脳皮質に刻まれていた。授業で苦手だった微分積分どころではない。線形代数やローレンツ方程式まで理解できるようになっていた。シュレーディンガーの波動方程式、碇ユイの専門だった形態形成上生物学理論までもが頭の中にあった。「魔法の力で人間が宙に浮く。固定化だの、錬金だのも物理法則から完全に外れている。一般相対性理論や量子力学を駆使しても、これらの現象を解明するのは不可能だ。この世界では、重力、電磁気力、弱い力、強い力の自然界に於ける四つの力以外に未知の力が存在するとしか考えられない。重力子、光子、ゲージ粒子以外のなんらかの粒子がメイジの精神力を媒介にして隆起し、対象物と交換されているのだろうか。待てよ、そうならば、ハルケギニアでは量子が粒子と波以外にも、なんらかの形状を取りうる蓋然性まで考慮に入れる必要があるな」。サイトは確実に賢くなっていた。だが「まあ、いいや。めんどくさいことは明日に回そう」。根っこの部分は変わっていなかった。

 

 

 

 

 やむなく少女たちがこの部屋を引き上げる。トリステイン、ガリア両国のお付きの者もホッとした表情で付き従う。だが、部屋を出る寸前、ルイズが歩を止め、ギギギとサイトの方を振り返った。「駄目よ、あんたも出るの」とベッドの隅に向かって吠えた。ベッドの死角からしぶしぶ立ち上がった影が「でも、私は勅命によるサイトさんのメイドですし。体を拭いたり、髪をくしけずったり、あれやこれやのお世話をしなければ」。(2人だけになってしまえばこっちのもの)というシェスタの陰謀を見破ったルイズは「その言い訳は今回ばかりは効かないわよ、ここにいらっしゃる姫様もお許しにならないわ」。腹黒メイドの野望は天敵の虚無によって潰えた。

 

 

 

 

 

 

 

 やっと静かになった病室。侍医団が用意した食事が目の前にあった。三日間動いていなかった胃腸への負担を考えて、出されたのはミルクに浸されたオートミール。流動食だった。食器とスプーンを取ろうとして、サイトは初めて気が付いた。右手のうちには「ADAM」、左手には「LILITH」の文字が刻まれている。

 

 

 

 

 「おれもいらないんだけどな、これ」とつぶやいたサイト。赤い世界のシンジを少しだけ恨んだ。

 

 

 

 

 

 



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第六章 ラベンダー密約

 

 サイトが一人でオートミールをミルクで胃袋に流し込んでいるころ、王宮内の小広間では、簡素ながらガリア一行を招いての夕食会が開かれた。もう夜中に近いのに「夕食会」という名称にされたのは、急な訪問で晩餐会にふさわしい料理が用意できなかったためだ。 

 

それでも、アンリエッタの好みの角羊のスープ、シャルロットの大好きなハシバミ草のサラダがメニューに加えられたのは、トリステイン王室大膳部の矜持と言えた。

 

 

 

 

 アンリエッタがサイトの病室を追い出され、この小広間にガリア一行を迎えるまでの間に、私室にボルト侍従長と女官長の来訪を受けていた。女官長はフォントネ侯爵夫人。マリアンヌより10歳ほど年長で、カバリュスという旧姓からを含めれば40年近くを宮廷ですごしてきたベテラン、宮廷作法の生き字引だ。細身の銀縁眼鏡は両端がつり上がり、性格のきつさを感じさせる。アンリエッタが「ルイズの姉君も将来、こうなるのかしら」と普段から考えているのは内緒だ。

 

 その女官長が「陛下、私は悲しゅうございます」といきなり泣き始めた。

 召喚の儀から先ほどの病室での振る舞いまでで、アンリエッタが口にした伴侶、妃、夫などの言葉の数を、女官長は指を折って数え上げた。

結婚はおろか婚約もしていない淑女が一方的にこれらの言葉を口にする。しとやかさも恥じらいもない。フォントネを筆頭に女官がアンリエッタに作法をお教えするのが不十分だった結果で、国と王家から大恩を受けているにもかかわらず、その職責を果たせなかったことがまことに口惜しい、と涙をこぼした。

 

 ボルトも口を添えた。「ゲルマニアのアルブレヒト3世との婚約を解消し、陛下のご成婚はあらためて国家の一大事となりました。人選から婚約の儀、そして成婚に至るまでは、数々の典礼、諸国との外交、ロマリアの承認などハードルが控えておりまする。その中で、陛下ご本人がお相手をご指名、公言するなどもってのほか。そもそもシュバリエが陛下のお隣に立つなど、過去に聞いたことがございません」。さんざんのお小言だった。

 「それに、シュバリエサイトが陛下の求婚を受け入れたとは寡聞にして知りませんぞ」。

 

 この一言は、ルイズやティファニアに対して自分がなんのリードもしていないことを想起させ、女王のコンプレックスを著しく刺激した。今晩のやり取りを聴く限り、新たにガリア女王も参戦するつもりだろう。焦りは普段のアンリエッタからは考えられないような攻撃的な姿勢を取らせることになった。

 

 

 「確かにサイト殿からまだご返事をいただいておりません。ただ、それはサイト殿が直後に倒れられるという想定外の事案があったため。サイト殿が私を拒むとは考えられません。なぜなら、召喚の時を除いてもサイト殿とは四回、口づけを交わしておりますゆえ」。

 アンリエッタがやや早口でこのことを告げたとき、「バタン」と目の前で音がした。フォントネ侯爵夫人が卒倒したのだった。近くにいる女官が上司に当たるフォントネ侯爵夫人の介抱を続ける間にも、渋い顔をしているボルト侍従長との会話は続いた。

 

 「サイト殿を伴侶にする、とは召喚の儀における私の誓い。始祖ブリミルの名は、トリステイン大司教も聞かれたはずです。サイト殿を夫にせぬとは、王自らがもっとも重要な誓約を破ったことになります。場合によってはロマリアから異端の疑いをかけられることにもなりましょう。私の思いは、何としても国の総力を挙げてでも実現しなければならないと思います」

 「しかし、侍従長、女官長の申す事もそれなりに理があるようです。これからは言葉遣いに気を付けることを約束いたしましょう」

 

 

 

 小広間での小宴は、ガリア側からの正客がシャルロット、大使など五人。トリステインもそれに合わせ、アンリエッタと奥向きの者たちによるメンバーとなった。ガリアには随行筆頭となったカルヴァン外務副大臣がいるが、トリステイン側からは王政府の要人を出席させないことは、非公式訪問が決して政治的意味を持たないことについての暗黙の了解事項だった。それゆえ、ルイズ、ティファニアも友人との立場で同席を許されていた。

 

 

 ホストとしてあいさつに立ったアンリエッタが形式通り、まずはシャルロットの来訪を悦んだ。だが、続く台詞にボルト侍従長が心の中で頭を抱える羽目になる。サイトのことについてである。いわく「わが右腕とも頼むシュバリエ」「唯一無二とも言えるわが水精霊騎士隊の副隊長」「はるか東方の国より訪れ、我が国のために粉骨砕身の努力を惜しまない、大切な人」「わが召喚に応じ、銀のゲートを潜り抜け、わたくしの前に現れ、深きちぎりを結びし殿方」。

 

 確かに、伴侶、夫などの言葉は侍従長らとの約束通り一切使っていない。しかし、そのさくらんぼのような愛らしい唇から放たれる言葉はいずれも、サイトとアンリエッタが特別な関係にあることを暗喩するものばかりだった。

 

 「幸いに、シュバリエ・サイトはその高き、深き心により、回復へ歩み始め、わが王国、王家、何より私の暗雲は払われることになりました。今後ともトリステインの礎となってくれることでしょう」と締めたスピーチ。シャルロットに対して「はよ帰れ」と言わんばかりの内容だった。末席のルイズは当然ながらホストのスピーチに反論することは許されない。その一言一言に、顔を赤くしたり青くしたりするしかなかった。アンリエッタの話を額面通りに受け取ったティファニアはただひたすら感心していた。

 

 

 答礼のスピーチのため、シャルロットが起立する。

 今回の訪問で両国の友誼が深まったことを悦んだ上で、自分が来たことでサイトが目を覚ましたことを「偶然とは思えない」と述べた。タバサという偽名でトリステイン魔法学院に留学していたおりにサイトとの交流が始まったことを告げる。望まぬことであったが、母の命を質に取られ、サイトと命を賭けて戦ったこと、最終的にサイトに敗れたが、自分を許してくれたこと、その折りにサイトのわき腹に大けがを負わせてしまい、その傷跡は今も私の負い目になっていること、アーハンブラ城に幽閉され、心を失う寸前だったが、サイトがすべてを捨てて救い出しに来てくれたことを言葉数は少ないながら感動的に紹介した。アーハンブラ城救出作戦では、ここにいるルイズやティファニアも大きな役割を果たしたのだが、当然のごとく一切触れない。ルイズはここでも赤くなったり、青くなったりした。ティファニアはまるで吟遊詩人の語りを聴くように感動している。

 

 最後は「恩人であるサイトとの絆はどのような力をもってしても切れることはない」と述べ、アンリエッタの狙いに釘を刺すことを忘れなかった。

 

 

 外交儀礼に身を包んだ、激しい言葉の戦争はこのように始まり、そしてうたげは果てた。少女たち以外の出席者は疲労困憊し、シェフが腕によりをかけた主菜の数々の味もよくわからなかったという。

 

 

 

 「シャルロット女王、私の部屋で食後のお茶でもいかがでしょう? 魔法学院時代の積もる思い出もおありでしょう。ルイズ、ティファニアも交えて」。

 

 茶会の出席者は女王二人に、虚無の使い手二人。給仕には、サイト専属メイドのシェスタという平民が特別に呼び出された。これら五人以外はアニエス隊長でさえ、同室を許されなかった。室内には厳重にサイレントが掛けられ、廊下側の扉には、トリステイン魔法衛士隊マンティコア隊隊長のド・ゼッサール、ガリア東薔薇騎士団団長のパッソ・カステルモールの両名が並んだ。

 

 

 

 後世、部屋の名を取って「ラベンダーの密約」とも「第一次直上会戦」とも呼ばれることになった歴史的茶会である。が、そこでの内容は詳しく伝わっていない。

 

 

 

 

 

 

 



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第七章 王宮前広場

 

 

 サイトが目を覚まし、彼を取り巻く人々、もっとはっきり言うなら彼に恋する乙女たちがうれし涙をこぼし、新たな戦端を開くことになった翌朝。王宮の警備部門は異状事態出来に右往左往することになった。

 

 

 

 「宰相、昨夜から王宮前広場に平民が群れをなして動きません。その数増えて、およそ一万五千」。

 異変は前夜に始まっていたが、マザリーニに報告されたのは朝になってからだった。

 警察業務を担当する内務大臣フーシェがいらついた表情を見せた。一万五千とは、トリスタニアに住する平民のおよそ四分の一にも当たる。日々の仕事に追われるはずの民衆がこれだけ集まることは、未だかってなかったことだ。

 

 

 「オートラント伯、民衆は何のために」

 「あのシュバリエふぜいが死にそうになっていることをどこかから聞きつけた平民どもが早期回復、無事を願って集まったようですな。奴ら平民どもがどれだけ祈ろうが、何の役にも立たぬだろうに」。オートラント伯爵フーシェは、貴族至上主義を口にしてはばからぬ人物だった。

 

 「伯爵、少々言葉が過ぎませぬか。貴公も練武場での陛下のお言葉を耳にしなかなかったわけではありますまい。それに民がサイト殿の無事を祈るだけならさほど問題とも思えませぬが」。マザリーニは軽くたしなめつつ、民衆の行為を擁護した。

 

 「話はそれほど簡単ではありませんでな。平民の中に不穏な噂が飛び交っているようで、一部が騒ぎを起こしそうなのです」

 

 

 

 アンリエッタの召喚の儀に集められたのは政府の高官、教会の高位僧職者、諸侯などに限られた。情報公開、説明責任などの概念とは無縁のトリステインでは、公の宣布や高札より情報伝達に力を発揮するのが口コミだ。その問題となった召喚の儀式に平民はいなかった。だが、予想外の儀式中断で、早々に退席した貴族らが王宮から下がる時、馬車に乗り込む時、王都別邸に帰った時などに従者や小物、使用人にもらしたことが二日掛けて徐々に平民に広がっていたのだ。

 

 

 

 「御前試合に出たサイトに客席にいた貴族が卑怯にも背後からライトニングを浴びせ、意識不明の重体にした」

 「いや、襲ったのは火の系統のメイジで、使ったのはフレイムなんとかという大きな炎だったと聞いた」

 「王宮で陛下の暗殺を狙った謀反が起き、陛下を守ろうとしてその盾となって倒れた」

 「前国王の仇を討つため、ガリアが軍艦を派遣してサイトの引き渡しを求めてきた。女王陛下は当然、お断りになった。しかし、戦争も辞さないガリアの圧力はもだしがたく、陛下のおおみ心を察し、サイトが毒をあおった」ーなどなどである。

 

 ガリア女王がサイトの引き渡しを求めたこと(動機は正反対だが)以外は、いずれも根も葉もない流言飛語の類いだった。しかし、サイトの身を心配する人々が自発的に広場に集まり、その回復を心から願っていたのは事実だった。

 

 

 はるか東の国からやってきた黒髪の平民は、そのたぐいまれなる剣術をもって、トリステインの苦難を、敬愛する女王陛下の危機を何度も救った、という話は、戯曲化された舞台、絵本などを通じて広く国民に知れ渡っていた。一部では名前が「ヒルガリ・サイトゥーン」などと当地風に訛ることもあったが、少年とも言える平民がメイジもできなかった大活躍をしたという英雄譚は市民の心を揺さぶるに十分だった。

 

 実際にアルビオンでの退却戦で敵軍を一人で足止めしたサイトの功績によって命を救われた人もいる。

 群衆の一角は確実にこれらの人々が占めていた。チクトンネ街に「魅惑の妖精亭」を構えるスカロン、その娘ジェシカをはじめとする妖精さんも昨夜は早々に店を閉め、総出で繰り出していた。いずれもサイトがいなければ、アルビオンの土になっていたかもしれぬ身だ。普段から貴族の横暴、平民への蔑視を身をもって知っているスカロンは、街に流れた噂を「単なるデマ」と切って捨てることはできなかった。領地持ちになったサイトに、身の安全を図るため、姪のシェスタをそばに置くことを進言したのは何より彼だったからだ。

 

 

 

 

 

 (サイト、サイト、サイト)ー

 

 

 朝になって群衆の中から発せられた祈りは声になり、皆が口を合わせ、徐々に音量を上げていった。

 

 

 

 「サイト、サイト、サイト」。

 

 

 王政府内にいる貴族にもどよめきが聞こえ始め、内務大臣フーシェは三つの中から選択を迫られることになった。蹴散らすか、警戒しつつ様子見に徹するか、それとも、サイトが快癒したと王政府から発表して解散させるか。ただ、女王による召喚時のトラブルを公表できない中、政府の発表を群衆がそのまま信用するかどうかは別問題だが。

 

 

 フーシェが宰相に相談したのは、貴族同士の足の引っ張り合いを勝ち抜き、出し抜いて、出世を遂げた彼にとっては当然の行動だった。広場で不測の事態が起き、責任が問われたときに宰相を道連れにとは言わないまでも、後ろ盾にするためだった。

 

 

 

 

 だが、宰相の判断はそれらのいずれでもなかった。

 

 

 

 



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第八章 宰相マザリーニ

 

 

 マザリーニは昨夜の女王私室と夕食会でのやりとりの克明な報告を受けていた。その上で、フーシェには渦中の人物を隠すのではなく、国民の前に立たせることを提案した。

 

 目の前に座る男のように、異国から来た元平民に敵意を持つ貴族は多い。だが、国民からサイトに寄せられる圧倒的な支持を見せつければ、陰謀や直接的な攻撃から少しはサイトを守ることにつながるのでは、と考えたのだ。フーシェにこのことを告げれば、いらぬ反感を募らせることは明白であり、むろん、そこまでの説明はしない。

 

 

 「今回の案件で、けが人を出すような対応はもってのほかですぞ。このまま捨て置くわけにもいかず、さりとて中途半端な説明で解散させるのも逆に民衆との溝をつくる可能性が高い。いずれも国家にとってよろしからざると言わざるを得ません」と、平穏第一が使命の内務省の泣き所を突く。

  「シュバリエサイトの意識は戻り、すでに通常の状態にまで回復している由。なれば、陛下の許可を求めた上でですが、本人に王宮バルコニーに立ってもらい、その健在ぶりを国民に見せるのがよろしかろう」

 

 サイトの人気がさらに上がることは容易に想像が付いた。しかし、広場の民衆を混乱無しに解散させる最善の方法には違いなく、警衛を担当する内務大臣のフーシェとしては癪ではあるが、その提案を受け入れるのが得策に思えた。

 

 

 

 

 

 若き女王が一本立ちしたとは言えず、マザリーニの激務はいまだ続いていた。繁忙の中、件の少年との会話回数は五指に足りない。だが、サイトになぜか好感と共感を抱くようになっていた。

 

 一つは、ともにトリステインの外から来た平民という来歴。

 

 二つは、にもかかわらず、トリステインを、アンリエッタを支えようという姿勢。

 操られたウェールズ王子の亡骸が語る誘惑で王宮から連れ去られたアンリエッタ。追走の際、ヒポクリフ隊は潰え、その王女を奪還したのはこの少年とその主らであった。

 負け戦となったアルビオンでの撤退戦。七万の敵軍を単身で食い止めたサイトの奮戦がなければ、王女だったアンリエッタも空中に浮かぶ島でレコン・キスタの虜になっていたやも知れぬ。その場合、国王候補を人質にされたトリステインは、かの悪党らの言いなるになるほかなかった。思い出すだに身震いが起きる。

 また、ガリアの狂王ジョセフの血にまみれた謀略をたたきつぶしたのもこの少年だった。

 これら数々の功績に報いるには、伯爵に叙してもいいはずだが、いまだシュバリエのまま。しかも、それを本人が恨むそぶりもない。

 

 三つは、澄んだ黒曜石のような瞳が発する真っ正直な意志の強さ。 友達(今のガリア女王だが)を救い出すために領地もシュバリエのマントもすべて返上する身の処し方。加えて、彼の者が「ゼロ戦」と呼び、タルブの民が「竜の羽衣」と言い習わしてきた飛行機械を操れる唯一の者である。この国では、今もあの仕組みは解明できていない。この国の慣習と常識を身にまとえば、その東方の知識と合いまって大化けする可能性を秘めていた。

 

 

 平民が貴族になる一点だけで東の強大国ゲルマニアをさげすむトリステイン。この国をかつてのような強国に変えるのは、あの者がアンリエッタとともに立つこと以外にないのではないか。ゲルマニア皇帝との婚約解消以来、自薦他薦でアンリエッタの夫になろうと売り込んでくる高位貴族やその息子には事欠かなかった。だが、その頭には、自家の繁栄、自身の出世はあっても、トリステインの未来はまるっきり存在していなかった。彼らに比べれば、サイトの方がはるかにアンリエッタにふさわしい。いつの間にか、マザリーニはサイトを高く評価するようになっていた。

 

 

 

 「では、女王陛下の裁可は私から得ましょう。内務大臣にあっては、民衆をいたずらに刺激することなく、シュバリエサイトを待つよう、配下に厳しく申しつけくだされ」とマザリーニは言い渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 サイトの無事を祈る声がこだまする中、広場に向かって備えつけられた王宮三階の出入り口が開いた。広場の目がそちらに引きつけられたとき、ジーパンに青いパーカーという普段通りのサイトが室内から現れ、バルコニーに立った。広場最前列とはわずか数十メールしか離れていない。

 

 待ち望んでいた元気なサイトの姿に、歓声とも悲鳴ともつかぬ叫びが広場を覆い尽くした。「普段着でバルコニーに立って、手を振ってくれればよい」とだけマザリーニから頼まれていたサイトにとっては、驚きの出迎えである。

 

 しばらくして、再び、王宮の出入り口が開き、中からアンリエッタ女王が歩み出し、サイトの左に並んだ。「サイト万歳!、サイト万歳!」の歓声が「トリステイン万歳!」「女王陛下万歳!」に替わるまでさほど時間はかからなかった。

 

 

 もう一度、窓が開き、背丈ほどもあるワンドを抱えた少女がサイトの右に立つ。

 短めの青い髪の上には、ダイヤ、ルビー、エメラルドに装飾された宝冠。冠の上部はビロードの布で覆われ、金銀プラチナによるアーチが架かる。公爵や侯爵、伯爵ら貴族のコロネットとは、段違いの格を示すもの、国の頂点に立つ者しか許されないもの。王冠にほかならなかった。

 その王冠の宝石類も、サイトを挟んで隣に立つアンリエッタのクラウンより少しずつ大きい。

 

 民衆の「誰?」との疑問は、そこかしこからの「ガリアの新女王だ」との回答で沈静する。歓呼の声に新たに「ガリア万歳」が加わった。

 

 

 

 さらにもう一度、窓が開く。ウィンブルと呼ばれる白い頭巾で顔以外を覆った美少女二人が一緒に登場した。同じ純白の修道服に身を包んでいるが、ボディラインの差は隠しようもない。それぞれ、トリステイン、ガリアの女王の隣に進んだ。

 広場にいたスカロンが「虚無の担い手!」と声を上げる。「ルイズちゃん」と叫ばなかったのは、ルイズらが女王の隣に立たせられる政治的意味を理解したからに違いない。だてに酒場経営者を長年やっていない。場を読める漢スカロンの声に触発されるように、周りからは「始祖の巫女だ!」との歓声。「聖女万歳! 聖女万歳!」の声が歓呼の数に重なった。

 

 

 

 

 

 

 バルコニーから手を振って民衆に応える、サイトと四人の美少女。

 

 

 眼下に広がる民衆の笑顔。サイトは「おれが元気になったのをこんなに喜んでくれているのに、手を振るだけでいいのかな」と考えた。元からのお調子者。もっとサービスしなければ。背中に負う魔剣デルフリンガーの柄を左手で握り、剣先を青空に突き立てた。

 

 

 

 盛り上がる民衆。気をよくしたサイトが再び、剣を真上に伸ばし「オーッ!」と気合いを掛けた。

 

 その瞬間だった。サイトの左手のうちが輝き、柄から剣の身ごろへと走った光は剣先から飛び出し、青い空をどこまでもどこまでも伸びていった。同一波長にそろえられ、増幅された可視光線。膨大なエネルギーを有しながら、大気、水蒸気による散乱はごくわずかにとどまる。成層圏まで達した光は遠く魔法学院からも観測されたという。

 

 

 

 呆けたようにサイトを見つめる両隣の女性ら。そのサイトも唖然としていた。

 「なんで、おれがレーザー光線を撃てるんだよ?」

 

 

 

 広場は一瞬の静寂の後、これまでで最大の音量で「サイト!サイト!」の歓声が上がった。

 魔法が支配するハルケギニアで、今まで誰も作ったことも見たこともない集束光。集まった民衆を楽しませようと、サイトが何か手品をしたに違いないと判断したようだ。

 

 実はその破壊力は、虚無の魔法・エクスプロージョンをも上回るものであったのだが。

 

 

 

 

 

 

 女王二人と虚無の担い手二人と並ぶ平民の英雄サイト。

 彼に新たな伝説が加わったものの、その力にサイトは困惑していた。

 

 

 

 

 

 



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第九章 王立魔法研究所

 

 

 サイトが王宮内の病室を出るには、バルコニーでの新たな伝説から三日必要だった。

 

 侍医団の仕事は早々となくなったのだが、新たにサイトの両掌に刻みつけられたルーン調査のため、王立魔法研究所が病室に入ったのだ。サイトは初めての召喚時にコルベール先生から「ガンダールフ」を模写することの許可を求められたことをうっすらと思い出していた。

 

 調査の結果、ルーンの刻印は、女王のコントラクト・サーヴァントによることは明らかになったが、その解読と使い魔への能力付与の解明はお手上げだった。

 その記号は、ハルケギニアで使われている文字との類似性は認められたものの読み方さえ分からなかった。各専門家が研究所内の文献を当たったものの該当する例は皆無だったのだ。

 

 それなら、サイト本人に訊ねればいいのに、入れ替わり立ち替わり病室を訪れた所員は「異国の元平民に分かるわけがない」と決めつけていた。また、サイトもこの件で口を開く気はまったくなかった。

 結局、魔法研究所は「現状不明、継続調査」との報告をアンリエッタにするしかなかった。アンリエッタも「コントラクト・サーヴァント」の成功を確認できただけで良しとした。サイトとのきずなが魔法学の権威に認められたことがうれしかったのだ。

  

 

 シャルロットはバルコニーでのお出ましの翌日、後ろ髪をひかれる思いでリュティスに戻って行った。別れ際、「また今度」とサイトの頬に軽いキスをしていった。

 

 ルイズとティファニアも抵抗したものの魔法学院に帰らされた。サイトが回復した今、虚無の担い手、聖女とは言え、学生である二人がトリスタニア、王宮に尻を据える理由がなかったのだ。もちろんシェスタも。

 

 

 

 

 

 かくして、アンリエッタの天下が訪れた。

 

 

 

 と、考えるのは早計であった。

 

 

 

 

 

 「なぜ、我が使い魔となったサイト殿をそばに置くのが問題なのです」。

 

 

 

 アンリエッタがマザリーニ、ボルト侍従長に抗議の声を上げたものの、今度ばかりは二人の臣下も理論構築をしていた。

 「使い魔だけならその通りにいたしましょう。陛下が召喚の儀を開くに際して仰せになった目的がそのすべてならば」。

 「しかし、陛下はあの後、『生涯の伴侶』と述べられました。なら、結婚前の男女が果たすべき当然の責務がございましょう。王族ならなおさらでございます」

 

 

 アンリエッタの軽はずみな行動を制止するとともに、シュバリエサイトにも相応の教育が必要であると釘を刺したのだ。  

 

 子供のころから知っている二人の忠臣の言葉に耳を傾けるだけの余裕がアンリエッタにはできていた。何せ、邪魔な三人はいない。

 それに、将来はこの国の王になってもらう予定だが、今のままでは不都合が多いのも事実だった。魔法学院のルイズの部屋で初めて会った時、あいさつを許すつもりで手を伸べたのに、いきなり唇を奪われた。そのことを思い出し、一人で赤くなった。

 

 

 女王と重臣の密談はさらに続く。では、サイトの処遇をどうするのか。

 

 確かに、護衛の名目であっても、同年代で男性のサイトを身近に置けば、王宮スズメのさえずる噂が国境を越えるのは確実であった。「ゲルマニアとの婚約を解消した女王が寂しさから黒髪のツバメを飼い始めた」という流言は国の体面上、なんとしても避けたいところだ。女王の護衛は当分、アニエスら女性で組織された銃士隊にがんばってもらうしかない。

 

 王宮内のマンティコア隊に一時的に編入させることは、水精霊騎士隊副隊長の地位とサイトが魔法を使えないことが障害となった。魔法衛士隊での序列が軋轢を生むのは目に見えていたし、サイトが入ることで魔法を中心とした日常訓練にも支障が出てしまう。そもそも、サイトは幻獣に乗れない。

 武人としてのサイトは名高いが、それは個人の戦闘力の話であって、いきなり軍に入れて部隊を指揮させるわけにもいかない。

 文官として採用することは、弊害しかなかった。サイトにできるのは今の段階では、書類運びぐらいしかない。貴族である官僚から、小物、使用人扱いされるのは、本人がはなはだしく感情を害するだろうし、政府内でサイトが軽視される原因をわざわざ作るのは将来のことを考えるとマイナスでしかなかった。

 

 

 魔法学院に返すのが最良の選択と思われるのだが、これには、アンリエッタが強硬に反対した。

 「サイト殿はメイジではありません。魔法を学ぶ学院に在籍する意味がないではないですか」。目の前の二人にはほんとの理由が分かっていたが、口にはしない分別があった。

 

 

 落ち着いた先は、彼の者の領地であるオルニエールにて、まずはハルケギニアの文字を学んでもらうことだった。領主としても署名ができなければ話にならない。加えて、サロンで恥をかかないように文芸や音楽、歴史などの教養も必要だ。王宮での作法も覚えてもらわねばばらない。

 

 

 

 サイトの家庭教師を誰にするかは、案外、簡単に決まった。アンリエッタの推挙によるものであった。

 

 

 高位貴族の子女で、教養に申し分なく、しきたり、マナーに詳しい人物。官職を奉じておらず、オルニエールで暮らしても支障がない独身者。面識があり、少なからずサイトを理解している者となると、極めて限られるためだった。そして、アンリエッタにとって絶対の条件が、虚無の休日ごとに彼の領地を訪れることが明白な幼馴染の振る舞いを厳しくけん制できる存在。

 

 

 

 

 

 

 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール

 

 

 王立魔法研究所からはその時、盛大なくしゃみが聞こえたそうである。

 

  

 

 

 

 

 



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第10話 デルフリンガー

 

 

 全快し、アカデミーの検査と言う名の調査が終わって、サイトは王宮客間を引き払うことになった。魔法学院に帰るつもりだったのに「近々、陛下からの呼び出しがあるので、水精霊騎士隊宿舎で待て」というお達し。サイトを客間から騎士隊宿舎に案内したのは、侍従に登用されて間もないジャン・ド・バッツ男爵。年の頃は二〇代半ば。ギーシュのような鮮やかな金髪をしていた。バラはくわえていない。

 

 

 「女王陛下に親しくお声をかけていただけるなんて、サイト殿は本当にうらやましい」

 

 道すがら、バッツは声を掛けた。嫌みとか皮肉ではなく、本音なのは、その口調でよく分かった。王宮内で働く人間は貴族が多い。と言うか、女王に接することがありうる立場の者は、すべからく貴族である。平民の勤め先は、庭師や厨房、馬や各種幻獣の飼育場などに限られている。

 

 王国で、男爵家の数は五十を超える。准王族扱いされる大公、五指以内の公爵、二十人ほどの伯爵らと違い、男爵ら下級貴族が国王と会話する機会などほとんどないに等しい。男爵よりさらに下の准男爵、勲爵士となれば、王宮内では滅多に見かけない。勲爵士が王と会話することがあったのなら、「家門の名誉」としてその孫子にまで自慢できるほどだった。

 

 

 バッツはさらに続けた。「サイト殿を宿舎に移すにあたり、陛下は相当反対なさったと聞いています。ただ、これも王宮のならい。気を悪くしないで頂きたい」

 

 サイトは「いやー、おれとしてはあの部屋で眠らせてもらってただけでも感謝っすよ」と笑って宿舎の扉を開けた。

 

 

 先の客間が北陸新幹線のグランクラスとするならば、宿舎はローカル線列車のボックスシート。だが、元が庶民のサイトにとって、こちらの方がはるかに落ち着く。それに、この宿舎も元は魔法衛士隊のもの。質素な造りながら、貴族用とあって決して居心地は悪くない。同隊が定数割れを起こしたため、余った宿舎が水精霊騎士隊に回されたのだ。

 

 

 一人になったサイトは背中から降ろしたデルフリンガーを壁に立てかけた。

 

 「プヒーッ、やっとしゃべれるぜ、相棒。ずっと留め金を締めたままなんざあ、随分な仕打ちじゃねえか」。魔剣は早速、文句を言う。

 苦笑いしてサイトは「あの部屋でデルフを自由にできるわけないだろ。姫様やお偉方がいるんだぜ」。ベッドに倒れ込んで両手を頭の後ろに組んで天井を見上げた。長年の歴史を経た梁がやけに黒々と見える。

 

 

 「それはそうと、ありゃなんの魔法だ? おれっち、もう溶ける、溶けちまうと思ったぜ」。バルコニーでのレーザービームのことだ。

 

 

 サイトは、この魔剣の仕様を思い出した。握った人間の能力、来歴までをも読み取る。デルフリンガーなら、自分に降りかかった新たな力の分析も可能かもしれない。

 ベッドから体を起こしたサイトは、デルフに近寄り、その柄を握った。デルフの理解を助けるため、あの赤い世界のことなどを順々にできるだけ克明に思い浮かべていく。

 

 

 

 しばらくして「……………えらいもんをもらっちまったなぁ、相棒。  その気なら一人でこの世界を相手に戦えるぜ」。

 

 王立魔法研究所では不可能だった能力解析。この魔剣は「アダム」と「リリス」のルーン効果をおぼろげながら読み取った。

 

 「で、おれは何ができるんだ?」

 

 「ああ、まずはあの光だなぁ。あのまっつぐな光を跳ね返すなんざ、エルフ先住魔法の反射でもできやしねえ。こっちの貴族が水や土魔法で障壁を張ったところで、ツーッと切り裂かれちまうよ。それか「ありがとう、デルフ。もういいよ。聞くのは止めとく」とサイトが遮った。

 

 

 分不相応の能力は身を滅ぼすもとだ。なら、それを使わないことが一番だし、それには最初から知らない方がいい。

 

 

 

 ベッドで再び寝転んだサイトは右腕で目を覆った。歴史を感じさせる天井の梁を今度は目に入れたくなかったのだ。

 

 

 

 

 「聞きたくねえなら、おれっちも黙っとくよ。でもよ、相棒よ、貴族の娘っ子とエルフの娘っ子、お姫様たちはどうするんだい。みんな、本気だぜ」

 

 

 サイトは返事をしなかった。あの高慢ちきのくせに折れやすくて、でも心根は優しいルイズが好きだ。口に出して「好きだ」と言ったこともある。しかし、ティファニアにもアンリエッタにも同じ保護欲を感じるようになっている。使い魔のルーン効果が着実に現れていたのだ。

 自分が昏睡から覚めたとき、顔を寄せて泣き笑いしていたあの少女たち。彼女たちの誰一人も悲しませたくはなかった。

 でも、いつかは選ぶことを迫られる時がくるかもしれない。もしくは、誰も選べないままに日本に帰ることになるかもしれない。自分がどうすべきなのかは、そう簡単に結論は出せそうになかった。

 

 「おれっち、剣だからよく分かんねえけど、みんなもらっちまえばいいんじゃねえの? 剣に鞘はいくつあっても困んねえだろ。逆は面倒だけんどよ」。聞きようによっては下ネタ以外のなにものでもない。立ち上がったサイトは無言で剣の留め金を掛けた。

 

 

 

 

 

 (おれの役割って何だろう?)

 

 二十一世紀の日本から、魔法のあるこの世界に呼び出された。ルイズやアンリエッタを守るためとは言え、人も殺した。「慣れるな」と忠告してくれたコルベール先生。姫様の使い魔になって碇シンジのいる世界を見た。閉塞した人類の進化とやらを求め、すべての人々が消えた赤い地球。その世界から帰ってくるのに、新たな力も付与された。それは、デルフに言わせると世界を破滅に導けるほどらしい。

 

 

 サイトのいた地球の歴史でも、血なまぐさい争いは絶えなかった。権力交代が起きる時、特に階級間での闘争になった場合、それは一層ひどくなった。王や皇帝が取り巻きの貴族とともに、玉座から引きずり降ろされる。革命により断頭台に、絞首台に消えた命は数知れない。一方、失敗に終わった蜂起では、名も知れぬ民衆が百人、千人単位で殺された。見せしめのために。

 

 魔法を使える、使えないで、この世界の人々は別の生き物のように二分され、一方は搾取し、片方は抑圧されている。

 この地でも、徐々に科学技術が根付き、育ちつつある。いつか、平民が手にした高性能の銃砲が貴族に向けられる時代が来るのかもしれない。その時、貴族も黙ってやられはしないだろう。彼らのアイデンティティであり、その支配力の根源にもなっていた魔法を使うため、平民に杖を向ける。硫黄のにおいと呪文に満ちた戦場は、両者の憎しみがあいまって、過去の地球ではありえなかった殺戮になるかもしれない。

 

 ルイズの、アンリエッタの子どもたち、シェスタの、マルトーさんの子どもたちが顔をゆがめて殺し合う。そんな世界は見たくはなかった。

 

 

 

 「おれは何をしたらいい? ……シンジ君」。  ベッドに寝ころんだサイトは浜辺で座るあの少年の顔を思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 コン、コン

 

 

 ドアをノックする音で、サイトの思考は中断された。

 

 

 「シュバリエサイト、女王陛下がお呼びです」 

 

 

 

 

 

 



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第11話 引見

 

 

 エレオノールへの下命は、母のマリアンヌに頼ることにした。

 子供の頃、遊び相手として王宮に招かれたルイズと取っ組み合いのけんかをした時、たまたま参内していたエレオノールからきつく叱られたことがあった。公爵家長女のエレオノールと言えども、王女たるアンリエッタを直接、叱れるわけがない。頬をつままれ、泣いて詫びたのは、ルイズだけだったのだが、隣でその光景を見せつけられれば、アンリエッタもシュンとなるしかない。王女より十歳年長のエレオノールゆえ、その効果を計算したうえでの妹への制裁であったのだが。

 

 以来、アンリエッタにとって、エレオノールは信頼すれども敬遠するにしくはない存在となっていた。一言でいえば、苦手なのだ。

 ならば、その相手は母に押し付け、自分は限られた時間をサイトと大切に使うべきだと考えるのは当然だった。

 

 母マリアンヌはヴァリエール姉妹の母に当たるカリーヌ公爵夫人とは昵懇の間柄と聞く。もともと王家への忠誠篤い家柄である。少々の不満があっても、うまく言いくるめてくれるだろう。

 

 

 

 侍従に付き添われ、サイトが姿を現した。

王命であるとの体裁をつくろうため、引見場所は公務室である。

 

 片膝をつくサイトを立たせ、「今日は折り入ってお願いの儀があってお呼び立てしました。どうぞこちらへ」とソファに招く。

 

 

 「その後、お体の具合はいかがでしょう? 先には私の使い魔………の契約に応じていただき、本当にうれしく思います」。

 (………)の部分には本来、「と生涯の伴侶」という言葉が入るのだが、近くに立つ女官長のフォントネ侯爵夫人が目を光らせているので、この場では言葉を呑む。

 

  

 「それを踏まえてのお願いなのですが、サイト殿はまだ、ハルケギニアの文字には不案内と聞き及んでいます。しかし、それでは、オルニエール領をあなたに預けている王家も困るのです」。

 一方的にサイトに勉強を命ずるのではない。字が書けない、読めないままでは領地掌握にも支障が出るだろうことをほのめかして、引き受けざるをえない状況に引きずり込んでいく。将来の大器を感じさせる交渉術である。(想いを伝えあう手紙のやりとりもできないではないですか)とも言いたいのだが、それはさすがに口にしない。

 

 

 サイトも文字が読めないことへの不便と引け目は感じていた。代官からの報告の中身が分からないのだ。ルイズたちと会ったときに読んでもらい、解説してもらったうえで、指示を出すのだが、あまりにも迂遠過ぎた。領主として領民に申し訳ないと日ごろから思っていた。

 

 

 

 「で、考えたのですが、あなたに個人的な教師をつけることにいたしました」

 

 

 サイトはアンリエッタの謀略を知らない。新たな負担を王家に掛けることに気が引け「えっ、それはもったいないです。魔法学院でルイズに教えてもらいますから」と遠慮する。

 

 

 

 (このにぶちん。それが絶対にいやだから、家庭教師をつけるのよ)。アンリエッタはにこやかに「優しいルイズなら喜んで引き受けてくれるでしょうね。でも彼女も学生の身。サイトさんに教授するとなると、その時間を割くだけでも勉強で遅れをとることになりましょう。それをサイトさんは本当にお望み?」

 

 

 サイトは考える。(うーん、朝はおれが鍛練する時間だし、昼間はルイズに授業が詰まっている。夜に教えてもらうしかないけれど、予習復習の時間を削ってしまうことになるなあ。あいつんち、両親もあの姉さんもきっついから、落第なんてことなったらひどい目にあわされるんだろうなあ)とひとりごちた。

 

 「姫様に甘えすぎのような気もしますけど、そのお話、ありがたくお受けしたいと思います」。サイトはもうアンリエッタの掌の上で転がされている。

 

 

 「ご承知いただいてうれしく思います。そしてこれもご理解いただかねばならないのですが」とアンリエッタ。「家庭教師は魔法学院に派遣するわけにはいかないのです。一例を認めると、ほかの貴族たちが『わが息子、娘にも専属を』と言い出すのは目に見えています。そうなれば、オールドオスマン以下教師の体面は傷つき、学院の存立自体が危うくなるのです」とあくまでも公平の観点から学院への教師派遣はできないことを強調する。

 

 「よって、サイトさんには、本領のオルニエールで家庭教師から文字を学んでもらうことにしました」。お願い、相談ではなく、もはや通知でしかない。

 

 

 

 

 「その教師には最適な人物を政府が選び出し、王家からお願いしてあります。サイトさんの学習成果が速やかに上がることを心から願うものです」。 

 

 

 

「そして、サイトさんの先生は……」 

 

 

 

 

 

 「エエエエーーーーっ」

 

 

 

 ほぼ同時に、二百メール離れたマリアンヌ皇太后の私室からエレオノール・ド・ラ・ヴァリエールの悲鳴が上がった。

 

 

 

 

 

 

 



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第12話 エレオノール

 

 

 

 王宮の廊下を戻るエレオノールの機嫌はいつにもまして悪かった。バーガンディ伯爵から婚約を解消されて以来、最悪ともいえた。

 

 

 今にして思えば、太后陛下のお召しというのも変だった。王家と付き合いの深いヴァリエール家と言えども、当主の父や母ではなく、自分を呼び出す理由が思い当たらなかった。公爵家長女として、母に連れられて王宮でのお茶会に招かれたことは何度もあるが、それ以上でも以下でもない。結婚前から王女時代のマリアンヌさまと親しくしていただいた母とは違い、王家との個人的なえにしはほとんどなかったのだ。

 

 

 太后陛下からの直接のお願いとは、貴族社会では命令にほかならない。「えええええっ」と声を上げてしまったのは少々はしたなかったかもしれないが、偽らざる気持ちでもあったのだ。いかに気の強いエレオノールでも「あなたにしか頼めぬのです」と懇願されたらあの場で断ることは不可能だった。

 

 

 

 

 魔法学院を首席クラスで卒業し、王立魔法研究所の研究員として魔法の可能性を日々探っている自分へのお願いが「読み書きを教えてあげてほしい」。しかも、その相手はルイズが呼び出したあの平民だ。今はシュバリエとなって領地も拝領したらしいが、それでもエレオノールにとっては、妹の使い魔という存在でしかない。

 

 

 「シュバリエサイトはアンリエッタにとって大切な殿方になる可能性のある方です。それにふさわしい教養を授けてほしいのです」とマリアンヌは言った。

 

 このセリフもエレオノールにとっては不可解だった。あのサイトとかいう男は、ルイズを好ましく思っていたはず。両親は猛反対していたが、その使い魔から呼び捨てにされるルイズもまんざらではない様子だった。それなのに、女王陛下の大切な殿方とは、どういうことか。

 

 エレオノールの不幸は、ここ数日、王都で話題になっていた女王の使い魔召喚の儀、王宮前広場などの大騒ぎをまったく知らなかったことだ。研究所でも周知の事実だったのだが、エレオノールがいるところでは話題に上ることはなかった。婚約解消事件以来、彼女の前で男女関係の話題はタブーになっており、その禁を破る勇気ある者は誰もいなかったのだ。

 

 

 

 

 待たせていた馬車で王宮を去る時には、エレオノールの機嫌は地面を何メール掘っても間に合わないほど急低下を続けていた。

 

 「と言うと、あの男はルイズと女王陛下の二股をかけていた、というわけね。ルイズとだって身分違いもはなはだしいのに女王陛下となんて。どういう神経しているのかしら」。本当は二股どころではないのだが、その誤解を解く人は馬車の中にはいなかった。

 

 「あんな悪い虫は、父上、いえ母上にばっさりやっていただくべきだったわね」と怖いことを口にする。それなりに妹思いではある。

 

 

 

 太后陛下から読み書きをその男に、しかもその男の邸宅で教えることを拝命してしまった。自分への手当ても支払われるという。しかも、王家からではなく、王政府から。サイト教育にはマザリーニ宰相ら政権中枢も関わっていると考えるしかない。問題なのは、その手当が毎月ということだ。オルニエールでの滞在が数か月、あるいは年単位ということさえありうる。頭を抱えたくなった。

 

 

 しかし、頭脳明晰な彼女はそこからの脱出策も考えついていた。

 

 「職責を投げ出すことは当家の恥。ここはできるだけ懇切丁寧に教えてやって、あの虫の方から『もう無理。勘弁してください』と仕向けるほかはなさそうね」。賢い長姉だが「もう無理」を男に言わせることへの反省はないようだった。

 

 

 

 ヴァリエール家の王都別邸に帰りついてからもエレオノールの機嫌は悪いままだったが、侍女に「お茶を、バタークリームのビスケットを添えて」と命じたころには少々持ち直した。

 

 

 

 

 「エレオノール様。シュバリエサイト殿がご挨拶にまいられてございます。どのようにいたしましょう」と、別邸の差配を任せている執事がエレオノールの部屋を訪れた。王家の下命を思いだすはめになった公爵家長女の機嫌は再び急低下した。

 

 前触れもなく女性宅を訪問するとは礼儀知らずもはなはだしい。「気分が優れないため会えないと追い返しなさい」

 

 

 正面入り口から復命した執事はサイトの伝言を伝えた。

 「ご気分が悪いとは知らず無礼をいたしました。このたびは、先生役をお引き受けくださる由、かたじけなく思います。私は明後日に領地オルニエールに戻り、エレオノール様のお出でをお待ちすることにいたします。どうぞお体、大事になさってください」。

 執事と交わしたサイトの言葉はため口だったが、気を利かせた執事が公爵家令嬢向けに翻訳したのだった。気分ではなく、機嫌が悪いのだが「誰のせいで気分が悪くなったと思っているのよ」と憤激したエレオノール。

 

 

 だが、機嫌はだいぶいい方向に向かっていた。

 

 

 

 

 それはサイトのあいさつによるものではなく、指導という名での、あの虫へのいびり方を考えてのことである。

 

 

 

 



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第13話 オルニエール邸

 

 

 

 エレオノールの転居は馬車三台と従者二人、侍女三人の大がかりなものになった。

 一度、ヴァリエールに帰り、身支度を整えてからからだったことを勘案すれば、十日ほどというのは公爵家令嬢としては急いだ部類に入るのかもしれない。

 

 実家では、父は「また、あの使い魔か。当家に面倒ばかりをかけおって」と怒り心頭。母は母で「では、武人としての鍛練には私が出向きましょう」。

 烈風カリンにしごかれたのなら、サイトはオルニエールから病院に直送ということも考えられる。早く仕事を終え、研究に復帰したいエレオノールにとって、母の申し出は迷惑でしかない。

 「太后陛下からの下命を考えれば、武術は対象外になりましょう」とマリアンヌに責任を負わす形でこの場を切り抜けた。

 

 家族の中で唯一、病床にある妹だけが「あらあら、それはルイズが羨ましがりますわね、姉さま」と笑顔でことの本質を突いたのだが、エレオノールにはよく理解できなかった。

 

 

 

 

 オルニエールでは、サイトが館で出迎えた。「領地の境で、とまでは言いませんが、普通、邸宅の敷地外で待ちますわよね、普通なら」と先制パンチを食らわしたのは、さすがエレオノール。「あなたをしつけるのは、王家からの命令です。王命に背かないよう存分にさせていただくわ」とは、頭を下げたサイトに対する宣戦布告だった。

 

 

 引っ越し作業は家臣がするもの。

 エレオノールは長旅の疲れをいやすでもなく、案内された応接室で「準備は十分でしょうから、早速、授業を始めましょう。あなたにふさわしい教材も用意しました」と四、五歳児が使う幼児向けの手習い帖を差し出した。

 「大文字小文字、活字体に筆記体、お茶の時間までに完璧にして」と出て行こうとしたのだが、ここでサイトが計算外の反応を見せたのだった。

 

 

 

 テキストをパラパラとめくったサイトが「覚えました」。

 この世界に来た時から、音声はハルケギニア語から日本語に脳内で自動変換される上、文字はアルファベットにほど近い。キリル文字やギリシャ文字ほどの違いもない文字の記憶はごく簡単ではあった。ルーン刻印による脳力増強もある。

 

 

 彼女の作戦は、お茶を飲みながらテストして「この程度も覚えられないの? シュバリエの肩書が泣いているわね。マントを返上して元の平民に戻ったら」などの悪口雑言をぶつけて、まずは学習意欲をそぐ。それからネチネチと無学無教養ぶりをあぶりだして「聡明で気高いエレオノール様、私奴は先生の高い見識にふさわしい教え子ではありません。平民用の手習い教室から始めさせていただけますよう、伏して陛下にお願いしてまいります。お許しください、ご勘弁ください」と泣いて謝らせて、エレオノールの指導を辞退させる方針だったのだ。

 

 

 

 それが初手からつまづいた。

 

 (虫のくせに生意気ね、かっこつけてるんじゃないわよ)。

 

 では、と「山」「杖」「馬車」「手紙」などの単語を目の前で書かせてみた。スペルはすべて正しかった。

 なら、と「ロマリアでは、主に雨は平野で降る」

 「司教が上手に司教の絵を市境に書いた」

 「暑い日が続いていますが、父上、母上、カトレアにはお元気でお過ごしでしょうか。私はいやなことも命じられましたが、それなりに息災にしておりますゆえ、ご安心ください」

 思いついた文章を次々に述べ、口述筆記させたのだが、羽ペンでさらさらとつづられる文字列に一つの間違いもなかった。

 

 ここまで来れば、サイトが文盲を脱していることは疑いようがなかった。

 「何よ、読み書きできないなんて嘘じゃない。私どころか太后陛下までだましたのね」と激昂したエレオノールだが、サイトは困った顔で「でも本当に、今、覚えたんですよ」。実際、その通りだった。

 

 

 

 サイトは彼女から学ぶことに「勘弁してよ」と思う反面、期待するところがあった。王立魔法研究所で研究員をしているという。魔法学院も座学、実技とも優秀な成績で卒業したと聞いている。妹のルイズは勉強はともかく、虚無に覚醒する以前は、魔法は落第状態だった。この姉さんは、この世界の知識や魔法の形成条件についてサイトを満足させるだけの情報を持っているはずだ。

 

 

 

 ノート数ページをエレオノールが言うままに書きつぶしていたサイトが突然、口を開いた。

 

 

 「質問いいですか?」

 

 

 ぞんざいな口のきき方に腹立ちを覚えたものの、教師と生徒の立場であるこの場では了承するしかない。

 

 「ハルケギニアの文字って、その生成過程はどの程度解明されているんですか?」

 

 

 「はぁ?」

 

 思わず、間の抜けた返事をしてしまったことに、エレオノールは人知れず赤面した。

 

 

 「いや、ここの文字は音素で表記されていますが、過去にその原型となる表音文字、表意文字があったはずです。それはどの程度、分かっているんでしょう?。もしくは、その痕跡が抹消されるような歴史でもあるんすか?」

 

 

 

 十歳近くも年下のこの元平民(虫から昇格していた)の言葉の意味がよく理解できなかった。「音素」「表意」などの単語は聞いたことがあるような気がしたが、それは文字学を専門にしているごく一部の学者にしか通じない専門用語だったのだ。

 

 

 「いや、おれのいた世界では文字の発明とその伝播での変遷過程は長年の研究でかなり分かっているんです。なら、この世界でも類似した経緯をたどったと考えるのが普通ですよね」

 

 

 

 エレオノールはこの少年が、異世界からルイズによって召喚されたことを思い出した。そして、「ヒラガ」という家名を持ち、前の世界では学校に通っていたらしいことも。この年齢で通う学校なら、ハルケギニアでは魔法学院のような高等教育に類する。風竜よりも速い「ゼロ戦」とか言った飛行機械もこの少年の故国のものだったはずだ。もしかすると、本当にもしかすると、このシュバリエ(元平民から昇格した)の知識は、思った以上に深く、広いのかもしれない。

 

 

 

 そこまで考えたエレオノールはどう返事をしたらいいか迷った。

 

 

 

 手持ちの知識で答えれば、自分を、ヴァリエール家を、母国トリステインを軽く見られるかもしれないという不安と、この少年から異世界の知識を引き出してみたいという欲望との狭間に立っていたのだ。

 

 

 そして、エレオノールは欲望に忠実で、学問に対しては誠実な女性だった。

 

 

 「文字学について私は詳しくないの。それをあなたに教えるだけの知識は持ち合わせていないわ、ごめんなさい、ミスタサイト」。エレオノールが初めて、サイトの名前を呼んだ。それも敬称付きで。

 

 

 

 

 「いやーっ、こちらこそごめんなさい。誰でも得手不得手はありますもんね。変な質問をして、申し訳ありません」。サイトがニカッと笑って、後頭部をかいた。

 

 

 

 それは、サイトとエレオノールが知識と情報のギブアンドテイクを前提とした奇妙な友情で結ばれた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第14話 エレオノールその2

 

 

 

 エレオノールが来てからサイトの日課は、おおよそ次のようになった。

 

 早朝=鍛錬▽午前=講義と伝授▽午後=領内視察及び業務▽夕食後=自由時間

 

 朝、昼、夜食はエレオノールと囲む。マナーとともに、ハルケギニアでのことわざやサロンで飛び交う詩や芸術論などを仕込まれる。夕食時には、水代わりにワインが出されるが、その評価やラベルから得られる醸造元の知識、産地によって違うヴィンテージイヤーなどを学ぶこともあった。

 

 

 サイトに比べてエレオノールは暇すぎるように思えるが、そうではなかった。

 

 

 午後は、昼前にサイトから得た異世界の知識をまとめるほか、サイトが求める情報収集のため、実家や王都に書物や文献を送らせる手はずで忙しかったのだ。

 

 

 

 

 それには訳があった。二人がそれぞれ認め合った後、サイトからエレオノールに申し出があったのだ。

 

 

 

 「おれの知識は、この世界では危険なものです。時代が変わるまでエレオノールさん一人でとどめておいてほしいのです」

 

 

 その話は、世界の形状から始まった。「世界は球形である」とのサイトの話をエレオノールが冗談とばかりに相手にしなかった。

 

 「では、ハルケギニアの反対側にいる人は、コウモリのように洞窟や木にぶら下がるしかないわね。そうでないと、落ちてしまうでしょうから、空に」と笑った。

 

 

 そこで予想外だったのが、合わせて笑うべきサイトが深刻な顔をしたことだった。

 

 「アルビオンは空中三千メールに浮かぶ島です。あの島から下界を眺めても地平線と水平線の向こうから先は何も見えません。世界が平面ならどこまでも見通せないとおかしくありませんか?」

  

 エレオノールの心拍数が高まった。

 

 

 サイトはさらに続けた。

 「アルビオンに限りません。あの島より高く登った船乗りは、そこから見る世界の果てが丸く、カーブしているのを知っているはずです。どうして、誰もこのことを問題にしない、あるいは、しなかったのでしょう」

 

 エレオノールはブルブルと震え始めた。

 

 

 

「ハルケギニアの東に、長年戦ってきたエルフの地があることは誰もが知っています。でも、その東にあるという国については、詳しい情報は何もない。さらに、ハルケギニアの海の南側は? 西は? 北は? どうして、この世界には、いつまでたっても地図ができないんでしょう?」

 

 エレオノールの顔は青を通り越して、土気色に変っている。自分の依って立つ地面が根底から崩れ始めた気がしたのだ。呼吸の頻度は通常の倍ほどにもなっていた。過呼吸の一歩手前である。

 

 

 

 そして、サイトがとどめを刺した。

 

 「ハルケギニアには、この地から人を出させない、もしくはこの世界以外のことを知らせないようにする禁呪がかかっているのではありませんか?」 

 

 椅子から転げ落ちるエレオノールを支えたのは、右側から伸びてきた少年の左腕だった。

 

 

 「その考えは異端だわ!!」と叫ぶエレオノールに「ええ、そうかもしれません」と応えたサイトの声はあくまで冷静だった。

 

 

 

 「聞いてください」と続けたサイトの話は、エレオノールにとって衝撃的だった。

 

 サイトのいた世界では、かつて全宇宙の中心がチキュウで太陽や星々はその回りを回っていると考えられていたこと、だが、観測や数式を用いて、チキュウが太陽を回っていることを証明した科学者がいたこと、その科学者は宗教者によって「異端」とされ、火あぶりの刑で殺されたこと、彼の跡を継いだ科学者はもっと厳密に証明したが、その発表は彼の死ぬ間際まで数十年にわたって秘匿されたことーーなどを悲しそうな顔で説明した。

 

 

 「野蛮だわ、学問への冒涜よ!」と叫んだエレオノールだが、直前に自分が口にしたことを思い出した。 そして「そうね、ハルケギニアも同じかもしれない」とうつむいた。

 

 

 

 「だからこそ、おれが話すことは、時が来るまで胸に秘めてほしいんです。姉さんを、ルイズを悲しませたくないんです」

 

 

 そして、二人はこの世界全体にかけられているかもしれない禁呪の可能性、サイトの知識を秘密にするという固い約束を交わしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 それからサイトが提供する情報は、禁呪が解けたようなエレオノールにとって目が回るものばかりだった。

 

 

 サイトの住む世界には魔法がない。その代わりを科学と技術が担っているという。

 

 人間を含めてすべての生物の体は、細胞と言う小さな小さな箱のような存在で出来上がっていること、一つ一つの細胞の中には遺伝子と呼ばれる設計図が組み込まれており、この設計図によって生き物は体の一部を直したり、必要な物質を作り出したりしていること、サイトの世界の学者は、ある生き物の設計図を取り出して、別の生き物の細胞に組み込むことで、薬や新たな物質を作り出すようになっていること。

 

 ロケットと呼ばれる乗り物は、すでに月(サイトの世界では月は一つしかない)まで人を送り出していること、もっと遠くの星まで無人のロケットが往復し、その星の土を持ってきたこともあること、そのスピードは五を数える間に、トリステインなら東の端から西の端まで通り過ぎるほどであること。

 

 硫黄や鉄、金などすべての物質を細かくしていくと、最後には原子と呼ばれる存在になること、この原子も、陽子と中性子、電子という構成要素に分かれること、これら構成要素も実はさらに細かい素粒子と呼ばれる粒に分類されること。原子には百ほどの種類があり、これらを組み合わせてできる物質があること。水や炭酸、塩がそうだという。

 

 質量はエネルギーに転換されること、太陽がさんさんと輝き続けるのは、その内部でこの転換が休みなく続いているためであること、この仕組みを応用した兵器が作られ、十万人を超える人々を一度に殺したことーーなどなどである。

 

 

 

 これらを一つでも公に言い出せば、王家だろうが、高位の聖職者だろうが、今のハルケギニアでは異端に問われることは間違いなかった。サイトの話すことすべてを鵜呑みにするほどエレオノールは単純ではない。ないが、その理由や仕組みをも説明されると否定できないとの結論に達するのは、彼女が学者として論理的思考を身に着けていたからである。

 

 

 さらに言えば、もし、サイトの世界とハルケギニアが戦端を開けば、あっという間に滅ぼされるのはハルケギニアの方であることも確信せざるを得なかった。サイトの母国でさえ、人口は一億三千万人という。トリステインのおよそ百倍である。先の科学力で武装された軍隊と接触したら、スクエアクラスのメイジでも、もっと言えば、最強のエルフで組織された部隊だろうが、瞬殺されるしかない。妹ルイズはなんという世界の少年を呼び出してしまったのか。あらためて身震いするほどだった。

 

 

 

 

 サイトがハルケギニア全体にかかる禁呪に考えが及んだのは、碇シンジの世界で知ったことが契機となっていた。

 

 命の実を手にする使徒と命の実をあきらめた代わりに知恵の実を得た群体の人・18番目の使徒リリン。二つの実はトレードオフの関係にあった。

 なら、この世界は? 魔法を与える代わりに、ハルケギニアだけに人の活動範囲をとどめようとする契約があったのではないか? 誰によって? 一番可能性が高いのは、始祖ブリミルか。この地の魔法の根源は彼に帰する。では、なんのために? だが、それについての情報は限られており、なんらの判断を下すことはできなかった。

 

 

 自分の持つ知識をさらしたサイトだが、エレオノールにも黙っていた仮説があった。

 この世界のおかしさである。見たこともない幻獣が生息するが、見たことがないだけでサイトにはその知識があった。

 ドラゴン、ワイバーン、サラマンダー、マンティオコア、グリフォン、ヒポクリフ…。亜人であるヴァンパイヤ、オーク鬼、ゴブリンもそうだ。すべてサイトがいた地球で言い伝えられた、または考えれられたものばかりである。地名、人名もそうだ。アルビオン、ガリア、ゲルマニアはいずれも古代と中世ヨーロッパそのまま。まるで、地球人類の思考を投射したかのようなこの世界。

 サイトには、ハルケギニアとは、光が当てられた地球の影のような存在、もしくは地球の不完全コピーにしか感じられなかったのである。もちろん、この考えをエレオノールが知れば「馬鹿にするな」と怒り出しそうだが。

 

 

 

 

 

 

 一方で、サイトがエレオノールに求めた知識、情報は主に人文科学方面に集中した。

 自然科学は一部の医療分野を除いて、地球より遅れていることは自明だった。なら、この世界で自分の課せられた責任、役割を確認するには、社会の、文化への知識が何より必要だと思ったのだ。地理・歴史はもちろん、ハルケギニアにおける法制度、政治システム、統治の根拠(これは王家の存立にもかかわる微妙な問題をはらんでいた)。さらに、ブリミル教における教義、ここにはサイトが危惧する「異端」の範疇も含んでいる。これらの知識を整理分類しない限り、自分が進むべき方向は分からないと考えたサイトだった。

 

 

 博識とも言えるエレオノールもその場ですべてに応えるだけの知識はなく、エレオノールはそのつてを使って、書籍、文献集めに精を出さざるを得なかった。サイトの為に働くのが決していやではなく、楽しい作業であったのは、彼女にとっての幸せだった。

 

 

 

 かくして、教師と生徒役をテーマによって交替する美女と少年の授業はしばらく続くことになった。

 

 

 

 

 で、エレオノールは「姉さん」と呼ばれることに抵抗がなくなっており、本人もいつの間にか「サイト君」と呼びかけるようになっていた。 

 

 

 

 男性に伍して背伸びを続けてきたエレオノールだが、謙遜という美徳を知った彼女は聡明さがさらに引き立つ美女に変身していた。険が取れたのである。

 

 

 今なら、バーガンディ伯爵も「もう無理」ということは絶対になかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第15話 ルイズin魔法学院

 

 

 

 ティファニアとシェスタとの三人だけで魔法学院に送り返されたルイズは当然、怒っていた。怒りまくっていた。サイトが元気になったのはうれしいが、使い魔と離れ離れにされることに納得がいかないどころか、我慢ならなかったのだ。

 

 修道服を着せられて王宮バルコニーに出てみれば、あんの綿あめ姫と青髪のちっちゃいのが先にサイトの両隣りを占めている。「広場での混乱を収めるためゆえ、なにとぞなにとぞ」と言い含められて協力したのも、そうすれば、すぐにサイトを連れて帰れると信じたからだ。

 

 

 

 思い起こせば学院からサイトを送り出す時から、いやな予感があったのだ。

 「トリスタニアへ?」

 「ああ、水精霊騎士隊全員に召集がかかったんだ。魔法衛視隊やアニエスさんの銃士隊がいるのに、おれたちも呼び出されるなんてよっぽどのことかもしれない」

 あの犬はのんきにしていたが、その後に起きたことを知れば、アンリエッタの狙いは最初からサイトただ一人。迂闊だった。

  

 「何が『これからはサイト殿には女王の顔しか見せませぬ』よ。色気で迫ろうたって、そうはいかないんだからね」

 

 しかし、その色気で負けていることは確実だったから、余計、ガードを堅くしておくべきだった。後悔は先に立たない、とはよくいったものだ。

 あの犬は、ティファニアだけでも飽き足らずに、姫様の使い魔にまでなるなんて…。「節操無し」と再び怒りが込み上げてきた。

 

 

 

 サイトを連れて帰るのを拒んだのはバナクホーフェン侍医長だった。「昏睡の原因が分かっておらず、まだ経過入院と安静が必要。それに、その、さらなる調査も必要でして…」と歯切れが悪い。その時、こちらと目を合わせようとはしなかった。何か心ぐらいところがあるのは見え見えだった。

 

 子爵でもある彼に苦手な嘘を言わせられる者は、決して多くない。そして、サイトがらみとなると、その人物は限られるのだった。

 

 

 

 

 部屋の中に、ベッドの隣にサイトがいない。心が半分消えてしまったような数日を過ごしていると突然、学院の掲示板に「騎士隊副隊長のシュバリエ・サイトは本領オルニエールにて各種研修を受けられることになった。学院関係者は了解されたし」という王政府からの通達が張り出されたのだった。

 

 

 

 王都からの通達を受け取ったのは、オールドオスマンである。まずは使い魔の契約を結んでいるルイズとティファニアを呼び出して知らせようと考えた。考えたのだが、サイトに執着するルイズが学院長室を虚無の魔法で破壊する暴挙に出ることを恐れた。職務柄、部屋は高級な調度品が並び、サイトのいる世界から渡ってきた(エロ)文書など貴重品も隠してある。

 

 「廊下の方がまだ被害が少ないじゃろう」と白いひげをしごきながら出した結論は間違っていなかった。暴発したルイズによって、廊下の壁は半壊したのである。

 

 

 

 公共物を破壊した生徒を黙って見逃すわけにはいかない。学院長と教師は、当の生徒を呼び出した。反省を促すためである。

 

 しおらしく現れたルイズは「本当に申し訳ありません。感情の赴くままに行動したことを深く反省しております」と切り出した。だが、教員らからお小言をいただく前に発した言葉がいけなかった。「ついては、オルニエールに行きますので、しばらく学校をお休みさせていただきます」

 

 当たり前だが、「望み通りに」と休暇願いを許可するほど教師は優しくない。

 「これまで、君の欠席は多すぎる。このままだと出席日数が足りず、間違いなく留年だな」。オールドオスマンの脇に控えていた疾風のギトーがいやみたらしく答えた。

 

 

 

 ルイズの脳裏には真っ先に母の顔が浮かんだ。激怒した母の折檻が下されれば、学院の中央の塔よりさらに高く空を舞わされる。そのけがで学校を授業を休むことになり、ルイズの留年がさらに一年追加されることになるかもしれない。父も怒るだろう。ちい姉さまだけは笑って許してくれるだろうが、悲しむことは間違いない。最後に出てきたのが、父に似た金髪の姉である。「おちび、あなた、またヴァリエール家の恥をさらして」とほっぺたを引き延ばされるのは確実だった。口の中に好物のパイが一度に三個入るようになってしまうかもしれない。

 

 

 残念ながら休学作戦はとん挫せざるを得なかった。

 次に浮かんだのは、虚無の休日に出かけることだったが、問題は距離である。馬車で半日の距離。往復で一日かかってしまう。さすがに夜道を行くのは危険なため、日の出直後に出て、日の入り前までに学院に帰ろうとすれば、サイトといられる時間はせいせいランチタイムぐらいしかない。我慢を重ねた上に、それだけしか会えないのでは、ルイズのサイト成分欠乏症は余計、悪化するかもしれなかった。

 

 

 

 「何かないかしら、何か、何か…」

 

 ルイズが虚無の秘法「瞬間移動」を習得するのはこの後で、この時にはまだその存在を知らない。知っていれば、今頃すでにオルニエールの館にいる。

 

 

 必死のルイズが思いついたのが、サイト個人の所有物にして、今は学院でコルベールが管理している「竜の羽衣」である。

 タバサの使い魔シルフィードの倍の速さで空掛ける、あの乗り物。あれならティータイムほどの時間も要しないでサイトのいるオルニエールと行き来できるはずである。

 「ぜろせん」で迎えに来させて、帰りは「ぜろせん」で学院まで送らせる。完璧な作戦だった。二人だけの道程というのがなんともいい。私にべた惚れのサイトは積極的だし、ぜろせんが雲海を切り裂く中で迫ってきたら……。

 

 

 「駄目よ、まだ。キスだけ。だって、お父様、お母様から許しを得てないし」

 

 

 ハッと気がつくと、かわいそうな人を見る目のオールドオスマンとギトーが目の前にいた。

 

 

 

 「私は用事があるのでこれで失礼します」

 

 ピンクの髪をした少女は駆け足で学院長室を出て行った。

 

 

 

 「彼女は謝罪に来たのではなかったのかね?」

 「はあ、私もその認識でいたのですが…」。

  教師らのため息をルイズが聞くことはなかった。

 

 

 学院長室を走り出たルイズが向かったのは、学院の庭に設けられたコルベールの研究室。その横に建てられた倉庫にはゼロ戦が格納されている。

 

 

 「先生、コルベール先生!」

 ノックもしないでサイトは研究室のドアを開けた。

 

 奥からタオルで手をぬぐいながら出てきたコルベールは、ルイズの勢いに気圧されつつ「や、やぁ、ルイズ君。何用かな?」。

 

 サイトが王政府から領地での滞在を命じられたのは、コルベールも知っている。そして、機械に関心がない彼女が自分を訪ねるのは、サイトがらみしかない。ここまで考えて、コルベールは、とりあえずルイズの用事を聞くのが得策と判断した。

 

 

 「ぜろせんは飛べますか?」 

 

 「破損したプロペラや翼は修理が終わったし、エンジンも動く。燃料も連金魔法でたっぷり作った。でも知っての通り操縦できるのはサイト君しかいないよ」

 

 この回答に満足したルイズは「ありがとうございました」との声だけを残し、脱兎のように研究室から出て行った。

 

 

 

 部屋に戻ったルイズはすぐにサイト宛てに手紙を書いた。サイトは字が読めないが、代官か研修講師とかが読み聞かせてしてくれるだろう。でも、本人以外の人間にも読まれることを考えれば、恥ずかしいことや不用意なことは残せない。

 

 よって、

 

 ▼ゼロ戦の修理が完成したこと▼コルベール先生もお忙しく保守管理がきわめて大変そうなこと▼そちらに当分いるのなら引き取りに来るのが当然であること▼平日は先生に授業がびっしり入っており、引き渡しは虚無の曜日の早朝に着くようにすることー。

 

 

 末尾には「次週には必ず来るように」と書き加えた。

 

 

 ゼロ戦は二人乗りだから、どこまでも付いてこようとする執念深いあのメイドも、恥ずかしげもなく胸みたいな大きな何か(ルイズ観点)を付けているあのハーフエルフも今度ばかりは振り切れる。少なくとも昼食から夕食後までは、ゆったりと二人だけで過ごせる。

 

 

 

 「オルニエールでは二人で水辺や山林を散策してもいいし、サ、サイトが望むなら寝室でずっと休んでてもいいし」

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の不幸は、サイトの研修のために付けられた教師があの姉であることを、いまだ知らなかったことである。

 

 

 

 

 

 



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第16話 ティファニア

 

 

 

 ルイズがわくわく、どきどきしながら待っていた虚無の曜日が来た。

 昨夜は眠りにつく時、うれしくてうれしくて自然と笑みがこぼれてきた。顔がとろけていないか、空が白々としてきたときには鏡で確認したのは誰にも話せない、特にサイトには。

 サイトが私のことを好きで好きでしょうがないから、ちょっとだけ応えてあげる、というふうにしておかないと。どちらの立場が上か、結婚する前からしっかり教え込むことが重要なのだ。

 

 ちょっとだけおめかしもした。ほぼ二週間ぶりに会うのだ。サイトの前では常にきれいでいたい。

 (サイトが勘違いするかもしれないから、門前には出迎えに行ってやらない。部屋がノックされたら、さも忘れていたかのように「どなたかしら」と、おもむろに開けてやるの)

 

 

 

 

 

「コンコン」

 (来たわね)

 

「コンコン」

 (まだ早いわ)

 

「ゴンゴン」

 (もう一回)

 

「ガンガン」

 (そろそろ頃合いかしらね)

 

 

 

 ルイズが「どなたかしら」とすました顔でドアを開けると、そこにいたのは待ち望んでいた使い魔ではなかった。生まれた時から知っていて、そして今も頭が上がらない存在が怖い顔をして立っていた。

 

 

 「おちび、どれだけ待たせれば気が済むのかしら?」

 

 

 「えっ、えっ、えっ、なんでエレ姉さまが」

 

 「なんでって、あんたが呼びつけたんでしょうが。ゼロ戦を引き取りに夜のうちに馬車でサイト君とオルニエールを出てきたのよ。おかげでよく眠れなかったわ」

 

 「サイト君?」「ゼロ戦?」「オルニエール?」

 姉の話はまったく意味がわからなかった。しかし、今はそれ以上に大事なことがある。

 

 

 「エレ姉さま、サイトは今どこにいるんです?」

 

 「迷惑をかけたお詫びと修理のお礼、今後の点検のことを含めて、ミスタコルベールにあいさつに行っているわ」

 

 ルイズは、サイトが学院に来たら、まずは自分の部屋に来るものとばかり考えていた。そのため、コルベールには今回の件で話を通していない。

 

 さらに、ルイズを焦せらせることをエレオノールは口にした。

 「学院に着いたら、あの黒髪のメイドがサイト君を見つけて『荷物をお持ちします』『朝食はまだでしょう?』『コルベール先生の所へ? ハイ、お供します』と張り付いてきて大変だったんだから」

 

 

 (まずい、まずい、まずい)

 「エレ姉さま、また、後で!」との言葉を残して、ルイズは全速力でコルベールの元へ向かったのだった。

 

 

 

 

 

 学院には、ルイズと同じようにこの二週間を悶々として過ごした乙女もいた。

 あの人とルイズさんの間に分け入る勇気はないし、それをしていいとも思っていない。

 でも、「そばにいたい」という感情を押し殺すことはできなかった。

 

 

 ティファニア・ウエストウッドである。

 

 

 サイトさんは私の耳を見ても怖がらず、最初から普通の女の子として接してくれた。そして、しばらく一緒に暮らしたアルビオンの森から外の世界に連れ出してくれた。この学院でも私を守ってくれた。ほかの男の子たちは私の胸ばかりを変なもののように見るけれど、サイトさんはそうしない(そばにルイズさんがいるときに限るけれど)。

 

 そういうことを言えば、アルビオンで停止したサイトの心臓を動かすため、ただ一回しか使えない指輪の魔法で生き返らせたのがティファニアだ。見も知らぬ人間のために母の遺品を使ったのに、彼女がそのことで恩義背がましくするようなことは一度もなかった。

 

 

 

 心根が優しいティファニアだけに「サイトが倒れた。すぐに王都へ」と呼ばれたときは動転して泣いてしまった。

 このとき「私は心の底からサイトさんが好きだったんだ」と気が付いた。気が付いたが、サイトが目を覚ました後の展開にはついて行けなかった。周りの強烈な女の子に気後れしてしまったのだ。

 

 

 

 ルイズさん→サイトさんを最初に呼び出して、いつも一緒にいて。相思相愛(のように見える)で桃色の髪が美しい美少女

 

 アンリエッタさま→サイトさんを使い魔にした三番目の女性。すごくきれいなトリステインの女王陛下

 

 タバサさん→サイトさんが何度も闘ったり救ったりしたかわいい青髪の女の子。今は大国ガリアの女王陛下。

 

 シェスタさん→ひいおじいさんがサイトさんと同じ国の黒髪美人。ルイズさんの妨害をものともせず、サイトさんに尽くしている。

 

 

 

 ティファニアはこれらの女性に伍して立てるだけの器量よしなのだが、本人はそれに気が付いていない。さらには、微熱のキュルケをもひるませるグラマラスな体は、これらのライバルを圧しているのだが、それを武器にすることも思い及ばない。根本的に争いに不向きな性格なのだ。

 

 

 

 「でも、サイトさんのそばにいたい」と部屋で物思いに沈んでいた。

 

 そのとき。 

 

 聞こえた、「サイトさぁーん」というシェスタのうれしそうな声が。

 

 窓から身を乗り出すと、確かに、あのサイトがいた。横には、スレンダーな金髪の女性が付いている。が、そんなことはどうでも良かった。

 

 「近くに」「そばに」「ふれあいたい」という感情がアドレナリンを分泌させ、思うより先に体を動かしていた。

 

 

 

 廊下を走り、階段を駆け下りて行くうちに、金髪の女性はいなくなっていた。学院の中庭にいるサイトの右腕はシェスタが両腕で胸に挟み込んでいた。

 

 近づいたティファニアはもう躊躇せず、残ったサイトの左腕を自らの胸に抱え込んだ。

 

 

 

 

 

 ルイズがサイトを捜索、発見時は、こんな状況だった。

 

 

 

 

 使い魔の鼻の下は、これまで見た中で一番延び切っていた。

 

 

 

 

 

 



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第17話 コルベールの研究室

 

 

 部屋からそのまま飛び出してきたために、ルイズはメイジの象徴たる杖をベッド横のチェストに置いてきてしまっていた。

 ゆえに、お仕置きにエクスプロージョンは使えない。三メール前で大きく踏み切って、両足つま先をサイトに向けた。必殺のドロップキックである。

 

 「キャッ」

 両脇の娘は、サイトの腕を放し、頭を抱え込んでしゃがみ込んでしまった。それほどルイズの表情は鬼気迫っていた。

 

 きれいに決まるはずのドロップキックはサイトにかわされた。このまま墜落すれば、地面にお尻をしたたか打ち付けて青あざができる。と思われた瞬間、体を半身に開いたサイトが右腕で宙を行くルイズの太ももを上から、左腕で背中を支えたのである。そのままルイズの勢いを殺すように、左足のかかとを支点にクルックルックルッと三度らせんを描き、二人は止まった。

 

 サイトはゆっくりルイズを地面に降ろし、両腕でその華奢な体を優しく抱きしめた。

 

 そして、言った。

 

 「ただいま、ルイズ」

 

 

 これだけで彼女の中で渦巻いていた怒り、焦り、哀しみ、不満が雲散霧消してしまった。(ここで甘い顔をしては駄目!)と思いつつも、顔は再びとろけてしまう。サイトに抱きしめられることで、脳内物質エンドルフィンが大量に分泌され、多幸感が体中を駆け巡っていたのだ。

 

 しゃがみ込んでいた二人も立ち上がった。それぞれがサイトの腰に手を回して、しっかり密着した。サイトの正面と両腕を確保しているルイズは、「まぁこれぐらいはいいか」と見逃すことにした。優越感がなせるわざであった。

 

 

 

 

 だが、四人にとって至福の時間はそんなに長く続かなかった。

 

 

 

 

 「まーた、サイト、サイトーかぁ。今日はレモンちゃんとメロンちゃん、パインちゃんを独り占め?」

 

 

 地鳴りのような重く暗い声が届いた。風上のマリコルヌである。

 

 水精霊騎士隊の早朝訓練を終え、学院に戻ろうとしたらこれ。彼の声には「なんでサイトばっかり」という怨念がこもっていた。

 

 

 

 「こ、これはサイトが一方的に」と真っ赤になってルイズが弁解したが、あの黒い視線に耐えられるだけの精神力は持ち合わせてはいない。少女たちはすごすごとサイトから離れ、距離を取るしかなかった。

 

 

 

 ルイズの弁解を完全に無視したマリコルヌと他の隊員。場所を譲った少女たちに代わり、サイトを取り囲んだ。

 

 

 

 「「「おかえり、サイト!」」」

 

 

 

 三人の美少女に抱きつかれていた光景はうらやましいには違いないが、それは学院では見慣れたものであって、今さらそれに嫉妬するのはマリコルヌぐらいしかいない。

 

 

 

 

 一番喜んだのはギーシュかもしれない。

 

 

 ここしばらくの訓練は指導役のサイトがいないため近接戦はほとんどできず、体力強化のランニングばかり。隊長のギーシュがどれだけ叱咤しても、士気が上がらなかった。あらためてサイトの存在の大きさを痛感していたのだ。

 

 

 「オルニエールで研修させられていると聞いたけれど、もう終わったのかい?」

 

 「いや、まだまだ勉強途中なんだけど、ゼロ戦を引き取りに来たんだ。忙しいコルベール先生に管理ですごい迷惑を掛けているようだから」

 

 

 「?」

 「?」

 「?」

 

 隊員たちの頭の上に疑問符が並んだ。授業はいつも通りだったし、ゼロ戦の管理が大変だとは聞いたことがなかったからだ。

 

 

 

 

 「そ、そうよ、サイト。早くコルベール先生の所へ行かないと」。

 

 

 自分の企みが露見する前に、ここはサイトを連れ出すに限る。

 サイトはルイズに引きずられる形で、コルベールの研究室に向かった。

 

 

 休日早朝にもかかわらず、コルベールは温かく迎えてくれた。サイトが口を挟む前に、ルイズはゼロ戦をオルニエールに運ぶ必要が出たこと、ついては、今から出発したいことなどを早口でまくしたてた。

 

 もともとサイトの所有物だし、ある程度の分析も終わった。コルベールとしては、少し残念な気もするが、これ以上置いておくことを強要できない。ただ心配なのは、この貴重な飛行機械がきちんと保守管理できるかどうかだった。

 

 

 「ええ、それはなんとか。エレオノールさんと二人で急ごしらえながら格納庫と滑走路を館のそばに造りましたから」

 

 このサイトの返事が、ルイズに寮室入り口での姉とのやり取りを思い出させた。

  

 

 「ちょっとちょっと、あんた、エレ姉さまとどういう関係なのよ?」

 

 「ああ、姉さん、おれの家庭教師になってくれてるんだ」

 

 「えええええっ!」

 驚き方は遺伝するのかもしれない。妹の声は、太后から拝命した時の姉の叫び声と同じだった。

 

 

 

 「何が『えええええっ』よ」

 

  研究室のドアが開いて出てきたのは、部屋に置いてきた長姉だった

 

 「探したわよ」とルイズを一にらみした後、コルベールにあいさつした。

 

 「はじめまして、ミスタコルベール。ルイズの姉にして、シュバリエサイトの個人教師を王家から命じられておりますエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します。二人が日ごろ、お世話になっておりますこと、心より感謝申し上げます」

 

 膝の曲げ方、目線の動かし方、非の打ちどころのない自己紹介であった。公爵家令嬢から丁寧そのもののあいさつを受けたコルベールも若干の緊張を持って答礼した。

 「当学院で教師をしておりますジャン・コルベールです。お目にかかれて光栄です。ミスヴァリエール」

 

 

 エレオノールが学院に在籍した十年前にはコルベールは奉職していなかった。後世、トリステインの、いやハルケギニアの産業を変えたと言われる二大エンジニアの、これが初対面だった。

 

 

 「で、これがゼロ戦ですの、ミスタ」

 

 「ええ、ハルケギニアのフネとは全く別の原理で空を飛ぶ機械です。風石を使わず、自ら風を起こし、その風で空に浮かぶ。サイト君に言わせると、その段階で翼に揚力が発生するというのですが、まだ、その理論の解析は終わっていません」

 

 コルベールにしてみれば、この学院で自分の説明、講義を初めて真正面から受け止めてくれた最初の人物となった。エレオノールにしても、サイトの言う「科学技術」を実物に即して教えてもらえる最初の機会だった。

 

 「で、ミスヴァリエール、これがその風を切る力をつくるエンジンです。精製された油を霧上にして、個々の筒の中で内部で圧縮、燃焼を繰り返します。この往復運動をこのクランク軸で回転運動に変換し……」

 

 

 二人の話は終わる気配を見せなかった。

 

 

 

 気が気でないのはルイズである。

 

 ぜろせんでオルニエールに行き、サイトと過ごす計画がピンチだ。ただでさえティファニアとシェスタがこの研究室にまで付いてきている。綿密な計画がエレオノールの登場で崩壊し始めている。ガラガラガラという音が耳元でとどろいている気さえした。

 

 

 

 そのまま、夕方になった。なってしまった。

 

 

 サイトはあろうことか、ゼロ戦後部座席にエレオノールを乗せてオルニエールに飛び立っていった。

 

 日中、エレオノールがコルベールとの議論に夢中だったのは幸いだったが、水精霊騎士隊の野郎どもや、邪魔な邪魔な少女二人がサイトと二人っきりにするはずもなく、ルイズの計画は水泡に帰したのである。

 

 

 

 以後も虚無の曜日ごとにサイトは学院に訪れた、ゼロ戦の後部座席にエレオノールを乗せて。

 

 

 

 

 

 かくして、夏季休業が訪れるまで、ルイズの欲求不満は高まる一方だったのである。

 

 

 

 



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第18話 二人の女王

 

 

 

 オルニエールでのサイト独占計画に失敗したのは、ルイズだけではなかった。

 

 「トリステインの華」もまた、ほぞをかむはめになった。

 

 

 王宮における王の寝所とオルニエールの地下寝室の間は、瞬時に行き来できるマジックアイテムの鏡でつながれていることは体験済み。しかもこのことは、宰相、侍従長、王母たるマリアンヌ含め政府も王宮も誰もが知らない。だからこそのオルニエールでのサイト隔離だったのだ。

 

 

 ところが、あれから何度、鏡の前に立ってもオルニエールとの通路は開かれない。

 

 英雄王フィリップ三世が密会に使ったマジックアイテムだが、残念ながら祖父は孫娘にその取扱説明書を遺してはくれていなかった。

 

 サイトと接吻を交わしたあの時のことを思い出すと、同じ時間に想いを持ち合う男女がトリスタニア、オルニエールの双方で鏡の前に立つことが魔法が発動する最低条件らしい。

 

 

 「どうやって、サイトさんにこのことを連絡したらいいの」

 

 ここしばらく、アンリエッタの悩みはこれに尽きた。

 

 

 手紙を書くのは憚られた。こんなに早くサイトが当地の文字をマスターしているとは思っていなかったし、代読するのがあの堅物のエレオノールであれば、そのままマリアンヌやボルト侍従長らに「ご注進!」とばかりに報告されるかもしれない。ルイズに知られるかもしれないことも厄介だった。

 

 

 一番は、アンリエッタがサイトに直接、告げることだが、オルニエールに送り出したシュバリエをすぐに呼び出すというのは外聞が悪かった。また、女王という立場上、軽々に臣下の領地に行幸するわけにはいかない。

 

 

 

 (どうして、サイトさんから連絡してくれないの。私の伴侶になってくれると約束したではないですか)

 

 言うまでもないが、サイトはまだそんな約束はしていない。

 

 

 

 かくして、アンリエッタの憂鬱は深まり、それがなぜか「理由は知らねど『翳ある華』もまた、美しい」とトリスタニアで評判になるのであった。

 

  

 

 

 

 

 

 

 もう一人の女王も煩悶を続けていた。

 

 

 サイトが魔法学院ではなく、オルニエールで勉強させられている、との報告を外務省から受けた。

 この時には、思わず「グッジョブ!」と、北にいるアンリエッタに向けてサムズアップしたものだが、魔法学院だろうが、トリスタニアだろうが、オルニエールだろうが、ガリア女王たる自分が理由もなく行ける場所ではない。

 先の見舞いも、サイトが危篤と聞いたからこそ、リュティス内からの異論を無理矢理封じ込めたのだ。病人でもない異国の騎士をガリア女王がたびたび訪問することがあれば、誰が見ても逢い引きとしか映らない。

 

 

 脳内に浮かんだ「逢い引き」との言葉に、うれしそうに頬を染めたシャルロットだが、さすがに今度ばかりは、ガリア政府全体の猛反対を抑え込む自信はない。

 

 

 

 こんなことなら、エルバ島の離宮に蟄居している伯父に王冠を返そうか、とも一瞬、考えた。

 

 前王ジョセフは、サイトとの一戦の後、虚無の魔法リコードによって弟シャルルが自分に持っていた思いを目の当たりにした。王位継承を、「おめでとう、兄さん」と祝福したその弟がその腹の中で抱えていた人間的な、余りに人間的な妬みやそねみ、劣等感を知ることで、ジョセフは悲しみや憐れみ、怒り、喜びなどの感情を取り戻したのである。

 

 愚かな人間ぞろいの王宮の中で唯一、話が通じる相手、チェスでも対等に戦える最愛の弟の命を毒矢で奪ったことを悔い、苦しみ、嘆く伯父の姿を見て、シャルロットの復讐は果たされた。青髭まで涙と鼻水でぬらすジョセフを今さら手にかけることはできなかったのだ。

 

 

 その伯父が涙ながらに「シャルルの娘、我が姪にせめて王冠を」と言った。なんであの時、拒まなかったのだろう。悔やんでも悔やみきれない。

  

 

 

 

 

 

 

 「エレーヌ、将来を見据えて、打てる手は打っておくのが王者のチェスだよ」

 

 

 玉座で考え込んでいるシャルロットに声をかけたのは副王の座にある従妹のイザベラである。

 

 「あんたはそのサイトという騎士を愛している。そのサイトはトリステインのシュバリエ。だから、ガリア女王のあんたは苦しんでいる。なら、その前提条件を変えちまえばいいじゃないか」

 

 

 まだ十代だが、イザベラの知力、観察力、洞察力は他を圧している。歴史上、賢王ぞろいと言われてきたガリア王家だが、その血筋を一番色濃く受け継いでいるのは、彼女かもしれなかった。魔法が苦手だが、それはかつてのルイズとよく似ていた。もしジョセフが死んだら、虚無の担い手はイザベラに発現し、シェフィールドに代わる新たなミョズニトニルンを彼女が呼び出す可能性はきわめて高かった。

 

 

 王位をめぐって肉親が殺しあう事件は、ハルケギニアの歴史ではありふれたことだ。だが、ジョセフの王たる才能を知っていた彼女らの祖父が、彼が虚無の担い手であることも見抜いていてさえくれていたら……。それを公表したうえで王位につけてくれてさえいれば、その後のガリア王家の悲劇は避けられたのかもしれない。

 

 

 

 

 真夏の空の色にも負けない、澄んだ青い髪をしている王家の若者はガリアでこの二人しか残っていなかった。イザベラは、今までのことを謝罪し、シャルロットを全力で支える、と誓った。シャルロットもすべてを水に流すことにした。不倶戴天の敵だった従姉だが、今は昔のように仲の良い姉妹に戻っている。

 

 

 

 

 「幸か不幸か、くそ親父のおかげで、今のガリアには王家が没収した領主不在の地には事欠かない。『これまでの功績をかんがみ、ヒラガサイトには、これこれの領地を下付する』と承諾させちまえば、そいつはガリアの臣下だ。トリステインはシュバリエしか与えていない。ガリアがそれ以上の地位を与えることで、そのサイトをこちらに引っ張れる、ということさ」

 

 

 

 青髪の女王の顔は、喜びで輝いた。

 

 「姉さま、やっぱりあなたは賢い」

 

 シャルロットはイザベラの広いおでこに感謝した。

 

 

 

 「ただし、それは諸刃の剣でもあるからね」とおでこは続けた。

 

 

 「トリステインもみすみす神の左手ガンダールフをこっちにくれるほど馬鹿じゃない。貧乏国だから領地は無理でも法衣貴族として公爵までは行かなくても、侯爵、伯爵クラスの爵位を与えるだろうねえ。その場合、サイトは一躍、アンリエッタの婿としての条件を満たすことになっちまう。二カ国に領地を有する高位貴族が出来上がるんだからね。考えようによっては、敵に塩を送ることにもなりかねないが、それでもいいのかい?」

 

 

 

 しばし目をつぶって考え込んでいたシャルロットだが、目を見開いて言った。

 

「いい。それは、サイトが私の夫になる資格をも得たということになる」 

 

 ことわざにも「竜の巣穴に入らねば竜の仔は得られない」と言うではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガリアが投げかけたボールはこの後、トリステイン、ひいてはハルケギニアに大きな波乱を巻き起こす火だねになるのだった。

 

 

 

 

 



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第19話 出立

 

 

 夏季休暇を前にサイトは言った。

 

 「ルイズ、夏休みにオルニエールに来るなら大歓迎するよ。期待してくれ」

 

 

 その言葉を信じた自分が馬鹿なのか、それともサイトがもともと馬鹿なのか。

 

 

 

 夏季休暇に入ると同時にサイトは迎えに来てくれた。ゼロ戦ではなく、馬車で。あの姉は同乗していない。これは良しとしよう。

 学院前でサイトは淑女に対する最上の礼を尽くして、ルイズの手を取り、車内に案内した。礼節はこれまで見た中でもピカイチであった。姉について学んでいるというのは本当らしい。ルイズは笑みを抑えるのが苦しいほど上機嫌だった、ここまでは。

 

 

 だが、サイトはもう一回同じ礼をした、ティファニア相手に。

 おっぱいを揺らしながらうれしそうに馬車内に乗り込み、ルイズの隣に座るハーフエルフ。

 そこから、教師のコルベールも続いた。さすがにサイトはコルベールの手を取るようなことはなかったが、つややかな頭がルイズの前に陣取った。

 さらにさらに、もう一人が乗り込んできた。黒髪のメイドである。

 

 

 馬車の前後を固めるのは、水精霊騎士隊の隊員十人。いずれも騎乗だ。

 

 サイトは全員に声をかけた。

 「今日は、VIP警護の訓練だ。馬車に乗っているのが女王陛下のつもりで、最上の警備に努めよ。では、出発!」

 「おーっ!」との返事が馬車の前後から聞こえてきた。

 

 

 

 これが、サイトが言う「歓迎」の中身だった。

 

 

 

 

 ルイズは並走するサイトに馬車から文句を言わざるを得ない。

 

 

 

 「どうして、テファがいっしょなのよ」

 

 「テファは夏休みの予定がないんだって。ほかのみんなは帰省やら、旅行やらがあるけれど、学院に一人で居残りなんてかわいそうだろ。で、『来る?』って聞いたんだ」

 そう言われれば、駄目とは言えない。鬼でも夜叉でもないルイズ。根は優しい子なのだ。

 

 

 「じゃあ、コルベール先生はどういうわけよ?」

 

 「ゼロ戦の保守管理の方法で、先生をお招きして指導を仰げって、エレ姉さんが。確かに、コルベール先生に状態を確認してもらうのが一番だからな」

 あの姉が絡んでいるとなると、ルイズも強いことは言えない。

 

 

 

 「じゃあじゃあ、シェスタは?」

 

 

 

 これには、斜め前に座るシェスタが答えた。

 「学校がお休みでお仕事がなくなったんですよ。タルブに帰ろうかな、と思ったらサイトさんが誘ってくださったんです」

 

 

 (何、胸を張って答えてんのよ、こいつは)

 胸が絡むと意固地になるルイズの性癖。魔法学院で唯一、優越感を持てた青い髪の少女がガリアに行ってしまった影響で悪化した部分もある。

 「まあ、一歩譲ってオルニエールに行くのはサイトの主人である私が認めてやってもいいわ。でも、貴族用の馬車に平民のあんたが乗るって、許されると思ってんの!」

 

 

 

 だが、敵の方が一枚も二枚も上手だった。

 

 「サイトさん、ミスヴァリエールがこうおっしゃいますけれど、私、どうしたらいいんでしょう?」

 

 

 「うーん、じゃあ、仕方ないな。おれの馬で行こう。おれの腰に手を回して後ろか「いいわ、馬車への同乗は特別に許してあげる。あんたはその席から動いちゃだめ」とルイズがサイトの答えを遮った。

 自分の目の前で、シェスタがサイトにしがみつく姿をオルニエールまでの道中、ずっと見せられ続けたら、心が平穏を保っていられる自信はみじんもなかった。

 

 

 

 

 

 心待ちにしていたオルニエールへの旅立ちは、ライバル二人に、教師付き。加えて、むさくるしい騎士隊十人という想像もしてない陣容になってしまった。

 

 

 

 約五時間かけて、オルニエールの領地に入った。

 

 夏の陽光がまぶしく、風も心地よい。隣に座るのがサイトだったらどれだけ楽しかっただろうか。白い雲がふんわり流れて行く。林の緑は鮮やかで、金色に実った麦が青い空を向いている。畑には農作業に従事する若者が、若者?

 

 「サイト、ここの住民って、年寄りばかりじゃなかったかしら?」

 

 「ああ、なんか最近、住民の跡取りが次々に帰ってきてるんだ。年寄りはみな、大喜びだよ」

 

 サイトが領地に常駐していることが知れ渡ったのが理由だった。神の左手ガンダールフが常にいるとなれば、盗賊の類はオルニエールを敬して遠ざけるに決まっている。五十人、百人の野盗集団であっても、サイト相手に戦えば百戦百敗だ。伝説の剣を左手にしたサイトが突っ込んで来て、首領の首を挙げれば、残りは烏合の衆。集団としては崩壊するしかない。サイト常駐を知った領民が大喜びで次々に町やほかの地域から家族を呼び戻したのだ。

 

 

 「で、帰ってきたみんなが食っていけるようにしないといけないから、いろいろ手を打っている最中なんだ。エレ姉さんや王都にいるスカロンさん、魔法学院のマルトーさんにも知恵を借りながらな」

 

 

 

 サイトの考えとは、金になる商品作物の栽培、販売だった。

 王都でのレストランなどで出されるサラダに不満を感じていたのがアイデアのきっかけとなった。レタスなどの青物野菜の鮮度が日本と比べると、どうしても劣っている。パリパリ感、シャキシャキ感がないのだ。煮物ではなく、生野菜として使うと、どうしても風味、食感に問題が出る。聞けば、スカロンやマルトーらハルケギニアの料理人の共通の悩みの種だった。

 

 なら、青物野菜の鮮度を保てば、付加価値が付くことは間違いない。

 

 氷温の概念さえないこの世界、明け方に収穫し、そのまま冷蔵で王都まで運べば、十分勝算はあった。生鮮野菜なら軽く、力が衰えた年寄りになっても作業できる。通常の荷馬車に一工夫して、発泡スチロールを挟みこんだ板で荷台を囲み、中には魔法で作り出した氷柱を置いておく。これで王都の市場に運び入れるのだ。外見は板張りされた馬車にしか見えないが、発泡スチロールの断熱効果は高く、王都まで約2時間という近さも味方して、実験では、みずみずしさを十二分に持ったまま、市場に供給できた。

 

 

 

 このアイデアは他産地に真似されるのが難点だが、そこは品質にこだわって差別化を図る。

 「オルニエール産」としてブランド化するつもりだったが、領民からの要望、懇願で「サイト印」になったことが、サイトにとっては計算外だった。

 

 

 

 サイトの狙いは大当たりし、サイト印の高級野菜はトリスタニアの高級レストランなどで、引っ張りだこになった。大商人の宴席でもサイト印のサラダを出せるかどうかが、接待の成否を分けるほどになった。

 

 

 この成功は後に、オルニエールの領民を、ひいてはシュバリエサイトの懐をおおいに暖かくすることに役立ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第20話 寝場所

 

 

 

 一行がオルニエールの館に到着したのは昼過ぎになった。

 留守を預けていたエレオノールの差配で、一行は遅まきながら昼食を採り、ある者はゼロ戦へ、ある者は散策へ、ある者は訓練を、そして太った一人は食べ続けていたのだが、夜になって、部屋の割り振りが問題となった。

 

 最上の客間は当然ながら王家から派遣された教師という立場のエレオノールが使っていた。

 

 サイトの館は広いようで狭い。使用人の部屋を除くと、そんなに余裕はないのだ。

 

「訓練だから、水精霊騎士隊は野営」と言ったサイトだが、隊員からブーイングの嵐を浴び、考え直さざるを得なかった。

 寝る場所さえあればなんとかなる。それが男だ。ただし、男でも魔法学院の教師で、お出でをお願いしたコルベールの扱いはおろそかにはできない。

 本人は辞退したのだが、次客用の部屋を使ってもらうことにした。

 

 三席の部屋は、ティファニアに割り当て、ここにシェスタも同室させた。メイドが貴族用の客間というのもあまりない話だが、いきなり、オルニエールの使用人と一緒に寝ろというのもかわいそうだからである。

 

 

 

 さて、ここまで、ルイズは部屋割にまったく口を挟まなかった。よい部屋から次々に決まっていくのに自分の部屋がないことをまったく問題視しなかったのは、最初からサイトの部屋に泊るつもりだったからである。サイトもそのつもりであった。

 だが、ティファニアと一緒にされるシェスタがそこに気付かないわけはなかった。

 

 

 

 「あれ、ミスヴァリエールのお部屋がありませんが、どうなさるのですか?」

 

 サイトやルイズに、ではない。そばにいたエレオノールに聞こえるように。

 

 「あら、おちびは私の部屋よ。部屋数に限りがあるのだから仕方ないわ」

 

 男女の関係に疎いというか、潔癖なままアラサーになっているブロンド美女は当然のように反応した。

 

 「いえ、姉さま、使い魔と一緒にいるのが主人の務めな「おちび、ヴァリエールの者が結婚前に男女同室なんて許されるわけないでしょう」

 

 バシッと話を打ち切ったエレオノール。ルイズは「魔法学院ではいつも同じベッドで」とはとても口にできず、家庭教師の語気にサイトも反論できなかった。シェスタのたくらみは成功したのだった。

 

 

 

 

 さて、「今日はヴァリエールの者として淑女の心構えを、おちびに」と意気込んでいたエレオノールだが、魔法学院への馬車での行き帰り、戻ってからは内燃機関の効率性とその応用についてコルベールと議論を交わし続けたため疲労困憊していた。このため、部屋に戻るや早々に、上と下のまぶたがくっついてしまった。

 

 狙っていたわけではないが、この好機を逃す虚無の担い手ではない。そろりと部屋を抜け出した。行先はこの館の主の部屋である。「サイトが自分を待っている」と想うだけで早足になった。気持ちに体が追い付かず、ノックなしでサイトの部屋のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 愛しの使い魔はベッドで横になっていた。  両脇に黒髪と金髪のおっぱいを従えて。

 

 

 

 「な、な、なんで、あんたたちがここにいるのよ!」

 

 絶叫に近い悲鳴だったが、幸いにも姉や教師を起こすことはなかった。

 

 

 そこからは修羅場だった。

 

 さすがに、魔法が飛び交うことはなかったが、それぞれが自己の立場を強調しつつ、サイトの隣に眠る権利を言い立てたのである。自らの気持ちに目覚めたティファニアも「ここで引いたら、私は駄目になる」と必死。口争いになれたルイズとシェスタが引くわけもなく、女三人寄れば姦しい、を実践したのだ。

 

 

 サイトは眠かった。ひたすら眠かった。それはそうだろう。魔法学院に朝に着くために、オルニエールを出発したのは昨夜だ。ほぼ一日半、眠っていないのだ。

 耳元では少女3人の場所取り合戦が続いている。いつもなら心をくすぐるかわいらしいそれぞれの声も、今は耳の中で「眠るな、起きろ」と鳴る悪意ある目覚まし時計としか感じられない。

 かと言って、ここで自分が口を挟めば「あの娘の味方をした」「私はどうでもいいの」と火に油を注ぐというか、アンプで騒音を増幅する効果しかないことも理解していた。

 

 

 

 

 サイトが選んだ「ごめん、ちょっとトイレに行ってくる」という選択はこの場合、賢明と言って良かった。

 

 

 扉を閉めて廊下に出たサイトが考えたのが今晩の寝場所である。

 

 

 仲間の騎士隊を三人一組で放り込んだ部屋にはベッドの余分がないのは分かっていたし、当の領主が部屋を抜け出してくれば変な憶測を呼ぶだけだ。さすがに来賓のコルベール先生の所に行って「相部屋お願いします」とは言えない。今なら逆にティファニアの部屋が空いているのだが、その選択がルイズを逆上させるのは明らかだった。

 

 半分眠っているサイトがふらふらと脚を運んだのは、長く使っていない地下室だった。入り口はなぜか板で封鎖されているが、メキメキメキと壊し、中に入った。

 

 「ひどい顔をしているんだろうな、おれ」とベッドに倒れ込む前に最後の力を振り絞って、くくり付けの姿見の前に立った。

 

 目の下がくぼんだひどい顔がそこにあるはずだった。

 

 

 

 だが、条件がそろえば、マジックアイテムは作動する。

 

 

 

 

 

 今日も忙しかった。十代の少女には、過酷な公務が朝から続き、食事と湯浴みを終えて、寝室に戻ったのはつい先ほど。

 

 サイトに会えるのでは、と寝る前に姿見に全身を映すのが日課となっていたアンリエッタである。

 

 思い焦がれた相手がやっと鏡に映ったときは、アンリエッタは幻想だと思った。それほど、この数カ月は彼女にとって辛いことだったのだ。それが今日ばかりは、まるで生きているようにサイトの姿が見える。

 

 「サイトさん、私はあなたを思い続けて、とうとう幻を見るようになってしまいました」と悲しい笑みを浮かべたアンリエッタ。

 

 だが、この夜ばかりはその独り言に対して返事があったのだ。

 

 「アン、ごめん」。半分、寝ぼけているサイトは、思わずそう答えた。

 

  

 空耳かと思ったが、鏡の向こうにはサイトの姿が見える。アンリエッタは意を決して鏡に一歩を進めた。まるで何もないようにすり抜けてアンリエッタはオルニエールの館へ体を移した。アンリエッタには目の前にいる想い人に体を寄せること以外に何も思い浮かばなかった。

 

 

 

 

 アルビオンの英雄が熟睡するベッドの隣は、バイオレットの髪をした美少女が占めることになったのである。

 

 そのころ、二人の虚無の担い手と髪と腹の黒いメイドは、論争の疲れから、サイトのの枕を共有するかのように眠ってしまっていたのだった。

 

 

  

 

 

 



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第21話 ロベール二等書記官

釣り好きのロベール・シャミエールは、駐トリスタニアガリア大使館の二等書記官である。

 

 祖父は男爵だが、父はその三男、さらに自らはその父の次男とあっては、相続する財産もなく、外務省役人として生活の資を得ていた。上層部がのめり込む政争とは距離を置き、日々の業務に精励することで、動乱の時代をも生き抜いてきた。数十年にわたる精勤の褒美がシュバリエ叙爵の栄誉。定年まで残り数年。その後は、勲爵士の恩給で悠々とは行かないまでも、釣り三昧の余生を送れるはずで「わが生涯もそんなに悪くはなかった」と思っていた矢先の命令だった。

 

 

 

 「サイトヒラガをリュティスの王宮まで召し出せ」というのが本国から大使館への通達であった。当然ながら、他国のシュバリエ、しかもトリステイン女王直属の騎士隊副隊長を王宮に呼び出す権限はガリア大使館にはない。しかも、呼び出す理由も、呼び出した後の処遇も書いていない。罪人扱いなのか賓客なのか。場合によっては、サイトのガリア内通が疑われる状況になる。これらを考えれば、あの神の左手ガンタールフが呼び出しに首を縦に振るとは考えられない。無理筋の要求である。

 ご丁寧に「これは最高首脳筋のご意向である」との添え文が付け加えられていた。ガリアで最高首脳と言えば、シャルロット女王陛下か副王で宰相兼務のイザベラ殿下しかいない。先だっては、シャルロット陛下が自ら「見舞い」と称して、このトリステインに両用艦隊を引き連れて姿を現したばかり。その時も大使館全員がきりきり舞いさせられたが、王家トップのシュバリエサイトに対する執着は尋常ではない。それだけに、もしもサイト召致に失敗すれば、担当者が王家から疎まれることは確実で、これまでの功績が一挙に無に帰しかねない。誰もが二の足を踏む命令であった。

 

 便せんに政府の印章が使われた通達を前に、しかめっ面で腕組みをする大使館の面々。誰もが口を開こうとしない中、大使がこう言った。

 「ふーむ、相手がシュバリエであるから、同格の者がかの者の所へ赴くのが当然であろうな」

 

 (えーっ、そこ? なんでそうなるの?)とは思っていても口に出せない。相手は、大使館トップにして伯爵だ。

 大使、公使に加え、上層貴族の子弟が多い一等書記官らはこれで候補から外れた。会議室の上席に居並ぶメンバーからは、災厄から免れたことでホッとした雰囲気が流れる。打って変わってどんよりとした空気に包まれたのが下座の二等書記官以下である。ただ、サイトと同じ勲爵士となると、わずか数人。

 その中から、白羽の矢が立ったのがロベールである。

 

 

 不幸中の幸いは、政府通達には期限が切られていなかったことだ。さらに「費用は大使館予算とは別途、政府から支給する」とある。ロベールは同情してくれた同僚の手を借りて、シュバリエサイトに関する資料収集に明け暮れた。釣りも同じだ。季節や時間、水温、川の流れを事前に把握し、それに合わせた釣り道具やえさを用意しなければ釣れる魚も手に入らない。トリスタニア繁華街にあり、サイト自身がよく通ったという酒場「魅惑の妖精亭」には、自ら足を運んだ。客を装い、おかまっぽい店長や妖精と呼ばれる従業員にも話を聞いた。「シュバリエサイトは、希代のヒーロー」とこちらから持ち上げると、皆、サイトが大好きなようで次々に彼にまつわるエピソードを明かしてくれた。彼の人柄や思考ルーチンなど多大な収穫はあったものの、チップ代は予想以上にかかった。経費精算できるだろうか、ちょっと心配になった。

 

 

 さて、これらのデータを基にしたうえでのシュバリエサイトについての分析結果。①権威や権力には屈しないどころか逆に反発する性分②金銭に執着しない③単純明快にして一本気。悪く言えば、お調子者にして向こう見ず④義理人情に厚く、助けを求められれば嫌とは言わない⑤蛇足だが、女性関係はルーズというか優柔不断。 ーーー世間一般では好ましい人物に分類されるのだろうが、権謀術策が渦巻く王宮では絶対に生き残れないタイプである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一週間後、ロベールはオルニエールへの車中にあった。訪問のアポイントメントは取っていない。下手に事前の約束を入れると、周囲の人間からあれこれ入れ知恵され、こちらの分析が無になる危険があったためだ。サイトが平日は領地にいるのは確認済みなので、直当たりで勝負に出ることにしたのだ。

 

 馬車が急カーブに差し掛かって大きく揺れ、オールバックにしていた銀色の髪がすこし型崩れした。それを軽く手で直してから、「始祖ブリミルよ。我を守りたまえ」。誰にも聞こえないような小さな声でロベールは十字を切った。

 

 

 

 

 突然の訪問にもかかわらず、待たされることなく応接室に案内された。館で働く配下の者は十人に足りないようだが、領主の人柄を反映してか、どの平民も素朴だが、温かな感じにあふれていた。応接室のソファに座る。回りを見渡すと、絵や彫刻などの装飾もない。誇るべき先祖がいないこと、金がないことの裏返しかもしれないが、シンプルにまとめられたセンスには好感が持てた。

 

 

 メイドが供じた熱いお茶を口にしたところで、館の主ガンダールフが現れた。やや遅れて、ブロンドの髪を持つスレンダーな美人も。目尻側がつり上がっためがねが険を感じさせるものの第一級の美人であることは間違いない。事前調査で上がった公爵ラヴァリエール家長女エレオノール嬢に間違いなさそうだ。

 

 型どおりの挨拶の後、ロベールが本題を口にした。「サイト卿には近々、リュティスの王宮をおたずね頂きたいのです」。けげんな顔をしたサイトとエレオノールを前に、ロベールは続けた。ここは一気呵成にこちらのペースに持ち込むしかないのだ。

 

 「実は、女王陛下がサイト卿の見舞いにトリステインを内々に訪れたことがガリア国内でも広まってしまいまして…。本復したにも関わらず、当のシュバリエ本人から見舞いに対するお礼がないのは、シャルロット女王陛下、王家、ひいてはガリア王国自体を軽く見ているのではないか!と憤る輩が王宮内の貴族だけにとどまらず、市井の平民にまで多数に上る状況となっております」

 「女王陛下は、この噂を打ち消そう、なだめようと大変、ご苦心なされているのですが、いかんせん、王位に登ってまだ日が浅く、その威信も下々まで届かず、王都は波乱含みの様相になっている由」。 嘘であった。王家の正当な後継者であるシャルロットとイザベラのタッグは強力で、ジョセフとシャルル兄弟から発する王家の仲違いが修復された今となっては、シャルロットに弓引こうとする者は皆無である。だが、疑似餌で魚を誘うには、本物以上の本物らしさが必要だ。それらしき形状、色彩を入れねば、魚は食いついてこない。

 

 「ついては、本国の混乱をこのまま手をこまねいて見ているわけにはいかず、駐トリスタニアガリア大使館の独断で、サイト卿にガリアへのお越しを、と伏してお願いに参った次第」とロベールは深々と頭を下げた。後は、魚が疑似餌に食いついてくれるのを願うしかない。

 

 

 「それはそうでしょうね」

 意外にも側面支援に出たのは、エレオノールだった。トリステインでも、功績のあった老臣、功臣の病気見舞いに王が自ら、または勅使を派遣して見舞うことはままある。快復した後には、本人がお礼に王宮に伺うのは常識だった。それをしないのは、王を軽んじている、叛心ありと思われても仕方がない。ガリア王自らがサイトの下に足を運んだのであるからして、答礼は欠かせないはずだ…。滔々と流れるような弁舌。王家の儀典、作法になまじ詳しいための推察だが、今回の場合、少々的外れとも言えた。だが、ロベールは、心の内でブロンドめがねに素直に感謝した。

 

 

 「そういうものなんですね。タバサに悪いことしちゃったなぁ」とサイト。腕組みしながら考える。

 早々にリュティスに行かねば、と思うが、問題はリュティススまでの交通手段である。ゼロ戦を使うのが一番てっとり早いが、他国の王都を戦闘機が飛来するのは、刺激が強すぎる。駐機する場所があるはずもなく、ゼロ戦を屋外に残して王宮に向かうことになるが、集まった野次馬がゼロ戦に何をするか分からない。次に早いのが、タバサに頼んでシルフィードを寄越してもらうことだが、ロベールの話からすると、「王の使い魔を借馬代わりにするとは何ごとか!」とガリアの憤激をさらに増すことになるだろう。空路が無理なら、少々日時は要するが、自分で馬車を用意して陸路を行くしかない…。リュティスまでの往復を考えると、従者の確保、宿泊費用などに多額の出費が強いられることになりそうだ。大身の貴族とは違い、サイトはしがないシュバリエ。さりとて旅費をまかなうために領民への税を増すことなどとても考えられず、どこからか借金するしかないが、ルイズやエレオノール、アンリエッタに頼むのは、男のとしてのメンツが立たないし、仲の良いギーシュら魔法学院の友人は皆、貧乏で、ハナから期待できない。

 

 「うーん」とうなったままのサイトを見て、ロベールが撒き餌を放つ。シュバリエサイトが裕福ではなく、個人で馬車を融通する余裕がないのも調査済みだ。

 

 「大変失礼とは存じますが、当大使館からリュティスへの馬車が出ますので、ご同乗いただけたら幸甚でございます」。「馬車が出ます」「ご同乗」とは方便だ。サイトのために馬車をあつらえるのだが、それを言ってしまって「なんか変だぞ」と感づかれる可能性がある。魚が疑似餌の前から逃げてしまわないように、ここはなんとしても、自然な風でリュティス行きを承服させねば。自分の、ひいてはガリア大使館の命運がかかっているのだ。

 

 

 

 

 「申し訳ない気もしますけれど、お願いしていいですか?」

 

 

 

 大魚が疑似餌を呑み込んでくれた。

後はばらさないように引き上げるだけだ。少々後ろめたいが、この気のいい若者を馬車でリュティスに送り込んでしまえば、ロベールは重責から放たれる。「やはり、釣りは男児一生の趣味」。帰りの馬車でもらしたロベールの独り言は今回も誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 

 

 

 



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第22話 リュティスへ

 

 

 

 リュティスは人口30万人を誇るハルケギニア最大の都市で、その賑わいはトリスタニアの何倍にもなる。サイトが乗る馬車は、大荷物を背負った家族や幌馬車の列とすれ違ったが、馬車は人馬の列や街を左に見て、一路、郊外のヴェルサルテル宮殿に向かった。

 

 

 

 ガリア大使館の馬車乗客はサイト一人。オルニエールからガリア大使館のあるトリスタニアに向かうに当たり、エレオノールからは「シュバリエなんだから従者は連れて行きなさい」と苦言も頂戴したが、まだまだ人を使い慣れておらず、ガリアへ大使館の馬車に乗れるとあって、一人でオルニエールを発ったのだった。荷物は大きめの鞄一つ。自由なる金貨全部とマントなどシュバリエの正装や下着類を収めてまだ余裕があった。もちろん背中にはデルフリンガー。

 

 

 トリスタニアでは、衛士隊や騎士隊など女王直属の部隊の事務方を担う近衛師団本部に立ち寄った。出国予定届けを提出するためである。

 

 

 

 出国届け

 目的地 ガリア王国リュティス

 目的 関係者への見舞い答礼 

 期間 未定 

 宿泊予定地 未定

 

 

 報告書の最後には、水精霊騎士隊副隊長サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールと署名した。

 

羽ペンを走らせながら(字が書けるのは、やっぱり便利だな)と思ったサイトだが、内容はほとんど空欄に近い。実際にどこに泊まるか、何泊することになるかも決まっておらず、お礼を言うべきタバサにもいつ会えるかの約束はできていないためだ。

「タバサ、いる?」とドアをノックすれば良かった魔法学院時代とは違う。何せ、相手は大国ガリアの女王陛下だ。アンリエッタがあまりにも身近なため、女王にはいつでも会えるような気がしてしまうが、それは大きな勘違いであることは、サイト自身も重々承知していた。王たる者、分刻みとは行かないまでもきわめてタイトなスケジュールに束縛されているのである。

 

 師団本部では、届けは、思いの外スムーズに受け取ってもらえた。隊員に貴族が多い衛士隊は、公私ともに外国に出かける機会が多いのだ。ただ、届けの宿泊地未定というのが気になるようで、事務員からは「シュバリエ殿、リュティスでのホテルが決まったら、大使館に届けを出しておいてください。いざという時に連絡が付かないのは困りますから」と言われた。

 

 

 馬車による長旅は途中で何泊もしたのだが、無難というか、何もなく過ぎ去った。同乗者がいないのが気にはなっていたが、「日本でも無人でバスが走ることあるもんな」と自らを納得させた。デルフリンガーとの会話が暇つぶしに役立った。中身はほとんどなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 馬車はヴェルサイテル宮殿の中央格子門を抜け、石畳の広場を走り、宮殿車寄せに到着した。話は大使館からガリア政府に通っているらしく、衛士の検問も形だけ。降りると、玄関で待っていた二人の若い男が「サイト様、どうぞこちらへ」と案内役を務めた。うち一人は、鞄を持ってくれ、サイトの後ろに従う。今は、黙って従うしかない。シャルロット女王と面会し、答礼の約束を取り付けないことには、すべての話が始まらないのだ。

 

 

 

 

 宮殿には、部屋は700以上もあるという。その中で案内された部屋は対外用にそれ相応に格式ある応接室らしく、勧められるままにソファに腰掛けた。で、待つことしばし。サイトがトリスタニア王宮で伏せっていた時にタバサに随行してきた外務副大臣カルヴァン伯爵が姿を現した。タバサがガリアに帰る時に、サイトもこの男と挨拶は交わした覚えがある。

 

 

「一別以来ですな」と手を差し出すカルヴァンに、サイトも「あの時はご迷惑をお掛けしました。自分でも何が何やら分からないうちに大事になっていたみたいで」と手を握り返す。

 そして、少しかしこまって「本日は、シャルロット女王陛下にあの時の御礼を申し上げたく、まかり越した次第。カルヴァン伯にはぜひお取り次ぎの労をお取りいただきたくお願い申し上げる次第です」と頭を下げた。

 

 大使館のロヴェールの話では、ガリア政府はサイトの来訪を心待ちにしていたはず。故に、ガリアとしては一刻も早くサイトを女王に引見させ、家臣一同を納得させようとするだろうと思っていた。

 

 

 

 

 ところが、カルヴァンは「それが…」と言葉を濁す。カルヴァンは前回会ったときより、少し老けたような感じがした。 

 

 

 「陛下には、この王宮、リュティスを不在にしております。ついては、遠路ご足労戴いたサイト卿にはまことに申し訳ないのですが、早々にトリステインにお帰り願いたいのです」

 

 

 勧められるままで屋根に登ったのに、下を見たらそのはしごが外されていた。あっけにとられているサイトに向かい、カルヴァンは続けた。「詳しいお話は、副王殿下がされる由、そろそろ会議が3回目の休憩に入る時間です。そちらに足をお運びいただきたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュティスに800年来という厄災が迫っていた。

 

 

 

 

 



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第23話 災厄

 

 

 

 山に入った木樵の不始末とも、亜人が獲物をローストした火が原因とも、炎系統の幻獣の雄の縄張り争いが発端とも言うが、今となっては確かめようもなかった。

 

 分かっているのは、小さな火が燃え広がるのにさほど時間はかからなかったことだ。ガリアでは、ここ数十年ぶりで最悪という日照りが続いていた。南の海を渡ってくる夏の風は火竜山脈を越える際に湿り気を全て奪い取られる。その強風が乾ききった森の小さな炎をあおった。

 

 

 

 一報がヴェルサイテル宮殿に入ったのは4日前だった。

 トリスタニアを出た大使館の馬車が宿に停車するたびに御者に逐一リュティスに報告させていた。「サイトが来る。やっと会える」と小さな胸を弾ませていた女王だが、火事が山あいの家々を呑み込んで北に進んでいるとの知らせを受け、一瞬で緩んだ顔を引き締めた。「住民だけでの対処は無理。軍に加えて花壇騎士団も出動させよ」と即座に命令した。

 

 

 だが、道もない奥深い山の中。軍のできる作業は限られていた。ガリアの誇る両用艦隊は二隻で一組となり、大きな桶や樽をそれぞれ舷側から張ったロープで何個も吊し、遠くの湖から水を運んだ。山火事の現場に到着すると、メイジがレビテーションでこの容器を傾け、火に水を掛けることを繰り返した。だが、空中高く上がる炎は、船が近くに寄ることを許さない。焦る艦長が炎のそばまで行かせたため、船底から煙が上がった船もあったほどだ。やむなく高高度から投じた水は、空中を落ちる間に霧状になり、消火を促す効果はほとんど上がらなかった。

 

 魔法大国の面子を掛けて現場に臨んだ花壇騎士団も苦戦を免れなかった。魔法が効果を発揮するのは、五十メールほどに近づかなくてはならない。命を捨てる覚悟で水属性のメイジが眉毛が焦げるほどに近づいて杖を振るったのだが、山を呑む勢いの炎に注がれる水は子牛の小便ほどにしかならない。大気中の水分を絞り出して使う水魔法だけに、乾燥しきった場所では相手が悪かったのだ。

 

 

 

 ガリア官民あげての消火が功を奏さない中、公文書館の館長が駆け込んできたのが2日前だった。

 

 青ざめた顔で「時期と風、乾燥具合などの天候、そして山火事の進行方向が800年前の大火と類似しております」という。今でも語りぐさになっているその火事は北上してリュティスの街並みをなめ尽くし、大勢の人々が焼け死んだ。ガリアがそこから立ち直るまで十年。街並みが旧に復するまで百年を要したという。ガリア災害史でも五指に入る災厄の記憶だった。

 

 

 シャルロットは「現場で指揮を執る。リュティスにはイザベラを置き、後方支援を任す」と席を立った。

 

 現場で自分が何ができるかは分からない。だが、軍と花壇騎士団の双方の上に立つのはシャルロットしかいなかった。自分が、なんらかの最終決断をしなければならない、または最後の責任を取る地位にあることは十二分に自覚していた。王が現場にいることで炎に立ち向かっている強者の士気も上がるだろう。イザベラには「リュティスに至るまでに最終防火帯を敷いて。場所と長さ、幅は任せる」と声を掛けた。その後に小さな声で「サイトが来たら、トリステインに帰して」とお願いした。公私の別は立てなければならない。それが王の務めであることも承知していた。

 

 

 

 

 

 

 

 カルヴァンに連れられて、サイトがガリア政府会議室のドアを開けた時、朝からの会議はひとまず3回目の休憩に入っていた。政府の高官、軍中枢部が占める楕円形の円卓上座にイザベラ・ド・ガリアはいた。タバサ同様に美しい青髪は、連日の疲れによりくすんだように見えた。陸軍を動員した最終防火帯の構築、前線への食料や飲料水輸送など兵站線の維持、リュティス市民の避難指示など政府が決め、実行せねばならないことは山のようにあった。

 美食家ぞろいのガリアなのに、円卓には昼食代わりに置かれたハム挟みパン。ガリアが置かれた窮地を表すかのようだった。その椅子から立ち上がった副王イザベラの前でサイトは跪いた。

 

 挨拶を受けたイザベラは、侍従が向きを直した椅子に座り直す。さらにサイト用の椅子も用意させ、向き合って語り始めた。「折角のサイト卿の来訪を歓迎するでもなく、追い返すことになり、まことに心苦しく思います。されど、今、リュティスは、このガリアは苦境に立っております」。いったん円卓の面々に視線を動かし、暗黙の了解を求めた上で、イザベラは続けた。「この災厄、すぐにも他国の知るところになりましょう。今さら隠すすべもありません」と山火事の詳細をサイトに告げた。

 

 「シャルロット陛下には、サイト卿との再会を心待ちにしていた様子でしたが…。王命でございます。トリステインにお戻りください」とうつむきがちに述べたのだった。

 

 

 そこまで聞いて、サイトは口を開いた。「案内の方に、私の剣を預けております。その剣の下に行って来てよろしいでしょうか」と尋ねる。イザベラの諒を待って席を立ったサイト。しばらくして会議室に戻ってきて王命を拒否することを告げた。

 

 

 

 

 

 

 「私も鎮火のためのお手伝いをしたいと存じます。畏れ多いことながら、ガリア王シャルロット陛下は私の親友です。その苦難に背を向け、トリステインに帰ることはできません」。

 

 そして続けた。

 

 

 

「私は、神の左手ガンダールフです」

 

 

 

 

 

 

 



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第24話 シャルロット

 「私は、神の左手ガンタールヴです」

 

 

 

 言った自分も恥ずかしくなるが、あの場では仕方なかったと思う。

 

 

 ガリアの副王イザベラが「王命」と口にした以上、トリステインのシュバリエ風情がそれを否定することはガリアの面子をつぶすことになる。

 居並ぶ高官の手前、サイトはガリア王以上の権威をぶつけて、王命拒否を正当化するしかなかった。始祖ブリミル直系の故に尊ばれるハルケギニアの3王家。なら、自分こそがブリミルの使い魔だった「ガンタールヴ」の復活した姿であることを示し、王命拒否をうやむやのうちにスルーしたのである。

 

 さらに伝説の使い魔宣言にはもう一つの意味合いも付与されていた。「すさまじい山火事の現場に行って、メイジでもない元平民のお前に何が出来る」というガリアからの冷笑を、抵抗を、邪魔をストップさせ、サイトへの協力を強制させる効果を狙っていた。サイトの人外とも言うべき活躍はガリア中枢部も知るところになっており、この狙いは無事に達せられた。

 

 

 実は、あの名乗りはもう一つ、想定外の甚大な影響を生み出すことにもなるのであるが、サイトもそこまでは気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 現場に行くことが了承されたサイトには、ガリア政府から竜と竜騎士が用意された。

 宮殿に付属した竜の厩舎。ここにサイトが現れた途端、数十頭の竜がわななき、おののき、場は騒然となった。高位の幻獣だけにサイトに加わった強大な魂と力を読み取ったに違いなかった。鶏の群れの前に突然、ティラノサウルス・レックスが登場したようなものだ。竜にしたらどうやったって敵わないのは分かっている。分かってはいるが、それでものどからは悲鳴がもれ、体が身震いするのは止めようがなかった。

 

 だが、騒ぎは一瞬で収まった。サイトが伸ばした右手を肩の高さにまで持ち上げ、左から右へ動かしたためだ。サイトに害意がないことを知り、どの竜もサイトに向かって長い首を伸ばし、頭を垂れた。通常、誇り高い竜が初対面の人間相手にいきなり服従することはありえない。厩舎前に驚きが広がる。居合わせた竜騎士の面々からは、この場の様子もガリア政府に逐一報告され、後に「まさか、彼はヴィンタールヴも兼ね備えているのか?」との曲解も招いたのだった。

 

 

 

 

 

 竜の背に乗って飛翔する。数百メール上昇しただけで、遠くに細く、長い金色の糸が見えた。白煙が上がっている。木々が燃える臭いがサイトの鼻を突いた。山火事はリュティスから百キロメールにまで忍び寄っていた。

 

 サイトを乗せた竜騎士が操る竜は緑の森、山を一飛びし、炎の帯を前方に見て、右側の空き地に降り立った。タバサがいる最前線司令部は、ここから近い教会を接収して設営されていた。

 司令部はこの2日間で4度の後退を余儀なくされている。山火事の進行速度を考えれば、この教会内の司令部も明日には撤退を決断しなければならないはずだった。

 

 

 

 

 司令部にいるタバサは、魔法学院在学時同様の無表情になっていた。

 

 トップの動揺は部下に波及する。最前線司令部にいる政府、軍、騎士団の幹部は、苛烈な王宮での競争に生き残ってきた面々だ。その成功体験ゆえに、彼らの目はクラウンを頭上に戴く新女王の一挙手一投足に注がざるを得ない。前国王ジョゼフ。「無能王」との蔑称とは真逆に、絶大な知力でこの大国を一手に切り盛りしていた彼の余韻が確実に政府上層部を支配していたのだ。

 

 

 

 だからこそ、新女王であるタバサは弱みとなる表情の変化を見せない。見せられない。

 

 この2日間の失敗と課題を検討し、山火事を鎮める新たな作戦を彼らから吸い上げねばならない。効果あるものなら何でもいい。彼らにいささかでも発言を躊躇させるような喜怒哀楽は顔に出さないのが王者の義務だった。

 

 

 両用艦隊による投水、水属性のメイジによる放水は効果がなかった。新たな対策として、兵は、山火事の進行方向にある樹木を切り倒し、土属性のメイジが錬金で不燃の石や土に換えた。風属性のメイジは吹き付ける南風に対し、北風を呼び、山火事にぶつけた。だが、いずれも焼け石に水。10キロメール幅の火事に対抗するには、森は深く、メイジの数は少なすぎた。早々に彼らの精神力が尽きてしまったのだ。この2日間の試みはいずれも徒労に終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 司令部最上座に座る、赤色のアンダーリムのめがねの少女は相変わらず無表情を続けていた。

 

 だが、名実ともに小さなその胸の内は、重圧で押しつぶされそうになっていた。アーハンブラ城でとらわれの身となり、明日にも心を失う薬を飲まされることになったあの日。父の無念を晴らせず、母の病も治せなかったことに、心は黒い悔しさと蒼い諦めの色に染められていたが、あくまでも、それはシャルロット個人の問題だった。だが、今、若い女王の背中には リュティス30万人の命、そして、ガリア1500万人の命運が覆い被さっていた。心は、その重みできしみを上げ続けていた。

 

 

 

 

 (……助けて、助けて、父様、助けて、母様。

         ……助けて、助けて…………………サイト……)

 

 策略を弄してリュティスへ呼び出したのに、着いた途端に「すぐに帰れ」と命じた自分。サイトもさぞ困惑しているだろう。なのに、無意識のうちに彼にこの場にいて助けてほしいと願う。その身勝手さに、我ながら少しだけ呆れて胸の内で失笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギィーッ

 

 

 

 

 教会の重い扉が外側から開いた。

 

「副王イザベラ殿下のご了解の下、ガンダールヴ、シュバリエ・サイトのお越しであります」。

 サイトを乗せてきた竜騎士が伝令として叫んだ。本堂の中にいた全員が入り口に顔を向ける。ツカツカとタバサの元に歩み寄ったサイト。ここは戦場であるとの判断から、略式の立礼での挨拶にとどめた。2メール先のタバサはこれまでになく小さく見えた。

 

 

 

 

 「なんで来たの?」とのタバサのつぶやきは、落ち着いたサイトの声にかき消された。

 

 

 

 

 

 「状況図を、地図を見せてください」

 

 

 

 

 

 

 



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第25話 消火

 

 「地図を、状況図を」とのサイトの要望は、即座に受け入れられた。タバサの頷きと共に、侍従が火事の進行方向などを赤字で書き入れた地図を目の前の机に広げたのだ。

 

 しばらく見入っていたサイトは、ブツブツと独り言を発した後、タバサとそこに居並ぶ司令部の全員に単独作戦の概要を説明した。まるっきり理解できない内容にも関わらず、異を唱える者はいなかった。もはや、現場でガリア政府の打てる手はなく、リュティスにいるイザベラが構築に取りかかっているはずの延焼防火帯だけが頼りの状況。サイトが何をしようと、「ご随意に」と言うしかなかったのだ。

 

 

 

 「どのような副作用が起きるか私にも分かりかねます。騎士団や軍の皆さんは山火事から3キロメール以上離れるようにお願いします」

 「ああっ、フネはもっと離してください。できれば、地上に固定しておいて」

 「この教会にも影響が来るかもしれません。各種のシールドを張って安全を心がけてください」

 

 

 

 

 これらの要請が実行に移されたことを確認して、サイトは足早に教会を後にした。リュティスからここまでサイトを乗せて来、伝令役としての務めも果たした老練な竜騎士に「申し訳ありませんが、もう一働きお願いできませんか。山火事のそばまで私を運んだ後はすぐに離脱してください」と依頼した。

 

 

 

 

 空き地から飛び立った竜。竜騎士が巧みに竜を操る。空を焦がす炎が間近に迫ったところで、「じゃあ、よろしく」とメイジでもないサイトが飛び降りた。

 

 「なんてことを!」と竜騎士は叫んだが、約束を思い出し、すぐに竜を反転させる。その際、首をねじって後ろを見ると、地面に向かって落ちつつあるはずのサイトが100メールの高さに浮かんでいた。いや、宙に立っていた。

 

 

 

 

 

 山火事の炎をおよそ200メール先にみて、サイトは笑みを浮かべて「とりあえず第一弾は成功だ」と背中の剣に呼びかけた。

 

 「おうっ、今の相棒に不可能はねえよ」。

 

 ヴェルサイテル宮殿の別室で、火事現場までの竜の背中で、サイトは魔剣を相手に消火方法の相談をした。紅い世界で碇シンジから分けてもらった力。その分析をデルフリンガーに頼んだ上での立案だった。

 

 

 

 

 宙に浮かぶことは成功した。なら、次の段階に進まねばならない。

 

 

 両手を伸ばし、掌を正面前方に向ける。

 

 しばらくするうちに、掌の方向、大樹が燃えてできる炎の上に青白いモヤが生まれた。モヤは徐々に膨らみ、直系100メールほどの球状に育った。

 

 

 サイトは両腕をおもむろに降ろしていく。掌が向く方向に合わせて巨大な、青白いモヤのボールが下がっていく。モヤが木々の先端に近づくと炎が消えた。そのままボールは地面近くにまで降ろされる。それに合わせるようにボール内部と近くの火が消える。

 

 

 

 上空のサイトは、青白いボールに掌を向けたまま、上半身をねじって山火事の帯に平行して走り始めた。視覚に秀でた風系統のメイジがすぐそばにいたのなら、サイトが宙を蹴る際、つま先を起点にして八角形上のオレンジ色の相転移空間がかすかにきらめくのが見えただろう。

 サイトの走りに合わせてモヤは命を吹き込まれたように動き出す。その青白さが触れるや否や、炎は収まっていく。と、同時にカン、キン、カキンという金属音が次々に響き渡った。

 

 モヤに四方八方から大気が流れ込む。一方で、モヤ近くまで流れ込んで、行き場を失った大気は地面に落ち、来た方向とは反対方向へ地表を流れて行く。大気同士が擦れ合い、あちこちで乱気流が生まれ、雲が生じた。中では雷鳴がとどろき、稲妻が輝く。

 

 

 サイトが宙で10キロメールを走り終えたとき、炎は消え去っていた。モヤが通り過ぎた後には嵐が巻き起こり、雪や雹が降り続けていた。

 

 

  

 

 「なんとか…消えたな……」とこけた頬でつぶやいたサイト。空からゆらゆらと落ちていく。意識を手放したサイトを魔剣が操り、地面に連れて戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最前線司令部は狐に包まれていた。

 山火事が消えていく。マッチの軸棒全部が燃えているようだった炎は端から順に鎮火し、その後には嵐が巻き起こっていた。火事場からは強烈な冷気がしのびより、サイトが命じたように各種のシールドを張っておかなければ、思わぬ事故が起きていたのは間違いなかった。

 

 

 確かに、単独作戦の説明は受けた。

 

 「燃焼の3要素のうち、どれかを取り除かねば、火は収まりません。でも、酸素や可燃物を取り除くのは広域すぎて無理です。となると、燃焼温度を発火点以下にするしかない。絶対零度までとは行かなくても、マイナス200度前後の冷熱を維持して炎にぶつけてみます」との内容が理解できるはずがなかった。

 ハルケギニアでは、「燃える」とは物質内部にある火の元素の反応によるものという考えが常識だった。居合わせたメンバーは、サイトの説明に曖昧に頷くことしかできなかったのだ。

 

 しかも、サイトの「危険だから、離れていて」という要請で、現場を近くから見ていた人間はガリア政府には誰もいない。遠目で宙に浮かぶサイトの前に青白い雲が生まれて、それが炎を次々に消していった、との報告しか司令部にされなかった。

 

 

 

 

 

 

 ただ、家々を焼かれて逃げる最中の村人数人が、山頂からこの光景を見ていた。

炎が森に帯状に広がる所に、青いパーカー、ジーンズ姿のサイトが空から降りてくる。

そして、神と見間違うほどの技で、業火を次々に消していく英雄の姿を。

 

彼らは、この光景を目に焼き付けてこう言い伝えたという。

 

 

 

 

 

 「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」

 

 

 

 

 

 



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第26話 イザベラ

 「私は、神の左手ガンタールヴです」

 

 

 

 

 

 

 ヴェルサイテル宮殿の会議室では、サイトを送り出した後、防災会議が再開していたが、この場を主宰する青髪のおでこの中では、サイトの決め言葉がリフレインしていた。

 

 

 

   (何、あいつ。やけにかっこいいじゃないか)

 「防火帯の構築に人手が足りない? なら、バスティーユの囚人から刑期が残り2年の者を使っちまいな。炎の前で木を刈り、穴を掘れば残りはチャラにしてやる」

 

 

 

 

   (あの調子でトリステインで活躍したのか。エレーヌが、トリステインのアンリエッタが入れ込むのも分かるわ)

 「リュティス市民は、親族、肉親が遠方にいる場合はそこに避難させな。それがない者は近隣の農場を開放しな。牛や豚と一緒だが、一時的な避難小屋にはなるだろ。その後のことはそれからだ」

 

 

 

 

 

 「財務卿、足りない予算は王家の予備費を充当しな。今は金の出所じゃない。用意するのが先決だ。一刻を争うことを忘れるでないよ」

   (ハルケギニアには珍しい黒い髪に瞳。大使館からの報告書では『シュバリエサイトは、はるか遠くの世界から来た』となっていたが、嘘じゃないみたいだね)

 

 

 

 

 

 

 「軍と騎士団は、最前線で立ち向かっている者の交代要員を出発させな。メイジも精神力が弾切れしたら駄馬にも劣る。フネを使いな。経費を気にしている場合じゃない。行く者も、帰る者にも疲れを残さない工夫を考えるんだよ」

   (もし、もしも、だよ。前から知り合っていたら、私が苦しいときも助けに来てくれるのかな? サイト卿は)

 

 

 

 

 

 

 分割思考で、議事を進め、的確な指示を出し続けるイザベラがここでふと考え込んだ。

 

 

 

   (くそ親父は、サイト卿の主であるヴァリエール家の娘やアンリエッタにも卑怯なことをして、何度もひどい目に遭わせたというじゃないか。私がそんな男の娘でも、あの人は私の前に立つのを拒まないだろうか?)

 

 

 

 幼い頃からイザベラの前に立つ男は、肉親の父、叔父、そして祖父だけ。それ以外の男は皆、目の前でかしずく家臣でしかなかった。公爵や伯爵などの跡取りとダンスをさせられたこともある。だが、彼らの瞳に、媚びと狂王ジョゼフへの怖れと魔法も満足に使えない王太女へのさげすみがあるのを、聡明なイザベラは見逃さなかった。

 

 政略結婚させられる運命にあることに気づいたのはいつごろだったろう。まだ、祖父王が健在だったころ、イーヴァルディの勇者の夢中になる従姉妹のシャルロットをからかったことがある。実の姉妹のような関係だったあのころ。あの時にはまだ、白馬に乗った王子様が自分の前に現れてくれるのでは、との淡い期待もあったような気もする。

 

 祖父が崩御して父が即位し、弟である叔父を殺してからはすべてが暗転した。孤独になり、自分の命を狙う者を怖れ、プチ・トロワに引きこもり、汚れ仕事の北花壇騎士団の団長に収まって、あれだけ仲が良かったエレーヌに辛い仕事を押しつけた。我ながら最低な女だと思う。

 だからこそ、エレーヌに幸せになってほしい、と願う。それがせめてもの罪滅ぼしだ。そのためには、自分ができることは何でもしてやりたい。

 

 

 

 

 

 

 急に黙り込んだイザベラに、会議の出席者が不審な表情を浮かべ始めた時、最前線司令部からの伝令が飛び込んできた。南花壇騎士団の若い騎士である。イザベラは名前も顔も知らない。

 

 「火勢鎮圧、火勢鎮圧! 消火に成功しました」

 

 

 イザベラが鋭い声で「復唱! 発信者と送信先を言え」といさめる。

 

 「はっ、失礼しました。発司令部女王陛下、王宮副王殿下宛て 火勢鎮圧、山火事消火に成功せり  以上であります」

 

 

 1秒半ほど大脳皮質をフル回転させたおでこは「前令、全て取り消し。すぐに連絡させよ。防火帯構築の軍は作業中止、新たな指示が出るまで現場で待機させな。市民には『山火事消火、危機は去った』との台詞を拡声魔法で何度も繰り返せ、政府の公式通達であることを分からせるため、グリフォンに騎乗したメイジが空から呼びかけな」

 

 

 

 内務卿らメンバーがそれぞれの配下に新しい命令のため走り出す中、イザベラが伝令に話しかけた。

「して、消火の状況は? お前の知っていることだけでいい。直答を許す」

 

 

 「はっ、現場に降り立ったシュバリエサイトが炎に立ち向かい、何らかの魔法で次々に火を消したようであります。鎮火した後は、嵐が吹き荒れ、現場に近づくのが難しい状況です。こちらに向かう途中、自分も空から山火事のあった方角を何度も確認しましたが、確かに火事は消えておりました」

 

 

 

 

 

   (イーヴァルディーの勇者はほんとにいたんだ。自らの言葉を、約束を守る。男の中の男、騎士の中の騎士じゃないか、あの方は)

 「で、サイト卿はどうしてる?」

 

 「はっ、シュバリエサイトは消火後、森に落ち、行方不明であります」

 

 

 「なっ、イーヴァルディーのゆうコホン、コホン、サイト卿が行方不明?」 

 

 

 「陛下はすぐに軍と騎士団合同の捜索隊を編成され、現場に向かわせておられます。自分が知っているのはそこまでであります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイトが目を開けた時、陽は傾きかけていた。地球時間で言えば、午後八時頃。緯度の高いハルケギニアとあって夜にはまだ早い。

 

 

 「おおっ、相棒、気が付いたか?」

 

 

 

 

 

 「デルフ、また、お前が運んでくれたのか、ありがとな」

 

 

 「いいってことよ。今回、おれっち、それぐらいしか働き場なかったしよ」

 

 

 

 サイトがいるのは山の尾根筋に当たる大樹のそば。炎を次々に消し止めていった酷寒の冷気に直接さらされないように、魔剣が配慮してくれたらしい。それであっても、谷筋から忍び寄るマイナスの輻射熱で、骨の髄まで凍り付きそうではある。

 

 

 少しの間でも体を横たえていたからか、疲れは大分癒えた。体を起こし、大樹を背に脚を投げ出す。あらためて左右の掌を見る。「ADAM」「LILITH」の刻印が微熱を放っている。

 「本当に人間以外のモノになっちゃったんだなぁ」と独りごちる。魔剣は返事をしない。

 

 ATフィールドで宙に立ち、物質のエネルギー増減を思いのままにする。科学でも技術でも、魔法でもない何か。ガンタールヴだけでも持てあましていたのに、第一使徒と第二使徒の力まで身につけてしまった。秋葉原で銀色に輝くゲートを通り抜けてからこのかた、摩訶不思議で理不尽なことばかり。驚くよりも呆れることの方が多くなってしまった。ただ、運命が何をさせようとしているのか、それだけには目を背けないでいたいと思う。

 

 

 

 「相棒、お迎えが来たようだぜ」

 

 夕闇迫る空を見上げる。ガリア王のお召し艦リシュリューが音もなく、近づいてくるところだった。

 

 

 

 

 



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第27話 女王と副王と

 

 

 

 

 軽症ながらも足が凍傷を起こしていては、天下の英雄も颯爽と登場というわけにはいかず、リシュリューへは、フライで森に降り立った屈強なメイジ二人の肩を借りてという、ちょっとかっこ悪いものとなった。お召し艦のデッキには、女王のシャルロット以下司令部にいた高官が顔をそろえてサイトを迎え入れた。

 

 ガリアの軍、騎士団、政府の重鎮が一列に並ぶ。タバサはスタッフを手にその真ん中に立つ。頬は上気し、口角両端は少し上がっている。火事が消し止められたこと、そして何よりサイトに会えたことがうれしくてたまらないという感情は、親友のキュルケでなくてもすぐに分かるほど明々白々だった。

 

 消火における名誉の負傷でサイトは女王の前で片膝を着く礼を免除された。でも、女王の前に引き出されたからには、何かを言わねばならない。ならないが、気の利いた台詞は出てこない。

 で、思いついたのが「あー、火事が消えてよかったです」。

 

 「ありがとう。あなたはこの国を救ってくれた。ガリアを代表してお礼を言いたい」と女王陛下。「治療を受けるため艦の医務室に移動して」と述べられた。

 ガリア王によるサイトの引見はこれで終わり、サイトは医務室のベッドに運ばれた。

 

 

 水系統の軍医による凍傷治療がこれから始まる。下半身にヒーリングを受けるには当然ながら、靴はもちろん、靴下やズボンを脱がなければならない。 だが、この部屋にあって治療を邪魔する者がいた。タバサである。

 

 「気にしないで」

 

 「いや、気にするって。さすがに年頃の女の子が裸になる男の前にいちゃ、いかんだろ」

 そこまで言われては、タバサも渋々、部屋を出るしかなかった。その後、順調に治療は進み、リュティスに到着する頃には、ほぼ快癒していた。元がしもやけが少し重症化した程度で、何もしなくても数日中には治ったはずだが、この手の治療は地球を凌駕しているのがハルケギニアである。

 

 

 お召し艦専属の軍医も「もう大丈夫。シュバリエはお若いし、フネが着いたらいつも通りに過ごせるはずですよ」と笑顔で太鼓判を押してくれた。「丈夫なだけが取り柄なもんで。ありがとうございました」。とこちらも笑顔で応じるサイト。

 すでに陽はとっぷりと暮れて、短い夏の夜に移っていた。空気が乾燥しているだけに双月はより手前に見えた。

 

 

 

 

 

 艦内でシチューを食べるタバサの眉は少々つり上がっていた。ずっとサイトのそばにいたかったのに、医務室から追い出され、今はリシュリューの王室。お召し艦だけあって、艦長室より豪華な部屋には、狭いながらも寝室の他、応接室、書斎、ダイニングが完備されている。このダイニングでコックが腕によりをかけたシチューを味わう。味に文句はないが、量が足りない。皆、忙しいのは分かってるからここは我慢してパンでおなかを満たす。デザートのケーキを紅茶と味わいながら、今後のことに思いを巡らせていた。

 

 ここはガリア。独占欲でまみれた邪魔な桃色髪も、しつこく言い寄る黒髪メイドも、圧迫感を見る者に与える胸らしき何かをくっつけたハーフエルフも、そして色気だけはたっぷりの隣国女王もいない。このチャンスを生かさないようでは、ガリア王家の名に恥じることになる。

 

 

 

 リシュリューが王宮そばの停泊所に到着した。フネから地面までの階段に緋毛氈が敷かれ、タバサがゆっくりと降りてくる。出迎えの王都居残り組の面々の中から、従姉妹の副王が帰還を言祝ぐ簡単なあいさつの後、近づいてきて耳打ちした。

 

 「サイト卿は?」

 

 「凍傷で治療にフネの医務室。医官の話では、もう全快した」

 

 「ふーん、全快? そりゃ間違いだね。凍傷の根治には時間がかかると聞いてるよ。災厄から国を守った勇者には、完治までゆっくりと治療してもらわないと。もしぶりかえすようなことがあれば、それこそガリアの名折れだ。だ、か、ら、ね?」

 

 その意図に気づいたタバサは「うん」とうなづいた。

 見つめ合う二人は、申し合わせたようにニヤリと笑ったのだった。

 

 

 

 

 



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第28話 馬車

久しぶりに更新します。


 

 

 

 

 頭を軽く下げてシャルロット女王を王宮に送り出したイザベラは、碇泊するお召し艦リシュリューの前でサイトを待った。

 

 VIPだけに許された緋毛氈。艦長はじめ軍の指揮官が歩くことは許されない。タバサの後、このレッドカーペットを踏んで来られるのは、賓客サイトしかいなかった。だが、サイトにしてみたら、言われるままにフネを降りて紅いルートを歩いてきたら、目の前にガリアの副王が仁王立ちしていたという感じである

 

(ここは片膝を着いて挨拶するんだったよな)

 

領地オルニエールでは家庭教師となったエレオノールから日々、王宮儀礼を学んでおり、自分が果たすべき作法は心得ていた。何せ、副王の周りをガリア政府の高官及び軍関係者がずらりと取り囲んでいる。ここで「トリステインのシュバリエはなんて礼儀知らずだ!」などと言われて、禄を賜ったアンリエッタに恥をかかすわけにはいかない。

 

 

3メールほど前で立ち止まり、片膝を着こうとした瞬間、イザベラの怒声が響いた。

 

「おお、くさい!!」

 

左手の手のひらで鼻を覆う青髪の美少女。その瞳はサイトの左上方をにらんでいる。視線の先にはで舷側に照明をともして闇に浮かび上がるリシュリューがある。

 

サイトは思わず、右腕を持ち上げてウインドパーカーの袖に鼻を近づけてクンクンとかいでしまった。確かに消火作業中、煙を浴びたし、たっぷり汗もかいた。気を失い、魔剣が森の中に誘導着陸させてくれた後は大量のススも降り注いできた。これだけの距離があってイザベラににおうのなら、よっぽど自分はくさいんだろう。だが、いきなりのごあいさつに少々面食らったのも事実だ。実際、艦上では、タバサはそんなことは一言も口にしなかった。逆に跪くのを免除され、厚い感謝をされたのだ。それがリュティスに着いた途端にこれ。元々が気短なサイト。イザベラの発言に、機嫌も斜めになりかけた。

 

 

 

 ところが、

 「サイト様は山脈大火を消し止めた救国の英雄であるぞ。王都リュティスが灰になるのをたったお一人で食い止めてくださった恩人であるぞ。ガリアは感謝しても仕切れないほどの大恩があるのだ。そのサイト様に、いかに艦上と言えど、お体をぬぐう程度の心遣いもお前達にはできないのか!」。青髪からのぞいたおでこが辺りを睥睨する。

 

 話の急転換にサイトはついて行けない。

 

「いや、フネでは俺の凍傷の治療をしてもらうのが最優先だったので、そんな暇はとてm…」という、サイトの小声の反論というか弁解はイザベラのさらなる怒声でかき消される。

 

 

「お前達は、古今無双の武勇を持ち、片手で大火を、嵐をも鎮める神の左手ガンタールヴ・サイト様が我が祖国ガリアのためにそのお力の一端をお貸しくださったのか分からないのか!!」

「しかも、獅子奮迅の御働きをなされる最中、ひどいおけがをなさったとも聞く。そのお方にこのような仕打ち。ガリアの副王としてわらわは恥ずかしく、サイト様に申し訳なくて涙が出てくるわ」

「よいか。サイト様はおけがが本復なさるまでガリアが最高の賓客としておもてなしする。これは女王陛下とともにわが王家ができる最大の償いじゃ。心せよ」

 

 

イザベラは最初からサイトに聞かせるつもりで演説をぶったのではない。

ガリアの主だった者に、賓客サイトの扱いは王家専権事項。政府高官の口出し、諸侯の横やりは決して許さない旨を宣言したのだった。周りの者は、シャルロットが帰還した後、緋毛氈の上でイザベラと密談をし、二人とも不敵というか、腹に一物も二物もありそうな笑みを口元に浮かべていたのを目の当たりにし、背中に粟立つモノを感じていた。女王と副王が堅いタッグを結んでいるのは明らかだった。もとより、シャルロット女王が異国のシュバリエサイトに執心しているのは公然の秘密で、この件で反論、異論を挟むことはその者の政治的破滅を意味した。

 

 

ここまで話したイザベラはサイトの前で腰をかがめて右足を後ろに引き、深く頭を下げた。ガリア副王のこの作法は儀礼上、ロマリアの高位神官を除けば、トリステイン、そして今は滅んだアルビオンの王にしかあり得ない。小声ながら周囲がざわめく。

 

「サイト様、プチトロワをご自分の家とお思いになり、お使いください。小さな館ではございますが、シャルロット女王、ご母堂ブランシュさま、そして私めが住まいといたすところ。ガリアの名うての医師も控えておりますれば、ご回復まで心置きなくご滞在いただきとう存じます」

 

プチトロワは、崩壊したグラントロワとともに、王家の絶対的プライベート空間の位置づけとして認識されていた。侍従、女官、警備の者など家臣は多数いるが、そこに客人として招かれた者はいない。周囲のざわざわは大きくなったが、イザベラは気にする風もない。「では、館まで案内させて戴きます。こちらの馬車にお運びください」

 

 

いろいろとあった夏の短夜は、そろそろ終わろうとしていた。中天の星は今もきらめいているが、明るみかけた東の空ではもう見えなくなっている。

 

訳も分からぬまま、車中の人となったサイト。上席に座らされ、ベンチシートの左にはさも当然のように青髪の副王が座す。馬車の後部デッキは腕利きの花壇騎士団員二人が立つ。王家の馬車の前後、両脇には騎乗のメイジが併走する。

 

 

車内にはマジックライトの淡い光。その光にイザベラの横顔が浮かび上がる。その頬は、初めて意識することになった異性、サイトの隣にいることで少し上気していた。

 

(サイト様はどのようにしてあの大火をお収めになったのですか?) (私は残念ながら他国のことはよく知りません。御領地オルニエールはどのような場所なのでしょう) (トリステイン魔法学院では、シャルロット女王と懇意にされた由、学院では女王はどのようなご様子だったのでしょう) 

 

会話の糸口を見つけたいのだが、どのように切り出したらいいのか分からない。その一方で、(あーっ、ドキドキが収まらない。この鼓動をサイト様に聞かれたらどうしよう)との恥じらいや(この方はエレーヌの思い人。私は決して恋してはならない方)などの自己規制で心が悲しみに染まる。

家臣に一方的に命令するのとはまったく別の状況に、明晰な頭脳はショートしてしまっていた。ガリア王家の嫡流であることを証明する美貌は、晴れたり、曇ったりし、時には眉間にしわが寄ったりした。

 

 

 

イザベラが一人百面相をしているうちに、馬車はプチトロワに到着した。サイトと会話し、親しくなる絶好のチャンスを無駄にしてしまったことは明白だった。悔いから顔がゆがむのを止められなかった。

 

馬車から降りたプチトロワの玄関口で、先に下車し、振り返ったイザベラと正対したサイト。車中でイザベラの苦しそうな表情を横目で見ていたサイトは言わざるを得なかった。

 

「くさくて申し訳ありませんでした。こちらではシャワーを使わせてもらっていいですか?」

 

 

「えっ? あの、違うの。違うんです」

 

こぼれたミルクは皿には戻らない。ここに至って自分の発言と表情が、自分の想いとはまるっきり逆の誤解を招いていることをイザベラは悟ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第29話 王母ブランシュ

  オルレアン公夫人だったブランシュは娘シャルロットの即位に伴い、夫が王位にはなかったことを考えれば異例ではあるが、太后陛下の敬称で呼ばれていた。しかし、元が控え目な性格であり、病み上がりということもあって公的な場面からは一切、距離を取っていた。娘にすべて表向きのことを任せるという意味では、トリステインの太后マリアンヌとよく似た立ち位置に徹していた。

 

 

  そのブランシュが異国からの来客を諸手を挙げて大歓迎した。黒髪黒い瞳のサイトが絶望の淵にいたブランシュとシャルロット母子を救ってくれたことは、シャルロットから詳しく聞いていた。しかも、その時のシャルロットの話しぶりから、娘が恩人以上の思いをあの青年に抱いていることは明らかだった。なら、その青年が我が居宅を初めて訪れるのを盛大な歓待で迎え入れるのは、母親としての義務でもあった。

 

 

 ただし、その熱烈歓迎ぶりがサイトを戸惑わせることにもなるのである。

 

 広大すぎるヴェルサイテルの敷地では、こぢんまりしているように見えるプチ・トロワ。だが、当然オルニエールのサイトの館よりも広い。そのプチトロワで、ガリア王家と共に食卓を囲むのはまだいい。自分がガリアの賓客扱いということをイザベラの演説で聞いており、それはそれで納得する。だが、シャルロットとイザベラが朝食後、公務のためにヴェルサイテル宮殿に赴いた後、ブランシュの着せ替え人形にされるのはいささか承服しがたかった。

 

 

 

 

 「ジュストコール(上衣)はもう少しウエストを絞った方が似合うかしら。刺繍は金の糸でね」

 

 「トリコーン(三角帽)のフェルト生地はもっと厚い方がいいわね」

 

 「やはり、靴のヒール、もう半サントだけ高くして」

  

 

 

 サイトがプチトロワに宿泊した翌日から、ブランシュのターン。きっかけは、山火事消火からリュティスに戻り、このプチトロワで取った午餐の際に、サイトがオルニエールから鞄一個に入るだけの服しか持ってこなかったことを話したことだった。

 

 

 「では、わたくしがサイト殿にプレゼントいたしましょう」と応じたのがブランシュだった。で、翌日からさまざまな業者が入れ替わり立ち替わりサイトの採寸に訪れ、今にいたっている。

 

 

 

 いまだ家内制手工業の段階にとどまっているハルケギニアにとって、服飾はすべてがオーダーメイドである。ファッション界すべてをリードする王族にいたっては、服、帽子、靴、小物に至るまで、いずれも御用達のデザイナーにより、特選された素材を使って一流の職人が手間暇かけて作る。ブランシュがサイトの為に注文した支払い分だけで領地のオルニエールからの収入数年分に当たりそうなことを考えると、サイトは気が遠くなる思いだった。

 

 

 「ありがたいのですが、さすがにもう結構です」と何度も鄭重な断りを入れているのだが、ブランシュは「サイト殿、あなたはそれだけの英雄なのです。男性は自身の価値に見合った服装をしなければなりませぬ。まして、貴族なら」とまるで聞く耳を持たない。(貴族と言ってもシュバリエなんですけど。しかも、それも決して自分で望んだ地位ではないのですが)と思っていても口には出せない。喜びと楽しみを張り付けたような笑顔で、嬉々としてデザイナーに注文をつけるブランシュの姿が口をつむらせるのだ。

 

 

 ブランシュは、夫シャルルが元気だった頃を思い出す、家族3人で幸せだったあの頃を。シャルルの服を見立て、注文するのはブランシュの唯一といってもよい仕事だった。結婚前から傍流ながらガリア王族の一端を占めていた(青髪がその証拠だ)だけに、彼女の金銭には糸目が付いていない。およそ倹約とか始末とか我慢とかはまったく無縁。大貴族らしい、出費にはまことにおおらかな女性がブランシュだった。

 

 

 それに、肩幅、胸幅が厚く、上半身が逆三角形になるハルケギニアの武骨な男と違い、人種の違いや年齢の違いだろうが、サイトはいかに鍛え上げようと全体にスリムなまま。中性的にも思えるそのスタイルがブランシュのファッションセンスを刺激していたのである。キリリと引き締まった体をいかに美しく見せるか、清潔感あふれる中にかわいらしさとたくましさをどう共存させるか。この仕事はエルフの飲み薬で正気を失っていた自身の時間を取り戻さんばかりに、ブランシュを夢中にさせていた。まあ、ありていにいえば、やはり、サイトは着せ替え人形なのである。

 

 

 

 

 

 こんな日々が3日続き、注文した服が1ダースに達しそうになった日、久しぶりに女王、副王がサイトと晩餐を一緒にした。ブランシュが席を外した一瞬を見計らい、サイトが二人に「なんとかして」と泣きついた。

 

 

 だが、 「「何が問題なの?」」。 青髪コンビはそろって首をかしげた。

 

 

 

 なお、すでにイザベラとサイトは関係を修復している。

 

 イザベラが素直に「サイト卿をこの館にお招きすることを家臣に納得させるため、あのような言葉を口にしてしまいました。サイト卿はまったく臭くはありません」と謝罪し、サイトもそれを受け入れたのである。あの朝、サイトはお付きの者に案内された風呂で、体を、髪を洗った。脱衣場に置いたパーカーやジーパン、下着類は侍女らが洗濯しに持ちさった。これら衣類は、「まず、わらわが検分する」と命令したイザベラの元にいったん持ち込まれ、侍女を下げた後、イザベラがこの衣類に顔を埋め、恍惚の表情を浮かべていたのは、女王シャルロットにさえ内緒。副王配下の数人しか知らない超機密事項である。

 

 

 

 

 

 

 首をかしげる二人に、サイトはあらためて思い知らされた。良くも悪くもこの青髪コンビはハルケギニアで最も裕福なガリア王家のツートップであることを。しかも、妙齢の女性とあってファッションにお金をかけることに一筋の疑問も挟まない。同じ王族のお姫様でも、国家も王家も困窮に瀕しているトリステインのアンリエッタなら、少しはサイトに共感してもらえたかも知れないが……。

 

 

 

 

 それでも、ブランシュが食卓に戻ってくるまでのわずかな間に、彼女の着せ替え人形になっていること、そして高価すぎる衣服の注文がいかに精神的な苦痛になっているかを簡潔に、断固として、そしてお願い口調でまくしたてた効果か、タバサが「分かった。母様には私から言ってあげる。貸し一つ」と返事をしてくれたのは幸いだった。

 

 

 

 

 「母様、サイトはもう服も靴もいらないんだって」

 

 「そんな! まだ10着ほどしか注文していないわ。招かれた宴や舞踏会、観劇で毎度毎度同じ服装で過ごすなんて、そんな恥ずかしいことサイト殿にはさせられない」

 

 「叔母上、サイト卿の館は、そんなに広くはないみたいですよ。このプチトロワよりも小さいんですって。それにシュバリエはそんなに舞踏会には誘われないし」とイザベラが助け船を出してくれた。

 

 「魔法学院でサイトはいつも青い上着とズボンで過ごしていた。服に興味ないのは事実」

 

 

 

 「……そう、なら仕方がないわね。明日呼んでいる仕立屋は残念だけどキャンセルしましょう。でも、本当に、本当にそれでいいの? サイト殿」

 

 

 

 

 

 

 やっと回ってきた出番にサイトは「ええ、お気持ちとともにもう十分頂戴しました。本当にありがとうございます」と頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 だが、サイトはさらに高価な外套が一枚追加される手はずになっていることを知る由もなかったのである。

 

 

 

 

 

 



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第30話 公務

 さて、賓客というか、想い人のサイトを置いて、シャルロットとイザベラが連日、ヴェルサイテル宮殿に向かわねばならなかったのは当然、公務であった。それもサイトがらみの。それぞれの送迎の馬車がプチトロワの車寄せを離れた瞬間、二人の美少女の顔は為政者のそれに切り替わる。

 

 

 

 

 

 宮殿の奥深く、4階の会議室では長方形の大きなテーブル上座に、イザベラが一人で陣取る。

 

 「では、サイト卿の酷寒の技は先住魔法でもないのか?」

 

 相手はガリアの誇る知性と知識、王立アカデミーの面々である。

 

 

イザベラから見てテーブルの右側一番遠い端から3番目に座る学者がおそるおそる具申する。

 

 「はっ、過去数千年のエルフとの戦いの記録をひもといても、あのような魔法が発現した例は一つも見当たりません」

 

 「おかしいではないか。われらが系統魔法でもなく、亜人どもの先住魔法でもなく、あのような魔法があるのなら、今まで知られていない方が不思議だ。しかも、誰に教わったわけでもないという。これは本人から直接聞いたことだ。だとすると、サイト卿はご自身で新たな魔法系統を開拓したことになるぞ。小手先の新魔法ならいざ知らず、あのような強力無比の魔法を編み出すとは、始祖ブリミル以来のこと。まだ、どこか見落としがあるはずじゃ」

 

 

 

 テーブル左側で、前から6番目に控えていた痩せ形でメガネをかけた学者が声をあげた。

 

 「可能性の段階でよろしければ…」

 

 「申せ」

 

 「虚無ではないでしょうか? 先王ジョセフ様、トリステインの公爵令嬢、アルビオン・モード大公の娘のハーフエルフら同様、サイト卿は実は使い魔にあらず、虚無の魔法の使い手と考えれば、我らが知らない威力の魔法もあり得るかと。これなら、エルフが使えないのも、我らが文献にないのも、サイト卿が誰にも教わっていないこととも矛盾いたしません」

 

 

 そのはす向かいに座っていた禿頭の小太りの学者が別の意見を述べる。

 

 「サイト卿はガンダールヴであり、リーヴスラシルでもあられると側聞しております。虚無の使い魔能力がサイト卿ご自身の体の中で重複したことで、神の左手、神の心臓が融合し、桁違いの効力を発揮するように進化したとも考えられます」

 

 「いや、待て…」

 

 「その場合は…」

 

 

 学者による討論はトンチンカンな方に進み、いつまでたっても結論は出なかった。

 

 

 

 

 

 

 一方、シャルロットが出席したのは、花壇騎士団と軍、それぞれの会議である。

 

 彼らはサイトが業火を鎮めたのを直接、間接に知っているので、その威力が個人間の闘いや国家間の戦争に用いられた場合のシミュレーションに余念がなかった。

 

 

 

 宮殿内での花壇騎士団三団統合会議(この席には、裏仕事専門の北花壇騎士団は呼ばれないのが通例だった)には、各団長ら指折りの熟達のメイジがそろっていた。

 

 「……というわけで、サイト卿は信じ難いことに、杖を振るでもなく、フライ、極大のウインディアイシクルもしくはジャベリンのような魔法、その何物をも凍らせる、巨大な魔法雲を動かすレビテーションに加え、両用艦隊のフネさえ焦がすあの業火から身を守るなんらかの強力なシールドを含めて最低でも四つの魔法を同時詠唱できると考えざるを得ません」

 

 

 南花壇騎士団の団長キュスティーヌは口惜しそうに女王に上申した。

 

 (サイト、すごい、すごい、すごい)との内心はおくびにも出さず、女王陛下は無表情に訊ねた。

 

 「サイトに対抗するには、何人のスクエアがいる?」

 

 キュスティーヌはパステルモールらほかの騎士団長と一瞬、目配せしながら「彼の者のシールドがどれほどのシールドを張れるのかにもよりますが、十人いれば可能かと」。

 

 嘘である。熟練のメイジであればあるほど、あの極寒の塊がとてつもないことを知っている。ウインディアイシクルにせよ、ジャベリンにせよ、氷の大きさは全部で1立方メールに及ばない。直径だけでもその百倍近い大きさの極冷塊を作って自在に動かすには、ペンタゴン、ヘキサゴンどころかオクタゴン級のメイジ(そんな怪物は史上存在したことはないが)でも不可能である。だが、花壇騎士団の面子の上からもそれは言えない。

 

 

 

 会議は、十人、二十人の騎士団員が向かったところでサイトに傷一つ付けられそうにないことを確認しただけで終わったのである。

 

 

 

 

 次にタバサが向かった統合軍司令部では、黒板に絵図面を掲げながら、陸軍作戦課の一員がサイトを敵とした場合の布陣と対策を説明した。

 

 「あの極寒の魔法、ここでは冷団塊と仮称しますが、軍団にぶつけられた場合、百を数える間もなく、一万人規模の陸軍師団は壊滅します。一方的な殺戮を許すことになりましょう。トライアングル、スクエアレベルのメイジは自らの周囲に各種シールドを張ることで若干は持ちこたえることは可能でしょうが、それも時間の問題だと考えます。およそ300メール先からの魔法詠唱なので、当方の各種魔法、銃弾、矢数は有効射程にありません。止むなく大砲で攻撃することになりましょうが、相手は人間だけに的は小さく、的中するのは万に一つか、と。その砲撃もあの冷団塊が遠くにある段階に限ります。あの森の、司令部があった教会で経験した、何もかも凍てつくような嵐を先例とするなら、数百メール近くにあの冷団塊が落ちただけで砲兵は戦闘不能となり、つららを垂らす大砲は使用不能となるでしょう」

 

 

 テーブルに座を占める軍中枢が押し黙ったままの状態で、次に立ったのは空海軍の作戦担当。

 

 「陸軍と同じく、空海軍もきわめて凄惨な状況となります。サイト卿のフライがどこまで上昇可能なのか、現在のところ判然としませんが、もし、サイト卿が単身でわが艦隊に接近してあの冷団塊を放った場合、すべてのフネが地に落ちることを避けることはできません。全滅です」

 

 

 

 シャルロット女王がいる前で、陸海空軍帥将らの沈黙は続いた。

 

 

 

 

 そして、ガリア軍はサイトを敵に回さないことを絶対命題とすることに全員が無言で同意したのだった。

 

 

 

 

 

 



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第31話 大使メーテルリンク

 大火接近でリュティスを離れるとしても、機密書類や有価物を置き去りにするわけにも行かず、トリステイン大使館は、総出で避難のための作業に大わらわだった。その最中に上空から聞こえてきたのが、「山火事消火、危機は去った」との連呼である。配下の者に確認させると、グリフォンに乗ったガリアの騎士によるものという。とするならば、ガリア政府の公式見解に違いない。狂王ジョセフならともかく、新女王を戴く今のガリア政府が、いくらなんでも多数の市民が焼死するかもしれない状況で嘘をつくとは考えられず、ひとまず危機は去ったと考えるべきだろう。しかし、軍、騎士団挙げての消火活動は機能していなかったはずである。豪雨が襲ったとも聞いていない。とすると、なぜあれほどの大火が収まったのか、少々不思議である。

 

 トリステイン駐ガリア大使の伯爵ジャック・ド・メーテルリンクがそう考えながら、陽が落ちた後の大使館執務室で息抜きの蒸留酒を傾けていたとき、新たな情報が飛び込んできた。

山火事を消し止めたのは、この日リュティスに到着したばかりのシュバリエサイトその人という。

 

 「メイジでもないはずの彼がどうやって?」

 「どうして、ガリアに協力する?」

 「そもそもなぜリュティスに現れた?」

 

 疑問が次々に沸いてくるが、何はともあれ、彼の者の所在と状況を確認する必要があった。トリステイン国民保護と言うか、監視の役割も大使館には課せられている。まして、あの者は領地を持つシュバリエであり、アンリエッタ女王が創設した近衛隊・水精霊騎士隊の副隊長である。

 

 もう夜は更けていたが、すぐにガリア政府に使いを出し、噂の真偽を確認させる。火を消し止めたのはシュバリエサイトその人であることは渋々認めた。他国の力を借りたとあってはガリアの面子にかかわるため、その対応は理解できなくもない。だが、そのサイトのその後の消息が分からない。賄賂をつかませて吐かせたところによると、サイトは消火後、森の中で行方不明となり、現場にいるシャルロット女王以下ガリアが全力で捜索しているという。

 

 この報はメーテルリンクを慌てさせるのに十分であった。

 

 サイトは単なるシュバリエでありながら、アンリエッタ女王陛下が衆目の中で伴侶にすると高らかに宣言したとも噂されている人物であり、その動向は、母国の将来を左右することにもなりかねない。

 数カ月前に、そのサイトがトリスタニア王宮で伏せった際には、この地のガリアの女王がわざわざ見舞いに訪れた。その時のガリア外務省の右往左往に、当大使館もひとかたならず巻き込まれたのだが、今回は主客を逆にして当方が周章狼狽せねばならぬことは十分に起こりうる。とりあえず、本国外務省に至急便を出すのが賢明と言えた。

 

 

 至急のフクロウ便は翌朝、もう一度出す必要に迫られた。サイトが無事に山中で見つかったのである。それ自体は慶事ではあるが、消火の際にけがをしており、リュティスで治療するという。問題は場所である。病院ではなく、ヴェルサイテル宮殿。しかも、宮殿内で最もヴェールに包まれたプチトロワということが判明したのである。外国人はもとより、ガリアの臣民が立ち入ることさえ難しい、王家の私的空間である。

 

 「なぜにそこに?」

 

 だが、今は疑問の解明より、トリスタニアに現状を報告することが何より優先された。彼の者をガリアが治療名目にプチトロワに囲い込んだとしたら、その決定はそこに住まうシャルロット女王か従姉妹で宰相兼務のイザベラ副王しか出せないはずだ。駐ガリア大使の自分ごときが引き渡しを求めたところで無視されれば良い方で、悪くすれば「ガリア王家に対し非礼である」として、更迭を祖国に求めてくる可能性さえある。はっきり言って手に余る。後は、両国のトップ同士でやりとりしてもらうしかない。

 

 

 

 

 

 

 替って、トリスタニア王宮。

 

 

 「行方不明とはどういうことです!」

 

 

 第一報に接したアンリエッタは取り乱していた。すぐに軍のフネを出して自ら山火事現場で捜索に当たろうとする女王を宰相マザリーニ以下が必死に押しとどめた。

 

「いくら人命救助とは言え、事前折衝もなく、他国の災害現場に軍艦を派遣すれば外交問題、悪くすれば戦争状態になってもおかしくありませんぞ」

「友好親善を名目にしたレコンキスタどもの軍船がいきなり我が艦隊に砲撃を加え、タルブを焼き尽くしたのをよもやお忘れとはおっしゃりますまい。ガリアがわれらのフネを警戒するのは当然。もし戦闘になれば、非常識として非難されるのはトリステインですぞ」

 

 あの時の窮状を例に出されれば、女王としては自らの発言を撤回するしかない。

 

 「では、どうすればいいのです!」

 

 「続報を待ちましょう。なんと言っても彼の者はアルビオンで7万の敵を一人で足止めしたつわもの。これまでも数々の難関を切り抜けてきた男です。必ずや無事に見つかります」

 

 

 待ちに待った第2報が届いたのは半日後。だが、内容はアンリエッタをさらに憤らせるものだった。

 

 「あのちっちゃいのは何を考えてるの!」

 

 隣国の王を「ちっちゃいの」呼ばわりはどうかと思うが、トリステインの騎士隊副隊長を王宮に軟禁するとは、ガリアの振る舞いは正気の沙汰とは思えない、と言うのがアンリエッタの叫びだった。もちろん、周囲のマザリーニや侍従長のボルト、女官長のフォントネ侯爵夫人は額面通りには受け取らない。『一つ屋根の下で既成事実をつくって、私のサイトさんをたらし込もうとしたってそうはいかないわ、絶対に許さない!』としか聞こえなかった。

 

 

だが、主人の意思の実現を図るのは、臣下の務めでもある。

 

 「自分が迎えに行く」という女王をなんとか説き伏せ、「では、サイト殿のけがの具合を含め、私が確認しに行くのはいかがでしょうか」と仲裁案を出したのはマザリーニ。

 確かにあの者をガリアにこのまま取られたのでは、自分が描くトリステインの将来構想にも影響が出るのは確実であった。なんとか、ガリアとの紛争を起こすことなく彼の者を連れ戻すことが優先された。なんと言ってもシュバリエサイトはトリステイン女王の使い魔(ここではルイズ嬢とティファニア嬢の使い魔でもあることには目をつぶる)にして、近衛隊・水精霊騎士隊副隊長。大義はこちらにあった。

 

 

 

 かくして、鳥の骨はリュティスへ走る車中の人となった。

 

 

 

 

 

 

 良くも悪くも大使メーテルリンクの予想は的中したのである。

 

 

 

 



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第32話 マザリーニ再び

 「宰相、なぜフネで行かないのです!」というアンリエッタの詰問には、「生まれに平民の血が色濃いせいか、どうも空の旅は苦手でありましてな」と回答した。だが、本音は違う。ガリアと対峙するのに、今の段階では情報があまりにも少ないのだ。大使館の至急便2本だけでは、サイトを巡る状況が今ひとつ掴めない。このままリュティスに乗り込んだところで満足行く解決が図れるとは限らない。なら、時間はかかるが、リュティスまで陸路を取り、宿舎でリュティスの状況、サイトの立場、ガリア王家の考えを集め、まとめ、探る必要がある。

 

 為政者として大きく成長したアンリエッタではあるが、そのあたりの駆け引きはまだまだのようだ。

 

「いや、シュバリエサイトのことゆえに、陛下の視野が狭くなっているのか」

 

 

 揺れる馬車の背もたれに体を沈めながら、マザリーニは目をしばたかせ、両目の間の鼻梁をやせ細った左手親指と人差し指でもんだ。

 

 遅まきながら、新女王即位の祝意を表すための公式訪問の形式を取った。クラピエ外務大臣をはじめとする外務官僚、陸空軍将軍らも付き従う。警備を含めた車列は長く続いた。

 

 

 

 家庭教師として政府から派遣しているヴァリエール公爵家エレオノール嬢からの聞き取り報告では、トリスタニアのガリア大使館から二等書記官が訪ねてきて、リュティス訪問を要請したと言う。先だってのサイトの意識不明の際、シャルロット女王が見舞いに訪れたのに、快復した後もその答礼がないのは非礼だとしてガリア国内で騒ぎになっており、大使館独断でお願いに来たとのこと。答礼には、たまたま出発する大使館から出るリュティス行き馬車への同乗を提案されたという

 

 「ふん、素朴で初歩的な手に引っかかったものだ」

 

 他国の騎士隊副隊長のサイトを呼び出すための策略、罠に決まっておるではないか。

通常なら、騎士隊の幹部が他国の政府、王家に伺候するには、政府同士の了解、外交官同士の根回しがあってしかるべき事案である。さもなければ、サイトはガリアのスパイ、エージェントと見なされても反論しようがない。本人の身の安全のことを考えれば、王政府の許可がいるところだ。だが、本人が外国旅行するというのなら、政府が止めるすべも限られるのは事実だ。そこをうまく突いた要請であったのだろう。

 

 「まぁ、陰謀渦巻く政治の裏を、若いサイト殿やエレオノール嬢にそこまで分かれ、というのも酷か」と一人つぶやいた。

 

 

 駐ガリアの大使メーテルリンクには、自分がトリスタニアを発つ際、あらゆる手を使って、山火事の経緯、シュバリエサイトの病状、ガリア王家の様子、政府内部の動向、そしてリュティス市民の反応を調べ、報告するように手配しておいた。同時に、ガリア外務省にマザリーニが近々、貴国を訪問する旨を告げ、シャルロット女王陛下、もしくは宰相イザベラ殿下らとの折衝時間を調整するように命じてある。

 

 

 

 

 途上の宿泊所で受け取ったメーテルリンクからの報告は車中で目を通す。

 

 「ふむ、山火事の発生とサイト殿のリュティス訪問は、偶然重なったと考えるほかなさそうだな。シュバリエの使った魔法の系統、種類は不明とな。だが、ガリア軍総出で鎮火できなかった火事だ。半端なものではあるまい。あの飛行機械同様、彼の者の故国の技かもしれん」

 

 「凍傷を負ったもののもう全快しておるのか。立ち居振る舞い、発言にも異状は見られなかった由。プチトロワでサイト殿の体を触った仕立屋や靴屋からの情報なら、まぁ間違いあるまい。プチトロワに招いたは、イザベラ殿下の主導? 彼の者に執着しているのはシャルロット女王ではなかったか? いやはや、乙女の恋心を予測するは聖職者には難しすぎるわ」。 頭上の球帽をひとなでする。

 

 「ガリアの軍、花壇騎士団もサイト殿の偉業に敬服している。サイト殿が王都を救ったことは政府の公式発表がないにもかかわらず、口コミで広く知れ渡り、市民からの感謝の念はすこぶる厚く、サイト卿への敬愛はガリア王家へのそれに優るとも劣らず、とある。平民嫌いのわが内務卿オートラント伯が見たらなんと言うであろうな」とマザリーニの皺の中に苦笑いが浮かんだ。

 

 

 

 

 これらの文書を座席の隣に置き、マザリーニは腕組みをして目をつぶった。口元は一直線に固く引き結んでいる。

 

 

 

(さて、これらの情報を元に、ガリアの出方を考え合わせねばならぬか……)

 

 

 

 

 

 

マザリーニの眉間の皺は一層深くなったように見えた。

 

 

 

 

 

 



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第33話 シルフィード

 シャルロット女王とイザベラ副王は、ヴェルサイテル宮殿の女王執務室で密談を続けていた。イザベラが持ちかけたものである。

 

 「エレーヌの恋心が分かっていたはずなのに、サイト卿を知ってしまった今は、自分の気持ちを抑えきれない。エレーヌと争おうという気はないし、贖罪も果たさねばならないと考えている。それは自分に課した枷だ。その上で、勝手なお願いなんだが、第二夫人という立場を認めてもらえないか」

 あの強気な従姉が今にも泣き出しそうな顔で訴える。

 

 

 「横恋慕は許さない、ダメ」と言いかけたシャルロットだが、途中でその言葉を呑んだ。

 

 

 (……ここは冷静に考えるべき。トリステインには、独占欲でいっぱいの桃色髪、陰謀に長けた黒髪メイド、あどけないふりをして本当に危険な胸を抱えたハーフエルフ、了承を得ぬまま伴侶宣言した色気だけはたっぷりの女王がいる。一方、ガリアには私一人。彼我戦力比は4対1。圧倒的不利は否めない)

 (4対2なら勝負になるかも。加えて、イザベラの知力は、トリステインのライバルに遥かに勝る。だとしたら、それを捨てるのは愚者の行い)

 (サイトには何度も助けてもらった。その恩に対し「サイトの騎士になる」とは私の誓い。サイトを守る、あの凶悪なトリステインの4人からサイトを保護するには、イザベラの知力は大きな武器になる)

 

 

 そこまで考えて、シャルロットは口を開いた。

 

 「第一は私」

 

 

 イザベラの両眼から大粒の涙がこぼれ出た。

 それを純白のハンカチでそっとぬぐってから、イザベラは話を継いだ。「では、今後のことだが、トリステインのマザリーニが……」

 

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタの焦燥もマザリーニの懊悩も、青髪姉妹の企みもまったく知らないサイトは、ブランシュの衣服プレゼント攻撃が止んだことで一息ついていた。

 

 ただし、夜になるとタバサとイザベラが枕持参で寝室を訪れるようになった。「結婚前の女の子がダメだろ?」と入室を拒否するのだが、「…魔法学院では、サイトはルイズとシェスタと寝てた」とタバサが上目づかいでじっと見てくる。その小さな背中の後ろにもう一人の青髪がかすかなほほえみを浮かべてたたずむ。無言の圧力に押されて、二人を迎え入れるのが最近の日課だった。

 

 

 毎朝夕に王家お抱え医による診療があるのだが、どの医師も冷や汗を浮かべつつ、毎回口をそろえて「凍傷が完治するまでもう少しですな」。早朝の鍛錬も再開しているサイトは「そんなバカな」と異を唱えているのだが、その度にタバサから「医師の言うとおりにするのは患者の義務」とたしなめられるのが恒例になっていた。

 

 

 

 

 

 そんなサイトを遠巻きにして決して近づこうとしないのが、タバサの使い魔にして誇り高き風韻竜シルフィードである。

 

 魔法学院では、なんだかんだと仲良くしていた、あのアホのサイト。タバサには「つがって卵を産むのね」とアドバイスもしていたのだが、そのつがうべき相手が韻竜が崇拝する大地の精霊よりも高位の存在に変容しているのだ。

 

 高等な幻獣類には、サイトから強烈なオーラが放たれているのが分かる。「サイトは(下等な種である)人間じゃないのね」とタバサに告げているのだが、「サイトの悪口は許さない」と手にしたスタッフで頭をポカリと殴られる。折角の諫言を、あのちびすけは無駄にする。割に合わないことこの上ない。

 

 

 だから、サイトの波動が感じられるときには、できるだけ距離を取る。敬して遠ざける。これがシルフィードの安全対策であった。

 

 

 

 だが、この朝は失敗した。

 

 庭でシルフィードを見つけたサイトが一目散に走ってきたため、飛び立つ間を逸したのだ。

 (おっとろしいのね、怖いのね。シルフィー、柔らかくておいしそうだから食べられちゃうのね)と震える風韻竜の胸の鱗に、サイトが手を伸ばす。

 

 「よぉ、シルフィード、久しぶりじゃないか! 元気だったか?」と優しい声。

 

 「元気じゃないのね。熱があって頭が痛いのね。だから、食べてもおいしくないのね、食べると絶対におなかを壊すのね!」 

 

 

 サイトの頭上には、大きな疑問符が浮かぶ。

 「何言ってんだ?」

 

 「だって、お前はもうサイトであって、サイトでないのね。でも、シルフィーをいじめたらダメなのね。大地の精霊は認めても、おねえさまとお天道さまが絶対に許さないのね」

 

 

 

 「………ちょっとゆっくり話をしようか」

 

 

 

 プチトロワの南に開けた、観賞用の田園風景を前にして、竜と人(もしくは使徒)の対話が始まった。

 

 

 

 そして、自覚はあったものの、魔剣デルフリンガーに続いて、韻竜からも、サイトは自分が人間であって、人間ではなくなったことを告げられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第34話 鏡の間

 朝食の席で

 「明日、鏡の間」

 相変わらず、タバサは口数は少ない。察するに、サイトがリュティスに来た目的であるところのガリア王への答礼、見舞いのお礼を明日、ヴェルサイテル宮殿の鏡の間で受けるということだろう。

 

 

 中庭で、デルフリンガーを使って1000回の素振りをし終えたサイトは、ガーデンベンチに腰掛けて、小休憩をしていた。そこにゆっくりと近づいてきたのはイザベラだった。夏の陽は中天にかかろうとしていた。リュティスは相変わらず、雲一つない快晴が続いていた。

 

 「精が出ますこと」の呼びかけを挨拶替わりにしたイザベラは続ける。

 「朝方は女王陛下はそのご発言が簡潔なので、分かりにくい点もあったかと。鏡の間は、この宮殿で最も格式の高い部屋です。その場にはガリアの高位高官、諸侯や将軍、市民の長らも推参いたします。臣下が見守る中で、女王陛下への答礼をしていただきたいのです。なにとぞご了解くださいませ」

 

 

 「最初からそのためにリュティスを訪問したのですから」

 

 

 「ついては、サイト様には女王がつつましやかで、ほんにささやかな贈り物をすると思いますが、決して断らないでいただきたいのです。そこでサイト卿に拒まれると王家の威信が傷つき、またも国内に不穏な空気が漂うことも考えられますゆえ」

 

 

 そこまで言われたら、了承するしかない。サイトの答礼なきがゆえにガリアで問題になっている、とオルニエールを訪れた外交官からは聞いている。その後始末に来たのにタバサの対面をさらに汚してしまっては本末転倒である。それはそれでいいのだが、ガーデンテーブルの向かいの席を勧めたのに、副王イザベラは正面ではなく自分の左隣に座って身を寄せ、両手でサイトの左太ももを押さえているのがいささか不可解だった。頬も少し赤いし。ラベンダーだろうか、いい香水の香りがした。

 

 

 「鏡の間では臣下が多数居合わせますが、そこでサイト様にはシャルロットの前で跪き、お礼を述べてほしいのです。両掌を会わせてシャルロットの前に差し出して戴きますと、エレーヌがその両手を自らの両手で包み込みます。そして、サイト様に立ち上がるように促しますので、それに従ってくださいませんか」

 

 タバサの呼称が、どんどんくだけているのは、イザベラとタバサの親密な関係をうかがわせてほほえましい。だが、その要望は微に入り細に入る。エレオノールに王宮作法を学んでいるとは言え、この儀礼はサイトの知らないところだった。でも、「トリステインとガリアでは違うところもあるのかな?」とサイトはあまり気にしなかった。どちらかというと隣からのラベンダーの香りに気が取られていたのだ。

 

 

 

 

 

 

そして、翌朝。

 

 プチトロワからサイトが乗り込む馬車の扉には、ガリア王家の家紋である「交差する2本の杖」が金色で彫り込まれている。揺られるままにヴェルサイテル宮殿の車寄せに到着すると、そのままお付きの者に控え室に案内される。ここで、鏡の間に呼び出されるのを待つのである。

 

 お茶が冷める間もなく、「シュバリエサイト、鏡の間にお進みください。恐縮ですが、武器類はここに置いていって戴きます」と侍従から声がかかった。

 

 

 案内されるまま広大な宮殿内を進み、宮殿ほぼ中央に位置する鏡の間の扉が開く。

 

 

 

 

 

 「シュバリエサイト、ご到着であります」

 

 その部屋にはすでに高位高官、諸侯、大司教らガリアの指導層が居並んでいた。その人波をかき分けるように進むと、奥の一段高い王座にタバサが座っていた。頭上にはトリスタニア王宮バルコニーで見た王冠が輝いている。「やはり、タバサは女王なんだな」ということを痛感する。サイトを見つけるタバサの頬には小さな、小さな笑みが浮かんだ。

 

 

 タバサは王座から立ち上がり、サイトと同じフロアに降り立った。

 

 

 

 サイトは、その前に片膝を着く。

 

 「私が伏せった際には、女王陛下自ら見舞っていただいたこと、まことに感謝に堪えません。サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ。オルニエール、本復しましたゆえ、ここにお礼に参った次第」と口上を述べる。

 そして、昨夜、イザベラから教えられたとおりに、両掌を合わせ、タバサに差し出した。その両手を、タバサの白い手袋で正装した小さな両手が包み込む。

 

 

 数秒の後、「立ち上がりなさい、サイト」。タバサの小さな声がサイトの耳に届いた。

 

 立ち上がったサイトを小さなタバサが抱き寄せた。と言うよりも抱きついたと言う方がふさわしい。予想外の展開でドギマギするサイトにタバサは耳元で「私の背に腕を回して」とささやく。ここまで来れば言うとおりにするしかない。そっと小さな背中を抱きかかえた。

 

 広間に「ウォー」という歓声が上がる。続いて「ガリア万歳」「女王陛下万歳」の声があちこちで上がる。

 

 

 サイトは知らない。

 サイトの振る舞いは、ハルケギニアの「臣従礼」。オマージュとも言う。

騎士がひざまづき、相手を主君と認めて臣下として仕える意思を伝え、保護を求める。領主はその騎士を立たせて抱き寄せることでお互いが友情を基にして新たな関係を結んだことを明らかにする行為である。

 

 

 左手を高く掲げてその歓声を鎮めたタバサが言う。

 

 「あなたは国難を救ってくれた英雄。ガリア王としてこれを遣わす。向こうを向いて」

 素直に背中を見せたサイトに、タバサが羽織らせたのはマントだった。そのマントには、三つの剣と三つの花が描かれる紋章が縫い付けられている。ガリア臣民なら誰もが知っているオルレアンの紋章だった。一度、収まっていた広間の歓声はさらに音量を上げて再開することになった。

 

 

 

 

 サイトはこの瞬間、ガリアの地では、サイト・シュバリエ・ド・ヒラガ・ド・オルレアン公爵となったのである。

 

 

 



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第34話 策謀

 「タバサ、どういうことなんだ!」

 

 意に反した叙爵式の後、宮殿にある応接室カクタスの間で、サイトは声を荒げた。

正面の壁に写実的なサボテンの絵が掛けられた室内に控える護衛の騎士や侍従らは、ガリア王に対するあまりに非礼、無礼な態度に気色ばんだ。だが、成ったばかりとは言え、相手はオルレアン公爵であるシュバリエ・サイトである。そこを子爵や男爵クラスがとがめるのは逆に身分をわきまえないとも言える。

 

 サイトは先ほどタバサから付けられたばかりのマントを外して長いすの脇に置いている。

 

 そのガリア王は「サイトは、私をそしてわが国を救ってくれた英雄。その恩義に対して礼をするのは王と言うよりも、人として当然」とすました顔で答える。

 

 「俺がいつ領地が欲しいと言った? 勝手にガリアの貴族になんぞしないでくれ!」

 

 あまりの物言いだが、周囲はこめかみに青筋を立てながらも耐えている。

 

 

 ここで割って入ったのが、タバサの隣に座るイザベラだった。

 「サイト様、オルレアンをあなたに賜ったのはそれなりに訳があるのです。聞いてもらえませんか」

 

 「副王殿下、これはあなたの差し金ですか?」

 

 「差し金だなんて人聞きの悪い。昨日、サイト様には、エレーヌからささやかなプレゼントを差し上げるとお伝えし、ご了解いただいたはずです。そして、私のことはリザで結構です」

 

 「オルレアン領のどこがささやかなんですか! 副王殿下」

 実際、ラグドリアン湖を挟んでトリステインと接するオルレアン領は、ルイズの実家ヴァリエール公爵領よりも広かった。

 

 ここで一瞬、イザベラが眉間に皺を寄せたのは、サイトの激高ぶりが気に入らなかったからか。それとも自分への呼称がそのままだったからか。おそらく両方だろう。

 

 「サイト様は領地の大小で人を評価するような方だったのですか?」

 「オルレアンは、シャルロットの思い入れ深い場所。それをサイト様に賜ったのです。オルレアンは、非業の死を遂げた叔父シャルルの領地だったことをご存知のはず。その思い出の地、父の旧領を、サイト様にこそ守ってほしい、というのがシャルロットの心からの願い。それをそのように拒まれたら、シャルロットがあまりにもかわいそう」

 

 ここで下を向いたイザベラが白いハンカチを出して、両目尻をそっとぬぐった。もちろん嘘泣きである。だが、誰が見ても泣いているとしか見えない。その迫真の演技に、サイトの気勢がそがれる。もともと美人の涙にはとことん弱いのだ。

 

 

 「いや、でも、トリステインで年金と領地をもらっている身としては、アンリエッタ女王陛下にも顔向けできないというか…。今のオルニエールだけでも音を上げそうなのに、あんな広い領地をもらってもとても手が回らないというか…」。語尾がだんだん小さくなる。

 

 「ええ、それは承知しています。父ジョセフの企みで、シャルロットが領していたオルレアンの屋敷には不名誉紋を付けられ、何の開発もできなかった土地です。領民の多くも離れてしまい、公爵領と言っても今は名ばかり。ゆえにサイト様の手を煩わせないように当分の間は王家が管理して参ります。代官はじめその他の者もガリアが責任を持って手配しましょう。サイト様にはその実入りだけを受け取っていただければ、と考えています」

 イザベラは「当分の間」という言葉に力を込めた。

 

 「それに、ガリアにもトリステインにも、両国に領地を持つ貴族はたくさんいます。婚姻、相続、贈与などによるものですから、それを王家が禁止するわけにもいきません。トリステインはそういう貴族を罰するのですか?」

 

 情感たっぷりでありながら理知的に、そして一方的に言いくるめられるのは、ルイズやアンリエッタ、シェスタ相手では考えられないことだった。なんとか、オルレアンを返上したいと頭を巡らせるのだが、いい反論が出てこない。(隣にエレオノール姉さんがいてくれたら)と思わずにはいられなかったサイトである。

 

 「…では、では、トリステインに帰ってよく相談してから返答する、と言うのは…」

 

 

 「サイト様は、ガリアにトリステインとの間にトラブルをつくろうとおっしゃるの? この宮殿、しかも臣下多数が見守る鏡の間で、ガリア王が口にした領地の下付を、他国の命令で返上されたとあっては、ガリアの、わが王家の威信は地に落ちます。これを理由にトリステインといらぬいさかいが起きるやもしれません」

 

 

 「うーん」

 

 ハルケギニアに来てから、国同士の戦争を身をもって体験してきた。自分が原因で新たな紛争の種をまくようなことは絶対に避けたい。この思いは変わらない。不測の事態を起こさないようにしながら、ガリアの公爵になることをも拒むにはどうしたらいいか。ルーン効果で多くの知識が流れ込んでいたサイトだが、このような政治絡み、人間関係の連立方程式を解くような解答は浮かんでこなかった。

 

 

 一方、サイトを前に無表情を続けているシャルロットは、滔々と流れるイザベラの話術、詐術に舌を巻かざるを得なかった。

 こちらの思い通りに相手を動かす。敵が動く方向に罠を張る。数十手先まで読んで絡め取っていく。父シャルルと伯父ジョセフは、国内でほかに相手がいないほどのチェスの名人だったそうだが、やはり血は争えない。人の扱いにおいて希代の名手となることを約束づけられた従姉は、まだ十代後半だ。

 

(イザベラ、恐ろしい子)とタバサは思うのだった。

 

 

 

 サイトをオルレアン公にすると女王と副王の2人で決めたのは一昨日。

 

 トリステインの宰相マザリーニが即位祝いのため馬車でリュティスに向かっている、との報告が寄せられていた。名目上、断るわけにはいかない。だが、「サイトを取り戻せ」というアンリエッタの意向を汲んでの来訪であるのは丸分かりだ。サイトをずっと引き留め、一緒にプチトロワで暮らし続けることが不可能なのは分かっていた。だからこそ、今後もサイトとの間に太い絆をつくっておくことが急務であった、それもあの枢機卿がこちらに来るまでに。

 

 

 領地を下付してガリアの貴族にしてしまうことは、以前から想定済み。その領地をどこにするかで、若干の時間を要した。つき合いの長いシャルロットはともかく、イザベラはここ数日しかサイトを知らない。知らないが、トリスタニアの大使館から報告された「シュバリエサイト調査報告書」を読み、おおよその輪郭は掴んでいた。

 

 ハルケギニアの者なら誰でも「末代までの栄誉」と泣いて喜ぶであろう叙爵、領地の拝領を、遠い世界から来たサイトが断りそうなことは予測できた。実際にアーハンブラ城に幽閉されていたシャルロットを救い出すために、領地とマントをトリステイン王家に返上したことも分かっている。だとすると、サイトを言いくるめる理論構築が必要だった。

 

 

 それが、シャルロットゆかりの地であるオルレアンだった。

 

 

 

 

 

 オルレアンの下付には、2人には別の思惑もあるが、互いに口に出さなかった。

 

 

 オルレアンは代々、王にごく近い血族に与えられる地。その領地の格は他の公爵とは比べものにならない。もし、オルレアンを拝領した者がガリア王家の者ではないのなら、その者こそが王家の婿にふさわしい者である、ということは常識の部類だ。

 

 

 

 

 シャルロットは(オルレアン公にして、シャルロット・エレーヌ・オルレアン女王の王配・サイト。政務はイザベラに丸投げする。なんなら、王冠もイザベラに押しつけてしまう手もある)と夢想していた。

 

 

 

 

 イザベラはイザベラで(私は第二夫人だからオルレアンに住んで、いろいろ領地管理の仕事を手伝いながら、時々、サイト様をリュティスのエレーヌの元へ送り出す。時々ね)と計画していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互いの腹の内を知ったら、女王と副王の、青髪の従姉妹同士によるとっくみあいの喧嘩が見られそうではあった。

 

 

 

 

 

 



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